- 1 :梶原明生 :2020/11/05(木) 10:55:06 ID:fKnFagFY
- こんにちは。梶原明生です。HTSSとは自分が考案した同好の内容を一つにまとめたシステム?です。Hは特撮ヒーロー、ヒーローショーを見る、やるなど、Tはタクティカルでサバゲーや武道武術、(主に空手、拳法、軍隊格闘術など)Sはスピリチュアル。つまり神道仏教の倫理、神社仏閣を訪ねる旅。などです。これら4つを全て好む方は、HTSシステム同好会に向いてます。あなたも参加しませんか。主に大分県で活動しますが、こうした掲示板での意見交換も賜ります。上記の同好の輪を広げましょう。…なお、小説投稿もしているので、梶原明生で検索してもらえれば、あらすじだけでも読むと私と言う人物が見えるかも?特に芸能界浄化部隊は、小説からはみ出て本当に創設したいくらいに思ってます。(無茶はできませんが…) 主なイベント ヒーローショー鑑賞、行事、軍隊格闘術研究、サバイバルゲーム、軽登山、神社仏閣倫理巡り旅、食事会など。
- 129 :梶原明生 :2024/12/19(木) 02:37:19 ID:DWyTIZ0w
- 「田村装備開発さんと話したかったこと。」・・・遅まきながら8月17日ぐらい。(すみません。確かな記録がどっかいってしまいました)に人生一大イベント。東京と埼玉への旅を敢行しましたが、その際、長田部長とお会いしたものの、貴重な時間をさいてしまったことや旅の疲れから、十分な話もできずに終わりました。(会えて、タクティカルな世界に触れられただけでも幸せ者なんですが。)ここではそれを書きたいと思います。先ずは「3年B組金八先生」について。「何ぞや?」と思われることでしょう。何せ作者は田村装備開発さんと真逆な方なんですから。ただ、とは言え、あれだけ日本中を沸かせたドラマですので、「全く無視」と言うわけには行かないでしょう。たしか1996年3月シーズンだったと思います。最後の最後の卒業の日。あの名物、金八先生が生徒一人一人に声を掛けていくシーン。最後に金八はこう言います。「あのね、立派な人にならなくていいの。どうか、感じのいい人になってください。」この意味が全く当時分からず、ごく最近までわかりませんでした。「田村さんや長田さんみたいな立派な人の方がいいだろ?」と。しかし、田村装備さんの動画を見てると、「ハタと」膝を叩きました。「なるほどこれか!」と。それは、大変失礼ながら、「ある方」が動画に出ていると見ないんです。勿論、その方は、田村装備さんに貢献されている立派な方です。(田村さんや長田さんではないです。)でも、唯一「感じが悪い」んです。自分だけかもですが、それを考えた時に先程の「ハタと」膝を叩くことになったんです。「立派な人でなく、感じのいい人とはこれか!」そういえば、どんなに優れた政治家も、感じが悪かったら台無し。だから好感度を気にするわけですね。田村さんも長田さんも、あの気さくさがなければ、ここまで支持されたか疑問でしょう。それを悟らせてもらった田村装備開発さんに感謝します。(ちょっと変な言い回しで恐縮です。)これからも応援します。
- 130 :梶原明生 :2024/12/20(金) 20:16:50 ID:9tNNKJIQ
- 人生初!「アカシアな二人」自主制作フリップ無声映画(音楽あり)上映決定! 大分市コンパルホールにて14:15ぐらいに、304会議室(三階)にて行います。近隣の方々は奮ってご視聴ください。クリスマスを彩る異色の恋愛ドラマをご覧あれ。
- 131 :梶原明生 :2024/12/20(金) 20:28:56 ID:j623574o
- 1時間30分の予定。
- 132 :梶原明生 :2024/12/22(日) 23:29:40 ID:q8lX0fRQ
