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第48回衆議院議員総選挙(任期満了2018年)スレ

1 チバQ :2014/12/24(水) 21:08:02
ちゃっちゃと、立てちゃいます。

第47回総選挙(2014年)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1364563920/l50

第46回総選挙(2012年)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1252036284/l50

第45回総選挙(2009年)
その2 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1240552224/l30
その1 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/l30

第44回総選挙スレ(2005年)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089950050/l30

5594 チバQ :2018/06/27(水) 21:02:47
>>6修正


○:満たす、×:満たさない、-:政党が存在しないor選挙不参加

政党名、2013年参院選、2016参院選、2017衆院選、所属議員5名
立憲:-、-、○、74 (wikiによる)
国民:○、○、-、62 (wikiによる)13参は民主党、16参は民進党 17衆は多くの議員が希望の党に離党して出馬
維新:-、○、○ 22
自由:×、×、-、6
希望:-、-、-、5
社民:○、○、×、4
=↑満たす、↓満たさない========
ココロ :-、×、×、1

維新:衆:11人  参:11人
希望:衆:中山成彬・井上一徳 19改選:行田邦子、中山恭子、松沢成文
自由:衆:小沢一郎・玉城デニー 19改選:山本太郎、22改選:森裕子・木戸口英司・青木愛
社民:衆:照屋寛徳・吉川元 19改選:又市征治、22改選:福島瑞穂

日本のこころは2017衆院選で要件満たさず(中野正志 のみ)

5595 チバQ :2018/06/27(水) 21:03:56
いいスレが浮かばないので・・・
https://www.sankei.com/politics/news/180616/plt1806160010-n1.html
2018.6.16 13:00
【平成30年史 政界再編(1)】
黒い「利権トライアングル」 全ての始まりはリクルートだった
 昭和の終焉(しゅうえん)が近づいていた60年代のある日、記者は東京・歌舞伎町のスナックにいた。待ち合わせていた相手は東京地検特捜部が内偵中の贈収賄事件の参考人で、特捜検事の事情聴取を終えて自宅に帰る途中だった。カウンター席が8席の小さな店内ではサラリーマン風の男性客が2人、マイクを片手に声をからしていた。

 壁際の席に腰を下ろした男は、グラスのビールをのどに流し込む。そして背中を丸めながら、周囲を気にするようにつぶやいた。

 「今度の事件は捜査次第で日本は潰れるかもしれないよ」

 聞き耳を立てる記者に、記憶を確認するように金銭授受の一部始終を再現してみせた。大物政治家の名前も口にした。

 「検事は何と…」

 「メモをとっていたが、別れ際、誰にも言うなとクギを刺された」

 結局、この事件は表面化しなかったが、特捜部は昭和60年代から平成にかけ、旧平和相互銀行事件やリクルート事件、東京佐川急便事件など、矢継ぎ早に政界汚職に切り込んだ。特にリクルート事件は、利権体質を支え合う「鉄のトライアングル(三角関係)」と称された政界、官界、財界の3者をのみ込む大型疑獄事件へと拡大した。

                
■ ■ ■

 リクルート社の創業者、江副浩正は昭和59年12月から60年4月にかけ、リクルートコスモス社の未公開株を政治家や関係官庁幹部、産業界の有力者らに低廉な価格で譲渡していた。

 未公開株は店頭公開後の株価高騰が確実視されており、売却益を見越した「裏献金」ともいえるものだった。この未公開株問題は63年6月、川崎市助役への譲渡が発覚したことで一気に表面化する。

 前首相の中曽根康弘や自民党幹事長の安倍晋太郎、蔵相の宮沢喜一らが秘書名義で譲渡を受けていたと報じられると、マスコミ各社の取材合戦も激しくなり、有力政治家の名前が続々と白日の下にさらされた。自民党だけでなく野党も、そして官界も財界も「リクルート汚染」一色に包まれていった。

 特捜部は年号が平成に変わった2月、江副を贈賄容疑で逮捕する。対象者の多さから、捜査は株や現金の流れによって、政界ルート▽文部省(現文部科学省)ルート▽労働省(現厚生労働省)ルート▽NTTルート-の4つに分かれて展開された。

 延べ1万9321人の捜査員を260日にわたり動員。事情聴取した参考人は610人に達し、家宅捜索は80カ所、押収物は約7900点に上った。その結果、19人を逮捕し、21人を起訴した。

 当時の検察関係者によると、政界ルートでは、特捜部は「江副と中曽根の関係はかなり濃密」と判断していた。中曽根の秘書ら3人に計2万9千株の未公開株が渡り、およそ6千万円の利益を得ていたことをつかんでいた。検察でいう「射程圏内にあった」とされるが、職務権限と結びつかず立件は見送られたという。

 公明党衆院議員、池田克也と自民党の元官房長官、藤波孝生が未公開株と現金供与を受けたとして在宅起訴されたほか、議員秘書ら4人が略式起訴されただけだった。事件の真相はやぶの中ということか。

                
■ ■ ■

 人事権を握る政治家は官僚に強く、許認可権をもつ官僚は業者に強い。そして金と票をもつ業者は政治家に強い-。この「トライアングル」は補完し合うことで力を増していた。業者は政治家を通して官僚への食い込みを図る。リクルート事件も同じ構図だった。

 政界の腐敗摘発を使命とする特捜検察は、常に「政・官・業(財界)」の三角関係に睨(にら)みをきかせてきた。それだけに、自民党と緊張関係にあった。捜査を牽制(けんせい)するようなさまざまな「雑音」が直接、あるいは間接的に入ってきたという。

 捜査関係者は「自民党の有力議員から『検察も国家の機関なら予算の成立を優先に考えて捜査をやるべきだ』『特捜部は関東軍だ』と横やりが入ったこともある」と振り返る。別の検察関係者も「(NTT初代社長の)真藤恒を逮捕した際には、検察OBの弁護士が『なぜ逮捕する。検察は経済取引を犯罪だとねじ曲げている』と怒鳴り込んできた」と話した。

5596 チバQ :2018/06/27(水) 21:04:31
 当時の検察幹部はこう語った。「国政を考えると立件するのは氷山の一角にならざるを得ないこともある。だが、政治家が暴走すると一罰百戒でお灸(きゅう)を据える材料はある。立件は見送ったが、尻尾をつかんでいるというメッセージは伝わっている」

 ■「権力闘争」の行き着いた先は

 リクルート事件は、特捜部が過去に摘発した造船疑獄事件やロッキード事件と肩を並べる政界、官界、財界を巻き込んだ大疑獄事件となったが、その背景には当時が「金権政治」の全盛期だったことがある。

 「マージャンをやっていたら過熱してレートが高くなりすぎた。ゼロをひとつ取ったが、それでも100万円単位だった」

 「(大物政治家の)自宅に行ったら金庫が2つ置いてあり、3千万円ずつ現金が入っていた」

 永田町ではそんな話がゴロゴロしていた。膨らんだカネの出どころは不確かなことが多かった。

 昭和36年7月、自民党の政治資金団体「国民政治協会」が発足し、財界が自民党の大スポンサーになった。当時を知る財界関係者によると、財界大物がカネの力にものをいわせ自民党総裁選の裏で動いたこともあったという。


 51年に発覚したロッキード事件など「政治とカネ」の問題が起きるたびに政治資金規正法が改正され、政治家は自力で資金を集めなければならなくなった。

 その一方で、選挙にかけるカネは増え続けた。中選挙区制で、政策に違いがない自民党議員同士が激しい選挙戦を繰り広げるため、資金力や利益誘導などで競うようになったからだ。その結果、金銭感覚はさらにまひした。

 産業界も官僚主導の政策決定や中央官庁の許認可に関与するには自民党の有力な「族議員」を押さえておけばよかったが、幅広く手を打たなければ政策決定などをコントロールできなくなっていった。実際、リクルート社も職務権限がない国会議員にまで未公開株をばらまく“じゅうたん爆撃”を仕掛けていた。

 政・官・業の「癒着」が微妙に変化していく中で起きたリクルート事件。特捜部の検事は多かれ少なかれ、ベテラン議員や大企業トップら「大物を挙げてこそ」という意気込みがあるというが、事件は当初の広がりからすれば首をかしげるような結末に着地した。ただ、検察は捜査力と存在意義を世に知らしめ、「政治とカネ」の問題を国民に強く問いかけた。

                
■ ■ ■

 特捜部がリクルート事件に続いて手がけたのが、東京佐川急便事件だった。平成4年8月、東京佐川急便の元社長から自民党副総裁、金丸信への5億円献金問題が表面化した。元幹事長の小沢一郎は首相、宮沢喜一に「恣意(しい)的な権力の執行はよろしくない」と訴えたが、約1カ月後、金丸は政治資金規正法違反の罪で略式起訴される。

 金丸が率いる自民党最大派閥の竹下派(経世会)は当時、全国に張り巡らした支持組織や地方議員のネットワークを武器に、政・官・業のトライアングルの中心に君臨していた。その「本丸」に特捜部は切り込んだ。

