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バタイユ的解釈の試論

1【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/10/29(水) 19:17:31 ID:???0
このスレは議論のためのテーブルとします。私自身もまだ試論の
段階ですので、博士、できればご参加くださいませ。他の方々も
ある程度知っておられる方でしたら、よろしければお知恵を拝借
したいと思います。

題目はバタイユのエロティシズム論とグノーシス主義です。まあ
のちのちゼーレやネルフとの兼ね合いで論を作ろうと思ったこと
がきっかけではありますが、その上でバタイユが大きく影響を受
けているニーチェを確認しつつ、統合する試論を企てています。

バタイユは「悪徳」と「至高性」の逆説について述べていると思
います。人間の生活におけるエロティシズムの悪魔的な相を規定
する活動、といったような表現もあります。バタイユがこのよう
な表現を使うとき、それはエロティシズムが本質的に死と合致し
ていることを意味しており、キリスト教の道徳観念からの表現で
あるというような言及がされています。

しかし、バタイユの思考の根本には、ユング同様、キリスト教以
前の古代の神概念、すなわち善悪の彼岸を超えている超道徳的な
不可知なる神の考え方が見られます。周知の通り、キリスト教の
神は人間によって「善なる存在」などといった非連続的な位相で
ガッチガチに固められてしまい、ニーチェがそれをして本来の神
概念が壊れているとして「神は死んだ」と宣言するわけですが、
バタイユの場合、崇高なる者としての「聖なる神」といった表現
をするとき、それは存在の連続性を含んだ一種の混合物であると
説明しています。

これは、人間の自我によって認識し得るものではないという点で
まさしく不可知なる神としての表現に等しいと考えられます。少
々やっかいなのが、キリスト教的な表現がかかっているところな
のですが、禁止を違反する涜聖が、人間にとって神聖なものであ
るとすると、キリスト教内ではそれが無視されてしまいました。

ニーチェの超人思想自体が、キリスト教を始めとする全てのルサ
ンチマン思想を敵に回し破壊する思想であるから、キリスト教の
道徳からしたら「超人が悪魔的と呼ばれかねない」とニーチェが
述べているように、バタイユのエロティシズム論において説明さ
れる「悪徳」あるいは「悪魔的な相」という表現も、破壊的錯乱
という魅力の補強に変えた、道徳への恐怖に対する侵犯という意
味で用いられていると捉えていますが、いかがでしょう?

2【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/10/29(水) 20:08:29 ID:???0
【訂正】
位相→位格

3【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/10/30(木) 04:58:05 ID:???0
ニーチェの「悦ばしき知識」アフォリズム125−狂気の人間−
ご存知、「神の死」が宣言される断章です。
俺は神を探している、と大衆の中でわめきたてるこの「狂気の人間」
に対して、大衆は神を物笑いの種にし、嘲笑する。その後「狂気の人
間」が激昂して「俺たちが神を殺した!」と絶叫します。

「神だって腐るのだ!神は死んだ!神は死んだままだ!それも俺たち
が神を殺したのだ!殺害者中の殺害者である俺たちは、どうやって自
分を慰めたらいいのだ?世界がこれまでに所有していた最も神聖なも
の、最も強力なもの、それが俺たちの刃で血まみれになって死んだの
だ。」

「俺たちが浴びたこの血を誰が拭い取ってくれるのだ?どんな水で俺
たちは身体を洗い清めたらいいのだ?どんな贖罪の祭典を、どんな聖
なる奏楽を、俺たちは案出しなければならなくなるだろうか?こうし
た所業の偉大さは、俺たちの手に余るものではないのか?それをやれ
るだけの資格があるとされるには、俺たち自身が神々とならねばなら
ないのではないか?これよりも偉大な所業は未だかつてなかった。」

この「偉大な所業」をエロティシズム論に昇華させた思考の大家こそ
がバタイユであるといえるが、私はそれ以前にグノーシス主義を考慮
に入れると面白いのではないかと考えています。グノーシス主義の場
合、「秘密結社の手帖」で既に澁澤も述べていると思いますが。

グノーシス主義の場合、神の位格と本質が引き裂かれ、超越的世界に
におけるところの至高神(超越的な善なるもの)と、この世の現実世
界の創造者にして支配者としての悪なる造物主とされる偽りの神ヤル
ダバオートとが対立する反宇宙的二元論が形成されているわけですが
至高神は「存在しない神」という逆説的な表現が伴った、「言い表せ
ない不可知なる神を『何とかして』言い表したもの」です。

4【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/10/30(木) 05:45:49 ID:???0
「人間即神也」=「人間の本来的自己である霊魂=至高神」

