したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

長七郎江戸日記 〜華麗なる二刀流〜

1ナレーター:黒沢 良:2003/05/08(木) 20:04
三代将軍家光の治世、家光の甥に当たる一人のやんごとなき人物が
将軍の意向に逆らって野に下った。
その名は松平長七郎長頼。
家光と将軍の座を争って命を失った駿河大納言忠長卿の忘れ形見である。

117NR@新選組:2003/07/01(火) 19:54
>116
近藤勇「松平肥後守容保殿、了解した!

118松平肥後守容保@風間杜夫(白虎隊):2003/07/02(水) 11:51
どうもメール欄に余計な文章を入れると
ここでは上手くsageにならんらしいのぅ。

>117
素直に言う事を聞いてくれるのは嬉しいが、
上司である余にタメ口とはちと変ではないのか?
会津藩といえば新撰組のスポンサーじゃぞ。
その大事なスポンサーに対して「松平肥後守容保殿、了解した!」は無かろう。
余のことは今後「殿」か「会津中将様」と呼べ。
もしそれがどうしてもいやならば、余よりも偉い将軍慶喜様か孝明帝に
なりきるがよろしかろう。
その時はこの容保も、目上の御方に対しては忠節を尽くそう。
江戸時代は身分制度があるということを忘れないでくれよ。

119松平肥後守容保@風間杜夫(白虎隊):2003/07/02(水) 11:54
―追伸―
尚、ここはクロスオーバー徳川将軍史なので、
身分制度さえ守れば横文字の使用は許す!

120NR@新選組:2003/07/02(水) 18:30
   >117それはとんだご無礼を非礼をわびるでござる
     新選組はそれなりに知っているのでござるが・・・
     白虎隊にかんしては、それがしはそれほど存じぬゆえ
     ネットで白虎隊の事をできる限る学ぶゆえ
     お許しいただきたきそうろう。
     拙者、時代の中で知らない知識はまだまだ多いゆえ
     多少の事は多めにみていただきたいでござる
     拙者も学ぶ努力をする覚悟でありまする。

121名無しさん:2003/07/03(木) 09:22
キモイ

122十四代将軍家茂生母・実成院@野際陽子(大奥):2003/07/03(木) 18:38
オホホホホ♪
勝利の後の御酒の味はまた格別じゃ。

>120
もし気を悪くしたなら許してたもれ。
次から気をつけてくれればよい。

>121
そなた、「スレ主」とはいかなる字かご存知か?
「スレの主(あるじ)」と書いて「スレ主」と読むのじゃ!!

123NR@新選組:2003/07/05(土) 15:46
文久3年(1863)4月
ここは大阪常安橋会所。壬生浪士組の芹沢派の面々は
将軍警護の任で下坂中であった。

芹沢鴨 「何事もなくすみそうだ
新見錦 「そうだな、京の方が心配だな
芹沢鴨 「近藤達は強い!あいつらだけで大丈夫
平山五郎「大変だぞ鴨!!見つかったぞ!!
芹沢鴨 「誰が!?
平山五郎「家里次郎の奴だよ!大阪に逃げてやがった!!
新見錦 「どうするんだ?鴨よ
野口健司「あなたの事です。ただじゃすまさないでしょうね
芹沢鴨 「五郎!ここに連れて来い!!
野口健司「すごい顔をしていますよ鴨
新見錦 「殺るきだな
芹沢鴨 「・・・・・・。

偶然大阪での任中に発見された家里・殿内派のトップ2の残り
一人、家里次郎。壬生浪士組の芹沢派・近藤派と家里・殿内派
の対立は終局をむかえようとしていた

124NR@新選組:2003/07/05(土) 16:48
文久3年(1863)4月24日
ここは大阪常安橋会所。壬生浪士組の芹沢派の面々は
将軍警護の任で下坂中家里・殿内派のトップ2の残り
一人、家里次郎を逃亡中のところ大阪にて発見
壬生浪士組の芹沢派・近藤派と家里・殿内派
の対立は最終局面をむかえようとしていた。

