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2世の退会---分析・方法・実際---

1ひゃっきまる:2005/12/23(金) 19:31:10
「2世や3世の退会って具体的にどうなるの?」スレに書こうと思ったのですが、書いているうちにあまりにも長文になってしまったので新スレに書くことにしました。

僕は現在、本気で創価学会の退会を考えています。できれば年内までに行動を起こそうと思っています。年内にできなければ、たぶんまた伸びると思います。どちらに転ぶかは今のところ五分五分です。

余談ですが、僕は今後、「脱会」という言葉はあまり使わず、「退会」という言葉を使うようにしようと思います。「脱会」という言葉には、ニュアンスとして悪い意味合いがあるので、この言葉を使うと無意識に悪いことをしているように思ってしまうでしょう。「退転」についても同様で、この言葉は仏教用語で「仏法に背く事」を意味しますから、悪に転落するようなイメージを自分に持ってしまいます。

113留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/01/14(土) 16:04:22
わめ様

>論点が大きくズレまくってます(汗)。

論点が大きくズレまくっている書き込みに、レスつけるのは大変だと思いませんか?
議論の行く先が振り回されてます。

この板の目的と、このスレの目的と、それからこのサイトの意義
カルト啓蒙サイト、希望の風
もう一度よくお考え下さい。


春田の蛙さんへ
めんどくさいからハンドル留守番でいいっすね。
横レスすいません。

114わめ ◆TJ9qoWuqvA:2006/01/14(土) 16:17:53
 留守番さん、初めまして。^^

> 論点が大きくズレまくっている書き込みに、レスつけるのは大変だと思いませんか?
> 議論の行く先が振り回されてます。

 す、すいませんw おっしゃるとおりかもしれませんね。(^^;;

> この板の目的と、このスレの目的と、それからこのサイトの意義
> カルト啓蒙サイト、希望の風
> もう一度よくお考え下さい。

 自分ではコメントくださった方にただお返事をさせてもらっているつもりなのですが、このただお返事がこのサイトの意義、スレの目的に外れていないかということも考えていなかったということであると反省しています。
 以後はサイトの意義、スレの目的に反するコメントを頂きましても出来る限りスルーさせていただきます。
 きっとROMされている皆さんにも不快な思いをさせてしまったのかもしれません。
 申し訳ありませんでした。

115ひゃっきまる:2006/01/15(日) 02:43:25
春田の蛙さん

 実は新年早々インフルエンザに見舞われてしまい、1週間ほど自宅でうんうんうなっておりました。現在はもうほとんど完治しています。ここ最近レスを頻繁につけることができたのも、実はそういう事情もあります。来週からは少し仕事の方に専念しようと思います。

 久しぶりに苦しい病気を体験し、心境の面でもいろいろ発見がありました。病気で周囲の人に迷惑をかけてしまい、本当にいたたまれない気持ちになりつつも、苦しさからあらぬ人に八つ当たりしてしまうような自分の心のどうしようもない身勝手さや弱さを自覚したり。

 赤の他人には社交辞令という仮面を通すことによって逆に素直に自分の感謝の気持ちや申し訳なさを表現できても、本当に感謝したい人や本当に申し訳なく思っている当人にはつい憎まれ口をきいてしまったりして、本当に人間の心はままならないものだと思いました。

 「心が通じない・・・!」ということが、僕にとって世の中が生き辛く、苦しいと感じる大きな要因であると、常々思っています。

 子供のように素直に自分の気持ちを晒して生きられたらどんなに良いか、と思っているのに、逆に自分の気持ちを隠すことにこそ一所懸命になってしまうのは、僕の悲しい性(さが)なのだと思います。

116ひゃっきまる:2006/01/15(日) 02:43:58
 わめさんのサイトでの初期仏教を巡る議論のことですが、大変ご親身なレスありがたく思います。

 春田の蛙さんが指摘するわめさんの議論の問題点があたっているかは僕にはコメントできませんが、僕は少なくとも議論を続けることは可能だし有意義ではあるだろう、と思っていました。しかし、>>112のわめさんのコメントを見るに付け、「議論の流れ」に対する評価が僕自身の理解していたものとはかなり異なり、相互の理解不足は相当なものだな、という感想を素直に持ちました。

 わめさんと議論していたのは、自分を受け入れて欲しいとか、同じ経験を持つ人間どおしとして分かり合いたいとか、そういう動機とはあまり関係がありませんでした。

 ですから、ここで双方が意見の相違を確認するというだけでも僕は全然問題を感じなかったのですが、議論が噛み合わないことにストレスを感じていたことは事実です。

117春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/01/16(月) 09:33:22
>>115 ひゃっきまるさん
> 実は新年早々インフルエンザに見舞われてしまい、

うあ…それは大変だ。病気は治りかけが肝心ですから、養生を第一に心がけて下さいね。

>ここ最近レスを頻繁につけることができたのも、実はそういう事情もあります。

あー、解りますソレ。
そういう時に書き込みがあると即レス返したり、気になってた資料を読み込んで整理したり、私もよくあります。(^^;

いや、何かしてないと返って気分が落ち込んだり、不安定になったりするからさ。
そういう時にトラブると落ち込みも倍だけど、逆に役に立ったなんて言われた時は、こっちの方が泣けるほど嬉しかったり。

きっとお互い様だと思いますよ。ネットだと顔が見えないから、
無理に強がらなくても話題にしなければ分からないって事、ありますよね。
病気の場合だけじゃなくて、生活の悩みとか色々な場合で。
リアルが大変だからネット出来ない人、リアルが大変だからネットで勇気もらってる人。ホント色々です。

>来週からは少し仕事の方に専念しようと思います。

了解です。私もしばらくレス返すのが滞ると思いますから、ちょうど良かったです。
書き込みは、思った事があれば何でも気の向いた時に書いといて下さいね。
私も、時間が取れる時にはひゃっきまるさんのレスを読み返して、思い付いた事があれば書きますから。

ウチの父親が生きてた頃さ、私が病気とか怪我するたびに嫌な顔するのよ。
看病ひとつしてくれる訳でもないのに、周りが私を心配するのが嫌だったみたいで。
俺は風邪ひとつ引かない。お前はたるんでる、気持ちの問題だ。そんな感じでね。

いや、たまには風邪引くんだよ。そうすると今度は俺が心配してもらう番だと言わんばかりに、ワガママ爆発させて周りを困らせるの。

ホントに困った人だったんだけど、叔父の話では、自分も兄貴(私の父親)も、昔から母親に面倒見てもらった事がないって。
だから私の病気や、それに対する周囲の心配が、腹立たしかったのかもしれない。

世の中綺麗事じゃないからね。愛憎がもつれあってた相手が病気で弱ってたりすると、
例えそれが末期癌で余命いくばくもなくても、だからこそ抑え難い心の火が燃え上がって、
それをぶつけてしまうものです。そして、それを後々悔やんで、でも仕方なかったんだって気持ちもあって、苦しんだりする。

118春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/01/16(月) 09:35:06
【続き】
私だってね、↑こんな中で自分を看病してくれてた母親に、我慢出来ない事があったらぶつけるもの。
子供の時の事は心底有難いと思っても、それで今の辛さが解決する訳じゃないから。

ぶつけたい相手にぶつけられればまだ良いけど、それが無理な場合は、私だって八つ当たりはすると思うよ。それで、後できっと落ち込む。

罪悪感って、不公平だよね。「悪い事したなぁ」って考える人にこそ、強く襲いかかる悪魔みたいなもんで。
「自分は悪くないぞ」って思う人には、あまり力が及ばない。
罪悪感から罪を自覚するんじゃなくて、罪だと思うから罪悪感を感じるんだもの。

だから、ほどほどで自分を許してあげて下さい。私なんか心は汚い部分ばかりだから、それがそのまま人に伝わったりすると大変です。(^^;
自分の汚さ弱さを自覚すると、何だか周りばかり強く美しくも思えるけど、それは錯覚ですよ。子育てに悩んでる時は、自分だけが親失格に思えてくるのと同じです。

人の親切や善意に応える一番の方法は、自分自身が楽になる事だと思います。
でもなろうとして楽になるのは難しいから、いつか自然に幸せや気持ちの安らかさを感じられる日まで、感謝や恩返しはとっといたらどうでしょうか。
悪いなぁと思うより、幸せだなぁとか、楽になれたなぁと思うからこそ、始めて自然に感謝が伝わるのだと思いますから。

それに親切や善意は、借金じゃないからね。借りた相手に返さなきゃってものでもないですよ。
相手が楽になって、その分、別な誰かに善意を向けてあげられるなら、それでこそほんとうに、相手への善意が報われたと言えるんじゃないでしょうか。

ひゃっきまるさんだって、自分が逆の立場だったら、病気でしんどい人から貸しを取り立てようとは思わないでしょう。
その人の辛さが癒えてから、もし笑顔が見られれば、その時始めて、以前の善意も報われたと思えるんじゃないですか?
そういうのを、きっと無償の善意と呼ぶのだと思います。

