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癒し系ロボット ベイマックス夫 2nd
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ヾ=' /. . . . .|. .ヽ ゝ , /il:/ /. / . ./l. / もちろん、有名な映画やアメコミの内容には
ヾ二 - イ. . . .l. . .l /` 、 `:::/.イ- イ 〃 カスりもしないッス
ゝーヽ.ハ.ヽ..ヽ ヽ ノ /. . . |イ
/ \;ヽヾ.ゝ - ― . ´ |. . ..| ネタバレなんか無いから安心していいッスよ!
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古代シナの王は、もともと市場の組合長から発展したものである。洛陽盆地をめぐって興亡をくりかえした「蛮」「夷」「戎」「狄」出身の諸国は、首都から貿易路をのばし、要所要所に新しい都市を建設して移民団を送り込んだ。これが「封建」であって、「封」は方面、地方の意味である。はるか遠方に広がった交易のネットワークが効率よく機能して業績をあげるために、首都の王たちは「巡狩」といって現地を訪ね、植民都市の方は「朝貢」を行って朝礼に出席し、贈り物をした。」
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「シナ文明の本質の三番目は、皇帝である。黄河中流の渓谷から四方へ広がる商業都市のネットワークとして誕生した「シナ(中国)」は、その後もずっと、皇帝を頂点とする一大商業組織であり、その経営下の商業都市群の営業する範囲が「シナ」だった。
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「文字が漢字しかないということがシナ人(中国人)にとって何を意味したか、ふりがなのまったくない漢字を勉強するということがどういうことかは、日本人の想像を絶する。このような見方をした日本の東洋史学者は岡田以外にはいない。」
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「マーシャル・マクルーハンは、「グーテンベルクが十五世紀に活字印刷の技術を開発するまでは、言葉が文字よりも優越していた古代・中世だったのが、このあと、文字が言葉よりも優越する現代になった」と言うが、岡田によると、「シナでは、言葉と文字は最初から乖離していた。言葉は言葉、文字は文字で、最初から別々のものであった。」
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スウェーデンの言語学者カールグレンは、このことを理解しており、「漢文は、読む前に全体の意味がわかっていなければ、一つひとつの漢字の意味もわからない」と指摘している。解読の手がかりは、膨大な量の古典の暗誦である。
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「つまり、漢文は、日本人やヨーロッパ人が考えているような「言葉」ではなく、「中国語」の古典でもない。漢人にとって漢字を学ぶのは、外国語を使って暗号を解読するようなものなのである。
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漢文は、漢人の論理の発達を阻害した。どういうことかというと、表意文字の特性として、情緒のニュアンスを表現する語彙が貧弱なために、漢人の感情生活を単調にした、ということである。
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漢人にとって、自分が話すとおりに書くことは極端に困難であって、まず絶望的と言ってもよい。もし仮にこれができたとしても、その結果は、きわめて難解な、おそらく当人以外には読めないようなものになる。だから、日常の自然言語から遊離した語彙と文法を学んでこれをマスターしなければならない。
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文字のほうが圧倒的に効果的な伝達手段であるため、言語が文字に圧迫され、浸蝕され、その結果、感情や思考の表現力が劣り、結局は精神的発達が遅れることになる。だから、古くから仮名文字を発達させ、おかげで国語による表現力にそれほど大きな個人差のない日本人と違って、漢人のあいだには一見、知能の極端な個人差が存在するらしく見える。これはじつは漢字の世界へのアクセスなのである。
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それでは。漢字の使用方法を完全にマスターしたエリートである「読書人」にとって問題はないかというと、これがまたそうではない。彼らがなにごとかを文字によって表現しようとすれば、儒教の経典や古人の詩文の文体に沿った表現しかできないからである。
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教育程度が高ければ高いほど、文字によるコミュニケーションの領域が拡大して、音声による生きたコミュニケーションの能力が低下する。漢字を基礎としたまったく人工的な文字言語が極端に発達したため、それに反比例して音声による自然言語は貧弱になってしまった。
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しかし、見方を変えると、漢字のこの性質は、異なる言語を話す雑多な集団またがるコミュニケーションの手段としては最適であって、全人類の四分の一にのぼる巨大な人口を、一つの文化、一つの国民として統合することは、漢字の存在なくしては不可能であった。」
