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沖浦克治と語るスレッド
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続きです。
②かな文字遺文軽視の五老僧が御書を漉き返した。
こ具体的にどの御書を何処で誰が、どのように行ったのか?
具体的な証拠の提示がないなら、風聞の域を出ません。
ですので、対破で使用出来るレベルでは最初からありません。
私見ですが、大聖人の直弟子が、師匠のお手紙をそういう風にすると考える方が不自然です。
③五老僧は本迹一致を採用している。
大聖人の南無妙法蓮華経から見るなら、本迹共に権です。
ですので、決定的なことではありません。
更に、鎌倉殿中問答記録(所収:『改定史籍集覧二七』)には、鎌倉幕府執権高時により大聖人の弟子の日朗に諸宗との問答対決の命を下されたが、朗師は高齢のため代わった門下の日印が、文保2年(1318年)12月30日から翌元応元年(1319年)9月15日にかけて諸宗派をことごとく論破し、これにより題目宗の布教を鎌倉幕府が許可したとあります。
興師のみが大聖人仏法の理解に優れていたとは言えません。
④の五老僧は釈迦を本尊としていた。
これは大聖人が常に教主釈尊と書かれているのですから、問題視するべきではありませんし、先に引用した御書に、法華経を持って釈迦像を開眼せよとの御文もございます。
⑤『法華経』の一部読誦の五老僧に対して、興師は『方便品・寿量品』のみ読誦されていた。
この点はどっちもどっちです。
御書には、
『今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候もわたくしの計にはあらず、釈迦多宝十方の諸仏地涌千界の御計なり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしきひが事なり、日出でぬればとほしびせんなし雨のふるに露なにのせんかあるべき、嬰児に乳より外のものをやしなうべきか、良薬に又薬を加えぬる事なし。』
(上野殿御返事)
とあって、南無妙法蓮華経だけで良い。
他の経は法華経を含めて不要だと仰せです。
当然、法華経全部を読もうが、『方便品・寿量品』だけを読もうが、対して変わりはありません。
⑥五老僧Vは神社に参拝した。
この点も難癖の域を出ません。
大聖人は神社への参拝を禁じておられません。
『うぢがみへまいりてあるついでと候しかばけさんに入るならば定めてつみふかかるべし、其の故は神は所従なり法華経は主君なり所従のついでに主君へのけさんは世間にもをそれ候、其の上尼の御身になり給いてはまづ仏をさきとすべし』
(三沢抄)
このように、先ず仏に参った後なら場問題がないと仰せですし、五老僧は当然仏に使える身です。
先も後も無く仏弟子です。
ですので、神社へ行って諸天を激励するにどういう問題もありません。
以上、五人所破抄を引用し、富士門流だけが正嫡であるとの妄言を破しておきます。
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