ちなみに私は心が狭いので、ネットはもちろんリアルでも、そう思える限度を越えて他人に親切にしたりはしませんw
それをすると、お返しが欲しくなって、相手も自分も苦しくなっちゃいますから。(^^

119春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/01/16(月) 09:35:46
>>113 留守番 ◆UlmatWmWgAさん
>めんどくさいからハンドル留守番でいいっすね。

了解です。いつも留守番してもらってますしw
宣伝カキコの削除やら何やら、いつもお世話になってばかりですみませんです。(深々)

120春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/01/17(火) 06:12:01
しばらく留守するかもしれない前に、これだけ追記。
ひゃっきまるさんの>>115は、私の文意を真摯に読み込んで下さり、自分の中できちんと噛み砕き消化してから、
ありのままのお気持ちを率直に正直に書いて下さったものと受けとめています。

私は>>101で盤珪を例に挙げました。しかし盤珪自身、それを頭で考えて生悟りを述べた訳ではありません。
吐いた痰が真っ黒な血の固まりになって転がり、足腰がただれて膿むほどの座禅を繰り返して、求道には苦しんでいます。
それである時、ふと自然に、それが無意味だ、遠回りだと悟るのです。

自然に近道を行ける人に、無理な遠回りを強いるのは間違いですが、
遠回りな道しか歩めない性質も、けして責められるべき事ではないと思います。
盤珪の無意味な修業は、まさにその無意味さを盤珪に悟らせ、頭で考えた理屈ではなく実態を伴った真実として、
彼に自信と説得力を持ってそれを語らしむる上で、報われたのだと私は思います。

例えば言葉の無力さを嘆く言説も、その言葉に全力を傾け、最大限に努力を尽くして、
尚そうであったと噛みしめている者から発せられた時でなければ、そこに込められた深い哀しみを感じる事は出来ません。
そうでなければ、単に言葉をバカにしている、ひいてはその言葉で何かを伝えようとした相手をバカにしているだけの、不誠実な態度と受け取られるでしょう。

言葉の無力さを噛みしめ、禅の無功徳を実感し、念仏など修行にも善行にもならないと自信を持って言える、
そんな言葉や禅や念仏が、ほんとうの言葉や禅や念仏であると受け取られる事は多いと思います。

悩みや苦しみが、無意味や無価値になる事で報われるその日まで、どうかご自身を大切になさって下さい。
それを突き詰め過ぎて、自分自身を喪くしてしまっては、やはり何にもなりませんから。
他人を見失わないためには他者への寛容が大切なように、
自分を見失わないためにはやはり自身への寛容も、私は大切だと思います。

121乾闥婆:2006/01/20(金) 22:01:57
>>96-98
春田の蛙さん。

ご無沙汰しております。年末年始以降ずっと仕事が忙しく、レスをする時間がなかなか取れませんでした。まだ落ち着いてはおりませんが、簡単にレスさせていただきます。

>一つは文献を非常に恣意的に読み込んだ結果、独善的で偏りのある見解を、
これぞ正統な立場であると思い込む事。仏教の堕落史観は、その代表的な一つでしょう。
そしてもう一つが、汎仏教的な立場に立った、教養としての仏教理解です。

>差異を遠ざけて全体を見渡した円満な理解を求める、これはより大きな排他性の苗床となります。
これを証する実例が、大正デモクラシーの中から生まれた教養的仏教理解を友松円諦が大衆化させ、それが全体主義国家による大衆宣撫の手先と化していった歴史の流れであると言えるでしょう。

>そして私は、現在の創価学会員が改善や改革と称するものの本質は、↑に示した前者から後者への切り替えに過ぎないのではないかと考えています。

差異を強調することと、差異を無化しようとすること、確かにともに排他性を生むこととなるのでしょう。大事なことはそれぞれの差異を尊重しあうことですね。創価学会が差異の強調を希薄化させていったとして、それぞれの差異の尊重に至れるのか、それが課題であると思います。禅や浄土教のあり方をも尊重する組織に至れるのであれば、よいのですが、そうであるには蓮祖を歴史上の一人物として相対化できなければならないのでしょう。難しい課題ではあると思います。

122ひゃっきまる:2006/01/21(土) 00:16:35
>>117 春田の蛙さん

 ご心配おかけしました。お気遣い本当にありがとうございます。もう体調は万全です。

>罪悪感って、不公平だよね。

 ああ、それは本当によく思いますね。でも罪悪感を感じる自分も利己的な目的で罪悪感感じてるんじゃないかとか、罪悪感感じることに罪悪感感じたりして・・・。うじうじしてるなって自分でも思いますね。心が弱いんでしょうね。

 でも、春田の蛙さんの話を聞いて、借りを返そうとか、立派にならならなくては、とか、そんなに気張って思わなくてもいいのかな、と少し楽になりました。

 僕はどこかで、「人は誰しも利己的だ」と思い込んでいるのかもしれません。まるで借金みたいな貸し借りの概念で「思いやり」を捉えるのは、人の善意を本当は信じていないのですよね。

 あと、善意は「弱さの裏返し」、のように思っているところもあるような気がします。「強さの裏返し」である善意もきっと世の中にはあるのだと思いますが、僕は未だそういうものを本心では信じていないように思います。

>>120
>遠回りな道しか歩めない性質も、けして責められるべき事ではないと思います。

・・・なんというか、まさに僕の心に響く言葉です。というか、不器用にしか生きられない全ての人が、この言葉に救われるでしょう・・・。

123salam ◆.P18/mYapQ:2006/01/28(土) 16:13:16
>蛙さん、ひゃっきまるさん、乾さん
やっと期末試験も一段落し、レポートの合間に見に来ました。
虚弱トリオとしては、試験期間にインフルエンザにでもかかったら目も当てられないと普段以上に気をつけてました(笑。

さきごろ、2chを久しぶりに覗いてきました。
脱会スレも日蓮スレも見てきましたよ。どちらも、健在でしたね。おもわず、コテハンでレスも残してしまいました(笑。
日蓮スレでは、お二人が今まで話していなかった部分が書かれていて、そこからこちらに場所を移していたことが改めてわかりました。

>目指すべき宗教的ヴィジョンがあるとして、それは常不軽菩薩である
と乾さんがかかれており、ひゃっきまるさんも同意してましたね。
俺は以前、某小野氏の掲示板でカキコしてたとき、常不軽菩薩の話を聞き、俺の中で人格者というのはこれを理想として描いていたのかな、と思った記憶があります。
ただ、常不軽菩薩と自分が経験したり聞いたりした折伏がどうにも重ならなく、なぜ振舞いそのものに焦点を合わせないのか、不思議に思った記憶が蘇りました。
差異があること=個性があること、と俺の中では単純です。
常不軽菩薩の振舞いを自分に課そうとすると、必ずこのことを認めなければならないと思うのですが、某掲示板で聞いた限りでは自分の受けた行為(批判や反発)の正当化に使っているように思えたんです。
本来は、自分の物差しであるべきですよね。そういう意味で、乾さんやひゃっきまるさんとは、もちろん蛙さんとも、宗教観を越えた大事な部分の共通点を見いだせたようで俺は嬉しく思えるのですね。

善意ってそれこそ目に見えないし、してくれる相手の本当の気持もわからない。だから考えると難しいですよね〜。
でも、俺はこれも割り切って考えてしまいます。自分が自然と接していても自分に善意を向けてくれるのであれば、それは気がつかないところで相手が自分を善意ある言動と受け取ってくれたところがあるからだって。
逆に、騙されたり嘘を交えた対応を受けたことがわかったときは、結局その人との関係はその程度にしか築かれてしかいなかったんだと。
別に進んで騙されに行く必要はこれっぽっちもないんですが(笑。
ひゃっきまるさんは「人の為」というのを意識しすぎているのかも、とちょっと感じました。
本人からしたら、ふとした気まぐれみたいなのが善意なんではないかなって思いますよ。

124乾闥婆:2006/01/29(日) 01:10:35
>>123
salamさん。

>常不軽菩薩と自分が経験したり聞いたりした折伏がどうにも重ならなく

そうですね。常不軽菩薩に折伏を当てるのは真蹟遺文で言えば『開目抄』の「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし」であると思いますが、この「常不軽品のごとし」は後世の加文であるといわれております。蓮祖が常不軽の姿を持って折伏とした真蹟遺文はないようです。

125ひゃっきまる:2006/01/31(火) 00:08:16
salamさんどうもです。

乾さん、salamさん、わめさん、こちらにメールを送ってもらえますか?
hyakkimaru49@hotmail.co.jp
ブログを開設したのでアドレスを送ります。
私生活のことが中心なので、知人にだけ教えておこうと思いまして。

