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お城に行ってみました

15紋章官:2014/10/11(土) 01:09:30
10月というのに台風です。それも2週続けての台風・・・みなさん、くれぐれもお気を付けを!

さてお城に行ってきました!犬山城に行った続きで、岐阜城。こちらもある面、中世城郭らしい特徴を強く持っています。山上区画と山裾の根小屋である居館区画の2つに分かれ、削平地を斜面に設けて郭となす。
ただし、見物は復元天守とその周囲、そして山裾の居館区画に限られます。長良川に面した峻険な山頂からの眺望は抜群、ここが難攻不落と言われたのも、この山の険しさと眺望の良さで、いち早く接近してくる敵軍を見つけて防御を固め、攻撃を察知できた事でしょう。ただ、城としての備えでみると、防御性が高いように見えない。もちろん、中世的城郭なので、大規模な防御施設はまだなく、地形自体が役割を果たしていたともいえますが、竹中半兵衛の12人による内側からの城攻め、織田信長の稲葉山攻めで木下藤吉郎による奇襲、そして関ヶ原前哨戦での陥落と案外、落城があっけないところがあります。
まあ、どんな城郭も案外、落城はあっけないものですが。
さて岐阜市による精力的な発掘で山下居館区画の発掘が精力的に行われ、当時は庭園の大きな石などが出土した状態でした。
むしろ、見るべきはこちら。案外、中世戦国期居館遺構は城の防御施設よりも遺構の残りが悪く、また発掘の注目の度合いも低いので、居館は幾分影が薄い。それに文献資料でも言及は少ない。そこで岐阜城の場合、発掘でいろいろと出てくる。そして山科言継の「言継卿記」、ルイス・フロイスなど宣教師の書簡、大田牛一の「信長公記」と言及した資料が存在。遺構と照らしあわせて、検証できる便利なところです。あれから10年以上、現在、どのような現地保存がされているか知りませんが、復元天守のある山上区画ではなく、山裾の居館部分を楽しんでみるのもいかがでしょうか?
しかし、犬山、岐阜といったのに、なぜか名古屋城はまだ行っていない。上田城も同じで、まじかに行きながら通り過ぎている。いつ行けるかな〜それでは


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