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【判例】法律問題を議論するスレ【学説】

54よしはら ◆7lqX359TUk:2010/10/23(土) 23:47:02
立証責任の分担というと、技術的な問題のように思えるかもしれません。
しかし通常、会社など社会的権力の側は、十分な資料のほか、調査のための人材・能力・資力を有しています。
これに対して、労働者など社会的弱者の側は、十分な資料・調査能力を有していません。
労働者の側は、文書提出命令の申立て(民事訴訟法221条1項)などを通じて、地道に証拠収集しなければなりません。
このように、証拠の分量・収集能力において大きく劣る労働者が、人権制約の不合理性の立証責任をすべて負うことになると、労働者は大きな負担を背負うことになります。
この点で、間接効力説と直接効力説は、大きく異なるのです。

もっとも、労働者の立証の負担を軽減するために、直接効力説をとるべきかといえば、ことはそう簡単ではありません。
間接効力説では、労働者が、人権制約の不当性の立証責任を、すべて負うことになり、大きな負担を課せられます。
しかしこれは、私的自治を尊重するという観点から、正当化することができます。
すなわち、私人間の法律関係は、原則として私的自治によって規律されるが、例外的に公序良俗規定など一般条項を援用して、私的自治に制約を課そうとするならば、それに見合うだけの、重い立証責任を負っても、不当とはいえない、ということができます。
直接効力説では、私的自治尊重の要請は、背後に退きますから、私的自治をできるだけ尊重するため、労働者に重い立証責任を課する必要はありません。

最後に、三菱樹脂事件最高裁判決(最大判昭和48(1973)年12月12日民集27巻11号1536頁)の判示を、確認しておきます。
この判決は、次のように述べています。
「私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである」。
民法1条に規定されるのは、信義誠実の原則(信義則)・権利濫用の法理です。
労働者Xが、会社Yの信義則違反・権利濫用を主張するためには、Xの側で、信義則違反または権利濫用を基礎づける具体的事実を、立証しなければなりません。
不法行為に関する諸規定というと、典型は民法709条です。
憲法上の人権価値を、同条のいずれの要件に充填するかは、一つの問題です。
もっとも素直なのは、Xの人権が、同条の「他人の権利」に該当する、と考えることです。
同条の権利侵害の立証責任は、損害賠償を請求する側にあります(潮見佳男『基本講義 債権各論II 不法行為法(第2版)』(ライブラリ法学基本講義6-II、新世社、2009年)11頁)。
そうするとXは、少なくとも、自己の表現の自由が、本件事案において十分尊重に値することを、立証しなければなりません。
以上からすれば、いずれの規定を用いる場合であっても、Xが人権制約の不合理性の立証責任を負うことになります。
この点で上記判例は、間接効力説と結論を同じくするということができます。

ただし、民法709条に基づく損害賠償請求において、Xの表現の自由と対立するYの営業の自由を、違法性阻却事由に位置づけるとすれば、違法性阻却事由の立証責任は、損害賠償請求の相手方にあるとされているので、Y側が、本件事案において自己の営業の自由が尊重されるべきことを、立証しなければならないことになります。
もっとも日本では、私人間で対立する人権を、民法90条はともかく、709条にどのように価値充填するかについての議論は、熟していません。
そのため、間接効力説において同条を用いた場合、立証責任がどのようになるかは、よく分からないところがあります。


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