126salam ◆.P18/mYapQ:2006/02/03(金) 04:07:13
>乾さん
そうなんですか。
大分前のことなので覚えてませんが、確か何かの一節を提示して説明してくれた記憶があります。
たぶん、おっしゃっている部分だったのではないかな〜。

>ひゃっきまるさん
了解しました。簡単な挨拶メールですが送信させてもらいますね。

127春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 11:51:44
>ひゃっきまるさん
大変ご無沙汰して、すみません。
salamさんも仰っておられますが、私も嬉しかったです。メールありがとうございました。(深々)

>もう体調は万全です。

それは何よりです。季節の変わり目ですから、御身大切に、ご用心なさって下さいね。

>罪悪感を感じる自分も利己的な目的で罪悪感感じてるんじゃないかとか、罪悪感感じることに罪悪感感じたりして・・・。

んー…でも心が弱かったら、そんなしんどい、あまり自分で見たくない部分に目はいかないと思うよ。
それが自分の内側に見えるから、尚更BBSでのやりとりで、ひゃっきまるさんは誠実なんじゃないかな。でないと自分自身を許せないから。

といっても、多分ひゃっきまるさんの文脈で言う「自分には欠けてるんじゃないか?」って思える強さと、
私が↑の文脈で述べてる「ひゃっきまるさんには人一倍あるじゃない」っていう強さとは、同じ「強さ」じゃないでしょうね。
何かを切り捨てる事が出来るマッチョな強さと、切り捨てをよしとしない粘り強い強さって言ったら、単純化しすぎかもだけど。

でもさ、ひゃっきまるさん。個性の長所短所は裏表であって、長所を活かそうと思ったら、短所に思える部分も、受け入れなきゃ仕方ないと思います。
その短所をカバーし、その短所故に出来ない事をやるのは、頑張って完璧になったひゃっきまるさんじゃなくて、異なる個性の長所短所を持った、別の人の役目だと思うのです。

「これが正道だ、勝れた真っ当な生き方なんだ」って主張は、その生き生きとした見た目や力強さに憧れる事も含めて、
ひゃっきまるさんが「善意」というものに感じるのと同じか、それ以上の罠があると思いますよ。

かく言う私だってレスする時に、例えばsalamさんみたいに書けたらとは強く思うもの。
でも、私はsalamさんじゃないから、無理なんです。
多分salamさんも、私みたいに書けたらって思う事はあるかも知れない。
物事を的確に、適切な例示で説明してるって思ってるらしいから。

けどさ、的確で理詰めな文章は、痛いところを暴いて相手を追い詰めてる事でもある。
だから2chや他の掲示板で、とても他の人では会話が成り立たなそうな相手が、
salamさんには、まがりなりにもまともにレスを返したりしてるのを見ると、そんな対応が引き出せる事に憧れます。

128春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 11:52:40
私が、単に自分に書きやすい文章を書いてるのと同じで、多分salamさんも殊更意識はしてないんだろうと思うんですが。
だから、私がsalamさんになる必要も、salamさんが私になる必要もないし、そんな無理はいらないんですよ、きっと。

自分自身については寛容な気持ちになりにくくても、こうして私とsalamさんを比べれば「どっちかが要らない」なんて思わないでしょう?
私から見たひゃっきまるさんとsalamさん、salamさんから見たひゃっきまるさんと私も、同じだと思います。

ひゃっきまるさんがご自身に感じておられてるものが、個性と割り切れないほどに苦しいとしたら、
ひとつにはそれがひゃっきまるさんの周りや、世の中の価値観とは、あまり相性が良くないからではないですか?
けれども、それでみんなが同じになったら、ひゃっきまるさんの個性が消えたら、ひょっとしてご自身は悩まなくて済むかもしれないけど、
何か決定的に救われないものが生まれます。それも、きっとひゃっきまるさん以外の方の中に。

>僕はどこかで、「人は誰しも利己的だ」と思い込んでいるのかもしれません。

私は、少なくとも自分は決定的に利己的だと思いますから、私に関しては当てはまってますね。
私は自分の中に、本当に美しい善意なんて見い出す事は出来ません。

けど、ダイヤモンドだけが宝石じゃないでしょう。
世の中の宝石が、ダイヤモンドだけでも困ります。
私の中にはガラス玉しか無くても、他の人は違うかもしれない。
私は善意を、むしろ他者の中に見ています。
自分の中に無いからこそ、それが利用されたり汚されたり、ねじまげられるのが腹立たしいのです。

そして、先に書いた個性の話と同じく、善意の裏側にあるものが弱さなら、
善意だけを認めて弱さを受け入れないのは不可能だと思います。
同じように、合理的思考の利点を受け入れるなら、その根本は「物事を疑う」ことにあるのだから、
善意を疑うことを悪であるかの如く、罪悪感をくすぐって非難するのも、また過ちだと思うのです。

これは、善意をねじまげて利用する、代表的な方法のひとつだと思いますし、
マインド・コントロールの問題を扱う時にも、事実そのように指摘されている事ですから。

129春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 11:53:46
「善意」や「強さ」と名前を付けてみても、その内実は様々であって、一言の元にひとくくりに出来るものではありません。
生きた人間と、それは同じだと思います。
前後の文脈やそれを取り巻く行為によっては、真逆の名前である「悪意」や「弱さ」と
それを呼んだとしても、何ら違和感のない場合もあります。

裏側にある弱さの中身によっては、受け取らない事が互いのためである善意は、もちろんあるでしょう。
ですから、状況やそれに関わる人を抜きに、善意そのものを論じる事は出来ません。
それと同じ事をやろうとするから、例えば哲学における「真実」の定義などには、いつまでも一致が見られないのだと思います。

文脈を抜きにした言葉の定義には意味がないし、それは議論を迷走させる元ですよね。

ひとりの悪人を持って、人間全てを判断出来ないように、
問題ある善意の姿を、世界の善意全てに負わせる事は出来ません。
その上で、善意の陥りがちな罠について考える事は、人間の陥りがちな罠について考える事が、
人間である己れについて深く知る事であるように、
それは本来善意をより知る事であって、全否定には必ずしもならないと、私は思います。
仮に「人間」や「善意」を、「正義」や「信仰」に置き換えても、これは成り立つのではないでしょうか。

そして、これらを自分自身ではなく、他人に向けて用いればどうなるか?
自己省察に用いれば「そこまで考えなくても…」という方向に向かいがちな思考ですから、
他に対しては往々にして、安易なレッテル貼りの道具になってしまいます。
だって他人の内面は、外から見えないんですから。
つまりこういう事にも、長短両面はあるのだと思いますよ。

長短両面を知るという事は、限界を知るという事です。
そして、善意や強さや正義や信仰の、そして自分自身の限界を知るのは、それらを否定する事ではありません。
むしろ限界を知り、それらの力及ばざるを知ってこそ、初めて本当の意味で、心が外へと開かれるのではないでしょうか。
そうしてこそ、異なる善意や強さ、違う正義や信仰への、何より他者への本当の敬意と尊重が生まれるように思います。

130ひゃっきまる:2006/03/20(月) 00:45:22
>春田の蛙さん

ブログの方書き込みありがとうございました(^^)

>それが自分の内側に見えるから、尚更BBSでのやりとりで、ひゃっきまるさんは誠実なんじゃないかな。でないと自分自身を許せないから。

ネットっていうのは、相手に見せるのは文章だけですよね。だから、ぶっちゃけ言えば「良いところ」だけ見せることも可能と思います。リアルの僕よりは「ひゃっきまる」の方が理性的で誠実と思います。でも、リアルの自分が(弱さゆえ)虚飾に覆われているからこそ、せめてネットでは偽らぬ自分を出したい、という気持ちもあります。

>でもさ、ひゃっきまるさん。個性の長所短所は裏表であって、長所を活かそうと思ったら、短所に思える部分も、受け入れなきゃ仕方ないと思います。

そうですね。ありがとうございます。僕は小中高と本当にコンプレックスの塊みたいな性格だったのですが、そのとき思っていたのは、「だけどこんな自分だからこそ、弱い立場、苦しい立場の人間の気持ちがわかってあげられる」ということでした。これは今でも誇りであるし、この気持ちはいつまでも手離したくないと思っています。

>salamさんには、まがりなりにもまともにレスを返したりしてるのを見ると、そんな対応が引き出せる事に憧れます。

ああ、それ、本当にわかります(^^;

131ひゃっきまる:2006/03/20(月) 00:45:59
>そして、先に書いた個性の話と同じく、善意の裏側にあるものが弱さなら、
>善意だけを認めて弱さを受け入れないのは不可能だと思います。

「人は誰しも利己的だ」と思ってしまっているというのは、無意識の部分、刷り込みみたいなものであって、表面的な部分での判断力では、「善いところも悪いところもあるさ」と思っています。

まあ、「自分に厳しく、他人には優しく」が理想なのが、「自分に優しく、他人には厳しく」になっちゃっているという自分の状態を悲観して前のレスは書きました(^^;

