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Fate/Over The Horizon Part4

1 : ◆0pIloi6gg. :2021/10/12(火) 23:45:07 grDTNt3s0
.


 譲れないものただ一つ、理由は知らぬまま
 生きて行く、今も


wiki:ttps://w.atwiki.jp/hshorizonl/


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2 : ◆0pIloi6gg. :2021/10/12(火) 23:45:30 grDTNt3s0
聖杯戦争のルール

【舞台・設定】
・数多の並行世界の因果が収束して発生した多世界宇宙現象、『界聖杯(ユグドラシル)』が本企画における聖杯となります。
・マスターたちは各世界から界聖杯内界に装填され、令呪とサーヴァント、そして聖杯戦争及び界聖杯に関する知識を与えられます。

・黒幕や界聖杯を作った人物などは存在しません。

・界聖杯内界は、東京二十三区を模倣する形で創造された世界です。
 舞台の外に世界は存在しませんし、外に出ることもできません。
・界聖杯内界の住人は、マスターたちの住んでいた世界の人間を模している場合もありますが、異能の力などについては一切持っておらず、"可能性の器"にはなれません。
 サーヴァントを失ってもマスターは消滅しません。

・聖杯戦争終了後、界聖杯内界は消滅します。
・それに伴い、願いを叶えられなかったマスターも全員消滅します。


書き手向けルール

【基本】
・予約はトリップを付けてこのスレッドで行ってください。
 期限は七日間までとしますが、申請を行うことでもう七日間延長することが出来ます。
 延長期間を含めて、最大二週間までの予約が可能になります。
・過度な性的描写については、当企画では原則禁止とさせていただきます。
・マップはwikiに載せておきましたので、ご確認ください。

【時間表記】
未明(0〜4時)/早朝(4〜8時)/午前(8〜12時)/午後(12〜16時)/夕方(16〜19時)/日没(19時〜20時)/夜間(20〜24時)

【状態表】
以下のものを使用してください。

【エリア名・施設名/○日目・時間帯】

【名前@作品名】
[状態]:
[令呪]:残り◯画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]

【クラス(真名)@作品名】
[状態]:
[令呪]:残り◯画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:
1:
2:
[備考]


3 : ◆0pIloi6gg. :2021/10/12(火) 23:45:54 grDTNt3s0
こちら新スレになります。
引き続き当企画をよろしくお願いします。


4 : ◆EjiuDHH6qo :2021/10/13(水) 00:21:45 b3ITJcjY0
スレ建て乙です
死柄木弔&アーチャー、神戸しお&ライダー、星野アイ&ライダー、さとうの叔母&バーサーカー、北条沙都子&アルターエゴ・リンボ予約します


5 : ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/14(木) 08:07:33 .QAghZfk0
すみません、自分の予約分ですが投下が一日遅れてしまいそうです。
お待たせしてしまい申し訳ありません。


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6 : ◆A3H952TnBk :2021/10/14(木) 19:35:38 5g0QtXvY0
延長します。


7 : ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:25:18 1uaApsLY0
遅れてしまい申し訳ございません、投下します


8 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:27:58 1uaApsLY0
薄暗い部屋の中、蛍光灯の白い光だけがテーブルを囲む4人を照らしていた。
まだ日は落ちていないはずだが、この部屋には日光が一片たりとも入ってこない。
その理由は、やはり夏の暑さを凌ぐためなのだろうか。
締め切られた部屋を冷やす冷房の風がボクの髪をくすぐった。

締め切られた窓に目を移すと、隣に座っている己のマスターの俯いた顔が目に入った。
その表情はとても暗い。
原因はわかっている。その悩みを打ち払うためなら、ボクは万雷と化して戦う事も辞さないつもりだ。
ただ、その結論を下せる者は彼女一人、今はただ、待つしかない。

「しょーこちゃん達を襲ったサーヴァントの強さはわかったわ。」

前から声が掛かり、窓に向けた目を正面に戻した。
以前戦った厄介なキャスターと、そのマスターであり、僕のマスターの友人でもあるさとうが席についている。
ボク達主従はこの家に迎え入れられてから情報共有の真っ最中であった。

「雷霆くんの話は信じがたいね、その話が本当なら俺と雷霆くんが束になっても勝てないじゃないか。」

キャスターが横から不真面目な茶々を入れる。
その声に反論しようとしたところ、さとうがキャスターを制した。

「ああ、気にしないで。コイツと違って無駄な嘘吐くタイプじゃないのは分かってるから。」

「おいおい酷いなあさとうちゃん。いつ俺が嘘ついたって言うんだ。」

キャスターは悪びれもせずそう言った。
茶々を入れた時からその顔は笑っている。真剣に検討しているわけでもなさそうだが、コイツの本心はどこにあるのだろう。

「実際の所どうなんだ雷霆くん、俺と君が組めば勝てそうかい?」

「無理だろうな。ただ、勝つ算段はあるとだけ言っておくよ。」


9 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:29:50 1uaApsLY0
蒼き雷霆の誇る完全な雷刃極点を心に描く。
世界を管理せんとした高天の支配者を、自由を騙り世界を我が物にせんとした電気仕掛けの翼を、混迷の大地に反旗を翻さんとした救世の巫女を、全て葬り去った混沌の龍、蒼き雷霆の誇る最大奥義だ。
間違いなくあの強大な龍にも通用する。その確信がボクにはあった。

「ふーん、まあそれで納得しておくとしようか。
 特等席で見せてくれるんだろう?その算段って奴」

「それも気になるけど、一番気になる所はその龍が『おれのマスターは戦場にも立てる』だの『マスターの替えを用意する』だの言ってるとこね。
 そんな大勢力なり強力なマスター、心当たりある?」

「栄養たっぷりの女の子が多いからって、今話題の283プロダクションって処なはずはないよなあ。
 逆に白瀬咲耶ってアイドルを行方不明にした側の方が怪しいかな?たった数日でここまで巷で話題…現代だと“炎上”って言うんだっけ?になるなんて妙な話だって言ってたよねさとうちゃん。」

炎上、その言葉に反応して松坂さとうの赤い目線がマスターへ移した一瞬をボクは見逃さなかった。
本選開始前後のSNSで突発的に始まった騒ぎ、『白瀬咲耶行方不明事件』。
その件は今のSNS上の話題である神戸あさひと関係がある可能性が高い、それを踏まえての探りかもしれない。

「確かに、白瀬咲耶を始末した側が組織的に動いて炎上騒動まで起こしているっていうんならありえるかもね。」

松坂さとうが話題を伸ばすが、マスターの顔色は微塵も変わらない。
話が頭に入っていないのか、聞いた上で無反応に努めているのか、ボクにもわからない。

「その線は薄いと思うよ。」

「なんで?」


10 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:30:33 1uaApsLY0
「炎上を起こすのは、目立っても良いから手当たり次第に探りを入れて相手の動きを制限したい人間のやり方だ。
 奴に限れば、アイドルや事務所を直接襲った方が手っ取り早い。」

炎上騒動を故意、かつ確実に起こすには複数のインフルエンサーとサクラが必要であり、組織だった犯行の可能性は極めて高くなる。しかし騒ぎが目立てば目立つほど社会的な立場を捨てて身を隠す可能性や介入した場合に自分まで目立ってしまうリスクも当然高い。
市街地だろうと関係無しに焼き払い、多少の妨害など意味を成さないあのサーヴァントであれば、事務所やロケ地など所在が明確になる『アイドル』で居てもらった方が都合がいいだろう。

「他にサーヴァントを失ったマスターや、戦ってくれるNPCを確保してる勢力がいるってワケか、頭が痛いなあ。」

「ああ、『龍』のサーヴァントを持つ勢力と他の勢力が手を結んだら厄介だ。」

可能であれば、叩いておきたい。
それが今の僕の正直な見解だった。
調査を進めて黒幕に近いアカウントに接触して攻め込む案や、組織に表立った身分があればそれに破壊工作を仕掛ける案があるが、今はまだ伏せておく。

「それで、どうなの?」

「どう……って?」
ボクが何も分からない風を装うと、さとうはため息をついてこちらに踏み込んできた。

「この炎上案件、神戸あさひの炎上と関係あるの?どうせ調べてるんでしょ。」

「………」

当然の疑問だろう。
アイドルが数日姿を見せないだけで行方不明扱い、元々物騒という話を聞いていなかった神戸あさひが突然凶行を起こしたと炎上。
どちらかを知る人間であれば、この二つを結びつけることは不自然ではない。
言われている通り、神戸あさひの炎上がデゴマークか、アイドル行方不明事件と関連があるかの調査は済んでいるし、マスターへ報告済みだ。


11 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:30:51 1uaApsLY0
「ただじゃ教えられないな。」

「おいおい、俺たちはもう仲間じゃないか。そんな水臭いこと言わないでもいいじゃないか。」

「確かに同盟を組んだから概要は当然教えてやるが、ボクたちだけ情報を言わされてお前たちの私情で動かされたら困る。」

「私情で動く?話が逆じゃないか?」

「家にいる許可を出してるお前たちの方が立場が上だ。
 今のこっちは私情で動きようがないんだ、対価の情報位貰えなきゃ対等に動けないな。」

数秒、さとうと睨み合って互いに動かなかったが、やがて彼女は音を上げたようにテーブルの上にカバンを広げた。
その様子を見ていたキャスターは機嫌が良さそうに笑っている。
この二人、仲が悪いのだろうか。

「この聖杯戦争、叔母さんが参加してるみたい。」

そう言ってさとうはカバンから住民票を取り出した。
そこには確かに、松坂さとうの名前と親権を持つ人物の名前が書かれていた。

「みたい?確認したわけじゃないのか?」

「最近居る事だけわかったから家に行ったんだけど、もぬけの殻だったの。
 しょーこちゃんは知ってるから言うけど、叔母さんは滅多に家を出ないし自分で家から出ていった形跡があるから、たぶん他の参加者と一緒に動いてるんだと思う。」

「丁度、君の言う龍のサーヴァントも手を組む提案をしたそうじゃないか。
 俺たちの協力者になり得る彼女の叔母が今どこに居るか判断したい、これは合理的判断に必要なんだよ。」

横からキャスターが付け加える。
確かに、信頼できる身内が居るのであれば協力するに越したことはない。


12 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:31:22 1uaApsLY0
あの龍のサーヴァントに主従丸ごと持って行かれたか、神戸あさひを攻撃する勢力に居るのか判断するには情報が必要だろう。
確かに、筋は通る。

「知らないなら知らないでいいよ。私たちだけで調べてみるから。」

数舜考えたのち、マスターへ念話で尋ねた。

(マスター、ここで『知らない』と言うとボクたちは神戸あさひや彼女の叔母から遠ざけられるかもしれない。
 危険かもしれないが、ここはボクたちの知ってる事を言っていいだろうか。)

(良いよ、アーチャー)

さとうとキャスターから悟られぬように、マスターの顔を伺う。
その顔には未だに疲弊の色が抜けていなかったが、その眼には微かだが確かに、強い力があった。
ボクは意を決して口を開いた。

「神戸あさひの炎上はデゴマーク。
そして犯人はアイドル行方不明事件を盛り上げている勢力と同一犯だ。」

「証拠は?」

「神戸あさひの方は調べればわかるが、未解決事件や犯人不明の悪質な行為に擦りつけられてまるで真犯人みたいな扱いになっているが、警察から明確に指名手配はされていない。
 そして同一犯だという証拠は、まずこれを見てくれ。」

マスターから借りたスマートフォンを。二人に見えるようにテーブルに上に置いた。
某SNSサイトのユーザーの一人がそこに映っている。

「さとうちゃん、俺にはこれのどこが変なんだかわからないな。」

「私もわからない、このアカウントがどうしたの?神戸あさひの炎上投稿を拡散してるってだけ?」


13 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:33:29 1uaApsLY0
「転売アカウントだ。」

当然画面を見ただけでは分からない、蒼き雷霆のハッキングにより探り当てた炎上道具の一端について二人に説明する。

「一か月以上前から作られているようなアカウントで、元々の投稿数が少なくて転売を悟られないようなアカウントが多数ある。
こういうアカウントが、行方不明事件にも神戸あさひ炎上にも大量に拡散に加わっている。」

「どうやって特定したんだい、そんな事。」

「炎上元を辿って、大本で拡散しているアカウントの投稿をサーバー側から確認すると、多くのアカウントがある日突然投稿IPアドレスが大きく変わっているのがよく見えるよ。」

「そんな事でもしないと分からないんなら、普通にSNS見るだけじゃまず特定できないわね…」

「これって、投稿してる場所特定できたりしないのかい?」

「いくつか居場所が特定できるアカウントがあったけど、場所がバラバラだ。
 下手すると、何か炎上の火種があったら拡散することを条件に、炎上を仕掛ける人間が更に無関係のNPCに転売したものかもしれない。」

白瀬咲耶行方不明事件と神戸あさひ炎上案件を同時に拡散するような動きが明白にない以上、もう少し複雑なのだろう。どのみち、拡散の数を稼ぐだけなら己の手元でやらせる必要はない。
このアカウント群だけを見ても大本の特定には至ることは難しいだろう。

「じゃあ、仕掛け人の特定はできないってわけ?」

「これはあくまで数の上で盛り上げるためのものだ。確実に炎上させるなら社会的立場や話題性を持ったインフルエンサーが必要になる以上、仕掛け元の組織に繋がるようなアカウントも確実に存在する。ただ、特定には時間はかかるかもしれないな。」

半分は本当であり、半分は嘘だ。
転売アカウントから現実で直接接触したようなアカウントまで織り交ぜる巧妙な手口により、特定は極めて難しいが場合によっては今晩までに仕掛け人へと繋がるようなアカウントの特定もありえる。


14 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:35:31 1uaApsLY0
「ま、いいわ。これで神戸あさひの炎上が攻撃だって言うのはハッキリしたし、
 同盟の滑り出しとしては上出来じゃない?」

「………」

彼女の言い分はすなわち、彼女の叔母が彼女のためにそれを指揮している可能性があると言うことだ。
もし、それが正解であれば神戸あさひへの炎上攻撃は維持したまま、彼女が叔母を介して組織と友好的に付き合えるだろう。
未だ結論は出ていないとはいえ、ボクたちは進んで神戸あさひへ攻撃を加える真似をしたくはない。
接触の機会を与えるかどうかは、今はまだ吟味した方がいいだろう。

「ところでしょーこちゃん、しょーこちゃんのアーチャー借りていい?」

情報交換も終わり、一息つこうとしたところでのさとうのこの一言には驚いた。
情報交換中、反応を見せなかったマスターも驚き目を見開いている。

「しょーこちゃんがこの家で暮らせる準備してなかったし、これから買い物行こうと思うんだよね。」


15 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:36:15 1uaApsLY0
夕焼けに染まる町の中、ボクとさとうは買い物からの帰路についていた。
一人暮らしとは言え、無趣味でバイトに精を出していたというロールだったらしいさとうは資金に余裕があったらしく、僕の両手は大サイズのレジ袋でふさがった。
仮にもサーヴァントだ。こんな荷物程度で重く感じるはずが無いし、なにより(やむを得ないとはいえ)あの二人を一緒に家に残しているという事実が心配だ。自然と足が早足になる。
現代では目立つからと、三つ編みを解いた髪のくすぐったさに慣れた頃にさとうが口を開いた。

「アーチャー、相談なんだけど…しょーこちゃんに神戸あさひを諦めさせてくれないかな」

「………」

「もし、しょーこちゃんがアイツの所に行っちゃったら全員聖杯戦争で勝ち抜くのが難しくなるし、なにより無暗に傷つくしょーこちゃんは見たくないよ。」

夕日に照らされる彼女の横顔は物憂い気だ。
建前だとしても、全てが偽りではないだろう。

「その話には乗れないな、彼女の意志を無視することはできない。」
例え善意だとしても、それを跳ね除ける。
例え地獄道だろうと彼女についていく覚悟はできている。

「そもそも、今のマスターは神戸あさひを追いかけに行きたいと思うのか?」

「しょーこちゃんとはね、バイトで一緒になってからずっと一緒に遊んでたんだよね。」

ボクが尋ねると、彼女は自嘲気味に笑って語り始めた。

「バイトして、ネイル塗ったりして、男漁って、気楽に楽しく遊んで、何でも分かってるつもりだったけど…今のしょーこちゃんは分からないの。」

聞く限り、彼女とマスターは長い付き合いだ。
マスターから聞く彼女は、マスターの事をなんでもわかっているような人間で、己でもその自負があったのかもしれない。
ボクも、サーヴァントという身分でありながら、今のマスターを強く支えてやれない自分を考えると心が重い。


16 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:37:08 1uaApsLY0
今のマスターが何を思っているか、それはボクには察しきれない。

「それで良いんじゃないか?」

ただ、それは間違っているという事ではない。

「え?」

「異なる他者同士だから、互いに自分に無いものを期待できる。そうあって欲しいと思ってるよ。」

「それって体験談か何か?」

「いや、理想論だな。」

アキュラが聞いたらまたお花畑とでも言われそうな話だが、そうであって欲しいと切に願っている。
そうでなければ、ボクの人生は何の意味もないモノだ。
ふと僕は、胸に手を置いた。

(シアン…君は、僕の知らないどこかで幸せになってくれただろうか…)

胸から響く音は、ボク一人の孤独な心音だけだ。もう彼女の声は聞こえない。
彼女と出会って始まったボク、ガンヴォルトの一側面の人生は、彼女を失い、手放した事で幕を下ろした。
後悔はない人生だった。そう思い込もうと努めているが、時々胸ががらんどうの様に寂しくなる時がある。
何も残せなかった自分の人生に価値などあるのか。あれから自分が誰からも忘れ去られ、ただ世界をかき乱した混沌の龍という情報だけが残ったのではないのか。考えないようにすれど、不安でたまらなかった。
オウカやマスターはこの不安と戦いながら他人に手を差し伸べ、或いは他人とぶつかることを恐れない強さがあるのだ。シアンと離れただけで寂しい己とは比較にならないその強さをボクは尊敬している。

そう物思いにふけっていると、さとうの目が不思議そうにこちらを見つめていた。
ボクは、意識を現実へと引き戻すとバツの悪さを誤魔化すために口を開いた。


17 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:38:24 1uaApsLY0
マスターの力になるためにも必要なことだ。

「聞きたい事がある。」

「何?」

「なんで君が神戸あさひを敵にしているのか、理由を聞かせてもらっていいかな?」

その言葉を口にした途端、夕方の空気が一気に冷え込むのを感じた。
彼女がマスター相手には決して出さなかった、殺気すら感じる。

「君の大切な人の家族を、なぜそうまで目の敵にするのかが分からない。」

あの赤い復讐鬼、彼と比べればこの殺気程度ならそよ風に等しい。
ボクはそれを無視してさらに踏み込んだ。

「アイツは、しおちゃんの幸せを奪おうとしたの。」

さとうはそうポツリと溢した。
大切なもののためなら、何とでも戦える、そんな感情も含んだ言葉だった。
どこかで同じような強い意志を見たことがある気がする。
それは赤き復讐者だったか。それとも鏡に映った己の姿だったか。

「あなたにはわからないかもしれないけど、家族と一緒なだけが幸せじゃないんだよ。」

「そうか。でもそれは、君の大切な人から『家族を遠ざけて欲しい』って頼まれたのか?」

「私が勝手にやったわ。」

「………」

それは確かに、愛なんだろう。
ただ、歪んでいる。
神戸あさひとの対立の原因について聞いた以上、ボクからこれ以上踏み込むつもりはない。
それはマスターのやるべきことだ。


18 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:41:50 1uaApsLY0
「こっちも聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」

「良いよ。」

「しょーこちゃんと神戸あさひってどういう関係なの?」

そう言えば彼女がマスターとあさひの関係を把握したのは、ほんの数時間前だったか。
よほどの寝耳に水だったのかもしれない。

「本人に聞けばいいだろ。」

「聞ける雰囲気じゃないんだよね。」

思ったより呆気の無い質問だった。
マスターには悪いが自分の質問に答えてもらったばかりだ、誠実に答えよう。

「わからない。」

「本当に?」

「少なくとも、ボクにはどう言えばいいのか分からない。
 ただ、勇気を貰ったらしい。」

恋人、尊敬する人、弟、彼女と神戸あさひの関係を当てはめようとする言葉が浮かんでは消える。
思えばこういう事には無縁の人生を送ってきた僕の口から、適切な言葉が出るはずはなかった。

「勇気を貰った、ねえ」

ただ、彼女はボクの拙い言葉から適切な関係を察したのかもしれない。
納得を含んだ微笑が、彼女の顔に浮かんだ。

「それって、愛なのかな」


19 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:42:27 1uaApsLY0
「……お前も、キャスターも」

そしてボクも、言うという言葉を飲み込んで続けた。

「人の愛を語れる人間じゃないだろ。」

ボクたちの愛の始まりは、

(この子は、あの頃のボクと同じだ――)

情であり。

(忘れるなら連れて行っていい?)

飢であり。

(しのぶちゃんだったかな?カナエちゃん?)

空だ。

そこからは愛だと、全員口をそろえて言うだろう。
しかし、そもそも愛の始まりがどこか明確に言える人間だとも思えなかった。
それは彼女にもわかっているのか、彼女は軽く笑うと話を早く切り上げた。

「今のしょーこちゃんの事、まだ分からないけど
アーチャーが言ったみたいに、今のしょーこちゃんにはどこか期待してるのかも。」

彼女はそう言うと、話は終わりだと言わんばかりに足を速めた。
果たしてマスターは何を決断するのか、さとうは組織に対してどう動くのか。

空を仰いだボクの目に映るのは、もうすぐ闇に飲まれようとする夕暮れの赤い空だ。
――じきに夜が始まる。
聖杯戦争本選開始以降、初めて迎える夜だ。
果たして、今の四人は全員この夜を超えることはできるのだろうか。
サーヴァント・アーチャー…ボクは、組織もシアンも関係が無いこの戦いにおいて、己の信念をもってして何かを残すことができるのか。
予測不能の次の舞台は、そう遠くない。
ボクも、彼女の背を追って、マスターの待つさとうの家へと足を速める。
やがて、二人の姿は夕焼けの中へと消えていった――


20 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:42:54 1uaApsLY0
【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:魔力消費(中)、焦燥と混乱(?)
[令呪]:残り2画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:さとうを信じたい。あさひくんにお礼を言いたい。そのためにも、諦められない。
1:…………。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。

【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:疲労(中)、回復中、クードス蓄積(現在3騎分)
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
1:マスターを支え続ける。彼女が、何を選んだとしても。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
3:松坂さとうがマスターに牙を剥いた時はこの手で殺す。……なるべくやりたくない。
4:マスターと彼を二人にして心配だ……
[備考]
※予選期間中にキャスター(童磨)と交戦しています。また予選期間中に童磨を含む2騎との交戦(OP『SWEET HURT』参照)を経験したことでクードスが蓄積されています。


21 : 藍の運命 新章(オルタナティブ) ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:44:49 1uaApsLY0
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:もししおちゃんが居たなら。私は、しおちゃんに――
1:どんな手を使ってでも勝ち残る。
2:しょーこちゃんとはとりあえず組む。ただし、神戸あさひを優先しようとするなら切り捨てる。
3:叔母さん、どこに居るのかな。
[備考]
※飛騨しょうこと連絡先を交換しました。
※飛騨しょうこのサーヴァントが童磨の言う"雷霆の弓兵"であると当たりを付けました。
※本名不詳(松坂さとうの叔母)が聖杯戦争に参加していると当たりを付けました。

【キャスター(童磨)@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:ニ対の鉄扇
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:もう一度“しのぶちゃん”に会いたい。
0:君の愛が、俺の先を行くものでないのなら。その時は俺が君の先を行くよ、さとうちゃん。
1:日没を待つ。それまではさとうの“感覚”を通して高みの見物。
2:さとうちゃんの叔母と無惨様を探す。どうするかは見つけた後に考えよう。
3:雷霆の弓兵(ガンヴォルト)と話したい。俺は話すのが好きだ!
[備考]
※予選期間中にアーチャー(ガンヴォルト(オルタ))と交戦しています。さとうの目を通して、彼の魔力の気配を察知しました。
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要ですが、さとうは索敵のために渋々受け入れています。
※本名不詳(松坂さとうの叔母)と鬼舞辻無惨が参加していると当たりを付けました。本名不詳(松坂さとうの叔母)は見ればわかると思ってます。


22 : ◆VJq6ZENwx6 :2021/10/16(土) 18:45:32 1uaApsLY0
投下終了です
今回は遅れてしまい申し訳ありません


23 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/16(土) 19:43:19 2FjUa7V20
先日は予約破棄の件、申し訳ありませんでした
もしまた書き手として参加させていただけるようであれば

櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)
田中摩美々&アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
予約します


24 : ◆0pIloi6gg. :2021/10/16(土) 21:37:51 sXXAz59I0
>>Down the Rabbit-Hole
どのキャラも格が高い……! 文字通り全てのキャラが自分の格を見せてきた感じがあってとても楽しく読めました。
開花からして『再生』である皮下の天敵がリップなの、よく考えなくてもそれはそうなんですけど実際に描写で見せられるとやはり面白い。
皮下自身も言っていましたが、タイミングがほんの少し違えばそのまま脱落させるなり手綱を握るなり出来たかもしれないですね……。
そしてカイドウ(大看板もいるけど)との面接、一歩も退かずに毅然と応対するリップが格好良くて好き。
そんな彼をしかしただ一人心配の目線で見つめるシュヴィもいい子すぎて応援したくなるんだよなあ。

>>ハッピースイーツライフ
大和とベルゼバブの主従が目を付けたのは皮下病院、これは間違いなく大きな戦になりますね。
カイドウとベルゼバブが戦えばケイオスマターの存在が大きく響きそうですが、しかしあちらの戦力は間違いなくこの聖杯戦争でも随一。
おまけについ最近加入したシュヴィとリップも居るので、本当にどうなるか分からないのが楽しみです。
それにしても、またしても迎撃の仕事が果たせなそう(それどころか死にそう)なアオヌマとチャチャは強く生きて欲しい。

>>藍の運命 新章(オルタナティブ)
GVがいいサーヴァントすぎる……。彼の英霊としての強みが色々な面から見られた話でした。
マスターとその意思を守るために(相手が優位を取ってる)同盟相手にも一歩も退かないGV、流石のレスバ強者ですねこれは。
炎上騒動の真実をさらりと見抜く辺りも流石ですし、そしてやはり一番好きなのはさとちゃんとの対話。
いざとなれば殺すことになるかもしれない彼女にも先人として諭す言葉を送っている辺りが本当に真面目で真摯な男だなあと。
この同盟関係もあさひの存在上なかなか薄氷ですが、果たしてこの先どう転んでいくのか楽しみです。


皆さん素敵な投下をありがとうございました!


25 : ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/17(日) 15:59:57 .vEfgdW20
延長します


26 : ◆zzpohGTsas :2021/10/17(日) 23:43:35 Mj2If3us0
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
峰津院大和&ランサー(ベルゼバブ)
皮下真&ライダー(カイドウ)

予約します。
百億%期日以内に不能だと思うので今の内に延長申請もしちゃいます


27 : ◆EjiuDHH6qo :2021/10/19(火) 23:53:21 iPogVSo.0
延長します


28 : ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 22:57:36 RINlOkNA0
投下します。


29 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 22:58:09 RINlOkNA0
◆◇◆◇


自分のことを話したのは、三度目だった。
最初は。俺の身を案じてくれた、飛騨さん。
二度目は。俺の味方になってくれた、デッドプール。
そして、三度目―――俺を真っ直ぐに受け止めてくれた、おでんさん。

俺は、おでんさんに打ち明けた。
ここに至るまでの、人生を。
この聖杯戦争に辿り着くまでの、道筋を。
おでんさんは俺の想いも、俺の言葉も、黙って受け止めてくれた。
それがとても心地よくて、何よりも嬉しかった。

大人は信用できない。
世の中は、誰も手を差し伸べてくれない。
ずっとそう思って生きてきたし、今でもそれはきっと変わらない。
俺を追い詰めていく社会の眼差しは、今までと変わらずに俺を焼き続けていく。

だけど、今は少しだけ違う。
デッドプールは、俺の味方になってくれた。
櫻木さんは、俺を本気で心配してくれた。
おでんさんは、俺の身を案じて駆け付けてくれた。
冷え切った胸の内に、ほんのりと温もりが込み上げた。

時折、思うことがある。
俺はこれから、何処へ向かっていくんだろう。
おでんさん。櫻木さん。皆、優しい人達だ。
でも、いつかは乗り越えなくちゃならない。
デッドプールと共に、戦わなくてはならない時が来る。
それはつまり―――俺を想ってくれた人達を、踏みにじるということ。

わかっている。
それでも、俺は止まりたくない。
止まれば、俺には何も残らない。

今の俺を見たとして。
願いの為にしおを否定する俺を見たとして。
飛騨さんは、なんと言うのだろう。
答えは、分からない。分かるはずもない。
彼女はいない。願いを叶えれば、俺に関わることもなく生きる。
だから、考える意味なんてない。
飛騨さんと俺は、きっともう交わることはない。

過去を清算して、未来を掴み取る。
掴み損ねた家族の幸福を、手に入れる。
それが、俺の祈り。
それ以外に、俺は何もない。
その為なら、俺は。


◆◇◆◇


30 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 22:59:15 RINlOkNA0
◆◇◆◇


「おさらいも兼ねて一先ず言っておく。今のあさひの社会的な立場は最悪だ。
 具体的に例えれば『ジョン・ウィック:パラベラム』冒頭のキアヌ・リーブス並に酷い」

中野区、哲学堂公園の近辺―――空き家となっている廃屋の内部。
周囲の気配は既に“見聞色の覇気”で探っている。近場に監視カメラが無いことも確認済みだ。
一行は腰を据えて話し合うべく、アヴェンジャーが発見した廃屋内に居座っていた。

赤黒のスーツを纏ったアヴェンジャーのサーヴァント、デッドプールは説明を始めた。
黴びた匂いのする薄暗い居間の床に胡座を掻き、他の3人へと視線を向ける。
光月おでんとセイバー。神戸あさひとアヴェンジャー。四人の主従は互いに向き合い、円を描くように座っている。

神戸あさひを取り巻く状況は、間違いなく最悪だ。
謂れのない悪評の流布。監視カメラの映像の流出。拡散と共に噂には尾鰭が付き、真偽さえも曖昧なまま『神戸あさひは危険な犯罪者』という情報が独り歩きを続けていく。
無雑作に広がっていく風評。無責任に燃え続けていく炎上。個人ではどうしようも出来ない、ネットワークの脅威だ。
ましてや情報戦で遅れを取っている彼らには、太刀打ちすることも出来ない。


「だが、あさひはある意味で安全でもある」


それを理解した上で、デッドプールはそう切り出す。
その一言に、冷静な態度のまま佇む縁壱以外の二人は目を丸くする。

「どういうことだ?」
「あさひの奴、傍から見りゃ完全に厄ネタだからだよ」

疑問を投げかけるおでんに対し、デッドプールはスマートフォンを片手に答える。
SNSのタイムラインでは、変わらずにあさひの情報が錯綜を続けている。

「確かにあさひは追い詰められてる。ネットじゃドナルド・トランプに匹敵……いや言い過ぎた、その3割程度の炎上ぶり。
 そして警察も捜査を始めたなんて話も流れてやがる。逆を言えば、だからこそマトモな主従は関わり合いを避ける」

あまりにも目立つが故に、あさひは逆に他の主従から遠ざけられる。
デッドプールの推測を聞いたおでんは、合点が行ったように呟いた。

「……下手に手出しすりゃあ、あさひ坊の巻き添えになっててめえ達まで注目を浴びる。そういうことか」
「そうだ。中には敢えてあさひを野放しにしておく奴らも出てくるだろうな」
「なるほど、今はあさひ坊が民衆の注目を集めてるからな。
 目立った標的として、ある意味で囮に出来る」

他の主従からすれば、“暗躍”するには寧ろ都合がいい。
多数のネットワークや群衆監視が入り乱れるこの街において、当分はあさひの騒動を隠れ蓑にして目線を逸らせるからだ。

「それに、白瀬咲耶の一件に続いてこの炎上騒ぎ。現代のネットリテラシー持ってる良い子のマスターなら気付く可能性が高い。
 『さっきから燃え広がるペースがおかしくないか?アイドルの次はよく分からない犯罪者かよ?』ってな。
 そもそも“連続失踪事件の犯人”がいたとして、今までろくに痕跡残してなかったそいつが突然こんな不用心な見つかり方するか?」

そんなわけだから、俺ちゃんは気づいた。
そう呟いて、デッドプールは言葉を続ける。

「この社会の情報網を握って、ノンキな連中を扇動してるクソッタレ野郎が街に潜んでる。
 俺はそう睨んでる」


31 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:00:07 RINlOkNA0
この街に潜む“暗躍者”の可能性。
それを聞いた三人は、各々の反応を見せる。
おでんは、怒りの入り混じった微妙な表情を浮かべ。
縁壱は、表情を動かさず――しかし瞳に険しい色を湛え。
あさひは、込み上げる焦燥と不安を押し留めるように唇を噛み締める。
彼らの面持ちを眺めながら、デッドプールは話を続けた。

「白瀬咲耶の時はそれに気付かなかったとしても、流石に二度目となりゃ違和感を抱く奴らも出てくるだろう。
 そうなりゃ他の連中は尚更慎重になってもおかしくはない」

あさひが却ってアンタッチャブルな存在になるであろう理由は、そこにもある。
仮にこの社会を扇動するだけの地位や人脈を持つ存在がいて、それが度重なる炎上の糸を引いているのならば。
あさひへの干渉は、影で静観を続ける黒幕に存在を認知されるかもしれないというリスクに繋がる。

「座標さえ特定されてるのに、未だにでかいヤマが起こってる気配のない283んとこの件でも思った。
 大半の奴は様子見に回ってるか、騒動を避雷針として利用してるってのが実情らしい」

真乃達が何事も無かったように外部を移動していたことも、283プロで大きな騒動が起こらなかったことの証明となる。
もしかすれば、複数の主従に事務所を睨まれても状況を切り抜けられるほどに“プロデューサー”かそのサーヴァントがやり手だった線も考えられる。
あの公園で真乃に送られてきた避難指示からして事務所に危機が迫っていたことは確実だし、プロデューサーがマスターである見込みも相当に高い。

しかし、例え彼が有能だったとしても、何かしらの乱戦が起きれば事務所に大きな被害が出ることは免れない。サーヴァント同士の戦闘になれば尚更だ。
仮にそうなればニュースで大々的に報道されても不思議ではないし、そのような危機的状況が起きた直後となれば真乃も呑気に外出している場合ではなくなる。
つまり、事務所近辺は今のところ小規模な騒ぎで留まっていると考えたほうが合点が行く。

「恐らく黒幕もこの結果は少なからず見越してるだろうよ。あさひの件もきっと同じだ」

この件の厄介な点は“社会的には致命的な打撃”であるということ。
下手な者ならばパニックに陥りかねないし、早急な行動へと走りかねない事態だ。
しかし、だからこそ冷静に睨まなければならない。これは敵の罠であると見極めなければならない。


「炎上騒ぎはあくまで攻撃じゃない、あさひを消耗させて出方を伺う為の『いやがらせ』に過ぎないのさ」


故に、デッドプールは結論付けた。
これは牽制と妨害であって、攻撃とは違う。

「……敵を攻撃するだけならば、態々衆目に晒して事を大きくする必要はない。
 自らの監視網を駆使して、迅速に先手を打てばいいだけ」
「その通り、流石はサムライジャック。
 炎上なんて手を使ってる時点で連中は様子見のつもりでいやがるってワケ」

理屈はどうあれ、炎上の黒幕は監視カメラの映像をリークすることが出来ている。
その気になれば映像を辿ってあさひの行動に対して先手を打ち、闇討ちを仕掛けることも可能だった筈だ。
しかし、敵はそうしなかった。あさひを社会の敵としてでっち上げ、騒動の火を作り上げた。
このことも敵があさひへの直接攻撃に消極的であるという証左になる。
迅速に排除するつもりならば、炎上によってあさひを槍玉に上げる必要など無い。社会からも敵主従達からも不用意な注目を集めるのだから、却って逆効果だ。

「で―――どうするんだ、アヴェンジャー。
 星野アイとそのライダーが一枚噛んでる可能性が高い、ってえ話だったな。
 そいつらをとっちめに行くのか?」
「星野アイとライダーには、いつか必ず落とし前を付けさせる。恨んだ相手を追い掛け回すのは“復讐者”の得意分野ってヤツだ。
 だが、今はやめといた方がいい。連中だって、俺達がすぐに殴り込んでくることは予想済みだろうよ」

それ故に、早急な行動は避けるべきだ。敵にとってはむしろ御し易くなる。
この炎上を利用して自分達をすぐさま誘き寄せ、そこから明確な罠や攻撃によって此方を陥れてくる可能性もある。
状況はこちらが圧倒的に不利。今は下手に攻め込むべきではないとデッドプールは考えた。

その上で、デッドプールは頃合いを見計らって真乃にこの疑念を伝えるつもりだった。
電話なり直接対面なりの手段を使って、「星野アイへの疑念」と「その影に潜む黒幕の可能性」を共有することを考えていた。
仮にアイ達が本当に糸を引いてて、本当に真乃達を利用しているのだとすれば。
真乃達を本格的に味方へと引き入れる切欠―――即ちアイ達との対立軸を作ることが出来る。
少しでも状況を有利にする為にも、手を結べる相手は大いに越したことはない。


32 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:01:38 RINlOkNA0

「監視カメラって……」

それまでデッドプールらの話を聞いていたあさひが、ふいに口を開く。
何かに気づいたかのように、自らの考えを語りだした。

「たぶん警察とかの管轄、だと思うけど。
 その映像が外部に流出って、普通は有り得ないことだよな。
 あるとすれば……内部犯とか」
「あさひ、お前も冴えてるな。良いところを突いた」

そんなことを言いながら、デッドプールは人差し指であさひの頬をむにむにとつつく。
鬱陶しそうな、満更でもなさそうな。何とも言えぬ表情を浮かべながら、あさひはされるがままに苦笑いする。
そうして一頻りあさひを弄んでから、デッドプールは咳払いをして話を続ける。

「おれぁ風来の身、この世界の警察ってのがどんなもんかはよく知らねえが。
 つまりこの黒幕どもは、社会に根付く人脈か大層な地位のいずれかを持ってるってことか?」
「SNSを利用した超スピードでの情報拡散、そして監視カメラの映像の横流し。
 映像だけならハッカーとかそういう線もあるかもしれないが、炎上も加味すればどう考えても少数で出来るはずがねえ」

つまり連中はアンタの言う通り、社会的なコネクション―――あるいは相応の権力を握っている可能性が高い。
で、そいつらが星野アイたちの言っていた『同盟相手』だろうな。とデッドプールは付け加える。

恐らくあの二人は、というか確実に、同盟相手の情報をこちらにバラしたくはなかったのだろう。
だからこそ連中はこんな嫌がらせを繰り出して、あさひ達の行動に大きな制約を与えた。善良で誠実な真乃達には暫く利用価値があるとしても、あの時ライダー達への警戒心を顕にしていたあさひ達は厄介者でしかない。そういうことなのだろう。

「で、今あさひも『内部犯じゃないか』って言ってたな。
 最初の白瀬咲耶の炎上の時も思ったが、報道が過熱するスピードもおかしかったんだよ。
 それに加えて監視カメラの映像をこうも簡単に、しかもピンポイントで載せられる」

星野アイ達との接触から、ものの数時間。
神戸あさひは、たったそれだけの短い間に“社会の敵”と変えられた。
戸籍も住居も持たない浮浪者であるにも関わらず、瞬く間に本名から風貌に至るまで多数の情報を引き抜かれた。
そして、根も葉もない噂とともに悪評が拡散されている。
白瀬咲耶の件に続いて、その異様さは見て取れる。特に今回はあさひが当事者となっているのだから、尚更だ。

「警察絡みって線も考えたが、それだったらSNSの公式アカウントで声明を出すなりさっさと指名手配するなりした方が早い。
 炎上なんて手段をわざわざ使う必要は無い」

監視カメラの映像の横流し。
SNS上での拡散工作。
そして白瀬咲耶のニュースにおける、異様なスピードでの報道。
これらの条件から、デッドプールは推測する。

「情報メディアとか、IT系とか、そういう“幾つかの企業”が連中のバックに付いてる可能性が高い」

敵は、一つの集団ではないという可能性。
同盟関係や社会的地位などと言う生易しいものではない。
企業の集合体こそが、黒幕の正体であるかもしれない。
デッドプールはそこへと行き着き、“最悪なゲームバランス”を呪った。


33 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:02:23 RINlOkNA0

この聖杯戦争では、ごく普通の社会が再現されている。人々は何事もなく生活しているし、そこには経済が当たり前のように介在する。
そんな盤面を前提として戦う以上、この場では組織力と経済力が圧倒的に物を言うようになる。
ロールなど無視して大暴れをすれば根底を引っくり返すことも出来るかもしれないが、一ヶ月もの間に社会が崩壊しなかった時点で答えは明白だ。
敵主従は皆この社会を利用しているし、社会基盤を下手に脅かせば敵の注目を浴びることも理解している。
だから当然、社会での暗躍が幅を効かせるようになる。社会に根付き、コネクションや地位を得ることが大きな力となる。
それらを期待できない神戸あさひや光月おでんというアウトサイダー達は、初めから圧倒的に不利な条件で戦わされているのだ。

「あさひ坊はこれからどうする?」
「人目に付かない適当な廃屋か何かを見つけて、そこを隠れ家にする。ぶっちゃけ今はそうするしかない」

デッドプールの推測に動揺することもなく、迷わずあさひの身を案じるようにおでんは問いかけた。
現状の最善手はそれだけだ。あさひの座標が完全に特定されていない今の時点で、迅速に“隠れ家”を確保して息を潜めさせる。
あさひは最早下手に出歩くべきではない立場となった。それ故に今はひたすら身を隠してやり過ごす他無い。

「ここじゃ駄目なのか?あさひ坊の隠れ家ってのは」
「一時的な拠点にはなれど、長居は禁物だろう。
 この一帯の地区は大規模な都市部から近い位置にある」

おでんはそう問いかけるが、直後に縁壱がデッドプールの意図を汲むように口を開いた。

「今は身を潜められるとしても、そう遠くない内に敵や社会の追手が迫るという危惧は否定できない」
「サムライジャック……無口に見えて結構いいフォローしてくれるよね。俺ちゃん、お礼のキスとかしたくなっちゃう」
「……ささやかな助力しか出来ない身だが、かたじけない」
「お前の何処がささやかなんだよ。ジョコビッチとダブルス組んでる気分だよ」

縁壱と漫才のような掛け合いをするデッドプールだが、この廃屋を拠点にし続けることは難しいと彼は実際に考えていた。
既に述べられている通り、監視や追撃から少しでも逃れる為にも大都市からは可能な限り距離を置くべきだ。
真乃のアーチャーが講じた一芝居によって助けられたとはいえ、「神戸あさひは渋谷近辺にいる」という噂話もじきに広まるかもしれない。
それに、中野区には283プロダクションも存在する。大きな騒動は未だ起きていないとは言え、いつ鉄火場と化すかも分からない施設の近辺に滞在することも避けるべきだろう。
都心部から離れた郊外の廃屋や廃墟など、可能な限り存在を悟られにくい場所が望ましい。
ホテルを始めとする宿泊施設、ネットカフェなどを利用することは避けるべきだ。従業員による通報の危険性が高い。

あさひは身元の特定を少しでも防ぐために服装を着替えている。普段着ていたパーカーや護身用のバットも既にデッドプールが回収していた。
何処から敵が来るか分からない状況で、少しは持ち慣れている武器を携えていないと落ち着かないから。元々あさひが武装していた理由はその程度のものだった。
当初はデッドプールも反対したものの、最終的にはあさひの精神状態も考慮して渋々受け入れていた。
神戸あさひは、まだ子供だった。それだけのこと。

真乃達からは着替え以外にも、保存食などの物資を受け取っていた。
デッドプールは真乃と連絡をした際、今後あさひが身を隠すことを見越して最低限の食料調達などを真乃に頼んでいた。
お代はツケで―――などと冗談を叩きながら。
ともあれ、彼女達のおかげで隠れ家で息を潜める為の準備をすることが出来た。

「あさひ」

そして今のあさひには、デッドプールが魔力で生成した武器――拳銃を隠し持たせている。
これまでは日雇いの労働に従事するなど、曲がりなりの社会生活を送っていた。それ故にトラブルの原因となる明確な凶器を持たせることは憚られた。
しかし、最早それどころでは無くなった。あさひは明確に社会の敵だ。万が一襲撃が来る可能性もある、形振り構ってはいられない。

「一応銃を持たせるが、言っておくぜ。そいつはあくまで最終手段だ。
 これから先、お前は身を隠すことになる。敵が殴り込んできたら、迷わず令呪を使って俺を呼び寄せろ」

あさひの居場所を下手に察知されないようにするために、俺は暫く距離を取って偵察や遊撃に回る。
デッドプールはそう告げた。それが彼の選んだ苦肉の策だった。


34 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:03:11 RINlOkNA0
おでんや縁壱とも既に打ち合わせている。本格的な拠点が見つかるまではあさひ達と行動を共にするが、それ以降は同じく距離を置く。
おでんの風体はあまりにも目立ちすぎるうえ、2体のサーヴァントが共に居続ければ敵に魔力を察知される危険性も高くなる。
既にデッドプールの連絡先はおでん達に伝えている。携帯電話を持たないおでんにデッドプールから連絡を取ることはできないが、万が一の場合はおでんから交信を行うことはできる。

「……社会は相変わらず、お前を敵視し続けている。
 お前が隠れている間は、暫く側に居てやれなくなる。それでも大丈夫か」

デッドプールは、心配するように問う。
対するあさひは、俯きがちに沈黙する。
その表情に籠もっている不安は、容易に見て取れた。
答えを出すことへの恐怖を、噛み締めていた。
それを見て、デッドプールはばつが悪そうに黙り込む。
やっぱり、一人は怖いよな―――あさひがどんな人生を送ってきたのか、彼は知っている。
だからこそ、デッドプールは迷う。
そうして自らの方針を決めあぐねた時。


「……大丈夫だよ」


あさひが、口を開いた。
ゆっくりと顔を上げて、デッドプールを見つめた。

「誰からも見放されてるなんて、昔からだよ。
 寧ろ今は、それより……よっぽど恵まれてると思ってる」

強がるように、気を張るように。
恐怖を抑えながら、言葉を紡ぎ出す。
自らを支えてくれる人々に、目を向けながら。
そんなあさひを、デッドプールもまた見据えていた。


「だから、こんな“クソッタレ”な状況に負けるつもりはない」


あさひは、ニヤリと不敵に笑ってみせた。
自らを取り繕うような、作り物の表情だった。
それでも。瞳には、確かな想いを宿していた。
こんなところで、屈するつもりは無い―――紛れもない反骨心があった。
そんな眼差しを見て、デッドプールは何処か嬉しそうように目を細める。


「クールな言い回しだ。男前になったな」


そう言いながら、わしゃわしゃとあさひの頭を撫でた。
やめろよ、と照れ臭そうにあさひは言う。
それでもあさひの口元は、デッドプールから少しでも認めて貰えたことを喜ぶように。
ほんの僅かながらも、微笑んでいた。


35 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:03:38 RINlOkNA0
あさひの様子を見て何処か安心したような素振りを見せたデッドプールは、改めておでん達へと向き直す。

「サムライジャック。それと……カブキ」
「カブキ!?おれは光月おでんだ!!」
「ごめん」

即座に平謝り。
それはさておき、デッドプールは畏まった態度でおでん達を見つめる。

「普通は自分のマスターのことで他の誰かを頼るなんて出来ない。
 だが、アンタらは違った。真乃達もそうだが……アンタらがいたから、俺達は助けられている。
 騒動に巻き込まれるリスクも蹴飛ばして、俺達のもとに来てくれた」
「……おれは幾ら罵られようが構わん。そいつらの好きにさせてやる。
 だが、おれの知っているヤツが謂れのない罪で罵られるのを黙って見るつもりはねえ。だから来た」

ジョークや軽口を混ぜることもなく、デッドプールは真剣に語る。
そんな彼に対し、おでんは神妙な面持ちで見つめながら答えた。
その言葉を聞いて、敵わねえな。とぼやきながらデッドプールはフッと笑った。


「―――ありがとう。マジで感謝してる」


そして、デッドプールは頭を下げた。
それは、紛れもない誠意から出た言葉だった。
あさひを取り巻く状況は、間違いなく悪い。
このまま孤立を深めてもおかしくはなかった中で、真乃達とおでん達は打算抜きでの手助けをしてくれた。
ささやかなんかじゃない。間違いなく、得難い助力だった。
だからこそ、デッドプールは礼を言う。
普段のように戯けることもなく、あさひの力になってくれたことを感謝した。


