A 東大卒は間違わない。間違わない東大卒が間違っている場合、それは「デマを拡散している」事になる。東大卒は自分の間違いに気づいているからであり、間違いに気づいてウソを言っているとは、すなわち、デマ拡散だからである。
B 「皆様には私のブログも読んで議論を深めていただきたいと思います」と言った後、「そのテーマは専門外です」と言っても許される。なにせ、専門外だから。そして「私は学んですらいません」と誠実さをアピールして「ただ、楠本行孝先生の言葉が正しいと個人的には思っています」と、無根拠に書く事ができる。
C 「あなたは矛盾してます」と書いたあと、「別に議論したいんじゃない」と書く事が可能であり、加えて、良識派はそんな態度を支持すると思う。
D 「アクエリアンさんのロジックを分析してみますね」と云う段階ではキリッとしているが、その、自分のロジックを「分析される」のはちょっとイヤ。そんな際は「訊け様は、本流派が泡の国に行っているような人間の屑と、同じレベルだと思っていますね」なんてことを平気で(なぜか突如)断言できる。
E で、論点回避を指摘された際は「だいたい、論点を変えるなという主張は、論点を変えられると、反論できないという意味ですからね。(笑)」と、突如、爽やかになれる。
F 本来、「話をわかりやすくする」のが喩え話の目的。だが、「アニメおたくと二次元アイドルの話に喩えますが」等々、例えれば喩えるほどに、ワケワカンナクさせる技を持つ。『例えば、アニメを全く見ていない人間が、オタク相手に二次元アイドル論で論破しよう、とは、普通、思わない。少なくとも、私はオタクと二次元の話題で討論する気には、ならない。』言い換えると、『「戦争参加法制」を全く呼んでいない人間が、反対派相手に「戦争参加法制」の問題で論破しよう、とは、普通、思わない。』わけです。わかりますか?? 」・・・・・・・・わかんねーよ。そんな奴はアホだ。
G 「すまないね、右翼学生の私は英語には明るくないんだよ。rとnは形がよく似ているから、うっかり間違えてしまった。」は、三重大学のみOK。だけど、東大のミスはミスではなく「デマ拡散」になる。
H 「再掲しま〜す!(^_^)v」「だれでもわかることですよ〜w」とか書いているが、内心の不安はバレていないと思う。