>そして、善意や強さや正義や信仰の、そして自分自身の限界を知るのは、それらを否定する事ではありません。
>むしろ限界を知り、それらの力及ばざるを知ってこそ、初めて本当の意味で、心が外へと開かれるのではないでしょうか。
>そうしてこそ、異なる善意や強さ、違う正義や信仰への、何より他者への本当の敬意と尊重が生まれるように思います。

そうですね。まさしくそういうことだと思います。
ただ、知る、知らないに関わらず、他者とはじめから打ち解けて尊重しあえたら、どんなに良いかと思います。

蛙さんもどこかで「人の感情は合わせ鏡のようなもの」とおっしゃられていましたが、満面の笑顔でニコッと話しかけられたら、誰でも心を開くような気がするんですよ。浮浪雲のカメさんみたいに。そして、「善人」である自分を引き出すことが出来る。

相手を無邪気に善人と信じきれるというのは、本当に強い人だと思います。
常不軽菩薩のようになりたい、と僕が思うのは、こういう人間になりたいと思っているからでしょう。
僕は創価学会を全面的に否定するわけではないのですが、学会員の中にはこういう天性の明るさというか大らかさを持っている人もいて、それが信仰に培われたものか、その人本来の持ち味なのか、知りたいと思っています。

まあ、創価学会員とか関係なく、大阪のおばちゃんなんかにはこういう大らかな人は多いんですけどね(^^;

132留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/03/22(水) 15:57:20
ひゃっきまるさん、はじめまして。
板の座敷ワラシ、留守番です。

不軽菩薩って、どんな人だったんだろう。

留守番が考えた、現代の常不軽菩薩を思ってみますた。
「あなたの存在が大切ですよ」って
「あなたも仏になれますよ」って
誰かに解らせるには、
その人に向き合う誰かが、その人を大切にして差し上げることが
一番有効なんじゃないかって。
大切にって言うと大袈裟だけど、とにかくちゃんと相手の存在を認め、向き合う事。

その人の生きてきた過程で、周りの人みんなに大切にされなかったとしたら
その人はきっと、「自分はこの世界で大切な人間ではないのかも」って思うと思います。
「あわせ鏡」っていうことも、そういうことなんじゃないかなぁ…
誰かの瞳に映る自分の姿が、もしも誰からも邪険に扱われ、責められるだけの存在だとしたら、
きっとその人は、自分のことを大切になんて思えないし、
ましてや仏になれるなんて思えやしないんじゃないかなーって。

んで、自分自身の中にあるモノを大切に思えたら
他の誰かの中にある、その同じモノだって大切に思えるでしょう。
だって同じモノなんだもん。
「命」であれ「心」であれ、なんだっていいんだけど。

だから常不軽菩薩って、
ほんものの人間だったとしたら、きっと、自分に石を投げ、棒で打った増上慢さんたちのなかに
自分と同じものを見ていた人なんじゃないかなって思います。
ひゃっきまるさんが「弱さ」と呼ぶものも含めて。
でも人間だったら、「常」じゃ絶対無理だろうなぁw

>(弱さゆえ)虚飾に覆われているからこそ
ていうのも、どうして虚飾に覆われていなきゃいけないのか?
その飾りは本当に自分で身につけたものなのか?
そのまんまのひゃっきまるさんじゃあかんよって、誰かや何かの思想から、言われていはしなかったか?
っつーかそもそも、「弱さ」だと誰がジャッジするのか?
って、時間のあるときにでもご自身に尋ねてみられたらいいのではと思います。
そうしたら、それが本当に弱さゆえだったのか、そうではないのか、解ると思うんです。
(厳密に言うと、弱さとか強さって、実体のないものだと個人的には思ってます。
 人間は、実体のないものに名前をつけるのが得意だから。
>「善意」や「強さ」と名前を付けてみても、その内実は様々であって、
>一言の元にひとくくりに出来るものではありません。
と春田の蛙さんも仰ってますが。)

飾ったり偽ったりするのは、多分に周りの状況がそうさせているってこともあるんじゃないでしょうか。
こんなにうじゃうじゃワラワラいる、たくさんの人の中で生きていかなきゃいけないのだから。

すいませんです。
どーにもこーにも気になってレスしちゃったけど、
スルーで大丈夫ですw
ずっとロムってて、なんかひゃっきまるさんが弱い人には見えなかったので、って伝えたかっただけなんだけど。

いきなりのレス、失礼しました。

春田の蛙さんが不在の時の、お留守番ですから。
ひとり上手なんだからー。
もうw

(あ、ちなみに、自分は退会2世です。)

133ひゃっきまる:2006/06/05(月) 00:54:50
>>132 留守番さん

超遅レスすいません(^^;
だいぶ前に読んではいたのですが、なんとなく。

留守番さんは名前はよく見るのですが、レスするのははじめてですよね。

>「あなたも仏になれますよ」って
>誰かに解らせるには、
>その人に向き合う誰かが、その人を大切にして差し上げることが
>一番有効なんじゃないかって。

そうですね。僕はリアルだと一番苦手なとこかもしれません。
よく「冷たい」って言われますね。
自分はそういう態度を他人に求めるくせにね。
エネルギーが低下しているときって、自分がしてほしかったことを人にしてあげよう、って思うよりも、自分が感じた辛い思いを他人に味合わせてやろう、って思ってしまうようですよ。
僕って嫌な人間だな(^^;

>だから常不軽菩薩って、
>ほんものの人間だったとしたら、きっと、自分に石を投げ、棒で打った増上慢さんたちのなかに
>自分と同じものを見ていた人なんじゃないかなって思います。

はっとさせられましたよ。この文章に。
僕はなんとなく不軽菩薩って、聖人君子みたいなのを思い浮かべてたのかもしれません。
でももっと、人間人間してる感じのほうが本当ぽいです。

>っつーかそもそも、「弱さ」だと誰がジャッジするのか?
>って、時間のあるときにでもご自身に尋ねてみられたらいいのではと思います。
>そうしたら、それが本当に弱さゆえだったのか、そうではないのか、解ると思うんです。

「自分が弱い人間だ」って思いは、すごく根深いものなのです。
根本的には意志の弱さを指しているのかな。
「やらなくちゃ」って思ったことの半分もやれてないことが多いから…。
「きっと死ぬとき、後悔するんだろうな」、なんていつも考えてしまいます。

でも留守番さんが、僕が弱いようには見えない、って言ってくれた意見は、大事にしたいと思います。だって「それでも僕は弱い人間なんです」と言い張ってしまったら、留守番さんの考えを一方的に否定することになってしまって、そんなのは良くないなあ、と思ったので…。

僕は小学校の頃、「僕は大人にはなれないかもしれない」とか「なってもろくな大人にはきっとなれないだろう」なんていつも考えていたものですが、その頃の僕が今の僕を見たら、「まあまあちゃんとした人間にはなってるじゃん」と安心すると思うのですよね。きっと。たぶんその程度には僕はまともな人間になれたのだと思います。

なんかまた、「かまって。僕を見て」オーラ全開のレスしてしまいましたが、にも関わらず親身なレスしてくれて本当にありがとうございました!

134留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/06/05(月) 22:55:31
ひゃっきまるさん、レスありがとうございます。

いや、本当に、蛙さんが体調が悪い時とか、お忙しい時なんかに、
少しでもお役に立てればと思って勝手に留守番してるだけなんですよ。
なので、お気遣いなく!
適当にあしらってください。

>でも留守番さんが、僕が弱いようには見えない、って言ってくれた意見は、大事にしたいと思います
受け取ってくださって、ありがとうございます。
自分で自分を評価するのと、他人からはどう見えるかということって、
大概、違いますもんね。

>だって「それでも僕は弱い人間なんです」と言い張ってしまったら、
>留守番さんの考えを一方的に否定することになってしまって、
>そんなのは良くないなあ、と思ったので…。
いやいや、良くなくは、ないですよ。
でも、そういう繊細なお心遣いはとても嬉しく感じました。
わたしにとって、ここで大切なのは、
「ひゃっきまるさんは、弱い人間なのか?」ではないんです。
「ひゃっきまるさんは、ご自身を弱いと感じている」このことなんです。
(↑この2つの違いは、本当に大切なのです)
んで、留守番は、ひゃっきまるさんが弱い人間だとは思いませんが、
ひゃっきまるさんがご自身を弱いと感じている、そのことに関しては、共感できます。
だって自分も、そう思うことが多々ありましたから。