「アヴェンジャー」


デッドプールの礼を見届けた縁壱もまた、ゆっくりと口を開いた。


「此処から先も、武運を祈っている。お前は、やはり強い男だ」
「……アンタには敵わねえっての。こっちこそ、祈ってるよ」


縁壱の真っ直ぐな激励に、デッドプールは苦笑いと共に答える。
なんとも言えぬ態度を見せるデッドプールだが、その胸の内には眼前の相手に対する敬意が存在していた。
たった一度剣を交えただけの仲。ただそれだけの短い関わりでしかない。
しかし、それでも。この寡黙な剣士が宿す確かな気高さを、デッドプールは感じ取っていた。
それは縁壱もまた同じだった。先の戦いで、彼は既に“不死の傭兵”の本質―――饒舌な態度の裏に隠された意志を悟っていた。

「さて……今回の炎上もそうだが、この街は厄介なことが多い。
 さっきもSNSを見たが、ヒゲ生やした馬鹿でけえ“青いドラゴン”が町で大暴れしたって話も……」
「――――待て」

そうしてデッドプールが、改めて先程までの話を纏めようとした矢先。
ふいに飛び出した単語に、おでんが目を丸くして食いついた。
予想もしなかった方向からの反応に、デッドプールは思わず目を細める。

「青い……なんだって?」
「ドラゴンだよ、つまり龍」

青い龍の目撃情報。
―――おでんの眼に、驚愕の色が宿る。
そして、何かの予兆を感じ取ったように。
因縁の予感に、腹を据えたかのように。
真剣な眼差しを向けて、問い質した。



「詳しく聞かせてくれねェか、その話」



◆◇◆◇


36 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:04:22 RINlOkNA0
◆◇◆◇


人生ってのは不幸の連続だ。
幸せな瞬間は合間にしか訪れない。
誰がこんなこと決めたんだ、神様か?
ジーザス・マザーファッカー。
もう日曜礼拝には二度と行かねえ。
神様、くたばりやがれ。

現状は芳しくない。クソッタレだ。
さっきも言ったように、あさひはある意味で安全だ。
炎上による悪評は社会的な打撃であって、主従間での集中砲火を約束するような戦術ではない。
しかし、立ち回りという点においては紛れもなく手痛い打撃を受けている。
あさひは東京中のネットワークに存在を拡散されている。最悪なまでに注目の的だ。
しかも敵は大規模な組織の可能性が高い。

一度起こった炎上を止める術が無い以上、もはや利害関係で他者と組むことは難しい。
星野アイの情報を横流しすることも勿論視野に入れているが、現状リスクは大きい。
あさひの社会的な立場は終わってる。例え誰かが交渉に乗ってくれたとしても、こっちの弱みに付け込まれる危険性が高い。
そうなりゃ最早同盟じゃなくて、支配下に置かれるってことにもなりかねない。ファック。

こんな最悪の状況の中で、光月おでんや櫻木真乃たちが手を貸してくれたのは本当に大きかった。
あいらは単なる損得では動かない。だからこそ信頼できる。
感謝している。それはマジの本心だ。

だが、結局は“スタンスで噛み合わない相手”ってことも事実だ。
利害を問わない同盟関係を結べたのは大きい。それでも、利害を問わないからこその根本的な欠陥ってモンが生じている。
仮に俺達が手段を選ばずに勝ち抜く道を選んだとして、向こうがそれを受け入れるとは考えにくい。
俺は強いサーヴァントとは言い難い。敵はハルクの群れ、俺はせいぜいブラック・ウィドウ。そんな感じだ。
だとしても、あいつらと組んでいる限りは取れる手段がある程度限られてくる。
それに、もしもあいつらが聖杯戦争の打破に動き出すとしたら―――いよいよ俺達の立場は無くなる。
聖杯を狙う主従からは厄介者の競合相手と見なされ、戦う意思の無い主従とは協調できずに敵視される。完全なる孤立状態になりかねない。


『なあ、あさひ』


だからこそ、俺は考えている。
誰にも悟られないように、俺はあいつに念話を飛ばす。


『最悪、本当に最悪のケースだが。
此処から先、俺達が勝ち残ることが困難だと分かったら。
 そして聖杯戦争を打破しようとする連中に“勝機”があるかもしれない、その時は』


俺は淡々と語る。
最悪の場合の、身の振り方ってやつを。
もしも聖杯戦争を勝ち抜くことが困難であると確定したらその時は。


『お前をそっちに向かわせることも考える』


真乃達のような主従と共に、あさひを“脱出派”へと行かせる。
あさひの命を最優先に動く。


37 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:04:46 RINlOkNA0

あさひの願いを叶えてやる。
あいつの味方になってやる。
それが最初に誓いだった。
だが、状況は変わった。
あまりにも最悪な方向へと転がってしまった。
最早勝ちを狙えるのかどうかさえ分からない立場へと、追い込まれてしまった。

―――クソッタレが、デッドプール。

俺は、俺自身に毒づいた。
こんなことを言わなきゃならない俺が嫌になる。

あさひは暫く、何も答えなかった。
延々と沈黙を続けて。
口籠ったように、黙り込んで。


『……そんなの、“絶対に嫌だ”って言いたい。
 俺には、聖杯が無いと―――何も取り戻せないから』


そして、ようやく言葉を絞り出したように。
あさひは、念話で答えを返した。


『俺には、しおと母さんしかいない。
 それ以外の幸せなんて、分からない。
 だから、諦めたくない。……でも』


俺は、何も言わなかった。
黙ったまま、あさひの言葉を聞き届けていた。
俺はあいつに何を言ってる?
もしもの場合は夢を諦めろ、なんて話をしているんだ。
クソッタレ。マジにクソッタレだ。
あさひにキレられたって仕方無い。文句は言えない。
それでもあいつは、あくまで冷静に言葉を紡いでいる。
本当はどんなことを考えているのかなんて、勘繰ろうとは思わなかった。


『お前が、そう言うってことはさ。
 少なくとも、俺のことを考えてくれた上での言葉だって信じられる』


なんでかって、そりゃあ。
あさひが、答えてるからだよ。
自分の意志を、伝えようとしてるからだよ。
しおを手に掛ける決意をした時もそうだった。だが、今回は少し違う。
今のあさひは、強がってなんかいない。
だから言葉の裏なんて考えない。考える必要がない。
あいつが今言ってることが、全てだ。
それでも、敢えて聞きたくなることもある。


『どうしてそこまで言い切れる?』
『デッドプールは、優しい人だからだ』


あさひは迷わず、そう答えてきやがった。
まあ、なんていうか。
お前さ、そういうトコが可愛いよな。
俺は思わず、フッと笑っちまった。
照れ臭いような、嬉しいような。
ま、どっちだっていいさ。


38 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:05:12 RINlOkNA0


『だからさ、今言ったことは考えておく。
 でも、出来ることなら、そうしたくない。
 母さんやしおと一緒にいられることが、俺の全てだから。
 それ以外の道を――――俺はまだ、考えられない』


あさひは、あくまでそう答える。
仕方無い。俺はあさひを咎めたりはしない。
俺だって、一度ヴァネッサを喪ってから暫くの間は―――彼女抜きの人生なんて考えられなかったから。
理解は出来る。当然のことだ。

『じっくり考えな。時間はまだあるさ』

あさひは人生を取り戻そうとしている。
聖杯を手にしなければ、それを掴むことはできない。
あいつを諦めさせようとしてる俺の方が、間違いなくクソ野郎だ。
だからあさひを責めることなんて出来ないし、したくもない。

それでも、一番大切なのは“生きること”だ。
例え折れなくても、曲がらなくても―――此処で死んだら、やり直すことさえ出来なくなる。
あいつを死なせる道だけは、進ませない。
勿論まだ勝利の期待が持てるのならば、変わらず聖杯戦争を続行し続ける。
だが、それが不可能になった時は、身の振り方を変える必要がある。

だからこそ、最悪の場合。
現状の盤面と自分達の状況を鑑みて、勝ち抜くことは困難であると判断した時は。
あさひと再び話して、脱出派に転向する余地を作る。
必要ならば本気で説得することも辞さない。
せめてあいつが生きて帰れる道筋を整えてやる。
そして、出来ることなら。
俺はあいつに、もっと教えてやりたい。
お前は前を向いて生きられる、ってな。

―――さて、乗るか反るか。

勝負の見極め時は、いずれやって来る。
手札は確認したか?手持ちのチップは?小便はきちんと済ませたか?
オーケーオーケー、大丈夫だ。
ベットタイムはもう間もなく。
お楽しみは、此処からってワケだ。

何、もう暢気に軽口叩いてる場合じゃない?
おいおい、そいつは違うね。
ビバリーヒルズ・コップは、いつだってジョークを絶やさなかったぜ。


39 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:08:20 RINlOkNA0
【中野区・廃屋/一日目・夕方】

【神戸あさひ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、全身に打撲(小)
[令呪]:残り3画
[装備]:デッドプールの拳銃(懐に隠している)、着替えの衣服(帽子やマスクを着用)
[道具]:リュックサック(保存食などの物資を収納)
[所持金]:数千円程度(日雇いによる臨時収入)
[思考・状況]
基本方針:絶対に勝ち残って、しおを取り戻す。そのために、全部“やり直す”。
0:頃合いを見て郊外へ移動し、暫くは身を隠す。
1:折れないこと、曲がらないこと。それだけは絶対に貫きたい。
2:ライダー達は、いつか必ず潰す。
3:“あの病室のしお”がいたら、その時は―――。
4:聖杯は、出来る限り諦めたくない。
[備考]
※真乃達から着替え以外にも保存食などの物資を受け取っています。

【アヴェンジャー(デッドプール)@DEADPOOL(実写版)】
[状態]:『赫刀』による内部ダメージ(小)
[装備]:二本の刀、拳銃、ナイフ
[道具]:予選マスターからパクったスマートフォン、あさひのパーカー&金属バット
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:俺ちゃん、ガキの味方になるぜ。
0:あさひを暫く郊外の何処かに隠す。以後はあさひから距離を置き、偵察や遊撃に徹する。
1:あさひには安全な拠点に身を隠してもらう。出来れば一箇所に留めたいが、必要に迫られる事態が起これば拠点を移す。
2:頃合いを見て真乃に連絡を取り、星野アイ達のことを警告する。
3:真乃達やおでん達とは暫く友好的な関係を結ぶ。
4:星野アイ達には必ず落とし前を付けさせるが、今は機を伺う。
5:真乃達や何処かにいるかもしれない神戸しおを始末するときは自分が引き受ける。だが、今は様子見をしておきたい。
6:最悪、あさひを脱出派に向かわせることも視野に入れる。
[備考]
※『赫刀』による内部ダメージが残っていますが、鬼や魔の属性を持たない為に軽微な影響に留まっています。時間経過で治癒するかは不明です。
※櫻木真乃と連絡先を交換しました。
※ネットで流されたあさひに関する炎上は、ライダー(殺島飛露鬼)またはその協力者が関与していると考えています。


◆◇◆◇


40 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:09:08 RINlOkNA0
◆◇◆◇


廃屋の一室。
夕焼けの光が指す畳の部屋で、おでんは座り込んでいた。
デッドプール達との情報交換を経た後、彼は縁壱と改めて話し合う場を設けた。


『あさひ坊は、“取り戻したい”らしいな』


おでんは、念話で話を切り出す。
彼は、神戸あさひの願いを聞き届けていた。
生まれた環境のこと。
大切な家族のこと。
悪魔のような男のこと。
掛け替えのない妹のこと。
それらの果てにある、切実な祈りのこと。
あさひが背負うものを、おでんは受け止めた。

妹を、取り戻す。
家族三人で暮らす幸せを、取り戻す。
その為にも、聖杯戦争には負けられない。
それがあさひの答えだった。

『あいつの取ろうとしている手段は、察しが付く。
 ……そのことであれこれ問うつもりはねェ。
 それが自分の人生に対する、あいつなりのケジメなんだろう』

如何にして、妹を取り戻すのか。
如何なる願いで、失った妹を引き戻すのか。
それを問い詰めることはしなかった。
だが――――察することはできる。その手段が彼自身のエゴであることも、悟っている。
それでも、おでんは何も言わなかった。
彼の背負った境遇、彼の凄惨な過去。
そしてその上で背負った決意を知った今、おでんは口を挟むことを止めた。

それからおでんは、僅かながらも沈黙する。
何かを考え込むように、口を一文字に結ぶ。


『どうした』
『……ある野郎を思い出してた』


おでんの脳裏に浮かぶ、一人の男。
大名の“コマ使い”として現れ、狡猾に権力を奪い取った一人の悪党。
おでんにとっての因縁であり、そして自らの最期に関わった張本人だった。

『そいつはとんだ卑怯者だった。
 策を弄して将軍家を乗っ取り、大海賊と手を結み……おれの故郷であるワノ国を掌中に収めた!
 それからは圧政で民衆を虐げ、国を疲弊させ、てめえ自身は地位を振りかざして極楽の限りを尽くしやがった』

淡々と、しかしその声に怒りを滲ませながら語る。
顔を巌のように強張らせながらも、一息を吐いて次の言葉を紡ぐ。

『そいつは、国を憎んでいた。人間を恨んでいた』

その男の“悪”を生み出した根源。
それは、憎しみによる国中からの迫害だった。


41 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:10:13 RINlOkNA0

『おれが命を落とす間際……すべては復讐の為だとそいつは明かした。
 切腹を命じられた大罪人の親族だったせいで、そいつは一族もろとも国中の人々から迫害を受け続けた。
 そいつら自体は、罪人でも何でもねェのにだ』

だから“その男”は、謂れなき罪で自身を追い詰めた民衆達―――すなわち国に対する復讐を始めた。
おでんを失墜させたのも、大海賊と手を組んだのも、国を荒廃させたのも、すべては復讐の為だった。
己を蹂躙し続けた社会への報復。自らを拒絶し、否定し続けた大衆への怨嗟。
悪意に曝された“その男”は、そうして醜悪な怪物へと成り果てた。

『後のことは“おれの侍達”に託したが……あの大バカ野郎は今でも許せねェし、許すつもりもねェ!
 それでも、思うこともある。理不尽に対する憎しみってモンは、時に人間をとんでもねえ“バケモノ”に変えちまうのだと』

幾ら同情の余地があろうとも、国を欺き民を苦しめたことに変わりはない。故に、悪事の数々を許すつもりはない。
されど、一度死を迎えて振り返った今―――奴がそうなるに至った根幹は、理解できる。
彼の家臣達は、逸れ者の寄り合いから始まった。迫害を受けていた者も、悪事に手を染めていた者もいた。
誰もがそうだった。環境や経験によって、人は時に道を踏み外す。
そうして取り返しが付かなくなる輩は、幾らでも居る。おでんは理解していた。

『あさひは強い奴だ。俺はそう断言できる。
 ……あいつは自分達や家族を見放した世の中を恨み、疑い続けた。
 だが、それでも外道にだけは堕ちなかった!今だってそうだ!』

だからこそ、おでんは思う。
神戸あさひ。あいつは強い。

『あいつの進む道が、あいつが選んだ手段が正しいのかどうか。それを断じることは出来ねえ。
 だが、少なくとも―――お前がアヴェンジャーを認めたように、俺もあいつを認めている』

誰からも手を差し伸べられなかった幼少期。
父親の暴力に耐え続けた、地獄のような日々。
母や妹との幸福を願い、必死に耐え続け。
しかし、渇望し続けた祈りさえも最後には踏み躙られた。
世界を憎んだとしてもおかしくはない。
道を踏み外したとしても不思議ではない。
そんな人生を、彼は歩んでいた。


『あいつは、あのアヴェンジャーと共に前を向いている』


しかし、それでも。
あさひは、自らの幸福を見捨てなかった。
他の誰かを想う心を手放さず、己自身を貫き続けていた。
ただの童にとって、それは並大抵のことではない。
そんな彼が、戦う覚悟を決めている。他の連中を乗り越えてでも、例え過去を否定する手段を取ることになってでも。
それでも神戸あさひは、聖杯を掴み取ろうとしている。
その決意の重みを、おでんは理解した。


『―――ああ。そうだな』


だからこそ、縁壱も答えた。
ただ一言。されど、確かな感触を以て。
おでんの言葉に、静かに頷いた。
それ以上は、交わさなかった。
あの二人に対する答えは、既に出ていた。


42 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:11:15 RINlOkNA0

『さて……』

そうしておでんは、一呼吸置き。
気に掛かっている事柄を、縁壱に語る。

『青い龍、と来やがった』
『先程もアヴェンジャーに問い掛けていたが、心当たりが有るのか』
『ああ。お前と同じ……“直感”ってヤツさ』

いつになく真剣な声色で、おでんは語る。
アヴェンジャーを経由して知った『住宅地に出現した青龍』の噂。
曰く、そいつは突如として空から現れたという。
曰く、そいつは圧倒的な暴力で『何か』と戦って町もろとも蹂躙したという。
曰く、そいつは以前から何度も都市伝説として存在を囁かれていたという。
たったそれだけの断片的な情報。
確信に至る材料など、一つたりとも存在しない。

それでも。それでもだ。
継国縁壱が、“悪鬼”との因縁を感じ取っているのと同じように。
光月おでんもまた、因果の巡り合わせを察知していた。
あの悪辣な将軍の背後に潜んでいた大海賊―――“百獣”と称された、圧倒的な怪物。

この地平の果てで始まった聖杯戦争において、誰よりも“英霊”に近い男であるからこそ。
光月おでんは、迫り来る宿命を悟っていた。

『それと、もう一つ』
『……どうした』
『“凄腕”に遭っちまってな』

現状のおでんが語ることは、もう一つ。
それは、数刻前に世田谷区の路上で対面した一組の主従のことだった。
マスターは古手梨花と名乗る、幼き少女。
彼女が従えていたのは、一騎の剣豪。
おでんは、その女剣士―――セイバーと一太刀を交えていた。

『そいつぁ女だが、とんでもねえ猛者だった。
 お前程じゃあないにせよ―――俺も肝が冷えたくらいの“剣の化け物”だ』

世辞も何も無い、本心から出た言葉だった。
あの女剣豪は、紛れもない強者だった。
異常なまでの鋭さ、捷さ。針の穴に糸を通すかのような絶技。
一歩間違えれば首を落とされていたのではないか。そう思ってしまう程の、凄まじい剣術だった。
―――それでも尚、『剣技では己のサーヴァントが上回る』とおでんは感じている。
自らの従者を担ぎ上げている訳ではない。純粋に、そう感じていたのだ。
おでんは理解している。継国縁壱は、あの女剣士さえも上回る“剣の怪物”だ。

『そして、そいつらは“聖杯戦争を打破する手段を持つ主従”を知ってると言ってた。
 具体的な話は向こうも知らねェようだったが……単なるハッタリじゃあねえだろうな』

その主従との対峙で驚愕させられたのは、何も剣技だけではない。
それは即ち、界聖杯をひっくり返せるかもしれないという可能性。
有無を言わせずに“可能性の器”を徴用し、命がけの闘争へと駆り立てる儀式。
この一ヶ月で界聖杯のきな臭さは察知していた。これは「勝てなければ残念」と言った程度の遊戯でも競技でもない、上手い話などないことは明白だ。
故に、その根幹を覆せる手段を持つ主従がいるという話は紛れもなく大きな収穫だった。


43 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:11:38 RINlOkNA0

とはいえ。
それを受け入れるかどうかは、別だ。
その答えは、まだ出せていない。
界聖杯の善悪。主従の善悪。
それらを完全に見極める為にも、まだ時間が必要だ。
それに。おでんは既に、神戸あさひの願いを知っている。
この地には、聖杯に縋らねばならない者がいる。
それは恐らく―――いや確実に、あさひ以外にも存在するだろう。
故に、おでんは迷い続けていた。

『……あと、悪い』
『何だ、マスター』
『その女にお前のことを話しちまった。
 それで……どうやら火が付いちまったみたいでな。
 お前と一太刀交えたいって感じだった』

それからおでんは、申し訳無さそうに縁壱に伝えた。
おでんはあの女剣士との闘争の後に、思わぬ形で彼女を煽ってしまった。
もっと上の剣を見た。だからお前の一撃を凌げた。
その何気ない言葉が、女剣士の闘志を焚き付けてしまった。
次に会う時は、セイバーと死合(や)らせてほしい―――おでんは彼女との口約束を交わしてしまった。

『……その時は、善処しよう』

何とも言えぬ口振りで、縁壱は答える。
曖昧な返事、というよりは素朴な一言。
大きな“火遊び”にはならないだろうと思いたいが。あの女剣士がどう出るかは未知数だ。
それなりの覚悟は必要だろうと、おでんは思った。

一頻りの情報を纏めて、おでんは振り返る。
群衆の槍玉に上げられた神戸あさひ。
アイドルを襲撃していた得体の知れない男。
対聖杯の手がかりを持つ女剣士の主従。
縁壱が直感した“鬼の気配”。
そして、この戦争に潜む“青い龍”……。


「……やはり一筋縄じゃいかねェな、界聖杯ってヤツは」


おでんは、ポツリと呟く。
どんな答えを出すにせよ、今はまだ道を進み続けるしかない。
これより先、如何なる壁が待ち受けているのか。如何なる因縁が迫っているのか。
その真実は、未来のみぞ知ることだ。


44 : サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL) ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:12:34 RINlOkNA0
【中野区・廃屋/一日目・夕方】

【光月おでん@ONE PIECE】
[状態]:右肩に刀傷(行動及び戦闘に支障なし)
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:二刀『天羽々斬』『閻魔』(いずれも布で包んで隠している)
[所持金]:数万円程度(手伝いや日雇いを繰り返してそれなりに稼いでいる)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯―――その全貌、見極めさせてもらう。
0:隠れ家を見つけるまではあさひ坊を守る。見聞色の覇気で周囲の気配は探り続ける。
1:他の主従と接触し、その在り方を確かめたい。戦う意思を持つ相手ならば応じる。
2:界聖杯へと辿り着く術を探す。が――
3:何なんだあのセイバー(武蔵)! とんでもねェ女だな!!
4:あの変態野郎(クロサワ)は今度会った時にぶちのめしてやる!
[備考]
※古手梨花&セイバー(宮本武蔵)の主従から、ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の計画について軽く聞きました。
※「青い龍の目撃情報」からカイドウの存在を直感しました。
※アヴェンジャー(デッドプール)の電話番号を知りました。

【セイバー(継国縁壱)@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:日輪刀
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:為すべきことを為す。
1:光月おでんに従う。
2:他の主従と対峙し、その在り方を見極める。
3:もしもこの直感が錯覚でないのなら。その時は。
4:凄腕の女剣士(宮本武蔵)とも、いずれ相見えるかもしれない。
[備考]
※鬼、ひいては鬼舞辻無惨の存在を微弱ながら感じています。
気配を辿るようなことは出来ません。現状、単なる直感です。


45 : ◆A3H952TnBk :2021/10/20(水) 23:12:57 RINlOkNA0
投下終了です。


46 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/23(土) 11:05:36 YBlmvT9o0
延長申請します


47 : ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:24:36 StsRedac0
投下します


48 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:27:24 StsRedac0
 しおがゲストルームを出て行って二十分ほど経った。
 入れ替わりに死柄木が戻ってきて、部屋の中にはデンジと死柄木のみとなる。
 当たり前だがそこに会話なんてあるわけもない。
 デンジと死柄木とでは性格もノリもまるで違う。
 デンジから見る死柄木は暗くて陰気な奴という印象だったし。
 一方で死柄木から見るデンジは気の抜けた馬鹿に写っていた。
 お互いにシンパシーを感じ合うようなこともない、心の中でなんとなくいけ好かなく思っている間柄。
 そんな二人が緩衝材を挟むことなく同じ部屋に居合わせたならどうなるか。
「……」
「……」
 会話などあるはずもない。
 デンジはアニメ番組をぼ〜っと見つめている。
 死柄木は何をするでもなくソファに背を委ねて黙っている。
“……気まずいな……”
 これがもしも本当に何の関係もない相手だったらなんということもなかった。
 だが死柄木はそもそもデンジ達の敵なのだ。
 それがどういうわけか手を結んで、一時的に同じ釜の飯を食っている。
“苦手なんだよなあコイツ。な〜んか合わねえんだ”
 死柄木が常に放つ鬱屈としたもの。
 そのいわば負のオーラとでも呼ぶべきものがデンジはどうも苦手だった。
 そんな相手と二人きり、男同士で放置されて。
 気を紛らわそうにもこの時間帯のテレビアニメはお行儀のいいものばっかりで、ないよりはマシだがデンジの感性にはどうも合わない。
「つーかお前、いいのかよ」
「あ……? 何がだよ」
「お前と俺らは敵同士だろ? 敵のサーヴァントと二人きりってのは普通危ないと思うもんなんじゃねえの?」
 我ながら尤もな言い分だとデンジは思う。
 今の状況は例えるならば同じケージの中でハムスターと大蛇が同居しているみたいなものだ。
 しかし死柄木はいつも通りの陰気な面構えのまま、鼻で笑うようなことすらせずに答えた。
「そんな精力的なタイプには見えねえよ。少なくともお前はな」
「……あっそ」
 認めるのは癪だが、正直なところそれは図星だった。
 デンジ自身自覚している。
 自分はこの聖杯戦争という儀式に、今ひとつモチベーションを持てていない。
「お前本当にやる気あんのか?」
「あぁ? 何だよ藪から棒に」
「別に。あのガキのサーヴァントにしちゃ無欲な奴だと思っただけだよ」
 無欲。
 無欲、か。
 デンジはその言葉を反芻し、眉間に皺を寄せて腕組みをした。
 デンジは少なくとも無欲な人間ではない、筈だ。
 生前の話を俎上に載せるのは不適当かもしれないが、デビルハンターとして戦っていた動機も不純そのものだった。


49 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:29:34 4TuBqSqw0
 今だって、聖杯を手に入れた暁には受肉して現世に蘇り酒池肉林の限りを尽くそうと志しているほどだ。
 つまり死柄木が口にしたデンジに対する人物評は本来であれば的外れなものということになる。
 あくまで本来であれば、だが。
“あぁ……。コイツ、しおとのことを言ってんのか”
 デンジも此処で彼の言葉の理由を理解した。
 先刻彼がしおにうっかり本音を溢した場に彼はいなかったが、だとすればその前から察されていたのだろう。
 別に踏み込まれるのが嫌というわけではないがやはりいい気はしない。
「爺さんと乳繰り合うのが嫌だからって八つ当たりすんなよ。こっちはいい迷惑だぜ」
「お前のマスターはその爺さんと組めてた方が幸せだったろうけどな」
 いけ好かねえ奴だとは思っていたが、やっぱりこいつとは合わない。
 刺々しい会話を交わし合いながらデンジは改めてそう思った。
 ただその言葉は思いの外深くデンジの心に響いた。
 しおにとって本当に必要だったサーヴァントは誰なのか。
 柄にもなくそんなことに思考のリソースを割いてしまう辺り、それは彼自身どこかで考えていたことでもあるのだろう。
“まぁそりゃな。俺は馬鹿だし、別に強いサーヴァントでも多分ねぇし……”
 死柄木のサーヴァント、モリアーティ。
 あの策謀家がどれほど戦えるのかは分からない。
 それでも相対的に見れば間違いなくデンジより優秀だろう。
 しおの未熟さをカバーするのだってどう考えてもあっちに軍配が上がる筈だ。
 そしてそれは何もモリアーティに限った話ではない。
 この聖杯戦争を広く見渡したとしても、聖杯戦争に勝つのにもっと適したサーヴァントはごまんといよう。
“けど仕方ねぇだろ。ノれねえもんはノれねえんだから”
 デンジだって聖杯は欲しい。
 その点でしおとデンジの利害は一致している。
 優勝出来ればしおの願いは叶うし、デンジも念願の酒池肉林を叶えられる。
 腰を重くする理由なんて普通に考えたらどこにもない。
“じゃあ……俺はなんでノれてねえんだ?”
 なのにどうしてこんなに腰と足が重いのか。
 しおが自分の問題に向き合おうとするとうんざりした風な気持ちになるのか。
 それはきっと、予選の間に散々のろけ話を聞かされたからというだけが理由じゃない筈だ。
“普段のアイツは嫌いじゃない。世間知らずなガキだとは思うけど、まぁ……いろいろ付き合ってくれるしな”
 そのしおが叶えたい願いがあるという。
 好きな人がいるという。
 ならサーヴァントとしてそのために戦うのが筋、そんなことは分かってる。
 分かっているのだが。
“けど、アイツとそういう話はしたくねえ。なんつーか…違うんだよなぁ、そういうのは”
 今のデンジにはまだそのもやもやを言語化出来ない。
 だから言葉にしてこれ以上死柄木に言い返すことも不可能だった。
 そんなデンジの胸中を知ってか知らないでか、死柄木は更に言う。
「聖杯が欲しいんなら真面目にやれよ。宝の持ち腐れだろ」
「宝ぁ? しおのことかよ、それ」
「アイツはイカれてる。下手すりゃ本当に聖杯に辿り着くぞ」


50 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:31:05 UBnV6nHM0
 その言葉の重みがデンジには分からない。
 二人の魔王に見初められた悪の風雲児をしてこう言わしめる"可能性"。
 モリアーティが死柄木の対抗馬と呼んだことの重大さが浅学な彼には未だ分かっていなかった。
 ただ前半の、アイツはイカれてる……というところにだけは同意出来たが。
「自覚しろよ、お前は勝ち馬に乗ってんだ。まぁ、最後には俺が殺すんだが」
「だから腐らず真面目にやれよってか? 見かけによらず親切なんだな」
「脳味噌膿んでんのか? 一時とはいえ俺達とお前らは一蓮托生だろうが。連合(ウチ)に腑抜けは要らねえって言ってんだ」
「爺さんにおんぶに抱っこのお前が言うかぁ? それをよ」
 話せば話すほど分かる。
 この男とは馬が合わない。
 デンジも、そして死柄木もそう思う。
「お前も爺さんも、どんだけアイツのこと買い被ってんだよ」
「事実だろ。あんな目した奴がただのガキで済まされるなら世も末だぜ。小学校の道徳の時間は倍に増やした方がいい」
 神戸しおはその小さな体の内側に大きな大きな狂気を飼っている。
 その狂気は愛という名を持つ。
 自分以外の何もかもを塗り潰さんとする大きすぎる感情の重力。
 デンジも当然それは知っていた。
 何度となく彼女の口から聞いてきたことだ。
 さとちゃんへ向ける愛。
 さとちゃんと一緒にビルの屋上から飛び降りて、しおは死で分かてないものがこの世にあることを知った。
 知ってしまった。
 そして彼女は、その時知った思いを胸に……もしくは手に。
 この聖杯戦争を草の根一本残さず刈り取らんとしている。
「それが買い被りだってんだよ」
 だがデンジはしおを怪物だとは思っていなかった。
 彼女の狂気を一番間近で見ておきながら、当の彼だけが周りの評価に付いていけていない。
「……ただのガキだろ、アイツは」
 吐き捨てるようにそう言ってそっぽを向く。
 これ以上お前と話す気はないという意思表示だ。
 死柄木は何か言いたげにしていたが、彼も言葉を重ねる意義がないと判断したのだろう。
 それ以上は何も言わず、ソファの背もたれに身を投げ出してその視線をまた虚空に向けた。
 性格も価値観も感性も何一つ合わないデンジと死柄木。
 英霊と人間、二人の悪魔。
 彼らの会話が終わったのをちょうど見計らったように、廊下の方からたたたた、という急ぎ足の足音が聞こえてきた。
「ただいまー!」
「おう、意外と遅かったな」
「うん。おじ――えむさんとのお話が長くなっちゃって。もしかして退屈だった?」
「別に。……ていうか何だよそのえむさんって」
「これからはこう呼ぶようにって言われたの。なんだかかわいい響きだよねぇ」
 ぼふん、とデンジの隣に腰を下ろすしお。
 それからややあってしおは小首を傾げた。
「もしかしてけんかしてる?」
「するかよ。こんな野郎にマジになってたら俺まで陰気になっちまう」
 おえ、と舌を出して言うデンジ。
「……とむらくんは?」
「同じく。バカと話す慈善活動(ボランティア)に精を出す趣味はない」
 やっぱりけんかしてる、と唇を尖らすしお。
 子供というのは大人の想像以上に鋭い生き物だ。
 彼女もデンジと死柄木の馬の合わなさには気付いていたのだろう。


51 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:33:00 5g4CB.u.0
「だめでしょー、けんかしたら。仲直りしてっ」
「してねえって言ってんだろ。……それより爺さんはなんて言ってたんだよ」
「あ、そうだった! あのね、おばさんに会いに行ってもいいって!」
 マジかよ。
 心の中でデンジは舌打ちをした。
 顔には思いきり嫌そうな色が出てしまっていたが。
「おばさん達のお引っ越しに合わせて会いに行くんだって。らいだーくんにも伝えておくといいよー、ってえむさん言ってた」
「……話は分かったけどよ。何かあっても俺を恨むなよな」
「? どうしてらいだーくんを恨むの?」
「あぁ、いや。もういいわ」
 とはいえマスターは彼女だ。
 いくら顔見知りらしいとはいえ、流石のデンジも一人で会わせようという気にはならない。
 ましてやあのバーサーカーの危険性もある。
 願わくばモリアーティがしおの頼みを断ってくれればよかったのだが、こうなってはデンジも腹を括るしかなかった。
「ありがとうね、らいだーくん」
「何だよ改まって」
「だってらいだーくん、おばさんのこと嫌いなんでしょ?」
 きょとんとした顔でまた首を傾げるしお。
 それを聞いたデンジは言葉に詰まった。
「まあ……そうだけどよ」
 あの狂った女のことは嫌いだ。
 というより、純粋に近寄りたくない。
 生理的な嫌悪感というやつがそこにはある。
 ただ、乗り気になれない理由の最たる所はそれじゃなかった。
 彼女としおが出逢えばきっと彼女達は愛の話を繰り広げるのだろう。
 その場にいる自分のことなどほっぽり出して。
 しおはまた、デンジの理解出来ない世界に一歩歩みを進めるに違いない。
 ……それがどうにも嫌だった。
“なんて言えばいいんだ? この気持ち悪さ”
 もしもデンジが。
 デビルハンターとして生き、支配の悪魔を殺したその一点にのみフォーカスを当てられて召喚されていなければ。
 マキマの支配から抜け出て人としての生き方を始めた以降の記憶もある状態で呼ばれていたならば。
 ひょっとするとその奇妙な感覚も、容易に言語化することが出来たのかもしれない。
「あの野郎の引っ越す時間ってことは、会いに行くのは夜か?」
「たぶんね。お日さまが沈んだ頃にでもえむさんが呼びに来るんじゃないかな」
「ならそれまでう〜んとダラダラしてハゲ社長の厚意を食い潰しとくぜ。しお、ポテチ開けるぞ」
 いや。
 今のデンジでもその答えに辿り着くこと自体は可能だろう。
 辿り着くまでの道のりが遠いだけで、既にデンジは一度それを経験している。
「あ。死柄木お前は食うなよ。俺達のポテチだからな」
「お前がマスター以下のクソガキだってことはよく分かったよ」
「そういえば私、らいだーくんのこと年上って思ったことあんまりないなぁ」


52 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:33:37 5g4CB.u.0
 ――友達が手の届かないところに行ってしまうのは、誰だって当たり前に嫌だ。
 それまでで、それだけの話だった。

【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル/一日目・夕方】

【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんとの、永遠のハッピーシュガーライフを目指す。
0:なかよくしなさい!
1:さとちゃんの叔母さんに会いに行く。
2:とむらくんとえむさん(モリアーティ)についてはとりあえず信用。えむさんといっしょにいれば賢くなれそう。
3:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
4:“お兄ちゃん”が、この先も生き延びたら―――。
※デトネラット経由で松坂(鬼舞辻無惨)とのコンタクトを取ります。松坂家の新居の用意も兼ねて車や人員などの手配もして貰う予定です。
 アーチャー(モリアーティ)が他にどの程度のサポートを用意しているかは後のリレーにお任せします。

【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:行きたくねえなぁ……。
1:しおと共にあの女(さとうの叔母)とまた会う?
2:死柄木とジジイ(モリアーティ)は現状信用していない。特に後者。とはいえ前者もいけ好かない。

【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
1:“舞台”が整う―――その時を待つ。
2:しおとの同盟は呑むが、最終的には“敵”として殺す。
3:ライダー(デンジ)は気に入らない。しおも災難だな。


53 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:35:02 5g4CB.u.0
    ◆ ◆ ◆

 中央区某所の住宅街。
 資産家や有名企業の関係者、果ては政治家などの富裕層が暮らす地区。
 その中に紛れた一軒の豪邸の内で一人の男が画面を見つめていた。
 木を隠すなら森の中の理屈で此処では豪邸であることこそが最適のカモフラージュになる。
 そこに我が物顔で住まう彼は人間ではない。かつては鬼、今はサーヴァントと呼ばれる身だ。
 人間としての今の名は松坂某。サーヴァントとしての真名は、鬼舞辻無惨。
 全ての鬼種の始祖である無惨が今見ているのは、とあるSNSだった。
 SNSなどという生前では考えられなかったハイテクノロジーにも今の無惨はしっかり順応を果たしている。
“…予想しなかった展開だな……”
 SNS上で話題になっている……というより。
 完全に肖像権や基本的人権を無視され、現在進行形で最悪の危険人物として拡散されている人物がいる。
 現代ではSNS炎上なんてものは毎日何かしらの形で起こる日常茶飯事だが、今回のそれは度を越していた。
 何しろ炎上している張本人にかけられている容疑が容疑だ。
 女性のみを狙って連続で襲撃事案を起こし、現在も逃走中の未成年。
 それは世間の群衆の心を掴むには十分すぎる火種だった。
 少年法に対して悪感情を抱く民衆が多いのも拡散のスピードに拍車をかけたのだろう。
 本当か噓かは全く定かじゃないものの、今では巷を騒がす女性失踪事件の容疑者だという話すら出ている。
“付け込む隙が生まれたと言えなくもないが…。これだけ名が知れてしまった以上、不用意に抱え込むのは愚策か”
 渦中の少年の名は、神戸あさひ。
 その姓を見た瞬間に無惨はピンと来た。
 こいつだ。こいつが、神戸しおの兄。
 異常な愛情を抱く女達の物語に巻き込まれた哀れな少年。
 無惨は当初彼を次の契約先として使おうと考えていた。
 言わずもがなそれは、自分の狂ったマスターと縁を切るためだ。
“不愉快だ。私の考える方策が悉く頓挫していく”
 しかしそれも今となっては望みが薄くなった。
 無惨は今のマスターのことを心底嫌悪しているが、だからと言って公共の敵として追われる立場になるのはもっと御免だ。
 あさひが本当に襲撃犯なのかどうか、そこは重要ではない。
 真実はどうあれ彼がこうして悪目立ちしてしまった以上は、無惨の次なる契約相手としての役割を果たすには役者不足も甚だしかった。
“私の期待を裏切った屑めが。どこぞで野垂れ死んでしまえ”
 ――だが無惨は気付かない。
 気付ける筈もないが、彼は今とても正しい判断を下した。
 あさひに取り入るのを諦めたのは彼らしくない慧眼だ。
 今もしも彼が、多少のリスクを了承してでもあさひを手に入れようとしていたならば。
 最悪彼は破滅へと続く階段をごろごろ転げ落ちていくことになりかねなかった。
 何故なら今彼の傍には……鬼舞辻無惨がその生涯で唯一恐れた怪物の如き男が控えているのだから。
“……他人の癇癪に振り回されるというのは初めての経験だ。率直に腸が煮えくり返る”
 今の無惨はまさに不快の絶頂だった。
 あさひのこともそうだが、それ以上に彼を苛立たせているのは他でもない自身のマスターだ。
 無欲なことだけが取り柄のような女だったのにも関わらず此処に来て彼女が主張を始めた。


54 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:36:04 5g4CB.u.0
 松坂さとうとの再会。
 そんな無惨に言わせれば糞以下のどうでもいい事柄に時間を割かねばならなくなった。
 ただでさえ日中出歩けない無惨にとって夜は貴重な行動可能時間だというのに、あの女の腐った脳ではそれくらいのことも分からないらしい。
“早急に手を講じなければ…。もはやこれは好悪の問題を超えている……。
 あの女は腫瘍のようなものだ。維持していればいるだけ私を蝕み奈落へ誘う。
 マスターなど最悪私の血を注いで軟禁しておけばそれで事足りるのだから、選り好みする意味もない”
 青筋を立てながら不機嫌そうに指先で机を叩く無惨。
 渦巻く激情を誤魔化すようにコーヒーを一口呷った。
 その時だ。無惨の携帯端末が着信音を鳴らす。
「次から次へと……」
 表示された名前を見て思わず舌打ちをする無惨。
 しかしこの相手に限っては反応しないわけにもいかない。
 認めるのは業腹だが、無惨の聖杯戦争を明確に前へと進めてくれる貴重な相手だ。
 早ければ今夜中にも切り捨てる腹だが、今はまだ利用の段階である。そう思って我慢をする。
『君の住居の手筈が付いたよ。日が沈み次第そちらへ向かう』
「貴様は要らん。迎えの者だけ寄越せ」
『私も当初はそのつもりだったのだがね。連合(こちら)の側に君のマスターと話したいという者がいるんだ』
「……神戸しおか」
『おや、聞いていたのか。ならば話は早い』
 飄々とした物言いがこの上なく鼻につく。
 今目の前に通話の主……Mがいたなら無惨は間違いなく殺しにかかっていただろう。
 元を辿ればこのMさえいなければ、自分が他人の人間関係に振り回されることもなかった。
『そう不機嫌にならずともいいじゃあないか。これを機に君のところの難儀な彼女も、少しはやる気を出してくれるかもしれないだろう』
「要らん。あの女が発する言動の全てが私にとっては障害だ」
『……ウ〜ン、実際会った身からするといまいち否定しづらいネ!』
 無惨は確かに気難しいの域を通り越した、ある種狂的ですらある自我(エゴ)の持ち主だ。
 しかしこれについて彼の落ち度と責めるのは酷である。
 今話の俎上に載っている女に召喚されたなら、大半の英霊は頭を抱えるか今の無惨のように苛立ちを露わにするだろう。
 そしてそれは多分、M……ジェームズ・モリアーティをしても例外ではない筈だ。
 尤も大袈裟でなく町一つを掌握出来る手腕を持つ彼に課すにはそれくらいのハンデでちょうどよかったかもしれないが……。
『まあとにかくだ。そういうことだから、苦労をかけるが彼女に話を通しておいてくれ』
「私が対面の場を利用して神戸しおを殺すとは考えないのか」
『させないさ。私を誰だと思っている?』
 不愉快になって無惨は通話を切った。
 千年に渡って身を隠し続け、自分の目的のため邁進してきた無惨にとって誰かの手の内で踊らねばならない状況というのは本当にストレスフルだ。
 狂った要石を砕いて蜘蛛を殺し、これまで取り続けてきた遅れを取り戻さなければ。
 感じる筈もない頭痛をすら覚えながら端末を置いた無惨の元に、まるで見計らったみたいにその女はやって来た。


55 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:37:03 5g4CB.u.0
「あのおじさまからのお電話?」
「……日没後、奴らが再び此処を訪れる。神戸しおも一緒とのことだ」
「まあ。……うふふ。しおちゃんかぁ、なんだかとても久しぶり。何を話そうかしら」
 反吐が出る思いで視線を背けた。
 松坂さとう。神戸しお。そしてこの狂ったマスター。
 いずれも話に聞いた限りでは無惨にとっては嫌悪の対象でしかなかった。
「ありがとうね鬼舞辻くん。鬼舞辻くんのおかげで私、とてもわくわくしてるの」
「私に話しかけるな。吐き気がする」
 人間を踏み台にし続け利用し続け、果てには英霊の座に登録されるまでに至った悪鬼・鬼舞辻無惨。
 彼の所業を知る者が見たならなんて皮肉だとそう思うだろう。
 鬼の首魁がこうまで人間に振り回され続けている。
 人間にその命運の全てを握られている。
「しおちゃん。あの子の大切な人。ふふ。あの子は私に、どんな愛を見せてくれるのかしら」
 ……これもまた。
 鬼舞辻無惨という神でも仏でも救えなかった咎人に対しての因果応報なのかもしれない。

【中央区・豪邸/一日目・夕方】

【バーサーカー(鬼舞辻無惨)@鬼滅の刃】
[状態]:肉体的には健康、精神的には不快の絶頂
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数億円(総資産)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯を用い、自身の悲願を果たす
0:日没を待つ
1:やむをえないが夜になったら、松坂さとうを探索する。死んでて欲しい。
2:『M』もといアーチャー達との停戦に一旦は合意する。ただし用が済めば必ず殺す。
3:マスター(さとうの叔母)への極めて激しい嫌悪と怒り。早く替えを見つけたい。
4:神戸あさひはもう使えない。何をやっているんだ貴様はふざけるなよ私の都合も考えろ

【本名不詳(さとうの叔母)@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康、軟禁解除
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:いつもの通りに。ただ、愛を。――ああ、でも。
0:しおちゃん。ふふ、わくわくするわ!
1:夜になったらさとうちゃんを探す。
2:それはそうと鬼舞辻くん、夜に二人っきりってデートね。


56 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:38:51 5g4CB.u.0
    ◆ ◆ ◆

 受話器を置く。
 バーサーカーは相変わらず難儀な人物だったが、彼の抱える重荷を知ると少しは優しい目で見れるというものだ。
 神戸しおの運命もとい"松坂さとう"の叔母。
 あの女はモリアーティの目から見ても明らかに狂人だった。
 いわゆる作戦に組み込めない……ことはないが出来れば組み込みたくない人種だ。
 無惨とはまた別なベクトルで扱いにくい人種。
 それがモリアーティが彼女に対して行ったプロファイリングの結果である。
「すまないね、話の腰を折ってしまった」
「お気になさらず。不躾な訪問をしたのは拙僧の方です故」
 社長室、本来このデトネラットを統括する四ツ橋力也が居するべき場所。
 そこで巨大なコンピュータの前に座ったモリアーティが振り向いた先にいたのは毒々しい何者かだった。
 陰陽師を思わせる装束はしかし彼に清廉さも潔白さも約束しない。
 あまりにも毒々しくて、それでいて禍々しい男であった。
 彼のことを一目でも見た人間で彼に対して悪の印象を抱かない者はまず居まい。
「して。返答の方は如何に?」
「地獄界曼荼羅、だったかな。私の予想を数段は超えた計画だったよ。うん、正直面食らった」
「窮極の、でございます。そこが肝ですので」
 男の真名は蘆屋道満。
 もしくはアルターエゴ・リンボ。
 この東京を文字通りの地獄に変えようとしている大悪である。
「そもそも君、真っ当なサーヴァントではないネ? 善悪の話じゃなく構造の話だ」
「はてさて。何のことやら分かりませぬな」
「普通のサーヴァントはね、こんな馬鹿みたいな話を大真面目に語ったりしないんだよ」
 地獄界曼荼羅。
 もとい、窮極の地獄界曼荼羅。
 アビゲイル・ウィリアムズなる降臨者を使い聖杯戦争を終わらせる計画。
 その行き着く果ては界聖杯すら通過点にした羽化、空想樹としての変容。
 皆が血眼になって求める願望器をたかだか苗床程度にしか考えないその発想にはさしものモリアーティも驚いた。
 だが……。
「結論から言うと協力は出来ない。というより、協力する意味がない」
「これはまた手厳しい」
「予想通り、なんて顔をして言うセリフではないね」
 リンボがモリアーティの前に現れた理由。
 地獄を築くための協力要請。
 それはモリアーティにとって到底受け入れられる話ではなかった。
 というか言葉を選ばずに言うなら、論外の話だった。
 リンボは界聖杯を求めていない。
 一方でモリアーティは曲がりなりにも界聖杯を求めている。
 そこの違いが彼らに安易な結託を許さない。
 リンボの計画がもし万が一にでも成功してしまったなら、その時絶望的な状況に立たされることになるのはモリアーティ達も同じだ。
 であれば当然、手放しにこんな話に飛びつく道理はない。


