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素朴な疑問

3240彰往考来:2007/02/17(土) 11:57:00

熱原法難の処刑日について(その7)

スレッド3239の続きです。

「では、三人が処刑されたのは、いつだったのでしょうか。第六十六世日達上人は、次のようにご指南くださっています。
「上野賢人殿御返事を拝しますと、この御書は一名『竜門御書』と申しまして、大聖人様の御真筆が本山に保存されております。これは弘安二年十一月六日の御書であります。この御書には、『此れはあつわらの事の、ありがたさに申す御返事なり』と、お添え書きがありまして、この御書を拝しますと、『をなじくはかりにも法華経のゆへに命を捨てよ』とあります。病気や飢饉や戦争のために捨てる命ならば、かりにも、法華経のために命を捨てよ、と南条時光殿にお書き送りになった御書でございます。これは熱原の人びとが、法華経のために命を捨てたことを示されておるのでございます。この御書は、十一月六日付でありますから、この時はもう既に熱原の神四郎、弥五郎、弥六郎の三人は、平ノ左衛門尉のために殺されてしまった後であるとゆうことがわかります。そこで、聖人等御返事、一名変毒為薬書と申しますが、これを拝しますと『今月十五日酉時御文同じき十七日酉時到来す。彼等御勘気を蒙るの時・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云、偏に只事に非ず』とお書きになっております。これこそ、熱原の人びとの処刑された時日と判明できるのでございます。(中略)大聖人は、神四郎が死に直面して、しかも自若として南無妙法蓮華経と唱え奉っておったことは、只事ではない、平ノ左衛門尉の身に十羅刹入りかわりて、法華経の行者を試み給うたと、仰せになっておるのでございます。故に、この十五日に神四郎は処刑せられたことは明らかであります」<注六>(「大日蓮」昭和38年11月号)」(『熱原法難の歴史』103頁)

さて、『竜門御書』には「此れはあつわらの事の、ありがたさに申す御返事なり」とあります。日達上人は、「熱原の人びとが、法華経のために命を捨てたことを示されておる」とされていますが、これは変です。御門下が弾圧で殺されて“ありがたさ”というでしょうか? ちょっとオーバーな表現ですが当時は日蓮教団と国家権力とがいわば戦闘状態とでもいえる状況でいつ誰が殺されても不思議がなかったのですよ。日達上人さ〜ん・・・平和ボケされていませんでしたかぁ?と私は朝晩、日達上人の御形木御本尊に問いかけています。“ありがたさ”とは南條時光が危険を顧みずに熱原法難で逃亡中の神主等を匿っていたことに対する御礼の言葉であると私は解釈します。「逃亡している弟子を匿ってくれて有難う」とは直接書けないので間接的に「此れはあつわらの事の、ありがたさに申す御返事なり」と書かれたのでしょう。南條時光が逃亡中の神主等を匿ったことは御書に出てきます。弘安三年七月二日の「上野殿御返事」に「かうぬし(藭主)等が事、いまゝでかゝへをかせ給て候事ありがたくをぼへ候」(『定本 日蓮聖人遺文 第二巻』昭和63年改訂増補版(初版昭和28年)、身延久遠寺、1766頁)とあります。ここでも“ありがたく”と出てきます。(つづく)

by 彰往考来


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