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♪♪かんたん★仏教★面白ぜみなーる♪♪

1春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/18(日) 10:17:24
仏教及び宗教や思想全般について、『かんたんにおもしろく』語り合うスレです。
肩ひじ張った真面目な解説は、読むの疲れますよね。(←ここの管理人の文章が特になw)
よって、息抜きになりそうな『ゆるーく、ふまじめ』なネタを募集します。

ただし面白くするために、事実をでっちあげるのはNGです。
あくまで「事実の範囲で」色々いじくって遊びましょう。

質問や情報の不正確さを指摘下さるレス歓迎。
ただし宗教用語や概念の理解を『前提』とするネタは控えてね。
ネタが面白くない時は、要ツッコミ!(笑)

2春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/18(日) 10:18:31
さてさて、↓で留守番さんが大変優れた指摘をして下さってるんですが、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1142664137/13
今回は留守番さんの仰りたいであろう、「まぁ人間なんて昔も今も中身変わらないバカだし(※管理人意訳。違ってたら突っ込んで下さいw)」
を証明する、一つの事例を紹介します。ある有名人のちょっとした出来心に絡むお話。平たく言うと、匿名掲示板での自作自演のお話です。

(ふーん…まぁ2ちゃんねるも広いし、書き込む人も多いしな。でもタイトルの仏教には関係してくるのか?)


おおありです。自作自演やらかしたのは、何と日本仏教の総本山とも言える比叡山の一番偉い人、天台座主なんですから。しかも何度も歴任してるお方。


(へぇ…全く最近の坊さんはケシカランね。育ちが卑しいんだろうな)


コラコラ。その人はあれだよ、摂政関白を出した藤原家嫡流の一つ、九条家の出身だよ。アホな事するヤツは育ちがどうとか、決めつけたらアカンて。


(へ、へぇ…しかし今どき摂政関白って…)


しかも和歌の名手で百人一首にも新古今集にも歌が選ばれてる、まさに有名人。新古今集には西行についで多く採用されてます。
なんと「新古今和歌集」ですよ皆さん! 新聞の俳句や川柳の投稿欄に載るのとはレベル違いますよ!(笑)


(へぇ?いや、おい、ちょっと待て…)


その名も慈円(自演w)僧正!いや名は体を表すとはまさにこの事。


(まてオイコラ!それいつの時代の話だよ!)


ん?時代? 時代は…平安後期から鎌倉にかけてだね。日蓮や親鸞や道元のちょっと前くらいかな?

(アホかお前は!そんな時代に2ちゃんねるがあるのか!? 名無しで自作自演するアホが居るか!?)


何でそう思うの?


(へ?いやだから平安時代や鎌倉時代に2ちゃんねるは無い…)


確かに2ちゃんは無いけど、名無しで自作自演なら出来るじゃん。名無しの歴史はかくも古いのですよ、うむうむ。


――ちなみに名無しで自作自演はマジです。コレ、普通教科書にも載ってます。
鎌倉時代の歴史書「愚菅抄」がそれです。慈円は、これを匿名で記しました。

3春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/18(日) 10:20:11
つまり名無しで書いた訳ですね。名無しで書いときながら、さも他人の評判聞いたみたいに自分の事をこう記しています。

> 山の座主慈円僧正と云う人ありけるは、九条殿(関白九条兼実)のおとと(弟)なり。
> うけられぬ事なれど、まめやかの歌をよみにてありければ、摂政と同じ身なるようなる人にて、
> 「必ずまいりあえ」と御気色もありければ、つねに候けり。
> 院の護持僧には昔よりたぐいなくたのみおぼしめしたる人と聞こえき。


> 慈円はここで、(慈円の評判を無名の者が記すという形をとって)自分は摂政とおなじ待遇で、朝廷には自由に出入りできた。
> また後鳥羽院の護持僧として、たぐいなき者との評判であったと、自慢しているのである。
> 無記名だからこそ、このように正直な気持ちを吐露したとも言える。
> この慈円のあけすけな述懐から浮かんでくる人物像は、後鳥羽院の側近にはべり自由に会話が出来た人、
> かつ院が熱中した和歌においても名手との評価を得た、聖道門きっての高僧という姿である。

> 慈円は名前を伏せてこの書物を記した。そこにこの著作の性向が導き出されてくる。
> 無記名とは、誰にも気兼ねせずに「自由に本音が語れる」のである。
> 当時の記録や史料に姿を見せない慈円の、まさに本心が記されている書物が愚菅抄なのである。
> 「法然と親鸞 はじめて見たつる思想」佐々木正(青土社)※()内記述は引用者による


