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聖イエス会聖霊教会と主の十字架クリスチャンセンター長崎教会

150名無しのひつじさん:2018/02/17(土) 20:44:22 ID:xeK3IX..0
 ここで、パウロがイエス・キリストに出会った劇的(げきてき)な物語に触
(ふ)れねばなりません。彼が熱心なユダヤ教徒であったことはすでに語りま
したが、彼はユダヤ教を信ずることによって、宗教的な、また道徳的な人間と
なりました。世界には多くの宗教があり、それらの宗教によって人々はある程
度は宗教的で道徳的な人間になるかも知れません。しかし、それだからといっ
て、霊魂に宿っている原罪から救われ、永遠の命を受けたことにはなりません。
パウロも確かに人間的レベルからすれば模範青年でありました。しかし、聖書
の基準からいえば、義人どころか、救いを必要とする罪人(つみびと)であっ
たのです。しかし、それに気づくまでのパウロは、自分の信ずる宗教のみが、
真の宗教であり、他宗教は邪(じゃ)教であるとの理由から、キリスト教を迫
害(はくがい)していたのでした。ところが、彼がキリスト教徒を捕らえるた
めにダマスコ市の門に近づいて行ったその時、十字架にかけられて死なれたイ
エス、しかも死人の中から復活されたイエスが彼の行く手に立ちふさがられた
のでした。
 この復活のキリストとの出会いは、彼の生涯の一大転機(いちだいてんき)
となり、彼の人生に決定的変化をもたらしました。彼は生けるキリストとの出
会いにおいて、百八十度の回心(かいしん)を体験したのです。彼はその瞬間、
イエスこそ自分の求めていたメシヤ、救世主であることを知りました。それば
かりではありません。復活されたイエスの、目もくらむような栄光に輝く姿を
一目見たのみで、イエスこそ真の神であり、永遠の命そのものであることを
知りました。それはまことに、信仰の革命(かくめい)でありました。
(使徒9・1〜5)


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