57 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:39:37 5g4CB.u.0
「交渉相手を間違えたのが君の失敗だ。敵に塩を送るようだが、この手の話を伝えるならもっと後先を顧みない人間にするべきだった」
 現代で言うところの無敵の人。
 一時の衝動のままに未来を捨てられる、もしくは未来がそもそもない人間。
 そんな人間であればきっと、目を輝かせて地獄界曼荼羅の礎になってくれたろう。
「そういう御方ならば既に一人確保しております。よってご心配は無用」
「おっと。思いの外抜かりないね」
「ンンン、そこはそれ。――ところで、話はそれで終わりですかな?」
「と、いうと?」
「恍けるようなお歳でもありますまい。分かっているでしょう、此処で断ればどうなるかなど」
 リンボの指摘は正解だった。
 此処で話を蹴れば、モリアーティは一方的にリンボから拠点を知られることになる。
 それは旨くない。
 陰謀を武器にする蜘蛛にとって巣を直接叩かれるのは最悪の展開だ。
 そして、そのことにすら思い当たれないほどモリアーティは耄碌しているのか。
 答えは当然否。モリアーティの眼鏡が、北欧にあっては叡智の結晶と称されたそれが妖しく光る。
「察しがいいネリンボ君。しかしせっかちなのは良くないぞ、今からそこを語ろうと思っていたところだ。
 まず改めて言っておくが、我々敵連合は君の計画に関与しない。状況にもよるが、まぁ無駄な期待はしないが吉だ」
「……」
「だが敵対もしない。連合(われわれ)は君に対して"静観"だ」
「ふむ」
「それが利になるなら背中を押そう。しかし邪魔はしない。どうぞやりたいようにやり給え、私も君の描く地獄が現出した未来には興味がある」
 リンボが窮極の地獄界曼荼羅を本当に完成させたなら確かにそれはモリアーティ及び彼の後ろに続く連合の面々にとっては窮地だろう。
 しかし彼が描かんとする絵図。
 その完成までの過程で起こるだろう争いと生まれる犠牲の数は、むしろモリアーティ達の利になる。
 そも、連合の弱点とは何か。
 モリアーティもデンジもそうだが、現状の連合はそう強大な戦力というものを持っていない。
 なればこそ勝つためには他の陣営、特に抜きん出た強者たちの消耗が必要不可欠だ。
 その削りの手段としてリンボの無茶苦茶な暗躍は実に理に適っている。
 積極的な賛同は出来ずとも、"敵対しない"ことでやんわりと背中を押してやるには十分な旨みのある話だった。
「君が頓挫したなら。もしくは成功したなら。いずれにせよ、君の野望が行き着くところに行き着いたなら」
 モリアーティは四ツ橋が出してくれたウイスキーを一口含んで笑った。
 英霊に酔いなどというものは基本ないが、それでも良い酒というものは気分を良くしてくれる。
「話はまたその時だ。手を取ってあげるのも、刃を向けるのも……ね」
「――ンンンン。これはこれは……参りましたな。どうも拙僧はとんだ古狸に儲け話を持ちかけてしまったらしい」
「君に言われたくはないなァ。そのおぞましい霊基、一体どんな外法に手を出したのやら」
「いつだとて一番恐ろしいのは生きている人間と申しましょう」
「それは本当に怖いものを知らない者のセリフだよ、蘆屋道満君。
 ああいや……こうして真名を突きつけてやることも、君に対しては然程意味はないのかな?」
「その通り。この身は既に、斯様な一僧の領分をとうに超えておりまするので」
 悪の陰陽師。
 そう聞いて真っ先に浮かぶ真名は一つだ。
 モリアーティもほぼ山勘で投げただけの言葉だったが、リンボは粘つく笑みを浮かべあっさり頷いた。


58 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:41:46 D6xWxKAU0
「実のところ。敵に回る可能性があるのならば、一つこの居城へ手頃な呪いでもばら撒いて帰るつもりだったのですが」
 リンボは神出鬼没の存在だ。
 本体を潜伏させ式神で町を探り回る怪異の先駆けだ。
 そんな彼がどのようにしてモリアーティの、ひいては連合の居城を突き止めたかなどは問題ではない。
 重要なのは形も向きも異なる二人の悪が邂逅したその結果である。
「……いいでしょう。邪魔されないだけでよしとします」
「ところで君、先程こう言っていたね。此処に来る前に一人マスターの勧誘を行ったと」
 このように、リンボとモリアーティは敵対しなかった。
 モリアーティは地獄界曼荼羅の構想を積極的に支持はしないが邪魔もしない。
 行動を起こすとすればそれが自分達に与える不利益が看過出来ない次元に達した時か、その逆。
 そして……地獄界曼荼羅が完全に成った後である。
 とはいえ、そこに例外がないわけでもなかった。
 重ねて言うが、モリアーティも決してリンボの話に興味がないわけではないのだ。
 聖杯戦争の進行上の観点から見た場合でも、そして個人的な怖いもの見たさの観点からも。
 悪の陰陽師がその裡に思い描く地獄篇の形に興味がないと言えばそれは嘘になる。
「典型的な凡愚、社会への鬱屈、破滅的な非日常への渇望……」
「おやおや。彼に興味がおありで? お言葉ながら貴殿の眼鏡に適うような男ではありませんでしたが」 
「どんな英霊を従えているのかにもよるがね、話に聞いた限りでは実に連合(うち)向きの人材だと思ったよ。
 私の教え子(マスター)に会わせてみたい。ひょっとすると大きく化けるかもしれない」
 次に会うことがあれば私の連絡先を渡しておいてくれ。
 そう言って紙片を一枚手渡すとリンボは「物好きですな」と嗤った。
 それに対しモリアーティも嗤う。
「人間の可能性をそう馬鹿にするものではないよ。
 それに君の波長(いろ)を見れば察しは付く。
 一度は痛い目を見たことのある口だろう? 私と同じでね」
「悪事とはうまく運ばぬもの。えぇ、それはもう何度となく痛感して来ましたとも」
 どちらも積極的に言及することはしないが。
 犯罪教授も美しき肉食獣も、自分の命運全てを懸けた野望を一人の少女に砕かれている。
 そして彼らはお互いに目の前の男が自分と同じであることを直感していた。
 星の輝きに破られた敗北者達の第二幕。
 彼らにとっての聖杯戦争はひとえにそれなのだ。
「ご忠告痛み入ります。当分は胸に留めておきましょう」
 紙片を僧衣の内に仕舞い。
 リンボの輪郭が陽炎のように薄れていく。
 別れの言葉を交わし合うほど親しい間柄でもない。
 リンボが自分達の居城から消えたのを確認してから、モリアーティは小さく息を吐いた。

「やれやれ。生きた心地がしないネ全く」
 ……危なかったとこの老紳士にしては珍しく胸を撫で下ろした。
 連合を造った黒幕であるモリアーティには分かるが、自分達の状況は実のところそれなりに薄氷である。
 もう一度言うが、今の連合は戦力面では烏合の衆と呼ぶ他ない状態だ。
 デンジは良くも悪くも平均的で死柄木弔はまだ未完成。
 しおは論外で、自分もそれなりに戦えはするがそれでも一軍級のサーヴァントとやり合うとなれば不安が残る。
 そんな発展途上の悪の組織に押しかけてくる相手としては、あのリンボは正直十分に戦力過多だった。


59 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:43:38 PgfKBAXM0
“綱渡りだったが、しかし結果的には我々の利になった。心臓の痛みを堪えながら詭弁を弄した甲斐があったな”
 しかしそこは流石のモリアーティ。
 都を恐怖の底に落とした蘆屋道満に決して劣らぬ悪の親玉。
 彼はリンボとの敵対という目前の危機を正しく認識しつつ、その上でリンボを自分達に利する可能性のある原石に変えた。
 その上、接触したいマスターの候補まで新たに見出だせたのだ。
 リンボが動いてくれることが前提になるものの、もしもまだ見ぬ"彼"が連絡先を辿ってきたならその時は前向きに検討したいところだった。
 凡人と聞けば聞こえは悪いが、彼らが非日常に対して抱く歪んだ開拓心と爆発力は時に侮れないものがある。
 モリアーティはそれを経験上知っていた。
 何度となく道具として使ってきた身であるから。
「さて。後は……」
 彼がそう呟いた時、社長室の扉がノックされた。
 数瞬あって扉の向こうから現れたのはこの部屋の本来の持ち主だ。
 四ツ橋力也。デトネラット社長にしてジェームズ・モリアーティの最大の支持者。
「失礼します、M。スケプティックから連絡がありました」
「ほう」
 近属友保。
 コードネームは"スケプティック"。
 上場企業として知られる大手IT、Feel Good Inc.の代表取締役を務める若き天才。
 彼もまたモリアーティのシンパの一人だ。
 この世界の真実を知らされ、しかし絶望せず解放の未来を希求する道を選んだ人間。
「貴方様の目していたターゲット。星野アイにトランペットを接触させるとのことです」
「彼がそう決めたのなら、それなりの根拠が持てたのだろう。私は特に意見しない。彼に任せよう」
「は、承知しました。ではそのように伝えます」
「便利なものだね。監視カメラ、各種サーバー、…そしてカーナビゲーションシステム。
 彼の監視の目は現代社会のありとあらゆる場所に潜んでいる。私の生きていた時代にはなかった反則技だ。
 まぁ首尾よく彼女達を懐柔出来た場合は、禪院君にもしっかりと話を通さねばならないだろうが……」
 モリアーティはヴィラン連合を造った黒幕だ。
 だからこそ彼は連合の強さも弱さも知り尽くしている。
 今の連合に一番必要なものは人員。そして戦力。
 今はまだ事を起こし、聖杯戦争を制するために動くべき場面ではない。
 今は――烏合の衆を軍団(レギオン)にまで鍛え上げる勧誘(スカウト)の段階だ。
 しかしアイを引き入れるとなれば禪院との折衷という問題も出てこよう。
 リスクとリターンを慎重に見極めて最大利益を叩き出す必要がある。
 当然、並大抵の難易度ではない。しかし彼は犯罪の操り手。
 犯罪卿(ジェームズ・モリアーティ)――なのだ。
「では面接の準備をしておこう。ますます忙しくなりそうだ」
 嬉しい悲鳴だネ。
 眼鏡の後ろに不敵な眼光を光らせてモリアーティは言った。
 大蜘蛛は卵嚢の生成に勤しむ。
 いずれ来る孵化の時を見据えて。
 悪の旋律は、爛々と演奏開始の時を待っている。

【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける。
0:当面は大きくは動かず、盤面を整えることに集中。死柄木弔が戦う“舞台”を作る。
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:禪院(伏黒甚爾)に『283プロダクション周辺への本格的な調査』を打診。必要ならば人材なども提供するし、準備が整えば攻勢に出ることも辞さない。
3:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
4:"もう一匹の蜘蛛”に対する警戒と興味。真名が『モリアーティ』ではないかという疑念。
5:リンボと接触したマスター(田中一)を連合に勧誘したい。彼の飢えは連合(我々)向きだ。
[備考]
※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
 デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※283プロダクションの陰に何者かが潜んでいることを確信しました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」


60 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:45:35 FZPfVIlU0
    ◆ ◆ ◆

 星野アイが取った選択肢は一度事務所に戻るというものだった。
 その他にも取れる選択肢はいろいろあった。
 真乃達に連絡を取る、それか接触する。
 もう少し空魚に対して自分達の価値を売り込むのも手ではあっただろう。
 だが何事も急ぎすぎては空回りするものだ。
 アイは慌てず騒がずそして逸らず、芸能人としての責務(ロール)を果たすことを選んだ。
「ただいまー」
「アイ! お前どこほっつき歩いてた! 大変なことになってんだぞ今!」
「ごめんごめん。でも板橋の方には近寄ってないから、特に危ないこととかはなかったよ」
 事務所に戻るなり社長が仁王像の如く眉間にシワを寄せてどやしつけてくる。
 とはいえ予想できていた展開なので特に面食らうこともなく、いつものように受け流した。
 そも、彼が心配するのも当然なのだ。
 アイが外出している間に起きた板橋の大破壊。
 SNSを現在進行形で炎上させている連続襲撃犯の少年。
 自分の事務所の看板といってもいいアイドルが(運転手同伴とはいえ)好き勝手出歩くには、今日の東京は少々物騒すぎた。
「それに殺島さんがいるから大丈夫でしょ。あの人結構頼りになるよ?」
「あんな経歴不明の怪しい男、お前のたっての希望じゃなかったら絶対使ってないからな?」
「ま、そこは企業秘密ってことで」
「企業を持ってるのは俺なんだけど」
 板橋の惨状を移動中に知った時は流石のアイも驚いた。
 事件それ自体は然程の衝撃ではなかったが、問題は悲惨な報せの裏で拡散されているとある画像にあった。
 爆心地となった住宅地の上空に漂う青く巨大な龍。
 間違いなくサーヴァントだろうとすぐに分かったが、問題はそのサイズだ。
 数百メートル、いや全長ならばそれ以上かもしれない……それほどの大きさ。
 あんな奴までこの聖杯戦争に参戦していたのかと驚かずにはいられなかった。
 が……少なくとも今のところは、アイにとっては他人事だ。
“化け物のペースに合わせたって仕方ないもんね。あくまで自分達のペースでじゃないと”
 アイドルとしてのアイは神をも恐れぬ一番星だが。
 聖杯戦争のマスターとしてのアイはちゃんと身の程を弁えている。
 アイもそしてそのサーヴァントである殺島飛露鬼も認めるところだ。
 自分達は――弱い。この聖杯戦争において間違いなく下から数えたほうが早い弱小であることは。
“別に戦って勝たなくてもいい。最後に勝てばそれでいい。名誉の戦死とか、ぶっちゃけ負け犬の自己満足でしょ”
 目指すのは優勝、そして界聖杯の確保だ。
 であればその過程はどれだけ狡猾でも卑怯でも構わない。
 そう弁えているからアイに焦りはなかった。
 敵が強いのなら賢く立ち回って避ければいいのだ。
 そうすればどんなに強くて恐ろしい敵だろうと、アイ達の敵を蹴散らす露払いに早変わりしてくれる。
“まぁでも、それにしたって今の状態じゃまだちょっと心細いけど”
“そうだな。アサシンの野郎がオレの不義理を水に流してくれたとしても、もう少し後ろ盾は欲しいとこだ”
 目の前の社長の説教を聞き流しながら念話を交わすアイと殺島。
 神戸あさひが関わるだけで損をする相手になってしまったことで彼女達の展望も多少変わった。
 紙越空魚の重要性は増したし、万一に備えて彼女や真乃以外に頼れる相手のコネを新たに結びたいところだ。
 そう考えているアイの心中を知るわけもない苺プロの社長。
 しかし次に彼が言った言葉は、アイ達のあまり見通しのよくない先行きに一筋の光明をくれた。


61 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:47:30 2txYi.fI0
「あぁ、それとだ。もうすぐこの事務所に政治家の先生が来る」
「なんで? 汚職? 枕?」
「違うわバカ。選挙が近いからな。広報役にウチのアイドルを使いたいんだと」
「結構ド直球な癒着じゃん」
 政治ネタなんてオタクが嫌がる代名詞だろうに。
 アイは社長の銭ゲバ根性に結構本気で引いた目を向けた。
 すると彼もそれに気付き、「そんな目で見るな!」と鋭く突っ込む。
「いらっしゃったらお前も一応挨拶くらいはしてくれ。近年で議席を急激に増やしてる、今トレンドな心求党のトップなんだから」
「うさんくさ。まぁ私選挙とか一回も行ったことないけどさ」
 とはいえ確かに苺プロといえば、の段階にあるアイが出迎えるのと出迎えないのとでは向こうの心証も大違いだろう。
 自分の世界の彼でないとはいえ顔くらいは立ててやるかとアイはなけなしの慈悲を示すことにした。
 心求党。政治に疎いアイは名前を聞いたことはなかったが、件の党はいわゆるポピュリズムを武器にして支持を伸ばした政党である。
 主に党首、花畑孔腔のカリスマ性と口の上手さで成り上がった団体だ。
 このままこの世界が続けば数年後には最大野党になってもおかしくない新進気鋭の軍団。
 もっともこの世界の滅亡は生まれたその瞬間から既に確定しているため、特段その将来性に意味はない……本来なら。

 事務所で待つこと数分。
 インターホンの音が鳴り、社長が慌ただしく出て行ったのを見てアイは件の政治家が訪問してきたのを察した。
 アイはアイドルとしての活動以外にはとことん興味を示さない女だ。
 だから政治沙汰には疎いし、心求党などという政党の名前にはさっぱり聞き覚えがなかった。
 だがその陥穽をごくごく自然に隠し通すことなど根っからのアイドルであるアイにしてみればお手の物。
 社長の面子を保つためにもアイドルとしての表情を作り、やって来た心求党党首の前に出ていった――そして。
 都民の人心を誘蛾灯のように引きつけるカリスマ政治家、花畑孔腔は……星野アイの姿を視界に収めるなり慇懃に一礼して、言った。
「お迎えに上がりました。星野アイさん」
「…………はい?」
「おっと…。不躾な言動をしてしまいました、どうかお許しを。
 社長さんから聞いていると思いますが……私は花畑という者です。政党"心求党"の党首を務めさせていただいております」
「…えっと。その党首さんが、私に何の用ですか?」
「ははは。恍けるのはいかがなものかと。既に分かっておられるでしょうに」
「……ふーん」
 え? 何? 知り合い?
 とキョドっている社長をよそにアイは納得したように頷いた。
 どういう手段で突き止めたのかは分からないが、この言動からしてそういうことなのだろう。
 まさかこの苺プロを直接訪ねてくるような手合いがいるとは思わなかったが。
「花畑さん、マスターじゃないよね。誰の指示で私に会いに来たのか聞いたら答えてくれる?」
「"M"とだけ。とはいえ貴方も既に存在は知っている御仁だと思いますが」
「…なるほどね。こっちから探すまでもなかったか」
 Mという名前、そして記号に聞き覚えはない。
 だが存在は知っている筈だという物言いで察しがついた。
 それはアイの方からどうにかして接触したいと考えていた相手。
 空魚のサーヴァント、アサシンの言っていた協力者。
 十中八九そうだろうなと当たりを付けてアイは花畑を見据えて話す。
 相手が政治家だろうがなんだろうが、此処で気圧されるアイではなかった。


62 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:48:55 byjQZH2U0
「こっちから聞くのもなんだけど、いいの? アサシンは怒るんじゃない? あの人、私達に不信感持ってるみたいだったし」
「Mは当然想定の上ですよ。彼の思考は常に我々の数段先にある。彼の身を案ずることは彼に対する一番の非礼です」
「ふぅん。なら、今はそれを信じてみようかな」
 手間が省けた。
 神戸あさひをあれほどの短時間で詰ませた人物。
 それほどの社会的権力を持つ人物。"M"と呼ばれる男。
 手探りで探すしかなかった彼へのパイプを予期せず手に入れたアイに、それを捨てる理由など当然なかった。
「ところでどうやって私のことを突き止めたの? 自分で言うのもなんだけど、ボロは出してなかったと思うんだけど」
「近頃の電化製品には中に盗聴の設備が埋め込まれていることがある。勿論違法ですがね」
「うわぁひっどいやり口。そっかー…それはちょっと考えてなかった手だな……」
 事実上の答え合わせだ。
 大方アイの乗っていた車に使われていたカーナビがそういうことを仕出かす会社製のものだったのだろう。
 まだ不透明な部分の多い相手だとはいえ、彼らが積極的に自分達を潰しに来る手合いでなくてよかった。
“ねぇライダー。この人ただのNPCだよね?”
“ああ、間違いない。魔力を全く感じねぇ”
 霊体化しているライダーに念話で訊くとやはり予想通りの答えだった。
“神戸あさひを潰したのだって馬鹿なNPCを焚きつけてやったことだろ。
 NPCに情報を与えることである程度動きの方向(むき)を操作できるってんなら、まぁ当然忠実な手駒(イヌ)にすることも出来るってことだ”
“…盲点だった。なるほどね……確かにそれが出来るなら、理屈の上ではどこまでも自分達の戦力を増やしていけるのか”
“オレも似たようなことは出来るが、いいとこ使い捨ての特攻隊(カミカゼ)もどきを作るくらいが限度だな”
 やはり只者じゃないぜ、奴さん。
 苦笑交じりの念話にアイも同意する。
 初めてその働きを認知した時から思っていたことだが、東京を裏で操る黒幕じみたサーヴァントにはやはり一度接触しておくべきだ。
 そうでなければ最悪、取り返しの付かない状況に追い込まれてから後悔することになりかねない。
 彼らを自分の与り知らないところで敵に回し潰された神戸あさひのように。
「あ、アイ…お前さっきから何を話してるんだ? 花畑先生とどこで面識を……」
「ごめん社長。ちょっとまた出てくるね」
「そういうことですので。ご心配なく、アイさんの身の安全は我が党が全力で保証します」
 何が何だかさっぱり分からないといった顔をしている社長に手を振る。
 混乱するのも尤もな状況だが、彼に説明したところで何の得にもならないだろう。
 アイドルを始めてからずっと世話になっている相手だ。
 実験感覚で戦争に巻き込むのを寝覚め悪く感じるくらいの良心はまだアイの中にもあった。
「運転もそっちでいいの?」
「スカウトしたのは此方ですから。アイさんには優秀な運転手がいるようですが、そこの礼儀は通しますよ」
「……ふぅん」
「ああそれと。私のことは"トランペット"とお呼びください」
 ホントに全部バレてるんだ。
 事務所を出てあちらの用意した車に乗る。
 伏魔殿へ向かう旅路は事務的な冷たさを伴い始まった。
“ライダー。いざという時すぐに逃げられるように準備だけはしといて”
“当然(モチ)だ。お前も……言いくるめられるんじゃねぇぞ? 相手は真実(マジ)のやり手みたいだからな”
“んー、多分それは大丈夫。伊達にプロの嘘つきやってないよ、私だって”
 アイにとって噓は衣服で虚言は呼吸だ。
 相手がどれほど人の心を弄ぶことに長けていたとしても、プロの噓つきであるアイを騙すのは決して容易ではない。
 面接をするつもりなのは何もM、モリアーティに限った話ではない。
 彼に見初められた側であるアイ達もまた、蜘蛛の巣の中心で待ち構える毒蜘蛛を見極めんとしていた。


63 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:50:30 v2FLsT2.0

【練馬区・苺プロ事務所周辺/一日目・夕方】

【星野アイ@推しの子】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
0:トランペットに付いて行き“M”に接触する。
1:空魚ちゃん達への監視や牽制も兼ねて、真乃ちゃん達とは定期的に連絡を取る。必要があれば接触もする。
2:空魚ちゃん達との同盟を主にしつつ、真乃ちゃん達を利用。彼女達が独自に仁科鳥子ちゃんと結託しないようにしたい。
3:アサシン(伏黒甚爾)の背後にいる“協力者”に警戒と興味。空魚達が脱出派に転じるならば、利害関係を前提に彼らへとアプローチを仕掛けてみたい。
4:あさひくん達は捨て置く。もう利用するには厄介なことになりすぎている。
[備考]
※櫻木真乃、紙越空魚と連絡先を交換しました。
※現在『心求党』党首、花畑孔腔(トランペット)の車でデトネラット本社ビルに向かっています。

【ライダー(殺島飛露鬼)@忍者と極道】
[状態]:健康
[装備]:大型の回転式拳銃(二丁)&予備拳銃
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アイを帰るべき家に送り届けるため、聖杯戦争に勝ち残る。
1:真乃達と空魚達の動向を注視。アイの方針に従う。
2:ガムテたちとは絶対に同盟を組めない。
3:アヴェンジャー(デッドプール)についてはアサシンに一任。
4:“M”については現状様子見だが、警戒は怠らない
[備考]
※アサシン(伏黒甚爾)から、彼がマスターの可能性があると踏んだ芸能関係者達の顔写真を受け取っています。
現在判明しているのは櫻木真乃のみですが、他にマスターが居るかどうかについては後続の書き手さんにお任せいたします。

    ◆ ◆ ◆

 蘆屋道満は陰陽師である。
 安倍晴明に敗れこそしたが彼の術師としての才を疑う者はいなかった。
 その道満が悪の神を、黒き太陽を取り込んだ結果誕生したのがこのアルターエゴ・リンボだ。
 生活続命の法とまでは行かないが、式神を操縦して奸計を練ったり本体の活動と並行して自律行動させるくらいはお手の物。
 そして今まさに道満はその手段に頼り、自分の野望に向け駒を進めるつつマスターの意向にも添うという並行作業をこなしていた。
“…なるほど。デトネラット、ですの。そこにサーヴァントの徒党が”
“戦力としては微弱と見受けましたが一応報告しておいた方が宜しいかと思いまして”
“この町はずいぶん蜘蛛が多いんですのね。鬱陶しいですわ”
 道満は現状モリアーティと彼の連合に手出しをするつもりはない。
 理由は簡単で、排除に急を要するほどの敵とは感じられなかったから。
 下手に対立構造を作って手を噛まれるくらいなら確実に潰せる、野望が実った状態で初めて視界に入れても問題はないと判断した。


64 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:51:24 iw5Nna3c0
 彼らに己を邪魔する気があるのなら話は別だったが、不干渉だというのならやはりわざわざ触りに行く意味は薄い。
 とはいえマスターに報告をせず隠しておくほど彼らの肩を持ってやる理由もないので、沙都子への報告は怠らなかった。
“敢えて野放しにしておけば、あの怪物を倒す妙策でもひねり出してくれるかもしれませんわね”
 沙都子としても、今すぐ潰しに行くのが妥当な相手とまでは感じられなかった。
 存在を認識した主従を全て潰していてはそれこそ手が足りなくなる。
 皮下病院の怪物をいつかは倒さなければならない都合、その辺は臨機応変に頭を使っていかなければ。
“話は分かりましたわ。ガムテさんへの報告も一旦保留にしておきます”
“ああそういえば。良いのですかな? 拙僧、未だそちらの方々へのお目通りは済ませておりませんが”
“どうせ近い内に顔を合わせることになりますわ。貴方がきちんと仕事をしてくれれば、そうなる筈ですもの”
 野望成就に向け腐心する道満に与えられた仕事。
 それは沙都子の協力相手、ガムテがそのサーヴァントの力を借りて特定したマスターの拿捕だった。
 正確にはそのマスターが連れているサーヴァントの足止め役だったが。
“それと、もしもガムテさん達に会うことになったとしても”
“言われるまでもありません。拙僧の抱く野望については胸に秘めておきましょう”
“…弁えていただいてるようで何よりですわ。正直、まさかそれほど馬鹿げたことを考えてるとは思いませんでしたけど”
 窮極の地獄界曼荼羅――その構想を聞かされた沙都子の率直な感想は「こいつは馬鹿なのか」だった。
 界聖杯を文字通りの踏み台にして羽ばたくという本末転倒、やりたい放題の極致。
 普通のマスターならば令呪を使ってでもその考えを封じていただろう。
 沙都子がそれをしなかったのはひとえに彼女が帰還さえ出来れば後はどうでもいい、というスタンスのマスターだからだ。
 空想樹どうこうの話には一切興味はないが、それでこの世界を抜けられるというなら反対する理由もない。
 後はちゃんと頭を使って、角が立たないよう静かに勝利条件を満たしてくれさえすれば文句はなかった。
“釘を刺しておきますけど、途中で妙な方針転換をするのだけはおやめくださいましね”
“ンンンそこは抜かりなく。以前それで痛い目を見ましたから、今回はやりません”
“前に一度やったんですの……?”
 頭が痛そうなマスターからの念話が耳に痛い。
 しかし道満は先の敗北からしっかりと学習している。
 今度は初志貫徹、当初の計画のままで勝利を掴み取るつもりだ。
 それにもしも銀鍵の巫女が駄目ならその時はあの"怪物"を使えばいい。
 スペアプランまでもを確保した道満は全能感すら感じながら悪の絵画を縦横無尽に描いていく。

「では、偶にはマスターのご希望に添いましょうか」
 品川区の某所。
 哀れにも心の割れた子供達に目を付けられた男の所在地に向かう蘆屋道満は紛れもない本体だった。
 式神の戦闘能力は本体のそれに比べればやはり低い。
 多少やれはするものの、確実に勝ちたいのならば本体を使うべきだ。
 万一の事態があればそこで全ての野望が終わってしまうリスクはあるものの、しかし心配はしていない。
 本来の蘆屋道満の規格を完全に超えたその霊基。
 そこから出力される力の規模は、この聖杯戦争に参戦した全ての英霊と比べても間違いなく上位に入るそれだ。
「哀れな哀れな子供達。その苦悶にも興味はありますが……流石に時期尚早か。何しろ相手が相手。余計なつまみ食いは身を滅ぼしかねぬ」
 道満が直接見たわけではないが、彼女の協力相手であるガムテの連れるサーヴァントもあの怪物に匹敵するような化物だという。
 割れた子供達は嘆きと怨嗟の坩堝だ。
 道満に……リンボにとっては格好の餌であり生贄羊。
 適度に呪を植えて放つだけでも甘く美しい地獄を簡単に生み出せるだろうが、まだそれを楽しむには時期が早いと諦めた。


65 : まがつぼしフラグメンツ ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:52:54 sLgZHiH.0
「まぁ。いつ痺れを切らしてしまうかは、拙僧自身とんと分かりませんが」
 これから出会う彼らに対しても、ね。
 小さく呟くと共にリンボの姿がどろりと溶けた。
 場所の特定は完了、後はいつでも事を起こせる。
 行動開始の号砲さえあれば、最悪の陰陽師は堕ちた戦鬼の前に顕現するだろう。

【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)/一日目・夕方】

【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[令呪]:残り3画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
1:最悪脱出出来るならそれでも構わないが、敵は積極的に排除したい。
2:割れた子供達(グラス・チルドレン)に潜り込み利用する。皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?
5:リンボのプラン(地獄界曼荼羅)についてはひとまず静観。元の世界に帰れるのならそっちでもいい。

【品川区・プロデューサーの自宅付近の路上/一日目・夕方】

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:???
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:マスタ―には当分従いましょう。今の拙僧はあの幼子の走狗なれば。
2:マスターの意向に添い本体はプロデューサーの元へ
3:式神は引き続き計画のために行動する。田中一へ再接触し連合に誘導するのも視野
4:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
5:まさに怪物。――佳きかな、佳きかな。
6:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
[備考]
※式神を造ることは可能ですが、異星の神に仕えていた頃とは異なり消耗が大きくなっています。
※フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)の真名を看破しました。
※地獄界曼荼羅の第一の核としてフォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)を見初めました。
 彼女の再臨を進ませ、外なる神の巫女として覚醒させることを狙っています。
※式神の操縦は一度に一体が限度です。本体と並行して動かす場合は魔力の消費が更に増えます。


66 : ◆EjiuDHH6qo :2021/10/23(土) 22:53:22 sLgZHiH.0
投下終了です


67 : ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:03:43 /.pdSAyE0
投下します


68 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:04:27 /.pdSAyE0
.




     軽蔑するものなどない――すべてに意味があるのだから

     ちっぽけなものなどない――すべてが全体の一部だから

                            ――オリーヴ・シュライナー、アフリカ農場物語





.


69 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:04:45 /.pdSAyE0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 要人警護、と言う観念は何も米国(ステーツ)や英国(U.K)、欧州(EU)などの、銃社会に限った話ではない。
参議、衆議院議員、その中の更に上澄みである、各省庁の大臣であったり、各政党の上位ポジション、そして副首相や首相レベルの人物ともなると、
その身辺には常に、要人警護のSPが付きっ切りである。これは公私問わぬ外出のみに限定されている訳ではない。
彼らの私邸はそれこそ24時間体制で警察の専門部署が警備にあたっており、不審な人物・不逞の輩の侵入可能性を徹底して排している。
確かに其処に来ると言う予定の事実確認が正確になされた、宅配の配達人レベルですら、彼らの私宅の敷居を跨ぐ為には煩雑な手続きを経ねばならない程だ。
これを不自由と取るか、職務の責任性からすれば妥当なものであるかと取るのは、その人物の自由であろう。何れにせよ、この日本に於いても確かに、銃社会におけるセレブの邸宅を守衛するような、厳戒態勢と言うのは存在するのである。

 それを見ると、峰津院大和と言う人物は、VIPの中でも異質な考えの持ち主であると定義するしかない。
峰津院大和。疑いようもない、国家にとって有為の人物。VIPの中のVIPである。国防、貿易、内需喚起の為の国家事業の舵取り等々。
国益を左右するあらゆる分野に強い影響力を持ち、それらの行く末を決める会議会合に参加した事も、諸外国の大使や要人が集うパーティーに列席した回数だとて、数えて行けばキリがない。
紛れもない、国家の要職に君臨する人物であるが、しかし、彼は己の近辺について一切の警備を付けない事で知られている人物でもあった。
勿論、全くの一人と言う訳ではない。現に大和が今乗車しているリムジンだって、彼が運転している訳じゃなく、御付きの運転手がハンドルを握っているのだし、
秘書や、所謂鞄持ちと呼ばれるような使い走りも、常に彼の側にいる。彼らは峰津院財閥の構成員であり、当主である大和に対し危難が迫らないよう、武術にも精通している。
だが、所詮それも、本職には及ばない。本業のついでに、武術が出来ると言う程度に過ぎないのである。

 よく言えば王者の余裕、悪く言えば日本と言う国家の安全性に胡坐をかいた危機感のなさが露わになったような、大和の手薄な身辺警護は、内々からも疑問の声が上がっている。
特に、真琴がこの件については進言している。もう少し警備に予算を割いても良い、当主の御身に何かあられては……。そんな具合に、だ。
若くして峰津院財閥の当主の側近にまで抜擢される、真琴の言葉に対しても、大和は馬事東風。聞く耳を持たない。
別にそれは、大和が意固地だからでもなければ、予算や人員を考えての事でも、況して財閥の構成員に対して優しさから配慮している訳でもない。

 単純に、邪魔だから。この一言に全て尽きるのだ。

「……」

 無言。足を組み、腕を組み。
瞑目しながら思案に耽るその様子は、瞑想のようにも見える。1年先まで分刻みのスケジュールについて、思いを馳せているようにも見える。
計画中のプロジェクトの穴がないかを探しているようにも見える。どちらにしても、絵になる姿だった。
大和自身が美男子にカテゴライズされる、隙の無い美形であり、何よりも峰津院財閥の当主であり、その身分に恥じぬ寵児なのである。
容姿に、才覚、普段の振舞いに社会的立場(ステータス)。これらの要素が折り重なる事で、普段の何気ない大和の所作に、並ならぬカリスマが光の粒子のように煌めいて見えるのである。


70 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:04:59 /.pdSAyE0
 聖杯戦争に参加するマスターと言う点から見て、大和と言うマスターは異常一歩手前か、或いはそのものの人物だった。
峰津院家、つまりデビルサマナーたる彼らに求められる才能は即ち、魔力の多寡。悪魔を使役する為に必要な物は、1にも2にも、魔力である。
これらがなければ悪魔は満足に行動する事は愚か、この物質世界に於いて実体化させてやる事も出来ないのである。だから、一秒でも彼らを長く実体化させてやる為に、
術者自体に魔力が備わってなければならないのは当然の事。この点に於いて、峰津院大和は合格点以上、桁違いのマスターだ。
複数体の悪魔を苦も無く使役出来るだけの魔力量は勿論の事、彼らを操る指揮能力についても巧みのそれ。忌憚なく言えば、当代最強に近いデビルサマナー。それが大和であった。
だが、魔力だけが求められる才能ではない。デビルサマナーは、術者自身も戦える事を求められる。悪魔を操るだけが得意の青瓢箪では、立ち行かないのである。
この点に於いても、大和は異常な才覚を見せる。調伏して来た悪魔の数は数え切れぬ程であり、中には魔術を使ってのものだけでなく、素手を使って悪魔を殴り殺したことだとて……。
つまり大和と言う人物は、サーヴァントに頼らない自らの力のみを押し出した戦闘に於いても、下手なサーヴァントであれば返り討ちに出来ると言う事になる。

 そんな人物にとって、身辺警護……つまり、NPCの存在は、どう映るのか?
『目障り』なのだ。召喚された当初から確信していた事だが、この世界のNPCは基本的に、戦う力の一切を封じられている。
無論、訓練次第、サーヴァントやそのマスターの手ほどき次第で、如何様にも変わるであろうが、原則として、彼らは力を奪われている。
大和はこの事実を、部下である真琴や史、乙女の三人の体たらくで確信した。三人とも、大和が側にいる事を許す最低限の基準の強さに達していないのは勿論、
そもそも『悪魔』の存在すら認識していなかったのだ。つまり真琴は荒事に長けた優秀な秘書、史は財閥のIT部門の天才プログラマー、乙女は優秀な医療スタッフ、この域でしかない。
このレベルでは話にならない。大和が本気で戦う戦闘ともなれば、元居た世界に於いてそれは首都ないし国家の存続に類するレベルの危難に見舞われているに等しい事柄だった。
この水準にまで達した戦闘に於いて、今の真琴達、つまり峰津院財閥のNPCではいるだけ無駄な人材だ。寧ろ、生中な判断で下手な事をされてしまえば、大和の方が危険である。

 だからこそ、今大和達がいる、リムジンの中と言う密室空間の中に於いても警備が手薄なのだ。
運転席・助手席の遥か後ろ、パーテーションで区切られた、当主である大和のみが在る事を許される、車内のプライベートエリア。
五つ星ホテルのスイートルームをそのまま切り取って持ってきた様な内装で、恐ろしい事に、車内に『バー』が存在する。
大和自身は酒を嗜まないが、カウンターの向こうにある冷蔵庫やワイン・セラーには、一本で数百万は下らない名酒が転がっている。持て成し用だ。
そんな、上等そのものの空間にいるのは、大和のみ。それ以外のNPCはいない。……いやそれどころか、この手の、車での要人移動につきものの白バイによる警備すら、
このリンカーンリムジンの周りにはない。徹底して、邪魔だからに他ならない。彼らがいて、生存の可能性が減るのであるなら、居ない方がマシ。そう言う、事なのであった。

「……ふん」

 厳密に言えば、この空間にいるのは、大和一人だけではない。
一人だけ、大和が側にいる事を許し――と言うより、大和が許すまでもなく勝手に居座る男がいる。
それこそが、大和の引き当てた、槍兵(ランサー)のクラスをあてがわれたサーヴァント。黒衣を纏った色黒の美男子。
ベルゼバブ、キリスト教圏に於いて数々の悪行狼藉を働いた、悪魔の盟主、悪霊の棟梁とも言うべき大魔王。
そんな悪魔の中の悪魔たる存在と、同じ名を持つ目の前の覇王こそ、この世界に於いて大和と共に戦う事を許された存在。

 ……その男は今、大和の対面で、5つものタブレットを駆使して様々な動画やデータを眺めていた。器用な事をする奴だ、と大和は思う。
見ている物に法則も統一性もない。有料のディスカバリーチャンネル、医学論文、武術書、神話、アイドルのPV。……アイドル?


71 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:05:26 /.pdSAyE0
「音量を絞れ、喧しい」

 冷たく、巌とした声音で大和が告げる。ディスカバリーチャンネルのナレーションと、アイドルの声音が二重音声が、兎にも角にも耳障りなのだ。
どちらか一方ならばそう言うBGMだと聞き流せたし無視も出来たが、両方一挙に流されると訳が分からなくなる。発信している層も、動画の目的も全くの別ベクトル。水と油のような間柄だ。

 勿論、大和の命令を素直に聞くベルゼバブではなし。
全くの無視。羽虫の羽ばたきにしか、大和の言葉は聞こえないらしい。構わずタブレット5つに、目線を配らせ続けているのみだ。
つくづく、完全防音のパーティションでリムジンを区切り、音響を吸収するような内装で車内を誂えておいて良かったと大和は思う。
自分が、アイドルの歌を聞くような人物だとは思われたくないのである。思春期だからどうのと言う以前の問題として、峰津院財閥の頭としての体裁の故であった。大和は、メンツに拘るのだ。

「君が、アイドルの歌を好むような男には私には見えん」

 人を見かけで判断するな、とはよくも言われる事であるが、大和は勿論、ベルゼバブの魁偉を見て、硬派な男だ、と思ったのではない。
界聖杯を巡る聖杯戦争、その本戦開始前、大和とベルゼバブの2人は、両手の指で数え切れない程の主従をこの手で葬って来た。
殺しの、漏れなし。つまり、彼らと対峙した全ての主従は、退却も撤退も許されなかった。初回の戦いで、大和とベルゼバブは全ての主従を殺して来たのだ。
その戦いの軌跡に、苦戦の記述があったのか? などと言う問いは、魔力に一切の損失もない大和と、身体に傷一つ負っていないベルゼバブを見れば、甚だ無意味と言う物だった。
勝利と言う言葉では尚足りぬ。圧勝、と言う言葉よりもさらに強い意味合いの、勝利を意味する言葉があるのなら、それをこそ用いるに相応しい完勝ぶりなのだった。

 その葬って来た主従の中には、サキュバス染みた挙措……有体に言えば、『女の武器』を駆使する者も存在した。
魅惑の媚態、悩殺される事を誰が咎めようかと言うなまめかしい肢体、触れれば折れぬか?と言う心配が浮かび上がる細い柔腰、熱っぽい吐息。麗しの、かんばせ。
これらを駆使し、男なら抗い得ぬ女体の渇望を喚起させようとしてきたその女サーヴァントを、ベルゼバブは対峙した瞬間素手で両肩を掴み、
そのままグッと腕を大きく開き――脳天から股間まで生きたまま真っ二つに引き裂いて即死させてしまった。その時の彼の顔は、酷く退屈そうなそれ。と言うより、顔色一つ変えてなかった。
余りに凄惨な殺し方に、胃の中を全て吐き戻したそのサーヴァントのマスターを殺すのは、大和の仕事であったのは、言うまでもない。楽な仕事であった事も、また。

 そんな、女体美を余す事無く武器とするサーヴァントを惨殺したベルゼバブの姿を見ている大和だからこそ、信じ難い光景なのである。
ベルゼバブは間違いなく、女と言うものに興味を抱くような人物ではない。良くて、利用価値のある駒としか思わなかろう。
そのような男が、今更年端も行かぬ少女が歌って踊る姿に興味を抱くか? つまりは、そう言う事なのだった。

「微塵の情も湧かぬわ」

 大和の問いを、ベルゼバブは即座に切り捨てる。
路傍の石ころの、形の違い。そんなものを気にする者が、何処にいるのか? ベルゼバブにとって、人間……もとい、NPCの女など、その程度の価値しかないのである。


72 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:05:58 /.pdSAyE0
「余が気に掛けるのは文化、風習、神話に伝承よ。個々人の来歴や個性など、何の興味も抱けぬ」

 文化。
思えばベルゼバブと言うサーヴァントは、知識欲を吸収する事にも貪欲であった。戦闘のない時は出来る範囲で身体を鍛え、書を嗜み、知識を蓄える。
元々召喚された当初から、頭の切れる男である事も大和は知っていたが、それに飽き足らずなお、知識を得ようとするその姿勢は、驚くのと同時に好ましいものでもあった。
腕自慢、力自慢。そんな者達のみが勝ち抜ける程、戦争は単純ではない。新しい時代の波に、浪漫の泡(あぶく)が浚われ、潰されてから何百年もの久しい時間が過ぎていた。
田舎の百姓や寒村の漁師のような木っ端共が、鎧に身を包んだ騎士の首を討ち取り、栄誉を勝ち取り成り上がり、自分だけの領地を得られる程に出世する。そんな、華と光彩の夢舞台。
嘗て戦争とはそんな場所であり、言うなれば己が野望と欲望とを成就させんとギラギラする者達にとっての、夢工場でもあったのだ。
どんな美酒よりもなお美味い、幻想と言う名の神酒に酔える場所だったのだ。今より、ほんの1000年程前までは。
戦争は既に冒険の場所ではなかった。けちな計算が幅を利かせ、求められるものは個人の武勲よりも集団の効率。
指揮官は兵士(ソルジャー)の士気に気を配り、時には彼らの顔色を窺う事もある。また時には彼らを餓えさせぬよう、時には満足に戦えるよう、補給にも目を光らせる。
まさに全て、計算ずく。戦争と言う事象が生じたその時、ありとあらゆる場所に於いて、打算と言う名の算盤はパチパチと音を生じさせるのだ。

 聖杯戦争とは即ち、打算と効率が戦場を支配していた時代よりも、更に前の時代。或いは、それらの桎梏から逃れている別世界の戦場。
其処から呼び出された英雄猛将達の、晴れ舞台であるとも換言出来るのだ。神話の時代の、凛々しくて雄々しい大英雄。古代の騎士物語に語られる、祝福された武器を操るナイト達。
敵味方の境界を越えて、見る者を魅了する戦いぶりを披露する戦士。互いにいがみ合っていた筈の両軍が、それまでの戦争を中断してしまう程に鮮やかな決闘を繰り広げる剣士。
現代(いま)を生きる我々の常識を超えた剣術と超人性を誇る者達が、現代のテクノロジーでは測れぬ魔法の武器を振るって鎬を削り合う。それこそが、聖杯戦争。
それを理解する為には、成程、確かに知識と、文化に対する精通の度合いは必要であろう。今となっては英雄など、御伽噺(フィクション)の住人であり、肉を持たぬ仮初の影。
つまりは最早、文化の中でしか生きられぬ存在達だ。聖杯戦争のサーヴァントが真名の露呈を致命的な物と判断するのは此処に在る。
彼らはもう、今の文化の影と引力から逃れられないのだ。例えば、吟遊詩人が誇張して語ったワン・フレーズ。例えば、事実性の欠片もないような、偽書偽典のワン・パラグラフ。
其処に語られている記述こそが、尾ひれがつき、誇張され続け、結果として今の弱点になってしまうと言う事が、往々にしてあるのだ。

 そして、ベルゼバブはこれを理解している。
だからこそ、あらゆる角度から知識を吸収し、勝率を極限まで高めようとしている。対峙した相手の弱点を、こちら側が一方的に突く事が出来、それによって完膚なきまでの勝利を、
得られるように。殊勝な心掛けであろう。実際、そういう意図も含まれていると言えば含まれている。だが、全てではない。他の意図も、其処には含まれていた。

 星の民。ベルゼバブと言う人物のパーソナリティが、深くかかわっていた。


73 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:06:13 /.pdSAyE0
 ――オーディン……ゼウス、エウロペ、シヴァ、メタトロン……ミカエル……ルシファー。この世界でも、あの下等種族共の名前は使われているか――

 ――星晶獣。斯様な生命体が、ベルゼバブが生まれ育った世界には存在する。
星の獣とも呼ばれるこの存在は、そのルーツを辿れば、たった一つの例外……コスモスの獣と呼ばれる星晶獣を除けば、その一切が例外なく星の民の手による被造物であった。
星晶獣の最大の特徴とは何かと問われれば、神にも等しい権能を振るう事が出来る、と言う点に尽きる。
概念の数だけ、星晶獣の数はある。生み出された意図は勿論の事、最終的に何体の星晶獣が創造されたのか? 星の民のトップレイヤーであるベルゼバブですら、
その全貌を把握出来なかった程である。そして、その数の多さはそのまま、星晶獣の司る概念でもあった。
炎や風、海や川、大地に纏わる力を振るえる者もいる。万軍を容易く弾き返す、防衛を司る者もいたし、夢の世界に入り込む星晶獣もいた。
弓矢を操り、優に数百里をカバーする超々々距離からたった一人の人間の頭部を撃ち抜く星晶獣もいた。――並行世界の創造をも可能とし、過去や未来の記述をも書き換える者も、いた。

 星晶獣は、創造主である星の民の奉仕種族として生み出された、と言う前提が存在する。彼らの命令には、服従しなければならないのだ。
そのサガを以て、星晶獣は、空の世界の侵略に用いられた。つまりは戦争、殺戮、暗殺、支配の道具だ。殆どの星晶獣は、そう言った目的があって生み出されたのである。

 人智を超越した力を発揮出来る。それが、星晶獣。その理解は正しい。だがもう一つ、星晶獣には大きな特徴があった。
星晶獣と呼ばれる存在は、空の世界に存在していた力ある生命体、あるいは、星の民が侵略を試みようとしていた時代よりも更に古の時代に信仰されていたとされる神格。
更には、その時代の人間達によって嗜まれていた文化や哲学、芸術や学術などの概念(エッセンス)を抽出。これらに改造を加える事によって生み出されていたのである。
星晶獣につけられた名前に、空の民によって信仰されていた神格や伝説上の存在と同じものが多いのもそう言った事情がある。
意図は、ある。自分達が信仰し、窮地に陥れば守って下さる筈の存在が、インベーダーの支配下に置かれ、そのまま此方を殺してくる。
その絶望は、果たして如何程のものなのか? 軒昂状態の士気を、容易く挫ける威力を有しているか? そう言った面もまた、星晶獣には期待されていたのであった。

 纏めると星晶獣とは、次のような存在になる。
天変地異を容易く引き起こせるだけの脅威の権能を息を吸うように振るう事が出来、創造主の命令には服従。
高度な戦略作戦を理解出来るだけの知能を誇る個体が数多く存在し、空の民の間で信じられていた神話や伝説の中の神霊や英雄を基に作られ、彼らに絶望を与える存在。
この点に於いて星晶獣は、極めて高度な、まさに神そのものと言っても良い生物兵器であり、星の民とはこれらを意のままに操れる神の上の存在である、とも言えるかも知れない。