……名無しだと自由に本音が書けるのは、どうやらネット世代の特徴なんかではなさそうです。(笑)


ちなみに慈円は、命がけの苦行として有名な千日回峰行すらやり遂げたという説もあるほどの高僧、
千日回峰行ってのは、まぁ↓こんな感じの普通じゃない修行です。

http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/degi-tabi/hieizan/1.html

え?それも自分で広めた噂だろって? いえいえ、慈円がホントにこの苦行をやり遂げたか分からないのは本人のせいじゃなくて、
後に織田信長が比叡山を焼き払ったので、それ以前の達成者の記録が失われちゃったんですよ。
↑のリンク先にある「達成者が40人あまり」というのも、信長の焼き打ち以降の人数みたいです。

4春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/18(日) 10:26:11
で、彼の名誉と先のレスに記した本の記述の意味を伝えるために解説を加えますと、
慈円は少なくとも当時の史料を信じる限り、本音通り好き勝手に振る舞ってる訳ではないです。
彼は比叡山天台宗の座主を四度も勤めてまして、名無しで書いた2ちゃんねるの過去ログ(違)を読む限りは、
禅の栄西のこと「思い上がんなボケ」とか、念仏の法然のこと「落ちぶれやがってクックック」みたいに書いたりしてるから(※超意訳w)、
新しい仏教である禅や念仏にはとかくムカついてたみたいなんだけど、実際に彼自身は、それらに比較的温当で紳士なやり方で接してます。

ただね。名無しの本音を知ってると別の面から邪推も出来る訳で。
彼が晩年、大変信頼した弟子に俊範って人がいるんです。慈円にはとても可愛いがられた人みたいで、俊範本人もそれを恩義に感じてたんじゃないかなぁ。
きっと年食ってから出来た子供か、じゃなきゃ孫みたいな感じ?
俊範は後に比叡山を代表する大学者になるんですが、もう大の念仏嫌い、禅嫌いになるんです。

きっとお師匠さまの本音が関係してるんじゃないかなぁ…。親の仇みたいに感じてたのかも。(汗)
んで、そんな当時の比叡山に修行にやってきたのが、若き日の日蓮さん。だから日蓮が、念仏嫌い禅嫌いにを理論武装するにあたっては、当時高名だった俊範の影響は当然あったでしょう。
ここら辺の事で、日蓮ひとりを犯人には出来ないんですな。(;^_^A

ま、こんな人間関係から邪推する仏教の見方も、知っておいて損はないです。
さしづめ「渡る世間は鬼ばかり」的理解というか、市原悦子の「家政婦は見た!」的覗き見主義というかw
実際、当時の仏教(というよりそれを含む文化全般)は、意外と狭い人間関係の話でもあります。
たとえば法然の弟子で浄土宗西山派の開祖証空は、久我通親って人の養子なんですが、この久我通親の子が曹洞宗の祖道元だったりします。
結構、この手の人間関係があっちこっちで繋がってるんですね。まさに「家政婦は見た!」。(笑)

5春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/18(日) 10:27:38
ま、それはさておき。要はどれだけ仏教を勉強しても、頑張って修行や瞑想しても、それから才能や家柄に恵まれても
「みんなボクを見て!評価して!」って人間の哀しい本音は、なーんも変わらんよっていう、身もフタもないお話しでした。(笑)
新聞やNHKの俳句番組に選ばれたくて頑張ってる人からすれば、「お前は満足だろ」って思えるんでしょうけど、
それでも他人の目は気になるし、そういう事に仏教はあんま関係無いかもよって、そんなお話しです。

つまるところ、みんな色々なものが欲しい。その「欲しい」に付け込んで悪徳商法で儲けといて、
「欲しい欲しいの乞食根性が悪いんだよ、そこに付け入るのはクレバーだよ」って開き直りじゃあ、単なる悪役の台詞です。
「金を欲しがったヤツの自業自得」では、話が済まない部分がある。キリストも言ってますね、「汝らの中で罪なき者だけ、この罪人を打つがいい」みたいな事。

人間にそういう部分がある事は折り込み済みで、程度によって叱ったり許しあったりしながら、
そこに付け入られて人生棒にふるような『仕組み』に対しては警鐘を鳴らしていく。カルト問題を訴えるというのも、多分そういう事じゃないかと思います。
それはきっと、本来の宗教が持つ役割のひとつでもあるんでしょう。
宗教の教えが、各々何を批判し何を許して救いをもたらしてきたか、単なる自己満足や綺麗事とを分けるものが、そこにあるような気がします。

