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明知と解脱

16特明@討論希望:2014/03/05(水) 20:40:45 ID:/qZ2M5.20
> この考察とは、尋伺(おおまかな、こまかな考察)についてのみの言及なのでしょうか。
> それとも、名色全般について、それぞれそのように考察せよ、と考えるのがよいのでしょうか。

十八意行とは「十八の意の伺察」のことを指すので「無尋有伺」を示しているのです。

そして、「名色」についての考察するのではありません。
これは、名色に影響(食 = 各要素の存続を助ける補給作用)を与える、日々の「接触行為」への考察なのです。
眼と色、耳と声、香と鼻、味と舌、触と身、法と意の、それぞれの六処と六境との接触時に、
その時に現われる(生起する)「喜び(欲貪)」と「憂い(内的瞋恚)」と「平静(捨棄)」とを伺察するのです。

この「喜び(楽受)」「憂い(苦受)」「平静(不苦不楽受)」が、すでに心に内在している「名色」に影響するのです。
つまり、「欲貪」や「瞋恚」と結びついている「名色」を増大させるのか、それとも減少させるのか、捨断してしまうのか。。
これらの諸々の関係と、それらの変化のプロセスを把握することが「十八意行」の実践なのです。

中部140経には、ここまでの説明はされていません。

 眼によって色を見て、喜びに基づく色を伺察します。憂いに基づく色を伺察します。平静に基づく色を伺察します。
 耳によって……。鼻によって……。舌によって……。身によって……。意によって……。
 このように六つの喜びの伺察、六つの憂いの伺察、六つの平静の伺察があります。

経典の説明としては、これだけです。

140経の経典部分のほとんどを日記の中で紹介済みですので、アトウィキに掲載してもあまり意味がないように思えます。


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