 まさに、これだけを聞くならば、星の民とはまこと恐るべき軍事力を誇る、天上人のような存在に聞こえよう。
高度な科学力、完成度の高い政治システム、民の文化水準。そして、星晶獣を筆頭とした数々の兵器。地球上におよそ、星の民の敵など、存在しえぬように聞こえるだろう。

 だがこれだけの力を誇っていながら、星の民は、空の民との間で勃発した覇空戦争に於いて大敗を喫し、歴史から消え失せたと誰もが思った程に個体数を激減させてしまった、
と言うのは歴史を齧っていれば誰もが知る所なのである。何故、超高度な文化水準を誇り、無類無敵の兵器の数々を保有し、高い知性を誇った星の民は敗れ去ったのか?
ベルゼバブが赤き地平と呼ばれる所に叩き落され、2000年の時を経て空の世界に舞い戻った頃には、終戦から1000年以上も経過していた為、彼にはその理由が解らない。
しかし推測は出来る。星の民側のやる気が、なかったからだ。


74 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:06:30 /.pdSAyE0
 ――欲なき者は、戦いに敗れるのみよ――

 生来、星の民と呼ばれる者達は、執着心が非常に薄いと言う種族的な特徴を有している。言ってしまえば精神性が、希薄なのだ。
彼らの文化の中に在って、ベルゼバブの如く力に対する執着が強い存在は異端の扱いであり、しかし、それ故に頭角を現しやすい。
ベルゼバブも星の民の一員であった時には、その力を遺憾なく彼らの為に発揮していたが、最終的には尽きぬ野心と力に対する渇望、そして何よりも、自分が一番優れている、
と言う増上慢から反旗を翻し、そのまま敗北したと言う苦い記憶がある。その敗北があったからこそ今の自分がある為、全く無駄な敗北ではなかったものの、それでも、悔しいものは悔しい。

 ベルゼバブと、彼が唯一名前で呼ぶ腐れ縁の様な男。その2人と言う癌細胞を切除して、星の民の体制は盤古不変になったかと言えば、そうではない。
何故なら、空の民との戦争に負けているのだから。ほぼ絶滅寸前にまで、個体数を減らしてしまったのだから。これは疑いようもなく、種族としての敗北以外の何物でもなかった。
負けて当たり前だと、ベルゼバブは思う。懸ける願いも理想も野望も持たず、漠然に近い意識で戦いに勝てる筈がないのだ。
だから、戦力の差で言えば本来負ける筈などある訳がない、空の民如きに足元を掬われるのである。ヴィジョンを持つ者、持たぬ者の差は、この様な形で現れるのだ。

 ベルゼバブの目標は常に、シンプル。
最強になり、世界を支配する事。それだけだ。シンプルを通り越して、最早子供の妄想そのもの。呆れ返る程に、幼稚な野望だ。
だが、その目標を成就する為の真剣さ、熱意、費やした努力の時間と質について、一切侮れる要素がない。

 最強の存在になる、そんな理想を掌握する事について、ベルゼバブは何時だとて本気である。
千年の間身体を鍛える事が必要であると言うのならばそれを実行するし、過程上数十万の無辜の民を殺す必要が出てくるのならこれも殺戮する。それが、ベルゼバブと言う男なのだ。
この現世に於いて、様々な知識、アイドルのPVを含めて観察する、と言った事も、ベルゼバブが理想を成就する為の一環、と言う考えからブレていない。
何せベルゼバブは知識として、人間の持つ文化や物語を基礎として、恐るべき力を発揮する生命体を生み出す技術を知っているのだ。
ならば、学ぶ。取るに足らない羽虫のサーカスとは言え、見聞は怠らない。アイドルと言う活動を通じて、力を発揮したりする手合いが居ても、おかしくはないのだから。

『当主様』

 大和が着けている、TEL機能を内包したイヤホンマイクから、女性の声が聞こえて来た。部下の、真琴の声だった。

「発言を許可する」

『ハッ。直に、目的地である皮下医院へと到着致します。当主様の許可さえあれば、私が交渉に向かいますが、いかがなさいますか?』

 交渉、と言えばお行儀が良いが、その実は、脅迫スレスレの詰問である。
皮下医院について、峰津院財閥の構成員が其処に入院し、その日を境に失踪、行方知れずと言う情報は勿論真琴にも共有してある。
恐らく真琴であれば、構成員の所在を厳しく追及しつつ、相手が煮え切らぬ返事を寄越したり茶を濁し始めたら、峰津院財閥の持つ権力、と言うカードをチラつかせるだろう。
院長である皮下真の逮捕、とまでは行かずとも、その気になれば病院やクリニックとしての施設基準を満たしてないとして、運営を取りやめさせる事など造作もない。それだけの権力を、峰津院財閥は行使できるのだ。

「私が直々に出向いてやる。お前は車内にて待機しろ」

『っ……!? しょ、承知致しました』

 言って真琴は、そのまま通信を切った。
最初の言葉に、躊躇いと戸惑いがあった。一人で行かせる訳にはいかない、と言う思いと、大和が態々出向く事ではない。そう言う事を、口にしたかったのだろう。

「出立(で)るぞ。狩りだ」

 大和の言葉と同時に、リムジンのドアが開く。

「狩りにもならん。蹂躙の時間だ」

 成程、言い得て妙だ、と大和も思う。此方に不利益を被らせる輩は、蹴散らし殺し尽くすのが、峰津院の礼儀と言う物なのだから。


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75 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:07:03 /.pdSAyE0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 アオヌマからの報告を受けた時、皮下が思わず口にした言葉が「あちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」だった。
そうと言いたくもなる。皮下医院の入り口の真ん前に、それはそれはご立派な黒のリンカーンリムジンが停車した、と言うのが、アオヌマから受け取った報告であった。

 別に、車自体が珍しかった訳じゃない。
元居た世界での話になるが、皮下は唸る程の金があったし、実際付き合いでこの手の車には来賓として乗った事もある。
東京は金持ちが多い。この手の車で送迎されるに相応しい大物の存在だとて、成程珍しい事ではなかろう。

 問題は、このレベルのグレードの車に乗っているようなお偉いさんが、露骨とも言うべきレベルで、此方に用向きがあると言う意思表示を見せた事だ。
この界聖杯に呼び出され、医者としてのロールに従っていた皮下。彼が診察している患者の中には、確かに金持ちと呼ばれるに相応しい人物は存在する。
だが、このレベルの金持ちは、定期的に通院してない。何せ車の本体価格で都内に戸建てが建てられるレベルだし、年間の維持費だけで数十万は軽く吹き飛ぶ。その様な富豪と、親しい間柄の医者など、早々はいないのである。

 ――だが、医者と患者としての付き合いでないのなら。
皮下は、このリムジンに乗っている人物に覚えがある。もしも皮下の予想が正しければ、彼は、そのリムジンのオーナーの部下を殺している。
……殺している、と言う言い方には語弊があるか。実際には、尊い医学の礎になってもらっている、と言った方が正しい。本当に礎石になってしまったか、実験が成功したのか。
それは皮下には解らない。どちらにしても事実は一つ。リムジンの主――峰津院財閥の何者かと皮下真は、医者と患者の関係ではなく、殺す者と殺される者の関係にあると言う事だ。

『どうするよ、皮下。此処で始末するのか?』

 アオヌマがスマホで、意見を仰いでくる。

『ダメだ。殺し損ねた場合が怖すぎるし、車停めてる場所が拙い』

 リムジンを医院の前に停めたのは、牽制の意味が大きかろう。
峰津院財閥の所有する車ともなれば、当然の様にドライブレコーダーは取り付けられているし、何ならば、録画している映像は提携している警備会社に常に送られている事だろう。
そうなれば、皮下医院は他の聖杯戦争の参加者に付け入られる隙を与えてしまう事になる。峰津院財閥の長い手は、当然の様にメディアをもカバーする。
この財閥の前には、提供された情報の吟味も裏打ちも不要。一切の面倒臭い手続きをすっ飛ばして、財閥が提供した情報は、メディアは全て『真実正しいもの』として認めて即日ニュースとして流す事が出来るのだ。

 ――襲える物なら、襲って見ろ。
オーナーの声なき声が、聞こえてくるようだった。此処であのリムジンを襲撃して、作戦に失敗し、その映像がメディアに流れてしまえば、皮下医院の優位性。
即ち、医院と言う社会的信頼も篤い建物の下で、語るも無残な実験を行い、着実に戦力を整えている、と言う水面下のアドバンテージが一気に消え失せてしまうのだ。

 そして何よりも、此処からは勘の話になるが、皮下の直感が告げていた。
『リムジンを襲撃する程度の猿知恵で、向こうのキングは獲れない』。そんな確信があるのだ。
相手は手練である。皮下自身、聖杯戦争本開催してまだ一日も経過していないのにも関わらず、その短い間に拙い鉄火場を踏まされて来た。
今回は、その比ではなかろう。先ほどのリップとシュヴィの一件は、まだ心理的余裕もあったが、恐らく今回に限っては……。

『車から人が出て来た。峰津院大和だ。ほほお、すげーイケメンだな。お前とは大違い』

『俺を引き合いに出すのはルールで禁止ですよねアオヌマくぅん……。――ってか待て、もしかして峰津院の若大将一人なの?』

 二重の意味で、予想を裏切られた。
峰津院財閥との対峙は、遅かれ早かれ起こり得る物だと、皮下も割り切っていた。だから正直な所、このアクシデントについては驚きはない。
来るとしても、大和本人が来るとは皮下も思わない。恐らくは財閥の名を背負った代理人が来るだろうと踏んでいたし、大和本人が来るにしても、
参勤交代で江戸にやって来る外様の大名宜しくに、大勢のSPやらを引き連れて出向いてくる物だと思っていたのだ。


76 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:07:17 /.pdSAyE0
 ……一人?
幾らなんでも気が緩み過ぎじゃないか? と皮下は思う。
と言うか、本当に一人だけで来るのであれば、ワンチャンあるんじゃね……? みたいな感じで、楽観的な予測を立てる皮下だったが――――――――――――

【……おう皮下。テメェ命はまだ落としてねぇだろうな?】

【皮下真に医者の不養生と言う諺はないものでしてね。どったの、総督】

【見聞式……って言ってもわかんねぇか。テメェのとこの病院の前に、バケモノがいるぜ】

 そんな楽観視は、カイドウの念話で即否定されてしまう運びとなった。思わず、溜息。

【せめてサーヴァントは弱けりゃ良かったんだけどな……】

【と言うか、向こうのマスターの方も中々だな。おれが予選で倒したサーヴァントの何体かは、殺せるだろうな】

【死んでよ〜〜〜〜〜】

 これ以上詳しく情報を詰めていると頭がおかしくなって死にそうになる。
要は峰津院大和は、金も権力も桁違いな上に、引き当てたサーヴァントは勿論、彼自身の強さも異常であったと言う事らしい。
ゆ、界聖杯(ユグドラシル)くん……? このご時世に差別は許されないんだよ……?

「……仕方ねぇ、腹ァ括るしかないか」

 元より、虎穴に自ら入って事も、知らない間に入っていた事も。
一度や二度の話ではない。皮下は幾度も、そう言ったケースを経験している。
人の形をした怪物共――夜桜の一族を相手に立ち回ると決めたその時から、皮下の人生からは、安寧の二文字は消え失せている。
この世界では、その危機を齎す相手が、夜桜から別のものにすり替わるだけだ。然したる問題では、ない。

 受付からの内線が、慌てたような声音で、峰津院大和の来訪を皮下に告げてくる。
真正面から正々堂々と。これでは、チャチャは役に立つまい。あれは病院内に不正に侵入して来た者に対する置物だ。玄関から自信満面に来るような輩には意味はない。
「はいはい解ってますよー」とやる気なさそうに電話越しの看護婦に告げた後に、「応接室に案内して差し上げて」と付け加え、内線を切って――。

「行きたくねぇ〜〜〜〜〜……」

 寝起きのサラリーマンが口にするような事を言いながら、重い足取りで応接室へと向かって行くのであった。


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77 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:07:33 /.pdSAyE0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 応接室と言っても、大層なものではない。
皮下医院自体、新宿の一角にこじんまりと佇む小さな病院である。同区に存在する病院として著名なのは慶應義塾大学病院であるが、この大病院とは比較にならぬ程に、規模は小さい。
皮下に言わせれば、ある日突然新宿の一角にだけ生じた、空き地になった土地にでも無理くり建造されたみみっちい病院だ。
そんな所であるから、応接室などと言われてもたかが知れている。敷かれてる絨毯も、ソファも、応接テーブルも。
高い事は高い代物だが、それは、庶民向けのインテリア用品店の中では高い、と言う意味だ。要は、金を掛けてない。お客人に最低限、失礼な印象を与えない程度のグレードの品を揃えただけだ。

 そんな部屋に、貴人も貴人たる、峰津院大和がやって来る。
来なくて良いよと心底で思いながら、皮下はソファに腰を下ろしていた。部屋の貧乏くささに激怒して帰ってくれねーかな〜、などとも思っていた、その矢先だ。ドアがノックされたのは。

「――お入り下さい」

 それは、普段の皮下を知る者からすれば、信じられない程真率――遜った――な態度。
そんな声出せるんだ、とタンポポの面々は思うだろう。一応社会人だったんだ、と思う者もいるだろう。寧ろ敬語喋れるんだ、と思う不遜の輩もいるであろう。
平時の皮下からは想像もつかない程に、腰の低い態度。そんな自分を客観視して、「バカみてーだ」と思う皮下がいる。これから下手すりゃ、殺される相手に取る態度かよこれが。もっとでけー態度でいろよ。

 ドアが開かれる。開けたのは、案内役を任された医院のスタッフ。そして、開け放たれたそのドアを通して、一人の青年が入室する。
日本人離れした銀色の髪。それが染めているものではなく、生来授かったそれである事を皮下は見抜く。
夏場であるにもかかわらず、黒いロングコートを着流すのは、彼自身が暑さを感じないのか、それともコート自体に特別な機能が備わっているのか、或いは、敵襲を警戒してなのか。
顔だちは、恐ろしいまでに整っている。日本人の骨格と肉付きとは思えない、アジア人離れした美男子だ。峰津院財閥が突然崩壊し、無一文で彼が放り出されたとしても、この美形なら世の女性が放っておくまい。引く手数多の、美青年であった。

 ……だがそれ以上に特徴的なのが――――

 ――成程な……そりゃあ本戦まで生き残れてる訳だよ――

 勿論皮下自身、この界聖杯に呼び出された当初も当初から、峰津院財閥及びその当主である大和が、疑わしいと思っていた。
戦前から戦後まで、変わらぬ姿で生き続けてきたこの男にとって、GHQによる財閥解体はまさに、リアルタイムで目の当たりにしてきた事柄。
だからこそ、良く理解していた。当世に財閥などと言う組織が生き残っている筈がないのだと。他の参加者でも、同じ事を思う筈である。
そういう訳であるから、早い段階から大和は『黒』だと当たりを付けていた皮下は、彼の事を調べていた。とは言え、元が日本トップクラスの権力機構のトップである。
検索エンジンでも叩けば、顔写真など直ぐに出てくる。闇に通じる権力者、影のフィクサー、と言う訳ではない。表にも通じるし裏にも通じる支配者と言う訳だ、余計に厄介である。

 皮下は、峰津院大和は手練なのではないかと言う事にも、早くから気付いていた。
峰津院財閥の現当主と言う、余りにも目立ち過ぎる立ち位置に在りながら、彼に纏わる聖杯戦争絡みの噂が一切ない。
勿論、これだけ大きい組織である。ネット上でこの財閥の名前を調べれば、取るに足らないカストリそのものの、まとめサイトおよび個人ブログ、そしてSNS上に於いて、
根も葉もなさそうな私怨染みた書き込みやら記事やらは嫌と言う程出てくるし、事実性が高そうな考証めいたものも星のように出て来た。
峰津院家の闇だとか、暗黒だとか、そう言った感じの言葉でラベリングするべきか。兎に角、確かにそう言った手合いの妬み嫉みや記事考察が多かった。
だが、何一つ、峰津院大和が『不穏な何かを従えている』だとか『人を殺している場面にでくわした』だとか言う、血腥い噂は存在しなかった。
存在してなかったと言うよりは、漏洩させなかったと言うべきなのかもしれない。どちらにしても、あれだけ存在感のあるロールを賜っておきながら、
聖杯戦争本開催まで一切の戦塵を被る事がなかった、とはとてもじゃないが考え難い。とは言え、彼のロールを用いれば戦闘回避だとて出来なくはないだろう。


78 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:08:14 /.pdSAyE0
 だから皮下は、予測を3つ、立てていたのである。
峰津院大和は、財閥と言う権力をコントロールする術に極めて長け、戦闘を悉く回避していた。
峰津院大和は、弩級の強さのサーヴァントを引き当てていて、相手を瞬殺させて噂が広まる余地の一切を潰していた。
峰津院大和は、平均以上の強さのサーヴァントを引き当てていたが、戦闘の痕跡を残す事がままあり、これを財閥の権力でもみ消していた。
これが、3つの予測である。どれをしても、相手する分には厄介極まりない相手だがしかし、この3つに共通項がある。『大和自身は強くはない』と言う共通点である。
とは言え、皮下自身が他の聖杯戦争の参加マスターからすればインチキ極まりない強さを持っている。自分自身がそうなのだ、他のマスターにも同様の存在がいるだろうとは思っていたし、大和自身もそれなりに心得のある部類なのじゃないかとは思っていた。

 ――この若旦那自体も強いんじゃんかよ……――

 何て事はない。峰津院大和が今日まで壮健だったのは、シンプル過ぎる理由の故である。
大和自身も強く、サーヴァント自身もバケモノで、与えられた権力も桁違いかつこれを巧みに操れていたのだ。早い話、この主従はハチャメチャに強い訳だ。
他の聖杯戦争の参加者すれば、やってられないレベルでパワーバランスが狂っている。こんな存在が聖杯戦争に参戦していると聞けば、その時点でやる気が失せる者も出て来よう。

 一目見て、皮下は確信する。これは、バケモノだ。
皮下にとって、サーヴァントを除く怪物の筆頭とは、葉桜の模倣元、即ち夜桜の一族の事だが、大和はこの一族と比して何ら遜色がない。
どころか、持ち込む分野によっては、あの一族の誰かを容易く完封出来てしまうのではないのか、と言う気迫と凄味で溢れていた。
何をしてくるのか? 何が出来るのか? それを一切悟らせないが、確かに『強い』と言うのを事実として見る者に教え込む、圧倒的な説得力。
峰津院大和、彼もまた、聖杯戦争の覇を勝ち取れるに相応しい『龍』であったようだ。

「ご着席――と言うと、ハハ。私が促したような言い方で失礼ですね。本来であれば、貴方様が先に座られて、私に着席を御認めになられるべきであるのに」

「お気遣いなく。失礼と言うのなら私の方が礼を欠いている。御多忙の身である皮下氏の貴重な時間を、このような急な来訪で奪ってしまったのですから」

 敬語。
上品な物腰であり、態度も落ち着いている。大人物の風格だ。日頃、上流階級がひしめく環境で揉まれている事が伺える、洗練された所作だった。
だが、こんなものに騙される皮下ではない。目の前にいる青年の心の内奥で渦を巻く、途方もない殺意の香り。これを、百年の時を越えて生きるバケモノは、明白に嗅ぎ分けていた。

「なんのなんの。元より父が一代で建てた病院を引き継いだだけのドラ息子で御座いまして。基本的には、幸運の女神に微笑まれて何とか生きられている男だと思っていただければ」

「謙遜の上手い御方だ。先生の御評判は私の耳にも届いている。患者に心身に付き合い、友好的な態度で打ち解けやすく、誰であっても差別しない方だと」

「いやぁお恥ずかしい。御覧の通り、閑古鳥が鳴いている事の方が多い医院で御座いまして……。こうする事が、弱小病院を運営する我々の処世術なのです」

 示し合わせた様に、同じタイミングでソファに座り始める大和。机の上には、今の時期には嬉しい、氷入りのグラスに注がれた麦茶が置いてあった。

「峰津院財閥の御当主殿とこのような話し合いの機会が得られるとは、私としても望外の幸運。いつまでもお話していたいものであります」

「私としても同じ気持ちだ。世間では私の仕事はそれ程認知されてないのが悲しい所ではあるが、心の休まる時間がない、暇なしの身分でしてね。このような何気ない世間話でも、随分と疲れが取れるものだ」

 暇がない、と言うのは本当の事なのだろうと皮下は思う。
組織の理想は、下が優秀で何も言わずとも働いて利益を出してくれる事で、経営者は基本的に能動的に動かない事が望ましい。
それが解らぬ大和ではなかろうが、峰津院財閥レベルの規模の組織ともなれば、彼が暇である事が良い、と言うのはそれこそ理想を越えて夢物語の世界であろう。
峰津院大和こそが、財閥の顔であり脳であり、対外の柱なのだ。出席せねばならない会議や談合、会食に折衝に懇親会、総会など、それこそ馬鹿みたいな数に上ろう。
恐らく、峰津院財閥に於いて尤も働いている人物こそが、目の前にいるその財閥の当主その人である。にもかかわらず、疲労している様子は欠片もない。寧ろ、年齢特有の見事なエネルギッシュさに満ち溢れている位だった。


79 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:08:34 /.pdSAyE0
「親しみやすさ……。おろそかにしている医者も多いとは伺うが、悩みの種の一つだ。財閥は専属の医療部門を抱えている。福利厚生の一環だ」

「さぞ優秀な御歴々が集まっている事なのでしょうね」

「フフ、仰る通りだ。財閥の構成員達のバイタル・メンタル面のケアも万全、定期的な健康診断の実施で此処何十年と、生活習慣病を出した事もない、誇るべきチームだ」

「素晴らしい事です。私なぞちょっとした手術でもあわあわしてしまうタチでして、よく親父にも咎められましたよ」

「……だが、昔から抱える悩みもある。何分、我が財閥お抱えの医者達だ。当然診断結果をトップは見る事もあるが……そういう仕組みの為か、良くない病やメンタルだと査定や評価に響くのでは、と恐れる構成員もいるのですよ」

 成程、気持ちは解らなくもない。
表向き、病で差別する事はないと言っても、実際はそうは行かない色眼鏡を常にかけているのが人と言う物だ。
財閥の直属の医療チームに診断され、厄介な病気を抱えている、となると、如何なる評価が下されるか解らない。そう思う者が出てくるのも、さもありなん、かも知れない。

「この手の問題は根が深い。様々なアプローチを考えてはいるが、思わず相談したくなるような人物を医者として配置するのも、手だと思っている」

「……まさかとは思いますが」

「そちらが適格かと思いましてね。勿論、御自身の病院を運営されているのだ。此処を捨てろ、とは言わない。定期的に、構成員の往診に来て頂ければ有難いのだが」

 普通なら、願ってもない申し出であろう。大抵の医者であれば、峰津院財閥に定期健診の契約を持ちかけられれば、二つ返事でOKの言葉が飛び出してくる。
マネーの面でも、厚遇されるのは間違いなかろう。皮下のような自分の医院を持つ医者でなく、大病院で働く勤め人のような立場の医者であれば、
あわよくば財閥に流れでヘッドハンティングされる事をも夢見るかも知れない。金、待遇、処分できる時間の総量。どれをとっても、垂涎のものが保証される筈だ。

「私よりも適当な方が、この新宿には大勢いらっしゃいますよ? 彼らには御声の方はかけられたのですか?」

 このような、場末ギリギリの病院を頼るよりは、大病院、それこそ慶應義塾大学病院の先生に交渉をした方が、余程マシだろう。皮下はそう考えていたのだが。

「惚けられるとは、悪い人だ」

 と言って、足を組み始めた大和。
普通なら、このような話し合いの場では無礼な態度であり、心証を悪くしかねない行いだ。
だが、大和の場合は違う。その様子が、余りにも絵になり過ぎて――寧ろ、そういう態度を取ってくれている方が、財閥の主としてよりらしい感じがして。不思議と、悪感情は生じないのである。

「この病院には我が財閥の構成員が通院していたと聞く。いや、している、と言う形なのかもしれないが、それは良い。財閥の者達も無能じゃない。我々の医療チームの優秀さは知っている。それを蹴るのならば、第二候補は医者や病院の実力や評判を選ぶのは当然の事。此処を選ばれたのは、それが原因だったのでは?」

 ……成程、事情は知っているらしい。皮下はそう判断する。
峰津院財閥の構成員に粉かけて、それどころか一部のメンバーは鬼ヶ島の狂える宴に供物として捧げられている事も、下手したら御見通しの可能性すらある。

「我が財閥の力を借りず、他所の病院を頼るのだ。貴院はさぞ、優秀なドクターを抱えている事なのだろう」

 微笑みを湛えて、一呼吸置く大和。
口元は笑みの形を作っているのに、その瞳の奥底で、底冷えするような冷たい殺意が輝いていた。

「話していて、皮下真先生が信頼に足る方だとは分かった。部下の評価も直接聞きたい。彼らは何処に行かれたのか?」

 退院した、とホラを吹くのは容易い。
だが、此処でそれを言ったところで、嘘など看破されてしまうだろう。要は峰津院大和は、自分の財閥のNPCが全員、帰らぬ人となっている事など、とっくの昔に解っているのであろう。
このような、腹の探り合いですらない、茶番に大和が付き合っていた理由は単純明快。皮下真が、どの程度のものなのか、試していたのが全てなのである。

 いやはや、これはなんとも、全く以て――――――――


80 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:08:53 /.pdSAyE0
「下らねぇ猿芝居だ」

 被っていた猫の皮を全部剥ぎ捨てて、地をむき出しにして皮下が言った。取り繕った態度を取っていたのは、大和にしても同じであったらしい。
それまで浮かべていた微笑みが、突如として消え失せ、相手を見下しているのが手に取るように解る、示威的な厳めっ面に表情が変わり始めたのであるから。

「格下相手に敬語に出るのも楽ではないな」

「へぇ、それがアンタの本性かい若旦那。良いじゃないか、そっちの方がよっぽどらしいぜ」

 突如として尊大な態度を取り始める物だから、思わず皮下は苦笑いを浮かべてしまう。
内心、俺の事も格下だと思って見下してたんだろうよ、と彼は思う。それでよい。峰津院大和に限って言えば、その驕りも侮りも正しい。
帝王の星の下に産まれた大和であるのならば、その様な態度を取ろうとも、果たして誰が咎めるであろうか。それが許されるだけのオーラを、彼は身体中から発散しているのだ。

「ちょっち、3秒だけ待っててね」

 言って皮下は、自分の両目に人差し指を突き入れ、眼球をなぞる様に指を動かし、2、3度。パチパチと目をしばたかせる。
淀んだ、黒い瞳が、皮下の眼窩に嵌っていた。精彩を何一つとして見出す事の出来ない、生気なき黒い瞳。
今まで大和が見ていた、生命力と若さでキラキラ輝いていた風に見える瞳の煌めきは、専用のカラーコンタクトによるものであったようだ。

「お偉いさんと話をする時はさ、こんな死んだ瞳で話すのも失礼なんでね。こうしてちょっと目をキラキラ演出させちゃうのさ。エチケットって奴よ」

「ほざくな。私に感情を読み取らせぬ為であろう」

「正解」

 ヘラヘラ笑いながら、両の人差し指に乗っていたカラーコンタクトを、弾いて後方に放り捨てる皮下。

「んじゃ改めまして。皮下医院院長兼、聖杯戦争参加者の一人の、皮下真でーす」

「貴様如きに名乗る名などない」

「オイオイ、自己紹介位解っててもちゃんとやろうぜ。常識は1兆出しても買えないんだからさ」

「貴様への表敬訪問は既に終わっている。これからは尋問の時間だ。身の程を知れ」

「表敬? マジで敬ってたの? そりゃビックリだ。こっちは敬ってなかったのに」

 峰津院大和が敬いの態度を持っていたとは驚きだ、と一瞬たりとも思う皮下だったが、流石にそんな感情抱いてもなかったらしい。
それはそうだと皮下も思う。何せ、部下からも敬われないのだ。目の前の男も敬う筈がなかった。……そこまで思って泣けてきた。俺結構頑張ってんだけど……と、思う皮下だった。

「今一度聞くぞ、皮下。私の部下は何処に消えた」

「尊い尊い科学の犠牲になってるよ。旧ソのクドリャフカみてーなもんさ」

「ライカは確かに科学の礎石になったが、私の部下が犠牲になったとて、貴様の下らぬ野望の充足が早まるだけだろうが」

「下らないってのは聞き捨てならんね、若旦那。俺は俺で、誠実な夢があるのさ」

「面白い。貴様とて、この東京の地に願いがあって蠢いている身だろう? 他人の命を踏み台にして成し遂げたい、醜い夢を囀ってみろ」

 皮下は、自分の分の麦茶を、ズズッ、と音を立てて啜ってから、やおらと言った態度で口を開いた。

「世界平和、人種平等」

 それは、時に無辜のNPCを何人も拉致し、時にカルテを巧妙に操作して入院している患者を引きずり込んで。
本人の意思など構いなしに、非人道的な人体実験のモルグとして利用している男の口からは、およそ、飛び出す事自体が信じられない言葉だった。
それは、よく言えば夢想家、悪く言うなれば、現実逃避している愚か者の口から飛び出すような。若いとか青いを通り越して、ある意味で『幼過ぎる』領域に片足の入っている願いであった。

「笑わせる」

 失笑を隠せぬ大和。


81 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:09:42 /.pdSAyE0
「血と死の臭いは隠せんぞ下郎。貴様がこの地に招かれてから幾人殺して来たか知らないが、業を重ねておいて夢見る野望が世界平和か。何様のつもりだ貴様は」

「聖職者さ。お医者様なんだよこれでもね」

 大和の悪罵に、皮下は即答する。一桁の計算の答えでも口にするような、素早いその返事は、常日頃から、自分がそうであると思ってなければ到底言えぬ言葉であった。

「平等や平和である事と、人を殺す事は、両立すると思ってる」

「サイコパスの妄言でもマシな事を口にするぞ、クズめ」

「愛は差別なんだ、峰津院さん」

 麦茶の、啜る音。カラン、と氷がグラスとぶつかる音が、涼し気に――冷やかに、室内に響いた。
グラスの口を五指で掴み、グルグルと器用に中の麦茶を廻して見せる。氷もまた、浸された麦茶の回転に合わせて、小さいグラスの中でダンスを踊った。

「女の子に手を出しちゃいけない、子供の未来を奪っちゃ行けない、赤ん坊には慈愛を以て接しなくちゃいけない。色んな国を見て来たけど、似たり寄ったりな考え方をする所が殆どだったよ。事実、俺もそうだなぁと認めてる所は、あるかな」

 「だけど、よ」

「庇護や愛ってのは、俺から言わせれば、そいつの主観(エゴ)で、依怙贔屓したい奴の価値を平均よりも上に設定してるだけに過ぎなくてさ。ま、早い話が、特別扱いの正当化みたいなもんよ」

 話は続く。よくも、回る舌であった。

「今更アンタに言うのも釈迦に説法だが、世の中には特別じゃない奴だって大勢いるし、何なら居ても居なくてもどうでもいい、なーんてラインを飛び越えて存在しちゃならない次元の奴までいる。その差は何だ? 歳か? 身長か? 体重か? 肌の色かも知れねぇし、瞳の色だってあり得るな。『ぶら下がってる奴』のデカさかも知れねぇかもよ? 社会の枠組みと言う価値観で言えば、名誉や立場や学歴なのかも知れんし、前科歴だってあり得るわな。ま、数えて行けばキリねぇよ。だが、一つだけ確信を以て言えるのはよ。そう言う区別と差別は、この世界に於いて大なり小なり肯定されてるって事と、人の社会はそう言う差を前提として廻さなくちゃいけない事だ。違うかい? 峰津院さん」

「貴様の言う通り、そんな問いは今更だ。人の差とは多様性だ。そしてそれこそが、この数千年で人類が発展して来た究極の要因だ。差の否定とは、人の歩んだ歴史の否定に他ならない」

 ニッ、と笑ってから、皮下は言葉を紡ぎ始めた。

「霊長の頂点の人間サマが、差を当然のものとして組み込んでる以上。その差の類型化、定型(テンプレ)化が出来ない以上よ。平等と、それに基づいた平和だなんて、仰る通り実現不能だ」

「話はそれで終わりか? それで話を切るなら、貴様の評価は夢見がちの馬鹿に終わる」

「終っちゃないよ。人間が誰かを区別する、差って奴を全部定義し終える事が出来ない以上、それに依拠した平和が叶わないってだけさ」

 数秒程、間を置いた後、皮下は口を開いた。

「楽に平等を達成する方法が、2つある。『全ての人間の価値を等しく最上のものだとする事』。どうしようもないクズや犯罪者でも、だ。そしてもう一つは――『全ての人間の価値をそれこそ赤子や子供、老若男女の隔てなくゼロにしちまう事』。ていうかぶっちゃけ、それしか方法がない」

「……」

 緘黙を貫く大和。瞳に宿る光が、鋭さを増す。

「価値を最上に置くなど不可能だ。人のサガがそれを許すまいし、物質的にも出来まいよ」

 要するに全ての人の価値を最上に設定するという事は、誰彼構わず丁重に扱うと言う事に等しい。それは対面の人付き合いの面でも、福利厚生、権利面でも、と言う事だ。
だが実際それが出来ないという事は、少しでも世故に通じた立ち位置に組み込まれている人間なら誰だとて理解が出来る。
人間自身、どうしようもなく誰かを区別し差別する生き物であるし、そもそも人が生きて行く上で必要な仕事、と言う行為自体に、どうしようもなく、階級や役職と言う形で人を区切る。
それがなかったとしても、誰彼構わず均一に最上位に取り扱えと言われても、それを成す為のリソースがこの地球上に存在しない。全人類に等しく、先進国と同じレベルの生活を約束せよ、と言われても、それは、地球と同じサイズかつ同じ資源量の惑星が複数個ないと、これは不可能なのだ。

「同感だね。と言うか、出来たしても俺はそっちを選らばねぇよ」

 「俺自身に価値がないからね」、と、皮下は続けた。ヘラヘラ笑いながらの言葉だったが、その言葉に、僅かな重みを大和は感じ取った。薄めてはいるが、真が含まれている。


82 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:10:28 /.pdSAyE0
「――人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである」

「食卓章……コーランの聖句か」

「流石の教養だね若旦那。こんな有難い教えを説いてる聖典を崇める奴らが、無辜の民を殺し続けてる。そして、こいつらとは全く無関係のところでもまた、同じように誰かが理由もなく殺されてる。この素晴らしいお説教の通りなら、如何やら人類は神様に何万回とリセットボタンを押されてるらしい」

 皮下の顔から、表情が消える。
感情が、何もない。能面のような、とは無表情を指してよく使われるフレーズだが、それですらない。
表情の一切が彫られていないだけの、木肌のみの、面だ。そうとしか感じられない程に、皮下の顔からは情動の類が一切消え失せていた。

「命は何よりも重い。そうと説いておきながら、この星から無為の死が起こらなかった日は一日としてない。心の奥底では皆理解してるからさ。同じ重さのものが存在すると言う事実があり得ないこの星で――不平等が世の掟のこの世の中で、『命の重さだけは平等にゼロ質量』なのさ。命だけは、重力も引力も関係ねぇ。等しく重さなんてないし、軽いだけだ」

「聖杯でも使って、ジェノサイドでも起こすつもりか?」

「言っただろ? 聖職者だって。虐殺で平和が勝ち取れるなら、この星は何百年も前に穏やかな星になってなきゃ釣り合わんだろう」

 ジェノサイド。言葉自体の歴史は新しいが、それに近い事が行われるようになったのは、何も最近に限った話ではない。
敵対していた王侯貴族、士族に華族、騎士団や武家と言った面々の皆殺しも、ジェノサイドに含めて良いのなら。歴史上数えられない程ジェノサイドは存在した事になるし、その都度、平和になってなければならない。だが実際には今も紛争の火炎が地球上の至る所で燃え上がってる所からも分かる通り、虐殺では、平穏も平等も、齎し得ないのだ。

「淘汰だよ、俺の理想は。人は死ぬが、それが目的でもないし、人の数を減らして平和、だなんて嘯くつもりもない」

「……ほう」

「突然変異。……今更アンタに対して説明するのも面倒だししねぇがよ。俺達人間は、嘗ての誰かの遺伝子に交じっていたエラー品、それが何かの間違いで、それまで繁栄していたノーマルの遺伝子を持った奴らよりも栄えちまって、そしてそのまま、陳腐化した奴らの果ての姿なんだよ。突然変異と、それの普遍化。そしてその普遍化した奴らの中から、またおかしな遺伝子が持った奴らが産まれて、運命の気まぐれでそいつらが栄える。猿が猿人になって、猿人が原人になって、そして原人がまた、今の俺達のプロトタイプに近い、人になる。そんな、繁栄と淘汰の螺旋を歩みながら、俺達はいるのさ」

 沈黙の帳が下りた。
両名共に、口を引き結び、押し黙っている。だからこそ、この応接間の中で、極限まで張り詰めた、ピリピリと、ヒリヒリと、皮膚に痛い程の空気が、辛い。
常人であれば、数秒と耐えられぬ、この極限に近い空気で満たされたこの空間の中で、皮下は、口を開いた。

「桜だ」

 男は語る。

「綺麗な桜があったんだ。誰からも愛でられ、誰からも注目され、――その綺麗さのせいで、誰からも弄ばれた、昼も夜もなく見目麗しい、桜がね」



 ――桜のように注目され、崇められ、弄ばれるのは、もう沢山――



「桜などと。比喩だろう、それは」

「察しの通り人間でね。その血は誰かに不思議な超能力を齎す。それで終わりじゃないぜ。その血に含まれる成分に耐えられなければ、その瞬間に死に至るような、猛毒を孕んだ血液さ」



 ――小さく、取るに足らない……どこにでもいるタンポポのような――



.


83 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:11:10 /.pdSAyE0
「その血を見て、閃いた。これを利用して、全人類に力を発現させればいい、とね」

「……毒、と貴様は言ったが?」

「良薬も過ぎれば毒になるって言うだろ? 毒も薄めりゃ薬なのさ。当然、耐えきれない奴も出てくる。そうすりゃ自壊して死ぬね。耐えた所で、ある時点で限界が来る奴もいる。暴走するだろうよ。そうなったら俺も知らん」

「耐えられ、適合する者も出てくる、と、言いそうだな」

「頭が良いと助かるよ。説明の手間が省ける。世界中のあらゆるシステムは、嘗てない人類のミューテーションに耐え切れず崩壊を起こすだろうし、その混乱と騒乱の度合いは、戦中の比じゃないだろう。それで良い。間違ってない。選別、なんだよ。その段階は」

 ――。

「選別に生き残る人間は僅かだろう。人間と言う種族が存続出来る、最小限度、辛うじての数しか生き残れねぇんじゃないかな。残った適合者どうしで、子が生まれる。特殊な能力を授かった適合者がセックスをし、生物濃縮とその遺伝子を引き継いだ子供がね。そうして、少しづつ脳と身体が無理なく進化して行き、人と言う個体は強くなる。そしてそれは、社会と言う枠組みに頼られない在り方を人が得られるようになる。そしてそれは、人の歴史に影みてぇに付きまとっていた、悲しみや争いからの脱却を意味し――」

 笑みを浮かべ、皮下は言った。

「そこで、平等と平和が達成される。誰もが等しくゼロスタートから始めてそこから進化して行ったからこそ平等で、誰もが特別な能力を持つからこそ平等。そして、争いの根源たる社会そのものに頼らず生きて行ける強い人類だからこそ、平和。そこで初めて、真の世界平和が達成される訳だ。誰もが皆綺麗に咲き誇る桜になれる。平等に価値が0だった時代から、平等に誰もが最上の価値の約束された時代になる」

「気の遠くなるような話だ。その段階まで至るまで、人類が存続しているかも危うい」

「だから、俺は、種を撒くだけに過ぎない。恐らくその『地平』に至った人類を、俺は見る事が出来ないだろうね。少々、悔しくもあるが」



 ――そう、タンポポみたいな……普通の存在になりたい――



「人は枯れ木だ。その枝の先には花もなければ葉の一枚もなくて、ただ大地に突き刺さってるだけの、死に行く樹木だよ。人類の未来の暗示にしか、俺には見えない」

 「そんな奴らに――」

「俺が綺麗な花を咲かせようって思ってね。ハハハ、ちょっとした花咲じいさんだよな、俺」

 冗談めかして口にする皮下の言葉に対し、大和は、冷ややかだった。
感情が揺れ動いてる感じがまるでない。淡々と、目の前の狂人の話を、聞いていただけのような。小鳥の泣き声でも、セミの鳴き声でも、聞いているような。そんな素振りだ。

「優れた力には報いがなければならない。平等は、私の理想に反する」

「アンタが強いから言える言葉だぜ、それ。アンタのその財力も、恵まれすぎてるその才能も。まぁそちらの努力を否定するつもりはないが、天与のものも、あるだろ?」

「今の地位にしがみ付きたいから、人類の格差を認めている、とでも? 成程、そうも見られような」

 語るまでもなく、大和との持つ権力も、財閥が保有する資産の数も、数値化が困難なレベルのグレードを誇る。
金持ちの中の金持ち、権力者の中の権力者だが、それと同時に、身体能力や頭脳と言う面でも桁外れており、およそ人間が理想とするあらゆる物を、全て彼は手中にしていた。
その中には実際に彼が努力せずに得たもの、つまり、先代から引き継いだだけのものもある事は嘘でもない事実だ。大和が、世襲で何かを引き継いだ側面がある事もまた確かなのだ。
だからその、引き継いだものを失いたくないから、人間との間に生じる格差を肯定しているのだ、と見られるのは、何も間違いではないし、それが普通であろう。大和自身、そう見られてもおかしくないな、と思っているレベルなのだ。


84 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:11:29 /.pdSAyE0
「私を殺せると思ったのならば、存分に殺してみるが良い。今の地位から引きずり下ろせると思ったのなら、試してみるが良い。掲げる理想と信条の故、その行為を否定はしない」

「面白れ〜。アンタが聖杯戦争の参加者なのはとっくの昔に知ってたがよ、掲げる理想が全然予測出来なかったんだわ。これを機に、お聞かせ願いたいものだな」

「実力主義と、これを常識として是認する、人類全体の意志改革」

 大和の返事もまた、一切の淀みがなかった。
言葉の迷いのなさは、彼が聖杯に懸ける理想と夢、それに取り組む真摯さの証明でもあった。

「身分、性別、年齢……。貴様の言ったような、差別や区別の温床たる要素は全て撤廃する。その上で才能ある者、力のある者が上に成り上がり、仕組みを作り出す側に至れる構造。それこそが、私の理想」

「そちらが爺さんになったら、どうするんだい? 峰津院さんよ」

「歳は言い訳にならんよ。老いたる神は、追放されるが定め。時が来れば、私もそれに倣う時があろう。それで良い。理想の世界だ」

「……そっかぁ」

 比類なき程に、シンプルな世界だった。躊躇いも何もない。本気の語調で、大和は語っている。
力を持つ物が偉い、才能のある者が尊ばれる。今の世界構造でもそう言う面はあるが、大和の理想はそれを純化させた世界なのだ。
正真正銘、完全なる実力主義なのだ。力があれば、家なき身分からでも成り上がれる。才能があれば、年齢の分け隔てなくトップのポジションに行ける。
それを邪魔する者は一切いない世界にしたいのだ。その世界に於いては、兵力を兵力で駆逐し、その立場に収まっても誰からも恨まれない。
力ある者の立志を邪魔する政治的な力学もなければ、新たなる富める者の誕生を望まないような経済学的な構造力学もまたない。
なれるのならば、なって良い。覇を示したいなら、示せば良い。まさに完全かつ完璧な実力主義。それこそが、峰津院大和が理想とするアルカディアなのであろう。

「ま、俺もよ。掲げる夢が夢だからさ、仲良ーく、上手くやっていこう、みたいな思いもあったんだけどね。聖人君子じゃねーんだ、無理だったわ。俺、アンタの事、嫌いだぜ」 

「奇遇だな。私も、貴様については、蜘蛛とは別に、蹴散らさねばならない相手だと考えを刷新した」

「おっと、其処だけは意見が一致してるんだな。ハハ、良くある事とは言え、世知辛いねぇ」

 大和も、そして皮下も、場違いな程柔らかい微笑みを浮かべて始めた。
浮かべる表情の柔和さと、反比例するように、場の空気は、倍々ゲームのように重みを増していき、加速度的に鋭さを得て行く。
空気のスイッチが、入れ替わる。話し合いと言う穏やかな場所ではない。聖杯戦争の敵対者どうしとして、行うに相応しいものへと、雰囲気が、空気が。入れ替わって行くのを、肌で二人は感じ取っていた。

「んじゃま、そうだな――」

「ああ、そうだな――」

 旧友同士、互いに交し合うような軽いやり口でそう言いあった、次の瞬間――

「死ねや」

「死ね」

 溜めていた殺意を、2名は爆発させた。

 先に動いたのは、皮下の方だった。
今も麦茶の入ったグラスを摘まむ右手。その手甲から、黒曜石(オブシダン)に似た艶と色が特徴的な、棘のような物が凄まじい速度で大和に向かって延長して行く。
物を握っているから、攻撃には転ぜられない、そんな意識を利用した不意打ち。クロサワの持つ、金属細胞の力を保有する皮下は、身体の至る所から、
サイズ可変、鋼を切り裂き鉄壁を貫く武器を、如何様な形にでも創造する事が出来るのである。

 ――その、比類ない硬度を誇る、クロサワの黒槍が、パァッ、と、その強度の触れ込みが嘘八百だと錯覚してしまう程に、脆く砕け散った。
「おっ?」と反応する皮下。崩れ方が見える。それは物理的な強い衝撃を受けて砕かれれたと言うよりは、風化したと言う方が相応しい壊れ方で、
砕かれた槍の破片とも言うべき黒色の粉が、風に舞う煤のように、室内を舞い始めたのを見た。原因は、ハッキリしている。
峰津院大和の左手に纏われた、アメジスト色の、炎のような何か。それを纏わせた左腕で槍を払った瞬間、御覧の通りの結末を、クロサワの武器は辿った訳だ。


85 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:11:51 /.pdSAyE0
「ここは腐っても病院だったな」

 それまでソファに座っていた――金属細胞の槍を砕いていた状態でも、なお――ままの大和が立ち上がり、後ろ足にソファを小突いた。
その軽い動作だけで、ソファが紙みたいに吹き飛んで、そのまま、応接室の入り口のドアを塞ぐ形で縦に転がった。少なくともこれで、余人は入って来れない。

「貴様の死亡診断書は私が直々に書いておいてやる。光栄に思え」

 一部の高位悪魔のみが使用を許される、万能属性の魔術。
広く人間世界に知られる名を、『メギド』と呼ばれるその魔術を、大和はその手に纏わせたのである。槍を破壊したものの正体こそがこれであった。
そして、この纏わせたメギドを、発散と言う形で解放すれば、どうなるのか。容易く、皮下医院は消滅する。それこそ、柱一本、土台一欠けら、余す事無くである。

「ちと、これは分が悪いな」

 大和の方に目線を注ぎ続けながら、皮下は思案を巡らせ――決断した

「カードを切るか」

 そう言った瞬間、まるで渦潮のような黒い何かが、部屋中に敷かれたカーペットの、その更に一枚上に生じ始めたのである。
大和も皮下も、地に足着いている、と言う実感を失い出し――いや、実感どころじゃない。事実、空中に放り出されたに等しい状態になった彼らは、その渦の中に、落ちていった。

「むっ……」

 回りくどかったが、遂にやったな、と大和は思った。
地脈と霊地の管理は、峰津院家の十八番。この病院を見た瞬間から大和は、その地下空間に、途方もない何かを飼っている事を看破していた。
空間の広さは皮下医院に容易く百倍はするであろう超広大な空間を、この世界の時空とはまた異なる時空に折り重ねて隠蔽する形で、
皮下が引き当てたであろう何者かは隠蔽していたのである。此処が本丸である事は間違いない。余人に見せられぬ何かの全ては、其処に隠れているのだろう。
そして、何かあれば、其処に大和を引きずり込むであろう事もまた、彼は理解していたのである。それが遅いか早いかの違いでしかなかったが、存外、遅かった。大和からすれば、此処からが本番なのだ。話し合いで解決するなどとは思ってない。此方に不利益を被らせる輩には、死を与える。皮下の行動はまさしく大和の聖杯戦争のプランに対し障害となる物であり、彼の与える死の大槌の範囲に、皮下の頭蓋はあったのである。

 タッ、と、数十m程の不快な浮遊感を堪能した後、大和も皮下も着地。
皮下は元が、夜桜の血の影響で人間の括りを超越している為、その高度から着地しても問題はなく。
大和の方は、魔力によって身体能力を強化している為か、問題はない。受け身を取り損ねて死ぬ、と言う結末は、2人には無縁であったのだ。