と、何やら気取った難しい話になりましたね。いかんいかん。
ま、結局ガス抜きには名無しで本音書くのも効果的ですよ、昔の偉い人もそうしてますよって話でもあるな。
やり過ぎると後々いろいろアレなのも今と変わらない辺り、おあとが宜しいようで。m(__)m

6留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/06/21(水) 00:07:27
>>2
>今回は留守番さんの仰りたいであろう、
>「まぁ人間なんて昔も今も中身変わらないバカだし>(※管理人意訳。違ってたら突っ込んで下さいw)」

↑違いません。
というレスに来ました。

(木天蓼さんへの追記ですが、「組織=人間の集まり」という観点であれを書いたので、ああいう文章になっちゃったんですけど、書き方が悪かったかも。上手く伝わってなかったらごめんなさいね。自分も、ふだん組織批判はめっちゃしますから、安心してくださいw)


ヒトって
雑食だし、社会性のある生き物だし、発情期に限りはないし。
誰かに解って欲しいし、刺激に飢えるし、苦痛はできるだけ避けたいし。
自分だけは他の人とは違うって、そう思いたいし。
いくら信仰心が篤くても、こういう特性からは逃れられませんもんね。

一番やっかいだと思うのは、何でも自分の思い通りにしたいっていう欲望で、
そこが宗教が付け入りやすい土台でもあるなって思います。

だから、自分は、
救われず、はからわず、愚禿だと言い切った親鸞が好きです(^ー^)
ホント、自分も、救われないし愚禿ですもん。
愚禿なまま、苦悩しながら一生懸命生きるっきゃないです。


>>4
>きっとお師匠さまの本音が関係してるんじゃないかなぁ…。親の仇みたいに感じてたのかも。(汗)
>んで、そんな当時の比叡山に修行にやってきたのが、若き日の日蓮さん。
>だから日蓮が、念仏嫌い禅嫌いにを理論武装するにあたっては、当時高名だった俊範の影響は当然あったでしょう。

↑これも、興味深く、読ませていただきました。

本当の歴史は、こういう舞台裏で作られるんでしょうねぇ。
どこの世界にも、誰の人生にも、ドラマは舞台裏にあるものだし。
作られ宣伝された歴史の裏側に、本当の人間の喜怒哀楽が隠れているんだろうなって思いました。

7春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:08:25
随分お待たせしちゃったので、今更読んで下さる方が居るか分かりませんが(汗)、以前に予告した「ダ・ヴィンチ・コード」ネタを書かせて頂きますね。
夏休みも終わりになって、やっと一つずつ宿題を片付け始める私…うう、進歩無いなぁ。(涙)

さてさて、人間には様々な感情や感じ方があるものです。「何となく」とか「直感的に」とか、そこから来る好き嫌いも様々です。

私は昔、TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)という遊びに夢中だった時期があるのですけど、
これは大雑把に言いますと、「オトナが真面目にやるママゴト」です。
たとえば指輪物語とかゲド戦記とか、ハリーポッターとか、そういう世界の住人だと想像しながら、
司会役(ゲームマスターと呼びます)の示すシナリオを、『自分達ならあーする、こーする』と言って進める遊びです。

大抵の場合は、その遊ぶ設定の世界で、何が出来るのかを再現したルールがあって、
プレイヤーそれぞれの『こーしたい、あーしてみるよ』は、ルールに沿って、出来る・出来ないを確率的に判断されます。
普通はサイコロをふって確率を発生させますね。コロコロ。


……何か、ダ・ヴィンチ・コードともマインド・コントロール云々とも、関係無い方向へ話が転がってないか?と心配ですね。(笑)
もうちょい、脇道にお付き合い下さいね。ちゃんと本題に戻しますから。(^^;

んで、私がTRPGを遊んで一番学んだ事は、『他人は自分と違う考え方をするんだ、それが当たり前なんだ』って事でした。
そして、自分では気付かない内に、随分色んな偏見や偏りが、自分の考えの中にあったって事も。
自分では当たり前のつもりで、実は狭い知識や体験から、物事を割り切ったり決めつけたり。