>「自分が弱い人間だ」って思いは、すごく根深いものなのです。
>根本的には意志の弱さを指しているのかな。
>「やらなくちゃ」って思ったことの半分もやれてないことが多いから…。
うーん…思うのですが、どうしてやれてないのかっていうことが問題なんですよねきっと。
1.「やらなくちゃ」ということが、多すぎる。
2.「やらなくちゃ」ということを、本当はやりたくない。
3.それは本当は、やらなくてもどうにかなることだ。
4.いつかやろうと思うけれども、今はやらない。
5.やらない自分が、本当は好き。
6.やってみて出来なかったらどうしよう!と結果が気になってできない。
7.「やらなくちゃ」ということが、自分のキャパを超えている。
などなど…
やれていないことには、必ず理由があると思うんです。
意志の弱さ以外にも。
それに、「どうして、やらなきゃいけないのだろうか?」って突き詰めて考えてみると、結構あいまいな理由だったりしますし。
もしかしたら、ご自身に物凄い負担を課していはしないだろうかって
ちょっと気になったもので…。

留守番的には、「弱い」という言葉よりも、「未熟」という言葉を使うほうが好きです。
「弱い」だとなんか、評価が入ってますけど、
「未熟」は状態をあらわし、これからの可能性もあるような気がします。
んで、自分は本当に未熟だといつも感じています。
でも、いろいろ挑戦していくことによって、成長できたらなぁって思っています。

135留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/06/05(月) 22:57:17
なんだか、先日ちょっとリンクするような思いを味わったので、書いてもいいですか?
時どき、お手伝いに行かせていただいている施設でのことなんですが
手足が不自由で、発話も上手くできないAさんという方がいて、
そのAさんに他の来所者の方(Bさん)が失礼なことを言ったんですね。
そうしたら、Aさんは車椅子のままBさんにぶつかっていきまして…
まぁ軽くぶつかっただけなので、大したことはなかったのですが。
その時に、思ったんです。
「Aさんは、手足も上手く動かないし、言葉で思いをぶつける事も出来ないから
ああいう形で感情を表現し、ああいう形でBさんに思いを伝えた。
自分も、今までの人生で、そんな風にガシャンと相手に無言でぶつかって行くような伝え方をしたことが、たくさんあったなぁ」って。
そういう時、わたしの心は、車椅子の状態だったのかもしれないって。
上手く動かず、上手くしゃべれないような、心の状態だったんじゃないかなって。

車椅子の状態まではいかないにしても、心って思うようには自由に動かせないもんですよね。
癖のついた方向へ、勝手に動いてしまうものです。
そういう意味で、ひゃっきまるさんのお話には、留守番にも共感するところが多々あります。
でもその癖は、自分で気づけば直せるものでもあります。


>よく「冷たい」って言われますね。
個人的には、「冷たいのはいけない」という価値観は持っていないので
冷たくたっていいじゃないですかーと思っています。
不軽菩薩についても、考えてはみましたが、
彼のようになりたくはないし、なれるとも思っていませんのですよ。
お手本と思うことはありますけど。
不軽菩薩のようになるべきだ、なんて誤解させてしまったなら、すいませんでした。

「冷たい」と言われるような態度をとってしまうのは、思いの伝え方の問題で、
(他人との交流の仕方の問題)
ひゃっきまるさんの人間性とは別の分野のことです。
よくみなさん、それをごっちゃにしてしまうことがありがちなので。

「わたしは、あなたを冷たい人だと思う」
「わたしは、あなたが向き合ってくれなかったことに対して、冷たいと思う」
前者は存在への評価、後者は行動への評価です。
これをごっちゃにしてしまうと、大変に息苦しくなったりしますので。



こちらこそ、本当に丁寧なレス、ありがとうございました。
蛙さんなら、もっと違うアプローチをなさると思うのですが。
留守番の書き込みは、蛙さんが帰ってくるまでの暇つぶし程度に
読んでくだされば幸いです。
ですので、レスは本当に、お気になさらず。

お元気かなぁ…、蛙さん。
お忙しいだけならいいんですけど。

136春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/12(月) 20:08:07
すみません、私も超遅レス…もはや恥レスですね。(;^_^A
返したい内容がアレやコレやあるのですが、まずは一番新しい内容から。と、その前に横レスですけど…

>>135 留守番さん
>蛙さんなら、もっと違うアプローチをなさると思うのですが。
>留守番の書き込みは、蛙さんが帰ってくるまでの暇つぶし程度に
>読んでくだされば幸いです。

そんなに謙遜されなくても。(汗)
立派に此所を運営して下さってるじゃないですか。
第一、私の書く事がいつも正しい訳でも、的確な訳でもないんだし。
留守番さんは留守番さんの、思った事や感じた事を書いて下さるのが、最善かつ私にとっても一番有難いご助力ですよ。

それに留守番さんが居て下さって、私だってどれほど気持ちが救われてるか分かりません。
いつも心を砕いて頂いて…その事に、まず感謝させて下さい。ありがとう。m(__)m


> ひゃっきまるさん
>だいぶ前に読んではいたのですが、なんとなく。

ああ、それは分かります。私もそれで時間が経って、そのままレスしそびれる事もありますから。(汗)

それで…ええと、ぶっちゃけて伺うんですけど、ひゃっきまるさんが「やらなきゃいけない」「やれてない」事って、
そのひとつは、退会も含め創価学会について自身にきちんと整理をつける事、ですか?
今のまま、あれこれ言ったり組織の批判や信仰について述べるのは、何だか後ろめたいとか、卑怯なんじゃないかとか。

…そうだとしたら私も、そういう風にひゃっきまるさんに思わせた、追い詰めた一人なんでしょう。申し訳ないです…


思うのですが。例えば「生きる」ということを「みんな生きているから」という理由で、同じには考えられないですよね。

にも関わらず、思考は実際こういう悲劇も生みます。阪神淡路大震災があったでしょう? あれで亡くなった人の事、うらやましいって思った子供が居たんだそうですよ。

自分はどう生きていって良いか分からない、生きる値打ちがあるかも分からない、そこへテレビで震災のニュースを観て、「うらやましいな…」って。天災に「自分の命」を決めてもらった訳だから。それで、「そんなこと考える自分は、何て最低なんだろう…」って、また悩む。

確かにひどいかもしれない。私も聞いた時に一瞬カチンとこなかったといえば嘘になる。しかし最低だろうがなんだろうが、「うらやましい」と思ったもんは思ったんだからしょうがないです。

137春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/12(月) 20:08:56
それに本人(あるいは周り)は、「こんな最低の事を思い付くのは自身の人間性に問題がある」とも考える訳だけど、よくよく心の辿った道筋を追うと、確かに自然とそこに行き着くんですね。

自分の在り方に思い悩む、苦しい、苦しければ楽になりたい、別段当たり前の自然な感情です。
罠は、その事がその苦しみが存在しないあらゆるケース、それを偶然目にした場合に何かを思ったり感じたり、考えたりする事を、人間には避けられない点にあります。柔らかく未熟な心ほど、正直な気持ちに歯止めは効かない。

ですから当然、どんな経緯であれその苦しみが存在しないケース――天災による残酷な死に対しても、とっさの心の働きとして感情は動いてしまう。
苦しい時には人間普通じゃない気持ちになるのも当たり前ですから、ホントは「こんなバカな感情を抱くなんて、よっぽど自分も追い詰められてるよな…」と流せれば良いんですが。悪循環の、よくあるループのひとつです。

そう思う理由や経緯は様々でしょうが(中には同情出来ないケースもあるでしょう)、自己の在り方に思い悩む、こういう思考は、単純に劣等感とは言えないと思います。
自分は駄目だと思う心の底で、必死に駄目でない部分を探して、そこにすがる気持ちもある。コンプレックスというのは、本来複雑なものです。
ですからそれを率直に見つめて苦しむ人ほど、自分の美徳を見て掛けられた言葉にも、素直に救われる事が出来ない。「そういう言葉を欲しがっている自分」をも自覚しているからです。

そのように追い詰められた思考は、こういう風に発展する事もあります。「自分は自己の在り方に思い悩んでるけど、そういう疑問さえ持たずにただ生きて死ぬ人よりはマシだ」
そう思って浮かびあがりかけた気持ちは、次にはやっぱり善悪の倫理や価値観によって、打ちすえられて落ち込む事になる場合が多いでしょう。

つまるところ、最初のループの場合も後のケースも、悪循環の理由は明白です。それぞれ要素や環境の異なる人生を、同一の条件を仮定しつい結び付てしまった点にある。こういう思考に本当の出口はありません。
つまり異なる立場の無関係な、それぞれ比較不可能な生きざまを、同じ「生きている人間」として見てしまう過ちを
本人も周りも犯してしまう。そうなってしまった要因は抜きにしての、その感情・思考自体の善悪の話にこじれてしまうのだと思います。

138春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/12(月) 20:13:41
そもそも最初にあげた極端な例だって、震災の犠牲者云々から切り離してみれば、「私は自分がどう生きて良いか分からない。生きる値打ちすらないのではと思うが死ぬ勇気もない、本当に駄目な人間なんです…」という悲鳴でしょうし、これだったら、別に倫理的に責められるような事じゃないです。

