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オリロワVR ver2.00

1 ◆H3bky6/SCY:2021/11/18(木) 22:57:47 ID:MB8Q1yUw0
【この企画について】
VR空間でオリジナルキャラクターでバトルロワイアルを行います。
キャラの死亡、流血等人によっては嫌悪を抱かれる内容を含みます。閲覧の際はご注意ください。

【wiki】
ttps://w.atwiki.jp/orirowavr/

【したらば】
ttp://jbbs.shitaraba.net/otaku/16903/

【予約】
締め切りました、以後は企画主である私一人で書きます。

65白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:07:04 ID:XpmjIZ2I0
「――――少し、コツを掴んだかしら」

掲げられた掌の前。
球状に乱回転する風が液体を取り囲むようにして包んでいた。
この短時間で繊細な魔法のコントロールをものにした、恐るべき才覚。

「狙いはこれで終わりかしら? だとしたらガッカリね」

言って、手の平にある風球を包まれた硫酸ごと握り潰す。
わざわざ防いだ攻撃を自ら喰らうような愚挙に善子は驚愕するも、次の瞬間さらなる驚愕が襲いかかる。

開かれた手の平には僅かな火傷の様な痕が残っただけだった。
その痕も、すぐさま小さくなってゆき、あっという間に消え去った。

詰まるところ、仮に浴びせたところで無意味だったという事だ。
わざわざ防いだのは魔法のコントロールを試したかったと言うのと、新しい服が溶けてしまうのがもったいないからと言う程度の理由である。

「だったらもういいわ。暇つぶしにもならなかったわね」

酷くつまらなさそうにため息を零す。
期待外れもいい所だ。
もっとも最初から期待などしていないが、それすらも下回った。

魔法と言う玩具を習得した今、的としてしか価値がなかった目の前の相手はもういらない。
殺意ですらなく、まるで虫の命でも摘むように愛美は善子に向かって手を伸ばした。

「ひっ!」

引きつったような短い悲鳴が響く。
善子の全身に怖気が奔った。
その手に触れれば死ぬと、言いようもなく本能で理解できた。
恐怖に顔を歪めた善子が踵を返して走り出す。

逃げ込むように近くの建造物へと飛び込むと同時に、狙いを僅かに外れた水の魔法が建造物の壁を砕いた。
死に至るほどに威力は十分。走る速度が僅かでも遅ければ顔面に直撃していただろう。
善子は振り返ることなく入り込んだ建造物のトンネルのような薄暗い通路を逃げるように駆け抜ける。

まるで質の悪いホラー映画のようだ。
狭い廊下に反響するのは自分の足音だけ。
だというのに音もなく優雅に歩く愛美の方が懸命に駆ける善子よりも早いだなんて。

散歩の様な気楽さで歩きながら、優美は懸命に走る善子の背に照準を合わせる様に指先を向ける。
感覚は完全に魔法にアジャストした。
次の一撃を外すことはないだろう。

訪れるのは勝利とも呼べない当たり前の結果。
それが手に入ることを微塵も疑うことはない。

だが、この時点で気づくべきだった。
敵前逃亡を始めた善子が逃亡禁止に引っかからない事に。
いやそもそも、愛美は更新されたルールなど目を通していただろうか?

読心のインターバルは過ぎているのだからせめてもう一度確認すべきだった。
それを怠ったのは、あまりにも無様な様子に敵を見限り興味を失ったからである。

超実戦空手『無空流』。
不意打ち、騙し討ち、何でもあり
無様に逃げるふりをして敵を罠に誘い込むなど、常套手段である。
勝利を確信した相手程、嵌めやすいものはない。

狭い通路を駆け抜け、善子の視界が開ける。
これほどの怪物と化していたというのは正直想定外だが、善子では愛美を倒せない事自体は最初から分かっていたことだ。
ならば、殺せる相手の元に連れて行くまでである。
全ては最初からここにたどり着くための戦いだった。

愛美の指先からレーザーのような炎の矢が放たれた。
同時に、善子が舞台の中心で踊るようにターンして、愛美へと向き直る。

「あなたに決闘を申しこむわ!!」

その宣言をした瞬間、善子の心臓を貫くはずだった魔法の矢はシステムによって弾かれた。
僅かに遅れてたどり着いた愛美の視界に飛び込んできたのは、観客席が階段状に並ぶ円形闘技場だった。
つまりここは、地図上の中心に聳えるコロシアム。

闘技場における決闘システム。
決闘種目以外の暴力行為は受け付けられない。
決闘の申し込みが行われた瞬間からこのシステムは有効となった。

「種目は――――――」

ピンと伸ばした指を突き付け。
不敵に笑って宣戦布告を突き付ける。


「――――――アイドル!!」




66白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:07:44 ID:XpmjIZ2I0
「――――――シッ」

教会前の決闘。
静寂を打ち破り先手を取ったのは殺し屋だった。
明らかな間合いの外から腕を前へと振るう。
瞬間。正義の背後にあった教会の石壁が爆ぜた。

それは【気功】による不可視の遠距離攻撃である。
最高位であるSランクに達したそのスキルの威力は直撃すればそれだけで死に至る。
下手な拳銃よりも殺傷力があるだろう。

その不可視の脅威を、正義は僅かに首を傾けただけの最低限の動きで躱していた。
続いて放たれた気も半歩だけ足を引き回避する。
見切ったような的確なその動きはどう見ても偶然ではない。

全て観えている。
正義はこの決闘に備えて【観察眼】のスキルをAランクにまで引き上げていた。
気が透明であったところで、それが通る瞬間の僅かな空気のブレは存在する。
最上級の【観察眼】を持ってすれば、それが観える。
観えているのなら、ただの遠距離攻撃など避けるのは容易い。

「良きネ。コノ程度は対処してもらわないト。
 小手調べで終わっタラどうしようカト思いましたヨ」

そう言って、攻撃の手を止めたシャは相手を値踏みする悪魔のように嗤う。
そしてようやくシャが構えらしい構えを取った。
左足を前へと踏み込み、両手を突き出すように開く。
象形拳における基本の構え三体式である。

あいさつ代わりの小手調べは終わり、とばかりに本格的に攻めに打って出るつもりなのだろう。
だが、その出足が挫かれた。
鼻先を掠めるように刀が弧を描く。

素手に対して武器を持つ側の有利な点は枚挙に暇がない。
一撃の殺傷力に、視覚的な圧力で相手を怯ませる精神的優位もある。
その中でも最も分かりやすいのは、間合いの有利である。

実に単純な話だ。
武器を持っている方が、攻撃できる範囲が広い。
こればかりはいかな達人の領域に至ろうとも覆しようがない事実である。

舞うように剣が飛び交った、その軌道は変幻自在にして千変万化。
見惚れるほど流麗な剣技は流れる水のようだ。
だが、それは全ての斬撃が的確に敵の急所を容赦なく攻め立てる、見惚れた瞬間に首が落ちる死を孕んだ激流である。

実戦とは間合いの潰し合いだ。
極端な話、敵の攻撃の届かぬ位置からこちらの攻撃を当て続けられるならどんな相手であろうと完封できる。
正義はその間合いの優位を生かして、入り込ませないように立ちまわっていた。

そんな瀑布の如き勢いで繰り出される斬撃を、暗殺者は涼しい表情のまま回避していた。
当たれば死ぬ真剣の斬撃も暗殺者にとっては児戯のようなものなのか、その様子はまるで遊具で遊ぶ子供のようだ。
攻撃の合間を縫って反撃とばかりに多様な属性を込めた『気』を放つ。

観察眼によって全てを見切り身を躱す、避けきれぬモノは刀で斬り落とした。
そんな離れた位置からの攻撃など当たる正義ではない。

その攻撃はシャとしても当てるつもりの攻撃ではない。
あくまで攻め込ませぬために隙を潰す牽制である。

示し合わせたように互いの動きに合わせて攻撃と回避を繰り返す。
未だに互いに傷一つ負わず、血の一滴も流れていない。
奇妙な利害の一致の様に、互いに相手を踏み込ませぬことに徹していた。

それは傍から見れば華麗な演舞のようでもあった。
だがその実、放たれているのは互いに一撃で死を齎すだけの威力を秘めた攻撃である。

一度しくじれば命を落としかねない攻防を続けながら互いに機を見計らっていた。
どのタイミングでリスクを冒して踏み込むか。
どちらかがそのリスクを侵した時点で勝負は動く。

どちらにそれを動かす主導権があるかと言うのなら、間合いを制する正義にあるだろう。
だが、その推測は容易く裏切られた。

「些か退屈ネ」

タンと、一歩。
状況に飽きた漆黒の殺し屋がその天秤を強引に動かした。
剣が舞う死の領域へ自ら踏み込んで行く。

67白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:08:09 ID:XpmjIZ2I0
だが、それは無謀と言う物だ。
領域を侵す侵入者に対して剣の嵐は容赦をしない。
剣士はその動きに合わせて刃を振るった。

シャの踏み込みは鋭いが、それでも先に攻撃が届くのは間合いの長い正義の刀だ。
前がかりに踏み込むシャに、その刃を避ける術はないだろう。

だが瞬間。弾けるような火花が散った。

振り抜かれた刃を拳が弾いたのだ。
刹那の見切りを見せたストリートファイターの様な絶技ではない。
これは単純に、力任せにただ弾いただけである。

それを可能としたのは、皮肉にも正義に切り落とされた右腕による恩恵だ。
シャに与えられた義手は彼のために誂えられた特別性。生半可な刃など通りはしない。

正義の返る手応えはまるで鋼鉄でも叩いたかのようだ。
渾身を籠めた斬撃が直撃していながら義手には傷一つない。
その義手の素材は鉄か、鋼か、はたまた別の合金か。
分かるのは今の正義では断ち切れないと言う事だけだ。

刃が弾かれ、止むことのなかった剣撃の豪雨が止んだ。
その一瞬。僅かに開いた空間にぬるりと黒い影が忍び込む。

間合いは、剣から拳へ。
砲弾が如き左の崩拳が放たれる。

その鋭さに驚愕しつつも、正義は何とか身を躱した。
だが、シャは止まらずさらに懐に踏み込むと拳を振り上げ劈拳を振り下ろす。
鎖骨を粉砕せんとする戦斧の一撃を正義は刀の柄で受け止めた。

「くっ」

凄まじい筋力。
攻撃は何とか受け止めたが、押し込まれるように片膝が沈む。
それを立て直すよりも早く容赦のない追撃の蹴りが放たれた。

咄嵯に正義は崩れた体制を立て直すことを諦め、むしろ自ら倒れ込むようにして身を捻った。
だが避けきれず、蹴りが脇腹を掠める。
それだけで凄まじい衝撃が突き抜け、正義の体は弾かれたように回転しそのまま地面を転がって行った。

脱輪したタイヤのように回転しながら数度地面を跳ねる。
それを静止すべく、正義は日本刀を地面に杭のように打ち付けブレーキをかけた。

なんとか停止する事に成功した正義は、息を突く間もなくすぐさま刀を振るった。
金属がぶつかりあったような甲高い音が響く。
既に目の前に迫っていた鉄の拳を弾いたのである。
立ち上がりの追撃を予測して刀を振るっていなければ頭蓋を砕かれていただろう。

「ハッハァ―――――――!」

狂気的な笑み。
片腕を弾かれた事に構わず暗殺者がさらに踏み込む。
懐に潜り込めば有利は剣士よりも拳士にある。

武器に対して素手の有利な点は手数の差だ。
武器は重く、ふり幅も長いため切り返すにも時間がかかる。
長物が2度切り返すまでに素手ならば3発は叩き込めるだろう。
次の一手が早いのは確実に武器より素手だ。

疾風もかくやと放たれる暗殺者の拳。
振り上げたまま手が放され、日本刀が空中で円を描くように廻る。

自らの腹部の中心を貫かんとする拳を正義は内受けで捌いていた。
次の一手が早いのは武器より素手だ。
故に、正義も素手で対応した。

一撃を捌いた正義はそのまま流れる様に肩関節を取り脇固めの体勢に移る。
だが、その拘束は凄まじい力で振りほどかれた。
完璧に決まった脇固めを筋力だけで振りほどくなど、幾らなんでもありえない。
その筋力は異常と言えた。

戒めを解かれた腕が伸び、そのまま正義の胸倉を強引に掴むと投手のような体制で振りかぶる。
そして、正義の体が容易く宙に放り出された。

68白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:09:09 ID:XpmjIZ2I0
「オッと」

頭から地面に叩きつけるつもりだったが、少し力が強すぎた。
掴んでいた服が破れて放り投げてしまったようである。

宙に放り出された正義はそのまま自ら回転して空中で体制を立て直す。
そして両足で地面に着地すると、狙ったように落ちてきた刀をキャッチした。
放り投げた刀が落ちてくるまでの一瞬の攻防だったが、正義が生き延びたのはただの幸運である。
服が破れていなければ死んでいただろう。

全てにおいてシャは正義を上回っている。
正義も決戦に備え残りのアンプルを全て使用してステータスを大幅に引き上げているが、それでも足りない。
このまままともにやりあえば、正義の敗北は必至だろう。

「つまらないデスネ。炎ノ塔の時と大差ナイようでハ」

シャは着地した正義を追撃もせず、退屈さを隠さず欠伸を噛み殺したような表情でため息を零した。
多少の強化されているのは認めるが、期待外れだ。

果たし状などという物を寄越した上に、わざわざ場所まで指定したのだ
罠でも仕掛けているのかと思い警戒していたがそういう訳でもなさそうだ。
これでは砂漠の龍や炎の格闘家や海のサメの方がまだ楽しめた。

「マサカ、コノママ無策と言う事もナイのでショウ?」
「……さて、どうかな」

正義は引かなかった。
刀を正眼に構え直し、呼吸を整える。
なにせ、引く理由がない。

「少なくとも、ここまでは予定通りだよ」
「ハッ! 減ラず口ヲ――――!」

正義の言葉を笑い飛ばすとシャは大胆な踏み込みで間合いを詰めた。
正義ではシャの義手を断つことはできない。
その事実が意味することは、全ての攻撃をシャは防ぐことができるという事だ。
今更踏み込みを躊躇う理由がない。

だが、間合いを詰めたのはシャだけではなかった。
正義も受けるのではなく、自ら攻めに転じていた。

同時に狭まる間合い。
機先を制し、義手のない左を狙った横薙ぎの一閃を放つ。

シャは咄嗟にしゃがみ斬撃を躱す。
逃げ遅れた数本の髪の毛が宙に舞った。

風切音が頭上を通り過ぎたと同時にシャが素早く反撃に転じる。
だが、立ち上がろうとするシャが気づいた次の瞬間、既に目の前に迫る刃があった。

速い。
いつの間に刃を切り返したのか?
そんな疑問を抱くより早く、シャの体が反応する。

振り下ろされる刃を右腕の義手で弾くのではなくそのまま下へと受け流す。
そして、武器を押さえつけるように封じて敵の動きを制した。

攻撃が一本の刃に依存する剣士に対して、五体は手足や頭部に始まり肘、膝、肩、果ては指先に至るまで自由である。
肘、膝、そして頭突き。
ただの頭突きではない、鉄頭功によって鍛え上げられた頭突きは十分に必殺の威力を持っている。
刃を押さえつけたまま、カウンター気味に鋼すら砕く威力を持った三連打を見舞う。

迫る三つの死。
その全てを正義は冷静な眼で見極める。
そして膝蹴りに合わせて、踏み台にするように足裏で踏みつけた。
そのまま敵の力を利用し後方へと大きく宙返りをする。

距離を取って猛攻をやり過ごすと地面に着地した。
シャは僅かに切りそろえられた前髪を弄りながら、口元を釣り上げる。

「呀、ドウいう仕掛けカ」
「さて、何のことだか」

軽口を叩きながらも油断なく相手の様子を窺い合う。
先の攻防において正義は僅かに一瞬だが、シャの余裕を奪うほどの切れ味を見せた。
まぐれという事もないだろう、正義の態度からして何か仕掛けがあるはずだ。

69白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:09:25 ID:XpmjIZ2I0
「――――試そうカ」

その仕掛けが何なのか。
それを知るためにシャは再度仕掛けた。

正面からの突撃。
実験体は我が身である。

風を切る鋭い音とともに放たれた鋭い蹴りが正義へと迫る。
その動きは俊敏にして的確、常人であれば反応すらできずに死に至るだろう。

だが、その足刀を受け流す刀が在った。
手首を捻って刀身を滑る足を弾くと、返す刃で逆袈裟に切り返す。
シャは慌てることなく刃を右腕で受けながら、同時に逆腕で相手の後の先を取る炮拳を打つ。
五行拳における火行とも呼ばれるその一撃は文字通り炎を纏っていた。

炮拳に胴を打たれ正義が体をくの字に折り曲げた。
だが直撃ではない。上手く打点を外している。
とはいえ、なんとか倒れずに済んだものの、大きな隙を晒してしまった。
こうなっては次の一撃を避けられまい。

そこに容赦なく抉るような横拳が放たれる。
だが、その一撃は空を切った。
正義の前蹴りによってシャの体が後方に押し出されたからである。

シャは僅かにたたらを踏むが、すぐに踏み止まり立ち止まった。
すぐには攻めることはせずそこで動きを止め、平然と足跡のついた服を払う。

特にダメージを負ったという訳ではないが、攻めきれなかったのも事実である。
未だ脅威と呼ぶまでには至らないが、想定よりも対応が早い。
このゲームに合わせた言葉を選ぶなら、ステータスが上がっているのだろう。

だがどうして?
ここまで使わなかったモノを急に使う理由が不明確だ。
使うのならば最初から使うか、もしくは最後の一瞬まで隠しておくべきだろう。
小出しにする理由がわからない。

尻上がりに能力の上がる類のスキルか。
それとも別の発動条件のある何かなのか。
シャは正義の力の考察を始める。

「ッ!」

だが、その思考が強制的に断ち切られる、正義が仕掛けてきたからだ。
余計な思考を許さぬ喉と両目を狙った三段突き。
シャは上体を逸らしたダッキングのような動きでその全てを避けた。

だがそれで終わりではない。
正義はそのまま流れるように下から掬い上げる軌道で刀を振り抜く。
シャはそれすらも紙一重で回避すると、自ら前へ踏み込み水月に向けて拳を打ち込んだ。
しかし正義もこれを読んでいたかのようにその一撃を躱すと、そのまま後退しつつ体勢を整える。

シャはそれを見つめながら静かに構え直した。
ゆっくりと考えている暇はなさそうだ。
相手の手の内への考察を捨て、目の前の相手に集中する。

「少しは楽しめそうネ」



70白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:10:18 ID:XpmjIZ2I0
「種目はアイドル――――――!!」

闘技場にて高らかに決闘が宣言された。
次の瞬間、愛美の目の前に挑戦状のようにポップアップが表示された。

『美空ひかりより決闘が申し込まれました。決闘を受けますか?』

 [はい] [いいえ]

