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陸軍幼年学校の入試身体検査とM検

1名無しさん:2019/08/22(木) 22:32:17 ID:DK9oyGfI
陸軍幼年学校入試とM検
末は大将、全国一の秀才中学生、13歳-15歳の美童中学生の羞恥のM検場。

2名無しさん:2019/08/22(木) 22:33:38 ID:DK9oyGfI
私は全国一の難関と言われた「東京陸軍幼年学校」を受験することとなりました。
終戦のニ年前のことです。
受験者は約九千人。宮家・軍人子息等の特待生を除く、一般からの合格者定員は僅か五十名程度でした。
受験は学科・面接と身体検査。冬の厳しい寒さの中で受験は実施されました。
十三歳の受験者が最年少ですが、二度目・三度目の受験者は十四・十五歳と随分大柄でした。
私は、十二月生まれでしたから十三歳になったばかりでした。

3名無しさん:2019/08/22(木) 22:38:13 ID:DK9oyGfI
身体検査は、講堂で行われました。全員ふんどしだけ身に付けた全裸に近い格好で集合させられました。
身長・体重・視力等、順々に検査が進みます。
壇上には、日本刀を持った、立派な髭を生やされた兵隊さんが三名座って、
私たちの検査の様子を御覧になっておられたように思います。
ずっとふんどし姿で検査を続けましたが、軍医殿の「触診」の列に並んだときには、
唯一体を被っていた最後のふんどしさえも外すように命ぜられました。
外したふんどしを小脇に抱え、性器を丸出しにした状態で、「蹲踞の姿勢」で待機するように言われるのです。

4名無しさん:2019/08/22(木) 22:41:33 ID:DK9oyGfI
受験生は、軍医殿の前に両手を後ろに組み、両足を軽く左右に開いた格好で立たされます。
皮を被ったままの者は、包皮を剥き上げられました。
できない者は、カルテに「包茎」と記されたようです。
何人もの受験者がいますから、かなり手荒く強引に剥き上げられていたようです。

「性病」の有無を調べると称し、膿が出ないかと一物をギュッ、ギュッと二、三度しごかれました。
睾丸を袋の中でぐりぐりと転がされ、これもかなり手荒く機械的に触診されていました。
包皮を剥かれ、睾丸をまさぐられ「ウッ。」とか「イテッ。」などの呻き声が、
何人もの受験生の口から漏れ出ていたのを記憶しています。

5名無しさん:2019/08/22(木) 22:44:51 ID:DK9oyGfI
最後に「痔疾」の検査と称して、四つん這いになって、肛門の様子を検査していただくと終了。
だいたい、全国の優秀かつ真面目な志願生に「性病」検査等必要だったのかどうかはさておいて、
軍人として、兵士として、国家や上官の命令や規律の中においては、
個人の尊厳や権利等は皆無に等しいことを身を持って知らしめるための儀式であったと考えられます。

検査の様子は列の後ろに控えている受験生全てに見られているわけで、顔を真っ赤にしている初な生徒も沢山おりました。
当然のことながら自然の仕組みに逆らえず見事に「勃起」させてしまっている者もおり、
「蹲踞」の姿勢を崩し「勃起」を見られまいと、足を閉じ、見回りの検査官に指摘を受け、
無理矢理足を開かされ「勃起」を暴露され、「日本男児、何が恥ずかしいか。」と、
持っていた竹刀の先で、勃起をチョンチョンとつつかれて顔を赤らめて項垂れる生徒もおりました。

6名無しさん:2019/08/22(木) 23:00:11 ID:DK9oyGfI
陸軍のエリートコースとしては陸軍幼年学校というのがあり、中学1年生または2年生が受験する。陸軍幼年学校に入ったという事は、その中学の大変な名誉だったそうで、成績の良い子は先生から受験するよう言われ願書を出す。
 しかし、軍関係の学校は例外なく身体検査時にM検がある。願書を出すと中学1年生でM検を受けることになる。落ちると、中2でもうl度受験する。
 軍関係の生殖器検査は徴兵検査と同じやり方で厳密に行われたから、思春期の敏感な性器には大変な刺激である。包皮を剥きあげ、まだ敏感な亀頭粘膜を強く握り擦られるのだから多数の者が検査中に勃起した。耐えられず射精してしまう者も10%位いたそうで、検査場には雑巾が用意されており、床をよごした者は自分で掃除させられるという。

 なお、昭和17年に石井磨という人が、中学生を中心とする3500人に性器調査の為のM検を行っている。その調査では発毛平均年齢は14.4歳であった。
14歳の少年兵受験者はまさに生えはじめの年ごろだったわけで、ジャングルもいれば発毛の兆しもない者もいたはずで、それは恥ずかしかったことだろう。

