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Fate/Over The Horizon Part5

1 : ◆0pIloi6gg. :2022/02/23(水) 13:04:25 0qHZSX6s0
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 空っぽのままの心に灯りをともすように
 とぎれとぎれの言葉を探して繋ぎ止めた

wiki:ttps://w.atwiki.jp/hshorizonl/


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2 : ◆0pIloi6gg. :2022/02/23(水) 13:04:58 0qHZSX6s0
聖杯戦争のルール

【舞台・設定】
・数多の並行世界の因果が収束して発生した多世界宇宙現象、『界聖杯(ユグドラシル)』が本企画における聖杯となります。
・マスターたちは各世界から界聖杯内界に装填され、令呪とサーヴァント、そして聖杯戦争及び界聖杯に関する知識を与えられます。

・黒幕や界聖杯を作った人物などは存在しません。

・界聖杯内界は、東京二十三区を模倣する形で創造された世界です。
 舞台の外に世界は存在しませんし、外に出ることもできません。
・界聖杯内界の住人は、マスターたちの住んでいた世界の人間を模している場合もありますが、異能の力などについては一切持っておらず、"可能性の器"にはなれません。
 サーヴァントを失ってもマスターは消滅しません。

・聖杯戦争終了後、界聖杯内界は消滅します。
・それに伴い、願いを叶えられなかったマスターも全員消滅します。


書き手向けルール

【基本】
・予約はトリップを付けてこのスレッドで行ってください。
 期限は七日間までとしますが、申請を行うことでもう七日間延長することが出来ます。
 延長期間を含めて、最大二週間までの予約が可能になります。
・過度な性的描写については、当企画では原則禁止とさせていただきます。
・マップはwikiに載せておきましたので、ご確認ください。

【時間表記】
未明(0〜4時)/早朝(4〜8時)/午前(8〜12時)/午後(12〜16時)/夕方(16〜19時)/日没(19時〜20時)/夜間(20〜24時)

【状態表】
以下のものを使用してください。

【エリア名・施設名/○日目・時間帯】

【名前@作品名】
[状態]:
[令呪]:残り◯画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]

【クラス(真名)@作品名】
[状態]:
[令呪]:残り◯画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]


3 : ◆0pIloi6gg. :2022/02/23(水) 13:07:03 0qHZSX6s0
新スレになります。なんだかんだで5スレ目までやって来ました。
これからも当企画をよろしくお願いいたします。

死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)
神戸しお&ライダー(デンジ[チェンソーマン])
星野アイ&ライダー(殺島飛露鬼)
本名不詳(松坂さとうの叔母)&バーサーカー(鬼舞辻無惨)
田中一 予約します。


4 : ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:23:38 Q8o1zuSE0
投下します


5 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:24:20 Q8o1zuSE0




きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心の中で思い続け、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴を持たなかったせいなのだ、と。
(中略)
じぶんの足は、完璧な靴につつまれる資格を失ってしまったのだろうか。

                                             ───須賀 敦子『ユルスナールの靴』




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


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6 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:25:35 Q8o1zuSE0





「それで結局、私たちってなんなんでしょうかね?」

何気ない一言だった。
七草にちか───アーチャーのマスターであり、観客であることを選んだ少女であり、「まあ分かりにくいので私のことは七草ってことで」と言っていたもう一人のにちか───の疑問に、しかし答えられる者はこの場にはいなかった。いや、偶像であることを選んだにちかは「知らないですよそんなん」と、やはり何気なく口にしてはいたが。
七草にちかが二人いる。
論ずるまでもない異常事態だ。今までは状況的にも心情的にも切羽詰まっていたから「そんなの後!」と流せていたが、一旦落ち着いてしまえばそうもいかない。
私たちは一体、何なのだ?
その疑問を放っておくことはできないし、なるほど確かに、Wが避けて通れない命題と称したのも納得ではあった。

「偽物じゃない、ってことは分かりましたよ。けど何が何やら……普通に考えれば、パラレルワールド? って奴だったりするんじゃないですか?」
「うっわ、我ながら安直な」
「うっさいですー、そっちこそ私のくせにマウント取らないでもらえますかねー?
 ていうか私じゃ何も分からないって丸わかりなんですから、お二人も何か心当たりとかあったりしません?」

憮然とした表情で振り返った先にいるのは、彼女たちの少し後を見守るように歩く、二人の青年だった。
煤切れた外套を纏う武骨な男、メロウリンクは寡黙な表情に少しだけ困惑の色を混ぜて。
白いジャケットを羽織る男、アシュレイは曖昧な笑みを浮かべながら。

「……俺に聞かれても困る」
「右に同じ、かな。推論に推論を重ねても出るのは憶測だけ。あれこれ想像することはできるけど」

メロウリンクが生まれ育ったのは硝煙揺蕩う鉄火場であり、まともな教育はおろか文明の恩恵に預かることすら稀な境遇であった。その時代において人類の版図は銀河系にまで及んでいたが、百年に渡る大戦争は本来築かれるはずだった高度な文明や数多の文化を根こそぎ奪いつくし、人々の生活水準は21世紀の日本と比較しても遥かに低レベルなものだった。
アシュレイが生きた新西暦も、第五次世界大戦と大破壊(カタストロフ)によって文明レベルが大幅に後退してしまった時代である。アキシオンの自然発生による旧暦機械技術の復興というブレイクスルーはあったにせよ、アシュレイの存命中にはついぞ、パラレルワールドの存在は実証されなかったと記憶している。いや、人奏者として覚醒したラグナとの会話の中で、「可能性域の観測による確率量子投射」という技術の存在が語られたが、結局はそれきりだ。
結論、二人が「にちかが二人いる」という異常事態に対して言及できることは皆無に等しい。できることと言えば、根拠のない憶測を好き勝手言うくらいである。

「けれど、いわゆるスワンプマンってことはないんじゃないかと思う。二人ともしっかり記憶があって、辿った経歴も細部が違うわけだからな」
「なんですかそれ」
「昔の思考実験だよ」


7 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:26:26 Q8o1zuSE0

あるところに、不運にも雷に打たれて死んだ男がいたとする。そしてその時、同時にもう一つの雷が、すぐ傍の沼に落ちたとする。
なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
沼から生まれたこの物体は、死んだ男と原子レベルで全くの同一であり、見かけも脳構造も記憶も人格も完全なる同一人物である。沼を後にしたこの物体は、死ぬ寸前の男と同じ外見のままスタスタと町まで歩いて帰り、男が住んでいた部屋のドアを開け、家族に電話をし、読みかけの本の続きを読み、そして翌朝仕事場へ出勤する。誰も、沼から生まれた物体当人さえ真実に気付くことはない。
さて、この沼男(スワンプマン)と死んだ男は、果たして同じ人間と言えるのでしょうか? というものだ。

「界聖杯の誤作動で一人の人間が二つにコピー&ペーストされた、というなら明確に違った経験があるのはおかしい。もしスワンプマンなら完全な同一か、記憶や思考に抜けがあるかってところだろうしな」
「……いや、滅茶苦茶気持ち悪いですねそれ。昔の人は何考えてそんなこと言ってるんですか」「同感です。どこのプラナリアですか」
「ごめん、悪かったよ」

二人のにちかは「うへぇ」といった感じのリアクションを取る。脳内に如何な絵図を描いているのか、心底辟易した様子であった。
そんな百面相を前にアシュレイは笑みを浮かべた。その様子がおかしかったから、ではない。胸に去来する納得がためである。
ああ、やはり二人は違う人間で、しかし違わず"七草にちか"なのだと。
先刻のように反発することもあれば、今この時のように双子めいてそっくりなリアクションを取ることもある。
選んだ道は正反対で、しかしその在り方は鏡写しのような対極ではあり得ない。観客だろうと偶像だろうと、彼女たちは確かに二人の独立した人間で、同時に等しく七草にちかだった。
それはきっと、彼女たちが真に"生きている"からなのだろう。
一つの方向性に振り切れた人間は強力だ。光であれ闇であれ、強固な定義は揺るがない。
しかし同時に、それは思考停止と同義でもある。
観客、アイドル、あるいは光や闇、もしくは英雄や逆襲者。人の心の在り様など常に流動し揺れ動くものなのに、そうした「属性」に心を押し込めて自縄自縛に陥るのは、ある意味で最も楽な生き方でもある。
なにせ、自分の心という内的な要素ではなく、外付けのレッテルである属性に従えばいいのだから。これを思考停止と言わずに何と呼ぼう。
だからアシュレイは、七草にちかたちのことを決して弱者とは卑下しない。
惑い、迷って、揺れ動いて。真っすぐ立つことも真っすぐ歩くことも覚束なく、傍目からは危なっかしくさえ見るその在り方を否定しない。
道が二つに分たれたとしても、二人は間違いなく七草にちかであるのだから───


8 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:27:21 Q8o1zuSE0





───神と人に分たれた、九条榛士の別御霊。





ふと。
そう、ふと。
あまりにも些細な、常ならば見落としてしまうようなほんの僅かな違和感が、そこにはあって。





───お前は"運命"であらねばならない。





「……」
「どうかしたんですかライダーさん?」
「……いや、何でもないよ」


9 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:28:04 Q8o1zuSE0

思考と言動を切り離しながら、アシュレイは努めて何でもないように振る舞う。
その笑顔の仮面の裏側で、念話でもなく内界へ語りかけながら。

───今の懸念、どう思う?
───可能性の話をするならば、俺には明確な否定も肯定もできはしない。だが前例がある以上、疑ってかかるのは当然の理屈だ。

……ああ、そうだな。
そこで対話を打ち切り、思考の主体を現実へと戻す。
やらねばならないことは、向き合うべき問題は、山積みであるのだから。

「色々と話さなきゃならないこともある。アサシンの帰還を待つ必要もある以上、拠点は必要だ。このまま君の家を頼ってもいいか?」
「それは、まあ……ぶっちゃけそれしかないですよね。田中さんも待ってますし」

アシュレイの言葉に、やや複雑そうな表情で答える彼女。田中さん、という言葉に近くの茂みががさりとざわめく。
アシュレイは、やはり同じくそれに気づいている様子のアーチャーと目配せし、ほんの少し笑みをこぼす。

「ありがとう。それじゃあみんなで戻ろうか、焦らずにゆっくりと」

それは例えば、歩くような速さで。
決して生き急ぐことのないように。

月の煌めく夜の舗道。鉛色の敷石はひそやかな寝息と、堪え切れない溜息を漏らす闇の中へ伸び、街灯の無機質な白い明かりが静謐に照らしている。
街はとても静かだった。たった今、二人の少女が運命の岐路に立たされていたとは思えないほど、今もまた人の命が奪われる聖なる杯を巡る戦いがあるとは思えないほど。

決意(ユメ)の話は、ひとまずお終い。
ここからは現実のお話である。
如何に勇壮な決意をして、如何に悲壮な運命を辿ろうとも、人生とは物語ではなく現実であればこそ、区切りはつかずエンドロールも流れない。当人の精神的な問題が片付こうが、付随した物理的な問題は未解決のまま転がっている。
一人は観客を選び、一人は偶像を選んだ。
七草にちかは、七草にちかであることをようやく肯定することができた。
ならばこそ、彼女たちの聖杯戦争は、あるいはここから本当の始まりを迎えるのかもしれない。






10 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:29:07 Q8o1zuSE0



「おー、おかえりー」

どこか気の抜けた、楽しそうな声だった。
それは特有のトーンがそう思わせるのだろうか。七草にちかの住む古ぼけたアパートの一室で、不釣り合いに鮮烈な色彩を放つ少女を見て、アシュレイは思う。
田中摩美々は「今までずっとここにいましたよー」と言わんばかりにくつろいだ様子で四人を出迎えていた。今の今までにちかたちの対話を陰ながら見守っていたことなどおくびにも出さずに。
なるほど、確かに彼女もアイドルなんだな、と思う。演技が明らかに堂に入ったものだった。気配を察していたことと、首筋に薄っすらと張り付く汗を見なければ、あるいはアシュレイも騙されていたかもしれない。

「その様子だとー……ふふ、うまくいったみたいですねー」
「あははっ……うまくいった、でいいんですかね」
「その顔を見ればねー」

未だぎこちない二人のにちかに、悪戯っぽく笑う摩美々。その光景は283の公式プロフィールに書かれていた「人をからかうのが好き」の印象そのままで、ああなるほど。

「……良い子だな」
「えー、何か言いましたー?」

いや、と一言。どうやら彼女、にちか同士の間を取り持とうとしたり、人知れず会談を見守ったりと、面倒見は人一倍良いらしい。
Wが彼女の安全を最優先にするだけのことはあると、そこまで考えて。

「まあまあ、立ってないで座りなー。あ、スポドリでも飲むー?」

そういうことになった。






11 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:30:12 Q8o1zuSE0



そしてアパートの一室に5人が集う。
そう大して広くもない部屋に、5人だ。はっきり言って窮屈であるし、主だったメンバーがうら若き少女なこともあって、アーチャーは霊体化して聞き役に徹すると言ったが、「ここまで来てそれはナシですよ」と彼自身のマスターであるにちかに無理やり引っ張られ、今は壁際に背をもたれて座っていた。
数瞬の沈黙があった。
けれど、それは居心地の悪さには繋がらなかった。
すべきことを終えた者、そしてこれからすべきことを明白に認識する者としての、共通した意識のようなものがあった。運命共同体とでも言えばいいのだろうか。友情や愛情ではないにせよ、その関係に嘘はない。

「それでなんですけど〜……」

口火を切ったのは摩美々だった。
この中では明確にサーヴァントを連れ立たず、だからこそ先の対談でも中立の立場に在った彼女だ。会話の始動を担うにはある意味適役かもしれない。

「そっちのライダーさんは聖杯戦争をどうにかできそうなプランがあるって聞いたんですけど、それって本当なんですかー?」

───……まあ、当然聞いてくるよな、それは。

にわかに場の空気が張り詰めるのを肌で感じながら、アシュレイは思考する。
十分予測できる質問だったし、当然の疑問でもあった。おそらくはW経由で聞き及んだのだろう。
現状、自分たちのみならず283関係者、そして聖杯の獲得と殺し合いを望まない陣営にはクリアすべき難題がいくつも存在したが、その中でも最大にして最終の課題がそれである。すなわち界聖杯内界からの脱出。それが叶わない場合、如何にマスターたちの人間関係を清算し、敵対陣営を無力化して安全を確保しようが意味はなく、可能性の消失と共にこの再現された東京諸共崩壊し、運命を共にするより他にない。
だからその手段が確立されているならば、当然詳細は把握しておきたいし、せめて現実性のあるプランかどうかだけでも知っておきたい。それは当たり前の話であるし、アシュレイたち自身がそのプランを旗頭に同盟の締結を提案してきた以上、避けては通れない話題でもあったが。

『ライダーさん、その……』
『ああ。俺としては洗いざらい打ち明けようと思ってるんだが、それでいいか?』
『え、いいんですか?』

念話の中で、マスターであるにちかは思いがけず聞き返す。アシュレイは思考のみで頷いた。

『そりゃあ私も大っぴらに協力してもらいたいなーとか考えてましたけど……でも梨花ちゃんの時はああだったし、とか思ってたんですが』
『あの時は本当に手を組めるかどうか、あるいは獅子身中の虫となる可能性もあったからな。結果的には良い関係を築けたと思うが……
ともかく、彼女たち───もう一人の君を相手に躊躇う理由はないさ。俺たちは否応なく一蓮托生の身だからな』

あるいは、夢破れた七草にちかが、嫉妬や八つ当たりで行動するような人間であったならば、また話は違っていただろう。
けれどそうではない。彼女の言葉に、想いに嘘はない。再起を望んだ七草にちかに、逆襲者を望まなかった七草にちかはその道行を祝福した。
ならばこそ、アシュレイ・ホライゾンの選ぶ道に迷いはない。元よりその身は、七草にちかの進むべき未来を指し示す羅針盤たればこそ。
もう一人の七草にちかを見捨てる選択肢など、最初から存在しないのだ。

『……それじゃあ、お願いします』
『ああ、任された』

そうして背中を押されて、アシュレイは返答する。


12 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:31:10 Q8o1zuSE0

「その質問への答えは、YESだ。俺の持っている宝具を利用した案で、内容は───」



…………。



「宝具の借り受け。それを利用して界聖杯へのカウンターとなる能力を叩き込む、か……」

一通りの情報を話し終えた後、場に下りたのは再度の沈黙だった。
情報を加味する者、何とか理解しようとする者、怪訝な顔の者。三者三様ではあったが、その顔はどれも真剣そのものである。

「使ってみての実証ができないから証拠を見せろと言われても困るんだが、必要なら宝具の情報マトリクスを開示してもいい」
「俺から聞いてもいいか」

真っ先に口を開いたのはアーチャーだ。やはり変わらぬ表情のまま、糾弾ではなく純粋な疑問として、その言葉を投げかける。

「界聖杯を改変する方策を取るとして、その能力のアテはアンタたちにあるのか」
「三つほど確保済みだよ」

新型祝詞、異伝・虹鏡奉殿の神勅───論理回路形成による疑似プログラミング、並びに採光式現象操作能力。
第五次世界大戦用星辰兵器・天之闇戸───パラメータ操作による事象・環境改変能力。
奏でられる終焉は、銀に煌く狼の冬が如く───数式入力による物理的情報改竄能力。

シュウ・欅・アマツとラグナ・ニーズホッグ、新西暦が誇る最高峰の科学技術者が持つ星辰光は、まさしく世界を構築する数理そのものに干渉し、改変し尽くす可能性を持っている。
アメノクラトに関しては人間どころか生物に類する知性体ですらない機械だが、それ故に製造知識や後世での所有権を有するラグナ・シュウの両名を通じてその星辰だけを引き出すことが可能となっている。サーヴァントという形で英霊の座に登録されることにより、スフィアブリンガーは単純な星辰のみならず付随する象徴的能力までその効果の対象内に含めることが可能となっていた。

「勿論、この三つだけで対抗できるという保証はどこにもない。どころか、そもそも界聖杯の性質如何ではもっと異なったアプローチが必要になる可能性もある。
 だから俺たちはできるだけ多くの情報……界奏で引き出せる力の「選択肢」を増やしたかったんだ。ただでさえ低い可能性だからこそ、万全を期する必要があるからな」

そう、既に彼らにも説明済みだが、このプランははっきり言って失敗の可能性が非常に高い。
界奏の発動は一瞬に限定される以上、行使できる工程は一つ───界聖杯の改変───に限定され、それ以前の問題である「界聖杯の特定」「界聖杯の性質把握」「そこに至るまでの他参加者との闘い」は界奏なしで進めなければならない。
よしんばそれら条件をクリアして界聖杯まで辿り着こうとも、それで界奏の力が通用するかと言えば疑問が残る。だからこそ、確実に界聖杯の力を上回れるだけの力を、事前に把握しておく必要があった。

「借り受ける力は界奏……スフィアの力に比例して底上げされるし、デメリットを排除してメリット部分だけをエンチャントすることも、能力同士を複合して所謂「いいとこどり」することもできる。数は力と言うけど、界奏に関してはまさにその通りだな」
「良いとこ取り、って……例えばつのドリルの効果を持ったでんこうせっかとかを使える、ってこと?」

なんならスピードスターもくっつけられますよ!と、にちかはにちかに何故か自慢げにドヤ顔していた。まあ、うん、元気が出てきたなら言うことはないだろう。言ってる意味はよく分からないけど。


13 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:32:43 Q8o1zuSE0

「俺の提供できる案はあくまで界奏を使えるぞってだけで、別に界聖杯の改変にこだわる必要はない。
 例えば、世界間レベルでの座標特定と空間転送能力があれば、内界の壁を突破してマスターたちを直接元の世界に送り届けることもできるだろうし、あるいは星の海を航行できる飛翔船なんて選択肢もある。
 どちらにせよ、具体的に呼びかけ先を特定しなきゃいけないことに変わりはないけどな」

けれど、どちらかと言えばそちらのほうが難易度は高いんじゃないかとアシュレイは考える。空間転送能力ならナギサの星辰光が思い浮かぶが、規格外の能力値を持つ彼女の能力でさえ効果範囲は惑星単位を超えられない。パラレルワールドの存在まで浮かんできた参加者たちの転送先を指定するには、何もかもが足りてない状態だ。

「そういうことで、これが俺の提供できる最大限のプランになる。さっきも言ったけど、はっきり言って成功の確率は低いと言わざるを得ない。
 0%の確率を、なんとか1%にできるかどうかってところだ。力不足で申し訳ないが……」
「いや、可能性が出てきただけでもありがたい。完全な0なら詰みだが、万に一つでも勝機があるなら賭ける意義はある」

それに、とアーチャーは続ける。

「俺は所詮、軍隊という集団からあぶれ出た雑魚でしかないが……英雄というのは、限りなく0に近い可能性を掴んだ者のことを指すのだろう」
「……そう、かもしれないな」

確かに、アシュレイの知る英雄は万に一つの勝機を、気合と根性で無理やり掴み取るような連中ばかりではあったが。
ならば、かつて憧れた英雄(ヴァルゼライド)に誰かの笑顔をこそ託された自分は、同じくして証を打ち立てねばならないだろう。

「確かに希望は出ましたけどー……でもやっぱり、魔法みたいにパパっと解決、ってわけにはいかないんですねー」
「……一応、机上論でしかないがそれらしい方策もあるにはある」

だからこそ。
アシュレイは、今の自分に思いつける方策全てを開示しておくべきなのだろう。
成功確率が完全皆無でしかないじゃないかとか、そんな言い訳は一切無視して。

「それらしいって……魔法でも使えるんですか?」
「似たようなものではあるかな。界奏……スフィアは本来、何でも願いを叶える魔法のランプみたいなものだから」

つまり、アシュレイが言いたいのはそういうこと。

「界奏以外のスフィア、人奏の力を借りることができれば、まず間違いなく目的は達成できる」


14 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:33:52 Q8o1zuSE0

スフィア、極晃星という覇者の冠は、新西暦の長い歴史において総計七種誕生した。
滅奏、天奏、烈奏、界奏、閃奏、神奏、人奏。アシュレイが語るのは最終にして最新、それ故に異端のスフィアの存在である。
人奏/銀月神譚、竜人の輝く旅路に青空を(ウィッシング・スフィアゲイザー)。その能力は、人が生み出し得る全ての叡智の具現。

「これはあくまで与太話として聞いてほしい。ただでさえ成功確率の低い界奏プランより、輪をかけて成功があり得ないプランでしかないからだ」

まず前提として、それを言い含めておく。
これはあくまで与太話。その成功場面などアシュレイ自身ですら「不可能だろう」と思えてしまうほどの難易度であるからだ。

「結論から言ってしまえば全容はこうだ。界奏の力を使って、特異点の人奏に呼びかける。そして特異点までの道を作って、人奏に接触しその力を借り受ける。言ってしまえばそれだけのことなんだが……」
「えと、それってその、界奏?で直接能力コピーとかできないんです?」
「それは間違いなく不可能だ。極晃に極晃の重ね掛けをするわけだからな、あまりにも現実的じゃない」

そもそも界奏を含めて、スフィアとは魔術的な意味での"魔法"に近い、極めてド外れた能力である。
その真価を十全に発揮しようとすれば聖杯の権能を使ってようやく叶うかと言うほどの代物であり、本来ならば一サーヴァントの宝具として搭載すること自体が間違っているのだ。
それでも界奏が令呪三角という代償ありきとはいえ発動できるのは極晃七種の中で群を抜いて最弱であり、単独では一切意味を為さない能力だからであり、界奏の成立自体は呼びかけ先との相互負担で成り立つ本来ならば消耗皆無の力であるからだ。
それでさえ膨大な魔力プールを用意しても一瞬のみの発動、更に発動負荷に耐え切れずアッシュ自身の霊基は間違いなく崩壊するなどのデメリットがある。
そんなギリギリの状態で界奏を発動し、その上で他の極晃を二重発動するというのは、どう考えても現実的ではない。

「問題は更にある。そもそもこの人奏自体、もう特異点に情報は残ってないんだ」

人奏の誕生は神奏との決戦時、グレンファルトという創生の神祖を打倒するために生み出されたものだ。あまりにも汎用性の高すぎる人奏は仮に接触者が出た場合、地球上にあらんばかりの叡智をもたらし文明を急速に加速させる結果となってしまう。
そうなれば間違いなく世の中は大混乱だ。光狂いが暴れる必要さえなく、過ぎたテクノロジーのみで人類文明は自滅してしまうかもしれない。そうした危惧のもと、神奏の打倒と同時に人奏という極晃は特異点から抹消された。
その行使者であるラグナ・スカイフィールドという英霊の登録情報と共に。

「え、じゃあ借りれないじゃないですか。そういう意味で与太話ってことですか?」
「いいや。大事なのはここからだ。人奏は厳密にはスフィアではなく、極めて技術的に再現された疑似極晃で、再現性が非常に高いんだ」

それこそ人奏というスフィアが持つ最大の異常性。スフィアゲイザーは新西暦最初で最後の人造極晃星ともいうべき代物なのである。
本来スフィアとは、資格を以て到達するものである。能力値の極限突破、高位次元への接触媒体、想いを共有する唯一無二の誰か。それら条件をクリアすることで、ようやく究極に至ることができる。
人奏はそうではない。ラグナという人物は生まれからして決して極晃に到達する資格を持ち得なかった。能力を限界突破しようと、媒体を得ても、想いを共有する大切な人間を見つけても、決してスフィアに至れない。
ならば話は簡単だ。至れないなら作ってしまえばいい。
どこまでも技術的に構築された人造スフィア、それが人奏という星だ。そうした製造過程であればこそ、人奏は極めて高い再現性を持つ。


15 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:34:29 Q8o1zuSE0

「人奏者ラグナ・スカイフィールドは英霊の座からも情報が抹消されている。けど神殺しラグナ・ニーズホッグなら話は別だ。後者の側に界奏で呼びかけ、もう一度特異点に人奏を"製造"してもらう」

これが他のスフィアなら絶対不可能なその所業を、しかし人奏だけは可能としていた。元々が資格もリソースもない状態でのカスタマイズという生誕経緯であるのだから、再現できない理由はない。

「然る後に俺自身の霊基を改造して、高位次元接触用の基盤に作り替える。界奏の数少ない取り柄で、次元間相互接続機能があるからな。等身大の筐体にしてしまえば、後は適当な高性能演算器でも補助に充てれば再製造された人奏までを繋ぐ経路になる」
「その話しぶりだと、お前自身が人奏とやらに接触するわけじゃないのか」

問われたアシュレイは言葉なく首肯する。そう、ここからが最も難題であり、彼をして不可能と言わしめる条件が出てくるのだ。

「俺では人奏に接触する資格がない。求められるのは演算能力、有体に言えば頭の良さだからな」

人奏は技術的に再現された人造物であればこそ、想いなどといった感覚的で曖昧な要素を一切受け付けない。
必要なのは演算。数式設定により緻密な値の入力であり、膨大な情報を処理できる頭脳を持つ者でなければ操作は愚か接触さえままならない。

「そして最後に、人奏を決して悪用しないと断言できる人間性も必要になる。これは資格というより、ラグナたちへの説得って意味になるが」

前述した通り、人奏はその力の一片でも流出すれば、人間社会に避け得ない混乱をもたらす。
ラグナたちはそれを嫌ったからこそ人奏を封じたのであり、ならばこそ万が一にも人奏を悪用する可能性を持つ人間にその使用を許諾はしないだろう。

つまるところ、纏めるとこうだ。


16 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:35:07 Q8o1zuSE0

「世界で一番頭が良くて、万が一にも万能の力を悪用しないと断言できて、かつ俺たち脱出派に協力してくれて、界奏で呼び出せるパーソナルデータじゃなく実体を持って現界してる人物がいれば、この"人奏プラン"の実行は現実味を帯びてくるわけだ」
「無理ゲーじゃないですかそんなの」
「だな。俺もそう思う」

ついでに言えば、この人奏プランも界奏プランと同様に失敗の許されない一発勝負の大博打となる。
なにせ基盤に作り替えるアッシュは元より、人奏に接触する誰かも、間違いなくその負荷に耐えられず死ぬからだ。失敗すれば総計2名の有力戦力を無駄に消耗する結果になる以上、実行は慎重を期さねばならない。
まあ、最初に言った通り与太話の域を出ない以上、あれこれと考えるのも無駄骨ではあるのだが。

「ふーん……」

そんな中、摩美々だけは何か意味深な顔をして。
世界一頭が良くて、人間性も保証できて、脱出派な人物。

「心当たり、あるかもー」

まあ、それは"彼"が帰ってきてから話すとしようか。そう心に留め置いて。

「っはぁ〜〜〜〜〜〜〜〜、疲れたぁ〜〜〜〜〜」

話がひと段落したと認識して、アーチャーのマスターであるにちかは緊張の糸が解けた声を上げた。
どうにもそれはこちらのにちかも同じ意見のようで、あからさまに休みたいという感情が顔に出ていた。

「もう終わりですよね!? ところどころ意味分かんなかったですけど、要するに何とかできそうってことでFA!」
「俺としてはアテができただけでも御の字だな。ところでアンタの宝具、ハイペリオンと言ったか。少し聞きたいんだが───」

なんて言いながら、アーチャーとライダーは再び何やらの談義に勤しみ始めている。持続性とかエンチャントとか破壊力とかそんな単語が聞こえてくるが、もういいや、ぞんぶんにやってほしい。

「まあ、あとはアサシンさんが帰ってくるのを待って───」

と、空気が和みかけた。
その時だった。



「……………………………………え?」



ふと、暖かな空気を切り裂くつぶやきがあった。
全員の眼が、そちらを向いた。
凍り付いたように固まった摩美々の手には、スマホが握られていて。

『君達のプロデューサーは死んだものと思ってくれて構わない』

少女たちにとっては見慣れた姿の男が、そこには映っていた。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


17 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:35:44 Q8o1zuSE0






同一人物が二人。
その実例を、アシュレイは知っていた。
ラグナ・ニーズホッグとグレンファルト・フォン・ヴェラチュール。高位次元に登録されたパーソナルデータを元にしたスワンプマンであるところの二人。
極めて異例、かつ限定的な状況で成立したこの二人の例は、二人のにちかには当てはまらないと、最初は考えていた。
けれど、違和感があった。

アシュレイのマスターであるにちか、仮に偶像・七草にちかと呼ぼうか。
彼女を取り巻く状況には、不可解な点が多かった。

何故、彼女の境遇は田中摩美々やプロデューサー、あるいは聞き及んだ幽谷霧子の知る物と乖離しているのか。
何故、同じく乖離した境遇を持つ観客・七草にちかがマスターとして存在しているのに、東京内界における七草にちかのロールは偶像・七草にちかにだけ宛がわれたのか。
何故、"元の世界で撮られたはずのライブ映像"が、東京内界におけるものとしてTV放映されていたのか。
何故、これほど283関係者と異なる世界線を持つ偶像・七草にちかのプロフィールが、東京内界におけるそれと地続きであるのか。
そして幽谷霧子から聞き及んだ情報、自我に目覚めたNPCの存在。魔力があれば可能性に目覚め、あるいは界聖杯から独立した存在に成り得るかもしれないという憶測。

これは根拠のない妄想に過ぎない。推測に推測を重ねた憶測ですらない、状況証拠だけの戯言でしかない。矛盾だとてある。
アシュレイ自身、そうであることを願っている。
しかし、その可能性に行き着いたからこそ無視はできなかった。

偶像・七草にちかは、界聖杯から生み出されたNPCである。
何とも荒唐無稽な、その可能性を。


18 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:36:24 Q8o1zuSE0


【世田谷区 七草にちか(弓)のアパート/一日目・夜】


【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、精神的負担(中)、決意
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
1:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
2:ライダーの案は良いと思う。
3:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身に軽度の火傷(ほぼ回復)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:今度こそ、Pの元へ向かう。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
4:武蔵達と合流したいが、こっちもこっちで忙しいのが悩み。なんとかこっちから連絡を取れればいいんだが。
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。

【七草にちか(弓)@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、いろいろな苛立ち(割とすっきり)、プロデューサーの殺意に対する恐怖と怒り(無意識)
[令呪]:残り三画(顔の下半分)
[装備]:不織布マスク
[道具]:予備のマスク
[所持金]:数万円(生活保護を受給)
[思考・状況]基本方針:生き残る。界聖杯はいらない。
1:アイドル・七草にちかを見届ける。
2:あの野郎(プロデューサー)はいっぺん殴る。
3:お姉ちゃん……よかったあ〜〜〜。
[備考]※七草にちか(騎)のWING準決勝敗退時のオーディションの録画放送を見ました。

【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:健康
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
1:にちかと摩美々の身辺を警護。
2:『自分の命も等しく駒にする』ってところは、あの軍の連中と違うな……
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
4:少しだけ、小隊長のことを思い出した。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、
アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。
また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。
アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、赤い怒りと青い憂欝、動揺と焦燥感
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:ただ、プロデューサーに、生きていてほしい。
1:プロデューサーと改めて話がしたい。
2:アサシンさんの方針を支持する。
3:咲耶を殺した奴を絶対に許さない。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています


19 : Front Memory ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/23(水) 19:36:40 Q8o1zuSE0
投下を終了します


20 : ◆EjiuDHH6qo :2022/02/24(木) 00:06:34 2EokF3n.0
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)、皮下真、リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)、峰津院大和&ランサー(ベルゼバブ)予約します


21 : ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/24(木) 21:57:42 ipzxNOwI0
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
紙越空魚
予約します。


22 : ◆A3H952TnBk :2022/02/26(土) 20:31:19 CENY5eIo0
仁科鳥子&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)
アサシン(吉良吉影)、吉良吉廣(写真のおやじ)
アサシン(伏黒甚爾)
予約します。


23 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:40:31 qp7lLlNs0
前編を投下します


24 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:41:05 qp7lLlNs0

 ◇





 きっと夢は叶うなんて 誰かが言っていたけど
 その夢はどこで僕を待っているの

                            ♪いつだって僕らは ノクチル





 ◇


25 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:41:48 qp7lLlNs0



 日が沈んでも残り続ける燻すような熱気の中でも、中野警察署の内部は静かだった。
 この一ヶ月間、東京のいたる影で侵食を開始していた先触れともいえる複数の怪事変。
 それが最悪の規模で爆発した、新宿で起きた謎の爆発以来、警察・消防は完全に対処に忙殺されていた。

 世界に広げても例のない、都市の中心地でのテロリズム、あるいは事故。推定される被害者の数、建物の損害は時間を追うごとに更新されるばかりで、原因の究明もままならない。
 指揮系統が麻痺しても不思議でない、事態の推移によっては国家存亡もありえる窮状にいながらも、いち早く全面支援を名乗り出た峰津院により、行政は際どいところで保たれていた。
 国の屋台骨ともいえる大財閥の積極介入は、予想だにしない緊急事態でも変わらず辛辣を振るった。
 枢要たる英俊の当主が寄りすぐったお抱えの専門チームによる主導の元、ライフラインの復興、救出作業らといった急務が同時に並行して進行されていく。

 瞬く間に組み上げられた都心復旧プランは財閥の太いパイプを通じ、先に続くあらゆる部署に行き渡る。
 もはや国そのものといっていい峰津院が動いた事は、現場の職員達に安心感と使命感の双方を燃やし募らせた。
 今や非常勤から末端の巡査にまで明確な指示が与えられ、国が一丸となって救助や警備に全力で当たっている。
 この国はまだやれる。捨てたものじゃない。そんな声が作業に勤しむ誰かから漏れる。
 一向に進展の気配がない怪異に気を揉んでいた人々は、まだ見ぬ明日にも希望を抱き始めていた。

 

 熱狂と熱帯夜に浮かれてる東京都でも、中野警察署の内部は静かだった。
 殆どの動ける職員は出払い、新宿での活動に割かれている。区を跨いた協力体制が早急に敷かれたのも、峰津院の中継ぎがあったればこそだ。
 留まっているのは体力や運動に不備がある者、情報を伝達する連絡員、上からの指示を部下に下す署長等の一定の地位にいる者。
 また別の場所で予期せぬ事態が起きた場合に備えた数名の、計十数名のみだ。
 
 ……内部は静かだった。
 無人ではないかと思うほど静まっている。
 爆心地の新宿ではないにしても、隣接した中野にもその余波は届いていて然るべきなのに。
 広い署内とはいえ、ひっきりなしに更新される情報のやり取りは、騒動の現場以上に物々しい雰囲気であってもおかしくないのに。
 行き交う通信の音も、救援を求めて駆け込む市民の足音も、聞こえるものは此処にはない。

 密閉された真空の密室のように。
 くぎ取られた位帯のように。
 警察署の中だけで、全ての音というは絶えていた。





 いや。

 音は、ある。





 廊下を辿る音。重さの異なるふたつの足音を連れて、動くものがあった。
 そこにいるのは男と女。男は背丈は高く、僧衣を纏ってはいるが、街中で練り歩いていてもとても馴染まないような奇抜な装いをしている。
 女は、男が長身であるのを差し引いても小柄で、小学生を越えてはいないであろうことがすぐに分かる。
 こちらは不自然のない洋装をして、目立つ点のない女児の見かけであった。


26 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:42:46 qp7lLlNs0


 二人は───親子ではない。
 知り合いでもなく、学生と教師の間柄でもなく、また連れ合って警察に来たのでも救助を求めてのものではなかった。

 二人は、主従であった。
 主は、幼子。従者は大男である。
 彼等は真実を知るもの。願い求めるもの。惨劇を求め、地獄を求めるものである。
 証拠に、見るがいい。女の細い指がたおやかに絡みつく、黒い暴力の具現を。
 凶器の象徴の先端からは、射出されたばかりの排熱が煙となって揺蕩う。
 そして。地面を染めていく赤。仰臥するモノから溢れて、濁濁と。

「……聞こえていないようですわね?」

 砂糖を煮詰め、水分が蒸発した鍋の底に溜まった焦げのような声だった。
 見た目通りの幼気な声で、少女は従者の術の効果を確認する。

「ええ、それは無論。遮音に防音、視覚の修正による隔絶の魔境。共に内と外に万事仕込んでおりまする。
 民草が何を叫ぼうと漏れ聞こえる音は一切ありませぬ。何が起きようとも気づく者はおりませぬ」

 法師なる男の声は艷やかなるもの。性の根を蕩かせる腐乱した花の蜜を思わせた。
 男を構成する全ては毒である。
 見目は不穏を煽り、声音は心をかき乱し、所作は負を招く石となる。
 世の『悪』を司り、喚起される不幸を悦びのままに甘受するかのような男である。

「それでは、リンボさん。手早くお願いしますわ」
「おや、おやおや、おやおやおやァ? 拙僧が総てを浚ってしまった宜しいので?
 並み居る極道共を一蹴した、あの華麗なる手捌きが久方ぶりに拝めると、拙僧正直、期待していたのですが」
「手間を考えてくださいな。まさか私に、この中を練り歩いてひとりひとり撃ち殺していけと?」

 弾を確認しつつ、ゆったりと歩きながら。
 『署内の全員を殺し尽くす』と平然と言い放ちながら。
 取り合わせも、話の内容も、何一つ噛み合わないままに時は進む。その時を待つ。

「弾丸(タマ)はガムテさんから幾らでも補給されますので心配ありませんが、時間は有限なのですから。
 ですので手早く、です。この程度の簡単なお遣い、さっさと済ませてしまいたいのはそちらも同じでしょう?」
「ンン、正論、素晴らしく正論でありますなそれは。仕方なし。素晴らしき銃型(がんかた)の拝謁はまたの機会といたしましょう」

 面白い見世物が延期になって残念だと。
 その程度の気楽さで、頭蓋に風穴が穿たれる場面が見てみたかったと零す。
 変わりはしないのだ。男にとって。祭の囃子も殺戮の怨嗟も。
 悪を愉しむを私悦とする別人格(アルターエゴ)は、ここでも変わらずに快楽を貪る。どこまでも、どこまでも。


「では、そのように、致すとしましょう」


 毒色の長爪を生やした指を、弾く。
 音が鳴って消えない間に、地面に横たわっていたモノが勢いよく飛び起きた。
 少女が撃ち抜き絶命したばかりの警察官の亡骸が、生者の如く手足を駆動させる。
 落ちた帽子を拾いもせず、眉間の孔から零す脳漿を拭いもせず、血走った眼で痙攣しながら、曲がり角へ消えて行く。
 ───絶叫。魂切れる断末魔が惨劇のサイレンをけたたましく鳴らした。

「今のは?」
「拙僧の裡に修める秘奥のほんのひとかけら、今は微睡みにいる御方の力の一端を転写しました。
 移した呪いは生命を辿り喰らいつき、喰われた者にもまた呪いが宿る。有り体に言えば感染するのです」
「感染、ですか」

 少しばかり、感慨を抱く。
 まさかここに来て、その言葉を耳にするとは思わなかったと。


27 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:43:21 qp7lLlNs0

「意識を保ったまま呪い人形にすることもできますが、それは少しばかり手間が増えますので、やめました。
 親しき者が異形に置き換わる、醜き獣へ変貌する様を目にし、しかして変わらぬ言葉を紡ぎながら友人恋人の首に齧りつく様はさぞ甘美でありましょうが……ンン、残念無念」
「方法はなんでも構いませんが……最初の目的を忘れたりはしてませんわよね?」
「無論。生命を追い、貪る性質は自動のものですが、動きを操作するのは此方からでも自由にて。程よく手を抜いて、格好の餌場へ誘導してございましょう」
「よろしくてよ。ではそちらは私が引き受けましょう」

 撃鉄が引かれる。
 銃身は既に起こされてる。動かしたのは意識の方。

「どうしたのです? 意外そうなお顔をなさって」 
「……いえ。仕事はお任せすると承りましたが?」
「ええ。そう言いましたわね。けど、いちいち片付けるのが面倒というだけで、別に始末するのが嫌とは、一言も?」

 同僚の腹部に顔を突っ込ませて溺死している光景を、何でもないように隣を通り過ぎて。
 臓物を咀嚼する音、骨を噛み砕く音は既に聞こえていない。
 耳に残るのはただ追想のみ。輝いて、煌めいて、花咲く彩りの黄金時代(ノスタルジア)。

「誘導はお願いしますわね。狭くて、暗くて、逃げ場のない、兎小屋みたいな部屋を希望しますわ」

 リンボの玩具として遊び弄ばれた犠牲者を、沙都子は哀れだとだけ思う。
 同情も嫌悪も抱かない。惨劇の輪廻(ループ)の過程でまっとうな倫理は真っ先に削ぎ落とされた。
 ここにいるのは、表に出ているのは、ただひとつの目的に純化、最適化された新人格。
 記憶は連続している。感情もある。ただ、思考の優先順位が変化している。
 属性の混沌化。オルタナティブ。リンボを名乗るアルターエゴの主となったのにも、そこに縁があったのやもしれない。

 そんなリンボの悪食ぶり、悪辣ぶりは、今の沙都子でさえも手に余る強烈なものだ。
 有り余る才を全て、人の世を呪い膿ませるだけに用いる。
 祟りとすらいえない。あの男は怨んでもいないし、慰撫されたからといって恵みを与える守護神にもならない。
 あれが人を呪うのは自分の快楽のため。楽しくて気持ちがいいから苦しめる。
 そこに神の摂理はない。ただ人の業が孕むのみ。
 だからあれに巻き込まれるのは運が悪いのだ。運で決まるのだから、善悪だとか罪だとかの有無は関係がない。 
 極めて正当性のある望みを持つがために呪いに染まった沙都子にしてみれば、同志どころか悩みの種だ。
 ……まあ、自分をこうした元凶のあの存在も似たようなものかもしれないが、とも思いながら。

 とはいえ、好き勝手しながら仕事はきちんとこなす程には有能なのもいいところだ。
 獲物を閉じ込めたと知らせを受けた場所は取調室。狭くて逃げ場がなく、出入り口もひとつだけ。しっかりと要望に沿った形だ。
 

 従者を置いて、始まる地獄絵図の中を少女は歩く。
 網膜に焼き付いて剥がれない眩い理想を夢見て、誰かが流した血の道を歩き続ける。
 あるいは、散乱したカケラを踏み潰して滲んだ、自分の血なのかもしれないが。


 先にリンボに教えたように。
 沙都子が283プロのアイドルを殺すのは単純な嫌悪からだ。
 汚いものがキレイに振る舞い、キレイなものを奪っていく。
 沙都子から梨花を奪う、東京という社会の構図そのものが、疎ましくて仕方がない。
 ガムテの作戦にかこつけた形ではあるが、聖杯戦争の過程で機会があればきっと同じことをしていただろう。
 それをして梨花が手に入るわけでもないし、聖杯戦争に勝てるわけでもないのに。
 ただ『見てると気分が悪いかった』だけの理由で、沙都子を祟を下すと決めた。

 ああ、なるほど。
 沙都子は思い至る。
 そう違いはないではないかと。

 心のままに憂さを晴らすため祟る沙都子。
 心のままに快楽を求めて呪うリンボ。
 だからどうではなく、カケラの割れ目に相似点を見出すだけの発見。
 沙都子の可能性(カケラ)が導き出した、絶望の安寧を果たすサーヴァント。


 余計な感傷はお終い。目的の部屋の前にたどり着き、銃把を握りしめトリガーに指をかける。
 萎縮はしない。安堵すら覚えるほど冷たい硬質感。
 これから行うのは殺人ではない。狩りでもない。恐れさせるための儀式なのだと心を澄ませて。


 扉を、開けた。


28 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:45:41 qp7lLlNs0


 ドアノブに触れ、回しただけで、中の息遣いが感じ取れた。
 死体が動き出し手当たり次第に生者に喰らいつき、動く死体を増やす有様を目の当たりにして、這々の体で逃げてきたところへの接触。恐怖の度合いが手にとるようにわかる。
 だが恐怖を通り越して恐慌になられては困る。銃があっても小柄な沙都子では、一斉に飛びかかれたりでもしたら対処が遅れる場合がある。
 だから行程を挟む。怯えた様子で、震えた声で、自分と同じ、恐ろしい怪物から身を隠そうと逃げ延びた被害者なのだと油断を誘う。

 そうすると、後ろの少女達を庇うように立っていた壮年の男が一歩前に出てきた。
 襲う風ではない、緊張の糸が切れたと息を吐き、安心させようとこちらに手を広げて近づいてくる。
 がら空きの眉間に向けて発砲。はじめから決まっていたように銃弾は命中し、脳が損壊して制動を失った肢体は仰向けになって倒れた。

 「社長?」と、何が起きたか理解できず呆けて呟く妙齢の女性。最初に撃ったのが社長だろうから、こちらは事務員の方か。
 マスター候補の身内で人質に使えるということで殺害は控えるよう言われてる。太腿付近は動脈が太く失血死の可能性もあるので、狙いを脹脛に定めて撃つ。
 肉が抉れ、突然の激痛と灼熱に悶絶してその場に倒れ伏した。放置すれば傷口が化膿して危険だが、即死するわけではないので放置する。

 そこで、少しだけ予想外のことが起きた。
 銃撃のショックで動けないと踏んでいた三人組のうち一人が、猛然と飛びかかってきたのだ。
 標的の中では最も小柄だったが、踏み込んだ脚に迷いはなく、速度もかなりあった。
 被弾率を避けるためか身を屈め、腕で顔を覆ってガードするなど意外にも知恵が回る。
 
 が、まだ遅い。 
 ヘッドショットが無理と見るや、着地した方の足先に銃口を再設定。
 足の甲を貫いた衝撃で加速が途切れつんのめったところを、今度はこちらから近づく。
 互いに詰めてゼロになった間合いで、眼球に押し付けての第二射。
 眼窩から入った弾丸は頭蓋を跳ね回って、脳をシェイクしながらタップを披露する。無様な踊りだ。
 だが最初の加速の勢いか、後ろに倒れたりせず全身がもたれかかってきて、服が血で濡れてしまった。
 それが最期の抵抗のように思えたのが苛立たしくて、死体を押しのけて生き残りに数発叩き込んだ。
 少し狙いが浅かったが当たったのでよしとする。



 むせ返る血臭が、取調室に充満する。
 どうということもない。いつもの風景だ。
 カケラ合わせの繰り返しで飽きるほど見てきた、よくある惨劇だった。
 沙都子も体験してきて、今では起こす側に回った、雛見沢の日常の一幕だ。
 昭和58年の片田舎では、こんな様相は日常的に行われていたのだ。
 
 それを、まあ、よくもここまであっさりと全滅するものだ。
 奇跡も、運命も、ここには何もなかった。逆転の目を引き寄せる気迫など微塵も見れなかった。
 友情が聞いて呆れる。控えめに言ってここに転がってるものはクズ同然だ。ゴミ、と言い換えてもいい。
 見栄えだけよくするばかりで、現実では役に立たない有象無象。
 こんな奴らに、こんな世界に、あの故郷に勝るだけの価値が、塵ほども見いだせない。 

 圭一なら言葉巧みにペースを握っていた。レナなら僅かな違和感も見逃さないよう注意を払っていた。魅音と詩音なら逆に返り討ち、最悪でも相打ちに持ち込んででも殺していた。
 そして梨花なら、絶対に諦めようとはしなかった。命が絶える寸前まで運命の打破を目指し、未来を目指そうとしただろう。
 その五分の一の気概すら、彼女達には感じられなかった。脆い、紙細工でも握り潰すみたいに。
 くだらない。
 つまらない。
 偽物は志すら偽物というわけか。いや、この分じゃ本物の方だって同じように薄っぺらい歌みたいな存在なんだろう。
 ───そして、だったら何故、自分はこんなにも不快なのだろう。


29 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:46:13 qp7lLlNs0



 はじめから期待してもいなかった。
 なにもNPCに、そんな奇跡の発露を求めていたわけでもいない。むしろ起こされては困るのはこっちだ。
 今回はガムテへの得点稼ぎで、標的が丁度よく目障りだったのでこの手で消したかっただけ。
 予定通りに事は進み、何も予想外はなく完了した。期待してないのだから失望もないはずだ。

 なのに目障りなものを始末しても、まるで気分は晴れなかった。
 あれだけ溜まっていたアイドルへの苛立ちはすっかり醒めている。
 同時に───なにか自分が、とてつもなく意味のないバカげたことをしていたみたいで、ひどく白けた気持ちになってしまった。    

(……もういい。あとはリンボさんに任せましょう)

 仕事は終わった。これ以上留まる意味はない。 
 二人、まだ死に損なっているが……今更とどめを刺す気分にもなれない。
 放っておけばいずれ死に至る。それはそれで、無力感に苛まれながら惨めに息絶える制裁にもなる。
 何ならリンボに好きにやらしてもいい。この手の直接的に露悪な術技についてはあの法師は一枚も二枚目も上手だ。
 どの道、人質を運んで帰るにはリンボの手を借りなくてはならない。ご褒美がわりと言えば嬉々として飛びつく顔が想像できる。
 
(……リンボさん?)

 合図を送ったのに、いつもの少し煩わしい甲高い美声が返ってこないのが怪訝になり、そこで沙都子は異変が起きたと気づいたのだった。


30 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:46:49 qp7lLlNs0




 ◆



 踊り食い、という食の方式がある。

 捌き、調理した料理を食べるのではなく、活きた生のままで口にいれる食事だ。
 当然の帰結として、選ばれるのは捌かないまま人の口に収まるサイズの小魚や貝、イカ等の海産物に限られる。
 その魅力は言うまでもなく、食材の新鮮さを味わう点にある。
 なにせ活きたままだ。口の中で飛び跳ね暴れる動く生物を、自分の歯で噛み裂き、すり潰す。
 ヒトが発生したばかり、まだ火を文明として扱う以前の時代の原初の遺伝子がそうさせるのか。
 この、残酷ささえ感じさせる食事方式は今でも親しまれている。
 寄生虫などのリスクはあるが、多様化し過ぎた食事文化にあっても逆に新鮮であると、回帰的な理屈も影響するのか、いまだ人々の生活に根付いていた。

 ならば今中野警察署で行われるコレもまた文化の名残り。
 のたうつ獲物にのしかかり、手足を奪い、背に爪を突き立て、活きたまま喰らう始原の試み。
 長きに渡り紡がれる人の歴史。それが魚類と哺乳類であるかの違いに大して差などあるまい。




 そんなわけがなかった。


 

 ここに受け継がれてきた技術などない。
 人の食たる文明の気配などない。
 獣の内ですら、こんな原理は取り扱いはしないだろう。それほどまでに、その『食事』は逸脱していた。

 そこには”魔”があった。
 自然の法則にありながら必要とされず、総じて正当な流れにある者には邪に映る輩。
 人に依らず生み出された、人の手による怪。

 何故生み出されたのか。正なる者を害するのか。それを問う場面はここではなく。
 故にただ、ここでは起きた事それだけが目にする話。

 食べていた。同僚の頭を。
 食べられていた。友人の手足が。
 
 巡査が上司の首を食いちぎる。落ちた首が巡査の足にかぶりつく。情報係が増えた頭でその両方を飲み込む。
 食べる者が食べられて、食べられながら食べ返す。
 それは踊りにも似ていて、情交の激しさで互いの体を混じり合わせて、溶けている。
 理性という理性、二千年頑なに守り通されてきた常理が壊れて、蒙昧白痴に踊り狂ってる。

 無数の肉塊が寄り集まって、ひとつの生き物を成しているようだった。いや、体は本当に癒着している。
 食らいついた部分が溶接され、融解したゲル状になって繋がれている。
 肢体を欠損し、失くした部位を接合し合い、更に不揃いになった全体で損失を埋めようと彷徨う残骸(レムナント)。
 
「……ふむ……肉の接続、魂の改竄、共に滞りなく。自立できる程度の魔力は生産できますが、これでは余りにも微量。可能性の発露とは言えますまい。
 それになにより……臓を破って脳の奥底にまで手を入れたのに、彼等を生み出した界聖杯との繋がりを感じ取れませぬ。拙僧が手を加えた時点で我が所有物に切り替わった? いやいやそうではない、それは違う。
 大いなる根源から流れた枝葉でしかない人間から、元を至る道筋が続かないのと同じ。こちらの手落ちではないでしょうとも。
 より太く情報が繋がった……界聖杯の魔力を多寡に割かれた個体であれば反応も違ってくるはず。運営機構を預かる管理者? この舞台劇の絡繰りに気づいた覚醒者? ンンンンンン迷いますねェェ」

 飢えに震える死肉の傍で、至極冷やか検分している声がひとつ。
 夜空を仰いで星辰を読み解いて宇宙の理を明かそうとする学者のように。
 新薬を投与した実験動物に表れる症状を心待ちにする学者のように。
 真剣に、興味を注ぎながら、変貌の過程を眺めている。

 これが最新の科学道具で埋められ、情報と細菌の二重の意味で機密にされた研究施設であればよかった。
 しかし此処に立つのは。今また死体に指を突き入れ新たな呪を注入している男は。
 人類の発展と進歩に唾を吐きかける、闇より出る影である。

 キャスター・リンボを名乗る法師陰陽師は、与えられた任務と遂行に使う時間をふんだんに使い、己の欲求を満たしていた。
 界聖杯内に夥しく群れる人、NPCの操作。魂の潜行、霊的階梯の強制進行。
 生活続命、泰山祭を修めた身にかかればNPCの防護など丸裸同然。全てが詳らかとなる。
 予選段階では主の意向により悪目立ちする凶行を自重して雌伏していたが、今こそ絶好の機会。
 界聖杯から製造された木偶人形を解体し、その秘密を暴く。あわよくば正規以外の手順で界聖杯に接近し、競争形式そのものを茶番劇に堕とせないか。
 この怪僧は人知れずに、全てをご破算にできまいかと奸計を図っていたのだ。


31 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:47:21 qp7lLlNs0

 そうして散々に肉を漁り、脳を割ってはいいが、さしたる成果は実らず。
 界聖杯の真実、見通せず。
 聖杯戦争からの一抜け、叶わず。
 今宵は徒に血を浴び、罪なき人命を鋳潰しただけの労に過ぎない。

「ま、いいでしょう! 今生で漸く味わえた生命の壊れる音、悲鳴の味、実に甘露!」

 無駄骨、結構。
 芽の出ない作業、結構。
 
 これはこれでいいものだ。意味のない徒労でも益体のない行為でも───だからこそ、これは、楽しい。
 そも研究・実験なぞ建前だ。主に見咎められた際の体の良い方便でしかない。
 経路の探索、それは嘘ではない。本当に探している。ただそれだけの理由ではないだけ。全容でいえば半分か、それを割るあたりだ。
 結局は、より上質な快楽を得られないかの模索。
 楽しみ。趣味。すること事態に意味があり、利があるかどうかは二の次の些事。
 無辜の住民を醜悪な獣に変え、法悦を抱いた時点で、リンボの目的は半分以上達成されていた。

「さてさて、それでは用済みとなったコレはどうしたものか。
 処分してもいいが、久方ぶりの手ずから捏ねた作品、このまま誰にも披露せず腐らせるのはやや惜しいですな……」
 
 その後を何も考えず、とりあえず作るだけ作ってみた作品を眺めて、いい用途を思いつく。

「……そうだ。ならば、披露してしまってもよいのでは?
 生きながらに死に、同族を食らって肥え太った怨嗟と哀絶を、外にお裾分けしてあげてもよいのでは?
 拙僧なような外道が幕引きでは彼等も浮かばれますまい。清き英霊、正しき英雄の手で成仏なされてこその慈悲でしょう。彼等がどのような表情(かお)をあなた方に向けるかを想像するだけで……ああ、なんという……!」

 悍ましき所業を行った下手人への怒りか。死ぬ他ない生き物にまで貶められた者への哀れみか。己の手では救えないと悟った自責の念か。
 何でもいい。自分の生み出したもので高潔な英霊共の感情をかき乱せられれば、それだけで喉が潤う。
 そんな、聖杯戦争の趨勢にまるで関わらない、その場の適当な思いつきを、この男は本気で実行してしまおうとしていた。


 これが快楽主義の極み。
 万全の布石を、綿密な策を、瞬間瞬間の感情で踏み倒し全力で愉しむ。
 放蕩と無軌道が極大の爆弾となって、意思を持つ。悪夢とでもいうべき現象がここにある。

 任務を終えた主の声を合図に始めよう。そう一人で勝手に頷き結界を解く手順に入りながら、ふと視線を横に向ける。
 そこに、信じられぬものを見た。


「────────────────何?」


 眼を開く。
 美しく、しかし瞳の虹彩は腐り切った溝底色に濁った目玉が驚愕に剥かれる。
 
 リンボは見た。
 蠢動する肉塊。警察署の職員十余名を食い合わせた死体を接合した、未だ破壊の興奮止まぬ街に繰り出されようとしていた残骸の獣。
 その輪郭に何重もの落書きじみた線が走って、その線をなぞるように裂けてずり落ちていくのを。

「──────ッ!?」

 衝撃。驚愕。動揺。
 いずれの感情も爆発する寸前でそれ以上の意識が押し留め、一足跳びで大きく距離を取る。
 目にしたからだ。一瞬の解体の直後、迅風に乗って現れた影の姿を。


32 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:48:04 qp7lLlNs0

 
 照明の落ちた正面ロビーの玄関前。
 窓から薄く差す月の加護に照らされて、それは輪郭を露わにする。
 結わえた髪。朱色の羽織。黒い袴。
 指に握られるのは黒い、黒曜石のように輝輝として鈍く光る刀。

 侍。
 あるいは武士。
 絵巻物に記される衣装そのままに、一人の剣士が、リンボを深く見ていた。



「……ほほう」
 
 思いがけない郷愁に目を細める。
 侍という、日の本の兵士。この期に及んでまで我が身に纏わりつくかと、運命の皮肉を嗤う余裕を保つ。

 何をしに来た。どうやってここに気づいた。
 今更過ぎた話は問わない。ここで慌てふためくのは二流の仕草。
 落ち着き払った態度を崩さずに、対峙する敵手を見やる。

「これはこれは、このような夜更けにお急ぎの足でどうされました、侍よ。
 見ての通り、ここはとうにもぬけの殻。あなたの待ち人は恐らくおられぬかと」

 慇懃な口調で歓待の体で遇し、片手を掲げて無人の広間を示す。
 指した先にある散乱物、乱暴に荒らされた空間に転がった肉片をこれ見よがしに見せて。

「それとも、よもや、拙僧に用向きがあると? 確かに我等はサーヴァント、生前果たせずにいた望みがため、浅ましくも現世に舞い戻った身。
 出会えば、戦うのが必定。その恐ろしい刀を我が身に向けるというならば、それもまたよいでしょう」

 しかし、と。
 法師は念を押して、言霊を放つ。

「先にお聞きしたい事がございます。
 先程のソレ、斬れ味はどうでしたか?」
「──────────────────」

 斬られてから部位が崩れ、原型を留めず消失していく残骸に、剣士はこの場で初めて反応を示し、視線を地面に這わせた。

「人に似た感触でありましたか? 刀を通して肌を裂かれる彼等の苦痛が伝わりましたか?
 そうであったなら、これほどの喜びはございませぬ。手ずから丹念に拵えた甲斐があったというもの。
 お答えください、正しきお人。義を志す者。怪物へと変じた、守るべき民草を慈悲深くもその手で斬り殺したその感想を。さあ、さあ、さあ!」

 興奮で上気した顔で、詰め寄らんばかりに捲し立てる。
 方法は不明なれどリンボの凶行の気配を感知し参じたからには、この英霊も善に連なる者だろう。
 勇み足で突入しておきながら間に合わず、何もかもが手遅れになった後になって到着した間の悪さ。
 もっと早く気づいていれば、気を張って急いでいれば止められたかもしれない無念の程は如何ばかりか。
 守りし者が守るべきを喪う無能ぶりを堪能したくて、英雄気取りの敗者に舌鋒を突き刺す。


33 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:48:45 qp7lLlNs0



「私は、人を殺した経験はない」
「……は?」

 返答は、予想したものとはまったく異なるものだった。

「私が狩るのは鬼だ。人が成ったものであるが本意ではなく、始祖の血を受けたことで蝕まれた彼等は、皆一様に心を失っている」

 晴天の下、湖の凪いだ水面でも眺めている気分だった。
 波一つ立たず、ただそこにあるだけで完結している、無我の境。

「……心は痛みはしないのですか?」
「奪われた者の無念は痛いほど分かる。我が身の不徳の致すところというならば返す言葉もない。
 だが、私が嘆こうと時間は止まらず、共に悲しんでもくれない。ならば私がやるべき事は、その災いを広める者を止めることのみだ」

 無貌のままに、抜き放たれた切っ先を持ち上げる。
 ただ、お前を斬るという意思だけが、現実に偽らざる干渉を果たすかのように。

「……過去に、数多くの侍、武士と合いまみえた拙僧にございますが……あなたほど軟弱な剣士はついぞ見た覚えがありませぬ。
 人を殺さぬ侍などとは笑止千万。あなたの時代の侍は、さては腑抜けの類語であるのか?」
 
 宣戦の布告にも、リンボは侮蔑もあらわに見下す姿勢を隠さない。
 なにしろこの男には殺気がない。目に入れるだけで首を飛ばしかねない、剣豪の覇気を欠片にも感じられない。
 破壊された人理定礎の修復を巡る特異点、打ち捨てられた剪定事象との生存権を争う異聞帯にて鎬を削った、古今東西の豪傑達と比べれば、この英霊の意気はそれこそ小波にも満たない飛沫だった。

 英霊ともなれば、絶望と苦痛は壊れる限界まで丹念に積み重ねてこそと志向するリンボだが、これは駄目だ。
 前菜なぞ幾らでも次がある。これから盛大な馳走を戴く準備をしなくてはならないというのに、この程度の小物にかかずらってはいる暇などあるものか。

「この身に蓄えし本領を見せるまでもなし!
 いまこの場で! 縊り殺してくれようぞ!」

 ───黒い波動が噴出する。
 蛆湧く瘴気と邪気が魔力に染み渡って、周囲一帯を深く闇に侵す。
 芦屋道満という英霊の霊基を餌に蚕食した3つの神、その指先から頭髪まで染み込んだ威容を毒々しくも溢れ出す。

 本物の殺意とはこれだった。
 身体を中心に浮遊する数々の人形の符。燃え上がる焔。沸騰する毒の光芒。
 手段は多々分かれども、収束するのは対象の生命活動を完膚なきまでに破壊し尽くす、たったひとつの行為。
 稚児でも持つ単調な悪意を、老爺ですら及ばぬ妄執で振るう。魔導の陰陽師はその両極を併せ持った極めつけの怪人だ。
 怨嗟と執着、輝く者を貶めたい妬み嫉み。人間ではどうしようもなく抗えない我欲の陥穽。

「確認をしておく。お前の殺戮はお前自身の意思か。それとも、お前の主の意向か」
「共に! 我が望みと我が主の望み、降り立つ場所は大きく違い相容れない。
 しかしその過程においてはひとつとして差異はなく、ぴたりと当てはまるが故に」

 指ひとつ、呼気ひとつで号令を為す。
 充溢していく魔力は爆裂寸前まで膨れ上がり、開城の瞬間を待ち望んでいる。
 陰陽術の歴史に知らぬ者なき伝説の術師、その手腕を遺憾なく発揮された死の方式が、ただひとりの剣士を呑み込もうとしている。

「作るのですよ! 惨劇を、地獄を!
 貴様もまた、その一助となり散れぇい!」


34 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:49:37 qp7lLlNs0





(等と、云いつつ)
 
 嘲弄と挑発を繰り返すリンボだが、彼は消して目の前の侍を侮ってなどいない。
 傲慢な物言いに反して、水面下では策謀を緻密に組み上げていた。

 リンボは知る。英霊を殺戮の悪鬼に変える宿業の陣を、刀の一振りで霧散させる老境の剣聖を。
 リンボは知る。真正の神、虚無を体現する惑星を、無の概念ごと斬り捨てた彷徨の剣豪を。

 武士なるもの、侍なるものは、いつだとてリンボの目論見を真正面から打ち砕いてみせた怨敵だった。
 アルターエゴという違法の霊基が登録されサーヴァントとして召喚される形となった、
 つまりリンボが滅ぼされた最大要因もまた、平安の京を鎮護する源氏の益荒男の奮戦によるものであるのだから。

 抑止の輪とは、人理とは、かくも悪辣に駒を配る。下総と平安京、二度の敗北での教訓は肝に命じた。
 この名も知れぬ剣士も、弱々しい見た目からは想像もつかない反撃を繰り出してくるやもしれぬ。
 故に──────。

(疑似神格体内励起、無限加速。熱量臨界制限解除。
 仙術の秘奥には届かずとも、この程度であれば式神一体分の炸裂で十分ッ)

 攻撃用の術式は布石。これで沈めば、それはそれでよし。
 だが万に一つもこちらの弾幕を潜り抜け、この首を飛ばそうと間合いを詰めたならば、それこそが真の終わり。
 取り込んだ神格の魔力を限界以上に注ぎ入れ、霊基一騎分を薪にした爆弾を零距離から受けることになる。
 良くて、即死。幸運を掴みきれなかった場合は更に悲惨だ。
 肚にたっぷりと詰め込んだ呪詛の大瀑布を浴びれば、致死に至るまでの間、地獄の鬼の拷問に匹敵する責め苦を負う羽目になる。

 さあ仕掛けてみよ。邪悪なるモノを征伐する責務を果たしてみよ。
 その時こそ前言を翻そう。奮闘を讃えよう。
 どうせ死ぬのに無駄な足掻き、ご苦労様でした! と。 

 勝とうが、負けようが、どちらでも掌の上。
 仕込みを済ませた死合舞台とは、愛玩動物の遊戯台と変わりない。 
 分かりきった結末を面白くするのは犠牲者の断末魔。想像だけでも身を震わす喜劇を開演すべく、小手調べの符呪術を見舞おうとした零秒前に、当の侍は位置からかき消えていた。

「グッ──────!?」

 何処に───目を丸くしたリンボが補足するより先に、異変は発生した。
 まず感じたのは灼熱。痛みはその後にやってきた。肉を焦がす匂いは一番最後だ。
 胴の真ん中よりやや左下、器官でいえば脾臓あたりの部位に、黒から赤へ変色した刀が突き刺さっている。
 弾幕を躱すどころの段階ではなかった。撃つ、という工程すら挟ませない無音の侵掠。
 単なる速度のみならず、狙いや弾数、射出のタイミングまで、心の内を読まれたかと疑うほどの意識への滑り込み。
 
(疾い! だが……──────ッ!?)

 隙とすらいえないほどの、僅かな間に差し込んだ仙術紛いの足運び。なるほど英霊だけのことはある。
 しかしそれは、待ち構える二の矢の配置に見事に飛び込んだのと同意。
 眼前で突きを繰り出した侍を諸共に消し飛ばすべく起爆させようとし……第二の異変が今度こそ、完全な慮外から襲いかかった。

 仕掛けが、作動しない。
 幾度と魔力を与えようと、体内に置いた爆弾が、湿気てしまったかのように着火しなかった。


35 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:50:11 qp7lLlNs0


「……何故、起動せぬ!?」

 思いもせぬ事態に、自ら侍から退いてしまったのも気にしていられない。
 たとえ首が落ちようとも、融解した炉心が自動的に爆発するようにしてあるのだ。自爆前提の策に解除の手順などあるはずもない。
 だのに炉心の熱は上昇の気配を一向に見せない。逆に段々と機能を冷めさせてすらいるではないか。
 
 何故、何故──────? 解けない疑問に回す思考を、腹部からの激痛が遮った。
 先程侍に入れられた一太刀。引き抜かれても未だ消えない余熱が肉を炙って煙をくゆらせている。
 その皮膚の下に何があるのかを思い出して、そこでリンボは己の不明を悟った。

「その宝具……退魔の剣か!」

 斬撃の時のみ赤熱化する黒刀。
 おそらくは、魔性の獣を数多無数に斬り殺し続けた経験が補正として刀に乗ったもの。
 人理の輪から逸した化外の種に特効効果を有した宝具が、リンボの術式を阻害したのだ。
 人の皮を剥ぎ、三柱の神を喰らって人類の脅威となったリンボはその判定に含まれる。
 鬼狩りと称した、敵の来歴が詐称なきものだと知る。人狩りの武士なぞより、よほど厄介な手合いだ。
 
 だがそれだけでは、不発の理由づけには不足している。
 特効を有していれば与えられるのはリンボへの致命傷であるのみのはず。
 不味かったのは武具ではなく、部位。
 刀が貫いた箇所にある、体内の脾臓付近を通る神の器を収めた場所だ。
 魔力を流す疑似神経……魔術回路に傷をつけられた。
 悪霊左府を取り込んで生前より遥かに増大した回路は、魔性特効の範囲内に及ぶ逆効果となってしまっていたのだ。

「莫迦な、有り得ん!

 魔性殺しについてはどうでもいい。単にそのような宝具を有していただけのこと。瞠目するに値しない。
 だがこちらの術式を不発に終わらせた一転。これだけは絶対に認められない。
 見ただけで魔術回路の機能を見抜き、神の器を収めた箇所を看破する?
 初見の、それも戦闘の間合いにあった相手に対してそれを成し、一太刀目で機能を封じる。
 ただ魔術の知識があるだけで実践できるものではない。
 経験則や勘で可能とする技術を身につけたという域を突破している。
 『目に見える生物が透けて見え、筋肉の動きから神経の位置、魔力の発露加減まで読み取っている』でもない限り、そのような芸当は不可能なのだ。

「直に触れたならいざ知らず、見ただけで儂の術の芯を捉えたと!?
 あまつさえ、そんな低級の宝具の差し込みのみで神との接続を不全に陥れるなどと!
 そのような出鱈目、たとえ剣聖であろうと罷り通るものか! そんなものはまるで■■の───────」

 

 
 喉から声が失せた。酸欠に喘ぎ口を開閉させる。
 口にした禁句を聞かせまいと、脳が停止した。

 今、何を言いかけた?
 失墜の原点。全霊で藻掻き、足掻き、焦がれに焦がれてもなお止まぬ執着を焼き付けた、何よりも誰よりも憎らしい男の名を、吐き出そうとしなかったか?


「貴様……! 貴様は!」


 迫る死の到来を目前にしながら、リンボは吠える。 
 憎悪と恥辱に塗れた、遊興の戯れとはかけ離れた激情を噴出して。



「貴様は!!! 何だ!!!」



 返礼は、壱斬を以て。
 疾走する火車が、凝固した黒泥を轢き潰す。
 宙を舞う首も、華と咲く血飛沫も、床を汚すより先に塵に帰る。
 刻んだ破壊と惨劇の爪痕、後には何も残らなかった。


36 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:50:46 qp7lLlNs0



 ■



 (間違いなく斬った。だが、手応えがない)

 残心を終え、血を振るい、刀を収める。
 生態の一部にまでなった所作を済ませ、緑壱は討ち取ったばかりの相手を、しかし討ち漏らしたと見做した。

 恐るべき敵だった。
 あやかしの術を自在に使いこなし、多方面にて被害をもたらすことのできる技量と、人の不幸を悦とする性質を備えている怪人だった。
 透かして見えた英霊の体内は人とも鬼とも違う奇怪な構造体が埋められていた。
 本人が呼ぶところの、神なる異物を埋め込んだ影響は人とは呼べない変貌を遂げさせた。
 鬼ですらここまで異様なる改造を施していたのは、始祖の鬼舞辻無惨の他にいない。

 今しがた交戦を交わしたのも本体とは違う。分身、身代わりの類か。
 そもそもその場にいない者を討つ手段を、緑壱は持ち合わせていない。
 自己変革と再定義。分身体への人格付与。
 それほどの才、正しく用いれば、自分などより多くの人を助けられるだろうというのに、何故あのように狂える面を持ってしまったのか。

 だがそれとこの惨事に間に合わなかったこととは関係がない。
 巧妙に隠していた気配に、気づくのが遅れた。そのまま見過ごしていた可能性もあった。
 軟弱。そう嘲られても致し方ない。

(…懊悩に身を委ねる権利など、私にはない)

 自責も、煩悶も、捨てて置く。
 死人たる身で惑うようではただの亡霊だ。サーヴァント、英霊の末席を汚す者として、止まることは許されない。
 この場でできる最善は、ひとりでも生存者を保護すること。魔物の消滅と同時に空間を包む緊張感も霧散している。反響しやすい壁の作りもあって、上階でした足音の位置を如実に教えてくれる。
 歩幅の感覚や体重移動からして童子、十を超えるかどうかの幼子だ。
 聖杯に与えられた知識で、此処が現代の詰所であることはわかる。親とはぐれたところを保護されたか。
 奇妙なことに、聴こえる足取りに迷いはなかった。しかもこれは、速さからして走ってもいる。
 あてもなく助けを求めて迷う者の歩調ではない。何処か明確な行き先が定まった進み方だ。
 気にしながらも追いかけ曲がり角を過ぎれば見つけられるというところで、唐突に足音が消えた。
 立ち止まったのではなく、気配ごとごっそりと消失したのだ。
 只事ではないと先へ踏み出す。赤い印のついた個室の引き戸が開きっぱなしにしてある。中を改めればそこは便所だったが、用を足してるわけでもない。神隠しにでも遭ったかのように姿は消え失せていた。

 備え付けられた姿見に視線をやる。磨かれた鏡面は幽世の住人である自身をも寸分狂いなく映し出している。
 こちら側にはない、この眼でも見分けがつき難いほどの微細な波紋が揺れていた。

「……」

 鏡面へと指を伸ばす。
 触れたところで返ってくるのは冷たい硬質のみ。けれどこの剣士ならば決まりきった摂理の境界すらも障子を破るが如く越してしまうのではないかと抱かせる雰囲気がある。
 現実と虚構とが触れ合い突破する事はなかった。
 触れるよりも先に、聴覚が拾った人の呼び声に踵を返し、即座にその場を去ったからだ。

 鼻孔を刺激する香り。
 耳元で早鐘を打つ蠕動。
 卓犖した五感は目で見るよりもずっと早く克明に映し出す。
 待ち受ける末路を理解しながらも脚を緩めたりせず、縁壱は現場に急行する。


37 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:51:48 qp7lLlNs0


「……」

 手狭な個室に広がるのは、見慣れたくなどなかった光景。
 鬼の報せを受けて向かえば、必ずこのような惨状に行き遭う。
 長閑な日々、慎ましやかでも家族と過ごせる平和。
 小さくとも、この世のありとあらゆる美しいものが、瞬きもしないうちに壊されてしまう。
 鬼が跋扈した時代、世の裏ではこのような悲劇が幾つも起きていたのだ。
 豊かで物に溢れ、大きな争いもなく、親が子を愛し育む、そんな細やかな幸福が許される世界においてすら。

 異なるのは、鬼ならば体を食い千切られるが、個室に横たわる遺体は局所を撃ち抜かれての絶命である事か。
 六人の内の四人は事切れていた。いずれも死因は同じ武器によるものだ。
 一人は脹脛を穿たれていただけで命に別状はないので、手早く処置した。
 おでんと共に災厄に巻き込まれた者を助ける途中で、この街の役人から分け与えてもらった道具が役に立った。
 
 そして。
 残る最後に。


「え。誰」


 地面に横たわりながら、自分を見上げる透明な瞳と目が合った。

「わ。侍じゃん。すげ。あと六人いるのか、な」

 溢れる声は、寝言かうわ言かのようにか細かった。
 音のしない施設の中にいても早々拾えない。少女の命の残量が、もう録に声を張れないほど示していた。

「……ここには私しかいない。もう、敵はいない」
 
 足を屈めて距離を近くする。
 音を拾える自分はともかく、少女の薄れた意識ではこちらの声が届かないかもしれない。

「え、そうなの。足りないじゃん、用心棒」
「雇うのか」
「そう、野盗の。守るんだって」
「……? …………………そうか、野盗か」
「ふふっ、なに、いまの間」

 不思議な時間が流れていた。
 噛み合ってるような、合わないような、緩やかな会話が続く。
 とりとめなく、実りのない会話であっても、誰かと話をすることは緑壱の性には合っていた。

「何を守るという」
「んー。お百姓さんとか、貧しき民とか。神も仏もねぇだよって、野盗に襲われそうな」
「そうか」

 曖昧模糊とした喋り口だが、どうやら何かの映画の話を語っているらしい。
 召喚に合わせて付与されたこの時代の知識から検索する。音と映像を記録し、いつでも映し出せる機械。
 どのような話なのか聞いてみたい関心が湧くが、そのような時間は残っていなかった。緑壱にも、少女にも。


38 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:52:27 qp7lLlNs0


「みんなと、雛菜ちゃんは?」
「……」
「─────そっか」

 掠れた声が、更に一回り音階が落ちたのを肌で感じる。

「私も、駄目かな。これ」

 何も答えないのを少女は肯定と受け取ったようで、小さく息を吐いた。
 助かる見込みがあったのなら話も聞かずすぐさま運び出しておでんを呼んでいた。
 出血が多すぎる。視えた傷は、腹腔に二発分の貫通。内蔵も損傷している。痛みすら感じていないのだろう。
 呼吸術を学んだ剣士でも、英霊でもない市政の人では回復する機会も掴めない。少女を見た時から、脱落者の烙印を押されているのはわかっていた。
 とうに意識を失っているのが自然。こうして話ができているのが無用な奇跡だ。

「すまない。私では、助けられなかった」
「え、いいよ。謝らないで。ていうか、来てくれたんでしょ、助けに」

 看取る相手に怒りも嘆きも見せず、少女は穏やかだった。怒る気力もないだけかもしれないが。

「それでも、間に合わなかった。私はまた、しくじってしまった」

 少女の死に行く様を、ただゆっくりと見届ける。
 緑壱が、セイバーのサーヴァントが、最強の鬼狩りが最後にしてやれるのがそんな気休めでしかないのが心苦しくて。
 その気持が伝わったみたいに、少女は動かなくなってきた唇を薄く伸ばして。


「じゃあさ、食べてくれないかな、私を」 

 
 そんな、奇妙なことを、言い出した。

「なんか、ぜんぜん違ったんだ、ここのてっぺん。
 狭くて、ちっちゃくて、近づいてるって気がしない。登る夢も、ぜんぜん、見なかったし」
 
 地面を濡らす血糊は、少女の意識を白く霞に包んでいく。
 記憶の前後もあやふやになって、夢でも
 にも関わらず、言葉は続く。息が続く確率は、可能性は、もう残ってないのに。

 緑壱に違和感という名の疑問が芽生えた。
 足を撃たれた女性は痛みのせいか数分前に気絶していた。
 残る四人は絶命している。
 では誰が、緑壱を呼んだのか。階層を隔てて届く声を上げたのは誰なのか。

「こんなになっても、食べてもらえたって気、しないし。
 誰かの一部になれる、そういう輪の中に、入れないのがめっちゃ、めっちゃ、やだなって」

 骨肉から臓器まで透かして見える世界の中で、彼女は完全なる「人間」だった。
 真も偽もない。優劣を競うでもなく、ただそこにいるだけで可能性を見せた。心臓に代わる鼓動と熱をもたらしている器官などその前には些末なものだ。


39 : 新月譚・火之神 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:54:04 qp7lLlNs0

「だから、ここに来てくれた人なら、いいかなって」

 言っている意味は、実のところ半分ほどしか理解が叶わない。
 漠然としながらも、それでも言いたいことは感じ取れた。彼女が何を願って、自分に求めているのか。

「……私も、同じく仮初の住人だ。永くはこの世に留まれない。近くに消えることになる」

 なら、この問いに答えなくては。
 末期の痴れ言と流すのも、自らを卑下することも許されない。
 迫られる義務感は、問答よりも戦いの激しさにも似ている。邪法師よりも遥かに強大な激戦を迎えてる気がした。
 故にこそ、あらん限りの誠意と心を込めて。

「だから、それまでの間でよければ、憶えていると約束しよう。ここに確かに存在した、生きていた"誰か"の声を」
「───────────────」

 返事はない。ちゃんと聞こえていたのか、満足したのかどうかもはっきりせず、少女は息絶えていた。
 心臓の音が聞こえなかったのは、いつの頃だったか。








 暫くしてから、生存者を抱えて警察署を飛び出す。
 名も知れぬ少女から、緑壱は命のバトンを受け取った。
 誰かの命を、食べたのだ。





【中野区・中野警察署内/1日目・夜】

【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:健康、軽い頭痛。
[令呪]:残り3画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
0:鏡面世界を移動中。
1:最悪脱出出来るならそれでも構わないが、敵は積極的に排除したい。
2:割れた子供達(グラス・チルドレン)に潜り込み利用する。皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?
5:にっちもさっちも行かなそうなら令呪で逃亡する。背に腹は代えられない。


40 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/04(金) 22:55:04 qp7lLlNs0
前編の投下を終了します
残りも投下できるよう誠心誠意尽くしますので、よろしくお願いします


41 : ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:31:26 B/.pJXl20
投下お疲れ様でした。
自分も予約分の投下を始めます。


42 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:33:06 B/.pJXl20

 星奈ひかるちゃんに手を引かれながら、私は歩いていました。
 小さい体のひかるちゃんですが、真っ暗な中でも私を導こうと頑張っています。
 私、櫻木真乃よりも年下の女の子なのに、エネルギーにあふれていました。
 ひかるちゃんはサーヴァントだから、人間の私よりも元気……いいえ、人間かサーヴァントかなんて関係なく、彼女の真っ直ぐさと情熱は無限大です。
 とても暖かくて、優しい手を握っていると……ひかるちゃんとは大きな愛でつながっていることを実感しました。

(ララちゃんたちも、今の私みたいに……ひかるちゃんといっぱい手をつないだよね。大人になってからも、ずっと)

 聖杯戦争の予選期間中に、大きくなったひかるちゃんの姿も夢で見ています。
 ララちゃんとまた会いたい。その願いを叶えるため、お勉強や運動をたくさんしたひかるちゃんは、立派な大人になりました。
 背は高く、適度なしなやかさが備わったカラダは、とてもスレンダーです。
 人気雑誌の表紙に選ばれそうなほどに、顔だってととのっていますし、モデルやアイドルと紹介されても信じちゃいます。筋の通った鼻とシャープなあご、長い手足や薄い唇が綺麗です。
 ふわふわした髪は、ツインテールからショートボブに変わりました。遠く離れたララちゃんを感じるために、イメチェンをしたのでしょう。大人になったララちゃんも、当時のひかるちゃんを意識したヘアスタイルです。
 私もひかるちゃんと髪型交換をしたいと思いました。でも、お互いの髪の長さを考えると、難しいでしょう。
 代わりに、ひかるちゃんの髪をセットしています。一緒に暮らしている私だけの特権です。

(大人になったひかるちゃん、きれいでかっこよかったなぁ……)

 たよれるイケメン女子と呼ぶにふさわしく、立っているだけで絵になりそうです。
 成長したひかるちゃんにだっこされ、ルビーみたいな瞳で見つめられたら、私の胸はときめくでしょう。
 それだけ、ひかるちゃんがかっこよくなっていますから…………一緒にいたララちゃんが、とてもうらやましいです。
 離れ離れになっても、ひかるちゃんとララちゃんの絆は何一つ変わりませんでした。
 私はどうでしょうか?
 この一ヶ月間、ひかるちゃんとはずっと一緒に過ごしましたし、今だってつながっています。
 ララちゃんみたいにならなくていいと、ひかるちゃんは言ってくれました。
 でも、やっぱりひかるちゃんに戦いを押しつけてばかりです。
 もしも、私もプリキュアに変身できたら、ひかるちゃんを支えられたのに。
 ……咲耶さんや、灯織ちゃんとめぐるちゃんだって助けられたかもしれません。

(…………今は、私がひかるちゃんのお姉さんだから、本当なら手を引いてあげなきゃいけないのに)

 ひかるちゃんやアサシンさんと違って、私は普通の人間です。
 明かりもなしに暗い道を歩けません。夜の登山をしたことがありますが、ライトは必ず用意しています。
 スマホの画面を明かりにしても、電気がダメになった被災地じゃ全然足りません。
 だから、ひかるちゃんを頼りにするしかありませんが、それがとても情けないです。
 私が頑張れていれば、神戸あさひくんやプロデューサーさんだって……きちんと説得できたかもしれないのに。
 大好きな女の子に頼ってばかりで、私は何をしているのでしょうか。
 
 ーー令呪を遠慮なく使ってください

 つながれている手には令呪が刻まれています。
 その令呪を使って、私はひかるちゃんの心を踏みにじろうと考えました。
 だけど、ひかるちゃんは……私がどんなに酷くてズルい言葉をぶつけても、すべて背負ってくれます。
 その気持ちに甘えて、私は何もしないのはズルいです。
 こんな私が、悪い人を非難する資格があるのでしょうか?


43 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:33:55 B/.pJXl20

「二人とも、おかえりなさい」

 私とひかるちゃんを出迎えてくれる男の人。
 田中摩美々ちゃんのサーヴァントであるアサシンさんです。
 あさひくんと電話をするため、勝手に離れちゃった私たちのことを、暖かく迎えてくれました。
 きれいな金髪と赤い瞳、芸術品のようにととのった肌と顔立ちは、暗闇の中でも目立ちます。
 真っ直ぐに伸びた背筋も、優しい笑顔も素敵で……大人になったひかるちゃんにも負けていないでしょう。ふたりとも、星の王子さまです。
 この人と、一ヶ月間も摩美々ちゃんは一緒に過ごしていて、夢を通じて思い出を知ったはずです。どんな人なのか気になりますが、摩美々ちゃんは教えてくれないでしょう。
 私だって、ひかるちゃんの思い出はひみつにしたいですから。彼女の思い出は、私だけの権利です。

「あ、アサシンさん……ごめんなさい! 私たちで、勝手に離れてしまって……」
「大丈夫ですよ。お互い、事は急を要する状況ですし……もしや、神戸あさひさんの件では?」
「「えっ!?」」

 アサシンさんの言葉に、私とひかるちゃんはビックリして声をあげちゃいました。

「ど、どうしてそれを!?」
「櫻木さんは星野さんと接点を持ち、その後は神戸あさひさんとも接触していました。
 お二人がプロダクションに向かう前、連絡先も交換したはずです。
 ただ、星野さんと違って、神戸あさひさんに対して悪印象を持っていない……だから、彼に関する情報を話すことをためらった」

 何もかもを、アサシンさんは見抜いています。
 私が内緒にした理由だけでなく、きっと顔も知らないアヴェンジャーさんの行動まで予想しているでしょう。
 …………ひょっとしたら、あさひくんが聖杯を求めている理由についても、気づいているはずです。

「神戸あさひさんは、今も聖杯を求めていますね」

 そして、アサシンさんの顔がすぐに曇っちゃいました。
 私とひかるちゃんの傷に触れることを、アサシンさんはためらっているのでしょう。
 でも、今はささいな情報だって逃してはいけません。アイさんとの繋がりだって、ちゃんと話しましたから。

「……はい。そうするしか、幸せになれないと……あさひくんは言っていました」

 あさひくんとの電話について、私はアサシンさんに包み隠さず話します。
 彼が予選期間中に他の主従の命を奪って、これから私たち283プロのみんなにも酷いことをするつもりでいることを。
 そして、あさひくんの隣には、聖杯を狙っているプロデューサーさんもいて……電話が終わった後に、プロデューサーさんからお別れを告げられる動画が流れたことを。
 もちろん、あさひくんの酷い言葉だって、私は話しています。
 本当だったら、口にしたくなかったのですが。

『真乃さん、わたしなら大丈夫です……あさひさんの、わたしに対する気持ちだって、きちんと話しましょう』

 私に届くひかるちゃんの念話。
 ここにいる誰もがつらくなるのに、決して隠してはいけないこと。
 でも、ひかるちゃんは大丈夫じゃありません。
 今だって、ひかるちゃんには悲しみを我慢させて、やり場のない感情が私の心をかき回します。
 私とひかるちゃんの気持ちを知っているからこそ、アサシンさんも瞳が暗くなっているのでしょう。
 
「……もしかして、アサシンさんは…………プロデューサーさんのことにも、気付いていましたか?」
「はい。協力者の情報によって、彼もまた聖杯を狙っている情報を掴みました。
 そして、プロデューサーがグラス・チルドレンに拉致され、人質にされてしまったことも……お二人に伝えるつもりだったのです」
「なら、あさひくんは…………グラス・チルドレンと手を組んだ……?」
「彼らの頭目は、神戸さんの外見から境遇を察して、シンパシーを感じたのでしょう。そして神戸さんも、聖杯を狙うスタンスでいるため、協力者になるメリットは大きい。
 また、グラス・チルドレンには、離れた場所でも瞬時に移動できる手段を持っていることが確認できました。
 それを駆使すれば、プロデューサー拉致及び神戸さんの勧誘など造作も無い」
「…………もしかして、ワープできるってことですか?」

 私の疑問に、アサシンさんは「有り体に言えば」と頷きます。


44 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:35:19 B/.pJXl20

「そして、真乃さんには私が用意した予備の端末を渡します。既に連絡先が知られている以上、今までの端末を利用するのは、リスクが高くなるので」

 そう口にするアサシンさんから、私はスマートフォンを受け取ります。
 アサシンさん曰く、既に摩美々ちゃんの連絡先は登録してくれたみたいです。

「アサシンさん……プロデューサーさんや、あさひくんとも……戦わないといけないのでしょうか?」
「彼らに対する処遇は、協力者と接触した際に改めて話し合う予定です。マスターは救出を望みますし、私も同意見ですが……彼らには慎重に対応する必要があります」

 どんどん沈むアサシンさんの声色。
 私が見た動画は、誘拐犯からの脅迫文の役割を持ちます。
 咲耶さんとの戦いをきっかけに、283プロに聖杯戦争の関係者がいることをグラス・チルドレンは掴みました。
 そして、煮え湯を飲ませたアサシンさんに対する復讐として、私たち283プロのみんなを絶望させるつもりです。
 もう、お互いに余裕はなく、近いうちに全面戦争が起こる可能性もありました。

「……また、警戒するべきはグラス・チルドレンだけではありません。こちらをご覧ください」

 懐から、アサシンさんはスマホを取り出します。
 画面に出ていたのは……

『峰津院が管理する東京タワーとスカイツリーの地下には莫大な魔力が眠っている。
 聖杯戦争の趨勢を決するだけの魔力プールが峰津院の手の中にある。』

『283プロダクションのアイドル達はマスターであり、聖杯戦争からの脱出を狙っている。
 そして、それが達成された場合、聖杯戦争は中途閉幕となり残存マスターは全て消去される。』

 ツイスタの投稿に、私とひかるちゃんはおどろきます。
 『DOCTOR.K』という謎のアカウントのつぶやきは、信じられない内容でした。

「予選期間中から、聖杯戦争に関する情報を発信する人物がいないか、私は定期的に確認していました。
 この世界に生きる方々は、聖杯戦争や魔術に関する知識を持たない。
 よって、聖杯戦争にまつわるキーワードを混ぜた投稿をするのであれば、関係者と断定できます」

 アサシンさんの推理に、私たちは「な、なるほど……!」とうなずきます。
 確かに、私たちはマスターとサーヴァントであることを秘密にするべきですし、ネットでもうかつに話せません。
 摩美々ちゃんだって、最初は私にイタズラでひっかけようとしましたから。

「そしてこのアカウントを投稿したのは、皮下医院の院長……皮下真と推測します。
 彼は峰津院の当主と激突し、この新宿に大災害をもたらした主従の片割れです。
 また、グラス・チルドレンと結託し、我々のように聖杯戦争を望まない主従の打倒を企んでいるでしょう」
「あ、あの……この投稿がデマって可能性は、ないでしょうか……?」
「それは、あり得ません。どんな敵がいるかわからない以上、発信した自分たちの正体を明かすような真似はリスクが高すぎます。
 今回、峰津院が避難所を新宿区に構えた理由の一つが、皮下真を遠回しに追い詰めることが目的です。
 勘のいい主従であれば、今回の動画で皮下医院が黒幕と察すると判断した上で。その反撃として、皮下真もこの投稿を行った」

 あさひくんの炎上とは違う、正真正銘の事実である投稿。
 私と摩美々ちゃん、そして咲耶さんは聖杯戦争を望みませんし、みんなで生きて帰りたいと願っています。


45 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:36:38 B/.pJXl20

「その皮下という人は、真乃さんや摩美々さんたちを囮にするために……ツイスタでこんな投稿をしたのですか!?」
「アーチャーさんの推測は正しいでしょう。
 また、もう一つの気がかりな点が…………『聖杯戦争の脱出が成功した場合、残存マスターは全て抹消される』という投稿です。
 情報の出所は不明ですが、これは大きな扇動になります。願望器の獲得を狙う主従は、我々の計画を潰さなければ確実に命が脅かされますから。
 …………もしも、プロデューサーさんと神戸さんの2名がこの情報を得たら、明確に283プロダクションの敵となる危険も考慮するべきです」

 夏の蒸し暑さなど関係なく、背筋が一気に寒くなりました。
 私たちが界聖杯からの脱出に成功しても、それは決してハッピーエンドではありません。
 むしろ、あさひくんの見殺しになります。あさひくんは聖杯を狙っている以上、脱出計画には乗りません。
 プロデューサーさんは、どうでしょう? 私たち283プロのアイドルや、ひかるちゃんやアサシンさんを傷つけるのでしょうか?
 ズルいことはもう許したくないと今も思っています。でも、私たちがこの世界から脱出するのは「ズルいこと」になるのですか?

「じゃあ、もしも宇宙船とかがあって、それに乗って真乃さんたちがこの世界から脱出できても……残された人たちは…………」
「……界聖杯の権限によって消滅する以外にありません。
 恐らく、界聖杯が真に願望器としての機能を発揮するのは、聖杯戦争が正しい形で終結した後。
 グラス・チルドレンや峰津院のように、強大な力を持つ勢力がこの情報を掴めば、我々を効率よく始末できる…………これが、皮下真の思惑でしょう」

 私は息を呑みました。
 『DOCTOR.K』は作られて間もないアカウントですが、この情報が誰かの悪意で拡散される可能性は充分にあります。
 咲耶さんやあさひくんに向けられた悪意だって、SNSで拡散されましたから。
 皮下さんに対する印象が、私の中でどんどん悪くなっていき……

「……お二人とも、誰かがこちらに来ます」

 この場の空気を壊すように、アサシンさんが警告します。
 私の腕の中にいるひかるちゃんも顔を上げました。
 すると、アサシンさんの言葉通りに、足音が聞こえてきて……

「……あなた、もしかして櫻木真乃!?」

 ……突然現れた女の人から、私の名前を呼ばれちゃいました。
 メガネをかけた彼女は、驚いた顔で私を見つめています。
 ショートヘアは丸みをおびていて、私よりも少しだけ年上に見える顔つきです。

「ほわっ……あの、どちらさまですか……?」
「お願い、私に協力して! 私は紙越空魚……星野アイから、聞いているはずよ!」
「……えっ?」

 女の人の言葉に、私は目をぱちくりさせました。


46 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:38:03 B/.pJXl20





「鳥子……鳥子…………鳥子…………ッ!」

 私、紙越空魚は夜の街を必死に走っていた。
 目的は言うまでもない。私にとってすべてとも呼べる鳥子を助けにいくためだ。
 アサシン……伏黒甚爾と別行動を取った後、私は新宿御苑を目指した。
 理由は、この場所に臨時のキャンプが設置されるからだ。
 数時間前、動画で配信された峰津院大和による告知。こいつの言葉が正しければ、新宿御苑にはこれから大勢の人間が集まる。
 もしも、鳥子が震災に巻き込まれていたら、このキャンプ場に来るかもしれない。鳥子がいなくても、何かしらの情報は掴めるはずだ。
 もちろん、あまり目立つ行動はできない。この峰津院大和は聖杯戦争のマスターだと、予選期間中にアサシンから警告されている。
 それも、ただのマスターじゃなかった。あのMが赤子に見えるほどの怪物であり、何があっても手を出してはいけない相手らしい。
 一度、アサシンも調査を試みたけど……すぐに諦めたようだ。だから、峰津院の息がかかった場所には近付くなと、アサシンから警告されている。

「鳥子……鳥子……鳥子……鳥子……鳥子……鳥子……!」

 でも、知ったことか。
 なんとか財閥の当主だか、この東京の支配者だか何だか知らないけど、私の邪魔はさせない。
 こんな世界で王様や総理大臣を気取りたいなら勝手にすればいい。
 ただ、私から鳥子を奪おうとするなら、絶対に許さない。
 いつか、その気取った顔をぶん殴ってやるだけだ。
 ……まあ、アサシンが言ったように、目立つ行動は避けなきゃダメ。
 手当たり次第に鳥子のことを聞くなんて論外だし、不審者と思われたら通報されかねない。いくら私だって、今の段階で国家権力を敵に回そうとは思わなかった。
 <裏世界>の怪異たちは私と鳥子で乗りこえたけど、警察に捕まったりしたら私は終わりだ。
 被災者のフリをしながら、片っ端から探してみよう。案の定、道行く誰もが暗い顔をしていて、泣いている人だってたくさんいる。
 覚悟を決めたつもりだけど、辺り一面から漂う暗いムードに顔をしかめた。<裏世界>に放り込まれた米軍のキャンプよりもどんよりしている。
 鳥子がこんな災害に巻き込まれるなんて考えたくないし、少しでも遠くにいて欲しい。
 でも、今の私にえり好みはできないし、猫の手だって借りなきゃいけない状況だ。
 …………流石に、茜理を狙った猫の忍者は嫌だけど。

「鳥子……鳥子……鳥子……鳥子……鳥子…………!」

 心と体、血液と臓器、神経と思考、そして魂……私のすべてが鳥子を求めている。
 世田谷区からタクシーに乗ったけど、災害の後だから途中で降りる羽目になった。新宿に向かう道は大渋滞だし、そこからは全力で走っている。
 今の私には痛い出費だけど構わない。鳥子のためなら、金なんていくらでも使ってやる。

「鳥子……鳥子……鳥子……鳥子……鳥子……とりこぉ……!」

 心と体、血液と臓器、神経と思考、そして魂……私のすべてが鳥子を求めていた。
 裏世界を何度も行き来したから、長距離を走るくらいの脚力や持久力ならある。
 今の私は鳥子というゴールを目指すマラソン選手で、ダントツの一位を狙っていた。
 でも、鳥子は金メダルよりも尊い。誰にも渡してやるもんか。

「鳥子……鳥子……鳥子……鳥子……どこなの、鳥子…………!?」

 端から見れば、今の私は精神異常者だろう。
 うなされたように鳥子の名前を呼びながら走っているので、頭のおかしい女と思われても仕方がない。
 でも、こんなまがい物の世界で、どう思われても知ったことではなかった。
 私が一番恐れるべきは鳥子の喪失だ。鳥子がいなくなる可能性に比べたら、私に貼られるあらゆる悪評やレッテルなんてどうでもいい。
 私は鳥子を愛しているし、鳥子だって私を愛している。
 その事実に比べれば、宇宙で起こるありとあらゆる現象は些細なことだ。超新星爆発だって、私たちの愛に勝てるわけがない。
 鳥子を取り戻すためなら、何だってやってみせる。
 やがて、森林の跡地を走っている最中、私は見つけた。


47 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:39:16 B/.pJXl20
(…………彼女、まさか櫻木真乃!?)

 念のため、もう少しだけ近づいたけど、間違いない。
 あの星野アイとライブで共演する予定だった283プロダクションのアイドル……櫻木真乃だ!
 彼女が抱いているツインテールの女の子はアーチャーのサーヴァントで間違いない。アイは教えてくれたし。
 二人の隣には、背の高い男が立っている。こっちは、誰だか知らないけど……真乃たちと一緒にいるなら悪い奴じゃないと思う。
 なんで、真夏に黒ずくめの格好をしてるの? というツッコミどころはあるけど、私にはどうでもいい。
 近くにアイたちはいないから、今が絶好のチャンスだった。これを逃したら、鳥子を助ける同盟を結ぶ機会は二度と訪れない。
 だから、私は真乃たちの前に現れて、単刀直入に協力を申し出た。
 当然、真乃たちからは驚かれる。顔も知らない女から名前を呼ばれたから、当たり前だけど……今は関係ない。
 『アイから私のことを聞いているよね!?』や『アイのライダーが話した主従よ!』とか、私は矢継ぎ早に説明する。
 でも、話しているうちに、真乃から不審な表情を向けられてしまう。

「……あなた、アイさんに罠を仕掛けたのではないのですか?」
「…………えっ?」

 真乃から返ってきたのは、そんな予想外の言葉。
 罠を仕掛けた?
 私が、アイに?
 一体どういうことなのかと、聞く暇もなく……

「同盟を結ぶ話は、罠だったって……アイさんが…………」
「な、何それ……何を、言っているの……?」

 真乃から聞かされた言葉を、私は飲み込めない。
 私だけじゃなく、真乃とサーヴァントも困惑の表情を浮かべていた。

「……どうやら、お二人とも星野アイとライダーに騙されていたようですね」

 ただ一人、真乃と一緒にいた男だけが、何かに気付いた顔を浮かべていた。
 私だけでなく、ここにいない誰かにも……その赤い視線が向けられていそうで、思わず後ずさる。

「申し遅れました。私は櫻木真乃さんと同盟を結ぶアサシンのサーヴァントです……紙越空魚さん、でしょうか」
「そ、そうだけど……いったい、何の話……?」
「私は真乃さんたちから、聖杯戦争の動向について伺いました。
 真乃さんと星野アイは一時的に同盟を組み、その後に星野アイは他の主従と交渉するために、別行動を取った……そのマスターが、空魚さんですね」
「う、うん…………それが、なんで、罠だったって話になるの…………?」
「星野アイは、真乃さんと空魚さんが結託される可能性を危惧して、先手を打ったのでしょう。空魚さんが、グラス・チルドレンの仲間という悪意を混ぜる形で」
「…………は、はあああぁぁぁぁぁ!?」

 アサシンの言葉に、私の頭は混乱した。
 私が召喚したアサシンよりも穏やかな雰囲気だけど、そんなことはどうでもいい。
 この男は何を言ったのか?
 私がグラス・チルドレンの仲間で、アイたちを騙したって?

 ーーーー鳥子ちゃんの件さ、“私から”真乃ちゃんにも伝えておこっか?

 あのドヤ顔で別れた後、被害者面をしながら……真乃と連絡していたのか?
 いや、アイなら充分にありえる。
 あいつ、何食わぬ顔で冷蔵庫から飲み物を奪うくらいに図々しいし。
 平気で人を騙すなど、日常茶飯事のはずだ。
 だからって、よりにもよってグラス・チルドレンの仲間だったなんて最悪のデマを流すなんて。


48 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:40:13 B/.pJXl20



 ブチッ。
 私の頭から聞こえたのは、何かが切れる音。


 許せない。
 既にゼロだったアイたちに対する信用度が、一気にマイナスまで堕ちた。
 怒りどころじゃなく、憎しみと殺意すらも抱いている。
 もしも、ここにアイがいたら反射的に発砲していた。警察に通報されても構わないくらいムカついている。
 私はこの感情をぶちまけるため、スマホを取り出すけど。

「待ってください。ここで星野アイたちを問い詰めても、事態は何も変わらないどころか……より悪化するだけです」

 先手を打つように、アサシンから止められた。

「時間から考えて、空魚さんが星野アイと接触したのは昼間でよろしいですね」
「それが何だって言うの!?」
「星野アイは別行動を取った後、聖杯を狙う陣営の一員に加わっており、既に多数の同名相手がいます。
 そんな状況で糾弾などしては、あなたが星野アイたちから敵と認定されるでしょう」
「関係ない! あいつは、私がぶん殴ってやる!」
「一時の感情に流されてはいけません。そうなっては、あなたの大切な人を失う可能性だってあります」

 水のように穏やかな言葉が、怒りや激情を鎮火させる。
 たった今、会ったばかりなのに、私のすべてを見通していると確信した。

「空魚さんが真乃さんに同盟を申し込んだのは、星野アイに聞かれては都合が悪いからでは? その証拠に、あなたの隣に星野アイたちはいません」
「な、なんで…………わかるの?」
「同盟を結んだ星野アイが、あなたの存在を隠し通そうとした。
 星野アイは真乃さんに、他の主従と同盟を組むための交渉に向かいましたが、実際には罠だったと話しています。
 空魚さんの裏切りを防ぐため、星野アイが先手を打った……空魚さんの関係者がいることを、星野アイが知ったからでは?」

 赤い瞳で見つめながら、私の部屋で起きた出来事を的確に話す。
 なんだよ、こいつは?
 頭脳明晰とかクレバーなんてレベルじゃない。もはや、超能力で私の頭を覗いているのかと疑ってしまう。
 彼の前では、鳥子の「と」の字も口にしていない。なのに、ここまで私の事情を正確に話すなんてありえないだろ。

 ーーーー謀(はかりごと)であれに挑むのは遠回しな自殺だ。要するに悪手だな

 私のアサシンがMを警戒していたけど……まさか、今の私と同じ状況なのか?
 アイたちのバックにはとんでもない怪物が潜んでいるとアサシンは言った。
 でも、まさか真乃の隣にもヤバい奴がいるなんて思わなかった。
 一人でも厄介なのに、同レベルの奴と出会うなんて聞いてないぞ。
 鳥子を助けるどころの話じゃない。最悪、これから身動きが取れなくなる恐れがある。

「空魚さんが真乃さんと接触したことを、星野アイが知ってしまえば……彼女たちは、空魚さんの関係者を血眼になって探すでしょう。
 彼らの組織力を考えれば、発見など造作もありません。
 最低でも人質は避けられませんし、一歩間違えたら……あなたのあずかり知らぬ場所で殺害される危険もあります」

 私が最も恐れる可能性だって、アサシンは言い当てた。
 今のアイがどこで何をしているのか知らないけど、真乃の反応を見る限り……勝手なデマを流していることは充分に考えられる。
 もちろん、鳥子はデマを信じたりなどしない。私のことを一番よく知っている鳥子が、私を疑うなんてありえないだろ。
 …………だけど、アサシン×2(私と、たぶん真乃の友達?)の言葉が正しければ、今のアイには大勢の仲間がいる。
 最終的にはつぶし合うだろうけど、私と鳥子にとっては厄介な連中だ。
 話を聞く限り、鳥子が引いたサーヴァントだって相当強い。でも、アイが私の名前を出したら、鳥子は確実に動揺する。
 あと、もっと考えろ。

『鳥子ちゃんの大事な空魚ちゃん、実は私たちが捕まえているんだよね!』

 そう、アイが言い出したらどうなるか? 鳥子は100%の確率で戦えなくなる。
 人質にされなくても、鳥子はアイたちに利用されて、やりたくもない殺しを強制されるかもしれない。
 ふざけるなよ。鳥子は、あんたの道具なんかじゃない。


49 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:41:43 B/.pJXl20

「空魚さんに、もう一つだけ聞きたいことがあります。『M』という名前に聞き覚えはありますか?」

 再燃しかけた怒りに水を差すように、アサシンは発言する。
 またしても、ノーヒントで私の事情を見抜いた。しかも、今度は私にとって最も厄介であろう怪物だ。
 ごまかしなんて意味ないし、するつもりだってない。余計な時間を食うのはイヤだ。

「アイたちの親分になった、ヤバい奴でしょ? 話には聞いてる」
「では、説明不要ですね。
 私の見立てでは、空魚さんのサーヴァントも『M』と関わりがあるのでは?
『M』はその情報網で、真乃さんと星野アイが聖杯戦争のマスターと予想したからこそ、あなたのサーヴァントを差し向けたはずです。
 そして、この段階に及んでもあなたのサーヴァントが姿を現さない理由……人探し、ですね? それも、あなたの関係者に絞った形で」
「……あたり」

 別にクイズ大会じゃないけど、思わず口にしちゃった。
 私が真乃に会いに行こうとしたら拒否されたことも、鳥子探しだって最初は消極的だったことも、彼は見抜いているだろう。

「あなたのサーヴァントは、283プロダクションの関係者を標的にしていましたか?」

 それにアサシンの視線は、どことなく私を警戒しているようだ。
 ま、無理もない。生き残るために真乃を利用しようと考えて、今度は鳥子を助けるために手のひらを返したから。
 ダメになったけど、幽谷霧子も誘拐して『M』に差し出そうとした。

「言っておくけど……私は、鳥子を助けるためなら何だってするよ?」

 その上で、私はアサシンに啖呵を切る。
 やべ。反射的に鳥子の名前を出しちゃったけど、こうなったら仕方ない。
 そうだ。私は誓った。
 目の前にいるアサシンや『M』がどんなに厄介な怪物でも、絶対に負けたりしないって。
 どんなに頭のいい奴らが現れても、鳥子を失う可能性に比べたら些細なことだ。
 言い訳はしないし、真乃たちを傷つけようとしたことだって……私の責任として受け止める。

「あなたたちが協力しないなら、それでいいよ。私は一人で鳥子を探すから」
「それは、危険すぎます」
「これ以上は時間の無駄でしょ!? 私は、この世界に鳥子がいるって知ったばかりなの……余計な手間をかけさせないで!」

 これが私の答え。
 <裏世界>で荒事を経験したけど、鳥子がいなければ私なんて何もない凡人に過ぎない。
 からっぽで、無意味で、荒廃で、空虚で、うつろで、空白で、虚無で、つまらなくて、終わっている人間だ。
 真乃たちの協力も得られないまま……たった一人で東京23区から鳥子を探さないといけない。
 でも、それがどうしたのか?
 アサシンが危険だって言うけど、私はとっくに知ってる。
 危険だから鳥子を諦めろって? 冗談じゃない。
 鳥子の敵になる奴は一人残らず殺すって決めた。それは真乃たちが相手でも同じ。
 私の邪魔をしないならそれでいい。
 彼女たちのことは綺麗さっぱり忘れて、改めて鳥子を探すだけだ。

「……わかりました」

 決意を固めて、この場を去ろうとした私の耳に届く声。

「空魚さんのために……私も一緒に、鳥子さんを助けます」

 物悲しく、それでいて確かな優しさが感じられる表情で、真乃とアーチャーは一歩前に踏み出した。


50 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:43:26 B/.pJXl20





 わたし・星奈ひかると、真乃さんの気持ちは同じだった。
 突然、わたしたちの前に現れた紙越空魚さんという女の人。
 空魚さんが真乃さんに助けを求めた理由。それは、鳥子さんという人を助ける手伝いをして欲しいから。
 アサシンさんとの話を聞く限り、空魚さんのサーヴァントは真乃さんたちに酷いことをするつもりだった。
 もちろん、それは許しちゃダメだし、真乃さんも絶対に怒っている。
 だけど、空魚さんは必死なだけだった。
 いきなり大切な人と引き離されて、この一ヶ月間ずっと不安でさみしかったはず。

『ひかるちゃん……私、空魚さんと鳥子さんを助けたい』

 アサシンさんと空魚さんが話している最中、わたしの頭に響く真乃さんの念話。
 顔を上げると、真乃さんが空魚さんをまっすぐに見つめている。

『ひかるちゃんは、どうしたい?』
『わたしも、同じ気持ちですよ』

 わたし・星奈ひかると櫻木真乃さんはつながっていた。
 空魚さんの根底にあるのは、大切な人を失いたくないという気持ち。
 わたしもララとずっと一緒に生きていたし、ララがいればどんな困難だって乗り越えられた。
 ララと離れ離れになった後、再会を誓ってがんばったけど……やっぱり、15年間もララに会えなかったのはさみしかったよ。
 ララだけじゃない。フワだって、最後の戦いでわたしたちを守ろうとして、一度はいなくなった。
 フワが消えた後、わたしは何も考えられなくなった。ララたちがいたから、わたしはまた立ち上がれたし、フワとまた会えたけど……あの痛みと悲しみは忘れられない。
 そのつらさを他の誰かに背負わせたくないし、真乃さんだって同じだよ。

「……本気、なの?」

 あっけにとられた顔の空魚さん。

「私は、あなたたちを利用しようと考えた。サーヴァントだって、あなたのお友達……幽谷霧子を誘拐して、『M』に引き渡そうとしたのに、私を受け入れる気?」
「あなたのしようとしたことは、許せません。どんな理由があっても、私の大切な人に酷いことをするなら、戦うつもりでいます。霧子ちゃんのことだって、私は怒っています」
「じゃあ、どうして……?」
「鳥子さんは、空魚さんが酷いことをするのを、望んでいるのですか……?」
「……望むわけない! でも、そんな綺麗事を言って、鳥子を失うくらいなら……どんなに汚いことだってやるつもりだ! 非難したきゃ勝手にすれば!」

 悲しい表情を浮かべる真乃さんと、心からの怒りをはき出す空魚さん。
 でも、ふたりとも大切な人を思いやっているのは同じだよ。
 わたしのせいで、真乃さんは灯織さんとめぐるさんを失った。
 一方で、どこかにいる鳥子さんを取り戻すために、空魚さんは走っている。
 聖杯の奇跡は関係なく、ただ鳥子さんを助けたいだけ。

「なら、空魚さんに酷いことを、させないために……私は協力したいんです。空魚さんと鳥子さんを……悲しませたくありませんから」

 空魚さんから目をそらさないまま、真乃さんはまっすぐな気持ちをぶつけてくれる。
 そこにうそは欠片もなく、確かな優しさがこめられていたよ。
 だって、空魚さんが罪を背負ったら、たとえ鳥子さんと一緒に帰れても……ふたりが幸せになれるとは思えないから。

「……わたし、思うんです。誰かの命を奪う痛みは……一生消えないって」

 わたしも気持ちを伝えるよ。
 言葉をつむぐ度に、胸の奥がズキズキと痛む。
 真乃さんたちの前で、灯織さんとめぐるさんの件を蒸し返すのはイヤだけど、ちゃんと空魚さんに言うべきだよ。


51 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:45:06 B/.pJXl20

「そんな痛み……私はいくらでも耐えてみせる。将来のことなんて知ったことじゃない……鳥子と一緒に帰れなきゃ、私の人生に何の意味もないから」
「だったら、わたしが戦います! 真乃さんだけじゃなく、空魚さんと鳥子さんを狙う人がいたら……わたしに任せてください!」

 きっと、空魚さんは強い人なんだ。
 アサシンさんが出会った女優さんと、わたしたちの敵になった星野アイさんは……何があっても輝こうとしている。
 似たような強さを、空魚さんは持っているんだ。
 ……でも、誰だっていつまでも強くいられるわけじゃない。
 アサシンさんが言ったように、人の命を奪った罪はずっと追いかけてくる。
 いつか、罪のプレッシャーに押しつぶされたら、空魚さんと鳥子さんから笑顔が消えちゃう。
 わたしは人間だった頃に願いを叶えたけど、真乃さんや空魚さんたちにはたくさんのキラやば〜! な未来が待っているから……聖杯戦争でつぶさせたくない。

「アサシンさん、お願いします! もしも、空魚さんが何か危ないことをしそうになったら、わたしが絶対に止めますから……鳥子さんを探させてください!」
「仁科鳥子さんの救出には私も賛成です。マスターには……私から説得しましょう」

 やっぱり、アサシンさんも同じ気持ちだ。
 283プロのみんなを傷つけようとしたけど、空魚さんにも理由がある。
 聖杯戦争に巻き込まれなければ、危ないことだって考えなかった。当然、自分から進んで誰かを傷つけようなんて考えない。
 空魚さんだけじゃない。もしかしたら、鳥子さんだって空魚さんを探そうと必死になっているはず。

「……言っておくけど、あなたたちみたいに、みんなで仲良くしようなんて気はこれっぽっちもない。誰か一人でも、鳥子の敵になる奴が現れたら……私は遠慮なく裏切るからね」

 釘を刺すみたいに、空魚さんは真乃さんにけわしい目を向ける。
 でも、空魚さんの決意を、わたしたちはきちんと受け止めるよ。
 強い意志を見せる空魚さんに、真乃さんははっきりと答える。

「……そうさせないためにも、私は協力します」

 真乃さんは、空魚さんの気持ちが痛いほどわかるんだ。

「大切な人を失う悲しみを、空魚さんや鳥子さんにも味わって欲しくない……それだけです」

 悲しいことも、酷いことも、許したくないって真乃さんは言った。
 それだけ、灯織さんとめぐるさんのふたりが大好きで、ずっと一緒にいたから。
 世界は違っても、イルミネーションスターズの愛と絆は変わらなかった。
 空魚さんと鳥子さんだって同じ。ふたりのことは、まだ何も知らないけど……互いを大切に思いやっているのはわかるよ。

『ひかるちゃんが後押ししてくれたから……私は助けたいって思えるようになった』

 空魚さんと見つめ合ったまま、真乃さんは念話でわたしに語りかける。
 まるで、わたしが自分を責めないよう、励ますように。

『もしも、ひかるちゃんが私の隣にいてくれなかったら……きっと私は空魚さんの言葉を聞かなかったし、鳥子さんだって助けようとしなかった。
 ううん、もしかしたら……私自身が、ふたりに酷いことをしてた』
『……でも、真乃さんは、空魚さんと鳥子さんを助けようとしました。それは、真乃さんが決めたことですよ』

 そう。わたしじゃなくて、真乃さん自身の意志だよ。
 それに、わたしがまた真乃さんの隣に立てたのは、わたし一人の力じゃない。
 今まで出会った人たちが、わたしにきっかけをくれたから。アサシンさんはもちろん、今は敵になっちゃったライダーさんだって、わたしを励ましてくれている。
 ライダーさんはわたしだけじゃなく、あさひさんを助けるヒントもくれた。きっと、あの人にそのつもりはないと思うけど。
 真乃さんと空魚さん、そして鳥子さんを傷つけるなら、わたしはライダーさんとも戦うよ。だけど、受けた恩は絶対に忘れないからね。


52 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:45:59 B/.pJXl20
『今度は、わたしたちが……空魚さんと鳥子さんを助けましょうか』
『うん。もう、ひかるちゃんだけに押しつけない。私も、一緒にいるからね』

 アサシンさんとライダーさんが、わたしと真乃さんを助けてくれたように。
 今度は、わたしたちが空魚さんの力になる番だから。

『プロデューサーさんとあさひくんのことも……私は、決めた。もしも、次に会う時が来たら……もう一度だけ、話し合おうと思う』

 ゆっくりと、真乃さんはわたしの手をつつんでくれる。

『それで、ふたりが気持ちを変えなくても……ひかるちゃんや摩美々ちゃんたちを、裏切らないようにしたい。逃げないって、決めたから』

 真乃さんの手から、優しさと強さが伝わったよ。
 つらいことがたくさん起きたのに、わたしだけじゃなく空魚さんたちのことも思いやってくれる。
 灯織さんとめぐるさんを失った悲しみを繰り返させないため、真乃さんは決意してくれた。
 真乃さんの暖かさに、わたしは泣きそうになる。
 星のような愛は、ここにいるみんなを優しく照らしていた。





 紙越空魚さん。
 星野アイと二重同盟を組んでいたマスターで、恐らく櫻木真乃さんも存在を知らなかった。
 真乃さんは憔悴していたから、星野アイに問い詰める余裕もなかったはずだ。灯織さんとめぐるさんの死を突きつけられた直後ならば、尚更だ。
 しかし、幸か不幸か…………空魚さんは人探しの最中に、こうして僕たちと遭遇する。
 彼女にとっての最優先事項は仁科鳥子さんとの再会で、共に脱出をすること。
 これまでの言動を考慮するに、目的のためなら手段を選ばない衝動性が感じられた。
 既に新宿事変でこの東京に混乱が広まっている中、サーヴァントと別行動を取っている。
 いや、空魚さんには他の選択肢がなかった。恐らく、星野アイとライダー以外に、他の主従と出会えなかったのだろう。
 空魚さんの動向を踏まえるに、サーヴァントも危険人物のはずだ。もしも、穏健派であれば、空魚さんをまっとうな主従に出会わせていたのだから。
 社会の影に隠れながら情報収集及び敵対主従の暗殺を行い、その途中で『M』との繋がりを持った。
 そして、これまでは鳥子さんの捜索に消極的だったものの、ようやく重い腰を上げた段階だろう。
 それを裏付ける大きな情報が、空魚さんから伝えられたからだ。

(覚醒させた仁科鳥子さんのサーヴァントと、界聖杯を利用してこの東京を地獄に変える……)

 馬鹿げている。
 それが僕の第一声だった。
 空魚さん曰く、鳥子さんと契約したサーヴァント・フォーリナーは無限の可能性を秘めているらしい。
 その真名は「アビゲイル・ウィリアムズ」。1692年、アメリカにて起きたセイレム魔女裁判の告発者で、魔女の疑いをかけられた女性の死に関与した人物だ。
 だが、彼女に関する資料は少なく、魔女裁判が終えてからの消息は謎に包まれている。
 告発で多くの女性を死に追いやった彼女と、犯罪卿として数え切れない罪を背負った僕…………近い名を持つことに運命を感じるも、それは置いておこう。
 考慮すべきは、仁科鳥子とアビゲイルの主従も、早急な発見及び保護が必要となった点だ。

「アルターエゴ・リンボと、『M』に名乗ったそうですね」
「そうみたい。私も、詳しい話まではよくわからないけど……神出鬼没って聞いたよ」

 馬鹿げたプランを設計する以上、魔術や呪いに関する技量は充分に高い。
 それも、峰津院が抱える霊地から自在に魔力を引き出せるレベルだ。
 だからこそ、リンボという不穏な名前も自称できるはず。
 真乃さんたちも、その名に心当たりがない様子だ。
 未だに遭遇してはいなかったのは不幸中の幸いだろう。シリアルキラーとも呼べるサーヴァントに不意を突かれ、殺害される恐れもある。


53 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:48:21 B/.pJXl20

「恐らく、リンボは魔力探知のスキルにも長けていて、手当たり次第に他の主従と接触したはずです。その過程で、仁科鳥子さんや『M』の存在も気付いたのでしょう」

 リンボは己の享楽のまま、他の主従に接触しては戦いを挑むだろう。
 当然、一度は同盟を持ちかけるものの……リンボのようなサーヴァントと組む主従など滅多にいない。
 鳥子さんとアビゲイルは言うに及ばないはず。本能でリンボがいかに危険であるかを察知し、撃退した。
 その際に、リンボはアビゲイルの潜在能力に気付いて、地獄界曼荼羅の鍵として利用する計画を立てたのだろう。
 鳥子さんとアビゲイル、そしてリンボについてもHに伝える必要があった。

「あの、アサシンさん……それなら、すぐに探しに行くべきでしょうか? 私とアーチャーちゃんでしたら、大丈夫なので……」
「もちろん、鳥子さんたちの救出も必要です。しかし、先ほども言いましたが……現時点で鳥子さんの居所がわからない以上、あてもなく動くのは危険すぎます」

 女子大生というロールと、透き通るほどの透明な手。この二つが鳥子さんを探す最大の手がかりだ。
 だが、東京23区でどれだけの大学があるのか? 一つ一つを探すのでは、どう考えても時間と人員がかかる。
 また、この東京では予選期間から、若い女性の連続失踪事件が多発している。犯人は新宿事変の影に隠れて、鳥子さんを標的にする危険もあった。
 そこで、三人も事件に巻き込まれては取り返しがつかない。

「……現時点で取れる最良の手は、空魚さんのサーヴァントと連絡を取り合うことでしょう」

 話に聞く限りでは、空魚さんのサーヴァントは高い諜報能力と幅広い人脈を持っている。
 鳥子さんの手がかりを得たら、連絡を取り合う予定だ。そこに僕も出れば、空魚さんのサーヴァントとも接触できるだろう。
 だが、これは非常にリスクが高い。空魚さんのサーヴァントは警戒心が強い相手で、外部に存在を把握されることを極力避けている。
 すなわち、僕に知られた瞬間……283プロを本格的に敵と認識する可能性もあった。

「味方にできるかどうかは、望み薄だから。私も、彼も……鳥子を助けるためなら手段を選ばないって決めてるし」

 今の空魚さんにとって、鳥子さんの生存こそが絶対条件だ。
 僕たちだけじゃない。『M』が率いる連合はもちろん、グラス・チルドレンと皮下陣営、極端に言えば峰津院だろうと、利用できるなら手を組むだろう。
 反面、少しでも障害になる可能性があれば容赦なく潰しにかかる。

「仮に……星野アイたちが協力者になった場合、どうします?」
「…………絶対にあり得ない! 本当なら、もう名前だって聞きたくないレベルだ!」
「失礼しました。あくまでも、例え話です」

 『M』との連絡で、かの連合と283プロの陣営が協力して、強大な陣営との決戦に備える可能性をマスターたちに話す予定だった。
 しかし、空魚さんとの接触で事態は変わってしまう。彼女のサーヴァントが幽谷霧子さんに危害を加えようとしたことを、マスターは絶対に許さない。
 真乃さんは空魚さんを受け入れてくれたものの、空魚さんを連れてマスターの元に帰還するのは困難。
 道中、念話で慎重に説得を試みるつもりだ。だが、安易にマスターと空魚さんを会わせては、トラブルに繋がってしまう。

「ただ、『M』の陣営に鳥子さんを探す余力はありません。彼らは今、別件に取りかかっている最中だと調べがつきましたから」
「それは私も聞いた。あいつら、大きな仕事が控えているから、私と鳥子に構っている余裕はないって」
「でしたら、空魚さんが我々に接触したことを、彼らが把握する予知はありませんね」
「……うん。あいつら、私をダシにして真乃を騙したから、その仕返しは思いっきりぶちかましてやる」

 ギリ、と拳を握りしめながら、空魚さんは表情をしかめた。

「その時が来るまで、私はアイの仲間でいてあげる。でも、次に会ったら……あの顔を絶対にぶん殴るって決めたから。二度と笑えなくなるくらい、徹底的にボコるからね」

 今後、星野アイから空魚さんに連絡する機会は絶対にあるだろう。
 現時点では、まだ二重同盟が成立しているフリを続ける。星野アイの視点では、真乃さんと空魚さんが同盟を組んだとは知らないのだから。


54 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:50:10 B/.pJXl20
「空魚さんに念を押します。あなたが我々と同行するのであれば、聖杯を狙う他の主従から総攻撃を受けるリスクが高まりますが……よろしいですね?」
「今更、知ったことじゃない。私は、鳥子の敵になる奴らは全員ぶちのめすって決めたの」

 空魚さんの瞳には、炎が燃え上がっていた。
 鳥子さんを助け、共にこの世界から脱出する確固たる意志と戦意が凝縮されている。
 だが、空魚さんには283プロダクションの内情について何一つとして話していない。
 仮に、プロデューサーや神戸あさひ少年の件を知れば、敵対を選ぶだろう。
 この点も、空魚さんに関する懸念の一つだ。彼女は部外者に過ぎず、プロデューサーとは何の接点も持たないのだから。

「それで、アサシンさん……わたしたちは、何をすればいいですか?」
「ひとまず、新宿御苑から離れましょう。峰津院の息がかかった場所に留まるのは危険ですし、私自身……調査したいことがあるので」

 僕とアーチャーさんはサーヴァントだ。
 もしも、この付近に魔力探知の罠が仕掛けられていたら、峰津院大和に存在を知られる恐れがある。新宿事変の後だが、即席で用意してもおかしくない。
 また、言及は避けるものの、幽谷霧子さんの捜索も必要だ。万が一、彼女が皮下医院に戻るのであれば、必ず新宿区を訪れているはず。
 霧子さんだけではない。義侠の風来坊……光月おでんも、人命救助のために駆けつけている可能性もあった。

(そして、『DOCTOR.K』……いや、皮下真が流したであろう283プロのマスターたちによる脱出作戦。
 我々の中に、聖杯自体に干渉する宝具を持つサーヴァントがいると確信したから、あのような投稿を行ったのか?)

 候補として考えられるのは、霧子さんまたは対象Nのサーヴァント・H。
 両名のどちらかが、界聖杯からの脱出を可能とする手段を保有することを、皮下医院は突き止めた。
 界聖杯は脱出防止のため、皮下医院の陣営に情報を流したはず。それも、聖杯自体のアクセスを可能とする主従に情報提供する形で。

(283プロの脱出計画を、皮下真が把握した経緯……恐らく、Hまたは霧子さんと接触した主従だろう)

 僕は二人の動向を把握しきれていない。
 よって、聖杯戦争からの脱出を望む友好的な主従が、彼らのプランを知った後……皮下陣営との交渉に赴いたはずだ。
 だが、皮下陣営が聖杯戦争からの脱出に賛同する可能性はゼロ。妨害のため、SNSに例の投稿を行った。
 その傍らで、皮下陣営にとって最大の壁となる主従の情報も得ているだろう。
 最大の問題は、『M』がこの情報を掴む可能性だ。彼らの陣営ならば、例の投稿を瞬時に把握して、283プロのマスターたちを殲滅する計画を立てるはず。
 一方、現時点で僕たちが情報を手に入れても、明確な対抗策は一人でも多くの同盟相手を得ること。だが、聖杯戦争が激化する中で、残存マスターの抹消を知っては……283プロに味方する主従がどれだけいるか。
 皮下真の思惑通り、僕たちは四面楚歌に陥るだろう。

(……恐らく、マスターは既に例の動画を見てしまったはずだ。だからこそ、今後のことを慎重に伝える必要がある)

 『M』が率いる連合との共同戦線や、アルターエゴ・リンボの計画。283プロの脱出計画が成功した後に起きる大量虐殺……そのどれもが、今のマスターにとっては酷となる情報だ。
 時間的に件の対談は終わったかもしれない。だが、その直後にプロデューサーの動画を突きつけられては、マスターに相当の負担がかかる。
 真乃さんとアーチャーさんもそう。神戸あさひさんの件の直後に、プロデューサーの裏切りを知ったのだから、平静ではいられない。
 灯織さんとめぐるさんの仇についても、真乃さんたちに話すタイミングは慎重に考えるべきだ。今の彼女たちに伝えては、傷を更に抉ってしまう。

(咲耶さん、そして灯織さんとめぐるさんを失った悲しみを、これ以上繰り返さないためにも……)

 失う悲しみを誰かに背負わせたくない真乃さんと、罪を自分から背負い続けたアーチャーさん。
 そして、失わないためにここまで走った空魚さん。彼女もまた、鳥子さんを背負っていた。
 生前、僕と『彼』……そして周りにいる多くの人々も、数え切れない程の何かを背負い続けている。今の空魚さんと同様、あらゆる手段を尽くしてでも全てを成し遂げる覚悟を決めた。
 もちろん、彼女たちだけではない。この界聖杯に招かれた誰もが、何かを背負っている。
 善悪など関係なく、願いを抱いて前を進む姿は輝いていた。
 その輝きを……このまま暗雲に閉じ込めたくない。
 マスターたちの未来を、星空のような輝きで照らすことが……僕の願いだから。


55 : 鳥子を助けて! 空魚の大きなねがい☆ ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:51:15 B/.pJXl20


【新宿区の新宿御苑付近/一日目・夜】

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、精神的疲労(大)、深い悲しみと怒り、令呪に対する恐怖
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
1:悲しいことも、酷いことも、もう許したくない。
2:ひかるちゃんに酷いことを言ってくる人がいたら、私が守る。
3:あさひくんとプロデューサーさんと出会ったらもう一度だけ話をする。
4:空魚さんのためにも、鳥子さんを探したい。二人には悲しみを背負って欲しくない。
4:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
5:いざとなったら、令呪を使うときが……? でも、ひかるちゃんを……
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:疲労(小)、ワンピースを着ている、精神的疲労(大)、魔力消費(小)、悲しみと小さな決意
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:洗濯済の私服、破損した変装セット
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:……何があっても、真乃さんを守りたい。
1:真乃さんに罪を背負わせたりしない。
2:もしも真乃さんや空魚さんが危険なことに手を出そうとしたら、わたしが止める。
3:ライダーさんには感謝しているけど、真乃さんや空魚さんたちを傷つけさせない。
4:鳥子さん探しに協力する。
5:真乃さんを守り抜いたら、わたしはちゃんと罰を受ける。

【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:心痛
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)、Mとの会話録音記録、予備の携帯端末複数(災害跡地で入手)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
0:ライダー(アッシュ)に連絡を取り、Mとの会話を共有しつつ対談の結果を聴く
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:首尾よくライダー(アッシュ)およびMの陣営と組めた場合"割れた子供達"を滅ぼす。その為の手筈と策を整えたい。
3:いざとなればマスターを信頼できるサーヴァントに預けて、手段を選ばない汚れ仕事に徹する。マスターには復讐にも悪事にも関与させない。
4:仁科鳥子さんを探すが、サーヴァントも含めて空魚さんとは慎重に対応するべき。
5:『光月おでん』を味方にできればいいのだが。霧子さんを含めて、新宿区で『光月おでん』を探す。
6:"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と殺意。
7:アルターエゴ・リンボの計画は絶対に阻止する。早急に対策を練るべき。
[備考]ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
櫻木真乃およびアーチャー(星奈ひかる)から、本選一日目夜までの行動を聞き出しました。
『DOCTOR.K』の投稿を確認しました。

【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:健康、憤慨、衝撃、自罰、呪い、そして覚悟、アイ達への激怒と激しいストレス
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を助ける。
0:鳥子を助けに行く。何が何でも。何を利用しようとも。
1:私も行動する。もう人任せではいられない。
2:ひとまず、真乃たちと一緒に鳥子を探す。アサシンにもいつか相談する?
3:もうアイ達とは協力しない。次に会ったら絶対にぶちのめす。
4:でも当分の間はアイ達との同盟が続いているフリをする。いつか一泡吹かせてやる。
5:アビゲイルとか、地獄界曼荼羅とか……正直いっぱいいっぱいだ。


56 : ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 06:51:30 B/.pJXl20
以上で投下終了です。


57 : ◆EjiuDHH6qo :2022/03/06(日) 12:04:17 piqcj0K.0
投下乙です。
気になったところがいくつかあるので指摘させていただきます

・空魚のキャラクターについて。
まず口調が所々怪しく、彼女は「〜よ」「〜なの」のような所謂女言葉は使わないので、そこに違和感を覚えました。

・空魚の思考、行動について。
鳥子の存在を知った空魚は確かに冷静な状態ではありませんが、鳥子が居ること自体は今回の話から遥かに前から分かっており、自身のサーヴァントである甚爾ともやり取りを重ねています。例えば前話では
>「こっちでも既存の案件の調査と並行して、仁科の居所を探る努力はする。
 お前の個人的な感情とアビゲイル・ウィリアムズの潜在性の話を抜きにしても、こいつはMの野郎に近付く好機だからな。
 手抜かりなくやるさ。だからお前も精々、やり過ぎない程度にその情熱を活用しろ」
>「……いいんですね、私も個人で動いて」
>「構わないが、もう一度言うぞ。くれぐれもやり過ぎるなよ。
 俺は他のサーヴァントと違って、令呪で即座に呼び付ける……みたいな真似が出来ねえ欠陥品の猿だ。
 お前が万一ミスった時、俺はお前のケツを拭けない。全てが自己責任だ、分かるな」
>「百も承知です」
こんなやり取りがあり、今回の話での彼女の言動はこれを踏まえて出されたものと考えると非常に不自然だと感じました。
鳥子の存在を知ったばかりならいざ知らず、今これほど取り乱したリアクションをするというのはいかがなものかと。

・話の流れについて
前項の内容を踏まえた上で今回の話における肝である「真乃達が空魚を助けることを決める」パートに対しての意見ですが、いくら何でも無理があると思いました。
空魚はキレてはいても冷静(原作でも度々見られた状態ですね)なので今回見られた取り乱し方をするとは思えないというのは先述の通りで、彼女からの認識が利用対象だって相手にこうも簡単に絆されるというのは空魚らしくないと思わざるを得ませんでした。
更に真乃達の他にウィリアムという明らかに危険な相手も出てきており、それに対しても鳥子のためだ!と盲目的な反応を取っているのはおかしいかなと。

長くなりましたが、今回のお話につきましては「全体的に無理がある」「空魚のキャラが不自然すぎる」という問題点を感じました。
長文、乱文失礼致しました。


58 : ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/06(日) 12:20:31 B/.pJXl20
ご指摘ありがとうございます。
お手数をかけてしまい、こちらこそ大変失礼致しました。
投下の後になりますが、今回の話は破棄をさせて頂こうと思います。


59 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:32:35 zx9MLKkM0
投下します


60 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:33:22 zx9MLKkM0

 ■


 月が、出ていた。


 深夜の空。青色を過ぎ、朱色を超えて、黒色に染まった空。
 人の往来が絶えない下天の街と対象的に、天では既に色が落ちている。
 遥か彼方で光る欠片は、今夜に限って瞬きひとつ見せなかった。
 夜を彩る、イルミネーションの飾られていない、少し寂しい空。
 照明の消えたステージのように暗く、物寂しい天蓋の闇の中でただひとつ己を誇示する、月がある。
 美しく幻想的な光を放って天に鎮座するそれは、あたかも闇を円状にくり抜いて、そこから光が漏れているとも見える。
 静かに月は浮いている。地上の喧騒、夜を忘れ街中を駆け回る人の群れとは関わりを持たず。
 真実に目覚めた者と白痴の夢をかけられる者の区別なく、平等に月は見ている。

 こんな騒がしい夜の時に、逆に見上げているのは自分だけだろうかと、霧子は考える。
 今宵の月は大きかった。輝きははっきりとして、辺りに星が見えないことが光を際立たせている。
 そんな自分の目立つ格好なのが気恥ずかしいのか、顔を半分隠してこっそりとこちらを覗き見ていた。

 上弦の月の形。
 弓張月、ともいった。
 
(……お月さまも……疲れてるのかな……)

 真円を描いてはいないけど、きれいな月だと霧子は思う。
 もし満月であったなら、いっぱいの笑顔を浮かべていると抱くだろう。
 三日月なら、少しへそを曲げていると感じるかもしれない。
 新月でも、今日はゆっくりおやすみなさいと労いの言葉をかけていた。 

(でも……見ていてくれるんだね……)

 月の満ち欠けの状態を何種類にも分けているのは、それだけ多くの人が月に物語を描いたからだ。
 季節を読み、時の運を委ねる占いに利用し、心象を文字にして書き写す詩歌の題材に用いて、夜毎に変わる姿を楽しんできた。
 ただこの星の上に浮かぶ白いだけの玊は、物語の中では女神になって、そこには兎が住むようになっている。
 昔の誰かが綴るままに続いてきた、誰かの為の物語を聞かせてくれたことが、霧子には嬉しかった。

「……すんすん………………」

 頼れるリーダーの真似をして、鼻をひくひくと動かしてみる。日が落ちても気温が下がらない残暑の、少し湿った空気が鼻孔を通った。
 毎年感じる夏の匂い。けれど今の霧子が欲しかったものではなくて。

(月のにおいは……あるのかな)

 お日さまのにおいは分かる。
 月のにおいとは、いったいどんなものなのだろう。
 お月見をした事もあったけど、そんな風に考えたりはしなかった。

 病院で干したシーツをしまう時に広がる、あたたかく柔らかな太陽の香りとは真逆の、冷たくて、鋭いかたちをしているのか。
 きっと違う。朝と夜を入れ替わるふたつの星は、対比されることはあっても、反発する両極ではないはずだ。
 霧子がそう思ってるだけの、そうあって欲しいだけのものだけど。
 兄弟のように。親子のように。傍にいられなくても忘れたりせずに、何度だって会いに来ている関係であればいいと願って。
 呼吸が整うまで体を休めていたベンチから、ゆっくりと腰を上げた。


61 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:34:16 zx9MLKkM0

 

 新宿の区内に留まってる霧子の足取りは軽くはない。
 朝に家を出てから皮下医院でボランティアに参加し、ハクジャを伴って摩美々達と話し、海岸に趣き、また新宿に戻ってきた後に梨花と出会ってからあの嵐だ。
 夜になっても続く酷暑さが消耗に拍車をかけて、体力はどんどん削られている。
 うっすらと額に汗が滲んでるが、息を切らしつつも音を上げないのは、ステージの場数を踏んだ賜物か。
 とはいえ身体をベッドに横たえて眠りたい誘惑は、正直に白状してしまえば、大分ある。
 それを足を止めていい理由にしなかったのは、梨花に頼まれたから。光月おでんという人物を探して、助けを呼んでほしいと。
 同じく事情を理解している……らしい七草にちかにも、事情を伝えるようにと。
 にちかとの連絡は済んだ。合間に、合流していた摩美々とも言葉を交わし合えて、少し元気ももらえた。
 気心知れたユニットメンバーと裏表なしに話せるのは、霧子の精神の緊張をほぐしてくれた。

(ふたりの……にちかちゃん……)

 ───界聖杯には、七草にちかが二人いる。
 齟齬のあった認識に摩美々が訂正してくれた真実は、霧子にとっても寝耳に水だった。
 言葉にしてみれば夢みたいな不思議な話、で済ませられなくもないでもないけれど。実情はそう簡単に収まるわけではないらしい。
 自分とまったく同じ、けれど自分の意思には繋がりのない人がいる。驚くし、大変だろう。
 霧子でなくても体験した人は中々いなさそうな話であるので、こちらとしてはいる、という知識を持って対応していくぐらいしか現状できるものはなかった。
 
 なので気にするのは、裏表ない友人関係でいる摩美々とにあった齟齬のほう。

 花屋での職業体験のこと。新しく事務所に加わったSHHisとの触れ合いのこと。始動し出した全国ライブに向けてのレッスンのこと。
 目まぐるしくなるほどたくさんのお話。一歩ずつ変わっていく、翼を羽ばたかせる物語。
 ただの確認作業、と流したりはできなかった。
 摩美々も一緒に参加して記憶を共有していたはずのそれを聞かせるたびに、電波の先にいる摩美々が、何か噛みしめるように頷いていた想像が浮かんできて。
 
(摩美々ちゃん……泣いていたのかな)
 
 鼻をすする音を聞いてはいない。
 涙の落ちる音を聞いてはいない。
 でも、声を聞いただけでも何を感じ、何を思ったのか。その声なき感情(こえ)を拾い損ねてしまったりはしない。
 それはひとりだけで完結する想像ではない。相互のもたらす信頼だ。
 霧子も摩美々も互いを信じ、思い、通じ合っている。そこに疑念という歯車の欠落は見当たらない。
 
 疑わなくてはいけないのは、常識を思い込み、考えを巡らせるまでもないと思考を放棄してしまうこと。
 霧子の日常を、どうしてか懐かしそうに耽る摩美々。違和感があったのなら、歯車の噛み合いのズレはきっとそこにある。
 少しすれば後で摩美々から正解が明らかになるのだけれど、教えてもらってばかりでは悪いから。
 霧子は霧子で、283プロのことを考えなくてはいかなかった。

「あ……充電、切れちゃいそう……」

 いつ着信があってもいいようにと携帯を出すと、電源の残量が一割を切っていた。
 SNSなどを見ない霧子は頻繁にスマホを確認する習慣がない。朝出た時も充電器を持ち歩いたりせず置いてきてしまった。
 乾電池をはめて使う携帯式の充電器がないか探してみたが、この辺りのコンビニやスーパーはどこも品切れだった。
 新宿の被害が退勤ラッシュの時間帯を直撃したせいだろう。帰宅難民になった会社員達は、ネットカフェで時間を稼ぐ選択肢も先に奪われ電源を確保する手段に追われていた。

 なるべく、早めに目的地に急ごう。適宜に休憩を挟みつつ歩いて、ようやく新宿御苑の外周が見えてきた。
 光月おでんを探す、といっても、梨花からは特定の居場所を教えてもらったわけではない。
 新宿で起きた出来事を見て黙っていられるような人柄ではなく、区内には入ってるはずだろうと仮説を立てていた程度。
 あてがないなりに、災害下で一番新宿で人が集まっていそうな場所として選択したのが、避難所として開放された告知のあった広場だ。
 とにかく目立つ格好であるらしいので、混雑の中でも見分けやすいだろうし、話や休憩するのにも丁度いい。
 本当は避難民に食事を配給する炊き出しの手伝いに参加したいのは山々だったが、流石に今は見送るしかない。


62 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:35:42 zx9MLKkM0


 そこでなんとか上手くおでんを見つけて梨花を助けてもらって。
 摩美々のアサシン、ふたりのにちかも含めたみんなと集まって。
 マスターもNPCも問わない、生存を望む全ての人と、この世界の外へと臨む。
 霧子達283のアイドル、戦いを望まないマスターが元の世界に還れる、霧子にとっても理想の構図。



(……でも………………)

 でも。
 これ以上ない展望が実現しそうになって、希望が見え始めていながら、後ろ髪を引かれる思いが僅かに足を縛り付けている。

(それなら……セイバーさんは……どこに行けば…………)

 サーヴァントが生きていない幽霊、死者の容(かたち)であるのは勿論わかってる。
 寡黙で、厳しくて、そもそも人ですらなくて、むしろたくさんの人を襲って、たくさんの命を奪ってきた恐ろしい鬼。 
 客観的に取り扱えば、他の主従が傍に置くには甚だ危険で、かつ厄介過ぎる劇薬だ。
 夜逃げの算段を立てる集まりが雁首揃えた場で、撫で斬りにしない保証がなけく、最悪は霧子ごと乗船拒否の路もある。

 霧子はそこは気にしてはいなかった。
 令呪で手を出さないよう確約させるとか、契約を切ればいいとか、話せばわかってくれるとか呑気にも訴える気すらもない。


”だって、みんなに受け入れられても、そうでなくても、あなたはまた寒いところに置いていかれてしまうから”


 それは脱出派の集団に好戦的な人物を混ぜ込む不和を危惧してではなく。
 万事全てが上手く行った、その後に、海岸に取り残される孤独を不安してのもの。

 摩美々達のことも、黒死牟のことも、困らせたくない。どちらも掌から零さない選択があったらいいのにと
 優しさとも甘さとも判断はつかない。送る言葉は、受け取る側にも整理や準備が必要だ。
 相手に余裕がなければ、どんな優しくて暖かな気持ちも、上手く伝わってはくれないから。
 もし、どちらかを選ばなくてはいけない、手に抱えるものを捨てる岐路に立たされてしまったなら。
 その時、霧子は、いったいどちらを。

「……!」

 更新された新たな着信のバイブレーション。摩美々からかと画面を見ると、通知にあるのは283の共有メッセージに載った動画再生のファイル。
 そこには。

「…………プロデューサーさん……?」

 この世界では会ったことのなかった、いつも霧子の傍にいた人の顔と声が、ぎっしりとずっしりと詰まっていた。


 ■


63 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:38:01 zx9MLKkM0

 

 幽谷霧子が目下捜索中の光月おでんは、やはり新宿区内にいた。

 主敵との邂逅、再度の討ち入りを決め込む前の露払いに、区内での救助活動に勤しんでいた。
 実際に、おでんの働きは効果を見せている。屈強な体格から想像される何倍、山をも背負えるのではないかと余人に抱かせる筋力で命を救っている。
 崩落したビルの瓦礫に体を挟まれた主婦を、自動車ほどもある瓦礫を持ち上げて助け、
 扉が湾曲した家に閉じ込めれられた老人を、扉ごと十字に割いて担ぎ上げ、
 強風が呼んだ砂塵に巻かれ泣き喚く児童の群れを、手近な台車でまとめて運び出した。
 SNSでしばしば噂される『義侠の風来坊』の跳梁は、混乱の収束に動き出した峰津院財閥の肝が入った救助部隊に先んじて多くの人命を掬い上げた。
 救助班にしても、個人の民間人……市民登録を受けてるか確証のない根なし草に現場を荒らされて苛立ちがないでもない。
 ただ復旧したばかりのネットワークで頼みの人海戦術の効きが遅く、瓦礫の撤去のための重機を向かわせるのにも時間を食う。
 その間に単独で侵入し、火事もがけ崩れもなんのそのと負傷者を連れて帰り、確保や事情聴取の追求をかける暇もなく次の救助地に走っていってしまう後ろ姿を見れば、微妙な苦笑いと共に目をつぶる他なかった。

 無茶苦茶で、乱暴で、破天荒で、周囲に多大なる迷惑を振りまいて。
 なのに最後には、言葉にならない意気に呑まれて、惚れ込んでしまう。
 もっとこいつの活躍を見てみたい。ずっとこの人についていきたい。
 ワノ国で俗に『おでん節』と呼ばれる、広大な海を渡る舟を思わせる度量を目の当たりにして、それとなく災害現場の情報を教える隊員も、少なからずいた。
 そういう訳で、過去一ヶ月の間、飲み屋の乱痴気騒ぎ以来何かと世話になった警察官からの縁が、おでんを此処に手繰り寄せていた。
 

「ああ〜〜〜っ!! どうなってんだこの町はよ! 夕方の゛真っ黒くろ介゛といい、ガキを拐うのが流行ってんのか!?」


 おでんは、叫んだ。
 鍋の中でぐつぐつと煮えたぎるおでんに喩えられる怒り。窮屈なれど泰平であった、街の治安に対する困惑への突っ込みだった。
 複数人を住まわせる寮の玄関前に、仁王立ちでふんぞり返る。  
 傍若無人と謗られる割合多しの横柄さ、いつ住居人に不審者の通報を受けるかわかったものではない。
 ただこの場限りでは、その図体は仁王像さながらの万人の守護の証と化していた。

 
 発端は相棒からの申し出だった。
 宿敵からの言伝を果たし、同じく救命に精を出していた緑壱が、ふと明後日の空に首を向け立ち止まって言った。

『鬼の気配を感じた。私が知るそのものではないが、それに近い魔性の類だ』

 曰く、何らかの術で隠蔽をかけていたらしく、僅かに漏れ出たのを今になって探知したのだとか。
 気配探知の見聞色に突出してないおでんではまるで見当もつかないが状況は理解する、どうやら火事場に紛れてとんだ不届き者が出たらしい。
 止める理由はなかった。竜呼相打つ不可避の激突を控えた身だからといって、目の届く内でみすみすと民草の危機を見過ごすようでは侍の名折れ。
 主の了承を受けるや否や疾風の速度で去った緑壱を見送り、さあこっからは二人分の働きをするかと意気込もうとしたが、待ったをかける虫の知らせが動きを止める。
 同じような混乱に紛れてせせこましく悪事を働く輩が出ないとも限らない。
 盗みぐらいなら拳骨ひとつやれば簡便してやれるが、緑壱が捉えたのと同じく聖杯戦争に絡んだ企てだとしたら、行きがけの駄賃で払える額ではない。
 根拠のない勘任せ。
 しかしおでんの思いつきならばそれは天意にも等しい影響力を持つ。
 倒壊しかかった小高いビルの残骸の天頂に一跳びして、一区を俯瞰できる高所から眼力を集中してみれば、早速捉えた深い"染み"。
 お天道様も眠った街の闇にあって、なおドス黒く穴を穿った殺意の集束地点目掛けて、屋上から自らを射出させた。


64 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:39:10 zx9MLKkM0




 以上が、おでんが283プロダクション所属アイドルの寮施設に飛び込んだ経緯である。
 一般よりも広い家をぐるりと取り囲み、堅気には持ち得ない練度と殺意を放って屋内ににじり寄る集団を見て取った時点で、おでんの行動は完了していた。
 威を孕んだ気を解き放つ。殺意を上回る殺気が意識を撹拌させる。
 覇王色の覇気。王者の資質ともされる特殊な意志の力。彼我の差が激しい相手が受ければたちまち気絶させる強者の特権だ。
 致死には至らず、しかし暫く身動きは取れない塩梅で調節した覇気を飛ばしたことで、敵方の布陣は襲撃前に総崩れとなった。

「しかも襲う方も残らずガキときやがった。どいつもこいつも血走った眼ぇしやがってよ……!」

 撃退はしたが、勝利とは程遠い。口内に砂利とは違う苦味が混じる。
 地べたにへばりつく十数人は、どれも子供ばかりだった。
 おでんから見れば下手な隈取でもしているような、一様に顔面に巻かれたガムテープ。
 統率されていた手際といい、統一されたトレードマークといい。
 大海の狭間でおでんが戦ってきた、旗(シンボル)を掲げた海賊達との記憶と、この子供達が 被って見えた。

「なんてぇ顔だ……笑って地獄に落ちたいってのかよ」

 覇気に当てられて失神こそしているが、顔には張り付いた『狂』の面が取れないままだ。
 剥がれなくなり、顔の一部として癒着してしまって。
 海賊の子供なんて珍しくもない。少年が大志を抱き、遥かな海原へ飛び出すのは大物の証だ。
 だが倒れている子供は、おでんが海を出た頃よりもずっと若い。
 あさひと変わらぬ年頃、元服を越えてすらいない者もいるのではないか。

 彼等の振る舞いは、輝ける憧れを胸に懐く冒険者のそれではない。
 後ろ暗く、影から血と死臭を振り撒く殺し屋のそれだ。

 闇も底も知るおでんとはいえ、これほどまで精神(こころ)を壊された幼子の過去は想像だにできない。
 壊した上で、膿んだ傷を癒やしもせず殺しの技を仕込ませた者の性根も。

「おれが父上にしこたまどやされたのは、単におれが馬鹿なだけだったがよ。お前らにはそれすらなかったのか?
 なあ、どうだい別嬪」
「……」

 独り言かと思えた呟きだが、他の子供達のようにのぼせて倒れない視線がひとつ。 
 こめかみを押さえ、膝をぐらつかせつつも、毅然とおでんを睨み返す。
 黒の長髪、着崩しせずぴしりとセーラー服を纏う、美麗、という言葉がこれ以上似合う少女だ。
 
「聖杯戦争に一枚噛んでるやつだよな。なんでここを狙う?」

 ゛こっちが言いたい台詞を盗るんじゃないわよ゛。
 『割れた子供達(グラス・チルドレン)』No.2、舞踏鳥(プリマ)は胃液を嘔吐するのを耐えながら、そう突き返したくて仕方がなかった。
 
 283寮は複数人のアイドルが住まいとし、関係するアイドルがよく出入りしているのは調べがついている。
 半数のアイドルが都外へ出張にいったため残ってるのは二人だけだが、同じ事務所のアイドルなら顔パスで自由に入れる利点がある。
 何らかの事情で打ち漏らしたアイドルやマスター本人が、避難の駆け込み寺として使う目算は高かった。
 よって想定より数が増えても問題なく狩れるよう他のポイントよりも人員を多めに割き、副将である舞踏鳥(プリマ)が出張るまで万全の態勢を整えたのだ。

 だというのに、奇襲の任務(ミッション)は失敗に終わった。
 鉄火場に突如として吹いた颶風が、大男の姿を取って木っ端達を蹴散らした。
 天を突く巨漢。歌舞伎座から出てきた婆娑羅者。都内で風聞する『義侠の風来坊』であるのは明白だ。
 空から人工衛星の破片が落下して脳天に直撃したようなものだ。聖杯戦争に関与しない一般人を屠るだけの簡単な仕事のはずが、とんだ理不尽だ。


65 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:39:58 zx9MLKkM0


「サーヴァントの気配は感じねえ。ならここにいる奴はマスターじゃねえって事だし、おまえらの中にもマスターはいねえ。
 ……だっていうのに何だってここまで大事やらかす? 他でもやってんだろ!? あちこちで火が回ってやがるのもおまえらの仕業か!!
 聖杯も知らねえ!! 戦争も知らねえ!! 殺す理由が何処にある!?」
「そのセリフそのまま返すわよ中年親父(オッサン)。
 聖杯も知らない、戦争も知らない、あんたに守護(まも)る理由が何処にあるの?」
  
 大見得切って喝破するおでんにも『舞踏鳥』は怯まず言い返す。
 理由はある。マスターが多数潜んでいるのが確定してる283プロダクションを襲って本物を炙り出す、明白の戦術の理由だ。
 マスターでなくても関係者に危害を与えることは、荒事に慣れないアイドルの削りにも利用できる。 
 そしてこれはプリマにしか教えられていないが、あの犯罪卿の善の仮面を剥ぎ取るというガムテの裏の狙いもある。

 翻ってこの風来坊はどうだ。
 一体何の縁があってこの家を守る? 何の目的があって自分達の邪魔をする?
 第一、どうして襲撃が露見(バレ)たのか。よもやあのプロデューサーが情報を漏洩させたのか。
 今回の作戦は当然軟禁中のあの男の耳には入れてないが、どこかでいずれ裏切る腹積もりなのは簡単に読める。
 サーヴァントが"無法(なん)でも可能(あり)"なのはさんざ実証済み。監視の目を掻い潜って援軍を寄越す可能性は、無いとは言えない。

 無いとは言えないとした上で、『舞踏鳥』は違うだろうと推測する。
 携帯はおろか住民票すら持ってるか疑わしい前時代的な服装と言動は露骨に過ぎる。
 とてもじゃないが密偵に向いてる気がしない。こういうタイプは、人質の位置を知ったら前後をふっ飛ばして奪還に討ち入る(カチコむ)手合いだ。
 合図から十五分、犯罪卿の暗躍があったと仮定してもロスがかかりすぎる。迂遠な連絡を経由して間に合う範囲ではない。

「そこで通りがかった! 縁なんざそれで十二分に足りらァ!!」

 ほら、やっぱり。
 睨んだ通りだ。コイツは、自分の意思だけでやって来た。
 多少の縁で全力で報いる。交通事故に割り込んで車の方を大破させる。立て籠もりがあったら正面玄関から突入する。
 そして恩を返して、犠牲者を出さず、力づくて事を丸めて解決してしまう。

 義人であり、武人。
 混沌の渦を生んでいながら、悪に堕ちず、善に生きる。
 だから、奴と私達は交わらないと了解する。
 寄り添い、歩み寄り、抱え込もうとする強さでは、割れた硝子の脆さは扱えない。
 自分を顧みない余裕を持った強い者に、自分以外の何もかもを奪われた弱い者の精神(こころ)は理解(わか)らないし、理解(わか)って欲しくもない。

「いいわ。此処は引き上げる。どうせ一人助けたところで無意味だし。撤収〜〜〜〜〜!!」

 引き上げを告げる『舞踏鳥』の声に、それまで寝ていた子供達がのろのろと起き上がって、指令に従って退く。

(復帰が早ぇな。ただの町民上がりじゃねえのか?)

 前後が定まらぬ者も多いが足を動かせる程度の意識は戻っている。鍛錬を積んだというだけでおでんの覇気を耐えられるほどの安さじゃない。まだまだ知らないカラクリを隠してるらしい。
 迫害と中傷の煮凝りの晒された成れの果て。
 巨大な後ろ盾を持った事で歯止めの利かなくなった、支配でなく破滅を目的にした悪意の顔。
 ふと、どこかで聞いたような話を思い出した。

「おい」
 
 背中を見せ去りゆく『舞踏鳥』を呼び止める。
 刺客の中でも抜きん出た司令塔らしきこの女傑に、一つだけ問い質したいことがあった。

「おまえらの大将はカイドウか?」

 女は振り返らない。
 
「私達の英雄(ヒーロー)は唯一無二(たったひとり)よ。過去(むかし)からずっと、ね」

 そう、誰にともなく、独り言のように嘯いた。


 子供達が全員家から去ったのを見聞色で確かめて、浅く息を吐く。
 益荒男らしからぬ陰鬱を含んだ吐息。目を瞑りながら黙するのは、彼等の『縁』に立ち会えなかった事への黙祷か。
 だがそんな辛気臭い面はすぐさま立ち消え、元のふてぶてしさが面に満ちる。
 『ひ、ひとんちの前でなんばしよっと〜〜〜〜〜〜〜〜!!!???』と頓狂な声を上げる町娘に軽く侘びを入れてから、地面を強く蹴って跳ぶ。



 一寸の幕間は此れにて閉幕。 
 今宵、迎える大一番。その舞台に向けて、流浪の侍は夜を越えて行った。


66 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:41:43 zx9MLKkM0




 一陣の風に乗った音を聞いた時、私は自らの魂が爛れ、捻れ狂う結末を予感した。



 何の音がしたのかと、一瞬耳を疑った。
 実体を解れさせ、霊体と化していた状態で外の喧騒とは隔絶された。
 何かを見て娘の慌てふためく声も対岸を挟んでるかのように遠い。
 だが少し遅れて、それが刀を振り抜いて生まれた風切り音だと気づいた途端、空想で出来た胃の腑が火を吹いた。
 
 鬼を脅かす性質の日輪刀。
 鬼狩りの剣士の気配。
 記憶にある回顧録は点在した情報を繋ぎ合わせ、ひとつの結論を導き出す。
 "いる"と。

 有無を言わさず肉を得た指で無梅の首根っこを掴んで駆け走る。首にかかる指と風の圧で苦しげに喘ぐが頓着しない。
 
 体を持ったことで、幻覚だった肺腑の炎が現実の熱を伴う。
 灼ける肉の匂いがする。焦げる骨が摩擦で灰になる。腹の臓器がのたうち回って口からまろび出そうになる。
 だがどれだけ業火が我が身を焼こうと足が止まりはしない。たかが地獄より噴く小火、天から降り注ぐ絶滅の光と比較になろうか。
 
 進む度に五体が燃え盛り、気配が近づくほど目玉が焼け落ちる。
 全身がまさに火達磨になっても止まらず光を目指す。それ以外の命令は脳から抜け落ちた。
 太陽を掴もうと地平に這いつくばるような、永遠の追走。
 しかしこの夜のみに限って天命は我が身に傾き、月光が標となって誘い招く。
 私は進んだ。迷うことなく終着の場へと。 


 木々も草花も烏有に帰した森の跡。
 黒炭の大地。青い死花。あの日と同じ、禍々しい赤い月の下で。
 私達は邂逅を果たした。


「…………兄上」


 立っている。
 揺らめく陽炎の彼方に、網膜に焼き付き離れない往時のままの男が、立っている。
 千里をも見渡す透き通った目。額には炎の痣。
 腰に携えるは、紅蓮の華を咲き誇る鬼滅の刃。
 摂理に縛られた人間の無能を証明する、この世でもっともおぞましい聖者。


 継国緑壱。
 血を分けた我が双子。
 最強の鬼狩り。太陽の具現。神仏の加護を一身に受け、あらゆる鬼の追従を許さぬ窮極の剣士。
  
 昔日の記憶と寸分違わぬ若い姿は、疑いなく全盛期。
 一手見ずして突きつけられた。否応もなく理解させられる。
 明鏡に達した精神。両肩を押しつぶす圧迫。人世の理を狂わせる領域外の才覚。 
 英霊と昇華された魂を収める器を、界聖杯は完全なる再現を果たしていたと。


67 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:42:41 zx9MLKkM0

 
「兄上も、招かれていたのですか。
 その、お姿で」

 人通りの波から遠ざかった園の外れで対面した顔は、予想だにしなかったという表情をして、憐れみを見せた。
 生前僅かな機微を一度しか見せなかった弟の、どこかとぼけた面持ちに顳顬(こめかみ)が軋みを上げる。
 内側から体を突き刺す苛立ちと吐き気。当時のまま蘇った往年の怨恨が、皮肉にも目の前の存在が本物であると認めざるをえなくさせた。 

「緑壱…………」

 焼け付き息もままならないかと思えた喉から出た声に、私自身が驚いた。
 まるで末期の到来を間近に察した老爺かのように萎びていた。迫りくる死を、逃れられぬと認めた諦観の念が肺を渦巻いた。
 それが諦め、という名をしているのだと気づき、私は愕然として震えた。

 何故だ。何故諦めなど抱くのかと自問自答する。
 緑壱に追いつくために剣技を磨いていたのではないのか。
 埋めようのない才能の差を補うために鬼になったのではないのか。
 あの時とは違う。あれから四百の月歳を鍛錬に費やした。数え切れない人間を喰らい力を高めた。鬼狩りも柱も幾度となく屠ってきた。
 死という永遠に留まった緑壱と違い、私は進み、勝ち続けた。
 亀の歩みだとしても、費やした時間は奴との距離を縮めた筈。今こそその結実を叩きつけ、明暗を分ける絶好の機会ではないのか。 


 …………いいや。いいや。そんなわけがない。


 そんなわけがないのだ。
 人間の尺度で奴の強さを図れるものか。思い上がりも甚だしい。
 賽の河原でどれだけ石を積もうが天を突く塔など建たない。亀は万年歩こうが地を這うだけだ。追いつく日など無限をかけても来やしない。

 上弦を束ねても勝ちの目は零に等しいあのお方すら、傷一つつけられず敗死寸前まで追い詰められた。
 老いさらばえた寿命で死ぬ寸前でさえ、鬼となった己を一蹴した。
 その、神の御業を最上の威力で放てる状態を保った男に、単騎でどうやって勝つというのか?
 語るでもなし。
 一呼吸の間、たった一合で勝負は決する。天が逆しまに覆そうが変わりはしない、確定した未来だ。

”……そうか。つまり、私は”

 緑壱の強さを手に入れるための戦いで、緑壱を倒さねばならない。
 この矛盾に対面した時点で、私はこの戦争の敗北を飲み込んでいたのだ。


 私をこの場で斬り捨てて、緑壱はこの聖杯戦争を破竹の勢いで勝ち進むだろう。
 いるやもしれぬあのお方も今度こそ逃さず、並み居る英雄を撃ち、強壮なる悪鬼を誅し、神すらも下に置くのだろう。
 そして緑壱は聖杯を手にする。無欲なる者が欲望の盃を掲げる、規定の結末を迎える。
 
 勝利と報奨を醜く奪い合う餓鬼の群れを、まるで天意だとでもいうように神の御使いが平定する。
 なべて世は事もなし。誰の望みも叶うことなく、聖杯戦争は安寧に幕を下ろす。
 そんなもの、承服できるはずがない。屈辱と敗北感で五臓六腑がねじ切れそうだ。
 だが、勝ち筋というものが一切見つからない。あらゆる足掻きは無意味だ。
 第二の生においても、黒死牟は何も掴めずに死ぬ。生まれた意味を見いだせぬまま。


68 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:44:14 zx9MLKkM0


”ああ…………だが、あの再演だけはまだ…………果たせるのか……”


 赤い夜での別離。
 呪いの始まり。
 頸を落とされず老衰による死で勝ち逃げされた時、私は一切の敗北を許されなくなった。
 最も強き侍に敗れる、最低限の誇りすら持ち去られた恥辱を振り払おうとするなら、勝ち続ける他ない。
 緑壱より劣る剣士に負けるようでは、得た強さも捨てた裏切りも無意味な愚行にしかならない。
 だが今、やり直しの機会が訪れている。
 緑壱との立ち会い。白黒の明暗が分かれた決着。
 取り残された後悔の精算だけは、少なくとも、此処で済ませられる。
 嗚呼ならば、それこそが私がこの戦場に招かれた唯一の───



「あの……セイバーさんの……弟さん…………ですか?」


 悔恨を晴らす決闘の最中に紛れた、雑多な小声が、納得しかけた心境に波紋を打つ。

「ぇと……その………………こ、こんばんは……。幽谷……霧子です…………」

 礼儀正しく身を屈める、空気を読まない娘に、緑壱は律儀にも軽く会釈で返す。
 私と娘とを交互に見合わせながら、暫くして口を開いた。

「その子が、兄上の主なのですか」


 かけられた問いに、何か、今までとは異なる部類の恥辱が全身を回り巡った。


「…………ただの……要石だ…………こんな弱卒…………この身を保つ糧に過ぎん…………」

 黙殺すればよかったものを真っ当に返してしまい、恥を上塗りする。
 困ったような微笑で応える娘がいやに癪に障る。
 また目の届かないところで令呪を切られるのも鬱陶しく連れてきたが、今は枷ごと連れてきたのを後悔した。
 私が消滅すればサーヴァントとの契約を失う。マスターではなくなれば戦いから解放される。
 黙ってれば望みは転がり込んでくるのに、それをわかっていないのか。

「兄上」

 意識が引き戻される。緩みかかった精神を引き絞る。
 指は柄に伸びている。たとえ刹那に散ろうとも、最後まで侍として戦おうと。

「予てより、兄上にお聞きしたい事がありました」

 なのに。
 緑壱は抜きの構えすらせず、いやに神妙な顔を浮かべてそう前置きをした。
 驚くべきことに、口に出すべきかを悩んで言い淀むという見た事のない、人間でいう逡巡の仕草をして。


69 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:46:51 zx9MLKkM0



「兄上。なぜ、鬼になったのですか」


「──────────────────────────────────────────」




















 なんだ、
 それは?









 









.


70 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:47:58 zx9MLKkM0

 何を言っている。
 何を聞いている。
 今更になって、死んだ後の、刀を一振りすれば終わる死合にあって、どの口がそんな駄法螺を吹くのか。

 お前は、私が望まず鬼にされたと思っているのか。
 憎き始祖に無理やりに血を注がれ、鬼へと変じる事への怒りと嘆きを叫びながら変貌したと思っているのか。
 当時の産屋敷の当主の首を斬って、鬼にしてもらう手土産にしたのを知らぬ筈があるまい。
 それすらも、従う他ない、止むに止まれぬ事情があって魔道に堕ちたのだと、そう思っているのか。




 お前はずっと───あの日の私も、そんな憐れなものを見る目で見ていたのか?




「緑壱……っっっ!!!」


 全身を蝕んでいた諦観が、一瞬で極大の憎悪に変換された。
 怒りで血管が破裂して至る箇所で内出血を起こす。青紫に腫れた肌が再生し、また崩れる。
 これ以上なく憎んでいた弟に臨界が振り切れる。心臓を抉るような嫉妬心すらこの時は忘れた。
 視界が真紅で染まる。脳が色をそれしか受け付けない。
 地面も空も焼かれた炎熱の世界で、ひとつだけ燃えないモノ。炎以上の温度で火を寄せ付けない星。

 憎しみだけで殺すのは気持ちがいい。一色で完成した宙はこんなにも爽快だ。
 ああ、矜持も勝敗もどうでもいい。衝き動かすのは殺意だけだ。
 俺にある全てを擲って、あの光を貶めてやる。輝きを翳らせてくれる。
 ただ、あの星を周りと同じ色に翳らせられれば、この乾きは止まってくれるだと譫妄を信じて。

「だめ…………! そっちに……行っちゃ…………!」 

 縋り付く声が横合いからする。聞こえない。煩わしい雑音で酩酊した気分が削がれる。
 この女は、邪魔だ。邪魔ばかりしてきた。目障りな事ばかりしてくるものは、もう要らない。
 雑音に向けて腕を振り下ろす。赤い月が、黒焦げた大地に墜ちた。


 ■


71 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:49:46 zx9MLKkM0



 今度は、間に合うだけ近づいていた。

 警察署で救助した負傷者を、被災者を集めて保護してるという広場の人間に託したところで再会した兄に戸惑いを憶えながらも、躯体は遅延を起こす事なく反応した。
 主である筈の少女に凶刃を向ける兄を、刃が到達するより先に頸を斬るのも可能な範囲だった。
 
「ぇ…………」 

 掠めた月牙が銀砂の髪を夜空に散らす。
 叩き切られたのは携帯端末のみ。霧子は抱えられて遠ざけられた現実を理解するのに数秒を要した。
 腰元の刀を抜かずに霧子だけを拾い上げた緑壱。不可解な行動は血を分けた肉親への引け目ではない。
 自身の刃よりも先に、上から降ってきた月が黒死牟の刀を受け止めたからだ。

「巨人に腕六本の剣士、龍に鳳凰地震親父……いろんな奴を見てきたが、眼が六つもある奴は初めてだな」

 斬撃を生み出したのが凶つ月なら、防ぐのもまた月。
 光背負う十字。二振りの刀は墜落する三日月に立ち向かい見事に押し返す。
 握る指は野太く。肉の漲りは月すら背負えるほど硬く、大きい。

「何だ……お前は……」
「ぶった斬りに来といてご挨拶だな。だがしかし、聞かれたからには答えて進ぜよう!」

 刀を弾かれ極寒の殺意を放つ黒死牟に負けじと、二刀を構え足を開いて大見得を切る。

「狭い里を抜け、広い海を出て三千里。馬鹿見て歌舞いて鍋の上で大往生。
 そのまま具材の出汁かと思えば、またも窮屈な檻の中。金なし住まいなし甲斐性なし!
 たった一つ残った刀携え、開いた祭りに出向くは一匹侍。無敵の相棒引き連れて、ひとまず狙うは盃で一献、美味い酒!
 ───セイバーのマスター、光月おでんたぁ、おれのことよ!!!」

 枯園に舞い散る花の音頭。
 侘しい避難所を酒場の宴会に盛り上げる謳い手。
 「わあ……!」と感嘆する霧子を囃子に、光月おでんは登壇した。

「で……嫌な気がして来てみたらどういう状況だ。誰だアイツ?」
「私の兄だ。鬼となった姿で限界した」
「んだと? そいつァまた奇縁なこった……」

 生前のしがらみは厄介なもんだと緑壱に向き直った先で、おでんの顔は固まった。

「おでん、下がれ。これは……私がやるべきことだ」

 おでんが来てくれたことは緑壱には僥倖だ。抱える少女が万に一つも巻き込まれる目を摘んでくれる。
 生前を寿命の終わりで討ち漏らしてしまった無念は未だ胸に刻まれてる。
 界聖杯の巡り合わせがどうあれ、これもまた己の役目だ。
 いざ責務を果たすべく出ようとした緑壱の前を、おでんの丸太を思わせる腕が柵になって塞いだ。

「……………………あー」
「おでん?」
「いや、だめだ。悪いがこいつとは俺がやる。お前さんは引っ込んでいてくれ」

「……何」
「何………?」

 異口同音に戸惑う兄弟。
 緑壱は思いもしない主の命に、黒死牟は対戦札を代わるという宣言に、同じ意見を口にした。


72 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:51:10 zx9MLKkM0


「っつってもそう言われて止まるお前じゃねェのはよくわかってる。んで、力づくで止める事もおれにはできねェ。まことに情けねェ話だがな。
 白吉っちゃんやロジャーなら拳骨で黙らせられる事にも、おれはこんな気に食わねえ代物に頼るしねェ」
 
 後ろ姿のおでんから、薄ぼんやりと鈍い光が輝いた。
 緑壱と黒死牟は、共通した視覚からおでんの体内の意気や覇気とも呼べる活力が賦活し、右手の甲の一点に集約していくのを見て取り。



「もう一度言うぜ。悪いな、緑壱。
 『この試合、お前は一切手を出すな』」



 赤光が眩く闇を灯す。
 個人に収まりきらない莫大な魔力が、おでんの手の内で一気に消費される。
 三角で編まれた月の紋様。サーヴァントとの契約の証にして、縛る戒め。
 自身のサーヴァントに意に沿わぬ命令を従わせる事もできれば、通常では叶わぬ奇跡を行使させる事もできる。
 聖杯戦争の趨勢を担う切り札を、途轍もなく無意味な使い方でおでんは消費したのだ。

 程なくして消えた魔力は、渦巻く風を生んだ後に虚しく消える。
 目に見える大きな変化はない。宝具の開帳も、能力上昇による魔力の波も起きはしなかった。
 変わったのは、おでんの手から消えた一角の令呪。
 そして。

「……ぐっ」

 緑壱の喉から、誰も聞いた事がない苦悶が漏れる。
 不可視の赤い鎖となって、令呪の戒めは緑壱に絡みついた。
 如何に無法の強さを持っていようと、緑壱がサーヴァントである前提に変わりはない。令呪の効果は当然適用される。
 強力な対魔力、神性や霊格に由来する束縛への耐性があれば抵抗の機会を得られるが、剣士として純化されきった緑壱に魔術に抗する術は備わってない。
 降りかかる呪いを剣で斬り伏せる事はできても、契約のラインを通じて流される令呪には斬りようがなかった。

 令呪の効力の強さは、具体的な命令、マスターの能力値、サーヴァントの霊基質量によって増減する。
 その点において、おでんの使用法は的確だった。目の前の戦いに助太刀しないという内容に限定し、縛りを強くしている。
 しかも発動のついでにおでんの自前の覇気も流し込んでいる。
 一定以上の実力があれば『覇王色の覇気』による居竦みは通じないが、令呪で抵抗力を奪った後なら話は別だ。
 令呪と覇気の相乗で撃った『手を出すな』という主の言葉は、緑壱をこの戦場から蚊帳の外に弾き出したも同然にした。


「おでん……お前は……」

 案山子のように立ち尽くすしかない緑壱は唖然とする。
 どれだけ理屈を並べ考えても、この手に及ぶだけの理由が見当たらない。
 主君の破天荒ぶりは一月の連れ合いで理解していた筈なのに、その斜め上を行った。
 大和、銀翼のランサー、カイドウ。東京を廃都に変えんとする猛者を相手取るのは、自力だけでは一手が届かないやもしれぬ熾烈を極めた戦になる。
 おでんも緑壱も命を捨てる覚悟で臨まなければ敗北は必死。それほどの敵なのだ。
 その時のためにこそ、令呪の支援は必須だった。魔術師ならずマスターと神秘に触れぬサーヴァントといえど、与えられた聖痕は一律に使える。
 それを、まさか勝たせるのではなく戦わせない用途で用いるなぞ、どうして想像できようか。


73 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:52:04 zx9MLKkM0

  
「おい緑壱。
 お前、自分がいまどんな顔してんのかわかってんのか?」

 当惑のままにいた緑壱に、さらに投げかけられる不可思議な問い。
 そう言われても顔を歪めてる自覚がない。手で頬を撫ぜてみても、表情筋に強張りはない。
 傍から見ている黒死牟にも、変わらぬ鉄面皮を保ったままとしか映らなかった。
 ……ひとり、気遣うような瞳で緑壱の顔を見上げている霧子を除いては。

「何が最強の鬼狩りだよバカタレが。今にも泣き出すガキみたいな顔しやがって。あさひ坊といい勝負だぜ。
 そんな顔をしてるやつを───このままおれが戦わせると思ってんのか?」
 
 沸々とした、風呂釜の湯が置かれたような錯覚。
 白煙が元より大きな背中を何倍にも膨張させる。
 漠然と、茫洋としたものでしかないが、どうやらそうらしいと推測する。
 おでんは今、怒ってる。緑壱の顔に。いいや、緑壱が黒死牟と戦おうとしてる事に、何やらとても腹を立てている。
 父に疎まれ、母に愛され、鬼狩りには畏敬の言葉のみ送られてきた緑壱には、友の空洞を指摘する叱咤であると気づけない。

「文句がありゃ言ってくれ。酒の席で好きなだけ聞いてやらあ。
 まあ、あれだ、とんだバカ殿を引いちまったと観念してくれりゃあ、助かる」

 ずんずんと歩くおでんは止められない。
 令呪による拘束より前に、この男はもう止められないのだと肌で感じた。
 最早こうなっては全てを見届けるしかないと腹を決める。兄のマスターにも手振りで下がるよう制して。


「さて、と。待たせたな兄ちゃん。そいじゃ始めようかい」
 
 誰何の兄であった鬼の前に立って、云って、一笑い。
 抜き身の刀を持ったまま二人の遣り取りを見入るだけだった黒死牟に、ようやくおでんは話しかけた。

「……何の……つもりだ…………私に施しでも…………しているつもりか……」
「お? なんでえなんでえ、口に出さなきゃわからねェってか? 粋じゃねェなあ。弟とそういうとこは似てんだな。
 こう言ってんだよ。『あいつと戦いたいなら、まずはおれを倒していきな』ってな!」

 遂に見えた望外の展開を、あらぬ方向に捻じ曲げられた。
 熱くたぎった熔鉄を呑んで、腹に溜め込まれていく。炎獄のごとし怨毒が黒死牟の手足を痺れさせ、脳に回る。
 度し難き乱入者。自分と緑壱の間に割って入って、あまつさえ取って代わったうつけ者に残り火が鎌首をもたげる。

 マスターでありながら英霊の粋に至った剣腕を持っているのは、最初から視えている。
 それがどうした。英霊に抗せる技量の強者、生まれつきの天才がいる前で惜しむものではない。
 この日だけを待ち望んでいた。灰になるまで焦がれ続け、泡沫の二度の生を迎えてまで願った相対なのだ。 
 腕が立つ程度の、何処の馬の骨とも分からぬ侍が阻んでいい決闘では断じてない。

「────────────では……そのまま死ね」

 湧き上がる月輪。
 黒死牟の意思をこれ以上なく表す、夥しい数の斬撃が群れをなして飛びかかる。
 倒せというなら是非もない。瞬くうちに殺してやろう。
 乱れきった心を無関係に、月を呼ぶ息吹は変わらぬ機能を発揮する。


74 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:53:26 zx9MLKkM0


 第一。
 この男は絶対にしてはならないことをした。
 緑壱を跪かせるという、見てはいけないものを見せた。
 令呪の機構を理解していてなお、縛られる緑壱の姿を晒したことが許しがたい冒涜だ。
 頸を落とすだけでは釣り合いが取れない。四肢を削ぎ”はらわた”を残らずぶち撒けてから殺してやる。
 振りかざす刀が、弟の才への嫉妬心以外の理由が混じっていることの自覚を持たぬまま先手を見舞った。

「死なねェよ。惜しむ命なんざもうないが……おれはまだ死ぬわけにはいかねェんだ」

 おでんは怯えも動揺も見せず型を取る。
 腹がふくれるほど、大きく息を吸う。大道芸にあらず、取り込んだ空気は脳内から指先足先の隅々まで行き渡り血の巡りを加速させる。
 
(まさか─────────)

 不格好なれど、その動きはよく知っている。
 常に鬼の前に現れる剣士が体得している術。己も学び、今も怠らず常用してる、太陽を登る階の一段目。
 


「”全・集・中”!!!」



 吐くと同時に隆起する上腕二頭筋。
 練り上げられ、この先はないというほど高められた体が、新たな地平へ身を乗り出す。

「”おでんの呼吸 壱ノ具材”」

 腰を深く落とし、二刀を水平に。
 構える腕が、握られた刀身が、黒曜石色に”武装”を纏う。
 守りの型はない。弦が切れるまで引き絞られた強弓のように、解き放つのみ。


 刮目せよ六眼。
 神妙にして見よ。
 この一閃こそ人の夢。鎖された牢獄を破る意思を伝えた鏑矢。



「”桃源白滝”!!!」

 

 通過する横一文字。
 動く山と形容される威容の神獣すらも叩き割る至大の剣撃が、囲い込む月輪を羽虫の如く撃ち墜とす。
 受ける黒死牟。刀身が半壊しながら頸への到達を免れるが、殺しきれない衝撃で足が浮き、踏ん張りが効かず後方へと吹き飛ばされる。

 振り抜き終え、地に立つはワノ国の剣豪。
 お披露目された新境地は、取りも直さず、鬼の膂力を上回る超力を繰り出した。

  


「感謝する。
 俺はまだまだ、強くなれる」

 相克する禍月と光月。
 夜空に双つの月は不要と、互いの輝きを否定し合うように光を強める。
 戦う必要のまるでない、だが絶対に避けてはいけない剣豪の勝負が始まった。


75 : 光月譚・桃源 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:54:36 zx9MLKkM0



【新宿区・新宿御苑避難所の郊外/一日目・夜】

【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:黒死牟さん……そっちに行っちゃ……
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:焦瞼
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:緑壱の強さを手に、いやもう意味はない。ただその御業で頸を落としてくれれば、そんなことはない聖杯があれば超える強さを、
0:私の邪魔をするな。
1:私を見るな。
2:私を憐れむな。
3:私に触れるな。
4:何故……………お前は……………………。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。


【光月おでん@ONE PIECE】
[状態]:全身にダメージ(中)、右肩に刀傷(行動及び戦闘に支障なし)、疲労(中)、呼吸術習得
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:二刀『天羽々斬』『閻魔』(いずれも布で包んで隠している)
[所持金]:数万円程度(手伝いや日雇いを繰り返してそれなりに稼いでいる)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯―――その全貌、見極めさせてもらう。
0:緑壱のためにも、このバカ兄貴をぶん殴る。
1:他の主従と接触し、その在り方を確かめたい。戦う意思を持つ相手ならば応じる。
2:界聖杯へと辿り着く術を探す。が――
3:カイドウを討つ。それがおれの現界の意味と確信した。
4:ヤマトの世界は認められない。次に会ったら決着を着ける
5:何なんだあのセイバー(武蔵)! とんでもねェ女だな!!
6:あの変態野郎(クロサワ)は今度会った時にぶちのめしてやる!
7:あさひ坊のことが心配。頃合を見て戻りたい
[備考]
※古手梨花&セイバー(宮本武蔵)の主従から、ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の計画について軽く聞きました。
※「青い龍の目撃情報」からカイドウの存在を直感しました。
※アヴェンジャー(デッドプール)の電話番号を知りました。
※廃屋に神戸あさひに向けた書き置きを残してきました。
※全集中の呼吸を習得してました。

【セイバー(継国縁壱)@鬼滅の刃】
[状態]:疲労(中)、全身各所に切り傷や擦過傷(いずれも小程度)、令呪による拘束
[装備]:日輪刀
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:為すべきことを為す。
0:この戦いの結末を、見届ける。
1:光月おでんに従う。
2:他の主従と対峙し、その在り方を見極める。
3:もしもこの直感が錯覚でないのなら。その時は。
4:凄腕の女剣士(宮本武蔵)とも、いずれ相見えるかもしれない。
[備考]
※鬼、ひいては鬼舞辻無惨の存在を微弱ながら感じています。
気配を辿るようなことは出来ません。現状、単なる直感です。


76 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/06(日) 19:54:59 zx9MLKkM0
投下を終了します


77 : ◆EjiuDHH6qo :2022/03/06(日) 23:18:29 /GQceJGc0
申し訳ありません、予約を破棄します。
インターバル期間が終わり次第、空いていれば再予約させていただこうと思います


78 : ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:14:32 sEB.ilHM0
投下します。


79 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:14:49 sEB.ilHM0
◆◇◆◇


タクシーの後部座席。
窓の外では夜の灯りが過ぎ去っていく。
新宿からそう遠くないこの場所だったが、幸いにしてそれほど交通網は乱れていなかった。
その男――吉良吉影と同乗者は、会話を交わすこともなく目的地への到着を待ち続けている。
時おり腕時計を確認したり、ワイシャツの襟などの身嗜みを整えたり。
他愛もない行為で、過ぎゆく時間を潰す。

黙々と車を走らせる運転手の背中を見た。
物静かな壮年の男だった。
彼は何も話しかけてこない。その方が気楽で良い。
余計な社交辞令など、ただのストレスでしかない。
吉良はそれを改めて認識して、ふぅと安心するように一息をつく。

視線を落とす。
運転席の“背中”には、リーフレットの広告が幾つか備え付けられている。
育毛剤の宣伝だの、肥満治療の案内だの、胡散臭い健康食品の広告だの。
どれもこれも下らないものばかりだ。

食指は特に唆られない――しかし、自分もいずれはこういうものに頼らざるを得ない時が来るのだろうか?
そんな不安が吉良の脳裏にふとよぎったが、すぐに心の中で嘲るように笑った。
『そうなりたくない』と喚くような凡人は幾らでもいるが、肝心なのは『そうならないよう』に努力することだ。
『幸福』とは『健康』であり、『健康』とは『努力の賜物』である――吉良吉影はそう思っている。

余計なことばかりが脳裏をよぎる。
下らない思考が寄り道を繰り返す。
吉良は、視線を更に落とす。
自分自身の手元ヘと。
―――爪が伸びている。
そのストレスを、こうして紛らわせている。

そして、視線が再び動く。
自身のすぐ隣。後部座席の左側。
一人分の間を開けて、彼女は隅に寄るように座っていた。
仁科鳥子――『手』の持ち主。愛おしき女性だ。

窓から指す夜の灯りに、金色の髪が照らされている。
その表情は、何か思いに耽っているかのようで。
どこか浮世離れしたような美しさすら感じてしまう。
されど、こちらへと視線を向けることも無ければ、気を許すような素振りも見せていない。
頬杖をつく左手は――手袋で覆い隠されている。

ふと、吉良の右手が泳ぐ。
ふらふらと、抑圧された幽霊のように。
左側に座る同乗者には気付かれないように、さり気なく。
行き場を求めた吉良の指先は、彼が腰掛けている座席――ドア側に位置する右腰の直ぐ側へと向かい。
優しく撫でるような手付きで、座席のシートに触れた。

敷き詰められた白いレース生地の手触り。
然り気無く、繊細に――その感触を味わう。
たまに摘んだり。伸びた爪を軽く立てたり。
人差し指で、愛でるように弄んだり。
座席の僅かな空間を、何度も擦る。
この行為にさしたる意味などない。
ただ、思い出すのだ。
女性を追跡し、帰宅直後の家に押し入り。
そして、無理やり押さえつける瞬間。
抵抗する“彼女達”の服を掴むときの手触りを、思い出す。


80 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:15:43 sEB.ilHM0

そうやって、昂る衝動を紛らわせつつ。
吉良は首を傾け、バックミラー越しに映る運転手へと呼びかける。


「すみません。ここでお願いします」


未だに目的地には着いていない。
にも関わらず、吉良はその手前にて降りることを選んだ。
いいんですか。タクシードライバーがそう問いかけてくる。
吉良は「ええ、大丈夫です」と返し、懐の財布を取り出し――予選期間中に購入したグッチの長財布だ――運賃を渡す。

降りた場所は文京区――本来の目的地である豊島区との境目手前だった。
仁科鳥子は特に驚いた様子も見せなかった。
彼女のサーヴァント、フォーリナーも吉良と同じように“それ”を察していたのだから。

吉良は田中一の座標をスキルによって察知し、それを追跡すべく仁科鳥子らと共に豊島区へと向かっている最中だった。
別にスキルを使えば『相手は××区の○○にいますよ』と分かる訳ではない。
『相手が何キロ離れた地点にいるのか』『どの方角、どの高度にいるのか』をリアルタイムで極めて正確に読み取れるだけ。
あとは『自身の現在地』と『東京23区の地理』を照らし合わせれば、標的の居所は分かるということだった。

アルターエゴ・リンボの座標は、未だに曖昧だ。
“写真のおやじ”が対象を補足した場合にも効果を共有できる『追跡者』スキルが正常に機能していない。
恐らくだが、最初に田中を勧誘したリンボが分身の類いであり。
二度目の接触ではスキルの効果が発動する前に親父が即座に封印されたか。
そのような形で、理由は推測できる。
ともあれ鳥子たちには『わがマスターを押さえることがリンボの尻尾を掴むことに繋がる』と伝えて、共闘を成立させている。
渋々と言った様子だったがね――吉良は回想する。

さて、問題は――父である吉廣からの報告。
そして、自身が察知した魔力の気配。
吉良は自らを取り巻く状況を整理する。

親父からの連絡が復活した。
アルターエゴ・リンボに行動を封じられていたが、奴が田中の元から離脱したことによって効力から逃れられたらしい。
本体である自身の接近によって魔力的な繋がりを取り戻したか。
あるいは、元より『一時的に連絡を断てればいい』という程度の処置だったのか。
理由は吉良にも定かではないが、ともあれ無事を確認できたのは何より――そう考えることにした。

封印から解き放たれた吉廣は『鞍替え先』の拠点へと必死に向かう田中の隙を突き、彼の懐から密かに脱出したらしい。
元より気配遮断スキル備え、かつては川尻早人の懐に潜り込んで『空気弾』の援護も行った吉廣のことだ。
この程度の隠密行動は造作でもないらしい。

改めて話を戻そう。
なぜ吉良が豊島区に入ることを躊躇ったのか。
答えは単純――『下手に踏み込めばこちらが詰む』と悟ったからだ。

田中一が向かった先。
豊島区の方面から、莫大な魔力の気配が放たれていた。
まるで爆弾が叩き落されたかのように、激しく。
巨大な竜巻が街を襲ったかのように、荒々しく。
その魔力の衝突は、異常なまでに強大だった。
否、それ以上に――妙な胸騒ぎがする。
故に吉良は、踏みとどまった。
此処から先に行くべきではないと、直感してしまった。


81 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:16:25 sEB.ilHM0

そして田中のもとから離脱した吉廣は、徹底的に破壊された池袋にて『聖杯戦争の主従の集団』を目撃した。
その首領と思わしき男が田中一を引き連れていく姿も、確かに目にしたという。
連中の数は――サーヴァントが3騎、マスターが4人。
確認はできていないが、近くにはもう1騎の気配もあったと言う。

順当に考えればその1騎も加えて4主従が行動を共にしているということになる。
あるいは、あの中の一人がリンボのマスターという可能性も否定はできない。
それともリンボは様々な主従の狭間で蝙蝠のように暗躍しているだけなのか。
集団とリンボがどのような利害関係を持っているのかは判然としないが、『厄介なことになっている』のは間違いない。
吉良はそう悟った。

去っていくタクシーを見送り。
人通りの少ない路上にて、鳥子らと共に街灯に照らされ。
吉良吉影は――指の爪を、一噛みした。
同行者達には気づかれないように、自らの鬱屈を静かに噛み砕いた。


――田中一。
――君ひとりなら、造作もないと思っていたがね。
――随分と大層な『お仲間』を見つけたそうじゃあないか。


今は、平静を取り繕っているが。
此処から先――正念場かもしれない。
吉良は苛立ちを抑えながら、覚悟する。

人生というものは、常にストレスの連続だった。
家庭環境。人間関係。学業や就労。
世間との折り合い、日々の些細なトラブル。生まれ持ってしまったサガ。
そして――平穏な日常に紛れ込む、悪魔のような輩ども。

いつだってそうだ。
幸福とは、勝ち取らねば得られない。
勝ち取るためには、戦わねばならない。
戦いは嫌いだ――ストレスを運んでくる。
不毛な争いの連鎖。愚かな行為だ。
吉良はそう考えていた。
それでも、この聖杯戦争へと参じた。
されど――大局的な立ち回りは、常に避けてきた。

仮初の肉体を得た高揚感。
満たされることのない殺意。
そして、無意識の慢心。
それらに駆られるように、吉良は界聖杯内の社会へと溶け込んだ。
まるで生前の逸話をなぞるかのように。
日常に潜む“殺人鬼”として、街を彷徨う影となった。

1ヶ月。ささやかな時間だったが、吉良はそれなりに満たされていた。
抑えきれない欲望との折り合いには苦しめられたが、それでも久々に自由を楽しむことができた。
そのツケを払う時が、やってきたらしい。
これまでの“充実”を“過ち”とは思わない。
それでも、これは自身が招いた結果でもあることを、吉良は省みた。

苦しい戦いが待ち受けている。
安穏とした時間はとうに終わっている。
それでも、吉良吉影は自らの幸福を諦めない。
ピンチの時こそ最大のチャンスが訪れる。
訪れたチャンスは、“勝ち取らねば”ならない。


ああ―――生き延びてやるさ。
どんな手を使ってでも。





82 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:17:19 sEB.ilHM0



タクシーの中で、会話は殆ど無かった。
夜の街を背景に、揺られること数十分。
窓越しに映る景色は、鮮やかな輝きを放ち。
街道から見える都会の灯りは、閃光のように過ぎ去っていく。
微睡むような一時に、安らぎはない。
淡々と流れる静寂の中で、気を緩められない。
裁判にでも向かう前のように、感情が張り詰めていた。

気まずさにも似た緊張感の中。
時間が過ぎゆくのを、静かに待ち続けていた。
隣に座る同乗者――アサシンの方を、鳥子はほんの一瞬だけ横目で見た。

時間を持て余している様子の無感情な横顔には、相変わらず妙な気品が漂っていた。
薄手のワイシャツに、随分と洒落たスラックス。片手には高そうな腕時計。
“何処にでも居そう”と言うには随分と垢抜けているけど。
少なくとも、サーヴァントにはとても見えない。
都会の駅で見かけて、何気なくすれ違いそうな――そんな風体の持ち主だった。
夕方からはこの男と行動を共にしているものの、未だに何とも言えない違和感を感じてしまう。

上品な雰囲気と、柔らかな物腰と、その陰に隠れた物々しい気迫。
その出で立ちからはGS研の汀曜一郎を思い出す部分もある。
違いがあるとすれば。
目の前にいる男は、もっと掴み所がなく。
落ち着き払った態度で、飄々と振る舞い。
それ故に、奇妙な胸騒ぎがするということ。
“人間味”があるのに、どこか“無機質”で。
だからこそ“気を緩めてはいけない”と、仁科鳥子は直感していた。
考えることも、目を凝らすことも、今の鳥子には必要だった。

こんなとき。
ふいに鳥子は、自覚してしまう。
大切なものが欠けている今を、俯瞰してしまう。
だからこそ、地に足が付いていない――そんな感覚に囚われてしまうのだろう。

ぎゅ、と膝の上に置かれた右手を握った。
無意識の行動だった。
握り返してくれる相手は、ここにはいない。
たった一人の相棒。たった一人の共犯者。
過去へと頑なに囚われた壁を壊してくれた、愛する人。


83 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:17:49 sEB.ilHM0



空魚と出会うまで、一時は独りで裏世界を探索していたのに。
この一ヶ月の間、あの娘がいない日々を過ごしていたのに。
今になって――ひどく心細くて、不安になる。
月は人の心をおかしくする、なんて聞くけれど。
この夜の下に佇んで、ふいに恐怖を思い起こしてしまったのだろうか。
胸の奥底。淡い想いが、浮かび上がってくる。

こんな空の下で。
争いたくなんてないけど。
戦いたくなんてないけど。
蹴落とし合うのだって、絶対に嫌だけど。
それでも、ここに居てほしい。
空魚に、そばに居てほしい。
空魚に、手を握ってほしい。
そう思ってる自分がいることに、鳥子は気づいていた。

一人しか生き残れない。
最後は戦わなくちゃいけない。
そんな理不尽さえも、あの娘となら覆せてしまう気がする。
立ちはだかる無理難題も、聖杯戦争さえも、いつも通りの“冒険”になる。

“私達”は、二人でひとつ。
掛け替えのない“共犯者”。
いっしょに居れば、何だってできる。

空魚は、かわいくて、強くて。
頼りがいがあって、放っておけなくて。
かっこ悪いところも、意地悪なところも。
あの娘の全てが、いとおしく感じてしまう。
気が付けば、もう1ヶ月も会えてない――。

冴月がいなくなった時のことを、鳥子は思い出した。
身体が張り裂けそうな感情を抱え込んで。
胸の内に生まれた、喪失という大きな穴を隠して。
「まだ彼女が生きているかもしれない」という希望に縋って、たった一人で裏世界へと赴いていた日々。

でも、冴月は。どこにもいなかった。
閏間冴月という“人間”は、帰ってこなかった。
“再会した冴月”は、大好きだった“あの冴月”とは違う。

冴月は、もういない。
その事実を受け入れるまで、ひどく長い時間を費やしたけれど。
それでも、空魚が隣に居たから。
空魚が、私の世界を照らしてくれたから。
だから、もう大丈夫―――鳥子はそう思っていた。

そして、だからこそ。
空魚がいない。空魚と会えない。
空魚なしで、見知らぬ世界に佇んでいる。
その事実が、鳥子の心に呆然と伸し掛かる。
“お母さん”。“ママ”。そして、冴月。
大切な人達は、いつも遠くへ行ってしまう。

空魚。ねえ、空魚。
今、どこにいるの?
もしも、ここに居るのなら。
この空の下にいるのなら。
今すぐにでも、会いたい。
空魚に触れたい。温もりを感じたい。
私も、空魚を探すから。
だからさ、空魚―――――。


『―――マスター』


孤独へと沈みかけた意識を引き止めるように。
鳥子の頭の中で、念話による声が響いた。





84 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:18:34 sEB.ilHM0


『アビーちゃん?』


鳥子の意識は、目の前の現実へと引き戻され。
そうして、念話によって返事をした。
空魚がいないこの世界で、いつも側に居てくれて。いつも案じてくれて。
この日々の中で寄り添ってくれる、鳥子の“大切なサーヴァント”の声だった。

“何かあった”ことを物語るように、その声色は低かったけど。
それでも鳥子は、仄かな安心を抱いてしまう。
傍にこの娘がいるという事実に、ホッとしてしまう。
こんな気持ちを空魚に知られたら、きっとやきもちの一つや二つ焼かれるだろう。
だけど、彼女の存在が鳥子にとっての支えになっていることは、確かだった。

『……どうしたの?』
『サーヴァントの気配……それも、信じられないほど大きいわ。
 此処から先に行くのは凄く危険だって、分かってしまうくらい』

信じられない程に大きな魔力の気配。
それは一体如何なる規模のものなのか、サーヴァントと対峙した経験に乏しい鳥子には漠然としか掴めなかったが。
それでもアビゲイルの声からは、確かな警戒の色が伝わった。

『もしかして、私達が向かってる先?』
『ええ。多分だけれど、沢山のサーヴァントがぶつかり合ってる。
 もしかしたら、あの新宿の事件のようになってるかもしれない』
『……それ、ヤバくない?』
『多分、アサシンも気づいてると思う』

そうやって、互いに念話で情報を共有していた矢先。
―――すみません。ここでお願いします。
ふいにアサシンが運転手へとそう伝えて、タクシーを停めさせた。
そうして運賃をアサシンが支払い、そのまま二人は人通りの殆ど無い夜の路上へと降りた。
当然のようにタクシー代を向こうが全額払ってくれたので鳥子は申し訳無さを感じつつ。
周囲に人の気配がないことを確認した吉影が、口を開いた。

「すまないね。少々予定が変わった」
「……あの子から話は聞きました。
 あっちの方で、凄い魔力の反応があったって」
「そういうことだ、飲み込みが早くて助かるよ」

恐らくは大規模な交戦――それも複数のサーヴァントが入り乱れる程のものだろう。
マスターひとりを制圧するだけならともかく、我々だけで鉄火場に飛び込むのは危険すぎる。
アサシンはそう語りつつ、腕時計で時刻を確認する。

「今日はひとまず、追跡は中断するとしよう」
「……大丈夫なんですか、貴方のマスターは」
「なに、私の使い魔から“連絡”が入ってね。
 何とかなるアテが出来たというワケさ」

アサシンの主従関係を心配する義理など鳥子には無かったが、それでも疑問はあった。
しかしアサシンは相変わらず飄々と隙を見せない。
どんなアテなのか――悠々たるアサシンの態度を前にして、そこまで踏み込むことは出来なかった。

「それに、もう夜更けだ。
 ホテルでも探して一旦休息を取るべきだろう。
 今から自宅に戻るのは危険だろうからね」

無論、“同盟者”である以上は私もすぐ傍に控えているさ――アサシンはそう付け加える。


85 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:19:15 sEB.ilHM0
吉影に主導権を握られるのは複雑だが、彼の言う通りだろう。

リンボは各地でアビゲイルのことを触れ回っているかもしれない懸念がある。
そうなれば、マスターである鳥子の存在へと辿り着く主従が現れても不思議ではない。
現に目の前のアサシンは、まさに鳥子の自宅を特定してみせたのだ。

それと同じように。
リンボからアビゲイルの存在を吹き込まれた他の主従が、自宅へと襲撃を仕掛けてくる可能性は否定できなかった。
リンボに悪用される前に、アビゲイルを始末すればいい――そう考える者が現れても無理はないのだから。
下手をすれば、リンボ自ら鳥子の居場所を探り当てて始末しに来るかもしれない。
故に、自宅に留まり続けることにリスクはある。

「……わかりました」

だからこそ、鳥子はアサシンに従った。
その上で一言、釘を刺す。

「言っておきますけど、ホテルに泊まるとして。
 霊体化して同じ部屋に泊まるとか、そういうのはしないで下さいね」
「フフ……私がそんな不躾者に見えるかい?」

――いや、勝手にうち入り込んできたじゃん。
心の中に浮かんだツッコミを抑えつつ、鳥子は無言のまま訝しげな視線を向けた。
胡散臭い微笑を浮かべる吉影には、やはり何とも言えない感情を抱いてしまう。
サラリーマン風の怪しい男と二人きりで夜道を歩く――改めて奇妙な状況だと思った。
尤も、ムードというものは感じなかったし。
鳥子の心中には、相変わらず吉影への警戒心が根付いていた。

『あの、マスター』
『どうしたの、アビーちゃん?』
『アサシンが勝手に入ってきたら――今度こそ、私がビシッと追い払うわ!』

そんな矢先に、アビゲイルが念話を飛ばしてくる。
意気込むような、ちょっとズレた一言。
それを聞いた鳥子は、思わず僅かな笑みを零してしまう。
こういうとこがやっぱ可愛いんだよなぁ――そんなことを思っていた。


86 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:19:55 sEB.ilHM0



近場のホテルへと向かいながら、鳥子は思いを巡らせる。
アサシンのサーヴァント。
彼は一体、どんな英霊なのだろう。
今は共同戦線を張っているとはいえ、いずれは離別して“敵対”へと至る可能性が高い。
故に、相手の情報について目を向ける意味はある。

アビゲイルは言うなれば“歴史上の人物”であり、それ故に彼女の存在を知る者が居た。
だが、アサシンは“過去の人物”にも見えなければ“神話の英雄”にも見えない。
サラリーマン風の男が“古今東西の英雄”と当然のように並んでいる、という意味では――寧ろ“裏世界の怪異”のような異質さがあった。

リンボは陰陽師を思わせる能力を操っていた。
遥か過去の秘術を使うという点では、ある意味で実に英霊らしい存在だった。
全身から滲み出していた禍々しさは別として。
あの男と比べても、アサシンは異彩を放っていた。

これらの疑念を、アビゲイルとは念話で共有した。
彼女もまたアサシンが如何なる英霊なのかを読み解くことは出来なかったが。

―――“界聖杯”が様々な世界を経由している以上、一概には言えないけれど。
―――仮に、近現代の人間が“英霊”になるとすれば。
―――余程の偉業を成し遂げた人物か。
―――あるいは、反英霊。
―――何らかの悪行で名を上げた人物である可能性が高い。

アビゲイルは、そう推測を語った。
反英霊。悪名を背負う存在――。
それに関して言及したとき、彼女の声色は震えていた。
罪の意識を思い起こすように。
過去を背負う自分を、苛めるように。
それに気付いたからこそ、鳥子はそれ以上の追求をしなかった。
アサシンは依然として変わらず、警戒すべき存在である―――今はそれだけで十分だった。

鳥子にとってアビゲイルは、妹のような存在であり。
そして、空魚のいない自身の側に寄り添ってくれる、大切な存在だった。
彼女を疑うことなんてしない。
責めることも有り得ない。
健気で優しくて、いつだって直向きで。
そんなアビゲイルのことを信頼していた。
しかし、だからこそ気になることもあった。

―――外なる神。虚空の叡智に傅く巫女。
―――深淵なるセイレムの落とし仔。
―――このような降臨者を呼び寄せてしまうのもまた道理か!!

日中、リンボはそんなことを言っていた。
そしてアサシンによれば、アビゲイルには聖杯戦争を地獄に変える程の力があるのだと言う。
降臨者。地獄の鍵を開く存在。
この聖杯戦争を覆す力を持つ鬼札。
幼い身体に“深淵”を宿す、一人の少女。
彼女は、それについて触れられるのを嫌っていたけれど。
それでも鳥子は、ずっと考えていた。
空魚がここにいるかもしれない。
その可能性と共に、ある考察をしていた。


87 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:21:03 sEB.ilHM0

この界聖杯は、裏世界とは違う。
少なくとも、見てくれはそうだった。
朝に見上げる空の青さは、あの深淵には程遠くて。
目の前で広がる社会も、現実と何一つ変わらない。
だからと言って、この世界を“怪異ではない”と定義するにはまだ早い――と思う。

鳥子の“透明な左手”。
それはかつて“くねくね”と対峙した際に得たものであり、裏世界に関わる“あらゆるもの”の本質を掴み取る力を持つ。
怪異自体は勿論のこと、形無き異能の類いですら干渉することが可能だった。
そう、裏世界に由来するならば――種類は問わない。

そして、この界聖杯において。
アビゲイルの頭へと“触れた”時のように。
あのリンボを一度は撃退した時のように。
鳥子の透明な手は、サーヴァントへと干渉することが出来た。
そこから、鳥子はある推察へと至る

聖杯戦争の“神秘”。
裏世界の“怪異”。
これらは、本質的に近いものではないか。
この二つには、似通ったロジックがあるのではないか。

もし、この仮説が正しいとすれば。
聖杯戦争という“未知”は、自身にとっての“既知”へと変わる。
見ず知らずの場所に放り込まれるという異変が、“見慣れた冒険”へと移り変わる。

つまり、こういうことだ。
裏世界の怪異が、“認識”というフィルターを押し付けることで此方へと“干渉”を仕掛けてくるように。
聖杯戦争に対して、鳥子の側が“認識”を押し付けて―――“干渉”を行う。

ただ、生きて帰りたい。
出来ることなら、他者を蹴落としたくもない。
それでも最悪の場合、戦いを受け入れる必要も出てくるだろう。
それがたった一組しか勝ち抜けない、聖杯戦争というものなのだから。

しかし、仮に戦わずして生還する手段を本気で模索するならば。
それを実現するために必要なことは―――“聖杯戦争のシステムへの干渉”に他ならない。
そして、それを果たす為には、聖杯戦争を“こちら側の戦場”へと引きずり下ろす必要がある。

尤も、鳥子一人では机上の空論に過ぎない。
確かな具体性も、展望もない。
仮に可能性を掻き集めたとしても、万に一つの勝ち目もないかもしれない。
それでも、諦めたくは無かった。
こんな空の下で。空魚と引き離されたままで、黙っていられない。
だから鳥子は、屈するつもりなんて無かった。

この作戦を実行するために、必要な存在がいるとすれば。
一つは、アビゲイル・ウィリアムズ。
リンボ達の言葉が、本当に正しいのならば。
アビゲイルの力は、聖杯戦争を覆せる。
それがもし、根幹のシステムさえ破壊するほどの規模だとすれば。
この戦いの盤面自体を、引っ繰り返せるかもしれない。
例え鳥子の死を引き金にせずとも、令呪などの手段を使えば――それを引き出せる余地はあるだろう。
そうすれば、鳥子にとっては何よりも心強い力になる。


そして、もう一つ。
聖杯戦争の攻略における“鍵”があるとすれば。
それは―――怪異の本質を視る、紙越空魚だ。


空魚の目があれば。空魚と共に、この世界を調査できれば。
聖杯へと至る道筋や、界聖杯から逃れるための足掛かりを掴めるかもしれない。


88 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:21:32 sEB.ilHM0
彼女がこの世界にいるかどうか。
言ってしまえば、それさえも分からない状況だ。
だけど、もし空魚が此処にいれば。
この聖杯戦争は、間違いなく“乗り越えられる壁”と化す。

怪異を見通す目を持つ、紙越空魚
怪異へと干渉する手を持つ、仁科鳥子。
そして――聖杯戦争すら呑み込む強大な力を持つ、アビゲイル・ウィリアムズ。
これらの手札が揃えば、もしかすれば――。


『アビーちゃん』


だけど、それは。
アビゲイルという少女に対し。
“無理をさせる”ということに他ならない。
何故ならば。これらの推察を現実に行うためには、アビゲイルの力を引き出すことが前提となるからだ。
念話を飛ばして、鳥子は言葉を紡ぐ。


『もしも嫌だったら、苦しかったら、本当にごめん』


鳥子は知っている。
アビゲイル・ウィリアムズという少女の在り方を、すぐ側で見つめている。
年相応にあどけなくて。
褒められた時には、無邪気に喜んで。
好きなものを食べるときには、可愛らしい姿を見せて。
そして、マスターを守るときには、健気に立ち回ってみせる。
そんなアビゲイルのことを、鳥子はずっと見てきたのだ。


『言いたくなかったら、言わなくてもいいから』


だからこそ、鳥子は思う。
“地獄を顕現させる力”を行使することを、アビゲイル自身が望むはずがないと。
鳥子はそれを分かっている―――否、“そう信じていた”。


『それでも、今はアビーちゃんの手も借りなきゃいけないかもだから。
 大丈夫なら、どうか教えてほしい』


そのうえで、踏み込まなければならなかった。
この世界から、生きて帰るために。
未来を掴む可能性を、手繰り寄せるために。
そのためにも、手札を確認しなくてはならなかった。

ごめん。ごめんね、アビーちゃん。
鳥子は心の中で謝罪を続ける。
アビゲイルは、ただ何も言わず。
鳥子の言葉を、聞き届けている。
そして鳥子は、一息をついて。


『アビーちゃんには、どんな力があるの?』


アビゲイルへと、そう問い掛けた。
彼女が内に宿す“可能性”。
未だ知らぬ“外なる神”の巫女としての力。
鳥子は―――深淵へと踏み込む。


89 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:24:26 sEB.ilHM0
【文京区(豊島区の区境付近)/ニ日目・未明】



【仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:アビゲイルの“真の力”について知る?
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:ただし彼への不信が強まったら切る。令呪を使ってでも彼の側から離れる。
3:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
4:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
5:出来るだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
6:もしも可能なら、この世界を『調査』したい。できれば空魚もいてほしい。
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。
※透明な手がサーヴァントにも有効だったことから、“聖杯戦争の神秘”と“裏世界の怪異”は近しいものではないかと推測しました。

【フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスタ―を守り、元の世界に帰す
0:鳥子に自身のことを話す?
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:マスタ―にあまり無茶はさせたくない。
3:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。

【アサシン(吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康、殺人衝動
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(一般的なサラリ―マン程度)
[思考・状況]基本方針:完全なる『平穏』への到達と、英霊の座からの脱却。
0:田中一の制圧。切り捨てるにせよ、従わせるにせよ。
1:アルターエゴを追跡、および排除。フォーリナー(アビゲイル)の覚醒を阻止する。
2:アルターエゴのマスターを探して“鞍替え”に値するかを見定めたいが――。
3:あの電車で察知したもう一つの気配(シュヴィ・ドーラ)も気になる。
4:社会的地位を持ったマスターとの直接的な対立は避ける。
5:鞍替え先を見つけ次第、田中一に落とし前を付けさせる。
[備考]
※スキル「追跡者」の効果により『仁科鳥子』『田中一』の座標や気配を探知しやすくなっています。
 リンボは式神しか正確に捕捉出来ていないため、スキルの効果が幾らか落ちています。
※仁科鳥子の住所を把握しました。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。
※田中の裏切りを悟りました。


90 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:25:20 sEB.ilHM0
◆◇◆◇


“悪のカリスマ”。
吉良吉廣はそれを知っていた。
そう呼ぶに相応しい者と、かつて会っていた。

まだ一介の人間に過ぎなかった頃。
彼はエジプトで魔女エンヤ婆と出会った。
あの魔女は吉廣の素質を見抜いた。
“矢”に選ばれし才能を看破してみせた。
そうして吉廣は彼女が崇拝する“ある男”へと謁見し、その才能を認められ――スタンドという“洗礼”を授かった。

その男は。
誰よりも強く。
誰よりも大きく。
誰よりも美しく。
誰よりも恐ろしく。
誰よりも禍々しく。
誰よりも崇高で――。

それは息子である吉影さえも知らない。
吉廣だけが目の当たりにした、圧倒的な存在だった。
その男を評する呼び名は、数多存在する。
帝王。支配者。教祖。救世主。カリスマ。
あるいは―――神“ディオ”、と。

焦土と化した池袋の一画。
まるで嵐が過ぎ去ったかのような惨状。
都市も、人間も、すべて瓦礫の山に飲まれ。
言うなれば、それは――宵闇の墓標だった。
この世界を葬り、そして“弔う”。
“そこに立つ一人の青年”が、それを打ち立てた。

田中一の懐から密かに逃れ、気配遮断スキルによって遠目から――被害を受けていないビルの屋上だ――その様子を眺めていた。
“崩壊”した街を背にし、虚無を思わせる白い髪を靡かせ――瓦礫の山に君臨する青年。
その姿は、吉廣の目に焼き付けられた。
魔力の気配は殆ど感じられない。
サーヴァントではない。生身の人間だ。

だというのに。
不敵に立つその男は、余りにも禍々しく。
余りにも恐ろしく――そして、余りにも大きく見える。
その男に田中が率いられる姿を監視しつつ、吉廣は直感してしまった。

―――あれは、同じだ。
―――悪の救世主。悪のカリスマッ!
―――邪教の教祖のように!
―――大衆を煽る独裁者のように!
―――他者の上に立ち、悪の道を敷く存在!

その男、死柄木弔は。
紛れもなく、魔王だった。
故に吉廣は、戦慄する。
かつてエジプトで目の当たりにした“邪悪の化身”――それに匹敵するやもしれぬ“覇者”が、そこに居たのだから。


91 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:26:20 sEB.ilHM0

奴は複数の主従を率いていた。
確認できる限りでもサーヴァント3騎、マスターと思わしき人間が4人。
更に近くにはもう1騎サーヴァントの反応がある。
4つの主従が同盟を組んでいるのだろう。

地獄を思わせるような“殺意”と“魔力”を纏うあのチェンソー頭のサーヴァントも、間違いなく別格だった。
近くに迫るもう1騎――まるで“鬼”を思わせる魔力の気配にも身の毛がよだつ。

されど、真に恐るべき敵は彼らではない。
あの白髪の魔王こそが“最悪”と呼ぶに値する。
悪を制し、悪を飲み込み、破壊の果てに君臨する。
アレは、そういうモノなのだ。

戦いにおける“強さ”もまた、スタンド能力と同じ。
どんな敵と相対しようとも己を貫き通す精神力。
自らの願いや欲を渇望するハングリーさ。
この戦争において、あの男は最も恐るべき力を持っている。

ヤツの存在は紛れもない脅威。
そして、見過ごせないことはもう一つ。
田中一が集団に与したということだ。

田中は吉良吉影を脅せない。
田中は吉良吉影を切れない。
結局のところ、サーヴァント抜きであの若造に出来ることなど高が知れているのだから。
吉廣はそう考えていた。
だが、あのような大集団がバックに付くとなると――先が読めなくなる。

仮に奴らが、田中の“鞍替え”に手を貸すというならば。
あるいは、奴らという“後ろ盾”の存在が、田中の令呪使用――吉影の支配へと踏み切らせるとしたら。
その時点で、吉影は今度こそ追い詰められる。
殺人鬼・吉良吉影への恐怖がより強大な暴力によって塗り潰された時、“田中を制圧するのは容易である”という前提は崩れる。

それだけではない。
“リンボのマスターへの密告”による計画の阻止、そして田中一からの鞍替えも怪しくなってきた。
仮にそのマスターがリンボの計画を容認していなかったとして。
傍にいる田中が“地獄”を望んでいるのなら、リンボは早々に奴へと主従契約を切り換えればいいだけの話なのだ。

しかし、リンボは何てこともなしに田中の下から離脱した。
それどころか、“鞍替えする先を斡旋する”と言わんばかりに田中をあの集団へと導いたのだ。
“自身と思惑が一致し、なおかつ契約中のサーヴァントを切りたがっているマスター”という実に都合のいい共闘者をわざわざ捨て置いたのだ。
つまるところ、リンボは“マスターの乗り換えをわざわざ考えていない”可能性が高い。
無論、これらの懸念は念話によって吉影と共有している。


92 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:27:18 sEB.ilHM0

“田中一は吉良吉影を切り捨てられない”。
“吉良吉影はリンボのマスターへと鞍替えできる余地がある”。
これらの仮定が崩壊しつつある今、やらなければならないことは唯一つ。
田中を早急に無力化すること。
主従契約の乗り換え、令呪によるサーヴァントへの縛り。
それらへと踏み切る前に、奴を何としてでも封じなくてはならない。

隠密行動による力尽くの拉致か。
連中との交渉による奪還か。
あるいは、他の手段か。
どんな手段を取るにせよ、リスクは極めて高い。

仁科鳥子との局所的な同盟関係ならまだしも、あのように徒党を組んでいる集団との接触だ。
暗殺を得手とするアサシンが、複数の主従から捕捉されるかもしれない状況へとわざわざ踏み込む。
それは無謀と言っても過言ではない。
しかし、“そうしなければ我々は今度こそ詰むかもしれない”。

吉廣は焦っていた。
建ち並ぶビルの屋上から数メートルほど上空を浮遊しながら、思考を続けていた。
平穏を望む息子・吉影は、更なるリスクを背負わねばならない段階へと進んでいる。
どうするか。どう出るか。
吉影もまた――苛立ちを滲ませている。
念話からも吉廣はそれを読み取っていた。
息子が背負う負担は少しでも減らさねばならない。
そのためにも息子の動向に合わせ、こちらも行動を続けねば―――。

その矢先だった。
突如として“視線”を感じた。
こちらの存在を捉える“気配”を感じた。
吉廣は気配遮断スキルを発動している。
NPCやマスターは愚か、通常ならばサーヴァントにさえ容易には捕捉されない。
しかし、相手はこちらを“視ている”――それも魔力の気配を感じられない。

実体化したサーヴァントであるならば、常に魔力の匂いを纏っているものだ。
だが、相手は一切の無臭。魔力というものが微塵も感じられない。
にも関わらず、吉廣はその“異様な気配”を察知した。
何だ、これは。一体何者だ。
吉廣は咄嗟に周囲を見渡す。
気配の主を、探る―――。


「―――誰じゃッ!?」


そして、一瞬。
そう、一瞬だった。
吉廣の視界が、回転した。

咄嗟に逃れようとした。
その場から離れようとした。
しかし、身動きは取れなかった。
気付いた時には、既に“制圧”されていた。

何だ。何が起きている。
刹那の合間、思考が動転する。

何かが、瞬時に動いて。
ビルの屋上から、跳躍し。
そして己へと迫った。
それだけは理解できた。
吉廣の意識は、辛うじてそれを察した。
暫しの混乱と、動揺。
そうして彼は、ようやく状況を飲み込む。

疾風のように速く。
稲妻のように鋭く。
ほんの一瞬。
何も認識できなかったほどの瞬発力で。
ただ――“掴み取られた”だけだったのだ。


93 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:28:02 sEB.ilHM0
そして相手は跳躍した際の慣性と共に。
曲芸のような動きで、別のビルの屋上へと着地していた。

吉廣が、視線を上げた。
強靭な右腕が、写真ごと自身を握っていた。首筋を締め上げられているかのような力。
今すぐにでも縊り殺されると錯覚してしまう程の威圧。
分厚い掌に掴まれ、吉廣は戦慄する。


「――見回り、ご苦労さん」


剣呑な眼差しで、男は吉廣を見下ろした。
その口元には、不敵な笑みが浮かぶ。
死神。仕事人。あるいは、殺し屋。
吉廣はその男を見て、そんな印象を抱くしか無かった。

アサシンのサーヴァント――伏黒甚爾。
吉廣は意図せずして、敵との邂逅を果たしてしまったのだ。

「貴様……ッ!離せ!このッ!」
「余計なことはするな。
 まだ成仏したくねえだろ」

必死に甚爾の手から逃れようとする吉廣。
しかし、ピクリとも動じることはない。
超人な筋力を持つ甚爾の拘束を解くことなど、出来る筈が無い。

――甚爾は、気配遮断スキルを発動した吉廣を察知していた。

強大な力と引き換えに何かを喪うという生来の現象、天与呪縛。
彼はあらゆる呪力を代償に圧倒的な感覚と身体能力を得た“フィジカルギフテッド”だ。
呪縛によって極限まで研ぎ澄まされた五感は、本来呪力無しでは捉えられない呪霊さえも感じ取ることを可能にした。
呪霊は、人間の負の感情が形を成した存在。
それは純粋な異形に留まらず、死者が思念によって怨霊という亜種へと転じることもある。

甚爾の五感は、吉廣を感じ取った。
息子への偏愛によって現世へと留まった“幽霊”――吉良吉廣は、“怨霊”に近い性質を持つ。
それ故に、呪霊を感じ取る超感覚を持つ甚爾が吉廣の感知へと至ったのだ。

吉廣もまた、本来ならば悟られるはずのない甚爾の存在を察知していた。

"サーヴァントでありながら一切の魔力を持たない霊体"。
それがこの聖杯戦争に召喚された伏黒甚爾という英霊が持つ特性だった。
呪力を持たない体質がサーヴァントとして再定義され、霊体化や令呪などの恩恵を一切受けられない。
その代わりに、あらゆる魔力感知を擦り抜けるという体質を持つ。

されど、吉廣は甚爾という男が潜んでいたことを見抜いてみせた。
息子である吉良吉影――彼もまた“サーヴァントとしての気配や魔力を一切悟られない”という同じタイプのスキルを持つが故に。
吉廣は半ば直感のように、甚爾の気配を嗅ぎ取っていた。


94 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:28:47 sEB.ilHM0

「手短に聞く、お前の“主人”は誰だ。
 そして目的は何だ。さっさと言え」
「誰が貴様なんぞに―――うげェッ!?」
「身体は労っとけよ、ジジイ。もう歳だろ」

徐々に力が込められていく甚爾の指先に、吉廣が目を見開いて慄く。
あと一息、相手がその気になれば。
写真ごとグシャリと潰される。
吉廣がそう理解するには十分だった。
――テメエごとき、いつでも殺せるんだ。
甚爾は吉廣に対し、そう言わんばかりの冷淡な眼差しを向ける。

「き、貴様も見ただろうッ!
 焦土と化した池袋に居た連中を!
 ワシは奴らの様子を窺ってて……!」
「そうか、なら尚更野放しには出来ねえな。
 一応は“付き合い”のある連中でね」

苦し紛れの言葉を吐く吉廣。
共通の敵を提示することで、場を切り抜けようとした。
だが、無様な老人を見下ろす男の目は酷く冷ややかだった。
墓穴を掘った。

冷静に状況を俯瞰する甚爾とは対照的に、吉廣は汗を垂らしながら歯軋りをしていた。
恐れるように唸り声を上げ続け、眼前の“暴君”を見上げる。

このままではマズい。
息子の手助けをしなければならないのに。
よりによって、こんな輩に掴まるとは。
吉廣は、焦燥の中で思う。
何とか逃げ出した所で、相手はこちらの気配を探ってくる。
後は身体能力の差で再び追い詰められるだけだ。

身の安全を確保するためには、此処で情報を吐くしかない。
―――出来るハズがあるか。
息子・吉良吉影の不利益になるような行為を、父親である吉廣にやれるものか。
殺人さえも幇助し続けるほどに溺愛した我が子を売るような真似を、吉廣が行えるものか。
故に、吉廣に打つ手はない。
ただ口を塞ぎ、始末される瞬間を待つ他ない。

しかし、吉廣がそんな結末を納得する筈が無かった。
息子が窮地に居るというのに、親が何の役にも立てないなど、あってはならないことだ。
どうする。どうすればいい。
動揺と焦燥で雁字搦めになる感情を、吉廣は必死に抑え込む。

甚爾の眼差しは、変わらない。
お前程度なら、いつでも殺せる――そう訴えかけていた。
沈黙によって時間稼ぎをすれば、気まぐれに殺される。


95 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:29:28 sEB.ilHM0
何かを吐かなければ此処で消される。
しかし、吐けば吉影への不利益となる。
必死に頭を回転させた。
この場を切り抜けるための言葉を、自棄糞に思考していた。

どうする。どうすればいい。
どうにかして、この男の矛先を逸らさなければ。
吉影はただでさえ苦難に直面している。
田中一との対立も、アルターエゴの抹殺も―――。


「そ……それだけではないッ!
 ワシは『アルターエゴ・リンボ』を追っている!」


そうして、吉廣は咄嗟に吐き出した。
“標的”を逸らした。
甚爾が警戒すべき新たな矛先を提示した。


「ヤツはこの聖杯戦争を破壊する『地獄』を齎さんとしている狂人ッ!
 その為に、フォーリナーのサーヴァント―――アビゲイル・ウィリアムズ!
 リンボはその“真の力”とやらを引き出そうとしているのだ!」


尋問に根を上げた容疑者のように。
吉廣の口から、アルターエゴの凶行が訴えられる。


「無論、ワシの主はそれを望んでおらんッ!
 ワシらはリンボを始末するべく動いている!
 だからヤツの気配を追跡し、この池袋まで来たのだ……!」


界聖杯に齎される“地獄”。
フォーリナー、アビゲイル・ウィリアムズという“鍵”。
吉廣はそれらの存在を告発した。
敵連合を共通敵に仕立てるという初手が通じなければ、次の手を。
それは策というには杜撰な、苦し紛れの足掻きであり。

だが、しかし。
その瞬間に、甚爾の反応は変わった。
目を細めて、吉廣をじっと見据えていた。
沈黙が場を支配する。

吉廣は緊張に苛まれながら、汗を掻く。
相手側の態度が、明らかに変化している。
今の情報によって、何かが相手に引っ掛かった。
この男にとって“価値ある情報”を、運良く引き当てた。
それに気付いた吉廣は、次第に頭を落ち着かせ。
やがて心の中で、静かにほくそ笑んだ。





96 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:30:21 sEB.ilHM0



池袋に潜んでいる“協力者”からの連絡が途絶えた。
デトネラット周辺の監視と偵察を任せていたNPCであり、近辺での情報を可能な範囲で報告させていた。
在籍する大学の特定によって“仁科鳥子の行方”を探る際、その“協力者”にも連絡を入れる手筈だった。

既に他のコネやパイプには連絡を入れて、鳥子の所在やこの街での素性を探らせている。
じきに報告は来るだろうが――池袋の“協力者”の消息が途絶えたことに関しても、この目で様子を確かめたかった。
言うなればそれは、虫の知らせ。
伏黒甚爾が抱いた直感だった。

そうして甚爾は、サーヴァントの身体能力を以て池袋へと急行した。
そうしてビルの屋上に立ち、惨状と化した一区画を目の当たりにした。
天与呪縛の体質を再現された彼に、正攻法で魔力を探知する能力は無い。
しかし異常発達した五感によって、その場に残された気迫や殺気を“感じ取る”ことが出来る。
デトネラット本社が存在していた筈の地点も、凄惨な状況と化していた。
大規模な衝突が発生した、というのは明白だった。
恐らく“協力者”は、これらの大破壊に巻き込まれて“不運な犠牲者”となったか。

偵察を続ける過程で、“連合”らしき連中の姿も確認した。
サーヴァント3騎とマスター4名。
近くにもう1騎の反応、そして彼らへと合流するマスターも1人。
“M”が率いる“連合”の実態を知らないが、彼らこそがそうだろうと既に当たりを付けていた。
集団の中には連合と直接同盟を結んだ星野アイとそのライダーの姿を確認できたのだから。

敵連合の存在を嗅ぎ付けた連中が襲撃を行い、一帯が焦土と化したという所か。
本社周辺に居座っていることからして迎撃には成功した様子だったが、デトネラット本社の喪失などの少なくない手傷を負っている。
尤も、あのMならば有事に備えて次の拠点を用意していることだろう。
甚爾はそう判断した。

引っ掛ったことは、ひとつ。
あれだけの大破壊を齎した戦闘において、彼らが“敵の迎撃を果たしていた”ということだ。

甚爾は“連合”を烏合の衆と見ていた。
Mという稀代の策士によって運用されているが、逆を言えば“それ以上の手段を持たない”集団。
策謀によって狡猾に立ち回っているのは事実。
しかし、恐らくは“そうせざるを得ない”というのが実情だろうと踏んでいた。
Mが蜘蛛の巣を張り巡らせることで、初めて連合が成立している――戦力そのものはさしたる規模ではない。

そう考えていた。
だが、見誤っていたかもしれない。
少なくとも連中は、あれだけの大規模戦闘を生き残れるだけの実力がある。
それが奴らの実力なのか、あるいは何らかの“奥の手”によるものが――未だ判断はできない。

しかし、警戒には足る。
あの状況もそうだが。
伏黒甚爾は、もう一つ。
身構えるべきものがあった。


97 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:30:55 sEB.ilHM0

あの中に佇んでいた、チェンソーの悪魔。
特級呪霊すらも凌駕しかねない、地獄の匂いを放つ“怪物”。
曲がりなりにも、忌まわしき禪院に生まれたが故に。
呪術師の御三家と呼ばれる家系を出自に持つが故に。
伏黒甚爾は、理解してしまった。

あれは―――本物の“呪い”だと。

連中を率いる白髪の男も、恐らくはMの正体と思われる老人も、警戒には値する。
しかし、あのチェンソーの怪物は、全く次元の異なる殺意を纏っていた。
あれほどの逸物を隠し持っていたとは。
あのような怪物を抱えていたとは。

甚爾は、連合への評価を改めた。
そして―――否応無しに、いずれは奴らを切り崩さねばならない必要性を悟る。
恐らくこの先、連合は再び立て直し。
この界聖杯を巻き込む混乱に乗じながら、戦い抜くのだろう。

なればこそ、奴らの“一人勝ち”を許す訳には行かない。
グラス・チルドレンや新宿事変を起こした連中などの“強豪”共々、確実に削らねばならない。
その為に一つ、有用な武器があるとすれば。


――紙越空魚。
――お前には、“切り札”があるんだろ。


自ら呪われることを選んだマスター。
あの女に憑いた呪い、仁科鳥子。
そのサーヴァントであるアビゲイル・ウィリアムズは、聖杯戦争すら覆す力を持つのだと言う。
それほどの破滅的な可能性を、鳥子との縁によって“切り札”にすることを選んだ。
紙越空魚は、己の呪いさえも力へと変えることを宣言した。

さて。
その呪いは、道を切り拓くのか。
あるいは―――破滅へと導くのか。

真夜中の月を見上げ。
甚爾はふいに、“気配”を察知した。
同時に、相手が此方の存在も認識していることに気付く。
五感を研ぎ澄ませ、その匂いの先を辿る――。

数十メートルほど離れた地点。
忙しなく移動する気配が在った。
それは、写真だった。
写真が空中を浮遊していた。
その中から顔を覗かせていたのは、怨霊か何かを思わせる老人だった。





98 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:31:32 sEB.ilHM0



「―――おい」


そして、思わぬ形で情報が飛び込んだ。
写真の老人―――吉良吉廣が吐いた言葉。
それはアルターエゴ・リンボの打倒を目指すという思惑であり。
同時に吉廣は、アビゲイル・ウィリアムズの存在と聖杯戦争を覆す程の“真の力”のことを知っていた。
故に甚爾は、問い質さなければならなかった。

「フォーリナーの行方を知っているか」
「……わが主が直に押さえている。
 “透明な手”を持つマスター共々な」

先程まで動揺し続けていた吉廣が、冷静に言葉を紡ぐ。
この情報を使えば、相手方に対して優位に立てることを悟ったのか。
その口元には、徐々に不敵な笑みが浮かび始めていた。

「そいつらは何処にいる」
「ただでは教えんよ」

静かに、威圧するように言葉を紡ぐ甚爾。
しかし吉廣は、不遜な態度を隠さなくなり。


「ヤツらに“用がある”というワケじゃな」


そして、甚爾の思惑を見抜くように。
そう突き付けてみせた。

「貴様はあのリンボに与するバカには見えん。
 少なくともワケのわからん地獄に乗るような輩ではないだろう」

勝ち誇るようにほくそ笑みながら、吉廣は黙々と言葉を紡ぐ。
目の前の男、伏黒甚爾は“殺し屋”の類いであって“愉快犯”などではない。
吉廣はそう感じ取り、言及を続ける。

「だからこそ気になったのだ。
 なぜフォーリナーどもが『取引の材料として使えたのか』とッ!
 貴様はリンボの情報よりも先に、そちらへと意識を向けた!」

そうして甚爾へと向けて畳み掛けられる言葉。
なぜリンボの計画ではなくフォーリナーに食い付いてきたのか。
なぜフォーリナーの所在を確かめるような真似をしたのか。
リンボの計画を含めてフォーリナーについて知っているのならば、何故切り捨てようとしなかったのか――“リンボへと明け渡す前に始末すべきだ”と考えても不思議ではないのに。
吉廣の悪足掻きは、偶然とはいえ甚爾へと刺さり。
それに感付いた吉廣は、自らの持つ情報を利用しに掛かった。

尋問する者が、逆転した。
沈黙する者が、入れ替わった。
伏黒甚爾は、口を噤み。
脳裏に、数刻前の言葉がよぎる。
己自身が吐いた言葉が、追憶される。

―――こいつは『縛り』だ。
―――俺が、星野アイが、連中が、お前をいいように操れる『縛り』。

ああ。
そういうことだよ。

そして、これは。
空魚が鳥子への執着をアピールして、足元を掬われたのと同じだった。
フォーリナーの主従を追わねばならない。
自らの弱味となり得る情報を、甚爾はほんの僅かにでも、相手に見せてしまった。
それ故に彼は、吉廣から付け入られる隙を与えてしまった。


99 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:32:44 sEB.ilHM0

生前の伏黒甚爾ならば、この状況を前にしても動じなかっただろう。
何故なら―――“殺し屋”としての彼は、“他者の命”など勘定に入れなかったのだから。
誰かを殺すことだけが能であり、彼の生業だった。
だが、今は違う。
今の彼は、仁科鳥子の命を背負っている。

甚爾は無意識のうちに、写真を握る手の力を強めていた。
苛立ちか。あるいは、足掻きか。
それが脅しであると解釈した吉廣は、更に捲し立てる。

「よいのか!?ここでワシを消したのならば最後ッ!
 わがサーヴァントはそれをすぐに察知する!
 そうなれば最早フォーリナーどもを始末することも厭わんだろうッ!」

なあ、ジジイ。
じゃあ何でお前らも、フォーリナー達と行動を共にしている。
何故リンボに手を付けられる前にそいつらを始末しない。
これは大方の予想だが。
そっちにも、マスターを殺されたら困る事情があるからだろ。

甚爾は、そう言おうとした。
しかし。喉を通りかけた言葉を、押し込めた。

―――仁科鳥子はおまえにとってもう呪いになってる。
―――ここで潔く、綺麗さっぱり祓っとけ。

あのとき甚爾は、そう忠告した。
他人のために、呪いを背負うな。
誰かを尊ぶ生き方で、自分を縛るな。
そうやって釘を差した。
それでも。それでも、あの女は。


「貴様にはフォーリナーや仁科鳥子を殺されては困る理由がある。そうじゃろう?」


―――私の目的は、あくまでも鳥子を助けることです。


目の前の老人の言葉と、紙越空魚の言葉が、重なった。
いまの伏黒甚爾にとって、確かなこと。
彼は空魚のサーヴァントであり。
空魚の依頼を引き受ける仕事人である。

それ故に、空魚の“望み”を蔑ろには出来ない。
例えそれが呪いだとしても。
空魚/依頼人は、背負うことを選んだ。
たった一人の相棒の手を取った。
だからこそ、例え敵側にもフォーリナー達を生かす理由があると推測できたとしても。
“仁科鳥子が始末される可能性”という極大のリスクは、踏み倒せない。
それが万に一つの確率だとしても、仁科鳥子の命を賭け金に乗せることはできない。

空魚にとっての勝利が、鳥子と共にあるのならば。
空魚にとっての敗北も、鳥子と共にあるのだ。
故に、甚爾は―――そこで足を止めた。
敵を捕らえたのは、甚爾であり。
情報を得たのも、甚爾であり。
そして、道を縛られたのも、甚爾だった。

なあ、空魚。言ったろ。
生かすのは得意じゃねえって。

夜は、相変わらず深々と。
この街を見下ろしている。
何かを得ようとした時も
何かを捨てることを選んだ時も。
何もかもを諦めて、掃き溜めで生きるようになってからも。
呆然と横たわる空に、代わり映えは無い。





100 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:34:18 sEB.ilHM0



“田中一”。
それは、“写真のおやじ”の主人であるサーヴァントと契約した男であり。
つい先ほど、連合へと合流を果たしたマスターだった。

甚爾は吉廣と連絡先を交換し、“取引”を交わした。
吉廣達は仁科鳥子達に危害を加えない。
要求に従えば、鳥子達との合流も仲介する。
その見返りとして――田中一を奪還、あるいは無力化する。
連合とのコネを持つと言及したが故に、甚爾はそれを依頼された。

連合へと接触し、田中が吉廣達を切り捨てる前に彼の動きを封じる。
最低でも田中の令呪使用や鞍替えに対する牽制。
可能ならば連合盟主との交渉による田中の引き渡し。
場合によっては吉廣やその主であるサーヴァントも対応する。
最悪、田中を拉致することも手段に含めてほしい。
それが吉廣からの要求だった。

吉廣は田中との決裂に関する言及を渋っていたものの、甚爾はあくまで「依頼遂行のための情報」として話を引き出した。
イニシアチブは吉廣の側に握られている。
ならば甚爾はせめて相手に関する最低限の情報だけでも獲なければならなかった。

吉廣が信用に足るか否かは、別として。
仁科鳥子の安全は、幾らか保証される。
甚爾はそう考えていた。
何故ならば、吉廣達にも“余裕がない”ことが推測できるからだ。

袂を分かった自分達のマスターを、他主従の集団によって押さえられ。
剰えその命運を見ず知らずのサーヴァントとの取引に委ねている。
ただこれだけでも、吉廣達がいかに異常な状況に身を置いているのかが分かる。

それに空魚の方針からして“有り得ない”とはいえ、仮に甚爾が取引を反故にすれば。
その時点で吉廣達は更なる窮地に立たされるだろう。
“仁科鳥子”が取引道具としての価値を失い、彼らは“連合入りした田中一を妨げる障害”として本格的に目を付けられるのだから。
奴らがそのリスクを考慮していないはずがない。
それだけでも、彼らが切羽詰まった状況に立たされてることは容易に読み取れる。

言ってしまえば――正気の沙汰ではない。
奴らは今まで何をしていた。
何故“手遅れ”になるまで事態を放置していたのか。
聖杯戦争は二人一組で戦い抜くのが大前提となる。
馴れ合いをしろとまでは言わないが、主従として最低限でも関係を保つことは当然のはず。
にも関わらず、田中一らの主従はこのような有様と化している。
互いに主従関係の構築に相当無関心だったか、どちらかが余程の無能だったのか。
それとも――そんな関係であっても尚、予選の一ヶ月を生き延びられる“曲者”なのか。

それでも尚、伏黒甚爾は取引に乗る他ない。
これだけ不手際が予想される状況であっても、“仁科鳥子を確保している”という一点で相手に優位を取られているのだから。


101 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:35:02 sEB.ilHM0

己のマスターである紙越空魚を勝たせる。
伏黒甚爾の目的は、それだけだ。
願いなど無い。ただ粛々と仕事をするのみ。
Mの率いる連合とのコネクションも、マスターを勝ち抜かせるための戦略だ。

Mに近づくこと自体は、必要な行動だとはいえ。
“田中一の奪還”という行為は、連合からの不信を抱かれても可笑しくはない悪手だ。
アビゲイル・ウィリアムズの力を連合に売り込むことで協力を取り付けるとしても、賭けに等しいと言わざるを得ない。
仁科鳥子の陣営は、他の主従にとって“空魚を縛ることのできる人質”になりうるのだから。

吉廣達がリスクを背負っているように。
仁科鳥子を選んだことで、空魚達もまたリスクを背負っている。
だが――それでも。
空魚は“鳥子と共にいること”を、自らの勝利として定義したのだ。
ならば甚爾もまた、そうする他ない。

「自分のマスターの命運を他人に握らせる、か。
 随分と形振り構わないらしいな」
「フン、やかましいわ。ワシの主を勝たせるためなら手段など選ばん」
「……忠犬だな。お前のサーヴァントは余程の“飼い主”らしい」
「飼い主だと?そんな言葉など生温いわ。
 ワシとその主……いや、“あの子”の絆はもっと深い。血の繋がりよ」

ふいに吉廣はそう呟き。
そして―――次の言葉へと繋げた。


「『親』が『子』を想うのは当然じゃ。
 貴様のような殺し屋には分かるまい」


吉廣の、何気ない一言。
得意げに嘲笑う、老人の言葉。

それを耳にした甚爾は。
ふいに、“それ”が蘇った。
憶えのない記憶が、脳裏を過った。
知りもしない情景が、朧気に浮かぶ。

誰かと相見える、己自身の過去。
酷く懐かしく、何処か安心したように。
追憶する時間の中で、己は自ら“命を絶つ”ことを選んでいた。


―――■■じゃねぇのか。
―――よかったな。


甚爾は僅かに目を見開き。
しかしすぐに、自らの胸中に湧き上がる郷愁を振り払う。
知りもしない経験だった。
身に覚えのない体験だった。
英霊の座とやらで、何かが“混濁”したのか。
分からない。分かりはしない。
ああ――興味もない。

「……そうかい」

どうせ自分は“ろくでなし”だ。
“あいつ”に何かしてやれたことなんて、一度も無い。
そう考えていた。そう信じていた。

「子への想い、ね」

だから、伏黒甚爾は。



「――知らねぇよ。んなモン」



ただ、そう吐き捨てた。


.