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「岡田の漢字論・シナ文化論については、日本の知識人ほとんどが同意し、最近では海外の中国社会でも盛んに翻訳されているが、第三章の〝日本語は漢語を下敷きにして人工的につくられた〟という岡田の論は、日本の保守的な文化人には嫌う人が多い。漢字の影響を受ける前から、話し言葉としての日本語は厳然とあった、と思いたいからである。
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しかし、岡田が引用している高島俊男氏の説明のように、漢字が日本に入ってきた当時の日本語は、「雨」「雪」「風」とか「暑い」「寒い」などの具体的なものを指す言葉はあっても、「天気」「気象」など、それらを概括する抽象的な言葉はなかった。
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言葉がなければ、その言葉が指し示す概念はその言語社会には存在しない。人間の感情も、言葉によって既定されているのである。
話し言葉を文字に写すことで書き言葉がつくられるのではない。書き言葉を学ぶことで話し言葉がととのえられてゆくのである。一般に、人間は文字を通して学ばなければ、言葉を豊かにはできない。」
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「日本語の散文の開発が遅れた根本の原因は、漢文から出発したからである。漢字には名詞と動詞の区別もなく、語尾変化もないから、字と字のあいだの論理的な関係を示す方法がない。一定の語彙さえないのだから、漢文には文法もないのである。このような特異な言語を基礎として、その訓読という方法で日本語の語彙と文法を開発したから、日本語はいつまでも不安定で、論理的な散文の発達が遅れた。
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結局、十九世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語、ことに英語を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確定することになったのである。」
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最近,東京外国語大学名誉教授で東洋史学者の岡田英弘氏が亡くなった(2017年5月)。彼の本は何冊か読んでいる。最初に講談社現代新書の「中国文明の歴史」をざっと読んで感銘を受けたので、同じ話題、特に中国人にとっての漢字/漢文の役割について敷衍した解説を読みたくて、市立図書館から岡田英弘著作集IV「シナ(チャイナ)とは何か」を借りてきて読んだ。
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その第IV部「漢字とは何か」はとてもおもしろかった。1986年、私が中国を訪問して西安の碑林を案内されたときの記憶とよく合致している。碑林には古代からの中国の石碑が収納されている。読もうと思えば何とか意味がつかめそうだが、念のために案内してくれた中国人院生に何と書いてあるのか尋ねた。ところが、驚いたことにその若い中国人は読むこともできない、ましてや意味など全然分からないと言った。そしてそのことを当然とし、恥ともなんとも思っていないようだった。その反応が不思議でたまらなかった。そのときの不思議な気持ちがずうっと残っていたが、この本を読んでそれが当然である、ということがクリアに理解できた。
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我々の習う漢文、つまりシナ人の古典はどの民族の話ことばとも関係のなに人口言語、主に、商売をするために作られた書くためだけの言語体系である。太平洋の島々では商業のためにフランス語や英語の文法をほとんど無視した言語、ピジンが使われているが、中国といわれる土地の人々は陸続きながら様々な言語をしゃべる民族の集合体なので、生きていくため、商いをするための最低限の言語を作った。それが漢文である。
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漢文は事実や現実に存在するものを記述することはできるが、抽象的な概念や情緒などを表現することが難しい。漢文を使いこなすには、範型となる意味不明の記号と音の羅列にしか過ぎない古典を頭にたたきこんでおかないといけない。現代では、その範型の役割を毛沢東選集がになっている。この漢文をあやつって表現できることは、古典に書いてある紋切型のことや表現、現代では毛沢東がいいそうな勇ましい社会主義的な言辞にならざるを得ない。しかもそれができるのは、漢文を読むという訓練のできた一部の知識人だけだ。ほとんどの人民大衆は文字やそれによって表現される様々の概念から疎外されている。そこでは、生きていくこと、金儲けをすること、つまり実利だけを理解する人々が圧倒的な多数を占める社会が存在することになる。
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しかし、彼らもひとたび情緒の自由な表現を持つ英語や日本語を話すことになると、人間性あふれる人々に相転移するのである。
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歴史学者である著者が亡くなられた後、弟子でもあった東洋史を専門とする奥様が、日本の文化と中国の文化の決定的かつ根源的な違いの原因となった漢字、「言葉がなければ概念はその言語社会に存在しない」という漢字論を、著作集からピックアップし纏めたものが本書です。
最初は借りものであったはずが、今や無くては日本語の機能が危ぶまれるまでの文字となった漢字についてのあれやこれやが興味深く刺激的で、とても面白かったです。
