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仏教における仏、成仏とは

101Leo:2005/10/28(金) 22:00:20
池田氏は仏教界のモーゼといえましょうか?
そういえばモーゼはイスラエルびとエジプトの支配から開放したけど40年間彷徨って彼自身は約束の地へ
たどりつかなかったんだなぁ。

映画《十戒》に思う
ttp://www.lifelong.pref.akita.jp/family/gakusyu/es171004.htm

「神の命を受けたモーゼが、エジプトの圧政と迫害に苦しむ60万のイスラエル人たち(奴隷)を率いてエジプトを脱出し、
 40年間荒野を彷徨った末に、追っ手との戦いや内輪争い、猜疑、人々の欲望と堕落などの苦難を乗り越えて、
 乳と蜜の流れる約束の地カナン(現在のイスラエル国)にたどり着くまでの話である。」

えーと。彼はたどりつかなかったんです。※1

「灼熱の砂漠を40年も彷徨うというのは、少し長すぎる気がするが、これについては、「モーゼは、奴隷の身分から
 自由人への変化には、人間の根底的な変化(新たな自己意識と再誕意識)が必要であり、いかなる『奇跡』をもって
 しても奴隷を自由人に変ええないことを悟ったのだ。だから彼は、奴隷たちを砂漠に連れ戻して、奴隷の世代が死に絶え、
 砂漠で生まれ育った新しい世代が約束の地に入る準備ができるまで、40年間待ったのである。」という哲学的解釈もあり、
 人間の意識改革の難しさを暗示しており興味深い。」

※1
「モーセはイスラエル人を導いて荒野を通って土地の王たちとの戦いを経つつ、カナンの地へ至った。
しかし、カナンを前に民が神とモーセに不平を言ったため、神はさらに四十年の放浪をイスラエル人たちに課す。」
(『民数記』14章)

「モーセもまたメリバの泉で、水の不足を訴えたイスラエル人に対し、「わたしに水を出させよというのか」と
 神をさしおいた発言をしたため、カナンの地へ入ることを許されなかった。
 40年の期間が満ちたとき、モーセは民に別れのことばを残した」(『申命記』32章)。

「そののちモーセはピスガの山頂で約束の地カナンを目にしながら世を去った。その墓所は伝わっていないとされている。
 享年120。」(『申命記』34:1)


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