102 : 悪魔は隣のテーブルに ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:37:00 sEB.ilHM0
【豊島区・/ニ日目・未明】

【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:健康
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:ああ、結局呪われに行くのか、お前は。
1:仁科鳥子を確保すべく、連合入りした田中一を奪還または無力化する。
2:マスターであってもそうでなくとも幽谷霧子を誘拐し、Mの元へ引き渡す。それによってMの陣容確認を行う。
3:↑と並行し283プロ及び関わってる可能性のある陣営(グラスチルドレン、皮下医院)の調査。
4:都内の大学について、(M以外の)情報筋経由で仁科鳥子の在籍の有無を探っていきたい。
5:ライダー(殺島飛露鬼)やグラス・チルドレンは283プロおよび櫻木真乃の『偽のゴール』として活用する。漁夫の利が見込めるようであれば調査を中断し介入する。
6:ライダー(殺島飛露鬼)への若干の不信。
7:神戸あさひは混乱が広がるまで様子見。
8:鳥子とリンボ周りで起こる騒動に乗じてMに接近する。
[備考]※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。
※吉良吉廣と連絡先を交換しました。

【吉良吉廣(写真のおやじ)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康
[装備]:田中一のスマートフォン(仕事用)、出刃包丁
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:愛する息子『吉良吉影』に聖杯を捧げる。
0:アサシン(伏黒甚爾)を利用し、田中を無力化または確保する。
1:アルターエゴ(蘆屋道満)を抹殺すべく動く。
2:息子が勝ち残るべく立ち回る。必要があればスマートフォンも活用する。
3:リンボのマスターが不発だった場合の“鞍替え候補”も探す。
4:『白瀬咲耶の周辺』の調査は一旦保留。
[備考]
※スマートフォンの使い方を田中から教わりました。
※アサシン(吉良吉影)のスキル「追跡者」の効果により『仁科鳥子』『田中一』の座標や気配を探知しやすくなっています。
リンボは式神しか正確に捕捉出来ていないため、スキルの効果が幾らか落ちています。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。
※アサシン(伏黒甚爾)と連絡先を交換しました。
 彼との取引の内容はアサシン(吉良吉影)にもリアルタイムで伝えています。


103 : ◆A3H952TnBk :2022/03/07(月) 00:37:32 sEB.ilHM0
投下終了です。


104 : ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:49:36 16C8ByXw0
皆さん力作の投下本当にお疲れ様です……!
感想は明日書かせていただきます!(書きます)

私も投下させていただきます。


105 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:51:19 16C8ByXw0

 撤退の為に、連合は歩き出していた。

「で、これからどうするんだよ」

 聖杯戦争のマスター達が犯罪王ジェームズ・モリアーティの許に集い結成された組織――敵連合。
 その首領を務める青年は遊び倒されて年季の入った人形のようにボロボロだった。
 片手は明らかに異常な形にひしゃげたまま、今だぽたぽたと痛々しく血を滴らせている。
 身体は頭の先から足の先まで土埃で汚れ、とてもではないがつい先刻"四皇"の一人を撃退し、名実共に次の魔王へ至る資格を得たとは思えない姿。
 しかして彼は気をやるでもなく冷静に、いつも通りどこか気だるげに、ブレインたるモリアーティへと指示を仰いでいた。

「ビッグ・マム女史の襲来は我々にとってとても大きな艱難だったが……しかし最悪の事態ではなかった。
 おっと、何も君が覚醒出来たからセーフだなんて無理くりな理由だけではないから安心したまえ。
 具体的に言うとだね――デトネラットの本社はこの通り潰されてしまったが、四ツ橋君自体は不幸中の幸い、難を逃れている」

 デトネラットのバックアップを完全に受けられない状態になったとあれば、確かに連合の行き先は真っ暗だった。
 死柄木弔が覚醒を果たし、英霊すらなぎ倒す破壊の力を手に入れたことを加味しても、まだまだ連合の総戦力は盤石とは言い難い。
 デトネラットという名の公権力に寄生して過ごす現状から羽化するにはまだまだ時期尚早なのだ。
 だからその点、社長の四ツ橋力也が折良く外勤に出ていてくれたことは本当に僥倖であった。
 本社を失ったことは確かに痛いが、四ツ橋さえ健在ならばまだまだ体勢は立て直せる。
 弔もそこのところに異論を唱える気はないようで、「運がいいな、あのハゲ」と鼻を鳴らして笑った。

「彼への連絡は先程済ませた。もうじきこちらに迎えの手を寄越してくれるそうだからそれに乗って場所を移そう。
 君が派手に"崩壊"をかましてくれたおかげで、本社だけに警察や救急が集中するということもなさそうだからネ」
「それはいいけどよ……この通り、俺の右腕はすっかりお釈迦になっちまってる。どうにか出来ねえか?」
「ふむ。確かに重傷だ、明らかに複雑骨折している。
 単に使えないというだけでなく、放置していれば壊死して命にも関わりかねん」

 モリアーティが視線を星野アイのライダー……殺島飛露鬼へと向ける。

「極道のライダー君。君が先程ビッグ・マムの許までこの死柄木弔を送り届けてくれた時、何やら紙を口に含んでいたように見えたのだが」

 目敏いお人ッスね、と水を向けられた殺島は苦笑で応えた。
 尤も、この人智を外れて聡明な老紳士を前にして本気で隠し通せるとは彼自身思っていない。
 手の内を隠すという意味では、あの場で"地獄への招待券(ヘルズ・クーポン)"を服用するのは避けた方が良かったのかもしれないが――

 しかしそれは結果論というものだ。
 ビッグ・マムは呼んで字の如く、文字通りの怪物だった。
 クーポンの薬効なくして殺島はサーヴァントたり得ない。
 そんな状態であの婆に近付くなど自殺行為も良いところ。故にあの場でクーポンを使った判断は至極真っ当なものだったと断言出来る。
 クーポンの情報などどの道いつかは露見(バレ)ていただろうし、モリアーティが何故この場で自分に話を振ってきたのかの理由も分かっている。
 それに……ビッグ・マムとその相方の青龍が此処に攻め込んでくる前と今とでは、殺島達が連合に対して抱いている認識も大分異なっていた。


106 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:52:20 16C8ByXw0

「逆に何だと思います? 紙片(コレ)」
「それを服用してからというもの、君の霊基は明らかに見違えている。
 肉体強化という側面から推測するに、麻薬……所謂ペーパードラッグの類なのではないかと思うが、どうかな」
「その通り。麻薬(コイツ)が無きゃオレなんて、ただの凡人(パンピー)に過ぎません」

 地獄への招待券(ヘルズ・クーポン)は――殺島達のような極道者にとってまさに革命だった。
 忍者に一方的に虐殺されるばかりであった極道。
 悪事(わるさ)かませば忍者が来ると子供を躾ける迷信じみた文句を垂れ流し、それを大真面目に恐れて雌伏しなければならなかった屈辱の年月。
 クーポンの発明と流通はその状況に一石を投じた。
 かく言う殺島も、クーポンの恩恵を受けたからこそ忍者相手にあれだけの大立ち回りを演じられた身だ。
 何処かの誰かが原型を作り、殺島がボスと仰いだ男が完成させていなければ、殺島はそもそも英霊の座なんて大それたものに名を連ねられるだけの生き様を遺すことは出来なかっただろう。

「で。欲しいんですかい、オレの麻薬(ヤク)が」
「人間に使用しても構わないようであれば、ぜひ我がマスターに一枚譲って貰いたい。
 凡人(パンピー)を英霊(サーヴァント)にまで押し上げられる程の薬効……お釈迦になった右腕程度なら、忽ち治せてしまうのでは?」
「出来ますよ。腕だけどころか、全身隈なくまっさらな健康体に回復します」
「それはそれは。ジャンルは違えど一人の学徒として興味深いよ。ぜひ構造を解析してみたいところだ」

 敵連合は烏合の衆ではなくなった。
 死柄木弔という確たる象徴を得たことにより、連合は聖杯戦争を終わらせ得る可能性を秘めた大勢力へと成り上がった。
 しかしながら、四皇ビッグ・マムとの直接対決を経た弔はほぼ死に体と言っていいくらいの重傷だ。
 自然回復など当然待てないし、そもそも数週間、完治を狙うなら数ヶ月単位の時間が掛かってもおかしくはない。
 今の連合にとって死柄木弔の回復手段を用立てることは急務。
 そして殺島の持つ"地獄への回数券"は――それを完璧以上の形で補ってくれる。

「で、答えの方は」
「一つだけ。出来ればァ〜……保証(レージュ)も欲しいですね」
「検討しよう。言ってみたまえ」
「聖杯戦争が三日目に入るまでは、オレ達を切り捨てることはしないで貰いたい」

 殺島はアイの方をちらりと一瞥だけする。
 彼女はこくんと小さく頷いた。
 それは殺島への、サーヴァントへの信頼の証だ。
 殺島としても、アイのお墨付きが出たとあれば遠慮なく立ち回れる。

「三日目とは随分控えめだネ。意図を聞いても差し障りはないかな」
「その頃になれば、アンタ達と心中するか断絶(き)り捨てるかの算段も付きますからね」
「成程。流石は極道(ジャパニーズ・ヤクザ)、実に理に適った動き方だ」

 殺島の中での連合に対する信頼度は、先の一戦を目の当たりにして跳ね上がった。
 元は利用価値が薄れれば適当に切り捨ててしまえばいい相手程度の認識だったが、それも大きく揺らいだ。
 死柄木弔とジェームズ・モリアーティ。神戸しおが手綱を引く、四皇……ビッグ・マムとすら張り合うチェンソーの怪物。
 三種の剣を擁する悪の寄り合いは、今や殺島にとって私情を抜きにしても捨て難い実に大きな戦力と看做せる集団に成り上がっていた。

 だが、今の状況でビッグ・マムやかの青龍の陣営とぶつかれば、連合の勝率は間違いなく低いだろう。
 それにモリアーティという人物は悪の権化、他人を蜘蛛糸で操り動かす黒幕を地で行く男である。
 組むのはいい。だが最低限の保証がなければ腰を落ち着けることは出来ない。
 連合には期待している。
 その力は必ずや組むに足るものがあると、そう信用している。
 その上で殺島はクーポンという取引材料をちらつかせて、モリアーティに鎖を結ぼうと考えたのだ。


107 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:53:07 16C8ByXw0

「仕方ない。では死柄木弔、彼らの要求に応えてあげなさい」
「……良いのか? こいつらにそれだけの値打ちがあるとは、正直思えねえんだが」
「ハハハ、手厳(キビシ)〜」
 
 肩を竦めて笑う殺島。
 だが実際、弔の懸念も間違いではない。
 地獄への招待券を提供してくれるという一時的な恩恵を除けば、殺島というサーヴァントの力量は決して高くない。
 英霊をすら蝕める超常の個性をその身に宿す弔だ。
 彼が力を振るえば、殺島など一撃の許に蹴散らせると言っても決して過言ではない。
 だから彼は、殺島及びそのマスター・アイに対し令呪まで使ってやるというのは如何なものかと難色を示したのだったが――

「ではマスターに代わって聞こう。極道のライダー君、その麻薬はある程度定期的に供給して貰うことは可能かな?」
「……ま、そう来ますよねェ――ええ、出来ますよ。
 これはオレのスキルによって生み出してる麻薬(ブツ)ですから。
 アイの魔力を若干食うことには食いますが、この程度の人数に配るんなら十分賄い切れます」
「グッド。その言葉が聞きたかった」
 
 これを聞けば、弔にもモリアーティの言わんとすることは出来た。
 そして納得もまた然りだ。
 凡人を一度の服用で超人に押し上げ、肉体組織の回復まで果たしてくれる"個性"社会にすら存在しなかった超弩級の麻薬。
 令呪一つでその供給をコンスタントに受けられるようになるというのであれば、確かにそれは破格だろう。

「裏切ったら殺すぜ極道」
「ハハッ、おたくのサーヴァントの顔見てから言ってくれよ。極悪(ワッル)い顔してんぜ?」
「ヤクザ者には良い思い出がねえんだよ。こっちの話だけどな」

 面倒臭そうに頭を折れていない左手でぼりぼり掻きながら、弔はひしゃげた右腕の令呪を瞬かせる。
 元より緊急回避程度にしか使わないだろうと踏んでいた絶対命令権だ。
 一応マスターらしく最初は渋ってみせたが、いざ使うと決めると存外惜しさは感じなかった。
 
「令呪を以って命ずる。本戦三日目に入るまで、星野アイ及びそのライダーを尊重しろ」
「委細承知した。ではそのように振る舞おう」

 これにて、ジェームズ・モリアーティは向こう約二十四時間の間アイ達との同盟に縛られる。
 令呪は内容が曖昧であると効力に翳りが生まれるものだが、文字通り蜘蛛の巣めいた緻密な計略の許に活動するモリアーティに対してはこれでも十分な効き目として作用することだろう。
 あくまで当分の間ではあるものの、犯罪王と轡を並べて戦う上で最も危惧せねばならない懸念にはこれで手を打てたことになる。

 ふう。そう息を吐いたのは星野アイだった。
 プロの嘘吐き(アイドル)であるアイだが、それでも人を虜にするための嘘と思うまま操るための嘘では価値も土俵も全く違う。
 ジェームズ・モリアーティは間違いなく、星野アイが今まで出会ってきた全ての人間の中で一番油断のならない相手であった。
 不信ありきで関わっていたわけでこそないものの、こうして確かな形である程度の安寧が保証されれば肩も軽くなる。
 そんな彼女の反応に、モリアーティは肩を竦めて苦笑した。

「それにしても心外だねェ。そこまで私が君らを切り捨てる算段を立てているものと危惧されていたとは」


108 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:53:49 16C8ByXw0
「カーナビから盗聴で人の居場所特定してきた人がそれ言う?」
「部下が勝手にやったことだよ」
「変態アラフィフ」
「妙なレッテルを貼るのはやめてくれないかな!? 小さい子も居るんですよ!!」
 
 
 ――などというやり取りを横目に、神戸しおは自分のサーヴァントの顔を撫でていた。
 その姿形は人間のそれではない。
 人の形こそしているものの、それ以外の全要素が人間の二文字に唾を吐き掛けている。
 されど彼もまた、確かに神戸しおのサーヴァントである。
 デンジという器の内側に眠る形で現界していたチェンソーの悪魔。神戸しおのライダーのその真の姿。

 かつてある悪魔は彼を地獄のヒーローと呼び。
 地獄で蠢く悪魔の誰もが彼を恐れ/畏れた。
 チェンソーマン。そう呼ばれるべき存在はしかし、此度はヒーローではなくただ武器たれと求められている。
 そして他でもない求めた張本人が楽しげに背伸びをして、辛うじて手を伸ばせば届くチェンソーマンの顔部分を撫でている。
 その微笑ましく牧歌的な絵面がなんともまたその凄惨たる経歴と似つかわしくなくて、見る者を不安にする奇妙な趣に繋がっていた。
 
「ありがとねえ、ポチタくん! ポチタくんががんばってくれたおかげで、私もとむらくんたちもみんなたすかったよ〜」
「…………」

 チェンソーマンたる彼は此度、神戸しおの呼び声に応じて現界した。
 必ずしも彼の、ライダー・デンジの霊基の主が現界する為には令呪が必要だというわけではない。
 例外はあるだろうし、この先それを目の当たりにする機会も来るかもしれない。
 が、一番手っ取り早く、状況を問わず彼を呼び出す手段として令呪は間違いなく有用だった。
 死柄木弔は神戸しおに"助けてくれ"と言った。
 だから神戸しおはそれに応えて――その"助け"を乞う声を彼へと伝えた。

 助けてチェンソーマン。
 それは呪いの言葉。
 だが、しおは彼をその名前では呼ばなかった。
 しおはあくまで彼をポチタと呼ぶ。
 故に彼女に呪いは降り掛からない。
 彼女はヒーローを望んでいるわけではないから。
 地獄のヒーロー・チェンソーマンなど……神戸しおには無用の長物でしかない。

「よかったわねえ、しおちゃん。しおちゃんのライダーくん、とっても強くてびっくりしちゃった」
「えへへ。らいだーくんもポチタくんもすごいんだよ」

 ねー。そう言って笑いかけるしおにも、やはり彼は反応らしい反応は示さなかった。
 
「……それにしても。本当に大きくなったのね、しおちゃん」

 松坂さとうの叔母が神戸しおと別れてから、彼女が"今の彼女"になるまで。
 その間で経過した時間は数ヶ月もない。精々が一ヶ月程度で、いくらしおが子供とはいえ人間一人が見違える時間としては短すぎた。
 けれど女はまるで数年単位で会っていなかった幼子の成長を実感するみたいに、しおのことを見つめていた。
 その実感に彼女の姪であり、しおの最愛の人でもあるさとうの言動が関わっていることなどしおは露も知らない。
 
「? わたし、そんなにおおきくなった?」

 神戸しおの成長は祝福するべきでない方に向かって起こったそれだ。
 上に伸びたというよりはねじ曲がった、歪曲してしまったと言う方が正しいだろう。
 しかし方向がどうであれ、一つを貫けば美点に変わる。
 義ならざる犯罪卿に見初められ、魔王の器と並び立ち、最も多くの畏れを浴びた悪魔を操る"可能性の器"。


109 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:54:43 16C8ByXw0

 しおは本当に大きくなった。
 もう此処に、守られ愛されて微笑むばかりだった少女の姿はない。
 さとうと紡いだ幸せな甘い日々。その中で培われたいびつな経験値。
 それが愛する人の死と、願いを叶える権利を巡る戦いという環境に放り込まれたことで遂に開花した。
 そして無論。女はしおの狂おしさも増長も窘めないし、叱らない。

 だって、それは――"愛"だから。
 この世の道理、道徳、倫理、全てそれの前においては紙屑同然。
 愛。人がだれかを愛する気持ち。
 それに勝る熱はこの世にないのだと、女は聖職者めいた敬虔さと狂人の如き盲目さで信じている。

「さとうちゃんも喜んでるわ。きっと」
「そうかなあ。だったらうれしいな。はやくあいたいや」

 無垢で善良だった神戸しおはもういない。
 此処に居る神戸しおは他人の死を重んじず、自分の道を歩める堕天使だ。
 それでも、松坂さとうが彼女に失望することはないだろう。
 彼女達はもうそういう次元ではないのだ。
 そんな領域は――相手に失望したり落胆したりするような領域はもう過ぎている。
 
 界聖杯の獲得さえ叶ったなら、彼女達は望み通りの永遠のハッピーシュガーライフに辿り着くに違いない。
 愛の外堀や前提条件は全て埋められているのだ。彼女達が可能性の器と呼ばれるようになるよりも、遥かに前に。

「あれ。そういえば、おばさんのサーヴァントは?」
「あ。そうだった、忘れてたわ。あの子には無茶させちゃったから、ひょっとすると怒ってるかも」

 謝らなくちゃ、と口許に指を一本当てたさとうの叔母。
 彼女がそう言った、まさにその時だった。
 瓦礫の山と化したデトネラット本社、その脇から一人の男が姿を表したのは。
 
「あらあら。噂をすれば、ね」

 この女は何も、ただの狂人ではない。
 彼女もまた聖杯戦争のマスター、可能性の器の一つだ。
 従えるサーヴァントは鬼の始祖、千年に渡り悲劇と流血を生み出し続けてきた罪深き怪物。
 誰もが憎み、一人たりとも愛することのなかった男のことも――女は他の皆と平等に愛していた。

 だが、女は勝手である。
 彼女は誰にも測れない存在だ。
 何故なら狂人。正真正銘の異常者。愛という概念のみを行動原理にして生きる、退廃の二文字がよく似合う仄暗い傾国の美女。
 彼女にとって無惨は愛の対象であったが、しかしさとうやしおと言った旧知の仲の相手と並びはしても、決して抜きん出ることはなかった。
 だから無茶な命令も出したし、笑顔で彼の逆鱗を逆撫でする真似もした。
 それでも無惨は逆らえない。何故なら女がどんなに狂っていようとも、彼女は紛れもなく鬼舞辻無惨という呪われた魂をこの現世に繋ぎ止めるために必要不可欠な要石であったから。

 しかし――


「お〜い、バーサーカーくんっ。こっちよ――、――――」

 
 その停滞が今崩れる。
 富裕層の三文字を想起させる上品な服装は激戦の中で一片残らず吹き飛び、今の彼は筋骨の浮き出た肉体をあるがままに晒していた。
 血のような紋様が身体のそこかしこに広がり、しかして見窄らしさを微塵も感じさせない災害の如き存在感。 
 それを保ちながら一歩、一歩と歩んでくる鬼舞辻無惨。
 その身体から何かが、飛んだ。


110 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:55:49 16C8ByXw0
 それが何であるか、実像を捉えられた者はこの場においてはチェンソーの悪魔のみであった。
 証拠に彼は己のマスターに迫った飛来物を、チェンソーの一振りで見事に斬滅。
 掠めただけでも人事不省に陥る致死の奇襲攻撃を全くの無為に帰させることが出来た。

「え?」

 が、逆に言えばその功績に預かれたのはしおだけだ。
 チェンソーの悪魔にとって、彼女は守るべき対象ではなかった。
 或いはそう命じていたなら、こうはならなかったのかもしれないが。
 全てはもはや後の祭りだ。弾が銃口から放たれてから"あの時ああしていれば"と悔やんでも、前に進むことは何一つとしてない。

「茶番は終わりだ」

 酷く冷め切った声が響くのと、松坂さとうの叔母が地面に崩れ落ちるのは全く同時の出来事だった。
 女の細い首筋、その喉の中心に突き刺さった血色の棘。
 ごぼごぼと夥しい出血を噴き出させたかと思えば、すぐさま棘の内側から肉の塊がぶくぶくと溢れ出し始め、傷口を覆う。
 失血死に至るほどの出血量ではなく、傷を覆う肉を外そうとしたり、意図的に傷を広げようとさえしなければ女は一命を取り留められるだろう。
 それもその筈だ。
 鬼舞辻無惨が如何に向こう見ずで一事が万事に通じる癇癪持ちであったとしても、自らを現世に繋ぎ止めている要石を考えなしに壊してしまうほどの阿呆である筈もない。

 彼は何も自分のマスターを、そして神戸しおを、殺そうとしていたわけではなかった。
 ただ一つ。人間がサーヴァントに背くただ一つの手段である、声帯器官のみを確実に潰すこと。
 無惨の目的はひとえにそれだった。
 如何に女達が狂人であれど、異常者であれど。
 愛などという不確かで曖昧なものに人生を賭せてしまう阿呆であったとしても――

 声さえ出せなければ。
 令呪さえ使えなければ、自分の歩む道を妨げる要因は何もない。
 愛? 恋? 勝手にやっていろ、私には何も関係ない。
 お前達の存在意義は私の存在と願いをこの地に繋ぎ止める要石、それ以上でも以下でもないのだと。
 傲岸不遜に無惨は、己の行動でそれを語る。
 先の令呪で堪忍袋の緒が切れたというのもあるが、それよりも、これ以上狂人の好き勝手にさせていられる状況ではなくなったというのが大きかった。

「どうしたのだね藪から棒に。良ければ理由を聞かせてくれないか、バーサーカー君」

 四皇の襲来という不測の事態は、確かに彼の逆鱗を逆撫でした要因として十分だと言える。
 現に彼には、ある意味では最も負担の大きな仕事を任せることになってしまったのだ――新宿を壊滅させた二凶の片割れ、青龍に化ける鬼神の足止めという超絶難易度の貧乏籤(オーバーワーク)を。
 が、しかし。雨降って地固まるなどとしたり顔で言えた立場ではないが、結果的に彼らの襲撃は連合を利する結果になった。
 死柄木弔の覚醒。それは連合に足りなかった破壊実行力を補って余りあるものであり、無茶苦茶な難易度の試練(クエスト)を乗り越えたのに見合うだけの報酬であろうとモリアーティは思う。

 そして連合がより盤石化すれば、当然組んでいる側にもメリットがある。
 社会性が皆無に等しいマスターを引き当てていながら、現代人としてのロールを一からクラフトした鬼舞辻無惨。
 彼のことをモリアーティは難儀な爆弾だと認識していたが、その程度のことも分からない凡愚だとまでは思っていなかった。
 にも関わらず此処で、この凶行。
 今日は厄日だねェと思わず心中にてそう溢しながら、モリアーティは無惨へ詰問する。
 しかしそれに対して無惨は――心底程度の低い阿呆を見るような目と嘆息を返した。

「愚かな男だな。ただ人より悪知恵が働くというだけで増長した者の末路か、これが」

 そう、無惨に言わせればこの場の全員が酷く愚かで滑稽に見えた。
 徒党を組むだとか策を弄するだとか、最早状況はそういう次元ではなくなっているのだということに未だ気付いていない。
 世界は自分達の都合の良いように回っているのだと本気で信じている、現実の見えていない阿呆共。
 つい先程までは彼らに、少なくともモリアーティことMに対しては一定の利用価値を見出していた無惨だが、今となっては彼も虫螻にしか見えない。


111 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:56:42 16C8ByXw0

「群れていたければ好きにしろ。
 策謀家を気取るのならば同じく好きにしろ。
 私は貴様ら馬鹿共と心中するつもりはない。それだけのことだ」
「……絶妙に質問の答えになっていないが――まあそれはいいとしよう。
 君の戦力は我々としてもこの先末長く頼っていきたいところだったのだが、そうも強く縁切りを望まれては仕方がない。
 ただ、一つだけ言わせて貰うとすれば」

 眼鏡の奥。
 遥か神代では叡智の結晶とも呼ばれたそれの奥底に、邪智の瞳を光らせる。

「しお君を狙うのであれば見過ごせないよ。
 彼女は去りゆく君と違って、我々に確かな戦力としての価値を示している」
「随分と煽てるのが上手なのだな。孫でも出来た気になったか?」
「ふむ」

 一瞬考えた後。
 モリアーティの口許が、へらりと歪んだ。
 それは不敵に何かを勘繰るでもなく。
 何か高尚な理屈を今から説こうとしている、そういう笑みでもない。
 常に不敵に笑い、他者を利用しては大上段から物を語るこの"教授"らしからぬ顔。
 そこに浮かんだ笑みの正体は――憐憫と嘲笑の間の子、とでも言おうか。

「そう見えるのなら、それでもいいだろう」

 モリアーティは改めて思う。
 この男は紛うことなき悪であるが、しかし自分や弔のような分かりやすい"悪"ではないのだと。
 彼の目的に大義はない。理想もなければ辿り着きたい未来もない。
 バーサーカー・鬼舞辻無惨の脳にあるのは一から十まで、その全てが生存欲求だ。
 だから話など通じるわけもなく、モリアーティの目に映る綺羅びやかな闇色の可能性達など単なる道化としか映らないのだろう。
 彼にとっては死柄木弔も神戸しおも、等しく犯罪王ジェームズ・モリアーティに踊らされた哀れなマリオネットというわけだ。

 その認識は――愚かしいものだとモリアーティはそう思う。
 無惨は間違いなく優秀な男だったが、性根の臆病さの割に超越者故の傲慢さが拭い去れていない。
 あの分では生前、さぞかし見下していた人間達に苦しめられたのではないだろうか。
 と、思いはしたものの。実のところモリアーティとしても、無惨が離脱することで被る損失は無視出来ないほど大きなものではなかった。

 何しろ無惨は、言ってしまえば有効活用の余地がある不発弾だ。
 使えはするし頼りにもなる。だが、そこには常に爆発の危険が伴う。
 まさに今、目の前で彼がしでかしたことがそれだろう。
 ともすればもっと最悪な場面で、もっと最悪な形で爆発が起こっていても不思議ではなかった。
 死柄木弔が成り、チェンソーのライダーが四皇に並ぶ力を示した今、そんな不安要素を後生大事に抱えておく必要性はそこまでない。

 
 ――出来の悪い教え子に対して向けるような、その視線。
 哀れみと嘲りを両立させた瞳に無惨は眦を微かに動かしたが、今や無惨はモリアーティにすら関心がない。
 目の上の瘤だった令呪は潰せた。これで己のマスターは、自分という存在を現界させ続けるだけの文字通り要石と化した。

「(欲を言えば、神戸しおを確保したいところだったが……)」

 無惨の脳内にある計画は、常人が聞いたなら常軌を逸していると唖然とした顔をすること請け合いのそれだ。
 端的に言って荒唐無稽。臆病も度が過ぎれば狂おしくすらなるのだと万人に理解させる、そんな過剰な警戒心が大真面目に彼の脳裏にはある。
 その為には歳幼く、それでいて松坂さとうに対するある種の交渉札として使える神戸しおを確保することは非常に有用だった。
 しかし。無惨が当初想定していた状況と今の連合の現況は、あまりに大きく乖離していた。


112 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:58:06 16C8ByXw0

「(……アレを、あの小汚い小僧が引き起こしたというのか……?)」

 神戸しおのサーヴァントが異様な姿に変じていることよりも無惨の注意を引いたのは、デトネラットを起点として遥か彼方まで広がる崩壊の痕跡。
 無惨の視力は見果てぬ崩壊の果てまでもを視認することが可能だったが、端数を略しても五キロ以上の規模が崩れ去っている。
 もしもこれをやったのが連合の王、死柄木弔であったならば……彼と今此処で事を構えるのは無惨にとって都合が悪かった。
 何よりこれから水面下へ潜り、縁壱の退場まで時間を稼ごうという身で、こうまで派手なことをしでかせる輩とやり合うなど矛盾している。
 
 ――背に腹は代えられない。
 騒ぎを聞きつけたあの男が、万一にでも自分の存在に気付いたなら。
 そう考えただけで怖気が走る。弔を恐れるのではなく、彼と戦うことにより生じた被害や破壊がかの男の目耳に届くことの方をこそ、無惨は恐れた。

「(代えを見繕うのは後でも出来るか……。
  そうでなくても、いざとなれば松坂さとうを交渉の種にすればしおは容易く確保できる。
  今この場はあの異常者めを回収し、体勢を立て直すのが得策だな)」

 故に無惨は妥協した。
 神戸しおを確保する狙いを此処で果たそうとすれば、恐らくはモリアーティが。
 そして彼が煽て利用しているもう一人の"餓鬼"、死柄木弔が黙っては居まい。
 無惨は、自分が今此処で彼らと事を構えたとて負けるとは思っていない。
 思っていないが、相応に派手な戦いになるだろうと予想は出来る。
 そうなれば必然、大方この世界でも心底理解の出来ない下らない動機の許に戦っているだろうあの男が目敏く嗅ぎつけてくる可能性も――捨てきれない。

 令呪の発動を封じ、鬱陶しく忌々しい戯言ばかり吐き散らかす口も封じ。
 今はただ微笑むだけしか能のなくなった要石。
 それさえ回収出来れば、後のことはどうとでもなる。
 そう考え、無惨は喉を封じられた狂人の方へと足を進めた。
 
「喜べ。ようやく貴様が、真の意味で私の役に立てる時が来たぞ」

 喉を破られ、その上肉塊で無理やりに傷口ごと塞がれている苦痛は尋常ではないだろう。
 だがしかし、それでも女は笑みを崩さずに居た。
 激痛と大量出血に耐えている故の脂汗を流しながら、それでも女は鬼舞辻無惨に向けて微笑み続けている。
 以前はあれほど腹立たしく思えたその顔を見た無惨は、胸が空くような想いをさえ覚えつつ、一歩また一歩と歩みを進めていく。
 どれだけ超越者ぶった笑みと所作を繰り返し、愛だ恋だと戯言を吐いても。

 あなたを愛していると痴れた言霊を吐き出していても――所詮はこの程度。
 物理的に喉を潰してしまえば何も言えない、ほざけない。
 その無様ですらある姿に、無惨は彼女の底を見れた気がした。
 であれば最早用などない。この場で嗜虐の歓びに浸る趣味も余裕もありはしないのだ。
 早くこの女を回収し、これからのことを見据えて動き出さなければ。
 最早一刻の猶予もありはしない。一分一秒、その全てが惜しいというこの感覚は、まさに初めてあの男と相対した日に感じた以来のものだった。

 願いは叶える。
 叶わなかった想いを、他の誰に継がせることもなくこの身一つで成就へと至らせる。
 これはその為の逃亡だ。
 継国縁壱という怪物の死を以って戦況を区切り、満を持して聖杯を目指すために必要な措置なのだ。


113 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:59:09 16C8ByXw0
 
「しお君」

 その為に歩んだ、無惨。
 その胴体が細切れの血風に変わった。
 それらが地面に落ちる前に、虚空で像を結ぶ。
 元の無惨の面影が再生されるが、彼の顔は険しかった。
 不快の色を隠そうともせずに――己の行く先を阻んだ"悪魔"へ殺意の瞳で睥睨を送る。

「やめておきなさい。今、此処で彼と揉めることに意味はないよ」

 嗜めるのは連合の王ならざる者。
 連合のブレイン。王を育てることを掲げ、この東京中に蜘蛛糸を張り巡らせ。
 この鬼の始祖をすらその掌で弄ばんとした犯罪紳士だった。
 無惨の歩みをチェンソーのライダーが、彼の霊基の奥底で眠っていた最強の悪魔が阻んだこと。
 それは即ち、マスターである神戸しおがそう望んだからに他ならない。
 犯罪王と呼ばれた男は持ち前の聡明さで、いち早くそのことに気付いていた。

 ――だが。

「ごめんね、えむさん」

 少女は、地面に這い蹲る格好で首元を抑える妙齢の女性に駆け寄る。
 そしてその冷たい眼で。
 夜空ないしは宇宙を想起させる瞳で――無惨を視ていた。

 無惨には彼女の意思と可能性は、きっと死んでも理解など出来ないだろう。
 彼の言う通り、確かに少女の愛と狂気は一過性の病/心的迷彩のようなものであるのかもしれない。
 だが、だが。
 彼女は今一人ではなく。
 だからこそ、少女は利用されるだけの無垢ではなかった。
 たとえジェームズ・モリアーティが彼の想像の通り、都合のいい兵隊として少女を育てていたとしても。
 それが真実だったとしても――少女が一度その気になったならば。
 
 彼ですら。
 犯罪王と呼ばれ、犯罪卿を名乗れる叡智と深謀の徒ですらも。
 そこに吹き荒れる暴風から逃れることは出来ない。
 そのことは先の一戦で既に示されていたが、悲しきかな。
 鬼舞辻無惨はそれを知らなかった。
 彼は、そこに居なかったから。

「おばさんにはよくしてもらったの。
 さとちゃんも、わたしも、たすけてもらったから……」

 だから。
 "生きているだけ"の命になろうとしている恩人の身体をぎゅっと、精一杯抱いて。
 
「だから」 
 
 そう、だから――


「おばさんをころすのは――わたしかさとちゃんじゃなきゃ、だめなの」


114 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/07(月) 23:59:53 16C8ByXw0


 それが出来るのはおまえじゃないと。
 多分生まれてはじめての確たる敵意で以って、少女は鐘(こえ)を鳴らした。
 悪魔を動かす鐘の音。
 地獄を揺らす鐘の音。
 助けてチェンソーマンと、かつて誰かが/あるいは誰もがそう呼んだように。
 されどそれとは明確に異なる意味と意義で、少女は望む。
 そしてその祈りをこそ最大の燃料として。
 首輪で繋がれた狗に堕ちたチェンソーの悪魔は、殺意(ぶぅん)を鳴らして駆動するのだ。

「ポチタくん」

 ぶうん。
 ぶうん――ぶうん。
 羽音にも似た刃音が、未明の宵闇を切り裂き迸る。


 ・・
「それ、たべていいよ」


115 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:00:33 B.7k9UXE0
◆◆


 あくま-【悪魔】
 1:仏道修行をさまたげる魔物。魔羅(まら)。
 2:悪・不義を擬人的に表現したもの。人を悪に誘う魔物。


◆◆


116 : 愛の葬送(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:01:13 B.7k9UXE0


「おばさん、だいじょうぶ?」

 しおが倒れ伏した女の横で膝を折った。
 声帯を貫いた傷口は肉塊で止血されているものの、傷自体を回復させた訳ではないので発話することは不可能だ。
 流した血の量も多く、その影響か顔色は蒼白だった。
 立ち上がろうにもそれが出来ない。
 誰かに殴られたり蹴られたりすることに人並み外れて慣れている彼女が、こうも無力な様子を晒している。
 にも関わらず、女はいつもの通りに笑うのだ。
 まるでそれ以外の表情(かお)を知らないかのように、笑うのだ。

「おばさんのサーヴァント、やっつけちゃうね。
 あんなこわいおじさん、もういらないでしょ?」

 そう言って気遣うように眉尻を下げる、少女。
 愛らしい姿といじらしい表情。そしてその幼気さとまるで結び付かない物騒な言葉を吐く口。
 全てがアンバランスだった。もう此処に、純粋無垢だった神戸しおは存在しない。
 初めて会った時に比べて――本当に大きくなった。見違えた。
 改めて女はそう思った。

 あの時のこの娘は、外の世界にも人間にも慣れていない小動物のような儚さを醸していた。
 それが今はどうだ。
 彼女は姪の庇護もなしに自分の足で歩いて、仲間を作って、自分の頭で考えて命を奪える人間に成長した。
 天使の羽根はもう亡いけれど。
 代わりにその足で、何処までも歩いていけるようになった。
 愛する砂糖少女と同じ、"人間"として。

「あとでえむさんに話してあげるね。
 サーヴァントって取り替えれるんだって。界聖杯さんが教えてくれたんだけど……あ、じゃあおばさんもしってるや」

 界聖杯は平等に知識を授ける。
 聖杯戦争の基礎知識を一から説明されたとして、幼いしおでは理解し切るのは難しいだろう。
 しかし脳の中に直接知識を埋め込む形でなら、そのハードルもあってなきが如しだ。
 そしてしおが話の途中で気付いたように、さとうの叔母も"サーヴァントの取り替え"についての知識は保有していた。
 マスターを失ったはぐれサーヴァントと、サーヴァントを失ったマスター。
 両者の間で再契約を交わすことが出来れば――今契約しているバーサーカー・鬼舞辻無惨が消滅しても、その損失はチャラになる。

 叔母にも聖杯を狙えるチャンスは残るわけだ。
 しおは無論、相手が恩人だろうと聖杯を譲るつもりはなかったが……
 それでもまだ、彼女を殺す時ではないと思ったのであろう。
 銀月の娘は手を差し伸べた。だいじょうぶだよ、と優しく微笑んで。

 その顔を見て、女は今までのとは少しだけ違った表情(かお)をする。
 困ったような、つい心の底から出てしまったような、そんな笑顔だった。
 それが"苦笑"というものだったことに――果たして女は気付いたかどうか。
 定かではないが。女もまた、しおに向けて手を伸ばした。


117 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:02:16 B.7k9UXE0
◆◆


 鬼舞辻無惨の総身が爆発を思わす激しい蠢動を見せた。
 それと同時に解き放たれた触腕の数は十二本にも達する。
 これは先程新宿事変の下手人の片割れ……カイドウと交戦していた時のものよりも多い。

 更に言うなら攻撃の勢いも、格段に先程のそれより激しかった。
 音に匹敵する速度で振るわれる触腕は、掠めただけでも骨肉を粉砕する恐るべき生体兵器だ。
 その上、仮に接触の際に自分の血を流し込むことに成功すれば――そこで勝負はほぼほぼ決まると来た。
 彼こそは鬼の始祖。千年に渡り、あらゆる虎の尾を踏み龍の逆鱗に触れてきた悪の親玉。
 本気の無惨が弱い筈はない。それは彼が、防戦一方と言えどもあの"四皇"相手に戦闘を成立させていたことからも窺える。

 にも関わらず――彼の表情は焦燥一色に染め上げられていた。
 彼ほどの規格外存在が、目の前の敵一体を壊す為に全力全霊を注いでいる。
 争いに喜悦を覚える人格障害を持たない無惨だ。
 彼がこれほど全力で戦った場面は、無惨がまだ洛陽を迎える前の永い生涯の中にあっても一度が精々だろう。
 だというのにだ。
 彼がそこまでしているのにも関わらず――始祖は未だ、その目的を達成出来ないまま手を拱かされていた。

「(何だ、この怪物は……これがあの腑抜けた面の小僧(ライダー)だと?)」

 先のカイドウとの戦い、無惨は本気でやるつもりなど毛頭なかった。
 戦う内に理解したからだ。これを相手に身を砕いて奮闘するのは無駄なことだと。
 だからもう一方の戦場が決着するまでの間、のらりくらりと戦いを引き伸ばし立ち回った。
 その態度はカイドウを酷く失望させたろうが、戦略としては間違いなく利口だったと言えよう。

 しかし、如何に無惨と言えど荒れ狂う鬼神(カイドウ)を足止めして無事で済む道理はない。
 覇気三種を全てカウンターストップの練度で扱いこなすカイドウの攻撃は、無惨の身体にそう簡単には癒えない疲弊と痛手を刻み付けた。
 千年間不滅の血肉を焼き続けた赫刀の傷痕とまでは行かずとも。
 向こう数時間の間は引き摺るだろう深い消耗を、無惨は生き延びる代償として支払う羽目になった。
 それ自体は無惨も自覚していたことだったが――連合如きが相手ならばこの状態でも問題はそう無いと侮った。

 そしてそれこそが、鬼舞辻無惨の最大の誤算。


「邪魔をするな……!」

 連合の許に姿を現すなり、無惨は目的の遂行の為に行動した。
 結果、目障りなマスターの干渉を今後一切シャットアウトすることには成功したが。
 神戸しおという新たな要石を簒奪せんとしたその行動は、完全に藪蛇だった。
 無惨が知っている、腑抜けた顔と態度の、お世辞にも優秀そうには見えないライダーのサーヴァント。
 彼が相手ならば確かに無惨はその目的を果たせていたかもしれない。

 が――結果から言えば。
 そこで彼を迎え撃ったチェンソーのライダーは、もはや人の姿形などしていなかった。


118 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:03:07 B.7k9UXE0

 十二本の触腕が同時に音速を突破し降り注ぐ。
 それが、まるで蛸の腕を包丁で断ち切るみたいに容易く切り裂かれた。
 すぐさま無惨は新たな腕を用立て/失った腕を再生させて追撃する。
 だがそれも結局は同じ末路を辿り。
 そしてその間にも一歩また一歩と、チェンソーの怪人は無惨の方に足を進めてくるのだ。
 鉄風雷火を遥か上回る無惨の攻勢の中を、そよ風か何かのように肩で風切り進む異形の面影。

「(あの女を回収して逃れるだけならば容易い。
  だというのに何故、このような塵屑に手間を取らされねばならんのだ……!)」

 実際――平時の無惨であれば、この状況から逃げ出すことは朝飯前だろう。
 鬼舞辻無惨は逃げることに関しては間違いなくプロフェッショナルだ。
 最強の鬼狩り相手に逃走を成功させ、人間の稼働可能年月を超える期間を潜伏に費やすことで逃げ切った逸話は伊達ではない。

 が、今の無惨はよりにもよって十八番の逃亡法が使えない状況にあった。
 肉体を爆裂させて肉片に分裂し、数と速度に飽かして逃げ遂せる。
 継国縁壱をすら欺いた一発逆転の手が、使えない。

 その理由こそが、カイドウが彼に数十分という時間をかけてしこたま蓄積させた覇気によるダメージだった。
 "自然"をも殴り倒す覇気の痛撃。それを幾度も幾度も受けた代償が、無惨の体内を亀裂のように駆け抜けている。
 この状態で肉体を弾けさせるのは、肉の露出した傷口に粗塩を擦り込むようなもの。

 分裂自体は出来たとしても――まず間違いなく追い付かれる。
 マスターを回収して逃げる、その前提条件が満たせない。
 故に無惨はらしくもない正面戦闘に全力を費やすことを余儀なくされていた。そうするしかないからだ。
 
「――退け」

 距離が一定まで詰まった状況に苦渋の念を抱きながら、無惨は衝撃波を数多、まるで砲弾のように目の前の敵手へと打ち込んでいく。
 その威力は言わずもがな絶大だ。
 さしものチェンソーもこれを脅威と看做したのか、進む足が一瞬止まる。
 逡巡の隙を抉じ開けるように殺到する痛打、痛打、痛打――人体破壊の暴風雨。
 思考時間(シンキングタイム)の限界がやって来たチェンソーは、それに対して。


 まあいいか、と。
 そんな言葉が聞こえてきそうな頷きを一つした。
 そして次の瞬間、彼は前進することを選んだ。
 無数のチェンソーを振り乱して衝撃波そのものを斬滅しつつ無惨の腕を軒並み切断する。
 しかし如何に彼でも、間近まで迫った衝撃の暴風を全て捌き切ることは出来ない。

 
 破壊が直撃する。
 その度に彼の身体が跳ねる。
 揺れる、拉げる。血が肉を切り裂いて溢れ出す。
 肉袋の中身をだくだく流しながら、前に進む。


119 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:03:49 B.7k9UXE0

 此処で無惨は――飛び退いた。
 一飛びで数十メートルをも移動出来るだろう人外の脚力。
 このままでは拙いと判断しての英断。
 だが――

 その首根っこを、チェンソーはあっさりと捕まえた。
 彼はただの鋸(ソー)を象徴した悪魔ではない。
 チェンソーの悪魔なのだ。であれば当然、鎖(チェーン)も彼は自由自在に操ることが出来る。
 伸ばしたチェーンを無惨の首に巻き付けて、逃げるところを喧嘩殺法宛ら自分の側へと引き寄せた。
 無茶な動きで頚椎が粉砕されたが、それしきで無惨が死ぬなら鬼狩りの剣士達はあれほど苦労はしなかったろう。

「ッッ……! 貴様!!」

 屈辱と怒りに焦げた瞳で、無惨は牙を剥き吠える。
 彼はその間にも抵抗の攻撃を打ち込もうと試みていたが、それよりもチェンソーが行動する方が早かった。
 頭のチェンソーが、鬼舞辻無惨の頭の天辺へと押し当てられる。
 水分を大量に含んだ鈍い音が、電ノコの駆動音と並行して奏であげられていき。
 無惨の頭頂部から股間までを文字通り一刀両断し――チェンソーの悪魔の総身を返り血と返り臓(モツ)で醜く汚した。

 惨殺、一閃。
 だが無惨は鬼の始祖だ。
 手足の欠損や肉体の爆散、それどころか全ての鬼に共通する"頸"という弱点すら克服した鬼の中の鬼なのだ。
 身体を両断された程度で無惨は死なない。行動不能にもならない。
 瞬時に傷を再生させ、その傍らで逃亡を試みる――無惨。
 けれど彼の不死は、此処までの"道中"で既にチェンソーの知るところとなっていた。
 だから悪魔は驚くでもなく、自分の不覚を嘆くでもなく。
 ただ淡々と、鬼滅(デーモンスレイ)を果たすべく"調理"を始めた。


 再生し始めた頭部を真横から輪切りにする。
 達磨落としのように消えていく無惨の貌。
 その傍らで両腕のチェンソーが無惨の腹へ食い込み、フル稼働で彼の血肉と内臓、そして骨を悉く細断して骨の多いミンチ肉に変えていく。
 無惨の激怒も焦燥も一切許さない。発声そのものを許さず解体する。
 触腕の発生さえ許さない。その前に切り刻んでしまうからだ。
 家畜の食肉処理の過程を映した映像と言われれば信じてしまいそうな、それほど凄惨で――淡々とした作業的殺生。
 

 再生しようとする、無惨。
 それを許さない、チェンソー。
 二人の無言の攻防は数分に及んだが、それは唐突な轟音によって断ち切られる。
 
 鬼舞辻無惨の切り刻まれた肉塊が、爆ぜたのだ。


120 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:04:51 B.7k9UXE0
 チェンソーの悪魔の身体が吹き飛ばされて、地面を転がる。
 血風の粉塵という惨たらしい景色の中で――ようやく再生を許された無惨が立ち上がった。
 が、その顔にしてやったりといった表情は一切ない。
 それもその筈。

「(何故……こうなる………)」

 今、彼が使ったのは……"分裂"だ。
 自らの肉体を起爆させて状況を立て直す一手。
 その判断自体は決して愚かなものではない。
 今の無惨はサーヴァントだ。
 鬼の始祖たる彼であっても――今となってはどうしても、魔力という概念に縛られる。

 絶え間ない再生はマスターの魔力を食い潰し。
 マスターの余力が切れれば、彼の不死とて翳る。
 それにそうでなくても、チェンソーによる"解体"は無惨にとって脅威すぎた。
 数を増やし、その上で常に体内を移動して位置を変え続ける無数の脳と心臓――普通ならば、それを隈なく同時に潰すなど不可能であるが。
 チェンソーの悪魔が彼にやった"解体"は、ともすればそれを可能としかねなかった。
 故に無惨は分裂を使ってでも、どうにかして逃れなければならなかったのだ――その代償が重いことを、覚悟した上で。

「(何故誰も彼も、私の道を阻む。
  鬼狩り共が長きに渡り想いを紡ぎ、この私を打ち倒した……あの光景には一度とはいえ感激を覚えもした。
  だが此度のこれは違う。あったのは身勝手な他人の癇癪だけだ。
  何故……何故、この私が――そんな下らぬ要因で追い詰められねばならぬというのだ)」

 立ち上がった無惨はもはや青息吐息だった。
 最強生物カイドウとの戦いで蓄積したダメージ。
 それを抱えた上で切った分裂という一手。
 その代償は疲労の激しい増幅となって、無惨の全身を激しく苛んでいる。
 鬼狩りとの千年の戦いが決着を結んだいつかの夜でさえ、無惨はこうも疲れ果ててはいなかったろう。
 
「(身体が、重い。肺腑が焼ける。
  手足は鉛のようだ。忌まわしい――忌まわしい、忌まわしい忌まわしい忌まわしい。
  違うぞ、消え失せろ。これは私ではない)」

 息が続かず途切れ、身体は脂汗を絶えず流す。
 不滅の筈の活力が執拗な破壊と疲弊の蓄積によって無残に崩れたその格好。

 今の彼の姿は、彼が鬼となる前。
 誰もに憐れまれ、しかしてその不快を覆す術すら持たなかった頃。
 人間だった頃の鬼舞辻無惨の姿を、英霊となった彼の身体に貼り付けたかのようであった。
 
「なんだ――その眼は」
 
 自分を見つめるチェンソーの瞳。
 それに無惨は青筋を立てる。
 
「私の顔色は悪く見えるか? 私の顔は青白いか? 病弱に見えるか?
 長く生きられないように見えるか? 死にそうに見えるか?」

 無惨の身体がぶくりと醜く膨張した。
 途端に溢れ出す、無数の触腕。
 その数は先程のそれを遥かに超えている。
 極限まで追い詰められたことにより、肉体同様に爆裂を迎えた感情。
 それが引き出した――打算の一切を抜きにした純粋な怒りを。
 カイドウとの戦いでこれを見せられていれば、彼の無惨に向ける印象も大きく違っていたかもしれない。


121 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:06:14 B.7k9UXE0
 
「違う違う違う――私は限りなく完璧に近い生物だ。
 貴様如き首輪付きの飼い犬が、一丁前に私を推し測った気になるな。万死に値するぞ身の程を弁えて死に腐れ」

 触腕の八割以上が血風に変わって飛び散る。
 残った二割が衝撃波を繰り出し、それがチェンソーに直撃する。
 だが耐え抜いて斬撃を放ち、それで無惨の本気は全て斬滅させられた。
 
 次に繰り出したのは肉塊の津波だった。
 無惨の細身な身体の中に詰まっているとは思えない、質量保存の法則を完全に無視した異常現象。
 触れただけでも致死に繋がる死の大波――チェンソーはそれを真っ向勝負で受けて立つ。
 津波の中を徒歩で越えていく不条理。
 致死の筈の血を大量に浴びながら、それでも小揺るぎもせずに歩み続け切り刻み続ける悪魔。
 が、此処までは無惨も想定通りだった。無惨は間違いなく激怒していたが――それでも馬鹿になってはいなかった。

「(数十年もの時間に耐え得る器を手放すのは惜しいが……背に腹は代えられん。
  貴様は精々相撲の勝ち負けに執着して喜んでいろ。私はその先に行く)」

 しおの方へと。
 過去最高速で走る、一撃。
 こうなってはもう仕方がない。
 神戸しおを器に据える未来は、諦めた。
 目先の生を掴むための一手――この怪人さえどうにか出来れば連合など烏合の衆だと。
 そう確信しての、まさに起死回生の一手だった。

 事実。
 覚醒を果たした死柄木弔ではあったが、しかし彼と無惨は相性が悪い。
 無惨であれば弔を、崩壊を打つ前に殺すことが出来るし。
 そうでなくとも衝撃波を連打しているだけで、弔はおろかその取り巻き達さえ皆殺しにすることが出来る。
 それだけの力を秘めたサーヴァントなのだ、鬼舞辻無惨という狂戦士(バーサーカー)は。

 が――その"最適解"を、チェンソーマンは暴力という名のさらなる"最適解"で打ち破る。


 肉と血の津波をモーゼ宛らに断ち割って。
 チェンソーマンは――跳び上がった。
 そしてチェーンを伸ばし、無惨の放った必殺の触腕に追い付かせる。
 そこに食い込ませたチェーンを手繰るようにして、後の先で今度は彼自身がしおを狙った攻撃へと追い付いて。
 そのまま、羽虫でも払い除けるみたいに蹴散らした。
 鬼舞辻無惨の起死回生の一手が、まるで予定調和のように地に落ちる。


122 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:07:21 B.7k9UXE0

「――――――――ッ」

 そうなれば次に狙われるのは言わずもがな、無惨本体だ。
 近寄るな。来るな、来るな来るな来るな――放つ触腕、衝撃波、致死の血、全ての御業。
 殺す。邪魔だ、邪魔だ邪魔だ邪魔だ――切り刻む、切り刻む。切り刻む、全て切り刻む。
 肉とチェンソー。二つがせめぎ合った結果など端から見えていて。
 そしてその通りに、チェンソーマンは無惨の猛攻を乗り越えて彼の目前にまで迫った。

 無惨が何かするのを待たずして、彼の手足が宙を舞う。
 再生するならその前に、肉が盛り上がった瞬間に切り落とす。
 チェンソーマンが振り下ろした足が、まるで楔のように無惨の腹を貫いて地面に縫い止めた。

「――――――――」

 怒りで言葉も出て来ない。
 貴様如きが私を足蹴にするなと、無惨の脳細胞の全てがそう咆哮している。
 だがそんなことは構うものかと、チェンソーマンは無惨の肉体を切り刻み続けた。
 抵抗の余地がない。仕方なく再度の分裂をするが――今度は距離を取ることすら出来なかった。

 像を結んだ瞬間に、チェンソーが無惨の胸板を貫いて地に再び縫い止める。
 像を結ばずに逃げていればこうはならなかったかもしれないが、そうなればマスターは相手の手に落ちてしまう。
 鬼舞辻無惨は今も変わらず強壮な存在だが。
 しかし、今の彼は他人のことを言えない嗤えない"首輪付き"だった。
 どれだけ嫌悪していても、唾棄していても――結局無惨はマスターという名の呪縛から逃れられない。
 だからこうなる。今、無惨は完全に詰んでいた。
 


「女! 何とかしろ!! 一度くらいは――――私の役に立ってみせろ!!!」



 逃げられない。
 歯向かえない。
 何も出来ない。
 全ての"詰み"の要素が揃った無惨が最後に頼ったのは、あれほどまでに嫌悪していた己の主だった。
 無惨自身ではもう状況を変えられない。
 無惨が何をしても、チェンソーの悪魔はそれを越えてくる。
 彼が現界を保てなくなるまでにはまだまだ時間がある。

 だから無惨は――マスターを。
 己が要石と呼んだ狂った女に、何とかしろと叫び散らすしかなかった。
 それだけの無様を晒さなければにっちもさっちも行かない状況が、今此処にはあって。
 
 故にこそ、無惨の浅慮が際立つ形となってしまった。
 有無を言わさず声帯を潰す、そんな短絡な手を打ってさえいなければ。
 一方的に嫌悪と憎悪を募らせるのではなく、一度でも対話の姿勢を見せてさえいれば。
 この局面でマスターに令呪を使って貰い、一時的な超ブーストで以って逃げ遂せることも不可能ではなかったろう。

 だが――それはもう出来ない。
 その"もしも"には、頼れない。
 令呪を使うには発声を行う必要がある。
 けれど無惨のマスターである彼女は、喋れない。
 彼女の声帯は他でもない無惨が、潰してしまったからだ。
 始祖の咆哮は虚しく、こだまを響かせ轟いていた。

 そして。
 何の力もない、正真正銘ただの要石と化した、無力な女は――


123 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:08:03 B.7k9UXE0
◆◆


「――え?」

 その手は、しおの手を取らなかった。
 それをすり抜けて、少女の細い首へと伸びた。
 ぐ、と首を握る、女の両手。
 何が何だか理解出来ない様子のしおをよそに、女はゆっくりと力を込める。

「なんで……」

 言葉を返せないことを、女は申し訳なく思った。惜しいとも思った。
 そのまま身を起こして、首を絞める手に力を込める。
 驚いたままの少女の口から、ぁ……と小さく声が漏れた。
 
「(ごめんね、しおちゃん。あなたは本当に優しい子。こんなになってしまっても、"さとうちゃんの叔母"を殺せなかった)」

 彼女の姪である松坂さとうならば、きっと鬼舞辻無惨という難儀な人格のサーヴァントと上手くやっていくことも可能だったろう。
 彼の癇癪を適度に諌めつつ、その機嫌を保ちながら彼の力を有効に活用する、そんな綱渡りも可能だったに違いない。
 が、この女にそれは無理だった。何故なら松坂さとうの叔母であるこの女は、言うなれば狂おしい愛のその原液だから。
 常に毒々しい愛を曝け出している彼女では、無惨に対して嫌悪と憎悪以外のものを与えられない。

 故に、きっと生きるための最適解はしおの手を取ることだったと言える。
 連合もといそのブレインであるモリアーティも、彼女のことを無碍にはしなかったろう。
 令呪がある以上は一定以上の利用価値は見出だせるだろうし――首尾よくはぐれサーヴァントと行き合えれば戦力として復帰してくれる未来もある。
 
「(どうか勘違いしないでね。おばさんは、あなたやさとうちゃんのことを嫌いになったわけじゃないの。
  あなた達に幸せになってほしい気持ちは嘘じゃないわ。声に出しては伝えられなくなっちゃったけど……伝わってくれたらうれしいな)」

 そのことが分からないほど、女は馬鹿ではない。
 彼女は異常ではあっても、白痴ではないのだ。
 しおの手を取れば。無惨を捨てて連合に与する道を選べば。
 きっと自分は、まだ生き延びられる――ちゃんとそう理解していた。
 理解した上で、この道を選んだ。
 全てちゃんと分かった上で、松坂さとうの叔母は、姪の"愛する人"の首を絞めたのだ。

「(でも、ね? おばさんは今、"あの子"のマスターでもあるの。
  あの子はとても怒りん坊さんで、だからみんなに嫌われて、遠ざけられてしまうけど……)」

 松坂さとうの叔母は。
 万人、その全てを愛する狂人である。
 それは自分の家を訪ねてきた警官が相手でも、世界も生死も時空も超えた異界で巡り合った悪鬼が相手でも変わらない。
 彼女は万人に平等に愛を注ぐ。そうすることこそを生き甲斐として、此処まで歳を重ねてきた。

「(愛してくれるひとが誰もいない、なんて――かわいそうでしょう?)」


124 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:09:01 B.7k9UXE0
 
 ――だからこそ。
 彼女は事この期に及んでも、まだ鬼舞辻無惨というサーヴァントを捨ててはいなかったのだ。
 喉を破られて、声を出すことを封じられても。
 生きて魔力を供給するだけの肉袋にされたとしても。
 それでもまだ、女は無惨という救い難い魂に曇りのない愛情を向けていた。
 私は、あの子のマスターだから。
 その想いを胸に、さとうの叔母は神戸しおの首を絞める手にに力を込める。

 なんで。
 そう、しおの口が動いた。

 ごめんね。
 改めて女は、声を出せない口でそう紡ぐ。

「(ますますさとうちゃんに嫌われちゃうなあ。こんなことしてたら……)」

 けれどこんなものは所詮悪足掻きだ。
 そのことも、女はしっかりと承知していた。
 何故ならこの場において、神戸しおは一人ではないからだ。
 そして、まさにその認識の通りに。

 次の瞬間――女の首に血塗れのチェーンが巻き付いた。

「あ……」

 首を絞める手から力が抜ける。
 その時にはもう、女の首は捩じ切られていた。
 チェーンを絞首刑宛らに絞め、そのまま女の細首を捩じ切ったのだ。
 鮮血を飛沫させながら宙を舞う首。
 それを、しおは茫然と口を開けたまま見送るしかないでいた。
 その姿を、肉体が完全に死ぬまでの僅かな時間で見つめながら――女は述懐する。

「(ごめんねえ、鬼舞辻くん。
  私結局、あなたに愛を届けられなかったみたい。
  邪魔だったわよね。鬱陶しかったわよね。
  うふふ。でも私は、あなたのこと、本当に愛していたのよ?)」

 愛してあげると決めたのに。
 結局、自分の愛は彼に届かなかった。
 そのことは愛を生きる意味としている彼女にとって、小さくない後悔だった。
 事実、無惨は彼女の存在にもその"愛"にも、一度とて絆されはしなかった。
 無惨の中にあった感情は最初から最後まで、嫌悪と憎悪の二色だけだ。
 ソレ以外のものなど、欠片たりとてありはしなかった。

「(……私は、最後の最後で"愛する"ことに失敗しちゃったけど……)」

 宙を舞う首が地面に墜ちる前に。
 女は、確かに微かに笑っていた。
 憐憫のようにも自嘲のようにも見える、その笑顔。
 だけどその実、女が心の中で想っていたのは――

「(しおちゃん。さとうちゃん。あなたたちは、どうか)」

 自分が親代わりになって育てた姪。
 そして、その姪が見つけた"愛する人"。
 その二人の過去と現在と、そして未来に思いを馳せて。
 
「(――お幸せにね)」

 最後の最後に初めて、親(おとな)らしい言葉(いのり)を吐いて。

 それが最後の思考だった。
 首は血溜まりにぼとりと落ちて、目も口も二度と開かない。
 愛を信じ、愛に生きた無名の狂人は、死んだ。
 最後の最後まで、自分の生とその愛に疑問を抱くことはなく。

 狂おしいまま、狂おしく誰もを愛したまま。
 彼女達の未来(ハッピーシュガーライフ)を言祝ぎながら、界聖杯の裡へと溶けて逝った。


【本名不詳(松坂さとうの叔母)@ハッピーシュガーライフ  死亡】


125 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:09:59 B.7k9UXE0
◆◆


 ――その光景を。
 確かに鬼舞辻無惨は、見ていた。
 己の要石が壊れる光景を。
 彼女の首が千切れ飛び、地面に墜ちるまでの一部始終を。
 その全てを見届けた無惨は、叫んだ。
 ありったけ。彼女に対する万感の想いを込めて、吠えた。

「何をしている! この……役立たずが―――!!」

 それは、心胆からの絶叫だった。
 ふざけるな。ふざけるな、巫山戯るな巫山戯るな巫山戯るな……!
 
「貴様如きの、為に! 私が、一体どれほど!
 どれほど、手間取らされたと想っているのだアア―――!!」

 とうとう一度たりとも、あの女は無惨に報いることなどなかった。
 それどころかたった一つ。要石としての役割すら果たさずに死んでのけた。
 無惨の堪忍袋が爆裂する。癇癪などという言葉では表し切れない憤怒が彼の精神を噴火させる。
 結局"松坂"という苗字以外は、下の名前すら記憶に留めることのなかったマスター。
 無惨にとっては彼女の存在、言動、行動、末路……その全てが、"呪い"だった。

 阿鼻地獄の責苦の果てに辿り着いた英霊の座。
 浄化されることなき魂が抱いた、渇望。
 それをにやにやと嘲笑いながら、地平線の彼方に向かおうとする足に縋り付く魑魅魍魎。
 印象がそれ以下に墜ちることはあっても、以上になることは決してない。
 
 文字通り、何一つ無惨に齎さない――支障だけを生む存在だった。

「(死んでなどやるものか、滅んでなどやるものか!
  私の悲願は、想いは、こんな所で石槫のように蹴散らされていいものでは断じてない!
  今度こそ至らねばならない、叶えねばならない……!!)」

 無惨の無数の脳が再生をしながら、高速で思考を回転させる。
 バーサーカークラスのサーヴァントは普通、マスター無しでの現界を可能とする単独行動系のスキルを所持しない。
 が、無惨の"生きることに何処までも特化した性質"は英霊となった彼の霊基に多少のプラス補正を与えていた。
 だからすぐに消滅には至らない――そう長時間の現界継続は不可能でも、あと一時間程度であれば無惨は要石無しでこの世にのさばれる。


126 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:11:07 B.7k9UXE0

「(此処を、切り抜けられさえすれば……!)」

 無惨が爆ぜる。
 しかし、分裂ではない。
 彼の血鬼術である衝撃波の炸裂を、なりふり構わず全方位に向けて解き放ったのだ。
 普通なら連合の構成員共すら巻き込める筈の一撃は、極度の消耗とマスターの不在という二つの理由が災いして惨めなほどその規模を減退させる。
 それでも間近で喰らえば骨肉が砕けて拉げるが――今宵、鬼舞辻無惨に突き付けられた"死"は人の手によるものではない。
 
 チェンソーマン、健在。
 瞬く間の斬撃で無惨の腹を切断する。
 接着させている隙はない。
 無惨が取った手は――触腕を百足のように傷口から生やし、屈辱を焦燥の炎で蒸発させながら、這いずってでも逃げ遂せる策だった。

「(逃げられさえ、すれば……!)」

 
 当然――――逃さない。
 

 逃しなどしない。
 彼は、一度殺すと決めた敵は地獄の果てまででも追い掛ける。
 無惨に追い付いたチェンソーの悪魔が、その上に跨って彼の五体を八つ裂きにした。
 噴水のように撒き散らされる肉と胃、肝、血、脳漿に細胞。
 その全てが、悪魔の大きく開いたアギトに喰らわれていく。
 それだけでは飽き足らず、悪魔は再生を始めながらも離脱を図ろうとした無惨の肉体を鷲掴みにし、そこに齧り付いた。

「おぉぉおおおお゛おお゛お゛お゛おおお゛オオオオ゛オ゛――――!」

 無惨が吠える。
 断末魔などではない、これは生きる為に足掻く咆哮だ。

 千年に渡り、数多の人間を喰らってきた。
 生み出した同族達にも、人喰いを強いてきた。
 己に殺されるのは天災だと思えと臆面もなくそう言って――悪びれることもなく屍の山を築いてきた。
 その男が、今捕食者から被食者に堕ちる。
 鬼(あくま)を喰らう悪魔(おに)の口腔に、無惨の最後の脳と心臓が収まっていく。

「貴ィ、様ァアァアアアアアアアアアアア――――!」

 今度のは、正真正銘。
 鬼の始祖の断末魔だった。
 増やした脳と心臓の悉くを喰われ――彼を彼(おに)たらしめる細胞の大半を喰われ。
 もはやそこにあるのは分裂や逃走はおろか、再生することすら覚束ない肉の塊だ。


127 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:12:47 B.7k9UXE0

 牙が落ちてくる。
 鬼舞辻無惨を裁く悪魔の歯が。
 牙が落ちれば肉が潰れて、咀嚼され、唾液と混ざって喉の奥に流されていく。
 その意味するところは、死よりも重い。

 ナチス。第二次世界大戦。古代兵器。アーノロン症候群。神霊種(オールドデウス)。魔女幻想。租唖。
 比尾山大噴火。ノットレイダー。エイズ。核戦争。厄災の流れ。牛の首。超高速時間逆行消滅弾(ニュートリノマグナム)。
 彼の世界で彼に殺され喰らわれた数多の悪魔達と同じように。例外なく。
 彼が殺し喰らった悪魔は――この世からその存在もろとも消えてなくなる。

 鬼舞辻無惨の名がそこに登録されたことの意味。
 それは、彼が此処に現界した事実全ての否定に他ならなかった。
 英霊の座からの消去などという芸当は、零落し、サーヴァントの型に押し込まれた今は不可能なれど。
 少なくともこの"界聖杯"という世界から、一人の男の存在を過去、現在、未来永劫に消し去ることくらいであれば造作もない。
 ごくん。チェンソーの悪魔の喉が動いて、鬼■辻無惨だったものが完全に嚥下された。

 
 鬼■辻■惨。
 誰からも愛されず、また自身も誰も愛することのなかった獣。
 殺し、踏み潰し、利用し、全ての他者を自分の糧としてしか捉えられない破綻者。
 同じ破綻者が奏でる愛の言葉は彼には届かず。
 彼はその甘い愛情の全てを、呪いであると吐き捨てた。
 いや。事実、その通りだったのだろう。
 ■惨は愛など求めていない。求められない。そういう風に出来ていないのだ。

 故に彼は、彼という自我(エゴ)の化身は、聖杯戦争最初の脱落者となってこの世界から消える。
 停滞のみを望み、故にあらゆる変化を拒絶して、そうやって生きることを貫いた最初の鬼。
 その怒りは、怨念は、もうこの世の誰にも届かない。
 ■■辻■惨などというサーヴァントは――この界聖杯には存在しなかった。


 そういうことに、なったのだ。


【バーサーカー(鬼舞辻無惨)@鬼滅の刃  存在抹消】


128 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:13:34 B.7k9UXE0
◆◆


「――で、なんで手出しさせなかったんだよ」

 四ツ橋力也が本社崩落に巻き込まれていなかったことは、連合にとって本当に幸運だった。
 本社近辺の異変を察知した力也はモリアーティの合図がある前から、逃亡用の車両や人員を待機させていてくれたのだ。
 先の新宿事変に公的機関の大半が出払っている状況で、なおかつ先ほど盛大にぶっ放した"崩壊"の影響もある。
 その上デトネラット周辺の監視カメラは軒並み――四ツ橋のシンパであり、連合の協力者のIT会社で製造されている機種だ。
 少なくとも普通の手段では連合の向かう先も、此処であったことの真実も特定出来ないだろう。
 それが出来るのはもう一匹の若き蜘蛛のような、ごく一部の例外のみに絞られるに違いない。

「例の極道野郎から貰った麻薬を試すいい機会だったのに。
 そうじゃなくても、俺や極道が加勢(まざ)ってればもっと手っ取り早くどうにか出来たんじゃねえのか」
「驕ってはいけないよ、死柄木弔。君の悪い癖だ。
 あのサーヴァントは見たところ、我々連合にとって非常に相性の悪い敵だった。
 むしろ集団で叩こうとすることこそ愚策だったろう。最悪、犠牲者が出ていたかもしれない」
「……理屈は分かるが、面白くねえな。もう少しブッ壊してやりたかったよ」
「それに」

 連合も随分と大所帯になった。
 よって撤退及び新拠点への移動に用いる車両も、二台に分けている。
 こちらの車両にはモリアーティと死柄木弔。そして二人ともぐっすり眠っている、神戸しおとデンジだった。
 デンジの姿はもう、弔達にとって見慣れたいつもの少年のものに戻っている。
 あの場で鬼の始祖を喰らい終えるなり――だ。大方、圧倒しているように見えて存外ダメージを負っていたのだろう。限界が来たというわけだ。

「"お別れ"というのは、早い内に経験しておいた方がいい」
「ハッ。アンタ、マジで絆されてんじゃねえだろうな」
「まさか。情と理は分けて考えられるタイプだよ、今の私はネ」

 ただ、重ね重ね言うが競争相手が居るということは大事なのだ。
 今の段階に胡座を掻いてそれで満足出来るならいざ知らず。
 弔も、そして他でもないモリアーティもそうはならずに未来を見ている。

 であれば――いずれ来る破滅に向けて、物語を加速させられる要員は多いに越したことはない。
 鬼舞辻無惨という、ジェームズ・モリアーティをして予測不可能な側面のあった時限爆弾。
 それを処理しつつ、競走相手の役割を更に遺憾なく発揮してくれるようになるというならモリアーティ達にとっては万々歳だ。
 連合は完成しつつある。いずれ来る終局的犯罪(カタストロフ・クライム)に向けて、着々と歩みを進められている。

「時にだが。
 身体の調子はどうかね」


129 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:14:09 B.7k9UXE0
「……ああ」

 覚醒の代償として負った大小様々な傷の数々。
 右腕などは放っておけば命に関わるほどの重傷だった筈だが、今の弔は服こそボロボロなものの、身体の方は傷一つない健康体に快調していた。
 ただ一つ平時と違うところがあるとすれば……眼の周りに奇妙な、亀裂のような紋様が浮かび上がっていることだろうか。


「すこぶる良い。どの世界でも、極道(ヤクザ)ってのはいい薬作るよな」


【豊島区・池袋→移動開始/デトネラット本社ビル跡地→移動開始/二日目・未明】

【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康、覚醒、『地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)』服用
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:さぁ――行こうか。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:四皇を殺す。
3:便利だな、麻薬(これ)。
[備考]
※個性の出力が大きく上昇しました。

【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:腰痛(中)、令呪『本戦三日目に入るまで、星野アイ及びそのライダーを尊重しろ』
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける
0:さて、それでは体勢を立て直そうか!
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:連合員への周知を図り、課題『グラス・チルドレン殲滅作戦』を実行。各陣営で反対されなければWの陣営と同盟
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:田中一を連合に勧誘。松坂女史のバーサーカーと対面させてマスター鞍替えの興味を示すか確かめる
6:…もう一度彼(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)に連絡しておいた方がいいね、これは。
[備考]※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」
※田中一からアサシン(吉良吉影)と仁科鳥子によるリンボ奇襲の作戦を聞きました。(詳細は田中が知らないので不明)。
アサシン(吉良吉影)の能力の一部も知りました(真名は田中が知らないので不明)。
※星野アイおよびそのライダーから、ガムテ&ビッグ・マムの情報および一日目・夕方までの動向を聞きました


130 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:14:40 B.7k9UXE0
◆◆


「いや、生きた心地しないが」

 それはこっちの台詞だよ、と思いながら俺は後部座席の端っこで真横の女にちらちら目線を送っていた。
 トップアイドル、星野アイ。俺でさえその名前は知ってる。別に特別ファンってわけじゃなかったけど。
 でもこうして実際に見てみると――月並みな言い方になるけどオーラが違った。
 住む世界が違う。生きる世界が違う。自分とは違う生き物なんだって、一挙一動のその全部から思い知らされる。
 そんな女の手に、俺と同じ令呪がはっきり刻まれてるのを見ると……ただでさえ茹だり気味の脳ミソが余計にバグり散らかしちまいそうだった。

「死柄木くんってあんな強いの? しおちゃんのライダーくん、なんか途中から顔違くなかった?」
「蜘蛛の旦那が言ってたろ。ありゃ"顔が違う"とかじゃなくて、真実(マジ)で似非(ベツモン)なんだよ」

 不安と恐怖に心をぎちぎちに縛られて。
 それでも止まれなくて、歩んで、歩んで。
 そうしてたどり着いた先で見たあの景色を、俺は多分今後死ぬまで忘れられないと思う。
 視界が続かないほど先まで吹き飛んだ、つまらない街。日常は、アイツの背景で消しカスの山になっていた。
 
「ヤバいかな。私、多分あの子に嫌われてると思うんだよね」
「まあ大丈夫だろ。私怨で戦力(サーヴァント)一体フイにするほど馬鹿には見えなかったよ、あのガキは。
 それにそういう万一のことを考えて、オレが契約(ナシ)付けといたんだ」

 連合(やつら)は当分、オレ達の味方と見ていいだろうぜ。
 そう言って煙草を吹かし――Mのオヤジには注意が必要だろうがな、と付け足すのはアイのライダーだ。
 一つの陣営に二人ライダーが居るってのはなんともこんがらがる話だったけど、サーヴァントの数はそっくりそのまま陣営の強さだ。
 俺は勝ち馬に乗れた。そう確信して、拳を握る。
 もうあのヘタレ殺人鬼の影に怯える必要はないんだと、ようやく心が恐怖に打ち勝ち始めてるのが分かった。

「(此処からは……俺の、リベンジだ。
  この世界じゃなきゃ辿り着けない――アイツの許でしか実現の出来ない、究極の田中革命が始まるんだ……)」

 死柄木。
 そうだ、死柄木だ。
 アイツの姿に俺は光を見た――いや、違うな。
 俺は、地獄を見た。
 リンボの語ってくれたそれに並ぶような、世界の終わりを垣間見た。

 俺はもう戻らないし、戻れない。
 何なら今すぐにでも令呪を使って、あのアサシンを自害させてしまっても構わないと思えた。
 代えのサーヴァントをどうするかって問題はあるけど、そこはMに相談すればいいんじゃないのか?
 心臓が高鳴る。今度は恐怖じゃなく――紛れもない、高揚で。


131 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:15:36 B.7k9UXE0
 
「あ、そうだ。――自己紹介まだだったよね。
 星野アイです。こっちはサーヴァントのライダー。しおちゃんのとこの子と紛らわしかったら、ヤクザのライダーとでも呼んであげて」
「あ……は、はい。俺の方こそ、よろしくお願いします。俺は……」

 ああくそ、上手く話せない。
 元々ろくに女性経験なんてもののない俺にとって、男付きとはいえアイドルとこの閉鎖空間で話すってのは刺激がでかすぎた。
 でも今はそのやきもきとした感覚すら、心地よく感じられて。
 
「田中一、です。田中って呼んでください」
「ん、こっちこそよろしくね。田中」
「え、呼び捨て?」

 そこで、ふと。
 あ――と、思った。
 ポケットの中に写真がない。
 ……落としてきちまったかな。封印、解けてないといいんだけど。


【星野アイ@推しの子】
[状態]:疲労(中)、脱力感
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
0:マジか。(弔の破壊した町並みを見ながら)
1:いや、生きた心地しないが?
2:ガムテ君たちについては殺島の判断を信用。櫻木真乃についてはいったんMに任せる。
3:敵連合の一員として行動。ただし信用はしない。
4:あさひくん達は捨て置く。もう利用するには厄介なことになりすぎている。
[備考]
※櫻木真乃、紙越空魚、M(ジェームズ・モリアーティ)との連絡先を交換しています。
※グラス・チルドレンの情報をM側に伝えました。

【ライダー(殺島飛露鬼)@忍者と極道】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(小)
[装備]:大型の回転式拳銃(二丁)&予備拳銃
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:アイを帰るべき家へと送迎(おく)るため、聖杯戦争に勝ち残る。
1:アイの方針に従う。
2:M達との協力関係を重視。だが油断はしない。厄(ヤバ)くなれば殺す。
3:ガムテたちとは絶対に組めない。アイツは玄人(プロ)だしそれに――啖呵も切っちまった。
4:アヴェンジャー(デッドプール)についてはアサシンに一任。
[備考]
※アサシン(伏黒甚爾)から、彼がマスターの可能性があると踏んだ芸能関係者達の顔写真を受け取っています。
現在判明しているのは櫻木真乃のみですが、他にマスターが居るかどうかについては後続の書き手さんにお任せいたします。
※スキルで生成した『地獄への招待券』は譲渡が可能です。サーヴァントへ譲渡した場合も効き目があるかどうかは後の話の裁定に従います。

【田中一@オッドタクシー】
[状態]:吉良親子への怒りと失望、吉良吉影への恐怖、地獄への渇望、高揚感
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×4
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命』。
0:あぁ…これだ。これだったんだ。
1:リンボの意向に従う。アサシンは切った。
2:敵は皆殺し。どんな手段も厭わない。
3:SNSは随時チェック。地道だけど、気の遠くなるような作業には慣れてる。
4:リンボに“鞍替え”して地獄界曼荼羅を実現させたい。ただ、具体的な方策は未だ無い。
5:峰津院大和のことは、保留。その危険度は理解した。
6:星野アイ、めちゃくちゃかわいいな……
7:おやじがない。どっかに落としたか……?
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。


132 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:16:06 B.7k9UXE0
◆◆


「悪いな、ポチタ。色々任せちまってよ」

 何もない、白い白い世界の中に少年は立っていた。
 チェンソーの悪魔の器、デンジ。
 彼がポチタという存在の容れ物として呼び出された彼に、それ以上の存在価値は本来ない。
 チェンソーの悪魔は単純にサーヴァントとして召喚するには、あまりにも霊基の桁が巨大すぎるから。
 だからデンジというクッションを一つ間に噛ませて、そうして初めて召喚することが叶うのだ。

 ――気にすることはない。むしろ私の方こそすまないね。
 ――君を眠りから起こさねばならなかった。そうしなければ呼び声に応えることも出来ないんだ、この身体じゃ。

「それはいいんだけどよ〜……クソ。
 中途半端なところから呼び出してくれやがったぜ、界聖杯の奴も。
 どうせならあの後……もっと強くなった俺を呼びやがれってんだよ」

 デンジは決して強いサーヴァントではない。
 令呪を使って初めて呼び出すことの適う、チェンソーの悪魔本体に比べれば見るも無残に弱々しい。
 本人もそのことについては自覚していて、だからこそこのように自虐を吐いたが。
 そんな彼に対してチェンソーはおどろおどろしさの欠片もない、犬(ポチタ)の姿でニコリと破顔した。

 ――そんなことはない。
 ――君は今でも十分に強いよ、デンジ。

 支配の悪魔を殺し。
 幼年期という名の誰そ彼時を超えた、その時間から呼び出されている彼が弱い訳などないのだと。
 彼の中に眠るチェンソーの悪魔は、そう称賛する。
 デンジとしても褒められて悪い気はしない。
 しない、が――。気付けば彼は自分の"相棒"に、問いを投げかけていた。

「なあ、ポチタ。俺……これで本当に良いのかな」

 ――その質問に対する回答を、私は持っていないんだ。

 困ったようにポチタが笑う。
 でも、と彼は続けた。

 ――その子のそばにいてあげて。
 ――それが出来るのは、今は君だけだから。

 ああ、分かってるよ。
 言われなくても分かってんだ、そんなこと――。
 まるで親に宿題を急かされた子どものように唇を尖らせたデンジ。
 それにまた笑ってみせる、ポチタ。
 その光景を最後に、意識が浮上して、白の世界が幽けく霞んで……


◆◆


133 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:16:27 B.7k9UXE0


「……いままで、ありがとうございました」

 目を覚ます。
 すぐさま耳に、たどたどしい寝言が届いた。

「おやすみなさい、おばさん」

 はあ、とため息が一つこぼれる。
 自分の頭をぐしゃぐしゃと掻いてから、ぽんぽん、と彼女の頭に触った。


134 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:16:52 B.7k9UXE0
 

 幼年期の終わり。
 それはデンジにとっても、経験のある痛みだったから。


【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)、睡眠中
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんとの、永遠のハッピーシュガーライフを目指す。
1:……おやすみなさい、おばさん。
2:アイさんとらいだーさん(殺島)とは仲良くしたい。でも呼び方がまぎらわしいかも。どうしようねえ。
3:とむらくんとえむさん(モリアーティ)についてはとりあえず信用。えむさんといっしょにいれば賢くなれそう。
4:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
5:“お兄ちゃん”が、この先も生き延びたら―――。
6:れーじゅなくなっちゃった。だれかからわけてもらえないかなぁ。

【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:……寝覚め、最悪。
1:死柄木とジジイ(モリアーティ)は現状信用していない。特に後者。とはいえ前者もいけ好かない。
2:星野アイめちゃくちゃ可愛いじゃん……でも怖い……(割とよくある)
3:あの怪物ババア(シャーロット・リンリン)には二度と会いたくない。マジで思い出したくもない。
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。




▼ 【マテリアルが更新されました】


135 : 愛の葬送(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:17:34 B.7k9UXE0
【クラス】
ライダー

【真名】
チェンソーの悪魔

【出典】
チェンソーマン

【属性】
混沌・悪

【ステータス】
筋力A 耐久EX 敏捷A+ 魔力B 幸運D 宝具EX

【クラススキル】
騎乗:A
 幻獣・神獣ランクを除く全ての獣、乗り物を自在に操れる。

【保有スキル】
悪魔:EX
 悪魔。キリスト教圏で定義されたそれではなく、"人間の恐怖心から生まれる"存在を指す。
 ライダーは"悪魔に最も恐れられた悪魔"として知られ、その存在は憧憬ないしは恐怖を以って悪魔達に記憶されている。
 故にランクは規格外。その上、悪魔並びに魔性の属性を持つ敵対者に対しては全判定に特効が加算される。

戦闘続行:EX
 原則不滅。死亡した場合でも、胸のスターターロープを引くことですぐさま復活する。
 令呪を用いてデンジの内側から出現した彼の復活及び全行動は、マスターに一切の魔力消費を齎さない。

契約の枷(きずな):A
 ライダーは現在、彼が器としている少年「デンジ」との契約に縛られている。
 平時ライダーの霊基や人格はデンジの内側に封じ込められ、それを解き放つには令呪一画の使用が不可欠。
 だが逆に言えば。その対価を支払う備えさえあれば、チェンソーの悪魔はいつ何時でも地上に舞い降りる。

【宝具】
『Chain saw man(チェンソーマン)』
ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
悪魔に最も恐れられた悪魔、チェンソーの悪魔。
正確には彼が持つ、この世から数多の悪魔及びそれが象徴する概念を消し去ってきた驚異の権能を指す。
チェンソーマンに殺され、捕食された存在はこの世から完全に消滅し、一定の時間が経過すればその存在を思い出すことすら出来なくなる。
サーヴァントの身にまで零落している現在の彼では、真に世界そのものから対象を消し去ることは不可能だが、それでもこの界聖杯及びその内界の中から全記録・全記憶を永遠に消し去ることくらいは造作もない。

【weapon】
チェンソー

【人物背景】
地獄のヒーロー、チェンソーマン。
デンジの、生まれてはじめての友達。


136 : ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 00:17:59 B.7k9UXE0
投下を終了します。


137 : ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 21:48:40 B.7k9UXE0
>>Front Memory
 アッシュが掲げていた脱出プラン、その詳細が非常に丁寧に描写された重要な回でした。
 出身世界に存在する能力とスフィアブリンガーを絡めてそういう形でアプローチするのかと、新鮮に驚かされましたね……。
 アッシュとメロウリンクの二人、現状だと戦力としては決して大きくはないのにとても頼れる二人なので好きです。
 そして説明だけで終わるのではなく、摩美々やにちか達といったアイドル組の描写もまた素晴らしくいいんですよね。
 最後に仄めかされた予想外の可能性も含めて、この子達の先がもっと見たくなる、そんなお話でした。

>>新月譚・火之神/光月譚・桃源
 沙都子とリンボの恐ろしさ、そして禍々しさを描写した後に現れる縁壱の鮮烈さ、そして"彼女"との語らいがとても素敵でした。
 あえてそれが誰であったのかについて直接的に言及していないのも、なんというかとても情緒的で好きです。エモい。
 その上で後編、黒死牟と縁壱の再会というどうやっても盛り上がること請け合いの場面をこうも予想外に仕立ててくるかという感想です。
 二人の再会の結末とか普通に考えたら予想はつくんですが、霧子とおでんの二人がそこにアクセントを加えていて凄く面白い。
 それぞれの主従の太陽と月、その味わいが非常によく出ていたなと思いました。

>>悪魔は隣のテーブルに
 鳥子組と空魚組の接点が意外なところから出来たことがまず驚きで、これまたその手があったかと。
 写真のおやじの封印が解けたのはピンチの吉良にとってかなりの追い風ですね。偵察として非常に優秀ですし。
 更にそんなおやじと出会った甚爾。彼がチェンソーの悪魔を見て本物の「呪い」と認識するところが面白いなと思いました。
 正直吉良親子・鳥子組だけだとこの先苦しそうでしたが、これはいよいよ空鳥の再会も見えてきたかも……?
 それはさておき鳥子とアビーのやり取りは今回もかわいかったです。癒やし。


非常に遅れてしまいましたが、今回もたくさんのご投下ありがとうございました!


138 : ◆0pIloi6gg. :2022/03/08(火) 21:54:23 B.7k9UXE0
また、wikiの方で鬼舞辻無惨の存在消滅後の扱いについて追記させていただきました。
追記は以下の内容になります。

【備考】
 ※バーサーカー(鬼舞辻無惨@鬼滅の刃)はチェンソーの悪魔に捕食されました。
  今後徐々に彼の存在は全マスター・サーヴァントの記憶から消滅していきます。
  現時点では「真名、クラス、外見などを思い出す際に記憶が判然としなくなる」程度ですが、三時間も経過すれば大半の参加者は無惨の情報全てを思い出せなくなるでしょう。


139 : ◆A3H952TnBk :2022/03/09(水) 22:29:10 li0uzL2U0
松坂さとう、飛騨しょうこ
予約します


140 : ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/11(金) 18:30:44 6xNCtNUw0
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
予約します


141 : ◆EjiuDHH6qo :2022/03/12(土) 00:39:42 QNwjfBKQ0
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)、皮下真、リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)、峰津院大和&ランサー(ベルゼバブ)再予約します


142 : ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:27:00 YFTw/EkE0
投下します。


143 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:27:48 YFTw/EkE0
◇◇◇◇◇◇


その日、私は。
生まれて初めて、ドレスを着た。
真夜中のように、深い黒色だった。
物心ついた私にとって、最初の記憶だった。

きれいな青い空だった。
雲ひとつ無くて、ひどく澄んでいて。
その下に、私達は佇んでいた。
空の色には似合わない、黒い衣服を纏って。
私達は、それを看取る。
これから何かが、燃えて失くなる。

ささやかな葬式だった。
揃ったのは、ほんの僅かな両親の知人達。
故人の親族は、私と“あの人”だけだった。

お父さん。お母さん。
突然の交通事故で、遠くへ行ってしまった。
今となっては、記憶も曖昧だ。
どんな顔をしていたのか。
どんな風に過ごしていたのか。
私のことを、愛してくれていたのか。
もう、朧気にしか思い出せない。

窯の中へと焚べられ。
思い出と共に、二人は灰になる。
燃える。燃える。燃える―――。
やがてお父さんも、お母さんも。
小さくて、寂しげな箱へと、詰められる。
幼き日の私がそれを理解していたのかは。
今となっては、分からない。

火葬が終わるのを、外で待っていた。
ただ淡々と、粛々と、時間が過ぎていく。
思い出が、少しずつ灰になっていく。
ひどく綺麗な、青空の下で。
そんな私のすぐそばに、“あの人”がいた。


――はじめまして。
――私は、あなたの“叔母さん”です。


初めて出会った日を、ふいに思い出す。
交通事故で、独りぼっちになった後。
私は、気が付けば“あの人”のもとへ引き取られていた。
私にとって、唯一の“親族”らしかった。
見知らぬ人だった。聞いたこともなかった。
両親は、一度もこの人の話をしてくれなかった。
“あの人”もまた、両親との関係についてはぐらかすばかり。
結局どんな仲だったのかは、今となっては分からない。

だけど、そんな人が。
両親の葬式は執り行ってくれた。

どうして、と私は“あの人”に聞いた。
丁度お金を工面できる宛があったから。
“頼んだら、お金をくれる人”がいたから。
だから、あの二人が寂しくないように。
――――これが、最後の愛だから。
“あの人”は、そう答えてくれた。

果てしない青空の下。
私と同じような、黒い喪服を纏って。
“あの人”は、私の手をただ握ってくれた。
優しげで、底の見えない笑みを浮かべながら。
私と“叔母さん”は、過去が燃え落ちる時をじっと待ち続けていた。



私が記憶している、最初の愛。
私の心の奥で濁り続けた、小さなビターピース。
苦い苦い日々の、はじまり。




◇◇◇◇◇◇


144 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:28:26 YFTw/EkE0
.


洗面台の前に立って。
自分の顔を、じっと見つめた。
むすっとした仏頂面。
目の色からは、どこか疲れが滲み出ている。
――情けないぞ、飛騨しょうこ。
そんなふうに自分を鼓舞してみても、やはり誤魔化せないもので。

何ともないと思っていた筈だったけど。
思った以上に、疲れていたらしい。
だけど、それも当然なのかもしれない。

本戦が始まって、たった一日。
今日という日を、こんなに濃密に感じたことはなかった。

さとうと再会して。
しおちゃんやあさひくんのことも含めて、真正面からぶつかって。
それから、私達は同盟を組むことになった。
電話で色々と情報交換したり、ぶつかりそうになったり。
さとうとは、微妙な関係が続いたけど。

やがてあの“青い龍”が急に現れて。
とんでもない大暴れをやらかして。
アーチャーが果敢に戦ったけど、家を失う羽目になって。
そうしてひょんなことから、さとうの家へと転がり込んだ。
頼れる相手は、結局さとうしかいなかったから。

そしたらさとうのサーヴァントが、アーチャーと戦ったことのある奴で。
更に、あさひくんがこの世界にいることも分かって。
さとうか。あさひくんか。そのどっちかの二択を突きつけられた。

私はアーチャーに支えられながら、悩んで。悩み続けて。
最後は、あのキャスターから友達を庇うような形で、私はさとうを選んで。
それから、本格的に戦いへと乗り出して―――さとうの叔母さんとも再会した。
神戸しおちゃんの存在も、そこで知ることになって。


―――ねえ、さとう。
―――しおちゃんに会った時は、どうする?


私は、あの豪邸を出る前に。
さとうに対して、そう聞いた。
あの時のさとうが、何を感じていたのか。
何を想い、何を考えていたのか。
私には、その断片しか掴み取れなかったけれど。
それでも、私はその心を知りたくて。
それから少しだけ考えてから、さとうは答えた。


―――いつか出会ったら。
―――その時に、考える。
―――答えを出すのは、あの娘と直に向き合ってからにしたい。


もしも、しおちゃんと遭遇した時は。
あの娘が、どこまで歩けるようになったのか。
どんなふうに成長して、前を向いているのか。
それをこの目で確かめて――そうしてから、先のことを考えてみたい。
さとうは、そう伝えてきた。

今はそれ以上、追及はしなかった。
あの二人の関係については、未だに深くは知らない。
それでも、確かに分かることもある。
さとうには、さとうの喜びや苦しみがあって。
そして、あの娘なりの――決意がある。
だから私は、さとうの今の答えをただ受け止めた。


145 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:29:47 YFTw/EkE0

色々なことがあった。本当に。
たった一日で、私の物語は一気に動き出した。
諦めるのは、もう飽きたから。
何かから目を逸らすのは、もう嫌だった。
だから私は、前を向き続ける。
私の背中を押してくれて、私と共に飛び立ってくれる―――あのアーチャーと一緒に。

バーサーカー達との連絡先は交換した。
向こうがどう動くのかははぐらかされたけど、「必要とあらば連絡は入れる」という断りはあった。
私達は、当初の予定通り動くことになった。
近場のホテルを拠点にして、新宿の動乱にかこつけて動き出したサーヴァントを狩る。
それで、ホテルの部屋を確保したら、荷物を置いて散策に出る筈だったんだけど。

いざ部屋に着いてみると、それまでの疲労感がどっと押し寄せてきた。
色んな出来事がある中で、なんとなく忘れていたけど。
あれだけの出来事を、たった一日で経験し続けるのは―――実際疲れる。
身体が草臥れているというよりかは、メンタルが疲れ切っていた。
ずっと気を引き締めていたぶん、どこかで休息を挟みたかったのかもしれない。

だから私は、暫くホテルで休ませて貰うことにした。
さとうも付き添ってくれた。「しょーこちゃんが元気になるまで待ってるね」とのこと。
こっちの事情に付き合わせてしまうことには、何とも言えない申し訳無さがあった。

因みに私達は同じ部屋で泊まっている。
「部屋代が安く済むし、有事の際の相談もしやすいから」とのことだった。
さとうはそう言っているけど、少しでも気を許して貰えたような気がして、満更でもなかったのは内緒。

アーチャーはキャスターと共に、一旦偵察へと赴くことになった。
本格的な行動に出る前に、周囲の気配や不審な事柄の有無を探るとのこと。
あんな奴と二人きりにさせるのは気が引けるけど、アーチャーは粛々と受け入れてくれた。
「もしものことがあれば、その時はマスターにも情報を共有する」と付け加えて。

暫く見回りをしてから戻ってくるとは、言っていたけれど。
少なくとも、今の私の側にアーチャーはいない。
そのことを改めて認識して、私は深呼吸をする。
すぅ、はぁ――息を整えて、気を引き締める。
鏡の前の自分を、改めて見つめた。

ひどい顔をしていたけど。
疲れ切った顔をしていたけど。
ずっと休んでる場合じゃない。
此処から先、覚悟していかないと。

私は、再び自分を奮い立たせる。
さっきよりも少しだけ、マシな顔になった気がした。
もう大丈夫――そう言い聞かせて、私は洗面所を後にする。

2つのベッドが並んだ部屋に戻ると。
さとうが、窓際で電話を掛けていた。

静かに響き続ける発信音。
その度に通信が切れて。
再びさとうは番号を確認する。

そうして、発信して―――再び通信が切れる。
繰り返し。何度も、何度も、電話を掛け続けて。
だけど、実を結ぶことは無かった。

電話を見つめるさとうは、目を細める。
何かを考え込むように―――というより。
何かを、悟ってしまったかのように。
どこか、冷たい眼差しを落としていて。

私は、何か胸騒ぎを感じた。
予期してない自体が起きたような。
良からぬことが起きたような。
そんなさとうの素振りに、私は思わず不安を覚えて。
ほんの一瞬の躊躇いを感じたけれど。
それでも息を呑んで、私はさとうを見据える。


「さとう……どうしたの?」


それから私は、さとうに声を掛けた。
振り返るさとうの眼差しには――微かな憂いが宿っていた。


146 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:30:22 YFTw/EkE0
◇◇◇◇◇◇






これまでも。これからも。
私はずっとさとうちゃんを愛してるから。
ずーっと、ずーっと。
勿論――――会えなくなってからもね。






◇◇◇◇◇◇


147 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:31:01 YFTw/EkE0


「あいつから連絡があった」


さとうが、ふいに呟いた。
あいつ――それは、さとうが従える“あのキャスター”のことだろう。
歪んだ愛について吐く、あの妖怪のようなサーヴァントだ

偵察に行ってる彼らが、何かを発見したのだろうか。
しかし、アーチャーからの連絡は無い。
つまりそれは、キャスターが真っ先に察知した事柄ということであり―――。



「あのバーサーカー、“いなくなった”って」



そして、さとうが。
唐突に、そんなことを言ってきた。
いなくなった。そう、いなくなったと。
一瞬、何を言っているのか分からなかった。

「……いなくなった?」
「うん。あいつ、上司の気配探れるんだけど。
 それが、ぷっつりと消えたって」

私は思わず、唖然とした。
別にあのバーサーカーは強いからとか、アーチャーと互角に戦ったキャスターの上司だからとか、そういう理由じゃない。
ただ、あまりにも呆気なくて―――容易くそれを告げられたから。
さっきまで確かに目の前にいた奴が“消えた”と。
本当にいきなり、伝えられたから。


「それ……消滅したってこと?」
「そういうことになる、みたい」


私は、そう確認して。
さとうも、取り留めのない様子で答えた。
ほんの数時間前に別れたばかりの相手の、唐突な脱落。
それに少なからず驚愕していることは、なんとなく察せた。

「キャスターの勘違いとか、偶々探知の範囲から外れたとか。
 そういうのじゃないの?」
「間違いなく、この界聖杯から消え失せたって……あいつは断言してた。
 嘘を付いてるようにも、勘違いしてるようにも見えなかった」

自分だって驚いている。
さっきも言ったように――本当に突然のことだったから。

この聖杯戦争において、私は“戦い”というものを直に経験はしていない。
サーヴァントを目撃したのだって、さとうのキャスターを除けばあの“青い龍”だけだ。
アーチャーが予選中は2回しか交戦しなかったこと、そして本戦までは私を出来る限り戦場から遠ざけてくれたことが大きかった。

だからこそ。
一度は顔を合わせた相手が、もうここにはいない。
誰かと戦って―――そして、殺された。
その事実が、何とも言えない尾を引いていた。
何処か遠くの出来事のように感じていた戦いを、改めて“隣り合わせ”のものとして感じ取ってしまった。

「ねえ、さとう」

あのバーサーカーが、消滅した。
それは何とか理解できた、けれど。
そうなると―――もう一つの懸念が浮かんだ。


148 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:31:33 YFTw/EkE0

聖杯戦争は、サーヴァントとマスターという二人一組の主従で戦い。
共に勝ち残ることで、初めて聖杯というものが掴める。
だけどサーヴァントが脱落してしまえば、残されたマスターは勝ち残る権利を失う。
同じように相棒を失ったサーヴァントとの再契約を結ばない限りは、再び舞台に上がることは出来ない。
界聖杯から流れ込んだ知識で、そのことは私も理解していた。

サーヴァントがいなければ、マスターは戦えない。
そういう意味では、捨て置いてもいい存在のように見えるけれど。
それでも、再契約さえ果たせれば――また敵として立ちはだかることになる。

それにサーヴァントの中には、マスターの暗殺を得意とするアサシンのクラスだって存在する。
つまり、マスターを排除することは確かな“戦術”の一つで。
再契約というケースもある以上、サーヴァントを倒したならマスターも積極的に排除した方がいいということになる。

つまり。
私が言いたいことは。
私が抱いていた、不安は。


「その……叔母さんには、連絡入れた?」


私の問いかけに。
さとうは、沈黙した。
何も答えず、黙り込んだ。

さとうの叔母さんにも、連絡先の携帯電話は用意されていた。
あのバーサーカーが用意したもの――通話や簡単なメールが出来る程度の安物だったけど。
向こうは相当に「仕方なく」「嫌々に」といった様子だったけど、外出する時に同盟相手との緊急の連絡手段として持たせていたらしかった。
その電話番号を、私達はすでに控えている。

そしてさとうは、暫く考え込んでから。
それから――ふぅ、と。
ゆっくり、溜息を吐いた。


「電話は、もう入れた」


さとうは淡々と、言葉を紡ぐ。


「何度も確かめたけど」


そう。ありのままに、淡々と。


「……掛からなかった」


そうして。
結論を、告げてきた。

それって、つまり――。
私が言葉を続けようとした矢先に、再びさとうが口を開く。

「あのバーサーカーにとって、叔母さんは枷。信頼なんか無い。
 二人で外に出たなら、間違いなく自分の目が届くところに置くと思う」

さとうは冷静に、現状の事態を推察していた。

「叔母さんを放置するとは思えない以上、どこかに一人だけで隠すなんて真似もしないはず」

バーサーカーとあの叔母さんの関係。
それを踏まえた上での行動や思考。
それらについての予想を、黙々と話す。

「だから少なくとも、叔母さんを近くに置いていたと思う。
 でも、そのバーサーカーが消滅した」

さとうは、私より要領が良いし。
私なんかよりも、ずっと頭が回る。

「仮にバーサーカーと繋がってる連中が叔母さんを安全な所で保護してたとしても、それなら連絡が一切通じないのは不自然」

だからこそ、それらの推察にも説得力があって。
私達が頭の中に浮かべていた“一つの答え”への道筋を、粛々と作っていく。

「だから……叔母さんも、多分そういうことだと思う」

そう、それはつまり。
さとうの叔母さんは―――。


「叔母さんは、もうここにはいない」


そういうこと、だった。


149 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:32:00 YFTw/EkE0
◇◇◇◇◇◇






お葬式だったんですよ。
小鳥と、あの子の。
―――ね、さとうちゃん。






◇◇◇◇◇◇


150 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:32:42 YFTw/EkE0



さとうの叔母さん。
初めて会った時のことは、鮮明に覚えている。

それは、さとうの心へと一歩踏み込んで。
そして、目を逸らしてしまった――そんな苦い思い出の中で、顔を合わせた。
忘れもしない。私にとって、「さとうと向き合えなかった」という後悔の始まりだったから。
あの人がさとうの叔母さんで。さとうは、そのあの人の姪で。
その事実を前に、私は躊躇ってしまった。
臆病で、情けなくて。そんな弱い自分を、苛めて。
そんな時に、“あの子”から励まされた――。

さとうの叔母さんと会ったのは、結局3回だけだ。
元いた世界。あのマンションでの初対面。
さとうの居場所について訪ねた時。
そして、界聖杯―――あの豪邸での思わぬ再会。
たったそれだけの面識。
それでも、その存在は脳裏に焼き付いている。
あんな人は、きっとこの世の中。
どこを探しても、存在しないと思うから。

深い深い、夜の闇のような人だった。
誰かを魅了して、底へ誘い込むような禍々しさで。
ぎらついた欲を、丸ごと飲み込んでしまいそうで。
まともなのかどうかさえも、怪しくて。
ひどく気持ち悪くて、理解ができない。
もう二度と会いたくないと思ってしまうほどの、異様な雰囲気だった。

でも。今になって、思う。
なんでさとうは、愛を求めるようになったのか。
その根源はきっと、あの叔母にあるのだと。
あなたを混乱させたのは、あの人の存在なのだと。
私は、直感で悟っていた。

私は、沈黙していた。
どこか気まずくて、居たたまれなくて。
さとうも、黙り込んでいた。

あの娘の顔は、なんとなく見れなかった。
悲しんでいるのか。何とも思っていないのか。
それを確かめることも、躊躇われた。
だって―――仮にも、親友の身内が亡くなったのだから。

だから、私達は何も言わなかった。
背中合わせ。互いのベッドに腰掛けて。
顔を背けるようにして、私は俯く。


151 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:33:25 YFTw/EkE0

静寂。無言。
私とさとうの間に流れる、無音のひと時。

叔母さん達に、何が起きたんだろう。
バーサーカーは、どうなったんだろう。
何処で、誰にやられたんだろう。
答えは知る由もなくて、それを考え合う気にもなれない。
今は、そんな気分になれなくて。
そうして私達は無言の中、ただ黙々と時間が過ぎるのを待っていく―――。


「しょーこちゃんがいなくなった後さ」


そんな矢先。
ふいにさとうが、口を開いた。


「あのマンションで、叔母さんとはもう決別した」


淡々と、静かに。
過去を振り返りながら、さとうは呟く。


「だから、これは二度目のお別れ。
 この世にいるか、いないか、それだけの違い」


私がいなくなった後。
――それはつまり、私がさとうに殺された後のこと。
さとうは元の世界で、何らかの形で叔母さんに別れを告げている。
そういうこと、らしかった。

「……色々あったんだね、さとう」
「うん。ほんとに、色々と」

ぽつりと、私達は言葉を交わし合う。
それから、少しの沈黙を挟んで。
私は、あの日のことを思い返す。

言葉さえも融け落ちそうな、あの夜の下。
私はさとうに刺されて、一度命を落とした。

あれからのさとうがどうなったのか、知る術はない。
だけど、さとうはあのままでは居られなくなったのだろう。
しおちゃんとの幸福な生活を守るために、何かをせざるを得なくなったんだと思う。
それはきっと、私を殺したから―――大きく変わってしまった。
そんな中で、叔母さんと別れることになったのだと思う。

さとうにとって。
叔母さんとは、どんな存在だったのだろう。
改めて、そんなことを思う。
きっとさとうは、叔母さんがいたから――何かが変わってしまった。
それだけは、読み取れる。

「……ねえ、しょーこちゃん」

そうして、ふいにさとうが呟く。
私は何も言わずに、耳を傾ける。


152 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:36:05 YFTw/EkE0

「私、小さい頃さ。叔母さんに引き取られて」

ぽつり、ぽつりと。
さとうは、自分のことを語り出す。

思えば――この界聖杯に導かれて。
予選をなんとか生き抜いて。
そしてあの池袋駅で、さとうと再会して。
真正面から、ぶつかり合って。
少しでも、お互いに踏み込めて――。

そうなるまでの過程は、大変だったけれど。
きっと私達は、以前よりも寄り添えているのだと思う
そのおかげで、さとうも話す気になってくれたのかもしれない。
あの人と過ごしてきた日々のことを。

「ずーっと、二人で暮らしてきたの。
 吐き気のするような、あの人と一緒に」

絞り出されるような言葉に、感情は乗せられていなくて。
そこにあるのは、ただただ――虚しさのような色だった。

「あの部屋で……あの苦い苦い箱庭で。
 甘さなんて一欠片も感じられない、あの檻の中で」

それは、きっと。
さとうにとっての“すべて”だったもの。

「それが、私にとっての世界だったの。
 あんなものが、幼い私を取り巻いていた」

あの叔母さんに育てられた日々。
それこそが、今のさとうを作っている。

「……だから」

そうだ。
私が感じ取っていたことは。


「“愛”が何なのか、わからなくなった」


確かな、真実だった。
呆然と吐き出された言葉が、この小さな部屋に響く。


「でもね。愛がわからなくなって。
 愛について、迷い続けたから――」


そして、さとうは。


「だから、しおちゃんに逢えたの」


そんな一言を、ぼやいた。


153 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:36:37 YFTw/EkE0
神戸しおちゃん。
さとうにとっての、最愛の人。
あの娘が本当の愛を抱いた、たった一人の存在。

さとうと、しおちゃん。
二人が如何にして出会ったのか。
二人がどうして愛するようになったのか。
そうなるまでの経緯は、分からない。
だけど、確かなことはある。
しおちゃんと出会ってから、さとうは私との“遊び”をきっぱりやめてしまった。

きっと、さとうは――ずっと彷徨っていたのだと思う。
あの叔母さんに育てられて。
歪んだ生活の中で、愛を掴めなくなって。
私と友達になって、色んな愛に触れようとして。
それでも、真実は見つけられなくて。
そんな矢先に、しおちゃんと出会ったのだと思う。

あのさとうが、ここまで焦がれている。
あのさとうが、こんなにも執着している。
そして―――さとうが、本気で想っている。


「たまに、思ってたんだ」


ここでもしおちゃんのことを“教えてもらって”、思い出した。
さとうはそう付け加えつる。
どこか不安げな声色で。
窶れたような雰囲気で。
そして。


「結局……“叔母さんがいたから”なのかな、って」


さとうが、そんなことを言い出したから。
私は、思わず―――さとうの方へと向いて。


「―――さとう。違うよ」


そうやって、言葉を返した。
言わずにはいられなかった。
さとうの不安を、察してしまったから。


「さとうがしおちゃんと会えたのは、叔母さんが居たからじゃない」


さとうの愛は、間違っている。
さとうの愛は、歪んでいる。
そう思っていたのに。
そう思ってたはずなのに。


「お姫様と王子様が、赤い糸で結ばれてるみたいに――」


でも、この気持ちは止められなかった。
さとうが、自分自身の愛を一瞬でも疑う。
そんな姿は―――見たくなかったから。


「二人の間に、運命があったからだよ。
 真実の愛って、そういうものでしょ?」


だから私は、伝える。
さとうが信じたものを、さとうに教える。
そうせずにはいられなかった。
そして、何より。

―――しおちゃんには、まだ会えないよ。

あのとき。
しおちゃんがいると伝えられた時。
しおちゃんと会える機会を与えられた、あの場で。
敢えてそう伝えた、あなたの目には。
紛れもなく、真摯な愛が宿っていたから。
間違いなく、愛ゆえの苦悩があったり
だから、放っておけなかった。


154 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:37:24 YFTw/EkE0

「さとうはずっと、しおちゃんを想い続けたんでしょ。
 自分を疑うなんて、さとうらしくないよ。
 弱音なんか吐かないで。あんたは、あんた自身が思ってるより強いんだから」

さとうは少しだけ、変わってきている。
なんていうか。うまく、説明できないけれど。
さとうにとっては、しおちゃんが全て。
それだけはきっと、変わることはない。
でも。さとうの見る世界は、もっと閉ざされたものだった。
誰も踏み込めない箱庭の中に、心を閉じ込めていた。
だけど―――今は、ほんの僅かだけど。
それでも、あの雨の夜とは、絶対に違っている。

こんな想いも、傲慢なのかもしれない。
でも―――この世に、傲慢じゃない愛なんてないのかもしれない。
だったら私は、傲慢でいたい。
さとうと向き合えるなら、それでもいい。

さとうは、暫くの間。
何も言葉を返さなくて。
そして、ゆっくりと。
私の方へと振り返っていた。


「……そういうとこ、さ」


少しだけ、驚いたように。
ほんの僅かに、目を丸くしていたけど。
やがてさとうは、フッと――ほんの僅かに、微笑んだ。


「しょーこちゃんらしいよね、なんか」


そう呟くさとうの表情には。
微かにでも“安心”を感じられたのは。
私の思い込みかもしれないし、気の所為だったのかもしれない。
だけど、それでも――さとうが微かに笑みを見せてくれたことは、紛れもない事実だった。

「ごめんね、しょーこちゃん。急にあんなこと言っちゃって」
「いいって。アンタらしくない姿なんて見たくなかったし」

どこかほっとしたような空気が流れて。
私も思わず、微笑んでしまったけど。
それから私は、一呼吸を置く。
息を整えて、柄にもなく真剣な顔をして。

「それに―――さとうが叔母さんのせいで悩む姿なんて、見たくないから」

私は、さとうにそう告げた。
それを聞いたさとうは、改めてほんの僅かに驚いて。
やがて、何か物思いに耽るように沈黙した。


155 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:38:08 YFTw/EkE0

さとうは、時折。
ふいに寂しげな顔を見せる。
昔からそうだった。
その根っこにあるのは、きっと空虚感だったのだと思う。

だけど、今のさとうの横顔は。
そういうものとはまた違った、複雑な表情で。

「叔母さんは……」

憂いを込めたような面持ちで、さとうはぽつりと呟く。
自分の根幹を形作ったひとに、再び思いを馳せる。

「独りぼっちなんだろうなあ、向こうでも」

――どこか、憐れむような一言と共に。
そんなさとうの顔を、私は見つめていた。

「……さとうはさ」 

そうして私は、さとうに声を掛ける。
愛を見つけられなかったさとう。
愛に迷い続けてきたさとう。
そんなさとうを作った、たった一人の肉親。
だから、敢えて聞きたかった。
さとうの本心――みたいなものを。

「叔母さんのこと、やっぱり嫌いだった?」
「うん。大嫌い」

私が、問いかけて。
さとうは迷うことなく、そう返した。
そこに笑顔は無かった。
ただ黙々と、事実を確認しているようで。

「でも」

それでも、なにか気付くものがあったように。

「本当にいなくなったんだ、って思うと」

さとうは、ゆっくりと。
自分の思いを、言葉として紡いだ。




「案外、寂しいものなんだね」







156 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:39:12 YFTw/EkE0




「いつぶりかな、こういうの」

着替えや日用品を整理して。
最低限の荷物だけを携えて。
準備を整えた矢先に、ふいにさとうが呟く。

「こんなに夜更しして、二人で出かけて」
「さとう、だいぶ前だと思う」

カーテンを軽くめくって、さとうは窓の外を見つめていた。
外は真っ暗で、街の光だけがぽつぽつと明かりを灯している。

「そうだっけ、そういえば」
「すぐ懲りたでしょ、ああいうの」
「……あー、確かに」
「夜遊びは程々に、って。あのとき学んだわ」

既に時刻は深夜を回っている。
女子二人で出歩くことなんて、普通なら考えられないことだったけど。
そういえば昔、一回だけやったっけなぁ――なんて、思い出を振り返る。
思えばさとうと二人で、軽くやんちゃしたこともあった。
結局、痛い目を見たり修羅場に出くわしたりする前にすぐ止めたけれど。

「じゃあ、『久々』ってことだね」

さとうの一言に、私はほんのりと笑みを零して。
そして―――ふいに、昔のことを思い出す

「……やっぱり懐かしいなぁ。さとうと二人で遊んでたころ」
「昔は色々遊んだもんね。“どっちが先にあの男の子落とせるか”とかやったし」
「あー、すっごい懐かしい……確か山形くん?だっけ」
「名前は忘れちゃった。男の子なんて一杯いたから」
「さすが、このモテ助め」

思わず私は、笑みを綻ばせてしまう。
向こうがどんなことを思っているのかは、わからないけれど。
それでも、こうやって冗談を言い合えることに嬉しさを感じつつ。
私は――ギュッと、気を引き締める。

ここから先は、聖杯戦争の時間。
軽く偵察を行っている“二人のサーヴァント”と合流して、当初の予定通りに散策へと出る。
つまり、マスターとしての役目を果たす。

サーヴァントはマスターから供給される魔力によって活動する。
そして魔力の出力は、物理的な距離が近い方がしっかりと機能する。
そんな話を、私はアーチャーから聞いていた。
私達が此処までわざわざ赴いたことにも、確かな意味がある。

「ねえ、さとう」
「なぁに、しょーこちゃん」

そうして決意を固めつつ。
私達は、互いに呼び掛け合う。

「私さ、負けないからね」
「こっちこそ。愛する人と生きるためなら」
「でしょうね。でもさ、私だってもう昔とは違うから」
「……しょーこちゃんってやっぱり度胸あるよね。いっかい刺されたのに」
「あんたに刺されたから吹っ切れたってわけ。今度は負けないから」

傍から見れば、すごい状況だと思う。
掛け替えのない親友と、命懸けの喧嘩なんかして。
なのに、こうして軽口混じりに当時を振り返っている。

「なら、上等だよ。しょーこちゃん」

そんな会話につられてか。
さとうも、仲良しだった昔みたいに。
そう言ってくれた。


157 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:41:15 YFTw/EkE0

久々の夜遊び。
それも、とびきり危険な――命懸けの戦い。
さとうと共に、夜の闇へと。


「行こっか、しょーこちゃん」
「……うん。行くよ」


私達は、そう言葉を交わし合って。
そして二人で、ホテルの一室を後にした。


ねえ、さとうの叔母さん。
あなたはずっと、さとうを苦しめてきた。
さとうの愛を、掻き乱してきた。
そんなあなたを、さとうはきっと許さない。
私も、親友を傷つけてきたあなたを認めたりなんかしない。

だけど、さとうは。
ほんの少しでも、あなたに想いを馳せたから。
僅かにでも、あなたのことを振り返ったと思うから。
だから、今は安心して―――ゆっくり休んで下さい。


【ニ日目・未明/中央区・ホテル】
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:行こっか、しょーこちゃん。
1:しおちゃんとはまだ会わない。今会ったらきっと、あの子を止めてしまう。
2:どんな手を使ってでも勝ち残る。
3:しょーこちゃんと組む。いずれ戦うことになっても、決して負けない。
4:もし、しおちゃんと出会ったら―――。
[備考]
※飛騨しょうこと連絡先を交換しました。
※キャスター(童磨)からの連絡によってバーサーカー(鬼舞辻無惨)の消滅を知りました。
※松坂さとうの叔母が命を落としたことを悟りました。

【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り2画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:さとうを信じたい。あさひくんにお礼を言いたい。そのためにも、諦められない。
0:うん―――行こう。
1:さとうと一緒に戦う。あの子のことは……いつか見えるその時に。
2:それはきっと"愛"だよ、さとう。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。

[共通備考]
※アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))とキャスター(童磨)はさとう達に先んじて偵察へと出向いています。
 二人がどのように行動しているかは後のリレーにお任せします。


◇◇◇◇◇◇



黒いドレスを身にまとって。
私は、あなたを見下ろしていた。
真夜中のような闇色は。
無垢に澄んだ世界で、影法師のように佇む。



.


158 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:42:17 YFTw/EkE0

あの日と同じ、きれいな青い空。
思い出が燃えて失くなる日の、美しい空。
お父さん。お母さん。そして、あなた。
誰かがいなくなっても、世界は変わらない。
空はいつだって美しく、呆然と横たわる。

何もない、緑色の広場。
孤独に佇む、小さな墓碑。
寂しげな棺の中で、あなたが眠る。

ここに眠る人は、あなた以外にいない。
あなたの傍には、誰ひとり寄り添わない。
澄んだ世界が、私達を呆然と見守っていた。

棺の中には、花が敷き詰められていた。
紅く蝕まれた、いびつな百合の花だった。
それはまるで、あなたから溢れ出た――命の証のようで。
鮮やかに濁った色に包まれて、あなたは安らかに横たわる。

これは、葬式。
忌まわしいあなたを葬る、最期のお別れ。
紅いリリイに囲まれて。
全ては土に還り―――灰へと還る。

白と紅のコントラストに抱かれて。
棺の中で、あなたは眠る。
それは、あなたにとって最後の揺りかご。
甘くて安らかな、ホワイトシュガーガーデン。
あるいは、苦さに満ちた、ブラックソルトケージ。

目を閉じるあなたを、じっと見つめて。
穏やかなその表情を、静かに見つめて。
そして私は、棺の中に“それ”を添えた。
クマのぬいぐるみ。
幼い日の私が抱き締めていた、お気に入りの品。
私が“ここにいる”という、唯一の証。
私にはもう必要のない、在りし日の思い出。
あなたの棺へと手向ける、私からの贈り物。

結局、“あの部屋”に。
あなたが戻ることはなかったから。
せめて最期くらい、私から届けようと思った。
これはもう、いらないもの。
必要のないもの。
だから、死にゆくあなたに渡す。

あなたは、愛を貪った。
多くの人を蝕んで。
多くの人を狂わせて。
多くの人から吐き出されて
それが愛だと語り続けた。
そんなあなたが、大嫌いだった。

私と同じように、あなたにも欠落に至る理由があったのかもしれない。
歪みに歪んで、ここまで堕ちてしまった根源が、存在するのかもしれない。
だけどそれは、私にとって――関係のないことだ。


159 : 紅いリリイのすべて ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:42:45 YFTw/EkE0

あなたに感謝なんかしない。
憎んでいた。恨んでいた。
忌まわしくさえ思っていた。
あなたがくれた愛は、濁りきった紛い物だった。
あなたの生き方は、私から本当の愛を奪い続けてきた。
あなたというひとは、私になんの光も与えてはくれなかった。
あなたという存在は、私にとって。
愛の形を雁字搦めにする、呪いだった。

けれど。
どれだけ愛を食んでも。
どれだけ愛を受け止めても。
あなたは、独りぼっち。
あなたを弔ってくれる人は、いない。

あなたにとって世界は、飴玉の詰まった瓶。
全てを愛してるけれど、それは“美味しいから”でしかない。
人として愛しているんじゃなく。
満たし満たされる為のモノとして、皆を愛している。
それはきっと、全てを無価値だと思ってるのと変わらない。
誰もが平等ということは、誰も特別に思っていないのと同じことだ。

そんなあなたは、誰にも惜しまれない。
沢山の人から、欲の捌け口に使われて。
“女としてのあなた”を、渇望されて。
やがてあなたは、忘れ去られていく。
あなたの愛は、絶え間ない孤独と共にある。

だから私が、来てあげた。
寂しそうで、ちっぽけで、ひどく惨めで。
そんなあなたを、私は一度だけ看取る。
そんなあなたに、私は一度だけ寄り添う。

両親を亡くして。
独りぼっちだった私を。
あなたが、引き取ってくれたように。

この先も、きっと。
たとえ遠い未来になっても。
二度と逢うことは無いでしょう。
私は、私の愛のために生きます。
生きて、生きて、生きて、生き抜いて。
最期のときまで、あの娘と歩み続けます。
だから、もう。
私は、何があっても前を向ける。
あなたという人は、振り返らない。

きっとあなたは、また独りぼっちになる。
そんなあなたを、哀れんだりはしない。
私の愛を、あなたに教えたりなんかしない。淀んだ愛に溺れ続けたあなたにとって、これは必然の末路。


―――だけど。


それでも、最期くらい。
たった一度だけでも、家族として。
あなたのことは、見送ってあげます。

だから私は、あなたに告げる。
ほんのささやかな、餞別を。
別れの言葉を、改めて。





さようなら。
どうか、お元気で。






◇◇◇◇◇◇


160 : ◆A3H952TnBk :2022/03/12(土) 20:43:17 YFTw/EkE0
投下終了です。


161 : ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/13(日) 21:24:52 Z.G90yN60
投下します。


162 : さまよう星と僕 ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/13(日) 21:25:35 Z.G90yN60
「……話してくれて、ありがとうございます」

櫻木真乃と彼女のサーヴァント・星奈ひかるが伝えた出来事。
その全てを、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティは受け止めた。
『M』との電話から戻った先に待っていた一枚のメモ。それに危機感を抱いた直後、二人の少女が見せた悲痛な表情に、ウィリアムは思わず拳を握りしめる。
敵の正体を見極めて、今後の戦略を練る事は必要だった。しかし、時間をかけたせいで、悪戯に彼女たちの傷を増やしてしまう。

「そして、大変申し訳ありません。こちらの要件が長引いたせいで、お二人に負担をかけてしまって」
「……いいえ、アサシンさんは悪くありません」

プロデューサーさんのことは、いつか知ることになってましたから。
そう、真乃は励ましてくれるも、重荷を背負わせたのは事実。
灯織とめぐるの死に悲しむ真乃と、二人の命を奪う決断を強いられたアーチャー。
特にアーチャーは、望まない殺しを背負わされ続けている。グラス・チルドレンから始まって、灯織とめぐるから発症した冷たい屍人の件は、重いトラウマになってしまった。
更に、神戸あさひからの追い討ちをかけられた後では、真乃たちの傷は計り知れない。

「アサシンさんも、大変なことが……いっぱいありましたから」

それにも関わらずして、真乃から気遣われてしまう。
確かに、予選期間から283プロを守るために、日夜問わず根回しや情報収集を行った。
客観的に見ればその徒労は計り知れないだろうが、それが何だというのか?
咲耶の死を突き付けられたマスターや、今ここにいる真乃達の傷に比べたら、些細なこと。

「それで、プロデューサーさんやあさひくんのことについて、相談したくて…………」
「その件については、マスターたちの元に戻ってから、追々話す予定です。例の動画も合わせた上で」

時間帯を考えて、マスターもプロデューサーの動画を突き付けられた直後になる。
にち会談の顛末も気になるが、摩美々の様子の方が遙かに心配だ。
動画の件について、未だに念話すらも来ないのは、それだけショックが大きいからだろう。
すぐにでも念話で聞く必要があるが、ここにいる真乃達を放置してはいけない。
本来なら先にHと連絡する予定も、後回しにするべき。

「また、アーチャーさんには一つだけお願いがあります」
「えっ? お願いって、何ですか?」
「これから先、私がマスターと離れる事情ができたら……その間、あなたにはマスターの護衛をお願いしたいです」

ウィリアムがメンタルケアするべき対象はもう一人、真乃のアーチャーだ。
前述したとおり、既に彼女の心には深い傷が刻まれていて、真乃と共にここまで来れたのが奇跡だ。
無垢な彼女が、真乃の為に罪を背負う決意は……決してあってはいけない。彼女の優しさはとても尊いが、その選択をさせるべきではない。結果、彼女の心と笑顔が砕かれたから。
戦力の有無など関係無く、今の彼女を戦場に出せるわけがない。
サーヴァントであっても、心の傷が癒えない状態でグラスチルドレン殲滅作戦に参加させるなど論外。
既に構成員を殺害したなら尚更で、彼女のトラウマを掘り返すだけだ。


163 : さまよう星と僕 ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/13(日) 21:29:12 Z.G90yN60

「……わかりました。それでしたら、わたしに任せてください」

アーチャーは肯く。
これから先、真乃の口から摩美々に灯織とめぐるの顛末を伝えて、それで更なる悲しみを背負わせる機会は避けられない。
ウィリアムにもどうすることもできなかった。共に生還する目的がある以上、必ず摩美々が知るのだから。
摩美々なら、決して灯織とめぐるの件を責めたりしないことは、ウィリアムとて知っている。
けれど、彼女たちの間で空気が重くなり、元の世界のように穏やかな時間は過ごせない。
それでも、護衛という名目でアイドルのマスターたちと同行させた方が、まだ安全は確保できる。

「ありがとうございます。私のワガママを聞いてくださって」
「わ、ワガママなんてことはないですよ! きっと、アサシンさんにも理由があると思いますし……」

ウィリアムの感謝に、少女はあわてふためく。
元々、天真爛漫だったことが窺える仕草だ。
だからこそ、彼女の心に傷を負わせた挙句、罪を背負わせた仇敵たちを許せない。
必ず、殲滅させる戦意が胸の中で燃え上がる。


無論、少女たちの前では怒りをむき出しにしないまま。
ウィリアムは予め用意した携帯端末を真乃に渡す。
既に星野アイと決別した以上、連絡先が割れている端末を持っているのは危険と話しながら。
真乃たちも、特に断らずに予備の端末を受け取った。
使い慣れないスマホに戸惑いながらも、いつものスマホは電源を切った上で、真乃は懐にしまう。
これで、敵対する相手から連絡がかかるリスクは減った。


事務所の時のようにディスカッションはできず、三人の間にはただ重い空気が漂っている。
ただ、ウィリアムとひかるは霊体化などしない。
ひかるは真乃をひとりぼっちにしないために、ウィリアムは少女達の道しるべとなるために。


164 : さまよう星と僕 ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/13(日) 21:30:26 Z.G90yN60
あの時、ウィリアムの前でアーチャーは罪を告発した。
彼女は気丈に振る舞っていたが、どれだけ思い悩んだ上での決意だったのか。
神戸あさひを、そして真乃を守るために彼女は戦って、グラス・チルドレンの構成員を手に掛けた。
それを誰かに責められる謂われはない。
ウィリアムと真乃は充分に知っている。
でも、アーチャーは罪を背負い、そして目をそらさない。
うら若き少女には重すぎる仕打ちだ。
本当なら、摩美々や真乃のように、学校に通って友達と楽しく過ごすべき少女なのに。
……願わくば、無意味に罪を背負わせたくない。
真乃もそれを望んでいるはずだから。


『M』に対して、親愛なる彼と共にありたいと宣言した。
彼がいたからこそ、ウィリアムの世界に光が差し込み、すべてが色鮮やかになった。
ここにいる少女達も同じだ。
この聖杯戦争に巻き込まれても、アーチャーがいたから真乃は善性を持ち続けることができた。
主従ではなく、二人は友達であり大切な家族だ。
一心同体にして、互いの世界に色を与え合っている。


真乃やにちか、そして摩美々はサーヴァントに誠実でい続けた少女達だ。
サーヴァントは過去の英雄であり、マスターに確かな未来を導くための存在。
その関係を悪用して、サーヴァントを道具のように扱うマスターがいれば、逆もまた然り。
でも、彼女たちには確かな優しさがあったからこそ、ウィリアムもアーチャーも心が守られた。
故に、マスターの命を……そしてマスター達の輝かしい未来を守りたいと願った。


二日目を迎えれば、東京を舞台とした聖杯戦争は激しさを増す。
必ず生まれるであろう海賊同盟や、圧倒的な権力と実力を誇る峰津院財閥。『M』が率いる連合との共同戦線も立てたが、いつか敵対は避けられない。
今後、彼らは更なる悪意と陰謀で襲いかかるだろう。
283プロのマスターたちは純粋だからこそ、過酷な環境で生き残るのは至難の業だ。
だからこそ、ウィリアムは『犯罪卿』として頭脳を駆使し、この聖杯戦争を打倒する手筈を整えなければならない。


事務所にたどり着く前、真乃たちが出会った古手梨花とセイバーのサーヴァント。
彼女らのことも、いつかウィリアムは説得するつもりだ。
真乃達自身が二人に答えを導き出さねばならないが、今はそれどころではない。
ヒントを与える程度ならウィリアムにもできるが、二人に負担をかけられなかった。


165 : さまよう星と僕 ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/13(日) 21:33:53 Z.G90yN60
後ろを歩く少女達は無言だが、念話を行っているかもしれない。
互いを気遣いながら、励まし合っているのだろうか。
ウィリアムがアーチャーを戦場に出さない理由はもう一つある。
それは、真乃が一度だけ感情に任せて令呪を使いかけたことだ。
その話をしている最中、まるで怯えたように、真乃は令呪を見つめていた。
今後、令呪を使わざるを得ない状況は必ず訪れる。マスターであれば避けられない。
しかし、真乃は令呪の使用を頑なに拒むと、ウィリアムは懸念していた。
錯乱して、更なる危機を招きかねないし、最悪の場合はアーチャー共々敵対主従に殺される危険もある。
よって、それまでは心の傷を少しでも癒すことが、ウィリアムにとって優先事項だった。


ーー私にとって最たる強敵だった
ーー私は、過去にその人を殺しているよ


ウィリアムの脳裏にこびりつく『M』の言葉。
例え別人であっても、彼が『その人』を殺したという事実は、ウィリアムの中から消えない。
その言葉に惑わされてはならないと知りつつも、してやられてしまった。


ーーもし私なら、283プロダクションを狙うとしたらプロデューサーを攫うよ。気を付けたまえ


そして、『M』が実行するまでもなく、プロデューサーは誘拐されている。
プロデューサーだけでなく、風野灯織と八宮めぐるの二人も拉致されて、死に追いやられた。
そこまで振り返った瞬間、ウィリアムは目を見開く。


これから、また誰かが人質にされるのではないか?


『M』の策略によって、既に283プロの関係者は他の主従から標的にされている。
既にプロデューサーが誘拐された以上、人質が増える危険は高い。
例えば、天井努社長や事務員の七草はづきだ。特にはづきはにちかの姉である以上、人質としての価値は充分にある。
グラスチルドレン殲滅作戦を決行する際、ガムテがはづきを人質にしたら、マスター達は間違いなく動揺する。
プロデューサーの時のように、努とはづきを人質にした動画も送られるかもしれない。


無論、グラスチルドレンが同じ戦法を選ぶとは限らない。
だが、努やはづきの誘拐は杞憂ではなく、確実に起こる前提で動くべき。
七草はづき達の今後についても、Hに伝える必要がある。
摩美々と二人のにちかが悲しんでしまうのは、ウィリアム自身もわかった上で。


166 : さまよう星と僕 ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/13(日) 21:35:14 Z.G90yN60




ウィリアムの予想は正しく、櫻木真乃とアーチャー・星奈ひかるは念話をしていた。
もちろん、プロデューサーや神戸あさひの今後に対する不安など、自然と話題は暗くなってしまう。
だが、彼らの件だけではない。

(真乃さん……灯織さんと摩美々さんって、仲良しでしたよね?)
(えっ……そ、そう……だよ。摩美々ちゃん、いつも灯織ちゃんにイタズラばかり、してたんだ! し、しょうがない、よね……本当に、悪い子で……!)
(……なら、やっぱり、摩美々さんにも、ちゃんと話して……謝らないと……)

283プロのアイドルである田中摩美々と再会する以上、自然と話題に出てしまう。
真乃が懸念したように、今もひかるは自分を責めていた。
灯織とめぐるを、ひかるはその手で殺したのだから。

(…………わたし、許されちゃいけないことを、たくさんしちゃいましたから…………)
(そ、それは……違うよ。さっきも言ったけど、ひかるちゃんは…………)
(……でも、わたしは二人を助けられなかった。真乃さんだけじゃない、摩美々さんだって……二人を大切に思ってたのに)

未だにひかるの心は暗雲で覆われている。
ひかるちゃんは何も悪くない。
そう、真乃が何度も慰めても、ひかるの心は癒されない。
優しいからこそ、人を殺した痛みは簡単に乗り越えられなかった。


ひかるには、自分自身を好きになって欲しいと真乃は願った。
ひかるが大好きだと、真乃は伝えた。
真乃と培った愛と絆があったから、ひかるは立ち上がれた。
だけど、ひかるの痛みと傷は消えない。消せないし、ひかる自身が消そうとしない。


大量の返り血を浴びて、涙を流すひかるの姿は真乃の脳裏に焼きついている。
灯織とめぐるから傷つけられて、人殺しと呼ばれてしまったひかる。
せめて、少しでも慰めようと、真乃はひかるを抱きしめた。
今だってひかるは悲しいはずなのに、真乃を守ろうとしてくれる。

「…………アサシンさん、少しだけ休んでもいいですか」

だから、真乃は足を止める。
暗い顔で隣を歩いているひかるが少しでも無理をしないように。

「わかりました」

真っ先に反応したアサシン。
彼は美麗な手で、ひかるの腕を優しくつかむ。
「えっ」と、ほんの少しだけ戸惑うひかるを、アサシンは優しくエスコートする。

「……あ、あの……アサシンさん……?」
「足下には気をつけてください」
「そうだよ……転ばないようにしなきゃ」

アサシンは真乃の意図を察してくれている。
この新宿は大災害の現場であり、数え切れない死傷者が出た。
加えて、ひかるにとっては忘れられないトラウマを植え付けられた場所になる。
魔力や体力など関係なく、心が震えてもおかしくない。
これから摩美々に会う前に、少しでもひかるを休ませてあげたかった。


167 : さまよう星と僕 ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/13(日) 21:37:52 Z.G90yN60
「へ、平気です……わたし、サーヴァントなので……」
「ううん、関係ない。転んだら誰だって痛いよ?」

真乃はひかるを見つめる。
誰かを傷つけたくない。真乃の気持ちをひかるだけに背負わせ続けた結果、こうなった。
歩くだけ奇跡なのに、戦うなんて以ての外だ。
数時間前、真乃の元に走って戻る最中だって、本当なら心がすり減っていたはず。

「マスターには帰りが少し遅れると連絡します。ちょうど、あちらにベンチがあるので、二人は休んでください」
「そうだよ……それに、本当は私も休みたかったから……一緒に休憩しよう?」
「……で、でしたら……休みましょうか……」

アサシンと共に、真乃はひかるを気遣う。
でも、ひかるに謝らせてしまった。本当なら彼女が一番辛いはずなのに。
幸か不幸か、形を保っているベンチがあったので、真乃はひかるを座らせる。

(もし、今のひかるちゃんが誰かの死体を……見たりしたら……)

不安と共に、真乃は周囲を見渡す。
無惨な死体が転がっていないことに、胸を撫で下ろした。
不謹慎な安堵とわかっていても、ひかるの心を無意味に傷つけたくない。
今だってひかるは苦しんで、自分を責め続けているから。


今のひかるの姿が、真乃にとってあまりにもいたたまれない。
星野アイのライダーが、冷たい屍人の殲滅をひかるの代わりに成し遂げてくれた。
でも、その時……ひかるの心にどれだけの負担がかかっていたのか。
理不尽に押し付けられた罪と痛みに苦しんで、悲しみのあまりに泣いていたはずだった。
なのに、ひとりぼっちにさせた上に、ひかるのことを何も考えられなかった。
それどころか、令呪を使ってひかるの全てを壊そうとした。


路地裏やコインランドリーで二人きりになった時も、ひかるはいっぱい泣いていた。
アサシンみたいにちゃんと励ませないどころか、むしろひかるに支えられてばかり。
彼女を支えると誓ったのに、何をやっているのか?


ひかるの優しさは、今も変わることがない。
ひかるがいたから、真乃も優しさを持ち続けることができた。
灯織とめぐるの想いは、この世界でも変わらない。
二人は最後まで真乃を心配していたけど、優しさと絆が間違った方面に向いて、ひかるを傷付けた。
彼女達に酷いことをした人は許せない。
だけど、今は復讐よりもひかるの心をどうすれば癒せるのかが大事だった。
その方法を考えても、真乃にはまだ思いつかない。
アサシンに聞けばヒントは貰えるかもしれないが、それでも時間がかかる。


ひかるの目は星のように綺麗だが、宿る光がどこか不安に見えた。
無理をさせたら、すぐにでも砕けそうで。
せめて、彼女のためと思って、真乃は小さな体を抱きしめる。
それだけで、悲しみは拭えないとわかっているけど、真乃はひかるの鼓動を確かに感じていた。


168 : さまよう星と僕 ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/13(日) 21:38:35 Z.G90yN60


【新宿区の新宿御苑付近のどこか/一日目・夜】



【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:心痛
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)、Mとの会話録音記録、予備の携帯端末複数(災害跡地で入手)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
0:ライダー(アッシュ)に連絡を取り、Mとの会話を共有しつつ対談の結果を聴く
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:首尾よくライダー(アッシュ)およびMの陣営と組めた場合"割れた子供達"を滅ぼす。その為の手筈と策を整えたい。
3:いざとなればマスターを信頼できるサーヴァントに預けて、手段を選ばない汚れ仕事に徹する。マスターには復讐にも悪事にも関与させない。
4:『光月おでん』を味方にできればいいのだが
5:"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と殺意。
6:真乃とアーチャー(星奈ひかる)の二人についてはメンタルケアを優先させる。当面は戦闘に参加させない。
7:天井努または七草はづきが誘拐される可能性に危惧。こちらもライダー(アッシュ)に話す。
[備考]ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
櫻木真乃およびアーチャー(星奈ひかる)から、本選一日目夜までの行動を聞き出しました。

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、精神的疲労(大)、深い悲しみと怒り、令呪に対する恐怖、動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:予備の携帯端末
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
0:ひかるちゃんやアサシンさんと一緒に少し休む。
1:悲しいことも、酷いことも、もう許したくない。
2:ひかるちゃんに酷いことを言ってくる人がいたら、私が守る。
3:あさひくんとプロデューサーさんに対してどうすればいいのか、まだわからない。
4:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
5:いざとなったら、令呪を使うときが……? でも、ひかるちゃんを……
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:疲労(小)、ワンピースを着ている、精神的疲労(大)、魔力消費(小)、悲しみと小さな決意
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:洗濯済の私服、破損した変装セット
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:……何があっても、真乃さんを守りたい。
0:今は少しだけ休む。
1:真乃さんに罪を背負わせたりしない。
2:もしも真乃さんが危険なことに手を出そうとしたら、わたしが止める。
3:ライダーさんには感謝しているけど、真乃さんを傷つけさせない。
4:真乃さんを守り抜いたら、わたしはちゃんと罰を受ける。


169 : ◆QF0ypwgJ42 :2022/03/13(日) 21:39:20 Z.G90yN60
投下終了です。


170 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/13(日) 22:55:30 UMxD73T20
幽谷霧子&セイバー(黒死牟)
光月おでん&セイバー(継国縁壱)
予約します


171 : ◆0pIloi6gg. :2022/03/15(火) 00:02:08 1zRGVlz.0
みなさま〜投下ありがとうございます!
感想については後日になりますが必ず書かせていただきます。

田中摩美々&アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
七草にちか&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)
星野アイ
吉良吉廣
予約します。


172 : ◆k7RtnnRnf2 :2022/03/15(火) 21:24:49 bBptOrTo0
皆様投下乙です。
ttps://w.atwiki.jp/hshorizonl/pages/317.html
外部の絵師様より第89話『ブラック・ウィドワーズ』のWモリアーティの邂逅シーンをイラスト化させて頂きました。
Wikiに収録いたしましたが、こちらのイラストについてもコメントは当企画内のみでお願いします。


173 : <削除> :<削除>
<削除>


174 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/19(土) 00:47:22 TEL./Wjo0
ガムテ、北条沙都子
予約します


175 : ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:17:07 SQrki0lI0
投下します


176 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:18:46 SQrki0lI0
 新宿という都市が事実上の崩壊を迎えてから早数時間が経過した。
 正確な被害の規模を推し量ることすら難しい未曾有の都市圏災害。
 事態の全貌が掴めていない以上は自衛隊や医療機関による救助の手も慎重にならざるを得ない。
 結果、この地獄絵図の中にはまだ結構な数の人間が取り残されていた。
 災害時特有のパニックに加え疫病が出たという出処不明の風聞までも出現。
 元凶である破壊の権化二体が消えても未だ新宿区は混沌の中にあった。
 そんな混沌の中では誰も気付かない。
 避難民同士で集まって救助の手を待っていた集団が、突如忽然とその姿を消してしまったとしても。


177 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:21:25 SQrki0lI0
    ◆ ◆ ◆

「どうだいキング。調子の程は」
「霊基の確かな高まりを感じる。普通の人間を喰らっていたのではこうはいかないだろうな」
 第一次実験は支障なく完了した。
 避難民を鬼ヶ島に取り込んで覚醒させ、百獣海賊団の中でも最強格である大看板の誰かにそれを喰らわせる。
 今回白羽の矢が立ったのはカイドウの右腕でもある火災のキングだった。
 覚醒したとはいえ人間は人間。
 キングという災害を前に彼らはものの数秒と持ち堪えられずぶち撒けられた血袋に姿を変えた。
 そして帰還したキングの霊基反応は…本人が言うように実験前に比べて大きく向上していた。
「お前の実験は成功というわけだ」
「安心したよ。万一これで失敗だったとなればいよいよ俺の立場も首も危うかったんでね」
 そう言って皮下は実験に同伴していたリップを一瞥する。
 リップは不遜に鼻を鳴らしてそれに応じた。
 皮下とリップの関係は決して穏当なものではないのだ。
 もしも実験が失敗、皮下の仮説は全くの的外れだったとなれば彼は容赦なく皮下に牙を剥いただろう。
 もちろんそうなったら速やかに鬼ヶ島から彼らを追放するなり何なりするつもりだったが、それでも皮下の被る損害は大きい。
 おまけにあれだけ自信満々に理屈を並べていたのだ、カイドウからの信用も大きく失墜していただろう。
 それどころか最悪怒り狂った彼の制裁を受ける羽目になっていたかもしれない。
 数刻前は挑発的に笑ってリップ達に大立ち回りを演じた皮下だが、この実験の成功には心の底から安堵していた。
「人間ってのは危機に曝されると一箇所に集まる生き物なんだよな。万物の霊長も所詮動物だ」
 災禍の二次波があっても纏まって対応できるという意味ではもちろん合理的だ。
 しかしその生存戦略は皮下真という外道にとってはこの上なく都合がいい。
 わざわざ何度も鬼ヶ島のポータルを開閉してちまちま実験動物を集めなくて済むからだ。
 群れで泳ぐ小魚の群れを投網で一気に浚うように、哀れな被災者達は鬼ヶ島という死地(ラボ)へ招待される。
「手頃な集団を見つけ次第二回目の実験をやる。それで再現性が確認できりゃ晴れて俺の理論は実証されるってわけだ」
 覚醒者喰いの効果が実証できれば霊地の獲得競争においても皮下陣営は大きな利を得られるだろう。
 ただでさえ無二の凶悪さを持つカイドウが更なる怪物になるのだ。
 手のつけようなどあるわけもないし、首尾よく霊地の確保に成功しようものならその優位は更に絶対的なものになろう。
「そういや峰津院のボンボンに電話はしなくていいのか? そろそろ制限時間だろ」
「まだお前の論が正しいと決まったわけじゃない。二回目の実験結果次第だ」
「素直じゃねぇなあ。お前頭良いんだからもう分かってんだろ?」
「無駄口叩く前に仕事しろ。癒えない傷に苦しみたくなけりゃな」
「へいへい」
 口ではあくまで憮然とした物言いを貫いているリップだが、実のところは皮下の指摘した通りだった。
 もう分かっている。
 皮下真の唱えた覚醒者喰いの理論は恐らく正しい。
 リップもまた皮下と同じく聖杯戦争のマスターなのだ、火災のキングの霊基が向上していることははっきり分かった。
 二回目の実験もこの分ならば問題なく成功するだろう。
 配られたカードによるものではない確固たる自我を見出した無辜の人々の命を糧に、皮下は自分達の価値を証明する。
“…今更迷うつもりもねぇ。腹は決まった”
 峰津院大和の誘いを突っぱねることに対する抵抗はそう大きくない。
 大和は確かに皮下以上に優秀な男だ。
 自分が勝利した暁にはリップの願いも受容するという言葉にもきっと嘘はないのだろうと思う。
 だがそれでも、やはり最上なのは自分達が最後の一組まで生き残って聖杯を手に入れる結末なのだ。
 願いのリードを他人に委ねるのは最後の手段。
 自分達の敗北が確定した瞬間になって初めてありがたみが生まれる保険のようなものである。


178 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:22:24 SQrki0lI0
“当面の勝ち馬は皮下の方だ。峰津院のランサーは皮下のデカブツに負けず劣らず怪物だが、奴らはあまりに孤立しすぎてる”
 聖杯戦争がもしも自分と皮下、そして峰津院の三人のマスターのみによるものだったなら話は変わったかもしれない。
 しかし現実はそうではない。
 自分達以外にもこの東京には数多のマスターが存在している。
 峰津院は社会的な地位の高さも含めて文句なしに有数の精強さを誇る陣営だが、その分露払いの能力には悖っているのだ。
 その上で皮下が提唱からの実践というプロセスを踏み実際に成功させてのけた"覚醒者喰い"プランの存在を加味すると、付くべき陣営は見えてくる。
“まぁ足元を見られても困る。この旨を皮下に伝えるのはもう少し渋らねぇとな”
 気取られない程度に小さく溜息をつく。
 直に第二回実験は幕を開けるだろう。
 無辜の犠牲者達を鬼ヶ島に引きずり込んで。
 無形の知恵の実を食わせて覚醒させて。
 その上で魂ごと食い殺す。
 皮下真はそうやって自分に己の価値を証明する筈だ。
 それを止めようとする善意なんてリップにはない。
 けれど心は痛んでいた。
 リップは既に覚悟を決めている。
 腹を括っている。
 今更見ず知らずの誰か、それも界聖杯によって創られた存在(コピー)などに情を覚えて手を鈍らせるなどあり得ない。
 では彼は誰のために心を痛めているのか。
 胸が痛いとそう感じているのか。
 その答えは、言わずもがな――。
「よし。準備完了だ」
 皮下がぱんぱんと二度手を鳴らす。
 次は誰が行く? と傍らに控える三人の巨漢に水を向ければ、挙手したのは疫害の大看板だった。
「ムハハハハ! 大した効率の良さじゃねえか皮下テメェ! キングのバカだけに独占させるにゃ惜しいぜ、次はおれにやらせろ!」
「OKOK。ジャックもそれでいいか?」
 象に化ける能力者は反論するでもなく無言で頷く。
 次の捕食者の人選はこれで決まった。
 疫害のクイーン。
 大看板の中でも最悪の二文字が一番似合うであろう腐れ外道。
 ある意味では先刻のキングよりも捕食役が相応しい男であった。
「ザコ共を手当り次第に殺すだけで手っ取り早く強くなれるたぁいい時代になったもんだ。
 おう、いつでもいいぜ皮下! 準備万端だ、さっさとエサを放り込みやがれ!」
「あいよ。じゃあ行くぞー。宝具限定展開、っと…」
 カイドウの宝具『明王鬼界・鬼ヶ島』。
 現世から完全に隔絶された異界という規格外の宝具。
 マスターである皮下の一存でその入口を自由自在に展開できるというのも含めて冗談のような性能だった。
 何せ新宿事変で皮下医院という社会ロールの基盤を吹っ飛ばされても極論それほど痛くはないのだ、この空間に籠もってさえいれば。
 そしてこの宝具は外の人間を無理やり内へ引っ張り込むことにも使える。
 第二回実験の対象となった哀れな避難民達の群れている座標に展開されるポータル。
 それはその場に居合わせた人畜無害なNPC達の全てを、問答無用に鬼ヶ島へと引きずり込む。
「えー、皆さん初めまして」
 ニコリと人当たりのよさそうな笑みを浮かべながら皮下がマイクを手に取る。
 表の社会に出ていた頃は老若男女を問わず魅了し、誰も彼もの信頼を根こそぎ勝ち取ってきた笑顔。
 されどそれは人のために浮かべる表情などでは断じてない。
 彼はこの百年以上の時間いつだとて、自分と――自分が真に大切と想う者のためだけに笑ってきた。
「突然のことでさぞかし驚かれたと思います。
 しかし案ずることはありません。これから皆さんに、この界聖杯(セカイ)の真実を――」
 リップは皮下をただの外道だと思ってきたし、その印象自体は今も変わらない。
 皮下は間違いなく屑だ。


179 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:23:14 SQrki0lI0
 願い云々の話を抜きにしても、間違いなく生かしておいてはならない人間だと断言できる。
 だからこそリップは思う。
 知りたくなかったと。
 こんな奴のバックボーンなどそれが何であれ胸糞悪くなるだけなのだ。
 分かっているからこそ、皮下の走り出した理由を知ってしまったことは痛恨だと今もそう感じていた。
「…と。失礼、ちょっと別件だ」
 今まさに真実を。
 そういう名前で呼ばれる猛毒を振り撒こうとした皮下がおもむろに踵を返した。
 どうしたんだと目だけで訊くリップ。
 そんな彼に皮下は苦笑して答えた。
「ハクジャ側の準備が整ったらしい。例の会談だ」
「実験はどうするんだよ。こちとら峰津院との約束の時間まで時間がないんだぞ」
「何も先生役は俺じゃなくたっていいだろ。お前に任せるよ、リップ。
 喰うのは大看板の…そうだな。先刻はキングだったから今度はクイーンにでも任せてやってくれ」
「………」
「それとも」
 皮下が足を止めて振り向く。
 その顔には笑みが貼り付いていた。
 ムカつく程爽やかで、しかしリップを試すような笑みだった。
「まさか絆されたわけじゃねぇよな」
「無駄口を叩くなよ。死にたくなければな」
「おー怖。別に煽ったつもりはないさ。先輩としてちょっと釘刺しただけだよ」
 ひらひらと手を振りながら会談へと向かう皮下。
 リップの静かな殺意を背中に感じながら、しかし彼はあえてもう一言口にした。
「叶えたいなら夢だけは見るな。俺らは理想(そっち)にゃ行けねぇんだ」
 その言葉にリップは何も言い返せなかった。
 ただ忸怩たるものを胸の内に渦巻かせるばかりだった。
 アーチャーと、シュヴィと過ごした時間を反射で脳裏に過ぎらせながら。
 リップは顔を上げた。
 覚悟と決意の据わった瞳で、男は現世から吸い上げられた哀れなNPC達を見下ろした。

    ◆ ◆ ◆

「よう。話は聞いてたぜ、梨花ちゃんだったっけ?」
 ハクジャを伴って会談へと赴いた古手梨花。
 虚空に開いたポータルの中へ踏み入る顔には緊張の色が滲み出ていたが、出た先で待っていた男は予想外の軽薄さで笑っていた。
 部下に命じて体裁だけでも整えさせたのか。
 会談場所と呼ぶに相応しい円卓が鬼ヶ島の岩を切り出したような無骨な室内に置かれ、男の席を除いた空席が二つある。
 梨花と武蔵のものであるのは言うまでもない。
 ハクジャやアイ達も今回に限っては当事者だが、それでも彼らはNPCだ。
 覚醒を果たしているとはいえ主役ではない。
 可能性の器と呼ばれる者とその従者同士でなければ会談の席に座らせる理由はないのだ。
 少なくとも皮下はそう考えていた。
 この男らしい考えなのだった。


180 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:24:05 SQrki0lI0
「…はい。古手梨花と言いますです。こっちは――」
「セイバー。よろしくね、院長さん?」
「そういうわけです。まずはボク達の申し出に応えてくれてありがとうございますなのです」
 ぺこりと頭を下げる梨花。
 それに皮下は「お〜、年の割に礼儀ができてんな!」とまた笑う。
 梨花は頭を上げる一方で改めて皮下真という男の実像を注視していた。
 タンポポの綿毛を思わせる頭髪と甘いマスク。
 医者らしい白衣に身を包んではいるものの雰囲気は非常に軽い。
 梨花と一番縁の深かった医師であったあのメイド好きと比べてもかなり軽薄な部類だと言えるだろう。
「皮下真だ。茶も出せないで申し訳ないが、まぁ我慢してくれ」
「…皮下。あなたのサーヴァントはどうしたのですか?」
「あー…色々あってな〜……。いつ戻ってくるか分からんし戻ってきても話が通じるかどうか……」
 はぁと溜息をつく皮下。
 その様子を見た梨花が武蔵に念話を送った。
“セイバー。これは好機だと見るべきでしょうか”
“こっちから仕掛けるのには正直賛同できないわ”
 伏魔殿の主たる龍が不在。
 会談の前提そのものを壊してしまうことにはなるがこれは紛れもない好機だ。
 此処で皮下を押さえられれば状況は確実に前進する。
 そう思って武蔵に意見を求めた梨花だったが、彼女の答えは難色。
“考えてみて? 自軍の戦力の要が不在なのにむざむざと敵を自陣に招き入れる、そんな間抜けがいると思う?”
 もちろん梨花もそんな風には思わない。
 思わないからこそこうして武蔵へ意見を乞うたというのもあった。
 皮下は十中八九この空間に最低限サーヴァント戦が可能なレベルの戦力を隠している。
 それが単純な同盟者なのか、全く別な何かなのか…そこまでは分からないが。
“感じるのですか。何か”
“えぇ。距離はある程度離れてるみたいだけど…”
 武蔵の目が、眼が。
 皮下の遥か後方を見据えていた。
 生粋の武人であり剣豪である彼女の感覚に触れるその気配。
 武者震いと戦慄が一緒くたに押し寄せる、慣れ親しんだ感覚が女武蔵の霊基を駆け抜ける。
“何人かヤバいのがいるわ。私でも骨が折れるかも”
 梨花はうんざりしたように瞑目した。
 やはり世の中都合のいい近道などないのだと実感する。
 生粋の無鉄砲と向こう見ずを併発させているこの剣豪がこうまで言っているのに我を押し通せる程梨花は命知らずではない。
 欲張ったプランを大人しく放り捨てて、皮下との会談という予定通りの展開に甘んじることにした。
「俺はな、あんまり他人は信用しないんだ」
 いざ口を開かんとした梨花にしかし皮下が先んじた。
「俺のいた世界じゃスパイだとか工作員だとかそういう連中が幅を利かせててなぁ。
 だけどその点、そのハクジャは義理堅い。どうあっても俺を裏切らないと信頼してる」
 梨花達は彼女がそうなるに至った経緯を知らない。
 だが皮下の認識は至極正しかった。
 形はどうあれ自分を死への旅路から救ってくれた皮下。
 ハクジャはそれを裏切れない。
 彼女が完全に梨花や此処にはいない幽谷霧子達の味方になるなどという未来はあり得ない。
「だから驚いたんだぜ? 正直さ。
 そのハクジャが会談相手を連れてくるって言うんだもんよ。
 有無を言わさず殺しておくべきだろとは思ったが…同時に、だからこそ興味も湧いた。
 コイツをしてそんな行動に出させる奴らってのはどんな人間で、そして何を考えてんだろうってな」


181 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:25:10 SQrki0lI0
 この時既に皮下はハクジャ達の胸の内を見抜いていた。
 彼女達は古手梨花らが企てている脱出計画に相乗りしようとしている。
 そうでなければわざわざ会談などする意味がない。
 ハクジャはあの時の通話ではそのことを伏せていたが、それで欺かれる程皮下は容易い男ではない。
 幼いアイならば兎も角。
 ハクジャとミズキの二人までもが古手梨花らの脱出計画に感化されている。
 何ともまぁ頭の痛くなる話だった。
「あぁ、界聖杯に介入して中身を改竄するって話は聞いてるぜ。
 俺が聞きたいのはお前達がなんだってそんなことを考え出したかだ。
 願いもねぇのに呼ばれちまったってんなら確かに災難だけどよ、だからって他人にまで手を差し伸べる理由があるか?」
「…その力を持ってるサーヴァントは生憎私じゃないわ。
 信用に値する男だと私達は思ってるけど、彼の正確な胸の内までは分からない」
 でも、と武蔵。
 継ぐ句を紡いだのは彼女ではなかった。
 少女らしからぬ意思の光を瞳に宿して梨花が続く。
「ボク達はこう考えています。
 何処かに帰りたいというその願いを競い合わせる必要はないと」
「眩しいことだ。ウチの大事な人材を誑かした理由もそれかい?」
 皮下以外の全員の顔にわずかな緊張が走ったのが分かった。
 彼女達とてこの展開を全く予想していなかったわけではないだろうが、やはり現実として突き付けられると心持ちも違うらしい。
 しかし梨花は皮下に対して怯まず「はい」と頷いた。
 これでハクジャ達を間者にする手は取れなくなったがそれでもやること自体は変わらない。
 そして――目指す未来もだ。
「生きたいと願う気持ちには…嘘も真もないのですよ、皮下」
「コイツらの存在そのものが世界にとっての噓八百だろ」
 界聖杯の中だけで存在を許された命。
 界聖杯という規格外の願望器を構成するリソースがたまたま人間の形をしているだけ。
 それがハクジャ達NPCを最も端的に語る形容方法であることを皮下は知っていた。
「それでもそう思う気持ちは変わらないのか?」
「同じことを何度も言わせないで頂戴。答えは"はい"よ」
 皮下の言い草が気に食わなかったのか梨花の目つきが剣呑さを帯びる。
 ひらひらと両手を振ってそれを宥める皮下。
 生きたいと願う気持ち、か…。彼は思う。
 成程確かにそれだけは張りぼてではないのだろう。
 生きるということには確かに嘘も真もない。
 それがその人間にとって救いであるにせよ、呪いであるにせよ。
 皮下真はそれを見てきた。
 百年もの間ずっと見てきた。
「じゃあ今度は俺たちに会談を申し込んだ理由を聞かせてくれ。
 まぁ想像はつくけどよ、こういうのは相手の口から直接聞くことに意味があるからな」
「…あなたがボク達の話に乗ってくるとは思っていませんです。
 そうなってくれたらこれ以上心強いことはないですが、ボクも現実は分かっているつもりです」
 それに、そうでなくても。
 梨花個人としても皮下を自軍に加えることはリスクが大きすぎると踏んでいた。


182 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:25:51 SQrki0lI0
 ハクジャから伝え聞いた人物像と今実際に会談して垣間見た人間性。
 この男は危険だと、梨花がそう結論付けるには十分すぎるだけの根拠があった。
 皮下がもし此処で自分も一枚噛ませろなどと言ってきたらそっちの方がよほど恐ろしい。
「あなたが界聖杯に何を願うつもりかは知らないですし、あなたや他のマスター達に願いを諦めてボクらに従えなんて言うつもりはありません」
「ノアの箱舟か」
「はい。ボクらは"帰りたい"と思う人達と"生きたい"と願う僅かな命達と手を繋いで、この世界を去るつもりです」
 現実的な落とし所を見つけたもんだと皮下は素直に感心する。
 確かに会談なんてものを持ちかけてくるだけのことはあったし、それに。
 生への渇望を強く抱くハクジャやアイに対し強い父性愛を抱いているミズキが彼女らの話に惹かれた理由も分かった。
 単なる理想主義者の戯言ではなかったのだ。
 彼女達は不可能を可能にするための手段と妥協点を存外賢く見積もっていた。
「ボク達は皮下の邪魔はしません。セイバーにも、ボクの仲間達にもよく言い聞かせますです」
「成程ね。望みは相互不干渉か」
 妥当な交渉材料だ。
 至って予想通りである。
 実際皮下達としても旨みのある話なのは間違いなかった。
 カイドウと百獣海賊団の戦力をもってすればすり潰せない敵などそうはいないだろうが…そこに度々"もしも"が挟まるのが聖杯戦争の厄介な所。
 大規模な戦闘の数を抑えつつ、マストで殺さなければならない相手の数も減らせる。
 労力的にもリスク的にも旨みしかない。
 複数の主従が一度に脱落したに等しいのだから、ケチの付け所を探す方が遥かに難しいだろう。
「損はしないと思いますですよ? ですよね、セイバー」
「私としてはちょっと惜しいけどねー。此処の大将さんとも一回くらい……」
「セイバー?」
「あっいえ。何でもないですえへへ」
「…まぁいいです。ついては、皮下。
 あなたに率直に聞きたいことがあるのですが…283プロというアイドル事務所についてはご存知ですよね?」
 歳の離れた姉妹のようなやり取りは実に微笑ましい。
 しかし新宿の惨状を目の当たりにしておきながらカイドウと戦いたいなどと考える辺り、この女剣士はなかなかに頭のネジがぶっ飛んでいるらしい。
 そしてその自信が身の程を弁えない井の中の蛙である故のものであるとも思えなかった。
 何しろ此処は敵地のど真ん中である。
 アウェー中のアウェーだ。
 にも関わらずこうして軽口を叩く余裕があるというのはつまり、この状況で臆せずいられる程の実力を持っているからに他なるまい。
“日本人でおまけに侍だろ? 性別はどうあれちと怖ぇよな。もしかするかもしれねー”
 義侠の風来坊。
 侍、光月おでんとの再戦に異常な執念を燃やすカイドウの姿を皮下は先刻見ている。
 その矢先に現れた女侍。女剣士。
 符号としてはなかなか不吉な部類だろう。
 ましてサーヴァントは逸話に縛られる。
 …実際のところは。
 カイドウは侍という存在にではなく光月おでんという一個人にのみ縛られているため、その心配は全くの無用であったのだが。
「話は分かった」
「…あの。283プロについては――」
「答えは決まったよ。ただその前に、俺から君達に一つ伝えときたいことがあるんだ」
「伝えたいこと……?」
「あぁ。つい先刻分かったことでな。多分梨花ちゃん達は知らねぇことだと思う」
 怪訝な顔をする梨花と沈痛そうに眉を顰める皮下。
 それを見る武蔵は一足先に険しい表情を浮かべていた。
 何かに警戒するような、備えるようなそんな表情。
 今までの彼女が浮かべていたものとはまるで意味の違う顔だった。
 恐らく武蔵は、皮下の沈痛げな顔を見た時点で気付いたのだろう。
 これから彼が話す"伝えたいこと"とやらが――自分達にとって致命になる猛毒であると。


183 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:26:49 SQrki0lI0
 その根拠は簡単だ。
 これまで聞き、そして実際目にしてきた皮下真という人間の人物像。
 それを踏まえて考えれば簡単に分かる。
 皮下はそんな顔をするような人間ではないのだ。
 他者を慮る心を持たない彼がそんな顔をすることの意味はつまり。
 相手に致命か破滅を突き付ける時に浮かべるパフォーマンスの一環、それ以上でも以下でもない。
 分かっているからこそ武蔵は顔を顰めた。
 梨花は繰り返す者でこそあれどその精神性は至って未熟。
 それ故武蔵のように察し良くはできなかった。
 そんな少女に。
 百年を繰り返した旅人に――皮下は突き付ける。
 コウノトリの働きを信じる子女にポルノビデオを見せ付けるような下劣さで…この世界の真理を。
「界聖杯はノアの箱舟を認めないんだとさ」
「…え?」
「ウチは大所帯なことが強みの一つでな。
 詳細は明かせないが、界聖杯へのハッキングを可能とする程高性能な演算能力を持ったサーヴァントも抱えてんだ。
 ハクジャからの連絡を受けてすぐ、俺はそいつに誰かが内界からの脱出に成功した場合の界聖杯の反応を算出させた」
 頭を抱える皮下の動作は見ていて腹立たしくなる程のオーバーリアクションだった。
 まるで出来の悪いコメディリリーフ。
 あるいは成り損ないのジョーカー。
 それを見た瞬間梨花は言葉を失い、武蔵は全てを悟った。
 この男は最初からこちらの話に耳を貸すつもりなどなかったのだと。
「界聖杯は空の玉座に辿り着く者が現れることを望んでる。
 抜け道を使って一抜けする謀反者(チーター)なんぞ望んじゃいないんだよ」
 皮下が会談の場に現れたことの意味。
 彼が梨花に対し放っていた言葉の薄っぺらさ。
「そこで質問だ。自慢のゲーム盤をイカサマで台無しにされたガキは何をすると思う?」
 そして自分達の未来に立ち込める暗雲。
「ちゃぶ台返しだ。並べた駒を払い除けてそれでお終いさ」
「…! まさか!」
「もしも聖杯戦争進行中に複数の器(コマ)が中途で喪失した場合、界聖杯は聖杯戦争を畳む。
 もちろんそうなったら器共は宇宙の塵なり虚数のプランクトンなりそういう形で消え果てることになる」
 その全てを理解したからこそ武蔵は静かに席を立った。
 絶句する梨花をよそに今求められる最適解の行動を実行せんとする。
 が…。それすらも織り込み済みだとばかりに皮下は嗤う。
「残念だったな。この界聖杯には神がいるんだよ。界聖杯っていう絶対の唯一神がいる。
 そいつがダメだと言ってるんだ。そのクリア方法は気に入らないと不服がってるんだよ。
 お前達が一丁前にキメ顔でほざいてる救済論は、気の合うお友達以外全員を皆殺しにするファシストの思想だったってわけさ」
 帰りたいと願う者達とだけ手を繋ぐ?
 それ以外の願いまで轍に変えるつもりはない?
 実に結構な理想だ。
 目眩がするような世迷言だ。
 そしてそれを界聖杯は許さない。
 望んでいない。
 界聖杯というこの世界における絶対の神の意向一つで古手梨花達の推進する計画(プラン)は破綻する。
 いや、正確には貫くこと自体はできるだろう。
 自分達以外のありとあらゆる命を礎に変えることでのみ…だが。
「それを踏まえて答えさせてもらうぜ。答えはイエスでもノーでもない。"死ね"だ」


184 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:27:47 SQrki0lI0
 立てた親指を真下に向けると同時。
 皮下の瞳に浮かぶ、呪われた桜の光。
 これを見るなり武蔵は即座に反応。
 目の前の現状を火急の危機と判断。
 皮下に向けて容赦なく刀を抜く。
 そうした筈だったが。
「な――ッ」
 轟音が響いた。
 天蓋をぶち抜いて空から何かが落ちてきた。
 隕石の直撃でも受けたかと思う状況だったが、音の主は隕石などではなく。
 むしろ可憐な…浮世離れした少女の姿を象っていた。
「悪いなサムライソード。化物の相手は化物にさせるって決めてんだわ」
「梨花ちゃん! 令、」
 令呪を使ってと彼女はそう言おうとしたのだろう。
 しかしその声は乱入者の少女が発した声により遮られた。
 見た目は梨花とそう変わらない年頃の童女。
 されど彼女は人に非ず。
 人類種(イマニティ)など及びもつかない底なしの力と頭脳を秘めた機凱種(エクスマキナ)。
「――"偽典・天移(シュラポクリフェン)"」
 彼女の武装展開が行われると共に天元の花はあっさりとぶち壊された会談の席から消失する。
 梨花が目を見開いた。
 それも詮無きことだろう。
 セイバーの気配が一瞬にして遥か遠くまで吹き飛ばされたのだ。
 距離の概念を完全に無視した空間転移。
 梨花に魔術の知識があったならばその驚きはもっと大きかったに違いない。
 何故なら空間転移(それ)は、魔術の世界においては魔法とさえ形容される奇跡であったから。
 それだけの術を事もなく行使する。
 魔術に長けるキャスタークラスでもないのにも関わらず、だ。
「――セイバー! 令呪を以って命じるわ!」
「させねぇよ」
 梨花が声を張り上げる。
 皮下がそれをせせら笑って凶行に出る。
 前に突き出した右腕が変形し、伸縮自在の黒刃と化したのだ。
 虹花のメンバーにして稀代の殺人鬼"クロサワ"。
 その力を用いて皮下は梨花の幼い肢体を引き裂かんとする。
「……梨花ちゃん!」
 そうはさせじと動いたのはハクジャだった。
 アイも同時に行動を起こさんとしていたがミズキが抑えた。
 それは何も彼女の身を案じたからというだけが理由ではない。
 この状況に最も容易に対応できる力を持っているのはアイでも自分でもなくハクジャだと、そう理解していたからだ。
 要するに適材適所。
 だが――。
「おいおい…。お前はもうちょっと利口な女だと思ってたぜ、ハクジャよ」
 裏を返せばそれは。
 その最適な人材が仕事を仕損じた場合。
「俺と実験体(おまえ)の出力が同じだとか……もしかして夢見ちゃったか?」


185 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:28:39 SQrki0lI0
 此処には一切の希望が存在しないということでもある。
 ハクジャが展開したのは髪の毛。
 葉桜の完全適合体である彼女の展開する防御は極めて堅牢。
 生半な超人では打ち破ることなど叶わない"異能"だが――
「ぁ…」
 絶望の声が響く。
 喪失の声が鳴る。
 ハクジャの髪の毛が守った筈の座標から。
 髪の壁は貫かれていた。
 硬く閉ざされた扉を力ずくでこじ開けるような無粋さでハクジャの庇護は破られた。
 彼女の体に流れるのは所詮は葉桜。
 どれだけ強くても所詮は偽物。
 本物の力にはあらゆる面で敵わない。
「さぁて。これでおっかないお侍さんが駆けつけてくる可能性は排除できた」
 桜の瞳が揺らめいて。
 まず破れた髪の壁の後ろで蹲り荒い息を吐く少女を見て。
 それから彼女に同行して此処まで来た三人の偽物を見やった。
「じゃあ始めるか、在庫処分」
 古手梨花の右腕が地面に落ちていた。
 令呪の刻印を残したまま血溜まりに浮かんでいた。
 彼女の声はもう新免武蔵へ届かない。
 
    ◆ ◆ ◆

 偽典・天移(シュラポクリフェン)。
 天翼種(フリューゲル)の空間転移を解析・再設計した超長距離跳躍武装。
 規模にして聖杯戦争の数十倍に達する十二種族の大戦においてなお最強格とされた光輪の神殺し達。
 その魔法を真似たこの転移は令呪の使用がなければ不可能な程の距離を一瞬で跳躍する。
 魔術ならぬ魔法の領分。
 それをシュヴィ・ドーラの同胞である機凱種達が、彼女亡き後に模倣した産物だった。
 初めて使う武装だというのに使い方がはっきりと理解できるのは死を超えた今も、シュヴィが連結体(クラスタ)の一部である証か。
“やってくれたわね…!”
 武蔵が歯噛みする。
 まさにこれは痛恨の一手だった。
 今武蔵が立っているのは鬼ヶ島ではなくその外縁部。
 言うなれば世界の端だ。
 四方を海に囲まれた鬼ヶ島の立地上、当然そこに足場などというものは存在しない。
 疎らに岩場があるだけの海上。
 そもそも人間が立つことのできない土俵の上に武蔵は放り出されたのだ。
 シュヴィは既に鬼ヶ島という固有結界について概ねの解析を済ませていた。
 皮下のように鬼ヶ島への入口を生み出すことまでは流石に不可能だが、しかしその逆ならできる。
 即ち内から外へ。
 鬼ヶ島から現世へと続く一方通行の出口を造ることすら今のシュヴィにとっては造作もない。


186 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:29:33 SQrki0lI0
 そこまでこの異空間を知り尽くしているのならば、固有結界内の任意の空間に自分または他者を飛ばすことは朝飯前の児戯だった。
“梨花ちゃんの念話も聞こえない…令呪の発動もないってことは――”
 梨花の身が危ない。
 契約のパスが生きている以上一番最悪なことにはなっていないようだが、少なくとも令呪を行使できない状態であると考えるべきだ。
 武蔵は楽観視をしない。
 自分の至らなさに心底腹を立てながらも梨花を助けるためにどうするべきかを高速回転する思考回路で考える。
 しかし結局のところ。
 何をするにも、皮下に自分の撃滅を任じられた上空の彼女が障害となる。
 だから武蔵は悔しげに歯噛みし、空から自分を見下ろす少女(アーチャー)を睨みつけた。
「悪いけど退いてくれないかしら。お姉さん、今とっても余裕がないの。
 あなたの抱えてる事情の如何に関わらず――力ずくで排除させてもらうことになるわ」
「…答える必要は、ない……それに」
 少女はけんもほろろに武蔵の頼みを突っ撥ねた。 
 それもその筈だ。
「撤退を…勧告できる、立場……?」
 そうなるわよねと武蔵は小さく嘆息した。
 武蔵が彼女の立場でもきっと同じことを言う。
 予想通りの返しだったので落胆はなく。
「じゃあいいわ。穏便に済ませるのはもう諦めます。
 でもそれとは別に、一つだけ聞かせてくれないかしら」
 しかしもう一つ、こちらはできればちゃんと答えを聞いておきたかった。
 先の言葉の通り武蔵に加減する余裕はなかったが。
 この質問に対する答えを知れるのと知れないのとではやはり事情が変わる。
 可能性というものは多ければ多いほどいいに決まっているのだから。
「あなたはあの男の…皮下真の所業に対して、なんとも思わない?」
 仔細を突き止めたわけではない。
 だが対面していて分かった。
 あの男は多くの人間を殺している。
 殺人の数については武蔵も決して人のことは言えないが、それを承知で断ずる。
 皮下は間違いなく外道であると。
 武蔵がついぞ己の生涯では斬り得なかった因縁深い陰陽師のそれともまた違った悪性を、あの僅かな時間の中で武蔵は確かに見出していた。
「………」
 武蔵の問いに対してシュヴィは沈黙。
 しかしその眉が微かに動いたのを武蔵は見逃さなかった。
「なんだ」
 武蔵は笑う。
 ニヤリと笑う。
 そして言った。
 シュヴィ・ドーラという名の機械。
 外道の思惑が支配する鬼ヶ島の防人の一人。
 彼女がその思考中枢に抱える至極不合理な"感情"を見透かして――。
「案外まともなのね――あなた」
 シュヴィは言葉を返そうとはしなかった。
 代わりにシュヴィは、空中戦用の機翼によって滞空を保ったまま。
 主の明確な敵対者である剣豪新免武蔵へと此処でようやく武装の照準を合わせる。
 解析は今しがた終了した。
 眼下の敵に対し使える武装と使えない武装。
 そして使用可能武装の威力をどこまで絞ればいいのかも演算を完了している。
 懸念事項の全てを正攻法で消滅させたシュヴィに交戦を渋る理由は一つもなかった。
“ダメ元の挑発だったけど…やっぱ都合よく道を開けちゃくれないか”
 戦いを楽しんでいる余裕は今はない。
 重大な危険に曝されている梨花の許に駆けつけ彼女を助けること。
 それが優先順位の第一位だ。
 まんまとあちらにしてやられただけでも痛恨なのに、マスターをこのまま喪ったとあっては無様が過ぎる。
 しかし無論シュヴィに武蔵を逃がす理由はない。
 協力者である皮下の意向だからというだけではなく。
 武蔵達がこの聖杯戦争の根幹を、そしてシュヴィのマスターであるリップの願いまでもを脅かす脱出派であるというのも大きかった。
 脱出派という超弩級の危険分子。
 落とせる時に落としておくに越したことはあるまい。
 ひょっとするとそこには、先刻武蔵が彼女に行った"指摘"を脳裏から振り払いたい思いもあったのかもしれないが。
 それは彼女のみぞ知ることだ。
 重要なのはシュヴィが武蔵を逃すまいとしているというただそれだけの事実。
「サーヴァント、クラス【剣士(セイバー)】…撃滅行動を、開始する……」
 次の瞬間。
 空から海上に向けて火力の通り雨が降り注いだ。


187 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:30:29 SQrki0lI0


 ――これはシュヴィに限った話ではないが。
 ディスボードにおけるかの"大戦"で彼女ら機凱種が銃やら砲やらを頼る機会は決して多くなかった。
 何故なら火力が足りなすぎるから。
 鉛玉などでは龍精種(ドラゴニア)の強固な鱗を貫けない。
 爆薬などをいくら浴びせても天翼種(フリューゲル)は涼しい顔で笑うばかり。
 唯一これらが通じる余地のある人類種(イマニティ)はそもそも脅威ですらない。
 だから戦時中シュヴィ達が単純な重火器に頼って戦う機会は極めて少なかった。
 のだが――シュヴィは今、それをこそ眼下のセイバーに対し用いるべき最適解であると判断している。
 彼女が満を持して繰り出す弾丸の雨、砲弾の嵐。
 それはまさに空襲だった。
 重力に逆らい空へと浮いたシュヴィは海上の武蔵を目掛けて銃弾とミサイル弾を掃射する。
 腐っても人の身である彼女には、まず水面を歩くという事自体が難業であるというのにだ。
「〜〜〜〜〜!」
 武蔵が何か言っていたがその声は空のシュヴィには届かない。
 音をかき消す勢いで絶え間なく機銃掃射と爆撃が続いているからだ。
 銃声、銃声銃声銃声銃声銃声。
 爆音、爆音爆音爆音爆音爆音。
 サーヴァントに神秘の介在しない攻撃はいくら放っても実を結ばないのは常識である。
 しかし…サーヴァントであるシュヴィの武装として、魔力を消費し生み出されるほぼ無限に等しい弾薬は当然のように魔弾と化していた。
 一発一発がサーヴァントの肌を破り肉を抉り臓を貫く大盤振る舞いの魔弾空襲。
 当然焼夷弾やミサイル弾がばら撒く炎も霊体を焼く魔の焦熱として水面に残留し続けている。
 武蔵が転移の直後に足場としていた岩場は数秒足らずで爆散した。
 となれば後はAの岩場からBの岩場へ、それが壊れればCの岩場へを繰り返すジリ貧の状況になるのは自明である。
“く…っそ! やっぱりこうなるわよね、予想はしてた!”
 玉弾き程度の芸当なら武蔵には朝飯前。
 飛んでくるミサイルをそもそも起爆させない程の繊細な太刀で両断することも多分できる。
 が…それは相手にせねばならない弾の数が精々目視で数えられる次元に留まっている場合の話だ。
 シュヴィが上空に滞空したまま戦う気だという時点で嫌な予感はしていた。
 そしてその予感は、予測を遥かに上回る最悪の事態となって的中(キャリーオーバー)。
 そして武蔵は衝撃で砕け散った石塊を足がかりに次の足場へ移るという繊細極まりない工程を毎度要求されるのだ。
 誰がこの劣勢を無様と笑えるだろう。
 新免武蔵程の"何でもあり"な武芸者でなければとっくに海の藻屑と化している状況だというのに。
“やりにくいなんてもんじゃない…! ずっとこうやって戦うつもりだってんなら、間違いなく相性最悪よこの絡繰娘……!”
 どれだけ優れた技を持っていようと当たらなければ意味はない。
 それは全ての武術に共通して言える極論の欠陥点。
 シュヴィが武蔵に対し一方的に突きつけているのはそれだった。
 最新型の戦闘機の相手は凄腕の竹槍使いでは務まらない。
 そんな当たり前の理屈を真顔で連打しているのが今のシュヴィだ。
 反撃しようにも武蔵の剣は、彼女のいる高度までは届かない。
 手段を凝らしてその難題を解決しようにも海に点々と散りばめられた岩場は時間の経過と反比例して数を減らしていく。
 仮に斬撃を飛ばすなどという離れ業に頼れたとしても、それでも彼女との間にある物理的な差を埋めるのは困難であった。


188 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:31:13 SQrki0lI0


“そう…。あなたの剣は、絶対にシュヴィには届かない……”
 シュヴィは剣士ではない。
 剣技の粋も分からない。
 だから、付き合う義理もない。
 そっちの土俵じゃ戦わない。
 何処までも理不尽に。
 何処までも無粋に。
 あなたの剣が届かない遥か上空から。
 一方的にあなたの居場所を解析して。
 検知して。
 撃ち殺して、焼き殺す。
 そんな相性と状況の悪さに加えて武蔵は焦っている。
 皮下が梨花に何をしているか分からないからだ。
 令呪による転移が行われていない時点で、シュヴィは虹花の裏切り者達が梨花の護衛に失敗しただろうことを悟っていた。
 こうなると梨花の安否は猫箱の中。
 武蔵としては一刻も早くこの場を切り抜けて彼女の許に駆けつけたい、そういう思考になる。
 しかし相手はリソース無限の爆撃機。
 機銃掃射程度の魔力消費ならばシュヴィはあと何時間でも武蔵に付き合える。
 シュヴィは武蔵に一方的な詰め将棋を。
 彼女がよく知るゲームで言うならばチェス・プロブレムを仕掛け続けるだけでいい。
 何しろ一手躱し凌ぐのにも極限のパフォーマンスと判断が求められるのだ。
 焦燥に焦がされた脳でいつまでも最適解を選び続けられる筈はない。
“シュヴィに、負けても……皮下が、………あなたのマスターを殺しても………”
 一瞬だけ思考が鈍ったのは罪悪感だ。
 言い訳はしない。
 シュヴィ自身感情の正体は理解していた。
“あなたの、負け……だよ”
 誰も死なせずに勝つと豪語した男を知っている。
 彼の戦いをシュヴィは最後までは見届けられなかったが。
 その生き様を知っているからこそ、見てきたからこそ…罪の意識が新雪のように降り積もっていく。
 同時に情けなさもまた然りだった。
 誰かを殺して、死なせてゲームをクリアするなんて。
 彼(リク)はそんなプレイヤーじゃなかったのに、と。
 シュヴィは全然ダメだなぁと。
 戦況の優位さとは裏腹にそういう思いばかり募っていく。


189 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:31:59 SQrki0lI0


「っ、ぐ…!」
 武蔵が呻く声がシュヴィへ届いていなかったのは幸運だった。
 英霊剣豪を超え原初神をすら斬った女武蔵も無敵ではない。
 万能ではないのだ。
 二天一流の極意を全て駆使したとして、現状で既に数千発以上打ち込まれているこの弾丸の雨を全て撃ち落とすことは不可能である。
 そしてシュヴィによる絨毯爆撃は彼女を相手に既に一定の成果をあげていた。
 武蔵の体のそこかしこに生まれた火傷や擦過傷がその証だ。
“そろそろ反撃に転じないと…ちょ〜っとまずいかなぁ……ッ”
 砕けた岩を剣の峰で打つことで対空射撃の真似事も試みた。
 しかしシュヴィは冷静に、特別な動作一つ用いず弾道の操作だけで武蔵の起死回生の一手を粉砕してしまった。
 とはいえ四苦八苦している内に武蔵にも運が回ってきたらしい。
 爆風に吹き飛ばされた先に大きめの岩場があった。
 ちょっとした小島と呼んでもいいだろう面積だ。
“此処でなら…大丈夫そうね”
 武蔵の狙いは一つだった。
 空を飛ぶ爆撃機を海上から両断する手段などそれ以外に持ち合わせがない。
 すなわち宝具。
 乾坤一擲の斬撃を以って一撃でこの戦いを締め括る。
 そう踏んで飛び移ったはいいが、その狙いはシュヴィも瞬時に看破したらしい。
「"偽典・森空囁(ラウヴアポクリフェン)"」
 真空の刃が無数に解き放たれれば頼みの綱の小島もすぐさま塵と化した。
 次の瞬間、逃げ場を失くした武蔵へ殺到するのは都合数十発のミサイル弾。
 辞世の句を詠むことすら許さず炸裂した大爆発。
 それは武蔵を木端微塵に粉砕し、鬼ヶ島の魔力リソースの一部へと変えた…かに思われた。
「ッ――!?」
 しかし驚愕の声をあげたのはシュヴィの方だった。
 爆風の中から武蔵が空へ向けて飛び出したのだ。
 全身に決して小さくないダメージを負いながらそれでも目は死んでいない。
 確たる闘志と必ず斬るという意志力を灯して天眼を揺らめかせ、空中にありながら刀を構える。
“なんて、出鱈目……!”
 これにはシュヴィも驚いた。
 武蔵は爆風の中で多刀の利点を活かし阿修羅の如くに剣を振るったのだ。
 それで致命的な損傷を負うのを避けながら弾道ミサイル数十発分の風力のみを利用して宙へ舞い上がった。
 その発想に到達することはできても、実行に移そうなどと考えるのはまさに狂気の沙汰だ。
 馬鹿げているとしか思えない。
 少なくともシュヴィには。
 が――それがどうした。
 無茶も無法も新免武蔵の十八番。
 一歩でも誤れば即詰みとなる大博打を彼女はこの土壇場で苦もなく成功させる。
 粉塵と水飛沫で視界は不良もいいところだが生憎彼女の両目は魔眼。
 勝利の未来を収斂させる天眼――この局面であろうと彼女は迷わない。
 そして天眼はそれに応えるが如く、武蔵へ勝利の未来を…点のように小さな光明を視認させる。


190 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:33:05 SQrki0lI0
 武蔵にとって敗北は身近なもので。
 本気で悔しがりこそすれど、許容できない痛みではなかった。
 むしろ普段なら迷わずそうしていただろう。
 それくらい、この海上を舞台にこのアーチャーと戦うのは分が悪すぎた。
 相手は極論適当に引き金を長押ししていればいいだけの勝負なんて誰が好き好んで続けるというのか。
 端的に言ってやってられない。
 現代のスラングで言うならクソゲー此処に極まれりだ。

 ――だけど。
 少女の剣となった武蔵は。
 その味わい慣れた苦みを認めるわけにはいかない。
“さ…それじゃいっちょ無茶しますかぁ!”
 武蔵はまだシュヴィ・ドーラというサーヴァントの手の内を半分も引き出せていない。
 だがそれでも分かった。
 鬼ヶ島に控える軍勢とその長。
 そこに彼女という戦力が加わっている事態は非常にまずい。
 梨花を助けねばならないことを除いても、次などと悠長なことは言っていられない。
 この好機を使って切り捨てられるのならそうしておくべきだと武蔵の中の本能がそう告げていた。
 許可は下りない。
 背中を押してくれる声はない。
 その声を取り戻すために武蔵は往く。
 であればもう憂いはない。
 確信をもって虚空に踏み出す。
 案の定そこにあった無形の足場、空気の塊を蹴って空中に躍り出る。
 最後の最後まで離れ業をやり抜いた武蔵にシュヴィはまたしても驚かされたが、その反応はやはりというべきか実に早かった。
“予想外、だけど…それならそれで、相応しい武装を使うだけ……!”
 一騎討ちの土俵に上がられること自体が予想外だったのは事実。
 だが見方を変えればこれも好機だ。
 銃だの徹甲弾だのと眠たいことを言わずに、対城級の火力を叩きつけて抹殺する。
 このセイバーは間違いなく危険だ。
 確実に此処で葬っておくべきだと今確信した。
 故に相応しい武装を用いよう。
 マスターの夢見るちっぽけな救済(すくい)を邪魔立てするのならば容赦しないと、シュヴィは尊い心を鬼にする。
「ようやく射程圏内に入ってくれたわねアーチャーちゃん。さぁ、いざ尋常に勝負といきましょう!」
「そんな、こと……するつもり、ない…………!」
 しかしその気構えは武蔵も同じだ。
 シュヴィは生かしておくには危険すぎる。
 何故なら彼女の強さは純粋な武力ではない。
 応用の幅と手数の量だ。
 彼女がその気になれば半日も要さずにこの東京を焼け野原に変えられると分かったからこそ武蔵は博打を挑むと決めた。
 心配せずとも策はある。
 だからこそ他の一切を脳裏から排して、天眼が導き出した斬殺達成のための究極手を此処で講じにかかる!


191 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:33:44 SQrki0lI0


「【典開(レーゼン)】――!」
 シュヴィの小さな体に規格外の魔力が集約されていく。
 世界を彷徨する長い旅路の中で見えたことのある気配だった。
 竜種の気配。
 竜の吐息(ドラゴン・ブレス)が、それもとびきり凶悪な一発が放たれることを武蔵はこの時点で既に悟る。
 だが退かない。
 此処で空に立つは神をも斬った恐れ知らずの新免武蔵。
 不退転の勝負に挑むことへの恐怖など今更のこと。
 いざ天下分け目の大一番と柄を握る。刃を構える!
「南無、天満大自在天神。仁王倶利伽羅小天衝!」
 シュヴィは剣士を知らない。
 そもそも剣士の土俵で戦うつもりがなかった。
 しかし今、彼女は踏み込むつもりのなかったそこに引きずり出されている。
 足場なき空中で一刀を構える武蔵の姿とそこから立ち昇る鬼気。
 それを前にして初めてシュヴィは、彼女の秘める解析値(データ)を超えた強さを悟った。
“人類種(イマニティ)由来の英霊で、これだなんて……本当に、すごいなぁ………”
 場違いにもそのことを嬉しく感じてしまうシュヴィだったがそれも一瞬。
 次の瞬間には彼女の顔は敵手を撃滅する機凱種のそれへと戻る。


192 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:34:21 SQrki0lI0


「――"偽典・焉龍哮(エンダーポクリフェン)"……!」
 かつて機凱種が乗り越えた焉龍(アランレイヴ)の咆哮。
 愛する人の故郷を奪ってしまった過去がシュヴィの心をチクリと刺すが、止めはしない。
 世界を穢す霊骸の嵐が。
 龍精種が自らの命と引き換えに放つ咆哮(ファークライ)が光を吹く。
 現世で打ったなら核弾頭の炸裂にも等しい焦熱と破壊を撒き散らす武装も此処でならば気兼ねなく放てた。
 剣士一人焼き払うには過剰火力、そう見える。
 が…相手はサーヴァント。
 念には念を入れるに越したことはないし過剰ということは決してない筈だ。
 そう思いながら放った一撃に対して武蔵は恐れることなく瞑目し、目を見開くと共に己も宝具を開帳した。
「――征くぞ、剣豪抜刀!」
 迫る炎に冷や汗が背を伝う。
 震える体はしかし武者震いだと断言できる。
 下総の英霊剣豪や異聞帯の強者と比べても遜色のない強者の気配に心は弾んでいた。
 その高揚を未来を見据えた殺意に変えて、武蔵はいざや至天の一刀を振り下ろす。
「伊舎那……大・天・象ォォォ――ッ!」


193 : 械翼のエクスマキナ/Air-raid ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:34:59 SQrki0lI0
 

「…ッ!」
 シュヴィはその時確かに見た。
 武蔵の背後に佇む不動明王像を。
 それが存在しない世界の出身者であるにも関わらず幻視した。
 同時に改めて自分の危機を悟る。
 機械らしからぬ不確かな直感はしかし的中。
 偽典・焉龍哮の業炎を超えて、断ち切って。
 シュヴィへと迫る剣閃があった。
 戦慄がシュヴィの総身を支配するが、彼女の行動は迅速だった。
「偽典・天移(シュラポクリフェン)……!」
 あの斬撃は危険だと本能が告げる。
 この間合いまで…宝具を使えば斬れる程度の間合いまで踏み入らせた自分の失敗をシュヴィは呪った。
 空間転移が起動する。
 魔法級の芸当を苦もなく行いながら死線を脱そうとしたシュヴィ。
 だったが…
“――え”
 空間転移が完了するまでのその一瞬。
 そこでシュヴィは信じられないものを見た。
 過去に一度だけ覚えのある光景。
 閉じていく空間を無理やりに引き裂いて迫る剣閃。
 以前は力ずくで裂け目を押し広げられたのだったが…芸当の凄まじさなら遥かにこちらが上だった。
“しま、っ…!”
 セイバー、新免武蔵の宝具――六道五輪・倶利伽羅天象。
 空の概念を地で行き零の剣を体現する対人及び対因果宝具。
 あらゆる非業を、宿業を、呪いを、悲運すら一刀両断する仏の剣。
 原初神カオスすら斬り伏せた一刀は空間如き容易く切り裂く。
 逃亡完了までの一瞬を縫って迫った斬撃はシュヴィの矮躯を一閃し。
 そして…女武蔵と機凱種の革命児の戦いは一旦の幕引きを迎えた。


194 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:36:42 SQrki0lI0

“あー…くそ。仕留め損ねた……”
 武蔵が斬ったのはシュヴィの片翼と片腕に留まった。
 痛手としては十分などと楽観はできない。
 何しろ武蔵が放ったのは文字通り秘中の秘たる一閃だったのだから。
 それをもって倒せなかった。
 これは間違いなく、新免武蔵の敗北。
 現に彼女の体はシュヴィの残した炎とそこに蟠る霊骸の汚染で見る間に冒されていく。
“とんだ失態、ね。この体たらくでよくもまぁあの子や鬼さんに偉そうな口叩けたもんだわ”
 悔やむ気持ちは山のよう。
 だが武蔵の物語はまだ終わっていない。
 彼女は確かに負けた。
 完膚なきまでにしてやられた。
 しかし命だけは残った。
 シュヴィの追撃を受ける心配も、恐らく当分の間はない。
“…ごめんね梨花ちゃん。助けに行くのはもう少し先になりそう”
 新免武蔵は空位に達した正真正銘の剣聖である。
 そんな彼女にしてみれば、今や空間そのものを切り裂くことすら不可能な芸当ではない。
 武蔵はシュヴィを斬ると同時に彼女のいた座標そのものを斬った。
 するとどうなるか。
 鬼ヶ島から現世へと続く即席の、保って数秒の出口ができるのだ。
 武蔵は爆熱に苛まれながらそこへ転がり込んだ。
 重篤な損耗を負った霊基は転がって、転がって。
 そうして…元いた東京都は新宿区の一角へと放り出される。
 仰ぐ空は黒かった。
 他人事のように疎らに瞬く星々を見上げていると、それだけで自分は失敗したのだという実感が嫌でも湧き上がってくる。
“でも…どうか待っていて。私は約束は破りません”
 自分の体が限界に近い疲労を負っていること。
 そして体の奥底にまで呪いのように染み込んだ"汚染"のことも武蔵は承知していた。
 それでも新免武蔵は彼方の主へこう誓う。
 待っていて。
 必ず行くから。
 そう、誓う。
 誓いながら意識を手放した。
“必ず、あなたを……”

【二日目・未明/新宿区・路上】
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:全身にダメージ(大)及び中〜大程度の火傷、霊骸汚染(大)、気絶
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:……待ってて。必ず、助けに行くから。
1:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
4:あの鬼侍殿の宿業、はてさてどうしてくれようか。


195 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:37:45 SQrki0lI0
    ◆ ◆ ◆

 皮下の開花は再生だ。
 虹花の能力の全てが彼の手中にある。
 だが真に脅威なのは手数の多さなどではない。
 彼の体を流れるソメイニンの濃度だ。
 彼は葉桜の完全適合体ですら及びもつかない程オリジナルに。
 夜桜(ばけもの)に近い。
 偽物が本物に敵わない道理はない、成程確かにそうだろう。
 しかしそれでも。
 多くの場合において、偽物は本物の後塵を拝するのみに終わるものだ。
「ハクジャはともかく…お前もかよ」
 残念だぜ。
 ミズキの胸を貫いた腕を引き抜いて皮下は言う。
 滴り落ちる血。
 溢れ出す血。
 失血も損傷も致死に達して余りあるそれだった。
「み…ずき、さんっ……!」
「……ダメですアイさん。来てはいけません。どうか、それだけは止めてください」
 古手梨花は戦力にはならない。
 よって皮下の相手はハクジャとミズキの二人でしなければならなかった。
 アイも戦力として数えるには十分な力を持っていたろうが。
 彼女が何を言おうと、その命と未来を結果の見えた闘争に費やすことをミズキは決して認めなかった。認められなかった。
「いい子ですから」
 そう言われてしまったらアイは動けない。
 だけど逃げることだけはできなかった。
 ミズキとハクジャ。
 傷つきながらも皮下を相手に戦い続ける二人に背を向けることは…できなかった。
「血の繋がりもねぇガキを故人の代用品にするのは止めてやれよ。お互いのためにならねえだろ」
「代用品。…はは、成程言い得て妙だ。確かにそうですね。しかし……」
 ミズキの手が伸びる。
 溶解の手はしかし伸ばすと同時に切り落とされた。
 もう片方の腕は既に戦いの中で落とされている。
 これでミズキは完全に詰んだし、そうでなくても彼の命はもう長くは続かなかったろう。
 皮下の腕に貫かれ、彼は既に自身の心臓を破壊されていたのだから。
「分からない貴方を哀れに思います。いえ、それとも貴方は…そうすることすらできない程に、一途なのでしょうか」
「死人が喋るなよ。マナー違反だぜ」
 手を一振りする。
 ミズキの首が胴を離れた。
 アイの絶叫を聞きながら皮下はその矛先をハクジャに向ける。
 そのハクジャも今となっては満身創痍。
 ほぼほぼ死に体と言っていい有様だった。
「へぇ。止血してやるとは健気じゃないかハクジャ。 
 その娘の語る理屈がそんなにもお気に召したのか?
 俺には正直、実に月並みなものだとしか思えなかったけどな」
「……悲しむ子がいますから。あなたが見せてくれた光ですよ、皮下さん」


196 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:38:55 SQrki0lI0
「霧子ちゃんか」
 は、と皮下は苦笑する。
 失笑と言ってもよかったかもしれない。
「この世界のお前を、俺の知るお前と同じに考えていいのか分かんねぇんだけどさ……」
 ポリポリと頭を掻きながらミズキの死体を蹴って退かす。
 うつ伏せで倒れ伏して虫の息で此方を睨みつける梨花を一瞥しつつ皮下は彼女を庇うハクジャの方へと一歩を踏み出した。
「俺に言われた覚えはないか? "彼ら"のおかげで得た命を大事にしろって」
「えぇ。ありますよ」
 ハクジャの脇腹は欠けていた。
 大量の血を溢しながら梨花を守る。
 その顔にしかし苦悶の色はない。
 生きたいという思いを寄る辺に生きてきた女のそれとは思えない姿だった。
「その言葉を覚えているからこそ、私はあの子の手を取ったんです」
「そう大したもんかねぇ。不思議ちゃんではあっても所詮ただのアイドルだろ? 俺はそこまで魅力を感じないけどな」
「あの子は……お日さまですから」
 ハクジャの言葉の意味は皮下には理解できないだろう。
 ハクジャも彼に分かって貰おうなどとは思っていない。
 そのことに憐れみをすら覚えつつ彼女は髪を展開する。
 守りのためにではない。
 今だけは、命の恩人に弓を引く。
 最初で最後の反抗は文字通り絞り出せる限りの全身全霊で行われた。
「"八岐大蛇"」
 竜巻のように渦を巻きながら殺到する頭髪。
 皮下の立ち姿がそれに呑み込まれる。
 そうなれば後は寄せ来る髪糸に押し潰され咀嚼されるのみ。
 だが悲しきかな。
 開花を我が物とした魔人の力は、生を渇望し続けた女の全身全霊をすら容易く乗り越えてしまう。
「過剰評価だな。お前は信じる相手を間違えたんだよ、ハクジャ」
 アカイの異能を行使して内側から八岐大蛇を焼滅し。
 皮下はハクジャの前に立つなり、ミズキにしたようにその心臓を貫いた。
「まぁ…太陽(おひさま)ってワードにはちょっとばかし因縁を感じちまうけどな」
「ふ、ふ…。少し意外です。あなたはてっきり……あの一家のことなんて、踏み潰した砂粒程度にしか思っていないとばかり」
「覚えてるさ。俺のいた世界じゃ先生方の忘れ形見がとうとう俺の喉元にまで迫ってきたんだ。
 忘れられるわけがねぇ。そういう意味じゃ…お前らの目の付け所はよかったのかもな」
 だが、それも。
「結局は気の迷いだ。この幕切れがその証拠だよ」
 腕を引き抜いて首を刎ねる。
 そこまで含めてミズキの焼き直しだった。
 ハクジャが最期に何を思ったのか。
 信じたお日さまの少女に何を祈ったのか。
 それが明かされることは永遠にない。
 彼女は死んで、皮下は生きている。
 それだけがハクジャとミズキ、二人の虹花構成員の死の後に残った事実であった。


197 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:40:25 SQrki0lI0
「おっと」
 そして最後に残った造花。
 少女の腕力は猛獣すら一撃で黙らせる剛力だがそれも皮下という魔人相手には意味がない。
 片手で受け止められればそれで終わり。
 前にも後ろにも動かせず、アイは涙を流しながら精一杯の威嚇をするしかできなかった。
「無意味な殺しは俺も望むところじゃないんだ。
 せっかくの成功例を無闇矢鱈にぶっ壊してたら勿体ないだろ?」
 お前ら作るのだって安くないんだからさ。
 そう言いながら皮下は手空きの左手をそっと動かしアイの頭に触れさせた。
 撫でるのではない。
 彼はその小さい頭を掴んだ。
「あ…っ。ひ、ぁ……っ」
「ダメじゃないか、アイ。悪い子は昔みたいにお仕置きされちまうぞ?」
 それと同時にアイの体がガタガタと震え始める。
 蘇る記憶。
 忘れたい思い出。
 汚い部屋の中でゴミのように殴られ蹴られ暮らした時間。
 頭を掴まれるのは痛いことをされる合図。
 そのトラウマは超人となった今もアイの中に消えない傷として残り続けている。
「ミズキもよくこうしてたっけな。
 被虐待児捕まえて父親の真似事たぁ涙ぐましいというかなんというか」
「───」
「アイツもバカだよな。さっさと忘れちまえばよかったのに」
 皮下は人の命など何とも思わない。
 彼にとって人間とは使い捨てで死とは消費期限のようなものでしかなかった。
 だからこうして平気で死んだ人間を嘲笑う。
 が…
「ばかに…しないで……」
「ん?」
 絞り出すような声だった。
 受け止めていた腕が想定外の力によってずれる。
 虹花の中では決して抜きん出た戦力ではなかった少女が。
 恩人を愚弄されたことに対する怒りでもって、今この時皮下の想定を超えたのだ。
「ミズキさんのこと……ばかに、しないで!!」
「うおっ」
 死者を愚弄するという行為はガソリンを撒き散らすことにも等しい。
 皮下の腕を押し退けたアイの鉄拳が彼の腹に叩き込まれた。
 思わずたたらを踏んで後退する皮下。
 アイはそれを尻目に、涙を溢しながら何処かへと逃げ去っていく。
 追い掛けることは簡単だったが…そうまでしなければならない存在だとも思えなかった。
 ミズキを失ったアイなどただの心的外傷抱えた幼子だ。
 今更何ができるとも思えない。
「後で適当にお触れでも出しとくか。そうすりゃ誰かが見つけんだろ…おー痛て。本気で殴りやがってあのガキ……」
 まともな人間だったら内臓破裂どころか背骨まで吹っ飛んでるぞこりゃ。
 殴られた腹を擦りながらぼやく皮下。
 その靴底が切断されて本体を離れた梨花の右手を踏み潰した。
 ぐりぐりと。
 まるで気味の悪い毛虫を完全に視界から消し去ろうとするみたいに、徹底的に踏み潰す。
 こうなっては失われた令呪を復元させることはおろか、梨花の腕を接合することすらまず不可能だろう。
「…かわ、した……!」
「マジか、まだ意識あんのかよ。麻酔無しで腕切り落とされてんだぞ?
 …あー、ハクジャの止血が功を奏したのか。にしても凄えーな、君まだ小学生だろ?
 普通なら痛みだけで気をやって然るべきと思うんだが……」
 梨花は皮下を睨みつけていた。
 そんな彼女に皮下は驚きを示したが、勿論梨花とて平気ではない。
 頬の内側を噛み潰す程強く歯を噛み締めながら強引に意識を保っていただけ。


198 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:41:32 SQrki0lI0
 せめてもの意地だった。
 今もこの鬼ヶ島の何処かで戦っているだろう武蔵に少しでも応えるための義理。
 そして、皮下が話した界聖杯の真実を生きて霧子達に伝えねばならぬという強い意思。
 それが梨花を突き動かしていた。
 皮下の姿すら朧がかった曖昧なシルエットでしか捉えられない程曖昧な意識の中で、それでも活動を可能とさせていた。
「あんた、は…心底、見下げた人でなしね……!」
「心配すんなよ自覚はある。できれば合理主義者と呼んでほしいけどな」
 肩をすくめる皮下。
「にしても…。沙都子ちゃんといい君といい、最近の幼女は人間離れが著しいな。日本の未来は明るいんだか暗いんだか」
「……え」
 彼が何の気なしに漏らした言葉。
 それを聞いた梨花は、抱いた闘志も忘れて驚愕に目を見開いた。
 沙都子。
 北条沙都子。
 その名前は古手梨花にとってあまりにも思い入れの深いもので。
 そして……今は思い入れのみならず因縁さえもが深かった。
「あんた――沙都子を知ってるの…!?」
「お、知り合いか? 知ってるも何も同盟相手だよ」
 皮下は知らない。
 梨花と沙都子の間に存在する因縁を。
 そこにある業の深さを。
 卒すること能わぬ複雑に怪奇した縁の形を。
 知らないが、それでも彼は何も困らない。
 鬼ヶ島を舞台にした会談の席は反故にされた。
 会談は戦いに転じ、古手梨花及び新免武蔵は敗北した。
 ハクジャとミズキは死にアイは逃亡者の身に堕ちた。
 梨花は令呪を全損し、武蔵は東京に戻って死に体同然の有様で眠っている。
「まぁいいさ。何にせよお前の体は有効に活用させて貰う。
 界聖杯のお墨付きの"可能性の器"だろ? 使いようは色々と思いつく」
「っ…教えて……教えなさい!
 沙都子が、この世界にいるの!? いるんだとしたら、何処に……!」
「教えるかよ。黙って寝とけ敗北者」
 梨花の頭を踏み付ける。
 その衝撃だけでただでさえ薄れかけだった梨花の意識は消え果てた。
 これで誰も残らない。
 勝者は皮下。
 鬼ヶ島の盤石さは何一つ揺らがない。
 カイドウが不在の現状でさえ。
 梨花と武蔵と。
 "お日さま"に希望を見出した虹花の三人は一つの勝利も掴めなかった。
「とりあえず何とかなったな。アーチャーちゃんにはマジでお礼言わないとなぁ。パフェとかで機嫌取れるかねえ……」
 にしても総督はいつ戻ってくるんだか。 
 そう思いつつ。
 自分の悪運に感謝もしつつ。
 皮下は胸を撫で下ろした。
 その胸中には既に、ハクジャとミズキ…己が殺した部下達の命(そんざい)など欠片もなかった。


199 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:42:41 SQrki0lI0
【二日目・未明/異空間・鬼ヶ島】
【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:疲労及び失血(大)、右腕欠損、気絶
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:沙都子が此処に、いる…?
1:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
2:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
3:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
4:彼女のいた事務所に足を運んで見ようかしら…話せる事なんて無いけど。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。

【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:医者として動きつつ、あらゆる手段を講じて勝利する。
0:ひとまずどうにかなったが…さぁ、どうするかね。
1:大和から霊地を奪う、283プロの脱出を妨害する。両方やらなきゃいけないのが聖杯狙いの辛い所だな。
2:覚醒者に対する実験の準備を進める。
3:戦力を増やしつつ敵主従を減らす。
4:沙都子ちゃんとは仲良くしたいけど……あのサーヴァントはなー。怪しすぎだよなー。
5:峰津院財閥の対処もしておきたいけどよ……どうすっかなー? 一応、ICカードはあるけどこれもうダメだろ
6:梨花ちゃんのことは有効活用したい。…てか沙都子ちゃんと知り合いってマジ?
7:逃げたアイの捜索をさせる。とはいえ優先度は低め。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
 虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間はカイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。

    ◆ ◆ ◆

「ごめ、ん……。倒しきれな、かった………」
「気に病むことじゃねぇよ。元々押し付けられた仕事だろ」
 皮下ではなくリップの許に帰投してきたシュヴィ。
 彼女は片腕と片翼を失っていた。
 機凱種には肉体を自己修復する機能がデフォルトで備わっている。
 だからたかだか四肢の欠損くらいは然程後を引かない負傷だと言えた。
 が、シュヴィの表情はマスターであるリップへの申し訳なさで染まっていた。
 昼間のフォーリナーとの邂逅に引き続いてまたも成果を持ち帰れなかった。
 そんな心の内が幼い容貌に滲み出ていた。
 リップは自分の頭をガシガシと掻くと、ぶっきらぼうに少女の頭を撫でた。
 愛する伴侶のいる彼女にこんなことをしていいのかどうか分からなかったが。
 少なくともリップはこれ以外に失敗した子どもの慰め方を知らなかった。


200 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:43:29 SQrki0lI0
「撃退できただけでも十分だ。相手方のマスターは皮下が回収したんだろ?
 マスターも令呪も奪われた手負いのサーヴァントなんざ死に体同然だ」
 峰津院大和とそのランサーが異常すぎただけで、この鬼ヶ島は端的に言って反則の一言に尽きる。
 特定不能の異空間に備えた大量の戦力。
 そこにシュヴィが加わっている現状はまさに鬼に金棒だった。
「俺は奴と組むことに決めた。どの道もう時間だしな」
「…いいの?」
「気に入らない奴だが戦力の豊富さと設備の充実ぶりは無視できない。
 もしも切り時が来たら一方的に刺せるのも大きいな。
 孤立を深めてる峰津院と組むよりも得られる利益は大きいと判断した」
 それに、とリップ。
 逡巡するように言葉が途切れた。
 彼は踵を返してシュヴィに背を向ける。
 その仕草と目の前に広がる光景からシュヴィは全てを理解した。
 此処は皮下の選んだ実験場だ。
 そして今。
 此処にはリップとシュヴィ以外に誰もいない。
 遠くの方から轟音が聞こえてくる。
 得たばかりの力を高揚しながら試しているような…そんな音が。
「覚醒者の魂を利用してサーヴァントを強化する戦略は有用なものだと分かったからな」
 予め伝えておいたことではある。
 皮下と組む可能性は高いと、彼女も分かっていた筈だ。
 しかしそれを現実として突きつけられれば感じる思いも違ってこよう。
 皮下と組むと決めた以上。
 これから先ずっと、この戦いが終わるまで…自分達の目の前でこういうことが繰り返されていくのだ。
 その全てを理解することの重さが如何程のものかをリップは測れなかった。
 だから目を背けて相棒の少女に背を向けた。
 あいも変わらず情けない男だと自罰しながら、努めて平静にシュヴィへ話を続ける。
「貰った名刺は無駄になっちまったが…皮下の投稿が発見されればこっちの意思は伝わるだろ。
 大和への餞別にもなる筈だ。組むにこそ至らなかったが、奴らも脱出派狩りを始めてくれれば実質こっちの得にもなる」
 脱出派は聖杯を狙うマスター全員にとっての公共の敵(パブリック・エネミー)だ。
 峰津院大和も間違いなく彼女達を野放しにはしておかないだろう。
 当然此方側も何かしらの形で動くことにはなる筈だし、そうなれば脱出狙いの勢力は一気に追い詰められることになる。
「シュヴィ」
 振り向く。
 一度背けた視線を再び今は片翼の少女に向けた。
「悪いな」
「…ううん……。マスターは……すごく、やさしい人……だよ………」
「……そうか」
 そんな言葉を口にできる人間が悪人でなどあるわけがない。
 だからシュヴィはリップの選択に心を痛めはしても彼に失望はしていなかった。
 彼の願いと想いの重さはシュヴィもよく理解しているから。
 彼に勝ってほしいと思うからこそ、シュヴィは茨道を歩く彼の後ろをついていく。


201 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:44:10 SQrki0lI0
「そう見えてるか。俺は」
 しかしリップはその言葉を否定する。
 自分は悪人だと信じて疑わない。
 ヒーローになどなれやしない、所詮殺すことでしか目的を達成できない殺人鬼。
 救う救うと言いながら最後に残る一人以外を血の海に沈めていく醜いヴィラン。
 無辜の市民を怪物の腹の中へ導いた、外道畜生。
 そう信じるからこそ、シュヴィの言葉はリップの心をよく灼いた。
 それを痛みと認識できるくらいには、彼はまだまだ人間だった。

【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り3画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
1:皮下と組むことに決定。ただしシュヴィに魂喰いをさせる気はない。
2:283プロを警戒。もし本当に聖杯戦争を破綻させかねない勢力なら皮下や大和と連携して殲滅に動く。
3:敵主従の排除。同盟などは状況を鑑みて判断。
4:地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)の量産について皮下の意見を伺う。
5:ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)は様子見。追撃が激しければ攻勢に出るが、今は他主従との潰し合いによる疲弊を待ちたい。
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。

【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:疲労(中)、右腕と片翼を欠損(修復中)
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:…マスター。シュヴィが、守るからね。
1:マスター(リップ)に従う。いざとなったら戦う。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない
6:セイバー(宮本武蔵)を逃してしまったことに負い目。
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。

    ◆ ◆ ◆


202 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:45:01 SQrki0lI0
    ◆ ◆ ◆

 時刻が零時を回った。
 自室で身を休めていた峰津院大和が失望の息を吐く。
 リップからのコンタクトは結局無かった。
 彼は間違った選択をしたということだ。
 利口な男だと思ったのだがな。
 そう思いながら手元の端末に目を向ける。
「袖にされたか。無様だな」
「傷心する柄でもない。それに、奴が此方に何も齎さなかったというわけでもないようだ」
 おもむろに自分のサーヴァント、ベルゼバブへ画面を見せる。
 気安い態度に彼の眉がピクリと動いたが、結局は大人しく示された画面に視線を落とした。
 そして眉間に皺を寄せる。
 それは大和への苛立ちや怒りから来る表情ではなかった。
「欠陥品めが」
「大方、あの機械のアーチャーが界聖杯を解析なり何なりしたのだろう。
 こればかりは我々には確かめようのない真実だった。餞別として素直に受け取るとする」

@DOCTOR.K ・4分  …
峰津院が管理する東京タワーとスカイツリーの地下には莫大な魔力が眠っている。
聖杯戦争の趨勢を決するだけの魔力プールが峰津院の手の中にある。

@DOCTOR.K ・3分  …
283プロダクションのアイドル達はマスターであり、聖杯戦争からの脱出を狙っている。
そして、それが達成された場合、聖杯戦争は中途閉幕となり残存マスターは全て消去される。

「一つ余計な情報もあるがな。あの三下め」
「どの道あの羽虫共は余が殺さねばならぬ相手だ。探し出す手間が省ける」
 単純な脳細胞で羨ましいなどと口にすればまた先刻の焼き直しになりかねないので、その言葉は喉の奥に留めるとして。
 とはいえベルゼバブの言うことも一理あった。
 大和としても皮下らは早急に撃滅しておきたい相手である。
 霊地の情報を知って迂闊な気持ちで飛び込んでくる他の、ベルゼバブの言葉を借りるなら羽虫達を狩ることもできよう。
 故に此処で大和達にとって真に重要なのはやはり二つ目の投稿。
 先刻ベルゼバブとの論議の中で挙がった界聖杯についての仮説がどうも的中していたらしいという事実だった。
「283プロダクション。恐らく蜘蛛の一匹は潜んでいるな」
 峰津院の情報網には当然この二十四時間の間でかの事務所に起こった不自然な動きの話が届いている。
 皮下の暴露に曰く283プロダクションには脱出派勢力が結集しているという。
 聖杯戦争絡みの暗闘が繰り広げられていることは誰の目から見ても明らかだった。
 そしてこのやり口は素人の手付きにしては巧すぎる。
 狡知に長ける者がブレインのような形で収まっていなければ不自然な大立ち回りの痕跡が所々に見られた。
「喜べランサー。君に鬱憤を晴らす機会を与えよう」


203 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:46:04 SQrki0lI0
「…あの皮下なる羽虫が霊地の所在について明かしたことについては如何にするつもりだ?
 まさかくれてやるなどと巫山戯たことを言うつもりではあるまいな」
「霊地にはまず私が単独で向かう。十中八九サーヴァントが来るだろうからな、部下では流石に用が足りん。状況が厳しくなれば令呪で君を呼ぶさ」
 令呪という言葉を聴くなり殺気を横溢させるベルゼバブだが大和の表情は涼しい。
 彼と会話をする上で、いちいちその機嫌に配慮していては話が一切進まないからだ。
 大和は既に大分この気難しい従僕の扱い方を心得ていた。
“口にすれば話が拗れるだけだが…令呪は他人から奪うこともできる。
 勿論多少の腕は必要になるだろうが、私には関係のない話だ”
 令呪による空間転移。
 これを活用すれば二つの戦場、二つの状況に同時に関与することができる。
 無論令呪は有限のリソースだが、敵を倒して相手から奪えばさしたる問題はないと大和は考えていた。
 突如戦場に出現するベルゼバブ。
 奇襲攻撃としてはなかなかに非人道的な部類だろう。
「君は283プロの脱出派共を握り潰せ」
「居場所は」
「峰津院財閥の情報網を用いれば大まかな居所の特定は難しくない筈だ。
 相手もアイドル、当然何かしらの変装はしているだろうが…芸能人というのは兎に角目立つからな。
 目撃談がゼロということはまずない。そしてそこから先は私の手駒達の腕の見せ所だ」
 アイドル――偶像。
 偶像があるならば、そこには必ず崇拝が生まれる。
 蜘蛛がどれだけ完璧な策を講じていようとも。
 偶像そのものが放つ輝きを抑え込むことはできない。
 そしてそこが彼らにとっての致命的な隙になる。
「今すぐにとは行くまいが、そう長くは待たせないと約束する。
 貴様の大嫌いな狡知者達を思う存分虐殺してくるといい」
「…いいだろう、乗ってやる。肩慣らしには丁度いい」
「ただ一つだけ言っておく。もっとも君に対してこれを言うのは釈迦に説法という物かもしれないが」
 相手は脱出派の集団。
 ブレインに蜘蛛がいるのは確定だろうが、それだけではない可能性もある。
「相手の話には一切耳を貸すな。
 恐らく敵はまず交渉を持ちかけてくる」
「羽虫よ」
 大和の二の句を待たずにベルゼバブ。
 既に興味が失せたらしいスナック菓子の付録を握り潰して言う。
「余がそんな愚を犯すと思うか?」
「…やはり不要な忠告だったようだな。忘れてくれ」
「次はない。貴様の非礼には最早慣れたが、侮りは許さん」
 ベルゼバブは蜘蛛の天敵だ。
 何しろ話が通じない。
 武力での解決もその強さ故望めない。
 その彼が向かうことはノアの方舟を目指す脱出派達にとって最悪の結果をもたらすだろう。


204 : 日蝕/Nyx ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:46:40 SQrki0lI0
「どう脱出するつもりなのかは未知だが…何分実行された場合のリスクは非常に大きい。
 本戦もかれこれ二日目だ。取り返しのつかない事になる前に、ケアをしておくとしよう」
 絶望が動く時は近い。
 蜘蛛の糸を引き千切り。
 優しい境界線を踏み荒らし。
 無骨な復讐者を蹴散らして。
 あらゆる偶像の光を塵と断じて握り潰す。
 悪魔(ベルゼバブ)が動く。
 東京に、再び嵐がやって来る。

【渋谷区・大和邸/二日目・未明】
【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:宝具・漆黒の棘翅によって作られた武器(現在判明している武器はフェイトレス(長剣)と、ロンゴミニアド(槍)です)
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具
[所持金]:超莫大
[思考・状況]
基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:283プロの脱出派勢力の居所を探る。大まかな当たりが付いたらベルゼバブを派遣する。
1:ベルゼバブを動かせる状況が整ったら自分は霊地へ偵察に向かう。
2:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
3:グラスチルドレンと交戦しており、その際に輝村照のアジトの一つを捕捉しています。また、この際に、ライダー(シャーロット・リンリン)の能力の一端にアタリを付けています
4:峰津院財閥に何らかの形でアクションを起こしている存在を認知しています。現状彼らに対する殺意は極めて高いです
5:東京都内に自らの魔術能力を利用した霊的陣地をいくつか所有しています。数、場所については後続の書き手様にお任せします。現在判明している場所は、中央区・築地本願寺です
6:白瀨咲耶、神戸あさひと不審者(プリミホッシー)については後回し。炎上の裏に隠れている人物を優先する。
7:所有する霊地の一つ、新宿御苑の霊地としての機能を破却させました。また、当該霊地内で戦った為か、魔力消費がありません。
8:リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)に同盟を持ちかけました。返答の期限は、今日の0:00までです。
9:光月おでんは次に見えれば必ず殺す。
10:逃がさんぞ、皮下
【備考】
※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。

【ランサー(ベルゼバブ)@グランブルーファンタジ-】
[状態]:極めて不機嫌、疲労(小)、胴体に袈裟の刀傷(再生には時間がかかります)
[装備]:ケイオスマター、バース・オブ・ニューキング
[道具]:タブレット(5台)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:最強になる
0:蜘蛛の潜む283勢力を潰す。休息後の慣らしには丁度いい。
1:現代の文化に興味を示しています。今はプロテインとエナジードリンクが好きです。また、東京の景色やリムジンにも興味津々です。
2:狡知を弄する者は殺す。
3:青龍(カイドウ)は確実に殺す。次出会えば絶対に殺す。
4:鬼ヶ島内部で見た葉桜のキャリアを見て、何をしようとしているのか概ね予測出来ております
5:あのアーチャー(シュヴィ・ドーラ)……『月』の関係者か?
6:セイバー(継国縁壱)との決着は必ずつける。
7:ポラリス……か。面白い
8:龍脈……利用してやろう
【備考】
※峰津院大和のプライベート用のタブレットを奪いました。
※複数のタブレットで情報収集を行っています。
※大和から送られた、霊地の魔力全てを譲渡された為か、戦闘による魔力消費が帳消しになり、戦闘で失った以上の魔力をチャージしています。

【追加備考】
※龍脈の秘術の要となる方陣を、東京タワー(港区)とスカイツリー(墨田区)に用意しております。大和が儀式を行う事で、凄まじい魔力プール並びに強化ツールとなり得ます
※上述の儀式は徹底して秘匿されており、また現状に於いては大和レベルに術が堪能でなければ逆に発動する事すら難しいかも知れません
※界聖杯について、最後の主従以外の全員を殺さねば願望器として機能出来ない程に、頼りないのではないかと考察しております
※1日目夜9時を目途に、動画配信サイト上に、新宿御苑に医療スタッフと炊き出しの為の地質調査部門のスタッフを派遣する旨と、遠回しに皮下医院が新宿での事件の黒幕である事を示唆する動画を投下しました


205 : ◆EjiuDHH6qo :2022/03/21(月) 20:47:05 SQrki0lI0
投下終了です


206 : ◆EjiuDHH6qo :2022/03/23(水) 22:57:43 5lPIZ8Hw0
ライダー(シャーロット・リンリン)、ライダー(カイドウ)、プロデューサー&ランサー(猗窩座)、神戸あさひ&アヴェンジャー(デッドプール)、アルターエゴ(蘆屋道満)予約します


207 : ◆0pIloi6gg. :2022/03/24(木) 23:02:52 HmVbL4Lc0
>>紅いリリイのすべて
 拙作「愛の葬送」で死亡したさとうの叔母さんを"送る"話として最高のアンサー(勝手にそう思っている)でした。
 互いの死後に再会して共闘するというIF展開で掘り下げられているさとうとしょうこの二人の関係性の掘り下げはどんどん進んできましたが、
 叔母というしょーこちゃんが一度逃げ出した人物に対する追悼という形で彼女達の掘り下げの成果が見られ、終始うんうん頷きながら読みました。
 拙作の"葬送"からの今作での"追悼"で100話という節目を迎えられたことをとてもうれしく思います。:D(←嬉しい顔)
 無惨という新戦力を早速欠いてしまった形なので状況はよろしくないですが、今後とも頑張っていってほしいものですね……。

>>さまよう星と僕
 真乃&ひかるとウィル兄さんことウィリアムの心情を丁寧に描き上げた美しい一作でした。
 派手な展開上の動きこそないものの、その分登場人物達の心に優しく寄り添った印象を強く受けました。
 最新の投下で彼らも更なる苦難というか絶望に見舞われることがほぼ決まっていますが、嵐の前の静けさというか、凪の海というか……。
 激しい戦いがやって来る前の今だからこそ見られる穏やかなやり取りが印象的なお話だったように思います。
 真乃達もとりあえずこれで一度は落ち着けたようで何より……かな。
 
>>械翼のエクスマキナ/Air-raid、日蝕/Nyx
 う、うわ〜〜〜〜ッ地獄!!!(地獄なため) 芽生えかけた希望を靴底で踏み潰すような、非常に容赦のないお話でしたね……。
 皮下による界聖杯の真実を明かす瞬間から始まる急転直下の崩落劇が見事すぎました。
 武蔵を終始身も蓋もない戦法で圧倒し、当企画でも上から数えた方が間違いなく早いだろう彼女に重傷を負わせたシュヴィがあまりにも恐ろしい。
 とはいえそんなシュヴィに一太刀浴びせてのけたのは流石なんですが、しかし梨花ちゃんも令呪全損という幕切れ。
 霧子という"お日さま"に照らされた虹花達の死といい、読み終えた後にどっと喪失感が押し寄せてくるような一作でした。

皆様たくさんの投下をありがとうございました!

自分の予約なのですが、期限までに書き上げられる目処が立っていないため一度破棄させていただきます。


208 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 22:49:19 j0W5RfO60
投下の準備中です。今暫くお待ち下さい


209 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 22:54:10 j0W5RfO60
投下します


210 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 22:55:33 j0W5RfO60


 ◆



 ───わたしは、ぱちりと眼を開ける。




 広くて、深い────暗い、昏い、からっぽの井戸(イド)の底。
 目を開けた先は、いつもそんな風景をしていた。

 なにも見えないものを風景といっていいのかとも思うけれど。
 目が醒める前、眠りながら開けた目は、いつもこんなまっくらやみを見ていた。
 音も、光も、ここにはない。まるで海の底でのっそりと起きたクジラみたいに。


 お日さまも、お月さまも、そこには見えない。
                     (見えるよ。赤い炎がぱちぱちと広がってるよ)。
 
 小鳥のさえずりも、風の音も、そこからは聞こえない。
                     (聞こえるよ。炎が燃える音がごうごうって鳴ってるよ)。


 最近は夜ふかしする日が多くて、それで寝ぼけてしまって不思議な夢を見てるんだろうかとも思っていたけれど。
 何度も、何度も、同じ景色を見続けて、そうではないらしいと気づいたのが、一週間くらい経ったあと。

 だから少し、よくない想像をしてしまう。
 ああ、ひょっとしたら、知らないうちに行ってはいけない場所に足を踏み入れてしまったんじゃないかって。
 小さい頃、きっと他の子よりもほんの少しだけ触れる機会が多いそれについて考えを巡らせて、どんどん怖い方にばかり考えが進んでしまって泣き出してしまい、両親を困らせてしまったのを憶えてる。
 自分の体重や息遣いすら感じ取れないここは、怖いところで、生きてる間は来ちゃいけない世界。
 そしていま自分は、いつそうなってもおかしくない世界に住んでいるんだと。


211 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 22:56:52 j0W5RfO60


 

 ここにはきっとなにもない。
 世界がなくて、物語がない。
 明かりがないから暗いのではなくて、暗闇ですら、こんなに黒くなりはしなくて。その中で目はないものを観測している。
 ……死という、もの。
 無くて、亡くて、失くしてしまって。
 ここにいることを感じるところができない、いなくなった先の場所。あるいは始まる場所。
 
 なにもない、ということは。おなかを空かせることも、眠くなることもないということで。
 夢から醒めるまでは、ずっとこの闇を直視し続けないといけない。
 眠っている時に、誰かの、あるいは自分の死を見る。
 そんなのは本当なら耐えられないだろうけど、やっぱりこれは夢だから。  
 怖がる心は閉ざされて、感じる心も壊れないように、ぎゅっと固められて。
 ただ、『なにもない』を眺め続けていた。

 



 ■


212 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:00:00 j0W5RfO60




 ───月が、頤を上げた顔を見下ろしていた。


 ぞっとするほど、玲瓏な光。
 光芒はそれこそ針のように浴びる肌に突き刺さる。陽光でもないのに、肌に粟が生じる。
 化外の血を取り込んで醜く膨れ上がった貌を、自ら輝ける光を持たぬ土塊の分際で。
 真円に程遠い上弦は眇めるように、炯々たる巨大な白眼を晒して睥睨している。
 何物の意志もなく鎮座するだけの月にすら苛立ちが込み上げる。
 そう思うのも無理もなかろう。何しろ之は、黒死牟にとって初めての”力負け”であるから。
 
 刀柄を握る指は感覚が無かった。
 鬼(こ)の体になって、刃を受けた腕が痺れを覚えた事なぞ、数百年の最中に一度でもあったろうか。
 外皮の硬度、筋繊維と骨の密度、いずれも人という種の容量を突破している。腕が落ちようが臓物が零れ出ようが逆回しに復元がされる。
 神経は体内の稲妻すら感知できるまで研ぎ澄まされ、あらゆる不如意から解放された。
 この世のしがらみを抜け、永劫無限に強さを磨け続けた筈の鬼の体が、今、人の不条理に屈していた。

 侍の両刀での薙ぎは、それこそ海の彼方で太陽が昇る地平線のように、どこまでも力強く伸びて往った。
 眼では追えた。刀を差し込んで迎撃も間に合った。呼吸術は一糸の乱れなく月の刃の群れを形成した。
 全ての反応が間に合った上で、この始末。
 足が地面から浮き、体重が持っていかれ、月輪の守りを砕いて地平線は突き放す。
 家屋の塀に背中を強かに打たれなければ、海の先、空の彼方まで永遠に遊泳する羽目になったやもしれない。
 足りなかったのは、単純なる力だ。
 膂力、振りの速度、全身の筋肉骨格神経を武器に用いた剛力、体外へ越流した"気合い"としか呼べない観念が可視化された力。
 鬼狩りを、鬼すらも上回った剣圧が、上弦の壱を御苑の郊外、そのさらに場外へと有無を言わさず押し退けた。

「悪いな。あそこじゃまだ巻き込まれそうなんで、場所を変えさせてもらったぜ」

 月光を背負うその侍の姿、正に威風堂々。
 乱童にして怪傑。迷わず進んだ轍に一片の悔いも残さない者だけが浮かべられる破顔。
 例え死に際に瀕しようとも、男からこの気概を奪うことは出来はしまいだろう。
 釜茹で地獄から帰還した一匹侍、光月おでん。伝説を知る男。


213 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:00:37 j0W5RfO60

 抜かれた二刀は共に至極の名刀。
 一振りは白。天をも切り落とすと謳われる天狗の一品。天狗山飛徹が秀作、天羽々斬。
 一振りは紫紺。地獄の底まで切り伏せる、仕手すら枯死させる大食らいの妖刀。霜月コウ三郎が真作、閻魔。

 歴史と性能が積み上げられた武器は、それ自体が神秘の塊であり、姿なき霊を討つ神器と成る。
 汎人類史に名だたる名刀に並び立つ、誇張なく宝具の位階に達している。
 手に取る侍もまた、見劣りするどころか、ともすれば二刀が霞むだけの身体を保有している。
 打ち立てた武勇もまた規格外。海を知り、名だたる大海賊と轡を並べて覇を轟かせ、歴史の真実を垣間見、伝説に立ち会った風雲児。
 刀は持ち主の段位を押し上げ、持ち主は刀に許される最大限の斬れ味を発揮させる。
 人器一体の境。それをとうに会得したおでんこそは、数多並み居る英霊に引けを取らぬ豪傑である。
 証明はされてきた。一度は流離いの女剣士との戯れ合いで、そして二度目は此度の私闘で。
 剣聖を制した天剣を感嘆させ、魔剣士を一合にて転ばせた武錬、英雄に互するに些かの不足もなしと。
 この場で潰えれば、すぐにでも新たなる器として英霊の座に招聘される資格を有していた。


「…………退け………………」

 だが如何なる豪剣を披露しようとも、黒死牟の焦点を合わせるには至らない。
 三対の凶眼は残らず、太陽の黒点の如く燃え盛っている。虹彩に映るのは烈日の輝々のみ。

「邪魔を……するな…………私の邪魔を、道を阻むな…………」

 幽鬼の如く、にじり寄る。
 視覚のない盲獣が海底をまさぐるように、吼えて這いずり悶え狂う。
 英霊に至る剣の力量。それがどうした。どれだけ綺羅びやかな才を喧伝しようが、太陽の前には消える寸前の灯火に過ぎず、比較する事すらおこがましい。

 黒死牟はおでんを見ていない。その先に立つ、従属の縛りを受けた弟にしか意識は注がれていない。
 不滅の太陽が、不敗の神話が、不義不徳の鎖に引き摺り下ろされる。そんな有り様が許されてなるものか。
 あれを超えるのは俺だけだ。穢すのは俺だけだ。
 直射で解けた骨肉は、内側で泡噴く溶岩となって流れる。己の体から噴いた焔で絶えず男を焼き続けながら。


「一発かましといても眼中にねェかよ。ちょいと傷つくなオイ」

 漏らした言葉とは裏腹に、おでんはそこまで機嫌を損ねた風でもない。
 むしろ、賭場に来た新参をどれだけカモにして鳴かせてやろうかと、舌なめずりする嗜虐さすら浮かばせている。
 なにせ───


214 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:01:17 j0W5RfO60


「だが、もうこっちは張っちまった。賽子は籠の中だ。あとはお前の出目を待つのみ。
 生憎と、逃がしてはやれねェなあ。素寒貧か億万長者か……とことんまで付き合ってもらうぜ?」

 なにせ、喧嘩を売ったのは此方からだ。
 鯉口切って場外から乱入して、有無をいわさず試合を指名した。
 この時点で義も筋もあったものじゃない。水差しなどお呼びでないと言われれば正に正論。その通り。
 おでんは誰にも望まれない闖入者で、宿痾で結ばれた兄弟の対決に水を差した狼藉者だ。

 自覚している。
 承知している。
 酷く無粋な、非難轟々の蛮行であると理解した上で、おでんは喧嘩を売った。
 理由はある。だがしかし仔細は語らず。
 真意を聞けば膝を打つ美談と受け合いのおでん節はしかし、詳らかになるまでは珍行にしか見えないのが世の常だ。
 そしておでん節の喧嘩とは、相手が参るまで押し倒す。これに尽きる。

 即ちは────

「ようはよ、わかんだろ?」



 この試合に正義はなく、悪はなく。意義も見当たらない。
 今が地平聖杯戦争の只中であり、一夜の佳境を迎えようとしている最中であろうと関係ない。
 戦う意味がまったくなかったとしても、この二人にはそんなものは必要ない。
 なぜならば、彼らが己を通さんとするならば。そこに行き着く道がひとつしかなければ。


「邪魔だからはっ倒す、気に食わねェからぶっ飛ばす!! 
 飾り立てようが所詮、俺もお前もどうしようもねェ悪ガキだ。喧嘩ってのはそんなもんだろうが!!」


 押し通るのみこそが、ただひとつの道理……!


215 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:01:44 j0W5RfO60



 血華咲き誇る彼等が極地。
 月は赤く染まらずとも、剣の鬼が見えれば、屍山血河の死合舞台の帳が降りる。
 敗北せし者の魂を取り込み食らうは、どの刃か。

 さて、お立ち会い。
 いざ、覚悟召されよ。
 之よりご覧になるは魂震わす果し合い。
 空前絶後、驚天動地、我らが我らである証を立てんとす武の権現。
 まことの真剣勝負────その結末が如何なるものになろうとも、決して瞬きなきよう、お願い奉り候。
 

「いざ! 尋常にィ! ───────勝負!!」


216 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:03:58 j0W5RfO60


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 



                   壱   英                    
                   本   霊
                   勝   悪
                   負   鬼



                     待
                     っ
                     た
                     な  
                     し
                     !
  
                    



 
            黒  セ           光  鍋 
               イ              奉
               バ           月  行
            死  |              
               ・           お  
               無              大  
            牟  間           で  殿 
               地              侍
               獄           ん   
      
               一
               切
               斬
               獲





                    い
                    ざ
                    尋
                    常
                    に
 
 

                   勝負!!                   


                     

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


217 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:04:30 j0W5RfO60





 手本となる動きを見ておく事の重要さを、この齢になって初めて思い知った。


 剣術指南の記憶ぐらいはあるが、あくまで基礎の基礎、刀の振り方の手ほどきを受けた程度。
 乳児の時点で野の獣相手に大立ち回りを演じ、10になればヤクザとの抗争に明け暮れて、律儀に同情で稽古を受ける暇なぞありはしなかった。
 気づけば、おでん二刀流という、独自の剣法を体得していたのが18の頃だ。 
 その無軌道と奔放さから、手を付けられる師範なぞいるはずもなく、おでんが使う技は完全な我流に仕上がった。
 自惚れたりもせず、驕慢も憶えず、自分なりに律儀に鍛錬を続けて、ワノ国一と挙げられても文句の付け所のない大剣豪。
 生来の才覚を独自に鍛え伸ばし、誰の教えで矯正されもしなかったからこそ開花した天稟ともいえる。性格上薫陶を大人しく受けられる性でもないだろう。
 後に海を渡って、自分以上の大物に触れる機会は数知れなかったが、だからとてそれに倣って自分の戦い方を変えようなどとは露とも考えたりはしなかった。縁壱もまたそうだ。

 見たことのない剣の冴え。風に乗って流れる桜の花弁のように自然な、一切無駄のない挙動。
 剣の道を志ざせば誰もが思い描く。頭で考えた通りの流れで自由自在に動かせる自分の体。
 当然絵に描いた餅を食えるわけもなく、都合のいい所しか見ない稚拙な思考では肉体はついていけない。
 その齟齬を少しでも埋めるよう、体を絶えず強くし、思考を知識で補強して順応していく。
 そしてそんな届かぬ理想を、尽く身一つで実現してのけている男こそが縁壱なのだ。
 模範にして極限である剣腕を心底惚れ込んではいるが、まさかそれを模倣しようなどとは思考の片隅にも置かない。
 だいいち、三十年以上も費やして得た技術はおでんと一体になっている。今更縁壱と取り替えは利かない。
 一度出汁が染み込んだおでんの具は、違う味には変えられないのと同じだ。違う液に浸せば、不味くなって身を崩す。
 ただ……『教材』として見せてもらう分には、何の支障もなかった。


218 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:05:14 j0W5RfO60



”顔と名前もまだ一致しちゃいねぇ、主従を結んでの早々だが、頼みがある。
 同じく剣を嗜むよしみとして、ひとつお前の技を教えちゃくれねェか? ああいや細かく言うと、その妙に耳に残る呼吸の仕方なんだがよ”


 武芸者であれば、呼吸と武術の関係性は精通していて然るべきだ。
 人間なら誰であれ持つ生態機能。普通は息をするのに意識すらしていないそれは、全ての生命活動の要となる基盤だ。
 食事にも、運動にも、勉強にも、睡眠にも、当然武術にもだ。
 激しく動くには多く息をしなければならない。だが疲労が溜まれば呼吸がしにくくなる。そして息が乱れれば、全ての行動は阻害され精彩を欠きやがて停止する。
 この負の循環を解消するため、多くの武芸者、研究者が、日夜効率的な呼吸の方法を模索している。
 どれだけ息をしても疲れを感じず動き続けられるような理想型に辿り着けるかは、一生を捧げても届くかどうか、老境に事切れる寸前に至れるかといったところだ。
 怠惰に過ごそうが息はするし生きてもいける。当たり前の生態ということは、仕方を僅かに外していても体感がし難いということ。
 ただ息をするだけの行為も、探求すればどこまでも終わりのない底抜けに奥深い世界なのだ。

 おでんも呼吸の鍛錬については一通りを修めている。 
 我流なだけに、より本能に根ざした部分に意識化がなされたのだろう。
 覇気・流桜という、生命の力を体外に排出する闘法を用いるのであれば、自らの内界の操作を覚えることは必須とすらいえる。
 だから縁壱の埒外の剣舞を見て、圧倒されると共に、鼓膜を揺さぶった聞いたことのない奇妙な呼気に勘付いたのだ。

 おでんは縁壱の見せた演舞を、ひとつも取り零さず目に灼きつけると、自分の動きの無駄な部分に気づけた。
 ほんの僅かな手首の角度の違い。足の運びの違い。呼吸の間隔の違い。
 今まで気にも留めていなかった小さな動きを修正するだけで、動きの全体の滑らかさが段違いに変わったのを肌で理解できた。
 元から人域の限界に極めて近い位階にあった力を、より効率的な力の配分のし方を覚える事で速度の上昇が可能となるのだと、己の飛躍を実感できた。


219 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:05:46 j0W5RfO60



 思えば、あれは純粋な好奇心だった。
 謳い文句を言い終えるより先に銃弾を受けて、眼を覚ませば見知らぬ土地に五体満足で放り出され、驚く暇もなく光から侍が現れて、しかも目が飛び出るほど強いときた。
 目の前の侍の途方もない強さの武者震いが、状況の把握とか聖杯がどうとかを置き去りにしていた。
 幾つになっても、男は夢を見る。直前に手痛い敗けを味わった手前、埋もれていた挑戦心の再燃が、新たな強さの希求に繋がった。
 その時は、それしか考えていなかった。これを機に自分を見つめ直し、精進を重ねようという程度の、真剣ではあるがどこか呑気な腹積もりだった。
 
 呼吸の鍛練に近道はない。とにかく死ぬほど努力を重ねるしかない。
 地道な作業だ。そして根気のいる道程だ。
 派手好きで横好きのおでんにしてみれば実に気が進まない。普通なら覚えようとはしなかっただろう。
 息の仕方を変える事は、生理生態の機能を丸ごと入れ変えるにも等しい。
 焦れて投げ出したくなった日が何度あったか。よくぞ一月も続けられたものだと過去の自分を褒めてやりたい。


「”おでんの呼吸 弐ノ具材”」


 今は思う。あれは必要な修行だったと。
 全ては、来る時の為の収斂。
 この力を使う日が必ずやって来るから、一月の内に改めて牙を研いでおけという”意志”だったのだ。

 果たしておでんは気づいていたのだろうか。
 己の運命。この地平の常世に招かれた悪龍を。
 往時のままでは止められぬ、強食の理念を敷く若き総帥を。
 天啓という先触れの声を、おでんは疑わない。己も一度死する前、同じように遠い先の未来に目を向けていたのだから。

「”弐弾・豪(にたま・ごう)”!!」

 上半身を弓を番えた弦のように引き絞り、大きく振り下ろす。
 両刃から射出される衝撃波は、およそ斬撃と呼べる形状をしていない。
 弧月に急激な速度による回転の遠心力を加えた、楕円形に伸びた『砲丸』だ。
 投じられた豪速球は前方に展開される弾幕の中を突き進む。月が砕かれ、割れ、蹴散らされる。


220 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:06:33 j0W5RfO60


 陣を抜けて迫り来る弾を危なげなく避ける黒死牟。
 速度こそ凄まじいが、太刀筋が直線的過ぎだ。軌道さえ読めればかわすのは造作もない。
 次の一手を指す為の布石であると知れば、尚の事だ。

 飛空する月の牙群に生じた隙間。
 砲丸が過ぎ去った跡には、弾幕を破かれた事で月輪のない空白地帯が出来ている。
 入れば断たれる剣の結界。剣客の命ともいえる間合いを詰めさせない、盾にして矛の型。そこを崩し作った間隙の割れ目に身を滑り込ませた。
 回避の選択を取った黒死牟に先んじて、攻めの面を通したおでんが戦場を我が物と躍り出る。


「ォオオオオオッ!!」


 肉薄。


「………………!」


 交錯。


 双刀を迎え撃つは無数の散刃。おでんという巨大な引力を目印に墜落する箒星。
 千々に散りばめられ、自身目掛けて降り注ぐ月の欠片、斬撃の網を、範囲に入ったものから片端に叩き落としていく。

「よくは見えねェが面白ェ技だな! その剣から出てんのかあ!?」

 刀身から発生する力場の大輪と、その周囲に不規則に増減する小輪。
 月の呼吸の斬輪軌道をおでんは捉えられてはいない。
 【見聞色】と剣士の勘任せで、肌に触れた瞬間から、食い込んで肉を千切るまでの刹那に腕を振るって弾くまでが精々だ。
 だが怯む事もない。恐れもない。ただ見た事のない技術に、驚きと心躍る好奇を胸に抱いて出迎える。
 未知なる舞台で、未知なる部族の、未知なる攻撃に晒されるのは、"偉大なる航路(グランドライン)"での冒険にとっては日常の一幕。
 最初の航海に連れてもらえた白ひげ海賊団で、道中に乗り継いだロジャー海賊団で、着いた島を一番槍に飛び出し、出くわし、巻き込まれ、心ゆくまで騒いだのだ。
 この技もそうだ。【武装色】で斬撃の範囲を広げ、遠距離攻撃に換装するは数あれど、斬撃を残して置いていくなど、これほど独特なものには早々お目にかかれない。 
 そして軌跡にだけ構ってはいられない。気を余所にやれば続く二の刃に首を取られる。
 最も警戒しなくてはならないのは始点たる黒死牟の腕。一流の剣士の手による生の太刀筋こそが相手の本命だ。
 その場に留まっていては、増えていく剣筋に雁字搦めにされて身動きが取れなくなる。


221 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:07:35 j0W5RfO60



 然らば、撃ち落とすのみ。
 手数には手数。設置された罠を乱れ斬って細かく裁断する。
 おでんの呼吸。取り入れた息吹が毛細血管を拡張する。名付けられたばかりの型、新生した剣技が鍔を鳴らす。

 「”参ノ具材 逐倭武(ちくわぶ)”!!」

 縦横無尽に振り回す黒き乱舞。
 冷厳なる夜に絢爛な刃葉(はば)の桜が舞い踊る。
 二刀流による突進はかの女武蔵も用いた突破法だが、両者の技量には差異がある。優劣ではなく、質の違いとして。
 鮮花咲き誇る、美しく正確無比な鋭さが武蔵の剣なら、おでんの剣は武骨の塊、金剛をも粉微塵にする極太の丸太。
 手数は劣るものの、触れる月輪を逆に粉砕せしめる剛力がおでんにはある。
 そこに呼吸術の後押しが相乗され、対極の手でありながら黒死牟の攻めと五分に渡り合っていた。

(まだだ。もっと練り上げろ。肺にある空気を残らず使えッ)
 
 加速し始めたこの勢いを殺したくはない。意気つく間もなく畳みかける。
 黒死牟の型が変わる。前方を多い尽くす林群から、上から覆い被さる鉄格子に。
 【弐ノ型 珠華ノ弄月】の切り上げが前進を留めるよう展開される。

「“肆ノ具材 混・不間鬼(コン・ブマキ)“!!」

 ───戒縛を裂く竜巻。
 体を独楽に見立てての回転斬りが、静寂を打ち壊す乱気流へと進化する。
 月輪を吹き飛ばしても止まらない。回転する度に運動力は増し、影響は拡大し、大気を巻き込んで、かき廻す。
 荒巻き迸る人造の奔流。眼前に突如として顕した夏の嵐を浴びた黒死牟にたたらを踏ませ、足を下げさせた。


 攻勢の天秤が、比重を変えかけている。
 俄仕込みとは思えない呼吸の冴えが、怒濤の攻めを後押しする。
 見知らぬ無頼漢が己の世界に通じる呼吸を用いる不合理。異なる世界で育った似通う術などではない。何から何まで完全に一致している。
 男が独自に磨いたのでなく、全集中を知る者が適切に指導をした跡が見て取れた。
 黒死牟は、その正体を知っていた。

”お前が教えたのか、縁壱”

 そもそも鬼殺隊に呼吸術を教えたのは、誰あらん縁壱である。
 個の強さのみならず、他者を指導する才にも縁壱は恵まれていた。個々人の適性を見抜き、それぞれに合った型に分けて派生したのが、後の五大呼吸の起源。
 英霊ならざるマスターに教え込ませるのも、縁壱にすれば造作もない事だ。
 だが召喚された矢先から教えを受けたと仮定しても、修行を積ませられる期間は、長くて予選時の一ヶ月のみ。
 本来なら肉体に呼吸の効果が作用するどころか、覚えた呼吸を安定して使えるようにするのがやっとの期間だ。
 それをここまで習熟させ、ものにするとは。信じ難い早熟さだ。


222 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:08:11 j0W5RfO60


 いいや。そうではない。丹念な修行の時間は必要ない。
 おでんはとうに剣士としては円熟期に入っている。年齢的にもそれは明らかだ。
 手足は伸び切り、技術も肉の一部にまるまで癒着した。実戦経験も存分に蓄積されている。
 呼吸は、あくまでそこにもうひと押しをする為の起爆剤だ。火に焚べる薪であり油だ。
 その世界で完成した肉体を、別の世界の技術を組み込んで一回り再調整させるに留めて、自前の技の切れを磨くのに専心させたのだ。
 時を超えた融合、亜種並行世界同士の技の融合。
 いわば継国縁壱の最後にして最新の弟子。歴代の鬼殺隊の番付におでんの名前を刻んでみせた。

”また、お前ばかりが受け継がれるのか。お前の技だけが”

 腕の痺れは抜けてるが、一瞬でも緩めれば指から剥がれ落ちかねない衝撃が一合毎に刀身を震わす。
 しかし真に震えるのは何処を指しているのか。男の腕とは全く別の出処から殴られるようなこの衝撃は。

”誰も、お前の境地に到れるわけでもないのに”

 縁壱との邂逅が、全盛の頭打ちにあった剣士に新たな扉を開かせた。
 だとしても───あの男には届かない。
 足りないのだ、貴様達は。
 変わりはしないのだ。何度実力を見せつけようとも。
 どれだけの標高の断崖を踏破しようが、天の日輪は掴めない。
 尚も触れようと翼を得てさらなる飛翔をしようと飛び上がるものなら、不遜の代償を支払う羽目になる。
 火を灯された蝋燭と同様、寿命という不可逆の前借りを───。


「…………ッッぶはァ!!」


 崩れた。
 張り詰めた筋肉の弛緩、濁流より早く走る脈動の停滞。
 足を踏み外しかねない大げさな息継ぎが、本人の意に反して強制的に起きる。
 おでんほどの手練ならばすぐさま復帰できる間、だが触れ合う距離での切り合いでは許されない隙。
  
「オ……ァァあッ!」

 ぎりぎりの反射神経で受ける。かち合う両者。
 しかし明らかに力が籠もってない。本来ならば黒死牟を押し退けられるだけの筋力が備わってるのに、先程で比べればまるで赤子の手だ。
 踏ん張りが利かず腰から仰け反る。肺が潰れかけたせいで、血中に酸素が行き渡らず、筋肉を絞める指令が届かないのだ。
 超常現象、神秘的現象を起こす覇気も、根底は生命力の発露。人体力学の構造は突破出来ない。
 肉体の調子が狂えば、それだけ放出量も萎んでしまう。
 俄仕立ての呼吸術を取り入れ、自前の技術と協調が出来ないまま実戦に臨んだ結果が、これだった。


223 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:08:49 j0W5RfO60


”こんなものが、お前の期待した未来なのか?”

 これは予期されていた光景だ。
 呼吸術とは縁壱に近付く為の模倣。太陽目掛けて飛び込むという、婉曲な自殺行為に他ならない。
 英霊の座に飛び入りをかけられるおでんといえど、無事に済むわけもない荒行。油煮え滾る釜に放り投げられる、生前の死の再現だ。
 看板を掻っ攫って勝負を挑んできてこの体たらく。黒死牟の失望と侮蔑の念はとどまるところを知らない。

「それで……終わりか……では、疾く逝ね…………」
 
 マスターが死ねば契約を喪ったサーヴァントは消滅する。
 知識に収めてはいても、容赦を与える気は一切ない。
 むしろ、分不相応に主の座に居座り莫迦げた放言を吐いた罰を与えなくては、こちらの気が済まない。


【月の呼吸 漆ノ型】


 血を沸かす。
 鬼が鳴く。
 魔を孕む呪言が夜に音なく木霊する。
 ただならぬ殺気の充溢。覇気にも近しい気配に大技が来ると、萎えた四肢に喝を入れ持ち直そうと呼吸を再開した直後───眉間に触れた切っ先に肝が凍りつき、跳ねるように飛び退いた。

「!? は!? 伸びんのかソレ!!」

 鍔迫り合ってた刃渡りが眉間に向かって伸びたのだと、三回跳ねて着地してから見て、慄く。
 目と目の間を生温い液が垂れる、頭蓋を滑るように逸れた刃は表面を削いだ程度だ。直刃では。
 突きと同時に、例の力場も放出されていたのだ。そして刀身が伸びただけ展開範囲も広がった。
 月牙の方は、おそらく骨を掠めている。零れる血は軽傷では済まされない。
 視界を汚す血量だが、拭う暇はない。既に向こうは構えを完了している。
 

【厄鏡・月映え】

 見えざる巨大な獣が爪を振り下ろした。そうとしか見えない破壊の斜線。
 五の爪が横に広がり、少輪が従来通りに間を埋めて踊りかかる。
 
”速い! 間に合わねェ!”