 最近では、岐阜県のI沼高校で医師が春の健診の時パンツまで脱がせ、性器を検査して調べたと問題になったことがある。5人一組ではいり、一人ずつ皆の前でパンツを脱ぎ検査を受けたというが、先にやられる者も、順番を待つ者もたまらなかったことだろう。
男は大きい小さいだの、長い短いだの、皮がどうの、それになにより困るのは意志に反して勃起する恐れがあり、恥ずかしかった事であろう。しかし、これらはかつてM検に臨んだ多くの日本男児も耐え忍んだことなのだ。

7名無しさん:2019/08/22(木) 23:27:04 ID:DK9oyGfI
 幼年学校のM検に立ち合った人の手記には次の様な状況が書かれている。

 性器検査では常に4,5人の受験者が順番に並び全裸のまま直立して前の者の検査を見せられる。時間内に素早く検査を終了させるためである。
 中1、2年で恥ずかしくてたまらない年ごろだ。
カーテンの中に入ると、ベッドと
検査官の椅子、その前に〇が、そしてもう一つ〇印。

M検場には」二人はいる。一人は検査を受ける、丸裸。もう一人は次ぎのもので〇印の中で待つ、パンツ一枚。
次のものは前のものが終わったら、すぐ脱げるように、パンツのひもを緩めて目の検査を見ている。
もうすぐ始まる恥ずかしい検査を、パンツのひもを緩めて待つ。
kれから始まることの最後の心の準備をさせる。でもその正視できない検査の一部始終を見せつけられては、これから脱ぐというのに膨らんでしまう。
前のものが終わったころには
テントを張ってしまう。
でも容赦なく脱いでしまって、さっきまで前のモノが検査を受けてた〇印に移らねばならない。
かわいそうに「元気があってヨロシイ」の声とともに敏感になったところをとらえられるのだ。

先端まで固く包まれた少年の包皮を環状口が露出するまで剥きあげられる。
陥頓になった場合のためにベッドが用意されている。

検査にたえられず、臍に着くほどになって、どくどくと漏らしてしまうものもいる。そのようなもののために雑巾が用意され、汚した床を掃除させられる。
パンツはそのまま穿くのですぐわかってしまう。

それは戦後まで続いた大学入試のM検でも同じだったろう。

8名無しさん:2019/08/22(木) 23:30:19 ID:DK9oyGfI
検査を見せることで性器をいじられる覚悟をさせるのである。
 性器のあとは肛門検査だ。床に手形と足形が書いてあり、形に合わせて脚をピンと伸ばして股を広げ四つんばいになり、検査官の鼻先まで高く尻を突き出す。尻の割れ目から会陰、肛門から陰嚢の裏まですべてを露わにさらけだすと、検査官が肛門をグッと広げて検査する。
 無理矢理亀頭を剥き上げる陰茎検査、キンタマを握る陰嚢検査、太い肛門鏡を挿入される肛門検査。並んで順番を待ちながら、前の者が受けている検査のすべてを見せつけられる。見られる方はもちろん、次の者も「もうすぐ自分もあのように握られるのか」と思うとたまらない事だろう。なかには見ているうちに陰茎が勃起してしまう者もある。勃起状態でいじくり廻されて、奇妙な快感に耐えられず漏らしてしまう者もあったという。

 以上、かつての日本男児と「M検」は切っても切れない関係にあり、男と生まれたからには身体検査で性器の検査を受けることが常識だったのである。これは戦前に限った話ではなく、戦後数年たってからも警察や一部の会社の養成工採用試験では徴兵検査式のM検が行われていたようである。

9名無しさん:2020/05/04(月) 12:27:50 ID:DK9oyGfI
少年、その羞恥の美学
h ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1577168673/l50

10名無しさん:2020/05/31(日) 10:59:26 ID:DK9oyGfI
70年の伝統!・陸軍幼年学校の夜

11名無しさん:2020/05/31(日) 11:02:02 ID:DK9oyGfI
70年の伝統!・陸軍幼年学校の夜

h ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1213530927/l50

12名無しさん:2020/07/23(木) 14:09:14 ID:DK9oyGfI

陸 軍 幼 年 学 校 身体検査
私は中学1年生の時、学校の先生の薦めで陸軍幼年学校への入学試験を受ける事になりました。
 陸軍幼年学校とは陸軍将校養成のための初等学校で熊本・広島・大阪・名古屋・東京・仙台の6校がありました。中学校1年または2年から入学し,修業年数は3年。卒業後は陸軍士官学校の予科に進むことが約束されている軍のエリートコースでした。ここに入学すると言うことは、将来軍人になり、出世することが約束されたようなものです。

 また中学校の生徒が陸軍幼年学校に入るという事は、その地域、中学にとっても大変名誉な事であり、成績の良い子は必ず先生から受験するよう言われ願書を出すのです。

 それだけに受検者が合格するかどうかは学校全体の大きな目標であり、当時の受検者は学校の名誉をかけて全力で受験準備をする事を要求されていました。
そして学校だけでなく、市役所、町内会、婦人会など地域全体も受検者を合格させるために全面的な応援をします。
すでに幼年学校入学は受検者個人の問題でなく地域の重要な年中行事でもあったのです。

