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今川できない夫の戦国争覇日記 第六巻
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―――今川できない夫の戦国争覇日記―――
原作:コーエー『戦国無双2Empires』
○このスレは「今川できない夫の戦国争覇日記」3スレ目です。
○こちらは、>>1の妄想80%、ゲームのプレイ結果反映20%で作られたやる夫スレです。
○>>1の妄想に支えられた物話ですので、物語の中で史実であったはずのことを合いの手雑談の
ネタにされるのは歓迎させていただきますが、「こんなの史実ではない」という声を出される場合、
その前にブラウザバックされることをお勧めします。
○「こんなの無双ではない」という声は真摯に受け止めます。しかし、あくまで妄想8割ですので、
そういう物に耐性のある方にしかお勧めできません。
前スレはこちら→ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12973/1364562000/(5スレ目)
1スレ目はこちら→ttp://jbbs.shitaraba.net/otaku/12973/storage/1354273200.html
予告編はこちら→ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1351421739/884-901
まとめ様はこちら→ttp://katteniyaruo.blog69.fc2.com/blog-category-226.html
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【悲報】世界競争力ランキング1位から30位に転落...ここ30年でオワコン化が深刻すぎて今後日本は終焉を迎えてしまうのか?
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“最後の仕事”になるかも
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季漢書
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全後漢文は後漢時代の人物の言論や著述の断片をいろいろな史書・類書から収集したものである。
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自分の墓に「かつての征西将軍の墓」と書かれることを夢見て居た
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成績抜群でコネもある国家公務員のキャリアとなった者が「最後にはどこかの自治体の副知事になってその県のために働きたい」と夢見るようなもの
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後漢書とか三国志を読んでいると、年や月だけではなくて、起こった日付まで記載されているものが意外に多くある。
ただ、庚午とか乙巳といった十干十二支で書かれているため、グレゴリウスに忠誠を誓い、西暦に毒されてしまった現代日本人には日付として認識できないのである。
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黄巾の乱決起予定日*4 光和七年三月五日
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何進を大将軍に、八関都尉を置く 光和七年三月戊申
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独身の50代は孤独に耐えられない? 「漏れなく狂う」指摘拡散も...Twitterで反論相次ぐ
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延熹三年十二月己巳
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アメリカって国自体がブラックじゃね?
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ガーシー氏に公約に違反することを強要した参議院
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ワイ、絶対違うはずなのにどこの病院へ行っても統合失調症と言われるw
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ヒンメルとかいうニセ勇者
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姜維は諸葛瞻をはじめ蜀の大臣連中からも疎んじられた挙げ句、費禕が魏からの降伏者に殺害された後は完全に孤立状態。
軍内部でも張翼、廖化と意見が対立し、蜀で北伐を考えているものは姜維と劉禅しかいなかったというまさに孤軍奮闘状態という悲惨な状態。
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霊帝が平楽観で閲兵、無上将軍を自称 中平五年十月甲子
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北伐厨()とか揶揄される姜維だけど外様で別に大徳にさしたる恩を受けた訳でもないのに、重鎮らから疎まれようが左遷されようが勝てない相手だろうが蜀のアイデンティティなんだと北伐を繰り返し、国が滅んでもなおワンチャン狙うとか意地と執念だけなら三国志No.1だと思う
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一番は心の底から諸葛亮を尊敬していたんだろうなと思う。あとは己1人がどこまで出来るのかを試してみたかったとか。もちろんこれだけではないとは思うけど
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陸遜は2代にわたって呉を支えてきたのにゴタゴタのしわ寄せにされあっけなく死ぬってのが最高に暗黒
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孫権のストッパーにだけはなれなかったのが惜しい・・・
孫登が亡くなった年(241年)に最後のストッパーになりえた諸葛瑾も
没してしまったのも残念である。
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袁隗を太傅・録尚書事にする詔 中平六年四月壬戌
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父の孟他は後漢の十常侍の一人、張譲に家産を傾ける程の賄賂を贈って涼州刺史の地位を得た人物である。
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劉備、呂布と並ぶ裏切り者
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魏を裏切った時に喜んだ孔明を見て、魏延とかどう思ってるんだろうなぁ
俺なんかより余程反骨の持ち主だろ、くらいは思ってもバチは当たらん
戦略的状況が状況だったかも知れんが、劣勢だったのは魏延裏切った
時もあまり代わりなかったように思える
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魏への謀反のグダグダっぷいを見てると、とてもじゃないが楽毅と並べるような武将とは思えない。
無能ではないんだろうけど…。
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援軍出さずに劉備に恨まれたのと張松と法正が早死したのが魏へ裏切った原因だな
2人が生きていれば孟達の居場所もあっただろうし特に法正なら関羽に援軍(見せかけだけでも)だすように助言するだろうし
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税金だって他人の50倍は払っている!