 間合いの詰め方が速すぎる。迎撃の型を取るよりも早く到達する。
 攻撃範囲は倍以上。衝撃波というか、津波そのものだ。
 残る逃げ道は、上。おでんの脚力ならば難なく跳び越えられる。相手もそれは見越してる筈。
 故にこれは逃げに非じ。攻めの指向に傾けた跳躍。間合いの外から撃つ技はあちらの専売特許ではない。
 態勢させ直せばこちらのものだ、津波のお返しには大砲をお見舞いさせてくれる。


224 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:10:10 j0W5RfO60

 

【月の呼吸 拾ノ型】

 
「な──────」

 今度こそ、おでんは戦慄と驚愕で臓腑を握り潰された。
 馬鹿な。幾らなんでも速すぎる。どうして動きが読まれてる。
 見開かれる双眼に、黒死牟は何も返さない。
 当然の結果である。
 防御も反撃も不可能な呼吸の間での面制圧。
 上に跳ぶ以外の選択肢を排除させて、そうするしかない場に追い詰めていたと、知っていたのだから。

「てめェ! さては見聞……!!」

 言葉は続かない。
 大気を引き裂く絶叫を上げながら、災禍の星が墜落した。


【穿面斬・蘿月】


 それは最早、剣術ではなく、斬撃ではなく、衝撃波でもない。
 剣から発生したものとしては、あまりに分厚く、歪で、悍ましい形状をしていた。
 それはまさに削岩機であった。

「ぬ”ぅ”────ウォアアアア!!!」

 金属が擦れ合う、ガリガリと耳に嫌な凶音が響き渡る。振動だけで骨まで割れそうだ。
 奥歯を噛み締め、血管を内側から破裂させながらも、交差した刀で食い止める。
 これを食らえば、人体など屠殺場で捌かれる家畜以下の有様となる。木っ端微塵だ。
 肩にのしかかる重圧、守りをすり抜けて手足に纏わりつく月輪を耐えて、耐えてみせると奮起する。
 流れからして、謀りも撹乱もここで一段落だ。二重に張ったここまでのお膳立ては、明らかに決める気でいる。
 仕留めにかかる全力の技だからこそ、打ち終わった後は硬直が生まれる。
 故にここを凌げば、反撃の目を出せる。出さずして何のおでん節か。
 「閻魔」と「天羽々斬」は、送られた覇気に呼応した黒雷で月輪を散らし、主君への義を務めんと侵攻を阻止する。
 共に最上大業物の号を賜った得物、下手物剣法で折られる根性はしていない。
 中空からの振り落としではそのまま地面に落下するしかないが、衝撃を堪える自負がおでんにはあった。
  
 
”オイ、まだ下には───”
 

 落ちていく先。 
 何から避ける為に地を跳んだのか、直前の行動を振り返って、おでんは黒死牟の狙いを悟った。

 上下を、挟まれた。
 蘿月の墜落地点と、未だ地上を滑る月映えの軌道上の先。
 ふたつの技が重なり合う一点に、今おでんの体が突き落とされていた。
 翼なき人は自由に飛べない空、たとえ飛燕でも行き場のない檻。
 両腕は蘿月の支えに絡め取られ、踏ん張る土台のない両脚はばたばたと虚空を掻き分ける事しか出来ない。
 先鋭化された思考がどれだけ考えを巡らせても、現実の体は無慈悲に、無情に流されるまま。


「刀の咽に……呑まれて消えよ……」


 天から垂れる蜘蛛の糸にしがみつく愚者の顛末。切れた糸が待ち受けるは針山地獄。
 龍の大顎が閉じられる。口腔に入り込んだ稚魚をごくりと嚥下した。


225 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:10:53 j0W5RfO60

  
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 何事かを叫んだおでんの声は聞こえない。砕月の破壊音は他の自然をかき消した。
 土石を割り、地盤を貫通して生まれるクレーター。屈服する地平の常理。
 高速回転する金属の摩擦か、辺りでは焦げついた異臭が漂っている。
 およそ剣を振って出来た光景とは信じられない、惨憺たる現場。
 人の業(ごう)が生み出した鬼の業(わざ)。
 複数の呼吸の型を、単一で重ね合わせるという絶技。
 剣術の枠を破り開花してしまった破壊痕は、正しく魔技の原理に他ならない。

 黒死牟は王手詰めを疑わなかった。
 上に防御を取らせてからの、無防備な下への挟撃。
 全身の体重を支える屋台骨となる下半身を破れば、上半身にかける力も半減する。
 おでんの体はどれも常人を大きく逸脱した総量だったが、構造自体は人間の範疇のままだ。この理に抗う現象は起こせない。
 剣の術理とは握る腕だけでも、そこに繋がる上体を使うだけではない。頭の天辺から足のつま先を残らず駆動させてこそ武術は成る。
 筋肉の収縮。血流の流動。骨の可動部位。肺の膨張。
 生物の構造を透き通らせる視界を得ればこそ、これらの間隔に最適な一撃を差し込める。
 
 故に耐えられない。
 故に死ぬ。
 縁壱の主を僭称する未熟な侍は、月の魔獣に全身を跡形もなく噛み砕かれる。
 己を超えて行くなど、末期の際に見た儚き夢であった。
 おでんは死に、縁壱は消える。再戦の続きはまたしても霞の先に消える。


 ──────では、問うが。
 舞い上がる土埃の只中で立つ濃い影は、一体誰のものであるのか。



「何…………」

 夏の湿気を含んだ風が流れ、埃を晴らす。
 すり鉢状に陥没した地面の真ん中には、見間違えようのない傾き武士。
 二の足で立ち、両腕で名刀を握る、光月おでんに他ならない。

「あんがとよ。さっきから血の巡りがよすぎてパンパンで、血管破裂しちまいそうだったもんでな。いい血抜きになったぜ」

 気の抜けた事を言ってるが、黒死牟の頭はそれどころではなかった。
 何故立てる。
 何故生きている。
 殺す気で斬った。一寸の勝機も与えず、遊びも手抜かりも入れていない。かわせる道理は皆無だった。
 この男はもう死んでいなければいけないのだ。それが自然の摂理なのだ。
 だのに何故、奴は生きていて、あまつさえ五体満足で仁王立ちなどという威厳を持った振る舞いでいられるのか。


226 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:11:33 j0W5RfO60

 
「何を……した……。どうやって……あの技を……かわしたというのだ……」

 疼く蟀谷の頭痛に六の眼が締め付けられる。
 驚愕と動揺を、今度は黒死牟が味わう番だった。
 理が狂う音が頭蓋の中でけたたましく鳴っている。忘れかけていた火が再び胃の腑を灼く。

「……かわしてねェ!! 耐えたんだ!!」

 べん、と琵琶を弾く音色が聞こえた。
 そんな気がするほど爽やかで簡潔な答えを、おでんは告げた。
 惚けてるつもりかと訝しむが、埃が完全に去ったおでんを見れば、たちまち疑念が解消された。

 血に濡れた全身。
 足元に水たまりが出来る量の失血。
 何処の箇所を見渡しても横線が入って、逆に斬られてない部位を探す方が億劫になる。
 傍目に見れば、満身創痍そのもの。
 立ち尽くしたまま息絶えていると聞けば、その通りだと納得して呑んでしまうような死に体だった。

 回避しなかった事が虚言ではなく事実だとは分かった。
 では耐えたとは何だ。それは文字通りか。
 上弦の撃ち放った斬撃をもろに喰らい、全身を切り刻まれながら、生き永らえたとでもいうのか。
 
 回転式の鋸のように細かく裁断する蘿月の傷は無い。
 刃を重ねて集約した蘿月よりは、範囲を拡大させて散らしている月映えの方がまだ殺傷力は劣る。
 より重傷となる技を防ぐのに専心し、残りは自らの体力に託して受ける選択をしたというのか。
 かの天元の花、武蔵ですらこんな、奇抜が一周回って正道に見える錯覚を起こす道は進むまい。
 斬撃を骨から先に届かせない肉の厚みと、そこに被せる覇気の鎧への自信。
 何より、迫り来る刃を怯まず受け入れる気構えがなければ、到底実現し得ない。
 最早胆力で言い表せる話ではない。武士の遣り取りではなく博打に手を出す気狂いの行いだ。
 そんな狂した真似で、己の必殺を覆されたのか。指の一本も奪えず、死に瀕していてもなお笑ってみせる男に。
 頭がどうにかなりそうだった。有り得ない不条理を見せられている。

 
「……しかし、なんだよお前。もう十分強ェじゃねェか」

 肌の色を朱にして、おでんは口を開く。
 皮肉のない、称賛だった。黒死牟の強さに、練武に、心底感服致したと腹を見せる。

「そんなになっても、それだけ積んでも、また足りないってのか。
 そこまでして勝ちてェのかよ、縁壱に」

 礼賛には靡きもしなかった黒死牟の心境が荒れ狂う。
 その名を口に出すな。お前がその名を口にするな。
 あの女剣士のように、縁壱のように、お前も私を憐れむのか。
 化物になってでも勝ちたいと、強く在らねばならぬと邁進する道が間違いだと。


227 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:12:27 j0W5RfO60



「凄ェな」


 短く。一言。
 
「おれはもう、あいつの剣を見たらひと目で惚れ込んじまったからよ。そういう気持ちは湧かなかったんだ。
 でもお前、兄貴なんだろ。あれをずっと見てきて、諦めも腐りもせずに鍛え続けたんだろうよ。
 そいつは誰にも出来るもんじゃねェ。それだけは認めてやらにゃあな」

 言祝ぐ賞美は強さではなく、傑出した身内を追い続けた登攀への労いだった。

「まあ、近くで見てると、あいつもけっこう抜けてるからな! 意外と傍にいなくちゃ危なっかしいとか思ってたか? 
 俺もよ、まだ予選の頃に公園で茶しばいてた時、子供連れで遊んでる夫婦をのほほんとしながら見ていてよ。どうしたって聞いたら『この世界はありとあらゆるものが美しい。そこで幸せに暮らす人を見てるだけでこちらまで嬉しくなる。お前もそう思わないか』って言うんだよ。
 いや菩薩かよ! 頭までお日さまなのか!? とか軽く引いちまったぜあれは」

 豪放に磊落に、酒のあての話でも披露しているように大笑いをする。
 笑い話、のつもりなのだ。鮮烈過ぎる強さだけが先行して掠れてしまう、縁壱の人の顔の素朴ぶりを、笑うに相応しい面白さだと。
 ひとしきり笑ったと思ったら、おでんは一点して表情を厳しくして黒死牟を見据え。



「だからよ、おれには分からねェ。
 そこまで凄い弟を、なんでお前は褒めてやらなかったんだよ」



「─────────────」
 
 理解を判じかねる事象は幾度と経験したが。
 理解を放棄する空白に、黒死牟は初めて直面した。

「凧揚げでも独楽でも一緒に遊んでやればよかったじゃねェか。
 一緒に轡を並べて戦えるのを誇ってやればよかったじゃねェか。
 のっぴきならねェ事情があって、離れ離れになっちまっても、たまに会いに来て、でかくなったなとか、流石おれの弟だなって、肩を抱いて酒を酌み交わせばよかったじゃねェか!」
 
 人間と鬼との戦いの歴史の深さも。
 因習蔓延る武家のしきたりも。
 鬼狩りを裏切って鬼に与した、怨恨の背景にも。
 おでんにはどうでもよかった。心底、本当にどうでもよかった。
 おでんが許せないのはたったひとつだった。黒死牟を怒るのは理由はそれだけだった。



「あいつは!! お前に!! ずっとそうしてほしかったんだぞ!!」


 これはただ、友が為の喝破だ。
 友を悲しませた兄の不甲斐なさへの咆哮だ。
 深い話は知らない。細かい事情を把握せず、伝え聞いた兄弟間への諍いに、たまさか縁を結んだという理由だけで襖を開けて押し入った。
 くだらなく、お節介で、傍迷惑限りない理由が、おでんという侠(おとこ)を突き動かしていた。
 そんな矮小な動機で命を張れるのが、光月おでんという侍(おとこ)なのだ。


228 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:13:32 j0W5RfO60



 一方の黒死牟は、只々唖然とする他に何も出来なかった。
 何を言っている。 何を知った口で怒鳴り散らしている。
 縁壱が自分からの施しを求めていたなどと、想像しただけで怖気が走る程たちの悪い冗談だ。
 話の筋道が立ってない。まるで酔漢の暴言だ。

 縁壱も、武蔵も、おでんも。
 誰も彼もが口を揃えて言う。後ろを振り返って、落としてきたものを顧みろと指を差す。
 落としてきたのではない。捨てたのだ。強さ以外の尽くは余分な荷物だ。
 家も、妻子も、同胞も、子孫も。手に入れる為には持ち得る全てをかなぐり捨てた。
 人の時代が何だというのだ。今より弱く、燃え尽きる有限の命を抱えた身に後悔の念などあるものか。
 拾う価値など、残るものなど何も、



 ─いただいたこの笛を兄上だと思って、どれだけ離れていても、挫けず日々精進致します─



 ─お労しや。兄上─





─心が……どこにもいけないままだと…………命も……どこにもいけないから……─





 脳漿をぶち撒ける悪寒。
 灼熱が精神を火達磨に変える。
 捨てた筈の懐古が、忘却した筈の歌が強襲する。

 考えるな。考えれば敗ける。またあの敗北を繰り返す。
 惨めで、無様で、何も手に入らず何も残せない、この世に生まれた意味を見いだせない終わりが待ち受ける。
 そんなのは二度と御免だ。これは屈辱を払拭する為の闘争だ。二の轍を踏めば、それこそ何の為の現界だ。

 だから斬れ。殺せ。 
 路傍の石を投げつけてくる不遜者に向けて刀をかざせ。
 死者は、言葉を残さない。何もしてこない。

 咽を斬って口を噤ませろ。
 肺を裂いて呼吸をさせるな。
 これ以上、奴に何も言わせるな……!


 中断されていた剣戟の再開に、たちまち空気は戦場へと立ち戻る。
 以前と異なり、攻め手に回るは黒死牟。
 枝葉に分かれた奇刀を手首で回せば、蘭と光る月が舞う。
 月の呼吸を名付けられた、今は既に血鬼術の枠組みに含まれた月輪の雨の威力は先刻通り。長大化した刀に準じて、総量も密集具合も段違いに向上している。
 狂宴乱るる凶月を囲いながら、己もまた前進。長刀と遠距離斬撃によるリーチの利点を捨てたと思いがちだが、脅威度はこちらが倍増しだ。
 外から撃ち続けるだけで済むなら、避ければその場は助かる。間合いを離したままの一方的に掃射、避ける事のみを考えていればひとまず命は繋がる。
 勝機は一生回らないが、即死の可能性はほんの少しだが薄れる。
 その力場を全身に纏った状態からの接近戦。こちらこそが真の悪夢だ。
 長刀故の小回りの利かなさ等ものともしない。人外の膂力と感覚は、元の刀以上の剣速と精妙さを両立する。


229 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:14:55 j0W5RfO60

 
「───”全・集・中”!!」
 
 雄叫びを上げ、正面にて突っ込むおでん。
 使うは全集中の呼吸。生兵法を咎められても、躊躇せず体を作り変える
 猪突猛進の諺のまま、負傷を無いものと扱い向かい合う。事実気迫はこれまで以上に膨れ上がってる。
 負けられない戦いで失策してしまったのはおでんとて同じだ。情と義に悖るを絶対に良しとしない信念は、時に勝利から遠ざかる選択を取らなくてはならなくなる。
 かつておでんはそれをしてしまった。寡兵にて大軍を相手取った大立ち回り。大将首を取る事のみが唯一の勝利条件。
 確かに倒せる状況まで持ち込んだにも関わらず、息子の偽物を囚われた狂言に引っかかり、勝機を逸してしまった。
 敵の策が一枚上手だっただけであって、恨みはないし、あそこで息子を見殺しにして遂げた本懐に、自分は納得しなかっただろう。
 真逆の立場、預かり知らぬ騙し討ちで勝ってしまったカイドウとて同じ思いだったろうと、宿敵の心境を慮る気持ちすらある。
 後悔はない。だが無念ではある。
 続く先の未来を見据えていたとはいえ、その間に民は飢え苦しみ続ける。己がしくじらなければそれが最上なのは違いなかった。
 思いの質と戦いの結末は、必ずも一致しない。死者の身であるおでんは世界のままならさを、人一倍知っている。  

 だからこそ。
 信念と勝利が重なった時の強さも、この上なく知っている。
 聖杯の真偽も、カイドウとの決着も、今だけは頭にない。
 異世界で知り合った友の苦悩を振り払う。これだけが戦う根源。
 サーヴァント。死者の霊魂。千の理屈を論ったところで、友を守るひとつの理由が勝る。
 多少鬱陶しがられようとも、おでんは縁壱を友と認め、戦うと決めた。それが全てだ。 

「休憩も終わりだ。喧嘩の再開と行こうぜ、バカ兄貴───!」

 最初の述べた通りだ。
 これは試合でも戦争でもなかった。
 始めから、この戦いはその程度の諍いだったのだ。


 ───激突する武器と武器。覇気と殺気がぶつかり合う。
 最早互いに惑わす事も、探り合う事もない。
 より短絡にして苛烈。愚直にして凄絶な、真っ向きっての力と力の正面衝突。
 より速く、より重く。おでんも黒死牟も、相手の一撃を凌駕する会心の一撃を追い求めて、ただひたすらに刃を趨らせ交錯させる猛烈なる攻め技の応酬が繰り広げられる。
 
 絡み合う月牙と黒刀が鎬を削る火花が、百花繚乱と狂い咲く。
 共に超逸の力と速さで駆使される必殺の武具に、音が追いつけず、空気が逆らえない。
 観測が意味を失う領域の瀬戸際で極限の冴えを競い合っていた。


230 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:15:40 j0W5RfO60

 
”何だ……?”

 違和感の発端は、百を超える打ち合いを交わしてから。
 今の黒死牟は全ての技を攻撃面に割り振ってある。最長の刀を寸分のブレなく振り、追従する月輪も最大展開。
 斬撃の回数は一度で百回以上。それを百合重ねていながら───半死人の首ひとつ刎ねられていない現状。
 自身の太刀筋が鈍ってるわけもない。原因は受けて立つおでんの体の、ある変化だ。

“呼吸の乱れが、収まりつつある……?“

 型を使う度に、おでんの体内は震動していた。急激すぎる血の巡りに心臓他、組織が軒並み追いついてない為だ。
 長年熟成された肉体が、呼吸に馴染めず齟齬で暴れ、技を使う度に精細を欠いていた。
 なのに今は乱れが軽い。先ほどとは見違えるようだ。
 心臓の鼓動こそ尋常でない勢いだが、肺も筋肉も潰れていない。脈動に順応している。

“まさか覚えているとでもいうのか。戦いの最中で“

 歴戦の侍、覇王の器を備えたおでんが、こうまで呼吸術に振り回されていた理由。
 素養不足、適正違いから来るものではなく、偏に経験不足にある。
 如何な名刀といえど、初めて握る武器を手の延長のように自在に扱う事は困難を極める。
 現におでんの愛刀の閻魔は、持ち主の覇気を無尽蔵に奪い尽くし、たちまち干からびさせる妖刀の側面を持っている。
 武蔵との手合わせは軽い戯れ合いで、要領を掴む練習にこそなったが、本格的に用いるのはこれが最初。
 使い慣れない武器を、それも一流の剣士相手にぶっつけ本番で試そうと目論んだおでんの無鉄砲さを責めるべき案件だ。

「やっぱ鍛錬は実戦に限るなァ! 漸く見えてきたぜ、お前の技が!
 空一面の三日月たァ随分と洒落てやがる! 酒があれば進みそうだ!」
 
 生死の境に立った壇上で、笑い上げながら驚愕の台詞。
 見えている。月の呼吸、不可視の力場の輪郭を。
 見聞色という、千里眼に分類される素質の片鱗のあるおでんであれば、初見ならともかくここまで目にすれば差して不可能な芸当でもなかった。
 見れなかったのは呼吸の制御に覇気を回す余裕がなかったから。それが払拭され、おでんは黒死牟と同じ世界に迫りつつある。
 
 おでんの体は間違いなく重体の筈だ。
 筋肉を引き絞り出血は食い止めてあるが、次に息を抜けば一斉に開いてしまう。さしものおでんもこれ以上の失血は限界だ。
 対する黒死牟は全くの無傷。防御を捨てた今、数回耳や腕を掠めていくがその程度。鬼の急所たる頸を除く傷は瞬きひとつで修復する。
 実力が拮抗しても、体力の差で勝ち越せる。鬼と人の種族差が、そのまま勝敗の明暗だ。
 一撃だ。たった一太刀を新たに刻むだけで決着はつく。血を失いによる意識の朦朧ですぐに戦えなくなる。


231 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:18:31 j0W5RfO60


 馬鹿な。そう思って傷を増やして何度目になると、軟弱な意思を叩く。
 もう止まらない。おでんはこの喧嘩が終わるまで、もう腕が止まりはしない。
 この一戦で全てを出し尽くしてもいいと覚悟を決めた人間は、頸を断ち、心臓を突き刺さない限りは戦いを止めないと、既に認めてしまっていた。

 終わりのない戦嵐刀勢の渦中で振るい続けられる白黒の軌跡。
 常人は無論、達人の目でさえ視認不可能にまで達した死闘。
 永遠にも思える時間回り続ける演武。その、嵐の中で。

”まだ……疾くなる──────!?”

 少しずつ。 
 少しずつ。
 じりじりと詰め寄られる。
 ゆっくりと緩慢に、だが確実におでんの剣刃が黒死牟の戦輪を弾く頻度が勝っていく。

 もっと月輪を出す。無理だ。既に全力を投じている。
 退避。防御。思考に置いた途端均衡を持ってかれる。
 おでんの傷も、一秒を刻む間に増えている。防御を捨て攻撃に全振りしているのはおでんも同じだ。
 息切れするのがどちらかなのは言うまでもない。あと少し膠着を維持出来ればいい。
 だが───出来なければ?
 その時、傾く天秤の行方は、いったい何方を指すのか。 
 
 孤剣を相手に降りかかる窮地。
 敗北という名の底なし沼が足首まで飲み込む。
 逃げる場所はない。言い訳は無用。人の剣に、真正面から押され、鬼が屈しつつある。
 負け。死。二度ならず三度目までも敗れ去る最期が、己の末路。


”いいや───────────────”



 瀕死の相手に追い詰められ、残す手が無いと認識し。
 鬼は、手元に握られた最後の矜持すらも、濁った溝の底に投げ捨てた。

  

「まだだ………!!」



 怨嗟に満ちた絶叫。
 地の底まで響く執念は、地獄の亡者にこそ相応しい毒色に濡れている。
 決死の嘶きに呼応した鬼の体が霊基を変容させる。
 
 あと少しで頸に届くまで肉薄したおでんが、至近距離で爆発と見紛う強風に引き剥がされる。
 直後に右腕をなぞる刀傷。失血死を当然のように乗り越えておでんの視線は前のみを見る。
 黒死牟を中心に巻き起こった突風
 より正確には、起きたのは黒死牟の左腕。刀を離した空の手の甲。
 そこから。

「ま……刀が伸びるんだ。生やすのだって出来らァな」

 侍の姿にはない凶器が伸びている。
 敵を殺す執着のみで形作られたような、魔物の蔦。
 鉤爪の要領で伸びた刀身に張り付いた目玉が、ぞろりとおでんを凝視する。


232 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:19:29 j0W5RfO60


 夥しい目線を基点に束になって放たれる斬撃を、おでんは絶妙にいなす。
 奇襲には面食らったが威力は以前と変わらない。いちいち驚きもせず打ち払って見せる。
 払って見せて────その間に変容を終えた黒死牟の姿に、思わす突っ込まざるを得なかった。

「オイオイオイオイ……それは多すぎだろォが!!」
 
 
 ……控えめに言えば、生花を刺す剣山を想起させた。
 あるいは、百年の樹齢に至った古い大木のよう。
 そして包み隠さない事実を列挙すれば、戦に敗れ、農民の落人狩りに遭い、全身に刃を突き刺された落ち武者の死体だった。 
 刺しているのではなく、生えているとして、武士の誇りも垣間見えない凋落に何の違いがあろうか。

 刀を振るという、最低限の剣の体裁さえ失くした剣は、一本一本が力場の発生器である『装置』だ。
 一行程の動作すら消失し、ただ念ずるだけで周囲は斬られる図は、見る者には神通力を使用したと思わせる。
 『見えぬ斬撃を放った剣士』とは、誰も浮かべはしない。
 それを恥じ入る誇りは泥で曇っている。御姿を映す鏡はあまりにも遠い。
 悔やむ心は踏み潰した。血でぬかるんだ地面で野ざらしに転がっている。
 
 全身の剣林から響く甲高い奇声。
 それこそは終幕を知らせる総攻撃。全ての刃から一斉に解放する蹂躙の合図。 
 型は名付けられない。真の鬼は戦いを彩る名を持たない。
 技も理も含まれない、純粋単純な生態機能。彼が頭を垂れ洗礼を施した始祖がそうしたように。
 華の枯れた、味気のない暴力が、滅尽滅相の帳を落とす。

 ……これが、光の亡者の姿。
 神々の寵愛を一身に受けた、太陽の如き光に目を灼かれて、それ以外が入らなくなってしまった執着の果て。
 亡者に現世の心は届かない。囚われた対象そのものの言葉でさえ、より呪いを深刻に深めるだけ。
 脳裏に焼き付いた理想に溺れ息を止めるまで、生者を犠牲にして喰らい続ける。 


「そうじゃねェだろ……バカ野郎がァ!!!」

 そうはさせじと、異を唱える声がひとつ。 
 なんでそうなるんだと、怒鳴りつける。
 友の次は、現在進行系で殺し合う敵対者へ。おでんはずっと怒りっぱなしだ。 
 始原はともかくとして、あれは見事な剣士だったのだ。
 力を使い、操る技を磨く。剣気を飛ばすのも立派な戦術。おでんは剣士でないとは否定しない。
 その方法が人喰らいであるのについては色々問題だが、唸るほどに強かった。一度の戦いで何度も煮え湯を飲まされた。
 気に食わない面も多々あるにせよ、黒死牟という士を、得難い好敵手だと思い始めてたのだ。


233 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:21:14 j0W5RfO60

 それがどうだ。
 少し敗北に近づけて追いついただけでこの慌てよう。
 まだ勝負は分からなかった。あのまま攻め続けていれば自分の方が力尽きていた可能性だって十分あった。
 それなのにどうして、自分の可能性を、勝利の渇望を、此処ぞという時に信じてやれないのか。

「”おでんの呼吸 捌ノ具材”」

 横溢する怒りの覇気。
 終焉となれば是非もなし。こちらも最大の威力で応えるべし。
 そしてこのどうしようもない、つける薬のないバカ兄貴の目を覚まさせる。
 己がそうしたいが為。縁壱の為。そして道を見失ってる、男本人の為にも。 

 力場は、とうに斬撃の体を成していなかった。
 集まり固まった月輪は互いが互いを噛み、溶け合って、虫が抜ける網目もない巨大な壁に変貌している。
 さながら、渓谷の大瀑布。大自然の果断なき猛威。
 世界の広さを知る為に大海へ漕ぎ出す夢を見た男の最期を飾るには出来すぎた土産。

 ……否。
 その夢は、もう叶えた。
 見果てぬ夢に潰えるならともかく、踏破した残骸に潰されて死ぬは御免被る。
 
「”仙境草那藝(せんきょうくさなぎ)”!!!」

 ───故に、これは当然の帰結。
 三連振るわれる黒刀の横一線が禍津を祓う。
 一撃が壁にぶつかり全身を阻み、次撃が先行した刃を押し込んで亀裂を入れて、最後の斬撃が駄目押しに突き出し、絶望の壁がこじ開けられる。
 汎人類史の歴史に曰く、受難の度を背負う聖者は祈りを捧げて大海を割り路を作ったという。
 祈りなく信仰なく、だが思いだけは劣らず込もった力づくで、おでんは伝説を再現した。

 割れた壁面を抜ける黒刃が黒死牟に届く。
 三発あったうちの二つは壁の崩壊に消費され、残る一つも勢いを減じてる。
 輪唱を再動する。撃ち落とすは容易い。この距離では趨勢を覆す技は届かない。
 力を使い切り、動けなくなるまで幾らでも撃ち込んでやろう。
 

 委細承知。 
 撃たせるものかよ。


「”おでんの呼吸 玖ノ具材”」


 壁破りで穿たれた穴を駆ける、四発目の斬撃。人の形をした生ける刀。
 黒刃の後ろにぴたりとつき、黒死牟の死角に潜ったおでんが、至大至極の一閃を抜き放つ。 
 

「”蓬莱都牟刈(ほうらいつむがり)”!!!」


 龍を裂く極剣。 
 乾坤一擲の大上段振り下ろしが、遂に鬼の命脈を捉える。
 輪唱を中途で使い、即席の盾にした力場が紙細工のように割断され。
 割り込ませた長刀も中程を叩き折られ。
 地獄の王を冠する刀が、黒死牟の体に吸い込まれていった。


234 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/27(日) 23:24:39 j0W5RfO60
一度、ここで投下を終了します。
残りは後半という程の長さでもないですが、許されるのであれば後日速やかに続きを投下する予定です。


235 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/28(月) 08:53:55 FKSi.BB60
いいフレーズが浮かんだので続きを投下します


236 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/28(月) 09:00:09 FKSi.BB60


 ■

 
 ───半分に割れた月が見下ろしている。
 
 三日月をさらに半分に割ったような、おかしな形状をしていた。
 暦を読む中で、こんな珍妙な月を見た記憶はない。
 やけにぼんやりとした思考で月を眺めてる。
 何かおかしい。月どころか見える景色も半分だ。様子を確かめようとまさぐろうにも腕すら感覚がない。
 そこまでして漸く、己の顔が断たれている状態であるのだと、理解が追いついた。

 混線する記憶を手繰り、必死に直前の光景を思い出そうとする。
 聖杯戦争で同じく英霊として召喚された縁壱と邂逅し、その主たる侍に勝負を挑まれて……
 顛末の全てを思い出すと同時に、屈辱と憤怒とが堰を切ったように押し寄せる。

 斬られた。
 剣術で上回れ、血鬼術での力押しも敵わずに、脳天からの直撃をもろに貰った。
 体の中心に引かれた正中線のあたりを、真っ向から唐竹割りにされている。
 全てを出し切り、それでも倒せず敗れた。申し開きの余地もない完敗だった。

 思考が叶ってるのは鬼の不死性ゆえだ。
 頸を斬り飛ばされない限り、不滅の命は消え去らない。
 頸はまだ辛うじて繋がってる。
 半分は泣き別れになったが、別状はない。
 もっとも完璧に近い生命の原液は、ものの数秒で戦闘可能な形にまで逆回す。


 ああ、ならば───つまり、まだ、負けてはいない。


 そうだ。まだだ。
 まだ終わっていない。まだ戦える。
 殺されず、頸も断たれていないのなら、敗北じゃない。戦える限り己は勝つ。勝たなければいけない。
 すぐに再生しろ。手足を復元し手に剣を握れ。立ち上がって奴の心臓に突き立てろ。
 いつもなら即刻に元の形に戻れるのに、いやに時間のかかる。あの剣のせいか。契約者の不足か。
 手を揉んで再生を待ちながら、用を為す目で敵の位置を探し求め立ち上がると、探しものは下に寝転んでいた。

 光月おでんと名乗っていた侍が、地面に仰臥している。
 滅多斬りにされた傷は我が手でつけておきながら実に痛々しく、これでどうして生きているのか、英霊でもない人間なのか疑わしく感じてしまう。
 そう、侍は生きていた。豪快にいびきを鳴らし、鼻提灯を膨らませて呑気に寝入っている。
 傷口は塞がっている。全集中の常中の賜物か、このまま死する事にはならなさそうだ。
 馬鹿げた体力から換算すれば、一刻も眠っていれば普通に動くぐらいには回復するだろう。
 尤も────そんな未来を与えてやる気は毛頭ないが。


237 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/28(月) 09:03:23 FKSi.BB60

 直した刀を番え、喉元に突きつける。 
 結局は、こうなるのだ。人が単騎で鬼と、英霊とかち合えば自然、こうなる。
 最後の最後で根性の塊のような男は根負けした。己は競り合いに勝ったのだ。  
 あとはこのまま頸を斬り飛ばせば、勝利は我がものとなる。
 魂が砕けたかと思う裂帛の気合をこの身に打ち込んで、無防備になった侍の頸を。

「…………」

 侍の振る舞いか? これが……。
 卑怯な真似をせず、真っ向から立ち向かい、王道を突き進んだ結果地に背を着かせた相手を、気を失ってる間に野盗じみた手で姑息に息の根を止める。


 これが─────────こんなものが───────────勝利か?


 三畳分の先に立つ先に、別の気配を感じて身構える。
 佇んでいたのは、侍の従者。己と同じ容姿の弟。
 何もせずその場で立ち尽くす縁壱は、何処か哀しげな目でこちらを見据えている。

「縁壱……」
 
 いつから見ていたのか。
 どの時点から縁壱がこの場にいたか、不覚にも気づかなかった。
 常に妬みの象徴として内面に居座っていた男を忘れる程、あの男との戦いに熱中していたのか。
 予期せぬ動揺に困惑し目を逸らす。すると視界の隅で走った光に目を吸い寄せられる。
 突き立てられた一振りの刀。紫色をした、一瞥してまたとなき名刀と分かる拵えをしている。
 戦いの際は何某かの術で黒く硬化していた刀身は、麗美な抜き身を露わにして鏡面の役目を果たしてる。
 

 ドクンと心臓が強く震えた。
 思い起こされた恐怖と、言い知れぬ悪寒に。
 蓋をしていた記憶が蘇る。内側に押し込められていた醜い怪物の手によって。
 
「やめろ……」

 直視してはならない。内なる声が、そう厳然と自戒する。
 いま思い出そうとする記憶を、お前は決して鮮明に描いてはいけない。思い出してはいけない。何故なら───


238 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/28(月) 09:06:05 FKSi.BB60


 英霊とは死者の再現。
 死者である以上、どんな英霊も最期の瞬間を迎えている。
 ならばこの身の死もまた、霊基という仮初の体に登録されているのだとしたら。

 頸の弱点の克服。全ての鬼の悲願の一つ。 
 生前にそれは確かに達成した。鉄球と風刃に頭部ごと潰されながら活動し、再生を果たした。
 だがそれで得た姿。蘇りの結果得たものの正体は、後生抱えた望みを腐食させる劇毒であり。

 今、俺はどんな顔をしている?
 本当に、俺は頸を斬られなかったのか?
 そうだと気づかず蘇ったのを、斬首を凌いだと勘違いしているだけではないのか?
 それに気づかず直視を避けてるからこそ、まだ自分が自分でいられるとしたら……。

「見るな……私を」

 縁壱。
 その顔は何だ。
 何故、憐れむものを見る目で俺を見る。
 今の俺は────お前にどんな風に見えているのだ?
 

「私は…………!」

 ああ、消える。
 月が腐る。
 私という存在が、俺という痕跡が壊れて崩れる音が耳元でした。 

 何も、何も、この手に掴めるものは無かった。あの強さを収める事など泡沫の夢だった。
 残るものは一つとてない。捨てられるものすらこの手には残っていなかった。
 ただ、空漠な虚ろがあるだけ。まるで我が人生そのものを象徴するように。
 黒死牟という英霊の霊基、魂の起源がそれであるなら、もう、軛から逃れる運命は最初から用意されてないのだろう。

 存在の価値は無かった。生まれてきた理由は皆無だった。
 此処には誰もいない。塵となり、風に乗って、何処へともなく粒子の欠片となって透明に変わる。

 伸ばした指すら溶けて行く。

 何も掴めない手は


 空を握るだけで



 
 落ち




    る











「ううん…………ここに…………いるよ…………」


 落ちる、筈だった。


239 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/28(月) 09:07:15 FKSi.BB60


 消えかけた指が、何かに掴まれる。
 刀の柄の硬さはまったくしない。柔く、脆い、淡い新雪を感じさせる純白の白い指。

 指と指とが触れ合って、じわりと熱がり伝わる。
 あの身を焦がす太陽の輝き。しかし熱くはない。怨毒の気配はなく、居心地の悪い生温い感触が広がっていく。
 
 確か、顔も名前も思い出せない誰かに、こんな風に握り返された気がする。
 まだ日の下に出られていた時代、嫉妬と怨嗟を忘れて長閑に浴びた光。

 面を上げて指の伸びる先を見る。
 其処には誰かがいた。黒髪を結わえ、額と喉元に痣を浮かばせる、浮かない顔で見返す男。
 瞳に映る鏡像は、人間だった。
 弱々しく、限られた命を嘆き、妄執を腹に溜め込んで爆発させる前の愚かな鬼狩り。
 複眼の醜男でも、みじめな死なないだけの怪物でもない、ただの継国巌勝の残像が。


「あなたの命は…………ちゃんと、ここにあります……!」


 鏡に水滴が溜まっていく。
 名前を呼んだ事すらない、価値を見出ださなかった娘が、手を繋いでいる。
 不要だとを捨ててきた欠片を、丹念に一つ一つ拾い集めて、眼の前で差し出してくる、幽谷霧子が。

 ……娘の瞳に移る己の姿は変わらない。
 実体は解れておらず、眼球揃えた刃が背を突き破りもしていない。
 三対の凶眼を貼り付けた、黒死牟と字された鬼のままだ。


「ごめんなさい……。あなたの……思い出を……わたしは知らなくて……。
 理由や価値なんて……わたしには……あげられなくて……」


 華奢な両指が掌を包む。
 握り返せば、魚の小骨と同じに容易く折れる。


「あなたのお願いに……私は……寄り添えないかも……しれないですけど……
 私なんかが……お邪魔しちゃ……いけないって思いますけど……」


 だから、筋繊維一本も動かせない。
 この声が、途絶えてしまうから。


「お日さまにも……お月さまにも……いてほしいんです……」


 腰の柄に指はかからない。
 この言葉が、絶たれてしまうから。


「私も……縁壱さんも……おでんさんも……。
 黒死牟さんに……いなくなってほしいなんて……思ってないよって……伝えたかったの……!」


 無垢なる祈りは、頑なに閉じられた急所を、事も無げに貫く。
 か細く、拙く紡がれる声には激情があった。決死さがあった。
 遍く世界を祝福する娘にあって、なおも訴えたい痛みと存在の物語。


「どんなに痛くて……ここにいることが苦しくても……わたしは見てるから……。
 あなたのための歌を……こうやって……届けられたらって……今のわたしは……すっごくそう……願うんです……」

「────────────」


240 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/28(月) 09:08:07 FKSi.BB60




 おかしい。

 こいつは、どうかしている。



 静かに感情を訴える瞳の潤みが信じられない。
 泪の理由(わけ)に、愕然とする。
 今までの苛立ちとは訳が違う。完全に理解の埒外にある生き物と遭遇してしまったかのような、恐怖にも等しい感情が波打つ。

 生きていたいが為に守りが必要なら傍らの縁壱に頼めばいい。二つ返事で承諾し、終結まで安寧が約束される。
 それをわざわざ、人喰らう鬼にここまで心を砕いて思いを込めるなど、どうしてこんなところだけ聞き分けが悪いのか。
 そして。疑い無く娘の本音なのだと受け入れて、目障りだと斬る気になれない、自分自身が最たる異常だ。

 感謝される為でもなく、利益が欲しいからでもなく。
 ただ隣にいた誰彼に真摯に思いを送る、一点の濁りもない言霊。
 
 
 どうかしているのは、私なのか。
 それとも、今までどうかしていたのが、元に戻りつつあるのか。


「…………もう、いい…………」

  渇いた喉で。辛うじてそこまで告げる。
  指の絡みを解き振り払って、踵を返す。白貌の直視に耐えかねて。

「……でも…………」
「もう……やめろ…………」

 聞きたくなかった。
 もう限界だ。
 優しさも、慈愛も、不要だと散々嗜めたのが無駄だと分かった。
 変わらぬ結果と知って無意味に諭そうとするほど滑稽な事はない。


「私は………………………………お前が嫌いだ」


 だがら吐き捨てる。
 お前とはこれまでだと、輩になれる未来はないのだと断絶の言葉を言い渡す。
 ああ、けれど。この娘への心情を直接口にしたのはこれが初めてで。
 吐露してしまった後になって、年端もいかぬ小娘に躍起になってる様は、なんとも生き恥そのものであると後悔した。

「…………はい………………」

 そして、娘はいつものように薄く笑う。
 困ったような、されど日だまりの温もりを思わせる柔らかさで。
 例え拒絶でも、心の内を開き、聞かせてくれたのが嬉しいと。


241 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/28(月) 09:08:49 FKSi.BB60

 瞳を閉じ、祈る仕草で手を胸に置いた娘が、音もなく崩折れる。
 地面に投げ出されかけた体を、駆け寄った縁壱が労って受け止める。
 体力が尽きて、精神の張り詰めが切れた。最後に余った力を振り絞って、声を届けるまで耐えていた。
 
 契約の主の二人は落ち、立つのは私と縁壱だけ。
 邪魔者は全て消えた。巡り巡って、待ち望んだ対峙が図らずもやってくる。
 なのに……あれ程燃え狂っていた焔が、今は種火の勢いも見せずに、心は凪いでいて。

「この者らを介抱します。兄上も、ついて参りますか」

 この結末は縁壱にも予測出来なかったのか。目に見えて分かる戸惑いの面持ちで同行を促す。
 ああ、お前も、そんな顔をするのか。

「好きに……するがいい……」

 どうしても決着をつけられる雰囲気に、この場でなれる気がしなかった。
 少なくとも、あの娘の声が脳で木霊する間に剣を握るのは勘弁してくれと、心が折れたのだ。

 空を仰ぐ。相も変わらず、嘲笑の口を象った月が我々を睥睨する。
 かかる雲が僅かに晴れて、幽き笑みに変わったような、そんな気がした。






 以上を持ちまして、剣豪勝負、終幕と相成りました。
 悪鬼の宿業、両断成らず。
 しかして訪れたのは別口の奇跡。不倶戴天の敵同士が連れ合う呉越同舟。

 誰かが言った。界聖杯は可能性の集約だと。
 あらゆる世界を浚ってかき集めた、可能性持つ者のみが、マスターという挑戦者の資格を有すると。
 鬼と鬼狩りのきょうだいが伴う可能性。それすらも界聖杯は許容したのか。
 その可能性を呼んだマスターとは、はてさて。

 いずれにせよじきに日が跨ぎつつある。 
 最悪が災厄となって更新される。絶望は晴れず、地平の向こうに朝日は見えず。
 けれど煌々と夜を照らす月に免じて、せめて短くともよい夢が訪れんことを、細やかながらに願って。

 今宵は、此れにてお開き。


242 : 真月潭・月姫 ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/28(月) 09:13:40 FKSi.BB60
【新宿区・新宿御苑避難所の郊外・の更に奥/一日目・夜(未明に近い)】

【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま、おやすみ
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:あなたが……そこにいてくれるだけで……今は……
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。


【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:健康、生き恥
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:呪いは解けず。されと月の翳りは今はない。
1:私は、お前達が嫌いだ……。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。


【光月おでん@ONE PIECE】
[状態]:全身滅多斬り、出血多量(いずれも回復中)、爆睡、呼吸術習得
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:二刀『天羽々斬』『閻魔』(いずれも布で包んで隠している)
[所持金]:数万円程度(手伝いや日雇いを繰り返してそれなりに稼いでいる)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯―――その全貌、見極めさせてもらう。
0:Zzz……
1:他の主従と接触し、その在り方を確かめたい。戦う意思を持つ相手ならば応じる。
2:界聖杯へと辿り着く術を探す。が――
3:カイドウを討つ。それがおれの現界の意味と確信した。
4:ヤマトの世界は認められない。次に会ったら決着を着ける
5:何なんだあのセイバー(武蔵)! とんでもねェ女だな!!
6:あの変態野郎(クロサワ)は今度会った時にぶちのめしてやる!
7:あさひ坊のことが心配。頃合を見て戻りたい
[備考]
※古手梨花&セイバー(宮本武蔵)の主従から、ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の計画について軽く聞きました。
※「青い龍の目撃情報」からカイドウの存在を直感しました。
※アヴェンジャー(デッドプール)の電話番号を知りました。
※廃屋に神戸あさひに向けた書き置きを残してきました。
※全集中の呼吸を習得してました。

【セイバー(継国縁壱)@鬼滅の刃】
[状態]:疲労(中)、全身各所に切り傷や擦過傷(いずれも小程度)
[装備]:日輪刀
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:為すべきことを為す。
0:今はただ、この月の下で兄と共に。
1:光月おでんに従う。
2:他の主従と対峙し、その在り方を見極める。
3:もしもこの直感が錯覚でないのなら。その時は。
4:凄腕の女剣士(宮本武蔵)とも、いずれ相見えるかもしれない。
[備考]
※鬼、ひいては鬼舞辻無惨の存在を微弱ながら感じています。
気配を辿るようなことは出来ません。現状、単なる直感です。


243 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/03/28(月) 09:14:41 FKSi.BB60
投下を完全に終了します。予約の超過、申し訳ありませんでした


244 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:08:52 pfQbXKpc0
投下します


245 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:09:32 pfQbXKpc0


街が、燃えていた。
新宿で起きたらしい大きな戦いの傷も癒えないままに。
また、大きな戦いが起きて、大勢死んだようだ。
その様は、今の私の拠点であるマンションからは良く見えた。


「相も変わらず、喧しい街ですわ」


そこかしこで鳴り響くけたたましいサイレンの音で、昼間より五月蠅くなった気がする。
私はそれに辟易しながら、手にしていたグラスの中のカフェオレを呷った。
時刻は日付が変わって三十分ほど経った後。
今いるのはガムテさんに与えられた高級マンションの一室、そのベランダだ。
仕事を終えて帰ってきたとき、ガムテさんは既に何処かへ出かけている様だった。
ならば今後に備えて少し休もうとした時に思い立ったのがこの部屋だ。
部屋の中にある食べ物も衣類も自由にしていいと言われているため、遠慮は無かった。
すぐさま私は鏡世界からこの部屋に降り立ち、シャワーを浴びた。
理由は単純、私が殺したアイドルの一人に付けられた血が鬱陶しかったから。
迷うことなく、熱いお湯で付いた血痕すべてを洗い流した。
綺麗さっぱり、あの名前も知らない女が生きてきた痕跡すら、洗い流すように。


(全く、人を不快にさせるのだけは一丁前の連中ですわね)


その後は血の付いた服から着替えて、こうしてこのベランダで寛いでいる。
夕食は備え付けられていた冷蔵庫にあった出前品と思わしき鰻重で済ませた。
きっと、ガムテさんが彼の部下にあらかじめ用意させたものだろう。
随分羽振りと準備の良い事だ。
意外と、几帳面な性格をしているのかもしれない。
洋服箪笥に替えの下着まで用意していたのは若干気持ち悪かったけれど。


「協力相手が優秀でお金持ちなのは頼もしいのでしょうね。
……随分と派手にやってるご様子なのは良し悪しですけれど」


夕食を済ませて彼が帰ってくるまで二時間ほど鏡世界で仮眠を取り。
目を覚ましてマンションに戻ってみれば、ほど近い街が燃えていた。
確か、豊島区だったかの辺りから数区画、消しゴムをかけたように吹き飛んでいる。
あんな芸当ができるのは、まぁほぼ間違いなくガムテさんの引き当てた“お婆様”絡みだろう。
流石にあんな芸当ができるお婆様や鬼さんの様なサーヴァントがこれ以上いるとはあまり考えたくなかった。


246 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:09:59 pfQbXKpc0

(この街、聖杯戦争が終わるまで残っているんでしょうか)


消し跳び、また生き残った区画も火の手が上がっている街並みを眺めて。
抱いたのは、そんな疑問だった。
他は特に何も思わない。
ただマスターが巻き添えを食っていたらいいな、と思うぐらいだ。
きっと大勢死んでいるのだろうけど。
今の私にとって、そんな事はどうでも良かった。
所詮この街の人間の大多数は、ゲーム盤の駒に過ぎないのだから。
それが高々数千数万死んだところで、何だというのか。
所詮偽物。人も街も見栄えだけ良くして取り繕った嘘の産物。
気に入らない街が消えてくれればむしろせいせいすると言うものだ。
だけれど。


「……もう少し、スッキリすると思っていたのですけど」


今の私の中には、勉強をしている時のような冷めきった感情しかなかった。
ぽつりと漏らした呟きも、今の私の気分を表すように冷たい物だった。
何故かは分かっている。さっき終えてきた仕事のせいだ。
思い返す、先ほど踏み潰してきた偶像(アイドル)の方々を。
昼間CDショップで見かけたときから気に食わなかった。
もしマスターなら躊躇なく銃弾をお見舞いできると思って、事実そうなった。
いけすかない梨花に群がる悪い虫を排除した。
それにはガムテさんへの得点稼ぎという実益も含まれていて。
なのに、達成感だとか、爽快感は落胆するほど沸いてこなかった。
沸いてきたのは虚無感だけだ。
人質の確保に失敗したからだろうか。
リンボさんの式神が謎の英霊に倒され、危うく死ぬところだったからか。
何方も理由の一端ではあったけれど、違う気がした。


(ま、やっぱり、私の相手ができるのは梨花だけ、という事なのでしょう)


梨花。
大好きな梨花。
無意識のうちに、彼女を相手に惨劇を起こす事と同一視してしまったからだろう。
実際には梨花どころか、部活メンバーの足元にも及ばない害虫でしかない相手に。
そう、害虫駆除だ。
ハエやゴキブリを殺すのと何も変わりは無い。
もう姿を見なくて済むという僅かな安堵と、それ以上に残った死体への空虚な嫌悪感。
今の私の心境を指すのに、これ以上なく最適だと感じていた。
認識をあらためばならない。
あんな害虫共と私の願いでありゲーム相手である部活メンバーを無意識とは言え同一視するなんて。
彼女たちにとってそれは最大級の侮辱だ。


247 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:10:22 pfQbXKpc0


「……早く、会いたいですわね」


もう一度、呟きを漏らして。
胸の中に渦巻く空虚感を、カフェオレでのみ下す。
早く、梨花に会いたい。
早く、彼女と勝負の続きがしたい。
早く―――あの、雛見沢に帰りたい。


「よーっす、帰ったぜ〜黄金時代〜」


そんな風に、故郷に思いを馳せていた時だった。
三時間ほど前に別れた少年の声が、背後に響いたのは。
背後を振り返れば、別れた時と何も変わらない協力者――ガムテさんが立っていた。


「ど〜した黄金時代?何か萎え萎えじゃ〜ン」
「色々酷い目に逢いまして。人質を取るのには失敗するわ、危うく死にかけるわ…
お婆様は何方に?」
「鏡世界(ミラミラワールド)の中。で、偶像(ブス)共は殺せたか?」


人質を確保できなかった事は、素直に話した。
ガムテさんを相手に誤魔化せるとは思えなかったからだ。
下手に弁明するより、あったことをそのまま伝えた。
偶像の殺害には成功したが、謎のサーヴァントの襲撃により本丸は逃がした、と。


「ブっ殺すのには成功したのか。OKOK。了解(りょ)だぜ黄金時代。ゴクロー」
「軽いですわね。叱責を受けることも覚悟していたのですけど」
「ン〜?そうして欲しいならそうしてやるけど?
あの五月蠅(ウッセ)ェ糞坊主(リンボマン)が居ないって事は、サーヴァントが来たってのは真実(マジ)だろうしな」


サーヴァントが来たならどの道舞踏鳥達が当たっていても失敗しただろう。
人質の確保だけではなく、偶像の殺害すら失敗していたかもしれない。
それを考えれば自分は十分仕事をこなした。
彼はそう言って、私を労った。
簡素な報告だったにもかかわらず、ここまで察するのは本当に頭の回転が速い事だ。


「どの道、何人かは失敗しても無問題(おけまる)だったしなァ〜
舞踏鳥達の方も失敗(シク)ッたみたいだし、まッ!ノーカンノーカン!!」


別に一度失敗したところで大勢に影響が出るわけではない。
時間をずらして再攻撃を仕掛けるだけだと彼は語った。
確かに、その通りだ。
偶像たちが敵に回したのはガムテさん個人ではない。
割れた子供達という組織だ。
組織であるために、一度や二度の失敗では何ら全体は揺らがない。
攻撃を続けて行けば、いずれ守り切れなくなる時が来るだろう。
その証拠に。


248 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:10:51 pfQbXKpc0

「でも、意外ですわね。よりによって貴女の右腕の彼女がしくじるだなんて」
「何か変な侍(チョンマゲ)が来襲(キ)たんだってさ。
サーヴァントじゃなかったみたいだけどォ…忍者みたいなバケモンってのは何処にでもいるもんだな」


舞踏鳥さんたち“は”失敗した、ということは、つまり。
私の予想を裏付けるように、彼は言った。


「―――他はだいぶん前に連絡があったぜ、“終わった”って」


番狂わせは、他の場所では起きなかったという事だ。
私と舞踏鳥さんの場所以外では、彼らは何も仕損じる事無く仕事を果たしたらしい。
あっけないものだ。本当に、歯ごたえが無い。
彼女達相手に憎悪を燃やしていたのが、酷く馬鹿馬鹿しく感じる。


「ガムテさん、復讐って虚しいものですわね」
「偶像(ブス)共やPたんが聞いたら激怒(ブチギレ)そうだなそれ」
「向かってきたら全員穴だらけにして差し上げますわよ」


色々手を回してた様だが、これで鬱陶しい蜘蛛の企みは失敗というわけだ。
都内にいた殆どのNPCのアイドルは殺され、必然的に誰がマスターかは炙り出される。
大敗と言っても過言ではないだろう。
割れた子供達という組織を相手にした時から、NPCの防衛という点では結果は見えていたかもしれないけど。
何にせよ、社長が死んだのだからこの世界のあの事務所はもうお終いだ。


「こっからはバンダイっ子も真剣勝負(ガチ)で殺しに来る。気合入れろよ、黄金時代」
「えぇ、それは承知していますわ。蜘蛛さんが厄介な手合いという事ぐらいは」


これで社長を含めると私とガムテさんたちだけで八人もの283の関係者が死んだ。
確かあの事務所は見せられた資料では25人程だから、三分の一が死んだ事になる。
だが、それは裏を返せば残る三分の二を救ったという事。
ガムテさんを相手にしてそこまで被害を抑えた実力は、間違いなく確かな物だと思う。
侮りはきっと命取りになるだろう。
だがマスターは別だ。


「…マスターがマスターですから、宝の持ち腐れというものですけれど」


例え可能性の器だとしても。
今しがた殺してきたアイドル達と同じ様な下らない連中なのは想像に難くない。
見栄えを良くするばかりで、部活メンバーに比べれば何もかも劣る。


249 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:11:13 pfQbXKpc0



「……黄金時代(ノスタルジア)。一個忠告(アドバイス)しといてやるよ。
あんまり、偶像(ドル)共を舐めすぎんな」
「あら、ガムテさんはあんな半端な方々の肩を持つ…と?」


珍しく、釘を刺すような事を言ってきたガムテさんに、少々驚く。
だが私もただ単に気に入らないから、彼女達を下に見ている訳ではない。
少し考えた後、私はそう思っている根拠を彼への問いという形で提示する。


「―――ねぇ、ガムテさん。奇跡を起こすのに必要な物って何だと思います?」
「ハァ?」
「いいから、別にそう捻った質問ではございませんわ」


いきなり何を言い出すんだこいつは、という顔でガムテさんが見てくるが気にしない。
答えが返ってくる事も期待していない。
きっと、彼らは奇跡なんて言葉とは一番縁遠い方々だろうから。
だから、私は彼の返事が返ってくる前に、答えを言って見せた。


「答えは意志ですわ。自分の願いに辿り着くためなら全てを捻じ伏せ、
自分の未来を一歩も譲らない、誰にも覆せない絶対の意思
月並みな言い方をすれば、覚悟とでも言いましょうか」


そう。
たった一人で、育ての祖父を神にするために雛見沢を滅ぼしてきた鷹野三四も。
惨劇の輪廻(ループ)から昭和五十八年の夏を越える事を目指した梨花も。
方向は違うけれど、どちらも揺らがない意思があった。
そして、二人はそれぞれの形で願いを成就させたのだ。
鷹野三四は最後の盤面で敗れたが、それまで数えきれないカケラで願いを叶え、オヤシロ様となってきた。
そして、梨花は意志だけを頼りとした百年の旅路の果てに、遂に百年の惨劇を打ち破った。
どれだけ絆が強く、どれだけ精鋭とは言え、当時の私達がただの子供であったことには変わりはない。
部活メンバーと特殊部隊である山狗との戦力の差は歴然としたもので。
それでもそんな戦力差なんて、自分たちが起こした奇跡の前には些細な物だった。
だから、私は戦力差という見方でも偶像の方々を侮っている訳ではない。
そんな物、彼女達が奇跡を起こせば容易にひっくり返る事を既に知っている。


250 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:11:54 pfQbXKpc0

「けれど、今の偶像(アイドル)の方々にそれがあるとは思えない」


ガムテさんが事務所を訪れた時も。
もし、情に流されないで事務所に関わろうとしなければ。
最悪でも、あの時事務所に居た人間しか死ぬことはなかった。
既に情報を流されていた事を考えれば、他の主従の調査は避けられなかっただろうけど。
それでも、ガムテさんと、割れた子供達という組織を敵に回すことは無かった。
予選期間の様に存在は悟られず、現在もずっと有利に立ち回れていたのだけ確かだ。


「あの方たちは自分達が見捨てたという事実を背負いたくなかったから、そうしただけ。
もう一匹の蜘蛛さんとの会話では、聖杯戦争自体に消極的なようですけど、
翻って仲間を殺したガムテさんへ復讐はしたい…半端なんですのよ、何処まで行っても」


奇跡はそんなに安いモノではない。
梨花ですら、それに辿り着くまでに百年の旅路を必要としたのだ。
何度も何度も何度も数えきれない惨劇の夜を越えて。
それを半端でくだらない連中がただの一度で辿り着く?冗談もいい所だ。


「黄金時代、そんじゃ〜お前の言う奇跡を起こす奴ってのはァ…
仲間を殺した奴ともお手手つないで握手するような狂気(イカレ)の事かァ?」


訝し気な声を上げて、ガムテさんは此方を見てくる。
そんな彼に対して私は迷うことなく言葉を紡いだ。
我ながら、自信に満ちた声色だと思った。


「ええ、そうですわ。奇跡は簡単には起こらないから奇跡というのです。
蜘蛛さんたちのガムテさんを排除しようとする姿勢は至極正常(まとも)ですが、
まともなために、奇跡を起こすには余りにも半端なんですのよ」


そして、奇跡が起こらなければ。
残酷なまでに順当に、何方がより勝つために積み重ねてきたかで勝敗は決する。
それは私も昭和五十八年の雛見沢で経験してきた事だし、この聖杯戦争でも結果は既に出ている。
奇跡は起きず、東京に残っていた殆どのアイドル達は殺されたという結果が。
仲間を自分のサーヴァントに生贄に捧げてでも、勝つために動いたガムテさんの選択がその結果を導いた。


「随分自信満々(イケドン)だなァ、そんな狂人(イカレ)が友人(ダチ)にでもいたん?」
「……えぇ、親友(マブ)でしたわ」


『この世界に、敗者はいらない。
―――これが、古手梨花が奇跡を求めた千年の旅路の果てに…辿り着いたたった一つの答えよ』


251 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:12:16 pfQbXKpc0


梨花は、百年間自分を惨劇の檻の中に閉じ込めていた鷹野三四を赦した。
両親を惨たらしく殺し、梨花自身も生きたまま解剖された事さえあった仇を。
実際にその瞬間に立ち会ったときは分からなかったけれど。
梨花が巡った百年のカケラの追想を経て、あの時の選択がどれだけ偉大な物だったかを私は理解した。
優しい、なんて領域ではない。
それは最早、狂気だ。そしてそれは強靭(つよ)さの同義語でもある。
だからこそ、梨花は最後に栄光を掴んだ。
流石、私の親友だと思う。
梨花に比べれば、上っ面だけよくした偶像たちなんて足元にも及ばない。
そして、私はそんな梨花に勝たなくてはいけない。
もう一度あの頃に。
二人が無邪気に笑っていた、あの頃に還るために。


「―――言いたい事は分かった、黄金時代(ノスタルジア)。
それでも…偶像(アイドル)共を舐め過ぎんな。
……お前の言ってるような奴は、一人居た」


あくまで警戒するように、ガムテさんは告げてくる。
彼の様子は今までの道化然とした態度とはかけ離れたものだった。
今迄とは比べ物にならない程の真剣な表情。そして、何か思いを馳せる様に。
初めて見る、これまでとは違った彼の側面。
此処は、特に反論せず素直に受け取っておくものとする。


「…忠告として受け取っておきましょう。
けれど、貴女が言うその方はもういない。違いますか?」
「まァな」


なら、やはり結果は出ているではありませんか。
喉元まで出かかったその言葉を、私は飲み込んだ。
…これは始まりに過ぎない。
NPCの殆どが死んだという事は、次に狙われるのはマスターの方だ。
誰がマスターかも殆ど絞り込まれ、追い込みもより苛烈になっていくだろう。
これまで以上に選択を迫られるし、犠牲を払う痛みもより近しいものになる。
理不尽だし、とても残酷な話だ。
だけれど。
世界なんて、元から不条理で、残酷な物だ。
何かを捨てなければ、先へと進むことはできない。
彼女達は、それをたまたま幸運にも知らなかっただけ。
私も、目の前の少年もそれを既に知っている。
数えきれないほど多くのモノを選び切り捨て、此処へと立っている。


252 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:12:59 pfQbXKpc0


「そろそろ、あの方々もハッキリと認識すべきなんですわ。今の自分の立場を」


私たちは、界聖杯という世界に選ばれた23丁の拳銃(バレル)だ。
狙いを定め、撃鉄を起こし、引き金を引く。
そうして他の願いを背負った銃身を打ち砕く。最後の一丁となるまで。
普通の拳銃と違うのは、弾丸が勝手に装填されてくれるという事。
それだけでなく、安全装置を外し、撃鉄を引き起こしてさえくれる。
だからこそ…引き金を絞るものの意思が要求される。
それを認識できない様であれば、あの連中に先は無い。


「……そうだ、ガムテさん。プロデューサーさんの電話を貸してくださいな」
「ん?快諾(イ)〜けど、如何するつもりだ」
「少しあの方々に向けてメッセージをと思いまして…直ぐに返却します」


そう言って頼むと、少し考えてガムテさんは電話を此方に投げてきた。
それを受け取って、私は手早く文字を綴る。
プロデューサーさんの動画が晒され、未だ混乱の最中にあるその場所に。
白けた気分にさせられたささやかな報復と、精神的な削りもかねて。
駆けずり回って知恵を絞り。
それでも実を結ばなかった可哀そうな方々へ言葉を贈ろう。


「―――黄金時代、ババアからの呼び出しだ。終わったら行くぞ」
「えぇ、今終わりました。そろそろ戻りましょうか」


丁度その文面を入力し終わった時だった。
鏡の世界にいる彼のサーヴァントから招集がかかったらしい。
メッセージを書き込み、彼に電話を返す。
そして、グラスの中に残っていたカフェオレを飲み干した。
視線を戻せば、無防備なガムテさんの背中が映る。
その背中を見て、私は。


(……そう言えば、ガムテさんはどうなんでしょうね)


短い付き合いだが、彼がただの狂った子供ではないことは既に確認している。
頭の回転も、仲間への求心力も。
だが…その実力は、未だ確かめたことは無かった。
即ち、今の自分が殺し得る相手なのか、という事は。
脳裏に沸いたその疑問に突き動かされるように。
気づけば、私は行動に移していた。


253 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:13:18 pfQbXKpc0


「いんや〜いい線行ってたぜ。薬(ヤク)キメてりゃ千載一遇(ワンチャン)あるぐらいにはな。
ただ…俺は殺人(コレ)に関しちゃ、天才なんだよ」


半身だけ鏡の中に入れた状態で。
振り返ったガムテさんはニカっと笑い、欠けた歯を覗かせた。
そして、指で何かを弾いて、此方に渡してくる。


「今回のお仕事(ちごと)の報酬(ギャラ)だ。とっとけ」
「…プレゼントがいけないお薬だなんて、贈り物のセンスは致命的ですわねぇ」
「うっせ、なら返せそれ希少(レア)何だから。後、今の俺以外にやったら死んでっからな」
「分かっています。ガムテさんだからやったんですもの。こういう女性はお嫌いでしたか?」
「いんやァ、可愛(マブ)いと思うぜ、イー感じに壊(イカ)れてて」
「誉め言葉のセンスも致命的ですわね」


苦笑しながら持っていたグラスを置いて、落ちた銃を拾い彼に続く。
渡された薬は使うつもりは無かったが、貴重な物らしいので捨てることはしない。
彼の意向を尊重し、お守り代わりに受け取って置く。
今試してみて改めて感じたが、やはり彼は優秀な駒で、競争相手だ。
子供達の王としての確かな意志と、それを務めるだけの能力は最早疑わない。
彼との勝負は、きっと“部活”の様な刺激的なものとなるだろう。
だけれど、彼ですら“そこ”止まりだ。


(彼も所詮は通過点。私の前に最後に立つ相手はもう決まっていますもの)


かつて奇跡を起こした掛け替えのない親友。
兄を置き去りにした今ではたった一人になってしまった家族。
そして、連綿と続く惨劇の遊戯(ゲーム)の好敵手。
ガムテさんでも、梨花の替わりには成りえない。決して。


(早く、勝負の続きと参りたいですわね。そう思うでしょう、貴方も?)


…私は、あの日の梨花の選択はとても尊いものだと思っている。
だからこそ、過去を裏切るような選択を為そうとした今の梨花が許せない。
あの日の栄光に。辿り着いた奇跡に。二人の故郷である雛見沢に何の不満があるのか。
この街で男に媚びる見栄えだけの偶像共より、余程価値があるのに。
めでたしめでたしで終わった物語の結末を先に裏切ったのは、梨花の方だ。
シンデレラは末永く幸せに暮らしました、と締めくくられるから価値があるのに。
そのあと実際は政治で苦労したなんて、そんな結末を認められるものか。
世界中の人間が認めたとしても、私だけは認めない。
その結末を否定できるのなら、私は喜んで魔女となろう。


「黄金時代、何してんだ〜さっさと来いよ」
「えぇ、今行きますわ」


ガムテさんの言葉で、思考の海に沈んでいた意識を引き戻す。
そうだ、勝った後の事を考えるにはまだ早い。
今は未だ、勝つために最善を尽くす時なのだから。
ベランダと部屋を隔てるガラス戸の前に進み出ながら、先ほど偶像達に贈ったメッセージに思いを馳せる。
さて、彼女達はどんな顔をするだろうか。
再び鏡世界の中へと進みながら、私は綴った文面を心の中で反芻する。
プロデューサーさんの件で傷心中の所に追い打ちをかける、心を抉るその言葉を。



『仲間思いの誰かさん。貴女の尽力のお陰で死人が増えました』


『無駄な努力をご苦労様でした』


254 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:14:19 pfQbXKpc0


「……ッ!?」


キンッ!と
私とガムテさんの間で、乾いた金属音が響いたのはその直後の事だった。


「……全く、自信を無くしますわね。これでも本気で抜いたつもりだったのですけど」


彼は、振り返る事すらなく。
私が向けようとした拳銃を短刀(ドス)で撃ち落としていた。
発射するつもりは無かったとは言え。
鏡の世界に入る寸前。その一瞬を狙ったというのに。




「いんや〜いい線行ってたぜ。薬(ヤク)キメてりゃ千載一遇(ワンチャン)あるぐらいにはな。
ただ…俺は殺人(コレ)に関しちゃ、天才なんだよ」


半身だけ鏡の中に入れた状態で。
振り返ったガムテさんはニカっと笑い、欠けた歯を覗かせた。
そして、指で何かを弾いて、此方に渡してくる。


「今回のお仕事(ちごと)の報酬(ギャラ)だ。とっとけ」
「…プレゼントがいけないお薬だなんて、贈り物のセンスは致命的ですわねぇ」
「うっせ、なら返せそれ希少(レア)何だから。後、今の俺以外にやったら死んでっからな」
「分かっています。ガムテさんだからやったんですもの。こういう女性はお嫌いでしたか?」
「いんやァ、可愛(マブ)いと思うぜ、イー感じに壊(イカ)れてて」
「誉め言葉のセンスも致命的ですわね」


苦笑しながら持っていたグラスを置いて、落ちた銃を拾い彼に続く。
渡された薬は使うつもりは無かったが、貴重な物らしいので捨てることはしない。
彼の意向を尊重し、お守り代わりに受け取って置く。
今試してみて改めて感じたが、やはり彼は優秀な駒で、競争相手だ。
子供達の王としての確かな意志と、それを務めるだけの能力は最早疑わない。
彼との勝負は、きっと“部活”の様な刺激的なものとなるだろう。
だけれど、彼ですら“そこ”止まりだ。


(彼も所詮は通過点。私の前に最後に立つ相手はもう決まっていますもの)


かつて奇跡を起こした掛け替えのない親友。
兄を置き去りにした今ではたった一人になってしまった家族。
そして、連綿と続く惨劇の遊戯(ゲーム)の好敵手。
ガムテさんでも、梨花の替わりには成りえない。決して。


(早く、勝負の続きと参りたいですわね。そう思うでしょう、貴方も?)


…私は、あの日の梨花の選択はとても尊いものだと思っている。
だからこそ、過去を裏切るような選択を為そうとした今の梨花が許せない。
あの日の栄光に。辿り着いた奇跡に。二人の故郷である雛見沢に何の不満があるのか。
この街で男に媚びる見栄えだけの偶像共より、余程価値があるのに。
めでたしめでたしで終わった物語の結末を先に裏切ったのは、梨花の方だ。
シンデレラは末永く幸せに暮らしました、と締めくくられるから価値があるのに。
そのあと実際は政治で苦労したなんて、そんな結末を認められるものか。
世界中の人間が認めたとしても、私だけは認めない。
その結末を否定できるのなら、私は喜んで魔女となろう。


「黄金時代、何してんだ〜さっさと来いよ」
「えぇ、今行きますわ」


ガムテさんの言葉で、思考の海に沈んでいた意識を引き戻す。
そうだ、勝った後の事を考えるにはまだ早い。
今は未だ、勝つために最善を尽くす時なのだから。
ベランダと部屋を隔てるガラス戸の前に進み出ながら、先ほど偶像達に贈ったメッセージに思いを馳せる。
さて、彼女達はどんな顔をするだろうか。
再び鏡世界の中へと進みながら、私は綴った文面を心の中で反芻する。
プロデューサーさんの件で傷心中の所に追い打ちをかける、心を抉るその言葉を。



『仲間思いの誰かさん。貴女の尽力のお陰で死人が増えました』


『無駄な努力をご苦労様でした』


255 : 力と銃弾だけが真実さ ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:14:45 pfQbXKpc0

【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/二日目・未明】

【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:健康。
[令呪]:残り3画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬、
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
0:ガムテさん達とこれからの計画を練る。
1:最悪脱出出来るならそれでも構わないが、敵は積極的に排除したい。
2:割れた子供達(グラス・チルドレン)に潜り込み利用する。皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?
5:にっちもさっちも行かなそうなら令呪で逃亡する。背に腹は代えられない。

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券。
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。
1:蜘蛛共を叩き潰す、峰津院の対策も 講じる。
2:283プロ陣営との全面戦争。
3:あのバンダイっ子(犯罪卿)は絶望させて殺す。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
5:あさひに妹(しお)のことを伝える。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。


256 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/03/28(月) 23:15:35 pfQbXKpc0
投下終了です。

一部投下内容が重複してしまい申し訳ありませんでした。


257 : ◆e1iKht2T0g :2022/03/30(水) 18:40:54 qNRMtuz60
アイ(NPC)
キャスター(童磨)
アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))

で予約します


258 : ◆e1iKht2T0g :2022/03/30(水) 20:25:00 qNRMtuz60
予約を取り消させてもらいます
色々とお騒がせして申し訳ございませんでした


259 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:01:48 4DGGWOfs0
投下お疲れ様です! 感想はまた後程

4月1日なのでオープニング投下します


260 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:02:37 4DGGWOfs0


 空想の根は落ちた。

 最後の希望は星空の果てに。


◆◆


261 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:03:11 4DGGWOfs0


 ぼふん、という音がした。
 それと同時に、豪奢なベッドの上で眠っていた青年が溜息を吐く。
 そして上体を持ち上げれば、辟易したような眼差しで音の主。
 もとい、彼に対して枕を投げつけた少女の方を見た。
 まだ社会が社会として機能していた頃であれば誰もが顔面を蒼白にして震え慄いたろうその非礼。
 だがしかし、今のこの終末世界(ポスト・アポカリプス)には――その神をも恐れぬ行為を咎めてくれる者さえいない。

「いつまで寝てるんですか。部下の出発くらい見送ってくれません?」
「……寝過ごしたことは認めよう。予定していた起床時刻を七分ほど過ぎている。
 だがこの私の顔に枕を投げつけるとは、実にいい度胸だな。七草にちか」
「いい度胸にもなりますよそりゃ。世界が終わってんですよ?」

 青年の名は、峰津院大和。
 国内を通り越して世界にすら名を轟かす峰津院財閥の若き当主であり、今は滅亡した世界を復興させるべく最前線で辣腕を振るう"界聖杯戦線(ワールドグレイル・セプテントリオン)"の頭目を務めてもいる。
 かつては泣く子も黙る貴人であった彼だが、この場に限ってはにちかが正しい。
 社会秩序、通貨制度。
 それどころか真っ当な道徳や倫理の話すら罷り通らなくなった、"漂白された地球"においては過去の威光など微塵の価値も持たない。
 大和が真に類稀なる能力を持った超人でなかったなら、彼も今頃は他の有象無象と同じく世界を埋め尽くす雪の下に埋もれ沈んでいたことだろう。
 尤も彼は、そうはならなかった。そうなるには――彼という存在が抱く野望と抱える意思は、あまりにも膨大(おお)きすぎたのだ。

「そりゃ分かってますよ、大和さんが疲れてることなんて。
 この"ポラリス"の全権を担ってるの、事実上大和さんですもんね。あの聖杯幼女は基本お菓子食べてるだけで役に立たないですし。
 けどかと言って、いざ自分が死地に出向くって時に誰の見送りもないのは流石に複雑なんですよ」
「……ランサーはどうした。奴ならばこの時間は起きている筈だが」
「バブさんにも声かけましたよ。「見送らせてあげてもいいですよ?」って言ったら、ガチもんの殺意込めて睨まれたので逃げてきたんです」
「事情は理解した。私の考えが甘かったようだ」

 まだ疲労感の残る身体は動かす度にぎしぎしと音を鳴らしそうで。
 しかしかと言って、見送り相手欲しさにわざわざ己の元までやって来た少女を相手に塩の利いた対応をしたとて事態は後退しないと大和は判断した。
 峰津院大和は合理主義者である。
 そして、弱者の心が分からない"強者"である。
 が、それでも。
 如何にすれば効率よく手下を動かせるかということについては、一通りの知見を有していた。

「君の行き先は……確か中国だったか。
 悪鬼羅刹が犇めく巷。捕食者から被食者へと変わった衆生を、皇帝が選別した偶像が照らし続ける終わりの見えた霞の国」
「ええ、そうです。他にも気になるトコはありましたけど……私がこの手で張り倒して胸倉掴んでやりたいヤツは、そこにしかいないので」
「良い心構えだ。その宣誓を聞いたなら、星野の奴も君を見直しただろうに」
「はあ。分かってないですね、御曹司サマは。あなたアイドルのライブとか足を運んだことあります?
 もしあったら分かる筈です。こういうのは、言葉じゃないんですよ。何もかも言葉にしてたらかえって伝わんないんです」

 峰津院財閥の当主にそんな経験などあるわけもない。
 無論、にちか自身それは承知しているのだろうが。
 彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべて指を一本立てた。


262 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:04:14 4DGGWOfs0

「生(ライブ)で伝えるんですよ、あの人達って」
「私達、とは言わないのだな」
「大和さんって、顔は良いけどモテないでしょ」
「そんなことはない。道を歩けば誰もが振り向いたさ」

 ああそうですか、と眉間に皺を寄せるにちか。
 この男の場合、それが見栄でも何でもなく事実なのだと理解させてくるだけの実力と経歴があるから始末に負えなかった。

「……まあ、とにかくそういうわけですから。
 私もそろそろ此処を発ちます。皮下先生にもよろしく伝えといてください」
「覚えていれば、伝えておこう」
「もうそれでいいです。あと出来れば早めにバブさん達もこっちに寄越してくださいね、あのチート鯖どもがいるのといないのとじゃ大違いなんで」

 部屋の出口に立つにちか。
 彼女は最後に一度だけ足を止め、そして振り向いた。
 不安と焦燥と激情。三種の感情を綯い交ぜにさせた、空元気だけの笑顔を浮かべて。
 彼女は言う。ともすれば最後になるかもしれない、自分達のリーダーに掛ける言葉を。

「いってきます」


 遠ざかっていく足音を聞きながら。
 大和は一人、数メートル先も見えないほど霞んだ視界の中で自嘲した。

「……私も所詮は人間だな。この程度の負荷で、よもやこうまで衰えるとは」


263 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:04:53 4DGGWOfs0



 人類を滅相し、新秩序の構築のため各々の《異聞帯(ロストベルト)》を地球の各所に成立させた七人の《世界の敵(パブリック・エネミー)》。
 汎人類史はおろか、異聞の歴史にすら存在しない異界の英霊を使役する彼らの武力はあまりに絶大だった。
 地球上の抵抗勢力は次々に鏖殺された。七つの異聞帯が地上に揃ってから一週間もする頃には、地球の全域が雪と灰に埋め尽くされ漂白された。
 如何に峰津院大和が優れた魔術師であったとしても、彼一人ではどうにも出来なかった。
 それほどまでに敵は強大だったのだ。
 大和の才も、彼が秘める奥の手も、その全てを使っても恐らく打倒は不可能と、そう確信させるだけのものを敵は有していた。
 その状況に一石を投じたのは――宇宙(そら)の彼方から漂白された地球に降り立った、願望器を自称する自律した"奇跡"だった。

 界聖杯。

 大聖杯を上回る権能と規格を持つ星空の願望器。
 世界を股にかけた並行宇宙規模の聖杯戦争の開催を志していたところで先を越され、願望器は大変に立腹していた。
 少女の形を取った界聖杯は、大和達生き残りの人類に傲岸不遜にこう命じた。
 力を貸してやるから、あの目障りな《世界の敵》を全員殺して地球を復興させろ、と。

 あまりに理不尽な命令ではあったが、しかしてそれは人類にとって最後の希望となる取引だった。
 界聖杯を経由して生き残り達もまた、異界の英霊をこの地上に召喚。
 更に峰津院大和と、外道の医師・皮下真が協力して界聖杯の換装(アップデート)を行ったことにより、諸悪の根源である七つの異聞帯に"跳ぶ"システムまでもが実現するに至った。
 此処からは人類の反撃(ターン)。虐げられ踏み潰されるばかりだった人類は、満を持して憎き《世界の敵》へ反旗を翻すことに成功したのだ。

 だが――

「まあいい。この身がどうなろうと、この星がどうなろうと。
 最後に勝つのは私で、最後に叶うのも私の理想(ユメ)なのだから」

 界聖杯という規格外の存在を地上に維持するためのコストは、あまりにも甚大だった。
 いわば今の彼は、界聖杯というサーヴァントと契約し、かの願望器をこの地上に保つ要石の役割を担っている。
 ともすれば神霊の本体を使役する以上の負荷と言っても過言ではない、人間一人に背負わせるには大きすぎる代償。
 偶々以前から"巨いなる存在"を使役することに覚えがあった大和だから辛うじて成し遂げられている、前例のない偉業。
 
 峰津院大和は笑う。
 口端から垂れ落ちた血がシーツを濡らす。
 皮膚を一枚捲れば体内は隅々まで亀裂で満たされ、まともに機能している内臓などもう一つたりとも残ってはいないが。
 それでも彼は《人類の心臓》であり、《界聖杯戦線》の王であり――遠い未来にその頭角を現すだろう、《世界の敵》なのだった。


264 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:06:00 4DGGWOfs0
◇◇


 白い、白い世界だった。
 地上の何処かに存在する領域ではない。
 さる異界の呪術師が用いるものに、原理としては近いか。
 座標のない空間。虚数空間ともまた理屈の違った箱庭の中に。
 円卓が、あった。
 叙事詩の中から拝借してきたかのように巨大で、神秘的なものさえ感じさせる征服者達の円卓。
 そこに座る肉体は実体に非ず。
 彼らの肉体はこうしている今も自身の管理する異聞帯に存在している。
 此処にあるのは思念体。月並みな表現で言うならば、幽体離脱で意識だけを寄越しているようなもの。


「遂にうちにも来たよ。《界聖杯戦線》の連中」

 席に着くなりそう零したのは、呆れるほど整った顔立ちをした金髪の女だった。
 うんざりしたように目を伏せる姿にすら独特な透明感が伴い、エモーショナルを感じさせる。
 《世界の敵》の一人であり、地中海方面に異聞帯を持つ彼女の名前は仁科鳥子。
 両手に手袋を填めて物憂げに嘆息する姿が、どこか意図して露悪的に見せようとしている風に見えるのは、果たして只の邪推か。

「朝っぱらから災難だったな。君のところは特に不安定な異聞帯だ、彼らに思考のリソースを割かされるのはかなりの重荷だろう」
「まったくですよ、こっちはまだどう安定させるか頭を捻ってる段階なのに。
 大っぴらに頼むのは何かアレですけど、いざとなったら援軍送ってくださいね。――えぇと……」
「前にも言ったが、"プロデューサー"で構わない。
 またあの子に睨まれてしまうかもしれないが、な」

 苦笑して肩を竦める男。
 プロデューサーと呼ばれた彼が、どうやらこの場の元締め役を担っているらしかった。
 実際彼が一番の適役だ。そも、鳥子達《世界の敵》を集めたのは彼なのだから。
 まだこの世界が雪と灰に覆われていなかった頃。
 見上げた空が一面の青に透き通っていた頃。
 彼はその足で世界を歩き、手を差し伸べ、言葉を弄し、人間だった七人を《世界の敵》という絶対悪へと変えた。

 そう考えると"プロデューサー"という呼び名も、実に的を射たものに聞こえてくる。
 彼は眠れる悪を見つけ出し、プロデュースして、実際に人類史上最悪の大量虐殺者へと育て上げてみせたのだから。

「そういえばあの子はまだ来てないんですね。集合時間はもう過ぎてますけど」
「ははは。言って聞く子じゃないからなあ……すまないが、もう少し待ってやってくれ」

 どこか気まずそうな苦笑い。
 それはまだこの場に顔を見せていない"七人目"が、彼にとって浅からぬ関係性の相手であることを物語っており。
 その腹を見抜いてか、円卓の上に足を投げ出していた異様な風体の少年が声をあげた。

「Pたんとにっちーは真実(ホント)に仲良ちだなァ〜〜。Pたん、まるでにっちーの父親(パパ)みて〜☆」
「……そんな大層なものじゃないさ。あまり虐めるのはやめてくれよ、ガムテ」
「虐めてね〜〜よ。ただの正論」
 
 少年――ガムテの顔にへらりとした笑みが浮かぶ。
 そこには嘲弄と、そして嫌悪の色が浮かんでいた。


265 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:06:57 4DGGWOfs0
 彼が"プロデューサー"を名乗る男に悪感情を抱いていることは、誰の目にも明らかだったが。
 気まずい空気になるのは御免だと思ったのか、それとも信用している人間の窮地には助け舟を出さずにはいられない性分なのか。
 悪意という名の冷水で空気を冷やしたガムテを宥めるように、鳥子が口を挟んだ。

「ガムテ君、ちょっと口が悪いよ」
「え゛〜〜。でもオレ、やっぱあのオッサンのこと嫌いだなあ」
「プロデューサーさんだって頑張ってるんだから。一応……」
「一応?」

 フォローているんだか貶しているんだか分からない鳥子の言葉であったが。
 それを受けたガムテは、「ま〜仁科姉ちゃんには世話になってからな〜……」と渋々ながら矛(きげん)を収めてくれたようだ。
 ガムテはプロデューサーのことを嫌っている。
 この場に集った面々が《世界の敵》として初めて顔を合わせた時には既に、彼は露骨にその姿勢を示していた。
 彼とプロデューサーの間に何があったのか。それを知る者は誰もいないし、誰も詮索してはいなかった。
 どうせ。聞いたところで、今後の情勢を凌ぐための益にはならないだろうから。

「あー……ガムテに同調するわけじゃないんだけどさ。
 俺も正直、あんまり待たされたくはない。……かな」
「ほら〜ッ、田中の兄ちゃんも言ってる!」

 手を挙げたのは田中というありふれた名前の男だった。
 身なりも人相も冴えない彼は、この場では良くも悪くも"無害な男"として親しまれ/或いは見下されていた。
 例として述べるならばプロデューサーや鳥子は前者。ガムテなどは、後者だ。

「俺の異聞帯も、仁科さんのところほどじゃないけど不安定なんだ。
 特に今は……例の《界聖杯戦線》のこともある。極力目を離したくないんだよ」
「わたしもたなかさんとおんなじだけど、あんまり言ったらにっちーがかわいそうだよ。やめよ?」
「……お前んとこは死ぬほど安定してるから言えるんだよ、しお……」

 心底からの溜息をつく田中。
 一方で首を傾げて、「あんてー?」と問いかける少女の名前は神戸しおといった。
 椅子に腰掛けている彼女だが、その足は地に着かず宙に浮いている。
 ぶらぶらと所在無げに揺らす足の動きは否応なしに幼さを思わすが、事実彼女は《世界の敵》と呼ばれるにはあまりにも幼すぎた。
 見た目も醸す雰囲気も、何をどう見ても齢二桁に達していないだろうそれ。
 そして事実。彼女は、此処に集う《世界の敵》の中では心身共に一番幼かった。
 先のガムテよりも遥かにその齢は下だ。
 にも関わらず。既にその名、その体は虐殺者の咎を背負っている。

 それが如何程に規格外な事実を意味するか。
 理解している者は、今は恐らくプロデューサーとガムテの二人。
 そして――

「ごちゃごちゃうるせえな。そら、噂をすれば何とやらだ。来たぜ、主役(アイドル)さんがよ」


266 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:08:49 4DGGWOfs0

 七つの異聞の中にあっても、こと悪性という観点においては群を抜く犯罪都市を統べるキング・オブ・ヴィラン。
 醜い傷痕と乾きの目立った顔面をくしゃりと歪めて嘲りの笑みを浮かべる男、死柄木弔か。
 触れたもの全てを崩壊させるその手が円卓に、そしてその向こうに座る者達に向けられていないのは単に彼の気まぐれに過ぎない。
 或いは彼なりに、この寄り合いに利用価値を見出しているのか。
 少なくとも、今はまだ。

「その呼び方やめてください。皮肉だと分かってても不快なんで」
「失敬、癇に障ったなら謝るよ。
 手前んとこの異聞帯よろしく、此処まで薪(ロウソク)にされちゃ敵わねえからな」
「……、……」

 嫌悪も露わの視線を向ける少女と、あくまで不遜に迷える少女を嬲る死柄木。
 それを睨み返す少女――七草にちかの瞳に宿る感情は、しかし少女相応の激情ではなかった。
 それもその筈。彼女はもうただの少女ではない。
 一つの世界を定着させるために地上の命を焼き払い。
 そして自分が組み上げた世界すらもを現在進行形で焼却し続けている狂おしき独裁者(ドミネーター)。
 
「ていうか、さっさとしてくれません?
 今更こんな集まりに顔出したくもないんですよ、こっちは」
「まあそう言わないでくれ、にちか。
 これも一応は必要なことでな。それに……そう嫌わなくても、当分次の会合はない」

 七草にちかの登場によって《世界の敵》は全て揃った。
 
 プロデューサー。その異聞は中国。掲げるヒカリは偶像。
 仁科鳥子。その異聞は地中海。掲げるヒカリは幸福。
 ガムテ。その異聞は北アメリカ。掲げるヒカリは狂奔。
 田中一。その異聞は日本列島。掲げるヒカリは霹靂。
 神戸しお。その異聞はマリアナ海溝。掲げるヒカリは永遠。
 死柄木弔。その異聞はブリテン。掲げるヒカリは退廃。
 そして七草にちか。その異聞は南米。掲げるヒカリは最早ない。

 彼ら七人を指して《世界の敵》と呼ぶ。
 彼らは人類の、地球の洛陽そのもの。
 そんな彼らの計画は、そして戦いは。
 《界聖杯戦線》の始動と共に、最後の詰めの段階へと入りつつあった。

「次に会合の席が設けられるのは――我々の中から脱落者が出たときだ」
「……それって、《界聖杯戦線》の連中が異聞帯を乗り越えた時、ってことだよね」
「そうなる。だが、まあ。順当に行けば、その機会は来ないだろうけどな」

 異聞帯は強大だ。
 何しろそこで待つのは異界の英霊と異界の法則。
 たとえ敵が、界聖杯なる異分子に頼って前者を手中に収めていたとしても。
 それでも五分には程遠い。蟻の一噛みで象を倒せるか挑むようなもの。
 いがみ合いと睨み合いは日常茶飯事の《世界の敵》ではあるものの。
 次の会合の席は、恐らく全てが成就するその時までお預けになるだろうと誰もがそう確信していた。
 
 この円卓に欠員は出ない。
 異聞帯は一つたりとも崩れない。
 残存人類は為す術もなく七つの神話の前に敗れて消える。

「――では話をしようか。我々の世界の行く末と、その先に待つ覚醒(アイオーン)についての話を」


267 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:09:19 4DGGWOfs0
◆◆


「下らん。何たる茶番だこれは」
「そうは言いつつオレ達に付き合ってくれるんスね、バーサーカーの旦那。
 アンタは性分(キャラ)的にあっち側だと思ってたんですが」
「貴様の矮小な物差しで私を推し測るな。只でさえ醜穢な瘤を抱えて歩くことを余儀なくされ不快の絶頂なのだ。
 早々に英霊の座へ還りたくなければ、言葉はよく考えて発するようにしろ」

 鬼舞辻無惨というサーヴァントが、他人に対する殺意を自制している。
 彼について少しでも知識を持つ者がこれを見たならばまず間違いなく驚いたろうが、それよりも更に驚くべきなのは。
 無惨が現在、人類側に付いて活動を行っていることだった。
 人喰い鬼の始祖であり。
 千年に渡りあらゆる嘆きと流血を生み出してきた、呪われた男が――人類救済のため立ち上がった《界聖杯戦線》に身を置いている。
 無論同行者という名の首輪付きではあるものの、それでも無惨の人となりを思えばあまりにも異常な事態である。

「この都は臭い。鼻が曲がるようだ」
「そうっスかねぇ〜……オレは割と嫌いじゃないんですが」

 現代のそれには遠く及ばねど。
 人の営みと文明の粋が凝集された、美しい街並みが広がっていた。
 紫の雲が天女の織物のように空を漂い、何処からか陽気な笛の音が聞こえてくる。
 否、笛だけではない。
 歌声が聞こえる。
 都に響くその歌はしかし、神秘最盛の中国が誇る幻想山脈――《崑崙》の頂上に広がる非実在(ありえ)ざる桃源郷の都市風景には全く不似合いな明るさと弾みを帯びた音色をしていた。
 
「急ぐぞ。これ以上時間は掛けられん。
 あの腐った女と、貴様の所の虚言(うそ)吐きがどうなろうと知ったことではないが……奴らの死が私の死因になる屈辱には耐えられない」
「真実感謝(マジアザ)ッス、旦那。アイの奴も喜びますよ。そちらの食虫花(ラフレシア)も、さぞかし笑ってくれるでしょう」
「……貴様、今に見ていろよ。全てが終わった暁には、その貧相な五体を引き裂いて《世界の敵》の墓前に手向けてくれる」
「ハハ、戦慄(こえ)」

 此処は崑崙。
 幻想と空想が満たす、禍(わざわい)の根絶された福の都。
 常に偶像(アイドル)の歌が鳴り響き。
 遍く衆生がそれを通じて勝手に救われ、満ち足りた顔で生存(いき)る桃源郷。
 《世界の敵》を健在だった頃の地球上からかき集め、実際に世界を滅ぼしてのけた"プロデューサー"が天帝の座に就く異聞帯。

 ――この世界は、既に救われている。
 故に彼らのやることは決まっていた。
 救いある世界を殺すにはどうすればよいか。
 おとぎ話の理想郷を滅ぼすにはどうすればよいか。

 
 救いなどない"死"を、振り撒けばよいのだ。


268 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:09:46 4DGGWOfs0
◆◆


 Lostbelt No.1
 異聞深度:C
 AC.771

 偶像輪唱山脈 崑崙

 “狗面の鬼神”


◆◆


269 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:10:38 4DGGWOfs0


 都市は今日も品性豊かな退廃で溢れていた。
 きらびやかに飾り立てた貴族が、夜な夜な自分の領地で貧民を狩る遊戯を開く。
 虐げられるばかりであった貧民が、綿密な計画の末に笑いながら積怨ある貴族を殺す。
 そうして富と名誉を強奪した貧民が、成り上がりを羨んだ友人に殺される。
 その友人は気の触れた異常者に殺され、異常者はまた次の殺人者によって殺される。
 食物連鎖ならぬ殺戮連鎖。文字通り後に草の根一つ残さない殺人事件の連鎖が、隆盛極めた大英帝国の"悪"を日毎に濃縮させていく。

「……これで、独りか」

 小さく呟いた男の手には、血を滴らせた一振りのナイフが。
 その前には、幼年期から彼を間近で支え続けてきた弟の屍が横たわっていた。
 正しい歴史であれば。
 彼は他の仲間達と共に、この才覚冴え渡る美男を支え、彼が一つの偉業を果たした後に渡っても末長くその道に付き従い続ける筈だった。
 彼に限らず。男が今握っているナイフで摘み取ってきた"命"はどれも、本来であれば男にとってかけがえのない宝石であった。

 なのに男は、それを殺した。
 義兄を殺した。右腕を殺した。
 使用人を殺した。麗人を殺した。
 技師を殺した。恩人を殺した。
 実弟を殺した。

 友達を、殺した。

「結局――私は"悪を成す者"として、何処までも貴方の後塵を拝するしかなかったようだ」

 犯罪卿を名乗り、大英帝国を悪の蠱毒に沈めた男。 
 全ての民から理性を奪い、全ての民の欲望を肯定し、全ての民を人倫の鎖から解き放った魔人。
 今の彼はもはや"犯罪卿"ではない。
 罪の十字架を背負いながら正しいことを為す、心を凍らせた革命者ではない。
 英国は彼の手により"亡国"となった。
 ある老蜘蛛(オールド・スパイダー)をライヘンバッハの滝まで追い詰め。
 最後の最後、あと一歩の所で知恵比べに敗れた若き蜘蛛の――その手で、かつて変えると誓った国は変わり果てた。

 今の彼は犯罪王(ジェームズ・モリアーティ)。
 彼の本当の名前を呼ぶ人間は、知る人間は、もはや何処にも居ない。
 いや。訂正しよう、ただ一人を除いて他には居ない。
 この地で彼と絆を育み、共に老蜘蛛を追い詰め、そして共に失敗した少女。

 今は――窓の外、階の下。
 涙雨の濡らす道を走り去る逃亡者。
 田中摩美々、という風変わりな名を持つ日本人の背中を、犯罪王モリアーティはただ黙して見送るしか出来なかった。
 やがてその姿が完全に見えなかったところで、モリアーティは受話器を取り。

「追跡の依頼です、ミルヴァートン。紫髪の少女を追わせてください。日本人の娘です」

 そう、告げた。
 彼なりの訣別の言葉。
 その言葉が相手に届くことはないけれど。
 それでも良かった。それで、良かった。

「そして――死柄木に一報を」

 初代の犯罪王は死んだ。
 よって今はこの"二代目"こそが、このブリテン異聞帯を支配する《世界の敵》の相棒たる蜘蛛と相成っている。

「終局の兆しがようやく見えたと。
 "私"が成し遂げ損ねた終末を、いよいよ再動させる時が来ましたと。
 そう、伝えてください」

 ――ああ。
 雨が降っている。
 雨が。


270 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:10:57 4DGGWOfs0
◆◆


 Lostbelt No.2
 異聞深度:B
 AC.1900

 善性廃絶都市 クライム・ブリタニカ

 “亡国の犯罪王”


◆◆


271 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:11:35 4DGGWOfs0


「ただいま帰りましたわ。
 ……はあ、やっぱり都会なんて住むものじゃありませんわね。雛見沢の夜はこんなに暑くなかったですわよ」

 額の汗をがさつに手で拭いながら、金髪の少女がコンビニ袋を卓袱台に置いた。
 大型トラックが通るだけで揺れ、壁や天井がぎしぎしと軋みをあげるボロアパート。
 言わずもがな此処は少女の部屋ではなく。
 そして、家主である冴えない成人男性は彼女の親でも親族でも何でもなかった。
 正真正銘赤の他人。それでいて、世界を滅ぼすまでの呉越同舟。
 否、正しくは。"その先"にある大願へ手を掛けるまでの、仮初の関係性――というのが正しいか。

「……沙都子ちゃんか。ああ――おかえり。
 悪いな、毎回買い物とか支払いとか任せちゃって」
「気にすることはございませんわ。億劫ではありますけど、これはこれでなかなか新鮮ですし。
 それより田中さん? 誰か部屋を訪ねてくる度にびくびくするのはいい加減おやめなさいな。みっともないですわよ」
「お、お前には分かんねえよ……! 分かるかよ、現在進行形で命を狙われてる人間の気持ちなんて……!!」

 家主の返事を聞いた沙都子は、はぁと溜息をついて肩を竦めた。
 それはさながら、出来の悪い息子を嘆かわしく思う母親のような仕草であった。

「(まったく。なんだってこのような方が《世界の敵》に選ばれたのだか)」

 田中一という男は、どう控えめに言っても優秀な男ではなかった。
 《世界の敵》七人の中では、純粋に年齢が幼い神戸しおを除けば間違いなく一番劣っているだろう。
 凡夫も凡夫。非日常に向けて走り出せる度胸はあっても、それを完走まで保てる資質はない。
 本人がその評価を聞いたならどんな顔をするか分からないが、彼自身の意向とは正反対に、実に非日常に向かない男であると言えた。

「それより……リンボから何か聞いてないのか?
 "百物語"ももう大分進んでる。そろそろアイツの言ってた"牛――」
「シャラップ、ですわ。その名前をみだりに口にしてはなりません」

 この異聞帯は、七つの中で最も新しい時代を礎として成立している。
 2007年。"現代"に比べればやや前にはなるものの、それでも十分に時代としては新しい。
 2007年、21世紀の潮流と匂いがようやく巷に馴染んできた頃。
 そして。数多の妖怪変化が、これまで語られてきた妖魔心霊の類とは一線を画した"現代怪奇"が――一斉に芽吹き始めた時代。

「リンボさんから聞いていますでしょう? その名前は今やただの"怖い話"ではありませんのよ。
 口にしただけでも障り、絵に描けば祟り、そして……」
「……完成すれば都市を喰う、だろ。飽きるほど聞いた」
「なら一体、何を憂いることがあるんですの」

 沙都子は買ってきた食料を卓袱台の上に広げながら、呆れたように言った。
 そして事実呆れていた。一体どうしてこうも鬱屈としているのだろうと、そう思わずにはいられない。
 田中と沙都子の勝利条件。それはこの都市を舞台に繰り広げられる儀式、"百物語"の完遂だ。
 百話目もとい百体目の怪異が顕現すると同時に、この異聞帯におけるあらゆる争いは過去になる。
 悪霊、魍魎、妖魔、荒神、まつろわぬ魂……百の怪異譚に散りばめられた百の怪異を一つに束ねた最醜の噺。

 "牛の首"が語られ、その像がこの東京に形を成した時。
 《世界の敵》田中の勝利は確定し。
 彼の心胆を脅かす《界聖杯戦線》と、それとはまた別口に田中を追う"因縁"は……最早何の意味も成さない羽虫に成り果てるのだ。
 そして"その時"は、もうそう遠くない未来にまで迫っている。

「沙都子ちゃんは、あいつを知らないんだ」
「あいつ。田中さんが最初に召喚した、本来のサーヴァントさんのことでしょうか」
「あの殺人鬼は、絶対に俺の所まで来る。
 あいつはそういう奴なんだ。絶対に……どんな手段を使ってでも。
 仮に例の話が完成したとしても、ふとした瞬間に俺の肩を叩くに決まってるんだよ……!」

 ああ。
 ああ、ああ。
 自分は何処で間違えたのだろう。
 あの殺人鬼をどうすればよかったのだろう。
 そう思いながら首に爪を立てる。沙都子はそれを、仕方のない人だとばかりに妖しく微笑んで見つめていた。

 神秘宿らぬ肉体でありながら、破竹の勢いで百物語の怪異達を退けていく"術師殺し"。
 そして彼を猟犬として従え、極東異聞帯の高速切除を掲げひた走る蒼い眼の女。
 《界聖杯戦線》の中でも右に出る者のいない対怪異の専門家達が、自分の何より恐れる殺人鬼と手を結んでいる事実。
 これは田中がそれを知る、凡そ半刻ほど前の一幕であった。


272 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:11:57 4DGGWOfs0
◆◆


 Lostbelt No.3
 異聞深度:D+
 AC.2007

 百鬼■■絵巻 東京

 “Chase you”


◆◆


273 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:12:29 4DGGWOfs0


 大歓声の中で、幽谷霧子の晴れ舞台は幕を閉じた。
 L'Antica(アンティーカ)の何度目かのライブは過去最大の規模で行われ、散々注がれた期待の前評判に見事応える大成功を収めることが出来た。
 自宅にて。心地よい疲労感と清々しい達成感を胸に抱きながら、少女は窓辺で月明かりに照らされる。
 手にはスマートフォン。今の待ち受けは、ライブ終了後すぐに皆で撮った成功祝いの集合写真だった。
 見ているだけで笑みが溢れてくる。いつまでだって眺めていられる、そんな最高の"しあわせ"がそこにはあって。

 液晶に表示された日付が変わる。
 2022年、4月14日。4の数字が動いて、5に変わる。
 
「(やっぱり……楽しいな、アイドルって………)」

 無論、アイドルというのはただ楽しいばかりの仕事ではない。
 心無い言葉や目線を浴びることは多いし、うまくいかないことだって日々たくさんある。
 ライブだってそうだ。張り切って臨んだ大舞台が、いつだって大喝采で締め括られてくれるとは限らない。
 けれどそれでも、霧子にとってアンティーカの皆と、アイドルとして過ごす時間は――とても充実していた。
 毎日がひまわりのような幸せの花を咲き誇らせ、幸せなことばかりで満ちている。

 ああ、だからきっと。
 明日も、さぞかし楽しい一日になってくれるのだろう。
 スマートフォンの電源を落として、ベッドの上に身を横たえる。
 月明かりの優しい輝きを浴びながら目を瞑ると、意識は徐々に夢の中へと沈んでいき――


《何を……している…………。それ以上……腑抜けた無様を、晒すな…………》


「――――っ! あ、あ………!」

 そこで、声が聞こえた。
 違う。違う、違う違う違う。
 これは、違う。
 霧子が跳ね起きる。
 その身体には、焦りと動揺を意味する冷や汗が伝っていて。
 そんな彼女に。つい先程まで確かに彼女以外誰も居なかった筈の部屋の中から、声が掛かった。

「いい未来でしょ?」

 振り向けばそこには、幽谷霧子の敵が居る。
 霧子自身がそう思ってはいないかもしれない。
 けれど彼女は確かに、霧子の。そして彼女が大切に想う、その他人類全てにとっての敵だった。
 艷やかな金髪を夜闇に溶かして、薄影の中から手を伸ばす。
 その手が霧子の頬に触れる。冷たい、透明な、手だった。

「あなたの明日は、もう此処にしかないんだよ」

 ここには、求めるものの全てがある。
 日だまりを望むならばそのように。
 血風吹き荒ぶ戦場を望むならばそのように。
 この世界は、異聞は、何人たりとも拒まない。
 受け入れ、その上で対象が渇望を抱く光景を――理想の世界を投影する。
 
「諦めて。そうすれば、必ず私達が救けてあげるから」
「それは……っ。……できません………」

 それこそが第四異聞帯の真実。
 見る者、触れる者によってその形を変えるカレイドスコープ。
 差し伸べられた手を一度取れば、世界はその弱さに優しく寄り添う。永久に、この異聞帯が消え果てるその時まで。
 
「だって……あなたも……」

 ――それでも。
 ――幽谷霧子は単身、午睡のように甘い夢の中で抗い続けていた。
 あの月から響く声を寄る辺に。胸にある本当の思い出を標に。
 
「………救けてほしい、って……。そんな顔を、してるから…………」

 夢の中で、少女は孤独な戦いを続ける。
 《世界の敵》。自分の友と、家族と、全ての人類の仇である女を――救ってあげるために。


274 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:12:45 4DGGWOfs0
◆◆


 Lostbelt No.4
 異聞深度:EX
 AC.1932
 
 永劫■■夢界 ドリームランド

 “月に吠えるもの”


◆◆


275 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:13:17 4DGGWOfs0


 星が――墜ちる。
 流星のように駆けた少女が居た。
 無限大の想像力(イマジネーション)、その全てを拳に乗せて挑んだサーヴァント。
 その身体は一つの血袋と化し、もはや立っているのがやっと。
 そんな状態で上空数十メートルから地面に叩き落され、それでもなお立とうとする様の何と勇ましいことだろうか。
 だが悲しきかな。それを嘲笑いながら、虫螻のように踏み潰せる"怪物"こそが――この第五異聞帯における"最強生物"だった。

「(だ、め……立たなくちゃ、だめだ……!!)」

 サーヴァントと言えどその体力は無限ではない。
 拉げた腕が更に崩壊するのも厭わず拳を振るい。
 強引な擬似魔力放出を使って無理に戦闘を続行していたその身体では、これ以上の継戦はまず不可能である。

 第五異聞帯の女王を防衛する三将星。
 その一角、無限軍勢のクラッカーを墜とした。
 そこからさしたる休息も挟まずに、報復に燃える女王の暴力を十数分に渡り受け続けて。
 それでまだ人間の形を保てている時点で値千金の働きであることは疑いようもなかったが、生憎と異聞帯での戦闘において武功など何の価値もない。
 最後に勝った者だけが笑えるのだ。
 どれだけ目ざましい戦果を挙げたところで――道半ばで倒れたならば、それはただのありふれた"敗者"でしかない。

「(……ごめん、真乃さん。梨花ちゃん――あの約束は、もう果たせそうにありません)」
 
 でも。ああ、だけど。
 必ず帰ると言ったあの約束は守れなくても。
 それでも――!

「でも……! 皆さんの未来だけは、わたしが必ず守ります!」

 叫んで、心の弱気を吹き飛ばす。
 そんな少女に対し、女王は嗤って剣を振り下ろす。
 覇気などという次元ですらない、生前の彼女と比べて尚目を瞠る暴性を獲得した今の女王はまさに異聞帯の王と呼ぶに相応しい。
 玉砕の運命を悟りながら、握った拳を天へと突き上げる――そんな彼女と女王の前に。
 しかし、立ち塞がる影があった。

「――よくやってくれた。感謝するぜ、キュアスター!」
「あ……」

 光り輝く二刀流。
 大きな、大きすぎるその背中。
 人間でありながら、サーヴァントの一刀を受け止めて立つその男を。
 サーヴァントは、キュアスターは知っていた。
 彼の名は――その名は――。

「あとは……おれ達に任せろ!!」
 
 光月おでん。
 巨人達の理想国家と、狂おしき幼童と、《界聖杯戦線》が入り乱れ戦うこの第五異聞帯において。
 誰よりも豪放磊落に、そして誰よりも破天荒に、誰一人想像だにしなかった航路を進む"侍"。

「(……とは言ったがよ――おれ一人でリンリンの相手はどう考えても荷が重ェ。
  縁壱と武蔵の助太刀も期待出来ねェ以上、普通にやってたら死ぬのはどう考えてもおれの方だ)」

 されど彼一人では、この絶望を揺るがせない。
 それほどまでに――異聞帯の恩恵を最大限に受けた女王"ビッグ・マム"の軍勢は強大だった。
 だからもう一つ波が要る。どんな不条理も瞬く間に押し流せる、そんな特大の津波が。

「(さっさと来やがれ――カイドウ! お前と肩並べて戦うなんざ、まるで悪い冗談だけどな……!!)」


◆◆


276 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:13:38 4DGGWOfs0
◆◆


 Lostbelt No.5
 異聞深度:A
 AC.1904
 
 楽園鏖殺戦線 ネヴァー・■■■ランド

 “全ての刻へ捧ぐ剣”


◆◆


277 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:14:41 4DGGWOfs0


 歌が、響いていた。
 幼い歌だ。オルゴールのように甲高く、それでいて優しい歌。
 小児期特有のソプラノボイスがこの幸福をただひたすらに言祝いでいた。
 甘い、甘い、砂糖菓子の地獄の最果てにただ一つ確かに聳えた建築物。
 彼女達が"お城"と呼んだ建物の生き写し。忘れ得ぬ温もりの部屋の中に、第六異聞帯の主は常に居る。
 
「遅いねえ、お兄ちゃん」

 桃色の髪を梳く手は幼いながらも一丁前で。
 お城の窓から外に広がる荒野を眺めながら、神戸しおはそんなことを口にした。
 今日は天然痘の悪魔が派手に暴れている。
 それに食って掛かった酒の悪魔はゴキブリの悪魔に真横から文字通り食い散らかされ、茶色と黒の群体も真横から現れた津波の悪魔に押し流された。
 彼の暴挙に歯止めをかけるのは砂の悪魔で、二体の戦いを嗅ぎつけて空から隕石の悪魔が墜ちてくる。
 激突で生じた粉塵が晴れてみるとしかしそこにはいずれの悪魔の姿もなく、終末論の悪魔が勝利者として一人佇み嗤っていた。
 
 今日も地獄はたいへん元気だ。
 此処にはあらゆる悪魔が集う。
 何しろ此処は文字通りの地獄。
 そもそも地上ですらない。
 悪魔が生まれ、悪魔が還る場所。
 マリアナ海溝から魔術的・悪魔的距離数億メートルを経た最果て。
 それを人類史と謳って、こじつけて、《世界の敵》は甘い永遠の城を建てた。

 確認されている《界聖杯戦線》の面々は四人――正しくは二組。
 道化の仮面を被った復讐者と、神戸しおの他でもない実兄。
 美しい蒼雷を嘶かせる弓兵と、"お城"を脅かそうとして命を落とした筈の小鳥。
 しおは彼らの来訪を拒むどころか歓迎していた。
 いつ来るのだろうと、胸をわくわくさせながら待っている。

「だって、あっちから来てくれるのが一番はやいもんねえ」

 そう思うからこそ、しおは一切の戦力を有していなかった。
 無数に犇めく悪魔達の手綱を握ろうとも、していない。
 ただ一体。彼女が《世界の敵》となり、異聞帯を持って初めて召喚した一体の悪魔のみを除いて。

 急ぐ必要なんてない。
 焦る必要もまた、ない。
 だって結局、此処まで来てもらえれば終わる話なのだから。
 なら、どうしてあれこれ意味のない努力をして遊んであげる必要があるというのか。
 
「はやくおいで、お兄ちゃん。小鳥さん。
 お口のわるいヒーローさんも、ぴかぴかかっこいいアーチャーさんも」

 窓の外から地上を見下ろす。
 終末論の悪魔のバラバラ死体が土に還るところだった。
 悪魔同士の熾烈な生存競争を制した絶対勝者。
 それをしおが視線を外していたほんの数秒の内に瞬殺し、解体してのけた一体の影。

 彼こそが――第六異聞帯の最大戦力。
 神戸しおが唯一信じる、永劫不変の城の守り人であった。

「ぜーんぶ、わたしとデンジくんがあそんだげるから」

 髪を梳く。愛おしそうに、大切そうに。
 今はまだ、その少女は眠っているけれど。
 いつか、たとえそれが気の遠くなるような時間の果てだとしても――いつか。
 その眼が開くことを信じて、しおは眠れる少女を慈しむ。
 どうせ時間は無限にあるのだから、焦る理由など欠片もありはしなかった。


278 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:15:10 4DGGWOfs0
◆◆


 Lostbelt No.6
 異聞深度:I
 --:■■■■

 ■■糖炉地獄 ハッピー■■■ライフ

 “あなたの名前をつけよう”


◆◆


279 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:15:44 4DGGWOfs0


 異聞帯。行き止まりの人類史。
 そして、あったかもしれない人類史。
 しかしながらその定義は、この第七異聞帯にまで適用していいものなのか。
 不治(アンリペア)の否定者は、世界をその端から文字通り焼き尽くしていく終末の炎を前にしながら辟易したように嘆息した。

「──これの何処が、あり得たかもしれない人類史だってんだ」

 第七異聞帯はじきに焼失する。
 リップとそのサーヴァントである機凱種の少女がこの地を踏んだ時にはもう、この世界はどうしようもなく詰んでいた。
 異界の英霊など存在しない。
 全ては薪木に変えられて、世界を焼く烈火の糧と消えている。
 こうしている今も第七異聞帯、欧州の古都は着々とその面積を目減りさせつつあった。

「……どう見る、シュヴィ」
「当初の、解析通り……。この異聞帯は、あと七十二時間以内に……焼失、する……」
「それは分かってる。俺が聞きたいのは、“本当にそれで終わりだと思うか”だ」
「……、……」

 解析結果をそのまま受け取るならば成る程とんだボーナスゲームだろう。
 何をしなくても勝手に焼け落ちてくれるというのなら、当然あらゆる手間は省ける。
 リップ達はただこの異聞帯から脱出する策さえ用立てればそれでいい。
 だが──本当にそれで終わるのか?
 《世界の敵》の七人目。この地を炎で包んだあのドッペルゲンガーは、本当にただ自棄を起こしているだけなのか?
 その目的は。本当に、ただの破滅なのか?

「……この地を脅かす“炎”は、ただの炎じゃない。
 神秘すら焼く、解析は出来ても再現することはできない、消えることのない炎……」

 シュヴィが静かに話す。
 この世界を焼く炎は消えない。
 消えることなく、世界の終わりまで燃え広がり続ける。
 だが。

「その、熱が……炎が。この世界が燃え尽きたあと、……どこに、いくのかは。わからない」
 
 では、その後は?
 世界を焼き尽くした後、不滅の炎は何処へ行く?
 
「蝋の翼ですよ。人理焼却、とも言うそうですけど。あの嫌らしい陰陽師さんによれば」

 その答えは、予期せぬ人物の口から語られた。
 炎の中を怖じもせずに進んでくる、何処か諦観の表情を滲ませた少女。
 シュヴィが即座に臨戦態勢を取り、リップも彼女に倣う。
 少女はそれを見ると鼻を鳴らし、「人の土地に不法侵入しといてご挨拶ですね」と皮肉った。
 少女の名前を、リップ達は知っている。しかし少女の素性を、リップ達は知らない。

 七草にちか──《世界の敵》たる彼女の人相と声は紛れもなく、《界聖杯戦線》の彼女のそれと同じもので。
 ドッペルゲンガー自身、それを自覚しているのか。
 “七草にちか”らしい顔で──小馬鹿にしたように嗤う。

「あの人達は、何やら御大層なお題目を掲げて頑張ってるみたいですけど。
 ぶっちゃけ私、そんなのに興味ないんですよね。
 だから全部、何もかもが終わるまで。
 此処でこうして──星の終わりを眺めるつもりです。楽な仕事だと思いません?」
 
 もしかすると、始まりとも言えるのかもですけど。
 にちかが右腕を静かに掲げる。
 そこに刻まれているのは、翼のような形状を象った三画の刻印。令呪だった。

「おいで、■■■■」

 一言のみの命令。
 彼女が三画限りの特権を惜しむことなく行使するのと、その背後で煌々と燃え盛る終末の炎の中から“何か”が姿を現すのは全く同時だった。
 それは男の姿をしていた。
 それは、黄金の髪を靡かせていた。
 世界すら焼く炎に包まれていながら、黒ずみ一つない鋼のような肉体美を保っていた。
 それは──英霊の規格に収まる霊基をしていなかった。

「遅いんですよ、あなた達。
 もっと、せめてあともう少し早く此処に来てくれてたら──」

 にちかはへらりと笑った。
 炎のみが、光のみが焼き尽くす世界。
 ああならばこそ。この世界にはもう、雨の降る余地など何処にもなく。

「こんなことにはならなかったのに。
 私も、あの人も」

 ──人理焼却。
 人理漂白の後に為される大偉業。
 その担い手に堕ちたなり損ないの偶像が、今此処に一切鏖殺を宣言した。


280 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:16:03 4DGGWOfs0
◆◆


 Lostbelt No.7
 異聞深度:EX
 N■:■■■■

 ■■烈奏■■ ■■■■■■

 “■の境界”


◆◆


281 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:16:19 4DGGWOfs0


 そして戦いは続く。
 七つの異聞、七つの死にゆく世界。
 願いと願いは喰らい合い、潰し合い。
 いつしか覚醒(アイオーン)の時を見るだろう。

「……ああ、そうだ。
 そうでなくてはならん。
 たとえこの身体、この魂が滅びようとも――人理昇華。この偉業だけは、成し遂げてみせるとも」

 ただ一人。
 最初の一歩を歩んだ男だけが、その未来を見据えて――

「見ていてくれ、にちか。見ていてくれ、皆。
 これが、俺の――」


282 : 世界の終わりで雪が降る ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:18:04 4DGGWOfs0
◆◆










































界聖杯「んなわけあるか〜〜〜〜〜〜〜〜!(ちゃぶ台がしゃーん)」


283 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:18:25 4DGGWOfs0
以上で投下を終了します。
続きは20023年の4月1日くらいに投下できればと思います。


284 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/01(金) 00:20:48 4DGGWOfs0
また、当作は
「そして未踏の世界へと(ttps://w.atwiki.jp/epicofbattleroyale/pages/682.html)」様の作品形式を一部参考にさせていただきました。
執筆にあたり許可をくださった作者様にこの場を借りてお礼申し上げます。


285 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/03(日) 00:24:37 i41N8dTo0
峰津院大和&ランサー(ベルゼバブ)、紙越空魚 予約します。


286 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/04(月) 18:25:35 wc/kEHLM0
神戸あさひ&アヴェンジャー、プロデューサー&ランサーを予約から外させていただきます。長期のキャラ拘束申し訳ありませんでした


287 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:43:22 pdjFHK7M0
投下します


288 : 引奈落 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:44:29 pdjFHK7M0
 割れた子供達(グラス・チルドレン)。
 彼らはこの界聖杯の仕組みを知っていれば誰もが驚く驚異の軍勢である。
 何しろ構成員のほぼ全員が覚醒を果たしている。
 何の未来もない木偶から、自らの意思で可能性を掴むに至っている。
 仲間やボスを売る血の薄い同胞は幸いなことに早々に脱落してくれた。
 だが…当の割れた子供達は誰一人として、彼らの死をそんな風に考えてはいない。
 それは勿論、彼らの頭目であるところのガムテを含めてだ。
 何故なら彼らは家族だから。
 血ではなく流血で繋がった一蓮托生の群体だから。
 各々裏切りに思う所はあれど、本心からその死を"ざまあみろ"などと罵れはしない。
 そんな彼らだ。
 そんな彼らなのだ。
 癇癪と激情に任せて自分達のかけがえのない仲間を殺す横暴な"母(マザー)"に対して思う所がない筈などなかった。
「今帰ったよォ〜! ガキ共ォ〜! 客人だ、酒とお菓子を用意しな!」
 いつか目に物見せてやる。
 いつかツケを払わせてやる。
 そう思いながら心にナイフを忍ばせて雌伏する。
 いつか必ず、自分達の王が…ガムテが。
 この傍若無人な糞婆に報いを与えてくれるとそう信じて。
 しかし……
「りょ…了解(りょ)! ただいまァ〜ッ!!」
 それでも抗えない。
 彼女に気取られないよう反骨の意思は伏せている、そう言い訳をすることは出来よう。
 だが心の奥底までは騙せない。
 彼らがシャーロット・リンリンに対して見せる屈従の姿勢は決して演技などではなかった。
 或いは演技の内に心を折られたかのどちらかだ。
 いずれにせよ、彼らはリンリンに逆らえないし抗えない。
 ガムテへの忠誠心と信頼……彼らの心の核にさえなっているだろうそれらの感情とリンリンへの恐怖が同居している状態。
 舞踏鳥や黄金球程の強者ならばまだしも。
 ただ覚醒しているだけの有象無象(モブ)共で乗り越えるには、海の皇帝が齎す恐怖というハードルはあまりにも高すぎた。
「何だこの酒は…。馬鹿みたいに甘えじゃねェか。胸焼けするぜ、代えを持ってこさせろ」
 リンリンが連れてきた客人。
 彼女と同等の巨躯を持ち、同格の凄みを放つ豪傑。
 カイドウと呼ばれたサーヴァントが不興を示せば忽ち心胆は震え上がる。
「あぁ? 旨ェだろうが! チョコレートリキュールだぞ、この時代じゃ一番高ェ菓子酒だ!」
「酒に甘味を混ぜるんじゃねェよ邪魔だろうが! ったく…次までにガキ共に酒のレパートリーを教育しとけ」
 そしてその気が収まれば胸を撫で下ろして安堵する。してしまう。
 給仕役に選ばれた少年は後に一時とはいえ心まで屈従した事実に、その屈辱に打ちのめされることになる。
 だが誰が彼の弱さを責められるだろう。
 きっと彼よりも格上の割れた子供…先に挙げた二人はおろか、ガムテですら不可能に違いない。
 四皇とはそれ程までの規格外。
 極道はおろか忍者の物差しですら測ることの能わない"怪物"なのだ。


289 : 引奈落 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:45:55 pdjFHK7M0
「にしてもクソ甘ェな。お前いつもこんな素っ頓狂な酒飲んでやがるのか」
「おれはジュースの方が好きなんだよ本来。酒の雑味が邪魔だからねェ」
「雑味はどっちだ。…まあいい、心底合わねえが我慢してやる」
 そう言うなり先程までの文句は何処へやら。
 ぐびぐびとそんな擬音が似合う飲みっぷりでチョコレートリキュールを嚥下するカイドウ。
 酒が不味くても酔えれば最低限それでいいという辺りに彼の酒豪ぶりが覗いていた。
「にしても――してやられたもんだな。お前が小指を落とされるとは」
「ハ〜ハハハ! そうさ、こりゃおれも驚いた! てっきり雑魚共の寄り合いでしかないと思ってたんだがねェ。
 まさか彼奴等が本気でおれを殺そうとしてるとは思わなかったよ…あァ懐かしい感覚だ!
 あの日、お前の鬼ヶ島で……"最悪の世代"のガキ共を相手取った時を思い出す!!」
「一緒にするんじゃねェよ。ただ力を振り回すしか能のねえガキを、おれを楽しませたあいつらと一緒にすんじゃねェ」
「絆されたもんだねェ。まァいいさ、とにかくおれは奴らにしてやられた! まんまとね!
 だから――」
 瞬間。
 スッとリンリンの顔が変わる。
 今の今まで陽気な赤ら顔で笑っていた彼女の顔が瞬時にして氷点下に堕ちる。
 それは殺意の発露であった。
 自分に屈辱的な痛手を与えた彼ら。
 敵連合という、蜘蛛が紡いだ軍勢に対する…敵意と殺意。
「――あいつらはちゃ〜〜んとおれが殺すよ。どんな手を使ってでもね…ママママ」
 それならカイドウとしても言うことはない。
 同じ四皇として…それ以前に彼女と長いこと付き合ってきた身として。
 彼女が殺すと宣言したことの意味を理解出来ないカイドウではなかった。
 連合はリンリンを敵に回した。
 彼女が率いる子供達の全てを敵に回した。
 彼らは今頃一時の勝利に酔っているかもしれないが、彼らにとっての本当の地獄はむしろこれからであろう。
 本気になったこの怪物が殺しに来る事態。
 それを地獄と呼ばずして何とするのか。
「まあそれはいい。おれが聞きてェのは一つだ」
「何だい。言ってみな」
「とぼけるんじゃねェよ。長い付き合いなんだ、お前の考えなんざすぐ分かる。
 おれに何か聞かせてェことがあるんだろ? ならさっさと話しやがれ。おれだって暇じゃねえんだ」
「ママママ…そう急かさなくてもそのつもりさ。お前とおれが話し合うこの場を、どうしても取り仕切らせてくれって野郎がいてね……」
 そうまで言ったところでリンリンはスッとその顔を天蓋に向けた。
 言わずもがなそこには誰もいないが。
 彼女は用のある相手がこの近くに既にやって来ていることを確信していた。
「――出てきなァクソ坊主〜! 道化(ピエロ)野郎が待たせてんじゃねェぞォ〜〜!!」


290 : 引奈落 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:46:36 pdjFHK7M0
 ドン! と轟く王者の声。
 威嚇に放った覇王色にすら決して劣らない気がその巨体から発せられる。
 それを間近で浴びていながら顔色一つ崩さないカイドウはやはり彼女と同等の怪物なのだろう。
 それどころかカイドウは、リンリンの発した「クソ坊主」という言葉に眉根を動かしていた。
「おいババア。そのクソ坊主ってのはまさか……」
 厳しい顔で問い質そうとするカイドウ。
 そんな彼の言葉を遮るように、禍々しい気配が四皇二人の膝元に現出した。
 極彩色にも似た美しさ。
 そしてその美を悍ましく彩る獣性と蛮性。
 弧を描く口は今は鳴りを潜めている。
 それは眼前の二人が彼程のトリックスターをして、迂闊に地雷は踏めぬと看做すそれだけの存在だということの証だった。
「――お久しぶりでございます。彼方の海を馳せたる大海賊のお二方」
 慇懃に頭を垂れるはアルターエゴ・リンボ。
 美しき肉食獣とも称される、この界聖杯の暗躍者である。
 しかし挨拶が終わるなり彼を待っていたのは、並び立つ怪物からの威圧の視線だった。
「どういうことだ。テメェおれに断りなくこのババアと繋がってやがったのか?」
 遡ること凡そ半日。
 リンボは鬼ヶ島にてカイドウに謁見を果たしている。
 そこでリンボはカイドウの本気の殺意を受け、そして浴び。
 そしてどうにか彼の傘下に下るという形で穏便な落とし所にありつくことが出来た。
 にも関わらずその舌の根も乾かぬ内に、この厭らしい陰陽師はシャーロット・リンリンの元にまで現れ取り入ろうと画策していたというのだ。
 当然看過出来る話ではない。
「お前…おれ相手に間者(コウモリ)をやろうと目論んでたわけじゃねェよな?」
 リンボがやっていたのは言うなれば卑怯なコウモリだ。
 どっちつかずの宙ぶらりん。
 その所業が明らかになれば当然中途半端の報いを受けることになる。
 カイドウとリンリン、双方からの疑念と怒りを身一つで浴びながら。
 アルターエゴ・リンボは…口を開いた。
「ええ――いずれもその通り。僭越ながら拙僧、貴方がたをこの掌で踊らせていただいておりました」
 飛び出すは爆弾発言。
 神をも恐れぬ妄言にリンリンが拳を振り下ろした。
 カイドウも金棒に手を伸ばし殺気を溢れ出させる。
 しかしリンボは涼しい顔でリンリンの一撃を躱し。
「どうか落ち着きなされますよう。時が来れば全てを打ち明けお二人を結びつけるつもりであったのです。誓って嘘ではございません」
「お前みてえな生臭坊主の言葉を誰が信じると思う?」
 一手でも。
 一言でも誤ればリンボは死ぬだろう。
 彼とてサーヴァントとしては規格外の部類だ。
 並のサーヴァントでは彼の本気を前に太刀打ちなど出来ないだろう。
 が、彼が今目前にしている二騎が並などという規格とはかけ離れた怪物であることは周知の事実だ。
 如何にリンボが並外れた術師であれどまず間違いなく死ぬ。
 そんな状況にありながら…リンボは冷や汗一つ流すことなく二の句を継いだ。
「信じることになりまする。鬼ヶ島のライダー殿、貴殿には既にお伝えした話でございますが…」
「あ? …あぁ、あれか。地獄界曼荼羅だったか。荒唐無稽な話過ぎて忘れてたぜ」
「それは危うい所でございましたな。その迂闊は御身の足をも絡め取りますぞ」
「……言うじゃねェか。このおれを相手にそこまでホザいたんだ、それなりの根拠は持ってきてるんだろうな?」


291 : 引奈落 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:47:20 pdjFHK7M0
 カイドウはリンボを信用などしていない。
 だがこればかりは上に立つ者、絶対強者の性分だ。
 己と物怖じせず向かい立つ者に対してはそれだけで心象に加点が入ってしまう。
「二人だけで話を進めてんじゃねェよ! おれにも分かるように一から説明しなァ!」
「これは失礼致しました偉大な母(ビッグ・マム)! この素っ首刎ねるか否か、これより拙僧が話す内容を以って見極めていただきたく!」
 百獣のカイドウ。
 ビッグ・マム。
 どちらも話の通じる相手ではない。
 彼らを相手に弁舌を回すのは地雷原の上で舞踊を舞うにも等しい自殺行為だ。
 それでもリンボは恐れず語る。
 地獄界曼荼羅もとい"窮極の"地獄界曼荼羅。
 誰もが馬鹿げていると笑う荒唐無稽な終末論を振り翳して、挑戦者として四皇との交渉に挑むのであった。



「…へえ! なかなか面白い話じゃねェか、興味が湧いたよ!」
 フォーリナー・アビゲイル。
 窮極の門へと通ずる無限の可能性を秘めた巫女。
 この界聖杯戦争において恐らく最大の規格外にして不確定要素。
 それを我が物として覚醒させ運用する計画…名を窮極の地獄界曼荼羅。
 先に彼を傘下に加えていたカイドウも計画の全貌を聞くのは初めてだったが、実に馬鹿げた話であった。
「収集癖も相変わらずか。少しは慎みってもんを覚えろよババア」
「海賊が欲しいもんを妥協してどうする!? 良いねェ…エクストラクラス、フォーリナー! 領域外からの降臨者!
 ぜひおれのコレクションに加えてみてェ! 飽きるまで眺めて飼い殺してやりたいねェ……!」
「阿呆が。珍獣集めなら余所でやりやがれ」
 呆れたように溜息をついてカイドウはリンボに目線を移す。
 一切の嘘偽りを許さない王の眼光。
 視線だけで大気を震わせる不条理を呼吸のように実現させながら彼は陰陽師を詰問した。
「…確かに、そのフォーリナーとやらがお前の言う通りの力を秘めているってんなら無視は出来ねェ。
 手綱を引く手段さえ確保出来りゃ最高の兵器だ。この戦争を終わらせる上での都合は凄く良い」
 カイドウはリンリン以上に兵力、武力の重要性を熟知している。
 何しろ総督の敬称で呼ばれる程なのだ。
 生前はワノ国の野山を切り開いて数多の武器工場を建設させ武装の補充に腐心した。
 その彼をしてもサーヴァントを兵器として運用する計画自体には魅力を覚える。
 何処まで信じていいかは不明だが、少なくともリンボの言を信じるならば無限の可能性を持つというサーヴァント。
 そんな兵器を手中に収めることが叶えば…聖杯戦争を終わらせるまでの道筋と手間は大幅に短縮されるに違いない。
「しかしお前の話によれば…そのフォーリナーは今何処ぞのガキを甲斐甲斐しく守ってるそうじゃねェか。
 具体的にはどうやってフォーリナーを起こす? テメェの考えを聞かせてみろ」
「…く。くく、クククフフフフハ――」
「何が可笑しい」
「いえ…失礼。海の皇帝ともあろうお方であれば、それは愚問だとばかり思っていましたので」
 ギョロリとリンボの眼球が動く。
 異形の怪物めいた駆動から滲み出るのは底なしの悪意。
 ならば当然、その口が紡ぎ出す答えもまた悪意に満ちた穢言であった。
「外なる神と繋がりし巫女。外宇宙からの降臨を成し遂げる者。
 そんないと悍ましき化外の民が健気にも下女などの命を守るため粉骨砕身働いているというのなら――」
 リンボが引き裂くような笑みを見せる。
 カイドウも決して善人ではないが。
 それでも思わず反吐を吐きたくなるような、そんな貌だった。
「それを奪ってやればよろしいでしょう。
 支柱ありきで成り立つ安定ならば支柱をへし折り踏み躙ればよいだけのこと!
 後は荒神と化したフォーリナーを、我々の手で都合のよい兵器として運用すればそれで事足りまする!」


292 : 引奈落 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:48:10 pdjFHK7M0
 フォーリナー、アビゲイル・ウィリアムズには価値がある。
 しかしそのマスターである仁科鳥子…透明な手の女は稀少ではあれど用はない。
 鳥子とアビゲイルの間にある信頼関係は傍目からしても深く見えた。
 ならばそこを挫けばアビゲイルは容易く反転するだろう。
 仁科鳥子こそがスイッチなのだ。
 彼女を排除することこそが、窮極の地獄界曼荼羅成立の最短手。
 リンボの見立てではそれさえ叶えば今すぐにでも、この東京を地獄に変えることが出来る算段だった。
「マ〜マママ…まぁ話は分かったよ。なかなか悪くねェ。賭けてみる価値はありそうだ」
 話の全貌を耳にしたリンリンは笑ってそう言う。
 カイドウも言葉にこそしないものの概ね彼女に同感だった。
 実際に実行してみて話が違ったならリンボを排除すればいい。
 アビゲイルが彼の言う通りの怪物だったならその恩恵に与ればいいだけ。
 窮極の地獄界曼荼羅を実現させるまでのハードルは想像以上に低かった。
「ただ。テメェ変な気だけは起こすんじゃねえぞ? リンボ」
 ビリビリと大気が震える。凍り付く。
 窮極の地獄界曼荼羅が実現したとしてもリンボがそれを掌握し、独占してしまっては最悪だ。
 なればこそ彼がその暴挙に出ないよう釘を刺しておくことは必要不可欠であったが。
 生憎リンリンは知らない。
 カイドウもまた、知らない。
 彼との付き合いが短い故に知らない。
 このアルターエゴ・リンボが…そのような圧力など無視して己の目指す方角へひた走れる馬鹿であることなど知る由もない。
「…はい、それは勿論。拙僧も聖杯を目指している身ではありますが――然るべき時が来るまでは、この均衡を乱す真似はしないと誓いましょう」
 そして知らないのはリンボもまた同じ。
 彼は四皇と呼ばれる海賊達の真の恐ろしさを未だ知らない。
 リンボはかつて彼らの強さを異聞帯の王になぞらえて評したが。
 制御の利かなさで言うならば、リンボの知る王達よりも遥かに上を行くということを彼はまだ実感を以って知ってはいない。
 一度でも暴れ出させてしまえばどんな事態になるか、その脅威度を正確には認識出来ていない。
 互いが互いに対して抱える無知。
 それが今後、大局にどのような影響を及ぼすのかは定かではなかったが……
「そこでご要望がありまする。フォーリナーのマスターである透明な手の娘。
 彼女を抹殺するために…貴方がたの保有する戦力の一部を拙僧に貸し与えていただきたい。
 ああ無論過ぎた申し出であることは百も承知ですとも! しかしその上で――拙僧にお任せいただければ、必ずや期待に応えてみせまする」
「坊主が指揮でも取るつもりか? テメェにゃ念仏が適役だろう」
「ンンンン――確かに二流三流の僧ならばそうでしょう。
 しかしながらこの拙僧めは一流を志しておりますれば」
 アルターエゴ・リンボは決して軍師に向いている存在ではない。
 その立ち位置を取るならカイドウ、妙な気を起こしていないことを踏まえればリンリンでさえまだ上を行くだろう。
 だが…悪業を振り撒くことにかけては。
 人の嫌がることをすることにかけては、リンボは彼らに数段勝る才能を持っている。
「この首に懸けて戦功を誓いましょう。
 もしも疑わしく思うのでしたらば、この場で臓物(はらわた)の奥までご覧に入れて進ぜましょうか」
「マ〜ママママ大層な自信だ! そんなに凄ェのかいフォーリナーのガキは!?」
 愉快愉快とばかりに笑うのはリンリンだ。
 奇妙珍妙なものを見境なく好む彼女である。
 目前のアルターエゴも彼が話の俎上に載せたフォーリナーにも興味が尽きないのだろう。


293 : 引奈落 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:48:58 pdjFHK7M0
 一方でカイドウはと言えば、未だ訝るような眼差しを崩していなかった。
「…話は分かったが条件がある。
 このババアがどうかは知らねェが、おれが伸るか反るか決めるのは手前がそれを果たした後だ」
「聞きましょう。拙僧に何をお望みで?」
「今すぐ沙都子のガキを連れて来い」
 リンボのことは未来永劫信用などしない。
 こういう手合いを心から信用したならその瞬間がそいつの死期だ。
 だから話を聞くなら…もとい。
 諸々を問い質すなら、走狗ではなく飼い主の方だとカイドウは踏んだ。
「あァ――そいつはおれも同感だ。
 あのガキ、おれの可愛い弟分の存在を知りながら伏せてやがったんだろう!?
 落とし前はともかく詫びの一つは入れさせなくちゃ気が済まねェよ!」
 そして少女にとっては運の悪いことにリンリンまでもがそれに同意する。
 四皇相手の三者面談。
 おまけにただ一人彼女にとって味方である男は地雷原を踏み荒らす狂人と来た。
「承りました。我がマスターもまたこの拙僧めを走狗とするに相応しい悪意の傑物。
 必ずや御二方の御前に連れて参りましょう。
 そしてその暁には、この拙僧めを一時信用していただきたい」
「考えてやる。あのガキをこの手で打ち殺す事態にならなきゃだがな」
 カイドウもリンリンも…相手が女子供であろうが容赦をする性格ではない。
 沙都子が答えを誤れば容赦なく彼らの暴力は沙都子の小さな身体を粉砕するだろう。
 が――彼女にとって何もこれはただの受難に終わるとは限らない。
「……それに、丁度聞きてェこともある」
 カイドウはこの会談が始まる直前。
 鬼ヶ島に居る己がマスターから一つの連絡を受けていた。
 鬼ヶ島へ現れた脱出派の主従。そしてその顛末。
 それ自体は実に順当なものだったが、皮下曰くマスターの方が奇妙なことを口走っていたという。
 北条沙都子。
 鬼ヶ島にてカイドウの傘下に入ると誓い、これから蝙蝠の報いに詰められることが確定した彼女の名を呼んでいたというのだ。
“どの道相手のガキは死に体のようだが、まァ…因縁ってのは侮れねェもんだからな”
 雛見沢という土地を舞台に渦を巻いた業と情念の永劫回帰。
 運命の輪を外れても……それでも彼女達は引かれ合う。
 魔女と猫が再び相見える時は、もうすぐそこまで迫っているのかもしれなかった。

【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/二日目・未明】

【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:首筋に切り傷、体内にダメージ(小)
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:あの日の悔恨に"決着"を。
1:沙都子を問い質す。リンボに兵を貸すかはそれ次第。
2:峰津院の霊地(東京タワーとスカイツリー地下)を強奪ないし破壊する。
3:組んでしまった物は仕方ない。だけど本当に話聞けよババア!!
4: 鬼ヶ島の顕現に向けて動く。
5:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
6:リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。てめェ戻って来なかったらブチ殺すからな
7:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
8:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
9:峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
10:ランサー(ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
[備考]
※鬼ヶ島の6割が崩壊しました。復興に時間が掛かるかもしれません


294 : 引奈落 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:49:34 pdjFHK7M0

【ライダー(シャーロット・リンリン)@ONE PIECE】
[状態]:疲労(中)、右手小指切断
[装備]:ゼウス、プロメテウス@ONE PIECE
[道具]:なし
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:邪魔なマスターとサーヴァント共を片づけて、聖杯を獲る。
0:"海賊同盟"だァ〜〜!
1:沙都子を問い質す。リンボに兵を貸すかはそれ次第。…フォーリナーとかいう珍種は気になるけどね!
2:敵連合は必ず潰す。蜘蛛達との全面戦争。
3:ガキ共はビッグマムに楯突いた事を必ず後悔させる。
4:北条沙都子、プロデューサーは傘下として扱う。逃げようとすれば容赦はしない。
5:カイドウを見つけて海賊同盟を結成する。
6:ナポレオンの代わりを探さないとだねェ…面倒臭ェな!
[備考]
※ナポレオン@ONE PIECEは破壊されました。

    ◆ ◆ ◆

「はて、さてェ」
 沙都子に対して念話を飛ばさねばなるまい。
 或いはこのまま直接会いに行くか。
 どちらにせよ彼女を待つのは修羅場だ。
 これはお叱りを覚悟せねばなりませんなァと呟きながらもリンボの顔は淀んだ笑みに歪んでいた。
“図体の割に小心ですなァ百獣の王君。そう頑なにならずとも、この儂嘘など吐きませんとも。今は…ねェ”
 リンボはマスターを信用している。
 その胸の内に渦巻く昏い情念を。
 宿業を、信頼している。
 吹けば飛ぶような矮小(ちいさ)い命。
 しかして彼女は間違いなく可能性の器だ。
 地平線の果てはおろか。
 常人ならば覗き込むことを躊躇するような悍ましい深淵にまでも歩んでいける、稀代の魔女だ。
“つきましては我がマスター、猫箱の魔女よ。
 貴女にはこの窮地ぜひ乗り越えていただきたく。
 生憎拙僧は睨まれておりますゆえ助け舟は出せそうにありませぬが、なァに御身もこれしきの逆境は承知の上でございましょう”
 そうであってくれなければ困る。
 何しろ今や聖杯戦争も二日目。
 可能ならば朝が来ることは避けたかった。
 その前に地獄を顕現させたいとリンボは考えていた。
 即ち、フォーリナーのマスターを殺し或いは壊し。
 アビゲイル・ウィリアムズを"銀の鍵の巫女"として覚醒させる。
 窮極の地獄界曼荼羅、その開演である。


295 : 引奈落 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:50:20 pdjFHK7M0
「何やら、猪口才に蠢いておられるようですが」
 構いはしない。
 もはや猶予はない。
 収穫の時は近い。
「外なる神の巫女という極上の果実……必ずやこのリンボが収穫してくれる」
 カイドウとリンリン。
 二人の四皇の兵力を借り受けられるのならばそれも容易になるだろう。
 収穫さえ済めば後は思うがままだ。
 あの居丈高な老害達から真っ先にねじ伏せてやるのも悪くない。
 全ては万事リンボの計画通りに進んでいた。
 後は沙都子の頑張り次第で、計画は一気に最終段階に移せる。


 時に。
“しかし…気になることが一つ”
 それは夕暮れ時にも感じた異変だった。
 マスターに同伴させる形で動かしていた式神。
 当然式神故に出力は本体と比べて数段劣る。
 しかしそれでも並のサーヴァントであれば十分に圧せる力を与えていた筈。
 にも関わらずそれが霧散した。
 何者かによって、本体が危機の兆しを感知する間もなく討滅されている。
“只の偶然、運の悪さと切り捨てることは容易。だが――”
 これが自分の行く道に付き纏う悪縁。
 ないしはある種の"業"のようなものであるとしたらば。
“魔女の葛籠に囚われた哀れな猫を…儂も笑えぬなァ”
 異星の神やカルデア。
 その他あらゆる観念から解き放たれて自由に振る舞っている心算のこの身も、何処かで鎖に繋がれているのかもしれない。
 時を世界を運命を。
 あらゆる因果を超えても拭い去れない応報がこの身に迫っているのかもしれない。
 そんな悪い予感を抱きつつもリンボはやはり笑うのだった。
 彼はそれだけを生業とする生物だから。
 何度負けても打ちのめされても目に物見せられても決して止まれない。
 ただ"悪"を成し続ける……妖星であるのだから。

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:頼みましたぞ、マスター。
2:「1」が済み次第計画を最終段階に移す。フォーリナーのマスターを抹殺する。
3:式神は引き続き計画のために行動する。
4:…のつもりでしたが、やめました。祭りの気配がしますぞ、ンンン――。
5:式神にさせるつもりだった役目は本体が直接担うことに変更。何をするつもりかはおまかせします。
6:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
7:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
8:機会があればまたプロデューサーに会いたい。
9:七草にちかとそのサーヴァント(アシュレイ・ホライゾン)に興味。あの断絶は一体何が原因か?


296 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/06(水) 00:50:41 pdjFHK7M0
投下終了です


297 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/07(木) 01:36:19 2BErUsbE0
幽谷霧子&セイバー、光月おでん&セイバー予約します


298 : ◆A3H952TnBk :2022/04/07(木) 18:15:05 lLsP4v2s0
田中摩美々&アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)
予約します


299 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/08(金) 18:07:04 AO2l194Y0
アーチャー(ガンヴォルト(オルタ)、キャスター(童磨) 予約します


300 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:21:27 poDOu6pw0
投下します。


301 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:22:40 poDOu6pw0
 この界聖杯を巡る聖杯戦争には、様々な反則技を秘めた手合いが存在する。
 例えば桜舞う新秩序を望む男は、現世と完全に隔絶された鬼ヶ島という名の異空間を保有している。
 心の割れた子供達を率いる王は、無から可能性を獲得した"覚醒者"の殺し屋集団を忠誠度最高の私兵として抱える。
 そしてこの峰津院大和という青年も彼らに決して劣らぬ……それどころかこと社会的地位と権力においては群を抜いたものを所持していた。

 峰津院財閥。
 政財界は勿論のこと、その気になれば東京都内に存在するありとあらゆる機関にコネクションを繋ぐことが出来る破格の権力。
 資金力の制限などは無いに等しく、拷問や脅迫を受けても決して情報を渡さない覚悟の決まった部下も相当数控えさせている。
 ジェームズ・モリアーティが社会に糸を張って得た基盤と権力でさえ大和の持つそれにはてんで及ばない。
 一人のマスターに与えるには明らかに過剰な社会力。
 それを全力で使わせたならどうなるかという端的な事実が、大和の口から従者である褐色肌の槍兵に向け放たれた。

「283の残党共の居場所が分かった。奴らは世田谷に潜んでいる」

 槍兵、ベルゼバブの眉がぴくりと動く。
 遅いと咎める言葉は出なかった。さしもの彼も文句の付けようがなかったのだ。
 何せ大和が部下に捜査を命じてから今に至るまでまだ一時間と経っていない。
 如何に相手が芸能人で、目撃証言(てがかり)が辿りやすいとはいえ――本来なら草の根を分けて探すのにも等しい労力が掛かりそうな追跡作業をたったこれだけの時間で完了させてのけたというのは十分すぎる程に破格だった。

「偉く急がせたものだな。余の不興を買うのがそうまで恐ろしかったか?」
「長くは待たせないと言った筈だ。私は意味のない嘘は吐かん」

 とはいえ、流石に多少無理をさせたのは事実である。
 方々に連絡をして管理会社経由で監視カメラの映像を提出させ、警察の捜査等で利用される顔識別のツールにそれを照合。
 そうして283プロダクション所属のアイドルである可能性が高い人物を割り出し、SNSでの僅かな目撃情報を拾い上げ総合的に分析。
 流石に詳細な座標までを特定するのは不可能だったが、この異常事態の中で異なるユニットのアイドル同士が連れ添って移動しているというのは十分に疑わしいファクターだった。
 シーズの七草にちかとアンティーカの田中摩美々。
 二名のアイドル……もとい暫定"脱出派"の居所はほぼほぼ間違いなく世田谷区であろうと、大和の優秀な部下達はベルゼバブをして驚くほどの短時間で主君に成果を送ってくれた。

「とはいえ世田谷区も決して狭い土地ではない。その中から特定の集団のみを探し出すとなれば……正攻法では手間が掛かるだろう」
「手緩いな、羽虫よ。
 手段を選ぶ必要が何処にある」
「貴様なら、そう言うだろうと思っていたさ」

 大和が微笑を浮かべる。
 それは肯定の笑みだった。
 彼がベルゼバブに求めていたのは、まさに彼が口にした短絡な選択であったのだ。
 今日の一日で東京の情勢は大きく揺れた。何せつい先程も、豊島区で原因不明の災害が発生したというではないか。
 そうまで末法の世に突き進みつつある街の中で、何故この期に及んで手段を選び続ける必要があるのか。
 そして、そうでなくとも。
 この狂戦士(バーサーカー)じみたランサーを動かすというその時点で、"必要最小限の被害に留める"等という言説は夢想も甚だしい。


302 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:23:22 poDOu6pw0

「私が同行しないのであれば、無用な奸計に巻き込まれる可能性も低い。
 仮にそうなったとしても逆にその糸を辿って殺すまでだが――ランサー、貴様の暴力を止められる者はこの地上に存在しない。
 界聖杯ですらもが貴様を裁けない。故、好きにするがいい。恐るべきベルゼバブの手腕に期待しよう」

 彼という駒を最も効率的に使うオーダーはこれだと、大和は彼を召喚したその時から把握していた。
 昨日の日中、俗に言うところの新宿事変が勃発してしまう前であればいざ知らず。
 明らかに局面が変わりつつある今であれば――大和としても躊躇はそう大きくない。
 生じた不都合は全てこの身、そしてこの身に連なる峰津院の全権を以ってねじ伏せてみせよう。
 だからベルゼバブ。貴様は――

「改めて命ずる。ランサー、思うが儘に虐殺しろ。
 青龍殺しを仕損じた汚名を、今こそ存分に濯ぐがいい」
「その首と胴を泣き別れにされたくなければ、それ以上無駄口は叩かぬことだ」

 大和は作法も条件も求めない。
 彼がベルゼバブに求めるのはただ戦果。
 蠢く脱出派、聖杯戦争の破綻を目論む不穏分子を誅戮すること。
 それだけを命として受けたベルゼバブが、腰掛けていた席を立った。
 向かう先など問うまでもない。彼という"嵐"はこれから、脱出派の巣である世田谷区へと向かい疾走を開始する。

 彼らが望むは太陽の如く輝く未来。
 しかしそれは既に翳り始めている。
 絶望の月によって――蝕まれ始めている。
 そこに降り注ぐ、混沌を振り翳した破壊と暴虐の化身。
 これ以上の絶望が果たして何処にあろうか。
 大和は僅かながら、これから本気の彼と対面せねばならないアイドル達とそのサーヴァントに同情した。

「私は東京タワーに赴く。窮地になれば呼び出すことになるだろう、出来ればその前に片を付けてくれ」
「その暁には……未来、余が貴様へ与える苦痛は倍に膨れ上がろうな。貴様如き矮小な羽虫が、余を令呪(あご)で使うなど万死に値する」
「そうならないよう努力はするさ。では武運を祈るぞ、ランサー」
「貴様も、余をこれ以上怒らせないよう善処することだ。全身全霊でな」

 マスターとサーヴァントが別行動を取る。 
 その上で、マスターが単身激戦区となるだろう霊地へ向かう。
 通常なら常軌を逸していると笑われても不思議ではない行動だが、主従揃って頭抜けた強者で構成されている彼らにとってはこれも大真面目な戦略だった。
 何しろ峰津院大和は。下手なサーヴァントであれば、自力で返り討ちに出来るだけの実力を秘めているのだから。

 斯くて戦乱の化身とそのマスターは一時別れる。
 戦乱、ベルゼバブは世田谷区――脱出派の住処へ。
 万能、峰津院大和は墨田区――霊地・東京タワーへ。
 更なる混沌の予感を残して、野蛮なる者と高貴なる者は次の一手を完遂するべく動き始めたのであった。


303 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:23:56 poDOu6pw0
◆◆


 嵐が走る。
 遠からぬ未来血風そのものと化すだろう暴風が世田谷に向け直進していた。
 その英霊の真名はベルゼバブ。漆黒の翼と混沌の魔槍を持つ星の民。
 人の絆を踏み砕き、人倫の鎖を引き千切って、あらゆる理(ルール)をその力の下に蹂躙する生粋の戦闘者。
 過剰と呼んでいいほどに赤熱した力への希求は、彼が英霊となり、サーヴァントとなった今も尚衰えるどころか激しさを増している。

 目指すは蜘蛛の住処。
 脱出派――ノアの方舟という名の愚行に走った羽虫達の殲滅と鏖殺。
 少女達と大人達の優しい結束を引き裂くために、対話不能の純粋暴力が爆進する。

「忌まわしき"狡知"め。これ以上、余の視界で呼吸することは許さん」

 ベルゼバブの脳裏に過ぎる忌まわしい記憶、辛酸の味。
 百度、千度。それどころか億度引き裂いても飽き足らない仇敵の顔が、これから向かう街に潜むという蜘蛛のイメージと重なった。
 本気で隠れた蜘蛛を探し出すのは確かに至難の業だろう。
 しかしそれも、あくまで手段を選ぶのならば――の話だ。
 その縛りから解き放たれたベルゼバブは最早、彼らの信じる"知"で迎え撃てる存在ではない。
 ましてや知略、交渉……そうした奸計ありきでしか刃を振るえない弱者が相手だというのなら、尚のことだった。

 ベルゼバブが彼らを嫌悪する理由は、しかしそれだけではない。
 聖杯戦争において勝利を目指す者であれば誰もが眉を顰めて拒むだろう、実際に脱出計画が実ってしまった時に起こる事態。
 それは言わずもがなに、最強の座を目指して槍を振るうベルゼバブにとっても断じて看過することの出来ないものであった。

(真実――度し難い羽虫共だ。
 そうまで闘争が恐ろしいか。そうまで殺し殺されることが恐ろしいか?
 その醜悪な軟弱さで、余の覇道を邪魔立てしようとした罪……裁かねばならん。
 貴様らの魂が巡り廻っても余の怒りを忘れぬよう凄惨に。羽虫の分際で余の足を引こうなどと、二度と考えられぬよう――確実に)

 瞳に宿る赫怒は激しく、けれど絶対零度の冷たさも帯びていて。
 その双眸がこの世のどんな言葉よりも雄弁に、これから彼が何をするのかを物語っていた。
 日を蝕むように。けれど、月すらも涜すように。
 この界聖杯戦争における"最強"のひとりが今――この世で最も傲慢な断頭刃(ギロチン)となって、脱出を目論む罪人達の鏖殺を宣言した。


【渋谷区・大和邸→移動中(行先は世田谷区)/二日目・未明】

【ランサー(ベルゼバブ)@グランブルーファンタジ-】
[状態]:極めて不機嫌、胴体に袈裟の刀傷(再生には時間がかかります)
[装備]:ケイオスマター、バース・オブ・ニューキング
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:最強になる
0:世田谷に赴いて蜘蛛の283勢力を処刑する。
1:現代の文化に興味を示しています。今はプロテインとエナジードリンクが好きです。
2:狡知を弄する者は殺す。
3:青龍(カイドウ)は確実に殺す。次出会えば絶対に殺す。
4:鬼ヶ島内部で見た葉桜のキャリアを見て、何をしようとしているのか概ね予測出来ております
5:あのアーチャー(シュヴィ・ドーラ)……『月』の関係者か?
6:セイバー(継国縁壱)との決着は必ずつける。
7:ポラリス……か。面白い
8:龍脈……利用してやろう
【備考】
※峰津院大和のプライベート用のタブレットを奪いました。
※複数のタブレットで情報収集を行っています。今は大和邸に置いてあります。
※大和から送られた、霊地の魔力全てを譲渡された為か、戦闘による魔力消費が帳消しになり、戦闘で失った以上の魔力をチャージしています。


304 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:24:43 poDOu6pw0
◆◆


 ベルゼバブの魔力が遠ざかっていくのを感じながら、リムジンに揺られ大和は墨田区を来訪していた。
 目的は先程ベルゼバブにも告げた通り、霊地である東京タワーの偵察を行うこと。
 本来であればそう急がなくてもいい案件だった筈なのだが、何処ぞの藪医者が余計なことをしてくれたお陰で要らない仕事が増えてしまった。
 とはいえ大和達が脱出派に対して抱いていた疑念を確信に変えてくれたのも、その宿敵達なのだったが。

(恐らくこの東京に蜘蛛は二匹存在する。
 聖杯戦争そのものを善しとしない義賊の蜘蛛と、それとは真逆に聖杯戦争を正しく暗躍する悪の蜘蛛。
 ……幾つかの企業で見られていた不審な動きと、先のデトネラット本社ビルの炎上――そして池袋で起きた大破壊(カタストロフ)。
 これを無関係だと切り捨てることは出来ん。巧妙に存在を隠していた知恵者が、ようやく少し尻尾を覗かせたというところか)

 仮称"悪の蜘蛛"に対してもいずれは手を打たねばなるまいが、まず優先すべきはやはり"義賊の蜘蛛"だろう。
 何しろ連中の計画の骨子は脱出だ。
 もし彼らが目的を達成し、界聖杯が自身の内界に起こった異常事態に気付いてしまったなら――その時は大和ですらどうすることも出来はしない。
 百パーセント回避不可能の破滅、ゲームオーバーがこの世界に残された全てを呑み込んで終幕だ。
 まして脱出を成す具体的な手段を既に彼らが掴んでいるのだとしたら、危険度は更に跳ね上がる。
 彼らを真っ先に潰さない手はどう考えてもない。
 もし皮下が余計なことをしていなければ、大和も同伴して害虫の駆除に当たる腹積もりであった。

(不安要素が無い、と言えば嘘になるが……あれは決して力だけの莫迦ではない。
 息抜きの座興であるとはいえ、この私に知恵比べで勝てる頭脳の持ち主だ。気を揉むだけ無駄というものだな)

 昼間の記憶を思い返す。
 チェスで敗れたのは久々の経験だった。
 チェスは二人零和有限確定完全情報ゲーム。ランダムの要素が介入する余地のない完全な実力勝負である。
 それで峰津院大和を下せる者など、そうは居ない。
 現代における最新最強のAIを持ってきたとしても、大和相手に五割の勝率は出せないだろう。
 それほどの頭脳を、あのベルゼバブは遊びとはいえ上回ってみせたのだ。
 如何に相手が狡知冴え渡る蜘蛛と言えど――最強の武力と最上の頭脳を併せ持つベルゼバブが遅れを取るとは、大和には思えなかった。

 よって思考を切り替える。
 世田谷でこれから起こるだろう戦いは奴の勝利に終わると大和は確信した。
 であれば次に見据えるべきは、他でもない自分自身の問題についてだ。

「此処でいい。ご苦労だったな」

 運転手へチップを差し出して車を停めさせ、降りる。
 チップは善意ではなく、持つ者の振る舞いの一環だ。
 無限に湯水のように湧いてくるものを惜しむ感性は、大和にはない。


305 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:25:39 poDOu6pw0
 
 東京タワー。
 スカイツリーが建設されて以降も、変わらず首都のシンボルとして聳え立つ赤い塔。
 そんな場所にもしかし、心霊スポット紛いの曰くがある。
 タワーの足の一本が墓地の上に建っており、故に心霊の目撃証言が多いという実に"らしい"ものだ。
 実際には潰したのは墓地ではなく寺であるのだが、"見た"という話が実際に多く囁かれているのも事実である。
 峰津院の方陣や龍穴絡みの諸々を抜きにしても、此処は元々霊的に優れた土地であるのかもしれなかった。

 短時間の内に東京を舞台にこれほど凶事が連発しているからだろう。
 人通りそのものは多かったが、東京タワーに近付けば近付くほどその数は目減りしていった。
 魔力の反応も特には感じない。ハイエナが集まってくるよりも、私の判断の方が早かった――というところかと。
 そう思いかけたところで大和の瞳は、東京タワーの麓で一人立つ奇妙な女の姿を捉えた。

(……サーヴァントの気配は感じない。感じないが――間違いなくマスターだろうな。
 侮られていると見るべきか、それとも何か策を潜ませているか)

 ――十中八九後者だな。
 そう確信した大和だったが、彼は当然のように怖じることなく女の方へと歩を進めていった。
 それは荒事になっても打ち勝てると判断した、彼の自信の表れでもあり。
 そして、どうやら自分が来るのを待っていたらしい彼女の腹の中を知りたかった故の行動でもあった。

「こんばんは……なんて挨拶は不要かな」
「遅かったですね。峰津院財閥の御曹司様なら、もっと早く手を打ちに来ると思ってました」
「私とて暇ではないのでね。それに、殊更焦るほどのことでもない。
 一手二手遅れた程度のことでは揺らぐほど、生半な体制で聖杯戦争に臨んではいないさ」
「……随分自分に自信があるようで。でも何よりです。そのくらいじゃなきゃ、わざわざリスク冒して出てきた甲斐がありませんから」

 女の態度は存外にふてぶてしかった。
 持つ者というのはその立ち振る舞いから既に、ある種の威圧感のようなものが滲むものだ。
 その点猫を被っているわけでもない峰津院大和を前にして、こんな態度を取れるというのはなかなかどうして驚きに値する。
 単刀直入に言います、と女が口火を切った。

「窮極の地獄界曼荼羅ってご存知ですか」
「聞いているだけで頭が痛くなりそうな言葉だな、という所感だけならば述べられる」
「知らないんですね。じゃあ、なるべく簡潔に説明します」

 窮極の地獄界曼荼羅――それは大和にとって初めて聞く言葉だった。
 意味の推測すら手持ちの知識では難しかったが。
 しかし、どうやら碌でもない意味の言葉であるらしいことは分かった。
 女の顔色があからさまな不快感を湛えていたからだ。


306 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:26:29 poDOu6pw0

「エクストラクラスのサーヴァント――フォーリナー。
 そのサーヴァントに秘められた謎の力を利用して、聖杯戦争ごとこの世界を破壊する企てだそうです」
「……フォーリナー。推測するに、意味合いは"降臨者"というところかな」

 馬鹿げた話だと、大和はこれまでこの話を耳にしてきた人間の例に漏れずそう思った。
 が、それと同時にこうも思う。
 成程――確かにそのアプローチは"有り"かもしれんな、と。

「……あんまり驚かないんですね。もっと眉間に思いっきり皺寄せて、何言ってんだって顔して欲しかったんですけど」
「荒唐無稽な話ではあるが、狂人の戯言と笑うほど愚かな論でもないと思っただけさ。
 サーヴァントの枠に囚われない可能性を内包した存在を活用し、界聖杯戦争の枠組みそのものをまずは破壊する。
 不出来な世界からの超越と飛翔の手段としては意外に生産的且つ現実的だ――君もそう思っているのだろう? "今は"」
「……、……」

 口端を歪めて笑う大和に、女は押し黙った。
 図星であるのは明らかだった。
 
「君が此処を我々の要所だと知れた理由は、すぐに思い当たる。
 Docter.Kなるふざけたハンドルネームで拡散してくれた輩が居たからな。それを見て、私に取り入ろうとでも考えたのだろう」
「――ええ、まあ。そんな感じです」
「ならば君は、奴がばら撒いたもう一つの情報についても知っている筈だ」

 東京タワーとスカイツリーが極上の霊地であることよりも、もう片方の情報の方が遥かに急を要する問題だった。
 聖杯戦争からの脱出という絵空事が、もしも現実に成し遂げられてしまった場合――この世界に何が起きるのか。
 それを知った者が抱いたろう感想は、概ね一つで一致するだろう。
 そしてそれを知るからこそ、この女は馬鹿げた話だと苦々しく思いながらも、大和の言葉を完全には否定出来ない。
 女が、口を開いた。

「――界聖杯は、願望器としてひどい欠陥品だ」

 欠陥品という呼称は、厳密には正しくないかもしれない。
 より正確に言うならば、界聖杯はシステマチックすぎるのだ。
 端的に言って融通が利かない。不測の事態に対する備えが一切ない。
 聖杯戦争を再構築するでもなく、ぶん投げて、それで終わりにしてしまう。
 悪い冗談のような計画も手段の一つだと思えてくるような――陥穽。
 その情報は既に、耳聡い者の許から順に浸透していきつつある。


307 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:27:20 poDOu6pw0

「そういうことさ。だから我々器(プレイヤー)が自浄を行わなければならない。
 私のサーヴァントも今は掃除(そっち)に向かわせていてね」

 君と同じだ。
 そう言う大和の笑みを受けて、女は唇を噛んだ。
 その反応を見るだけでも、彼女が自分と同じくサーヴァントを連れずに此処に来ていることが窺えた。
 大した度胸だと思うと共に、聞いてみたくもなる。

「それで。君は私に何を求めるつもりだ?」
「……フォーリナーとそのマスターを狙う陰謀の破壊です。要するに、共闘しようってこと」
「人にビジネスを持ち掛ける時は、まずそれに乗ることの利点(メリット)を提示するべきだな」
「分かりませんか?」

 大和の眉が小さく動く。
 女は彼の顔を、真正面から怯むことなく睨みつけていた。
 不自然な蒼色を湛えた右目が魔眼の類であろうことに、大和は既に気が付いている。

「フォーリナーですよ。世界を破壊出来るくらいの力を持った、とんでもなく強いサーヴァント」
「私と組んで、二人で地獄界曼荼羅の続きをやろうと?」
「やるとしても二人でじゃありません。三人で、です」

 その言葉を受けて、大和は彼女の真に狙っているところを理解した。
 何やら婉曲に言ってはいるものの、つまり彼女は――

「フォーリナーのマスターを助けたい、というわけか」
「――はいそういうことです。私は是が非でも、何としても、そいつに死なれるわけにはいかないので」

 若干やけっぱちな物言いになっていた気がするのは、多分気のせいではないだろう。
 どうやら彼女は事此処に至ってようやく、この峰津院大和という少年を出し抜こうと考えることがまず間違いなのだと気付いたようだった。
 しかしかと言って退きはしない。譲ることも、しない。
 巧みに隠して話を進めるつもりだった本心を直球で投げ付けて、女は――紙越空魚は続けた。

「脱出でも、超越でも、何でもいいんですこっちは。
 私はそいつと勝ち馬に乗って、生きて帰れれば何でもいい。
 でもそれを叶えるためなら、どんな手でも使います。誰か殺さなきゃいけないって言うなら――世界だろうと、ぶっ殺す覚悟です」


308 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:28:34 poDOu6pw0
◆◆


 なんだこのいけ好かないガキは。
 最近の未成年ってこんなのばっかなのか?
 るなの奴といいこの大和といい、最近の義務教育はちゃんと機能してんのか??
 道徳の授業はちゃんと行われてんのか???
 大丈夫なのか日本。もとい、大丈夫なのか日本の未来――。
 私は内心、目の前の恐らく高校生かそこらだろう涼しげな顔をぶん殴ってやりたい気持ちに駆られていた。
 でもそれを表に出したら、もう交渉も何もなくなってしまう。
 だから我慢。我慢だ。
 ストレスは鳥子と合流次第、あいつに思いっきり愚痴ってやればいい。

 そのくらいのことは許されるだろ、どう考えても。
 こっちがどれだけ死にものぐるいで奔走してると思ってんだ、まったく。

「……確かに覚悟は据わっているようだ。
 修羅場に慣れているな。一朝一夕の覚醒では、こうまで磨かれはすまい」

 大和の言う通り、私はあの"Docter.K"の書き込みを見た。
 その書き込みに気が付いたのは、本当にただの偶然だ。
 もしかしたらSNSで聖杯戦争のことを暴露する馬鹿とか居るんじゃないかと思って、たまたま検索をかけてみた結果である。
 界聖杯からの脱出が行われた場合のことにもおったまげたが、峰津院大和という有望株を見つけられた喜びの方が勝った。
 タクシーを飛ばさせて、信号に引っかかる度にまだですか急いでるんですと催促するクソ客ぶりを披露しつつ。
 まだ距離的にマシな東京タワーまで急いだ。そうして今、このいけ好かないガキの前に立っている。

「まあぼちぼち。で、答えの方を聞かせてほしいんですけど。
 それとも誰をぶちのめせばいいかも言った方がいいですか?
 リンボとか名乗ってるマジふざけたアルターエゴらしいです」
「では、君の要請に対して回答していこうか」

 いちいち勿体つけるやつだな。絶対友達居ないだろこいつ。
 内心のむかむかがそろそろ隠し切れなくなりつつ、大和の言葉を待つ。
 そんな私の堪忍袋のことなどまるで顧みず、大和は何処までも自分本位に語り始めた。

「確かに、呑む価値はある」

 視界が開けた感覚があった。
 でも、話はまだ終わっていないようで。

「しかし君と組むことの必然性が見当たらないな。
 フォーリナーを掌握するだけならば、私が自分のサーヴァントと共に行えばいい。
 それにそもそも。私は他人の儲け話に飛びつかなければならないほど、逼迫した状況にはなくてな」


309 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:29:28 poDOu6pw0
「……随分自分のサーヴァントに自信があるんですね」
「ああ。私のサーヴァントは――間違いなく、この聖杯戦争における上澄みの中の上澄みだとも。
 その力を更に跳ね上げる手段にも覚えはある。
 リンボなるアルターエゴを排除したい思いは君と同じだが、フォーリナーを君達諸共抱き込む火急の理由がない」

 最悪の展開だった。
 こうなることを予想してなかったわけじゃない。
 もしかしたら、とは思ってた――でもまさか本当に。
 まさか本当に、最強の権力を持つマスターのところに、そんな馬鹿げた強さのサーヴァントが渡ってるなんて。
 苦心の果てにようやく掴んだサイコロの出目は憎たらしくも一。
 思わず奥歯を鳴らす私だったが。

「だが……私はこれでも、君という一個人のことは"悪くない"と感じている。
 懐に不自然な膨らみがある。形状からして恐らく拳銃の類だろう」
「っ……」
「近代兵器の一発や二発は、正直なところ怖くも何ともない。
 しかし私を前にして、それを抜く覚悟が出来る人間というのは希少だ。
 何の異能も、魔術の心得も持たない只人の精神としては――なかなかだ」
「……褒めてくれてどうもありがと。
 それで――もうぶっちゃけるけどさ。あんたは私に何を求めてるの?」
「示してみろ」

 こんな奴に遜るのはやっぱり性に合わない。
 それにこいつは多分、礼儀だとかそういう小さなことで動くタイプじゃないんだと分かった。
 だから念入りに施しておいた心のメイクを全部ひっぺがす。
 懐のマカロフに手を伸ばして。
 私は、大和の言葉の続きを待った。

「私に――己の価値を示せ。
 君が私に提供出来る"力"を見せろ」
「それが出来れば……いいわけ?」
「さあな。だが、一考の余地は生まれるかもしれん」

 結局、そうなるのか。
 私は思わず天を仰いだ。
 
「じゃあそうするよ」


310 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:30:11 poDOu6pw0
「……随分自分のサーヴァントに自信があるんですね」
「ああ。私のサーヴァントは――間違いなく、この聖杯戦争における上澄みの中の上澄みだとも。
 その力を更に跳ね上げる手段にも覚えはある。
 リンボなるアルターエゴを排除したい思いは君と同じだが、フォーリナーを君達諸共抱き込む火急の理由がない」

 最悪の展開だった。
 こうなることを予想してなかったわけじゃない。
 もしかしたら、とは思ってた――でもまさか本当に。
 まさか本当に、最強の権力を持つマスターのところに、そんな馬鹿げた強さのサーヴァントが渡ってるなんて。
 苦心の果てにようやく掴んだサイコロの出目は憎たらしくも一。
 思わず奥歯を鳴らす私だったが。

「だが……私はこれでも、君という一個人のことは"悪くない"と感じている。
 懐に不自然な膨らみがある。形状からして恐らく拳銃の類だろう」
「っ……」
「近代兵器の一発や二発は、正直なところ怖くも何ともない。
 しかし私を前にして、それを抜く覚悟が出来る人間というのは希少だ。
 何の異能も、魔術の心得も持たない只人の精神としては――なかなかだ」
「……褒めてくれてどうもありがと。
 それで――もうぶっちゃけるけどさ。あんたは私に何を求めてるの?」
「示してみろ」

 こんな奴に遜るのはやっぱり性に合わない。
 それにこいつは多分、礼儀だとかそういう小さなことで動くタイプじゃないんだと分かった。
 だから念入りに施しておいた心のメイクを全部ひっぺがす。
 懐のマカロフに手を伸ばして。
 私は、大和の言葉の続きを待った。

「私に――己の価値を示せ。
 君が私に提供出来る"力"を見せろ」
「それが出来れば……いいわけ?」
「さあな。だが、一考の余地は生まれるかもしれん」

 結局、そうなるのか。
 私は思わず天を仰いだ。
 


「じゃあそうするよ」


.


311 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:30:39 poDOu6pw0
 出来の悪そうな素振りで注意を反らしてから。
 顔を覆った手をどけて、私は大和を"よく視る"。
 私の右目は異常な右目。でもそれは、魔眼だの何だのって大それたものじゃない。
 いや、もしかしたら大それてはいるのかもしれないが。
 多分それは――峰津院大和(こいつ)が知っているのとは違うベクトルの話だろうから。

「――――ッ」

 大和の表情が初めて変わった。
 不敵に佇んでいた姿勢が揺らぐ。
 たたらを踏む姿に、胸がすく思いがした。
 前に踏み込んで、大和の胸倉を引っ掴む。
 全体重を前へとかけて押し倒す形を取りながら、私はマカロフを容赦なく大和の顔面に照準した。

 先に喧嘩売ったのはそっちだ。
 ヤバい未成年の相手は慣れてんだよ、馬鹿野郎。


312 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:31:06 poDOu6pw0
◆◆


 紙越空魚の右目は魔眼ではない。
 仕組みはどうあれ、その本質は似て非なるものだ。
 何故ならこれは、一つの"現象"と呼んだ方が早いモノ。
 普遍的無意識、ヒトの恐怖から生まれる<裏世界>の怪異。
 それと接触することで得た異能ならぬ"異常"――第四種接触者であることの証。
 
 空魚自身の分析を引用するならば、"一つの事象について、幾つもの様相を渡り歩くように認識する"力がそこにはある。
 裏世界の存在の正体看破や透視。あくまであちらの世界でのみに限られるが、他者の存在のあり様すら部分的にだが歪められる。
 そしてこの眼を現実世界で、人間に対して用いた場合に起きる現象。

 それは狂気への強制的な接近。
 ただの人間を、裏世界の存在に抵抗出来るようにさえ出来るほどの――付与(エンチャント)。
 当然、多くの場合こんなことをされては只でなど済まない。
 だから空魚は普段、これを自分の中で此処ぞという時のみの禁じ手として定めていた。
 逆に言えば。"力"が求められるような状況は、この眼の一番の使いどころでもあるのだ。
 右目の狂気は魔術ではない。
 この世とは違う、領域外の理の押し付けだ。
 故にそれは――魔術を究めた超人である大和にさえ問題なく作用した。

 彼がたたらを踏んで顔を歪め、それどころか只の人間である空魚に胸倉を掴まれたのはそれが理由だ。
 大和の強さを知る者なら誰もが驚くだろう大金星。
 正真正銘のジャイアントキリングが成就する、その一歩手前まで、紙越空魚は迫ることが出来た。
 が。

「詰めが甘かったな。もう一枚二枚は、追加の札(カード)を伏せておくべきだった」
「ぐ……っ、う……」

 地に臥せっているのは空魚の方だった。
 仰向けで夜空を見上げる彼女の腹を、大和が踏んで縫い止めている。
 王将が倒れる一歩手前まで迫っていた筈の空魚は一転、敗者へと落とされていた。

「とはいえ、肝を冷やしたことは素直に認めよう。
 警戒はしていたが――敢えて使わせた上で、君に跳ね返してやる心算だった。
 しかし計算外だった。君のその目は、どうやら私の知らない領域の異能のようだ」

 大和の脳内はあの瞬間、確かに耐え難い混沌の狂気に撹拌されていた。
 空魚は誇張抜きに、あの時峰津院大和を追い詰めていたのだ。
 だが手が足りなかった。詰めが甘かった。峰津院大和を殺そうとするなら――もっと策の構造を複雑にしておくべきだった。
 大和は混乱と暴走を併発させた脳裏で、しかし思考。
 魔術を行使して自らの容態を強引に整え、身につけた武術で以って胸倉を掴んだ空魚を逆に投げ飛ばしたのである。


313 : Cry Baby ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:32:06 poDOu6pw0

 勿論無茶の代償は大きい。
 今も大和は、脳の血管が悲鳴をあげているとしか思えないような強い頭痛に苛まれていた。
 彼ならば耐えられる範疇のものではあるものの、これは暫く残るだろう。
 そう考えると――少なくとも、無傷で凌ぐことは出来なかった。と、いうことになる。

「……、で……。結局、どうなの。組むの、組まないの……ッ」
「合格だ。無力な者ならこの場で殺すつもりだったが、君には――界聖杯の常套句を借りるならば、可能性がある」

 大和はそう言って、空魚の上から足を退けた。
 けほけほと咳き込みながら何とか起き上がる空魚。
 しかし、大和はそこに追撃しようとはしない。
 それは、今の言葉に嘘がないことを意味していた。

「――中で話すとしようか。
 君の知っていることを、もっと深く教えてもらおう」
「……あのさ。最初から思ってたけど――あんた、めちゃくちゃ性格悪いでしょ」
「失敬だな。真実、正しい道のみを見据えて歩んでいるつもりだよ」

 暗躍するアルターエゴ・リンボ。
 紡がれる窮極の地獄界曼荼羅への筋道。

 しかし――誰もが彼に振り回され、貪られるばかりではない。
 少なくとも今此処に、彼の強大な敵となるだろう同盟が結成された。
 銀の鍵の巫女を中心に回る陰謀は、直に急展の時を迎えよう。
 誰がどう動いた結果そうなるかまでは――誰にも分からないだろうが。


【墨田区・東京タワー/二日目・未明】

【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:頭痛(中、暫く持続します)
[令呪]:残り三画
[装備]:宝具・漆黒の棘翅によって作られた武器(現在判明している武器はフェイトレス(長剣)と、ロンゴミニアド(槍)です)
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具
[所持金]:超莫大
[思考・状況]
基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:紙越空魚と話をする。只人としてはなかなか高評価。
1:ベルゼバブを動かせる状況が整ったら自分は霊地へ偵察に向かう。
2:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
3:グラスチルドレンと交戦しており、その際に輝村照のアジトの一つを捕捉しています。また、この際に、ライダー(シャーロット・リンリン)の能力の一端にアタリを付けています
4:峰津院財閥に何らかの形でアクションを起こしている存在を認知しています。現状彼らに対する殺意は極めて高いです
5:東京都内に自らの魔術能力を利用した霊的陣地をいくつか所有しています。数、場所については後続の書き手様にお任せします。現在判明している場所は、中央区・築地本願寺です
6:白瀨咲耶、神戸あさひと不審者(プリミホッシー)については後回し。炎上の裏に隠れている人物を優先する。
7:所有する霊地の一つ、新宿御苑の霊地としての機能を破却させました。また、当該霊地内で戦った為か、魔力消費がありません。
8:リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)に同盟を持ちかけました。返答の期限は、今日の0:00までです。
9:光月おでんは次に見えれば必ず殺す。
10:逃がさんぞ、皮下
【備考】
※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。


【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(中)、背中と腹部にダメージ(いずれも小)。憤慨、衝撃、自罰、呪い、そして覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を助ける。
0:鳥子を助けに行く。何が何でも。何を利用しようとも。
1:峰津院と組む。奴らの強さを利用する。このことはアサシンにも知らせないと。
2:アイ達とは当分協力……したかったけど、どう転ぶか分からない。
3:アビゲイルとか、地獄界曼荼羅とか……正直いっぱいいっぱいだ。


314 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/08(金) 23:32:43 poDOu6pw0
投下を終了します。
また遅れに遅れている(自覚)感想ですが、明日中には必ず投稿させていただきます。
お待たせしてしまい申し訳ありません……!


315 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/09(土) 23:06:53 M85q/FOg0
>>真月潭・月姫
兄上こと黒死牟にとって弟、縁壱が不倶戴天であることは原作でこれでもかと描写されていましたが、
その決裂と断絶に対して投げかける原作IFとしてあまりにも丁寧で面白く、これぞ二次創作の良いところ!と膝を打ちました。
黒死牟と縁壱の二人だけでなく、おでんが、そして無力な少女である筈の霧子が命と心を張ったからこそ掴めた結末なのがまた凄く良いですね……。
縁壱ならぬおでんと、宿業の悪鬼黒死牟の剣豪勝負の激しさからお出しされる今回の結末、あまりにも最高ですよ。
現在進行系で陰りつつある283組の現状を思うと、兄上にはこれからぜひ頑張ってほしいですね……オラ上弦の壱! わかったな!!

>>力と銃弾だけが真実さ
沙都子の心理描写の鬱屈としたもの、そして雛見沢への昏くどろついた愛着が非常に良いですねー……。
沙都子は何処までもアイドルを軽んじ、ガムテは一方で彼女たちのある種の脅威性を認識しているという違いも面白い。
この二人、話を重ねるごとにどんどん良いコンビになっている感じがして凄い好きなんですよね。
特に沙都子が思いつきでガムテに"仕掛ける"シーンがお気に入りです。あの女ならやる。
そしてアイドル達へ送る最悪のメール。ほんと最悪だこの女。(心からの応援の言葉)

>>引奈落
前の話で元気にしていた北条沙都子さんが次はいきなりとんでもない修羅場に投げ込まれるらしい。
リンボがカイドウとマムを相手に堂々とプレゼンしてみせる辺りは流石でしたが、アフターケアがあまりにもなってないのがひどい。
四皇との三者面談とかいう、この世でおよそ最悪の(最悪って言葉、多くない?)話し合いに放り込まれる沙都子には同情するしかないですね。
しかし、いよいよリンボのワクワク地獄界曼荼羅計画も実行に近づいて来ているのは素直に恐ろしいです。
自分も拙作で大和と空魚の二人を動かしましたが……果たしてどうなるんだろうなあ、この計画……。


遅れに遅れて申し訳ありませんが、皆様投下ありがとうございました!


316 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/10(日) 16:41:57 4LmLZygE0
皮下真
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
古手梨花
アイ(NPC)

予約します


317 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/11(月) 00:23:10 YB4Vbo8c0
ガムテ
北条沙都子
神戸あさひ&アヴェンジャー(デッドプール) 予約します。


318 : ◆A3H952TnBk :2022/04/12(火) 19:39:52 Faq5nX/Q0
すみません、死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)を予約から外させていただきます。
キャラの拘束、申し訳ありませんでした。


319 : ◆A3H952TnBk :2022/04/13(水) 18:49:58 l4E20IC20
プロデューサー&ランサー(猗窩座)追加予約させて頂きます。


320 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:02:48 MGoReESo0
投下します


321 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:03:59 MGoReESo0
 これは何の夢なのかと鬼はふと思った。
 口に出すことはしない。
 答えを求めていたわけではなかったからだ。
 それによしんば答えが返ってきてしまえば、ようやく落ち着き始めた調子をまたも狂わされることになるのは見えていた。
 安らいだ寝息を立てて眠る要石の娘。
 それとは対照的にガーガーと大いびきを掻いて眠りこける二刀流の破天荒。
 どちらも黒死牟にとっては決して好ましい相手ではなかったが。
 なのに剣を振るう気はおろか、握る気すら湧いてこないのは。
 やはり先の勝負で敗けたのは己の方なのだろうと、鬼…黒死牟にそう思わせるに足る空白だった。
“剣を握り三百余年。あの地獄で苛まれ続けた時を含めれば……更にその数倍”
 思えばあまりに長い時間を剣に費やしてきた。
 物心付いた頃には既に剣は己の近くにあった。
 人であることを止めてもまだ剣を握り続けた。
 地獄の炎に焼かれながらも、心の中の刃だけは置かずにいた。
 ならば当然サーヴァントになっても刀を手放すことなどなく。
 悪鬼、黒死牟として刃を振るい続けた。
 振るい、振るい、振るい、振るい…。
 そうして己の内の妄執を燃料に血の通わない躰を動かし続けて。
 侍の誉れも誇りもまるでない異形の刀のみを寄る辺として戦い続けた――その結果がこれだ。
 その顛末がこれだ。
 あれほどまでに魂を焦がした炎は無様にも凪ぎ。
 ああも執着した弟が傍にいるというのに刀の柄すら握らず。
 人倫から解き放たれた己(おに)の行方を鬱陶しくも遮ろうとする少女のその微睡みを引き裂けず。
 一騎討ちの剣豪勝負で討ち果たせなかった人間のいびきを黙って聞いている始末。
“……我が刃も……遂に、錆びたか………”
 なんと情けない有様か。
 地獄での長い懲罰は魂の在り様までもを腑抜けにさせたか。
 そう嘆かわしく思う感情はありながらも、しかしそれは黒死牟の裡を焦がす炎を再び呼び起こしてはくれなかった。
 人間の頃以来ついぞ感じることのなかったであろう心の静寂。
 これを安らぎだと認識出来ないのは黒死牟という鬼にとっての最後の一線なのか。
 或いは其処こそが黒死牟と■■■■を隔てる境界線であったのか…その真なるところまでは定かでないが。
“弟を超える悲願は叶わず。それどころか…”
 主と認めて傅いたあのお方への忠誠も貫けない。
 何もかもが宙吊りのままに終わる無様。
 それを恥じずにいられるほど黒死牟は無慙無愧にはなれなかった。
 彼にもしもそのくらいの大雑把さがあれば、そもそも人を辞めてまで弟に固執することもなかっただろう。
 絶対の存在として膝を折り忠を誓ったあのお方。
 彼が今の己を見たなら青筋を立てて罵倒するだろうという確信があった。
 果たしてこの地にあのお方は存在しておられるのか。
 己と同じく時空の果てから呼び寄せられているのか――そこまで考えて。
「……………………、……………………」
 ――違和感を、抱いた。


322 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:04:34 MGoReESo0
 今まで滞りなく噛み合っていた歯車がズレた。
 精密な絡繰を構成していた螺子の一本が外れた。
 そんな違和感を前に黒死牟は胸中の声までを沈黙させる。
 何だ。私は今、何を忘却(わす)れている……?
 眉根を寄せて六眼を怪訝の色に染める黒死牟。
 そんな彼の疑問に答えを与えたのは、やはりというべきか"彼"であった。
「兄上」
「…何だ」
「一つ。お聞きしたいことがございます」
「……何だ、と私は言った……」
「この問いを兄上に投げかけること。そこに決して他意はないことを…踏まえた上で聞いていただきたい」
 黒死牟がそれを知ればきっと憤ったろうが。
 縁壱は今、兄との会話を全くの手探りで行っていた。
 兄が鬼と成り果てたことを知っても縁壱は彼への親愛を捨てなかった。
 しかし縁壱は、最後の邂逅を果たす権利を得てもなお彼を救えなかった。
 慈悲を以って終わらせてやることすら出来なかった。
 その頸を切り裂くことは出来たが、そこが限界だった。
 それまでだった。
 継国縁壱は所詮そこまでの男だった。
 そのことは英霊となった縁壱の霊基にもしっかりと傷となって刻み込まれていたようで。
 そしてだからこそ彼は今…夢物語のように舞い降りた生前果たせなかった結末に当惑している。
 少なからず、動揺している。
 兄が刀を納めて自分と同じ道を進んでくれるという事態に――真実、魂の底から望んでいた筈の未来がこうして目前にあることに。
 らしくない戸惑いを抱かずにはいられない。
 それが今の縁壱だった。
 そしてその彼が兄に問うたこと。それは……
「兄上は――覚えておられますか。貴方を鬼へと変えた男の名を」
 忘れられる筈などない。
 そもそも忘れる道理がない。
 嘗めているのか、嘲笑っているのかと憤られても文句は言えないだろう稚拙な問いかけだ。
 かつて人間だった己を魔道に導いた鬼の始祖。
 忘れるべくもない。
 人を辞めて膝を折り忠を誓った相手の名を忘れるなど、言語道断の不忠であろう。
 そして…だからこそ。
「…………な、に?」
 黒死牟はこの時心の底から驚愕した。
 そうするしかなかったからだ。
 何故なら今の今まで、縁壱からその名を出されるまで。
 黒死牟は…十二鬼月が筆頭であった筈の"上弦の壱"は。
 ■■■■■というその名を――完膚なきまでに忘却していたのだから。


323 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:05:25 MGoReESo0
「やはり…でしたか」
「縁壱……答えろ、お前は……何故、私が………あの方の名を忘れていると、思った…………」
「私も、思い出せなくなりつつあるのです」
 そう言って縁壱は自分の右手に視線を落とす。
 その視線の意味は黒死牟にも分かった。
 かつてあのお方を斬った腕。
 最強不変の鬼を膾切りにした神の腕(かいな)。
「記憶が、まるで霞が掛かったように茫洋としていく。
 時を経る毎に確実に…何としてでも討ち果さねばならぬと誓ったあれの存在が抜け落ちていくのです。
 今や私も――」
 奴の名を思い出せない。
 と、弟は言う。
 それに対して黒死牟は何も言えなかった。
 彼もまた同じだったからだ。
 同じ。そう、同じだ。
 人の世と袂を分かって頭を垂れた主。
 鬼の始祖たるあのお方の名を思い出せない。
「私は…この東京に奴がいることを確信しておりました。兄上は如何でしたか」
「………………」
 予感していたと言えば語弊があろう。
 黒死牟はその可能性に思い至りながら目を背けていた。
 しかし今となってはそうすることにも意味はあるまい。
 彼は彼で、縁壱と同じように――この時既に悟っていたからだ。
 ■■■■■――(鬼舞辻無惨)。
 我ら鬼の絶対にして永遠の始祖たる"あのお方"が、この地で敗死を喫したことを。
「……その可能性には、思い当たっていた……が…………」
「であれば最早疑う余地はないでしょう」
「私も……同じ、考えだ………。俄には……信じ難いが……」
「私とて同じです、兄上。私は…奴を今度こそこの手で滅ぼすことこそが、この現界における使命であると高を括っておりました」
 かの者がどうやら滅ぼされたらしい事への驚きは縁壱も黒死牟も一緒だった。
 かの者が鬼の中で絶対とされていた理由は、何も無惨が最初の鬼だったからというだけではない。
 全ての鬼を常に支配し生殺与奪を掌握する絶対の王権。
 そして誰もに恭順を選ばされるだけの圧倒的な力。
 縁壱をして肝を冷やしたと言わしめた次元違いの暴力。
 今だからこそ至れる思考だが、己の選んだ道は酷く大きな矛盾を抱えていたのだと黒死牟は思う。
 継国縁壱と鬼の始祖の間における彼我の差は既に明確に示されていた。
 縁壱を超えるのだと願うのならば必然、まずは天まで聳えた壁の前にある始祖■■以上の力を手に入れる必要があったのだ。
 他人へ上下関係の何たるかを説いておきながら、自分が最もそれに反していた事実。
 その愚かしさを今になってようやく理解しながらも――黒死牟は弟の声に耳を傾ける。
 地獄の炎に灼かれても憎み続けた憧憬の声を。
「しかし…。どうやらそれは私の思い上がりだったらしい」
 黒死牟が主君の死を悟った理由は縁壱の言葉だった。
 彼の言葉を聞いた瞬間にようやく気付いた。
 始祖の名は愚かその顔や力の詳細すらも、黒死牟はとうに思い出せなくなっていた。
 こうしている間にも始祖について有していた筈の知見や記憶が日に曝された霜のように溶け崩れていく。
 完全に記憶が溶け落ちたなら、そもそも鬼の始祖などという存在があったことすら忘却してしまうのだろうか。


324 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:06:25 MGoReESo0
 であれば彼の血を賜り変生したこの躯の体はどうなるのか・
 一体あのお方は何と行き遭い…そして滅ぼされたのか。
 黒死牟にはいずれの答えも想像することが出来なかったし、それは縁壱とて同じのようだった。
「果たすべき使命はまたしてもこの手をすり抜けて消えた。
 であればこの身が此処にある意味とは、おでんの――我が主君の仇敵を討つことなのか」
「縁壱………。それは…………」
 剣も持たない手で虚空を掴む。
 当然その五指は何も掴むことなくすり抜けて掌に触れた。
 なんとこの身は無価値なのかと無常を気取るようなその仕草。
 それを目にした途端。
 黒死牟の心の裡がカッと熱を帯びるのが分かった。
「それは――……弱音か………?」
 何も掴まず空を切った縁壱の五指。
 彼とは対極に、黒死牟の手は目玉の浮き出た鬼刀の柄を握っていた。
 刃を見せぬのは彼を熱くした"熱"が嫉妬と羨望によるものではなかったからか。
 上弦の壱として数百年自他の境なく全てを灼き続けた炎とはまた種の異なる"熱"だったからか。
 真のところは彼にすら分かるまいが、確かなのは縁壱の吐露した言葉が彼にとって非常に不愉快な文言であったらしいこと。
「それだけのものを持っていながら…この世の全てに愛されていながら……」
「…兄上。おやめください」
「お前は……私に、そんな戯言を吐くのか………?」
 炎に灼かれ続けていた頃ですらも。
 黒死牟が縁壱に向ける感情は複雑に捻じくれ怪奇していた。
 憎悪に身を焦がしながらも、彼が光月おでんによって強制的に矛を収めさせられる光景を見ればそっちに憤激する。
 縁壱の超人性に全てを狂わされた男はその実この世の誰よりも、自分をこうも焦がした――焦がれた――男が唯一無二の星であることを望んでいる。
 曰く好意の反対は無関心であるという。
 だが黒死牟は、継国縁壱の兄だった男は…弟以外の全てを擲ち破滅する程彼のことだけを考えて堕ちてきた。
 心底嫌いな弟に対して彼が無関心であったことなど一瞬たりとてない。
「己の産まれた意味が、解らぬなどと…………!」
 縁壱は神仏の寵愛を受けた超常の存在である。
 自分やその他有象無象の凡人がどれだけ努力をしようとその影すら踏めない超越者である。
 その点には黒死牟としても異論は一切ない。
 むしろ全くの同意見だった。
 しかしでは彼の生誕と存在は始祖を滅ぼすためだけにあったというのか。
 あのお方が――あれが滅べば役目は終わりで全てが白紙に戻るとでもいうのか。
 お前がこの世に残した爪痕も。
 お前がこの心に与えた熱も。
 全てが泡沫の夢幻、朔の夜の寝物語と消え果てるというのか。
「だから私は…お前が嫌いなのだ……。
 素面でそんな妄言を吐けるお前の存在が……お前の剣を初めて見たあの日よりずっと、気味が悪くて仕方がなかった………」
 ――巫山戯るな。
 そんなことも分からない阿呆だから。
 そんなことも分からぬお前だから。
 だから私は、お前のことが嫌いなのだ。
 怨嗟をすら込めて紡がれるその言葉は数百年越しの本音だった。
「私が越えるのに一月を費やす壁を…お前は何時も事もなげに足で跨いで越えていく。
 剣も、呼吸も、鬼を狩る技術も……お前は私の何もかもを、それが道理であるとばかりに凌駕していた………。
 その姿を私が、どれほど忌んでいたか……どれほどおぞましく思っていたか……。
 お前のことだ……あの赤い月の夜に老いて死する最期のその時まで………一顧だにすら、しなかったのだろう…………」
「……それは」
 言葉を返せない縁壱に黒死牟は途切れ途切れの言葉で捲し立てる。
「お前は…他者(ひと)の心が、解らぬのだ……」


325 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:07:04 MGoReESo0
 忌まわしかった。
 おぞましかった。
 気味が悪かった。
 お前の全てが妬ましかった。
 だというのに全てを知ったように達観して、血の通っているとは思えぬ言葉を吐く。
 かつて抱いた嫌悪の全てを。
 生前は只の一度とて言葉にすることのなかったそれを。
 気付けば黒死牟は憎たらしい弟へ吐いていた。
 新月の夜に光はない。
 されどそこに月があるのなら。
 月明かりは闇を照らす。
 影に隠れて蹲るしかないものをも照らし出す。
 光月に受け止められ。
 太陽に宥められ。
 そうしてついぞ光の下に躍り出た鬼の本心。
 それを耳にした縁壱は。
「…、……」
 ひどく驚いたような顔で黒死牟のことを見つめていた。
 まるでなぞなぞの答えを明かされた子どものように。
 神の寵愛を受けていると誰もがそう認めた男にはお世辞にも相応しくない顔で、変わり果てた兄の異貌を見る。
 そしてあろうことか彼が放った言葉は、その表情以上に稚拙なものだった。
「兄上は私を――そのように思っておられたのですか」
 だが稚拙なのは縁壱に限らず黒死牟もそうだ。
 彼ら兄弟は何処までも稚拙だった。
 幼すぎた。
 兄は弟に抱く憧憬と嫌悪を口に出さぬまま二度と交われぬ離別に走り。
 弟は兄の感情を何一つ理解出来ぬまま、最後の敗北すら与えることなく死んだ。
 その果てがこの世界。
 界聖杯、可能性が並び立つ願いの牧場。
 そこで初めて彼ら継国の兄弟は想いを交わす。
「話は…終わりだ……。お前と話しているとどうにも苛立つ……今も昔も、矢張り変わらぬ………」
 初めて吐露した胸の内。
 それに対しての答えがあまりにも間抜けすぎて黒死牟は毒気を抜かれた。
 吐き捨てるように溢して踵を返す。
 此処で無駄口を交わし合っているようならまだ黄昏れていた方が生産的だと判断した。
 だがその背中に縁壱は言葉を掛ける。
「兄上」
 万能と呼ばれた彼ではあったが。
 この時何を言うべきかはすぐに浮かんではくれなかった。
 だから兄がそうであったように…弟もたどたどしく。


326 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:08:02 MGoReESo0
「返す言葉もありません。
 私はこの生、この肉体…その全てはかの始祖を滅ぼすために造られたものと信じていた。
 そこにとて人の喜びが介在する余地はあるのだと教えてくれた者は幸いなことに居りましたが……」
 赤子を喪ったことを覚えている。
 赤子を抱き上げたことを覚えている。
 そうして泣いたことを覚えている。
 そこで理解出来なかったこと、悟り切れなかったこと。
 それを思うとやはり縁壱は自分が超人だなどと思い上がる気にはなれなかった。
 何せこうまで直球で投げられなければ気付けない粗末な頭なのだ。愚鈍な心なのだ。
 神仏が造ったにしては拙すぎる。
 あまりにも――出来が悪すぎるではないか。
「……私をそのように糾してくれたのは、あなたが初めてです」
 継国縁壱は何も変わらない。
 彼の剣は今後もこれまでの通りに振るわれるだろう。
 悪を討つため人の敵を討つため。
 その為に極限の冴えを以って振るわれるだろう。
 だが。
 それでもきっとこの邂逅に意味はあったのだ。
 この再会に、意義はあったのだ。
 それを物語るように縁壱の口元は微かではあるが弧の形を描いていた。
「……、……そうか………」
 黒死牟は何か言おうとして、…止めた。
 鬼となるよりも。
 鬼狩りとなるよりも遥かに以前。
 つまらない哀れみで笛を拵え渡してやった記憶。
 拙く不格好で安っぽい歳相応の細工。
 それを与えてやった日の記憶が徐に脳裏を過ぎったからだった。
『いただいたこの笛を兄上だと思い…どれだけ離れていても挫けず、日々精進致します』
 何故今これを思い出す。
 強さを希求しようと思うならば。
 縁壱へ近付こうと思うならば真っ先に切り捨てるべき過日のこと。
 この期に及んでそんなものを思い出してしまった不可解が彼の口を塞いだのか。
 真実の所は彼にしか分からなかったろうが…
「この戦の弥終で……お前を待つ」
 しかし閉口のまま終わりはしなかった。
 紡ぎ出した言葉は裏を返せば妄執の先伸ばしであり。
 激情と性に縛られる悪鬼らしからぬものでもあった。
 最後の二騎となった時は勿論。
 この世界の終末ないし破綻のような終局でも構わない。
 黒死牟は果てにて待つ。
 剣鬼は、そう決めた。
「そこで私の剣を受けろ。
 鬼となり変わり果てたこの頸を断ち切ってみせろ」
 赤い月の夜。
 あの日継国縁壱が万全でさえあったなら。
 彼が定命の鎖に縛られてさえいなかったなら己に訪れただろう結末。
 それが今度は至極順当なものとしてやって来ても構わないという覚悟の許黒死牟は縁壱へ申し込んだ。
 果たし合いの誓い。
 因縁と妄執の清算。
 数百年の憎悪と研鑽の結実の場を寄越せと、兄は弟に求めていた。
「それまでは…この剣と、この炎は……収めてやる………」
「兄上がそう望むのであれば――承りましょう」
 "それまでは剣を収める"などという文句はやはり鬼の語るそれではない。
 鬼としての在り方に則るならばこの場ですぐさま仕掛けることこそが正しい筈だ。
 にも関わらず黒死牟はそれをしなかった。
 そうする気にはなれなかった。
 数多の光が彼の心を照らしている。
 灼かれ磨り減るばかりだったその心を優しく寿ぐ光がある。
 始祖たる男は死んだ。
 直にこの世界からその存在ごと消え果てよう。
 しかしその後も彼の造った鬼は残る。
 上弦の鬼。
 その壱の席を数百年と保ち続けた剣鬼は今、無軌道に周りを鏖殺する英霊剣豪ではなくなった。
 誓いは成った。
 であれば後は誓われた"いつか"へ繋ぐために。 
 黒死牟は踵を戻さぬまま去り、縁壱はそれを見送るが。
 すれ違い続け拗れ続けた兄弟の物語は…改めてひとまずの小休止を迎えたのであった。


327 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:08:31 MGoReESo0
    ◆ ◆ ◆

 やはりと言うべきか先に目を覚ましたのは光月おでんだった。
 黒死牟との戦いで負った無数の切り傷は大小様々だった筈だが、箇所によってはもう傷口が塞がり始めているから人体の神秘めいていた。
「うおォ〜! 全身が痛ェ! 涙が出そうだ!」
「むしろそれだけで済んでいるのが驚嘆だ。受けた刀傷の数は大小合わせれば百を優に越えていたというのに」
「そんなに斬られてたのかよ! 道理で痛ェわけだぜ…!」
 断っておくがこれは打ち所が良かったとかそういう話ではない。
 光月おでんが常人を遥かに逸脱した超人で、だから平気でいられるだけ。
 仮に彼の傍らで寝息を立てる少女が同じ目に遭っていたなら九割九分死んでいるだろう。
 月並みな言い方になるが、鍛え方が違うとしか言いようがなかった。
「…で。話は出来たのかよ、あのバカ兄貴と」
「おでん」
 答えにはなっていない。
 縁壱は答えるのではなく彼の名前を呼んだ。
 そして言う。
 質問の答えなぞよりも余程優先して彼に伝えるべき言葉を。
「ありがとう」
「なんだよ。礼を言われるようなことをした覚えはねェぞ」
 礼を受けたおでんは照れるでも遠慮するでもなく、シッシッと手を振ってそう言った。
「おれがそうしてえと思ったからやっただけだ。
 感謝される謂れはまったくねェし、むしろむず痒いからやめてくれ。
 友達(ダチ)に頭下げられる程気まずいことはねェんだこの世にゃ」
「…お前らしい」
「その様子じゃちったあ喋れたみてェだな。令呪とこの傷が無駄にならなくて良かった!」
 これも光月おでんが人を惹きつける理由なのだろう。
 おでんは人を助けるが決して驕らない。
 礼を言われれば素直に受け取りつつもひけらかさず、時にはこうして頭を下げられること自体を拒む。
 あくまでおれがやりたかったことをしただけだと豪快に笑うのだ。
 継国兄弟の捻れ歪んだ因縁も彼にかかれば茹での甘い糸こんにゃくのようなもの。
 いつも通り豪快に、目が眩む程爽快に。
 土足で踏み込んで思うまま暴れて、前に進ませてしまった。
「カイドウとの約定を全く反故にするつもりはない。
 どの道あのランサーは捨て置けない脅威だ。
 生かしておけば、必ずまた新宿の災禍を繰り返すことになる」
「ああ」
「だがその後は奴だ。そして私は、おでん。
 奴を討ち取るというお前の使命を死力を以って支えよう。しかしだ」
 カイドウは縁壱にランサー、ベルゼバブの討伐を委ねた。
 あの男は外道ではあるがしかし獣ではない。
 それが縁壱の見立てだった。
 むしろ悪党としては愚直な程真面目で不器用な男。


328 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:09:20 MGoReESo0
 であればあの言葉が違えられるとは考え難い。
 そしてそうであるのならば、縁壱としても腐滅の悪鬼を討つ役を担うことに異存はなかった。
「兄上と誓ってしまった。この戦の弥終に果たし合うと」
「は――何だよあの野郎。気の利いたことも言えるんじゃねェか」
「私はその場に往かねばならない。そして願わくばその時私を従える者は、お前であってほしいのだ」
「死ぬなってか」
 おでんは呵呵と笑った。
 なんて無理難題。
 カイドウの暴威は一度相対して縁壱も知っているだろうに。
 勝った上で生き延びろなどと要望するとは、彼らしくない無茶な願いだ。
 おでんは確かに過去一度カイドウへ不覚を負わせている。
 しかしあの時ですら戦いは途中で中断され、奴の真の実力を見ることはついぞなかった。
 その上であれから年月を経て…英霊としての全盛期から呼び出されているだろうカイドウ。
 勝てる勝てないの以前に、相手になるのかどうかからして疑わしい。
 そんな男を相手に死ぬなと言うのか。
 馬鹿げた話だ。
 無茶な話だ。
 そんな思いも含めた一笑だった。
「ああ――分かった。男同士の約束だ」
 そして――面白ェことを言う奴だと笑った上でその無茶を呑む。
 時空は違えど元居た世界は違えど、もう縁壱はおでんにとっての師であり友人だった。
 そのたっての願いを無碍にするなどおでんのやることではない。
 現実問題出来るか出来ないか、そんなことは後から考える。
 とにかくまずは頷いて白い歯を見せて笑ってみせる。
 それが、光月おでん。
 ワノ国にその人ありと謳われた"バカ殿"。
「その代わりお前も勝手に逝くんじゃねェぞ縁壱。
 そん時ゃおれがお前の代わりに、てめえのおっかねえ兄貴の前に立つことになるんだからな。
 あの野郎絶対怒るだろ。今度こそ膾切りにされかねん」
「…あぁ、そうだな。私も誓おう。"男同士の約束"だ」
 おでんが突き出した拳に縁壱も自分のを触れさせる。
 あまり慣れないノリではあったが、おでんの顔を見るに間違いを冒してはいないらしい。
 そのことに少し安堵する縁壱と、全身の惨状が嘘のように活力を漲らせ立つおでんの傍らで。
「……ん……。あれ、わたし……」
 おでんにやや遅れて目を覚ます少女が居た。
 彼女の名前は、幽谷霧子。
 光月おでんだけでは消しきれなかった炎を宥めた要石。
 縁壱の兄、黒死牟のマスターである偶像(アイドル)だった。


329 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:09:54 MGoReESo0
    ◆ ◆ ◆

「ありがとうございました、おでんさん……セイバーさんを、助けてくれて………」
「あ〜、要らねえ要らねえ! 要らねえ理由はこいつから聞いてくれ!」
 体力が尽きた。
 張り詰めた精神の糸が切れた。
 戦いを知らない平和な世の中で生まれ育った少女の余力は無理の対価に尽きてしまった。
 その結果の気絶と睡眠。
 ただおでんのように物理的に酷い傷を負った結果のものではなかったため、目覚めてさえしまえばコンディションは万全と言ってよかった。
「おでんがそうしたいと思ったからやったことだそうだ。
 改まって礼を言われるのはどうにもむず痒いらしい」
「ふふ……! そうなんですね……ふふふふ………!」
「本当に逐一説明する奴があるかァ!! こっ恥ずかしいわ!!!」
 光月おでんとそのサーヴァント、継国縁壱。
 そして幽谷霧子。
 この三人の息はこの通り見事に合っていた。
 誰からも好かれる破天荒な益荒男と独特な雰囲気を持った変わり種二人。
 突出した個性同士が奇跡的なバランスの上で噛み合っている。
「そういやお前の兄貴は何処行ったんだ」
「気配は遠のいていない。直に戻られるだろう」
 その会話を聞いて霧子は思わず頬を綻ばせてしまう。
 だってこの光景は数刻前では考えられないものだったから。
 此処にはいない黒死牟が…セイバーが。
 直に戻ってきてくれる。
 その見解を自分自身も含めて誰も疑っていないこの光景があまりにも優しくて、だから霧子は思わず笑ってしまった。
“縁壱さんにも……セイバーさんのこと、聞いてみたいけど………。
 勝手に聞いたりしたら、セイバーさんに怒られちゃうよね…………がまん、がまん…………”
 私はお前が嫌いだ。
 はっきり言われてしまった。
 だけどそれは黒死牟が霧子に伝えた初めての"心"で。
 目が覚めた今でもそのことが嬉しかった。
 通じ合えたことが誇らしかった。
 これからも頑張ろう。
 自分に出来ることは少ないかもしれないけど。
 それでも、精一杯…少しでも好きになってもらえるように。
“私が、マスターで……よかったって、少しでも思ってもらえるように………”
 霧子はそう決めた。
 ただの少女にしては眩しすぎる心。
 それはまさにお日さまのようで。
 幽けく霞む霧の向こうにも温もりを届けられるぬくもりそのものだった。
 幽谷霧子が何故愛されるのか。
 何を以ってアイドルとして輝けるのか。
 その答えがどんな美辞麗句よりも如実に彼女の中にある。


330 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:10:16 MGoReESo0


「あ…」
 そんな霧子は会話に花を咲かせながらふと思い立った。
 自分はどれくらい寝ていたのだろう。
 もしかしたらその間に、また摩美々や他のみんなから連絡が来ているかもしれない。
 だとしたら一刻も早く返信をしないときっと心配させてしまう。
 慌てて霧子はスマホの電源ボタンを押しスリープモードを解除した。
 すると案の定通知が幾つか届いている。
 それをタップするとアプリが起動して――
「…え?」
 "プロデューサー"からのメッセージが表示された。
 一番最近のメッセージだ。 
 霧子が眠っている間…時間にして今から半刻程前に届いたものだ。
 その文面にはこう記されていた。

『仲間思いの誰かさん。貴女の尽力のお陰で死人が増えました』
『無駄な努力をご苦労様でした』

 言わずもがな、それは。
 彼女の"プロデューサー"が書くような文体でも内容でもなかった。
 ひゅっ、という音を霧子は聞いた。
 それは他の何処からでもない。
 幽谷霧子というアイドル…否。
 幽谷霧子という人間の喉から出た音だった。

    ◆ ◆ ◆


331 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:11:01 MGoReESo0

 私は何をしているのだ。
 これが正しい道だというのか。
 正気の沙汰ではない。
 刃が錆び付いただけならばまだしも。
 私は、気まで触れてしまったというのか…。
 自問を繰り返しながら黒死牟は元来た道を戻っていた。
 この道を戻れば奴らがいる。
 人間でありながら上弦の壱を相手に単騎で奮戦した常識外れの男。
 悪鬼たる己に付き纏う不快な娘。
 そして憎らしくも忌まわしい弟。
 戻っても何ら得はないだろう場所へ、この身この足は帰ろうとしている。
“……下らぬ……”
 黒死牟はそう吐き捨てた。
“私の何が変わるでもない……あのお方が死せども……この身が悪鬼羅刹であることに、変わりはないのだ………”
 この戦いの弥終に己は縁壱と相対する。
 どうやってそれまでにあの天禀を上回る。
 現実的ではない。
 だがやらねばならぬ。
 此処で機を逸せばその後悔は傷となり未来永劫に残るだろうと確信があった。
 そしてその傷は焦熱地獄の炎よりも、阿鼻地獄の激痛よりも余程苦しく厳しいものになるだろうと。
“それまでは……”
 それまではこの身。
 そしてこの剣は奴と同じ方を向く。
 本当にそれでいいのか。
 その体たらくは本当に正しいのか?
 腑抜けの逃げと何が違うのだ。
 真に本懐を遂げたくば今すぐにでも――煩い、喧しいぞ黙れ喚くな。
 理屈如きが私の道に割り入るなど言語道断だと黒死牟はその正論を切り捨てる。
 これまでの数百年糞の役にも立たなかったそれらが今更何の役割を果たせるというのか。
 

 葛藤と動揺。
 このわずかな時間で払拭出来る筈もない心の揺れ動きを未だ抱えたままで。
 黒死牟は己のマスター達が待つ場所へと戻ってきた。
 そこにあった光景に黒死牟は足を止めた。
 当初はこれからの指針について問い質すつもりであったというのに。
 それも忘れて固まっていた。
 銀毛の少女が息を乱していた。
 地面に落ちた携帯端末。
 黒死牟の知る時代には存在しなかった未来科学の産物。
 それを前にして彼の要石たる娘は。
 その心と魂を灼き続けた娘は、泣いていた。


332 : 向月譚・弥終 ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:11:22 MGoReESo0

【新宿区・新宿御苑避難所の郊外/二日目・未明】

【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:――――――――――――――――。
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:健康、生き恥
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:呪いは解けず。されと月の翳りは今はない。
1:???
2:私は、お前達が嫌いだ……。
3:どんな形であれこの聖杯戦争が終幕する時、縁壱と剣を交わす。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。

【光月おでん@ONE PIECE】
[状態]:全身滅多斬り、出血多量(いずれも回復中)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:二刀『天羽々斬』『閻魔』(いずれも布で包んで隠している)
[所持金]:数万円程度(手伝いや日雇いを繰り返してそれなりに稼いでいる)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯―――その全貌、見極めさせてもらう。
0:何が起きてる…?
1:他の主従と接触し、その在り方を確かめたい。戦う意思を持つ相手ならば応じる。
2:界聖杯へと辿り着く術を探す。が――
3:カイドウを討つ。それがおれの現界の意味と確信した。
4:ヤマトの世界は認められない。次に会ったら決着を着ける
5:何なんだあのセイバー(武蔵)! とんでもねェ女だな!!
6:あの変態野郎(クロサワ)は今度会った時にぶちのめしてやる!
7:あさひ坊のことが心配。頃合を見て戻りたい
[備考]
※古手梨花&セイバー(宮本武蔵)の主従から、ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の計画について軽く聞きました。
※「青い龍の目撃情報」からカイドウの存在を直感しました。
※アヴェンジャー(デッドプール)の電話番号を知りました。
※廃屋に神戸あさひに向けた書き置きを残してきました。
※全集中の呼吸を習得してました。

【セイバー(継国縁壱)@鬼滅の刃】
[状態]:疲労(小)、全身各所に切り傷や擦過傷(いずれも小程度)
[装備]:日輪刀
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:為すべきことを為す。
0:今はただ、この月の下で兄と共に。
1:光月おでんに従う。
2:他の主従と対峙し、その在り方を見極める。
3:もしもこの直感が錯覚でないのなら。その時は。
4:凄腕の女剣士(宮本武蔵)とも、いずれ相見えるかもしれない。
5:この戦いの弥終に――兄上、貴方の戦いを受けましょう。
[備考]
※鬼、ひいては鬼舞辻無惨の存在を微弱ながら感じています。
気配を辿るようなことは出来ません。現状、単なる直感です。


333 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 02:11:38 MGoReESo0
投下終了です


334 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/16(土) 03:25:24 AOipJumE0
すみません、霧子の携帯が破壊されていたらしいことを失念していたので>>328以降の内容は破棄します。
>>328までの内容のみを踏まえた形で、状態表の方wiki収録の際に修正させていただきます


335 : ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 07:54:37 2yELXL4s0
前編を投下させて頂きます。


336 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 07:55:41 2yELXL4s0
◆◇◆◇



ぼんやりと光を放つ液晶画面。
手のひらで震える振動。
暫しの間を置いて、それは虚しく途切れる。
そんな工程を二、三度繰り返して。
“犯罪卿”――アサシンは目を細めつつ、スマートフォンを握る手を下ろした。

夜の闇と、静寂を背負い。
金色の髪を、月明かりに輝かせ。
憂いを帯びた眼差しで、犯罪卿は息を吐く。
うだるような真夏の影の下。
端正に整った表情の裏側で、込み上げてくる焦燥を抑え込みながら、彼は思考を重ねる。

“協力者”の一人――中野区の警察署に所属するNPCの警察官“大門”と連絡が付かなくなった。
白瀬咲耶の失踪などを始めとする事件の捜査状況や事務所近辺の不審な情報などを横流しし、犯罪卿の情報網の一翼を担っていた。

中野区の警察署で、社長の天井務を始めとする事務所の面々が事情聴取を受けていた。
日中の“事務所が荒らされた一件”についての捜査だった。
新宿での大災害の勃発で近隣の警察は対応に追われ、聴取に関しても大幅に時間が遅れている。
だから事務所の面々も、当分は警察署に留まっている――それが最後の報告だった。

プロデューサーが事実上の人質になった今。
今後、283プロダクションの関係者が更なる危害を加えられる可能性が高い。
その可能性に至ったアサシンは、警察署にいた面々の安否を確かめるべく、大門へと連絡を取ろうとした。
何時頃まで滞在していたのか。既に帰宅はしているのか。まずはそれらを確認したかった。

だが、一切応答はなかった。
大門が電話に出ることはなかった。
定期的な状況報告の時間にも、連絡は来ていなかった。
新宿事変の混乱がまだ続く中で、近隣の警官は対応や処理に追われているはずだ。
大門もまた勤務している可能性が高いにも関わらず、反応は返ってこない。

“七草はづき”から妹のにちかへと連絡が来たという話も、マスターである摩美々からは一切聞いていない。
これだけの事態が起きた上で家族が長らく外出をしているのならば、安否を確認したとしても不思議ではないはずなのに。
事情聴取を受けている事務所の面々――その周辺が、不自然なほど静まり返っている。


―――胸騒ぎが、込み上げてくる。
何か、取り返しの付かないことが起きたような。
そんな直感が、脳髄を刺激する。


気に掛かる事柄はそれだけではない。
先刻、豊島区近郊に配置していた偵察役のNPCから“垂れ込みの連絡”が入っていた。
池袋の方角へと目掛けて移動する、巨大な二つの人影を見た―――“老婆”と“龍のような大男”だったという。
そのNPCは思わずその場から逃げ出したそうだが、それを不手際として咎めることはしない。当然の反応だ。
そんな状況下で目撃情報を伝えたのならば、寧ろ上等だ。

その報告で、アサシンは確信した。
ビッグ・マムは、既に動き出している。
そして、恐らくは“結託”を果たしている――あの峰津院と激突したサーヴァントと。


337 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 07:56:47 2yELXL4s0

彼らは池袋へと向けて直進していたという。
狙いは何なのか。何を標的としているのか。
それは恐らく、“敵連合”だ。

ビッグ・マム達の行動と平行して、“蜘蛛”との連絡も不通になっていることに気付いた。
そして峰津院といった一大勢力を無視して、彼らが潰しに掛かる陣営といえば。
それこそ、敵連合のみに絞られる。
あの一帯に存在する企業群に、もう一人の蜘蛛が潜んでいる可能性は高い。

三大勢力のうちの二組の結託、そして連合への直接攻撃。
想定よりも遥かに早く、連中は動き出した――まるで蜘蛛の同盟に対するカウンターを行うかのように。
早期の結託自体は“可能性の一つ”として考慮していた事ではあったが、余りにも状況が早すぎる。

そして―――懸念は立て続けに起こる。
件のSNSの書き込みだ。
“峰津院が掌握している東京タワーとスカイツリーの地下には、聖杯戦争の勝敗を分ける程の莫大な魔力が眠っている”。
“283プロダクションのアイドル達は脱出派のマスターであり、参加者の棄権が達成された場合聖杯戦争は破綻する”。

DOCTOR.Kというアカウントによって、その情報は流布された。
真偽は定かでなくとも、仮に事実であるのならば問答無用で対処を迫られる事柄だ。
聖杯戦争がワンサイドゲームへと転じる可能性と、聖杯戦争そのものが無効化され残存参加者が処分される危険性。
“様子見で受け流す”という日和見の行為へと向かうには、あまりにもリスクが高すぎる仮説だった。

これらの書き込みを見て、真っ先に動き出す主従とは。
自身の領域を脅かされる危険性が生まれ、尚且つ脱出派の集団を自前の戦力で早急に攻撃できる陣営―――峰津院だ。
“脱出派が魔力プールによって聖杯戦争を掌握する”可能性に彼らが至った場合、283は真っ先に標的とされる。

聖杯戦争の打破を目論む集団が、その荒唐無稽な目的を達成する為に“膨大な霊地の掌握”を目論んだら。
戦局に決定打を与える程の魔力が聖杯戦争の破壊へと向けられた瞬間、その時点で他の陣営は詰む。
仮に脱出派が具体的なプランを持っていなかったとしても、霊地の恩恵を受けたうえでの敵陣営掃討作戦によって聖杯戦争を強引に無力化させる可能性も生まれる。

聖杯を狙う陣営にとって、脱出派の残存は最早大きなリスクでしかない。
そのリスクを早急に解決できる陣営、あるいは解決する必要に迫られる陣営があるとすれば、それは間違いなく峰津院となる。

霊地というアドバンテージを奪取される危険性を抱えつつも、峰津院には数の利を持つ脱出派陣営を力押しで殲滅できるだけの戦力がある。
現状の懸念を強引に排除できる実力を持つ彼らが、ここで動き出さない理由はない。
先の会談で283が峰津院への餌になる可能性をMと共に言及していたが、あの投稿によってそれは現実のものとなった。

グラス・チルドレンは283を標的に定め、峰津院大和も攻撃を仕掛けてくる可能性が極めて高い。
圧倒的な大火力戦闘が解禁され、そして283が脱出派の集団として流布された今、最早グラス・チルドレンへの“脅し”は通用しない。

策は、潰された。
そして、ここから先も。
策が成立しない見込みは、極めて大きい。
どれだけ打算を重ねようと。
どれだけ強かに立ち回ろうと。
彼らには、その全てを叩き潰せるだけの実力があるのだから。
その暴力を縛る秩序も、既に打ち砕かれた。

知略、策謀、暗躍―――それらにおいて、蜘蛛は他の追従を許さない。
されど。ああ、それでも。
盤面の頂きに立つ無双の怪物達が、社会という枷から解き放たれれば。
その瞬間から、蜘蛛の謀略は“ただの糸屑”と紙一重のものに成り果てるのだ。
駆け引きを成立させる為の“暴力”で圧倒的に劣っている以上、ウィリアムの算段は最早破綻と隣合わせの領域にある。


338 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 07:57:24 2yELXL4s0

グラス・チルドレンは、当初こそ逆境に立たされていた。
圧倒的なイニシアチブを握っていたのは犯罪卿だった。
今、その両者の関係は反転している。

本戦開幕当初におけるガムテの誤算は“自分達の置かれた状況を見誤ったまま、戦術以外の目的で283プロダクションへと出向いたこと”だった。
あの時点でガムテや幹部一同は組織全体の練度の低下に対し、正確なアプローチを取れていなかった。
適切な指揮系統が形成されていない中で実力の低い末端の構成員達を戦場に駆り出し、結果として数々の情報漏洩を齎した。
ガムテ達はそんな現状を掴みきれなかった。それ故に犯罪卿の策に嵌められ、283との対峙を余儀なくされた。

あの時点では実態も実害も曖昧だった283プロダクションと、都市伝説同然に認知され一大勢力として東京を蠢いていたグラス・チルドレン。
仮に犯罪卿によって情報が拡散された場合、窮地に立たされていたのは紛れもなく後者の方だった。
もしもその状態が維持されたまま、新宿事変によって大規模戦闘の火蓋が切られていれば。
グラス・チルドレンは一度情報を拡散された瞬間、制約を失った火力と包囲網によって叩かれる危険性もあったのだ。

しかし、“殺戮の王子”はただでは転ばなかった。
四面楚歌の危機を、打破してみせたのだ。

首領であるガムテの手腕と洞察力によって、戦術面での的確な立て直しを図れたこと。
283の最重要人物であるプロデューサーを自陣営の手駒として引き入れたこと。
ビッグ・マムとの即時共闘を果たせるサーヴァント、カイドウがこの舞台に存在していたこと。
対聖杯陣営が脱出を果たした際のリスクを他の陣営が察知し、283を孤立させられる土壌が産まれたこと。
そしてリンボという暗躍者の密告をきっかけに、蜘蛛二人の同盟が即座に筒抜けになったこと。

現状に対する適切な立ち回りと偶然の追い風が奇跡的に重なり、グラス・チルドレンはこれほどの窮地を乗り越えることができた。
自身の首筋に刃物を突き立てていた犯罪卿に対し、彼らの脅しを無効化しつつ優位に立てる程の手札を次々に手に入れたのだ。
そうして犯罪卿を中心とした283陣営は、最早いつ瓦解してもおかしくはない状況へと立たされている。

犯罪卿は―――着実に追い詰められていた。
策を張り巡らせ。彼女達を生かすための算段を重ね。
社会の陰で暗躍し、予選という一ヶ月を乗り越えた。
そして本戦開始後もその頭脳を駆使し、一度は“四皇”を退ける立ち回りを見せた。

だが、状況は変わってしまった。
知略さえも覆す圧倒的な力の解放を、許してしまった。
数々のスタンドプレイヤーが揃っていた、生前のロンドンのようには行かない。
此処に集っているのは、正真正銘の怪物――古今東西の世界で名を馳せた、英傑達なのだから。

そしてこれより先、脱出派は。
この界聖杯で最強の座を担う三主従と、対峙することになる。
グラス・チルドレン。皮下医院。そして、峰津院財閥。
四面楚歌に陥ったのは、283の陣営だった。

同盟を結んだ敵連合は、既に襲撃を受けている。
例え生き延びたとしても、陣営として少なくない手傷を負うことになっているだろう。
つまり、暫くは脱出派の戦力だけで対応しなければならない。
それは、賭けと呼ぶことさえも難しく。
余りにも熾烈であり、余りにも困難な勝負だった。


――最悪の場合。
――自身の“犯罪計画”を以て逃走経路を確保し、283のマスター達を離散させる。


即ち、対聖杯陣営の一時的な解体だ。
以後は雲隠れに徹するか、あるいは頃合いを見て再び合流を果たすか――確実な見通しは立っていない。
兎に角、彼女らが生存する可能性だけは手繰り寄せなければならない。
彼らとの全面抗争へと縺れ込めば、最早彼女達が生き残れる見込みは無くなる。
それだけは絶対に避けなければならない―――。


339 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 07:57:48 2yELXL4s0

永遠のような夜の静寂も。
じきに終わりの時を告げる。

聖杯戦争の激化。加速。
それが齎す結果を、あの新宿事変は否応無しに伝えてきた。
いずれこの東京は、破滅の業火に包まれるだろう。
秩序も平穏も消え去り、力が衝突し合う戦場へと変わる。
あのロンドンの炎のような―――革命の狼煙ではない。
全てを焦土に変え、灰燼に帰させる、死の舞踏だ。

この一ヶ月。
彼女達が生きた日々は。
彼女達が生きてきた証は。
アイドルという、少女達の輝きは。
訪れる破壊の前では、容易く掻き消される。

それ故に。
だからこそ、犯罪卿は―――全力を尽くさねばならない。
自分が、考え抜かなければ。
自分が、戦わなければ。
自分が、背負わなければ。

ああ―――あの時と同じだ。
迸るような感覚が、彼の脳髄を蝕む。

ロンドンを牛耳る“脅迫王”に先手を打たれ。
あの国を変える“光の騎士”が、暗黒へと突き落とされ。
策が限界へと追い込まれ、やがて決断を迫られた――あの胸騒ぎ。


そして、ふいに携帯が振動した。
メッセージの受信を報せるバイブレーションが、静かに鳴り続ける。
アサシンは、片手に握ったスマートフォンの画面を見つめる。


【“子供達”が都内に残存していた彼女達の始末を完了した。】
【次は貴方達が標的になる番だ。じきに準備を整え、襲撃を仕掛ける。】
【奴らは鏡を媒介にして自由自在に空間を移動する。マスターとサーヴァント、その使い魔だけが恩恵を受けられる。】
【襲撃のタイミングは―――】


それは―――密告。
プロデューサーに配送した携帯電話。
その番号から、メッセージは送られてきた。
罠の可能性を一瞬疑ったが、恐らくは違う。
誘導をする上で、“鏡による移動”という空間移動の種明かしまでするメリットなど無い。
それだけではない。襲撃の連絡が送られた時点で“マスターを避難させる為の猶予”が生まれる。

つまり、これは283を嵌めるためのわなではなく。
紛れもなく“情報の横流し”である。

その時、犯罪卿は確信する。
連絡の通じない中野区警察署で、何が起きているのかを。
風野灯織や、八宮めぐるが犠牲になったように。
事情聴取を受けていた彼女達も。

そして、“彼女達の始末”という文言。
気付くべきだった。先手を打つべきだった。
グラス・チルドレンへの脅迫が通用しなくなった可能性に行き着いたのなら、彼女達の安全も確保すべきだった。
つまり、この都内に在住していたアイドル達もまた。



犯罪卿。
お前は、何をしている?



運命で結ばれた“彼”の声は、聞こえない。
自らの背骨を抱える優しい言葉は、見つからない。
目を見開いた犯罪卿は、ただ沈黙し。
その瞳を、静かに濁らせた。



◆◇◆◇


340 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 07:58:35 2yELXL4s0
◆◇◆◇



広々としたリビング。
家族にとっての団欒の場。
明かりは灯されず。
仄暗い夜の闇に包まれ。
沈黙が、その場を支配する。
そこに、温もりはなく。
ただ―――取り返しの付かない、死の匂いが充満していた。

その男“プロデューサー”は、椅子に腰掛けていた。
傍には霊体化したランサーが控えている。
茫然とした面持ちで、虚空を見つめる。
自らの中に渦巻く負の感情と、これからやらねばならないこと。
雁字搦めになるそれらを紐解きながら、その場に留まり続ける。

その瞳は、濁りきり。
表情は、窶れて。
胸の内では、どうしようもない喪失感が訪れる。
哀しみも、痛みも。苦しみも、怒りも。
全てが混ざって、淀んだ色を形作る。

だというのに。
涙だけは、溢れては来なかった。

ああ、そうだ。
俺らしいと、彼は自嘲する。
にちかの心を、皆の心を傷付けて。
そしてまた、此処で彼女達の心を傷つけることになり。
それでもなお、願いのために戦うことを選んだのだから。
そんな自分に、涙を流す資格なんてない。
例えそれが、にちかや皆のための祈りだったとしても。
彼女達の想いを裏切ったのは、間違いないのだから。
そして、今も。
こうして―――まざまざと見せつけられている。


341 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 07:58:57 2yELXL4s0

視線の先。
濁った眼差しの先。
足下。血肉が散乱した床。
あちこちが赤く染まり、腐臭が漂う室内。
家具や倒され、日用品が撒き散らされ。
それらに紛れ込むように、“彼女の両親”の手足が転がっている。
四肢を切り落とされた彼らの顛末は――最早、触れるのも憚られるもので。

そして、視線を上げる。
視線を、ゆっくり―――ゆっくりと。
ああ。頭が、重い。
見たくない。もう、見たくない。
そう思っていても、彼は視線を動かす。
見ろ。お前が何を齎したのかを。
しっかりその目に、焼きつけろ。
心の奥底から湧き上がる言葉に、彼は従う。



その“少女”は。
壁に打ち付けられていた。
まるで十字架に掛けられた救世主のように。



衣服を剥ぎ取られ。
全身を鋭利な刃物で切り刻まれ。
両手の指は、余すことなく切断され。
そして、彼女という個人を示す“顔”は、原型を留めないほどに破壊されている。
目を抉られていた。鼻や舌は削がれていた。
その整っていた顔は、鈍器か何かで骨ごと叩き割られていた。
血に塗れて。ぐちゃぐちゃに刻まれて、潰されて。
痛かったろうに。怖かったろうに。
本当に、本当に、苦しんだろうに。
なのに、俺は――――何もしてやれなかった。


ああ、彼女達は。
283のアイドル――NPCの彼女達は、“子供達”に殺されたのだ。
その現実を、彼は改めて直視した。


傍らには、“チェスの兵士”が立っていた。
それがビッグ・マムの使い魔であることは、すぐに気付いた。
プロデューサーがこの場に来たときから、ずっと留まっており。
まるで彼と同じように、死体を見つめ続けていた。
死を検分するかのように。あるいは、懺悔をしているかのように。

その“使い魔”が自身の“魂”で作られたホーミーズであることに。
プロデューサーが気付くことは無い。
そして、闘気の感覚によってそれを悟っていたランサーは、沈黙を貫いていた。






342 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 07:59:51 2yELXL4s0




神戸あさひが、櫻木真乃との電話をした後。
行動に出ようとしたプロデューサーは、見張りの子供達から言い渡された。
“暫くは待機しているように”。
“指示があれば、あの鏡を使って指定された場所まで赴け”――と。
そうしてプロデューサーは、“緊急連絡用”として簡素な携帯電話を渡された。

プロデューサーは、彼らの指示に従った。
ここで下手に行動して、謀反の可能性を悟られれば。
にちかに会うことも叶わず、願いを掴み取ることも出来なくなる。
悔しいが、あのビッグ・マムは正攻法で倒せる相手ではない。
乱戦へと縺れ込ませない限り、両者の共倒れを狙うことは出来ない。
だからこそ、耐えた。今は時を待った。
それが―――凄惨な結果を招くことになるとは知らずに。


やがて、プロデューサーは指示を受けた。
そうしてミラミラを介して、ある場所へと転移した。
それは―――283プロ所属のアイドルの自宅であり。
“彼女”とその両親の凄惨な亡骸が転がる、殺戮の現場だった。
この時間。慎重になることを選んだ、あの一時。
耐え忍び、機会を待つことを選んだ、あの瞬間。
結果としてプロデューサーは、彼女達の死を見過ごすことになった。


仕方がないことだった。
察知しようがなかった。
そんな言い訳をするのは、容易くとも。
それでも、彼の心には―――喪失と絶望が、重く伸し掛かる。


なぜ彼らは、こんな現場を見せつけてきたのか。
これは、自分への“見せしめ”であり。
そして、都合の良い行動を促すための一石ということだ。

この惨劇を見せられたプロデューサーが“283陣営のサーヴァントの排除”を急がない筈がない。
彼女達がこの盤面に立ち続けている限り、いつ同じような目に遭ってもおかしくはないのだから。
つまり――尻に火を付けてやったのだから、今すぐに283陣営を崩すための尖兵になれ。
そうすれば、お前が大切に想っている偶像達は戦場から降りる。
恐らくは、そういう話なのだ。

自身があの家へと到着したとき。
部屋の中では、グラス・チルドレンが待ち受けていた。
それは、彼女達を惨殺した“殺し屋”であり。
仲間のために戦い、仲間のために怒ることのできる、“子供達”だった。
彼らは自身の到着を確認した後、予め送られていた使い魔を監視役にして退散していた。


――――プロデューサーサン、俺達はね。
――――若くして心を殺された!
――――家庭や学校!そんなものにズタズタにされた!
――――だから俺達は、殺人(コロシ)をやるんだ。
――――俺達のヒーロー、ガムテと一緒なら何だってやれる。
――――幸福(シアワセ)な奴らをブッ殺すんだ!


子供達の一人は去り際に、そう言っていた。


343 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 08:00:24 2yELXL4s0
一瞬の邂逅だった。僅かな対面だった。
それでもプロデューサーは、察してしまう。
アイドル達の亡骸の傍に立っていた“子供達”の表情が、脳裏に焼き付いて離れない。
歓喜。憎悪。憤怒。悲嘆。嫉妬。
あらゆる感情が綯い交ぜになった面が、彼らの全てを物語っていた。
あの歳で、あれだけの凶行に手を染め。
そんな子供達だけで、寄り添い合い。
そして、世間への恨み辛みを吐き出している。

ああ、あの子達は――――復讐をしているのだ。
幸福に生きられなかった自分達を憐れみ。
幸福に生きられた誰かを、恨んでいる。
そして、彼らは人で居ようとする。
同じ子供達で寄り合うことで、人であることを保とうとしている。
そうしなければ、人の形すら保てなくなるから。

彼らは、何なのだろう。
プロの殺し屋。残忍なシリアルキラー。
あるいは、“普通の幸せ”から見放された悲しい被害者。
きっと、どれも彼らの側面なのだろう。

けれど、それらは本質ではない。
彼らは間違いなく哀れな子供達だ。
幸せでいることを許されず、その果てに壊れてしまった犠牲者なのだ。
されど、哀れならば他者に犠牲を強いることを許されるのか。
どうしようもない悲劇を背負っていることは、他者を傷つける免罪符になるのか。


決して、違う。
もしもそうだとすれば―――俺のような人間でさえ、許されるべき存在になってしまうのだから。


彼らは、彼女達を惨殺した。
罪のない少女達を、躊躇なく犠牲にした。
それは、決して揺るがない事実だ。
そして、いずれ彼らは――願いを叶えるために、消えてもらうしかない。

だからこそ。
グラス・チルドレンは、結局のところ。
プロデューサーの“敵”であることに、代わりはないのだ。






344 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 08:01:11 2yELXL4s0




そして、緊急連絡用の着信を伝える。
椅子に呆然と腰掛けていたプロデューサーは、すぐにその電話へと出た。
末端のグラス・チルドレンからの連絡だった。


――――参加者以外の偶像(ブス)共は殲滅した。
――――次は“聖杯戦争のマスター”達だ。
――――世田谷周辺で活動してた構成員が目撃情報を掴んだ。
――――その後も隠密行動に長けてる仲間(ダチ)が調査したが、確定だ。
――――プロデューサー、アンタが行け。
――――海賊(ババア)の使い魔も貸してやるとよ。


ああ、やはり来たんだな。
プロデューサーは、予期していた連絡を前に自嘲する。

正確な住所や位置などの情報は無い。
グラス・チルドレンが拠点としている地点へと転移し、その後自らの脚で強襲を仕掛けろということなのだろう。
杜撰な指示のように見えるが、そうではない。
ランサーは優れた探知能力を持つ―――闘気への嗅覚を転用し、魔力を探ることにも長ける。
敵が何処へ潜んでいるのか、どの程度の戦力がいるのか、大まかな位置に接近さえすれば完璧に把握できるだろう。
故にこの襲撃は、十分に成立する。

このまま行けば、彼女達は戦場に巻き込まれる。
それだけは、避けなければならない。
だからプロデューサーは、隠し持っていたスマートフォンを取り出し。
既に打っていたメッセージを、ある連絡先へと送った。



【“子供達”が都内に残存していた彼女達の始末を完了した。】
【次は貴方達が標的になる番だ。じきに準備を整え、襲撃を仕掛ける。】
【奴らは鏡を媒介にして自由自在に空間を移動する。恐らくマスターとサーヴァント、その使い魔だけが恩恵を受けられる。】
【襲撃のタイミングは―――】



『業務連絡用』。
電話帳に入っていた、一件の連絡先の名前だった。
それは283プロの別の仕事用携帯電話へと繋がる番号とメールアドレスであり。
恐らく、これこそが“犯罪卿へと繋がる連絡先”だ。

彼がこの界聖杯における283プロダクションの盟主であり、日中にプロデューサーへと携帯電話を支給した張本人であるのならば。
283プロにまつわる連絡網も、彼が何かしらの形で管理している可能性が高い。
それこそ仕事用の携帯電話程度ならば、彼が所有していても不思議ではない。

この携帯に連絡先を予め用意していたのは、“プロデューサーが何らかの形で事務所側にコンタクトを取ろうとした時”のために敢えて残していたのかもしれない。
その時点での犯罪卿は「プロデューサーのグラス・チルドレン入り」を予期することなど不可能だったのだから。
そしてプロデューサーが他の陣営に引き込まれたという可能性に彼が行き当たったのならば、不用意に連絡も入れられなかったのだろう。
下手なコンタクトを取れば、敵側へと情報が漏洩する恐れにも繋がるのだから。

襲撃の直前に自ら連絡を入れ、両陣営の乱戦を狙う。
立案した当初から、この策は正気の沙汰ではなかった。
そして今、この策は紛れもなく破れかぶれの博打となった。
自分が実行する襲撃計画のタイミングを、標的に対して直接伝える。
まともではない。どうかしている。
“ガムテ達を巻き込んだ乱戦”という前提すら崩れている。

しかし、最早そうするしかない。
いつガムテ達が殲滅作戦を敢行してもおかしくはない中、彼女達を生かすためには自分が先鋒を担うしかない。
メールによって危機感を煽り、彼女達の避難を促した上で自分が強襲の火蓋を切る。
そうしてランサーやホーミーズらを使って少しでも相手側のサーヴァントを削る。
闘気探知によってランサーは確実に先手を取り、状況を撹乱させることが出来る。
それらの能力と与えられた戦力を駆使して、283組のサーヴァントへの効率的な攻撃を行う――最早“正々堂々と戦う”つもりはない。





345 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 08:05:59 2yELXL4s0



ミラミラの空間へと入り込み、ゆっくりと歩を進めて。
そうしてプロデューサーは、世田谷区の“グラス・チルドレンの隠れ家”へと繋がる鏡へと入り込む。

薄暗い部屋で待ち受けていたのは、無数の使い魔達―――先程の使い魔と同じく、いずれもチェスの兵隊のような姿をしていた。
ああ、これが彼らとの戦うための道具であり。
何か起きたとしてもビッグ・マムがすぐに自身の裏切りを察知できる“見張り役”なのだろうと、プロデューサーは悟った。

283の縁者である自分が、283潰しの尖兵として駆り出される。
言ってしまえば、これさえもガムテやライダー達の思惑通りなのかもしれない。
敵の主力を削り、彼女達を体よく潰す為の足掛かりに過ぎないのかもしれない。
それでも、ここで自分が戦果を上げて、今後の“283組への攻撃”における発言権を得ることが出来れば。
そうすれば、虐殺へと至る可能性を逸らすことが出来る。

そして、283組を攻撃した上での戦果として最も確実な存在がいるとすれば。
彼女達を戦線離脱させるために。
グラス・チルドレンに283への攻撃を緩めさせるために。
必ず落とすべき者が居るとすれば。


――――それは、“犯罪卿”。
――――脱出派の盟主と言うべき、黒幕。
――――彼はここで、倒さなくてはならない。


犯罪卿について、グラス・チルドレンからも話は聞いていた。
彼は“咲耶を陥れた黒幕”を名乗り、ガムテを手玉に取ったのだという。
しかしその実態は、283プロダクションの守護者であり。
自らの顔に泥を塗った彼への復讐のために、今のグラス・チルドレンは283への苛烈な攻勢を強めている。

――予選期間中。
あの一ヶ月間。
自身はマスターでしかなかった。
プロデューサーは、己を振り返る。

願いのために戦っていた。
己の望みのためにランサーとともに駆けていた。
彼女達が参加者である可能性から、目を背けていた。
界聖杯における“プロダクションの現状”について、向き合うことをしなかった。
彼女達を守るべき立場にあるはずの自分が、彼女達の居場所を放置し続けていた。

犯罪卿は―――きっと、283プロダクションの誰かのサーヴァントなのだろう。
あの予選期間中に発表された“事務所の活動縮小”。
それから奇妙なほど自然に軟着陸を始めたプロダクション。
他の主従に尻尾を掴ませることなく、ごくごく平穏に、何事もなく。
283プロは、“店じまい”を始めていた。
社長と事務員の七草はづきしか在籍していない中で、適切な運営を保ち続けていた。

もしも、あの流れが存在していなかったら。
もしも、事務所が穏便に看板を下ろしていなければ。
もしも、それを為せるだけの裏方が居なければ。
彼女達は、どうなっていたのだろう。

恐らくは予選期間の中で、何らかの形で存在を察知され―――事務所そのものが標的となっていたのではないか。
そうして脱出派として結託する間もなく、攻撃を受けていたのではないか。
彼女達は強い。その絆も、間違いなく本物だ。
しかし、この界聖杯で蠢く者達は―――彼女達の善意ではどうしようもないほどに強かで、冷徹で。
故に彼女達が喰いものにされる可能性は、いつでも転がっていた。


346 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 08:06:24 2yELXL4s0

そんな中で、あの犯罪卿がいた。
恐らく事務所の運営を操っていたのは、彼だ。
アイドル達に視線を集めないために。
彼女達が標的にされないために。
その為に彼は、あれだけの立ち回りをしたのだろう。
自ら黒幕の汚名を背負うことでガムテ達と対峙したのも、アイドル達に危害を加えさせないためだったのだ。

ああ、そうだ。
犯罪卿は――――戦い続けていた。
要を失った居場所を守るべく。
彼女達の、守護者となっていたのだ。

だから、プロデューサーは。
決別の想いも込めて。
その一言を、静かに呟く。


「ありがとう」


それは、紛れもない本心だった。
この一ヶ月間、自分が成し得なかったこと。
この聖杯戦争で、自分が果たさなかったこと。


「みんなを、ずっと守ってくれて」


その責務を、“犯罪卿”は引き受けてくれた。
彼女達が、プロダクションが、この世界で生き延びられたのは。
紛れもなく、彼という守護者が居たからだ。

無垢な少女達の居場所を、彼は守り続けてくれた。
彼女達のために、自分は何もしてやれなかった。
身内にマスターがいる可能性から目を逸らし、彼女達と距離を取り続けた。
そんな自分と、彼は違う。

戦う道を選んだ己と、守る道を選んだ犯罪卿。
にちかを救えなかった己と、彼女達を守り抜いている犯罪卿。
きっと、ヒーローと呼べるのは―――彼の方なのだろう。



「令呪を以て命じる、ランサー」



だからこそ、犯罪卿。



「――――『今回の戦い、絶対に勝利を掴め』」



貴方は―――俺とランサーが落とす。
貴方が居る限り、彼女達はこの舞台に立ち続ける。
俺の願いは、貴方を排除しない限りは成し遂げられない。
故にプロデューサーは、命じる。
絶対的な勝利を掴むべく、右手の令呪を迸らせる。
ああ、始まる―――これから、戦いが。
彼女達の命運を左右する戦果が、巻き起こる。


―――これは、俺がやらなくちゃいけないことだから。


プロデューサーは、己にそう言い聞かせる。
もう後戻りは出来ないし、するつもりもない。
今はただ、戦い。犯罪卿を倒し。
そして彼女達を、この舞台から下ろす。
それが彼の、決意だった。



◆◇◆◇


347 : 緋色の糸、風に靡く ◆A3H952TnBk :2022/04/16(土) 08:07:12 2yELXL4s0
前編投下終了です。
後編も近いうちに投下させて頂きます。


348 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/16(土) 18:26:04 mzdmKkTs0
予約にセイバー(宮本武蔵)、追加します


349 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:42:16 HeD0/bBs0
投下します


350 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:42:52 HeD0/bBs0
◆◆◆◆◆◆
.



――悲しい。一番の■■だったのに……



――もういいから
――もう嘘ばっかり吐かなくていいから



――貴方何も感じないんでしょ?



.

◆◆◆◆◆◆


351 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:43:32 HeD0/bBs0
中央区。
『松坂』の表札。
広大な屋敷に満ちる、生気の欠けた冷気。
主がいなくなっても残留する、血肉と腐臭の澱み。
生臭い空気に反し、そこは豪邸と呼ぶに差し支えない佇まいを残していた。
だが、二人のサーヴァントが見回るのに費やした時間は最低限の、手短なものだった。
GVは上階から取って返し、童磨は地下から引き返し、痛々しい弾痕や亀裂が晒された玄関前でさてと合流する。

それぞれの偵察の最中に、松坂さとうに向けて『緊急事態』を告げる念話を送り入れて。
『叔母さんに電話する』というさとうの返答を受けて童磨にとっての『消えた方角』である豊島区を軽く偵察し。
地面がえぐれて広々と更地になった無人の崩壊跡や、延焼を続ける周囲の高層建築を目の当たりにして。
その状況をマスターたちにどう説明したものかと悩みながらも、に再びの中央区に足を踏み入れ。
その途上で寄り道として侵入したのは、まさに『叔母さん』と遣り取りしたその邸宅だった。
無防備なマスターの少女ふたりを待たせているサーヴァント二人が立ち寄るには、決して賢明と言えない不潔な無人宅だ。
それでも敢えて再訪したのには二つの理由があった。

「そっちの収獲はどうだ?」
「不思議だねぇ。ここに来てからの暮らしぶりが窺えるものは色々あったのに。
こんなものを見た事があると懐かしくなったのは確かだが、真名が思い出せないのは埋まらなかったよ。
とりあえず紙幣だけはあって困るものじゃないから、車賃の足しに拝借して行こうじゃないか」

交通がこんな風になってしまった以上、いつまでも民間の車なんぞが当てになるかも分からないけどねぇと嘯きつつ。
どこかの隠し財産金庫から、がめてきたらしい札束を懐にしまいこむ。
主君だった者の屋敷から遺産荒らしをすることに対する呵責などは全く見せない。
GVもまた、状況が状況であること、彼らの主従関係が冷え切っていたことは数時間前の光景で察していたので何も言わなかった。
――その数時間前の光景にも、靄で覆われ始めているのが現状ではあったが。

「生前から知っていたはずの俺でさえ、虫食いがあるんだ。雷霆君にとってはもっと頭の溝が大きいんじゃないかな」
「ああ、この屋敷を訪れたことも、通された書斎までの間取りもはっきりと覚えている。
案内をしていた松坂さとうの叔母さんに限って言えば、霊体化の目視だったけど様相も人格も思い出せる。
だけど、書斎でマスター達が対面したサーヴァントの顔と名前が思い出せない。
部屋に入ってみても、内装や家具の位置取りはきちんと既視感があったのに、そこに座っていた者の記憶だけはっきりしないのはおかしい」

一つ目の理由は、豊島区の惨禍を目撃した直後ほどから、双方にもたらされた違和感が健忘や錯覚ではないことを確かめるため。
記憶の蓋というものは、体験や体感と結びついている。
頭の中を指で掻きまわして記憶の点検ができる童磨ならばいざ知らず。
GVにとって数時間前を思い出すための最も手っ取り早い方法は、同じ場所に立って既視感をともなうことだった。
その上でなお『あの時のあの者はこうだった』という実感がわかないのだから、これはGV達の記憶力による問題ではないと結論を出していい。


352 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:44:34 HeD0/bBs0
「サーヴァントを葬った主従のどちらかが、忘却の副作用を伴う能力を持っていたのかもしれないな」
「しかも、その技は叔母さんの死因とは別物ということになるだろうねぇ。俺たちはどちらも叔母さんのことを同じように思い出せるんだから」

サーヴァントの持つスキルのひとつに、『情報抹消』というものがある。
状況終了後に、相対者から己の記憶を削除するものだと、GVはサーヴァント化に由来する知識として把握している。
だが、当のサーヴァント自身が己を忘れさせるスキルを持っていたというのなら、同盟を組んだところで別行動さえ取りにくくなっていただろう。
また情報抹消は、己の情報を相手に渡さないことで優位を得続けるためのスキルであり、己が倒した者を忘れさせるという力ではない。
つまり、どんな襲撃者のどんな能力であるかも知りようがなく、どうしようも無ければ、どうこうする急務が伴った呪いの類なのかどうかも不透明な現象だった。
であれば、わざわざ記憶の混濁症状について詳しく検討する為だけに汚濁に満ちた屋敷に戻ってくる意味は薄いように思われた。
だが、そこで『二つ目の理由』、そして『二つの理由を重ねた上で見える結論』が意味を持つ。

「それで、雷霆君の『はっきんぐ』とやらは上手くいったのかな?」
「ハッキングだなんて大掛かりなことはしていないよ。書斎にパソコンがあったのを覚えていたから、メールボックスを検めるついでに送信元を当たらせてもらっただけだ」

GVとひとつになった電子の謡精は、電子機器端末の処理内容を思いのままに操ることができる。
たとえば、それがゲームであれば『なぜか敵モンスターから受ける攻撃は全てが『Miss!』となり、自機が攻撃する時はすべてがクリティカルになる』ような接待ゲームさえ可能となるほどに。
GVが第七波動の恩恵により生前から得意としていたハッキング技術に上乗せして、他者の端末を覗き見るにあたって有利な判定が得られることもある。
屋敷の書斎にあったパソコンがあたかも常の習慣のように起動していた以上、SNS、あるいはメールボックスには他者と交流した形跡があるかもしれないと踏んでのことだった。

「松阪邸に同盟の申し出らしきメールを送ってきた奴がいた。ほとんど弱みを洗い出して脅迫するような誘い方だったけどね」
「それは僥倖じゃないか。なら送り主を割りだすことなんか、雷霆君なら朝飯前なんだろうねぇ」
「いや、夕方の転売アカウントの時と似たようなものだったよ。文面を考えたのは神戸しおの仲間の一人だろうけど、送信には第三者が間に噛んでいる、という風だった」
「なるほど、ただでさえあっちもこっちも壊れて無くなった中で、関係者を辿るような悠長なことをやっていれば時間がかかるというわけだね。
つまりさとうちゃんの『愛』が豊島区に関わっているかどうかは、聞き出しようがないってことか」

それが二つ目。
今となっては、『松阪邸と繋がっていたという陣営の手がかりはない』かどうかを確定させること。
松阪邸にいた二者の音信不通は、松阪さとうと飛騨しょうこにとって少なくない意味を持っていた。

それは同盟者の喪失という痛手だけではない。
松阪さとうにとっての肉親が消えたという影響だけでもない。


353 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:45:22 HeD0/bBs0
――しおちゃんの仲間達と■■■くんはつながってる。
――遅れてはいるけど、もうすぐ此処に来ることになってるのよ。しおちゃん達

松阪邸の主従は、神戸しおおよび彼女を擁する陣営と合流した後で死亡した。
つまり、『さとうの叔母とそのサーヴァントが襲撃された場に、神戸しおも共にいた』可能性は高いということになる。
とりもなおさず、記憶は不確かなれど『松坂さとうが即座に童磨からの鞍替えを申し出たほどに強い』ことは裏どりが取れている鬼の盟主が、不覚を取るほどの。
それほどの実力者が襲撃をした鉄火場に、神戸しおが巻き込まれたかもしれない、ということさえも。
その上で、ロストポイントである豊島区を見渡せばあの激戦の跡だ。
むろん、神戸しおたちと別行動するなり決裂するなりで離散した後に襲われた……という可能性にも期待したいところだが、それについては館に向かう前の童磨が『ある理由』によってきっぱりと否定した。
となれば、『同盟者および叔母の喪失』に対して一区切りをつけたさとうが、次に想うことは『大切な人の安否の心配』だろうと予想はできる。
そのまま行方が知れないとなれば、『こんな事なら、会わないことを選んだのは間違いだったのか』という今後の迷いにも繋がるだろう。

GVにとって、松阪さとうに対する警戒は解けないまでも。
飛騨しょうこと松阪さとうの繋がり、そして決着の時までは共にありたがっているという想いは分かる。
一時離別をするまでの道中で充分に伝わった。
だからこそ、『さとうちゃんにずいぶん肩入れしてくれてありがとう』という皮肉なのか本音なのかという発言は受け流し、情報収集の結果を語る。

「結論から言うと、今となっては会わないことを選んだ以上に、会おうとしても会いに行けるものじゃない。
だけど、神戸しおの身に危害が及んだとも限らない」

言い切るねぇ、と童磨はいつもの動揺した風でもない微笑で口元の扇を揺らす。

「それは、あの方が逃げずに戦ったらしき推量のせいかな?」
「ああ、ぼくらの忘却が人為による現象だとはっきりしたことで、信憑性ができた。
叔母さんは忘却に巻き込まれていないんだから、叔母さんを殺した手段とそのサーヴァントを殺した手段は別だ」

これが逆だったなら――叔母のことだけ忘れたなら、『マスターである叔母さんが奇襲を受けたことによって、サーヴァントは消滅した』と考えることもできた。
だが、実際はその逆であった。
ならば童磨の元主君を仕留めたのは、彼自身が他の主従と交戦した結果だということになる。


354 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:46:05 HeD0/bBs0
つまり、豊島区をあのように倒壊させた激震の只中で、主従そろっての抗戦を選択した果ての結末だということ。
そこに加えて童磨からもたらされた主君の人柄についての話がある。
鬼としては極めて珍しい事に――だからこそ違和感も早かったのだが――人間だった時代から散華までの記憶をすべて所持している童磨は、元主君をこのように評したからだ。

「それに、『あんな目立つ戦場で交戦を選ぶなんて、令呪によって無理やり戦わされたとしか思えない』……だったっけ?」
「崩壊跡を見たばかりの俺が言ったことだから、虫食いが増えた今になって思い出しても断言はできないなぁ。
けど、『鬼』としても異例の判断には違いないことだぜ?」

昼間に拠点を壊されただけで詰む立場でありながら、無限城もない東京の只中で力を持った連中の乱戦に飛び込むような真似をしたんだから、と語る。
どうにも彼の元上司は、部下に対する暴虐ぶりからは相反して、こと自ら動くという一点についてはとことん腰の重い慎重居士だったという。
変化を厭い、不変を好むとは、霞んだ記憶にさえ未だ残るほど、たびたび聞かされていたところだった。
他者を死に物狂いで働かせることには容赦しないが、己が死に物狂いで戦うことは本当に最後の手段でなければ踏み切るまい。
住宅区域ひとつを消し飛ばすような無法者と相対してもまず『他者を戦わせる』ことを考えるだろうし、それが不可能であったとしても『マスターを連行しての逃走』を選択する。
常態の判断であればまずやらないような、彼にとっての愚行を働いた上での戦死。
聖杯戦争においてそのような事態を引き起こす原因といえば、『令呪を使われた』ぐらいしか思い当たるところはない。
では、なぜ松坂さとうの叔母は、サーヴァントを失うリスクを冒してでも令呪を使用したのか。
理由があるとすれば、そうまでしても守るものがあったから。
己やサーヴァントの寿命を縮めるほど重要な存在――彼女曰く『かわいい姪っ子』の大切な人、神戸しおを守るためだったのだろうとしか思い当たらない。

「お前でもまず敵わないほど強いことだけは分かっているサーヴァントが、令呪で強化された上で戦ったことになるんだ。
その足止めが上手く働いたなら、神戸しおとその仲間は生きているだろうと思う」

神戸しおの安否は、まだ絶望視されるに足るものではないと。
そう告げれば童磨は「なるほどねぇ、俺は探知探索には不向きだからそういった方向に頭は回らなかったよ」と頷きながら、腐臭を振り払うように扇を仰いだ。
であれば、GVが抱いたもう一つの疑念には今のところ引っ掛からなかったらしいと内心でほっとする。
書斎のパソコンから松坂氏宛として届けられたメールの文面と『社会的身分を盾にとっての脅迫』というやり口を確認した時に、GVはまた別の既視感を覚えた。
送信元をたどることで、トカゲのしっぽ切りのように雇いの者を使って火元を突き止めさせない抜け目のなさを感じ取ったことで、その出どころが分かった。
まだ社会がゴシップや少年犯罪の話題だけで盛り上がるに足るものだった時間帯。
そんな昼間と夜が来るまでの間隙をついた、ひとつの炎上騒動の火元を調べた時の感覚だ。
この両者が同じ人物像として重なることから、導き出されるのは。

(神戸しおの仲間は、『神戸あさひを追い詰めた』者と同一人物なんじゃないか……?)