 小沢は、これまで国会議員が政治団体のことで直接刑事責任を問われることはなかったのに今回はなぜ刑事責任を問うのか、と釈然としないでいた。

 リクルート事件で大物政治家たちは軒並み立件をまぬがれ、国民の「政治不信」は高まっていた。それだけに、特捜部は東京佐川急便事件では、捜査を牽制(けんせい)する永田町からの「雑音」を避けるため、国民世論を味方につけようと動いていた。

 小沢は徹底抗戦の戦略を描いたが、党国対委員長の梶山静六ら反小沢系の竹下派有力議員はさっさとけりをつけた方がよいと考え、特捜部の動きを黙認した。派内の主導権争い、権力闘争に検察捜査を利用したという構図だった。

 小沢は後年、「権力闘争的な面もあった」と周囲に語っている。行き着いた先は竹下派分裂だった。それは自民党下野、55年体制崩壊の引き金となり、今も続く政界流動化につながっていく。(敬称略、肩書は当時)

5597 チバQ :2018/06/27(水) 21:05:19
https://www.sankei.com/politics/news/180617/plt1806170012-n1.html
2018.6.17 10:50
【平成30年史 政界再編(2)】
金丸氏跡目争いで「小沢氏VS反小沢氏」で鉄の結束瓦解 参院平成研「鉄の岩盤」は健在
 青天(せいてん)の霹靂(へきれき)-。誰もがそう思った。

 平成4年8月27日、東京・永田町の自民党本部。記者会見した党副総裁、金丸信は、東京佐川急便の元社長からの5億円の献金受領をあっさり認めた。「私の不徳の点が多々あった。責任をとるべきだと思う」。そう語ると、副総裁と竹下派(経世会)会長の辞任を表明した。

 当時の経世会は「鉄の結束」を誇る自民党最大派閥。党内だけでなく、政・官・業に圧倒的な影響力を持ち「経世会支配」と言われていた。トップに立つ金丸は「政界のドン」と呼ばれ、時の首相、宮沢喜一も金丸の“ツルの一声”で誕生したとされるほどだった。

 その金丸が多額献金を認めた。「同志への陣中見舞いと認識した」。何か意図があるのか、権力者の慢心か-。さまざまな観測が広がったが、この会見こそが、今も続く政界再編の動きが始まった瞬間だった。

■ ■ ■

 その4日後、神奈川県箱根町で行われた経世会の議員研修会。自民党総務局長、野中広務が挙手し、発言を求めた。派閥事務局長の船田元が許可すると、野中はおもむろにこう訴えた。

 「わが派のなかで不穏な動きがある。経世会として一致団結してきた流れから見て由々しき問題だ」

 会場は騒然とし、出席議員の表情はこわばった。金丸の寵愛(ちょうあい)を受けた会長代行、小沢一郎を公然と批判したと受け止めたからだ。小沢系と反小沢系の対立は決定的となった。

 この時、野中は、金丸の辞任情報を小沢の側近、熊谷弘が外部に流していたとの確信していた。だが、実際は反小沢系の議員が流していた。野中は後年、人を介して熊谷に「あれは間違えていた。訂正しようか」と謝罪したという。

 とはいえ、誤情報に基づく発言がなくても、経世会は分裂が避けられない運命にあった。「権力闘争、政治手法、選挙制度…。そういう考え方で全部、対立していた」(当時の経世会議員)からだ。

 いったんは「金丸-小沢」態勢を維持することでまとまったものの、金丸が10月14日、議員辞職願を衆院議長に提出。経世会オーナーの元首相、竹下登はリクルート事件の影響で表舞台から身を引いていたため、小沢系と反小沢系による「跡目争い」が本格化する。

■ ■ ■

 迎えた10月21日。この日は竹下派の後継会長選びの決着期限だった。

 これに先立つ20日の最高幹部会。反小沢系の橋本龍太郎は「小渕恵三を推薦したい」と発言した。船田は小沢を推したが、小沢は「時期尚早だ」として拒み、「羽田孜を推薦したい」と語った。

 事前の打ち合わせで「小沢推薦」のシナリオができていたため、船田は目を丸くし、小沢系の佐藤守良と顔を見合わせた。だが、小沢の発言は「絶対」。羽田VS小渕の構図が固まった。

 小沢系は多数派工作を進めており、経世会の衆院議員67人のうち36人の署名を集めていた。

 小沢「羽田を推薦する」

 橋本「羽田は閣僚(蔵相)だ。国事優先だ」

 21日の午前10時に始まった最高幹部会は双方がつばぜり合いを演じ、決着にはほど遠いまま。日付が変わった頃、幹部会座長の派閥顧問、原田憲が突如、幹部会を中座し、記者団に「会長は小渕君が適任と考える」と見解を表明した。

 小沢は「座長としての職務放棄だ」と反発。幹部会を飛び出すと午前2時45分過ぎ、小沢系議員らと記者会見を開き、座長見解の白紙撤回を要求した。だが、中立を装っていた参院議員42人が「座長見解」支持で結束。22日の最高幹部会は小沢らが欠席する中で「小渕会長」が決まる。

 船田はその時のことを、こう振り返る。「わが派は昔から参院が強い。『参院の岩盤』という力を竹下さんが利用しないはずはない」。文字通り、小沢も認める権力争いだった。

 今国会が召集された3日後のことだった。1月25日昼、自民党額賀派(平成研究会)の党本部近くにある派閥事務所は異様な雰囲気に包まれていた。定例会合に、派閥所属の参院議員で構成する「参院平成研」メンバーの21人が一人も現れていなかったからだった。あちらこちらに目立つ空席。幹部は出席者に前方に詰めて座るよう促した。

5598 チバQ :2018/06/27(水) 21:05:56
 欠席した21人は定例会合の直前に、国会内の一室に集まっていた。参院自民党幹事長で参院平成研会長の吉田博美が「ケンカは勝たなければ意味がない」と声を張り上げ、定例会合を集団ボイコットすることを決めていた。

 ケンカとは額賀福志郎の平成研会長辞任を求める「額賀おろし」を意味していた。吉田は1月11日、額賀に直接、「月内に辞任を決断してほしい」と迫った。吉田の念頭にあったのは党総務会長、竹下亘(わたる)への会長交代だが、額賀は「私には失うものはない」などと反論し、会長にとどまろうとしていた。

 平成研の前身は竹下の兄、竹下登が立ち上げた竹下派(経世会)。毎週木曜の昼に定例会合を開き、所属議員が弁当を食べて結束を固めたことから「一致団結・箱弁当」という言葉も生まれた。力の源泉はカネと組織力。なかでも参院平成研の結束は平成研副会長、船田元が「鉄の岩盤」と評するほどだったが、さらに吉田らを強気にさせたのは「連判状」の存在もあった。

■ ■ ■

 昨年12月。平成研の参院議員は、議員会館の事務所に届いた巻紙に驚いた。くるくると紙を広げると、一言、こう書かれていた。

 「今後の対応は吉田博美会長に一任します」

 言葉の横には、参院平成研の所属議員の名前が手書きで並び、それぞれ母印も押してあった。この参院議員は即座に理解した。

 「吉田が額賀の辞任を求め、応じないなら集団離脱も辞さない気だ」

 連判状は、吉田の意向をくんだ参院議員、石井準一と青木一彦が集めた代物だった。「額賀おろし」の準備は1カ月以上前から進められていたわけだ。 

 竹下登の秘書を長く務め、参院議員会長経験者の青木幹雄も背後で動いていた。青木は28年10月頃から額賀に派閥の会長職を退くよう水面下で打診したが、額賀は参院のドンといわれた青木に対しても「そのうち」とかわし続けた。

 「党総裁になろうという欲のない竹下亘に円満にバトンタッチし、派として、ちゃんとした総裁候補を育てられるかどうかだ」。そう周辺に語っていた青木が思い描いていたのは、強い「竹下派」の復活だった。

 衆参の力関係を知る衆院議員も「経世会時代を考えれば、『竹下派』に戻っていくのは自然」と考える者は多く、吉田ら参院側の意向に従い、会長交代の声を次々と上げ始めた。

 船田は2月上旬、平成研の衆院幹部が集まった会合で「参院側の要求を受け入れ、会長を竹下亘に譲るべきだ」と訴えた。経世会分裂を経験した船田が、分裂回避を主張しただけに反論する幹部はいなかった。

 そして、4月19日の派閥臨時総会で正式に「竹下派」が復活する。仲間の結束力を武器に政敵を力ずくで動かし、闘争心と行動力で派内を統率する-。その行動様式を、田中派、旧竹下派の系譜を受け継ぐ平成研が忘れているはずはなかった。

■ ■ ■

 用意周到に会長辞任を画策され、なすすべがなかった額賀。分裂しても党内で影響力が下がるだけという事情もあった。吉田は派閥の定例会合で末席に座り、にらみをきかせている。しかし、かつての「竹下派七奉行」と呼ばれるようなリーダーも育っていない。

 もっとも、強いリーダーの不在は竹下派だけではなく、党最大派閥の清和政策研究会(細田派)にも見当たらない。それだけに引退した元首相、森喜朗の発言力はいまだ健在だ。宏池会(岸田派)も政界を引退した元党幹事長、古賀誠が影響力を保っており、それを党政調会長、岸田文雄の弱さととらえる見方もある。