芹沢鴨 「久しいな家里次郎・・・
家里次郎「こちらこそ久しいですね、芹沢
芹沢鴨 「家里・・・現在の京や江戸に必要な力は何だ?
     倒幕の奴らを 抑えるには、頭脳?権力?それとも力?
家里次郎「まだそんな事で愚痴っていたとは
     確かに我々は幕府と結びついた権力があった
     だからこそ京都守護職御預の任を任せられたのは事実です
     しかし、この任を任せられるだけの力が我々にあった事に
     なぜ気づかないのですか?ともに協力し京や江戸を
     守ろうとは考えられないのですか?芹沢!
芹沢鴨 「俺達は命をかけて京を守ってきた。明日をも知れぬ覚悟でな
     その仕事が認められて京都守護職御預の任を任せられた
     だがお前達はどうだ?毎日血にまみれたか?
     一日一日、生と死の間を感じつつ京を守っていたのか?
家里次郎「意見が合うことはなさそうだ・・・
芹沢鴨 「俺達が斬るか・・・切腹するか・・・選べ
家里次郎「なめるな!!お前達に斬られるくらいなら自ら切腹します!!!

その後家里次郎は自害。家里・殿内派は事実上崩壊した
家里・殿内派の壬生浪士組はすでにほとんどが脱隊しており
近藤・沖田達と旧知の友であった斎藤一だけが残る結果となった
もと家里・殿内派の生き残り連中の一部は浪士組に復帰し
これまた別の部隊、新徴組隊士となったが、それはまた別の話・・・・・

125NR@新選組:2003/07/12(土) 15:41
1863年(文久3)旧前川の新選組屯所

芹沢鴨「久しいな勇。京は大丈夫みたいだな
近藤勇「大阪でいろいろあったようだが家里次郎の事もそうだが
    力士とも乱闘事件をやらかしたようだな鴨よ?
    血の気が多すぎるぞ鴨よ!
芹沢鴨「それはそうと生糸問屋大和屋庄兵衛方に金策を申し込む件は
    どうなった?
近藤勇「うむーー、今の所よい返事はもらえぬよ
    大和屋庄兵衛方殿の資金援助はあきらめるしかあるまい
芹沢鴨「我ら京都守護職御預の任にて京を命がけで守りるいてるというに
    くそう!!勇、拙者は出かける、大砲と隊士35人ほど連れていく
近藤勇「まて!!鴨どうするきだ!?オイ!?
芹沢鴨「我らの仕事を見せ付けてくれよう!!!

芹沢鴨一派は大和屋に向かった

126NR@新選組:2003/07/12(土) 16:20
1863年(文久3)8.12ここは生糸商・大和屋の前

芹沢鴨  「大和屋庄兵衛方!!我名は壬生浪士組芹沢鴨!!
      その方同業の八幡屋卯兵衛が勤王の志士に暗殺され、
      その首が三条大橋に梟された。八幡屋の罪状を記した捨て札に
      追って天誅を加える奸商として自分の名前があがっていた
      事におびえ尊攘派と連絡を取り、藤本鉄石に多額の献金を申し出た
      そうだな。どうだ?我々に資金援助してくれぬか?
大和屋庄兵衛「それはできませんぜぃ。もしそんなことしたら
       あなたたちと敵対してる志士達に殺される
土方歳三  「かわいそうにな・・・鴨に狙われ時点で終わりだ
芹沢鴨   「これが見えるか?大砲だ。京都守護職から
       借り受けていたものだ。資金援助を
       してもらえぬとなると撃つしかないな・・・
大和屋庄兵衛「かんべんしてくだせい。どちらについても殺される
芹沢鴨   「たしかに一理ある・・・だがしかし
       どんな理由があろうと志士どもに資金援助した罪
       許しがたき!!全大砲撃てーーーー!!!
生糸商・大和屋は轟音をたて燃え広がる
芹沢鴨   「ははははは!!!志士どもに力ぞえしたその罪
       壬生浪士組に資金援助しなかった罪
       その身であじわえぃ!!!もっとじゃ!!もっと撃てぃ!!
土方歳三  「・・・・・ひどいな

新選組屯所(まだ壬生浪士組だけど)
隊士 「大変です。近藤殿!!!芹沢殿が・・・・
近藤勇「芹沢・・鴨・・どうしてお前は・・・そんなやりかたで・・・くぅう!!
読んでいた書物は手からすべり落ち、近藤はふさぎこんでしまった