時に同じ内容の文章が、別の項でも出てくることに恐縮されているのですが、覚えの悪い私のような読者には、それとなく復習の機会を与えてくれ、ここ大事上差しポイントと示されているようで好都合でした。
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漢字には名詞と動詞の区別もなく、語尾変化もないから、字と字のあいだの論理的な関係を示す方法がない。一定の語順さえないのだから、漢文には文法もないのである。
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国破山河在 国破れて山河在り
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濺涙 時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心 別れを恨みては鳥にも心を驚かす
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『切韻(せついん)』
漢字を音によって分類し、覚えやすくした書物を「韻書」と言います。
頭の子音は違っても、後の部分が同じ音の「韻を踏む」の「韻」からきています。
漢族ではなく、騎馬民の出身:陸法言(りくほうげん)が、多数あった分類の「韻書」を統合してつくったのが『切韻』です。
当時、科挙の筆記試験のトラの巻としてベストセラーとなったそうです。
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共通語が誰の母語でもない不思議
漢文は、話し言葉を表記したものではありませんでしたが、漢人同士が筆談で漢語を使うことができたので、近代まで話し言葉を統一する必要がなかったのだと言います。
同じように、公用語が四十くらいあるインドや、福建系、広東系、客家系、海南系、潮州系の華人とタミル系インド人、マレー人からなるフィリピンでも、誰の母語でもない英語が共通語になっています。
なるほど、そういうことだったのか。
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話し言葉を文字に写すことで書き言葉がつくられるのではない。それとは逆に、書き言葉を学ぶことで話し言葉がととのえられてゆくのである。一般に、人間は文字を通して学ばなければ、言葉を豊かにはできないのである。
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言葉がなければ概念がない
明治期に概念のなかった西洋の言葉に、むりやり言葉をつくって当てはめることにより、その概念が取り入れられました。
例えば、英語の「プライバシー」。
この言葉が入ってくる以前には、日本社会にはプライバシーなんかなかった。
なるほどねぇ。
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中国には「指桑罵槐(しそうばかい)」ということわざがあるそうです。「桑の木を指して槐(えんじゅ)を罵る」、本当の怒りの矛先とは別の物を攻撃するという意味だそうです。このことわざだけでも現在の中国を理解することに役立つと思います。
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中国人の行動原理「指桑罵槐」には「バルネラビリティ(脆弱性)の原理」により他人に弱味を見せてはいけないというタブーが働いていると説いています。この原理がなぜ生まれたのかを歴史学的に理由を明らかにしています。
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古代から本来の国家として中国が存在したことはなく、交易を中心とした流通システムで結びついた商業都市連合が国となり、王とはマーケットの支配者であったということです。数千年もの間、この様な状態が続き、広大な土地には個人だけが存在しており、自分だけが頼りという徹底した個人主義が根付いたそうです。
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古代から本来の国家として中国が存在したことはなく、交易を中心とした流通システムで結びついた商業都市連合が国となり、王とはマーケットの支配者であったということです。数千年もの間、この様な状態が続き、広大な土地には個人だけが存在しており、自分だけが頼りという徹底した個人主義が根付いたそうです。
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また、特に印象に残ったのは中国では古代から共通言語が存在していないことです。漢文と現代中国語は全く違うものだという事にも驚きました。正確な公文書の作成に漢文は利用されてきたそうです。新しい出来事や変化を表現出来ない漢文という手段しかなかったことから情緒や感情を伝える手段がなかったのです。
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「時として言葉により、感情表現が制限されるのではないか」という言語学者の話を聞いたことがありますが、感情表現できない言語体系という世界は想像できないものです。
さらに欧米の歴史から最強の国家システムである国民国家(ネーションステート)への変遷の試みについて最終章で一気にまとめられています。
現在の中国も国民国家の樹立には至っておらず、民族や歴史、言葉も違う広大な国を統治するシステムは脈々と続いてきた「皇帝システム」でしかないと結論付けています。
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では、現実に存在してきた「中国」とはなにか。すでに述べたとおり、ただひとり、皇帝のみが「中国」であり、彼が支配する流通システム網だけが、その「帝国」なのである。だから、元などの異民族の帝国であろうと、明などの秘密結社出身の王であろうと、ひとたび皇帝となり、その流通システムを通じた統一支配を行えば、それが「中国」だということになる。