 その年、名古屋近郊にある我が市で受験するのは5人、私と親友の木下君、それと他校から榊原君ほか3人でした。
 榊原君は学業の成績もよかったのですが、特に運動能力が大変優れていましたし体格も立派だったので、きっと合格するだろうと言われていました。また彼は事情があって中学に入学するのが遅れていたため、年齢的には1つ年上の14歳で、見た目も大人びていて、私らとは格が違う感じでした。
 私と木下君は学業は学校でも1,2位を争う程度の実力が有りましたが、体格が少し見劣りしていたため、受験までの6ヶ月ほど体育の先生から受験対策として運動の特訓を受けました。

 この地域では毎年、受験予定者は夏休みの一ヶ月、合宿して受験勉強や体力訓練を行うことになっていました。
合宿は学校近くにある公民館で行われ、食事は地区の婦人会が賄ってくれます。
そして陸軍出身で、今は退役して市役所の職員になっている、45歳くらいの寺澤さんという方が指導担当の先生となりました。
 陸軍の先輩として合宿生活全般および受験の心得などを一緒に寝泊まりして指導していただくのです。

13名無しさん:2020/07/23(木) 14:13:41 ID:DK9oyGfI
7月半ばになると合宿説明会があるからと関係者が公民館に集合しました。
このとき色々な説明や注意事項、今後の予定、各自治会の分担などが話し合われ、決まりました。

 説明会も終わって、学校の先生や自治会、婦人会の人が帰って行った後も我々は残されていました。
そして寺澤先生と受検者5人だけになると、先生は受験時の身体検査について話されました。

「陸軍幼年学校の受験では、将来、軍人として将校になるのにふさわしい生徒を選抜するために厳密な身体検査が行われる。諸君らもすでに先輩に聞いて知っているとは思うが、身体検査においてはM検と言ってチンボコを詳しく見る検査も行われる。これはチンボコに病気がないか、十分発育しているかという事を調べるものである。
将校のチンボコが病気では軍人として勤まらないのは当然であるが、それだけでなく、チンボコや金玉の発育状態が将来、将校になるのにふさわしいかどうか詳しく徹底的に検査されるから覚悟しておくように。
 いまから受験の時とおなじように諸君らのチンボコの発育状態を検査して、問題があれば合宿までに医者に診てもらう事にする」
と言われました。

14名無しさん:2020/07/23(木) 14:17:37 ID:DK9oyGfI
そして先生は性器検査がどのように行われるか状況説明されました
 「性器検査では検査を受けている者の横に裸のまま並んで待つ。この時、前の者の検査をよく見て受検手順を覚え、間違えないようにすること。
 陰茎検査では包皮を剥き上げて強く握られる。このとき包茎であることは不合格にはならないが、剥き上げたとき痛がると病気と勘違いされて不合格になる可能性がある。だからすぐに剥けるように、また剥かれたとき痛くないように包茎は治しておかないといけない。
 次に金玉の検査をされる。普通の大きさの金玉が二つあれば合格だが片方しかないと不合格になる。同じように脱腸も不合格である。
 性器のあとは肛門検査となる。床に書いてある、手形と足形に合わせて股を広げ四つん這いとなって、脚をピンと伸ばして検査官に高く尻を突き出す。すると肛門をグィッと広げて検査される。痔があると減点となる。
 以上、陰茎検査、陰嚢検査、痔をみる肛門検査で性器検査は終了である。
病気でなければ不合格になることはないが、発育不全では得点が下がるので、包茎は医者に見せて治しておいた方がよいのだ。」
と先生は説明されました。我々5人は全員黙って話を聞いていました。

 話が済むと先生は服を全て脱いで並ぶように言われました。
皆がためらっていると「男はだれでもチンボコを一本ずつ持っておる。何が恥ずかしいか!チンボコを恥ずかしがるようでは立派な軍人にはなれんぞ。軍隊では命令されればすぐに裸になるんだ。兵隊になればしょっちゅう衛生検査でM検がある。いちいちM検を恥ずかしがるようでは軍隊はつとまらんぞ」と叱りました。

15名無しさん:2020/07/23(木) 14:19:34 ID:DK9oyGfI
皆が裸になると先生はまず榊原君からM検を始めました。年上の榊原君は濃い陰毛の中から太い陰茎がぶら下がり、亀頭は八分ほど剥けている大人の性器にまで発育していました。
 先生は榊原君の陰茎を握って持ち上げました。それから握りつぶすように、根元から先っぽに向かって何度もしごくように握り上げていきました。この時痛がると病気と間違われるので痛くても我慢するようにと注意をしていました。何度かしごき上げた後、尿道口を開いて見ていました。
それから二つの金玉を両手で1つずつ握りグリグリと動かしたり、袋の中を探るようにいじって金玉を検査されました。最後に榊原君を四つん這いにしてお尻を持ち上げさせて、尻を開いて中を覗き、痔の検査をしました。
先生は榊原君の性器の発育状態は満点で合格であると言われました。
その次に木下君が同じように検査され、先生は次々と5人を検査されました。