普段は意識しないで済むそうした事。それが一定のルールの元で、みんなで話しながら遊ぶ事を通じて気が付く。
他人の体験や価値観が、自分の意識の死角に光を当ててくれるんですね。そして気付かされる。

ま、とは言うものの私の場合は、当時遊ぶ仲間に恵まれただけであって、
実際には「何だか良く分からないイタい遊び」な事も多いです。(笑)

8春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:09:23
本場のアメリカでは、かつてこれに夢中になる人が社会問題化した事もあって、この遊びがアメリカで発達した時期は、
「カルト」という言葉に、今日使われがちな「悪い意味」が加わっていった時期とも重なります。
そこら辺については今回の記事では割愛しますが、
私はこの遊びから「自分は狭い思い込みから、物事を割り切って捉えがち」だって学びました。
これはひょっとしたら、私に限った性格ではないかも知れません。

で、純粋にTRPGの話という訳では無いんですが、昔大変面白い試みをテレビのニュースで見た記憶があります。
かなり昔の事なのでうろ覚えなんですが、確か湾岸戦争の後くらいだったと思います。
世界のあちこちから学生を集めて、世界情勢を再現する一定のルールの元、
様々な国の役割を演じてもらう。つまりRPG(ロールプレイングゲーム)の試みでした。

始める前は、どこの国の学生も、みんな好き勝手言ってるんですよ。
たとえば日本人は金を出すだけで外交下手だとか、アメリカ人は世界の警察を気取って戦争を起こしてるとか。

ところが…ね。いざゲームを始めてみると、
どこの国の人がどの国を担当しても、何故だか現実の世界情勢と似たような事が起きるんです。
アメリカ人やフランス人が「日本役」をやってるのに、あるいは日本人やフランス人が「アメリカ役」をやってるのに。

何度かゲームをやる内に、だからみんな段々気付いてくるんです。
日本(アメリカ)の国がああなのは、日本人(アメリカ人)の民族性や国民性だろなんて決めつけて、割り切ってきたけれど、
現実の世界情勢がこうなってるには、それなりにこうなった理由が、ちゃんとあるんじゃなかろうか?と。

ゲーム前はお互い顔無しの「アメリカ人」とか「日本人」だった彼らは、
「頭の中の○○人」が生まれた理由に気付くにつれて、お互い一歩踏み込んだ理解とか共感、
平たく言うなら「互いの顔をちゃんと見た付き合い」の
きっかけを得たんじゃないかなって、私は感じたのを覚えています。

ある○○(国でも特定の集団や地域でも)が、そうなった(なっている)理由に目を向ける事は、
むしろ自身の偏見を除き、無意識に貼ってしまっていたレッテルをはがして、
相手を「○○の人」ではなく「顔の見える一個の個人」として
親しみを感じられるための、大切なステップになる。私はそのように思っています。

9春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:11:41
さて、前ふりが随分長くなりました。今回の記事の主題は、「ダ・ヴィンチ・コード」を例に、
マインド・コントロールの話題でよく指摘される「情報コントロール」について考えてみる事です。

ところで、「情報コントロール」なんて言われても、ちょっとピンと来ない部分はありませんか?
だって、外部の情報を遮断された国とか集団なら分かるけれど、現代の日本で普通に暮らしていて、
「情報コントロール」なんて、仮にされるとしたら引っかかる方が間抜けなんじゃないかなぁ…と。

これが、意外にそうでもありません。むしろ、閉鎖された環境で偏った情報を与えられた方が、
「その環境のせいだ」とはっきりしてるだけ、問題を自覚しやすいかもしれないくらいです。

人間は、理屈では騙されても、「感情」とか「想い」は騙されない。そういう風に自分を考えている事もあると思います。
でも、詐欺師の大半が騙すのは、むしろ「感情」とか「想い」の部分です。結婚詐欺師が、その代表です。

そこで、その「感じ方」の話なんですが、皆さん韓国の一部の人たちが、日本の剣道などの文化を、
あれは韓国起源だと言ったりしてるのは…まぁご存じでしょうね。
そういう事を取り上げて、ネットで騒ぐ日本人も多いから。(笑)

こういう韓国のナショナリズム、聞いた時に日本人としては、どう感じるでしょう?
ちなみに私は、こうした騒ぎを最初に知った時、実はホッとしました。

いやいや、こういうのも卑しい考え方なんでしょうけど、何ていうのかな、
他人が自分と同じ欠点を持ってたら、ホッとしたり相手に親しみ感じたりって事、ないですか?
私のは、それです。つまり、こう感じたんです。

『ふーん…そういう事するのは「日本人だけ」じゃなかったんだ。
つまり日本人が島国根性だから、一々他国の文化を妬んでるって訳じゃないんだな。
お隣の国でも、日本と似たような事は起きるんだから』

はい。ここで「日本人がいつそんな事をした!」とムカついた方、いらっしゃいますか?
まぁ、仮にここをご覧になってる方にはいらっしゃらなくても、そういうムカつきを「想像する」事は出来ると思います。
そのムカついた「感じ方」と、私の「感じ方」は、何が異なって別な感じ方になり、そして対立するのでしょう?