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日本人が中国人を理解出来ない、理解したつもりで勝手に不快に思っている理由の一端をしることが出来ました。
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日本語の散文の開発が遅れた根本の原因は、漢文から出発したからである。漢字には名詞と動詞の区別もなく、語尾変化もないから、字と字の間の論理的な関係を示す方法がない。一定の語順さえないのだから、漢文には文法もないのである。 「日本語は人工的に作られた」
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漢字には[名詞の数や格、動詞の態や時称を言い分ける方法がない。いや、それどころか、品詞の区別がもともとない]
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漢字で綴った漢文を外国語に訳すと、同じ漢字を名詞にも、動詞にも、形容詞にも訳せる。品詞の区別がないとすると、文章の中に、最初に主語の名詞が来て、次に動詞が来て、動詞の後に目的語の形容詞や名詞が来るといったような、一定の語順というものがないことになる。つまり、漢文には文法がない。
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そうなると、[ベルンハルド・カールグレンというスウェーデンの言語学者が、「漢文は、読む前に全体の意味がわかっていなければ、一つひとつの漢字の意味もわからない」と指摘している]
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以前、漢文に文法がないという言い方をしたときに、どういう意味かわからないと言われたことがありました。
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「食不厭精」の章があります。この中に「酒無量不及乱」とあるのは、どういう意味でしょうか。
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たぶん量は決まりがなくても、乱れるまでは行かないということでしょう。そう考えないと、おかしいことになるのは前後関係からわかります。しかし、ここだけを取り出してみると「酒は量なし。及ばざれば乱す」と読むことも可能でしょう。
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これは貝塚茂樹が『論語』で紹介している「こじつけ読み」ですが、[量に及ばないと怒って乱暴するのだ]となります。この部分の読み方の妥当性は、内容から判断するしかありません。一定の語順がない、そうなると文法がないというのは、こういうことです。
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岡田英弘によれば、国語は人工的なのが歴史の法則であるという。国家は、国民に対して正しい言葉の使い方を教育する。
『どこの国においても、国語というものは、天然自然に存在するものではなくて、建国に際して人工的につくり出されるものである。これが歴史の法則で、日本語も例外ではない』
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なぜ、日本は漢語、漢文を採用しなかったのか。つまり、どうして日本語を開発したのか。
『漢語を国語とすることは危険であった。新羅の公用語が漢語だったから、新羅と対抗して独立を維持するには、別の途を選ばねばならなかった。それは、漢字で綴った漢語の文語を下敷きにして、その一語一語に、意味が対応する倭語を探し出してきて置き換える、対応する倭語がなければ、倭語らしい言葉を考察して、それに漢語と同じ意味をむりやり持たせる。というやり方である。これが日本語の誕生であった。』
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たとえば、『「天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 傍隠所見」
という歌がある。ここに並んでいる漢字は、
「あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ 」
と読む。』
日本が日本語を創作した背景には、漢字、漢文を採用し続けたkoreaが、その基となる生活文化からchina式に染まっていることへの懸念があったからだろう。
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『一方、新羅は韓半島を統一したものの、唐の属国状態になり、完全に唐式の文化を採用する。唐は高句麗を滅ぼしたが、北方辺境で変動があり、東方で介入を続けることができなかった。新羅はその後ずっと、漢字、漢文をコミュニケーションの手段として採用し続けた。韓半島では、十五世紀にハングルができるまで国語は成立せず、漢字、漢文文化は変わることはなかった。』
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倭国の独立は、chinaともkoreaとも異なる文化があるということだから、日本としては、ナショナル・アイデンティティをつくり上げるためにも日本文字、日本語の開発は最重要課題であった。日本語によって、日本人が思考し、表現することが、日本に、日本らしい生活文化をつくり上げるからであり、それには漢語、漢文を用いるのではなく、日本人の考え、思いを、そのまま表現できる日本語をつくる必要があった。
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