 榊原君はすでに剥けていました。木下君は最初、完全に皮を被っていましたが先生が根元に向かって引っ張るとスルッと簡単に剥けました。木下君は検査されているうちに勃起したのですが、勃起状態になると亀頭が完全に露出していました。
 この2人は先が剥けて亀頭が出たのですが、私と他の2人は剥けませんでした。寺澤先生は剥いて検査しようとするのですが痛くて無理でした。
 先生は「本番の検査時には、包茎でまだ剥けない者でも酷く剥かれることがあるので、簡単に剥けるようにしておかないとダメだ」といい、校医の先生に頼んでおくと言われました。

16名無しさん:2020/07/23(木) 14:21:36 ID:DK9oyGfI
 試験当日、学科試験は自信がありました。そして面接と身体検査。
 身体検査は寺澤先生の話に聞いたとおりの厳格なものでした。
検査は初めから全裸にされ、体重測定や視力の測定までもフリチンのまま行われました。寺澤先生の指導のおかげで軍隊式の規律ある行動ができました。性器を手で隠すことは禁止でした。陰部検査では陰茎を何度もしごかれ勃起しかかりましたが受験準備の訓練が効いたのか勃起にまではなりませんでした。睾丸も痛いほど握って検査されました。肛門検査も床の手形に合わせて四つん這いになり、大きく尻を上げて検査官の前に尻を突き出して検査をされ、終わると「よし!」と言われ、尻をパチンと叩かれて終了しました。あれだけ練習したので減点はなかったと思います。

 試験結果は榊原君と私の2人が合格でした。

 入学前にもう一度身体検査を受けました。内容は試験時の身体検査と同じでしたが、違っていたのは肛門検査です。痔の検査以外に糞便検査のために肛門へ直径2cmぐらいの先端のくびれたガラス棒を挿入され驚きました。

 そして4月に入校しました。陸軍幼年学校は軍隊そのもので、大変厳しく失敗をするとすぐにビンタをとられます。また寄宿制学校であり、先輩には絶対服従となっていましたので、寄宿舎の中では相互手淫や男色行為が大変多く行われていました。

 陸軍幼年学校に入学すると年に1回程度、1ヶ月間、教師の当番兵としての順番が回ってきます。
 教師の身の回りのこまごまとした雑用は当番兵の役目でした。上官の命令は絶対服従ですから、当番兵に選ばれると教師の命令や要望はどんな事にでも従わなければなりません。
 当番兵の1ヶ月間は、学校の課業を終えるとすぐに教師の官舎に行き、掃除や洗濯をしておきます。教師が帰ってくると風呂での背中流し、按摩などをします。腰や脚を按摩しているとき、いつの間にか陰茎が勃起していて、越中褌を大きく突き上げているのを見たこともありました。

 寺澤先生が「上官はチンボコの世話も当番兵にさせる」「その時、上官のチンボコが立派でないと軍隊の面目がつぶれる」と言われていたことがよく分かりました。風呂場で背中を流すとき、わざと見せつけるかの様に、平気で露出させていた教師の性器は寺澤先生のように立派でした。

 3年間の修業も無事に終え、卒業後は陸軍士官学校の予科に進みました。そのころには私のチンボコも寺澤先生のように黒く日焼けして完全露出し、将来の将校にふさわしい立派な男性性器に変化していました。

17名無しさん:2020/07/25(土) 08:28:16 ID:DK9oyGfI
旧制中学入試身体検査にはM検もあったと思われる。



 自歌自讃・86号

 少年の日のM検を思ひ出づ わが鬱質のルーツか知れず

 中学の入試にM検 少年は自負ふみ砕かれて兵士予備軍

 木造校舎の一室、受験生は一人ずつ入室を求められた。軍医らしき男が椅子
に座り、その背後に数人の看護婦らしき影があったが、彼らは窓を背にしている
のではっきりした記憶はない。
 男の前にオズオズと立つとパンツを脱げという。びっくり仰天しあわてて 下着
を押さえたようだが再び脱げと声を聞いた。そのとき男の後ろにいた女 らの小さ
な笑い声だけは覚えている。  羞恥心さえ失って命に従うと男の手が無造作に
伸び、penisを掴むと二三 度強く握られた。性病の検査だったのだろうが第二次
性徴さへ間のある性器 から排膿などあるはずもない。 ついで四つん這いにさ
れて肛門の視診があったのだが半ば放心状態のまま 終わり部屋をでてから急
にやり場のない羞恥心に襲われた。
 真裸にされて受けた形式的な検査は病気の有無確認ではな く人間的な感情、
つまり屈辱、自負心、羞恥心を壊してしまえと いう教育目的があったことを後年本
を通して知りました。  「やらねばやられる」戦場では殺人に対する一瞬の躊躇い、
勿論禁忌でしょうから。  
 こんな年齢から兵士向きに改造されてゆき、中学入学後は銃剣を構えて効 率
的な殺人の技の習得に励んでおりました。 当時はこんな検査のあったことを親にも
言えなかったのですがやは り短歌に記録しておきたかった。

