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山内一豊と妻・千代 伝
:2021/07/27(火) 16:31:53
山内一豊と妻・千代 伝 内助の功
山内 一豊(やまうち かずとよ)
天文14(1545)年(※1) - 慶長10(1605)年
戦国・安土桃山時代の武将。信長、秀吉、家康の三人に仕えた。
山内但馬守盛豊の二男(※2)として尾張に生まれる。
幼名は辰之助。元服後は、伊右衛門、一豊と名乗る。一豊は(かつとよ)とも。
山内 千代(やまうち ちよ)
山内一豊の妻。一豊を内助の功で支えた。
その内助の功によって、一豊は出世できたと言われている。賢妻として有名である。
浪人から土佐24万石の大名までの軌跡
山内一豊
一豊の父・盛豊は織田信安方に仕えていました。家老となり葉栗郡の黒田城を預かっていました。
一豊15歳の時、織田信長による岩倉城攻めにより、父が討死(※3)。城を追われ、織田浪人として流浪の時を過ごします。後に身を寄せた牧村政倫が信長の家臣となった頃、信長に仕えるようになったようです。
一豊は金ヶ崎、姉川の戦において活躍。矢が顔面を貫通するという深手を負いながらも、敵将を討ち取ったという逸話もあります。この手柄によって、秀吉の領国の一部を信長から与えられ、戦国武将・山内一豊としてスタートを切ったのです。
信長が倒れた本能寺の変の後は、秀吉に従いました。
天下統一後は播磨に大名として配置され、掛川城に入城(一豊48歳)。
城郭、城下町づくりや治水などに取り組み、掛川を発展させていきました。
秀吉亡き後は、早くから家康に忠誠を見せ、妻の助けもあって家康の信頼を得ていきました。
そして慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後、一豊は土佐24万石へと大抜擢され、一国一城の主となったわけです。
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