してやられた。
ここにきてようやく愛美も気付く。
この女の行動は全てこの状況を作るための布石だったのだと。

わざわざ声をかけたのは、言うまでもなくこの場所に愛美を誘導したかったからだ。
あの罠は何処かに誘導しようと言う思惑を誤魔化すためのもの。
仮に硫酸を浴びてダメージとなったならそれはそれでよし。
効かなくともスタジアムの入り口まで真っ直ぐ導線を敷く位置に陣取れる。

絶対に殺せない愛美をゲームルールで殺そうというのだろう。
まったく全てが憎らしいくらいに計算尽くだ。

だが、それがどうしたと言うのか。
この決闘を受けるかどうかの選択権は愛美にある。
愛美にこんな挑戦を受ける道理などない。

速やかに[いいえ]を選択し、闘技場の中心で逃げ場のなくなった相手をそのまま殺してしまえばいい。
迷うことなく愛美の指先は[いいえ]の上に滑って行き。

「――――挑まれた勝負から逃げてはならない」

ピタリとその指が止まる。
その様子を確認しながら善子が続ける。

「ねぇシェリン。これに違反した場合どうなるのかしら?」
『逃亡禁止ルールに違反した場合、ペナルティが発生します』

示し合わせたようにシェリンが回答する。
無論、シェリンは中立である。
事前に確認した通りの機械的な応答をしたにすぎない。

そのワザとらしいやり取りを無言のまま聞いていた愛美の[いいえ]に合わされていた指が別の場所に逸れる。
空間をスワイプさせ、スクロールしていく文面をなぞるように目線を送る。
恐らく今になってようやく改定されたルールを確認しているのだろう。

追加された逃亡禁止ルールだが、ペナルティを受け入れ断られてしまえばそれまでだ。
善子はなすすべなく殺されて終わるだけだろう。
愛美が決闘を受けるかどうか。
善子にとって一番の賭けはここからである。

ルール確認が終わったのか。
メニューを閉じた愛美がふぅと息を吐くとシェリンへと問いかける。

「ペナルティと言うのは具体的にどうなるのかしら?」
『警告としてランダムにスキルが失われます、三度目の違反をした時点でアカウントが消去されます』

つまりこの挑戦を断ったところでペナルティはスキルの消滅で済まされると言う事だ。
10を超えるスキルを持つ愛美からすれば大した痛手ではない。
一つや二つ減ったところで愛美の完全性は損なわれないだろう。

しかし、その一つが完全魔術である場合、話は変わってくる。
完全魔術が失われてしまった時に取り込んだ魂がどうなるのか。
答えは不明である。

世界全てを己がものとする彼女の運命力ならば、都合の悪い事など起こるはずもない。
完全魔術がピンポイントで消滅するなどあり得ない話なのだが。

「……………………」

彼女にしては珍しく、逡巡するように視線を空に泳がせた。
普段の彼女であれば迷いなく[いいえ]を選択できただろう。
だが、今回ばかりは天秤に乗せられた対価が重すぎる。

己が魂の片割れを代償としてようやく獲得した完全なる魂。
それを失うリスクが万が一どころか億が一でもある以上、無視はできない。
長い沈黙の後、大きく息を吐く。

愛美は己が天運を信じることはあっても運命を他者に任せる事などしない。
全て自らの手で勝ち取るまでだ。

「――――いいわ、受けましょう」

そう言って愛美は[はい]を選択した。
この瞬間、決闘は成立した。

71白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:10:55 ID:XpmjIZ2I0
『双方の同意を確認しました。決闘の成立をお知らせします』

【挑戦者】:美空ひかり
【対戦者】:陣野愛美
【決闘種目】:アイドル

「けどアイドル……アイドルねぇ…………?」

愛美が頬に指をやりながら悩ましそうにつぶやく。
起死回生の策として選んだからには余程自信のある種目なのだろう。
それはつまり。

「わざわざこんな種目を選んだってことは、あなたアイドルなのかしら?」

そんな今更すぎる疑問を投げかけた。
愛美には異世界召喚による1年の空白がある。
この1年で台頭したアイドルに関しては把握していない。
そのため、世間をにぎわしたアイドルランキング1位。アイドル界の頂点を知らない。

それは致命的な情報の欠如だが、愛美の人を見る目は確かだ。
他者に興味を持たず見もしないことは多々あれども、芸術の類に関しての審美眼は半端な鑑定士よりも上だろう。

そんな愛美の眼から見て、目の前の相手には魅力も脅威も感じなかった。
少なくとも、アイドルとして大したものには見えない。
愛美が決闘を受けた理由の一つである。

なによりどんな種目であろうとも負ける気がしなかった。
生まれ落ちた頃から抱えていた欠落を満たし、全身に溢れる全能感。
それほどに今の愛美は完成されていた。

「ええ。その通りよ」

アイドルフィクサーを持つ津辺縁児を攻撃した事により彼女は「アイドル」を失った。
それを理解しながら彼女は失ったアイドルで戦いを挑んだのだ。
これは善子にとってアイドルを懸けた戦いである。
その決意を示すように疑問をはっきりと肯定の言葉を返した。

「けどアイドルで戦うってなんなのぉ? まさか歌って踊って戦うって訳じゃないでしょう?」

決闘は受けたが、いざアイドルで競うと言われてもいまいちピンと来ていない。
その疑問に対して、提案者である善子は答えを用意していた。

「決闘方式は、アイドルバトル形式を提案するわ」
「何それぇ?」

愛美が首をかしげる。
いきなりアイドルバトルと言われても訳が分からなかった。

アイドルブーム自体は愛美たちが異世界に召喚される前からあったが、別段興味があったわけではない。
他者を応援するなどと言う価値観が愛美にあるはずもない。
流石に秋葉レイくらいは知っているが界隈に詳しいわけではなかった。

『外部ネットワークに接続します、検索完了しました。『アイドルバトル』の対戦ルールを展開します』

答えの先を紡いだのは善子ではなくシェリンだった。
ウィンドウが二人の目の前に表示される。

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【アイドルバトル・ルール説明】

●基本ルール
・アイドルランキングトップ10に入ったアイドルのみが挑戦権を持つ。
・挑戦は各アイドルに1度きりとする。
・挑戦者は自分よりも上位のアイドルを対戦相手に指名できる。
・挑戦があったことはメディアに告知され、挑まれたアイドルは記者会見で諾否を表明する事。
・挑戦者が勝利した場合、挑戦者は対戦相手のランキングまでランクを上昇でき、敗北したアイドルは1ランク降格する。
・挑戦者が敗北した場合、そのアイドルはランキングから除外され、一ヵ月の活動停止とする。
・活動再開後のランキングはこれまでの累計アイドルポイントを参照して決定される。

●ライブについて
・アイドルバトルは特設アリーナにて行われる。
・ライブのスタッフはアイドルバトル運営が中立のスタッフを用意するため、必要な演出や小道具は事前に申請する事。
・対戦状況はネット配信で全世界にLive中継が行われる。
・対戦方法は下記の2つから双方協議の上で決定する事。
2.パフォーマンスを同時に行う『ユニゾンデュオ』

●パフォーマンスを行う楽曲について
・『シャッフルメドレー』では各々が指定した自由楽曲によるパフォーマンスを行う。
・『ユニゾンデュオ』では運営寄り指定された共通の課題楽曲によるパフォーマンスを行う。

●勝敗の決定
・審査方式は下記の3つから双方協議の上で決定する事。
1.各界の一流を審査員に取りそろえた審査員による『審査員方式』
2.ライブ会場に集まった観客によって判断する『ファン投票方式』
3.ネット投票によるリアルタイムの『全国民投票方式』

●禁止事項
・アイドルに対する暴力行為、脅迫、恐喝等の行為は即刻失格となる。
・挑戦者による八百長試合は発覚次第、即時失格となり、以降の芸能活動を禁止する。
・不正行為を発見した場合は直ちにスタッフへ通報し、対処を求めるものとする。
・イベント期間中のいかなる理由においてもアイドル同士の私闘を禁じる。
・当イベントを利用した賭博行為は禁止とする。

----------------------------------------------------------------

72白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:11:28 ID:XpmjIZ2I0
愛美は視線を動かし提示されたルールを読み込む。
この状況に見合わない部分は無視するとして、愛美が注目した点は。

「楽曲と言われてもねぇ、私にはそんなモノないんだけど」

アイドルとして持ち歌のある善子は問題ないのだろうが、一般人である愛美には持ち歌などという物があるはずがない。
彼女を称える吟遊詩人の唱ならばアミドラドの巷に溢れているのだが、愛美本人がそれを歌う訳にもいかないだろう。

『その場合、既存の楽曲からの選択になります。
 全世界1億以上の楽曲がライブラリに登録されていますのでお好きな楽曲をご指定、又は選択してください』
「へぇ」

感心したような声を上げ、目の前に広げられた曲の一覧を眺める。
これから自らの命を懸ける事となる楽曲の選択をせねばならない。
だと言うのに、愛美は部屋で流すBGMでも選ぶような気軽さで世界中の音楽タイトルを眺めていた。

「それで、この勝負って誰がどうやって勝敗を判断するのぉ?
 審査員や観客なんていないじゃない。まさかあなたが判断するわけぇ?」

そう言って、アルゴリズムで動く電子妖精を見つめる。
これほど高度な思考能力を有しているAIであれば判定もできるだろうが、アイドルライブと言った感性に左右されるものの判定まで出来るのかと言うのは疑問が残る。

『ご希望でしたらシェリンが判断することも可能ですが、必要ならば審査員はこちらで用意します』
「用意?」

シェリンの発したその言葉の意味するところが分からず、愛美のみならず二人して首を傾げた。

『観客が必要でしたら拡散した魂を元に観客を再現することも可能です。
 会場を埋めるには人数が足りないため、同一個体の複製を用意することになりますが。
 人間的感覚によって判断することを保証します』
「つまり、死人が判断するってことぉ?」
『厳密には異なりますが。そう捉えていただいても構いません』

その説明を聞き不愉快そうに善子は眉を顰めた。
対称的に愛美は気にした風もなく表情一つ変えることなく問い返す。

「それってぇ。死人の中に知り合いが居たらそっちを贔屓したりしないのぉ?」
『個人の関係性などは考慮されません、審査は公平に行われます。
 あくまで人間的感性を引き出すための道具とお考え下さい』

つまりは死者による疑似的な観客を創り出して審査をさせる事ができるという事だろう。

「だとしてもネット投票は不可能じゃない?」
『必要ならばライブを全会場に中継し、参加者全体で投票を行うことも可能です』

その提案に懸念を示したのは善子だった。

「生存者に審査させるって……いきなりライブが流れたら邪魔になるんじゃない?」
『可能性は否定しません。考慮した上で選択頂ければよいかと』

真剣勝負の殺し合いの最中にアイドルライブが流れ始めたとして。
それに気を取られて死んでしまったなんてことになったら目も当てられない。

「生存者っていうのはどの程度いるのかしら?」
『具体的な数は回答出来ませんが、ごく少数とだけ回答いたします』

ふぅんと愛美は冷めた様子でつぶやく。

『それでは、アイドルバトルのルールに従い対戦方式と審査方式を協議の上で決定してください』

進行役のシェリンがそう指示する。
元ルールと同じく選択肢は三つ。

1.シェリンが機械的判断により審査する『AI審査方式』
2.死者の魂を再現して人間的感性で審査させる『死者審査方式』
3.ライブを会場中に流して生存者が判断する『生存者審査方式』

「協議の上で決めろって話だから一応聞いておくけど、あなたはどれがいいのぉ?」

愛美が善子に問いを投げた。
形式として意見を聞いておいてあげようという姿勢である。

「私は…………」

脳裏に浮かぶのは、彼女の運命の夜。
善子の知る最高のアイドルの姿。
伝説のアイドルに挑んだアイドルバトルの夜だ。

「…………私は観客審査方式を選びたいわ」

善子はあの日と同じ選択をした。
元よりそれに関しては同意見だったのか。
愛美も異議を唱えることなく同意する。

「そうねぇ。どうせなら観客は多い方がいいかしら。賑やかしとしてなら死者でもいいでしょう」

善子が忌諱して避けた死者という表現を躊躇いもなく使う。
両社の合意により審査方式は『死者審査方式』が選択された。

73白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:12:37 ID:XpmjIZ2I0
『審査方式が決定しました。それではパフォーマンスの先攻後攻を決定して下さい。
 ご希望でしたらこちらでランダムに決定する事もできますので、必要であればお申しつけ下さい』

先行でインパクトを残し後攻の相手の印象を薄めるか。
後攻でより強いインパクトで相手の印象を塗り替えるか。
パフォーマンス順は戦略として非常に重要だろう。

「まずはお互いの希望を聞きましょうか」

善子がそう提案する。
互いの要望が被っていなければ問題ないのだから、まずはそれを確認すべきだ。

「そうねぇ。私はどっちでもいいわよ」

愛美は判断を投げた。
それは投げやりなようでそうではない。
そこに在るのは己は完全であるという絶対の自信。

先に歌うか後に踊るかなど、そんなものでは何も変わらない。
そんなもので揺らぐのは不完全だからだ。
完全であれば、それだけで勝利は自ずと転がり込んでくる。
それが愛美の哲学だ。

「…………なら、遠慮なく私は後攻を頂くわ」

善子の敷いたルールに従いながらも一分も乱れのない自我。
その揺ぎ無さに僅かに気圧されながら、善子は後攻を選択する。

『基本ルールが確定しました、更新したルールを表示します』

その後、アイドルバトルのルールをベースに話し合いによって不要なルールを省いて行った。
もっともその手の実現可能かどうかシェリンに確認する作業や細かい調整は殆ど善子が行ったが。
確定し更新されたルールが再表示される。

----------------------------------------------------------------

【アイドルバトル in 『New World』・ルール説明(改訂版)】

・アイドルバトルはコロシアム特設アリーナにて行われる。
・各々が指定した自由楽曲によるパフォーマンスを交互に行う。
・審査は死亡した勇者の魂を再現した観客によって行われる。
・支給品の使用は可とするが対戦相手への攻撃や干渉は不可とする。
・マイクやライトなど会場設備は用意される、衣装やメイクなどは本人に関わるものは自前で用意する事。
・必要な演出や事前に申請する事、自前の支給品は小道具として使用可能とする。
・決闘期間中は対戦相手に対する暴力、脅迫、恐喝等の行為は禁止とする。
・不正行為が発覚した場合は直ちに失格とする。
・敗北、もしくは失格となった勇者は決闘の基本ルールに従い死亡する。

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『種目に合わせてテクスチャを変更します』

燃え広がるように景色が変わる。
無骨なコロシアムが華やかなスタジアムに変貌してゆく。
余りにも現実離れした光景に作り物の世界だと改めて実感させられる。

『これより拡散した魂を収集、解析、再現、複製を解析します。
 処理に少々お時間頂きますので、その間お二人にはそれぞれ控室で待機していただきます。
 その間に楽曲の選択、演出内容を決定してください。
 特殊演出なども不公平にならない範囲であれば可能な限り対応いたしますので、希望があれば事前にご申請ください』

その案内に従い、東と西の出入口に別れ、その先にある控室へとそれぞれ向かって行った。
コロシアムの中央に残った電子妖精が宣言する。

『それではアイドルバトル in 『New World』を開始します!』



74白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:13:41 ID:XpmjIZ2I0
同時刻、海を臨む教会にて。
もう一つの決闘は続いていた。

何もない空間に次々と火花が散る。
鋼と鋼がぶつかり合うテンポの速い音だけが楽器みたいに鳴り響いていた。

武器と素手による激戦は苛烈を極めていた。
剣と拳、異なる武器による攻撃の応酬は、もはや眼で追う事すら困難な速度で繰り広げられていた。
その身に確実に刻まれてゆく細かな傷だけが、確かに攻防があった証である。

繰り返すのは一手誤れば死という極限の領域。
その中で防御から徐々に攻撃へと比重を傾けて行く。
その度に互いに体に刻まれてゆく傷も大きくなって行った。

刻まれた傷は正義の方が目に見えて多い。
奇跡的に致命傷こそないものの、かすり傷程度のシャとは比べるべくもなかった。
実力差を考えればその健闘を称えるべきなのだろうが、生憎と実戦においてそのような慰めに意味など無い。
勝つか負けるか、生きるか死ぬか、それだけである。

正義は速さで上回る相手に対して、動きの緩急で喰らいついていた。
流水のような動きを捉えるのは如何に速さで上回る相手であろうとも容易ではないだろう。

されど、それを捕えてこその一流の殺し屋である。
シャは正義に動きを合わせるように、足取りを流水のように流した。
同じ波なら必然、質のいい方が勝つ。

正義の動きを捉えたシャが前に出へと踏み出す。
だが、シャが足を止められる。
その動きを制する様に横合いから斬撃が放たれたからだ。

同じ波なら質のいい方が勝つ。
足運びに関しては正義の方が上だった。

――――戦いづらい。
シャの正義に対する感想である。

強さで言えばシャの方が上だ。
正体不明の強化を加味しても脅威を感じるほどではない。
だが、正々堂々と言ったお上品な顔をしているが、意外と戦い方はイヤらしい。

先ほどの斬撃もそうだが、正義はあえて右側に攻撃を集中させている。
最大の脅威である右腕を防御に徹しさせるための狙いだろう。
これにより致命傷を避けている。

あの格闘家の様な世捨て人ならまだしも、平和な日本の若者がこれほどの立ち回りの出来る経験をどこで得たのか。
その背景をシャは朧気ながらに理解し始めていた。

拳を合わせれば相手の人生が理解できる。
殴り合いは言葉以上のコミュニケーションだ。
そこにはその人間がそれまで積み重ねてきた全てがある。

大和の家に生まれた者は幼少の頃よりあらゆる武術を叩きこまれる。
武芸百般に留まらず、世界中のあらゆる武器や武術、流派に至るまで一通りだ。

無論、武術はそう簡単に修められるものではない。
触り程度の基礎を学んでは、渡り鳥の様に次の道場へ向かう。
それを元服である15まで繰り返すのだ。

一見、不効率とも言える行為だが。
その目的は大まかに分けて三つある。

一つは武の広さを知るため。
実戦において無知ほど恐ろしいものはない。
武の多様性を知る事で実戦における想定外を無くす。
そして徹底的に武に身を浸し精神を『大和』に作り替える儀式である。

一つは己の適性を見極めるため。
必然、得意のみならず不得意も知れる。
学んだ武術の中から適性のある武術を選んで学んでゆく。
特定の流派に拘らず護国を旨とする家系だからこそ出来る手法である。

一つは敵の心理を知るため。
長物を扱う者。飛び道具を扱う者。暗器を扱う者。
その武器で何がしたくて、何をされれば嫌か。
実際に武器を取ってみないと分からない心理を理解するためである。

素手の心理はこれ以上ないほど理解している。
そこに数多の武術を学んできた経験を組み合わせれば、的確に相手の嫌がる事が出来る。
これが正義の強さの背景だ。

手合わせの中で正義の強みが何であるかシャは理解したが。
それはあくまで、これまでの人生で正義が磨き上げてきたモノだ。
そこに乗る、この世界における新たな法則までは読み取れない。
それを見極められるかどうか、そこが勝敗を分ける要素となるだろう。