 竹下派の新会長、竹下亘は「七奉行」の存在の大きさを実感している。

 兄の竹下登が首相として消費税導入を進めた際も「七奉行といわれる人たちが、党内で反乱が起きないように十何人ずつ抑えてくれた」と述懐している。

 七奉行の一人、橋本龍太郎は晩年、周囲にこう語っていたという。

 「小選挙区制に変わったことで、派閥の時代は終わったんだ。議員は一国一城の主(あるじ)なんだから…」(敬称略、肩書は当時)

5599 チバQ :2018/06/27(水) 21:06:56
https://www.sankei.com/politics/news/180618/plt1806180002-n1.html
2018.6.18 05:00
【平成30年史 政界再編(3)】
細川政権263日で退陣…「小沢一郎氏VS武村正義氏」今なお残る怨念 税率7%の腰だめ発言、細川護煕氏「これはまずい」
 芝生の緑が映える首相官邸中庭に、モーニングやドレス姿の閣僚たちがさんざめきながら姿を現した。手には日本酒の注がれたシャンパングラス。平成5年8月9日午後に発足した細川護煕内閣の閣僚たちの表情は晴れやかだった。

 官邸内の階段ではなく、中庭での記念撮影という慣例を破る演出も、政権交代を盛り上げていた。非自民8党会派の連立をまとめ上げた新生党代表幹事の小沢一郎はこの日、国会内で「自民党はまだ信じられなくてぼうっとしているんじゃないか」と記者団に軽口をたたいた。だが、細川政権はこの時の高揚感とは異なり、順風満帆な政権運営とはいかなかった。

■ ■ ■
 

 暮れも押し詰まった同年12月16日夜、小沢はひそかに首相公邸を訪れた。呼び出した細川が用件を切り出すより先に、小沢が口にしたのは官房長官、武村正義の更迭だった。

 「自民党に通じている武村が政権内にいては政治改革はできない。そんな人物をそばに置いて、やっていけるのか。返事があるまで自分は休ませてもらう」

 細川は翻意を促したが、小沢は不機嫌に席を立ち、その後1週間ちかく連絡を絶った。

 この時期、小沢と武村は6年度予算案を年内編成するか、越年させるかで対立していた。国民生活への影響を懸念し、年内編成を主張する武村。小沢は細川政権が「政治改革政権」を標榜する以上、政治改革を優先すべきだと考えた。

 細川と小沢は5年12月26日の再会談で、政治改革の優先を確認し、その後に内閣改造と武村更迭、与党会派の合流などの段取りも話し合われたとされる。しかし、政権内は合流どころか、それぞれが好きな方向に駆ける「八頭立ての馬車」などと揶揄されるほど結束とは程遠い状態に陥っていた。

 産経新聞は6年2月14日付の朝刊1面で「首相 予算編成後に内閣改造を決意」と報じた。武村は記者団に否定してみせたが、細川は翌15日の閣僚懇談会で改造検討を表明。武村には「外相に回っていただくのはどうか」と打診した。武村の率いるさきがけは猛反発。即座に「改造すれば閣外離脱」の方針を決定した。改造問題は3月に入って細川が断念を表明するまで尾をひいた。このとき武村は「細川さんとの関係が決定的におかしくなった」と感じた。

■ ■ ■
 

 高い内閣支持率を誇った細川政権がわずか263日で退陣することになったのは、政府と与党との連携不足によるところが大きい。「小沢VS武村」の対立劇はその象徴だった。

 細川の首相特別補佐を務めた田中秀征は細川政権を「2つの点(焦点)がある楕円形だった」と評している。楕円形のボールは転がすと、どこへ行くのか予測しにくい。

 首相という中心点1つにまとまらず、内部抗争がやまなかったのは21〜24年の民主党政権も同様だった。鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3人が首相を務めたが、民主党に合流していた小沢は官邸に入ることはなく、消費税増税などの課題で対立を深めて分裂、下野した。

■ ■ ■
 

 小沢は周辺にこう漏らしているという。

 「民主党政権もそうだったが、幹部連中がそれぞれの役割と責任を理解していなかった。武村君も筋違いだった。官房長官は各省庁の政策的な調整をすべきであって、国会運営に顔を出してヘラヘラする仕事じゃない。これは筋論なんだ」

 一方の武村も当時の不快感を今もありありとよみがえらせた。

 「小沢さんたちから『自民党と内通している』という批判は受けましたわ。僕は自民党を飛び出した後も首相経験者の竹下登さんや(自民党元幹事長の)梶山静六さんのところに出入りしてましたからね。それに小沢さんは違和感を抱いたのでしょう」

 細川政権樹立のきっかけとなった宮沢喜一内閣不信任決議案の採決で、小沢らのグループは賛成票を投じて自民党に決別したのに対し、武村らは反対票を投じた。「スリッパを脱ぎ散らかして出ていくようなまねはしなかった」(鳩山)というさきがけと、竹下派内の権力闘争の末に反旗を翻し離党した小沢とは自民党に対する距離感、敵愾心の強さは違っていた。

 24年に民主党が下野した後、小沢が政局を主導する場面はなく、野党勢力の再編もまた縮小再生産の一途だ。武村は「野党は糾合せざるをえない」と言いつつも、小沢に対しては痛烈な言葉を放った。

 「長い間ご苦労さんでした、よく頑張られました。もうおやめになったほうがいいんじゃないですか」

5600 チバQ :2018/06/27(水) 21:07:53
■ ■ ■
 

 細川護煕政権はそれほど長く持たないかもしれないと予感させた出来事が国民福祉税をめぐる迷走劇だった。細川にとって首相在任中で「最も悔いが残る」という案件だ。

 国民福祉税の発表は平成6年2月3日午前0時50分から行われた。準備不足が否めず、7%の税率の根拠を問われて細川は「腰だめの数字」と口走ってしまったのだ。

 細川は振り返る。「直後にリアクションは大きいと思いましたよ。これは、まずいとね」

 細川は税制改革の検討は与党や大蔵省幹部に任せていたが、国民福祉税という名称や税率7%という大蔵案の詳細な説明を受けたのは記者会見の数時間前。しかも新年度予算編成や日米首脳会談などの日程を逆算し、即日発表するという慌ただしいものだった。

 細川政権の官房長官、武村正義は当時について「唐突に浮上した。細川さんがまさかOKするとは思っていなかった。夜11時ごろ記者会見することになったと連絡があり、『えーっ』となった」と話す。

 ただ、首相ら政権中枢が発表直前まで税制改革の詳細を知らないということがあるのだろうか。官房副長官を務めていた石原信雄は大蔵省は税制改革について経過報告に来ていたことを覚えている。「官房長官が聞きたくないと言っても内閣の大番頭にはしっかり理解してもらえ、と大蔵省に言っていたんですが」と語る。

 新生党代表幹事だった小沢一郎もその後、側近らに「首相に内緒ではやらないさ。うまくいかなかったから『直前に聞いた』というし、うまくいってたら『最初から賛成していた』と話すよ。それが世の中の常だ」と解説した。

 結局、国民福祉税構想は撤回を余儀なくされた。政治改革関連法を成立させたことで、次の目標を設定できずにまとまりを欠く政権に対し、自民党は佐川急便グループからの資金提供問題をテコに細川を連日責め立てた。

 細川は当時の心境についてこう語る。

 「辞めたいという気持ちに拍車がかかった。権力に対する欲がないので、やることをやったら辞めたいという気持ちは一貫して持っていましたし」

 その後、羽田孜政権が成立したが、新統一会派「改新」問題で社会党は連立を離脱。自民党は政権奪取に向け本腰を入れた。

■ ■ ■
 

 「決選投票の結果、村山富市さんを内閣総理大臣に指名することが決まりました」

 6年6月29日の衆院本会議。女性初の衆院議長、土井たか子の声が朗々と響き、村山は「大変なことになった」と思いながら周囲に促されて立ち上がり、一礼した。

 55年体制で対峙した自民党と社会党が連立を組む-。しかも首班は、閣僚経験のない社会党の委員長。社会党は日米安全保障条約や自衛隊を認めず、消費税や国連平和維持活動(PKO)協力法にも反対していた。その衝撃は細川連立政権の比ではなかった。

 さきがけを率いた武村は述懐する。「自民党は自社さを足せば過半数を取れる。村山だろうが、だれだろうが担いで政権に戻ろうという意欲が強かった。自民党は非常に柔軟、大胆な発想でした」

 自民党で政調会長も務めていた亀井静香も自社さ連立の立役者の一人だ。亀井は都内の小料理屋で、旧知の社会党国対委員長の野坂浩賢をけしかけた。

 「お前のような社会党左派の大物が、小沢の子分になって満足なのか。新しい政権で手を握らないか」

 「やろうじゃないか」

 野坂は即座に頷いた。非自民で結束したという興奮状態が冷め、野坂や村山ら社会党議員は政権内で異質な存在となっていたことも背中を押した。

 孤立する社会党と、連立主流派から外れたさきがけ。ともに、政権奪還を急ぐ自民党と手を握る素地は生まれていたのだ。

 とはいえ、自民党でも議員総会で異論が噴き出すなど悶着は起きた。

 衆院本会議で村山首班が決まり、後に村山の後継首相となる橋本龍太郎が村山にささやきかけた。

 「だいぶもめたよ。最後は(村山と同じ選挙区だった)衛藤晟一が『村山さんが首相になって一番困るのは私だ。その私が了解しているんだからいいじゃないか』と発言した。これが効いたよ」