「そう思ってしまう、考えてしまう自分」をありのまま、優劣という比較抜きに受け止めるのは、なかなか難しいという事ですね。

長々と、ひゃっきまるさんとはあまり繋がりのないケースについて述べてしまいましたが、ひゃっきまるさんの目指すような形の「決断」を、もしも違う立場の人が成した「決断」と比較したら、これと似たような悪循環に陥る可能性はあると思います。
たとえば、外的なにっちもさっちもいかない要因での脱会についての悩みを、いっそ自分もそうであったら決断出来ると思ったりすれば最初の例の、
そういう要因無くして退会するのが真の決断だと思って自分を奮い起こせば、後者の思考の罠に発展して、他者からの批判や自己嫌悪に繋がる可能性もあるのではないでしょうか。

少なくとも、その決断が出来ない自分を責めてはしまう。全ての他者を尊重しつつ考えを進めようとすれば、そのあまりにも拠り所の無い困難さにも、戸惑うのではないかと思います。
だって人間は(少なくとも私は)、不安を抱えている、自分を見失いそうな時ほど、下世話な言い方ですが「アイツよりマシだ」という考えにもすがりたくなる、それが正直な心情だと思うのです。

ですから様々なケースでは、同じ宗教団体の二世三世と思えばこそ、返って相手の有り様が許せない、無理に話し合えば互いに傷つく場合も多いと、私は思います。

(私も含めた)アンチのネットでの発言や指摘も、今までひゃっきまるさんの思考を追い詰めてきた大きな要因であるでしょう。
創価学会は規模の大きな団体です。そのカルト性がもたらす弊害の種類も程度も、地域差や個人差は当然ある。公平を期してメリットについても述べるなら、これにも同じ事が言えます。

二世三世さんにはあまり当てはまらない話ですが、カルトからの救出カウンセラーの体験でも、本来の当人の環境があまりに劣悪なため、
これならまだしもカルト内に留まる方がさしあたっては当人のためだと、救出を断念するケースは語られています。

139見ちゃイヤン♪:見ちゃイヤン♪
見ちゃイヤン♪

140春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/12(月) 20:20:50
(※>>139は投稿ミスです。すみません。m(__)m)

様々なカルトからの多様な人々の救出に携わった経験豊かなカウンセラー(たとえば「マインド・コントロールの恐怖」の著者スティーヴン・ハッサン)の、そうしたケースでの判断を否定する気には、私はなれません。
しかし「カルト被害者」という立場で一方的に理解しようとすれば、こうしたケースは些か受け入れ難いのではないかと思います。
さらに述べるなら――これはいずれ強信な人が迂濶に突っ込んで来た時に教えて差し上げようと考えていたのですが、私がよく例にあげる浅見定雄さんの以下の論評についてです。

http://www.toride.org/asami/cult.htm

一見、創価学会をカルトだと批判している事で、学会に敵対的な論評に感じられると思います。
しかし事実は全く異なり、実は浅見定雄博士は宗教学者の中でも、新宗教については最も寛容で好意的な論をお持ちの人物です。
創価学会を含む新宗教コミュニティの在り方にも、特に高度成長期における意義を認め、オウム事件の時に与党が創価学会牽制の目的で宗教法人法改正に動いた時にも、それへ批判的なコメントをされていました。

さらに靖国神社国家護持の動きが盛んだった昭和40年代、各宗教団体が連携して反対運動をする中で、謗法同座を嫌う観点からか孤立して反対運動を行う創価学会に理解を示され、現地の学会員の運動に協力すらされています。
当時の首相宛てに提出された反対意見書にこそ名を連ねていないものの、創価学会も独自にちゃんと反対運動を行なっていた事を、自著のその話題に触れた箇所でわざわざ触れておられるほどです。

つまり先にあげた浅見氏のご指摘は、新宗教全般にも創価学会の信仰や組織についても、内実をよく知り『最大限好意的な見方』をした上で、「カルトという呼び方を認めざるを得ない」との論評な訳です。
創価学会の利点も信仰も、きちんと認め好意的に評した上での指摘であって、むしろ「創価学会はカルトとは呼べない」と一見中立な意見を述べてる宗教学者の方が、よく知らないから当たり障りの無い意見を述べただけの場合もあります。

141春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/12(月) 20:22:41
しかし、一般的には逆にサンプルとなるケースが少ないほど、人間はそこから極論を導く傾向が強いでしょう。そして、その極論に当てはまらないケースを攻撃します。
カルトへの批判が、時に批判対象であるはずのカルトの主張と、あたかも鏡写しの双子のような形に陥る一因はここにあります。

「目の前の事実を受け入れず、自己の信ずる主張に忠実」な点で、似てしまう訳です。特殊をもって一般を語るエピソード主義は、
極論である故にわかりやすい。その罠は、なにも特定のカルトと呼ばれる団体の中にだけ存在するのではありませんから。

ひゃっきまるさんが、もしそうした圧力を感じた事があるなら、それはこうした傾向と共に、「創価学会の二世三世」という条件で、全く環境や状況の異なる方の人生をも、ご自身の在り方と結び付けるよう、いつしか強いられた点もあるのではと思います。
「生きる」という事には、それぞれに固有の様々な苦難が伴うのであって、異なるそれらを比較して傷付けあっても本来は仕方ない事。
同様に、創価学会の有り様が生み出す苦しみも(あるいはメリットも)多様な訳ですから、それによる悩みを比較し程度を計って、傷付けあっても悪循環に繋がるだけではあります。

当事者のそれはやむを得ませんが、少なくとも外部の私のような立場の人間が、安易にそれを煽ったり責めたりしないように、
本当は気を付ける必要があるんでしょう…私には、ひゃっきまるさんがこれまでそうした痛みを受けてきたように思えます。

142留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/06/19(月) 20:13:11
こんばんは。

こちらこそ、蛙さんやここのみなさんに、感謝です♪
ありがとうございます。
ただの留守番なのにお声をかけてくださる方がいて、留守番するのも寂しくなかったです(^ー^)

>その前に横レスですけど…
いや〜、そもそも、横レスしたのは自分ですので(笑)
>立派に此所を運営して下さってるじゃないですか。
運営なんて出来てませんです(;´▽`A``
うろちょろしてただけで。


自分も相当なドアホなので、蛙さんのレスに励まされたひとりでもあります。
んで先日、やりたい事を書き出して、達成度を確認してみました。
そうしたら、なんと!10%ぐらいしか、まだ出来てないんですよ(笑)
だからひゃっきまるさんに偉そうに言えないっていうことが発覚!というオチがつきました。
うーん…
(でも凹みはしませんけど。今は全然まだ過程だし、10%出来たことだって、自分には奇跡みたいなもんです)

143殿舎男@秋葉系:2006/07/12(水) 18:50:28
>>1
たしかに脱会という言葉の方が響きが悪いですね。

144殿舎男@秋葉系:2006/07/12(水) 19:07:47
学会の辞めさせないための
イメージ戦略の一環なのかもしれませんね。

145ひゃっきまる:2006/07/20(木) 09:40:11
>留守番さん

返事遅くなってすみません(^^;

>わたしにとって、ここで大切なのは、
>「ひゃっきまるさんは、弱い人間なのか?」ではないんです。
>「ひゃっきまるさんは、ご自身を弱いと感じている」このことなんです。

なるほど。当たり前のことかもしれないけど、目からウロコです。
僕は、「客観的に言って実際弱いのか?」という視点で硬直した見方になっちゃってるんだと思います。

>うーん…思うのですが、どうしてやれてないのかっていうことが問題なんですよねきっと。

なんか1〜7の理由の全てが当てはまっているような…(^^;
でもたぶん、実際の自分像と、理想の自分像のギャップが激しいんだと思います。
あと、根本的に欲張りってのもあります。
少し冷静に、自分を分析してみようと思います。

>留守番的には、「弱い」という言葉よりも、「未熟」という言葉を使うほうが好きです。

僕は、自分の根本的な性質として「弱い」というのがあって、それは克服不可な感じがしています。そんなの思い込み!って思わないでもないですが、そういうのとうまく付き合っていく必要があるんだろうな、と思っています。

でも未熟っていう概念も併用していて、それを使うときはやっぱり将来的な成長を見越して使っていますね。

>そういう時、わたしの心は、車椅子の状態だったのかもしれないって。
>上手く動かず、上手くしゃべれないような、心の状態だったんじゃないかなって。

ああ、すごくよくわかります…。

>「わたしは、あなたを冷たい人だと思う」
>「わたしは、あなたが向き合ってくれなかったことに対して、冷たいと思う」
>前者は存在への評価、後者は行動への評価です。

そうですね。これはわかっているつもりだけど、なかなか難しいです。
僕も人に対して、「冷たいなあ」って思うことがあります。それは、相手の行動に対する期待があるから、そういう反応をしてくれないことに不満を持つってことだと思います。
コミュニケーションのとり方で相手とギャップがあると、けっこう辛いです。
最終的には相手を信じるしかないって思うのですが、そういうふうに感情が処理できないのは、僕が相手に依存しているからではないかと。未熟ですね(^^;

146ひゃっきまる:2006/07/20(木) 09:40:46
>春田の蛙さん

>ぶっちゃけて伺うんですけど、ひゃっきまるさんが「やらなきゃいけない」「やれてない」事って、
>そのひとつは、退会も含め創価学会について自身にきちんと整理をつける事、ですか?