10春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:12:21
答えは「情報」です。
私は前もって、「日本語にも元来は文字があった」という主張のために、ハングルを元に日本古来の文字をでっちあげたり、
「縄文時代より古い時代に進んだ文明があった」と架空の歴史書を創作したり、
「日本は世界の文明の宝だ」とか、「日本人は世界一優れた民族だ」とか主張する人たちの存在を知っていました。
かつては、そうした思想の潮流が、「国学」や「国家神道」に代表される様々な事の背景として、影響を与えてもいました。

まぁ、実は今日でも「太古は日本が世界を支配していた」とか、
「だから元々日本のモノを取り返して何が悪い」といった主張をなさる方は、ちょくちょくいらっしゃるんですが。(笑)

つまり、言わば身内の「困ったちゃん」をよく知っていたので、隣国のそれにも過剰に反応せずに済んだ訳です。
けれど、身内の「困ったちゃん」を知らないまま、他国のそれに「純粋な正義の怒り」を感じてた人なら、
たぶん私の「感じ方」にも、「この非国民め!」みたいな怒りを感じると思います。

ちなみに、私もその後調べて知った事なんですが、韓国の一部のこうしたナショナリズムは、かつての日本の植民地支配の影響のようです。
日本では昔から、ありもしない古い歴史を創作し、それを記した「正しい歴史書」が
発見(笑)されるという手法が取られてきたのですが(「古史古伝」とか「神代文字」で検索すると、たくさん出てきます)、
このやり方が当時の朝鮮にも伝わり、その後韓国版の「古史古伝」、つまり「正しい歴史」がたくさん発見(笑)されました。
こうした経緯を経て、「日本の○○は韓国起源だ」といった主張がされている訳です。

↑こういう歴史は、日本の国粋主義者も韓国の国粋主義者も、
どちら側にも都合の悪い事実(というか、ぶっちゃけ恥w)なので、お互い触れたくないと思います。(笑)
それに、最初に「韓国人(日本人)はずるい、許せない」と『感じた』後で、これらの歴史や事実を知る機会があっても、
それは『自分の感じ方』を否定する事ですから、目を背けたり、ねじまげて受け止めがちだと思います。
つまり、「日本(韓国)の古史古伝は韓国(日本)のソレとは違う!」といった具合に。

ですから、自分では心のまま、感じたままを主張してるつもりでも、
実際はちょっとした『情報を得た順番』に左右されただけの、『単なる偏見だった』って場合があるのです。

11春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:18:23
え?それは分からないでもないけど、本題の「ダ・ヴィンチ・コード」と何の関係があるのかって?
いやいや、大いにあるんです。先に私は申し上げましたね、『そういう事するのは「日本人だけ」じゃなかった』んだなぁと。

もちろん、「日本人だけ」じゃありません。そして「日本人と韓国人だけ」でもありません。
実は、この類のでっちあげを「フランス人」がやらかしたのが、「ダ・ヴィンチ・コード」のストーリーの骨格です。

「ダ・ヴィンチ・コード」の作中では、実はイエスに妻子が居て、その事実をダ・ヴィンチが絵画などに暗号として遺した事、
そしてダ・ヴィンチやニュートンをはじめ、彼ら歴史上の偉人たちは、
こうした秘密を守り伝えたシオン修道会という組織の会員であった事などが語られます。

この「ダ・ヴィンチ・コード」の基本設定ですが、その根幹である「シオン修道会」は、実は全くデタラメな存在です。

この団体についての文書は、確かにフランスの国立図書館に「極秘文書」として存在します。
しかし、と学会の皆神龍太郎氏が、その著書「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」にて詳しく述べられていますが、
これは内容が極秘な訳ではなく、単にタイトルが「極秘文書」という名前の、一般人が書いた本なんです。

http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31699321
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4286006158