「――ほう」

 左手に纏わせたメギドの炎を霧散させ、大和は嘆息する。
一面畳張り、壁に掛けられた提灯、昼のように明るいその空間。漂う酒の臭い。
旅館などにあるような、和風の宴会場のような場所であろうかと大和は考えた。それにしても広い空間だ。
天井の高さだけで、何十mとあろうかと言うもので、ビルの三、四階建て以上は容易く超えていた。部屋の広さにしても凄まじく、四方数百m以上は優に下らない広さなのだ。
サッカーやラグビーなどの、フィールド競技だとて容易く行えそうなその空間は、意匠は兎も角、広さについていえば、伊達や酔狂で設定したものじゃない事を大和は一瞬で理解した。

 ――それは、目の前で胡坐をかき、直径二mはあるであろう巨大な盃に入れた酒を、グビグビと音を立てて飲んでいる男に合わせた、部屋作りなのだろう。

「成程。貴様の自信は、目の前のサーヴァントによるものか」

 酒を飲むサーヴァントの側に佇む皮下を見て、大和は得心が行く。
何よりも目に付くのはそのサイズだ。皮下のサーヴァント、ライダーのクラスで召喚されたそれは、人類にはあり得ない体格の持ち主だった。
人間と言うものは、地球の重力の大きさの都合上、あるサイズ以上の身長を越えて、産まれないのが通常である。その通常が、ライダーには全く通じていない。
何せ胡坐をかいて座っているその状態でも、既に大和が見上げるしかない大きさなのだ。目測だが、この状態でその大きさは5mを容易く超える。
控えめに言ってこの体格の時点で、目の前のサーヴァントは理屈を抜きにした完全な強者なのだが、次に目を引くのがその身体つきだ。
直立すれば9mはあろうかと言うその巨体には、てっぺんからつま先まで。巌か鋼かと見紛うような凄まじい筋肉がみっしりと凝集されていて、
この身長に満遍なく搭載されているこの筋肉と、考えられる体重をフルに攻撃に用いれば、それを叩き込まれた相手は如何な結末を辿るのか、容易に想像が出来てしまえる程であった。


86 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:12:24 /.pdSAyE0
 だが、体格よりも、大和の興味を惹起させたのは、ライダーの側頭部から生える、巨大な角だった。
水牛に似たその立派な角は、雄弁に、彼が人間以外の存在である事を物語るファクターであり、一目見ただけで彼のイメージを、『鬼』に近しい何かだと固定させる理由そのものだ。
巨躯や魁偉を越えて、巨人か小山の域に達するその巨大な体格。そして、肉体から発散される、暴威とも、覇気とも取れる強烈なオーラ。
この男の前では、鬼も悪魔も、阿諛追従の腰巾着、御機嫌取りに回るだろう。大和には解る。目の前の男が――カイドウが正真正銘、この聖杯戦争の『キングピン』となるであろう存在の一人である事を、その霊性から見抜いたのだ。

「……ウォロロロロロ。正直、驚いてるぜ。皮下」

「何がよ、総督」

「目の前のガキ、おれを恐れてもねぇ。予選でぶっ殺したサーヴァントですら、見ただけで腰砕けになる奴が居たってのに、こいつはマスターの身なのに身動ぎ一つしねえ。帝王の器だ」

 そもそも真っ当な神経の人間は、カイドウの持つ常識を逸脱した身体つきを見れば、その時点で立ち竦むばかりか、呼吸すら忘れる程の恐怖に陥る。
サーヴァントレベルであっても、この存在にはどんな武器を持ち出しても勝てる筈がない。そうと思い込ませる程の、意識に対する攻撃を常に視覚的に行っている状態に等しいのだ。

 予選でも、本戦でも。
カイドウの恐るべき相貌を眺めた者は、その時点で、止まらぬ震えに苛まれる者が多かった。人によっては、見ただけでサーヴァントに、撤退の命令を出す者もいた。
それが当たり前の存在なのに、大和は、カイドウと真っ向から目線をぶつけ合っている。それだけじゃ、ない。
目の前で、『カイドウが覇王色の覇気を放出しながら睨み付けているにもかかわらず』、大和は堂々とした態度を貫いているのだ。
覇王色の覇気の直撃を受けて、無事に自我を保てているマスターは、これで二人目。先の一人は、意識を何とか保てていた、と言うだけで指一本動かす事が出来なかったが、大和は違う。意識を保てているばかりか、あろう事か腕を組み始め、不遜な態度でカイドウを見上げ始めたのだ。

「威圧に立ち竦む程度では頭から喰らわれるのでな。脅しに対する術は、心得ている」

「面白れぇ。小僧、良いぜ。名前ぐらいは覚えておいてやる、言ってみろ」

「下郎に名乗る名などない」

 無視。大和はカイドウの気配りを、バッサリと切り捨てた。
その瞬間、爆発するような殺意がを荒れ狂った。子供だとて、この空気の変わり方は即座に悟るだろう。
風を伴わぬ、音を生じさせぬ嵐が、宴会場に吹き荒れているようなものだった。そして事もあろうに、その殺意の奔流は、カイドウからのものではない。
寧ろ彼の方は、凪。静かに酒を飲んでいるだけであった。怒気を解放させている物の正体、それは、カイドウと大和らが佇んでいる地点から、離れた所に存在する、閉じた襖であった。

 ――そしてもっと近くには、

「総督、殺しても良いんだよな、こういう時は」

 胡坐をかいているカイドウの左右には、これまた、カイドウに勝るとも劣らぬ三人の巨漢が佇んでいた。
勿論、3名ともに巨漢と言う言葉ですら烏滸がましい巨人である。古代ギリシャの彫刻者は、彼らを指してこう言うであろう。ギガース、と。
カイドウに対し抹殺の許可を訪ねたのは、彼からみて右の場所に佇む、漆黒のレザーで誂えられたダブルスーツを着こなす、これまた黒いヘルメットにマスクを被った男である。
背面から炎を噴出させるその様子はさながら不動明王の仏像の様で、であれば腰に差している大和の身長以上もあるあの刀は成程、倶利伽羅利剣か。
ただ者ではない事を、大和は見抜いている。恐らくは、あのライダーが全幅の信頼を置く部下の一人だと、当たりを付けていた。見立ては、正しい。大看板の一角、百獣海賊団最強の一人である、火災のキングを、大和は正しく評価していた。

「まぁ待てよ、キング。今は若造の大口程度、一度ぐらいなら許してやれる気分なんだ」

「総督が、そう仰るなら」

 不承不服と言った様子で、小山の如き巨体を誇る、長く伸ばした金髪を後ろにまとめ上げた男が言った。
まるで象の牙を思わせる意匠が取り付けられた面頬を装着しているこの男の名は、ジャック。旱害の名を冠する、大看板の一人。カイドウの海賊団を代表する、顔役でもある男だ。 

「小僧。お前だな。この地の霊地を抑えてるって言う、強欲な野郎は」

 ――海賊に強欲とか言われるとか世も末だな……――

 率直にそんな事を思う皮下だったが、ぐっと堪えた。


87 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:12:53 /.pdSAyE0
「中々の地獄耳だな。そうだと言ったら、どうする?」

「分かち合おうじゃねぇか、なぁ? そうすりゃテメェの安全はおれが保証してやっても良いぜ」

 驚いたのは、誰ならん、大看板の三人と、襖の先で待機している、飛び六胞及び真打の面々達だった。
分かち合う、と来たものだ。宝は総獲り。海賊にとっては、況して、海賊達のハイエンドであるカイドウにとってすれば、
利益は全部ウチの物と言う考えは、骨身に染みた常識だ。宝は山分け、半分こなど、思っていても絶対に言わないと、誰もが信じていたのである。
その男から、そんな言葉が口から飛び出してくるとは……夢にも、彼らは思ってなかった。

 最悪の酒癖、刹那的な快楽を求める性格からも誤解されがちだが、平時のカイドウは極めて頭がキレる、冷酷な男である
計算高く、したたかで、目的達成の為には何年も己の心を悟らせぬ、高度な政治力をも併せ持つ、文武に長けた怪物なのだ。
そうでなければ、数千名からなる大海賊団の首魁など到底名乗れない。そしてその知略は、海の上、船の上のみで発揮されるものではない。
ワの国影の支配者として20年以上も君臨していた逸話からも分かる通り、陸(おか)の上の政治と言う意味でも、カイドウは卓越している。この要所を抑えればどうなるか、何処に対してどんな仕打ちをすれば効率的なのか。彼にはそれが、直ぐに解るのだ。

 今でこそ、カイドウは皮下医院の地下と言う空間で、手筈を整えると言う手段に甘んじていたが、初期のプランではこうではなかった。
東京23区に存在する、霊地即ち、ある程度の魔力の供給を可能とする、レイ・ライン。当初はこれを抑え、其処から供給される魔力を以て、軍備を急速に整える算段だったのだ。
理論上、当初予定していた霊地を抑えていれば、聖杯戦争の本開催日、つまり今日には、東京都の至る所に、十全の状態の真打・飛び六胞・大看板の面々が、カイドウと共に暴れまわっていた計算であったのだ。

 だがそうはならず、今日までずっと雌伏の時を過ごしていた訳は、その計算が捕らぬ狸の皮算用に終わってしまった事を意味する。
単純だ、既にカイドウらが予定していた複数の霊地は、全て、峰津院財閥の手による管理下に置かれていたからだった。
カイドウ自身もこの報告を受けた時は、かなりのやり手がいる、と即座に思った。
本戦開始前に度々起こっていた、鬼ヶ島から遠征し、戯れにサーヴァントを葬り去っていた、あの外征。あれは、酒に酔ってやった事もあるが、それ以外。
素面でやっていた時もある。単純だ、峰津院財閥管理下の霊地を下見に行って、『同じような魂胆の予選参加者とぶつかってしまった』、と言うある種の玉突き事故めいた事もあるのだ。
そのまま流れで、霊地を襲ってやっても良かったのだが、その時の皮下の魔力プールの観点から、直ぐに取りやめ――そうして、今日に至ると言う訳だ。

 そして今こうして、霊地の管理者を見て、何とも細い若造が出てきやがった、とカイドウは思った。
だが、身体から発散される気風や、瞳に漲るその意志力は、峰津院大和とは強者である事を如実に教えていた。

「誰が、何を保証するだと? 耳を疑って、聞いてなかった」

「テメェだって楽に、確実に、聖杯戦争って奴を勝ち進みてぇだろうが? 強者って言うのはな、何時の時代も、反発しあってるようで手を組んでる事があるもんだ」

 これはある意味で事実だった。
あれだけ反目しあっているように見えたカイドウとビッグマムも、手を取り合ってワの国で戦っていたし、そもそもの話、
電伝虫で連絡を取り合える程度の仲は保たれていたのだ。本当に二人が仲が悪かったら、そもそもそのホットラインを断っていたであろう。
強者とは看板が大きい。その価値も比類ない。その掲げた看板が大きい者どうしが戦えば、それは最早戦争である。何も残らないどころか、勝者が何も得られない事もある。そんなリスクがあるから、強者と強者は牽制をしあうのだ。

 大和は、カイドウが聖杯戦争本開催以降に見て来た、どの参加者よりも、手を組むに値する人物だった。
霊地を確保していると言う事実が勿論大きいのだが、何よりも、この胆力が良い。正直な所、道化を気取る割には心に余裕のなかった、破戒僧崩れのあのアルターエゴよりも余程信頼出来るのだ。


88 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:13:24 /.pdSAyE0
「他所を当たれ」

 大和は素気無く、切り捨てた。

「騙す相手は選ぶのだな。後から貴様が私を出し抜こうとするなど、見抜けないとでも思ってるのか?」

 カイドウの性根は、略奪と暴虐である事を、大和は即座に見抜いている。
悪魔との交渉によって磨かれた、人を見る慧眼は、正しい形でカイドウの本性を見抜いている。この男とは、実力とかの面以上に、信頼と言う面で組むに値しない。

「だってさ、総督」

「……まぁ、解ってた返事だ、皮下」

 盃の酒を、其処でカイドウは一気に飲み干してから、立ち上がった。
――やはり、巨大い(デカい)。9mを越えて、10mはあろうかと言うその巨体は、カイドウ自身が発散させる抜山蓋世の気力もあいまって、
山脈が意思を以て立ち上がったようにしか見えなかった。直立するだけで、この威圧よ。

「大和、って名前なんだよな。こいつァ」

「そ、峰津院家の現当主、峰津院大和さ」

 と言う皮下の返事を受けて、カイドウは、クツクツと忍び笑いを浮かべる。
それは、勘当して家出してしまった、馬鹿息子の事でも思い出すような顔で――。

「大和……ヤマトか。その名前との縁はつくづく腐ってるな、おれは」

 カイドウは、己が保有する宝具・鬼ヶ島の中に於いて、唯一再現されていないドラ息子の名前を口にしながら、ゆっくりと。
眼下の大和を見下ろしながら、威圧も露わな語調で、判決を告げるように言った。

「おれが、『どうだ?』って持ちかけたら、此処では首を縦に振るしかねェんだよ。小僧」

「残念だが、私が否と言えば覆りようがなく否なのだ」

「ムハハハハハ!! この鬼ヶ島で、能力者でもねぇのに此処まで意地を張り通せるなんて、良い度胸だ!!」


89 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:13:40 /.pdSAyE0
 そう言って高らかに笑うのは、キングの近くで佇んでいた、6m長の背丈を持った男だった。
ジャックやキングと違い、この男の場合は鍛えている様子が見られない、肥満体のような男だ。
サングラスを掛け、葉巻を加えるその様子はまるで、カートゥーンの中に登場するコミカルなギャグキャラクターだが、実態は違う。
疫災の名を冠するこの大男は、クイーンと呼ばれる百獣海賊団の大看板。幾人もの海賊や民草を、自らの非道な人体実験で弄んだ、非道の中の非道、悪魔の名が最も相応しい人物だった。

「なあ船長、コイツの身柄は俺に任せてくれないか? 頑丈そうなデクは何体いたって良いからな!!」

「ウォロロロロ……クイーン。お前に預けるのが一番良いが、この小僧の魔力は中々優れてる。鬼ヶ島の顕現の為に、コイツの魔力を上手く搾れるような実験を考えておけ」

「マスター、サーヴァント。共に、話し合いが決裂してしまったな」

 他人事のように、大和は口にする。

「今更、後悔したって遅いんだぜ、坊主。テメェの立場って奴を、よく認識しておくべきだったな!!」

 と、口にするクイーンに対し、不敵な笑みを浮かべながら、大和は言った。

「そこの皮下と言う男については論外だが、サーヴァントならば利用価値があるやもと、一応は考えていた。だが話してみれば、骨の髄までの略奪者と来た。これでは骨折り損だな。顔を見た瞬間、そこのマスターを殺しておくべきだった」

「こっわ……そんな事思ってたのかよアンタ。……って言うのも、もう強がりだよなアンタの場合。サーヴァント、鬼ヶ島にいねーもんな」

 鬼ヶ島は、皮下医院の地下室に展開されている空間、と言う訳じゃない。
皮下医院の遥か地下。下水道や地下鉄が通っている場所よりも更に地下の空間、その場所に展開された異なる時空であり、そもそもの話
界聖杯内の東京には存在しない。別の空間を隔てた、異なる次元に隠されているのだ。カイドウの話によれば、大和の引き当てたサーヴァントは、未だに皮下医院にいると言う。
要するに、取り残されている形である。時空を越える手段がなければ、能動的に、この鬼ヶ島にはやって来れない。そしてそんなサーヴァントは、いるものじゃない。
普通は、この時点で、チェックメイトなのだ。

 ――――――峰津院大和の引いたサーヴァントが普通留まりのサーヴァントであったのなら。

「……もう良い。来ても構わんぞ、ランサー」

 そうと、大和が告げた瞬間、彼から二百m程離れた背後の襖、その奥から、凄まじいまでの悲鳴と絶叫が鳴り響いた。
それに対して何かと反応し、大看板及びカイドウが構えたその瞬間、襖が千々に切り刻まれ、無数の破片になって破壊された。

「馬鹿め。あんな寂れた施設など、余の一撃で破壊していれば良かったものを」

 襖の先に広がっていたのは、血の海。内臓の山。死体の、河。
ある者は車にはねられた様に身体がぐちゃぐちゃになっていて、ある者は無数に身体を分割され、またある者は首を刎ねられて……。
多種多様な死に方をしているウェイターズやプレジャーズ、ギフターズの死体の最中で、大和の引き当てたランサー、黒衣の偉丈夫ベルゼバブは、鋭い目線をカイドウらに投げ掛けていた。


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90 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:14:21 /.pdSAyE0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「下らぬ雑兵共を、せせこましく準備する手合いか。さぞ退屈な相手だと思っていたが、予想が外れたな」

 凝った作戦ではなかった。
皮下とカイドウの主従は、目下大和らが追跡中の、蜘蛛とは関係がない事は、事前の調査で分かっていたのだ。
財閥関係者に何らかの形で接触して来た者の素性には、皮下医院の入院歴も、親しい縁者を調べてみても彼らと接点がある者も。いなかったからだ。
大和の部下に危害を加えたのは、確かに怒りはあるが、相手の性格次第では、利用してやっても良いと。大和は判断していたのだ。
もしも、交渉が決裂したら、殺して良い。大和はそんな提案を、ベルゼバブに持ち掛けていたのだ。

 そして結果として、マスターもサーヴァントも、利用に耐えない。組むには危険性が高すぎる。そうと大和は判断。
そうして、皮下医院で霊体化して退屈していたベルゼバブに、告げた。来い、と。それを受けた瞬間、ベルゼバブは空間を引き裂き、大和らがいる座標を特定。
其処目掛けて瞬時に転移。転移先はウェイターズやプレジャーズ達の詰め所の一つで、鈍った身体を動かす為、手始めに彼らを虐殺。
また彼らの魂を喰らう事で、魔力も余剰に喰らい、運動を終え――そうして、今に至る訳であった。

「混ざっているな、貴様」

 大和達の方に歩み寄りながら、ベルゼバブは言った。ドラフのオスに、似ている。カイドウを見て率直に思った事がそれであった。
ただ、屈強な体格で知られるドラフが、痩せた子供にしか見えない程、カイドウの方が巨大だ。それこそ、比較する方が酷な程に。

 カイドウ、キング、クイーンにジャック。自らも星晶獣のコアを取り込んでいる人物であるから、ベルゼバブには解る。
彼らは混ざっている。元は人間……にしては少々サイズが規格外だが、それでも、確かに生物学上は人間だったのだろう。
それに、何らかの獣の因子が、極めて無理のない、調和の取れた形で混ざっている。そして、三人ともその獣の因子と、元来の人間の因子を、高いレベルで磨いていた。
とは言え、ベルゼバブにしてみれば、カイドウ以外の三人は、取るに足らない小物。羽虫も同然である。事実上、ベルゼバブの脅威足り得るのは、カイドウただ一人だけ。ベルゼバブは、冷静に戦況を分析していた。

「成程な、この小僧が自信満面なわけだ」

 カイドウもまた、目の前に現れた黒衣の男の戦力を、冷静に判断していた。
見た目は、ハッキリ言って、一般人としては兎も角、自分達と比較した場合何と小さくて貧相なんだと思った。
背丈に至っては、百獣海賊団の幹部の中でも小柄な、うるティと殆ど大差がないではないか。

 だが、実態は全く異なる。
カイドウと、大看板三人は、見聞式の覇気と呼ばれる、探知・調査の為の力を自在に操れる。これを以て、ベルゼバブの戦力をこうと判断した。『別格』と。
最低でもベルゼバブの力は、四皇並か、それ以上に匹敵する怪物だ。百獣海賊団の中に於いて、明白に、ベルゼバブと渡り合えるのは、カイドウただ一人だけ。
大看板レベルではよくて足止め、それ以下の場合では、肉の盾にもならない。それが、この場にいる4体の大御所の判断だ。

 皮下が、此方に念話でステータスを告げてくる。弱い要素が何処にもない。
嘗て、カイドウと対峙したあらゆるマスターは、彼のステータスを目視して絶句していたが、今度は同じような事をする番になるとは、思ってもみなかった。
ジャックとクイーンの額に、冷や汗が伝い始める。こんな怪物が、この世界で息を潜めていたなんて。
その思いはカイドウも同じだ。これだけの怪物、これだけの気性。抑え込むだけでも、骨が折れよう。労力も並大抵のものではない筈。
この狭い世界に君臨する怪獣、これを、今まで目立たせる事無く操っていた、峰津院大和の技量の卓越さに、カイドウも皮下も唸った。間違いも疑いもなく、この主従は、最強の一角だ。


91 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:14:38 /.pdSAyE0
「どうした。私にしたような協力の申し出を、ランサーにもして良いのだぞ」

「ふざけるな馬鹿野郎。こんな野郎おれだっていらねぇ。熨斗付けて返してやる」 

 カイドウはここに至るまで、数々の主従を引き抜こうとし、そして時には、向こうの方から同盟の提案を持ちかけられた事もあった。
彼が同盟を組む上での判断基準としているのは、その人物が『人の下で働いていた』かどうかだ。
アウトローらしくない考え方であるが、これは当たり前の基準であった。海賊も組織であり、況して百獣海賊団は何千名もの構成員からなる大海賊団である。
強い者が上を喰らえる、自由過ぎる気風がウリであったとは言え、最低限の法とルールは存在する。船長の命令を守れぬ輩は、いらないのだ。
カイドウ自身も、そして、あの自由かつ傍若無人を地で行くシャーロット・リンリンですら。
遥か昔、今の百獣海賊団よりも無法を極める海賊団だったとは言え、元は同じロックスの御旗の下で働き、あの船長の命令に従って動いていた時期があった。
つまりは、今は四皇と呼ばれる、海賊の頂点を極めたこの二名ですらが、昔の話とは言え、人の下で汗を流していた時期があったのは、間違いのない事実なのである。

 ――一目で分かった。ベルゼバブは、誰かの下で働いた事がない。それどころか、人に頭を下げた事すら、ないだろうと言う確信があった。
生まれた時から頂点、それ以外は全て格下。釈迦は生誕したその折より、天上天下唯我独尊を口にしたそうだが、このベルゼバブは、まさにそれを地で行くメンタリズムだ。
こんな輩、部下にしてくれと言って来ても願い下げである。強さ以外の要点が、落第を極むる男だ。もう、この男とは、どちらかがくたばるまで、殺し合うしかないのだ。

「皮下、此処を出ろ」

「ですよねー、俺もそう思ってた」

 カイドウは、鬼ヶ島が半壊程度に留められれば、安いものだとすら思っていた。
目の前のランサーは殺す。殺すが、この鬼ヶ島が無事で済むとは思ってない。どころか、最悪の場合宝具の一つが完膚なきまでに潰される懸念すら抱いていた。
直近で、機械の女のサーヴァントを自軍に引き込む事は出来たが、アレにしたとて叛意が隠せていなかった。期待は出来ないどころか最悪牙を剥く可能性すらあった。

 此処が、峠だ。そうと、思う事にした。

 皮下の背後の何もない空間に、ぽっかりと、黒い穴のような物が生じ始める。
その黒い穴は直ぐに、皮下医院の内部へと繋がり、ある種のポータルとなった。其処に目掛けて皮下が身を投げたその瞬間、ベルゼバブが動いた。

「あの羽虫を追って殺せ。余が此処を始末する」

 そう言ってベルゼバブが念じた瞬間、大和の前方の、何もない空間に亀裂が生じ始め、其処から空間が、宴会場の風景の一部を移したまま、
無数の剥片となって砕け散り、穴が生じた。その風景が何かを映すよりも早く、大和は其処に身を投げたのである。

 皮下が身を投げた、その3秒後程に大和が消え。
カイドウとベルゼバブが生じさせた空間の穴が、凄い速度で閉じて修復を初め、遂には、何事もなかったように元通りになる。

 こうして、この場には、怪物のみが残る形となった。

「図体だけは立派な見掛け倒し共を、よくも集めた物だ」

「テメェ……!!」

 激情したのは、ジャックの方だった。
ミシリ、と彼の筋肉が膨張によって軋む音が聞こえて来た。
空間が質量を伴い、重厚な殺意が発散される。血走ったジャックの目線には、強烈な殺気がこれ以上となく内在されており、木の板ですら貫いて穴をあけられてしまいそうな、恐ろしい凄味で溢れていた。

「失せろ」

 その一言と同時に、ジャックの身体が、丸めたボール紙でも放り投げるような容易さで、吹っ飛んだ。
襖を突き破り、その向こうにいた雑兵達が、この世の終わりのような騒ぎを上げ始めた。「ジャックさんだ!!」「血を流してる!!」「信じられない!!」
その攻撃の正体を、キングも、クイーンも。掴む事が出来なかった。カイドウだけが、体重にして500㎏を越える大質量の大男を、時速二百㎞のスピードで吹っ飛ばした攻撃の正体を認識していた。

 所謂、遠当てだ。離れた相手に、パンチやキックなどの衝撃を届ける技術。
サーヴァントであれば、これの実行は容易い。魔力を媒介にして、相手に衝撃を届けるだけなのだから。
だが、ジャック程の存在を、此処まで一方的に吹っ飛ばす攻撃となると、その練度には唸る他ない。

「おれに用があるんだろう、兄ちゃん。良いぜ、遊んでやる」


92 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:14:57 /.pdSAyE0
 ゆっくりと、カイドウはベルゼバブの方へと歩いてゆき、その最中に、背負っていた物を取り出した。
鬼が持つ物は、相場が決まっている。棘の付いた金棒だが……カイドウの握るそれは、最早棒と言う次元を飛び越えて、巨大な鉄の柱だ。
長さにして6mを容易く超え、しかもびっしりと、鬼の金棒にはつきものだろう? と言うように、棘がビッシリと付随されていた。
八斎戒。それが得物の名前であり、宝具ではないが、カイドウの膂力と合わさる事で、その宝具をも粉砕してしまう暴威の具象そのものだった。

「手ェ出すなよ、キング。クイーン」

 そう言う頃には、ベルゼバブもカイドウも、間合いだった。
加速度的に、二人の質量が増して行く。勿論、実際の重さが増えた訳ではない。増えて行くのは、存在としての重さ。威圧の、重さだった。
殺意は極限を越えた先に到達し、最早二人が佇むその地点は、完全な別世界そのもの。常人が入ればそれだけで気絶は免れず、
彼らの頭上を小鳥が飛んで横切ろうものなら、気迫に呑まれてその瞬間地面に墜落し、気死してしまうだろう。それ程までの覇気が、両名を取り囲む嵐となっているのだ。

 これ以上の、ステージがあるのか?
誰もがそう思う程、まだ、重みが増して行く。これ以上進めば、二人は、この世に在りながらにして、この世のものとは思えない何かに――。
この世の一切の法則を受け付けぬ、特異点になってしまうのではないのか。そうと思ったその瞬間、動いた者がいた。ベルゼバブ――カイドウ。同時。

 右手に握った金棒を、思いっきり横なぎにスウィングするカイドウ。
大ぶりな動作であるのに、恐ろしく早い。『雷鳴八卦』の名に違わぬ、稲妻のような速度の一振りを、ベルゼバブは、右足の回し蹴りで迎撃した。

 ――誰もが、核爆発でも起きたのでは、と思う程の爆音を聞いた。
衝撃波と突風が、比喩を抜きに真実応接間を駆け抜ける。宴会場中の畳が空中に舞い上がり、撓み、曲げきれる限界を超えたのか、メキメキと音を立てて破断して行く。
クイーンとキング、大看板二名レベルですらが、衝撃波の強さに耐え切れず、十何mも吹き飛ばされた。
至近距離にいた彼らは、実力の故にこれで済んだが、彼らよりも更に遠くにあった襖は、衝撃波の影響で全て吹っ飛んだばかりか、
その先にいた飛び六胞や真打、それ以下の面々に至っては、衝撃波に耐えられず思いっきり、風に舞う木の葉のように吹っ飛んだ。

「こ、攻撃の衝突でこれかよ……!!」

 クイーンのボヤキに対して、誰もがそう思った事であろう。
だが、真に目をむいたのは、舞っていた畳が落下し始めた時だった。皆、「あっ」と声を上げた。
カイドウが、仰向けに倒れていた。誰もが、信じられない物を見るような目で、彼の様子を見ていた。
あの男が、倒された。カイドウの頑丈さは、百獣海賊団に所属している面々なら誰もが知っている。一万mも上空から落下してなお、流石に少し痛い、で済ませた男が。
金棒を用いてのスウィング、その衝突で、体勢を崩してしまった。疑いようもない、異常事態だった。

「……血を流す事は、あったけどよ。此処まで明白に倒されたのは、お前が始めてだぜ」

 直ぐにカイドウは立ち上がり、あらぬ方向に目線を向けた。ベルゼバブが、カイドウの近くにいない。
黒衣のランサーは、よく見れば、いた。カイドウから二百と七十m程左の床に、片膝をついているではないか。
よく見ると、剥き出しになった畳の下の板張りが、燃え上がっていた。それが、ベルゼバブがカイドウの雷鳴八卦を迎撃した時の威力を殺しきれず、吹っ飛ばされ、
この勢いを殺す為に両足で思いっきり地面と接触。その摩擦を以て急ブレーキを掛けた跡だと、知る者はカイドウ以外に誰も居なかった。

「つっても……。如何やらお前も、『血を流すのは今が初めてだった』ようだな」

 ゆっくりと立ち上がったベルゼバブ。カイドウの、言う通りだった。
ベルゼバブの足首を、赤い液体が伝っていた。ベルゼバブは、この聖杯戦争に召喚され、初めて、血を流したのだった。

「此処は……地下だったな。丁度良い、墓穴を掘る手間は……ないようだ」

 其処まで言った瞬間、ベルゼバブが纏っていた黒衣のローブが、消滅。
ローブの下の筋骨たくましい姿を強調した、動きやすい服装が露わになる。その――瞋恚に燃える瞳が特徴的な、美貌もまた。

「――貴様と、その郎党全てを殺戮し、この場を貴様ら羽虫共のカタコンベにでもして呉れるッ!!」

 鬼ヶ島にとって、最も長い一日が、カイドウから放出された覇王色の覇気と、ベルゼバブの両肩から展開された鋼の翼を以て、幕を開けたのだった。


93 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/10/24(日) 00:15:11 /.pdSAyE0
前編の投下を終了します


94 : ◆0pIloi6gg. :2021/10/24(日) 15:03:14 Bv0s4CME0
>>サムライチャンプルー(Some Like Cham-POOL)
あさひの変化とデッドプールがそんな彼に向ける優しさがとても読んでいて心に響くお話でした。
ロールありの聖杯戦争ではもはや詰みと言ってもいいほどの窮地に追い込まれているあさひ。
しかし今回のおでん達やそうでなくても真乃達など、助けてくれる人が大勢居るのは原作の彼を知っていると実に感慨深い。
覚悟を決めたあさひをいざとなれば聖杯を手に入れる以外の道に導くことも視野に入れるデッドプールが実に頼れる相棒/保護者で好きです。
そしておでんも遂にカイドウの存在を悟り、盤面は夜に向けて大きく動いていきそうですね……。

>>まがつぼしフラグメンツ
聖杯を狙う悪い大人達の群像劇、大変おもしろく読ませていただきました。
モリアーティ及び彼の率いる敵連合を中心に拡大していく悪の蠢動が大変恐ろしくもあり興味深くもあります。
モリアーティとリンボの接触、そこから田中勧誘の流れに持っていくのもテクニカルで良かったと思います。
戦力不足が課題の敵連合の戦力増強、あまりにも堅実かつスムーズで、他の派閥に決して劣らない脅威度がありますね……。
そして沙都子の命を受けたリンボが遂にプロデューサー達を包囲する体勢に。こちらもまた目が離せないことになりそうです。

>>この狭い世界で、ただ小さく
前編……? これで、前編……?(困惑)(畏怖)となってしまうこと間違いない力作でした。
氏の特徴でもある重厚な地の文から繰り出される圧倒的な知識量と比喩表現が読んでいて気持ちよすぎる。
皮下と大和の対談に始まりカイドウとベルゼバブの最強対決まで息をつく暇もない怒涛の流れで読み応えが凄くありました。
同じ人類の変革を求めている二人でもこれほどまでに相容れない、そこが際立ってくるのはクロスオーバーの醍醐味ですよね。
次回は最強対決の真髄が見られることになると思うので、こちらもとても楽しみにしております。


さて、当企画に本日を以って二つほどルールを追加させていただきますのでご一読お願いします。

・新たに投下された話に登場したキャラクターの予約までには「24時間」のインターバルを設けるものとします。
・執筆が間に合わなかった、または別な何らかの理由で予約を破棄した場合、その予約に含まれていたキャラクターを再度予約出来るまでには「五日間」のインターバルを設けるものとします。

十分な指摘がされていない状態でリレーされてしまうことと、そして予約期限の形骸化を防ぐためのルール追加になりますので、書き手諸氏はぜひ目を通し把握しておいて貰えると助かります。


95 : ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:39:55 BFCr6g3A0
投下します


96 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:41:24 BFCr6g3A0

 ◆


 世界が燃えているような空だった。
 群青だった天は失墜する朱に染まって都市を黄金に焦がす。
 夕刻の切り替わり、下校を告げる学校のチャイム。夏の空は日没には遠かれど、少しずつゆっくりと一日の幕を閉じつつある。

 黄昏時。誰そ彼時。
 昼と夜とが混じり合い、曖昧になる境目の時間。
 あるいは逢魔が時。
 昼に生きるものと、夜を統べるものとが行き遭いやすくなる時間。 
 隔てられている世界が、繋がる境界。

 魔を忘れ神を捨てた文明の地にあっても、人と魔の領域の扉は存在する。
 それは一定のボタンを押す法則で開くエレベーターであったり。
 自殺の名所と噂される橋の下であったり。
 止まらない発展に取り残された不良物件であったりする。

 三方をビルに囲まれた一角だった。
 後先考えず雨後の筍のように林立していった建築物との間に偶発的に空いた死角。
 日当たりは皆無。如何に太陽の元に晒されないかを計算したかと疑う設計で、傾斜やら屋根やら不法投棄物やらが複合的に絡み合った人工の蔦が出来ている。
 隣の屋根劣悪を通り越して一周回って付加価値がつきそうなほどに暗い。
 明かりになるのは唯一外に繋がる通路の角から漏れる光と、囲むビル内越しの薄暗い照明だけだ。
 背後には進入禁止の立て掛けが置かれ、先は真の暗黒に繋がってる。
 商業的に見捨てられた位置だが、秘めやかな密議を交わす者達にとっては絶好のセーフポイントだ。
 暴行に、闇取引に、数え切れない業がこの土地には染み込んでいる。
 今はいない。
 酒に酔った粗忽者も、荒稼ぎを目論む売人も、今日この時限りはここに寄りつく事を忌避していた。
 今更になって犯罪に気が引けたわけもなく、生き馬の目を抜く非合法を過ごす者達が磨いた嗅覚が、隔絶の予感を察知したのだ。
 彼らが恐れるのは法の光であり、闇は行いを覆い隠す恩恵。その日常が反転する。
 あくまで潜むだけしか能がない匹夫に、闇から生まれたモノと行き遭う覚悟もない。
 知恵なき鳥獣であろうともこの闇に飛び込もうとは思うまい。本能のままに生きているからこそ、死の怯えには敏感かつ忠実だった。
 闇は恐ろしく、死は恐ろしい。正常であれば誰もが理解する。誰もがそうする。
 それでも足を踏み入れるとしたら、それは須らく正常から外れたモノだと心得よ。
 それは形を問わず、『何か』に狂った者に相違ない。

 光から闇へ。
 夕焼けの街から路地裏へと近づく足音。
 ふらついた千鳥足、周囲に悟られない忍び足、どれとも違う。
 待ち受ける闇を知りながら恐れない、恥なく憚りのない勇み足であった。
 ならば狂い者か。ああそうだろう。それは確かに狂っているのだ。剣に狂い、武に狂い、死に狂ってる。 
 だがしかし、狂えるほどの美しさも備えてるとは、さしもの闇も想像だにしなかったに違いない。

 闇が目を開く。
 蛾の羽根のように、対に連なる六つの珠が来訪者を睨めつける。
 薄明しかない闇にあって、鮮やかな紅と蒼の彩は褪せてはいなかった。
 たとえ虚空と無の彼方に消えようとも眼に残り続けるであろう、烈なる快気がありありと見て取れた。
 狂いしも堕ちる事のない、天元の花を思わせる姿をした女であった。


 来たりし女は、剣士である。
 待ち受ける闇は、鬼である。

 逢魔が時に、鬼と剣士が行き遭った。



 ◆


97 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:41:58 BFCr6g3A0



(───むっ)

 東京の中心地、新宿は繁華街。
 空のうだる熱気と人の猥雑な過密が絡み合う道中で、古手梨花は契約したサーヴァントの唸った声を聞いた。
 武蔵が邂逅し、刃を重ねる物騒な過程を挟んで梨花を引き合わせたサーヴァント・ライダーとの交渉。
 界聖杯からの無血にての脱出。状況を鑑みても分が悪い大博打に自分達も相乗る協力体制がひとまず成って、再合流するまでの幾ばくかの猶予。
 自宅に戻り都会の喧騒から外れて休息に充てるか、新たな進展の欠片を探しがてら散策するか。
 どう使えばいいものか思案している梨花の脳内に差し込んできた声だった。

(どうかしたのですか、セイバー?)
(うん、ちょいと厄介な案件かなこれ。ここで来るかー、というべきか。それともこういう半端な時間帯だから好きにやれるっていうか。
 ああ、立ち止まらないでそのまま歩きながら聞いてね。サーヴァントの反応がありました。実体の眼がないから何ともですが見られてるかもしれない)

 軽口を崩さす常在戦場の侍の口から、何の気なしに、滑るように出てきた物騒な言葉。
 背筋に氷の柱をねじ込まれたような悪寒に、夏の暑さが忘却させられた。
 鬱陶しくまとわりついていた大気が、ナイフの硬質感をもって梨花を刺しに来る錯覚が脳に欺瞞を引き起こす。
 恐るべき指摘に、顔を俯けて前髪で表情を隠せば気取られない程度の動揺しか表に出さなかったのは、繰り返しを積み重ねた年月の賜物だろう。
 そうして止めていた喉を動かし淀んだ空気を肺から吐き出せば、平時の朗らかな表情を張り付かせて調子の乱れなく歩き続けられた。

(向こうは実体化してる。同じ場所から動きはなし。用事の道中ってよりかは、気づいた誰かが寄ってくるのを期待してる感が強し。
 いわゆる立ち辻ってやつね。私もちっちゃい頃は親父殿にやらされてたっけ)

 要は、明白な臨戦態勢。
 多数の主従、陣営が乱れ飛ぶ聖杯戦争。
 23組がひしめき合う舞台に東京が適当な広さなのかなど、土地勘のない梨花には知りようもないが。
 それでもすれ違うように、敵意はやって来る。
 誰が敵か分からない。何処から襲ってくるか分からない。生死の境界が秒後で変わる戦場に自分は身を置いてるのだと、改めて思い知らされる。 

(……おでんのサーヴァントではないのですか? いつもはこの辺りにいるようなことを言ってたのですし)


98 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:42:31 BFCr6g3A0


 口ぶりからして先程のライダーではないのだろう。さもありなん。快く協力を取り付けられた相手に疑心を植え付けるような挙動を見せる利点がない。
 武蔵に曰く、札を幾つか隠し持ってるのを加味しても個人戦闘力に長けたサーヴァントではないライダーが、初手で裏切りの布石を置くなどとは。
 もし仮にするとしても、こんなすぐ武蔵に気取られるような迂闊さ・性急さ。
 直接に見合って言葉を交わして抱いた、粘り強く境界線の交差点を見出す結果に尽くすライダーのイメージとはまるで合致しない。らしくない。
 なので一番に浮かんだ可能性は、ライダーとの交渉前に偶然遭遇した侍、おでんという男のサーヴァントだ。
 昭和の時代に取り残された梨花が言うのでもないが、腰に刀を差すような江戸あたりの時代からそのまま抜き出てきたような風体の傾奇者。武蔵ほど剣狂いではないにせよ喧嘩っ早い性質の持ち主だ。
 おでんに曰く、己のサーヴァントは武蔵以上の剣腕だという。
 武蔵だけでも『凄い強い』とザックリした査定しか出せない梨花にはまったく想像が及ばないが、だとしたらこんな風に殺気を振り撒けたりもするものなのか。

(どうかなー。ああいう御仁って、夜になったらそこが寝床だ! って原っぱで転がる根なし草タイプでしょ。一箇所に留まること自体が億劫な。
 それにあの……腕も気持ちのよさっぷりも一品のおでんさんが太鼓判を押すにしては───これはちょっと不躾過ぎですね)

 『そそる』相手には破顔しながら鯉口で音頭を取る武蔵が言える事でもないのは棚に置いて。
 どれだけの凄まじき強者を目にしても武蔵が『そそられぬ』気分になる時には、幾つかの通例がある。
 空腹時にメシを奪われる事。
 人の矜持、信念を快楽の為に踏み躙る事。
 戦争の過程でなく、理由もなく殺すような一方的な虐殺。
 つまりは外道働きを喜々と為す輩には、武蔵は士としてではなく真に憤怒を表す。
 実体なき姿でも肌に刺さる鋭利さを伴った気配には、旅の途中で偶に目にするそうした手合いと似た種類を感じた。
 確証はない。いうなれば剣士の勘頼りだ。だが戦場においては百の論より生存の手に早く到達する頼みの相棒である。
 そして今梨花はその勘を必要としてる場面にいる。否定する材料は、どこにもなかった。

(こっちに気づいてるかもと言ったけど、確率としては半々ぐらい。このまま知らぬ存ぜぬを決め込めば逃げられると思うけど───どうする?)
 
 選択を促される。
 退くか、進むのか。
 マスターを戴くサーヴァントであればごく自然な対応。なのにどこか見逃せない違和感がある。


99 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:43:58 BFCr6g3A0


(どうする? ……って、ボクが決めていいのですか?)
(ん? そりゃあそうでしょ。気持ちはどうあれ契約で結ばれてる以上はしっかりとサーヴァントの務めを果たしますとも。今までそうだったでしょ?)
(あははー。そうでした。セイバーはボクが何か言う前に強そうな剣士さんに所構わず喧嘩を売っちゃうサーヴァントさんなのでした。にぱー)
(…………………………………………あー)
(にぱー)
(あー、あー、あー……うん、そうですね。そうでしたそうでした。イヤホントゴメンナサイ)

 姿勢を落として地面にちょこんと正座した武蔵が幻視される。こんなとこで奇蹟の無駄遣いをしないで欲しい。

 独りで行かせては腕試しとはいえ刃を交わせ、連れていても腕に覚えがある剣客を見つけては柄を上げる。
 人好きのする笑顔を振り撒いておいて、実際は自分でも認める人斬り包丁だ。
 強さも人柄もとうに信頼を置いているが、振り回されてるなと。本戦から一日と経たない内に梨花は自覚していた。

 サーヴァントを一種の兵器、自動機械として計るドライな視点で見るなら。
 今の梨花は振るった刀の重量と勢いを殺し切れず腕の筋を痛め、銃を撃った反動で持ち上がった撃鉄で鼻の骨を折るかもしれない有様だ。
 どんなに強力な武器でも使えなければただのお荷物。
 自分に何か足りないものがあるのか。マスターの資質? 魔力の保有量? 戦闘の心構えと戦う術?
 そうではない。そうではないのだ。
 きっと、この刀を取るに足る理由は、そういうものとは違う。
 彼女はもう、その答えを言っている。だから梨花も聞き出そうとはしない。
 この場で紡ぐ言葉で、意志で、形を示せばいい。
 
(じゃあちょっと言い方を変えます。
 ボクがこのままそのこわいこわいサーヴァントさんを見逃したら、セイバーはどうなると思っていますか?)

 選択の是非ではなく、その結果を問う。 
 戦いを回避し、大人しく逃げ帰って去った新宿で、剣士は何が起こるか見ているのか。
 武蔵は驚いた風もなく、ご明答とばかりに破顔した、ような気がした。

(梨花ちゃんの見立て通り。このサーヴァントはこれまでと違って会ったら仲よくお茶を飲める機会なんてないでしょう。
 この土地では極めてまっとうな、聖杯を刃をもって至らんという武闘派。
 だからいよいよ誰も誘いに乗って来ないとなって痺れを切らしたら───手当たり次第にって線も有り得るわね。
 例えばこの付近に居て、所用が立て込んでてすぐに離れられないかもしれないサーヴァントのところに)
(ライダー達を狙う、ですか)

 別れたばかりの、見た目は幼い少女でしかない梨花に対して、侮る事も慮る事もなく真摯に、対等な相手として扱った青年の英霊を思い返す。  
 その相手が、ほんの少し離れてる間に凶刃にかかるかもしれない。傍らにいた少女諸共に。

 焦る必要はない。疑心は浅慮の温床になる。
 何も襲撃されると決まったわけでもない。
 考えなくてはいけないのは、自分達次第でそれが実現に向かう可能性があること。
 周囲で起こり得る問題に即応できるものがいなければ、確率は高まる事だけ。

(なら、どうする? どうするの、梨花)

 ライダーとの同盟関係はただ敵勢力を打倒しながら出し抜く機会を伺う、期限付きの共同戦線とは違う。
 彼の宝具による界聖杯への介入、ただ一人のみしか生き残れない非情のルールを編集する奇跡を信じてのものだ。
 成功はおろか、発動できるかも怪しい。そんな危険な賭けにベットしたのは、ひとえに『そうしない』自分になりたくはなかったから。
 それはきっと出来てしまう。でもしたいとも、するべきだとも思いたくないから。

(そうよ。違うでしょう。私は何をしたいの。何を選ぶと誓ったの)
 
 疑うのはすごく簡単で、信じるのはとても難しい。
 いともたやすく惨劇は起こる。百年もの間、飽きもせず延々と。
 梨花は再び繰り返しに因われた。業の宴の中に放り込まれた。
 そして聖杯戦争という新たな惨劇。今度はもう戻れないかもしれないという恐怖は拭えない。
 それでも。そうそれでも──────。


100 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:45:30 BFCr6g3A0



(セイバー。マスターとしてお願いするのです。
 そのサーヴァントさん、ここから追い払っちゃってください) 


 いつか、魔法を見た。
 呪われた運命を解き放つ、奇跡のような魔法がかけられた。 
 けれど。魔法が授けるのは機会だけ。未来に続く未知の答えは自分の手で探し求めていた。
 何もしないまま、ただ待っていただけで何もかも救われる、そんな魔法はただの一度だってなかった。
 
 だから梨花は選ぶ。殺す為ではなく、生きる為の戦いを。 
 血を流さなければ帰れないと憂いた道に見えた希望の灯は絶やさせはしない。縋り付くのではなく、固い意志によって。
 それは武蔵という刃を離さず強く握りしめる力となる理由。
 指針を示せず、向ける先が定まらずに持て余していたサーヴァントへの、梨花の最初の命だった。

(……芯の入った、気持ちのいい言葉です。応とも。それならばこの剣を振るうのに不足なし。
 ならば後は任せなさい。あなたの見せた意志に見合う剣としての働きをご覧に入れてみせましょう!)

 快なり、おお快なりとと請け負う声。
 ……武蔵は一度も語ることはなく、梨花もまたわざわざ掘り起こす真似はしてこなかったが。
 彼女が唯一のマスターと仰ぐ人間は、主従としてではなく、友人のように隣り合って進むような人だったのではないかと思う。
 共に並び、共に進み、共に傷つき、共に笑う。どんな人でなしでも思わず剣を預けたくなってしまうような、眩い善性を持った子に。
 不思議と、名も顔も知らない前任者の輪郭が、梨花のかけがえのない仲間達の影と重なる様が幻視された。  

(あ、あくまで追い払うまでですからね。戦わずに済むならそれが一番。無闇に深追いなんてしちゃ駄目なのです。
 もし帰ってこないようでしたら、もう今日は頭なでなでさせてあげないですよー)
(そんな殺生な! 分かりましたさくっと切り上げてきますねだからお風呂に入るのは待っててね!!)