■ ■ ■
 

 1年で覆された小沢主導の政権交代。新党請負人の異名を持つ政治アナリスト、伊藤惇夫は「自民党は分裂したら政権を失うという教訓を強烈に抱いた」と分析し、野党の再編はあっても「今後は大きな政界再編は起きない」とみている。だが、小沢は今もなお鼻息が荒い。

 「絶対、政権を取る。来年夏の参院選で勝つのさ」

(敬称略、肩書は当時)

5601 チバQ :2018/06/27(水) 21:09:21
https://www.sankei.com/politics/news/180621/plt1806210005-n1.html
2018.6.21 04:59
【平成30年史 政界再編(4)】
「密室」は破壊され「劇場」へ 小渕氏後継「森さんでいい」
 平成12年4月2日朝-。東京・麹町の参議院宿舎で、自民党参院議員会長、村上正邦の部屋の内線電話が鳴った。電話の主は小渕恵三政権の官房長官、青木幹雄だった。

 同じ宿舎内から慌ただしくやってきた青木は顔色を変えており、パジャマ姿の村上に言った。

 「大変なことが起きた。小渕が倒れた」

 すぐさま自民党政調会長の亀井静香、党幹事長代理の野中広務と連絡を取り合い、対応を協議することになった。

 同日午後1時すぎに国会近くの旧赤坂プリンスホテルのスイートルームに顔をそろえたのは村上、青木、亀井、野中に、党幹事長の森喜朗。のちに「5人組」と指弾されるメンバーだった。青木の報告を受け、野中が言った。

 「公表のタイミングが大事ですよ」

 村上は即座に事務方に「記者会見まで入院の事実は伏せるように」と命じた。5人の念頭にあったのは元幹事長、加藤紘一の存在だった。加藤はその前年の9月の総裁選で小渕に戦いを挑んだだけに、不穏な動きをさせないように「情報統制」を敷いたのだった。

 その後、入院した小渕の容体が厳しいと分かると、村上が口火を切った。

 「次は森さん、あなたしかいないんじゃないか」

 指名された森は野党時代の総裁、河野洋平を推した。重ねて村上が「森さんでいい」と繰り返すと、森は神妙な表情で「私で良ければ、お役に立たせてもらいます」と応じた。小渕後継が森に決まったのはこのときだった。

 小渕が倒れた原因は脳梗塞だった。持病も持っていたが、自由党党首、小沢一郎らと会談し、自由党との連立解消を決断した直後に体調を崩したことから、心労がたたったとみられている。

 このころ小沢は自民、自由両党を再結集させるべきだと小渕に主張し、この意見に村上は共感していた。一方で、小沢と同じ自民党経世会出身の野中や青木は、小沢ら自由党と組む以前から公明党と水面下で手を握り、「小沢斬り」もやむなしと進言していた。小渕は党内で板挟みになっていた。

 4月1日の自民、自由、公明の3党首会談は物別れに終わり、小渕の「小沢さんと2人だけで」という希望で、約20分間別室で行われたサシの協議も決裂した。席を外した公明党代表の神崎武法は「どんなやりとりだったか、翌朝にでも小渕さんにたずねようと思っていた」と悔やむが、その詳細は今も不明だ。

 ただ、村上は「当時私が事前に連絡を取った限りでは、小渕さんは必ずしも自自合流に後ろ向きではなかった。だから小沢にも好感触だと伝えていた」と明かす。

 連立解消の報を聞き自由党本部に駆けつけた村上は、激怒する小沢に「話が違うじゃないか」と怒鳴りつけられたという。村上は今「経世会が分裂したしこりが残っていたんだろうな。だから野中、青木は合流に否定的だったんだよ」と振り返る。
 小渕後継を森と定めた5人組は「密室政治」の象徴として批判され、森内閣は発足直後からつまづいた。だが、それまで自民党では次のトップが水面下で決まるのは珍しいことではなかった。

 古くは昭和49年の党副総裁、椎名悦三郎による「椎名裁定」。田中角栄の首相退陣表明を受け、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘らを前に三木武夫の名を挙げた。

 7人の首相に官房副長官として仕えた石原信雄も、退陣表明後の竹下登から「きみは引き続き宇野(宗佑)君を手伝うようにと言われた」と証言する。宇野は約2カ月で首相を辞め、次の海部俊樹政権の流れを作ったのも竹下の意向だった。

5602 チバQ :2018/06/27(水) 21:10:39
■ ■ ■

 派閥領袖らの協議で流れが決まっていたリーダー選びが変質するのは小泉純一郎を選出した平成13年4月24日の党総裁選からだ。総裁選のしくみも変わり、派閥の力だけでは通用しなくなった。小泉は「自民党をぶっこわす」とほえ、脱派閥政治を掲げて無党派層を引きつけた。常に話題を作り、世論を味方に政権運営する姿は「劇場型政治」の始まりだ。このスタイルをもっとも濃く引き継いだのが東京都知事、小池百合子だった。

 「健康ファーストを実現したい」

 小池は6月8日の定例記者会見で、都の政策を熱っぽく語った。質問が東京都目黒区のアパートで女児が死亡した事件に及ぶと、沈痛な表情で「何とかならなかったのかという思いでいっぱいだ。児童相談体制の強化を図りたい」とも語った。

 都知事としてほぼ毎週のように記者会見し、ネットでの発信もかかさないが、昨年11月に希望の党の代表を退いてからは政局がらみのやりとりは少なく、小池の発言が政治ニュースのトップを飾ることもなくなっている。

 しかし、平成28年7月の都知事選からの1年間は、小池は一身にスポットライトを集め、時に首相の安倍晋三をもはるかにしのぐ台風の目であり続けた。

 知事当選から3カ月後の28年10月、小池はJR池袋駅近くの帝京平成大のホールの演壇に上がった。小池の表情は高揚していた。

 自身が立ち上げた政治塾「希望の塾」の開講セレモニーに参加した塾生は1・6倍の応募から選抜された約2900人。ハワイから駆けつけた参加者もおり、ホールに収容できず4回に分けて参加させた。小池は「不公平があってはいけないので同じジョークを4度、繰り返さないといけません」と上機嫌だった。

 希望の塾は新党を興し、政界再編を興す足がかりにする仕掛けと喧伝(けんでん)された。小池自身は当時、「新党結成がいかに大変なことか、よく知っている」といなしたが、その手法は小池の出自である日本新党に似ていた。若く、弁が立ち、政治経験が少ない候補を公募し、既成勢力と対峙(たいじ)して議席を確保し、それを足がかりに政界再編をめざす-。

 小池は29年2月の千代田区長選で、自民党都連と対決して圧勝。同年7月の都議選では、地域政党「都民ファーストの会」を率い、6議席から49議席と躍進し、都議会第一党の座を占めた。小池の勢いは止まらず、安倍が衆院解散を決断した後、「希望の党」結党でピークを迎えた。

 「リセット」「しがらみのない政治」

 小池は、郵政選挙で大勝した小泉を彷彿させるワンスレーズを連呼した。小池にとって郵政選挙は刺客を志願して勝利し、自民党内での存在感を印象づけた成功体験だ。このまま小池の快進撃は続くかと思われた。

5603 チバQ :2018/06/27(水) 21:11:00

■ ■ ■

 昨年9月28日の衆院解散から十数分後の国会内では、奇妙な現象が起きていた。抜き打ち解散で先手を打ったはずの安倍や自民党幹部の表情は厳しく、後手の民進党内は、希望への合流という見通しに沸き返り、楽観的な雰囲気に包まれていたのだ。

 このころの心境を東京選出の自民党幹事長代行、萩生田光一は「緑の台風のようで勢いがあって、止めきれないという危機感があった」と振り返る。

 一方の国民民主党の元厚生労働副大臣、牧義夫は「小池さんには勢いと突破力があり、安倍1強態勢を崩す起爆剤になると思った。首相指名選挙で(自民党の反安倍勢力と連携することで)自民党を分裂させることができるという思いもあった」と話す。

 事実、希望が自民党元幹事長、石破茂らと連携して政界再編を狙うとの臆測がささやかれたり、小池の国政転出も取り沙汰されたりもしていた。

 だが、解散翌日の小池自身の「排除」発言で減速する。この時からの小池は誤算続きとなった。

 安全保障法制などの政策面で、民進党と希望との違いも浮き彫りとなり、政策そっちのけとの印象を与えた。「排除」発言をてこに元官房長官、枝野幸男らの立憲民主党が同情と支持を集めた。原発政策で政権に批判的な小泉や元首相の細川護煕からの支援も得られず、自民党から連携する動きもなかった。

 牧は語る。「選挙期間中、有権者の反応が変わった。自分の選挙目当てで小池にひれ伏したと…。毎日毎日、票が減るのを肌で感じた。とにかく早く投票日が来ないかなという気持ちだった」。結果、牧は比例で議席を得たが、衆院愛知4区では落選した。

 小池旋風を失速させた「排除の論理」。元首相の鳩山由紀夫が旧民主党立ち上げの際に、新党さきがけ代表だった武村正義らの参加を拒んだキーワードだった。このため鳩山は小池の「排除」にやや同情的だ。