355 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:46:47 HeD0/bBs0
それはすなわち、豊島区の崩壊現象と関係があるのかないのかは別としても。
神戸しおと神戸あさひが、現在進行形で互いの願いのために、闘争を繰り広げているやもしれないということ。

――ダメだよGV……その人は……■■■■くんは……わたしの大切な……

そこに伴っている感情を推し量ることはできないとはいえ、どちらかが、あるいはどちらもが、『誰かのことを選ばない』という決断で痛ましい血を流しているかもしれないこと。
その可能性を、GVはまだ言わないことを選んだ。
松阪さとうが大切な人の安否で動揺するかもしれない時に、さらに追加で持ち出すには、神戸あさひという少年の存在はデリケートに過ぎる。
その代わりに、納得を持ってからは常と変わらず微笑している眼前の鬼にたいして口を開いた。
マスターである松坂さとうからは何度も相手をするなと言われた上でだったが。
しばらく実務的な会話ばかりが続いたことから注意が緩んだところはある。
訃報を聞いてからずっと、気になっていたことを。

「主人のことは、追悼とか、何も言わないんだな?」
「主人……ああ、さとうちゃんではなく、生前の方のことかな?
あいにくと記憶が定かでない以上、悲しいことなのかどうかも分からないからねぇ」

曲がりなりにも王と仰いだ存在が死んだのにずいぶんと冷淡だと、GVの言葉をそのように解釈したらしい答えを返す。
しかし、GVに去来していた疑問はそこではなかった。

「それだよ。お前は、いなくなったり、忘れたりすることを、悲しいと思っていても、逆に悲しくなかったとしても。
どっちの場合でも言葉の上では『悲しい』って言うのかと思ってた」

出会った当初から童磨の言葉の大半を占めているものは戯言だった。
嘘をつかなくていいところで、茶々を入れるためだけに苛立たれること承知の上で嘘をつく。
こちらが冷淡に反発したところで、痛痒を覚えている風には見えない時でさえも、『君達は酷いなぁ』と嘯く。
心配する思い入れなどないのに『心配したんだぜ』とのたまう一方で、全く敬意を払っていない鬼の王にさえ表面上は恭しく傅いて敬語を使う。
傅かれる鬼の王が記憶からいなくなった後でも、誰の目にもうわべだけだと分かる傅きをとる姿は覚えていた。
であれば、まるで不謹慎さを感じさせずに悲しい悲しいと言ってのけるか、形だけの哀悼の言葉を述べるか、どちらかを予期していたのだが。

「ああ、確かに俺はそうだったのかもしれないねぇ」

さりとて童磨は、そんなGVの予想さえも、いつものように『酷いじゃないか』と煙に巻かなかった。
扇をぱたりと閉じ、少しだけ考え込むように顎の近くにあてがい。


356 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:47:14 HeD0/bBs0
やがて、現在の主を思わせる笑みのつくり方に微笑を変える。



「でも雷霆くん、俺もうそういうのやめたんだよ」



前に嘘をついて、嘘だろうと当てられた時に。
ひどく嫌な思いをしたことがあったからねぇ、と。
GVがつい見入ってしまったのを、童磨はいかように受け取ったのか。

「おやおや? 俺と言う鬼にあんまり情が無いもんで、驚かせたかな?」

予防線でも引くように、そう言い放った。
馳せるような想いは無い。
ただ、隠すのをやめたという変化はあった。

「きっと主君が死んだって忘れたって、俺は何も感じないんだよ。幻滅したかい?」
「お前の性質の悪さは元から知っている。ただ、『感じない』というのに限って言えば、それだけではバケモノの証明にならない」

GV自身が相手にしてきた、異常者たちのことを振り返る。
善意も悪意も目的もない、純粋な戦意のかたまりに当てられて『イカレているのか』という感想が出たことはある。
理解できない愛の形を説かれたとしても、『何一つ理解できない』と答えるしかない。
だが。・
死んだのに、消えたのに、それを何も感じないことが罪かと言われたら。

「たとえば、慕っていなかった者が死んだことに何も思わないのと、慕っていた者をこの手で殺すのと。
どっちの方に『情が無い』のかなんて、僕には分からないから」

あの『育ての親』は、確かにチームシープスという家族の長であり、少年にとっての父であり兄だった。
そのアシモフを、家族だったことを全て覚えているままに憎悪して殺したのは、成長した少年であるところのGV自身だ。


357 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:47:47 HeD0/bBs0
「なるほどねぇ、俺もそっちは体験したことがなかったや」

『そっちは』という言いようから、家族絡みで『そっちではない何か』の体験をしたことはあったのか。
追及しても良い会話にはならないと思ったので、GVは心痛をおしこめて話題を変えた。

「鬼の性質っていうなら、お前は朝が来ても大丈夫なのか?
さっき書斎のメールについてた脅迫文を読んだけど、松坂って男は夜の間しか姿を見かけないように書かれてたぞ。
お前も同族なら、夜しか動けないようなリスクでもあるんじゃないのか?」

この疑念については、あと数時間もせず夜明けが訪れるという急ぎの事情がある。
弱点を掴んだことを秘匿して優位に立つよりも、『夜明けとともに戦力が実質GVだけになってしまう危惧』を潰すことこそ優先すべきだと判断した。
さすがに日中動けないという弱点があったとすれば、童磨としてもそれを知られるのは致命に過ぎる。
いくらコイツでもいささかに棘のある態度を取られてしまうだろうな、とGVは危惧したのだが。

「…………あ、そうだっけ?」

疑問を突きつけられたときに鬼の顔に浮かんでいたのは、『弐』と刻印された数字が幾度も瞬きで見えなくなるほどの、間だった。

「ああいや、うん、そうだったね」

まるで他人事のようなとぼけ方。
己でも答えらえないかのように、煮え切らない返答。
とても、あと数時間でマスター達とも相談が避けられない事態がやってくる者の様子ではない。

「どうした? 自分の体のことじゃないのか?」
「うん、それについては、いささか確かめたいことがあるんだ。次の夜明けが来る頃にははっきりすると思うよ」

まぁどっちにしろ、まずはさとうちゃん達に朗報を届けようじゃないかと童磨ははぐらかして扉を開けた。



◆◆◆◆◆◆


358 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:48:16 HeD0/bBs0

(どうしてだろうねぇ…………ずばり言われたというのに、『太陽は危ない』という自覚が失せていた)

鬼は、鬼であるというだけで陽の光を浴びれば死ぬことを自覚できる。
それは鬼の始祖が変異した時からそうだった当然の現象だ。
これによりどんなに分けられた血の量が少ない頭の足りない鬼だったとしても、目覚めてすぐ日中に活動して死ぬということはない。
その自覚が、危機感が、ぽつねんと頭から抜けていた。

(感覚が狂った……心当たりがあるとすれば、あの方が消えてしまった時に共に何かが変わったんだろうかなぁ)

自覚が失せたからといって、じゃあものは試しに実際の太陽光に当たってみるか、と気まぐれを起こすほど童磨は安易ではない。
どころか、なぜか太陽が怖くなくなったから、夜明けに屋外で身を晒してみよう、などと考える鬼は生存本能を無視している。
常ならば有り得ない違和感を抱いたところで、試行するには恐れの大きすぎる博打だ。
本能としての自覚と、経験に基づいた諦念はまったく別の問題であり、そもそも『やってみよう』と発想することからして困難を伴う。
しかし童磨の場合は、いささかも危険を冒さずに試しようがある。
それを可能とする血鬼術を、持っている。

(夜明けの際になったら、結晶ノ御子を生み出して朝陽に当てればいい。気のせいだったら、氷が水になるまでのことだ)

日光による蒸発は、鬼自身のみならず鬼の息がかかった血鬼術であっても例外ではない。
それは、『氷でできた童磨自身の複製』という使い魔(ゴーレム)でさえも含まれる。
故に、いくら童磨そのものと遜色ない氷人形を生み出せたとしても、日中に活用することは叶わなかった。
だが、耐性の有無が童磨自身とまったく同じであるならば、己のことを確かめるための試金石になり得る。
であれば、やってみて損はないだろうと、あくまで『だめでもともと』『ものは試し』程度の気軽さで、童磨は考えていた。

あくまで、気軽な発想だ。
日光の克服は、鬼の王による千年の悲願。
童磨自身もまた百年余りは人界に身分を持っていた以上、その制約に縛られながら社会的身分を確保してきた。
『教祖は陽に当たることができない』という点を不審に思われ面倒に発展したことは幾度もある。
鬼は陽に当たることができないからこそ、人に混ざれなくなり、異端になったと身を持って理解する。
青い彼岸花(キセキ)を待ち望んだ千年の盟主と、幾人かの例外を除いて誰も克服を願うことさえしてこなかった。



◆◆◆◆◆◆


359 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:48:45 HeD0/bBs0
だが、それはあくまで鬼の肉体を持つものにとっての不可能事であって。
ひとつ違いがあるとすれば、界聖杯にもはや『始まりの鬼』の物語は存在せず。
『人を鬼に変えてしまう鬼』の物語が失われた世界において。
彼らは『鬼』の肉を持つ前に、あくまで霊体(サーヴァント)という器に収まっている。

始まりの鬼が死んだとき、始まりの鬼から誕生したすべての鬼が死滅する。
陽に当たれば死ぬというなら、そもそも始祖の死亡によっても消滅するという軛も、反英霊(サーヴァント)たる鬼たちには適用されていない。
■■■■■が敗退した後も界聖杯内界に上弦の鬼は存在し続けている。
要因として推定されるのは、主君と鬼たちとの間にあった支配の『縛り』が、生身であった時のように強固に繋がっていないこと。
上弦の鬼たちの現界を為さしめているのは、もとをたどればマスターが供給し、界聖杯が形を成させた魔力であり、大正の世においてそうであったような血の縛りではない。

現に、生前であれば問答無用で生死を握っていた始祖の支配は、同じ行政区内まで接近しなければ呼び寄せることさえ敵わないほどに劣化している。
だがそれは、劣化しているだけであり、完全にその血液による隷属の呪いが消失したというわけではない。
少なくとも■■■■■は、上弦の弐と相対した上で強引にでも支配を繋ぎ直すことはできると見立てている。

上弦の鬼たちも、まったく鬼の血による支配力から解き放たれたわけで無いとすれば。
界聖杯内界における『鬼と関わりのあるサーヴァント』は、『上弦たちの霊基それぞれに独立して刻まれた逸話の再現』だけでなく。
『界聖杯に始まりの鬼が存在することに伴った影響力と縁による繋がり』がわずかなりとも混在している。

その証左は、チェンソーの悪魔が『界聖杯の始まりの鬼を消滅させた』後での影響力の一端からも見出せる。
上弦の鬼にせよ、最強の鬼狩りにせよ。
生前の『始まりの鬼』に伴う記憶は、界聖杯での現界にともなって与えられた知識ではない。
生前の記憶として、英霊の座に登録されるより以前の段階で刻まれたはずの記憶である。
そうであるにも拘わらず、かの鬼を知る者たちは、『英霊の座に登録された鬼舞辻無惨』ではなく『召喚されたサーヴァントとしての■■■■■』を消されたにも関わらず。
生前の記憶ごと鬼の記憶が消失していくという事象が起こっている。
チェンソーの悪魔に消去されたことで、界聖杯内界は『鬼のいない世界』にとどまらない『始まりの鬼という伝承がそもそも根付きようのない世界』に変わった。
それが同じ世界にいるサーヴァントの霊基にも響くと仮定しなければ、この現象は起こらない。

これを前提として。
もともと陽に当たれないという欠陥は、鬼舞辻が平安時代の医者から勧められた薬物の副作用によるものだった。
だが霊(サーヴァント)としての『鬼』で同様の現象が起こるのは、肉体に響く薬物の効能ではなく、霊基に刻まれた生前の再現だ。
ここで、霊体(サーヴァント)にとっての鬼の血による変異を『呪い』だと見立てた場合。
『日の光に当たれば死ぬ』という弱点は『縛り』だ。
あることが禁じられる代わりに、別の異能――バケモノとしての身体能力や生命力に再生、血鬼術の行使といった見返りを得る。

であれば、『縛りが無くとも魔力供給によって生きていける』という大前提があったとして。
その縛りを生み出していた呪い(■■■■■)の影響が、より強固な呪いによって削り取られた時に。

太陽はそれでも、彼らを焦がすものだろうか。


360 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:49:03 HeD0/bBs0
【二日目・未明/中央区・豪邸】

【キャスター(童磨)@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:二対の鉄扇
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:もう一度“しのぶちゃん”に会いたい。
0:君の愛が、俺の先を行くものでないのなら。その時は俺が君の先を行くよ、さとうちゃん。
1:さあ、どうしようかな?
2:しょーこちゃんもまた愛の道を行く者なんだねぇ。くく、あはははは。
3:黒死牟殿や猗窩座殿とも会いたいなぁ
[備考]※予選期間中にアーチャー(ガンヴォルト(オルタ))と交戦しています。さとうの目を通して、彼の魔力の気配を察知しました。
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要ですが、さとうは索敵のために渋々受け入れています。


【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:健康、クードス蓄積(現在3騎分)
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:マスター。君が選んだのはそれなんだね。
1:マスターを支え続ける。彼女が、何を選んだとしても。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
3:松坂さとうがマスターに牙を剥いた時はこの手で殺す。……なるべくやりたくない。
4:バーサーカー(鬼舞辻無惨)への強い警戒。
[備考]
※予選期間中にキャスター(童磨)と交戦しています。また予選期間中に童磨を含む2騎との交戦(OP『SWEET HURT』参照)を経験したことでクードスが蓄積されています。
※神戸しおと神戸あさひが、現在交戦関係にあるかもしれないと思っています


361 : 蒼い彼岸花のひとひら ◆Sm7EAPLvFw :2022/04/16(土) 19:49:15 HeD0/bBs0
投下終了です


362 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:30:05 d2bSzN4M0
後編投下します。


363 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:30:17 d2bSzN4M0
◆◇◆◇



ひとり分の隙間。
たったそれだけの、僅かな空間。
すぐ隣にいるのに。
すぐ傍にいるのに。
近くて遠い、距離があって。
ふたりの心は、分かたれている。

櫻木真乃と、星奈ひかる。
ベンチに腰掛ける少女達は、言葉を交わさず。
星空に見下されながら、静まり返っていた。

なけなしの勇気を絞り出して。
ほんの僅かに、手を伸ばそうとしても。
結局、後ろめたさのような躊躇いを感じてしまう。
お互いに、手を繋ごうとしているのに。
ほんの数センチの距離が、届かない。

ひかるは、苛まれていた。
“子供”の命を奪って。
“守るべき人達”を助けられなくて。
結局、真乃さえも支えられていない。
それどころか、真乃を心配させている。

真乃は、苦悩していた。
ひかるに重荷を背負わせて。
心に深い傷を負ってるのに、それを癒せなくて。
心を通わせたあさひやプロデューサーから、決別を告げられて。
思いを、何ひとつ届けられない。

二人の心は、互いを想っていた。
淡く輝く星の光のように。
二人の感情が、胸の奥底で燻っていた。

手を伸ばさなきゃ。
この子の手を、この人の手を、握らなきゃ。
二人はそう思っていた。
それでも、互いの心は縮まらない。

また一歩、踏み出して。
そうして、心を癒せなかったら。
結局、余計に苦しめてしまうかもしれない。
無理に励まそうとして、逆に相手に気を遣わせて。
それだと、結局自分の為にしかならない。

支えてあげたい。
でも、傷つけたくない。
どうすればいいか分からない。
そうやって二人は、沈黙を重ねて。


「―――真乃さん、アーチャーさん」


やがて、彼女達を呼ぶ声が飛び込んでくる。
二人はすぐに顔を上げて、声の主の方へと視線を向けた。
アサシンのサーヴァント―――ウィリアムが、二人を見つめていた。


364 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:30:58 d2bSzN4M0

「私は、マスター達のもとへと戻ります」

ウィリアムは、静かにそう伝える。
赤い瞳の表情を動かさず、黙々と。
彼の言葉に、二人は何も言わずに耳を傾ける。

「世田谷にいる283の脱出派の面々は、既に“子供達”の一味に捕捉されています。
先程来た“密告”が事実ならば、じきに攻撃を受けることになる」

伝えられたその情報に、思わず二人は目を見開く。
直後に真乃は、ひかるの方へと視線を向けた。

ひかるは、膝の上でギュッと拳を握って。
だけど、その手は―――静かに震えていて。
表情には、迷いと葛藤が滲み出ていた。

子供達。グラス・チルドレン。
この舞台で蠢く、幼い殺し屋たち。
白瀬咲耶を殺害した張本人。
そして、星奈ひかるが一度は手に掛けた相手。

ああ、そうだ。
ひかるにとって、苦悩の始まりだった。
彼女の責任と罪の意識を自覚させた、最初の出来事だった。
真乃はそのことを考えて、目を伏せた。

「そして彼らだけではなく、峰津院財閥……この聖杯戦争における一大勢力すら攻撃を仕掛けてくる可能性があります」

283の面々へと迫る窮地が、次々に伝えられる。
峰津院財閥―――その名前は、真乃達ですら知っていた。
この東京で絶大な権力を握っている組織が、聖杯戦争の勢力として存在している。
そして彼らが、283への攻撃を目論んでいる可能性がある。
件の“新宿事変”にも峰津院財閥が関わっていることが確実であると、ウィリアムは二人に伝えた。

「安全を確保できていない中でマスターを一斉に避難させれば、寧ろ彼女達が奇襲されかねない。
だからこそ、一旦合流した上で今後の対処を急がなくてはならない」

これから世田谷へと戻る中で、残留してる面々に避難の指示を出さない理由を語る。

グラス・チルドレンは確実に襲撃を仕掛けてくる。峰津院による攻撃もいつ始まるか分からない。
そんな状況下で考えなしにマスターの避難を急げば、敵にとっては格好の獲物となる可能性が高い。
サーヴァントの面々で護衛を努めたとしても、無力なマスター達をその場で守りながらの戦闘は容易である筈がない。
ならばこそ、今は自身が帰還するまで下手に動くべきではない。
敵を迎え撃つにせよ、撤退を選ぶにせよ、マスター達の安全は出来る限り確保しなければならないのだから。

「そして――283プロダクションの“黒幕”である私が、これから戦場となる世田谷へと到着する。
それだけでも、大きな意味がある」


365 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:31:34 d2bSzN4M0

そう、黒幕であるウィリアムが帰還する。
今まさに攻撃を受けようとしている彼らの元へ、脱出派の盟主であるサーヴァントが現れる。
それを告げたウィリアムの意図を、ひかるは悟ってしまった。


「アサシンさん、それって……もしかして」
「彼らにとって最優先で排除すべきなのは、脱出派の盟主に等しい私です」


そう呟くウィリアムの瞳に宿っていたのは。
生きるための覚悟か。勝つための決意か。
あるいは、限界を悟ったが故の抵抗だったのか。
ひかるには、分からなかった。それでも。



「私が、彼らを迎え撃ちます」



彼が宣言したことの意味だけは、理解してしまった。
アサシンが、敵を迎え撃つ――――違う。
彼が言いたいのは、そういうことじゃない。
相手にとって最優先に排除すべき存在であることを、彼は自覚している。
彼というサーヴァントを排除することは、283という集団の要を崩すことを意味する。
それは間違いなく、敵にとっては“勝利”に等しく。

つまり、ウィリアムは。
――――自分が囮を引き受ける。
――――彼らは、間違いなく此方を狙うのだから。
そう言っているのだ。
ひかるは、それに気付いてしまった。
そんな。それじゃ、アサシンさんは。
そうやって彼を引き留めようとした矢先。


「―――貴方達は、先に逃げて下さい」


紅い瞳が、真っ直ぐに二人を射抜いた。
真乃も、ひかるも。思わず唖然としたように声を漏らす。

「真乃さんも、アーチャーさんも、まだ心の傷は癒えていない。
それにお二人は今から戦線を離脱すれば、少なくとも今回の襲撃からは逃れられる」

ウィリアムは、伝える。
二人の心を案じて、訴えかける。
貴方達は、これ以上傷付かないでほしいと。


366 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:32:13 d2bSzN4M0

「他の皆さんの無事は……私や、彼女達のサーヴァントが引き受けます。
少なくとも、生存の道だけは必ず確保しなければならない」

此処から先は、自分達が引き受ける。
他のサーヴァントと連携して、彼女達を守り抜く。
大丈夫だから。貴方達は、先に逃げてほしい。

それは、ウィリアムにとっての本心だった。
自らの責任に葛藤する少女への、贖罪だった。
自分が果たさねばならなかった“汚れ役”を、彼女にやらせてしまった。
自分がもっと彼女達を支えていれば、苦しまずに済んだ―――。
その想い故に、ひかる達にそう伝えていた。

彼らの標的は自分である。
だから自分が、彼らを迎え撃つ。
その言葉を聞いたひかるは。
ほんの少しの躊躇いを、覚えつつも。
彼に、その疑問を投げかけようとした。


「その……アサシン、さん」


その矢先に。
真乃が先に、口を開いた。


「アサシンさんは……私たちを気遣ってくれてる。
本当に、ありがとうございます。それでも、聞きたいんです」


恐る恐る。
しかし、何かを悟ったように。
彼女は言葉を紡いでいく。
それは、ひかるが抱いたものと同じ疑問であり。


「本当は―――ひとりで、引き受けるつもりなんじゃないですか」


だからこそ。
真乃はその言葉を、彼にぶつけた。
それを問いかけずには、いられなかった。


367 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:32:57 d2bSzN4M0

彼が他のサーヴァントと協力しようとしているのは、きっと間違いない。
だけど、もしもの時は、一人で全部を背負おうとしている。
自分が犠牲になることで、ひとつの終止符を打とうとしている。
真乃は、それを感じ取ってしまった。
ひかるもまた、それを察してしまった。

何か、不思議な感じがする。
なんとなく、胸騒ぎがする。
ざわざわと、ひかるの胸中に不安が込み上げる。

こんなことに、覚えがあった。
何か、思い当たる節があった。
こうして一人で背負おうとして。
自分の体と心を、犠牲にして。
痛みで引き裂かれそうになっても。
それでも誰かのために、奔らなくてはならない。
何だろう、この感じは。
確か――――。


「……ええ、その通りです」


そして、ウィリアムは一言。
そう呟いて、肯定した。
見抜かれてしまったことを、悔やむように。
既に腹は決まっているかのように。
彼は、ふっと口元に笑みを浮かべた。
ひどく、ひどく―――寂しげな微笑みを。



「これは、私がやるべきことですから」



その時。その一言。
アサシンが呟いた、何気ない言葉が。
ひかるの脳髄に、心に、打ち付けられ。
そして―――ふいに記憶が、蘇った。






あの瞬間。
灯織さん、めぐるさんに手を掛けて。
氷の鬼へと変貌した人々を“止める”と決意した、あの時。
拭えない罪で私自身を縛り付けた、あの言葉。


――――“それでも”。


ああ。
それは、酷く単純なことで。
私はどうして、気付けなかったんだろう。
私はどうして、向き合えなかったんだろう。


――――“これはわたしにしか出来ないことだから”。


苦しんでるのは。
背負ってるのは。
責任を抱えているのは。
何かがを守っているのは。
私“ひとり”だけじゃない。


368 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:33:34 d2bSzN4M0

真乃さんが、悩み抜いてたように。
あさひさんが、決別を告げたように。
他の人達だって、思いを抱え込んで。
そうやって、みんな苦悩と戦って。
前へと進んで、未来を見つめていく。


アサシンさんは、ずっと。
そう――――ずっと、ずっと。
私達に代わって、283プロダクションを守ってくれた。


たとえ仮初めだとしても。
この世界で再現されたモノだとしても。
真乃さん達にとっての大切な居場所を、大切な人達を、支え続けてくれた。
誰にも頼れない中で、戦い続けて。
考え抜いて、守り抜いて―――――。
私は、そんな簡単なことに気付かなくて。
それで、この人に重荷を背負わせていた。



―――――“辛えよなぁ。嫌になっちまうよなぁ”。
―――――“大人になれって突き付けられるのは……痛ェよなあ”。



ライダーさんが、あの時。
どうしてああ言ってくれたのか。
今なら、分かる。

痛みを背負って、何かを諦めて。
苦しみを隠して、妥協してしまう。
未来の輝きを、捨ててしまう。
そんなのは、とても悲しくて。
全然、“キラやば”じゃないから。

そして、すぐ側にいるひとを見つめた。
真乃さん。私の大切なマスターで。
私の―――掛け替えのない“家族”。
ずっと、ずっと、心配を掛けてしまった。
傷付いた私を、支えてくれようとして。
なのに、ちゃんと応えられなくて。
そうして、お互いに一歩を踏み出せなくなって。

真乃さんと、視線が交錯した。
ほんの少し、悲しそうで。
あることを、悟ったようで。
それで、何かを決意したような。
そんな表情をしていた。

何となく。何となくの直感だけれど。
今の私も、同じような顔をしていたんだと思う。
真乃さんも、アサシンさんの一言で気づいたんだ。
大切なことを、改めて分かったんだ。
星と星が結びつくみたいに。
私達の心は、繋がっていた。



ああ、そうだ。
私は今―――何をやるべきなのか。







369 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:34:06 d2bSzN4M0




「アサシンさん」


星奈ひかるは、立ち上がった。
影が掛かっていたウィリアムの瞳を、真っ直ぐに見据えていた。

先程までのひかるとは、違う。
何かを悟り、何かを想い。
そして、何かを決意し。
自らの道を、見出したかのような。

そんな眼差しを、ひかるは持っていた。
そこに、弱々しく項垂れてた時の面影はなく。
彼女の姿に、ウィリアムは思わず微かな驚きを見せる。


「―――ごめんなさい」


ひかるは、深々と頭を下げた。
自らの過ちを、非を詫びるように。
大切なことに気付けなかった自分の不甲斐なさを謝った。

「アーチャーさん、貴方は……」
「“アサシンさんなら何とかしてくれる”って、私は思ってました。
あなたは私たちの光になってくれる。あなたなら、暗い未来を変えてくれる―――」

そうしてひかるは、正直に打ち明けた。
あのプロデューサーのビデオメッセージが来たとき。
ひかるは、ウィリアムを頼ることに迷わなかった。
彼なら何とかしてくれる。
星のように道を照らしてくれる。
何も出来なかった、自分とは違う。
そんな思いを胸に、ひかるはウィリアムの元へと駆けつけた。

「―――そう思い込んで、アサシンさんに重荷を背負わせようとしてたって。
やっと、気付いたんです。あなたの輝きばかり信じて、私はちゃんと輝けてなかった」

けれど、それは間違いだった。
ウィリアムへの盲信であることに、ひかるは気づかなかった。
信頼というものを履き違えて、彼に寄りかかろうとしていた。
それを背負うことになるウィリアムが、どんな苦悩を抱えているのか。
自分の葛藤ばかりに目を向けて、そのことに向き合えなかった。


「だから。本当に、ごめんなさい」


だから、ひかるは謝罪した。
あなたを分かろうとしなくて。
あなたの思いに、気付かなくて。
あなたを知ろうとせず、背負わせようとして。
そんな自分に、やっと気付いてしまったから。


370 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:34:59 d2bSzN4M0

呆気に取られたように、目を丸くしていたウィリアム。
顔を上げたひかるは、再び彼を見つめる。
星のような瞳が、彼を捉える。
確かな輝きを放って、彼と向き合う。


「私、一緒に行きます」


そして、ひかるはそう告げる。
迷いなき言葉で、伝える。
――――あなた一人で、戦わせない。
彼女は確かに、それを示した。

「アーチャーさん、ですが……」
「アサシンさん。私、すっごく強いんですよ」

戸惑うウィリアム――彼はまだ、彼女達の傷を案じていた。
それに対し、ひかるはニッと笑みを見せて応える。
大丈夫。私はもう戦えると、伝えるように。

「みんなと手を合わせて――宇宙だって、救ってみせたんですから」

そう。
彼女は何者なのか。
彼女は一体誰なのか。

この街にいる誰もが、彼女を知らなかった。
犯罪卿でさえも、その全貌を掴んではいなかった。
無垢な祈りで、現実と向き合い。
此処の輝きによって、心を繋ぎ止めて。
希望を胸に奇跡を成し遂げてみせた、本物の英雄だ。
たった5人の少女達が、宇宙(そら)の理すら乗り越えてみせたのだ。


「私は、アーチャーのサーヴァント……星奈ひかる!
宇宙(そら)に輝く星、“キュアスター”!」


その名は、プリキュア。
銀河を救ってみせた、伝説の戦士。
そう、星奈ひかるは。



「私も―――みんなを守ります!」



キュアスターは、紛れもなく―――。
この聖杯戦争における、最強のサーヴァントだった。

この空を仰ぐのは、一人だけではない。
世界を超越する力を持つのは、新宿を破壊した“最強の英霊”だけではない。
“蝿の王”が全ての空を支配せんとする力を持つように。
“煌めく星の少女”は、果てなき星の空を救ってみせたのだ。

その輝きを前にし。
困惑と動揺を浮かべていたウィリアムは。
やがて、その瞳の淀みを――少しずつ、晴らしていく。
喪いつつあった色が、取り戻されていく。


「ひかるちゃん」


そして、ひかるを呼びかける声。
真乃もまた立ち上がり、彼女を見つめていた。


371 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:35:43 d2bSzN4M0

「……真乃さん」

ひかるは、同じように真乃を見つめていた。
互いの視線が、ようやく一つに繋がった。
それから、ひかるは―――届かなかった手を、ゆっくりと伸ばし。

「ありがとうございます。私を、ずっと支えてくれて―――」

真乃の手を掴んで、感謝を伝えた。
届けられなかった想いを、届けた。


「―――私の、“お姉さん”でいてくれて」


自らの友人であり、家族でもある真乃に。
精一杯の想いを、確かに伝えた。

「私は……正直、まだ気持ちは晴れてません。
救えなかった人達がいて、許されないこともしました。
心の奥が痛いのは、今でも変わらない……」

それからぽつり、ぽつりとひかるは呟く。
自らがするべきことを気づいたとはいえ。
まだ心の傷が癒えた訳ではないし、そのことを隠したくもない。
これ以上は、誰かに迷惑を掛けたくなかった。

「でもッ!それで足踏みして、後悔を積み重ねたら……いつまでも輝けない!
同じように苦しんでる人達がすぐ側に居るのに、寄り添ってあげられない……それが一番悲しいことだって、分かったんです!」

その上で、彼女は宣言する。
進むべき道を選んだことを。
自らが成すべきを理解したことを。
懺悔するように。
そして、決意するように。


「だから、真乃さん―――」
「――――うん。分かってるよ、ひかるちゃん」


そんなひかるに、真乃は微笑みとともに言葉を返した。

「ひかるちゃんが、アサシンさんに……誰かに寄り添うなら。
私は、ひかるちゃんに寄り添いたい」

罪というものは、拭いがたい傷で。
例えこの世界がなくなっても、それを背負いながら生きていくことになる。
誰かが赦してくれたとしても、その人の心はずっと苛まれるかもしれない。
優しい人達は、そうして苦しんでいく―――ひかるちゃんも、アサシンさんも。
そして、“七草にちか”を支えられなかったプロデューサーも。

だからこそ。
優しい人が、誰かに寄り添うように。
優しい人へと、寄り添いたいと。
真乃は、そう祈った。
星は、一つ一つ輝きを放つように。
星々もまた、繋がりを持って輝くのだから。


372 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:36:14 d2bSzN4M0


――――アイさん。


真乃の脳裏に、あるマスターの姿が浮かぶ。
同業者であり。同盟者であり。
やがて決別へと至った、とあるアイドル。
例え汚れても、傷付いても、私は立ち続ける。
そう宣言してみせた彼女のことを、追憶していた。


――――アサシンさんが、言ってたように。
――――あなたは、“強い人”だったんだと思います。
――――自分で“いま”を考えて、自分の道をちゃんと見つめてた。


だから、これからは。
進む道は、きっと相容れないけれど。
私も―――自分の道を、真っ直ぐに見据えたい。
貴女みたいに、強くありたい。
そうすることで、優しい人達に寄り添いたい。

誰かが、前へと進みたいと願ったときに。
誰かが、自分の世界に色を求めたときに。
ほんの少しだけ手を伸ばして、小さな光を与える存在。
それが彼女にとっての、アイドルだったから。

星野アイが、生き抜いた果てにアイドルで在り続けることを望んだように。
櫻木真乃は、アイドルで在り続けるために生きることを誓った。


――――あさひくん。
――――いつか、あなたと向き合える日も来れば。


その果てに。
あの優しい少年に。
想いを背負って、戦い続けるあの子に。
再び、寄り添うことができれば―――。
真乃は胸の内で、小さな祈りと決意を抱いた。

そしてひかると真乃は、再びウィリアムと向き合う。
その瞳に、迷いはなかった。
双子の星の輝きが、そこに宿っていた。

そんな二人を見つめる、ウィリアムの瞳には。
霞みかけていた、微かな光が宿っていた。
自ら希望を取り戻した彼女達に、驚嘆の思いを抱いていた。

そして、暫しの沈黙の後。
彼もまた、口を開く。


「―――感謝致します。本当に、良かった」


僅かな負い目を感じるように。
それでも安心したように、彼は微笑んだ。



◆◇◆◇


373 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:37:00 d2bSzN4M0
◆◇◆◇




世田谷へと急行していく最中、ウィリアムは摩美々と念話によって情報を共有していた。

真乃達との合流を果たしたこと。
にちか同士の会談が無事に終わり、共に道を見出したこと。
ウィリアムが手を結んだ“協力者”の一味が襲撃を受けたこと。
グラス・チルドレンが皮下医院の勢力と手を結んだ可能性が高いこと。
ライダーが聖杯戦争を打破する上での具体的なプランを述べたこと。
峰津院財閥が283を標的にする可能性が極めて高いこと。
プロデューサーから送られた、あの動画のこと。
そして―――じきに世田谷への“襲撃”が始まり、乱戦になる可能性があること。

今対処すべきことは、これから訪れるであろう敵襲の件だ。
ここで下手に外部へと散らばれば、逆に奇襲攻撃の餌食となる可能性がある。
だから今は拠点で待機するように。
自分達が到着してからマスター達の安全を確保し、急ぎ侵攻へと備える。
ウィリアムは摩美々にそう伝えた。

NPCのアイドル達は、恐らく既に犠牲になっている。
密告のメッセージについて言及し、ウィリアムはその可能性を打ち明けた。
これからこの聖杯戦争を生き抜けば、遅かれ早かれ気付かされることになる事柄だ。
故に隠し通したりなどしない。
どのみち襲撃の根拠となる密告の件に触れる上で、避けては通れないことだった。

そして、とあるメッセージが届いたことを、摩美々が伝えた。
傷心を抱く少女達に、更なる追い打ちをかける言葉だった。


『仲間思いの誰かさん。貴女の尽力のお陰で死人が増えました』
『無駄な努力をご苦労様でした』


それは、NPCである彼女達の死を突きつける宣告。
それは、283にとっての決定的な“敗北”を伝える通告。
それは、彼女達を守護してきた犯罪卿にとって。
その心の奥底を深く抉る、後悔という呪いを叩き付けた。


―――守れなかったのは、自分だ。
―――予測できなかったのは、自分だ。


ウィリアムは、自責の念を抱く。
“子供達”への脅迫が無意味になっていたことを、もっと早く悟るべきだった。
ああ、そうだ。彼女もまた―――“星奈ひかる”も、このような想いを抱いたのだろう。
罪や過ちが身体に伸し掛かり、鎖のように縛り続ける。

それでも彼女達は、寄り添うことを選んでくれた。
その輝きに、ウィリアムは安心を覚えた。
二人の輝きを守りたいと、確かな想いを抱いた。
その姿を見届けられたことで、少なからず苦悩が癒やされたとは言え。
彼女達を戦線へと巻き込む結果になったのは、変わらない。

そして、ひかるの心の傷が簡単には癒えないように。
ウィリアムの心に掛かる影も、容易くは消えず――――。


『……アサシンさん』


そんな矢先に。
摩美々が、ふいに声をかけた。


『こうなったのは自分のせいだ、って思ってませんか』


そして、単刀直入にそう問い掛ける。
ウィリアムは、思わず目を見開き。


374 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:37:40 d2bSzN4M0

『……はい。お恥ずかしいことながら』
『そういうの、やめてくださいね』
『真に……申し訳ありません』

僅かな沈黙の後に、そう打ち明けた。
やっぱり、と摩美々はぼやきつつ釘を差した。

『誰が悪いとか、誰が憎いとか、誰のせいだとか……多分、そういうのじゃない。
こんなのを送ってきた人は、許したくないけど。
でも……やっぱり、何か違うと思います』

それから、一呼吸の間を開けて。
ゆっくりと、言葉を紡ぎ出した。

『前に真乃と話した時に、思ったことがあるんです』

どうしても叶えたい願いがあって、そのために戦う。
そんな人達の思いに向き合う意志は忘れたくない。
真乃は以前、摩美々との電話でそう伝えていた。

『本当に許せないのは……願いのために誰かを殺す道を選んだ人達じゃないし。
もしかしたら、平気で酷いことをする人達ですらないかもしれない』

良い人。悪い人。あるいは、どっちでもない人。
様々な者達が、この聖杯戦争に招かれている。
願いを叶えるために、生きるために、皆戦いへと駆り出されている。

戦わなければ、この世界に消されるのみ。
聖杯が欲しくても、そうでなくとも。
マスターとサーヴァントという主従関係を結ばされた以上、勝ち抜くために奔らなければならない。
それが界聖杯における絶対的な掟だ。
そんなルールを、有無を言わさず押し付けられている。

願いを叶えるためだった。仕方がないことだった。
そんな謳い文句で戦う人達がいるかもしれない。
自分以外の他人なんて、障害物でしかない。
そうやって誰かを蹴落とせる人達だって、いるかもしれない。

だけど、違う。
摩美々は、思う。

例えそういった者達を受け入れられなかったとしても。
本当に憎まなければならないのは、彼らではない。


『“たった一組しか願いは叶えられませんし、生き残れません”。
“他は皆死んじゃうから、争ってください”――――そうやって皆を巻き込んだ界聖杯が、一番許せない』


375 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:38:32 d2bSzN4M0
“こんなこと”を強いているのは、この世界。
“命懸けの戦い”を無理やり始めたのは、この世界。
何でも願いが叶う奇跡の力。元の世界に生きて帰れる権利。
それらを餌にして、奪い合いを正当化しようと押し付けてくる張本人。

悪戯好きで、天邪鬼で、優しくて、誰よりも身内想いで。
そんな少女が、一番許せなかったもの。
それは―――界聖杯だった。

『勝ち取るとか、奪い合うとか、覚悟とか。
一組しか幸せにできないから、蹴落とし合わせるとか。
そうやってアイドル同士のオーディションみたいに、平気で命を競わせる。
聖杯に到れるかどうかで、命の価値を決めつける』

だから摩美々は、改めて憤る。
皆に痛ましい責任や覚悟を背負わせる、この世界に。
身勝手な理屈で可能性を語る、この舞台に。


『そんなの、奇跡の願望器なんかじゃない。
みんなを幸せにして、めでたくハッピーエンドで終わらせて……それが“奇跡”でしょ?』


本当の“奇跡”は、そんなものじゃない。
犠牲のもとに積み上げられる戦利品なんかじゃない。
優しい人達が追い求める“理想”こそが、奇跡だと。
摩美々は、そう信じていた。

『なんていうか……プロデューサーも、咲耶も、そうだったんです。
誰かに怒ったりするよりも、まず自分を追い詰めてた。
自分を許せなくて、苦しみを抱え込んで……』

そんな優しい誰かを支えられたら、どんなに良いか。
摩美々は、それを果たせなかった。
“七草にちか”を挫折させてしまった在りし日のプロデューサーの哀しみに、寄り添うことが出来なかった。
奇跡に縋るまでに追い詰められる―――そうなる前に、彼を支えることが出来なかった。

『“いい人”は、みんな……自分だけで責任を背負おうとするから』

それが、摩美々の哀しみであり。
彼女が背負ってきた、確かな想いだった。
みんな、一人で抱え込んで。一人で悩んで。
そうやって、押し潰されてしまう。

『正直……あのビデオメッセージ、ショックでした』

だからこそ、プロデューサーからの“決別の言葉”に打ちのめされた。

『最初見たときは、“何でこんなことになっちゃったんだろう”って思いました。
しばらく、気持ちも上手く纏まらなかった』

もう君達の元へ戻るつもりはない。
君達のプロデューサーは死んだものと思ってくれて構わない。
『彼等』と共に全ての役割を遂げて、全ての結末を見届ける。
摩美々を見つけてくれたあの人は、淡々とそう告げていた。


『だけど、それ以上に……悲しかったんです。
“ああ、プロデューサーは一人で全部背負う気なんだな”―――って』


―――この道しか、俺は今まで自分が犯した間違いと折り合いがつけられない。
その一言で、摩美々が抱いたのは“悲しみ”だった。


376 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:39:23 d2bSzN4M0

裏切りを告げられた衝撃。
もう戻らないと伝えられた断絶。
だけど、それだけではない。
彼が何を思っているのか。
何故こんなことに至ってしまったのか。
かつてプロデューサーが経た一件を振り返って。
この聖杯戦争での経験や、対話を通じて。
摩美々は、半ば悟っていた。


『マスターは、彼から……何を見出しましたか?』
『夢で見た“生前のアサシンさん”と、同じものです』


ウィリアムの問いに、摩美々はそう断言した。
その一言と共に、互いが思い浮かべた心象風景は―――同じものだった。


『走馬灯みたいで曖昧だったけど……あのときのアサシンさんが何を思ってたのか、やっと分かったんです。
プロデューサーの気持ちが、少しでも分かったから』


そうして、摩美々は言葉を紡ぎ続ける。
プロデューサーが抱える痛みを、静かに噛み締めるように。


『ずっと一人で苦しんでるのに、独りぼっちのまま戦おうとしてる。
痛い、辛い、悲しいって。心が泣いてるのに、無理して全部引き受けようとしてる。
だけど、そういう風にしか生きられなかったから、前に進むしかない……』


摩美々の紡ぐ想いと共に。
“彼”の言葉が、ウィリアムの脳裏をよぎる。
生前にぶつけられた、あの言葉が。


『だから、誰かが手を掴んであげないといけないんです』


―――まだ間に合う。
―――この世で、取り返しのつかないことなんて!
―――ひとつもねえんだよ!


夢を通じて共有した、とある“探偵”の姿。
救われぬ道を進もうとした青年に手を伸ばした、一人の“親友/ヒーロー”の姿。
俺はお前を救いたい。
取り返しのつかないことなんてない。
だから、共に生きよう。
そう叫び続けた“彼”の姿が、“今”と重なった。

ウィリアムは、確信した。
摩美々は、確信していた。
最後に残された、決定的なピースを。
彼が抱えている痛みを、苦悩を。
それ故に背負っている、大きな十字架を。
ああ、同じだった―――ウィリアムは、全てを悟った。
自身を慕う少女達と決別し、たった一人で戦い抜こうとする青年の心を、確かに捉えた。
そして、そんな生き方を選ぶことの哀しみに、改めて向き合った。


―――“それに対して、俺が返す言葉はいつだって一つだけさ。”
―――“お前の企てに俺達が協力すれば、全ては丸く収まるのだろうか。”


そうだ。
善とは、正しさとは。
孤独に背負う犠牲の心ではない。
心を繋ぎ止める、光り輝く道なのだ。


377 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:40:20 d2bSzN4M0

進むべき道を見つけたのはウィリアムだけではない。
罪を背負おうとする彼の手を掴む。
きっと、それが出来るのは。
“七草にちか”だけなのだろうと。
あの会談を経て、摩美々は既に理解していた。

そのことに一抹の寂しさを感じても、摩美々はもう受け入れている。
にちかにしか出来ないことがあるように。
自分には、自分の出来ることがある。
悲しんでる場合じゃない。苦しんでる場合でもない。
今やるべきことは、一歩前へと進み続けることなのだから。

プロデューサー。咲耶。
そして、ウィリアム。
摩美々にとって、みんな大切な人達で。
そんな人達が、この世界で傷付いていた。


『……だから、アサシンさん』


そう。
だからこそ、摩美々は告げる。


『“あなた一人のせい”だなんて絶対に考えないで』


自らを守ってくれた、“優しい人”へと。
摩美々は、寄り添いたかった。
ウィリアムは―――ただその言葉を、静かに聞き届けていた。

『私は、優しい人達に傷付いてほしくないです。
プロデューサーも、プロダクションの皆も……もう家族みたいなものですし』

そうして噛み締めるように、どこか照れ臭く思うように。
摩美々は言葉を紡ぎ、一呼吸を置いて。


『アサシンさんだって、私の家族ですから』


そして、そう伝えてきた。


378 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:40:53 d2bSzN4M0
その一言に、ウィリアムは目を再び丸くして。
少しばかり驚いたように、沈黙し―――そして。

『……ありがとうございます、摩美々さん』

ふっと微笑んで、礼を伝えた。
ひどく安心したように。
心の霧が晴れたように。
だからこそ、ウィリアムは確信する。


『貴女は、僕の……親愛なる友人です』


“もう一人友達を作りなさい”。
それは一日目の夕方に、摩美々から告げられた命令だった。
あの言葉は、支え会える仲間―――信頼できるサーヴァントとの交流を持ってほしいという祈りであり。
そういう意味では、未だに果たされていない事柄ではあったけれど。
それでも“友達を作ってほしい”という願いそのものは、知らず知らずのうちに果たされていた。


『どういたしまして、リアムさん』


寄り添い、支え合うのは“家族”だけではなく。
きっと“友達”もまた、そういうものなのだろう。
摩美々がいたから彼は自らの心を繋ぎ止められ、彼がいたから摩美々はこの世界に屈さなかった。

“掛け替えのない親友”とまでは行かなくとも。
“運命で結ばれた二人”には及ばなくとも。
摩美々とウィリアムは、間違いなく―――友達だった。



さあ―――往こう。
この世界で抱いた“理想”を胸に。
彼(ヒーロー)が守った未来に焦がれ。
犯罪卿は、夜を駆ける。



◆◇◆◇


379 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:41:42 d2bSzN4M0
◆◇◆◇



「なあ、ランサー」


夜風に吹かれながら、男は問いかける。
窶れた眼差しで、星空を見つめながら。
彼は、虚ろな木偶の兵隊達を率いる。


「俺は、滑稽なのかな」


自嘲するような笑みを浮かべて、男はそう問いかけた。
彼の従者であるサーヴァント―――猗窩座は、目を閉じて。
ゆっくりと、口を開いた。


「ああ」


弱い奴が、嫌いだった。
常に間に合わず。
何も成し得ず。
信じるものを、喪っていく。
そんな者を、憎んでいた。
虫酸が走るほどに、忌まわしい。


「哀れで、惨めで、“役立たず”だ」


そう。弱い奴が、嫌いだ。
眼前の男も、そうだった。
守るべき者たち。
愛する者たち。
その死を、まざまざと見せつけられ。
そして今、あの幼き殺人者達の掌で踊らされている。
彼女達を守るために、彼女達の陣営を崩す。
皮肉で、惨い話だ。


「だからお前は、鬼になろうとする」


脳裏をよぎる、記憶。
遥か昔。霞の掛かった、朧気な情景。
口から血を流し、肌を青白く染めて、ぴくりとも動かず。
そんな愛しき者の“亡骸”を前に、泣き崩れる者がいた。
俺が守る。俺が助ける。
下らぬ戯言を吐き続けて、何一つ成し遂げられなかった。


380 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:42:25 d2bSzN4M0


「お前は、なれもしないのに―――」


脳裏をよぎる、記憶。
ほんの十数分の過去。
守るべき者の“亡骸”の前で、沈黙する男がいた。
淀んだ眼差しで、自らの罪を背負う男がいた。
彼女達を守る。あの娘を幸せにする。
そんな儚き理想を抱いて、修羅の道を歩んでいく。

ああ、お前も―――俺も。

だが、お前は違う。
お前は、人であることしか出来なかった。
何処まで行っても心を棄てられず。
それでも尚、戦うことを選んだ。
最早幾ばくの命も無く。
愛する者達と生きる未来も見えず。
今にも朽ち果てそうな身体を引き摺り。
それでもお前は、戦い続ける。

ひどく惨めで、滑稽で。
何ともまあ、つまらない姿だ。
だが、それ故に思う。



「―――――故に。此の俺が、修羅になろう」



お前が、虚ろな勝利を求めるのは。
慈しき者達を、守るため。
ならば。なればこそ。
己は―――貴様の“鬼”となろう。

俺は、強さを求めていたのか。
俺は、武を極めることを望んでいたのか。
俺は、鬼神になりたかったのか。
違う―――それくらい、識っていた筈だった。
鬼の王の支配から解き放たれた時点で、真理を悟っていたはずだった。

俺は、取り返しが付かなかった。
弱さを憎み、己を憎み。
そうして全てを取り零し、化外へと成り果てた。
百余年もの間、望みも忘れ去り。
暴虐に明け暮れ、この手を業で穢し続けた。

だが、お前は違う―――お前は鬼になれなかった。
罪を背負い、罪に苛まれ、お前は人で在り続けた。
お前は、俺のような悪鬼ではない。
陽の下に立てず、虚ろに彷徨う影法師などではない。

人間であるお前には、未来がある。
故にお前は、光を求めてもいい。
愛する者達と共に歩む道を、選んでもいい。
鬼であることは、俺が引き受ける。



だから。
―――――生きろ。
その為に、俺は戦う。








鬼が駆ける。鬼が翔ぶ。
百鬼夜行の如く。逢魔の如く。
闇夜と共に、化外が跋扈する。

上弦の参、猗窩座。
今宵、正真正銘の修羅が此処に立つ。




◆◇◆◇


381 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:47:22 d2bSzN4M0
◆◇◆◇




“犯罪卿”は絶望の淵に立たされ、それでも慈しき者達の為に奮い立つ。
“星の少女”は苦悩と葛藤の果てに、己が果たすべき使命と向き合う。
“狛犬”は取り零した祈りを今度こそ貫くため、死地へと赴く。
そして、迫り来る“蝿の王”は、ただ全てを蹂躙すべく翔ぶ。


今宵、世田谷の地にて。
誰にも譲れぬ死闘が、幕を開ける。
その果てに―――誰が散り、誰が生きるのか。



【新宿区(世田谷区へと移動中)/二日目・未明】

【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:心痛、覚悟
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)、Mとの会話録音記録、予備の携帯端末複数(災害跡地で入手)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
0:マスターの元へ戻る。そして、彼女達を生かすために動く。
1:いずれはライダー(アッシュ)とも改めて情報交換を行う。
2:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。
3:"割れた子供達"、“皮下医院”、“峰津院財閥”。今は彼らを凌ぐべく立ち回る。
4:いざとなればマスターを信頼できるサーヴァントに預けて、手段を選ばない汚れ仕事に徹する―――だが、願わくばマスターの想いを尊重したい。
5:乱戦を乗り切ることが出来たならば、"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"の安否も確認したい。
[備考]
※ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
※櫻木真乃およびアーチャー(星奈ひかる)から、本選一日目夜までの行動を聞き出しました。

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(小)、精神的疲労(中)、深い悲しみ、強い決意
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:予備の携帯端末
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
0:ひかるちゃんと共に戦う。
1:優しい人達に寄り添いたい。そのために強くありたい。
2:あさひくんとプロデューサーさんとも、いつかは向き合いたい。
3:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
4:ひかるちゃんを助けるためなら、いざとなれば令呪を使う。
[備考]
※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。


382 : 緋色の糸、風に靡く(後編) ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:51:00 d2bSzN4M0
【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:ワンピースを着ている、精神的疲労(中)、悲しみと大きな決意
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:洗濯済の私服、破損した変装セット
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:何があっても、真乃さんを守りたい。
0:真乃さんと共に戦う。
1:何かを背負って戦っている人達の力になりたい。
2:ライダーさんには感謝しているけど、真乃さんを傷つけさせない。
3:罪は背負う。でも、大切なのは罪に向き合うことだけじゃない。



【世田谷区 七草にちか(弓)のアパート/二日目・未明】

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:ただ、プロデューサーに、生きていてほしい。
1:プロデューサーと改めて話がしたい。
2:アサシンさんの方針を支持する。
3:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています



【世田谷区・住宅街/二日目・未明】

【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失
[令呪]:残りニ画
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×10枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。……動かなくてはいけない。
0:283のサーヴァントを襲撃し、戦力を削る。犯罪卿は必ず仕留める。
1:にちか(騎)と話すのは彼女達の安全が確保されてからだ。もしも“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
2:283陣営を攻撃する中でグラス・チルドレン陣営も同様に消耗させ、最終的に両者を排除する。
3:白瀬咲耶が死んだことに悲しむ権利なんて、自分にはない。
4:『彼女』に対しては、躊躇はしない。
5:序盤は敵を作らず、集団形成ができたらベスト。生き残り、勝つ為の行動を取る。
6:神戸あさひは利用出来ると考える。いざとなれば、使う。
7:星野アイたちに関する情報も、早急に外部へ伝えたい。
[備考]
※複数体のホーミーズを率いています。中には『覚醒者』であるグラス・チルドレンのメンバーや予選マスターの魂を使った純度の高い個体も混じっています。
※今回の強襲計画を神戸あさひ達が認知しているのか、またはその場合協力の手筈を打っているのかは次のリレーにおまかせします。

【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:令呪『今回の戦い、絶対に勝利を掴め』
[装備]:なし
[道具]:携帯電話(犯罪卿より譲渡されたもの)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:283のサーヴァントを強襲。
1:プロデューサーに従い、戦い続ける。
[共通備考]
※今回の時間軸は少なくとも106話「Cry Baby」以前を想定しています。


383 : ◆A3H952TnBk :2022/04/17(日) 21:51:13 d2bSzN4M0
投下終了です。


384 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/17(日) 22:39:12 IMHc0G6A0
死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)、星野アイ&ライダー(殺島飛露鬼)、田中一&アサシン(吉良吉影)、仁科鳥子&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)、紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)、峰津院大和、吉良吉廣予約します


385 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/17(日) 22:40:59 IMHc0G6A0
書き忘れ失礼、神戸しお&ライダー(デンジ)も予約に追加します


386 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/18(月) 20:30:25 NC5RW4Vw0
◆A3H952TnBk氏、投下お疲れ様です

ここまで罪の意識で足踏みをしてしまっていたひかると真乃が戦う決意を固め、
それを目にしたウィリアムの瞳に光を取り戻すシーンの心情描写の変異は見事の一言でした。
心境の変化の推移がとても自然で納得しやすく、また心に染み入るような繊細な描写で氏の手腕を感じました。
また、プロデューサーの動画とNPCアイドル達の死を受け止めた上で、それでも真に憤るべきである、
という彼女の結論は脱出派としての成長と前進を感じました。
彼女達に待つ波濤は過酷な物ですが、それでも乗り越える可能性を説得力を以て伝えてくる一作だと感じました。

一点、指摘事項となるのですが、
ガムテが人質本人であるプロデューサーを283陣営との最前線に送るのには違和感を感じました。
使い魔の監視はあるとはいえプロデューサーが猗窩座の力を使って使い魔を排除し283に寝返る可能性や、
プロデューサーにその気がなくとも猗窩座が倒され283陣営に奪還されるリスクを考慮せずに自由に行動させるのは、
プロデューサー本人が前線に出てもできる事は僅かでしょうし、論理的にも、前話までのガムテのリレー的にも違和感を感じます。
氏の本作執筆時での見解が世田谷からプロデューサーを動かすつもりがない物なら、此方の早合点という事で深くお詫びいたします。
もし修正されるときは猗窩座と使い魔の出撃後にガムテらの拠点に戻るなどをしておけば、現在位置の変更程度の小規模な修正で対処可能だと思うのですが、如何でしょうか。


387 : ◆A3H952TnBk :2022/04/18(月) 22:58:15 q3FgrFCA0
指摘ありがとうございます。
実際現場に出てもあんまやることないので、ミラミラで即離脱できる(+もしもの時にガムテ側が即殴りに来れる)世田谷グラチル拠点付近から動かさない想定でした。
世田谷方面は次のリレーでのびのびと暴れて頂きたい以上あまりキャラの立ち回りを細かく縛りたくなかったので、詳しい描写は後続にお任せするつもりで曖昧にしてました。
色々とややこしくてすみません。


388 : ◆A3H952TnBk :2022/04/19(火) 06:42:33 JLsK3qlg0
すみません、一晩寝てよくよく考えればガムテ側の意図については特に説明してなかった気がするので追記させて頂きます。

>使い魔の監視はあるとはいえプロデューサーが猗窩座の力を使って使い魔を排除し283に寝返る可能性
>プロデューサーにその気がなくとも猗窩座が倒され283陣営に奪還されるリスクを考慮せずに自由に行動させる

作中でガムテを登場させてないのでこの辺りは個人的な見解となりますが、
・まず寝返らせないためにNPCアイドルの見せしめで釘を差してて、そうして追い詰められて覚悟を決めたP主従なら確実に敵戦力を削るくらいの仕事をするとガムテは確信してる
・Pを奪還あるいは裏切りやられそうになっても世田谷のグラチル拠点付近に留まらせてる限りはミラミラですぐ殴りに行ける
・万が一Pが裏切っても普通に四皇同盟などの物量で殺しに行ける(脱出派自体が既に孤立してる上にウィリアム兄さんの立ち回りだけに明らかに依存してて底が見えてると思うので)

こんな感じに想定していました。
『あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに』における「プロデューサーは裏切るのは間違いない、その上で利用すれば強力な駒になる」というPを単なる人質ではなく“戦力”として捉えていたガムテの豪胆さがとても好きだったので、今回は基本的にそこを下地にしています。

ただプロデューサーをマンションから出したのは「万が一283組と絡めそうだった時の為に」というリレー的な読みもあったので、その辺りはすみません。
一応これらは個人的な想定という形なので、ガムテ側の実際の意図に関しては基本的には後続のリレーにお任せしたいと思っています。


389 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/19(火) 06:46:08 SwtNbYeE0
そうでしたか、氏の見解を伺う事ができて安心いたしました。
お騒がせして申し訳ありませんでした。


390 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:11:53 HfwZZzTQ0
皆様投下お疲れさまです! 感想はまた後ほど書かせていただくとして、自分も投下させていただきます。


391 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:13:47 HfwZZzTQ0
 鏡面世界は震撼していた。
 ガムテの陣営に与する者のみが踏み入れるこの世界に、異物と呼ぶにも大きすぎる存在が割り込んだ結果だ。
 胃の中のものを片っ端から吐き出して顔を青褪めさせた仲間が居た。
 何か途方もない悪夢でも見たように茫然自失としている同胞が居た。
 その光景を内心苦々しく思いながら、王子(ガムテ)は呼び出しの主である皇帝――"ビッグ・マム"の元へと沙都子共々足を運ぼうとしていた。

(あのババア……何処まで勝手な真似しやがんだ。本気(マジ)ムカつくぜいい加減)

 話し合うなら鏡面世界の外にしろと言った筈だったにも関わらず、何故当然のような顔をして厄介な旧友を連れ込んでいるのか。
 荒事の類はもう外で済ませている? ああそうだろうな、あれで頭が冷えないならとんだ阿呆だ。
 ガムテは自身のサーヴァント、シャーロット・リンリンが昔馴染みの怪物と共に開いた戦場の顛末を知っている。
 義賊ならざる悪の蜘蛛。老いた蜘蛛(オールド・スパイダー)の築いた悪の連合。
 それを相手に一方的に持ち掛けた殲滅戦で、リンリンは結果的に"してやられる"形に終わった。
 小指を落とされる屈辱。相手を追い込みすぎて覚醒させてしまう体たらく。

 "連合"との戦争の第一幕は――間違いなく彼女の敗北であった。
 失策からの撤退。だがガムテはそれを何の冗談かと嘲笑いはしない。
 彼は至極冷静に……先の戦いの一部始終を脳裏で反芻し、そしてこう思った。

 ああ――なんだ。
 ちゃんと赤い血が流れてるんじゃないか。

 そしてガムテは安堵した。
 改めて分かったからだ、この怪物は確かに"殺せる"存在なのだと。
 血が流れるなら殺せる。血が通っているなら殺せる。
 生きているなら、たとえ何の道を極めた化物であろうと殺してみせる。
 それは、殺し屋としてのガムテの覚悟であり。
 殺しの王子様(プリンス・オブ・マーダー)、割れた子供達の王としての矜持でもあった。

(とはいえ殺るのはもっと……まだずっと未来(さき)だ。
 胸糞悪いが今のオレ達にはあのババアの力が要る。泥を舐めてでも、唾かけられて笑ってでも、今は耐えなきゃな。
 最後の最後に臓物(ハラ)の底から嗤うために、アイツには気持ちよく手のひらで踊ってもらわなきゃ)

 ビッグ・マムは殺す。
 今までしてくれた好き放題の報いを受けさせる。
 この世で最も屈辱的で、自分達にとって最も愉快な末路を必ずや与えてみせよう。
 だが"いつか"は"今"じゃない。今は彼女という極上の凶器を、苦汁を舐めながら振るう場面だ。
 そうして勝ち取った勝利が、未来の因果応報(ディナー)に繋がると信じて。
 散っていった仲間達にそう誓って――ガムテは沙都子と並んで歩きながら、彼女の元へと向かっていたが。
 
「……あ?」

 彼はおもむろに、その足を止めることとなった。
 怪訝そうに眉間に皺を寄らせている様子を、隣の沙都子は「どうしたんですの?」と問いかけ見やる。
 そんな彼女の方を見てガムテは――更に二、三秒沈黙した。
 その上で「あ゛ー……」と発声。彼女へ、自分が足を止めた理由を伝える。


392 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:14:27 HfwZZzTQ0

「ライダーが呼んでる」
「は?」
「だから、ライダーが呼んでる。お前一人で来させろだってよ、つーかあの糞坊主(リンボマン)から何も聞いてねーのか?」
「……は……?」

 リンリンからの命令があった。
 念話を通じて言い渡されたそれは、今ガムテが口にした通りの内容。
 彼女は現在、この鏡面世界に招き入れた"客人"との会談を行っている筈だ。
 つまりそこには当然、ともすれば界聖杯内界においてのトップ2とすらなり得る怪物が揃っているということ。
 聡明な彼女のことだ。そこに名指しで呼び付けられることの意味は、きっと理解出来ているに違いなく。
 だからこそガムテは居丈高なその命令に逆らおうとしなかった。
 確信があったからだ。呼び付けられる理由に、この黄金時代(ノスタルジア)は覚えがある筈だという確信が。

「ま……自業自得だ。心当たりはあんだろ?」
「……ッ。貴方、いつから――」
「さ〜な。オレを簡単に騙せると思わねえことだ」

 ひらひらと手を振っておどけて見せる、ガムテ。
 それを尻目に沙都子は唇を噛んだ。
 何を勝手なことをしてくれているのだというリンボへの怒りも、もちろんある。 
 しかしながら事がこの状況に至るまで、"こうなること"を予期せず何の手も打っていなかった自分自身の迂闊さに腹を立ててもいた。
 鬼ヶ島のライダーと、割れた子供達(グラス・チルドレン)を率いるライダーとの間で蝙蝠を演じ続けることのリスク。
 何故こうなる前にそこを解消しようと努力しなかったのかと、そう思わずにはいられない。

(……過ぎたことを悔やんでも仕方ありませんわね。重要なのは、この先でどうするか……)

 思い返しても、そう間違った立ち回りはしていなかった筈だ。
 どちらかに酷く恨まれることをした覚えもない。
 悪い高鳴りを奏でる心臓を宥めるように脳内であげつらいつつ、自分でも驚くほどの素早さで突如訪れたこの窮地に立ち向かう術を算出する。

 だが果たしてその策が――あの怪物共に通用するだろうか。
 百年の魔女を襲名した沙都子でさえもが我を忘れて戦慄するしかなかった、巨大で凶悪な怪物二体。
 理屈ではなく感情と衝動で行動するあれらは、何処に地雷が埋まっているのか分からない酷く厄介な存在だ。
 背中を冷たい汗が伝う。嫌な汗だった。頭の中には自分のサーヴァントのにやけ面が浮かぶ。張り倒してやりたい気分だった。

「終わったらババアがオレを呼ぶだろ。またお互い元気な顔で会えるよう祈ってんぜ」
「……当然ですわ。私をそこらの有象無象と一緒にしないでくださいまし」

 ガムテは沙都子に対して寛大に接している。
 殺し屋である彼が目の前で銃を抜かれて、次はないぞと言い含めるだけで済ませているのは本来ならあり得ない厚遇だ。
 それは彼女がガムテがその威光で照らすべき、心の割れた子供であるから。
 だがそんな彼も、どんな状況であれ無条件で沙都子の味方をするわけではない。


393 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:15:24 HfwZZzTQ0

 北条沙都子は最終的に敵となる存在で。
 いつかはこの刃(て)で刺して殺すことになるだろう相手の一人である。
 だからこそ、此処ではガムテは彼女を味方しない。
 むしろスタンスとしては"お手並み拝見"、そんなところであった。
 それに――ガムテは実際のところ、北条沙都子が下手を打つかもしれないとは然程心配していない。

(ああ、そうだろうよ。オレに言わせりゃお前も大概化物だからな、黄金時代)

 殺し屋としての資質……否。
 極道としての資質であれば、彼女はガムテの同胞達の誰よりも上だろう。
 もう何年か訓練を積んだ上で回数券(クーポン)を服用すれば、その技巧は八極道にすら届くかもしれない。
 お世辞抜きに自分の後継になれる可能性とてあるだろうと、ガムテは大真面目にそう感じていた。
 先ほど彼女の銃撃に対して下した高評価だってれっきとした本音だ。
 少なくとも。十年生きているかどうかという年頃の少女が繰り出せる技巧では、間違いなくなかった。

 彼女のサーヴァントである、この世の悪意という概念を片っ端から集めて煮詰めたような陰陽師の顔を思い出す。
 心底最悪な奴だとすぐに分かったが、成程確かに黄金時代には似合いかもしれないと感じる部分もあった。
 あの悪意を乗りこなせるのは――信用出来ないことを含めて信用出来るのは、恐らく黄金時代を除いて他には居まい。
 少なくともガムテには無理だ。ともすれば、リンリン以上に馬が合わないだろうと容易に想像出来た。
 
(さてと……。ババアの連れてきたクソ客人がどんなもんか、一目見ておきたい気持ちはあったが仕方ねえな。
 黄金時代との三者面談(アッパクメンセツ)終わるまでに――そうだな、あいつンとこにでも顔出しとくか)
 
 かくて魔女となり、猫箱の主となることを願った少女と殺しの王子様(プリンス・オブ・マーダー)は一旦別れる。
 彼と彼女、二人の壊れた子供の道が交わるかどうかはひとえに魔女の頑張り次第。
 彼女の向かう道の先では、二人の皇帝と主の胃痛も知らず不敵に笑う怪人が待っている。


【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/二日目・未明】

【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:健康、胃痛
[令呪]:残り3画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬、地獄への回数券
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
0:本気(マジ)何してるんですのあのお坊様は?????
1:最悪脱出出来るならそれでも構わないが、敵は積極的に排除したい。
2:割れた子供達(グラス・チルドレン)に潜り込み利用する。皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?
5:にっちもさっちも行かなそうなら令呪で逃亡する。背に腹は代えられない。


394 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:16:06 HfwZZzTQ0
◆◆


「やべえことになってんな、東京。日本の安全神話も型なしだろこんなの」

 デッドプールのスマートフォンは、首都を舞台に起こった新たな悲劇について報じる特別番組を流していた。
 アナウンサーが早口で報じているのは現時点でも被害の全貌が明らかになっていない、新宿区で起きた大災害についてではない。
 それとはまた別の、最新の災禍についてだった。
 場所は豊島区。起こった事象は新宿のものに引き続き"原因不明"。
 数キロメートルにも及ぶ規模で、建造物や道路、有機物も無機物も問うことなく――範囲内の全てが"崩壊"したという報せ。
 崩壊。比喩でも何でもなく、そこにあったものの全てが崩れて壊れた。
 そのニュースを耳にしたデッドプールはいつものように軽口を叩いたが、彼のマスターである神戸あさひはただ絶句するしかなかった。

「……何だよ、これ。こんなことが出来るサーヴァントが居るってのか……?」
「今更だろ。新宿のニュースを見た時に楽観視は捨てとくべきだったな、あさひ。
 この聖杯戦争には化物が居んだよ。俺ちゃんみたいな控えめでお淑やかな英霊を引いちまった自分を呪いたくなるような、無法者(チーター)共がな」

 こんな奴らに、どうやって抵抗すればいいのか。
 息を吸って吐くように街を滅ぼす怪物共、化物共。
 新宿の破壊に続く形で起こった豊島の崩壊、これらを引き起こした相手といつか相見えることになると考えただけであさひは頭痛を禁じ得なかった。
 デッドプールを弱いと言いたいわけではない。
 そんなことを思ったことはないし、自分のサーヴァントは彼以外に居ないと、言葉にこそせずともあさひはそう思っている。
 しかしかと言ってそれは、未来を悲観しない理由にはならなかった。
 勝つと誓ったその覚悟に嘘はなく――どんな手段でも使うと決めたその意思に虚飾はない。

 けれど現実問題、この世には出来ることと出来ないことがある。
 こうも容易く一つの都市を壊せる、それだけの力と破綻した倫理観を持った相手と実際に対面した時、どのようにそれを乗り越えるのか。
 その明確なビジョンを、どれだけ頑張ってもあさひの利口な脳は描き出してくれなかった。
 そんな彼の思考をネガティブの螺旋から引き戻してくれたのは、頭の上にぽんと置かれた手のひらの感触だった。

「あさひよ、忘れたか? 俺ちゃんのクラスを」
「……デッドプール。いや――アヴェンジャー」
「そうさ、そういうことだ。アヴェンジャーってのは復讐者。
 誰かに因果応報をデリバリーするこの世で一番物騒なアマゾンドットコムだ。
 大上段から見下してくるいけ好かないヤロー共に吠え面搔いて貰う、そういうカタルシスありきのクラスなのさ。
 銀幕の向こうのお客様にいい気分で帰っていただくためにも、俺らはある意味ヒーロー以上に勝たなきゃいけねえ」

 デッドプールとて「おいおい」とは思った。
 呼ぶ英霊を選ばなすぎだろ、勝負になるかよ普通。そう悪態もつきたい気分だった。
 だがそれは決して諦めの二文字を意味しない。
 そも、デッドプールは決して強いサーヴァントではない。
 丈夫ではある。ちょっとやそっとじゃへこたれないメンタルもある。
 しかしそれだけ。凄いビームの出る剣や当たれば即死の槍、そんな劇的に強烈な宝具は持たぬ卑賤の身。
 そしてそれを百も承知の上で――彼はあさひの"勝利"への道程に寄り添うヒーローをやっているのだ。


395 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:16:48 HfwZZzTQ0

「ジャイアントキリングは俺ちゃんの本領だ。
 今は精々調子こかせとこうぜ。どうせその内見せ場がなくなる連中なんだから」
「……っ。……そう、だな。ごめん、アヴェンジャー」
「謝んなよ。むしろ笑っときな、必死こいて見せ場作ってる連中の滑稽さをよ」

 目指すのは"勝利"だ。
 デッドプールはともかく、あさひはそれ以外の結末を望んでいない。
 だからこそ彼もその道に続く。一人で歩かせるにはこのマスターは、あまりにもか弱すぎたから。
 実際のところ――新宿や豊島で暴れた某かを蹴落とす手段など一つも思い付いていなかったが。
 それでもこの笑ってしまうような窮地の中で、今に見てろと笑えるのは、紛れもなくデッドプールというサーヴァントの無二の長所だった。

 芽生えかけた弱気の芽はデッドプールが摘み取った。摘み取ってくれた。
 彼に感謝をしながら、あさひは視界の端から姿を現した彼とは異なるシルエットに意識を向ける。
 顔をガムテープで彩った/汚した少年。あさひが当面組むと決めた殺し屋集団の長、ガムテであった。
 何の用だ。此処に来て何か大きく動くつもりなのか――そんな考えが視線から滲んでいたのか、ガムテはあさひの言葉を待たずして首を横に振った。

「よ〜、神戸あさひ。そう身構えんなよ、別に剣呑(ブッソー)な話しに来たわけじゃねえから」
「豊島区の一件についてのことじゃないのか?」
「え。察し良いじゃん、正解(ドンピシャ)だぜ。
 ――ああでも、お前が思ってるのとはちょっと違う内容かもな。話せば長くなるんだが」
「……まさか、お前が一枚噛んでたのか? ガムテ」

 噛んでたって意味じゃ間違いじゃねえなァ。
 そう言ってガムテは考えるような素振りを見せた。
 何処から話したものか、頭の中で纏めているような仕草だった。
 
「オレが、って言うよりはオレのサーヴァントが、だな。
 藪をつついて蛇を出すって慣用句(ことわざ)あんだろ? それだよそれ」
「……返り討ちに遭ったってことか」
「お〜まさしくその通り。けどそれ、間違っても此処以外で言うんじゃねえぞ。
 もしウチのライダーの耳に入ろうもんなら、身の安全はちょっと保証出来ねえかんな」

 あさひはまだ、ガムテのサーヴァントであるライダーに直接会ってはいない。
 だがデッドプールの推測では――"そいつ"は頭抜けて凶悪なサーヴァントな可能性が高い、ということだった。
 恐らくそいつは割れた子供達の最終兵器。ただでさえ強力な軍勢である彼らが控えさせている、最強最大のリーサルウェポン。
 聖杯戦争における核爆弾のような存在である筈だと、デッドプールはあさひにそう見解を伝えていた。
 それが幸いして、あさひは事態の実像を限りなく正しいスケールで捉えたままガムテの話を聞くことが出来ていた。

「この界聖杯内界(トーキョー)には、あれこれ鬱陶(ウッゼ)え悪巧みかましてる蜘蛛みてえな連中が二匹居てな。
 涙ぐましく善人ごっこしてるイケメン野郎と、手垢塗れ(テンプレ)悪人のクソジジイだ。
 で、ライダーが喧嘩売ったのはジジイの方。けどライダーは見誤った。だがその失策(ミス)は責められねえ。
 ――多分オレでも予想出来なかった。何しろカチコミ掛けたその瞬間は間違いなく、奴らはただの弱者だったんだから」
「何だよ、つまりこういうことか王子様。"蜘蛛ジジイの愉快な仲間達は、戦いの中で成長してのけた"。
 そんなドラゴンボールみてえなことを、この現実でやってのけたってことかい?」
「ああ、そうだよ」

 デッドプールの発言に、ガムテは首肯する。
 その目も顔も、笑ってなどいない。


396 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:17:58 HfwZZzTQ0
 それは彼という殺し屋がかの"連合"を脅威と認識していることの証左であり。
 彼が豊島でどれほど凄まじい光景を見たかの片鱗が、顕れていた。

「豊島に崩壊をぶちかましたのは狗(サーヴァント)じゃねえ、飼い主(マスター)の方だ」
「……は? おい、待て――そんなこと!」
「あるんだよ、そんなことが。そんな馬鹿げたことをやり遂げた野郎が蜘蛛ジジイの飼い主だ。
 そしてそいつの部下には、お前の言ってた星野アイと……オレの知ってる兄(アン)――野郎(オッサン)も居た」

 それは、にわかには信じ難い話だった。
 あさひはおろかデッドプールにしてもそうなのだから、どれだけおかしな話であるかが分かる。
 サーヴァントではなくマスター。
 英霊を召喚し従えることが役目の存在が、あさひと同じ立場の人物が、一つの区を半壊させるほどの力を保有している事実。
 心底馬鹿げているとしか言いようがなかった。
 その衝撃も冷めやらぬ中投下された次の燃料。それを受けてあさひは、忌々しげに奥歯を軋らせた。

「星野、アイ……っ」

 必ず落とし前を付けさせると誓った存在の名前が出た訳だが、しかしあさひ達が彼女らに因果応報を突き付ける道のりはむしろ遠のいたと言える。
 兎にも角にも後ろ盾(バック)がでかすぎるからだ。
 蜘蛛の智慧に寄ってきた烏合の衆の一人に成ったというならまだしも、サーヴァントの水準で見ても上澄みと看做せるような破壊を振り撒ける輩が統べる組織に属しているというのだ。
 当然、おいそれと手は出せない。憎きアイドルはあさひの怒りを嘲笑うように、更に遠くへと歩いていってしまった。
 あさひはそれを痛恨と感じ表情を濁らせたが。
 しかし――ガムテが真に彼に伝えたい話は、それではない。

「それとな。もう一人、会った奴が居た」

 アイ達とあさひの間には因縁がある。
 だがこれは、あくまでもこの地で出来た因縁であり。
 そして損得勘定の土俵の上で生じた因縁だった。
 あさひはアイの人となりを表面上のわずかなものしか知らないし、アイもまた同じだろう。
 
「あさひ。お前さあ――」

 その言葉の出だしを聞いた時点で、嫌な予感が込み上げた。
 あさひの本能的な部分が、今すぐ耳を塞ぐかこの場から逃げ出すべきだとそう告げていた。
 そんな行動は不合理に尽きることは百も承知の上で、そうしろと叫んでいた。
 けれどあさひは動かない。足をその場に留めたまま、ガムテの言葉の続きを待つ。
 庇護欲をすら唆らせるような彼の姿を――デッドプールはただ見つめていて。
 "聞く"、"受け止める"ことを選んだ神戸あさひに、ガムテは容赦なく残酷な真実を投げつける。

「――妹、居るよな?」


397 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:18:43 HfwZZzTQ0

 あさひも、デッドプールも。
 それで全てを理解する。
 そして悟る。
 自分達はやはり――逃げることも曲がることも、決して許されないのだと。

「……会ったんだな。しおと」

 神戸あさひの願う未来。
 母が居て、そして妹が居る幸せの団欒。
 守れなかった、成し遂げられなかった光景。
 あさひの"妹"。神戸しおの存在は、そこに必要不可欠なものだ。
 その彼女がこの界聖杯内界に存在しているという事態は、本来なら受け止め切れずに頭を抱えて悶えるようなもの。致死の毒。
 しかしあさひは、既にその可能性に思いを馳せ終えていた。
 だからと言って、確たる現実の事実として突き付けられて全く痛みを感じないわけではなかったが――

「ああ、会った。妹、お前そっくりだな」
「……、……」
「けど中身は全然違う。少し話しただけだけどよ――」

 あさひはこの期に及んで。
 ああまで世界に嫌われて、運命に嗤われて、尚も学習しないほど愚鈍ではなかった。
 
「お前と違って、あいつはもう戻れねえ。あいつはもう――オレや黄金時代と同じだ。人でなしに成っちまってる」
「……やっぱり、そうか。此処に居るしおは、そうなってしまってるんだな」

 全てが解決した後の、あの無機質な病室で。
 白くて四角い角砂糖を思わせる部屋で、自分に冷たく微笑んだ彼女の顔を覚えている。
 この世界に妹が居たとして。最愛の彼女が、その時系列から呼び寄せられた存在であったなら。
 もしも、あの時見たような。救いようのないほどに壊れた心で、自分の敵になるのなら。
 その最悪な"もしも"を、あさひは既に想定し終えていた。
 だからどうにか受け止められた、耐えられた。体面は取り繕えた――心の奥底はいざ知らず。

「しおは……何か言ってたか?」
「"心配しないでいいよ"だってさ。お前のことも殺すつもりだとよ」
「……はは。そうか――そうだよな。……そう、なるよな――」

 結局、あさひの予想は的中していた。
 この世界に居る神戸しおは、あさひが知るあの病室のしおで。
 だからこそ自分の存在など一切顧みない。
 家族のことなど想わない。
 彼女はもう――壊れているから。


398 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:19:29 HfwZZzTQ0

「思ったより驚かねえのな。結構衝撃の事実だったと思うんだけど、そうでもなかったか?」
「そんなわけないだろ。どんな姿になっても……家族は家族なんだから」
「……そっか。けどあっちはそう思ってねーぞ。
 あいつの兄貴の位置(ポジ)はもう埋め合わせが済んじまってる。
 連合(やつら)の頭とチェンソー頭の化物だ。お前の入る隙間は、もうねえよ」

 神戸しおは、神戸あさひに執着していない。
 その理由は単純だ。彼女はもう、兄を必要としていないから。
 砂糖菓子の日々の中で得た幸せと真実の愛、それだけを寄る辺にしおは歩んでいる。
 それを邪魔立てする兄など、もはや敵以外の何物でもなく。
 最終的な結論や考え方は違えど、自分の隣を歩いてくれる者達が新たな家族――兄の立場になる。

 神戸しおの今の"兄"はチェンソーのライダーであり、死柄木弔であった。
 神戸あさひの名はそこに挙がらないし、彼らとはどうやったって並べない。
 彼は兄を名乗り続けるには弱すぎた。最後の最後まで――しおの"現在(いま)"を理解出来なかった。
 だからあさひは、しおにとって"不必要なもの"になったのだ。チェンソーの刃音と崩壊の呪詛に比べて、彼の存在は彼女にとって薄すぎる。

 神戸あさひは――弱すぎる。
 あさひからは何も得られない。
 学べることすら、何もない。
 同じ部屋で自堕落に、あれこれ遊んで一緒に過ごしたわけでもない。
 悪とはどういうものなのか、凄絶な破壊の力で教えてくれたわけでもない。

 子供とは時に大人よりも残酷な生き物だ。何しろ彼女達には遠慮がない。
 無邪気故の、未熟故の冷徹。しおの場合のそれは、ガムテ達割れた子供達のものともまた別種。
 狂気ならざる悪意。目指す未来のために、信じる運命のために、それ以外の全てを轢き潰す"愛"の車輪。

「ありがとう、ガムテ」
「不要(いら)ねえよ礼なんて。オレは伝えろって言われたことを喋っただけだ」
「けど。お前が伝えてくれなかったら……"俺達"は最後の瞬間まで、お互いが此処に居ることすら分からなかっただろ」

 あの病室で見たしおは、あさひにとってもう過去の存在だ。
 そしてあさひは今、未来だけを見据えている。
 悲惨な過去を、何をしてもうまくいかなかった過去を、最後に求めたたった一つの救いすら得られなかった人生を。
 その全てに別れを告げて、今度こそ誰にも奪われたり傷つけられたりすることのない家族の幸せをこそ求めていた。
 
「この世界のしおを、俺は乗り越える。
 ……俺は俺の都合で、俺達のために、あいつを殺す」

 改めて言葉にしたその殺意は、存外胸の中にすとんと落ちてくれた。
 神戸兄妹が同じ道を歩くことは、少なくともこの世界では二度とないだろう。
 彼らの道は完全に分かたれた――あさひは未来へ、しおは過去へ。
 それぞれ違った殺意と悪意を隣人にして、同じ胎から生まれ落ちた兄妹は殺し合う。


399 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:20:17 HfwZZzTQ0

 もう軌道を修正することは出来ないけれど。
 とはいえあさひは、殺すと決めた彼女と家族だった事実まで捨て去れるほど冷淡にはなれなかった。
 或いはそここそが、兄と妹の間にある一番の差なのかもしれず。

「だけど、最後にあいつの言葉が聞けて嬉しかったんだ。
 あんな風になっても……しおは俺の妹で、俺はしおの兄だから。
 もうどうしようもなく殺し合うしかなくなる前に、話せてよかった」
「……、……」
「たとえただの伝言だとしても……あいつにしてみれば、ただの気まぐれで伝えたことだったとしても。
 また話せて、嬉しかったよ。だから礼を言わせてくれ、……ガムテ」
「お前さ〜〜〜真実(マジ)で幸薄いだろ。話聞いてるだけでも不幸体質(ハードラックマン)なのが伝わってくるわ!」

 舌を出して言うガムテに、あさひは「なっ……!」と癇に障ったような声をあげる。
 真面目に話しているのに茶化されたと思い、それでムッとしたのだろう。
 しかしそんな彼らの様子を見ていたデッドプールは、ガムテの軽口を違う意味合いで受け取った。

(成程な。確かにネバーランドの王様だ)

 本人は覚悟を決めたつもりでいても――事実として、ちゃんと覚悟を決められていたとしても。
 歳の幼い肉親を、本来守るべき存在である筈のきょうだいを殺す決断に痛みが伴わない筈はないのだ。
 だからガムテは敢えて無神経におどけて、あさひを噴飯させて、その痛みを和らげた。
 覚悟の余熱がその心を焼かないように。あさひの殺意を肯定し、彼の決断を尊重しながらも、彼の心に寄り添った。
 そして彼のそんな考えが理解(わか)ってしまったからこそ――デッドプールはこう思う。

 ああ、そうか。
 コイツは、本当にどうしようもなかったんだな。

 こういう風にしか生きられなかった、誰からも手を差し伸べられることのなかった子供が。
 ぐしゃぐしゃに心を壊して発狂して、血と臓物に塗れながら、不出来な王冠を被って、それでも王たらんと務めている。
 まさに割れた子供だ。技巧でも狂気でも仲間達の先を一人歩んで、何処までも地獄の底へと落ちていく呪われた人生。

 デッドプールの頭の中に浮かんだのは、いつかの施設の光景だった。
 復讐に走ろうとしていた一人の少年。ラッセル・コリンズ。
 その姿がガムテと、昼間葬った子供達と、今になって重なった。
 だけど彼らは同じではない。そこには一つ、決定的な違いがある。
 彼らの前にデッドプールはやって来なかった。
 こんなろくでなしのコメディリリーフすら、彼らの前には現れなかった。
 此処にあるのは、此処に居るのは、すべてその結果だ。
 ヒーロー不在の悲劇譚は、何処までも際限なく落ちていくしかないのだから。


400 : チルドレンレコード ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:20:48 HfwZZzTQ0

 そしてこの世界においても――デッドプールというヒーローの座すべき席は、もう決まっていて。
 やはり彼らの隣に、手を差し伸べてくれるヒーローなどは現れない。
 その無情に零せる言葉は、デッドプールにはなかった。
 それに。

 零したところで、もう、どうにもならない。


【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)/二日目・未明】

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。
1:蜘蛛共を叩き潰す、峰津院の対策も 講じる。
2:283プロ陣営との全面戦争。
3:あのバンダイっ子(犯罪卿)は絶望させて殺す。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
5:黄金時代……流石に死んだかな? いやあいつなら何とかすんだろ。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。

【神戸あさひ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:全身に打撲(小)、覚悟と後悔
[令呪]:残り3画
[装備]:デッドプールの拳銃(懐に隠している)、着替えの衣服(帽子やマスクを着用)
[道具]:リュックサック(保存食などの物資を収納)
[所持金]:数千円程度(日雇いによる臨時収入)
[思考・状況]
基本方針:絶対に勝ち残って、しおを取り戻す。そのために、全部“やり直す”。
0:ガムテと協力する。後戻りはもう出来ない。
1:折れないこと、曲がらないこと。それだけは絶対に貫きたい。
2:さよなら――しお。
3:星野アイと殺島は、いつか必ず潰す。
4:聖杯は、出来る限り諦めたくない。
5:櫻木さん達のことは、次に会ったら絶対に戦う……?
6:プロデューサーさんに、櫻木さんのことをいつか話すべきか……
[備考]
※真乃達から着替え以外にも保存食などの物資を受け取っています。
※廃屋におでん達に向けた書き置きを残しました。内容についてはおまかせします。

【アヴェンジャー(デッドプール)@DEADPOOL(実写版)】
[状態]:『赫刀』による内部ダメージ(小)
[装備]:二本の刀、拳銃、ナイフ
[道具]:予選マスターからパクったスマートフォン、あさひのパーカー&金属バット
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:俺ちゃん、ガキの味方になるぜ。
0:お前がそう望むなら、やってやるよ。
1:あさひと共に聖杯戦争に勝ち残る。
2:星野アイ達には必ず落とし前を付けさせるが、今は機を伺う。
3:真乃達や何処かにいるかもしれない神戸しおを始末するときは自分が引き受ける。だが、今は様子見をしておきたい。
4:黄金時代(北条沙都子)には警戒する。あのガキは厄(ヤバ)い
[備考]
※『赫刀』による内部ダメージが残っていますが、鬼や魔の属性を持たない為に軽微な影響に留まっています。時間経過で治癒するかは不明です。
※櫻木真乃、ガムテと連絡先を交換しました。
※ネットで流されたあさひに関する炎上は、ライダー(殺島飛露鬼)またはその協力者が関与していると考えています。


401 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/19(火) 15:21:07 HfwZZzTQ0
投下を終了します


402 : ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/19(火) 15:29:07 .vkMC4G.0
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
七草にちか(弓)&アーチャー(メロウリンク)
七草にちか(騎)&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
田中摩美々&アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
ランサー(ベルゼバブ)
ランサー(猗窩座)
予約します


403 : ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 18:17:36 vsg4ArNA0
ガムテ
予約します。


404 : ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 19:44:23 vsg4ArNA0
投下します。


405 : 輝村照:イン・ザ・ウッズ ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 19:45:17 vsg4ArNA0
◆◇◆◇



パチン―――と、指を鳴らす。
次の瞬間、“そこ”に映る情景が切り替わる。
遥か遠くの景色が、浮かび上がる。

仄暗い一室。
真夜中の闇の中で、仄かな明かりだけが灯される。
その“子供”は、木製の椅子に寄り掛かり。
眼の前の“鏡”を、無言で見つめていた。

ガムテは懐にポテトチップスを携えて、黙々と口に運んでいく。
右手を油で汚しながら、もぐもぐと咀嚼を続ける。
舞踏鳥がこの場にいたら、「こんな夜中に菓子なんて」とでも釘を刺されていただろう。
聖杯戦争が始まってからは色々と忙しなくなったし、彼女が手料理を振る舞ってくれる機会も減った。

そして思えば、ここニ週間―――いや、既に三週間は超えているか。ガムテはろくに“眠る”ことが出来ていない。
既に脳が“まともではなくなった”彼は、重度の不眠症を患っている。
この苛烈な聖杯戦争においては、特に気を張り続けている時間が長く。
結果としてガムテは、ろくな休息を取ることができていなかった。
それでも彼は、動けてしまう。戦えてしまう―――頭がイカれているから。
心も体も、どうしようもなく壊れているから。

それでも、ふいに想いを馳せてしまう瞬間がある。
―――最後に舞踏鳥に寝かしつけてもらったの、いつだっけな。
そんな風にガムテは物思いに耽り、再び目の前の光景へと意識を向ける。

黄金時代(ノスタルジア)はあの大海賊共との対面を余儀なくされている。
神戸あさひには既に妹の存在などに関して伝えておいた。
ガムテは一先ず手が空いた為、自らが仕向けた事柄の顛末を確認する。

鏡の中に映る“男”の後ろ姿を、見据えた。
疲れ果て、窶れながらも、その男は確かな決意を滲み出す。
283プロダクションの“プロデューサー”が、そこに映っていた。





406 : 輝村照:イン・ザ・ウッズ ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 19:45:45 vsg4ArNA0



プロデューサーはサーヴァントと共に、283プロの脱出派への攻撃のために世田谷へと赴いていた。
『解放者』や『礼奈』からの報告でランサーが脅威的な探知能力を持っていることは既に把握している。
正確な座標が分かっていない283の一味が何処に潜んでいるかも割り当てられるだろう。

何故ガムテは、283プロの一味への即時的な攻撃を指示したのか。
答えは単純。ビッグ・マムが独断で敵連合への殲滅戦を仕掛け、そして敗退したからだ。

蜘蛛の会談。子供達の殲滅を目的とした敵連合と283プロの結託。
その直後に、グラス・チルドレンのサーヴァントが同盟者を率いて拠点への強襲を仕掛けた。
言うなればそれは、“お前たちの情報は我々に筒抜けになっている”と相手に喧伝するような所業。
それで相手側の勢力を崩したならまだ良いが、結果としては敗退。
敵戦力を一組も落とせず、それどころか意図せずして敵に塩を送るような結果を齎し。
結局ビッグ・マムは、圧倒的に有利な状況からの撤退を余儀なくされた。

で、ここから先はどうなる。
あの蜘蛛共が再び、より綿密な連携を取るに決まってる。
我々の情報が漏洩している、子供達は早急に攻撃すべきだ―――と。

ビッグ・マムに手傷を負わる程の“覚醒”を果たした敵連合が、そこから更に283との連携を強化する。
ああ、そうなれば厄介だ。間違いなく。
所詮は小細工や猿知恵と笑い飛ばせる段階ならまだ良い。
だが、二人の蜘蛛の頭脳に“質と数の戦力”が加わると捉えれば――見過ごす訳にはいかない。

ゆえに連合が現状の立て直しを果たす前に、283側の布陣も同時に崩す必要があった。
共にグラス・チルドレンの標的となった以上、283と連合が組み続ける旨味は絶対にある。
だから最低でも、蜘蛛同士の連携を阻害するだけの消耗を迅速に与えなくてはならない。
その上で、ガムテはプロデューサーを使った。

無論、直接の襲撃はランサーや使い魔達が担っている。
プロデューサーがグラス・チルドレンの隠れ家から離れることはない手筈だ。
そして、付近に鏡がある限りプロデューサーは有事の際にも即時の離脱ができる。

仮に逃走や謀反を試みたとしてもミラミラの監視からは逃れられないし、鏡の遠隔視を掻い潜ったとしても見張りの使い魔を通じて不信な動きはすぐに此方へと伝えられる。
既に隠れ家周辺の主要な“鏡の座標”は構成員(ダチ)たちが調査済みだ。
プロデューサーが下手な真似に出た時、あるいは283の連中が奴を奪還しようとした時、即座に回収しに行く準備は出来ている。
ババアにでも呼ばれた時には代理の監視を同盟者に任せればいいし、鏡の映像を見張るだけなら子供達にも出来る。
それに鏡世界に出入りしている限りは、異変を知らされた瞬間に即座の対応を行うことも出来る。

聖杯戦争の主従には魔力パスが存在する以上、物理的な距離が近い方がサーヴァントの出力を十全に発揮できるのだという。
故に彼を世田谷の隠れ家に待機させることで、奴のランサーの全力を引き出すことが出来る。
そして現場に赴かせることで、拠点のマンションにいる神戸あさひと意図的に分断させている。

“動画の送信”や“見せしめ”によって、現状においてプロデューサーが裏切る可能性は低くなっている。
しかしそれでも腹に一物を抱えている彼のリスクが消えた訳ではないし、裏切りの手段としてあさひを当てにする算段も大きい。
有事のどさくさに紛れて、プロデューサーが密約や連携へと踏み切るという懸念は否定できない。
だからこそ“いつでも取り押さえられる監視環境”を作った上で、プロデューサー達を世田谷へと単独で出撃――つまり敢えて孤立させていた。
仮にあさひを噛ませるとしたら、「鏡の中のプロデューサーが不審な動きを見せたらすぐにサーヴァントを差し向けて取り押さえろ」という単純な指示を任せて自身が場を離れる時くらいだろう。


407 : 輝村照:イン・ザ・ウッズ ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 19:46:27 vsg4ArNA0
プロデューサーは283に対する人質だ。
だが同時に“腹に一物を抱えた戦力”でもある。
奴は単なる駆け引きの道具には留まらない。
敵勢力――283と衝突する上で、利用するだけの価値を持っている。
そして彼を戦力として使う場合、件のアイドル達こそが“プロデューサーを動かす為の人質”へと反転する。
そのことを見据えて、ガムテは“特例”として彼を単独で動かした。

連中のサーヴァントは排除するが、その主であるアイドル達の命は保障する。
あの時プロデューサーは、確かにビッグ・マムとそう取引した。
だが、所詮は脆い口約束に過ぎない。
力関係が拮抗していない取引など、結局のところ強者側が気まぐれに弄べてしまう。
つまり何時でも反故にできるし、都合よく捻じ曲げることだって出来るのだ。
そして取引の相手があの大海賊である以上、自身の顔に泥を塗った連中の安全が確保される訳がない。

プロデューサーは決して愚か者ではない。
それに気付けないような間抜けでもない。
そして―――それを念頭に置いて、腹を括れる奴だ。
だからこそ、そこに利用する余地があった。

ビッグ・マムやグラス・チルドレンが約束通りアイドルを守るという保障はない。
それを裏付けるように、敢えて“NPCアイドルの死体”をプロデューサーを見せつけた。
わざわざ殺戮(コロシ)の現場にまで案内して、だ。

既に“裏切りを告白した動画”は283の連中に送り付けたし、それはプロデューサーにも伝えている。
プロデューサーが此方の陣営に付いていることが表明された以上、人質としての価値は下がっている。
奴を陣営に取り込み、動画を撮影した時点で、そういったリスクは承知していた。

しかし同時に、動画の公開は“プロデューサーをグラス・チルドレンへと縛り付ける”ことへと繋がる。
プロデューサーが283を裏切ったという事実で連中が混乱に陥る可能性は高いし、彼を見捨てるか否かで内紛の余地を与えることも出来る。
そして仮にプロデューサーがグラス・チルドレンから離反したとしても、283が彼を無条件で受け入れてくれるという保障は一切無くなる。

つまりプロデューサーにとって、“ガムテを裏切る”という行為のリスクは飛躍的に高まっているのだ。
だからこそ予めそれを見越して、プロデューサーが自発的に此方へと協力するように誘導した。

動画の送信によって裏切りという行為のリスクを高めて、プロデューサーの行動を縛る。
その上で“アイドルの見せしめ”を突きつけ、奴の危機感を煽る。
このまま攻撃が本格化すれば、ビッグ・マムやグラス・チルドレンがアイドルの命を見逃すとは限らないぞ―――と。
そうして奴の尻を叩き、“絶対に283のサーヴァントを落とさなくてはならない”という意志を持った尖兵へと仕立て上げる。

奴の身動きを取れなくして、ギリギリまで追い詰め、そうして腹を括った戦力へと変える。
“283を守るために自分達を裏切るかもしれないマスター”を、逆に“283を守るために敢えて自分達の駒となるマスター”へと引っくり返す。
それがガムテの狙いだった。

実際のところ、ビッグ・マムの敗退によって当初の予定を一気に加速させたのは確かだった。
今の段階では“プロデューサーを追い詰めて尖兵に仕立てること”だけが目的だったし、実際に襲撃へと赴かせるのはもっと後になると考えていた。
しかしマムを撃退して戦力を強化した蜘蛛同士が情報漏洩を知った上で結束を強めるリスクを考えて、ガムテは急遽彼を出撃させた。
尤も、多少予定が早まっただけと考えれば問題はないが。


408 : 輝村照:イン・ザ・ウッズ ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 19:47:21 vsg4ArNA0



追い詰められたアイツは“仕事”を果たす。
ガムテはそう考えていた。


偶像共を守るために、あの怪物(ビッグ・マム)とサシでの取引を成立させた程の男だ。
その覚悟も、胆力も、認めざるを得ない。
だからこそ、見込んでいた。
283の戦力を落とす為なら、あの男は命(タマ)を張れると。
奴にはそれだけの素質があると、ガムテは確信した。


――――アイツは間違いなく“プロデューサー”だよ。
――――偶像共を守るために、ババアに“寿命の九割を差し出す”って言った時。
――――白瀬咲耶と同じ目をしてたんだからな。


あいつは彼女のように、子供(オレ)達にまで手を差し伸べたりはしない。
聖杯を穫る。その道を歩む意味を、あいつ自身が分かっている。
それでも、あの瞬間。
他の誰かの幸福(しあわせ)の為に祈った、あの時。
あの眼差しが、殺戮の王子に強烈な既視感を与えさせた。

だからこそ、あの時ガムテは伝えたのだ。
白瀬咲耶を殺ったのは自分である、と。
白瀬咲耶は確かに強かった、と。
それはプロデューサーに対する、彼なりの称賛だった。
故に彼は、プロデューサーをある種の形で“信頼”していた。

動画を送ったことや脅しを掛けた以上、現時点ではまだまだ可能性は低いとはいえ。
仮にプロデューサーが裏切りへと走る場合、考えられる引き金は二つ。
ひとつは、神戸あさひと個人的な同盟を結んだ時。
もうひとつは、283とグラス・チルドレンが衝突して互いに状況を支配できない混戦状態に陥った時だ。

先も述べたように土壇場での叛意を防ぐために、神戸あさひとプロデューサーは敢えて分断している。
更にプロデューサーを単独で追い詰めて、彼一人で覚悟を引き締めさせる状況も作り上げている。
後者の乱戦に関しても、全面抗争になる前に予めプロデューサー自身を“283を削る尖兵”として送り込んだ。

“今後グラス・チルドレンが283を蹂躙するための土台”、つまり混戦状態になっても此方が状況を一方的に支配できる程の絶望的な不均衡状態を作る。
プロデューサーがそれを避けるためには、ここで全力を以て283の布陣を破壊しなくてはならないという訳だ。
そして今回の攻撃へと駆り出させることでプロデューサーが裏切りの為に温存しているであろう“何らかの手段”を吐き出させ、以後の余計な計画を崩す。

尤も、不均衡状態を作ること自体は“念を入れる為の戦術”だ。
283の戦力は、恐らく――“弱い”のだから。
何故なら奴らは、犯罪卿による脅迫以外でグラス・チルドレンへの効果的な対処を殆ど果たせていない。

都内に残されたアイドル達の安全を確保していなかったのも、それが出来るだけの戦力を持ち合わせていないからだと推測できる。
犯罪卿が黒幕を装ってまで事務所を軟着陸させようとしていたのは、“標的にさせないこと”でしかアイドル達を守る術を持たなかったからだろう。
つまり自前で敵襲から守り切る実力は無いし、それだけの勢力も揃えられていない。

ステータスからして戦闘向けのサーヴァントではない犯罪卿が日中に単身で矢面に立ったことも、却って“それ以外にビッグ・マムを迎撃する手段を持たない”裏付けとなっている。
だからこそ、プロデューサーが全力を引き出して運用するランサーとマムから借りた使い魔の軍勢だけでも十分やれると判断した。


409 : 輝村照:イン・ザ・ウッズ ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 19:47:53 vsg4ArNA0

舞踏鳥(プリマ)らを妨害した侍(チョンマゲ)は、恐らく283の連中とは無関係。
仮に犯罪卿が関与しているのなら、他のアイドル共を守護するための手も打っているはずだからだ。
奴の存在は283にとっても計算外だった可能性が高い。
何者なのかは分からないが、警戒する必要はあるだろう。

ともあれ、今はプロデューサーが“何処までやれるか”を眺めるだけだ。
これで犯罪卿を落とせるのなら、別にそれでも構わない。
蜘蛛同士の厄介な連携は確実に断たれるし、犯罪卿についても「所詮はここまでの敵だった」と割り切ることも出来る。

どちらにせよ、奴らはもうジリ貧だ。
最終的な四面楚歌は避けられないし、陣営としては頭打ちになっていく。
しかし、もしも犯罪卿がこの強襲を生き延びたのならば。
その時は今度こそ、全身全霊を以てブッ殺す―――徹底的に“心を砕いたうえで”。
ただ、それだけだ。

そして仮に、ここでプロデューサーが犯罪卿を仕留められたとしたら。
283プロに対する人質としての彼の役割は、殆ど終えると言ってもいい。
何故ならば、犯罪卿を落とした時点で283が陣営として大幅に弱体化する可能性が高いのだから。
狡猾に策を張り巡らせる犯罪卿が居なくなれば、最早小細工や駆け引きを介在させる必要はほぼ無くなる。
そう―――後はただの殲滅戦と化す。

偶像(アイドル)の持つ素養も、底力も、決して油断はできない。
奴らの中には、奇跡のような意志を押し通せる者だっている。
先程、黄金時代にも忠告した通りだ。
それでも尚、大局的な戦略として見れば―――犯罪卿亡き後の脱出派は、確実に陣営としての力を失う。
あの場では戒めたが、黄金時代が奴らを侮っていたのも理解はできる。

偶像達は、真っ当であるが故に“強い”。
そして、だからこそ“弱い”。
それは紛れもない事実だった。
真っ当であるがゆえの意志は、確かに強靭だが。
真っ当であることを捨てれば、人間は幾らでも冷酷になれる。

この戦いで連中を落とした場合、以後のプロデューサーの処遇についてはまだ考えていない。
283の陣営さえ崩せれば、奴は本当の意味で“叛意を抱えた戦力”になるのだ。
以後も利用し続けるか。あるいは、処分するか。
その結論は、いずれ出すことになるだろう。

ただし、言ってしまえば。
例えプロデューサーの身柄を連中に抑えられたとしても。
例えプロデューサーがここで刺し違えたとしても。
その前に犯罪卿を落とすという大金星さえ果たせれば―――“元は取れる”と言っていい。

後に残された集団が、果たしてもう一人の蜘蛛との連携が取れるのか。
グラス・チルドレンの組織力にどれだけ対応できるのか。
ビッグ・マムとその馬鹿げた旧友(ダチ)に、脱出派の戦力がどれほど及ぶというのか。


――――腹を括ったアイツは確実に強い。
――――偶像共だって、油断ならない。
――――だがな。あのババアは超えられねェよ。
――――俺が最後に殺す標的(タマ)なんだからな。


それが、ガムテの意志。
それは、歪んだ信頼。
共に聖杯戦争を戦い抜く、殺意の共闘関係。

そうだ。アイツを殺すのは、俺(ガムテ)だ。
全部殺し尽くして、勝利の頂きへと至り。
それから奴に、屈辱的な死を与える。
そうして子供(オレ)達は。
奇跡の願望器、聖杯を掴み―――――。



◆◇◆◇◆◇♦♢♦♢♦♢♦♢


410 : 輝村照:イン・ザ・ウッズ ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 19:48:24 vsg4ArNA0
◆◇◆◇◆◇♦♢♦♢♦♢♦♢




《ねえ、ガムテ》



聖杯戦争の予選期間。
なんてことのない、ある一日。


《一つ、聞きたいことがあるの》


朝の日差しは、カーテンで遮られ。
屋内は仄暗い電球の灯りで照らされている。
テーブルを挟んだ、二人きりの食卓。
向き合う形で椅子に座った舞踏鳥(プリマ)が、ガムテを見据えていた。

彼女は、ガムテの右腕であり。
側近であり。最も信頼する幹部だった。
だから聖杯戦争においても、その立ち位置は変わらない。
元いた世界での舞踏鳥と、何一つ変わらない。

こうしてガムテの世話を焼いて。
ある意味で家族のように接して。
そして時折、二人で食卓を挟む。
二人の日常は、ここでも変わらない。

―――ガムテはこれから、聖杯戦争へと本格的に身を投じる。
だから、こんな束の間の一時も終わる。
互いに、口に出すことはないが。
安らぎの余韻を確かめるように、二人は“最後の時間”を過ごしていた。


《どしたァ〜〜〜舞踏鳥?》
《……聖杯戦争に勝利すれば、万物の願望器が得られる》
《そ!みんなブッ殺したヤツに与えられる……賞品(トロフィー)ってワケ☆》


舞踏鳥お手製の朝食“ハムエッグ”を咀嚼しながら、ガムテはおちゃらけた態度で喋る。
界聖杯。勝者に奇跡を与える願望器。
それが聖杯戦争の戦利品だ。
マスターやサーヴァントは、それを求めて殺し合う。
当たり前の知識として刷り込まれたことに関して、ふいに問われて。


《なら……》


そして、舞踏鳥は。
真っ直ぐな眼差しで、ガムテを見据えて。



《ガムテは、何を望むの?》



彼に向かって、そう問いかけた。


《オレの願望(ねがい)?》


ふいに飛んできた質問。
ガムテは、きょとんとした表情を見せて。


《ん〜〜〜〜〜〜〜〜……》


わざとらしく悩むように、考え込むように。
ガムテは腕を組んで、首を傾げてみせる。
暫く沈黙して、視線を逸らして。
それからガムテは、ふいにピタリと動きを止めた。
舞踏鳥と視線を交差させて、口を開いた。



《――――何だと思う?》



はぐらかすように。
あるいは、戯けるように。
にんまりと笑って、そう答えてみせた。



◆◇◆◇◆◇♦♢♦♢♦♢♦♢


411 : 輝村照:イン・ザ・ウッズ ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 19:50:42 vsg4ArNA0
◆◇◆◇◆◇♦♢♦♢♦♢♦♢



袋に手を突っ込んだ。
再び一つ、摘もうとした。
しかし、何もない。
油塗れの内側だけが、感触として残る。
気が付けば、ポテチを食べ終わっていた。

未だに目は冴え続けている。
相変わらず、眠ることはできない。
“夢”を見ることも、叶わない。
まあ―――とっくに、慣れている。


殺戮の王子は、心割れた子供達を率いて。
自らの従者―――豪胆なる大海賊“ビッグ・マム”を殺すことを見据える。
自らの尊厳のために。仲間の尊厳のために。
子供を踏み躙る“大人”への殺意を、その胸に滾らせる。
そして奴を踏み台にして、超えるべき“父親”も必ず殺すと誓う。

そう、大人(おや)達は殺す。
しかしそれは、目的であって。
彼自身の“願い”とは、違う。

犯罪卿。黄金時代。プロデューサー。神戸あさひ。暴走族神――――。
この界聖杯において、全ては敵だ。
いずれは等しく、一人残らず、踏み越えなければならない。

そうして彼らを叩き潰して、乗り越えた果て。
ひび割れた眼差しで“少年”が見据える結末。
万物の願望器へと託す、一つの祈り。
それは、心という藪の中に未だ潜み続けているのか。
あるいは、聖杯に託す想いなど最初から持ち合わせていないのか。
その答えは、王子(ガムテ)のみが知る。

しかし。
これだけは、言える。
例え、奇跡というものに縋れたとしても。
例え、全てを超越する願望器を掴んだとしても。
どんなモンを使ったとしても。
どんなモンに頼ったとしても。



―――子供達(オレたち)は、もう天国(らくえん)なんか行けないんだよ。



そういうモンなんだろ。
なあ、殺島の兄ちゃん。

それは理屈ではなく、実感であり。
確かなる諦観として、ガムテの胸中に宿っていた。
何のために、白瀬咲耶の手を振り払ったのか。
何のために、彼女の慈悲を払い除けたのか。
ハナからその意味は―――分かっている。


【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)/二日目・未明】

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。
1:蜘蛛共を叩き潰す、峰津院の対策も講じる。
2:283プロ陣営との全面戦争。
3:あのバンダイっ子(犯罪卿)は絶望させて殺す。とはいえ、この攻撃で死滅(くたば)るようならそれまでの敵だったというだけ。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
5:黄金時代……流石に死んだかな? いやあいつなら何とかすんだろ。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。


412 : ◆A3H952TnBk :2022/04/21(木) 19:51:12 vsg4ArNA0
投下終了です。


413 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:29:30 VX9VdmO20
前編を投下します


414 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:30:24 VX9VdmO20

758人。
それが何の数字かと問われれば、今しがた失われた命の数だ。
鬼ヶ島という死地に取り込まれ、覚醒という婉曲な死刑宣告を受け。
大看板という三体の怪物の糧となった無辜の市民達を示す数値。


「ま、医療の発展には犠牲はつきものだよな」


惨事を引き起こした張本人、皮下真はこれまでと何も変わらない軽薄な笑みを浮かべた。
仮説は再現性を得て、経過は良好。
これまで固有結界の中でしか活動できなかった大看板達は霊基を向上させ、
結界の外でも自由に活動できるだけの魔力を蓄えた。
今後は、大看板達も駒の一つとして盤面に出せる。
これは従えるサーヴァントが一気に四体に増えたような物だ。
優勝に向けて大きく前進したと言ってもいいだろう。
更に、ここ一時間での成果はそれだけではない。
カイドウに念話を飛ばし、興味深い話をいくつか耳にした。
これについては後で調べる必要があるだろう。
そして極めつけは―――、


「君もそう思うかい?梨花ちゃん」


皮下は、同盟者の協力もあり脱出派のマスターを捕虜にする事に成功していた。
未だ気絶したまま目覚めない古手梨花と名乗った少女。
界聖杯が手塩にかけて集めた可能性の器の本家本元。
それがどれだけ優秀な実験動物(モルモット)となるか…実に楽しみだった。
皮下は先ほど切り落とした梨花の腕を弄びながら、もう片方の手で支える少女の耳元で囁く。


「薬漬けにして色々吐いてもらった後、色々弄り回させてもらうわ。
未来の平和の礎になれるんだ、平和の使者の冥利に尽きるだろ?」


415 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:31:04 VX9VdmO20


前提として。
古手梨花の状況は詰んでいる。
絶対の命令権たる令呪は右腕と共に失い、頼みの綱のセイバーは敗走し重症の身。
そして彼女を捕らえたのが生粋の人でなしたる皮下なのだから致命的だ。
三十分後には苛烈な拷問と梨花の体を用いた実験が始まるだろう。
仮に武蔵が数時間後に救出に来たとしても、その頃にはとうに廃人になっている。
それが奇跡を求めた少女の末路。彼女一人では変えようもない一つの結末。


「……そいつが件のマスターか」


早速皮下が診察室(ごうもんべや)に招待した時だった。
こつりと背後で足音が響いたのは。
上機嫌な笑顔そのままに振り返ると、同盟者である不治の否定者とその従僕がそこにいた。
憮然とした表情で自分を見やるリップに、皮下は笑みを崩すことなく労う。


「おう、リップ。アーチャーちゃん、お疲れさん。二人のお陰で助かったよ」


皮下の労いの言葉にリップは答えない。
その視線はずっと彼に抱えられた少女の方に向けられていた。
そして、皮下の持つ切り落とした梨花の腕と、少女を交互に見ながら短く尋ねる。


「…そのガキの令呪はどうした」
「ん〜御覧の通りだが」


皮下はそう答えながらちぎれた人形の腕を弄ぶように、ぷらぷらと切り離された少女の腕を揺らす。
切り離された上にさんざん踏み躙られたその腕は見るも無残な物だった。
令呪もこれでは使い物にならないだろう。
それを見てわざとらしく溜息を吐くと、リップは追及を開始する。


「残しておけばセイバーを傀儡にするなり自害させるなりできただろうが」
「えっ、いや、うん。確かにそうだけどさー…令呪で向こうのサーヴァント呼ばれたら
おっかないだろ?リスクヘッジって奴だよリスクヘッジ」
「何のために俺のアーチャーが骨を折ったと思ってる」
「あー…いやー…まぁ、その。正直すまんかった。埋め合わせはさせてもらうよ」


指摘から話を逸らすように、皮下はシュヴィの前にしゃがみ込む。


「今回のMVPはシュヴィちゃんだ。何か欲しいものがあったら用立てるさ。
頼まれてた例の薬の量産も取り掛かるし、パフェでも何でも食べたいものがあれば――」
「ううん…いらない、でも」


416 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:31:53 VX9VdmO20


まるで優しい兄の様な声色で機械の少女の機嫌を取ろうとする。
しかし、シュヴィは皮下の提案には乗らず、静かに首を振った。
そして、その代わりとして、皮下が抱える少女を指さした。


「その子が……欲しい」


これには皮下も「は?」と疑問の声が漏れる。
自分にとって古手梨花の身体から得られる情報は正しく宝の山だ。
だが、目の前の少女がこんな令呪も失った無力なマスターを手に入れて如何するのか。
そのまま視線をスライドし、彼女の主へと移す。
主にも話は合わせているのか、リップの目にシュヴィの要求に対する驚きは無い様子だ。
そのまま自らのサーヴァントの要求を汲んで、皮下に重ねて告げる。


「聞いた通りだ。埋め合わせというなら、そのガキの身柄は俺達が預かる」
「貴重なサンプルだ。直ぐに頷く訳にはいかねーな。目的を聞こうか。
単にこの子を哀れに思ったってんなら、却下させてもらうぜ」


皮下にとっても梨花の体は貴重な資源であり戦利品だ。
すぐさま渡す決断はできない、そう考えての問いかけだった。
そんな彼の問いかけに、返された返事は早かった。
リップではなく、シュヴィが先んじてその返答を返す。


「貴女と…同じ。可能性の器の……調査。私の……『解析』の、精度は……
貴女よりも……ずっと精度が高い…合理的」


言ってくれるねぇと、苦笑いを禁じ得ない。
確かに皮下の調査よりも、シュヴィの解析の方がより早く、より精度の高い情報が得られるだろう。
悔しいが、そこは認めざるを得ない。
しかし、まだ反論の余地はあった。


「うーん、しかしなー…梨花ちゃんに対する尋問はどうする?
アーチャーちゃん、そういうのに向いてないだろ?だから代わりに俺が―――」
「尋問は俺がする、不治の能力を使ってでもな
腕を切り落としたお前が相手じゃ話すものも話さないだろう」


僅かな反論の余地だったが、すぐさま潰された。
確かに、リップの“不治“の能力は尋問に向いている。
その力を持つ彼が直々に尋問を行うと言われれば、断るにも苦しい。


417 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:32:53 VX9VdmO20


「……他意は無いんだな?」
「当たり前だ。生憎こっちを消しに来る可能性のある相手に慈悲をかける趣味は無い」
「いやそうじゃなくて、アーチャーちゃんと言い梨花ちゃんと言いおまえひょっとしてロリコ―――うおおおっ!?」


言い終わる前に皮下の顔面に磨き上げられたメスが飛来する。
刺されば再生の開花を有する皮下ですら決して癒えない傷をつける刃が。
それも一本だけ、ではない。
ダーツの的に投げる様に、避けた先へと二本三本と次々に飛来してくる。


「ちょちょちょ、お前のは洒落にならな―――待て待て待て話せばわかる!
ほんとに待てって!!分かった分かった俺が悪かった!
幾つか条件はあるが、それさえ飲めるなら梨花ちゃんは好きにしろ!」
「…条件を出せる立場か。何ならこっちはお前を殺して奪ったっていいんだ」
「まぁ焦らず聞けって。どれもそう大した話じゃない」


白衣にメスが何本か刺さり、冷や汗を垂らして、皮下はリップの要求に折れた。
三本指を立てて、目の前の天敵を宥める様に条件を提示していく。


「一つ、尋問で得た情報は俺に共有してくれる事。
二つ、尋問が上手くいかない様であれば俺と変わる事。これはまぁ、当たり前だな」


前述の通り、皮下の出した条件は当然と言ってもいい容易な物だった。
リップが皮下の立場でも同じ要求をしただろう。
今提示された条件については彼もまた、異論はなかった。
それを確認した後、皮下の白衣の下から一台のタブレット端末が取り出される。
それとともに、最後の条件が提示された。


「最後に、またアーチャーちゃんに仕事を一つ頼みたい」
「見ての通りアーチャーはお前を守って療養中だ。荒事なら自分の手足を動かせ」
「そんなんじゃないって、ただちょーっと、デトネラットの社長について調べてほしいだけさ」


デトネラットと言えば、このひと月でリップも耳にしたことがある程の大企業だ。
調べろ、という事はその会社の関係者がマスターなのか?
リップはそう予想したが、続く皮下の返事は予想外のモノだった。


418 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:33:34 VX9VdmO20


「さっき念話で聞かされたんだが、総督たちがそのデトラネットの本社に襲撃をかけてな、
ビルは焼き払ったが、そこにいたサーヴァント達に追い返されたみたいだぜ」
「…それが本当なら、お前が頼りにしてるあのライダーも存外大したことなかったようだな」
「総督はほとんど無傷みたいだけどな。で、だ。そのデトネラットを根城にしていたサーヴァントの集団の中に、どうも社長室に居た奴がいるらしい。
どうだ?ここまで話したらお前も気になって来ないか?」
「……」


確かに、あの皮下のライダーすら退けたサーヴァント達の連合ともいうべき集団がいるなら気になる所だ。
そんな戦力を抱えている集団のバックに大企業の社会力が付いている可能性は無視できない。
戦闘力と権力の完璧さで言えば大和が遥かに勝っているだろうが、根本的には孤軍であるリップにとって厄介なことには変わりない。


「敵は大和や283だけじゃない。厄介な連中の尻尾は早いうちに掴んでおく、合理的だろ?」
「……それで、アーチャーに何をさせるつもりだ」
「デトネラットのバックアップサーバーにハックして、社長周辺の情報を洗ってくれ。
通話記録やら、メールの履歴、周辺の監視カメラの情報とかも欲しいな
アーチャーちゃんなら朝飯前の仕事だろ?」


その要請に、無言で自らの弓兵へと視線を動かす。
瞳だけで「できるか?」と問いかけられたアーチャーの少女は無言でコクリと頷いた。
そして、皮下から手渡された彼女からしてみれば骨董品どころか化石に等しいレベルの端末を中継してハッキングが始動する。
結果は直ぐに出た。
ここひと月のデトネラットの社長へと向けた通話記録やメールの履歴に、怪しい物がないか抽出するだけの簡単な仕事だ。
世界的有名企業(らしい)デトネラットのセキュリティは現代における最高峰のモノだ。
だが、電子戦の女王たるシュヴィにとって現代の最高峰など子供の手慰みにも等しい。
どれだけのセキュリティや暗号化で防衛しようと、たかが21世紀の科学技術で機凱種の解析体(プリューファ)たるシュヴィの目を誤魔化せるはずもない。


「おー…こりゃすげえ、デトネラットのハゲ社長だけじゃなくて大手ITから出版社。
果ては政治団体まで抱き込んでるのか、手広くやってんなー」


そうして出た解析結果は、まず間違いなくクロだという事。
それもただの黒ではない、敵手は想定以上に手広くこの社会に巣を張っている様だった。
通話記録やメール履歴から推定マスターと“覚醒者“容疑者を割り出していくと、
名だたる大手企業の取締役や役員がぞろぞろと羅列された。
峰津院が表社会の支配者ならば、この連合の元締めは裏の支配者と言えるだろう。
社会戦という土壌で言えば、皮下ですら及ばない。
まさしく峰津院と並ぶ最強と呼べる主従だろう。
その上、皮下の召喚した大海賊のライダーと並ぶ女海賊を撃退するだけの暴力をも有している。
楽観視できる相手では当然なかった。


419 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:34:15 VX9VdmO20


「割り出したのはいいが、これだけ広範囲に巣を張ってる奴を相手にどうするつもりだ」


上機嫌そうにシュヴィより転送された音声データや通話履歴に目を通す皮下に冷ややかな声をかけるリップ。
兎角連合の盟主がこの一月で構築したであろうネットワークは広範囲に過ぎる。
葉桜の兵隊にでも襲撃をかけさせてもいいが、一つ一つ襲撃していたらキリがない。
また自分が聖杯戦争に関わっていると知らないデコイ役のNPCも相当数用意されていることを考えれば、鼬ごっこになるのがオチだ。
かといって、放置するには危険すぎる戦力でもある。
大企業の複合体を裏で支配し、四皇すら退ける戦力の持ち主を相手取るにはリップや皮下単騎では余りにも心もとない。
しかし、そんな難敵を相手にしているというのに、皮下の態度は涼し気だった。


「俺達は所詮日陰者だからな。餅は餅屋って奴だ。
東京中に巣を張った蜘蛛を退治するのに相応しい白の騎士(ホワイトナイト)様はもういるだろ?」


ひらひらとその手の端末を振りながら、皮下は軽薄に笑った。
画面に映っているのは、彼にとって怨敵ともいえる相手。
この街の表の支配者にして、裏の支配者である連合の盟主ですら及ばない権力者。
峰津院大和が動画をアップロードしたSNSのアカウント。
そこのダイレクトメッセージ欄に、今しがた手に入れたデータを纏めてぶちまける。
―――『煮るなり焼くなりお好きなように』そう綴って、投稿ボタンをタップした。
無論の事、DOCTOR.Kのアカウントを介して、だ。


「……大和の奴はお前の仕業だって気づくだろ、乗ってくると思うか?」
「大和が感情よりも利を獲れる男ならな。峰津院の権力を使うだけで厄介な陣営の社会的戦力を根こそぎ崩せるんだ。ローリスクハイリターンでどう考えても旨い話だろ?」


これがもし大和本人を誘導しようものなら即座に彼の男はその狙いを看破し、皮下の思惑を上回ろうと動くだろう。
だが、覚醒したNPCを潰すだけならば大和本人が動く必要はない。
デトネラットも巨大企業ではあるが、峰津院財閥に比べれば赤子と大人だ。
その権力を以て踏み込むなり監視なりしてくれれば、周辺の蜘蛛の巣を一気に封じ込めることができる。
その上でデトネラットに巣食う勢力を始末してくれれば万々歳だが、流石にそこまでは期待しない。
あくまで情報をリークするだけで大和に決定権(キャスティングボード)を委ねる。
例え大和が乗って来なくとも、皮下とリップに損はない。


420 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:35:49 VX9VdmO20



「………仕事は終わりだ。古手梨花の身柄は俺が預かるぞ」



リップの表情は晴れない。
また一つアドバンテージを積み重ねたはずなのにも関わらずだ。
シュヴィの情報収集能力は圧倒的だが、彼女の解析能力でも東京中の通信回線を一つ一つ検分していくのは骨が折れる。
というより、かかる時間を考慮して決してしなかっただろう。
リップだけなら辿り着くことができなかった情報に、皮下の協力で辿り着いた。
けれどそれは。
結局のところ、皮下の舗装した道を走っているのではないか。
そんな危機感が募っていくのだ。


「腕も寄越せ。繋げてみて令呪が使い物になるかどうか試す、お前の設備も借りるぞ」
「注文が多いなぁおい。令呪使われてあの怖い女侍が出てきたらお前が責任とれよ?」
「そうなる前に不治を使う。いいからお前はさっさと俺の要求するものを渡せ。
交換条件で先に要求に応えたのは此方だろうが」
「へいへい。サービスで貸しといてやるよ。その代わり尋問はしっかり頼むぜ」


やれやれと肩を竦めて、皮下は梨花の体を乱雑に投げ渡す。
それを受け止めながら、リップはあらかじめ調べておいた皮下の研究設備のある部屋へと向かう。
それを見送りながら、皮下は出来の悪い教え子を見る様な笑みで独り言ちた。



「甘い奴だねぇ、つくづく。ま、お陰で制御しやすいけどな」


421 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:36:12 VX9VdmO20



意識がうっすらと覚醒して。
まず最初に感じたのは、右腕に走る強烈な違和感だった。
痛みは無いけれどそれでも強烈な疼きは強制的に少女の意識を眠りから呼び覚ます。
そうして、古手梨花が目を覚ますと。
金の髪に眼帯の男と、長い黒髪の自分と同じくらいの年齢の少女が立っていた。


「……ッ。此処、は……」


脳に鞭を打つようにお
ぼろげな意識を覚醒させ、周囲を伺う。
目の前の男と少女の背後の景色は、どう考えても自分の知る自宅ではない。
それを認識すると同時に、意識を失う前の記憶が蘇ってきた。
そうだ、私は皮下に捕まり、右腕を切り落とされて―――と。


「目が覚めたか、右腕の調子はどうだ」


眼帯の男の問いに、意識が斬り落とされた方へと向く。
ゆっくりと視線を傾けると、喪われたはずの腕がそこにあった。
二度、三度、握りこぶしを作ってみる。
軽い痺れのような疼きはあるものの、動かすのに支障はなかった。
踏み躙られぐちゃぐちゃになった筈の令呪の刻印も復元していた。
一画、消費されている様だったが。


「……貴女は?」
「聖杯戦争の参加者だよ。お前と同じな」
「そうじゃないわ。名前よ名前。この腕を繋げてくれたのは貴方でしょう?
お礼くらいは、言わせて頂戴」
「…リップだ。礼は必要ない。その腕を繋げたのもお前を利用するためだからな」


リップ、と名乗った男の声は、感情を一切感じさせない冷淡な物だった。
本能的に危機感を感じ、体を起こそうとした梨花の耳朶に金属の鎖の音が響く。
音の方を見てみれば、自分の片腕と片足は頑丈そうな鎖で拘束されていた。
それを見て、助かったのではなく、やはり虜囚の身であることを彼女は理解した。


「状況が飲み込めてきた所で―――令呪を使ってもらうぞ」


少女が事態を飲み込んできたのを察すると、リップは静かにしゃがみ込み。
梨花の首筋に、鋭利なメスを添えながら令呪を使えと静かに命じる。
それが脅迫であることは、誰の目から見ても明らかだった。


422 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:37:13 VX9VdmO20

「………」
「行っておくが、もしサーヴァントを呼ぼうと考えているならやめておくことだ。
この状況ならお前が言い終わる前に、俺がお前の首を掻き切る方が早い」
「……ッ!!」


リップの制止は的確な物だった。
事態が飲み込めてきた梨花がまず考えたのは、蘇った令呪による離脱だったのだから。
だが、首筋に刃物を当てられた現状では既に難しい。
更に、リップは容赦なく脅迫時の切り札を彼女に提示した。
即ち不治の否定能力。
決して消えない傷をその身に刻み付ける、アンリペアの呪いを。



「腕を繋げるときに仕込みはさせてもらった。
もし令呪を使って逃げおおせたとしても俺は不治を発動する。
そうなれば右腕から大出血。お前の命は保って一時間程度だな」


切り落とされた右腕を繋げるのはそう難しい事ではなかった。
元外科医であるリップと、機凱種のシュヴィの知識。
皮下の有する医療・研究設備と地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)
これだけ揃えば切り落とされた右腕を繋げ、元通り動かせる程度に回復させるのは訳はなかった。
丁度、時を同じくして。
破壊の魔王が損傷の激しい片腕を見事に復活させたように。
だが、それは梨花にとって決して朗報であるとは限らない。
代償として、その身に決して消せない否定の理を刻まれたのだから。


「信じないならそれでもいいが、俺の要求を飲まないのなら…お前を皮下に引き渡す」


梨花の脳裏に、ついさっき自分の腕を切り落とした男の顔が浮かび上がる。
にこやかな笑みを浮かべて、自分の仲間をごみの様に殺した皮下真という男。
あの男に引き渡されれば、間違いなく凄惨な最期を迎えることになるだろう。


「奴は一切の容赦をしない。一時間もすれば薬漬けにされて何もかも奪われるぞ。
皮下の話じゃ多少痛みに耐性はある様だが、特殊な訓練を受けていなければ薬物と拷問には人の体は耐えられない。そういう風にできてるんだよ」


どれだけ良識や精神力を有していようと。
特殊な訓練を受けていない常人では薬物と拷問には耐えられない。
人の体とはそういう風にできている。
道を踏み外してから、嫌というほどそんな光景を見てきた。
そして、皮下の手に渡れば梨花を待っているのはそんな悲惨な末路だ。
セイバーが救助に来ても、その頃にはとうに廃人になっているだろう。


423 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:38:16 VX9VdmO20



「……それで、引き渡されたくなければ貴女の命令に従えってこと?」
「選ぶのはお前だ。皮下の実験動物にされても、正気を保つ自信があるならそうしろ」


どこまでも冷酷に、冷淡に。
努めて声色から感情を消し去り、リップは梨花の目の前にスマホを突き出す。
そこに映っていたのは、実験動物(モルモット)にされた二人の少女の末路だ。
金と黒の髪の少女が獣のような声を上げて壊れていく阿鼻叫喚の実験記録。
梨花が目覚める前に、リップが生き残った皮下の研究設備からサルベージした代物だった。
主に園崎詩音の手によって拷問には慣れているはずの梨花ですら、心胆を凍り付かせるに十分な光景だった。


「……私に、どうしろと?」


青ざめた顔で、冷や汗をとめどなく流しながら。
気づかぬうちに、縋るような声で尋ねていた。
要求をつっぱねる気力はとうにどこかに行ってしまっている。
此処で逆らった所で死ぬか、死より辛い地獄を味合わされるのは明らかで。
最早自分に選択肢は無いのだと、少女は悟らずにはいられなかった。
そんなおびえた様子の少女に対して、それでも男は冷酷に命じる。


「先ずは取り戻した令呪でこう命じろ、『リップとそのサーヴァント…アーチャーの指示に従え』ってな」


リップの要求は、梨花主従の隷属だった。
不治の権能により梨花がリップに危害を加えることは最早できない。
それすらも治療行為と判断されるためである。
それに加えて、支持という形でサーヴァントからの攻撃さえ封じてしまえば完全に少女と女侍の主従はリップ達への対抗手段を失う。
それは梨花にも直ぐに理解できる事実で、言葉に詰まる。
だが、リップはそんな彼女の逡巡を許さない。


「どうした。元々俺がいなければ喪っていた令呪だろ。それともやっぱり皮下を呼ぶか?」
「……ッ!!分かった…わよ。使えば良いんでしょう。使えば!!」


殆ど自暴自棄といった様相で、梨花はリップの要求に屈した。
その選択は、少なくとも現状の彼女が生き残る唯一の選択肢だった。
皮下に引き渡されれば、どう転んでも脱落が確定してしまう。
それならば、目の前の眼帯男に与する方が望みはわずかにだが残る。
梨花とセイバーでは決してリップに対抗できなくなるが、他の主従が彼を倒す可能性や戦うことなく脱出が叶う可能性も無い訳ではない。
問題は、それまでに梨花達が使いつぶされていなければ、だが。


「セイバー…令呪を以て命じるわ…『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』」


424 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:38:39 VX9VdmO20

言い終わると同時に、少女の手の甲から令呪の紋様が一画分消費される。
此処にはいないセイバーがどんな反応をしているかは分からない。
だが、最低でも自分が生きている事と、令呪が使用できる状態である事は伝わっただろう。
それを考えれば決して無駄ではない。後者の状況はどれだけ維持できるかは分からないが。


「……私とセイバーに何をさせるつもり?」


せめて視線だけは気丈にリップを睨みつけ。
指示に従えなんて命令を行った真意を少女は問う。
令呪は内容の具体性が上がるほどにその効力も向上する。
単に攻撃されたくないなら攻撃の禁止だけを命じた方が効果は高いはずだ。
そんな彼女の疑問に、リップは簡潔に答えた。


「簡単だ。皮下真か峰津院大和…こいつらの主従を刺す時にお前達には無条件で協力してもらう」


その言葉に、訝しむ様に眉を顰める梨花。



「貴女と皮下は仲間というわけではないの?」


梨花からすればリップという男は、皮下の仲間だと思っていた。
いや、同じ聖杯戦争の参加者であることを考慮すれば競争相手ではあるのだろうが。
それでも密かに暗殺を目論むほど剣呑な間柄であるとも思っていなかった。
そんな思考故の問いかけだったが、変わらぬ簡潔さでリップは語る。
『今は奴と同じ方向を向いているが一時的な物。好機が訪れ次第始末する予定だと』


(………みー。つまり、このリップという男は…)


自分を皮下に対する伏兵として使いたいのだろう。
隠し玉と言ってもいい。
その時梨花は、皮下の会談の際現れた少女のサーヴァントを想起した。
もし、リップのサーヴァントがあの機械の少女のマスターであるならば。
セイバーと交戦したであろう彼女が、セイバーの剣の腕を報告し、
マスターである彼が目を付けたのだろう。
だからいずれ来る皮下との決戦に備えて自分を引き込もうとしているのだ。


(それなら……)


まだ、命運は尽きてはいない。
恐怖と絶望に光彩を失いかけていた瞳に、再び焔が灯される。


425 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:39:31 VX9VdmO20


「皮下の脱落はお前達にとっても損は無いはずだ」
「分かったから、刃物を降ろして頂戴。今更逃げたりなんてしないわ」


先ほどよりもいくらか冷静になった声で、首筋のメスを降ろすように乞う。
ともすれば己の立場が分かっていない受け取られかねない要求だった。
だが既に令呪は使用させたため、リップは特に異を挟まずメスを降ろした。
そして、最後の要求を迫る。


「よし、次だ。次はお前のセイバーを令呪で回復させろ」


その命令は、梨花にとって予想外のもので。
先ほどの要求はリップにとって利になる物だったが、これは違う。
何方かと言えば、梨花の方が得るものが大きい命令だった。


「勘違いするなよ、いざという時に使い物にならないんじゃ意味がない。
お前のセイバーは俺のアーチャーに惨敗で逃げるのがやっとの体だったらしいからな」


アーチャーの報告では、交戦したセイバーは間違いなく重症を負っているとの事だった。
核攻撃も核やの火力と、霊骸と呼ばれる霊基すら犯す毒を受けたのだから当然だ。
幾ら腕が立っても、青息吐息のサーヴァントではあの怪物のライダーには鉄砲玉にすらならない。
肉壁程度ではリスクを冒して手駒にする意味がない。
それ故にいったん復調させておく必要があった。


「分かったわ…セイバー、令呪を以て命じるわ。『体を全快させなさい』」


命令と共に、梨花に宿った最後の令呪の紋様が消えて失せる。
切り札たる令呪が全て消えた右手の甲を眺め忸怩たる思いを抱くものの、
出し惜しんだところで抱え落ちするだけだったと無理やり自分を納得させる。


「……それで、次は歌でも歌えばいいのかしら?」


紋様の消えた握りこぶしを作りながら、リップに尋ねる。
令呪を失った彼女に対して、リップの次の要求は至極予想通りのモノだった。
即ち、脱出派の情報を吐け、という尋問。
特に、件の脱出宝具を有しているサーヴァントとそのマスターについては絶対に吐いてもらうと、男は低い声で宣言した。


426 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:40:04 VX9VdmO20



「―――仲間を売れっていうの」
「義理立てするのは結構だが、それなら折角繋げた右腕にお別れするんだな。
残念ながら皮下も俺がただで腕を繋げてやる慈善家じゃないのは知ってる。
『情報を渡す代わりに右腕を繋いだ』…筋書きには従ってもらうぞ」


食ってかかる梨花に対して、リップの態度はあくまで冷淡なままだ。
一切の感情を排除した瞳で「それに」と続く言葉を紡ぐ。


「喋らないなら聖杯を目指す連中全員、合意の上での283狩りが始まるぞ。
放って置いたら全員死ぬかもしれないんだ。誰もお前たちの味方はしない」


実際は割れた子供達の暴虐によりNPCのアイドル達は殆どが命を散らしているのだが。
当然二人には知る由もない。
ないからこそ、梨花は苦渋の決断を迫られる。
令呪の使用はどう転ぼうと影響は梨花個人で完結している。
だが今回は違う。
彼女の選如何では、死人の数が一気に跳ね上がる。



―――どうする……!!



もし喋ってしまえば、脱出派への合流は最早絶望的だ。
客観的に見れば梨花は命惜しさに情報を売り飛ばした裏切者でしかない。
だが、もし黙秘を続ければリップは容赦しないだろう。
殺されるか、それとも皮下に引き渡され拷問の末情報を結局引き出されるか……
いずれにしても、待っているのは確実な破滅だ。
行くも地獄、退くも地獄。
岐路に立たされた彼女に、否定者の青年は選択を迫る。


「もし喋るなら目標以外の283関係者への攻撃は控えさせたり、
何なら保護するように皮下に持ち掛けてもいい。これなら283にとっても悪い条件じゃない筈だ」


実際は体のいい人質になるだろうがな、という言葉は飲み込む。
だが、その提案の効果は絶大だと、言葉にしなくとも彼女の反応だけで分かった。
正しく、地獄にたらされた蜘蛛の糸だ。
追い詰められた少女にとって縋りたくなる一縷の希望。
それが虚構でしかないことを承知の上で、それでも迷わず不治の否定者は持ち掛けた。


427 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:40:24 VX9VdmO20


「…………」


静寂が場を支配する。
文字通り古手梨花という少女の運命を決する決断だ。
直ぐには答えられない。
だが、リップはそれでも答えを求めた。
皮下を討つ話を聞かせた以上、彼女の選択を聞かなければ安心できないから。


「……一つだけ、聞かせてちょうだい」


絞り出すような声だった。
焦燥をと緊張を露わにした、僅かな光彩を湛えた瞳で少女は問う。


「貴女は皮下のやっている事に…いいえ、この世界に納得しているの?」



凛と、鈴のなるような清涼な声が静寂を破った。
焦燥と、絶望と、逡巡と、不運や不条理に対する嘆きを顔に浮かべて。
問いかける少女の瞳には、それでも諦観は宿っていなかった。


「その質問と俺の命令に何の因果がある」
「命を握っている相手の事を知っておきたいのは人情ってものじゃないかしら」


ふっと、どこか自嘲するように。
梨花はニヒルにほほ笑んだ。
彼の言う通り、これから彼女が下す決断と直接的な因果関係は無いのだ。
それでも問わずにいられないのは、きっと選んだ選択に対するささやかな納得のため。


「―――知って何になる。俺の心変わりを期待しているならやめておけ
目指す場所が違う以上、俺達の道が交わることは無い。知っても虚しいだけだ」
「虚しい、と思ってくれるのね」


この男は皮下とは違う。
返答が帰ってきたとき、梨花は感覚的にそう思うことができた。
自分の腕を切り落としたあの桜の魔人は虚しいなどとは思わないだろうから。
ただ事実を受け止めて、その上で軽薄な笑みを浮かべるのだろう。
だけど目の前の男は、リップは、虚しいといった。
分かり合えないことは、理解しあえない事は虚しいと。
都合のいい解釈であることは分かっている。けれど、そう思いたかった。
勿論、それだけで一緒に歩めるだとか、味方に引き込めると思うほど己惚れてはいない。
だけど少なくとも会話はできる相手だと、抱いたのはそんな印象だった。


「下らない揚げ足を取るな、俺は―――」
「貴女、何だか知り合いに似ているわ。本当は一番この世界に納得できていないのに。
それでも歯を食いしばって、無理やり鬼になろうとしてる」


428 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:40:43 VX9VdmO20


リップを上目遣いに見つめて、そう告げる少女の雰囲気は。
彼にとって本当に先ほどまでの少女と同一なのかと思うほどの変化だった。
纏うモノが明らかに違う。
ただの子供の雰囲気でないことは明らかだ。
子供の姿はそのままに、まったく別種の生物に変わった様な、そんな錯覚を覚えた。


「……それ以上囀る様なら、皮下に引き渡すぞ」
「分かってるわ。知りたいことはもう知れたもの」


返事こそ帰っていないものの。
今のやり取りだけで、梨花には十分だった。
そして、腹を括る。
リップの人となりを僅かなりでも知った今、賭けに出る覚悟を決める。
自分の失敗で窮地に追い込んでしまった彼女達のために。
少しでも時間を作ることが、今の自分の役目だと、彼女はそう考えていた。
思案していたのは皮下の拠点にたどりつく前。
もし交渉が決裂し、自分が下手を打った時のために練っていた論理(ロジック)。
文字通り一世一代の大芝居。失敗すればリップは自分を容赦なく始末するだろう。
だが、彼が私とセイバーの主従を手駒にする価値はあると認めてくれているのなら。
勝算は僅かながらあると、彼女は踏んでいた。



「………貴女達が一番知りたがってる情報について教えてあげる」


少女の瞳が、紅く煌めいた。


429 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:41:02 VX9VdmO20



時間は、僅かに巻き戻る。
少女が、最後の令呪を使用したのと、同時刻に。
彼女にとっての一縷の希望が目覚める。


「……つ、梨花ちゃんッ!!!」


古手梨花のサーヴァント。
宮本武蔵は目覚めて直ぐに、自分の状態を確認した。
此処は何処だ?
自分はどれだけ気を失っていた?
疑問に突き動かされるように周囲を確認すると、そこは現代人ではない武蔵には馴染のない、仮設の医療用テントの中だった。
新宿で行き倒れていた所を、被災民と誤認され、此処まで連れてこられたらしい。


「アナタ!だめですよ勝手に起き上がっちゃ!!」


医師と思わしきNPCの制止の声も無視して、脇目もふらずにテントの外へと飛び出す。
気を失ったときには血に塗れていない部分を探す方が難しかった五体が不都合なく動いた。
傷一つない肌には、普段の魔力供給ではありえない魔力がみなぎっている。
間違いない。
自分の現在の主は、令呪を使用したのだ。


(けど、私がまだ呼ばれてないって事は…!)


梨花とのレイラインは未だ切れていない。
加えて、令呪を使ったという事は少なくとも令呪を使用できる状態という事だ。
だが、決して楽観視はできない。
今自分が彼女の元へ呼び出されていないという事は。
以前梨花は捕らえられた猫箱の中という事なのだから。
しかも、漲る魔力とは別種の強制力が働いていることも感じる。
令呪によって違う命令が下されていると見るべきだろう。
そんな中、今自分が動くべきは―――、


(……あの、灰のライダー君と合流するべきかしらね。
悔しいけど私ひとりじゃ梨花ちゃんを取り戻すのは難しいし、
何よりにちかちゃんが危ないわ)


彼女が選んだ選択肢は灰のライダー、アシュレイ・ホライゾンとの合流だった。
脱出派の計画が成功した時に待ち受ける未来が発覚した以上、
要の脱出宝具を有したライダーとそのマスターであるにちかが真っ先に狙われる。
彼らに迫る危機を伝えなくては。
だが、連絡手段がない。
連絡先は武蔵も把握しているが、携帯電話はマスターである梨花すら持っていないのだ。
当然、彼女が持っているはずもなかった。


430 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:41:40 VX9VdmO20


「仕方ない、誰かに借りて……!」


周囲には自身や知り合いの安否確認のために熱心に電話をかける被災民であふれている。
その表情はそのどれもが深刻であり、NPCと言えど無理やり電話を奪うのは気が引けたし、揉め事になっては面倒だ。
何しろ、現状は本当に一刻を争う。
誰か丁度いい人を見つけて電話を半ば無理やりにでも借りることを決意。
眼鏡に叶う人間を探すために周囲を鋭く睥睨し――それを発見した。


(何、あの子たち…?)


武蔵が発見したのはパーカーを目深に被った少年少女の一団だった。
年若く美しい子供に目がない彼女の性癖によって視線が誘われたわけではない。
注目した理由、それは彼の子供達に殺気を感じたからだ。
武蔵に向けられている訳ではない。
魔力は感じない。であればマスターでもサーヴァントでもない筈だ。
では、あれだけ剣呑な殺意で全身を満たす子供達は何者なのか。
何をするつもりなのか。


(ダメ、ダメよ私。今は梨花ちゃん達が最優先。それ以外の事には構って―――)


今は兎も角、自分の不徳で窮地に追いやってしまった主をこそ最優先するべき時だ。
そうこうしている内に、子供達が医療用テントの一つに入っていく。
だが、関係ない。
今は一刻を争う事態だ。
関係ない。関係ない。関係ない――――、


「あぁ、もうッ!!」


脳裏を過るのは橙色の髪をした、最初の主。
あの子のお節介な所がどうやら少し私にも移ったらしいと歯噛みして疾走を開始する。
何故NPCと思わしき彼らがあんなに殺気だっているのかは知らない。
しかし、あんなに殺気に満ちたものが何を仕出かすかなんて決まっている。
令呪の魔力によって全快した身体で、豹を思わせる俊敏さを見せて地を駆ける。
そして、二秒かからずテントへと押し入った。


「貴女達!何してるのッ!!」


431 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:42:28 VX9VdmO20

テントの中では、足に怪我をしたと見られる若草色の髪の女性を顔にガムテープをした子供達が押さえつけ、運び出そうとしていた。
口に猿轡をかまされ、身動きが取れない女性の顔は恐怖に歪んでいて。
そんな彼女の表情は、武蔵にとって見覚えがあった。


(この人、もしかして―――)


脳裏の記憶を手繰り寄せながら、今は女性を助けることを優先する。
即座に臨戦態勢に移行し、鬨の声を上げた。
張り上げられたその声に少年少女の方がビクリと震え、バッと此方に振り向いてくる。


「迂闊(ヤベッ)!見つかった!!」
「真実(マ?)殺せッ!!」


その場を見咎められたと理解した瞬間、女性を放り出して子供達が飛び掛かってくる。
やはり、ただの子供の身のこなしではない。
何十人という人間を殺してこなければ、此処まで的確に首を狙う動きは出来ない。
未だ元服も迎えていないであろう彼らがなぜこんな動きを身に着けたのか。
そんな疑問を抱きながら、刀の鞘で一蹴する。
幾ら常人ではありえぬ技巧と殺意を有しているとは言え、所詮はNPC
英霊たる武蔵には太刀打ちできず、テントの外へと放り出された。


「不運(チッ)サーヴァントだぞこのアマ!!」
「撤退(ひ)けッ!!撤退(ひ)けッ!!」


何処から情報を仕入れたのか、サーヴァントの事も既知らしい。
此方がそのサーヴァントであると理解すると、蜘蛛の子を散らす様に人ごみ紛れ逃げ去っていった。
その速度も迅速で無駄は一切なく。
彼らが何なのか捕らえて聞き出しいた所ではあったが、今は女性の身が優先される。
襲われていた女性に視線を移し、生存を検めた。
すると、ある事に気が付く。


「貴女……もしかして……!」


片足に包帯が巻かれ処置されたと思わしき若草色の髪の女性。
その顔には面影があった。
昼間に出会った、七草にちかという少女の面影が。
傍らを見てみれば、暴れた彼女のポケットから滑り落ちたとみられる財布や社員証が転がっている。
財布からはみ出した写真や、社員証の『七草はづき』という名前を確認した時、
もしやという予感は確信へと変わる。


432 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:42:57 VX9VdmO20


「貴女……もしかして、七草にちかちゃんのお姉さん?」
「え…な、何でにちかの名前を……貴女、一体…」


今しがた誘拐されかけ。
ここに来る前も相当怖い目に逢ったのか、にちかの姉と思わしきはづきという女性が怯えた表情で武蔵を見上げる。
その顔を見たとき、武蔵はもしこの世界に神がいるのなら、と思わずにはいられなかった。
この世界に神がいるのなら、今すぐににちかの元へと馳せ参じろと言われているような、そんな確信めいた思いを禁じ得なかった。
事実、新宿の避難民受け入れがパンク寸前で、中野区の避難区域に武蔵が移送されなければ。
峰津院大和が283のアイドルの捜索に部下を裂いていなければ。
割れた子供達の一派が、ケガをしているという情報から警察署の唯一の生き残りである、
七草はづきの追撃に、現場に一番近い避難区域に赴いていなければ。
この出会いはきっとなかっただろう。
ともあれ、彼女にコンタクトを取れれば、幽谷霧子や櫻木真乃とも協力体制を築けるかもしれない。


(にちかちゃん…ごめんなさい。
怒ってくれていい。恨んでくれてもいいわ)


連絡を取るためだけに彼女に助力を仰げば。
どう説明しても聖杯戦争に触れることになる。
それはつまり彼女が大切に思っているであろう姉を巻き込むという事で。
だが…今手段を選んでいれば、にちかと何より梨花の命に係わる。
更に、先ほどの子供達や彼女が足に負った怪我。
既に女性が聖杯戦争にまつわる何某かにっ補足され、襲われたことは想像に難くない。
はづき本人の命すら、このままここに留まっていては危険なのだ。
だから、怯えた視線でこちらを見つめてくる少女の姉へ、話を切り出すことに迷いはなく。


「今は信じられえないかもしれないけど…どうか聞いてください。
貴女の妹さんに…にちかちゃんに危険が迫っているの。
その事を彼女に伝えなきゃいけない。だから、あの子に連絡を取りたいの」


肩に手を添えて、宥める様に優しく言い聞かせる。
はづきは未だ混乱の極みにあるような表情をしていた。
何が起きているのか分からない。だが、何かとてつもない事態になっているのは分かる。
目尻には痛みと恐怖で涙すら浮かんで。
それでも“にちか”の名前が出た瞬間、絞り出すような声で武蔵に尋ねた。


433 : 拍手喝采歌合 ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:43:34 VX9VdmO20

「……信じて、いいんですか?」
「えぇ、彼女と連絡が取れて合流するまで…貴女を護衛させてもらうわ。
此処も、もう危ないから」


本当にごめんなさい、と。
もう一度心中で武蔵はにちかに謝罪の言葉を述べる。
理由は二つある。
合流するまで護衛すると言っても、合流した先が安全であるとは限らない空手形の約束である事。
もう一つははづきを巻き込むことで否応なくにちかに助力を仰ごうとしている自分の打算だ。
シュヴィ・ドーラというサーヴァントがいなければ分からなかったこととはいえ。
自分と梨花は脱出派を窮地に追い込んでしまった。
そんな武蔵が梨花救出のために助力を仰いだところで頷いてもらえるかは分からない。
最悪の想定に備え、にちかにとって決して無視できない存在であろうはづきを交渉のカードにしようとしている。
だが、繰り返すが事態は本当に一刻を争うのだ。
手段は最早選んではいられない。
梨花を救うためならば、何だって使って見せる。
それが宮本武蔵という人でなしが選んだ選択だった。


(その代わり、埋め合わせは戦働きでさせてもらうわ)


梨花のただ一度きりの後方支援、無駄にはしない。
自分は所詮人斬りの戦包丁。
犯した失態の挽回は剣で為すほかに方法を知らず。
状況は依然絶望的。
それでも過去を思い、後悔に足を止める事だけはしない。
敵も、未来も、前進した先にしか存在しないのだから。
退路は既に断たれた、背後は断崖。
ならば覚悟を決めて。


―――いざや推して参らん、屍山血河の死合舞台!


【二日目・未明/中野区・路上】
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康、魔力充実、 令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:梨花を助ける。先ずは灰のライダー(アシュレイ・ホライゾン)と合流する。
1:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
4:あの鬼侍殿の宿業、はてさてどうしてくれようか。


434 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/23(土) 23:44:07 VX9VdmO20
前編の投下を終了します
後編も期限内には


435 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:11:35 esiIuC7M0
後編を投下します


436 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:14:28 esiIuC7M0









誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその享受。

誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその履行。

誰だって幸せになる権利がある。
難しいのはその妥協。

             Frederica Bernkastel






437 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:15:20 esiIuC7M0

―――ライダーのサーヴァントよ。貴女達が血眼になって仕留めようとしているサーヴァントは。



古手梨花にとって、ここからが本当の勝負。
その開戦の号砲を、歌うように彼女は口にした。


「大仰に何を言うかと思えば、それだけの情報でこっちが納得するとでも思ってるのか?
こっちが命令してるのは“洗いざらい全部話せ“だ」
「ご不満かしら。なら、もう一つ教えてあげる」


淡々と、言葉を紡ぐ少女の雰囲気は最早ただの子供ではない。
演技などという生易しい領域ではない、これは最早変身と言ってもいい豹変だ。
低い魔女のような声で、もう一つ、とっておきの情報を開示する。
それが彼女にとってどれだけ危ない橋かを理解しながら。
リップ達にとって、最大の爆弾となりうる情報を。


「そのライダーの持ってる宝具はね―――もう既に使えるのよ」


嘘である。
だが、全てが嘘ではない。
七草にちかのサーヴァント、アシュレイ・ホライゾンの有する宝具――界奏、スフィガブリンガー。
魔法のランプとも称されるそれの発動、および聖杯戦争の脱出に向けた行使はそう直ぐにできるものではない。
聖杯へのアクセス方法や座標、タイミング、魔力リソースなど、どれもシビアな行使が求められるのだから。
だが―――使用するだけなら、令呪が三画すべて揃っている現状ならばいつでもできるのだ。
少なくとも、にちかのライダー(アシュレイ・ホライゾン)からは梨花はそう聞いている。
それで脱出が叶うかどうかは別の話ではあるが。
その視点から言えば、梨花の今しがた宣言したことは嘘であり、嘘ではない。


「でも、あの子たちは今もこの聖杯戦争から脱出を果たしていない。何でだと思う?」


リップが返事を返すよりも早く。
梨花は答えを出した。
その唇の端は、弓矢の様に引き絞られていた。


「あの子たちが一人でも多くの人を助けようとしているからよ。可能な限りね」


これも、正確には嘘だ。
彼女達が未だにこの世界に留まっているのは単純に脱出準備が整っていないからだ。
だが、一人でも多くの脱出派を募っていることは嘘ではない。


438 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:15:59 esiIuC7M0


「皮下に伝えなさい。彼女達の優しさに付け込んで、優位に立ってるつもりだった?って」


瞳が紅く煌めき、少女は嗤う。


「あの子たちが脱出したら界聖杯がこの世界を終わらせるのなら……
彼女達の優しさに生かされてるのは貴方たちの方よ。
けど、皮下がこれ以上攻撃を続ける様なら…彼女達の慈悲もそろそろ品切れかもね」


皮下の元に訪れたときは、交渉が決裂した時に自分を殺しても無意味で、見逃してくれたら直ぐにこの世界からお暇するという純然たる命乞いに近い発想だった。
けれど、脱出が叶った場合、界聖杯が下す裁定を知った今ではその意味合いは大きく変わってくる。
リップは理解した。
これはある種の脅迫だと。


「私が捕まった事であの子たちの危機感はさらに増すわ。
このまま旗色が悪化し続ければ、明日にでも脱出に踏み切るかもしれない」


脱出派の状況は極めて悪い。
脱出された場合の結果や、283プロダクションという旗印も既に有力な聖杯狙い達に露見してしまっているからだ。
正に四面楚歌。順当にいけば勝ち残るどころか生存すら絶望的だ。
だが、もし仮に、聖杯戦争を何時でも彼女達が降りられるとしたら。
それまで逃げ切ることが彼女達の勝利条件であるならば、話は変わってくる。
何しろ、戦う必要がないのだから。
逃げ回りつつ秘密裏に示し合わせて集合し、件の脱出宝具を使うだけでいいのだ。
それで彼女達は勝利条件を満たし、聖杯狙い達は可能性の藻屑と消え果てる。
脱出派にとって最大のアドバンテージは、脱出の具体的手段が既にある事と、勝利条件の前提がそもそも違う事だ。
それを最大限強調し、利用して、梨花はか細い論理を未来へつながる糸とする。


「……仮に、その話が本当だったとして、だ」


だが、リップが動じる気配はない。
これまで通りの冷淡な態度で、梨花の束ねた糸を断ち切ろうとする。


「それで俺達がお前ら攻撃をやめると思うか?むしろ攻撃の手を強めて、
ここでお前を即座に殺すと何故思わない」


439 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:16:38 esiIuC7M0

「思わないわ。だって、このまま順当にいけば貴女達はほぼ確実に勝てる勝負だもの。
それを焦って負ける可能性をわざわざ増やすとも思えない。
………貴女が私を殺すとも思ってない。私を助けようと彼女達が動けば、
その分あの子達の足を止めることができるから」


もし梨花の話が本当であるならば。
一人でも多くの脱出派を救うために危険な戦場に残り続ける彼女達の優しさが本当だとするならば。
ここで梨花を殺したり、薬物で壊すのは悪手でしかない。
生きているのなら助けようとしても、既に死んだり救出が不可能になっていると悟られれば、彼女達のサーヴァントの方が救出に納得しないだろう。
むしろ自分たちのマスターが同じ末路を辿るかもしれないと考え、脱出を早める恐れすらある。
純粋な兵力差で言えば99.9%勝てる相手であるのは間違いないだろう。
だが、脱出派が破れかぶれの賭けに出られれば向こうにも何割かの勝算が出てくるかもしれない。
件の宝具の詳細を知らない以上、それがいか程のモノかはリップ達に走る由もない。
しかし、だからと言って。


「詭弁だな。放って置いたところで、お前たちが脱出を諦めるわけじゃないだろう。
むしろ俺達が手を止めてる間にせっせと準備をして、逃げる腹積もりじゃないのか?」


リップがその言葉を吐いた時、梨花はかかった、と思った。
自分自身の生存のためには、彼女はその言葉が欲しかったのだ。


「だから、そのために私がいるんでしょう?ちゃんと情報は渡すわ。
その情報をもとに件のサーヴァントに当たりをつければ……」
「お前を助けようと283が動いてる間に、そいつを潰してゲームセット、か」
「私も命は惜しいから、直ぐに用済みにならない様に情報は小出しにさせてもらうけどね」


協力的な態度を見せたうえで、私情報を吟味し最大限絞る。
それが梨花の選んだ選択だった。
そして、その選択を受けたリップもまた、梨花の狙いが何なのか合点がいった気がした。


「…なる程な、お前の狙いは時間稼ぎか」
「貴女だって、皮下を倒すために私のセイバーの力を借りたいんでしょう?
それならその時迄私の利用価値が少しでもある方が、生かしておく理由付けが簡単よ。
あと、皮下に引き渡されたりした時はさっきの令呪の内容全部喋るから
その後皮下を倒すチャンスが回ってくるといいわね」


そう、これは大いなる時間稼ぎだ。
つくづく見た目通りの年齢なのかと瞑目する少女だった。
絶対的に命を握られている相手に、此処まで堂々と出られるとは大したものだ。
此方に屈従することなく、カウンターパンチすら叩き込んできたのは完全にリップとしても想定外だった。
話も一応の筋は通っている。それはつまり。
少女はこんな状況に至ってなお、しぶとく諦めず知恵を巡らせた証明に他ならない。
この期に及んでも、運命のサイコロを、他人の手に委ねようとしていない。


440 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:16:55 esiIuC7M0


「……時間を稼いで、それで助かると思ってるのか?」


何処まで行っても、少女の状況は絶望的であることに変わりはない。
全ての令呪を失って、敵陣に一人取り残されている。
283が助けに来てくれるとも限らない。
リップの庇護を失えば、物の一時間で凄惨な最期を迎えるだろう。
何より、例え彼女のセイバーが助けに来て此処を脱出できたとしても。
リップの不治の呪いが消える訳ではないのだから、以前命は他人に握られたままだ。
それは彼女にも分かっているだろう。
しかしそれでも少女は迷うことなく宣言した。
自分のセイバーは必ず助けに来てくれる。
それまで生きているのが自分の役目なのだと。


「……希望を語るか、こんな世界の、こんな状況で」
「生憎、絶望には慣れてるの。百年来の友達よ。
でも、まだ私は生きてるし、セイバーもきっと私を助けるために動いてくれている。
それならなにも終わってないし、終わらせない」


そう言って、少女は再び笑った。
先ほどまでの笑みとは違う、引き攣りきった不格好な笑いだった。
今にも崩れそうで、ありったけの虚勢をかき集めていることは一目で伺えた。
だが…その笑みを見ていると、心中がひどくざわついた。


「―――生き残る事だけは、諦めるつもりは無いの。
私が生きて、この土地を去ることを願ってくれた人がいるから」


――最後に一つ。約束してもいいかな?
――どうか…生きてほしい。これからもきっと、辛い事はあるかもしれない。
――だけど、私は…白瀬咲耶は、梨花。君が生きて元の世界に帰れることを祈っているから。


私は私をそんなに強くない人間であることは知っている。
身体は勿論。精神的な意味でもだ。
百年の魔女を自称したところで。
たった一人では、繰り返される惨劇の輪廻に耐える事なんてできない。
事実、以前のカケラ渡りでも、此処へ来る原因となったカケラ渡りでも。
私は諦める寸前だった。
そのカケラの巡る旅路と同じくらい、状況は絶望的。
逆転は望み薄で、緊張の今を僅かな希望で凌いでも、数時間後には死んでるかもしれない。
……では、もう駄目なのか。
もう、古手梨花は戦えないのか。
……それは違う。
まだ私には、果たすと誓った約束と。
私を全力で助けようとしてくれている人がいる。
だから、俯かない。
例え、借り物の勇気と決意でも。
それでも胸の中に抱いたこの気持ちは本物だと思えるから。
だから、やせ我慢をかき集めて、まだ運命に挑むことができる。


441 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:17:13 esiIuC7M0



「―――そうか」



何処までも不格好で、頑固で、弱いくせに諦めの悪い事は伝わってくる笑みだった。
敗者で、チェスや将棋で言う詰み(チェック)に嵌まった人間で、
どうしようもなく無力な少女の浮かべる笑みだった。
それでも否定者の男は、その笑みを直視できなかった。
眩しい光源から瞳を逸らすように、俯き、噛み締めるように一言呟いて。
この場に勝者がいるのならば、それはリップだ。
自らの能力と令呪により、少女らを完全に支配下に置いた。
状況は依然リップの圧倒的優位。梨花の命は彼の胸三寸。
それでも彼は、逃げる様に踵を返した。
そのままそそくさと、逃げる様に部屋を後にしようとする。
傍らの機械の少女も、何度か梨花と主の間で視線を彷徨わせてから、それに続いた。
去っていく背中に、梨花は穏やかな口調で問いかける。


「……また、話せるかしら」
「肝心な事はまだ何も聞けていない。皮下が今の話に納得すれば、嫌でも話すことになる」
「そう、ありがたいわね。もし283の子たちに見捨てられちゃったら…貴女を頼る事になるかもしれないし」
「脱出を諦めないんじゃなかったのか」
「冗談よ。………でも、現実を見ないと見えてこないこともあるのですよ。にぱー」


梨花の方へは振り返らず、けれど律義に返される声。
それを聞いて、フッと安心するように梨花は息を吐いた。
余り考えたくない事態ではあるけれど。
情報を漏らした自分に対して、283がどう出るかは分からない。
もし裏切り者として放逐されてしまえば、リップを頼ることになるかもしれない。
とどのつまり、古手梨花という少女は。
最善の奇跡を求める理想主義者(ロマンチスト)で。
何処までも残酷な現実を知っている現実主義者(リアリスト)でもあった。


「………大したガキだよ、お前は」


梨花には届かない程小さな声で、不治の否定者は短い賛辞を贈った。
彼女を見ていると、一人の知り合いの顔が脳裏を過る。
知り合い、と言っても殺しあった仲で。
きっと今でもその娘との関係を一言で言うなら『敵』なのだろう。
その敵であるはずの自分と、それでも協力できるといった否定者の少女。
不運(アンラック)という最低の呪いを神に刻まれ、不死と共に神に挑むと宣言した少女。
あの娘なら、古手梨花と同じことを言って、同じ笑みを浮かべるのだろうか。
そんな事を考えつつ、不治の否定者はその場を後にした。


442 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:17:29 esiIuC7M0



独りとなった部屋で、何度か拘束を外そうと試みる。
だが、鋼鉄製の手錠はどれだけ力を籠めてもびくともしない。
数分試してすべてが無駄だと悟ってから、手錠を外すことを諦めた。


「百年の魔女が聞いて呆れるわね。一人になったとたん…虚勢を張る事しかできないなんて」


聖杯戦争が幕を開けてから、ここまで孤立無援になったことは初めてだった。
この世界に招かれてからは、騒がしく優しい女侍が常に傍らにいてくれたから。
その庇護から一度離れてみればこの体たらく。
身体からこみ上げる不安と震えを抑え込むので精いっぱいだ。
自分はここでも無力で無能な箱の中の猫でしかないのだと思い知らされる。


「いた……!見つけた……!」


と、打ちひしがれていた時だった。
梨花しかいない筈の部屋に、声が響いたのは。
梨花のモノではもちろんない。かといって幼い少女の声はリップのモノでもない。
声の方へと視線を移してみれば、見覚えのある顔がそこにいた。
幼い梨花の容姿と比べてもさらに幼い、アイと呼ばれていた獣耳の少女。
虹花の裏切者の三人のうち、皮下の処分を免れた最後の生き残りだ。
逃亡者となり果て、鬼ヶ島の中を必死に隠れ回りながら梨花を探して此処までやってきたらしい。


「待ってて…アイさんなら外せるかも……」


とととと、と駆け寄って獣の手に力を籠める。
すると梨花がどれだけ力を籠めても動かなかった縛めが、軋み始めるではないか。


「待って!」


もう少しで外れそうになったタイミングで。
顔が真っ赤になるほど力を籠めて自分を助けようとしている少女に、梨花は制止の声を上げた。


「ありがとう、でもセイバーが来るまではどの道逃げきれないわ」


拘束を外してこの部屋を出た所で、以前梨花の所在地は鬼ヶ島の真っただ中。
いうなれば皮下の腹の中。逃げてもすぐにつかまるのがオチでしかない。
そして、逃亡を図ったとなれば今度こそ皮下は容赦しないだろう。
自分も、アイも、酸鼻極まる最期を迎えることとなる。
奇跡的に逃げ切れたとしても、逃亡先でリップの不治を発動されれば意味がない。
せめて彼に話を通さなければ、逃げるわけにはいかなかった。


443 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:17:43 esiIuC7M0


「で…でも、このままじゃ……」
「大丈夫よ、アイ。貴女が来てくれただけで、最悪じゃない」


べそをかいてうつむくアイを優しく抱きしめる。
梨花は知っている。
アイが、父の様に慕っていた男は梨花を助けるために殺されたことを。
梨花に賭けたせいで、アイが逃亡者の身へと堕ちたことを。
それでも彼女は、怖い思いをしながらここまで来てくれた。
ならば、その献身に応えたかった。
抱きしめた体から伝わる暖かな体温は、梨花の意思に力を与える。
状況は依然最悪。だが光明がない訳でもない。
令呪で回復させたことで今頃セイバーは息を吹き返しているだろう。
自分の命を握るリップは皮下よりも交渉の余地がある男だった。
そして何より、アイが来てくれたことで梨花は一人ではなくなった。
なら、まだ戦える。
まだ、諦められない。
その理由も、皮肉にも皮下の言葉でより強くなった所だ。


――――沙都子ちゃんと言い君と言い、最近の幼女は人間離れが著しいな。


「沙都子が此処にいるなら、会うまで死ぬわけにはいかないもの、絶対に」


【二日目・未明/異空間・鬼ヶ島】
【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:疲労及び失血(大)、右腕に不治(アンリペア)
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:セイバー達が助けに来るまで時間を稼ぐ。
1:沙都子が此処に、いる…?
2:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
3:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
4:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
5:彼女のいた事務所に足を運んで見ようかしら…話せる事なんて無いけど。
6:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
7:戦う事を、恐れはしないわ。


444 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:18:12 esiIuC7M0


古手梨花という少女を手駒にしようと思ったのは、シュヴィの解析ゆえだ。
彼女の連れていた女剣士。その宝具、その剣の腕は。
―――あの、鬼のライダーや鋼翼のランサーに届く。
それが、実際に交戦したシュヴィの解析結果だった。
もし彼女のサーヴァントが凡百のサーヴァントであったならば。
リップも彼女を引き込もうとは思わなかっただろう。
その場合、今頃梨花は皮下のおもちゃとなっていたに違いない。
梨花自身が無力な少女というのも都合がよかった。
いざとなれば不治の力で何時でも始末が付けられるからだ。
もっとも、シュヴィの解析の結果では、肉体の構造は年相応の少女と変わらないだけで、
そのマスターとしての素質や魔力の貯蔵量は常人ではありえない物らしい。


「シュヴィ、確認するがあの梨花って子供は―――」
「うん…肉体的には…ただの人類種(イマニティ)……ただ……普通の、人類種じゃ……
色々…ありえない……何らかの……異種との…混血の……可能性、高い」
「確かに、あのガキが特別って事は伺えた。おいおい探ってみる必要が出てくるかもな」


解析の結果、梨花が生まれからして特別な子供であるという事は伺えた。
ともすれば、先ほどの令呪も十全に効果を発揮しているかもしれないな、とリップは思案する。
梨花が目覚める前、実験的に彼女の令呪を一画奪い、シュヴィに使用したがその時の命令も単なる回復ではなく、自己修復機能の大幅な向上を命じる様に忠告された。
シュヴィの言によると、如何な令呪であっても霊基の修復は非常に高度な技能であるらしい。
本来治癒能力のないサーヴァントに回復効果を目的とした令呪の使用を行っても不発に終わることが大半だという。
しかし、高い素養のマスターが令呪を使用した場合、本来ならば命令不可能な行使も可能となるのもまた令呪の特性の一つだそうだ。
また実際に使用した結果をもとに行った解析では、令呪を用いた霊基の修復は可能であるという解析結果が出た。
ただし、修復できるのは霊基のみ。
英霊の核たる霊核にまで損傷が及ぶほどの致命傷は治せず、
また霊基の修復を行うにしてもマスターの高い素養が要求されるらしい。
それこそ、これまで出会ってきたマスターの中では梨花と大和しか該当者がいない程狭き門である様だ。
果たして彼女の令呪が命令通りの効果を発揮したかは定かではないが、最低でも戦闘が可能になるほどは回復していてほしいとも思う。


「あの……マスター……」


令呪について思考を裂いていた所に、シュヴィがおずおずと話しかけてくる。
様々な理由から沈んでいた先ほどまでとは違い、その表情は少し和らいでいた。


445 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:18:30 esiIuC7M0

「あり…がと……あの子に、酷い事、しないでくれて……」
「…皮下や大和を刺す隠し玉にするつもりだったし、酷い事なら不治を使って脅しただろ」
「それでも…シュヴィが…あの子を……殺したって…ならない様にしてくれた……
マスターが、力を使ったのも……皮下を納得させるため、でしょ?」
「――残念だが違う。皮下や大和を刺すための駒にしようとした以上の考えはない」



リップが梨花を手駒にしようとしたのは、純粋な皮下への危機感ゆえだ。
これまでは何とか対等な同盟関係を保ててはいるが、これからもそうとは限らない。
何しろただでさえ勝ち目の乏しかった鬼のライダーが強化されるのだ。安穏とはしていられない。
いずれ来る皮下との決別の時のために、独自の伏兵を擁しておく必要があった。
でなければ…対等な関係を築いているつもりで、その実皮下の舗装したレールの上を走らされるような、そんな危機感があったのだ。
幸いなことに、駒として選んだ少女はアイドルなどよりもよほど使いでがありそうだ。
本人の戦闘力以外はサーヴァントの強さも肝の座り方も申し分ない。
不治の力と令呪により反抗も封じているため、幾らか安心して懐においておける。
仮に皮下や大和を討つ家庭で梨花が死亡したとしても、収支で言えばプラスに傾くと踏んでいた。
だから、詰み切った少女の辿る運命に介入したのは純粋な打算でしかない。


「うん…これは勝手に…シュヴィが…感謝してる、だけ……」


それでも。
それでもなお、血の通わぬはずの機械の少女は感謝の言葉を述べる。
どれだけリップ本人が、自分は少女の言葉に相応しい人間ではないと否定しても。
それでも彼女は否定しない。ゆるぎない信頼を胸に、リップに接する。
その言葉が届くたびに、その信頼を向けられるたびに。
リップの心は、狂おしくかき乱される。


―――叶えたいなら夢だけは見るな。俺らは理想(そっち)には行けねぇんだ。


頭の中で、皮下からかけられた言葉が残響のように響く。
何人も殺しておいて、何百人も怪物の腹の中に誘っておいて。
血に塗れた掌で受け取るには、少女の信頼はどうしようもなく重かった。


「…感謝なんてするな。状況の推移によっては結局殺すことになる。
あいつらが、何も傷つけずに生きようとどれだけ願っても―――」


だから、彼にしては珍しく突き放すようなことを言う。
それを聞いたアーチャーの少女が悲しい顔をするのも承知の上で。
自分を悪足らしめんと言葉を吐く。
ポケットの中でこぶしを握り締め、奥歯をかみしめて、耐える様に歩を進める。



「俺の不治(ねがい)は、奴らを否定する」



そんな背中を見て、後ろに続くシュヴィは考える。
リクの。
愛しいあの人の。
あと何人殺して、何人死なせなきゃいけないと嘆いていた、あの時の気持ちが、
今ならより深く理解できるような気がした。


446 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:18:52 esiIuC7M0




「んだよそれ……」


頭を抱えていた。
秘密組織タンポポ、虹花の首領である皮下真は、頭を抱えていた。
理由は明白、リップが梨花から聞き出した情報のためだ。


「要は追い詰め過ぎたらさっさと風呂敷畳んで夜逃げするぞって話だろ?め、面倒臭ぇ…」


つい数時間前、自分が行った暴露によって、見方に依れば峰津院大和すら超える危険因子だった脱出派を孤立させることができた。
そこから更に脱出派の一人を捕虜とすることにさえ成功した。
此処までは紛れもなく順調だったと言えるだろう。
だが、順調すぎた。
それによって発生するリスクがある事を、失念していた。


「リップ……梨花ちゃんの話、何処まで本当だと思う?」
「全部が全部本当って訳じゃないだろうな。でも、出鱈目を言ってる風にも見えなかった。
もしそうなら、アーチャーの奴が気づくからな」
「となると…だ。尋問は俺に変わってもらう必要がありそうだな。三十分で吐かせる」
「お前にしては短絡的な発想だな。薬漬けにした後奴のセイバーが念話でコンタクトを取ってきたらどう誤魔化すつもりだ」


本当に、皮下にとっては頭の痛い話だった。
リスクの排除のためにはどうにかして梨花の口を割らせなければならないが、薬物や拷問などで割らせた場合最悪のババを引く恐れがある。
その結果を受けた脱出派が臆病風に吹かれて逃げに徹されればいよいよ脱出に踏み切られるかもしれないからだ。
故に最も手っ取り早い方法である薬物や拷問は使えない。


「はー…こうなると梨花ちゃんだけじゃなくてもう一枚、
あの子たちにかませるカードがあればいいんだけどな。
こいつを見捨てて脱出しないってカードが………」


ぼりぼりと頭を掻きながら呟くものの、それがない物ねだりであることは皮下も理解していた。
そうそうそんなカードが此方に用意できるとは思えなかったからだ。
となれば、正攻法で聞き出すほかないが…


「安心しろ、ちゃんと聞きだすさ。そこについては俺とお前の利害は一致してる」
「本当頼むぜ、取り合えず、283の対処については“向こうさん”とも相談しなくちゃなぁ……」


447 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:19:11 esiIuC7M0


珍しく協力的な言葉を吐く同盟者だが、皮下はまるで安心できなかった。
一応梨花が情報を提供しているのは本当の様だが、明らかに小出しにしている。
前提として余り時間はかけたくはないのだ。
今こうしている間にも、脱出派は準備を整えているかもしれないのだから。
陣営規模での攻撃は控える必要があるかもしれないが、どの道件の宝具を持っているサーヴァントは早々に脱落してもらう必要がある。
その辺りも、今しがた自分のサーヴァントが同盟を結んだ陣営とすり合わせを行っておく必要があるかもしれない。


「頭の痛い話はそれだけじゃねーしさー」


皮下が頭を悩める事案はその一つだけではない。
先ほど、カイドウから念話で聞かされた一つの計画。
窮極の地獄界曼荼羅。
領域外のサーヴァントであるフォーリナーを意図的に暴走させ全てを薙ぎ払うのだという。


「マスター…多分、そのサーヴァント……」
「お?アーチャーちゃんもそのサーヴァント知ってんの?」
「あぁ、金毛に12歳ごろのガキのサーヴァントなら昼間に逢った所だ」


皮下から伝えられたフォーリナーの特徴は、シュヴィが昼間に会敵した少女と合致していた。
であれば、聖杯戦争を揺るがす可能性を持っている事には信ぴょう性がある。
もし彼女が暴走すれば確かにと途轍もない災禍(カタストロフ)が待っているだろう。
だが――、


「そいつを暴走させた後、肝心の制御方法についてはどうするつもりなのか全く見えてこないぞ…というか、本当に考えてるのか?」
「だよなー…いや、戦力はいくらあっても困らねーけどさ。
いざという時俺達まで纏めて吹き飛ばす核弾頭はお呼びじゃねーのよ」


制御は自分が受け持つと発案者らしいリンボは豪語したそうだが。
あの胡散臭い陰陽師にそんな大役任せていいとは思えなかった。
それこそ馬鹿に核弾頭のスイッチを持たせるようなものだ。
せめて皮下達も共同管理できる様な具体的な制御方法が無ければ論外も甚だしい。
戦力的にも困っている訳ではないので、そんな博打に興じる必要性はまるで感じられなかった。


「総督たちはでかい話に目がない上に腕っぷしに自信があるからいざとなりゃ何とでもなるって思ってんだろうけどなぁ。
ありゃ詐欺に引っかかるタイプだよ」


448 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:19:28 esiIuC7M0


生半可なペテン師なら騙された後でも暴力に物を言わせて彼らは解決してしまう。
だが、これは聖杯戦争。あらゆる可能性の坩堝たる戦場だ。
実際にリンボの計画が成功すれば何が起きるか分からない。


「大和も283もリンボの奴も、どいつもこいつもゲーム盤ひっくり返す真似しやがって。
俺のNPCの魂食いとかやるけど、あいつらそう言うのじゃないじゃん。
決まれば勝ちってインチキばっかりじゃん。これからは大看板も動かせるなって浮かれて倒れがバカみたいじゃねーかよー……」


愚痴りながら座り込み、天を仰ぐ皮下。
そして、この上なく深い溜息を吐く。
情けないことこの上ない姿だが、リップもそろそろこの男の事を理解してきていた。
軽薄そうな態度の裏で、思案を巡らせている男であると。


「腐ってる場合か、さっさと知恵を出せ」
「あー…俺としては取り合えず大和の霊地を奪う事を優先したいと思う」


それは、当初の皮下の予定通りの計画だった。
受け取り方によっては今さっきまで悩んでいた問題の棚上げの様に感じられる。


「取り合えずリンボの奴の計画はもう少し深堀して聞き出して、
乗るかどうかは霊地奪還計画の功績で決めるよう伝える。283については梨花ちゃんの望み通り、一旦追跡程度にとどめるってところだな」
「……それならそれで構わんが、具体的にどう奪うつもりだ?」


簡単さ、と皮下は肩を竦めながら応えた。


「二手に分かれる。大和が現れた方の場所に総督に派手に暴れてもらって
奴がいない方の霊地を奪う予定だ」


大和がどれほど強かろうと体は一つ。
カードの量では此方が大きく上回っている。
そのアドバンテージを最大限発揮し、霊地を奪う計画だった。
単純だが、単純故に手数で劣る大和には抗しずらい計画だ。
あえて先手を大和に譲り、現れた地点を確定させたうえで叩く。


「取り合えず、向こうの陣営とのすり合わせをやらねーとな
色々、話さないといけないことはありそうだ」


すり合わせをしなければならない事はいくつかある。
作戦前に行っておかなければ様々な支障が発生するだろう。
その為、皮下は自身のライダーが同盟を組んだサーヴァントのマスターとコンタクトを取ることに決めた。
峰津院大和が東京タワーに現れる、一時間ほど前の出来事だった。


449 : 愛に時間を ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:19:45 esiIuC7M0

【二日目・未明/異空間・鬼ヶ島】

【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:医者として動きつつ、あらゆる手段を講じて勝利する。
0:ひとまずライダーが同盟を結んだサーヴァントのマスターとコンタクトを取る。
1:大和から霊地を奪う、283プロの脱出を妨害する。両方やらなきゃいけないのが聖杯狙いの辛い所だな。
2:覚醒者に対する実験の準備を進める。
3:戦力を増やしつつ敵主従を減らす。
4:沙都子ちゃんとは仲良くしたいけど……あのサーヴァントはなー。怪しすぎだよなー。
5:峰津院財閥の対処もしておきたいけどよ……どうすっかなー? 一応、ICカードはあるけどこれもうダメだろ
6:梨花ちゃんのことは有効活用したい。…てか沙都子ちゃんと知り合いってマジ?
7:逃げたアイの捜索をさせる。とはいえ優先度は低め。
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
 虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間はカイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。


【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り3画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
1:皮下と組むことに決定。ただしシュヴィに魂喰いをさせる気はない。
2:283プロを警戒。もし本当に聖杯戦争を破綻させかねない勢力なら皮下や大和と連携して殲滅に動く。
3:古手梨花を利用する。いざとなれば使いつぶす。
4:敵主従の排除。同盟などは状況を鑑みて判断。
5:地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)の量産について皮下の意見を伺う。
6:ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)は様子見。追撃が激しければ攻勢に出るが、今は他主従との潰し合いによる疲弊を待ちたい。
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。

【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:健康
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:…マスター。シュヴィが、守るからね。
1:マスター(リップ)に従う。いざとなったら戦う。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない
6:セイバー(宮本武蔵)を逃してしまったことに負い目。
※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。
※梨花から奪った令呪一画分の魔力により、修復機能の向上させ損傷を治癒しました。


450 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/04/24(日) 16:19:58 esiIuC7M0
投下終了です


451 : ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:28:13 3JsNZUeM0
投下します


452 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:29:27 3JsNZUeM0


破滅とは転がり落ちる雪玉のような、と。
かつて何処かで聞いたことがある。

雪玉は斜面の雪を纏い、やがては巨大な塊に成長を遂げ、最後は全てを押し流す雪崩へと変じる。
時の経過という"雪"を食らい、肥え太っていく不可抗力。
食い止めるのは、早いに越したことはない。
だが、誰もが始まりの時点では看過する。
雪玉の小ささを侮り、致命の種を斜面へと解き放ってしまうのだ。



七草にちかの住まうアパートの一室に集まった面々は、事態の推移が自分たちの想定をはるかに超えていることを否応なく理解させられていた。
その表情は皆、固い。二人のにちかは元より、田中摩美々は猶更であった。平時ならばからかい上手の裏側で他者を気遣う優しい笑みを浮かべる彼女は、しかしそんな余裕を全て取り払われたように、思い詰めた顔をしているのだった。

田中摩美々からもたらされた情報、すなわち彼女のサーヴァントであるアサシンとの念話内容は、それだけの重みが存在した。
状況が芳しくない、どころの話ではない。
端的に言おう。絶望的状況である。
自分たちの側でも、現状を察して余りある情報は入ってきていた。プロデューサーの拉致から始まり、その当人からの声明。更にはDOCTOR.Kを名乗る人物からのリーク。283プロは四面楚歌に陥り、果ては襲撃者の魔の手が今まさに自分たちに迫りつつあるという事実。
盤面の加速が余りにも速過ぎる。それこそ、つい先日まで市井を生きた少女たちが順応できない程度には。

(アサシンの話では、協力者が襲撃を受けたということだったが)

東京都内における戦火の足音はここまで聞こえている。夕刻の新宿事変に続き、直近で言えば豊島区での大規模破壊。否応なく耳に入ってくる情報だけでこの有様であるならば、小中規模の戦闘や駆け引きに至ってはどれほどの数になるのか。
あらゆる感情を度外視して言おう。ここに集った面々、283プロの陣営はあまりにも"遅かった"。
取るべき選択を間違え、優先すべき事項をはき違えた。大局的な事実のみを羅列すれば、きっとそのような答えになる。
たとえそこに、少女たちの譲れぬ想いがあったのだとしても。
彼女らがこれから先の人生を歩むに際して、決して避けては通れぬ道であったのだとしても。
世界はそんなものを勘案しない。ドラマの有無は運命に寄与しない。力とは物質が起こす事象であればこそ、世界とは子供でも分かる単純な法理によって運営される。
曰く、力のない者は死に方さえ選べない。
蜘蛛の巣は風雨に容易く引き千切られる。智慧を巡らせた権謀とて、力に劣れば屏風の虎に終わる。戦場に努力賞なんてものは存在しない。力という単純な足し算の領域で、自分たちは最初から未来などありはしなかったのだと。

───そんな道理を認められなかったから、自分は境界線を進んだのだ。

「情報を整理しよう。現状自分たちと敵対関係にある陣営はグラスチルドレン、皮下医院、峰津院の三つになる。それぞれ別個に対処しなきゃいけないけど、まず目下の脅威としてはグラスチルドレンになるな。プロデューサーを事実上の人質として提示してきた陣営になるわけだが、アサシン経由のざっくりとした陣営評価以上の詳細情報がないから、送られてきたメッセージの内容から凡その人物像をプロファイリングして」
「ライダーさん」

遮るように、アシュレイのマスターである七草にちかの声。

「それ、意味、あるんですか?」

絞り出すような声音だった。
顔色は、悪い。俯きながらも目は開かれて、ぎゅっと握りしめた拳に視線を落としているのだった。


453 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:30:54 3JsNZUeM0

「殺しに、来てるんですよね。もうすぐそこまで。じゃあこんなこと、してる場合じゃないでしょ。
 無駄なんですよ。こいつらにだって言われたじゃないですか、無駄な努力だって……」
「ああ、そのメッセージは無視していい。完全な感情論でぶちまけただけだろうから、単なるノイズとして処理可能だよ」

へ?とにちか。アシュレイは努めて柔らかな表情を心掛けながら、言葉を続ける。

「俺達への精神的な削りを入れるなら、端的に事実だけを羅列すれば済む。それだけ切迫した状況なのは確かだしな。
 それでもこんな煽りを入れてきたのは、このメッセージの送り主が加虐趣味の持ち主か、あるいはそれが有効手段だと認識してる人間だってことになる。
 文言から読み取れる感情は嫌悪と自己陶酔。もっと根深い憎悪や、あるいは組織的対立から生じる必要手段じゃない、表面的な欲求と感情から出た反射的な言葉だよ。
 正直最初はそういうブラフかとも思ったんだが、仮にも殺し屋っていうビジネスを束ねる組織の長がやるにしては稚拙すぎて、なんか素でやってそうというか」

多分協力者的な立ち位置の人間なんだろうな、と締め括り。にちかはぽかんとした表情でこちらを見つめていた。
七草にちかは、我がマスターながら中々難儀な性格をしている。あるいは思春期の少年少女は案外こういうものなのかもしれないが、ともかく彼女は相手の言葉尻を捕らえてしまう悪癖があった。相手を傷つけたいとかマウント取りたいというわけではなく、自己嫌悪や不安といった感情を上手く処理できずに他人へ出力してしまうというものではあるのだが。
だからこういう時は、まず不安を取り除いてあげるといい。
彼女が不安に思う根拠を潰し、感情の落としどころを作ってあげる。この際大事なのは、決して嘘やごまかしは言わず事実のみを伝えること。彼女は自分で思っている以上に聡い。下手なごまかしはすぐ見抜いてくるし、そうした不義理は別に彼女に限ったことではなく人間関係においては不和の元だ。時として優しい嘘も必要だろうが、少なくともそれは今ではなかった。真実のみを並べ立て、多少言葉を飾ってやれば、にちかはそれで納得できる。それだけの客観性を、彼女は有しているのだ。

あと実際に、この手の輩というのは本当にたくさん存在するのだということもある。
いわゆる野次馬やクレーマーと同類の人種という奴で、多数票の討議を行う際に必ず一定数存在するのだ。ある意味、最も「普通の人間」に近いと言っていいかもしれない。
そしてこの手の人種は、実のところ交渉相手としては楽である場合が多い。良くも悪くも感情と利己で動くため、落としどころと利益を提示すれば意外と話になるのだ。
本当に厄介な相手とは、逆に一切の加虐がないタイプだ。不要に痛めつけることがない代わり、容赦も躊躇もなく、根本的にこちらの話を聞かないどころか、対等な相手として認識してすらいないタイプの人種は、実に厄介なタイプと言える。交渉の場に引きずり出す、ということ自体が非常に難しいのだ。
そして、得てしてそのタイプの人間は、普遍的な利潤や誠意ではなく、当人自身の価値観による「何か」を重んじる傾向にある。それは例えば力であったり、正しさであったり、生来の立場であったりする。まず顔を合わせて言葉を交わす以前に、相手は一体何を重視しているのか。まずそれを見極めなければ、そしてそれを用意できなければ、言論による攻略はまず不可能と言っていい。
あるいは峰津院やグラスチルドレンの長がそうしたタイプの人間なのかもしれないな、と。そこまで考えて。

「結局のところ、なるようにしかならないんですよ。ならやれることはやっとかなきゃ」

臆面もなくこういうことを言えるこの子は、本当にたくましいな、と感じた。
アーチャーのマスターであるところの七草にちかは、テーブルの上で頬杖をついて、真顔のまま言い切ってみせた。やや険のある表情。しかしそれは自分たちへの敵意や悪意ではなく、単純に状況の悪化に対するものであることが分かる。
観客・七草にちかの経歴について、アシュレイたちも簡単にではあるが聞き及んでいた。アイドルになるという夢に破れた、だけではない。母が死に、姉が死に、全てを失った。偶像・七草にちかにはあった出会いすら、彼女にはなかった。
悲劇だ。そうとしか言いようがない。それは紛れもない事実であり、最早変えようのない過去だ。
哀しみは癒えていないだろう。悔いも痛みも当然ある。大きすぎる喪失は影を落として消えることはない。
それでも、彼女は立ち上がった。歯を食いしばり前を向いた。現実を受け止めて当人なりに納得した。諦観や自棄の側面も当然あるだろうが、彼女の有する「苦難への適応」という強かさは、そうした過去に由来するものなのだろう。
……市井に生きる幼い少女が手にするには、あまりに悲しい強さではあったが。


454 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:31:42 3JsNZUeM0

「ぎゃーぎゃー言っても起きたことは変わらないんですから。建設的な意見が言えないならせめてお口チャックしててもらえませんかねー?」
「……あーもー! イヤミな正論ありがとうございますー! おかげで落ち込んでる暇もなくなりましたよ!」
「そういえば田中さん、アサシンから何か追加で情報は来てないか?」

すったもんだと言い合って頬を膨らませる自分のマスターを宥めながら、摩美々へ振り替える。
彼女は瞼を伏せ、どこかに聞き耳を立てるようにしていた。それが今ここにはいないアサシンとの念話であることは察せられた。

「……んー。特にはありませんよー。けどぉ」

声音が、いくらか柔らかいものになっていた。
静かに目を開け、答える彼女の表情が、最初に会った時と同じ、優しさを感じさせるものになっていることに、アシュレイは気づいた。

「アサシンさんも、肩の荷がちょっと降りたみたいですー」
「……そっか。それは良かった」

揶揄ではなく、忌憚なく、心から素直にそう言えた。
摩美々が言うアサシンの心境の変化が、どのようなものかは分からないが。
そして絶望的な状況にも変わりはないが、けれど。田中摩美々が「そう」と言えるだけのことが、きっとアサシンにあったのだろう。
ならばそれは歓迎すべきことであり、あるいは好転の一助でもあるのだ。
精神論は万事に通じる魔法の言葉ではないが、状況に呑まれてしまうようでは勝てる戦いも勝てなくなってしまうのだから。

「というか、アーチャーさんは何やってるんです? さっきから全然姿が見えないんですけど」
「ああ、彼には少し手伝ってもらってることが───」

だが、和やかな空気は長く続かない。
ここは東京内界、聖杯戦争の表舞台。血で血を洗う戦場であり、力なきものは無慈悲に狩られる非情の都であるのだから。

それは突然のことだった。
電灯に照らされたアパートの一室、突如として破砕音が鳴り響いた。
窓、玄関、そして壁。四方を囲むような形で突っ込んできた「それら」は、物理的な障壁を苦も無く破壊して、すさまじい速度で部屋の中へと雪崩れ込んできたのだ。
少女たちは反応できない。何があったのか、突然すぎて姿を見ることさえ。
そして、押し入ったそれらが、手にした長物を振り上げようとした、瞬間。

部屋が、爆発した。






455 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:33:03 3JsNZUeM0



「な、ななな、な……」

ぷるぷると、小動物のように震えながらにちか(準決勝敗退)が声まで震わせていた。

「なんなんですかあれはー!」

勢いよく、背後に向かってびしっと指をさす。そこには、上半分を派手に吹っ飛ばして吹き曝しとなったアパートが、派手に大火をあげているのだった。
燃えていた。アパートが、派手に。
轟々と燃え盛る赤い炎が、漆黒の夜天によく映えていた。

「アーチャーと相談しててさ。俺の星辰光を利用して即席の地雷原、というか感知式のトラップを仕込めないかって話してたんだ。早速役に立ったようで何よりだよ」
「そうじゃなくて! いや間違ってませんけど、でもですねぇ!」
「ああ、もちろんあっちの七草さんには許可を取ってあるし、付属性の応用でマスターたちには無害だから安心してくれ。電車でやったバックドラフトみたいな感じだ」
「やだー! あれもうやだー!」

事のあらましはこうだ。いきなり誰かが押し入ってきたと思ったら、部屋が爆発した。ものすごい眩しくてものすごい五月蠅かったので目と耳が数瞬利かなくなって前後不覚となり、あれよという間に抱きかかえられて2階から地面にダイブ。そして今に至るというわけだ。
残る二人も無事である。にちか(正論がうざいほう)と摩美々も、ようやく目と耳が慣れてきたのか「うぅん……」と呻きながら目の焦点を合わせていく。にちか(今まさに暴挙かました野郎のマスターやってるほう)は、前に一回同じようなことをやられたからほんの少しだけ復帰が早かったというわけである。

「だが、彼らは一体……」

と、燃える大火の中から飛び出てくる複数の影による攻撃───手にした槍による刺突や薙ぎ払い───を刀で切り払い、あるいは蹴り飛ばして無力化しながら、アシュレイは呟く。
人の形をしていたが、明らかに人間ではなかった。背丈はおよそ小学生程度か、身長に倍する長槍を用い、言葉なくこちらの命を刈り取ろうと刃を振るう様は、まるでパニックホラー映画のクリーチャーめいた不気味さがあった。
一体、二体と切り伏せ、しかし個の力では敵わぬならば数で押し切ると言わんばかりに、次々と新たな影がそこかしこから飛び出してくる。そのうちのいくらかは仕掛けられた罠───アシュレイの爆縮星辰光以外にも、圧力鍋を利用した爆弾やら、ワイヤートラップやらがところ狭しと仕掛けられていた。アーチャーの努力の賜物である───に引っかかり自滅していたが、それでもトラップを切り抜けた数体が四人へと斬りかかり……
大上段に振り上げられた槍が振るわれるより先に、その頭部に衝撃を受けて後ろへ吹っ飛んでいくのだった。

「無事だったか、マスター」
「え、アーチャーさん……?」

かけられた声に、彼のマスターであるにちかが振り返ると、そこには今まさに銃弾を放ったのであろう、ライフルの銃口から硝煙をあげて佇むアーチャーの姿があった。
が、困惑の声はそこに起因したものではなかった。アーチャーはどこから持ってきたのか、やたら武骨な大型バイクに跨り、車体を傾けて片足を地面につけた状態でライフルを構えていたのだった。

「え、それどうしたんですかアーチャーさん」
「アサシンが用立てた奴だ。それより状況は」
「正体不明の襲撃者複数。サーヴァントの気配なし、魔力反応あり。似たような姿が複数個体確認されてるから、恐らく使い魔に相当する連中だろう」

会話の間にも新たに出現し、あるいは起き上がってくる襲撃者に淡々と銃弾と刃を浴びせながら、二人は端的な情報交換を実施する。発砲音と剣戟の甲高い音が夜の住宅街に鳴り響き、炎に照らされていることも相まって、その一帯はさながら中東の戦場めいた惨状となっていた。

「アサシンの言っていた襲撃か。悠長に合流を待つのは無理だな。よし、乗れマスター」
「わ、ちょ」

言うが早いか、アーチャーは自分のマスターの手を引くと、そのまま自分の前部分に跨らせる。「田中さんも」という指示に従って、更に摩美々がアーチャーの後ろに座る。


456 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:33:46 3JsNZUeM0

「これから強引にアサシンたちと合流する。悪いがアサシンと念話のチャンネルを繋げて、リアルタイムで俺に指示を出してほしい。厳しそうなら俺達の座標と方向だけあちらに伝えてくれ」
「……まぁ、そうなりますよねー」

摩美々はそのまま無言でアーチャーの腰に手を回し、アシュレイもまた己のマスターであるにちかに歩み寄る。
あ、嫌な予感。

「そういうことで、マスターは俺と一緒に行こうな」
「あ、やっぱり」

言うが早いかアシュレイはにちかを横抱きにし、そのまま勢いよく地を蹴った。上方向への凄まじい加速がかかり、思わず目を瞑った次の瞬間には浮遊感、からの落下に伴う感覚が文字通りに肝を冷やす不快感と共ににちかに襲い来る。

「うわーーーーー!!! うぎゃーーーーーーー!!! ぎゃーーーーーーーーー!!!!」
「舌を噛むから、あまり喋らないほうがいいぞ」

言ってるは分かるんだけど、でもこの状況に文句の一つも言いたくなる気持ちだってわかってほしかった。
端的に言おう。絶叫系アトラクションなんか目じゃないくらいにヤバイ。
にちかは今、アシュレイに抱きかかえられる形で彼にしがみつきながら、民家の屋根から屋根へと凄まじい速度で飛び移り、疾走する形となっているのだった。ジェットコースターなんかの乗り物と違って、小回りが利くからかかる負担は凄いし、足場も悪いってレベルじゃないのがまた乗り心地の悪さに拍車をかけていた。
とはいえ、残る二人のように大型バイクに乗って、というのも天国というわけじゃないことは、彼女にも察することができていた。夜に駆ける羽目になったにちかの視界には、今まさに急発進したバイクの姿が映っていたが、出された速度が明らかにおかしかった。言うまでもないが、ここは住宅街のど真ん中であり、細い路地が入り組んでいる都市構造をしている。真っすぐな大通りではないのだ。にも関わらず、アーチャーは初速から既にトップギアをかけ、数秒も経つ頃には時速にして100㎞を超える速度を叩き出していたのだ。そんな速度で細い道を爆速で通り抜け、曲がり角を何度も何度も急カーブで切り抜けていくのは如何なドライブテクニックの為せる技なのか。機甲猟兵のサーヴァントである彼は、当然ながら軍用車両の扱いにも精通しており、そういった側面からライダークラスの適性も有しているのだろう。ステータスの額面上には現れない騎乗スキルやサーヴァント化に際する技能向上の恩恵を受けているのだった。とはいえ相乗りしてる二人にとってはまさしく最悪のドライブだろう。摩美々に至っては振り下ろされないようにするだけで精一杯なはずだ。この状況でナビゲートまでしろというのは、流石に酷というものじゃなかろうか。
けれど、そうも言ってられないのも事実であり……尚も迫る襲撃者たちが、アシュレイとメロウに追いつけずその姿が遠くなっていくのが見えた。だがそれも本当にぎりぎりのところであり、あと少しでも速度が遅ければ、持つ槍の切っ先が引っかかっていたかもしれない。


457 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:34:23 3JsNZUeM0
それでも、逃げ切れた。このまま距離を開け、撒いた後にアサシンたちと合流する───そんな希望がすぐそこまで見えていた。
だから、アトラクションもかくやの移動に叫びたい気持ちとは別に、安心のようなものがあった。むしろそうした安堵があるから、高揚して叫びたがったのかもしれない。

……破滅とは転がり落ちる雪玉のような、と。
どうして、忘れていたのだろう。

雪玉は斜面の雪を纏い、やがては巨大な塊に成長を遂げ、最後は全てを押し流す雪崩へと変じる。
時の経過という"雪"を食らい、肥え太っていく不可抗力。
食い止めるのは、早いに越したことはない。
だが、誰もが始まりの時点では看過する。
雪玉の小ささを侮り、致命の種を斜面へと解き放ってしまうのだ。

依然絶体絶命の状況であることに変わりはないのに。
目の前の危機を脱しようとしているだけで、どこか安心してしまった。

だから、それは必然の破滅だったのだ。



「見つけたぞ、羽虫共」



───世界から、音と光が消し飛んだ。











何が起きたのか、分からなかった。
勢いよく投げ出されて、地面に転がって、手も足も頭も思いっきりぶつけながら吹っ飛んで。
目も耳も全然利かなくて、痛む全身を抱えてよろよろと起き上がったにちかは、状況を理解するまでにそれなりの時間を要した。
霞む視界が徐々に戻りつつある中、ようやく悟ったのは、また同じことがあったということ。爆発。けれど先ほどのそれとは違い、自分たちを気遣うような付属性(やさしさ)は一切ない、剣呑なものであるということ。
攻撃を受けたのだ。
その事実を、およそ現実味のない思考に叩き込まれながら、にちかはようやくの再起を果たす。


458 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:35:26 3JsNZUeM0

「ライダー、さん……?」

彼は、自分の前方にいた。膝立ちに蹲り、しかし刀は構えたまま真っすぐ前を見据えている。
ふと視線を横にやれば、そこには同じく巻き込まれたであろう摩美々ともう一人のにちかの姿。どうやら大きな傷はなさそうで、既に立ち上がっているが、場を離れようとはしていない。アーチャーが斃れているのだ。塀に頭を打ち付けたように、夥しい量の鮮血をばら撒いて、壁に寄り掛かるようにして斃れていた。恐らく二人を庇った結果なのだろう、彼女らの必死で叫ぶ声が、ここまで木霊するように聞こえてきた。

そして。
それらを見下ろすように立つ、黒衣の男。

───それを、にちかは『悪魔』と認識した。

少女は、自分の視線の向こうに仁王立つそれを、ただ一言、『悪魔』であると認識した。
心を圧し潰し、息が詰まるほど、暗く巨大な空洞が如き夜闇の中央に、それは君臨していた。
それは人の姿をしていた。偉丈夫と呼ぶに相応しい屈強な体躯をしていたが、形は人間だった。
だが違う。これが人間であるはずがない。発せられる圧と気配が、明らかに非現実のそれであった。
瞼を閉じてもそこに在ると容易に分かり、はっきりと輪郭を描けてしまうほどに強い存在圧。ただそこにいるだけで、こちらの心臓を握りつぶしてしまうかと思えてしまうような、圧倒的な威風。その、"銃砲火器を備えた長大な戦列を一人に凝縮したような"異様極まる気配を持つ男が、まさか人間であるはずもないのだ。

悪魔。
七草にちかの拙い語彙と知識と直感は、辛うじて悪魔としか表現できなかった。
ベルゼバブという、男の真名も知らぬまま、にちかは彼をそう認識したのだ。

「こちらに戦闘の意思はない、お前は、───ッ!?」

焦燥の色を含んだライダーの言を、一切聞かぬとばかりに男は動く。にちかの眼には、男の姿が一瞬にして掻き消えたようにしか見えなかったが、実際それは貫手を放つための攻撃動作であった。ライダーは辛うじてそれを認識し、炎を纏わせた刀身を盾のように射線上へ滑り込ませた。回避が間に合わないがための、苦肉の防御策であったが、しかし。

「がッ、ァあ……」
「………………………は?」

ライダーの背から血に濡れた手刀が突き出した光景に、にちかは呆けたような声をあげることしかできなかった。
それはあまりにも単純な話だった。男の手刀が、ライダーの剣を一方的に粉砕し、その先の胴体を豆腐か何かのように刺し貫いたのだ。柔いはずの人体が硬質の金属を逆に打ち砕くという不条理。ずるり、と引き抜かれた男の腕はライダー自身の血で真っ赤に染まり、支えを失ったライダーの肉体は、最早声なく力なく、無情にも地に落ちるのだった。

二撃。
たったの二撃で、七草にちかたちの陣営は崩壊した。
蹂躙どころの話ではない。力に差がありすぎて、そもそも戦闘として成立さえしていなかった。

「なに、これ……」
「下らぬ」

初めて男が口を開いた。その気配と同じく、重厚で威厳さえある声音であった。
びくりとにちかが身を震わせ、畏怖と恐慌の眼差しを向けるが、それを全く意に介さず、ともすれば認識すらしないまま、男は続けた。


459 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:36:35 3JsNZUeM0

「なんだこれは。惰弱、脆弱、取るに足りぬ。カイドウ、そしてあの忌々しいサムライめに比肩し得るとは、余とて最初から考えてはいなかった。だが……」

男は、その足元に伏せるアシュレイの腹を、まるで路傍の石をどかすように、そのつま先で蹴り上げた。肉と骨を打つ不快な水音と共に新たな血反吐がぶちまけられ、アシュレイはゴム毬のように宙を舞い、10メートル先の地面へと強かに叩きつけられた。悲鳴も、苦悶の声もなかった。それを出せるほどの生命力は、既に彼から失われていたのだ。

「無様に過ぎるぞ羽虫共。害虫にさえ劣る矮小な塵芥の分際で、聖杯戦争の舞台に参するサーヴァントなどと、よくも余の敵であると臆面もなく名乗れたものだ。
 闘争を恐れる敗北主義の蒙昧共。耳障りな言葉で我が身の軟弱を覆い隠すその醜悪さ、見るに堪えん。弱者は弱者らしく己が身の程を知り、せめて自らの首を裂いて自害するが相応であろうが」

そこでようやく、男の意識が明確に"少女"を認識した。

「だが───貴様らは"狡知"ではあるまい」
「ひっ……」

意識を向ける。ただそれだけで、にちかは卒倒寸前まで追い込まれた。蛇に睨まれた蛙とは、このような心境であるのか。決して敵わない絶対強者が向ける敵意とは、それだけで弱者の心を粉砕する劇毒と化すのだ。
にちかは最早、泣き叫ぶどころか呼吸さえ満足にはできなかった。体が隅々に至るまで石のように硬直して、目を閉じることさえ叶わない。男を見つめる視線を外すこともできず、虚ろになっていく意識の中、ただただ男の告げる言葉だけが頭の中に入ってきて。

「出せ、蜘蛛を。今も隠れ潜む忌々しき狡知の徒を。
 彼奴だけは確実に、余がこの手で縊り殺さねばならぬ。言葉、想い、利得に奸計、どれも不要だ。策と甘言を弄する類は、存在そのものが万死に値すると知れ」
「が、ひ、ぃ……あ……」

男は、恐らくにちかに問うているのだろう。今この場で、自分たちを皆殺しにすることなど、彼には容易い。然る後、この一帯を根こそぎ破壊せしめ、隠れる他の陣営を屠ることもまた。けれど彼は"絶対"をこそ欲していた。彼が何より憎み、嫌悪し、この世から消し去りたいと希う類の狡知を、確実に殺し尽くす。そのために彼はにちかから情報を引き出そうとしていたのだ。
端的に言って、これは男の気まぐれに等しかった。殺すことなど、彼にとっては本当に容易いことなのだ。状況的にも戦力的にも、ただ漫然と力を使って辺りを破壊するだけで、きっと彼の思惑は叶う。だがそれでは確証を得られない。彼はそれが許せなかった。これは本当に、ただそれだけのことなのだ。

「答えろ。貴様らに下らぬ智慧を与えていた羽虫の居場所を」
「──────ぁ」

そして当然、にちかにそれを答えることはできない。単純に知らなかったし、そもそも物理的に口を動かすことができないのだ。
このままでは、男が手を下すまでもなく、呼吸不全によってにちかは死に至るだろう。その未来は絶対だ。厳然たる力の差とはこういうことであり、その前には想いや祈りは意味を為さず、劇的な奇跡や逆転劇が起きるはずもない。

「囀ることもできんか。下らぬ、無価値な塵が。ならば無意味に死ぬがいい」

けれど、いいやだからこそ。


「プリキュア───スターパァァァァンチッ!!」


そんな道理を知らぬとなぎ倒す者こそが、英雄と呼ばれるのではなかったか。








460 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:37:45 3JsNZUeM0





「多少はできる羽虫がいたようだな」

突如として飛来した黄金光の一撃を受けて、男は事もなげに呟いてみせた。
無傷だった。直撃すれば三騎士級サーヴァントであっても致命傷を免れぬであろう魔力を秘めた一撃、広域破壊に用いれば周辺区画を崩壊させることもできるだろう一撃を、彼は右腕一本で迎撃し、その拳で以て相殺。純粋な魔力エネルギーの放出を逆に粉砕してみせたのだ。
なんという不条理の具現であるのか。宝具を抜かず、スキルも使わず、魔力強化すら伴わない素手のみでこの所業。一サーヴァントの霊基が再現し得る限界を極めた存在であり、聖杯戦争という舞台においては紛れもなく最強と言って過言ではない。それだけの実力を厳として有する、そんな事実の発露であったが。

「……離れてください。ここから、早く」

闖入者である少女、アーチャー・星奈ひかるは、未だ地に伏せるにちかたちへ、言葉少なく告げた。
常の彼女を考えれば簡素に過ぎる言葉であり、つまりそれだけ、今のひかるに余裕はないということの表れであった。
アサシンと、そして櫻木真乃から、283の少女たちのことは聞いている。ならばこそ、今この場で彼女らを守ることに否はなかった。
その表情に、怒りはなかった。
殺意も、憎悪も、嫌悪さえなかった。少しの焦燥と、決死の決意と、そして尽きせぬ哀しみが、少女の顔に感情となって表れていた。

「どうして、こんなことをするんですか」
「……」

そして口火を切ったのは、ありふれた、そしてあまりにも今更な疑問。

「サーヴァント同士の戦いを、私は否定しません。けどどうして、無関係の人たちまで巻き込むことが許せるの?
 どうしてそんな酷いことができるんですか。あなたは───」
「驚いたな」

え、とひかる。男は本当に、驚いたという言葉通りに口を歪ませていた。
そして。

「口から糞を垂れるのか、このゴミは」
「ッ!」

そのあまりにもあんまりな返答に、やりきれなさと"ああやっぱり"という諦観を込めて、ひかるが動く。
力強く地を蹴り上げ、一息でベルゼバブへと肉薄。身体の隅々にまで魔力を行き届かせ、その拳を振り上げる。手加減も出し惜しみもなし、全力でかからねば勝てる相手ではないことなど、最初から分かり切っていた。彼我の相対距離8メートルをコンマ秒以下の時間で駆け抜け、すり抜けるように男の胸元へ突き出す。
ぱしん、という乾いた音と共に、その一撃はベルゼバブの掌で受け止められた。その事実を認識するより先にひかるは身を翻し、空中にて回転し男の側頭部目掛け蹴撃を放つ。
踏み込んだ足が地を削り、加速度が全身を水のように伝う。教科書のような理想的な一撃であった。
閃く軌跡は一条。星の光を纏った回転蹴りは更に逆の掌で受け止められ、その威力を無力化される。
流れるように放たれた二連撃が悉く阻まれ、ベルゼバブの体は一歩とてその場から動いてなどいなかった。まるで相手の動きが分かっているかのような反応。
それは単純明快にして絶望的なまでの真実。ただただ圧倒的に、ベルゼバブが強すぎるという、そんな事実によるものだった。
動体視力、身体能力、戦闘技術、積み上げられた鍛錬の質と量、潜り抜けてきた死線の数。そのどれもが他の追随を許さない。


461 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:38:27 3JsNZUeM0

ベルゼバブの左手が僅かに揺らめき、次の瞬間ひかるの足にかかっていた圧力が消滅する。
危機を感じ、後方に跳躍しようとした瞬間には既に遅く、無拍子で放たれた拳打の一撃はひかるの腹部を直撃、その小柄な体躯を吹き飛ばす。
そのあまりに軽々しく放たれた一撃でさえ、ひかるにとっては致命的な一撃だった。吹き飛ぶ体は音の壁を越え、地面を大きく抉りながら何度も地に打ち据えられ、およそ50メートルほどの距離を転がってようやく動きを止めた。
痛む腹をかばってひかるが手をついたその瞬間には、既にベルゼバブが目の前に悠然と屹立していた。自分で殴り飛ばしたひかるを、彼は軽々と追い越して移動したのだ。音速さえ、彼にとっては牛歩のそれに等しい。
咄嗟に飛び起きようとしたひかるより早く、男の丸太のような足が強かに少女を踏み抜いた。金切りめいた悲鳴を掻き消すように穿たれる破壊、少女の体は地面にめり込み、それさえ知らぬとベルゼバブは何度も何度も少女を踏み抜いた。
まるで再起など許さぬと言わんばかりに。
まるで見るも不快なゴミをすり潰すように。

「ああ、そうだったな。思い出したぞ」

そこで彼は、踏みつぶす反復動作を止めることなく、言葉を紡ぐ。

「貴様のような羽虫は、自分以外が死ぬと泣く習性があったのだったな」
「っ、づぁ……!」

余興を思いついたと言わんばかりのベルゼバブの声音に、ひかるはさせぬと奮起するも、その顔面を踏み抜く無慈悲な一撃によって強制的に地に落とされた。
止められない。防げない───守れない。
その事実を認識し、ひかるの表情が真に絶望の色を帯びて。

「疾く死ね、屑共が」

無情なる宣誓と共に、漆黒の棘翅がひかる以外の者らへ向けて放たれた。
空を裂き、飛来する死の黒羽。
地に倒れ、あるいは力なき少女たちに、それを避け得る道理はなく。
あまりにも当然すぎる末路が、彼ら全員に等しく降りかかって───


462 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:39:00 3JsNZUeM0





そう、この時点で全ての運命は決定づけられた。
あらゆる祈りは意味を為さず、あらゆる想いは無為に帰す。
それは必然にして世の道理。力で劣る者は何も為せないのが戦場の掟であり。

「かつてお前は言った。世界の美しさを俺に示してみせるのだと」

「ならばこそ、俺も約定を果たすとしよう。さらば蝋翼、我が半身。焔の総てを担う時だ」

「さあ───創世神話を始めよう」


463 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:39:59 3JsNZUeM0






『天昇せよ、我が守護星───鋼の恒星(ほむら)を掲げるがため』

瞬間、核爆発もかくやという凄まじいまでの爆炎が、周囲一帯を吹き荒れた。
その波濤は鋼翼の嵐を打ち払い、されどひかるや283の少女たちには何の影響も与えず、轟々とうねりを上げていた。
その時ベルゼバブは、恐らく初めて瞑目した。爆炎にではない、その発生源についてだ。
胴体を貫かれ、最早死ぬしかなかったはずの羽虫(アシュレイ)。それが再び、膨大な魔力の奔流と共に立ち上がる。
爆風によって鋼翼が弾かれた───それはいい。有象無象では抗えぬ死の具現なれど、避けられたことも防がれたことも、あるいは手にした刃で切り裂かれたことだとてある。けれど。
今まさに立ち上がった青年のように、中空にて素手で掴み取り、あまつさえ握り潰されたことなど、ベルゼバブでさえ初めての経験であったのだ。

『愚かなり 無知蒙昧たる玉座の主よ
 絶海の牢獄と 無限に続く迷宮で 我が心より希望と明日を略奪できると何故貴様は信じたのだ』

それは最早アシュレイではなかった。
その瞳は圧倒的なまでの熱情を帯び、声音は険しさを極めている。想いの方向性は悪の根絶という破滅的な属性に極端に特化され、人々の明日を奪うベルゼバブへの赫怒に充ち満ちていた。
紡がれるは遥か高次元より響き渡る、遍く闇を討ち滅ぼす浄滅の詠唱(こえ)。
極限まで圧縮された覚悟、勇気、決意の波動。嚇怒と共に地を蝕んで轟く殺意の奔流が、あらゆる邪悪を呪いながら死の光を氾濫させていく。

『この両眼を見るがいい 視線に宿る猛き不滅の焔を知れ
 荘厳な太陽を目指し、高みへ羽ばたく翼は既に天空の遥か彼方を駆けている
 融け墜ちていく飛翔さえ、恐れることは何もない』

一歩、一歩と踏みしめる度、激震と共に刻まれるのは蜘蛛の巣状の巨大なひび割れに他ならない。
地に穿たれる不可逆の破壊。ただ歩みを進めるだけで、揺るがぬはずの大地が揺れ、崩れぬはずの文明の尖塔が衝撃と共に崩壊する。それはまさしく、アシュレイの肉体が有する質量が見た目通りのものではないことを示していた。
まるで骨肉が鋼鉄に置き換わったように……いいや否、それでは足りない。見上げんばかりの霊峰や、水平線の彼方まで広がる大海を、そのまま人間大の器に極限圧縮して無理やりに詰め込んだかのような。

『罪業を滅却すべく闇を斬り裂き 飛べ蝋翼───怒り 砕き 焼き尽くせ
 勝利の光に焦がされながら 遍く不浄へ裁きを下さん』

敗亡の淵に増幅される嚇怒の波濤が炎となって、陽炎のように立ち昇りながら青年の体躯を己が星へと貪り新生を果たしていく。
比翼連理を食らいつくし、呼応しながら羽ばたく様はまさしく捕食。
発生する膨大な熱量が天を衝く巨獣の顎門となり、その大口を開いてアシュレイの体躯を容易く呑み込み、咀嚼する。
膨れ上がる業火は自身さえも焼き尽くしながら広がり、その様はさながら不死鳥の羽ばたきのようで。


464 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:40:39 3JsNZUeM0

『我が墜落の暁に 創世の火は訪れる』

加速度的に増大する圧力と共に軋みを上げ、捻じれ歪んでいくアシュレイの肉体。
骨肉が砕け、腱が切れ、血管は破裂し血霧を噴出させるも、"それがどうした"と言わんばかりに前進を続ける。
止まらない、止まらない。常軌を逸した意志力は、物理法則さえも捻じ伏せて目を疑う不条理すら現実のものとする。
際限なく膨れ上がる勇気、勇気、勇気、勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気勇気───誰も彼を止められない。
肥大化する精神は肉体の致命崩壊を代償として、アシュレイ・ホライゾンの霊基を恐るべき高みへと導いていく。

それは脱皮、それは変貌。進化、超越、あるいは覚醒。
"守るために殺す"という人類最強の宿業が、星の覇道を塗り潰して創世神話へと染め上げる。

『ゆえに邪悪なるもの一切よ ただ安らかに息絶えろ』

故に彼は優しい境界線(アシュレイ・ホライゾン)ではなく。
流転する両翼(アンサラー)でも、縛鎖断ち切る白翼(ペルセウス)でも、まして嘆きに狂う滅奏者(ケルベロス)でもあり得ない。
そう、彼こそ───


『擬装超新星(Imitation)───狂い哭け、末路に墜ちた蝋翼よ・烈奏之型(Mk-Braze Hyperion)』


その一声で、大気に鉛の質量を架せられたとすら思わせる威圧と重圧が消し飛ばされる。
爆轟する黄金の輝きが、核の爆発すら凌駕する極大の狂飆となって周囲一帯に吹き荒れたのだった。

最早悲劇は幕を閉じた。涙(おまえ)の出番は二度とない。
さあ刮目せよ、いざ讃えん。その姿に諸人は希望を見るがいい。

そう、彼こそ真なる救世主。
光のため、未来のため、希望のため、自分以外の誰かのため。
前へ、前へ、前へ、前へ───命を燃やしてさあ逝こう。


465 : 掃き溜めにラブソングを(前編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/24(日) 17:41:12 3JsNZUeM0
前編の投下を終わります。続きはまた後日投下します


466 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/24(日) 23:11:23 1fqew/4M0
皆様投下お疲れさまです!
感想は明日中には必ずさせていただきます(こいついつもそれ言ってない?)

ガムテ&ライダー(シャーロット・リンリン)
ライダー(カイドウ)
北条沙都子&アルターエゴ(蘆屋道満)
松坂さとう&キャスター(童磨)
飛騨しょうこ&アーチャー(ガンヴォルト[オルタ]) 予約します。


467 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/25(月) 16:37:17 8nvlUr9M0
>向月譚・弥終
前話で原作では辿り着けなかった帰結へ至った継国兄弟を、この方向で掘り下げてくるか……!と膝を打ちました。
縁壱に対して初めて面と向かって苦言を呈せた黒死牟ですが、しかしそもそも縁壱をこうして糺したのも彼が初めてという構図が美しい。
その上で描かれたおでんと縁壱の関係性も、もう何度目の言及か分かりませんがめちゃくちゃ良いんですよね……。
主従というよりまさに友達(ダチ)と言った距離感で交わされる誓い、非常に熱くてよい。

>緋色の糸、風に靡く
地獄が展開されるまで秒読み状態と化している世田谷組の、嵐の前の静けさとでも言うべき時間。
苦境のウィリアムに対する摩美々の優しさや、真乃ひかる組が輝きを取り戻す下りなど、
氏の優れた心理描写と情緒溢れる表現がこれでもかと炸裂した読んでいてうんうん頷いてしまうような一作でした。
しかし良いことばかりではなく、世田谷の乱戦に猗窩座という新たな駒も載せられ……いよいよどうなるか分からなくなってきたなあ。

>蒼い彼岸花のひとひら
無惨の消滅という上弦の鬼にとって無視することの出来ない事態が招く影響、という話でこのアイデアを出せる発想力に感嘆させられましたね……。
始祖という呪いから解き放たれた彼らであれば、もはや陽の光ですらも絶対の死ではなくなる。面白いし有意義なアイデアだと思います。
生前から相変わらずと思いきや童磨も童磨で色々と変化しており、本当に不変なのは無惨一人だったんだなあ……と。
GVとの会話も好きです。本人は不本意だろうけど彼とこういう会話が出来るの、GVくらいしかいなそう。

>輝村照:イン・ザ・ウッズ
「緋色の糸、風に靡く」の部分補完的な趣の強い一作。しかしただの補完に留まらず、ガムテというキャラクターへの掘り下げが素晴らしい。
なにげにこれまで言及されてこなかったガムテの願いに照準を合わせてくる発想、うお〜此処でか!となってしまいました。
ガムテ→プロデューサーへの評価が口とは裏腹に高いのも好きです、彼らしいので。
グラスチルドレンという集団の行く末を誰より悟っているガムテ、やはり優しくも悲しい男。

>拍手喝采歌合/愛に時間を
梨花ちゃん、やっぱりこのくらい追い詰められてからが輝く女ですね……。
百年間も惨劇の運命を繰り返して折れなかった女、やはりそう簡単には潰せないなと笑顔になりました。
絶賛最悪の男レースを独走する皮下とは真逆に優しさを捨てきれないリップもまた良い。
不完全ではありながらもとりあえず再起出来た武蔵ちゃんがどう動くかも楽しみですね。


遅れに遅れましたが感想になります。
皆様たくさんの投下ありがとうございました!


468 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:19:44 gWa0QylI0
予約分、前編を投下します


469 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:22:12 gWa0QylI0
「よくぞお帰りになられました、我らがM」
「うむ。君の方こそ無事で良かったぞ四ツ橋君。今回は迷惑を掛けてしまいすまなかったな」
「滅相もございません。それに私が胸襟を開いた同志達は予め本社から退避させておりました。
 有事の際に狙われる可能性も加味しての措置でしたが…今回は吉と出たようだ」
「助かるよ。尤も…今後もこれまでのような社会戦が出来るかは微妙だがね」
 四皇ビッグ・マムと百獣のカイドウの襲撃。
 そして同盟者であった松坂さとうの叔母とそのサーヴァントの乱心。
 二つの荒事を超えた敵連合は中野区を訪れていた。
 デトネラットは国内はおろか、世界にもその名を轟かせる大企業だ。
 当然子会社や関連会社の類は東京中に存在している。
 今回四ツ橋が連合の新たな拠点として用意したのは要するにそういう会社だった。
 流石に本社程壮観ではないものの、それでも立派な高層ビルだ。
 四ツ橋力也という男がどれだけ方々に顔が利くか、モリアーティは改めて実感させられた。
「時にだ。要望の通りの部屋を整えてくれたかね」
「出来る範囲ではありますが。それにしても厄介なものですな、正体不明の盗聴手段を持つ敵とは」
 こうして新たな拠点を得られたはいいが問題はまだ残っている。
 四皇ビッグ・マムは…彼女達の陣営は、一体如何にして自分達の居所を特定したのか。
 先んじてデトネラット本社を訪れていたアルターエゴが絡んでいるとすればさしたる理由付けは無意味に思えるが、そこで思考停止はしなかった。
 リンボから聞き出した情報を元にして、連中は何かしらの形で裏を取ったと考えるのが妥当だ。
 常に最悪の想定をするのは戦争の基礎。
「電波ジャミングの類は抜かりなくやっているね?」
「はい、それは勿論。私の息の届く建造物には全てジャミング工作を行わせていただいております」
「では必然…まともな理屈による盗聴ではないということだ」
 即ち異能による超常的盗聴。
 一見すると手の打ちようがなく思えるし、実際もしも敵の傍受手段が完全なノーリスクの賜物だったならモリアーティとしてもお手上げである。
 が、恐らくそうではないだろうと彼は考えていた。
「我々が盗聴の道具としてはまず考えないだろう物が利用されている可能性が高いネ。
 それに彼らは先程一つミスを冒している。子供達の潜在性を見誤ったこと以外にもだ」
「…と言うと?」
「ガムテと呼ばれた少年…ビッグ・マム女史のマスターに顔を出させたことさ。彼は突然現れた。何の前触れもなく突然だ」
「それは……」
「息を潜めて足音を殺していたからなどとは言うまいね、四ツ橋君。それなら私は気付いたさ」
 どれだけの手練れであったとしても人間は人間だ。
 シャーロック・ホームズに唯一対抗し得た犯罪王を技術一つで欺けるとは思えないし、そうはされない自負がモリアーティにはあった。
 そうなると問題はトリックだ。
 どのようにして殺し屋ガムテは犯罪王ジェームズ・モリアーティの糸を掻い潜ってあの場に姿を現したか?
「恐らく彼が突然現れた手段と盗聴の絡繰はニコイチだ。
 平時はその物体を介して情報を盗み、いざとなればそれをゲートにして相手の陣地に出現する。
 それこそその気になればあの女史を直接放り込むことも可能なのだろう。
 頭の痛い話だが……しかし人間が行き来するゲートの役目を果たし得る物体となると大分絞られてくる」


470 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:23:09 gWa0QylI0
「ロッカー…はあの爆発で建物が倒壊していることを思うと難しいですね。
 間違いなく巻き込まれて壊れてしまう。多少損傷しても出入り口の機能を果たせそうな物というと……テレビ等でしょうか?」
「いい答えだね、しかし私が考えるのは少し違う。私が思うに…恐らく彼らが用いているのは鏡だ」
 ジェームズ・モリアーティは名探偵シャーロック・ホームズの宿敵である。
 モリアーティの頭脳はホームズに並ぶ。
 部分的には彼に上を行かれる部分もあろうが、それはあちらの側にも言えることだ。
 世界に名高き名探偵と互角に渡り合い頭脳戦の限りを尽くしたこの男ならば。
 与えられたわずかな手掛かりと証拠から仮説という名の最適解を算出することは容易であった。
「単に物品としての鏡を指すのではないよ。此処で言うのは鏡面のことだ。
 君の推理したようにテレビやパソコン等家電製品の液晶もそうだし、極論水洗便所の水面のようなものでも使えるのかもしれない。
 応用の幅は無限大だネ。まったく洒落にならん」
「今すぐ客室の鏡を取り払わせましょう。またあのような襲撃をされては洒落になりません」
「いや、当分は今のままで構わない。デトネラットと関係のある会社は表に出回っている情報だけでも無数だろう?
 その中からザッピングして特定するとなればさしもの彼らと言えど手間だろうし、何より敵も知恵者だ。
 中身のわからない箱に迂闊に手を突っ込んで痛い目を見せられた結果を軽んじるとは思えないのでね。
 此処はあちらの頭脳と思慮を信頼して、敢えて悠長な手を取ろう」
 全く反則技だ。
 情報戦も糞もない。
 しかしそれならそれで受け入れ手を打とう。
 考慮に置いた上で次の手を指そう。
 戦争において敵の兵站の豊かさを嘆く程不毛なことはないのだから。
「聞いていたね、死柄木弔。つまりそういうわけだ。納得できたかな」


「つくづくふざけたチート野郎共だな。テメエらが楽しけりゃ何してもいいと思ってんのか」
 それはこの青年らしからぬ諧謔(ジョーク)だった。
 自分が楽しければ何をしてもいいと思っているのは彼、死柄木弔も同じだ。
 強いて言うなら志を同じくする仲間は多少別腹だというだけで。
 弔が破壊の地平線を目指すことに何ら大義のようなものはない。
 彼が気に入らないから。
 彼が愉しいから壊すのだ。
「その後具合はどうかね。不調があるようならすぐに言うんだぞ」
「安心しろよ、すこぶる良い。人生で一番気分が良いかもだ」
「それは何よりだ。もう少し経過を見たいが、しお君やアイ君にも持たせるべきかもしれないな」
 回復した肉体はあの戦闘を経る前よりも健康なくらいだった。
 今の弔はもはや他のマスター達にとっての悪夢に等しい。
 驚異の再生能力と都市レベルでの崩壊を放てる火力を併せ持った、まごうことなき最強のマスターの一人。
「で…どうすんだよこれから。今度はこっちからあのババアの居所にカチ込むのか」
「時期尚早だ。先刻は今は亡き…、……何だったか。
 とにかく今は亡き"彼"がもう一人の皇帝の相手を買ってくれたから凌げたようなものだよ。まともにぶつかればこちらが負ける」
 ビッグ・マムは殺す。
 連合の王の決定にモリアーティとしても異存はない。


471 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:24:34 gWa0QylI0
 だが問題は時期だ。
 今はまだ、それを可能とできるだけの備えがない。
 状況が整っていない。
 だから待てをする。
 目前で漲り脈動する悪の赤色矮星へ、理屈という名の首輪をつける。
「じゃあどうすんだよ。まさかまたあいつらの子守をしてろって言うつもりじゃねぇだろうな」
 そう言ってしお達の居る客室の方を見やる弔。
 とはいえ彼の言うことももっともだ。
 折角闇の太陽へと躍進を遂げた彼の意欲と暴威を無為にするのは最早純粋に損失である。
 停滞はあり得ない。
 絶えず動き続け、来たる終局的犯罪(カタストロフ・クライム)に向けて時計の針を進めなければ。
「早合点は君の悪癖だよ弔」
「御託はいいからさっさと答えを言え。アンタは"先生"じゃねぇんだ」
「割れた子供達は殲滅する。徹底的に駆逐し、そこに皇帝の墓標を一つ築く。
 戦いを止めて他の物事に水を向けている暇はない。よそ見をしながら相手取るには敵は大きすぎる」
 では、具体的にどうするか。
「何も正面から挑まなくたって良いだろう。弱者には弱者の戦い方というものがある、それを見せてやるのさ」
 モリアーティは滔々と語る。
 弱者は何でも使う。
 あらゆるものを利用する。
 全ては最後に勝って終わる為に。
 憎き強者の喉笛を確実に噛み千切ってやるために。
 それを人は古来よりこう呼んだ。
 逆襲劇――と。
「おあつらえ向きの陰謀を編んでいる曲者を一人知っている。
 私や君が進んで何かせずとも…彼が嵐を起こすのはまず間違いない」
 そう。
 これは逆襲なのだ。
 死柄木弔という社会の塵が。
 敵連合という烏合の衆が。
 偉大な皇帝の首を描き切る逆襲劇(ヴェンデッタ)。
 必ずや死柄木弔はビッグ・マムの魂を冥界の底へ落とすだろう。
 モリアーティの頭脳は既にその光景を算出し終えていた。
「…なら文句はない。精々陰謀野郎の手腕に期待して待つぜ」
「聞き分けが良くなったネ。以前の君なら不貞腐れるか捨て台詞を吐いて去るかだったろうに」
「別に改心しちゃいないさ。ただ……前よりかは見えるようになったんだ。いろいろな」
 視覚的な話をしているのではない。
 大局であったり、もっと奥深いものであったり。
 鬱屈としたものを抱えながら子供の癇癪じみた破壊を撒くばかりだった頃の弔には無かった視座が今の彼には備わっていた。
 覚醒とはよく言ったもの。
 あの瞬間死柄木弔というヴィランは、間違いなく一つ上のステージへと進化を遂げたのだ。
「その調子で頑張ってくれ。望みの景色が見たけりゃな」
「無論だとも。未来の魔王よ」
 そう言って弔は踵を返そうとする。
 向かう先はしお達の許か、それとも一人でこれから壊す街でも眺めに最上階へ向かうのか。
 その答えを知るのは彼だけであったろうが…結果的に彼の足は何処にも向かうことなくその場で止まることになった。
「…む? 君はまさか――」
 来客があったからだ。
 入口の自動ドアが開き、一人の男が入ってきた。
 彼の面影に弔は覚えがなかったが。
 しかし碌でもない相手らしいことはすぐに分かった。
「よう。実際会うのは初めてだよな、"M"」
 新調したばかりの潜伏先をアポ無しで訪ねてくる相手。
 おまけにMたるモリアーティをして直接会うのは初めてだという、そんな相手が。
 真っ当な目的でやって来ていると考えるのは、少々楽観的が過ぎるというものだろう。
「禪院君か。よく来てくれたネ、歓迎しよう。
 君には不義理を働いて迷惑をかけた。その埋め合わせもしたかったところだ」
「そいつは殊勝な心がけだな。じゃあ挨拶もそこそこで悪いが一つ頼まれてくれや」
 その男はしかし、弔には普通の人間にしか見えなかった。
 何しろステータスも見えない。
 魔力の波長も感じない。
 にも関わらずすぐに警戒態勢へ移れたのは先述の理由に加えて一つ。
 死柄木弔は既に…人間のようにしか見えないしそうとしか感じられないサーヴァントというモノに、覚えがあった。
「聞こう。どんな依頼かな」
「田中とかいうマスターを仲間に加えただろ。そいつをこっちに渡せ」
 この段階で油断を捨てられたことは弔にとって幸運だったに違いない。
 彼を前にした人間は誰もが失敗してきた。
 判断を誤ってきた。
 それは彼と血の繋がった親族でさえも例外ではない。
 術師殺し――アサシン、伏黒甚爾。
 天与の暴君は威風堂々たる足取りで蜘蛛の新たな巣穴へと侵入を果たした。


472 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:25:30 gWa0QylI0
    ◆ ◆ ◆

「前のところのほうがよかったねぇ」
 新しくあてがわれた客室の中でしおはそう言った。
 此処にはゲーム機もなければ前ほど豊富な量のお菓子もない。
 急拵えで用意してもらえただけでも感謝しなければならないと分かってはいるが、多少見劣りしてしまうのは事実だった。
 そんな彼女の言葉に対しデンジは何を言うべきか迷うように頭を掻く。
 本来なら真っ先に不平を漏らすのは彼だろうに、此処に来てからというもの彼は随分と無口であった。
「どうしたのらいだーくん? おなかいたい? それともつかれちゃった?」
「それもあるけどよ…。あー、その……何だ。しお、お前さ……」
「? なぁに?」
「もう大丈夫なのかよ?」
 しおは首を傾げる。
 言葉の意図がわからないようだった。
 そんな彼女にデンジは続ける。
「あの女だよ。さとちゃんの叔母とかいうヤツ」
「おばさんがどうかしたの?」
「死んじまったんだぞ、アイツ」
 松坂さとうの叔母。
 デンジは結局最後の最後まで彼女に良い印象は持てなかった。
 感想としては"気持ち悪い女だった"に尽きる。
 あのにやけ面も話し方も声色も態度も全てが気持ち悪かった。
 まるで背中を得体のしれない虫が這い回ってるような、そんな生理的嫌悪感があった。
 死んでほしくなかったなんて気持ちは正直全くない。
 それどころか、出来れば俺と関係のないところで死んでほしかったと思っている程だ。
 デンジにとって彼女はその程度の相手だったが。
 しかししおにとってはそうではないだろうことを、デンジはちゃんと理解していた。
「ポチタが殺したんだ。まぁ…俺が殺したみたいなもんだよ」
 申し訳ないとは思っていない。
 彼女はそもそもしおを殺そうとしたのだ。
 今はもう思い出せなくなりつつあるが、ひたすら傍迷惑なサーヴァントを暴れさせて。
 その上でそいつの味方をした。
 しおの首に手を掛けた。
 それを殺したポチタの判断が間違いだったとデンジは一切思わない。
 死んでも誰も悲しまないような奴だったとすら思っている。
「お前、あの色ボケ女に懐いてただろ。気落ちしたりしねぇのかよ」
「かなしいよ。おばさんがしんじゃって、いっぱいかなしい」
 それでもデンジは少女の言葉を聞いていた。
 ――いままで、ありがとうございました。
 ――おやすみなさい、おばさん。
 その言葉を聞いていたからこそ。


473 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:26:37 gWa0QylI0
 目を覚ました後のしおがいつも通り過ぎて、そこを気にかけずにはいられなかったのだ。
 幼年期の終わりには痛みが伴う。
 だから案じた。
 兄のように。
 家族のように心配した。
 しかし。
「でも…おばさん、さいごに私に笑ったんだ」
「……笑ったあ?」
「うん。笑ってくれたの」
 しおは見ていた。
 宙に舞う首だけになっても。
 さとうの叔母はしおに笑いかけていた。
「たぶんだけどね。おばさんは…」
 その笑顔の意味がしおには分かった。
「私とさとちゃんに、しあわせになってね――って。そう言いたかったんだとおもう」
 だってあの人は私達の味方で居てくれたから。
 大人として私達を助けてくれたから。
 元の世界でもそうだしこの世界でもそう。
 その姿を今思い返して、しおはこう思った。
 おかあさんみたいな人だったな。と。
「だったらしあわせにならなくちゃ。おばさんはきっと私達にそうしてほしいとおもうんだ」
「…悲しいとかさ。そういうの、ねぇの?」
「ぜんぶ終わったらさとちゃんといっしょにちゃんとかなしむよ。でも今は、まだがまん」
 感謝している。
 出会えてよかったとそう思う。
 死んでしまって悲しい。
 その言葉にも嘘はない。
 だけど。
 そう思うならばこそ――私達は勝たなくちゃいけない。
 しおは、そう考えていた。
「勝たなきゃいけない理由がまたふえちゃった。
 おばさんのお葬式してあげられるの、たぶん私とさとちゃんだけだから」
「……はあ〜〜〜。お前さ、やっぱ頭おかしいわ。心配して損したぜ。
 そうだな、お前はそういう奴だもんなあ!」
 その答えを聞いたデンジは心底バカバカしくなって声を張り上げる。
 神戸しおはまともではない。
 頭のおかしいガキだ。
 精々小学生くらいだろうに意中の相手が居て、そいつの為なら誰だろうとブチ殺せる。
 そんなあれこれブッ飛んだガキなのだ。
 釈迦に説法…いや、馬の耳に念仏だった。
 それを悟ったデンジのことを見てくすくすと笑う声がある。
 その声を聞くなり、デンジの表情はぱっと綻んだ。ついでに鼻の下もまぁまぁ伸びた。


474 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:28:53 gWa0QylI0
「そ、そんなに面白かったですかあ〜?」
「いや、ごめんね。あんまりにもサーヴァントらしくなかったから面白くって」
「よかったねぇらいだーくん。アイさんたのしそうだよ〜」
 星野アイ。
 かつては絶世のアイドル。
 今は敵連合の構成員の一人。
 先の戦端をきっかけにしてアイの心は連合の側へ傾いた。
 それもその筈だ。
 連合の王、死柄木弔があの戦いで見せた"崩壊"。
 あれを見て連合を切り捨てる判断をすることが出来る者などそうは居まい。
「しおちゃんとライダーくんはなかよしなんだね」
「い…いやぁそんなことないっすよ? ただちょっと付き合いが長いだけで……」
 アイドルとしての顔で笑うアイだが。
 その実彼女の内心は、冷静に目の前の二人を分析していた。
“…当面は大丈夫そうだけど。やっぱり油断ならないなー……この子たち”
 ビッグ・マムをすら追い詰めたチェンソーの怪物。
 それも恐れる要素の一つなのは間違いない。
 だがアイにとっての警戒すべき相手は彼だけでなく、デンジとポチタの二人(ふたつ)を使役する神戸しおもまた然りだった。
 アイは覚えている。
 芸能界で鍛え抜かれた嘘の匠である筈の自分ですら余裕を保てなかった相手を前に。
 顔を青褪めさせて吐き気を堪えながらも立ち続け、屈しようとしなかった少女の姿を。
“さとちゃん…だっけ。どんな子なんだろうなぁ。もしかしたらこの界聖杯に居たりして”
 もっとも。
 居たとしてもだ。
 それを交渉材料にして脅すのはあまりにリスキーだと、そう言わざるを得まい。
 神戸しおはただの幼子ではない。
 連合の王が一目置き、そして彼女自身もその才覚を遺憾なく発揮し続けている。
 雌雄を決するならば終盤。
 ないしは王が斃れ、真の意味で連合が烏合の衆と化したその時か。
「よかったらいろいろお話聞かせてほしいな。しおちゃんって"さとちゃん"のことが好きなんだよね?」
「えへへ、そうだよー。私はどんなことがあってもさとちゃんのことがだいすきだし、さとちゃんもそうなんです」
「あはは。しおちゃんあのね、世間ではそれ"百合"っていうんだよ。おねロリとも言うかも」
 一番の不穏分子であるアイがそうである以上。
 連合の内部分裂は当分の間は見込めないと考えていいだろう。
 それ程までに連合が示した功績は。
 死柄木弔という頭が示した可能性は大きかった。
 破壊の規模においてならばサーヴァントを含めても界聖杯に集った面々を遥か突き放して逸する彼。
 それが頭を努める以上、そこには必然一定の信用が生ずる。
 獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすというが。
 かの恐るべき四皇ビッグ・マムは意図せずしてそれを果たしてしまったらしい。
「百合? おねろり? おはななの?」
「そうそう、お花。えっとね。女の子と女の子が…」
「アイさ〜ん? ちょ、ちょ〜っと年齢層がヤバいっすよ! それは! せめてあと五、六年は待ちましょ!」
 敵連合は今や勝ち馬の一つだ。
 星野アイは何処までも狡猾に、そして堅実に。
 自分の与する勢力のことをそうみなしていた。


475 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:30:09 gWa0QylI0


 そして、それとは全く別に。
 蚊帳の外にある男が一人。
 田中一というその男は、連合の一員を名乗るにはあまりに役者が足りなかった。
“…アイドルにイカれたガキ。本当に俺の居場所は此処でいいのか?”
 彼は見惚れた。
 数km先にまで続く崩壊の道筋。
 それを背に立つ白髪の破壊者の姿に。
 死柄木弔の佇まいに、田中一は憧れた。
 この世のしがらみや秩序、その全てを粉砕して嘲笑い立つ影。
 彼の築く未来こそが己の望んだ混沌なのだとそう確信さえした。
 だがしかしいざ連合へ加入してみれば。
 露わになるのは己がどれ程しょうもない存在であるかという、客観視点からの事実ばかりだった。
“俺は…そんな大層な願いなんて抱いちゃいない。
 ただ……気に入らないものが壊れればいいんだ。俺の知る退屈な世界がぶっ壊れてくれれば、それで……”
 それこそが彼の理想。
 彼の夢見る田中革命。
 だがいざ加入した連合の構成員達はそれが幼稚に思える程見果てぬ未来を幻視していて。
 だからこそ田中は劣等感と疑問を抱かずにはいられなかった。
「教えてくれよ……なあ」
 死柄木の示した破壊は。
 彼の描く未来は今も脳裏に焼き付いて離れない。
 なればこそ、目の前の現実と理想の乖離が際立つのだ。
 自分の夢見る混沌を背にして立つ彼に比べて。
 彼が仲間と認めた者達に比べて…自分のこの有様は何なのだと。
 そう思わずにはいられなかった。
 そう思わずにいられる程、田中は恥知らずにはなれなかった。
 いっそ何処までも無慙無愧になれればもっと幾らか生きやすかったろうに。
 つくづく彼は生きることに向いていない男なのだった。
 居心地の悪さに耐えかねたのもあるが、純粋に尿意を覚えて席を立ったのが数分前。
 トイレに向かって用を足し終え、小さくぼやきながら客室へ戻らんと廊下を進んでいるのが現在だ。
 世界はもう壊れ始めている。
 田中の望んだ混沌はコールタールのようにどす黒くこの退屈な都市を染め上げつつある。
 その真っ最中に居ながら田中は何も出来ていない。
 理想と現実のギャップが彼を苦しめていた。
 そして彼の受難は、そんなことでは終わらない。
「…え?」
 客室に戻ろうとしていた足がぴたりと止まった。
 目は見開かれ息は乱れ始める。
 背筋をつうと伝った汗は雪解け水のように冷たかった。
“嘘だろ。アイツは…アイツは、リンボが封印してくれた筈……”
 "彼"を落としてしまったことは把握していた。
 デトネラットを目指して心も顔もぐしゃぐしゃにしながら進んでいた時だろうと思った。
 まずいなとは思ったがそれ程深刻に考えてはいなかった。
 リンボの施した術が生きているだろうから、どの道アイツは死んだようなものだと。
 そう高を括っていたからだ。
 しかし今、田中は確かに"彼"の気配を感じていた。
 田中は腐っても彼ら親子のマスターだ。
 その魔力の波長は誰よりも鋭敏に感じ取れる。
「――見つけたぞ、愚か者めが」


476 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:31:13 gWa0QylI0
「ひッ」
 信じられない程情けない声が出た。
 それと同時に腰が抜けた。
 尻餅をつく田中に迫ってくるのは一枚の写真。
 そこから半身を乗り出し鬼の形相を浮かべた、怨霊のような老人だった。
 手には一体何処から入手したのかクロスボウが握られている。
 写真のおやじ…吉良吉廣は躊躇なくその矢を放ち。
 鏃は無防備を晒す田中の耳を掠めて床に突き立った。
 脅しのために持ってきたわけではないのは明らかだった。
 これは実力行使で事を成す為に持参された道具。
 吉良吉廣が田中一という人間に対して痺れも愛想も切らしていることの顕れだ。
「ど…どうやったんだよ……お、お前はリンボに封印された筈だろ……!?」
「あぁ確かにそうじゃ。一時凌ぎのごくごく軽いものであったがのう…!」
 吉廣達にとって田中はもはや無能な味方ですらなくなった。
 彼は今や敵だ。
 親子の幸福を、息子の未来を妨げる害獣に成り下がった。
 そして吉良吉影の父親は息子を害そうとする人間に対して一切の容赦をしない。
 狂的なまでの執念と情愛で死後も息子を守り続けた悪霊の前でその愚を冒せばどうなるか。
「哀れじゃな…田中一。貴様はあの生臭坊主にまんまと踊らされていたのだ。
 しかしこればかりは奴を責められん。
 貴様のようなド低能を本気で重用するような輩なぞ、三千世界の果てまで探しても一人も居らぬのだからなッ!」
「――ッ!」
 吉影を脅かす存在は彼によって剪定される。
 舞台が日常から聖杯戦争に変わっても例外はない。
 その一点において吉良吉廣はずっと一貫している。
“欲を言えばアサシンに奪還させたい所だったが…あの白髪の足止めは奴にしか出来ぬ仕事。
 わしが此処で此奴を抑えられれば、万一の時のリスクは極限まで削ぎ落とせるッ”
 甚爾は上手くやってくれた。
 彼の手際は実に迅速だった。
 燃え落ちたデトネラット本社を後にした連合の行く手を追跡、彼らの新たな拠点を特定。
 結果、吉廣は想定していたよりも遥かに速く出来損ないのマスターを捕まえる段階に移行することが出来た。
 出来れば正面からの突入という手は取りたくはなかったが、生憎とあまり時間を掛けていられる状況ではないのだ。
 こればかりは致し方ないと妥協した。
 スマートな手ではないかもしれないが…息子に破滅をもたらしかねない徒花の芽を摘めると考えれば安いリスクだ。
「わ…分かってるのか!? 俺には令呪があるんだぞ!
 い、いざとなれば……これでアンタのバカ息子を自害させたっていいんだぞ!?」
「貴様のような便所に吐き出されたタンカスのボケが"わが息子"の生殺与奪を握ったつもりか。
 笑わせるわッ! おまえなぞにサーヴァントを失う度胸がある訳もないッ!」
「そんな…ことッ!」
 続く言葉は出てこなかった。
 やはりなと吉廣は唾棄する。
 田中一は何処まで行っても月並みな小人物なのだ。
 人としての一線を衝動に任せて超えただけで、後はただただ宙ぶらりんな状態のままでしかいられない小物。
 そんな男に。
 サーヴァントの喪失――実質的に自らの死を確定させるような真似が出来る筈はない。
“令呪でわが息子を縛られることだけは厄介だが…田中はその先には間違いなく踏み込めまい”
 全く。
 何故こんな男に。
 この程度の男に、これほど振り回されねばならないのか。
 吉廣はもはや怒りを通り越して呆れさえ抱いていた。


477 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:32:11 gWa0QylI0
「お前ら親子が居なくたって…連合が俺に新しいサーヴァントを見繕ってくれるかもしれない。
 そうだ、そうだよ……連合だ。俺には連合が付いてるんだぞ!
 はは、ははは。豊橋の惨状を見たか? あれも全部俺達の頭が――」
「ふはッ――たわけが。あぁ確かに奴らは強大じゃろう!
 わしとてそこについては認めるより他にない。紛れもなく"脅威"じゃ!
 だが…無い頭を絞って考えてみよ。そんな連中がきさまのような無能をそうも手厚く扱うと本気で思っているのか?」
 田中は既に連合のメンツを知っている。
 破壊の魔王、死柄木弔。
 チェンソーの怪物を飼う少女、神戸しお。
 東京に知らぬ者の居ないトップアイドル、星野アイ。
 そして田中一。
 異能の一つもなく頭も良いとは言えず、おまけに自分のサーヴァントの手綱すらまともに握れない穀潰し。
「ち…違う! そんなことは……」
「無いと断言できるのか? 見ない間に随分と思い上がったものじゃな。虎の威を借る狐とは貴様のことよ」
 ニィと口角を上げて笑う吉廣の言葉をよそに。
 田中は目眩と動悸に顔を青ざめさせる。
 自分を連合に採用してくれたの他でもないあのMだ。
 あの時の言葉は今も自分の中に成功体験の一つとして残っている。
 あれが嘘だったとは思えない――いや。
 それはただ、そう思いたくないだけなのではないのか。
「選べ。田中よ」
「何を…だよ。今更……」
「連合を抜けて元鞘に収まるか、命以外何もかもを失うか」
 猫撫で声で突きつけた二択は方便だ。
 田中がどの道を選んだ所で吉廣は彼の腕を切断し令呪を潰すつもりでいる。
 とはいえこれ以上事を荒立てずに伏魔殿たるこのビルを抜け出すには、彼の意思で自分に同行して貰う方が都合が良かった。
“さぁ選べ愚か者。どの道貴様の末路は断崖の底だがな…!”
 嗤う吉廣と言葉を出せない田中。
 静寂が一瞬、廊下を満たす。
 次に響いた声はしかしどちらのものでもなかった。


「田中ー? …え。何そいつ?」
「誰じゃッ!?」
「うわ。心霊写真が喋ってる」
 連合の一員、星野アイ。
 吉廣は舌打ちをする。
 田中は未だに言葉を出せず、口を無意味に開閉させていた。
“愚図と喋っていたせいで時間を食いすぎたか…!
 しかし慌てることはない。こやつらを出汁にして更に田中を揺さぶれば……”
 連合にとって田中は決して価値の高い存在ではない。
 それは間違いないのだ。
 吉廣は冷静に思考を回し口を開いた。
 だが。
「くく…丁度良い所に来てくれた。戦いの意思はない、ワシは……」
「ライダー」


478 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:33:17 gWa0QylI0
 アイは吉廣が話し終わる前にそれを遮った。
 呼んだのはサーヴァントのクラス名。
 その意味を彼が理解するよりも、名を呼ばれた男が動く方が遥かに速かった。
「あいよ。話すのは一発ハジいてからでもいいもんな」
 破裂音。
 一瞬吉廣は自分の身に何が起こったのかを理解出来なかった。
 しかしそれも一瞬のこと。
 人の肉体を捨てて久しい怨霊の体に…焼けるような痛みが込み上げれば。
 否が応でも事の次第を理解する羽目になる。
「ぐ…ぉ、おおおおおッ!?」
 ライダーと呼ばれた男が発砲した――恐らくは。
 だが断言することまでは出来ない。
 彼が銃を抜いて照準し発砲するまでの一連の動作があまりに速すぎて、目で追い切れなかったからだ。
「…へ、へへ。ざまあみろ……ざまあみろ、クソ爺が……!」
「おたくの手柄じゃねぇけどな。ま…悪い虫を早めに見つけられたのはアンタの功績と言えなくもないか」
 クロスボウを持っていた吉廣の右腕。
 その手首から先が、血煙と化して四散した。
 ライダー…殺島飛露鬼はあまりに的確な射撃(エイム)で即座に写真の彼を無力化。
 この場の主導権を極道らしく理不尽に、有無を言わさず奪い返してのけたのである。
「た…田中ァッ! 貴様……よもや最初から……!」
「アンタが悪いんだよ。無駄話する前にさ…俺の喉なり何なり潰しとけばよかったんだ」
 吉廣は頭の中で何かがブチブチと千切れる音を確かに聞いた。
 憤死しかねない程の屈辱だった。
 彼の言葉を聞いた田中が見せた動揺は恐らく真であったろう。
 だがそれとは別に田中は吉廣を嵌めようと罠を張っていた。
 大声での会話。
 やり取りの要領を敢えて得ないことで時間を稼ぐ。
 そうすれば不審に感じた誰かしらが出てくる。
 助けてくれる。
 そう思っての計算ずくだったのだ、始めから。
“あ…あり得ん……! このワシが……このような若造に! このような社会のゴミに……!”
「命が惜しけりゃ何もすんなよ〜…爺さん。
 アンタが何者なのかはさっぱり分かんねぇけどよ、頭蓋(ドタマ)ぶち抜かれたら流石に死ぬだろ?」
 殺島が嗤った。
 嗤いながらもう一度引き金を引いた。
 抵抗もままならない吉廣の左手が、さっきの焼き直しのように爆散する。
 今度は吉廣が嗤われる番だった。
 屈辱と怒りと、そして確かな焦り。
 三つの感情に脳を焦がす彼をよそに。
 騒ぎを聞きつけた残りの役者が暢気にのそのそやってくる。
「うわ。何やってんだよライダーのオッサン。老人虐待か?」


479 : 僕の戦争(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:34:28 gWa0QylI0
「お〜チェンソーのにしおちゃんか。違ぇよ、そんな場末の介護施設(ホーム)みてぇな趣味持ってねぇさ」
 満身創痍の吉廣がはみ出た写真を靴で踏みつけ動きを止めながら。
 好青年めいた、良い意味で年齢を感じさせない笑顔で、殺島はやって来た同僚達に応じる。
「田中、こいつ何なの? サーヴァントじゃないみたいだけど…使い魔ってやつ?」
「あ、あぁ…。俺のサーヴァントの――アサシンの宝具だよ。
 死んでもまだ息子の世話焼いて回ってるイカれた爺だ」
 呼び捨て、継続してたのかよ。
 そんなことを考えられる程度には田中の余裕も戻ったらしい。
 彼の説明を聞くとチェンソーのライダー…デンジはうげ、という顔をした。
「面倒事持ち込んでくんなよなー。またビル吹っ飛ぶとかは勘弁してくれよ」
「田中さんかわいそう。おばけに追いかけられたらつらいよねぇ」
「俺やオッサンもほぼおばけだけどな」
「そういえばそっか。おばけ屋敷だねぇ、行ったことないけど」
 ぽふぽふとまだ蹲ったままの田中の頭を撫でるしお。
 何とも言えないむず痒さが込み上げるが、振り払うのも気が咎める。
 窮地の打開も自分じゃ出来ない情けなさが沸いてくる前に、田中は口を開き続けた。
「俺はアサシンに追われてる。もしかしたらその内、アイツ自身が俺を連れ戻しに来るかもしれない」
「どんな野郎なんだ、お前のアサシンは」
 何か喚いている吉廣は殺島に踏まれて何も出来ない。
 ざまあみろと思いながら田中は答える。
「殺人鬼だ。アイツは触れた物を爆弾に変える。人間でもだ」
「…そりゃとんだ技巧(スキル)だな。前情報(チンコロ)貰えて助かった」
 こと人を殺すことにかけて。
 殺人という罪を犯すことにかけてあの男を上回る人間はそう存在しない。
 一丁前に語れる程田中は殺人に対し熟達してはいなかったが、それでも断言出来る程。
 あの吉良吉影というアサシンは"異常"だった。
 何故あれだけの力を持っていてああもつまらなく生きられるのか…田中には未だに理解出来ない。
「俺はバカだからよく分かんねぇんだけどよ〜…」
 眉間に皺を寄せながら言うのはデンジだ。
 田中のことを見ながら彼は、今の話を聞いて浮かんだ素直な感想を口にする。
「――さっさと殺しちまえばいいんじゃねぇの? お前、まだ令呪いっぱいあるじゃん」


480 : ◆EjiuDHH6qo :2022/04/26(火) 00:34:56 gWa0QylI0
投下終了です。続きも期限内には投下します


481 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:25:55 5GFpT/rs0
投下します


482 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:26:31 5GFpT/rs0

地獄とは、一体どのようなものを言うのだろうか。
宗教的死生観における死後の世界、あるいは比喩としての地獄絵図。責め苦に喘ぐ死人たちが跋扈する、死と退廃に充ちた世界とも。
その語句は最早実態を失って、付随する様々な装飾と共に独り歩きを始めて久しいが、総じて苦痛と恐怖と絶望の具現と捉える者が大半であろう。
凄惨な殺人現場や事故現場、災害の跡地、あるいはそれらが過ぎ去った後の喪失と共に歩まされる日常。華やかなりし文明の灯が遍く神秘を暴き立て、宗教的価値観が意味を無くし、今や祈る神さえ失った現代において、地獄とはそうした生者の苦痛にこそ使われる語句であった。
そしてその意味で言えば、この東京内界にて発生した諸々の事象もまた、地獄と形容して差し支えないだろう。
新宿区、豊島区にて発生した大災害と、それに伴う万を超える死傷者。ライフラインや交通網は今を以て機能不全に陥り、親類縁者や友人、恋人を失った市民の嘆きで都市は埋まっている。惨たらしく損壊した遺体の数々まで添えられては、なるほど確かに、これ以上もない地獄絵図が幾度となく描かれたと言っていい。

で、あるならば。
今この時、世田谷区にて発生した"それ"もまた、同様に地獄であることに疑いはないだろう。
熱鉄の雨が降り、刀山剣樹が迫りくる、物皆全てを殺し尽くす鏖殺の愁嘆場。

人はそれを、等活第二小地獄と呼ぶ。






483 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:27:12 5GFpT/rs0



その戦場、悲鳴や嘆きは存在しなかった。
そんなものを上げられる人間は、最初の一撃で全て消し飛んだからだ。

"それ"を認識した刹那、ベルゼバブは全身全霊での攻撃を敢行した。右掌中にて魔力を圧縮、空間が歪むと錯覚するほどの力の奔流が一点に収束し、次いで形作るのは漆黒の魔槍である。ベルゼバブはそれを前方に掲げるように構え、地を蹴り上げると同時に極超音速での突撃を行ったのだ。
様子見、手加減、躊躇に油断、全て無用。王者としてのプライドと、無窮の練達者としての直感が、彼にその攻撃行動を行わせていた。竜巻のように激しく旋回しながら突き進む黒槍はまさしく万象削り穿つ穿孔削岩機そのものであり、例え敵手が如何な防御盾を使おうが諸共に穿ち貫くだけの威力を備えていた。
まさしく防御不能の魔撃に対し、言葉なく仁王立つアシュレイの取った行動は、あまりにも不可解で無謀なものであった。なんと彼は、避けるでも防ぐでもなく、徒手空拳のまま構えを取り、黒槍に対して迎撃態勢で応じたのだ。大地を割り抜く震脚が轟音を立て、抜き放たれた絶拳が空を絶つ。
衝撃が、生まれた。
音速を遥かに超える大質量同士の衝突が生み出す衝撃波が、炎に包まれる大地を抉った。二人を中心とした半径百数十mの大地が一気に爆ぜ、爆轟そのものである衝撃が吹き荒れた。数㎞彼方からこの戦場を観測した者がいれば、直上の灰色雲に穴が穿たれ、円形に吹き飛び、その向こうに隠されていた星空が一気に晒されるのを見ることが叶っただろう。膨大な運動量の局所的解放は、急激な上昇気流を伴う膨張エネルギーとなって弾け飛び、遥か上空にまで影響を及ぼしたのだ。
天を衝くような轟音が、周囲世界を震わせた。
あまりにも人智を逸脱した破壊の惨状。しかしベルゼバブの目に映った光景こそ、最も荒唐無稽を極めた現実であろう。無謀にも拳で黒槍に立ち向かったアシュレイの華奢な肉体は、旋回錐に穿たれ肉片と化す運命を覆し、何と逆に黒槍を粉砕。槍の破壊に飽き足らず、止まらぬアシュレイの拳はそのままベルゼバブへと突き進み、彼の右頬のすぐ脇の空間を貫き、極大規模の風圧で以てベルゼバブの顔面を殴打してみせたのだ。
堪え切れず、その長大な体躯ごとを横合いに弾き飛ばされるベルゼバブ。ダメージこそ皆無だが、単純に叩きつけられた風圧に彼の体重が耐えられなかったのだ。強風に舞い上げられる木の葉の如く空中を錐揉み回転するベルゼバブが鋼翼による姿勢制御にて体勢を立て直すまでに要した時間はコンマ秒より遥か下。にも拘わらず彼が吹き飛ぶ原因となった青年の姿は既に地表から消え失せて、その瞬間にはベルゼバブの背後にて独楽のように旋回するアシュレイの蹴撃が、三日月の弧を描いてベルゼバブの横腹に突き刺さった。無論のこと超反応にて防御姿勢を取るが、ガードに構えられた腕諸共叩き折り、胴体をくの字に大きくへし折られてベルゼバブの体躯は眼下の地表へと叩きつけられた。
弾け飛んだ、どころではなく、それはアシュレイの足を砲身としてベルゼバブという弾丸を射出したに等しい有様であった。自身が超音速の弾丸と化して大地に叩き込まれたベルゼバブは、轟音と大量の土煙を噴出させながら、着弾点から軌道上の隣接家屋数軒ごとを岩盤諸共衝撃で削り取りながらおよそ二百mほどの距離を吹き飛ばされ、ようやく静止した。
噴き上げられた土煙と土砂の最奥では、砕かれた大量の岩盤と瓦礫片が舞い散る中に天を睨み付け直立するベルゼバブの姿があった。防御と姿勢制御に相当な力で踏ん張ったのだろう、彼の足元には後退させられた距離と同じだけ、直線状に抉られ削り取られた岩盤の痕が二本、くっきりと線を描いているのであった。


484 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:28:06 5GFpT/rs0

「小癪な……」

遥か彼方、未だ以て中空にて足を蹴り上げた姿勢で滞空する敵に向かい、呟くベルゼバブの表情は鋭く、まさしく剃刀めいた鋭利さを見せていた。それが意味するのは屈辱と怒り、されど癇癪のままに喚き散らす幼稚な怒りでは断じてない。そこには冷徹なまでの戦士としての風格と技量が垣間見えていた。

「消え失せろォッ!!」

言葉と同時、ベルゼバブの腰部より鋼の両翼が刀剣めいた金属音と共に展開。多量の魔力が次々と発生、収束し、数百を超える漆黒の棘羽が機関銃の如くに撃ち出されたのだ。
曰くブラック・フライ。あるいは漆黒の棘翅(バース・オブ・ニューキング)。天使型星晶獣のコアによりもたらされた錬鉄の棘翅であり、その一つ一つが凡百の英霊を殺傷するに足る驚異的な威力を保持する。それらは一直線に、あるいは弧を描き、あるいは螺旋状に回転しながら全方位よりアシュレイに殺到。その矮小な体躯を刺し貫き、圧倒的物量によって押し潰さんと迫るも。

「笑止」

その総てが、アシュレイの体表に到達するより先に蒸発して消え失せた。
弾かれたのではない、逸らされたのでもない、消滅したのだ。それを為したのは彼を覆う紅焔によるものであり、鋼鉄など及びもつかぬ神域の棘翅を、それも超音速で飛来したそれらを一瞬のうちに気化状態まで昇華させたという悪魔的な事実が、そこにはあった。

「貴様は……」

ベルゼバブの言葉は、硬い。遊びや油断は断じて最初からなかったが、しかし今や侮りの感情さえ完全に失せ果てていた。

「貴様は、なんだ……!」
「語るに及ばず」

答えると同時、アシュレイの体は雲霞の如くに消え失せ、次いで音の壁を越えたことによる爆轟する大音響を引き連れてベルゼバブの胸元まで近接、その右拳をアッパーカットの要領で真っすぐにベルゼバブの鳩尾目掛け突き入れ、ガードに差し込まれた掌に受け止められた。
その一瞬に訪れる膠着状態の最中、ベルゼバブは改めて敵手の相貌を視認した。赫怒と殺意に猛るアシュレイの総身は、最早先刻とは全くの別物と化している。
ハイペリオンの特性として、火炎の発生とその纏身が挙げられる。基本的な性質はそのままに、しかし生じる規模が余りにも違い過ぎた。
人が炎を纏っているのではない。炎が人の形を取っているのだ。尽きせぬ炎が物理的な質量さえ伴って、あろうことかアシュレイの肉体的頑強さを補う外骨格として機能していた。
その熱量を無秩序に放射すれば一都市が容易く消滅するだろう。そう思わせるほどの魔力の高まりが、しかし外部には一切の影響を及ぼさず付属しながら、立ち昇る膨大な獄炎となって渦巻いている。その様を指して、ベルゼバブの小手先の一撃で倒れ伏した凡俗と同じであるなど、誰が言えるのか。
そして、語られる口調から受ける印象もまた同じ。アシュレイ・ホライゾンとは一線を画す何者かが、彼の口を借りて言葉を手繰る。


485 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:30:44 5GFpT/rs0

「俺は名乗るに能わぬ塵屑だとも。光の宿痾を抜け出せず、相も変わらず殺すことしか能のない救い難い愚者に他ならない。
 強く優しい片翼のようには終ぞなれず、今もこうして悪よ死に絶えろと希うばかりの恥知らず。
 そう、お前のような救えぬ悪が蔓延る限り、俺は何度でも現れよう」

それはアシュレイ・ホライゾンの持つ第四宝具、その"前段階"。
煌めく赫怒の翼が、今まさにアシュレイ・ホライゾンという門に手をかけ、無理やりにこじ開けようとしているのだ。
アシュレイの意識の消失を契機として起動したこの形態は、取り繕うまでもない暴走状態。今も秒ごとに彼の霊基は崩壊し、肉体は多大な過負荷に断末魔の叫びを上げている。纏う装飾が金色に輝くは臨界寸前の証に他ならず、そもそも発動に必要な魔力が存在しない現状、発動に至ってしまえば不発に終わり、アシュレイと"彼"は諸共に消滅する末路を辿る以外にない。
そんなことは、"彼"とて百も承知している。
だが、その程度のことが足を止める理由に、果たしてなるのだろうか?

