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聖イエス会と主の十字架クリスチャンセンター

47名無しのひつじさん:2018/02/09(金) 20:02:09 ID:yJsHtaQI0
【御名によって!】
 今、そのイエスの名が、ペテロの口から宣言されました。
 「イエス・キリストの名によって歩きなさい!」
 ペテロは足のきかない男の右の手をとり、ひき起こします。男は踊りあがって立ち、歩き出しました。そして、歩きまわったり踊ったりして神を賛美しながら、彼らといっしょに宮にはいっていきました。
 つい数日前、ペンテコステの日までのペテロは、ユダヤ人の迫害を恐れてびくびくしていた人間でした。イエスが十字架にかけられる直前には、心ならずも三度まで、最愛の師イエスを裏切ったような人間でありました。そのペテロのどこに、このような力があったのでしょう。人々は、皆、ひどく驚いて、神殿の「ソロモンの廊」と呼ばれる柱廊にいた彼らの所にかけ集まってきました。ペテロは、これを見て、口を切ります。
 「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕(しもべ)イエスに栄光を賜ったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことを決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。あなたがたは……いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。」(使徒行伝3・12〜15)
 十字架につけられて死んだイエスが、その死をもって、すべての罪と死の力を粉砕し(紛砕し??…資料集)、三日目の朝、復活という圧倒的な事実をもって弟子たちの前に顕現されたのです。そして、復活から五十日たったペンテコステの日、ペテロの外に立っておられた復活のキリストは、彼の内にご自身を啓示されたのでした。「舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」(使徒行伝2・3) その実体は、イエスの御名でした。ご在世当時、くり返し宣言された御名が、今、心の奥底に宿ったのです。その瞬間、イエスの主張のすべてが、鮮やかに理解できたのでした(ヨハネ14・26)。まさしく、イエスはただ一人、「私は有る」と言うことのできるお方、アブラハムの神、モーセの神、あの御名なる神。まさに、「私は有る」との神的御名こそ、イエスのご本質そのものであり、彼の本性的栄光なのだ、イエス・キリストは真の神、御名こそ、イエスの本質のお姿なのだ、と。
 旧約は終わりました。イエス・キリストの十字架によって、神と人間との間を隔てていた罪の深淵は埋めつくされ、特定の選ばれた人だけではなく、だれでも、神と出会うことがゆるされるようになりました。神が定められた、ただ一つの方法…イエス・キリストこそ、真の神であり、救い主であると信じ、彼の御名を呼ぶことによって(ヨハネ20・31、ローマ10・9〜13)。
 「そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。」(使徒行伝3・16)
 「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。」(同4・12)
 「われは主なり、これがわたしの名である。」(イザヤ42・8)

イザヤ42:8 文語訳
われはヱホバなり是わが名なり 我はわが榮光をほかの者にあたへず わがほまれを偶像にあたへざるなり


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