確かにそういうのがなくはないです。いつかはやろうと思っているだけでも心の負担になりますから・・・。でも、それよりももっと実生活で必要でやらなきゃいけないと思っていることがたっくさんあるので、正直、創価学会に関しての「やらなきゃいけない優先順」は最下位近くです。とりあえずこのことに関しては、少なくとも感情面でのケリはついていますし。

>柔らかく未熟な心ほど、正直な気持ちに歯止めは効かない。

>ですからそれを率直に見つめて苦しむ人ほど、自分の美徳を見て掛けられた言葉にも、素直に救われる事が出来ない。「そういう言葉を欲しがっている自分」をも自覚しているからです。

>つまるところ、最初のループの場合も後のケースも、悪循環の理由は明白です。それぞれ要素や環境の異なる人生を、同一の条件を仮定しつい結び付てしまった点にある。こういう思考に本当の出口はありません。
>つまり異なる立場の無関係な、それぞれ比較不可能な生きざまを、同じ「生きている人間」として見てしまう過ちを
>本人も周りも犯してしまう。そうなってしまった要因は抜きにしての、その感情・思考自体の善悪の話にこじれてしまうのだと思います。

上記のことはすごくうなずきました。ほんとになんで蛙さんって人間の感情の機微がここまでわかるんですかね(^^;

二世三世問題に関してもほんとそうだなあ、と思いながら読みました。まあ、僕も蛙さんがそういう考えを持っているとわかっているから、安心してここに書き込めるわけですが。

>カルトへの批判が、時に批判対象であるはずのカルトの主張と、あたかも鏡写しの双子のような形に陥る一因はここにあります。

>同様に、創価学会の有り様が生み出す苦しみも(あるいはメリットも)多様な訳ですから、それによる悩みを比較し程度を計って、傷付けあっても悪循環に繋がるだけではあります。

こうしたことはアンチの世界に足を踏み入れたときから感じていたことではありますが、とても整理された文章で読むことができて頭がすっきりしました。「心のくせ」のようなものはなかなか解決できないですよね…。

147ひゃっきまる:2006/07/20(木) 09:41:33
>殿舎男@秋葉系さん

はじめまして(^^)
よく考えたら脱会って普通の言葉だし、退会の方が退転と同じ漢字使ってるんで、なんで脱会の方が悪い気がするのか不思議ですね。
「脱ける」って言葉自体が「脱落」「逃げ」のニュアンスを含んでいるのかもしれませんね。
「脱北」なんて言葉もありますね。

148春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/08/01(火) 08:51:21
>>147
>よく考えたら脱会って普通の言葉だし、退会の方が退転と同じ漢字使ってるんで、なんで脱会の方が悪い気がするのか不思議ですね。

確かにそうですよね。解脱の意味だってありますし、それをもたらす益を指して、釈迦の教えを脱益とも呼ぶのですから。
きっと、それぞれが自分のイメージで、気にならない方を使うのが良いのではないかなと思います。
ひゃっきまるさんが言われているような、「自分としてはこう思うから、自分はこっちを使う」だったら全く問題ないと思いますよ。

「言い方を統一しよう」みたいな意見が、何故か一部の方は好みらしくて、時折2chの脱会スレでも挙がりますが、
これに限らず、違うのが当たり前な人それぞれの感じ方をひとつにまとめよう、みたいな雰囲気には、抵抗を感じる事があります。

単なる感情論というか、根っこは単に、そうなれば自分がすっきりするだけだろって私は思っちゃうんですけど、
この『感じ方の統一』に都合が良いのがイデオロギーであって、だからこそ、
イデオロギーに添った意見を言う時には、人間は陶酔出来るんだろうなと思います。

大袈裟なイデオロギーでなくても、例えば自分がオリンピックに夢中だからと
「熱狂出来ないのは愛国心が足らない」みたいに言っちゃうのは、これに当たるかなと思います。
要は単なるジャイアン理論というか、「俺がこう感じるんだからお前も合わせろよ」
だったりするんですが、一応それなりには理屈がくっつく場合が多いから、自分では中々傲慢さに気付けない。

根っこは感情論だって、自覚するだけでもだいぶ違うような気がしますが…
自分が冷静になる前に、大抵は相手を「洗脳されてる」とかって決めつけてしまうから、困りますね。
イデオロギーの陥りがちな罠だと思います。反対者はみんな馬鹿に思えるんですよね…知らないから反対してるだけだと。
ひょっとしたら、自分の知らない事を相手は知っているのかも?とは、まず考えないのが、よくある困ったパターンのひとつだと思います。

149ひゃっきまる:2006/08/04(金) 00:00:12
>蛙さん

わかるわかる(^^;
よく考えたら小学校の教育ってそういう考え方が正しい、っていうの多かった気がしますよ。
でも、あんまり個人主義すぎてもダメなんで、要はバランスなのかも知れませんね。
複数の考え方が持ててたら、状況に応じて使い分けることもできるのかも。
そういう意味で外国行ったり、全然違う環境で生活するのは大切かな。
周りの人がみんな同じ価値観の人ばかりだったら、それが当然だって思うだろうし。

150ひゃっきまる:2007/04/30(月) 10:17:24
私事なんでこっちに。

こないだの選挙の話なんですが、それまでわりと好印象もっていた学会員の幹部の方に、何度も電話かけられたり、訪問されたり、あげくの果てには選挙日に家の前に張られたりして、ついにぶち切れてしまいました。

というのは、実は幹部の方は同じ職場なのですが、僕がそのころ仕事でとても忙しいというのを知っていたはずだからなのです。また、その方とはけっこう僕の考えも打ち明けていて、「いずれは脱会したい」ということ、「創価学会や公明党があまり好きではないこと」なども言っていたからです。

投票した後は電話を下さい、と言われていたので、公明党に投票後、電話をし、その電話口で言ってしまいました。

「今回は約束だから公明党に投票しましたが、僕は本来公明党や創価学会はあまり好きではないのです。今回のことでとても嫌な気持ちになりました。今後、電話や訪問は一切しないでください」と。

幹部の人にここまで激しいことを言ったのは初めてだったかもしれません。なんだかんだいって創価学会とは仲良くやりたいという気持ちもあったんです。

怒りの勢いもあったと思います。

しかしようやくこれで少しすっきりして、少し前に進めた気もします。

151乾闥婆:2007/04/30(月) 11:37:56
ご無沙汰しております。

ブログをはじめました。不慣れなものですから至らない部分も多いと思いますが、お読みいただいて、こちらに出入りされている方の参考になれば幸いです。

http://kiukiu.cocolog-nifty.com/blog/

152ひゃっきまる:2007/04/30(月) 23:38:12
>乾さん

お久しぶりです!(^^)
「日蓮って」は落ちてしまいましたね…! まあ時間の問題でしたが、思い入れのあるスレだったのでちょっとしんみりしてしまいました。
ブログ拝見しました。乾さんらしく読みやすくてよいです。今後もときどきよらせていただきます。

153乾闥婆:2007/05/01(火) 00:27:52
ひゃっきまるさん。こんにちは。お久しぶりです。

選挙がらみで嫌な思いをされたようですね。お察しします。
ブログを読んでいただいてありがとうございます。仕事が忙しく、なかなか更新できないと思いますが、よろしくお願いいたします。

日蓮ってスレッドはまだ落ちていないようですよ。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1133533873/l50

掲示板で熱く書き込むようなことはめっきりなくなりました。
なんだか懐かしいですね。

154春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/05/04(金) 17:05:51
>>150 ひゃっきまるさん

いえ、私事大歓迎です。
というか、そもそも私も含めて、皆さんの私事で成り立ってるサイトですもん。ここは。(^^;

それに、頂いたのは非常に意義深い内容だと思います。
ある意味で、ひゃっきまるさんにとって大切なターニングポイントだったのではないでしょうか。
そうしたご報告を頂ける場所として、ご信頼頂いた事を勿体無く思います。

まさに、ご自分の意思をきっぱりと主張されたのですね。
それも感情的に言いにくかったお相手に…とても立派だと思います。

怒りの勢いだったかもと仰いますが、そのような勢いがなければ、
人間は言えない事もあると思います。それが普通だし、当たり前です。
そうして前に進む「後押し」となるのが、健全な感情の働きではないでしょうか。
理屈だけで考えていても、いつまでも前には進めませんから。

