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お城に行ってみました

5名無しさん:2014/03/22(土) 01:03:55
三連休です。どこかに行かれていますか?私はこの冬も冬の京都に行かずに
終わりました。寒いの承知で京都を歩いてみたい願望があり(すいてそうなんで)
もう10年来、毎冬、冬の京都パンフをもらって見ています。
まずは高台寺の霊廟が第一目的で、冷え込んで冷たい空気の中、高台寺
蒔絵をじっと見てみたい、という妙な希望があります。あとは清水三年坂美術館
、石清水八幡宮、さらに今年は伏見稲荷大社へ行って、まさに聖地巡礼!(神社
だから間違いないわな〜神社もうか様にのってるようだし)それにこの冬は通常
非公開の阿弥陀寺も公開していたのに、残念。春だと奈良山の辺の道を歩きた
いところです。

さてお城に行ってきました。今回は行ってみたい!というところをご紹介。
城郭建築物で残っているのが多いのは天守と櫓、門が多い事はご承知かと
思います。現存天守は12か所。12しかないの?と言いますが、天守のない
城も多い事を考えれば、なんだかんだ残ってる。
門や櫓は移築されてあちこち探せば残ってる。逆に多くあったはずなのに、
残りが悪いものは御殿建築。知名度が高いのは二条城二の丸御殿くらい、
贅をこらした現存最古の御殿建築。次に高知城本丸御殿、掛川城二の丸御殿、
川越城本丸御殿はいずれも幕末近い建築。
惜しいのは熊本県八代城大書院、移築復元工事直前の昭和62年火災で焼失、
復元工事続行中の名古屋城本丸御殿は昭和20年戦災、同じく復元された
京都丹波篠山城大書院は昭和19年失火による火災、と昭和まで残っていたの
はこんな程度。残りませんね〜。あとは小笠原住宅(伊豆木陣屋)などの
陣屋建築群程度になります。
このうち、顕著に古いのが二条城(慶長〜寛永期)、小笠原住宅(寛永期)で
あとはすべて1800年代。御殿建築は廃藩置県後も庁舎や学校に多くが転用
実用で用いられたので、天守ややぐらに比べて本来、維持されたのですが、
きがつけば実用ゆえに建て替えなどで次々消えてしまったのです。
その中、部分とはいえ、二条城と同時期の部分が残る例がある。
それが北海道の松前城。松前城というと幕末の和式築城最後の例で
しられ、復元された天守や門ばかりが紹介されますが、なにが悲しゅうて
コンクリートの復元建築ばかり見るのですか?
松前城の前身、福山館の御殿建築は築城時にそのまま取り込まれて、
明治期に小学校に転用、建物自体は明治半ばに建て替えられましたが、
玄関部分だけは残され、職員玄関として昭和まで使用、さらに建て替え
のさい、この玄関部分だけ、引きやで動かし残されたのです。
この福山館、豊臣秀吉に蝦夷島主を認められた初代藩主松前慶広
が建築した御殿が火災などにあうことなく、城にとりこまれたものです。
すなわち、この玄関は桃山時代に属する御殿建築の貴重極まりない存在。
ところが、旅行雑誌はしかたないかもしれませんが、いわゆる歴女ブームや
お城人気にのった雑誌ではてんで紹介されない。
百名城やら、城紀行やら、城下町番組でもスルー。いやー底の浅さがわかる。
まあ、仕方ないかもしれません。なにしろ目立つもの、お金が第一ですから、
地味な文化財は放置しているわけで、五稜郭の箱館奉行所復元や天守のほう
が大切なんでしょう。
昨年夏に城郭模型さんが見にいってこられたそうですが、なんでも、雑木に
囲まれ、風通しが悪くなっており、つっかえ棒で支えているような物置同様。
雑木のため風通しが悪いので、シロアリや湿気での腐朽が心配される
状態だった、とのことです。建築屋さんなので、この手のことは詳しいので
見てビックリの状態だったとのこと。なんてこったい、朽ちて倒れるまえに
見にいってこないと行けないかもしれません。
みなさん、見に行くならお早めに!それでは


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