グノーシス主義の場合、この世に肉体的な生を受けていることは、本
質的に神と同一とされる霊魂(本来的自己)が肉体に閉じ込められて
おり、啓示を受けない限りそれに対して無知なままで、非本来的自己
である肉体を本来的自己と取り違えてしまう倒錯状態にある。それは
本来的自己である霊魂=至高神が「死んでいる状態」といえる。

ナグ・ハマディ文書において確認できるグノーシス主義の教えの中の
「復活」にまつわる部分にかかわってくると思いますが、啓示を受け
ないまま肉体的な死を遂げても、本来的自己に目覚めていない以上、
それは肉体的に生きているときから既に死んでいる状態に等しいから
死んだとすら言わない。すなわち人間が肉体的に生きていても死んで
いても「人間の内なる至高神は死んだまま」です。

しかし本来的自己である霊魂は確かに存在しているとされているので
あって、人間はそれについて忘却しているだけであるから、一度啓示
を受ければ霊魂は「復活」する。肉体的に生きているうちに、啓示を
受けなければ本来的自己は復活しないし、同時に「不可知的なものと
しての至高神」を認識できない。

しかし認識した後、すなわち復活した後は積極的に肉体的な死を望む
ようになる。なぜなら本質的に至高神と同じ人間の霊魂は、至高神の
元に還り、合一することが目的となるから。このためにグノーシス主
義では極端な禁欲主義か放縦に奔る傾向がある。しかし禁欲と放縦と
は常に一体であることが澁澤から説明されています。

5【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/10/30(木) 06:23:52 ID:???0
ユングを始めとするネオ・グノーシス主義の話はまた別として・・・。
少々お待ちください、まだもうちょっと続きます。(^^;)

6【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/10/31(金) 18:13:40 ID:???0
以下はかなり暗部に突っ込んだ文が散らばってくると思うので、読む
方はそれを承知の上でお読みいただきたい。

成立当初より正統派キリスト教とグノーシス派は対立してきたわけだ
が、グノーシス主義は正統側から異端のレッテルを貼られ、いうなれ
ば「悪魔の教え」のような扱いで、徹底的に弾圧されてきた。その反
駁のネタにされたのが「性的乱行」である。

異端反駁者の一人エピファニオスの報告によれば、グノーシス派の中
には男の精液や女の経水を神聖視し、その宗教的儀式の中では、奇妙
な方法で洩らしたそれらを飲んだり、あるいは妊婦の腹から胎児を取
り出し、蜂蜜や胡椒と混ぜて磨り潰し、これを聖体拝領のように食っ
たりしていたという。(『秘密結社の手帖』より)

もっともこれは、正統側からの異端反駁として徹底的に叩き潰し、そ
の道徳的観念の護持に有利にしようとしたもので、汎時的視点に欠け
ているものだ。しかしそうだとしても、グノーシス主義の中にはエロ
ティックな教理に基づいて性的乱行のオルギアを実践するものがある
ということが、当時から噂の種になっていた。

滅びの一途をたどっていくグノーシス主義だが、グノーシス的なもの
は消えずに残り続けた。禁欲的な一派も放縦的な一派も、肉体の妄執
から解き放たれること、目的はこの一点に絞られた。肉体は造物主デ
ミウルゴス率いるアルコンテスの諸力によって作られた悪の所産とさ
れるからだ。それ故にどちらも肉体の酷使し、エネルギーを浪費させ
て涸れ尽きさせる手段をとる。

7【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/10/31(金) 23:06:29 ID:???0
グノーシスの教義においては、最終的に人の魂がその故郷、すなわち
プレーローマに帰着することが目的となる。欠乏状態だった神的世界
が充溢し、至高神と人間の魂の合一が完成することで、神も人も未来
永劫の安息状態に入る。すなわち全てが無に帰する。

ここにいたるまでデミウルゴス及びそれに率いられたアルコンテスの
諸力は打ち破られ、解体される運命にある。すなわち偽りの神の殺害
・犠牲を行う供犠が行われるということだ。ここでニーチェの言う神
の死について再び考察した上のバタイユ論に向かおう。

何度も言うが、デミウルゴスは「偽りの神」である。この偽りの神は
すなわちキリスト教における限定的な属性で凝り固められてしまった
神に該当する。すなわち自ら正統性を自称する神という扱いである。
そしてこれを神と取り違えている限りにおいて、人間は物質世界の道
徳に支配され、それを守っている。

