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森の<id>、あるいは無罪ミメーシス
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:
灰人@スキゾキッズ
:2015/11/16(月) 22:18:53 ID:TE0Z2QV2
(村上春樹「ノルウェイの森」参考)
第1章
僕は33歳で、そのとき仁明会病院に入院させられていた。騙されての強制入院で医療保護入院というものだった。その入院というシステムは分厚い壁のように私を取り囲み、移動の自由を制限していた。窓の外は1月の冷ややかな風が立ちを暗く染め、向かいのAGAPEという病院のライトも、内向的な人が描く陰鬱な絵の背景のように見えていた。やれやれ、僕はいつまで入院というシステムに囚われているのだろうか、と思った。
K田さんが大部屋に入って来るとタバコの匂いがしてきたが、とくに僕は気にする事なく、浜崎あゆみさんのベストアルバムを聴きながら村上春樹の「ノルウェイの森」から思考に補助線を引いてもらい、自分の「無罪ミメーシス」ノートに文章を書いた。
13曲目に入ろうとしているところで「夕食の準備ができましたので、皆さまホールに来て下さい」というアナウンスが流れた。夕食ではいもととうふと人参と剥き出しの肉が残酷に感じ、自分の中のモラル(?)から食べる事が難しくなり、「食事を粗末にするつもりはないですが残します。料理人さん申し訳ありません」と心の中で思って、食事のいくつかを残して大部屋に戻った。そして浜崎あゆみさんのベストアルバムを再び一曲目から聴き直した。
浜崎あゆみさんの歌は情動価がたっぷりこもった歌で歌声も心地良く、幻聴として処理される音声で傷ついた心を慰撫してくれた。幻聴として処理される音声では山形浩生の声を使った音声で「延ばす延ばす延ばすけど氏んでくれ、浜崎あゆみとその信者」という声を聞かされていた。「そんな事言うな」と私が言っても執拗に山形浩生の声は言っていた。科学警察系の音響研究所が山形浩生と玲奈と連帯してよく言っているように思えた。
僕は思考盗聴からも逃れようとした時は布団をかぶったりして身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていたが無駄だった。やがてCがやって来て、「気分が悪いのですか?」と訊いた。「思考盗聴から逃れたくてこうしているんです」と僕は答えた。
「思考盗聴はつらい?」
「思考内容までプライバシーが認められないのは正直つらいですが、慣れてしまった所もあります。気にかけてくれてありがとうございます」と僕は言った。Cはにっこりと笑って大部屋から出て行ってしまい、音楽は「Trauma」という歌に代わった。僕は顔を上げてベッド近くの壁に貼っているクリムトの画集からコピーした女性の絵を眺め、その画集を貸したDの事を考えた。
僕の心は98年と08年に2度の時代のストップがあるようで、夢の中でも高校生の時の事と関係する事ばかり見るか、科学警察によって人為的にコントロールされ、思考盗聴され半ば取り調べじみた体験をする事が多かった。
僕は98年の5月に高校生活内での孤独とリチャード・ドーキンスの本から、変な行動に出だしていた。
前と同じCが大部屋にやってきてカーテンを開け、「楽になりましたか?」と訊ねた。
「しんどいですが、気にかけてくれてありがとうございます」と僕は答えた。
「そうですか。あなたが統合失調症じゃないけど強制入院させられている事はみんな知ってます。盗聴盗撮通信傍受個人情報漏洩などを継続しながら言葉での多大な精神的虐待も継続し、正常な社会参加を困難にさせ、2ちゃんねるでの大量のスレ立てであなたを釣って、<福祉に頼る寄生虫>呼ばわりしておきながら、入院生活を強制させて<統合失調症だという病識を持たないと退院させれない。お薬飲んでね>なんて言うなんて変ですね。人との連帯の絆の薄い愛障害者に対する精神科医療の対応としてふさわしくないと、正義の味方たちは思っています」とCさんは言った。