75白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:14:09 ID:XpmjIZ2I0
拳を合わせれば相手が理解で出来る。
その価値観は正義にも共通したものだ。
だが、ここまで命を削り合いながら、正義にはシャと言う男の背景がまるで分らなかった。
正確には、分からないと言う事が分かった。

シャは特定の型を持たない。
時に武とは思えぬ獰猛な暴すらをも見せている。
形意拳をベースとしているようだが、それすらも定かではなかった。

背景も正体も不明。
ただ確かなのはその強さと、その強さが実戦において鍛え上げられたものであると言う事だけだ。

天才性を持って実戦で鍛え上げた力に、地道な努力を持って道場で鍛え上げた力で拮抗する。
修練が実戦で鍛えた力に劣るなどと言う道理はない。
こう言った手合いを想定して己を磨き続けてきたのだ、ここで負ける訳にはいかない。

義手と日本刀が幾度目かの衝突を見せた。
衝突点を中心に空気が弾ける。

だが今回に限って、弾けたのは空気だけではなかった。
弾いたシャの腕より、煙幕のような細かい砂と氷が散った。
叩いた黒板消しのように義手に込められた属性が二次的に拡散されたのである。

一瞬の目晦まし。
その隙に、腕を弾かれた勢いを利用しシャは身体を回転させる。
直撃すれば容易く下顎を吹き飛ばす威力の廻し蹴りが放たれた。

だが、正義はその蹴りを仰け反る事で紙一重で躱した。
自ら後方に跳ぶと片足で着地して、そのまま距離を取るように後退する。
その様を見て、蹴り足をプラプラとさせたままシャがシタリと笑うと自らの両目に指をやった。

「――――眼ダナ。眼がイイんダ」

先ほどの回し蹴り。
その足先には小さな氷の刃が突き立っていた。

紙一重で躱せば目が切り裂かれる仕掛けである。
それを正義は氷まで正確に見極めた上で、紙一重で躱した。
尋常な動体視力では不可能な芸当である。

スキルによって得た正義の持つ最大の強みを理解した。
それが知れれば、やり様はいくらでもある。

シャが深く構える。
するとシャを中心に渦を巻くように砂が舞い散った。
海沿いの教会に砂嵐が巻き起こり、暗殺者の姿を隠す。

正義の目を封じるための仕掛けだろう。
だが、この程度の砂嵐など最高位の観察眼をもってすれば目晦ましにもならない。

正義が砂嵐の先にあるシャの動きを追う。
砂のカーテンを突き破り、気が数発飛んで来るが、正義は苦もなくそれを躱す。
この程度のかく乱に惑わされる正義ではなかった。
周囲に舞う砂によって不可視の気はむしろ見やすくなったくらいである。

全ての攻撃がシャを基点とする以上、シャ本体を見逃さなければ攻撃に対処するのは難くない。
これまで以上の集中力で敵を凝視する。

どれだけ紛れようとも、この観察眼は決して敵を見逃さない。
むしろこの状況で不利になったのは視界を奪われたシャの方だろう。
そう確信する正義。

ステップを踏む様に攻撃を躱しながら、砂越しのシルエットに向けて攻撃を仕掛けようと刀を構え直す。
だが、そのタイミングで、想定外の方向から攻撃があった。

攻撃は上からあった。

砂嵐は太陽すら隠した。
その中でほんの僅かに罹った影
それのお蔭で気付けた。
観察眼がなければ気付くことすらできなかっただろう。

気付けば、正義の背後にあった教会が燃えていた。
正義の躱した炎の気が教会の壁に引火したのだ。

石造りの家屋はそう簡単に火の手は広るものではない。
だが、木造の屋根だけは話が別だ。

屋根は焼け崩れ、そこから巨大な十字架が倒れ落ちる。
正義は咄嗟にその場を飛び退き十字架の下敷きになるのを避けた。
如何に意表を突かれようとも、押しつぶされるようなへまはしない。

だが、その一瞬、決して見逃してはならない敵の姿を見失った。

周囲に舞う砂。教会の炎上。上からの十字架。
それら全てが注意を逸らし、この一瞬を獲得するための物だった。
観察眼でも捉えられぬ完全なる死角より一撃が放たれる。

76白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:14:38 ID:XpmjIZ2I0
「ッ…………ぁ!」

鋼鉄よりも硬い義手が頭部を掠め、ズルリと丸い頭蓋を滑った。
頭皮が蜜柑の皮みたいにベロンと捲れて、大量の血が流れる。

直撃は避けられた。
僅かでも反応できたのは観察眼に映らぬ相手だからこそ、死角から来ると予測していたからである。

視界が赤く染まるが構わず目を見開く。
この眼が正義の生命線だ。
閉じた時点で敗北が確定する。

体勢を崩しながら、正義が選択したのは攻撃だった。
赤い瞳で敵を見据え刀を振り上げる。

シャも当然、防御など取らない。
悪魔の右腕から防御も回避不能な絶対の死を秘めた一撃が放たれた。

互いの必殺が交錯する。
日本刀と義手が衝突した。

だが、正義に義手は断ち切れない。
それはこれまでの衝突で証明された事実である。

「什麼(なに)…………!?」

だが、驚愕は暗殺者の喉から漏れた。

鋼鉄よりも固いはずの義手は斜めに切り裂かれ、竹槍のように鋭利な断面を見せていた。
振り抜かれた刀の刃先は義手ごと胴を切り裂き、暗殺者から血飛沫が散る。
何らかの要因によって、正義は先ほどまで切り裂けなかった腕を切り裂いたのだ。

その瞬間、シャは理解した。
正義の獲得したスキルと、その発動条件を。

スキル【背水(A)】
それは追い込まれれば追い込まれる程、攻撃力が増加するスキルである。
ロレちゃんより託されたGPを使用し、この決闘に備えて正義が獲得した奥の手がこれだ。

先の戦闘で正義は自らの力がシャに劣ることは理解していた。
故に、勝負が劣勢になることは目に見えていた。
だからこそ、このスキルが適格だった。

背水、明鏡止水、そして水の支配権。
全ては水に通ずる。
逃げ場のない袋小路の小島を指定したのも背水の陣を敷くためか。

だが、殺し屋に動揺はなかった。
背水の一撃は義手を切り裂き胴体を切り裂いたが、薄皮を一つ裂いただけだ。
肉にも骨にも届いてはいない。

素手の有利。
踏み込みを止めずさらに前へ。
振りぬいた刀を返すよりも、拳の方が圧倒的に早い。

77白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:15:00 ID:XpmjIZ2I0
だが、刃より拳より早いものがあった。
言葉だ。

「その腕、まるで凶器のようだな」

その矛盾を指摘する。
瞬間、全てがひっくり返った。

「!?」

拳を放つシャの動きが目に見えてガクンと落ちた。
それは『武器を持つと弱体化する』という【素手格闘】のデメリット。

ゲーム開始時のアバター作成。
正義は実に1000超える選択可能な汎用スキルに一通り目を通し、その効果を全て記憶していた。
とりわけ格闘に関するスキルはよく覚えている。

その中でこれまでの戦いで得た情報からシャのスキルを推測していた。
決め手となったのは日本刀を手放した際に発揮された異常なまでの筋力だ。
これにより正義はシャの持つスキルが【素手格闘】であると言う確信を得た。

義手は体の一部だと主張することはできるだろう。
気功も体の内から生じたものであると言い張ることもできるだろう。
だが、ここまで鋭利な金属を装備していては言い訳できない。

この刹那。
ステータスの上昇補正が下降補正にひっくり返る。

その落差に然しもの暗殺者も戸惑いがあった。
戸惑いは瞬きにも満たぬ一瞬。されど勝負を分けるに十分な致命的な一瞬である。

拳よりも早く切り返された刃が、再び暗殺者を切り裂いた。
深く踏み込んだ一撃は胴を深く切り裂き、シャワーのように鮮血が噴き出す。
致命の一撃を喰らったシャの体が力なく沈んでゆく。

刀を振り抜いた正義は残心を忘れず、油断なく相手を見つめる。
その広い観察眼が、倒れ行く暗殺者の瞳を捉えた。
その瞬間、正義の背筋が氷の様に凍った。

暗い光を宿した虚のような瞳が、カッと見開かれた。
胸元から噴き上げる自らの血の雨を浴びながら、振り子のような勢いで上体を引き戻す。

「―――――――――――ハハッ!」

口元には亀裂の様な笑み。
斬撃の当たる直前、シャは咄嗟に体を捻って致命傷を避けていた。
これはスキルなどではない、殺し屋として多くの経験を重ねてきた純粋な技量によるものだ。
加えて【素手格闘】とは違う、もう一つのSランクスキル【気功】。
その全てを防御に回して致命傷を防いでいだ。

隠し玉の【背水】、相手の【素手格闘】を逆手に取った二重の奇襲でも仕留めきれなかった。
シャは瞬時に装備から義手を外し、マイナス補正から脱却する。

「尓輸了,尓不能用兩撃殺死(二撃で殺せなかったお前の負けだ)!!!」

叫び。踏み込む。
攻撃を振り下ろした直後の正義には反応できない。
鉄板すらも容易く貫くシャの抜き手が正義の腹部へと深々と突き刺さった。
瞬間。直接体内に送り込まれた炎の気が風船の様に膨らんで、腹部の肉を吹き飛ばしながら爆発した。



78白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:15:41 ID:XpmjIZ2I0
『会場の準備が整いました。決闘の出場者はステージまでお越しください』

控室で待機していた善子の元にシェリンからの準備完了の知らせが届いた。
善子は一つ大きな呼吸をして、自らの頬を打って気合を入れると表情を引き締める。
意を決して楽屋を飛び出すと、すっかり様変わりした廊下を行く

無骨な石造りの通路は現代的なクリーム色の通路となっていた。
蛍光灯の光に照らされる足元に不安はないが、行く足取りには不安がにじみ出ていた。
いや、不安と言うより恐怖だろうか。

これより決まるのは己か相手いずれかの生死である。
明るいはずの廊下が死に向かう十三階段のようにも見えた。

蛍光灯の照らす通路を抜けきると反対側の入場口からは同じく対戦相手がステージに向かてくるのが見えた。
その顔には自らの勝利を疑わぬ不敵な笑顔が張り付いている。
善子はぎゅっと拳を握りながら、足を前へと運んだ。

ステージを構えるコロシアムへとたどり着いた彼女たちを出迎えたのは超満員の客席だった。
朧気な白い影のような何かが客席に所狭しと揺らめいている。
観客は脱落した参加者の複製体であるためか、不気味なまでに同じ顔をしていた。

それ以上に奇妙だったのは異様なまでの静寂だった。
演者の登場に対しても超満員の客席からは歓声一つない。
彼らはこの審査のためだけに生み出された亡霊の様なものだ。
発声する器官など与えられていない。

これまでに脱落した勇者の魂が集う死者たちの饗宴。
それはある種、冒涜とも言える光景だった。

そんな客席を善子は複雑な面持ちで見つめていた。
親友、師匠、仲間。
並ぶ客席には、どこか見覚えのある人影がちらほらと並んでいた。
当然ながら向こうからの反応はない。

愛美は客席を僅かに一瞥しただけで、興味を無くしたように視線を外した。
客席に妹の似姿は見当たらなかった。
世界に散布されることなく愛美に取り込まれた優美の魂は再現の対象に含まれなかったのだろう。

「それじゃあ、お先にぃ」

適当に手を振って、愛美は一足先にステージへと向かう。
緊張や気負いと言ったものは一切感じられない。
彼女にとっては全ての勝負が勝てるかどうかではなく、勝つのが当たり前の些事である。

【――――アイドルバトル 開始――――】

【先行】陣野愛美。

会場は静寂に包まれていた。
現実の観客と違い死者の観客は雑談などしない。
僅かな騒めきもない真なる静寂が世界を包む。
粛然たる世界は今、音を齎す者を待っていた。

突然、会場中の全ての照明が落ちる。
音のない世界から更に光すら奪われ、世界が暗闇に包まれた。

その闇を穿つように天上から一筋のスポットライトが落ちる。
だが、ライトの照らした舞台の上には誰もいない。
一本のスタンドマイクが置かれているだけだった。

まるで荒廃した絶望の世界のようだ。
暗闇は人々の不安を煽り、救いとなるはずの光の先には何もない。

そこに、天より救いが舞い降りる。

光と共に遥か高みよりゆっくりと落下する。
花嫁衣裳のような白い衣装が空気を含みふわりと翻った。
身に纏うのは伝説のアイドルのステージ衣装である。
少女を輝かせるための衣装がスポットライトを照り返しキラキラと光を放つ。
それはあたかも彼女自身から光が放たれているのではないかと錯覚するような幻想的な輝きだった。

それは何の種も仕掛けもない、ただ跳躍し着地しただけの行為。
だが超人的なステータスを持つ愛美にしかできない超演出だ。
彼女は常人なら落下死しかねない高みより舞い降り、音もなく着地した。

演出全てが女を引き立たせるためだけにあった。
その効果を持って、彼女はただ登場しただけでその場の全てを支配した。

まるで女神が降臨したかのよう。
いや、事実として彼女は神である。
アイドルが崇拝の対象となる偶像だとするのなら。
神と称えられた少女ほどアイドルに相応しい存在はいまい。

地上に舞い降りた女神は無言のままスタンドマイクの前に立った。
空気がピンと張り詰める。
世界が彼女の声を待っていた。
その緊張感を楽しむように女神は笑みを零し、すぅと息を吸った。

自身の楽曲など持たない愛美は既存の曲を歌うしかない。
彼女が選んだのは、神の恵みへの感謝を歌う世界一有名な讃美歌だった。

79白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:15:58 ID:XpmjIZ2I0
「Amazing Grace」

第一声で彼女は舞台を完全に掌握した。
それはまさに、神の声を耳にしたかの如く。
その圧倒的な存在感に、観客たちは一瞬にして呑まれてしまう。

「how sweet the sound」

オペラを思わす様な豊かな声量。
一切外れる事のない正確な音程。
心地よいと感じさせる完璧な音量。
聴く者の魂に直接訴えかけるような感情を籠めた歌声。

「That saved a wretch like me」

伸びやかで透き通るような歌声が響き渡る。
彼女の歌唱は、まるで天から降り注ぐ光のような奇跡の歌声だった。
聞くだけで心が浄化されていくよう。
彼女の歌声には、そんな不思議な魅力があった。

「I once was lost but now am found」

脳を揺さぶるような甘美な歌声がスタジアムを満たす。
歌に完璧があるのなら、彼女の歌声がその答えだ。
魂だけの存在であろうと震えるものがあるのか、観客は一様に心奪われたように動きを止めていた。
それは正しく、この地で散った歌姫に匹敵する歌声だった。

「Was blind but now I see」

だが、如何に才能があろうともボイストレーニングも受けていない素人がここまでの領域に達する事はありえない。
彼女自身の芸術的才能があったとしても、ここまでの物ではない。
この心を強制的に揺さぶるような歌声には勿論、仕掛けがある。

スキル【歌唱(A)】
準備時間にこのスキルを取得した。
潤沢なGPを持つ彼女の強み。
ゲーム内におけるこれ以上ない正攻法である。

細かな音程、抑揚の付け方、間の取り方。
このスキルを持って、この地で聞いた歌姫の歌声を恐るべき再現度でトレースしていた。
歌姫の歌声と彼女自身の魅力とカリスマが合わされば、それはもはや全ての人間を魅了するに十分だった。

今の愛美は完璧な存在だ。
戦闘においてのみならず芸術に及ぶ全てにおいて。

見ているだけで麻薬のような多幸感に包まれる最高の娯楽にして至上の芸術。
愛美と言う存在そのものが一つの完成された芸術作品である。

「When we've been here ten thousand years」

歌声と共に愛美がゆっくりと手を伸ばす。
光に向かって、伸ばした指先までが美しい。
それは激しく目を引くようなダンスではなく、バレエのような優雅でゆったりとした舞だった。
ゆっくりした動作だからこそ、観客は一挙手一投足に注視して目が離せなくなる。
その美しさに、誰もが心を奪われ虜となる。

「Bright shining as the sun.」

細かで巧みな視線誘導。
人心掌握に長けた蠱惑的な動作は、目を引くという次元を通り越して目を奪われる魔性だった。
欠けていた半身を取り込み完成された愛美だからこそ成し遂げられた表現力。
今の彼女は手に入れた感情を魅せ付けるように表現できる。

「We've no less days to sing God's praise」

スタジアムと言う閉じられた小さな世界。
周囲を包む闇、彼女を照らす光、反響する全ての音、そこに渦巻く人々の感情。
その全てを彼女が支配していた。

「Than when we'd first begun」

やがて曲は終わりを迎える。
美しい余韻を残しながら、ゆっくりとスポットライトが絞られてゆき闇の幕が降りて行った。
客席に背を向け愛美がステージを降りる。

これ以上ないほど完璧なステージだった。
これが通常のステージだったのなら万雷の拍手が鳴りやまなかっただろう。

ステージ脇からそのステージを見ていた善子が息を呑む。
これが、善子が打ち倒すべき相手。
この壁を越えねば待つのは死である。

熱に浮かされたみたいにフワフワとするような感覚。
気合を入れるために、胸を張って背筋を伸ばす。
鳥肌が立つような緊張感。
痺れるような緊張に指先が震える。

この感覚には覚えがある。
脳裏に浮かぶのは伝説のアイドルに挑んだ運命の夜だ。



80白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:17:53 ID:XpmjIZ2I0
運命のアイドルバトル。
会場を埋め尽くすファンたちは赤と青の2本のサイリウムを手にしていた。
『ファン投票方式』による審査。
レイを支持するなら赤いサイリウムを、ひかりを支持するなら青いサイリウムを掲げるのがルールだ。

パフォーマンスを終え、ひかりは汗だくのまま息を整えながら審判の時を待っていた。
祈るように強く目を閉じ、意を決してゆっくりと目を開く。
スタジアムは赤と青に染まった。
殆どの観客が両手を上げて双方を支持したのだ。

一見しただけでは勝敗が分からぬほど拮抗した状況。
運営が正確な計測をしてジャッジを下そうとする中で、一早く勝者を称える様にひかりの腕を掲げるモノがいた。
レイだ。

王者であるレイが新しい王者を祝福する。
その瞬間、ひかりはアイドルの頂点に立った。
シンデレラガールの登場に日本中が熱狂冷めやらぬその翌日だった、秋葉レイの電撃引退が発表されたのは。

突然の引退発表に、ひかりも衝撃を受けていた。
丁度そのニュースを見た直後だった、ひかりのスマートフォンが震えたのは。
呆けていたのもあるだろう、知らない番号からにも関わらず不用意にも電話を取った。
電話越しに届いたのはよく知った声だった。

『Hi! ひかりちゃん』
「レ、レイさん!?」
『I'm sorry suddenly.電話番号はマネージャーさんに教えて貰っちゃった』
「い、いえ。それは構わないんですけど……あの、なんて言ったらいいのか……」

レイと話すのは前日のアイドルバトル以来である。
勝利した事を光栄に思えど後悔することは決してない。
だが憧れだった人の引退の一因となってしまったことは、少なからず喉の奥に引っかかっていた。