「人々の幸福を、希望を未来を輝きを───守り抜かんと願う限り、俺は無敵だ。
 来るがいい! 明日の光は奪わせんッ!」
「ほざけよ小蠅がァッ!!」

絶叫と共に、ベルゼバブは掴んでいたアシュレイの拳をいなし、逆の腕を水平に振り翳し抉るような回転を利かせたフックを放つ。
アシュレイはそれを僅かに首を傾けるのみで回避し、同時にのたうつ蛇のように跳ね上がった手刀の一撃がベルゼバブの首を狙い、既にそれを予測していたベルゼバブはパンチ動作の遠心力を利用して踏み込み様に反転・回避してアシュレイの背後に回り込み、それを追うように振り返ったアシュレイの左脚がマッハコーンを伴って弧を描き、それすらも予見済みのベルゼバブは上体を仰け反らせて回避する。
拳と蹴撃の応酬は、当然ながらその全てが極超音速に至った絶技に他ならない。その技は共に練達という言葉さえ侮辱にしかならないほどに練り上げられ、武の極みに達している。最早余人には回避はおろか、その動作の視認さえ絶対的に不可能な領域に到達しているのだ。
物体の動作速度を速めるにおいて、まず第一に音の壁、第二に熱の壁というものが立ちはだかる。空気の圧縮性の影響から生じる造波抗力の急増、断熱圧縮による体表面の急激な温度上昇。そうした負荷の存在により、高速機動の実現には推進力の確保よりもむしろそうした負荷に耐え得る耐久性の実現こそが課題とされてきた。
だが二人は、そんな壁など知らぬとばかりに超絶的な高速戦闘を行っているのだ。本来ならば生身でこの速度域に達すれば肉は剥がれ、骨は砕け、超高温の反動により総身が燃え尽きて然るべきはずであるのに。なんという不条理か、両者はサーヴァントの中にあってさえ荒唐無稽と呼ばれるであろう速度域でひたすらに殴り合っていた。
交わらぬ拳打の応酬はついに互いが互いの右手を鷲掴むことで再びの膠着状態へ移行し、次瞬、両者は上体と首を仰け反らせ、渾身の力を込めた頭突きで以て衝突した。激突に際し今までに倍する衝撃が発生し、大地は幾度目かの激震に揺れ、二人を中心とした戦場は巨大なハンマーを振り下ろしたかの如くに捲れ上がっていく。
両者の攻撃は全くの互角。互いが互いの威力でたたらを踏み、よろける様に後退すること0.001秒。先んじて戦闘に復帰したのはベルゼバブの側であり、弦の如く引き絞られた右腕に顕現するは漆黒の魔爪。曰く「黒銀の滅爪」と呼ばれるアストラルウェポンに同じく漆黒に染まる魔力の奔流が収束して渦を巻き、拳打と共にアシュレイへと炸裂。彼が纏う直径十mほどの紅焔を、更に容易く呑み込む規模の超巨大な黒い竜巻として発生したのだった。
その直径、およそ二百m。誓って加減のない、殺す気で放たれた全身全霊の一撃である。仮に山間へ向けて放たれたならば中腹ごとを削り取り巨大な空洞を開けてしまうだろう超威力が、たったひとりの矮小な人間に向けて放たれたのだ。当然ながら射線上にある民家の悉くなど一たまりもなく、既に無人の荒野に等しかった住宅街の残骸が、更に丸ごと抉られ削られて、完全なる焦土になり果ててしまっていた。
高位の三騎士級サーヴァントであっても致命傷は免れぬ一撃、しかしベルゼバブに油断はない。彼は更に自身の周囲、そして上空の広範囲に至るまで更なる武装を顕現。白亜の光輝に彩られるは神器めいた荘厳さを醸し出す光芒の槍であり、その見た目に相違なく燦然と輝く光の魔力を内包した聖槍に他ならない。
銘をロンゴミニアド。世界の果てを刺し貫く聖槍と同じ名を冠したその槍は、今や百や二百では利かぬ数を展開され、その照準を闇の波濤によって吹き飛ばされたアッシュただひとりに向けていた。


486 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:31:37 5GFpT/rs0

「輝きの中に散華せよ、『カレイドフォス』ッ!」

刹那、放たれる白銀の光条───圧縮射出された光の軌跡が、雪崩を打ってアシュレイに殺到した。
全方位三百六十度、逃げる隙のない包囲殲滅である。陽子加速の原理で射出された光条は瞬間的に秒速5000mを突破、光という本来曲がらぬはずの運動ベクトルすら捻じ曲げてホーミング追尾する様はまさしく不条理の具現そのものであり、威力もまた耐久に優れるサーヴァントを一撃のもとに消し炭にする熱量を誇るため回避も防御も不可能。アシュレイはこのまま、光槍によって串刺しにされる未来しか待ち受けてはおらず。

「まだだッ!!」

当然ながら、その程度のことでは星の救世主は殺せない。
裂帛の気合と同時、瞬間的に膨れ上がる魔力が桁を二つは飛び越えて圧倒的な強化を成し遂げた。ハイペリオンの炎が輝きを増し、周囲を守る力場として展開、ロンゴミニアドの光を捕捉する。炎の焦熱圏内に到達したレーザーを、あろうことか逆に食らい、呑み込み、無力な光の粒子と分解して取り込んだのだ。それはまさしく非物質さえ焼き尽くす魔性の炎に他ならず、彼はこの土壇場で純粋な出力向上はおろか性質進化の業まで達成したということを意味していた。
勢いを増す業火は尚も嵩を増し、濁流の如くうねってはベルゼバブへと殺到した。触れるものすべてを焼き滅ぼす焦熱の波濤はまさしく地獄の顕現であり、先とは真逆にベルゼバブの危機と陥るが、しかし。

「なるほど───こうかッ!」

覚醒、覚醒、限界突破───不条理が巻き起こる。
灼熱の業火を前に笑みを浮かべるベルゼバブは、何の冗談かこれまでの全力を更に上回る出力を獲得。総身から放たれる魔力の波濤は更なる威力を得て、炎の濁流に呑まれるも体表に触れるより先に相殺を続け、振るわれる腕の一閃により逆に炎を払いのけて見せたのだ。
それは魔力そのものへの感応現象であり、星辰奏者の星辰体制御と全く同一の術理であった。魔力、すなわちエーテルの操作についてはベルゼバブもまた一端の戦士であり、術者であり、稀代の研究者でもあったが、その経験値と知識、類稀なる術式センスによって、この土壇場でアシュレイの扱う異能形態を解き明かし、己が力と変えてしまったのだ。

「貴様にできた業ならば、余にできぬはずなかろうよッ!!」
「然り。未来へ懸ける人の意思の躍動を前に、不可能などこの世にありはしない。故に」

揺らめく炎の中、静謐に構えるアシュレイが告げる。

「俺も更なる高みへ至るとしよう。そうでなくば、お前の敵たる資格なしと断言する」

そして巻き起こる不条理───雄々しき宣言通り、アシュレイもまた覚醒と限界突破を成し遂げる。
膨れ上がる熱量が局所的な嵐となって、ベルゼバブを呑み込んでも止まらず核爆発めいて轟き唸る。周囲二百mの半球形状に広がった炎のドームは内部温度を摂氏6000度を超えるまで上昇させ、しかしそれは攻撃のために放たれたものではなく、"彼"の顕現に伴い自然発生した、呼吸も同然の生態現象でしかないことを、ベルゼバブの慧眼は見抜いていた。
ベルゼバブへと向け、掲げられる右腕。そこに凝縮されつつある魔力はこれまでの比ではなく、滾る決意に呼応して破滅的なまでに圧力を増大させた。
焔の神核が叫びを上げる。収縮、創生、融合、装填───終焉が舞い降りる。


487 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:33:24 5GFpT/rs0

「創生───純粋水爆星辰光(ハイドロリアクター)」

───そして、世界は白一色に塗りつぶされた。

その日、202■年8月2日午前0■時■8分42秒、東京世田谷区に"太陽"が顕現した。煌めき照らされる世界が、その一瞬だけ完全なるモノクロと化した。
それは重水素と三重水素の核融合第一段階から生み出された戦略兵器。人類が未だ到達していない核融合のみを用いた純粋水爆。
解き放たれた大熱量は絶望的なまでに巨大だった。広島型原爆3000発分に相当する熱核エネルギーは最早一サーヴァントが出せる出力上限を遥か逸脱しており、如何な防御宝具を用いたとして純粋な威力のみであらゆる概念的防御を突破できるだけの火力を有している。
本来ならば東京二十三区どころか、関東一円を根こそぎ消滅させて余りある大熱波。しかしそれを、"彼"は極限の集束性で以て直径500mの大火球まで圧縮し、ベルゼバブただひとりを狙い撃ったのだ。

それはまさしく、世界という漆黒の画布に空けられた巨大な空洞と言って差し支えなかった。
夜の闇を真っ向塗り潰す、あまりに巨大な白亜の球形。轟音は、そこにはなかった。音を伝播させるために必要な大気が、周囲一帯から完全に消滅していたのだ。

これこそ"彼"の前身、形持たぬスフィアの眷属であった頃の名残、すなわち天奏の残滓である。
そもそもハイペリオンとは厳密には火炎発生能力ではなく、"彼"という中継点を経由して天奏の炎を現実世界に召喚するという異能であった。
"彼"が天奏の眷属ではなく烈奏という独自のスフィアに至った今、最早その異能をかつてのような形で行使することはできない。天奏という特異点へアクセスする手段は、この聖杯戦争には存在しないからだ。
それが意味することはただひとつ。"彼"の中にほんの僅かに残った天奏の残り滓を、今までハイペリオンという疑似的な宝具として行使していたということ。
ならば、同じく天奏の残滓を行使することなど、"彼"にとっては造作もないことで───
アシュレイの肉体に、これまでに十倍する負荷をかけることを代償に、この一撃を成し遂げたのだ。
今やアシュレイの肉体は、比喩ではなく全身がひび割れていた。まるで強く打ったガラス細工であるかのように、しかしひび割れる全身から光と熱を放出させて、文字通りの炎となりつつ尚も激しく燃え盛る。

白熱光球の只中から、その全容に比してあまりに小さな何かが、勢いよく飛び出てきた。それは全身を激しく焼け爛れさせながら、しかし四肢の一つにさえ欠損の見られないベルゼバブの姿であった。彼は炭化する体表にすら構うことなく、墜落するように下方へ飛来しつつも視線は真っすぐアシュレイの方向へ向けていた。


488 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:33:58 5GFpT/rs0

「潰れて果てろ、忌々しい害虫めが……!」

総身を焼かれ、なれど尽きせぬ戦意と共に、ベルゼバブは鋼の両翼を展開。舞い散る刀剣の羽根は剣呑な輝きを放ち、夜闇に怪しく光りながらも夜空に映える星の如くに空域全体へ拡散する。
そして次瞬、僅かな光と共に変化するは更に剣呑な輝きを放つ壮麗な武器群であった。対人仮想宝具群アストラルウェポン───日輪を象る炎熱の斧剣「ソル・レムナント」、運命さえ切り裂く蒼銀の輝剣「フェイトレス」、森羅万象を司る大地たる生命の力持つ玉杖「ユグドラシル・ブランチ」、風と祈りを加護と変える弦楽器「イノセント・ラブ」、そして今まで彼が使ってきた「ロンゴミニアド」と「黒銀の滅爪」も含め、多様な武器群が遥か空を覆い尽くしたのだった。
その数、百や二百では利かず、千の大台を超え、今や万の域にまで到達せんとする極天の流星雨である。その一つ一つが超高ランクの対人宝具に匹敵する神秘の塊であり、こと他者を殺傷するという性質においてみれば、同ランクの宝具群の中でも更に優れた性能を持ち合わせる、まさしく必殺にして必滅の鉄雨に他ならない。
その一刺しで並みの英霊を容易く屠れる一撃であり、壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)の行使においては対軍・対城宝具に匹敵する。単純な物量においても規格外の攻撃行動であるにも関わらず、絶対の覇者たらんとする暴虐の王は質においてさえ最上を志しているのだ。
振るわれる腕の動作に反応し、万の宝具群がまさしく地表へ殺到する流星群と化してアシュレイへと押し迫る。速い、目では追えない。生身の体では避けられまい。光に匹敵する速度を持ち、あるいは別次元へ逃避する手段を持ち合わせていなければ。
例え避けたとしても、破砕し拡散する致死の魔力波によって殺される。
ならばこそ───取るべき行動は迎撃を置いて他にない。

アストラルウェポンの展開範囲は直径250mの球形状空間内。その体積は半径である125の3乗×円周率πである3.14×4/3で8177083.2立方m。
気温30度で空気重量が1.225グラム立方mと仮定して理想的な爆発を起こす比率に再設定。蒸気密度は2.00、蒸気圧は59kPa。必要とされる量は体積×必要物質の体積比率×空気重量×同じ温度における蒸気圧での同じ体積の重量比。瞬時に計測を完了する。


489 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:34:38 5GFpT/rs0

「集圧・流星群爆縮燃焼(レーザーインプロージョン)」

それは莫大質量の連鎖的爆縮現象。類似した事象として粉塵爆発が挙げられるものの、しかしそれとは比較にならない凶悪性を以て加速度的に増殖し続ける小型の劫火。
対象座標へ殺到する無数の爆熱、夥しい数の燃焼反応。それは間接的に大気圧さえ変動させて、同じく迫りくる無数の宝具群を片端から呑み込んでは滅却していく。
火力面においては純粋水爆星辰光のほうが上であるが、こちらは制圧可能な範囲において遥かに上回る。対象空間座標内の全方位360度を隙間なく熱と外圧で押し潰す様はまさに人工のブラックホールと言うべき代物であり、如何なアストラルウェポンでも単純な耐久力の問題から耐えられない。
万の光輝が万の劫火に包まれ消える、その刹那。

「なるほど、大口を叩くだけはある。しかし!
 貴様も所詮、摂理の内側に在るのだと教えてくれよう!」

その熱を飛び越えて、ベルゼバブは凶悦に歪んだ形相と共に進撃を開始した。
その手に現出するは漆黒の魔力であり、しかし今までとは規模が違っていた。未だ彼の掌中に収まる程度の光球であるそれは、しかし物皆全てを呑み込むであろう理外の気配を放ち、今も妖しく明滅しているのだった。
仮にそれが放たれたならば、万象一切灰燼と帰し後には何も残るまい。アシュレイを取り巻く業火にせよ、それは全く同じことであった。
そして対峙するアシュレイは───大きく軸足を踏み込み、四足獣が如く低身に構えを取りながら、抜刀術の姿勢に入っていた。
その手にはアダマンタイト刀の柄が握られ、しかしその刀身は既にベルゼバブによって根本から粉砕されているはずなのに。
ならば見るがいい、その剣を。
白銀の鍔より先には、まさしく紅蓮に染まる不可思議な刀身があった。燃焼し、爆縮し、今もなお燃え盛る炎の剣であるかの如く。そして実際、これは固体としての形状を持たない炎の剣であるのだ。
核融合・極限集束。剣状の空間内において莫大量の質量を放射、核融合反応を引き起こしてその熱量と気圧を上昇させつつ、減った分の質量を更に放射し……という工程を秒間数万回繰り返すことで形成した、原理としては太陽核と全く同じものを、"彼"は行っていた。
仮にこの場に解析能力を持つサーヴァントがいるならば、算出された解析結果に言葉を失うに違いない。熱量にして3.8×10^8ケルビン、気圧にして1.56×10^17hPa。常軌を逸したその質量は、気化状態でありながら鋼鉄の1万倍を優に超える密度で粒子を循環させ、今も激しく燃え盛っているのだ。
当然ながらそんなものを収められる鞘などなく、しかし紅剣の周囲の空間は変調をきたし、熱量によってではなく奇妙な歪みを見せていた。その歪みが、物理的な障壁となって剣を鞘走らせるための器と化しているのだ。
そう、"彼"は世界そのものを鞘として抜刀を行うつもりなのだ。

暗黒天体を手に振り翳すベルゼバブ。
恒星剣を手に居合抜刀の構えを取るアシュレイ。
視線の交錯は一瞬にして、死線の衝突は唐突だった。


490 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:35:13 5GFpT/rs0
「神威抜刀───秘剣・加具土命」



───次瞬、世界が"ズレ"た。



縦真一文字に斬り上げられた神威抜刀は、比喩ではなくまさしく世界を断割した。
ベルゼバブの放つ混沌の魔力、すなわち天に生じた虚空の孔、有象無象を消し去る重力崩壊に等しいケイオスレギオンの胎動を真っ二つに両断。
混沌の波濤を、魔力だけではなく熱・音・衝撃さえも魔力から生じた世界の変化ごと斬り砕き。
のみならず、その途上にある空間を、更に向こうに広がる星々の輝く漆黒の天蓋を、彼方に見える渺茫たる地平線を、まるで世界という卵の殻を内側から破るが如く、切り裂いてみせたのだ。
それすなわち、アッシュの持つ恒星剣が今や膨大な熱量と質量のみならず、空間切断の性質さえ獲得し始めた証左に他ならない。

この結末に堪らぬのはベルゼバブである。彼はケイオスレギオンの魔力球を切断されると悟るや、培った超反応で以て身を捻り斬撃を回避するも、左側の鋼翼と左腕とを斬り飛ばされ、多量の鮮血を空にまき散らした。
漆黒の羽根を舞い散らせ、凄まじい形相にて地表のアシュレイを睥睨し、しかし斬撃の余波に抗うこと叶わず彼方へと墜落していく。
それを見届け、アシュレイもまた、更なる闘争と決着のため歩みを進めようとした。

その時であった。


491 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:36:02 5GFpT/rs0


「───駄目だよっ!」


孤軍で歩むアシュレイの背から、声と共に抱きしめる誰かの腕。
それは行かないでと言うように。
あるいは、もういいよと言うように。
何ら敵意を感じさせない声だった。そこに含まれる感情は、決意と、哀しみ。

「そっちに行っちゃ、駄目だよ。もうこんなにボロボロで、傷ついて……
 何がなんだか分からないけど、でもこれ以上あなたがそんなになってまで一人で背負うことなんて、ない!」

それはキュアスター/星奈ひかるの、必死の呼びかけだった。
少女の声などまるで聞こえていないように尚も歩みを進めようとするアシュレイの体は、今や見るに堪えぬ有様を晒していた。
端的に、生者のそれではなかった。纏う炎は彼自身をも焼き尽くしたかのように、アシュレイの総身は燃えて炭化した木切れのように黒く、細く、かつての面影など何処にも見えない。
全身がひび割れ、目口から炎を吹き出し、腹に空いた穴は最早流せる血さえないのだろう。今や彼は哀れな焼死体に他ならず、むしろなぜ今を以て動き続けていられるのか不思議なほどだった。
それはひかるにとって、あまりにも悲痛で、泣き叫びたいほど悲しい情景だった。人一倍感受性の強い彼女である、自分以上に他人が傷つく姿を見るのは、とても痛々しいことであったから。

そして、事はそれだけではない。
ひかるには、どうしても彼を止めなければならない理由があった。

「それに……それに、"それ"だけは絶対に駄目なんだ。
 傷つけるのも、傷つけられるのも、仕方ないことなのかもしれないけど……でも、それを仕方ないって諦めることだけは、絶対にしない!」

───星奈ひかるは、本当の悪党を知らない。
無論、世に悪党や犯罪者が溢れていることは知っている。それによって生まれる哀しみも知っている。けれど、彼女はキュアスターとして戦ってきた中で、いわゆる本物の悪に出会ったことはなかった。
誰もが戦う理由を持っていて、誰もが本当は誰かを傷つけたくなんかなかった。
ノットレイダーたちは、自分の故郷である母星を失い、生きる場所を探していた。
侵略に遭い、不当に奪われ、嘆きと共に必死に手を伸ばした。プリキュアとノットレイダーの対立とは結局のところ生存競争の延長線上に過ぎなかった。
諸悪の根源と呼べるだろうダークネスト───蛇使い座のスタープリンセスとて、最初にあったのは些細な行き違い。それがいつしか取り返しのつかないことになって、ずっと苦しんでいただけだった。
だから、この聖杯戦争において出会った"本物"を、星奈ひかるは理解も共感もすることができなかった。
楽しむために誰かを傷つける。殺人に恥も躊躇も罪悪感も感じない。そんな人間が、本当にいるということが、額面通りの知識としてではなく実感として信じられなかった。


492 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:36:50 5GFpT/rs0
だってそうだろう。人が死ぬのは、悲しいことのだ。
どんなに言い訳しても、人が死ぬことはあまりにつらく、悲痛で、涙をもたらすものなのだ。時代や国の違いによって、その本質が揺らぐことはない。
だからひかるは信じることができず、認めることもできず───あるいは、そうした"悪"を容赦なく打ち倒そうと思い詰めたことさえあった。
正義の味方ではない、悪の敵。
そうした在り方を是として、迷いすら投げ捨てて歩もうとしたこともあった。
けれど。

「けど、そんなのは逃げなんだ。あれは悪い人だから仕方ない、悪党なんだから死んで当然、殺して全部見なかったことにしよう、なんて。
 そんなの、つらいことから目を背けて楽なほうに逃げてるだけ。私はようやく、そんな簡単なことに気づいたから……!」

人を傷つけてはいけない。人を殺してはいけない。
突き詰めれば、話はこんなにも当たり前で誰もが知っていることであるはずなのに。
悪の敵を志そうと、かつて一瞬でも思ったことのあるひかるは、本物の"悪の敵"を目の前にして、思ったのだ。
───ああ。自分はきっと、こんなふうにはなれない。

「だから、戻ってきてください……!
 あなたにはまだ、帰るべき場所があるはずです! 待ってくれてる人もいます!
 私、聞きました。七草にちかさんは、あなたのことを信じて待ってる! だから!」

焔に包まれるアシュレイを抱きしめて、当然ながらひかるもまた炎に焼かれていた。
付属性によって望まぬ誰かに影響を与えないはずの炎は、しかし今やその限界値すら超越したのだろう。触れるひかるの肌を容赦なく焼き焦がし、耐えがたい激痛を彼女に与えていた。
彼らの足元に広がるは、赤熱化し溶解し始めた地面である。臨界点はほど近く、あと幾ばくかもしないうちに限界が訪れようとしていることは明白だった。煌翼の完全顕現、そして足りぬ魔力による双方の完全消滅。破滅の未来はほど近く、それを本能的に理解して、しかしひかるは諦めない。

星奈ひかるは、もう、何も諦めない。
光のため? 希望のため? 自分以外の誰かのため?
うん。そんなふうに雄々しく吼えることができたなら、きっと良かったんだろうけど。
でも、それ以上に。そんなことより。
私は、みんなに笑っていてほしいから。
誰かの涙を、もう見たくなんてないから。

「戻ってきて、ライダーさん!」






493 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:37:55 5GFpT/rs0



七草にちかは、ぼんやりと彼方を見つめていた。
世田谷区の外側に位置する路地の上。アーチャーを名乗る中学生くらいの少女に連れ出され、必死の逃走を敢行して、辿り着いた避難地。
決して安全であるわけではない。そんな路地の一角に、彼女はいた。
女の子はもういない。あの戦いを止めにいくと、そのまま行ってしまった。
田中摩美々と、もう一人の自分はここにいた。二人は共に気を失って寝かされている。
それでいいと思う。だって、あんなものを見ずに済んだのだから。

「……はは」

渇いた笑いしか出てこない。何もかもが唐突すぎて、どんな感情を出力すればいいか分からなかった。
いきなり敵に襲われた。
逃げたと思ったらとんでもないのに襲われた。
死ぬかと思った。
そしたら、ライダーがなんか凄いことになった。
そしてまた逃げ出して、ここまで来て。ああ、自分はいったい何をしているのだろうか、と。
分かるはずもない。にちかは、今まで何もわかっていなかったのだ。

「ね、ライダーさん。生きてますか?
 死んで、ないですよね。私のこと、置いてかないって、言ってくれましたもんね」

───俺は、置いていかないよ。

───君を置いて、いったりしない。

その言葉を覚えている。決して、決して忘れたりするもんか。
信じてる、だなんて無責任なこと、軽々しく言えはしないけれど。
怖くない、なんて口が裂けても言えないけど。
でも、それでも。
今もあそこで戦ってくれているであろうあなたのことを、私は、信じてあげたいから。

「……帰ってきてください」

それは、無意識の祈りだった。
にちかは神なんて信じていないけど、それでも思う気持ちがひとつ。
それは神にではなく、自分にでもなく、大切に思う誰かへ伝われと祈る気持ち。

「帰ってきてください、ライダーさん」

そして。
彼女の腕が、ほんの微かに輝いて。






494 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:38:21 5GFpT/rs0



───誰かに呼ばれた気がした。

声も何も聞こえず、それでも誰かに呼ばれた気がする。
そんなよく分からない感覚と共に、アシュレイは目を覚ました。

「……ここは」

見覚えのない場所だった。あるいは、酷く懐かしい気分でもあるが。
例えるならば、そこは宇宙とでも形容すればいいのだろうか。頭上には銀に輝く大輪の満月があり、足元には大河のように無数の星々が流れ煌めいている。
上体を起こしたアシュレイの視界に広がるのは、そうした常識外の光景だった。神秘的で、幻想的で、しかし地球上では見られぬだろう異様な光景。
此処が何処なのかは分からない。
何故此処にいるかも分からない。
けれど、今自分がやるべきことだけは、痛いくらいに理解していた。

「……こうして顔を合わせるのは、あの時以来になるのかな」

目的の人物を探して、少しだけ周囲を歩いてみたりして。そうすればすぐ"彼"を見つけることができたから。
アシュレイは穏やかな笑みを浮かべたまま、旧来の友に語り掛けるように、告げるのだ。

「久しぶり、ヘリオス」

焔そのものである魔人に向かい、アシュレイは刃も銃弾も飛び交わぬ戦いを始めようとしていた。


495 : 掃き溜めにラブソングを(中編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/04/28(木) 22:38:43 5GFpT/rs0
投下を終わります。続きはまた後日


496 : ◆0pIloi6gg. :2022/04/29(金) 16:16:07 Z6JKFlDM0
申し訳ありません、一度予約を破棄します


497 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 20:59:44 3zfeMWSY0
予約分を投下します。中編からになります


498 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:01:06 3zfeMWSY0

「すまないが、その依頼には応えられないな」
 時は吉良吉廣が田中一を捕捉するよりも前へと遡る。
 伏黒甚爾の要求もとい依頼をモリアーティは即答で突っ撥ねた。
 甚爾は小さく笑って肩を竦める。
 予想通りだ、とでも言うような仕草だった。
「一応理由を聞かせてくれるか。言っとくが撤回するなら今の内だぞ。
 こっちも色々あってな…奴さんの身柄を確保しないと面倒臭ぇんだわ」
「それは怖い。君が只の間諜でないことは此方も察しが付いていてネ。
 できれば此処での争いは避けたいが…さて。どう思う、我がマスター。我らが王よ」
 モリアーティと甚爾。
 二人の視線が弔へと移った。
 彼は溜息を一つついてから口を開く。
「テメェの事情なんか知らねぇよ。交渉に来て頭も下げねぇ野郎が、なんで言うこと聞いて貰えると思った?」
「元を辿れば先に不義理かましたのはそっちだろうが。それも含めて矛を収めてやるって言ってんだ」
「大した自信だな。敵陣のド真ん中でそこまでイキれるか? 普通」
 嫌な奴を思い出すね。
 そう言って弔は自分が過去に嵌められ、そして全てを奪うことで報復したヤクザ者の顔を回想する。
 奴の手で殺された同胞の顔も脳裏に浮かんだ。
「土下座して靴でも舐めてみろよ単細胞の猿野郎。そしたら考えてやる」
「理解できねぇな」
 甚爾は挑発に乗るでもなく、心底分からないというような様子だった。
「話に聞く限りじゃ田中って男はとんだ無能だろ。
 サーヴァントもねぇ、魔術も使えねぇ。頭が切れる訳でもねぇ。
 俺は自他共に認める能無しの猿だけどよ、奴さんも大概じゃねえか」
 敵連合は大した組織だ。
 今やMの存在を除いても彼らは侮れない。
 死柄木弔とあのチェンソーの"呪い"。
 彼らが同じ方向を向いて並んでいるというだけで危険視の理由としては十分だった。
 だがそんな組織に田中一という凡夫は本当に必要なのか。
 実のところ甚爾は驚いていた。
 聡明なMのことだ。
 マスターが何と言おうが合理を優先して――妙な条件をつけてくる可能性もあったが――田中を此方へ引き渡すものと高を括っていた。
「悪いことは言わないからゴミは捨てときな、連合の王様よ。
 只でさえ悪目立ちしたばかりなんだ。この期に及んで事を荒立てれば…いよいよ崩壊は近いぜ」
「分かってるさ。組織を作れば自然とゴミは涌いてくる。何処からともなくやって来るんだよな、あいつらは」
 死柄木弔にとって。
 敵連合という組織を受け持ったのは此処が初めてではない。
 元の世界でも彼は同じ名の組織を任されていた。
 いろいろな奴が居た。
 数は増えたり減ったりを繰り返した。
「何考えてんだか分からない奴」
 全身焼け焦げた青年を思い出す。
「社会に適合できる訳もねえ奴」
 人の血を吸って笑う少女を思い出す。
「バカだが愉快な奴」
 マスクを被った男を思い出す。
「ヤクザ如きに片腕飛ばされやがった奴」
 頑なに自分の正体を明かさなかった仮面の男を思い出す。
「大した才能もない…多少話が合うくらいしか評価点のねえ奴」
 異形型として排斥され、その結果ヒーロー殺しにかぶれたやけに気の合う奴を思い出す。
 思えばゴミの集まりだった。
 よくもまああんな奴らと一緒にやって来られたものだと思う。
 だが不思議と。
 呆れはしても憎いと思う気持ちはなかった。
 社会の全てを憎み続けた人生だったというのに。
「だが、まぁ…ゴミも使いようだ」


499 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:01:53 3zfeMWSY0
 田中一が連合へ近付いた当初の理由はどうあれ。
 弔は覚えていた。
 自分の作った崩壊の地平を見る彼の眼差し。
 そこに確かな憧れと感動の色があったことを。
 であれば資格は十分だ。
 それを美しいと思えるならば。
 己の夢に付き合う資格はある。
「明日にでもまた訪ねてこいよ。気が変わってるかもしれないからな」
「そうか」
 仕方ねえな。
 そう言ったのと、甚爾がその殺気を露わにしたのはほぼ同時だった。
 本当なら荒事になる事態は避けたかった。
 が、相手が頑ななことを理由に引き下がれる状況にはない。
 伏黒甚爾もまた呪われている。
 紙越空魚がその胸に抱きしめた呪いに巻き込まれている。
 だからこそ彼は不合理を冒すしかない。
 それが間違いであると分かっていても。
 彼は、紙越空魚のサーヴァントなのだから。
「じゃあ此処からは暴力だ。吐いた唾飲みたくなったら土下座してくれ。靴底をご馳走してやるよ」
「寝言は寝て言えクソ猿。人里に降りてきた害獣は駆除しなくちゃな」

    ◆ ◆ ◆

 先に動いたのは死柄木弔の方だった。
 躊躇のない踏み込みは自信の表れ。
 伸ばした掌は甚爾に軽く弾かれるが。
 そのあっさりとした結果とは裏腹に捌いた側である甚爾は驚きを覚えることになった。
“速いな。人間の動きじゃねぇ”
 天与呪縛により生まれながらに超人である甚爾。
 その彼がこの評価を下すことの意味は言わずもがな大きい。
 そして此処で甚爾は連合の王に対する認識を改めた。
“薬か異能か。目元の痣を見るに恐らく前者だな”
 崩壊の力だけではない。
 何をしたかは知らないが、肉体の基本性能もまた超人の域。
 前述した崩壊の異能を加味すれば…純粋な脅威度で言えばサーヴァントに匹敵して余りあるだろう。
「避けんなよ」
 それに加えて大元のセンスにも恵まれている。
 本能と執念だけを武器にした我流の動きは喧嘩殺法すら超えた殺し合いの為だけの技巧だ。
 只の徒手空拳でさえ個性という超常を乗せて放たれている以上迂闊には貰えない。
 それどころか豊島での惨状を見るに、一撃食らっただけでも即死と考えて動いた方が合理的だろう。
「筋は悪くねぇ。が」
 では甚爾は逃げの一辺倒に徹する以外ないのか。
 異能を持たず、霊体化することすらできない木偶の坊たる彼は。
 人に追い立てられる猿のように為す術なく逃げ回るしかできないのか。
「必殺を名乗るには遅すぎるな」
「――ガ…!」
 答えは否。
 確かに彼は猿を名乗る。
 非才の凡愚。
 生まれながらに呪われた木偶。
 但し猿ではあってもそれ以前に。
 彼は――
「撃ってみろよ、全力で。撃てるもんならな」
 暴君である。
 天与の呪縛。
 非才という名の才に呪われた"人間"。


500 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:02:38 3zfeMWSY0
 であれば当然、可能である。
 地獄への回数券で強化され、最低でも人類の頂点級の身体能力を得た悪意の申し子の魔手を視認してから避け。
 更に超人レベルの動体視力をしても追い付けない速度で。
 的確な反撃の拳を下顎――急所に叩き込み魔王の肢体を竹蜻蛉のように殴り飛ばすことも。
 甚爾にしてみれば赤子の手を捻るよりも更に数段は容易な芸当であった。
「撃てねえよな。此処でじゃ撃てねえ。色んなものを巻き込んじまう」
 此処は敵陣のド真ん中だ。
 弔が崩壊を放つには障害物が多すぎる。
 都市一つを瞬く間に滅ぼす崩壊の個性も使えなければ只の虚仮威し。
 とはいえそれでも脅威は脅威だ。
 真の意味での必殺。
 触れれば終わる、当たれば終わる。
 それが正面戦闘の土俵でどれ程大きな価値を持つかは語るまでもない。
 そこの部分は大前提。
 しかし。
「リーダーは多いよな。守るものが」
「ッ…語ってんじゃねぇぞ猿が……!」
 その点は至極単純な理屈で解決できる。
 当たらなければいいのだ。
 当たりさえしなければそれは単なる風車でしかない。
 一撃必殺の崩壊を与える手、大したものだ。
 ――で、だから?
“顎の骨を完全に砕いた手応えはあったが、それにしては復帰が早すぎる。
 身体能力の単純強化に加えて回復力も相当引き上げられてやがるな”
 たかが必殺。
 恐るるに足らぬ。
 まして全霊を発揮できない状態ともなれば尚更だ。
 異端の忌み子とはいえ呪術の大家に生を受けた身である甚爾は当然知っている。
 領域展開――必中必殺の脅威を。
 それに比べれば"触れてはいけない"だけの魔手というのはあまりに微温かった。
 野獣のように低く身を屈めて迫る弔の手が床面に触れる。
 途端に生ずる崩壊は靴底で触れただけでも致死に繋がる超常。
 呪わしき"個性"。
 その対処法として甚爾が取った行動は単純だった。
「足場をありがとよ」
「ッ…!」
 間近にあった弔の頭部を踏み台として空中へ逃れる。
 そのまま蛍光灯の縁に驚異的なピッチ力で掴まれば崩壊が過ぎ去るまでの数瞬を其処で待機。
 しつつ片手は、自分の背後からずるずる湧き出た異形の霊体の口内へ突っ込む。
 術師殺しを真に脅威たらしめる呪具の数々を収めた――無色透明の武器庫呪霊。
「ハァ…ハァ……何だその気色悪ィのは。人の会社に汚物持ち込んでんじゃねぇぞ」
「そっちの蜘蛛爺もそろそろ茶々入れて来そうなんでな。
 ガキとインドア老人相手にちと大人気ねぇが、道具を使わせてもらう」
 甚爾がそう言ってそこから抜き出した道具。
 それを弔は杭だと思った。
 しかし彼の言葉の通り介入を試みようとしていたモリアーティの認識は少々違う。
 彼にはそれが、想定された用途を無視して中心でへし折られた――三節棍のようなものに見えた。
「いよいよ加減はできねぇ。最後のチャンスだ、もう一度だけ聞いてやるよ」
「学習しろよ。猿にくれてやる資源はねぇ」
「そうか」
 名を游雲。
 現代社会基準で五億の値は下らないと品評される特級呪具だ。
 呪具とは言ってもそこに術式効果は付与されていない。
 いわば純粋なる力の塊。
 そしてそれ故にその威力は、使用者の膂力に大きく左右される。
「じゃあ死ね」
 ではこれを。
 天に愛され呪われた男。
 呪力の代わりに武力を授けられた彼が担えばどうなるのか。
 約束された悪夢が顕現する瞬間が一瞬後の未来に確約された――その瞬間だった。
 空間を切り裂く破裂音と共に。
 伏黒甚爾の眼球と喉笛、頚椎の隙間を走るとある点。
 その三箇所に向かって正確無比なる弾丸が飛来したのは。


501 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:03:40 3zfeMWSY0


「よう、アサシン。久しぶりだな」
「クソヤクザか。よくぬけぬけと顔出せたもんだ」
 遊びも手抜かりもない即死もたらす精密射撃。
 余人なら何が起きたのかも理解できない内に死んでいただろうそれを破損した游雲で事も無く打ち払いながら。
 甚爾は乱入者のライダー…極道、殺島飛露鬼を睥睨した。
「おぉっと勘違いすんなよ。こっちに戦(や)る気はねぇ」
「殺(や)る気はあるってか?」
「ハハ、まぁあわよくば…な」
 そう上手くは行かねえか。
 言って頭をボリボリ掻く殺島に対する甚爾の視線は厳しい。
 それもその筈だろう。
 彼ら主従は甚爾達との同盟を結んだ舌の根も乾かぬ内に、此方に一言の相談もなく連合へ加入する手を取ったのだ。
 実質煮え湯を飲まされた形である。
 これで友好的な対応などできるわけはないし、その上状況も状況だ。
「フー…やれやれ肝を冷やしたぞ。だが間に合ったようだ」
 一触即発の空気の中でモリアーティのみが安堵したように息を吐く。
 それを受けた殺島は眉間に皺を寄せた。
「おいおい。まさかアンタ…」
「禪院君が田中一の身柄を要求してくる状況には正直驚いたが、しかし理由は実に明白だ。
 田中君が一方的に離別を突き付けたサーヴァントが彼に接触し働きかけた。これ以外には考えられん」
 滔々と語るモリアーティに殺島は肩を竦めるより他なかった。
「が…自分の手の者を伴わせず、何らかの手段で懐柔した相手のみを交渉の場に寄越すなど不合理にも程がある。
 禪院君程のやり手を懐柔してのける弁舌と頭を持った手合いならばそれに気付かないとも思えない。
 だから私はこう考えた。交渉の席を囮に据えて、標的である田中君に直接接触を試みる伏兵が潜んでいる筈だ――とネ」
 伏黒甚爾の来訪は完全なアクシデントだった。
 嘘はない。
 これに関して言えばモリアーティは本当に肝を冷やしていた。
 が…そこは蜘蛛糸の犯罪王。
 散りばめられた不合理の輝きを逃さず拾い集め、計略ではなく推理の糸を編むことで状況の全体像を灰色の脳細胞の内側に描き上げ。
 甚爾に敢えて矛を抜かせ、上階で蠢いているであろう曲者への加勢をどんな形であれさせないことを目指したのだ。
 危険な賭けだが勝算はある。
 時間さえ稼げば必ずや状況は好転するだろうと彼は信じ、任せた。
 上階で田中と一緒に居る連合の共犯者達に。
「私の推理は当たっているかな、禪院君」
「…チッ。あんだけ大口叩いといてしくじるかよ普通」
「正解できていたようで何よりだ。探偵役はあまり経験が無くてね」
 智謀の怪物。
 直接対面してより深く理解できるその異様さ。
 生死を越えて尚保ち続けた過保護な親子愛も。
 天禀と収斂の両方で丹念に編み上げられた蜘蛛の巣の前では毒々しい蛾の一匹でしかなかったらしい。
「改めてお手柄だ。感謝するよライダー君」
「どういたしまして。あ…もう呼んでいいッスかね。張本人、一応連れてきてるんですが」
 殺島は話しながら懐から一枚の丸めた紙を取り出していた。
 何やら喚く声が聞こえてくる。
 甚爾も聞き覚えのある、あの"写真のおやじ"の声だった。
 だが殺島が言う所の張本人とやらは彼ともまた違う。
 本当の意味での張本人。
 それは連合に今回の問題を持ち込んだ…ある、非力で無力な男のこと。
「彼が居なければ話が始まらない。呼んでくれ」
「了解(りょ)。…お〜い、此処はもう安全だぜ。出てこいよ田中」
 ロビーに集った面々の全員の視線がその男に注がれる。
「…ど、どうも……。すんません、お騒がせして……」
 田中一。
 中途半端な狂気と中途半端な行動力と。
 そしてその身には不相応な憧れを抱く者。
 そんなそもそも本戦まで生き残れたこと自体が奇跡のような男が。
 今夜開かれる交渉の席での、何とも華のない主役だった。


502 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:04:54 3zfeMWSY0
    ◆ ◆ ◆

「最初に言っとくぞ。もうこの時点で俺目線じゃ交渉は決裂してる」
 よくもあれだけ偉そうに言ってくれたもんだと甚爾は内心で吉良吉廣を侮蔑した。
 田中一の確保も説得も最悪の形で失敗。
 今や彼は無残に丸められた、チリ紙のような格好で床を転がっている。
 何かあればすぐにでも抑え込めるように殺島の靴底でその場に縫い止められた状態だ。
 しかしこうしている今も彼は。
 愛する息子…田中のサーヴァントである殺人鬼に念話を飛ばすことができる筈。
 そしてその殺人鬼は仁科鳥子という、甚爾のマスターにとって無二の価値を持つ女の生殺与奪を間近で握っている。
 状況としては限りなく最悪。
 それが伏黒甚爾の現在だった。
「先刻も言ったがこっちの要求はそこのシケた男の身柄だ。
 そいつを渡せば大人しく帰るし、場合によっちゃ今後も連合(おまえら)とビジネスライクに付き合い続けてやってもいい」
「だがそこからは一歩も譲れない、と」
「そういうことだな」
「では単刀直入に進言しよう」
 モリアーティの眼鏡の奥の眼光がギラリと輝いた。
 彼の前で隠し事をすることに意味はない。
 秘めた目的や事情など犯罪王の眼光は容易く暴く。
 宿敵(ホームズ)程ではないにしろ、彼も解き明かすことには多少覚えがあるのだ。
「彼らとは手を切りなさい。君が今乗っているのは沈みかけの泥船だ」
 沈黙する甚爾。
 殺島の足元で丸められた写真が何かを喚いていたが、生憎くぐもった内容までは聞き取れない。
「最初はマスターでも人質に取られているのかと思ったが…それならもっと切羽詰まって動くだろうからね。
 とはいえ状況的に君が何かの弱みを握られ、そこの写真の御仁らに利用されていることは間違いない。
 人質かそれともまた別の込み入った事情があるのか。君のこれまでの言動を思えば、思い浮かぶ名前は一つあるが」
「……」
「しかし何にせよその悩みはすぐにでも取り払うことができる。
 事実君も…田中君の確保に成功次第、そのアプローチを行おうと考えていたのではないかな」
 前述の理由により、伏黒甚爾は吉良吉廣に協力するしかない。
 だが彼もただ使われるのみではない。
 殺し殺されの世界で生きてきた裏の人間であれば誰もが知っている。
 誰かの道具に堕ちるということは、いずれ必ず破滅を招くと。
 だから甚爾は吉廣に従う体を取りつつもある案を考えていた。
「――あぁ、そうだよ」
 即ち。
「そいつに令呪を使わせられればそれで全部事足りるからな。
 説得でも拷問でも構わねぇが、どうにかして殺人鬼野郎を自害なり無力化させる命令を引き出すつもりだった」
「…貴様ッ! 正気で言っておるのかそれはッ!? ワシらが貴様の何を握っているのか、忘れたわけでは――!」
 あまりに許容できない言葉だったのかチリ紙状態で吉廣が叫んだ。
 その台詞を最後まで言い終える前に彼は本格的に踏み潰されて発話不能に陥ってしまったが、これで状況は最悪だ。
“奴の息子には俺の叛意が伝わっただろう。そうなると取引の土台が崩れる。
 仁科鳥子の身の安全を担保するものはこれで一切無くなったことになる…が”
 しかし――そもそもの話である。
 吉良吉廣の"息子"は本当に仁科鳥子を殺せるのか?


503 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:05:57 3zfeMWSY0
 甚爾の裏切りの代償を、彼は瞬時に取り立てられるのか?
 仁科鳥子のサーヴァントはフォーリナー。
 名をアビゲイル・ウィリアムズ。
 リンボなるアルターエゴの妄言に曰く…地獄界曼荼羅計画の中核を成す規格外(領域外)のサーヴァント。
「知っての通りうちのマスターは仁科鳥子に随分とご執心でな」
「それは…彼女が傍に侍らせる"力"の存在を欲してのことかな?」
「いいや、此処に来る前からの縁らしい。詳しくは知らねぇし興味もねぇが」
 鳥子の名をモリアーティが最初に聞いたのは他でもない伏黒甚爾の口からだ。
 だがその後、彼は暗躍する妖星の口から全く別な形で彼女の名を聞かされることになった。
 窮極の地獄界曼荼羅なる頭痛を覚えそうな名の計画。
 それを実行に移す段階で排除し、善良な少女の殻を被った怪物の真価を呼び起こすのだと道化師は彼に語った。
 点と点だった二つが線で繋がる。
「リンボ君のことは伝えていたね。ならば君も此処までの道中で考え至ったか」
「そうなるな。まぁサーヴァントってのは雇われ商売だ。
 可能な限りは雇い主(クライアント)の意向に添うつもりだったが…」
 そう、いざという時は。
「俺が田中一を殺して、追い詰められた殺人鬼を仁科達に倒させることも考えてた。
 仁科鳥子と地獄を描き得るサーヴァント、フォーリナー。奴らの実力を信用してな」
 鳥子は只の囚われの姫ではない。
 彼女の傍らには強大な戦力があり。
 そして仁科鳥子の死は必然、アルターエゴ・リンボの野望の成就に繋がる。
「なぁ写真の爺。テメェらはリンボを殺して地獄界曼荼羅を止めてぇんだったよな」
「……!」
 考えてみればおかしいではないか。
 吉良吉廣とその息子は窮極の地獄界曼荼羅の完成を阻止しようとしている。
「じゃあ逆じゃねぇか。テメェらは一番仁科鳥子を殺したくない立場だ」
 なのに指示に従わなければ鳥子とフォーリナーを始末する?
 世界を破壊できる程強力な潜在性を持つサーヴァントをただの殺人鬼が単独で始末するのは至難だろう。
 となると必然、マスターである鳥子を先に殺すなり人質に取るなりして、フォーリナーを追い詰める必要がある。
 令呪の存在を鑑みれば吉影が取れる選択肢は前者のみと言ってもいい。
 しかしそれはアルターエゴ・リンボの目論見に塩を送る愚行。
 自分達があれ程忌み嫌っていた混沌の方へ喜び勇んで突き進むようなものだ。
 勿論この理屈に従って行動するのにはリスクも伴う。
 依然として鳥子の生殺与奪がアサシン陣営の手にあるのは変わらないのだ。
 相手方の考え次第では、手の内次第では…むしろ甚爾の方が道化になりかねない。
 だから当初甚爾は当面大人しく従い、田中を確保次第彼に令呪を使わせアサシン陣営を排除するつもりでいた。
 しかしこうなった以上はそちらの方がむしろリスキーだ。
 恨むならテメェの不手際を恨め。
 甚爾は吉廣の有様を鼻で笑った。
 重ねて言うが甚爾も、本当はこうなって欲しくはなかったのだから。
 吉廣が仕事を果たせてさえいれば。
 彼らの命運が尽きる瞬間はもう少し先延ばしにされていた筈なのだから。
「では」
「いいぜ。望み通り、交渉成立の条件を変えてやる」
 空魚が知れば本気で怒るだろう。
 何してんですか貴方はと声を荒げる姿が目に浮かぶ。
 面倒臭ぇな。
 甚爾は心の中で吐き捨てたが、こうなった以上は最早仕方がない。
 呪いを受け入れると吠えたなら多少の胃痛は覚悟しとけと開き直って。
 甚爾はモリアーティに新たな交渉条件を告げた。
「そこのボンクラにサーヴァントの自害を命じさせろ。それで手を打ってやる」
 そして殺島の靴の下で喚く哀れな"父親"に王手を。
 顔も知らない仁科鳥子の命運を内心激励しつつ、伏黒甚爾の役目は終了する。
 席の主役は彼ではなく、殺島と共にこの場に現れた冴えない男。
 殺人鬼のアサシンを召喚し…相互理解を果たすことなく断絶して今回の騒動を招いた張本人。
 田中一へと移る。


504 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:06:42 3zfeMWSY0
    ◆ ◆ ◆

 吉良吉影とその父親、吉廣。
 彼ら親子と田中の間に存在する対立関係はほぼ形式だけのものと言って差し支えない。
 田中が彼らに愛想を尽かして出奔した時吉影は傍に居なかった。
 もしも吉影が居合わせていたなら多少強引な手段を使ってでも田中の令呪を不能にせんと行動しただろう。
 しかし吉影はその時仁科鳥子の許に居り。
 頼みの綱の吉廣はリンボによって半ば不意討ちで人事不省に陥らされ、結果田中は三画もの令呪を抱えたまま親子から逃げ出すことに成功した。
 して、しまった。
 そしてこの時点で吉良親子はほぼほぼ詰んでおり。
 今この瞬間まで茶番じみた追跡劇を演じられていたことが奇跡に思える程絶望的な状況に追いやられていた。
「話は聞いていたね? 田中君」
「あ…は、はい」
「私としては行動に縛りを加えて駒にするのも悪くないと思うのだがネ。
 しかし今宵の客人はそれでは足りないと言う。君のサーヴァントの完全な消滅。この世界からの退去をお望みらしい」
 後ろ盾がない状態であるならいざ知らず。
 敵連合という巨大勢力に加入する僥倖に恵まれた以上、次の契約相手にありつける可能性も高い。
 要するに吉影達を生かしておく理由が田中にはもう無いのだ。
 吉廣はそれに気付いていたし彼から念話で連絡を受け取っているだろう吉影もそうであるに違いない。
 令呪を発動して一言命じれば全てが終わる。
 とことんまで気に入らない殺人鬼と、死して尚子離れのできない狂った父親。
 彼らを一方的にこの界聖杯から追放し英霊の座に送り返すことができる。
 そして今。
 とうとう狂った親子はまな板の鯉と化した。
「無論替えのサーヴァントを見繕うことには力を尽くそう。
 我々としてもその方が戦力の増強になるからね。頼まれてくれるかな――田中君」
 彼は今や絶対的強者だ。
 高笑いでもしながら散々自分を見下してきた親子に引導を渡してやればいい。
 だというのに。
「……」
「…田中君?」
「あ、…その、えっと……やっぱ、そうなりますよね」
 当の田中はと言えば。
 それを喜ぶでもなく冷や汗を掻いていた。
 自分が取れる最適解は吉良親子を、自分のサーヴァントを令呪で正式に切り捨てることであるという事実。
 まるでそこからずっと目を背けていたかのような。
 目を背け続けていた事実を此処に来てとうとう直視せざるを得なくなったような。
 そして――そんな反応から希望を見出す者がただ一人だけ存在した。


「――そうじゃッ! 貴様の懸念は正しいぞ田中一ッ!」
 吉良吉廣だ。
 靴底で写真を踏み潰され体すら出せない状態。
 虫のように蠢くばかりの身になりさらばえた彼はしかし諦めてはいなかった。


505 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:07:30 3zfeMWSY0
 それもその筈。
 彼にとって世界の中心は息子であり、自分の全能力は息子のためにあるのだから。
 今更己の死など恐ろしくはない。
 ただ吉廣は息子の死を恐れていた。
 こんなつまらない凡夫の機嫌一つで愛する"わが息子"の夢が途絶えてしまう。
 他の何よりもその未来だけを恐れていた。
 であれば当然必死にもなる。
 まして此処に来て田中が再び無能を晒し。
 付け入る隙を見せてくれたのだ――此処で動かずしていつ動くというのか。
「こやつらにとって貴様は単なる道具! 便利な雑用役でしかないのじゃ!
 サーヴァントを失った貴様になぞ何の価値もない! 忽ち切り捨てられるぞッ!」
「ッ…!」
 殺島の足の力が強くなれば発声も難しくなる。
 だが吉廣は喉が張り裂けて血が噴き出すのも構わず叫び続けた。
 傍から見ればそれは敗者に落ちた者の無様な足掻き。
 されど器でも度胸でも彼らに数段劣る田中が相手であるならば、その足掻きも十分な価値を生み出してくれる。
“く、くく…! 今この瞬間だけは貴様が凡夫であることに感謝するぞ、田中……!”
 どれだけ調子づこうとも彼の根底には劣等感と己の無能さへの自覚が存在する。
 そこを突けば簡単に揺らいでくれるのだから楽なものだ。
 たとえ自分がこの場で殺され消滅しても、最悪田中が令呪を正しい形で使えれば勝機はある。
 令呪一画を使って吉影をこの場に呼び。
 更にもう一画を使って離脱を命ずる。
 田中はどうしようもなく愚鈍なマスターだが、それでもそのくらいの発想は考えつくだろう。
 平穏を愛する吉影にそんな真似をさせるのは胸が痛むが命には代えられない。
「吉影はおまえを許すと言っておる! もう一度わが息子の手を取るのじゃ、田中よッ!」
「や…やめろ、ふざけるな! 今更……どの口でそんなこと言ってんだよ糞爺ッ!」
「何を子供じみたことを喚いておるのだ! さもなくばお前は…この悪人共に死ぬまで利用され玩ばれることになるのだぞッ!?」
 何処までも不毛な口論が積み重なる。
 その光景を見ながらジェームズ・モリアーティは一人思案していた。


“無駄だな。既に君達は詰んでいるよ、写真のご老人”
 吉良吉廣の考えはあまりに形振り構わない急拵えの代物だ。
 仮に田中が愚かにも吉廣の口車に乗せられてしまったとしよう。
 それでも彼らの陣営の未来は変わらない。
 その時は殺島が、甚爾が、そして自分が。
 令呪を使う前に田中を始末するだけのことだ。
 そうすれば事実上吉良吉影は脱落が確定。
 田中一という人材を喪失することにはなるものの、それによって自分達が被る損害は決して大きなものではない。
 が…強いて言うとすれば。
“たとえ貧者であろうとも、生きたいと願う本能は時に予測不能の事態(アクシデント)を生むことがある”
 それに。
 純粋にマスターとして再雇用する余地のある人材を失うというのは痛手だ。
 聖杯戦争において人間とはリソース。
 マスターの資格を…この世界の理になぞらえて言うならば可能性を有するそれを放棄せねばならない事態は少々旨みに欠ける。
“とはいえ…こればかりは私が何を言った所で焼け石に水だろうからねェ……”
 彼の知性と先見性に賭けるしかないか。
 そう考えながらモリアーティは、有事に際してすぐに動ける態勢を既に整えている二体のサーヴァントを見て小さく嘆息した。


506 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:08:17 3zfeMWSY0


“俺は…やっぱり利用されてる、のか……?”
 自分の貧困な脳髄では想像もできない程大きな悪からお墨付きを貰った。
 命からがら辿り着いた先で憧れを抱いた。
 だが連合へ加入を果たした自分を待ち受けていたのは激しい劣等感。
 本気で聖杯を目指し牙を研ぐ者達と、自分のサーヴァント一匹従えられない愚か者の格差。
 その苦い現実は彼の心を少なからず削っており。
 その傷に今吉廣が放った言葉は塩水のように鋭く滲みた。
“いや…そんな筈はない。追い詰められた爺の戯言だ、聞き流せ……”
 田中にも物の道理くらいは分かる。
 吉良吉廣は…あの殺人鬼の父親であるこの老人は親子共々追い詰められている。
 そんな相手の言うことに耳を貸す必要などない。
 分かっている。
 分かってはいるのだ。
 だけど。
「誰が貴様なぞに価値を見出すというのだ! 自分を知れッ!」
 その言葉が足を引く。
 その正論が肩を掴む。
「お前のような人間なぞ…この世にはごまんと居る!
 たまたまお前が扱いやすかっただけじゃ! だから甘い言葉で誘われたッ!
 後生大事にそれに縋っているようでは……お前はいずれゴミのように切り捨てられるぞッ!?」
 その正論が、心を鎖す。
“…あぁ、そうだな。分かってるよ。
 俺がしょうもない人間だってことくらい……誰よりさ”
 思えば初めからそうだった。
 顔は並かそれ以下。
 運動神経も上に同じ。
 勉強はできなかったわけじゃないが、それでも並の中での上澄み程度に収まった。
 子供なりに承認欲求を満たす手段を探して消しゴム集めに手を出して。
 挙げ句騙されてボコボコにされて心底悔いて。
 そんな子供時代から今に至るまで、田中一(じぶん)は何も変わっちゃいない。
 何一つ変わっちゃいない。
 ずっとそのままだ。
 何となくで就職先を選んで。
 ゲームに嵌って金と時間、自分にできる全てのリソースを注ぎ込んで。
 それ以外何も見えなくなって。
 自分の名前など覚えてもいないだろう因縁の相手に執着して。
 そうしてようやく手に入れた勝利の証を。念願のドードーを。
 手に入れて一分としない内にデータの海に逃がしてしまった。
“なら…俺がするべきことは……”
 界聖杯に来て童貞を捨てた。
 初めての殺人の味は今も覚えている。
 だがそんなもの所詮ただの自慰に過ぎなかった。
 その卒業は自分の何を変えてくれたわけでもなかった。
 負け犬は負け犬。
 凡夫は凡夫。
 その結果がこの現在だろう。
 常に後先考えない短絡な行動を繰り返し。
 信じた憧れすら貫けない。
 なまじ単純な頭をしているから誰からも軽んじられる。


507 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:09:24 3zfeMWSY0
 下らない人生だ。
 つまらない人生だ。
 何の価値もない命だ。
 でも死のうとは思えない。
 これだけ劣等感と無力感を味わってもまだ醜く足掻こうとしてしまう。
 ――そんな田中を見て吉廣は笑う。
“そうじゃ…! それでいい、おまえはそれでいいのじゃ田中……!”
 貴様などが欲を出した所で手に入れられるものなど何もない。
 欲の主に価値がないのだからそれは当然のこと。
 誰も田中一という個人に対して価値など見出しはしない。
 何故なら彼は凡庸だから。
 才能も憧れもその全てが並の域を出ないから。
 言うなれば彼は現代ではごくありふれた無敵の人。
 後先顧みないだけしか取り柄のない凡夫。
 そんな男を本気で大事にして重用しようなど、余程の馬鹿か人情家しかあり得ない。
 現に彼を引き入れたモリアーティですらこの場にあっては彼を切る未来を考えていた。
 わざわざ面接までして引き入れた男だとは言っても。
 その価値は…魔王の好敵手や微笑みの偶像に比べれば数段劣る。
 犯罪王の判断を糾することは誰にもできないだろう。
「確認せい田中ッ! お前にまだ残っておるものは何じゃ!」
 そんな田中の胸中は吉廣に言わせれば手に取るように分かる。
 伊達に予選期間、一ヶ月も面倒を見てはいないのだ。
 田中一には何もない。
 短慮の末にこんな所まで来てしまいはしたが、結局最後に残るのは令呪という唯一無二の呪縛で繋がれた親子だけだ。
“そうだ。俺にあるのは…”
“そうじゃ、お前にあるのは…!”
 自分の詰みすら見落とす程追い詰められた吉良吉廣。
 そんな彼の掌で踊らされる田中一。
 短慮と劣等感の末に彼はとうとう答えを見つけ。
 取り返しのつかないことをするべく。
 右手に魔力を込めようとした。
 

「田中」
 その時。
 声が響いた。
 青年の声だった。
 伏黒甚爾が矛を収めてからはずっと黙りこくっていた彼。
 連合の王たる白髪の魔王が、建物の柱に凭れた格好のままで口を開いていた。


508 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:10:24 3zfeMWSY0
「死柄、木…」
 抱いた憧れを否定され。
 衝動のままに全てを壊し。
 粉塵に塗れて燻り続けた社会の塵。
 かつてそうだった彼はもう此処には居ない。
 天上のそれを思わす漂白された白髪。
 傷に塗れた顔すら、今や貧しさを思わせはしない。
「何迷ってんだよ。お前はもう連合(こっち)の人間だろ」
 全てを壊し崩す手が田中に向けられる。
 手を取ろうと言っているのではないことはすぐに分かった。
 何故ならその手は、その手が生み出す景色には。
 田中一の夢見た全てがある。
 田中革命の真髄を更に先鋭化させ何処までも突き進ませた最果ての形。
 豊島区でそれを見せてくれた彼が自分に向けてその手を伸ばしている。
 そのことの意味はあまりにも大きくて。
 そして。
「勝手にどっか行くなよ。楽しいのはまだまだこれからなのに」
 死柄木弔は笑った。
 この界聖杯で恐らく最も可能性に乏しいだろう男に。
 不敵な眼光はそのままに、口元のみを歪めて笑いかけたのだ。
 その顔に打算や悪意は一切なく。
 あるのはただ…死柄木弔と田中一の間に唯一共通して存在する理想のみ。
「――勝つのは俺だ。これでも不安か?」
 柱に凭れて立つその姿。
 この場でただ一人田中一へ手を差し伸べる姿。
 それを見た瞬間、田中は人生で味わったことのない電流めいた衝撃に意識を焦がされた。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ぁ………………」
 脳内にフラッシュバックする忘れるべくもない光景。
 視界の果てまで続く崩壊を背に立つ魔王の面影。
 自分が未だかつてなく強い意思で憧れた男が自分へ微笑んでいる。
 手を差し伸べている。
 手を取れと命じるでもなく。
 自分に跪けと傲慢に言うでもなく。
 ただ一言。
 お前に憧憬(ゆめ)を見せてやると。
 言外にそう告げてそこに居る。
 そのことを認識し理解した瞬間。
 田中は涙を流した。
 そして自分が何をするべきなのか。
 誰の言葉を信じるべきなのかを、今度こそ完璧に理解した。
「色々勝手なこと言ったし…散々振り回したけどさ。悪かったな、写真のおやじ。
 アンタが俺の世話を焼いてくれてなかったら……俺は予選で死んでたかもしれない。
 そのことには素直に感謝してるよ。これだけは最後に言っておく」
「待…待て、田中! 何故今そんなことを言う!? まさか……まさか、貴様!」
「悪いな。おやじ」
 だからそれらしい決断をする。
 そう決めて田中は右手を掲げた。
「お別れだ」
 そして笑った。
 晴れ晴れとした笑顔だった。
「アサシン。令呪を以って命ずる」
「やめろォォ――ッ!」
 吉廣の絶叫が響き、そして。
「死」
 敵連合新拠点の一階に爆音と閃光が炸裂した。


509 : 僕の戦争(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:11:06 3zfeMWSY0
    ◆ ◆ ◆

 田中の顔を見た吉廣は全てを悟った。
 結局最後の最後までこの男は自分達の味方になり得なかったこと。
 自分達は最初から間違えていたこと。
 自分達が真に取るべきだった行動は鞍替えの一択だったのだ。
 そこの部分を見誤ったからこそこうなった。
 取り返しのつかない後悔に身を焦がしながら…吉良吉廣は全身全霊を費やして殺島の靴底の下から飛び出した。
“すまぬ…すまぬ、すまぬッ! 吉影よ……無能な父を許してくれ……!”
 田中は既に連合の王の虜に堕ちた。
 であれば彼が次に取るだろう行動は推測できる。
 彼は吉良吉影を自害させるだろう。
 そしてそれは、吉廣にとって己の全てを費やしてでも止めなければならない事態であった。
“今度こそ…今度こそは、おまえが念願を叶えるまで寄り添ってやりたかったが……
 ワシは今度も結局、おまえを残して先に行くことになってしまった……!”
 殺島の拘束を抜け出した吉廣。
 そこに容赦のない銃撃が到達した。
 脳天を撃ち抜かれれば脳漿が散る。
 にも関わらず行動を続行できたのはひとえに彼の執念だろう。
 吉良吉廣は狂気の父。
 付ける薬がない程狂った息子をそれでも愛し続けた偏執狂なのだから。
 そんな彼は当然、息子の為なら限界だって超えられる。
 現世の軛から解き放たれた今なら尚更だ。
 致命傷を負いながら辿り着ける限界点まで進んだ吉廣に最早躊躇などという感情はなかった。
“だが…ワシは何処にいようとおまえを見守っているぞ……吉影。
 今度こそおまえは、おまえの幸せを掴むのじゃ……それだけが…ワシの、ただ一つの願いじゃ……!!”
 ――吉良吉廣は息子、吉良吉影の宝具という扱いでこの界聖杯に現界している。
 その性質が此処に来て活きた。
 殺島に撃たれ死の確定した彼は。
 自分の余力全てを使ってできる限り田中一に接近し、そして。
 自らを――"爆弾"に変えた。


 壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)。
 本来永遠の幻想である筈の宝具を自ら進んで自壊させることで即席の爆弾とする掟破りの使用法。
 だがそれはこの時確かに実を結んだ。
 即死には至らねど爆発に巻き込まれた田中は意識を失い、身を焼かれ。
 吉良吉廣の愛する息子は僅かなれど延命することが叶った。
 令呪による自死を逃れることができた。
 それが予期せぬ吉を生むのか。
 それともただ無意味な死への猶予として終わるのか。
 それはまだ――分からない。

【吉良吉廣(写真のおやじ)@ジョジョの奇妙な冒険  自爆】

    ◆ ◆ ◆


510 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:11:53 3zfeMWSY0

 西暦1692年。
 マサチューセッツ州はセイレム村。
 清貧を信条とする清教徒達の開拓村に結び目が並んだ。
 其は罪人なり。
 其は魔女なり。
 魔女は死なねばならぬ。
 裁かれねばならぬ。
 罪には裁きと贖罪を。
 七つの縄の結び目を。
 権威を振り翳す教会の弾圧が抗議者(プロテスタント)の逃げ込んだ新天地にまで辿り着きかけた時。
 彼らの清貧と潔白は当然のように醜く歪んだ。
 隣人を睨み。
 目を光らせ。
 清らかな心には影が落ちた。
 心に狂気を。
 他人に罪を。
 生活に逃避を。
 この苦境は穢れた悪魔憑きの。
 魔女の仕業なりと。
 彼らはそう願い、そしてその通りたれと求めた。
 彼女はドミノ倒しの最初の一枚。
 最初の魔女の出現をきっかけに、清貧の村にて死と告発の無間地獄が幕を開けた。


 時間は動き所は変わり。
 鳥子達は文京区のホテルへ入った。
 吉良は二人の隣室に居る。
 従って今は鳥子とアビゲイルの二人きりだ。
 とはいえ壁越しに会話を盗み聞きされる可能性もある。
 二人の会話は声ではなく念話によってしめやかに始まった。
『私は…マスターが思っているよりもずっといけない子なの』
 始まりはさる異才の男の空想であり虚構だった。
 しかしそこには常識を侵食する狂気としての条件が備わっていた。
 空想から人類史に這い寄った偽りの神。
 神降ろしの為には鍵穴が必要だ。
 全にして一、一にして全なる者。
 スト・テュホンあるいは■■=■■■■。
 神の鍵穴となるに相応しい狂瀾がセイレムには渦巻いていた。
 そして始まりの娘は鍵となる。
 人々の欲望をその身に映し取り。
 清廉の呪いに憑かれた娘は、"外なる神"の巫女となった。
『そうなってしまったら、私はいつまで私でいられるかわかりません』


511 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:13:07 3zfeMWSY0
『それは…』
 唾を飲み込んで。
 言葉を選ぶ。
 せめてこの少女の心をこれ以上傷つけないようにと、鳥子は最善を尽くす気でいた。
『あのアルターエゴが言ってたみたいなことが、できるようになっちゃう……ってこと?』
『そう。そして私も…どんどん悪い子になってしまうの。
 そういう悪いものが私の中にはずっとあったから。
 たぶん……サーヴァントになる前から、ずっと』
 今のアビゲイルは正確には巫女として覚醒していない。
 彼女が真に覚醒を遂げ、巫女――降臨者(フォーリナー)となった時。
 清らかな幼さの中には虚ろが降りる。
 そしてそれに留まらず段階が進めば。
 その果てに待つのは完全な形での人外化。
 身も心も人間のそれから乖離した巫女となる。
『此処でなら大丈夫だと思っていたのは本当。
 でも…マスターに知られるのが怖かったのも…、……本当』
『アビーちゃん…』
『私は罪人なの。私が招いたことが…あの村の人達を壊してしまった』
 アビゲイルは人の善性を信じ、たとえそれが罪人であろうと皆救われるべきだと願っている。
 純真無垢な信仰の祈りは類稀なる清廉さを体現し。
 そしてそこにはある種の傲慢も入り混じっていた。
 無邪気故の幼さ故の傲慢。
 幼児的全能感とでも呼ぶべきそれの存在を、アビゲイル自身自覚しており。
 もしも自分が人ならざるものになってしまった時にその"悪"がどうなってしまうか。
 どう変わってしまうか。
 そんなイフの輪郭も、アビゲイルには想像がついた。
『そして私はきっと。
 それが正しいと信じて、また罪を冒してしまう』
 そうなったアビゲイルをリンボが制御できるかどうかは定かでない。
 ただリンボが彼女を遣ったとしても、彼女がリンボの手を離れて暴走したとしても。
 確実にアビゲイル・ウィリアムズは大いなる厄災となる。
 仁科鳥子が妹のように可愛がっていた、一ヶ月の時間を共に過ごした清らかな少女ではなくなってしまう。
 鳥子とてアビゲイルが振り撒く災禍の例外でいられるかどうかは分からない。
『だからお願いマスター。もしも私がそうなりかけたら、その前に令呪で私を――』
『大丈夫だよ。その時は私が…マスターとして全力でアビーちゃんを止めるから』
『…でも』
『信用できない?』
『…っ。ずるいわ。ずるいわ、マスター! そんな言い方……』
 しかしこうまで言われても、鳥子はアビゲイルを見捨てる気にはなれなかった。
 此処までずっと一緒に暮らしてきた時間。
 それは鳥子の中に、生き延びるための打算を超えた感情を生じさせていた。
 鳥子には家族が居ない。
 まして姉妹などもってのほかだ。
 そんな彼女にとってアビゲイルと過ごす時間は…友人や相棒と過ごすそれともまた違う尊いものだった。


512 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:13:54 3zfeMWSY0
『この先どうなるかはわからないけどさ。
 どうなるにしても私は、最後までアビーちゃんと戦いたいと思ってる』
『…マスター…』
『それにね、さっき考えたんだ。
 もしかしたら…聖杯戦争に勝たなくても元の世界に帰る方法が見つけられるかもしれないって。
 だからそのためにも知っておきたいの。だってアビーちゃん、すっごい力を持ってるんでしょ?』
 そうならないに越したことはない。
 アビゲイルはそうなることを望んでいないし、であれば鳥子も彼女の心に寄り添うつもりだ。
 彼女を道具として使うような真似はしたくないから。
 だけどもしも…自分が先に死んでしまう以外の形で、アビゲイルが"先"に進んでしまったなら。
 その時はもう取り返しがつかないと嘆くのではなく、封の解かれた彼女の力を受け入れてあげたい。
 鳥子はそう思っていた。
『空魚はね、異界のものを目で視ることができるんだ。
 だから…空魚がこの世界のおかしな所を見つけて、そこをアビーちゃんがこじ開けてくれれば。
 もしかしたらこの世界の外に出て、元の世界に帰れるかも……って思ったんだよね』
 そしてそんな鳥子に――アビゲイルは。
 目を見開いて驚いていた。
 その上で言う。
『――もしかしたら、できるかもしれない』
『え』
 鳥子の口から聞いた脱出への微かな糸口。
 それを受けたアビゲイルがこぼした言葉に、今度は鳥子が驚かされる。
 少女の手を思わず握っていた。
 宝石のように綺麗な碧眼を見つめて問い質す。
『その話……詳しく聞かせてもらってもいい?』



 仁科鳥子とフォーリナーの少女が心を交わし音なく語らうその隣室で。
 アサシン、吉良吉影は爪を噛んでいた。
 指先からは血が一筋滴り落ちている。
 平々凡々とした社会人に擬態した平時の彼とは似ても似つかない異様な雰囲気。
 そこには漲る殺意と、微かな鬼気があった。
 吉影の脳内に響く声はない。
 マスターからのそれは今や途絶えて久しいが。
 吉影の宝具であり、彼がこの世に生まれ産声をあげた瞬間からずっと傍に居た父親の声もまた――聞こえなくなっていた。
「………」
 父、吉廣が死んだ。
 自分の命令ではなく自らの意思で命を擲った。
 そうしなければ止められない愚行があったからだ。
 吉影は父がそう行動するに至るまでの一部始終を把握している。
 最期の最期まで吉廣から届いていた念話。
 それが彼の身に何があったのかと。
 自分が今どのような状況に置かれているのかを教えてくれた。


513 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:14:59 3zfeMWSY0
「………」
 吉廣は死に。
 愚かなマスターは自ら進んで敵の手中に堕ちた。
 吉影にとって誤算だったのは、田中が吉廣の言葉に靡かなかったことだった。
 吉影自身高を括っていたのだ。
 田中のような凡人はサーヴァントを失うリスクを背負えない。
 令呪を使って自害させるなどまず実行に移すのは不可能で、軽く言葉をかけて劣等感と根底の卑屈さを刺激してやれば叛意など簡単に折れると。
 あの男はその程度の凡愚でしかないと。
 しかしその予想は完膚なきまでに外れた。
 田中の不安定な心を、一度は古巣の方を向いた心を。
 あろうことか引き戻して立て直してのける者が現れた。
 結果。
 田中は吉影を完全に切り捨てる決意を固めてしまった。
 吉廣の命がけの行動によって多少の猶予はできたものの。
 早ければあと数十分…下手をすればそれ以下の時間で、田中は目を覚ますかもしれない。
 田中が目を覚ませば吉良吉影は終わりだ。
 令呪による自害で英霊の座という牢獄へ送り返されることになる。
 もはや猶予はない。
 そして他の選択肢もない。
 吉良吉影は敗北した。
 今から田中の元に行って奴の身柄を確保するのも現実的ではない。
 打てる手は、たった一つだけ。

 
 吉影は壁を見た。
 壁の向こうには心を通わせ語らう二人が居る。
 吉影はベッドから立ち上がった。
 歩みの跡には指から滴る血が転々と残っている。
 部屋の扉に手を掛け廊下へと出る。
 一連の動きは驚く程淀みなく滑らかで。
 そして彼の瞳には、暗くどろりとした深い殺意が渦を巻いていた。
“…さて”
 吉良吉影が生き延びるためのすべ。
 それは、彼もまた片翼を捨てること。
 田中一が吉良吉影を切り捨てようとしたように。
 吉影もまた田中のことを切り捨てればいい。
 それが叶いさえすれば…吉影はこの逆境を脱することができる。
“やるか”
 できればこの手を取るのはもっと先にしたかった。
 だがこうなった以上はもはや足踏みしてはいられない。
 仁科鳥子を自分の新たなマスターに据えるために。
 窮極の地獄界曼荼羅なる狂人の妄想を完全否定するために。
 殺人鬼は、隣室のドアをノックした。


514 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:15:37 3zfeMWSY0

【文京区(豊島区の区境付近)・ホテル/二日目・未明】

【仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:アビゲイルの“真の力”について知る。
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:ただし彼への不信が強まったら切る。令呪を使ってでも彼の側から離れる。
3:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
4:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
5:できるだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
6:もしも可能なら、この世界を『調査』したい。できれば空魚もいてほしい。
7:アビーちゃんがこの先どうなったとしても、見捨てることだけはしたくない。
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。
※透明な手がサーヴァントにも有効だったことから、“聖杯戦争の神秘”と“裏世界の怪異”は近しいものではないかと推測しました。

【フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスタ―を守り、元の世界に帰す
0:鳥子に自身のことを話す。
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:マスタ―にあまり無茶はさせたくない。
3:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。

【アサシン(吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康、殺人衝動、ストレス(極大)
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(一般的なサラリ―マン程度)
[思考・状況]基本方針:完全なる『平穏』への到達と、英霊の座からの脱却。
0:さて。やるか。
1:フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)を排除し、仁科鳥子と契約を結ぶ。
2:田中一は必ず殺す。
[備考]
※スキル「追跡者」の効果により『仁科鳥子』『田中一』の座標や気配を探知しやすくなっています。
 リンボは式神しか正確に捕捉できていないため、スキルの効果が幾らか落ちています。
※仁科鳥子の住所を把握しました。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。
※田中の裏切りを悟りました。
※宝具『血が絆を分かつとも(アトム・ハート・ファーザー)』は自壊しました。

    ◆ ◆ ◆


515 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:16:14 3zfeMWSY0
    ◆ ◆ ◆

 吉良吉廣の爆散。
 その意図は田中一の令呪使用の阻止だった。
 殺してはいけなかった。
 確実に田中の意識だけを奪って時間を稼ぐ必要があった。
 結果から言うならば、彼は見事に目的を遂げた。
「…生きてはいますね。ただこりゃしばらく起きないっスよ」
 田中は顔から胴体の半分程度にかけて火傷を負っていた。
 火傷の深さは然程でもないが、意識は完全に飛んでいる。
 下手すると脳震盪を起こしているかもしれない。
「爆発の寸前、彼の懐で何かが光るのが見えた。
 リンボ君から護符でも受け取っていたのかもしれんな」
「成程ォ〜。それで寸前(ギリ)令呪は守れたってことですか」
「例の薬物を服用させたとして、意識はどのくらいで戻ると思う?」
「傷の回復は瞬時に済むでしょうけど…それでも二十分くらいはかかるでしょうねェ。
 英霊(サーヴァント)なんてけったいなもんになった影響か、人間への効き目もオレが知ってるのとは少し変わってるみたいで。
 一応こっちの魔力はまだまだ余裕ですが。やりますか?」
「すまないが頼む。彼のアサシンは早い内に消しておきたいのでね」
 しかし連合には"地獄への回数券"がある。
 気絶しているとはいえ田中の口にそれを押し込めば、覚醒までの時間は格段に短くできるだろう。
 とはいえ服用から覚醒までの間にある程度のタイムラグが生じてしまうことは避けられないらしい。
 地面に倒れ伏した黒焦げの田中。
 その口に何処かから生み出した麻薬を押し込む殺島。
 それを横目に見守りながら。
 伏黒甚爾は彼方の、顔も知らない仁科鳥子へと思いを馳せた。
“お膳立てはしてやった。後はお前がアイツに応えろよ”
 十中八九、田中のアサシンはフォーリナーを抹殺し鳥子を後釜に据えようと動くだろう。
 となればこれから先の事態をカバーできるのは彼女自身を除いて他にいない。
 吉良吉影を退け自分のサーヴァントを守れるか。
 それとも殺人鬼の魔の手にかかり、彼を延命させるための道具に成り下がるかのどちらかだ。
 こればかりは仁科鳥子とそのサーヴァントであるフォーリナーの手腕に掛かっている。
 精々上手くやれ。
 お前が無駄死にした時の後始末は、まぁこっちでしてやる。
 そう考えている甚爾であったが。
 見合わせたようなタイミングで彼のスマートフォンが着信音を鳴らした。
「…おう。お前な、ちゃんと電話は出ろよ。こっちも色々――あ?」
 電話を取った甚爾は怪訝な顔をした。
 個人で動くとは聞いていたがこうも劇的に動くのは流石の甚爾も予想外だった。
 どうしたものだ、これは。
 どうするべきか――これは。
 否が応にも状況の流動を実感させられながら、甚爾はとりあえずその視線を連合の王ならぬ脳(ブレイン)へと移すのだった。


516 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:17:02 3zfeMWSY0
    ◆ ◆ ◆

「ふむ。裏世界…人間の恐怖に這い寄る未知の世界か」
 東京タワーを背景にした鉄火場は一旦の決着を迎え。
 舞台をタワーの内に移して、紙越空魚から聞いた身の上を反芻し峰津院大和は笑みを浮かべた。
 そういう概念に覚えがなかったわけではない。
 だがそれを踏まえても、空魚の語る内容は興味深かった。
 人類の普遍的無意識の領域に恐怖という名の悪意を織り交ぜたような青の世界。
 私も足を踏み入れてみたかったものだ。
 眼前の女が聞いたなら即座に気分を悪くすること請け合いの言葉を大和は内心溢す。
「君はかの地で正気と狂気の境目を曖昧にする眼を得た。
 そしてフォーリナーのマスターは狂気から成るものに触れる手を得た、と」
「…随分順応が早いね。あんた一体どんな世界で生きてたの?」
「君の世界よりも数段は厳しい環境だったとだけ。
 とはいえ君のような人間ならば適応するのに苦労はなかったろう。ひとえにその程度の世界だよ」
 絶対言い過ぎだろ、それ。
 苛つく薄笑いで語る大和に空魚は不快感を隠そうともせず舌打ちした。
 あわよくば本当に主導権を握ってやるつもりで挑んだのだが、結果はあの通り。
 紙越空魚の講じた一手は峰津院大和に後出しで破られる程度のものでしかなかった。
 やっぱり世の中そう上手くはいかないなと思ったが。
 しかしその一方で、強力な同盟者を勝ち取るという空魚の目的自体は確かに達成されていた。
“コイツと心中する気はないけど、いざって時までの寄生先としてはやっぱり最高なんだよな…ムカつくことに”
 大和自身の戦力もそうだが、やはり峰津院財閥の権力や財力を間借りできるのは大きい。
 勿論依存しすぎれば此方が逆に利用され食い尽くされることになるだろうからそこだけは注意だが。
 実際に対面してみて分かった。
 峰津院大和は超人だ。ある種フィクションめいてすらいる。
 リアリティラインだとかそういう概念を真顔で踏み越えて、その上で尚歩みを止めることのない王道の覇者。
 正面戦闘でだけ強い脳筋ならどれほど楽だったか分からない。
 空魚が限界まで頭を捻って彼を欺く策を編み出したところで、彼はそれをいけ好かない薄笑いを浮かべながらあっさり手玉に取ってしまうだろう。
“何にせよしばらくは余計なこと考えないで…素直に同盟しておくか。
 鳥子と合流して、フォーリナーを抱え込んで、そんでアイツといろいろ相談して……何か動くならその後だ”
 脱出でも超越でも何でもいい。
 先刻大和に向かって放った言葉に嘘はない。
 空魚にとっての至上命題は鳥子と一緒にこの世界を後にすることだ。
 それ以外の結末は認めないし、逆に言えばそれさえ確約されるなら極論後のことはどうでもいい。
 鳥子と合流できたら二人で相談してこれからのことを決めよう。
 ひょっとすると一人では思いつけないような妙案も出てくるかもしれない。
「…あんたはこれからどうする気なの? 思ったより静かだけど、此処」
「当分は留まる。静けさに安堵して持ち場を離れた結果空き巣に入られた、では笑い話にもならないのでね」
「ま…それもそっか」
 確かに正論だ。
 霊地の情報がああも拡散された以上、何処の誰も動かないなんて事はあるまい。
 大和の霊地防衛に付き合うつもりはそこまで無いが、自分も自分で今後どう動くかは一度考えなければならないか。
 などと考えながら空魚は片手で端末を操作し通話を始める。
 通話の相手は言うまでもなく自身のサーヴァント、伏黒甚爾だ。
 甚爾とは彼の体質上念話で連絡を取ることができないため、互いの状況の報告が多少遅れてしまうのがもどかしかった。


517 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:17:54 3zfeMWSY0
「サーヴァントとの連絡に携帯電話を使うのか」
「色々事情があるの。…ていうか当たり前みたいに人の連絡相手を見抜かないでほしいんだけど」
「では悟られないように努力するといい。後ろ盾のない君が突然電話を掛け始めるという時点で、必然その相手は限られ――」
「あーはいはい。私が悪うございました」
 適当に会話を切り上げてあしらいながら空魚は通話に意識を集中させる。
 電話の向こうからは聞き慣れた男の声。
 先刻大和と(物理的に)揉めている間に彼から電話が来ていたらしく、それに出なかったことを甚爾は咎めようとしていたが。
 その言葉を遮って空魚は自分の獲得した"成果"を彼に伝えた。
「峰津院大和と同盟を組みました」
『…マジか。どんな手使ったんだお前』
「少しばかり肉体言語で語り合っただけですよ」
 語り合ったなんて言える程良い戦いができたわけではなかったが…別に細かく説明する程大した経緯でもない。
 重要なのは峰津院を一時とはいえ味方に付けられたこと。
 これは鳥子を助ける上でもリンボの野望を阻止する上でも大きな前進だ。
「で、アサシンさんは今何してるんですか?」
『お前が大立ち回りやってる間にこっちも色々ゴタついてな。ようやくそれが一段落した所なんだが…』
「…とりあえず、簡潔に説明してもらえると」
『仁科鳥子の身柄をネタに脅しを掛けてきた奴が居た。
 でそいつを今しがた潰した所だ。後は野郎のマスターが意識を取り戻しさえすれば、件のサーヴァントは脱落する』
「……は?」
 何を言われたのか一瞬分からなかった。
 停止した思考に張り手を打って無理やり叩き起こす。
「鳥子は大丈夫なんですか。まさかそのまま…!」
『落ち着けよ。アイツにはフォーリナーが居るんだろ』
「それは…そうですけど! でも!」
『落ち着けって言ったろ。こっちもちゃんと手は打つ。野郎の使い魔の残穢を追ってこれから現地に向かうつもりだ』
 甚爾は有能な男だ。
 その彼が最善を尽くさなかったとは思えない。
 それでもすぐには飲み込めなかった。
 自分の預かり知らない所で、鳥子が死線に立たされているなんて。
『お前がどう動くかは引き続き任せる。お前は多分、俺があれこれ指示しない方が動きやすいだろ』
 鳥子は強い。
 弱いわけがない、むしろ非日常を生きることにかけては彼女の方が先輩だ。
 フォーリナーも居る。
 この世界での彼女がどう生きてきたのか。
 これからをどう生きていくつもりなのか、自分は何も知らない。
 そんな当たり前を今更になって空魚は痛感していた。
 通話の向こうの甚爾は数秒沈黙していたが。
 やがてこんなことを言った。
『それとだ。峰津院大和に代われるか』
「…へ。アイツと話すんですか?」
『あぁ。話すのは俺じゃないけどな』
「…、……。後で説明してくださいね。とりあえず聞いてみますけど」
 端末を離して大和に目をやる。
 端正な容貌の眉が動いた。


518 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:18:43 3zfeMWSY0
「何だ。私に用向きか?」
「…何の用かは知らないけどね。どうせ暇でしょ、さっさと出て」
「…、……言いたいことは多少あるが良いだろう。貸してみろ」
 端末を受け取る。
 そして耳を近付ければ、大和の耳に声が響いた。


『こうして直接話すのは初めてだネ、峰津院の若き王者よ』
「…ほう」
 響いた声は男のものだった。
 しかし若年のそれではない。
 中年でもなく、更にその先。
 初老に踏み入った者の声色であった。
「迂遠な言い回しだな。まるで私と――"峰津院"と関わるのは初めてではないかのような言い草だ」
『いかにも。君とて気付いているのではないかな、私が誰か』
「当然だ。私は今気分が良いよ。気配と痕跡しか掴めなかった害虫をようやく視界に収めることができた」
 空魚のサーヴァントではないと確信するまでの時間は一瞬で事足りた。
 先刻SNS上に開設してあったアカウントに届いたメッセージのことを考えると実に絶妙なタイミングだ。
 そこまで察知して手を打ってきたとは流石に考え難いが、さて。
「――初めまして悪の大蜘蛛殿。この東京で犯罪界のナポレオンを気取る貴様が、私に何の用かな」


【墨田区・東京タワー/二日目・未明】

【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:頭痛(中、暫く持続します)
[令呪]:残り三画
[装備]:宝具・漆黒の棘翅によって作られた武器(現在判明している武器はフェイトレス(長剣)と、ロンゴミニアド(槍)です)
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具
[所持金]:超莫大
[思考・状況]
基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:霊地に留まり防衛を行う。
1:ベルゼバブを動かせる状況が整ったら自分は霊地へ偵察に向かう。
2:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
3:グラスチルドレンと交戦しており、その際に輝村照のアジトの一つを捕捉しています。また、この際に、ライダー(シャーロット・リンリン)の能力の一端にアタリを付けています
4:峰津院財閥に何らかの形でアクションを起こしている存在を認知しています。現状彼らに対する殺意は極めて高いです
5:東京都内に自らの魔術能力を利用した霊的陣地をいくつか所有しています。数、場所については後続の書き手様にお任せします。現在判明している場所は、中央区・築地本願寺です
6:白瀨咲耶、神戸あさひと不審者(プリミホッシー)については後回し。炎上の裏に隠れている人物を優先する。
7:所有する霊地の一つ、新宿御苑の霊地としての機能を破却させました。また、当該霊地内で戦った為か、魔力消費がありません。
8:リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)に同盟を持ちかけました。返答の期限は、今日の0:00までです。
9:光月おでんは次に見えれば必ず殺す。
10:逃がさんぞ、皮下
【備考】
※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。

【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(小)、動揺、背中と腹部にダメージ(いずれも小)。憤慨、衝撃、自罰、呪い、そして覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を助ける。
0:鳥子を助けに行く。何が何でも。何を利用しようとも。
1:鳥子…死ぬんじゃないぞ。
2:峰津院と組む。奴らの強さを利用する。このことはアサシンにも知らせないと。
3:アイ達とは当分協力……したかったけど、どう転ぶか分からない。
4:アビゲイルとか、地獄界曼荼羅とか……正直いっぱいいっぱいだ。


519 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:19:58 3zfeMWSY0
【中野区/デトネラット関係会社ビル/二日目・未明】

【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康、覚醒、『地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)』服用
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:さぁ――行こうか。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:四皇を殺す。
3:便利だな、麻薬(これ)。
[備考]
※個性の出力が大きく上昇しました。

【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:腰痛(中)、令呪『本戦三日目に入るまで、星野アイ及びそのライダーを尊重しろ』
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける
0:?????
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:連合員への周知を図り、課題『グラス・チルドレン殲滅作戦』を実行。各陣営で反対されなければWの陣営と同盟
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:田中一を連合に勧誘。松坂女史のバーサーカーと対面させてマスター鞍替えの興味を示すか確かめる
6:…もう一度彼(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)に連絡しておいた方がいいね、これは。
[備考]※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」
※田中一からアサシン(吉良吉影)と仁科鳥子によるリンボ奇襲の作戦を聞きました。(詳細は田中が知らないので不明)。
アサシン(吉良吉影)の能力の一部も知りました(真名は田中が知らないので不明)。
※星野アイおよびそのライダーから、ガムテ&ビッグ・マムの情報および一日目・夕方までの動向を聞きました

【ライダー(殺島飛露鬼)@忍者と極道】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(小)
[装備]:大型の回転式拳銃(二丁)&予備拳銃
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:アイを帰るべき家へと送迎(おく)るため、聖杯戦争に勝ち残る。
1:アイの方針に従う。
2:M達との協力関係を重視。だが油断はしない。厄(ヤバ)くなれば殺す。
3:ガムテたちとは絶対に組めない。アイツは玄人(プロ)だしそれに――啖呵も切っちまった。
4:アヴェンジャー(デッドプール)についてはアサシンに一任。
[備考]
※アサシン(伏黒甚爾)から、彼がマスターの可能性があると踏んだ芸能関係者達の顔写真を受け取っています。
現在判明しているのは櫻木真乃のみですが、他にマスターが居るかどうかについては後続の書き手さんにお任せいたします。
※スキルで生成した『地獄への招待券』は譲渡が可能です。サーヴァントへ譲渡した場合も効き目があるかどうかは後の話の裁定に従います。

【田中一@オッドタクシー】
[状態]:気絶、半身に火傷(回復中)、地獄への渇望、高揚感、『地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)』服用
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×3
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命』。
0:――――。
1:リンボの意向に従う。アサシンは切った。
2:敵は皆殺し。どんな手段も厭わない。
3:SNSは随時チェック。地道だけど、気の遠くなるような作業には慣れてる。
4:リンボに“鞍替え”して地獄界曼荼羅を実現させたい。ただ、具体的な方策は未だ無い。
5:峰津院大和のことは、保留。その危険度は理解した。
6:星野アイ、めちゃくちゃかわいいな……
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。


520 : 僕の戦争(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:20:45 3zfeMWSY0

【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:健康
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:Mと峰津院大和の通話が終了次第、写真のおやじ(吉良吉廣)の残穢を辿って仁科鳥子の元へ向かう。
1:マスターであってもそうでなくとも幽谷霧子を誘拐し、Mの元へ引き渡す。それによってMの陣容確認を行う。
2:↑と並行し283プロ及び関わってる可能性のある陣営(グラスチルドレン、皮下医院)の調査。
3:都内の大学について、(M以外の)情報筋経由で仁科鳥子の在籍の有無を探っていきたい。
4:ライダー(殺島飛露鬼)やグラス・チルドレンは283プロおよび櫻木真乃の『偽のゴール』として活用する。漁夫の利が見込めるようであれば調査を中断し介入する。
5:ライダー(殺島飛露鬼)への若干の不信。
6:神戸あさひは混乱が広がるまで様子見。
7:鳥子とリンボ周りで起こる騒動に乗じてMに接近する。
8:あの『チェンソーの悪魔』は、本物の“呪い”だ。
[備考]※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。
※吉良吉廣と連絡先を交換しました。



【星野アイ@推しの子】
[状態]:疲労(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
1:ガムテ君たちについては殺島の判断を信用。櫻木真乃についてはいったんMに任せる。
2:敵連合の一員として行動。ただし信用はしない。
3:あさひくん達は捨て置く。もう利用するには厄介なことになりすぎている。
[備考]
※櫻木真乃、紙越空魚、M(ジェームズ・モリアーティ)との連絡先を交換しています。
※グラス・チルドレンの情報をM側に伝えました。

【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんとの、永遠のハッピーシュガーライフを目指す。
1:なんだかたいへんなことになってるね?
2:アイさんとらいだーさん(殺島)とは仲良くしたい。でも呼び方がまぎらわしいかも。どうしようねえ。
3:とむらくんとえむさん(モリアーティ)についてはとりあえず信用。えむさんといっしょにいれば賢くなれそう。
4:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
5:“お兄ちゃん”が、この先も生き延びたら―――。
6:れーじゅなくなっちゃった。だれかからわけてもらえないかなぁ。

【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
1:死柄木とジジイ(モリアーティ)は現状信用していない。特に後者。とはいえ前者もいけ好かない。
2:星野アイめちゃくちゃ可愛いじゃん……でも怖い……(割とよくある)
3:あの怪物ババア(シャーロット・リンリン)には二度と会いたくない。マジで思い出したくもない。
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。


521 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/01(日) 21:21:12 3zfeMWSY0
投下終了です


522 : ◆A3H952TnBk :2022/05/02(月) 21:25:04 v7U.VKdI0
アサシン(吉良吉影)
仁科鳥子&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)
予約します。


523 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:34:51 Q8g/tmrA0
投下します


524 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:35:42 Q8g/tmrA0


───星々の煌めきが、蒼黒の水平線に降り注いでいた。

そこは何とも矛盾した空間だった。深海のように暗く、けれど無数の明かりに充ちている。どこにも行けない閉塞感に包まれて、しかし全てが解き放たれている。動くものは何もなく、にも関わらず星や光が流れていく。何もかもがあり、そして何もない世界。なんて美しい、箱庭のような永遠。
星の廻る海原。遥か天頂に輝く白銀の満月を中心に、天球が回転して星の光が軌跡となって線を描いている。そんな世界の只中に、アシュレイ・ホライゾンは立っていた。凪いだ水面はよく磨かれた鏡面のように空を映し出し、踏みしめた足元には石を投げ入れたように小さく波紋が広がり、一歩、一歩と歩みを進める度、波紋もまた一つ一つと生まれていった。
目的の"彼"は、そう遠くないところにいた。こちらに背を向け、じっと立ち尽くしている。不動、あまりに威風堂々とした立ち姿。それは余人が見たならば、きっと威圧感であるとか、人によって殺気を放っているとすら捉えられるだろうけれど。

そうでないことを、アシュレイは知っていた。
同時に、今まさに世田谷の地で起きていることを、そして自分が何をすべきであるのかを、彼は知っていた。

アシュレイは"彼"の背中に向き直る。
不動のまま決して揺れず、迷わず、折れもしない男に向かって。アシュレイもまた、迷いのない視線をぶつける。
そして。


「すまなかった」


そう、一言だけ告げたのだった。

「……何故謝る」

初めて、男が答えた。
永劫不変であるかのように思えた彼は、訝し気に、本当に心の底から意味が分からないといった口調で言う。

「お前の肉体を奪ったのはオレだ。そしてお前の望まぬであろう道を選択したのもまた、オレだ。
罵詈雑言を浴びせられることこそあれ、謝罪される謂れはないだろう。オレは加害者であり、そしてお前は被害者なのだから」
「それをお前に強いてしまったのは、俺だ」

アシュレイの言葉に迷いはなかった。
へりくだるでもなく、媚を売るでもなく、心底からこの言葉こそ正しいのだと信じたうえで、アシュレイは対等の人間として彼に向き合っていた。

「俺は約束を違えた。向き合う"誰か"を説得もできず、ただ一撃で地に伏して、挙句お前に全てを押し付けてしまった。
戦うことも、傷つくことも、本当は俺自身が背負うべき責務だったのに。お前に戦わせないって誓ったのに。結局はこのザマだ。
この世界が捨てたものじゃないってことをお前に見せてやる、そう言ったはずだったのにな」

光の宿痾を、アシュレイは覚えている。
決意、覚悟、勇気。そういった光り輝く意思の体現こそ、今アシュレイが語り掛けている男の本質である。
であればこそ、彼は一度決めてしまえば突き進むのを止められない。
どれだけ相手に共感しようとも、その尊さを認めても、結局最後は同じこと。救うために殺し、その犠牲に必ず報いると滾るだけ。
かつての決着、数万年に渡る対話の果てに再融合を果たした後も、機会が訪れたならば"彼"はきっとそうしていた。それを自分は痛感していたはずなのに、と。
そう述懐するアシュレイに、彼はやはり強く、告げる。


525 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:39:52 Q8g/tmrA0

「やめろ」

威風堂々とした、あまりに眩しい声音である。

「ヘリオス……」
「重ねて言う、やめろ。お前の言っていることは責任の転換に過ぎない。
 どう言い訳しようとも、最も罪深き罪人とはお前を我欲で殺さんとした外道であり、そしてそれに便乗したオレに他ならない。
 自分ひとりで背負い込むな。それは単なる自己満足でしかない」
「だが、俺は……」
「かつてお前が言ったことだ。心の強さと身体の強さは別なのだ、ならば物理的な暴力に倒れたお前に何の非があるという」

遮るように、ヘリオスは続ける。

「弱かったから、などと無為な責任を感じるな。自分を卑下するのもやめろ。
 お前は変わらず、オレの崇敬する英雄(ハイペリオン)だ。ならばこそ、自分は屑だと言ってくれるな。
 オレの憧れた人間を悪く言われては、流石にオレも悲しくなる」

それを最後に、ヘリオスは再び不動の立ち姿へと還った。
アシュレイはそれ以上何も言えず、ただ彼と背中合わせに立って、遥か天頂の星を見上げるばかりであった。

そのまま暫く、無言の時が流れた。
けれど決して居心地の悪い時間ではなく、半身と共にある安心感が、アシュレイの胸中を満たしていた。

「なあ、ヘリオス」
「……」
「お前は、後悔していないか?」

滔々と、語られたのはそんな言葉だった。

「お前があの時、俺に頷いてくれたことを知っている。俺は自分の選択を後悔していないし、お前と歩んだ人生に誇りを抱いている。
 けど同時に、お前に望まない道を強いてしまったんじゃないか。そう思うこともある。俺は、お前にきちんと世界の正しさを見せてやれたんだろうか、と」
「語るに及ばず。それこそ愚問だろう」

彼の言葉は呵責なく、今も恒星のように熱を帯びていた。

「オレは光の後継として、一度決めた道は決して違えん。償いはするとも、けれど後悔だけはしない。
 烈奏として掲げた誓いも、界奏の片翼として歩んだ道も、等しくオレの選択だ。それに、な」

彼はそこで僅かに、ほんの僅かに、口元を緩めさせて。


526 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:40:36 Q8g/tmrA0
「お前が死したその後も、こうして世界が存続している。それが全ての答えだろう」
「ヘリオス、お前は……」

そこでアシュレイは気づいた。ヘリオスの正体を。
彼の言う通り、仮にアシュレイの死後に再び烈奏を掲げたならば、きっと世界は残っていまい。全ての人類は滅却され、正道のみが物理法則として支配する新宇宙が誕生したはずだ。
世界が今を以て当たり前の法則下で続いていることこそ、ヘリオスがアシュレイの掲げた誓いに殉じた何よりの証であり。
そして、それを実体験として語るこのヘリオスとは、聖杯の力によって宝具として再現された存在ではなく、真実アシュレイと共に生きたあのヘリオスでしかないことを示していた。

「……お前は、もう一度俺に会いに来てくれたんだな」
「永い……とても永い放浪だった。だがその選択にもまた、後悔はない。こうして再び出会えたのだ、ならば何を言う必要があろうか」

その言葉に嘘はない。
そうと理解できたからこそ、アシュレイもまた、言うべきことは決まっていた。

「ヘリオス、俺に力を貸してくれ」
「……」
「俺は彼女たちを助けたい。そのためには、お前の力が必要だ。
 俺が先導するんじゃない、お前に戦いを押し付けるのでもない。
一緒に戦おう。俺とお前で、今度こそ」
「ああ」

頷く声には、どこか納得のような響きがあって。

「その言葉をこそ、オレは待っていたのだ」

燃え尽きる蝋の心に、小さく刹那の火がついた。
交わした誓いはどこまでも力強く。この想いを離さないと、欠けた命を補うように高鳴る鼓動が煌めくのであった。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


527 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:41:17 Q8g/tmrA0





───そして顕現する、前例なき新たな超新星。
銀に輝く眩い焔蝋───光と闇を両立させた輝く矛盾が新生を果たす。

「え……わっ」

突如溢れた"銀の炎"に、ひかるは目を丸くして忘我の声を漏らした。疑問を呟く思いさえ、一瞬忘れてしまった。
単純に予想外で、こんなものは今まで見たことがなくて、そして。
銀の炎が、あまりにも"優しい"ものだったから。
その感覚をひかるは知っていた。
あれは、そうだ。幼い日の記憶。真冬の天文台で遼じいと一緒に冬の大三角形を眺めた時の、傍らのストーブに翳した手に伝わってきたあの暖かさ……

「君たちの声を聞いた」

そして抱きしめたその体が聞こえてくる、力強く屹然とした青年の声。
燃え尽きて炭化した黒墨の体であったはずの彼は、しかし錆び付いた表面を焼き溶かすかのように、見る見るうちに元の姿へと変わりつつあった。ばかりか焼け落ちた服も、根本で折れた銀刀も、時を巻き戻すように復元していく。
まるで銀に輝くこの炎が、傷そのものを優しく燃やしているかのように。そしてそれを見るひかる自身もまた、焔に触れるたび負った傷が快癒していく。感じた穏やかな暖かさとは、きっとこのことなのだろう。

「ライダー、さん?」
「ああ。ありがとう、俺を呼んでくれて。ありがとう、俺のマスターを助けてくれて。
 聞こえていた。君たちの声がなければ、きっと戻ってくることはできなかった」

あの刹那、夜天の精神世界に僅かに響いた二人の声。
それがなければ、きっとアシュレイの精神は深く沈んだまま起き上がることはできなかっただろう。
それは如何に強かろうと、前に進むことしかできないヘリオスでは成せなかったことに相違なく。
確かな感謝と共に、アシュレイは笑顔で向き直った。

「積もる話はたくさんあるけど、まずはこの場を切り抜けよう。敵はまだ、健在だ」
「……小蠅共が」

視線の先に立つ、金髪の偉丈夫。
声には隠せぬ憤怒と屈辱が混ざりあっており、何を置いても目の前の敵手を惨殺せしめんとする確かな気概が感じられた。同時に、怒りによって目を全く曇らせていない。片腕と片翼を失い、全身は炭化するほどに焼き尽くされ、その心までもが尋常ならざる憤激に支配されていても、彼が手繰る武芸の手練れは全く劣化していないのだ。何という武練であろうか、彼の本質とは極限域の闘争者に他ならず、自他を超越したエゴイズムは言葉だけでない確かな実力として彼に備わっているのだ。
その手に握るは、先ほどまでなかったはずの漆黒の魔槍である。ケイオスマター……あらゆる因果を腐食させる、理論上でのみ存在が言及されていた未知の暗黒物質たるそれは、今確かな形となって彼の手に顕現している。それが意味するところは、その槍に貫かれたが最期、例え神に近しい存在であろうとも一撃のもとに存在を抹殺されてしまうであろうという真実であった。

「貴様らだけは決して逃がさぬ。潰れろ、砕けろ。粉々に引き裂かれて死ね。
 霊子の粒より細かく砕き、原初の渦へと還してやろう。それを厭うというのなら……!」
「なら俺も、最後にもう一度だけ聞いておくよ」

アシュレイは真正面から向かい合い、言おうとして言えなかった最初の言葉を、今度こそベルゼバブへ伝える。


528 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:42:42 Q8g/tmrA0

「俺たちが協力できる道は、本当にないのだろうか」
「……」

その言葉───誰が相手だろうと絶対に最初に告げると決めていた言葉を、目の前の悪鬼へ告げる。
人道にもとる願いでなければ、素直に協力して終わるならば、今この時でも決して遅くはないのだと。悪意こもらぬ笑顔で以て伝えた言葉は、しかし。

「───消え失せろ、屑が」
「そうか。なら交渉決裂だな」

心底煩わしいと切り捨てたベルゼバブによって、やはり交わることのない戦端を開くことになったのだった。
爆轟する大気と共に地を蹴り、一陣の颶風となり疾走するベルゼバブを、アシュレイは吹き荒れる銀炎の波濤によって迎え撃つ。その炎は穏やかな癒しの力となりながら、同時に敵対者に対しては万象焼き尽くす撃滅の炎だ。つまるところ基本的な性能はハイペリオンに相違なく、戦闘に際しては付属性の応用による近接戦並びに自他に炎を纏わせての攻防一体の能力であることに変わりない。
であるならば、それは単にカラーリングが変わっただけの二番煎じか? いいや違う。
揮う炎がケイオスマターとぶつかり合い、その切っ先を僅かに逸らすことで爆撃めいた衝撃が周囲に轟くも……しかしアシュレイの側に一切の反動はない。
今までのハイペリオンならば、これだけの出力を捻出するには自壊する覚悟が必要だっただろう。力の行使に際する反動は凄まじく、生身の体なら骨や内臓の一つくらいは犠牲にしなくてはならなかったが、しかしこの銀炎にそんな要素は微塵も見られない。
ハイペリオンのような大火力を実現しながら、そこに代償は一切ない。銀炎は穏やかに揺蕩いながら、味方する者を癒し、敵対者に熱量の牙を剥く。
驚くほどに安定していた。暴走や自傷といった概念を徹底的に排しながら、尚且つ必要な熱量のみを効率的に抽出しては行使する、極めて技術的な星である。
しかし。

「弱者が、不相応な大言を吼えるかッ!」

それは言い換えれば、単に制御が利いたというだけの話である。
安定性の向上は決して利点ばかりではない。核反応じみた意志力の爆発と無限覚醒、自身の消滅すら度外視した暴走があったからこそ、先ほどまでのハイペリオンは絶対無敵の怪物だった。
安定と安全を突き詰めることは、すなわち予め設定された出力上限を超えられないことを意味する。結果引き起こされた純粋な火力の低下は当然ながら戦闘力の下降を招き、ヘリオスの雄々しさには遠く及ばない。
そして何より、主人格がヘリオスからアシュレイに変更されたことによる戦闘技量の差があまりにも如実だった。ベルゼバブを圧倒できたのはその規格外の出力のみならず、ヘリオスが持つ無窮の技巧あってこそ。非才の身を抜け出せないアシュレイでは、単純にベルゼバブの剣技に追随できない。
だからこそ、これもまた当然か。たった一合打ち合っただけで、勝負の趨勢は致命的なまでにベルゼバブの側へと傾いた。傾ぐ体に旋回する黒槍、体勢を立て直す隙を与えず第二撃を与えんとする穂先は、真っすぐにアシュレイの心臓を照準し。

「させ、ない───ッ!」

だが今は、共に戦う誰かがいた。
致死の黒撃に割り込み、ひかるは星の輝きで以て受け止める。文字通り星型の光盾は不毀の障壁となって穂先を阻み、金属同士が奏でる甲高い擦過音を掻き鳴らしては拮抗していた。
それが何かなど語るに及ばず。星奈ひかる/キュアスターは、本来誰かを守るために最大の力を発揮する少女である。
彼女の持つスキル・イマジネーションは彼女自身の果て無き探求心と想像力、そしてキュアスターとして在る彼女の善性に由来する原動力であればこそ。
その力はひかる自身の精神力の多寡によって決定される。心折れ、自らの正義を見失い、振るう拳の行く先すら分からない状態では見る影もなく零落してしまうが。
反面、誰かを守るために奮起したひかるの力は、文字通りの青天井。英雄譚の主人公が如く、光り輝く路を往く限り、彼女に負けの二文字はない。
そして見るがいい、ひかるを包み込む星光を。銀に煌めく炎の流星を。
銀炎は彼女を守護するように、その体に一切の負荷をかけぬまま攻防力の劇的な向上を果たしている。ただの一撃は必殺となり、纏う炎は鎧となり、不撓の歩みを刻みし足には不屈の精神を宿すのだ。
ひかるは今、ひとりではなかった。共に戦う誰かがいた。自分ひとりで背負うのではない、誰かひとりに背負わせるでもない。並び立ち、道を同じくできる誰かがいた。
本質的なプリキュアの力とは相互理解であり、手を取り合える誰かがいてこそのものであり、そうであるならば、今のひかるに敵はいない。
1対1なら確実に屠られていただろう対決は、しかし2人の性質が相乗効果を示すことでベルゼバブという絶対強者への拮抗を可能としていたのだった。


529 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:43:24 Q8g/tmrA0
であるなら、この銀炎は一体何であるのか。
それはアステリズムの炉心としての最適化である。
ヘリオスを核とした火炎発生能力、それは通常のハイペリオンと全く何も変わらない。だが違いとして、ハイペリオンはヘリオスという太陽を素手で掴んで振り回していたに等しいものだったのに対し、この星光はヘリオスを文字通り炉にくべて必要な熱量だけを抽出することに成功していた。
古今東西、物とは使いようである。毒も薄めれば薬になるように、太陽もまた同じこと。近づけばすべてを焼き尽くす恒星は、しかし適切な距離を離せば命を育む暖かな陽の光となる。
ならばハイペリオンと銀炎を分ける要素とは何なのか。
とある世界線において発現したこの異能は、レイン・ペルセフォネが有する空間転送の星辰光により、物理的に距離を離されたことで疑似的に発現した。しかし今この時、ヘリオスはアシュレイと共に在る。並び立つ彼らは当然何よりも誰よりも近くにいるはずであり、その理屈は当てはまらない。
この事実が示すことはただひとつ。
ヘリオスが"手加減"を覚えたということ。どこまでも他者を轢殺して押し通ることしか知らない光の奴隷が、只人の尺度と視座に立ったという事実。
この時、ヘリオスは初めて、アシュレイと隣り合って戦うことができたのだ。

そしてこの星光を名付けるならば、その名は一つしかあり得ない。

「超新星(Metal Nova)───銀月恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」

彼らを繋いだ夜天の月───優しい銀月を身に降ろす愛すべき人の名を、アシュレイは胸に抱く。
今自分たちを構成する全ての事実を深く、深く噛み締めて、そして。

『この期に及んでオレから言うべきことはない。ただ一つの切なる願いを除いては。
 ハイペリオン、我が誇るべき英雄よ。少女らの捧げる笑顔を胸に、銀の運命(シルヴァリオ)を完遂せよ』
「───是非もなし!」

轟き渡る喝破と共に、地に墜ちて天を貫く銀の雷鳴───疾走する閃の稲妻。まさしく電撃の速度であり、威力も落雷に等しかった。地を割って進む疾風怒濤の進撃に、恐れるものなど何もない。
拳打を用いる星光の戦士───星奈ひかる───は今もなお健在。その身を以てベルゼバブの猛威を防ぐ様は、彼奴が片腕という事実を差し引いても驚異の偉業という他なく、ならばこそ、自分たちが遅れを取れるはずもなし。
この身は所詮弱卒であり凡才だが、それがどうした。誰より憧れた最強の英雄は、今もこの胸の中で共に在る。
遥か頭上より幾百もの宝具群が剣雨となって降り注ぐ───全てを切り捨て、疾走する。
包むように展開された黒闇の波濤が押し寄せる───銀光の刃で切り裂いて進む。
そして、目の前まで迫った偉丈夫の総身へ、この刃を突き入れる。

「心技体、三相合一。之を以て剣の極み───」

手繰り寄せるは原初の記憶。俺とヘリオスが共に在り、共に学んだ剣技の薫陶。
その最奥を今、この身が為せる全てを以て解き放つ。

「明鏡止水、絶刀・叢雨」

全ては、この一撃がために。
極点に至る人剣合一。どこまでも澄み渡る鋼の境地が、星晶の獣を両断した。
その刃は彼の胸部を深く切り裂き、止めどない鮮血を迸らせる。明らかな致命傷、間違いなく霊核に届く一撃は、しかし。


530 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:44:03 Q8g/tmrA0

「───まだだァッ!!!」

汚泥のような赫怒の執念が、いいや否だとその結末に対峙した。
尽きせぬ自尊心とエゴイズムが、己の敗北を認めない。核融合じみて爆発を繰り返す強大な自負が、遂には物理法則を殴り飛ばしてあり得ぬ復活劇を成し遂げる。
そう、ベルゼバブは絶対強者だ。星晶獣という人智を超越した肉体、2000年の長きに渡り研鑽を重ねた経験値、生まれ持った天賦の才能、そして世界法則さえ捻じ曲げる領域に達した神域の渇望。そのどれもが凡夫に敗れる現実を叩き伏せて余りある要素である。
ああそうだとも、こんなところで終わっていいはずがない。
不覚を取った、それは認めよう。取るに足らぬ羽虫に足元を掬われ、致命的な一撃を食らった。事実だとも、確かにその通り。
だが、それが一体何だという。
一撃貰ったならそれで終わりか? 窮鼠に噛まれたから猫は退散すべきなのか? いいや否、我は荒野の獅子である。百獣を、地平全土を、三千大千世界の彼方に至るまでを支配する絶対無敵に王者である。
今からでも皆殺しにすれば、自分の勝ちは揺ぎ無かろう。大事なのは結果であり、どのような過程を経ようが勝てば良いのだ。

「死に絶えろ、死に絶えろ、全て残らず塵と化せ……!
 最後に勝つのは余である、それが天下の道理であろうがァ!」










「王手(チェックメイト)」










刹那、大地を揺るがす激震が、その場の全員を襲った。
それは今までの戦闘による余波ではなく、文字通りの地震だった。渾身の一撃を放ち無防備な状態にあったアシュレイの顔面を穿つはずだった黒槍は、しかし僅かに軌道がズレてその頬を裂くに留まる。
何事か、それを思考する暇もなく、今度は地面そのものが崩落を開始した。大規模な地盤沈下は、見渡す果てまでを呑み込む街そのものの落下である。これにはアシュレイもひかるも、そして飛行能力を喪失したベルゼバブも、一瞬の瞠目を余儀なくされ。


531 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:44:38 Q8g/tmrA0

「小癪な、下手な小細工を打ちおって……
 いや、まさかこれは……!」

その揺れと瓦礫に付随する奇妙な魔力に気づき、事の真相を誰より早く察知するが、既に全ては遅かった。

それは、あまりに小さく、呆気ない音だった。

タン、と何かの弾ける音。これまで発生した天災にも等しい大激突から見れば、あまりに矮小なその一撃。
その音が響いた瞬間、ベルゼバブの脳天から、小さな血しぶきが舞った。

───メロウリンク=アリティは取るに足らぬ英霊である。
才能はなく、研鑽もなく、頭もなければ天性のセンスもない。ないない尽くしの現実を渡されたカードだけでやりくりし、絶命の窮地を幾度となく乗り切った弱卒である。
では、何故彼は戦争を生き延び、不可能にさえ思えた復讐劇を完遂することができたのか。
生身の9人でAT28機を相手取って生き延びた。
致死量の自白剤を投与されても短時間で回復し、身一つで脱獄し、そのままATとの戦闘に望んだ。
幾度となく機関銃等の掃射を浴びながら、ただの一度も致命傷を負うことはなかった。
それは近似値───アストラル銀河に語られるご都合主義の才覚「異能生存体」に極めて近しい性質を、彼が持っていたからに他ならない。
であればこそ、彼はこの戦場においても同様の運命を辿ることになる。

最初の強襲にて重症を負うも、それは致命傷には程遠く。
ヘリオスとベルゼバブの常軌を逸した戦闘が勃発しても、その余波は彼を傷つけず。
今の今まで、戦火で傷を負うことなく、彼はひたすら身を潜め続けた。
弱者の牙を研ぎ、強者への逆襲を為すその一瞬を待ち続けた。
そして今、全てのラインは整い、一瞬の致命の隙を見出した。
これは単に、その結果に他ならない。
地に伏せライフルを照準するメロウリンクは、今まさに弱者の逆襲劇(ヴェンデッタ)を成し遂げたのだ。

そして戦闘は終結する。
数多の犠牲を出し、数多の嘆きを生み、数多の破壊をもたらした戦いは、あくまで小さな終焉によって幕を閉じて。

───墜落するベルゼバブを中心に、混沌の波動が周囲一帯を呑み込むブラックホールとして放たれたのだった。





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532 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:45:17 Q8g/tmrA0





「下らん終幕だ。何もかもが不快である」

呟かれる声音は不快感を如実に示し、しかし自虐の気配だけは微塵もなく、ただひたすらに他者への憎悪と憤怒のみが滲んでいた。
声の主───ベルゼバブがいるのは、暗い暗い地の底だった。世田谷の地が区画ごと崩落した結果、そこには直径数㎞・深さ数百mを超える大穴が、まるで全てを呑み込むアバドンの大口さながらに黒い空洞を晒しているのだった。
ベルゼバブは穴の中心、すなわち数百mの地下に、大量の土砂と瓦礫に埋もれるようにして横たわっていた。全身には重度の火傷、片腕と片翼の欠損、霊核に届く傷。それらを負い一時的な行動不能状態に陥りながら、しかし死の気配など微塵も見せず、こうして先ほどの戦闘を述懐している。

「特にあの羽虫……煌翼が如き不遜の輩、あれは確実に余が殺す。その真実を暴き立て、全てを曝け出し、その上で超越し、乗り越えるのだ」

ベルゼバブの不興の大半は、言葉通りヘリオスの存在にあった。それは彼が敗北を喫した最大要因だからではなく、ましてその態度が癪に障ったからでもない。
自分は手加減されていた。その事実を理解できたからこそ、尽きせぬ嫌悪が湧いてくるのだ。

「だが、その存在は興味深い。使う力もまた、な。
 最後は余の勝利で終わるが世の定めである以上、あるいはこの敗北も必要な過程だったのかもしれぬな」

くく、と潜み笑う様を止める者など誰もいない。
どのような強者が現れようと、どのような敗北を刻まれようと、例え己が存在を木っ端微塵に粉砕されようが、ベルゼバブの絶対的な自負心を打ち崩すことだけは、誰にもできないのであった。


【旧世田谷区(大穴の底・瓦礫の中)/二日目・未明】

【ランサー(ベルゼバブ)@グランブルーファンタジ-】
[状態]:極めて不機嫌、全身に極度の火傷(極大)、左腕と左翼欠損、胸部に重度の裂傷、眉間に銃創、霊核損傷(中)、魔力消費(中)、疲労(大)、一時的な行動不能状態、胴体に袈裟の刀傷(再生には時間がかかります)
[装備]:ケイオスマター、バース・オブ・ニューキング(半壊)
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:最強になる
0:283絶対殺す
1:現代の文化に興味を示しています。今はプロテインとエナジードリンクが好きです。
2:狡知を弄する者は殺す。
3:青龍(カイドウ)は確実に殺す。次出会えば絶対に殺す。
4:鬼ヶ島内部で見た葉桜のキャリアを見て、何をしようとしているのか概ね予測出来ております
5:あのアーチャー(シュヴィ・ドーラ)……『月』の関係者か?
6:セイバー(継国縁壱)との決着は必ずつける。
7:ポラリス……か。面白い
8:龍脈……利用してやろう
9:煌翼……いずれ我が掌中に収めてくれよう
【備考】
※峰津院大和のプライベート用のタブレットを奪いました。
※複数のタブレットで情報収集を行っています。今は大和邸に置いてあります。
※大和から送られた、霊地の魔力全てを譲渡された為か、戦闘による魔力消費が帳消しになり、戦闘で失った以上の魔力をチャージしています。
※ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の中にある存在(ヘリオス)を明確に認識しました。





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533 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:46:04 Q8g/tmrA0





「何とか無事、終わったか」

戦火に包まれ崩落した世田谷区から離れた夜の公園内に、彼らの姿はあった。
かなり大きめの公園であり、緑豊かな木々と河川が流れており、人の姿はない。この大人数が落ち合うには適した場所だな、とどこか他人事のように思った。

「ひかっ、アーチャー! 大丈夫!? 怪我とかは……」
「ま、真乃さんっ、私は大丈夫ですから、その、離してもらえると嬉しいです……」

傍らでは、真乃と呼ばれた少女が、アーチャー……アシュレイたちの助太刀に入った、年若い少女のサーヴァント……に抱き着き、傷がないか心配そうな顔で見つめていた。アーチャーは気恥ずかしいのか、緊張の糸が切れたのか、年相応の慌てたような表情で、けれど何処か嬉しそうに対応している。
櫻木真乃、話には聞いていた283のアイドルであり、古手梨花から聞き及んでいた聖杯戦争のマスターである。その手から1画分の令呪が失われているのを、アシュレイは確認した。
あの瞬間、金髪の偉丈夫から放たれた混沌の波動を前に生き残れたのは、アーチャーが突如多大なバックアップを得て超高速で行動、アシュレイたちを含むあの場の全員を引っ掴んで戦場を離脱したからだった。その現象の原因を、アシュレイは知っていた。令呪だ。令呪のアシストがあったからこそ、櫻木真乃があの場からの無事の帰還を望んだからこそ、自分たちはこうして生きている。
少し辺りを見渡してみれば、七草にちかが従えるアーチャーも、そのマスターであるにちかや田中摩美々の姿もあった。アーチャーは極度の疲労と損傷により蹲っているものの、その表情に致命の色はない。にちかと摩美々は未だ気絶しているようだが、大きな怪我もなく静かに寝息を立てていた。
そして、残るひとりであるのだが。

「ら、ライダーさん……」

彼女は、アシュレイ・ホライゾンのマスターである七草にちかは、血の気が引いて蒼褪めた顔をして、こちらを見ていた。
それがなぜか、すぐに分かった。彼女の手にあるはずの令呪、そのうちの1画が、消えていたのだ。界奏を発動するために必要な、ひいては脱出を望む全員が生き残るための手段を発動するための令呪が1画、輝きを失って単なる薄れた痣となってにちかの腕に残っていた。

「ご、ごめ、んなさい……わた、私っ、こんなつもりじゃ、なくて……何がなんだか、わかんなくって……!」
「わかってる」

だから、アシュレイがやるべきことは決まっていた。
そっと近寄り、膝をついて目線を合わせる。驚かさないように手を取って、軽く握りしめる。安心させるように、決して自分は怒ってなんかいないよと伝えるように。

「君の声が聞こえた。俺を呼んでくれた君の声がなければ、俺はきっと戻ってこれなかった。だから大丈夫、君は何も間違っていない」

僅かに微笑んで。

「君は、みんなの命の恩人だ」

その言葉を聞いた瞬間、にちかはぽろ、ぽろと涙の雫を流した。そして耐え切れないと言ったように、次の瞬間には表情を崩し、大声で泣き崩れた。ごめんなさいと繰り返し訴える声は止めどなく、アシュレイはただ、自分の胸の中にいるこの少女が、どうか自分を責めないようにと祈り、優しく背を撫でることしかできなかった。

「……それで、さっきの奴はお前の仕業なんだろう?」
「ご明察です。流石はHさん、とでも言っておきましょうか」
「心にもない世辞は聞いてて恥ずかしくなるからやめてくれ」

闇からぬっ、と這い出るように現れた美貌の紳士。
初めて会うはずなのに何故か物凄く見覚えがあるような感覚に辟易しながら、アシュレイは疲れたように答えた。


534 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:47:21 Q8g/tmrA0

「冗談はさておき、事実としてあの崩落は私の宝具によるものです。別に地震を発生させる大それたものではありません。勿論、種も仕掛けもあるつまらないマジックですよ」

宝具『全て私が企てたことなのです(クライム・コンサルタント)』は立案した犯罪計画を100%の確率で成功・遂行させる力を持つ。
計画の作成と計画の実行、それらはアサシン、そして実行者自身が持つ技能に依存することになるが……それは逆に言えば、計画立案が成功した時点で、その計画の遂行もまた確約された状態になるのだ。
すなわち、あの大崩落はアサシンが立案した犯罪計画であることを意味しており。

「七草にちかさんの住まいが知れた時点で、その区画全体に爆薬を仕込ませていただきました。
 極めて単純な発破解体です。先の戦闘で地上部分はおろか、地下表層に至るまで根こそぎ機能不全に陥りはしましたが、地下深層に仕込んだ分だけでも地盤沈下を引き起こすことは十分可能でした。
 都市構造の見取り図さえ入手できれば後は簡単な話です。構造を把握し、方程式に数値を入れれば楽に計算可能でしたからね」
「まあ、うん。お前と似たようなことやった奴を知ってるから、今更どうこう言わないけどさ」

つまりこいつは、やろうと思えば都市ひとつをいつでも崩壊させることができたというわけだ。しかもサーヴァントとしての神秘に一切頼ることなく、である。
私としても最終手段でしたが、と嘯くアサシンを前に、アシュレイはため息をつきたい気分だった。こいつの性格は知っているはずだが、それでもやり口があまりにもあの恩人とも仇敵とも言い難い眼鏡姿の審判者と似通っている。光の奴隷と悪の敵、そのスタンスは似ているようで正反対のそれではあるのに、使う手段だけは同一というのは、どうも見ていて居心地の悪いものだった。
避難したあちらのにちかや田中摩美々を安置し、少女のアーチャーを誘導して戦場に再び送り込み、ついでに軍属のアーチャーの行動すらを予見してみせたのは、きっとこいつの仕業だ。こいつならそれができるのだという無言の信頼が、そこにはあった。

「ともかく、これで振り出しだな」
「しかし実りのあるリスタートです。これでようやく反抗の第一段階が完遂される。であればこそ、言うべきことは一つでしょう」

アサシンは芝居がかった仕草で言う。

「【備えよ、今でなくともチャンスはやってくる】と」
「……シェイクスピア?」
「如何にも」

和やかな空気が、一帯に広がった。
アシュレイもアサシンも、そして軍属のアーチャーも、ほんの僅かに苦笑めいた響きをもらし。
櫻木真乃と少女のアーチャーも安心したように笑い合い。
七草にちかは、ようやく泣き止んだ。

そして、安心とは最も近くにいる敵である。
それを、彼らは忘れてはならなかった。


───轟音が、今再びその地を揺るがした。


誰もが、そちらを見た。
土煙を上げ、飛来した何かは、ただ静かにこちらを睥睨している。
その視線は静謐で、しかしだからと言って友好的なそれであるはずがない。

上弦の参・猗窩座襲来。
降りかかる試練は、未だ終わりの兆しを見せはしない。


535 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:48:27 Q8g/tmrA0

【杉並区(善福寺川緑地公園)/二日目・未明】

【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、顔面が涙と鼻水でぐちゃぐちゃ
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:……は?
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:この状況を───
1:今度こそ、Pの元へ向かう。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
4:武蔵達と合流したいが、こっちもこっちで忙しいのが悩み。なんとかこっちから連絡を取れればいいんだが。
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「銀月恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。

【七草にちか(弓)@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、いろいろな苛立ち(割とすっきり)、プロデューサーの殺意に対する恐怖と怒り(無意識)、気絶
[令呪]:残り三画(顔の下半分)
[装備]:不織布マスク
[道具]:予備のマスク
[所持金]:数万円(生活保護を受給)
[思考・状況]基本方針:生き残る。界聖杯はいらない。
0:zzz……
1:アイドル・七草にちかを見届ける。
2:あの野郎(プロデューサー)はいっぺん殴る。
3:お姉ちゃん……よかったあ〜〜〜。
[備考]※七草にちか(騎)のWING準決勝敗退時のオーディションの録画放送を見ました。

【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(大・ただし致命傷は一切ない)、疲労(大)
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:この状況を───
1:にちかと摩美々の身辺を警護。
2:『自分の命も等しく駒にする』ってところは、あの軍の連中と違うな……
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
4:少しだけ、小隊長のことを思い出した。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、
アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。
また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。
アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。


536 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:49:01 Q8g/tmrA0

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:気絶、ところどころ服が焦げてる
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:ただ、プロデューサーに、生きていてほしい。
1:プロデューサーと改めて話がしたい。
2:アサシンさんの方針を支持する。
3:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています

【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:心痛、覚悟
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)、Mとの会話録音記録、予備の携帯端末複数(災害跡地で入手)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
0:この状況を───
1:いずれはライダー(アッシュ)とも改めて情報交換を行う。
2:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。
3:"割れた子供達"、“皮下医院”、“峰津院財閥”。今は彼らを凌ぐべく立ち回る。
4:いざとなればマスターを信頼できるサーヴァントに預けて、手段を選ばない汚れ仕事に徹する―――だが、願わくばマスターの想いを尊重したい。
5:乱戦を乗り切ることが出来たならば、"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"の安否も確認したい。
[備考]
※ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
※櫻木真乃およびアーチャー(星奈ひかる)から、本選一日目夜までの行動を聞き出しました。

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(小)、精神的疲労(中)、深い悲しみ、強い決意
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:予備の携帯端末
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
0:ひかるちゃんと共に戦う。
1:優しい人達に寄り添いたい。そのために強くありたい。
2:あさひくんとプロデューサーさんとも、いつかは向き合いたい。
3:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
4:ひかるちゃんを助けるためなら、いざとなれば令呪を使う。
[備考]
※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:変身状態、頭部を中心に全身にダメージ(中・回復中)、精神的疲労(中)、悲しみと大きな決意
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:洗濯済の私服、破損した変装セット
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:何があっても、真乃さんを守りたい。
0:真乃さんと共に戦う。
1:何かを背負って戦っている人達の力になりたい。
2:ライダーさんには感謝しているけど、真乃さんを傷つけさせない。
3:罪は背負う。でも、大切なのは罪に向き合うことだけじゃない。


537 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:50:38 Q8g/tmrA0
【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:令呪『今回の戦い、絶対に勝利を掴め』
[装備]:なし
[道具]:携帯電話(犯罪卿より譲渡されたもの)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:殺す。
1:プロデューサーに従い、戦い続ける。
[共通備考]
※今回の時間軸は少なくとも106話「Cry Baby」以前を想定しています。



※世田谷区が完全に崩壊しました。


538 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:51:56 Q8g/tmrA0
>>537
は間違いました。正しくはこちらです

【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:令呪『今回の戦い、絶対に勝利を掴め』
[装備]:なし
[道具]:携帯電話(犯罪卿より譲渡されたもの)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:殺す。
1:プロデューサーに従い、戦い続ける。



※世田谷区が完全に崩壊しました。


539 : 掃き溜めにラブソングを(後編) ◆Uo2eFWp9FQ :2022/05/02(月) 21:52:11 Q8g/tmrA0
投下を終了します


540 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/05/03(火) 00:02:03 XjAqgC/w0
拙作の「拍手喝采歌合」にて令呪の描写を一部修正させていただきました


541 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/03(火) 22:08:45 E7CBNoWk0
ライダー(カイドウ)
ライダー(シャーロット・リンリン)
北条沙都子&アルターエゴ(蘆屋道満)
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
セイバー(宮本武蔵)
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
七草にちか&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
田中摩美々&アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)予約します


542 : ◆0pIloi6gg. :2022/05/05(木) 01:01:38 vIs8yb8s0
皆様投下お疲れさまです…! 力作の投下ありがとうございます。
感想は後日投下させていただきます。

飛騨しょうこ&アーチャー(ガンヴォルト[オルタ])
松坂さとう&キャスター(童磨)
ガムテ
神戸あさひ&アヴェンジャー(デッドプール) 予約します。


543 : ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:05:35 smsOtXBU0
投下します。


544 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:05:51 smsOtXBU0
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



【調査報告書】
【対象者氏名:吉良吉影】



『さて……結論から言わせてもらおう』


椅子に腰掛け、足を組み。
眼前の“面会相手”に向けて、彼は口を開く。


『私はもう降りるよ』


無機質で、殺風景な密室。
その中央に置かれた机を挟み、二人は向き合う。
杜王町の連続殺人鬼―――吉良吉影。
対峙するのは、一人の“平凡”な聴者。


『なに、“諦めがついた”というだけのことさ』


殺人鬼は、なんてこともなしに語る。
舞台から降りると受け入れた己の心情を、語り手として話す。
眼の前の“凡人”は、ただ何も言わず。
殺人鬼の独白へと、耳を傾けていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


545 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:06:25 smsOtXBU0
◆◇◆◇



ホテルの部屋は、広々としていた。
室内には二つのベッドのみならず、上品なソファやテーブルが並べられた快適な空間が設けられていた。
リビングを思わせるゆったりとした内装は、安物のビジネスホテルとは訳が違う。

このホテルでの宿泊を選んだのはアサシンだった。
「私は金銭に余裕がある。君達の宿泊費も立て替えておくよ」――彼はそう言っていた。
まるで自分を気前良く見せるような振る舞いに思うところはあったものの、鳥子は一先ず彼の厚意に従った。
ゆったりと寛げる場所に泊まれること自体は、決して悪いことではない。

そんな部屋で、交流をしていた二人。
仁科鳥子とアビゲイル・ウィリアムズの耳に、扉を叩くノック音が聞こえてくる。

夜分遅くにやってくる来訪者。
その心当たりは―――当然のように、一人しかいない。
念話を使っている以上、盗み聞きは有り得ない。
故に“聖杯戦争を打破できる可能性”の話を、あちらが察知した訳ではない。

あの人物に、わざわざ用事があるとすれば。
自身のマスターの件か。
あるいは、その裏に潜む“アルターエゴ・リンボ”の件か。
どちらにせよ、今後も彼と連携を取ることを避けられないのならば。
それを確かめる必要はある。

鳥子が立ち上がり、出入り口へと向かう。
アビゲイルもまた、彼女に付き添い。
そして、ゆっくりと。
恐る恐る、ノックされた扉を僅かに開いた。


「……なんですか」
「夜分遅くにすまない。私の使い魔から連絡が来た」


扉の隙間から、視線を向ける男。
整っていながらも平凡な顔立ちをしたその風貌は、とても英霊の一騎には見えない。
アサシンのサーヴァント、吉良吉影。
彼は唐突に、仁科鳥子の部屋を訪ねた。


「急用でね。そのことで君達に相談事があるんだ」


何処か真剣さを帯びた眼差しと共に、吉良はそう呟く。
急用―――恐らく、彼の使い魔から連絡が入ったのだろう。
鳥子がそう考えた矢先。


「中に入ってもいいかな?」


囁くような一言を前に。
鳥子は、一瞬の躊躇いを覚える。


「聖杯戦争の話を、誰かに聞かれたら困るからね」


続く言葉は、確かにその通りであり。
ほんの僅かな迷いを抱きつつ、鳥子はアビゲイルへと目配せする。
彼女もまた、僅かな疑心を抱いていることは目に見えていた。

しかし、こうして通路を挟んで聖杯戦争の話をする訳にも行かず。
これまでのアサシンの悠々とした態度からして、たった今から危害を加えてくる可能性も低いと考えた。
それ故に鳥子は、渋々と吉良を部屋の中へと招き入れる。
リビングへと案内して、一人がけのソファへと吉良を座らせた。


546 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:06:53 smsOtXBU0


「フゥーーーー……」


溜め息を吐く吉良を、鳥子は訝しげに見つめる。
吉良と距離を置いて、彼女もまた別のソファへと腰掛けた。


「さて、どう話したものか……」


口元に手を当てながら、吉良は思案する。
鳥子の傍には、アビゲイルが立つ。
吉良の動きを見張り、牽制するように。


「リンボと通じていた私のマスターが、大層愚かな決断に走ってね」


そして、吉良は口を開いた。


「ま……一言で言えば、後が無くなったということだ」


取止めもない様子で、言葉を並べる。


「随分と困らされたよ、彼には。
出来の悪い部下を押し付けられたような気分さ。
頭はニブいし、聞き分けは悪いし、そのくせ自分の主張だけは一丁前……」


知りもしないマスターの陰口を聞かされて。
鳥子は、眉間に僅かな皺を寄せる。
結局のところ、アサシンのマスターとは何の接点もない。
アサシンとはどんな仲だったのかも、どんな経緯があって別離しているのかも、知る由はない。


「さて、君もそういった経験はないかね?
何も職場じゃなくてもいい。アルバイトやサークル活動、あるいは学校行事などでね」


それでも尚、構わず吉良は話し続ける。
まるで世間話を振るかのように、鳥子を見据えながら。


「……結局、何が言いたいんですか」
「私は無能なマスターを切る」


吉良は、きっぱりと断言する。
マスターを切る。
その一言を前にして、鳥子達の警戒心が強まっていく。


547 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:07:20 smsOtXBU0


「切る、って……それ貴方も脱落するじゃないですか」
「ああ、だから―――」
「言っておきますけど。私のサーヴァントは、この娘だけですからね」


乗り換えさせてくれ、なんて言われる前に。
鳥子は、予め先手を打った。
彼女のサーヴァントは、アビゲイルだけだ。
縁も絆もないアサシンのために鞍替えを受け入れることなど出来ないし。
ましてや、彼らの主従間の揉め事に対する尻拭いをする気もない。


「知ってるよ。君達の絆は本物だ」
「……分かってくれて何よりです」
「だから、説得するのは難しい」


それくらいのことは、アサシンも分かっている筈だ。
何も仲良しこよしをしたくて同盟を結んだのではない。
リンボという脅威に対処する為に、鳥子はアサシンと手を組んだのだから。
彼がそのことを理解していない訳が無い。
だからこそ―――今の彼の態度が、不気味で仕方ない。


「それで、どうしたいんですか」
「そこでだ、仁科鳥子さん―――」


カチリ。
小さな音が響いた。


「たった今、私は『攻撃』をした」


それが一体何なのか。
鳥子とアビゲイルに、認識する暇は与えられなかった。





「『彼女は殺戮の女王(キラークイーン)』」





ただ一言、呟いた。
その次の瞬間。
ボンッ――――密室に、爆音が響く。
鳥子が、目を見開く。
その『右手首』が、爆ぜた。




◆◇◆◇


548 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:07:54 smsOtXBU0
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



『英霊の座に召し上げられ、こうしてサーヴァントとして召喚されて……』


殺人鬼は、語る。
密室にて、眼前の平凡な聴者へと。


『改めて気付かされたことがあってね。
“聖杯戦争とはこういうものなのだ”と。甘く見ていたよ、全く』


やれやれ、と。
わざとらしく両手を上げる素振りを見せる。
お手上げだ―――そう言わんばかりの態度だった。


『私の“完敗”さ。何もかも見縊っていた』


そして、殺人鬼は断言する。
己の敗退を、ただ有りの儘に伝える。


『町中での殺人ならば誰にも負けない、という自信はあったのだがね……いやはや恐れ入ったよ。
“思い込む”というのは何よりも恐ろしい。私は自分を過信していたようだ』


自らを省みるような言葉を吐きながら。
それでも殺人鬼は、変わらず飄々とした態度を貫く。
起きてしまった不幸を「こんなこともあるさ」と水に流すかのように。


『だが、ま……悲嘆することはない』


それ故か。殺人鬼はそうやって言葉を続ける。
聴者である凡人は、表情を変えない。
窶れた虚無の眼差しで、ただ無言で殺人鬼を見据え続ける。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


549 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:08:24 smsOtXBU0
◆◇◆◇



鳥子を説得しても、鞍替えなどしない。
それは二人の信頼関係からして明白だった。
ならば彼女達をここで『脅迫』する。
強引にでも再契約を結ばせる。
そのためにまず、『令呪が刻まれてない右手』を吹き飛ばした。
そう―――“触れたものを何でも爆弾に変える能力”によって。
とどのつまり、そういうことだった。

『透明な左手』はまだ奪わない。
令呪が刻まれているし、何より『最後のお楽しみ』なのだから。


「安心したまえ、傷口が『爆炎』で焼けるように工夫したさ。
ここで失血死などされては困るからね」


床に倒れ込んで、片手の激痛でのたうち回る鳥子。
目を見開き、想像を絶する苦痛によって、言葉にならない声を吐き出し。
そんな彼女を見下ろしながら、吉良は淡々と言葉を吐く。


「ッ―――マスター!!!」


そして、アビゲイルがマスターの名を叫び。
即座に臨戦態勢に入った、直後。
彼女の身体は突如として吹き飛ばされる。
吉良吉影の側に立つ精神の化身――キラークイーンが、拳の乱打を放ったのだ。
近距離パワー型に類するその打撃は、サーヴァントにも通用するだけのスペックを持つ。

壁に叩きつけられたアビゲイルの身体が、そのまま壁面へと縫い付けられる。
瞬時に放たれた“空気の輪”が彼女の首に絡みつき、その動きを拘束したのだ。


「アビゲイル・ウィリアムズ。
君は大人しくしていたまえ。
この私を見倣い、謙虚になるといい」


―――『彼女を愛した猫草(ストレイ・キャット)』。
吉良吉影のスタンド、キラークイーンの腹部に収納された怪生物『猫草』。
その力を借り、空気を自在に操る能力を使役する宝具。
生前ならば光合成によって威力や規模に制限が課せられたが―――今の猫草は所謂“生前の記録から再現された現象”に過ぎない。
故にアサシンが操る上では、常に十全の能力を発揮できる。


「いつ『爆発の能力』を発動したのか、不思議かね?」


吉良は飄々と言葉を紡ぐ。
テーブルなどの煩わしい物体を、キラークイーンが腕力で払い除けつつ。
手首の爆発によって床に転がっていた鳥子の『右手』を拾い上げる。

そうして―――彼は『右手』に口づけをする。
彼女への忠誠を誓うかのように。
あるいは、彼女を自分のものとして支配する証を付けるように。
床に横たわる鳥子を他所に、殺人鬼は契りへの餞を送る。


「私を誰だと思っている。私はこの街に潜む『連続殺人鬼』さ。
誰にも気づかれず、誰にも悟られず―――殺人を繰り返してきた」


勝ち誇ったように不敵な笑みを浮かべながら。
自らの能力の種明かしをするように、吉良は言葉を紡ぎ続ける。


「君が部屋のドアを開けて、右手を晒した一瞬……。
その不意を突いて手首を『爆弾』に変えることなど、そう難しくはなかったというワケさ」


ああ、それはつまり。
“その気になれば、お前を殺すこともできた”。
そういう宣言なのだ。
吉良は自負する。吉良は驕る。
こと『殺人』という行為において、最も優れているのはこの“吉良吉影”なのだと。


550 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:09:18 smsOtXBU0

吉良吉影のスキル『街陰の殺人鬼』は、サーヴァントとしてのあらゆる魔力の気配を遮断する。
例え宝具を発動したとしても、戦闘態勢に入らない限り効果は持続し続ける――『殺人』も『脅迫』も、彼にとっては戦いの内に入らない。
だからこそ、彼の『宝具発動』は誰にも察知できなかった。


「で、どうかな?」


苦痛に横たわり、肩で呼吸するように喘いでいた鳥子を一瞥し。
吉良は壁に拘束されているアビゲイルへと、改めて視線を向ける。


「アビゲイルくん……君が危険な存在であることは既に明白だ。
リンボの魔の手が迫る前に、君自身が早々に『退場』すべきとは思わないかね」


まるで諭すような口振りだった。
幼い子供に世間の論理を説くかのように、彼は淡々と呟く。


「そう、君にとって大切な彼女のためにも……ね」


薄ら笑みと共に、吉良は顎でアビゲイルのマスターを示す。
そんな彼の態度に対し、部屋の隅で蹲る鳥子は。
迸る激痛と熱に苦しみながら、辛うじて息を整えていき。
そして―――吉良を見上げて、歯を食いしばりながらキッと睨み付けた。

そんな彼女の態度を、吉良は意に介することもない。
サーヴァントの鞍替えを強要する以上、鳥子との関係が上手く行かないことなど想定内なのだから。
ならば初めから利害関係と割り切ればいいし、相手に関しても「アサシンと組まざるを得ない」ような状況に追い込めばいい。
どんなマスターにせよ、どれだけの不和を孕んでいたとしても。
あの無能な田中一よりは余程マシであることに変わりはないのだ。

そうして、吉良はゆっくりと歩き出す。
悠々とした態度を貫き、彼は床に横たわる鳥子へと近付かんとする。


瞬間、虚空より“門”が開かれた。
それは吉良を取り囲むように顕現し。
そして、次元の隙間から―――無数の“触手”が所狭しと殺到する。


されど、蠢く怪異の奔流が吉良を捕えることは出来ない。
吉良の四肢を掴む直前に、それらは“見えない壁”によって阻まれていた。
それから刹那、触手の群れは“爆散”する。
まるで吉良の周囲で爆炎が発生したように、焼け落とされていく。


551 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:09:43 smsOtXBU0


「おいおい、君は随分と聞き分けの悪い子だな。
セイレムでもそうやって『大人達』に迷惑を掛け続けたのかね?」


拘束されていたアビゲイルの攻撃を、難なくいなし。
吉良は相変わらず、冷淡な眼差しで笑みを浮かべる。

『猫草』を操り、自身の周囲に空気の壁を展開。
あらゆる死角から不意打ちが襲い掛かる可能性に備え、結果としてアビゲイルの攻撃を防いだのだ。
更には空気の壁をキラークイーンによって『爆弾化』し、爆炎によって触手の群れを吹き飛ばした。

アビゲイルの驚愕になんの興味も抱かず、吉良は鳥子の直ぐ側へと立つ。
鳥子が抵抗しようとする前に。アビゲイルが妨害の一手を放たんとする前に。
―――鳥子の細い首筋を、吉良の右手が勢い良く掴んだ。


「ま……どのみち君は従わざるを得ないよ、アビゲイルくん。
君のマスターの安全の為にも、そしてこの私に迷惑を掛けない為にも」
「――――――ッ、ああ……っ!!」


しゃがみ込んだ吉良が鳥子の首筋を握り締め。
そのままゆっくりと、その手に力を込めていく。
徐々に握力を強めていく指が肌にめり込み、鳥子の喉から掠れた苦悶の声が溢れる。


「決心が付いたのなら、君のマスターに頼むといい。
『自分を今すぐ令呪で自害させるように』と」


―――殺人鬼は、不敵に嘲る。
首を傾けて、“セイレムの罪人”を見やる。
苦痛に喘ぐ鳥子を見つめる少女は、焦燥と動揺を顔から滲ませ。
口を紡いだまま、苦々しい表情で吉良吉影を睨んだ。



◆◇◆◇


552 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:10:28 smsOtXBU0
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



自分は確かに敗けた。
過信もあったに違いない。
だが、悲観することはない。
殺人鬼は自らの敗北を、執着も無さげに振り返る。

『聖杯を巡る英霊の戦いとは、きっと今回だけに限らない。
座と接続する“願望器”がある限り、何度だって戦いは起こり得る』

それは、英霊へと召し上げられた彼が辿り着いた“一つの確信”だった。
聖杯戦争。奇跡の願望器を求め、古今東西の英霊を従えた主従が殺し合う。
この界聖杯によって齎された、渇望と生存を懸けた闘争。
されど、これはあくまで“数ある聖杯戦争のひとつ”でしかないのだろう。
あらゆる願望を成就する魔力を持つ器――その“役割”さえ果たせるものは全て“聖杯”と成り得るのだから。

此度の戦いに負けたマスターは、界聖杯によって“抹消”される。
戦争の終結と共に、内界に残された全存在は“処分”されるのだ。
聖杯を掴むにせよ、元の居場所へ帰るにせよ。
“生きる”ためにマスター達は戦わざるを得ない。

では―――サーヴァントは?
ただ“座”に還り、永劫の記憶の中へと再び幽閉されるだけだ。
敗北で死へと堕ちるマスターとは違う。


『私が何を言いたいのか……わかるかね?』


そして、改めて凡人に問いかける。
フッと笑みを浮かべながら、返答を聞くこともなく殺人鬼は続けて口を開く。


『座で待ち続けるとするよ、“次の機会”を』


“次の聖杯戦争を待つ”。
“別の聖杯の力に賭ける”。
つまるところ、そういうことだった。
その論理に至り、殺人鬼は界聖杯への執着を容易く捨てたのだ。

界聖杯は特別な聖杯であり、他の聖杯が願いを完全に叶えるとは限らない。
本戦開始当初、殺人鬼は確かにそう考えていたが―――聖杯戦争を見縊り、敗北したという事実は覆らない。
ならば眼の前の聖杯に対する執着は一旦捨てて、同等の軌跡を起こせる聖杯が現れるまで待てばいい。
殺人鬼は、そう結論付けた。


『お前さ』


―――沈黙を貫いていた凡人が、口を開いた。


『自分が言ってること、分かってるのか?』


冷ややかな眼差しで、殺人鬼を見据える。


553 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:10:52 smsOtXBU0


『なあに、地獄のような苦しみは“英霊の座”でとうに経験してるよ。
だからこそ……その時が来るまで“耐える”という覚悟は出来てるさ』
『なあ、おい。殺人鬼』


これから訪れる苦難など、訳もない。
次のチャンスが訪れるまで、幾らでも耐えてみせるさ。
そう言わんばかりの殺人鬼に、凡人は水を指すように呼びかける。


『なに格好つけてんだよ』


凡人の口から溢れたのは、そんな呆れたような一言。


『今回はいい勉強になった……マスターとの関係においても、サーヴァント同士の戦いにおいてもね。
界聖杯でこそ“負け”はしたが、いずれはこの吉良吉影が“勝利”を掴む時が―――』


されど、殺人鬼は意に介さず。
あくまで余裕の態度を崩さないまま、自らの理屈を説く。
今回は負けてしまったが、いずれは必ず勝利を掴む日が来るだろう。


『あのなぁ』


勝ち誇るように語る殺人鬼。
そんな彼を見つめる凡人は。


《“負け惜しみ”だろ、それ》


侮蔑の感情を込めて、吐き捨てた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


554 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:11:28 smsOtXBU0
◆◇◆◇



アビゲイル・ウィリアムズという少女は。
かつてセイレムの地で“惨劇の引き金”となった。

心に狂気を。心に悪魔を。
この不条理は、日々の貧困と不幸は。
すべて魔女の仕業に違いない。
人々のそんな心の闇を映し出す鏡となり、魔女狩りの幕を開いた。
それ故に少女は空想より這い寄る“邪神”の依代となり、彼女は“門を開く鍵”と化した。

降臨の鍵穴となる“狂熱”が渦巻く土地。
神を降ろす為の“鍵”となった少女。
二つの条件が揃い、忌まわしき魔女狩りは呪われし儀式へと変わり。
そうしてアビゲイルは、虚無と混沌の巫女となった。

サーヴァントとして召喚された彼女には、巫女としての力がある。
未だ完全なる覚醒は迎えていないとはいえ。
その門が完全に開かれたとき、聖杯戦争は覆る。
この東京の地に地獄を顕現させるほどの呪いを、少女は背負っていた。

だからこそ。
アビゲイルは、何も言えなかった。
マスターにさえ危険を及ぼしかねない力。
リンボの魔の手が迫る中、いつ“それ”が目覚めてしまうかも分からない。

ならば―――自分は、この舞台から去るべきなのではないか。
この混沌と狂気に、大切なマスターを巻き込んではならない。
そんな思いが、彼女の胸の内からこみ上げてくる。

そうして、アビゲイルが。
口を開こうとした、その矢先。


「……ころ、せない、よ」


別の声が、零れた。
首筋に手を掛けられながら。


「あなたは……わた、しを」


掠れた言葉が、喉から絞り出される。
仁科鳥子の声が、溢れ出る。


「だって……そう、したら」


鳥子の眼差しは。
自身を見下ろす吉良へと向けられた。


「追いつめられるのは……あなたでしょ?」
「ああ。だが、このままではアビゲイル君も私に攻撃できないさ。
私の手の内に君がいる、この状況ではね」


そうして吉良は、なんてこともなしに答えた。
淡々と、さらりと受け流すかのように。


「それに、最悪道連れくらいはやるさ。
そうなったら地獄だろうが何だろうが構わない。
全てリンボにくれてやる。どうせ私はいなくなるのだから」


されど―――その瞳に宿るのは、決して余裕の色などではなく。
どろりと濁った殺意が、そこに揺らいでいた。


555 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:12:28 smsOtXBU0

ああ、やっぱり。
鳥子は、それを悟る。
眼の前の殺人鬼が置かれた状況を、改めて理解する。

初めて出会った時から、殺人鬼の置かれた状況は奇妙だった。
これから同盟を組むというのに、一方的に存在が明かされない彼のマスター。
直後に訪れた“異変”。殺人鬼のマスターはあのリンボの手に落ちたという。
理解した。殺人鬼とそのマスターは、決定的に不仲だったのだと。
それ故に連携を取り合うことを殺人鬼が嫌い、目に付かない場所に押し込めていたのだと。

そして、不仲だからこそ。
殺人鬼は、自分のマスターを侮っていた。
取るに足らないし、その気になればいつでも制圧できる。
そうやって高を括っていたからこそ、ずっと余裕を保っていた。

しかし、今はどうだ。
殺人鬼が強引に鞍替えを迫り、場合によっては“道連れ”を覚悟していることを突きつけてきた。
それは脅し文句のつもりなのだろう。
相手の危機感を煽って、自身の思うように従わせようとしているのだろう。
けれど。つまるところ、殺人鬼は底を見せてしまったのだ。
掴み所のなかった“怪談”が、“実態”を伴った。

鳥子は、間違いなく理解をした。
このサーヴァントは、追い詰められるべくして追い詰められたのだと。
そんな輩に、自分たちは脅されているのだと。

ああ、きっと空魚もそうなんだろう。
“むかっ腹が立つ”時っていうのは、こんな気持ちなのだろう。
鳥子は、自身を見下ろす殺人鬼を見据えながら思う。


―――アビーちゃん。
鳥子は既に、念話を飛ばしていた。
これからやることの指示は出していた。
アビゲイルは、一瞬の躊躇いを覚えつつも。
その上で、敢えてそれを受け入れていた。
ほんの僅かにでも疑念を抱いた自分を恥じるように。
故に鳥子もまた、腹を括る。


「さあ、この私と心中など真っ平ごめんだというのなら。
仁科鳥子くん、君も早く彼女を自害させ―――」


その言葉を吐き終える前に。
気力を振り絞った鳥子が、『左手』を動かした。
その透明な掌が、吉良の首元へと目掛けて迫る。

吉良吉影のステータスは、決して高くはない。
彼はあくまで殺人鬼であり、戦闘能力もまたキラークイーンのスペックと天性のセンスに依存している。
サーヴァントとなった今でもそれは変わらない。
彼自身には抜きん出て超人的な身体能力も無ければ、異常な反応速度も無い。
いわば、比較的常人に近い部類の英霊であり。
だからこそ、戦闘の訓練を受けて数多の場数を踏んできた鳥子がその不意を突くことが出来た。

鳥子は、幼い頃から両親より射撃やサバイバルの技術を叩き込まれている。
裏世界においてもそのスキルを活かし、空魚と共に数多の怪異と対峙してきた。
故に彼女は、ただ力を持っただけの常人などではない。
ほんの一瞬でも、殺人鬼を出し抜くことが出来るほどに。

そして―――ずぷりと、泥を掴むように。
殺人鬼の首筋を、左手が捉えてみせた。
そのまま彼の“魔力”ごと、動脈を握り潰さんとする。


「――――私を出し抜くつもりかね?」


されど、彼もまた腐ってもサーヴァント。


556 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:13:03 smsOtXBU0
これしきの反撃を予想しない訳が無く。
そして、鳥子の『左手』に何らかの力があることも推察していた。
だからこそ咄嗟に彼女の腕を掴み、その動きを制止することが出来た。


「仁科鳥子くん、私は君を賢い女性だと信じているんだよ。
期待を裏切らないでくれ。だから……」


そのまま、間髪入れず。
鳥子の左腕を掴んだまま、もう片方の手で彼女の顔面を殴打する。


「私を苛つかせるなよ」


何度も、何度も――――拳を叩きつける。
積み重なる苛立ちを、吐き出すかのように。
彼女の白い肌に、整った顔立ちに、ただ無機質な暴力を浴びせる。


「さあ―――言うことを聞くんだよ、小娘どもッ!!
さっさと『自害しろ』と令呪で命じるんだ!!」


やがて一頻りの殴打を済ませて、再び鳥子の首に左手を掛ける。
無論、右手で鳥子の『透明な腕』を押さえつけたまま。
声を激しく荒らげて、鳥子達を怒鳴りつけ。
そして鳥子は、殺人鬼を見上げたまま――観念したように、口を開く。



「『令呪を以て、命ずる』」


鳥子の透明な左手。
その手の甲に刻まれた紋様が、光り出す。
それを確認して、殺人鬼は勝ち誇った笑みを浮かべる。

そして殺人鬼は、鳥子を見下ろした。
鳥子がキッと睨みつけていたことに、彼は気付いた。
まるで、捨て身の攻撃を叩き込まんとしているような。
そんな彼女の眼差しに、殺人鬼は不意を突かれる。



「『宝具ぶちかまして、アビーちゃん』―――!!」



迷いもせず―――彼女は、そう唱えた。
思わず殺人鬼は目を見開く。
なんの躊躇もない命令に、一瞬の動揺が生まれる。
お前たちの命は自分が握っている。
そんな脅しを前にして、二人は全速力でエンジンを踏んてきたのだ。


557 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:13:45 smsOtXBU0

動揺の隙を付いて、鳥子が左手の拘束を振り払う。
そして吉良に締め付けられる首筋へと目掛けて、左手を伸ばし。
しかし吉良もまた咄嗟に両手で鳥子の首を締め付けることで、その動きを封じる。
殺さない程度の力を、手のひらに込めていた。

吉良も予想だにしない、宝具使用のための令呪消費。
リンボとの敵対をしている以上、彼女達は全力を出せない。
アビゲイル・ウィリアムズの力を引き出すことは、奴の思惑へと順調に進むことになるのだから。
吉良はそう思っていた。だからこそ、アビゲイルは退場を受け入れると考えていた。
だが、それは違った。

アビゲイルを止めるために、令呪を使うのではない。
アビゲイルと共に敵を全力で倒すために、令呪を使う。
仁科鳥子は、つまるところ。
殺人鬼をぶん殴りに行ったのだ。


―――私は、最後までアビーちゃんと戦いたいと思ってる。


鳥子は、アビゲイルへとそう告げた。
例え何が起ころうと、自分がアビゲイルを支えると。
例えアビゲイルが災厄になったとしても、自分が全力で止めると。
鳥子は確かに、そう決意したのだ。
その言葉に嘘偽りがないことを、アビゲイルも受け取った。


「―――了解したわ、マスター」


だからこそ、迷わなかった。
だからこそ、アビゲイルも受け入れた。
この人の為なら―――私は、力を使う。
首筋を拘束していた『空気の輪』が、彼女の身体から弾け出た無数の蝙蝠によって霧散する。


「『猫草(ストレイ・キャット)』ッ!!」


キラークイーンが即座に身構え。
此方へと迫らんとしたアビゲイルへと複数の『空気弾』を発射する。
広々とした部屋とはいえ、所詮は屋内。
敵と敵を結ぶ距離は余りにも短く―――故に吉良は、サーヴァントへの対処を優先する。

スタンドの利点は、本体から独立して動けること。
マスターである鳥子を制圧したまま、キラークイーンがアビゲイルへと対応することが出来る。
そして『爆弾化』もまた、キラークイーンが一度発動すれば永続的に効果を発揮する。
そう、爆弾が着火しない限りは。

次々にアビゲイルへと迫る空気弾。
それらの攻撃を、魔力の籠もった人形によって振り払う。
令呪のブーストが掛かった反撃が、吉良の能力を掻き消していく。


「アビゲイル・ウィリアムズ―――私は既に彼女の『喉』を爆弾に変えているッ!
さあ、私と仁科鳥子の『道連れ』を引き換えに攻撃をするか!?」


アビゲイルとキラークイーンが攻撃の応酬を繰り広げる中で、殺人鬼は叫んだ。
既に鳥子の喉元に対して『爆弾化』を発動している。
スイッチを押しさえすれば、鳥子をいつでも始末することができる。

そう、これは最終通告だ。
抵抗を続けるのなら―――ここで仁科鳥子を爆殺する。


558 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:14:38 smsOtXBU0
歯を食いしばり、吉良はアビゲイルを見据えた。

彼女は未だに、キラークイーンとの交戦を辞めない。
殺人鬼の宣告を聞いても尚、その手を止めることはない。
これよりマスターを殺すという脅しに、何の躊躇いも見せない。

ああ、そうか。
それが君の答えか。
堪忍袋の緒が切れるように、吉良は決断する。
彼女達は心底愚かだったことを認識した。
ならば、もう構わない。

死ね、仁科鳥子。
そして、さようなら。
吉良吉影は、殺意を剥き出しにして。



――――カチリ。



スイッチを押した。
されど、訪れたのは沈黙。
爆弾は、作動しなかった。



「――――何?」


吉良は、唖然とする。
そして、視線を動かした。

鳥子の透明な左手。
その掌の中に――――黒く淀んだ『魔力の塊』が握られていた。
先程の記憶が蘇る。
鳥子が令呪で宝具開放を指示し、吉良の動揺を誘った一瞬。
その隙を付いて、彼女は左手で自分の首筋へと触れていた。


「触れたものを、爆弾に変えるんでしょ?」


苦痛を感じながらも、ニッと不敵に笑い。
鳥子は、その塊を左手で見せつけて。


「起爆装置、見つけたよ。手探りでね」


そして―――それを、握り潰した。
その時吉良は、初めて僅かな動揺を見せた。
彼女が何をしたのか。その左手で、何を行ったのか。
それを理解したからだ。


(キラークイーンの爆弾を、解除した……!?)


仁科鳥子の『透明な左手』は、あらゆる怪異へと干渉する。
その対象は、物理的な範囲に留まらない。
形なき怪異を実体として捉えることも出来る。
現実と裏世界の接点を切り開くことも出来る。
怪異に由来する力の根源を、掴み取ることすら出来る。


「左手を奪えなかったのは、失敗だったね」


その左手が、サーヴァントに由来する魔術さえも捉えてみせたのだ。


559 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:15:28 smsOtXBU0
令呪の発動によって吉良の意識がアビゲイルの方へと向いた一瞬。
その隙を付いて、鳥子は自らの左手を動かしていた。

キラークイーンによって爆弾化された喉元に触れて、その奥底にある『起爆装置』を手探りで見つけて。
そのまま強引に掴み取り、それを握り潰した。
あの東方仗助でさえ行わなかった『爆弾化の解除』を、仁科鳥子は実行したのだ。


「知ってる?殺人鬼さん。
この左手、『愛の証』なんだよ」


まるで婚約指輪を見せつけるように。
鳥子は、眼前の殺人鬼へと言い放つ。


「あんたなんかにくれてやるもんじゃない」


それは、誓いの言葉。
それ故の、拒絶の宣言。

その手が誰の為にあるのか。
たった一人の相棒と、結び付く為だ。
紙越空魚の右目と、仁科鳥子の左手。
裏世界での絆を象徴する、二人の力。
そう、それこそが彼女達のエンゲージリング。
薄汚れた殺人鬼に捧げるものなどでは、断じて無い。


「あなたが切ろうとしてるマスターも、これから組もうとしてた私も一緒。
結局あなたは―――他人に興味なんか無いんでしょ」


仁科鳥子も。紙越空魚も。
心に隙間を抱え、孤独を埋め合わせるものを希求し。
そして、“共犯(あい)”によって引かれ合った。
けれど。眼前の殺人鬼は、違う。
孤独を満たすことなど、初めから考えていない。
誰かと繋がることに、一欠片の興味もない。
彼にとって他人など、道端の石ころにも等しいのだから。


「誰も信じなかったし、誰も頼らなかった。
だからあなたは、これから敗けるの」


そう断言する、鳥子の眼差しは。
毅然と、真っ直ぐに、殺人鬼を貫く。
吉良吉影の脳裏に、ほんの一瞬。
“とある女性の顔”が浮かんだ。

たった一度だけ守ろうとして、そして無事であることに安堵した女性。
“新たな日常”の中で、自分が知りもしない想いを抱きかけた女性。
彼女は、私を信じてたのだろうか。
私は、彼女を信じようとしてたのだろうか。


―――どうでもいい。
―――全ては過ぎたことだ。
―――そう。終わったのだ。


吉良吉影の感傷は、風に吹かれるように消え去っていく。
そして、彼の意識は高速で『現在』へと巻き戻る。


560 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:15:56 smsOtXBU0
研ぎ澄まされる魔力の匂いを悟った殺人鬼は。
鳥子ではなく―――アビゲイルの方へと、視線を向けた。


「我が、父なる神よ」


キラークイーンの拳が、アビゲイルの腹部に叩きつけられる。
しかし、胴体を覆うように召喚された『触手』がそれを防ぎ。


「薔薇の眠りを超え――――」


矢継ぎ早に放たれた右手の手刀で、眼の前の少女を『爆弾』に変えようとする。
されど、その一撃もまた死角からの触手によって絡め取られる。
キラークイーンは、迷わず左手による打撃を放とうとする。

殺人鬼は、気付いていない。
ほんの僅かな異変に、気付かない。
スキルによる精神干渉への耐性を持つが故に、却ってそれを察知することが遅れた。
彼は、微かに冷静さを欠いていた。
宝具を開放するセイレムの少女――そこから漏れ出る“異界の念”によって、細やかな“動揺”を抱いていた。
それは、戦闘におけるほんの一瞬の致命打と成り得るもので。


「いざ、窮極の門へと至らん」


―――少女が、殺戮の女王へと迫った。
全身から溢れ出た触手で、背伸びするようにその身を突き出し。
そして左手の一撃が叩き込まれるよりも先に。
女王の身体へと、幾つもの触手が殺到する。
猫草が再び『空気の壁』を作り出さんとする。
されど、間に合わない――そして女王が、無数の触手に抱擁された。
女王は猫草を制御し、咄嗟にアビゲイルへと空気弾を叩き込む。
腹部に衝撃を与えられながらも、少女は決して女王を引き離さない。
触手を絡ませ、がっちりとその肉体を固定する。

仁科鳥子を、爆弾に―――出来ない。
一度点火した以上、キラークイーンの指が再び触れない限り能力は発動できない。
そして殺戮の女王は、今まさにアビゲイルへの対処で封じられている。
吉良が鳥子を縊り殺すよりも先に、相手の宝具は『発動』する。

少女と女王の顔が、数センチの距離へと肉薄する。
まるで口吻を交わす直前のように。
その白く幼い貌で、無機質で冷徹な表情を見据える。




「『光殻湛えし虚樹(クリフォー・ライゾォム)』―――ッ!!」




その額――――浮かび上がる『鍵穴』。
這い寄る混沌。迫り来る闇。
殺戮の女王は、『未知』を視た。



◆◇◆◇


561 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:16:35 smsOtXBU0
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



『――負け惜しみ、か』


“負け惜しみだろ、それ”。
凡人から吐き捨てられた一言によって、殺人鬼の表情が真顔へと変わる。

自分が“敗北した”という実感は、確かに殺人鬼の胸に刻まれていた。
これから自分が退場していくことも、理解している。
だから彼は、こうして事実を粛々と受け入れている。
それを“負け惜しみ”と断じられることは、プライドに関わることだ。


『違うね。前向きに物事を捉えているのさ』
『いつまで格好付けてんだよ》


ただ幸福に生きるべく、建設的に考えるだけだ。
そう言わんばかりの態度で反論するが、凡人は変わらず冷ややかな眼差しを向け続ける。


《お前結局、負けるべくして負けてんだよ。
自分のミスをどうにも出来なかったから、このザマになってんだろ】


そして。
殺人鬼――吉良吉影は、“違和感”を覚える。
ほんの僅かに感じ取った、奇妙な感覚。


❴❴❴それを他人事みたいに開き直って、“想定内の出来事でした”みたいな顔で言い訳して。
そのくせあんたは他人を見下し続ける。俺が俺を見下すのと同じように]]]


凡人の声が“揺らいでいる”。
ノイズが掛かるように。
別の電波が混線するかのように。
何かが歪んで、淀み出す。


❲❲❲やる気がなかった癖に余裕ぶって、自分のメンツだけは保ちたいんだよな〙〙〙


歪な声で、凡人は殺人鬼を詰る。
その本質的な過ちを抉り出すように。
淡々と、そして黙々と、苛んでいく。
殺人鬼は、僅かながらも眉間に皺を寄せる。
怠惰な若造が―――そうやって相手に言い返すことも出来たが。
そんな無駄な労力を使う気にもなれなかった。

ああ、それにしても。
・・・・・・・ ・・・・・
そもそも此処は、どこなのか。
私は一体、何を見ているのか。
殺人鬼は、ふいに疑問を抱く。


“““お前さ―――間違いなく、俺のサーヴァントだったよ。
だってお前、自分以外になんの興味も持ってないんだから”””


何故、こうして“取材”を受けている?
何故、こうして“敗北”の宣言をしている?
何故、こうして“凡夫”から説教されている?
何故、こうして“密室”に居座っている?

不可解極まりない。
幾ら考えようとしても、答えは出ない。
敢えて推察するとしたら。
これは死の間際に見る、夢のようなものなのだろうか。
ある種の走馬灯のように、自らを省みてるのではないか。


562 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:17:21 smsOtXBU0


『……さようなら、マスター。この1ヶ月間、久々に日常を楽しめたよ』


煩わしい話を打ち切るように、殺人鬼は席を立つ。
取材は終わり。最早話すことも、聞くこともない。
彼はただ、舞台から降りていくだけだ。

久々に日常を楽しめた。
殺人鬼の本心は、結局それだ。
止まらない欲望を満たし、久しい“生活”を謳歌する。
彼がこの聖杯戦争に参加した究極の動機は、つまるところそれだけに過ぎず。
勝利を求めながら、聖杯を求めながら。
心の奥底では―――「例え勝てなくても、次がある」と高を括っていた。

だから吉良吉影は、敗けた。
自らの渇望と勝利に全力を尽くさなかったのだから。
己の信念を突き進み、勝利へと邁進する英傑になどなれなかったのだ。
結局は目先の快楽に耽り、退き際にばかり目を配る“臆病者”でしかない。
戦いに命を懸けることを放棄した殺人鬼に、万物の奇跡など齎される筈がない。



『そう―――お前は《罪深いあなたは、敗けてしまう》』



いあ、いあ――――。
凡人は囁く。
声が揺れて、重なる。


『……何?』


いあ、いあ――――。
殺人鬼が、眉を顰めた。
ほんの僅かに感じていた“違和感”が。
形を伴った“異変”へと変わっていく。

いあ、いあ――――。
凡人の姿が歪み、ひび割れて。
やがて一人の“魔女”の姿が顕になる。


《あなたは、変わらない》


いあ、いあ――――。
魔女は、囁き続ける。
殺人鬼の心象世界へと干渉し。

いあ、いあ――――。
彼の記憶を基に、“凡人”の虚像を生み出し。
そして無意識下に眠っていた本質を抉り出す。

くとぅるふ、ふたぐん―――。
これから去り行く殺人鬼に、夢を見せる。
彼が背負う罪を洗い出すかのように。


《ずっと、繰り返すのよ》


それは“変わらない平穏”ではなく。
言うなれば、“終わらない閉塞”だ。
あの凡夫が味わってきたものと、同じ絶望。
そう―――彼の未来は、動かない。


《永遠に、永遠に、廻り続ける》


だから、魔女は告げる。
呪いの言葉を、淡々とぶつける。
あの凡夫の日々が無価値であったように。
貴方の戦いには、なんの価値もないと。
貴方は、罪に焚かれていくのだと。


《それが、貴方が背負った罪の炎。
永遠にその身を焚き続ける、無限の篝火》


故に魔女は、歪な憐れみを向ける。
赦されぬ魂を、淀んだ瞳で見つめる。


563 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:18:06 smsOtXBU0


《嗚呼、哀しいわ。もはや貴方の咎を裁く者はいない》


そう、ここは“杜王町”ではないのだから。
これは善悪さえも超越する“輪廻”なのだから。
そんな彼を慈しむような眼差しと共に。
魔女は、まるで聖母のように微笑み。
そして、悪魔のようにせせら笑う。


《だから、罪深き私が救わなければならないの》


密室が、蝕まれていく。
コンクリートの壁が、天井が、朽ちていく。
崩壊する世界の亀裂から、眩い光が無数に射す。
光が。光が、光が、光が、光が―――――。

殺人鬼は、目を見開いた。
ああ、あれは何だ。“あの手”は何だ。
この名伏し難き悪夢は、いったい何なのだ。

ほんの微かに。
されど、確かに“門”は開かれてしまった。
人理とは相容れぬ異界の念は、あらゆる者の精神と肉体を蝕む。
それは、呪われし殺人鬼でさえも例外ではない。
そう、何者にも止められない。
この狂気と混沌は、やがて全てを飲み込む――。



《さあ―――共に“お父様”へ祈りましょう?》



イグナ、イグナ―――トゥフルトゥクンガ。
やがて世界は、何かに“埋め尽くされた”。
白き虚無の光と、黒く果てなき闇の中。
祈りの声だけが、響き渡る。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


564 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:18:56 smsOtXBU0




息を、整えていた。
両手を床に付き、俯いていた。
ホテルの一室は、再び静寂に包まれる。

押し寄せてくる疲弊感。
溢れんばかりの嘔吐感。
途方も無い不安と恐怖。
そして、己の霊基が蝕まれつつあった感覚。
アビゲイル・ウィリアムズの胸中に、あらゆる熱病がこみ上げる。

“僅か”にでも“門”を開いて、改めて認識した。
自らが宿す“外なる神の巫女”としての力の片鱗を。
あの怪僧が目を付ける程の“災厄の素質”を。

その混沌を、敵に向けた時。
それは―――何よりも恐ろしい武器となる。
そして。その力は、やがて己自身さえも蝕む。
アビゲイルは、否応無しにそれを理解した。

彼女は、顔を上げて。
周囲を見渡して、魔力の気配を探った。
あのアサシンは―――跡形もなく“消えていた”。

逃亡を果たしたのか。否、決して違う。
殺人鬼は、もうこの世界には存在していない。
あの混沌と虚無の果てへと放逐され。
そして、聖杯戦争という舞台から消え失せた。
それだけが、確かな真実だった。
異界へと繋がるアビゲイルは、その事実を“認識”していた。


「マスター!」


そして、アビゲイルは床に横たわるマスターの元へと向かう。
仁科鳥子―――彼女の容態を、すぐさま確認した。

消耗と疲弊によって糸が切れたのか、気を失っていた。
呼吸はしている。心臓も動いている。
恐らく、命に別条はない。
そのことに安堵を覚えたものの、深い傷を負っていることに変わりはない。
右手首から先が、あのアサシンの“爆発”によって欠損しているのだから。
火傷によって出血は起こしていないものの、体力の消耗は間違いなく大きい。

そして、残された彼女の“透明な左手”へと視線を移した。
その手に宿る紋様―――三角の令呪が、一部欠けている。
先程、鳥子は令呪を切った。
あの殺人鬼を倒すために、アビゲイルへと指示を出した。

鳥子から“令呪を使ってあいつを倒す”と念話が入った時。
アビゲイルは、一欠片も迷わなかった。
“アビーちゃんが嫌なら――”。
そう告げられても尚、アビゲイルは受け入れることを決めた。

もしも何かあった時には、私があなたを止めるから。
真っ直ぐにそう伝えてくれた鳥子を、信じたから。
この一ヶ月間、家族のように接してくれた鳥子の想いを疑うことなど有りえなかった。

彼女は、私を信じる。
私は、彼女のために戦う。
だからこそ。
“巫女”としての力の片鱗を、鳥子のために解き放った。


――――決して死なせない。
――――あなたは、私を信じてくれたのだから。


例え、この忌まわしき“鍵”が。
地獄への門を叩くのだとしても。
それでも、あなたを守るために。
私は最後まで、私でありたい。
清廉なる少女は、祈る。
大いなる父か―――あるいは、己自身にか。
その答えは、彼女のみが知る。


565 : 吉良吉影は動かない ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:21:20 smsOtXBU0
【文京区(豊島区の区境付近)・ホテル/二日目・未明】

【仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:気絶、体力消耗(大)、顔面と首筋にダメージ(中)、右手首欠損(火傷で止血されてる)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:アビゲイルの“真の力”について知る。
1:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
2:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
3:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
4:できるだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
5:もしも可能なら、この世界を『調査』したい。できれば空魚もいてほしい。
6:アビーちゃんがこの先どうなったとしても、見捨てることだけはしたくない。
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。
※透明な手がサーヴァントにも有効だったことから、“聖杯戦争の神秘”と“裏世界の怪異”は近しいものではないかと推測しました。


【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:体力消耗(中)、肉体にダメージ(中)、精神疲労(大)、魔力消費(大)、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスターのことは、絶対に守る。
1:鳥子に自身のことを話す。
2:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
3:マスターにあまり無茶はさせたくない。
4:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。







彼は、どこにもいない。
この街の影となり、雑踏に溶け込む。
欲望のままに、犯行を繰り返し。
自らの罪さえも完璧に覆い隠し。
実態なき“噂”として、社会を彷徨う。

その姿に、形などない。
何者にも捉えられない霧のように。
“個”を捨てて、“都市伝説”と化したのだから。

無数に茂る雑草のように。
己の素性を葬り、夥しい人混みの一部となる。
だから彼は、誰でもあり。
そして彼は、誰にもなれない。
物語に関わらない、名もなき不特定多数。
ただ群衆へと混ざり合い、消え去っていく。
結局彼は、それだけの存在でしかない。

それは、彼が望んだこと。
それは、彼が求めたこと。
それは、彼が齎したこと。
自らが撒いた種だ。
己の因果を、ただ順当に背負っただけのこと。

激しい喜びもない。
深い絶望もない。
彼は、変わらない。
彼は、誰にも見つからない。
道端の植物のように、見過ごされる。

この街は。この都市の喧騒は。
吉良吉影という男を、知る由もない。
彼がこの街を生きた証は、何処にもない。
ただ、それだけのことだった。
彼という男は、混沌という藪の中へ―――。




【アサシン(吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険 消滅】


566 : ◆A3H952TnBk :2022/05/06(金) 13:22:07 smsOtXBU0
投下終了です。


567 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:23:14 A/9A6D3o0
予約分の前編を投下させていただきます


568 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:25:06 A/9A6D3o0
 まずいことになった。
 脳内に鳴り響く警鐘の音色が鬱陶しい。
 此処まで来て今更見苦しく騒ぐなと自分の本能的な部分へ冷たく愚痴る。
 まさか自分の中に、まだこんな人間らしい弱さが残っていたとは。
 小さく舌打ちをする北条沙都子の立ち振る舞いもその仕草も、とてもではないが十歳そこらの童女のそれとは思えない。
“落ち着きなさいな北条沙都子。百年を囚える魔女が、この程度の逆境で四の五の言うんじゃありませんわ”
 沸騰しかけた脳髄は思いの外利口で、苛立ち混じりの叱咤を一つかければそれで素直に沈黙してくれた。
 沙都子は今苦境にある。
 いや、これから苦境に立たされる。
 今まさに彼女は自分自身の足でもってともすれば死地にもなり得る修羅場へ向かっている。
“元を辿れば身から出た錆。問題を先送りにし続けていたツケ、ですわ”
 まず最初にカイドウに取り入った。
 そうするしかない状況だったし、間違いなくこの聖杯戦争で最強の一角だろう武力を味方にできる利点は無碍にできなかった。
 問題はその後、沙都子自身ですら予期せぬ偶然で彼の顔馴染みの怪物と同盟を結んでしまったことだ。
 人間相手に卑怯な蝙蝠を演じるのとは訳が違う。
 相手は一度怒りを買えばその時点でこちらの命運が尽きるような正真正銘の怪物である。
 そんな連中を相手に綱渡りをし続けてしまった。
 状況のまずさを悟っていながらすぐにそれをケアしなかった。
 要するにこれは沙都子の迂闊さが招いた状況なのだ。
 その点に関しては沙都子も言い訳するつもりはなかった。
 だが問題は…
“ですけれど…何も自ら進んで状況を悪くする必要はないでしょう。
 あの方は一体何を考えているんですの。全く意図が分かりませんわ”
 沙都子の泣き所を怪物達に明かしたのは皮下真でもガムテでもなく、他でもない沙都子自身のサーヴァントであることだった。
 アルターエゴ・リンボ。
 窮極の地獄界曼荼羅なる荒唐無稽な目的を掲げる彼が何を考えているのかはそもそも分からない。
 しかし命令には一応従ってくれるため、当分は静観でいいだろうと高を括っていた。
 その結果がこれである。
 自分のマスターを地雷原に放り投げるような行いの意図はさっぱり読めなかった。
 眉間に青筋を立てるのを堪えながらも頭痛だけは如何ともし難い。
 はあ、と沙都子の溜息が鏡面世界に小さく響いた。
“今念話で問い質しても仕方ありませんし…まずは目先の問題を片付けるしかありませんわね……”
 一応理屈は用意してある。
 ただ果たしてそれで納得してくれるか否か。
 ガムテのライダーが話の通じない狂人であることは知っている。
 皮下のライダーは彼女に比べれば大分マシだが、初対面でリンボがやらかしていることを思うと楽観視はできない。
 一度のチョンボは許されても二度目は話が変わってくる。
 そして今回沙都子は、彼らの両方を納得させなければならないのだ。
 四皇(かれら)の恐ろしさを知る者が聞けば誰もが沙都子の多難な前途を思い祈りを捧げたことだろう。
「…ああ、もう!」
 思わず傍らの壁を蹴飛ばした。
 どれだけ魔女を気取っても、やはり奥底の憤りは隠せない。
 知り尽くした雛見沢をゲームマスターの立場から弄ぶのと、何が起こるか予想のつかない聖杯戦争に挑むのとではまるで話が違った。
 あるいは先刻のアイドル殺しがもう少し沙都子の心を満たしてくれていれば…今より多少は心持ちも違ったのだろうか。
“無事にあの方々への弁明が済みましたら…リンボさんを詰問しなければなりませんわね。
 それに――”
 沙都子の眉間に皺が刻み込まれる。


569 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:25:45 A/9A6D3o0
 脳裏に浮かぶのはガムテープ塗れの顔で笑う"王子様(プリンス)"の顔だった。
“この先、ガムテさん達をどう利用しどう切り捨てるのかについても。一度考えておかないと”
 ガムテは自分の抱える弱みを見透かしていた。
 今回自分に同行しなかったことで彼のスタンスも透けた。
 あわよくばあちらが自分へ必要以上に感情移入してくれていればと思っていたが、その可能性には期待できないとも分かった。
 あの男は北条沙都子が味方ではないことを理解し弁えている。
 泣き落としや情に訴えかける立ち振る舞い上の小細工は通じない。
 そのことがはっきり目に見える形で示されたのが先のやり取りだった。
「上等ですわ、殺しの王子様(プリンス・オブ・マーダー)。
 たかが殺し屋如きが…殺すしか能のないお子様が。
 運命を弄び操る絶対の魔女(わたくし)に敵うと思わないでくださいまし」
 本人は決して認めないだろうが。
 むしろ互いの距離感を見誤っていたのは沙都子の方だったのだ。
 割れた子供達の王と軽口を交わす時間は居心地が良かった。
 少なくともこの世界に来てからの中では最も心底脱力できる時間だった。
 それでも沙都子は止まらない。
 ガムテに少なからず絆されかけていた事実を鏖殺しながら、その紅い瞳を今は視界に居ない彼へと向ける。
 魔女と極道。
 殺人者と殺し屋。
 生死を占う戦いの縮図は人知れず既に描かれており。
 "いつか"に備えて引き続き爪を研ぐためにも、沙都子は兜の緒を締め直して目先の死地へと進んでいくのだった。

    ◆ ◆ ◆

 扉を開いて先へと進む。
 それだけの工程にすら一生分の覚悟を要した。
 扉を押し開いた瞬間に自分の人生が終わる覚悟。
 しかし決して大袈裟とは言えない。
 北条沙都子がこれから出廷する場所で裁判官を務めるは二体の怪物。
 その機嫌、気分一つが人間の生死に直結するような規格外の皇帝共が立ち並ぶ魔境。
 逃げずにやって来られただけでも大物だ。
 その証拠に入室したばかりの沙都子へ、即座に二つの視線が降り注いだ。
 片や百獣の王。
 片や万人の母。
 怪物と怪物の目から確かな猜疑心を以って降り注ぐ眼光。
“っ…やってられませんわ、こんなの……!”
 存在の大きさが違いすぎる故だろう。
 たかが視線と言えども彼らのそれには物理的な圧力が伴う。


570 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:26:27 A/9A6D3o0
 実際沙都子は今立っているだけでやっとの状態だった。
 取り繕おうと意識して耐えなければ膝が震えて惨めな姿を晒していたに違いない。
 少なくとも魔女となる前の沙都子だったなら決して耐えられなかったろう、異次元の威圧。
「呼び出しに応じやって参りましたわ…。
 何故この場に呼ばれたのかも、理解しているつもりです」
 反感を買ってはならない。
 彼らを怒らせれば最悪死ぬ。
 リンボはもはや信用できなかった。
 流石にそこまでではないと思いたいが、自分が死ぬ間際でもこれは困ったというようにニヤけている姿すら想像できる始末。
 そんな相手に"いざという時"の対処を委ねられる訳もない。
 即ちこの場は、北条沙都子自身の力で乗り切る必要があった。
「後で説明するつもりだったのですが、諸々の理由が重なって報告が遅れてしまいました。
 誓って私、お二人のことを騙すつもりではありませんでした。貴方がたに不義を働いてはいませんわ」
 これで満足してください。
 沙都子は心の中で祈る。
 どの道力だけしか能のない災害共なのだ。
 お前達は私にただ良いように使われていればいい。
 然るべき時が来るまで隠れ蓑になってくれればそれでいい。
 だから足を引っ張るな。
 この私の足を引っ張るようなことだけは、どうかしてくれるな――そう祈る沙都子に対し。
 目前の四皇が放った言葉は至極当然のものだった。


「――何眠てェこと言ってんだい? お前」
 怪物の名はビッグ・マム。
 殺しの王子様と彼に憧れ救われた子供達のすべてを良いように扱う女王。
 彼女の声色は心底呆れ返ったようなもので。
 それが沙都子の背筋に改めて鳥肌を立たせた。
 彼女は魔女にだってこうして恐怖を与えられる。
 その程度の相手…彼女はこれまで山程蹴散らしてきたのだから。
「まずは頭を下げなよ。お前はおれと、おれが弟のように思ってる腐れ縁(マブダチ)を欺いてたんだからねェ…!」
「ッ――も、申し訳ありません…でした……ッ」
 沙都子は言われた通り頭を下げて謝罪の言葉を口にするが。
 そこに屈辱の念やそれに起因する怒りの念はなかった。
 生物としての根本的な恐れと焦り。
 それが細かい道理を無視して沙都子に頭を下げさせた。
「答えな。カイドウと組んで、てめえ何をするつもりだった?
 こいつとおれがたまたま旧知だったから良かったが…部外者のお前がそれを知っている道理はねェよな」
「おいクソババア! 何を他人様の真名言ってんだてめえは!?」
「今更細かいこと気にしてんじゃねェよ!
 相変わらずヘンな所でケツの穴が小せェ男だねお前は!
 大体それが判明(わか)ったところで大して変わるもんもねえだろう!」
 ビッグ・マムの詰問は生死を分かつ問いだ。
 真実か嘘か(ライフ・オア・トリート)。
 我が身可愛さに嘘を吐こうものなら容赦なく殺される。
 そして沙都子も彼女がそれ程までに常軌を逸した、人智人倫の外にある存在だということは理解していた。
 だからこそ虚言を弄して乗り切るという選択肢はない。
「…率直に言うなら」
 北条沙都子の目の前にある選択肢は、ただ真実を述べる――それ以外にはなかった。
「貴方がたの間を上手く立ち回りつつ、両方に取り入りながら共倒れを狙う腹積もりでしたわ。
 勿論どちらかが倒れるまでは両方の後ろ盾としての機能をしっかり受け取りながら、私が勝利を勝ち取るために利用するつもりでした」


571 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:27:09 A/9A6D3o0
「へぇ…。いい度胸じゃないか」
 神をも恐れぬ発言とはまさにこのことだろう。
 沙都子が言った次の瞬間には空間を満たす威圧の重力は体感数倍にも増したように思われた。
 雛見沢というゲーム盤の中には存在しなかった、どんな陰謀も策もそれ一つで無にしてしまえる程強大な暴力が此処にはある。
 沙都子が此処で尻餅をつかなかったことは十二分に評価されるに足る事柄の筈だ。
 覇気でこそ無いものの。
 百戦錬磨の四皇が放つ本気の気迫。
 現に彼女は唇を噛み締めて冷や汗を流しながら耐えるのが精一杯だった。
 しかし歯が鳴るのも体が震えるのも見事に抑え込んで魔女としての格を保ったのだ。
 海の皇帝を相手取っていることを踏まえて言うなら、十分すぎる奮闘だと言えよう。
「…どうか落ち着いてくださいまし。あくまでそれはお二方がお知り合いだと知らなかった頃の話ですわ」
 舐められれば食い尽くされる。
 かと言って不敵すぎれば怒りを買ってこの場で死ぬことになる。
 自分の格は保ちながら、それでいて龍の逆鱗に触れないよう細心の注意を払う。
 言わずもがなその難易度は想像を絶する領域に達して余りある。
 視界の端にチラチラと映る従僕の姿を極力脳裏から排するようにしていたのは、少しでも感情がざわめく余地を減らしておきたかったからだ。
 苛立ちだとか疑念だとか、そういう類の感情は…今抱えるには邪魔すぎた。
「豊島区で派手に戦って来られたと聞いていますわ。
 そのことも踏まえてガムテさんと今後に向けた話し合いをして…それが済み次第報告に向かう筈でしたのよ。
 なのに私のサーヴァント……アルターエゴが先走ってしまったようで」
 真実ではないが嘘でもない。
 沙都子とてビッグ・マムとカイドウの間に同盟が結ばれてしまった以上、いずれはバレる秘密を後生大事に秘めておくつもりはなかった。
 頃合いを見て彼らに伝え、謝罪の一つもして機嫌を取るつもりでいたのだ。
 リンボが余計なことさえしなければそれで丸く収まった話なのだ。
 少なくとも沙都子はそう確信していた。
「混乱させてしまって申し訳ありませんでした。マスターとしてお詫びしますわ」
 そう言って頭を下げる。
 これで矛を収めてくれればいいが。
 顔を伏せているので傍からは分からないだろうが、沙都子の苦々しい顔からはそんな思いが滲み出ていた。
「マ〜ママママ…おれは擦り寄ってくる奴のことは邪険にはしねェんだ。
 仲間(ファミリー)が増えるのは楽しいからね……一緒にお茶会をして良し、子供を作らせて良し。
 家族が多くて困るってことはねェとおれはよ〜〜く知ってるのさ。排斥主義なんざ今時流行らねェ」
 沙都子が頭を上げる。
 ビッグ・マムは笑っていた。
 カートゥーンの住人を思わせる丸い歯が嫌に悍ましく見える。
 ギラついた眼光に射竦められ、沙都子の体が小さく跳ねた。
「けどね…おれは去る者は許さないよ」
 ビッグ・マムが暴君なことは知っていた。
 話の通じない怪物。
 一度癇癪を起こせば味方だろうと構わず殺す。
 そう聞いていたしだからこそ怒りを買わないよう細心の注意を払ってきたつもりだ。
 だが――初めて我が身に向けられる"皇帝"としての殺気。
 否が応でも鬼ヶ島の屈辱を思い出してしまうそれに、沙都子の握った拳が汗ばんでいく。
「来る者拒まず去る者殺す、それがウチの流儀(ルール)さ。
 お前言ったね? おれ達を謀るつもりはなかったって。
 その言葉…お前の魂に懸けて誓えるかい?」
 魂に懸けて誓う。
 その単語の意味はことビッグ・マムが口にする場合単なる比喩では留まらない。
 何故ならば彼女はソルソルの実の能力者。
 万物万象の魂を操る女なのだから。
「おれに不実をかましたのは他でもないお前自身さ北条沙都子。
 とはいえお前は見所があるからね…担保次第じゃ今回は手打ちにしてやってもいい」


572 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:27:54 A/9A6D3o0
 沙都子は心の中で舌打ちをした。
 何が皇帝だ。
 こんなのは皇帝ではなく、極道(ヤクザ)のやり口ではないか。
「私の魂を寄越せと…そう仰るんですのね? あの"プロデューサー"さんにしたように」
「察しが良いね。なぁに心配するな! あのバカ野郎程多く取るつもりはねェよ!」
「…なるほど」
 察するにこの老婆はこうやって数多の魂を集めてきたのだろう。
 とはいえその所業に嫌悪感を抱く程沙都子は善良ではなかった。
 仮に沙都子が彼女の立場だったとしても同じ手を取ったろうとさえ思う。
 取引や契約の代金代わりに魂を徴収して自らの糧にする、実に合理的なやり方だ。
 沙都子が頷けばビッグ・マムは満足するだろう。
 この場を丸く収めるには多分それが一番いい。
 不実を働いた側が相応の和解金(ソウル)を払って頭を下げる。
 ビッグ・マムはそれに免じて沙都子を放免する。
 実に平和的な解決手段だ。
「お話は分かりました。ですが…それはできませんわ。謹んでお断り致します」
「あ?」
 だがそれを分かった上で、沙都子はかぶりを振って示談を拒んだ。
 ビッグ・マムの眉間に皺が寄る。
 隣で静観している鬼ヶ島の支配者、カイドウも訝しげな目をした。
「私には叶えたい願いがあって…辿り着きたい未来がございますの。
 如何に非礼を働いてしまったとはいえ、魂を譲り渡すことはできません」
「お前――」
 もしこの場に割れた子供達の構成員が居合わせていたなら。
 それが誰であれ、黄金時代は死にたいのかと正気を疑ったことだろう。
 ビッグ・マムの恐ろしさをその片鱗でも知っていたならこんな命知らずな言動はできない。
 魂を献上してその場を凌げるならそれでいいだろうと、誰でもそう考える筈だ。
 しかし沙都子は自分が間違った判断をしたとは一切思っていない。
 遥か高くから自分を睥睨する鬼母の眼光を総身で受け止めながら、それでもだ。
「自分が誰に生意気(ナマ)言ってるか…分かってんだよな?」
「勘違いなさらないでくださいな、お婆様。
 私はあなたの同盟相手ではあっても…奴隷ではありませんのよ。
 未来まで差し出してあなたに媚びることはできませんわ」
「――本当にいい度胸してるねェ、お前。本当に十歳そこらのガキかい?」
 沙都子は少なくとも今はガムテ達を裏切るつもりはない。
 彼らは寄生先として非常に有用で、いざという時の隠れ蓑としても使いでがある。
 だが心中するつもりは当然なかった。
 北条沙都子にとって重要なのは大切な友人と過ごす理想の未来であり、割れた子供達の一員として過ごす末路ではないのだ。
 ならば当然こんな所で、たかが同盟相手程度に魂など捧げられる訳もない。
 たとえその選択が自分にとって致命的な結果をもたらすかもしれなくともだ。
“ンンンン良いのですかなマスター。今のはこのリンボめも自殺行為かと思いましたが?”
“お黙りなさいなこの頓珍漢。貴方には此処を乗り切り次第ちゃんとお話を聞かせていただきますから、今の内に言い訳を纏めておきなさい”
 魂をどれだけ奪われるのか知らないが、魂が欠けた状態でどんな不具合が出るのか分からないというのもあった。


573 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:28:48 A/9A6D3o0
 沙都子はエウアと契約を交わして繰り返す者となった。
 定命の人間が生涯を通して過ごす時間と同等程度の人生の記憶を、沙都子はエウアの能力を介して得ている。
 古手梨花が繰り返した百年分。
 そして北条沙都子が古手梨花を囚えて繰り返した幾らかの時間。
 北条沙都子本来の人生。
 束ねれば確実に常人の一生を凌駕する時間の記憶と経験が沙都子の中には備わっているのだ。
 杞憂と言われればそれまでだが、魂を奪われたことでその辺りの無法のツケを思いがけない形で支払わされることになる可能性がないとは言えない。
 それは困る。
 死ぬのは構わないが、梨花と過ごす時間が永遠に消滅してしまうことだけは認められない。
 だから危険を呑んででもビッグ・マムに異を唱えた。
「…もしもどうしても私が気に食わないようでしたら、大人しくこの場を去りますわ」
「できると思うのかい? おれは去る者は殺すと、今しがた教えてやったよねェ――?」
「令呪がありますわ。これを使ってリンボさんに一言"逃がせ"と命じれば、さしものお婆様でも追い付けないのではありませんこと?」
 令呪ありきのビッグマウスなのは本当だ。
 空間移動という規格外の芸当すら可能にするらしい令呪であれば四皇二体を相手に逃げ遂せることも可能だろう。
 そこに懸けての大立ち回りだった。
 幸いにして部活を通じてギャンブルすることには慣れている。
 問題は此度のギャンブルは、負けても恥ずかしい衣装を着せられたり落書きされたりする程度では済まないことなのだったが…
「お前…」
 ビッグ・マムの巨体が揺らぐ。
 既に皇帝は青筋を浮かべていた。
「おれを舐めてんのかい?」
 沙都子としても出来ることなら令呪を使う事態に陥って欲しくはなかった。
 単純に損失であるし、少なくとも今はまだ皇帝の武力を失いたくない。
 だが魂を渡す選択が取れないのもまた事実であり。
 こうなればもはや妥協するしかないかとそう思った矢先。
 ビッグ・マムの巨腕が不遜な魔女を力で罰しようとする直前に、今の今まで黙し静観していたもう一人の皇帝の厳かな声が響いた。
「おーおーその辺で止めとけよリンリン。こいつはおれの駒でもあるんだ」
「何眠てェこと言ってんだい!? カイドウ!
 それにてめぇ、サーヴァントは真名を伏せるもんだろう! 悪酔いにも程があるよ!?」
「先に人の真名言いやがったのはてめえだろうがクソババア!!! 殺すぞ!!!」
 …予期せぬ助け舟だった。
 譲れないものを素直に譲れないと言った沙都子を助けたのはもう一人の皇帝。
 沙都子がビッグ・マムよりも先に盟を結んだ相手、カイドウ。
 彼はごほんと咳払いをするとギロリと沙都子を睨み付けた。
「…おい沙都子。今回は肩を持ってやったが、長生きしたきゃ口の効き方には気を付けろよ」
「っ。ええ、そうさせていただきますわ…」
「それにリンリンとの盟がどんな条件だったかは知らねェが、少なくともおれはお前らを"傘下に加える"形で落とし所をくれてやったんだからな。
 ウチの海賊団じゃお前らはおれの部下扱いだ。そこの所は努々忘れんじゃねェぞ」
 痛い所を突かれた。
 沙都子は唇を噛み締めながらカイドウの言葉に頷いた。
 詰問する側が彼であったなら、沙都子は何の正当性も示せなかったろう。
 鬼ヶ島での一件は殆ど不可抗力的に…沙都子の意思も奸計も挟む余地のない"白旗"だったのだから。
「…改めて今回のことは本当に申し訳ありませんでした。
 飲み込めないこともあるかとは思いますが、どうかお許しいただければ幸いですわ」
 だが今回ばかりは彼に感謝せねばならないだろう。
 沙都子が今更何を言っても響かないだろうが、同格の同胞からの言葉ならば無碍にも出来まい。
 令呪一画ないしは自分の命運を彼に救われた形だった。


574 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:29:46 A/9A6D3o0
「お前ももういいなリンリン。信用ならねェ所があるのは分かるが有能な人材なんだ、今は矛を収めとけ」
「…チッ。命拾いしたねェ、クソガキ!
 こいつが煩く言わなかったらお前なんざ虫ケラみてェに踏み潰してるとこだぞ!」
 上手く行った。
 胸を撫で下ろす余裕はないが、自然と頭は下がっていた。
「…ありがとうございます。お二人の寛大さに感謝致しますわ」
 本当に死ぬ所だったのだ、頭を下げることなど躊躇いはしない。
 これで少なくとも当分の間は彼らの武力に寄生できる。
 鬼ヶ島でカイドウと初めて邂逅した時は心底戦慄したものだが、今では話の通じる相手が居ることに感謝すら覚えていた。
「なら早速一働きして貰おうじゃねェか。
 おれに山程魂を捧げてくれた"プロデューサー"のサーヴァントが、今もせっせと戦いに出てくれてんだ。
 沙都子お前、リンボの野郎をそこに援軍として向かわせてやりな! サーヴァント二体も居りゃ流石に一人は殺せるだろう!?」
 またしても内心舌打ちが漏れたが、此処で渋れば流石に命に関わる。
 そう判断した沙都子は素直に頷いた。
 リンボのことだ。
 戦況が芳しくなければ早々に退いてくることだろう。 
 彼と話をするのはその後でも構わない。
 今はこの荒ぶる皇帝の機嫌を宥めることに注力するべきだと、沙都子はそう判断したのだった。
「ところでだ沙都子。おれの方からもお前に一つ聞きてェことがある」
「…何ですの? 今の件以外には誓って不実を働いてはいない筈ですけれど……」
「つい先刻皮下から報告があってな。
 鬼ヶ島に紛れ込んだサーヴァントを叩き潰してそのマスターを拿捕したらしいんだが。
 そいつがお前の名前を呼んでいたらしい。もしかしたら知り合いかもしれねえと思ってな」
「私の……名前を?」
 どくんと心臓が妙な鼓動を打った。
 その意味合いは沙都子にもすぐには分からなかった。
 だが胸はざわめき呼吸は乱れる。
 さもそれは、北条沙都子の肉体の方はカイドウの言う人物の素性を既に理解しているかのように。
 そんな彼女をよそにカイドウはその名を告げた。
 不遜にも鬼ヶ島へと踏み入り、そして敗れた少女の名前を。
「古手梨花。この名前に聞き覚えはあるか? 北条沙都子」
「――――――――――――――――、」
 言葉を失った。
 それに足る価値のある名前だった。
 古手梨花。
 その名を聞いて涼しい顔などできる訳もない。
 目前の皇帝達に彼女との縁を気取られるリスクを踏まえても。
 それでも、その名を聞いて平静を保てる程、北条沙都子が件の少女に抱く執着は浅くはなかった。
「…その顔を見るに知り合いのようだな」
 カイドウのその言葉を聞いてようやく沙都子はハッとする。
 自分が愚を犯したことを悔やむよりも先に質問が出ていた。
「梨花が…今、鬼ヶ島に居るんですの?」
「ああ。手負いらしい上、そう簡単に抜け出せる空間でもねえからな」
「――私をすぐに鬼ヶ島へ行かせて下さいまし、カイドウさん」


575 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:30:41 A/9A6D3o0
 古手梨花。
 北条沙都子が繰り返す力の存在を知るよりも遥か先。
 彼女がまだ彼女自身の人生を生きていた頃、ずっと友人だった少女。
 彼女が居なければ沙都子は魔女にはならなかった。
 絶対の魔女は誕生しなかった。
 そして世界の垣根をすら越えた今も沙都子は梨花に執着し続けている。
 古手梨花が居て自分が居て、雛見沢の仲間達が居る。
 誰が欠けることもなく永遠にその時間が続く。
 それこそが北条沙都子の理想であり悲願。
 彼女が地平線の果てに辿り着いたなら界聖杯へ願うだろう未来。
 その未来にて、自分の隣に居るべき古手梨花が。
 あろうことかこの世界に招かれている。
 本戦まで生き残り、今もこの東京の何処かで息をしている。
 その事実は北条沙都子からあらゆる冷静さを奪い去るに足る"爆弾"だった。
「まァ…それは構わねェんだけどよ」
 カイドウが酒を一口呑んで嚥下する。
 甘いチョコレートリキュールだったが、極論アルコール度数が高ければ味は問わないのが彼流であるようだ。
「お前は古手梨花と会ってどうするつもりだ。
 殺す気か…それともおれの元から逃がす気か。
 答え次第じゃ鬼ヶ島への門を開く訳には行かなくなるぜ」
「…ご安心くださいな、鬼ヶ島の鬼さん。
 よりによって梨花を逃がすだなんて……そんなこと。私がする筈もありませんわ」
「何だ? お前は古手梨花と友達(ダチ)なんじゃねェのか」
「そんな言葉で言い表せる程浅い間柄ではございませんわよ。
 私と梨花は友人を越え、仲間さえも越えた…血と血で結ばれた関係ですから」
 古手梨花は鬼ヶ島に囚われている。
 彼女の独力ではあの異空間を抜け出すことはできないだろう。
 しかし沙都子が梨花のために骨身を削ることはない。
 そうではないのだ、北条沙都子は。
 そういう存在ではないのだ、北条沙都子にとっての古手梨花は。
「死んではいませんわよね? 梨花は」
「手負いらしいがな。一度は腕をぶった斬られたらしい。まぁ当分動けはしねェだろう」
「…そう、分かりましたわ」
 それにしても随分と下手を打ったらしい。
 しかしそこに彼女らしさを感じてしまう自分も居るのが不思議だった。
 失敗し転げ回って血に塗れ、それでもがむしゃらに立ち上がる。
 常人ならとっくに精神が擦り切れて諦めていてもおかしくない惨劇の荒波に放り込まれながら、負けるものかと只管に前を向く。
 何十回でも何百回でも転んで死んで絶望して…一度は完全に己の運命を乗り越えてのけた奇跡の黒猫。
 そんな女がたかが腕の一本を斬られた程度の絶体絶命で諦めるとは思えない。
 素直に死ぬとは思えない。
 だから沙都子は驚きも動揺もしなかった。
 それどころか。
“早めに鼻っ柱をへし折られたということは…この先は思いがけない巻き返しをしてくるかもしれませんわね。
 何しろ今回は一回限りの大勝負。繰り返し(ループ)などというズルは許されておりませんもの”
 "今回の"梨花は手強いかもしれないと認識を新たにさえしていた。


576 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:31:38 A/9A6D3o0
 鬼ヶ島で囚われている彼女にしてみれば不運以外の何物でもないが、これで北条沙都子が油断してくれる可能性は消え果てたと言っていいだろう。
「リンボさん、ではプロデューサーさんの援護に向かってあげてください。
 戻り次第今回のことについてみっちり問い詰めさせていただきますのでそのつもりで」
「承知致しました。では、かの悪鬼に恩でも売ってくるとしましょう」
「言っておきますけれど余計な真似にうつつを抜かすのはやめてくださいましね。
 貴方が付ける薬のないお馬鹿さんなことは知っていますが、流石にこれ以上は私も堪忍袋の緒が切れますわ」
 心からの本音だった。
 頼むから聖杯戦争をしてくれという切実な思いが滲み出た言葉でもあった。
 元の世界に戻れさえするのであれば、必ずしも聖杯獲得に拘るつもりはない。
 それが沙都子の基本方針であり、故にリンボの唱える窮極の地獄界曼荼羅構想についても積極的に異を唱えるつもりはなかったのだが。
 こうも協調が取れないとなるとその認識も改めねばならなくなってくる。
 リンボの有能さについては沙都子自身しっかり理解していたが、それとこれとは話が違う。
 だから釘を刺したのだが…果たして響いてくれたかどうか。
「それは大変だ。では精々働きで信用を取り戻すとしましょう」
 そこの所は不明だったが、とりあえずリンボは妖しく微笑って頷いてくれた。
「…私もこれからは少々忙しくなりますわ。
 貴方にばかりかかずらってもいられませんの。どうかこれ以上胃痛の種を増やさないで下さいまし」
 一先ずは彼の言葉を信じて任せるしかあるまい。
 せめて今回は敵の首級一つでも持って帰ってきてくれればいいのだが。
 悩ましげな溜息を溢して沙都子は再び四皇二人の方へと向き直った。
「改めて今回のことは申し訳ありませんでしたわ。
 リンボさんの言を借りるようですが、この分はちゃんと働きで代えさせていただきます」
「カイドウに感謝するんだねェクソガキ。もう一度言うが、こいつが止めなかったらおれがお前を殺してたよ!」
「…えぇ。分かっていますわ」
 沙都子はガムテや他の子供達がこの老婆に対しただ怯えるばかりではないことに気付いている。
 彼らは誰もがビッグ・マムに激しい殺意を抱いていた。
 しかし自分達のナイフは巨大な皇帝を刺し殺すにはあまりに小さすぎるから、屈従の影に殺意を隠して無害な使い走りを装っているのだ。
 今はまだ。
 だが彼らはいずれこの皇帝に牙を剥くだろう。
 秘めてきた殺意のナイフを露わにして手のひらを返すだろう。
 散々圧政を布いてきた大嫌いな皇帝に。
 ゴミのように仲間を潰してきた憎き仇に。
 そしてビッグ・マムは恐らくそんな未来など想像もしていない。
 愚かなことだ。
 力だけを積み重ねて肥え太った末路がこれか。
 上機嫌そうに笑うビッグ・マムの巨体に、沙都子は心底からの軽蔑を覚えずはいられなかった。
 それが先刻自罰し蹴飛ばしたガムテ達への肩入れの延長線上にある嫌悪なことに…沙都子はまだ気付けない。
「つきましては鬼ヶ島のライダー…もといカイドウさん。
 梨花の元へ行きたいので門を開けていただいても構いませんこと?」
「まぁ待て。獅子身中の虫を好き好んで中に入れる程馬鹿じゃねェんだおれは」
「…ま、そうですわよね。ではお目付け役でも付くのでしょうか」
「ウチの大看板を一人寄越す。準備が整ったら注文通り門を開けてやるよ」
「ご配慮痛み入りますわ」
 …勿論。
 カイドウとて只の親切心で梨花との面会を斡旋した訳ではなかった。
 もしもこの機に乗じて沙都子が自分達へ再度の裏切りを働こうものならその時は容赦しない。
 梨花を逃がそうとすればすぐにでもお目付け役の大看板が彼女達を磨り潰すだろう。
 その点、沙都子に梨花を逃したりするつもりは全くなかったのは彼女にとって幸いだったと言える。
「さぁ行ってきなリンボ! 戻ってきたらおれ達のマスターの親睦会も兼ねて改めてお前の話を聞いてやるよ!」
 ビッグ・マムの高らかな鬨の声が響くと共に。
 リンボが霊体化し、この場から姿を消した。
 悪の陰陽師は狛犬の鬼が降り立った戦場へ。
 そして皇帝達の前には沙都子のみが残された。


577 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:32:23 A/9A6D3o0


“――梨花。此処に貴女も居ると聞いた時、私の心は花が咲いたように色づきましたわ”
 北条沙都子は既に人であることを辞めた身だ。
 繰り返す権能を持つ神と契りを交わしたあの瞬間。
 彼女の口車に乗せられたあの瞬間より沙都子は人ではなく魔女となった。
 絶対の意思で以って輝く奇跡を永劫囚え続ける惨劇の魔女。
 昭和58年の6月に終結した筈の惨劇をもう一度雛見沢へもたらす者。
 理想の未来を勝ち取るまで"絶対に"妥協しない、幼い動機のゲームマスター。
“でも考えてみれば当然ですわね。
 梨花の居る場所に私が居ない道理はなく、私の居る場所に梨花が居ない道理もないのですから。
 私が…もしくは梨花が。この世界に招かれたその時点で、きっとこうなることは決まっていたんですわ”
 沙都子は梨花の存在に動揺しない。
 彼女はそれを歓迎する。
 陶然とした心で梨花と相対する瞬間を心待ちにしている始末だった。
“けれど梨花? 私…貴方がどんなお仲間を得て頑張っていたとしても、一切手心を加えるつもりはありませんわよ?
 狙うのは一位のみ、そのためにはあらゆる努力をすることが義務付けられる……それが我々部活メンバーの規範ですものね”
 北条沙都子と古手梨花が手を取ることはほんの一瞬だとて有り得ないだろう。
 片や惨劇の主。絶対の魔女。
 片や惨劇の被害者。奇跡の黒猫。
 相容れることなどできる筈もない。
 雌雄を決し終えたその先でもない限りは。
 だから沙都子がこれから梨花に会いに行くその行為自体が持つ意味はあまりにも薄かった。
 沙都子自身もそのことは承知で、しかし梨花に会いに行く選択を覆すことは決してない。
“楽しみですわ、梨花。
 貴女は敵として私が目の前に現れた時…一体どんな顔をしてくれるんでしょう”
 怒る? 
 泣く?
 動揺?
 それとも毅然とした態度で舌戦を仕掛けてくる?
 どれでもいい。
 どれであろうと沙都子は楽しめる。
 何せ相手は愛しの梨花なのだから。
 楽しめない筈がない。
 この界聖杯を舞台に彼女とゲームができるその時点で、沙都子にとっては珠玉の僥倖なのだから。
「…今行きますわ。梨花」
 魔女が笑う。
 年相応の子供のように笑う。
 予期せぬ縁を辿った末に、魔女と猫は暫くぶりの再会を果たそうとしていた。


578 : prismatic Fate ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:33:05 A/9A6D3o0
【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/二日目・未明】

【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:健康、恍惚
[令呪]:残り3画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬、地獄への回数券
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
0:梨花と会う。
1:最悪脱出出来るならそれでも構わないが、敵は積極的に排除したい。
2:割れた子供達(グラス・チルドレン)に潜り込み利用する。皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?
5:ガムテに対しての対抗策も考えたい。

【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:首筋に切り傷、体内にダメージ(小)
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:あの日の悔恨に"決着"を。
1:沙都子と梨花の再会を斡旋しつつ大看板(キング辺り?)に監視させる。
2:峰津院の霊地(東京タワーとスカイツリー地下)を強奪ないし破壊する。
3:組んでしまった物は仕方ない。だけど本当に話聞けよババア!! あと人の真名をバラすな馬鹿!
4:鬼ヶ島の顕現に向けて動く。
5:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
6:リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。てめェ戻って来なかったらブチ殺すからな
7:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
8:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
9:峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
10:ランサー(ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
[備考]
※鬼ヶ島の6割が崩壊しました。復興に時間が掛かるかもしれません

【ライダー(シャーロット・リンリン)@ONE PIECE】
[状態]:疲労(中)、右手小指切断
[装備]:ゼウス、プロメテウス@ONE PIECE
[道具]:なし
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:邪魔なマスターとサーヴァント共を片づけて、聖杯を獲る。
0:"海賊同盟"だァ〜〜!
1:北条沙都子! ムカつくガキだねェ〜!
2:敵連合は必ず潰す。蜘蛛達との全面戦争。
3:ガキ共はビッグマムに楯突いた事を必ず後悔させる。
4:北条沙都子、プロデューサーは傘下として扱う。逃げようとすれば容赦はしない。
5:カイドウを見つけて海賊同盟を結成する。
6:ナポレオンの代わりを探さないとだねェ…面倒臭ェな!
[備考]
※ナポレオン@ONE PIECEは破壊されました。

    ◆ ◆ ◆


579 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/10(火) 01:34:17 A/9A6D3o0
以上で前編投下を終了します。
タイトルについては後編を投下後修正する可能性がありますので、あくまで仮のものとしておいていただければ幸いです。


580 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 20:56:32 j6XVnhgU0
思いの外長くなりそうなので中編を投下します


581 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 20:57:34 j6XVnhgU0

 誰もが言葉を失った。
 その光景を前にしてすぐさま言葉を紡げなど無理難題にも程がある。
 何しろ彼らは今しがた、超弩級の災禍を切り抜けたばかりなのだ。
 ベルゼバブ。かの四皇達にすら並ぶ武力と危険度を秘めたランサーのサーヴァント。
 あれの襲来を283プロダクションに連なる彼らが切り抜けられたのは奇跡と言って差し支えない。
 アシュレイ・ホライゾンの内で燃ゆる煌翼がかつての片翼との約定を反故にして外の世界へ流出しなければ。
 人類が触れるには熱すぎると忌まれた烈奏の焔が無ければ、犯罪卿の策が活きることもなかった。
 機甲猟兵の銃弾がベルゼバブの額を射抜くこともきっとなかった。
 しかしヘリオスの働きのみではきっとベルゼバブを鎮め切れなかったろう。
 だからあれは誰もが力を尽くした結果の、まさに紙一重の勝利だったのだ。
 一回限りの奇跡。
 仮にベルゼバブと再び相見えることがあればまず通じないだろう会心の連携。
 現代のスラングで言うならば初見殺しとも言えるか。
 兎に角。
 彼らはそれだけの奇跡的な噛み合いの末に、どうにかベルゼバブを撃退する偉業を成し遂げたのだ。
 彼ら彼女らの誰もがそのことを我が事として理解しており。
 だからこそ誰もが言葉を失った。
 それ程までに深い"致命"が今、丑三つ時の夜風にその身を晒しながら立ち尽くしていたからだ。
「………………」
 赤き髪は修羅の如く。
 体を走る入墨は罪人の如く。
 放出する闘気は拳士の如く。
 醸し出す殺気は――悪鬼の如く。
 ベルゼバブの去った戦場に降り立った彼は幾つもの形を併せ持っていた。
「…は……はぁ?」
 最初に声をあげたのは七草にちかだった。
 日常を日常たらしめるものを失ったにちかではない。
 アイドルの夢に破れながらこの世界に辿り着き、界奏の彼を召喚した方の七草にちかだ。
「な…なんですか? まさかですけど……この期に及んで新手が来たとか、そういうわけじゃないですよね……?」
 瞳に揺らめくは彼を上弦の参たらしめる文字。
 瞳に文字が浮かんでいる、その奇妙さに意識を留めることすら叶わないだけの意味を彼が此処に立っているという事実は孕んでいた。
 ベルゼバブの暴虐とヘリオスの燃焼が続く最中には確かに存在しなかったサーヴァント。
 戦いの終わりと共にそれが姿を現した意味を思えば、そんな些末なことにまで意識を飛ばせる訳もなく。
「無理でしょ、そんなの…みんなこんなにボロボロなんですよ? ライダーさんも、みんな――」
「…現実逃避してる暇があったら逃げる準備しとく方がいいと思いますよー。もうひとりの私」
 信じられないというような口振りで笑うにちか。
 そうするしかない彼女に声をかけたのは、奇しくも気絶から目覚めたもう一人の七草にちかだった。
 どうやら新手のサーヴァントの襲来が眠りに落ちていた彼女の意識を浮上させたらしい。
 田中摩美々の方はまだ眠りの中にある所を見るに、元々失神の程度が浅かったのか。
「それともあれが、世間話でもしに来たように見えます?」
「…っ」
 そう言われてしまえば最初に動揺を示したにちかも押し黙るしかなかった。
 凡夫も凡夫、凡庸も凡庸である所の彼女ですら疑いの余地なく信じられる程の敵意。
 否、それを遥かに凌駕し置き去った…戦意。
 戦いの世界を知らない一般人にでさえ理解出来る程濃密にそういうものを撒き散らしながら、その修羅はそこに居た。


582 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 20:58:29 j6XVnhgU0


「――こんな姿で悪いな。おまえも知っているだろうが…今しがた戦いが終わったばかりなんだ」
 他の誰が言うよりも早く動き前に出たのはアシュレイ・ホライゾンだった。
 それもその筈だ。
 ウィリアムは論外としてメロウリンクも真っ当な戦力を有したサーヴァントと正面から向き合うには戦力面の劣りが目立つ。
 星奈ひかるはその点をカバーできるように思えるが、彼女は彼女で交渉沙汰の経験に乏しい。
 よってこの場における最適の役者は最も疲労を蓄積させているアシュレイとなり。
「おまえがどんな立場を取っているかは知らない。
 しかしおまえさえ良ければ話を聞かせてもらえないだろうか。
 もしかしたら俺達がおまえ達に対してできる譲歩もあるかもしれない」
「黙れ」
 アシュレイの言葉は。
 交渉のため放たれた言葉はほんの一言で切って捨てられた。
 交渉の意思はないと示すにはそれだけで充分。
 だが鬼はそこに駄目押しを打ち込むように言葉を続けた。
「会話の余地はない。俺のマスターはそれを望んでいない」
 鬼の裡にあるのは奇しくも。
 アシュレイ達が退けたベルゼバブが主君から言い渡されていた命令と同じ意味を持つ志だった。
 話を聞くな。
 会話に応じるな。
 生産的な会話を交わすな。
 それが奴らの武器なのだから土俵に上がってやる理由は微塵もない。
 彼ら弱者に向き合う上での大原則を誰に言われるでもなく修羅の拳鬼は徹底していた。
 その理屈は至極単純。
 それでいて明快。
 "彼"の為の修羅たる己が耳を傾けるべき言葉など存在しない。
 それが…彼が、プロデューサーが殺すべきと見据えた者を支える手合いの言葉であるなら尚更だ。
「譲歩の余地は一切ない。疾く死ね」
「…お前が誰の手の者で。そいつは誰の為に戦っているのか……なんて聞いても、答えてはくれないよな」
 言うに及ばず。
 より強さを増した殺気を前にアシュレイは一筋の冷や汗を流す。
 だがその反応から読み取れたことも確かにあった。
 彼が無言を貫いたことの理由。
 それはきっと…この戦場に居合わせた者の存在にあったのだと。
 幾多の交渉の席に座り、あらゆる修羅場を経験してきたアシュレイには察せられた。
 以上を以ってアシュレイは「成程な」と独りごちる。
 追い討ちのように現れた彼の素性を推測する材料は十分すぎる程揃っている。
 ザッ、という足音。
 鬼の到着に数十秒遅れて戦場に援軍のチェス兵達が到着した。
 数は数十。
 一体一体は決して敵ではないが問題はこの数。
 誰もが這々の体である彼ら283プロダクション同盟の現状に対しけしかけられる戦力としてはあまりに危険と言わざるを得なかった。
「成程な。お前のマスターは"プロデューサー"か」


583 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 20:59:05 j6XVnhgU0
「っ」
 背後でアイドル達が息を呑む音が聞こえた。
 しかし彼女達に説明をしたり、その心を慮る言葉を紡いでいる余裕は生憎ない。
 その証拠にアシュレイの眼前で悪鬼のシルエットが陽炎のように揺らいだ。
 来る――そう理解し彼が剣を構えたのと衝撃が炸裂するのは殆ど同時のことだった。
「会話の余地はないと言った筈だ」
「は…ッ。どいつもこいつも釣れないな。少しくらい平和的に行かないか?」
 それは拳撃。
 が、受け止めたアシュレイは跳ね飛ばされるように後退するのを余儀なくされた。
 星辰奏者の身体能力も頑強さも一切用を成さない。
 その程度では踏み留まることの出来ない重厚な衝撃に腕が痺れる。
 先のベルゼバブ程ではないが。
 この修羅、もとい拳鬼もまた伊達に英霊の座に召し上げられた存在ではないのだとアシュレイは呆れに近い諦観を抱きながら理解した。
 そんな彼を余所に猗窩座は改めて状況を。
 この場に居合わせた殺すべき獲物の数を確認する。
“サーヴァントは四体。内の二体は取るに足らないが…”
 猗窩座の眼差しが紅い眼の紳士と交錯した。
 機甲猟兵は戦闘能力でアシュレイとキュアスターに一歩劣るが、件の紳士が発する闘気は四体の中でも格段に弱い。
 あぁ成程。
 猗窩座は理解し眉を顰めた。
「そこか。"犯罪卿"」
 つまりアレが自分が最も優先して殺すべき男。
 此度の戦いの成否はアレを斃せるか否かにある。
 理解するや否や猗窩座の行動は速かった。
 鬼の脚力で地を蹴れば彼は初速から地を這う流星と化す。
「させないッ!」
「…!」
 猗窩座の武力に対し犯罪卿、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティが抗える余地は皆目皆無だ。
 彼が懐に忍ばせている少量の麻薬(クーポン)を使ったとしても焼け石に水。
 数秒後には美丈夫の惨殺死体がぶち撒けられることになるのは見えている。
 だがそうはさせじと割り込む小さな影が一つ。
 キュアスター…星奈ひかるが毅然と猗窩座の進行上に立ちはだかり。
 十字に交差させた細腕で鬼の鉄拳を受け止め、彼が犯罪卿へ辿り着く為の道筋を防衛した。
“この人のパンチ…! 凄く重いのもそうだけど、それよりも……!”
 しかしキュアスターの表情は芳しくない。
 鉄面皮を貫く猗窩座の方が遥か優勢に見えた。
 目的を阻まれたのは彼の側であるというのに、だ。
 猗窩座の腕が。
 三本線の入れ墨で穢された辣腕が瞬間で音の速度をも超越。
 一筋の颶風(かぜ)となってキュアスターに襲い掛かった。
“それよりも、速すぎる…ッ!”
 防いだその筈だった。
 にも関わらず彼女は脇腹を貫いた衝撃に弾き飛ばされ地面を転がる。


584 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 20:59:54 j6XVnhgU0
「や…あぁあぁあああッ!」
 胸に抱く闘志は不屈。
 すぐさま跳ね起き再戦を挑むひかるも負けじと拳撃を繰り出す。
 一発二発ではない。
 拳雨打(ラッシュ)…プリキュアの超常的な身体能力に物を言わせた数任せの制圧攻撃。
 だがそれを受けても猗窩座の涼しい顔を崩すことは出来ず。
「餓鬼の拳だな――芯がない」
 猗窩座は小さく一蹴。
 そして刹那、キュアスターの矮躯が拳打の直撃を受けて吹き飛んだ。
「か…は、ッ」
 内臓が潰れた感触は幻痛に非ず。
 喀血を拭いながら立ち上がるキュアスターには、自分が彼に歯牙にも掛けられていないその理由がすぐ分かった。
“この人…強いんだ。私なんかよりずっとずっと……"戦う人"として強いんだ……!”
 それは他のどんな理屈より身も蓋もない答え。
 単純な年季と練度の違いに他ならない。
 プリキュアとして戦う上で、キュアスターは何かの武道を修めたり極めたりしてはいない。
 英霊としての力と潜在性なら彼女は猗窩座を上回りすらするだろうが、戦士としての習熟度で言えば彼の影を踏むのも難しい。
 一体どれだけの期間武を磨き続けてきたのか。
 何が彼をそこまでさせたのか。
 そんな場違いな疑問が浮かんでくる程の強さと完成度を相手にしたひかるは、己が思考から出し惜しみという観念を完全に排除する。
「アーチャーちゃん!」
「大丈夫です真乃さん! わたしのことより皆さんを!」
 真乃の心配する声に気丈に応じて。
 追撃の為迫る修羅へ拳を構えた。
 先程彼に言われた言葉が脳内をリフレインする。
 ――餓鬼の拳だな、芯がない。
 確かにそうだろう。
 認めるしかない。
 自分はどうしようもなく子供で。
 だから犯罪卿や境界線のようには上手くできなくて、そのせいで大切な人を何度も泣かせてしまった。
 だけど。
 それでも!
「どんなにあなたが強くたって…!」
 拳に宿るはイマジネーションの力。
 一人の少女を英雄に変えた輝きが感光する。
「わたしだって――負けられないんです!」
 猗窩座の眉が動いた。
 徒手で打ち合っていた時とは比べ物にならない魔力の高まりに気付いたのだろう。
 あのベルゼバブをして多少はできると称した一撃に、猗窩座も己の魔力を注ぎ込んだ魔拳で応じ――力と力が衝突し、爆ぜた。


 閃光が失せる。
 粉塵が晴れる。
 キュアスターは健在。
 五体満足のまま両の足で大地を踏み締めていた。
 一方の猗窩座は、その左腕を肩口諸共キュアスターとの激突で吹き飛ばされている。
 どちらが優勢であるかなど火を見るよりも明らかな局面の中で更に、猗窩座の足元から煌々と彼を炎が取り巻いた。


585 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:00:34 j6XVnhgU0
「すまない、ありがとうアーチャー。お陰で手っ取り早く鎮圧できた」
「いえ…先刻わたしは何もできませんでしたから! それより――」
「あぁ、まだ殺しちゃいない。こいつには幾つか聞きたいことがあるからな」
 星辰光の変質によってアシュレイの肉体的損傷は今や補われている。
 だが内部に刻まれた疲労やダメージについては未だ健在だ。
 満身創痍であることに変わりはない以上、キュアスターが猗窩座との正面戦闘を引き受けてくれたのは素直にありがたかった。
“俺達はあくまで目の前の窮地を一つ切り抜けただけだ。
 状況は鋼翼のランサーが乱入してくる前と何も変わっていないし、それどころか悪くなっている。
 その遅れの分をどうにか取り返さなくちゃな。そのためにもこの新手が胸襟を開いてくれるとありがたいんだが…”
 キュアスターによって重篤な損傷を与えられ。
 そこをアシュレイの星辰光による炎で取り囲まれた修羅。
 半ば無理矢理の形ではあるがテーブルに着かせることはできた。
 となれば後はどうにかして彼の座るテーブルを交渉のそれに変えることが肝要。
 さぁどう切り崩したものかと頭を捻り始めたアシュレイの目の前で、"それ"は起きた。
「これで捕らえたつもりか?」
 炎の檻の中から悠然と歩み出る猗窩座。
 その立ち姿を見て驚愕したのはアシュレイもキュアスターも全く同じだった。
「嘘…ッ」
 失った筈の左腕がゴボゴボと蠢くような音を立てながら再生していく。
 アシュレイの炎に触れたことで生まれた火傷も同じだ。
 自然治癒の範疇と限界を遥かに超えた高速再生(リジェネレイト)によって鬼は全ての損傷を破却する。
 刹那動いたのはキュアスターの方であった。
「ライダーさん!」
「…アーチャー!」
 疲弊した体に鞭を打って前に踏み出る。
 アシュレイと、そして猗窩座が狙う犯罪卿。
 その双方を背に庇うような位置に躍り出たキュアスターの意図は一つだ。
「この人の相手はわたしが引き受けます。だからライダーさんは…アサシンさんと皆を守ってあげてください」
「…分かった。確かにそれが合理的だな。
 俺の宝具(ちから)でなら、あの数の敵もある程度までなら一度に相手取れる」
 チェスの兵隊は単体では然程脅威ではない。
 しかし数を揃えているという一点においてはある意味猗窩座以上に厄介だ。
 点の戦いに長けたキュアスターが猗窩座の相手をし。
 面の戦いに長けたアシュレイが兵隊共の相手をするのは理に適っている。
「死ぬなよ。君が死んだら櫻木さんが悲しむ」
「えへへ…はい、もちろんです! ライダーさんこそどうかお気をつけて!」
 斯くして戦端は二分される。
 キュアスターと猗窩座。
 アシュレイとチェスの兵隊達。
 だがそれぞれの戦端が本格化する前に、声を張り上げた者があった。


586 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:01:17 j6XVnhgU0


「ま…待ってください! あなたは……あなたは、本当に私達のプロデューサーさんのサーヴァントなんですか!?」
 七草にちかだ。
 偶像であることを諦め。
 そしてもう一度立ち上がった少女が。
 震える声を無理に張り上げて問いかけていた。
 問いの相手は乱入者、修羅の拳鬼猗窩座。
 彼女は恐慌の只中にありながらも、アシュレイが猗窩座に向け溢した言葉を聞き届けていたのだ。
「だったら…っ。戦うよりもプロデューサーさんに今すぐ伝えてください!
 私……決めたんです。もう一度アイドルを目指すって……やってみるって!」
 彼が本当にプロデューサーのサーヴァントだというのなら。
 自分がどうにかしてプロデューサーの戦う意思を止められれば、此処で不要に戦う行為に意味はなくなる。
 にちかはそう考えた。
 けれどそれだけじゃない。
 今すぐにでも伝えてほしかった。
 石ころでしかなかった七草にちかを拾い上げて磨いてくれたあの人に。
 自分がもう一度羽ばたくと決めたことを伝えてほしかった。
 そして――止まってほしかった。
 だから叫んだ、恐怖に打ち勝って喉を動かした。
 その言葉を受けた猗窩座は眉をわずかに動かして。
 それから…言う。
「つまらん」
 それは返答ですらなかった。
 一蹴。
 七草にちかの振り絞った勇気を蹴散らす一言だった。
「は? いや、あの…」
「お前はよもや、自分が一声かければ奴が踏み止まるとでも思っているのか。
 だとすれば思い上がりも甚だしいな。随分寝惚けた凡俗だ」
 その言葉には嫌悪の色すら載っていたかもしれない。
 辛辣極まりない言葉の意味をにちかが理解し始める頃に。
 彼女の思考の歩幅に合わせることは一切せず、猗窩座は言い放った。
「七草にちか。お前が何を言った所であの男は止まらん」
「…ッ。なん、ですか――なんですか、それ。
 あなたがプロデューサーさんの、あの人の何を!」
「知っているさ。少なくともお前よりは」
 動悸ににちかは胸を抑えた。
 もうひとりのにちかはそんな自分をただ見つめていて。
 この一ヶ月間。
 初めて他者の命と未来を奪うことに目を向け煩悶し、されど自分の決めた道を決して違えなかった男の傍らに在り続けた鬼は――猗窩座は。
「分かったのなら黙って見ていろ。それがお前にできる最善の選択だ」
 何もするなと。
 ただそう言い放って構えを取った。
 臨戦態勢。
 戦闘態勢。
 足元に浮かび上がるは雪の結晶を思わす紋様。
 その上に鉄面皮のまま立ち、猗窩座は開戦の合図となる言葉を口にした。
「――術式展開」
「ま…待ってください! まだ……まだ話は――!」
 此処からはサーヴァントとサーヴァント。
 猗窩座と星奈ひかる、キュアスターの殺し合い。
 そこに人間が介入する余地など…まして魔術の心得もない、異能の一つも持たない凡が割り込む余地など微塵もなく。
 七草にちか及びその慟哭めいた声は只の背景と成り下がり。
 運命は彼女の存在を無視して更なる展開を開始した。


587 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:01:59 j6XVnhgU0
    ◆ ◆ ◆

 術式展開。
 破壊殺・羅針。
 猗窩座にとって先の打ち合いなどは児戯に等しい。
 何しろ先刻彼は鬼として過ごした悠久の時の中で得た異能の技巧。
 血鬼術と称されるそれを何一つ使っていなかったのだから。
「にちかさんに…なんであんな酷いことを言ったんですか」
 そんな猗窩座に臆することなく毅然と向き合い。
 キュアスターは彼がにちかに吐いた言葉を咎めていた。
「あなたが、もしにちかさんの…そしてわたしのマスターである真乃さんの。
 プロデューサーさんのサーヴァントだっていうのは――本当なんですか?」
「だったらどうする」
「あなた達は間違ってるって、そう言います」
 キュアスターは…星奈ひかるは。
 櫻木真乃にとって件の"プロデューサー"がどれだけ大きな意味を持つ存在だったかを知っている。
 なればこそ、猗窩座がにちかに放った言葉は無視できなかった。
 あの悲痛な叫びに宿った彼女の心を…想いに対して。
 あんな、まるで差し伸べられた手をはたき落とすような真似をすることは許せない。
 たとえプロデューサーや目前の彼にどんな事情があったとしてもだ。
「叶えたい願い事があることも…それに向けて戦うことも否定しません。
 誰かが思い思いに描く明日を否定するのは冷たいことだって分かったから。
 でも……それでも。止まる気がないからって全ての声や想いを無碍にするなんて、あんまりすぎます」
 譲れない願いのために戦うことがズルいと非難されるべきことである筈はない。
 何故ならひかるは彼ら彼女らのことを何も知らないから。
 なのにまるで大上段に立ったように、上から目線で彼らの決めた道を否定するなんて傲慢が過ぎるというものだろう。
 だけど…それでも。
 進む足に縋りつく想いの全てを無碍にするというのなら、それは間違っていると星奈ひかるは声を大にしてそう叫ぶ。
「反吐の出るような綺麗事だ。
 まさに餓鬼の戯言だな。それ以上でも以下でもない」
「…だとしても!」
 キュアスター、前へ。
 猗窩座、受けて立つ。
 拳と拳の激突が衝撃波でアスファルトを捲れ上がらせ、草木と粉塵を巻き上げた。
「だとしても…わたしはあの人達の気持ちを無駄にしたくありません!
 それが子供の綺麗事だって言うんなら――わたしはずっと子供でいい!」
 キュアスターはアイドル達の想いのすべてを知っているわけではない。
 けれど知っていることは確かにあるのだ。
 彼女達の眩しさも健気さも、善良さも頑張りも。
 知っているし理解っているから猗窩座の言葉に揺らぎなどしない。
 輝く星々のように眩しくある彼女達のことを。
 先人として愛しているからこそ握る拳は崩れず、負けるわけにはいかなかった。
「あなたを倒してプロデューサーさんを引っ張り出します。
 それにさっきの暴言…やっぱり、一発ひっぱたかないと気が収まりませんから!」