                                       (2002・8・15)

18名無しさん:2020/07/30(木) 08:22:21 ID:DK9oyGfI
陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794

19名無しさん:2020/08/09(日) 13:31:21 ID:DK9oyGfI
M検は被験者を全身脱衣させ、性器や肛門を検査した。検査の内容は鼠径部、睾丸、陰茎の目視と触診を行い、包皮をめくり、亀頭を露出させ、陰茎を按圧して性病の罹患を検査し、肛門部では臀部を開脚させ、痔疾、痔瘻の有無を検査した。 「陸軍身体検査規則」(1928年3月26日陸軍省令第9号/昭和3年第15号)第二十三条七号で軍隊での検査方法が確立された。

「陰部ノ検査ハ受検者ヲシテ脱褌セシメ両脚ヲ開キ検者ニ正面シテ立タシメ鼠蹊部、陰茎、陰嚢、精系、睾丸及副睾丸ノ異常ノ有無ヲ検査シ排尿ノ難易、遺尿ノ有無ヲ検シ必要アルトキハ排尿セシメテ尿ノ性状ヲ検査ス」とした。

20名無しさん:2020/08/09(日) 17:20:23 ID:DK9oyGfI
「風俗奇譚」昭和46年10月特別号、東京陸軍幼年学校受験生のM検に立ち会った衛生兵の手記(米軍性器洗浄所)によると、徴兵検査と同じく包皮を反転する。
ついたての中には、○印のところが有って、次の者はその○印のところでパンツ(パンツやフンドシ両方有ったという)のヒモを緩め、前の者のを見ながら待つ。
目の前では、生まれたままの姿にされた前の者が検査を受けている。
ヒモを緩めてとは、単にすぐ外せるようにというだけではなく、最後の心の準備である。
思春期に入った少年達にとっては、見るほうも見られるほうも、恥ずかしくてたまらない。
見られるほうは勿論だが、次は自分もあのようにされるのかと思いながら待つ者もたまらないはずだ。意志とは裏腹に膨らんでくることもある、まもなく脱ぐというのにテントを張ってしまう者が出る。

そんな子は脱げと言われても、モジモジしていて軍医官に一喝され顔を真っ赤にしてしかたなく脱ぐ、そしてピンと突っ立てながら心臓をドキドキさせて軍医官の前に立つ。
軍医官は元気があってよろしいというそうだが、たとえエレクトしていても検査は容赦ないそうで、検査に耐えられずドクドクやってしまう者もいて、そのため雑巾が用意されており、床を汚したものは自分でふかされるという。しかし自分のものはそのままでパンツをはくので、すぐわかってしまうという。

M検はまず、こう丸の触診、次にペニスの検査、包皮の反転(冠状溝がでるまで剥く)も行うので痛がるという。完全にエレクトした包茎を反転するとカントン状態になり、元に戻らず痛いので、M検室にはベッドが用意されていてそこに寝させて処置するという。

21名無しさん:2020/08/09(日) 17:21:14 ID:DK9oyGfI
国民体力検査
昭和15年からは国民軆力検査といって満17才以上19才までの男子はすべて徴兵検査と同じ性器肛門検査を含む身軆検査(身体計測・疾病検診・運動機能検査)をうけなければならなくなった。職場の者は会社で、職場以外の者は市町村で、また中学生の場合は学校で行った。普通中学5年生に行ったが、4年生なかには3年生からするところもあったという。昭和16年からは、16歳以上となりM検も受けた。(実際は、15歳以上)

「国民体力検査」とは、早く言えば17歳以上の徴兵検査前のすべての男子に(徴兵検査に準じた)「身体検査」を義務ずけたというか、「“国民体力検査”という名の徴兵検査」を義務化したものに他ならない。
17才以上の男子全て・・男子として日本に生を受けたものは、学校に行っているものは学校で、職場にいるものは職場で。
「人口問題研究」(第1巻7号、第3巻3号、5号)に細かい施行令、施行規則がのっている。施行規則32条には、「17歳以上の男子に局部(性器)検査を行う」など細かい実施要領が決められている。
雑誌「さぶ」に載った「実録手記・中学生M検物語」や「少年M検体験記」によると、実際4年や3年生くらいから実施したところもあるという。

<“昭和15年11月30日において、年齢17年以上の男子たるもの”で直ちに実施された>が、昭和16年3月18日の勅令225号により、昭和16年4月からは、<“16年11月30日において、年齢15年以上の男子たるもの”に改められ、“4月1日より施行”実施>となった。
検査は7月1日より9月30日迄と定められているので、11月30日迄に15歳になればまだ14歳何ケ月でも・・・中学3年だろうか…実際昭和16年に、都内の中学校で中学3年生にM検(花柳病検査)を実施したという。

