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シャロームの罪

3名無しのひつじさん:2016/08/02(火) 16:16:12 ID:3PYusdO20
  そして、続きの続きの(今日の言葉)
.
1945年3月26日、沖縄戦が始まる(〜6月23日)
  キリスト教の「完全抹殺の後に平和が来る」という
 『シャロームの教義・考え方』に影響されて、
  沖縄戦も始まった。
  これにマインド・コントロールされ、洗脳されたアメ
 リカの大統領・ルーズベルトは、
  大東亜戦争(第二次世界大戦)の1943年1月24日の「カ
 サブランカ演説」の時、
  「ドイツと日本の戦争する力を完全に破壊する」。
  「それまで決して平和はやって来ない」という演説は、
  イギリス首相のチャーチルはじめ、多くの批判を浴び
 た。
  このルーズベルトの非情発言の非情さ故に、反論は相
 次いだ。
  しかし、この考え方に、アメリカは、この後の方向性
 を大きく影響され、この方向性をとって行ったが、
  この『ルーズベルトとの宣言』ともなったこの方針発
 言は、各所から様々な批判を受けた。
  当時の、アメリカ国務長官のコーデル・ハルは、この
 言葉を聞いたときに言葉を失った。
  それはルーズベルトとの気付かぬ点に思いをはせたか
 らだった。
  そして、言った・・、
  「敵は、冷静な判断を無くし、絶望的な戦いを繰り広
 げ、結果として破壊されつくした敵国は、
  自ら復興できなくなり、
  最終的に、アメリカが、その責任を負わなくてはなら
 ない」・・と。
  無条件の降伏までの・・破壊を目ざしたルーズベルト。
  結果的に、その無条件降伏を、日本は、アメリカにさ
 せられた。
  このルーズベルトの考え方・方針は、イギリスやソ連
 から問題点を指摘された。
  しかし、ルーズベルトは、「原則を曲げる訳には行か
 ない」と・・頑固に訂正を拒んだ。
  しかし、このルーズベルトの『とことん、やっつける
 のだ』は、ルーズベルトの周囲を、アメリカを、最後ま
 で悩ませた。
  結局、ルーズベルトを継いだトルーマンも、ルーズベ
 ルトの方針を受け次いだ。
  そして、行きつく所まで行く、
  キリスト教の「シャローム」の考え方にマインド・コ
 ントロールされて、
  日米戦争は続いた。
  しかし、1945年3月26日〜6月23日の沖縄戦で・・、
  手ひどい反撃を受けたアメリカは、その方針がぐらつ
 いた。
  アメリカ軍指導部は、無条件降伏にこだわらないとし
 た。
  そして、この方針にこだわらないで、条件の受け入れ
 を「了解する」とした。
  しかし、バーンズ国務長官は、『無条件降伏が原則』
 と激しく反発した。
  この頃、アメリカは、次世代の兵器の「核兵器の実現
 性」を手に入れていた。
  この時も、有色人種としての日本の命が、軽く見られ
 ていた。
  この観念も、キリスト教の教義・考え方にマインド・
 コントロールされていた。
  そしてまた、アメリカは、ドイツに対しても・・、
  傲慢にも、アメリカは、『ドイツは、牧畜農業国家に
 するのだ」と豪語した。
  日本の無条件降伏の『完全破壊よりはましだ』という
 のはおかしいか?
  何しろ、勝てば官軍の傲慢なアメリカだった。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009


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