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ロンギヌスの槍

36セラフィエル:2007/07/08(日) 15:00:20 ID:h.bAA9cw0
>>35 海江田さん
>セラフィエルさんの説明は分かり易いですね、すんなり納得できますね。まるでニュースキャスターの『筑紫』さんや『古館』さんと話している様です。

そ、それは買いかぶりすぎですw
私は確かに文系ですが社会学系の理屈屋的なところもありますし、うまく文章表現することが難しいことも多々あるのです。
私は今現在も社会学関係の資料を学んでいるところなのですが、これは非常に人間のことをよく考えさせてくれるものでして。
しかしながらこういう資料は、ほとんど外国の学者が論じられたことを直訳にも近い形で翻訳している者なので、物凄く読みにくいことがしばしば。
どうしてこう、もっと簡単に表現できないのかと、模索しているところなんです。
そういう考えが根底にあるのか、相手に納得してもらえるような描き方を心がけているんです。
>つまり、みんなが一人であって、敵もいなければ味方もいないはずですから。(心理学的に心を共有できないという意味で)
うーん、自我と言うもの自体、他人がいなければ形成されえないものです。
完全に共有できなくとも、ある程度共有することは可能であるのです。心理学的にも。
これは社会学の根本概念からの解釈ですが、人間の経験を理解するというのは、そのままズバリ同じようなことを追体験しなくともある程度は努力すれば理解できるところはある、その意味はあるとしています。
また、フロイトも、事件を起こした犯人を暴こうとするのに、その行為全てを把握するのではなく、明確な根拠を見つけることで、10中8、9くらいは判ってくるものだとしていますし。
犯人を見つける仕事って、その足取りを辿ることも有用ですが、犯人の残した痕跡からある程度の推測をはかることもできうると言う解釈のもとでの論理です。
私は補完計画とはこのような理解をするという努力を投げ捨て、全ての煩い事から逃避しているだけである、と解釈しているのです。
もし本当に単体としての存在であるならば、すなわち偶像崇拝を禁じ、姿形を表すことが全くない「唯一神」と同じ解釈になり、それこそ姿形を持ち得ない、ただそこに漠然といるだけの存在となるでしょう。
「神」の概念ってまさしくそんな感じのものだと思います。


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