「正論を言うめずらしい賢者もいたもんでビックリです。でもそういう応答が正常な人の正常な応答だと思いますが、あまりにも空気が玲奈中心主義に偏り過ぎているように思われます」と僕は言った。
Cさんは「また話しましょう」と言って側を離れて部屋から出る時に「愛と正義とペンとノートと本とアート以外にも友達はいるよ」と言いながら去られた。
「またよろしくお願いします」と僕は言った。
3
:
灰人@スキゾキッズ
:2015/11/17(火) 23:17:35 ID:v7BNyyE6
16年という歳月が過ぎ去ってしまった今でも、僕の心は終わらない思春期に留まっているように思えた。BIG FOOL と言われる由来の一つである変なペイントをほどこした鞄は公安に回収されたのかもしれず、東北大学サーバーにある「黒木のなんでも掲示板」での柏木さんの「知的階級差別」「バカの発言禁止」という表現に思わず反応して書きこんだ愚かな表現は、玲奈からすると「沢山の人の目にとまるようにしたら、藤田信之はかなり精神的に苦しみ、自殺するだろう。藤田信之とはじめてあった時、俺は生まれて初めて自由になれる気がした、これは本当だぜ」と思えるようなものだったのだろうし、家族会の過半数の同意の上で警察と医師が(田口絵美さん風に言うと黒マフィアと白マフィアが)僕を入院というシステムにとらえて見世物にしているように思った。
OT(作業療法)散歩時に、涼宮ハルヒの憂鬱の舞台の一つとなった池周辺を歩いている。何日か続いたやわらかな雨に、紅葉は落ち道の両端を枯れ葉が埋め、11月の風はすすきの穂をあちこちで揺らせ、羊のような雲が凍りつくような青い天頂にぴたりとはりついていた。空は高く、じっと見ていると吸い込まれるようだった。風は池に模様を作り、Dの髪をかすかに揺らせ甲山の方に抜けていった。そしてOT参加者の足音とたまに通るバイクや車の音が鳴り響いていた。誰一人、家族会メンバーとはOT外出時にはすれ違わなかった。歩きながら僕はDにフロイトの<id>と<es>の話を岸田秀流に話した。
記憶というのはなんだか不思議なものだ。入院当初から半年くらいの事はぼんやりとしているのに、ゼロ年代初め頃のネットで起きた事のいくつかははっきり憶えていて文章として記述できる。点滴に入っていたかもしれない麻酔の効果もあるのかもしれない。OT参加できるようになったのは2014年に1階病棟に来てからだ。僕は僕自身の事を考え、OT散歩時に隣に並んで歩いていた美しいDの事を考え、僕とDとのことを考え、そしてまた僕自身の事を考えた。
僕の心のドライなところが、ウェットな対人関係での傷つきに耐えるタフさを支えていたりするのだろうか、と思った。
今では僕の心に繰り返し響き渡っているのは、愛のこもった言葉での教育的な指導への飢えと、対等な人間とみなしてくれる人との親密な連帯関係の渇望だ。そしてOT散歩時のアニメ舞台地付近の風景だ。草の匂い、冷やかさを含んだ風、六甲山の稜線、そんなものが脳裏に浮かびあがってくる。とてもくっきりと。しかしその風景の中には家族会メンバーはいない。プリンくんもいないし、豊くんもいないし、奴賀くんもいない。家族会メンバーはどのような心境で僕の入院生活を覗いていたのだろう、と思う。どうしてかつての友人が「不必要な強制入院生活を受けている」と知りながら放っておく事ができるんだろう、と。
僕が入院中に他者からもらって手元に残っているのは、仁明会病院で途中で書けなくされたまだインクの残っている9本のペン、ビブリオバトル参加者の中学生の方が高度な教育を受けていると思われるプレゼンテーションを中心にこなしたSST(Social Skill Training)のファイル、仁明会病院での輪っふるタイムの卒業者の私へ宛てたメッセージの寄せ書きと写真、田口絵美さん等との交換したメッセージ、沢山の文章を本からの模倣表現なども入れながら書き記した中辻さんから白紙の状態でもらったノートくらいかもしれない。
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