『don’t worry.引退は元々今年にするつもりだったの。それが少し早まっただけよ、気にしないで』
「そう……だったんですね」

少し胸のつかえがとれたような、寂しいような複雑な気持ちだった。

『that's right.結婚してアメリカに移住する予定なのよね』
「け、結婚!? アメリカ!?」

どちらも初耳の衝撃的な情報である。
伝説のアイドルと結婚するなんてどんなスーパースターが相手なんだろうか?
さぞセレブな結婚式をするのだろうなぁ、なんて想像まで膨らんでしまう。

『It's wrong.残念ながら結婚相手は音楽番組のただのADよ。
 彼は優しいだけのごく普通の人だけど、秋葉レイじゃなく秋原麗を愛してくれた人だから。
 まあ出会いが音楽番組くらいしかないのは笑っちゃうけど』

そう言って当たり前の青春を過ごせなかった人はカラカラと笑った。
その声は少女の様に幸せそうだった。

81白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:18:22 ID:XpmjIZ2I0
『by the way.父も褒めていたわよ、あなたのパフォーマンス』

彼女の父はアイドルブームの火付け役である秋原光哉。
業界に多大な影響力を持つフィクサーである。

「本当ですか? 実の娘であるレイさんを倒した私の応援なんかしてくれるんですかね……?」
『rest assured.親子の情なんて意味のない物を仕事に持ち込むような人じゃないわ。
 むしろ、今頃は新しいスタァをどう売り出すか、そればかりを考えてるはずよ。
 敵に回すと面倒な人だけど利害が一致している値は頼もしい人だから、精々利用してやりなさい』

実の娘とは思えないドライな言葉だった。
恐らくこの親子の関係は余人には測りかねる尺度なのだろう。

『that aside.電話したのは今後について、少しお節介を焼こうと思って
 まあ小うるさい先輩のお節介なんて鬱陶しいだけかもしれないけれど』
「い、いえ。とんでもない……!」

冗談なのだろうけど、そう言う冗談は恐縮してしまうのでやめてほしい。
けれど、その心遣いはありがたかった。

『So.どう、実際に立ってみた頂点の景色って言うのは?』
「そう、ですね。勢いで挑んでみたモノの、いざ、レイさんに勝って、頂点に立って見ると、その……」
『不安?』
「…………はい」

素直に心中を吐露する。
頂点に立ってしまうと常に強い姿を見せなくてはならない。
こう言う弱音を吐ける相手も限られて来る。

『I agree.これからあなたの一挙手一投足に世間が注目することになるわ。
 そして多くの人々の期待や羨望を一身に受けるだけじゃなく、謂れのない嫉妬や恨みを買う事もあるでしょう。
 それを重荷に思ってしまうのは当然のことよ』

10年と言う間、先頭に立って業界を引っ張り続けた先人の言葉には重みがあった。

『まあ、私はそう言うのはあまり感じなかったんだけど』
「は、はぁ」

やはりこの人はモノが違う。

『いろんな不安もあるでしょうけど、先輩からのありがたいアドバイスよ。
 ――――let's enjoy! 楽しみなさい、ステージを』

本当にシンプルなアドバイス。
だけど、それだけで不安に感じていた物が少しだけ晴れた気がした。

『それだけを伝えたかったの。それじゃあ、お忙しいでしょうしそろそろ切るわね』
「ありがとうございました! あっ。ご結婚おめでとうございます!」
『thank you.あなたも頑張りなさい。応援してるから。次の挑戦者に簡単に負けたりしないでよね』
「ぜ、善処します」



82白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:19:13 ID:XpmjIZ2I0
ステージの前はいつだって不安だった。
レッスンしてきたことを出しきれるのかと言う不安。
集まってくれたファンたちを満足させられるのかと言う不安。
アイドルの頂点に立ってからは、それに相応しい振る舞いが出来ているのかという不安も付きまとっていた。
ましてや今回のステージには命がかけられている。
緊張感はこれまでの比ではない。

そう言った物を抱えて美空ひかりは、ステージに上がる。
その重さに足を引きずられてしまいそうになるけれど、懸命に一歩踏み出す。
一歩、ステージへと。

そして、ステージに立った瞬間、その全てが吹き飛んだ。

超満員の客席。熱気の残る空気。置かれたスタンドマイク。
恐怖や緊張は消えてなくなり。
残ったのはドキドキとワクワクだけだ。

――――――さぁステージを楽しもう。

【――――アイドルバトル 攻守交替――――】

【後攻】美空ひかり。

愛美と違ってステージ衣装なんて上等なものはひかりにはない。
衣装は元から来ていた制服を改造した物である。
出来る限り汚れを落とたが、ボロボロの制服ではステージ衣装としてはみすぼらしい。
だから取り繕うのではなく、むしろ制服の傷を目立たせるようにアレンジして荒々しさを強調した
テーマは「Alive&Survive」華麗さではなく生き残る強さを。

スタンドマイクを握りしめ、大きく息を吸い込んだ。
ステージの中央に立って客席全体を見渡す。
声を上げることも許されず、白く揺らめくだけの観客たちを。

「みんなー! 盛り上がってますかぁ!?」

そう観客へ呼びかけ、満面の笑みを浮かべた。
だが観客たちは何の反応を示さない。

客席にある影たちは感性だけを付与された再現体である、
客席に呼びかけたところで、反応などあるはずもない。

「どーしたぁ〜? 返事が聞こえないぞ〜!?」

ひかりは続ける。
だが、それは暖簾に腕押すような意味のない行為だ。
返ってくる声など、

「――――――声が小さぁああああい!!」

怒涛の様な煽り声に、客席から僅かに戸惑いの様な反応が返る。
それだけの事だが、僅かとは言え騒めくことすらしなかった再現体が感情を示した。
その反応に彼女はにっと悪戯に笑って、スタンドマイクあらマイクを引き抜くのだった。

ステージ脇からその様子を眺めていた愛美が興味なさげに尋ねる。

「ありなのぉ? ああいうの」
『アイドル勝負ですので』

これはパフォーマンス勝負ではなくアイドル勝負である。MCも競技に含まれる。
ふぅんと呟いて興味なさげにステージに視線を戻すのだった。

ひかりはあくまで観客たちと向き合う。
祈るようにマイクを両手で持って、客席を見渡しながら思いを伝える。

「みなさん、突然こんなことに巻き込まれて色んな無念や後悔があったと思います。
 一言では表せない、吐き出すことすらできなかった気持ちが」

そこには多くの死があった。
死者たちにはそれぞれの無念があっただろう。

「神様じゃない私にはその後悔は変えられません。何の意味もないかもしれない、それでも。
 その気持ち、全部ステージに置いて行ってください」

その全てを、このステージに置いていって欲しい。

「私たち(アイドル)は全力でそれに応えるから」

辛い現実を忘れさせ一時の夢を魅せるのが、アイドルだから。

「それでは1曲だけですが楽しんでいってください――――美空ひかりで『届け!』」

イントロと共に照明が落ちた。
たった一度の命懸けのライブ。
楽しまないと損だ。
自分の観客も。

83白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:19:52 ID:XpmjIZ2I0
ひかりが前奏に合わせて足裏でリズムを取る。
点滅するフットライトの光がリズムに乗った足元を照らす。

「♪今日も上手くいかなくて やってらんない もう嫌になるじゃない」

歌い出しと同時に、ダンスが始まる。
細かなステップにメリハリの利いたシャープなダンス。

曲の盛り上がりに合わせてスタジアムにライトが灯り始めた。
闇が払われ光に満ちる。輝きは舞台からではなく客席から溢れ出していた。
それはまるで光の海のよう。

全ての観客にサイリウムを持つように求めた。
これがひかりの演出プランだ。

愛美のステージは徹底して主役を輝かせるためモノだった。
彼女の独り舞台なのだから、それが当然の最適解である。

だが、ひかりが求めた演出は違う。
自分自身に対してではなく、観客に対して求めた。

ライブはアイドルが一人で作る物ではない。
事務所にスタッフ、それにファンの存在は必要不可欠だ。
ライブは全員で作る。それがひかりの考えるアイドルライブだ。

光り輝くサイリウムの海が広がる。
その光に照らされ観客の顔がよく見えた。
白いシルエットでしかないが、光を照り返す客席に向かって指で作った銃を向けてウィンクを飛ばす。

「♪ひとりきりの夜 眠れないのもそう キミのせいだよ」

Bメロに入り曲のBPMが上がってゆき、ダンスも激しさを増してゆく。
汗一つ流さずどこまでも美しかった愛美とは対照的に、激しいダンスに汗が飛び散る。
必死で汗にまみれるその懸命な姿は、思わず応援したくなるような真摯さがあった。

ステップは軽やかに跳ねる様に。
客席全体にパフォーマンスを届けるために、ひかりは中央だけではなくステージ全体を広く使ってゆく。

「♪元気ない 作り笑い 分からないとでも思った?」

だがそれでも愛美のパフォーマンスには遠く及ばない。
愛美の完璧なパフォーマンスに比べれば、ひかりのそれは未熟で未完成なパフォーマンスだ。
これがコンクールだったなら愛美の圧勝だっただろう。

だが、これはコンクールではない。
観客の心をつかんだ方が勝ちのアイドル勝負である。
アイドルにはアイドルの戦い方がある。

「♪知ってるよ 苦しいことがあっても いつだってキミが頑張ってること」

愛美はいつであろうとどこであろうとも、先ほどと同じ最高のパフォーマンスを発揮できるだろう。
自分の歌いたい曲を歌いたいように歌うだけで大衆を魅了できるカリスマ。
それはそれで稀有な素晴らしい才能である。

だが、ひかりは違う。
その日、その時の客層や空気感に合わせた最適なパフォーマンスを提供する。
本来のメロディに合わせた完璧な音程ではなく、盛り上がりに合わせた最適な音程で歌う。
一時の夢を魅せるために少女たち(アイドル)は今を燃やすのだ。

その熱量を伝えるには、機械でも、中継でもダメだ。
同じ会場で一つのライブを作るこの形式でなければならなかった。
その熱はアイドルを一層燃え上がらせパフォーマンスにも熱が入る。

「いくよぉッ!!」

サビ前に観客を煽ってひかりが跳んだ。
空手を下地にした派手な動きがひかりの売りだ。
盛り上がりに合わせるように、いつもより高く跳ぶ。
高く高く跳び上がり、片脚を弧を描くように振り上げる。
パフォーマンスの成功に発声器官など与えられてい無い彼らの声援が聞こえた気がした。

84白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:20:55 ID:XpmjIZ2I0
アイドルはファンに元気を届け。
ファンの声援にアイドルも応える。
元気が循環するようにステージは盛り上がりを増してゆく。
それは愛美のステージにはなかったものだ。

愛美は他者の応援など必要としていない。
彼女は単独で完成して完全で完結している。

故に、愛美のパフォーマンスには「誰かのため」という観点が決定的に欠けていた。
彼女はステージで自分の美しさを魅せただけ、観客は芸術品を眺めるだけの傍観者だ。

この瞬間だけは現実を忘れさせるような一時の夢。
ファンも当事者になってステージを楽む。
互いに流れる汗すら美しい。

その熱に中てられたように、観客たちに変化があった。
判定を下すためだけに生み出された魂の複製でしかない存在。
不安定に揺れ動くだけだった魂が、音楽に合わせるようにリズムを取って揺れ始めた。

「♪いつだって どこに居たって 頑張ってる君へ 伝えたいよ」

それはここか殺し合いの舞台である事を忘れさせるような奇妙な光景だった。

リズムに合わせてサイリウムを巧みに振る者。
慣れない様子で指だけをトントンと動かしリズムを取る者。
サイリウムを振り回し激しくオタ芸を刻む影の一団もいた。

共通しているのはこのライブを楽しんでいるという事だ。
この盛り上がりを含めてアイドルライブである。

ひかりはアイドルフィクサーにより己の中のアイドルを失った。
だが、美空ひかりは与えられたスキルによってアイドルになったんじゃない。
そんなものがなくたって女の子はアイドルになれる。
夢を追い続ける限り、何度だって。

「♪私がいること ここにいるって この歌にのせて」

ひかりは自分がアイドルを始めた理由を思い出す。

昔、同じ道場に通う同い年の少年がいた。
その道場に居た子供は私たちだけで、競い合うように腕を磨いていた。
私たちはライバルで、勝負はいつも私の勝ちだった。
子供らしからぬ老成した子供だったから、今思えば少年は手加減していたのかもしれないが。

だがある日、突然仲の良かったその少年が道場を止めてしまった。
道場からは家庭の事情とだけしか聞かされなかった。

別れも告げず遠くに行ってしまったあいつに一言言わなければ気が済まなかった。
そんな思いを抱えていたときに、遠くに声を届けるアイドルを見た。
それはまるでどこまでも届く光のようだった。
だから、マイクを手に取った。

「♪私の想い 願い 君の所まで 届け 届け」

アリーナ最前列。
3階席の最後尾。
もっと遠くまで。

歌声は届く。
どんな世界だって。

他ならぬ親友がそう教えてくれた。
その歌声で立ち上がる勇気をくれた。
だから自分も、どこかの誰かに届けるために。

今も頑張っている、誰かに。
今も頑張ろうとしている、誰かに。



「――――――――――届けぇえええええええ!!」





85白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:21:11 ID:XpmjIZ2I0
二つの決闘が行われる中。
二つのエリアを繋ぐ橋の上で、黄昏の堕天使のアバターを纏う少女は未だにそこから動けずにいた。

このままここでじっとしていても何にもならない。
ここに落ち込んだ少女を励ましてくれる誰かはいないのだ。
そんな事は分かっている。

残酷なこの世界で友と呼べる人間と出会えたことこそが奇跡だったのだ。
訪れるのは命を狙う危険人物である可能性の方が高いだろう。
そうなれば少女の命など容易く刈り取られてしまう。
それも分かっている。

だが、どうしても動けない。
動くための気力が沸かない。

人間が動くには何か理由が必要だ。
元の世界の居場所を作ってくれた友人を失い。
この世界で心を救ってくれた友人をも失った。

良子は希望(アイドル)を失い、絶望と言う名の死に至る病に取り付かれていた。

「……………………なに?」

良子が沈み込んでいた顔を上げた。
繰り返す波と風が泣く音以外の、何かが聞こえたのだ。

誰かが近付いているのかと思い周囲を見渡すが、周囲には何の変化もない。
遮蔽物のない橋の上だ、透明人間でもない限り見逃すことはないだろう。
相も変わらず彼女は取り残されたように一人きり。

けれど、確かに聞こえる。
これは。

「…………歌?」

どこから響いているのか分からない、空耳のような歌声。
それは一人になった良子の生み出した幻聴だったのかもしれない。
曖昧で朧気で、強く吹き付ける風の音に掻き消されてしまいそうだけど。
けれど確かに、聞こえる。

頑張れと、懸命に誰かを励ます応援歌が。
きっと、この歌を歌っている誰かも、どこかで頑張っているのだろう。
そう思わせてくれるそんな歌声だった。

その歌声を届けくれる存在。
知らず、少女は存在の名を呟いていた。

「………………アイドル」



86白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:21:45 ID:XpmjIZ2I0
穏やかだった海を臨む教会は見る影もなかった。

教会は燃え落ち、堕ちた十字架は倒れ地に落ちる。
美しかった花畑は、火災に巻き込まれその殆どが焼け焦げていた。
風向きによって運よく生き残った数本の花だけが、名残の様にその彩を見せていた。

二人の男が雌雄を決した。
その傍らには血だまりが二つ。
立っているのは一人だけ。

立っているのは殺し屋だった。
殺し屋の胸元は袈裟と逆袈裟に切り裂かれX字の傷口が刻まれている。
傷口からは大量の血液が流れ続けており、その足元に血だまりを作っていた。

殺し屋は自らの胸元の傷口をなぞると、冷気で凍らせ止血を行う。
傷は深いが致命傷には至っていない。
義手を失ったのは痛手だが、まだ戦える。

視線を落とし血だまりに沈む正義を見つめる。
この世界の死体は光の粒子となって消える定めだ。
体が残っている以上、まだ死んでいないと言う事だ。

放っておいてもすぐに死ぬだろうが。
殺し屋は油断なく、トドメを刺すべく死に体になった正義へと近づく。
だが、暗殺者が珍しく驚愕したように目を見開いた。

吹き飛んだ腹部からは壊れたポンプみたいに血が流れていた。
止血もままならず作った血だまりの大きさはシャが作った物の比ではない、それこそ血の池の様である。
それでもなお刀を杖の様に付き、正義がその場で立ち上がったのだ。

手応えはあった。
内臓を吹き飛ばし、確実に仕留めたはずである。
多くの人間を殺してきたからこそ、その手ごたえを間違う筈もない。

どうしようもない程の致命傷である。
生きているのか奇跡だ。
だからこその驚愕がある。

「為什麼要站起來?(何故立てる?) 是技能?(何かのスキルか?)」

思わず殺し屋は問うていた。
正義はその問いに答えたと言うより、譫言のように呟いた。

「…………歌が………………聞こえた」

歌声が聞こえた。
臨死に幻聴が聞こえたのか。
だが空耳と呼ぶには余りにも明確な、ハッキリとした声。

懸命で、力強く、どこか励まされるような温かさがある、そんな歌声だった。
もう一度、立ち上がれと尻を叩かれているようでもあった。
その歌声は昔好きだった女の子の声に似ていた。

「ふっ」

懐かしさに思わず口元から笑みがこぼれた。
いつだって元気だった少女の姿が脳裏に浮かぶ。
あの少女はきっと今もどこかで元気にしているのだろうか。

「什麼(何を)…………?」

暗殺者は理解できないモノを見るように首を傾げた。
シャも戦場で愉悦の笑みを漏らすことはある。
だが、その穏やかな笑みは余りにもこの場に不釣り合いだ。

だが、分からないのは正義の方だ。
この歌声が聞こえていないのだろうか。
そうならば、まったく、もったいないことこの上ない。

正義は笑みの張り付いた口元を引き締め、服の袖で目元に付いた血糊を乱暴に拭う。
ここまで血塗れの状態では多少拭ったところで焼け石に水だろうが、多少の視界は確保できた。
そして杖にしていた日本刀を振り上げ、上段に構えを取る。

だが、息も絶え絶えで立っているのも精一杯の状態である。
構えたところで、まともな攻撃など出来るはずもないだろう。

87白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:22:20 ID:XpmjIZ2I0
などと言う油断を、シャは決してしなかった。

正義の眼は死んでいない。
立てた理由は分からないが、まだ諦めていないのはその眼を見れば理解できる。
この状況に及んでもなおシャに勝利することを微塵も諦めていない。

シャの殺してきた多くの人間の中にも、この手の輩はいた。
追い詰められても最後まで決して諦めない。そんな黄金の精神を持った輩が。

だが、その全てをシャは凌駕してきた。
殺し合いにおいてシャは敗北したことがない、当然だが。
今回もそうだ。これまでのように勝利するだろう。

現実ならば瀕死でまともな攻撃はでないだろうが、ここはVR世界である。
現実と見紛う程の精巧さの物理演算がなされているが、スキルと言う現実を覆す要素がある。
追い詰められるほど攻撃力が増すというのなら、攻撃に関する動作は保証されるはずだ。
つまりはこれが正義にとってのベストコンディションだ。