ひゃっきまるさんにとって、大切な一歩だったと思います。そのように感じます。
何かひとつ、惜別とともに解き放たれたように、文章からは感じました。

>というのは、実は幹部の方は同じ職場なのですが、僕がそのころ仕事でとても忙しいというのを知っていたはずだからなのです。また、その方とはけっこう僕の考えも打ち明けていて、「いずれは脱会したい」ということ、「創価学会や公明党があまり好きではないこと」なども言っていたからです。

なるほど…それを分かっていて、状況も知っていてというのは何とも…
まして同じ職場で、信頼して様々な事を打ち明けられていれば、尚更やりきれません。

例えばこれが逆に、私がひゃっきまるさんに対して、これまでの話を無視して
アンチの見方を押し付けようとしたり、日蓮をこきおろすように強いたりしたらどうか?
つまりはそれと同じで、それまで知り得た経緯や状況を無視するというのは、
相手が向けてくれた信頼を裏切る事に等しいと、私は思います。

155春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/05/04(金) 17:35:21
>>150
>幹部の人にここまで激しいことを言ったのは初めてだったかもしれません。

怒りに後押しされたと恥じる必要も、また「遅かった」とか「今更」などと感じる必要も無いと思います。
自分に必要な事が、不快な体験だったかもしれないけれど
必要なタイミングで巡ってきた…そう考えるしかないかも知れない。

ですが、仲良くやりたかった相手との関係が、自分の考えていたような関係ではなかった。
少なくとも相手にとっては違っていた時のやるせなさは、私もよく分かります。

本当の事が分かるという意味では、囚われていた場所から進む事に繋がりますし、
ごく稀に相手との真の関係にも繋がりますが、やはり何ともやるせない気分の場合が多いです。
非常に深い憤りや、落ち込みや人間不信を感じる事もありました。これは私の場合ですが。

>なんだかんだいって創価学会とは仲良くやりたいという気持ちもあったんです。

皆さん大なり小なり、本音はそれで悩まれる訳ですからね…仲良くやれるなら、そりゃそれに越した事はないです。

まして、ちゃんと自分の話を聞いてくれて、話が出来ていれば尚更ですよ。
けれど、だからこそそういう事があれば、余計に思いが爆発するのではないでしょうか?

多忙な時にそういう事が巡ってきて、大変でしたね…
実は、私も疲れがたまっていたのか、風邪と胃腸炎にやられました。流行っているそうです。
ですからひゃっきまるさんも、疲れには気をつけて、どうかお身体をいとわれて下さい。

156春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/05/04(金) 17:41:34
>>151 乾闥婆さん
こちらこそ、色々と棚上げなままご無沙汰してしまい、非礼を重ねております。(深々)

ブログを始められたとの事、早速拝見致しました。
まだきちんと読み込んではおりませんが、乾闥婆さんらしい誠実かつ慎重な筆致だと好感を抱いております。

何よりも、乾闥婆さんのブログのご案内を当サイトに頂けた事が大変光栄です。
本当にありがとうございます。
同じ道を歩まれる先輩として、きっと皆さんにも参考になるのではないでしょうか。

ご紹介の書籍なども、私も目を通していきたいですが、乾闥婆さんの視点からどう読まれたかにも非常に興味があります。
また様々な事について、語り合っていきたいですね。(^^;

157乾闥婆:2007/05/05(土) 01:07:20
春田の蛙さん。

遅ればせながら自身のブログのサイト紹介にこちらの掲示板をリンクを貼らせていただいたことを報告いたします。勝手にすみませんでした。

スレ違いですが科学哲学の伊勢田哲治氏は刊行の始まった『哲学の歴史』(中央公論新社)の初回配本11巻でも執筆されていますね。そのままずばり「科学哲学」の章です。

158春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/05/06(日) 09:34:10
>>157 乾闥婆さん

リンクありがとうございます。重ね重ね、光栄です。(深々)
乾闥婆さんのブログでご紹介頂くのは、非常に嬉しいです。

一緒に紹介されている場所を拝見しますと、とてもとてもウチなどとは
検証においても内容でも格の違う場所ばかりで、並んでリンクを頂くのが申し訳ないくらいですが。(汗)
本当に、過分な扱いをありがとうございます。m(__)m

>スレ違いですが科学哲学の伊勢田哲治氏は刊行の始まった『哲学の歴史』(中央公論新社)の初回配本11巻でも執筆されていますね。そのままずばり「科学哲学」の章です。

おお!情報ありがとうございます。さすがに読書家ですね…情報チェック。

勉強の量では、私は乾闥婆さんやひゃっきまるさんには、とてもかなわないです。
伊勢田哲治氏の解説は、的確かつ私みたいな素人にも分かり易いので、そういったシリーズの執筆には、これ以上ない人選ですね。

そうそう、ブログの以下の記事で、ネット古書店で購入された書籍を紹介されてましたけど、

http://kiukiu.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/2_0c27.html

実は私も以前に、浄土研究で知られた故・笠原一男氏の著作をネットの古書店で検索していて、
見付けたのですがちょっと手元不如意でしたから、後で買おうと思っていたら数週間後には売れていました。(泣)

いやぁ、こういうのは見付けたときに買わないとダメですね。(汗)

159乾闥婆:2007/06/03(日) 18:46:46
春田の蛙さん。

遅いレスですみません。忙しさにかまけて一月もあいてしまいました。

先日『マインド・コントロールの恐怖』をようやく読みまして、その感想をブログに載せました。もし感想など聞かせていただけたらと思いましてリンクを貼らせてもらいます。もちろんひゃっきまるさんやここに参加されている方の感想もいただければうれしく思います。

http://kiukiu.cocolog-nifty.com/blog/

>検証においても内容でも格の違う場所ばかりで、並んでリンクを頂くのが申し訳ないくらいですが。(汗)

いえいえ、教義面の検証と組織被害の生の声とはまた別テーマですから。それぞれの役割があるはずです。といいますか、今の学会員さん、あまり教義レベルのことは問題にされないですしね。

>勉強の量では、私は乾闥婆さんやひゃっきまるさんには、とてもかなわないです。

いえいえ、最近は仕事も忙しく本当に読書量が減りました。全然読めていません。(汗)

>実は私も以前に、浄土研究で知られた故・笠原一男氏の著作をネットの古書店で検索していて、
見付けたのですがちょっと手元不如意でしたから、後で買おうと思っていたら数週間後には売れていました。(泣)

そうなんですよね。高木豊氏の本もときどきネット古書店で検索していたんですけれど、なかなか現れなくて。ある日値段も手ごろで出ていたので、すかさず買いました。

160春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/06/14(木) 03:49:52
>>159 乾闥婆さん

こちらこそレスが遅くなってしまって…大変失礼致しました。

しかも私の場合、いつもこうですから、ホントに申し訳ないです。(深々)
私の方は、むしろこうして乾闥婆さんのペースで、無理なくお相手をして頂けるのが嬉しいです。
それに乾闥婆さんとのやりとりは、気持ち的にも本音でやりとり出来て、
かつ実り多い中身ですから、話相手に選んで頂けるのがいつも光栄に感じます。m(__)m

>先日『マインド・コントロールの恐怖』をようやく読みまして、その感想をブログに載せました。

はい。拝見しました。

>もし感想など聞かせていただけたらと思いましてリンクを貼らせてもらいます。もちろんひゃっきまるさんやここに参加されている方の感想もいただければうれしく思います。

もちろん喜んで。後ほど、そちらにコメントに伺いますね。
皆さんも、ご感想をどうぞ宜しくお願いします。m(__)m>ALL

また、乾闥婆さんが別記事としてまとめておられる、「本来の自己」については、
私自身この数年考えてきた内容でしたから、是非ともじっくりやりとりさせて頂きたいです。
率直に申し上げて、二つの記事の視点に非常に共感致しました。

161春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/06/14(木) 03:52:10
(続き)

>教義面の検証と組織被害の生の声とはまた別テーマですから。それぞれの役割があるはずです。

そう言って頂けると恐縮です。m(__)m
ですが、そのような場に、教義面の検証にも詳しい乾闥婆さんの監修が頂けるのは、大変心強く感じています。

組織被害の生の声が、安易に別な何かに利用されるとか、また長い目で見た場合の
社会からの孤立といった事態を防ぐためにも、乾闥婆さんのご意見とご参加が頼もしく、有難いです。

また私個人としては、以前にもお話ししました通り、日蓮の念仏批判について、
念仏者の立場と資料理解から、それに同意し肯定出来るのではないか?と考えておりまして、
実を申しますと、先の科学哲学の解説の一部にも、その布石としての意味合いを含めていました。

それに「本来の自己」といったテーマを論じるにあたっても、
これらの説明と理解を平行していく事は有益と考えます。
というより、むしろこちらが本題になるのかな…
ですから拙い駄文を書き連ねるばかりではありますが、
出来れば今後ともお付き合い下さり、ご助言を頂ければ嬉しいです。

本当に、こちらでも、またそちらのブログでも宜しくお願い致します。


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