或る婦人雑誌に掲載された「性教育」に関する座談会で、当時高名な元アナウンサー氏が、昭和十六年頃の戦時中の東京の中学生時代を回想して、「中学三年になるとね、身体検査でパンツまでとって調べられるんですよ。・・・でもその関門をパスした者の、何と晴れ晴れしかったことか」と話しているのを読み、三年生にM検を課した中学校が他にもあったことを知ったのである。
 
体力手帳(昭和16年7月30日公布・大正15年7月18日生まれ・15歳)
サイズ:151×105

22名無しさん:2020/08/09(日) 17:23:31 ID:DK9oyGfI
国民体力検査
昭和15年からは国民軆力検査といって満17才以上19才までの男子はすべて徴兵検査と同じ性器肛門検査を含む身軆検査(身体計測・疾病検診・運動機能検査)をうけなければならなくなった。職場の者は会社で、職場以外の者は市町村で、また中学生の場合は学校で行った。普通中学5年生に行ったが、4年生なかには3年生からするところもあったという。昭和16年からは、16歳以上となりM検も受けた。(実際は、15歳以上)

「国民体力検査」とは、早く言えば17歳以上の徴兵検査前のすべての男子に(徴兵検査に準じた)「身体検査」を義務ずけたというか、「“国民体力検査”という名の徴兵検査」を義務化したものに他ならない。
17才以上の男子全て・・男子として日本に生を受けたものは、学校に行っているものは学校で、職場にいるものは職場で。
「人口問題研究」(第1巻7号、第3巻3号、5号)に細かい施行令、施行規則がのっている。施行規則32条には、「17歳以上の男子に局部(性器)検査を行う」など細かい実施要領が決められている。
雑誌「さぶ」に載った「実録手記・中学生M検物語」や「少年M検体験記」によると、実際4年や3年生くらいから実施したところもあるという。

<“昭和15年11月30日において、年齢17年以上の男子たるもの”で直ちに実施された>が、昭和16年3月18日の勅令225号により、昭和16年4月からは、<“16年11月30日において、年齢15年以上の男子たるもの”に改められ、“4月1日より施行”実施>となった。
検査は7月1日より9月30日迄と定められているので、11月30日迄に15歳になればまだ14歳何ケ月でも・・・中学3年だろうか…実際昭和16年に、都内の中学校で中学3年生にM検(花柳病検査)を実施したという。

或る婦人雑誌に掲載された「性教育」に関する座談会で、当時高名な元アナウンサー氏が、昭和十六年頃の戦時中の東京の中学生時代を回想して、「中学三年になるとね、身体検査でパンツまでとって調べられるんですよ。・・・でもその関門をパスした者の、何と晴れ晴れしかったことか」と話しているのを読み、三年生にM検を課した中学校が他にもあったことを知ったのである。
 
体力手帳(昭和16年7月30日公布・大正15年7月18日生まれ・15歳)
サイズ:151×105

23名無しさん:2020/08/09(日) 17:24:28 ID:DK9oyGfI
また一般の旧制中学の入試にM検を課したところもあったようだ。
< 木造校舎の一室、なにも分からぬまま受験生は一人ずつ入室を求められた。 軍医らしき男が椅子に座り、その背後に数人の看護婦らしき影があったが、 彼らは窓を背にしているのではっきりした記憶はありません。男の前にオズオズと立つとパンツを脱げという。びっくり仰天しあわてて 下着を押さえたようだが再び脱げと声を聞いた。そのとき男の後ろにいた女 らの小さな笑い声だけは覚えている。羞恥心さえ失って命に従うと男の手が無造作に伸び、penisを掴むと二、三 度強く握られた。性病の検査だったのだろうが第二次性徴には間のある性器 から排膿などあるはずもない。ついで四つん這いにされて肛門の視診があったのだが半ば放心状態のまま 終わり部屋をでてから急にやり場のない羞恥心に襲われました。断れない命によって真裸にされて受けた形式的な検査は病気の有無ではなくきわめて人間的な感情、つまり怒り、屈辱、自負心、などを壊してやれと いう目的だったことを後年いろんな本を通 して知りました。「やらねばやられる」戦場では殺人に対する一瞬の躊躇い、人間ならだれ でも持っているような躊躇いは勿論禁忌でしょうから。こんな年齢から兵士向きに改造されてゆき、中学入学後は銃剣を構えて効 率的な殺人の技の習得に励んでおりました。当時はこんな検査のあったことを親にもなぜか言えなかったのですがやはり記録しておきたかったひとつです。(「歌集 想い出」2002・8・15))   
  h ttp://www.ne.jp/asahi/setsuya/ujou/omoide/omoide.htm