 「まず何をやりたいのかを掲げて、この指止まれ方式で1人ずつ集まるべきだ。でなければ政策の見えない集団になり、国民の期待は得られない」

■ ■ ■

 衆院選後、希望の党は民進党と合流し、国民民主党を結成した。元民主党代表の岡田克也や「排除」対象とされた元首相の野田佳彦らは民進党を離党し、無所属のままだ。立民、国民、無所属の3分裂状態は続く。

 ただ、政策がバラバラな野党が選挙前に結集しても、党内でいさかいの絶えなかった「選挙互助会」と揶揄(やゆ)された民主党の二の舞になるのは目に見ている。(敬称略、肩書は当時)

5604 チバQ :2018/06/27(水) 21:12:11
https://www.sankei.com/politics/news/180622/plt1806220004-n1.html
2018.6.22 09:00
【平成30年史 政界再編(5)】
野党の枠組みに与さぬ異端の存在…共産党 綱領改定で現実政治に接近
 日本国憲法施行から71年となった5月3日、憲法改正に反対する市民団体が都内で開いた集会。共産党委員長の志位和夫は、立憲民主党代表の枝野幸男ら野党党首と同じ壇上に並んでいた。

 「安倍晋三政権による9条改憲は許さない。この1点で力を合わせ、市民と野党の共闘を発展させて安倍政権もろとも9条改憲のたくらみを葬り去ろうじゃございませんか!」

 こう呼び掛けた志位は枝野らとがっちり握手を交わした。他の野党とともに志位が政権批判を叫ぶ光景は今では日常となっている。しかし平成に改元した頃は違った。政界再編がめまぐるしかった平成において共産党は唯一、分裂も合流とも無縁だった。独立独歩といえば聞こえはいいが、他の野党も距離を置く異端の存在だった。

 
■ ■ ■
 

 約30年前、「共産党をのぞく野党」は常套句だった。自民党と社会党などの野党が敵対する構図は今も昔も同じだが、共産党はその「野党」の枠組みからも外れていた。平成5年発足の非自民の細川護煕連立政権しかり、21年誕生の民主党政権も「非共産」だった。

 党綱領で自衛隊の解散と日米安全保障条約の廃棄を要求し、16年まで「天皇制」の廃止を意味する「君主制の廃止」をうたっていた共産党は、左派系の他の野党さえ敬遠する存在だった。

 転機は安全保障関連法の制定だった。同法が未明に成立した27年9月19日午後、共産党は緊急の第4回中央委員会総会(4中総)を開き、「国民連合政府」構想を提唱。志位らは「一緒に清水の舞台から飛び降りましょう」と他の野党に選挙協力を呼び掛けた。以後、市民団体も交えた街頭での活動が定着している。

 昭和57年以降、党委員長、議長を長く務め、現在も党に多大な影響力を誇る党社会科学研究所所長の不破哲三は昨年7月19日の党創立95年記念講演会で、感慨深そうにこう語った。
 「安保法制反対の闘争は『共産党を除く』(という)壁を全国的な規模で一挙に打ち砕きました。こうして生まれた市民と野党の共闘は、まさに戦後政治の歴史を画する壮挙だと言わなければなりません」

 
■ ■ ■
 

 平成28年夏の参院選で共産党は国政選挙で初めて他党の候補を全国的に推薦した。国対委員長を20年以上務める穀田恵二は「私たち自身も変わらなければと思ってやった。従来では考えられない方向転換だった。うちは常に除かれる方で…」と感慨深そうに振り返る。

 不破も山梨で共産党公認ではない野党統一候補の応援のため街頭演説に立った。32の1人区全てで実現した野党統一候補は自民党公認候補の当選を21にとどめた。共産党が擁立した統一候補は香川のみで敗れはしたが、25年の参院選で自民党が31の1人区(当時)で29勝したことと比べれば野党の大健闘だった。

 勢いをそのままに29年1月の第27回共産党大会には、自由党代表の小沢一郎ら初めて他の野党幹部が勢ぞろいした。かつて自民党幹事長を務めた小沢の登場に歓喜する古参党員もいた。「時代は変わった」と。

 しかし、旧民進党幹事長として共産党と安保法制で共闘し、現在は野党第一党の代表を務める枝野は一貫して「共産党と連立政権をともにすることはない」と強調する。共産党には、30年たっても変わらない大きな壁が依然立ちはだかっている。

5605 チバQ :2018/06/27(水) 21:13:32
 「人権抑圧と侵略戦争を推進 天皇が死去」

 「新元号『平成』の使用を国民に強制するな」

 1989年1月8日、すなわち昭和天皇が崩御された翌日の共産党機関紙「赤旗」(現しんぶん赤旗)の1面には、こんな見出しと記事が並んだ。戦後においても「対米従属の国家体制の『象徴』」とし、読者投稿欄やテレビ・ラジオ欄も含め16ページ全てに昭和天皇批判の記事を満載した。

 非難は連日続き、10日付では議長の宮本顕治がインタビュー形式で登場。「日本歴史上最大の惨禍もたらした人物」と罵り、「民主主義日本のためには、天皇制という合理的でない制度をなくさなければなりません」と明確に訴えた。

 
■ ■ ■

 27年後の平成28年1月、共産党は天皇陛下ご臨席の国会の開会式に事実上初めて出席した。赤旗は昨年4月、昭和から平成への改元を機にやめていた元号の併記を復活させた。

 開会式出席について、党中央委員で広報部長の植木俊雄は天皇陛下のお言葉について「政治的な面」がなくなったからと説明する。昭和26年10月11日の開会式で、昭和天皇は「全国民とともに熱望してきた平和条約の調印がようやく終わったことは、諸君とともに誠に喜びに堪えない」と述べられた。ソ連などを除いたサンフランシスコ平和条約の調印(26年9月8日)に共産党は反発していた。

 しかし少なくとも平成以降は、類似のお言葉はなく、共産党が2年前から開会式に出席したことの合理的な説明にはならない。赤旗の元号併記も植木は「読者の要望があった」と説明するが、この時期に要望が急増した形跡もうかがえない。むしろ野党共闘の障害を取り除くためと解釈するのが自然だが、共産党は決して認めようとしない。

 
■ ■ ■

 安全保障法制をめぐる野党共闘や開会式出席といった共産党の転換の理由を探ると、平成16年1月の第23回党大会で決定した綱領の改定に行き当たる。昭和36年以来の全面的な改定だった。

 綱領にはそれまで「君主制を廃止」や「人民革命」などといったおどろおどろしい言葉が躍っていた。しかし、宮本もこだわっていた「君主制を廃止」が削除されたことで皇室の容認に転じ、「革命」についても抑制的な表現となった。植木は「現状に則し、一般の国民にも分かるようにいかに具体化するかということで、より現実政治に近づけて提示した」と説明する。

 しかし、かつて共産党政策委員長を務め、平成17年に離党した筆坂秀世は、綱領改定で皇室の容認に転じたことについて「国民への迎合路線だ」と切り捨てる。開会式出席についても「野党共闘の話が進み始めた。非常にタイミングがよかった」とし、こう続けた。

 「立憲民主党などの他の野党がみんな小さくなり、自分たちだけでは何もできない。だから共産党も仲間に入れてもらえるようになったというだけだ」

 共産党は現在の綱領でも自衛隊の解消や日米安全保障条約の廃棄を明記している。自衛隊への党見解は「憲法違反」とする一方で、将来国民の合意で自衛隊がなくても安全だという環境ができるまでは存続を認めるという立場で、実に分かりにくい。

 立憲民主党など他の野党でこれに同調する動きはない。共産党提唱の「国民連合政府」による連立政権が仮に誕生した際、共産党綱領にどう対応するかという協議は野党間で一向に行われないまま、ひたすら「安倍晋三政権打倒」を叫んでいる。

 
■ ■ ■

 共産党国対委員長の穀田恵二によると、最近は雇用や長時間労働の問題などを理由に「共産党の主張に賛同する若者が増えている」という。しかし、党員は確実に減少している。

 2年の党員数は約50万人、赤旗の部数は日刊紙、日曜版合わせ約300万部だった。それが29年は党員約30万人、赤旗は113万部に激減した。共産党は政党助成金制度に頼らず赤旗などの発行が収入の85%を占めるだけに、台所事情は苦しい。

 筆坂は「昔はロシア革命に続け、と具体的な課題が目の前にあったから若者が命がけで党に入った。しかし、それが今はない。若者を引きつける力もないということだ」と語る。

 綱領に現在も「共産主義への前進」を明記する共産党は党名変更を検討の俎上に載せていない。委員長の志位和夫は「私たちは資本主義という社会で人類は終わりではないという根本的な考えを持っている。党の名前に理想を隠さないで堂々と書いている」と説明する。次の30年、共産党はどう変わるのか、それとも変わらないのか。(敬称略)

 =第10部おわり

 

 

 この企画は宮本雅史、坂井広志、酒井充、大谷次郎、水内茂幸、大島悠亮が担当しました。

5606  チバQ :2018/09/13(木) 23:30:36
>>4481
774 とはずがたり 2018/09/13(木) 17:12:29
>>773
 ここで言う「中核派・全学連」とは、中核派の傘下団体として全学連という意味である。 