 うおお待ってろシャンプーで泡だらけになった長髪ー! と奇声を上げながら移動する。
 気配が遠ざかっていくのを感じると同時に、肩に張っていた力が抜けた。
 後悔はない。僅かな昂揚すらもある。きっと自分は最善を選んだ、正しい道に進んだと信じられる。
 武蔵が吉報を持って無事に帰ってくるのを祈って待っていればいい。となると。
 
(結局、振り出しに戻ったわね……私はどうすればいいのよ)

 直接的な支援が行えるわけもない梨花が一緒に戦闘に参加するわけにいかないのは道理だ。 
 サーヴァントへの魔力供給は非我の距離が遠ざかるほど減衰すると武蔵は言っていた。
 今回は小手調べ腕試しとは一線を画する、本気の戦いだ。一人だけで家に帰るルートは削除された。

(暑いわね……)

 東京に来て何度漏らしたかも分からない所感。
 暑さだけならまだどうにもなるが、この数がいけない。この街の人口密度の濃さにはいつも圧倒される。
 新宿に集まってる人だけでも、雛見沢の総人口を越えかねないのではないか。
 百年の知識も経験も、その殆どはあの村の中で培われた分だけでしかない。御三家の一角、オヤシロ様の化身も蓋を開けば狭い世界で生きてきた小娘だ。
 世界は思ってる以上に広くて、多くのものがあって、その数だけ自分が成長できる機会に溢れてる。
 運命を打ち破ってくれた彼らの持つそれぞれの強さ。憧れを憧れだけで終わらせない、自分もそうなれるのだと言われたみたいで、胸が高鳴ったのを覚えてる。
 まあ……かといって、未来への展望とこの暑さはまったくもって関係ないのだが。

(ていうかほんとに暑いわねこれ……まずいわ、ちょっと休もうかしら)

 頭がふらつき、足元が覚束ない。慣れない冷房がガンガン効いたホテルで話したのがまずかったのか。
 根が深いものではない。少し休めば落ち着く軽度の貧血だ。
 世田谷から電車を乗り継いで新宿への道程でこの有様。不養生をした覚えはないが、


101 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:46:04 BFCr6g3A0
  
 目を指で押さえ立ち止まる梨花に、すれ違う人は素通りして行く。
 横目で見やる様子は親を連れてない子供を心配する素振りであるものの、声をかける事のリスクの方が手を出すのと憚らせた。
 ベンチにでも腰掛けていればすぐ楽になるだろう。そうして雑踏から抜け出そうとのろのろと足を動かすが、早足で過ぎ去るスーツのビジネスマンと肩が掠れるぐらいに接触して膝がくず折れてしまう。
 薄情だと白眼視はしない。自分の立場を考えれば余計な世話をかけて近づいたりしないのはありがたいぐらいだ。
 惨劇はいつだとて唐突だ。そうなるだけの背景があっても、当事者が知っているとは限らない。
 本格的に界聖杯の脱出に乗り出すとなれば、どうしたって危険がついて回る。それが今でないとどうして言えよう。
 もう少し暗がりが増せば、流石に怪しんだ警察なりが保護に動くだろう。だがそんな頃にはとっくに体調は復帰して帰ってる。つまり意味がない。



「あの……大丈夫……?」
 
 伏した顔と同じ位置から、誰かの声がかけられた。
 こちらを気遣うのが伝わってくる、心から優しい言葉。
 顔を上げれば地平に消えかける太陽。そして光を背負い朱に染まる───白い服。白い髪。白い肌。
 梨花のいる場所だけ夜に落ちたと錯覚させる、月を思わせる幽き白女。

「ケガをしたの……? それとも、脱水症状かな……お水はちゃんと飲んだ……?」

 手首や額に触れ、てきぱきと症状を診る手には包帯。額や腕にも白い帯が巻かれ、自分の方を心配しなさいと言いたくなる痛々しい格好。
 梨花は知っている。雑誌で読んだインタビューでこうして体のどこかに包帯を巻くのが日頃のルーティーンなのだと。
 梨花に提案を申し込んだ凛々しい彼女と在籍を同じとする、一緒にユニットとして活動するメンバーの一人だと。
 というか後ろのビルにかけられた大看板に描かれた写真の5人組と瓜二つ、いやそのものであり。

「幽谷……霧子?」 

「え……? ふふっ……知ってくれてるんだ……ありがと……」

 自分のファンだと思ったのか、名を呼ばれて嬉しそうに微笑む。
 まだ目が回る梨花はそれどころじゃなく、霧子に手を引かれるまま介抱を受けるしかない。
 
「あら、霧子ちゃん? その子……」
「あ、あの……そこでふらついてて、少し辛そうにしていたので……」
「そう……救急車呼ぶ? なんなら皮下先生のとこまで直行って手もあるけど」
「いえ……そこまでしてもらわなくても……。熱もないし、ちょっと休ませてあげたくて……ごめんなさい……」
「いいわよ。海岸から帰ってきたばかりだし休憩には丁度いいでしょ」

 いつの間にか、霧子と対照的に全身を黒い服で包んだ、美しい長髪の妙齢の女性が傍に立っていた。
 引率にも姉妹にも見える女は、項垂れる梨花の様子を窺って、薄く、唇を綻ばせた。



 ◆


102 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:47:34 BFCr6g3A0



 ───繁華街の路地裏で、二つの影が対峙する。
 剣士の影。鬼の影。英霊の影。
 人理より投射された絵に過ぎぬとしても、存在感の重さは些かも希釈されない。  

 剣士は花である。
 編纂された汎用の歴史から弾かれて剪定され落ちた茎。しかして枯らす事なく風に流されるまま数多の世界を渡り歩き、武辺者すら見惚れさせた天元の花。
 新免武蔵守藤原玄信。纏めて宮本武蔵。

 鬼は月である。
 夜にのみ現れる朧。人を喰らいし怪異。彼方にて鈍く放たれる光輪は四百の間死の象徴を齎してきた、鬼を狩る剣士すら震え上がらせる月の天辺。
 上弦の壱・黒死牟。かつての亡き名を継国巌勝。

「来たか……待ちかねたぞ……」

 三対の凶眼を開く黒死牟。
 明らかな異形であるが、全身から溢れ出す重厚な様は悍ましさよりも威厳が勝っている。

「えぇ。来ましたとも。あれだけ剣呑な殺気を当てられちゃね。おちおちごはんも食べられません。
 私が言えることじゃないけどさ、ここでそれやるの、危なっかしいからやめといたほうがいいわよ?」

 一方の武蔵はのらりくらりと、圧に呑まれる筈もなく落ち着き払っている。
 己に向けられる、今にも斬り裂かんとする全霊の殺意を涼風と受け止めてこそ剣士。粟立つ肌も、昂ぶる鼓動も肴にして楽しむもの。
 常時気を孕むのは息苦しいが、こうも明け透け浴びせられるとどうにも懐かしく感じてしまう。虚空に至り無を斬ったとて血の烟りは晴れないと見える。

「異な事を……我等は共に願望の成就がため剣を交わすのみ……。
 所詮は仮初の虚構……芥と変わらぬ無価値…………厭う理由が何処にある……」

 来る前から分かっていた事だが、やはりこの男は聖杯戦争に意欲的である。それも騙し討ち上等の陰険派でなくガチガチの武闘派の。
 まああのライダーみたく非戦かつ穏健の脱走プランをしたためるなんてのは希少も希少なのだろうが。武蔵とて双方どちらが向くかといえば断然勝ち抜き側だ。 
 そう。予選で組めず仕舞いだった知己の船長から始まって、件のライダー、そして光月おでんと、好戦的でない主従と出会い続けてきた武蔵達にとって。
 抜き身の殺気を放ち、戦い以外の道はないと突きつけてくる『正統派』のサーヴァントとの邂逅は、これが初めてなのだ。
 誰も傷つけずに生還など甘い幻想は知らぬ。通じぬ。是こそが本懐、聖杯戦争の在るべき形態だと。

「そうですね。その通り。貴方が言う事はとてつもなく正しい。ぶっちゃけケチのつけようがありません。
 ようは斬って斬られるか。それ以外は眼中になし。それが聖杯戦争のルール……いや、そもそも殺し合いなんてみんなそんなもんか」

 黒死牟は正しい。
 彼は聖杯戦争の定めに何の違反もなく乗っている。
 どう色をつけようが誤魔化そうが、戦いはどこまでいっても血生臭いもの。
 国同士の争いならお互い妥協点を見出してほどほどに治められるが、個による試合は一度始まってしまえばどちらかの首が落ちるまで終わらない。
 切実な願いがない、ただ巻き込まれてしまっただけの民草であっても、戦場では何の名分にもならない。与し易い餌だと喜々として喰いつかれるだろう。
 まして元締めがそのあたりの保護法をまるで定めてない以上、あるのはひたすらに一方的な略奪のみだ。
 強いものが勝ち、殺せる奴が生き残る。そんなルールともいえない原始の闘争が聖杯戦争というものだ。
 あくまでその法に則る剣士たる武蔵に、これを否定する術はない。

「そこまで理解していながら……何故否定する……」
「そりゃあ、極めて個人的に気に食わないからよ。会う人みんなの首すっ飛ばしてたら、誰が美味しいごはん作ってくれるっての。
 この世界のおそば、もう食べた? あんな素晴らしい店屋物を消すなんて、界聖杯が許しても私が許しません!」


103 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:48:14 BFCr6g3A0

 それを 消すなんて とんでもない! 
 恐るべき事に、本音(マジ)である。

「それにそんな狼藉、私の主(マスター)も決して許したりはしないでしょうし。
 なのであなたはここで止めます。斬るか改心させるかは……まあ、その時になったら考えるけど」

 照れを隠すように付け加えつつも、これも本心。
 剣の修羅道、等活地獄も承知の上、大いに結構。究めたければ行くが宜しい。自分が至った限りは咎める法はないだろう。だが私が許すかな。
 正義は語れないが、非人間なりに正義感は持ってるのだ。そのなけなしの正義が胸の裡を衝き動かす。
 正義を語れないのだから、ガキ大将めいた理屈で迷惑に黙らせてもらう。
 正義を語れずとも───信じた誰かの正義の力になってやる事は、出来るのだ。

「そう言う割には……柄の指から禍福が漏れ出ているようだが……。
 そも……私が此処に陣取ったのも……朝方にあった戦いの残滓を追ったが故……。
 その場を直に見てこそいないが……片方は貴様であろう……」
「げ」

 武蔵、まさかの藪蛇。
 まさか見逃していれば本当にライダーが狙われていたかもしれないとは。しかもそれを招いたのが他あらん自分の剣だとなれば、流石の武蔵も顔が青くなる。
 鬼の生態、日光に炙られる体質がなければホテルに殴り込まれていたかもしれなかったのは、武蔵の預かり知らぬ幸運だった。

「取り繕うな……そのような小理屈なぞではなく……語りたくば剣を取れ……。よもや今更になって逃げるとは……言うまいな……」 
「……」

 冷や汗が流れる。ニアミスの件、梨花やライダーにどう説明したものかしらという懊悩が背筋を垂れる。
 これやっぱ怒られるかな? でももう済んでしまった事だしいくら悩んでも時は戻らないっていうか。
 ならもう、いいのでは? ライダー自体には気づかれてないし、ここで精算してしまえば後腐れなく終わってくれるのでは?
  
「よーし、いいでしょう! 私が蒔いた種です、後始末も引き受けるのが筋ってもの! その凶刃、我が剣を恐れぬものならかかってきなさい!」

 大見得を切って、二刀を手に取り気を貼り直す。開き直りともいえる。
 さんざ台無しになりながらもすぐ気持ちを切り替えられるのが武蔵の強みである。

 黒死牟も無駄な追求をせず構えを取る。
 それだけで、武蔵はこの剣士の格好が虚仮威しでないと確信した。
 腰を落とし、足の位置を組み換え、柄に指を這わせる。所作の一つ一つに無駄がなく、体の動きを活かす意味がある。
 肉体を鍛える武道が、呼吸と同一の生態に身に付くまで鍛錬を重ねた事がすぐに分かった。
 息遣い、肺の動かし方にすら意識が行き渡った運動をしている。生まれつきならともかく、肺機能まで操れるとはいったいどんな修行法なのか。
 そこに至るまでの意志、至れるだけの才に惚れ惚れする。元は丹精な顔立ちだろうし、人であった頃に出会っていたなら一席設けたかったぐらいだ。
 ……それが叶わない事は、素直に悲しい。武蔵が会いたいと思った剣士はもう此処にはいないのだ。 
 人でないなら剣士でなしとまで言わないが、相対した鬼はあまりに血の臭いが濃すぎる。ただ膨大に斬り捨てただけでは染み付きようのない濃度だ。
 ああ、喰らってしまったのか。そう認識するのに時間はかからなかった。
 そうしなくては生きていけないのか、必要がないのにそうせずにはいられないのか。どちらにしても外道の誹りは免れまい。

 ふと、生前(むかし)の記憶を回顧する。
 武蔵が武蔵として英霊に成るより前の事。異聞平行世界の下総国にて零の境地に辿り着いた旅路にて討った、七の悪鬼。
 魂を穢し、骸を弄んだ生き絡繰にされたいと高き英霊達の顔が、目の前の士と被った。


104 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:49:17 BFCr6g3A0


「……ねぇ。始める前にちょっといい? ここでの召喚か、もしくは生前の頃でもいいんだけど。
 2メートルぐらいの背丈で、ワラビみたいな髪の毛して、胡散臭くて、顔も声もやたらに良いけど台無しにするくらい性格最悪で、如何にも拙僧こそ外道ですな顔マシマシのクソ坊主に会ったこと、ない?」
「…………」
「ああ、いいのいいの。知らないなら忘れて。そうよね。あんな際物が世に二人といてたまるもんですかっての」

 はたと立ち止まり、不可解に顔を顰める黒死牟の顔を見て杞憂だと安堵する。
 もしあの怪僧がここでも外道働きに精を出してるとしたら、いよいよ武蔵の憤怒は爆発しかねない。それならそれで年貢の納め時と叩きつけてしまえばいいのだが。
 

 先程のお転婆な喚きは何処へやら、抜刀した武蔵の表情が引き締まる。
 快活な笑みが消えたといっても美貌は損なわれたりはしない。むしろ精悍さが増す事で剣士の顔つきに中性的な美丈夫ぶりが顔を出し、花にまた新らしい魅力を引き出してすらいる。
 だがその顔を真正面から受け止めてなお顔の良さの感想を抱けるのは、山を切り崩す豪傑程の磊落さがなければ無理だろう。
 それに満たぬ剣士なら、顔から下にある腕に握られた凶器が自分の素っ首を落とす想像ばかり溢れ出て怖気走るに違いない。
 斬ると決めたならどんな手段を経由してでもそこを斬ると定める、武蔵の天眼。相手は斬られる部位が理解できても防げるという気がしない。
 時間空間をねじ伏せる一刀に対する黒死牟の顔は───笑っていた。麗しさに依らない武蔵の強さの根源を見透かし昂揚していた。
    
「名乗りはいるかしら? 生憎真名は語れないけど、クラス名ぐらいは明かす?」
「不要……その出で立ちを見れば……自ずと知れよう……」

 衝突する剣気は可視化されるほど分かりやすいものではなく、だが間違いなく空間に変異を呼び起こしていた。
 生物の寄り付く事のない異界。人の心象が形作る、隔絶の魔境。
 空を見通せぬ天上には、今にも落ちてきそうな血の滴るが如き赤い月が昇って、この試合を観覧しているかのような。

 武蔵の懸念は正しい。
 確かに黒死牟というサーヴァントはキャスター・リンボの手による異形には非ず。彼の嘲弄の指先一つも及んではいない。
 だが触れていれば。一切鏖殺の宿業背負う悪鬼を生み出す秘術に人であった頃の彼がかかっていれば。
 恐らくはこうなっていたであろうと言えるほど、鬼の性質は似通っていた。
 心臓を貫かれても死なず。首を刎ねても死なず。死する条件はただ一つ。
 英霊剣豪。始祖が人を糧に生み出す生み出す鬼と、背負う業は等しく同じだった。

 ああ、ならば。
 この口上が述べられる事に、一切の矛盾はない。
 ルチフェロなりしサタンの名は遠くとも、屍山血河の死合舞台は顕現せり。
 血華咲き誇る極地を形作るのに妖術師の手などいらぬ。ただ剣士二人がいれば事足れり。
  


 いざ───

 いざ───

 いざ覚悟めされよ新免武蔵!
 


「いざ、尋常に───」



「───勝負!!」

 ◆


105 : 宿業 ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:50:10 BFCr6g3A0


【新宿区・路地裏/一日目・夕方】

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:健康、苛立ち(大)
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:強き敵と戦い、より強き力を。
0:いざ尋常に───
1:夜が更けるまでは待機。その間は娘に自由にさせればいい。
2:皮下医院、及び皮下をサーヴァントの拠点ないしマスター候補と推測。田中摩美々、七草にちか(弓)はほぼ確信。
3:上弦の鬼がいる可能性。もし無惨様であったなら……
4:あの娘………………………………………
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。


【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴が見たら鯉口チャキチャキ
0:───勝負!!
1:梨花の命を果たす。おっかない鬼には退散してもらいましょうか。
2:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
3:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
4:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」



【新宿区・/一日目・夕方】

【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:軽度の貧血(少時間で回復)
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:セイバーの帰りを此処で待つ。
1:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
2:ライダー達と組む。
3:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
4:彼女のいた事務所に足を運んで見ようかしら…話せる事なんて無いけど。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。

【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま
[令呪]:残り三画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人の思いと、まだ生きている人の願いに向き合いながら、生き残る。
0:咲耶さんが遺してくれたものを探すため、もう少しだけ海を見ていたい。その後は……………………
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※皮下の部下であるハクジャと共に行動しています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※摩美々たちの元へ向かうのか、皮下医院に戻るのか、それとも別の場所を目指すのかは後続の書き手さんにお任せします。


106 : ◆HOMU.DM5Ns :2021/10/24(日) 20:51:14 BFCr6g3A0
投下を終了します。


107 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/10/24(日) 23:00:52 god6tNcc0
ガムテ&ライダー(シャーロット・リンリン)
北条沙都子&アルターエゴ(芦屋道満)
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
NPCで竜宮レナ

予約します。延長もしておきます


108 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:41:15 bHYlYEvA0
投下します


109 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:41:58 bHYlYEvA0
服を着た猿が、猫背で画面見て火をつける。
笑い話さ。私もその一人だ。



283プロダクションのアイドル達は、個人的に連絡先を交換し合う以外にも283プロ全体でメッセージアプリのグループ登録を行っている。
そこに、いきなりの事務所休業という非常事態に、現状で確定している最後の仕事が櫻木真乃の他プロダクション合同ライブという状態。
渦中の櫻木真乃がそこに定期的に書き込んだのは、皆を励ますための抱負のように見える言葉だった。

『事務所のことは本当に残念だったけど、せめて283プロのアイドルはとっても輝いてるって、届けられるライブにしたいです』

明日のライブがんばります……とあまり長文にならないよう書き込み、そこにP.Sを付けた。
純粋なメッセージだと思っている何も知らない仲間たちには申し訳ないが、実のところ追伸が本文だ。

『この間のお仕事で撮った写真も、そのうち事務所の皆で共有しますね』

その、たった一言を付け加えて送信。

いくら聖杯戦争のマスター同士で定期的に連絡を取り合うといったところで、真乃と摩美々はなにも『事務所では一番仲が良い』という密度の関係ではない。
むしろ、283プロは全体としては仲が良くとも、日常においてはユニットメンバー単位で行動することが多い間柄だ。
『イルミネーションスターズ』と『アンティーカ』というユニットを超えた二人が、ユニットメンバー同士が話し合うよりも濃い密度で通話やメッセージの応酬を交わしていれば、どちらかが悪意ある者にスマートフォンを盗み見られたとして不自然に思われる。
通話や発言の履歴を双方で削除したりといった対応を図るようにも摩美々から注意されたけれど、それ以上のアドバイスとして。
そもそも、メッセージをやり取りしていることが傍目に見て分からなければいい。

何も追伸に付け加えることがなければ『異常なし』。
例えば『渋谷区のどこそこでファンの子に挨拶されました』と書きこめば『渋谷区のそのあたりで襲撃されています』。
例えば『写真を共有します』と書きこめば『個別のメッセージを送りたいけどいいですか』。
例えば『〇〇について事務所の誰かに聞くかもしれません』と書きこめば『今すぐ通話してもいいですか』。
これで、高頻度で個別の通話をしなくとも無事の報告ができる。
そして基本的に、『今回ばかりは口で言わないとだめだ』というレベルの緊急時でなければ直接の通話には踏み切らない。
今回は283のメンバーが襲われたという非常時なので通話をしたかったけれど、あいにくとバスに乗っている最中の連絡なのでトークルームでのメッセージのやり取りを選択した。

一方で全体のトークルームには、襲われた被害者の一人である有栖川夏葉の書き込みもあった。
もっとも、その内容は『事務所が浮足だってマスコミもいるようだし、近ごろは物騒だから今はとにかく外出は避けましょう』という、無難な注意書きに留まるものだ。
これだけではとても小宮果穂の誘拐未遂までが起こったとは伝わらない。
しかし、書けない事情があっての判断であることは、夏葉や三峰たちの『頼れるお姉さん』ぶりを知っている真乃にとっては疑うべくもないことだった。
おそらく、身内同士の会話とはいえ救い主である光月おでんを語ることによるプライバシーの侵害(人間離れした身体能力をふれ回ることになりかねないし、彼自身も指名手配の少年を探すなど明らかに『訳アリ』に当たる人間のようだった)の問題。
さらに、いきなり攫われようとしたこと以外に何も分からないという不透明性、小宮果穂という誰もが愛する283の最年少アイドルが狙われたというショッキング性、なによりも起こったことの非現実性(不審者が穴を掘って逃げたってどういうこと?)を考えれば、チェインでありのままを伝えたところでアイドル達のパニックを呼ぶ以外の結果にはならなかっただろう。
三峰と夏葉も相当に言葉を選んで『これ以上のことは書けない』と判断したことが、裏側の事情を知っている真乃には文面から察せられた。


110 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:42:48 bHYlYEvA0
そして、283プロダクションのアイドルたちは基本的に付き合いやノリの良い子が多い。
真乃が送ったメッセージにも、ほどなくして応援のメッセージが次々に並ぶようになった。

『お心遣い、ありがたきこと』
『笑顔をいっぱい届けてきてね』
『おー、まかせたー』
『苺プロの人達も出るやつだよね? 写真撮ったら共有よろしくー』
などなど。

色々な返信が並べば、誰かが真乃と個別のやり取りをしているようには見えない。
そこに紛れるようにして、反応を求めていた摩美々のメッセージが並んだ。

『ふぁいとー』

レスポンスがあれば、向こうも遣り取りをする余裕はあるということ。
個別のトークルームに未読メッセージを貯め込んで痕跡を残さないためにも、『相手も対応できるかの確認』というワンクッションは必要だ。
ほっと一息ついて、個人宛てのトークルームに画面を映す。
なるべく簡潔に、そして襲われた子たちが無事だったことだけは絶対に第一報で伝えるように気を付けて、報告のメッセージを練った。

『今日の午後、果穂ちゃんと夏葉さん、三峰さんが不審者に誘拐されそうになったという話を聞きました。
三人ともちゃんと無事だったそうなので、安心してください』

すぐに『既読』が付き、メッセージ送信中のふきだしが点灯し、考えるまでもなく打ったという速さでレスポンスが来る。

『どういうこと?』

真乃の方もバスの揺れに指を邪魔されながらも、変換にかかる時間ももどかしいほどに急いで、スマホで文字を起こしていく。

『腕をドリルみたいに変身させられる、人間離れした大男だったそうです。
三人いっしょにいる時に、果穂ちゃんと夏葉さんを捕まえて、どこかに連れていこうとして。
『義侠の風来坊』でうわさになってる、光月おでんさんがたまたま通りかかって、剣術で二人の事を助けてくれました』

と、そこまでを送信したところで、真乃は気付く。
気付いてしまった。
この話は、全て恩人の光月おでんさん、当人から聴いたものだ。
しかし……その光月おでんと、どのように出会って、活躍譚を聴くことになったのか、どうやって説明する?
正確に言えば、『神戸あさひについて触れないようにしながら』説明するには、どうしたらいい?

『ひかるちゃん……『たまたまおでんさんに会って話しこみました』って書いても、やっぱり変だよね』
『うーん、おでんさんの恰好がきらやば〜だったから、サインを欲しがりました、とか……』
『ほわっ……でも私、お仕事以外で人に話しかけるの、あんまり得意じゃないよ……』


111 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:43:31 bHYlYEvA0
念話で相談をしている間に、摩美々の方は返事を送ってきた。

『三人とも怪我は無かったんだね?
義侠の、って商店街の紹介番組でも言われてた人だよね。
真乃はどこからそれを聞いたの?』

『手当てが必要な怪我は無かったそうです』とまで打ち込み、その先が答えられなくなる。
神戸あさひのことを抜きにして光月おでんと出会って、詳しい話をするまで持ち込めた言い訳を、どうにか作れたとしても。
きっと、その後に摩美々とアサシンは『そんな頼もしいマスターがいるのならぜひ会ってみたい』と言いたくなる。
ましておでんが助けた三人の中には、摩美々の大切なユニットメンバーもいるのだから恩人としての期待も大きくなって当然だ。
しかし、現在の光月おでんを探して会いたがるということは。
そのまま、おでんたちと一緒にいる神戸あさひと遭遇してしまうことを意味する。

『どうしよう……あさひ君のことを黙ってたら、おでんさんと協力できなくなっちゃうよね?
黙ってる約束だけど……アヴェンジャーさんに連絡して、許可を取るのはダメかな?
摩美々ちゃんは、聖杯を欲しがってるあさひ君に会ったら怒っちゃうかもしれないけど、それは、おでんさんに取りなしてもらえたら……』
『私は摩美々さんのことは、真乃さんほど詳しくないですけど……でも』

考えながら念話を発しているのか、ひかるの言葉はいつもよりゆっくりと届いた。
やがてそれは、いつになく実体験をともなった迫真で、きっぱりと。

『アサシンさんがあさひさんのことを知ったら、もしかすると、敵同士になっちゃうかもと思うんです。
アサシンさんはいい人だったと思うけど、それでも大人で、自分のマスターを守るのが仕事だから』

星奈ひかるが、サーヴァントになる前の体験として思い出したのは、キュアセレーネこと香久矢まどかの父親、香久矢局長が率いる内閣府の捜査局から宇宙人であるララやプルンス、フワたちをかくまっていた時期のことだ。
プリキュアの仲間であり守るべき友達だったとしても、国家機関の仕事をする大人達にとっては、地球にトラブルを持ち込んだ宇宙人であり、政府の管理下におくべき未確認生命体だ。
それは友達を守りたいというひかるたちの願いとは別個にある、大人達にとっての正義であることも理解した上で、ひかる達は守るべき友人のことを秘密にするという抵抗をした。
それがあったからこそ、ひかるは『大人のサーヴァントであるアサシンは、必ずしも自分達のように神戸あさひに接しないのではないか』という予想を、アサシンの人柄への信用とは別問題として視野に入れてしまえていた。
神戸あさひに好意的だった光月おでんもまた大人ではあったのだが、それはそれとして。

『私は、秘密にするのも一つの守り方だって思います』
『そっか……』


112 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:43:57 bHYlYEvA0
年下の女の子だと思っていたサーヴァントの、子ども目線ではあれど大人びた見解が、真乃にとっては意外であり、説得力を伴って聞こえた。
やっぱり、『あさひ達と出会ったことを誰にも言わない』という当初からの約束ごとは守ろう。
改めてそう決めたけれど、それならどう答えればいいんだろうという当初の疑問に立ち戻ってしまう。
すると、摩美々から反応の遅さに焦れたのか、さらにメッセージが届いた。

『もしかして、三峰から聴いた? まみみも今、同じ話を聴いたんだけど』

それは事実とは違っていたけれど、タイミングのいい質問だった。

『うん、そうなんです。それで、マスターさんかサーヴァントが襲ってきたなら、また283が事務所ごと狙われてるのかもと思って』

光月おでんから聴いたのではなく、襲われた側である三峰たちから聴いたことにすれば。
おでんとあさひに会ったことには触れずに襲撃のことを相談できる。

『報告ありがと。ちょっと待って。相談する』

そしてアサシンのサーヴァントにスマートフォンを見せているのか、あるいは念話を送っているのか、しばらく時間がたつ。

『相談終わった。こっちの結論だけど』

改行を挟んで、そこに書かれていたのは。



『今すぐ家に帰って、早めに就寝して明日のライブに備えましょう』



とても平和的な注意書き。
アイドルの皆を守るために、何とかしようと相談をする時なんじゃ、と。
困惑してそう返事を打つ前に、さらに追加の言葉が来た。

『真面目な話』

と一言が置かれてから。

『いくら協力者がいても、283のアイドルや関係者全員にボディーガードを付けるなんて多すぎて無理。
そうなると、皆を守るよりも、襲った奴の正体を突き止めて根っこから解決するしかないんだって』

『だって』が付くということは、おおむねアサシンの意見でもあるらしい。

『三峰たちを襲った連中の居場所を突き止めないと、どうしよーもないってこと。
それを調べるのはこっちと、こっちの知り合いでやる。
今、真乃が外に出ちゃうと、明日のイベントにも響きかねないし、補導されかねないし。
危険なことして、イベントを辞退することになったらまた炎上ネタが増えちゃうから』


113 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:44:34 bHYlYEvA0
補導されかねないというのは、ひかるの外見年齢を含めての発言なのだろう。
犯人を突き止めないとという言葉から、思いついたことをとっさに書き込んでいた。

『昼間、事務所に来た人達の仲間の人だったりしませんか?』

事務所をあれだけ荒らすほど怒って帰ったのなら、その矛先としてアイドルに手を出したのかもしれない。
それに対する返事待ちの時間で気を落ち着かせるために車窓を眺めてみたけれど、スマートフォンばかり見ている間に景色はぐっと黄昏時の色に翳りはじめていた。

『違うっぽい。アイドルに手を出すと他の主従にも特定されるって話をして帰らせたところだからって。
他にも手口に脈絡が無いとか、色々言ってる』

『言ってる』ということは現在進行形で会話か念話の真っ最中なんだな、と少しだけほっこりする。

でも、それだと283プロは今、少なくとも2組以上の主従から目を付けられてるということにならないだろうか。
283プロやこれから帰り着く自宅を、怪しい人が何人も見張っているところを想像してしまって怖くなった。
どんどん追い込まれていくような、じくじくとした不安に胸をおさえる。
たしかに、今夜の真乃がじっとしているしかないという文面は、読んでみるとその通りだという風に感じられる。
けれど、他の協力してくれる人達に任せきりにして、真乃やひかるはただ休んでいることしかできないなんて。
あまりにもどかしく、がんばっている皆に申し訳が無い。
真乃が逡巡していると、やや遅れて摩美々からの更なる言葉が届いた。

『もし、真乃がそれでも心配なら、まみみからの『ていあーん!』だけど』

今日おでんさんに助けられたうちの一人が口にする、ごく軽いノリの『ていあーん!』を真似するような書き方をして。

『今夜は『お泊り会』ってことで都心に住んでる仲の良い子達を呼んで、真乃の家に泊まってもらうのはー?
例えばイルミネの二人とか……メンバーの家に泊まるならたぶん『不用意な外出』ってことにはならないし、真乃が呼べる範囲の子達の安全は守れるよ』
『そうですね! 二人にチェインを送ってみます』

お泊り会にかこつけて守る。
それはとても素敵な試みのように思われて、つい即レスを返していた。
ここ最近、ずっと会えていなかった灯織とめぐるのことを持ち出されて、こんな時でも懐かしさと恋しさが湧き出してしまう。

『じゃあそっちは任せたー。ライブを無事に終わらせることも火消しの一環になるんだから、くれぐれもよろしくね』

後半は圧をかけているようで、その実『真乃にもやれることがある』という励ましのつもりなのだろう。
摩美々ちゃんはそういうことする、というほど理解者顔はできないまでも。根本は悪い人どころかその逆であることは283の皆が知っている。
ともあれ、あさひ君のことを明かさないままの報告だけはちゃんとやり遂げたと一息ついたところで、さらにスマートフォンが震えた。


114 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:45:06 bHYlYEvA0
『P.Sまみみ達にできないことは、よろしく。でも、できることがあったら、投げてね』

その敢えて付け加えられたような追伸は、どうしても通話したときに言われた事を思い出させた。

――きっと真乃は、今の私達にできないことをやろうとしてるんだね。

摩美々が発言した『自分達にできないこと』とは、聖杯を狙う主従に歩み寄ることを意味していた。
つまり、それを『よろしく』と、敢えて追伸にしてまで送ってきたということは。

『これ、あさひ君と会ったことが、ばれたりしてないよね……?』

用心のために発言やトークルームを削除しながらも、ひかるに削除前の発言をかざして見せた。

『うーん、アサシンさんならプリミホッシーのニュースを見て、私があさひさんと一緒にいたってばれちゃうかも……って思いましたけど。
でも、真乃さんがさっき見てた炎上だと、プリミホッシーはそこまで広がって無いんですよね?』
『うん。名前でじかに検索すればヒットはするけど、この感じだと、すぐに埋もれちゃいそう』

そう、かなりの人数に目撃されたと思ったのに。
SNS上で検索をかけても『神戸あさひ』と『プリミホッシー』の組み合わせによるコメントは意外なほど見当たらなかった。
撮影ができなかった状況下での噂などたかが知れていると言われたらそういうものかもしれないし、そもそも『神戸あさひ』というワード単体によって比較にもならないほど燃えているので目に留まらないこともあるのかもしれないが。

『渋谷で会ってた事がばれてないなら、考えすぎかな……でも、“よろしく”ってことは、もしばれてても止められたりはしないってことだよね』
『だったら、今までどおりあさひさんとは秘密のお付き合いにしましょう! それがあさひさんの望みでもありますから』

とはいえ、あさひを支援する上で真乃たちができるこれ以上のことは、今はまだ思いつかないのだけれど。

『男の子だし、お家にかくまうのは難しすぎるからね……あれ、それに今夜は灯織ちゃん達を呼ぶんだっけ』
『そういえば、今夜はお泊り会、ですね! わたしは霊体化してなきゃだけど、いいと思います』

パジャマパーティーだー、とひかるは我がことのようにはしゃいだ声を出した。
ああ、本当にこの子は中学生なんだなぁと改めて微笑ましくなる。

『じゃあ二人にチェインを送るね。あれ……でも、そろそろアイさんとライダーさん達の用事だって終わってる、はずだよね?』

星野アイの方にも、ずいぶんと時間がたつのに連絡を送っていない。
そのことを思い出して、真乃のタップ先は親友の二人ではなく星野アイの登録へと向かっていた。
まだ昼下がりといっていいうちに、アイのライダーが『同盟を組みたいサーヴァントがいる』『いい結果があったら連絡する』と言い残して別々になり、それっきりになっている。
その交渉の結果がどうなったのかを全く聞けていないし、いや、それ以前に。


115 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:45:45 bHYlYEvA0
『アイさんたちも、あさひ君の炎上を見たらびっくりする、よね?』
『はい、もともと、私達とあさひさんとアイさんの三組で協力するはずでしたもんね!』

神戸あさひを襲ったグラス・チルドレンを率いているマスターや、そのサーヴァントを倒すための同盟。
もともと神戸あさひと櫻木真乃達が知り合ったのは、星野アイのライダーのそういう発案から始まったことだった。

『ライダーさん達も、私達みたいに身バレが怖くて駆け付けられないのかもしれませんね。
私のプリンセスみたいに変装できるキャラクターもいないし……』
『アイさんはリスク管理もしっかりしてそうだもんね……でも、それなら私に連絡して聴いてくるんじゃないのかな?』

最後に別れた時に、神戸あさひと櫻木真乃は一緒にいた。
それが数時間のうちに、神戸あさひだけが指名手配犯扱いになっていたとしたら。
星野アイの視点では、さぞ訳が分からないことになっている。
『数時間の間に2人に何かがあったのかもしれない』というハテナマークで頭がいっぱいになるのが普通だ。

――これって、『あの後いったい何があったっていうの?』と尋ねるメッセージがあってもいいんじゃないのかな。

真乃の不安は、もやもやと、疑問の形を取り始めていた。

『アイさん…………もしかして、炎上について、何か知ってる?』
『あ、アイさんたちを疑ってるんですか?』

ひかるのまっすぐな問い返しの言葉は、かえって『疑ってる』という状態を、真乃に実感としてもたらした。

『その……別に、アイさんが炎上させたと思ってるわけじゃないの。
そもそも、アイさん達はこんな炎上を起こすような力なんて持ってないもんね。
でも、アイさん、あんまりあさひ君を心配してないのかな、って思っちゃって……』
『うーん……会いに行くって言ってた人達との話が、長引いてるのかも、しれませんよ?』
『でも、何時間も話しこまないと、今ぐらいの時間にはならないよね?』

神戸あさひは、アイとライダーの主従に喧嘩を売るかのような態度を取ってはいた。
しかしライダーたちはそれを余裕ある風にいなしていたし、あの二人が急に手のひらを返すような理由なんて真乃たちには思いつかない。
アイさんとライダーは、聖杯を狙っているけど悪意のある人ではない。
そう信じたい気持ちは、まだしっかりと心に居座っている。けれど。


116 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:46:22 bHYlYEvA0
――だからこそ、気を付けな。その真っ直ぐな善意を食い物にする野郎ってのは、こういう場には絶対いる。

親切なアヴェンジャーはそういう忠告をくれたし、古手梨花のセイバーにせよ摩美々にせよ、『甘さへの忠告』は繰り返してくれた。
『食い物にする』というのは、今回あさひを陥れたようなやり方のことを言うのだろう。
裏返せば、あさひを陥れるような人間は、意外とそのあたりにいる、ということでもある。

『アイさんの長話……その話し相手さん、もしかして私達やあさひさんのことも紹介されたのかな?』

ひかるの言葉は、半ば話を繋ぐための思いつきだったのかもしれない。
しかし、真乃にとある想像をもたらす、キーワードにはなった。

『アイには人を炎上させる力も動機もなく、何よりアイを信じたい』という思いと、それらには矛盾しない一つの疑い。

(もしかして、アイさんと同盟の話をした人が、アイさんの知り合いを陥れるために、あさひ君を炎上させたり……もしかして、果穂ちゃん達を襲ったのも……?)

同盟を組みたいという人には悪意があって、アイ経由であさひや真乃たちの話を聴き、『自分達にとっては邪魔だな』と見なして、あさひを追い込んだり『283のアイドル』を襲った。
それなら、283全体を襲う人達が他にも現れたという不気味さと、神戸あさひの炎上とタイミングを同じくしている事にも説明がついてしまうし……果穂たちが襲われたのは、真乃が招き寄せたことになってしまう。

(ひかるちゃんも言ってた『責任』だ……)

人を疑いの眼で見る事はやりたくない事で、しかしやりたくない事で片づけるには、真乃以外の人達が巻き込まれすぎている。
どっちにしても、星野アイさんには改めて連絡をしないといけない。
信じるにせよ疑うにせよ、真乃やあさひと別れた後に何があったのかを、聞けていないのは本当なのだから。

『あのね、秘密にしておくって約束したのは私たちだから……だから私達が、アイさんの隣で、しっかり見つめないとって思うの』
『真乃さんの隣。それって、私から見て反対隣ってことですね』
『そうだね……私は、真ん中で両方の間に立つ役目だね』

アイとの対話と見極めは、摩美々たちに連絡を取らずに事を進める。
少なくとも、摩美々たちも真乃が明日に備えて英気を養っているはずだと安心している今夜のうちは。
『疑っているけど信じたい人がいて、その人は聖杯を狙っています』なんて、伝えられることじゃない。
今夜繋がりたい相手が、増えた。

むんっと、隣席の邪魔にならないよう小さくポーズを作った時だった。
さきほどからメッセージを送り合っていたのに紛れてしまっていたのだろう。
未読のメッセージが2件見つかった。
宛名に書かれていたのは、ちょうど会いたかった灯織とめぐるの名前だった。

『真乃! 私、めぐると一緒にいるから……会いに行くよ!』
『わたしも真乃に会いたいんだ! 灯織と一緒に、真乃の所に行くからね!』

ここしばらく疎遠になっていたのが嘘のように、直球でぐいぐいと誘いの言葉が並んでいた。
2人も同じタイミングで、会いたいと思ってくれていた。
そのことが嬉しくなり、確かにこっちも大事だったと思い出す。


117 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:46:55 bHYlYEvA0
『ど、どうしようかな……? 誘われたのは嬉しいけど、二人のいる前でアイさんと聖杯戦争の話はできないし』
『うーん、こういう時って、アイさんの方の都合もあると思います。アイさんとは電話なのか、じかに会うのかでも予定が変わっちゃうし』
『そうだね。めぐるちゃん達がどこにいるかもわからないし、まずは両方の都合を聞いてみようか』

めぐると灯織の二人で一緒にいるということは外出の真っ最中かもしれないし、アイ達との話し合いが長丁場になりそうなら、先に2人と短く会って入れ違いでアイたちと待ち合わせることにもなるかもしれない。
そんな風に考えつつ、真乃はイルミネーションスターズのトークルームにメッセージを送った。

『気持ちはとっても嬉しいよ。ただ、今夜は明日共演する星野アイさんからもお話に誘われたの。
お仕事の話もあるから二人に同席してもらうわけにはいかなくて、あんまり長い事は話せないかもしれない。それでもいいかな?』

二人に誘われているのに別の人を誘うつもりだと送信すれば戸惑わせるかもしれないので、アイさんから誘われたと小さく嘘をついて、送信。
そうして改めて二人に誘われた文言を読み返していたら、あれっと呟きがこぼれていた。

(灯織ちゃんもめぐるちゃんも、なんだか、いつもより押しが強い……?)

灯織は、サプライズでプレゼントを渡すことにさえ余計なお世話ではないだろうかと座り込んで悩んでしまうぐらいに慎重で遠慮がちな子だ。
めぐるは、天真爛漫で人懐っこい少女ではあっても、相手の都合や現在地を確認せずに押しかけるような、デリカシーの無いことはしない。
悪意ある者がいることが気がかりでさえなければ、もっと大きく危惧していたかもしれない違和感を、真乃はいったんしまい込んだ。


【新宿区・バスの中(283の事務所近辺に向かうはずだったところを乗り過ごした結果)/一日目・夕方】

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:ひかるちゃんと一緒に、アイドルとして頑張りたい。
0:アイさん達に連絡をして『同盟を持ち掛けてきた相手』のことを聞き出すか、先にめぐるちゃん灯織ちゃんに会うかの都合を確認
1:アイさんのことを話せない以上、今夜はもうこちらから摩美々ちゃん達には連絡しない。
2:アイさんやあさひくん達と協力する。しばらく、みんなのことは不用意に喋ったりしない。
3:あさひ君たちから283プロについて聞かれたら、摩美々ちゃんに言われた通りにする。
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。


118 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:47:33 bHYlYEvA0
【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:健康
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:プリミホッシーの変装セット(ワンピース、ウサギ耳のカチューシャ、ウィッグ、プリンセスのお面@忍者と極道)
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:真乃さんといっしょに、この聖杯戦争を止める方法を見つけたい。
0:真乃さんと一緒に聖杯戦争を止めるアイディアを考える。
1:アイさんやあさひさんのことも守りたい。しばらく、みんなのことは不用意に喋ったりしない。
2:ライダーさんと戦うときが来たら、全力を出す。
3:おでんさんと戦った不審者(クロサワ)については注意する。
[備考]※プリンセスのお面@忍者と極道を持っていますが、具体的にどのプリンセスなのかは現状不明です。





119 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:48:08 bHYlYEvA0
『今の所、いつ状況が動くか分からない用事がある。   
予定が空くのはそれ以降になる from.H』

『存在Nの元にいるライダー』との通話を切った後に伝えたメールアドレスには、直後にその二行のみが書かれたメールが返送されていた。
今しばらくは情報交換ができないというだけの返事にわざわざイニシャルを付けてきたのは、こちらが『W』と名乗ったことに対するリターンも兼ねているのか。

どちらにせよ、そろそろ対外的に『ライダー』と呼称するたびに『ガムテのライダー』と『七草にちか(存在N)のライダー』のどちらを指すのか紛らわしくなりそうだったので、七草にちかのライダーを『H君』と呼称できるようになったのは助かる。
それに。
……彼の名前も、Hから始まるのか、と。
そんな事を想うと、受肉されていない仮初の心臓がじわじわと熱を持ち、鼓動を加速させるような心地がした。
『彼』に似た印象を抱いたサーヴァントの名前がHから始まるからといって何になるのだと理性が冷ややかに歯止めをかけて、感傷を打ち切る。

櫻木真乃たちを見送った後、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティは協力者である警官たちにまず連絡をした。
カバーストーリーを聴いた天井社長の様子や、避難させたアイドル達の内訳の確認など、把握すべきところには報告をもらい、その上で警察内部から追求する者が現れた時など、いくつかの『もしも』のときの対応についても調整をする。
それらを進める中途で、気落ちした様子の感じられるマスターから『櫻木真乃への私信は終わった』という念話もあった。
今後の不安、改めて芽生えた仲間への心配、プロデューサーの今後……マスターの心境が悪化する心当たりなど、幾らでも芽生えかねない現況だ。
それが精神衰弱へと悪化する前に、相談は設けたい。
事務所の片付けにまつわる諸々をすべて終わらせた上で、タクシーを呼んだ。
もともと渋谷区から283プロダクションに向かう為に利用したのと同じタクシー運転手で、協力者の一人だ。
悪質な美人局に引っ掛かって闇金と半グレに追い詰められていた友人を救ったことで関係を作り、こちらが呼べば事情に立ち入らずに乗車予約を優待してくれる約束ごとを交わしている。
スマートフォンを利用して世間の動向を調べながら移動できる都合もあり、また、霊体化による急ぎの移動ではそもそもスマートフォンをはじめとする小道具を持ち運べないという不便さもあり、予選の間からたびたび貸し切りにしては正当な報酬で雇用していた。
乗車するや渋谷区の合流ポイント付近まで向かおうとする運転手への指示は、しかし幾らも移動しないうちに停車の指示へと変わった。
情報端末において……気になるニュースを、幾つか見とがめたので。
人目や監視カメラの死角が得られるポイントで降車し、運転手を待機させておく。
『運転手にはさすがに聞かせられない電話』をする前に、合流を待つマスターの摩美々を介してにちか達にも連絡を入れた。
所用で合流が遅れますので、先に今後の拠点に向かっていてください、と。
それは正確には、指示ではなく頼み事だった。

今夜の拠点として、そちらの七草にちかさんのご自宅を利用させてください、と。
元々それは、283プロダクションで『H』と連絡先を交換していた時点で思案していたことだった。
1人目の同盟者である七草にちかおよびアーチャーの主従とは、どうしても改めての相談が必要になる。
その会場に、田中摩美々の自宅ではなく、七草にちかの自宅を選んだ理由は、『H』の一連の言動を受けてのものだった。


120 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:49:03 bHYlYEvA0
――現在は渋谷区の283プロダクション事務所にてあなた方に電話をかけています。
――……驚いたな。そこまで言い切ってしまうあたり、余程自分に自信があるのか。それとも既に数を揃えているのか。

会話を始めたばかりの時点で交わされたそのやり取りには、言葉に表れていない手がかりも含まれていた。
おそらく、Hは事務所からそう離れていない地点にいる。
何故なら、もしも『すぐに283プロダクション事務所に駆け付けられないほど遠く』にいたのだとしたら、Hの言葉は違ったものになっていたはずだからだ。

――余程自分に自信があるのか、それとも既に数を揃えているのか。『あるいはこちらの動向を把握しているのか』と。

それは、すぐには283プロダクション事務所に駆け付けられそうにない者が、一方的に連絡を送られ、『我々はいま事務所にいるぞ』と名乗られた場合に抱いてしかるべき、当然の疑問だ。
何より、こちらは存在Nの連絡先を一方的に把握した上で唐突かつ不躾なメールを送った立場だ。
むしろ、兵力が充実しているから余裕あることを言ったのではなく、彼らの動向に密かに目を付けていたからこその余裕かと疑う方が自然なところ。
また、『自分たちの動向について匂わせたくなかったから敢えて尋ねなかった』という可能性も検討したが、言葉を重ねるうちにやはりそれも無いと分かった。
仮に『こちらは常に監視されていたのかもしれない』という可能性を念頭に置きながら会話していたのだとすれば、Hの発言はあまりにも歩み寄りが強すぎた。
少なくとも、ずっと見張っていた不審者ともしれぬ相手に、『俺達もお前を信用したいと思っている』という言葉を、あれだけ本心であるかのように軽々しく口にすることはできまい。
たとえウィリアムが似ていると評した『彼』と同じように、『人を信じすぎる』手合いだったとしても、だ。
つまり、Hに『現在地を把握されているのかもしれない』という警戒心は無かった。
彼らは『すぐには駆け付けられないほど離れた地点にいるわけではない』と結論が出る。

その上で、『いつ状況が動くか分からない用事がある』と断りを入れてきた。
状況を主体的に動かせない上に、具体的な用事の内容を明かせないとなれば、『いつ来るか不透明な第三者を待っている』といった類の用事だろう。
『櫻木真乃たちが新宿区まで同乗させた主従がいる』という話を思い出し、しかし、それだけでは判断材料にならないと決めつけを外す。