588 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:02:43 j6XVnhgU0
 裂帛の気合を込めたキュアスターの拳。
 それを躱した猗窩座の頬に一筋の傷が走った。 
 流れ落ちた血が顎から滴るまでの内には修復が完了する。
 ひとえにその程度の掠り傷だったが…闘争の世界に身を置き研鑽に明け暮れた者として、彼女の闘志の程が理解できたのか。
「相分かった。大口を叩くだけのことはあるようだ」
 猗窩座は目前の闘気に対しての評価を改めつつ。
「ならば実演してみせろ。できるものなら」
 キュアスターの追撃を紙一重の距離まで引き付けながら、それでいて容易く躱し。
 そのカウンターに彼女の右頬へ己が鉄拳を打ち込み吹き飛ばした。
“ッ…! やっぱり凄く速いし、凄く重い……!”
 歯肉からの出血を口端から溢しながら吹き飛びつつ。
 どうにか地面に足を着いて致命的な隙までは晒さないキュアスター。
 そんな彼女の元に、容赦のない猗窩座の追撃がやって来る。
“息つく暇もないなぁ、やっぱり…!”
 破壊殺・空式。
 猗窩座の拳が目にも留まらぬ速度で重ねられ。
 その全てが、殴り飛ばされた副産物として距離を確保できた筈のキュアスターの元にまで到達していた。
 腕を盾代わりに受け止めるも伝わる衝撃は確実に彼女の肉体を痛め付けていく。
 これこそが猗窩座の異能。血鬼術、その片鱗。
 星奈ひかるが人間として過ごした何倍もの時間を生き、そしてその悉くを闘争と鍛錬に費やした修羅の武勇が今炸裂する。
「ッ、あ…!」
 連撃のどれ一つとして生易しいものはない。
 キュアスターの戦ってきたノットレイダーの中にもこれだけ痛く鋭い武を駆使する者はなかった。
 全撃を苦悶を漏らしながらも受け止めたキュアスター。
 だがその間合いには既に、彼女の奮戦と並行して距離を詰めていた猗窩座が居り。
 キュアスターが負わされたタイムロスの報いを貪る新たな必殺が間近で炸裂することになる。
 音速を遥か置き去る速度で放たれた貫手をしかし、キュアスターは紙一重で躱していた。
 それを可能としたのはまさに只の直感。
 今動かねば死ぬという本能的な部分が彼女へと促した行動の賜物。
「はぁ、はぁ、はぁ、は……ッ」
 脇腹の一部が抉り飛ばされようとも。
 猗窩座の貫手で心臓を吹き飛ばされる結果に比べればどれだけマシなことか。
 喘鳴めいた呼吸を繰り返すひかるの姿は誰がどう見ても劣勢。
 にも関わらずその瞳に宿る光は欠片程の翳りも見せることなく。
「弱いな。力だけは立派でも、それを振り回す技術が伴っていない」
 そんな彼女の反撃を事もなくいなしつつ。
 猗窩座は返しの蹴撃を放ち、キュアスターをまたしても吹き飛ばした。
 過ぎた力を振り回すだけの幼子の相手をするのは実に容易い。
 極限の熟練度と破壊殺・羅針による闘気探知を併せ持つ猗窩座であれば尚のことだ。
 彼女の反撃の全ては猗窩座の予測の範疇を出ず。
 であれば涙ぐましい奮戦を叩き潰すことなど酷く容易。
 底が浅い付け焼き刃の強さでは、数百年に渡り君臨を続けた上弦の参を揺るがせない。
「児戯に付き合うつもりはない。終わらせるぞ、アーチャー」
 そんな絶望的なまでの実力差を示しながら。
 キュアスターがノットレイダーとの戦いの中で勝ち取った強さなど、所詮は付け焼き刃の児戯でしかなかったのだと突きつけながら。
 猗窩座は戦いを終わらせるべく走り拳を振るった。
 一口に振るったと言っても一発や二発の範疇には収まらない。
 三、四、五を超えて十――否々百に届くまで。
 繰り出される連撃、連撃連撃連撃連撃連撃――流星の如く。
 これを指して破壊殺・乱式。
 実体を超えて衝撃波の群れと化した嵐がこの戦いを締め括るべくキュアスターへ降り注ぎ。
 容赦も呵責もない詰みを突きつけられたキュアスターは目を瞑る。
 それは一見諦めを意味する仕草のようでありながら。
 しかし――握った拳に宿る力が緩むことはなく。
 カッと目を見開くなり、キュアスターは叫んだ。


589 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:03:22 j6XVnhgU0


「――まだですッ!」
 瞬間。
 瞠目するのは猗窩座の方だった。
 闘気を可視化し認識することのできる彼だからこそ理解できること。
 目前のキュアスターの放つ闘気の桁が、何の理屈もなく一段…否二段は跳ね上がった。
 まだだと放った言葉そのものに何らかの意味が宿ったかのように。
 そして。
 キュアスターの繰り出す剛拳は乱式の血鬼術を微塵の如くに粉砕する。
 そのまま前へ踏み込んだ彼女の一撃は猗窩座の体へ遮るもののないままに炸裂。
 彼の体を竹蜻蛉のように吹き飛ばし、先程までの雪辱を果たしてのけた。
「…面妖な力だ」
 立ち上がる猗窩座のキュアスターに対する認識は数秒前までのそれとは大きく異なっていた。
 つい数十秒前までの彼女は紛れもなく取るに足らない弱者だった。
 秘めたる力は大きくともそれを振るう才に欠けた、志だけは立派な木偶の餓鬼。
 だが今はどうだ。
 秘める力の大きさに適合できる水準まで、肉体の方が合わせてのけたかのように。
 猗窩座の眼と感覚から見て明らかな程に、キュアスターは強くなっていた。
“宝具か…はたまたスキルか。どちらにしろ厄介だ。過ぎた玩具を持った餓鬼だと言わざるを得ない”
 勿論そこには種がある。
 彼女は光の奴隷と呼ばれる人種に非ず。
 近いものはあったとしても、それとイコールでは決して結ばれない。
 眩く輝きながらも尖らない、誰かの痛みを見失わない。
 自分の輝きのために何かを犠牲にすることを見落とさない。
 軽んじることもない――星奈ひかるが、キュアスターが放つ光はひとえにそういうものであるから。
「わたしは、負けません」
 イマジネーション。
 それはキュアスターの霊基に宿る"無限"だ。
 星奈ひかるという少女が持つ、他の何人も及ばない程の圧倒的な想像力。
 ひかるが。
 キュアスターが望めば望む程。
 知りたいと思えば思う程。
 未知への欲望を募らせれば募らせる程、彼女はより強く輝く星になれる。
 まごうことなき規格外の力。
 ともすればアシュレイ・ホライゾンの裡に眠る煌翼(ヘリオス)の特権たる限界突破にとて届き得る無尽の力が、キュアスターを猗窩座に届かせる。
 負けるわけにはいかない。
 だからこそ知りたい。
 目前の彼に勝つ方法を。
 彼から自分の大切なもの全てを守り未来に繋げるすべを。
 その想いはイマジネーションを掻き立て刺激する。
 結果、それは力として苦境のキュアスターの霊基に出力された。
 限界突破(オーバードライブ)――完了。


590 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:04:57 j6XVnhgU0
 一つ二つと限界を飛び越えたキュアスターが振るう拳が猗窩座に触れた途端。
 彼の体は小石のように吹き飛んで、足底が地面を擦った軌跡を数メートル分も刻んでようやく止まった。
「負けられないんです――わたしは、あの人の!
 真乃さんの…プロデューサーさんの導いたアイドルの! サーヴァントだから……!!」
 眩しさで誰も彼もを焼き焦がしてしまう光ではなく。
 天から人を優しく見守り照らす星光のように。
 光は光で素晴らしいという真理の一片を体現しながら星奈ひかるは高らかに吠えた。
「…そうか」
 輝く戦士と相対するは修羅の鬼。
 地獄から這い出て英霊の座へと召し上げられた悪鬼羅刹。
 猗窩座は今令呪一画分のブーストを受けている。
 にも関わらずキュアスターのサーヴァントとしての出力は今優に猗窩座を超えていた。
 猗窩座は彼女の人となりについては何も知らないが、それでも理解できたことが一つ。
 キュアスターに際限はない。
 その想いと願いが活きている限り。
 心に燃やす灯火が消えぬ限り、彼女は永劫に輝き万人を照らし続ける星だ。
 その心を折ることも。
 彼女の諦めを望むことも、恐らくは全て徒労に終わるだろう。
「ならば来るがいい。その技も業も…全て尽くして」
 しかしそれは猗窩座も同じ。
 彼もまた折れなどしない。
 諦めなどしない。
 立ち続け拳を振るい続ける。
 死を以って解き放たれた悪鬼の定め。
 だというのに彼は今も鬼に倣い鬼で在り続ける。
 そうでなくては得られない勝利があると知っているからこそ修羅の拳は迷わない。
 人の身で鬼を目指した男のサーヴァント。
 その在り方が鬼以外であっていい筈などないのだから。
「死ねアーチャー。何処までも無意味に消えていけ」
「死にませんし、あなたのことも殺しません。それが…わたしの選んだ道ですから!」
 鬼たる禍星、鋭く。
 光たる稀星、強く。
 走る二つの力が。
 闘志が激突する。
 猗窩座の肉体は激突の衝撃に耐え切れず崩れたがそれで止まるならば鬼になった甲斐はない。
 負荷で崩れた箇所はすぐさま再生し、キュアスターとの継戦の上で一縷程の支障も齎しはしなかった。
“狙いが鋭い…! 全部、わたしの急所を狙っている……!”
 破壊殺・羅針。
 闘気探知の羅針盤。
 それは猗窩座に無比の精度を約束する。
 攻撃においても回避においてもだ。
 羅針が攻めに転用されれば必然、猗窩座の全撃はキュアスターの急所に自動で照準を合わせることとなる。
「はあぁあぁああぁッ――!」
 殺到する鋭撃の全てを押し破りながら。
 キュアスターが放つ剛拳が魔力的な破壊力を伴って猗窩座を襲う。


591 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:05:51 j6XVnhgU0
 さりとて猗窩座――不退転。
「破壊殺・脚式――」
 炸裂する衝撃波の全てを鬼の耐久力に物を言わせて無視。
 そのまま足を蹴り上げれば、キュアスターの痩身を襲うはこれまでの全てを彼方に置き去る程激しい衝撃。
「飛遊星千輪」
「ッ…ぐぅ、うううううううッ!」
 破壊殺・脚式。
 飛遊星千輪。
 螺旋を描きながら放たれる蹴撃にひかるは苦悶を漏らすが、その足は大地を離れない。
 人間ならば全身の骨という骨が余す所なく破壊されていても不思議ではない衝撃をその身一つで耐え抜いたキュアスター。
 彼女はしかし怖じ気付くでもなく拳を握り、裂帛の気合を載せた叫びと共に振るった。
「プリキュア――スター、パァァアアァァアアアアンチッ!!」
 星の光。
 イマジネーションの熱。
 その全てを載せた拳が振るわれる。
 それに際し猗窩座が振るうのもまた極致の火力。
 即ち――
「破壊殺・滅式」
 破壊する。
 殺す。
 滅ぼす。
 三重の殺意が秘められた一撃とプリキュアの輝きは正面切って激突し。
 やがて光が晴れた時、まだ二人の拳の応酬は続いていた。
 キュアスターの乾坤一擲は猗窩座を滅ぼし切るには至れず。
 猗窩座の滅式もまたキュアスターの輝きを消し切れなかった。
 火力と火力の鬩ぎ合いを経ても決着は着かず、ならば戦いは必然次の領域へと進んでいく。
 秒間数百にも及ぶ猗窩座の魔拳剛拳を出力任せに押し切りながら、それでいて反撃も繰り出すキュアスターの姿は見る者へ驚嘆を齎したろうが。
 それを最も間近の距離で敵に回している猗窩座は驚くでもなく正確に、彼女の繰り出す不条理に対応し続けていた。
“巫山戯た力だ。しかし…恐るべき力でもある”
 地獄へ落ちる前の猗窩座が見たなら青筋を浮かべすらしただろう。
 それ程までに理不尽な力だった。
 キュアスターのイマジネーション。
 己が輝きだけで数百年の研鑽をも塗り潰すその眩しさは、見ようによっては酷く悍ましくもあり。
“戦いの中で成長する。強くなる。死なない限りは戦い続けるという闘志の具現――”
 思い出したのは生前最期の戦い。
 死の淵に追い詰められて痣を発現し、途端に次元違いの力を発揮し始めた水の柱だった。
 窮地に立たされての限界突破。
 それを一度見た覚えがあったことが幸いしてか、猗窩座がキュアスターの天元突破に対応できるようになるまでは早かった。
「まだまだ…です! これくらいでなんて、倒れてあげません!」
「そうか」
 そして猗窩座は理解する。
 否、今更そんな大仰な話ではない。
 サーヴァントとして現界したその時から決まっていたことだ。
 たとえ目前にどのような理不尽が立ちはだかろうとも。
 悪鬼である己を焼き滅ぼす眩い光が射し込もうとも――
「だが殺す」
 己がすべきことは何も変わらない。


592 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:06:58 j6XVnhgU0
 殺す。
 ただ殺す。
 殺して喰らう。
 己の役割はそれだけであり。
 ならばこそそれだけは何が相手だろうと揺らがせはせぬと決めていた。
 輝きの限りを尽くすキュアスターの正拳。
 ならぬ星拳に腹を抉られるも――だからどうしたと猗窩座は躍動。
「言った筈だぞ。餓鬼の拳だ――芯がない」
「だったらッ!」
 繰り出す返しの一撃。
 破壊殺・脚式、流閃群光。
 使うのは片脚のみなれど、しかし限界までそれを駆動させることで繰り出す超絶の連撃。
 一撃一撃がキュアスターの矮躯を遥か彼方まで吹き飛ばす威力を含んでいながら…しかし。
「芯がなくてもいい…子供のままでもいい!
 わたしはわたしのままで――あなたを、越えてみせる!」
「―――」
 彼女の体は動かない。
 限界に近いダメージを受けながら噴血程度で済ませている。
 鼻と口から血を流す姿は元の姿形の愛らしさも相俟って悲惨さを際立たせていたが。
 キュアスターをキュアスターたらしめるイマジネーションとプリキュアならではの善性は彼女を不屈であらせ続けもした。
 流閃群光の荒波もとい暴風の中にありながら立ち続けたキュアスター。
 その鉄拳が、猗窩座の顔面を殴り飛ばす。
 竹蜻蛉のように錐揉み回転しながら吹き飛ぶ拳鬼のシルエット。
「わたしはアーチャー…キュアスター!
 真乃さんの、真乃さん達の……あなたのマスターが育てたアイドルさん達の、サーヴァントです!」
 攻撃を受けた後で猗窩座は述懐する。
 今の一撃は避けられたのではないか。
 酷く直情的な、真っ直ぐ放たれたことしか取り柄のない稚拙な一撃。
 そんなものを躱すことくらい。
 修羅たる上弦の参にしてみれば造作もなかったのではないか。
 その疑問に対し猗窩座は明確な答えを用立てることは出来なかった。
 彼が今のキュアスターの一撃を食らってしまった理由はただ一つ。
 理屈や打算の一切を抜きにして。
 これを避けてはならぬと、そう思ったからだった。
「…驚いたな」
 その言葉はキュアスターに向けたものではない。
 他でもない猗窩座自身。
 攻撃を躱さぬ不合理を冒した自分自身に対しての言葉。


593 : Stella-rium(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:08:20 j6XVnhgU0
“まだ…そんなものが残っていたのか。
 何も守れず使命を見失い、挙句地獄で焼かれた燃え滓の体に”
 心底驚いた。
 そしてお笑いだ。
 そう猗窩座は思う。
 何たる贅肉。
 何たる不合理か。
 何をまともぶっているのだ俺は――自嘲を含めた笑いを溢さずにはいられなかった。
「見事だアーチャー。貴様の武…その輝き。
 幼く青い餓鬼のそれではあれど、屑星と切り捨てるには過ぎたものだと理解した」
 称賛の言葉に嘘はない。
 猗窩座が鬼でなければ。
 それ由来の英霊でなければ、彼は既にキュアスターに敗北している。
 その運命を捻じ曲げ此処に立てている理由はひとえに鬼の始祖…■■■■■の呪いの賜物でしかなく。
 猗窩座が、■■が積み上げた武と情念の極みは既にキュアスターに上回られていた。
 上弦の参たる猗窩座はキュアスターに敗れた。
 その事実を認めながら猗窩座は拳を握る。
「敬意を払ってこの拳で殺そう。
 お前の輝き、その闘気…闘志。全て――余さず喰らって踏み越える」
 此処に居るのは悪鬼ではない。
 今や名も思い出せない始祖に造られた上弦の参でもない。
 283プロダクションのプロデューサーに召喚されたサーヴァントとしての猗窩座だ。
 だからこそ彼は立ち続ける。
 イマジネーションの輝きに照らされながらも決して揺るがない。
 悪鬼ならば越えられていた。
 修羅ならば砕かれていた。
 だが――
「破壊殺・終式」
 此処に居るのはそのどちらでもない。
 一人の不器用で尚且つ愚かな男に召喚されたサーヴァントだ。
 ならば耐えられる。
 ならば立ち続けられる。
 ならば、屈せずにいられる。
「青銀乱残光」
 刮目せよ光の戦士。
 覚悟せよキュアスター。
 イマジネーションを糧に果てなく飛翔するプリキュアよ。
 あまねく宇宙の全てを照らす星の光と言えども。
 この想い、この情念だけは掻き消させぬと。
 確たる闘志を吠えながら、猗窩座という闇はキュアスターという光に向けて己が武勇の全力全開を解き放った。


594 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/11(水) 21:08:57 j6XVnhgU0
中編(Part2?)の投下を終了します。残りは完成次第一気に投下します


595 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:19:27 gCskUQeU0
予約分の残りを投下します。


596 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:21:26 gCskUQeU0

 進み来るチェス兵達自体は大した敵ではなかった。
 炎の壁と波を生み出しながらアシュレイが相手取れば、多少の頑強さはあれど問題なく数を減らしていけるその程度の相手。
“早くこいつらを片付けてアーチャーに加勢したい所だが…そう上手くは行かないか。もう少し掛かるな、これは”
 とはいえアシュレイはサーヴァントとしてそう抜きん出た力を持つ訳ではない。
 煌翼との同調により持久性は大きく改善されたが、その分火力の伸び代に関しては目減りした。
 今聖杯戦争に招かれたサーヴァントの中では恐らく中の中程度が良いところ。
 下手をすればもっと下に位置付けられるかもしれない点は今までとそう大きくは変わっていない。
 そしてキュアスターが襲撃者の相手を買って出ている以上、如何に相手が雑兵でもアシュレイのみでは殲滅速度に限界があった。
 しかしその時。
 銃声が響き――アシュレイの目前に居たチェス兵が風穴を開けて崩れ落ちる。
「っ、すまないアーチャー。助かるよ、ありがとう」
「如何せん火力には乏しい身だが…やれることはやるさ」
 そう、アシュレイ・ホライゾンは今孤軍(ひとり)ではない。
 メロウリンクの援護射撃があったことがその証だった。
 最初の襲撃の際には彼と相談して拵えたトラップで対応したが、拠点が粉微塵に吹き飛んだ今はその手の備えも期待できない。
 だがこうして援護があることはアシュレイの負担を大きく軽減してくれたし、心情的にも体を軽くしてくれた。
「アサシンはマスター達を頼む」
「…えぇ。非力の身ではありますが、精一杯務めさせていただきます」
「気に病むな。お前はよくやっている」
 その言葉に一切の虚飾はなかったが。
 受け止めたアサシン――犯罪卿。
 ウィリアム・ジェームズ・モリアーティはそれを理由に心を安らがせられる質のサーヴァントではなかった。
“不甲斐ない。しかし私が仮に付け焼き刃を握り彼らの隣に立ったとしても…余計な手間を増やしてしまうだけだ”
 善の犯罪卿と悪の犯罪卿の間にある最も大きな差はその善悪だが。
 続いて挙げられるものがあるとすれば、それは戦闘沙汰において発揮できる強さの程度だった。
 ウィリアムは武術や暗殺術の類は持ち前の才覚と勤勉さで以って一通り修めている。
 だから生前の彼は他の"モリアーティ"の仲間達の助け無くしても、単身犯罪卿としての役目を遂行し続けることができた。
 されどそれはあくまで人間を相手にした場合の話。
 超人怪人魑魅魍魎が跋扈するこの聖杯戦争という土俵においての彼は…どうしようもなく弱者であった。
 懐の麻薬を服用したところで、ウィリアムはアシュレイどころかメロウリンクにも及べないだろう。
 所詮蜘蛛は巣を、己のフィールドを離れれば只の毒虫でしかないのだと。
 改めてその事実を突き付けられたウィリアムに忸怩たる念が無いと言えば嘘になった。
「…大丈夫ですよー、アサシンさん。
 いぶし銀なアーチャーさんの言う通りです。アサシンさんは私達のために、たくさん頑張ってくれてますからー」
「…マスター。起きていたのですか」
「そりゃ目も覚めますよー、目の前でこんだけドンパチされてたら」
 彼方ではキュアスターと修羅の拳鬼が。
 目前ではアシュレイとメロウリンクが押し寄せるチェス兵をどれだけ早く滅ぼし切るかに注力している。
 そんな中で田中摩美々は人知れず目を覚ましていた。
「守られる側の私がこんなこと言うのもアレだとは思うんですけどー。
 アサシンさんには申し訳ないとか思うよりも、此処からどうするか考えててほしいなー、なんて」
「…サーヴァントの名が泣きますね。よもや守るべき相手に発破をかけられるとは」
「当たり前ですよー。まみみはアサシンさんの、パートナーなんですからー」
「――パートナー。ですか」
「ですよ。パートナー、です」
 契約者でもマスターでもない。
 もちろん共犯者などでもない。
 パートナーだと摩美々はそう言った。
 その言葉にウィリアムは一瞬驚いたような顔をし。
 それから小さく、"敵わない"とでも言うように微笑った。
「あは。少しは元気出ましたー?」
「えぇ。ありがとうございます、マスター」
 立派な少女だと。
 ウィリアムはそう思う。
 この世界に来てから何度目の思考だったか最早分からない。
 それ程までに田中摩美々という少女は、よくできていた。
 悪い子を自称しながら誰よりも優しく思慮深い心。
 犯罪卿の失敗にも苦悩にも、彼女は微笑って寄り添ってくれる。
 その存在がどれ程心強く温かったか。
 こればかりは当人であるウィリアム以外には分からないだろう。
 そして激励を受けた彼は視線の先を目前の戦場から動かした。
 目を背けたのではない。
 新たに目を向けるべき処を見出したからだ。


597 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:22:10 gCskUQeU0


「気に病む必要はないのは貴女もです。七草にちかさん」
「…それだとどっちか分からないんですよねアサシンさん。
 まぁ明確な呼び分け方も無いのでアレなんですけど。すいませんね、同一人物が二人も呼ばれてて」
「こういう形で行われる聖杯戦争が他にどれ程あるのか分かりませんが…珍しいケースであるのは確かでしょうね」
 七草にちかの名前に反応したのは弓の方のにちか――もとい。
 機甲猟兵メロウリンク・アリティを召喚した、様々な現実を知った方の七草にちかであった。
 彼女の自虐的な軽口に苦笑交じりに応じた後ウィリアムは言葉の本来の宛先である七草にちか。
 もう一度偶像(アイドル)として羽ばたくことを決めた娘の方を向いて改めて言葉を紡いだ。
「先の会話はあくまで彼のサーヴァントと交わしたものに過ぎません。
 貴女が対面し止めたいと願う彼の…プロデューサーの言葉ではない」
「…だったら何だって言うんですか。そんなの――只の言葉の綾じゃないですか」
 その言葉ににちかは。
 絞り出すような声色で返事をした後。
 腫れた目元でウィリアムの方を見た。
「あのサーヴァントは言ったんですよ、プロデューサーさんのことを"お前よりは分かってる"って」
 小さく震える体には動揺の念が顕れていて。
「凄いむかつきましたけど…でも反論できませんでした。
 私はあの人にとってたくさん居るアイドルの中の一人でしかなくて。
 一ヶ月ずっと傍に居たこともありませんし、あったのはレッスンで会って憎まれ口叩くくらいの時間で……」
 口にする言葉は夢破れて現実を認識した、させられた幼子のように頼りなかった。
 しかしそれも間違いではない。
 七草にちかは先の数合の会話で猗窩座に現実を突き付けられた。
 自分は真にプロデューサーを理解し見ている訳ではないのだと。
 他でもない彼のサーヴァントの口からそう否定されたのだ。
 これで一切堪えないようであれば、それは精神力が強い訳でもなく。
 ただ単に精神(こころ)が愚鈍なだけだとそう謗られるべきだろう。
 少なくともウィリアムはそう思う。
 そう思うからこそ彼は、傷心の少女に向けて言った。
「では。"彼"は何故貴女に執着しているのですか」
「…っ。それ、は……」
「彼は貴女のことを想っている。
 少なくとも特別な存在と認識している。
 であれば彼の従僕が貴女のことをどう謗ろうと、それは貴女の"彼と話をする"という意思の否定にはならない筈だ」
 それは罪悪感なのか責任感なのか。
 それとももっと別な、部外者のウィリアムには想像できない感情なのか。
 いずれにせよ七草にちかという少女は間違いなく。
 修羅道をひた走るプロデューサーの心に迫り、それを抉じ開ける鍵だ。
「惑わされてはいけません。貴女の意思は他の誰にも否定されるべきものではない」
「でも…アレ、あの人のサーヴァントなんでしょ? だったら……」
 その言葉は必然プロデューサーの真実を射止めているのではないかと。
 そう続けようとするにちかに、しかし犯罪卿は薄く笑って言った。


598 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:22:39 gCskUQeU0
「たとえ相手がプロデューサー本人だったとしてもです」
 犯罪卿は数多の悪党を追い詰めた。
 既得権益にしがみつき民の苦しみを甘い汁代わりに吸っていた貴族達の前に死神の如く現れた。
 その時も彼は時に微笑ったが。
 今思い悩むちっぽけで青い少女に対し向ける微笑みはそれとは似ても似つかない程柔らかく、そして優しいものだった。
「貴女は貴女だ。七草にちかさん」
 七草にちかは未熟者も未熟者だ。
 特にこっちの…偶像であろうと決めた方は。
 もう一人のにちかに比べてもひどく不格好で危なっかしい石ころだ。
 だからこの先もこうして悩み取り乱し、時には周りに当たり散らすこともあるだろう。
 しかしそれでも。
 まともに話したこともない筈の紳士の言葉はするりとにちかの心の中に入り込んで。
“私は、私…”
 暗闇に包まれた荒波の海原に一つ輝く灯火のように。
 不安定な心を繋ぎ止める一つの寄る辺となった。
 七草にちかは七草にちかで。
 プロデューサーはプロデューサー。
 七草にちかはプロデューサーになれないし、プロデューサーも七草にちかにはなれない。
 二人は赤の他人で別の生き物なのだから。
 であればこそ。
 七草にちかがプロデューサーの真実とやらに縛られる理由もないのだ。
「歩みたければ歩めばいい。止まりたければ止まればいい。
 貴女には全てが与えられていて…そしてそれは"プロデューサー"の真意がどうであったとしても、否定されるべきことではない筈です」
「…なんですかそれ。なんか屁理屈じみてません?」
「屁理屈と言えども理屈は理屈。用法用量を守って正しく扱えば良い薬になりますよ」
 指を一本立てていたずらめいた顔で笑う犯罪卿。
 その話す内容と仕草はどうにも話に聞いてイメージしていたものとは違っていて。
 にちかはなんだか悩むのが馬鹿馬鹿しくなり、「もういいです」と苦笑した。
 これにて一件落着。
 もう一度羽ばたくことを選んだ少女は立ち直った。
 そんな一部始終を横から眺めながら。
 もう一人の七草にちか…只人であり続ける少女は、何を想っていたか。

    ◆ ◆ ◆


599 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:23:57 gCskUQeU0

 百にも達する拳撃の乱舞が星の光を纏った拳を。
 それが放つ眩い破壊を押し破ってキュアスターを打ちのめした。
 花火玉の炸裂を思わす拳の暴風はその破壊的な威力と裏腹の美しさを秘め。
 打ち据えられて地面を転がるキュアスターは一瞬、想いを馳せてしまった。
“この人は…一体どんな人なんだろう?”
 鍛え抜かれた技と拳。
 雪の結晶を思わす術式を踏み締め舞う目前の彼は。
 一体どんな人生を生きてきたのだろう。
 キュアスターは損得や善悪の一切を抜きにして、それを知りたいと思った。
“アイさんやライダーさんだってそう。
 さっきのランサーさんだってそう。
 わたしは…わたしが戦う相手のことを何も知らない”
 誰も彼もと手を取り合うことは不可能かもしれない。
 だけど努力はしてみたいと思うし、知ってみたいと考える。
 敵とか障害とかそんな冷たい言葉一つで片付けるんじゃなくて。
 その人はどういう人間で、何を思って立っているのか。
 何も知らないまま蹴散らし倒して一件落着だなんて、そんなのは寂しすぎるじゃないかと。
 立ち上がって地を蹴り再び猗窩座に挑みかかりながらひかるは双眸にまっすぐな熱を燃やした。
「わたしは絶対…あなたを殺しません。
 真乃さんやにちかさん達が大事に思うプロデューサーさんをずっと守ってきてくれたあなたを、敵だからやっつけてそれでおしまいなんて!」
「………」
「そんなの――きっと間違ってる!」
 彼女にそれを気付かせたのは先刻表出化した烈奏――煌翼の彼だ。
 皆殺しの救世主を止めたその時、彼女は彼女なりの結論へと到達できた。
 見る者の網膜を焼き向かう先の敵全てを滅ぼすヘリオスに。
 彼に支配されゆくアシュレイに触れ、それでもと理想(きれいごと)を説いたあの瞬間。
 彼女は奇しくもかの煌めく翼に教わったのだ。
 "悪の敵"ではいけないと。
 その道はとても辛くて悲しくて、そして認められるべきじゃないもので。
 ならばあの炎に焼かれたわたしは。
 煌めく彼に学んでその熱を魂に刻み――わたしにできることをしなければいけないとそう気付いた。
「それがどうした」
 にべもなく切り捨てながらしかし猗窩座は目前の少女に対する警戒度を格段に引き上げつつあった。
 油断は先刻とうに捨て去った。
 これは油断だとか慢心だとか、そういう心の贅肉を切り捨て排した一段先の話。
「お前がどれだけご高説を垂れた所で俺にとっては微風以下だ。
 お前の主張や思想の如何に関わらず俺は貴様を殺す」
「…じゃあわたしは!」
 猗窩座は何の手心も加えることなく。
 それどころか一切の出し惜しみなく全力でキュアスターと戦っている。
 キュアスターの繰り出す武は力のみで技に乏しい。
 猗窩座という修羅が数百年を費やし磨いた殺戮技巧の数々があれば容易く磨り潰せる敵である、その筈だった。
 にも関わらず此処に来てキュアスターの出力が、そして膂力が更にまた一段二段と跳ね上がった。
 今や彼女の一挙一動から生み出される火力は猗窩座をすら凌ぐ領域に達している。


600 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:24:50 gCskUQeU0
「わたしの大事な皆さんのために、あなたを…ぶっ飛ばします!」
 正面から激突した拳と拳。
 数秒の競り合いの末に砕けたのは猗窩座の方だった。
 手首から先が西瓜のように弾け飛び血風に変わる。
 拮抗勝負に勝利したキュアスターの踏み込みを止めるべく猗窩座は蹴りを放ち、彼女の細腕を真下からかち上げたが…
「ッ――!」
 それでキュアスターは足を止めなかった。
 勢いを一切殺さず踏み込んで、跳ね上がった利き手とは逆の手で拳を作り猗窩座の顔面へ叩き込んだのだ。
 砲弾のように吹き飛ぶ猗窩座を即座にキュアスターも追いかける。
 着地し苦し紛れの防御に両腕を構えた猗窩座へ、乾坤一擲の追撃を突き出した。
“此奴…!”
 両腕を一撃で破壊された猗窩座。
 しかし同じ轍を踏みはしない。
 次の拳を食らわぬように宙へ跳び上がり、そして破壊殺・空式を地のキュアスターに放った。
「っ、お、ぉおおぉおおおお…ッ!」
 降り注ぐ無数の拳撃を耐え凌ぐキュアスター。
 だが凌ぎ切った瞬間、彼女を猗窩座の本当の反撃が襲う。
「破壊殺・脚式」
「っ…!」
「飛遊星千輪」
 空式の拳嵐打が途切れる丁度その一瞬を突いた猗窩座。
 その剛脚がひかるの下顎を容赦なく蹴り上げ、彼女の体は空中へと吹き飛ばされた。
「うあぁあああッ――!」
 サーヴァントとはいえ人体の構造が共通である以上顎は急所だ。
 脳震盪がキュアスターの意識をガンガン揺さぶって撹拌する。
 どうにか地に足を着く形で着地することはできたものの、さしもの彼女も立ち直りに数瞬の猶予が必要だった。
 しかしその数瞬を親切に待ってやる程猗窩座は甘くも優しくもない。
 人間を殺すということにこれ以上ない程特化し尖った修羅の鬼にそんな温情を期待するのはお門違いも甚だしく。
「破壊殺・滅式」
 超速での貫手が地に落ちたキュアスターへ迸った。
 数値化する気も起きない須臾の一撃。
 彼女ができた対応は拳を繰り出し迎え撃つという愚直なものだったが反応できただけでも賞賛に値しよう。
 猗窩座の滅式とひかるの迎撃は真っ向激突。
 苦し紛れの迎撃弾であることもあって打ち破るまでには行かなかったが、心臓を貫く軌道で迫っていた死の貫手を反らすことはできた。
 が…。
「ッ…! あ、ぐぅぅ……!」
 激突により逸れた滅式、正しくはその余波としてのエネルギー。
 そこまでを殺し切ることは叶わず、結果両者の激突点を外れた力はキュアスターの急所に直撃した。
 即ち…彼女の左目に。
 美顔に刻まれる縦一閃の裂傷はそれだけで痛ましいにも程があったが、言わずもがな最大の弊害は少女の麗しさが損なわれたことではない。
 戦いの土俵において視界の半分を失ったこと。
 それがどれ程大きな損失であるかはキュアスターにも理解できていた。
“ま、ずい…っ”
 戦闘において視覚情報が占めるウェイトは大きい。
 一部の極まった達人でもない限りは、耳や皮膚感覚で視覚の代用をすることは至難だ。


601 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:25:57 gCskUQeU0
 それ程大切な情報源を半分欠いた。
 両眼が揃っていても手に余る難敵であったというのに、此処に来てそんな"欠損"が生じてしまえばどうなるか。
 言うに及ばず――致命的な結果に繋がる。
 猗窩座の追撃は即座に到来。
 今しがたキュアスターが失った左側の視界から襲った鋭拳が彼女の腹部へ着弾。
 幸いにして貫通にも爆散にも至らなかったが、かと言ってただ吹き飛ばされ土埃に塗れるだけでは済まなかった。
「か…あ、ッ……!」
 達人の拳は皮膚や肉のみならず臓腑(なか)まで届く。
 中華の発勁にも似た理屈で猗窩座の拳による衝撃はキュアスターの体内へも余す所なく伝播。
 小さな口から喀血しきらびやかな衣装が痛ましく彩られた。
 這い蹲る彼女を睥睨する猗窩座の眼に熱はない。
 かと言って蔑視するでもなく、彼は只目前の敵を見つめていた。
「脆いな、お前達人間は。
 眼を潰されれば治らず…臓腑が破けた程度で死に至る。
 ほんのわずか肉体の完全性が損なわれただけで取り返しがつかない欠陥品だ」
 違う――猗窩座はこんなことを言いたい訳ではない。
 鬼であることに優越を感じ他者を徒に修羅道へ招いていた頃の猗窩座は此処には居ないのだから。
 第一彼がサーヴァントとして此処に現界しているという事実は、彼もまた何らかの理由で滅んでしまった敗者であることを意味しており。
 故に彼の発言は全く以って矛盾だらけ。
 何の意味も重みも感情も伴わない、無味乾燥としたものになってしまっていた。
 なのに何故。
 猗窩座はこんな戯言を今更垂れ流したのか。
 その理由もまたひどく不合理な、彼以外にはきっと理解もできないだろうものだった。
“重なる。あの夜と。思えばあの夜から既に猗窩座(おれ)の破滅は始まっていたんだろう”
 そもこの状況には覚えがあった。
 這々の体で敵を屠り終えたばかりの所に己が現れる。
 そしてその中で最も強い人間が己と単身戦う。
 技も力も己に遥か劣る人間が、眼を潰されても臓腑を潰されても立ち上がる。
 不屈の闘志と輝く意思を双眸に灯して…炎(ヒカリ)そのもののように立つ光景を。
 猗窩座は過去一度見ていた。
 鬼であった己が初めて人間に敗れかけた瞬間。
 人間ごときの意地と機転で滅ぼされかけた屈辱の夜。
 その記憶があまりにも、今自分の前に広がる状況と重なってしまうものだから。
 だから猗窩座は自然と意味のない戯言を吐いていたのだ。
 あの夜、己が炎の剣士に向けて語りかけたように。
 そして今宵猗窩座の前に一人立つ"人間"は、そんな猗窩座の言葉に…小さく微笑った。
「そうかもしれません」
 キュアスターは、星奈ひかるは。
 人間として生き、人間として死んだ身だ。
 だからこそ猗窩座の言葉に反論できない。
 人間はひどく脆くて繊細だから。
 その身も心も…ごくちょっとしたきっかけで壊れてしまう。
 だけれど、だとしても。
「でも…それもまた人間の良さだとわたしは思います。
 生きることも死ぬことも。その儚さも含めて、人間という生き物はキラやばなんですよ」


602 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:26:47 gCskUQeU0
「――そうか」
 その答えに。
 猗窩座は短くそう答えるだけだった。
 それで十分だった。
 それと同時に理解する。
 やはりこれはあの夜の再演じみていると。
 何の因果か。
 何の運命か。
 まったく以って――どうでもいい。
「よく知っている。今はな」
「…なんだ。じゃあなんで改めて聞いたりしたんですか?」
「答える必要はない」
「またそれですか! 人には質問に答えさせておいて!」
「ない、が」
 鬼であった頃なら是が非でも認めなかったろう。
 しかし今は違う。
 この身は既に上弦の参ではないものの。
 それでも鬼であった頃の全てを覚えているから。
 我が身を犠牲に"猗窩座"を後一歩まで追い込んだ炎の柱。
 何度殴られ打たれても屈さず己と相対し続けた水の柱。
 恩師の仇にさえ敬意と慈悲を捨てることなく、最期にこの頸を落とし"猗窩座"を終わらせた耳飾りの少年。
 彼らは間違いなく強かった。
 殺すしか能のない役立たずの狛犬等よりもよほど。
「強いて言うなら…ただの感傷だ」
 サーヴァントと成って尚人間の輝きと強さを失わず。
 血と泥に塗れながら立ち上がるキュアスターに対し侮りの気持ちはとうにない。
 これがあの夜の再演だと言うのなら、此処から己は無様を晒した末這々の体で勝ち逃げするのかもしれない。
 だがそれでも良かった。
 構わない。
 勝利を持ち帰れるのなら。
 あの命令を果たせるのならば、どんな無様も喜んで受け入れよう。
 何故なら己は既に役目を終えた燃え滓なのだから。
 今の己が成すべきことはただ一つ。
 誇りも尊厳も明日(まえ)も過去(うしろ)も余さず燃やして進んだ愚者に、追随しようとする付ける薬のない大馬鹿者に。
 人の心と人の体でそう成ろうとする彼に道を示さねばならないのだ。
 たとえその勝利がどんな形であろうとも。
 今一度この身が、人間の強さと美しさを塵屑のように踏み潰すことになろうとも――
「殺す」
「殺されません。絶対に!」
 ――構わない。
 そうしてでも勝たねばならない戦がある。
 この身この魂が再び地獄の底に、人でも鬼でもない伽藍の洞のまま堕ちるとしても。
 構うものか。
 己は只勝つのみだ。
 あの男を"役立たず"にしないために。


603 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:28:37 gCskUQeU0
 素流、破壊殺…全てを使って勝利を掴み取ろう。
 修羅の猗窩座が隻眼の少女へ駆けるのと。
 少女が猗窩座へ輝きながら向かい始めるのとはやはりというべきか同時だった。


 光と力が。
 イマジネーションの結晶と一切鏖殺の血鬼術が。
 花火のように、乱舞する。
 その中でキュアスターと猗窩座は舞っていた。
 拳と拳をかち合わせながら。
 時にはその肉体を爆ぜさせながら、それでも決して屈さず喰らい合っていた。
 猗窩座は使命から成る殺意で。
 キュアスターは誰もが明日へ歩き出すための優しい輝きで。
 互いを喰らう拳を、力を放つ。
 負けるものか。
 負けてはならぬ。
 その一心で踊り喰らうシルエットが未明の東京に二つ。
「破壊殺・脚式――冠先割」
 掠めただけでも甚大な痛手を齎す蹴撃が夜暗を切り裂くが。
 それをキュアスターは逃げるでもなく受け止めた。
 当然その代償に彼女の体は苦悶と負荷で苛まれる。
 しかし彼女はこれが最善だと理解していたし、実際その行動は理に適っていた。
“不自由な視界で無理に避けるくらいなら…!”
 いっそのことダメージ覚悟で受けてやった方が次へと繋げやすい。
 捨て身にも近しいその発想は確かな実を結んだ。
 猗窩座の足を掴み捕らえることに成功したキュアスターは、そのまま掴んだ足を起点に振り上げて地面へ叩きつけたのだ。
「…!」
 小規模なクレーターが生じる程の衝撃。
 全身に生じる負荷の中でしかし猗窩座は追撃の拳を迎え撃つべく乾坤一擲を放った。
 拳と拳の衝突で空間震めいた"揺れ"が起こるのも果たしてこれで何度目か。
 永劫にも思える戦いの中で、猗窩座の姿はその抜きん出た再生力も相俟って不変に見える。
 だが実際の所はそうではなく。
 キュアスターがそうであるように、彼もまた…着々と追い込まれつつあるのが実情だった。
“…これ以上は無視できないか”
 キュアスターとの激戦の中で生じた傷はすぐさま癒える。
 しかし肉体の内側に残された疲労やダメージまではそうは行かない。
 鈍重とした不快感は猗窩座を苛みつつも、彼に自身の体力が無尽蔵ではないことを改めて教えていた。
“もう終わらせる。犯罪卿と残りのサーヴァントを掃討する為にも、これ以上疲弊する訳にはいかない”
 その場を跳んで退き態勢を立て直す。
 それと同時に拳を構えた。
 これが最後の"立て直し"だ。
 猗窩座にこれ以上戦いを長引かせるつもりはなく。


604 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:30:03 gCskUQeU0
「…ありがとうございます。わたしも正直だいぶ限界で」
「別に貴様の為に退いてやった訳ではない」
 キュアスターもまたそうだった。
 馬鹿正直に自分の限界を吐露してしまう辺りは彼女らしいが、その呼吸はもはや喘鳴と化しつつある。
 もうあまり長引かせることはできない。
 奇しくも彼我の指針は一致し…故に此処で。
 互いが全力を出すべき状況が整った。
“殺す”
“止める。そして、プロデューサーさんに話し合いのテーブルへ出てきてもらう”
 想いはそれぞれありつつも交わらず。
 互いに勝利のみを希求しながら、両者は一拍の後に弾丸と化した。
「プリキュア――」
 拳に灯る輝きは無謬にして無限。
 イマジネーションの脈動はこの期に及んで更に増していた。
 輝く限り無敵であるという光の性質を至極健全に。
 正義のヒーロー然とした在り方のまま意図せず駆使する彼女は正真の英雄。
 星の海にすら躍り出たプリキュアの限界突破は、"誰かのため"であり"自分のため"でもある優しい天星。
 プリキュアというヒーローの本質とイマジネーションの真髄を同時に成り立たせながら駆ける姿は流星の如し。
「破壊殺――」
 そんな闘気の間欠泉めいた存在を前にしながらも修羅は微塵も怖じない。
 今や純粋な性能勝負であれば彼はキュアスターの後塵を拝するしかできないだろう。
 しかしプロデューサーが、彼のマスターが刻み付けた令呪が狛犬の鬼をキュアスターへ追いつかせる。
 地獄の刑罰を抜け出ても狛治と分けられ、英霊の座へ差し向けられた孤独な魂。
 文字通りの鬼気を横溢させながら星を喰らうべく走る修羅の姿は、もはや鬼と称することすら憚られる別種の何かだった。
「――スター、パァァアアアアアアアアアアアンチッ!!」
「終式――青銀乱残光……!!」


605 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:30:30 gCskUQeU0


 視界を塗り潰す光と光。
 激突する力と力。
 猗窩座は半身を吹き飛ばされながらも只前へと進んだ。
 此処こそが勝機。
 闘気を探知する羅針は未だキュアスターが健在であることを告げていたし、だからこそ此処を逃せはしないと即断する。
 損壊した肉体の再生が追いつくよりも、猗窩座がキュアスターを確殺できる間合いに入るのは速かった。
 そして光と粉塵が晴れた中で立つキュアスターの姿がそこで初めて目に入る。
 彼女はボロボロだったが、しかしその双眸に灯る眩いばかりの光に翳りはなく。
「破壊殺――」
 猗窩座が繰り出さんとしたのは破壊殺・滅式。
 見せるのは三度目だが最も速度に優れる技である故、この至近距離で放った場合の勝算は猗窩座の手持ちの技巧の中でも最大であると判断した。
 とはいえキュアスターも当然その思考には辿り着いている。
 殺し切れるかそれとも否か。
 だがたとえ殺し切れずとも必ず此処で押し切る。
 裂帛の気合と覚悟の元猗窩座が踏み込んだ。
 キュアスターもそれに反応。
 昂りを増し続けるイマジネーション、無限大の可能性に任せて滅びの破壊殺を正面からねじ伏せんと拳を突き出す。
 互いの"負けられない"が何度目かの衝突を果たして。
 佳境に入った激突の中で…猗窩座もキュアスターも衰えるどころかますます勝利に懸ける思いを燃やした。






「――はい、それまで。」
 その瞬間の出来事だった。
 戦意と戦意。
 闘志と闘志を燃やし合いながら相対する二人。
 その片割れであるキュアスターの腹から、突然に"何か"が突き出した。
 ぬるりと、空間から滑り出るように。
 猗窩座とキュアスター双方が目を見開く。
 しかしその意味合いは、両者によって違っていたが。
「ンンンン油断をしましたねェ――眩しい貴女。
 戦いに熱中するのは結構ですが…戦場では背後(うしろ)にも気を配らなければ、いけませぬぞ?」


606 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:34:38 gCskUQeU0






「…ぁ…」
 潰れた内臓や砕けた骨が。
 破れた血管の残滓が、下手人の腕に纏わり付く形でキュアスターの体外に露出していた。
 やがて腕が抜き取られればキュアスターは膝から崩れ落ちる。
 撒き散らされた鮮血が、雌雄を決さんと全力を尽くし合っていた二人の足元を瞬く間に赤く染め上げていく。
「実に良い働きでしたランサー殿。何やら随分と白熱した戦いを演じられていたようで。お陰で存外、容易い仕事となりました」
 嗤うは道化師――否、陰陽師。
 猗窩座はその姿に覚えがあった。
 一度は事を構え、殺す寸前まで追い込んだ男。
 集合体や蛆虫の群れを前にしたような本能的嫌悪感を見る者へ与える極彩色の獣。
 即ちアルターエゴ・リンボ。
 それこそが、猗窩座とキュアスターの戦いに横槍を入れ決着を誘発した下手人の正体であった。
「貴様…」
 猗窩座の瞳がリンボを睥睨した。
 そこにあるのは殺意と敵意。
 射殺さんばかりのそれを向けられたリンボは大仰な仕草で肩を竦めた。
「おやおや…何故にそれ程憤っておられるので?
 拙僧は貴方の勝利を後押しした身。むしろ感謝されるものかと思っておりましたが……」
「――何をしに来た。誰の差し金だ」
「貴方のマスター…"プロデューサー"殿よりも上の御方ですよ。こう言えばお分かりでしょう?」
 ビッグ・マム。
 猗窩座及びそのマスターの生殺与奪を握る狂った皇帝。
 嗚呼…成程。猗窩座は納得する。
 確かにこの場にこんなものを遣わす命令を下す輩としては最有力の候補だろう。
 それにその采配は腹立たしい程理に適っている。
 猗窩座単体への対処ですらキャパシティオーバーのきらいがある彼らなのだ。
 そこにこのアルターエゴまでも追加でけしかければ――殲滅はより容易くなる。
「時にランサー殿。この拙僧を一度は追い詰めた貴方のことです。
 まさか――まさかまさか。まさかまさかまさか! そんなことは無いと信じておりますがァ…」
 キュアスターの血や臓物が纏わり付いた腕。
 それをべろりと、妖しい笑みを浮かべながら舐め取って。
「殺し殺されの戦場に。主命を背負って臨んだ鉄火場に。不要な私情を持ち込んでおられる訳ではありませんよねェ――?」
 嗤った――嘲笑った。
 その言葉に猗窩座は沈黙する。
 だがすぐに答えを紡いだ。
 その問いは至極愚問のそれであり。
 よって返せる答えなど一つしかなかったから。
「殺されたくなければ…それ以上俺の前で戯言を吐くのは止めることだ」
 一触即発を地で行く張り詰めた空気。
 今にも破裂しそうな風船めいた緊張感を醸す二人に友軍らしさ等は欠片もなかった。
「俺は貴様を微塵も信用していない。殺すべき相手だと今でもそう思っている」


607 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:35:22 gCskUQeU0
「ンンンンそれは恐ろしい! ですが…えぇ、えぇ。
 拙僧の杞憂であったならばそれは何よりです。思わず胸を撫で下ろしてしまうというもの。
 その身…拙僧と相対した時よりも霊基性能が向上しておりますな? 令呪の後押しがあったものとお見受けします」
 身を捩らせながらリンボは嗤い。
「それ程期待を掛けられている貴方が――よもや、よもや!
 斃すべき敵を相手に不要な情動を覚えているなどとは思いたくなかったものですから!」
 心底癇に障る声色を肺活量に任せて撒き散らす陰陽師に。
 猗窩座は拳を振るうことで応えた。
 リンボの顔面の真横を通り過ぎる魔拳。
 彼の頬に一筋の掠り傷を生み、傷口からは血が流れ落ちる。
 この人でなしでも体内に流れる血はちゃんと赤いようだった。
「言った筈だぞ。戯言は許さんと」
 次は殺す。
 その言葉に偽りは感じられず、故リンボもこれ以上彼を玩弄しようとはせず。
「えぇ、では拙僧はあちらの方へ向かうとしましょう。
 つきましてはランサー殿にはしっかりとこの場の後始末をお願いしたい」
 リンボは嘲笑と戯言の矛を収めた。
 彼の目的もまたキュアスターではない。
 鏡面を通じて現れた際手近な位置に彼女が居たというだけのこと。
 そしてそこに横槍を入れることが一番面白そうだと考えただけのこと。
 …それが一番、誰も彼もの心を弄べる一手だと思っただけのこと。
「くれぐれも仕損じることのないようお願いします、我が同胞。修羅の君」
「貴様に言われるまでもない。貴様は黙って己の役割を果たせ」
「言われずとも。このリンボめが余計な時間を取られてしまった貴方の分も、目障りな小虫共を踏み躙ってくれましょう」
 悠然ともう一つの戦場へ歩みを進めるリンボ。
 その背を目で追う気にさえ猗窩座はなれなかった。
 ただ、目前の少女に目を向ける。
 少女は片目を失い腹に大穴を穿たれ…それでも。
 それでも――立ち上がっていた。
 足は震え膝は笑い。
 見るからに致命傷の傷を負いながら、闘志の炎を消していなかった。
「恨みたければ恨め。殺し合いとはこういうものだ」
 気付けば猗窩座はそう口にしていた。
 口にする必要のない、全く不合理な言葉であると自覚しながらもだ。
 そしてその言葉に少女は、キュアスターは苦笑しながら。
「恨みません。それにまだ、終わったわけじゃない」
 キュアスターが拳を構えた。
「諦めたわけじゃ、ないですから」
 それに応じるように猗窩座も拳を構えた。
「ならば」
 敬意などある筈もない。
 尊重などある筈もない。
 リンボは成すべきことを成した。
 見事な奇襲で猗窩座を苦戦させていた厄介な敵に致命傷を与えてみせた。
 しかしまだどうやら敵は死んでいないから。
 完膚なきまでに叩きのめして霊核を砕いて、終わらせてやろうというだけのこと。
「決着を着けよう」
 それだけの、こと。
「あなたは」
 最早結果の見えた戦いは…それでも互いに己の勝利を信じ願いながら。
「…やさしい人なんですね」
 再びその幕を、されど先刻とは似ても似つかない程静かに上げるのだった。

    ◆ ◆ ◆


608 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:36:57 gCskUQeU0

 ――ぞわり。
 戦場の温度が数度一気に引き下がった。
 その感覚を覚えたのはマスターであるにちか達のみならず。
 アシュレイ、メロウリンク、そしてウィリアム。
 三者のサーヴァントも例外なくそうであった。
 そしてその中でただ二人。
 アシュレイと、彼を召喚した方の七草にちかのみが…事の深刻さをいち早く理解した。
「嘘…でしょ。これ……この、感覚――っ」
 にちかはそれを知っていた。
 大気が水気を含んだみたいにどろりと重くなり。
 肌を掻痒感にも似た心地の悪い違和感が這い回る。
 それは紛れもなく夕方立ち会った悪夢の再演で。
「…まずいな。よりによって此処で奴か」
 彼らが辛くも退けた相手であった。
 夜闇の向こうから歩み来る影をアシュレイが睥睨する。
 所詮は一度倒せた相手? 馬鹿を言え。
 黄昏時の品川区で相手取ったそれに比べて、今の彼が放つ猛悪な魔力の桁は数倍も違っている。
 端的に言って別次元。
 最早同じサーヴァントとは言えない怪物がそこに居る。
“消滅の様子が妙だったからもしやとは思っていた。
 所謂陰陽道に連なる術を使ってもいたし、式神か何かだったんじゃないかって疑念もあった。
 だが…よりにもよってこの状況で来るか――”
 放つ瘴気は泥のように。
 そこに存在するだけで地上を死臭で満たす悪霊の王が如き男。
 蝿や蟻等ありとあらゆる毒虫の死骸を寄せ集めて人の形に捏ね上げたような。
 そんな悍ましさを孕み立つ彼の諱(な)をアシュレイ・ホライゾンは知っている。
 残り数体にまで減ったチェス兵の頸を刎ねながら、アシュレイはそれを呼んだ。
「アルターエゴ・リンボ…!」
 アルターエゴ・リンボ。
 一度退けた筈の脅威は愉快痛快と嗤いながら最悪の状況の中に降り立った。
 更に事態の悪化は彼の乱入というだけには留まらない。
 それをアシュレイ達はすぐさま知ることになった。
 突如口元を抑えて座り込んだ、此処までの戦いを黙し不安そうに見守っていたアイドル――櫻木真乃の言葉によって。
「…ひかるちゃん、が――」
 真名を隠す余裕すらなかったのだろう。
 しかしその言葉はあちらの戦場で何が起こっているのかを如実に示していた。
 真乃の悲痛な声を聞いたリンボは悦楽の笑みを浮かべていて。
 これ見よがしに、新鮮な鮮血で汚れた片腕に舌を這わせてみせた。
「健気な娘ですなァ。拙僧に腹を抉られ致命傷を負っても尚、あの悪鬼めを一人引き受けているとは」
「…ひかるちゃんに――あの子に……っ、何をしたんですか!」
「ははは。あまりに無防備だったものですから、つい魔が差しまして。こう、ブスリと」
 真乃の顔が青褪める。
 ひゅ、と声が漏れるのが聞こえた。


609 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:37:54 gCskUQeU0
 眉根を寄せたアシュレイがリンボへ剣を向ける。
「真乃さん。できれば、彼女に令呪を使ってあげてくれないか」
「…っ」
「勝手なことを言ってるのは分かってる。でもこのままじゃあっちもこっちも間違いなく全滅だ」
 キュアスターが此方に来て加勢してくれればリンボの相手は確かに楽になるだろう。
 しかしその場合、犯罪卿を標的と定めているランサー・猗窩座もまた此方へ突撃してくることになる。
 そうなれば事態はいよいよ収拾が付かない混沌の只中に堕ちてしまう。
 リンボ単体を相手取る以上に戦況は悪くなるし、誰かが命を落とす可能性も高くなるに違いない。
 だからキュアスターは致命を負いながらも猗窩座と戦い続けているのだ。
 アシュレイはそれを理解していたからこそ、真乃へ令呪の使用を勧奨した。
 キュアスターが猗窩座を退けるためのブースト用途の令呪を。
 そんな会話を眺めたリンボ。
 彼はアシュレイをその双眸で舐め回すように見つめ。
 それから満を持して口を開いた。
「ははぁ。黄昏時に拙僧の式神を一つ消し飛ばして下さったのは貴方でしたか」
「…その節はどうも。相変わらず聞いてて気の毒になるような奴だなお前は」
「褒め言葉として受け取っておきましょう。
 しかし――しかし、ふむ。些か妙な消え方でしたので、ともすればかの巫女に並ぶ地獄の呼び水になってくれるかと期待しておりましたが…」
 式神が突如消し飛んだ瞬間、リンボ本体の中へ微かに流れ込んだ魔力の波長。
 それは紛れもなく目前で勇敢に立つ灰髪の青年のものだった。
 目を凝らしてみれば。注意して覗いてみれば成程妙な気配を孕んでいる。
 サーヴァントの枠組みに収まらない"何か"の存在を感じ取りながらも。
 アルターエゴ・リンボは肩を竦めてこう言った。
「つまらぬ」
 つまらぬ、と。
 ただ一言。
 心底呆れ返った様子で吐き捨てた。
「宝の持ち腐れとはまさにこのこと。
 ともすれば森羅万象をとて超絶しよう無限の可能性を、そうと知りながらちっぽけに矮小化してしまうとは」
 アシュレイ・ホライゾンに起こった星辰光の性質変化。
 それは彼の片翼たるヘリオスとの同調が深まったことの証であると同時に、彼が烈奏という覇道へ向かわないことの証でもある。
 己が比翼を信じ悠久の果てに再会を果たした煌翼がその姿を現すことはきっと二度とないだろう。
 その事を理解したからこそリンボは落胆し、呆れた。
 アシュレイというサーヴァントに対する期待や打算はもう一寸たりとも存在しない。
 使いでが全く浮かばない訳ではなかったが…それにしても。
 彼の、そして彼の中に眠る地獄(モノ)の取った選択のつまらなさには辟易を禁じ得なかった。
「そりゃどうも。此方こそ、褒め言葉として受け取っておくよ」
 とはいえアシュレイはリンボの言葉になど小揺るぎもしない。
 誰かのカリカチュアでしかない彼の吐く言葉など真の意味で只の戯言だ。
 それに…そんなリンボの口からつまらぬと謗られたことは、あの選択を逆説的に肯定されたような心地にすらなれた。
 改めて己が内で燃える彼の雄々しさに敬意を覚えながらリンボの行動に備えるアシュレイ。
 そんな彼をよそにリンボが取った行動は――
「…おやおや。おやおやおや。
 何と粗末な兵でしょう、何と粗悪な兵でしょう。
 如何に有象無象の群れなれど泥人形では流石に役者が足りますまい。どれ、此処は一つ」
 …アシュレイ及び彼と共に戦うメロウリンクにとって。
 間違いなく最も取って欲しくなかった、最悪のそれであった。
「拙僧が油を差して進ぜよう」


610 : Stella-rium(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:38:47 gCskUQeU0
 残り四体にまで数を減らしたチェスの兵隊。
 プロデューサーの魂を元に組み上げられたそれらの体に。
 浮かび上がる五芒星。
 兵の内で暴走し始める魔力。
 意味する所は強制的なアップデートだ。
 リンボの…蘆屋道満の呪という強大で猛悪なエネルギーを後付けで供給され。
 彼らは単なる魂の兵隊ではなくなった。
 言うなれば荒御魂。
 今やサーヴァントにすら匹敵しよう武力を有した、四体の脅威!
「これで良し。青息吐息の有象無象を磨り潰すにはこれだけでも充分でしょうが…」
 それではそれこそつまらない。
 嗤うリンボに向かって轟いたのはアシュレイの炎だった。
 容赦も呵責も微塵もない。
 その手の感情がこの怪人に対し全く無用であると彼は既に理解している。
 そして動いたのは彼のみではなかった。
“…これ以上旗色が悪くなればいよいよ全滅も見えてくる。上手く仕留め切れればいいが――”
 メロウリンクもまたライフル弾を発砲。
 パイルバンカーは届かない、爆薬や地雷などの搦め手も今は役に立ちそうもない。
 頼りないのは承知で放った弾丸であったが――嗚呼事実として頼りない。
 アシュレイの炎を片手で振り払い。
 ライフル弾を指で摘み取ってひょいと放り投げ。
 無傷のまま嗤うリンボの背後に、膨大なまでの魔力が集約されていく。
「此処は一つ。あの幼子に恩でも売っておくとしましょう。
 それに」
 それは呪詛であった。
 されど只の呪いではない。
 秘奥も秘奥、極致も極致。
 その霊基の何処に収まっていたのか分からぬ程の禍いが。
 万物万象を嘲笑し玩弄するリンボの持ち物では有り得ない世界そのものへの憎悪が。
 嵐の形を描いてそこに現出する。
 一度解き放たれればそれは止まらず燃え広がり。
 戦場に隣接する地域に存在した哀れな民間人はその大半が即座に現代の技術では解呪不能の呪いに冒された。
「――貴方も。そろそろ大惨事の一つも描き上げたい頃でしょう?  ねェ 、 顕光殿 」
 その名を聞いた途端に。
 リンボを知っている筈の七草にちかが嘔吐した。
 顔に令呪を刻まれた方のにちかも顔を顰めて口を抑えた。
 田中摩美々は顔を背け。
 彼方の相棒と念話を交わしていた櫻木真乃でさえもが悲鳴を漏らした。
 生き様そのものが呪いと化した存在というものが、この人類史には度々登場する。
 彼らがこの世を呪うことにかける想いは常軌を逸して強く。
 それ故名にすら呪いが宿るのだ。
「さぁ。光の時は是迄」
 これなるは呪術の極致。
 生まれた世界が違うが故。
 周りに在る法則が違うが故。
 そう呼ばれることはなかったし、そう呼ばれるに足る性質を宿すこともなかったが。
 もしも蘆屋道満(かれ)がかの世界に生誕していたならば。
 かの世界に生まれながらこの大呪術を身に着けるまでに至っていたならば…。
 きっとこの業の解放には、こんな枕詞が付いたろう。
「暗黒の太陽を、貴殿らに拝ませて差し上げる!」
 ――領域展開、と。

    ◆ ◆ ◆


611 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:39:50 gCskUQeU0

“ひかるちゃん…!”
 脳裏に響く念話を聞いて。
 キュアスター…星奈ひかるは申し訳ない気持ちになった。
 あぁ、心配かけちゃったなぁ。
 また泣かせちゃうなんて。
 わたしはほんとにダメなサーヴァントだ。
 もっと頑張らないと。
“えへへ…ごめんなさい、真乃さん。ちょっとドジしちゃいました”
“ドジしちゃいました、じゃないよ…! 今すぐこっちに来て! そしたら皆で逃げることも――”
“真乃さん。…ほんとにごめんなさい。それはできないんです”
 星奈ひかるはちゃんと理解していた。
 自分が背負う役割の重要さを。
 自分が持ち場を離れれば、当然"彼"もそっちに向かってくることになる。
 そうなったらいよいよもう取り返しがつかない。
 真乃が令呪を使えば話は違うだろう。
 令呪を使ってただ一言、自分を連れて逃げろとそう命じれば。
 ひかるは真乃を連れてこの場を離れる。
 そしたらもしかしたら…本当に低い確率ではあるけれど。
 致命傷を負ったひかるが一命を取り留めることもあり得るかもしれない。
 でも。
“…真乃さんは。それ、できないですもんね。
 わたしは真乃さんがそんな人だからこそ、大好きになったんですから”
 念話ではない、本当の心の声でひかるは独りごちる。
 櫻木真乃にその選択はきっとできない。
 にちか達や摩美々を、彼女達のサーヴァントを見捨てて逃げるなんて。
 そんなことをできる筈がないのだ、あの優しい人が。
 あんなに優しいアイドルが。
“わたしは…真乃さんと、真乃さんの大事な人たちのために最後まで戦いたいんです。心配かけてごめんなさい。でも、わかってほしいな”
“っ――最後だなんて言わないで! 最後なんかじゃない、最後なんかじゃないよ、ぜったい…!”
 拳と拳を交わし合いながら。
 血を撒き散らし踊りながらひかるは小さく笑う。
 そして思った。
 ああそうだ。
 これは最後なんかじゃない。
 これを最後になんてしてやるもんか。
“…わかりました。わたしはちゃんと真乃さんのところに帰ります”
 わたしは真乃さんのサーヴァントで。
 真乃さんを最後まで見届ける責任がある。
 だから負けられない。
 これは、最後なんかじゃないんだと。
 そう自分に言い聞かせて――時間経過と共に少しずつ尽き始める自分の命運(リソース)から目を背けて。
“だから…応援してください真乃さん。そしたらわたし、どれだけだって戦えます!”


612 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:40:27 gCskUQeU0
“……なら!”
 瞬間。
 ひかるの消えかけの霊基に光が灯る。
 熱が宿る。
 戦いの最中だというのに思わず目を伏せてしまった。
 しかしその迂闊を誰が責められるだろう。
 いいや誰にも責めさせない。
 ひかるにとってそれは、この世界の何よりも暖かくて眩しいエールだったから。
“令呪を以って、命ずる――勝って、帰ってきて。ひかるちゃん”
“…はい。はい、はい……!”
“令呪を以って――っ、重ねて、命ずる!”
 片目を潰されて。
 腹を不意討ちで貫かれて。
 全身余す所なく痛くて苦しいのに。
 なのにひかるはこう思わずにはいられなかった。
 ああ、なんてわたしは幸せなのだろう。
 こんなに優しくてあたたかいマスターに恵まれて。
 ただでさえあんなに楽しくて素敵な、キラやばな人生を過ごせたのに。
 わたしばっかり。
 こんなにたくさんもらって、いいのかなぁ。
“勝って――帰ってきて。帰ってくるの、ひかるちゃん……!”
 …令呪二画で重ねがけされた命令。
 それは精神論の領域を飛び越えて現実の利益となってひかるの霊基を満たす。
 イマジネーションにすら依らない増幅。
 覚醒――誰かが誰かのために流す涙と。
 誰かを大切に思うこと、それを起爆剤に起こす奇跡の結実。
 たとえこの世界に令呪というシステムがなくとも。
 それでも星奈ひかるは、キュアスターは輝いただろう。
 何故ならプリキュアは全ての人の味方で。
 全ての人々の願いと応援を受けてこそ真に輝く戦士なのだから。
「はあぁあぁああああ――!」
「ッ…!」
 あなたのサーヴァントでよかった。
 あなたのサーヴァントでいたい。
 この先もずっと、もっと!
“馬鹿な…何故まだ動ける。何故この期に及んで強くなれる!
 貴様の霊核は既に……現界を保てる状態ではないというのに!”
 猗窩座の猛追を全て打ち払う。
 力ずくで押し返して、キュアスターは吠えていた。
 もしかしたらその姿はヒーローとして褒められたものではなかったかもしれない。
 けれど今この時キュアスターは既にヒーローではなかった。


613 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:41:12 gCskUQeU0
 櫻木真乃という、この世界で出会ったお姉さん。
 優しくて明るくて。
 一緒にいるだけで心がぽわぽわしてくるあの人のために。
 あの人と過ごす最後の思い出をどうか涙で終わらせないために。
 あの人と、もっと一緒にいるために!
 それだけのためにキュアスターは今戦っていた。
 生きるということ。
 生き続けるということ。
 生物の本能にも繋がる執着が引き起こす異次元のイマジネーションが令呪二画分の命令と共鳴して輝き猛る。
「破壊殺――鬼芯八重芯ッ!」
 猗窩座、躍動。
 両手を起点に繰り出す怒涛の拳連撃はキュアスターの矮躯など易々覆い隠す規模であったが。
「こんな…もの、っ!」
 キュアスターはそれを力ずくで突破する。
 そう、文字通りの力ずくでだ。
 そこに小難しい理屈や術技は存在しない。
 ありったけブーストされた拳の一撃で打ち払う。
 そして拳撃の激流に逆らいながら猗窩座へ駆ける。
 猗窩座はこの時初めて――その背筋に冷たいものを覚えた。
“何だ、これは…?”
 一秒二秒と時間が経過する毎に目前の敵が進化していく。
 次から次へと先の段階へ足を進めていく。
 その度増していく輝きは。
 彼女を打ち砕き進まんとする猗窩座という名の闇が見えなくなる程に眩い光であった。
「破壊殺――ぐ、がァッ…!?」
 キュアスターの拳に触れた猗窩座の拳が砕けた。
 それだけに留まらず彼の体が襤褸切れのように吹き飛ぶ。
 受け身を取るなりやって来る"次"に猗窩座は逃げの一手を選ぶしかない。
 今にも消えかけていた瀕死の相手を前にだ。
 そんな消極的な手を打たねばならない程に、猗窩座は追い詰められていた。
“真乃さん…わたし、わたしっ……!”
 それは修羅には臨めない輝きだった。
 彼らは何かを切り捨てることで前に進んでしまうから。
 何かを大事に思うが故の。
 誰かとずっと一緒に居たいが故の強さに辿り着けない。
 あるいはそれこそが猗窩座とキュアスターの間にあった一番の違い。
 それが此処に来て克明に浮き出てくる。
“わたし…まだあなたと――さよならしたくありません!”
 何かを切り捨てる強さと何かを守る強さ。
 自分さえも蔑ろにする強さと自分の幸せも視界に含めた強さ。
 どちらが強いと一概に決め付けることはできないだろうが。
 その二つが競い合った一つの結果は今こうして現出していた。


614 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:41:58 gCskUQeU0
 キュアスターの拳に光が灯る。
 これまでで最大の輝きを放つそれは、まさしく星の光と呼ぶべきもので。
 猗窩座は確信する。
 これが最後の激突になると。
 破壊殺・終式――最早口上など要らぬ。
 出せる限り全ての力を尽くして猗窩座は舞った。
 そして突き進む。
 目前の光を消し去るため。
 目前の星を落とすため。
 花火の煌めきをその身に帯びながら押し迫る躯の霊基に。
“勝ちます! 帰ります! だから…だから!”
 キュアスターは只吠えた。
「わたしに力を貸してください――真乃さんッ!」
 その輝きはまさに超新星(スーパーノヴァ)。
 爆光とすら化した光で以って。
 されど猗窩座を殺すと意気込むことは一切せず。
 ただ勝つために。
 ただ生きて帰るために。
 …ただ、ずっと一緒にいるために。
 彼女のサーヴァントであるために、キュアスターは輝いた。
 そこに挑むは猗窩座、修羅。
 顔は鉄面皮など保てない。
 鬼気を浮かべた形相で迫る姿は鬼どころか鬼神の如し。
 度を越した熱量に肉体が蒸発する感覚すら覚えながらも足は止めず。
 光と闇、ヒーローと修羅の最後の激突が起こるその刹那に。


    ◆ ◆ ◆


615 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:42:11 gCskUQeU0


“令呪を以って重ねて命ずる――勝て、ランサー”
 誰かの。
 誰かの、声がして――


    ◆ ◆ ◆


616 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:42:49 gCskUQeU0

 次の瞬間――戦いは終わっていた。
 猗窩座の総身は八割方が焼失。
 残ったのは腕の肉を除けばほぼ全てが骨格という有様。
 それでも彼の腕は。
 土壇場にてキュアスターに捧げられたのと同画数の令呪の加護を得るに至ったその凶手は、確かに。
「…獲ったぞ、アーチャー」
 アーチャー、キュアスターの胸を。
 半壊状態にあったその霊核を確かに今一度。
 類稀なる精度で以って貫いていた。
 再生が始まり猗窩座は元の形を取り戻していく。
 しかしキュアスターはいつになっても回復しない。
 潰れた目も腹の大穴も、砕け散った霊核も。
 どれ一つとして…、蘇ることはない。
「…これで終わりだ。貴様は敗れた」
「…、……」
「――目障りだ」
 腕を抜けば。
 キュアスターは崩れ落ちた。
 いつしかその姿はキュアスターから星奈ひかるのそれへと戻り。
 血の海に倒れ伏した彼女に、猗窩座は言う。
「戦士が泣くな」
「…っ。ぁ……。泣いて、なんか…ないです」
「…そうか。ならば……俺の見間違いだったか」
 少女は泣いていた。
 その目から滂沱の涙をぼろぼろと流して。
 もう立ち上がるどころか指一本すら動かせない状態で。
 猗窩座にも余力はもうほぼないが。
 それでも彼女にとどめを刺すくらいはできる。
 にも関わらず彼は踵を返した。
 負けて泣く哀れな娘のことを謗ることすらしなかった。
「安心した。泣き味噌の小娘に敗れかけるようでは俺も立つ瀬がない」
 猗窩座は確かに死にかけていた。
 紙一重だった。
 プロデューサーの令呪の援護があって、その御蔭で勝てたのは確かだ。
 だがそれでも…それだけであの局面を確実に勝てていたかと言われれば答えは否になる。
 勝算は良くて五分五分。
 ともすればそれを下回っていた。
 敗北し地に臥していたのは猗窩座だったかもしれない。
 むしろその可能性の方が、高かった。


617 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:43:46 gCskUQeU0
“――何をしている? 俺は。これが…これが、サーヴァントの在るべき姿だとでも言うのか?”
 自分と互角に立ち回った娘に。
 猗窩座は結果的に、ある種の敬意を示したことになるのだろう。
 そのことをわずかに遅れて理解して、猗窩座は煩悶の中に放り込まれた。
 もはや敗者を振り返るつもりなどない。
 ないが。
 今の言葉は、いや振り返らぬというその姿勢そのものが。
 勝利を求める身にあるまじき贅肉ではないのかと。
 そう自問せずにはいられなかった。
 ああなぜ。
 今此処であの男の顔が脳裏をよぎるのか。
 町のごろつきでしかなかった盗人の己を叩きのめし、一から鍛え上げてくれたあの男(ひと)の顔が。
 あの人ならば…どうしただろうか。
 あぁ。
 考えなくても分かる。
 きっと――同じようにしただろう。
“…反吐が出る”
 それは不要だ。
 それは要らない、今の己には。
 そう分かっていても結果猗窩座は後ろを振り向けず。
 修羅の鬼によるキュアスターとの戦いは…苦味の残る勝利という形で幕を下ろした。




 そして敗者は。
 ただ這い蹲っていた。
 もはや指の一本も動かせない。
 泣いてない。
 泣いてなんかいません。
 わたし、わたし。
 そう強がっても瞳から流れるのは涙で。
 体は嗚咽に合わせてわななくばかりで。
 説得力など欠片もなくて。
“わたし…負けちゃったんだ……”
 否応なくそう理解させられる。
 分かってしまう。
 立ち上がろうにも足が動かない。
 這って追い縋ろうにも腕が動かない。
 当たり前だ、もう体の中の何処もかしこも壊れている。


618 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:44:15 gCskUQeU0
 とどめとばかりに霊核を砕かれて。
 キュアスターは、星奈ひかるは。
 後はただ消えるのを待つだけのサーヴァントになりさらばえた。


“――ひかるちゃん! ひかるちゃんっ!”
 …わたしの名前を、よんでる。
 真乃さんが、よんでる。
 あぁ。やくそく、守れなかったな。
 勝ってって言われたのに。
 帰ってきてって言われたのに。
 どっちも、守れなかったや。
“ごめん、なさい…真乃さん。わたし……真乃さんとの約束、守れませんでした”
“…っ。うそ……だよね。嘘、だよね……!? ひかるちゃん……ひかるちゃんっ……!”
 真乃さんが、ないてる。
 わたしのせいだ。
 真乃さんはアイドルなんだから。
 わらってる顔が、一番かわいいのに。
“わたし…とっても。とっても、たのしかったです。
 真乃さんと一緒にいられて、すごく。
 まるでお姉さんができたみたいで、新鮮で。ずっとこんな時間が続けばいいのになぁ、って……”
“続くよ…ずっと続くよっ……! わたしもひかるちゃんと一緒にいられてすごく楽しかった……!
 だから変なこと言わないで、まるで……まるでこれから居なくなっちゃうみたいなこと、言わないでっ……!”
 真乃さんの声は聞いているだけで辛くなってくるような涙声で。
 だからわたしも自然と、ただでさえ溢れていた涙の勢いが強くなってしまいます。
 ――やだ。
 ――やだ、やだよ。
 さよならなんてしたくない。
 わたしはまだ。
 真乃さんのために何もできてない。
 真乃さんのこと、何も知らない。
 もっとたくさんおはなししたかったのに。
 もっとたくさんいっしょにいたかったのに。
 なのに。
 これで終わりなんて、あんまりじゃないですか。
 あんまりだよ。
 だけど。
 そう思うけど。
 でも…自分の体のことは自分が一番よく分かっていて。
 もう何をどうしたってわたしは"この先"には行けないんだって分かっていたから。


619 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:44:59 gCskUQeU0
“真乃さん。どうか…どうか、幸せになってください”
 だからせめて。
 心の声だけは気丈に。
 真乃さんを悲しませてしまわないように。
 あんなに優しくて素敵な人をこれ以上泣かせないように。
 努めて明るく、お別れなんて平気みたいな声色にしようと。
“わたしは…真乃さんの隣から、いなくなっちゃいますけど。
 真乃さんにはまだたくさんの味方がいます。その人たちと一緒に、幸せになって”
“そんなの…そんなの……ずるいよ、ひかるちゃん。
 ひかるちゃんは――私のサーヴァントなのに。
 私に……サーヴァントのあなたを置いて、幸せになれなんて……っ”
 頑張ってるんだから。
 頑張ってるんですから、分かってくださいよ。
 もう言わないで。
 これ以上は我慢できなくなっちゃうから。
 うぐ、えぐ…なんて情けない嗚咽を漏らして。
 わたしはそれでも。
 がんばって、お別れの言葉を紡いで。
“わたしは…真乃さんを悲しみや辛さから守ってあげることもできなくて。
 おまけに、一足先にいなくなっちゃうようなダメなサーヴァントでしたけど”
 これが最後だから。
 せめて意味のある言葉を残そうとがんばって。
“でも…真乃さんの人生は、こんなところじゃきっと終わらないはずですから。
 生きて――生きてください。生きて、こんな狭い世界からは早く飛び出して……真乃さんのキラやばを見せてください。
 その時わたしは、きっと真乃さんの隣にはいられないけれど。
 真乃さんのサーヴァントでは、いられないけれど……きっと、必ず。世界の何処かから真乃さんのことを見てますから”
“――やだ。…やだよ、そんなの……!”
 がんばって。
 がんばって……。
“ひかるちゃんが…見届けてよ。
 私が元の世界に帰るまで、最後まで……!
 そうじゃなきゃ、やだよ……私、私っ……!”
 がんばって、がんばって。
“ひかるちゃんと一緒じゃなきゃ、やだよぉ……!”
 ――あぁ。
 もうやめてください。
 そんなこと言わないで。
 そんなこと言われたら。
 あなたに、そんなこと言われたら。
 わたしだって…。
 わたしだって、我慢できなくなっちゃうじゃないですか。


620 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:45:51 gCskUQeU0
“だいじょうぶ”
 やだ。
 やですよ、嫌ですよ。
 わたしだって、嫌ですよ。
 真乃さんを置いていくなんて。
 最後まで真乃さんのサーヴァントでいられないなんて。
“だいじょうぶです。真乃さんは、きっと”
 最後まで真乃さんのサーヴァントでいたかった。
 お姉さんみたいなあなたの隣にいたかった。
 辛いこと、悲しいこと、全部いっしょに乗り越えて。
 あなたが元の世界に帰る最後の最後までを見届けたかった。
“真乃さんは…わたしがいなくても幸せになれます。
 だって真乃さんはとってもかわいくて、とっても綺麗で…とっても優しくて強い人ですから!”
 行かないで。
 行きたくない。
 まだ、此処にいたい。
 もっと此処にいたいです。
 わたしだって。
 わたしだって此処にいたい。
 あなたと、いたい。
“だから――”
 ああでも。
 それを口にしたらきっと。
 それは、真乃さんへの呪いになってしまうから。
“だから、心配しないで!
 わたしのことは…あはは、忘れてほしくはないですけど。
 真乃さんはこの先も、わたしの大好きな真乃さんのままで頑張ってください!”
 言えない。
 言えるわけなんてありません。
 わたしは所詮サーヴァント。
 一度死んだ人で。
 生きている人間にはどうやったってなれないんだから。
“わたし――どこに居たって真乃さんのことを忘れません! ずっとずっと…応援してますから!”
“…ひかる、ちゃん”
 わたしはプリキュアなんだから。
 キュアスターなんだから。
 誰かを泣かせるようじゃダメなんです。
 わたしがいなくなった後も、真乃さんが前を向いて歩けるように。
 いつかこの世界を後にして…真乃さん自身の人生に戻れるように。
“だから――さようなら、真乃さん!
 あなたは…わたしにとって、とってもキラやばな、最高のマスターさんでした!”


621 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:46:45 gCskUQeU0
 …。
 ……。
 ………。
“ひかる…ちゃん。
 ありがとう――今まで…本当に、ありがとうっ……!”
 …。
 ……。
 ………。
“私も…ひかるちゃんのこと、あなたのこと、絶対に忘れないよ。
 この先何があっても、どんなことがあっても……ひかるちゃんと過ごした日々のこと、絶対に忘れたりなんかしない! だから…だから、っ……!”
 …。
 ……。
 ………。
“見てて――ひかるちゃん。わたしのこと、みんなのこと。ずっと、ずっと…!”
 ――なんで。
 なんでわたしは、この人の隣にいられないんでしょう。
 この人のことを置いていかなきゃいけないの。
 もっと真乃さんといたいよ。
 テレビを見たりお菓子を食べたり。
 なんてことのない時間を一緒に過ごして、笑い合いたかった。
 笑っていたかったよ。
“――はい。もちろんです! ずっと見てますから…わたしが!”
 だけど。
 わたしがどれだけ願っても時間は来てしまう。
 顔中涙と鼻水でぐちゃぐちゃで。
 とても格好なんてつかないけれど。
 それでも…真乃さんの前では最後まで格好つけられた。
 何一つ呪いを残さず。
 心を傷つけることなく。
 プリキュアらしく、さよならできた。


 真乃さん。
 いっしょにいられたのは少しの間だけだったけど。
 それでも…わたしのお姉さんみたいだったあなた。
 どうかずっとあなたはそのままでいてください。
 あなたはあなたのままで、誰もに愛されるアイドルになって。
 わたしもきっと、何処かでそれを見てるから。
 だからどうか。
 生きて。
 わたしがいなくなっても生きてください。
 あなたがあなたの人生に戻って、あなたとして生きられることを。
 わたしはずっとずっと…心の底から祈っています。


「――さよなら」
 さよなら、真乃さん。
 わたしの最高のマスターさん。 
 わたしの一番大好きな、アイドルさん。
 わたしにとってあなたは。
 初めて会った時からずっと。
 これからも、ずっと…。
「あなたはずっと。最高にキラやばでしたよ――真乃さん」

【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア  消滅】


622 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:47:47 gCskUQeU0
    ◆ ◆ ◆

 空に。
 太陽が浮かんでいた。
 黒く昏い太陽には貌があって。
 それは地に群れる衆生全てを等しく嘲弄していた。
 悪意と憎悪に淀み狂った怨霊の魂が。
 かつて都を転覆させんと詛呪の限りを尽くした悪霊左府が。
 光の代わりに呪いと災いを降り注がせる闇の太陽としてそこにある。
「ふ、ふふふ、ふふはははははは、あはははははァ――」
 一人呵々大笑するはアルターエゴ・リンボ。
 リディクールキャットは地獄へ通ずる穴を常世に穿って愉快愉快と手を叩いている。
 事実この戦場は既に八割方決着を迎えていた。
 身も蓋もない理由。
 彼らでは、リンボという脅威に対応できない。
 捨て駒の式神相手ならばいざ知らず。
 宝具の解放すら厭わない捕食者としてのリンボを相手に勝利を勝ち取るのは彼らには荷が重すぎた。
 唯一の頼みの綱はこの中で最も戦闘に特化したスペックを有するアシュレイ・ホライゾンだが。
 その彼がリンボへ加勢しようとすれば、彼の呪を受けたチェス兵達がそれを阻む。
「くそッ…!」
 思わず苦渋の声が漏れた。
 降り注ぐ呪いの嵐は致死的であり、事実溢れた呪詛に掠りでもすればマスターの少女達は死毒にも似た呪いに蝕まれるだろう。
 にも関わらず未だそうなっていない理由は一つ。
 リンボはこの圧倒的優位な状況を嗜虐の観点から愉しんでいる。
 逃げ惑う姿を、絶望に青褪める姿を。
 心底面白がっているからすぐには殺しにかかっていないというだけのことなのだ。
 アシュレイの剣が裂帛の気合を載せ振り抜かれた。
 チェス兵一体の魂魄を両断し、残骸も残さず燃やし尽くすが。
 次の瞬間真横から振るわれた剣閃がアシュレイの胴に一直線の斬傷を刻んだ。
 反撃を繰り出して押し返しながらアシュレイは歯噛みする。
“一番厄介な手を取られた。質の伴った物量での力押しは、こっちが最も避けたい事態だったんだ。
 ――人の嫌がることを考えるのなら誰より得意ってワケか…!”
 ひかるの手を借りられればもっと楽だったのは間違いない。
 だが果たして彼女でも、この水準の敵を四体も瞬殺できるかは怪しいだろう。
 そして苦戦を強いられるアシュレイの耳朶を陰陽師の粘つく声が撫ぜた。
「おやおや残念。猶予は差し上げたつもりだったのですが…」
 ぞわりと背筋を這う悪寒。
 でかいのが来ると悟るや否やアシュレイの行動は速かった。
 光との和解。
 燃え盛る太陽の制御と調和。
 界奏に至り烈奏を鎮めた彼が、その死後にようやく成し遂げられた偉業。
 光も闇も受け止める灰色に辿り着いた男が示す優しい答え。
 癒やしの炎により肉体の負傷を即座に回復させつつ、寄せ来る呪いに備えるべく劫炎の津波を生じさせたが。
「残念、時間切れでございます! ――急々如律令ォ!」
「がッ――!」
 永久機関化された炎はしかし決して突出をしない。


623 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:48:34 gCskUQeU0
 暴走もせずそれによる自傷も起こらない只人の炎。
 故にこそ火力上限を超えた制圧攻撃に対する免疫は格段に落ちた。
 その欠点を示すようにリンボの呪詛は暗黒の魔力という形で彼へ降り注ぎ。
 放っていた攻防一体の火炎流を蒸発させながら、アシュレイの総身を押し潰して地面に這わせた。
「便利な力ですなァ芥虫のように死ににくい!
 力を込め押し潰しても拙僧としては一向に構いませんが…丁度いい!」
 反撃しようにも立ち上がれない。
 炎を発動体から絶え間なく生じさせているが片っ端から掻き消される。
 仮ににちかが令呪を使ってアシュレイの能力値を底上げしたとしても、果たして彼我の差を埋められるかどうか。
 それ程までの出力差の前に地へ押し潰され続けるのを余儀なくされるアシュレイ。
 リンボの言う通り、身動きは取れずとも生命活動だけは星辰光の性質のおかげで続行できていたが。
「そこで黙って見ていなさい。
 貴方の使い道はそれから考えますのでね」
 損傷と再生を繰り返すアシュレイを前に悠然と踵を返したリンボ。
 その眼は彼に比べて格段に戦闘能力で悖るアイドル達と、それを守るメロウリンク・ウィリアムの二人へ向けられていた。
 そしてそれに呼応するように空の太陽がぎょろりと瞳を動かす。
 次に呪い殺すべき獲物達を。
 滅ぼすべき都の民達を。
「ン、ン、ンンンン――というわけでお待たせ致しました役立たずの皆様方」
 嬲るような眼差しだった。
 リンボも、そして太陽も。
「現実とは斯くも無情なもの。
 罠を張り巡らせ策を張り巡らせ!
 持たざる者なりに小癪に裏を掻こうと尽力していたのに、こうして白日の下に引っ立てられてしまうとは」
 そして視線の先の彼らはどうしようもない程に詰んでいる。
 機甲猟兵メロウリンクが得意とする戦場が此処に今更生まれてくれる余地はなく。
 犯罪卿ウィリアムの策謀も交渉術もリンボという名の圧倒的暴力の前には何の意味も持たない。
 アイドルの少女達は論外だ。
 令呪を駆使したとしても…そもそもからして英霊としての霊格が低い彼らが果たして命令通りに逃げ切れるかどうか。
 何しろ彼らが相対しているのは美しき肉食獣。
 弱者を追い詰め、甚振り、弱りに弱った所を喰らい貪ることを生業とした生き物なのだから。
「あちらの彼はやたらと死ににくく、ついつい拙僧芥虫などと謗ってしまいましたが…」
 弧を描く口から鋭利な牙が覗いた。
「その点あなた方はそれにも劣る。無力で惨めで何にもならない…蠢くばかりの蛆虫のようですな?」
 もはや一方的に虐殺するだけで事は足りる。
 勝利を確信するが故にリンボの舌もよく回る。
 光り輝く少女達と、それを尊いと思ったサーヴァント達を虫になぞらえ嗤う獣に。
「…じゃあ。さしずめあなたは、誰にも評価されない"害虫"ですか」
 声の震えを押し殺しながら言葉を吐きかけた少女が、一人。
 声の主は、田中摩美々というアイドルだった。
 悪い子を自称し笑った彼女が今目の前にしているのは正真正銘本物の悪。
 誰かを踏みつけ痛めつけ、大切なものを奪われた人の悲しみや憤りを肴に笑う邪悪。
「リンボさんでしたっけー。あなた…なんていうか、可哀想なヒト――なんですね」
「ははは。愛らしいですなァ。大切なご同輩を侮辱されて腸でも煮やしましたかな」
「たまにいるんですよー、アイドルやってるとー…」
 二人のにちかの視線が摩美々へ向かう。
 何を言ってるんですか。
 余計怒らせてどうするんですか。
 言葉には出さなかったが、口に出されたら摩美々も文句の一つも言い返せなかっただろう。
「新曲が好きじゃなかったーとか。SNSで返信してもらえなかったとか。
 流石に私はそこまではなかったですケドー、握手会でやらかして出入り禁止にされて逆恨みで…とか。
 そういうほんのちょっとした理由でファンからアンチに変わっちゃう人って多いんです」


624 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:49:14 gCskUQeU0
 彼女のサーヴァントであるウィリアムもそうだった。
 だが彼は敢えて何も言わなかった。
 何も言えなかった、に近いかもしれない。
 合理的に考えればどう考えても得策とは思えない行為なのにも関わらず。
「リンボさんってー。そういう人たちに、すっごい似てますよ」
「…ほう?」
「人の嫌がることばかりして。人の悪口ばっかり思い付いて。
 でもー…自分がどういう人なのかってことは誰にも伝えようとしない。
 一人で歪んで腐って、その結果みんなに煙たがられて嫌われてしまう。
 そういう人って……私みたいな駆け出しでも覚えがあるくらい、現代にはいっぱいいるんですよー」
 摩美々は決してリンボに同情しているわけではない。
 そんなわけがない。
 そこには怒りがあって嫌悪がある。
 したり顔で戦場に現れて。
 恥も外聞もなく全てを横取りしていくような男に対し、優しい心を持てる程田中摩美々という少女は"いい子"ではなかった。
「拙い言葉ですねェ。詰まるところ何を仰りたいので?」
「…リンボさんってー」
 震えは今も止まっていない。
 恐怖が心を焦がし削る。
 絶望の二文字を極力見ないようにしているだけだ。
 でも。
「つまんない人なんですね。私の知ってるサーヴァントさん達とはー、大違いです」
「――ンン」
 それ以上に腹が立っていた。
 だから言わずにはいられなかった。
 そして摩美々の紡いだ勇気ある言葉は。
 勝者を気取り嘲笑うアルターエゴ・リンボの本質の一端を確かに射抜いていた。
「耳を貸すまでもありませんでしたな。どのような愉快な遺言を吐いてくれるものかと拙僧密かに期待していたのですが」
「…じゃあ"愉快"ではなかったんですねー。摩美々さんの言ったことって」
 顔を不織布マスクで半分覆った方のにちかが、何を思ったか追い打ちをかけた。
 摩美々が驚いたように彼女を見る。
 にちかはそれに対して困ったように笑ってみせた。
「全く以って下らない。苦し紛れの戯言を唱えている暇があるなら、いっそ令呪に頼って逃走でも図っていれば良かったものを…」
 アルターエゴ・リンボ。
 真名を蘆屋道満。
 彼はまさに田中摩美々が言うように、誰かの存在を苦にして魔道に堕ちた存在であった。
 通常の法師を基準で考えれば十二分に天才であるとの評価を下されていた道満を。
 遥かに置き去り燦然と輝く才能があった。
 蘆屋道満があらゆる努力を費やしても届き得なかった。
 その肩に手をかけることすら叶わなかった神才。
 リンボの誕生のプロセスにおいて彼の存在は欠かすことのできないもので。
 だからこそ摩美々は彼を言い負かしたと言える。
 悪魔のように嗤う美しき獣の奥底にある真実を、たとえ一部なれど彼女は確かに射止めてのけたのだから。
「お喋りはもう良いでしょう。では現実を見せて差し上げる」
 しかし、しかし。
 口ではこの男は止められない。
 横溢する魔力/呪力。
 破滅的な一撃が数秒と経たない内にやってくると分かったからこそ、犯罪卿ウィリアム・ジェームズ・モリアーティは即座に行動していた。


625 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:49:38 gCskUQeU0


“我々に勝率はない。七草にちかのアーチャーの存在を勘定に含めても、アルターエゴ・リンボを討ち斃すには遠すぎる”
 頼みの綱はアシュレイ・ホライゾン。
 そして彼方の地で奮戦する星奈ひかるだった。
 しかし前者はリンボによって無力化されている。
 残るはひかるのみ。
 だが彼女も…時間を増す毎に気配と魔力反応が弱まっていた。
 櫻木真乃の様子を見るに彼女も彼女で死力を尽くしてくれているようだが――果たして間に合うか。
“出し惜しみをしていられる状況ではない”
 ウィリアムは懐から取り出した少量の紙片を口に含んだ。
 その名は地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)。
 この地で手に入れた、ウィリアムをして驚く程の効能を持った合成麻薬だった。
 通常のサーヴァントが服用してもきっと意味はないだろう。
 しかしウィリアムはこの界聖杯に集められたサーヴァント達の中でも最も非力であり…最も人間に近い。
 だからこそ。
 英霊でありながらその薬効の効き目に与ることができた。
 これより数時間の間は、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティは超人の領域に爪先だけでも踏み込むことができる。
“もしも万一。星奈ひかるが敗れ去り、あの修羅のランサーがリンボに加勢するような事態になれば…”
 とはいえそれは事態の好転を意味しない。
 クーポンを服用(キメ)たウィリアムでも、リンボには間違いなく敵わない。
 希望はもはやひかるだけだ。
 彼女が猗窩座に敗れたならその時点で…283プロダクションに起因する主従の連合軍の完全敗北は確定する。
“…私は。マスターに……彼女に、最悪の決断を迫らなければならないだろう”
 己一人で何処まで逃げられるかは分からない。
 しかし残りのマスターやサーヴァントを囮に使えるならば話は変わる。
 犯罪卿ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ。
 彼はマスターとその縁者がこの界聖杯を脱せることを最善としそのために尽力していたが。
 それでも――彼の中には確かな優先順位が存在していて。
 もしもこれまでの現状が"維持できる"という大前提が崩れたなら、その時は。
 己がマスターのために悪に徹することさえも辞さない構えでいた。
 そうならないことを祈りつつ。
 クーポン服用の証拠に目元へ独特の紋様を浮かび上がらせたウィリアム。
 そんな彼の行動や内心など無問題とばかりに――アルターエゴ・リンボは嗤っていた。


626 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:50:15 gCskUQeU0


「では。第一打と行きましょう」
 その言葉と共に。
 世界が揺れた、揺らいだ。
 リンボの行動は実に単純。
 撒き散らす呪詛の太源たる太陽から呪力を引き出し適当に叩きつけただけ。
 しかしそれだけで。
 水面に大岩を叩き込んで波紋が生まれるように、莫大なまでの呪いの波が生まれ。
 それはまともな戦う術を持たない少女達とそのサーヴァントに容赦なく襲いかかった。
 抵抗の余地などあろう筈もない。
 ライフル弾を打つ? 手持ちの爆薬を使う? 策を弄してこの状況からでも生き延びられる手を探る?
 無駄だ。
 全て無駄だ。
 そして更に。
 呪詛の炸裂が起こる一瞬前。
 此方の物事になどまるで意識を割けない程もう片方の戦争に意識を集中させていた少女が…櫻木真乃が。
「ぁ――」
 アーチャー、星奈ひかるのマスターが。
「ぁ…あ、ああぁあぁあああああ……!!」
 慟哭の声をあげて。
 それを以って全ての希望は潰えた。
 星は潰え境界線は地に堕し。
 光(おまえ)の出番は二度とない。
 嘲笑う獣の第一打が放たれ。
 忌まわしき波濤が、地を覆った。

    ◆ ◆ ◆

「おや」
 第一打、吹き荒れて。
 悪なるリンボは驚いたように目を開いた。
「おやおや、おやおやおや…存外にしぶといですね? あるいは悪運が強いと言うべきか。兎も角、ンン――」
 彼の一撃で命を落とした者は結論から述べるといなかった。
 アーチャー、メロウリンクのマスターである方の七草にちかは。
 己のサーヴァントに庇われながら地を転がることでどうにか押し寄せる呪いの波の安全圏に入ることができた。
 そして田中摩美々ともう一人の七草にちかはウィリアム・ジェームズ・モリアーティが助けた。
 神算めいた目算で安全圏を割り出し、そこに転がり込む形で二人を押し込んだ。
 損傷は大きかったが地獄への回数券の効力ですぐさま再生する。
 そんな彼も失意の櫻木真乃にまで手を伸ばす余裕はなかったが。
 彼女は――何の幸運か。
 最初から、疎らに押し寄せる呪詛の波の安全圏に座っていた。
 だから地を転がり意識を失う程度で済んだ。
 傷一つ許されないアイドルの体は細かな擦傷と土埃で塗れていたが…それでも命が残っているだけで僥倖だろう。
 果たして彼女が無事で済んだのはもうこの界聖杯に存在しない"星"のおかげなのか。
 そこの所は定かでなかったが…しかし。
 事態は依然として、何も好転などしていない。
 少なくとも二度目はないとこの場の全員が確信していた。


627 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:50:55 gCskUQeU0
「もはや令呪を扱える者すら少なくなりましたなァ…」
 サーヴァントを失った櫻木真乃とウィリアムのマスターである田中摩美々は意識を手放していた。
 今や意識があるマスターは二人の七草にちかのみ。
 彼女達が今此処で令呪を駆使し…よしんば逃亡が上手く行ったとしても。
 それでも最低限櫻木真乃と田中摩美々の二人は見捨てることを余儀なくされる。
「さて、さて。頭を捻り策を捏ね回すしか能のない蜘蛛めは良いとして」 
 リンボの目が向いたのは――機甲猟兵。
 メロウリンク=アリティーの方であった。
「不思議なお方だ。
 敢えて安全圏を用意したのはひとえに拙僧の諧謔ですが…貴方はマスターを守りたいが余り、自らの身を呪詛の氾濫の中へ置かねばならなかった筈」
「…ならどうした。勲章でも贈ってくれるのか?」
「いえ? ただ…興味を惹かれたものですから」
 ザッ、ザッ…と。
 リンボは彼の方に足を進め。
「少々試してみたくなった次第」
 そのまま手を翳した。
 それだけで確殺の準備は整う。
 神秘の残る時代の都を転覆させんと燃え盛った怨霊。
 それだけに留まらず、異なる邦の二柱の神をも取り込んだ陰陽師。
 その霊基及び行使できる権能の桁――土臭く泥臭い猟兵なぞとは比べ物にもならない。
「貴方はどうやら類稀なる星の元に生まれておられるらしい。
 特異点とまでは行かずとも。その近似値になれる程度の素養はありましょう」
「…随分と多弁なものだ」
 メロウリンク・アリティーは生きていた。
 あの呪いの波状攻撃の中、形振り構わない挺身を強いられながら。
 それでも全身に大小様々な擦過傷を負うのみで済んでいた。
 浴びた呪詛の総量も極めて小さい。
 異能じみた生存力。
 特異点の近似値。
 ああ、ならば?
「あぁ、あぁ、あぁ! では、では? この拙僧めが全霊で貴方という個の滅殺に注力したならば、どうなるのでしょうねェ――?」
 リンボの択は正解であった。
 彼は近似値。
 人より多少死ににくい。
 コンマ1%程度の可能性ならばモノにできる。
 だが、だが。
 所詮は近似値。
 本家本元の異能生存体には程遠く。
 この距離そしてこの状況で、圧倒的な出力差のあるサーヴァントを前にして。
 それが他でもない自分個人を狙い澄まして放つという先述の確率を遥か下回る"死"を前にして奇跡を掴み取れる程――万能ではない。
「興味深い。早速試してみるとします」
 リンボの魔手が伸びる。
 メロウリンクの判断は速かった。
“俺に此奴と継戦できるスペックはない。此奴の攻撃を耐えられるとも思えない”


628 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:51:36 gCskUQeU0
 ――即ち。
 継戦でも耐久でもなく応戦。
 対ATライフルに備え付けられた最大武装。
 ATの硬い装甲すら紙のように引き裂く機甲猟兵の牙…パイルバンカー。
 それを以ってリンボを撃ち抜き滅殺することを、彼は選んだのだ。
“…マスター。今から賭けに出る。令呪を使って援護を頼みたい”
“わ…分かりましたけど。大丈夫なんですよね……勝算、あるんですよね?”
“ある。少なくともゼロではない筈だ”
 令呪一画を載せた一撃であれば。
 慢心しきっているリンボの虚を突き終わらせられる可能性もある。
 苦し紛れの希望的観測ではない。
 メロウリンクは大真面目に、その勝利へと続くか細い糸口を見据えていた。
“ただそれで無理だった時は即座にもう一画を切ってくれ。
 令呪の効力があるとはいえこの身で何処まで無理が効くか分からないが…可能な限りの人員を連れて離脱する”
 七草にちか一人だけならば成功率も高いのだろうが。
 摩美々や失意の真乃、そしてもう一人の自分を置いて逃げ馬に乗ることを彼女は良しとしない…できないだろう。
 賭けに次ぐ賭けにはなる。
 それでも元より絶体絶命の断崖絶壁。
 無抵抗で殺されるよりは遥かに良い筈だとメロウリンクは信じていた。
“…不甲斐ないサーヴァントですまないな”
“謝んないでくださいよ…こんな時に。誰のおかげで私達が今生きてられると思ってるんですか。
 もうひとりの私のライダーさんに、摩美々さんとこのアサシンさんも確かに頑張ってくれましたけど。
 それでも……その。アーチャーさんだって、いっぱい仕事してたじゃないですか”
“……ふ”
“なっ! なんで笑うんですかー! 今の真面目な所なんですけどー!?”
“いや、すまない。笑うつもりはなかったんだが…ついな”
 丁度良かった。
 肩が心なしか軽くなった気がする。
 良い援護を貰えたとメロウリンクはそう独りごちながら。


 瞬時に――機甲猟兵メロウリンクの顔に戻る。
 敵はATに非ず。戦車にも歩兵にも非ず。
 敵は悪のアルターエゴ。
 ATを遥か置き去る破壊力と未知の危険性を多分に含んだ害悪存在。
 勝率、コンマ1%の果てしない下方。
 しかしゼロではない。
 ゼロではないのなら。
“令呪を以って命じます…アレ、ぶっ殺しちゃって! アーチャーさん!”
 機甲猟兵は戦える。
 弱者の牙、パイルバンカー。
 照準――アルターエゴ・リンボへ。
「ふはははははなんと無様! そしてなんと不格好な鼠か!
 今、今! このリンボめが貴様の運命を試してくれる!」
 リンボの手が印を結ぶ。
 そして高らかに叫ばんとした。
「死ねェ――何ッ!?」
 そこでメロウリンクは発射した。
 パイルバンカーを。
 令呪一画で強化されたそれは初速から音に届く。
 言葉はない。
 勝利への確信など存在しないからだ。
 無言のメロウリンクと動揺のリンボ。
 パイルバンカーの穂先は反応の追い付かないリンボの顔面に迫り――そして。
 爆ぜた。
 メロウリンクの牙はアルターエゴ・リンボに届いた。
 黒い灰のようになり崩れていくリンボの像。


629 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:52:05 gCskUQeU0
 しかしそれを見た瞬間。
 今尚リンボの呪詛との耐久戦に束縛されているアシュレイと彼女のマスターたる七草にちかが同時に叫んだ。
「ダメだ――アーチャー!」
「まだですッ、そいつまだ死んでない!」
 彼らがそれに気付けた理由。
 それは昨日の夕方に彼らがリンボを一度退けていたことにある。
 あの時もアルターエゴ・リンボは灰のように崩れ去った。
 しかしどうだ。
 リンボは悠々と生きており、跳梁跋扈し続けている。
 式神――。
 陰陽師の十八番であり、在り方を工夫すれば偽りの生活続命にも通ずる法術。
「 ン ン 」
 声はメロウリンク達の背後からした。
 空間からまろび出るアルターエゴ・リンボ。
 いつ入れ替わった。
 その疑問をようやく浮かべられたのはこの段階。
 そして目前で起こったことに思考が追い付いたにちかは一画減った顔面の令呪にすぐさま意識を集中させる。
「あ…アーチャーさん! 令呪を以って……!」
 だが。
「遅い」
 既にその時、リンボは行動を終えていた。
 その手から迸る呪わしき魔力。
 咄嗟にライフルを向け直そうとするメロウリンクだが間に合わない。
 そしてそれは、令呪の行使においてもだ。
 にちかが命令を口にし終える前に、問題なくリンボはメロウリンクを抹殺できる。
 完全なる詰み。
 確定する死。
 犯罪卿ウィリアムが増強された肉体性能に飽かして仕込み杖を投擲していたが、それも遅きに失した。
“…何か無いか。手は――”
 降り注ぐ死を前に近似値はそれでもと思考する。
 最後の一瞬まで考え続けた。
 しかし無情。
 さしもの彼もこの苦境では活路の一つも見出だせず。
 死は堕ちた。
 命が散った。
 死臭と噎せ返るような呪詛の中で一つの命が壊れる。


630 : さよなら君の声(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:52:45 gCskUQeU0


 …きっと。
 「七草にちか」はこの時起こったことを忘れられないだろう。
 全ての希望が潰えていた。
 そこには何もなくて、ただ絶望だけがあって。
 嘲笑う陰陽師の手から放たれた闇が機甲猟兵を貫かんと迫っていた。
 令呪行使は間に合わない。
 メロウリンクの反撃もやはり間に合わない。
 そんな中で、全ての時間が遅滞する錯覚をにちかは覚えた。
 …一ヶ月。
 それは日常ならば短いが、非日常であればあまりに長い時間だ。
 それだけの時間を七草にちかはメロウリンク=アリティと共に過ごしてきた。
 朝起きてご飯を食べて他愛ない話をして夜が来て。
 たまにはナーバスになって八つ当たりしちゃって、それでもメロウリンクは変わらず自分のサーヴァントで居てくれて。
 本戦が始まれば危ない所は助けてくれて。
 最初は随分と陰気臭い人を喚んでしまったと思ったものだったけど。
 それでもいつの間にか。
 メロウリンクはにちかにとって、唯一無二の存在になっていた。
 家族を失ったばかりのにちか。
 翼のないまま現実を生きることを選んだにちか。
 孤独で虚ろな少女(ヴァニティーガール)の隣にふらりと現れたメロウリンクの存在は。
 彼女にとってかけがえのない、少なくとも代えは利かない"パートナー"になっていた。
 誰だとて人間、孤独なままじゃ生きられない。
 肉体的にも社会的にもそうだし。
 何より心が耐えられない。
 ましてや多感な時期の少女であるなら尚のこと、そう。
 別に色恋じゃなくたって。
 その手の感情じゃなくたって…誰かを大切に思うということに貴賤はなくて。
 もう何もかもが取り返しのつかない時になって初めて七草にちかは気付いた。
 あぁ。私は――この寡黙なクセして変な所で可愛げのある猟兵のことが、思いの外好きだったらしいと。
 だから。
「…アーチャーさん!」
「――にちかッ!?」


“…うわ”
 その時。
“何やってんだろ…私”
 体が勝手に動いていた。


    ◆ ◆ ◆


631 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:58:04 gCskUQeU0

 その時七草にちかが取った行動は。
 別にメロウリンクを庇おうとしたとかそういうものではなかった。
 彼女はただ手を伸ばして、体を前のめりにしてメロウリンクを突き飛ばそうとしただけ。
 手が触れて、メロウリンクの大柄な体を微かに押し退けた。
 けれどそれでも充分。
 異能生存体の近似値たるメロウリンクのスキルは発動条件を達成。
 確定していた死に砂粒程とはいえ誤差(ノイズ)が紛れ込んだことで生存率が多少引き上がったことが功を奏し。
 彼の損傷は胴体に多少の裂傷を負う程度で済んだ。
 重傷なことには変わりないが命を落とすことに比べれば雲泥の差、これ以上ない僥倖だろう。
 ――しかし。
 いつだって彼らの中にある因子が守るのは本人だけだ。
 因果律さえねじ曲げるその幸運は。
 極まれば神の後継と呼ばれるにも至る驚異の遺伝子、その近似値は。
 彼らの周りにいる人間に対しては空寒いまでに冷酷である。
「…マスター」
「ぅ…ぁ、ぐ……ぅ」
 にちかは手を伸ばした。
 体を前のめりにしてメロウリンクに触れた。
 その結果メロウリンクは難を逃れたが。
 七草にちかは逆に…迸る死に巻き込まれることになってしまった。
「…アーチャー、さん……っ。何か…めっちゃ、体痛いんですけど……私の体……どう、なってます……?」
「それ以上喋っては駄目だ」
「…っ。あー……、……やっぱ、そういうことかぁ」
 伸ばした手諸共に。
 彼女の体は呪いに呑まれた。
 極度に肉体を損傷すると人間の体は脳内麻薬を分泌し苦痛を和らげてくれる。
 だからにちかは最初、本当に自分の容態が分からなかった。
 しかしメロウリンクの顔を見て理解してしまう。
 いつになく焦ったようなその顔。
 それを見て…悟ってしまった。
「…これ。もう、ダメなやつかぁ……」
 そして無情にもその言葉は的を射ていた。
 にちかの体には今右腕がなかった。
 右腕諸共に肩口から脇下までの肉をごっそりと吹き飛ばされていた。
 完全な致命傷だ。
 こうしている間にも明らかに危険な量の血液が傷口から毎秒流出し。
 にちかの声にはごぼごぼと泡立つような音が混ざる。
「アサシン――例の麻薬(クスリ)は残っているか」
「…まだ薬効が残っているかは分かりませんが――」
 唯一七草にちかを救命する手段は。
 ウィリアム・ジェームズ・モリアーティが持つ地獄への回数券を彼女に急いで服用させることだ。
 しかしウィリアムが持っていた量はごく少量であり、しかも既に先程口に含んでしまっている。
 よって完全状態の薬効には程遠いが、それでも試さない理由はない。
 ただ。


632 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:58:42 gCskUQeU0
「させると思いますか?」
 ウィリアムの口内にある地獄への回数券で七草にちかを救えるかという命題には絶望的な解答が存在していた。
 そもそも試せない。
 アルターエゴ・リンボは未だ健在であり、彼を止められる者も居ないのだ。
 そんな状況で回数券の受け渡しなどができる道理はなく。
 誰も七草にちかの死を覆せない。
 誰も…リンボの嘲笑を止められない。
「いやはや――実に善いものを見せていただきました。
 年端も行かぬ娘の命懸けの献身、本来守るべき存在に命を救われた男の焦燥!
 大枚叩かねば見られぬ極上の見世物でございましたよ。惜しみない拍手を贈らせていただきましょう」
 乾いた拍手の音を響かせながら。
 リンボは本物の獣のように眦を細めた。
 人の形をした生き物が浮かべるには邪悪過ぎるその貌は。
 笑みという表情が必ずしも好意を示す訳ではないという言説を悍ましい程明確に裏付けていて。
「しかし、しかしィ。この拙僧、こうも出来の良い演目を観せられると…自分で筆を足してみたくなる性分でしてな?」
 魔力横溢。
 魔力収束。
 呪力収斂。
 嗤う太陽が全てを塗り潰す予兆が破滅的にこの殺戮領域を満たしていく。
「生娘のちっぽけな勇気もその死の意味も!
 ――皆平等に殺して差し上げる!」
 これが撒き散らすのは災いのみだ。
 アルターエゴ・リンボも彼の盟友たる暗黒の悪霊も。
 悪意に塗れた災禍を手当り次第にばら撒いて、人の幸福や当たり前の日常を踏み躙ってこれで善しと笑うのだ。
 アシュレイ・ホライゾンはリンボを人造惑星(プラネテス)の魔星達になぞらえたが全く的確な表現だと膝を打つ他ない。
 これは最早蘆屋道満ですらないのだ、厳密に言えば。
 かつて蘆屋道満だったものの成れの果て、自らに宿業を植えた魔人。
「屑星は消え淡光は翳り。策謀は機能せず近似値は無能のままに終わる!
 甘露、甘露! 贅を極めた今宵の晩餐、骨まで食べ尽くさなければ罰が当たるというもの!
 ンンンン――それではこれにて!」
 そして終わりがやって来た。
 全ての物語を呑み込み。
 全ての生き様を踏み躙り。
 後に何も残さない呪いの化身たる暗黒太陽が煌々と漆黒に煌めいて。
「ご馳走様ァ〜〜〜〜〜ッ!!」
 283プロダクションに連なるアイドル達とそのサーヴァント。
 死を待つのみの七草にちかを含めて四人と三体。
 彼らの命運は哄笑の内に呑み込まれ、獣(ケダモノ)の胃袋に堕ちることで幕を閉じるのだった。


633 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 15:59:28 gCskUQeU0


 ――だが。
 その結末に否を唱える影がある。
「見つけた」
 声が響く。
 夜の闇を切り裂く凛とした声。
 呪い溢れる暗黒の中でも鋭く響く声。
 それと同時に、あり得ざる現象が生じた。
 天に浮かんだ暗黒太陽。
 臨界に至った悪霊左府の象徴が――
「相変わらずのようで安心したわ。そうでなければ斬り甲斐がないものね。こと貴方に関しては」
 瞬きの内に両断された。
 断末魔の声が轟く中。
 太陽の残骸の中から地に着地したのは一人の女だった。
 数多の刀剣を携えた美女。
 その面を見知るのは、アシュレイのマスターたるにちか。
 だが。彼女だけではない。
「ほう」
 心底驚いた…という顔だった。
 メロウリンクに追い立てられた式神が浮かべた驚愕とも違う。
 真実、予想だにしなかったという顔。
 可能性の一つとしてすら考慮していなかった…そんな顔だった。
「覚えのある気配を辿ってみれば案の定。
 此処に揃った面子には言いたいことも聞きたいことも諸々あるけれど。
 まずはこう言わせてもらいましょう」
 そんなリンボに女は最初笑っていたが。
 すぐにその表情から笑みは消え。
 研ぎ澄ました刃のように鋭く剣呑な怒気が覗いた。


「――追い付いたぞ、外道! キャスター・リンボ!」
「ンンンン何たる偶然! 何たる因果! よりにもよって貴様か――新免武蔵ィ!」


 女武蔵とリンボ。
 空へ至りし剣士と一切嘲弄の肉食獣。
 下総に始まりギリシャ異聞帯に途切れた因縁の両者が再び交わった瞬間であった。

    ◆ ◆ ◆


634 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:00:24 gCskUQeU0

「り…梨花ちゃんのセイバーさん! 来てくれたんですか!?」
「目一杯飛ばしたつもりだったんだけど…ごめんなさいね。間に合ったとは言えないわ」
 新免武蔵が此処へ駆けつけるまでにあったこと。
 大前提として彼女は先刻、最強生物カイドウが統べる領域"鬼ヶ島"へ踏み入りそして完膚なきまでに敗北した。
 鬼ヶ島にカイドウは不在であったにも関わらずだ。
 相性差と地の利の差を最大限に活かした戦闘の末、武蔵は一矢こそ報いたものの敗北。
 瀕死の重傷と霊骸による汚染を浴びながら中野区の路上に放り出された。
 マスターの令呪である程度快調はしたものの…それでも万全には程遠い。
 更に特定の主従に生殺与奪を握られている状態でもあり、むしろ非常にまずい状態が続いていた。
「貴方のお姉さんから安否確認の文があったでしょ」
「あ…」
「本当は貴方達と合流するまで護衛していてあげたかったんだけどね。
 ちょっと不味い魔力を感じたから…放っておくわけにも行かなかったの。
 一応安全な所に留まっておくよう釘は刺したけど、無責任と言われても仕方ないわ」
「そ…そんなことないですよ。現に私達、その……セイバーさんが助けてくれなかったら――全滅、してたわけじゃないですか」
「…助けた、か」
 虚ろな目をして横たわる少女を見やる。
 彼女は、今自分が話している七草にちかと同じ顔。
 そして同じ姿をしていた。
 双子などではない。
 完全な同一人物…それがどういう絡繰りなのかまでは武蔵には分からなかったが。
 確かなのは一つ。
 自分がもうあと数十秒でも早く此処に着けていれば。
 間に合っていれば。
 彼女が犠牲になることはなかっただろうという事実のみだった。
「あの外道とは浅からぬ因縁があるの。私が引き受けるから…貴女はあっちのにちかちゃんの所に行ってあげて」
「っ…わ……分かりました……!」
 ただ。
 逆に言えばそれは――七草にちかが行動を起こさなければ。
 彼女がメロウリンクが黙って殺されることを善しとしていたならば、武蔵は完全に手遅れの状況に参じることになっていたということでもある。
 にちかの行動に驚いたリンボは一旦手を止め嗜虐のままにそれを嘲笑った。
 その時間が無ければ。
 アルターエゴ・リンボによる終幕の一撃が放たれるまではもっと早かっただろう。
 であればさしもの新免武蔵も間に合わなかった。
 近似値だけでは避け得なかった死のさだめ。
 七草にちかがそれを一寸の勇気で捻じ曲げた。
 それがリンボの勝利を狂わせ。
 新免武蔵の失態を最低限で留めたのだ。
「…助かったよ、セイバー。本当に何と礼を言ったらいいか分からない」
 武蔵が暗黒太陽、悪霊左府を斬り伏せたことにより。
 アシュレイもまた呪詛の束縛から解放された。
 その体はあれほど長い間制圧されていたというのに傷一つない。
 永久機関と化した彼の回復力、癒しの炎の凄まじさが窺えたが…そんな賞賛の言葉をかけたとて今の彼は喜ばないだろう。
「話は後にしましょう。悪いんだけど…あっちの入れ墨男の相手は任せてもいい?」
 そう言って武蔵は先刻まで星奈ひかるが奮戦していた方を指し示す。
 そちらから歩みを進めてくる影があった。
 星奈ひかるを討ち倒し勝者となり、されどそれでは満足しない男。
 殲滅に全身全霊を懸けている猗窩座がひかるに免じて矛を収めるようなことなど有り得ない。
 彼自身相当な疲弊を抱えてはいるものの。
 まだ戦いを続ける腹積もりのようだった。
「分かった。アイツは俺が引き受けるから…リンボの相手は頼んだ」
 そう言ってアシュレイは猗窩座の方へ。
 そして新免武蔵は――アルターエゴ・リンボと相対す。
 中野区で突如轟音と地震のように大きな揺れが轟いた時から警戒は始めていた。
 だが七草はづきを護衛し続ける方針を変えようとは考えていなかった。
 それを一も二もなく変更したのは…彼女自身も言っていたように、隣区から"覚えのある"強大な魔力反応を感じ取った瞬間のことだ。
 瞬時に分かった。"奴"であると。
 武蔵は厭離穢土の惨劇を知っている。
 もしもあの次元の災禍が発生しているというのであれば放置はできない。
 捨て置けば必ず最悪の結果が生まれる。
 だから己の方針を曲げた。
 そしてその決断は結果的に…"この世界の"七草はづきの妹であるにちかを守ることに繋がった。
 そうでない方のにちかは、助けられなかったが。
「此処で逢ったが百年目。今回こそは斬らせて貰うわよ、リンボ」
 武蔵、宿敵を睥睨。
 鷹の目を思わす鋭い眼光。
 天眼の眼光に射抜かれたリンボは「ンン」と嗤って――

    ◆ ◆ ◆


635 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:00:59 gCskUQeU0

 武蔵の乱入によりリンボから余裕は失われた。
 猗窩座が此方へ来る最悪の展開もアシュレイが防いでくれている。
 彼らの働きによってようやく、意識ある者達が七草にちかに駆け寄る隙が生まれた。
 田中摩美々と櫻木真乃はリンボの第一打の時点で気絶している。
 よって正確な意味で駆け寄れたのはウィリアムを除けば…もう一人の七草にちかのみだった。
“傷口が回復しない…やはりこれだけの量では無茶か……”
 ウィリアムは倒れたにちかに回数券の残りを服用させたが。
 傷口が多少蠢くような様子はあったものの、完全な回復までには至ってくれなかった。
 そしてそれは…最早彼女を救命する手立てはないということを意味している。
「…だい……じょうぶ、ですよ。見た目ほど痛くないんです、なんでか知りませんけど……」
 彼女にもう一画令呪を使わせるなりして付近の病院なりに駆け込むか?
 否、無理だ。隣区が丸ごと吹き飛ぶ異常事態が起こった以上、その手の機関がまともに機能している筈はないし。
 仮に機能し続けていたとしても、にちかの負った傷はあまりに致命的過ぎる。
 失血も臓器への損壊も…いずれも現代の医学力を以ってしても手に余る致命傷だ。
 医術の心得も一通り修めているウィリアムですら、これを救えるかと言われたら首を横に振るしかないだろう。
「なんて顔してるんですか…死にそうって言っても、自分ですよ……。
 そんなそっちが死にそうな顔しなくても、いいでしょ……もう一人の、わたし……」
「…ッ。こんな時に何言ってるんですか馬鹿! に……憎まれ口もいい加減にしたらどうなんですか!?」
 偶像・七草にちかにとって。
 目の前で今にも命の灯火が消えそうになっている"七草にちか"は紛れもなく自分自身だが。
 だがしかし、完全に自分と同じ存在だとして同一視できているわけではなかった。
 それは考えるまでもなく当然のこと。
「大体…なに格好つけてるんですか。あなたは私なんだから……っ、うんとぴーぴー泣いて騒いでなきゃおかしいじゃないですか!」
 自分の姿形をして自分の声で喋り自分の名前を名乗る存在。
 そんな不可解な存在が目前に居たとしても、この"自分"自身の意思を離れて動いたり喋ったりしている時点でそれは決して同一人物にはなり得ない。
 なればこそ当然。
 死のうとしているのが他でもない自分だからと言って、ニヒルな表情など出来やしなかった。
「そんな悟ったみたいな顔して死ぬとか…そんなキャラじゃないでしょ、私(にちか)は」
 今から何時間か前にはお互いの地金を晒して感情をぶつけ合った相手。
 思い出すとむかむかしてくる部分はないでもなかったがそれでも。
 そうまでして語らった相手が…自分とは違う道程を辿った人間が。
 目の前で血肉を撒き散らして死んでいくという光景は純粋に心が痛かった。
「…ううん、もう一人の私」
 そんな偶像(にちか)とは裏腹に。
 死にゆく少女(にちか)はひどく静かだった。
 恐怖がないわけじゃない。
 しかしそれ以上に凪いでいた。
「たぶんもう死んでたんですよ、七草にちかは。
 眩しいものに背を向けて人間になったあの日に。
 私の中の可能性、なんて――無くなっちゃってたんです」
 界聖杯を争奪する聖杯戦争。
 その参加者の条件は可能性の器たること。
 偶像であることを放棄した少女が。
 人間であることを選んだ少女が辿り着いた答えはつまるところそれだった。


636 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:01:40 gCskUQeU0
「だから…まぁ。落ち着くとこに落ち着いた……みたいな感じじゃないですかね、……これも。
 そう考えたら……いろいろ、諦めも……」
「――はぁ!? ふざけないでくださいっ、何スカしてんですかこの馬鹿女!」
 だが。
「見ててくれるって…言ったじゃないですか!」
 輝くことを選んだにちかはそれを声をあげて拒絶した。
 そんなふざけた話はないし、もしあったとしても許さないと。
 駄々をこねる子供のように感情を剥き出しにして、涙で赤くなった目を見開き吠えていた。
「それに私言いましたよね、なみちゃんみたいになってやるから見てろって!
 才能なしの石ころのくせに約束まで破るんですか!?」
「………」
「勝手に…諦めてないで……っ。
 見ててよ、私のこと。見てろよぉ……!」
「…はは」
 強がって言ったわけじゃない。
 あの時。もう一人の自分と話して。
 改めて思ったことだった。
 母もいない、姉もいない世界で人間として…石ころとして生きていく自分は。
 この地に落ちても眩しく輝き飛び立とうとする自分(にちか)に比べて…あまりにもちっぽけだったから。
 きっと七草にちかは本来偶像(アイドル)になるべきだった存在で。
 それなのに輝くことに背を向けてしまったのだから、きっとあの時"七草にちか"は死んだのだと。
 そう思った。そう思ったまま死んでいくつもりだった。
 …でも。こうして他でもない自分自身にぐちゃぐちゃの顔で泣かれ怒られるとそんな斜に構えた考えも自然と奥に引っ込んでしまう。
「しょうがないなぁ…。見ててあげますよ、ちゃんと……ずっと」
 声が漏れる。
 声に血の泡立つ音が混ざるのが本人としては気になった。
 こんな時くらい格好良く行かせてくださいよと神様に文句を言う。
「だから…勝手に諦めちゃうとかは、……ナシですよ。もしそんなことしたら…私がさっきのキモい太陽みたいになって、死ぬまで祟りますからね」
「じゃあ…そっちこそ」
 自分のことでこんなに泣けるのか。
 他人事のように見上げる自分の顔はそんな茶化しが言えないくらいぐちゃぐちゃで。
「ちゃんと……約束。守ってくださいね」
「ま…私も……、自分が、なみちゃんみたいなアイドルになって活躍してるってのは……きっと、悪い気分じゃないはずなんで。
 飽きるまでは…ちゃんと約束守って、見ててあげますから」
「飽きるまでは――じゃダメでしょ。ずっとです。ずっと。勝手に約束変えないでください」
「…はいはい。そういう約束でした、もんねー……」
 "羨ましい"とは多分違う。
 今人生をやり直せるとしたって自分はきっとアイドルにはならないだろう。
 だけどそれとは別に。
 アイドルを目指して夢破れてそれでも羽ばたこうとするもう一人の自分の姿は…やっぱり、すごく眩しかった。


637 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:02:00 gCskUQeU0
「…だから頑張れ、"七草にちか"。私じゃない私(あなた)」
「っ…頑張ってやりますよ、目いっぱい! だから見てろよ……"七草にちか"!」
 精々頑張れ七草にちか。
 自分にないもの全部を持ってるあなた。
 不思議と妬みはなかった。
 ただただ眩しくて。自分とは思えない程凄いなと感じられて。
 だから…まぁ。死後(あっち)なんてものがあるのなら、約束くらいは守ってやろうとそう思えた。


638 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:02:34 gCskUQeU0


「………」
 もうだいぶ息も苦しくなってきた。
 視界はとっくに掠れて何も分からない。
 そんな状態で、気配だけを頼りに自分のサーヴァントの方を見る。
 メロウリンク=アリティ。
 この一月を共にして、最後はらしくもなく身を挺して助けてしまった相手。
「アーチャーさん…ちゃんと居てくれてます……?」
「…あぁ。俺は此処だ、マスター」
「よかった。ちょっともう…物とかよく見えなくなってきてて」
 この一月。
 鬱陶しく感じることもたまにはあったけど不思議と嫌だと感じたことはなかった。
 姉も母ももういない自分とただ一人一緒に過ごしてくれた彼。
 家族みたいだったなんて面と向かって言うのは気恥ずかしさが過ぎてできないけども。
 それでも…この世界を去るにあたって最後に話すのは彼であるべきだとにちかは思った。
「ごめんなさい、ダメなマスターで。がっかりしたでしょ?」
「そんなことはない。マスターがお前でなかったなら…俺は今此処に居ないのだから」
「あんなの…誰でもできることですよ。もう一人の私でも、摩美々さんでも、真乃さんでも……誰でも」
「ああ。確かにそうかもしれない」
 だが、と。
 メロウリンクは彼女の目を見て続けた。
「それでも俺は、マスターがお前で良かったと思う」
「…そう、ですか。なら……まぁ、ちょっとは報われますねー……」
 にちかにしかできない行動ではなかったかもしれない。
 偶像として輝き人々を魅了する者達ならば。
 誰もが眩しい善性のままに実行できた行動だったのかもしれない。
 それでも――それでも。
 メロウリンクは彼女の行動を尊いものだと断言し。
 お前がマスターで良かったと迷いなく死にゆく少女に言った。
「アーチャーさん」
「…なんだ」
「最後に…その。こんなこと、言うの……いい歳して、マジで恥ずかしいんですけど……」
 薄れゆく意識の中それでも笑うにちか。
「…手を。握ってもらっても……いいですか」
「…あぁ。お安い御用だ」
 何もかもが血と一緒に流れ出たみたいに曖昧な中で。
 彼の手の感触だけが唯一鮮明だった。
 だから子供みたいに握り返してしまう。
 ぎゅ…と。力なく、それでも精一杯力を込めて。


639 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:03:11 gCskUQeU0
「…今までありがとうございました、アーチャーさん。いろいろ」
「礼を言うのは俺の方だ」
「ホントいろいろありましたけど…一ヶ月、楽しかったです。
 アーチャーさんは……どうでした? こんな生意気なだけのガキと一つ屋根の下なんて……嫌だったでしょ?」
 その問いかけに対して。
「そうだな」
 メロウリンクは…苦笑した。
「俺も、楽しかったさ。にちか」
 その言葉を聞いた瞬間に。
 七草にちかの体から力が消えた。
 ふっと脱力していく中でもまだ意識は残っていて。
 それでもつないだ手が離れないように固く握ってくれている"彼"の感触は分かって。
 お兄ちゃんが居たならこんな感じだったのかなぁと思った。
 死ぬのは今でも正直怖いけど。
 これなら少しはましな心地で逝けそうだ。
 残ったなけなしの意識も感覚も薄れていく。
 でも。
 最後にひとつ。
 これだけは言いたくて。
 もう動かない体に、必死に祈って。
「なら……よかったです」
 そう言って笑った。
 あぁ。
 よかった。
 最後に、笑えて。
 女の子もアイドルも。
 やっぱり笑顔が大事、ですもんね。

【七草にちか(弓)@アイドルマスターシャイニーカラーズ  死亡】

    ◆ ◆ ◆


640 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:03:33 gCskUQeU0

「今宵は退きます。さしもの拙僧も無策で天下の新免武蔵と死合いたくはないもので」
 決着の舞台をあっさりと捨てた。
 武蔵の眉間に皺が寄る。
 リンボはそれに気圧されることもなく嗤っていた。
「逃がすと思う?」
「逃げますので。気張るだけ無駄かと思いますよ。
 その暇があるのでしたら…貴女の愚鈍さで救えなかったあの小娘に線香の一本でも供えて来ては如何か」
「はぁ…本当変わらないのね貴方。相変わらず誰かの腸を煮えくり返らせることしかしない。いえ、できないのかしら」
 アルターエゴ・リンボの最も悪辣な所は、引き時を弁えていることだ。
 自分が圧倒的に優位な立場であれば迷走もするが…そうでない時は撤退も日和見も善しとする。
 武蔵はリンボが隙を見せれば即座に斬るつもりだったが生憎彼は弁えていた。
 新免武蔵が目前に居ることの意味を理解しているからこそ油断しない。驕らない。
 彼程の使い手に正々堂々逃げを選ばれると、さしもの武蔵も攻めあぐねてしまう。
「そういうわけでランサー殿。拙僧はそろそろ退きますので、御身も早々に決断をなさるがよろしい」
 アシュレイと戦いを続けている猗窩座。
 彼の全身に甚大な疲弊が刻まれていることにリンボは既に気付いていた。
 アシュレイが発揮する火力も上限突破は不可能なれど決して生易しい次元にはない。
 あれ程疲弊した体で相手取るには手に余る。
 となると賢明なのは大人しく退くことだが、大上段から命令すれば彼の不興を買うだろう。
 だから彼自身の理性に任せる物言いをした。
 リンボは猗窩座という英霊個人に対しては然程興味がない。
 だからこその、半ば放任じみた態度なのだった。
「戦果は上々。これならば我らが王様方も満足してくれるでしょう」
 何しろ英霊一体にマスター一人。
 決して小さな戦果ではない。
 残せた爪痕は大きい。
「とはいえ…。折角女武蔵(あなた)という新たな役者も馳せ参じて下さったのですし。
 此処は作法に倣い、盛り上げの一つでもして舞台袖へ戻るとしましょうか」
 今宵の戦い。
 283プロダクション側の勢力は敗北した。
 ベルゼバブを撃破はできたものの。
 それが去った後にやって来た脅威に彼らは押し潰された。
 その結果が一体と一人の犠牲だ。
 これでも犠牲を少なくできた方であるというその事実が、何より明確に彼らが敗北した事実を示している。


641 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:04:14 gCskUQeU0


「恐るべき母(ママ)に鬼ヶ島を統べる最強生物。
 母に従う子供達(チルドレン)と、龍王に傅く百もの獣達。
 美しき獣たる我にそこで戦う修羅の鬼、そして多弁な道化。
 何に怖じることもなく。誰に傅くこともない、まさに究極の軍勢なれば」


 リンボの体が宙へと浮く。
 そこに理屈を与えることに意味はない。
 理屈を求めた時点で彼の手中だ。
 彼はリンボの名を冠するアルターエゴ。
 呼吸するように誰かにとっての悪夢を描く道化師。


「我らは"海賊同盟"。今宵の勝利に酔いながら、今後もこの都で悪事(わるさ)を働きましょう」


 大仰に両手を開きながらリンボは芝居がかった口上を紡ぎ続ける。


「挫きたければ来るがいい。討ち倒したくば挑むがいい!
 歓迎しましょうその全てを。玩弄しましょうその全てを!
 貴様らの方舟は最早、我らにとって許容する余地のない戯言と化した!」


 海賊同盟――彼らは名を聞くのも初めてだろう単語は。
 しかしリンボが所属する陣営であるという時点で、彼らとの今後の激突を予期させた。
 そしてまさしくその通り。
 この世界で聖杯戦争に臨む限り、誰もかの軍勢との縁を切り離せない。
 ビッグ・マム。そしてカイドウ。
 二人の皇帝から成る大軍勢。
 既にそれは盟を結び終えており。
 じきに鏡の世界から飛び出して――この東京を更なる恐怖に陥れる。


642 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:04:35 gCskUQeU0




「――始めましょう、海賊(われら)と方舟(きさまら)。どちらが生存るか死滅るか!」




    ◆ ◆ ◆


643 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:05:08 gCskUQeU0

 陰陽師が消える。
 その姿を、消えゆく嘲笑を。
 機甲猟兵は睥睨していた。
 七草にちかは死んだ。
 偶像を諦め、人間として生きることを選んだ少女は死んだ。
 奴(リンボ)によって殺された。
 その事実がメロウリンク=アリティの中に一つの炎を灯す。
 ドス黒い、粘り付くような闇色の炎。
 人はそれを。
 復讐心と呼んだ。
「――アルターエゴ・リンボ」
 メロウリンク=アリティ。
 彼が持つもう一つのクラス適性。
「逃げたければ逃げろ。笑いたければ笑っていろ。忘れたければ忘れても構わない。
 だが」
 それは――復讐者(アヴェンジャー)。
「俺は。お前を決して忘れない」
 死化粧の準備は整った。
 彼の聖杯戦争は敗北で幕を下ろし。
 そしてこれより戦争ではなく逆襲劇が幕を開ける。
 血の通わない少女の手を握り締めメロウリンクはまた一つ、帰らぬ命を胸に刻んだ。

【杉並区(善福寺川緑地公園)/二日目・未明】

【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:ダメージ(中)、霊骸汚染(中)、魔力充実、 令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:梨花を助ける。そのために、まずは…
1:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
4:あの鬼侍殿の宿業、はてさてどうしてくれようか。
5:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。

【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(極大)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、顔面が涙と鼻水でぐちゃぐちゃ
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:…私、は。
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。


644 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:05:39 gCskUQeU0

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(極大)、疲労(極大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
0:ランサー(猗窩座)を止める。
1:今度こそ、Pの元へ向かう。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。

【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(大・ただし致命傷は一切ない)、マスター喪失、疲労(大)、アルターエゴ・リンボへの復讐心
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:…にちか。
1:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)への復讐を果たす。
2:『自分の命も等しく駒にする』ってところは、あの軍の連中と違うな……
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
4:少しだけ、小隊長のことを思い出した。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、
アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。
また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。
アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※マスターを喪失しましたが、単独行動スキルにより引き続き現界の維持が可能です。

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:気絶、疲労(大)、ところどころ服が焦げてる
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:ただ、プロデューサーに、生きていてほしい。
1:もう一人の蜘蛛ではなく、そのマスターと話がしたい
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています


645 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:06:13 gCskUQeU0

【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:心痛、覚悟、『地獄への回数券』服用
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:Mとの会話録音記録、予備の携帯端末複数(災害跡地で入手)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
0:…私は。
1:いずれはライダー(アッシュ)とも改めて情報交換を行う。
2:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。
3:"割れた子供達"、“皮下医院”、“峰津院財閥”。今は彼らを凌ぐべく立ち回る。
4:いざとなればマスターを信頼できるサーヴァントに預けて、手段を選ばない汚れ仕事に徹する―――だが、願わくばマスターの想いを尊重したい。
5:乱戦を乗り切ることが出来たならば、"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"の安否も確認したい。
[備考]
※ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
※櫻木真乃およびアーチャー(星奈ひかる)から、本選一日目夜までの行動を聞き出しました。

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(大)、精神的疲労(極大)、深い悲しみ、強い決意、気絶、サーヴァント喪失
[令呪]:喪失
[装備]:なし
[道具]:予備の携帯端末
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
0:――ひかるちゃん。私、私…
1:優しい人達に寄り添いたい。そのために強くありたい。
2:あさひくんとプロデューサーさんとも、いつかは向き合いたい。
3:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
[備考]
※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:?????
1:プロデューサーに従い、戦い続ける。

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:気分高揚、魔力消費(中)、霊体化して撤退中
[装備]:なし
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:いやはや見ごたえのある良い舞台でしたなぁ。
2:計画を最終段階に移す。フォーリナーのマスターを抹殺する。
3:式神は引き続き計画のために行動する。
4:…のつもりでしたが、やめました。祭りの気配がしますぞ、ンンン――。
5:式神にさせるつもりだった役目は本体が直接担うことに変更。何をするつもりかはおまかせします。
6:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
7:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
8:機会があればまたプロデューサーに会いたい。

    ◆ ◆ ◆


646 : さよなら君の声(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:06:35 gCskUQeU0

 そして。
 この戦端に参加することのなかった男。
 腕からまた一画消えた刻印を見やる彼。
 かの地で未だ戦い続ける修羅、猗窩座の行動は彼の一存で決まるだろう。
 戦いの継続か。
 それとも撤退か。
 或いは彼自身も戦場に姿を現すのか。
 それはまだ分からない。
 だが一つ確かなことは。
 男はもう、戻れないということだった。

【杉並区・戦場近辺/二日目・未明】

【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(中)、???
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×10枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。……動かなくてはいけない。
0:?????
1:にちか(騎)と話すのは彼女達の安全が確保されてからだ。もしも“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
2:283陣営を攻撃する中でグラス・チルドレン陣営も同様に消耗させ、最終的に両者を排除する。
3:白瀬咲耶が死んだことに悲しむ権利なんて、自分にはない。
4:『彼女』に対しては、躊躇はしない。
5:序盤は敵を作らず、集団形成ができたらベスト。生き残り、勝つ為の行動を取る。
6:神戸あさひは利用出来ると考える。いざとなれば、使う。
7:星野アイたちに関する情報も、早急に外部へ伝えたい。
[備考]
※チェス戎兵を中心に複数体のホーミーズを率いています。中には『覚醒者』であるグラス・チルドレンのメンバーや予選マスターの魂を使った純度の高い個体も混じっています。
※今回の強襲計画を神戸あさひ達が認知しているのか、またはその場合協力の手筈を打っているのかは次のリレーにおまかせします。


647 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/14(土) 16:07:51 gCskUQeU0
以上で投下終了となります。
タイトルについては投下した通りの内容で、
prismatic Fate
Stella-rium(前編)
Stella-rium(後編)
さよなら君の声(前編)
さよなら君の声(後編)
でお願いします。


648 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/15(日) 16:07:52 qd2cep6g0
櫻木真乃
アーチャー(メロウリンク)
七草にちか(騎)&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
田中摩美々&アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)

予約します


649 : ◆0pIloi6gg. :2022/05/17(火) 02:16:08 LfuHetVU0
どうして毎回感想を貯めるんですか?(地平猫)

>僕の戦争
田中という不穏分子のために繰り広げられた荒事騒ぎでしたが、連合の盤石さにビビりますね……。
一人一人は決して強くなくても数が居て、その上戦局を大きく変えられる力と智謀のある軍団というもの厄介さがこれでもかと伝わりました。
葛藤し動揺する田中の最後の迷いを振り切りつつ、しかし必死になるでもなくただ来いよと促す弔が王の風格たっぷりでたまらないですね。
吉良陣営はこうして状況的に崖っぷちに追い込まれ、のちの話に繋がっていくわけですが……最後までおやじは本当頑張ったなあ。
そしてなにげに大和アラフィフの会談とかいうとんでもないイベントも出現していてますます目が離せない……

>掃き溜めにラブソングを
うおおおおおお、面白い! バトル、対話、そして掘り下げと全員に等しく見せ場の与えられた力作でした。
バブさんの恐ろしいまでの強さが283組をあっという間に壊滅状態へ陥らせてからの、ヘリオス表出化。
烈奏パワーを前線へ押し出して今度はバブさんを一転圧倒し、されどその先に至ってしまうことはひかるが止める。美しい物語の流れがありました。
ひかるちゃんが此処でヘリオスを命懸けで止めたことが後の話に繋がっていくと思うと、本当にこれは氏の妙が効いたなあ……と思います。
そして最早語るに及ばぬ最後の引き。あまりにも熱すぎるし、実際この後熱すぎるお話に繋がっていくのです……リレー小説おもしろ!

>吉良吉影は動かない
ジョジョの奇妙な冒険第四部のラスボスとしてではなく、杜王町の日常に潜む殺人鬼としての一面をクローズアップされていた吉良。
そんな彼を最後までその性質や姿勢を崩させることなく、"街角の殺人鬼"のまま滅ぼすという偉業を成し遂げたお話でした。
スイッチが入るなり迷わず行動に移す吉良の恐ろしさ、逆境の中でも果敢に打開へ挑む鳥子の強さ。
そしてアビゲイルの底のない性質と彼女自身の優しさと、それぞれの作品の良さを最大まで引き出した傑作だったと思います。
吉良の最期もめちゃくちゃ良いんですよね……氏お得意の演出に乗せて繰り出される異界の理描写、たいへん恐ろしいので。

>prismatic Fate/Stella-rium/さよなら君の声
超大作。息つく間もないとはまさにこのことかと思わす、怒涛の展開の連続で読みすすめる手が止まりませんでした。
バブさんという脅威を退けたばかりだというのに、彼が前話で魅せた強さや恐ろしさに何ら見劣りしない猗窩座の武力。
そしてそれに立ち向かい、散っていったひかる――キュアスターというサーヴァントの強さ、生き様、輝き。
乱入してきたリンボの悪辣さに慄き、メロウリンクを助けたにちかの死に胸を打たれ、リンボのマイクパフォーマンス(?)で盛り上がる……という。
一話の中にこれほどまでに盛り上がりを詰め込んでくるか……と思わず驚嘆してしまう大作、お見事でした。


また自分の予約分についてですが、申し訳ありませんが一度破棄させていただきます。
インターバル期間後、空いていたらまた予約させていただきます。最近破棄が続いていて申し訳ない……。


650 : ◆MSWNXc4zEA :2022/05/17(火) 23:44:51 nDuUU3/20
ガムテ&ライダー(シャーロット・リンリン)
ライダー(カイドウ)
アルターエゴ(蘆屋道満)

予約します


651 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/18(水) 00:26:57 0avIAjPs0
古手梨花、リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)、皮下真予約します


652 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/18(水) 00:50:36 0avIAjPs0
梨花予約されていたのを見通してました、申し訳ないです。
古手梨花を予約から外して、北条沙都子を追加予約させていただきます


653 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/18(水) 01:12:41 wrWajr9M0
すいません、こちらこそ考えていた展開に穴があり、古手梨花の予約を破棄させていただきます
キャラの拘束、申し訳ありませんでした


654 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/18(水) 01:48:41 0avIAjPs0
>>653
此方こそ予約の見落とし大変失礼致しました。
以後こういう事がないように気を付けます。

◆Sm7EAPLvFw氏が予約メンバーから古手梨花を破棄するということですので、>>652で追加予約させていただいた北条沙都子を予約から外し、正式に古手梨花を予約メンバーに追加します。
お騒がせしてしまい申し訳ございません。


655 : ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 17:54:41 XiXTFHWQ0
投下します


656 : Surprise MOM Logic ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 17:58:38 XiXTFHWQ0

アルターエゴ・リンボが杉並区から姿を消した直後。
一仕事を終え。
プロデューサーとそのサーヴァントを戦場に置いたまま、怪しき陰陽師は鏡面世界へと舞い戻っていた。

「フン…サーヴァント一騎にマスターの小娘が一匹か。まぁ上出来だな」
「ハーハハハ!どうだいカイドウ!ウチの奴も中々やるもんだろう!!」

リンボより報告された戦果を耳にして。
ビッグマムは上機嫌な様子で同盟者に部下の働きを誇った。
カイドウの心底鬱陶し気な表情も、彼女は気にしない。
そのままにんまり笑みを浮かべ、プロデューサーの所在を尋ねる。

「……で?プロデューサーの奴は何処だい?健気におれの為に命令を果したんだ。
一言くらいは労ってやろうじゃねェか!」

呵々大笑、破顔した表情で、自分の命令を令呪を使ってまで果たそうとした忠実な部下はどこにいる。
そう尋ねられたリンボは相変わらず嫌悪を催す笑みで。
しかしその笑みは先ほどまでとは違い、心なしか硬かった。

「どうしたんだい?お前が戻ってるって事はプロデューサーの奴ももう戻ってるって事だろう?さぁ早く呼んできな!」

普段は喧しい陰陽師が珍しく言葉に詰まったように押し黙り。
それを見て訝し気に眉をひそめ、追及の言葉を吐く。
対してリンボが放った返答はこれまで上機嫌だった彼女の機嫌を著しく反転させるものだった。

「─────あ゛?」

リンボは間違いなく仕事を果した。
数に勝る敵方の不意を突き、己の宝具で圧倒し、悪意を以てマスター殺しを成し遂げた。
全滅にこそ至らなかったものの正しく大戦果だ。そこについては疑いようもない。
だが、その”後始末”がマムの機嫌を損ねたのだ。
再び眉根に皺を刻み、恐るべき母は詰問を開始する。

「するってぇと…テメェは何か?まだ敵が残ってるってのに、
プロデューサーのバカ共を置いて自分一人さっさと帰ってきたって事か?」

何だか、話の雲行きが怪しくなってきた。
敏感にそれを感じ取ると、リンボは軌道修正を図るべく反論する。

「ンン。そう心配なさらずとも、彼の者たちはみな満身創痍。
それに拙僧が上段から申せばかの槍兵の不興を買うと判断した次第にて」
「ほうほうほう…じゃあテメエはおれの機嫌よりランサーの機嫌を優先したって事だね?」


657 : Surprise MOM Logic ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 17:59:48 XiXTFHWQ0

話が、完全に不味い方向へと向かってきた。
狡猾なるリンボをしてここまであの主従を買っているとは想定外だったからだ。
事実、彼女と同格のもう一人の四皇は冷めた目線で一部始終を眺めている。
また始まったと言いたげな視線だった。
リンボと視線が一瞬触れ合う。
俺に振るな。俺は空気だ。自分の尻くらい自分で吹け。
目線のみでそう告げられた後にぷいと視線を逸らされれば、彼からの助け船は望めない。
その事を悟ったリンボは、その悪意で満ちた頭脳を働かせ、話をすり替えてみる。

「滅相も無き事、しかし…僭越ながら、ランサーが脱落した所で構わないのでは?
プロデューサーのランサーめにはビッグマム殿への叛意も見受けられました」

リンボは語る。
多少の脚色も交え、彼の鬼の槍兵が敵に情を抱いていたことを。
援護を放った自身に対し殺意を総身に漲らせ相対していたことを。
加えて、あの鬼のランサーの戦力はそう大したものではない。
多弁な道化に比べれば上だが、二人の皇帝はおろか自分にも及ばない。
ならばここで使い潰したとしてもそう影響はないのでは…?と。
その見立ては間違ってはいない。
事実、マムのマスターであるガムテの考えもそれに近しい物だったから。
しかし、その考えは明確にビッグ・マムという女を図り間違えた物だとリンボは知る事となる。

「まず間違いなく、あの悪鬼はいずれライダー殿に牙を?くでしょう。ですので───」
「誤魔化すんじゃねェよケダモノ野郎。誰がそんな事を頼んだ?
おれはプロデューサーとランサーを援護して一緒に帰ってこいと言ったはずだが?」

いや、最後は言ってなかった。
そんな指摘は発することもできず。
取り付く島もなく。
リンボの弁明は、バッサリと切って捨てられる。
眉間に山脈の様な皺を刻み、マムの追及は続く。

「裏切りってのは海賊の世界じゃ常だ。そこについちゃ非難する方が恥ってモンだ。
勿論おれを裏切れば殺すが、それを判断するのはあくまでおれだ。
お前の勝手な判断で忠実な部下を取り戻されちゃ、おれの面目丸つぶれだろうが!!」

ドン!と
鏡面世界を、爆発的な覇気が揺らす。
どうやら、自分は目の前の鬼母の地雷を踏んだらしい。
だが、尚も…芦屋道満が秘めたる悪意のカリカチュア。レディクールキャットは動じず。
むしろ、この状況を利用し遊ぶアイデアを一つ思いつく。
失敗すれば死は免れないが───その時はその時だ。

「えぇ、ですので───是非とも、ライダー殿直々に見極めて頂きたく」
「何だって?」


658 : Surprise MOM Logic ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 18:01:00 XiXTFHWQ0

死にぞこないの蜘蛛の一党は兎も角。
新免武蔵がかの一団に合流した以上、ランサーの敗色は濃厚だろう。
今頃頸を斬られていても何らおかしくはない。
サーヴァントを失えばプロデューサーの戦力的価値はほぼ喪失するが…
それを説明したところで目の前の鬼女の納得は望めない。
目の前の女は老婆の齢でありながら、我がまま極まる幼女と変わりがないのだから。
それも、奪ってまで手に入れて、それなりに気に入っていた玩具を奪われそうになっている幼女だ。
十割感情論で機嫌を乱している相手に、合理性を全面に出した論理は通用しない。
となれば、別の拳の振り下ろしどころを作るほかない。

「彼のプロデューサーが下された命令を遂行せんと引き際を誤ろうとしているのなら…
貴殿の鶴の一声で矯正は事足りるかと。加えて、あえてあの蜘蛛の娘たちに近づけることで、ビッグマム殿への忠誠を計るこれ以上無き機会になると拙僧愚考いたしまする」

自分が止めた所でプロデューサー達は決して止まりはしまい。
283への攻撃に対する発言権が認められるまで無理を押して攻撃を続けるだろう。
その結果、返り討ちに遭い拘束されるのも度外視して。

「今の彼奴らは全員青息吐息、死にぞこないの集まりにて御座います。
御身に抗せる戦力は───新免武蔵をおいて他にはおりますまい。
あの忌々しき女侍のマスターを捕らえているというのなら更に僥倖。
是非、御身自らの瞳でプロデューサーの忠節を検めて下されば───っ!?」

リンボの語りが最後までなされる事は無かった。
言い終わる前に、マムの武装色の覇気を纏った拳が、彼を撃ち抜いていたから。

「テメェ…おれを顎で使おうってのかい?」

さしものリンボと言えど直撃すれば数打と保たぬ拳。
どれがリンボの五体を撃ち抜き、吹き飛ばした。
つい先程283の一団を圧倒していたリンボをして防御不能の拳速。
それがこの聖杯戦争でも上澄み中の上澄みであるマムの突出性を如実に示していた。

「ぐっ───!」

ここまで終始気色の悪い笑みを浮かべていたリンボから笑みが消え。
口の端から鮮血を垂らし、くぐもった呻きを漏らすその様は、彼を知る者が見れば信じがたいものに映っただろう。
そんな彼に向けて、マムが一歩前へと進み出る。
しかし、出た所で彼女を制止するように、武骨な金棒が突き出された。

「その辺にしとけリンリン。俺はこいつに用があると言っただろう。
今殺されちゃ困るし、それにこの糞坊主に頼んだのはお前だろうが」

カイドウが厳めしい顔で、マムを制止する。
そして、この糞坊主が命令通りに動くと考えたお前が悪いと彼女の責任を指摘した。


659 : Surprise MOM Logic ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 18:01:39 XiXTFHWQ0

「今度は俺がこの糞坊主を使う番だ。文句があるなら、尻は自分で吹いてこい」
「……………」

ギロリとマムの巨大な瞳が、リンボからカイドウに向けられ。
そのまま無言でにらみ合う二人の皇帝。
常人であれば失神してもおかしくないし、仮に大看板のクイーンが居合わせても何とか逃げようとする状況だろう。
だが───食いついたと、リンボは無言でほくそ笑んだ。
その予想通り、数秒後にいからせていた肩を降ろしたマムがリンボへと向き直る。

「ハーハハハ…いいだろう、糞坊主。今回はお前の小賢しい口車に乗ってやるさ。
だが…お前の趣味なんぞでおれが損害を被ることになれば今回の働きは帳消しだ。
精々プロデューサーのバカ野郎共が持ち堪えてるのを祈っておきな!!」
「…えぇ、貴殿の忠実なる狛犬二匹が、拙僧の働きを無駄にせぬことを信じておりまする」

その言葉を聞くとふんと鼻を鳴らし、ビッグマムの巨体が立ち上がる。
それを美しき肉食獣はすっかり元に戻った変わらぬ醜悪な笑みで見送り。
カイドウは一言「行くのか」と尋ねた。

「あぁ、プロデューサーの奴はおれに仁義を通した。
その約束を先に違えちまったからね。ケツを持ちに出てやるのもやぶさかじゃねェ」
「また指を落とされたりするんじゃねェぞ。
ただでさえ今夜は予定が立て込んでるんだ。そいつら回収したらすぐに戻ってこい」
「ママママ…それはプロデューサーの野郎次第だねェ…」

283の陣営は既に満身創痍、死にぞこないの集まりである。
敵連合の時とは余りにも前提が異なる。
蠅の王の強襲から始まった連戦に次ぐ連戦で、マスターはおろかサーヴァントも共に。
小指以外は万全なマムを迎撃する余力は残されていない。
仮に撃退できたとしても、更なる犠牲者が出るのは火を見るより明らかだ。
比較的余力のある宮本武蔵も霊骸汚染の爪痕は深く、マスターを抑えられている。
彼女の力によってマムの撃退に成功しても、その場合彼女のマスターである梨花は確実に殺されるだろう。
四皇の首に届きうる天元の華はそこで散る。
リンボの組んでも組みつくせぬ悪意の芽は、283にとっておおよそ最悪の形で萌芽した。
マム自身には現状戦闘を行うつもりは余りない。
あくまで今の一番の標的は敵連合。
283は彼女の中で抹殺対象としては相対的に位置が下がっている。
故にプロデューサーの仁義に陰りがないかを検め、ランサーを回収にいくだけのつもりだが……
それも彼女の気分次第で容易に変わるだろう。
そして、事が構えられれば鎧袖一触、更なる被害が出るのは最早必定だ。


660 : Surprise MOM Logic ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 18:02:11 XiXTFHWQ0
「出撃(で)られるのであれば…先ほど申し上げた女侍には注意なさると宜しいでしょう」
「カイドウの奴がフン捕まえたっていうマスターのサーヴァントかい?」
「えぇ、貴殿の玉体を傷つけうるのは女侍…新免武蔵を置いて他におりませぬ
まぁマスターを捕らえていることを告げれば余計な真似もできやもしれませぬが」
「侍ねェ…この街にいる侍って奴はどいつもこいつも腕が立つらしい。
まぁいい。覚えといてやるさ!それじゃあ出撃(い)ってくるよ!」
「ンン!どうかお気をつけて……」

日輪の耳飾りをつけていた侍の姿を想起しながら。
マムの巨体は一際大きな鏡の中へと消え失せる。
リンボとカイドウは、それを無言で見送った。

「…よろしかったので?見送ってしまって」
「テメェのせいだろうが馬鹿野郎。ああなったババアは止めても時間の無駄だ。
それより、俺からも仕事を一つしてもらうぞ糞坊主。俺のマスターはその成否でお前の与太話に伸るか反るか決めるとよ」
「それは無念。しかし…ンンン!!当代の頂きたる魔術師との腕比べ!!
というのは……拙僧としても昂ぶってしまう響きですなァ……
達成した暁には、必ずやこの地獄界曼荼羅の成就に助力を願いまする」

カイドウの命じた仕事とは、当初の予定通り、皮下が推し進めていた霊地の奪取計画だ。
できる事ならすぐにでもフォーリナーのマスターを殺害し、地獄界曼荼羅を実行に移したい処であったが…
カイドウのマスターの意向ともあれば無視はできず。
お前の計画は後回しだと宣告されたようなものだったが、リンボに不快感は無かった。
霊地の魔力はもし現在のメインプランである窮極の地獄界曼荼羅が頓挫した時に備えてのサブプランのキーになりうる。
何より、現代最強の魔術師である峰津院大和との構築した儀式場の奪取計画。
龍脈制御の儀式をそっくり乗っ取れという命令は、大いに彼の自負を擽った。
平安の世の術師のハイエンドとして、一度挑むと決めれば決して降りられぬ勝負だ。
彼を越える術師は、天上天下においてたった一人でなければならないのだから。

「とは言え、それが叶うかもあの恐るべき母の機嫌次第……」

リンボは瞼を細め、粘ついた笑みを更に醜悪に歪める。
彼の脳裏に想起されるのは、数刻前に無力な身でこのリンボの前に現れた一人の男。
濁らせ切った瞳の奥に、鋼のような冷たい決意と覚悟を秘めたマスター。
彼自身と彼に仕える槍兵は勿論、このリンボの進退や、偶像達の未来すら。
あの男の双肩(パーフェクトコミュニケーション)に託されたというわけだ。

「さて…頼みましたよ、“滑稽な狛犬”よ」

心底楽しそうに、そう独り言ちるリンボを見下ろして。
彼らの盟主たるカイドウはまた酒を飲み下し。
密かに愚痴をぼやいた。

「……ウチはこんなのばっかりか」


661 : Surprise MOM Logic ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 18:02:34 XiXTFHWQ0
【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/二日目・未明】

【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:首筋に切り傷、体内にダメージ(小)
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:あの日の悔恨に"決着"を。
1:沙都子と梨花の再会を斡旋しつつ大看板(キング辺り?)に監視させる。
2:峰津院の霊地(東京タワーとスカイツリー地下)を強奪ないし破壊する。
3:組んでしまった物は仕方ない。だけどウチはこんなのばっかりか…
4:鬼ヶ島の顕現に向けて動く。
5:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
6:リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。てめェ戻って来なかったらブチ殺すからな
7:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
8:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
9:峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
10:ランサー(ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
[備考]
※鬼ヶ島の6割が崩壊しました。復興に時間が掛かるかもしれません

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:気分高揚、魔力消費(中)、ダメージ(中)
[装備]:なし
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:霊地の収奪と、窮極の地獄界曼荼羅の実行準備。
2:計画を最終段階に移す。フォーリナーのマスターを抹殺する。
3:式神は引き続き計画のために行動する。
4:…のつもりでしたが、やめました。祭りの気配がしますぞ、ンンン――。
5:式神にさせるつもりだった役目は本体が直接担うことに変更。何をするつもりかはおまかせします。
6:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
7:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
8:機会があればまたプロデューサーに会いたい。


662 : Surprise MOM Logic ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 18:03:03 XiXTFHWQ0



「ゼウーーース!!!飛ばしなぁ!!間に合わなきゃ承知しねェぞ!!」

ところ変わって杉並区の一画に、ビッグマムはその姿を現した。
自由意思を奪ったうえで呼び出した雷雲に騎乗し、現場へと急行する。
本来ならば直接鏡空間を通って283と鬼のランサーが待つ現場に急行できればよかった。
しかし戦闘の余波で彼女が通るに足りうるだけのサイズの鏡は付近に存在しなかったのだ。
それ故に、一番近い彼女が通れるサイズの鏡の場所に現れ、そこからはゼウスに乗って飛来するつもりだった。
そんな彼女の脳裏に、聞き馴染んだマスターの声が入る。

『―――ライダー』
「あァ!?ガムテかい?言っておくが止めたら承知しねェぞ!!
海賊が一度奪った宝を取り戻されちゃ末代までの恥だ!!」

実際には、マムが自ら直々に赴くという選択は様々な結果が重なった要因だ。
まず、リンボが余力を残した状態で戻ってきたこと。
283陣営の抵抗が激しく返り討ちに遭ったというなら彼女も結果を飲み込んだだろう。
だが、実際はリンボ一人、余力を残した状態で帰ってきた。
これでランサーとプロデューサーを失えば、本来なら避けられたはずの損失という事になる。
戦って負けて死んだなら仕方ないという前提から、避けられた損失に変われば、受け取る心証も大いに変わってくる。
それだけマムはプロデューサーの事を高く評価していた。
本戦が始まってからであったマスターはどいつも礼儀を弁えていない若造ばかりだったが、唯一あの男は弁えた上でマムに魂を献上した。
そして今回も、令呪二画の喪失も厭わず戦果を挙げたという。
実力のほどはさておき、マムから見て忠実な部下であるという評価を下していた。
カイドウとは違い自身以外にサーヴァントの抗し得る手勢として貴重な駒でもあった。
生前であれば、自身が生んだ娘の一人でもあてがってやろうか…そんな風に考えるくらいには。
そして、そんな忠実な戦果が回避可能だったミスで失われようとしている。
リンボに直ぐに回収してくるように命じても良かったが、彼女の同盟相手であるカイドウの命令で手がふさがっており、覆面の道化は力不足。
他に回収が可能な駒も他になかった。
故に、彼女がこうして直々に赴く運びとなったのだ。

『冷静(クール)になれよ。出撃(でば)るってんなら別に止めたりしないからさー』

マムの主であるガムテの声は、冷静だった。
間違いなく、ライダーの出撃は彼が予見していなかった行動であるにも関わらず、だ。

「その代わり、Pたんたち回収(パク)ったら直ぐに帰ってこいよな〜
今夜は色々仕事が立て込んでるんだからさ〜!!」
「分かってるよ、おれを信じな!!」


663 : Surprise MOM Logic ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 18:03:22 XiXTFHWQ0

念話で表情まで伝わらないのは、きっと彼女の主にとって幸運だっただろう
今までババアの言葉が信じられたことがあったかよ、と。
そう言う顔をしていたから。
本来ならば全滅させるように命じても良かったが、どうせババアの機嫌を連中が害せば命じなくともそうなる。
それに、余り攻撃的になりすぎても先の敵連合の様な妙な覚醒を果されるリスクを被る。
どうせ現状の283陣営は死に体だ。暫くは何もできない。
今回ライダーの目的は殲滅ではなく友軍の回収なのだから、目的を果せば満足して帰ってくるだろう。
故に出撃は咎めず、翻って過度な攻撃は控えるよう促すだけに留めた。
勿論ライダーが暴れてそれで全滅させられたならばそれはそれで構わない。
ただ…やはりあのババアはこっちの目論見を無視して動きやがる。
その事を再確認しながら、殺人の王子は憤懣やるかたない思いで念話を打ち切った。

【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)/二日目・未明】

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。
1:蜘蛛共を叩き潰す、峰津院の対策も講じる。
2:283プロ陣営との全面戦争。
3:あのバンダイっ子(犯罪卿)は絶望させて殺す。とはいえ、この攻撃で死滅(くたば)るようならそれまでの敵だったというだけ。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
5:黄金時代……流石に死んだかな? いやあいつなら何とかすんだろ。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。


664 : Surprise MOM Logic ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 18:03:40 XiXTFHWQ0

「ハーハハハハ!!おれが直々に迎えに行ってやるんだ!!精々生きてな馬鹿共!!」

主からの出撃の許可を受け。
その巨大な口を裂けそうなほど弓状に歪めて、ビッグ・マムは空を行く。
その脳裏を過るのは先ほどのリンボの報告だ。

「プロデューサァ…!忠実なおめェを疑ってるワケじゃねェが……
おれは依怙贔屓はしねェんだ!リンボの言う事も確かめなくちゃねェ……!」

───プロデューサーのランサーめにはビッグマム殿への叛意も見受けられました。

「おれは言ったよねェ…去る者は絶対に許さないって…!」

ビッグ・マムは去る者を絶対に許さない。
来るもの拒まず、去る者殺す。
それがビッグ・マム海賊団の鉄の掟。
その事を忘れていないかどうかだけは、確かめなければならない。

───自分が協力している間は、どうか彼女達の安全は保障してほしい。

「分かってる、分かってるさ…忘れちゃいねェよ…
だが、そのためにはお前の仁義をもう一度見させてもらおうじゃねェか!」

マムのその言葉はある種283にとっての希望で。
同時に、断崖へと続く絶望でもあった。
リンボの見立て通り、少女たちの命運は、プロデューサーに託されたのだから。
首尾よく回収に成功すればそれでよし。しかし…
もし彼女の意に背くことがあれば…今度こそ283は陣営として再起不能のダメージを追うだろう。

───何処へ行ったの、マザァー!!!!

ビッグ・マムは去る者を絶対に許さない。
それは幼き日の彼女に刻み付けられた癒えぬ疵跡なのだから。
まして彼女は海賊。
奪ってまで手に入れた、それなりに気に入っていた宝を漫然と奪われ返され手は四皇の名折れだ。
それ故に、鬼女の形相で…シャーロット・リンリンは空を征く。

【杉並区・戦場近辺/二日目・未明】

【ライダー(シャーロット・リンリン)@ONE PIECE】
[状態]:疲労(小)、右手小指切断
[装備]:ゼウス、プロメテウス@ONE PIECE
[道具]:なし
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:邪魔なマスターとサーヴァント共を片づけて、聖杯を獲る。
0:生きてなよバカ共ォ 〜〜!!
1:北条沙都子! ムカつくガキだねェ〜!
2:敵連合は必ず潰す。蜘蛛達との全面戦争。
3:ガキ共はビッグマムに楯突いた事を必ず後悔させる。
4:北条沙都子、プロデューサーは傘下として扱う。逃げようとすれば容赦はしない。
5:カイドウを見つけて海賊同盟を結成する。
6:ナポレオンの代わりを探さないとだねェ…面倒臭ェな!
[備考]
※ナポレオン@ONE PIECEは破壊されました。


665 : ◆MSWNXc4zEA :2022/05/22(日) 18:03:55 XiXTFHWQ0
投下終了です


666 : ◆0pIloi6gg. :2022/05/23(月) 00:36:12 EPJhxwS.0
松坂さとう&キャスター(童磨)
飛騨しょうこ&アーチャー(ガンヴォルト[オルタ])
神戸あさひ&アヴェンジャー(デッドプール) 再予約します


667 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:11:27 2QJTdZVE0
前半を分割投下させていただきます


668 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:12:34 2QJTdZVE0
そこは、舞台の下の奈落の底のようでもあり。
あるいは、冥府と呼ばれる銀河の何もない最果てのようでもあり。
鬼に食われた者、鬼に殺された者が、今際のきわに落ちる彼岸と此岸の境界のようでもあり。

いるのは、己一人きりだった。
つい先刻まで、修羅や獣や兵士達が跋扈し、少女たちが励まし合う激戦地の只中だったというのに。

ここが誰とも繋がっていない場所だと、分かってしまう。
誰も手を掴んでくれることはない、真っ暗闇に来たことが分かってしまう。



「初めまして。ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ君」



張りのあるバリトンボイスに、振り返る。
己と同じほどの体格の人影が放つ、わずかな煌き。
太陽も星もない世界で微かに光沢を見せるもの。
それは人影をふちどるように並ぶ、虫眼鏡の影だった。
なるほどと理解し、一礼の仕草を取る。

「初めまして、『もう一人の』ミスター・シャーロック・ホームズ」
「私は君とは会った事がないはずだがね」
「コナン・ドイル先生が作り上げた『シャーロック・ホームズ』氏に鑑みれば、人柄のほどは分かります。
僕は『彼』の友人ですが、ドイル先生とあなたのファンでもありますから」
「『分かります』……というからには、私が実際の当人でないことは、既に理解しているのだね」
「私は……最期の話し相手として、あの『M』を仮想人格(イマジナリー・フレンド)に据えるほど、心が強くない。
そして、最期だけでも『あなたではない方の彼』を相手に話ができるほど、都合のいい夢は見られない」
「夢だと、理解しているのかね」
「夢であるも何も」

此処に堕ちるきっかけは、何だっただろうか?
たった一日で、追う側から追われる側に回り。
追い詰められた強敵、現実ならば数多くあったけれど。

敢えて、ここに至る分岐点を挙げるならば。
セイバー・宮本武蔵の到着が間に合ったこと。
ランサー・猗窩座が戦場に残っていたこと。
どちらにせよ、そこで決まった。
己で決めてしまった。
その戦いの死者は一人に決定づけられた、と。

「つまり走馬灯でしょう。此処は」

そう、死者は一人。
結末は決まっているから。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


669 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:13:07 2QJTdZVE0
世田谷区の大地が炎に包まれ、灰色雲に空が一変するほどの穴があいた。
そこに無数に存在していた『一般人の生命』が全て死に絶えた。
黒い竜巻が地獄を更地にして、地盤の崩落が全てを飲み込んだ。
それらの報告を、その男はサーヴァントに庇われて舞い戻った鏡の世界でただ聞くしかなかった。
夕刻に新宿を飲み込んだ災厄でさえ朧げにしか伝わらなかった彼にとって、その光景は。
晴天の霹靂だったことは、語る余地もなく。

だが、起こったことの正体は別として、彼我の関係については明瞭だった。
世田谷区に少女たちとサーヴァントの巣窟があることを嗅ぎ付けた主従が、割れた子ども達の他にもあったということ。
そして集中放火を敢行した討ち手には、己のように『マスターだけは逃がしたい』という心算は持たないのだろうということ。

だからこそ。
崩落の被害が及んでいない地域に目算をつけて。
目標だったアパートから最も近い隣区へと通じる鏡を、ランサーと、チェスの兵士達に探らせ。
『万が一にもアイドルが連絡を取ろうとするかもしれない』と、ランサーに持たせていた密告用の携帯電話を密かに預かり。
杉並区の公園にそれらしい集団がいると一報を受けて。
集った少女たちの中に、『限りなく同じ少女がふたり』いたと報せがあった。
――そのことは予期せぬ驚きのようでもあり、予想されてしかるべき納得のようでもあったが。

その時は、不動の覚悟ばかりでなく、目論みもあった。
ここで犯罪卿を始めとして、サーヴァントだけを討ち倒した上で。
海賊女帝と殺しの王子様には『敵は壊滅させた』と戦果を告げる。
それが為せれば、アイドルの少女たちをもう傷つかないままに戦場から降ろすことは、可能であるかもしれないと。

であれば、覚悟と目論みに基づいて、放たれた令呪に則って。
戦えと、口火を切るのは即断だった。
彼のサーヴァントは轟音の狼煙とともに、願いに応えてくれた。

チェスの兵士たちは極力ランサーの援護に追従し、そば近くに残す護衛と監視は最小限にとどまった。
世田谷区に先行して突撃させたことで、かなりの人数が減ってしまったこともあった上に。
ランサー単騎で集団を相手にするのであれば、戦力を少しでも足しておくに越したことは無い。
闘気探知によれば取り立てて強者はいない集団とのことだった。
だが、それでも世田谷という街ひとつを巻き添えにした激闘から生き延びた実績がある。
常の状況であれば、ホーミーズにとっても『監視の目を薄くすることで寝返られる隙が大きくなる』とリスクのある判断だったが。
世田谷区の破壊者という不測の事態が、その判断を後押しした。

戦いの火ぶたが切られるより先んじて、ランサーの種族特性による、視覚の共有を行っていた。
危なくなった時に令呪を切らねばならない役目があるのは元より。
たとえアイドル達に対して修羅として振る舞うのがマスターではなくサーヴァントなのだとしても。
それは、己の罪から眼を背けていい理由になるはずがないから。
だから、その男は全員をその眼に焼きつけていた。

後方に控える美青年をランサーが『犯罪卿』だと特定したことで、君がそうなのかと異名に容姿が当てはまった。

守られる櫻木真乃と田中摩美々の姿を見とがめて、『アイドルのマスター』とは君達だったのかと、独り言ちた。

2人の七草にちかが言葉を交わし合っているのを見て、その姿を目にするのはいつぶりだろうかと言葉に詰まった。

そして少女の片方が、『アイドルをやると伝えてください』と言い出したときは、呼吸が止まった。


670 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:13:43 2QJTdZVE0
己の知っているにちかと同じ少女かどうかは、さておいても。
少なくとも君の方は、『283でアイドルを志していた』にちかだったのだと胸が熱くなり。

ランサーが容赦なくそれを拒絶した時には、にちかを傷つける言動そのものよりも。
そこで、己の代弁者たらんとする彼の思いが理解できてしまった。
それ対して反発を向けられるのが己でなくランサーであることが申し訳なく、にちかにそう言わせてしまう巡り合わせが歯がゆかった。

たしかにアイドルだった七草にちかならば、そう言うのかもしれない。
なぜなら君は、他人を犠牲にしてアイドルになれるような子ではないのだから。
プロデューサーだった男を止めようとすれば、聖杯に頼らずアイドルになると言うしかない。
いや、もしも本心からそう志すことができるようになったのだとしても。

もとより、昔から七草にちかへの対応で、正解を出せたと思えたことはなかった。
ならば、今となっては正しい結果が出るまで続けるしかない。
その先で彼女は何もなかったように、輝くステージに立ってほしい。

ランサーの視界を通して『プロデューサーさん』と呼びかけられた男は。
そこから幕を開ける戦いの全てを目にしていた。
一方でチェスの兵士たちが、三人の少女だけは葬ることが無いようにと、密かに願いながら。
リンボがアイドル達への攻撃にかかった時は、彼女達を死なせない望みが潰えたことに絶望しながら。

それでもランサーは横やりに伴う怒りまでもを脇に置き、一刻も早くアーチャーを倒してリンボの戦場に割って入ることを是としてくれた。
己の代わりに、少女のアーチャーから恨まれる役目を、引き受けようとしてくれた。
アーチャーがランサーを『やさしい人』と言ってくれたことに、「そうなんだよ」と心から頷いた。

確かに蓄積される疲労感に、魔力消費――ランサーがひたすらに奮戦している証――をたしかに感じ取りながら。
そうまで奮戦せねばならないほど、少女が櫻木真乃を想っていることを実感しながら。
ランサーが敗北することだけは避けねばならないと、令呪を切ることに踏み切った。
そして、少女をこれ以上苦しませぬようにという偽善で、令呪を残り一画にした。

重ねての命令がともなった、ランサーの全力が出し切られた後で。
リンボによって踏み荒らされた惨状を目の当たりにすることになった。

そこには、283の陣営に助太刀をする少女の剣士が1人と。
もはや助からないことが見て取れる、『七草にちかの1人』が血だまりに沈む姿。
聖杯で救うべき『ではない方の』七草にちか、だった。
ランサーに曰く、闘気の探知は生きている者にしかできない。
だが、眼前にある遺体の区別であれば、服装などから明瞭であった。
ランサーに対して声をかけ、『偶像(アイドル)になりたい七草にちか』だと説得しようとした少女は。
遺体の傍で膝をついてはいるが、無事であった。

そのことに対して、去来したのは。



(彼女の方で、良かった)



『アイドル』が誰も死んでいないことへの、安堵であり。
アイドルもそうでない人も、己のせいで地獄へ放り込んでいる現状に対して。
先ほど、一家揃っての惨殺遺体と対面した時に抱いたのと同じ罪の意識であり。


671 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:14:22 2QJTdZVE0

(でも、苦しまずに逝けたのなら良かった)



遺体の顔が安らかなものだったことを見ての、せめてもの幸いだった。
彼女よりも遥かにむごい苦しみを味わったアイドルたちがいる中で、一つの安楽な死を喜ぶのは偽善かもしれなかろうとも。
その男は七草にちかを殺そうとしていたけれど。
彼女もまた七草にちかの側面であり、一つの命だという事実までは否定するつもりがなかったから。



(最後まで、縁が切れてしまったな)



その追悼を抱く間にも、ランサーは主命を果たすための戦いを続けてくれていた。
だが、それは同時にマスターとして判断を迫られる時でもあった。

犯罪卿陣営に加勢した少女は、それまでと別格の強者である。
少なくともランサーはそう見立てた。
そしてリンボも撤退を選択したことから、それは二人のサーヴァントによるお墨付きという事になる。
リンボの言いようから判断しても、ランサーを退かせたところで戦果不足とはみなされないだろう。
その上で、真乃のアーチャーが痛ましいほど強く戦ったことで、主従ともに消耗させられた事実がある。

すでに一度の出撃で、二画の令呪が費やされている。
その、重ねがけの令呪の効力は未だに残存しているとはいえ。
そもそもこの戦いは、聖杯を獲るために最後の一騎となるまで残らねばならない前提だ。
これ以上の継戦を重ねるのは、傍目に見ても愚策なのだろう。
だが、退けない理由は存在していた。

(まだ犯罪卿が、場に残っている)

もともと、彼が殺し屋集団の尖兵となるにあたって、彼のことは絶対に消さなければならなかった。
子ども達の長から私怨を持たれているばかりではなく、アイドルたちの連合の盟主と見なされている存在。
彼がそばにいる限り、真乃、摩美々、にちか達が、危険に晒され続ける。
そして。
この場を退いた『その次』の戦いでは、今度こそ『サーヴァントだけを倒す』という企みを持つ余地さえないだろう。
リンボの加勢によって『アイドル』が誰も死ななかったことは、奇跡以外の何物でもなかった。

マスターならざる彼女たちが惨殺の限りを尽くされる中で、何も動けていなかった無力さを償うためにも。
彼女たちの戦いを終わらせるために己の裁量で動ける、最後の機会を逃さないためにも。

(犯罪卿は仕留めたい。そして、それが叶わないならせめて今戦っているサーヴァント――にちかのサーヴァントは、倒したい)

たとえ、強者であるという女剣士のそば近くにいる犯罪卿を倒すことは敵わなくとも。
これまでの戦いで、疲弊しきっている灰髪の剣士を倒すことができれば。
護りたい少女は、マスターたる資格を失うのだ。
当然、亡くなったにちかに付いていた方のサーヴァントと再契約を果たされるリスクはあるにせよ。
それまで傍近くにいたサーヴァントを失えば、七草にちかの戦意が失われる期待は大きい。

(ランサー)
(奥の手は、まだ残っている)

葛藤に応えるように、確信めいた重さのある念話が返ってきた。
それまでの戦いも、十分に全力であるように見受けられたが。
その上でなお残っている奥の手とは何なのか。
続くサーヴァントからの情報を受け取りながら、それを元に勝算を図りながら。

場を退こうとするリンボが、我らは海賊だと口上をあげる中に、己の二つ名も含まれるのを聴きながら。
戦場の少女たちに『プロデューサー』と呼びかけられる男は、判断の岐路に立つ。


672 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:15:05 2QJTdZVE0
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


嘲笑する獣が舞台から退場し、争いを臨むのは拳の鬼のみとなった戦場にて。

「何だかあの拳闘士さん、夕方に会った六つ目の鬼さんと似たような再生をしてるわね」

『感じ』も近いし同族なのかしらとつぶやく間に、戦況確認を終えて。
うら若き女の姿をした剣の鬼が、獣への行き場を失った刀を残敵に向けようとしていた。

彼女の脚で駆ければ数瞬で埋められる程度の距離をあけて。
火花と血潮がしぶきのように散る舞踏が、未だ続いている。
彼女の同盟者たる灰髪のライダーが、推し通らんとする赤髪の修羅を相手取っている。

それを助けんとする二振りの刀を制したのは、行く手を遮るように差し伸べられた黒外套の片腕だった。

「加勢はとてもありがたいのですが、あのサーヴァントを殺してはいけません」

腕の先には泥と返り血に濡れた金髪の紳士が、いたたまれない顔をしている。
それがリンボに追い詰められていたサーヴァント達の一騎、ライダーの同盟者だと武蔵は認識している。

「どうして? このままだとライダー君が危ないように見えるけど」

制止する身のこなしは戦い方を身に着けた風ではあるが、強者ならば伝わってくる佇まいの『圧』はない。
そのようなサーヴァントでも、眼前の殺し合いの有利不利が分からぬわけではあるまい、という疑問。

剣士にとって、戦闘が長引くことによる疲労と息切れはそのまま技量の衰えに直結する。
衰えはそのまま回避率を低下させ、隙を晒す時間を増やす。
そしてそれは、身体を上手く扱えていない者ほど顕著になる。

少なくとも、武人としてのライダーは未熟以前の問題、ただの戦闘不向きである。
本戦一日目に緒戦相手となった天眼の剣士は、そのことを熟知している。
攻防一体の銀炎を周囲に散らすことによって剣閃に推進力を与え、回避できない一撃を防御することで維持しているだけのようだ、と。
一方で、拳鬼の持つ気配探知の特性を武蔵は知らないまでも。
その拳が疲弊してなお急所狙いを過たないものであることは、一目瞭然。

疲弊しているのは双方同じであっても、時間を追うごとに不利になっていくのはアシュレイ・ホライゾンの方だ。
一方で新免武蔵が助勢に加われば、場の趨勢が一気に傾くことは疑いない。
しかし、それはあくまで戦闘の勝敗についてのみの話だ。

「実はあのサーヴァントのマスターは我々の関係者で、リンボの属する陣営から監視のもとに戦闘を命じられています。
そして今サーヴァントが脱落した場合、そのマスターが敵陣のただ中で孤立することになります」

もっともマスター達の味方かと言われると、また状況は複雑になるのだが。
そのあたりを完全に初耳となる女剣士に一から話すのは酷であり、時間もかかる。
だが、セイバーは既視感を得たかのように大きく目を見開いた。

「驚いた――あなた達にも、マスターの人質がいるの?」


673 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:15:47 2QJTdZVE0
そこで外套の男――ウィリアムは思い出した。
田中摩美々と念話で、世田谷のアパートから仕入れた情報を共有した時のことを。
Hの同盟者とそのセイバーが、幽谷霧子の身代わりになるようにして、皮下病院に向かったという。
皮下の名前で『283プロダクションは脱出派の巣窟である』という布告があったのはその少し後のことで。
セイバーはここに来る道中の話で、『七草はづきは置いてきた』とは言ったが、『マスターと共に置いてきた』とは言わなかった。
つまりセイバーは、七草はづきと合流する前から、古手梨花と共にいなかった、ということで。
――と、ここまでの回顧を、まばたきする間にこなした上で。

「あなた達『にも』ということは……古手梨花さんは、皮下院長に拉致されているのですね」
「あら、もう伝わってたか……はい、弁解の余地もなく敗北し、1人逃げ延びた身の上です」

眉をさげて心底悔やんだ顔つき。
決して無警戒に情報を拡散するつもりはなく『向こうが上手だった』結果ではあるのだろうとうかがえる。

「最初は話し合う余地があるかのように応接され、実のところ敵が罠を張っていた。
それは貴女以上の強敵であり辛くも逃亡、古手さんは身柄と令呪とを抑えられている、といった所ですか。
貴女が自由にされているところを見るに、皮下一派からの扱いは『利用する前提での保留』なのかもしれませんね」
「へぇ、まるで見てきたみたいに。お兄さん、バリツを使う探偵さんみたいな事を言うのね?」

ひとまずこの場で、梨花も含めて裏切者扱いされなかったことには安堵するも。
まるで、一を聞いて十を知るかのような物分かりの良さには覚えがあるなぁ、と。
藤丸立花の同僚。オリュンポスにおける参謀役であり戦友だったカルデア経営顧問を何気なく引き合いに出したに過ぎなかったが。
年若いアサシンは、緋色の瞳を大きく瞠った。

「――今、何と?」


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とにかくプロデューサーのサーヴァントを殺さないまま、ライダーを助けてほしいと。
メロウリンクもまじえたサーヴァント三人が、そういう了解に達している様子だったのは察した。
けれど、その直後に三人の一人、もとい『W』が駆け寄ってきたのは、びっくりした。
少女・七草にちかの遺体に寄り添う、アイドル・七草にちかの元に。

マスターとしての令呪なりプロデューサー関係なりの危機かと身構えること、一瞬。
しかし彼は、にちかを通過してすぐ後方の草むらに腰を落とした。
見ればリンボへの投擲に使われた仕込み杖が、転がったままになっている。
……いや、武器取りに来ただけか!
という内心のツッコミも冷めやらぬうちに、Wとその眼が合った。

申し訳なさそうな、少しだけの微笑。
なぜか、そこには『身構えさせてすいません』以外の感情があるように見えた。
すっきりした顔というか、綺麗さっぱり何かを終わらせた顔というか。
そういえば、世田谷のアパートで当のWと深刻な念話をした後の田中摩美々も、こんな顔だった。

チェス兵士に囲まれた中で話していた時も、場違いに笑うなぁと思っていたけど。
そう言えばライダーも一か月間、よく笑いかけてくれたなぁと思い出して。
気付いた。
あれもこれも、安心させようとする顔だ。
余裕の表れでもなんでもなくて、もしかしたら内心では曇り顔かもしれなくても。
プロデューサーも、よく『ははっ』と笑っていた。時には、だいぶ曖昧そうに。

そばにあった男(プロデューサー)のサーヴァントと、今もっともそばにいるサーヴァント(ライダー)が。
今まさに彼女のために殺し合っている状況を。
2人ともが遠くて、疾くて、彼女はその眼で追うことさえもできていない。


674 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:16:28 2QJTdZVE0
――知っているさ。少なくともお前よりは

私が知ろうとする前に、みんな隠して笑ってるじゃないですか、という反発と。
でも、死んだ彼女(わたし)はそうじゃなかった、と。
彼女は、他人(わたし)のことを分かろうとする勇気を持ってた、という気付きが胸のなかでぶつかった。

アサシンの方はと見れば、時間も惜しいだろうに近くで倒れている田中摩美々に近づき、その顔を一見してから立ち上がる。
外套の付属品だったらしいシルクハットを紫髪の下に敷いて。
きれいな髪が土で汚れないように、寝姿を整えていた。
まるで過保護な兄が弟妹にしてやるような丁重さで、それはなんだか別れでも惜しんでいるみたいだなぁ、と。
それだけの遣り取りとして、見ていた。
この時は。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


大地に刻まれる、淡く儚い雪の結晶を形作った鬼血術の真上で。
拳を受け止める刃の灼熱が、拳闘士を防護する六花を溶かすがごとく。
剣(けん)と拳(けん)とが、火花を散らす。

攻勢を強いるのは、恒星を討ち取ったばかりの鬼の側だった。
撃ち抜く拳の連打は苛烈ながら、悲鳴のごとし。
滅殺の意志は天敵に向けるかのごとく、全身全霊。
アシュレイが語り掛ける、言葉の数々も拒絶したまま。
全ての言葉を、急所狙いの一撃によって応報する。
黙れ、お前はもう喋るな、殺すと、言葉よりも雄弁に返答にする。

「ずい、ぶんと……当たりが、きついなッ!」

一撃、一撃は未だに重く、そのたびに重心が崩されかける。
拳と刃の打ち合わせに、どうにか身体を追いつかせながら。
追いつけずに血を吐き、その内出血を即座に銀炎の貯蔵(ストック)で回復させるという全力稼働でしのぎながら。
湧き上がる思いは、『二人の』サーヴァントに向けた感嘆だった。
ああ、さっきアーチャーの女の子は、この拳が全力全盛の時に、全て受け止めきっていたのか。
どおりで轡を並べて悪魔と戦った時に、頼もしかったはずだ、と。

「アーチャーの子だって、俺よりずいぶんと粘ったんだ。
お前のマスターに話を繋いでくれたって、時間を使うのはさして変わらないんじゃないか?」
「口数を無駄にするよりはマシだ」

いざ己の身体を差し出せば、なるほどその『拳』をもって三騎士らしき座を冠するだけのことはある。
その拳圧だけで、銀炎の燃焼を揺らがせて威力を減衰させ。
本来は肉弾戦を行う者にとっての天敵であるはずの『炎の鎧』を、拳圧の弾丸によって怒涛の無敵貫通として抉る。
本来は距離をとって戦うときの技を転用した産物のようではあったが。

「でも、アンタが心まで冷たくないことは、もう分かってるよ」


675 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:17:02 2QJTdZVE0
これは、どちらが先に力尽きるかの食らい合いで、互いの技量をたたえ合う暖かい言葉が挟まる余地はどこにもなく。
にも関わらず。
限りなく純化された痛ましいほどの殺意。
そこに、世田谷での悪魔が滾らせていたようなエゴイズムはまるでなかった。
待っていた、よくぞ再び、殺してやろうという想いでさえも。
誰かの代わりに修羅になる役目を、男がひたすら誠実に代行していることは分かってしまって。

『昔のあなたが良かったのに、いったいどうしてそんな風になったんだ』と。
その時は、アシュレイの方こそが、止められようとする側だったけれど。
状況も相手もまったく違うのに、あの夜もたしかに、炎と氷との、代理戦争だったなぁと。
蝋翼と冷たい月との、再会の夜を想わせて。

一方で。
猗窩座が抱いていたのは不協和音だった。

(口数の無駄だと、言われる側ではなく言う側に回るとはな)

そう、あの夜は。
『炎の柱』との決闘に至った、あの夜は。
猗窩座こそが『君と話す理由はない』と言われる側だった。
戦いの途中にベラベラと敵に話しかけるのは、かつて己がしていたことだったな、と。

未だに己と話し合う余地があると思い違えているアシュレイ・ホライゾンにたしかな赫怒を覚えながらも。
存外、人間としての生前であれば、性格は似通っていたのかもしれないという雑念が芽生えて、消える。
話好きで、世話焼きで、女を泣かせてしまう己の不器用さが、イヤになったりするような。

「きっと、良い師匠がいたんだな」

仲間の元に行かせまいと接近戦を維持するように。
距離をとろうとする猗窩座へと、銀炎を推進剤にしてぶつかってきながら。
猗窩座の型を間近で見たアシュレイは、そのようにこぼした。

アシュレイと猗窩座がそばで対峙すれば、練度の差が見て取れるのは瞭然だ。
見本を示す達人がそば近くにあって、何年もその人を看取りながら鍛錬して、百年以上は独力で研鑽して。
始めに全ての型を教えた師がいなければ、ここまで確固たる一つの流派として完成するまい。
疲弊しきった末の防戦の中でもそんなことに思い馳せている男に、猗窩座は芯から呆れながらも。

「貴様も師にだけは恵まれたか」
「ああ、誇りだ」

一方で、猗窩座も見抜いていた。
昼間の決闘をした天眼の剣士がアッシュにつけた評価と、同様のものを。
この男は、武術の才能などからっきしだが、それに根気よく指導をして徹底的に型をつけた達人がいる。
そう、この男の戦い方はどこまでも真面目で、覚えこまされた型に忠実だ。
しかしだからこそ、すぐに『看取って慣れる』猗窩座との巧拙は大きくなる。
であれば、もう容易い。
炎立つ刀身を、素手で捕えた。
それは、型のある真剣白刃取りですらない。
ただ剣が食い込むことを厭わず素手で掴んだだけ。

「しまっ……」


676 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:17:26 2QJTdZVE0
気圧の刃だけにとどまらない、本物の貫き手による凶刃で、避けようもなく抉った。
自ら傷つくことを微塵も懼れない鋼の肉体に、炎の剣山鎧は打ち破られる。
鬼の腕力による速さ重さをそのままに、胴が裂かれた。
胴が両断されなかったのは、銀炎が男の足場で爆ぜて跳躍を速めていた結果だった。

「ごふっ……ぐ、ゥ」

銀炎さえ飲み込むほど、鮮血が華として身体と地を濡らす。
出血ぶりから回復が追いつかないことを見取り、しかし追撃は緩めない。
アダマンタイトの刀は日輪刀の多々良鉄よりも硬度が高く、すぐに折られてしまうということはない。
であればこのまま捕まえて、返す掌で今度こそ胴を貫いて潰そうと身を捻じらせる。

「煌赫、墜翔(ニュークリアスラスター)……」

紅色の焔は、月明の色に浄化を受けた後も、敵に対しては天駆翔(ハイペリオン)のままだ。
そして天駆翔(ハイペリオン)を燃やす時、その血液は引火性を帯びる。
紅焔の戦意による加熱はなくとも、貯蔵魔力による強化は働く。

「爆血(バースト)ッ――!」

穿たれた傷口が、着弾によって返り血を浴びた拳をも引火させて爆ぜた。
本来は加速推進装置(ブースター)として機能させる、戦闘中に流した血液を。
性質が銀炎(アルテミス)に転じたことで、己の傷口は焼かないまま。
反撃(カウンター)であり、かつ追撃から逃れる離脱手段として起爆させたのだ。

片手で腹部を抑えながら、なお膝をつかずに再対峙が構えられる。
焼け焦げた手足が即座に新しい皮膚に生まれ変わる光景を見て、『底なしか……』と独り言ちるのが聞き取れた。
その言葉に、『底なし』と評するならば気づいてはいない、と確信する。

――猗窩座の衰え知らずを、令呪の効力が未だに続いているためだと『誤認』している。



【猗窩座の体質そのものに変質の兆しがあり、回復速度が向上している】と、悟っていない。



主に伝えた『奥の手』こそが、それだった。
その兆しは、以前にも感じ取ったことがある。
既に頸は刎ねられていたのに、足は羅針を踏み鳴らし。
頭部がすでに消失しているのに、それまでを超える速度で再生が起こった。

それは、頸が弱点ではなくなろうとする境地だった。
完膚なきまでに敗北したというのに、まだ戦わなければと生き汚さに足掻いたときに、訪れたものだった。

サーヴァントとしての霊基は、変わろうと思って向上するものではない。
あくまで、生前の再現という縛りのもとにある。
であれば、それが何の契機もなしに起こるはずはないだろうにと、猗窩座は回顧をめぐらせて。


677 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:18:05 2QJTdZVE0
(……黙って見ていろと、言ったことか)

先刻の猗窩座は、七草にちかの訴えを一蹴した。
その少女が、己の主君にとってのただ一人、伴侶や家族とは異なるにせよ。
少女の訴え出たい言葉が、かつて猗窩座が聞き届けた『もう止めて』という言葉に当たるものだと察した上で。

別の生き物に変わろうとして、そうならなかった時。
猗窩座が脚を止めたのは、『もう止めて』という訴えを訊き入れたからだ。
強襲した懐古を受け入れ、最愛の人が手を掴んだ時に、その手を取り合ったからだ。
何より。
あの時は、潔く地獄に行きたいと思っていた。
あの時に逆の道を行かせようとしてきた■■■■■の姿は、なぜか思い出せなかったが。

今は■■■■■による呪縛の進行はなかった。
だが、それの代行となるように令呪二画分が『勝ち残ること』に費やされている。
その戦闘支援が、死ぬわけにいかないという往年の執念を後押し、体質の変化を促す踏み台(ブースト)となった――までは推測だ。

だが。

――恋雪(あなた)は、あのまま往生した人間・狛治と共にあってくれ。『ランサー・猗窩座』には、現界にしがみつく理由ができた。

まだ、負けられない。
新たに護るべきものがいるのだから、その男が座した猗(イヌ)に徹する道理はどこにもない。

「あんたは、自分のマスターが好きなんだな」

しみじみと、そう感想を漏らした敵の後方を見る。
そこにはリンボとの戦闘を終えた犯罪卿、兵隊、女剣士のサーヴァントが集い、女剣士を制止するような遣り取りを交わしていた。

(悠長なことだ)

ふつふつと、怒りが溜まる。
何も、仲間が危ういのに助太刀に入らない冷徹さに怒りを持ったわけではない。
この期に及んで、猗窩座とその主を、殺さないようにと言明しているらしきこと。
すなわち、『殺さなくとも話し合えば止まる』と認識しているらしきことに怒っている。
それは、彼の主君のことを侮っているに、他ならないから。
七草にちか達が止めようとしている男は、少なくとも彼女のことを理解していた。理解しようとしていた。

――あの子は誰かを犠牲にしてまで自分の幸せを願う事のできる子じゃない

そう言っていた。
だからあの子に聖杯を獲らせるのではなく、己が聖杯を獲ると。
承知の上で、戦っているのだ。
七草にちかが、己に向かって『止めてください』と言う事も。
彼女を理解し、彼女を裏切ると自覚し、それでもこれしかないと思い詰めている男に対して。
『七草にちかが説得すれば止まってくれるだろう』などと見込まれているのは、主君に対する侮辱である。


678 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:19:07 2QJTdZVE0
とはいえ、加勢があることは望ましくない。
剣士については闘気がはっきりと別格だった。
煉獄杏寿郎でさえこれほどはっきりと『至高の領域』を確信させることはなかった。
ややもすれば、常に重厚な威厳を放っていた上弦の壱よりも剣気は上回っているかもしれない。

だが、別格の女剣士とまともに殺し合うつもりはない。
猗窩座に対して殺さないまま制圧しようなどと、不覚を取っているのは標的の側だ。
そして猗窩座の主君は、もはや正々堂々と奇襲の類は行わないといった手段の選び方を、放棄している。

その三者に、動きがあった。
まず真っ先に殺したい獲物、犯罪卿が仕込み杖を拾い上げるや、その姿をかき消した。
同時に、闘気さえも霧散している。闘気とは霊体化をした程度で拭えるようなものではないとなれば。

(気配遮断か)

これまでの立ち回りや能力値の低さから行っても、クラスはアサシンだろうと見ていたし、そこに意外さはない。
だが、闘気探知さえ掻い潜るほどにすぐれた隠形能力であるとなれば。
それこそ己の保有する『反骨の相』に相当する桁の無効化能力、ということになる。

とはいえ、埋伏した上での奇襲など猗窩座にとっては脅威ではない。
たとえ先手を取られようとも、その先手が猗窩座を穿つよりも。
それより猗窩座の後手が、先手を追い越して頸を刎ねる方が圧倒的に早いからだ。
その上で、猗窩座の探知から外れようとする、ということであれば。

(『魔力の要石を狙うぞ』という威圧、か)

マスターは、サーヴァントのそば近くで控えた方が魔力供給が円滑に運ぶ。
まして、アーチャーとの戦闘が長くかかったこともあれば、マスターも付近に身を潜めているのではと勘繰られても致し方ない。

見つけ出して仕留めるか、失神でもさせて確保すればこちらの勝ちだとして、潜伏行動に移ったのか。
あるいはそれを匂わせ、『主の身に危険を及ぼしたくなければ撤退しろ』という脅しか。
だが、猗窩座の主もまた腹を据えていた。
気配遮断であろうという回答を念話に乗せると、即座に決断が返ってくる。

(大丈夫だ、こちらには護符がある以上、いざとなったら時間は稼げる。
たとえ護符が足りなくても、最後の令呪で君を呼べば、第一目標の犯罪卿は落とせる。なら、このままことを運ぼう)

気配遮断は、攻撃態勢を取ることでそのランクが大きく低下する。
リンボをアテにするのは業腹だが、護符から出した護衛もどきたちであれば、迎撃をする役目は果たすだろう。
残った二者はとなれば、アーチャーらしき兵隊は銃を担ぎ、射線ができしだい援護に回ろうという構え。
女剣士は、猗窩座と炎剣のにらみ合い、会話に移行する余地が途切れた頃合いを狙って戦場に割り入ろうと二刀を向けていた。
女剣士の眼光と佇まいに、本能が警告を鳴らす。
その視線は猗窩座の首筋へと吸われるように射定めている。
よもや既に似たような鬼と戦い、『こちらも頸を斬られるのはさすがに困る』とでも学習しているのか。


679 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:19:40 2QJTdZVE0
(――却って好都合だ)

猗窩座が利を取れるところは三つ。
ひとつは、『一度の戦いで令呪の全損をすることはないだろう』というきわめて常識的な判断。
いまひとつは、『頸以外を斬っても再生される』と相手方も覚えたであろうこと。
さいごのひとつは、鬼種のサーヴァントにはマスターとの視覚共有が伴っており、今のマスターは猗窩座の認識能力でもって戦場を見ていること。
つまり、常人ならば眼で追えない戦況であっても、猗窩座と息を合わせることが可能となっていること。

あるいは、『プロデューサーが出て来ざるを得ない状況を作る』という前提条件そのものが、彼らの枷だ。
猗窩座とその主君を奪還することが勝利条件なのであれば、彼らの敗北は決定している。
なぜなら。
猗窩座が役目を代行している主は…………『サーヴァントは生きた人間では無い』と割り切れるような性格をしていない。
でなければ、なぜ猗窩座に対して、君にだけは不誠実な真似ができないと首を落とされることさえ受け入れようか。
そんな男が、敬意を表すべき戦士だったアーチャーを、卑怯な横やりを受容までしながら打倒した。
『あなたのマスターを引っ張り出す』という訴えつづけた、少女の屍を乗り越えている。
そして、それは猗窩座にとっても同様だった。

『サーヴァントを一騎でも落とせば、その分マスターたる少女たちは安全になる』と、蝋翼と狛犬は賭けざるをえないから。
この手で失わせた者の声に応じることができないなら、せめて犠牲には意味がなければならないから。
だから。

「このまま聖杯を狙い続けたとしても、あんたのマスターはきっと死んでしまう! あんたは、それでもいいのか!?」

だから。
そのような、猗窩座も思わなかったはずがない問答を叫ばれて。
ならば現実を教えてやろうと言葉を紡いだのが、先陣だった。

「あの男は貴様らに猶予を与える約束の代償として、すでに寿命の九割がたの魂を盟主(サーヴァント)に差し出した。
ならば残りの時間は、願いを叶えることに費やすのがせめてもの救いだろう」

灰髪の剣士が、言葉を詰まらせる。
悲しみとも怒りとも受け取れるような表情へと変わる。
それこそ、拮抗が崩れる潮目だった。

すっかり踏み荒らされた叢の地に、羅針の文様を描く。
灰の剣士が我に返り、猗窩座の先手に後れを取るまいと地を蹴る。
決裂を察した女剣士が控えていた地点から脱し、戦場の主力にならんと迫る。
銃の弓兵が小銃を構え、射線を確保しようとする。

羅針の文様でそれらの立ち位置が網にかかった。
猗窩座にとって致命傷を与えないままに勝利するともなれば。
彼らが狙っているのは刀による頸の寸留めからの、狙撃と銀炎による包囲網の形成、といったところ。
反撃できない状況を作り上げ、『あなたも撤退のために最後の令呪を切るのはもったいないだろうし、マスターに連絡してくれないか』と訴える。

(ならば、先に【こちらから頸を落とされ】る)


680 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:20:12 2QJTdZVE0
銀炎の刀身に滑り込むように自ら剣閃に入る。
その男は、戦士としてはある程度の熟練者ではあっても、剣才そのものは不器用者のそれだ。
振り抜こうとした刀身をとっさに返すには、猗窩座の行動が予想外すぎる。

同時に、三画目の令呪を解禁。
猗窩座にかかる『速度』を向上(ブースト)させ、頸の即時再生と、灰髪の男への反転(カウンター)でもって致命傷を与える。
犯罪卿が第一の標的であったところは惜しいが。
『七草にちかのサーヴァント』を仕留めることは彼女の戦線離脱にも繋がり。
さらに言えば、その男を討つことで、助太刀の女剣士を除いてまともな戦力はいなくなる。
これをもって、『実質的に己の手で陣営を壊滅させている』と申し立てる。
海賊陣営でやっていくための立場と発言権の獲得、残存する少女たちへの約束を建前にした寛恕。
それらは、主君にとってもっとも残酷な展開を回避するために必要だった。

また同時に、女剣士と銃兵にそれらを邪魔立てされないための同時攻撃を敷く。
すでに、戦闘中に徐々に河川沿いに接近していた男(マスター)が近辺で待機し。
リンボより与えられた護符から、黄緑色の雷を呼び出し、銃兵にぶつける。
肝要は銃兵への攻撃それ自体よりも、その付近に気を失った少女達や七草にちかがいることだ。
マスターを狙う『ふり』の雷鳴。
犯罪卿にそれを捕捉されたとしても、残った護符の式たちと残りわずかな人形兵士で撃退には充分。
視覚共有の恩恵でそれら三つは主従の呼吸を合わせて行える。

たとえ女剣士が、全てに追いついて対処できる『誰も死なせなかった剣士』ような類の人物だったとしても。
まったく同時に予想外しを三つ仕掛けられた上で。
『たとえ反撃を受けても再生力が強化されている』という隠し手も加われば、対処できる意識の容量は越える。
灰髪の剣士を回復でも追いつかぬよう斬首した後、こちらは令呪の加速をそのまま撤退し、主を連れて離脱する。

七草にちかは、サーヴァントの絶命にどのような顔を見せるのか。
それを視覚共有であの男に伝えてしまわぬよう、二人の剣士だけにを視線を注いだ。

一撃をこちらから受けることで全てを仕掛け。
一撃を加えることで戦果をもぎ取る。

羅針によって灰髪の剣士の動きを、つぶさに汲み取る。
接近する女剣士に、いつかと同様の『いますぐこいつを殺さなければまずい』という総身への警告を感じ取り、踏みとどまる。

いざ、と二者は迫り。
来るがいい、と一者は貫き手を構えた。
その、まさに勝負直前の際だった。



――犯罪卿が、猗窩座の背面にて気配遮断を解いた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


681 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:20:43 2QJTdZVE0
どうしても顔を見ずにはいられなくて、田中摩美々のそば近くに寄った。
途中で七草にちかと眼があったけれど、何も言えず、言う時間もなく。
ただ、あなたのサーヴァントは大丈夫だと、曖昧に笑いかけるしかできなかった。

思えば一か月間、摩美々との遣り取りも、七草はづきとの連絡代行も、悩んでばかりだった。
本当の【プロデューサーさん】なら、もっと励ましになるようなことが言えたんじゃないかとか。
どう足掻いてもただの人殺しに、年頃の少女達の面倒を見られているだろうかとか。
こんな心も体も弱いサーヴァントに命を預けさせてしまって、本当に申し訳ないとか。
そんな想いが抜けないまま自信を表して笑みを顔に貼る、そんな一か月だった。

しかし、彼女は、その悪党【モリアーティ】のことを頼りにしてくれた。
真名を知った時点で、大罪を犯してきた悪人であることなど明らかだったのに。
先入観を持たず、さりとて無条件に寄りかかりもせず接してくれた。
どころか、家族、友達、パートナーだと、身内を想うのと同じように思ってくれた。

まったく無防備な、瞳をとじれば実年齢より幼く見える、意識のない姿を見下ろしていても。
あなたの手は掴んでいるから、犠牲になろうとするなと。
倒れている今でも、手を離さないでくれているのが、確かに分かる。
手と手が触れあっていない時でも、あなたの居場所はここだと掴まれている。

だけど、手が繋がっている上で。
それでもこの頭は、今の状況について【ためらってはいけない】ということについて、考えてしまって。

状況はこちらが優勢で。
プロデューサーのサーヴァントは撤退か敗戦かを迫られているような多勢に無勢で。
だけど、きっと事は『停戦』では済まない、確実な『どちらかが脱落する殺し合い』になる理由に、ウィリアムだけが感づいていて。
古手梨花のセイバーがもたらした情報が、ウィリアムから見えている盤面を、がらりと変えてしまって。

それを相談している時間も猶予も、ここにはない。
Hに対して警告したくても。
助力してくれるセイバーに説明しようにも。
七草にちかのアーチャーに『撃ってくれ』と依頼しようにも。
プロデューサーのサーヴァントは、それらを待たずに状況を進めてしまう。
『その行動』だけは軽率に決めてはいけないのに、今決断をしないと、きっと更なる犠牲が出てしまう。


682 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:21:15 2QJTdZVE0
そう確信していることに、論理的な理由はあるけれど。
それだけでない、ひどく感情的な理由が伴っていることも自覚している。
彼らはきっと、この戦場で犯罪卿か、七草にちかのライダーを、確殺する腹積もりでいる。
殺すための算段ができあがっている。
ただ無意味な抵抗を続けているわけでは、絶対にない。

たぶん、プロデューサーの気持ちをより強く分かって、共感しているのは。
同じ七草にちかを愛する者である、彼女のライダーなのだろうけど。
それでも、【今この場で、絶対に283のサーヴァントを消そうとしている】という本気にかけては。
きっとウィリアムこそが、誰よりも分かってしまうから。
なぜなら、彼も常に、その可能性を留保してきた悪の側だから。
先刻の戦闘でも、【全滅するぐらいなら、摩美々だけ連れて令呪で逃げる】という選択肢を留保していたのは、彼ぐらいの者だろう。
自分はずっとそうやってきたから。
だから、絶対にあなた達は私達に牙を届かせるのだろうなと。
セイバーとの実力や、人数が違い過ぎるとか、やってみなければ分からないとか以前の、実感として悟ってしまう。

たとえそれが叶わず、セイバーの少女剣士がさらなる上手だったとしても。
そうなったら彼らは、きっと停戦ではなく『どちらかが脱落する』にまで発展してしまうのだろうなと、そう思える根拠もある。

むしろ、ライダーのように共感ありきで始まっていないだけ。
彼のことを畏れる気持ちは、ウィリアムの方がよほど大きかったかもしれない。
『283プロダクション』を運営している一か月の間に、素晴らしい評判しか聞かなかったような人物だから。
プロデューサーとして見れば自分よりはるかに優れていることは、プロデューサー代行だった山本にも話したところだから。
理不尽な支配をもって相対されるのは、それがどれほど圧倒的に力をもった暴力であってもウィリアムには既知のものだ。
だけど、どこまでも誠実な精神力と、己を上回るやもしれない人間的魅力をともなって敵対されるなどというのは、未知の恐れだった。
たった一人、言い訳しようもなく敗北した『彼』を除けば、初めてだった。
ずっとずっと、誰かを騙して、陥れて、黙らせて、そういうやり方で生きてきたから。

彼に対して、『切り札かもしれない七草にちかと合流してから会いに行く』という保留の行動しか選べていなかった時点で。
他のどの聖杯狙いよりも、脅威を抱いていたとさえ言えるかもしれない。
『もし自分の意見とプロデューサーの意見が対立すれば、摩美々は後者の側につくのではないか』と。
当初は、そうやって摩美々にひどく失礼な想いさえ抱きもした。

だから、ここでプロデューサーが『仕損じる』とは考えない。
その上で、決断をするならば。

今この場で、敵も味方も問わずに『自分以外のサーヴァントが脱落する』という結果が生じてしまったら。
状況はそう遠からず、全員にとっての袋小路、行き止まりになる。
そう思える盤面が、できあがっている。
その未来を読んでいる者が、この場にウィリアムしかいない。


683 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:22:40 2QJTdZVE0
そうか、さきほどアイドル・七草にちかを庇った少女・七草にちかは。
こんな『考えている暇はない』に立ち向かったのかと、畏敬と罪悪感が沸く。
あのタイミングでアイドル・七草にちかに自己肯定を促すような言葉をかけたことが。
かえって少女・七草にちかを諦めの道に進ませてしまったのではないかと、そんな後悔が消えない。

そんな想いにかられながらも、やはりいつかと同じだった。



――友達(キミ)にだけは、生きて帰ってほしい



彼女の手を、ふり払う大罪をふたたび犯してしまうよりも。
彼女の手から体温がなくなる方が、やはり嫌だと思ってしまって。

もっと言えば、この場でプロデューサーと完全なる破局を迎えてしまったら。
櫻木真乃のアーチャーの頑張りは、無駄になってしまい。
七草にちかのライダーの慈しさは、届かなくなってしまい。

界聖杯(ここ)に至るまでの間に、大勢の人を殺して。
界聖杯(ここ)に至っても、彼女たちを護れなかった私が。
それでも、独りでは無いと救いを得られたというのに。
もともとその温もりを受け取れるところにいた男が、その救いを得られないのは、やはり理不尽だ。

アイドルの少女達が殺されたのは、1人だけのせいではないと田中摩美々は言ってくれた。
だが、プロデューサーは未だにそう思っていない。
きっと、眼前の敵対者たちは、自分が少女達を護れなかったと、背負い込んだままになっている。

それらを、彼(プロデューサー)に今こうして、単独主従(ひとり)だけで間違いを清算させるぐらいなら。
私もまた共に間違えて、幾らかその『責任』を持って行こう。



だから、これが【犯罪卿(わたし)】としての、最後の悪企み。



――あなたは、ここで他のどのサーヴァントでもない、私を殺してもらう。
――そして、その罪と責任は、あなた達ではなく、私が多くを持って行く。
――あなたが私を殺したことは、確かにアイドル達を生かすことにも繋がったと、そう思えるような結果が残るようにする。


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684 : タイムファクター(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:23:16 2QJTdZVE0
ごく脆弱な闘気の持ち主だった。
それが、背中から斬りかかれる位置取りで仕込み杖を穿とうとしている。

(人間(マスター)を狙わない?)

背後を振り返る前に、羅針の反応にかかったことでそれを理解し。
背後を振り返る前に、灰髪の剣士も女剣士も困惑を顔に宿したことから、『仲間にも予想外の独断専行』だと把握する。

(――だが、仔細ない)

これが狡知をめぐらせての奇襲だとしたら、それでもなお目算が甘すぎる。
気配遮断さえ解いてしまえば、ゆるやかに飛ぶ蝶を叩き落とすに等しい。
それほどまでに、彼だけが、戦士としては次元が隔たっていた。
いくらサーヴァントになったとて、鬼と只人、超人と俗人の格差は優しくない。

吹き飛ばせば、二人の剣士がそちらへと方向転換するかもしれないため、その場で始末する殺し方を選択。
貫手によって貫いたり縊り殺しにすれば死体が荷物になるため、利き手がすぐに空けられる殺し方を選択。
こうして、『いかにこの敵に対処するか』ではなく。
『いかに二人の剣士へと切返す邪魔にならないよう対処するか』を判断基準にすれば足りる動きで。

しかし、主君が何としても落とさねばならないと見定めた標的を落とすための、慢心はなく。
何かの罠を仕込んでいないとも限らない外套で覆われた胴体を突くことは避けて。
同じく、襟を深く立てて見えぬようしている首回りを刎ねることも避けて。
鬼人の拳速をそのままに、顔面急所へと吸い込ませ。

かつて、人を護るはずだった拳を始めて殺戮に使った時のように。
その致命打はあっけないほどに、軽い音をともなった一撃で為済まされた。
吹き飛ばすのではなく、抉って刈り取るための拳は、蜘蛛という生物的弱者の左顔面に突き刺さり。
左眼球を潰し、顔の大部分を血塗れにし、白皙の容貌から肥大した脳にかけてを構成する骨を砕き。
霊基(いのち)としては修復できないほど、再起不能にした。


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685 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:23:59 2QJTdZVE0
「実を言うと……」

記憶の大図書館。
マインド・パレス(知識の宮殿)。
膨大な知識を詰められるだけ詰め込んだ図書館。
実践的な知恵の美術館でもある広大にして複雑な迷宮。
それは、現実には一つの頭脳の形をしていた。
たった一つの人格に宿っていた。
そして、今その一室は、漆黒に塗り固められていた。

生死の境界にある走馬灯で、即座にそれは展開されて、心の私室を作り上げる。
そして、もう間もなくして、全てが失われるがごとく荒れ果てている。
宮殿の大半は打ち壊され、押し潰され、消灯して閉館も寸前。

もはやその一室。
手近にある直近の記憶と、申し訳程度の来客しか残されていない。

「あの人のサーヴァントが襲来した時点で、弱い考え方を持っていたことは事実でした」

その来客、物語の探偵(イマジナリー・フレンド)に、宮殿の主は語り始める。
ここに至るまでの思惑を、裏側を、懊悩を。

「彼ならば、自分の命を差し出す代わりに、それ以外を見逃すような取り引きが通じるかもしれない、といった提案だね?」
「恥ずかしながら」

時を世田谷区の戦いまで遡り、他者に明かさなかった思惑を語ると。
少女達から悪魔と形容され、実際もまたそうである蠅の王を撃退した時点では、二つの可能性があった。

世田谷区消失の余波によって、『海賊と子どもたちの襲撃』の予定も、また吹き飛んだ可能性。
世田谷区消失をものともせずに、世田谷区のアパートを囲んでいた追っ手が、引き続きの襲撃者を送ってくる可能性。
常識的な判断であれば前者ではあったが、後者の可能性は無くもなかった。
そして、襲撃のタイミングを予告するメールが届いた以上、その尖兵が『彼』になっていることは、予想の一つとしてはあった。
いずれも当たってほしくはなかったが。

だから、襲撃があると密告を受けたメールのアドレスに返信する形で。
プロデューサーに送るメッセージを用意するだけはしていた。
世田谷区直下の爆弾を、盛大に起爆させた後で。
マスター達も含めた一同と、杉並区緑地公園で合流するよりも以前に。
『もし私が討たれたら、盟主を討ちとり集団を崩すことに成功したものとして、そこで引き上げてはもらえないだろうか』という未送信メールをストックしていた。


686 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:25:17 2QJTdZVE0
少なくとも、プロデューサーのサーヴァントと連戦を重ねて、激戦を乗り越えたばかりの戦力を削られるよりは。
密告を受けた時にまず単独で囮になろうとしたように、自分以外を逃がす事も考えた。
それに、もっと大きな理由があった。
仮にその場を、プロデューサーのサーヴァントを、これまた見事に撃退できたとして。
さらに誰の犠牲も出さず、二度目の奇跡を起こしたまま戦いが終わったとして。
こちらのマスター達にとっては、それも大変宜しくないのだ。

「果たしてプロデューサーのサーヴァントが誰一人殺せずに帰ってきたら、海賊たちの陣営は彼に見切りをつける事をしないだろうか、と」

それが、気がかりだった。
明らかに規格外のサーヴァント同士の激突を起こした陣営の生き残りに、それでもプロデューサーをぶつけたということは。
海賊と子どもたちは、最悪、プロデューサーが捨て石になっても、それで敵わないと思っている。
少なくとも、尖兵なるようにと命令を発したであろう、子どもたちか海賊かの一方は。
その上で、283プロを削るだけの力は発揮すると見込んで送り出している。
ならば、283プロの陣営が誰も死ななかった時に。
プロデューサーは『期待外れ』としての扱いを受けることになる。
下手をすれば『情を残しているから殺せなかったのか』と裏切りを勘繰られ、その処遇と命が危うくなることは、想像に難くない。
そしてプロデューサーの死は、七草にちかや田中摩美々ら、彼女達のもっとも望まないものであり。
『有効だと思っていたプロデューサー派兵さえ失敗したのだから、いよいよ慢心せずに総攻撃をかけよう』という、輪をかけて最悪の結果を招いてしまう。
それを防ぐためには。
誰かがその場で犠牲になるしかなく。
それは、戦力としては最も力になれない上で、『賞金首』としては最も目立っている、『蜘蛛/犯罪卿』を置いて他になかった。

「けれど、彼のサーヴァントを一見して、やはりそれはできないと悟りました」
「できる限り多くのサーヴァントを削る、という確かな殺意があったからだね」
「理由のひとつは、その通りです。私を標的に定めていることは確かだったが、私だけを仕留めたところで止まる余地はないと分かった。
彼の覚悟を想えば、むしろそこまで思い定めていると確信すべきだった」

その時点で、プロデューサーがやりたくもない襲撃を、ガムテ側に強要されているという線は消えた。
その主従は己の意志をもった戦士として、アイドルたちの安全のために、犯罪卿を始めとするサーヴァントに消えてもらうより他にないと信じている。
そして、その男を、そのように駆り立てたのは。

「プロデューサーは、マスターでないアイドル達が全滅したことを、把握していた。
……つまり、彼は見せつけられた。護るべき少女達が手をかけられた惨劇を、ありのまま」

それはガムテならば見せたであろうし、むしろ見せない理由がなかった。
『プロデューサーにアイドルを襲わせる』という絶望を演出する仕込みの為にも。
また、『効果的ににプロデューサーを尖兵に仕立て上げる』という路線を取る為にも。


687 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:25:48 2QJTdZVE0
「……絶望させて殺すと、指名を受けたのは私だった。
彼が連行された惨劇は、本来、私が見せられるはずのものだった。
本当なら、犠牲を目の当たりにするのも、『お前の無力さが招いた結果だ』と嗤われるのも、『犯罪卿』が背負うことだった」

あなた一人だけのせいだなんて思わないで、と摩美々は言った。
でも、それは、己だけのせいではないと言われた、その結果を。
プロデューサー一人だけに背負わせてもいいという事にも、絶対にならないというのに。

「では、もう一つの理由とは?」

『彼ではないホームズ』が、話題を進めた。
対話人格として彼を選んだのは、淡々と起こった事実だけを整理してくれそうでもあったからだ。

「一人で勝手に決めて、一人で犠牲になってはいけないと言われたので。
…………新しい友人からも、護るべきはずの人達からも」

あなたの手は私が掴んでいないといけないから、一緒に戦うことを選んでほしいと。
その言葉は、たしかな楔になっていた。
孤独な退場を許さないという願掛けだった。
その言葉があったから、彼は戦場で役に立たない不甲斐なさのなかでも、連戦を潜り抜けられた。

「それに、逃げることはするなと、咎められたことがあるので」

死を、消滅を、楽になるための逃げ場所にしてはいけないと、叫んでくれた友がいた。
もし、安易に命を放り出す選択をすれば、マスターを生還させるという責任と、残った同盟者たちをとりまとめる役目は。
その一番大変なところを、脱出を提言するHたちに押し付けたまま去ることになってしまうだろう。
あまりに身勝手で、どうしたって酷だった。

「だから…………アーチャーさんの選択に任せることにした。
『戦いによって、想いをぶつけることで、プロデューサーさんを引っ張り出す』という道を模索できるなら、と」

けれど、その選択は。
結果的にはアーチャー・キュアスターの脱落と、少女・七草にちかの犠牲を生じさせてしまった。
アーチャーの言葉が何も響かなかったとは思いたくないし、響いたと信じたいけれど。
おそらく、これでプロデューサーは、この戦いで引っ張り出されることはなくなった。

「H君は諦めずに対話を試みていたようだが、なにか根拠があって確信したのかね?」

Hがそれでもサーヴァントに訴えかけようとしたことに、一切の認識不足はないだろう。
交渉でも戦いでも、相手からよそ見をすることが最大の禁忌(タブー)であり、今その集中は対峙するランサーに向いている。
プロデューサーのサーヴァントが対面を拒絶していることが第一の関門であり、それを突破すべくサーヴァント同士の会話をしようとしている。

でも、だからこそ。

「使われた令呪が推定一画きりにしては、効力の持続時間が長すぎる。
アーチャーさんとの戦闘中に、令呪のかさねがけが行われたと見ていい。
つまりプロデューサーは、一度の戦闘に令呪を二画も切るような判断ができる程度には、戦況を把握していたことになる」

プロデューサー当人が戦闘を見守っていた、というなら。
プロデューサー自信が引っ張り出されるつもりでいるかどうか、その心境を察することはできる。


688 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:26:29 2QJTdZVE0
田中摩美々からは、あなたと同じだと答えをもらったから。
独りで、無理して全部引き受けようとする。
そういう人だと考えていいのだと、言われたから。
畏れなくても、救けたいと思ってもいいんだと、教えてもらったから。

「今の彼は、『櫻木真乃さんの大切な人を奪った』ことも背負っている」

そういう人なら、気付いていないはずが無い。
283プロダクションに、一か月もそばにいて守ろうとしてくれた者を無碍にできる少女は、1人もいないことを。
たとえプロデューサーにとっては、サーヴァントこそがアイドルたちを殺し合いに巻きこむ障害だったとしても。
アイドル達にとっては、守護者であり、パートナーであり、1人の人間だということを。
自分の間違いに折り合いがつけられないから、君達のところに戻れないと言っていたところに。
アイドル達を襲い、その大切な人達を奪うという行いを重ねてしまった。

「しかし、それでも彼のことを救いたいというのが君の大切な少女達の願いだったはずだ。
ただの予想だけで、彼の気持ちを決めつけて説得をとりやめるのは尚早な判断ではないかな?」
「いくらでも説得に時間を費やしていいなら、言葉を尽くしたでしょう。
だが、それも許されない事情が訪れた。古手梨花さんとそのセイバーの窮地が、察せられたことです」

決め手は、古手梨花のセイバーが、合流したことだった。
それまで、283陣営にとっても猫箱(ロスト)に位置付けられていたHの同盟者。
『皮下院長に交渉を試みる』という方針を伝えてから、行方知れずであった少女。


@DOCTOR.K ・6時間  …
283プロダクションのアイドル達はマスターであり、聖杯戦争からの脱出を狙っている。
そして、それが達成された場合、聖杯戦争は中途閉幕となり残存マスターは全て消去される。


その情報が投下されたのは、古手梨花が皮下のもとに来訪したであろう前後のことだった。
この時点で、古手梨花という少女がその後どう動いたのかについては、二択の想像があった。

一つは、皮下が話し合いの通じる手合いでないと知るや無事に逃走を果たし、同盟者たちに会わせる顔が無いという保身によって合流を避け続けている場合。
一つは、皮下の元に囚われ、283プロダクションの陣容や脱出計画とやらの詳細など吐き出せと、尋問なり拷問なりを受けている場合。

後者であれば、こちらの情報を引き出すための手段はまず穏当なものにならないだろうと予想できる。
つまり、古手梨花が囚われてから時間が経過していくごとに。
Hを経由して古手梨花に伝わった情報は強制的に露呈していくことになる。

そして彼女のセイバーが救援に駆け付けたことで、まさにそういう事態が進行していることが分かった。
『古手梨花は囚われの身になっているのか』という確認を済ませた須臾の思考時間で。
ウィリアムは、その意味について考え尽くしていた。



【だが───貴様らは"狡知"ではあるまい】
【そこか。"犯罪卿"】



世田谷区での集中放火から始まった、一連の襲撃において。
峰津院の擁していた悪魔も。
プロデューサーのサーヴァントも。
『蜘蛛/犯罪卿』こそが第一の標的だと、思い定めていた。
『全てをご破算にしようとする脱出計画の実行者は誰だ』とは、詰問されなかった。
彼らにとって283プロダクションの陣営とは、『まず狡知の蜘蛛を潰すべき集団』のままであった。


689 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:26:54 2QJTdZVE0
もともと七草にちかのアーチャーに使わせていたバイクには、盗聴器と収音器を仕込んでいた。
(他の主従に限りある資材を貸すのだから、そのぐらいは当然のことだ)
悪魔のサーヴァントがバイクを破壊した時も、それらは爆散するより先に転倒事故によって剥離していたために稼働しており。
また、櫻木真乃のアーチャーことキュアスターにも、こちらは「戦況把握のため」と暴露した上で同様の小型機器を衣類に忍ばせてもらっていた。
ともあれ、その結果として。

【出せ、蜘蛛を。今も隠れ潜む忌々しき狡知の徒を。】

その遣り取りの一部始終を、ウィリアムは耳に入れていた。
だからこそ、理解している。
あの誰何(すいか)によって発生した、わずかな時間が無ければどうなっていたことか。

アーチャー・キュアスターの到着は間に合わず、あの場にいたサーヴァント達はとどめを刺され。
それはライダー達の覚醒を招くことなく、マスターも含めての全滅に繋がっていた。
あの時点で、【方舟の提唱者】が露見していなかったからこそ。
古手梨花が、孤独に囚われている中でなお黙秘してくれたからこそ、あの場にいた全員の命が救われていた。
保身のために幾らでも283プロダクションの面々を売ったところで責められない状況下において。
ウィリアムが会った事もないその少女は、『アイドル達やHの主従は、庇うに値する人達だ』と信用したのだ。
ならば、その少女に助力しないということはできない。
ウィリアムのような者と違って、そこまで人を信じられる少女には、救いの手が伸ばされてほしい。

さらにこれは、そういった感情論を排した利害による考えだが。
古手梨花の身に万一のことがあれば、現状を打破する戦力としての救世主となってくれた存在が。
剣士のセイバーが、消えるなり、当人の意に沿わない命令を飲まされるなり、してしまう。
今そんなことが起こってしまえば、リンボひとりが再来しただけでも全滅に転じてしまう。

よって、目標の優先順位は切り替わる。
理では、今後の戦いを生き残る為に、古手梨花とそのセイバーを欠かしてはならないから。
心では、方舟にいる全員の恩人である少女と、同じく全員の恩人である剣士を失いたくないから。
――まして、サーヴァントの方は『彼ではない彼』の同胞だというならば、その人間性には聊かの疑念もない。

「何もプロデューサーの説得を諦めるわけではない。順番の問題です。
プロデューサーの命は、今回の戦いの戦果があれば早急に無碍にはされない。対して、古手梨花さんの命は今まさに危ない」
「念話は通じない、令呪はどうなったか知れない、おまけにセイバーが不自然に泳がされている以上、現状でさえ罠の可能性もある」
「今、彼女のセイバーを失えばどうなるかは、先の戦闘で明らか。
ここは、早々に戦闘を切り上げて、疲弊しきった皆に休息を取らせる。
その上で古手嬢の救出について話し合うのが最善です」
「だが、状況はそれを許してくれそうになかった」
「プロデューサーは、【犯罪卿(わたし)】の排除に固執することを、継戦を選んだ」

それは客観的に見れば、無茶な行動選択だと眼に写るかもしれない。
セイバーの参戦とリンボの撤退によって、形勢が逆転したことは明らかであるのだから。
だが、決して愚かな選択だとは言えないだろう。
なぜなら。

「きっと、プロデューサーはまだ知らない。
皮下院長の流した情報によって、脱出希望者こそが全員の敵だと祀り上げられたこと。
今のアイドルたちは、犯罪卿と海賊達の対立を抜きにしても、排除すべき存在と化していること」

【犯罪卿さえ潰せば、まずは一幕が終わる】と認識しているから、犯罪卿の首級を狙うことを堅持している。
サーヴァントを排した後のアイドルたちは、子ども達の約束破りといった私怨などを除けば狙われないと踏んで、令呪を複数切る判断をしている。


690 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:27:25 2QJTdZVE0
「その場で、大声でそれを伝達して、プロデューサーやH君たちに、これ以上の戦いは不毛だと呼びかけることはしないのかね?」
「もし伝えてしまったら、プロデューサー主従の第一の標的が、その場で犯罪卿からH君に変わってしまう。
昨日の日中の時点ではまったく浮上していなかった脱出計画が急に現れたというなら、新参者がその計画を持ち込んだことは明白ですから」

プロデューサーは昨夕に七草にちかとメールで待ち合わせをしている。
つまり、少なくとも夕刻の時点では、七草にちかとそのサーヴァントが283陣営に組み込まれていなかったと知っている。
寝耳に水のごとく、そのような新情報を流しこんでしまったら。
『こんなサーヴァントがアイドル達と共にいては危険すぎる』という意識だけはそのままに、標的がウィリアムからHへとスライドする。

「かといって、プロデューサー主従ならばきっと『奥の手』を持っているから侮るなと、警告もできなかった……」
「私の友人たるセイバーとの間に、間違いが起こりかねないからだね」
「はい。当面の彼女は、我々の『サーヴァントを殺したくない』という要望を訊き入れてくれていた。
彼女のマスターも人質とされている以上、他人ごとではありませんからね。
けど、絶対に油断ならない相手だと伝えてしまっては……」

敵対サーヴァントを仕留めることも視野に入ってくる…………という風に転ぶことを、冷徹とは言えない。
結果的に283プロ自体の同盟者のようになってしまったものの、もともと彼女はHとの同盟者だったのだ。
そのHの安否は、セイバーにとってもマスター救助のための生命線だ。
条件として『味方をやられるぐらいなら、手加減できません』と言われたのは、むしろしごく真っ当な判断であるとさえ言える。

「そして、プロデューサーのサーヴァントがこの戦いで失われでもすれば。
……彼はいよいよ、自発的にアイドルの元に戻ってくるという道が失われる」
「その根拠とは? 283陣営に戻ってくる方が賢明であるように思うのだが」

本来ならば、ありえないのだ。
戦力にも成り得ると見込まれたことで人質から尖兵へと昇格(プロモーション)した者が、その戦力を失えば。
己を担保するものが無くなってしまうのだから、帰ってくればいいのにという声かけもしたくなってしまう。
だが、プロデューサーが『独りでぜんぶを背負おうとしている』ような者だった場合は。

「かつての縁者と決別するための戦いで、その陣営に敗れてサーヴァントを犠牲にしてしまったとしたら。
こちら側に戻ってくれば、『決別しないなら、何のためにサーヴァントは犠牲になったんだ』ということになってしまう」

ウィリアムならば、できなかっただろう。
もし、最後の事件に至るためのどこかで、モリアーティ家の誰かが犠牲になっていたとしたら。
果たして、『死ぬことは贖罪にならないから共に来い』という手を取ることが、できたかどうか。

「もっとも、一手を間違えれば詰むマスターのサーヴァントを倒した時点で、こちらには殺意が有ると言う者もいるかもしれませんが」
「なるほど。どちらにせよ仮説推論は一通りそろったようだ。こちらの王手(チェック)を確かめようじゃないか」

前提は出そろった。
古手梨花とそのセイバーを見捨てられない。
今ここでプロデューサーを取り戻すことに固執はできない。
全員疲弊しており、早く決着させて立て直さなければいけない。
この3つのどれか一つでもしくじれば、今度こそ状況は詰みに転がる。

そして、この戦いを決着させるにあたって。

「意識がないマスターも多数いる以上、逃げきることは現実的ではない。
相手方が勝算を持って挑んでいる以上、撤退を促すことは敵いそうにない。
そして、相手方にとっての【最優先で犯罪卿、次点で七草にちかのサーヴァント】という勝利条件は変えられない」
「つまり、このままでは前線にいるH君が脱落するか、プロデューサーのサーヴァントが脱落するかのいずれかになる」
「それは実質、H君が脱落するか、プロデューサーが脱落するかの二択と同じになる」

この二択は、どちらも絶対に回避しなければならない。
相槌役として作り上げた探偵役に、そう告げる。


691 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:28:00 2QJTdZVE0
「H君の脱落が、君のマスター、田中摩美々にとっての詰みに等しいことは、初歩的なまでに明らかだ。
だが、プロデューサーの喪失も、それと同等の損失に等しいと、君は考えているのだね?」

それはなぜ、という問いかけに、横に振る。
いいえ、そうじゃない。

「H君と、プロデューサーと。こればかりは、どちらの損失がよりベターかという問題じゃない。
その二人の損失は、まったく同じ問題なんですよ。
その二人のどちらを欠かしても、彼女たちは前を向いて進めない」

その重要性は、プロデューサーは彼なりにアイドル達のために立ち回って生存に寄与できるといった事より、もっとそれ以前の話だ。
また、彼を殺してしまえばアイドル達の心が折れるかもしれないといった事も当然に大事だが、もっと外側の話だ。


「時機として、今この時に、プロデューサーを返り討ちにしてしまうことは。
彼女らは、それまで慕っていた男を殺してでも脱出したいのだと。
そういう方針なら、手段さえ整えばすぐにでも脱出するだろうと。
それなら古手梨花だって人質としての生かす価値があるか怪しいと。
そういう解釈が成立してしまう」

『我々だって無益な殺戮を伴うような脱出は望みません』と、愛に時間を要求するなら。
『現にプロデューサーを切り捨てようとしていない』という実例は、絶対に必要だ。
『元の世界で慕っていた人が襲ってきたので、殺してしまいました』という事実を前にして。
『もしも協力できるなら、そうしたい』という呼びかけに、何の説得力がともなうだろうか。

「古手嬢が、どうやってこちらの情報をギリギリで売らないまま、持ち堪えているかは分かりません。
案外、皮下陣営も峰津院が我々の方に引き付けられたことで忙しくなった、など理由は思いつきますが。
けれど、我々はすでに峰津院一派と海賊とにそれぞれ襲撃されて、犠牲者も出ているのが現状。
これでは皮下院長も勘繰るでしょう。『こうなっても脱出しないなら、脱出とはすぐにできることではない』と。
そうなれば、皮下一派が古手嬢を『我々への脅迫材料(ひとじち)』として人道的に扱うべき理由は、どんどん薄くなる」

いくらアイドル達が情のある子達だとはいえ。
きっと古手梨花の救助のために脱出しないのだろう、と考えてもらうには。
客観的に眺めたとしての、古手梨花とアイドル達のつながりが、まだお互いをよく知らないほどには浅すぎる。

「とはいえ、実際のところ、彼ら彼女らはすぐに脱出可能だったとしても、今すぐに逃げ出す者達ではないね?」
「はい……いちおう『私ならこう答える』という一案は残してきましたが。
最後に摩美々さんの様子を見たときに、彼女の手荷物に手紙を差し入れてきたので」


692 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:28:27 2QJTdZVE0
手紙といっても、それはあの土壇場で出現させた最後の『計画書』で、実質の遺言だが。
どうして『最後の悪企み』をしたのか書面を残しておかないと、彼らが分からないままにされてしまうから。
こういうものですと、その返信案を読み上げる。

残していく携帯端末のうち、捨てアカウントから送ることを想定したそれに、こちらの名乗りは無い。
そもそも、【計画書】の範囲は『最後の企み』についてだけで、それは魔力を使って強引に付け足した追伸のようなもの。
つまり、まだ送信されていないし。
送信されたところで、狙った通りの効力を発揮するかも定かではないけれど。

@******
DOCTOR.Kの来客の救助。
海賊陣営にいるプロデューサーとの決着。
この二つを果たす事なく、方舟は出航しない。


ハッタリではない、ブラフでも罠でもない、ただの事実。
今の彼らがプロデューサーを諦めることも、古手梨花を見捨てられないことも客観的には明白なのだから。

「さすがに『プロデューサーを救う』と書いてしまえば、プロデューサーも奪還されたがっているかのような誤解を招いてしまうので『決着』と書きましたが」

だが、深読みする者はいる。
こいつらは、『古手梨花やプロデューサーに手を出せば脱出によってリセットする』と示唆しているわけではあるまいな、とか。
やはりプロデューサーはアイドル達にとって重要人物で、283陣営の対抗馬として重用するのは正しい、とか。

「かえって逆手に取られたりすれば、どうする?
『古手梨花を殺されないためのハッタリであり、やはり脱出は眉唾だ』とか。
『二人も人質がいるなら、どちらかは殺してしまっても大丈夫なのだな』とか。
『人質を殺してから無事に監禁していますと嘘をついたところで、ばれやしないから殺してしまおう』とか。
そして、それらより、よほど有り得そうな反応だが。
……『いくらアイドルたちが善良でも、そこまでお人好しであるはずがない、嘘に決まっている』とか」
「おそらく、そうはならないかと」

もともと、相手方に主導権を預けるのは苦手なのですが……と前置いて。

「そういった逆手の取り方をするには、人質の片方、『プロデューサー』の存在が特異すぎる」

人質の片割れであるプロデューサーは、単なるアイドル達にとっての脅迫材料であるだけでなしに『戦力』だ。
それも、『やはり283陣営にぶつけることは効果的だった』と実証がされたばかりである。

何よりプロデューサー当人が、今は殺害、監禁などをされるわけにいかない状況にある。
プロデューサーの最終目的が聖杯である限り、いずれかの時点で海賊陣営に反旗を翻さなければならないのだから。
今よりも厳重な監視下に置かれるなり殺されるなり、身動きが取れなくなってしまうと厳しい。

となれば、プロデューサーとしては『自分をどうこうするよりも、アイドル達のサーヴァントを倒して計画を潰す方が早い』と提言するほかはなく。
そうなれば古手梨花を監禁している側は、人質の片方とそのサーヴァントが、のこのこ前線に出ているという事態に直面することになり。
『プロデューサーがどうにかなった時の保険』としての、古手梨花の存在価値は上がる。

「それに、もうすぐプロデューサーさんの元には『一度の襲撃で二騎のサーヴァントを葬り、そのうちの一騎は敵の盟主だった』という大手柄が担保される。
いくら理不尽がまかり通る集団であっても、その功績は軽視できない」

そうは言っても、実際に返信するかどうかはHとアイドル達が決める事だ。
プロデューサーがまったく危険な方に転ばないとは断言できないし、それを決める場にウィリアムはいないのだから。


693 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:29:00 2QJTdZVE0
「私がいなくなった後にどうしろとまでは、残していませんよ。
犯罪者は人物推定(プロファイリング)を人を追い詰めることに使う。
でも、探偵や交渉人は、人物推定(プロファイリング)を、寄り添うことに使う。
私は数学者なので。ベストアンサーがあったところで、解法(やりかた)がひとつだとは信じてません」

でも、無責任な送り出し方しかできないのを咎められるでしょうねと、心臓を刺すような声を吐き出した。



「君は、『プロデューサーも、H君も取られるわけにいかない以上、己が取られるしかない』と考えているのだね」



かくして、結論は定まってしまう。

「仮に自陣が危うい時、もう一人のモリアーティも同じように言うはずだ。
『この連合の王は私ではない』と」

うつむき、深く。
生気ごと吐き尽くすように、長い溜息を落とし。

「ただ、プロデューサーに伝えることは決めていました」

杉並区の公園に至るまでに書かれた未送信メールは、そのまま残っていた。
田中摩美々の元へ計画書を残していった時に、密かに送信予約のタップをしていた。

「先ほどの戦闘で私が早々に気配遮断を使ったのは、メールの着信をごまかすためでもある。
マスター狙いが視野に入ったことで、見張りがいたとしても意識は内側ではなく外側に向いたでしょう」

そこに打ち込まれていた文面は。
『このメールが届く頃には、すでに私はあなた達に霊核を差し出しているだろう』という、定型めいた文頭から始まっていた。
『もしもこのメールを受信した時点で戦闘がまだ続いていたなら、私の死をもって陣営の壊滅とし、退いてもらえないだろうか』という懇請。
『子ども達の長は、【犯罪卿】の討滅によって元が取れると考えているはずだ』と、敵方の意図を推測したことによる、戦果の保証。
そして。

「『もし私の首級があなた達主従のものになった暁には、引き受けてくれ』と依頼したのか」
「はい。他の主従から、『アイドル達の人格について問われる機会があれば、あなたの知っているままを答えてほしい』と」

『海賊達を裏切ったり、偽証をする余地はどこにもない。
あなたは、あなたの知る彼女たちがいかに慈しい心の持ち主で、
立場さえ確認できていない未知の主従を犠牲を強いるような者達ではないことを。
その時が来たら、ただありのまま証言してくれたらいい』


694 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:30:05 2QJTdZVE0
「取引の体をなしていないのですけどね。私の首一つに、『撤退してくれ』と『風聞を広めてくれ』という、二つの依頼を乗せている」
「そういうことなら、そもそも取引ですら無いだろう。君に頼まれなくたって、あの男性が、彼女らを悪しざまに言うはずがないのだから」
「それでも、『私の脱落は、私が申し出たことでもある』という形は必要なんです」

彼の心が、少しでも『これでよりいっそう引き返せなくなった』と抱え込んでしまわないように。
『犯罪卿を倒したことは、彼自身の望みでもあり、気にすることはない』ということにしなければ、いけなかった。

『事務所を乗っ取っていた侵入者が何を言うのだという不遜を承知で申し上げるなら。
彼女たちのことを悪く言われたら怒りを覚えるのは、あなたも同じだと思っているから、期待する』

『彼女たちの仲間を脱落させたのだから、よりいっそう戻れなくなった』とはなるべく思わないでほしい。
Hたちに『導きます』と契約したからには、プロデューサーへと繋がる道は少しでも残したいから。
ウィリアムもまた、利害さえ関係なければ、彼のような人には生きていてほしいから。

「それにどのみち、私の『賞金首』としての価値は、今が最高値でしょう。
この先、この界聖杯において『悪名』をとどろかせる羽目になるのは、まちがいなく……」
「『方舟を持っているサーヴァント』、になるだろうね」
「はい……重荷を背負うことになるのだから、少しでも楽をさせたいんですけど、残念ながらこれぐらいしか」

自分に変わるまとめ役としての期待はしていた。
だが、望んで重荷を背負わせたいわけでもなく、『彼』の面影を感じた人を苦しませたくもなかった。
そして彼らと行動をともにするであろう摩美々には、あなたを還しますという依頼を、最期まで守れなくなってしまった。
彼女が寂しいのを嫌がることは、ずっとそばにいて分かっていたのに。

「しかし、『彼女らは優しい人達です』と告げたところで、意味を持つだろうか。
リセット推奨主義者でないと触れ回ったところで、聖杯を狙う主従からすれば標的には変わりない。
『だからどうした。殺す』と返答される可能性の方が、よほど高いだろう」
「でも、どこかで言わなければならない。たとえ、効果のあるなしを一切抜きにしても。
この発言をしておく意味と意義はあるし、むしろ胸を張って界聖杯と戦うためには必要です」

なぜなら、彼女らが真に敵対するのは界聖杯なのだから。
悲しみの中でさえ、マスターとしての田中摩美々は、そう決めたのだから。

「彼らは命惜しさに今いる者達とだけ手を繋いで、それ以外の破滅を願うような差別主義者じゃない。
危害があるか決裂するかも、何も分かっていない相手を見捨てることはしないし、因縁を清算するまでは逃げたりしない。
そういうことさえ主張できなかったら、彼女らは胸を張れなくなってしまう」

善人かどうか悪人かどうかで命に区別をつけるような愚か者は、【犯罪卿】だけで充分。
それを公言することで己を呪わずに進めるなら、知った事かと笑う者がいたとしても、言うだけの価値は十分にある。
偶像(ヒーロー/アイドル)たちは、想いを届ける架け橋なのだから。
反論する機会がひとつも与えられないなんて、それこそ世界は閉塞していくだけだ。

「……君は、H君の方舟に賭け(ベット)をする、そう結論を出したと受け止めて構わないのかな?」

そもそも『脱出のための方舟にアテがある』という話は、君にとっても寝耳に水。
皮下院長からの暴露によって始めて知らされたことだったはずだ、と。
それなのに、急展開で知らされたそのようなプランにマスターの命を預けるのかと、理性(ホームズ)はそう問いかけている。
心(こたえ)は、決まっている。

「託してもいいと、思えるだけのものを見てしまったので」

世田谷で盗聴(もくげき)した、ライダーの内側にいる【何者か】を、ウィリアムは知らない。
知るための前提知識が、圧倒的に不足している。

【ゆえに邪悪なるもの一切よ ただ安らかに息絶えろ】


695 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:30:33 2QJTdZVE0
その一連の祈りから現れたのが、いったい何者であるのかを。
煌翼だの蝋翼だのと言ったことは、何も知らなかったけれど。
だが、理解できた。
知識ではなく、既視感によって。

【俺は名乗るに能わぬ塵屑だとも。光の宿痾を抜け出せず、相も変わらず殺すことしか能のない救い難い愚者に他ならない。
強く優しい片翼のようには終ぞなれず、今もこうして悪よ死に絶えろと希うばかりの恥知らず。
そう、お前のような救えぬ悪が蔓延る限り、俺は何度でも現れよう】

これは、【悪の敵】だ。
人間のことが大好きだと言いながら、人の笑顔の為に人を殺す。
極論を振りかざすやり方しか知らない、救いようのない生き物だ。
そう、どこかの犯罪卿(だれか)がそうであるように。
その、一方で。
危機的状況への焦りとは、別として。

すごいなぁ。
うらやましいなぁ。

素直に、そう思った。
もちろん、その力に憧れたわけではない。
うらやましかったのは、『強く優しい片翼』と称する相手が、傍らにあるのだという、その事実に対してであって。
『悪の敵』なる者が、敵方の所業のみならず、ライダーの瀕死によって激怒していたことは、言葉ににじんだ感情から理解できた。
つまりその存在は、彼の体内に無理やり封じこめられていたわけではなく。
彼と共存し、彼のために怒り、彼のために現界を控えていた者だったのだ。

正反対の主義主張を持っていた、『英雄(ヒーロー)』と『悪の敵』が、相容れないままに共存している。
英霊として型にはめられた後でも、同じ聖杯戦争で巡り合っている。
そんなものを見てしまったのなら。

この人達なら、信じられる。

らしくもなく、そう思うしかないじゃないか。
【悪の敵】さえ、かたわらにおいてくれるのなら。
それは『僕のヒーロー』と同じなのだから。


696 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:31:15 2QJTdZVE0
「櫻木さんのアーチャーさんが言っていたことは、正しい。【悪の敵】では、もういけない」
「だが、彼女たちは君を求めていないわけではない」

それが分からないわけではないはずだ、と理性(ホームズ)が言う。
彼ら彼女らが、プロデューサーのサーヴァントから、自分を庇おうとしてくれたことも覚えている。
摩美々のことを思えば、最低の手段だということも分かっている。


――それでも、『友達』にだけは生きて帰って欲しい。


そんな祈りが、勝手だということも、分かっている。

「あの場にいた皆さんは、引き留めてくれると分かっていた。だから、騙すような形で戦場に割り込むしかなかった」
「気配遮断でマスターを探すと偽ったまま接近し、敵サーヴァントの射線に飛び込んだ」
「驚かせてしまったのは、申し訳ないと思っています」
「目の前で君が討ち取られたら、ライダー君たちも動揺して、事故から余計な犠牲が出かねないのでは?」
「はい、だから私以外が死なないように、さらなるひと仕事が必要です」
「致命傷を受けた身で、何ができる?」
「即死はしないように、攻撃は誘導しました。襟の高い外套で露出をふせいで、心臓や首回りの攻撃を躊躇わせるなど」

それでも、そういった誘導がすべて外れる可能性はあったけれど。
一撃必殺を受けようとも、臨終の際にもわずかな意識は残してみせると。
そのあたりの執念だけは自信がある。

「たとえ一撃で仕留められても、第二宝具(わたしそのもの)を、自己破壊起動(ブロークン・ファンタズマ)にすることだけは仕損じない」
「それによって周りの者を撤退させ、停戦をはかろうというわけか」
「はい。壊れた幻想化は英霊として初体験ですが、その結果としてどうなるかは分かっている」

私が、『犯罪卿(わたし)』という宝具を破壊するのだから。
どのように壊れるのかを、ウィリアムは知識や体験ではなく、自己認識として知っている。

天井が崩れる。
探偵役の姿が消えていく。
永遠の一瞬とも言うべき、走馬灯は終わる。
あとは、界聖杯の炉に落ちるのを待つばかり。

魂だけは渡したくなかったんだけどなと、色彩ごとなくなったような虚ろな瞳で虚空を見上げ。
口元だけで、笑って告げた。

「さすがに私の魔力では生前ほど広範囲にはならないでしょうが――火事になります」


697 : 断章・ゼロ時間へ ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/26(木) 23:32:03 2QJTdZVE0
いったん投下終了します
期限までには残りを投下します


698 : ◆MSWNXc4zEA :2022/05/27(金) 18:07:49 J4bmpA520
幽谷霧子&セイバー(黒死牟)
光月おでん&セイバー(継国縁壱)
仁科鳥子&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)

予約します


699 : ◆0pIloi6gg. :2022/05/27(金) 20:53:46 LyBCugzU0
>Surprise MOM Logic
投下ありがとうございます!
せっかく戦果をあげて返ったのに結局殴られるリンボかわいそう(そうか? そんなにかわいそうでもないのではないだろうか)。
末端でも結果を出せば信用されるしいざとなれば助け舟も出るの、ますますヤクザめいていてろくでもないですね此奴ら……。
それに嘆息するカイドウも、そして最早毎度のこととなりつつある憤懣やるかたないガムテ。本当に幸せになってほしいものだ。
とはいえリンリンはまさにタイトルにもある通り、彼女自身の中の理屈で動く生物なのでこればかりは仕方ないですね、南無。
はてさて激戦の舞台に向かってビッグ・マムはどういう役割を果たすのか。

お話の内容に矛盾や不可解な点はなかったのですが、次回からはできれば既存の予約者様のお話の内容に大きく影響してしまうような展開を挟む際には時間や距離でワンクッション入れていただけるとありがたいです。
今回で言えば杉並区に一作の内にリンリンが到着してしまっているので、予約者様のプロット上リンリンの到着とそれに伴う反応や展開上の齟齬など、様々な影響が生じてしまう可能性がございます。
修正要求というわけではございませんが、上述の理由から、今度からはこういった展開を書かれる場合は(あくまでも一例ですが)「リンリンが一話の中で即杉並区に到着」→「リンリンが出撃、ただし戦場のある杉並区に到着するまではまだ猶予がある」など、ある程度展開上の配慮をいただけると私含む他の書き手も安心できるかと思いますので、申し訳ございませんが一考いただけると助かります。
長くなってしまいましたがよろしくお願いします!


