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◆ あげまん研究所 ◆
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妻・千代の内助の功
:2021/07/27(火) 16:36:44
土佐入国〜晩年
高知城
一国一城の主となった山内一豊ですが、土佐入国はそううまくはいきません。土佐は当時、長宗我部氏が治めていました。しかし、長宗我部氏は石田三成に味方し、敗北。家康から領土を取り上げられたのです。
長宗我部氏滅亡後、有力農民の下級武士「一領具足」達は浦戸城明け渡しを拒み、立てこもります。これを浦戸一揆といいます。一豊は弟である康豊を向かわせます。こと時、敗れた一領具足達273名は斬首となりました。 そして、鎮静したとみて土佐に入国。
まず土佐に入国した一豊は、馬の駆初めや相撲大会といったものを催し、民衆の不満をやわらげようとしました。また、相撲見物に来ていた一揆の残党を捕らえて処刑するなど国の統治を心がけました。
それでも、再び一揆は起こってしまいます。浦戸一揆より3年後、滝山一揆が起こりました。旧本山氏の一領具足の高石左馬助が主となり起きました。討伐軍が出されるのですが、左馬助たちの用意は周到で思わぬ反撃を受けてしまいます。討伐軍は作戦を変更し、その作戦は効果が大きく一揆勢を退却させることに成功しました。
一豊は入国した慶長6(1601)年から河中山城の築城を着手していました。一豊は自分と同じ背丈・格好の5人の影武者を連れ、工事視察をしたといいます。後に河中山は高智山と改名されます。この高智が、高知の由来だとされています。
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