恥ずかしい盛り、人前で性器をさらすなんて死ぬほど恥ずかしい、オナニー盛りの14歳の中学生でも、検査を受け次の検査のため「体力手帳」を渡される。

そして徴兵検査を受けるまでずっと毎年、たとえ良家のお坊ちゃんでも、素っ裸にさせられて・・どんなに耐えがたくとも、それこそ尻たぶはおろか尻の穴の奥まで、思春期の男の子の全てを…・。

「軆力手帳」が渡され普通の体力検査からM検までうけなければならなかったという。
さらに、徴用(16歳から)や、徴兵(20歳)されると、「入隊検査」の他、毎月「月例身体検査」でM検をされるので、当時の若者は13,4〜5よりほとんど毎年M検、M検、・・またM検だったはず。病気などで、当日受けられない場合は、届け出が義務で、後で必ず受けねばならない。

24名無しさん:2020/08/09(日) 17:25:16 ID:DK9oyGfI
なお、昔少年兵など(14歳以上)や陸軍幼年学校入試(13歳)などの他、入試等(したがってM検が)が12歳以上だったものをあげてみますと・・
・呉海軍工廠職工教習所  12歳以上
職工教習所(後に工員養成所)は大正7年に設立され、優秀な小学校卒業生の中から選抜された。普通の中学へ入るより難関で、競争率は7倍強だったという。敗戦までに約2万名が卒業、生徒は見習工と呼ばれ中堅工員要員として教育された。
・工場技能者養成令  見習工 12歳以上(養成工は14歳以上)
・海軍少年水中測的兵〔海軍少年研究生〕 12歳
  h ttp://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C666980225/E20060302211725/index.html

・逓信省航空乗員養成所     12歳以上
・一部中学校等入試
なお2007年に少年法が改正され、少年院送りが14歳以上に改められてまだ日も浅いうちに、「概ね12歳以上」になりました。したがってM検も概ね12歳以上(中学1年生以上)となるでしょう。


大学入試身体検査
日本男児が徴兵検査の羞恥と屈辱から解放された戦後でも、大学入試では身体検査にM検が課されていた。どんなに、良い成績を取ってもM検と肛門検査を受けなければ、合格しないのであるから、受験生にとっては徴兵検査以上である。性病の検査ということだが、大部分の受験生は深夜まで勉強に励んでいる、まじめな高校生で性病などかかる余裕もないはずだ。「受験期の性」(大陸書房1981)という性の相談を集めた本がある、受験生のなかには女友達と性行為をしているものもいるが、受験期というのは思春期の盛りであり、昔も今も受験勉強は性欲との戦いでもある。誰でも思い当たるように、勉強部屋で勉強に疲れてすることは同じである・・

「受験勉強を夜中までやっている毎日ですが、あきてくると自然に手がペニスのところに行ってしまって、にぎったりもんだりすることがあり、ついついオナニーすることもあります。この前、たまたまペニスをさわった手の匂いをかいだら、変な匂いがしたのです。おやと思ってみると、皮と中の問のところに白っぽいアカのようなものがたくさんたまっていました。これは不潔にしているからでしょうか。それともペニスに何か異常があってでてくるものなのでしょうか。ちょっと心配になって、お風呂に入ったときには良くあらうようにしているのですが、何日かたつとまた出て来ます。それと、皮が長いためか先っぽが出て来ませんが、いつになったらちゃんと皮がむけるようになるのか心配です。」(長野県高3)

25名無しさん:2020/08/18(火) 11:05:59 ID:DK9oyGfI
陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794

26名無しさん:2020/09/06(日) 17:14:48 ID:DK9oyGfI
参考

実録手記・中学生M検物語り   さぶ
嗚呼海軍予科練習生の悲劇   さぶ
ああ海軍残酷物語―少年志願兵 さぶ

27名無しさん:2020/09/08(火) 15:20:36 ID:DK9oyGfI
参考
h ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/subject.cgi/news/1347/

28名無しさん:2020/10/10(土) 19:20:26 ID:DK9oyGfI
参考
h ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/16648/1566480737/

29名無しさん:2020/10/15(木) 15:39:41 ID:DK9oyGfI
参考
h ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1213530927/l50

30名無しさん:2020/10/16(金) 08:03:31 ID:DK9oyGfI
陸軍のエリートコースとしては陸軍幼年学校というのがあり、中学1年生または2年生が受験する。陸軍幼年学校に入ったという事は、その中学の大変な名誉だったそうで、成績の良い子は先生から受験するよう言われ願書を出す。
 しかし、軍関係の学校は例外なく身体検査時にM検がある。願書を出すと中学1年生でM検を受けることになる。落ちると、中2でもうl度受験する。
 軍関係の生殖器検査は徴兵検査と同じやり方で厳密に行われたから、思春期の敏感な性器には大変な刺激である。包皮を剥きあげ、まだ敏感な亀頭粘膜を強く握り擦られるのだから多数の者が検査中に勃起した。耐えられず射精してしまう者も10%位いたそうで、検査場には雑巾が用意されており、床をよごした者は自分で掃除させられるという。

