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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

639北角:2015/06/18(木) 23:15:51 ID:rklioltI0
問題を設定した時点で、例えば目的に対してよりスマートな解決法を見出そうとする思考と、哲学などの、思考を始めた時点では前者と同じことはあり得るにせよ、恐らく答えはないだろうと推測しつつも答えのない事を予感しつつも禅問答的に考え続けるテーマには違いがあると思います。
自らの死そのものを怖れることや、死後の世界を想像することなどが例えばそれで、死後の世界を想像したり研究することはひょっとすると科学的に解き明かそうとすればこその考察かもしれませんが、死を怖れ、色々と思いを巡らすことも思考の一つだとするならば、この回路は、私達が私達である限り認識し得ないだろう世界を想像することと同義で終着点はそもそも無く、むしろナゼそのことを考えようとしている私達がいるのか、ということを考えた方が、人間私達としては意味のあるものに辿りつきうるのだろうと考えています。
それを例えばいわゆる病的回路の類いだとして、病を何かに対する対応策のプログラムだとするならば、それらの回路を辿り、何かしらのアプローチ力を鍛える、もしくは、解明とまでは行かなくとも、その方向に、その思考を必要とした私達にとって有意義な概念を得るものがあるのではないかと思います。
大枠で見てこのジャンルのクエスチョンに答えがないとするならば、今、この社会で人間として生きていく上で、私達自身が何か不足要素を持っていて、ここだけを切り取れば、このクエスチョンを持つ必要のない人々に対しては劣であり、この解けない謎を解こうとする私達のゴール・卒業は、この謎を解くことを諦めた時・自然と飽きた時なのではないかな、と思っています。
でもこの理屈自体、誰にもそれを定義することは出来ないかもしれませんが、不足なく、劣なく、純粋な好奇心でクエスチョンを持った人間には当てはまらないのでしょうが。

またもや思いついたことばかりを書きました。


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