 中核派・全学連委員長は最近まで元法政大の斎藤郁真氏(30歳)が7年ほどつとめていた。昨年、衆議院議員選挙で東京8区から立候補しており、社会運動の関係者のあいだでは知られた存在ではある。その斎藤氏に代わって、高原氏が就任する。

 これまで、中核派の全学連委員長といえば退学処分を受けた、何回も逮捕歴があるなど、「歴戦の強者」感があったが、高原氏は東大にまじめに通い、逮捕されたことはない。
 
 中核派はこれまでの活動から反社会的集団と見なされてきた。そのとおりだろう。彼らはむかしと変わらず、暴力革命を起こそうとしているのだろうか。中核派・全学連の新しいリーダー、高原氏に話を聞いてみた。

――中核派に入ったきっかけは何ですか。
 
 2015年に東大入学後、すぐに駒場の自治会活動をはじめます。そのころから学生運動を再建しなければならない、運動をもっと盛り上げていこうと思っていました。翌年、中核派・全学連メンバーから話を聞くようになり、中核派のこれまでのバカ正直な闘い方に魅力を感じるようになりました。彼らが運営する「前進チャンネル」や駒場で撒かれたビラのクオリティーの向上をみて、中核派が「本気でやっている」と感じたことが大きい。わたし自身、革命をめざしており、党派として原理原則を貫く中核派の姿は正しいと思ったからです。自分にとって中核派の活動がしっくりきました。

――東大ではどのような活動を起こしていたのですか。
 
 たとえば、16年、駒場キャンパスでスポーツ先端科学研究拠点をつくることになり、これは大学のオリンピック協力につながるとして反対し、自分1人でビラを撒き、ポスターを作るなどの運動をしていました。政府による大学支配、大学自治解体の反対を訴えるためです。大学は学問の自由を守るべきであり、産学連携を進めるべきではないという立場です。教養学部自治会でやりたかったのですが、それはできなかった。文部科学省と闘うためには、自分1人の活動ではむずかしい、そんなとき、中核派と出会い、昨年、全学連に結集したわけです。

――暴力革命、武装闘争を否定しない中核派に反発する声が多くあります。
 
 国家権力は暴力である。わたしは、中核派に入る前から、カール・シュミット、マックス・ウェーバーなどを読んで、国家権力のあり方を考えてきました。国家権力に対抗するためには暴力しかない、ということです。その上で、中核派が大学や街頭で火炎ビンを投げたような闘争を、いますべきかといえば、そんな時期ではない。このような武装蜂起は、幅広い労働者階級の支援がなければやれるものではない。広範に支持されない闘争はすべきではない。一方、国会での議論はペテンである。そこで、わたしたちはゼネストを打って革命をめざす。そういう理解のされ方でいいと思います。ただ、いまの安倍政権を見て、むかし中核派がやっていたヤバイことをしなければ体制は変えられない、という声も出ている。それは一理あるでしょうね。

(以下略)

5607 名無しさん :2018/09/17(月) 07:44:16
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180915-00000002-utyv-l19

自民党・長崎元衆院議員が山梨知事選出馬の意向
9/15(土) 19:00配信

UTYテレビ山梨
自民党・長崎元衆院議員が山梨知事選出馬の意向
写真:UTYテレビ山梨
年明けの知事選に長崎幸太郎元衆院議員が立候補する意向を周囲に伝えていたことが分かりました。
関係者によりますと、自民党の長崎幸太郎元衆院議員はきょうまでに一部の支援者に対し来年の知事選に出馬する意向を伝えたということです。
自民党県連の委員会は県連会長の森屋宏参院議員に立候補を要請していますが、固辞する意向とされ、一部の地域支部が長崎さんの擁立を求めていました。
長崎さんを巡っては、過去の衆院選で対立した経緯から党内で反発もあり、県連は分裂が避けられない状況となっています。




[UTYテレビ山梨]

5608  チバQ :2018/10/04(木) 11:15:12
いちおー
8332 チバQ 2018/10/03(水) 18:21:58
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181002-00000658-san-pol
山梨県知事選、自民・宮川典子衆院議員「出馬しない」
10/2(火) 20:39配信 産経新聞
 年明けの知事選に向け、自民党の県議18人から出馬要請を受けていた宮川典子衆院議員(比例南関東)は2日、取材に対し「知事選には出ない」と述べた。すでに18人に文書で伝えたという。

 宮川氏は「後援会の幹部全員から『受けるべきでない。国政に邁進すべき』といわれた。私も国政で頑張るつもりだ」と理由を説明した。

 出馬を求めてきた県連の皆川巌会長代行は「勝てる候補は宮川さんしかいなかった。残念の極み」と述べた。3日に県連で今後の対応を協議する。

 皆川氏に出馬を望む声があることについては、「自分一人では決められない。みなさんと協議する」と述べるにとどめた。

 県連内では、臼井成夫幹事長らが長崎幸太郎・元衆院議員を推す動きもあり、宮川氏の擁立を期待していた複数の県議は「長崎氏では今のところ県連として挙党態勢では臨めない」としている。

5609 チバQ :2018/10/21(日) 21:06:30
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/politics/ASLBM4WDTLBMUTIL02G.html
衆院選応援に勤務中の職員を度々派遣 名古屋の医療法人
19:37朝日新聞

衆院選応援に勤務中の職員を度々派遣 名古屋の医療法人

選挙支援の構図

(朝日新聞)

 東海・関東地域で20の医療機関を展開する医療法人「偕行会(かいこうかい)」グループ(本部・名古屋市)が、2014年の総選挙の際、工藤彰三・国土交通政務官(自民、衆院愛知4区)と、岡本充功・元厚生労働政務官(国民民主、衆院比例東海ブロック)の選挙運動に、勤務中の複数の職員を派遣していたことがわかった。

 給与などの報酬を支払ったうえで選挙運動をさせていれば、選挙運動と勤務の実態によっては、選挙運動者への利益供与を禁じた公職選挙法に抵触する可能性がある。

 同グループの内部資料などによると、14年12月の総選挙の際、グループの法人本部の担当者が病院などの現場責任者にメールで、公示日の集まりや演説会への職員の派遣を依頼。公示日には、工藤氏と岡本氏の両陣営に計30人超の職員が派遣された。この日や選挙期間中に街頭や事務所で投票の呼びかけなどをしたという。公示日とは別の日にあった工藤氏の個人演説会には、手伝いとして30人超の職員が駆けつけた。

 元幹部や元職員によると、この間、休暇はとっておらず、出勤扱いだったという。

 偕行会グループの川原弘久会長は当時、工藤氏が代表の政治団体「彰友会(しょうゆうかい)」の会長を務めていた。

 医療法人による選挙支援では、「徳洲会」グループが創設者の親族の選挙応援に病院職員らを多数派遣し、報酬などを支払っていたとして、公選法違反(運動員買収など)の罪で14年に幹部らが有罪判決を受けた。

 偕行会グループの14年の選挙支援は公選法違反の公訴期限(3年)が過ぎている。

 同グループをめぐっては、彰友会が15年に開いた会費制の「国政報告会」の出席を、総務部の担当者が取引先に依頼する支援もしていた。この国政報告会を含め、工藤氏側が13〜15年に開いた計5回の会費制の集会の収支を政治資金収支報告書に一切記載していなかったことが分かっている。(沢伸也、竹井周平)

5611  チバQ :2019/01/14(月) 17:40:58
こちらにも貼らせて
2906 とはずがたり 2019/01/14(月) 10:15:20
まあ予期はしていたが遂に記事に出る。もうこうなったら仕方が無い。
二階派に逝って貰った方がすっきりするが民主系保守派を応援してきた身から云うと残念と云うしか無いが熊さんで免疫は付いている。やむを得ん。

細野豪志氏、自民入り探る 無所属の展望見えず二階派接触、地元は反発
https://www.sankei.com/politics/news/190113/plt1901130007-n1.html
2019.1.13 21:05政治政局

 旧民主党政権で環境相を務め、現在は無所属の細野豪志衆院議員(静岡5区)が自民党入りを模索している。“野党のホープ”として将来を期待され、小池百合子東京都知事らと旧希望の党を結党して政権奪取を目指したが失敗に終わり、展望が開けないためだ。二階俊博幹事長率いる二階派(志帥会、44人)の関係者らと水面下で接触し、機会をうかがうが、地元の反発は強く、ハードルは高い。(奥原慎平)

 「早々に細野氏を二階派に迎え入れてもいい」


 昨年12月17日、二階氏は自身に近い静岡県連幹部らと党本部で地方選情勢について意見を交わした際、こう述べた。細野氏は旧民主党などで一貫して自民党と対峙(たいじ)してきた。それだけに、二階氏の発言を聞いた関係者は驚きを隠せない。

 細野氏は当選7回を数え、旧民主党政権で原発事故担当相や環境相、党幹事長を歴任。旧民進党で代表代行も務めた。しかし、憲法改正に関する見解の相違などから平成29年8月に離党。旧希望の党を結成したが、野田佳彦前首相らの入党を拒んで反発を招き、昨年5月以降は無所属を続ける。