「……どうした? 俺を殺すんだろ? だったらさっさと掛かってこい」

立っているのも精いっぱいの状態で、正義はそんな挑発を投げた。
この期に及んでのその言葉に、殺し屋は歓喜するようにクッと喉を鳴らした。

殺し屋として多くの人間を殺してきたシャは手応えとしてわかる、正義の傷は致命傷だ。
ショック死しなかったのは大したものだが、放っておいても出血死は免れない。
わざわざシャが攻める必要などどこにもない。
ただ待っているだけで勝ちが転がり込んでくる。

だが、問題はそこにある。
命はこの手で摘み取ってこそ。
スリップダメージによる決着などつまらない。
そのような勝ちなど、この男が求めるはずがない。

正義が瀕死であるが故に、この手でトドメを刺すのならば攻めざるを得ないのだ。
それを踏まえた上でのこの挑発である。

果たしてどこまで計算していた?
最初からここまで計算しているのならば、それは。

「――――正気ジャないナ、オマエもサ」

口端を歪めて嗤う。
敵に出会った喜びを謳歌するように。

実力も経験も、ここまでの戦いの内容も全てにおいてシャが上回っていた。
にも拘らず、一撃勝負に付き合わざるおえない状況に持ち込まれている。
それが愉快でたまらない。

胸の傷は致命傷ではないにしても無視できるほど浅い傷ではなかった。
気功スキルで回復をしているが、攻撃にまで回す余裕はない。
逆に言えば回復を捨てれば攻撃にも使える訳だが、どうしたものか。

正義は上段に構えて待ちの姿勢だ。
傷の深さから動くこともできず、それしかできないのだろう。
回復を捨てたとしても、死に体の相手に遠距離からチマチマと責めれば勝ちは確実だ。

気で回復しながら万全の状態で一撃を放つか。
遠くからチマチマと削っていくか。
どちらを選ぶかなど決まっていた。

「我會騎(乗ってやるよ)、對那廉價的挑釁(その安い挑発に)」

腰を落とし左の拳を構える。
選択肢を突き付けられたのならば、確実な方ではなく面白い方を選ぶ。
その性格を理解した上の誘導なのだろうが、シャはそれを理解した上であえてその誘いに乗った。
なにせそっちの方が面白い。

互いに防御など考えない。
最大火力の一撃を叩き込むために捨て身の構えを取り合っていた。

極限の果てに視線が交わる。
敵と己、双方の死がすぐ傍に感じられる。
そこに赤い怒りや黒い殺意などない、透き通るような白い感情だけがあった。

もはや敵対心を通り越し愛着のようなモノすら感じられる。
同じ死に踏み込む同類、息遣いすら愛おしい。
共に命の弾ける刹那を待っている。

88白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:23:27 ID:XpmjIZ2I0
だが、弾けたが最後、この戦いはその一瞬で終わるだろう。
それがどこか名残惜しく、殺し屋は少年に問いを投げた。

「何故、ソコまでスル?」

シャは殺し屋である
常に標的をこちらから殺しに行く立場だった。
だからこそ、自らシャを招き入れるような相手はいなかった。

ここまでの勝ち筋を見出していたとしても、これは自死を前提とした戦術だ。
死にたくないだけならば、決闘状など送らず逃げていればよかったのだ。
あの幼子の仇討ちだとしても、そこまでする理由が分からない。
まして顔も知らぬ誰かを守護るためなど、シャには理解しがたい。

何故、自らの命を懸けてまでシャと戦うのか。
その問いに刀を振り上げた体制のまま正義は答える。

「そう生きると決めたからだ」

護国を担う大和の家に生まれ、幼少の頃からその理念と武道を叩き込まれた。
始まりは与えられたものだ、だが選んだのは正義自身だ。

投げ出そうと思えばいつでも投げ出せた。
それでもその生き方を続けてきたのは他でもない正義自身がそう決めたからだ。

己が決めた信念を貫く。
そのために死を賭して生きる。

正義の行いはそれだけの物である。
その答えはシャにもストンと理解できた。

「何故、お前は人を殺す?」

正義は問いを返す。
殺し屋は迷いなく答える。

「我殺故我在、ダヨ」

何かのために殺すのではなく、殺すからこそ我が在る。
過去も理由も、複雑な物など何もいらない。
己の存在意義などそれだけでいい。
それが何も持たぬ殺し屋の唯一の矜持である。

それで最後の応答が終わる。
この先は言葉はいらない。

守護と殺害。
詰まる所、正義とシャは方向性が対極であるだけの同じ穴の貉だ。
それぞれの信念と矜持、人生そのものがぶつかりあい、勝敗と言う形で優劣が付けられる。

頂点に在った太陽は、いつの間にか沈み始めていた。
教会の燃え滓から燻った炎が弾け、燃え残った花々が揺れる。

痺れるような緊張感に思わず殺し屋の口元が緩む。
いつまでも味わっていたいが、そうも出来ぬのが口惜しい。
長引けば正義は死ぬだろうし、何よりシャ自身が待ちきれない。
この堪え性のなさだけが暗殺者の欠点だ。

殺し屋が大地を蹴った。
その動きはこれまでで最速。
地面が縮んだと錯覚するほどの速度で間合いが詰まる。

フェイント一つ入れればそれで終わるこの状況で、シャが選んだのは最短最速の一撃。
加えて、リーチの差を埋めるべく体を半身にして指先を伸ばす。
己自身を槍とするような神速の抜き手だった。

迎え撃つ正義に迷いなどない。出来る事は一つ。
上段に構えた日本刀を振り下ろすという動作だけだ。

だが、その前に正義はすっと片足を引いた。
体を開き半身になって左手一本で刀を振り下ろした。

それはリーチを重視した片手面。
半死半生の男から繰り出されたとは思えぬ落雷の如き鋭さで斬撃が落ちる。

奇しくも辿り着いたのは互いに同じ最適解。
ならば必然、先に届くのは射程に勝る剣士の一撃だろう。

だが、そんな事は拳士も最初から承知している。
故に、その抜き手の狙いは正義ではなく、上から振り下ろされる日本刀に向かっていた。

斬撃と抜き手が衝突し、殺し屋の前腕に刃が食い込む。
瞬間、シャは蛇頭の様に手首を返すと、刃を巻き込む様にぐるりと腕を振るった。
赤い飛沫が散り、切り捨てられた左腕が宙に舞う。

だが、宙に舞ったのはそれだけではない。
左腕に巻き取られるようにして日本刀が跳ね上げられた。

血飛沫を間に、武器を失った剣士と両腕を失った暗殺者の視線が交わる。
果たして、笑ったのはどちらか。

89白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:23:46 ID:XpmjIZ2I0
【素手格闘】
互いに素手の場合、更にもう一段階能力が上がる。
正義が刀を手放した瞬間、その条件は満たされた。

暗殺者が足跡を深く刻むように、強かに地面を蹴った。
そして己が肉体を弾丸とするように肩口から突撃する
鉄山靠。この一撃にて全ての気を叩き込む。

瞬きにも満たぬ刹那の間に万華鏡のように目まぐるしく変わってゆく戦況。
正義は観察眼と明鏡止水の精神でその全てを見極めていた。

その手に残った武器は一つだけ。
背水の効果を最大限に乗せて、固く握り締めた最後の武器で殺し屋の突撃を迎え撃つ。

互いに己が持てる全てを乗せた、男たちの最後の一撃が放たれた。
およそ人間のぶつかりあいとは思えぬ爆発めいた衝突音が響く。

そして静寂。
全ての動きが静止する。

潮騒と吹きすさぶ風の音だけが耳を打つ。
動きを止めた二人の男の背後で、風に吹かれた花びらがだけ揺れていた。

決着は付いた。
ならば、これ以上すべきことはない。
後は互いに、この決着を受け入れるのみである。

「做得好(お見事)」

そう告げて、暗殺者は光の粒となって消えていった。
どこまでも愉しげに、いつもと変わらぬ笑みを浮かべながら。
敗北も二度目の死も、全て逸楽であるかのように。

先に届いたのは正義の拳だった。
フック気味に放たれたその拳は、シャの鉄山靠よりも早くその胸部に届いた。
文字通り防ぐ手のないシャはその直撃を受けた。

殺し屋の胸部を深くえぐっていた拳が敵の消失によって解放されゆっくりと引かれる。
衝突の衝撃で砕けたのか、正義の拳はどちらの血とも分からぬ赤で染まっていた。
その拳が力なく開かれ、そこから何かが零れて地面に落ちる。

それは何の変哲もない、その辺に転がっているただの小石だった。
武器と呼ぶには余りにもお粗末な代物だ。
実際、多少拳の重さが増した程度で対した効果はなかっただろう。
だが、それは素手格闘の追加条件を満たさぬための楔としては機能していた。

起き上がり刀を握っていた段階で正義の逆手には既に小石が握られていた。
それを気づかせぬ為の片手面である。

果たして、正義はこの決着のどこまで読み切っていたのか。
全てが計算通りであったわけではない。
想像以上にあの殺し屋は強かった。
幾つもの奇跡が重なり得た紙一重の勝利。
だが、少年は勝利した。

[シャ GAME OVER]



90白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:24:41 ID:XpmjIZ2I0
「ありがとうございました…………っ!」

曲を歌い終えると、ひかりは大きくお辞儀をした。
勢いよく顔をあげると、ひかりは汗だくの笑顔のまま客席全てに手を振り続けた。
拍手も歓声もないが充実感だけはあった。

『パフォーマンスが終了しましたので、それでは続いて審査に移ります』

両者のパフォーマンス終了を確認して、司会進行役のシェリンが姿を現した。
対戦相手である愛美も舞台に上げられ、スポットライトがそれぞれのアイドルを照らす。

舞台に立つ二人のアイドルの表情は対照的だった。
愛美は変わらぬ自然体。自らの勝利を疑っていない。
ひかりは覚悟を決めた表情で、緊張を押さえるように息を整えていた。

全力は尽くした。
どのような結果になっても後悔はない。

『先攻:陣野愛美を支持する場合は赤。後攻:美空ひかりを支持する場合は青に審査員の色分けを行います。
 それでは判定を開始してください』

赤青。
シェリンの言葉に従い、白だった観客が徐々に色づいてゆく。

青赤青赤赤青。
客席が徐々に彩りに染まってゆく様をひかりは祈るように見守っていた。

青赤青青赤青赤青青青赤赤。
逡巡していた審査員も決断したのか加速度的に色が広がって行く。

青青青赤青青青青青赤青青青赤赤青青青青青青赤青。
そして、客席は美しい空のような青に染まる。
所々にまばらな赤が散見できるが、数えるまでもなく勝敗は明らかだった。

『決闘種目:アイドル対決は勇者:美空ひかりの勝利となります!』

電子妖精から決着が宣告される。
ひかりは歓喜すると言うより、安堵したように息を吐いた。
これは殺されていった全員で掴み取った勝利だった。
その横で愛美が、呆気にとられた顔で呟く。

「―――――なにこれ?」

ありえない敗北。
到底、納得できるものではない。

「ふざけないで! 私の歌は完璧だったはずよ!?
 あんな客に媚びただけの不完全なパフォーマンスに負けるはずがないでしょ!?」

客観的に見ても愛美のパフォーマンスの方が上だった。
ひかりもそれを認める。

「そうね。確かにあなたのパフォーマンスは素晴らしかった。けれど、完璧ではなかったはずよ」
「――――――――――」

そう言ってひかりは愛美の左肩を指さす。
愛美が言葉に詰まる。
その指摘は事実だった。

体全体を使ったパフォーマンスや視線誘導で巧みに誤魔化していたが。
魔王の攻撃を受け、彼女の左腕は肩から上に上がらない状態になっていた。

彼女は完璧だった。
粗で言えばひかりの方が圧倒的に多かっただろう。
だが、ひかりは思春期の可能性を体験するような眩さにあふれる粗削りだったのに対して。
愛美は完璧だったが故に、僅かな粗が酷く目についた。
それもまた勝敗を分けた一因だった。

91白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:25:06 ID:XpmjIZ2I0
焦りと屈辱に愛美の腕が震える。
味わったことのない人間としての激情が愛美を焦がす。

「こんなことが…………」

認められない。
認める訳には行かない。
こんな事で、失っていいはずがない。

「――――あっていい訳がないでしょ!!」

一瞬でその激情は振り切れた。
感情の猛りは憎悪の化身により形を成し、その身を白く染め上げる。

神の領域に達した真人。
その速度は音すらも置き去りにする。
その力は少女など触れるだけで消し飛ばすだろう。

魔王すら屠り去った神の如き一撃はしかし。

『決闘中の暴力行為は禁止されています』

世界(システム)によって阻止された。

如何に神の如き力を得ようとも、それは所詮枠組みの中の力に過ぎない。
枠組みそのものである世界には勝てるはずもない。

『敗者への罰則(ペナルティ)を実行します』

電子妖精が無慈悲な宣告を告げる。
後ずさる愛美の体から粒子が噴出する。

「嘘よ、そんな…………」

いやいやと首を振る。
それを繋ぎ止めんと自らの体を抱きしめるが、放出は止められない。

愛美は何者にも負けぬ力を手に入れた。
彼女を殺せる参加者は一人としていないだろう。

だが、これより与えられるのは世界による死だ。

「嘘よおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」

神の絶叫。
その魂の総量に見合う大量の粒子が空に向かって渦となって飛んで行った。
それと共に、役目を終えた観客たちが同じく光となって消えて行く。

日の落ち始めた空に一斉に命が流れてゆく。
美しい光の海。

その命の奔流を眺めながら、ひかりは想う。
例え無慈悲にアイナの命を奪った相手だったとしても。
その命を終わらせたという事だけは忘れてはならない。
その事実を噛みしめながら、闘技場を後にしようとした。

「? …………ッ??」

何が起きたのか。
気が付けば、天地が逆転していた。
善子の体はコロシアムの客席に叩きつけられていた。

92白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:25:50 ID:XpmjIZ2I0
「くぅ……ッ!?」

衝撃に息が止まる。
どうやら、ひかりの体はテニスボールのように客席まで吹き飛ばされたようだ。
石造りの客席を吹き飛ばしながら強かに背を打った。
下手をすれば背骨に甚大なダメージがあるかもしれない。

背を抑えながらよろよろと立ち上がる。
未だに事態は把握できていない。頭には混乱が残っている。
だが、すぐに立ち上がらねば致命的な事になる、それだけは理解できた。

コロシアムの中心にソレは居た。

まるで蛹から羽化するように、真人の殻を突き破りながらソレは現れた。
ソレを目にした瞬間、背の痛みを忘れるような怖気が全身に奔る。
理性よりも早く本能で理解できた。アレはこの世界に存在してはならない異物だと。

それは白い赤ん坊だった。

いや、一見するとそう見えるというだけで、ただの肉塊でしかないのかもしれない。
肉塊は病的なまでに白く、充血した眼球のように赤い線が雷鳴のように走っていた。
肉塊は沸騰したように沸き立ちながら膨れ上がり、腐り落ちる様に崩壊していく。
破裂と膨張を繰り返しながら、白い肉塊が苦悶とも歓喜ともつかない雄叫びを上げた。

「ああああああああああああああああああみみいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃッ!!!」

割れたガラスを飲み込んだような罅割れた絶叫がコロシアムに木魂する。
理性などなく、本能のみが残された獣の叫びは聞くだけで身が竦むような圧があった。

愛美は完全魔術によって、いくつもの魂を取り込み融合した存在となっていた。

一つの命に魂は一つ。
生命における絶対不変の法則だ。
複数の魂を押し込められる、そんな許容を持つ器は通常の人間にはない。

ならばこそ、巨大な器を持つ陣野愛美が完全魔術を与えられたのは必然であった。
その陣野愛美をもってしても万を超える魂の総量を受け止めるには人の形を捨てざるを得なかった。
肉体と言う器を失っても存在を保てたのは存在の核として強靭な自我を持って繋ぎ止めていたからである。

魂は陣野愛美と言う強靭な器に押し込められていたに過ぎない。
だが、システムによるペナルティによって愛美の魂はそこから排除された。
核がなくなり、器が壊れてしまえば押し込められた中身はどうなるのか。

その答えがこれだ。
殻である愛美の器を失い、人の形や大きさすら保てず膨張と崩壊を繰り返している。
核である愛美の魂を失い、その『残骸』だけが残った。

物理破壊などの外的要因による死ならば、そうはならなかっただろう。
核である魂だけが取り除かれるという例外に例外を重ねた結果、起きた不具合(バグ)である。

核を失った、複数の魂の融合体。
その主導権を握るのは、その中で最も意志の強い存在だろう。
魔王すらも押しのけ、表に出た意思は双つに分かれた魂の片割れだった。

「あ美あみアみ愛ミあ美あみ愛美ア美愛みアみぃぃッ!」

姉妹だった物の残滓を探すように白い赤子が四つ足のまま首を振る。
未だに彼女の魂は戦いの中にあった。
意識が入り混じっている。

コロシアムの中心で白い肉塊が膨張と崩壊を続けながら暴れ狂う。
肉塊から伸びた波打つ触手のような肉が無差別に叩きつけられ砂埃を舞わせた。

コロシアムで暴れ狂う『残骸』を客席から見降ろしながら善子は立ち上がる。
ピキリと背中に電気のような痛みが奔るが、こらえながら視線を周囲に這わす。

コロシアムの出入口は闘技場の東西にある二か所と客席にある東西南北の四カ所。
客席に吹き飛ばされた善子に一番近いのは客席北側の出口だ。
無理をすれば走れるとは思うが、逃げられるか?

