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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

2527愛と追憶の日々:2014/05/16(金) 18:57:20 ID:/wuDNhkM

 私は昔から、だれかのことを「ライバルだ!」と思ったことがありません。
人と競争sることに興味がなかったのもありますし、人と比べられることがイヤだったのです。
だから、自分も人と比べません。

「良きライバルをもつことで切磋琢磨し、ともに成長できる」という考え方もあります。
それをあえて否定するつもりはありません。でも、競争で勝ち負けや優劣は測れても、喜びや感謝の量は測れません。
人生で大切なものも測れないもののほうが多いのです。

 私たちは小さいころから比べられてきました。学校に入ればテストの成績で、就職するときは学歴で、会社でも成績でと、
つねに比べられてきたのです。しかし、人の価値は成績や学歴や役職で決まるのでしょうか?
 世の中には社長よりしあわせな平社員もいます。映画の世界では、俳優よりも自分の仕事に誇りを感じている小道具さんもいます。

 私は「カレーライス」が大好きです。だから、どこでどんな「カレー」を食べるかにこだわります。
そして、それと同じぐらい「らっきょう」と「福神漬け」にこだわります。
 カレーがメインで「らっきょう」と「福神漬け」は同じくらい大切なのです。

 話がそれましたが、人間社会だけで見ると、人は生まれながらにして不公平です。
裕福な家に生まれた子と貧乏な家に生まれた子。顔のいい人もいれば、そうでない人もいます。
生まれる国が違うだけでも大きな違いがあります。だからといって、それが幸・不幸を決めるわけではありません。
 生まれながらにして障害を負っている人もいますが、「障害は不便です。だけど、不幸ではありません」と言って、明るくしあわせに
生きている人もいます。

 そうかと思えば、五体満足でなに不自由なく暮らせているのに、不平・不満ばかりを言っている人もいます。
この世には、だれ一人として自分の力だけで生きている人はいません。便利な生活ができるのは、それをつくってくれた人のおかげです。
今の自分があるのは親のおかげであり、ご先祖様のおかげです。生きていくための水があり、空気があり、自然があり、場所があるのは、私たちが神様から
祝福されている証しです。そう考えれば、私たちは生きているだけで全感謝です。

 ニューヨークにある、物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁には、青銅の盾がかかっているそうです。
その盾に刻まれた詩には、全感謝の思いが込められています。だれかと比べて落ち込んだり、物事がうまくいかなくてつらいときに、この詩を思い出してみてください。
きっと、忘れていたことを思い出させてくれるはずです。

      苦しみを超えて

 大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、
 謙遜を学ぶように弱い者とされた。

 より偉大なことができるように健康を求めたのに、
 よりよいことができるようにと病気を戴いた。

 幸せになろうとして富を求めたのに、
 賢明であるように貧しさを授かった。

 世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
 神を求め続けるようにと弱さを授かった。

 人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
 あらゆることを喜べるようにと命を授かった。

 求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。

 神の意にそわぬものであるにも拘わらず、
 心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。

 私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。

               ロイ・カムパネラ

 『全感謝する練習』 喜楽 著


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