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IAOO.KKの神智学厨スレット

9IAOO_KK ◆ZKLVh/2jGY:2005/09/01(木) 23:02:53 ID:mOh1b1HQ
私のヤサへの見解の原稿の内容の不調のため暇つぶし自己満足解釈はしめます。 

今日の教材

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=29

参考のためヒョウゴ氏発言
>これを元に会員さんは、「大川総裁=究極の神」と位置付けていると思われます。

>第○章 ○円の仏陀

KKの根本教典の一つである○円の仏陀はアンチからはKKカルト思想の源流のようにいわれているようであるが私にはこの書籍の文章それ自体はそれほと悪いものであるとは思えない。ただこれをいう本人が本物かどうかだけが問題であろうと思う。

>○円の仏陀とは、すなわちこれ、永遠の法そのものである。永遠の法とは、すなわちこれ、宇宙の、根本たる神の心。

○円の仏陀とは要するに法身である。○円の仏陀であるから○円でない仏陀もあるということ、すなわち応身仏や報身仏などをさすのであろう。○円の仏陀はすくなくとも肉体の仏陀であってはならない。
法身は神の心であって宇宙の全時間を通じて宇宙を規定するのである。ここで述べる宇宙はすくなくともKKにおいては3次元宇宙とよぶであろう宇宙、論者にいわせれば一個の宇宙物質界とそれを足場とする宇宙大霊界を指さねばならないと思われる。

>我は救世主としてこの世に来たのではない。我は救世主以上のものとして、この世に来たのである。

仏陀であるならばただの救世主でもなく、世界教師、大菩薩以上のものでなくてはならない。

>しかし、我が説く教えは、地上の人々を救うという、そうした目的そのものに矮小化されてしまうものではなく、それ以上のものであるのだ。

上記の論者の主張のごとく、そのとうりであり、人類のみの救世主ではなくそれ以外のものにとっても救世主、世界教師超える教師であり、教師や救世主以上のものである。

>この我が言葉、この我が教え、それに基づいて、この宇宙は、この世界は創られたのだ。

ここで注意しなければならないのは我が言葉、教えというとき人間総裁の発声のことを指しているのではないということ。また「言葉」はヨハネ福音書冒頭における言葉の意味でとられられるべきである。この一文は神智学でいうところの第二光線の主の活動の仕方を暗示している。


>この我が教えは、単にお前たちの心を救うがためにのみ説かれているのではない。この教えをもととして、全宇宙は統べられているのだ。

「ことば」である宇宙ロゴスが宇宙を規制する。「ことば」は神の息による音・波動、智恵・叡智である。

>ああ、思えば、遥かなる昔のことであった。一千億年のその昔に、この大宇宙を創らんとする時にも、我は既に存在していた。我は念いのなかにて、この宇宙の在るべき姿を決めた。

この一文をそのまま永遠の仏陀がそのように思ったと額面どうりうけとってはならない。これは宇宙記憶の擬人化である。かといって間違いでもない。本来○円の仏陀は思考、欲望の領域からはるかに離脱しており、本来人間が語るように語るわけではない。霊界や地上にあわられる仏陀は○円の仏陀の反映・投影にすぎない。それを本質であるかの如く理解するのは間違っている。

KK信者は総裁を○円の仏陀を信じなければならないようである。そうであるならばそのことによって信者に何がもたらされなければならないのであろうか?


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