 なお、昭和17年に石井磨という人が、中学生を中心とする3500人に性器調査の為のM検を行っている。その調査では発毛平均年齢は14.4歳であった。
14歳の少年兵受験者はまさに生えはじめの年ごろだったわけで、ジャングルもいれば発毛の兆しもない者もいたはずで、それは恥ずかしかったことだろう。

 最近では、岐阜県のI沼高校で医師が春の健診の時パンツまで脱がせ、性器を検査して調べたと問題になったことがある。5人一組ではいり、一人ずつ皆の前でパンツを脱ぎ検査を受けたというが、先にやられる者も、順番を待つ者もたまらなかったことだろう。
男は大きい小さいだの、長い短いだの、皮がどうの、それになにより困るのは意志に反して勃起する恐れがあり、恥ずかしかった事であろう。しかし、これらはかつてM検に臨んだ多くの日本男児も耐え忍んだことなのだ。


 幼年学校のM検に立ち合った人の手記には次の様な状況が書かれている。

 性器検査では常に4,5人の受験者が順番に並び全裸のまま直立して前の者の検査を見せられる。時間内に素早く検査を終了させるためである。
 中1、2年で恥ずかしくてたまらない年ごろだ。
カーテンの中に入ると、ベッドと
検査官の椅子、その前に〇が、そしてもう一つ〇印。

M検場には二人はいる。一人は検査を受ける、丸裸。もう一人は次ぎのもので〇印の中で待つ、パンツ一枚。
次のものは前のものが終わったら、すぐ脱げるように、パンツのひもを緩めて目の検査を見ている。
もうすぐ始まる恥ずかしい検査を、パンツのひもを緩めて待つ。
kれから始まることの最後の心の準備をさせる。でもその正視できない検査の一部始終を見せつけられては、これから脱ぐというのに膨らんでしまう。
前のものが終わったころには
テントを張ってしまう。
でも容赦なく脱いでしまって、さっきまで前のモノが検査を受けてた〇印に移らねばならない。
かわいそうに「元気があってヨロシイ」の声とともに敏感になったところをとらえられるのだ。

先端まで固く包まれた少年の包皮を環状口が露出するまで剥きあげられる。
陥頓になった場合のためにベッドが用意されている。

検査にたえられず、臍に着くほどになって、どくどくと漏らしてしまうものもいる。そのようなもののために雑巾が用意され、汚した床を掃除させられる。
パンツはそのまま穿くのですぐわかってしまう。

それは戦後まで続いた大学入試のM検でも同じだったろう。


検査を見せることで性器をいじられる覚悟をさせるのである。
 性器のあとは肛門検査だ。床に手形と足形が書いてあり、形に合わせて脚をピンと伸ばして股を広げ四つんばいになり、検査官の鼻先まで高く尻を突き出す。尻の割れ目から会陰、肛門から陰嚢の裏まですべてを露わにさらけだすと、検査官が肛門をグッと広げて検査する。
 無理矢理亀頭を剥き上げる陰茎検査、キンタマを握る陰嚢検査、太い肛門鏡を挿入される肛門検査。並んで順番を待ちながら、前の者が受けている検査のすべてを見せつけられる。見られる方はもちろん、次の者も「もうすぐ自分もあのように握られるのか」と思うとたまらない事だろう。なかには見ているうちに陰茎が勃起してしまう者もある。勃起状態でいじくり廻されて、奇妙な快感に耐えられず漏らしてしまう者もあったという。

 以上、かつての日本男児と「M検」は切っても切れない関係にあり、男と生まれたからには身体検査で性器の検査を受けることが常識だったのである。これは戦前に限った話ではなく、戦後数年たってからも警察や一部の会社の養成工採用試験では徴兵検査式のM検が行われていたようである。

31名無しさん:2020/10/16(金) 08:04:43 ID:DK9oyGfI

少年、その羞恥の美学
h ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1577168673/l50


70年の伝統!・陸軍幼年学校の夜


70年の伝統!・陸軍幼年学校の夜

h ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1213530927/l50

32名無しさん:2020/10/16(金) 08:05:24 ID:DK9oyGfI
陸 軍 幼 年 学 校 身体検査
私は中学1年生の時、学校の先生の薦めで陸軍幼年学校への入学試験を受ける事になりました。
 陸軍幼年学校とは陸軍将校養成のための初等学校で熊本・広島・大阪・名古屋・東京・仙台の6校がありました。中学校1年または2年から入学し,修業年数は3年。卒業後は陸軍士官学校の予科に進むことが約束されている軍のエリートコースでした。ここに入学すると言うことは、将来軍人になり、出世することが約束されたようなものです。

 また中学校の生徒が陸軍幼年学校に入るという事は、その地域、中学にとっても大変名誉な事であり、成績の良い子は必ず先生から受験するよう言われ願書を出すのです。


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