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正義の火種  〜 除名は終わりではない 〜

21太ちゃん★:2015/11/23(月) 00:34:00
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正義の火種19 投稿者:ティニー 投稿日:2015年 2月 7日(土)00時08分41秒


最初はどこの組織でもあるようなことでした。私は単純に、
「そうだね、組織の打ち出しがどうだろうと、これからは先生の言われてる通りにやろう」
と、発端となった圏長、圏婦人部長との対話の時に、そう言ってくれると信じていました。

先生よりも組織
信心よりも運営

私は、この二点に逆らいました。
先生を無視した組織信仰を、私は爾前迹門と呵責しました。

先生の指導を読み、学び、行動し、これを皆と共有する。
この当たり前のことを、監正審査会は、「独自の組織活動論」と断定しました。

そしてこの組織悪に同座することなく、従うことなく、師弟を失わせない一点に心を定め、言論戦を展開しました。
いくら組織信仰で結果を出しても、悪しき幹部に供養することにしかなりません。悪を倒すことなどできるわけがありません。
法華講員がいくら多くの折伏の結果をだしても、法主信仰は変えられません。
それを変えようとしただけで、いくら貢献してきても、破門になります。
学会も、全く宗門と同じです。

この一年、先生の指導にたくさん出会い、たくさん色読しました。

『革命の炎を燃え立たせたのは僕ではないか。
その正義の炎に対抗する逆焔も僕が煽ったのだ。
その僕の動きを止めようとは何という心得違いか。
僕がいなければこの炎は千年たってもなかったことだろう。
その僕を抑えて時を待つなど、何年たっても何も変わらない。
僕さえいれば、この炎はいつでもある。
忠義というのは鬼のいない間に茶を飲むようなものではない。
僕が息をひそめれば炎も小さくなる。
僕が再び立てば、炎も再び大きく燃え上がる。
革命の火種としての自負をもつのだ。
僕が立てば反動も大きい。当然ではないか、僕こそ革命の当体なのだ。
炎を広げるには「火種」を第一に守り抜いていくこと。
革命の為の人生なのか、人生の為の革命利用なのか』

私の戦いはこの指導にある。
広宣流布のための人生なのか、人生の為の広宣流布利用なのか

仏と魔との闘争は、永遠です。
悪人がいなくなることはありません。
仏に怖じて悪人が黙って何もできないか、
仏が追いやられて、悪人が自由に好き勝手やるのか。
あえて先生は、自身をおさえ、弟子が仏となるのを厳しく見つめられているのではないかと、勝手に思っています。

約一年に渡る事を端的に書きました。
これが真実です。

最後になりますが。
闘争中、こんな私の事を理解し、同苦し、支えてくれた妻や子供に、私はとても感謝しています。
組織がいかなる汚い手をつかっても、真の一家和楽は崩すことができませんでした。
当たり前です。これが弟子です。

私の体験は以上です。
ありがとうございました!
(終)


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