その状態はグノーシス主義においては至高神について忘却状態である
から、人間の内なる至高神=本来的自己=『存在しない神』は死んで
いるに等しい。すなわち、

「『存在しない神』は死んだ!『存在しない神』は死んだままだ!そ
れも俺たちが『存在しない神』を殺したのだ!殺害者中の殺害者であ
る俺たちは、どうやって自分を慰めたらいいのだ?世界がこれまでに
所有していた最も神聖なもの、最も強力なもの、それが俺たちの刃で
血まみれになって死んだのだ!」

ということになる。この『存在しない神』に対して無知・忘却した状
態=『存在しない神』を殺害した、という罪にまみれ、偽りの神の支
配下で穢れたままの「俺たち人間」は、いかにして、どのような贖罪
の祭典を行えばいいのか。

8【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/11/01(土) 01:27:54 ID:???0
「それをやれるだけの資格があるとされるには、俺たち自身が神々と
ならねばならない」

すなわちグノーシス主義的に言うならば、自らの内なる至高神を思い
出さなければならない、ということになろう。この光の力は崇高なも
のであり、偽りの神を打ち破る力を持つ。それは汚辱にまみれ、神を
殺した罪にまみれた人間が、再び内なる神を復活させることで贖罪を
行う力を得たということになる。

すなわち今度は本来の神と同義となった人間が偽りの神を殺すのだ。
偽りの神が定めた道徳を破壊的錯乱に身を委ねることによって冒涜し
つつ恍惚郷へといたるのである。グノーシス主義の一派に見られるエ
ロティックな教理はまさにこれであるといえる。

9【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/11/02(日) 00:43:40 ID:???0
私の考えでは、バタイユの言う悪徳の逆説、崇高の逆説というものは
ある意味グノーシス主義においてそのまま実践されているといえると
考える。ここで踏まえておかなければならないのは、バタイユが善悪
の表現を用いるとき、それはキリスト教の観念からしたらそういう表
現になる、ということであって、彼自身の視点は常に「超道徳」の視
点から考察されているということだ。

キリスト教の神は理性と両義的な関係を持つ限定的な存在である。だ
がバタイユは、この神の概念を認めようとはしない。バタイユはエロ
ティシズムを深刻に、悲劇的に見つめようとする。「現に在る限りの
もの」に対して目を向けなければならないとバタイユは言う。

「私たちは何も知らず、夜の底に沈んでいる。」だが「もし私たちが
闇の帷が垂れる地点にまで光をもたらすことなしには、どうして私た
ちは、自己自身を知り得よう?現に私たちは、戦慄の中へ存在を投ず
ることによって作られたのだ」「あの大爆笑が私たちの目から覆い隠
すもの、そして卑猥な冗談が暗示するものは、極端な快楽と極端な苦
痛とが同じものだということである」

すなわち存在と死とが同一のもの(=「生=死」)であるということ
である。恍惚的快楽は戦慄を伴ってはじめて実現する。嘔気や流血が
その魅力を高める。すなわち恍惚の中には死への望見が含まれている
のである。「はるか彼方にせよ、死を、つまり私たちを無に帰するも
のを望見することなしに、私たちは恍惚郷へ到達することは不可能で
ある。」

恍惚のうちに、おぞましさの充実と歓喜のそれが一致するとき、私た
ちの内なる存在はもはや過剰なかたちでしか存在しなくなる。過剰の
かたちのもとで、存在の超越のうちに、存在初めて完成される。

10【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/11/02(日) 12:39:28 ID:???0
バタイユがキリスト教の神の概念をまったく認めようとしないのは、
この理性と両義的な関係にある神が、人間の限られた思考によって限
定された産物でしかなく、過剰によって、侵犯によって乗り越えられ
るものだからである。すなわち、この神を冒涜することで、己の限界
に唾を吐きかけることで悦楽のうちに恍惚郷にいたり、人は神になる
という。これがバタイユの「神聖のエロティシズム」の総決算の文学
「聖なる神」の骨子である。

ここで、それをグノーシス主義に置き換えるときれいさっぱり説明で
きる要素があるということが判明する。
不可知なるものとしての至高神は『存在しないもの』として在る、す
なわち虚無であって、その至高神が住まう神的世界プレーローマは、
人間の本来的自己=魂の故郷にして安息の地、すなわち恍惚郷にほか
ならない。

バタイユ自身、エックハルトの文献からの引用を用いたりしているが
神は虚無であり、その上に陶酔するものであると説明している。その
不可知なる神=虚無なるものという説明を踏まえたうえで、グノーシ
主義とあわせた解説として以下のことが成り立つと考えられる。

『偽りの神』を殺すということは、もともと神が『存在しないもの』
であるから殺さなければならないということであり、神を本来の姿に
戻す、すなわち『存在させないため』に殺すということでもある。生
存一般を限定しているこの『偽りの神』から生存を解放するために、
『偽りの神』を殺す。しかしまた生存を、この無限定の存在が消去し
ている諸限界に立ち戻らせるために『偽りの神』を殺す(これがすな
わち供犠である)。

