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ドイツ

1アウフハーベン:2018/10/03(水) 12:03:59
止揚(しよう、独: aufheben, アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。揚棄(ようき)ともいう。ドイツ語「Aufheben」の訳語。
あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。
矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。
という二つの意味を有する[1]。

ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様の意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した(ヘーゲル弁証法)。古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。

このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法的唯物論が登場すると、「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として自然や社会・思考の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。

4Wolfsschanze:2019/01/01(火) 10:38:45
ヴォルフスシャンツェ
狼の巣
第二次世界大戦で東部戦線のドイツ国防軍の作戦行動を指導するため、アドルフ・ヒトラーが設けた指揮所である。また、第二次世界大戦中に各地に設けられた総統大本営の一つである。名称はドイツ語で「狼の砦」を意味するが、日本では英語の "The Wolf's Lair" の重訳である狼の巣という名称もよく知られている。

5Blitz:2019/02/05(火) 21:54:24
ブリッツ
ドイツ語で稲光を指す言葉。
ブリッツクリーク - 電撃戦。第二次世界大戦でドイツ国防軍がとった戦術。
上記に影響された、さまざまな戦術の呼称。
バックギャモンの戦術の一つ。戦闘序盤、自陣インナーの相手の駒をヒットしつつ積極的に埋め、ギャモンを狙う積極的な戦術。ダブルの賭け時も重要。

6Vektor:2019/07/17(水) 09:47:01
ベクトル
1 大きさと向きをもつ量。有向線分で表す。→スカラー
2 ベクトル空間の要素である元(げん)。
3 (1から転じて)方向性をもつ力。物事の向かう方向と勢い。「各省庁間のベクトルの大小を比較する」「彼とはベクトルが合う」「組織内の各人がばらばらにベクトルを立てる」

7Bildungsroman:2019/10/06(日) 14:32:58
ドイツ語のビルドゥングスロマーン。
教養小説(きょうようしょうせつ)
主人公がさまざまな体験を通して内面的に成長していく過程を描く小説のこと。
自己形成小説、成長小説とも訳される。

8Biotop:2019/10/29(火) 08:43:36
ビオトープ
野生動植物の安定した生息地。
バイオトープ(英: biotope)は、生物群集の生息空間を示す言葉である。 日本語に訳す場合は生物空間(せいぶつくうかん)、生物生息空間(せいぶつせいそくくうかん)とされる。 ... 転じて、生物が住みやすいように環境を改変することを指すこともある。

9ザクセンハウゼン強制収容所:2021/03/23(火) 04:18:30
(独:Konzentrationslager Sachsenhausen)は、ナチス・ドイツが首都ベルリンの北部ブランデンブルク州オラニエンブルクに設置した強制収容所。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80

https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=93013&pid=292937

10ザクセンハウゼン強制収容所:2021/03/23(火) 04:20:29
ドイツでもタブー…性労働の強制、ナチス収容所で日本人ガイドが語り継ぐ「沈黙の歴史」

 ドイツの首都ベルリン近郊にあるザクセンハウゼン強制収容所記念館でガイドを務める日本人がいる。ベルリンのフンボルト大学歴史学科に在籍する中村美耶さん(33)=京都府出身。ナチスの収容所で性労働を強制された女性の補償や名誉回復について研究する中村さんに、その「沈黙の歴史」について聞いた。(独東部ブランデンブルク州オラニエンブルクで、近藤晶)

 「インターンの経験からホロコースト(ユダヤ人らの大量虐殺)の歴史を語り継ぐことに国籍は関係ないと思った。見学者が考える時間になるように伝えることが大切だと考えている」

 中村さんは日本の大学を卒業後、ドイツに留学。独中部のミッテルバウ・ドーラ強制収容所記念館でインターンシップ(就業体験)を経験した後、2017年からザクセンハウゼンでフリーランス・ガイドをしている。

11ザクセンハウゼン強制収容所 3:2021/03/23(火) 04:21:58
 大学の授業を通じて収容所での強制性労働の事実を知り、「負の歴史に向き合っているイメージがあるドイツでもタブーとされていることに関心を持った」。強制性労働については戦後、独社会でもあまり語られてこなかった。ザクセンハウゼンの見学者用パンフレットにも施設の存在は書かれていない。

 性労働は当時、強制労働をさせられていた男性収容者の生産性を高めるために取り入れられたとされ、10カ所の収容所で行われていた。女性らは独北東部にあった女性専用のラーフェンスブリュック強制収容所から各地に送られ総数は約200人。ナチスに「女性としてふしだら」とみなされたドイツ人やポーランド人が多かった。
 だが、強制性労働の実態に関する研究や被害者支援が始まったのは80年代になってから。生き残った男性収容者らは口をつぐみ、補償を申し立てた女性はわずか4人。自身の体験を具体的に訴えたのは1人しかいなかったという。

 中村さんは「ドイツでは、被害者の声をくみ取るNPOなど民間の活動による連帯が大きかった」と指摘する。「それでも、記憶を語りたがらない人たちが、語りたくなかった事実を受け止めるしかない。沈黙された歴史というものが、どのように歴史として残るのか。何が史実なのかということを考えさせられる」

12ザクセンハウゼン強制収容所 4:2021/03/23(火) 04:23:27
◆日本の右翼団体も視察したザクセンハウゼン強制収容所
 ザクセンハウゼン強制収容所は、ナチスが1936年に設置した。隣接地にはドイツ支配下の全収容所を管理する「監査部」が置かれ、「モデル収容所」とされた。

 45年までに20万人以上が収容され、うち女性は約2万人。ユダヤ人のほか、ロマなどの少数民族、反ナチス政治犯、同性愛者、犯罪者などが収容された。当初は主にドイツ人だったが、戦争末期はソ連やポーランドの市民が多かった。
 大量虐殺を目的とした「絶滅収容所」ではないが、死者は名前が確認されているだけで2万3000人に上り、強制労働、飢餓や病気、虐殺実験などで命を落とした。収容所は45年4月にソ連軍とポーランド軍によって解放された。

 収容所入り口にある「A塔」と呼ばれた監視棟の2階では収容所の歴史などを展示している。その中に1枚の日本人訪問団の写真がある。

 「1937年12月、A塔前の日本人将校」。写真には簡単な説明しかないが、一行は「大日本正義団」という右翼団体だった。正義団は22年に酒井栄蔵が大阪で創設。酒井ら一行はローマでイタリア首相ムソリーニと会見した後に訪独した。

13ザクセンハウゼン強制収容所 5:2021/03/23(火) 04:25:04
 日本の国会図書館に保存されている当時の訪問記で、酒井は「民間使節として日独伊の親善が目的」と記しているが、収容所を視察した理由などは分かっていない。

【関連記事】川越のノンフィクション作家・野村さん 「ユダヤ人収容所」伝える著書出版 コロナ禍、子どもの笑顔守る

https://www.tokyo-np.co.jp/article/93013

14ゲレンデ:2023/02/14(火) 13:51:46
Gelände
英語では「スキースロープ」。


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