まとめると。
8月1日の日中の時点でH達は283プロダクション事務所からそう離れていない場所で待機しており。
そこで到着時間未定の第三者と接触を控えている可能性があり。
その用件が終わるまでは新たな情報交換などを待ってほしいと連絡してきた。

一方でこちらは、H達の用件終了を待って『七草にちか同士の対面』をセッティング可能な位置に留まりたい。
つまり、中野区、新宿区近辺からそう離れない方が望ましい。
となれば今夜の拠点は、新宿にほど近い世田谷区にある七草にちかの自宅に置かせて欲しいということになる。
七草家に何も準備が無いところに泊めてくれと願い出る申し訳なさはあれど、二人の七草にちかを会談させる計画の優先度は高いため、仕方がない。
依然として283プロダクションが多数の主従から仮想標的扱いされているだろう緊張状態は継続している。
こちらの不備となりかねない要素――七草にちか複数人問題は、性急にでも着地させる必要が生じていた。


121 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:49:40 bHYlYEvA0
これについて、七草にちかは急に言われても困るという反応をしたももの、摩美々が『私も人が多い方が寂しくないなー(シュン)』と猫をかぶれば、あっさりと了解が取れた、らしい。
摩美々の方は、急な外泊の予定を告げられたことに関しては動揺を見せなかったし、『親も怪しまないと思います』とのこと。
『裕福な家の娘であるにも関わらず、そしてユニットメンバーの失踪中にも関わらず、無断の夜間外出をまったく問題視されない上に両親の不在が常態化している』という家庭環境は、聖杯戦争の佳境という局面に限って言えば不幸中の幸いだった。

かくてマスター達に動いてもらった後に、計画の修正の段組みと、そのための電話をひとつ。
それなりの時間を話し込んだ後に、待機させていたタクシーに再乗車をした。
行き先を渋谷区から教えられたばかりの世田谷区の住所に変更するよう指示をして、あとは合流後の説明にと意識をとばす。

しかし、相談事はふたたび持ち込まれた。
『田中摩美々の通話アプリに届いた、櫻木真乃からの連絡』という形で。





『やっぱり真乃たち、何か隠してるみたいですねー。
三峰はユニットメンバーにも話さないことを、別の子に真っ先に打ち明けたりはしないですから』

櫻木真乃との連絡を終えた摩美々は、そのように印象をまとめた念話を送ってきた。
『ひと足さきにオフに突入していた283のアイドルたちが襲撃され、光月おでんなる人物に助けられた』という情報のリソース公開を、櫻木真乃はしぶった。
それを見てウィリアムのマスターは、『襲われたユニットメンバーから聴いた』と嘘をついてカマをかけたらしい。
もともといたずら好きな少女だったとはいえ、仲間に対して躊躇なくフェイクを使った。
もしや自分が悪影響を与えすぎているのではないかと、聖杯戦争の趨勢とは別の意味で不安になる事案だった。
こういう教育方針の心配は弟のときを思い出すなぁと、生前の既視感があるのがまた冗談で済まされない。
彼女と弟とでは性別、性格も違っているし、そもそも重ねるのが失礼なぐらいにはどちらも濃い密度で関わってしまっているのだが。

『隠してることを言いなさいって、もうちょっと詰めた方が良かったですか?』
『いえ、マスターはできる限りベストの手を打った。『友達を家に呼べ』と言ったのは、真乃さんを不用意に外出させないためでしょう?』
『はいー。それに、もし良くない人に口止めされてるなら、聖杯戦争の話ができない子を呼んじゃえば、今夜は連絡を取りにくくなるかなーって』
『そこまで見据えてのことでしたら、訂正することはありません。ちなみに、マスターは今どのように?』
『にちかのお茶の間で、くつろがせてもらってまーす。にちかとアーチャーさんは、お夕飯の準備が無かったって買い出しに行きましたぁ』


122 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:50:33 bHYlYEvA0
念話でのトーンは、櫻木真乃と電話をした直後に比べれば落ち着いているようには聞こえた。
NPCとはいえ、仲間が襲撃されたと聞いて無理にでも奮い立っているのかもしれないが。

『ソースを明かせないってことは、言えないような人とお付き合いしてるのかな……』
『悪意ある主従から『糸』を付けられている可能性。消極的な聖杯狙いの主従と接点を持ってしまい、打ち明けられないでいる可能性。
現状ではどちらもありますが、咲耶さんの知り合いの情報についても秘匿を選んだ彼女達のことです。
その点、『我々に明かせば問題はより悪化する』と判断したことについては信用すると、別れ際に誓約している。
そして厳しい言い方になりますが、今、その問題を根本的に解きほぐそうと思えばおそらく他の危険に対処している猶予はない』

むしろ、今夜は我々の方こそ忙しくなりそうですから、と言い切る。
七草にちかと、プロデューサーに纏わる問題だけではない。
283プロダクションのアイドルが、とても場当たり的とは思えないタイミングで他の勢力から襲撃を受けたこと。
『犯罪卿』としてはガムテに追われる身となった立場のこと。
現状では櫻木真乃と密に繋がるほど、火の粉に巻き込むリスクがある。

『でも、283にやって来た……『ガムテ』って名乗ったマスター?
帰ったばっかりなのに、そんなすぐにまた来ますかねー』
『場面は選ぶでしょう。しかし、ここ数十分で、状況は変わりました。マスターはあの後、SNSはご覧になりましたか?』
『見ましたよ。咲耶に代わる人が燃やされてましたねぇ……』
『まさにそれが、状況を変えました。今の彼は、我々と283プロの繋がりを再び確信していてもおかしくない。いや、その確率の方が高い』

摩美々にとっては、話が飛躍して聞こえたのだろう。
それはそうだ。神戸あさひという少年の炎上は、ガムテというマスターが事務所に襲来した一件とはまったく別の事件なのだから。
しかし、それは今日一日で起こった出来事の裏側を知っている者だからこその視点である。

『私は彼の眼前で、『白瀬咲耶の失踪を炎上させたのは私だ』と名乗った。
そこに来て、今度はさらに別のマスターと思しき存在が、より急激かつ先鋭化された報道を受けている。
白瀬咲耶の炎上は意図的に起こされたものだ』と知っているマスターなら、同一犯だと見なすのが自然でしょう。
そしてこの報道が始まったのは、彼らが283プロダクションを退去してしばらくのことです』
『あー。“俺たちに正面から喧嘩売ったのに、同時進行で他の主従の相手をするなんて、ずいぶん余裕があるじゃねぇかこの野郎”って思いますね』
『挑発的な行動だと受け止められるだけなら、まだいい。しかし相手方には白瀬咲耶さんのニュースを観ただけで『何かおかしい』と察せられるほどの思考力、直観力があります。“犯罪卿”と“炎上を操っている者”は別人ではないかと察してもおかしくはない』
『でもー、こっちは組織的に動いてることを示唆してるんですよね。それなら、一度に複数の敵を作っててもおかしく思われないんじゃないですか?』
『“立て続けに別の人物が炎上している”というだけなら、相手方だってその可能性も考慮する。しかし問題は、この少年が『女性連続失踪事件の真犯人』として広まっていることです』
『連続失踪事件……たしか咲耶も、もともと被害者じゃないかって広まってましたね』
『はい、咲耶さんの拡散が午前中より下火になりつつあるのは、神戸少年の炎上がとって変わっただけでなく、世間が冷静になり始めたという事もあるのでしょう。
『最後に姿を見せてから二日と経過していないなら、家出や小旅行の可能性もあるのに騒ぎ立てても仕方がない』と」


123 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:52:07 bHYlYEvA0
実際に、チェインでつながっている他のアイドル達も、神戸あさひのニュースに対して『咲耶の失踪に関わっているのではないか』と邪推などはしていなかった。

「しかし噂とは水物です。少年の情報がSNSに流れ始めた時点では、『この少年が白瀬咲耶を含めた女性たちを襲った』と認知されかねない状況だった。
これは、全て犯罪卿の企みであれば明らかな矛盾です。今日の日中にはいずれ挨拶をすると宣言しておきながら、その直後に『白瀬咲耶を襲った犯人は別にいる』と犯行の隠滅に繋がりかねないニュースを流している』

そして仮に、その違和感を相手方が見とがめなかったとしても。
いざガムテおよびライダー陣営と再度の邂逅を行ったときに、『この炎上もお前の仕業なのか?』という話題を振られた場合。
こちらは、『それに関しては全く覚えがありません』と正直にしか答えられないのだ。
そこで、『ええ、それらも全て我々が企てたことなのです』と更なる詐称を重ねた場合。
グラス・チルドレンが『神戸あさひも炎上を起こした者=犯罪卿を敵に回しているのではないか』と考慮に入れた上で少年と接触を図っていることがあれば、はっきりと嘘が露呈してしまうのだから。

『つまり総合的に考えて、『283プロを炎上させた黒幕』というカバーのみにはもう頼れないということです』
『283プロを守ろうとしてますーって、認めちゃうんですかぁ?』
『馬鹿正直に前言撤回をすることもありません。いざ問われたらのらりくらりとしますよ。
黒幕を名乗ったことこそ詐称ですが、昼間の交渉の肝心な点は『アイドルに手を出せば他の主従を呼び寄せる』という一点に関しては事実だということ。
ただ、その上で283プロダクションに対して再接触を仕掛けてくる恐れはある』
『立て続けに燃やした【蜘蛛】さん? こうなる事まで計算してたんでしょうか』
『アーチャーの話によれば、283での話し合いにおいて、露骨な監視の目や耳は見受けられなかったと。
おそらく、我々の話し合いまで聞き届けた上で狙って炎上させたわけではない。それなら他のもっと直接的な危害を幾らでも起こせますから』
『なら、この、あさひ……まぎらわしくてやだな。神戸さんは私達を追い詰めるための囮とかじゃなくて、フツーに蜘蛛の被害者なんですね?』

下の名前で呼ぶことに抵抗するのは、283プロダクションの芹沢あさひというアイドルに浅からぬ交友があるためだろう。

『間接的な敵対者、といったところでしょう。想定される蜘蛛の人物像(プロファイリング)から言っても、直接に正体を知られた可能性のあるマスターへの対応としては悠長に過ぎます』
『悠長? けっこー、えげつない燃え方してるような』
『炎上という搦め手を行使している間に、陥れた者の風評を他の主従に告げるリスクもあるのですから、充分に悠長ですよ。
おそらく、蜘蛛の伸ばした糸に引っ掛かった存在、蜘蛛と直接に対面したことはない関係でしょう』

そう、第一の炎上を、『既に退場したマスターの身辺を炙り出す実験』だとすれば。
第二の炎上は、『まだ生存しているマスターがボロを出すかどうかを見極める嫌がらせ』に相当する行為。


124 : 醜い生き物たち(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:53:42 bHYlYEvA0
そしておそらく……渋谷区公園でのアイドルたちへの襲撃もまた、同様の『嫌がらせ』を目的とした行為だ。
仮にマスターがいると見定めて事を起こしたのだとしたら、大雑把にもほどがある。
誘拐の中途で半端に失敗しているのは、その『嫌がらせ』にしても蜘蛛の痕跡を残さない手口とはかけ離れているため、おそらくまた別の陣営による攻撃。
つまり、283プロそのものに刺激を与えて、焦ったマスターがしっぽを出さないかどうかを見極めたい、いくらでも残忍になれる陣営の所業だ。

『どちらにせよ、スタンスの不鮮明なマスターに対応している余裕は、今は我々の方にもありません。
合流してからアーチャーたちも交えて今後の献策(プランニング)を出すので、いったん少年のことは忘れましょう』
『嘘ですね』

嘘だった。

だが、嘘だと気取られるようなヘマはしたくなかった。
マスターはいたずら好きだ。
唐突な断言でさえ、あてずっぽうを元にしたハッタリに過ぎないという線もある。

『どうして、そんなことを?』
『アサシンさん、無実の罪で人を陥れて笑ってるのとか嫌いでしょ? 『シャーリー』さんも、そういうの嫌いだから』

予選の間に、暇を見てホームズの物語を読んでいたのは知っていた。
だが、過去夢もひっくるめて『彼』についてそこまで知悉していることと、己がそこまで善人だと思われていたことは想定外だった。
救世主扱いされることには慣れていても、立場を明かした上でまっとうな善人扱いされるのは、身内(ファミリー)からのひいき目を除けば慣れていない。

『同情すべき境遇ではある。しかし対応する余裕はありません』
『だとしても、そこは、同情したり怒ったりするじゃないですか。咲耶の時みたいに』
『私はもともと悪人ですよ。しかし、ここで嘘つきだと思われるほどマスターからの信用はありませんか?』
『まみみの言葉じゃないですよー。にちかの所のアーチャーさんが言ってました。
ああいう“隊長”は、いい悪い以前に、大事なことを一人で勝手に決めちゃうから。
だから、もし状況がどんどん悪くなってる時に、『今はこっちの指示に従え』って風に、会話を急いで終わらせるようだったら気を付けろって』

まーアサシンさんはたいていお任せをってきっぱり言いますケドー、と棒読みめいた付言がつく。
そう言えば、これまでに推定したアーチャーの来歴を考えると『上官の裏切り』の経験には慣れていてもおかしくはなかった。
そしてその忠告を踏まえての発言ということは、『お前がここで否定して田中摩美々を納得させようとしても、少なくともにちかのアーチャーは疑い続けるだろうから言えることは全て話してしまえ』という意味を持ってしまう。

『殺し屋がまた来るかもしれなくて、蜘蛛がいて、にちかとプロデューサーは揉めてて、うちの皆が襲われるようになった。
今、とっても、とっても大変じゃないですかぁ』
『はい、我が身が至らないばかりに、マスターを不安にさせている』
『アサシンさん。うちのリーダーは、こういう時に『考えとることがあったら言わんばよ』って言うんですよ』

そして彼女は、優秀なリーダーに恵まれていたらしい。
話さないで済ませるという選択肢は、アーチャーとそのリーダーによって潰されている。

『神戸あさひという少年に何も対応しなかったと言えば嘘になります。
しかし、行為としては大掛かりな仕掛けは何もありません。そして、他の主従には打ち明けるつもりもない』

マスターには無知でいてもらうつもりだった、嘘の裏側を語る。
アーチャーの経歴による直観や、今日一日で獲得した不測の信頼を考慮から外していた、己の甘さに内心で苛立って。

――煙草が欲しいな。

そんな、運転手から叱られそうなことを考える。
煙草が嫌いだとマスターに答えたのは事実だ。
味も理解できたものではないし、みずから肺を汚しに向かっているようで気分の悪さしか残らない。
だが、自分を痛めつけるぐらいのことをしないと気を紛らわすことはできない。
相変わらず矛盾だらけなことをしていると自虐して、切り替える為に強く舌を噛んだ。
同じ痛みならそもそも目の前の現実に対処すべきだろうにと己を戒めて、ばかばかしい欲求を打ち切る。

重ねて思い知るが、状況は悪い。
それが証拠に、例えば話に挙がった『光月おでん』のような者ならば認めないであろう手段を一つ、先ほど解禁した。
それなのに、その悪業をマスターに関知させて、連帯責任を生じさせてしまったミスは、こちらの迂闊によるものだ。

『私のとった行動は、一つ電話をかけただけですから』


125 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:54:17 bHYlYEvA0



星奈ひかるが世間に表した姿『プリミホッシー』は、彼女が懸念していたように拡散の流れに乗る事はなかった。
エゴサーチという行為そのものを人数に任せてしらみつぶしに分業することが可能であった峰津院財閥のように、総当たりで抽出を行えばかろうじてキャッチできたかもしれない。
その程度の認知度に終わった。

それは、あまりに唐突な登場と退場に、画像を確保されなかった事も一因ではあった。
しかし、最大の要因は現場にいた人間も何が起こっていたのか、どういうニュースとして受け止めればいいのか理解できなかったという点にある。
もしもプリミホッシーが明確に神戸あさひを連れて逃走したのであれば、『指名手配犯を逃がした共犯者』として叩くための素材になった。
もしも再現度の高いコスプレとして話題にすることが可能であればオタクたちの間で語り草にもなったが、『プリミホッシー』というキャラクターそのものは元ネタこそ明確であれオリジナルキャラクターであった。
もしもプリミホッシーと神戸あさひの姿が消失したことに超常現象が絡んでいるとはっきりすればオカルトめいた噂になったかもしれないが、『目くらましをうけている間に見失った』という神隠しと言い切るにも曖昧な最後であった。
そうなれば、市民は犯罪の話題として盛り上がればいいのか、コスプレの話題として盛り上がればいいのか、都市伝説としてネタにすればいいのかが分からない。

いかに素材にインパクトがあったとしても、煽情(センセーション)と、扇動(アジテーション)が欠落しては宣伝の欲求を掻き立てられない。
知名度を広げるにあたって必要なのは、食いつきと、向かわせる方向性。
逆に言えば、それが丁寧に筋道を立てられている時、情報の流通経路は出来上がる。





126 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:54:41 bHYlYEvA0
幽谷霧子は、皮下病院の病院寮で暮らしている。
この事実から、類推できる想定がある。
それは、『皮下病院の近隣では、未成年の就学環境が整っている』ということだ。

『いっそ子どもは家族ごと病院に住み込んで通学させた方が早い』と判断する者がいるのだから、つまりそう言うこと。
また、本格的な寮設備や入院設備を完備できるほどに大規模の病院施設であれば、近隣に『いつでも医療設備の手助けが必要となりえる児童――特別養護学級や支援学級を設けた学校も居を構えたくなる』という地勢も絡んでくるために、そうでなくとも『あるだろう』ことは想定内ではあった。

それは、皮下病院の近所といっていい立地にある、小学校だった。

そこは警戒心の行き届いたマスターが居座る施設のように、入館チェックが設けられているわけではない。
近年の小中学校の常として、子どもに手を出す不埒な大人のうかつな侵入を招かない為のセキュリティシステムこそあれど、決して蟻の入り込む隙間もない要警護施設というわけではない。
少年野球の見学者であるかのように振る舞う大人。
子どもの見守り役のように装って、遊具場へ出入りする大人。
そういった人物までも、すべてシャットダウンすることは不可能であり、世間的にも『いったん入り込んでしまえば、夏休みで人の出入りも減っているそこは格好の隠れ場所ではないか?』と思わせる余地のある建物。

『休日でもある程度の子どもが集まる』
『常駐する教職員も限られている時期』
『犯罪者が逃げ込んだと告げても信憑性のある』

そんな施設の名前を冠するハッシュタグを付けられて、その呟きはSNSの海に放流された。
ちょうど、『準備を整えてから、そういう呟きをしてくれ』と依頼した者が、そのまた依頼人(マスター)に事のあらましを語っているのと時刻を同じくして。

【見つけた!!
  これ、やばくね?

#拡散希望
#神戸あさひ
#〇〇小学校
#神戸あさひを許すな
#東京都新宿区
#不審者情報
#暴行犯
#薬物所持】


127 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:55:19 bHYlYEvA0
最初に神戸あさひという名前が冤罪を貼り付けられた時と同様に、それは転売アカウントからの呟きであったのだが、傍目にそれを知るすべはなく。
炎上させることを条件にアカウントの転売を買った者、というわけではない。
峰津院財閥に出入りさせるために仕込んだNPCには、それなりの人数がいた。
それらの全員に、身元のたどれぬような素性工作を仕掛けるのが可能な、そういう者を利用したのと同様に。
その中に、転売アカウントの利用者を、いつか使用する機会が来るやもしれぬと抱え込ませていただけのこと。

もはや常駐者には恒例となったハッシュタグを幾つもぶらさげて、その呟きには画像が添付されていた。

遊具置き場の隅を撮影していた。
まるで一時的に隠されたかのように、運動場と遊び場を仕切る背の高い垣根の死角から引きずり出されたという塩梅だった。
それは、廃棄された衣類と道具が詰められたスポーツバッグが、ジッパーを開けられて中身を露わにしたところだった。
フードのついた暗色のパーカー。
口元をすっぽりと覆えるような、水色のマフラー。
金属バット。
いずれも、人気のない土手などで草むらに隠れるよう寝過ごせばこうなるだろうか、と言った風な泥汚れ。

前提として、炎上が広がり続けている段階には、能動視聴者数(観劇者)が多く、強いインプレッションが期待できる状況がある。
つまり、新情報が放り込まれるなら、真偽を見極める前にまず飛びつくというユーザーが多数いる。
やがて、追随するようにいくつかの引用発言が付く

【小学校に逃げ込んだの?】
【ここ登校日いつだっけ? そろそろじゃね?】
【休日でも子どもは来るぞ。ここプール開放やってたっけ?】
【やばい。この近くに入院棟のある病院あるぞ。動けない患者がたくさんいる】
【そこ、さっき壊れたらしい】
【バットだけじゃなく、爆発物所持?】
【指名手配犯が、小学校付近に潜伏、やばい】


【【【【【学校や警察には連絡した?】】】】】





「いくら流行りの事件だからって、たった1アカの呟きで炎上に対抗できるんですかぁ?」
「対抗することが目的ではない。『学校や警察に問い合わせて突撃をはかる市民』が一定数現れる程度の周知。それさえ稼げれば充分です」

大衆とは、知力にばらつきを持つ者たちの包括的集合体だ。
発言を見た時点で、『似たようなパーカーを使って撮影した悪質な自作自演の可能性がある』と冷静に相手にしない者は、間違いなく相当の割合でいる。
しかし、『せめて学校や警察に伝えるだけは伝えておかなければ』と焦った行動に出る者も、必ず一定の割合で出現する。
その、炎上全体に比べれば微々たる件数――せいぜい数十件程度の電話であっても、夏休みに学校にて待機する職員の電話対応を飽和させるには充分すぎる。
そして、学校に電話したところで埒が明かないと苛立った者は、追及の問い合わせを警察に向ける。


128 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:56:07 bHYlYEvA0
『でも、警察だって神戸さんの捜査をしてるって拡散されてますよー?』
『警察の捜査とは、犯罪の発生が前提にある。
咲耶さんの炎上について調べるにあたって『連続失踪事件』について捜査情報を探りましたが、神戸あさひという少年が捜査線に浮上した事実は無かった』

加えて、指示の電話をかける前に記憶にある都内の刑事事件ニュースの情報を攫ったが、少年が捜査線上に挙がっている刑事事件は思い当たらなかった。

『また、不特定多数のアカウントから一斉に拡散されだした状況を見ても、少年が起こした『暴行事件』とは現実に存在しない虚言からできている。
つまり今回のケースにおいて、警察は神戸あさひについて捜査のしようがない。
おそらく、警察の捜査が始まっているという情報の大本は、本質的には『捜査』ではなく『調査』です』

こんな少年を野放しにするなんて警察は何をやっているんだと、炎上を真に受けた市民が通報を行う。
対する警察署員は、いきなり見ず知らずの少年を『暴行犯ではないか』と問い詰められたところで、回答のしようがない。
本件については目下のところ調査中です、と答えるしかない。
それが『警察も動いているらしいぞ』という形で伝わり、炎上の拡大を招くという悪循環を生む。

だが、『管轄の小学校に危険人物が逃げ込んだ可能性があるのに、なぜ現場に行かないんだ』と詰められては別だ。
問い合わせを受けた小学校も、最終的には警察へと相談し、『神戸あさひという少年はそんなに危険なのですか』と確認せざるを得ない。
その問いに対する答えは、二つに一つしかない。
神戸あさひという少年は容疑者なのか、そうでないのか。
事件が実在しないのだから、答えはおのずと出る。

【#拡散希望】
【#拡散希望】
【#拡散希望】
【神戸あさひは無実。
警察に問い合わせたところ、現在、神戸あさひという少年を指名手配している刑事事件はなし。
警察が少年の行方を追っているという事実はありません。
暴行犯、薬物中毒者というのはデマです】

ガリバー旅行記の時代から変わらない。
大衆とは、自分だけは猿(ヤフー)ではないと思い込みたがる集合体だ。
どうやら本当にクロらしいと広まっている段階では、いくらでも叩ける。
犯罪者を追い詰める行為は、正義だと信じられるのだから。


129 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:58:36 bHYlYEvA0
【#拡散希望】
【神戸あさひに襲われたという被害届は無し】

しかし、警察発表という『真実』が明るみに出れば、それはたちまち『無実のいたいけな少年を叩く』という愚行に変貌する。
新薬の効能が信じられないといった虚実入り混じる噂ではない。
冤罪とは、あるのか無いのかの二つに一つでしか語れず、警察が冤罪だと言えば否定しようのない事実として扱うしかない。

【#拡散希望】
【#神戸あさひは無実】

インフルエンサーは必要ない。
大衆は、『明らかなデマをもとに動いている人間』を叩きたがる。
それまで、『拡散を知っていたが、サイレントマジョリティーになることを選択していた大衆』が、訂正する側として参加する。
炎上が大規模であればあるほど、『こちらは真実を知っている賢い側だ』という義憤に燃える。
大衆の大半は、『明らかに間違ったことを宣言しながら怒りを表明していた』という羞恥に耐えられない。
間違っている者が逆転すれば、叩く矛先は変わる。
学校が『警察から確認しました』という事実認定を校区に対して発表すれば、それはよりゆるぎない事実として確定する。

【#拡散希望】
【#拡散希望】
【#拡散希望】
【家のない未成年を犯罪者扱いする恥ずかしいアカウントです】

子ども達の帰宅時間や大人の勤務時間が終わる頃合い。
日没を迎える頃になれば、一日の仕事を終えてスマートフォンやPCに眼を通る人間が増える時間帯になれば、その情報は確実に流れ始める。
ほどよく疲れた頭に、飛び込んでくる『大勢のデマ』と『少しずつ広がり始める真実』の対立。
無実の家なき子を、いわれのない罪で叩いていることを冷笑して、こんな奴になりたくないと自戒するのは、愉しくないわけがない。

『それで、炎上は止まるんですか?』
『噂を信じた人々を全て廃絶することはできない。しかし、噂を否定する噂を広めることはできる。
何より容疑をかけられたところで『警察発表』という根拠にもとづいた事実を持ち出して否定ができる――少なくとも、社会的な致死は免れられる』

最初のいたずら投稿については、完全犯罪である必要さえない。
もとより不特定多数の中には、『特定班』と呼ばれる、わずかな画像からもメーカーや服のくたびれ方を特定し、完全に同じ衣類かどうかを鑑定する余力のある人々もいる。
『いたずらじゃん』と晒されることになっても、『神戸あさひは容疑者ではない』という一言を聞いた人々の反応が始まれば、噂はそちらにとって代わる。
犯したリスクは、『このいたずらの仕掛け人は実はお前ではないか』と聞かれたところで、知らぬ存ぜぬを決めればいいだけ。

『いい事をしたように聞こえますケド。どうして隠すんですか?』
『善意による手助けではなく、悪意による利用ですから』
『炎上から助けてるんですよねぇ?』
『本当に善意ある者であれば、まっさきに神戸あさひ少年を心配して当人のもとへ駆け付けています。
それに、この方法にしたってまったく犠牲の出ないやり方ではない。仮にこれが小学校ではなく、マスターや霧子さんの通っている高校であればどう思います?』
『学校の皆が危ないんじゃないかって、見に行くかもしれませんねぇ。もちろん、有名なアイドルなんかが駆け付けたりしたら逆効果なんで自重しますケド』
『そういうマスターがいないとは限らない。何より、もしも神戸あさひを心から心配する者がいれば、最初の第一報を見て小学校に駆け付けるかもしれません。
そうなれば、様子見にやって来た主従同士の要らぬ激突を招くリスクもある。何事も、裏目にでない策はない。
少なくとも、少年を心配して探し回ったりする者がいれば間違いなくこう思う。なんてはた迷惑なことをするんだ、と』
『……じゃあ、どうしてそれが私達のための利用に繋がるんですか?』
『理由は複数あります』
『順番にどーぞ』


130 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:59:16 bHYlYEvA0
一つ目の理由は、結果的には空回りになった。
それは幽谷霧子を、皮下病院に帰宅させないための方便作り。
変形したという不審者の属する先は、タイミングだけで見れば皮下病院の手の者という線が強い。
それとなく追及をかわした直後に襲撃があったというのは、いささか以上に露骨ではあったが。
摩美々が幽谷霧子という少女を妹のように可愛がっていることは、当人が表に出さない風にしていてもはたからマスターを見ていれば自明だった。
彼女をマスターであると疑われた上で病院内部に留めさせるのは、自分が弟を敵の本拠地に残していた場合どうなるのかに置き換えてみれば、理屈で考えるまでもなくマスターにとって深刻だ。

霧子とハクジャが二人で向かったというその場所に着いたなら、きっと夕刻の遅い時間までは離れられないと思う、というのは摩美々の見立てだった。
なぜなら自分もそうだし、アンティーカである限り皆がそうだから、と。
そこで、『病院近辺の治安が悪化している』という状況を作り、その上で『咲耶のこともあるし今夜は別の所に泊まってはどうか』と誘う。
そして同行するハクジャが病院外に止まる事に懸念を示すようであれば、どこかに指示を仰いでいないかどうかを確認してもらった上でより直截的な危険を暴露し、駆け引きに持ち込む。
だが、『皮下病院が破壊された』という一報がSNSにも流れたことによって、こちらで状況を作るまでもなくなった。
むしろ、災害跡地に知名度のあるアイドルが向かったところで余計にパニックが加速するだけだと。
霧子にはそう説いて聞かせやすくなり、結果的にありがたかったぐらいだ。

二つ目は、『アイドルに危害を加えた者は他の主従にも認知させて有名にする』という一線だけはまだ維持する事。
神戸あさひの炎上は、よくも悪くも『燃えすぎて』いる。
平和な住宅街の一角がテロでさえあり得ないような跡地と化し、多数の避難民が産まれ、犯行現場上空で多数の人間が『雷と炎を伴う巨大な龍』を目撃したという情報よりも、『複数の犯罪に関わっているバットを持った少年が指名手配された』という情報の方が有名になるのは、明らかに常識感覚を超えている。人間の危機意識に反している。
ここまで炎上が過熱すると、他にどんなニュースが取り沙汰されようとも埋もれることが懸念されるし、実際に本来ならばニュースのトレンドを一色に染めてもおかしくない『龍』については、埋もれるには至らないまでもSNSから目に飛び込んでくる頻度で劣っている。
ここまで有名になってしまえば、『犯罪卿と炎上の扇動者は別人説』と合わさって、炎上劇そのものが避雷針となりかねない。
『どれだけ芸能事務所に蛮行を働いたところで、それ以上に認知されるネタが幾らでもあるのだから致命的な被害は受けないだろう』という状況が成立すれば、283の関係者を裏社会の組織力を用いて片端から殲滅し、マスターを総浚いするといったもっとも極端な手段がまかり通るようになる。
よって、ここに来ての炎上は潰す。
避雷針の成立を阻止するだけでなく、『扇動者を体よく利用して別件の炎上にかぶせれば、殺し放題になる』という無法地帯の成立を阻止する為にも。
『炎上は食らえば危険だが、仕掛ける側が完全に頼みにすることはできない』という実例を作る。
その為にも、『炎上は当面収まらないのではないかと思われるタイミングを待って』から、阻止に動く必要があった。
電話をかけてから実際の行動開始までにタイムラグがあったのは、そういった思惑と、夏場に長袖の偽装衣類を用意することに時間を要したことが原因だった。


131 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/24(日) 23:59:45 bHYlYEvA0
そして、三つ目の理由。
こちらが他の主従と対峙している間に好き放題するであろう、蜘蛛の陣営が打てる手数を削る。

『マスターを不安にさせることを承知の上で、忌憚のない評価をつけます。
扇動者の陣営は、社会という分野に的を絞った破壊力であれば、間違いなく界聖杯で最強です』
『最強……』

社会に及ぼし得る影響力という点でみれば、他にも有力者は存在する。
しかし、社会の頂点に立つ強さではなく、社会を狂わせて破壊する病原菌(ウイルス)の力としては、最凶の性能を持つ魔弾だ。
『蜘蛛』と呼びならわす男――おそらく『推測どおりの真名』を持つその巨悪を、ウィリアムは過小評価することができない。

そして、ここまで急激かつ過激な炎上が立て続けに起これば、他にも蜘蛛の脅威について認知し始めた主従が出現する頃合いだろう。
神戸あさひの一件によって、ある程度は現状を冷静に観れるマスターであれば『東京に扇動者がいる』ことには気づけているかもしれない。
だが、その扇動者の大本を辿れる能力とアテとなると、皆無であるのが実情だった。影をつかませずに暗躍していた。

しかし、ここまで大きく騒動を広げた上で、それがデマだったと明らかになれば。
『情報を作り上げた者がいる』と、SNSを監視する全ての陣営が勘付くことになる――それは当然、東京で一番の権力者にも。
炎上を行うために協力させた企業、団体、監視カメラの映像を流出させた警察組織内部の間諜など、証人は数多くいる。
犯罪の王とて、協力させているNPCは万能ではない。洗い出しを受けて、それらの全員がボロを出さないでいられるか。
Mから始まる悪名を持つのだろうその悪魔は、社会の頂点としてではなく社会の病原菌としては頭抜けている。
しかし、裏を返せば、社会の頂点は存在する。
界聖杯の東京にあるすべての企業と自治体と官公庁は、たったひとつの財閥が『その気』になれば掌握される立場にある。
その財閥の長が聖杯を狙う有力マスターであることを、蜘蛛の二匹ともが知っている。
理解した上で、それを刺激しない範囲でもう一匹は社会を我が物として遊んでいる。
ならば、『今、この世界の権力代表そのものと正面から喧嘩したくはないだろう』とふっかける。
実際にその財閥が動かなかったとしても、Mの側には『追及されるかもしれない』という懸念が刻まれる。
いくら版図を広げたところで、それらを大きく動かすことが制限される。


132 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:00:16 OEqn.5E.0
また、神戸あさひや彼と共にいるサーヴァントも、こうも露骨に嵌められてしまえば、『アイツの仕業か』と心当たりのある者がいてもおかしくはない。
それが、蜘蛛にとってはごく間接的な間柄の陣営だったとしても。
そして、やり口としては確実に殺す意志を感じさせる追い込みでありながら、内実としては『嫌がらせをして様子を見る』という食い違った対応に迫られているのはどういうわけか。
実力を試して味方に誘うなり利用するなりしたい、といった手口でないことは明白。
いずれ利用するために、今のうちに社会的生命を断つというのはあまりに度が過ぎる。
つまり、『取り込むことを想定した嫌がらせ』ではなく『敵としての実力を測るための嫌がらせ』。
確実に追い込むことを目的としている一方で、それでも生き延びたら都合の良い競合相手になるやもしれぬという一縷の期待。
あるいは、『神戸あさひに眼をつけた者』と『炎上の実行者』は別人。
『神戸あさひに殺意を抱いた者』と『神戸あさひを実際に追い込むことになった者』の着眼点が異なっているからこそ、ずれが出た。
どちらにせよ共通して言えるのは、この少年が反抗の意思を持ったまま生き延びた場合、どんなスタンスであれ『蜘蛛陣営の前に敵として立つ』という道を選ぶだろうということ。
であれば、人手はいくらあっても足りず、ガムテへの対応に注力せねばならない現状。
『蜘蛛陣営の敵』に生きていてもらうことに意義はある。
そして、それ以外の全マスターにとっても、『神戸あさひ』と関わることへの意味は変わってくる。
関わることを避けたい厄ネタから、確実に脅威となる陣営に対して、手がかりを持っているかもしれない主従へと変わる。

地位と権力を持った者には、『炎上に協力させた人員を辿れば道筋がつくぞ』と教唆する。
地位と権力を持たざる者には、『神戸あさひからの縁をたどればたどり着くかもしれないぞ』と感づかせる余地を残す。
何度も善意の救済ではないと断定したのは、これが理由だ。
裏目にでない攻勢はない。
そのままでは潰されそうな立場の者に、さも味方の顔をして交渉材料を与えたところで、その人物が攻勢に出たために結果的に命を落とすこともある。
炎上の意味合いを変えたことは、やがて神戸あさひという少年を切りつける逆効果になるかもしれなかった。
それは、彼を追い詰めた悪意ある大人たちど、どう違うのか。

前世紀の英国の比ではないほどに福祉の行き届いた当代の社会で『戸籍の無い浮浪児』という役割(ロール)を敢えて割振られることが何を意味するのか、想像できないわけではない。
これほど個人情報が露わにされているのに、この年頃の子どもなら必ず調べあげられた上で追及を受けるはずの『通っていた学校』に類する情報が皆無だった。
つまり、少年は不登校であるどころか高校にも、それ以前の中学校にさえも通っていなかった――住民票など持っておらず、戸籍についても怪しいとは察せられる。
両親についてもそれは同様だ。これほど炎上を起こしながら『親はどうした』という話が浮上しないならば、少年は孤児だということ。
おそらく、少年の視界には、犯罪卿もまた己をその立場に追いやった大人の『悪魔』たちと同類にしか映らないだろう。
少年の立場を救うことはできても、少年の心を開かせることはかなわない。
聖杯を狙う立場の違う者であろうとも、裏の無い優しさで歩み寄ることを選んだという櫻木真乃の選択は、尊い。結果としてどう転んだとしても。


133 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:00:39 OEqn.5E.0
そして、最後の理由。

『私は先刻、他の主従に伝えるつもりは無いと言いましたが……一人、彼なら気付けるのではないかと思えるサーヴァントに心当たりがあります』
『その言い方だと、敵じゃなさそうですねぇ』
『もう一人の七草にちかさんの連絡先が繋がったことは伝えましたね? そのサーヴァントのライダーですよ』
『え、あの人なら分かるかもって……たった一回話しただけの人、ですよね?』
『私が電話した時点で、彼は白瀬咲耶さんの炎上の不審に気付いていました。おそらく、神戸少年の炎上についても同様でしょう。
そして、彼は私のことを『マスターの存在を盾にして見捨てないよう促した嫌な奴』だと思っているはず。その頭の回転をもってすれば気付けてもおかしくない』

もともと、Hのことは『裏側に潜む悪を釣り出すための正義漢』として利用できないか検討していた。
しかし、とてもそんな接し方はできない反骨精神と誠実さを感じさせる人物だと分かった。
であれば今は、その役割を逆転させるべきではないかと考えている。
もともと己の目標は、聖杯を欲しがらない脱出派たちの希望となりえる善なる者を探すことだった。
であれば、ちょうど『283プロの黒幕』として標的になっている現状、窮地に飛び込んで暗躍する役割をこそ己が引き受け、万が一の時にせめてマスターの命を託す相手としてHを選択する。
マスター達の護衛の役割は、これまで七草にちかのアーチャーに受け持ってもらった。
しかし、アーチャーには最初に知り合った七草にちか一人を護ることを一義に置いているし、『犯罪卿が悪意を集めている間に、背後を撃ってもらう』という別の役割もある。
その点、知り合ったばかりのHは、あるいは『無辜の少女を託せるヒーロー』として、信頼に値する存在なのかもしれない。
もちろん、実際に出会ってみてからでなければ結論は出せないが。

『そんなにすごい人だったんですか?ドルにちのサーヴァント』
『その呼び名はなんですか?』
『そろそろ、にちかって呼んでもどっちか分からなくなりそうじゃないですか。代案は受付けますよー。で、そんなにすごかったんですか?』
『優秀な話術。慎重な判断力。手段を選ぼうとする善心。それに、勝ち負けでもなく支配と被支配でもなく、私に向かって対等であることを譲らなかった。そういう姿勢には好感が持てます』
『アサシンさんがそんなに嬉しそうに褒めるなんて珍しいですねぇ』
『櫻木さん達に対してもこんなものでしたよ? 問題は、そんな彼らにこれから、我々が導火線に火のついた爆弾を抱えていると知らせなければならない』

283プロに通っていなかった存在Nにとって、283プロが複数の敵性主従から囲まれているという状況はどう足掻いても寝耳に水。
白瀬咲耶の炎上騒動については勘付いていたが、そこまで状況が悪いとは聞いてなかったと憤慨されること待ったなしの状況だ。
七草はづきが283プロダクションに勤務している現状では、『こちらは283プロダクションで活動していなかったのに、お姉ちゃんも含めて一方的に危険に巻き込んできた』と信用が崩れ落ちてもおかしくない。
そうでなくとも。
いきなり、もしもの時はマスターの命も預かる守護者をやってくださいと言われたところで『重すぎる。勘弁してくれ』という感想になるのが普通だ。
なので、『さっきも暗躍してきたところです』と察してもらうことは、『今まで企んでいたのは全て私一人であり、こちらのマスターをはじめとして他の皆に責任はないから信用してほしい』と責任を己に押し付けるための布石になる。
最後の理由は、そんなところだった。

『長い、一行で』

摩美々はばっさりと、そう言った。


134 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:01:07 OEqn.5E.0
『いい人の役をやってくれそうな人がいて、いい人ぶらなくてよくなったから、どんどん悪い人に戻ろうする準備だってことですよねー』

本当に数センテンスにまとまってしまった。

『それ、そんな駆け引きじゃなくて、頼る方向で行っていいんじゃないですかねー、とまみみは思いました』
『つまり、はっきり助けを求めろと?』
『今は大変で、お互いに探り合いしてる場合じゃないんでしょう?』

さすがに直に会わなければ人間性を確かめられないことに対して、他人の善意を信用しすぎではないかと思った。
善意に敬意を払うことと、過度の期待をすることは違うのだが。

『マスター命令。もう一人友達を作りなさい』

状況に似つかわしくない、のんきとも聞こえる命令だった。
『もう一人』呼ばわりされたからには間接的に友達が一人しかいない奴だろうと断定された気がするが、実際その通りだからそこはいい。
サーヴァントの友達が増えたからといって、283プロダクションへの攻撃が止まるわけでは一切ない。
だが、それでも彼女は優しかったのだろう。
己の助けに応じてくれたサーヴァントがそのために苦悩しているなら、痛みは取り除かないではいられないぐらいに。

『もし移動中暇だったらー、うちの曲をアサシンさんのブックマークに入れておいたので、ダウンロードするといいですよ』
『え、いつの間にこちらのパスコードを……』
『手間と機会を惜しまないのが、いたずらのコツですのでー』

アサシンが暇を持て余すタチではないことを摩美々も把握していないはずはない。
遠回しに気分転換を勧められたらしい。
そろそろタクシーはアパートの近隣にたどり着いてしまうのだが。

さすがにアパートに乗り付けるのは近隣住民視点でも目立つので、目的地の手前で降車し、携帯端末を確かめるとたしかに幾つか曲名の名前で登録があった。
一か月共にいたのだ。
それらは初めて耳にする曲ではないし、歌詞も頭に残っている。
むしろ陽の下が似合う少女達だろうに、存外に荒々しく勇ましい歌ばかり歌うのだなぁと感嘆していたのだが。

――何度だって声をあげながら
――行くんだラビリンス・レジスタンス
――刺さった心臓を貫く矢を、自分で抜きながら


135 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:01:26 OEqn.5E.0
この曲が一曲目の順番で並べてあったのは、共犯者(マスター)でありたがる少女の、明確な意図があってのことなのかもしれない。
言葉では上手く励ませないから、せめて歌でもと。
私と違って、優しい人だと心から思う。
これからあなたのサーヴァントは、あなたに対して優しくない言葉を発するかもしれないのに。

たてつづけに知らされる、嫌がらせの気配。
嫌がらせの対応には、もとを断つ以外にもう一つ、避けられないことがある。
耐えることだ。
眼前で悲劇を見せられても、焦って飛び出さず、非情に徹すること。
己はそれをこれから、己と違って非情にはなれない少女に突きつけるかもしれない。

己は何も怖くはない。
孤独を隠すのが、時おり痛いだけ。
彼が隣にいないから、寂しい。
彼が心に住んでいるから、戦える。
私が愛するものまで奪うな壊すな消してしまうなと、声をあげられる。
聖杯などに頼るまでもない。
何億何兆、那由他の先だろうと、生き死にも宇宙も通り越して、私の魂は彼に捕まったままだ。

だが、彼女は己と違って、恐ろしいだろうに。
そして、己と違って、寂しいことを隠せていないのに。

――つくづく、似ていない依頼人(マスター)から呼ばれたものだ。

【世田谷区 七草にちか(弓)のアパート付近/一日目・夕方】


136 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:01:44 OEqn.5E.0
【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:健康
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:283プロダクションの包囲網について対策を取る。その為に存在Nのライダーと接触を図りたい。
3:いざとなればマスターを信頼できるサーヴァントに預けて、手段を選ばない汚れ仕事に徹する。マスターには復讐にも悪事にも関与させない。
4:『光月おでん』を味方にできればいいのだが
5:"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と嫌悪。『善なる者』なら蜘蛛を制するのではないかという読み。
[備考]ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
七草にちか(弓)と七草にちか(騎)の会談をセッティングする予定です。

【世田谷区 七草にちか(弓)のアパート/一日目・夕方】

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、赤い怒りと青い憂欝
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わなくなっちゃった……どうしよう。
1:アイドルをやっていた方の七草にちかとそのサーヴァントに窮状を伝えたい
2:霧子、プロデューサーさんと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した奴を絶対に許さない。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
幽谷霧子に対して、皮下病院の現況のSNS情報と、今夜は病院に戻らない方がいいのではないかというメッセージを送りました





アサシンのサーヴァント、伏黒甚爾が同盟者『M』からの依頼を果たすにあたって、どうしても釘を刺さねばならない存在がいた。
依頼人(マスター)、紙越空魚である。


137 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:02:07 OEqn.5E.0
283プロダクションの更なる追及が確定した時点で、考慮に入れなければならないのは星野アイおよびそのライダーが『収獲をせしめていく』展開になることだ。
まず、星野アイとライダーの主従は、やや無軌道なきらいこそあれ、決して愚かではない。
その決して愚かではない主従が、神戸あさひの炎上を通して『協力者“M”の実力』――指定したマスターをいつでも社会的に潰すことが可能――を目の当たりにすることになった。
先に挙げたどちらの場合であっても、ライダーたちは283プロに対してあげた功績を手土産として『自分たちの方が有益に働くことができる』と同盟の席に連なることを希望するだろう。
そのパターンは、旨くない。
いざという時に星野アイたちのMに対する発言力が増すばかりでなく、状況の手綱を、こちら側ではなくライダー側が握ることになる。
勝ち残るにあたって必要不可欠となる、『いずれMたちの裏をかいて同盟相手をも殺しつくす』という好機が転がり込みにくくなる。

よって、現状『協力者が283プロの調査、攻撃を要望している』という情報は星野アイたちには伝えない。
これは大前提に置く。

だが、この大前提にもほころびはある。
星野アイのライダーが根城としている業界は、おそら
そして、こちらのマスターである紙越空魚が必ずしも同盟にとっての利益優先で動かなくなったことも、既に露呈した。
あの二人ならば、『伏黒を介して間接的にMの恩恵に預かるより、いざとなれば伏黒を切ってMと直接に同盟した方がメリットが大きい』という算段には既にしてたどり着いていることだろう。

もしも紙越空魚と星野アイの関係がおかしくなるのが神戸あさひを排除しろと依頼する『前』だったならば、ここまでMの実力を派手にアピールするようなやり方は避けるように指定したところだったのだが……実際の順番が逆であった以上は仕方ない。
こうなれば、こちらは『アサシン(伏黒)を仲介せずにMを利用することはできない』という状況を維持する必要がある。
だが、櫻木真乃はすでにして星野アイとライダーが己の利用対象だとほぼ所有権を宣言しているようなものだ。
ここで『283プロについて調査、攻撃を行いたい』とでも星野たち側に伝えれば、『そういうことなら攻め手は櫻木真乃と同盟している自分達が行う』と前に出てくることは火を見るより明らか。


138 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:03:57 OEqn.5E.0
すいません、ペーストをミスりました

>>137 はなかったことにしてください


139 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:07:27 OEqn.5E.0
283プロダクションの更なる追及が確定した時点で、考慮に入れなければならないのは星野アイおよびそのライダーが『収獲をせしめていく』展開になることだ。
まず、星野アイとライダーの主従は、やや無軌道なきらいこそあれ、決して愚かではない。
その決して愚かではない主従が、神戸あさひの炎上を通して『協力者“M”の実力』――指定したマスターをいつでも社会的に潰すことが可能――を目の当たりにすることになった。

そして、こちらのマスターである紙越空魚が必ずしも同盟にとっての利益優先で動かなくなったことも、既に露呈した。
あの二人ならば、『伏黒を介して間接的にMの恩恵に預かるより、いざとなれば伏黒を切ってMと直接に同盟した方がメリットが大きい』という算段には既にしてたどり着いていることだろう。

もしも紙越空魚と星野アイの関係がおかしくなるのが神戸あさひを排除しろと依頼する『前』だったならば、ここまでMの実力を派手にアピールするようなやり方は避けるように指定したところだったのだが……実際の順番が逆であった以上は仕方ない。
こうなれば、こちらは『アサシン(伏黒)を仲介せずにMを利用することはできない』という状況を維持する必要がある。
だが、櫻木真乃はすでにして星野アイとライダーが己の利用対象だとほぼ所有権を宣言しているようなものだ。
ここで『283プロについて調査、攻撃を行いたい』とでも星野たち側に伝えれば、『そういうことなら攻め手は櫻木真乃と同盟している自分達が行う』と前に出てくることは火を見るより明らか。