 政治活動は活発とはいえず、八方ふさがりの細野氏は二階派議員らと会食を重ね、地元の自民党県議にも入党への感触を確かめているという。細野氏は自民党入りを否定せず、「いろいろな人が努力してくれている。自分の口からは話すことはできない」と含みを持たせる。

 二階派は平成研究会(現竹下派、56人)に在籍経験のある今村雅弘元復興相や桜田義孝五輪相ら他派閥からの移籍組を積極的に受け入れ、勢力を拡大してきた。二階派幹部は細野氏について「政治キャリアを考えれば自民党で仕事をしてもらいたい議員だ」と前向きだ。二階派の関係者は「特別会員として二階派に加入させ、次期衆院選で勝利したら追加公認する可能性がある」と道筋を描く。

 ただ、細野氏と長年敵対してきた地元の反発は強い。自民党県議らが昨年12月初旬に行った意見交換では反対意見が大勢を占めた。参加した県議は「選挙のたびに辛酸をなめた相手だ。党本部が決めても自分たちには意地がある。『はい、そうですか』と認められない」と率直に語る。

 政党を渡り歩く細野氏には「節操がない」との声も上がる。そんな細野氏に二階派側は「踏み絵」を用意。今年の統一地方選と参院選の自民党候補支援といった貢献を内外に示すことだ。ただ、静岡5区は岸田派(宏池会、48人)所属の吉川赳・元衆院議員が党支部長を務め、再起に意欲を示す。岸田派の中堅は「細野氏が5区から出るなら新たな党内対立を招きかねない」と警戒している。

5612  チバQ :2019/04/21(日) 21:13:49
弔い戦で負ける例も珍しい
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190421-00000042-jnn-pol
衆院大阪12区補選、藤田文武氏が当選確実

4/21(日) 20:18
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Copyright(C) Japan News Network. All rights reserved.

 衆院選大阪12区の補欠選挙は日本維新の会の新人、藤田文武さんが当選を確実にしました。

 衆議院大阪12区の補欠選挙で当選を確実にしたのは、日本維新の会公認の新人の藤田文武さん(38)です。

 今回の補欠選挙は自民党の北川知克衆院議員の死去に伴い行われたもので、自民党は北川さんの甥の北川晋平さん(32)を擁立し、公明の推薦も得て、議席の確保を図りましたが、及びませんでした。JNNなどが行った出口調査では、藤田さんが北川さんをリード、早々と当選を確実にしました。

 夏の参議院選挙の前哨戦となる今回の補欠選挙ですが、維新の会が大阪府知事、市長のダブル選に続き、衆議院の補選でも議席を獲得しました。(21日20:01)

最終更新:4/21(日) 21:09

5613  チバQ :2019/04/21(日) 21:15:00
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190421-00000546-san-pol
衆院補選 大阪は維新、沖縄は野党が勝利 完敗の自民は参院選に打撃

4/21(日) 20:24配信��
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20日午後、京阪寝屋川市駅前で支持を訴える藤田文武氏と日本維新の会の松井一郎代表(左)=大阪府寝屋川市(沢野貴信撮影)

 衆院大阪12区と沖縄3区の両補欠選挙は21日投開票され、大阪12区は日本維新の会新人の藤田文武氏(38)、沖縄3区は社民、共産両党など「オール沖縄」が支援した無所属新人、屋良(やら)朝博(ともひろ)氏(56)がそれぞれ初当選を確実にした。自民党が衆参両院の補選で公認候補を立てて敗れたのは、平成24年の第2次安倍晋三内閣発足以降初めて。与党は夏の参院選に向け戦略の見直しを迫られる。

 大阪12区補選は、自民党の北川知克元環境副大臣の死去に伴って行われた。維新が大阪府知事・大阪市長のダブル選を制した勢いに乗り、藤田氏が優位に選挙戦を展開した。

 一方、北川氏のおいで自民新人の北川晋平氏(32)=公明推薦=は「弔い合戦」をアピールした。安倍首相や党幹部が相次ぎ応援に入ったが、自民は議席を失った。自民支持層の一部が藤田氏や無所属元職の樽床伸二氏(59)に流れたことも響いた。

 共産党は野党共闘を目指すため、元衆院議員の宮本岳志氏(59)を無所属で擁立した。共産、自由両党は推薦したが、立憲民主、国民民主両党は自主投票とした。主要野党は夏の参院選に向け、共闘態勢の構築に課題を残した。

 樽床氏は大物議員の応援を頼らず独自のスタイルを貫いたが、議席の復活はならなかった。 

 玉城(たまき)デニー氏の沖縄県知事への転身に伴う沖縄3区補選は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古移設に反対する屋良氏が、野党支持層を中心に支持を広げた。

 移設を容認する自民新人で元沖縄北方担当相の島尻安伊子(あいこ)氏(54)=公明推薦=は、沖縄の経済振興などを訴え、組織戦を展開したが及ばなかった。与党は昨年の県知事選に続く連敗となった。

5614 チバQ :2019/04/22(月) 00:09:29
>>3664>>3739とか
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190420-00000028-mai-pol
自民の改憲議論を主導 保岡興治元法相が死去 79歳
4/20(土) 13:15配信
元法相で元自民党衆院議員の保岡興治(やすおか・おきはる)さんが19日夜、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。79歳だった。葬儀の日程は未定。

裁判官、弁護士を経て1972年に衆院初当選し、当選13回。衆院旧奄美群島区で徳田虎雄元衆院議員と「保徳戦争」と呼ばれた激しい選挙を繰り広げたことでも知られる。

 2000年に森内閣、08年に福田内閣で、2度法相を務めた。自民党憲法調査会会長、憲法改正推進本部本部長などを歴任し、自民党の改憲議論を主導した。2017年衆院選に出馬せず引退した。

5615  チバQ :2019/06/14(金) 19:06:30
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190614-00010008-ksbv-l33
次期衆院選 国民民主党が岡山4区に三宅和広さんを擁立

6/14(金) 18:32配信��


 国民民主党は、次の衆議院選挙の岡山4区に柚木道義議員の元政策秘書三宅和広さんを擁立することになりました。

 次の衆院選で国民民主党から岡山4区に立候補を表明したのは、元岡山県議会議員の三宅和広さん44歳です。産業の振興や教育の再生に取り組みたいとしています。

 三宅さんはこれまで、柚木さんなど国会議員の政策秘書を務め、2011年4月からは岡山県議を2期8年務めました。今年4月の県議選では倉敷市・都窪郡選挙区から無所属で出馬し、落選しています。柚木議員は去年、国民民主党を除籍処分になっています。

(国民民主党/津村啓介 議員)
「(岡山4区は)空白区という扱い、野党共闘の対象と見なされていないということが今回の擁立の出発点」

最終更新:��6/14(金) 18:32

5616 チバQ :2019/06/18(火) 23:39:29
https://www.asahi.com/articles/ASM6L663FM6CTIPE03W.html?iref=comtop_8_05
現金「もらってもらえんば困る」 谷川陣営選挙違反疑惑
有料会員限定記事

2019年6月18日20時07分
 2017年10月の衆院選を巡り、自民党の谷川弥一衆院議員(長崎3区)の選挙運動員が、朝日新聞の取材に対し、報酬として現金を受け取っていたことを認めた。運動員らは「事務所関係者から、(現金入りの)茶封筒を渡された」などと証言した。

 谷川氏の東京事務所は「適正に選挙運動を行っていると認識している。念のため、事実関係を確認しているが、相応の時間を要する」と書面で回答した。

 長崎県大村市の女性は17年10月の衆院選期間中、市内にある谷川氏の選挙事務所で、支持を訴える電話をかけたと証言した。

 選挙後のある日、谷川氏の事務所関係者が自宅に来て、茶封筒を差し出したという。ほかの議員の選挙をボランティアで手伝った経験がある女性は、不審に思って「もらっていいと?」と聞くと、この関係者は「もらってもらえんば困る」「これは自分も預かって来ているから」と答えたという。

 受け取った金額は時給740円…

https://www.asahi.com/articles/ASM6C5GTLM6CTIPE02V.html?iref=pc_extlink
自民・谷川氏側、選挙運動員に現金 公選法違反の可能性
2019年6月18日19時58分
 長崎3区選出の自民党・谷川弥一衆院議員(77)の選挙事務所が、2017年10月の衆院選の後、複数の選挙運動員に報酬として現金を渡していたことが、朝日新聞の取材でわかった。公職選挙法は原則、運動員への報酬を禁じている。

 谷川氏はこの衆院選で、新顔3人を破って6選を果たした。これまでに文部科学副大臣などを歴任している。谷川氏の東京事務所は「適正に選挙運動を行っていると認識している。念のため、事実関係を確認しているが、相応の時間を要する」と書面で回答した。

 公選法は、電話や街頭で候補者への支持を有権者に働きかける選挙運動員について、無報酬を原則とする。上限付きで報酬を支払えるのは、選挙カーのアナウンス担当や選挙事務所の事務員などに限られる。運動員に報酬を支払ったり、アナウンス担当らに上限を超えて支払ったりすると公選法違反(日当買収)にあたる可能性がある。