『偽りの神』を殺すということは、本来の至高神=虚無に連れ戻す所
業なのである。

11【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/11/07(金) 02:39:43 ID:???0
秘密結社の手帖によれば、フランスにおけるフィリップ四世の治下に
おいて強制的に解散させられることとなったテンプル騎士団もまた、
グノーシス主義的な儀式を見せていたという。騎士団員が十字架を踏
みつけたり、キリスト像に唾を吐くなど、様々な冒涜行為を働くその
有様は、グノーシス主義の教義に通じ、さらにはバタイユの思想に通
じているといえる。

グノーシス主義者はキリストを認めないというわけではない。ただそ
れが肉あるものであることを認めない。彼らにとってキリストとは精
霊であり、本来肉体をもたない存在で、ただ奇跡を行うために、クレ
ネのシモンという男の肉体に憑依したに過ぎないというのだ。それは
救世主としての位置づけだけはキリスト教と同じだが、その内容がま
るで異なるのだ。

キリスト教における受肉の教理のみならず、キリストの受難もその肉
体的復活も、贖罪の意味すらも、グノーシス主義者にとっては虚偽で
しかないのだ。彼らが十字架を憎悪し、これに唾を吐きかけるのは、
それがこのような虚偽の象徴であるからに他ならない。

既に述べたが、彼らのいう「復活」は、キリスト教の復活の考え方と
はまったく異なる。これはそのまま肉体の創造、すなわち子どもを得
ることを目的とした生殖行為を忌むべきものとする教理なのだ。グノ
ーシス主義においては女性が崇拝の対象となっているが、子をはらん
で妊婦となったものは例外で、それは以上の理由からなっているので
ある。

12【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/11/07(金) 03:14:03 ID:???0
生殖への配慮、子どもへの配慮などを無視したこれらの教理は、バタイ
ユがエロティシズムの序論で述べている根本論理と一致している。子ど
もを得ることを目的とした生殖行為は忌むべきものであるが、姦淫や不
倫などは結構なこととされる。既に述べている通り、オルギアが行われ
るくらいである。

ここで、さきほどにおいてはキリストを引き合いに出したが、今度はグ
ノーシス主義者の崇拝の対象とされ、特に重要な意味を持っている女性
アイオーン「ソフィア」を持ち出して説明を試みてみよう。ソフィアは
グノーシス主義においてはその立場も時折変わることがあり「ロゴス」
と置き換えられることもあるが、たいていの場合、過失を犯し、神を自
称する造物主を生み出してしまったものという位置づけで登場する。

この過失を犯してしまったソフィアは、その後自らの子であるこの造物
主を始めとするアルコンテスの手によってレイプされ、囚われの身とな
り、肉的な存在となって地上を彷徨することになる。これは天上界のソ
フィアの対応物としてリリスが当てはめられることがある。ともかくこ
のソフィアは娼婦のようになってしまうのである。

13【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2008/11/09(日) 20:30:36 ID:???0
ナグ・ハマディ文書「説教・書簡」に所収されている「魂の解明」に
よれば、「魂(プシケー)はその本性からして女性」であり、「それ
は子宮さえ持っている」とされる。この話はソフィアの話をそのまま
暗示しているとも考えられるので紹介しておこう。

魂は本来プレーローマの至高神のもとにあり、そのときは処女であり
同時に男女(おめ)の姿をしていた。しかし彼女が身体の中に落ち込
み、この命の中に来たとき、そのときに、彼女は多数の盗賊の手中に
陥った。そして無法者どもは交互に彼女を襲う。あるものは暴力で彼
女に障害を与え、ある者は偽りの贈物で彼女をかどわかす。要するに
彼女は凌辱されてしまうのだ。

魂が女性原理を持っているということを説明する「魂の解明」の項で
あるが、これには、別の項で説明したバタイユの指摘している「娼婦
性」が大いに絡んでいるといえる。魂は他者の裡に原理を託さざるを
得ない女性原理における「娼婦性」を持つ故に男性原理の前に欲望の
対象として自分を晒してしまっているのだ。実は「フィリポによる福
音書」にもこの原理はそのまま説明されている。

「愚かな女たちはある男が一人で座っているのを見つけると、彼の上
に殺到して、彼と戯れ、彼を汚してしまうものだ。愚かな男たちにつ
いても同じである。彼らは美しい女が座っているのをみると、彼女を
犯すために、彼女を口車に乗せて、彼女に暴行を加えるのである。」


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