「なっ………………!?」

そんな逡巡している間に、瓦礫の砕ける音がした。
伸びる様に膨張した肉塊が出口を破壊したのだ。

逃げ道をつぶされた。
理性がないようで要所は心得ている。
本能に刻まれるまで戦い続けた残骸の中の何者かだろう。

瓦礫を撤去すれば出られなくもないだろうが、そんな事をしている隙に殺されるのがオチだ。
破壊されたのは最寄りの北側の出入口のみだが、別の出入口にたどり着くのも難しいだろう。
そこに向かったところで、また先んじて破壊されるのがオチだ。
つまりもう、戦うしかない。

93白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:26:39 ID:XpmjIZ2I0
「……ちなみに、アレに決闘を挑むって言うのは認められるの?」
『アレとは何の事でしょう?』

シェリンが心底不思議そうに首を傾げる。
惚けているわけではないだろう。
AIであるシェリンがそんなことをする必要がない。

あの『残骸』は本来存在するはずのないバグだ。
システム側の存在であるシェリンには認識できていないのだ。

世界に破綻は広がっている。
その象徴がこの『残骸』だ。

『残骸』を見つめる。
全てが強さの上限に達したような、あの怪物ほどの凄みは感じない。
だが、この世界に存在してはならないような、不気味な不安定さがあった。

決闘と言う手段は封じられた。
つまり倒すには物理的に破壊するしかない。

アイドル美空ひかりの時間は終わり。
ここからは空手家美空善子の時間だ。

「コォ―――――――ッ」

息吹で痛みを和らげる。
先ほどの衝突で砕けた客席を蹴りだし、それを追うようにして駆けだす。

客席の上方から下り坂を一気に駆け抜け、闘技場へと飛び出す。
座椅子は触手のような肉の鞭に弾かれ砕け散った。
砕け散る椅子の破片を掻い潜って、振り上げた拳を叩き込む。

「ッ―――――セイッッ!」

肉塊が弾けた。
まるで水風船でも殴ったように柔らかい。

反射行動の様に弾けた傷口から細かな肉の槍が伸びる。
それを善子が手刀で払うと、千切れるように飛んで行った。

手応えはある。
理性のない動きも単調で読みやすい。
決して勝てない相手ではないだろう。
だと言うのに背筋に悪寒が止まないのは、背中に負った怪我のせいか。

その悪寒を振り払うように、蠢く肉の隙間を縫って蹴りを放つ。
穿つような蹴りは肉塊の中心を打ち付け、容易くその体を破壊した。
だが、肉体は繰り返される膨張により、すぐに修復されて行く。

『残骸』の肉体は善子の攻撃でも破壊できる程に脆い。
だが、それ以上の膨張力によってすぐに修復されてしまう。
これではキリがない。

「…………いやッ!」

違う、と気を吐くように言葉にした。

キリはある。
千切れた肉片は光の粒子となって消えていた。
この世界で死亡した人間の消え方と同じように。

『残骸』は核を失ったばかりで安定していない。
膨張と共に崩壊を繰り返しているのがその証拠だ。
この膨張と崩壊は愛美が取り込んだ数人分の魂が形を保てず漏れだしているのだ。

このまま崩壊して消滅するのか、新たな核を定めて安定するのか、それはわからないが限界はあるはずだ。
ならば、やるべきことは至極単純。

再生力が尽きるまで、再生力を上回る速度でブチのめす。

94白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:27:02 ID:XpmjIZ2I0
「――――ハァッッ!」

気合一閃。
左右から襲い掛かる肉の触手を回し蹴りで弾き飛ばすと、一気に畳みかける。

叩きこまれる拳の連打。
余りにも脆い『残骸』の体は次々と破裂する様に吹き飛んでゆく。
だが、吹き飛んだ肉片はすぐさま膨張によって補われ、爆発的に広がった肉片は再生に留まらず槍の様に伸びて善子の脇腹を掠めた。

「…………くっ」

だが、引かない。
歯を食いしばって前に出る。
ここが勝負時だ。

「ならっ、こういうのは…………どう!?」

善子が腕を振るうとキラリと空中で何かが光った。
そしてその腕を引くと、『残骸』の全身がボンレスハムの様に絞めつけられた。

トラップに使用したテグスの余りを巧く『残骸』の全身に巻き付けたのだ。
『残骸』が膨張を続ける限り自ら締めあげられる事となる。

だが、そうなったところで、膨張は『残骸』の生態だ。
止めようと思って止められるモノでもない。
拘束された状態で無理に膨張を続けたことで腕らしき肉が千切れる。
血とも体液ともつかないネバついた何かと共にボトリと落ちた。

善子はこれを好機と見た。
容赦なく、拳と蹴りの乱打を叩きこむ。
一撃ごとに肉体は弾けるように削れてゆく、その速度は膨張よりも早い。

「ぐぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

『残骸』の絶叫。
トドメとばかりに善子は天高く踵を振り上げる。

「ドォ頭カチ割りィ――――――ッ!」

最後の肉片を叩き潰すべく。
師匠譲りの稲妻のような踵落としを見舞う。

「ッ!?」

だが直前。その動きが僅かに鈍った。
その隙を突くように、テグスの隙間から伸びた針が善子の足を貫く。
踵落としは届かず、善子はその場に転がり落ちた。

「ッ……マズ…………った!」

トドメを刺すあの一瞬、躊躇ってしまった。
『残骸』の中にアイナの面影が見えた。
敵を撃ち抜く覚悟はあっても、味方を撃ち抜く覚悟が足りなかった。

足を貫かれ倒れこむ善子。
『残骸』の膨張力に耐え切れなくなったテグスがついに引きちぎられた。
抑えられていた衝動を解放するように、死の津波となって一気にコロシアムを埋め尽くす程に広がって行く。

絶望が希望を呑み込むように、白い腐肉は善子の全身を飲み込んでいった。

[陣野 愛美 GAME OVER]
[美空 善子 GAME OVER]



95白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:27:41 ID:XpmjIZ2I0
『おめでとうございます! 全エリアの支配権を獲得しました!
 優勝目指して頑張ってください! 特別ボーナスを選択して下さい』

場違いに明るい祝福の声が響く。
現れた電子妖精に勝者は緩慢に視線だけをやった。

死の淵に立っている状態でありながら、明鏡止水のおかげか意識だけははっきりしている。
お陰で文字通り身を裂くような激痛までがいつまでもクリアだが、いい気付だろう。

「GPを選択する」

正義は特別ボーナスからGPを選択した。
【豪傑】の称号を持つシャを倒したことにより90ptのGPを獲得している。
ここにボーナスを加えれば正義のGPは233ptとなる。

死亡寸前のこの状態で不可解な選択だった。
この期に及んでGPが何の役に立つのか。

「このGPを使って問い合わせがしたい」

正義はそう切り出す。
だが、電子妖精はにべもなくこの要望を突っぱねた。

『問い合わせを行うのであれば交換機を使用して下さい』
「見ての通りだ。悪いが、交換機の所まで動けるほどの余裕はないんだ。
 せめてシェリンが中継して回答するくらいの融通を利かせてくれないか?」
『そのようなサービスは受け付けておりません』

AIは感情があるようで、その実、感情を機械的に再現しているだけだ。
判断を委ねたところで杓子定規な返答しかできない。
なので問い方を変える必要がある。

「なら、”それが可能か問い合わせる”くらいはしてくれないか?」

シェリンに問い合わせるのではなく、シェリンに問い合わさせる。
判断をゆだねるのではなく、判断できる人間へのつなぎとする。

『確認します』

そう言って電子妖精はどこかに消えた。
ひとまず、第一段階はクリアである。

このゲームを始めた人間は存在する。
AIやプログラムの暴走である可能性も考えた。
だが、それを否定する材料があった。

ポイント使用して質問をした時、何者かに問い合わせる待ち時間があった。
それはつまり、問い合わせる先があると言う事である。

そう思わせるためのただの演出という可能性もあるだろう。
だが、例外的な判断が下されたのならば、それを判断したその裏にいる誰かの存在の証明に他ならない。
その何者かこそが、この最悪なゲームの元凶。倒すべき黒幕である。

何者かに問い合わせる時間。
いつも以上に長く感じられる、いや実際に長いのか。
もどかしいが、正義にできるのは黙って待つ事だけである。

『お待たせしました。回答を預かって参りましたので、ご返答します』

何とか出血多量で死亡する前に回答が来た。
だが安堵するには早い。
問題はその回答がどうなるかだ。

『特別にシェリンを介して質問に回答することが許可されました。
 この私がデータベースに直接接続を行い代理回答いたします』

超法規的処置が通る。
それ自体が一つの大きな回答である。
シェリンはいざ知らず、その先に居る誰かはそれすらも理解した上での回答だろう。

無論、質問を取り次がせたのもブラフではない。
233ptのGPで質問できる回数は4回。
その為に取得したGPである。

96白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:28:38 ID:XpmjIZ2I0
「最初の質問だ。このゲームの目的は何だ?」

正義に残された時間はあまりない。
単刀直入に核心を問うた。
感情のない電子妖精は表情を変えず、変わらぬ微笑を浮かべたまま回答する。

『極限状況において世界に与えられた枠を打ち破る魂が存在するか、その検証が主な目的となります。
 覆すべき世界として仮想世界『New World』を設定しました。
 勇者という呼称は元となった『New World』における設定の流用と言うのが主ですが。
 全を覆す個という存在、これを勇者と定義しその出現に期待を込めてそう呼称しています。
 現在、目標を達し世界を凌駕する魂に至ったのは勇者『陣野優美』勇者『美空ひかり』の2名となります。
 しかし両勇者とも命を落とし脱落したため回収は不可能となりましたが、ステータスの計測は完了しており、これより解析作業が行われる予定です』

淡々とシェリンは秘されていた目的を語る。
相槌を打つ余裕すらないのか、正義は無言のままただ指を動かしていた。
聞いた内容を漏らさぬようメモを取っているようである。

「2つ目の質問だ。何故俺たちが選ばれた?」

参加者たちが何故選ばれたのか。

『勇者の選考理由は3通りあります。
 エントリー期間中に『New World』にアクセスした人間。
 エントリー期間中にネットワーク上で話題となった人間から適性が高いと判断した人間。
 そして『New World』の元となった異世界の住民。
 外部から介入してきた例外が1名存在しますが、以上いずれかの条件を満たした対象から選定されています』

大方は正義の予想通り。
異世界と言うのは魔王がいた世界の事だろうか。
だが、まだ疑問は残る。

「その選考基準に当てはまらない参加者もいるようだが、例えば邪神はどうなる?」

邪神を名乗るあの幼女。
強いて言うなら異世界の住民という事になるのだろうが、他ならぬ魔王が邪神を違う世界の神であると言った。
条件に当てはまらない。

『『New World』に対して高次からの観測がありました。
 これをアクセスと定義し参加する勇者として加えました』

邪神は高次元からの超常的視点により『New World』を捉えた。
それをアクセスと定義され魂の一部を捕らわれた。
他の参加者もこういった強引な解釈によって集められたのだろう。

「3つ目の質問だ。全ての支配権を得る事とゲームクリアの関連性は?」

ヒントから具体的な答えを問う。
GPを使用しようとも回答できないモノもある。
直接的な回答は不可能である可能性が高い。

『全ての支配権を得た人間が出現した時点で、ゲームは次の段階へ移行します』

だが、今なら。
正義が全ての支配権を獲得した今ならば、その条件は変わっている。

『次の段階へ移行すると、中央エリアに『救いの塔』が出現します。
 塔の頂点に世界の支配権を持つ者がたどり着いた時点でゲームクリアとなります。
 救いの塔に辿り着いた勇者は帰還(ログアウト)。その後、世界の支配権と優勝賞品が引き換えられます』
「その場合、他の参加者はどうなる?」
『クリア者が出た時点でゲームは終了。その他の勇者の魂(データ)はその時点で破棄となります』

つまり支配権を持つ物が塔に辿り着いた時点で他の参加者は終わり。
支配者を塔に辿り着かせない妨害と支配権の奪い合いに移行する。
それが次の段階。

恐らくこのルールと支配権の奪い方について公開される手筈なのだろう。
そうなれば支配権を持つ者は賞金首のように全参加者から狙われる事となる。
その狙われる当事者である正義は、その事実を気にすることもなく質問を続けた。

「支配権を持たない人間が塔に辿り着いた場合はどうなる?」
『塔の使用は可能ですが。ゲームは終了せず継続されます』

これで聞きたいことは聞けた。
次の質問へと移る。

97白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:29:33 ID:XpmjIZ2I0
「4つ目の質問だ。このゲームを始めた黒幕は誰だ?」

シェリンの先にいる人間。
この質問が始まった時点でその存在は明らかになった。
名前を聞いたところで分からないだろうが、聞いておかねばならない。
だが返っていたのは要領を得ない回答だった。

『我々の創造主です』
「つまり、このゲームの作成者という事か?」

既にあるVRゲームが乗っ取られたのだと思っていた。
そうでないと理屈に合わない不合理が多すぎる。

『そうであり、そうでありません』

電子妖精はこれを否定も肯定もしなかった。
相変わらず要領を得ない。
突き詰めたところでこれ以上は分かりそうになさそうである。
正義に残された残り時間を考えれば、この質問にそう長く時間を懸ける訳にもいかない。

「それでは最後の質問だ」
『残念ですが、質問を行うにはGPが不足しています』

質問は既に4度消化された。
GPは33ptしか残っておらず、質問を行う50ptには不足している。

「いいや、問題ないはずだ。ゲームルールに関する確認事項ならGPを使わずとも質問できるはずだろう?」

GPを使用るするのはゲーム内で説明されない項目を知ろうとした場合の話だ。
基本的なゲームルールの確認関してはその限りではない。

「支配権を持つ人間が死んだ場合、支配権はどうなる?」
『支配権は殺害した勇者に移譲されます』

いつぞやと同じ問いを繰り返した。
命の刻限が迫り、正義にとって一秒を惜しむ状況である。
ならば、これが無駄な問いである訳がない。

「では、質問を少し変えよう。このまま俺が死んだ場合――――支配権はどうなる?」
『――――――――』

シェリンはすぐに回答できなかった。
AIであるシェリンが、あろうことか言葉に詰まっていた。

正義に致命傷を与えたシャは既に死亡している。
それが意味するところは、つまり。

「そうだ、支配権は行く先がない」

行く先がなくなれば支配者なしの初期状態にクリアされるだろう。
本来であればそれでも問題はない。
再び塔を訪れ支配権の上書を行えば解決する問題だ。
だが、この殺し合いにおいてはそうではない。

「逆順にしたのは失敗だったな」

元のVRゲームから殺し合いに合わせるために調整した項目。
このゲームにおいてエリアは増えるのではなく除外されるのだ。

雪の塔と炎の塔をエリアは既に除外されており、新たに支配権を獲得することは不可能となっていた。
そうなると、正義の持つ雪と炎の支配権がクリアされると、このゲームはクリア不可能の詰みとなる。

「致命的な――――――バグだ」

『ガ――――――ガガ』

処理不可能なタスクを押し付けられ、電子妖精がフリーズする。
電子妖精にノイズが奔る。歪みは激しさを増して広がってゆき、その存在を散り散りに掻き消してゆく。

98白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:30:07 ID:XpmjIZ2I0
崩壊は電子妖精だけに留まらなかった。
テクスチャが剥がれたように世界の色が変わる。
配色を間違えたようなサイケデリックな色に染め上げられ、空に割れたようなヒビが奔る。

現実と見紛うほど精巧な世界。
精巧であるからこそ一つのバグで大きく歪む。

世界の崩壊、それに合わせる様に正義の意識も限界を迎えようとしていた。
いや限界など、とっくに超えていた。
その意識を辛うじて繋いでいるのは強い使命感だ。

出来る限りの事はやらなければならない。
そうでなければ死んでも死にきれない。

それは何のための使命か。

誰に強制されたわけでも、何の報酬があるわけでもない。
ただ誰か一人でも生き残るならば、それだけで報われる。

シェリンから聞き及んだ話は全てメールにしたためていた。
情報などこれから死にゆく者に意味はなくとも、これからも生きる者には意味がある。

送信先は連絡先を把握しており、生存している可能性のある人間全て。
月乃、ソフィア、アルマ=カルマの三名である。

この中の誰が生き残っているのか分からない。
もしかしたら、全員が死んでいて誰にも届かないかもしれない。

もしかしたら誰にも届かないかもしれない。
もしかしたら何一つ役に立たないのかもしれない。
それでも、何か希望が残せる可能性があるのなら。

祈りながら、メールの送信を選択した。

[大和 正義 GAME OVER]



99白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:31:53 ID:XpmjIZ2I0
『『New World』を愛顧いいただき、ありがとうございます。
 この度、進行不能となる致命的なバグが発生したため、強制的に『New World』を終了させていただくこととなりました』

機械的な音声が世界中に響き渡る
茜色に染まり始めた空は割れ、大地は歪む。
少女が走り出した途端、世界が変わった。

『GPについてはサービス終了まで引き続きご利用いただけますのでご安心ください。
 未使用のGPの払い戻しはありませんので必要であれば強制終了までに使用するようよろしくお願いいたします』

まるで世界最後の日だ。
この世界はもうダメだとありありと突き付けられるようである。

『強制終了は10分後を予定しております。最期の時まで『New World』をお楽しみください』

崩壊する世界の中で、声を無視して良子は脇目も振らず中央エリアに向かって走っていた。
先ほど正義からメールが届いた。
そこにはこのゲームの目的。参加者の選考理由。ゲームのクリア方法。全てが書かれていた。
そしてその最後にはこう書かれていた。

『中央エリアに出現した救いの塔に向かえ』と。

その指示に従い、中央エリアに向かって良子は走り出していた。
いつ崩れるとも分からぬ不安の足場。
大地は所々ノイズのような暗闇が広がり、崩れ落ちたように欠損していた。

「わっ、と、と!?」

地面に走る黒いノイズをよける。
そこに在るのは穴などではない、何もない無だ。
落ちればどうなるかなど想像したくもない。

一言に中央エリアと言われても広大である。
どことも分からぬ塔を探すともなれば、それなりの手間がかかる。
慎重に進みたいが、いつ崩壊するとも分からない状況では急がねばならない。

だが、その心配は杞憂に終わった。
程なくして、それは目に入った。
遠目でもそうであるとすぐにわかる。

白亜の塔。
中央エリアの中央。
闘技場のあったはずの世界の中心にそれはあった。
その白さは壊れ行く世界の中で輝くように聳えていた。

目的地が決まれば迷う事はない。
救いへと続くその道筋を駆け抜ける。
だが、あと僅かで塔の麓に到達すると言う所で、良子は足を止めた。

塔の入り口を巨大な赤子が塞いでいた。

巨大と言ってもせいぜいが大柄な成人男性程度の大きさだが、赤子を思わせるのは不気味なまでの頭部の大きさだろう。
膿のように白い肉の塊は崩壊する世界よりも不気味な死をイメージさせる。

それはこれまでに出会ったどの殺人鬼ともましてやサメの少女とも違う。
アバターの外見設定などでは留まらない、異物。
この世界で初めて出会う正真正銘のモンスターだった。
ああ、それなのに。

「ヨ………ちゃ…………」

怪物が呻きをあげる。
どうして良子は、目の前の肉塊に懐かしさのような感情を抱いているのか。
見たことのない怪物は確かにこう言っていた。

―――――ヨシコチャン、と。

見覚えなどあるはずもない怪物に、その真名を呼ばれる。
姿も声も仕草も、何もかもがまるで違うのに、それでも何故か彼を感じる。

「……………………勇太、くん」

その名前を口にした途端、想いが雫となって溢れだした。
目の前の相手がそうであると理解できた。

100白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:32:54 ID:XpmjIZ2I0
魂の『残骸』。
様々な意識の入り混じるその主導権は、もっとも意志の強い者が握る。
そして今、その主導権を握ったのは勇者でも魔王でもなく、どこにでもいるただの少年だった。
ただ友を慮る、そんなどこにでもあるような思い。
そんなものが他の意志を押し留めていた。

教室から遠い、校舎の片隅の空き教室。
こっそり持ち込んだお菓子を食べながら下らない話をして。
ゲームしているみんなの横で漫画を描いて、飽きたらまたお話をして。

そんな何でもない、どこにでもあるような放課後の風景が脳裏に浮かんでは消えて行く。
終わることなど考えた事もない、何の意味もなく、それでも確かに価値のあった風景。
そして、もう取り戻せない当たり前の日々。
嘆き喚いて、この未練にしがみ付きたい。

けれど。
だが、それでも。
全ては終わったのだ。

受け入れなければならない。
泣こうが喚こうが絶望しようが、何をしようとも現実は変わらない。
どれだけ残酷で理不尽であろうとも、もうどうしようもない事なのだ。
あるのは受け入れるか受け入れないかと言う、自分の心の在り様だけ。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

『残骸』が叫ぶ。
少年の意思が推しとどめられたのは一瞬の事。
より強い本能に塗り替えられそれも奥へと消え去って行く。
少女の脳裏に過った思い出たちの様に。
今や、目の前にあるのはただの排除すべき障害でしかない。

ならばこそ友達(ソーニャ)が大切な物(HSF)の終りを受け入れた様に、良子もその終わりを受け入れなくてはならない。

「…………クッ」

崩壊を始める茜色の空。
白亜の塔の下で白い肉塊と対峙する。
世界は黄昏に沈もうとしていた。

ならば、ならば――――――!!

「クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

『残骸』の雄叫びにも負けぬ、弾けるような高笑いが轟く。
自らの存在を示す様に、堕天使はピンと天を指さした。

ならば、せめて自分らしく。

「天を照覧せよ! 偽りの太陽と月は剥され運命の扉は開かれた!! これより世界は真なる黄昏に堕ちる。
 これより先はすなわちこの我! 『黄昏の堕天使』の時間であると知れっ!!」

朝でもなく夜でもなく、すなわち黄昏。
天使でもなく悪魔でもない、すなわち堕天使。

決め台詞に特に意味など無い。
ただ己らしく、最高に楽しく己を鼓舞すると言霊を吐くだけである。

成すべきことは一つ。
自分にできることも一つ。

最初からずっと掲げていた方針。
†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†として相応しい行動を!
これこそが散って行った者たちへのせめてもの手向けだ。

「ウルズの鎖を越え、スクルドへと我は征く――――――――我が道を阻むならば相応の報いがあると知れ」

白い羽が舞い散った。
黒翼の片翼を持つ堕天使の逆背から白翼が広がる。
片翼の堕天使が、最終戦争にて封じられた白い翼を取り戻したのだ。

101白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:34:32 ID:XpmjIZ2I0
【封印されし天使】
それは良子が勝手に決めただけのこのゲーム内に存在しないスキルである。

正義からのメールにはこのゲームの目的が書かれていた。
世界を超える魂。
己らしさこそ魂の輝き。
世界観など超えて征け。
少女が望めば世界は変わる。

有馬良子は根本的に戦闘に向いていない。
良し悪しではなく人間的な向き不向きの問題だ。
この世界においても我道やソーニャに頼りきりで、援護程度の事しかできなかった。

彼女の本文は空想を広げる事である。
普段はその力を漫画に出力していたが、この世界では違う。
空想を広げるのは漫画ではなくアバターに。

妄想の翼を広げる
イメージするのは最強の自分。
†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†になる。

「さぁ、盲目なるその眼を開きとくと見よ! 黄昏の堕天使、真の力をなぁ!」

堕天使の背に巨大な魔法陣が広がり、その力を示すように紫の雷が奔る。
いざと言う時のために使おうと思っていたとっておき。
ここまで使う機会はなかったけれど、使いどころは最初から決めていた。

支給品【特殊エフェクト】。
行う動作が派手になるだけで、実際の破壊力が上る訳でもない。
何の効果もなく役に立たないアイテム。

だが、カッコいい。
最高に気分がアガる。

堕天使が漆黒と純白の両翼をはためかせる。
外見設定で設定しただけのお飾りでしかない飛べない翼。
だが、しかし、少女は広げたその想像力の翼で黄昏の空に飛翔した。

大人になれば忘れてしまうような思春期特有の思い込み。
そう願う事、それこそが未来を創造する。

白い眼帯を投げ捨てる。
その下に封じられし金色の瞳が妖しく輝いた。
色違いの赤と金の瞳を輝かせ、天空より黄昏の堕天使は高らかに宣言する。

「さぁ! 最終戦争 -†- アルマゲドン -†- の開幕である!!」

終わる世界の中心で。
正真正銘の最終決戦が開始された。

曖昧な空に光の線を引くように、白と黒の羽をまき散らしながら堕天使が空を征く。
その周囲を縦横無尽に飛び回る球体があった。
ショックボールだ。

飛び回っているように見えるが、実際は超能力などではなく空中での3次元的お手玉をしているだけなのだが。
エフェクトの効果も相まって周囲に走る守護のようだ。
高速で飛び回りながら一つも落とすことない超絶技巧である。

「終焉堕天使より恵みをくれてやろう――――――爆滅終ノ嵐(バースト=テンペスト)!」

上空からショックボールを放り投げるだけの絨毯爆撃。
色とりどりのド派手な爆発と共に衝撃波が次々と広がり、『残骸』を吹き飛ばしてゆく。

「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

テンションに任せたヤケクソ気味な高笑い。
強がりのようなそれだけで、絶望を吹き飛ばすような高揚がある。

だが、エフェクトは見せかけ。
実際は『残骸』の消滅にまでは至らない。

外部からの刺激に『残骸』の生存本能が反応した。
肉塊はアメーバのように広がると、上空の堕天使を包み込むように飛び掛かる。
だが、それを弾く様にパチンと巨大な雷電が弾けた。

「――――――慈悲なる轟雷帝王(ゼウス・インディグネイション)」

ド派手な輝きはエフェクトの効果だが、電撃は本物。
棒状のスタンガンを押し当てた事により、ネバついた筋肉が硬直し地面に落ちる。
その隙に堕天使は窮地を脱するように空を駆ける。

べちゃりと地面に落ちた『残骸』がコポコポと沸き立つ。
白い腐肉がスライムみたいに融けて混じって、全身を不気味に震わせながらその形を変える。
人の形を捨て、全身が巨大な手のような形となった。
巨大な手はゴムのように伸びて上空を飛ぶ堕天使の足を掴んだ。

102白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:35:24 ID:XpmjIZ2I0
「ッ…………いッ!!」

堕天使が短い悲鳴を上げる。
不定の肉塊。手の平は既に鋭い牙へとその形を変え、足首を掴むのではなく噛み付いていた。

足首に牙をを喰らい付かせたまま、ずいと地上へと引きずりこむ。
地面に叩きつけるとともに、そのか細い足首が噛み千切られた。
激痛に絶叫を上げようとする堕天使の口をトリ餅のようにネバついた白い肉が塞ぐ。
穢れなき堕天使の体を腐肉が飲み込んでいく。

藻掻くように手を伸ばす。
だが、全身に纏わりつく腐肉から針が付きだしその手を貫いた。
まるで鉄の処女(アイアンメイデン)のように全身を串刺しにされる。

痛みに動きの止まった所に、次々と針が刺さる。
容赦なく全身を串刺しにして、突き刺さった針は内部から棘を枝分かれさせた。
内側から体中を蹂躙すると、腹を食い破るように引き裂いた。

「ぁ…………ぁっ」

奇妙なオブジェと化した堕天使が小さな喘ぎのような声を漏らす
白い腐肉が中央から避けるように割れ、その顎を開いた。
巨大な絶望の顎がひらかれ全ての希望を託された堕天使を喰らう。

崩壊する世界。
洞のような絶望が次々と希望を食らって行く。
そんな凄惨な光景が繰り広げられていた。
絶望の果てに全ては無意味に終わる。

そんな光景が、ガラスの様にパリンと割れた。

「――――ジャスト一分である」

1分間の幻術を見せる幻惑の魔眼。
『残骸』は良子の想像力の檻に囚われていた。
眼帯を外しその魔眼が露になった瞬間から、全ては幻であった。

その隙に全ての準備は整った。
両腕に巻かれていた封印(白い包帯)は解かれた。

「来たれ、来たれ、来たれ、黄昏より来たれ!
 さぁ! 準備は整った! くくっ。いでよ我が内に封じられし黒炎を纏いし漆黒の黒龍よ!
 3000年ぶりの目覚めだ! 存分に暴れよ黒龍! 最終戦争で我の片翼を奪いったその最強を見せつけるがよい!」

年数は適当その場のノリだ。
設定も今考えた。
最高にイカしてる。

堕天使の内より漆黒の龍が飛び出した。
魔界の黒い炎を纏う龍が白い肉塊へと巻き付く。
そのまま黒炎は『残骸』周囲を回り続け黒い繭の様に包み込む。

肉塊の再生力を上回る火力。
オーブンのように白い肉を焦がしながら黒繭が徐々に小さくなっていく。
必然、その中にある『残骸』もまた。

「さらば。我が最愛の宿敵よ! さらば、我が妄執の盟友よ! さらば、我が安息の日常よ……!」

全てに別れを告げる。
伸ばした掌に、そこに収まるほど小さくなった繭を重ねる。
未練や後悔、執着に。


「――――――さらば」


虚空を握り潰すと、それに合わせる様に漆黒の炎が消滅する。
その跡には、何も残らなかった。



103白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:36:29 ID:XpmjIZ2I0
『繰り返します。進行不能となる致命的なバグが発生したため、強制的に『New World』を終了いたします』

無機質な警告音が繰り返される。
世界の崩壊は止まらなかった。

『強制終了時にはゲーム内に残存する保存されていない魂(データ)はすべて破棄されますので、ご了承ください』

一方的な告知にご了承も何もない。
同好会のみんなが運営の横暴さを嘆いていたが、こう言う事かと今更中がらに実感する。

『それでは。強制終了までの僅かな時間ですが、最期の時まで『New World』をお楽しみください』

『残骸』を乗り越えた良子は塔の螺旋階段を駆け抜けていた。
遅刻寸前の学校の階段を駆けるように、色違いの翼を羽ばたかせ十段飛ばしで階段を駆け上がる。

――――救いの塔。

その意味を、良子はようやく理解した。
同好会のみんなだったならもっと早く、それこそすぐにでも気づいただろう。
なにせ、その役割は最初からその名が示していた。

救い(セーブ)の塔(ポイント)。

ゲームならば当たり前にある、状態を保持するための機能。

四つの塔は勝者を決める物だとしたならば。
救いの塔では生還を保証する物である。

この二つが合わさって勝者の生還は成し遂げられる。
世界の支配者である正義は死亡し勝者はいなくなった。
だが、ゲームが崩壊したとしても魂を維持する救いの塔の機能は生きている。
故に、正義が矛盾を指摘するのは自らが支配権を得て塔が出現したあのタイミングしかなかった。

塔の頂上に辿り着く。
円形のフロア。大理石の様な白くツルツルとした足元。
その中央には四つの塔の頂点にあったのと同じ、光り輝くオーブがあった。

輝く白いオーブ。

先ほどの『残骸』の様な白。
あるいは、何か希望のような。

良子がここまで辿り着けたのは良子だけの力ではない。
ずっと助けてくれたみんなが、ここまで導いてくれた。

良子を立ち上がらせてくれた誰か。
そしてまたその誰かを支えた誰か。
そのどれが欠けたとしてもここに辿り着くことはできなかっただろう。

多くの希望や願いがあった。
その願いの果てに良子はここにいる。

黒い虚無が浸蝕するように塔へとたどり着く。
円形のフロアが端からハラハラと崩れ始めた。

絶望に追いつかれないように、一歩踏み出す。
カツンという足音が響く。

手を伸ばす。
その希望に触れる。

瞬間、世界が白に包まれた。

[New World SHTU DOWN]

[有馬 良子 LOG OUT]

104白に至る ◆H3bky6/SCY:2022/05/04(水) 19:37:52 ID:XpmjIZ2I0
投下終了です
本編はこれにて終了ですが、まだエピローグがあるのでもう1話だけお付き合いください

105 ◆vV5.jnbCYw:2022/05/04(水) 21:43:57 ID:KFYq5lGc0
投下お疲れさまでした。
最終回だけに「このロワらしさ」を存分に使っていて、最後までどうなるか全く予想できませんでした。
生き残った5人のキャラは全員ロワのシステムをフルに使っており、何度も「そう来たか」と思わされました。


今回は勿論のこと、他にも幾つもの素晴らしい話を楽しませていただきました。
最終回まで書き上げた企画主様には同じロワの企画者として、頭が上がりません。
エピローグも楽しみにしてます。

106 ◆H3bky6/SCY:2022/05/21(土) 22:00:35 ID:alsD1xu.0
それではエピローグを投下します

107エピローグ -私らしく君らしく- ◆H3bky6/SCY:2022/05/21(土) 22:01:37 ID:alsD1xu.0
あの仮想空間での殺し合いから1年半が経った。
私は少しだけ大人になり、この春、高校生になった。

世界初の思考体感型VRソフト『New World』の引き起こした未帰還事故。
あの事件は、世間ではそう言う扱いになっていた。

事件を引き起こした『New World』は世間からの猛批判に晒され、その責任を問う声も多く上がった。
開発会社へも調査の手が入ったが、その調査で『New World』の開発会社は実体のないペーパーカンパニーだったことが判明した。
結局、責任を取るべき関係者は誰一人として見つからず、事故の原因もはっきりすることもないまま事件は玉虫色の決着となった。

この一件により思考体感型VRは危険性が問題視され国内での開発規模が大幅に縮小される事となる。
未来への可能性が一つ閉ざされてしまった僅かな口惜しさと安堵の入り混じった複雑な感情が私の中に渦巻いていた。

その事件の余波もあり、世間ではアイドルブームは終わりを告げていた。
HSF、TSUKINO、そして美空ひかり。
トップアイドルたちの相次ぐ事故死によって、業界自体に悲痛なイメージが付いてしまった。
イメージ商売であるアイドルにとってはそれは致命的で、追悼ムードからアイドルブームは徐々に下火になっていった。

業界の方はシビアと言うか商魂逞しいと言うべきか、次なるブームを生み出そうと仕掛け人たちは躍起になっていたようで。
今度は漫才ブームらしく、テレビやネットで芸人さんを見ない日がなかった。
笑いで暗い話題を吹き飛ばそうという事らしい。

世間は次の流行を消費して行く。
どんな衝撃的な事件も過ぎ去れば過去となり風化していくのだろう。

私も時折こうして、取り残された過去たちを振り返っている。
胸に残る僅かな痛みを懐かしむように。



私が目覚めたのは白い部屋だった。

腕に繋がれたチューブを視線で辿ると点滴が落ちるのが見えた。
消毒液の匂い。規則正しい心電図の音。
白い壁に白い仕切りのカーテン。
どうやらここは病室の様である。

「……知らない天井だ」

とりあえずお約束を呟く。
古典も押さえておかないと。

そんな私の呟きを合図にしたように、周囲がにわかに騒がしくなった。
傍らに居たらしい両親が騒ぎ出し、白衣を着たお医者さんがバタバタと駆けこんできた。

私は崩壊する仮想世界から現実世界に帰還した。
あの悪夢ような体験は夢ではない。あの世界での出来事はちゃんと覚えている。
決別は既にあの世界で済ませたからだろう精神は思ったより落ち着いていた。

なんでも、私たちはPCゲーム同好会の部室で倒れていた所を発見されたらしい。
深夜になっても帰宅しない子供たちを不審に思った両親たちが騒ぎ始めたことから発覚したそうだ。
私たちはそのまま病院まで運ばれたが何をしようと意識を取り戻すことはなかった。
私が意識を取り戻したのはそれから丸1日以上が経過した後の事だった。

そんな経緯を涙ながらに語る両親から聞かされながら、私自身も朧げながらあの世界に連れていかれた経緯を思い出していた。
ゲーム内では封じられていた記憶。
いつもと同じ放課後。PCゲーム同好会の部室に向かうと、そこには興奮気味に盛り上がる馬場くんと勇太くんがいた。
なんでも最新の思考体感型VRの体験モニターの抽選に当選していたらしく、それが今日部室に届いたという話だ。
申請したのが増田くんと喧嘩別れする前だったからか、サンプルとして送られてきた体感型VRマシンは部員の数と同じ4台あった。

雑談しながらまだ来ない同好会員である巧くんをまっていたが、そわそわする2人はいつ来るかわからない巧くんを待っていられず、先にやってしまおうという流れになった。
普段はゲームにはあまり付き合わないのだけど、興奮気味な勇太くんと馬場くんに圧されて私もプレイすることになった。
残り1台の空きは(何故か)高井さんが部室前をうろうろしていたので彼女を誘って、私たちはあの世界にアクセスしたのだった。

他のみんながどうなったのかを問うと両親と医師たちは言いづらそうに表情を曇らせた。
それだけで大まかな顛末は理解できてしまった。

日付を超えた直後に馬場くん、昼過ぎに高井さん、そして私が目覚めるのと殆ど同時に勇太くんの生命活動が停止した。
私もそうなるのではないかと、両親は不安で仕方なかったようだ。
肉体に損傷はなく、まるで魂が抜けたような綺麗な死に顔だったという話である。
覚悟も決別もしていたけれど、どうしようもなく私の目からはハラハラと涙は流れた。



108エピローグ -私らしく君らしく- ◆H3bky6/SCY:2022/05/21(土) 22:02:55 ID:alsD1xu.0
それから私は1週間の入院生活を送ることになった。
意識を失っていたのは1日にも満たないのだが、肉体はかなり衰弱していたらしい。
巻き込まれた事件を思えば当然かもしれないが。

入院中は特にすることもなくテレビのニュースを眺めていた。
ニュースは『新技術の危険性!』や『夢の世界で起こった悲劇!』なんて見出しで未帰還事件ばかりを扱っていた。

そのニュースで一番驚きだったのが、私の中学校の先生も巻き込まれていたことである。
苗字と名前を足したような名前はあったけれど、先生たちの名前はなかったはずだ。
同好会のみんなみたいにアバター名を使っていたのだろうか?