 朝日新聞は、いずれも宛名が「谷川やいち選挙事務所」、ただし書きが「報酬、謝礼として」と記載された延べ22人分の領収証の存在を確認した。このうち日当買収が疑われた13人の領収証の日付は17年12月22〜29日。いずれも受取人欄に手書きの署名と押印がある。領収額は1人につき2220〜24万円で、合計は117万3880円だった。

 別の内部資料には、領収証と同じ13人の名前と金額の記載がある。うち7人には「電話」、4人には「ウグイス嬢」などとそれぞれ選挙中の役割とみられる記述もあった。

 13人のうち「電話」の3人が、支持を訴える電話がけの報酬として、領収証に記載された現金を受け取ったことを認めた。別の「電話」「ウグイス嬢」と事務員の計5人は、領収証の署名が自分の字と認めたが、現金受領は「覚えていない」と答えた。

 谷川氏側が選挙後に長崎県選挙管理委員会に提出した「選挙運動費用収支報告書」には、「ウグイス嬢」と事務員へ法定内の報酬を支払ったことが記載されているが、いずれも領収証とは日付と金額が異なる。

5617 とはずがたり :2019/06/23(日) 19:49:32
2017年の記事
>同党はこれまで選挙区総支部長に原則として次期衆院選の立候補予定者を充ててきたが、同党から分かれた希望の党や立憲民主党の国会議員との再結集の余地を残すため、3、7区を除きあえて地方議員を総支部長に充てることにした。

2017.12.12 07:07
民進静岡県連、総支部長に地方議員 空席の6選挙区で
https://www.sankei.com/region/news/171212/rgn1712120026-n1.html

 民進党県連は、空席になっていた衆院6選挙区の総支部長を決定し、11日から各総支部ごとに県選挙管理委員会への届け出を始めた。

 新たに総支部長に決まったのは、1区が鈴木智県議(静岡市駿河区)、2区が八木伸雄・島田市議、4区が林芳久仁県議(静岡市清水区)、5区が桜町宏毅県議(富士市)、6区が曳田卓県議(沼津市)、8区が田形誠県議(浜松市南区)。3区は10月の衆院選に無所属で出馬し落選した小山展弘元衆院議員、7区は県連会長の榛葉賀津也参院議員が引き続き務める。

 同党はこれまで選挙区総支部長に原則として次期衆院選の立候補予定者を充ててきたが、同党から分かれた希望の党や立憲民主党の国会議員との再結集の余地を残すため、3、7区を除きあえて地方議員を総支部長に充てることにした。

5618 とはずがたり :2019/06/23(日) 19:53:15
>国民民主党。衆院静岡1、2区に新人の公認候補を内定し、5区でも月内に新人を擁立する方向だったが「保留」にした。

>国民県連は5月末、連合静岡に1、2区の新人2氏の推薦願を出そうとしたが、野党間の候補者調整を求められ、受け取りを拒否された。

>1区は近く、立民が元県議の擁立を決める見込み。
>立憲民主党県連の杉山淳幹事長は、衆院選の候補者擁立について「一度リセットする」と述べた。静岡4区の候補者として名前が浮上していた旧民進党4区総支部長の擁立には慎重な見方を示した。

4区は林芳久仁県議の名が挙がっていた?

1区の元県議って誰だ?鈴木智では今年落選したので元職ではないな。。2014年にもめぼしい落選者居ないし静岡市外の元職??

静岡県内各党 参院選の態勢固めにかじ (2019/6/21 07:55)
https://www.at-s.com/sp/news/article/politics/shizuoka/648351.html
参院選しずおか 2019

 衆参同日選が見送られる見通しになったことを受け、静岡県内各党は20日、参院選単独の態勢固めにかじを切った。組織を引き締め、攻勢に出る自民。候補者調整が成らなかった野党は、衆院選空白区への擁立作業を棚上げし、支援組織固めに躍起だ。
 参院選静岡選挙区(改選数2)に、3選を目指す現職牧野京夫氏(60)を立てる自民党県連の竹内良訓幹事長。取材に対し「参院選1本に態勢を明確化して走りだす」と力を込めた。既に、東中西の各地区ごと県議を選対委員長に据える組織体制を構築し、前回選以上の得票を目指す。
 新人徳川家広氏(54)を擁立する立憲民主党県連の杉山淳幹事長は、衆院選の候補者擁立について「一度リセットする」と述べた。静岡4区の候補者として名前が浮上していた旧民進党4区総支部長の擁立には慎重な見方を示した。
 現職榛葉賀津也氏(52)の4選を目指す国民民主党。衆院静岡1、2区に新人の公認候補を内定し、5区でも月内に新人を擁立する方向だったが「保留」にした。岡本護県連幹事長は「参院選をしっかり戦う。それが次の衆院選につながる」と戦略を描く。
 国民県連は5月末、連合静岡に1、2区の新人2氏の推薦願を出そうとしたが、野党間の候補者調整を求められ、受け取りを拒否された。1区は近く、立民が元県議の擁立を決める見込み。国民県連の関係者は「衆院選までに態勢を整える時間的余裕ができた」と本音をのぞかせる。
 新人鈴木千佳氏(48)が出馬する共産党県委員会も参院選に注力する。諸派新人の畑山浩一氏(49)も出馬を予定する。

5619 名無しさん :2019/06/23(日) 21:30:53
>>5618
1区の元県議は一応、小田巻進(駿河区・2007年初当選、2011年引退)もいますね
今は66歳なんで新人としては年がいってる感じがしますが、選挙区内だと他に該当しそうなのがいない・・・

5620 和子夫人 ◆VVOQ3pMvHY :2019/06/24(月) 22:54:03
1区・5区立憲
2区・4区国民
3区 立憲 国民バッティング
あれ柚木は?

衆院岡山5区に鎌田氏擁立へ 立民県連、26日正式決定見通し

2019/6/24 20:56 (JST)
©株式会社山陽新聞社





 立憲民主党県連は24日、次期衆院選岡山5区の公認候補予定者として、新人で元沖縄県職員の鎌田桂輔氏(32)=岡山市中区東山=の擁立を決め、党本部に上申したと発表した。26日の党本部常任幹事会で正式決定する見通し。

 鎌田氏は大阪市出身で大阪大法学部卒。沖縄県職員や衆院議員秘書、岡山市議の事務所職員を経て、今年5月からは同県連職員を務めている。

 岡山5区では、共産党が新人の美見芳明氏(62)の擁立を決めている。同選挙区の現職は、自民党の加藤勝信総務会長(63)。

5621 チバQ :2019/06/26(水) 10:37:21
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/521674/
公選法違反疑い谷川陣営告発へ 自民長崎、関係者が会見
2019/6/26 6:00
西日本新聞 社会面
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記者会見で、捜査機関への告発の準備をしていると明らかにした元会計担当の男性=26日午後1時半、長崎県庁


 自民党の谷川弥一衆院議員(長崎3区)の事務所が2017年衆院選後、選挙運動員らに報酬として現金を渡したと報道された問題で、西日本新聞の取材に応じた当時の事務所会計担当の男性が25日、記者会見し、公職選挙法違反(日当買収)の疑いで捜査機関への告発を準備していることを明らかにした。

 公選法は、電話で候補者の支持を訴える運動員について無報酬と定め、選挙カーのアナウンス担当者に支払う報酬の上限額を規定している。男性は長崎県庁での会見で領収書などを示し、電話担当者に報酬を支払い、アナウンス担当者らには上限を超える報酬を渡したとあらためて証言。「私だけが罪から逃れられるとは思わない。(不正を)ただしてほしい」と語り、捜査機関の任意聴取に応じる考えも示した。

 同席した代理人弁護士は「男性は出納責任者ではないが、実質的な会計責任者なので(谷川氏は)連座制の対象になる」と話した。

 谷川氏の事務所の代理人弁護士は取材に「調査中で事実を確認できていないので、言えることは何もない」と述べた。

5622  チバQ :2019/07/07(日) 23:53:59
村岡敏英は自民中泉を支援
1444 チバQ 2019/07/07(日) 08:43:07

https://sp.kahoku.co.jp/special/spe1205/20190706_07.html
<参院選>秋田選挙区序盤情勢/中泉氏に寺田氏迫る
2019年07月06日 土曜日
 再選を目指す中泉(自現)が先行し、野党統一候補の寺田(無新)が激しく追い上げている。
 中泉は強固な党組織に支えられ、地盤の秋田市を中心に保守票を固めつつある。党の県選出国会議員や地方議員がフル回転。佐竹敬久知事や県南を地盤とする村岡敏英元衆院議員の支援を得た。公明支持層にも浸透する。

5623  チバQ :2019/07/23(火) 14:58:20
1904 チバQ 2019/07/23(火) 00:46:59
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190722-00000666-san-l22
参院選・静岡 自民は“票回し”疑惑の真偽解明へ


 今回の野党分裂が次期衆院選での野党共闘に与える影響については「競合するところは現職優先の原則で(候補者)統一がなされるべき」と同党の従来の見解を述べた。その上で静岡市葵区では徳川氏の得票が榛葉氏を上回り、比例の得票も立民が国民より多いと指摘して「衆院静岡1区(の統一候補)は当然、立民の候補になる」と、すでに同区での候補擁立を発表した国民にくぎを刺した。


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