つまり著者が、勝手に「極秘文書」と名付けただけの、何ら資料的価値の無い書物が、
「ダ・ヴィンチ・コード」の根幹を支える元ネタなんですね。
この「極秘文書」に書かれたシオン修道会を作ったピエール・プランタールは、
日本でいうと「街宣車を乗り回してる右翼」みたいな人と言えば、分かりやすいでしょうか。
シオン修道会は、そんな街宣活動のひとつである、
「低家賃住宅の値上げ反対」を訴えるのが目的の、構成員四人という組織でした。(苦笑)

「フランスのメロヴィング王朝にはイエスの血が流れてる(ハァ?。俺っちはその子孫(マテ。
つまりキリストの子孫だぜ!ヘイヘイ俺っちをヨーロッパの王様にしな!(ヲイ」
という国粋主義者のホラ話を、秘密結社の歴史に創作して「極秘文書」とタイトルを付け、
来る者拒まずの(図書館は普通そうですが)国立図書館に寄贈した文書が、ダ・ヴィンチ・コードの元ネタです。

12春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:20:13
……何というか、恥ずかしいというかバカな話ですよねぇ。(嘆息)
きっと認めたくない、若さゆえの過ちなのでしょう。
まぁ、どんなホラでも「言ったもん勝ち」って事は、あるかも知れませんけど。

それに、こうしたホラ吹きの例は、先に示したようにあまり珍しくはありません。
日本でも、古来からの神代文字だとか、壮大な古代史である古史古伝を、わざわざ作って、
自分で発見したり(自作自演w)、神社に納めたモノが発見されたりといった例が、沢山ある訳ですから。

そして、そうした『発見』を元に、「ダ・ヴィンチ・コード」みたいな本を
(しかもフィクションではなく真面目に)書いた人だって、日本にもたくさん居ます。
トンデモ本とは、主としてそういう本を指し、使われるようになった言葉です。

まさにバカは万国共通語。ドラえもん曰く「きみはじつにばかだな」の世界です。


――ここまで読んできて、『つまり、ダ・ヴィンチ・コードを面白いと思うのは間違いなのか?』と思われる方がいらっしゃるかもですね。
これは、うーん…以下のような例で考えると、良いんじゃないかなって思います。

『源義経は、実は生き延びて大陸に渡りジンギスカンになった』
こういう俗説がありますね。信憑性という点では、イエスに子孫がいたという説と大差ないと思います。

この俗説を元に、義経→ジンギスカンの活躍を描いた、マンガやアニメやゲームを作る事は出来ますね。
それが面白い作品になる可能性だって、十分にあります。
登場人物の人物像や心理描写が巧みで、感情移入出来る作品になるかも知れません。
人物像や心理描写自体は、等身大のリアルなものになるかも知れないし、
背景や時代設定を、緻密にもっともらしく作り上げる事だって、不可能ではありませんよね。

そういう作品を楽しむ事、面白いと言う事に、何の問題があるでしょうか?
私は、おバカなアニメやマンガやゲームが大好きです。
というか、むしろそういう心のジャンクフードが無いと、生きていけませんw

真面目な話、そうした種類の心の栄養なら、必要無いという人も居るでしょう。
けれども、そうした人でも、何らかの別なおつまみは食べていると思います。
たとえば「信仰なんてまやかしだ」と言える人が、「愛なんてまやかしだ」とは言えなかったりする。
私たちは、得てしてそんなものじゃないでしょうか。

13春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:28:34
「偽物・トンデモに騙されまい」と身構えるあまり、感動したり楽しんだりする気持ちを失うのは、勿体無いと思います。
「自分は騙されちゃう事もあるな」くらいに、リラックスしておくのが、一番です。
それはそれとして、自分に合う物は大いに心の支えとし、または楽しみたいと、私個人は考えています。

「トンデモ本」という名称を世に広めた「と学会」の方々の著作を読んでも、
皆さんそれを実に楽しんでおられるように思えますし、
「昔はこうしたトンデモを全部信じてたよ」と、あっけらかんと書かれている方もおられますよ。

むしろ、トンデモに肩ひじを張ろうとするあまり、返って逆の立場のトンデモに足を踏み込んでしまうケースが多いと思います。
たとえば、キリスト教系のカルトの活動を批判しようとして、
よりによって「ダ・ヴィンチ・コード」をキリスト教批判の根拠にしてしまうといったケースが、典型例です。