二人の遺体は枝島先生の自宅で体感型VRマシンを装着した状態で発見されたそうだ。
二人して出勤しない事に不審を感じた同僚教師が通報したことで発見されたのだが。
私たちの事件があったこともあり学校は混乱していたため数日発見が遅れてしまった。
この二人が自宅で一緒にゲームを遊ぶような仲だったとは知らなかった。

事件についてのニュースの中でも、一番話題になったのはとある番組収録中の事故である。
番宣のために体感型VR体験に挑んだ複数のアイドルとバンドマン一人が帰らぬ人となった。
そんなセンセーショナルな事件の影に隠れたおかげで、私の事件は小さな扱いで終わっていた。

そして分かっていたことだが、ニュースを見て改めて理解した。
一連の事件で、目を覚ましたのは私だけだった。
様々な配慮があってか、唯一の生存者である私の詳細は伏せられていたが、私だけはその事実を認識して生きていかなければならなかった。

しかし連日同じニュースばかりのワイドショーを見ていても退屈である。
入院中もスマホは使えるらしく、なんとwifiもある。
ひとまず私はストアでHSFとソーニャのソロ楽曲を検索してみた。
事件の影響もあってか、被害者たちの楽曲は驚異的なDL数となっていた。
リアルタイムで回転していく数値を眺めながら、私は音楽に耳を傾けるのだった。



駅を二つ乗り換えて、海浜の駅で降りる。
スマホで地図を確認しながら大通りの角を曲がって10分ほど歩くと巨大な二つの校舎が見えてきた。

退院した私がまず行ったのは、ネプチューン国際女学園中学を訪ねる事だった。
高井さんに託された伝言を伝えるために清水マルシアさんに会いに行ったのである。

ネプチューン国際女学園は多くの在日外国人女子が通うインターナショナルスクールである。
と言っても、私はインターナショナルスクールがどういう物なのかよく知らないので、何となくオシャレな響きくらいのイメージしかないのだが。
見えてきたのはそのイメージに違わぬ近代的なオフィスみたいな校舎だった。
隣り合う片側の校舎が中学校で、もう片方がソーニャも通っていた高校だろう。
水色を基調としたツインタワーが近隣にある海と空の蒼によく映えていた。

よく言えば歴史のある我が校との差に僅かに気圧される。
単身他校を訪ねるという緊張もあり、嘗ての私なら尻込みしていた所だろう、
だが、私は意を決して足を前へと踏み出し、校門をくぐるのだった。

しかし昨今、部外者が尋ねたところで生徒に合わせてくれるはずもない。
ましてや相手はアイドルである。簡単に出会えるはずもない。
だがダメもとで受付に居た守衛さんにアポを取ってもらった所、驚くほど簡単に会ってくれた。

「待たせちゃったかしら。有馬良子さん? でいいのよね?」

ロビーで待っていると、しばらくして浅黒い肌をした長身の女子、清水マルシアさんが現れた。
部活動から抜け出してきたのか、現れたマルシアさんは体操服だった。
マルシアさんも高井さんが事件に巻き込まれ不幸があった事は知っていた。
近隣の学校という事もあってか同じ事件に巻き込まれた私の事も知っていたようで、私の名前を聞いて会ってくれたようだ。

マルシアさんに案内され中庭の野外ラウンジまで移動する。
ラウンジは海を臨める最高の立地にあり、洒落たカフェのようであった。
こんなものが学校にあるとか別世界の様な話である。

向かい合って白い椅子に座る。
僅かに気まずい沈黙が落ちた。
初対面の他校の上級生。余り人付き合いが得意な方ではない私は緊張していた。
マルシアさんの方は聞きたいことは沢山あるんだろうけど、事件に巻き込まれた被害者であるこちらの心情を気遣ってか、静かにこちらの言葉を待っているようだ。

どう切り出したものか。
流石にあの電脳世界の出来事を説明した所で信じて貰えないだろう。
ひとまずはその辺の事情は省いて、私は言葉を選びつつ最後のメールで高井さんに託された言葉を伝えた。

伝言を受けたマルシアさんは、どこでその伝言を聞いたのかなんて経緯を問い詰めるようなマネはせず、寂しそうに「そう」とだけ呟いた。
悲しみを堪える表情の後、マルシアさんは振り切るように顔を上げる

109エピローグ -私らしく君らしく- ◆H3bky6/SCY:2022/05/21(土) 22:03:40 ID:alsD1xu.0
「良子ちゃん。バレーやってる? やってない? ならやっていく?」

恐るべき三段活用によって、あれよあれよと腕を引かれ体育館の前まで連れていかれた。
綺麗な体育館だったが、思いのほかこじんまりとした大きさである。
これなら我が中学の方が大きいかもしれない。なんて思っていたら。

「本来は部外者はラウンジより先に入っちゃダメなんだけど。
 ここバレー部用の体育館だから、私が口利けば大丈夫よ、気にしないで」

などと言い出した。
流石名門私立校。ウチの中学もそこそこの強豪らしいが公立校とは設備が違う。

『お疲れさまです部長!』

体育館に入ると元気のいい挨拶が出迎えた。
休日であろうとも練習に励む部員たちで体育館はごった返していた。
マルシアさんは軽く手を上げ挨拶を返すと、練習中の背の高い女子に近づいていきニ、三指示を出していた。
そしてバレーボール片手にとって、こちらに戻ってきた。

「それじゃあ少しだけやりましょうか」

部活動を続けるバレー部の面々を横目に、体育館の隅っこに移動する。
体育館に響く元気のいい掛け声、ボールを撃つ音をBGMに私たちもバレーを始める。
白球を追いかけ汗を流した。

「本当に未経験者? すごい運動神経だね」

マルシアさんが感心したような声でそう褒めてくれた。
最初は簡単なラリーだったけれど、徐々に熱が入っていったのか。
途中からトス、スパイク、レシーブ、サーブとラリーは激しくなっていったが何とかついていくことができた。

自分で言うのもなんが、私は運動音痴だ。
そんな私が一流選手と渡り合えたのには理由がある。

あの世界で私は救いの塔によって魂を確定(セーブ)させた。
これにより崩壊する世界の中でただ一人魂を維持したまま現実世界に帰ってこれた訳なのだけど。
魂を維持したまま持ち帰ったという事はつまり、改変されたアバターの能力をそのまま持ち帰ったと言う事である。

魂は精神と肉体に作用すると何かのオカルト本で読んだことがある。
今の私はあの世界の堕天使と同じ異能と運動能力を持っていた。
その身体能力を持ってすれば、バレーくらいは容易いものだ。

つまり、日常を送りながら秘密を抱える謎のエージェント。
誰もが一度は考える妄想を我は実現せしめたのである!
だが、実際なってみて分かった事がある。

けっこう不便!

日常生活において黒龍を放つことなど無いし、悪さでもしようとしない限り催眠も使うことも無い。
何より問題だったのが引き継がれたのは能力それだけではく、外見的特徴もそのまま反映されたという事である。

基本的な容姿はそのままの設定だったのでいいのだが、銀髪と赤と金のオッドアイは誤魔化しきれず。
結局、髪色は精神的ショック、色違いの瞳の色は後遺症という事で処理された。
今は髪は染めて、オッドアイの瞳はカラコンで誤魔化している。

もし背中に生えた翼がそのままだったら誤魔化しようがなかった所だが。
『翼は最終戦争後に封印された』と言う設定にしておいて本当に良かったと思う。

110エピローグ -私らしく君らしく- ◆H3bky6/SCY:2022/05/21(土) 22:04:01 ID:alsD1xu.0
「お疲れ様。使って」

そう言ってタオルとスポドリを手渡される。
お礼を言ってそれを受け取ると、軽く汗を拭いてスポドリを飲む。
汗をかいた後のスポドリの味が体に染みる。

そんな私の隣にマルシアさんが腰を下ろした。
共に体を動かしたからだろうか、気まずさのようなモノはなくなっていた。
いつぞやの偶像魔宴(ライブ)を思い出すようだ。

体育館の片隅で体育座りをしながらどちらからともなく話をはじめた。
あの事件の話ではなく、何気ない日常の話だ。

高井さんがどれだけ凄いプレイヤーだったのか、日天の1世代前が鬼強かっただとかそんなことを熱弁された。
正直その熱量に若干引きつつも圧倒されてしまった。
その話を聞くうち同じ学校に通っていたのに高井さんについて知らない事だらけだったと気づかされる。
自分の決断に迷ったり、小さいものが好きだったり、そんなどこにでもいるような少女の一面を始めて知った、
方や学校のスター、方や日陰の住民、そんな壁を勝手に作って知ろうともしなかったのがこれまでの私だ。
今になって、それが少しだけもったいなかったなと思う。

私もPCゲーム同好会の仲間の話や一人きりの漫画部の話をした。
聞けば、マルシアさんは漫画を読んだことがないらしく、お勧めの漫画について(もちろんマニアックなモノではなく初心者向けの物を)教えたりした。
私からすれば漫画を読んだことがない中学生が居ることに大変なカルチャーショックを受けたのだが、これはこれでまた新たな知見を得るという事なのだろう。

そしてソーニャの事も聞いてみた。
私にとっては恩人であり親友。
マルシアさんにとっては同じ学園に通う先輩でアイドル仲間。
あの世界での事は誤魔化して偶然知り合う機会があったという事にした。

いつもふざけたバカな事ばかりしている先輩で先生に怒られている姿をよく見かけたそうだ。
けれど、悲しんでる人を放っておけない人で、いろんな所で困ってる人の悩みを解決していた。
そしてアイドルとしても決める所は決めるのがズルい人だったと少しだけ悔しそうにマルシアさんは語った。

話に聞くソーニャの姿が私の印象と変わらなさ過ぎて笑ってしまった。
どこに居ようと彼女は彼女らしくあったようである。
それがどこか嬉しくて、少しだけ泣き出したくなった。
思えばあの事件から声を出して笑ったのはこれが初めてだったかもしれない。

そんなくだらない話をしている間に、気づけばいい時間になっていた。
伝言を伝えに来ただけのつもりだったが、随分と長話と付き合わせてしまった。
マルシアさんもそろそろ練習に戻らないといけないようで、雑談はここで御開きとなった。

「今はちょっと自粛ムードだけど、次にライブをやることになったら招待するから、よかったら来て」

別れ際、校門まで見送りに来てくれたマルシアさんはそんなことを言って連絡先を交換してくれた。
私もそれに応える様に手を振って帰路についた。

帰り際、私はスマホに『スポーティG's』の楽曲をDLして、電車に揺られながら耳を傾ける。
思ったよりポップな曲だった。



111エピローグ -私らしく君らしく- ◆H3bky6/SCY:2022/05/21(土) 22:04:45 ID:alsD1xu.0
最寄り駅に付いたころには日はすっかり暮れていた。
僅かに足を速め帰路を急ぐ。
時刻は黄昏を僅かに過ぎて逢魔が時――――魔に逢う時である。

「――――――――やあ」

帰路の途中、街灯の下。
暗がりにその男はいた。

それは取り立てて特徴のない男だった。
影に隠れてその顔はよく見えない。
照り返す街灯の光で辛うじてその口元が見えるくらいだ。

不審者の登場に私は咄嗟に身構える。
今の私なら全力で逃げれば誰も追いつけないだろう、AGI(B)は伊達ではない。
襲われたとしても、いざとなれば変質者程度なら返り討ちにできる。

「退院おめでとう。有馬良子。いや、†黄昏の堕天使 アルマ=カルマ†と呼んだ方いいか」

その名を呼ばれ、警戒レベルが急速に引きあがった。
それは私のSNSアカウント名であり、そしてあの電脳世界におけるアバター名だ。
私がその真名を名乗っている事を知っている者は、同好会のみんなのようなリアルの友人以外ではいないはずだ。
いるとしたらそれは、あの最悪のゲームの参加者か、可能性があるとしたらあと一つ。

「――――創造主」

正義くんのメールにあった黒幕。
仮想世界における全ての悲劇を引き起こした元凶。
ついぞ見つからなかった『New World』の関係者。
その呼びかけに男はただ口端を釣り上げる事で応えた。

警戒心を全開にして身構える私と違い。
何の気負いもなく、道でも尋ねるような気軽さで男は声をかけてきた。

「キミに会いに来たんだ」

抑揚のない声。
どこにでもいるような平凡な外見。
全てが普通なのに全身が泡立つ。

私はそっとカラーコンタクトを外し、腕にリボンのように巻いていた包帯を解く。
暗がりで相手の目元が隠れているため魔眼は通るかどうかわからないが。
いざとなれば、この現世で封じられし力を解放する事も辞さない覚悟だ。

「成功とは言い難い結末だったけれど、一応キミは成果物だからね。ほら、確認しておかないと、ねぇ?」

正義のメールによればあのゲームの目的は世界を上回る魂の検証だと。
ゲームクリアは有耶無耶になったが、魂を確定させ持ち帰った唯一の存在であるのは確かである。
その元凶が、唯一の生き残りの前に現れた。
それが何を意味するのか。

「私を、どうするつもり……?」
「そう身構えなくていい。別に取って食おうという訳じゃないさ。
 ……いや、流れと場合によっては取って食うのか? どうだろうね?」

薄っぺらの権化のように適当な言葉を並び立てる。
そこに誠実さなんて物は感じられない。

112エピローグ -私らしく君らしく- ◆H3bky6/SCY:2022/05/21(土) 22:05:24 ID:alsD1xu.0
「何者なの、あなた」
「僕が何者か。なんて、そんな事はどうでもいいことだ。
 僕の背景、僕の人生、僕の存在意義などキミの物語には関係がない。そうだろう?」

堕天使的言い回しとも違う、意味不明な回りくどい言い回しだ。
相手に伝わりやすい言葉で話すべきである。

「重要なのはその記号さ。
 キミの前にあるのは、キミたちをあんな目に合わせた元凶が目の前にいるという事実だけだ。
 さぁ、唯一の生き残りであるキミはどうする? 何を選ぶ?
 その結論(こたえ)を僕は知りたい」

全ての悲劇の元凶たる存在を前に。
あの悲劇を生き残った唯一の人間として。
何を思い、何をすべきなのか。
男は何かを求める様にこちらに決断を迫る。

「あなたのした事も、あなたの事も許せないって思うよ、だから」

許すことはできない。
それが私の正直な気持ちだ。
その言葉を受け、男の口元が不気味に歪む。

「――――もうしないって誓って」

男は虚を突かれたように動きを止めた。

許せなかったとしても、暴力に訴えかけるようなマネはしない。
血みどろの殺し合いなんてもうごめんだ。

それが相手に受け入れられるかは知らない。
けれど、これが私の意志(こたえ)だ。

「なるほど。やはりキミは戦う者ではないらしい」

まるで泣き笑いのような歪んだ笑みを浮かべたまま固まる。
男は酷く落胆したように肩を落とした。

「ま、こういう結末もありか」

ぽつりと呟くように言う。
先ほど前の落胆などなかったかのように再起動する。
それは壊れたまま稼働し続ける機械のようだ。

「誓おう。キミの世界を侵すようなマネはもうしない」

あっさりとそう認めた。
正直、ひと悶着あるかと思っていた私は拍子抜けする。
その言葉の信憑性がどれほどのものなのか、それを計る術はない。
だが、こちらの要求を全面的に呑まれてはそれ以上続けようがなかった。

「さて、要件はここまでだ。僕は立ち去るとしよう」

言って、踵を返す。
引き留める理由もなく、私はその背を見送る。
ひらひらと手を振って街灯の光から、影の方に消えていく。

「さようなら。有馬良子。この世界でキミはキミらしく生きるがいいさ」

不思議な会遇はこれで終わり。
男と私はもう二度と出会うことはなかった。



113エピローグ -私らしく君らしく- ◆H3bky6/SCY:2022/05/21(土) 22:06:06 ID:alsD1xu.0
それから数か月後。
私はマルシアさんに招待されて『スポーティG's』のライブを見に行く事となった。
既に世間ではアイドルブームも陰りを見せており、集客に苦労しているのか小さな会場だったけれど。
それでも初めて見るちゃんとしたアイドルライブは野良ライブとは違って設備や演出から違い素晴らしい物だった。
特にサッカーとバレーを使ったあの演出は一見の価値ありである、まさかボールの大きさの違いをああ使うとはなー。

世間の流行など懸命に頑張るアイドルや応援するファンには関係ない。
彼女たちは存分に自分らしさをステージで表現していた。
そう感じられる熱いステージだった。

興奮冷めやらぬままふわふわとした気持ちのまま帰路に就く。
熱を冷ますように夜の住宅街を歩きながら、思い返すのは忘れられない記憶だった。
全ての不安が吹き飛ぶような、初めてアイドルを見たあの瞬間。
原体験は見上げた夜空に輝く数億年前の光の様に輝き続けていた。
思い出はこうして大切な記憶として残り続ける。

それから、私に一つ趣味が増えた。
暇を見てはアイドルライブに通うようになったのである。
中学生のお小遣いではそれほど頻繁に行ける訳ではないけれど。

これまで私の世界は小さな世界だった。
新たな世界で新たに知り合う人もいる。
新しい事を知る事で世界は広がってゆき、価値観も変化していく。

しかし、3年になるとライブに通う頻度も落ちた。
お小遣いが苦しいというのもあるが、高校受験を控え受験勉強に専念する必要があったからである。
堕天使の力も受験勉強には全く役に立たなかった。

強いて言うなっらファヴくんとの散歩が受験勉強の気分転換になっていたくらいだろうか?
ファヴ君とは‡漆黒龍帝 ファヴニール=カオス‡と名付けた内なる黒龍の事である。
たまに外に出してあげないのも可哀想なので、時々出してばれないように深夜に散歩している。
黒炎を制御すれば撫でられるし、これでも結構懐いてくれている、カワイイやつめ。

そんな勉強の甲斐あってか私は月光芸術学園の入学試験に無事に合格することができた。

私立月光芸術学園。
芸能全般に強く、校外活動の支援もしているため多くの芸能人が通っていること有名な学園である。
あの事件に巻き込まれたアイドル達も多くが在籍していた。

だが、私がこの高校を選んだのは、事件とは関係のない理由である。
月芸は芸能活動のみならず文化系の部活にも力を入れており、特に漫画部は卒業生から多くの漫画家を輩出していた。
これまで漫画は趣味の延長でしかなかったけれど、本気で取り組んでみようと思た。

中高一貫校への高等部からの入学組は既に出来上がってる人間関係に突っ込んでいくため若干肩身が狭かったが。
高校組は高校組で固まったりして、新しい友人もできた。
まあそれなりに精一杯やっているつもりだ。

「おはようございます」

放課後。当初の予定通り漫画部へと入部した私は挨拶と共に部室の扉を開く。
漫画部の部室は綺麗、とは言い難いが十分な広さがり、なにより部活棟の中央近くと言う立地もよい。
傾斜台の置かれた漫画机は一人一席用意されており、トーンやGペンなどのアナログ素材だけではなくペンタブや液タブといったデジタル作画まで充実している。
周囲の部員も漫画作成に対する知識も情熱もあり、漫画を描くにおいてこれ以上ない環境だろう。

目を閉じて隅っこに追いやられたような狭い部室を僅かに思い返す。
数の足りない空き机に、自分で持ち込んだペン一つ。
漫画を描くに全く適していない、そもそも漫画部ですらない、けれど最高に輝いていたあの場所。
輝きは色あせず、されど過去は縋るのではなく、懐かしむものである。

これまで私が好きだった物。
私が新しく好きになった物。
輝かしいような思いでも、辛い出来事だって、全ては私を形成する一部だ。
いろんな経験が新しい私を創造していく。

私は漫画を描く。
己らしさを貫いて散っていった彼らの様に。
どんな絶望にも負けず己らしくあった彼女たちの様に。
自分らしさを表現するために。

今作もいつも通りのファンタジー。
大人になり少しだけ厨二病だったころの自分を恥ずかしく思うようになっても、好きなモノは好きだし、カッコいいものはカッコいい。
ジャンルは異世界転生、主人公はアイドルだ。

希望を届ける話にしたいと思う。

114エピローグ -私らしく君らしく- ◆H3bky6/SCY:2022/05/21(土) 22:06:58 ID:alsD1xu.0
投下終了です
これにてオリロワVRは完結となります、ここまでお付き合いいただきありがとうございました
少しでも楽しんでいただけのなら幸いです、それでは!


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