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提督たちの憂鬱 設定スレ その34

846ham ◆sneo5SWWRw:2017/05/26(金) 00:20:47
・砲熕兵器
主砲はボフォースよりライセンスを獲得した五六口径のボ式40mm連装機関砲を艦の前後に2基備えている。
史実の丙型の四十五口径十年式十二糎高角砲2基2門より火力は落ちるが、
これは後述する対潜火器に重量を取られ、対潜火器を含めた合計武装重量による転覆の危険性の問題から、
重量を抑えるため、40mm連装機関砲が選択された。
また、同じ40mm機関砲でも高性能の七〇口径ではなく、ライセンスそのままのボ式を採用しているが、
これは、七〇口径型を主力艦艇に優先した結果、護衛艦艇向けに新規に調達するより、既存形式の転用したほうが低コストと判断されたためである。
なお、工廠での生産ラインの都合から、転用できるボ式が無くなり次第、装備する40mm機関砲は七〇口径のもの変わっていったため、これを中期型に分類することがある。

太平洋戦争後期になると、予想以上に戦争が有利に働いたため、五〇口径7.6cm単装速射砲も回せるようになったことから、新たな主砲として備え付けられ、防空能力が大幅に向上している。
だが、まもなく終戦となり、建造計画艦の全てが白紙にされ、建造途中艦も解体ないし防波堤転用などで就役することはなかったため、装備した艦は全体的に少ない。

近接対空火器には、エリコン20mm機関砲を初期型と中期型では機械旋回の連装で4基、手動旋回の単装で18基装備し、侮れない火力を有している。
後期型では速射砲を載せる関係から、武装重量軽減のため、連装を2基、単装を10基撤去している。


・水雷兵器
対潜兵器には、新しく開発されたスキッドを日本海軍の艦艇で一番早く装備し、その他にも2種類の対潜装備を有していることからも、高い対潜能力を有しているのがわかる。

スキッドは史実英海軍が開発した対潜兵器の代表格で、3発の大型の対潜弾が艦の前方250mに一辺40m程度の三角形を作り、爆発による圧力波によって文字通り「潜水艦を殴り潰して破壊する」ものである。
これを艦尾に1基装備し、強力な一撃を放つことを可能にしている。
ただし、装填作業が人力であり、200kgある対潜弾を揺れる艦上で装填することは、ある種の苦行であった。
これについては、史実で機力装填となった改良型のリンボーがあるが、当艦型の大きさでは、リンボーに変更することは重量関係から困難であるため、最後までスキッドのままであった。

また、新しい対潜兵器を装備する一方、従来の爆雷も艦後部方向の潜水艦に対応するために、搭載数が僅かながら、用意されている。

後期型では、この爆雷に代わって、新たにMk.32短魚雷(史実では1944年より実戦配備)を投射する短魚雷投射機も装備されている。
水中高速艦には対応できないものの、それまでの従来型潜水艦には非常に脅威であった。


・機関系
機関は、航続距離に目をつむり、量産性が高く、より調達しやすい艦本式ボイラーとオールドギヤードタービンによる蒸気機関を採用している。
史実の丙型海防艦より若干大きめの船体であることから、重油燃料タンクも若干大きくなり、史実と同じ航続距離を維持できているが、速力は0.3ノット低下している。
調達の容易さから、オールギヤードタービンよりさらに調達しやすいレシプロ蒸気機関という選択もあったが、燃費と速力の低下がこれ以上は許容できないとされ、断念された。


・その後
当艦型は、同時採用された二号型海防艦と区別するため偶数番号(下一桁が2,4,6,8,0)が付けられた。

日本が第二次大戦に参戦した1940年頃には一定数就役していた当艦型は、一号型と共にインド洋や地中海に派遣された。
派遣された当艦型は、この当時の日本以外では未知の装備であったスキッドを装備していたこともあり、一号型と共に多くの枢軸側潜水艦を血祭りに上げ、イギリス側対潜部隊から注目を浴びた。
英独休戦により撤退後は、太平洋戦争でも船団護衛や対潜作戦で活躍し、太平洋戦争後は、余剰艦が海保に譲渡され、大陸沿岸の密漁船狩りに活躍した。

また、独立した東南アジア諸国の海軍には、ディーゼル機関の一号型より機関が扱いやすいとして、一号型より多くが譲渡され、再編中のカリフォルニア海軍、第三国経由でイギリス海軍にも譲渡された。
一号型が七つの海で活躍したのに対し、活躍範囲は狭いものの、高い対潜能力で一号型に負けずとも劣らずの奮闘を繰り広げたことで名を残した。




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