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兵は皆何進に属す。 中平六年四月庚午
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と言うより、大変申し訳ない言い方するとどこに載せる価値も無いからじゃないかな。
魏では重用されてるけど大きな活躍は無いし、張松の伝がない蜀志に載せるのも違和感あるし(劉備入蜀の際の暗躍は法正伝だけで十分)、強いて言えば劉封と仲良く十巻に載せるのが妥当とは思うけど、なんとなく陳寿が意図的にそれを避けたような気がする。
あくまで個人的な所見ですがね。
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蜀の料理の味付けが薄いっていってるのはひょっとして山奥で塩が貴重品だったのか
蜀を裏切ったのはもっと濃い味付けの料理が食いたかったんだろうな
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山地の四川ではむしろ塩は豊富だよ。場所によっては井戸水から製塩できちゃうぐらい。
よって四川料理は昔から塩をガンガン使うし、香辛料もドカドカ使う。トウガラシはこの頃まだないけど、四川料理の原型は春秋時代に既に出来てたみたいだからこの頃も基本的に同じ傾向だろう。
つまり素材の味が薄いからどぎつい味付けをしてたんでなくて、濃すぎる味付けのせいで素材の味が薄いように感じたんじゃないかね。
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後漢末、仕官しようと八方手を尽くしたが叶わなかった男がいた。
それでも諦められない彼は当時権力を握っていた宦官の張譲に取り入ることにした。
しかし絶大な権勢を誇る張譲には大量の来客がおり彼のような小物は会うことさえできない。
そこで彼は一計を案じた。ありったけの家財を使って張譲の召使い達に賄賂を贈ったのである。
そうやって召使い達と懇意にすること数年、ついに破産してしまった。
いつも世話になっていた召使い達は同情し、力になりたいのでなにか望みがあれば教えてくれと申し出た。
それに対して彼は、今度自分と会ったら拝礼してほしいと答えた。
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後日、客の馬車が数百台並び、何日待っても面会できない客も溢れている張譲邸へと彼はやってきた。
それを見た召使い達はすぐさま全員拝礼して迎え邸内へ丁重に招き入れた。
客達は驚愕した。順番待ちを飛び越せる上に厚く歓待されるとは何者だ!?あんな人物は知らないぞ?
しかし張譲殿とそれほどまでに親しい間柄の人物がいたとは・・・
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客達はこの人物の歓心を買って張譲に口添えして貰おうと考え競うように宝物を彼に贈るようになった。
そして彼は貰った品々を全て張譲への賄賂に使用。張譲も豪勢な贈り物に感動して彼と親交を結んだ。
こうしてついに張譲の推薦で涼州刺史になることができたのである。
彼の名は孟他。孟達の父親である。
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【修羅場 恋愛】彼女に源泉徴収票を見られてしまった男性。彼女から「この年収じゃ結婚は厳しいね」と言われたみたい。でも、そもそも彼女との結婚なんて考えたこともないので、そ
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裏切りはいわば関羽のとばっちりで、そうするしか命を全うする術がなかったやむを得ない出来事よな。
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僕の彼女が白石真琴だったら
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救出するしない以前に、多分劉封・孟達軍は樊城から撤退した関羽が今どこにいるのかということもわからなかったと思われる。樊城から上庸までの陸路は、最短の祖中〜房陵ルートを使っても300km近くの距離があるし、道中は狭い山道。騎馬でも数日を要する。
まして関羽軍は、一度江陵に引き返してあきらめ、また北上という忙しい動きをしているので、到底リアルタイムでの位置把握なんか望めない。救出したくても場所すら、というかもしかしたら生死すらわからなかった可能性が高い。
そしてもし知っていたとしても、北の宛には魏軍がいて南からは陸遜や朱然が迫ってきているんだから、まず救出のために兵は動かせないだろう。
救出以前に、そもそも関羽の逃げてくるその場所を確保しておかないと何の意味もない。たどり着くのを祈りつつ、上庸・房陵を死守することぐらいしかできないと思われる。
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孟達は思うにちょっと目端が利いて小利口過ぎたのだと思う
忠義の概念をひとまず横に置けば援軍拒否にも裏切りには一応の理由があるんだけど
陣余が犬死を避け救援を送らなかったことで刎頸の友であった張耳と終生の仇同士と
なってしまったように世の中には愚にならねばいけない時というのがあるのかもしれない
結局、蜀にも魏にも謀反人と評され市中に首を晒される末路を辿ったとあっては士大夫
の人生としては失敗だったとしか言いようがないのだから
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孟達の人気を上げつつも評価を下げてる原因の一つはあの劉備へのお別れっつうか魏に奔る喜びが溢れた手紙じゃないのかね
才気走ってるのは確かなんだがどうにも言い訳がましさに満ちてる上に無礼で本当に面白い
劉備はブチ切れただろうけど
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筆まめ孟達の手紙についての記述少ないのね
やたらめったら長くてクドイ文章、意訳したのだけ見たけどあれ見ると印象結構変わるよね
機を見るに敏であり、行動力にも富んでいて有能間違いなしなんだけどそれだけに読みやすかったのかもしれない。司馬懿さん果断すぎ
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実は劉封・孟達は「関羽の窮地に救援を求められて断った」のでは全くないのよ
関羽は樊城を囲んだあとにそのまま続けて援軍要請してる
つまり龐徳を斬り于禁を捕虜にして曹仁を孤立させ、魏ではクーデターも起きて曹操が遷都も考えている頃に届いた援軍要請なので、劉封・孟達に危機感があるわけ無いのさ
関羽も援軍や救援の要請じゃなく「お前も兵を出せ」と言ってるだけの「派兵要請」だしね
それを無理と返したら、どういう訳か関羽が死んで劉備にめっちゃ恨まれて…という追い詰められかた
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>劉封・孟達に危機感があるわけ無いのさ
なので、「分かってて見殺し」では無いと思う
「こっちは足下が安定してないし、そっちは勝ってるんだったらいいじゃないですかー」
ぐらいに思ってたら大惨事に
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目先の危機に対応するのはうまい方なんだけど、積み重なった結果、そして司馬懿を見誤ったため破滅した良くも悪くも乱世の普通の武将。
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曹丕は人を見る目がなかった。
私も人を見る目がなかった。
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劉封が進退窮まったのは孟達が手勢丸ごと連れて寝返った上に
魏の大軍引き連れて上庸に戻って来やがったからなワケで
上辺の言葉を飾れば飾るほどクソ野郎だと思うわ
そりゃ劉封もコイツ嫌いなはずよ
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1000なら余生は幸福に過ごしたい。
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