- 「夢の待機期間について」・・・昔よく言われていた(多分2004年頃から)「ゆめは必ず叶う」とやたら夢に向かわせる風潮がありました。しかし、その当時から自分は「額面だけ見れば、木村拓哉以上のスターに俺もなれるってことになる。そんなバカな!」と、現実的でしたが、案の定、この言葉は今はほとんど聞きません。自分と同じ疑問のどなたかが、苦情を殺到させたからです。以来、この言葉自体避けるようになったか、あるいは注釈をつけるようになりました。そう、食品パッケージによくある「この写真はイメージです。」みたいに。自分なりに穿った視点で見れば、確かに「進んだ考え方」とも言えますが、当時の時代背景には「就職氷河期」があり、溢れた人員をどう捌くか。権力者達は頭を絞っていたことでしょう。「夢は叶う」とか広めれば、違う角度から向かう目標ができ、あらたな「金儲け」の糸口になる。結局夢の犠牲になろうが人生めちゃくちゃになろうが権力者達にどうでもいい。要は金儲けしか考えず、株価指数の収益率しか見ていない。で、まんまと「夢は叶う」と騙された犠牲者が、昔のユーキャンのcmみたいに面接でダンスが得意ですと、ダンスを披露して面接官に笑われてバカにされるシーンのようになってしまったんでしょう。(と言ってもこのCMは嫌いですね。かなり苦情もあったとかで確か打ち切りしたんじゃなかったかな?)そんなわけで、かつてその「権力者」のことを田村装備開発の田村社長は「あいつら金にならなくなった国は平気で戦争させておいて高額の兵器売りつけて儲けようとする。」とおっしゃっていました。まさにそれですね。さて、これだけ「夢が叶う」に穿ったツッコミしておきながら、それでも、「夢はもちつづけた方がいい。」と感じます。「なんでだ?あれだけ批判してたろ?」と思われるでしょうが、時の権力者の提唱する「夢は叶う」なんかサラサラ信じません。しかしながら、「夢を持ち続ける」こととは意味が違います。皆さん、分かり切ってると思いますが、「自衛隊が訓練し続ける理由」はなんでしょう? それはいざと言う有事な際に直ぐに治安出動できるようにするためです。(諸説あり)この理由にはかつて小泉元総理も言っていました。「いざと言う時、訓練してなかったらやられてしまう。その時国民にいきなり銃手渡して戦ってくれなんて言ったとして、できるわけないだろ!」と。夢も同じだからです。かつて、自分は「いつか田村装備さんのところへ行こう。そして自作の漫画 芸能界浄化睦軍を見ていただこう。長田部長に是非お会いしたい。」と五年以上前から思っていました。叶った時の事を考え、その時から下準備や心構えを鍛えてきました。しかし安月給では生活が精一杯で、飛行機で東京までなんか、夢の夢でした。もし、自分がこの時「どうせ!〇〇」なんて言って腐っていたらどうだったでしょう。いきなりチャンスが到来しても「しまった!こんなことなら腐らず用意しとくんだった。」と後悔していたことでしょう。何せ準備していても東京旅行はかなり疲れたわけですから尚更です。いざチャンスが訪れた時、「しまった!こんなことなら!」を口走らないためにも、タイトル通り「夢の待機期間」を大事にしなければいけないんです。夢は大変きまぐれです。いつ叶うチャンスが訪れるかは、それこそ「運」次第です。しかし、叶う下準備さえ出来ていれば、後は出動するだけです。決して叶う保証はないが、同時に「叶わない保証もない」わけです。同じ夢を抱くなら「下準備と心構えと鍛錬」を怠らないこと。それが所謂「夢の待機期間」です。叶う可能性はグンと上がります。皆さんも、叶っていないからと夢を諦めずに、来るべきチャンスに向けて頑張りましょう。ただし。・・・これは自分が実践して来たことですが、先程の「下準備」には、「現実的な生活、社会、家族等を疎かにしない。」も含まれている。よく夢を追う人は、昔で言う「女房も泣かす!」みたいなことをする輩がいる。恥ずかしながら我が末妹もその一人だ。「私はいずれ大物〇〇になる人間だ。」と嘯き、現実的世界を疎かにするようではだめだ。いや、むしろ夢のチャンスを掴んだ人は、先程書いた「現実的な生活、家族、社会」をもしっかりやった上で夢を追って成功している。例えば、「俺会社辞める。夢のためだから。」はNGだ。確実奥さんなら「何バカ言ってんの?収入は?子供の養育費は?生活はどうするの?」と言われる。当然だ。それで挫折して不健康な毎日を送り、挙句に自殺まで。それどころか、「夢が叶わないのは社会が悪い」と、どの口が言うか!と怒鳴りたくなる犯行に及び、殺人事件を起こす。ありえない行動だ。こんな「不健康、不健全な夢」は願い下げだ。皆さんもどうか、夢を追うなら、「夢の待機期間を大事」にし、「現実的な生活、家族、社会」を両立させる夢にしてほしい。
- 133 :梶原明生 :2025/01/18(土) 19:53:12 ID:RlGWsse.
