- 1 :元文学青年の俺 :2025/09/04(木) 11:12:21
- 5チャンネル文学板の「元文学青年の俺が俗物を徹底的に馬鹿にするスレ」
がどういうわけか急に長文の書き込みを拒否し出したので、こちらを「避難所」 として使わせていただくことにした。
5チャンネル文学板への書き込みが失敗した場合に、このスレに書き込む ことにする。
書き込む内容は、特にスレのタイトルにこだわることはなく、広く気ままに あれこれを書きつけてゆく予定。自分の雑談用のスレと言っていい。
- 46 :元文学青年の俺 :2025/09/30(火) 12:40:10
- おっと、肝心なことを書き忘れていた。
「やりたいことをやってくれ」、「好きにやるのが一番」とおっしゃって いただいたので、そうさせていただくことにしましょう。 ありがとうございます。(゚▽゚*)
- 47 : ( ´・ω・`) :2025/09/30(火) 16:53:13
- >>46
( `・ω・´)b
- 48 :元文学青年の俺 :2025/10/01(水) 15:05:59
- >>15 ~ >>17の続き
谷川俊太郎と三島由紀夫についてさらに一言。
谷川俊太郎の詩から三島由紀夫を連想するのは上で述べた詩だけではない。 たとえば、次のような詩がある。
--------------------------------------------------
空
空はいつまでひろがっているのか 空はどこまでひろがっているのか ぼくらの生きている間 空はどうして自らの青さに耐えているのか
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 49 :元文学青年の俺 :2025/10/01(水) 15:07:26
- 引用したこれら二つの詩もそうであるが、谷川の詩には何度も「青空」という言葉が登場する。
一生を通じてそうであった。谷川詩のキーワードといっていいかもしれない。
さて、一方、三島文学のキーワードと言えば、「美」、「永遠」、「死」などがすぐに思いつくが、 その他に「海」、「夏」、「夕焼け」などもそれに当たるであろう(>>4で引用した『花ざかりの 森』の冒頭や>>6で触れた『海と夕焼』で示されている通り)。
そして、上の谷川の詩の「青空」を「海」に置き換えてみれば、これは三島文学の世界に なりそうである。
「海はいつまでひろがっているのか 海はどこまでひろがっているのか」 「海は何故黙っているのか」 「海は何故 ひとりで暮れていってしまうのか」 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 50 :元文学青年の俺 :2025/10/01(水) 15:08:54
- (すでにここでたびたび言及した三島の『海と夕焼』で、主人公の少年の問いかけの「なぜ
あのとき海が二つに割れなかったか」は、上の「海は何故黙っているのか」と通じるものがある)
三島がどこかで上のようにつぶやいていても不思議ではないように感じられる。 「海」はもちろん「蒼海」とか「青海原」という言葉があるように「青」という属性を持っている。 すなわち、「青空」と「海」はこの点において交換可能、同価値、同次元なのである。
そして、この2人の文学作品における「青空」または「海」は「虚無」というイメージ、観念と 結びついている。
そうすると、自分としては、ここに2人の「同時代性」というものを考えたくなってくる。つまり、 両者とも戦争体験があった。戦争体験と言っても2人とも兵士として戦ったというわけではない。 しかし、東京大空襲などで、多感な十代に、焼死した人々の遺体を身近に見ていたのである。
もっとも、青空や海に「虚無」のイメージ、観念が結びつくのはかなり普遍的なものであるから、 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 51 :名無しさん :2025/10/02(木) 18:14:54
- >>48
「焼夷弾を降らす空」を持ってきても、この詩世界は揺るがなそうですね。 応答してくれないカミサマ、みたいにも感じます。
- 52 :名無しさん :2025/10/02(木) 18:34:05
- 持ってきても、が分かりにくくてすみません。付け加えても包含できる、の意です。
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