『フィクションの登場人物の心理がリアルに描かれている』からと、
それが『実際の人物を再現してる』という事にはなりませんよね。
まして、フィクションが面白かったからって、『義経がジンギスカンになった証拠』や
『イエスに子孫が居た証拠』になるはずがありません。

『面白い』事は、内容が『正しい』事を保証する訳ではないのです。
逆に考えても、そうでしょう?
内容が『正しい』からって、娯楽として『面白い』とは限りませんから。

で、『義経→ジンギスカン』という設定のマンガが、大変面白かったとします。
だからって、内容を真に受けて、モンゴルの人に『ジンギスカンは日本人だぞ』って言ったら、かなりイタい人です。
否定されて、『モンゴル人はジンギスカンが外国人だという事実を受け入れない、心が狭い民族だ』とか思ったら、もはや重症です。

事実としては、間違ってるのは自分なのに、それを否定する方をおかしいと思う。
そういう人は、得てしてカルトの信者の心理に対しても、理解し難いものとして嘲りがちですが、
自分もその心理にハマっている事には無自覚です。

もしも、「ダ・ヴィンチ・コード」を単なるフィクションを越えて、キリスト教を知る為の教養書のように読むとしたら、
そして、それを否定するクリスチャンを間違ってるように感じ始めたら、かなり重症だと思います。

14春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:29:46
ちなみに、フィクションを信じ込んでここまで逝くと…↓

http://home.s04.itscom.net/kotoage/U910/KoToAGe/SourceData/66/ITGenron/TSoejima/Boyaki758DaVinchCode.html

…いやもう、ノーコメントです。(汗)
キリスト教や西洋美術や、欧米にありがちなトンデモ説についてなど、普段興味を持たない日本人が大半だと思います。
ですから白紙の状態の無垢な頭には、ダ・ヴィンチ・コードのお粗末な設定でさえ、事実のように刷り込める場合がある。

『調べる気になりさえすれば』、日本には言論と表現の自由がありますから、
『いくらでも』ダ・ヴィンチ・コードの内容の問題点について、情報を得る事は出来るんですよ。
ですがこのように、言論の自由があろうが、閉鎖的な環境で無かろうが、
誤った極論を多数が信じてしまうのは、普通にどんな場所でも起きる事なのです。

もちろん「ダ・ヴィンチ・コード」を例にとっても、信じ方には、人それぞれの「程度の差」が大きい。
ですから、↑のリンク先みたいな電波な主張や、間違ったキリスト教批判のような極端なケースを例に、
「ダ・ヴィンチ・コード」を面白いと言っただけで、いきなりそれらと同類のおかしな人だと決めつけられたら、不愉快です。

カルト内部から外部の人へ、そして外部から、カルトと見られる組織の個人へ対して、
そうした決めつけが行われるケースは無いでしょうか?
このような「間違った心の袋小路」は、案外ハマり易く、そして後戻りするのは意外と困難じゃないかと思います。

15春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:36:42
こういうケースを考えてみて下さい。
ある人が、創価学会員から小説「人間革命」を勧められます。

その学会員は、「人間革命」に書かれてある事を、事実だと信じて疑っていません。
さらにしつこく勧誘もされたので、彼は「人間革命」について調べ、内容の虚構性を確認しました。
しかし、学会員の友人は、「人間革命」の内容は、事実だと言って譲りません。

彼は思います。「やれやれ、宗教を信じてる人は困るなぁ」
彼はすっかり、宗教が嫌いになってしまいました。

時を経て、彼は「ダ・ヴィンチ・コード」を読みます。
大変面白かったので、ふと興味がわきました。
「キリスト教徒が、これを読んだらどう思うかな?」
彼は、近くの教会に出掛け、内容を牧師に語ってみる事にしました。
そこの教会の牧師は、とても勉強熱心で、聖書にも詳しいと聞いていたからです。

しかし、牧師は「イエスに妻子がいたなんて…単なる下衆の勘繰りではないか?」と、
あまり真面目に取り合ってくれませんでした。
牧師は何だか専門的な事を色々話すのですが、キリスト教に興味ない彼にはちんぷんかんぷんです。
彼はやはり思います。「やれやれ、宗教を信じてる人は困るなぁ」

このケースでは、実は「情報」を得た「順番」によって、「考え」や「感じ方」が「コントロール」されてしまった訳ですね。
これって、現実に有り得なくもない話だと思います。
↑の「彼」と「学会員」の姿勢は、実は根底では似通ってもいるのですが、その事を自覚出来ない訳です。