- 「夢の待機期間 実例編」・・・拙文に書いたように夢の話ですが、今回は偶然か必然か? たまたまYouTubeにて「夢を50歳代から叶えた」方がおられましたので、書こうと思い立ちました。しかも同じ九州の方で(と言っても佐賀県佐世保市で遠いですし、縁もゆかりもありませんが)「久田輝幸」さんです。テレビ局のニュース番組の1コーナーで紹介されていました。まさに「今、夢を追いかけている人がいるなら、この方を見習え!」と言いたくなるくらい凄い方です。どういう方かと申しますと、今現在、脱サラされて、「大きな模型店」を開かれて、自らもプラモデル製作に励むまさに「プロプラモデラー」なんです。しかもそれを50代で始めたわけですから、まさに「夢の待機期間」を大事にされた「模範モデル」の極致と言っても過言ではありません。しかも、先に書いた事にもありますように、彼は決して「現実的な生活、社会、家族」を疎かにせず、しっかりと守っていたからこそ、実現できたのだと思います。その証拠に、彼のエピソードには、「地元の学校を卒業後、車販売会社に就職。奥さんと子供に恵まれつつ、仕事に邁進していましたが、孫ができた時、遊びに来た孫が遊べるようにと久々ガンプラを作ってあげました。それがきっかけで再びプラモデルへの夢が膨み、今に至ります。」とありましたが、話を聞いただけで「順風満帆ではなかったのだろうな。」と見えない苦労が見えた気がしました。自分の勝手な予想ですが、多分久田さんは「車販売の会社」とあるところから、「営業部」におられたのではと推察します。つまり早くからそうした人脈の構築や、店を構えた際のリスクマネジメントなどを計画したり考えたり、並々ならぬ努力の果てに叶えられたんだと思います。ぽっと出の若者がいきなり「俺はビッグになるんだ!」と叫んで社会に出るのとは大違いです。何故なら、「しっかりとした社会基盤を構築」できていないからです。無論、若いうちに叶えられるならそれに越したことはありません。しかし、若いうちに成功した人間が、中居のように「晩節を汚す」存在になるのも事実。そうならないためにも、「頭を垂れる稲穂かな」の例えのように「感謝」を忘れないこと。それが、夢の待機期間を経て夢を叶える方の強みだと言えるでしょう。夢を叶えたい方、久田さんみたいに諦めず、しかし現実的な世界も大事にして邁進してもらいたいものです。
- 134 :梶原明生 :2025/01/31(金) 17:58:39 ID:0dvCMKyU
- 「思い出のアルバムは思い出だけか?」・・・
- 135 :梶原明生 :2025/02/01(土) 01:14:12 ID:.UKDo/EQ
- ↑先の見出しについて書きますと、ある知人が自宅前でアルバムを焼いていました。焼却炉が珍しくある古家なんですが、彼曰く。「こんな写真取ってたって仕方ないから燃やしてる。」と。聞けば亡くなった母のアルバムだったとか。自分は彼に直ぐこの話をしました。「記念写真は思い出や記念のためでなく、言わばその時間を切り取った記録、歴史、そして証拠だ。」と。・・・かつて元航空自衛官にして元外人部隊傭兵だった高部正樹さんがテレビ番組でこう言われてました。「戦地や部隊で写真を沢山撮るのは記念でなく証拠のため。口でいくら言っても嘘と言われたらどうしようもない。しかし、写真や動画があれば、即それが証拠と記録になるからだ。」みたいな話をされていました。そう言えば工事現場も、施工後は写真撮りますし。やはり写真は撮ったものは可能の限り取っておく必要があるのでしょう。また、歴史なんて言うと、「たかが一家庭の一歴ぐらい」と(知人もそう言う考え)言われるでしょうが、人物だけでなく、その写真の背景、風景は、その時代、その時間、その場所、その角度でしか切り取られていないものです。それだけでも「たかが写真。されど写真」と言えるでしょう。また、故人が残された記録なら尚更。先にも書きましたが、「人は2度死ぬ」ことを考えないといけないのではないでしょうか。1度目は本格的な命がなくなる死。2度目は「忘れ去られる死」です。2度目はあってはならない。例え大した出世もなかった人物であろうと、「人一人居ればそこにさまざまなドラマ」がある。それを絶やしてはならない。できる限り、温存し、故人を時々偲んであげましょう。こう話したら、彼はやめてくれました。3分の二ほど焼いたものの、幸い最後のアルバムは「総集編」みたいなもので、温存しておくにはいいアルバムが残りました。このように、色んな意味で、アルバムとかを保存しておくのはいい事ではないかと思います。(あくまでできる限りですよ。)
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