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悪質ブログ、吉祥寺の森について語ろう

95ファンダメンタル:2011/07/20(水) 23:09:19 ID:g7x8cS9s
杉本氏の考え方はカルト系教会やそう言う牧師の事に対する批判はそう言う教会に通ってた事ある私からして共感する部分は大いに有ります。しかし、進藤牧師のやり方に対する批判はいただけません。自分がどんな半生を送ったかを述べたうえで、そう言う自分をイエス・キリストは愛して下さり、救って下さったという事、キリストの愛がどれほど深いものかを述べ伝えるには、生まれ変わる前の自分はどんな生き方に明け暮れてたかを述べるのは人々にキリストの愛の深さを理解してもらうためにも重要な事で、間違ってると思う事はそう考えるほうに物事の正しい認識不足を感じます。因みに自分の半生を日記に綴って、アメージング・グレースを作ったジョン・ニュートンが、船乗りや奴隷貿易船の船長をやってた頃はどんな人物でどんな考え方に陥っていたか?杉本氏は知ってるのだろうか?。船乗りの頃は名うての荒れ暮れ男で幅を利かしてました。軍隊に加わってた時も軍の規律を殆ど守らない問題児でした。彼は日記に書いています。「私は悪魔の僕だった。すべてが私の思い通りに叶ってたら世界は破滅していたであろう。大酒飲みや、女遊びに明け暮れる者でも、かつての私に比べたらカワイイものだ」と。彼がアメージンググレースの歌で後世に名を残すほどまでの信仰に目覚めたのも、自分はイエス・キリストと正反対のような放蕩者の人間であったが、そう言う自分だからこそキリストは、より深く愛してくださって命を投げ捨てて自分の罪を贖って下さった事に(罪に満ちていた)自分の心を打ち砕かれたからではないでしょうか。このジョン・ニュートン氏名の素晴らしい証ひとつ考えても、救われた人がそれ以前の古い自分の事を語るのはキリストの愛がどれだけ深い物かを一人でも多くの人に理解してもらう意味で、或いは福音の有り難さを知って戴く上で、ある意味不可欠だと私は思います。


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