その後に残ったものは、生糸商・大和屋の焼け後・大和屋庄兵衛方の焼死体
そしてむなしさだけであった・・・

127NR@新選組:2003/07/19(土) 12:31
1863(文久3)新選組屯所

土方歳三「大変だぞ会津藩と薩摩藩が手を組んだらしいぞ
近藤勇 「本当か!?これはまたどえらい事になったな・・・
別の部屋
新見錦 「何でも長州藩にひと泡ふかせようてことらしいぞ
芹沢鴨 「会津藩と薩摩藩と違い、京においてつねに長州藩ばかり
     が権力握っていたから、当然の結果!
野口健司「本当に久光としては、折角の努力が長州藩のために水泡に帰した
     わけですから、長州藩を追い出したくなるのはあたりまえですね
壬生浪士組集合
近藤勇 「で、今回の任は天皇から急進派公家の三条実美ら
     7名の国事掛免職の勅許を得るため、薩摩・会津の
     御所参内を警護する任に決まった。敵は長州藩
     それぞれの部隊がすべての門を固める
     我々壬生浪士組は御所の南門を警護する
芹沢鴨 「強引に入ろうとする奴は容赦なし!斬れ!!
近藤勇 「・・・・・・・。

壬生浪士組の最初の大舞台がはじまった

128NR@新選組:2003/07/19(土) 13:25
1863(文久3)八月十八日京都御苑南門

壬生浪士組52名出動!!近藤 勇・山南敬助・土方歳三・沖田総司・野田健司
長倉新八・井上源三郎・藤堂平助・原田左之助・斉藤 一
を筆頭に御所南門の任につく

近藤 勇 「本当は会津藩の指示で御所の蛤御門守るはずだったんだが
      こっちにまわされてしまった
原田左之助「ていうかよ、俺達知らね奴は知ねみたいだな
      ドまっ正面の門守らせろてんだよ!!!
土方歳三 「我々の事を知らない藩士と揉みあいになるとは
野村佐兵衛「すまぬ壬生浪士組よ、公用の我の顔にめんじて
      花畑門をまもってくれ、本当にすまぬ
沖田総司 「いいじゃないですか、原田さん争い事がすくない門で
原田左之助「てめぇ!!俺達の任務忘れるなよ、戦争しにきてんだぞ
      うおぉ!!はやくあばれてえぇぇぇーー!!
沖田総司 「本当に戦うの好きですね原田さんは

何刻すぎたか・・・複数の銃声音が聞こえた
斉藤 一 「はじまったようだね沖田君
沖田総司 「でも、やっぱり蛤御門の方ですね。こっちあまりこないや
原田左之助「ちくしょうぅぅーー!!後で俺達の事知らない奴
      無理に覚えさせてる!!
他の部隊 「大変だ蛤御門が予想を遥かに超える激戦になってます
      何人か救援をーーー!!!
原田左之助「待ってましたーーーーー!!!オレはいくぞ!!!
沖田総司 「僕は残ります
斉藤 一 「僕はどうしょうかな・・・
猛スピードで蛤御門に・・・が
藩士   「おまえらさっきの・・・ここはかたずいたぞ
原田左之助「なにーーー!!?激戦区じゃなかったのか
藩士   「激戦だったけど、なんとか長州藩をおさえれたぜ
原田左之助「おまえのせいで戦えなかっただろうがコラ!!!

結局京都御所で新選組が刀を振る事はなかったが長州藩を
おさえる事には成功した壬生浪士組だった

129NR@新選組:2003/07/19(土) 13:41
穏健派公家の中川宮朝彦親王は御所内にて
天皇から急進派公家の三条実美ら7名の国事掛免職の勅許を得る
長州藩は、受け持ってた堺町御門の守衛を免じられる
三条実美ら七卿と長州藩士らは、京から落ちざるを得なった

すなわち会津藩と薩摩藩の策略は成功!長州藩は京を追い出される結果となる
それは藩系全権力を握っていた、長州藩が権力を失った事を意味していた

130NR@新選組:2003/07/19(土) 13:51
壬生浪士組はその時の働きが(史実上ほとんど刀を振るってないが
的確な指揮、迅速な行動は高く評価され)
認めれこの日、軍功によって
彼らは武家伝奏野宮定功と飛鳥井雅典の両卿から

新選組を命名された
京都守護職のもとで市中取締(市内見回り)を任務を命じられる

131通り魔:2003/07/22(火) 22:04
http://www.kaede.sakura.ne.jp/~mya/gallery/mono/haku/haku_uzuki_h.html

132.:2003/09/24(水) 18:48
玉葱chのキャラネタ&なりきり板にも来てね。
2chと違って細かい規制も無いし、IPも取ってないよ。
もちろんかちゅ〜しゃ等の2chブラウザにも対応してるよ。

ttp://gungnir.versus.jp/charaneta/

133名無しさん:2004/08/07(土) 01:24
テスト

134名無しさん:2016/07/17(日) 20:59:31
錆びれな


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板