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★☆ 九州の温泉ニュース ☆★

292もぐさ@ものぐさ:2005/12/22(木) 17:42:10
温泉教授の湯治に行こう
日本の温泉は庶民のもの 2005年12月21日
http://www.asahi.com/travel/onsen/1221.html

 江戸時代の戯作者(げさくしゃ)として知られる式亭三馬(1776―1822)の代表作
『浮世風呂』にこんな条(くだり)があります。

…湯を浴んとて裸形(はだか)になるは、天地自然の道理。釈迦も孔子も於三(おさん)も権
助(ごんすけ)も、産まれたままの容(すがた)にて、惜(をし)い欲いも西の海、さらりと
無欲の形なり。
 大意は、「風呂に入るために裸になれば、高名な人や金持ちも貧乏人も皆同じ、無欲の姿で
いられる」といったところでしょうか。

 『浮世風呂』は、銭湯の人間模様を通して江戸の庶民の生活をおもしろおかしく語った滑稽
本(こっけいぼん)ですが、この一文ほど日本の温泉文化を端的に表現しているものはないと
思います。

 確かに温泉に行き、手ぬぐい一本の姿になれば、肩書きも身分もわからなくなります。三馬
が生きた江戸時代には、銭湯も温泉場も混浴が当たり前でした。

 そこでは男女の隔たりすら気にならなくなる。だから肩の力が抜け、疲れがとれるのです。
ふだん肩を怒らせている人も、逆に自信をなくしている人も、裸になればそう大差はないでし
ょう。他人とお湯を共にし、価値観を同じにできる温泉場では、本来の自分に戻れるのです。

 松尾芭蕉、賀茂真淵、本居宣長など、江戸時代の文化人は、箱根の芦之湯のような温泉場に
集い、サロンのようなものを作っていました。

 ゆっくり湯治をしながら、碁を打ったり議論をしたり…。そこで新たな着想や創作、研究の
ヒントを得ることもあったでしょう。明治、大正期にかけても、数多くの文人墨客が湯治場に
滞在した記録が残っています。

 もっとも、温泉場、そして湯治の主役は、名もない一般庶民でした。欧米でも中国でも温泉
場で時間を過ごせたのは一部の特権階級でした。ところが日本はそうではなかった。誰もが対
等でいられる唯一の場であり続けています。

 これこそが日本人のメンタリティ、世界で類を見ない温泉文化といってもいいでしょう。


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