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贖罪の日が来たわ! 審判の日が来たのよ!

6オリーブの木:2014/08/07(木) 22:20:22 ID:WXo8lWpI0
リトアニア生まれのユダヤ人であるソリー・ガノールは、ナチスが迫ってくる頃、全く偶然、杉原千畝氏に出会い、杉原夫婦を自宅に招いたという。
そして、杉原千畝氏から早期の脱出をアドバイスされるが、決断が遅れ期を逃してしまい、このことはまさに一生悔やまれたという。

その後、彼は各地を転々としたあと、「ダッハウ収容所」に収容され、そして、1945年5月2日に「日系人部隊」によって救出されたという。

彼は著書『日本人に救われたユダヤ人の手記』(講談社)の中で次のように記している。

「リトアニアの臨時の首都カウナスのユダヤ人たちに、わずかな希望を差し伸べてくれた当局者がひとりいた。
日本領事館の領事代理、杉原千畝氏である。
杉原氏は自分のキャリア、自分の名誉、おそらくは自分の生命さえ危険にさらして、6,000人をこえるユダヤ人を救ったのである。

第二次世界大戦初頭の2年間についての私の記憶では、杉原氏は暗黒の中の一条の光にほかならなかった。
杉原氏こそは、きたるべき恐ろしい日々の間ずっと、私にとって、ひとつの変わらぬインスピレーションであり続けたのである。

この杉原氏の姿を最後に目にしてから5年もたったのち、しかも、私がホロコーストの世界から解放されたまさにその瞬間、
杉原氏と同じ日本人の顔が目の前にあった。何と不思議で、何と素晴らしいめぐりあわせだろうか。

杉原氏のまなざし、杉原氏の笑顔に通じる何かが、死の淵から私を連れ戻してくれた、そのGI(米軍兵士)の温顔に見てとれたのだ。
雪野原から私をかかえ起こしてくれたのは、『ニセイ』と呼ばれるアメリカの日系二世だったのである。1945年5月2日のことであった。」


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