自分の予約にガムテを追加します。


700 : ◆MSWNXc4zEA :2022/05/27(金) 21:19:02 J4bmpA520
申し訳ありません。リンボの帰還〜報告している間である程度時間を置いたつもりだったのですが、今読み返すと明らかに描写不足でした。
現時点の予約はそう言ったことが無いように注意を払い執筆させていただきます。


701 : ◆EjiuDHH6qo :2022/05/28(土) 14:38:15 YFEC5lBc0
申し訳ありません、予約を破棄します。
長期間のキャラ拘束申し訳ございませんでした。


702 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:03:09 LsVbZZ7Y0
最後まで投下します


703 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:04:48 LsVbZZ7Y0
アサシンとしてのウィリアム・ジェームズ・モリアーティに、『最後の事件』から先の記憶はない。
厳密には、『犯罪卿としての側面で召喚されるために、記憶に枷があるのだろう』と当人は思っている。

というのも【英霊は死亡時までの記憶を持ってはいるが、全盛期の姿で召喚される】という基本に鑑みれば。
自分の場合は、『シャーロック・ホームズに敗北して改心した後』の記憶を持っていることは、
どう足掻いても再び犯罪に手を染める邪魔にしかならないだろうからだ。
だから、若き姿のモリアーティが覚えているのは、【犯罪卿】としては死んだときまでのこと。
たった一人の友達に救われ、孤独だった世界に手が差し伸べられ。
世界のすべてに色がついた朝のことまでだ。

もちろん最後の事件当時の、疲弊しきった精神のままで英霊としての活動に支障が生じる、などという事態は起こらないよう。
死亡時からある程度の時間が経過したかのような達観はあり。
現在のことを『最後の事件直後に界聖杯に来た』ではなく、生前の昔のことだったと認識する時間感覚は担保されていたけれど。

果たして、本来は宿敵であるはずだった男とともに、その後の人生を生きる物語があったのか。
あるいはテムズ河の川底に沈むことを贖罪として、人生にエンドマークが打たれていたのか。
さすがに小説のホームズではそのあたりを知るすべがなく、ただ、『彼にまた会いたい』という願いはつのるばかりだったけれど。

それでも、犯罪卿の視点ではあり得ないこともあった。
世界には、彩りがついていた。
運命の夜明けに救われて、『お前には友と生きたいと願う人の心があり、それは俺も同じだ』と教わった時から。
たった一人の彼(探偵)にだけ色がついていて他のものが色あせていた孤独は、もう無かった。

世界の色は、心で視るものだった。
そんな人並みのことに気付いてから見渡した世界は、美しく愛おしかった。
十九世紀のロンドンよりもずっと笑顔が増えていて、人類はゆっくりではあれど前に進んでいた。
マスターたる田中摩美々にとって、界聖杯内界が最善の世界ではないことは分かっていたけれども、その上で。


704 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:07:25 LsVbZZ7Y0
黄色い星。
橙色の最高潮。
桃色の幸福論。
紅い迷光。
蒼い航海。
そして紫色をした鍵。
虹のうち一色が欠けていたことは残念だったけれど。
始めて世界に色彩を貰った人間が眼にするには、その個性達(カラーズ)はあまりに眩しすぎた。

そして、マスターがその事務所を離れたくないと望んだことは。
ウィリアムにとって『マスターの居場所と心を守るためには、事務所ごと守らねばならない』という理屈での大義名分になってしまった。
少しずつ目立たぬよう、攻撃されぬよう、彼女達が世間に触れる機会を減らしていく一方で。
仕事としての見守りはしても、直接に接触はしないように気を付ける一方で。
それを一か月も続けるうちに、少女の姿をした宝石たちは、慈しむべき希望になっていた。
戦争をしている限り、いずれそこにも破局(カタストロフ)が降りかかると予想していたにも関わらず。

そこにマスター『ガムテ』が、『奴は事務所を護ろうとしている』と気づいてからの察しは早かった。
直観もあったのだろう。
戦争の真っ最中だというのに、絶対に戦力にはならない、しないようなNPCを守ることに腐心するなら。
そいつは犯罪卿の一面とはまた別に、もう一側面ではきっと、やわくて脆いものを持っているはずだと。
ちょうど彼が犯罪卿と重ねた悪のカリスマが、プライベートでは全く違う顔を持っていたように。
それを『病気(ビョーキ)』にしてから殺すには。
その悪の華の尊厳を奪うには、蜘蛛の手足を捥ぐように、花弁を一枚一枚と毟り取るように。
守ろうとする偶像たちの、血と涙と悲鳴をもたらすのが特効だ、と。
果たして、そう望んだとおりに刺さった。
護るべき宝石たちが一斉に粉々にされて。
事前に調べていた殺し屋たちの『やり口』についての情報もそこに交えれば。
彼女達がおよそ考えられる、もっとも残酷な仕打ちを受けたと理解したことは。
彼の魂を深く傷つけ、絶望という病に至らしめるものだった。
心を砕かれ。
体を自責と後悔の鎖で縛られ。
身柄は無数の鏡という檻に囚われ。
瞳の緋色を末期のように虚ろに濁らせて。
あとは、引きずり出され愚かな抵抗者として磔刑にされるのを待つばかり。
本来であれば、そこに処刑人と化した狛犬たちが強襲して、それを担っているはずだった。

その、『慕っていたプロデューサーを尖兵としてぶつけられる』という状況作りは。
アイドル達にとっては残酷なようでいて、その内実としては手ぬるいとも言える演出だ。
ガムテの眼から見てもプロデューサーはいずれ寝返ることが自明であり。
『サーヴァントだけを殺害してアイドルには手を出させない』という旗幟を鮮明にしていた。
そして『プロデューサーはアイドルを傷つけるつもりがない』ことは、襲撃を体感すればすぐに分かるのだから。


705 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:08:22 LsVbZZ7Y0
だが、【犯罪卿は絶望させて殺す】という予告を成就させるためには、もっとも目的に適ったピースだった。
アイドルを護ろうとする【本来の283プロにいるはずだった】プロデューサーが、【アイドルの安全を確保するために】犯罪卿を殺しにかかってくることは。
283プロダクションを守ろうとしていた者にとって。
『アイドル達を死に至らしめようとしているのはお前だ』という皮肉であり、ただでさえ心砕かれていた標的を根本的に否定する凶器と化す。
それは、彼が聖杯戦争さえなければ、最悪の大人にして最強の父親にもたらしていた【破壊】と、同じ趣向だった。
お前が大切に愛でているものこそが、お前がその手で殺そうとしている者なのだと。
その皮肉にお前だけが気付いていなかったのだと暴露するための、陥穽だった。

だが。
はぐれた偶像の生き残りとなった双つの星は、寄り添ってくれた。
すぐそばで全てを見ていた紫の蝶が、迎えにきてくれた。

誰もあなたに追い詰められたなんて、思ってない。
誰もあなたに傷ついてほしいなんて、もっと思ってない。
みんな、ありがとうと思っているから。

星々の少女たちは、重荷をともに背負うと、守ることを受け持った。
紫色をはばたかせる蝶は、あなたを傷つけないでと、押し潰されないようにウィリアムを支えた。

月も星も見えない夜だったけれど。それはたしかに光だった。
砕かれた心を、拾い集めて。
それは自縄自縛だと、鎖を解いて。
争わせようとする思惑に乗ることはないと、囚われた枷を外して。

守らなければと思っていた少女たちは。
見守っていたつもりの彼女たちは、己などよりよほど答えを持っていた。
立ち塞ぐ残酷が口を開けても、あなたと一緒なら呑まれてみせるという強い意志があり。
だからプロデューサーに思いを届けることも、諦めていなかった。

そこにたった一人との出会いのような予定調和(うんめい)はなくとも、揃いの気持ちは確かにあった。
プロデューサーにも、貴方にも。
どちらも『役立たず』などと、私たちは誰も思っていないよ、と。

それに対して、胸に抱いたのは納得だった。
やはり私は、星だとか偶像(ヒーロー)だとかになるより、影のままでいい。影がいい。
影に隠れているだけだと思ったことはないけれど。
輝くものの背中を押せたことは、生前の行いでも数少ない『悪くない』時間だったのだから。
その時間だけは、もう一人の教授には無い、僕にだけある特権だから。
ずっとずっと、星を観ていた。落ちてきた星を、抱きしめた。

私はきっと、「託す」側なのだろう。
共に生きるか生きられないかとはまた別に。
闇に光を照らす主人公たちを、ずっと愛していたいから。


706 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:10:13 LsVbZZ7Y0
だから。
やろうとすることに、行動としての躊躇いは無い。
でも、是非としての迷いと、罪悪感と、哀しみがあった。

その答えをくれた優しい少女が眼を覚ました時に。
友人ウィリアムは何の断りもなしに彼女の元を去り。
誰かの犠牲を引き受けるように、自ら炎の中に消えていることになるのだから。

彼女たちのことを裏切らなければ詰むというなら。
それこそ今、プロデューサーが止められていることと、まったく違わないというのに。

ほんとうに。
ほんとうに、いつも大罪を犯すことでしか解決できない、犯罪卿(わたし)が嫌になる。

けれど、だからこそ。
優しい狛犬たちまで、これ以上の重荷を背負って、悪魔と同じ境地にまで堕ちてしまわないように。
せめて、この場で自分以外を死なせないという、最後の仕事だけは。
どうか、最後まで私が完遂できるように在ってください。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

致命傷の一打が穿たれたのと、ほぼ同時。

羅針による雪の結晶が描かれた足場を、飲み込むがごとく。
顔から血の華を大きく咲かせたアサシンと、猗窩座を中心として大きな輪を描くように。
駆け寄る剣士たち二人にさえ、襲いかかるかの如く。
炎の海が、双方ともを飲み込んだ。



「自爆宝具か……っ!!」



察知すると同時、猗窩座が抉り取った男の血肉も、チリチリと魔力を帯びた火花に焦がされる。

おそらく宝具の使用者を爆ぜさせるのではなく、使用者ごと炎の中に閉じ込めて葬るような爆散が起こるのだろう。
あたかも可燃液体まみれの屋敷の中で火を点けられ、徐々に炎に包囲されるがごとく。
あるいは激闘によって飛散していた魔力の残滓をぱっと点火するかのような、燃性を持つがごとくだったのか。
人形兵士たちや黒き太陽が残していった瘴気によって密度に濃淡を生じさせながらも。

炎熱の塊が、一帯をぐるりと。
地に伏そうとする犯罪卿と、剣士たちを迎え撃とうとしていた修羅とを取り巻いていた。

固有結界ではない。
炎の流出はあれど、現実のルールが変わったわけではない。
だがその亜種ではあるのか、心象風景が滲んでいることは紛れもない。
犯罪卿(ロード・オブ・クライム)としての終わりの光景。墜落した先の、奈落の底。
恨みはなくとも、死んでください。全ての終わりに、私も死ぬので。
第二宝具の壊れた幻想化であるという性質が色濃いそれは、悪性存在に対して凶暴さを増した魔炎であり。
それこそ、悪鬼殺しのヒノカミ神楽のように鬼には刺さりやすい熱を帯びた。
しかし、現象としては、ただの『神秘を帯びた大火』に留まるものでもある。


707 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:12:07 LsVbZZ7Y0
(回避に徹すればいいだけだ)

両足をばねとして高く高く上空に跳ぶことを、猗窩座は苦も無く選ぶところだった。
刹那の火焔に驚いているのは剣士たちとて同じであり、混沌の隙をついて灰髪の剣士に一撃を狙えるやもしれぬと。

だが。
首元に。
音もなく異物感が滑り込んだ。
何、と一言で不可解が漏れる。

「行かせ、ない………!!」

絞り出す喘鳴。
信じがたい立ち姿。
左の眼球を失い、顔を血肉で汚したアサシンのサーヴァントが。
右の緋の眼を鬼よりも鬼らしい眼光で燃やしながら。
顔を大きく抉られ、悪殺しの火の粉に外套を焼かれ、自壊によって崩れ始めている霊基を抱えたまま。
左手の仕込み杖を地面に突き刺し、支えとしながら。
仕込み杖を持たぬ右手で、猗窩座の頸筋を掴んで、動きを留めようとしていた。

いや、有り得ないだろう。
眼球を潰した感触は、確かにあり。
とすると今まで弱卒サーヴァントでしかなかった何者かは、左眼球を破壊されながら一切ひるまずに立て直した事になる。
握力そのものは、大した力ではない。
掴まれ動きを止められているよいうより、縋りつかれているといったような有様だ。

「どういう、絡繰りだ……」

だから猗窩座の動きが止まったのは、力不足ではなく、驚きだった。
先刻、限界の無い闘志と輝きで猗窩座と互角以上に戦ったキュアスターでさえ。
左目を抉られた時は激痛にさいなまれた悲鳴をあげ、隙を生じた。
あの煉獄杏寿郎とて、左顔面を瞳ごと切り裂かれた時は、たたらを踏み、呻き声をあげた。
激痛を意志力で感じないようにできるなら、目の前の犯罪卿も、美貌が見る影をなくすほど顔を歪めてはいない。

「生前………左眼を失ったところまでは……覚えているので」

何を言っている。
失くしたことがあるから耐えられるなどという理屈が、まかり通るわけがないだろう。


708 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:12:54 LsVbZZ7Y0
「お前。今まさに死につつあるんだろう」

そう、指摘された通りだった。
頭部に致命的外傷。それに加え、第二宝具の意図的自己破壊による、魔力の周囲大量放出。霊基の維持不可。

(足りない……このぐらい、全く足りない……)

それでも、猗窩座を相手にして本当なら苛まれていた絶望には、まったく足りない。
摩美々たちが寄り添わなければ、ここで受け止めていたのは『全てお前が招いた災いなのだから死んで償え』という呪詛。
だがこの場にいた誰もが、誰かのせいでなく、大切な人達のために動いたものだと割り切った。
であれば、『たかが片目および頭蓋の損傷と生きながら焼き殺される激痛』のせいで、無駄な犠牲者を出しました、なんてことだけにはしない為に。
それも、ただプロデューサーが撤退を指示するわずかな時間を稼ぐためだけに、失敗はできない。

それに、一度体験した痛みだから耐えられるのとは、少し違う。
なぜなら一度目の時は、失明するのも石壁のような水面に叩きつけられるのも、痛みも懼れもしなかったからだ。
独りではなかったという、ただそれだけで。

(痛覚で私を止めたいなら、『あの時』以上を持って来い……!!)

たちまちに目減りしていく魔力と、少しでも均衡が崩れたら地に倒れる脚で、少しでも不敵に笑おうとする。

アーチャーの銃弾は飛んでこない。
立ち昇る炎に射線を切られているから、狙うことが敵わない。
炎の揺らめく向こうに眼を凝らせば、セイバーは切り込みにわずか躊躇っていた。
有害物質で爛れたような火傷の跡があったところを見ると、『魔力を伴った火傷』を重ねて負傷するのは厳しいのかもしれない。
……それ以前に、こちらの意図がまるきり不明で、割って入るべきか分からないという当然の疑問があるのだろうけど。
ライダーは、動揺していたように見えた。
理由は何となく察せる。おそらく、【悪の敵】なる者がはじめに発現した凶暴な炎に、幾らか性質の似たところがあったのだろう。
おそらく、彼と己の属性(アライメント)はいささか近いような気がしているから。


709 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:13:28 LsVbZZ7Y0
こうして四騎のサーヴァントがいずれも別の理由で動きをとめた数秒の間に、判断は降りた。
拳鬼がこちらの腕を強くふり払い、逃げの跳躍に徹する。
時間稼ぎとばかりに胸倉をつかまれ、炎の輪の外へと放物線を描くように投げつけられた。
逃げるための時間稼ぎだけでなく、あるいは炎の中で誰にも看取られず逝くことが無いようにという彼なりの親切かもしれない。

永遠のような一瞬。
滞空している間に走馬灯が流れ、放物線がガクンと落下に切り替わった時にそれも覚める。
炎の囲みを抜けて落ち始めるや、あたたかな両腕にどさりと身体が委ねられた。
ぱちぱちと暖炉にあたる時のような音が聞こえてきて、ライダーが銀炎をともなった腕で抱え込んだのだと分かる。

そうだ、もしマスターに繋がるなら、念話を。
せめて最期に、謝罪と、別れを言わないと。
そうでなければ、生前と同じように、家族に何も言えないままになってしまう。
そう思おうとしたけれど、力の全てを使い果たした身体と思惟は、もう少しも言うことを聞かなかった。
マスターの意識があるかを確かめようにも瞼は重たい。
せめて手を伸ばしたくても、持ちあげるだけの力さえない。

(マスター…………摩美々、さん)

自分から手を離したのに、今さら、最期に掴んでいたいと思うなんて。

(…………ごめん、なさい)

最後の事件の時でさえ流れなかった涙が、閉ざされた右眼から一筋、落ちた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


緋色の糸は風になびいて虚空へ飛んでいきそうな、そんな風当たり。
待ち合わせは、午前五時。
物語が終わろうとするのは、その少し後。


710 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:13:58 LsVbZZ7Y0
この過去夢なら、知っている。
けど、同じ夢を何度も何度も見たことは無かったので、あれと違和感を持って。

檀上に上がってきた探偵を見て、心臓の拍動が、大きく跳ねる。
その人も、もう知っている。
今この瞬間も、背景の夜空でさえ色あせているのに、なんと鮮やかに写ることか。
その顔が、とても辛そうでも、怒ってるようでも、切なそうでも、とにかくたくさんの必死な想いがこもっていたから。
過去夢にいる当人をすっ飛ばし、こちらを睨まれた気がして。
お前何やってんださっさと起きろと、どやされたように覚醒した。

意識が現実のそれに変わるのと同時に。
一か月前。初めてマスターという呼称で呼ばれた日から、密かにずっとあった。
皮膚の下でかすかにめぐっていた魔術回路の拍動が、とても弱く、儚いものになっていて、ぞわりとして。



――田中摩美々は、はっと飛び起きた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


アサシンが、セイバーたちに何も断りをいれずにに奇襲で先んじてサーヴァントの始末に走り。
目算が甘すぎて失敗し、自爆で道連れにしようとしている。
外観だけで言えばそのように見える光景だった。
しかし、自分やセイバーに対して『来るな』と制するかのごとくに火柱が立ち上がったのを見て、アシュレイは別の事実を受け取った。

眼前で、何がやらかされたのかは分からない。
しかし、確信を持ったのは『自分が庇われた』ということ。

まず、また説明不要で何かをやらかされたという焦りはあるが、悪意については疑わなくていい。
あいにくと、こちらも『お前を救うと言われながら、致命傷を幾度も負わされるほどの殺意を向けられる』だったり。
あるいは、『どうか意中の人と幸せになれと言われながら残り寿命数日の身体で放り出される』だったり。
かつて経験したそれらに比べれば、それまでの言行と、今の行動とにそこまで落差はない。

それを前提に、さてこいつはどういう奴で、自分達はどういう関係で、何をされているのかと事実確認に走る。
雇用者(アサシン)と、使われる駒(アシュレイ・ホライゾン)。
いや、そうではない。
言葉の上での関係と、内実は違っていたことに、もうアシュレイは気付いている。


――お前は同じ役者としての俺に、何を求める?――
――私は貴方を、あくまで駒として考える。この大前提が揺らぐことはありません――
――それは残念だ。少しは考えも変わってくれてるものだと思ったんだけどな――
――少なくとも……"場合によっては"これまでの状況や立場を白紙にして殺し合う可能性のある相手に与えられる席ではない――

あの遣り取りは、策謀家としては全く論理的じゃない。
古手梨花のセイバーが、『七草はづきと行動をともにしていた』事実によって、それを確信した。
べつにセイバーが『七草はづきのことを恩に着せて助力を乞うつもりだったのではないか』とか、今さらそういう話をするつもりはない。
セイバーが現れなければとっくに全滅していた働きがある以上、そういうものは霞んでいる。

問題は、最初に接触してからこれまでずっと、『Wが一度も同じことを匂わせなかった』ことだ。
せいぜい昼間の事務所から七草はづきを避難させたことを、こちらの指摘によって不承不承に認めた程度。
283プロを守ったことによる結果的な恩恵とはいえ、予選での一か月にもわたり、Wは間接的に七草家の社会的生活(ロール)を維持していたことになる。
『駒』として繋ぐと公言する程度に突き放しているのに、それを話題に出すだけで限りなく見捨てにくくなるカードを、ずっと出さなかった。


711 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:14:46 LsVbZZ7Y0
もし『そのカードを出せば脅迫めいてしまう』と控えていたのなら、それこそ『場合によっては殺し合う可能性がある相手だ』などと話さなければいい。
電話でやりとりをしていた時点では七草はづきが遭難していなかった以上、『殺し合うかもしれない可能性もある』と匂わされては。
『NPCとはいえ家族の安否を握られているこちらが不利だ』という発想にもなってしまうのだから。
まして、その当時に『プロデューサーが聖杯を狙っていることに困っていた』というなら。
それこそ『唯一プロデューサーが執着している七草にちか』を囲い込むことは、Wの指針として必須になっていたはずだ。
言葉を濁してでも『どうか仲良くしましょう』と言うべきだったし、七草はづきがいた以上、そう言われては逃げにくかった。
少なくとも観客・七草にちかは、『仮にもお前のために戦っている人がいるのに、お前は何もしないのか』とかなり直球でアイドル・七草にちかに行動を促さざるをえないほどだった。

つまりWにとって、『七草はづきを守っていた』という事実は、カードでさえない。
そんな発想は全くない『当たり前のこと』だった。
それを確信に至ったから、アシュレイのなかで、人物像(プロファイル)がすとんと腑に落ちた。

――要するにただの、『お人好しの人間不信』だ。

他人のために尽力したり与えたりすることを、当たり前のことだと思っているのに。
他人が自分のために打算ぬきで尽力してくれることを、まったく期待しないし、期待が外れることを卑屈なまでに怖れてかかる。
七草にちかという同一人物が複数いる事実がマスターにとって良くない揺さぶりになるかもしれないならと、世田谷区のアパート周囲一帯に爆薬を仕掛ける一方で。
その七草にちかから依頼された『もう一人の私に会いたい』という要望については忙しい中でもかなり優先順位の上において至れり尽くせりのセッティングをして。
プロデューサーのことを『不穏分子過ぎる』と言い切り、有事の際には処分することも選択肢に入れていたことは間違いない一方で。
おそらく人間としてプロデューサーのことを高く評価し、マスター達の救いたい意志に便乗したことも間違ってない。
人を殺したいわけでも、殺さなければ生きられないわけでもないのに。
どころか、本当は誰のことも殺したくないと思っていようと。
己のことを塵屑だの悪魔だのと評価しながら、皆の笑顔(シロ)のためだと醜悪(クロ)になる。

だとすれば、とうてい言葉ほどには『駒』として扱っていなかったアシュレイが斬りかかろうとする場に割り込み。
彼らの攻防を中断させたのは、『そのまま続けさせることが危なかったから』という理由なのではないか。
Wが田中摩美々のもとに残していた計画書(かきおき)を読まないままに、そう決めてかかった。

だとすれば、こちらも炎を突破して助けに入らないわけにはいかないだろう。
少なくともアッシュの親友なら、間違いなくその関係を『対等(タメ)』でいいじゃないかと言う。

――ヘリオス、中和できるか?――
――先刻は加減を誤ったが、問題ない。むしろ己の出力を絞るのと近い――

一歩を踏み出そうとして感じられたのは、初めて天駆翔(ハイペリオン)の反動を受けた時と同様の、炎をじかに浴びてしまった痛みだった。
元来の天駆翔には、アシュレイの感情爆発、精神力、覚醒等の出力上昇に引っ張られて煌翼の側も出力を上げてしまうという特性があった。
それが似たような属性に当てられて、覚えたばかりの手加減が狂いかけたけれど、掴んでしまえばむしろ紅焔の炉心化に近い感覚でできる、ということらしい。

それを理解した上で火の海に入ろうとしたが、先に相手側から目当ての人間を、投げつけられた。
慌てて空中でどうにか抱えると、血塗れで表層を炭化させた身体は、おそろしく軽い。


712 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:15:31 LsVbZZ7Y0
「無茶どころじゃないだろ……」

体調によって体重が前後しないサーヴァントの身でそうであるなら、それは体を形作るエーテル体が崩れかけ、ということでもあった。
霊核に到達しているだろう外傷と、己を燃料にして燃やすような足止めの行使。
そして後者は、攻撃でもなんでもない、おそらく味方を巻き込まない為だけにやったこと。

「ライダー君、これって……」
「とりあえずセイバーは延焼にマスター達が巻き込まれないようにアーチャーと避難を頼む。俺は今からでも外傷をどうにかできないか――」

火の手がない芝の上にアサシンを寝かせながら、避難指示を出していた時だった。
マスター達がいたはずのところから、悲鳴が、あがった。
紫色の髪が、熱風に流れる。
先刻まで付けていた髪留めも壊れてしまったのか、その髪をまっすぐ背中に垂らした少女が。
アサシンのマスターをしていた田中摩美々が。
それまで、余裕があるときもない時も、ゆるゆるとした喋り方を崩さなかった彼女が。
家族が事故で轢かれでもしたように蒼白になっていた。
取り乱した声で真名らしき名前を呼び、足をもつれさせながら近寄ってくる。

「……リアム、さんっ。……ウィリアムさん!」

未だに火災に当てられた熱がある身体を躊躇なく揺さぶろうとしたものだから、アシュレイは慌ててその手を掴んだ。
アルテミスの効力下に彼女の手を包み、重ねるようにして触れさせる。

「こんな……なんでっ……」

目覚めたらアサシンが死にかかっていた、という以上に、絶句するしかない姿。
容貌を台無しにする顔の損壊と、炭化して剥がれた外套の下から顕わになる焦げ付いた身体の痛々しさを抜きにしても、一見してわかる致命傷。
無事である方の眼には涙一筋の跡があり、彼にしても不本意だったのではないかと察せられるのがかえって残酷だった。

「どうして……」

その涙の跡を銀色に染まった少女の手が、なぞるように撫でる。
顔をうつむかせ、彼女もまた涙によって発声がくずれた声で、呼びかける。

「どうしていつも、頑張っちゃうんですかぁ……」

状況はいっさい分かっていないだろうに。
『頑張った』結果だと断定することに、二人の間にある関係を察した。
アシュレイは己から炎の鎧をすべて剥がし、貯蔵魔力の火の粉すべてをアサシンの修復に包んだ。
紅焔之型による炭化さえたちまちに快癒させる癒しの炎で、どうにか原型と意識を取り戻そうと食い止めにかかる。


713 : タイムファクター(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:16:38 LsVbZZ7Y0
「来て、くださいよ……あなたが…………あなたがいたら、こんな事やってないんだから……」

とっさに口にした呼びかけは。
『行かないで』ではなく『来い』だった。
相方の絶命しかかった窮地に、なにか直観するところでもあったのか。
ここにいる存在ではなく、ここに必要な存在に対して彼女の訴えは向いていた。



「助けて、ください……ホームズさん……」



腕が、ファンデーションに隠された下から令呪の位置を示すように輝く。
アサシンの真名ではない何者かの存在を、名指しして向けられたはずの祈りは。
しかし、まぎれもなく【その人間に通用する命令】として令呪一画と化した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


魂を内界に繋がった炉心のどこかへ堕としながらの、自己消失。
秒刻みで粒子化するように薄れていく己の世界は、しかし唐突に切り替わった。

何もなく孤独だった漆黒の闇が、銀月の中空にやどる星空に、さっと塗り替わったのだ。
ただ底の無い奈落だった世界の果てが、凪いだ水面と、星の全てを観測できる絶景の箱庭へと変ずる。
墜落がふわりと上下移動のない体感に変わり、受け止められるように全てが見える。

そして熱源など無いのに、身体がとてもあたたかい。
あまりに優しくて、英雄も罪人も善も悪も例外なく感じ入るだろうほどに。
その力の源にだけは、身体を抱えられたことだけは覚えているので心当たりがあり。
そうか、先の戦いで、彼とともに戦った星のアーチャーは、こんな加護を受けていたのかとその揺ぎ無さに納得をする。
ならば、果たしてこの世界はどれほど持つのだろうかと。
現実において、その彼が何らかの奮闘をしてくれていることを察し、申し訳なさとありがたみを抱いた時だった。



――助けて、ください……ホームズさん……



はっきり令呪だと自覚できる声が世界に響き渡り、いよいよ彼の主観は激変した。

(――どうして…………?)

2人目の友人が、1人目の友人の名前を呼んだ。それはいい。
己の真名を知る彼女なのだから、その最愛の友人の名前だって知っている。



記憶の蓋が、抉じ開けられた。


714 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:17:28 LsVbZZ7Y0
――白紙なんだ。

『探偵と犯罪卿』の呼び方に意味はなくなった、その先の物語が。
2人で座った、屋上のベンチ。
突き抜けるような青空。
干された白いシーツのなびく音。
髪をなぶる風と、右半分になった視界。
視界を歪ませる、初めての涙。

――ずっと“未来”がなかったはずだ

ずっと共にいてくれた、たった一人の君。

それは必然でもあり、必然だけでは足りなかったものを補ったのは彼女の意思と、偶然の噛み合いだった。

まず、第二宝具『すべての悪魔は地上にいる(ロード・オブ・クライム)』の破壊。
これにより、『彼は悪魔(犯罪卿)である』という英霊としてのアイデンティティーを、自ら放棄した。
壊れた幻想とは、己の起源となるものを自ら再現不可にまで破壊することで、一時の火力を得る諸刃の剣だから。
これにより【犯罪卿を全盛期とするアサシン】を召喚するにおいての、生涯の記憶に対する縛りは撤廃された。

また、マスターから令呪の一画使用による、『シャーロック・ホームズに対して助けを求める』という行為。
これは、彼の欠落部分、『シャーロック・ホームズとの思い出』を導き出す呼び水になった。

そして、これは原理詳細不明という正し書きの必要な一例だが。
英霊の、霊基欠落における仮説として。
同系統の伝説に根差す英霊同士が場にいる時。
相似、あるいは同根の神秘同士が近くにいる時。
存在同士の相互作用により、一方の欠けた霊基がもう一方の霊基の存在によって、補填される事がある。
たとえば『足柄山の金太郎』は、『子どものおとぎ話(ナーサリー・ライム)』を補填できるのだ。
そしてこの世界に、『ジェームズ・モリアーティ』は二人いる。
その分だけ、彼の霊基崩壊はしばらくだけ引き延ばされ、そこに令呪一画分の魔力と、銀炎による傷口の補修が合わさった。
意識が明瞭になった理屈さえ拾い出せば、そこに留まった上で、なお。


715 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:18:20 LsVbZZ7Y0
――なんだこれは

これもまた、曖昧な話だが。
異聞帯と、汎人類史の同一サーヴァントのように。
世界の垣根を越えて同一人物で取り扱われる英霊が召喚された時に。
汎人類史のサーヴァントが異聞帯での記憶を取り込む。
あるいは、異聞帯のサーヴァントが汎人類史のマスターに出会った時に、『向こう側』の記憶が流れ込む。
そういう現象が、しばしば起こることがある。
特異点接続体質。アシュレイ・ホライゾン。
異邦人(ストレンジャー)。宮本武蔵。
その場にいた両者が持つ、異界の法則を持ち込みやすいという体質もある。
そこに、『もう一人』の霊基を、隣区にいたがゆえの微小な効果ではあれど補填材料として利用した、というアクシデントがあれば。

大抵のサーヴァントは、『何だこれ、何だこれ、向こう側は羨ましいなぁ』と驚嘆する。
彼もまた、『羨ましい』かどうかはさておき、その感想に倣うしかなかった。

記憶として流しこまれたすべてに、圧倒的な驚嘆と、感動の双方があったから。

アトラス院。
ニューヨークの病院。
新宿幻霊事件。
ピンカートン探偵社。
天文台。
恐怖の谷。
ゼウスの雷霆。
空白の三年。
そして――シャーロック・ホームズの【奥の手】完全解明宝具。

モリアーティだけでは知り得ない視点、『彼』が見てきた物語も、そこには含まれる
そもそも『憂国のモリアーティ』の物語上の役割において。
『本来の物語においてシャーロック・ホームズが手掛けた事件』とは。
『モリアーティがプロデュースしてホームズが動いた合作』という逸話の形をしている。
2人で一つの仕事を為した英霊は、英霊の座においても霊基にある程度の共有が起こるのだ。
そしていくら『もう一人の犯罪王』でも、この視点にだけは至れない。
なぜなら彼は、『ホームズと仲良くなかった』のだから。
対して彼らは、逸話としての物語においても、その後の運命においても、ずっと共にあったのだから。


716 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:20:44 LsVbZZ7Y0

――これは……これだと、まるで釣り合わないだろう



抱いたのは、喜びと、罪悪感。
なにせ、自分は『元の世界に送り届ける』という依頼を中途に果たせないままなのに。
こちらは半ば、願いを叶えてもらったようなものなのだから。

これはダメだ。
いつまでも眺めていたいそれらの数々は、しかし今はまだ寝かせて置く。
このまま意識を落としたまま消えるようではいけない。
ほんのわずかに、猶予時間ができたということ。
それを体感で悟り、覚醒しようと足掻く。
だから、今は戻ることにするよ、と別れを告げて。

先に話をしておくべき人達が、まだ残っているから。
意識を星空のさらに向こう浮上することにそそぎ、重たかった瞼を持ち上げると。



「…………ねぼすけ」
「はい、ごめんなさい」



いつも通りのような。ここ一か月眠っていないから、初めてのような。
そこには、ウィリアムの右手を、祈りの形にした両手で掴み取っている田中摩美々の姿があった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ランサーに連れられる形で撤退し。
ホーミーズと別れて鏡面世界へと帰還し。

彼だけが振動に気付いていた携帯端末を、誰とも合流する前にこっそりと開いた。
このメールに返信が来るとしたら一人しかおらず、果たしてそれはその通りの人物からだった。

そこに描かれていたのは、このメールを見た時に、もしまだ戦闘中であれば退いて欲しいという願望と。
そこに至るまでの『これからあなたはすぐに殺されることはないだろう』という見立てと根拠。
さらに『これ以上、このメールでやり取りをするのは見とがめられるリスクの方が勝るから控える』と、つまり仲間にもこのアドレスは話していないという捕捉。


717 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:21:33 LsVbZZ7Y0
そして、己の首を差しだす代わりに『アイドルの人物像について聞かれたら、その慈しさを語ってくれ』という謎の取引申し出。
ここまではいい。
意図は分からないにせよ事務的な文言であり、つまり犯罪卿がこちらに対して、最期に何らかの策謀を持っていたのだなと。
どういう狙いかは分からないまでも、アイドルを守るためのものであることは確かだなという感謝を。
そして、意図が読めない警戒の感情を持って相対すれば済む。

『そしれこれは追伸であり、これまで事務所に関わる事柄の黒幕だった者として』

だが、続く文言への感情は。
どういう種類のそれとして受け止めればいいのか、分からなかった。

『あなたに、関係者の代表として心から謝罪する』

これでは、まるで自分の方がこちらに迷惑をかけたと思っているかのようではないかと。
およそ、『これまで事務所の皆を守ってくれたヒーロー』という心象とは、かけはなれた自傷から始まっていた。

一方で、と気づくこともあった。
関係者の『代表として』謝罪するとそこには書かれていた。
逆に言えば、彼は事務所の崩壊の原因に関係する者が、少なくとも『自分だけのせい』とは思っていないのか。
あるいは『あの場にいた他のサーヴァント達も、同じ気持ちなのだろうか』というような想いがあって。

『あなたの不在時に事務所を乗っ取り、大きな混乱を招いたこと。
あなたの大切にしていた人達を守れなかったこと。
あなたが事ここに至っても彼女達の死などは絶対に望んでいなかったと推測した上で。
それを前提に、そして、 あなたが動画で告げていた『間違い』にだけは反論したい』

――この道しか、俺は今まで自分が犯した間違いと折り合いがつけられない。

『 もしもこの世界の事務所と彼女たちに関する事柄も含まれるのだとしたら。
その責任は等しく私にもあると断言する』


718 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:22:53 LsVbZZ7Y0
アイドルのサーヴァント達は、己のことを切りたくて仕方がないだろうと思っていた。
むしろ、『お前こそがアイドルの命を危険に晒しているのだ』などと言われて。
分かりました私は邪魔だから消えますと、すぐに頷ける者はそういない。
だから、自分たちと彼らサーヴァントの間にある感情は、敵対のそれになるだろうと。

『その上で、私のマスターを見つけてくれて、これまであの事務所を導いてくれて、ありがとう』
あなたが築いていた陽だまりは、とても美しく、眩しいものだった。
世界が色づいたばかりの私には尊くて、そこがあなたの場所だというのに度の過ぎた執心を持ってしまった』

だが、『ありがとう』の文言によって、そうではないと気付いた。
いざとなれば殺さねばならないと鬼のような覚悟を定めていることと。
その相手に心から感謝していて、素晴らしい人だと認めていることは、矛盾しないのだ。

何故なら、己だってさっき同じことを思った。言った。
犯罪卿に、「みんなをずっと守ってくれて、ありがとう」と。

『あなたが戻れないというのなら、元より私は、あの優しい世界に足を踏み入れることさえ憚られるような悪魔だ。
生前の通り名であった犯罪卿という忌み名は、決して冤罪や誇張の類ではない。
直接間接にこの手を汚した人数であれば、殺し屋によって犠牲になった少女たちの人数などはるかに超えて余りある。』

だが、それでは、まるで。
彼と己が、同じことを思っていたというならば。
己と同じように無力に嘆き、背負い込んだ犠牲に苦悩する一人の男を、『ヒーロー』と呼んでいた。

『けど、そんな私でさえ彼女らは仲間であり家族であり友人であるものとして扱った。私を必要としてくれた』

そして彼が言いたかったのは、そこに帰結するのだろう。
私はたくさん殺されで、それはあなたと比べるまでもない大人数の大罪で。
それでも私は優しくされた。
その光があなたにも当たらないのは不公平だから、伝えたいと。


719 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:23:33 LsVbZZ7Y0
『だからこれは、取引でもなく策でもない。
差し出せるものは何もない、ただのお願い、悪魔だった愚者の懇願として』

彼は己のように滑稽な男とは違うと、決めつけていた。
だが、その大前提がまず違うと、彼は言いたいのだろう。
いったいどこで、彼が己の背負い込み方を察するような情報を得たのかまでは知らないが。

『あなたがどうなっても構わないどうか決めるのは、どうか彼女らの言葉に耳を傾けた後にしてください』

『ください』と。
いよいよ維持できなくなったように崩れた口調が、それだけで素の性格をにじませる。
いや、そもそも。
田中摩美々のサーヴァントだと分かった時点で。
真乃のアーチャーが、『さすが真乃のサーヴァントだ』と分かった時点で。
その人物が揺ぎ無い精神的超越者ではないとは、分かることだった。
だって、あの摩美々だぞ?

『私とアーチャーが脱落したことは気にしないでいい。
私は先々を見据えた取引のために自ら脱落した以上、私の脱落についてマスターから責められるべきは私にある。
アーチャーもまた、あなたとアイドル達に話をさせたいと願っていた。
だから彼女や私を引き返せない理由に追加されてしまうならば、そちらの方がよほど悲しい』

それが本当に本当に追伸であるとばかりに、文章はそこで途切れていて。
そのメールには、画像も添付されていた。
その画像は、手紙の全体図を真上から撮影したものだった。
画像からうかがえる手紙の字体は、とても見覚えがあるような筆跡だった。

『この手紙を私以外の誰かが読んでいるのなら、私はもうこの世にいないでしょう。』

画像表示を拡大させれば、全文を読めた。
彼が筆跡から連想した通りの差出人だった。


『貴方が無事に元の居場所に戻った後、幸せを掴めますように。
 それだけが、私の願いです。            

                    白瀬咲耶』


その男は、その文面と、画像とを繰り返し読み。
決して天才や抜きんでたエリートというわけではない彼でも、その文面を忘れないぐらいに眼に焼き付け。
そして。
文中にある『これ以上、このメールでやり取りをするのは見とがめられるリスクの方が勝るから控える』という忠告と提言に則る形で。
隠し持っていた携帯電話がこの先、露見することはないように。
ランサーの握力で、その端末を跡形もないほどぐしゃぐしゃに握りつぶさせ。
風にのりそうなほど細かな破片になるまで跡かたなく痕跡を消した。


【杉並区・鏡面世界/二日目・未明(早朝直前)】


720 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:24:37 LsVbZZ7Y0
【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(中)、???
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。……動かなくてはいけない。
0:?????
1:にちか(騎)と話すのは彼女達の安全が確保されてからだ。もしも“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
2:283陣営を攻撃する中でグラス・チルドレン陣営も同様に消耗させ、最終的に両者を排除する。
3:白瀬咲耶が死んだことに悲しむ権利なんて、自分にはない。
4:序盤は敵を作らず、集団形成ができたらベスト。生き残り、勝つ為の行動を取る。
5:神戸あさひは利用出来ると考える。いざとなれば、使う。
6:星野アイたちに関する情報も、早急に外部へ伝えたい。
[備考]※今回の強襲計画を神戸あさひ達が認知しているのか、またはその場合協力の手筈を打っているのかは次のリレーにおまかせします。

【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)、頸の弱点克服の兆し
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
0:?????
1:プロデューサーに従い、戦い続ける。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


721 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:25:58 LsVbZZ7Y0
太陽の影は未だなけれど、それでも空はずいぶんと白んでいた。
先の公園から延焼への避難も兼ねて移動を果たし。
都心部の一画をくりぬくように作られた別の森林公園に腰を下ろす。

気を失ったマスター達と、傷を塞がれただけで動けないことに変わりない『彼』はサーヴァント達が手分けして運び。
いまだ眼をさまさない櫻木真乃の介抱や情報共有やらの為に、彼と彼女だけが二人でベンチに座っていた。
みんな、気を遣って二人きりにしてくれたのだろう。
会話ができるのは、これが最後だから。

『ごめんなさい。手を掴んでいないといけないのに、離してしまって』

口を開くよりはまだ念話の方が悠長に話せるだろうと。
隣同士で、手と手を重ねて座りながら、それでも彼と彼女は念話を選んだ。

『それ、ずるくないですかねー。もし【助からないのに令呪ひとつ無駄に使わせてごめんなさい】って言われたら絶許でしたケド。
あ、そこちゃんと反省してるんだ、この人も辛いんだなーって言われたら、文句言いにくいですよ』
『摩美々さんは、僕のことそういう風に思ってたんですか……』
『ウィリアムさんは、働き過ぎで、自分のこと勘定にいれなくて、自己評価が低いんです
……なんかプロデューサーと、咲耶と、三峰の、全部乗せみたいじゃないですかぁ』

彼は、素の顔で話す時には『私』ではなく『僕』になる。
こちらのウィリアムさんという呼び方にも、なんだかこなれてしまった。
リアムさんと最初に呼んだのは身内になったことの意地っ張りみたいなものだったけど。
本物の彼との思い出を見てきましたなどと言われては、そこに割って入るみたいになって遠慮されたので。

『まみみも、対等っぽくするようには接してましたけど……。
少なくともブラック労働っぷりは、ウィリアムさんのが圧倒的だったじゃないですか』

ちらと横を見れば、ベンチに背を預けて空を見ている、力ない眼差しがあった。
外套は脱ぎ捨ててワイシャツ姿で、左眼まわりの傷は致命傷が過ぎてふさがり切らなかったからハンカチで痛々しくないよう隠している。

『すいません……眠らなくても済む身体になるという体験は生前ついぞなかったので。
その分、力になろうと思ったら調子に乗ったというか……』
『一か月間、ご飯でも寝てるのでも遊びでも、休んでるところほとんど見なかったですよ。
今日にちかのアパートで一緒にご飯食べる時、『サーヴァントは皆そういうもの』って騙されてたせいで、びっくりしたんですから』
『その節は、ごめんなさい……それに、その節は相手にしてくれて、ありがとうございました』
『だって、まみみが『多めに頼んじゃったから食べきれないー』って言わないと、自分も食べないじゃないですか』


722 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:26:26 LsVbZZ7Y0
ふぅ、と小さくため息を落として、いつもの仕草で髪をいじる。
隣にいる彼が、くすりと笑った。
いつもどおりの仕草だと懐かしく笑ってしまうぐらいには、彼はこちらを見てくれている。
しかし、続く声は沈んでいた。

『それに、心配をかけてしまったのに……心配してもらっただけのことを果たせなくて』

ぎゅう、と繋がれた手に力がこもるのが分かった。
先に力を強めたのは、どちらだったのか分からない。
彼が顔を俯かせたのを見て、見ていられなくて強く握ったのかもしれないし。
彼の方が、弱音をこぼすように手の力を強めたのかもしれない。

『守りたかった……』

それなのに守れなかったと、最期まで彼には後悔が残っていた。
『守りたかった』に入るのは、マスターやサーヴァントだけじゃない。
ここ一か月、被害が及ばないよう腐心していた事務所の関係者、全員に対して。
それが自分一人だけのせいではないという言葉を飲み込んだ上で、それでも。

『皆のことが、好きでした』

その言葉は、すべて私のせいだという自責だけではない。
失いたくなかったという哀しみと、敵わなかったという悔しさだ。
『マスターの社会的立場の』ためと言いながら、皆をとても眩しそうに見ていたのを知っている。

『僕なんかよりも、皆の方が……ずっと恐ろしくて、痛くて、救いのない最期だったのに』
『ウィリアムさん』

事実を否定はしない。
摩美々だって同じように大事に想っている人達だったのだから。
たとえば摩美々だって、自分だけは五体満足でいることに何も思うなというのは無理だから。
でも、僕『なんか』と言われては、話は別だ。


723 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:28:07 LsVbZZ7Y0
『前に三峰が、インタビューで印象に残った言葉ってテーマで語ってて、ですね。
【たとえ本人にでも、自分の好きなアイドルを実際より低く見積もられるのは嫌だ】って言うんです。
これ、アイドルとファン以外にも言えるんじゃないですかねー。自分の好きな人を悪く言われたら悲しいから』
『厳しくて、優しい言葉ですね』
『わたしもそうだなって。あなたのことを悪く言われたら、たとえ本人からでも悲しくなります』
『…………はい』

わたしのとこに来てくれたのがあなたで良かった
恥ずかしくて二度は言えないけど、絶対に真実であること。
たとえ咲耶や霧子が『うちの子だってすごいんだよ』と言い出したところで、こればかりは絶対に譲らないだろう。

『ごめんなさい……最期なのに、慰められるような事ばかり話して』
『悪いこと言いますケド…………私はそっちの方が、嬉しいです』
『そっち?』
『無理に元気そうにされるよりは、悲しいお別れの方が』

これが真乃だったら、相手を悲しませないように、無理にでも笑顔になって別れることを選ぶのかもしれない。
だけど真乃は真乃で、摩美々は摩美々だから。

『私は、悪い子なので』

そう、悪い子だ。
悪い子だから彼が来てくれたのだとしたら、今はそれが嬉しくて。

そして、ずっと前からそうだったのだけど。
たとえば摩美々は、『いつかアイドルを辞めたら』なんて話を笑顔でされると、悲しくなる。
少なくとも、辞めるだの、消えるだの、いなくなるだのという言葉を、軽々しく使われるよりは。

『相手が悲しんでくれない方が、悲しいんです』
『それは、私も同罪ですね』
『共犯、ですねぇ私達』
『はい、私も、今までたくさんもらいましたから……』


724 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:29:47 LsVbZZ7Y0
…………念話で、良かった。
発声だったら涙に邪魔されて、聞き取りにくい言葉にしかならなかった。

『守ってくれて、ありがとう』
『救けてくれて、ありがとう』

戦争から守られた。
絶望から救われた。
だから二人は、ここまで来れて。
そして今、その時間が来てしまったのは知っている。
握った手の熱が、どんどん冷たく、薄くなっているから。
だから最後に、せめてやすらかにと思って。

『おやすみなさい、ウィリアムお兄さん』
『おやすみなさい……次に目が覚めたら、また髪型が楽しみです』

おそらく、摩美々の髪がほどけていることに対してそう言ったのだろう。
これでも摩美々は、けっこうな頻度で髪型をいじるから。
一か月も一緒にいたら、両手の指では足りない髪型を見せていることになるから。

けれど。
摩美々は、知らなかった。
たしかに彼の過去夢で、色がついていたのはただ一人だったけど。
そのたった一人は、摩美々のそばにいる今の彼に、ちゃんと色彩を与えていったこと。
彼の世界は、過去夢でも最新のさわりでしかなかった最後の夜明けに、色がついたことで救われたこと。
だから。



『あなたは、きれいな紫色だから……』



たとえ、光も色彩も見えない行き止まりの世界だったとしても。
それでも、彼から見た彼女には、ちゃんと色があった。
そう教えてくれたのが、本当に最後だった。


――手と手の重なりが、ふつりと消えた。


傷跡を隠していたハンカチが、ひらひらとベンチに堕ちた。
摩美々はその、緋色に濡れたハンカチを、膝の上に広げ。
手荷物に顔を押し付け、両脚をみっともなくベンチの上に乗せて体育すわりのように丸まり。
誰にも表情を視えないよう、しばらくそうしているつもりで、己の膝を手荷物ごと抱いた。


【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ 消滅】


725 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:30:48 LsVbZZ7Y0
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


マスターを亡くしたメロウリンクは、サーヴァントを亡くした二人のマスターのうち、どちらかと再契約する。
メロウリンク自身が現界を望み続けている以上、それは既定の路線として進んでもいたしかたなかった。

そして、どちらと再契約するかとなれば、櫻木真乃に申し訳なさはあれど、どうしても一択になるところだ。
彼女は昨日の日中からメロウリンクと行動をともにしており、真乃よりもずっと付き合いなれているから。
彼女はまだ令呪を二画残している分、いざという時にメロウリンクを支援することが可能であるから。

それを察したのだろう。
移動中に、ライダーに運ばれながら彼から差し出されたのは、遺品だった。
もともと召喚時に纏っていた衣装の中にあらかじめ含まれていたのだろう、スーツの内側から取り出していた。
『どういうことか、トランプだけじゃなく、これも持ったままになっていて』という独り言は、意味不明だったが。

それは今になってもアサシンとともに消失していない。
もともとメロウリンクの機甲猟兵としてのスキルに、『所有する武装に全て神秘を付与する』というものがあり。
『時計』というのは日用品でもあるが、同時にどんなデザインの時計であれ軍用品と見なされるものでもあり。
つまり本人の許可を得て朝誌の手に渡った瞬間、アサシンではなくメロウリンクの武装扱いされ遺品として残ったのだろう。
プロデューサーのサーヴァントに投げられた時に壊れてしまい、致命傷を受けた時刻を針が指したまま、ぴたりと時間の止まった鎖つきの時計。
それが、宝具のための仇を示すアイテムとして機能するかはまず微妙だが、問題はそれの裏面にあった。

【William J Moriarty】

「真名じゃないのか……?」

さて、ここで策謀などにも縁のないメロウリンクにも、分かることが一つ。
あの男は、己の真名を刻んだ所持品をずっと不用心に持ち歩くような真似はしない。
つまり、何の宝具でも装備品でもない真名露呈品を肌身離さず持ち歩いていたというその時点で。
捨てることなど考えられない、よほど思い入れのある宝だったことになる。
それこそ、メロウリンクにとっての、戦友たちとのドックタグにも等しいような代物。

それを形見分けのように残すことの意味は、決して洒落者でないメロウリンクにも理解できた。

――あなたに託すのは、本当なら絶対に手放せない宝さえくれてやるほど大事な人だ。

くれぐれも、よろしく頼む。

「…………声をかけるのは、まだやめとくか」


726 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:31:16 LsVbZZ7Y0
少女がうずくまるベンチの近くの木陰で、だから彼はしばらく待つことにした。
この時ほど、ランサーやアヴェンジャーではなくアーチャーだということに感謝したことはない。
単独行動のおかげで、さっさと再契約だという話にはならないのだから。
そしてライダーの側には、考察やら今後の方針検討が必要なそれまでに得ていた情報入りの端末など色々と残されていたようだったが。
アサシンがメロウリンクに対して送ったのは、マスターを依頼する遺品と、たった一つだけだ。
最初の命令の、繰り返し。

――タイミングは、任せますよ。

彼が己に期待した役割がなんであるのか。
それは最初の共同作戦で、リンボや子ども達をようする陣営【海賊】に対して放たれた命令で、とっくに指示されている。

その命令一つがあれば、アサシンとアーチャーとの間は、それで十分だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


アサシンが生前に得ていた情報は、好きに使ってくれと残されていた。
もともと昨日の一日で283プロに起こったことについては、アパート滞在中に田中摩美々からおよそ聞かされている。
アサシンから『もし長期別行動になった時のために把握させておいてほしい』と頼まれて。
あの世田谷のアパートに滞在していた数時間の間に、アッシュは『摩美々たち視点で分かっていたこと』を共有していたのだ。

そして、一連の行動をとった意図とそれに伴う『古手梨花を助けろ』の要請は、田中摩美々の手荷物に手紙として残っていた。

さらに、好きに役立ててくれていいと、連絡先も二つもらっている。
一つは、同盟を組もうとした相手。世田谷のアパートにバイクが送られてきたさいに合わせて届いた録音記録。
そこに通話のすべてが記録されている、もう一匹の蜘蛛糸をたどった先、【M】へと直通で繋がる番号。
いま一つは、風野灯織と八宮めぐるの連絡先だ。
なぜなら、新宿で彼女たちが亡くなった事故現場には、櫻木真乃との合流前に探し回ったところで、携帯端末が見当たらなかったから。
彼女らが皮下病院に昨日拉致されていた可能性を踏まえると、今、彼女達の端末を、『皮下病院一派』の誰かが強奪している可能性は低くない、とのこと。

そして、朗報と言えなくもない新情報がひとつ。
背中に負っての移動中に聞かされた、とある英霊の紹介。
令呪は一画欠けてしまったがために、どう足掻いても【方舟】の出航については実行見合わせではあるのだが。


727 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:31:39 LsVbZZ7Y0
それでもアシュレイが求めていた、界奏で引き出せる力の「選択肢」を増やしたいという要望。
それを、『人奏』に関係するプランに協力できなくなる埋め合わせとして、ひとつ共有しておくと。
仮に界奏を実現させることが今後あるなら、その成功率を引き上げるために伝えたいと。
作戦成功の根幹である、『0パーセントを1パーセントにできるかどうか』における、
成功率そのもののパーセンテージ改変。
変数の作為的操作。
完全犯罪の真逆である、【完全解明宝具】。
彼がその世界に存在する限り、世界に『解決法が存在するように』なるという因果逆転。
『友人でない方の彼』がそれを使うにあたっては不確定要素が多いらしく、そうそう切れる札ではないようだが。
『探偵としての完全解明宝具』なのであれば、『Wの世界の彼』自体にも、似たような性質は有するだろう。
そして、何より特筆すべきは、異邦人・宮本武蔵の知己であり、今現在において『同根の物語』を持つ己と彼らが関わったこと。
おそらく、探し当てるための『縁』をたどることハードルは、他の英霊よりも低い。

正直おどろいた。
アーチャーからというならまだしも、この英霊とはまだ顔を突き合わせての話し合いさえ講じていないのだ。
まだ直接に聴かされていないプランのためにあれこれ活路を見出そうとするほど、この男が軽率でないのは分かっている。
どうしてと尋ねれば、風に乗るだけで消えそうなほど小さな声で、こう言われた。



『君と殺し合おうというつもりは、もう無いので』



――それは残念だ。少しは考えも変わってくれてるものだと思ったんだけどな――
――少なくとも……"場合によっては"これまでの状況や立場を白紙にして殺し合う可能性のある相手に与えられる席ではない――

それは、かつて交わされたやりとりに対するアンサーだった。
君を信用することにした。
打ち手と駒ではなく、対等の同盟者として。
協力する意思を示すことにした。
だから、伝えたかったと。

「ずるいよなぁ……」

天を仰ぐ。
残されたのはたいへんありがたいお節介だが、善意がある一方での極悪な釘刺しでもあった。
ここまでされたら、今後、よほど七草にちかと『彼女』の二択にでもならない限り。
『Wのマスターだった彼女を切り捨てる』という選択肢だけは選べない。
そして、取り得る行動を与えられたのは。
サーヴァントの方だけでなく。

「ライダーさん」


728 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:31:58 LsVbZZ7Y0
悲嘆なのか、困惑なのか、疲労なのか。
そのどれでもあるのかもしれない頼りない足取りと、震える唇と。
何よりも、これから口にする言葉に対する、大きな緊張があった。

「そろそろ、教えてほしいんですけど」
「そろそろ、っていうのは?」

第一のファンであるプロデューサーの、その代理人たるサーヴァントから。
お前は介入せず、黙って見ているべきことを是とされた少女。

もう、アイドルの元に戻ってくることは無いと。
七色になった共鳴(レゾナンス)は、とっくに欠けた。
階層(レイヤー)に分かたれた翼は、展望(パノラマ)に至れなかった。
その、もう届かない彼方がどんなに優しい道でも。

「そろそろ?」
「ずっと、聞けてなかったじゃないですか。
夕方の時も、リンボってヤツに襲われた後、苦しそうだったし。
さっきの戦いでも、変なことになってたし、ずっと無理してたじゃないですか」

彼女がまず尋ねたいのは。
これまでずっと、一線を引いていたことに対してだった。
彼女のため必死になろうとしてくれている者に、近づこうとする為に。
まして彼女が、これから話をしたい相手のことさえ。
彼女は、彼女の主観においてよく知っているかどうかに、自信がないのだから。

たとえ違う世界でも。
たとえ出会えてなくて、一緒にいない世界でも。
キミを響かせる光の歌を歌えるか、どうか。
それを問われることになってしまった、普通の女の子から、アイドルになろうとする者は。

「ライダーさんの中には、何がいるんですか」

まずは、彼の中身(ブラック・ボックス)を知ることを選んだ。
アシュレイ・ホライゾンという、相方のことを。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


729 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:33:02 LsVbZZ7Y0
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


緋色の糸は風になびいて開幕を知らせ。
掃きだめに愛の歌は響いて。
拍手が歌に合わさり。
星々の場所にさよならをして。
偶像の候補生は、ゼロ時間に至る。

未だ虹の行方は、杳として知れず。
とある芸能事務所をめぐる長い長い崩落(カタストロフ)。
まずはこれにて、ひとたびの幕。


【杉並区(中野区付近・杉並区立蚕糸の森公園)/二日目・未明(早朝直前)】


730 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:33:30 LsVbZZ7Y0
【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:ダメージ(中)、霊骸汚染(中)、魔力充実、 令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:梨花を助ける。そのために、まずは…
1:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
4:あの鬼侍殿の宿業、はてさてどうしてくれようか。
5:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。
※鬼ヶ島にいる古手梨花との念話は機能していません。

【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(極大)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、顔面が涙と鼻水でぐちゃぐちゃ
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:……ライダーさんには、何が起こってるんですか
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(極大)、疲労(極大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:今度こそ、P、梨花の元へ向かう。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます


731 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:33:54 LsVbZZ7Y0
【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(大・ただし致命傷は一切ない)、マスター喪失、疲労(大)、アルターエゴ・リンボへの復讐心
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:…にちか。
1:田中摩美々と再契約を果たす。任された。
2:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)への復讐を果たす。
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
4:少しだけ、小隊長のことを思い出した。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。
アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※マスターを喪失しましたが、単独行動スキルにより引き続き現界の維持が可能です。

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(大)、ところどころ服が焦げてる、サーヴァント喪失
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:――――。
1:もう一人の蜘蛛ではなく、そのマスターと話がしたい
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(大)、精神的疲労(極大)、深い悲しみ、強い決意、気絶、サーヴァント喪失
[令呪]:喪失
[装備]:なし
[道具]:予備の携帯端末
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
0:――ひかるちゃん。私、私…
1:優しい人達に寄り添いたい。そのために強くありたい。
2:あさひくんとプロデューサーさんとも、いつかは向き合いたい。
3:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
[備考]
※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。


732 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 16:34:08 LsVbZZ7Y0
投下終了です


733 : タイムファクター(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/05/29(日) 17:13:07 LsVbZZ7Y0
そしてすいません >>732 についてですが、wiki収録時に以下の加筆をさせていただきます
>だって、あの摩美々だぞ?

>『私とアーチャーが脱落したことは気にしないでいい。

のあいだに『その後、最後のくだりだけ何行も改行がされており、そこだけ後から付け足したかのようだった』の一文を


734 : ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:05:13 CGKp/fxA0
投下します


735 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:07:19 CGKp/fxA0



─────天使とは、種を蒔くものではなく、苦悩する誰かの為に戦う者である。


736 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:09:19 CGKp/fxA0







継国の兄弟が、死合を終えて暫く。
光月おでんと幽谷霧子の活躍もあり、その場は一先ず丸く収まったが…
二人が目を醒ますまでの時間で、事態は着実に進行していた。
彼女達の前に広がる、群衆の群れがそれを如実に示していた。

「摩美々ちゃん達との連絡……どうしよう……」


737 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:13:15 CGKp/fxA0
自分の携帯電話は壊れてしまった。
その上、今はその数を減らした公衆電話には大勢の人が殺到している。
未曽有の災害時において、少しでも知己に無事を知らせようとしているのだろう。
霧子たちが寝ている間に新宿だけでなく。
追い打ちの様に豊島区や世田谷区か壊滅するという大惨事が起きたらしい。
十中八九、聖杯戦争絡みの大惨事とみて間違いない。
故に一刻も早く仲間の安否を確認したかったが……

「ったくすまねぇ嬢ちゃん!何処も夜だってのに人だらけで、
連絡できそうな電伝虫が一つもねェときたもんだ!!」


738 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:13:34 CGKp/fxA0
どかどかどかと、騒がしいいで立ちのイメージ宜しく光月おでんが大地を揺らして駆け寄ってくる。
駅やその近辺に設置された公衆電話は既に長蛇の列だ。
加えて、NPC達は全員顔に不安を張り付け殺気立っており、小さな諍いが絶えない。
この調子で並んでいれば順番が回っている頃には朝になってしまうだろう。
新宿から離れ文京区までやってきたが、あまり効果は無かったと言わざるを得ない。

「どうする?何なら少しの間だけ俺が───」
「ううん……いいんです……私は無事だよって伝えるのも……
そっちは無事って聞くのも……邪魔しちゃいけないと思うから………」
「それはそうかもしれんが…ああッ!!あの馬鹿共取っ組み合いの喧嘩始めやがった!!
ちょっと止めてくるから待ってろよ!!」


列の方へ視線を向けてみれば。
横入りしたとかどうとか、ささいな口論から、随分発展してしまったらしい。
大の大人二人が、取っ組み合いを始めていた。
災害現場ではよく見られる光景であった。

(……………)

その光景を見て、霧子の意識が思考の海へと沈む。
抱いた感情は悲しみだった。


739 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:14:04 CGKp/fxA0
(あの人たちは……ただ、大切な人達の無事を……確かめたいだけなのに……)

それなのに、どうして。
その思いに、間違いなんて無いはずなのに。
どうして、悲しみが生まれてしまうのだろうか。

(この聖杯戦争も……)

その疑問がよぎったのは。
目の前のNPCと、今自分たちが置かれている状況を重ねてしまったからだろうか。
聖杯戦争。
万能の願望器…一つしかない、とびきり貴重なパンをめぐる争い。

(パンが欲しい……そう思う事は、間違いなんかじゃ、きっとないのに……)

生きている限り。
誰もが幸福(パン)を欲している。
その事は決して間違いなどでは無いはずだ。
自分のプロデューサーも、かつて。
自分に、パンをもらうべきではない人なんて、この世にはいないと。
そう言ったではないか。
なのに、それなのに。
何時だって、皆に行き渡るだけのパンはなくて。
今もこうして、パンを巡った悲しみが作られている。
パンを得るために悲しみを生み出す人たちが許せない訳ではない。
きっと彼らにも相応の事情があるはずだと、彼女は考えていたから。
だが……それでもふとした瞬間に、悲しみが襲ってくるのは止められなかった。
だって。
その悲しみの渦中には、霧子の大切な”彼”がいたから。

「おい……霧子!どうした!?大丈夫か?」
「………っ、おでん、さん………」

どうやら、仲裁が終わったらしい。
戻ってきたおでんが、先ほどよりも瞳の光彩を減らした霧子の顔を覗き込む。
大丈夫だ、とは直ぐに返すことはできなかった。
ただ、未だ不安そうな群衆に視線を戻して。

「どうしてって…………思うんです………」

ぽつりと、そう呟いた。

「願いを叶えたいって思う気持ちには……間違いなんてないのに……
それなのに、どうしてこうなってしまうんだろうって………」

ぎゅうと、胸の辺りを握って。
絞り出すような声で、「だから」と少女は言葉を綴る。


740 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:14:30 CGKp/fxA0
「聖杯を欲しがっている人たちのこと……もっと、知りたいって……」
「……霧子の嬢ちゃん、言っておくがそいつは危険だぜ。
煮ても焼いても食えねぇ奴ってのは確かにこの世にいるし、
話が通じたとしても分かり合えるかどうかは別の話だ」

おでんの言葉には、実感が伴っていた。
言葉では伝わらない事もあるし、伝わったとしても変えられない事もある。
本当に言葉で伝え合えれば全てが丸く収まるのなら。
黒炭オロチはあんな国ごと全てを滅ぼさんとする怪物にはなり果てなかっただろう。
自分の最期も、きっと全く違ったものになったはずなのだ。
きっと、霧子が何を言った所で、伝わらない相手がいる。
両親の愛を受けて何不自由なく育ち、アイドルとして活動しながら、
医の道を志せるだけ生まれ持った頭脳も、容姿も、高い水準にある霧子が何を言おうと。
恵まれたお前に何が分かると返されるのがオチだろう。
激高する者さえいるかもしれない。
ましてここは万能の願望器を巡って争う戦場だ。
他人を蹴落としても縋らずにはいられなかった、全ての願いの終着点。
そこに集う者たちが、今更言葉で止まるとは、おでんには思えなかった。
その脳裏には神戸あさひという、少年が浮かんでいたのは言うまでも無く。

「はい……私も……私の考えが全部正しいとは……思っていませんから……」

もしかしたら。
間違っているのは自分の方で。
正しいのは、本当に切実な願いを抱えて、戦いに臨んでいる彼らなのかもしれない。
その過程で多くの悲しみを生み出すとしても。
この世界では、それは勝利するための正当な努力なのかもしれない。
その、一種の自己疑念があったからこそ。
霧子は聖杯を目指し、悲しみを生んでいる者たちの事を憎んではいなかった。
けれど。だとしても。だからこそ。

「だからこそ……知りたいんです……皮下先生や………他の人たちが……
何を祈って………ここにいるのか………」

どうせ無駄だから。どうせ伝わらない。どうせ通じない。
そうやって諦める事は簡単で、とても楽だ。
きっと、自分が正しいとも信じていられるだろう。
理解にはきっと、痛みが伴い、実入りは少ない。
苦労してお互いの事を知れたとしても、分かり合える可能性は0なのかもしれない。
けれど、それで終わってしまえば。
もう、パンが皆に届く世界は、やって来ない。
パンを届けたいアイドルとしての、幽谷霧子はこの世界で死ぬだろう。

「何が正しいかなんて……私には分かりません………でも、
分かろうとする努力をやめる事だけは……きっと間違いだって分かるから……」


741 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:15:07 CGKp/fxA0
時には、その選択も必要で、大事だという事は理解している。
誰もが分かり合おうとする世界は、きっとみんな傷だらけだろうから。
でも霧子はアイドルだから。
誰かにパンをあげられるアイドルになりたい、アイドルだから。

「それに伝わって……何か変わる可能性を……0のままにしたくはないから……」

現実的に。
悲しみを生み出してでも、聖杯を目指す者達に霧子の言葉が届く可能性は0だろう。
だが、このまま何も干渉しなければ、その数値は0のままだ。
だから、無駄でも、何は無くとも、行動し続ける。
例え0.000000000000000001%だとしても。
未来に産声を上げるかもしれない可能性を死なせないために。
人は現実の世界にしか生きられないけれど。
夢を見ずに生きることが全てだとは思いたくない生き物だから。

「きっと……咲耶さんもそう言う筈だから………」

そう言って、少女は言葉を締めくくった。
それに対する光月おでんは、最後まで黙って話に耳を傾けていた。
いつも騒がしいこの男が、一つの口をも挟まず。
幽谷霧子の話に最後まで聞き入っていたのだ。

「………そうだよなァ。何が正しいか、なんて時によって変わるもんだ。
それに、俺みたいなバカ殿で、海賊が、何を言っても相応しくねェかもしれんが──」

ぽりぽりと、天を仰ぎ、頭を掻いで。
直後に、じっと霧子を見据えて、おでんは語り掛けた。
自分みたいな大馬鹿で、海賊という海のごろつきが何を言っているのかと。
我のことながら考えつつ、それでも彼は言葉を吐いた。

「霧子。おめェさんのその姿勢は正しいと思うぜ。……俺が、保証する」

堂々と、明朗たる声で。
光月おでんは幽谷霧子の在り方を肯定した。

「だから」

おでんはそっと霧子の背中に手を添えて。
ニカッと、口の端が耳まで届きそうなほど豪快に笑い、告げる。

「胸を張りな。俯いてちゃいけねェ。
正道を歩む奴は、誇り高く面(ツラ)を上げてるモンだ!」
「おでん、さん……!」

感情が、昂って。
目尻にはうっすら、涙すら浮かんで。
この豪放磊落な、とても素敵な侍に認められた事が、ただ嬉しかった。


742 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:15:30 CGKp/fxA0

「それにな、俺も探してるんだ。果たしてこの界聖杯って奴が正しいのかどうか…
答えはまだ出てねェが丁度いい。お前さんの手伝いをしながら探すのも悪くねェ」

そう言って少女に笑いかける侍の笑みは、少年の様に無邪気な物だった。
あぁ、きっと、縁壱さんは。
この人の、こういう所に救われたのだろう。
そう思いながら───霧子は返事を返した。

「はい………!」

哀しい事はきっとこれからも起きるし、それは避けられない。
だけど、それを哀しい事で終わらせないために。
悲劇で終わらせないために。
そう思えば、これからも惑い悩み傷つくだろうけれど……
前に歩める気がした。
そして、彼女のそんな思いに応える様に。
事態は、新たな転機を二人へと齎す。

「マスター、近くにサーヴァントの気配を感じた。それも、戦闘を行ったらしい」

言葉と共に、現れたのは光月おでんのサーヴァント。
日輪の剣士、継国縁壱だ。
その傍らには、彼の兄である黒死牟も控えている。
彼らの人を遥かに超えた五感の鋭さが、近辺でサーヴァントの気配を感じ取ったらしい。
それも、宝具を用いた激しい戦闘だったかもしれない、と。
縁壱はそう報告した。
それはつまり、傷ついて、死にかけている人がいるかもしれないという事で。
であれば、二人の判断は即決であった。

「おでんさん……!」
「応とも!行くぞセイバー案内しろ!!怪我人がいねェか確認する!!」

本当ならばまず摩美々達と連絡を取りたい処だったが。
今の調子ではいつ連絡が取れるか分からない。
対して件の戦闘は現在進行形で逼迫した事態になっているかもしれない。
故に、二人に現場に急行することに迷いはなかった。


743 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:15:50 CGKp/fxA0


「どうしましょう……どうしたら……!?」

仁科鳥子と、そのサーヴァント、アビゲイル・ウィリアムズが、アサシンを下してから少し後。
火急の危機を脱した二人であったが、状況は未だ安寧とは程遠かった。
その理由は明白。
未だ目を醒まさないアビゲイルのマスター、仁科鳥子の容態だ。

「……っう、ぐ……うぅ……」

先ほどまで落ち着いていたが、今の鳥子の状態はどう見ても芳しくない。
うめき声を上げて、額には滝の様な汗が流れている。
アサシン・吉良吉影の手によって負ったダメージ、右手の欠損は彼女を確実に蝕んでいた。
火傷によって止血されているため失血死の心配こそない物の。
そもそも完全に切断された手首の出血を止めるほどの火傷だ。
それは最早大火傷と言っても過言ではない。
止血した、というよりも切断された後、焼き潰されたといった方が適当かもしれない状態である。
常人ならば、ショック死していたっておかしくはないのだ。

「あぁマスター、何てこと…すごい熱だわ……!」

額に手を当ててみれば、患部から熱が移ったように熱かった。
このままでは危険だという事は医学に明るくないアビゲイルでも分かる。
だが、そこからどうすればいいのかは彼女にはとんと分からなかった。
聖杯が与える現代知識は一般的な知識のみ。
焼き潰された右手をどう処置するかは勿論、高熱に侵された時どうすればよいのかすら彼女には分からなかった。
つい先程、セイレムの“魔女”として、杜王町の殺人鬼を一蹴したとは思えない程の狼狽えぶりで。
今の彼女は、年相応の十二歳の少女でしかなかった。

「どうしましょう…お薬を…?でも、私が今のマスターを置いていったら……」

目を離すには、今のマスターの姿は余りにも苦し気で。
置いていくという判断は、とてもではないができなかった。
それに、薬のある場所に行ってもどれを持ってくればいいのか分からない。
だから、こうして今はオロオロと狼狽える事と、マスターの汗を拭う事ぐらいしかできない。
それでも、この状況が続くならまだいい。
だが、今の自分たちはリンボに狙われている身だ。
最初の会敵とは違い、この状態のマスターをあの怪人から守り切る自信は無かった。
否、さっきのアサシンに勝てたのだって、マスターの機転と、令呪のサポートがあったればこそだ。
ステータスでは強い英霊とは言い難いアサシン相手でも苦戦していた自分が、リンボ以外の相手でも守り切れるとは思えなかった。
今、敵が来たら。
不安は加速していく。


744 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:16:26 CGKp/fxA0

「駄目よ、しっかりなさいアビー…マスターを守れるのは、私だけなんだから……!」

不安に苛まれながら、それでも清廉なる少女は気丈に己を鼓舞する。
鼓舞するものの…現状を打開する妙案は浮かんでこない。
アルターエゴ・リンボへの警戒。
そしてアサシンの監視と牽制に余りにも時間を割いてきたため、頼れる者も浮かばない。
だから、銀の鍵足る彼女でも今できる事はただ祈る事だけだった。
どうか、今敵が来ませんように、と。
どうか、マスターの容態が回復してくれますように、と。
だが、現実は非情だ。

「……ッ!?」

部屋の外に、サーヴァントの気配を感じ取った。
それも、二体。
失敗した、マスターの体を気遣うばかり接敵の察知が遅れたのだ。
ただでさえ、令呪まで使用した戦闘をつい先程行ったばかり。
近辺にサーヴァントがいれば気づかないはずはないのに。
自身の浅慮を呪うが、今更逃げ切れるとは思えない。

「……大丈夫よ、マスター。貴女には、指一本触れさせないわ」

未だに苦し気な顔を浮かべるマスターの頬を撫で。
キッと眼光を部屋の扉へと集中させる。
絶対に、マスターの身だけは守って見せる。
部屋の外に飛び出して囮になるか。
今しがた開帳したばかりの、巫女としての権能を開帳するか……。
忌まわしい力だとしても。
自分を信じてくれるマスターのためならば、使う事を躊躇いはしない。
そうアビゲイルが決意すると同時に、きぃ、と、ドアが開けられる。
ごくりと喉を鳴らし、身構え。
警戒心を露わにしながら、アビゲイルは来客を見守った。

「あ……あの……今晩は…突然の訪問すみません………」

現れたのは、リンボではなかった。
サーヴァントですらなかった。
ツインテールの銀髪と、巻かれた純白の包帯が印象的な、一人の少女だった。




745 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:17:22 CGKp/fxA0

「……本当にここなのか?」

鍛えた見聞色の覇気を有するおでんをして、その疑問を漏らさずにはいられなかった。
二人の剣客が察知した戦闘の気配は、先ほどまでいた場所から程近いホテルだ。
しかし、戦闘が行われたとは思えない程、そのフロアは静けさを保っていた。
まるで戦闘が部屋一つで行われ、そして完結したかとでも言うように。
にわかには信じがたい話だった。
見聞色の覇気で周囲の様子を伺ってみれば、空いてはいるが他の宿泊客もいる様だ。
そのため、他の宿泊客が全員殺されているため静けさを保っている訳ではない。

「間違いない。奥の部屋にサーヴァントの気配を感じる。
横たわっているのは…マスターか、しかし呼吸が浅いな。それに意識が無い様だ」
「じゃあ……怪我をしているかもしれないんですね………」

縁壱の理外の感知能力の高さが、間違いないと太鼓判を押す。
押すだけでなく、マスターと見られる人物が負傷しているのではないかという情報さえ察知したのだ。

「間違いは無いだろう………しかし……部屋からは……奇怪な気配を感じる……」

霧子のサーヴァントである黒死牟の方はと言えば、彼の意識は脅威と成り得るサーヴァントへと向いているらしかった。
その意見を受け、縁壱も静かに頷いた。
部屋の中にいるサーヴァントは、気配の大きさから言えば…
少なくとも純粋な強さで言えばカイドウや鋼翼の悪鬼ほどではないだろう。
だが、本能的に。根源的に。
人智を超越し、常軌を逸した気配を、兄弟は感じ取っていたのだ。

「……よし!先ずは会ってみないと始まらねぇ。俺が行く」

サーヴァントよりも先んじてそう言いだしたのは勿論光月おでんだ。
堂々と胸を張り、縁壱や黒死牟をして戦慄を禁じ得ない気配の主と会おうとする。

「待って…おでんさん……」

しかし、それを止める者がいた。
縁壱でも、勿論黒死牟でもなく。
止めたのは、この場で最も無力な少女だった。

「もし怪我人がいるなら………私が行っても、いいですか………?」
「何を……言っている……?」

声色に俄かに困惑の色を交えて。
寡黙な彼女のサーヴァントが、すかさず口を挟んだ。
相手は今しがた戦闘を終えたばかり。
つまり、ほぼ間違いなく気が立っている状態だろう。
いきなり襲い掛かられても何ら不思議はないのだ。


746 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:17:52 CGKp/fxA0
そんな相手に、弱卒たる自分の主に何ができようというものか。
自分たちが行けば相手を威圧しかねないというのはまだ理解できる。
だが、それならば猶更光月おでんが行くべきだ。
黒死牟がそんな反論を囀るよりも早く、彼の主は告げる。

「大丈夫……何かあっても………セイバーさん……助けてくれますよね……」

彼女には珍しく、悪戯っぽく微笑んで。
心配しないで欲しい、と。そう言った意図の言葉を吐いた。
そういう問題ではない、と反論しようとするものの。
今迄自らのマスターは、こういった時常に迷うことなく最前線へと身を置いていた。
百獣の王の配下の前でも、憤怒に狂う自分の前でも。
決して、安全地帯に身を置こうとはしなかった。
故に、今回も、言っても聞かないであろうことは容易に想像がついた。
そこまで思考が追い付いてから、光月おでんの方へと六つの瞳を動かす。
この男が危険を顧みて否と言えば、霧子も行くわけにはいくまいが……

「……分かった、いいぜ。霧子、お前に任せる
こーんなでくの坊が押し入っちゃ、向こうも怖いだろうしな」

これまでのやりとりから予想していた通りの答えを、おでんは返した。
決して、状況を楽観視していっている訳ではない。
むしろ逆だ。その口の端は一直線に引き絞られている。
つまり、どんな相手であろうとも。
霧子の身に危険が迫る前に対処して見せる。そんな決意が見て取れた。
彼が先ほど語った霧子の決意を尊重しているのは明らかだった。
そして、再び少女は己が従僕に視線を移して、じっと黒死牟の複眼を見つめてくる。
………こうなれば、観念するほかないらしい。
どうせ止めた所で、この女は聞かないだろう。

「………好きにせよ………しかし………お前は、私の要石……ゆめ忘れるな……」
「はい……!ありがとうございます………」

本当に、嬉しそうに従僕の言葉を受け止め。
ぺこりと、霧子は頭を下げた。
そうして、そのまま、とっとっと、と。
部屋の前へとかけていく。

「大丈夫だ。何かあっても俺達が何とかしてやればいい。
今は、あの嬢ちゃんの事を信じてやれよ。あの娘のサーヴァントならな」
「黙れ……」

おでんと黒死牟がそんなやりとりをしているのを尻に目に霧子は部屋の前に立つ。

「────ッ!?」


747 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:18:16 CGKp/fxA0
───瞬間、体感温度が五度は下がった様な錯覚を覚えた。
この部屋の中には、何がいるといるというのか。
華奢な両指がドアノブを掴む。
扉は、僅かに空いていた。
中から電灯の光が漏れているというのに、深淵を除くような。
恐怖。畏怖。混乱。混濁。
そんな汚泥染みた感情が、霧子の心胆から噴きあがる。

「………!!」

しかし、それでも彼女は耐えた。
怖気で歪みそうになる顔の筋肉を今までの研鑽(ビジュアルレッスン)で抑え込んだ。
深呼吸を一つ。手の震えを精神力で強引に止める。
怯える医者を見て、安心する患者などいないのだから。
傷つくことは怖くない。だけどけして強くはない。
ただ何もしないままに、後悔だけはしたくない。
鈍く輝く意志の光だけを深淵への楯として。
霧子は、扉を開けた。


748 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:18:47 CGKp/fxA0



部屋の中で待っていたのは、二人の金髪の少女だった。
一人は霧子より少し上の年齢と見られる少女と。
その前に、立ち塞がる様に立つ黒衣の少女。

「あの……初めまして、幽谷霧子と言います………さっき、私のセイバーさんが……」

まず自分が何者であるかを名乗り。
次いで、此処へ訪れた経緯を語ろうとする。
しかし、相対するフォーリナーは彼女の言葉を遮った。

「ダメ……ダメなの…貴女が誰であれ……今、マスターは大変なの……
お引き取り下さいな…お願いだから……」

焦燥と警戒を露わにした声で。
霧子にフォーリナーはそう告げた。
おでんと自分のセイバーが警告した通り。
相当殺気立っている。
しかし、それも無理は無いだろう。
縁壱達の推測通り、彼女は今まで行動を共にしていた同盟者を、その手で屠ったのだから。
攻撃すらしなかったものの、昼間に機凱種の弓兵と相対した時の様に。
霧子を追い払おうとしてしまうのは無理もない話だった。
むしろ、先手必勝で攻撃を敢行しなかっただけ少女は理性的だっただろう。

「………」

明らかな拒絶の言葉を受けながら。
霧子は目の前のサーヴァントと思わしき金髪黒衣の少女と。
その背後に横たわる少女の間で視線を彷徨わせる。
背後の少女には、片腕が無かった。

「でも…貴女のマスターさん……怪我、してるでしょう………?」

それを見た瞬間に。
霧子の方も、退く訳にはいかなくなった。
片腕の切断に、切断面を覆う火傷。
少女が手当てを必要としている事は、誰の目にも明らかだったから。

「手当………させてくれませんか……?」

尋ねると共に、一歩踏み出す。
しかし、フォーリナーの少女の態度は頑なだった。

「…っ!必要ないわ!マスターは…マスターは、私が守るもの!
だから……来ないで……!それ以上来たら…こ、攻撃するわ…!」


749 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:19:21 CGKp/fxA0
もし、これが一時間ほど後の邂逅であれば。
アビゲイルも幾らか冷静さを取り戻し。
こんな、緊迫した雰囲気にはならなかっただろう。
しかし、このタイミングで邂逅を果してしまった事は。
どうにも、間が悪かった。
だって、アビゲイルがここまで深く関わったサーヴァントはアルターエゴ・リンボと。
自分達を裏切り襲い掛かってきたアサシンだけだったから。
消滅してなお、アサシンはフォーリナーの少女に呪いを刻んでいた。
疑心という名の、呪いを。
目の前の、銀髪の少女のことを彼女は何も知らない。
リンボや、アサシンの様な手合いでない保証は何処にもない。
故に、疑わしきは罰するべきなのだ。
あの、1962年のマサチューセッツ、セイレム村で起きた事件の様に。
そうだ、魔女は括ってしまえばいい。
フォーリナーの、纏う雰囲気が変貌を遂げる。

「……ぁ、う……っ!」

────怖い。
─────怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い………っ!
いくら、身に纏う雰囲気と物腰が浮世離れしていると言っても。
幽谷霧子は特別で、そして普通の少女だった。
当然の事ながら、恐怖は確かにそこにあった。
雛鳥を庇う親鳥の様に立ち塞がるサーヴァントの少女。
その少女の雰囲気が変わったとたん、背筋に氷水を流されたような悪寒が奔った。
部屋のドアノブに触れたときの比では無い。
身体の震えが止まらない。心臓の音が、耳障りなほどに耳朶を打つ。
これは、無理だ。自分の手には余る。今すぐこの場を去りたい。
生物として備えている本能的な危機感から来る、当然の解だった。
そして、霧子が瞳を、フォーリナーの少女から背けようとしたその時だった。

「………ぅ」

フォーリナーの少女の背後で、彼女のマスターと見られる少女が。
苦し気に、うめき声を上げた。
フォーリナーの少女は此方に意識を集中させているのか、気づいてはいない。
それ故に。
少女の苦しみを正確に気づけているのは、自分だけだと。
霧子の優秀な頭脳は、それを確信として悟った。



「………大丈夫、だよ………」

今、私が目を逸らしてしまったら。

(誰が……この子たちを助けられるの……?)


750 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:19:50 CGKp/fxA0

───正道を歩む奴は、胸を張って、面を上げて歩かなきゃいけねェ。

ああ、きっと。
おでんさんの言葉は、こういう時の為にあったのだろう。
己を鼓舞する為だけではなく。
救うべき人から、瞳を逸らさないために。

「……来ないでッ!!」

マスターと、サーヴァント。
その力の差は明白だ。
霧子が例え百人いた所で、アビゲイル一人を害せるはずもないのに。
だけれど、怯えたような瞳をしていたのはアビゲイルの方だった。
対する霧子の体は、既に震えてはいなかった。
そのままゆっくりと。
両手を翼の様に広げて、前へと進み出る。
そして、もう止まりはしない。
アビゲイルの両手が、反射的に跳ねあがる。

「やめて……お願い……それ以上…近づかないで……
それ以上近づくなら、もう………」

憂いと躊躇を含んだ声で警告するものの。
何処か冷静な自分がいることを彼女は感じていた。
アビゲイルがこのまま両手を指向し、悪い子として振舞えば。
霧子の体は容易に触手に粉砕されるだろう。
───なってしまえば良いじゃない。マスターを守るためだもの。
───マスターを喪ってまで、貴女は善い子でいたいの?
そんな声が、脳裏で木霊する。

(そう、そうよ……優しい私のマスターを守るためなら……私は……!)

そうだ、素敵なマスターを守るためなら。
私は悪い子として。降臨者の巫女として───
そんな祈りを胸に。歩いてくる少女に視線を戻す。
それ以上近づくのなら、本当に容赦はしない…!

「……っ!?」

それでも。
少女の足は止まらない。
一歩一歩、静かに、しかし巡礼者の様に確かな足取りで。
鳥子と、アビゲイルの元へと歩む。

───来ないでって、言ってるのに!


751 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:20:15 CGKp/fxA0

叫ぶような声と共に。
遂に霧子の元へ触手が殺到する。
それでも彼女の瞳は、真っすぐに。
鳥子と、アビゲイルを見据えていた。
既に、霧子にとって。
救うべき対象は鳥子のみに留まらなかった。
心では、哀しい、怖いと思っているに。
大切な人のために、悪い子になろうと苦悩している少女にも。
手を差し伸べたかったから。
払いのけられても構わない。それでも。
手を伸ばさない方が、彼女にとっては嫌だった。


「私は……貴女も……貴女のマスターさんも……傷つけたりしないから……」




例え放たれたものが何であろうとも。
瞳を逸らす事だけはしない。
…もし。
彼女から放たれたものが憎悪であるならば。
目を見開いて受け入れよう……!
けれど、もし。
それ以外のものであったならば────




「お願い……」




「私のマスターを…助けて……」




「うん……大丈夫……心配しないで……」



微笑みを以て受け入れよう。
────深淵すら照らす、日輪のように。


752 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:20:41 CGKp/fxA0
【文京区(豊島区の区境付近)・ホテル/二日目・未明】


【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
1:大丈夫、心配しないで……
2:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
3:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
4:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
5:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:健康、生き恥
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:呪いは解けず。されと月の翳りは今はない。
1:私は、お前達が嫌いだ……。
2:どんな形であれこの聖杯戦争が終幕する時、縁壱と剣を交わす。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。


753 : Give a Reason ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:20:58 CGKp/fxA0

【光月おでん@ONE PIECE】
[状態]:全身滅多斬り、出血多量(いずれも回復中)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:二刀『天羽々斬』『閻魔』(いずれも布で包んで隠している)
[所持金]:数万円程度(手伝いや日雇いを繰り返してそれなりに稼いでいる)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯―――その全貌、見極めさせてもらう。
0:……やるじゃねェか。大したモンだぜ。
1:他の主従と接触し、その在り方を確かめたい。戦う意思を持つ相手ならば応じる。
2:界聖杯へと辿り着く術を探す。が――
3:カイドウを討つ。それがおれの現界の意味と確信した。
4:ヤマトの世界は認められない。次に会ったら決着を着ける
5:何なんだあのセイバー(武蔵)! とんでもねェ女だな!!
6:あの変態野郎(クロサワ)は今度会った時にぶちのめしてやる!
7:あさひ坊のことが心配。頃合を見て戻りたい
[備考]
※古手梨花&セイバー(宮本武蔵)の主従から、ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の計画について軽く聞きました。
※「青い龍の目撃情報」からカイドウの存在を直感しました。
※アヴェンジャー(デッドプール)の電話番号を知りました。
※廃屋に神戸あさひに向けた書き置きを残してきました。
※全集中の呼吸を習得してました。

【セイバー(継国縁壱)@鬼滅の刃】
[状態]:疲労(小)、全身各所に切り傷や擦過傷(いずれも小程度)
[装備]:日輪刀
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:為すべきことを為す。
0:今はただ、この月の下で兄と共に。
1:光月おでんに従う。
2:他の主従と対峙し、その在り方を見極める。
3:もしもこの直感が錯覚でないのなら。その時は。
4:凄腕の女剣士(宮本武蔵)とも、いずれ相見えるかもしれない。
5:この戦いの弥終に――兄上、貴方の戦いを受けましょう。
[備考]
※鬼、ひいては鬼舞辻無惨の存在を微弱ながら感じています。
気配を辿るようなことは出来ません。現状、単なる直感です。

【仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:気絶、体力消耗(大)、顔面と首筋にダメージ(中)、右手首欠損(火傷で止血されてる)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:アビゲイルの“真の力”について知る。
1:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
2:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
3:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
4:できるだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
5:もしも可能なら、この世界を『調査』したい。できれば空魚もいてほしい。
6:アビーちゃんがこの先どうなったとしても、見捨てることだけはしたくない。
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。
※透明な手がサーヴァントにも有効だったことから、“聖杯戦争の神秘”と“裏世界の怪異”は近しいものではないかと推測しました。


【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:体力消耗(中)、肉体にダメージ(中)、精神疲労(大)、魔力消費(大)、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスターのことは、絶対に守る。
1:鳥子に自身のことを話す。
2:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
3:マスターにあまり無茶はさせたくない。
4:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。


754 : ◆MSWNXc4zEA :2022/05/30(月) 00:21:13 CGKp/fxA0
投下終了です


755 : ◆A3H952TnBk :2022/05/30(月) 19:38:00 qe/KjoCk0
ライダー(シャーロット・リンリン)
ランサー(ベルゼバブ)
予約します


756 : ◆A3H952TnBk :2022/05/31(火) 19:16:32 t4bFev.E0
そして改めて投下乙です。
GRADにおける「パンを貰える人」の話に絡めた霧子の想い、お日様みたいに優しくてあったけえなぁ……。
おでんさんの頼もしさも含めて、二人のやり取りの微笑ましさがなんとも愛おしい話でした。
そして鳥子を助けたくて年相応に狼狽えてるアビーちゃん、窮地なのは間違いないけどかわいくてすき。
吉良との対決を経て孤立していた鳥子組だったけど、果たして霧子達との出会いがどう転がるか。

それから指摘なのですが、80話目の『てのひらをたいように』において

>既に、彼に向けた言付けを霧子に託した。光月おでんという男へのコンタクトと、その内実。
>古手梨花とセイバーが七草にちか擁するライダーとの同盟を正式に結んだことと、皮下という医者がマスターである――『黒』の可能性が高めの――主従に会ってくること。
>上手くいけば逃げた先で合流したい、と幾つかの合流ポイントも示しておいた。互いに連絡手段を持っていないのが苦しいが、それでも賭けるには値する程に協力な助っ人だ。

霧子と接触した梨花ちゃまに関してこういった言及があるので、一応霧子側に梨花ちゃまとの約束や安否についてちょびっとでも触れさせた方が良いのではないかなと思いました。
(前話までは新宿区に留まっていたのでギリギリ言い訳可能でしたが、今回では別の区へと移動する段階になっているので)


757 : ◆MSWNXc4zEA :2022/06/01(水) 18:55:18 hVkjlPDU0
了解しました
ウィキ収録時に梨花に触れる内容を追記させていただきます


758 : ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:52:59 jh2hCaKU0
投下します。


759 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:53:55 jh2hCaKU0
◆◇◆◇



迫り来る激流を。
莫大な魔力の塊を、察知して。
男は、その両眼を見開いた。



旧・世田谷区。
大規模な戦闘によって破壊し尽くされた焦土。
その中心に生まれていた、巨大な空洞のような大穴。
数百メートルもの地下の底に、大量の土砂と瓦礫が溢れかえっており。
それらに埋もれるように横たわっていた英霊―――ベルゼバブは、再び思考を開始する。

下らぬ。実に下らぬ。
全く以て不愉快。気に入らぬ。
あのような羽虫共が、何故己が道を阻むのか。
小細工ばかりが能の連中が、何故己を追い詰めたのか。
ましてや――――あの忌々しい“煌翼”に、何故加減などされなければならないのか。

肩慣らしに過ぎなかったはずの世田谷戦線は、思わぬ形での敗北を迎えることとなった。
圧倒的な力によって蹂躙するだけの殲滅戦であった筈が、予想だにせぬ反撃を受けて地に伏せられた。
この絶対的なる覇王が、鋼の翼さえももがれたのだ。

不条理。不可解。まさしく不合理。
理解に苦しむような終幕である。
愚かなる羽虫共め、何故世の道理に逆らう。
最後に己が勝利するのは、当然の運命(さだめ)であろう。

だが、ベルゼバブは敗けた。
界聖杯に呼び寄せられた、この聖杯戦争に於いて。
予選時より数多の英霊を粉砕し、絶対的な力を誇っていた“最強の男”が。
初めての“敗北”を迎えたのだ。

されど、敢えて受け入れよう。
全ては己が勝利の糧となるのならば。
この怒りと屈辱もまた、必然の過程なのだろう。

地に叩き落されたのは、これが初めてではなかった。
“破壊と再生による進化”を司る存在―――天司長ルシフェル。
圧倒的な力と美を備える“原初の星晶獣”の前に、遥か過去のベルゼバブは敗北を喫した。
そして彼は星と空の世界より放逐され、地の底の果てである“赤き地平”へと堕ちた。

永久の煉獄にも等しい幽世にて、彼は無限に現れる魔人達との2000年に渡る闘争を繰り広げた。
その経験はベルゼバブという男の武練を徹底的に研ぎ澄まし、心技共に彼を更なる力の高みへと導いた。
生半可な者ならば容易く蹂躙され、あるいは狂気に陥るような魔境の地で。
彼はただ只管に、果てなき時を費やし。
強大な力を得るための修練を積み重ねたのだ。

故に、これしきの“敗北”もまた―――必要な“過程”である。
己を究極の力へと至らせる為の、謂わば試練に過ぎぬのだ。
嘆くことはない。最後に勝つのは、己に他ならないのだから。
絶対的かつ圧倒的な自負を抱く蠅の王は、地の底で不遜に嗤っていた。


760 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:54:35 jh2hCaKU0

全身の魔力を、集中させる。
見様見真似で体得した行程で、呼吸を行う。
彼は地に伏せて以降、ただ時間が過ぎるのを待ち続けていたのではない。
行動不能に陥った直後から、彼は“それ”を繰り返していた。

以前対峙したセイバー、“痣の剣士”が行使していた奇妙な呼吸。
鬼狩りの剣士が体得する基礎技術、“全集中の呼吸”。
その術を記憶から呼び起こし、僅かな情報を頼りに解体し、そして模倣してみせたのだ。

詳細な原理を解析した訳ではないため、不完全な体得でしかない。
鬼狩りの剣士のような“術理”の領域にはまだ至らず。
されど、“肉体の活性化”という基礎の技術は己のものとした。
魔力で構築された身体の代謝を促進し、自己治癒能力を高めていた。
それ自体は微小な効果に過ぎないものの―――様々な要素と組み合わせることで、十分な応急処置の術として昇華させていたのだ。

ベルゼバブは“蓄えた魔力”を、呼吸によって肉体に循環させていた。
元より霊脈や峰津院大和からの供給によって十全の貯蓄はあったが、それだけではない。
星辰奏者(エスペラント)が、大気中に存在する星辰体(アストラル)と感応するように。
戦場跡の空間に漂っていた“魔力の残留物”―――つい先程までホーミーズとして活動していた“数多の魂”を手繰り寄せ、その全てを我がものとして取り込んでいた。

この地の底にて動けぬ合間。
彼は“魔力の感知”へと集中し、周囲一帯に残る魔力を探り当て。
そして深呼吸によって大気へと干渉し、大量の酸素を吸い込むのと同じように、時間を費やして魔力を“吸い寄せた”のだ。

先の戦闘におけるホーミーズ達は、覚醒したNPCや予選敗退した参加者の魂を多数用いていた。
通常のNPCよりも数段以上の純度を持つ魂を“魂喰い”したベルゼバブは、呼吸による肉体の活性化によってそれらを高効率の燃料へと変換してみせた。

そうして得られた魔力を、己の肉体の治癒へと回した。
特に損傷した霊核への措置は早急に済ませた。
己が体内に宿る星晶獣のコア―――その“不滅の属性”を不完全ながらも魔力に付与させ、霊核の損傷箇所へと充てた。
無からの復活すら果たせる“本来の肉体”ならば、この程度の傷を癒やすことなど造作も無かったのだが。
サーヴァントとなった今では、その力に大きな制限が課せられている。

故に完全な回復には至らず、ましてや霊核が不滅の属性を得るということも有り得なかったが。
霊脈によって潤沢に蓄えられていた魔力。高純度の魂喰い。呼吸による肉体の活性化。そして不滅の属性を与えた魔力による措置。
それらを組み合わせることで、極めて優れた効率での応急処置を果たしたのだ。
そして霊核の修復に連動し、喪われた左腕の再生も少しずつ行った。

身体に刻まれた手傷の数々を塞ぎ切るには至らなかった。
あの“煌翼”や“痣の剣士”らによって刻まれた負傷は、決して浅いものではない。
己の力の象徴たる銀翼も、未だ片側が欠けたままである。

しかし―――じきに“動ける”。
あの重傷を受けてから、魔力と術を治癒へと専念させたことで。
驚嘆に値するほどの短時間で、活動に支障のない段階までの回復を果たした。

故に、蠅の王は嗤う。
自らの再誕に、高揚する。


761 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:54:59 jh2hCaKU0

ああ、そうだ。
これは“目覚め”である。
何故己は地に堕ちたのか?
何故己は辛酸を嘗めたのか?
何故己は敗北したのか?
答えは明白。這い上がり、勝つ為である。
これは、試練なのだ。
己が“真の力”を掴み取る為の、洗礼なのだ。

思えば、天司長ルシフェルに敗北した時もそうだ。
圧倒的な力と美を持つ奴には敵わず、赤き地平へと失墜し。
それでも果てなき死闘と鍛錬の果てに実力を積み重ね、やがて不滅の概念さえも覆す武器『ケイオスマター』の精製へと至った。
敗退を超越したベルゼバブは、そうして2000年の時を経て天司長への逆襲を成し遂げたのだ。

ベルゼバブにとって“敗北”とは“結末”ではない。
己の“最終的な勝利”というものは常に確定している。
ならば舐めさせられた苦汁もまた、糧として取り込めばいい。
そして己はこの屈辱を乗り越える。
再び脱皮し、更なる力を得るのだ。

そう、つまり―――試練を繰り返し、己は強くなる。
まさしく英傑の如く、己は困難を超越していく。
その果てに絶対的な力を得て、遍く世界に君臨するのだ。

闘気が漲る。
魔力が迸る。
“復活”の時が、迫る。
“覚醒”の時が、迫る。
喝采せよ、生まれ変わりし王の降臨を。
畏怖せよ、世界を支配する力の顕現に。



さあ、再び始めようではないか。
新たなる幕開けの時が来た。
殻を破る時が来た。
全ては、己だけの為に。
讃えよ。畏れ慄け。
そして―――祝うがいい。




◆◇◆◇


762 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:55:38 jh2hCaKU0
◆◇◆◇



“鏡世界(ミロワールド)”に入り込む、魔力の反応を察知した。
サーヴァントとなったビッグ・マムは、自らが召喚する使い魔と魔力による繋がりを持つ。
故にミラミラの能力を操るブリュレの存在を介して、鏡世界への“出入り”をある程度感知することも可能だった。

その気配には覚えがあった。
あの男―――自らに魂を差し出した“プロデューサー”。
彼が率いていたランサーの魔力を感じ取ることが出来た。
ああ、つまり奴らは。
マムが杉並へと出向くまでもなく、既に生きて帰っていたのだ。

プロデューサー主従の回収という目的は既に果たされた。
リンボの顔を立ててやることも兼ねて、ランサー達による叛意の有無は確かめねばならないが。
彼らが二角もの令呪を費やして戦果を上げ、そのうえで帰還を果たした以上、少なくとも現状においては殆ど杞憂と言ってもいい。

裏切るタイミングなど、あの戦線においていつでも存在していた。
言ってしまえば、海賊同盟の情報を手土産に283へと亡命すればいいだけの話なのだから。
そのリスクがあっても尚ガムテがプロデューサーを現地に送り込んだのは、ひとえに“奴は仕事を果たす”という信用があったからだ。
そして彼の仁義に一目を置いていたのは、ビッグ・マムも同じである。
そんな二人の期待に添うように、プロデューサーは283陣営を削るという目的を果たした。

直接的な実害を出している時点で、プロデューサーが283へと寝返る道は殆ど閉ざされている。
それはつまり、かつての身内と決別してでも戦い抜くだけの覚悟があったということに他ならない。
ランサーに関しても、不利な状況の中で自らのマスターを制圧してでも裏切る機会はいつでもあった筈だ。
しかし、奴はそうしなかった―――奴らは見事に戦い抜いた。

ビッグ・マムは、考えた。
詳しい話は、後で聞き出すとはいえ。
少なくとも今、奴らは筋を通している。
ケツを持ってやるだけの価値はある。

件の283陣営の残党も、既に戦場から去っている。
最早この場へと留まる理由は失われている。
それを知っていて尚、何故彼女は未だ杉並区に居るのか。
答えは――――マムが改めて対峙した、その視線の先にある。


巨大な風穴。
果てしない断崖。
龍の大口のような深い溝。
市街地の果て、住宅街のど真ん中。
そこに、異常な光景が広がっていた。


ビッグ・マムは、目を細めた。
283陣営と海賊陣営の衝突、その結果にしては余りにも被害が大きすぎる。
否、というよりも。
今もなお巨穴の奥底に“強大な魔力の気配”が眠っているというのは、如何なることなのか。

この魔力は、尋常なものではない。
生半可なサーヴァントとは、まるで格が違う。
悪辣なる怪僧。修羅の狛犬。饒舌な道化。
己の陣営にいる英霊が束になろうとも決して敵わぬであろう、圧倒的な“存在”の匂い。
これと対等の気配が、他にあるとすれば。
それこそ――――“あの馬鹿(カイドウ)”くらいのものだ。

一体ここには、何がいる。
一体ここには、何が眠っている?
ビッグ・マムは、ただ無言で睨み続ける。
確かにそこに居る“脅威”の存在を、感じ続ける。

そして。
次の瞬間。



轟音と、風圧。

禍々しき気迫が、爆発的に吹き荒ぶ。

周囲の空気が、一瞬で激動し。

大穴の奥底から、“それ”は飛び出してきた。

閃光と錯覚する程の勢いと共に。

稲妻を想起させる程の瞬発力によって。

――――その男は、高々と跳躍した。



それは、片翼の悪魔だった。
それは、原初の肉体だった。
言うなれば、生まれたままの姿。
生物としての、本来のカタチ。
即ち、一糸まとわぬ裸身だった。


763 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:56:29 jh2hCaKU0

闇夜の月光の下、筋骨隆々の肉体を晒していた。
欠片ほどの恥じらいもなく、堂々と。
鍛え抜かれた腹筋や胸筋。強靭な四肢。
逞しくも美しい褐色の身体が、外界に剥き出しとなっている。
金色の長髪は風に靡きながら、彼の股座の秘部を覆い隠し。
ビッグ・マムの存在に呼応するかのように、その近くへと降り立つ。
マムは咄嗟に視線を動かし、そちらへと身体を向けた。
距離にして50メートル。
どちらかが躍動すれば、一瞬で詰められる。

屈強な肉体を持つ悪魔は、剥き出しの肉体を曝け出して海賊と対峙する。
その様は、神話より出でし女神ヴィーナスが如く。
その形は、偉大なる芸術家が作り上げた中世の彫刻の如く。
果てなき人類史の中で、数多の者が夢想して追い求めた“完全なるヒト”の姿が如く。
究極の“個”という存在を、その身を以て万人に突きつける。
それは余りにも強く。余りにも美しく。
そして、余りにも禍々しく。
矮小なる者共がそれを目撃すれば、否応無しにこう思うだろう。

“まさか終末の時が来たのか”。
“絶対なる超越者が、人類を裁くべく降臨したのか”―――と。

それほどまでに、圧倒的な出で立ちだった。
人間と同じ形を持ちながら、その存在は遥か高みに座している。
地を這う有象無象とは、余りにも隔絶している。
神か。あるいは、そう。悪魔か。

マムが、男を刮目する。
呆気に取られたように、目を丸くして。
やがて、睨み付けるように――ゆっくりと瞼を細め。
眼前に降り立った怪人を、ただ無言で見据える。


「何モンだ、てめェ」


ビッグ・マムが、口を開いた。
放たれる“覇気”を前に、思わず問いかける。
対する男は、ただ不敵な笑みを返し。


「――――愚問なり。余は“王”である」


余りにも堂々と。
余りにも不遜に。
そう言い放ってみせたのだ。
迷いなきその一言に、海賊は思わず眉間に皺を寄せる。


「へぇ……“王”を名乗るのかい?」
「頂点に立つのはただ一人。余を差し置いて他に誰が居る」
「―――寝言吐いてんじゃねェよ、裸の王様だろうが」


睨みを効かせて、マムは殺気を放つ。
四皇と呼ばれた自身に対して、臆面もなく王を名乗る。
その傲岸な振る舞いに、不快感を覚えぬはずがない。
ビッグ・マムは、苛立ちを覚えるように敵を見下ろすが。
その眼差しに宿る意思に、油断はなかった。

マムの前に立つ“蠅の王”は、決して万全ではない。
全身に残された火傷の痕跡。
顔面さえも灼かれた疵面(スカーフェイス)。
胸部や胴体に刻まれた深い裂傷。
そして、片側が欠落した銀色の隻翼。
謂わば、満身創痍の状態から蘇ったばかり。
その事実は、風貌からも見て取れる。


―――だと言うのに。
何故だ。何故なのだ。
その姿は、覇者としての威厳すら放っているのだ。
深い手傷を負っても尚、強者として其処に君臨している。
寧ろ身震いするような気迫を、歪な疵の数々が一層際立たせている。


まるで神話に語り継がれし英傑のように。
裸身の悪魔は、威風堂々と降臨する。
迸る魔力。纏う闘気。獅子の如き眼差し。
幾ら傷を刻まれようとも、強者としての風格は決して揺るがぬ。


764 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:57:07 jh2hCaKU0

それはまさしく、リ・バース・オブ・ニューキング。
翼をもがれた獣が迎えた、新たなる脱皮。
悪を殲滅する“眩き煌翼”によって焼き尽くされ、地へと叩き伏せられ。
それでもなお天へと翔ぶことを渇望した覇王の、圧倒的なる再臨。
敗北を味わった男の、新たなる誕生の瞬間。
この地平に顕現し、猛く迸る極小の恒星―――隻翼の“超新星(メタルノヴァ)”。

いずれ魔力によって衣服は再構築されるとはいえ。
彼が迸る魔力で装束を吹き飛ばし、裸身という姿で復活を遂げたのも、ある意味で必然だったのだろう。
何故ならばこれは、新たな“始まり”に他ならないのだから。
殻を破りし幼き赤子が、無垢なる姿でこの世へと生まれ落ちるように。
殻を破りし蠅の王もまた、無垢なる姿でこの地にて再誕したのだ。

ビッグ・マムは、拳を握り締める。
全身に気迫を纏いながら、ただ無言で構える。

この聖杯戦争に身を投じて以来、良くも悪くも。
マムの予想を越えてくるような輩は、幾人も存在していた。
だが、それでも尚。
眼の前に立ちはだかる男は、そのいずれとも違っていた。

謂わば眼前の敵は、より純然たる“力の化身”であり。
高みに君臨するマムでさえも、迷わずに身構えることを選ぶ程の存在だった。


「さて――――」


“新たに構築した部位”の具合を確かめるように、蠅の王は“左腕”を動かす。
突き出した腕の先。拳を握り締め、手のひらを開く。
その動作を交互に繰り返して、その万全を確認している―――。


「寝言か否か……その目で直に確かめると良い」


余裕の笑みを見せたまま。
ベルゼバブは、口を開き。
そして。


「―――ちょうど“小手調べ”の相手を求めていた所だ」


その言葉が、意味するもの。
即ち、身体慣らし。
祝福すべき復活からの“準備運動”。

瞬間。蠅の王が、動き出した。
暴風。暴威。暴虐。進撃。
超高速の嵐が、その場に吹き荒れる。
対峙するは、四皇――――!






765 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:57:54 jh2hCaKU0




――――激突。
――――ただの一撃。



巨躯の女皇と、隻翼の覇王。
その拳と拳が、真正面からぶつかり合う。

圧倒的な体躯の差など、関係無い。
質量と質量が、全力で衝突する。
夥しいほどの魔力と魔力が。
両者の拳に宿る闘気が、大気を震わせる。
まるで激流同士がせめぎ合うように。
この土地に、災厄じみた暴威を巻き起こす。

波紋。
衝撃。
轟音。
激震。
破砕。
崩壊。

ほんの一度。
それだけの衝突が。
それだけの交錯が。
それだけの余波が。
彼らを取り巻く脆弱な世界に。
圧倒的な“破壊”を齎す。

コンクリートで覆われた地面一帯に、凄まじい勢いで亀裂が刻まれていく。
吹き荒れる風圧と重圧が、街路樹を次々に消し炭へと変えていく。
波紋のように広がる衝撃が、周囲の住宅を瞬く間に崩壊させてゆく。
拳と拳を打ち合わせたまま、両者ともに一歩も退かず。
強大なる“力”同士の鍔迫り合いが、破滅の咆哮を轟かせる。

それはまさに、大破壊だった。
それはまさに、死の顕現だった。
されど、彼らの実力を知る者達ならば。
恐らくは口々に、こう言うだろう。
“まだこの程度で済んでいる”―――と。

そうだ。これは所詮、小手調べに過ぎない。
戦闘が始まってから、ものの5分程度。

彼らが全力の衝突を繰り広げていれば。
彼らが本気の強さを惜しみなく引き出していれば。
こんな街など、今すぐにでも焦土へと変わる。
この二騎の怪物が、何の遠慮もなく全開の力を行使していれば。
衝撃の余波によって、雲が裂け、天は荒れ狂い。
この一区画は、紛れもなく灰燼に帰していただろう。
故にこれは、ウォーミングアップでしかない。


766 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:58:17 jh2hCaKU0


実力は、拮抗。
五分と五分。
互いに一歩も退かず。
――――いや、違う。


やがて衝撃波によって、二人の拳が磁力のように弾かれ合う。
互いに反発し、たたらを踏み。


「はぁぁァァ―――――ッ!!!」


間髪入れず、ビッグ・マムの両腕が黒色に染まる。
武装色の覇気――――“硬化”。
鋼のような強度を得たマムの右拳が、ベルゼバブへと突きを放つ。

刹那。一瞬。
再び、波紋が世界を揺るがす。

ベルゼバブもまた右拳を突き出し、迫り来るマムの右拳へと打ち付けた。
衝突する拳撃。交錯する熱量。
まるで先程の再演のように、ぶつかり合い。

されど、その拮抗状態をマムが崩す。
同じく硬化した左腕を、振りかぶった。
対するベルゼバブもまた、左拳を構え。
そして――――右拳と入れ替わるように、激突。
砲撃と錯覚するような破音が轟く。
水面に広がる波紋のように、地面が衝撃で砕け散っていく。

互いの次なる行動は、疾かった。
右拳が放たれ、再び衝突。
圧倒的な質量によって弾かれ合い。
そして左拳で、更なる激突。
肉体が躍動する。剛腕が力を振り絞る。

右拳。左拳。右拳。左拳。右拳。左拳―――。
疾風怒濤。獅子奮迅。
突きの応酬が、瞬く間に繰り広げられる。
吹き荒ぶ嵐のようなラッシュが、壮絶なる乱撃を繰り広げる。

二人の打撃が打ち据えられる度に、波動が戦場を揺るがす。
共に一歩も退かない。
その両腕の筋肉と魔力が、研ぎ澄まされていく。

討ち滅ぼせ。眼の前の敵を。
疾く、疾く、疾く、もっと疾く―――!
巨星の衝突による小宇宙が、地上に顕現する。


幾度目かも分からない。
そんな拳撃の果てに。
二人は、弾かれ合い。
勢い良く後方へと下がり、互いに距離を取った。


767 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:58:46 jh2hCaKU0


ビッグ・マムは、その目を細め。
数十メートル離れた地点に立つ、裸身の敵を見据えた。

その直後。
両手に、“熱”の感覚を覚えた。
迸るような熱さが、腕の先から感じられた。
思わずマムは、両眼を見開き。
確かなる驚愕を、覚える。

拳に走る“痛み”が意味するもの。
それを即座に理解したからこそ。
彼女は、視線を落とした。


武装色によって硬化した拳。
黒色に染まった、鋼の拳。
そこから、血が滴り落ちていた。


漆黒の装甲に、亀裂が入っており。
それらの隙間から、紅い液体が流れていた。

返り血。否、断じて違う。
間違いなく、これは。
拳のラッシュに耐えきれなかった、ビッグ・マム自身の出血だった。


「ほう、少しは出来るらしいな――――」


敵は、どうだ。
眼前の悪魔は、不敵に嗤っていた。
相手の両拳は、硝煙のような気を放っていた。
壮絶な激突による摩擦の衝撃から生じたものか。

そして、ベルゼバブの拳に。
一切の傷は付いていなかった。
出血は愚か、断傷や裂傷の痕跡すら生まれていない。
紛れもない、全くの無傷。
その拳を覆う“混沌の魔力”には、ヒビの一つも入っていない。

ビッグ・マムは、突き付けられる。
眼前の事実に、気付かされる。
かつて四皇と呼ばれ、畏れられた己が。
この聖杯戦争においても、強者として君臨する己が。
覇気を使った、真正面からの衝突で。
力と力で“打ち負けたのだ”。

ベルゼバブは、確実に力を増していた。
“百獣の王たる海賊”。“鬼滅の剣士”。
そして、彼に“敗北”という屈辱を与えた“眩き煌翼”。
本戦へと突入して以来、彼は同じ高みに座する強者との死闘を繰り広げてきた。

力を渇望する星の民たるベルゼバブは、ただ己の力に驕るだけの愚者ではない。
貪欲なまでに強さを求め、果てなき研鑽と探究を積み重ねてきた“求道者”である。
故に彼は、限界という壁を受け入れない。

サーヴァントとなった今、重い制約を課せられようとも。
それでも彼は、己こそが頂点であるための修練を惜しまない。
覇者として君臨する―――その為ならば、何処までも力を渇望し続ける。
その強靭な意思によって“全集中の呼吸”や“星辰体制御”を擬似的に再現し、拳に収束した魔力によって“武装色の覇気”への対抗をも果たした。

もっと強く。もっと高みへ。もっと先へ。
――――更に究極へ(プルス・ウルティマ)。
限界を超越し、あの煌翼を完膚なきまでに殺す。
そして、己こそが真なる最強であることを知らしめるのだ。


768 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 08:59:21 jh2hCaKU0

対するマムは、否応なしに思い知らされる。
ただ、気付かされてしまう。

この男との戦い。この怪物との死闘。
本気の全力を振り絞らなければ。
――――死ぬのは、こっちの方だ。


(―――おい)


そう悟ってしまったからこそ。


(おれは今、何を考えた?)


ビッグ・マムは、唖然とする。


(本気を出さなきゃ、おれが死ぬ?)


確かに、そう思ったのだ。
このビッグ・マムが。
四皇と恐れられた、大海賊が。
幼き日から暴君の如く語られた、怪物が。


(“死ぬかもしれねえ”って―――おれが“覚悟させられた”のか?)


“死の覚悟”を、強いられたのだ。
まるで、己が格下であるかのように。

強者として、四皇として、君臨し続ける。
ひとつなぎの大秘宝を得て、海賊王になる。
マザーが夢見た“理想の国”を創り上げる。
それこそが、ビッグ・マムという海賊の自負にして願いであり。
しかし。その強靭な意志が、ほんの一瞬とはいえ。
確かに――――“臆した”のだ。


(おれは、“ビッグ・マム”だろうが―――)


瞬間。
彼女の脳裏に、記憶が蘇る。
聖杯戦争。奇跡の願望機を巡る闘争。
その過程で出会ってきた者達を、思い起こす。


769 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 09:00:15 jh2hCaKU0

魂を喰らう貪欲な牙を前にしても尚、決して己の矜持を明け渡さぬ“犯罪卿”がいた。
泥の中で無様に足掻きながら、それでも祈りの為に自らの命を賭けた“哀れな狛犬”がいた。
悪しき新星を頂点に据えるべく、蜘蛛の糸を張り巡らせた“犯罪王”がいた。
まるで霞のように佇み、超人的な剣技で同胞に肉薄してきた“鬼狩りの侍”がいた。

生意気極まりない輩。
一目置くに値する者。
ビッグ・マムの想定を越える者達は。
この世界に、確かに存在していた。
ああ――――間違いなく。

内に眠る力を解き放ち、圧倒的な実力を見せつけた“チェンソーの悪魔”がいた。
極限の死闘の中で、自らの悪の器を開花させた“若き魔王”がいた。

その中には。
ビッグ・マムさえも驚愕させた“敵”がいた。
ビッグ・マムさえも戦慄させた“超新星”がいた。
皇帝のように君臨する大海賊と相対し、奴らは殺意を剥き出しにして挑んできた。

そして、予選の最中には。
あのライダー、“幼き航海者”がいた。

マスター共々、取るに足らない存在だった。
力量で言えば、遥か格下の若造共だった。
―――しかし。
それでも、こう断言できる。
奴らは英霊ビッグ・マムを限界まで追い詰めた、唯一の敵だった。

数々の敵と遭遇してきた。
多くの英霊達と相対してきた。
貧弱な三下も、称賛に値すべき者も。

そのいずれも、ビッグ・マムにとっては。
“格の劣る敵”でしかなかった。
己こそが、高みに君臨する強者であり。
敵は、王座へと挑む挑戦者に過ぎない。
肩を並べる存在が居るとすれば―――それこそ“百獣のカイドウ”くらいのものだと。


しかし――――誤っていた。
そう、違う。違うのだ。


ビッグ・マムの予想が、何故上回られてきたのか。
四皇である己に、何故こうも喰らい付ける者達が居るのか。
その答えは、ひどく単純だった。


770 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 09:00:56 jh2hCaKU0

死柄木弔。
あの若造。あの悪しき首領。
あの男が宿していた、眼差し。
野心と活力によって漲り。
巨大な壁を前に、不敵に笑い。
自らの望みの為に、貪欲なまでに足掻き続ける。

死柄木弔は、物語っていた。
己が何者であるかを、その眼光で示していた。
かつて“超新星の若造”共が、同じものを持っていた。
そして、今。



「……ママ、ママママ――――」



ビッグ・マムは、それを悟る。
一つの答えへと辿り着き。
その大口から、笑みが溢れる。



「ハーハハハハハハハハハ!!!!」



そして――――海賊は、高らかに哄笑した。
そうだ、この地においては。
この聖杯戦争においては。
四皇として新世界に君臨した、己でさえも。
絶対的な存在などでは無かったのだ。

ビッグ・マムは、海賊だ。
この世で最も自由な悪党であり。
嵐の中で帆を張って、荒波へと乗り出す“夢追い人(ドリーマー)”だ。

そして。
あの生意気な小僧たちと同じように。
頂きへと臨む、猛々しいルーキー達と同じように。
次世代の悪である、死柄木弔と同じように。
限界へと挑み、立ち向かい続ける―――“挑戦者(チャレンジャー)”なのだ。



「――――礼を言うぜ、“王様”よ……!!」



故に、彼女は。
そんな一言を、思わず零す。
驚嘆と、感心。
そして己への戒めを込めて。
自らにその事実を突きつけてくれた敵に、敬意を払う。


「ほざけ。貴様に礼を言われる筋合いなど無い」


そんなマムの称賛を、ベルゼバブは鼻で笑う。
傲岸不遜。唯我独尊。
それらの言葉を絵に描いたような蠅の王は、他者を顧みたりなどしない。
礼節も敬意も、無価値。
全ては己の存在にのみ意味がある。


771 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 09:01:33 jh2hCaKU0

ベルゼバブの不遜な態度に、ビッグ・マムは最早ニヤリとした笑みで返すのみ。
そして、その鋭い眼光を向けたまま口を開く。


「てめえだな、“アイツ”と派手に新宿をブッ壊したサーヴァントってえのは」


薄々感じていた事柄を、突き付けた。
あの“カイドウ”と渡り合い、新宿を破壊し尽くし。
それでも尚決着は付かず、痛み分けで終わったというランサーのサーヴァント。
間違いない。眼前の猛者こそが張本人であると、マムは理解した。
彼女の言葉に、ベルゼバブは無言の肯定をする。


「お前のその傷―――」


そして、更に。
重度の火傷。胴体に刻まれた裂傷。失われた片翼。
ベルゼバブの肉体に刻まれた傷を見て。
マムは、切り込んでいく。


「“ガキども”にやられたんだろ?」


ビッグ・マムは、既に察していた。
あの脱出派の連中、蜘蛛が背後に潜む“283陣営”。
彼らが隠れているとされる世田谷区が、あのような焦土と化していて。
そして、その中心より“病み上がり”のサーヴァントが復活を遂げてきた。
またリンボの報告によれば、283のサーヴァント共は既に瀕死の状態だったと言う。

マムは直感していた。
覚えがあった―――己も経験したことが、脳裏を過ぎっていた。
豊島区のデトネラット強襲。
取るに足らない連中の殲滅作戦。
ただのゴミ処理に等しいと思っていた戦い。
それが、予想だにせぬ反撃によって覆された。
あの死柄木弔の眼差しが、ビッグ・マムへと対抗してみせたのだ。

ああ、きっとそうだ。
この男もまた、そんな目に遭ったのだと。
そして283には、それだけのタマが隠されていたのだと。


「こんな場末の戦場で鎬を削っちゃあ、お互い勿体ねえ……」


故にマムは、持ち掛ける。
偶然の邂逅。偶然の衝突。
全てが出払った後に、行き当たりで死闘を繰り広げる。
それでは余りにも勿体無い。
ましてや、そんな形で互いに削り合うなど。


「まずは各々ケリを付けようぜ―――“因縁”ってヤツに!
おれたちが決着を付けんのは、それからだ!」


だからこそ、ビッグ・マムはそう告げる。
己が高みへと登るための壁を、まず乗り越えなくてはならない。
ベルゼバブの眉間に、微かな皺が寄る。


772 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 09:01:58 jh2hCaKU0


「だが、ま……この聖杯戦争ってのは幾らでも盤面が変わっちまう。
もしこっから先、テメエと相応しい戦場で出会うことになったら―――」


マムは続けて、口を開く。
この聖杯戦争では、予想だにしないことが繰り返される。
因縁に決着が付けられないまま、再び相見えることもあるかもしれない。
だが、それもいい。構わない。
それに相応しい舞台が、用意されるというのならば。


「そんときゃあ、今度こそ殺し合おうぜ……!!」


それも――――悪くはない。
故にビッグ・マムは、不敵に嗤い。
眼前の敵へと、そう告げたのだ。

敵を前に“退く”など、ベルゼバブにとっては苛立たしいことだ。
あの痣の剣士と戦った際にも、不服な撤退を余儀なくされた。

だが―――図星だったのだろう。
所詮これは小手調べに過ぎず。
こんな場で互いに消耗し合うのは、確かに不本意なのだ。
何故ならば、彼は傷を癒やしたばかりであり。
真に恨むべき相手が、打倒すべき敵が、他にいるのだから。
ウォーミングアップはもう十分だ。
此処から先は、先の盤面へと目を向けねばならない。

そして、今のベルゼバブは。
再誕の高揚感によって、迸っていたのだ。
有り体に言えば、気分が良かった。
だからこそ、戯言を敢えて受け入れる気にもなれたのだろう。


「――――ああ。次に相見える時、貴様を殺す」


その一言と共に、ベルゼバブは姿を消す。
闇夜の風へと溶け込むように霊体化し、その場から去っていく。







聖杯戦争、二日目の未明。
世田谷と杉並にて勃発した、壮絶なる戦線。
数多の破壊があった。数多の死闘があった。

慈しい祈りを胸に、立ち向かう者。
孤独に罪を背負い、償い続ける者。
ただ只管に、力を求める者。
享楽に嗤い、混乱を巻き起こす者。

願いと意志が、交錯し続けた。
その果てに、散っていった者達がいた。
宿命も、因縁も、全てが絡み合い。
そして、崩落(カタストロフ)は終幕を迎えた。

じきに早朝が来る。
焦土と化した街に、女皇が佇む。
その眼差しには、魂が宿り。
その口元には、笑みが籠もる。
何かを得たような、充足を胸に。
彼女もまた、終焉を迎えた舞台を後にしていく。


773 : STRONG WORLD ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 09:04:54 jh2hCaKU0
【杉並区・住宅街(世田谷付近)/二日目・早朝】

【ライダー(シャーロット・リンリン)@ONE PIECE】
[状態]:高揚、疲労(小)、右手小指切断、両拳の裂傷と出血(小)
[装備]:ゼウス、プロメテウス@ONE PIECE
[道具]:なし
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:邪魔なマスターとサーヴァント共を片づけて、聖杯を獲る。
0:挑んでやるさ―――どこまでも!
1:ミラミラを使って帰還し、プロデューサーからの報告を聞く。
2:北条沙都子! ムカつくガキだねェ〜!
3:敵連合は必ず潰す。蜘蛛達との全面戦争。
4:ガキ共はビッグマムに挑んだ事を必ず後悔させる。
5:北条沙都子、プロデューサーは傘下として扱う。逃げようとすれば容赦はしない。
6:ナポレオンの代わりを探さないとだねェ…面倒臭ェな!
[備考]
※ナポレオン@ONE PIECEは破壊されました。


【ランサー(ベルゼバブ)@グランブルーファンタジ-】
[状態]:極めて不機嫌+再誕の高揚感、一糸まとわぬ姿、全身に極度の火傷痕、左翼欠損、胸部に重度の裂傷、霊核損傷(魔力で応急処置済)、胴体に袈裟の刀傷(再生には時間がかかります)
[装備]:ケイオスマター、バース・オブ・ニューキング(半壊)
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:最強になる
0:祝うがいい。王の再誕だ。
1:それはそうと283は絶対殺す
2:現代の文化に興味を示しています。今はプロテインとエナジードリンクが好きです。
3:狡知を弄する者は殺す。
4:青龍(カイドウ)は確実に殺す、次出会えば絶対に殺す。セイバー(継国縁壱)やライダー(ビッグ・マム)との決着も必ずつける。
5:鬼ヶ島内部で見た葉桜のキャリアを見て、何をしようとしているのか概ね予測出来ております
6:あのアーチャー(シュヴィ・ドーラ)……『月』の関係者か?
7:ポラリス……か。面白い
8:龍脈……利用してやろう
9:煌翼……いずれ我が掌中に収めてくれよう
【備考】
※大和のプライベート用タブレットを含めた複数の端末で情報収集を行っています。今は大和邸に置いてあります。
※大和から送られた、霊地の魔力全てを譲渡された為か、戦闘による魔力消費が帳消しになり、戦闘で失った以上の魔力をチャージしています。
※ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の中にある存在(ヘリオス)を明確に認識しました。

※星晶獣としての“不滅”の属性を込めた魔力によって、霊核の損傷をある程度修復しました。
現状では応急処置に過ぎないため、完全な治癒には一定の時間が掛かるようです。
※一糸まとわぬ裸体ですが、じきに魔力を再構築して衣服を着込むと思われます。
※失われた片翼がどの程度の時間で再生するか、またはそもそも再生するのか否かは後のリレーにお任せします。

※杉並区の住宅街の一部が戦闘の余波で破壊されました。


774 : ◆A3H952TnBk :2022/06/04(土) 09:05:39 jh2hCaKU0
投下終了です。


775 : ◆0pIloi6gg. :2022/06/05(日) 23:30:17 i6tjneGQ0
>タイムファクター
文句なしの力作であり傑作、キャラクターへの想いや優しい理解がこれでもかと描かれた大作でしたね……。
二人のモリアーティの片割れであり、善の蜘蛛として存在感を放ってきたウィリアムに訪れた落日。
ウィリアムの脱落という結果は初めに提示して、そこからどう活躍しどう死んでいくのかを掘り下げていく構成の妙に唸らされました。
自身のマスターである摩美々との会話があまりにも慈しくて、確かな絆を感じさせるもので思わず涙。
未だ受難の中にありながらもひとまずは小休止を迎えた283組の先行きに、確かな祝福があればいいな……とそう思わせてくれる一作でした。

>Give a Reason
吉良吉影という脅威を退けることこそ出来たものの、未だ窮地を脱したとは言い難い状況だった鳥子とアビー。
そんな二人が霧子たちと一緒になれたというのはとても大きいですね……これは後に必ずや響いてきそう。
そしておでんと霧子の会話がめちゃくちゃ好きですね、霧子の輝きとおでんの豪放磊落さがどちらもこれでもかと輝いていて。
そうして霧子が、マスターを守るために立ちはだかるアビーと対峙するシーンも勿論素晴らしい。
一触即発の空気から最後の「助けて」に繋がるのが、幽谷霧子という少女の輝きがどんなものかを如実に表していて理解度の高さを感じました。

>STRONG WORLD
あれだけボコボコのボロクソにされておいて既にしれっと復活しているバブさんに突っ込むのはもはや野暮か???
というのはさておき、ベルゼバブとビッグ・マムという戦力でのトップ層同士のぶつかり合いが見事でした。
文字通り地に落ちて尚強さを増すベルゼバブに死を覚悟すらさせられたマム。
しかしそんな彼女が、ふんぞり返った支配者から一人の"挑む者"に変わるというのが実に最高、四皇ってこういう奴らなんだよな〜〜と。
バブさんどころかマムまで実質のバフを受ける結果になったこのお話、熱いんだけどこいつらどっちも既に死ぬ程強いんだよなあ……。


申し訳ありません、再予約までしておきながらちょっと書き上がりそうにないので予約の方を破棄させていただきます。
流石に拘束しすぎなので、インターバルが空けましたら今度は完成次第、予約が空いていたらゲリラ投下という形を取ります


776 : ◆MSWNXc4zEA :2022/06/11(土) 21:13:36 oEuQtHoo0
拙作で指摘箇所の修正をさせていただきました


777 : ◆A3H952TnBk :2022/06/24(金) 22:31:15 u39Iodq60
ガムテ
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
予約します。


778 : ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:12:48 PCc8j8NE0
投下します。


779 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:13:50 PCc8j8NE0
◆◇◆◇




『もし、この手紙を私の戦いが何を意味するか分かっている人が読んでいるなら。』

『どうか、貴方が生きてこの東京を去れますように。』




◆◇◆◇


780 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:14:19 PCc8j8NE0
◆◇◆◇



―――足を、止めた。


何かに、後ろ髪を引かれるように。
腕を掴まれて、制止されるかのように。

“彼ら”が帰ってきた。
283の脱出派陣営を崩すべく、ホーミーズと共に強襲へと向かった“尖兵”。
大切な者たちを守りたいという想いを利用され、皮肉な戦いへとと駆り出された“狛犬”。
“プロデューサー”とその従者、ランサー。
杉並へと赴いたライダー、ビッグ・マムからの念話によって帰還を把握した。
鏡世界内で控えている彼らの報告を聞くために、通路を歩いている最中だった。

ふいに、ガムテは振り返った。
過去に何か、未練があるかのように。
まだケリを付けていない“何か”に、手招きされるように。

その正体は、分からない。
だが、一つだけ確かなことはある。
――――勘だ。
ガムテの勘が、疼いている。

此処から先、何かがあるぞ、と。
足を止めるなら今だぞ、と。
そんなふうに、誰かが囁いている。
根拠なき実感が、ガムテの足を止めている。

沈黙したまま、足元を見下ろした。
一歩前へと踏み出せない、黒い靴に覆われた足。
そんな自分に微かな動揺を抱くように、右手の指先が動く。

何を、恐れている。
ガムテは、己自身に問いかける。
その答えは、出てこない。
それでも、彼は。
再び、その一歩を踏み出す。

分かることは、ただひとつ。
殺戮の王子、ガムテには。
こんなところで足踏みしている暇など無いということだ。



◆◇◆◇


781 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:15:06 PCc8j8NE0
◆◇◆◇



鏡世界内のとある一室。
鏡写しの椅子に腰掛ける男が、一人。

任務を果たして帰還した直後。
まるで、尋問を待つかのように。
彼は沈黙し、表情を動かさない。
複雑な思慮に耽る、その様子は。
戦いを乗り越え、見事に敵を討ち果たした“尖兵”の姿には程遠い。

プロデューサーは、追憶する。
ほんの少し前に、この目に焼き付けた“言葉”を。

犯罪卿が最期に託した“遺言”。
彼は全ての責任を背負い、悪魔としての己の仮面さえもかなぐり捨て。
罪を背負う“狛犬”の未来と、無垢なる“少女達”の未来を繋ぎ止めるべく、慈しい祈りを懇願した。

白瀬咲耶が最期に遺した“手紙”。
彼女は大切な人々への謝罪と、伝えきれぬほどの感謝を告げ。
罪を背負い続ける“誰か”への赦しを、そして暖かな幸福を、切に願っていた。


ああ――――確かに、光を見出した。
そして、その眩い光が突き刺さるように。
男の心は、酷く、酷く、灼かれていた。


皆を守ってくれて、ありがとう。
あの激戦へと赴く直前、プロデューサーは届かぬ感謝を抱いた。
彼女達の元から離れた自分に代わって、彼は283の守護者として其処に立った。
ヒーローという呼び名は、彼のような人間にこそ相応しいと信じた。
例え悪名を背負うことになっても、少女達のために正しさを貫くことが出来る―――プロデューサーは、自分が果たせなかった“善”を見出した。
そんな彼を討つことが、戦いの終止符に繋がると信じた。


けれど。
彼は、“ヒーロー”ではなかった。
苦悩を背負い、葛藤を抱き。
その身を擦り減らしながら、歩み続ける。
自分と何も変わらない、“人間”だった。
そして、彼をこの手で仕留めた。


全てを悟るには、何もかも遅かった。
胸の内に遺されたのは、途方も無い虚脱。悲嘆。後悔。
そして、彼から託された最後の祈り/遺言。

“心から謝罪する”。
“事務所に混乱を招いた責任は、全て自分にある”。
“その上で――――私のマスターを見つけてくれて、ありがとう”。
“かつて罪を犯した自分も、暖かな光に当てられた”。
“だからこそ、あなたもそれを望んでいい”。
“そして、彼女達の言葉に耳を傾けてほしい”。
“私とアーチャーがここで脱落することについても、責任を感じなくていい”。

なあ、“犯罪卿”。
きっと貴方は、彼らに追い込まれてたのだろう。
これだけの誠意を見せるほどに、彼女達を大切に想っていたのだろう。
だからこそ、グラス・チルドレンは“アイドルの虐殺”という手段に及んだ。
そうすれば、貴方を追い詰められることを理解していたから。
そして――――彼女達の“身内(プロデューサー)”である自分が、貴方へと殺意を向けた。


782 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:15:40 PCc8j8NE0

犯罪卿さえ落とせば、283の皆は守られる。
犯罪卿さえ居なくなれば、全ては終わる。
犯罪卿さえ消せば――――そんな想いを利用され、俺自身も決意して、貴方を追い詰める尖兵となった。

貴方がいなくなることについて。
責任を感じなくて良いと、貴方自身は言ってくれた。
だけど、それでも。
貴方を最後に追い詰めたのは、紛れもなく自分なのだ。
俺は、あの瞬間になるまで―――貴方を知ることが出来なかった。

犯罪卿は、意志を示した。
彼の無垢な想いは、確かに受け止めた。
それでも、今はまだ。
救済の道を歩むには、まだ早い。
彼女達の手を取るには、未だ壁がある。

幾ら謝罪をしたところで、きっと足りないだろう。
取り返しのつかない痛みを、背負いながらも。
懺悔のような思いが、胸の奥に突き刺さりながらも。
そして―――暗闇の道に指す“微かな光”に、大きな動揺と仄かな希望を感じながらも。
かつてプロデューサーだった男は、今はただその場に佇む他なかった。


「やっほォ〜〜〜〜☆」


あどけなさを残した顔に、偽りを貼り付け。
気さくな振舞いの裏で、強かな刃を潜ませ。
戯けた笑顔と共に、ひょっこりと挨拶する。


「283強襲ツアー、お疲れちゃァ〜〜〜〜ん!」


グラス・チルドレンの首領。
割れた子供達の救世主。
殺戮の王子―――ガムテ。
まるで道化のように振る舞いながら、プロデューサーを出迎える。

哀れな狛犬は、見つめる。
眼の前に立つ幼狂の姿を。
その狂気と殺意を。
そして、記憶を蘇らせる。
白瀬咲耶について、彼が語ったとき。
不意に見せた、あの微かな感情を。

あのとき子供達に見出した“人間性”。
仲間を支えて、助け合い。
仲間のために怒り、仲間のために戦うことのできる。
彼らは、残忍な殺戮者であり。
そして、血の通った子供だった。

そんな感情を抱いたのは、ガムテに対しても同じだった。
傷ついた仲間のために、戦い抜いて。
仲間を導くという、矜持を抱いて。
そうして彼は、子供達の救世主として君臨している。

白瀬咲耶の遺書が、脳裏に焼きつく。
犯罪卿の遺言が、幾度となく反復する。
――――多くの子供達に慕われるガムテの姿が、浮かび上がる。

心の中で、“誰か”に謝罪する。
その相手は、プロデューサー自身にしか分からない。
衝動のような感情。合理性には程遠い。
されど、それでも。
問わねばならないことがあった。



◆◇◆◇


783 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:16:08 PCc8j8NE0
◆◇◆◇




『過酷な戦いの中で、貴方が何か過ちを犯してしまったとしても。』

『私は貴方を許します。』




◆◇◆◇


784 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:16:52 PCc8j8NE0
◆◇◆◇


プロデューサーは、ガムテに“報告”をする。

世田谷での大破壊。杉並での激戦。
アルターエゴ・リンボが加勢に入ったこと。
櫻木真乃の従えるアーチャーを討ち取ったこと。
リンボとの因縁を持つらしき女剣士のセイバーが283に合流したこと。
そして、最後に“犯罪卿”を徹底的に嬲って脱落させたこと―――。

犯罪卿からの遺言については隠し通しつつ、此度の強襲の顛末を伝える。
その最中に、彼は今後の方針についての思考を重ねていた。

聖杯戦争に抗う陣営、すなわち283プロダクションの面々。
彼女達との“対話”は、視野に入れる。
命を懸けた犯罪卿の誠意は、受け止める。
だが―――差し伸べられた手を握ることは、まだ出来ない。
プロデューサーはそう考える。

グラス・チルドレンの軍門に下っている現状、独断での下手な行動は取れない。
例え対話を受け入れて、彼女らと再び会うことを望んだとしても。
そこで“海賊のライダー”達から自身の叛意が疑われれば、彼女達が再び“見せしめ”の如く徹底的な攻撃を受ける可能性が高い。
自身に対する処遇も、良くて監禁の更なる強化―――最悪の場合は裏切り者として始末されることが考えられる。
少なくとも、自分達の力ではライダー達に直接対抗することは出来ない。

そしてアルターエゴ・リンボが“海賊同盟”という名を謳ったように、グラス・チルドレンの勢力図は自身が把握している以上に拡大している恐れがある。
人質や手駒としての立場に置かれたプロデューサー達は、意図的に情報を遮断されている。
同盟において上位の存在であるガムテ達を経由しなければ、盤面の把握さえも難しい。
下手な叛意を防ぎ、尚かつ283陣営に対する人質としての役目を果たさせるためにも、これらの措置は当然のことなのだろう。
それ故に、現状のプロデューサー達は“立ち回りを精査する為の情報”が圧倒的に不足していた。

そして、これらは彼女達の生存にも繋がることだ。
283の面々と安全を確保した上で“会う”為にも、現在の戦局把握と陣営の全容解明―――切り崩しは必要となる。
いずれは海賊同盟を裏切ることになり、そして最終的には自身の優勝も視野に入れる以上、彼らの勢力は遅かれ早かれ削らなくてはならない。


――――場合によっては。
――――あの“黄金時代”に接触することも、考えている。


何故ならば、彼女はグラス・チルドレンの同盟者であっても、ガムテの信奉者ではないことは読み取れるから。
彼女達はグラス・チルドレンを利用しているのだろう。
しかし、大勢力を築きつつあるガムテ達をいつまでも野放しにするリスクは高いはずだ。
故に、あの神戸あさひと同じように“繋がり”を持つことに意味はある。
“黄金時代”は更に、ガムテと近い立ち位置にいる―――情報面においても、今後グラス・チルドレンを削る算段を立てる上でも、彼女と接触することは視野に入れる。
無論、相応のリスクはある。彼女を通じて自身の叛意がガムテに伝えられる可能性も高い。
だから今はまだ、同盟者としての彼女との接触のみを考える。


785 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:17:19 PCc8j8NE0

更に、もう一つ。
彼女達との対話を阻む要因があった。
それは仮にここで聖杯を諦めた場合、“全マスターを生還させるための確実な術”が失われるということだ。


―――にちかは幸せになれて、他のマスターも死なずに済む。それで殺し合いは終わる。


仮に自分達が聖杯へと辿り着いた場合。
プロデューサーは、にちかの幸せだけを願うつもりではない。
283プロダクションの面々のみならず、この界聖杯に残存するマスター全員が生き延びられる道を望んでいた。
それはあくまで、ランサーの意思に委ねた上での頼みではあったが。
プロデューサーという男が考え抜いて、切に願った想いであることに間違いはなかった。

ガムテとそのライダーによる“報復の可能性”への対策。
未だ全容の分からない“海賊同盟の規模”の解明、勢力の切り崩し。
283陣営の周辺を含めた“現状の盤面”の把握。
そして、この界聖杯に招かれたマスター達が生きて帰れる可能性の保証。
これらに対する落とし所を見出だす時まで、彼女達の手を取ることは出来ない。

だからこそ。
彼は胸の内で、少女達への謝罪を繰り返す。
そして、犯罪卿に対しても。
自身が戻るための道筋を作ってくれた、彼に対しても告げる。
申し訳ない――――と。

葛藤と罪悪感を背負いながらも。
プロデューサーは、改めて決意する。
今の自分がやるべきことを、見極める。

いつか必ず。
再び、彼女達と会い。
その時に――――答えを見出す。
自らが最終的に、いかなる道を進むのかを。


そして。
今は、彼とも対峙せねばならない。
眼前に立つ、幼き殺し屋。
殺戮の王子、ガムテと。






786 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:18:06 PCc8j8NE0




プロデューサーは、仕事を果たした。
犯罪卿を追い詰めて、討ち果たしたのだ。
その報告に、ガムテはほくそ笑む。
よくやった、Pたん。そう呟きながら。

――――少なくとも、嘘は付いていない。
ガムテの直感が告げている。
そして、マムから念話で又聞きしたリンボの証言とも状況は噛み合っている。
彼らには遅かれ早かれ裏切る意思があることは、容易に読み取れるとはいえ。
今回の戦いでは、それを焚べることで彼らを“尖兵”へと仕立て上げた。

本来ならばここから先、犯罪卿が生き延びて“本気(マジ)の反撃”に転じてくることも視野に入れていたが。
結果としてはプロデューサーが一手先を行った。

追い詰めて、絶望させて、そして更なる悪辣さを引き出させる。
そうして全力の謀略で襲い来る犯罪卿を、此方も全力を以て叩き潰す。
それがガムテの思惑であったが、プロデューサーの奮戦によって遂に自分が直接赴くこともなく犯罪卿は陥落した。
だが、それで構わない。所詮はそれまでの敵だったということ。
厄介な蜘蛛は叩き潰せたし、どのみち徹底的に追い詰めて脱落させたことに変わりはないのだ。

多少のズレはあったとはいえ。
ガムテの思惑は“完遂”された。
283を必死に守り続けていた犯罪卿に『283を追い詰めているのは“犯罪卿”自身だ』という意識を植え付ける。
犯罪卿の努力は所詮皮肉な結果を齎した“失態”でしかないと、悪意を以て突き付ける。
それは紛れもなく『犯罪卿は絶望させて殺す』という目的に沿った謀略だった。

犯罪卿が結果的に283を危険な目に遭わせたというのは、少なくとも事実ではない。
ここまでプロダクションの尻尾を掴ませずに立ち回っていた中で白瀬咲耶が命を落とし、剰え『既に周知の存在と化していた敵主従が拠点へと直接乗り込んでくる』という異常事態が発生したのだ。
それに対して先手を打ち、グラス・チルドレンを直接的に牽制したのは、自陣営のマスター達を標的から逸らす為にも必要な立ち回りだった。

犯罪卿は策によって自滅したのではない―――彼の戦略面での隙を突いたガムテ側の的確な機転、そしてミラミラの実という諜報戦の盤面を覆す能力によって追い詰められたのだ。

そしてガムテは、敢えて“そこ”を利用した。
“犯罪卿が自ら墓穴を掘った”という認識を、犯罪卿やその周囲の面々に植え付けるために策を張り巡らせた。
あれだけの立ち回りをして、黒幕の汚名を被ってでも事務所を守ろうとした犯罪卿を、精神的に追い詰めるために。
彼の暗躍がいかに皮肉で無意味なものだったかを知らしめる為に、NPCアイドルの殲滅やプロデューサーの篭絡を実行したのだ。
そうして犯罪卿のみならず、283陣営そのものにも揺さぶりを掛ける。
アイドル達やそのサーヴァントに不和を齎し、陣営としての連携を崩すことは、戦術上の優位にも繋がる。


――どんなに大きな蜘蛛だって、地獄の中では生きていけないでしょう?


黄金時代(ノスタルジア)もまた、結果的とはいえその思惑に沿った行動を取ってくれた。
奴はグラス・チルドレンへと参入した時点で、厄介な犯罪卿の殺し方を正しく理解し。
そして中野警察署に滞在していた関係者達を徹底的に惨殺し――向こうにも思惑があったのは明らかとはいえ――、アプリを通じて「こうなったのはお前達のせいだ」というメッセージを突き付けたのだ。
そうして全ては噛み合い、犯罪卿の脱落という結果を齎した。


787 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:19:00 PCc8j8NE0

283プロには加勢が入ったとはいえ、集団としては間違いなく削れた。
犯罪卿を落とした以上、もう一人の蜘蛛との連携も崩されている。
確実に脅威としては落ちた、はずだったが。
彼らが隠れ潜んでいた世田谷での正体不明の大破壊。
そしてマム曰く、その世田谷の破壊跡より峰津院のサーヴァントが手負いの姿で現れた事実。

蜘蛛同盟を大きく削った現状、やるべきことは海賊同盟の方針確認―――あのマムの古馴染みである“鬼ヶ島のライダー”を従えるマスターとの打ち合わせだ。
今後峰津院という283を凌駕する敵を討つ為に、そして霊地という圧倒的なアドバンテージを抑えるためにも、彼らとの連携は確実に必要となる。
既に“鬼ヶ島のライダー”はリンボを使って行動を始めているらしい。こちらも早急に対応する必要がある。

その上で、疑問があった。
――――峰津院のサーヴァントを撃退したのは、誰だ。
犯罪卿が小細工で太刀打ちできる相手ではないことは、新宿のあの被害から見ても明白だ。
されどランサーやリンボが強襲を仕掛けた際に、あの峰津院のサーヴァントを討ち倒せるほどの実力者は確認できなかったという。

自分達が認識していなかった実力者が283の陣営にいて、世田谷での死闘で力尽きたのか。
今もなお健在で、その力を隠しているだけなのか―――または使えない状況に陥っているのか。
あるいは、全く感知していない陣営の存在なのか。
その警戒を怠ってはならないとガムテは考える。


「まッ、何はともあれ……Pたんはお疲れさま☆」


そんな思考をおくびにも出さず、ガムテは戯けた笑顔で言う。
報告を終えたプロデューサーは、沈黙を続けていた。


「な〜〜〜〜に辛気臭ェ顔してんだよ?
Pたん、もっと嬉しそうに笑顔(ニッコリ)してもいいんだぞッ!
せっかく偶像(ドル)達巻き込んだ犯罪卿(バンダイっ子)落としたんだからさァ〜〜」


ガムテは相変わらず、道化のように振る舞いながら。
黙り込むプロデューサーに対して騒ぎ立てる。
跳ね回るような動きの傍らで、ガムテは相手をじっと見つめていた。
その表情を。その素振りを。淡々と、観察する。

今プロデューサーは、何かの思いに至っている。
こちらに対して、何かを告げようとしている。
後ろめたさや、迷いのような感情に、後ろ髪を引かれながら。
それでも彼は、己の複雑な想いを纏めている。
そんな様子が、ガムテからも伺えた。


「……なあ、ガムテ君」


やがて、意を決したように。
プロデューサーが、口を開く。


「一つ、聞いてもいいかな」


――――ふいに訪れる。
――――奇妙なざわめき。


.


788 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:19:28 PCc8j8NE0
ああ、さっきもそうだ。
さっきから、妙だ。
ガムテは思う。
勘が、ざわついている。
何なんだろうな、この感じ。
ガムテは、ふと気付く。


「急にどうしちゃったんだよッ?畏まっちゃってさぁ――――」


戯けた言動を取りながら、ガムテは思う。
匂いがするのだ、と。
眼前のプロデューサーから。
彼が何かを、運んでくるのだと。
確証など、何一つ無いというのに。
それでも、ガムテの心は。
ざわめきを、続けていた。

そして。
そんな直感を裏付けるかのように。
プロデューサーは、ゆっくりと。
その口を開いた。


「君は、どうして―――」


プロデューサーがグラス・チルドレンに下った、あの一日目の夜。
ランサーと戦った怪僧―――アルターエゴから、事の経緯を聞かされた。
犯罪卿と、割れた子供達。
彼らが争うことになった切掛やあの時点での盤面について、情報を得た。


――――ああ、やっぱり。
――――オレの直感は正しいんだよ。
ガムテは心の奥底で、何かを自嘲する。


犯罪卿の最期の祈り。
ガムテが咲耶について語った言葉。
そして、あの“白瀬咲耶の遺書”。
男の脳裏で、それらが噛み合って。
一つの疑問として、ぶつけられる。



「咲耶がいた、“あの事務所”に行こうと思ったんだ?」




◆◇◆◇


789 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:19:53 PCc8j8NE0
◆◇◆◇




『世界が貴方を許さなくても、私は貴方を許します。』

『だからどうか嘆かないでください。』

『傷つけないでください。貴方の心を。』

『謝らないで下さい。昨日までの全てを。』




◆◇◆◇


790 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:20:24 PCc8j8NE0
◆◇◆◇



ガムテは、沈黙する。
何も言わず。表情を動かさず。
―――胸中の胸騒ぎを、押し隠し。
暫し、何かを思うように顎に手を当てて。
それから、ゆっくりと口を開いた。


「―――別に」


何故、咲耶がいた事務所に赴いたのか。
その疑問に、きっぱりと告げるように。
何てこともないと伝えるように。
幼狂の王子、ガムテは言葉を紡ぐ。


「単なる勘だったし、酔狂(きまぐれ)ってヤツだよ。
アイドルってお仲間殺した手でも“握手”とかしてくれんのかな〜〜〜って」


そう、ただの気まぐれだ。
彼は飄々とした態度で語る。
別に深い意味など無い。
白瀬咲耶を殺した“ついで”に過ぎない。


「まッ、そんだけ」


ただ気になっただけ。
試してみたかっただけ。
それだけのことだ。


「で、拒否られたらテキトーに嫌がらせでもして帰るつもりだった」


その言葉に、嘘偽りはない。
結局のところ、余興のようなものだった。


「殺す気はなかったよ。ただの挨拶(ヒマツブシ)のつもりだったし」


血に塗れた手あっても、彼女達は笑顔で握ってくれるのか。
それとも、恐怖に震えて激しく拒絶してくるのか。


「――――犯罪卿(バンダイっ子)がしゃしゃり出たから、ぜ〜〜〜んぶ台無しになったケド☆」


あの犯罪卿に妨げられて。
結局、答えは分からなかったが。
全ては過ぎたことだ。
そう、終わったことだ。


「……そうか」


そして。
ガムテの意図を聞いたプロデューサーは。
神妙な面持ちのまま、静まって。
ほんの僅かな間を置いた後。


「やっぱり、君は――――」


ガムテを、再び見据えて。


「アイドルを憎んでた訳じゃなかったんだな」


ただ一言、そう呟いた。
安堵―――というよりは、淡々と事実を確認するように。


791 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:21:10 PCc8j8NE0
その言葉に対しても、ガムテは戯けた顔を崩さず。


「幸福(シアワセ)な奴らは大嫌い。当たり前だろ?」
「けれど、本当なら彼女達を殺す気もなかった」
「クソッタレの犯罪卿(バンダイっ子)が妙な抵抗さえしなけりゃなァ」


淡々と、互いに言葉を交わし合い。
ガムテは、不敵な道化の顔とは裏腹に。
忌々しげに、蔑むように、犯罪卿へと毒づく。


「黄金時代(ノスタルジア)も言ってたぜ。
半端(ヌル)い情に動かされて、事務所を守るなんて余計なことしたから―――」
「……なあ、ガムテ君」


こうなったのは結局犯罪卿のせいだ。
そう吐き捨てるようなガムテの言葉を、訝しむように。
疑問を投げかけるように、プロデューサーは呼び掛ける。


「君は、俺よりもずっと賢い子だ。
あの子達から慕われているし、間違いなく皆を纏め上げている。
……まだ子供なのに、本当に凄いと思う」


それは、確かな称賛だった
彼が犯してきた所業を肯定する訳でもなければ、彼が掲げる理屈を受け入れる訳でもなく。
ただ“他の子供達を纏め上げ、彼らの救いとなっている”―――その確かな事実を、プロデューサーは認める。

誰かを救う。誰かを受け止める。
それがいかに尊く、それがいかに困難なことなのか。
プロデューサーは、そのことを知っている。
故に、ガムテという年端も行かぬ少年がそれを成し得ていることは、称賛に値することだった。
自分はかつて、それを果たすことを捨ててしまった―――男の心中では、そんな後悔が伸し掛かる。


「だからこそ……君は、分かってるんじゃないか」


そんな思いを、ずっと背負い続けていたからこそ。
そして、目の前の少年は決して愚者ではないことを、悟っていたからこそ。
プロデューサーは、その問いを投げかける。



「“過ちを犯しているのは自分達だ”――と」



過ちを犯しているのは、俺自身もそうだと。
プロデューサーは、心の奥底で呟き。
そんな奇妙な共感ゆえに、彼は割れた少年の心へと踏み込む。


「―――――は?」


ガムテは、唖然としたように。
呆気に取られたように。
見開いた眼差しで、プロデューサーを視た。
まるで諭すかのような指摘を突きつけられ。
取り繕うことさえ忘れて、言葉を失う。


792 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:21:49 PCc8j8NE0

悪意を向けられることには、慣れている。
恐ろしいのは、“まだやり直せる”と手を差し伸べられること。
しかし、目の前の男は―――そのどちらでもない。
お前は、救えない人殺し。
お前は、救えわれるべき子供。
そんな二択の言葉じゃない。

間違いを犯してきたのは、ガムテであり。
そして、それをガムテ自身が解っている筈だと。
彼は、そう告げたのだ。

何が言いたい。
何を宣っている。
ガムテは、無意識のうちに拳を握り締める。

自分(オレ)達が、間違っている?
自分(オレ)達が、過ちを犯している?
知らない。そんなはずがない。
真っ当に生まれ育った連中に、何が分かる。
偶々幸福な人生を送れただけの偽善者(シアワセモノ)が、何をほざいている。

お前は、知らないだろう。
自分(オレ)達が、どんな境遇(セカイ)で生きてきたのかを。
甘ったれた日向の連中には、想像もつかないだろう。
自分(オレ)達が、どれだけ苦しんできたのかを!

ガムテは、“子供達”は、生者を憎んだ。
心を殺されることなく、平穏に育った連中。
そんな奴らが、妬ましくて仕方なかった。
だから、知ったような口を効かれて。
憤りを覚えない筈がなかった。


それでも。
思考に、ノイズが割り込む。


どうして、白瀬咲耶がいた事務所へ行こうと思ったのか。
眼の前の男が問いかけた、最初の疑問へと回帰する。
そして――――ガムテの胸中に、幾つもの問いが浮かび上がる。

何故、彼女達の優しさを試すような真似をしたのか。
何故、血の匂いに塗れた自分達が“受け入れられるか否か”の壇上に立とうとしたのか。
そもそもの発端は、ガムテが咲耶と同じアイドル達に何かを求めたことではないのか。
プロであるという自負があるのならば、“何の深い意図もなく事務所へと乗り込んだこと”自体が可笑しかったのではないか。


「彼女達は……ランサーを通じて、俺を説得しようとしていた」


呆然とするガムテと向き合い。
プロデューサーは、再び口を開く。


「その際に、咲耶が手紙に認めた“遺言”のことを聞かされたんだ」


“犯罪卿から手紙の内容を伝えられた”とは、流石に告げられない。
彼との実質的な内通があったこと、そして彼が託した“最後の願い”を、悟られる訳にはいかなかったから。
それでもなお、プロデューサーは。
“白瀬咲耶の遺言”の断片を、敢えてガムテに伝えることを選ぶ。


793 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:22:32 PCc8j8NE0


「『例え過ちを犯しても、世界が貴方を許さなくても、私はあなたを許します』―――」


“だからどうか、嘆かないでください”。
“貴方の心を、傷つけないでください”。
“昨日までの全てを、謝らないでください”。
“そして、貴方が無事に元の居場所に戻った後――――”。
淡々と、しっかりと噛み締めるように。
プロデューサーの口から簡潔に伝えられる遺言。

ガムテは、何も言わなかった。
少年の心に、脳裏に。
あの時の“白瀬咲耶”の記憶が、蘇った。
消えゆく命を振り絞り、“幼き殺人者”へと訴えかけていた。
こうなってしまった子供達の境遇を本気で悲しんで。
そして、子供達をそこまで追い詰めた理不尽な過去に本気で憤って。
それ故に、彼女は手を差し伸べてきた。
――――まだやり直せる。運命を嘆かないでほしい、と。


「……咲耶は、本当に優しかった。優しすぎたんだ。
だからこうして、この世界でも誰かを赦そうとしていた」


結果として、彼女は命を落とした。
幼き殺人者の心に、ひとつの楔を打ち込んで。

白瀬咲耶は、慈しい少女だった。
慈しすぎたから、手を差し伸べてしまった。
そしてグラス・チルドレンは、哀れな犠牲者であり―――残忍な加害者だった。
凄惨な生い立ちが真実であるように、殺戮を重ねてきた罪もまた真実である。
それだけが、確かなことだった。
だから、結末はそうなった。


「君は以前、“彼女は強かった”と言ってくれた。
だからこそ“最大の礼儀を以て殺した”とも」


そして、プロデューサーは一つの疑問に行き着いた。
ガムテは、白瀬咲耶を決して蔑まなかった。
剰え、殺し屋としての礼儀を以て葬った。
彼女に手を掛けた張本人であることを明かしたあの時、確かにそう告げていたのだ。


「君はどうして、態々あんなことを伝えたんだろう―――そう思ったんだ。
……咲耶の遺言を知って、君が事務所へと赴いた真意を聞いて、俺は気付いたんだ」


ずっと引っ掛かっていた。
ずっと気になっていた。
眼の前の少年、ガムテは。
どのように白瀬咲耶と対峙し、どのような結末を迎えていたのか。

そして、今。
咲耶が最後まで“誰かを赦そうとした”ことを知り。
ガムテが事務所へと赴いたことが、戦略や戦術とは何ら関わらないことを知り。
プロデューサーは、一つの結論へと至る。


「君は……咲耶にされたのと、同じように……」


それが、矛盾だと分かっていても。
独り善がりの押し付けだと理解していても。


「手を差し伸べてほしかったんじゃないか」


自分の過ちを、無意識に分かっているからこそ。
その罪を、誰かに見つめてほしかったのではないか。
そして、赦しを与えてほしかったのではないか。
プロデューサーは、そう投げ掛けた。


794 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:23:16 PCc8j8NE0

そんな言葉を前に、ガムテは。
表情を歪めて―――プロデューサーを睨んだ。
分かりきったように語る“大人”に、苛立つように。
そして、思わぬ指摘に酷く動揺するかのように。


「―――白瀬咲耶をブッ殺した張本人(クロ)が、そいつの身内に救けられたかった?
おいおい、矛盾してんじゃねえかよッ―――」
「それでも、心当たりがあったんだ。
……俺は、そんな娘を知っていた」


“彼女”は、子供達とは決定的に違う。
彼らのように殺戮へと手を染めた訳ではなく。
ましてや、惨劇のような生い立ちを背負っている訳でもない。
その上で、プロデューサーは敢えて想起する。


「自分を肯定できなくて、想いを受け止められなくて……誰かを傷付けずにはいられない」


自分を否定し、他者の想いも否定し。
そうして矛盾に絡め取られ、自分の弱さを身勝手な攻撃に向けてしまう。
そんな一人の少女の姿を、プロデューサーは思い起こす。


「本当はそんなこと、したくない筈なのに。
後ろめたさを抱え続けて、いつも苦しんでいる」


苦しい。痛い。怖い。辛い。
心の奥底では、そんな気持ちを叫んでいるのに。
何が一番悪いのかさえも、ちゃんと分かっているはずなのに。
それでも“彼女”は、自分を偽り―――“幸せになること”から逃げていく。


「俺はかつて、そんな娘を取り零してしまったんだ」


ああ、そうだ。
それが、始まりだった。
そんな彼女を支えられなかったことが。
そんな彼女の手を掴めなかったことが。
結局のところ、全てだったのだと。
プロデューサーは、懺悔するように思う。

幼狂の王子は―――沈黙した。
何も言わず。何も答えず。
ただ眼前のプロデューサーを、見据えていた。
その眼差しに、どんな感情が宿っていたのか。
静まり返った面持ちで、いかなる想いを抱いていたのか。
それを理解することは、プロデューサーには適わず。

しかし、確かなこともある。
狂気の仮面を被っていた“少年”の瞳孔は。
驚愕と動揺を押し殺すように。
ほんの微かに、震えていた。


795 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:25:33 PCc8j8NE0


「お前は、オレ達と“握手”できるのか?」
「……いいや」


そして、ようやく開かれたガムテの口から。
訝しむような問いかけが、ふいに飛び出してくる。


「俺は、君達を許すことは出来ない」


そう。“彼女”を想起したのは事実で。
そのうえで、彼らは決定的に違う。


「手を差し伸べることも、出来ない」


アイドル達を残忍な手段で殺した。
例えそれが、虚構の写身だったとしても。
彼らという子供達が、悲惨な過去を背負っていたとしても。
それでも、彼女達の命を愚弄したことに変わりはない。


「俺は、神様なんかじゃないから……咲耶だって、違うよ」


皆を裏切って、引き返せない道へと進んだ、自分(プロデューサー)のように―――彼らは罪を背負っている。
そして、“それでも”と言える咲耶と違って、自分は子供達に踏み込むことはできない。
その上で―――咲耶もまた、彼らにとっての都合のいい器ではない。


「だったら、お前の戯言なんかッ―――」
「――――それでも」


そうして彼は、線を引いた。
その上で、プロデューサーは告げる。


「君達を……“哀しい”とは思う」


彼の眼差しは。
少年の揺らぐ瞳を、真っ直ぐに捉えた。


「だから、敢えて言わせてほしい」


烏滸がましいかもしれない。
この言葉が通じたとすれば、先程まで考え抜いた方針も意味を失う。
きっと、今後立ち回る上での前提すら変わってしまう。
それでも彼の心は、少年と対峙することを選んだ。
これで止まってくれるなら―――それがいい、と。



「これ以上君に、誰かを殺してほしくない」



◆◇◆◇


796 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:25:54 PCc8j8NE0
◆◇◆◇




『貴方が無事に元の居場所に戻った後、』

『幸せを掴めますように。』

『それだけが、私の願いです。』




◆◇◆◇


797 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:26:30 PCc8j8NE0
◆◇◆◇



若くして心を殺された。
右も左も分からない、幼き日に。
オレ達は、何の救いもないまま。
ただただ蹂躙され、真っ当な人生を奪われた。

だからオレ達は、“復讐”をしている。
幸福に生きられた連中を妬んで、憎んで、蔑んで。
そんな連中を殺し続けて、割れてしまった心を繋ぎ止めてる。
そうせずには居られないから、血に塗れた地獄の道を突き進んでいる。

オレ達は、殺さなきゃ生きられない。
心を割られた子供達は、そうしなきゃ生きられない。
誰かに殺された心は、誰かを殺さなきゃ形を保てない。

そうだ。殺すしかない。
殺して、殺して、殺し続けるしかない。
“割れた子供達”は、そうなってしまった生き物なのだから。
不幸に蹂躙された幼き心は、かつて味わった絶望を超える暴虐と化すことでしか生きられない。
そうなるしかなかった。
そうなる以外に道がなかった。
それ以外の生き方を、奪われてしまった。



――――――違う。
そんな訳が、あるか。
不幸な子供達は、化物なんかじゃない。



だって。だって、他の生き方を奪ったのは。
“子供達”を殺し屋へと仕立て上げた、“極道”に他ならないのだから。
そして、“みんな”がやり直せる道を閉ざしたのは。
“割れた子供達”の首領として、“みんな”に殺人者として生きることを与えた、オレ自身なのだから。

殺さずにはいられないんじゃない。
なるべくしてなったんじゃない。
大人が、オレが、子供達の傷心に付け込んで。
みんなを―――“そんな生き物”に変えたんだ。

例えみんなが、オレを救世主と呼んでくれても。
例えみんなが、オレに救われたと言ってくれても。
その罪は、決して変わることはない。


798 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:27:00 PCc8j8NE0

どうして、こんなことになったのだろう。
グラス・チルドレンは、誰にも救えない亡霊達だ。
皆、地獄へ落ちることが決まっている。
その引き金が、殺しの手段を与えてしまったことならば。
どうして、オレは子供達を地獄へと導いてしまったのだろう。
結局は憎むべき“大人”共に利用されてただけに過ぎなかったのか。
それとも、先達である“大臣”たちの遺志を受け継いだからなのか。
オレを迎え入れてくれた小さな城に、報いたかったのか。

――――283プロダクション。
華やかな偶像(アイドル)の、小さなお城。
ふいに、記憶が脳裏をよぎる。

眩いステージに立つ彼女達の姿を、一度だけテレビで見たことがある。
みんなで、手を取り合って。
みんなで、笑顔を向けて。
みんなで、家族のように。
暖かく、寄り添い合っていた。
そんな姿に、酷く虫唾が走った。

幸福な連中を、憎んでいた。
平穏な人生を歩む奴らを、忌み嫌っていた。
真っ当な世界を、蔑んでいた。
オレは、“孤独”なのに。
あいつらには、仲間も居場所もある。


ああ、そうだ。
オレは、“居場所”が欲しかったんだ。
だから、グラス・チルドレンに救われた。
そして。真っ当な連中が、仲間の輪を広げていくように。
“居場所”を、もっと広げたかったんだ。


みんなが、オレに救われたように。
オレも、みんなに救われたかった。
同じ孤独を共有する―――“身内”が欲しかった。
あの輝村極道とも違う、ひとつの“家族”として。
だからみんなを、巻き込んだ。
だからみんなを、導いた。
それが過ちであることを、無意識に悟っていたとしても。


799 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:27:28 PCc8j8NE0


なあ、ガムテ。
なんで、白瀬咲耶を恐れた?
まだ引き返せると、言ってくれたから。
――――――みんなを引き返せなくしたのは、オレだ。

なんで、白瀬咲耶を恐れた?
オレ達は救われてもいいと、言ってくれたから。
――――――みんなを救われぬ殺し屋に変えたのは、オレだ。

なんで、白瀬咲耶を恐れた?
こんなオレを、赦そうとしたから。
―――――みんなを、地獄へ導いたオレを!


猟奇的な仮面が、剥がれ落ちていく。
その裏に隠された感情が、次々に溢れ出てくる。
イカレてしまうことで、“殺戮の王子様”になることで、そんな恐怖に無意識のうちに蓋をしていた。

そして、オレは。あの時。
あの事務所へと向かった。

ほんの気まぐれだった。
白瀬咲耶を殺したついでに、顔を出すだけだった。
幸福(シアワセ)なアイドル達が、人殺しを前にどんな顔をしてくれるのか。
自分達の身内を殺した張本人に、どんな反応を返してくれるのか。


――――もう、殺すのは。
――――私で、最後にしてくれ。


脳裏に焼き付く、あの言葉。
脳裏から離れない、あの姿。
犯罪卿よりも、ずっと恐ろしい。
そう思ってしまう程に、眩しくて。
眩しくて。眩しくて――――。

輝村照。
お前は、何を求めていた?
あの“輝き”に、何を見出していた?
その答えは、もう言い当てられてる。
あの“見窄らしい狛犬”が、見抜いてしまった。
だから、もう。言うまでもない。






800 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:27:51 PCc8j8NE0




遅すぎたんだ。
何もかも、駄目だった。


だけど、嫌だよ。
怖いんだよ。
なんで。
なんでだよ。
どうして。
こうなっちゃったんだよ。
何をしたって言うんだよ。
何が悪かったんだよ。
わかんないよ。何も。
痛くて、痛くて、仕方ないんだよ。

ずっと、ずっと。
嫌いだった。
こんな世界が。
大嫌いだ。
憎くて、妬ましくて。
許せなかった。
みんなが、オレを独りぼっちにした。
誰も、来てくれなかった。
哀しくて。苦しくて。
何もかも、わからない。

だから。
皆、死ね。
どいつもこいつも。
死ね、死ね、死ね、死ね。
死ね―――――死んでくれよ。
じゃないと、オレは。
オレは。






801 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:28:25 PCc8j8NE0




――――ガムテは、聖杯に何を望むの?



あの予選期間の最中。
舞踏鳥(プリマ)は、オレにそう問いかけた。

聖杯戦争。
古今東西の英霊を従えたマスター達による、命懸けの闘争。
優勝賞品は、万物の願望器―――絶対の奇跡。
最後まで勝ち続けて、ビッグ・マムさえ消した先。
手元に残るのは、絶対的な魔法のランプだ。

分かっている。
気付いている。
オレ達は、天国になんか行けない。
どんな奇跡があろうと、どんな力があろうと。
オレ達は所詮、地獄に落ちることが決まっている。
分かりきったことだ。オレはそうやって、皆を導いた。
クソッタレの人生から、皆を救い出して。
後戻りの出来ないクソッタレな生き方を、皆に与えた。

だと言うのに。
オレは、結局。
心の何処かで、望んでいた。
手を差し伸べられることを。
真っ当に生きられる日常を。
そんなものを、夢見ていた。
そんな自分を、認識してしまった。

ああ、でも。
オレは、地獄への道を作り上げた。
罪を背負ったオレに、救われる資格はない。
そして、輝村極道(パパ)を笑顔で認めさせるまで終われない。
この戦いが終わっても、人殺しであることを続けなきゃならない。

だけど、皆は違う。
皆は、救わなきゃいけない。
運命が何だとか。
天国になんか行けないとか。
そんなもの―――糞食らえだ。


802 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:28:48 PCc8j8NE0

輝村極道は、オレの“パパ”だ。
憎たらしくて忌まわしい、たった一人の肉親だ。
そして。
オレにとって、子供達は“家族”だ。
オレは、皆が好きだ。
孤独も、苦痛も、狂気も、全てを分かち合える。
でも。それも結局、オレが導いた結果だ。
居場所を求めて、居場所を拡げて。
皆を救う―――そんな口を叩きながら。
オレは、救われない子供達を家族にした。

最後に待ち受けるのは、地獄。
オレとみんなで、道連れの旅路。
ノーフューチャー。破滅へ一直線。
殺そう、殺そう。みんな殺そう。
幸福な奴ら、道連れにしよう。


――――それだけで、いいのか。
――――違うだろ、ガムテ。
――――オレは。オレ達は!


奇跡が、あるんだろ。
この世界では、願いが叶うんだろ。
だったら、追い掛けるんだよ。
だったら、掴み取るんだよ。
「手を差し伸べられたい」じゃない。
神様に虚しい祈りを捧げる必要なんか無い。
白瀬咲耶(アイドル)の手は、もう要らない。

オレは人殺しだとしても。
オレは皆を巻き込んだとしても。
だったら、他の皆は救われるべきだろ。
オレが皆の救世主になるって誓ったんだから。
オレは―――――そうするべきだろうが!


分かってんだろ、ガムテ。
何をしなくちゃいけないのか。
何を願わなきゃいけないのか。



◆◇◆◇


803 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:29:09 PCc8j8NE0
◆◇◆◇




―――ハーハハハハハハハ!!!!

―――おれの願いか!?教えてやるよ!!

―――世界中のあらゆる人種が“家族”となり!!

―――差別も諍いもなく、平等にテーブルを囲むことの出来る……!!

―――そんな“国”を創る!!

―――それがおれの求める『理想郷(シャングリラ)』さ!!




◆◇◆◇


804 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:30:03 PCc8j8NE0
◆◇◆◇



「オレは……」


オレは。
みんなの割れた心を繋ぎ止める、ガムテ。
オレは。
みんなを導く殺戮の救世主、ガムテ。


「オレは――――――」


だったら。
やるべきことくらい。
やらなくちゃいけないことくらい。
分かっているはずだ。
ガムテは、己に問いかける。

何のために殺してきた。
心を殺された過去への復讐のためだ。
どうして幸福(シアワセ)を憎んだ。
オレたちがそうなれなかったからだ。
だけど。それじゃあ―――いつまでも変わらない。


「――――――オレはッ!!」


そう。
殺戮の王子様、ガムテ。
彼の答えは、とっくに出ている。



「救われなかった子供達が!!有りの儘に生きられる“理想郷(いばしょ)”を創るッッ!!!」



―――オレは、ガムテだ。
―――心割られた子供達の味方だ。

だから。だからこそ。
“そうなってしまった”皆を、この手で救う。
“真っ当な道”から踏み外してしまった皆が、幸福に生きるための理想郷を作る。
それが、彼の導き出した答え。


「誰からも手を差し伸べて貰えない!!苦しみ続けることしか出来ない!!何かを傷付けずにはいられないッ!!
幸福(シアワセ)の権利を取り零した、全ての子供達が報われて!!当たり前に生きられる“世界(らくえん)”をッ!!!」


あの海賊(ババア)の力(ねがい)なんか借りず。
自分達の手で、それを成し遂げる。

そうだ。
殺して、終わらせるんじゃない。
殺して、生み出すんだ。
子供達の未来を。
平穏に生きられる居場所を。


「――――それが、オレの祈る“願望(キセキ)”だッッ!!!」


救われることなく命を落とした子供達も。
今もなお救われず、足掻き続ける子供達も。
全て等しく、導いてみせる。
そう、オレたちは。


805 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:30:34 PCc8j8NE0

“オレたち”?
いや―――違う。
“あいつら”だ。

この願いが果たされれば。
子供達には“殺し”すら要らなくなる。
罪を引き受けるのは―――己(ガムテ)一人だけだ。
最後まで人殺しを行うのは、輝村極道との決着が付いていない自分だけなのだ。
輝村照は、全ての始まりと呼ぶべき運命にケジメを付けなければならない。

彼らに“殺しの才”を求めた悪は自分だ。
彼らに咎はない。何一つない。
地獄に落ちるのは、自分ひとりだ。

ガムテは彼らの“救世主”として君臨した。
なればこそ。
聖杯もまた、彼らを“救う”ために使う。
グラス・チルドレンとして多くの血を浴びた彼らを、幸福な居場所へと導く。
例えそれが、作られた“NPC(マガイモノ)”であっても――――ガムテの仲間だ。

それは即ち、子供達の所業への赦しであり。
同時に、子供達の罪に対する正当化でもある。
そこに、彼らの犠牲になった“無辜の人々”へと思慮など無い。
身勝手だと憎まれるだろう。
虫のいい話だと蔑まれるだろう。


――――それが、何だと言うんだ。
――――オレは、みんなを肯定する。
――――外道(ヒトゴロシ)として、アイツらを肯定する。
――――それだけが全てだ!
――――御託も正論も、何も要らない!


だから。
ガムテは、悪党(ヴィラン)として誓う。
子供達が救われる“天国”を創る。
子供達が赦される“楽園”を築く。
例えそこに―――自分が居なくとも。


806 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:31:08 PCc8j8NE0

そんなガムテの、決意を突きつけられて。
プロデューサーは呆気に取られたように、何も言わず。
ただ沈黙しながら――――何処か、瞳に複雑な悲しみを宿しながら。
それでも、目の前の少年の決意を見届けて。


「……ガムテ君、きみは――――」
「―――オレが、許せないんだろ?」


口を開いたプロデューサー。
その眼前に、ガムテの顔が迫る。


「憎めよ、思う存分。その全てを乗り越えてやるよ」


ニヤリと、笑ってみせた。
悪辣な表情で、プロデューサーを見据えた。
禍々しく狡猾な、殺しの王子として。
彼は、不敵に吐き捨てる。


「だから――――」


そして、今までのように。
戯けなような笑みを浮かべて。


「今後ともヨロシクなぁ、Pたんッ☆」


ふらふらと手を振りながら、踵を返した。
世田谷への襲撃、改めてご苦労サン。
暫くはゆっくり休んでな―――そんなことを言いながら、ガムテは部屋を去っていく。


◆◇◆◇


807 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:31:31 PCc8j8NE0
◆◇◆◇



じゃあな、白瀬咲耶。
お前は、オレが―――“ブッ殺した”。



◆◇◆◇


808 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:32:15 PCc8j8NE0
◆◇◆◇



『―――主(マスター)』


プロデューサーの脳内に響く、一つの声。
ランサーのサーヴァント、猗窩座。
霊体化して激戦の疲労を癒やしていた彼だったが、念話によってふいに呼び掛けてきた。


『何故貴様は、あの幼狂に問い掛けた?』


その疑問を聞き。
プロデューサーは、自嘲するような笑みを浮かべる。


『……そうせずには、いられなかった』


聞かずには居られなかった。
この戦いの“始まり”を。
問わずには居られなかった。
幼き殺人者達が、いかにして白瀬咲耶と交錯したのかを。


『多分、そういうことだと思う』


そして、探らずには居られなかった。
彼らがどのような想いで、283プロダクションへと赴いたのかを。
その言葉を聞き届けて、ランサーは何も答えなかった。
こちらの心情を悟り、その意を汲むように。

グラス・チルドレンの拠点であるマンションの一室へ戻ったプロデューサーは、思う。
何故だったのだろう。
“プロデューサー”は、己に問いかける。
何故、そうせずには居られなかったのだろう。
“プロデューサー”は、考え続ける。
いや――――例え漠然とした理屈であっても。
根幹にある熱は、既に分かっていた。

それは、殆ど衝動に近い感情であり。
合理的という言葉には、程遠い行動であり。
それでも、そうしたかった。
そう言わざるを得ない、奇妙な想いだった。

犯罪卿も、咲耶も、己の願いを全力でぶつけたからこそ。
何かに踏み込んで、道を切り開こうとしたからこそ。
狛犬もまた、眼前の少年に対峙せねばならないと感じた。
胸の内から込み上げる、何かに駆られるように。

結局は残忍な敵であることを受け止めたとしても。
それでも一度は、彼ら(グラス・チルドレン)を“血の通った唯の子供達”と思ったからこそ。
その頭領であるガムテの“真意”を、確かめずにはいられなかった。
自分にそんな資格はない―――そう思っても尚、踏み込まずにはいられなかった。

そして、“幼狂の王子”がそうするに至った経緯を知ることは。
“犯罪卿がいかに生きて、いかに散っていったのか”を知ることにも繋がる。
それは、283を守り抜いた彼がどんな戦いを経てきたのかの証であり。
彼に最後の追い打ちを掛けた己自身への“戒め”として、胸に刻まれる。

言うなれば、最期にあの言葉を遺してくれた“ひとりの青年”に対する、感傷であり。
戦いを仕組んだ“幼き子供”へと挑む、一つの対決でもあった。

その結果――――ひとつ、確かなことは。
ガムテは、あの少年は、何かを乗り越えたということだ。
それが何を齎すのか、プロデューサーには分からない。

しかし、思うことはある。
あの犯罪卿やアイドル達を激しく敵視していた、少し前の彼とは違う。
彼の先程の決意に、卑屈な妬みも、淀んだ恨みも、感じられなかった。
ただ、それだけだ。


殺意の王子が“己の願い”を見出した。
それは、一人の少女を幸せにするという願いを持つ狛犬にとって。
“彼は敵である”という、その事実の証明に――――他ならなかった。


809 : ある少年のプロローグ ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:34:31 PCc8j8NE0
【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)/二日目・早朝】

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。そして、救われなかった子供達の“理想郷”を。
1:峰津院の対策を講じる。そのためにライダー(カイドウ)のマスターと打ち合わせたい。
2:もうひとりの蜘蛛が潜む『敵連合』への対策もする。
3:283陣営は一旦後回し。犯罪卿は落とせたが、今後の動向に関しても油断はしない。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
5:世田谷で峰津院のサーヴァントを撃退したのは何者だ?
6:じゃあな、偶像(アイドル)。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。

【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失、魔力消費(中)、???
[令呪]:残り一画
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×8枚、連絡用のガラケー(グラス・チルドレンからの支給)
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。だが―――。
0:今は状況を把握し、立ち回りを精査する。そのために情報が必要となる。
1:今後グラス・チルドレンを裏切るための算段も練る。『ガムテに近い参謀でありながらグラス・チルドレンに必ずしも与しているとは限らない存在』である黄金時代(北条沙都子)と頃合いを見て接触する?
2:にちか(騎)と話すのは彼女達の安全が確保されてからだ。もしも“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
3:283陣営を攻撃する中でグラス・チルドレン陣営も同様に消耗させ、最終的に両者を排除する。
4:神戸あさひもまた今後は利用出来ると考える。いざとなれば、使う。
5:星野アイたちに関する情報は一旦保留。
[備考]

【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:全身にダメージ(大)、疲労(大)、頸の弱点克服の兆し
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は――――。
1:プロデューサーに従い、戦い続ける。


810 : ◆A3H952TnBk :2022/07/03(日) 08:35:04 PCc8j8NE0
投下終了です。


811 : ◆0pIloi6gg. :2022/07/05(火) 00:23:19 FYUHMWdY0
投下お疲れさまです!感想はまた後ほど。
ああは言っていたものの喉元過ぎたら熱さ忘れたので(は?)

松坂さとう&キャスター(童磨)
飛騨しょうこ&アーチャー(ガンヴォルト[オルタ])
神戸あさひ&アヴェンジャー(デッドプール)
ガムテ 予約します。


812 : ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:25:37 6U2.iZ7M0
>ある少年のプロローグ
これまでのお話の中で示唆されていたガムテ自身の願い、そこにこういう形でフォーカスしてくるとは。
いよいよ以って退路のないシャニPがこういう形でガムテと対話を深めてくるとは思わず、膝を打ちました。
対話と詰問の末にガムテが自覚した願いはユートピアという名のネバーランド、割れた子供達が唯一救われ得る理想郷。
原作で描かれたあったかもしれない未来(夢)の世界を知っている分、こっちの心にダイレクトに響いてくる願いですね……。
感想がだいぶ遅れてしまいましたが(ほんとだよ)、素敵な作品のご投下ありがとうございました〜!

予約分、前編を投下します。


813 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:26:14 6U2.iZ7M0
 状況は悪い。
 それが、松坂さとうが自分達の置かれている現状について抱く第一の思考だった。
 
 自分達はそう間違った選択肢を取っている訳ではないと思う。
 飛騨しょうこという同盟相手を確保し、体力及び魔力の温存もしっかり出来ている。
 下手に序盤戦で消耗してしまうよりかはよっぽど利口な筈だと、今の自分達の姿を客観視してもさとうのそんな考えは変わらない。
 では何が問題だったのか。自分達は何処で失敗したのか。
 答えは一つ。この聖杯戦争を、未だに通常のそれに対するセオリーで考えてしまっていたことだ。

「(私達が放り込まれてる"この"聖杯戦争は……普通の聖杯戦争とは全く違う。
  界聖杯が寄越してきた事前知識すらある意味での罠だった。思うに、この戦いは――)」

 手元のスマートフォンに表示されたニュース速報。
 そこに記された信じ難い文言を見ても、さとうは今更驚きはしなかった。
 ただ"やはり"と、そう思った。新宿区が事実上崩壊した時点で既に、最悪の未来としてこういうことが起こる可能性は頭に描いていたからだ。
 都市が文字通り消滅する程の。新宿の一件が霞むほどの、空前絶後の大災害。
 余波としてそれを撒き散らしていく、そんな戦端が何処かで開かれる可能性。
 そして今その未来は満を持して現実のものとなり。
 さとうはその報せを見て、こう考えるに至った。

「(――独りだけでは、まず勝利するのは現実的じゃない。
  同盟相手なり何なり拵えて、戦力と情報の両方を充実させなくちゃいけなかった)」

 さとうはしょうこという同盟相手を獲得出来たが。
 それだけではきっと、繋がりが足りなすぎたのだ。
 実際に組めるかどうかは度外視してでも、他の主従とコンタクトを取り場合によっては情報交換をしていくべきだった。

 ……とはいえこれに関しては、純粋に彼女達の落ち度とは一概に言えない。
 少なくともさとうの叔母、並びに鬼の始祖■■■■■が脱落する展開は彼女達の働きではどうやっても覆せない不運の賜物であった。
 よしんば彼が神戸しおという代わりを無事確保していたとしても、耳飾りの剣士を恐れる彼はその後地下に潜ってしまったろうし。
 そもそもしおを要石にする考えを持っている時点で、どうやってもさとうと■■の関係性が決裂するのは不可避だったのだ。
 懐柔の容易な自分の叔母のサーヴァントが彼だったこと。こればかりは、交通事故めいた不運と言う他なかった。

 さとうの失策は、神戸しおと再会することを私情を優先して拒んだこと。
 巨大な組織に所属するしおと再会出来ていれば、さとう達もその恩恵に与れたろうことは想像に難くない。
 だがさとうはそれをせず。しょうこも異議は唱えずそれを尊重した。
 取り返す必要がある。自ら進んで茨道に踏み込んだ分の損失を、どうにかして。


「……っていうわけなんだけど、しょーこちゃんはどう思う?」
「うん、だいぶ藪から棒ね?」


814 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:29:15 6U2.iZ7M0

 さとう達は現在、中央区を訪れていた。
 偵察に出していた童磨・GV双方との合流も済んでいる。
 せっかくの強力なカードだった叔母とそのサーヴァントの死は確実になり。
 状況は白紙。かと言ってこの期に及んで更に停滞する訳にも行かない。
 だから足を動かし、世田谷区の惨事に半ば便乗する形で他主従との遭遇を狙った形だ。

「アンタで悩むようなことに私がスマートな答え出せる訳ないでしょ――、……なんて。
 もうそんな腑抜けたこと言ってられる状況でもないわよね。私だって当事者なんだし」

 しょうことしても、さとう一人に重たい思考を押し付けるつもりはなかったし。
 それに元の世界でのこともあって、彼女に頼って貰えているこの状況に悪い気はしなかった。

「……私達がキツいのって、やっぱり色々遅れを取っちゃってることよね。
 強さの面はともかく、その他にもいろんな面で」
「うん」
「じゃあ……次に会ったサーヴァントやマスターとは、まず戦いの前に何か話してみるってのはどう?」

 交渉とか、取引とか。
 いずれ倒す相手だとしても、何かこっちの利になるものを出してくれるなら今すぐどうこうしなくてもいいんじゃない?
 しょうこがたどたどしく絞り出してくれたアイデアは、しかしさとうとしても悪くないと思えるものだった。
 排除ではなく折衝。それで以って自分達の取っている遅れの分を取り返す。
 運は絡むが現実的な方針だ。足元を見られカモにされる事態は避けなければならないが――そこはさとうの出番だろう。
 それに。にっちもさっちも行かなくなったら、その時はセオリー通り叩いて潰せばいいのだから。

「……うん。しょーこちゃんにしては良いアイデアかも」
「どういうことよそれ」
「ごめんごめん。でも、良いアイデアだと思ったのは本当。
 しょーこちゃんのアーチャーも……あと私のキャスターも。
 弱いサーヴァントではないんだろうけど、流石に街一つ地図から消せるような奴らとは普通にやってたら張り合えないから」

 少なくとも童磨がその次元の戦いに付いていけるサーヴァントだとは、さとうは思わない。
 そしてそれは他の多くの主従においても同じだろう。
 これを踏まえて考えると、この聖杯戦争を次の領域(ステージ)に進める為に必要なのは無軌道な見敵必殺ではなくなってくる。

「私達の聖杯戦争を邪魔する理不尽(やつら)の排除。それが出来なきゃ、私もしょーこちゃんも多分生き残れない」
「……はあ。やっぱそうなるわよね。
 界聖杯もゲーム性ぶっ壊しかねないような連中には制裁なり何なりしなさいってのよ、全く」

 歪んでしまった形のまま進んでいる聖杯戦争を、一刻も早くあるべき形に戻すこと。
 新宿壊滅の下手人である青龍や鋼翼。はたまた世田谷消滅をやらかした何処かの誰か。
 そうした連中をなるべく早急に排除して、当たり前のやり方で戦っていける聖杯戦争を取り戻すこと。
 それがさとう達のような持たざる者に可能な最善策。
 状況の悪さは何も変わっていないが、確たる道筋が見えただけでも進歩というものだろう。


815 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:29:51 6U2.iZ7M0

 愛という名の不合理。
 それがなければ今頃、さとうは神戸しおの所属する一団と接触出来ていたに違いない。
 だが彼女は不合理を優先した。そこにこそ自分達の合理を見出した。
 その選択に後悔はない。だが、埋め合わせはしなければならないだろうと感じていた。

 そんな時である。
 さとうとしょうこの眼前に、氷鬼のキャスター……童磨が突如像を結び実体化した。

「真面目な話の最中に悪いねぇ、さとうちゃん」
「……邪魔して悪いと思ってるんだったら、早く用件を言って」
「近くにサーヴァントが居るよ。雷霆君も気付いているだろう?」

 童磨はそう口にすると、笑顔でしょうこの隣の虚空を見つめた。
 すると彼の言葉に促されてか、ちょうどその場所にGVが実体化する。
 すっかり戦友面が板に付いてきた童磨にGVは辟易の色を隠そうともしていなかったが……それはさておき。

「ああ、ボクも感じていた。一点にじっと留まって動かずにいるな」
「探知探索が苦手な俺ですらこうもはっきり感じ取れるんだ。十中八九狙ってやっているんだろうなあ」
「……それって」

 しょうこが不安げに自分の口元へ手をやる。

「私達を待ち伏せしてる――ってこと?」
「目的が悪意に依るものにせよ、戦意に依るものにせよ……それ以外であるにせよ。
 ボク達の存在を感知した上で待ち受けている、と見ていいだろうね」

 GVの意見を聞いたしょうことさとうは目を見合わせた。
 気配を隠そうともせず明け透けにしての実体化。
 あちらこちらに移動を繰り返すでもなく、一点に留まっての棒立ち。
 確かにGVの言う通り、わざとやっていると考える方が遥かに自然だろう。
 目的が何であるにしろ。さとう達の存在を認識し、その上で誘っている。
 となると浮かび上がってくる疑問が、一つあった。

「……本当に"感知"なのかな。少なくともこの区に入ってからは、キャスターもアーチャーも一度だって実体化してなかったよね」
「ボクも同意見だ、松坂さとう。恐らくこれは"感知"じゃなく、"監視"と表現するのが正しいんだと思う」
「だよね。一応聞くけど、何かそれっぽいものの心当たりはある?」
「あったらもっと早く伝えているさ。
 気配隠避に長けた使い魔か、サーヴァントの固有能力による監視か。
 後者なら特に厄介だな。場合によっては、手の打ちようがない可能性もあるから」
「……まあ仕方ないかな。初見殺しは聖杯戦争の常だもんね」

 文句を言っていても仕方がない。
 むしろ、この時点で監視されていると分かっただけでも御の字だ。
 視られていると分かっているなら情報の隠しようはある。


816 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:30:38 6U2.iZ7M0

「おいおいさとうちゃん。君のサーヴァントは俺だろ? 雷霆君も忙しいだろうし、俺に聞きなよ」
「探知探索が苦手だって言ったのはどの口?」
「ちぇっ。仕方ないなあ、蚊帳の外組は蚊帳の外同士で親睦を深めようか。ねえしょうこちゃん」
「気持ちはすっごく分かるけど、すっごく一緒にしてほしくないわ……」

 童磨に鬱陶しくも同意を求められ、顔を引き攣らせるしょうこ。
 "蚊帳の外組"なる不名誉な同盟を組まされることが余程嫌だったのか、彼女はごほん!と咳払いをして無理矢理さとう達の話に参入した。

「それで、どうするの? そのサーヴァントの誘いに応じるのか、危ないからこの街を離れるのか……」
「……私は、接触してみるべきだと思う」

 聡明なさとうらしからぬ、やや歯切れの悪い言葉ではあったが。
 彼女はしょうこの問いかけに対し、こう自分の意見を示した。
 
「勿論リスクは高いけど、正直私達の現状はかなり遅れてる。
 多少のリスクを抱えてでも、他の主従と関わりに行く価値はあるんじゃないかな」

 此処で怖気付いて尻尾を巻いて逃げ出すようでは、いつまで経っても状況の改善は見込めない。
 相手が油断ならない手合いであることは前提として、それでも敢えて茨道に踏み込むくらいの覚悟は必要だと。
 少なくともさとうは、そう考えていた。
 その判断を聞いたしょうこも少し考えてから、「確かに」と小さく納得の声を溢す。

「言われてみれば……そうよね。私達は綱渡りしなきゃいけない立場なんだった」
「うん。それに、こっちだって単独(ひとり)じゃない。
 もしも危なくなったらキャスターとアーチャーの二人がかりで対処出来る。
 それでも無理そうなら令呪を使うことになるだろうけど……決して勝ちの目の薄い賭けじゃないと思うよ」

 ただ、と、さとう。

「ただ……相手が既に同盟を組んでいる、何らかの組織に所属してるサーヴァントだったら話は別。だけど」
「……うええ。それはちょっと、考えたくないわね……」
「だから結局ギャンブル。勝てる公算はあるけど、その分とんでもない負け方をする可能性もある。
 私は行くつもりだけど、しょーこちゃんはどうしたい?」

 もしも。
 その"最悪の想定"が的中してしまったなら、二対二……ともすればそれより更に悪い状況を押し付けられることにもなりかねない。
 そこだけは念頭に置いてかからなければ、万一の時にあっさりと足元を掬われる。
 否それどころか、物量差で身も蓋もなく押し潰されてしまう。
 さとうの口からそう聞かされたしょうこは苦い顔をしたが、しかし結局。

「……でもやっぱり私もあんたの案に賛成。
 残りの敵の数を減らすにしろ、組んだり情報交換したりするにしろ、流石にそろそろ何かしないとね」
「分かった。じゃあ行こっか――キャスター、アーチャー。その気配がある場所まで案内してくれる?」


817 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:31:15 6U2.iZ7M0
◆◆


 "そこ"に辿り着いた松坂さとうと飛騨しょうこ。
 彼女達の連れる二騎のサーヴァント。サーヴァントを"人"とカウントするならば四人のヒトガタから成る寄り合い。
 そんな一行を剥き出しの気配と共に待ち受けていたのは、実に奇妙な風体の男だった。
 
「よう。もしかしたら来てくれないんじゃないかと思って冷や冷やしてたぜ」

 その男に"貌"はなかった。
 その全身を覆い隠す赤と黒のコスチューム。
 表情は窺えず、そもそもその目元で実際に物が見えているのかどうかからして傍目からでは分からない。
 背中に携えた二振りの刀を得物にするのだろう、という程度のごく漠然とした認識しか相手に与えないトリックスターめいた男。
 彼こそが気配の正体であり。男はさとう達の姿を視界に含めるなり、手を振って気さくにこう言った。

「何だ、ずいぶん警戒されてんだなあ俺ちゃん。
 わざわざ気配を明け透けにしてお誘いしたってのにこりゃないぜ」
「……無駄口はいいから。要件は何?」

 肩を竦めておどける男に、さとうの声色は冷淡だった。
 聖杯戦争は魑魅魍魎が跋扈する人外魔境だ。コメディアンのようにおどけた相手でも、腹の中では何を考えているか分からない。
 猫を被るだとか、無害を装うだとか。そういう手法にはさとうも精通しているのだ。
 だからこそ彼女は、ともすれば油断してしまいそうな眼前のサーヴァントの言動にも一切心を乱さなかった。
 
「(キャスター、念の為いつでも割って入れるようにしておいて。私の方もそうだけど、しょーこちゃんの方にも)」 
「(君もずいぶんと絆されたものだねえ、さとうちゃん。俺と出会ったばかりの頃の君は、さながら研ぎ澄ました黒曜石のようだったのに)」
「(今はそういうのいいから。とにかく、有事の時にはすぐに動けるように)」
「(はいはい、分かったよ。全く人使い……いや、鬼使いって言うべきか。鬼使いが荒いんだから、さとうちゃんは)」

 絆されたものだ。そんな童磨の言葉に、さとうは一瞬今考えるべきでないことを思考してしまった。
 自分は一体、何をしているのだろう。
 しおちゃんと過ごす永遠のハッピーシュガーライフのために戦うならば、此処で彼女の名前を出す理由はない。
 同盟相手であることを含めて考えても、どう考えたって童磨には全力を費やして自分を守るよう命じた方が理に適っている。
 だというのに今、自分はごくごく自然に飛騨しょうこという"友達"の身の安全を勘定に入れていた。
 それは打算? ああそうだろう。よりにもよって私が――松坂さとうが、友人の命なぞに強く執着する筈もない。
 愛する彼女以外はすべて踏み台、勝利の薪木になるだけの存在でしかないのだから。

 ――思考の"余分"を切り捨てて。
 目の前の男(サーヴァント)に全神経を注ぐ。
 そうしてさとうは彼との対話へ臨んだ。


818 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:31:57 6U2.iZ7M0
 
「堅苦しいね。塩対応じゃ男の子に嫌われちまうぜ」
「話すことがないんだったら、"そういうこと"だと看做すけど」

 此方には、既に二騎のサーヴァントが居る。
 童磨とGV。都市を更地に変えられるような火力こそ持たないものの、しかし単なる運ではなく確かな実力で本戦まで生き残ってきた二騎だ。
 対して眼前の彼、赤黒のサーヴァント。
 彼の可視化されたステータス値は、お世辞にも高いと言えるものではなかった。
 勿論サーヴァント相手に油断は禁物であるのは言うまでもないが、いざとなれば十分二騎がかりの力押しで制圧出来る筈。
 さとうはそう判断していたし、事実その通りであった。

「まあ待てよ、俺ちゃんにとってジョークを吐くのは呼吸みたいなもんなのさ。
 これくらいでいちいち目くじら立ててたら俺ちゃんとはお付き合い出来ないぜ――"同盟相手"としてもな」
「……同盟。それがあなたの目的?」
「そういうこと。ぶっちゃけ今、マジで洒落にならねえことになってんだろ? この街。
 英霊の座から飛び出してきたよりすぐりのモンスター共がルール無用のドンパチ三昧。
 ミスター・石燕もマッカーサーも腰抜かす地獄絵図、流石の俺ちゃんもちっとばかし手に余る」

 言っていることは、筋が通っている。
 実際さとう達も、まさに彼と同じ考えで行動していた。
 新宿や世田谷を壊滅させた怪物達を排除するための活動、場合によっては"連帯"。
 そうでもしなければこの先の局面は生き残れないと、そう判断したから。

「貴方のマスターは?」
「そっちが先に二人組(チーム)作ってるのは分かってたからな。
 下手すりゃ袋叩きにされかねない修羅場に、わざわざマスターは連れてこねえさ」
「……そっか。同盟を組むの自体は構わないよ。こっちも正直、盤石の布陣には程遠い状態だから。
 期限付きでも裏切りありきでも、戦力として数えられる相手を増やせるのはありがたいと思ってる」

 でも、と少女は続けた。
 さとうの眼が、赤黒の怪人のマスク越しの眼球を見据える。
 実際に視えている訳ではなかったが、確かに彼女はそうしていた。
 
「同盟を組むにあたって、一つだけ。
 私達のことをどうやって監視してたのかを教えてほしい。
 四六時中こっちの手の内が筒抜けになってるなんて状況は、流石にちょっと具合が悪いから」
「初歩的なことだぜ、友よ(エレメンタリー・マイ・ディア)。
 俺ちゃんのマスターはジャパニーズ・クソデカカンパニーの社長なのさ。
 だから町中の監視カメラの映像を掌握してて、それでお嬢ちゃん達のことを見つけたってワケ。
 サーヴァントを隠しててもよ、歩き方とか視線の動かし方とかで結構分かるものなんだぜ? これマメな」
「そっか。ありがと、教えてくれて」

 監視カメラを使っての、情報掌握。
 理屈としては確かに通っている。
 ロールの時点でそれだけの優位性を得ているマスターだったなら、そういう離れ業も可能なのだろう。
 そのレベルの規模で監視の目を張り巡らせられる主従と組めることには、言わずもがな非常に大きな利点がある。
 監視からの暗殺という未知の脅威に怯えなくてよくなるだけでも、彼らと盟を結ぶ価値はあった。

 そして、自分達の虎の子と呼んでもいいだろう手の内を素直に明かしてくれたこと。
 これは、彼らがそれだけさとう達との同盟を強く望んでいることの証でもあり。
 以上の点を総合的に判断して、松坂さとうは口を開いた。


819 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:32:32 6U2.iZ7M0


「――食べていいよ、キャスター」


820 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:33:08 6U2.iZ7M0


 瞬間。
 赤黒の怪人――否。
 アヴェンジャー・デッドプールが即断して銃を抜いた。
 銃を向ける先は松坂さとう。その眉間へ銃口を合わせて、躊躇も逡巡もなく発砲。
 此奴は此処で殺す。そんな強い殺意が込められた凶弾はしかし、二人の間に割り込む形で実体化した鬼の指先に摘み取られた。

 虹色の瞳。血の通わない蒼白い肌。血を連想させる、斑の髪色。
 アルカイックスマイルを浮かべながら実体化した彼から、デッドプールは感じ取った。
 悍ましいほどの血の臭いと、臓物の臭い。蜃気楼のように立ち込める死者の怨嗟を、確かに彼は幻視していた。

「あ〜あ。出来れば話し合いに乗ってきたところをズドン、と行きたかったんだけどな。
 一応聞かせてくれるかい、人殺しのお嬢ちゃん。なんで俺ちゃんの考えが分かった?」
「……別に大した理由じゃないよ。ただ――そっちのついた嘘が悪かったってだけ」

 さとうは、此処に来るまでの道中で自軍のサーヴァント。
 アーチャー・GVにとある依頼をしていた。
 それは、近隣一帯の監視カメラをハッキングしてほしい――というもの。
 監視カメラをハッキングし、その映像が何処に送信されているかを解析させた。

 解析結果は――異状なし。
 公表されている用途以外に濫用されている形跡はなく、従って自分達を監視している手段は少なくともこれではないと判断出来た。
 よりにもよってその矢先に、デッドプールはさとう達の存在に気付けたのはカメラによる監視だと嘯いてしまった。
 交渉決裂、ないしは交渉中に突然牙を剥いてくる可能性は想定していたため、たとえそれ以外の嘘を弄していた場合でも結果は同じだったろうが。
 それでもデッドプールが策謀で出し負けてしまった形となったのは、確かであった。

「今度はこっちの疑問にも答えてくれる?」
「ああ、いいぜ。俺ちゃんに何でも聞いてみな」

 とはいえ、さとうにも疑問があった。
 デッドプールは自分に対して先程、こう言った。
 "人殺しのお嬢ちゃん"と。少なくともこれは、初対面の相手に対して口にするような罵倒ではないだろう。
 それとも童磨のことを見て、彼が積み上げてきた屍の数を察し、その結果出た言葉だったのか。
 そうであったならさとうの考えたことは完全な杞憂。さとうもデッドプールも、お互い何の意味もない時間を食ったことになる。
 だが。もしも、そうでなかったなら?

「……あなた、私のことを知ってるの?」
「はは」

 さとうの困惑混じりの問いに、デッドプールはそう笑って。
 それから――背中の二刀を抜き放ち、言った。

「――てめえのことなんて知らねえよ、色ボケ女」


821 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:33:50 6U2.iZ7M0
◆◆


「あはは、結構やるねえ。剣士は剣士でも、流石に俺の知る連中よりかはずっと腕が立つようだ」
「褒めてくれて嬉しいぜ。ところでその頭何だよ。アイス・バケツ・チャレンジでも失敗した?」

 快刀乱麻――寄せ来る冷気の波を斬り払うはデッドプール。
 鉄扇を構えて待ち受ける氷鬼に対し、国も性質も違った不死者が押し迫る。
 衝撃波を生みながら衝突する刀と鉄扇。
 鍔迫り合いの構図からそのまま全体重を乗せ前進することで、デッドプールが競り勝った。
 容赦のない横薙ぎの斬撃が、童磨の両目をなぞるように潰す。
 本来ならばこれだけで勝利は決まったようなものだが、しかし。

「驚いたなあ」

 童磨の両目が。
 潰れ、水晶体の中身までもを地と共に撒き散らした筈のそれが。
 まるで時間を巻き戻したかのように、再生していく。
 斬られた端から傷が再生するという不条理を驕りひけらかすでもなく、童磨は寧ろ目の前のサーヴァントの異常さに言及していた。
 
「君、俺の氷を吸っているだろう? 普通なら地獄の苦痛と肺機能の低下で這々の体になってしまう筈なんだがな」
「東京の夏は暑いからな。丁度いい熱中症対策になったよ、サンキューなクソダサカラコンマン。
 こいつはほんのお礼だ、B級映画みてえなゾンビごっこはやめて大人しく受け取ってくれや」

 童磨の鉄扇がひらりと揺らめくその度に、つむじ風のように巻き起こる冷気の渦。
 その正体は他でもない彼自身の血液だ。それを凍らせて砕き、撒き散らすことで氷雪の血鬼術を顕現させる。
 吸い込めばたちまち肺が壊死する極低温の冷気――童磨がサーヴァントという上位の存在に昇華されている以上、当然この"呼吸潰し"は彼の前に立つ他の英霊達に対しても有用なのは言うに及ばない。
 だというのにデッドプールはそれに応えた様子もなく戦闘を継続しており、これが童磨には不可解だった。
 GVは電熱で冷気を無効化していたが、さてこの奇妙な御仁は如何なる手段で俺の血鬼術を凌いでいる?
 そんな疑問を持ちながら童磨はデッドプールの斬撃を……今度はちゃんと、その鉄扇で防いでのけた。

「あらまびっくり。さっきはあんなに自慢げな顔して斬られてくれたのによ、今度は防ぐのかい」

 察するにお前……と、デッドプール。
 マスク越しにも分かるニタリとした挑発的な笑顔で、彼は指摘する。

「それとも、ジャパニーズ・ゾンビってのは首根っこぶった斬られたら死んじまうのかな?
 ねえねえ、答え教えてくれよカラコンマン。タネ明かしまでがマジックだぜ? ああでも」

 童磨は不死の鬼である。
 殴打、斬撃、圧殺、窒息、そのどれを以ってしても滅ぼせない。
 しかして彼は所詮始祖、今やこの世界から存在そのものを抹消されて久しいかの者から分かたれた眷属でしかなかった。
 日光を浴びれば焼け死んでしまうことは始祖と同じだったが、彼の場合はそこにもう一つ弱点が追加される。


822 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:34:34 6U2.iZ7M0

「わざわざ必死こいて防いでくれたもんな。図星以外の何物でもねえか」

 頚への斬撃――即ち斬首。
 それが果たされれば、不死の鬼は死ぬ。亡びる。
 デッドプールの指摘は当たっていた。
 本来であればそこには、ある特殊な金属を用いて鍛えられた刀で……という枕詞が付くのだったが。
 サーヴァントとして神秘を宿すデッドプールの刃であれば、当然その前提条件は無視出来る。
 童磨は不死だが不滅ではない。それが分かれば遠慮なく戦える、小難しいことは考えないで済む。
 デッドプールは安堵のままに踏み込み追撃を試み、一方で弱点の割れた童磨は――

「別に隠していたつもりはないんだけど、負け惜しみに聞こえてしまうかな」
「そう聞こえるね。弱点がバレて、必死こいて虚勢張ってる……ドラキュラもどきの三下野郎って感じ?」
「ふふっ、あははは! 酷い言い草だなあ、初対面の相手に罵倒されるのは職業柄慣れっこだけど――しかし老婆心から忠告しておくぜ」
「あ?」
「だって、ほら」

 ――嗤っていた。

「俺も君の身体のからくり、解き明かしてしまったぞ」
「……、……へえ」

 そこでデッドプールは、ようやく気付く。
 いや、気付かされたと言う方が正しいか。
 彼の首筋から勢いよく血が噴き出し、飛沫をあげた。
 その傷口は蠢くようにして再生していき、後にはかつて傷があった部分から噴き出し溜まった血の湖だけが残される。
 童磨はそんな彼の姿を見ながらニヤニヤと嗤っている。
 笑顔の意味が、デッドプールには理解出来た。

「お見事。いいマジシャンになれるよ、お前」

 ――斬られたことに気付かなかった。
 痛みはなかった。衝撃すら、皆無だった。
 瞬きの内に振るわれた刃が切り裂いた傷口が数秒遅れて開き、血が噴き出した……その瞬間に漸く、デッドプールは自分が斬られたのだと理解した。
 鉄扇からデッドプールの血を滴らせながら、今度は童磨が相手の真実を言い当てる。

「"お前"だなんて他人行儀だなあ、もっと気安く話しかけてくれていいんだぜ?
 俺の氷を吸って無反応だなんていやはやどういうからくりかと思っていたが……何の事はない、まさか同族だったなんてなあ」
「キチガイに絡まれた時のコツを知ってるか? 塩対応だよ」
「気が違っているのは君も同じじゃないのかな。
 俺のように鬼となった訳でもないのにこういう体質になってしまうなんて、さぞかし辛い人生を歩んできたんだろう?
 大丈夫、恥ずかしがることはないさ。誰も君を責めないよ、もちろん俺もね。
 俺は鬼として大勢の人間を喰ってきたが、その傍ら万世極楽教という――」


823 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:35:17 6U2.iZ7M0

 その通り。
 デッドプールもまた、不死者である。
 彼は人をゾンビと、ドラキュラ気取りの三下と笑えるような身分ではない。
 彼もまた不死に呪われた成れ果ての男。
 ああ、されど、されど。
 デッドプールの人となりを知る者ならば、彼が童磨という悪鬼と同類の存在だなどと語る声には断固として否を唱えたことだろう。

「酷いなあ。まだ喋ってる途中だったのに」
「目いっぱい塩を利かせてそれでも駄目なら後は暴力だ。優しいグランマが笑顔で教えてくれたよ」

 童磨の顔面を縦一直線に叩き割って、胸板を蹴り飛ばす。
 そのままあわよくばと、追撃の弾丸も二発三発と撃ち込んだ。
 しかしながら当然、それでは童磨は滅ぼせない。
 他でもない、デッドプール自身が見抜いた真実だ。
 彼は頸を斬られればそれで死ぬが、逆に言えばそれ以外のあらゆる手段で殺すことの叶わない不死者(アンデッド)。
 なのにわざわざ顔面を、その端正なにやけ面を叩き斬った訳は。

「能書きはいいからさっさと地獄に帰りな、クソ野郎」
「失敬だな。ちゃんとお勤めを終えて此処に来ているってのに」

 ムカついたから。それだけだ。
 しかし次の瞬間には、その心の贅肉をきっぱりと捨て去る。
 斬撃が狙うのは首筋のみ。無駄のない動きと殺意以外にない腕捌きで、異人の彼は百年越しの鬼殺を狙う。
 それを童磨はキャスタークラスにあるまじき身のこなしでいなし、捌き、そして血鬼術を発動せんと意識を集中させた。
 が、その時。


「……楽しんでいるところ悪いけど、此処はボクが受け持つ。
 お前はマスターとさとうの護衛に向かってくれ、キャスター」


 雷霆が一筋、空から地へと舞い降りて。
 デッドプールと童磨の双方を着地の衝撃で吹き飛ばす。
 蒼い稲妻を帯電させながら、デッドプールを睥睨し童磨を背にする乱入者。
 彼は松坂さとうと行動を共にする少女、飛騨しょうこのサーヴァントであった。
 名をガンヴォルト――GV。電熱で負った火傷を即座に回復させながら、童磨は彼へと唇を尖らせる。

「酷いじゃないか雷霆くん。せっかく盛り上がってきたところだったのに」
「お前は気が狂っているようで、その実誰よりも冷静だ。
 マスター達の身の安全も顧みずに氷を撒き散らすような真似はきっとしない。
 それにお前の方が……ボクよりも不測の事態への対応は巧いだろ」

 玩具を取り上げられた子供のようにふて腐れた様子を見せる童磨と、それを正論で諌めるGV。
 傍から見ればコミカルにも見える場面だが、しかしGVがデッドプールを見つめる目に和やかさの類は欠片もない。
 そんなGVに対して童磨はしばらく不服そうにしていたが、やがて何かに気付いたようにぽんと手を鳴らした。
 
「ははあ、そういうことか。水臭いじゃないか」
「何を言っているのか分からないな。いいから早く――」
「君は君で、この異人殿に用があるんだね」


824 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:35:58 6U2.iZ7M0

 GVはその発言を戯言と切り捨てるのではなく、ただ沈黙した。
 それが意味するところは無言の肯定。
 童磨の言う通り、GVにはこのデッドプールという敵手に何らかの用があるということ。
 黙したままのGVに対して童磨は微笑みながらも、虹色の眼光をぎらりと煌めかせて更に続けた。

「もしやとは思うが、さとうちゃんを切り捨てる算段でも立てているのかな?」
「違う」

 問いに対し、GVは即答した。
 童磨も本気で疑っていた訳ではないのか、ぱたんと鉄扇を閉じて「ままならぬなあ」と落胆を見せる。
 GVが裏切りを考えていなかったことに対してではなく、デッドプールというもっと語り合いたい同族もどきを譲り渡さねばならないことに対し、気を落としているようだった。
 とはいえ。それも本気でそうしている訳ではないことは、言うに及ばずだったが。

「……じゃあ俺はあちらへ行くとするよ。出来れば俺の喰うところも残しておいてくれ」
「お前みたいなケダモノと一緒にするな」

 ――踵を返した次の瞬間には、童磨の姿はGVの前から掻き消える。
 残されたのは彼と、そして彼の乱入で吹き飛ばされたきりのデッドプールの二人だけだった。
 デッドプールに視線を向ければ、よ、とでも言うように片手を挙げて会釈した。
 勿論デッドプールとGVとは初対面であったが、童磨に対し見せていたのとはまるで違った気さくな態度。

「俺ちゃんもモテモテで困るね。キチガイ野郎から美少年まで引く手あまたってわけだ」
「――お前は松坂さとうに対し、露骨に敵愾心を示していた」

 無駄話に付き合う気はない、とばかりに早速話し始めるGV。
 交戦に発展する前の一瞬。吐いた嘘を暴かれたデッドプールは、さとうに対して銃口を向けた。
 その言動は明らかに彼女に対し否定的……否。それどころか明確に敵愾心を抱いていなければおかしいようなそれであった。
 しかしさとうの側は、彼のことなどまるで知らない様子でもあり。
 となると彼がさとうを敵視する理由は、デッドプールと関わりの深い何者かの存在に由来しているのではないか。

「お前と松坂さとうの間に面識はない。
 なのにお前がさとうに対し覗かせた感情は、明らかに何らかの因縁の存在を感じさせるものだった。
 松坂さとうを憎む誰か。彼女を殺したいと――許せないと思っている人物と、お前は繋がっているんじゃないか」
「随分迂遠な言い回しだな。言いたいことがあるなら直球で頼むわ。まどろっこしいのは性に合わなくてよ」
「お前のマスターは」

 そう考えたGVの脳裏に浮かんだ一つの仮説。
 それを確かめるために、もといデッドプール本人に対し問い質すために。
 GVは童磨を下がらせ、こうして彼の前に立ち言葉を紡いでいた。

「――"神戸あさひ"か?」


825 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:36:27 6U2.iZ7M0

 ……GVは、松坂さとうと飛騨しょうこの物語の全てを知っている訳ではない。
 しかしさとうが神戸しおという少女を誘拐し、自宅に住まわせていたこと。
 しおとの"愛"を守るため、貫くために罪を重ね。
 時には手を汚しさえしたことは、知っている。
 そして、そんな彼女の"愛"の裏側で。
 攫われたしおを取り戻すために奔走していた一人の少年が居たことも、GVはしょうこから聞き及んでいた。

 神戸あさひ――神戸しおの兄。
 今でこそ更に上の混沌で有耶無耶にされているものの、半日ほど前までは東京中のお尋ね者として喧伝されていた聖杯戦争の推定参加者。
 彼がデッドプールのマスターであるとすれば、デッドプールがさとうに対し見せた色濃い殺意にも説明が付く。
 そう考えたからGVは行動した。デッドプールの前に立ち問いかけた。その質問に、デッドプールは答えなかった。
 答えの代わりに、彼もまたGVに問いを投げかけた。

「そういうお前のマスターは、"飛騨しょうこ"かい?」
「……そうだ」
「そっか」

 GVの返答を聞くとデッドプールは抜いた双剣を鞘へと収め、銃もしまってしまう。
 更にどっかりとその場に腰を下ろして胡座をかき、ふうと一息ついて夜空を見上げた。

「しょうこちゃんは、松坂さとうと組んでんだよな」
「ああ」
「それはよ、雷霆くん。ウチのあさひとさとうを天秤に掛けて、あいつの方を選んだってことかい?」

 GVは無言で、ただ静かに頷いた。
 デッドプールはもう一度小さく息を吐く。
 ため息ではない。事態を静かに受け入れた、そんな仕草だった。
 数秒の沈黙が流れる。それを破ったのは、デッドプールの方。

「話をしたいんだろ。特別大サービスだ、何でも答えてやる。だからお前さんも何でも答えろ」
「ボクらの陣営の内情についてまでは教えられない。だが、それ以外の――"彼女達"についてのことならば。構わない」
「その条件だと俺ちゃんも助かるね。俺ちゃんもこれで意外と、せせこましく社会の歯車やってる身だからよ」

 甘い死と苦い悔恨。
 手が届いた者と届かなかった者。
 少女達の、そして少年の物語は単なる終着には留まらず界聖杯という異界にまで流れ込むに至った。
 片や小鳥に寄り添う雷霆。片や少年の背を見つめる復讐者。
 それが、此処でようやく交わった。


826 : ねぇねぇねぇ。(前編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:36:54 6U2.iZ7M0

 ……であれば。彼の、彼らのマスター達も。
 互いの運命に導かれるまま、巡り会うのが自明の理。
 小休止を迎えた戦端と並行して、小鳥と少年。
 そしてシュガーライフとビターライフ、混じり合うことのない二つの愛もまた――邂逅を果たさんとしていた。


【二日目・早朝/中央区・高級住宅街】

【アヴェンジャー(デッドプール)@DEADPOOL(実写版)】
[状態]:『赫刀』による内部ダメージ(小)、気道から肺までが冷気によりほぼ完全に壊死(急速回復中)
[装備]:二本の刀、拳銃、ナイフ
[道具]:予選マスターからパクったスマートフォン、あさひのパーカー&金属バット
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:俺ちゃん、ガキの味方になるぜ。
0:お前がそう望むなら、やってやるよ。
1:あさひと共に聖杯戦争に勝ち残る。
2:星野アイ達には必ず落とし前を付けさせるが、今は機を伺う。
3:真乃達や何処かにいるかもしれない神戸しおを始末するときは自分が引き受ける。だが、今は様子見をしておきたい。
4:黄金時代(北条沙都子)には警戒する。あのガキは厄(ヤバ)い
[備考]
※『赫刀』による内部ダメージが残っていますが、鬼や魔の属性を持たない為に軽微な影響に留まっています。時間経過で治癒するかは不明です。
※櫻木真乃、ガムテと連絡先を交換しました。
※ネットで流されたあさひに関する炎上は、ライダー(殺島飛露鬼)またはその協力者が関与していると考えています。

【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:健康、クードス蓄積(現在3騎分)
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:マスター。君が選んだのはそれなんだね。
1:マスターを支え続ける。彼女が、何を選んだとしても。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
3:松坂さとうがマスターに牙を剥いた時はこの手で殺す。……なるべくやりたくない。
4:バーサーカー(鬼舞辻無惨)への強い警戒。
[備考]
※予選期間中にキャスター(童磨)と交戦しています。また予選期間中に童磨を含む2騎との交戦(OP『SWEET HURT』参照)を経験したことでクードスが蓄積されています。
※神戸しおと神戸あさひが、現在交戦関係にあるかもしれないと思っています


827 : ◆0pIloi6gg. :2022/07/16(土) 21:37:20 6U2.iZ7M0
投下終了です。後編も期限までには投下します。


828 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:31:21 3wsyXOms0
後編を投下します。


829 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:32:02 3wsyXOms0
 時刻は少し前へと遡る。

 何が起こっているのか分からない。
 それが、神戸あさひの置かれている状況だった。
 デッドプールから無言で手渡されたスマートフォン。
 テレビアプリが起動されているそこに映っていた惨状は、あさひが鏡面世界で疲れた身体を休めていた間に生まれたものであるという。
 それを見てあさひが思ったのは、前述の感想。
 思わず理解を拒みたくなるような現実が、画面の向こうの某区に横たわっていた。

 都市の消滅。犠牲者数を推し測ることすら難しいような大惨事。
 神戸あさひの心を挫き、彼の弱気をこれでもかと膨れ上がらせるには充分すぎる現実だった。
 ……そう、"だった"。つい数時間前までの彼ならばきっとそんな無様を晒していただろう。
 弱く、脆い、最後に何も勝ち取れない無力な負け犬の本分をこれでもかと果たしていたことだろう。

「なんだよ。案外驚かねーんだな」
「一応、覚悟は決めたつもりだからな。いちいち……見ず知らずの誰かの不幸に思いを馳せちゃいられない」
「ははっ、爆笑(ウケ)る。いい感じに人でなしらしくなってきたじゃんか、昆布アイス」

 しかし、今の彼は違う。
 皮肉にも彼にとって守るべき妹が。
 守るべき存在でありながら、どうしようもなく道を違えてしまった肉親が、この世界に招かれていること。
 それを知ったことが神戸あさひの弱さを強さへと昇華させた。
 妹を殺す覚悟。今までは何処か漠然と抱いていただけだったその決心が、現実として妹の存在を知ったことによってより確たるものへと変わった。
 あさひという優しくて弱い少年の背を押す、追い風となった。

「……黄金時代(ノスタルジア)はまだ戻らないのか? 話す用があったんだろう」
「あー。何処で油売ってんだろうなぁ、あいつ」
「まさか暇潰しってわけじゃないだろうな。……それなら悪いけど他を当たってくれ。
 覚悟は決めた、とは言ったけど――俺はお前ほど強くないんだ。まだ、色々と整理をつける時間がほしい」
「そんなんじゃね〜よ、ヘタレ。オレはちゃんと、お前に聞かせておきたい話があるから此処までやって来たんだ」

 聞かせておきたい話? あさひは眉を顰める。
 それに対しガムテはふうと嘆息しながら、右手に握っていた手鏡を彼に示した。
 ミラミラの能力。割れた子供達(グラス・チルドレン)の今を支える、その力。
 これが無ければきっと、ガムテ達はとっくに見つけ出されて袋叩きにされるか、憎きビッグ・マム頼みの戦局を演じる以外術がなくなっていた筈だ。
 鏡面世界と現実世界を自由自在に行き来する力は、当然。
 鏡面の中から現実の世界を一方的に観測する、そんな無法をすらも可能としてくれる。

「オレらの拠点(アジト)があるこの中央区の中に、間抜けな虫どもが入り込んだみたいでな。
 当然何らかの形で迎撃なり何なりしようと思ってたんだけどよォ――」
「……手を貸してほしいってことか?」
「ま、直球(ストレート)で言うとそうなる。ウチのババアを呼んでもいいけど、あんな化物を連戦させすぎるとこっちの消耗が渋いからな。
 Pたんの方も色々あって満身創痍と来たら、いよいよ猫の手も借りたい状況さ」

 あさひはデッドプールの方を見た。
 ……そこまではいいものの、マスクのせいで彼が何を考えているのかはよく分からない。
 はあ、と溜息をついてもう一度ガムテに向き直り、口を開く。

「……分かった。アヴェンジャーを向かわせるよ」
「はい、減点(ペケ)〜。何でもかんでも安請け合いすんな」


830 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:33:40 3wsyXOms0
「痛っ……! お、お前が手を貸してくれって言ったんだろ……!!」

 デコピンを打ち込まれて額を赤くしながら抗議するあさひ。
 ガムテはそんな彼に、「平和ボケしてんな〜ッ」と大袈裟に天を仰いでみせた。

「いいか〜? 頼みを受けるのはいいけどよ、最低限敵の数と鉄火場の状況くらい聞け。
 聖杯戦争のマスターなんて連中は下手な極道者よりも狡猾(ズル)い……勿論オレも含めてな。
 そうやっていい子ちゃんキメてたら、いつかどっかのクソに使い潰されるぜ」
「ッ。それは――」
「アヴェンジャーが出払って、鏡面世界に居るのがお前だけになった所で令呪でも奪うつもりかもしれねえぞ?
 願い叶えたいなら、幸福(しあわせ)掴みたいんなら他人は徹底的に疑え。よく言うだろ、人間は考えるワカメだってよ〜〜」
「……、……それを言うなら葦だろ、バカ」

 悔しいが、正論だった。
 あさひは子供だ。そして、彼は根っこの部分が善良だ。
 家族の幸せを壊す奴は憎むし、心の汚い大人のことは嫌悪する。
 しかしそれはそれとして、彼は他人から向けられる好意や善意に慣れていない。脆い、とも言い換えられるだろう。

 心の綺麗な悪人なんて、この界聖杯にはごまんと居る。
 あさひの心を理解し、その上でだが殺すと割り切れる人間は決して希少ではないのだ。
 なまじ多くの子供達を見てきたガムテだからこそ、あさひのそんな脆さを見抜くことが出来た。
 見抜いた上で、その脆いところに釘を刺した。
 せっかく得た同盟相手を失いたくないからだと解釈することも可能だろう。
 だが、或いは。それはガムテから、目の前の"子供"に対しての――

「状況を教えてくれ。協力するかどうかは、それ次第で決める」
「了解(りょ)。敵は二組で一緒になって動いてる。当然サーヴァントも二体だ」
「……、……」
「な? ちゃんと状況聞いておくに越したことね〜だろ?」

 けらけらと笑うガムテに、あさひはげっそりとした顔をする。
 それはさておき、アヴェンジャー単体で向き合わせるにはかなり分の悪い場面だ。
 アヴェンジャーの強さは信頼しているが、単純にリスクが大きすぎる。
 断るべきか、此処は……? 考えるあさひに、ガムテは続けた。

「とはいえ、まあ安心しな。アヴェンジャーだけに全部任せるつもりはねえ。
 任せたいのは足止めだ。二組を分断して、アヴェンジャーから逃げた方をブッ叩く」
「そっちが本命、ってわけか」
「そういうこと。あちらさんも鏡面世界(ミラミラ)のことは知らねえだろうからな。上手くいけば不意討ちで二人共持っていけるかもしれねえ」
「……、……」

 確かに、悪い話ではない。
 アヴェンジャーの頑丈さについてはあさひも知るところだ。
 彼ならばサーヴァントの一騎、もしかすると二騎とも引き受けられるかもしれない。
 それから首尾よく暗殺を遂行出来れば大きな戦果だ。
 とはいえ、如何に不死身のアヴェンジャーとはいえ相手のサーヴァントが搦め手に自信のある手合いだった場合、やはりリスクは非常に大きくなる。

 どうするべきか――あさひは考える。相棒に聞くのではなく、今は自ら考えることを選んだ。
 まるでそれは、ルール無用の戦いの中での心構えを教えてくれたガムテに応えるかのような姿勢であった。


831 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:34:15 3wsyXOms0

「……その二組の姿って今も見れるのか?」
「ああ、見れるぜ。こいつらだよ」

 無数に存在する鏡の一つが、まるでモニターのように映像を灯す。
 そこに映し出されたのは二人の少女だった。
 傍目にはただの人間にしか見えないが、見れば確かに片腕を不自然に隠している。
 そしてそうでなくても、こんな情勢の街で真夜中の市街地を歩いている少女達というのは十分に嫌疑をかけるに足る相手だ。
 しかし――今のあさひには、そんな細々としたことを考える余裕はなかった。
 彼は今、ただ鏡に映し出された現実世界の映像に釘付けになっていた。

「あさひ?」
「何だよどうした? 覗きの喜びに目覚めちゃった?
 時代が悪いからやめときな、暇なおばさんにツイッターで目付けられちまうぜ」

 ガムテの声。
 デッドプールの、いつもの戯言。
 それもまた、あさひの耳には入らなかった。
 目を見開いて。猫の瞳孔のようなその瞳を、画面の二人に注いでいる。
 様子のおかしさに気付いたガムテがデッドプールへ目を向ける。
 デッドプールは無言だったが、しかし……彼は既に事の次第に察しが付いているようだった。

「誰が居た?」

 沈黙を破り、デッドプールが投げかけたのはごく短い言葉。
 神戸あさひは狭い世界で生きてきた人間だ。
 その彼にこんな反応をさせることが出来る人間となると、やはりごく限られる。
 愛する母か。訣別した妹か。憎悪してもし足りない父親か。
 否、その誰でもない。何故なら鏡に映る二つの影は、いずれも"少女"だったのだから。
 年頃で言えばあさひとそう変わらない、女子高生くらいに見える"少女達"。

「……俺に、すごく優しくしてくれた人と」

 ああ、なんであなたが此処に居るんだ。
 あなたみたいな優しい人が、なんでこんなところに居るんだよ。
 静かに眠っていてほしかった。もう二度とその優しい心が誰にも踏み躙られないように、せめて静かに、と思っていた。
 野良犬のようにみすぼらしく這々の体で生きていた自分。そんな自分にパンを恵んでくれた、綺麗な小鳥。
 鏡の向こうにその人が居た。会いに行きたい、会いに行ってどうする、二つの感情が螺旋を描くのだろう――本来なら。

「俺から……俺たちから」

 だけど、そうはならなかった。
 あさひの中に渦巻く感情は、やはり二つ。
 小鳥を見つけたことに対する動揺と、そして――

「――大事な家族を奪った、悪魔が居る」

 激しい、自分でも驚いてしまうほど激しい、憎悪だった。


832 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:34:51 3wsyXOms0
 小鳥の隣を我が物顔で歩くその女の名前を、神戸あさひは知っている。
 松坂さとう。自分と母からしおという月を奪った、忌々しい悪魔。
 死して尚しおを手放すことをしない、憎くて憎くて堪らないあの女。
 
「……ガムテ」
「何だよ」
「此処に居る子供達(やつら)から聞いたんだ。
 口に含むだけで強くなれる、人間を超えられる……そんな麻薬(くすり)があるって」
「……ああ、あるよ。だけどよあさひ。お前――自分の言ってることの意味、分かってんだよな?」

 何故お前があの人の隣に居るんだ。
 あんなことをしておいて、自分の手で殺しておいて。
 なんでそんなことが出来るんだ。
 お前は、何なんだ。
 どうしてお前はいつもそうやって――誰かの幸せを奪うんだ。
 燃え上がる憎悪は沸騰した糖蜜のようにどろりと、あさひの心に絡まった。

「分かってる。多分お前よりも、……分かってると思う」

 これは、決して必要な行動ではない。
 むしろ合理性に欠く。リスクとリターンの釣り合いが取れていない。
 自分は馬鹿なことをしようとしている――そう分かった上であさひは、ガムテの目を見た。
 今だけは、デッドプールには頼れない。彼を頼ってはいけないと、あさひはそう思っていた。
 これは自分が自分の脳で考えて決めて、そして自分の手でやらなきゃいけないことなのだと。

「――だから頼むよ、ガムテ。俺に今度こそ……あの悪魔を殺させてくれ」


◆◆


 それは、あまりに突然のことだった。
 GVが童磨と交代する胸を告げ、さとうとしょうこの二人を物陰に隠れさせた上で立ち去ったその三十秒ほど後。
 しょうこは最初、それを獣だと思った。
 だがさとうは違った。二人の判断を分けたのはきっと、人でなしかどうかの差であろう。
 
「避けて、しょーこちゃん!」

 ほとんど飛び退くような動きで、さとうはそれだけ叫んで地面を転がった。
 しょうこがその言葉を聞いてから動き出すまでに要した時間は、正直なところ遅すぎると言う他なかったが。
 しかし幸い。ことこの場に限っては、しょうこはそれでも大丈夫だった。
 何故なら夜闇を切り裂いて突如出現したその襲撃者は……最初から。
 松坂さとうただ一人を狙って現れた、そういう存在であったのだから。

 さとうの頭が数秒前まで存在した地点の地面が、爆ぜた。
 そう見紛うほどの威力で振り下ろされた"武器"が、アスファルトを砕いて砲弾の直撃をすら思わす衝撃波を生んだのだ。
 事実、さとうもしょうこもこれはサーヴァントの襲撃だと思って憚らなかった。
 だからこそ……襲撃者の正体を視認し、理解が追い付いた時の驚きもまた――大きかった。


833 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:35:42 3wsyXOms0

「――え、あ? なん、で……?」

 しょうこの動揺の声が虚しく響く。
 しかしその声に、少年は返事をしない。
 振り向くことすらしない。自分の友人の方を向き、ひしゃげた金属バットを片手に肩を揺らすその少年。
 それが誰なのか、しょうこにはすぐに分かった。
 服装の違いなんて些細なことだ。その背格好、漂う雰囲気――それはしょうこにとって、どうしても忘れることの出来ないものだったから。

「何してるの……やめてよ、ちょっと。ねえ、あさ――」
「来るな!」

 びく、としょうこの身体が震える。
 そんな声を聞いたことはなかった。
 小動物のようだった彼の声とは思えない、怒りと憎しみに歪んだ声。
 そして少年は振り返らない。振り返らないままで、絞り出すようにしてしょうこへと言う。

「……来ないでくれ。あなたのことは、巻き込みたくないんだ」

 それきり。これ以上言うことはないとばかりに、襲撃者――神戸あさひは飛騨しょうこに話しかけることを止め。
 自分の前方でゆらりと立ち上がる憎き悪魔――松坂さとうの顔を睨み付けた。
 あいも変わらないその姿。見てくれだけは綺麗な、忌まわしい女。
 あさひから全てを奪った女。妹に甘い呪いをかけて死んだ、仇。
 目元に麻薬服用の証たる紋様を浮かび上がらせて、あさひは彼女に対し口を開く。
 口内にある麻薬、地獄への回数券の感触を舌で確認しながら……放った言葉は。

「お前は、何がしたいんだ」

 悪罵の声ではなく、単純な疑問だった。
 
「いつもいつも、人の大切なものを奪って。
 殺して、壊して、呪って。おまけに自分で殺した人を、何もなかったみたいに隣に侍らせて。
 そんなにも他人を利用するのは楽しいのか? 自分の欲しいもののためなら、他の人たちはどうでもいいのか」

 割れた子供達の一人から譲り受けた金属バットは、最初の一撃で既に飴細工のようになってしまった。
 しかしこれでも十分だ。何なら素手でだっていい。
 今のあさひは決して非力な少年ではないのだ。
 "地獄への回数券"は凡人を超人に変える。
 麻薬を服用(キメ)た今のあさひに勝てるマスターなど、魔境と化したこの東京の中にさえどれほど居るか。

「お前は生きてちゃいけない存在だ。お前が手に入れていいものなんて、この世の何処にもない」
「……、……」
「お前のせいで、しおは……あいつは、変わってしまった。
 もう居ないお前の存在に呪われて、お前のようになってしまったんだ」
「……それで、私を殺しに来たってこと?」


834 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:36:31 3wsyXOms0
「――ああ、そうだよ」

 あの時犯した間違いが、今なら分かる。
 あの時自分は、この女を殺しておくべきだったのだ。
 しおを押しのけてでも、この女の頭にバットを振り下ろすべきだった。
 そうすればしおは自分のことを嫌いになったかもしれない。
 決して許さないと憎悪したかもしれない……だけど、それでも。
 あんな風になることは、きっとなかっただろう。
 自分の失敗がしおを殺した。殺してしまったんだ。あさひは、そう確信していた。

「お前はしおの仇だ。絶対に、殺してやる」
「……ふうん」
「もう二度とお前に殺されたり、呪われたりする人間が生まれないように。
 俺が此処で……今度こそ! お前という悪魔を、終わらせてやる!!」
「あのさ」

 言いたいこと、思いの丈を全てぶち撒けたあさひは改めてさとうの顔を見て。
 そこで、時間が止まったような錯覚を覚えた。


「そんなだからしおちゃんに捨てられたんじゃないの?」

 ……。
 …………。
 ………………。

 ……この女は、何を言っているんだ?
 麻薬であらゆる感覚を超強化されたあさひの頭を、疑問符が埋め尽くす。
 理解不能の一言だった。何故今、この場面でそんな言葉が出てくる。
 自分の言ったことをちゃんと聞いていたのか。聞いた上で、こんなことを言っているのか。
 そんなあさひには一切頓着せず。恐れている様子もなく、さとうの口は淀みなく動いていく。

「私が居なくなれば、しおちゃんが私のことなんて忘れてくれるとか思ってた?
 私のお城で食べたおいしいお菓子や楽しい玩具。私と過ごした時間や、思い描いていた未来。
 それを全部忘れてまっさらな状態で、あの子に衣食住もまともに保証してあげられない貧相な家に帰ってきてくれるって?」

 かち、かち、と。
 あさひの歯が、鳴った。
 恐怖からではない。限界を超えた、とある感情で。

「教えてあげる。あの子はね、お人形なんかじゃないんだよ」
「――黙れ」
「あの子にだって自分があるの。生きているから大きくだってなる。
 自分で考えるし、自分で選ぶし、自分で歩く。
 自分達家族にとっての理想の姿じゃなくなったからって、追いかけることもせずに"しおは死んだ"って?」


835 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:37:28 3wsyXOms0

 ふは、と、さとうは鼻で笑った。
 あさひは生まれて初めて、怒りが限界を超えると声すら上手く出せなくなるのだということを知った。
 黙れ。お前がそれを語るな。お前に何が分かる。お前さえ居なければ、しおがあんな風になることなんてなかったのにと。
 吐き散らしたいのに、出てきたのは「黙れ」の一言だけだった。

「そんなに変わらないものが好きなら、子猫でも飼ってみたらいいんじゃないかな。
 別に子犬でもいいと思うけど。首輪が外れて逃げちゃうのが嫌なあなたにとっては、案外ハムスターとかの方がいいのかもね」

 さとうの眼が、あさひの眼を見据える。
 ひどく冷めた眼だった。恐怖すらない、悪意すらない。
 ただ底抜けの無関心だけが鎮座する、そんな眼だった。
 否が応にも理解させられる。この女がこの世界で何を思い、何のために戦っているのかは知らないが。
 それでも。彼女が自分と母親、しおの本当の家族のことについて思いを馳せたことは――きっと一刻たりとてなかったのだと。

「私が最初にしおちゃんと会った時。あの子、どこでどうしてたと思う?」

 さとうは知っている。
 "あの子"を置いて立ち去る母親の後ろ姿を。
 今思えばただ愛がないから捨てた、訳じゃなかったのかもしれない。
 然るべき行政の手に委ねたかった、とか。
 自分では幸せに出来ないから、とか。
 そういう理由で手放した背景があったのかもしれない。
 さとうにとってそれは、ひどくどうでもいいことだったが。

「"あの人のビンは、私がいるだけでこわれちゃうんだ"
 "それがわかったから、もういいの"。そう言って――雨の中で泣いてたんだよ」
「黙れ……黙れ、悪魔。お前が、俺たち家族のことを……」
「あれ。"呪われた"しおちゃんは、もう家族じゃないんじゃなかったっけ」

 あさひがしおを切り捨てる決断をしたことは、間違いなく正しい。
 さとうも別にそれを責めるつもりはなかった。
 それに、察せたこともある。あさひが語るしおと自分の知るしおのイメージが、どうにも一致しない。
 だからきっと、彼は自分が過ごしていた時間よりも先の未来からこの世界へ引っ張られてきたのだろう。
 そしてその未来では、恐らく、自分は――しおちゃんの傍に居ない。

「あなた達家族はどこまでも勝手。最初に手放したのは、捨てたのはあなた達の方なのに」
「……、……」
「それなのに、それを誰かが拾ったらやっぱり返してって?
 子供を捨てなきゃいけないような親と、まともな暮らしをしてきた様子もない兄(きょうだい)のところに?
 挙句、取り返したはいいけど自分の思ってた妹じゃないからやっぱりいらない?」


836 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:38:11 3wsyXOms0

 それが分かっても、不思議と動揺はあまりなかった。
 此処に来てすぐの私なら、きっと焦っていただろうなと。
 どこか他人事のようにそう考えながら、さとうはあさひを見下ろした。
 どんな手を使ったのか、人間など遥かに超えた力を手に入れている彼だったが。
 その姿は――あまりに、矮小(ちいさ)かった。
 
「論外だよね。無責任にも程がある」

 ああ、やっぱり。
 全然怖くない。
 力のない者が笑い、力のある者が震える矛盾した絵面の中で。 
 さとうは神戸あさひを根本から否定する。
 自分を否定する人間が現れることは、別にいい。いちいち気にしないし、邪魔するならその都度排除するだけ。
 でも――だけど。

「お兄ちゃんなんだったら、もう少ししおちゃんのことも考えてあげたら?」
「――黙れえぇぇえええええッ!!」

 こいつにだけはそれを言われたくないと。
 神戸家(こいつら)にだけは、知った口を利かれたくないと。
 さとうは明確にそう思ったから、彼に容赦のない冷笑を浴びせた。
 それは本来なら悪手も悪手。あさひが迷わず怒りのままに、素早く事を済ませられる人間だったなら――さとうは最悪死んでいた。

 だが。神戸あさひという少年は結局、とことんまでにこういう暴力沙汰に向いていなかったのだ。
 
 浴びせかけられた予期せぬ糾弾と否定で、心を縫い止められて。
 その気になれば一瞬で全てを終わらせられる力を持っているのに、固まってしまって。
 心の傷口を開かれて塩を擦り込まれて、挙句心の柔らかい部分を笑いながら足蹴にされて。
 そこまで済んだところでようやく――あさひは動くことが出来た。
 ほとんど絶叫に近い咆哮をあげながら襲いかかったあさひ。
 しかし事が此処まで遅れては、もう。
 彼が本懐を遂げることは……出来ない。


「おっとっと、危ない危ない」
「――ぎ、ッ……!?」


 あさひの背中から、何かが彼の体内に突き刺さった。


837 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:38:47 3wsyXOms0
 幼女のそれのように肉の薄い腹部を突き破って、鬼の腕が生える。
 彼の後ろに立っているのは、頭から血を被ったような鬼だった。
 虹色の眼を早朝の薄ぼけた闇の中に爛々と輝かせながら、その鬼は――松坂さとうのサーヴァントは到着を果たしていた。

「遅い。もっと早く来てくれないと困るんだけど。念話も飛ばしてたよね?」
「いやあ、何やらさとうちゃんが楽しそうだったものだからね。
 色々疲れも溜まっているのだろうし、気が済むまで発散させてあげようと俺なりに気を回してみたのだが」
「要らないから、そういう気遣い。私がストレス溜まってると思うなら、普段の無駄話を減らす努力をしてくれない?」
「またそうやって釣れないことを言う……おや? この少年も妙な体をしているな。
 鬼を喰って体質を変えた鬼狩りに似ているが、どちらかというと薬効の類なのかな」

 ……地獄への回数券は、凡人を超人に変える麻薬だ。
 しかし外付けの力でブーストしたとしても、凡人は凡人。
 肉体の限界値まで研鑽を積んだ真正の超人や、サーヴァントのような生来の怪物には遠く及べない。
 事実としてあさひは、自分を貫いた童磨の腕を退かすことも、振り向いて彼の頭部を粉砕することも出来なかった。

「あ゛ッ、が、ぐぁ、ぎ、ぎあ、ァ――」
「うぅむ、胃袋の中には特殊な物質は確認出来ないな。
 ああ、そういえば人間の身体は腸が最も効率よく薬を吸収すると聞いたことがある。
 そっちの方も開いてみようか」
「づ、ッッ!? ぐぁ、いがッ、あ゛、あ゛あぁ゛ッ、あぁ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛ぁぁぁ゛――!!!」
「程々にね。あと、紙麻薬だったら口の中に残ってる可能性もあるんじゃない?」

 突き込んだ手がぐちゃり、ずちゃりと腥い水音を鳴らしながらあさひの体内を弄ぶ。
 溢れ出す鮮血と臓器の損壊はどれ一つ取っても致死だが、強化されている彼の肉体はそれらの損傷をリアルタイムで自動修復していく。
 破かれた胃袋、握り潰された大腸、開かれた食道、それらは全てあさひを殺さない。
 地獄の苦痛を与えるだけ与えて、時間さえ経てば嘘のように傷が癒えていく。

 そして、それを――
 一人見ていた、少女は。


838 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:39:43 3wsyXOms0
◆◆


 何も出来なかった。
 何も、言えなかった。
 飛騨しょうこの言葉は、神戸あさひを振り向かせることすら出来なかった。
 突き付けられた拒絶は彼らしい、優しさに満ちたもので。

 だからこそ……動けなかった。
 此処で自分が動くことを彼は望んでいない。
 神戸あさひは、松坂さとうとの因縁の決着だけを望んでいる。
 そのことが痛いほど分かってしまったから、動けなかった。
 大事な時にはいつも蚊帳の外にされてしまう自分の無力を呪ったし。
 せっかくまた会えたのに、あの子に見てすら貰えないのが悲しかった。
 
 ぺたりと地面に座り込んで。
 しょうこはただ、あさひが否定される様を見ていた。
 やがて彼の背後には、あの鬼が現れて。
 優しい少年の腹は後ろから貫かれ、濁った惨たらしい悲鳴が響くばかりになった。

「……やめて、よ」

 こぼす言葉は、誰の耳にも届かない。
 しょうこはこの場でにおいて、誰よりも無力だった。
 いつものように。彼女は、ただの小鳥でしかなかった。

「さとう、ねえ、やめて――もう」

 それにそうでなくたって、こんな私の言葉を誰が聞いてくれるというのだろう。
 しょうこは決めた筈だった。あさひの味方ではなく、さとうの味方をすると。
 そう決めたからこそ、彼女の隣を歩めていた筈だった。
 なのに今の自分はどうしたことだろう。
 あさひが、あの子が殺されてしまうかもしれないことに怯え、それだけに恐怖している。
 さとうのキャスターが助けに入らなかったなら。
 殺されていたのはきっと、さとうの方だったのに。

 人はしょうこを小鳥と呼ぶが。
 しょうこは自分のことを、そんな綺麗な存在だとはとても思えなかった。
 友と、あの子。その間をどっち付かずにふらふらと彷徨う蝙蝠。
 一番の卑怯者だと、そう自罰せずにはいられなかった。

「う、あ、ああああ、あ」

 泣けばそれでどうにかなるの?
 また、誰の手も握れないまま。
 そうして無価値に、死んでいくつもり?
 囁く声は自分自身の声で、だからこそ耳を塞ぎようもなくて。
 ふと、しょうこは自分の右手に視線を向けた。
 そこにある、一画きりの刻印――これを使えば。
 これを使ってアーチャーを呼べば、この場をどうにか出来るかもしれない。


839 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:40:11 3wsyXOms0
「(それで)」

 どの道自分には、どうすることも出来ない。
 不思議な力もなければ、さとうのように行動力があるわけでもない。
 唯一あるのはアーチャーとの縁。彼に頼ることが一番なんじゃないか。
 この場をどうにか取り持って貰って、さとうにもそしてあさひくんにも、自分の意思を伝えられれば。
 そうすればいい。それが、自分の理想を叶える一番の最適解なのだから。

「それで、本当に、いいの……?」

 向き合いたいと、思ったんじゃなかったのか。

 もう二度と間違わないと。
 間違いたく、ないって。
 そう決めたんじゃなかったのか。

「……私は、さとうの友達で居たい。あの子の味方で、居たい」

 でも。

「でも……あさひくんのことだって、やっぱり見捨てたくないよ」

 私はきっと最後にさとうの味方をするだろう。
 そこのところは、もう裏切りたくない。
 だとしたらいつか、私かさとうが彼を殺す時も来るのかもしれない。
 それを嫌だって言うのは、子供じみたわがままでしかないけれど。
 でもせめて、少しくらい。
 少しくらい、お話をさせてほしい。
 あの子に伝えられてない言葉が、言えてないことが、まだ私にはあるんだから――



 気付いた時、私はやっぱり間違えていた。
 震えは、もう止まっていた。




◆◆


840 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:40:51 3wsyXOms0


 ――痛い、痛い、痛い、痛い。
 身体の中身を文字通りぐちゃぐちゃにかき混ぜられて。
 肉の詰まったずだ袋のようになった身体は、だけど自分のものじゃないみたいに蠢きながら治っていく。
 悪魔の手が口の中に入ってくる前に、あの麻薬を呑み込んだのはせめてもの抵抗だった。

 だけどそれがどれほどのものになるのだろう。
 念話を飛ばす余裕すらなく、俺は、片手の令呪に力を込めた。
 これを奪われたり潰されたりしたら、その時はいよいよ打つ手がないから。
 
 アヴェンジャー。デッドプール。
 こんな俺に、手を差し伸べてくれた変なヤツ。
 俺はこうしてまた、あいつに頼ってしまう。
 あいつは俺が復讐のために打って出ると、この手で悪魔を殺すと言った時。
 止めはしなかった。だけど、ひとつ"代案"も示してきた。

『お前がその女を殺すの、別に止めはしねえけどよ。
 俺ちゃんの方が先に殺しちまえたら、その時は恨みっこなしだぜ』

 あいつは俺に手を汚させたくなかったんだと、思う。
 だけどあいつは失敗した。松坂さとうを、殺し切れなかった。
 だから俺の番が回ってきた。あいつに念話をしなかった理由は、我ながら子供じみている。
 どんな顔をして話しかければいいか、分からなかったんだ。
 だって俺は、いつも通りの憎まれ口を叩くあいつに……言ってしまったから。

『邪魔をしないでくれ、アヴェンジャー。これは……これだけは、俺がやるんだ』
『い〜や、俺ちゃんもいっちょ噛みさせて貰うね。あんまりキルレ低いと英霊の座で馬鹿にされちまうからな』
『っ……邪魔だって言ってるだろ!』