つまりこのようにして、『自然な自分の感情・感じ方や好き嫌い』だと思ってたものは、形造られている場合もあるのです。

カルトと見られる様々な宗教組織が起こす事件で、
宗教や信仰そのものへの嫌悪や偏見を持たされてしまった方は、少なくないと思います。
では、そうした嫌悪や偏見が、一種の風潮になってしまったら?
そこまでいかなくとも、たまたま自分の周囲に、そうした人が多かったら、どうなるでしょうか?
そのようなグループで、「ダ・ヴィンチ・コード」の話題が、好意的に盛り上がっているところを、ちょっと想像してみて下さい。

何となく「ダ・ヴィンチ・コード」のバカバカしさを、指摘し難くは無いでしょうか?

16春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:37:31
そして指摘したとして、「変」な部分を「変」だと言っただけなのに、
「キリスト教の味方をしてる」とか「もしかして宗教信じてるの?」といった反応は、有り得るのではないでしょうか?

つまりカルト内部で、組織への率直な意見に対し、こうしたうがった反応を返す人達も、
同じような普通の人達が多いという事だと思います。

最後に、こうしたホラ話の例から、ドイツのそれを挙げておきましょう。
たとえばハンス・ヘルビガーの「宇宙氷理論」。聖書やヘブライ・キリスト教の民間伝承を、疑似科学でこじつけたものです。
「奇妙な論理」(マーティン・ガードナー著、教養文庫)には、以下のように紹介されています。

> ヘルビガーの本がはじめて現れたとき、ドイツの天文学者たちは怒りに燃えほえたてたが、
> 興隆するナチ運動の神秘的・反知性的ふんい気の中では、この幻想的な理論はすぐに何百万という狂信的な信者を獲得した。

> 「この理論からアラをさがすことは、マメコガネが繁殖した花壇から
> この虫を集めるのと同じくらい容易で、またたのしいことである」とウィリー・レイは書いている。
> しかしドイツの天文学者たちは、この宗派が成長をはじめると笑うのをやめた。
> (中略)この宗派の文献の中から、レイは次のような声明をとり上げる。

> 「我らゲルマン民族の先祖は雪と氷の中で強く育った。したがって宇宙氷の信仰は、ゲルマン人が自然に受けついだ遺産である。」> 「ユダヤ政治家に身の程を守らせるために一人のオーストリア文化の子――ヒトラー!――が必要だったように、
> 世界からユダヤ科学を一掃するために一人のオーストリア人[ヘルビガー]が必要だった。」
> 「総統は彼自身の生活によって、いわゆるアマチュアが自称専門家よりはるかにまさることが可能であることを実証された。
> 我々に宇宙を完全に理解させるためには、もう一人のアマチュアが必要だった。」

> 以上の章句は、師匠の偏執狂が、狂信的信者の偏執狂的衝動の中にどれほど容易に
> 反響をひきおこすかを、おそろしいほどはっきりと暴露している。

こういう事は、笑い事で済まなくなる場合もあるという、怖い話です。

17春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/30(水) 03:40:00
「奇妙な論理」では、ドイツの反ユダヤ主義について、「憎悪を煽る人びと」という一章で、このようにも指摘しています。

> ドイツにおける反ユダヤ主義は、よく知られているように、ナチスよりずっと古くからあった。
> それは中世初期にさかのぼる長い恥ずべき歴史をもっている。他のヨーロッパ諸国の反ユダヤ主義も同じである。

> プロテスタントの読者は、それが中世のカトリシズムと宗教裁判からはじまったと考えるかもしれないが、
> ドイツで影響力が大きくかつ熱狂的だった反ユダヤ主義の最初の人はマルチン・ルターだったと知ったらびっくりすることだろう。
> ドイツの「ユダヤ人問題」に対する彼の解決法は単純そのものだった。彼らをドイツから追い出すこと。
> 「田舎も市街も彼らに開かれている」と彼は書いた。「彼らは疫病、ペスト、不幸……のような重い荷物である」

何だかな…日本でもナショナリズムとくっついて、似たような主張を目にする事があるように感じるのは、気のせいでしょうか?

つまるところ、ホラーならぬ単なるホラ話に、みんなの心が喰われ、動かされる事もあるという、
今回はそんなお話しでまとめてみました。ちょっとは怖がってもらえたかな?
まだまだ残暑厳しいおりですが、読んで下さった方の背筋に、ちょっぴりの涼しさをお届け出来たなら、幸いです。m(__)m


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