 邪魔だ、と。
 余計なことをするな、と。
 そう、俺はあいつに言ってしまった。
 だからあいつが悪魔を仕留め損ねたと聞いた時も――こう思ったんだ。
 やった、って。あいつ、失敗したんだって。
 そう思いながら、無邪気に喜んだ。

 その結果が、これだ。

 目的は遂げられない。
 悪魔を殺すどころか、傷をつけることも出来なかった。
 殺すと決めて鏡の世界を飛び出た筈なのに、俺には何も出来なかった。
 そして今。俺は邪魔だと罵って、失敗を喜んだ相手に、助けを求めようとしている。

「(情け、ないな。俺……)」

 なんて情けないんだろう、俺は。
 目から、痛みによるものじゃない涙が流れ落ちた。
 あまりに情けなくて、やるせなくて。
 心に深く突き刺さった言葉の鏃も相俟って、この期に及んで尚恥を重ねてしまう。
 
「(それ、でも……)」

 ――それでも。
 ――死ぬことだけは、出来ないから。


841 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:41:57 3wsyXOms0

「(たと、え……誰に何と、罵られようとも……。
  それでも、俺は……見たいし、辿り着きたいんだ……
  俺たちに……家族に、あったはずの、未来に……っ)」

 令呪を使おうとする。
 デッドプールを此処に呼んで、助けてもらうために。
 そうしようとした、その時だった。
 俺の身体に、何か温かなものが縋り付いたのは。

「――しょーこちゃん?」

 悪魔が驚いたような声を出している。
 衝撃でだろうか。ずぼ、と俺に刺さっていた腕が抜けた。
 そのまま地面に投げ出されようとする俺の身体を、その"誰か"が抱き留めてくれた。
 血液の補填が追いつかず、まだ霞んでいる視界が。
 時間の経過と共に、だんだんと晴れてくる。
 そして俺が霞みの向こうに見た、その顔は。

「ごめん。ごめん、ごめん。
 ごめんね、さとう。私今、訳解んないこと、してるよね」

 俺よりも、ずっと涙でぐちゃぐちゃだった。
 
「でも、どうしても、ごめん。
 じっとしてられなくて、一言だけでも、って、思って……」

 ――なんで、泣くんだ。
 なんで、あなたが泣いてるんだ。
 此処は聖杯戦争。願いを持つ人間が、最後の一人になるまで殺し合う儀式場。
 そんな場所で、そんな顔で泣いてたら……あなたが優しい人だって、周りにバレてしまうのに。

「……何してるんですか」
「……何してるんだろね」

 名前を呼ぶあなたの顔は、もしかしたら俺にとって。
 しおと同じくらい、この世界で出会いたくないものだったのかもしれない。
 
 未だ窮地は去ってなんかいない。
 それでも何故か、俺は困ってしまって。
 気付けばそんな、場違いなことを言っていた。
 そんな俺に、あなたもやっぱり困ったような顔をして、笑っていた。


842 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:42:31 3wsyXOms0
◆◆


「……さとうちゃん? どうするんだい、これ」

 予想外の事態なのは、さとうにとっても同じだった。
 神戸あさひがサーヴァントを呼ぶ可能性は考えていたが、それ自体は然程脅威だと思ってはいなかった。
 何なら令呪を用いての強制転移であろうと、あのアヴェンジャーが駆け付けた時には全て手遅れの公算だったのだ。
 
 童磨は人を喰う。そして彼は、何も口で喰わずとも人間を取り込み糧にすることが出来るのだ。
 つまり、貫いた腕を捕食器官の代わりにして内側へ取り込み、捕食する。
 そういう芸当も可能なのである。これは童磨自身を除けば、さとうしか知らない情報だった。
 だからあさひが令呪を使っていたとしても、デッドプールは彼が喰われるまでに間に合わない。
 その筈だった。そのつもりだった。
 しかししょうこがあさひに抱き着いたことで腕が抜け、その状況が崩れてしまった。
 肩を竦めて見つめてくる童磨をよそに、さとうは顔を顰めていた。

「どうもこうもないよ」

 やることは変わらない。
 何一つ、変わらない。
 しょうこの突然の行動には面食らったが、彼女が自分を裏切ることはないだろうと今でもそう思っている。
 だから、これから童磨にさせる行動も当然筋が通るし。
 仮にしょうこが彼を守るためにこちらへ牙を剥くというのなら――、その時は。

「神戸あさひを殺して、キャスター」
「はは、まあそうなるよねえ。俺は男はあまり喰いたくない主義なんだが、君の命令とあっては仕方がない」

 その時は、あの時と同じことをするだけだ。
 あの時とはまた違った苦味が口を満たす中で、松坂さとうは生死の彼岸をすら超えて再会した二人を分かたんとする。

 が――


「は〜〜〜〜い、そこまでだぜ花嫁さんよォ〜〜〜〜ッ」


 夜闇を切り裂く、閃光が一つ。
 少なくともさとうには、それを眼で捉えることは出来なかった。
 回数券(クーポン)を服用したあさひは、彼の弱さを嬲る形で排除したものの、それでも眼で追えないほどの速さではなかった。
 だがこれは違う。彼とは明確に違う、次元が一つ二つ確実に上を行っている。
 事実として。童磨がその襲来に即応し鉄扇で受け止めていなければ、さとうはその令呪を切り飛ばされていたに違いない。


843 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:43:04 3wsyXOms0

「大丈夫かい、さとうちゃん?」
「……ありがと、助かった。あれ、サーヴァントじゃないよね?」
「そうだねえ、驚くべきことだが人間のようだ。ううむ、まさかしのぶちゃんより速く動く人間が居るとはなあ」

 童磨の背後へと逃れるさとう。
 襲撃者の正体は、顔にガムテープを貼り付けた歯抜けの少年だった。
 彼の刃が銀の軌跡を描きながら童磨と打ち合い、火花を散らす。
 
『い、痛いよガムテーッ! もっと優しく、ぶへえッ!?』
「喋んな。マジでへし折るぞ」

 不機嫌そうに呟きながら踊るように舞い、鬼と殺し合う姿はさながらピーターパン。
 とはいえ所詮は人間の身。彼も、本当に殺すつもりで斬りかかっていた訳ではない。
 いや、それ以前にだ。松坂さとうへの襲撃だって、片腕の切断のみで留めるつもりでいた。
 その理由は、今はまだ彼の頭の中だけにある。
 ガムテはあさひ達二人とさとう達との間に、くるりと宙返りをキメつつ着地。

 それからまず、彼はあさひの方を見て。

「もひとつ減点(ペケ)〜。サーヴァントが来たんだからよ、つまんね〜〜意地なんざ捨ててさっさと令呪切りな。
 おかげで考えてた計画(プラン)がおっ狂っちまったじゃねェ〜か」
「……ああ、確かにな。そうしとけば良かったって思ってるよ、今は」
「まあ分かりゃヨシ!だけどよ。次は容赦なく切り捨てっからな〜」

 そう駄目出しすれば、さとうの方へと一歩前に出た。
 彼に今この場で、すぐに殺し合いを演じようという気がないことを悟って。
 さとうも同じく前へと出る。無論、何か仕掛けてくるならすぐに童磨が動けるよう念話をした上でだ。
 ガムテは破壊の八極道の中でも最速を誇る殺し屋だが――本気の上弦が相手となれば、たとえ目的が奇襲の一刺しだとしても無視出来ないリスクが鎌首を擡げてしまうのは避けられない。

「神戸しおに会ったよ」
「……そう。元気にしてた?」
「あ゛〜〜、ありゃ元気すぎるくらいだなァ〜〜。
 お前よ、拉致(ユーカイ)したんならもうちょっと躾けとけよ」
「――で、目的は何。話がしたいから、サーヴァントを呼ばないでいるんでしょ?」

 軽口を叩き世間話を仕掛けてくる少年――ガムテに、さとうは何ら油断してはいなかった。
 この少年は危険だと、今しがた彼が見せた超人的な動きを見て既に理解している。
 警戒心を削げば致命的な結果に繋がると。さとうの脳はそう告げていた。
 そんなさとうにガムテは、問われたことへの答えを単刀直入に告げる。 

「直にオレのサーヴァントは帰ってくる。オレが急げば、もっと早く帰ってくるよ」
「……、……」
「新宿を更地にした傍迷惑な連中、居ただろ? 龍に化けるライダーと、鋼の翼のランサーだ。
 オレのサーヴァントはそいつらと同等の力を持ってる。認めたくはねえが……化物さ」


844 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:43:41 3wsyXOms0
「成程ね。言いたいことは分かったよ」

 小さく息を吐いて、さとうは言った。
 ガムテが今わざわざ自分のサーヴァントの強さを誇示した理由は、考えるまでもなく脅迫だ。
 都市を一度の戦いで崩壊させられるような連中、この聖杯戦争を常ならぬ様相に導いている元凶共。
 それと同等クラスの力を持つサーヴァントが此処に駆けつけるというのなら、さしものさとう達もどうにもならない。
 令呪を使って逃げるにしろ、一か八かで戦うにしろ……ただでさえ悪い状況が更に悪化するのは想像に難くなかった。

「求めるのは同盟かな。それとも――隷属?」
「それはそっちの出方次第だよ〜〜ん、"さとちゃん"。
 ただどっちにしろ、お前の愛しの"しおちゃん"とは敵対することになるけどなァ」
「……あまり気安くその名前を口にしないでほしいんだけどな」
「仕方ねえだろ? あいつの居る陣営(チーム)は、オレ達の勢力と目下バチバチの抗争中だ。
 オレももう一度会ったら殺すつもりでいるしな」

 それはさとうにとって、決して無視出来ない言葉ではあったが。
 さとう自身も未だ、しおに関する矛盾には答えを出せていない。

 先程あさひにはああ言ったが、もしも自分が――自分の死んだ後のしおと、自分と共に生きていた時のしお。
 どちらかを選び、どちらかを切り捨てねばならないのだと求められたなら。
 ……その時自分はどう答える。どちらの手を、取る。
 その答えには、さとうもまた辿り着けていないのだ。
 
「……分かった。話すのは構わないよ。
 あなたのサーヴァントが本当に新宿のライダーと同じくらい強いっていうんなら、私達だって無策で戦いたくはないから」
「イイね。じゃあとりあえず、急いで話すとして――」

 ガムテの眼があさひを見る。
 あさひは、しょうこの方を見ていた。
 さとうの眼がしょうこを見る。
 しょうこも、あさひの方を見ていた。

「此処じゃ邪魔が入るから、場所は変えようか」
「オッケー。ちゃんとサーヴァント連れてこいよ? 刺されても知らねえぞ」
「言われるまでもないよ。……ああ、キャスター。"御子"は一応配置しておいて」

 神戸あさひが松坂さとうを憎むように。
 松坂さとうもまた、神戸あさひを殺したいと考えている。
 何故なら彼は、単純明快に"邪魔"だからだ。
 未来で自分達のハッピーシュガーライフの邪魔をするらしい存在を、生かしておきたいだなんて思える訳もない。
 なのにわざわざ、童磨に"御子"を――彼と同じ出力を持つ氷人形を配置させた理由。


845 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:46:16 3wsyXOms0

 もちろんあさひのためなどではない。
 万一しょうこがあさひと完全に手を組み、自分を裏切ろうとした時。
 即座に同盟の成立を阻止して、キャスターと共に彼女を切り捨てるための備えだ。
 そして……もう一つ。

 これはあさひが牙を剥いた際にしょうこを守りつつ、彼を素早く抹殺するための備えでもあった。

「(……なんだか、変な味。この味は――知らないかも、しれない)」

 苦い味がする。
 だけどそれは、世の中の人やあの子の居ない日常に対して感じた苦さではなくて。
 じゃあそれが何から来る苦さなのかと言われると、やっぱり答えは出せなくて。
 ガムテとの交渉のテーブルへ向かう最中、さとうは一度だけしょうこの方を振り向いた。
 目が合った。しょうこは何か言おうとしていたけれど、無視して彼女から視線を外した。

 口の中は、相変わらず苦い。


【二日目・早朝/中央区・高級住宅街(裏路地)】

【神戸あさひ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(大)、自己嫌悪(大)、松坂さとうへの殺意と憎しみ、そして飛騨しょうこへの困惑と悲しみ、『地獄への回数券』服用中
[令呪]:残り3画
[装備]:デッドプールの拳銃(懐に隠している)、着替えの衣服(帽子やマスクを着用)
[道具]:リュックサック(保存食などの物資を収納)
[所持金]:数千円程度(日雇いによる臨時収入)
[思考・状況]
基本方針:絶対に勝ち残って、しおを取り戻す。そのために、全部“やり直す”。
0:ガムテと協力する。後戻りはもう出来ない。
1:折れないこと、曲がらないこと。それだけは絶対に貫きたい。
2:さよなら――しお。
3:星野アイと殺島は、いつか必ず潰す。
4:聖杯は、出来る限り諦めたくない。
5:櫻木さん達のことは、次に会ったら絶対に戦う……?
6:プロデューサーさんに、櫻木さんのことをいつか話すべきか……
7:あの悪魔を殺す。殺したい、けど、あの人は――
[備考]
※真乃達から着替え以外にも保存食などの物資を受け取っています。
※廃屋におでん達に向けた書き置きを残しました。内容についてはおまかせします。
※傷はだいたい治りました。デッドプールに念話をしたかどうかはおまかせします。

【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、苦い味
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:……この味は、何?
1:しおちゃんとはまだ会わない。今会ったらきっと、あの子を止めてしまう。
2:どんな手を使ってでも勝ち残る。
3:しょーこちゃんと組む。いずれ戦うことになっても、決して負けない。
4:もし、しおちゃんと出会ったら―――。
5:神戸あさひは邪魔なので早めに殺したい。
[備考]
※飛騨しょうこと連絡先を交換しました。
※キャスター(童磨)からの連絡によってバーサーカー(鬼舞辻無惨)の消滅を知りました。
※松坂さとうの叔母が命を落としたことを悟りました。


846 : ねぇねぇねぇ。(後編) ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:46:42 3wsyXOms0

【キャスター(童磨)@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:二対の鉄扇
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:もう一度“しのぶちゃん”に会いたい。
0:君の愛が、俺の先を行くものでないのなら。その時は俺が君の先を行くよ、さとうちゃん。
1:あ〜あ。あの彼(あさひ)、早めに食べておけばよかったな。
2:しょーこちゃんもまた愛の道を行く者なんだねぇ。くく、あはははは。
3:黒死牟殿や猗窩座殿とも会いたいなぁ
[備考]※予選期間中にアーチャー(ガンヴォルト(オルタ))と交戦しています。さとうの目を通して、彼の魔力の気配を察知しました。
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要ですが、さとうは索敵のために渋々受け入れています。

【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康、混乱(大)
[令呪]:残り2画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:さとうを信じたい。あさひくんにお礼を言いたい。そのためにも、諦められない。
0:何してんだろ、私……。
1:さとうと一緒に戦う。あの子のことは……いつか見えるその時に。
2:それはきっと"愛"だよ、さとう。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。
※GVに念話をしたかどうかはおまかせします。

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。そして、救われなかった子供達の“理想郷”を。
0:松坂さとう達への対処。決裂するようならライダーを呼び、殺す。
1:峰津院の対策を講じる。そのためにライダー(カイドウ)のマスターと打ち合わせたい。
2:もうひとりの蜘蛛が潜む『敵連合』への対策もする。
3:283陣営は一旦後回し。犯罪卿は落とせたが、今後の動向に関しても油断はしない。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
5:世田谷で峰津院のサーヴァントを撃退したのは何者だ?
6:じゃあな、偶像(アイドル)。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。
※さとう達に持ち掛ける話の内容は後の書き手さんにおまかせします。


※あさひとしょうこの傍には『結晶ノ御子』が一体配置されています。
 御子の視界は設定通り、リアルタイムでキャスター(童磨)に同期されています。


847 : ◆0pIloi6gg. :2022/07/18(月) 21:47:23 3wsyXOms0
投下終了です。メチャクチャおまたせしてしまってすみませんでした……


848 : ◆0pIloi6gg. :2022/07/19(火) 23:44:44 rDNPNaYk0
セイバー(宮本武蔵)
アーチャー(メロウリンク=アリティ)
七草にちか(騎)&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
櫻木真乃
田中摩美々 予約します。


849 : ◆A3H952TnBk :2022/07/20(水) 18:55:47 sSnaXFMs0
死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)
峰津院大和&ランサー(ベルゼバブ)
紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)
神戸しお&ライダー(デンジ)
星野アイ&ライダー(殺島飛露鬼)
田中一
予約します。


850 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/07/25(月) 22:23:22 Jzq6GX2w0
皮下真&ライダー(カイドウ)
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
北条沙都子&アルターエゴ(蘆屋道満)
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
ライダー(シャーロット・リンリン)


予約します


851 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/07/25(月) 23:53:14 f2az1RUk0
幽谷霧子&セイバー(黒死牟)
光月おでん&セイバー(継国縁壱)
仁科鳥子&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)
予約します


852 : ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:45:46 4fhRZ/Dc0
前編投下します。


853 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:46:41 4fhRZ/Dc0
◆◇◆◇



「さて……貴様の方から尻尾を見せるとはな」


東京タワー内部に佇む若き王―――峰津院大和は、目を細めながら言葉を紡ぐ。
電話越しの通話相手である“蜘蛛”を睨むような眼差しと共に、微かな笑みを口元に浮かべた。


「おかげで手間が省けた」


この東京二十三区の裏で暗躍する二つの影。
その片割れである“悪しき蜘蛛”が、自ら姿を現した。
大和にとって、紛れもなく僥倖だった。
以前より庭を這い回っていた害虫が、己の視界へと入り込んできたのだから。


「“もう一人の蜘蛛”は、既にランサーが殲滅へと向かっている」


“善なる蜘蛛”を中心とする脱出派の一味には、大和の従者であるランサーを差し向けた。
界聖杯にすら止められぬ圧倒的な暴威が、283を蹂躙するべく牙を剥いたのだ。
彼らの殲滅は時間の問題だろうと大和は確信していた。
それほどまでに、ベルゼバブという超級の英霊の実力には信を置いていた。


「で、その次は我々かね?」
「毒虫は面倒なものだ。捻り潰すことなど容易いが、野放しにすれば何時までも巣食い続ける。
 そして庭を蝕みながら蔓延り、やがては腐らせていく」
「的を射ているね。それが弱者の戦いというものだよ」
「それを心得ているのならば、話は早い」


飄々とした態度を崩さぬ蜘蛛―――アーチャーのサーヴァント、モリアーティ。
そんな彼に対し、大和は畳み掛けるように告げる。


「――『引っ越し』は御苦労だったな」


それは、紛れもなく“脅し”の一言。
蜘蛛の動向を掴んでいることを告げる、恐喝の言葉だった。


854 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:47:50 4fhRZ/Dc0


「大方、『デトネラット』の関連企業に逃げ込んだのだろう。
 拠点としての機能を果たせる『避難先』は既に絞り込んでいる」


あのDOCTOR.Kを名乗るアカウントからの情報リークは、大和にとって紛れもなく決定打だった。
デトネラットを中心とする不審な通信記録の数々。
直前に池袋で発生した災厄や以前より張り巡らせていた財閥の情報網とも噛み合い、大和の疑念は確信へと変わった。

複数の企業が見せていた不審な動きを、峰津院財閥は察知していた。
人員や資金の不審な動きが見られた企業群は、何れも幾つかの大企業との繋がりを持っていた。
その大企業の一つがデトネラットだった。

以前より疑いは掛かっていた。
されど決定的な証拠や痕跡は無い。
故に、それまで尻尾を掴み切ることは出来なかったが。
池袋でのデトネラット本社炎上とSNSでのリークによって、大和は『敵』を見据えた。

確かに蜘蛛は有能だった。
インフラやメディアを駆使した暗躍。
それらの痕跡を隠蔽してみせた巧妙な偽装。
社会戦、情報戦、諜報戦―――蜘蛛は間違いなく、盤面の糸を操っていた。
『彼ら以上の権力者』でなければ、その暗躍を俯瞰から見下ろすことも出来ないだろう。
この聖杯戦争において、誰よりも強かに立ち回っていた。


「貴様は強かだった。あれほどの小細工を重ねて、社会を蝕んでいたとはな―――まさに毒虫のように」


だが、『この街』を掌握しているのは蜘蛛ではない。
東京二十三区という大都市を高座から見下ろしているのは、峰津院財閥だ。
陰に潜まねばならぬ蜘蛛と、権威として君臨する王。
社会に及ぼす力という点において、圧倒的な差が存在する。


「首を差し出す準備を整えるといい。
 貴様の下らぬ茶番劇も幕引きの時間だ」
「成程。やはり君は相応の難敵だ」


故にその言葉は、蜘蛛を追い詰める処刑宣言となる。
されど蜘蛛は、苦笑いするように感心の態度を見せる。
どこか余裕のある態度を取る蜘蛛に、大和は微かながらも眉間に皺を寄せた。


「――――では改めて、まずは忠告を」


そして、蜘蛛が続けて口を開いた。
ここからは自分の手番である。
そう言わんばかりに。


「『鏡』には気を付けたまえ。“幼き殺し屋達”の首領が従えるサーヴァントは鏡面を介して遠隔視や盗聴、更には空間移動を行うことが出来る」


蜘蛛は躊躇わず、大和の出鼻を挫くように情報を提示した。
蜘蛛にとって死活問題となるその件は、同時に峰津院にとっても脅威となりうる。
社会になら何処にでもありふれている鏡面―――その全てが回避困難な盗聴器となり、隠しカメラとなり、敵の襲撃を許す抜け道となる。
情報戦や社会戦を軸足とする主従にとって、これほど恐ろしい攻撃はない。


「その能力によって、我々は池袋で強襲を受けた」


それを信じる確実な術は、大和にはない。
されど、蜘蛛が告げた一言―――『それこそが池袋強襲のきっかけである』という証言は、決して無視できなかった。
あれほど尻尾を掴ませなかった蜘蛛が、現に拠点への直接攻撃を受けている。
その事実は、蜘蛛が語る情報の信憑性を否応なしに高めた。


855 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:48:45 4fhRZ/Dc0

大和は、即座に周囲を確認した。
硝子や反射物になりうるもの――屋内である為に、幸いにして多くない。
―――“鏡面”となりうるものを全て撤去するように。窓も備え付けのシャッターで塞げ。
大和は側に控えていた紙越空魚にそう告げる。
通話が終わるのを待っていた空魚は「はい?」と表情を歪めるが、大和は“鏡面を介する能力”の可能性を説明し。
それを聞いた空魚は、僅かな驚愕の色とともに渋々指示を承諾した。
「別に召使いになったんじゃないんだけどな」「窓塞ぐのってこれ?」などと小言を吐きながらせっせと動く空魚を尻目に、大和は再び電話へと意識を向ける。

蜘蛛の忠告は、何を意味するのか。
その答えは、酷く単純だ。
攻勢に出ていた筈の大和が、蜘蛛の情報を聞かざるを得ない構図へと反転させられたのだ。
自分は君にとっての脅威となる情報を知っている――――それを印象付けてみせたのだから。


「ところで、例の投稿は見たね?君達が押さえている『霊地』と、283プロダクションの『脱出派』についての書き込みだ」


そして、間髪入れずに蜘蛛は切り出す。
DOCTOR.KがSNSで峰津院のアカウントへと伝えた“密告”の件だった。


「それを把握した上で、悠長にこの私の視界に入り込んできたのか」


峰津院財閥が押さえている二つの霊地の存在。
そして、283プロダクションに脱出派が集結している事実。
彼らが脱出を果たした瞬間に聖杯戦争はコールドゲームと化し、参加者の抹消が実行されるという情報。
それが真実なのか否かを、他の参加者には確かめる術はなくとも。
聖杯を狙う陣営にとって、それはあまりにも大きな脅威だった。
それを認識した上で、蜘蛛は飄々と峰津院大和へとコンタクトを取ってきたのだ。


「蜘蛛よ。貴様に問いたいことがある」
「何かネ?聞かせて貰おう」
「蜘蛛同士、敢えて互いを生かしているか―――手を結んでいるのだろう」


大和は己の中で抱いていた疑惑を切り出す。
スピーカー越しに「ほう」と蜘蛛の感心したような声が漏れる。
鏡面の能力によって揺さぶりを掛けられながらも、ただ怯んでペースを握られるだけでは終わらない。
大和は蜘蛛の立ち回りを推理し、直接突きつける。


「何故そう思う?」
「“知恵比べ”を得手とする貴様達にとって、それが最も理に適った行動だからだ」


現状の戦局は、紛れもなく蜘蛛たちにとって不利な状況である。
予選から一ヶ月間続いていた「暗黙の了解」が破壊されたからだ。
秩序を乱さず、可能な限り社会の陰に潜む―――あくまでこの二十三区という舞台を活かし続けるという思考が、どの主従にとっても共通していた。
それはつまり、蜘蛛が社会戦を最大限に駆使するための格好の土壌となった。

されど、先の新宿大戦はその構図を大きく塗り替えた。
「被害さえ厭わなければこれだけの大破壊を齎しても問題はない」という事実が、全主従に対して示されたのだ。
大火力戦闘の解禁は、社会基盤の破壊を同時に意味する。
そんな戦況が常態化すれば、どうなるか。
最早蜘蛛の諜報戦は何の意味も成さなくなる。


「そして貴様は、聖杯を狙う者達にとって脅威となる283の排除を急ぐ様子が見られなかった」


ならば、彼らはどう動くのが自然か。
この舞台に跋扈する強者と手を組む?それは厳しいだろう。
策士自身が謀略でイニシアチブを取れなければ、暴力で圧倒的に勝る相手との対等な関係は築けない。
結局は従属に等しい上下構図が生まれる。
そうなっては寧ろ“勝ち目のない敵の手元に置かれている”という絶望的な状況になりかねない。

では、どうする。
利害が一致する相手―――つまり『対等の頭脳を持ち』『謀略を主体に立ち回る』者同士で手を結ぶのが妥当な道となる。
自分達が得意とするゲームが力尽くで覆されようとしているならば、同じ種目を専門とする“競合相手”と手を結ぶ他ない。
大和はそう推測し、蜘蛛同士が結託する可能性へと至った。


856 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:49:59 4fhRZ/Dc0


「若き王よ。確かに君は聡明だ」


それらの推理を聞いた蜘蛛は、感心を漏らすように微かに笑う。
峰津院財閥の御曹司、やはり噂に違わず有能だ。
確かに認めざるを得ない――――そう思いつつ。


「だからこそ、君に伝えようと思ってね」


大和の推理を否定することはなく。
そのまま返す刀で、蜘蛛は言葉を紡ぐ。


「君達が真っ先に対処すべきなのは、蜘蛛(われわれ)ではない」


そう、ここからが本題。
蜘蛛が峰津院の若き王に伝える―――忠告。


「あの新宿で貴殿のサーヴァントと覇を競った『青龍のライダー』。
 そしてグラス・チルドレンの首領が従える『女皇のライダー』――『ビッグ・マム』。
 両者は拮抗した実力を持つ。どちらも界聖杯における最上級の英霊と呼べるだろう」


大和は、目を細める。
意味深に提示された両者の存在。
それが意味するところを、蜘蛛はすぐさま伝える。


「我々は先程、彼らに襲撃された。
 あの池袋の大破壊は『両者の侵攻』によって齎された」


―――それは、即ち。
―――あの池袋の大破壊の真相。


「言っておくが、ビッグ・マムを従えるグラス・チルドレンは283の陣営と予てより敵対関係にあった。
 彼らは“善なる蜘蛛”に対抗すべく、戦力を拡充している可能性が極めて高い」


更に付け加えるように補足する蜘蛛。
大和はその言葉に、ただ無言で耳を傾けるしかない。


「さて。信じるか否かは、君に任せるが」


飄々とした態度を崩さず。
蜘蛛は、自らの忠告を切り出した。


「―――峰津院財閥や我々に対抗すべく、あの『二人の皇帝』を中心に連合軍が形成されているとしたら?」


蜘蛛の同盟さえも遥かに凌駕する。
紛れもない、超級の『脅威』の存在。
彼はそれを告発した。


857 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:51:49 4fhRZ/Dc0


「『峰津院はこの聖杯戦争における最大の敵』。
 最早どの主従にとっても避けては通れぬ現実だ」


これらは言うまでもない、至極当然の事実の“おさらい”に過ぎないが。
そう断りを入れた上で、蜘蛛は語り掛ける。


「峰津院を利用する、あるいは手を結ぶ―――それは無理だ。
 君達には余りにも目立ちすぎるし、余りにも大きすぎるからネ。
 それこそ『相当の無鉄砲』でもない限り、君達はまず選択肢に入れられない」


いま君の傍にいるであろう、彼女のような者でもない限りはネ。
何処か誂うように蜘蛛はごちる。


「そして先の新宿における動乱とSNSに流された情報によって、君達の脅威は『拡散』された。
 組むにはリスクが高すぎる。されど霊地の存在が明らかになった以上、野放しにするのも危険すぎる」


新宿事変の渦中を担った二つの組織。
峰津院財閥と、皮下医院。
そのどちらも聖杯戦争の関係者であることは、最早明白な事実だ。
皮下医院が戦地となっていること、メディアを通して皮下に対する誘導を行っていることから、市街地への被害を厭わずに『攻撃』を仕掛けたのが峰津院であることも明らかである。


「あれほどの大破壊を実行できるサーヴァントが、そのうえ魔力供給の問題さえ解消できてしまう。
 それが如何なる脅威であるのか、君自身も容易に理解できるだろう」


つまるところ。
魔力プールを本格的に稼働される前に、峰津院は必ず叩かねばならない。
それが例のアカウントを確認した主従にとっての共通認識と化す。
結果、峰津院の陣営はこの聖杯戦争における最大の勢力との対峙を余儀なくされた。


「そして更に、脱出派の動向という特大の爆弾まで投下された。
 峰津院と283、傍から見ればどちらも放置する訳にはいかない」


峰津院や283が共通の仮想敵として成立しているならば。
確実に排除しなければならない存在として、彼らが盤面にいるならば。
そのために強豪同士が手を組み、強襲を目論むことも―――決して不思議ではない。


858 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:52:45 4fhRZ/Dc0

283への言及は、何も彼らの孤立を狙うことだけが目的ではない。
峰津院や蜘蛛を含めた敵対陣営を撹乱し、海賊同盟への注視を逸らすための囮であり。
そして意図的な大乱戦を引き起こし、盤面の隙を突くための戦略である。
淡々と語られる蜘蛛の推理が、大和へと突きつけられる。


「こうなれば各陣営の混乱は避けられないが……“強豪の同盟”を軸に連合が組まれれば、物量によって押し切れる余地がある」


大和にとっての誤算があったとすれば。
鬼ヶ島のライダーに『即座に同盟関係を結べる旧知のサーヴァント』がいたことだ。


「彼らには数の利もあれば、圧倒的な戦力もあるのだからネ」


彼らの邂逅は“最強格の英霊同士の結託”を瞬く間に締結させ、そして聖杯戦争最大の連合軍が誕生する可能性を現実のものへと変えた。

他の懸念も大和は抱いていた。
DOCTOR.Kというアカウントからリークされた情報―――聖杯戦争の中途閉幕による残存マスターの抹消、そしてデトネラットを中心とする不審な通信記録の数々。
峰津院が所有する霊地の存在を噛んでいた以上、それらの情報には一定の信憑性がある。

恐らくはあの機械のアーチャーが解析を行っているのだろう。
そう、連中が“あれだけの解析能力を備えたサーヴァントを抱え込んでいる”という事実そのものが問題だった。
この聖杯戦争は新宿事変を皮切りに、大火力の激突へと戦況が移行しているが。
それでも市街地を舞台にしている以上、依然として情報戦や社会戦での優位は絶大なアドバンテージと成り得る。


「『銀翼のランサー』に匹敵する英霊二騎に、殺し屋集団『グラス・チルドレン』。更には正確な規模さえ未知数である複数の主従。
 彼らが総力を上げて2ヶ所の霊地に波状攻撃を仕掛けてきた場合―――」


最強の戦力を保有する峰津院とて、数の差や戦局の混乱すべてに的確な対応を取れる訳ではない。
如何に実力者であれどあくまで一主従である以上、必ず隙が生まれる余地がある。
その隙を突き、峰津院の陣地への攻撃を行うことこそが、大連合にとっての本命であるとすれば。



「君には“いつでも払える蜘蛛”に構っていられる暇があるかね?」



最早大和は、蜘蛛の始末などに時間を割いている場合ではない。
大和は、その場で理解した。
蜘蛛が忠告をした意味を、紛れもなく悟った。

“悪しき蜘蛛”―――ジェームズ・モリアーティは。
峰津院に“次の標的”にされる可能性を、逸らしたのだ。
そして繋がりを持つ“善なる蜘蛛”達が殲滅される前に、ランサーを退かせるように仕向けた。
“皮下達を中心とした大連合の強襲”。
迫り来る脅威を現実のものとして提示し、蜘蛛達に構ってなどいられない状況へと追い込んだのだ。





859 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:53:46 4fhRZ/Dc0




そして、ほんの僅か前。
駆け引きの最中に。
“念話による報告”が、ふいに訪れていた。


――――仕損じたのか、ランサー。


通話の狭間。
己の中の微かな驚愕を、決しておくびにも出さず。
されど“ベルゼバブの敗走”という結果を、大和は確かに受け止めていた。

勝利を疑いようのない強襲。
敗北の可能性など有り得ない交戦。
―――その見通しが、崩された。

ただの準備運動に過ぎなかった戦闘で、ベルゼバブは予想外の消耗を与えられた。
万全の状態のまま帰還するという、その算段が狂わされた。

そして、脱出派が未だ健在だとすれば。
尚の事、“霊地防衛”を優先しなければならない。

脱出派が何故これまで一向に脱出を実行していなかったのか。
単なる人道主義以外の理屈があるとすれば、それはあまりにも明白だ。
次元と世界の道を抉じ開ける『扉』や『方舟』を作り出し、界聖杯の支配を突破して参加者を『帰還』させる。
いかに界聖杯が欠陥品であったとしても――そんな所業が成し遂げられる宝具があるとすれば、莫大な魔力が必要となるのは目に見えているからだ。

外部の魔力プールである霊地は、峰津院が掌握している。
NPCを魔力の足しにしたとしても、恐らく微々たるものだ。
故に彼らは、現状では『脱出できない』可能性が高い。

されど、脱出派陣営がこのままではジリ貧になることが明らかならば。
彼らは状況が本格的に悪化する前に、“銀翼のランサーを封じた”と誤認している今だからこそ。
そして先の新宿事変によって“ランサーが峰津院のサーヴァントである”という図式が結びつくとすれば。
聖杯戦争脱出に必要な魔力を確保するべく、混乱に乗じて峰津院の霊地を早急に奪取しに来るのではないか。

ああ、そうだ。
ベルゼバブの敗北は―――結果として。
蜘蛛達が実際にどう動くのかに関わらず。
“霊地防衛を最優先にする”という判断を、後押しすることになる。
悪しき蜘蛛による忠告と、予期せぬ状況の悪化。
二つの不運は、思わぬ形で交錯することになった。






860 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:54:33 4fhRZ/Dc0




「……成程」


大和は、目を閉じ。口を閉ざし。
自らの立場を認めるように、一息を吐く。
蜘蛛が饒舌に語った言葉を。
自らを取り巻く状況を、淡々と咀嚼する。


「小細工を張り巡らせる、ただの虫螻と思っていたが―――」


認めざるを得なかった。
ベルゼバブが敗走したように。
己もまた、失態を犯したのだ。
不運が重なっただけでは、決して済まされない。


「――――ナポレオンを気取るだけのことはあるらしいな」


故に。
自らへの戒めを込めて。
大和は、電話越しの敵を称える。


「称賛の言葉、有り難く頂こう」


謙遜するように答えるモリアーティ。
実に光栄だ、と白々しく呟き。


「だが、私はあくまで“老獪な裏方”に過ぎなくてネ」


そのうえで、モリアーティは伝える。


「君と対峙する“王”は―――私ではないのだよ」


己は、悪を張り巡らせる“黒幕”であっても。
悪を総べる“支配者”ではないと。
ああ、そうだ。
“私”が育てた次世代の救世主は。
“我々”の上に立つ新時代の魔王は。
―――――ガチャリ。



「――――よぉ、お坊ちゃん」



“この青年”に他ならないのだ、と。
その声が、大和の鼓膜を刺激する。
虚無のように、冷ややかで。
泥水のように、禍々しく。
煮え滾るような闇を、滲ませている。
蜘蛛が電話を“代わった”ことを、否応なしに認識させられる。


「お務めご苦労さん。そして“始めまして”だ」


悪辣なる蜘蛛を従える、悪しき王。
死柄木弔が、電話越しに峰津院大和と対峙する。


861 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:55:28 4fhRZ/Dc0


「貴様が蜘蛛を従える主か」
「あァ。ジジイの相手は疲れたろ」
「……いや、寧ろ後学になったさ」
「そりゃ意外だな。随分とお利口なモンだ」
「灸を据えられた、とでも言うべきか」


白々しい弔の言葉に、大和は苦笑する。
先程までの駆け引きとは違って、何処か取り留めもない言葉の掛け合い。
されど電話越しに対峙している相手は、間違いなく互いにとっての“敵”であり。
この聖杯戦争という舞台で、遅かれ早かれ競い合うことになる―――“若き王”だった。


「で――――君は何の用だ」
「挨拶がしたくなっちまってな」


故に大和は、改めて問い掛ける。
弔は、吐き捨てるように答える。


「折角あの“峰津院”と対峙できたんだ。
なら、こっちも名乗っておかねえとな」


そう、これは“またとない機会”だ。
この東京の街に君臨する絶対強者、峰津院財閥。
その統治者である若き当主と、こうして対峙する機会が訪れた。
いずれは戦う運命、なればこそ。


「“敵連合”―――覚えとけ。それが俺達の名だ」


死柄木弔は、若き王に叩きつける。
己の従える“軍勢(レギオン)”の名を。
己自身を象徴する、組織の名を。
この社会に潜む―――“敵(ヴィラン)”の存在を。


「……折角の機会だ。聞かせて貰おう」


“若き魔王”が告げたその名を、大和は黙って聞き届けて。
暫しの沈黙の後、彼もまた口を開いた。


「君は、何のために戦う」
「その質問、俺も返すぜ」


毅然と問う大和。
不敵に返す弔。


862 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:56:42 4fhRZ/Dc0
二人は、互いに問いを投げる。
聖杯戦争における核心を。
何故戦うのか。
何故奇跡を欲するのか。
その果てに、如何なる願いを求めるのか。


「いいだろう。我が理想も、答えよう」
「こちらこそ。教えてやるよ」


―――たった一つだけ。
互いに、分かりきっていることがある。
互いに、確信していることがある。
どれだけ道が重なろうとも。
どれだけ道が肉薄しようとも。

例え、相手が。
自分と同じように。
“世界を変える”ことを望んでいたとしても。



「―――世界の“革新”」
「―――世界の“破壊”」



“己”の願いは。
“己”の野望は。
“己”の覇道は。



「強き者による、正しき秩序」
「全てを壊して、ただ混沌を」



――――決して、相容れぬということだ。



◆◇◆◇


863 : ◆A3H952TnBk :2022/07/27(水) 22:57:18 4fhRZ/Dc0
前編投下終了です。


864 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/07/29(金) 19:43:13 Ih0IoHFc0
飛騨しょうこ&アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))
神戸あさひ&アヴェンジャー(デッドプール)

予約します


865 : ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:14:54 1elMwpVU0
後編投下します。


866 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:15:15 1elMwpVU0
◆◇◆◇



まっさらな空間が。
眼前に、呆然と広がっていた。

そこには、何もなかった。
世界の形と呼べるものが。
一欠片も、存在しなかった。
あるのはただ――――地平線まで続く、空白。

歩けども、歩けども。
眼前の景色は、何一つ変わらない。
永遠のような虚無が、ひたすらに続く。
幾ら進んでも、徒労に過ぎない。
何の価値もない。何の意味もない。

そんな歩みを。
“俺”は、ぼんやりと続けていた。

ここは、ひょっとして。
あの世ってヤツなんだろうか。
“写真の親父”に、道連れにされて。
その果てに辿り着いた、地獄ってものなんだろうか。

答えは返ってこない。
答えてくれる人なんて、居るはずもない。
だって俺は、独りぼっちで彷徨い続けているのだから。

折角、“何か”が変わると思ったんだけどな。
俺のつまらない人生に、本当の“革命”が訪れると思ったのにな。
あの人なら。死柄木弔なら。
――――そんな未来を見せてくれると、信じていた。

だと言うのに、俺はこんな無様な結末を迎えた。
結局は、あの“殺人鬼”からは逃げられなかった。

俺の人生、やっぱり無意味だったのかな。
何の価値も無いままだったのかな。
そんなことを思って。
胸の内が凍えるような感覚を覚えて。
虚しさを抱えながら、茫然と歩き続けていた矢先。


ふいに、足を止めて。
その場で、振り返った。
真っ白な世界とは裏腹な。
禍々しい、漆黒の“影”が。
其処に――――佇んでいた。


姿形は、はっきりと視認できないけれど。
そいつの輪郭は、まるで“魔女”のようだった。
名付し難い“狂気”と“混沌”の匂いを纏って。
“魔女”は、ほんの微かに。
くすりと、嗤ってみせた。


そして。
ぷつんと、何かが。
俺の中で断ち切れるような。
そんな感覚が、確かに走った。
その瞬間に、俺は確信した。


そんな俺の悟りをよそに。
“魔女”は身を翻して、その場を去っていく。
まっさらな世界の果てに溶け込むように、姿を消していく。
俺は、その姿を見届けて。
魂の奥底で糸が切れたような感覚に、一抹の“寂しさ”を感じていた。






867 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:15:47 1elMwpVU0




「――――よぉ。目が覚めたかよ」


両瞼を、開いた。
天井が、視界に入る。
男の低い声が、鼓膜を刺激する。
自分が横たわっていたソファーの感覚を、微かに確かめながら。
ゆっくりと、俺は身体を起こす。
周囲を見渡せば、敵連合の面々もそれぞれ佇んでいた。

――――夢だったんだ。
――――まだ、死んでなかった。

そんな実感を、呆然と感じながら。
俺は、声の主である男に視線を向けた。


「丁度良かった。いま出ていく所だった」


“写真の親父”と結託したと言う、あの“黒い男”がそこにいた。
ステータスや魔力の気配といったものは、一切感じられない。
それでも田中には、その男がサーヴァントとして認識できていた。
何故ならば――――己の従者も、同じ匂いを纏っていたから。
一見では常人にしか見えない。英霊としての気配も感じ取れない。
しかしそれでも、“化けの皮を被った人殺し”としての匂いだけは漂っていた。

“親父”の気配は、もう存在しない。
あの自爆によって、そのまま消滅したのだろう。
そして、俺は―――右手に刻まれた令呪を、まじまじと見つめてから。


「……俺のサーヴァント」


ゆっくりと、男に向けて視線を上げる。
ほんの少しだけ、言葉を詰まらせて。


「もう、死んだよ」


確かな感覚として理解できる、“事実”を告げた。
その言葉を口にした瞬間に、仄かな虚しさが訪れる。
まるで恩人が亡くなったような。
あるいは、知り合いと長いお別れをしたような。
そんな奇妙な感覚が、胸の内に込み上げてくる。
そうして俺は、ようやく気付く。


――――あいつが居なかったら。
――――あいつの影響で、人を殺さなかったら。
――――俺は、何も始まってなかったんだな。


その事実に、気付かされる。
ああ、だけど。
それでも。
もうどうだっていい。
街の陰に潜む殺人鬼は、もういらない。
俺を導いてくれるのは―――全てを破壊する魔王なのだから。






868 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:16:47 1elMwpVU0




部屋の片隅。
チェンソーのライダー、デンジは。
目覚めた田中を、ぼんやりと見つめていた。
あの禪院という男は、田中と軽くやり取りを交わしてから部屋を後にしていった。
つか誰だあいつ―――デンジはずっと気になっていたが、そんなことを問う空気でも無かった。

田中がぶっ倒れてから暫くの間、Mはずっと電話しっぱなしだった。
やれ蜘蛛だの連合だの、小難しいやり取りを繰り返していた。
何を話しているのかなんて、よく分からなかったけれど。
一つだけ、思うことはある。

直ぐ側にいる少女へと、視線を向けた。
黒い髪のツインテール。
幼くて小さな出で立ち。
猫のような瞳を携えて。
神戸しおは、デンジと目を合わせた。


――――お前さ、神戸あさひの妹か何か?


デンジの脳裏に浮かぶ、あいつの言葉。
自分の代わりに戦っていた“ポチタ”の記憶が、ぼんやりと焼き付いている。
顔にガムテープを貼り付けた少年は、しおの兄のことについて話していた。
その兄―――神戸あさひは、ビッグ・マム達と組んでいると。
そんなふうに、語っていた。

しおは相変わらず、いつも通りの顔だ。
自分の兄貴と、これから敵対することになるかもしれない。
そんな状況を前にしても、やっぱり平然としている。
年相応のあどけない顔で、静かに微笑んでいる。


「ねえ、らいだーくん」


そして、ふいにしおが声を掛ける。
にこりと笑顔を見せながら、デンジを見上げる。


「――――お兄ちゃんのこと、かんがえてる?」


その一言が刺さって。
デンジは思わず、不意打ちを食らったような表情を浮かべる。


「いや、なんで分かったんだよ」
「だって顔に出てたもん。“ポチタくん”が見てたから、おぼえてたんでしょ?」


考えていたことをピンポイントで見透かされて、何とも言えぬ顔でデンジは頭を掻く。
そんな彼をじっと見つめて、しおは顔を覗き込む。


「……なあ、しお」
「なぁに、らいだーくん」
「お前さ」


しおの眼差しに耐えられなくなったように。
あるいは、観念したかのように。
デンジは、問い掛ける。


「兄貴のこと、どう思ってんの」


.


869 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:17:31 1elMwpVU0

―――だからね。お兄ちゃんは、“敵”なの。
日が変わる前。夕方の頃に、しおはそう言った。
家族との幸せは、もう要らない。
“さとちゃん”との未来だけ欲しい。
しおは、それ以上は語らなかった。
自分の兄について、何も言わなかった。
そんな彼女の姿が、何となく引っ掛かっていて。
だからこそ。あの“幼い殺し屋”との対峙をきっかけに、改めてそれを聞き出した。

そんなデンジの問いに対し。
きょとんとした顔で。
しおは、彼を見つめて。
ほんの少しだけ、何かを思った後。


「お兄ちゃんはね、きっと私を愛してた」


しおは、ふっと微笑みながら語る。
その表情に、どんな思いが込められていたのか。
デンジには、それを読み取ることは出来なかった。


「でも、お兄ちゃんは愛に生きたんじゃない」


それでも、分かることはある。
黙々と語るしおを見て、理解できることはある。


「それ以外の“かたち”を、知らなかっただけなの」


しおは、しおなりに。
自分の肉親である、兄について。
――――“悟っている”ということだった。


「お兄ちゃんの愛は、なんの味もしない。
だからいらないし、ほしくもない。
でも、お兄ちゃんはまだ愛を諦められないの。
それしか知らないから、そうするしかない」


だからこそ、しおは語る。
自らの兄を、淡々と突き放す。
けれど。そこには。
ほんの僅かにでも。
兄の背負ったものに対する、哀れみのようなものがあり。


「だからね、らいだーくん」


そして、それ故に。
しおは、デンジへと告げる。


「お兄ちゃんとお母さんの、叶わない夢は――――」


そう。
錆びついた、空っぽの瓶は。
何も詰められることのない、虚ろな器は。


「ちゃんと、おわらせてあげなきゃ」


きっちりごみ箱に、捨ててあげないと。
そうしないと。きっと、あの人達は。
永遠に彷徨い続けるのだろうと。
しおは、思いを馳せる。


―――今まで守ってくれて、ありがとう。


“お兄ちゃん”と“お母さん”に伝えた、決別の一言。
それが全て。その先は、何も興味がない。
今の神戸しおにとっては、過ぎ去った感傷でしかない。
だからこそ、思う。
神戸あさひは、“過去の存在”なのだと。
過去に取り零した“何か”に縋る以外の生き方を奪われた、哀しいひとなのだと。


870 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:18:05 1elMwpVU0

兄(あさひ)は、亡霊だ。
生まれ変わるには、真っ当すぎて。
だから、人間でしかいられなかった。
そうして彷徨っていく、虚しい影だ。
故にしおは、彼を突き放す。
未来を生きることを選んだ少女に。
愛する人以外の思い出なんて、いらない。


「……なあ、しお」


そんなしおに対し。
何処かばつが悪そうな表情を見せて。
デンジは、問い掛ける。


「ほんとにアニキなんだよな、そいつ」
「うん。お兄ちゃん」
「なんつーかさ……そいつがお前と噛み合わないなのは分かったけどさ」


心の奥底に、引っかかるものがあった。
デンジの脳裏。ふいによぎる景色。
肉親というものに―――良い思い出は、無かった。
閉ざされた記憶の奥底。酩酊した父親。
その果てに、咄嗟に手を出した自分。
思えば、ゴミみたいな環境だった。
血を分けた家族というものが、良いものだとは思えなくて。


「ちょっとは話聞いてやってもいいんじゃねえの」


それでも。
思うところは、ある。
こんな幼い子供が、家族を突き放すことに。
自分のような道を辿るかもしれないことに。
引っ掛かってしまう気持ちはある。
だからこそ、そう投げ掛ける。

そんなデンジの言葉に、ぼんやりとした表情を見せるしお。
やがて彼女は、再びフッと微笑む―――どこか寂しげな顔で。


「いいの、もう」


そして、告げる。
自らの、家族への想いを。


「――――そういうのは」


とっくのとうに、過ぎ去っている。
身内への感情を。
そんなしおの答えを、耳にして。
デンジは、何処か―――複雑な表情を見せた。



◆◇◆◇


871 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:18:45 1elMwpVU0
◆◇◆◇



「もしもし」


デトネラットを後にし。
伏黒甚爾は、電話を掛け直し。
再び、連絡を取った。


「例のマスターが目を覚ました」


マスターである紙越空魚に報告する。
“仁科鳥子の身柄を確保し、此方を強請ってきた連中”についての情報だった。
既に使い魔は排除され、そいつの主からも見限られ。
後は令呪による自害を待つだけだったが。


「仁科鳥子を狙ってた野郎は脱落したとよ。
自害なんかさせずとも、あいつら自身が倒したらしい」


それも、杞憂に終わった。
令呪を使わずとも、件のサーヴァントは落ちた。
つまり、それは。
――――精々、上手くやったらしいな。
仁科鳥子とフォーリナーが、“忍び寄る悪意”を自分達の手で切り抜けたということだ。


「安心したか」


甚爾の言葉に対し。
空魚は、無言だった。
何かを噛みしめるように。
何かを思うように。
暫しの沈黙へと、耽った後。


「……安心、っていうか」


ゆっくりと、言葉を紡ぎ。
次に訪れた一言に、甚爾は思わず呆気に取られる。


「スカッとしました」
「何だって?」
「いや、何ていうか……どこのどいつか分からないですけど。
そいつ、鳥子にぶっ飛ばされたってことですよね」
「……まぁ、そういうことだろうな」
「じゃあやっぱり、清々しい気分です」


取り留めもなく答える甚爾だったが。
空魚はやはり、そう告げる。
――――スッキリした。清々しい気分だ。
そして、そこから間を置かず。


「私の鳥子をナメんな、って思ってたんで」


そんな一言を前にし。
今度は、甚爾が沈黙した。
真顔。無表情。
何とも言えぬ面持ちを見せた後。
―――やれやれ、と。
溜息を吐かんばかりの態度を、密かに取る。

あぁ、だろうな。
お前はそんな奴だったよ。
呆れたような、感心したような。
複雑な思いを胸の内に押し込めて、甚爾は再び口を開く。


「……それと、Mからの情報だ。
フォーリナーを狙ってるリンボについてだが―――」



◆◇◆◇


872 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:19:36 1elMwpVU0
◆◇◆◇



――――時は、ベルゼバブが“ビッグ・マム”と対峙するより前。


『不愉快。全く以て下らぬ結末よ』


東京タワー内部。
周囲の魔力の気配を探るように、意識を集中していた大和の脳裏にて。
銀翼のランサー―――ベルゼバブの声が響く。
あの敗走の報告以降、長らく沈黙していたが。
ようやく念話にも気を回せる程度には自己治癒を進められたようだった。


『まさか君が、敗走するとはな』
『まさに不条理よ。何故あのような羽虫の群れが余の覇道を阻むのか。
道理を知らぬ愚者共めが……とはいえ、これは必要な過程でもあったのだろう』
『何故だ』
『無論、“再誕”へと至る為である』


ベルゼバブが行動不能に陥るほどの手傷を負っていることは、大和にも理解できた。
それは彼にとって、間違いなく驚嘆に値することではあったが―――とうの本人は、不遜な態度を貫く。
自らを出し抜いた敵への憤り。虎視眈々と再起を誓う闘志。
予想だにせぬ敗北を突きつけられながらも、ベルゼバブは決して揺るがない。
己こそが究極。己こそが頂点。己こそが最強。
底知れぬエゴを燃やし続け、逆襲の時を待つ。


『君の実力は私も認める所だ。
その働き、次こそは期待しているぞ』


故に、大和は告げる。
その果てなき“力”と“渇望”を信頼するように。


『ほう、不遜な貴様にしては随分と謙ったものだな?』
『失態を犯したのは、私も同じだということさ』


意外なものを見たようなベルゼバブに対し。
大和は自嘲するように呟く。


『―――君の言う“狡智”に、手玉に取られた』


無様なものだと、己を嘲る。
狡智との駆け引きを断ち切ったベルゼバブは、予想外の敗走へと至った。
その狭間で大和は狡智との駆け引きに乗せられ、大連合への対処を余儀なくされた。
互いに出し抜かれ、一杯食わされたということだ。


『フン、無様なものよ』


尤も、例え同じように苦汁を舐めさせられたとしても。
そこで“共感”などという二文字が浮かぶほど、ベルゼバブは感傷的ではない。
全ては己一人。己こそが絶対。
故に、傲岸な物言いは変わらない。
そんな彼の性格をとうに理解している大和は、意に介さず“今後の話”を切り出す。


『これより我々は、霊地防衛を最優先とする。
皮下らを中心とする件の“連合”への対処も無論だが、それだけではない』
『――――あの脱出派の連中が、霊地を奪いに来る可能性を視野に入れている訳か』
『そうだ。“君を撃退し、行動不能に陥れた”と連中が認識している今だからこそだ』


脱出派がベルゼバブの襲撃を凌いだ。
その情報は、大和に霊地防衛を優先させる更なる要因となった。
ベルゼバブからの報告によれば、連中は間違いなく消耗を受けている。
そして善なる蜘蛛が背後に潜んでいる以上、彼らが脱出派にまつわるSNS上の密告を察知している可能性は極めて高い。
即ち、“長期戦になればなるほど包囲網は加速すること”を彼らも認識している。
なればこそ、彼らが霊地の奪取による短期決戦を狙う可能性は高い。


873 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:20:03 1elMwpVU0

仮にベルゼバブと渡り合ったという“煌翼のライダー”が、霊地の争奪で再びその力を示すならば―――寧ろ都合がいい。
海賊同盟という大勢力の侵攻と競合すれば、確実に“猛者同士の乱戦”へと突入する。
霊地を餌に強大な敵戦力を削りつつ、脱出派の強者を改めて始末する機会を狙うことが出来る。
そして彼らを誘導する余地を作れるという点で、“悪しき蜘蛛”を敢えて泳がせておく意味も生まれた。

意図的にせよ、偶発的にせよ。
此処から先、十中八九乱戦へと縺れ込む。
峰津院の霊地を巡り、それぞれの陣営が鎬を削る。
守護を果たすか、否か―――それにより正念場を迎えることになるだろう。
敗北を喫して、大和は気を新たに引き締める。


「さて……君にとっては不本意だろうが。
今回の霊地防衛においては、同盟者である君達の力も借りるとしよう」


そして大和は、“同盟者”へと視線を向ける。
力を示した君が、如何に働くのか―――それを改めて問い掛けるように。
先程まで席を外してサーヴァントと連絡を取っていた紙越空魚は、腹を括ったように大和を見つめ返す。


「いいよ。了解」


フッと、空魚は不敵に笑みを浮かべる。
待ってました、と言わんばかりに。


「意外だな。フォーリナーのマスターとの合流を優先して反発するものだと思っていたが」
「うちのサーヴァントから聞いたことがあってさ。その蜘蛛からの情報なんだけど」


そんな空魚の態度を、少しばかり意外に思う大和。
彼は空魚の“同盟者としての価値”を改めて確認するべく、敢えて彼女を試すように吹っ掛けたのだが。
そんなこと試されるまでもなく―――空魚は言葉を紡ぐ。


「リンボのヤツが、霊地争奪戦に噛んでくる可能性が高いって」


アサシン曰く、鳥子の身柄をネタに脅しを仕掛けてきたサーヴァントは既に“脱落”した。
そのサーヴァントを従えていたマスターの証言、そして魔力パスの消失によって裏付けられた。
恐らくはフォーリナーが撃退に成功したのだろう。
それにより、鳥子達を直接狙う脅威はリンボのみとなった。


「……アルターエゴ・リンボとやらは、件の連合の傘下に加わっているということか」
「そんなとこ。真っ先に蜘蛛の拠点を割り当てた奴がリンボで、十中八九そいつ経由で池袋にカチコミ仕掛けられたんだってさ」


アサシンがMから聞いた情報によれば。
池袋のデトネラット襲撃に至るまでの情報漏洩に、リンボが関わっている可能性が高いのだという。
新たな拠点へと移転した際、Mは「何故ビッグ・マムらは連合の拠点へとピンポイントで攻め込んだのか」を推理し、先んじて本社を訪れていたリンボの存在に目を付けていた。
恐らくはリンボを経由してビッグ・マムの陣営へと拠点の情報が漏洩し、鏡面を介した盗聴へと至ったのだろう―――と。

窮極の地獄界曼荼羅。
フォーリナーの覚醒によって聖杯戦争の枠組みさえも破壊する、壮大なる計画。
そんな目論見を企てて、尚且つ他の主従にまで喧伝していたというリンボが、何故今まで排除されていなかったのか。
恐らくは―――早々に“強大な後ろ盾”という地盤を得て、彼らの存在を背景にしながら立ち回っていたから。
そして、後ろ盾の可能性として最も高いのは。
283への攻撃のために戦力拡張を必要とし、更にはリンボのデトネラット来訪直後に“鏡面による傍受”を行ったであろうビッグ・マムだ。


「あいつがビッグ・マムとかいう奴らの下に付いてて、今回の陣地争奪戦に駆り出されるかもしれないなら―――」


リンボの背後にビッグ・マムが存在し、そのビッグ・マムが青龍のライダーと同盟を結んだ。
つまり彼は十中八九『海賊同盟』の傘下に収まっている。
“二人の皇帝”が盟主として連合を支配する立場にあるのならば、リンボは彼らの尖兵として戦場に駆り出される算段が大きい。
―――即ち、それが何を意味するのか。


「ここで直接、ぶっ倒せるかもしれない」


そう、素っ頓狂な野望のために鳥子を狙う大馬鹿野郎を。
迎え撃って徹底的に叩き潰す、チャンスなのだ。
峰津院大和の戦略に付き合う気など、あまり無かったが。
鳥子にちょっかいを出すクソッタレが絡んでくるなら―――話は別だ。






874 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:20:34 1elMwpVU0




「“あっち”はいいのか」


時間は遡り。
田中一の覚醒を経て、連絡を取り合った際。
電話越しの通話相手であるマスター、紙越空魚に向かって。
彼は―――伏黒甚爾は、そう問いかけた。


「鳥子よりリンボの方を優先するのか、って言いたいんですか」
「分かってるんなら話は早ぇな。あいつとの合流がどうこうって散々言ってたろ」
「言っときますけどね、アサシンさん」


甚爾の投げかけた疑問に対し。
空魚は、釘を刺すように言葉を紡ぐ。

甚爾を霊地へと呼び寄せ、じきに現れるであろうリンボを倒す。
既に田中一のサーヴァントは退けられたとはいえ。
確かに、鳥子を一旦見過ごすかのような選択に見えるだろう。


「合流を後回しにして、リンボを迎え撃つんじゃない」


だが、それは違う。
紙越空魚というマスターにとって。
その選択は、仁科鳥子を隅に置くことを意味するのではない。
つまるところ、それは。


「リンボをぶっ殺して、鳥子と合流するんです」


鳥子を守るための。
鳥子と再び逢うための。
怒れる女の―――開戦の狼煙だった。


「アサシンさん、言ってましたよね。生かすことより殺すことのが巧いって」


峰津院大和という圧倒的な後ろ盾も付いた。
だからこそ、ここで“ブッ殺す”。
確実に仕留められるかもしれないタイミングを、最大限に活用する。
鳥子を供物にしようとするクソ馬鹿野郎を、ここで直接ぶん殴る。
それが空魚の下した選択であり。


「――――やっちゃってください。思いっきり」


己のサーヴァントに告げる、絶対的な“指命”だった。






875 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:22:04 1elMwpVU0




「ならば、存分に働いてもらう」


そして、大和は。
空魚の意思を前にして、満足気に微かな笑みを見せる。
その胆力と闘志、やはり私が見込んだだけのことはある―――そう言わんばかりに。
“こいつに認められても何も嬉しくないんだけどな”と空魚は内心思うが、彼は意に介さず。

空魚の目に映る大和は、常に不遜だ。
まだ10代そこらだというのに、やけに偉ぶってて。
常に生意気な口ぶりで、こちらに対して高圧的な態度を取ってくる。
何とも可愛げがないし、妙に気に食わない。
もうちょっと年上を敬った方がいいんじゃないか―――などと思っていたが。


「覚悟しろ」


やがて大和は、一呼吸を置き。
ゆっくりと、改めて口を開く。



「――――此処から先は、修羅の世界となる」



その一言と共に。
空気が、切り替わる。

――――瞬間。
空魚の思考が、吹き飛ばされる。
焔のように滾る気迫に。
刃のように鋭利な殺気に。
絶対的な暴君のような、その威圧感に。
思わず空魚は、身を竦めさせられる。
先程まで何事なく会話をし、悪態をついていた相手が。
途端に、全く違う世界の“怪物”の如く目に焼き付く。

別次元。別格。
そんな言葉が、空魚の脳裏を過ぎる。
迸る魔力と闘気が、まるで熱のように突き刺さる。
そして、改めて思い知らされる。

――――いずれ、この峰津院大和さえも乗り越えなければ。
――――鳥子と共に生きて帰ることは、できない。

それは、当然の事実でありながら。
余りにも大きな壁であり。
こんな怪物とも最終的には対立することになるという事実に、空魚は息を呑む。

それでも、空魚は。
何処か怯えてる自分を、奮い立たせる。
馬鹿野郎。なに足踏みしてるんだよ。
鳥子と二人で生きるんだろ。
それが全てじゃないか。
何が峰津院だ。何がリンボだ。何が聖杯戦争だ。

――――そんなもの、全部ぶっ飛ばしてやる。
――――鳥子と生きるために。
――――それが私だ。それが紙越空魚だ!


「覚悟しろ、って?」


そうして己を鼓舞して。
腹を括ったように、大和へと言い放つ。


「そんなの、とっくに決めてる」


なけなしの表情。
精一杯の、不遜な笑み。
空魚は、ニヤリと答えた。


876 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:23:59 1elMwpVU0

【墨田区・東京タワー/二日目・早朝】
※時間軸は120話「STRONG WORLD」以前です。

【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:頭痛(中、暫く持続します)
[令呪]:残り三画
[装備]:宝具・漆黒の棘翅によって作られた武器(現在判明している武器はフェイトレス(長剣)と、ロンゴミニアド(槍)です)
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具
[所持金]:超莫大
[思考・状況]
基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:霊地に留まり防衛を行う。皮下の陣営が来るならば確実に仕留める。
1:海賊同盟の波状攻撃に備え、ベルゼバブも霊地防衛に駆り出す。283の陣営が来る可能性も警戒。
2:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
3:グラスチルドレンと交戦しており、その際に輝村照のアジトの一つを捕捉しています。また、この際に、ライダー(シャーロット・リンリン)の能力の一端にアタリを付けています
4:峰津院財閥に何らかの形でアクションを起こしている存在を認知しています。現状彼らに対する殺意は極めて高いです
5:東京都内に自らの魔術能力を利用した霊的陣地をいくつか所有しています。数、場所については後続の書き手様にお任せします。現在判明している場所は、中央区・築地本願寺です
6:白瀨咲耶、神戸あさひと不審者(プリミホッシー)については後回し。炎上の裏に隠れている人物を優先する。
7:所有する霊地の一つ、新宿御苑の霊地としての機能を破却させました。また、当該霊地内で戦った為か、魔力消費がありません。
8:光月おでんは次に見えれば必ず殺す。
【備考】
※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。

【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(小)、動揺、背中と腹部にダメージ(いずれも小)。憤慨、衝撃、自罰、呪い、そして覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を助ける。
0:リンボをぶっ殺して鳥子を助ける。
1:鳥子を助けに行く。何が何でも。何を利用しようとも。だから……死ぬんじゃないぞ。
2:峰津院と組む。奴らの強さを利用する。
3:アイ達とは当分協力……したかったけど、どう転ぶか分からない。
4:アビゲイルとか、地獄界曼荼羅とか……正直いっぱいいっぱいだ。


【杉並区/二日目・早朝】

【ランサー(ベルゼバブ)@グランブルーファンタジ-】
[状態]:極めて不機嫌+再誕の高揚感、一糸まとわぬ姿、全身に極度の火傷痕、左翼欠損、胸部に重度の裂傷、霊核損傷(魔力で応急処置済)、胴体に袈裟の刀傷(再生には時間がかかります)
[装備]:ケイオスマター、バース・オブ・ニューキング(半壊)
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:最強になる
0:平伏すが良い。王の帰還である。
1:霊地を巡る乱戦へと備える。
2:それはそうと283は絶対殺す。
3:狡知を弄する者は殺す。
4:青龍(カイドウ)は確実に殺す、次出会えば絶対に殺す。セイバー(継国縁壱)やライダー(ビッグ・マム)との決着も必ずつける。
5:鬼ヶ島内部で見た葉桜のキャリアを見て、何をしようとしているのか概ね予測出来ております
6:あのアーチャー(シュヴィ・ドーラ)……『月』の関係者か?
7:ポラリス……か。面白い
8:龍脈……利用してやろう
9:煌翼……いずれ我が掌中に収めてくれよう
【備考】
※大和のプライベート用タブレットを含めた複数の端末で情報収集を行っています。今は大和邸に置いてあります。
※大和から送られた、霊地の魔力全てを譲渡された為か、戦闘による魔力消費が帳消しになり、戦闘で失った以上の魔力をチャージしています。
※ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の中にある存在(ヘリオス)を明確に認識しました。
※星晶獣としての“不滅”の属性を込めた魔力によって、霊核の損傷をある程度修復しました。
現状では応急処置に過ぎないため、完全な治癒には一定の時間が掛かるようです。
※一糸まとわぬ裸体ですが、じきに魔力を再構築して衣服を着込むと思われます。
※失われた片翼がどの程度の時間で再生するか、またはそもそも再生するのか否かは後のリレーにお任せします。


877 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:25:33 1elMwpVU0


【中野区/二日目・早朝】
※時間軸は120話「STRONG WORLD」以前です。

【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:健康
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:峰津院の霊地へと向かう。そこに現れるであろうアルターエゴ・リンボを殺す。
1:場合によっては写真のおやじ(吉良吉廣)の残穢を辿り、仁科鳥子の元へ向かう。
2:幽谷霧子の誘拐は保留。ただし283プロへの牽制及び調査はいつでも行えるようにする。
3:都内の大学について、(M以外の)情報筋経由で仁科鳥子の在籍の有無を探っていきたい。
4:ライダー(殺島飛露鬼)やグラス・チルドレンは283プロおよび櫻木真乃の『偽のゴール』として活用する。漁夫の利が見込めるようであれば調査を中断し介入する。
5:ライダー(殺島飛露鬼)への若干の不信。
6:あの『チェンソーの悪魔』は、本物の“呪い”だ。
[備考]
※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。


◆◇◆◇



“通話相手”と今後の打ち合わせがある。
そのままそちらの用事へと向かう。
そう言って伏黒甚爾がデトネラットを去っていった後、モリアーティは先程までの通話を追憶する。

峰津院大和への牽制、そして海賊同盟への誘導は果たせた。
DOCTOR.Kのアカウントによる告発によって、283プロダクションの脱出派は聖杯を狙う陣営にとって“共通の敵”となった。
彼らの目的達成は、全参加者の抹消へと繋がる―――四面楚歌は避けられない。
孤立を余儀なくされた中で、更に彼らは遅かれ早かれあの“海賊同盟”とも対峙せねばならない。
まさしく絶望的な状況と言えるだろう。
そして、その余波は同盟者である己“モリアーティ”にも及ぶ可能性がある。

ならば彼らを切るのが得策なのか、と言われれば―――そうとも限らない。
実際のところ、彼らがそう容易く“脱出できない”ことなど容易に見て取れる。
そして脱出派が孤立しているという状況は、逆を言えば敵連合は“貴重な同盟相手”として優位な立場を作れる。
“敵連合との利害関係すら破綻したら、脱出派はいよいよ詰むかもしれない”―――そんな状況を前にすれば、彼らは連合に協調せざるを得なくなる。
そして敵連合もまた海賊同盟と対立している以上、脱出派陣営との利害関係が保たれることは今後の立ち回りを考慮するためにも必要となる。

故に、“峰津院の陣営が脱出派に照準を合わせること”を妨げるべく。
モリアーティは通話を介して、峰津院大和を牽制したのだ。
霊地の存在を暴かれた峰津院にとって、魔力プールの奪取を防ぐためにも脱出派の殲滅は必要となる。
ならば、海賊同盟という脅威の提示によってその照準を逸らす。
そして先の蜘蛛会談でも示したように、“大戦力同士の乱戦”を仕向けることで両者の消耗を狙う。


《“もう一人の蜘蛛”は、既にランサーが殲滅へと向かっている》

《拠点としての機能を果たせる『避難先』は既に絞り込んでいる》


“脱出派への強襲”が予想以上の早さで進行していたこと。
そして“敵連合の新拠点の捕捉”が現実味を帯びてしまったこと。
大和から突きつけられた事実は、モリアーティによる牽制をより重大なものへと押し上げた。
即ち―――成否次第で、敵連合は“峰津院のサーヴァントに間もなく攻撃されることになる”。

二人の蜘蛛の暗躍は、“一度は探りを入れられた”峰津院ならば間違いなく察知している。
彼らが“善なる蜘蛛”への攻撃を既に果たしたのならば、次なる標的として“悪しき蜘蛛”も狙われる可能性が高かった。

海賊同盟の強襲を凌いだばかりであり、更にバーサーカーという戦力を欠いた直後。
このタイミングで最強最悪の英霊と交戦することになれば、陣営の大打撃は免れなかった。
再び拠点を喪失するか――――更なる脱落者が出るか。
故にこの牽制を成立させなければ、敵連合は瞬く間に窮地に追い込まれていた可能性が高かったのだ。
“二大勢力の結託”をちらつかせたこと、そしてモリアーティ自身にも知る由がなかった“銀翼のランサーの敗北”。
自らの手札を切り、そして偶然に助けられたことで、モリアーティは峰津院を凌いだのだ。


(――――やれやれ、肝を冷やされたものだ)


モリアーティは、内心安堵する。


878 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:26:17 1elMwpVU0

モリアーティは、内心安堵する。
峰津院大和。初めて対峙することになったが。
成程、あれは確かに傑物だ、と。
犯罪王は、そう理解せざるを得なかった。

人の気配をした異形か、あるいは魔人。
そう称するに相応しい相手であることは、電話越しにでも分かった。
それは理屈というよりも、直感に等しい。
犯罪者のナポレオンとして数々の“悪”を生み出し、そして英霊としての生を体験したからこそ悟ってしまった。

あの青年が纏っているのは、余りにも地に足の付いた殺意。
風のように涼し気でありながら、鋭い剃刀に斬りつけられるかの如く。
―――そんな異常な空気を、確かに感じ取った。

新宿を破壊したあの“銀翼のランサー”も脅威ではあるが。
それを統べる主もまた恐るべき存在であったと、モリアーティは確信する。
故に、彼の照準を逸らせたことに心から安堵する。


「“安心”したかよ、ジジイ」


―――尤も。


「ああ。心からネ」
「そりゃ良かった。こっちも、悪くねえ気分だ」
「フッ……流石だ、今の君には頼もしさすら感じるよ」
「当然だろ。テメエが望んだ“魔王”だからな」


峰津院大和が、若き君臨者であるように。
死柄木弔もまた、未来の魔王であるのだ。
あの掛け合いを間近で見て。
今こうして不敵に笑う弔を見て。
モリアーティは、改めてそれを理解した。

そんな弔をソファーで腰掛けながらじっと見つめる田中を、モリアーティは横目で見る。
その眼差しから滲み出る仰望と崇拝を読み取って、老獪なる蜘蛛は満足気に笑んだ。


「―――あのさ、Mさん」


その矢先に、ふいに声が飛んでくる。
モリアーティはゆっくりと視線を動かした。
それまで田中の目覚めを待ちながら待機していた、星野アイがモリアーティに呼びかけていた。


「峰津院だっけ。それを追い払ったっぽいのは分かったけどさ。
283も放っといたらまずいんじゃないの?」


率直にアイは問い掛ける。
“件のアカウント”を知った者からすれば、それは至極当然の疑問だった。


「ライダーさんからも聞いたよ。脱出派ってのがいて、そいつらが目的達成すれば私達ごと消えちゃうんでしょ?」
「その通り。とはいえ彼らは文字通りの四面楚歌だ。
例え峰津院のサーヴァントを凌いだとしても、窮地であることには何の変わりもない」


死柄木には、既に匂わせていたことだったが。
モリアーティは283陣営―――もう一人の蜘蛛との利害関係を結んでいる。
グラス・チルドレンや峰津院といった大勢力へと対抗する為に、互いの陣営が許容する範疇での協力を約束した。
遅かれ早かれ、敵連合の面々に説明する手筈ではあったが。
先の海賊同盟の強襲やバーサーカーの排除、田中一を巡る悶着や峰津院大和との通話によって、その報告が遅れていたのが実情だ。
モリアーティはそれ故に、283との結託を改めて陣営の構成員らに説明した。


「我々と彼らの利害関係がある以上、283は依然として利用することが出来る」
「それにしたって――――危惧(リスク)もデカいと思いますがね」


怪訝な顔でそう呟くのは、アイのライダーだった。
暴走族のライダー、殺島飛露鬼。
あくまでリスクを考慮するように、自らの懸念を顕にする。
脱出派の目的達成による参加者の抹消―――そうなれば元も子もない。
アイを送還(おく)るためにも、それだけは避けねばならなかった。

――――アイは、櫻木真乃と決別している。
その一件が、尚の事殺島に警戒心を抱かせていた。
例え彼女達が、“心を折られる現実”に直面していたとしても。
アーチャー達を、殺島自身が哀れんでいたとしても。
それでも殺島は、あくまで星野アイの味方だった。

「283ってさぁ……アイドルだろ?」
「うん。テレビで見たよね」
「同盟組んでるってことはさァ……もしかしたら他にもアイドルと会えんだよな……」
「らいだーくん、鼻の下のばしちゃだめだからね」
「あっはい、すンません」

先程までの二人の会話とは裏腹に、傍らでそんな掛け合いをする神戸しおとデンジを一瞥しつつ。
モリアーティは、改めて殺島へと答える。


879 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:27:34 1elMwpVU0


「……実際どうなんだよ、ジジイ。テメエのことだ、考えはあるんだろ」
「安心したまえ、我がマスター。今のところ、彼らが“脱出”を実行に移す可能性は極めて低いのだからネ」


283へのある種の信用は、何も“孤立した状況に基づく利害一致”だけではない。


「白瀬咲耶の殺害に関わったグラス・チルドレンは、恐らく283の縁者を何らかの形で押さえている……それこそ“人質”などネ。
 推測ではあるが、戦術としての利益からして可能性は高いと言える」


それは、283を取り巻く状況に対する推理だった。
283プロダクションの強みは、身内同士で寄り合えること。
同時に、その結束こそが彼らの弱点へと転じる。
一度関係者が人質に取られるか、あるいは懐柔されるなどすれば、その時点で陣営は対処を余儀なくされる。
そして彼らと対峙するグラス・チルドレンの首領がそのことに気付かぬはずがない。
鏡面を介した回避不能の奇襲や諜報を行えるのならば―――尚の事、その戦術の有用性は増す。

そう、仮に自分がグラス・チルドレンの立場ならば。
“彼女達のプロデューサー”を押さえるだろう、と。
モリアーティは、考えていた。


「そして、何故『脱出派』という陣営が存在し、彼らが283プロダクションを拠点にすると思う?」
「……アイドル、つまり戦う気のない素人(アマチュア)達が中心になって寄り合ってるから。そういうコトですかね」
「その通り、彼女達はあくまで素人だ。戦略に対する見地も無ければ、荒事の経験も持ち得ない」


殺島の言及に対してモリアーティは答える。
283という陣営が白瀬咲耶や櫻木真乃のようにアイドルを中心に寄り集まっているならば。
彼女達がアイや蜘蛛の証言通りの善人ならば。


「そんな素人の集団が『自分達が脱出すれば他の参加者が抹消される』と知った時、そう容易く非情の決断を下せると思うかね?」


“自分達の脱出によって他の参加者が見殺しにされる”。
そんな状況を前にして、素知らぬ顔で計画を強行することなど出来ないだろう。
モリアーティはそう考えた。


「“W”だっけ?もう一人の蜘蛛さんが計画を強行する可能性とかってない?」
「その心配には及ばないさ」


アイの更なる懸念に対しても、飄々とそう返す。
例えアイドル達にその気がなくとも、もう一人の蜘蛛が実行に移す可能性。
成程、“傍から見れば”確かに警戒に値する。


「直に話したからこそ理解できた。彼は、そんなことは“出来ない”とね」
「……Mさんくらい賢い人が、随分信頼してるんだね」
「信頼というより、確信だね―――初対面で君の“素性”を言い当てたのと同じさ」


だが、モリアーティは確信していた。
アイドル達をあれほどまで献身的に守り続け、尚かつ“シャーロック・ホームズ”に纏わる揺さぶりが響いたあの男に、そのような手は使えない。
いかに悪しき手段を用いようとも、彼は“善なる蜘蛛”だ。

そして櫻木真乃の件に関しても、モリアーティは「恐らくは重大な危機は回避している」と推察していることを語る。
Wは櫻木真乃の携帯電話を介して連絡を取ってきた以上、彼女と接触しているのは明白だ。
仮に櫻木真乃が星野アイの証言通り、怒りと悲しみを背負い続けているのだとしたら。

――――あの“善なる蜘蛛”は、モリアーティという“鏡写しの悪”に対して。
――――より明確な“敵意”を、鋭く向けていただろう。

モリアーティは、確信を持ってそう答える。
あの電話においても、自分(モリアーティ)への警戒と敵意は滲み出ていたが。
もしも櫻木真乃が心を折られたままならば、あんなものでは済まなかっただろう―――と。


880 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:28:03 1elMwpVU0

それを聞いたアイは、呆気に取られる。
あの瞬間。電話越しで、確かに真乃との決別を読み取ったからこそ。
モリアーティの推理を前に、少なからず驚愕させられる。


(――――真乃ちゃん、もしかして立ち直ったのかな)


そう思って、アイは殺島の方へと視線を向けた。
何とも言えない、神妙な表情だった。
真顔で沈黙し、それでもその瞳には安堵のようなものを湛えている。

殺島は、あの時。
アイが真乃と決別した、あの瞬間。
彼女のアーチャーと対峙していた。
過酷な現実を前に慟哭する少女の前に、姿を現していた。
その時の彼が何を思い、どんな言葉を投げかけていたのか。
アイには知る由もないが、きっと“何かあったのだろう”とは思う。
だって―――彼の眼差しには、微かに感傷のようなものが見えたのだから。

そして、アイは殺島と目が合った。
彼は、フッと不敵に笑みを浮かべる。
―――大丈夫だ、と言わんばかりに。
その目付きが、いつも通りのものへと戻る。
俺はアイの味方だと物語る、そんな眼差しへと。
それを見たアイは、安心したようにふっと笑った。


「それに。例え彼が、“もしもの場合”に手段さえ選ばずに立ち回る者だったとすれば」


そして、モリアーティは説明を続ける。
もしも本当にWが“目的のために手段を選ばぬ立ち回りが出来る”のだとしたら。


「『善なる蜘蛛』は、峰津院よりもずっと先に――――この東京を『地獄』に変えていたからね」


この街は、とうに悪徳の街へと堕ちているだろう。
もう一人の蜘蛛は、それほどの存在だった。
彼が本気で悪を成せるのだとしたら―――そんな悠長な立ち回りを見せるわけがないだろうに。
きっぱりと断言するような物言いに、アイも殺島も黙って飲み込む他無かった。


「そして」


それに、もはや。
もう一人の蜘蛛は、それを実行に移すことも叶わなくなった。


「もはや、この聖杯戦争において――――」


犯罪王。犯罪卿。悪のナポレオン。
かのシャーロック・ホームズの宿敵。
それらの肩書を持つ“二人の蜘蛛”は、本質的に同質の存在として霊基を共有する。
それ故に、モリアーティは悟ってしまう。
覆しようのない、一つの事実を。



「“知恵比べ”で私と渡り合うサーヴァントは、いなくなった」



―――ああ、善なる蜘蛛よ。
―――君はどうやら、“ここまで”だったらしいね。






881 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:29:44 1elMwpVU0




思うところは、沢山あるさ。
語りたいことは、幾つもあるさ。
君の死を悟った瞬間から、込み上げてきたさ。

君はどのようにして、散っていったのか。
君は如何なる形で、戦い抜いたのか。
その答えは、最早君から直接聞くことは叶わない。
だが、ま――――君達の勝負はまだ終わっていないのだろう?

君の“最後の気配”は、実に奇妙なものだった。
同じ霊基を共有した英霊だからこそ、理解できる。
霊核に重大な損傷を負っても尚、君はすぐには消滅しなかった。
瀕死の重傷に晒されながらも、君は只管に粘り続けた。
それを感じ取った瞬間、私は直感した。

君は、何かを“成し遂げた”のだろう。
遺された少女達が生き延びるための道筋を、作ってみせたのだろう。
それこそ、命を賭すほどの覚悟で。

いやはや、最期まで見事だった。
結局、君との対話はたった一度だけで終わってしまったが。
それでも案外、“名残惜しさ”というものは感じるようだ。
君からすれば、私の相手など真っ平御免だったであろうが。
それでも私にとって、君は興味深い相手だったよ。
なあ――――“善なる蜘蛛”よ。

君はもう、この先の結末を見届けることは適わないが。
なればこそ、私がしかと目に焼き付けるさ。
この聖杯戦争の行く末を。
我らが王の辿る道を。
そして、君が遺した少女達の顛末を。



さらばだ、“犯罪卿”。
君とのチェスは、もっと愉しみたかったよ。






882 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:30:51 1elMwpVU0




「―――“もう一人の蜘蛛”は、陥落した」


そして、蜘蛛は語る。
飄々とした“悪党”の顔で。


「されど、彼らとの“取引”はまだ終わりではない」


連合の同盟者たる、“脱出派”について。
彼らにはまだ価値があると説く。
陣営の面々へと視線を向けながら、不敵に笑む。


「ここから先、如何に彼らと関わるか」


彼らの方から、交渉を求めてくるか。
あるいは、此方からコンタクトを取るか。
結託するにせよ、決裂するにせよ。
283の陣営は、未だ利用の余地はある。


「そして―――霊地争奪戦という混乱に乗じて、我々は如何に動くか」


それだけではない。
海賊同盟は、遅かれ早かれ霊地を狙う。
蜘蛛は峰津院大和の視線を、来たるべき激突へと向けて誘導した。
此処から先、間違いなく“乱戦”へと縺れ込む。
ただ傍観を決め込むのも悪くはないが。


――――連中を競わせて、自分達は高みの見物。
――――果たして、それを我らが王が望むか。


蜘蛛はフッと口元に笑みを浮かべて、死柄木弔へと視線を向けた。
若き魔王の殺気と闘志は、今もなお滾っている。
283との連携を行うにせよ、そうでないにせよ。
全ては王の意志のままに――――峰津院や海賊同盟という敵を前に、如何なる指針を下すか。
そして己は、王のための舞台を全力で整えねばならない。
老練なる策士は、高揚と期待を抱きながら、算段を重ねる。


「――――さて。見極めるとしようか」


さあ、再び始めよう。
我ら“悪党”の戦いを。
賽を―――投げようじゃないか。


883 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:32:58 1elMwpVU0
【中野区・デトネラット関係会社ビル/二日目・早朝】
※時間軸は120話「STRONG WORLD」以前です。

【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康、覚醒、『地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)』服用
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:さぁ――行こうか。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:四皇を殺す。
3:便利だな、麻薬(これ)。
[備考]
※個性の出力が大きく上昇しました。

【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:腰痛(中)、令呪『本戦三日目に入るまで、星野アイ及びそのライダーを尊重しろ』
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける
0:霊地争奪戦。283との連絡。さて、どう出るか。
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:課題『グラス・チルドレン殲滅作戦』を実行。Wの陣営の状況も、じきに確かめる。
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:田中一の再契約先のサーヴァントも斡旋したい。
6:さらばだ、犯罪卿。
[備考]※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」
※田中一からアサシン(吉良吉影)と仁科鳥子によるリンボ奇襲の作戦を聞きました。(詳細は田中が知らないので不明)。
アサシン(吉良吉影)の能力の一部も知りました(真名は田中が知らないので不明)。
※星野アイおよびそのライダーから、ガムテ&ビッグ・マムの情報および一日目・夕方までの動向を聞きました

【星野アイ@推しの子】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
1:敵連合の一員として行動。ただし信用はしない。
2:ガムテ君たちについては殺島の判断を信用。櫻木真乃についてはいったんMに任せる。
[備考]
※櫻木真乃、紙越空魚、M(ジェームズ・モリアーティ)との連絡先を交換しています。
※グラス・チルドレンの情報をM側に伝えました。

【ライダー(殺島飛露鬼)@忍者と極道】
[状態]:魔力消費(微)
[装備]:大型の回転式拳銃(二丁)&予備拳銃
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:アイを帰るべき家へと送迎(おく)るため、聖杯戦争に勝ち残る。
1:アイの方針に従う。
2:M達との協力関係を重視。だが油断はしない。厄(ヤバ)くなれば殺す。
3:ガムテたちとは絶対に組めない。アイツは玄人(プロ)だし、それに――啖呵も切っちまった。
[備考]
※アサシン(伏黒甚爾)から、彼がマスターの可能性があると踏んだ芸能関係者達の顔写真を受け取っています。
現在判明しているのは櫻木真乃のみですが、他にマスターが居るかどうかについては後続の書き手さんにお任せいたします。
※スキルで生成した『地獄への招待券』は譲渡が可能です。サーヴァントへ譲渡した場合も効き目があるかどうかは後の話の裁定に従います。


884 : ペーパー・ムーン ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:34:08 1elMwpVU0

【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんとの、永遠のハッピーシュガーライフを目指す。
1:お兄ちゃんは、いつかおわらせなくちゃ。
2:アイさんとらいだーさん(殺島)とは仲良くしたい。でも呼び方がまぎらわしいかも。どうしようねえ。
3:とむらくんとえむさん(モリアーティ)についてはとりあえず信用。えむさんといっしょにいれば賢くなれそう。
4:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
5:れーじゅなくなっちゃった。だれかからわけてもらえないかなぁ。

【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
1:死柄木とジジイ(モリアーティ)は現状信用していない。特に後者。とはいえ前者もいけ好かない。
2:星野アイめちゃくちゃ可愛いじゃん……でも怖い……(割とよくある)
3:あの怪物ババア(シャーロット・リンリン)には二度と会いたくない。マジで思い出したくもない。
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。

【田中一@オッドタクシー】
[状態]:サーヴァント喪失、半身に火傷痕(回復済)、地獄への渇望、高揚感
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×3
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命』。
0:……あいつ、ほんとに死んだんだな。
1:死柄木弔に従う。彼の夢に俺の道を託す。
2:敵は皆殺し。どんな手段も厭わない。
3:SNSは随時チェック。地道だけど、気の遠くなるような作業には慣れてる。
4:リンボに鞍替えして地獄界曼荼羅を実現させたかったけど、今は敵連合にいたい。
5:峰津院大和のことは、保留。その危険度は理解した。
6:星野アイ、めちゃくちゃかわいいな……
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。


885 : ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:36:07 1elMwpVU0
投下終了です。


886 : ◆A3H952TnBk :2022/07/30(土) 17:45:03 1elMwpVU0
すみません、>>873 冒頭にあるはずだった以下の台詞が抜けていたのでウィキ収録時に加筆させて頂きます。

>『じきに動けるな、ランサー』
>『―――治癒は進んでいる。余はいずれ再臨の時を迎える』


887 : ◆A3H952TnBk :2022/07/31(日) 09:08:59 XpvwK8Vo0
拙作「ペーパー・ムーン」のウィキ収録につきまして、分量的な区切りの良さから“前編・中編・後編”構成で収録させて頂きました。
度々報告すみません。


888 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/07/31(日) 20:33:30 REzdGKmA0
すみません、予約を破棄します


889 : ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:12:37 7zIWOR/g0
投下お疲れさまです!

大和とアラフィフという、ウィリアム亡き今間違いなく知略家の2トップであろう二人の対談が凄く説得力ある頭脳描写で描かれていて最高ですね……。
更にそこから弔と大和のバチバチの宣戦布告のし合いに持っていくのも、展開構築のセンスがキレキレ過ぎて超上がってしまいました。
大和とバブさんの主従、事実だけを見ていると戦果は芳しくないんですが、それでも凄まじい格を今に至るまでずっと保っているのでやはり恐ろしい。
そして連合の中でも、しおちゃんとデンジが"兄"についての話をしてるのが個人的にとても嬉しかったです。キャラの掘り下げはオタクの好物なので……。
いよいよ霊地争奪戦という新たな局面が見えてきた本作、いや〜〜わくわくが止まらない読後感でした。
あと空魚がかわいい。女子大生と近所の生意気なボンボンかな?


自分の投下なのですが、すみません。
ちょっと期限までに書き上がりそうにないので、書けている部分をキリのいい所まで一旦投下させていただきます。
インターバル期間後、まだ予約が空いていましたら続きを予約し執筆させていただきます。
最近不義理が続いていて申し訳ありません。


890 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:13:56 7zIWOR/g0
 時は流れる。
 いつだって人間の都合など知ったこっちゃないとばかりの顔をして、流れていく。
 少女たちが大切なものを失った先の戦いが終結してから、既に一時間半ほどの時間が経過していた。
 しかし此処に、メロウリンクの相棒だった七草にちかは居ない。
 櫻木真乃の"友達"だった星奈ひかるも、居ない。
 故に当然――田中摩美々とその大切なもの達を、いつも身を粉にして守ってくれた緋色の彼もまた、居ない。

「あなたは、きれいな紫色だから――なんて」

 みんな、死んでしまった。
 何かを守るために命をかけて逝った。
 彼らが居たから自分達は今こうして、束の間とはいえ平穏無事な時間に預かり心と身体を休めることが出来ている。
 時間が経てば経つほどに、摩美々は去っていった彼らの存在の大きさに感じ入るのを余儀なくされた。
 もう顔を隠す必要はない。取り繕えるくらいには落ち着いたから。時間はいつだって自分勝手に進んでいくけれど、人の心にはとても優しい。

「……ちょっと格好つけすぎでしょ、流石に」

 苦笑しながら摩美々は、彼の手の温もりを思い出していた。
 一生懸命という言葉が服を着て歩いているような人だったとそう思う。
 彼はいつだって頑張り過ぎなくらい頑張っていて、常に何かを考えていないと死んでしまうのかってくらいに頭を使いまくる人だった。
 だけどそれだけじゃない。自分が悩んでいれば言葉をくれたし、彼が自分にかけてくれる言葉はまるで肉親のそれのように暖かかった。
 
 誰より優しい、あたたかな緋色。
 もう居ない、話しかけてはくれないあの人。
 恋しい気持ちがないと言えば嘘になるけれど、だからこそいつまでも沈んでいるわけにはいられなかった。

 あの人が残してくれたものを背負って歩いていこう。
 あの人が残せなかったものと向き合っていこう。
 あっちで見てくれているだろうあの人が安心して笑えるように。
 あなたが守ってくれたものは、こんなにも綺麗に花を咲かせましたよと。
 胸を張って見せてやれるように――生きよう。
 だって私は。あの人がきれいと言ってくれた、ズルくてしぶとい紫色だから。

「ね、真乃もそう思わないー?」

 そう言って顔を向けたのは、自分の真隣だった。
 そこに居るのは櫻木真乃。ユニットこそ違えど、摩美々と同じ283プロで活動しているアイドル。
 そして摩美々と同じように、大切な片割れを失った喪失者でもあった。
 これまた摩美々同様に意識を失っていた彼女は、全てが終わって程なくしてから目を覚ました。
 身体に多少の傷こそあったもののいずれも軽傷で、後に尾を引くようなダメージは残っていない。
 ただし心の方は、その限りではない――ともすれば暫くは情緒不安定な状態が続いてもおかしくはないと。


891 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:14:40 7zIWOR/g0
 メロウリンクを始めとした他の面々はそう案じていたようだったが、しかし摩美々だけは違っていた。

「あはは……。でも摩美々ちゃんは確かに綺麗だし、本当のことを言ってくれただけだと思うな」
「真乃までそんなこと言ってー、綺麗どころは真乃みたいな子の担当でしょー? 嫌味かなー、このこのー」
「ほわっ……!? ち、違うよ! そんなわけじゃないよ、あうぅ……!」

 摩美々に肘で小突かれながら小動物的リアクションを見せてくれている真乃の目元は、確かに泣き腫らして真っ赤になっている。
 笑顔で売るのが基本スタイルなアイドルの顔としては、あまりよろしくないコンディションだ。
 だけどそれでも、摩美々は同じ"先に行かれた者"として――このメンバーの中では一番彼女との付き合いが長い友人として。

「ねー、真乃」

 真乃は大丈夫だろうと、そう思っていた。
 摩美々だってまだ完全に立ち直れたわけじゃない。
 だけどこれは誰かが聞いてあげないといけないことだろうと思ったから、無粋は承知で言葉をかけた。

「もう、落ち着いたー?」
「……うん。いつまでも泣いてたらみんなの迷惑になっちゃうし、それに」

 摩美々の問いかけに、真乃は小さく微笑みながら頷いた。
 摩美々の居ない右隣の空間、無人のそこに眼差しだけを向けて。
 この一ヶ月間いつもそこに居てくれた妹のような少女が、もう何処にも居ないことを再確認する。
 真乃の微笑みは寂しげであったが、しかし悲愴感に染まってはいなかった。
 彼女は彼女で自分なりに喪失の痛みと向き合い、乗り越えるまでは行かずとも、とりあえず流れる涙を止めることは出来たらしい。
 ずっと泣き続けて現実から逃避するほど、櫻木真乃というアイドルは弱い少女ではなかったのだ。

「ひかるちゃんね、最後に言ってくれたんだ――"ずっと見てますから"って」

 もしもこれが突然の別れだったなら。
 星奈ひかるが最期の言葉を交わす暇もなく消し飛ばされていたならば、話は違ったかもしれない。
 しかし幸い。真乃とひかるの二人には、話をする時間が残されていた。
 だからさよならが出来た。お互いの想いを伝え合って/押し殺して、キラキラした希望に溢れたさよならでお別れすることが出来たのだ。

 ――誰かと交わす"さよなら"はいつだって寂しいものだけれど。
 時にそれは、誰かの居ない明日を生きる"希望(ひかり)"にもなる。

「私……摩美々ちゃんみたいに頭も良くないし、いざとなったら自分でどうにか出来るような強さもないけど。
 それでも――あの子が見てくれてるんだったら、情けないところだけは見せられないなって思ったの」
「……そっか」
「うん。ひかるちゃんが大好きって言ってくれた"キラやば"な私のままでいられるように、頑張らなくちゃって」


892 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:15:18 7zIWOR/g0

 その言葉には宣誓のような力強さが籠もっていて。
 やっぱり心配なんて要らなかったじゃん、と摩美々はそう思った。
 摩美々は決して星奈ひかるという英霊のことをよく知っているわけじゃなかったけれど。
 それでも、彼女と真乃の間にある絆の強さは見ているだけでも理解出来た。
 死に別れはしたものの、今際の際の彼女から大切な言葉を受け取った真乃は――きっと大丈夫だ。
 
「だから、ね。いつまでも、泣いてなんかられないな、って……」
「ストップ。そんではい、ぎゅー」
「っ……!」

 真乃はきっと、この離別を乗り越えられるだろう。
 だけどそれは今すぐの話じゃない。
 摩美々もそれは分かっていたし、彼女自身もそうだから真乃の気持ちはよく分かった。
 彼女の顔が自分の胸元に来るようにぎゅっと抱き締めて、よしよし〜、なんて言いながら頭を撫でてやる。
 こうしていれば、とりあえず顔は見えない。
 自分に抱き締められている真乃がどんな顔をしていたとしても、誰にも見られることはないから。

「……、……! っ、う、……!!」

 押し殺した嗚咽は真乃の覚悟を物語る。
 アイドルは笑顔が命。泣き顔よりも笑顔の方がずっとキラキラしてるに決まってる。
 だから堪える。何が溢れそうになっても、どんな声が漏れそうになっても、堪える。
 それが櫻木真乃が選択した、この悲しみとの向き合い方なのだった。
 強い子だな、と摩美々はそう思う。その姿勢はひどく愚直だけれど、だからこそ相応の覚悟が要る道だから。

「辛かったらいつでも言って。力になれるかは分かんないけど、ぎゅってするくらいなら出来るから」
「……うん。うん、うん……。摩美々ちゃんも、っ、あんまり我慢しないでね……?」
「――ふふ、りょーかい。友達だもんねぇ、もし摩美々がにっちもさっちも行かなくなっちゃったらー、その時は真乃のこと頼らせて貰うから」
「ふふ……っ。約束……だね」
「そ、約束ー」

 友達なのだから。
 背負い合って、生きていこう。
 肩を貸し合って歩いていこう。
 そう誓う二人の姿を、実際に英霊の座へ還った彼らが見ているかどうかは分からない。
 だけれど仮に見ていたとしたら、きっと胸を撫で下ろして互いに顔を見合わせ笑ったろう。
 自分達が居なくても、マスター達は大丈夫だと。
 そう考えたに違いなかった。弱くて脆くて、だけど確かな形を持った強さがそこにはあったから。

 そしてそんな二人の姿を、この仮初の現世から見つめる青年が一人。
 先の戦禍を生き延びはしたが、彼もまた大切な片割れを失っている。
 アーチャー・メロウリンク=アリティー。彼は互いの哀しみを分かち合い、それでも前に進もうとする摩美々達の姿を見て小さく笑んだ。


893 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:15:58 7zIWOR/g0
 しかしそれも一瞬のこと。次の瞬間には彼の顔は、真剣そのものの猟兵としての表情に変わる。
 時間は遠慮なく進む。時間は、負った傷が塞がるまで待っていてなどくれないのだ。

「話をしても、構わないな?」

 構わないか、ではなく。
 構わないな、と訊いた。
 それに対して二人はどちらともなく頷く。
 メロウリンクも冷血ではない。
 もしも話が出来なそうならもう少し時間を置くことも考えただろうが……この様子ならその心配はなさそうだった。
 であれば遠慮は無用と。メロウリンクは前置きや慰めの言葉は割愛して、単刀直入に本題へと入る。

「まず――田中摩美々。君に、俺の新たなマスターとなってほしい」
「……一応、理由とか聞いちゃってもいいですかー?」

 サーヴァントを失ったマスターが新たなしもべとの契約にありつけるのは幸運以外の何物でもない。
 故に本来ならば、断るどころか食い下がる理由すらない筈なのだ。
 サーヴァントとの契約は何よりも明確な安全保障になる。
 無力な者の命が紙吹雪のように舞って散るこの世界では、英霊を従える以上の防衛手段は存在しない。

 無論そのことは摩美々も分かっている筈で。
 死したアサシンに操を立てているなどということも考え難い以上、にも関わらず彼女が食い下がる理由はたった一つに絞られる。
 即ち……。何故真乃ではなく、自分なのか――ということ。
 とはいえこれはメロウリンクとしても予想出来ていた反応である。
 友達想いの彼女は、同じ境遇にある友人を差し置いて自分だけが安全な身分に置かれることを手放しで喜びはしないだろうと思っていた。
 だがこればかりは、真乃には任せられない役目だ。その理由をメロウリンクは語って聞かせる。

「真乃の存在を軽んじるつもりはないが、相棒に選ぶのであればどうしてもより付き合いの長い方が適役となってくる。
 いざという時に少しでも息の合う、互いの考えをスムーズに察せる……そんな人物を選ぶ必要がある。それに」
「……それに?」
「君は令呪二画を未だ保持している。聖杯戦争においての令呪は時に不可能を可能にするワイルドカードだ。
 あのリンボのように出鱈目な力を持った手合いと相見えた時のことを考えれば、令呪による支援が期待出来るかどうかの差はあまりにも大きい」

 尤も令呪に関しては、摩美々が真乃に譲渡するという形を取れば解消される話ではあるが。
 それでもやはりメロウリンクとしては摩美々を選びたかった。
 彼女が頑なに拒み、真乃を選んでくれと言うのならば話は別だったが――

「真乃は、私でいい?」

 摩美々はメロウリンクにわがままを言う気などない。
 彼が説明した"理由"も、きっと最初から彼女は分かっていた筈だ。
 なのにわざわざ物分かり悪そうな問いを投げた理由は一つ、櫻木真乃への誠意に他ならない。
 そしてその想いはメロウリンクのみならず、当の真乃にもきちんと伝わっていた。
 真乃は濡れた目元を服の袖で拭いながら、笑顔を浮かべて摩美々に頷き言った。


894 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:16:29 7zIWOR/g0

「もちろん。摩美々ちゃんは頭いいし、アーチャーさんのことをたくさんサポートしてあげて」
「ん、りょーかい。真乃がいいなら私は全然いいんで、よろしくお願いしまーす」

 そう言って摩美々は、メロウリンクに令呪を刻まれている方の腕を差し出す。
 本来の聖杯戦争でどうなのかは知らないが、少なくともこの世界で行われている戦争(これ)では新たなサーヴァントとの契約は簡単に行えるらしい。互いの同意があり、尚且つ相手が間近に居る状態ならば決まった作法も存在しないと頭の中の知識が教えてくれた。
 摩美々に合わせる形でメロウリンクも腕を差し出し、二人は握手を交わした。
 それをトリガーにして、相方の居ない二人の間に契約のパスが繋がる。新たな主従が誕生した瞬間だった。

「……これで、もう私はアーチャーさんのマスターなんですよねー?」
「そういうことになるな。これから宜しく頼む、摩美々」
「はい、こちらこそー。……それより。これからどうするかとか、何を狙っていくのかとか。
 出来れば私達にも分かるようにいろいろ噛み砕いて、教えてもらってもいいですかー?」

 マスターとは呼ばないんだな、と思った。
 摩美々にはその理由が分かる。それは決して、自分への悪感情や不安感に依るものではないのだと。
 たとえ新たな契約者を得たとしても、彼にとって"マスター"と呼べる人間は七草にちかただ一人なのだ。
 ライダーのマスターである彼女と散々に言い争って、自分同士で漫才じみた小気味のいい掛け合いをして、……最後はもう一人の自分をいつまでも見守っていると誓い散っていった"七草にちか"。
 摩美々にもその気持ちはよく分かった。摩美々とて決してメロウリンクのことは嫌いではないし、むしろ信頼しているが。
 それでも――こうして新しく契約を結んだ今でも、自分にとってのサーヴァントが誰かと言われるとどうしても"彼"の顔と声が浮かぶ。
 とはいえそれを悪いことだとは思わない。自分の場合でも、相手の場合でもそう。
 大切な過去を胸に抱いて生きていくのが悪いことだなんて、そんな悲しい話はないだろう。
 
 そして、それはさておき。
 摩美々の問いを受けたメロウリンクは一言。
 これから話す内容は、今後の情勢次第で幾らでも変わる可能性のあるものだと前置きしてから、確固とした声色で言った。


「――"海賊同盟"を墜とす。それが、俺達の目下最大の目標になる」


 海賊同盟。
 先刻アルターエゴ・リンボが高らかに叫んだ宣戦布告の折に挙がった名前だが、それが唱えられた時摩美々と真乃は意識を失ってしまっていた。
 だからその名前を聞くのは、これが初めてのことになる。
 とはいえ彼女達もこれまでの経緯とその文脈からして、件の同盟にはあの憎きリンボが加担しているのだろうことは察せられた。
 星奈ひかるを間接的に死へ追いやり、偶像の道を降りた七草にちかを殺めた一切嘲弄の生臭坊主。
 摩美々もそして真乃も、リンボのことは倒すべき敵だと認識していた。
 方針上対話の余地は常に捨てずにいたいと彼女達自身そう思っているが、……それでもあれは話が別だ。


895 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:17:01 7zIWOR/g0

 あの男は他人の不幸を蜜として啜り、何処まででも肥え太り増長していく肉食の獣。
 そもそもからしてケダモノなのだから相互理解はおろか、意思の疎通すら本当の意味では成立しない手合い。
 差し伸べた手を肩口から引き千切って生き血を啜る、読んで字の如くの"人でなし"。
 アシュレイの宝具を起動して脱出する"方舟プラン"の実行も、奴ならば目敏く嗅ぎ付けて邪魔立てしてくるだろうことは容易に想像がついた。

 ……それに。そうでなくてもやはり――あれに対する憎しみと怒りの念はどうしても、込み上げてきてしまう。
 あの嘲笑を思い出すだけで煮えくり返るものが、二人の中にも確かにあった。

「ライダーのマスター……"偶像"の七草にちかは令呪を一画失ってしまった。
 そして奴の知己であるところのセイバーは、件の"同盟"にマスターを拿捕されている。
 前者の問題は君達身内の間で令呪を譲渡することで解決可能ではあるが、それにしても今の段階ではまだ不確定要素が多い。
 しかしかと言って――」
「……いつまでも手をこまねいていたら、その間に東京がなくなっちゃうかも――ですか?」
「そういうことだ。聖杯戦争の加速は俺は勿論……摩美々、君のアサシンの予測をすら超えていたらしい」

 アシュレイが内なる煌翼を表出化させて奮戦し。
 更に策略の重ねがけを経て――鋼翼のランサー・ベルゼバブはどうにか射ち落とすことに成功した。
 だがその過程で区一つを文字通り消し飛ばしてしまった事実。
 これは直にまだ見ぬ聖杯狙いのマスター達……そして件の大同盟の耳にも入るだろう。
 新宿事変以降、まるでドミノを倒したみたいに戦況が加速し続けている。
 ベルゼバブを討つためとはいえ、他でもない"方舟を駆る者"がその加速に拍車を掛ける役割を担ってしまったというのは皮肉な話だったが。

「どの道……セイバーのマスター・古手梨花を奪還する過程上、連中との対決はある程度避けられない面もある」

 私怨を除いてもな、と小さく付け足すメロウリンク。
 彼の復讐の牙は今明確にかのアルターエゴへと向けられていたが、海賊同盟の打倒を掲げるのは何も私情に付き合って貰うためではなかった。
 仮に海賊同盟への抗戦を方針に含めなかったとしても、結局自分達脱出派は奴らとの対立を避けて通れないのだ。
 であれば積極的に行くが吉なのは間違いない。
 それに――これに関して言うならば、何も自分達のみで向き合わねばならない問題でもないのだから。

「アサシンが遺した端末の中には、奴が生前に接触していた"もう一匹の蜘蛛"の連絡先も入っている筈だ。
 恐らくライダーがそれを使い、この街で聖杯狙いの連合を組んでいる"悪なる蜘蛛"へコンタクトを取るだろう。
 俺達が具体的にどう動くか……ふんぞり返った海賊共をどう引きずり下ろすのか。それはその後の話になってくるな」

 悪なる蜘蛛。
 そのワードを耳にした摩美々の眉がぴくりと動いた。
 当然だろう。彼女こそは、かつてこの東京に存在していた"善なる蜘蛛"のマスター。
 心血と魂の全てを使って自分達を守ってくれた優しくて不器用な緋色を、誰より間近で見てきた人間なのだから。

「……あのぉ。これ、正直――めっちゃワガママなのを承知で言うんですけどー」

 言葉の字面だけを見れば、大人に無茶なおねだりをする歳相応の子供のよう。
 だがそれを口にする摩美々の顔に笑みはなかった。
 その眼差しに宿る色は真剣。彼女なりの覚悟の光が、そこには確かに見て取れる。
 メロウリンクは無言で彼女に先を促した。ありがとうございます、と一言言って摩美々が続ける。


896 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:17:32 7zIWOR/g0

「ライダーさんの電話の……ついででいいんです。
 ついででいいですから、私にもお話をさせてくれませんかー?」
「……勧められないな。相手はあのアサシンと互角以上に渡り合った生粋の策謀家だ」

 話に聞くだけでも、傑物だということは分かった。
 悪なる蜘蛛――もう一人の犯罪卿、ジェームズ・モリアーティ。
 奴の存在がもしもなければ、きっとウィリアムは今とは比べ物にならない盤石の体制を築き上げられていただろう。
 割れた子供達並びにビッグ・マム……今は海賊同盟を名乗るかの勢力との対立だって、今よりずっと余裕ある状態で向き合えていたのではないかとメロウリンクはそう思っている。
 つまり、奴にはそれだけ多く策のリソースを持って行かれたということ。

 智謀の頂上決戦は明確な幕引きを迎えることなく、緋色の蜘蛛の退場によって打ち切られた。
 今も世に蔓延り続けているもう一匹は脱出派が頼ることの出来る数少ないアテであると同時に、ともすれば海賊同盟以上に油断のならない不安の種。
 何せこうしている間だって、自分達の身体には奴の策/糸が結び付けられているかもしれないのだ。
 そんな相手と一対一で話すなど、とてもではないがメロウリンクとしては賛成出来なかった。

 ウィリアムがあれとやり合えたのは、ひとえに彼があちらと同じだけの怪物だったからに他ならない。
 相手が緋色の怪物から只人の少女になったのなら。
 蜘蛛の糸はたとえ会話一つででも、容易に彼女の脳髄を絡め取り支配してしまうだろう。
 難色を示すメロウリンクだったが、そんな彼に摩美々は苦笑しながらかぶりを振って否定した。

「あはは、ナイナイ。確かに私も悪い子ですけど、"悪い子対決"するって言ったって限度がありますから」
「――、……まさか」
「はい。そのまさか、でした」

 思い上がるつもりはない。
 "彼"があれほど苦戦させられた相手と話して、自分が何かを出来るだなどとは思っていない。
 だから摩美々が対話を望む相手は、"もう一匹の蜘蛛"ではなかった。
 摩美々が求める会談の相手。それは――

「狡賢くてとにかく悪い蜘蛛さん。……それをこの界聖杯に召喚した、マスターさん」

 思えばずっと、気にはなっていたのだ。
 ウィリアムだけではなく、摩美々とその周りの人物も。
 誰もが一方的に認識され、自覚の有無を問わずにある者は動かされ、ある者は踊らされてきた悪なる蜘蛛。
 しかし彼もまたウィリアムと同じくサーヴァントであるならば。
 当然、居る。居る筈なのだ。自分と同じようにこの世界へと迷い込み、そして縁の糸で蜘蛛と繋がったマスターが。
 一つの聖杯狙い勢力を統べる首魁。
 この世界からの脱出という優しい終わりを目指す摩美々達にとって――無視することの出来ない、敵(ヴィラン)の王。

「アーチャーさんも、気になりません?
 私達を散々振り回して困らせてー、今も何処かで笑ってるだろうわっるい蜘蛛さん」
「……、……」
「そんなのに言うこと聞かせてる"あっち"の王様ってー、――いったいどんな人なんだろう、って」


897 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:18:09 7zIWOR/g0

 脳裏をよぎる言葉がある。
 他でもない自分自身の言葉だ。

『本当に許せないのは……願いのために誰かを殺す道を選んだ人達じゃないし。
 もしかしたら、平気で酷いことをする人達ですらないかもしれない』

 ……多分。これから自分が喋ることになるかもしれない人間は、どちらにも当て嵌まるだろう。
 願いのために誰かを殺す。幾らでも殺す。それが出来る人間。
 必要だからという理由で何でも出来る。何でも踏み躙れる。それが平気な人間。
 対話の必要はないのかもしれない。あくまで利害関係の一致に留めて、いざとなればこっちから蹴落とすとか。
 そういう気構えで臨んだ方が遥かに安全で、確実なのかもしれない。
 知ろうと思う必要なんて、ないのかもしれない。

『“たった一組しか願いは叶えられませんし、生き残れません”。
 “他は皆死んじゃうから、争ってください”――――そうやって皆を巻き込んだ界聖杯が、一番許せない』

 だけど、ああそれでも。

『そんなの、奇跡の願望器なんかじゃない。
 みんなを幸せにして、めでたくハッピーエンドで終わらせて……それが“奇跡”でしょ?』

 きっとその姿勢で進んだ先に、ハッピーエンドは待っていてくれないのだろうと思えた。
 この世界は。界聖杯は、誰かが痛みを背負いながら前に進むことを望んでいる。
 誰かを理解することを拒むのは、まさにそんな最悪の舞台装置の思う壺。
 そんな性根の歪んだ願望器に、本当の"可能性"を突き付けてやるには、きっと。
 知ること、話すこと。馬鹿げた対話を飽きるほど重ねて、相手を理解して、その上で戦うなら戦う、手を取れるなら手を取る。
 そんな理想論を貫いて歩んでいくこと、その先にこそ奇跡のようなハッピーエンドが待つのだと。

 田中摩美々は知っていた。
 緋色の彼にかけた言葉は、摩美々自身の道をも照らす灯火になってくれていた。
 だからこれはその一歩。
 奇跡みたいなハッピーエンドへ、はじめの一歩から歩んでいくために。田中摩美々は――魔王の声を聞こうと決めた。


◆◆


898 : ◆0pIloi6gg. :2022/08/02(火) 17:18:50 7zIWOR/g0
一旦投下終了です。
続きは先述の通り、インターバル期間終了後に予約が空いていたら書かせていただきます。


899 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 20:57:05 PDwpdxwU0
投下します


900 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:01:15 PDwpdxwU0


 
 ───患者を見つめる。
 落ち着いて。冷静にと。何度も自分に言い聞かせながらも、視線は逸らさない。

 白い光。
 白い部屋。
 ここはホテルの一部屋。どこにでもありふれてる、世界と繋がった場所。
 けれど、今はそうじゃない。部屋の外と内は切り離されている。
 中に潜む恐ろしきものの、おぞましき片鱗を有するものの気配に浸されて。
 あるいはもっと、身近にある死の気配が滲み出て。
 ここは異界と化している。常識を営むこの身にとっては、少なくとも。

 目の前の光景は現実だ。
 過去に見た、誰彼の現場の記録じゃない。
 未来に目にするだろう、誰彼の現場の追憶じゃない。
 横たわる体。投げ出される金の髪。亡くしてしまった、右の手首。
 全て、現在の自分が立ち会わなくちゃいけない、現実の問題。

(本当は……病院に電話した方が……いいんだけど……)

 医療の知識、医術の実践は覚えている。
 病院でお世話をする子供、学校のクラスメイト、事務所の仲間、芸能関係者、行き交う人。
 互いが触れ合う交差で出来る小さな傷を見て、適切な対処を施してきた経験は積んである。
 今回は、違う。
 日常を飛び越えた惨事。命に関わりかねない重い傷を負ってるのかもしれない。
 本格的な治療をするまでに命を繋ぐ応急手当は必要だけれど、一番はやはり、もっと専門の、大きな設備のある場所まで運ぶ手配をするのが、最善の手段だ。

 
 ───それは、できない。
 ───多くの理由が、それを拒む。

 
 電話をしても、きっと、すぐには救急車は来ない。
 病院はどこも満員に到達するまで混んでいる。幾度と起きた事故。聖杯戦争の余波の爪痕だと、知っているのはごく僅か。
 大きな怪我、命が失われる瀬戸際の淵にいる人が、多くいる。
 限られた人員。限られた設備。限られた残り時間。
 一人でも多くの患者を救うためには、治療優先のトリアージが行われる。
 この女性が、誰よりも先に治療して貰えるのか。見立てでは、そうはならないと思う。
 傍らの少女にとって、このひとがどれだけ大事な存在だとしても。


901 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:02:56 PDwpdxwU0


「マスター…………」
 
 金髪の少女から声が漏れる。
 マスター。聖杯戦争のマスター。倒れ伏す彼女をそう呼ぶこの子は、やはりサーヴァントだ。
 今まで出会った、英霊と呼ばれるカタチとは印象がまるで異なる。強い侍。厳かな姿。
 隣り合うふたりは、同じ髪の色をしていて、まるで歳の離れた姉妹のようだ。
 明らかな西洋人のサーヴァントはともかく、マスターの方にも異国の血が混ざってるのだろうか。

 サーヴァント。そう、サーヴァントだ。
 人ならざる力を潜在させた、おそろしく強きもの。
 怯えと焦りで小さな肩を震わすこの少女も、やはりサーヴァントであり、力を備える。驚異も、また。
 つい先ほど覗かせたその先端、何もない空間を波打たせる、奥にいるモノを引きずり出そうとする行い。儀式。
 まだ恐怖の余韻は張り付いている。日が落ちても下がらない、肌にまとわりつく夏の熱気のように。
 
 少女は怯えている。
 それは主であるマスターを、それ以外の理由でも大事な彼女を失うかもしれない恐れから。
 外の情報に対して、とても敏感になって、近寄るものに警戒している。
 きっと、許さないだろう。救急車に運ぼうと彼女に触れる隊員を。
 無数の苦痛と叫びが鳴っているだろう、病院の空気を。
 それが正解なのに、適切だとわかっていても、大切な誰かを他人に託すという選択を、どうしても選べない。

 ……多分、だけれど。
 この子はきっと、誰かに裏切られた。
 気を許してしまい、近づかせてしまったせいで、酷い傷を負わせてしまった。
 もう誰にも触らせたくない、誰も信じられないと、目をぎゅっとつむって、心を固く閉ざして、必死にはね除けようとしている。

 それを。
 恐ろしくてたまらない誰かの手を、取ることを選んでくれたのだから。
 触れることを、許してくれたのだから。
 開けてくれた心に、精一杯に応えてあげたい。
 考えられるのは、思っているのは、それだけだった。

「……失礼……します…………」

 容態を窺おうと腰を下ろしてすぐに、異臭が鼻腔を刺した。
 厭なにおい。今まで嗅いだことのないものの痕。
 保健室でよく嗅ぐ、つんと刺激する消毒液ではない。
 病室でままある、粗相をした排泄物ではない。
 肉が焼けたにおい。牛でも、豚でも、鳥でもない。
 皮が油で弾けた香ばしさも、肉から滴り落ちる汁の旨味も感じられない。
 いつだって焼ける所にあるが、誰も食べようと考えすらしない禁忌の味。
 人間の。焼けた肉のにおい。

「───────……!」


902 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:03:52 PDwpdxwU0


 叫びだしたくてたまらない嘔吐感が、喉元をせり上がる。
 片手で口に蓋をして、必死に堪えた。出してしまえば、もう止まらない。この悪夢に立ち向かう力を失ってしまう。
 目を反らしてはいけない。どこに目を向ければいいか、わからなくなってしまう。
 肺に溜まった空気を呑み込む。大丈夫、指先は動く。怖くない。怖く、ない。

 匂いの源泉に視線を戻す。右の手首、尺骨から先が消失していて、あまりに痛々しい。
 腕が飛ぶという怪我、間違いなく大出血でショック症状を引き起こしてもおかしくないが、止血だけは迅速に済まされている。
 傷口に火を当てて、強引に焼いて塞いだと、血の気の引くような真似をして。

「爆弾って……言ってたわ……。サーヴァントにやられてしまったの……。マスターを脅して、契約を結び直すって……」

 か細く、状況の説明が添えられる。

「私なの……。私がしっかりしてないから。
 私がいけないサーヴァントだから、アサシンを近づけてしまって、マスターをこんな……酷い目に……!」
  
 伝えられた内容は、よくわからない。
 これからにとっては大事な話なのかもしれないけど、ここで重視するべきものではなくて。
 わかるのは、少女が自責の念に駆られて、苦しんでいるということだけで。

 ───肩に触れる。
 驚くくらい細く、華奢な肩だった。
 刺激しないよう、強く押さえつけたりせず、触れ合うぐらいの軽さで。安心感を与える。
 ゆっくりと触れて、さすって、こちらを見返す視線に、大丈夫だと、笑顔を形作ってみせる。
 顔の強張りが自分でも感じられて、少しぎこちなくなってる。レッスンが足りない。改善点いち。
 けれど、意図は伝わってくれた。次第に肩の上下は収まって、表情を緩ませてくれる。
 よかった。心配を移させるようなことにならないで。

「すごい熱……! やっぱり、傷のせい……?」

 額に手を当てて、容態を確認する。
 熱い。風を引いた子供の時と同じだ、はっきりと熱を持っている。
 熱は、体の異常を知らせる、もっとも明瞭な伝達手段。細菌の感染、異物が入り込んだエラーを知らせる合図。
 
「抗生物質…………鎮静剤……ううん、それよりまず冷やさないと……」

 傷口から菌が入り込んでしまったのなら、繁殖を抑える薬を飲ませなくてはいけない。
 熱と傷の痛みが継続して苛んでいるのなら、体を冷まし、痛みを抑制する薬が必要だ。
 浅い火傷なら、傷にも軟膏を塗っておくが……この規模だとどうするべきかわからなくなる。
 薬───この部屋に薬は常備されている? いいや、医薬品所持の許可がなければ薬は持てないから、外のドラッグストアまで向かわなきゃ。まだ店に薬は残ってるだろうか?

「あの……氷……ここにはありますか……?」

 とにかく、できることをしていくしかない。
 まずは、苦痛を少しでも和らげてあげなくては。
 薬を与えても、効果を発揮するには時間差がある。熱を溜めたままでは、負荷もかかったままで辛いだろうから。


903 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:05:59 PDwpdxwU0

 薬を与えても、効果を発揮するには時間差がある。熱を溜めたままでは、負荷もかかったままで辛いだろうから。

「え……? ごめんなさい、わからないわ……。わたしたち、この部屋には来たばかりだから……」
「うん……それじゃあ……冷凍庫の方……探してみましょう……」
「あ……わ、わかったわ……!」

 少女を伴って備え付けの冷凍庫に向かい、扉を開ける。
 中には何も入ってないが、アイスボックスに固められたままの氷はあった。
 それを取り出し、水と一緒にビニール袋に詰めて、タオルで包み、氷嚢を何個か作る。
 
「桶に水……溜めてきたわ……! これでいいかしら……?」
「うん……ありがとう……!」

 用意して貰った水桶に氷嚢を入れて、冷えたところでタオルを濡らす。
 そうやって冷たくなったタオルを絞って、額や腕、体の汗を拭いたりしてあげる。余った氷嚢は額に当てて直接冷やす。

「これで……良くなったのかしら……? もうマスターは大丈夫なの……?」
「ううん……まだ……。あとは……お薬と包帯をもらって……経過観察しながら……」

 これから、ホテルを出て、薬を買って来て、戻ったら薬を飲ませて体を安静にして。
 そこまでが、自分にできる全部になる。
 熱と痛みが引いて、意識が戻ってくれれば、あとは静養の時間を取ればいい。
 ……マスターという立場が、それを許さないとしても。
 
 そんなつもりはない。戦うつもりなんてない、のだけれども。
 自分も、マスターだから。
 そうすることを望むひとが、いずれ霧子の元にやってくる。マスターの資格を放棄しない限り。
 眠る彼女が、そうであるように。

「ぅ……あ───ぐ…………!」

 呻きが、部屋に流れる。
 苦しむ彼女の肌には、大量の汗。
 漏れる声は、蝕まれる体に喘ぐ苦悶ばかりで、乱れた息が部屋に浮かんでは消える。 
 タオルで拭っても、すぐに肌に汗が浮かんで下に伝う。
 鬩ぎ合っている。体内に入り込んだ毒素と、免疫機能が。
 それとも、それ以外の、バイ菌以外の何か?
 彼女に巣食い、指先からゆっくり、齧るように、時間をかけて痛みをもたらす、何かの形が。

「マスター……!? ああ、マスター……! しっかり……!」

 たまらず身を乗り出して、彼女の手を握る。
 残った方、片側の手を自分の両手で包んで。

「大丈夫よ、アビーはここにいるわ……! あなたはひとりじゃないわ……眠りにいても……寂しくなんか……ないから……」

 大丈夫。
 心配いらない。
 気休めの言葉をかける。聴覚が働かなくても、触覚を伝って思いが届くようにと、切に、切実に。
 気休めは大事だ。人が治るには、それが一番大切なもの。
 どんなに医療が進んでも、どんなに治療が正しくても。
 患者の心が弱ってしまえば、治しは効かない。二度と目覚めは訪れない。
 精神が肉体に引きずられる。

 気休めは大事。
 けれど、やはり気休めでしかないのだ。
 いくら心を強く保っても、体が先に倒れてしまったら、同じく目覚めは二度とない。
 肉体が、精神を連れ込んでいく。


904 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:06:54 PDwpdxwU0


 
(どうしよう……)

 悩む。対処をしながら、懸命に考える。
 今すぐ薬を買いに、外に出るべき?
 ───この子たちを、置いて?
 瞳の輪郭が滲み、今にも涙が零れそうな子から、目を離して?
 信じてくれた。外の全てが敵にしか見えないぐらい過敏になっていたのを、頼ってくれた。
 ここで見捨ててしまえば、もう今度こそ、彼女は信じるすべを失ってしまうのでは。

 見捨てるわけじゃない。見捨てるわけじゃないの。
 助けるために立たなきゃいけないだけ。そうする方が、助かる確率を高められるのだから。
 けれど子供には、そんなことはわからないのだ。
 そこからいなくなってしまうのは、視界から数秒消えてしまうだの時間が、子供にとってはそれだけで耐え難いこと。
 これは我が儘ではない。子供はいつだって訴えている。願っている。
 その子供心を、他愛もない小さな声を、どうして見なかったことにできるだろう─────────?

 
(どうしたら……?)

 指か止まる。
 足が固まる。
 理解できる。寄り添いたいと、思ってしまっているから、動けない。
 優先順位が、定まらない。

 駄目。駄目。しっかりしないと。
 目を逸らしたら、いけない。両手で覆ってしまっても、いけない。
 諦めてしまうことなんて、できない。
 じゃあ、どうするの。見捨てることも、逃げ出すこともしたくないわたしは、なにを、選ぶの。

 
 ───不意に、景色が暗がりに移り変わった。

 
 怪我の状態を確かめるため点けていた、部屋の暖色系の蛍光灯が、霧子のいる範囲だけ落ちた。
 逆説的ではあるけれど、舞台の上で、スポットライトが当たり自分が切り取られたような。
 いや、違う。そうではない。電源が切れたわけじゃない。
 これは影だ。
 背後に誰かが立ち、その背丈が覆いになって、光を塞いでいるのだ。

 姿は見えない。
 でも、誰であるかを、自然とわかっていた。
 契約で繋がっている縁といった、霊的な直感。
 あるいは。彼が動いた風を受けて、ぼんやりと、曖昧な、なんとなく?
 
 
「セイバーさん……?」

 
 黒の袴。黒の長髪。
 振り返った先にいたのは、幽谷霧子のサーヴァント。セイバー。
 
「…………………………」

 現れたセイバーは何も言わない。
 彼が寡黙で、多くを語らないのは知っていることなのに。
 今の沈黙は、いつもと違う気がする。何かに黙考するような、神妙に思惑をしているような。


905 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:07:53 PDwpdxwU0


「……? ッ──────!?」

 声が出ずに、引きつった喉から悲鳴が上がった
 首の向きを変えた霧子に同じ方を向いた……自分をアビーと呼んだ少女は、突如として現れたセイバーを見て身を震わせて。

「あ…………悪魔…………っ!?」

 そう、言った。

(あ………………)

 胸が、痛んだ。
 肺の奥、骨に守られた心臓が跳ねる痛み。

「だ……駄目よ! まだマスターは連れて行っちゃ駄目……!」

 マスターに覆い被さって、必死に祈る。
 周囲の空間が泡吹き、揺れる。水面から顔を出す魚のように。
 挺身と捨身を厭わない行いは、マスターへの思いの強さと、セイバーへの恐れの強さを物語る。
 アビーからすれば、死に瀕する彼女を、天上の国に導きに来た、恐ろしい死神のように見えているのだろう。
 セイバーを最初に見た人は、悪魔のようだと感じてしまうのか。
 人間の顔に、本来あるはずのない三対の瞳が、爛々と血走った光る様。
 誰もが悪魔と、恐ろしいと叫んでしまうのは無理もない。否定はできない。

 最初の召喚で目にした時は、同じくらい恐ろしいと感じた。
 恐いひと。酷いことを、してきたひと。
 今でも心証は変わっていない。そんな人じゃないと、庇ってあげる事はできない。
 哀しい人だと、慰めてあげる事はできない。
 なら、せめて───

「大丈夫……だよ……」

 言葉をかける。
 振るえて縮こまるアビーの背中を、優しくさする。

「誰も……連れて行ったりなんか……しないよ……。
 あなたも……あなたの大事な人も……ここにいて……いいんだよ……」

 あなたたちが、ここでお別れになるなんて結果にはならない。
 その恐怖は、ここではなくてもいいものだから、信じてあげて。

「…………いいの……? 私が悪い子だから呼んでしまった、悪魔ではないの……?」
「ん……ちょっと、恐いひとだけど……酷いことをしたりは……しないよ……。
 わたしの……サーヴァントさん……ですから……」

 その言葉を、どこまで信じてくれたのか。
 アビーはゆっくりと身を起こして、落ち着きを取り戻してくれた。怯えは消えてないが、過剰な反応は見せない。

「───────────────」
 
 会話を聞いていたセイバーは、顔を顰めてしまっている。
 嫌な事を、言ってしまっただろうか。後で謝っておいた方がいいだろうか。
 マスターと認めてもらってないのに、口を出してしまった事が、よくないのかもしれない。嫌いだと、言われてしまったし。


906 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:08:56 PDwpdxwU0


「えっと……セイバーさん……。なにか……ありました……?」
「…………………………」

 何も答えず。
 寡黙なのは普段通りだけど、こんな場面で黙りこくっているのには、流石に少し困ってしまう。
 それをよそに、セイバーは足を前に出して近づき、片膝をついた。
 仮初の主である霧子を通り越して───後ろで伏す金髪のマスターに。
 
「…………退がれ………………」

 そこで、やっと一言、口を開く。
 霧子達に向けて、離れろと命じる。
 目線はやはりこちらを向いていない。六つ眼の焦点は、揃ってある一点に集約されて離れないでいて。
 言葉を投げられた二人は顔を見合わせる。アビーにはありありと不信と不安の感情が顔を覆っている。
 霧子に目線を向けているのは、信頼の証を求めてのこと。

 ───任せていいの?
 ───この方を頼りにしていいの?

 縋りつく求めに対して、霧子は頷く。
 声を出さずに、決して迷いを出さずに。
 出してしまえば、疑って、任せてくれないだろうから。
 そうしたら、躊躇を隠せないながらも、二歩分だけ身を引いてくれた。
 何かあれば、マスターの身に危険が及ぶと判断したら、すぐに攻撃を加えられる距離に。

 少し広くなった周り。
 セイバーの左腕が伸ばされる。
 腰の鞘には手を付けてない。無手の掌がゆっくりと迫る。
 広げた手は、玉の汗を流す彼女の顔に向かわず。
 唾を飲み込むのも億劫そうな細い首に向かわず。
 短い間隔で深い隆起を上下させる胸部に向かわず。
 向かったのは、赤く焼け爛れた、手首から先が落とされた腕に向かい。

 
 手を─────────
 閉じる────────

 
「ぇ────────────?」

 誰の声なのか。
 何が起きたのか咄嗟に理解できず、『いざとなったら』の判断さえつかなかったアビーか。
 目の前の光景に、自分の視覚がおかしくなってしまったのかと混乱している、自分か。

 二人は見た。
 セイバーがなにをしたのかを見ていた。
 伸ばしたセイバーの指が、金髪のマスターの傷口に無造作に触れて。
 傷が開いてしまうのも構わずに、指を閉じて握りしめたように見えたのを。

 実際は違う。握ったわけではない。
 傷の表面に押し付けた掌は、失われた右腕を補填したみたいに沈んでいき。
 互いを求め合って、融け合って、繋がって、ひとつになっていって──────。

 
 なに。あれはなに。なんなの。
 恐ろしいことが起きてるとしか思えないあれは、なに。
 二人の疑問は同じもの。
 目撃者は別々に同一の疑問が脳に生じ、精神をかき乱す。


907 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:10:25 PDwpdxwU0

 
 
(食べ…………ちゃった?)

 
 ああ。
 あれは、食事だ。

 
  食べられている。生物が生存するために必須となる捕食行動。
 鬼にとっての食事とは、人間の血肉。
 そういった説明を、受けた記憶が、あった。

 彼が人を食べるところを、見たことはない。
 食べることは聞いていても、どうするかまでを聞いたことはない。
 これが、そうなのか。
 口を使わずに、喉を鳴らすことなく、舌で味を感じたりもしない。
 手から、吸い込んで、食べる。
 そんなことをして、そんなことをできる生き物が、彼だった。
 彼は、セイバーは、黒死牟は、鬼だった。

 声が出ない。
 彼が人を食べようとしているのを前に、何も言い出すことができない。
 命をいただく行為、命である責務を果たしているのを邪魔するのは、いけないから?
 人を食べる場面を初めて見て、心が竦んでしまったから?
 そうかもしれない。でも、違うと思う。
 これが食事なら、ただ食べたいだけなのなら、手首を取り込んでからその先へまったく進んでないのはおかしくて。
 何より、これは、こう思うのがおかしいのかもしれないけど。
 鬼という生き物の食事を、初めて見るのに、変な気がしたから。
 食べているというよりも、今まで自分が彼女に施していたそれと、同じような。
 
「縁壱」

 合図のように、名前が表れる。 
 呼び声の最後の一言が余韻になって消える、その間に、風は吹いた。
 ざん、という、断ち切られた音が聞こえ。
 じ、という肉を焦がす音が聞こえた。
 誰も追いつかない反応。視界に入れた時点で、もう事は終わっていて。
 
 もうひとりのセイバー。血を分けた双子。
 人のままでいる侍が、いつの間にかそこにいて。
 抜き放たれていた刀が、赫く光り突き立てていた。
 ちょうど、セイバーと彼女とが交わり繋がった場所の中心、融け合う箇所を区切るように。
 

 
「──────ッ!? あ"っづぅ!? なにこれぇ!?」


 
 部屋中を跳ね回るみたいな絶叫。
 刃物で腕を切り落とされたにしては、どこか緊張感がない。
 さっぱりした、というか。
 痛みの訴えではあるのだけれど、命を脅かされた反応ではなく。
 例えるなら、タンスの角に足の小指を意図せずぶつけてしまって、思わずびっくりして出してしまったような声。

 声を出した。
 うなされながらの呻き声などではなく。はっきりとした言葉を発したという意味に、そこで気づいて。

「え─────あーー……と? なんだか知らない人がたくさん集まってるんですけど、いったいこれ───」
「マスター!!」
 
 アビーの腕が、続く言葉を止める。
 目覚めたばかりで意識定まらない自分のマスターに、喜びの感情のままに飛び付いていた。
 
「よかった……! 目を覚ましてくれて、本当に……!」
「アビーちゃん……? ああ、そっか、私……」

 呆とした表情で眺めていたのは、ほんの僅かな時間だった。
 残った片方、指先が透明に光ってる手を首に回して、愛おしげに金絹の髪を鋤く。


908 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:11:10 PDwpdxwU0


「───心配、かけちゃってたんだね。
 独りにしちゃってごめんね」
 
 自分にしがみついて涙を流す少女がどんな気持ちで見守っていたのか、全て理解しているんだろう。
 腕に感じてるはずの激しい熱も、体の一部が失くなった喪失感も、気にならない。
 気絶してる間、部屋に取り残されて孤独にいるだろう小さな隣人を、真っ先に気にかける。

(綺麗な人……だな……)

 落ち着きを取り戻した、険の取れた顔。
 流れる金の髪。黄金の糸で紡いだような、輝く髪。
 金で飾られたかんばせも、見劣りせず調和が取れている。痛々しい欠損を負っていても損なわれはしない。
 瞼を落として眠りにつく様は、それこそ眠り姫。運命の王子の愛を受けて目覚める御伽の主賓のよう。
 
「あ……ありがとう! 本当にありがとうございます、東洋のお侍さま……!」

 目尻に溜まった水玉を拭いながら、視界の隅で踵を返しドアに向かう背中を見咎めて。
 アビーは投げかけた。感謝の礼を。持ち得る限りの思いを込めて、最大の感謝の念を送った。
 振り返らず、立ち止まりもせずに、体格の輪郭を解いて、霧になって消えてしまった。
 
 去り行く背中を、名残惜しく見送る。
 彼に、言葉は届いただろうか。
 心は伝わって、彼に色を与えてくれただろうか。
 そこではたと立ち返って、起きたばかりの負傷者を再び検めた。

「……? あれ………………」
 
 ……斬られたとしか見えなかった腕の先は、止血が為されていた。
 火傷の痕で塞いだ、多少強引な方法なのは以前と変わらない。
 ただ、先ほどのものと比べると、その焼かれ方は違っている。
 焼け爛れ、腐敗していく肉を想起させる痛々しい有り様だったものが、不思議と、綺麗に見える、ような。

「彼女の傷口には、呪詛が混じっていた」

 兄の後を追うことなく、膝をついて留まっていたセイバーが。
 懐から取り出した白い包帯、薬の入った小箱を床に置きながら、疑問を見透かした。
 
「襲った者が最期に残したものなのだろう。怨念か執念か、どちらにせよ強くこの世に留まり、人体に毒素となって影響を与えていた。
 兄上はその呪詛を……周りの肉ごと喰らう形で取り込んだ。彼女に鬼の血が入らないように、私が処置するのを含めて」
「…………じゃあ……」

 胸の奥、小さな命が脈打つ場所を、爽やかな風が撫でた。
 夏の真っ只中で、春の歓びが訪れたみたいなな。
 熱く速く響く鼓動が、躍動するきもち。
 
 だって、それはつまり。
 命をいただくためじゃなく、命を守るために、彼が手を貸してくれたということで。

「……なぜ、そこで笑う?」
「いえ…………でも……縁壱さんも少し……笑って……ます、よ……?」
「…………………………そうか?」
「はい……ふふっ……!」
「………………………………………………そうか……………………」
「はい……!」

 指で自分の表情筋をぐにぐにと確かめている。そんなことをしなくても、あなたはきちんと笑えているのに。
 きっと、彼と同じ表情を浮かべているんだと思うと、あたたかい気持ちがますます溢れるばかりだった。
 
 

 たとえ偶然でも。気紛れでも。
 自分が思ってるような理由じゃないかもしれなくても。
 人の命が在ることを認めて、人の傍の側に回ってくれたことが───ただそれだけで、嬉しかった。


909 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:12:02 PDwpdxwU0

 

 
 ◆


 
 その後。
 鳥子はアビーから、気絶してから起きた話と、今の状況を聞いた。

 最悪からは、どうにか持ち直したらしい。
 少なくとも……陰湿な陰陽師に追われ、執拗な殺人鬼に付き纏われ、実質孤立無援で置いていかれていた時よりは、ずっと。
 向こうから近づき率先して、甲斐甲斐しく介抱してもらっておいて、これ以上を望めるというのは横暴と言うもの。
 こんな弱った体で見つかったなら、カモとして真っ先に攻められて然るべき、本当に瀬戸際立ったのだ。
 
 アサシンを撃退して、今後どうこうするプランがあったわけでもない。
 【怪異】を払うのと同じ。命が差し迫った中で必死に切り抜けようと選択肢を見つけ、もがいた結果。
 鳥子達は成果を残した。アサシン撃破、プラスに働くかはさておいて、サーヴァントの一騎を仕留めた。

 あれは……何が起きたのだろう。
 鳥子は令呪を使った。アビーに宝具を使用するよう指示を下した。
 ならばアサシンを倒したのはアビーの宝具であるのは紛れもなく、起きた現象もその顕れだろう。
 
 実のところ、アビーが宝具を解放する瞬間を、鳥子は憶えていない。
 目の当たりにはしたが、手首を爆破された痛みとショックで意識が霞み、明瞭に記憶できていなかった。
 あるいは、【そこ】から出てきそうだったモノを目にしたくないと本能的な恐怖が働いて、早々に記憶を手放すのを無意識に選んだのかもしれないが。

 ともかく、とても光っていた気がする。
 アビーを基点に、瞼を突き破るぐらいに強い光が放たれていたのは、網膜に焼き付いてる。
 光そのものが宝具なのか。光を伴って宝具が顕れたのか。そこは脳に入らなかったが。
 いずれにせよ、その光によってアサシンは倒された。
 ホテルの窓ガラスに響く罅ひとつ入れずに。カーペットに焦げ目ひとつ残さずに。
 意識を取り戻した後の部屋は、以前とまるで様子が変わっていなかった。
 
 これは攻撃じゃない。そういう括りに加わるものじゃない。
 もっと違う、別の場所で起きた出来事だ。
 宝具を使ったたいうのに。
 敵を倒したのに。
 何をしたのか、どういう攻撃だったのかを示す痕跡が、まったくない。
 追放。放逐。そんな単語が意味もなく浮かんだ。

「マスター……?」
「鳥子さん……あの……大丈夫ですか……?」

 巫女の声が目を覚まさせる。
 泡吹く虹の門の前で振り返る。
 旧い夢を、見そうだったらしい。


910 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:13:29 PDwpdxwU0

 
「やっぱり……お話しするのやめて……お休み……します……?」
「あ──────ううん、へいきへいき。話してた方が気が楽だから」
 
 起きていたのに寝ていたなんて、我ながら器用な真似を。
 顔を窺う霧子を心配ないと手を振ったが……咄嗟に右手でやってしまったのでますます不安げにさせてしまう。

 失くした右手の先には、包帯が綺麗に巻かれていた。
 とりあえず生きてればそれでいいみたいな荒療治じゃない、丁寧に、労る気持ちで処置された腕。
 どれも、霧子がやってくれたことだ。

「霧子ちゃんは疲れてない? ずっと手当てしてくれてたんでしょ?」
「はい……さっき少し……休んでたので……。
 でも……こんなに夜更かししたのは……初めてです……」
「そっか。悪いこと教えちゃったね」
 
 強引に話を続ける。
 ここはホテルのベッドだ。
 鳥子とアビーが泊まり、アサシンが暗殺を踏み切った部屋にいる。
 殺されかけた場所で寝泊まりというのは気が落ち着かないものはあるが、二人がいることが不安を吹き飛ばしてくれた。
 ちなみに隣の部屋、つまりアサシンが借りていた部屋は他の男衆───霧子のサーヴァントともう一組のマスターとサーヴァントに割り当てることにした。
 どうせ費用はアサシン持ちなのだ。使わないままでいるのは勿体ないし、遠慮してやる義理もない。
 チェックアウト時にどうするかは……まあ何とかなるだろう。断りなく引き払っちゃってもいいかもしれない。

 助けてくれたばかりか手厚い看護までしてくれた霧子とアビーとでベッドを囲み、色々な話をした。
 お互いが界聖杯のマスターであることの確認。どういうスタンスで東京を動いているのか。
 名前。能力。出来ること。途中に世間話。
 こっちの体調を慮ってか、元来の性質なのか、ゆっくりと噛み砕いて、咀嚼していく。
 まるで、明日のテストに備える勉強会のようだった。

 双方から提供できる情報はふたつ。
 仁科鳥子は、サーヴァント、フォーリナー、アビゲイル・ウィリアムズの特性と取り巻く危険性を。
 幽谷霧子は、元の世界からの知己が複数いるマスターによる同盟と、聖杯への干渉及び脱出計画を。

 アビーに纏わる伝承、能力を説明するのには、少し躊躇した。
 だいたいにして、自分もよくわかっていない。
 当人のアビーは、明かすこそ、知ること自体が禁忌にして禁断なのだとも。
 何より───アビーを矢面に立たせ、負荷をかけさせてしまうのが、嫌だった。
 なので解説もふわふわっとしたもので、

『なんかやたらとヤバい力があって、それを利用しようと怪しくつけ狙ってる奴がいるけど、こっちで上手く使えば界聖杯から脱出できるかもしれない』

 という風にしか言えなかった。
 聞いた霧子の方も、要領を得ない内容に小首を傾げ、わかってくれたのかどうか。


911 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:14:23 PDwpdxwU0


 じゃあ説明しない方が良かったのかといえば、そんなコトは全然ないのである。
 アサシンは倒しても───脅威はちっとも減ってくれてはいない。
 アサシンが同盟を蹴ってアビーは排除しようとした理由。同盟を組もうと提案してきたそもそもの理由。
 リンボと名乗るアルターエゴ……その魔の手は未だこちらに向けられている。
 アサシンのマスターにそうしたように、アビーの情報をちらつかせて警戒を煽る真似を繰り返しているのなら。
 いつまた同じ目に遭うか知れたものじゃない。

 なら先手を打っておかなくてはいけない。
 リンボを誘い出しす計画がご破算になった今、できるのは孤立無援を避けるぐらいだけれど。
 霧子達がまだリンボ伝いの情報を掴んでいなかったのは本当に幸運だった。
 内容がまるきり虚偽でない以上、こちらから公開することで少しでも信用を買っておかなくては。
 
 自分のマスターがリンボに懐柔されたから、アサシンは性急に手を切ってきた。
 令呪を持ったマスターが自分に命令できる状況のままなのは、都合が悪いからと感じたからだろう。
 アサシンの都合の悪さが、自分達に関係ない都合だとは限らない。
 アビーがリンボに狙われる状況が不味いと感じたからこそ、手を組もうと接触してきたのだ。
 それをこうも掌を翻したのは、アサシンの事情のみならず、アビーに纏わる状況にも変化が起こったのかもしれない。
 最悪、この拠点についても割れてる可能性もある。
 意識が戻ったのだし、まず離れようと進言しただけど。

『それは駄目よ……!』
『それは……だめです……!』
 
 息の合った同音で、見事に断念させられてしまった。
 気絶してた間に何があったのだろうか。この二人、意外と相性がいいらしい。

 しかし考えてみれば、アビーも含めて三騎のサーヴァントがいるこの現状。
 リンボの悪巧みがどんなものであれ、今すぐここを攻め立てに行く方向に行くとは思えない。
 迎え撃つ、という選択肢が生まれたこの場所は、ある意味でどこへ向かうよりも安全だ。
 
「それで、さ。どう、霧子ちゃん」
「え…………?」
「私達と協力してくれる気、ある?
 話を突き合わせてみると、けっこう組める余地あると思ったんだけど」

 聖杯戦争を離脱できるメリット。
 聖杯戦争にさらなる災害を引き起こすデメリット。
 旨味があり、相応に負債を抱える可能性を含めた上で、共同戦線を組む気はあるかどうかを問う。


912 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:15:45 PDwpdxwU0

 
「……え………………と…………はい。
 私はぜんぜん……いいんですけど…………。
 おでんさんや…………セイバーさん達にも…………聞かないと……」
「ん、オッケー。ま……仮にいい返事がもらえなくても気にしないでいいよ。
 ここまで助けてくれただけでも十分過ぎるぐらいだし」
 
 許容範囲だ。
 独断で決めれるほど意見が強いタイプでもなさそうだし、相談するだけでも御の字と見るべき。
 もっとも、そのメンツと直接話を交わしては、まだいない。
 この手を治してくれた霧子のセイバーは、和服の後ろ姿だけは視界の端で捉えていたのだけれども。
 見知っているのは、やはり同じく和服を着たもうひとりのセイバーと。
 またしても和服の、それもだいぶ歌舞いてる格好の、中年ぐらいのマスターである侍だ。
 ……霧子を除けば、ずいぶん和風なメンバーなことだ。
 別行動してる友達も、そんな感じなんだろうか。

「あとは、そっちの友達とのコンタクトを取り次いでくれれば、こっちとしては十分かな。
 ひょっとしたら、みんな纏めてこっからおさらばする作戦ができるかもしれないじゃない?」
 
 今日の夕方頃にマスターであると知れたという二人組。
 夜に電話で会話して以降、持ってる携帯が壊れ、公衆電話もごった返しで連絡できず仕舞いだそうだが。
 鳥子の方は携帯を温存できてるので、番号さえ憶えてれば接触は可能になる。
 肝心の計画についてだが、何でもサーヴァントの力を使って、一緒になって聖杯戦争を離脱しようと考えてるらしい。
 詳細は聞き出せてないらしいが、ならこちらの腹案であるアビーの力を借りるプランも、きちんとカードに使える。
 二通りのプラン、上手く噛み合えば併用して、成功率を高められる。
 
 ……アビーをだしに使う真似は、当然ながら気が進まない。
 けど事実としてアビーには秘めたる力がある。これを受け入れなければ始まらない。
 敵はこっちの事情なんかお構いなしだ。心情もデレカシーもまるで配慮してくれない。
 自分の身を守るため、何よりアビーをこれ以上利用されないためにも、打つ手は打っておかなくてはいけない。
 
「………………………」
「どうかしたの、霧子?」
「あ……ううん…………」

 じっと見つめる霧子に、アビーが声をかける。
 目の色、髪の色、白い服装。
 どれも薄く儚げで、アビーと並ぶと、姉妹とはいえずとも、中の良い友達同士にも見える。
 
「あの……まだ、わたしには……よくわからないことが多いんだけど……」

 言葉を選ぶように慎重に、ゆっくりとした喋りでも。
 言いたいことはしっかり決まってるのだろう、つかえたりせず朗々と。
 
「アビーちゃんが持ってるものが……危なくても……。
 怖いことが起きちゃうのも……なんとなくだけど、わかっていて……。
 けど、そうじゃないのも……アビーちゃんの願いも、ちゃんと……届いてるから……」

 それが何であるか、言うまでもない。
 厚く巻かれた包帯。当てられた氷嚢。
 鳥子の姿が、その結実だ。
 鳥子を救うようアビーが哀願し、霧子が受け入れたからこそ、自分は生きていられる。

「鳥子さんが大好きなこと……そのためにすっごく頑張れること……ぜんぶ、知れたから……。
 ここが……アビーちゃんにとって……帰りたい場所なんだって……思えるなら……。
 もし……一緒に行けなくても………………わたしは、ふたりのこと……応援したい、です…………」
「……! まぁ……!」


913 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:17:36 PDwpdxwU0


 跳ねる笑顔とは、まさにこのことだろう。
 アビーは弾んだ声で袖から出てない腕を伸ばし、霧子の両手を揃えて握った。縄跳びみたいにぶんぶんと上下している。

「ありがとう霧子……! あなたの気持ち、とっても嬉しいわ……!」
「ふふ……うん……! あ……桶の水……張り替えてくるね……。氷……もう固まったかな……」

 温くなったタオルと水桶を持って、ぱたぱたと台所に向かう。
 習慣づいた淀みない作業の流れといい、介護を請け負ったことといい、医療関係の勉強をしてるのだろうか。
 
「……いい子だよね」
 
 小声でアビーに
 蛇口から出る水音や氷を出す音がするので、霧子には聞こえはしない。

「ええ、とっても善い子よ。私のことを怖がってたのに、優しく迎えてくれたの」

 それは、見かけによらず肝の座った子だ。
 考えてみれば、殺し合いなんて行われてる世界で人助けに奔走するからには、それぐらい芯が入ってないと立ち行かないだろう。

「ええ、すごく優しい子なの。あの子は罪も嘘も知らない純粋な子……誰も彼も罪から逃れようともがく、こんな場所で出会えるなんて……」
「うん……うん?」

 そう。霧子は優しい子だし、ここまで治療もしてくれた。
 これを見捨てる恩知らずにはなりたくない。出来るだけ手助けする方向で進んでいく予定だ。
 とはいえ、自分達だったからいいものの、これがもしリンボみたいな悪辣な輩の誘いだったなら、優しさはむしろ仇になる───────。
 そう、小言を言いそうだったのだけれど。
 
「ここで起こってるどんなに重い罪の痛みも、あの子には関係がない。
 けれどあの子は、そんな罪深い人達の声を聞き届けて、同じ痛みを抱えてくれるの。
 素晴らしいわ……痛みを与えるのではなく、受け止めることで救済を為すだなんて。みんなの原罪を背負って十字架にかけられた御子様のよう」 

 アビゲイルは何か、妙な事を、言っていた。

「澱みも穢れのない、瞳の中に映した者の罪を暴く、鏡のように綺麗な心。
 そう、まるで───銀色の鍵。幽世への門の鋳型。
 ああ……とても残念。私が悪い子じゃなかったら、いいえ……悪い子のままだったなら、お父様のところへ送」
「ところでさ、アビーちゃん。
 体、大丈夫?」
「え?」

 何も反応せず、話題を切り替える。
 それには答えていけない。信じるも疑うも許されない、ただの妄言として扱おう。
 そういうことに、しておかないと。


914 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:18:02 PDwpdxwU0


「宝具、使っちゃったじゃん? どこか悪くなったところ、ない?」
「あ……ううん。大丈夫よ、マスター。私、これくらい耐えられるわ」
「つまり無理させちゃってるんだね。ごめん」 
「謝らないで下さいな。マスターは間違ってなんかいないわ。あれでいいの。あれでよかったのよ」

 やはり、無視できない負担をかけさせているようだ。
 申し訳ないと思うが、後悔するわけではない。
 罪だというなら背負うし、罰があるというなら向かい合う。
 もうそういう関係なのだ。彼女とは。
 マスターとサーヴァントという関係が、そもそもそういう契約なのだ。

「謝りついでにもういっこ。アビーちゃんのこと教えちゃったのもごめんね」
「もう……マスターったら謝ってばっかなんだから。
 気になさらないで。私はあなたのサーヴァントだもの。マスターがそう信じたのなら、私も同じように信じます」
「あはは、ごめ───おっと。
 まあとにかく、折角同盟相手になりそうな協力者と会えたんだし、こんな無茶はもうこりごりよ。私も凄い大変だったし」

 ここまでの道程は、人との巡り合わせがあまりにも悪かったしか言えない。
 最初がアレで、次がアレだ。最悪、この上ない。
 会う全員が敵、なんて疑心暗鬼に凝り固まる前に、揺り戻しとばかりに最良の相手と出会う事ができた。
 この運気は、逃すべきではない。
 遅れた分をここで一気に取り戻して、一刻も早く空魚と連携して脱出の手を探らなければ。
 
(変だな、私)

 そう。協力者。同盟相手。
 合わせられるのは、ここまでだ。
 この距離感が、許される範囲だ。
 霧子達がどれほど善人で、頼れる仲間であっても、『そこ』の境界線は踏み越えさせてはあげられない。
 
(空魚がここにいるって前提で、なんでか話しちゃってる)

 いてくれたらいいのになー、ぐらいの、のんぼりとした気持ちなのに。
 根拠はなく、疑問さえなく、信じてしまえている。
 空魚が巻き込まれているのなら、同じぐらい危険な目に合わせてしまうって分かってるのに。

(でも仕方ないじゃん。
 空魚がいれば、これはいつもの冒険で、私達や他の人も帰ってこれる──────そういうゴールが出来上がるんだから)
 
 こっちは漸くスタートラインに立てたのだ。 
 そっちもそっちで七転八倒してるんだろうけど。
 運命(きょうはんしゃ)の再会というものを、そろそろ信じさせて欲しいものだ。


915 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:19:08 PDwpdxwU0


 
 
  ◆

 
 
 腐る────────────

 
 腐る────────────
 
 
 腐り落ちる。

 
 
 手足の末端から崩れ壊れていく錯覚。
 肺腑が灼熱に誘拐する妄想。
 魂の根幹が捻り回され、千々に裂かれる幻覚。
 積年を募らせる弟を脳裏に浮かべる度に思い浮かぶ痛みが、全く別の象徴によって再発している。

 黒い空、黒い街。点在する星屑の灯。
 待機している建造物の屋上、夜景を展望できる位置。
 鼻には砂と血の混じった匂いが入る。
 耳には断末魔、目には壊滅的な惨状。
 英霊悪鬼の跳梁跋扈は、箱庭の耐久度を急激に削り続けている。
 獄卒も逃げ惑う強者がひしめく戦場に、向かうことなく……己は一体、何をしているのか?
 
 他者への施しなぞ、鬼と成り果てて以来、ただの一度とて行っていない。
 それも敵に。マスターと呼ばれる将、サーヴァントという兵を現世に留まらせる要に。
 衰弱した女。怯えるだけの小娘。組み伏せるには易く、与するにもまた易い。
 労せず落とせる一組を、見逃すのみならず、あまつさえ塩を送る始末。
 

 期せず、収穫は得られた。
 主たる女の切断部に巣食っていた、黒い呪い。
 英霊という位階に達し、透き通る視界で見通せるものは骨肉のみに限らなくなった。
 今この身体を構成する魔力、それを生成する魔術回路なる基盤の流れをも視界に加わり、その点を発見できた。
 死に際の残穢としてこびりついた滓のようなものだったが、人間ひとりを呪い殺すには十分な量だろう。
 執念深く、偏執的で、未練がましい、怨念に相違ない呪詛も、鬼の身にはむしろよく馴染む。
 触れた傷に捕食による細胞融解を一部適用、癒着したところで一気に吸い出し、引きずり上げ、体内で消化。
 小癪な妄念は、少量の血肉と共に養分と変わり、この身の活力に置き換わった。

 共有された情報によるなら、自分をアビゲイルと名乗るサーヴァントには秘めたる力があり、それを利用せんと忍び寄る輩がいるという。
 先の襲撃者も、それに連なる刺客なのだろう。
 これを確保している限り、敵が向こうから好きなだけ寄ってくれるというなら、実に都合がいい話だ。
 妙なしがらみが多く、座して待ちに徹するしかない今、これは好機と見るべき。
 
 
 見苦しい言い訳だ。
 幾ら機が巡ったといえども、手放しで喜べるはずがない。
 はじめから勘定に入れていたわけではなかった。進言も、駆られる必要性も、あそこには何もなかった。
 何故、己はあのような行いをしたのか?
 理由は未だ、皆目見当たらない。強いて言うなら───


916 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:20:03 PDwpdxwU0


 
───あ……ありがとう! 本当にありがとうございます、東洋のお侍さま……!

 
 感謝の言葉を聞いても、湧き上がるものは何もなかった。
 抜き身を鞘に収め去り行く背中に、涙ながらに声を届けられた日は数知れぬが、漣ひとつの感慨も抱いた記憶がない。
 命を救い、人世を守り、平和をもたらしたという高揚は一切なく。
 人の剣士として鬼を狩っていた時代と同じ、虚無の広がりを感じるのみ。

 言祝ぎで力を高められなどしない。
 同期にはそう意気込んで周りを鼓舞する手合いも多かったが……日の呼吸に千枚劣る腕前がその甲斐なのだとしたら、なんと儚く微弱な助力だろう。
 褒めそやされ拝まれることで強さを得られるなら、今頃仏でも志している。
 結局この身に力を賜らせてくれたのは、鬼狩りが宿敵と定めた憎き始祖のみ。
 傲岸に、確固たる力の自信に満ち溢れた存在からの提案を前に、障子紙の厚さの信義は破り捨てられた。
 無限の時間。
 永遠の研鑽。
 神の寵愛の賜物に追いつくには、幻想にも劣る空想よりも確たる力に縋ることのみが唯一の道であるというのに。

 理由はない。
 大した理由ではない。
 手を下したのは益からでも情でもない。
 手傷ひとつにかかずらい、煩く喚く姦しい泣き声が、あまりに苛立たしかったからに他ならない。
「ただ、そういう気分だったから」で、上弦の壱が力の一部を振るったのだ。
 堕落と呼ばす、軟弱と謗らず、なんという。


 英霊とは人の意思。信仰を束ねて形成される影法師。
 数百年人を斬り続け、我欲に駆られて無意味な殺戮を繰り返してきた黒死牟に向かう意思とは即ち、畏れと恐怖のみだ。
 人間であった頃ならいざ知らず、黒死牟とは人の理を裏切り、仇なし続けてきた背信者。
 良き行いをする、という余白が、そもそも存在しないのだ。
 強さのみ求めてきた鬼に、それ以外を求められている。
 それを、三人がかりで無理やりねじ曲げられた。
 肉体(現在)を叩き伏せられ、精神(過去)を焼き焦がされ、魂(未来)を掬い上げられた。
 
 苛々する。
 吐き気がする。
 無いものをあるはずだと体内をまさぐられ、こそぎ落とされ、詰め込まれている。霊基が軋み上げるのも道理だろう。


 
「おい見ろよ!! そこの露店のおでん半額だってよ!!! めちゃくちゃ買っちまったぜ!!!」


 
 ──────そして何故、この男は馴れ馴れしい絡み方をしてくるのか。


917 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:22:02 PDwpdxwU0


 
 屋上に駆け上がって来た光月おでんは、こちらの右隣でどか、と腰を深く下ろす。
 両手には湯気の立つ容器と、とりどりの食物に当世風の酒瓶。
 どう見ても酒盛りの準備だった。
 早速蓋を開け、具材をかきこみ汁を啜る音が煩く響く。
 月も白み夜の闇が少しずつ薄れつつある時分、一体全体何が悲しくて独り宴会に付き合わされなくてはならないのか。
 
「オォォ〜〜〜〜あぢいっ! うめぇっ! 東京って町はまったく道は狭いわ空気は溜まってるわ町行く民は辛気臭えわで仕方ねぇが、メシの旨さだけは文句のつけようがねぇなぁ!」
「……何をしに……来た……」

 抜き放つのは、殺気までに留まった。
 錆び付いたと自嘲しようとも、酒の痴れ言に刀を向けるほど落ちぶれているつもりはない。
 
「あ? メシに決まってんだろメシに。戦前の腹拵えってな。
 まだおまえからもらった傷も治ってねぇし、食って早いとこ力つけとかねぇとな」

 質問の答えになっていない。
 腹を満たしたければ好きにすればいいが、それがどうして、わざわざ面を出すことに繋がるのか。
 
「ほら」

 ずい、と差し出される腕。
 手のつけられていない、同じ中身の入った容器が掴まれてる。
 
「ん、どうした? 苦手な具でも入ってたか?
 ああ、霧子のお嬢達にもくれてやったから安心しろや。此度のあいつの心意気に乾杯ってやつよ」

 ……よもやと思うが。
 これを渡すためだけに、ここまで昇って来たのだとでもいうのか。

「戯れ合いのつもりなら……今すぐ去れ……」
「そんなんじゃねぇよ。戦が近いっつったろ。
 そこかしこで火祭りもかくやのこの様じゃ、いつ始まってもおかしかねぇ。食える時に食っとかなきゃな」
 
 一戦交えた程度でもう馴れ合ったつもりか。
 縁壱とあの月夜の再演を果たすまで、鞘を収めてやるとは言ったが。
 魂の凌ぎを削り合った敵同士に飯を施す、侮辱めいた振る舞いを受けてやる程、温い関係に身を窶せる筈がない。

「どちらにせよ……不要だ……。鬼に……人の血肉以外の食物は……受けつかぬ……」
「かーーーっなんだそりゃ! 酒もおでんも飲み込めねぇってか! 人生損し過ぎだろ……!」

 狂おしいほど余計な世話だった。
 食事なぞ単なる栄養摂取の手段。
 むしろ鬼になった事で直接肉体強化に充てられるようになったのなら、厭うものなぞあるものか。
 そう、鬼だ。この身は上弦の壱。■■に最も近い高みに座位する血鬼の徒。
 人を喰らい、剣士を殺し、人類史に影を落とす天魔の敵。
 
 それを───この男はまるで恐れていない。
 それどころか今のように、酒の席で偶々隣り合っただけの初対面の相手の肩に腕を乗せるような、不躾な気安さで詰めてくる。


918 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:27:03 PDwpdxwU0


 
 無数に屠ってきた鬼狩りの怒りも。
 実弟や女剣士の見せた哀れみもない。

 
 光月おでんという侍には、身分という"心の檻"がない。
 あの娘のように、覆い被せた衣を全て剥ぎ取って、最後に残った"一"に目を合わせてくる。
 はじめから、生まれや格差、鬼だとか英霊だとか、見ていないのだ。

 血華吹き荒ぶ真剣仕合も。
 乱痴気騒ぎの中で繰り広げられる私闘も。
 終わればなべて大笑いで締めくくる、自由闊達なる生き様。

 
「理解したならば……早々に降りろ……。茶飲み話に……巻き込みたければ……下の者に……すればよかろう……」
「ええ〜そうは言ってもよぉ〜〜……。
 なんか向こうは女子の花園で入りづらいし、縁壱もさぁ、あいつぜってえこういうノリ乗らないじゃんかぁ〜〜」

 だから、何故それで盃を向けるのがここになるのか?

 
 「お前とが一番話が合うと思ったんだよ。
  本気で怒鳴って、斬り合って、殺し合ったのに、お互いに生き延びた! こんな縁は早々ねえ!」
 
 
 ……………………今度こそ、二の句が出なかった。
 
 理解したからで、今更改めるつもりもない。
 縁壱との決着に手前勝手なり靴で水を差した不躾な侍は、相も変わらず鼻持ちならない。
 伴天連でも目にしない奇特愚昧な振る舞いには、今でも嫌悪と苛立ちしか湧いて来ない。
 一方で、そんな大莫迦者に斬り伏せられた我が身の恥を、思い起こさずにはいられない。

 おでん、縁壱、幽谷霧子。
 誰も、彼も、分からなかった。
 鬼に、人喰いに、黒死牟という英霊に対し、戦い以外の何を見出だし、何を求めてるのか。
 幾ら脳の思考速度を回そうと、納得に足る答えは出てこなかった。


 
「…………………………………………」
「嫌そう!? オイオイそんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃねえかよぉ!!」

 深く、息をつく。
 それは鬼と変わるより、鬼狩りに加わるよりも遥か以前。
 武家の跡取りとして生まれて以来の初めての、心底からの陰鬱な溜め息だった。


919 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:30:12 PDwpdxwU0



【文京区(豊島区の区境付近)・ホテル/二日目・未明】

【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)、包帯・医薬品(おでん縁壱から分けて貰った)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
1:鳥子さんを看護。手伝ってあげたいけど……またセイバーさんを困らせちゃうかな……
2:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
3:摩美々ちゃんと……梨花ちゃんを……見つけないと……。
4:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
5:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:健康、生き恥
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:呪いは解けず。されと月の翳りは今はない。
1:私は、お前達が嫌いだ……。
2:どんな形であれこの聖杯戦争が終幕する時、縁壱と剣を交わす。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。

【光月おでん@ONE PIECE】
[状態]:全身滅多斬り、出血多量(いずれも回復中)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:二刀『天羽々斬』『閻魔』(いずれも布で包んで隠している)
[所持金]:数万円程度(手伝いや日雇いを繰り返してそれなりに稼いでいる)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯―――その全貌、見極めさせてもらう。
0:この後の派手な戦に備える。今はメシだメシ。
1:他の主従と接触し、その在り方を確かめたい。戦う意思を持つ相手ならば応じる。
2:界聖杯へと辿り着く術を探す。が――
3:カイドウを討つ。それがおれの現界の意味と確信した。
4:ヤマトの世界は認められない。次に会ったら決着を着ける
5:何なんだあのセイバー(武蔵)! とんでもねェ女だな!!
6:あの変態野郎(クロサワ)は今度会った時にぶちのめしてやる!
7:あさひ坊のことが心配。頃合を見て戻りたい
[備考]
※古手梨花&セイバー(宮本武蔵)の主従から、ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の計画について軽く聞きました。
※「青い龍の目撃情報」からカイドウの存在を直感しました。
※アヴェンジャー(デッドプール)の電話番号を知りました。
※廃屋に神戸あさひに向けた書き置きを残してきました。
※全集中の呼吸を習得してました。

【セイバー(継国縁壱)@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:日輪刀
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:為すべきことを為す。
0:今はただ、この月の下で兄と共に。
1:光月おでんに従う。
2:他の主従と対峙し、その在り方を見極める。
3:もしもこの直感が錯覚でないのなら。その時は。
4:凄腕の女剣士(宮本武蔵)とも、いずれ相見えるかもしれない。
5:この戦いの弥終に――兄上、貴方の戦いを受けましょう。
[備考]


920 : What a beautiful world ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:30:48 PDwpdxwU0



【仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:体力消耗(大)、顔面と首筋にダメージ(中)、右手首欠損(火傷で止血されてる→再止血・処置済)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:アビゲイルの“真の力”について知る。
1:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
2:霧子ちゃん達との協力関係を維持したい。向こうとこっちが持ってる脱出プランを組み合わせたりとか、色々話したい。
3:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
4:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
5:できるだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
6:もしも可能なら、この世界を『調査』したい。できれば空魚もいてほしい。
7:アビーちゃんがこの先どうなったとしても、見捨てることだけはしたくない。
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。
※透明な手がサーヴァントにも有効だったことから、“聖杯戦争の神秘”と“裏世界の怪異”は近しいものではないかと推測しました。


【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:体力消耗(中)、肉体にダメージ(中)、精神疲労(大)、魔力消費(大)、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスター……今はゆっくり休んでいて……。
1:鳥子に自身のことを話す。
2:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
3:マスターにあまり無茶はさせたくない。
4:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。


921 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/08/08(月) 21:31:13 PDwpdxwU0
投下を終了します


922 : ◆0pIloi6gg. :2022/08/08(月) 21:59:10 DF1whA/w0
投下お疲れさまです!
感想はまた後ほど。

セイバー(宮本武蔵)
アーチャー(メロウリンク=アリティ)
七草にちか(騎)&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
櫻木真乃
田中摩美々 再予約します。


923 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:02:05 ULX2GwRg0
投下します


924 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:03:13 ULX2GwRg0
歌うたいの小鳥が、殺されたことによって。

――このお城は、もう融れちゃうから。

友達だったかもしれない少女は、そうなることを確信していた。

――もう今までのやり方じゃダメだ。

王子様だったらよかったと言われた少年は、武器を手にするようになった。

雨の中、小鳥の声が消えてしまったことで、全てが融けた。


◇◇◇◇◇◇


925 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:04:00 ULX2GwRg0
――もう変わってるんだと思うよ。


さとうが私にそう言ったのは、もうずいぶん以前のことだったと思う。
まだ私達が二人で男遊びをしていて、だけどそれで満たされたという事はなくて。
むしろコレって空回りなんじゃないだろうか、という私の疑問と焦りは。
それでも、さとうとは確かに友達になったんだという安心感に着地した。

私の人生は、その時よりもずっと大きく変わってしまった。

たった一人を探していたさとうに、運命の人ができた。
私にも、人生を変えてしまう出会いがさとうの他にできた。

さとうみたいに最愛の人だと言い切れるほど、確かな形をしてなかったけど。
その男の子との出会いは、『王子様』なんて言葉にそぐわない、素朴なもので。
決まった時間にパンを持って行く、お付き合いというより餌付けと言った方がいいような時間で。
危なっかしくて、小動物みたいで、放っておけない。
それだけの情で近づいた男の子は、だんだん色々な顔を見せてくれるようになった。
大切な人を想う顔。ひたむきな顔。勇気をふりしぼる時の顔。
その姿に勇気をもらったんだと、大げさじゃなく思ってる。

私の人生は変わったけれど、私は半端にしか変われなかった。

彼に正しく勇気をもらった私は、『さとうから眼を逸らす』という大きな間違いをした。
大好きな親友を傷つけて、肝心なところで拒んで、彼女をいっそう閉じ籠らせた。

それでも勇気を出したことまで否定しなくていいと、彼から励ましてもらった。
そこから、また親友にぶつかろうとしたことまで間違っていたとは思わない。
だけど、さとうのお城に踏み込んだあの日のことは、間違いだった、たぶん。

さとうの信頼を損なった私が、さとうから最愛の人を引き離した方がいいと乗り込んできた時点で。
さとうにとって私は『敵』になっていることを、きちんと分かっていなかった。

さとうは私に何も感じない。
それを結論に、私の人生はそこで終わった。
人生を変えるような出会いは、ちゃんと二回もあったけど。
私の物語は、苦い結末と後悔で終わった。

――だから、ごめんね。

さとうの声が、私を見下ろす瞳が、恐ろしく冷えているのが記憶に残っていて。
何も感じないと言ったのに、彼女がわざわざ謝ったことは印象に残っていて。
それは私が求めていた結果とはかけ離れたもので。

――間違えちゃったのかな。

間違えたのだとしたら。
どこでどうしていれば良かったのかな。
松坂さとうの世界から消されてしまうその時に。
私はたしかに、そんなことを気にしていた。


――なんか変わったね、しょーこちゃん


聖杯戦争によって、私の人生はまた劇的に掬い上げられて。
再会したさとうは、いつかと同じように私のことをそう言ってくれた。

それでも私は、間違えようとしている。
彼がいることは分かっていたのに、いざ彼が現れた時の心の備えがまるで無くて。
彼には彼の願いがあると分かっていたのに、さとうの敵として現れた彼を止めようとして。
さとうの味方をするということは彼を敵に回すことだと釘を刺されていたのに、彼に駆け寄って。 
聖杯を狙う同士なのに、彼――神戸あさひ君には死んでほしくないと思っていて。

そして、改めて私は思う。
私が聖杯を狙うのはどうしてだっけと、理由を顧みれば。
松坂さとうとの関係をやり直したくて、神戸あさひ君との関係に言葉を贈りたくて。
人生の未練だった二人は、今となっては二人とも近くにいて。
二人とも聖杯を欲しがっていて。

聖杯を手に入れたマスター以外は、ここで消えるというのなら。
私が聖杯を手にしたところで、その先の人生には松坂さとうも神戸あさひもいなくなってしまうことを。


926 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:04:35 ULX2GwRg0
◇◇◇◇◇◇



――人の愛なんて、誰かが語るようなことじゃないんだ



ボクが松坂さとうにそう言ったのは、この夜が始まるより以前のことだったと思う。
それはもう、昨日の夕景と共にある出来事だった。
松坂さとうには言い切った一方で、ボクは苦い追憶をしていた。
なぜなら、ボクの事情だって決して胸を張れるものではなかったから。

ボクの愛の始まりは。
蒼き雷霆ガンヴォルトと、電子の謡精を宿した少女シアンの、関係の始まりは。

(この子は、あの頃のボクと同じだ――)

情だった。

初対面で向けられたのは、『殺してください』という懇願。
これからも籠の中で飼われたまま、人に害を与える歌を強制されるぐらいなら、と。
その裏側に、自由への飢えと、普通の生活への羨望を読み取れたのは、ボクも似たような境遇だったから。
かつてボクがアシモフにしてもらったように、ボクもこの子に自由を与えたいのだと意気込んで、連れ出して。
これからは後ろ盾のない傭兵だと覚悟していたはずの暮らしは、一人ではなく二人だと満たされていて。
あの頃の日々には、いつもシアンとの心の繋がりを感じていた。

結果として、ボクは彼女を死なせた。
凶弾から守れなかった、というだけではない。
ボクと一つになって謡精そのもになった彼女がふたたび消えていくのを、何もできずに失った。
それどころか、記憶を失って真っ白になった『シアンを宿した少女』を、そのまま家族の元へと帰した。
そんな話を聞いたら、『お前の愛は愛じゃない』という人もいるかもしれない。

ボクは、あの選択を後悔はしていない。
むしろ、今になって後悔するわけにもいかない程には、大事で重い選択だった。
だけど、ボクとシアンの関係が、兄妹のような親愛だったのか、それとも別種の愛情だったのか。
そこに対する答えは出ないまま、ボクもシアンに何かを応えてあげられないまま、ボク達は別れの日を迎えた。

だから。



「おたくのマスター、あさひの事をどういう風に言ってた?」



ボクのマスターが、まさにそこのところを上手く言えないからといって、それを否とするつもりは無かった。
そして、座り込んだままの赤きサーヴァントが問うてきたことで、ボクも察する。
あるいは、神戸あさひの側もそうなのではないかと。
『飛騨しょうこが神戸あさひに向ける感情』を、そのサーヴァントが気にせずにはいられないほどには。
神戸あさひもまた、飛騨しょうこに対して、不定形の感情を抱いているのではないか、と。


927 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:05:20 ULX2GwRg0
「詳しくは聴かない。でも、勇気をくれる男の子で、お礼が言いたい、そういう少年だったと言っていた」
「…………そりゃ男を視る眼があるね。困ったことに」

先刻までは道化のように多弁だったのに、覆面の下でひとしきり思いをめぐらすような間があった。
困ったというからには『仮に飛騨しょうこが神戸あさひに全く無関心だったなら、それはそれで対応の仕方があった』という事でもあるのだろう。
このサーヴァントは、本気で神戸あさひのことをマスターとサーヴァントとして心配し、その心情を慮った行動を心がけている。
そう察したから、こちらもなるべく正確なところを述べることにした。

「……それから、『怖い』とも、言っていたよ」
「怖い?」
「神戸あさひは、聖杯を手に入れようとするだろうとマスターは考えた。
そして、マスターがいることを理解した上でその目的が変わらないなら、神戸あさひとの関係が壊れる事に対してだよ」

これだと神戸あさひの元に駆けつけなかったことに対して言い訳がましいかな、と思いながらも。
それでも、『飛騨しょうこは結局のところ情を捨てた女の子だ』などと受け取られるのは、どうにも嫌だった。

「ああ、そこんとこを責めるつもりは俺ちゃんには無いから安心しなよ。
あさひのヤツ、しょうこちゃんがいることを知らないのが幸せには違いなかったからな」

松坂さとうに敵意はあるにせよ、マスターにまで敵視が及んでいないことにはひとまず安堵する。
だが、その言い回しには含みがあると気付いた。

「違いなかったってことは………過去形、だったのか?」
「ああ、あさひはもう、しょうこちゃんとあの女が連れ立ってることを知ってるよ。
むしろ、あさひがおたくらの訪問を知らされたところに俺ちゃんもいたって方が正しい」
「なら、お前ひとりでこれ見よがしに待ち伏せしてたのは、やっぱり陽動だったのか」

彼の独断による行動ではなく、マスターの意を受けていたというならば。
サーヴァント二人がいるところに、自分のサーヴァント単騎で相手をさせるかというと怪しい。
つまり、このサーヴァントはあくまで囮で、本命の接触者がマスター達が逃げたところに待っている。
ボクらも待ち伏せが陽動である可能性は考えていたし、だからこそキャスターをマスターたちに付かせたのだけど。

「おや、案外冷静に受け止めるもんだね、ロックマン。」
「ロックマン? ボクも知らないサーヴァントの特殊クラスなのか?」
「あれ、若い子なのに通じない? 2Dアクションって昨今は下火だったりする?」
まぁいいや、そこはうちのあさひとおたくのしょうこちゃんが接触したらまずいって、焦ったりとかしねぇの?」
「……まずいと思わないわけじゃないよ。でも、お前はさっき『社会の歯車だ』って言った。
つまり、この作戦はお前たち主従の独断じゃないんだ。だったら、会話の放棄が何を意味するのかは分かってるさ」
「ジャパニーズってわけじゃ無さそうなのに、ずいぶん空気を読んでくれるんだな。助かるよ」

陽動作戦が、神戸あさひだけでなく他の主従との合意のもとに行われたものであるなら。
今こうやって彼がボクとの会話に付き合っている時間も、陽動の一環ということになる。
それを簡単に打ち切らせてしまうことは、彼が陽動を真面目にやらなかったこと、つまり同盟者への不義理にならないとは言えない。
そして、神戸あさひとマスターの繋がりを考えれば、キャスターがボクとの内通を冗談ごとでなく疑い始める可能性もあり。
キャスターの戦力としての信頼性と、松坂さとうへの初撃が失敗してからの彼にもう殺意がないことも併せて考えれば。
マスターは本当に危なくなったら令呪なり念話なりを使ってくれると信じて、ここは場を繋ごう、という事になる。


928 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:05:52 ULX2GwRg0
「さて、こいつは会話のキャッチボールだから、今度はこっちから質問させてもらおうか」

会話の流れだと、最後に質問をしたのは彼の方だったはずだが。
どうやら、『神戸あさひはもう知っているのか』という一連のやりとりで、ボクからの質問一つという扱いらしい。

「お前は、自分のマスターを殺した女が、マスターとつるんでる事を受け入れてんのか?」

切り込むような問いかけ。
そこに、おどけやふざけは完全に排除されていた。
前提についての共有は不要だった。
なぜなら、『神戸あさひが松坂さとうを恨んでいることをボクが知っていた』時点で。
マスター・飛騨しょうこと松坂さとうとの関係にボクが無知だとは考えにくいのだから。

「マスターは、松坂さとうに殺される結果に終わったことを悔いていた。
関係をやり直したい、彼女に信じてもらえなかった自分を変えたいと言っていた」
「あー…………どういう子なのか分かった気がするわ。いや、あさひの話を聞いた時から、人柄はお察しだったけどさ」

彼は胡坐をかいたまま天を仰ぎ、いるかもわからない神様に毒吐くように「なんでそんな連中ばっかり巻き込んでる?」とぼやいた。
どうやら彼は、ボクのマスターがとてつもなく芯の強くて善良な少女だということを、さほど労せず受け入れたらしい。
もし髪があればそれをぼさぼさと乱すような手つきで覆面の頭部を掻き、重ねてボクに問う。

「けどな、お前は止めたりしなかったの? シビアな話、【都合の良いお友達】と思われてる可能性だってあるわけだろ」

それはマスターの想いとは別であり、サーヴァントとしては当然の疑問でもあった。
自分のマスターを殺した者のもとに再びマスターを寄り添わせようとするのは、思い切りが過ぎることだから。
そしてボクの答えは、買い物帰りの道中で松坂さとうに語った通りだ。
覆面の奥から向けられる視線が食い入るように鋭さを増したように感じられたが、臆するほどのことはないと同じ答えを返す。

「リスクは承知の上だ。そして彼女らが牙をむいた時の備えもある」
「話を聞く限り、そんな備えを持つにはイイ娘すぎる嬢ちゃんって感じだけど?」
「備えがあるのはボクだよ」
「ああ、そっか」

赤き覆面の男は、頷きとともに瞑目した――ように見えた。
赤と黒の布地に覆われているから、眼を瞑ったかどうかなど見分けがつかなかったけれど。
表情が変わったかのように覆面の布地がわずか動いたから、そう思えたのかもしれない。



「要するにお前は【そうせずにはいられなかった】んだな」


つぶやきには、納得の感情がともなっていた。


929 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:06:41 ULX2GwRg0
「彼女たちの仲を取り持たずにいられなかった、ということか?」
「いや、そこじゃない。ずいぶん前にいたんだよ。
ガキの為に手を汚そうとするバカを、そんな好意的に言ってくれたカタブツがさ」

いざとなったら、松坂さとうを殺す役目を引き受ける覚悟はある。
たとえ、それが汚れ役に値する仕事であろうとも。
たとえ、マスターに嫌われることになったとしても。
そのように、直接的な言葉にはしなかったボクの意図は。
「備えがあるのはボクだ」というぼかしだけで十分に伝わったらしい。
「こんな風に見られてたんなら俺ちゃんも照れるね」と一人納得したように、男は茶を濁していた。

「気持ちとしての落としどころは分かったさ。
あの女といる以上敵には違いないが、サーヴァントのスジとして文句をつける謂われも無い。
そんで、おたくらの方から何か言っときたいことはあるか? ああ、俺ちゃんじゃなくてあさひにだけどさ」 
「神戸あさひに伝えてくれるのか? 彼のサーヴァントとして、お前はそれでいいのか?」

神戸あさひに思いを寄せる少女のサーヴァントとして、マスターの想いを伝えること。
今まさに行われているかもしれない神戸あさひとの接触が歯車のかけ違いに終わる危惧もある以上、保険としてはありがたい。
だが、聖杯を狙う神戸あさひのサーヴァントとしてはそれでいいいのか。
マスターの想いを感じることで、かえって神戸あさひの迷いや悩みを深めることは危惧しないのか。
そういったリスクは気にならないのかと尋ねれば、渋みのある大人の声を伴った男はこともなげに答えた。

「殺されちまったしょうこちゃんの人生が懸かってる以上、おたくらはおたくらで聖杯が要るんだろう?
なら、どのみちしょうこちゃんとあさひは最後に手を取り合えねぇところにいる」

あさひが願いを叶えりゃあの子も取り戻せるかもしれないが、傍目に見て弱小主従の俺らにベットできねぇことも分かる、とも付け加えて。

「せめて言い残しは無いようにしといた方がいいだろ。あさひのヤツ、『飛騨さんは俺のせいで死んだ』って気にしてたからな」
「松坂さとうの敵だのといった事情に関わらず、私怨で殺し合おうとするわけでは無いと分かっていた方がマシってことか」

恨みっこ無しで殺し合いましょうと言うには、互いのマスターの良心の呵責という点において問題が大いにある。
だが、他でもないマスター自身が怖れていたように、関係が拒絶に終わったままで決戦を迎えるよりはマシだと言われたら違いなかった。

「そっちのマスターにとっても、あさひと話したいことが未練だったんだろ?
ウチのあさひに礼が言いたいって話なら、それ自体は歓迎しないもんじゃねぇ」

それどころか、話題を向けられたのはまさにこちらのマスターの願いについてだった。

――さとうに信じて欲しいし、私に勇気をくれたあの子にお礼を言いたい。

出会って間もないころから、彼女はそれが望みだと伝え続けてきた。
彼女が松坂さとうを選んだ今でもそこを変えられないことは、分かっているつもりだった。
その願いのうち一つが、特殊な状況下であれ叶いそうになっている。
こちらとしても、拒むべくもない提案………………だと、見なしていいはずだった。


930 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:07:24 ULX2GwRg0
マスターの未練が、ひとつ消える。
しかし。

――地上に戻るまで振り向いてはいけないという誓いを破ったオルフェウスは、妻を永遠に失った。

直観めいたものが、言葉を詰まらせた。
それを別の意味で受け取ったのか、赤黒のサーヴァントは流暢に続ける。

「まぁ、向こうの状況が落ち着かないと、何て言うのかも決められることじゃねぇか。
こっちだってあさひを死なせないだけの援護は念押ししてあるが、念話が切られてるのが引っ掛か――」
「いや……申し出はありがたいけど、考えさせてくれないか」

状況のゴタゴタを抜きにしたところから、生じている躊躇い。
それが思わず声に出てしまって、覆面の男にも怪訝そうな空気が伝染する。

「なんだ、もしかしてあの砂糖女に気兼ねしてるのか?
自分のダチと恋人の兄貴がいい空気になるのさえ許されない感じだったりする?」
「いや、遣り取り自体は可能だと思う……ただ、終わらせていいものかどうかが分からない」
「終わらせる?」

無意識に『終わらせる』という言葉を使ってしまったことに気づき、違和感のもとが見えてきた。

――調子乗るんじゃないわよ、バカ。最後に笑うのは私だっての

マスターが松坂さとうにそう啖呵を切ったのは、本心であるように見えた。
ただ生き残りたいという、小さくとも否定されるべきでない願い。
もっと外の世界で飛び続けたい、歌い続けたいという、ボクにとっての戦う理由。
かつてシアンに抱いた動機であり、今もそれは戦うに足りると信じている。

――私ね。やり残したことと、やり直したいことがあるの

だけど、そもそも彼女が生き残りたいと願ったのは、誰と誰の為だったか。

「……ああ、お前が何に引っ掛かったのか、分かった気がするよ。
いや、想像だけどな。俺ちゃんだって『あさひの身内がいるかも』って考えた時は、そっちに転んだらヤバイと思ったさ」

ボクはよほど、表情を凍りつかせたらしい。
覆面の向こうから向けられる声が、やれやれと共感を伴ったものに変わったからだ。

「マスターは、神戸あさひという少年は、悪い事ができる人じゃないと言っていた。炎上騒動の時だけど」
「いいヤツだよ。そんで、そっちの嬢ちゃんもとびっきり友達思いで、他人思いで、イイ娘だと聞いた。なら、俺の想像で当たってるのか?」
「たぶん。優しい人は、ときどき人のために命を投げ出してしまうから」

ボクも、かつては大切な少女の命を糧として命を繋いでもらった。
そして、その彼女は二度目の別れの時も、最後までボクが生きることを考えてくれていた。


931 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:08:14 ULX2GwRg0
――今のあなたなら、きっと一人で戦える…

ボクの愛の終わりは。
お互いがお互いに、手放し合うことだった。

シアンを手放した選択を、やり直すべきだったとは考えたくもない。
だけど、シアンに、別れを受け入れさせてしまったものが。
私がいなくてもいいのだという選択肢を向かせてしまったものが。
ボクとオウカとの、かつてはシアンとの暮らしにあったような家庭の団欒だったり。
シアンのことを認識できないシャオがいる時の会話に、上手く混ざれないことだったりと。
自分がいなくても大切な人達には影響がないという、諦めと孤独が募ったことに、よるものだったのなら。

それは、やり直したかった。

僕もオウカも君のことを大切に思っていると、否定したかった。
彼女が自分のことをいなくてもいい死者なのだと思うような事には、したくなかった。

それは、そのままマスターにも当てはまってしまうかもしれない。
松坂さとうとの間にあった信頼関係を築き直すという、生前に成し遂げたかった思い出作りを終えて。
松坂さとうも、神戸あさひも、自分がいなくても願いの為に突き進むから、影響はないという確信を得て。
神戸あさひにお礼が言えなかったという未練までも、清算してしまった時に。

「しょうこちゃんが、友達やあさひの為に聖杯を諦めるかもしれないって、お前さんは考えたのか」

飛騨しょうこが、彼女自身の命≪じゆう≫を、差し出してしまうこと。
彼女と共に飛びたいサーヴァントとして、ボクはそれを恐れているのだ。


◇◇◇◇◇◇


932 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:08:41 ULX2GwRg0
「ごめんね」
「どうして、謝るんですか?」
「半端なことしてるって、思ったから」

松坂さとうの味方をしていることは明らかでありながら、今もなお神戸あさひを死なせたくない情をかけていること。
元をたどれば、昨夕の炎上騒動によって神戸あさひの参戦を知ったことに端を発してから、先刻の殺し合いに至るまで。
少なくとも、飛騨しょうこには『神戸あさひを選ぶ』という選択肢はあった。
そうしなくてごめんなさいと謝罪することは、よけいに中途半端だとしょうこは自覚している。
それでも、今こうやって会話を望んでいることだって、彼にとっては辛いだけかもしれない。
飛騨しょうこの第一声は、そういった全てを包括したものだった。

「中途半端な勇気が、いちばん人を傷つけるって、私は分かってたのにね」

公園のベンチのようにちょうどいい場所は住宅街には無く。
裏路地に、じかに腰を下ろすようにして、二人は座っていた。
氷で作られた趣味の良いとはいえない人形に一定間隔で追従されながらも、場所は少しだけ移動した。
間もなくして夜が明ければ、神戸あさひ自身の血によってできた血だまりが眼前へと露わになってしまうから。
それは、先ほどまでの二人があまりにも情けなかったと、気まずい悔恨をもたらしてしまうから。

「それは、違います。俺の方があなたを拒絶して……中途半端だったのは、俺の方が先だ」

あの頃のままの、飛騨しょうこさんだ。
勇気を出したいと足掻いて、優しいから自分を責めてしまう、いつかのあの人だ。
そんな既視感で、あさひはとにかく言葉を次いだ。
憎悪に動かされていた時には思い至らなかった、彼女にとっての神戸あさひがどうだったかについて。


――来ないでくれ。あなたのことは、巻き込みたくないんだ


何て、ばかなことを言ったのだろう。
神戸あさひは、聖杯を目指していて。
飛騨しょうこは、聖杯のためには倒すことになるマスターの一人で。
それなのに『飛騨しょうこを巻き込みたくない』なんて白々しいことを、どの口が言った?
たとえ松坂さとうとの因縁に決着がついても、飛騨しょうこがマスターであることは変わりないのなら。
よくも彼女のことをを殺して利用したなと糾弾しながら、これから殺す人達の中に彼女も含めているお前だって、悪魔じゃないか?


933 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:09:14 ULX2GwRg0
「ねぇ」

重たい沈黙を回避しようとしたのか。
しょうこは距離を詰めるように、あさひの顔をしげしげと覗いてきた。

「ちゃんと、ごはん食べてる?」
「え…………どうして?」
「いや、ここでの生活、一か月もあったじゃない?
その、パンも無かったし、お腹すいてないかなって……」
「晩御飯は食べたから、大丈夫です……」

そこを心配されるとは思ってなかったという、拍子抜け。
ある意味この人らしいのかなという安堵と、『パンも無かったし』で以前からそんなに栄養失調を危惧されていたのかという恥ずかしさと。
リッツパーティーをしたなんて言ったら、もっと栄養のあるものを食べなさいと逆に心配されるかなと、数時間前を思い出す。
今思えば、デッドプールはあの時。
少しでもこちらが暗くならないように、気遣いとして場を盛り上げてくれたのだろう。

「あの、先に、サーヴァントに念話しませんか?」
「え?」

会話を持たせるように切り出すのも、どうかと思ったけれど。
デッドプールに、戦闘終了の念話を送っていなかったと気付いた。

「下手すると、まだ戦ってるかもしれないし……」
「あ、そう、そうよね! だいぶ可愛そうなことしてたわ」

そして彼女にとっても、その放置は恥ずかしいことだったらしい。
当然ながら、彼女達とともにいた鬼は、はっきりと松坂さとうの指示を仰ぎ、指示に従っていた。
つまり、ヤツと契約してるのは松坂さとうで、デッドプールに足止めされた方のサーヴァントは飛騨しょうことの契約者だろうと想像はできる。
マスター同士が座り込んで話をしているのに、サーヴァント同士が下手すれば戦いっぱなしというのは申し訳ない。
松坂さとう絡みで、デッドプールに無碍な態度を取ってしまった後悔もあり、あさひは彼にこそ謝らなければと心を重くした。


◇◇◇◇◇◇


――すべて、亡くしてた。


◇◇◇◇◇◇


934 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:09:52 ULX2GwRg0
情けないところも含めて、なるべくありのままデッドプールに話した。
突き放すような態度を取ったからには、せめてそうすべきだと思ったから。

『まずはお前さんが無事で良かったよ。
令呪も念話もノーサンキューだったのはいただけねぇが、反省はしてるだろうしな』

デッドプールは、あさひのことを責めなかった。
彼があさひの為に、松坂さとう殺しの汚れ役を被ろうとしてくれたことは、分かっていた。
その上で、デッドプールの方もまた『あさひが殺害失敗を期待していたこと』を察していただろうにも関わらず。

『俺から一つ、言えるとしたらさ』

それどころか。
松坂さとうに言ったこと、松坂さとうに言われたことを話したところ。
ひょい、とテレビ画面ごしや漫画、絵本の仕切り線の向こうから手を伸ばすように。
空間を無視して手をのばし少年の頭を撫でるような、それぐらいに事もなげに言った。

『お前は松坂さとうを言い負かす必要なんかなかったよ。
だって、お前は『全部やり直す』って言ったんだろ?』

こいつは、黙ってそっちに邁進してろってことじゃないぜ、と注釈が入る。
そもそも、俺はお前が幸せになれるなら方法はなんだっていいんだ、とも但しをつけられて。

『お前と松坂さとうは、実のところ同じ娘をめぐって争ってるのとは、もう違うのさ。
シュガー・キッドナッパーが言ってる『しおちゃん』は、自分が攫ってきた子どものこと。
お前が暮らしたい妹は、やり直した先にいる『初めから幸せだった妹』なんだろ?』

あっけらかんと、まるで妹の乗り換えを肯定するかのような言い草。
だが、デッドプールは何も、本来の妹ではなく思い通りになる者を飼えばいいという主張に添うているわけではない

『あさひにとって、【今のしお】は敵なんだろ? んで、しおの方だって伝言を聞く限りそのつもりでいる』

そこは既に通過した問題なのだから、嵌るところじゃないと言っているのだった。
なぜならデッドプールは、神戸あさひがそう言ったことを、聞いているから。
それは神戸あさひが悪魔のような実父の血を引いたせいではなく、そうすると腹を括れる奴だと、言ってくれたから。

『あさひは、ちゃんと分かってるよ。しおは連れ戻せるモノじゃないってことも、妹の為じゃなくて自分の為だってことも。
でも、死んだはずの女と、死んでほしくなかった【飛騨さん】が一緒にいたから焦っちまったのさ』

松坂さとうが、『神戸あさひの恩人』もあの場に引き連れていたこと。
麻薬の服用にとって人相さえも豹変したあさひが人を殺そうとする現場を、少女が見ていたこと。
少女の言葉を聞き入れて攻撃を止める訳にこそいかなかったけれど。
その動揺は、確かに迷いとして現れていた。
その人は、殺意を知る前の神戸あさひを理解しようとしてくれた人で。
暴力を使うようになる前の、あさひを知る数少ない人だったから。
妹への想いの丈を聞いて、そこまで大切な人を想えるなんてすごいと、肯定してくれた少女だったから。
そんな少女が聞いている前で、しおだって殺すと決めたんだと開き直ることをためらった。
だからさ、とデッドプールは続ける。

『せっかくおしゃべりする機会なんだから、もっと根っこのところを聞いてやりな。
どうしてあの女と一緒にいるってことだけじゃなくて、その子が何を望んでいるのか。
そこを分かってないと、たとえこの先【飛騨さん】があの女と別れたって、モヤモヤは残ったままだぞ?』

あさひの今の心境を先読みしていたかのように、ずばりという言葉まで添えた。

『お前さんのことだから、やり直しの為に、この人をもう一回死なせるんだ、とか。
自分が死ぬか殺人者になるかの預言を聞いたハリー・ポッターみたいな顔してるんだろうけどさ。
その子は、自分のことをお前さんに殺される被害者だなんて、思ってないかもしれないだろ』


935 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:10:20 ULX2GwRg0
◇◇◇◇◇◇


『そっか、あの子のサーヴァントは、ちゃんとあの子のことを想ってくれてるんだね』

互いの経緯を伝え合った後に、しょうこが発した感想はそれだった。
いきなり挑発的な感じで銃口向けられた時は焦ったから、しょーじきほっとした、とも。

『言動が道化のようであったのはたしかだけど、そういう外側の印象よりもずいぶん理性的だったよ。
少なくとも、僕がマスターのことを想っているように、彼も自分のマスターを想っている、という様子だった』
『うん、さとうのキャスターみたいなサーヴァントもいるって分かった後だったから、そうじゃなくて良かった』

まぁ、良かったって言っても、そういう半端なところがダメなんだぞって言われたらその通りなんだけどね、とも続けて。

『マスターは…………伝えたかったことを、伝えられそうかい?』
『その話はしたいよ。でも、それだけじゃダメだなって、思い始めてるところ』

変わらず気を遣ってくれるGVに、そう返した。
飛騨しょうこの人生を変えてくれたことに、感謝を伝えたいのは変わらない。
しかし、いざ目の当たりにすると、想いを馳せてしまったことがある。

『アーチャー』

それは、飛騨しょうこ以外の人々の、人生についてだった。

『自分にできる事はないって、寂しくて、悔しいことなんだね』
『……ボクの知るマスターは、たくさんの事をしてくれたよ』
『ありがとう……でも、私の話だけでも無いかな』
『どういうこと?』
『んー、大切な人にはもう慰めてくれる人がいたり、むしろ自分が枷になってたかもしれなかったり。
そう思っちゃうような子を見たことがあった、のかな』

けっこう前に、君が出てくる夢を見たんだけどね、とは言わない。
ガンヴォルトにとっての運命の人であるらしき『彼女』がそんな風に思っていたことは、彼を傷つけるかもしれないから。

夢を介して記憶を共有することは、本来であれば契約で繋がりを持ったマスターとサーヴァントの間にだけ起こることだ。
にも関わらず、飛騨しょうこの見た夢がGVではなく、彼とともにいた少女の見ていた世界だったこと。
それは、長らくその少女が生前のGVに取り憑いてその一部となっていたせいかもしれないし。
彼女の謡精としての特性が『精神感応』――他者との同調を本義としていたものだったことに依ったのかもしれない。


936 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:11:05 ULX2GwRg0
『とにかく、そういう子の気持ちが、ちょっとだけ分かったかもしれないって、さっき思ったの。
私は何もできないし、半端者でしかいられないんだって、本当に悔しかったから。
さとうも、あの子も、目指している幸せの中に、私がいないように話してたから』

松坂さとうは、心の弱いところを見せてくれるようになった。
神戸あさひは、優しさからしょうこを突き放そうとしてくれた。
彼女や彼が、なにがしかの感情を持ってくれた手ごたえは皆無ではなかったし、そのことは受け止めた上で。
それでも二人にとって優先順位の一番は、飛騨しょうこではなく、神戸しおなのだろう。

『私だけ生きてても……って、思わなかったわけじゃないよ』

松坂さとうも神戸あさひもいない日々に、飛騨しょうこは耐えられるかどうか自信がない。
だけど二人の方は違う。
しょうこがいなくなっても、神戸しおという少女がいれば幸いを得られるのだろう。
それなら、二人の方がよほど『可能性』と言うものを持っているのでは、と。

『マスター、ボクはマスターが生きてても仕方ないとは思わないよ』
『ありがとう……私もね、それだけじゃないって、アンタたちのおかげで気付けたんだ』
『ボク、たち……?』

きっぱりとした否定、そして複数形で表現されたことに、アーチャーが困惑した。

『聖杯戦争のおかげで、知ることができた人達、かな』

ガンヴォルトが、身も心も飛騨しょうこに捧げることはできないと言った理由。
その根源たる少女の夢を見たことで、しょうこは触れていた。
アーチャー・ガンヴォルトと、少女・シアンの【愛】だったかもしれない関係の、始まりと終わり。

シアンの視点からでは、『彼と一つになったところで、以前と同じ関係ではいられなかった』と悲観していたそれは。
しかしガンヴォルトにとっては、しょうこからのキスに応えることはできないと誓いを立てるほど、大切でもあったこと。
彼女が彼に対して無力だったと思っていても。
彼は彼女のことを要らないなんて思ってなかったんだ、と。
双方の想いを目の当たりにしたから、気づけた。

『私がいなくなった後に…………壊れちゃった幸せも、あったんだな、って』

蒼い雷霆の愛した蝶々が、己のことをどう思っていたところで。
比翼の少女がいなくなった痛みで、しょうこの知っている彼が構成されている。

そして、再会した少年もまた。
妹を失ったのだという喪失の痛みが、顔に声にと刻まれていて。
松坂さとうはいなくなったが妹は戻って来なかったと、しょうこが知らないことを叫んでいた。

『私はさ、あの子に楽しい事を教えてあげるつもりだったんだよね。
でも、さっきの彼はとても切羽詰まってて、あの時よりずっと幸せじゃなさそうだった』

聖杯戦争をやってるのだから当たり前だと言えばそうかもしれない。
けれど、『もっと楽しい事をしよう、遊ぼう』と、彼に向かって声をかけて以来。
彼がそれを実践するような生き方をしてこれた事は、無かったのだろうなと。
ちゃんと食べてるか聞いた時のぼんやりした様子で、『やっぱり』と思ってしまった。

『私がいたらそんなことにはさせなかったのにー、なんて偉そうなことは言えないけど。
それでも、休みの日に一緒に遊んだりとか、できることはいっぱいあったと思う』


937 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:11:44 ULX2GwRg0
松坂さとうに喉を裂かれたところで、しょうこの人生は途切れている。
その結末は、間違えてしまったという後悔として、体と心に刻まれている。
けれど、間違いの余波は飛騨しょうこ以外の人達にも及んでしまっていた。

松坂さとうは、神戸しおの元からいなくなったのだという。
もちろんそれは、常識としては誘拐犯の元から子どもが帰ってきたという話でしかないのかもしれないが。
松坂さとうと神戸しおの輪郭をここ一日でなぞったしょうこにとって、それは『破滅』に匹敵する出来事だと察せた。

神戸あさひも、『しおを取り戻して幸せになるんだ』と言っていたことが、できなかったのだという。
それは、さとうとしては身勝手なしおのモノ扱いだと評せるものだったのかもしれないが。
神戸あさひの『俺みたいになるな』という叫びを目の当たりにしたしょうこは、彼が妹の為を気取るような少年でないと知っていた。

自分がいなくなった後、世界は決して良い方に向かわなかった。
しょうこには、それが悲しい。
それがさとうにとっての『苦い』なのかは分からなかったけれど、とても痛くて悲しい。

『私、今まで未来のこと、あんまり考えたことがなかった。
私が死んだ後に、みんながどうなったかってことも』

さとうの刃によって喉元をざっくりと裂かれた時は、本音を言えばとても恐ろしく、苦しかった。
それでも、そんな痛みの比にならないぐらい、神戸あさひと、キャスターの間に振るわれる暴力は痛々しくて。
あれほど超人的でなくとも、かつての二人が同じぐらいの憎悪で殺し合いなり奪い合いなりしていたことを再認識して。
自分が死んだことで始まった崩壊が、二人を追い込んだことが、悲しくて、いたたまれなかった。

『私を殺した後で、少しでもさとうの心は重くなったのかな、とか。
私の遺体が発見されたって聞いたあの子は、何を思ったのかな、とか。
そういうことを、はじめて考えるようになったんだ』

しょうこが、さとうに殺されたことで。
しょうこが、あさひに最後のメールを送ったことで。
松坂さとうの居城は融れてしまったらしいこと。
神戸あさひが、松坂さとうを憎悪するようになったこと。

どちらも、飛騨しょうこはずっと知らなかった。
さとうから彼は敵だと聞いていたけど、『しおちゃんを探しているならそうなるだろうな』という想像で察していただけだ。
神戸あさひが、さとうに怨嗟の声を吐きつけるところに立ち会って、ようやく実感として追いついた。

『ちゃんと知りたいのよ。私が死んだ後に、何がどうなったのか。
私が聖杯を目指すとして、それでどうしたいのかは、その後に決める』

だから、神戸あさひが何を想っているかを知るためには。
だから、松坂さとうがこのままではどうなるのかを知るためには。

自分が死んだ後に何がどうなったのかを、きちんと知らなければいけない。
そうでなければ、次こそは間違えないために、何をすればいいのかが分からない。


938 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:12:15 ULX2GwRg0
『そうか……大切な人の知らない側面を知るのは、とても勇気がいる事だと思う。
そこに踏み込めるマスターは、やはりいい方に変わったんだと思うよ』

GVのほっとしたような声が、しょうこの羽ばたきを肯定する。
言い回しに不思議なデジャブがあったのが、なんだか嬉しかった。

――もう変わってるんだと思うよ?
――いい方? わるい方?
――知らないけど〜〜

いい方だったみたいだよ、さとう。
……と、ここにいない大切なもう一人に、心の中で報告する。
さとうの方はもう覚えてないかもしれないけどね、と寂しく付け加えながらも。
それこそしおちゃんの言った事だったら、彼女はさっき語ったように一言一句を覚えているのだろうけど。

『あーあ。あさひ君にキスした時も思ったけど…………やっぱり羨ましいな。神戸しおちゃん』

なぜって、飛騨しょうこが好きになる人は、いつも月(かのじょ)の周りをまわっているから。
GVにしか聞こえない声で、しょうこは本音をそう表現した。


◇◇◇◇◇◇


全部、やり直すんだ


◇◇◇◇◇◇


「今までのことを、聞いてもいいかな?」

改めて向き合い、そう尋ねた。
その角度から問われるとは思っていなかったのか、あさひは驚いたネコのように眼を見開く。


939 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:12:49 ULX2GwRg0
「ああ、もちろん同盟相手のこととか色々聞き出してやるぞーってコトじゃなくてね」

自分でも言葉をまとめきれていないのか、否定するようにわたわたと手を振って。

「たぶんそっちの方が、質問をたくさんするより分かると思うから。その、お互いの気持ちとか、願いとか。
私も、ぜんぶ話すから。サーヴァントの事とか、話せないことはあるけど」

要は、問い詰め合いになるぐらいなら、打ち明け合いにしましょうと。
そういうことならと、あさひも頷く。
あさひとしても、『どうして自分を殺した奴なんかと一緒にいるんだ』なんて、問い質すような事はしたくない。
しょうことしても、『今まできっと大変だったでしょう?』なんて、傷口を切開するような直球を投げたくはない。
その上で、二人とも『いったい何があったの』という互いの物語のことを知りたかった。
何を思って、動いていたのか。
何を想いながら、聖杯を目指すのか。

神戸あさひとしては、『飛騨しょうこが望んでくれたこと』が何一つ叶わなかった人生を明かすことに、口の重さはあったけれど。
しょうこのこれまでを知りたいという想いがないはずもなく、頷いた。

飛騨しょうこは、話した。
松坂さとうがどんな友達で、どんな思いを抱いているのかということ。
神戸あさひと最後にあった夜から先の、1208号室を訪れた日のこと。
神戸あさひにメールを送ってから訪れた修羅場と、説得に失敗した時のこと。
未練だらけの人生を繋ぐために、聖杯を望んだこと。
昨日の昼間に、ばったり松坂さとうと再会したこと。
自宅がサーヴァントの襲撃に巻き込まれて、彼女を頼ろうと決めたこと。
その後に炎上騒動によって神戸あさひの存在は知っていたこと。
松坂さとうと共にいること、神戸あさひと共に戦わないことを、自ら選んだこと。
一晩じゅう行動を共にしているうちに、さる筋から神戸しおが来ているとも、知った事。
神戸あさひにとっては気の知れないことも多かったはずだけれど、最後まで言い返されることはなかった。

神戸あさひは、話した。
飛騨しょうこからメールを貰ったあと、1208号室をつきとめたということ。
忍び込んだ1208号室で、『ガソリンをかけられた飛騨しょうこの遺体』を見たこと。
松坂さとうと戦ったが、妹はその女と共にいることを選んで逃げたこと。
逃げ切れずに、松坂さとうは死んで、神戸しおは帰ってきたこと。
飛騨しょうこは、そこで一度だけ問いを挟まずにはいられなかった。

「どうして、さとうが死んだの?」
「逃げきれなくて、マンションから落ちて……一か八かだったのか、無理心中のつもりだったのかは分かりません」

そこから先は、松坂さとうの前で叫んだとおりの有り様で。


940 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:13:26 ULX2GwRg0
罪を犯した母親と、変わってしまった妹との断裂を受け入れ、一人でやり直す選択肢はあったこと。
それでも、どうしても、だめだったこと。それだけは耐えられなかったこと。
『神戸家にはじめから不幸がなかった世界』をやり直すことでしか、幸いを望めなかったこと。
神戸しおが別陣営にいると分かった上で、そうしようとしていること。

松坂さとうのサーヴァントが監視を残して行った以上、それらの話はおそらく彼女にも伝わる。
そのことに躊躇いはあったけれど、打ち明けた。
どのみちガムテが『神戸しおとはやり合っている』と明言している。
ならば、神戸しおに対する殺意を隠すことに意味はなかった。

話し終えれてしまえば、まるでやましいことを打ち明ける懺悔みたいだな、と思った。
相手は神様ではなくただの女の子で、だからこそ彼女はとてもとても、悲しそうにしていたけれど。

「だから、あなたが『大切な人のために頑張ってる』って言ってくれた俺は、もういません。
ここにいるのは、幸せになるために妹を敵に回した悪党だから」
「まだいるよ」

泣きそうな顔のままで、即答された。

「あさひ君はやっぱり人を想ってるよ。
マンションでも、さっきも、私が殺されたことに怒ってくれた。
それに、自分みたいな奴になるもんじゃないって言うところも、震えながら歩いてるのも変わってない」

言ってから、はっとしたように言い直す

「ううん、強くなろうとしてる人に、変わらないって言うのも失礼だった」

なんだか最後に会った夜みたいだねと、続けた。

「私はアンタの気も知らずに、アンタの過去をほじくり返して。酷いこと言って」
「酷くは、なかったですよ。あの時は俺が勝手に泣いただけで、あなたは俺を心配してくれてた」
「酷いよ。私は、あさひ君が見てきた世界が想像つかなかった。
今だってそうだよ。笑えなくなることがあったんだな、と思ってたけど。
…………想像していたより、ずっとずっと辛い結末になってた。誰にとっても」

それを感想として、しょうこの口はしばらく閉ざされた。
新たに知った事実を、一通り噛み締めるように。
あさひもまた、想いを馳せながら何も言えなかった。
しょうこが今に至るまでに、どれほどの勇気を出したのかを考えていた。
そんな良い人にそこまで優しくされながら、やはりあの女は彼女を利用している、という怒りがあり。
それでも、しょうこが今まで生き延びるために、自分よりよほどあの女は仕事をしたのだろうという事が情けなかった。

「……やっぱり、後悔するのはいやだな」

実際の時間にして、どのぐらいを経た後だったのか。
とても静かに、しょうこはそう言った。
大きな瞳からにじんでいた涙は、もう止まっていた。
悲しそうな顔のまま、しかし口元には控えめなほほえみがあった。
生前の最後に出会ったときに、あさひの涙を拭いてくれた顔と、よく似ていた。
それは松坂さとうのところに向かう決意の顔だったと、あの時のあさひは知らなかったけれど。


941 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:14:18 ULX2GwRg0
全ての物語を飲み込んだしょうこは、そういう顔のまま口にした。



「私、やっぱり聖杯がほしい」



此処まで来たら、もう戻れない。
分かっていたと、只頷いて。

隣に座り合ったまま、凍えた手は重ならず。
あさひとは敵同士になるという意味を、自覚して言った。

「そう、なんだ……」

神戸あさひも予想して、覚悟していたその言葉は。
しかし、神戸あさひが予想しなかった言葉として続いた。

「でも、もう自分が生き延びるためだけに、聖杯は使わない」

聖杯の使い道。
飛騨しょうこが生き延びたいと願うのは当然、と受け入れていたあさひは「え?」と驚きの声を漏らす。

「私だって、たくさん間違えたよ。結局、さとうにもあさひ君にも、何もできなかった。
私にもできることがあったらいいのになって、ずっと思ってた」

こんな殊勝なこと言ったって、さとうに腹が立たなかったわけじゃないけどね、と。
流石に『死体隠蔽の為に焼かれるところだった』という話は堪えたし、それは微笑ではなく苦笑としてごまかして。

「さとうのマンションに突撃した時の私は、とにかくしおちゃんは返さなきゃいけないって話をしてた。
誘拐とか後ろ暗いことじゃなくて、さとうは私が光の下に連れ戻さなきゃいけないんだって決めつけてた」

さとうの事を想いながらも、二人を引き離そうとした。
でもだめだったと、しんみりとしたまま呟いてから。

「あさひ君にとっては酷いことだけど、さとうといるしおちゃんは不自由なさそうだった」

『さとうを好いているようだった』と口にすることは、追い打ちをかけるようで躊躇われたけれど。
神戸あさひが幸せになる手段を、間接的に肯定していない言葉でもあったけど。
それでもしょうこは、さとうを選んだ。そこはもう譲れず、変えられないから。

「たとえ人から奪ったものであっても、さとうがしおちゃんを幸せにしたことは本当だと思う」

思い出す。
さとうと再会して、『さとうの愛は愛なのか』で口論になったこと。
しおに会いに行かないと選んだことを、『愛だと思うよ』と励ましたこと。
叔母さんがいなければしおには会えなかったのかと迷うさとうを、迷わなくていいと肯定したこと。

さとうとしおが結ばれることは、既に、しょうこにとって否定されるべきものではなかった。


942 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:15:02 ULX2GwRg0
「さとうの愛は、甘くて痛いよ。しおちゃん以外の人は、いくらでも奪われる。
でも、それが二人の幸せだってこと、愛があったことは、私には否定できない」

光の下で生きることだけが、幸せじゃない。
さとうと一緒だった一晩は、しょうこに常識外の想いを体感させていた。
あさひはただ、意外性と諦めをもってその言葉を聞く。
彼女に選ばれないことは理不尽だと思わず、しかし、しょうこが離れていくという実感によって震える。

でもね、と。
もう涙のない瞳は、あさひを見据えた。



「でも、やっぱり間違ってる」



――さとうの愛は、間違ってる



池袋のカフェ。
まだまだ暑かった八月一日。
再会して喧嘩別れになった時と、結論は同じ。
そもそも、人の愛なんて第三者があれこれ語ることじゃない、と傲慢さを知った上で。

でもそれは、さとうのしたことが誘拐だからという理由では、もうない。
まして、反社会的だからとか、光の当たらない道に進んでいるからという理由でさえもない。
そこにしか咲かない幸せがあるのだと肯定した上で、認めた上で。
それでもなお、違うと思ったのは。
違わないと、愛の為なら殺してもいいんだと、言い切ってしまうには。



「だって私は、さとうに殺されたまま終わらなくて、本当に良かった」



飛騨しょうこの、たった一日の苦くもない時間は、かけがえのないものだったから。


943 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:15:49 ULX2GwRg0
「今日一日で、私は会いたかった二人に会えた。
やっぱりどっちのことも傷つけたけど。間違えてばっかりだけど。
それでも、私の知らなかったさとうをたくさん見て、あさひ君とも話ができた。
あの時に私が殺されたまま終わらなくて、本当に良かったと思ってる」

だから、さとうの愛を守るためにしょうこは命を奪われておくべきだった、と。
さとうの愛がしょうこの物語を終わらせたことが間違ってなかったとは、絶対に言えない。
一番の愛のためなら奪ってもいいと言われて頷くには、生きて果たしたいことが多すぎた。

「それは、全部あなた達が教えてくれたこと。
人生を変えちゃうような出会いが私にもあるって、分かったから決められたこと」

そして、これは。
あなたのおかげで決断できたから、あなたの元から離れますという話――でさえない。
松坂さとうを選んだ。神戸あさひを選ばなかった。
その選択は下されたと自覚はして、その上で。

「でも、さとうが間違ってるなら、さとうの味方をする私だってやっぱり間違ってる」
「それは……聖杯戦争で生き残るためにやってることだから」

生き延びるための生存策として、マスター同士で同盟することまで罪とは言えない。
その同盟相手が、神戸あさひにとって気の知れない相手だという事はまだしも。
マスター同士で同盟しているからと言って、その同盟者と同じ過ちを犯している事はイコールではない。
けれど、しょうこはその建前を否定する。

「自分が生きるために、さとうに生きてほしかったなんて、もう言えない。
だって私は、さとうがマンションから落ちて死んじゃうって聞いて、怒ったから」

神戸あさひの話を聞いて、ああやはり後悔は嫌だと前を向かせたもの。
悲しみだけでない怒りをもたらしたのは、『親友の死』だった。

聖杯戦争なんてものをやっているのだから、最後に雌雄を決することは分かっている。
だけど、しょうこの知らないところで、しょうこの死が引き金になって、さとうが死んでしまうなら話は別だ。

しょうこのいない未来ではさとうが死んでしまうと聞いて。
私が神様ってやつに怒らないとでも思っているのか。

「私は、さとうを死なせないために生きて帰りたい」

それは、生存欲求ではなく、友情のために戦って生きるという誓い。
そして、生存競争ではなく、大切な人と共に生きる為に人から奪うという、松坂さとうと同じ間違いの証明。

「だけど、それで悲しみが増えることも分かってる」

この愛が正しい事だと、さとうと違ってしょうこは割り切れない。
だから、願いを叶えた結果として悲しみが増えることはなるべく望まない。
まして、しょうこが死んでほしくない人は、さとうの他にもう一人いる。
たとえ聖杯戦争という枠の中では敵だとしても、聖杯によって救いたい人は一人ではない。

「それに、私はあさひ君にも不幸になってほしくない。
あさひ君に思いっきり笑ってほしいって約束したのは、ほんとうに本音だから」

聖杯戦争を終えた、その暁には。
聖杯戦争の終末を、さとうと共に迎えるにせよ。
さとうも既にいなくなっていて、他の誰かとの一騎打ちで迎えるにせよ。
その時まで生き延びたとして、飛騨しょうこは誰のために願うのかというのなら。


944 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:16:23 ULX2GwRg0
その時まで生き延びたとして、飛騨しょうこは誰のために願うのかというのなら。






「私は、さとうから眼を逸らさなくて、さとうに殺されなかったところからやり直したいの。
死ななかった私が、さとうとあさひ君の間に立って、みんな幸せになれるハッピーエンドにする」








「やり直し……」

それは、神戸あさひも述べたこと。
だからこそあさひは、己がしょうこにその発想を与えたのだと気付く。
そして、しょうこにとってのハッピーエンドの形を聞かされて、ひたすら驚く。


945 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:17:22 ULX2GwRg0
「これが一番いい、なんて言わないよ。きっと私、アンタに酷いことを言ってるから」

そう、これは、神戸あさひにとっても願ったりかなったりという話ではない。
少なくとも、『神戸あさひの望むやり直し』では生まれなかった被害者は、確実にできる。

しょうこには、『さとうとしおの関係そのものを否定すること』は、もうできない。
もちろん、1208号室の営みが不法行為によって維持されている以上、しょうこに全てを何とかすることはできないが。
少なくとも、『さとうとしおが出会わなかった世界』を望むことだけは、できそうにないのだ。
さとうが叔母を失って己の愛を疑った時も、『二人の間には運命がある』と、はっきり認めたのだから。

その上で、それまでのように生き延びるため聖杯を取るだけでは、生まれない被害者もいる。
例えば、この世界にもいるという神戸しおだ。
さとうの話によれば、以前のしおはマスターとして自発的に歩くことなど、できなかった子だという。
もしも、さとうが『歩くのをやめないでほしい』と思ったその営みが、さとうの不在によって生じたものだとすれば。
しょうこが未来を変えることは、しおの成長をリセットする事も意味する。

「でも、傲慢になった私でも、まだあさひ君を笑顔にできるなら」

この世に、傲慢じゃない愛はないらしい。
なるほど『どっちも幸せになれるハッピーエンドはこうだ』と押し付けるのは、絶対に傲慢だ。

間違っているのは百も承知で。
それでも、間違っているのは分かっているから、埋め合わせはしないといけない。

神戸しおがいないとあさひ君が幸せじゃないなら。
やり直した世界では、私があさひ君にたくさんの幸せを教える。

「――その時は、会いに行くから。」

王子様を待つんじゃなくて、自分の足で会いに行く。
だからしょうこは身を乗り出した。
少年に顔を近づけた。


946 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:17:58 ULX2GwRg0
口ではなく、頬に。
ここにいる彼を選ばなかった以上、そこには一線を引くところだった。
歳のわりには頬骨も出ていなくて柔らかいそこに、唇をあてる。
いつか交わした『またね』のキスではなく、お別れのキス。

「だから、ごめんね」

これは、改めて伝えるつもりになったこと。

「ありがとう」

これは、前から伝えたかったこと。

ごめんね。ありがとう。
その人の為なら生きて死ねるという人に対して。
その人の為に生きて死ぬことを告げるとき、人は泣き笑いになるらしい。


◇◇◇◇◇◇


それは、八月二日の朝。
暦の上では夏なので、夜明けは早い時間にやって来る。
かつて、しょうこがあさひに望んだ、『笑うべき太陽の光の下』はもうすぐそこにある場所で。
神戸あさひは、頬にのこった体温へと指先で触れながら。
どんな言葉を返すべきなのか、思考を彷徨わせていた。


【二日目・早朝/中央区・高級住宅街(裏路地)】


947 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:18:29 ULX2GwRg0
【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り2画
[装備]:なし
[道具]:最低限の荷物
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:私達の物語を幸せな結末に。そのためにも、諦められない。
0:ごめんね、ありがとう
1:さとうと一緒に戦う。あさひ君とは、きっといつか戦う。
2:それはきっと"愛"だよ、さとう。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。

【神戸あさひ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(大)、自己嫌悪(大)、松坂さとうへの殺意と憎しみ、そして飛騨しょうこへの困惑と悲しみ
[令呪]:残り3画
[装備]:デッドプールの拳銃(懐に隠している)、着替えの衣服(帽子やマスクを着用)
[道具]:リュックサック(保存食などの物資を収納)
[所持金]:数千円程度(日雇いによる臨時収入)
[思考・状況]
基本方針:絶対に勝ち残って、しおを取り戻す。そのために、全部“やり直す”。
0:飛騨さん、あなたは――
1:折れないこと、曲がらないこと。それだけは絶対に貫きたい。
2:ガムテと協力する。後戻りはもう出来ない
3:さよなら――しお。
4:星野アイと殺島は、いつか必ず潰す。
5:櫻木さん達のことは、次に会ったら絶対に戦う……?
6:あの悪魔を殺す。殺したい、けど、あの人は――
[備考]
※真乃達から着替え以外にも保存食などの物資を受け取っています。
※廃屋におでん達に向けた書き置きを残しました。内容についてはおまかせします。

【二日目・早朝/中央区・高級住宅街】


948 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:18:51 ULX2GwRg0
【アヴェンジャー(デッドプール)@DEADPOOL(実写版)】
[状態]:気道から肺までが冷気によりほぼ完全に壊死(だいぶ回復)
[装備]:二本の刀、拳銃、ナイフ
[道具]:予選マスターからパクったスマートフォン、あさひのパーカー&金属バット
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:俺ちゃん、ガキの味方になるぜ。
0:お前がそう望むなら、やってやるよ。
1:あさひと共に聖杯戦争に勝ち残る。
2:星野アイ達には必ず落とし前を付けさせるが、今は機を伺う。
3:真乃達や何処かにいるかもしれない神戸しおを始末するときは自分が引き受ける。だが、今は様子見をしておきたい。
4:黄金時代(北条沙都子)には警戒する。あのガキは厄(ヤバ)い
[備考]
※櫻木真乃、ガムテと連絡先を交換しました。
※ネットで流されたあさひに関する炎上は、ライダー(殺島飛露鬼)またはその協力者が関与していると考えています。

【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:健康、クードス蓄積(現在3騎分)
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:札束
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:マスター。君が選んだのはそれなんだね。
1:マスターを支え続ける。彼女が、何を選んだとしても。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
3:松坂さとうがマスターに牙を剥いた時はこの手で殺す。……なるべくやりたくない。
[備考]
※予選期間中にキャスター(童磨)と交戦しています。また予選期間中に童磨を含む2騎との交戦(OP『SWEET HURT』参照)を経験したことでクードスが蓄積されています。
※神戸しおと神戸あさひが、現在交戦関係にあるかもしれないと思っています


949 : 彼女の記憶(カナリアノメモリア) ◆Sm7EAPLvFw :2022/08/11(木) 20:41:40 ULX2GwRg0
すいません投下終了宣言が漏れてました。投下終了です


950 : ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:35:04 l0c2RrKw0
>What a beautiful world
霧子が医療従事者を目指しているという設定をこうも自然に掘り下げて、しかも尊く面白い話に仕上げるのマジ脱帽ですね……。
霧子の優しい視点から見たアビーの姿もさることながら、そこから繰り出される兄上と縁壱の介入という展開があまりにも素敵。
兄上が誰かを助けたという事実の大きさ、それが他でもない彼自身にとってのプラスにもなっているロジック。
まさに全ての展開及びフックに意味があるという構造の巧みさに、もうひたすらすごいなあ(素直)という感想にならざるを得ませんでした。
最後のおでんと兄上の絡みもすごく良いんですよね、一生(?)こうやって振り回されててほしい。心の健康にいいので。

>彼女の記憶(カナリアノメモリア)
しょーこちゃんが自分自身の確たる願いに目覚めたの、これまでの話の流れなども汲んで見るとひたすら笑顔になっちゃうんですよね。
彼女とあさひくんの対話はもしかしたら果たされることがなかったかもしれないもので、
だからこそそれをこうして最高の描写とエモさで見られたのは前話を書いたものとしても無限に頷いちゃいますね、ええ。
しょーこちゃんが生前に無力だったことや、あさひくんとさとちゃん双方との絆を踏まえて得た答え。
今までにもまして面白くなってきたなあとわくわくを隠せないですねこれは、いや〜〜〜てぇてぇなあ〜〜〜!!(オタク)


お二方とも投下ありがとうございました!!


自分も前回の続き分を投下します。


951 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:36:29 l0c2RrKw0
◆◆


 ――ライダーさんの中には、何がいるんですか。

 その質問にどう答えるべきか。
 正確にはどう短く纏めたものか、アシュレイ・ホライゾンは少々悩んだ。
 というのも。彼がその体内に誰より熱く眩く煌めく翼を抱えるまでの経緯は、まさに波瀾万丈。
 全てを余すところなく語ろうと思えば優に何時間かは掛かるだろう、とても長い物語に裏打ちされていたから。
 とはいえにちかが自ら"知りたい"と願ったのだ。
 なあなあで済ませるのは不実だと判断し、一旦退避や状況確認の諸々が片付くまで話をするのは先伸ばしにさせて貰った。
 
 時間にして一時間と少し。
 頭の中である程度話す内容を纏め終えて、今アシュレイは改めて七草にちかと向き合っていた。
 にちかは「ちゃんとまとまりました? お話」としっかり唇を尖らせて本質を突いてくる。
 それに「待たせて悪かったよ」と苦笑しながら、それでもさて何から話したものかと悩んで。
 
 そうしてようやく、アシュレイは口を開いた。

「マスターは……今ある世界を塗り替えたいと思ったことはあるか?」
「……は? え、何ですか。何かの心理テストですか?」
「違う違う。大真面目な話だよ」

 予想だにしない、突拍子もない問いかけに眉根を寄せるにちか。
 普通はこういう反応が出るよなあ、とアシュレイはしみじみとした感慨を抱いた。
 それもその筈だ。七草にちかの存在する世界には恐らく、星辰光のような異能の力が存在しない。
 人は馬より速く走らないし、発動体さえ握れば斬鉄すら容易に可能とするような膂力も持たない。
 銃弾を皮膚の強度だけで弾くだとか、内臓が胴体から吹きこぼれても生命活動を長時間続行出来るだとか。
 そんな不条理が一切存在しない世界で生きてきた彼女には――当然、荒唐無稽な問いに聞こえてしまうだろう。

 無理もない。
 "そういう世界"で生まれ育ったアシュレイですら、かつては同じ感想を抱いたのだから。

「例えば、何か悪いことが起こったらそれに見合うだけの幸運が必ず舞い込む世界だとか。
 やれば出来ると信じる心さえあれば、現実の物理法則さえねじ曲げて誰でもそれを可能に出来る世界だとか。
 そういう夢物語みたいな新世界を願ったり、考えたりしたことはあるか?」
「……いや、あるわけないじゃないですか――そんなこと。
 そりゃ子供の頃だったらどうかは分かんないですけど、普通に物事の分別がつく歳になったらそんな不毛なこと考えないでしょ」
「だよな。それが普通だし、正しいと思うよ」

 単に世界を変えたいと言うだけならば、まだ現実的に手の届く範囲だ。
 血の滲むような努力と人生百年を見越しての立ち回りや根回し、人脈作り。
 人生の酸いも甘いも全て費やして臨めばもしかしたら、小数点以下程度の確率で世界の何かを揺るがせるかもしれない。
 だが。世界に満ちる法則の次元から変革したいというのなら、それは最早追い求めるだけ無駄な絵空事である。


952 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:37:55 l0c2RrKw0

「だけどひょんなきっかけから、その当たり前の折り合いが付けられなくなる人間も居るんだ」

 まともに育ってきた人間ならば、誰もが現実と空想/理想の間で折り合いを付ける。
 その上で今目の前に広がっている現実と向き合い、転んだり立ち上がったりしながら大きくなっていく。
 それが普通だ。しかしその"普通"は、巡り合わせの如何で時に容易く崩れ去る。

「俺の人生を……良くも悪くも変えてくれた奴がそうだった。
 俺は歪んだ後の姿しか知らないけど、そいつは至極大真面目に――自分達が生きる世界を"法則ごと"変えるのだと吠えていたよ」

 それは、ひどく優秀な男だった。
 社会の歪みを認識しながらも、それを一つの現実として受け入れ。
 せめて自分が社会の上に立った暁には、今よりも間違いの少ない公正なシステムを築いていこうと志す程度に留まっていた。
 そんな現実的な妥協はしかし、一つの出会いによって粉々に砕け散る。
 理論値の最上を突き詰めた結果としか思えない、人類が叩き出せる最高値を地で行く稲妻の如き男の前に。
 その男は狂った。その男は壊れた。全ての節度を忘れ、頂点を基準とした完全無欠の極楽浄土を築き上げるべく歓喜の行進を始めてしまった。

「ろくでなしじゃないですか」
「ああ、マジで手の付けようもないろくでなしだったよ。正直二度と敵に回したくはないな」

 ろくでなし、というあまりに単刀直入過ぎる感想に思わずアシュレイは笑ってしまう。
 そしてそれが、かの男……楽園の審判者を称する上では恐らく最も適当だろう感想だから余計にだ。
 ああ確かに、あれほどのろくでなしなど英霊の座を逆さにしてひっくり返してもそうは居るまい。
 奴のお陰で得られた/取り戻せた幸せも少なからず存在するため、アシュレイに彼を憎む気持ちは今はないのだったが……閑話休題。

 ――そんな男が理想へと歩む道すがらに、今のアシュレイ・ホライゾンは造られた。

「当時訳あって抜け殻のように生きていた俺は、その"ろくでなし"の実験体になった。
 地獄だったよ。思い出しただけで発狂しそうになるような、一生を何回か掛け合わせてようやく足りるような苦痛と恐怖を味わった」

 にちかの顔色が険しくなる。
 何とコメントしていいか分からない、そんな顔だ。
 だがそれも当然だろう。此処までの話が出てくるだなんて、普通はまず考えまい。
 けれどアシュレイ・ホライゾンの中に存在する"彼"の話をするには、どうしてもこの凄惨な経緯を避けては通れない。
 かつてアシュレイが味わった地獄の日々の延長線にこそ、彼は誕生を果たしたのだから。

「そんな実験の果てに……素質があって、なおかつ実験の最初期から自我と命を保ち続けた俺が選ばれた」
「それは――あなたの中に居る"誰か"の入れ物として、ってことですか」
「ああ。そもそもそいつは、過去に存在したとある偉大な人の後継者になるべくして生み出された存在なんだ」


953 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:38:29 l0c2RrKw0

 ……かつて。
 無敵を誇ったとある帝国には、英雄と称される傑物が存在した。
 生ける伝説。閃剣。絶滅光。彼を現すは一言"英雄"。
 志半ばで逆襲劇を受け散った彼の後継となるべく、狂気じみたヒカリへの渇望が作り上げた後継者。
 そして。

 辛い時、苦しい時、悲しい時に何処からともなく現れて、助けてくれる無敵のヒーロー。

 そんな、アシュレイ・ホライゾンというちっぽけな砂粒の理想を詰め込んだ。
 誰より眩く輝き、煌めき続ける怒りの救世主。
 輝くことしか知らなかった、太陽の如き男。

「そいつの名前はヘリオス。とびきり頑固で気難しくて厳しくて、頭が硬くて暑苦しくて話の長い――」
 
 ……かつて彼は、世界を救うべくして立ち上がりアシュレイ達と対峙した。
 彼の語り目指す救世に世界は、そして人類は耐えられないから。
 何としてもその進軍は止めねばならなくて。けれど話して止まってくれるような相手でもなくて。
 あらゆる手と手、絆(つよさ)と意思(つよさ)をぶつけ合わせて。
 その果て、アシュレイ・ホライゾンは話の通じないと分かっている彼に手を差し伸べた。
 どちらかを障害物として排除するのでは決して辿り着けない未来を探すために、無理は承知で"まだだ"と優しく言葉をかけたのだ。

「――俺の大切な宝物(つばさ)だよ」

 そうして。
 気の遠くなるような体感時間の果てに、アシュレイは人間として生涯を終え此処に居る。
 怒ることしか、輝くことしか知らない救世主と共に生き抜きこの界聖杯に招かれた。
 つまり彼は、驚くべきことにやり遂げたのだ。
 近付けば人間など皆々焼け切れてしまう偉大な雄々しい太陽に心を尽くし、彼との共存を完遂した。
 灰と光の境界線(アシュレイ・ホライゾン)を、歩み抜いた。
 彼の中に灯る炎はその証であり、そして今や彼にとって欠かすことの出来ない絆の一つ。
 何物にも代えることの出来ない、大切な片翼に他ならなかった。


「……なんだかとんでもない話だなって感想ですけど、そんなこと言うのはもう今更ですよね」

 にちかは、アシュレイが打ち明けてくれた煌翼の真実をゆっくり咀嚼していく。
 アシュレイの中に居る"もうひとり"。
 彼の片翼であり相棒である、とにかくもうとてつもない存在。
 ヘリオス。彼が表面に出ればどうなるのか、その片鱗をにちかは確かに知っていた。
 何をどう考えても詰んでいた状況を雄々しく燃え盛りながら覆してのけた、光り輝く"誰か"。


954 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:41:52 gDUN3G.20

 その面影と、網膜を焼くような煌めきを覚えている。
 いつも優しく落ち着いた雰囲気のアシュレイとはまるで違う、苛烈の二文字を人の形に落とし込んだみたいな壮絶な気配。
 率直に言って、……怖かった。今も思い出すと背筋に冷たいものが走る。
 だけどきっと、彼がこう言うからにはその手の心配は無用なのだろうとも思う。彼が、彼である内は。

「ヘリオスさんでしたっけ。あれ、ライダーさんよりだいぶ強そうに見えたんですけど」
「面目ない。でもそうだな、その通りだよ。
 俺は過去にあいつと戦ったけど、例の宝具を万全な状態で使った状態で尚"勝つ"ことはついぞ出来なかったからな」
「……それ、ひょっとしなくても結構な光明じゃないですか?
 ヘリオスさんにお願いして出てきて貰えば、あのむかつく陰陽師もおっかない海賊達もずんばらりんとやっつけて貰えるんじゃ」
「いや、それは無理だ」

 にちかの発想はもっともだったが、変な希望を与えるわけにはいかない。
 アシュレイは即答で、彼女の口にした"希望"を切って捨てた。
 確かに彼女の言う通り、ヘリオスを任意のタイミングで表面に出せれば誇張抜きに自分達の現状は一変するだろう。
 忌々しいリンボはおろか。件の海賊同盟とすら真っ向から渡り合えるかもしれない。
 それほどの力と果てのなさを、アシュレイの片翼は確かに有している。だが――

「まず第一に、マスターへの負担があまりにもでかすぎる」
「え、でもさっきの戦いじゃ……そんなに消耗しませんでしたよ?」
「あれはあくまでイレギュラーな状況での現界だったから、だな」
「……どういうことですか、さっぱり意味がわかりません。ちゃんと説明してください、私にも分かるように」
「あの時、俺は死んでいたんだよ」

 ……にちかが固まる。
 無理もないな、と思いながらアシュレイは続けた。

「完全に霊核を破壊されていたからな。消滅寸前の死骸を、例外的にあいつが動かして無理やり戦闘を継続させたんだ。
 既に消滅しているも同然の状態だったからこそ、マスターに次元違いの魔力消費が襲いかかるなんてこともなかった」
「じゃあ、もしも……ライダーさんがちゃんと生きてる状態で、ヘリオスさんに出てきて貰ったら?」
「マスターは二秒と保たずに死ぬと思う」
「二秒」

 絶句するにちかだが、アシュレイの言っていることに一切の誇張はない。
 先の"あれ"は、まさに意思の力で現実をねじ伏せた結果の奇跡だったのだ。
 サーヴァントとして完全に再起不能の消滅状態にあったアシュレイの肉体を、一宝具に過ぎないヘリオスが強引に動かし操縦した。
 ヘリオスをこの世に下ろすということがまず不可能に等しいことであるというのは大前提として、もしも七草にちかが何かしらの理由でそれを満たすことが出来、ヘリオスの再度の表出化に成功したならば。

 ……以前は奇跡の二文字でまかり通りなかったことになっていた莫大な魔力消費(コスト)が、七草にちかの全存在を食い潰す。
 にちかでなくとも、まず間違いなくこの界聖杯に存在する全てのマスターにとって無理難題だ。
 この東京で最優の器だろう峰津院財閥の麒麟児ならば――ひょっとすると一分近くは保つかもしれないが。
 それでも、それまで。
 太陽を人間が操り使役するなど、それこそ奇跡にでも頼らない限り不可能なのである。
 更ににちかの提案(プラン)が実現不可能な理由はそれだけではなく、もっと根本的な部分にもあった。


955 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:42:24 IqHlqPP60

「そして、二つ目の理由だが」
「……、……」
「多分あいつはもう二度と、現世(こっち)には出て来られない」

 アシュレイ・ホライゾンは本来、あの場でベルゼバブに貫かれて死んでいた。
 この界聖杯戦争から敗者として弾き出され、消え去る運命にあった。
 ヘリオスが無茶をして表出化した結果、もしもベルゼバブを滅ぼせていたとしても……それで終わりだった。
 アシュレイに先はなく。目の前の勝利一つだけを遺して、彼は消え去るのが道理であった。
 しかしアシュレイはその運命を凌駕し、こうして七草にちかのサーヴァントとして現界し続けている。
 
 ――あの時、アシュレイはヘリオスに力を貸してくれと求めた。
 そしてそれにヘリオスは応えた。元より意思の力で現実をねじ伏せられるような、規格外の自我と創造性を持つ存在である。
 彼はその瞬間、骸の霊基を依代に自らを表出化させる以上の奇跡を起こした。
 それは万能の願望器にも匹敵する奇跡。死者の蘇生、消滅しゆく運命を拒絶するという大偉業……霊基再臨ならぬ霊基再誕。

 輝くことしか知らない光の奴隷が、只人の視座に合わせて加減することを覚えた事実。
 紛れもなく祝福されるべきその事実はしかし、不可逆の代償を伴っていた。

「何も消えたわけじゃないし、事実今も俺はあいつと一心同体だ。
 だけどあいつが"向こう側"から"現世(こっち)"に干渉したり、あまつさえ出てくるようなことは恐らくもう不可能なんだと思う」

 加減を知らない無限大の炎が、愛すべき片翼の懇願に応じて力を貸した。
 只人でも扱える範疇の火力と出力を。成長性に際限が追加された代わりに、無尽蔵の回復能力を。

 しかし、しかし。
 彼方の彼から熱量を取り出す工程を無秩序から"抽出"という名の秩序に刷新したことにより――あの時ベルゼバブに対して見せたようなヘリオスの限定的表出化という奇跡を始めとした、彼が表舞台に立つ可能性は永久に失われた。
 もはやヘリオスは無限ではない。
 アシュレイを生かすという奇跡を引き起こした代償に、太陽は眩く輝き続けるだけの炉心と化した。
 故にもう二度と彼の力は借りられない。彼は彼が出来る範囲で最大限に、アシュレイとそのマスターを助けたのだから。
 奇跡は二度と起こせない。限界は二度と超えられない。それが、掃き溜めに散る運命を覆したことの代償だった。

「……なら、仕方ないですね。もしかしたらと思ったんですけど、やっぱりそんなうまい話はないかあ」
「……、……」
「なんですか。意外だなみたいな顔して」
「ああ、いや……そんなんじゃないんだけどさ。正直もうちょっと食い下がられるかと思ってたっていうか」
「はあ!? ライダーさん、私のこと血も涙もない鬼マスターだと思ってません!?」
「違う違う、そういうわけじゃない! けどその、あれだ。こう、何ていうかこう、くそっ上手く言葉が選べない……!」
「あ〜〜〜もう何喋っても墓穴掘りそうな気配がすごいんで黙っててください!」

 本当に、七草にちかというマスターのことをそんな風に思っていたわけではないのだが。


956 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:43:09 lmEhtZV60
 それでも、ちょっとばかし意外なのは事実だった。
 何も不満を言われるとかそんなのを想定していたわけじゃない。
 ただ、少しは落ち込んだ顔をするとか。絶望的な顔をするとか。
 彼女のそういう姿をアシュレイは想像していたから、少し驚いてしまったのは事実だった。
 そんなアシュレイに、にちかははあと溜息をついて。

「……ヘリオスさんとライダーさんって、いつでもお話出来るんですか?」
「え、ああ――そうだな。いつでも出来るけど」
「じゃあ伝えといてください。俺が冷たいやつ扱いした石ころが言ってたんだけどー、って」

 ぶー、と頬を膨らませて言うにちかを宥めるアシュレイ。
 一方でにちかが彼に言った、もうきっと自分の前に顕れることはないだろう煌翼への伝言は。
 
「"私達と、ライダーさんを。たすけてくれてありがとうございました"」

 何かとひねくれたところのある彼女にしては驚くくらい、素直で混じり気のない感謝の言葉だった。

「……正直、そのヘリオスさんっていう人? がどんな人なのかはまだ全然分かんないし飲み込めてもないです。
 でも……ヘリオスさんが居なかったら私達、多分全滅してたでしょ。
 だからってのもあるし、それに――」

 んん、と何処かむず痒そうにしながら。
 にちかは更に続ける。

「その人が、無茶なことしてくれなかったら。
 ライダーさんも……その。私を置いて、どっかに行っちゃってたんでしょうし」
「……マスター」
「だから……とにかく! 私がそういう風に言ってたって伝えといてください、以上! おはなし、おわり! わかりましたー!?」

 そう言ってぷいとそっぽを向いてしまうにちかに。
 アシュレイはフッと小さく笑った。
 それを見逃さなかったにちかはまた頬を紅潮させて、ぷりぷりと怒り抗議する。

「なんですかその笑いは! 私が素直に"ありがとう"って言うのはそんなに変ですかねー!!」
「違う違う。ただ……俺は、やっぱり良いマスターを持ったなって思ってさ」

 にちかだって、辛くないわけはないのだ。
 目の前でもうひとりの自分が死んだ。
 好き嫌いはさておいて、本音をぶつけ合った"彼女"を亡くしているのだから。
 心の痛みがない筈はない。それでもその痛みをぐっと抱き締めて、捨ても逃げもせずがむしゃらに歩き出そうとしている。

 ……"見てろ"と言ったのは自分なのだからと。
 言ったからには、情けない姿は見せられないぞと。
 にちかなりに自分を奮い立たせているのだろうことは、端から見ていてもよく分かった。

「――責任もって、伝えておくよ。そういえばあいつにはまだ、マスターのことは話してなかったしな」
「……ん。よろしくです」

 しかし、七草にちかは強い人間ではない。
 痛みを堪えてボロも出さずに歩き続けるなんてきっと不可能だと、アシュレイはこれまでの付き合いの中で既に知っている。
 だからその時は、自分が彼女を支えよう。過ぎた真似かもしれないが、時には導くこともしよう。
 いつか彼女が笑顔と希望に満ちた門出を迎え、自分のもとを去るその時まで。
 春の陽気のように暖かい気持ちの中で、アシュレイ・ホライゾンは改めてそう誓うのだった。


957 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:43:42 M21IqoQE0
◆◆


「……田中さんが、そんなことを」
「まだ全然人となりは分かってないけど、なかなかタフな子ね。うんうん、将来有望だ」

 にちかとの対話を終えたアシュレイは、メロウリンクと武蔵と三人もとい三体でサーヴァント同士の作戦会議に臨んでいた。
 そこでメロウリンクから伝えられたのが、先ほど田中摩美々が示した意向。
 協力相手である"敵連合"の真の首魁。悪なる蜘蛛を従え虜にした恐るべき魔王との対話であった。
 これにはさしものアシュレイも驚かされた。彼女は十二分に強い少女だと知っていたつもりだったが、それでもこうも早く離別の哀しみから立ち直って、"彼"の後を引き継ぐべく行動を起こそうとしてくるのは素直に予想外だった。
 一方の武蔵はと言えば、からからと何処か懐かしそうに笑って言う。
 昔の知人を思い出しているような、そんな表情だった。

「個人的には、危険も大きいアイデアだと思う。
 だが――連中との協力なくして今後の戦いに向き合うのは厳しい、というのも事実だ」
「そうだな。彼女達の知人のマスターを辿れれば、ある程度の戦力は増強出来るだろうが……それでもやっぱり苦しいものは苦しい。
 純粋な戦力面でのこともそうだし、何より海賊同盟とかいう巨大勢力を相手取るにあたって"あいつ"の頭脳を借りれなくなったのはでかすぎる痛手だ」

 星奈ひかるは、283プロダクション勢力(仮称)における戦力面の要と言ってもいい存在だった。
 そしてウィリアム・ジェームズ・モリアーティは、一と百の差を覆せる規格外の頭脳を持った傑物だった。
 その両者をいっぺんに亡くしたダメージは、言わずもがな大きい。
 海賊同盟の強大さは未だ未知数。少なくとも現状では、あのリンボを相手取ることさえ厳しい有様。
 そう考えても――やはり敵連合は切れないし、軽んじられない。
 彼らの助力なくして"脱出派"は歩めない。箱舟の計画を押し進めるにしたって、現状では何もかもが不足しすぎている。

「どの道関係を深めないわけにもいかないんだ。
 もちろん田中さんが奴らの悪知恵に嵌められないよう警戒は必要だけど、やりたいようにさせてあげてもいいんじゃないか……と俺は思うな」
「であれば悪いが、ライダー。実際に対話を行う際にはお前も同席してほしい。
 ……俺はその手の話術ありきの心理戦には、とんと心得がなくてな」
「了解。餅は餅屋、ってわけだな」
「そういうことだ」

 摩美々が敵連合のリーダーと対話を交わす、それはひとまず条件付きだが悪くないということになった。
 問題はその先だ。連合と擦り合わせを行いながら、海賊同盟との戦いに向けて準備を重ねていかねばならない。
 となると流石に、その局面では交渉沙汰と折衝沙汰に慣れているアシュレイが矢面に立つことになるだろう。
 もはや毒蜘蛛と対等に切った張ったのやり取りが出来る男は、この世界に居ないのだから。

「……問題は山積みだな」

 脱出計画のプランも、大きく狂った。
 それにいざ実行に移す過程へ首尾よく辿り着けたとして、その時他の邪魔が入らないとは思えない。
 そして目先の問題、海賊同盟への対処。
 彼らが健在である限り、自分達に平穏が訪れる可能性は限りなく低いと見ていいだろう。
 何しろ敵対構造は最早明確なものとなってしまった。
 拠点へ戻ったリンボは尖兵として果たした成果と、持ち帰った情報の報告を嬉々として行っているに違いない。
 
「だが――俺達が負けているわけにもいかないだろう」
「……だな。たかだか十数年しか生きてない女の子達が、あれだけ頑張ってるんだし」
「色々負担も掛けてしまったしね。……まあ私のマスターは今も囚われの身。
 私の不手際のせいで、とんだ負担掛けてしまってるんだけど――それでも私が此処に現界していられてるってことは、つまりそういうことの筈だから」

 本当に強い子達だと。
 サーヴァントは、三者三様にそう思う。
 その上で彼らは決意を強めるのだ。
 負けてはいられないと。彼女達の"強さ"に、その"覚悟"に――向き合い支えてみせると。


958 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:44:56 H.hYJONo0

 新しい朝が、もうじきにやって来る。
 激動の一日が、真の意味でその始まりを迎える。
 これはその直前の一幕。
 今あるものと失ったもの、その二つに対し思いを馳せ次の歩みに向けて考えを深める――そんな静かな時間の、一シーン。


【杉並区(中野区付近・杉並区立蚕糸の森公園)/二日目・早朝】

【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、顔面が涙と鼻水でぐちゃぐちゃ
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:何だか、正直よく分からないですけど――それでも、まあ。……ありがとうございました、って。
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(極大)、疲労(極大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:今度こそ、P、梨花の元へ向かう。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。


959 : ハッピーエンドをはじめから ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:45:26 6rKi3Vgg0

【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(大・ただし致命傷は一切ない)、疲労(大)、アルターエゴ・リンボへの復讐心
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:…にちか。
1:田中摩美々と再契約を果たす。任された。
2:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)への復讐を果たす。
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
4:少しだけ、小隊長のことを思い出した。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。
アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
※田中摩美々と再契約を結びました。

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(大)、ところどころ服が焦げてる
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:おやすみなさい。素敵な緋色のあなた。
1:もう一人の蜘蛛ではなく、そのマスターと話がしたい
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(大)、精神的疲労(大/ちょっとずつ持ち直してる)、深い悲しみ、強い決意、サーヴァント喪失
[令呪]:喪失
[装備]:なし
[道具]:予備の携帯端末
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
0:――ひかるちゃん。私、もうちょっと頑張ってみるね。
1:優しい人達に寄り添いたい。そのために強くありたい。
2:あさひくんとプロデューサーさんとも、いつかは向き合いたい。
3:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
[備考]
※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:ダメージ(中)、霊骸汚染(中)、魔力充実、 令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:梨花を助ける。そのために、まずは…
1:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
4:あの鬼侍殿の宿業、はてさてどうしてくれようか。
5:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。
※鬼ヶ島にいる古手梨花との念話は機能していません。


960 : ◆0pIloi6gg. :2022/08/19(金) 01:45:43 t7JS/Hz.0
投下終了です。


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