また、ライダーからも情報提供を受けた『殺し屋の子供達』が283プロダクションを標的に定めたらしいというネタはMから受け取っている。
これを利用しようとしても、『星野アイのライダーが子供達に詳しかった――どころか、おそらく関係者である』という一点が厄介になる。
協力関係は不可能だとしても、子供達を利用して283プロへの再襲を誘発する、ないし283プロ洗い出しのための情報提供をしようとしたところで、ライダーを通さずに事を勧めればライダー側からも子ども達側からも必要以上の反抗を受けかねないということだ。

アヴェンジャーに情報を露呈した時は判断力を疑ったものだが、今になって見ればライダーの立ち回りはバカにできたものではない。
アヴェンジャーに敢えて同盟相手をちらつかせたこと。
子供達の危険性を、関わった全ての主従に対してアピールしたこと。
櫻木真乃を管理下に置きたがった事。
行動を通して見れば、『自分を介さなければお前達の必要な行動はとれない』という状況作りに対して、常に余念がないのだ。
生前に中堅管理職でもやっていた経験があるのか、と勘繰りたくなるところだが、さておき。

先に挙げたどちらの場合であっても、ライダーたちは283プロに対してあげた功績を手土産として『自分たちの方が有益に働くことができる』と同盟の席に連なることを希望するだろう。
そのパターンは、旨くない。
いざという時に星野アイたちのMに対する発言力が増すばかりでなく、状況の手綱を、こちら側ではなくライダー側が握ることになる。
勝ち残るにあたって必要不可欠となる、『いずれMたちの裏をかいて同盟相手をも殺しつくす』という好機が転がり込みにくくなる。

よって、現状『協力者が283プロの調査、攻撃を要望している』という情報は星野アイたちには伝えない。
これは大前提に置く。

だが、この大前提にもほころびはある。
星野アイのライダーが根城としている業界は、おそらく裏社会の中でも『ヤクザ』に相当するジャンルだろう。
彼らに伏黒以外のパイプがあるかどうかが確定していない現状、伏黒がコネクションを繋がなくとも彼らの方から『企業とヤクザの繋がり』を介してMに触れる可能性は無きにしもあらずということ。
もしもMの陣容と接触すれば、彼らは『283プロダクションを調査、攻撃するなら任せてくれ』と申し出るだろう。そうなれば、結局は危惧していた通りのことになる。


140 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:09:17 OEqn.5E.0
故に、星野アイたちを絶対にこれ以上Mと関わらせないまま事を進める為の方策は存在しない。
であれば、逆に利用する。

櫻木真乃と関わるであろう星野アイ、283プロダクションそのものと対立するだろう子供達。
彼らをプロダクションへの『削り』として標的を消耗させ、彼らを乗り切るようであれば背後からの一撃として自ら黒幕の特定、攻撃を行う。

そして、ただ『削り』の期間に指をくわえて静観するのみである事もない。
直接的に関わってくる連中を283の黒幕が『偽の目標(ゴール)』として対応している間に、他の脆い箇所を穿っておく。

その手段として望ましいのは、具体的な功績を手土産として、『Mの陣営へと足で乗り込む』ことだ。
デトラネット本社にいるであろうMと直接に対面し、そこにいるのであればMのマスターや他の同盟者の存在を確認する。
Mの抱えている陣容の内訳次第で、どこまでの局面で利用できるのか、どこまでで相手から切られる前に切ればいいのかについてアテがつけられる。見たいのはそれだ。
故に、プロダクション内部の人間の誘拐して、『使い方はMに任せる』と引き渡すという形が望ましい。
もし誘拐するにはサーヴァントが強すぎるようであれば、偽装を凝らし情報だけでも引き抜くか、弱みを握る。

その標的は、櫻木真乃以外から選び抜く。
元より、明日にイベントを控えているアイドルを誘拐など仕様ものなら星野アイまでも騒動の渦中に置かれるため、『それ以外にするしかない』というのが実情ではある。

どこから選ぶかと言えば、デトラネットから手渡された『怪しむべき芸能関係者』のリストには星野アイと櫻木真乃をのぞいても十人前後ほどの名前と写真があった。
その写真のうちの一枚を、伏黒は紙越空魚に提示する。
櫻木真乃に紙越空魚本人が近づくべき理由は、もう何もないことを解いて聞かせるための説明として。

「いやいや、いくら何でもこれはあからさま過ぎて逆にないでしょ」

写真を見た、空魚の第一声はそれだった。
写真を指差す空魚の人差し指は、写り込んだ少女の肌部分にまかれた包帯を示している。

仮にこのアイドルの手の甲の下に令呪があるとしたら、予選の期間ずっと包帯を腕に巻いたままで、世間の目に触れるようなことを続けてきたというのか?
正気の沙汰とは思えない所業だ。
『手の甲に何かありますよ』というアピールをしながら多数の人眼に触れ続けるなんて、マスターだとしたら自殺志願者の類としか思えないし、『サーヴァントの方もちゃんと止めろよ』と第三者ながらツッコまずにはいられない。
まして一か月以上もの間怪我をした振りを装うなんて、聖杯戦争の関係者でなくとも指摘の嵐になりそうなものだろう、が。

「俺だって見た時はそう思ったさ。だが、当人は『こういう売り方をしています』と仰ってるんだそうだ」
「はぁ?」


141 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:09:44 OEqn.5E.0
「なんでまた」
「居住地が皮下病院なんだよ。で、そこの院長もマスターじゃないかってネタが協力者から上がってる。
そこにタイミングよく病院が襲撃されたってニュースだ。もう確定だろ。
保護者が被害届を出さないんなら、誘拐事件に発展しようがない」

寮監としての監督不行き届きを世間から咎められないためにも、病院施設の破壊を受けて対応の余裕がないだろうという意味でも、皮下病院は誘拐されたことを明るみにしない。
もし病院の方でも283プロダクションを疑っていたならば、283が幽谷霧子を病院から匿っていると誤認してくれる可能性もある。
そうなったときは、皮下病院の方から勝手に、283プロへの追及の手を厳しくしてくれるというわけだ。

「だから、今夜はしばらく出る。幽谷霧子を本命にするか、削りに使ってる連中が本命に回ってくるかはその時しだいだが、一つ言っておくぞ」

立ち上がり、見下ろす。
当初の用件であり、そしてここまで長々と語った目的である『釘』を刺しこむ。

「もし283プロダクションにお前からアプローチするような事があれば、同盟者経由でもそれ以外でも、仁科鳥子について手に入った情報はお前に教えない」

天与呪縛は、聖杯戦争の絶対的ルールである『令呪』についても適用される。
それは、伏黒甚爾が表立ってマスターに逆らったところで、マスターは命令で縛ることができないという結果をもたらす。

「……なんでですか。あなたに自分の願いは無くて、私の依頼のために戦うって言ってたのに」
「暗殺者に、護衛の依頼なんて専門外だ。ついでに、ころころ依頼の中身をすり替えられても対応する余地なんて無いだろうが」

今までで最も感情的な――どうにかして否定したいという意地の宿った眼光に見上げられた。
そんな眼を向けられたところで、存在を否定されることについては慣れを通り越している。
だが。

「殺すだけの男として、一つ忠告するぞ」

こいつは、『誰かを否定できる』程度には自分を上等な存在だと思えているんだな、と理解したので。



「生き延びたかったら、自分も、他人も、尊ぶな」



仮に仁科鳥子とやらがいなければ、その自己肯定も無いのだろうと思いながら言い切った。
紙越空魚は、ひるまずに答えた。


142 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:10:09 OEqn.5E.0
「鳥子が尊くないなら、生き延びたって私の人生は零点だ」

正解。
この女をイカレきれてない存在にさせたのが何者なのか、それが当たった。
その人間がいなければ零点だったと断言するような、つまらない人生が先にあり。
無い無い尽くしだった掃きだめの中から、あるものだけで組み上げた部品によってつくられた人でなしと自己認識して。
他人は要らず、己を満たそうという欲なんてもっと要らない、一人だけで完結するはずだった人生。

――これまでたいそうさんざんな目に遭ったけれど、この女に会えたのだから自分の人生を肯定してやってもいい。

そんな想いをとっくの遠くに廃棄してきたのが伏黒甚爾で、現在進行形でそう思っているのが紙越空魚だ。

――つくづく、似てない依頼人(マスター)から呼ばれたもんだ。

【世田谷区・空魚のアパート/一日目・夕方】

【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:健康、憤慨
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を探す。
0:どうするか―――。
1:『善意で鳥子探しをしてくれる』協定を結ぶために、アイ達の介在しない場で櫻木真乃と接触したかったけど、ダメになった。
2:アイ達とは当分協力……したかったけど、どう転ぶか分からない。


143 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:10:25 OEqn.5E.0
【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:健康
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
1:マスターであってもそうでなくとも幽谷霧子を誘拐し、Mの元へ引き渡す。それによってMの陣容確認を行う。
2:仁科鳥子の捜索はデトネラットに任せる……筈だったんだがな。
3:ライダー(殺島飛露鬼)やグラス・チルドレンは283プロおよび櫻木真乃の『偽のゴール』として活用する。漁夫の利が見込めるようであれば調査を中断し介入する。
4:ライダー(殺島飛露鬼)への若干の不信。
5:神戸あさひは混乱が広がるまで様子見。
[備考]※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。

[全体備考]
①【一日目・夕方】に、神戸あさひは新宿区・皮下病院の近隣小学校に出現したのではないかと思わせる書き込みが投稿されています。
②新宿区の住民から通報を受けて、【一日目・日没】の開始前後頃に、警察の公式アカウントより『神戸あさひ少年が手配されるべき事件はない』との公表および拡散があります。


144 : 醜い生き物たち(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2021/10/25(月) 00:10:42 OEqn.5E.0
投下終了です


145 : ◆0pIloi6gg. :2021/10/25(月) 00:26:47 8Rjhkw520
>>宿業
日常が突如として異界と化す描写、その描き方があまりにも巧みでひたすらすご〜〜……と感嘆しておりました。
梨花と武蔵のやり取り自体はとてもまっすぐで微笑ましいだけに、だからこそ黒死牟と対面してからの筆致の凄さが際立って見えます。
そして黒死牟の在り方を英霊剣豪のそれ、もとい宿業のそれと重ね合わせるのがもうあまりに好きすぎる。
剣に人生を懸けて狂った二人の剣士の邂逅話、まだ戦いが始まった所とは思えないほど鬼気迫るものがありました。
一方でその傍らで梨花と霧子、互いのサーヴァントのマスター同士が接触しているという……次の話が気になりすぎる。

>>醜い生き物たち
頭が良すぎる!!!!!企画主には絶対に書けないタイプの話!!!!!!(第一声)
氏の書き手としての力量や処理能力がこれでもかと発揮された力作だったなとただただ息を呑むばかりでした。
現状のただでさえ複雑な状況をしっかりと整理しつつ動かした上で、しかもマスター達の美点も余さず描写してのける手際がお見事。
二匹の蜘蛛の暗闘の中でもそれぞれの陣営に輝きがあるのがとても素敵ですね、大好きなやつです。
あと「生き延びたかったら、自分も、他人も、尊ぶな」「鳥子が尊くないなら、生き延びたって私の人生は零点だ」は狡いと思います(遺言)

お二方、素敵な投下をありがとうございました!

死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)
神戸しお&ライダー(デンジ)
星野アイ&ライダー(殺島飛露鬼) 予約します。


146 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/25(月) 12:26:35 SoYNPNis0
七草にちか(騎)&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神一体を予約します


147 : ◆EjiuDHH6qo :2021/10/25(月) 23:00:14 lLOhp7hE0
セイバー(宮本武蔵)、アサシン(黒死牟)予約します


148 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/28(木) 18:54:28 HZPpGrog0
延長します


149 : ◆EjiuDHH6qo :2021/10/28(木) 21:00:23 wTTn.0iM0
投下します


150 : 凶月鬼譚 ◆EjiuDHH6qo :2021/10/28(木) 21:01:55 bmH19GJY0
 いざ尋常に、勝負。
 その一声と共に死合舞台は幕を開ける。

 ――先手、新免武蔵。
 音を置き去りにする鋭利な踏み込みで彼女は颶風になる。
 何の誇張でもなく、生半な剣士ではこの第一歩に追い縋ることすら叶うまい。
 剣士としては邪道なれど彼女の剣を一度味わえば誰もがすぐさま閉口しよう。
“この女……”
 黒死牟の六眼が武蔵の規格を正しく捉える。
 驚嘆と納得、二つの感情が彼の胸の内を占めた。
 自身が最期に見えた鬼狩りの柱達。
 その総力をすら凌駕するだろう剣才と年季。
 それに驚きながらも恐れはなく、黒死牟は納得する。
 やはり、我が眼に狂いはなかったか――と。
“数百年に一人の逸材…見極めなどと驕っていては、先に落ちるは我が首か……”
 昂揚に疼く心。
 だがもうその口元に笑みはない。
 迫る死線、首飛ばしの颶風――
 それに対し黒死牟もまた己の研鑽(つるぎ)で応えた。
 
 ――月の呼吸・壱の型、闇月・宵ノ宮。

 黒死牟の剣はいずれも神速。
 剣士としての力量と鬼としての身体能力が複合された対人魔剣。
 故にただの抜刀、ただの居合いであったとしても彼の攻撃は全てが必殺。
 が。たかが神速、何するものぞ。
 それしきの絶技など武蔵に言わせれば見慣れている。
“何のこれしき…、……いや!”
 神速の魔剣に対応出来る故の一流。
 そして、その先に潜む真の脅威に備えられるからこその天元の花。
 武蔵がかの霞柱と同じ轍を踏まなかったのはひとえにそこの差異だった。
「ッ……なんて剣!」
 踏み込む足を止めて右の剣で居合いと火花を散らす。
 一方で何かに備えるように残した左の剣は、乱れ咲く無数の異常事態から彼女が受ける損害を最小に留める役割を担った。
 武蔵の着物や髪の毛がはらりと舞い、その地肌にも幾筋かの掠り傷が刻まれる。
 それは紛れもない不覚の証であったが、しかし初見でこれだけの被害に抑えられたことは間違いなく破格だったと言っていい。
 最悪、一撃で趨勢が決していても不思議ではなかった。
 鍛えに鍛え抜かれた侍の剣は今や真の意味で魔剣と化している。
 その証拠がこれだ。
 刀身が振り抜かれた軌道上に生じる不可視の力場――極みの剣に潜む罠。


151 : 凶月鬼譚 ◆EjiuDHH6qo :2021/10/28(木) 21:04:05 yGfRvlKg0
“普通に打ち合ったんじゃ今の力場に斬り刻まれる。厄介ね、凄いけどとっても厭らしい剣”
 武蔵はそこに月輪の像を見た。
 研ぎ澄まされた鋭敏な五感は即座に黒死牟の剣の輪郭を見抜く。
 月とは満ちては欠けるもの。
 それと同じで黒死牟の斬撃に付随する力場は、時間経過に応じて不規則にその形状を揺らがせている。
 事前に危険を察知して迎撃行動を取ったにも関わらず武蔵が切り裂かれた理由が、それだった。
「見事…よもや、斬られる前から我が剣の真髄に気付くとは……」
「お褒めに預かり恐悦至極。こっちこそ驚いたわ、流石にこんな剣は見たことなかった」
「良い剣…そして、良い眼だ……。魔眼の類と、見受ける………」
 黒死牟の初撃を捌いたのは純粋に武蔵の技量だが。
 彼女の双眼はあまりにも爛々と、黒死牟に死の気配を感じさせていた。
 生命(モノ)を殺す――もとい斬ることに究極特化した天眼。
 死を忘却出来る肉体となった悪鬼ですらもがその眼を前にしては滅びを想う。
「次は…此方から行こう……」
 ゆらりと霞む剣鬼の影。
 それは幻惑の類ではない。
 あまりに速すぎる第一歩故に知覚が追い付かないだけのこと。
 虚哭神去。
 神が匙を投げ去った生涯を、虚ろに狂い哭き続けた愚かな男の異形刀が瞬と虚空を滑る。

 ――月の呼吸・参ノ型、厭忌月・銷り。

 虚哭神去の刀身が薙ぎ払われるなりそこを起点に二連の斬撃が奔った。
 飛ぶ斬撃という不条理を誇るでもなく当然のように実現させる力量に舌を巻いているようでは彼らの世界には付いて行けない。
 武蔵は後ろに飛び退いて距離を確保しながら月の呼吸による遠当ての斬波を自らのそれで相殺する。
 腕に痺れが走るが幸い、黒死牟は光月おでんのように頭抜けた力で押し通る質の剣士ではなかった。
 そのため無茶の割には腕にかかる負担は大きくない。
 問題は斬撃に載せられた凶悪無比な"罠"だが……そこは流石に新免武蔵。
 種の割れた手品に何度も不覚を取るようでは剣士の極みなど遥か彼方。
 凶月の攻撃範囲を感覚と記憶の二刀で見切り、舞踏家もかくやの的確な足取りで掻い潜る。
 失敗は許されない、それは即座に武蔵の首を絞める。
 二連の斬撃という分かりやすい脅威を太陽として、その後方(かげ)から黒死牟が迫っているから。
「「――――――!!」」
 両雄、再激突。
 銀と異形の刀身が火花を散らし。
 刃の軋る音が互いの耳を打つ。
 手数でならば武蔵に分がある。
 何せ元より彼女は多刀。
 小回りの利かない一刀で戦う黒死牟はどうしてもその分野においては遅れを取るのを余儀なくされる。
 が、その遅れを物ともせず剣鬼は二天一流の高みと真っ向から拮抗していた。


152 : 凶月鬼譚 ◆EjiuDHH6qo :2021/10/28(木) 21:05:06 yGfRvlKg0
“……こうなってからもずっと研鑽し続けてきたのかな”
 月の呼吸の特性と攻撃範囲頼みの戦い方だったなら遥かに対処は楽だったろう。
 しかしこの鬼は纏う死臭の濃さと比べて不似合いなほどに剣士として腕が立った。
 剣神・柳生宗矩と打ち合った時のこと。そして殺し合った時のことを思い出す。
 それほどまでの実力者――そう認めるからこそ、武蔵はやはり哀しかった。

 日も沈まない白昼に生まれた鬼の生存圏。
 そこを舞台に舞い踊る、剣士と剣鬼。
 大気が張り裂けるのではないかというほどの衝撃を伴い振るわれた大上段からの一刀。
 武蔵が受け止めれば鍔迫り合いの格好になる――黒死牟の狙い通りに。
 剣士と剣士の鍔迫り合い、その膠着を強引に引き裂く一手。
 それを指して月の呼吸・伍ノ型――月魄災禍。
 零距離で巻き起こる竜巻状の斬撃が、逃げる暇のない武蔵の身体から鮮血を散らした。

「……そんな手まであるのね。今のは正直吃驚しました」
 武蔵をしても、流石に今のは予想の範疇を超えていた。
 だから黒死牟の血鬼術が目の前に像を結んでから動くのが精一杯だった。
 地面を蹴って後ろに逃げ、距離を取り体勢を立て直す。
 しかし無茶の代償は大きく、武蔵の身体の生傷の量は数瞬前と比べ格段に増えている。
 そうだ、確かに驚いた。
 剣士であれば誰もが押し勝つことか退くことに注力するだろう鍔迫りの最中。
 まさか――剣を振るうことすらなく斬撃を放つなんて真似をしてこようとは。
“まさに剣鬼ね、相当強い。でも……私は、こうなる前の彼と戦った方が楽しめたと思うのよねー”
 それはもはや剣士の技ではない。
 技ではなく、業(わざ)だ。
 剣を振るわずに敵を斬る鬼の業。
 それを剣と信じる黒死牟を見据える武蔵の視線。
 その意味はきっと彼には分からないのだろう。
 黒死牟は静かに手を自らの首筋に当てた。
 痛みすらなく、鎌鼬にでもしてやられたように鋭利に。
 彼ほどの鬼になれば負った傷は片っ端から癒えていくが、飛沫し蒸発していくその血液が彼の不覚を証言していた。
 半ばほどまで斬り裂かれた首筋から垂れる血を拭い、濡れた己が手を見つめる。
「離脱する際の僅かな間隙に、私の頸を狙うとは…無茶な真似をする……」
 宮本武蔵の魔眼――もとい天眼が齎すのは可能性の収斂だ。
 あらゆる手段を講じて頸を斬る。
 そう決めた武蔵の刃は限界の向こう側にさえ辿り着く。
 僅か一秒の離脱劇の中にあった、その十分の一以下の須臾。
 それさえ天眼の加護篤き新免武蔵には充分すぎる試行時間。
 黒死牟ほどの剣鬼でなければ彼女がどうやって自分の頸を狙ったか特定することすら難しかったろう。
「それだけ眼があったら見抜かれちゃうか。さっきは褒めてくれたけど、正直貴方の眼も大概よ?」
 彼の風貌は異形だ。
 見る者の精神に否応なく恐怖を植え付ける怪物の形相だ。
 人の面影を残した顔に浮かぶ六つの凶眼。
 一つ一つが剣士の極北とされる領域、透き通る世界に入っている眼球を黒死牟は六つ持つ。
 少なくとも動体視力の優秀さだけで言えば黒死牟は武蔵の数段は上を行くだろう。


153 : 凶月鬼譚 ◆EjiuDHH6qo :2021/10/28(木) 21:06:42 yGfRvlKg0
「そうまでして道を極めたかったのね、貴方。殺して喰らう悪鬼外道になりさらばえてでも」
 その点に限ってだけは武蔵はこの鬼に敬意を示す。
 飽くなき研鑽への欲求。
 道の善悪正誤はどうあれ、その志だけは否定出来ない。
「人の一生は…技を極める者にとっては、あまりに短すぎる……」
 武蔵の言葉に黒死牟が答える。
 有限の生はそれそのものが剣士にとっての敵だ。
 黒死牟は心の底からそう信じていた。
 鬼となったことを悔やんだ試しは一度としてない。
「命が尽きれば…誰であれそれまで……鍛えた肉体も練り上げた技も、全てがものみな虚しく絶えてゆく………」
 諸行無常。
 誰も彼もの生きた意味を、時は無情に奪い去る。
 遥か昔の遺跡が経年で風化して消え去るように。
 肉体も技も、有形無形を問わず何もかもがいずれ失われる。
 黒死牟は――■■■■は鬼舞辻無惨の洗礼によってそれを克服した。
 鬼狩りに敗れ滅ぼされはしたものの。
 鬼になって過ごした数百年の時間は彼を生前では及びもつかぬ恐るべき魔物に変えた。
「お前も、剣に生涯を捧げた者と見える…ならば……理解出来るのでは、ないか………」
「理解は出来る。でも同情はしない」
「哀れみなど……端から求めておらぬ………」
 剣を握る手に力が籠もった。
 それを見て武蔵も力を込める。
 戦端が再び開かれる気配を間近に感じ取りつつ、武蔵は。
「一つだけ聞かせてくれる? 六つ目の鬼さん」
「……」
 無言を肯定と看做して武蔵は続ける。
 人間であることを止め鬼となり。
 その身に秘めた宿業、黒き火のままに歩む剣鬼。
 その顔を、そこに並ぶ六つに増やした眼を見ているとどうしても浮かぶ疑問がある。

「貴方は、そうまで成って――何を見たかったの?
 それとも、そうまでしないと見えないものでもあった?」

 武蔵が投げた問いかけに黒死牟は答えなかった。
 答えの代わりに彼が武蔵に見せたのは、数合の沈黙。
 それが武蔵には動揺に見えた。
 生命の欠陥を克服し夥しい数の死肉を積み上げ屍山血河を築いた鬼には似合わない人間味。
 そんなものを見たものだから、武蔵には分かってしまった。
 今しがた自分が投げかけた質問。
 彼の胸の中に秘められたその答えこそが、この剣鬼の原点(オリジン)なのだと。


154 : 凶月鬼譚 ◆EjiuDHH6qo :2021/10/28(木) 21:08:10 yGfRvlKg0
 武蔵の役目は彼の怨嗟を鎮め慰めることではない。
 彼女は人斬り、人でなし。
 戦場に事の善悪無しとは誰の言葉だったか。
 黒死牟が何を想い何を追ったのか。
 そして今、彼は何処を目指しているのか。
 全て武蔵には関係のないことだ。
 武蔵に求められるのはこの外道を斬ること。
 黒死牟の禍刀が鎌首を擡げるのと武蔵が地面を蹴るのは全く同時のことだった。

 もはや視認さえ困難な超速の太刀が幾重にも交錯する。
 響く音の鋭さたるやそれそのものが凶器として成立しそうな程。
 武蔵の戦いが文字通り何でもありなことは午前中の一悶着で証明された通りだ。
 しかしこの黒死牟はそもそも彼女に剣以外何も使わせない。
 使う余地を与えないというのが厳密には正しいだろうか。
 極端に隙のない剣戟は曲芸の介入する余地を許さない。
 否そもそも出そうとした瞬間に黒死牟がそれを潰す。
 こればかりは武蔵のスタイルとあまりに相性が悪すぎた。
“何やら奇策を打とうと試みているようだが……無駄なことだ”
 透き通る世界。
 とある鬼は至高の領域とも呼んだ境地。
 黒死牟の眼には武蔵の骨格や筋肉果てには内臓の動きまでもが逐一つぶさに見えている。
 それが彼に何を齎すのか。
 答えは未来予知じみた先読みだ。
“私には全てが見える。如何な奇策も分かっていれば単に滑稽でしかない”
 二天一流、新免武蔵の封殺。
 審判めいた厳粛さを伴って振るわれる虚哭神去。
 彼は完全に武蔵の二天一流をその一刀で抑え込むことに成功していた。
 防戦一方の武蔵の頬に汗が伝う。
 そして次の瞬間、彼女の耳が絶望の音を捉えた。
 呼吸音だ。
 生粋の戦闘者である武蔵は当然此処までの戦いで気付いている。
 黒死牟があの奇怪な斬撃を放つ折に必ず奇妙な"呼吸"を行っていたことに。
 それの意味するところはつまり駄目押し。
 英霊剣豪の一切を打倒した天元の花を刈り取らんと宿業燃やす鬼が振るう。

 ――月の呼吸・陸ノ型、常世孤月・無間。

 剣鬼が振るう剣閃一つ。
 しかしそこから生じた斬撃は無数。
 異形の剣が放つ異形の御業が新免武蔵に牙を剥く。
 斬破は波濤の如し。
 そしてそれに混じる凶月はもはや裁断機に等しい。
 左右に退いて避けるのは困難。
 攻撃を捨てて後ろに退き追撃を許すしか手はない、そう見える。

 しかし――ああしかし。
 見よ、武蔵の顔に浮かぶ表情を。
“何故、笑う……?”
 武蔵は笑っていた。
 黒死牟は笑いながら戦う人間というものを知らない。
 人として鬼と戦っていた頃は誰も彼もが怒っているか泣いていた。
 鬼として人と戦っていた時もそうだ。
 いつだって黒死牟が見てきた人間は喜怒哀楽の怒と哀どちらかを浮かべていた。
 例外はそれこそ鬼くらいのもの。
 そう。
 まさに。
 喜色満面に死線へと飛び込むその姿もまた――剣鬼であった。
「さぁさお立ち会い! ちょっとばかし無茶するから、そのおっかない目ン玉でよく見てなさい――!」
 武蔵の取った行動は突撃。
 黒死牟の斬撃が裁断機ならば彼女はさながら削岩機だった。
 その場に残留している不可視の力場を正確に斬りながら寄せ来る斬破を抉じ開ける。


155 : 凶月鬼譚 ◆EjiuDHH6qo :2021/10/28(木) 21:09:14 MnXifkz.0
 流石の黒死牟もこれには言葉を失った。
 出鱈目を通り越して無茶苦茶、その一言。
 今まで様々な剣士が彼の前に立ち塞がったがこんな戦い方をしてきた人間は一人もいない。
「成る程……此処が魔境と呼ばれる訳だ………」
 これが単なる無茶であったならどれほど興ざめだったろう。
 しかし武蔵は黒死牟が繰り出した道理を無理で通した。
 抉じ開けた。
 切り開いた、斬り拓いた――鬼の素首に繋がる道を。
 迫る白刃、疾風の如く。
 常世に蘇った幽けき鬼を斬るべく新免武蔵が迫る。
 それに対し黒死牟は目玉の蠢く奇怪な刀を水平に構え、受け止めた。
 受け止めた?
 ――否。

 この女は極上の剣士だ。
 三百年に一度現れるか否かの天禀だ。
 ならば斬り伏せよう。
 さすればその屍は必ずやこの身が聖杯に辿り着き、あの■を超えるための糧になるはず。
「では……私も、お前の魔に倣おう………」
 黒死牟の刀が枝分かれする。 
 目を見開く武蔵の体を押し寄せる風圧が押した。
「……まっずいなぁ。軽く追い払うくらいで済ますつもりだったんだけど」
 それは本当に風圧だったのか。
 露わになった目前の鬼の"魔"……虚哭神去の真の威容が発する威圧ではなかったのか。
「素晴らしき剣士よ…その願い、その首……今、此処に置いていけ………」
 その血肉の忌名、黒死牟。
 その骸の真名、継国巌勝。
 赤い月は頭上に非ずとも。
 彼の振るう剣こそが死合を見守る凶月なれば。
「私は貴方の運命じゃない」
 武蔵は自身の現界の意味を悟っている。
 その天眼はあらゆるモノの斬り方を教える魔眼。
 原初神を斬り消滅したはずの己がどういう因果か異界の聖杯戦争などにまろび出た。
 であればそれにはきっと意味がある。
 自分の斬りたいものがそこにいる、そういう意味があるのだと武蔵は解釈していた。
 ではこの鬼は?
 明らかに何かを追いかけた末に落ちるところまで落ちた、そんな臭いの漂うこの鬼もまたそうなのではないか。
 彼の運命となるべき相手は別にいる。
 まだそれが分からない黒死牟をよそに武蔵は一方的にそのことを感じ取り。
 しかし容赦せぬと刀を構え笑みを浮かべた。


156 : 凶月鬼譚 ◆EjiuDHH6qo :2021/10/28(木) 21:10:28 hmgEtqY20
「――でもこの武蔵。そんなに美味しそうな殺気を当てられて日和ってられる女じゃありません」
 彼らの戦いは第二幕へ続いていく。
 マスターである少女たちが偶然遭遇を果たしていることなど露知らぬまま。
 日中にありながら日光より隔絶された街角で、二人の鬼が火花を散らす。

【新宿区・路地裏/一日目・夕方】

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:苛立ち(大 ※今は戦いに集中して忘れ気味)
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:強き敵と戦い、より強き力を。
0:――いざ。
1:夜が更けるまでは待機。その間は娘に自由にさせればいい。
2:皮下医院、及び皮下をサーヴァントの拠点ないしマスター候補と推測。田中摩美々、七草にちか(弓)はほぼ確信。
3:セイバー(宮本武蔵)とはいずれ決着を着ける。
4:上弦の鬼がいる可能性。もし無惨様であったなら……
5:あの娘………………………………………
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。

【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:全身に複数の切り傷(いずれも浅い)
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴が見たら鯉口チャキチャキ
0:まずいな〜……ちょっと乗ってきた……
1:梨花の元に戻る。セイバー(黒死牟)とはまたいずれ。
2:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
3:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
4:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」


157 : ◆EjiuDHH6qo :2021/10/28(木) 21:10:47 hmgEtqY20
投下終了です


158 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:05:43 Vms3kREk0
投下します


159 : パ・ド・ドゥは独りで踊れ ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:06:42 Vms3kREk0




───空、太陽が朱く輝いている。

電車の窓ガラスから差し込む朱の光は強く、緩慢に流れ去っていくビルの陰に遮られなければ、思わず手の平で視界を覆い隠してしまいそうなほどだ。地平から不吉に膨れ上がる入道雲は黒く染まり、遠景のビル群に覆いかぶさらんばかりである。地上に伸びる影は人も建物も異様に長く、黒く、まるで世界が赤と黒という二色明暗のコントラストに塗り潰されてしまったかのようだった。
がたん、ごとんと揺れる車内。満員電車とまでは言わずとも、それなりに人が乗っている車両ではあったが、物音を立てる乗客はおらず、ただ線路を走る車体の揺れる音だけが、嫌に存在感を伴って耳に届くのだった。

『もしかしたら、なんですけど』

彼女は、乗席にちょこんと座る七草にちかは誰ともなく。
掴まる者のいないつり革が運行に合わせて僅かに揺れ動くさまを見ながら、声ではなく念話で呟く。

『私に用がある人って、プロデューサーってことはないですかね?』
『いや、その可能性は低いだろうな』

姿なき声───ライダーたる青年に即答されてしまった。

『そう、ですかね……Wさんは283プロにいるって話で、プロデューサーは私に話があるってことで、点と点が繋がったぜ!って思ったんですけど……』
『まあ、あり得ない話じゃないけどな。そもそもの話、マスターに用がある人物がプロデューサーでその仲介をWに頼んだとして、その後にプロデューサーが別口で接触を図るのはおかしな話じゃないか?』
『あ……なるほど、確かに』

そっか、ならWとプロデューサーは無関係なのか……と考えたところでふと気づく。
あれ? 283の事務所を纏めてくれたのに、プロデューサーとは面識がない?
そういえば梨花ちゃんから聞いた真乃さんも、話を聞いた感じWさんとか事務所のあれこれには関わってなさそうな雰囲気だったし……
事務所の主だったメンバーと連絡を取れてないのに、事務所をまとめたって?
あれ、もしかしてWさん、思ってたよりポンコツ……?

『なんとなく、考えてることは分かるぞマスター。Wとプロデューサーとの間に繋がりがないのはおかしくないか?ってことだよな』
『あ、えっと……まあ、はい。それだけじゃないんですけど、実際のところ今の283プロってどういう状況なのかなって』
『単刀直入に言ってしまえば、火薬庫、だろうな』

え?
と、思わず念話ではなく声に出して漏らしてしまう。
無意識の呟きに気づき、慌てて周囲を伺うも、周りの人間は特に気にはしておらず、ほっと胸をなでおろしたところで、にちかは改めて問いかける。

『いやどういうことですかそれ。確かに咲耶さんの炎上騒ぎとかありましたけど……』
『そうだな、全容を話すと結構長くなってしまうんだが、それでもいいか?』
『いいですよ、バッチシOKです。というか話してくれないと酷いんですから』

分かった、と一言。そうしてライダーはおもむろに語り始める。


160 : パ・ド・ドゥは独りで踊れ ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:09:53 Vms3kREk0

『まず前提として、Wが283プロを掌握してるという仮定は半分正解で半分間違いだってところからかな』
『いや意味分かんないですよ』
『経営や事後処理といった、いわゆる"表の仕事"という意味では、283プロは既にWの掌中にある。
けど裏側……"聖杯戦争絡み"の面では、あいつは恐らく283の人員を掌握しきっていない』

言い方は悪くなるけれど、と注釈。

『Wからの連絡の後、283プロのホームページを見せてもらったけど、本当に大した手腕だよ。
事情を知った上で注意深く見れば数週間単位の以前から、少しずつアイドルや事務所の仕事量を減らし、ユニット内でのメンバー同士の繋がりまで薄くしていってることが分かる。
本来の目算なら、聖杯戦争の本戦が始まるまでには283プロを事実上の休業まで移行させたかったんだろうな』
『え、やば。何やってんですかあの人』

ライダーの話が本当だとすれば、つまりWというサーヴァントは本戦どころか予選期間の内からずっと暗躍していたことになる。
「咲耶さんがまずいことになったから場当たり的に何とかしてくれたのかなー」とかぽけっと考えていたが、もっとずっとヤバい人だったのか。

『じゃあ尚更、事務所の人たちがマスターかどうかなんてすぐ分かるんじゃ……』
『社会戦と魔術戦じゃ勝手が違う。俺も異能の系統としては科学畑の人間だから強いことは言えないが……恐らくWは魔道に疎い、少なくとも魔術側でなく通常の社会で偉業を成した人間なんだろう。政治家やコンサルタント、あるいは企業家や探偵が近いところかな。
サーヴァントの反応や魔力経路の感知は同じサーヴァントの身でも肌感覚だけじゃ難しいし、いくら仲良しの事務所でも全員を集めて「マスターの人は挙手して」なんてできるはずもない。
とはいえ全くのノータッチというわけでもない。白瀬咲耶への対応や、マスターにコンタクトを取ってきたことからもそれは明らかだ。事務所関係者のマスターへの対応が些か性急なのは、そもそも「縁者同士がマスターとして選ばれている」可能性に気付いたのが白瀬咲耶の騒動を契機としたものだったから……というのは穿った見方か』

これが一つ目の前提、とライダーの言。

『そして二つ目の前提として、今の東京では人知れず暗闘を繰り広げる二つの陣営が存在するということ』
『あっ……そういえばライダーさん、スマホでそんなこと言ってましたね』
『ああ、よく聞いてたなマスター。厳密には「今分かってるのが二つ」というだけで、実はもっと煩雑化した勢力図が存在するのかもしれないが、そこは一旦置いておく。
Wが掌握しつつある283プロを中心とした陣営と、それに敵対するもう一つの陣営……便宜上「蜘蛛」と呼ぼうか。それが存在してるんだ』

がたん、ごとん。
列車は揺れる。声はない。
ただ静かに、揺れるがまま、にちかを乗せた列車は目的地へ進行していく。

『Wと敵対しているという言葉は、厳密には正しくない。より正確に言えば「周囲全てに等しき悪意を向けている」と言ったほうが正しい。
それに両陣営は恐らく一度も接敵していないだろうし、互いの素性も知らないかもしれない。少なくとも俺がWと会話した段階では、互いが互いを炙り出そうと躍起になっていたんだと思う』
『その心は?』
『白瀬咲耶炎上の一件は、特定陣営を狙い撃ちにする目的で行われた悪行じゃないからだ』

つり革が揺れる。
人の波もつられて揺れる。
その動きをなんとなく目で追う。意味はない。

『蜘蛛が最初からWと283プロを目の仇にしていたなら、もっと直接的な手段に訴えることもできた。社会的な目を気にした、というのもあるんだろうが、自分達から疑いの目を逸らした上で陣営ごと危害を加える手段なんてそれこそいくらでも存在する。
その時点での蜘蛛の目的は聖杯戦争の関わる全ての陣営に対する牽制と、自分達が暗躍するための地盤の整地だと予測できる。白瀬咲耶炎上はそのために撒かれた多くの悪意の一つに過ぎないんだろう。
そして、それがたまたまWにとっての地雷だった』

Wは言った。自分の目的は「マスターを"悪い子"にしないまま元の世界に帰すこと」だと。
彼の言を完全に信用するならば、Wのマスターは聖杯に懸ける願いを持たず、W自身もその行いに賛同するスタンスであるということ。
彼が283プロという、社会的な影響力はほぼ皆無で人材も機材も絶対的に数が足りず、隠れ蓑と利用するにも不適格な中小プロダクションを基点としたのは、やはりそれだけの理由がある。


161 : パ・ド・ドゥは独りで踊れ ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:12:06 Vms3kREk0

『Wが多くの時間をかけて283プロの事務所と人員を守るように動き、そして白瀬咲耶に手を出した蜘蛛への迎撃態勢を整えていることから、彼のマスターは283の関係者である可能性が極めて高い。
所属メンバーをネタにした脅迫や人質のリスクを真っ先に潰しマスターへの精神的負担の軽減を最優先していることから、想定されるマスターの人物像は多感な時期の被保護者であることが浮かんでくる。
俺はWを信じると言ったけど、理由の一つはこれなんだ。弱みに付け込んでいるようで気分はあまり良くないけどな』

つまるところ、Wは最初から「マスターの心身を守るというそれだけのために283プロを長期的に運営していた」ということになる。
白瀬咲耶の失踪とそれを利用した悪意の一手は、その発生自体は恐らく偶発的なものだったのだろう。それが283プロに飛び火し、Wは対症療法的な対処に追われた。
それは彼のマスターを守るため必要な処理であったし、実際その手際は見事なものだったが、結果としてWという「社会の裏側で暗躍する影」を浮き彫りにするものとなった。

『蜘蛛にしてみれば僥倖どころの話じゃなかっただろうな。今の東京に蔓延る黒い噂や事件の数を見るに、裏で放たれる悪意は俺達が認識している数倍・数十倍の数になるだろう。
そうして他者を嵌め殺せたらそれでよし、存在を浮き彫りにできればそれもよし、失敗したらその部分だけを足きりにする。そして無作為に放った一手がWの陣営を捉えてしまった。
前にも言ったけど、白瀬咲耶が実際に聖杯戦争のマスターだったかどうかは、この際重要じゃない。重要なのは社会規模で283プロへの注目が集まったこと、そしてWをその後処理に注力せざるを得ない状況に追い込むことだ』

そうして出来上がったのが現在の構図。
今までは散発的に蜘蛛糸を放つだけだったのが、両者共明確に己が獲物を射程圏内に捕えたという事実。

『Wも蜘蛛もどちらとも社会という網を媒介に立ち回る陣営であればこそ、そして蜘蛛がWの逆鱗に触れた以上、両者の衝突は必至だ。
今までは互いが互いの影を捉えられなかったから間接的な、言ってしまえば遠回りな暗闘しか繰り広げられなかったが、ここからはより直接的な攻撃も行われるだろう。
いや、もしかしたら既に襲撃を受けているのかもしれないが』

Wが自分達に直接連絡を寄越したこと、これも改めて考えると拭えない違和感があった。
影ながら利用したいのならば、それこそプロデューサーや社長といった面々を通して話をつければいいだけのこと。にも関わらず現実はこの通りで、ならばそこにある背景とは何なのか。
恐らく余裕がないのだ。時間的にも人員的にも。万全に万全を期した石橋を叩いて渡る方式では既に手が足りず、やむを得ず安全性の一部を犠牲にした。

『えっと、あれ? つまり私達、実は結構まずい状況……?』
『それを覆すためにも、俺達は今プロデューサーの元に向かってるんだ』

先刻届いたメッセージ、Wとの関係を持たず聖杯戦争のマスターとしてにちかへのコンタクトを図った男を思い返す。
「電話をかけてくれたらいい」「でも俺はにちかと直接会って話したい」と……たった一か月離れただけなのに、なんだかとても昔のように感じる彼の声と仕草が、自然と頭の中に溢れてくるようだった。

『あれ、私としては本当にただ会ってみたいって思っただけなんですけど……』
『もちろんそちらの理由もある。ただ、今後のことを考えると、どうしても彼の力が必要になってくるんだ。
さっきも言ったけど今の283プロは火薬庫で、聖杯戦争周りでは未だに十分な連携が取れていない。そしてプロデューサー……マスターの話を聞く限り、あの事務所をまとめ上げるに足る人物は彼を置いて他にいないと断言できるだけの人材が、やはり聖杯戦争のマスターとしてこの東京に在ってくれるなら、俺は是非とも彼の力を借りたいと思っている』

元来、アシュレイ・ホライゾンは大した男ではない。
力は足りない、頭も足りない。覇者を穿つに足る運命も持たず、自分ひとりで為せることなどたかが知れた一介の凡人だ。卑下でも過小評価でもなく、客観的な事実としてアッシュはそれを認識している。
そんな自分が、曲がりなりにも英雄の一角としてサーヴァントと押し上げられたのは何故か。その生涯において成し得た功績は一体何がために達成できたのか。
決まっている。俺に力を貸してくれた、たくさんの人たちがいてくれたからだ。


162 : パ・ド・ドゥは独りで踊れ ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:13:14 Vms3kREk0
『Wは傑物だが手が足りない。そして俺も、それを賄えるだけの力はない。だから素直に協力を求めたいと思う。
俺は外交官ではあったけど、あんまり頭は良くないからさ。生きてた頃も、調査や解析を担当してくれた人、様々な予測を立てて状況を整えてくれた人、そうしたみんなを取りまとめて指揮を執ってくれた人……。
そうした人たちとの協力があって、俺はようやく俺の仕事をこなすことができたんだ。それは今この瞬間も変わらないし、そうした実利を度外視しても、やっぱり手を取り合えるならそうしたいんだ。
ああ、もちろんマスターだって例外じゃないぞ? 何でもないと思ってるかもしれないけど、マスターの決断があってこそ、俺は動くことができてるんだから』

と、にちかのネガティブ発言を先回りで阻止するような締めの言葉を投げかける。
なんだか子供扱いされてるようでヤだな、見た感じ同年代なのに……と考えたところで、ふとにちかの頭にひらめきが走る。

『まあつまり、Wさんと蜘蛛がバッチバチに睨み合っててチョー危険、っていうのが283の状況ってことなんですよね』
『ああ、そうだけど……どうしたマスター?』
『ふっふっふー。ライダーさん、私気付いちゃいましたよー! これからは名探偵にちかと呼んでください!』

脳内でピタリと当てはまった符号。コ●ンや金田●少年を読んでいて「あ、これこういうトリックなんじゃない?」と思い当たった時特有の高揚感がにちかの全身を駆け巡る。
まあ、それで当たった試しはないんだけど。

『え、ああ、うん。何を気付いたんだマスター?』
『ライダーさんの話だと蜘蛛は色々手広くやってるみたいじゃないですか。
つまり! 色々できるだけの組織力!を持ってるというわけで、思い当たるところが私にはあるんですよぅ』

そっかー、マスターはすごいなー、というライダーのやや棒読みな声も、今のにちかには賛美に等しかった。
絶対の自信を持って、にちかは告げる。

『ずばり! 蜘蛛の正体は峰津院財閥だと思うんですが、どうでしょうかっ!』
『……』
『どうでしょうかっ!』
『………………………………』
『どう、でしょう?』
『えっとなマスター。気持ちは分かる、気持ちはすっごく分かるんだけど、はっきり言うぞ。
峰津院だけはあり得ない』
『え、なんで?』

割と素の声だった。


163 : パ・ド・ドゥは独りで踊れ ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:14:44 Vms3kREk0
『いやでも、あの峰津院ですよ?
なんかよくは知らないですけど、大企業をいくつも囲ってるとか、政府も従えてるとか、日本のお金の何%とか持ってるみたいなこと言われてるあの峰津院ですよ?』

峰津院財閥の名は、この東京においては絶大な知名度を誇るものである。
民間企業、地方自治体、各種省庁や役所、官民問わぬあらゆる機関に対して強いコネクションを持ち、保有する財源と人材もまた圧倒的な一大組織だ。
はっきり言って、サーヴァントとか聖杯よりもぶっちぎりで眉唾な存在だった。なんか昔のラノベや少女漫画に出てきそうだな、というのがにちかの感想であり、当然元の世界でこんなアホみたいな規模の財閥なんて見たことも聞いたこともない。
東京を割と忠実に再現している界聖杯に、彗星の如く現れた異常存在、それが峰津院財閥だ。こんな見るからに怪しいのが、まさか聖杯戦争に全くの無関係とかあり得ないだろうと、そう考えるにちかの考えは至極尤もなものではあるのだが……

『いや、俺も峰津院は聖杯戦争に関わってると思う。流石にこれを無関係と断言はできないしな……』
『じゃあ、なにゆえ?』
『今までの悪事自体が、峰津院が仕掛けるにしてはチャチすぎるからだよ』

改めて口調を正して、アッシュは続ける。

『マスターの言う通り、峰津院の社会的規模は大きい。大きすぎる、ド外れていると言っていい。俺も多少なりとも調べたけど、まあ出るわ出るわ反則じみた権力の数々。はっきり言って強権と特権の塊だなあの組織。政府中枢に食い込んでるって話もあながち嘘じゃないと思うぞ。で、そんな超巨大組織の打つ手が一アイドルの炎上騒動、っていうのは正直考えづらい』

巨大な存在が小さく動くには、むしろ相応に大きく動くよりもよほど大量の労力が必要となる。
峰津院はやろうと思えば、それこそ東京を社会的にも物理的にも地盤からひっくり返すことができるほどの力を有している。ならばこそ、余計な労力をかけて卑小な悪行を繰り返す理由が、少なくともアッシュには思い浮かばない。
仮に、聖杯戦争の流儀に従って社会の裏での暗闘で戦ってやろう、という型に嵌った人物が峰津院の長であったのだとしても、やはりこれはおかしな話であった。蜘蛛の動きは明らかに法や人心を前提とした動き方である、峰津院の規模にはそぐわない。

『これもさっき言った前提の話だが、この聖杯戦争には社会的な混乱を引き起こした際のペナルティが存在しない』

Wや蜘蛛の暗躍、都市伝説にあるガムテープ姿の少年少女の虐殺者集団、頻発する連続失踪事件……例をあげればキリがない。
本戦開始時における通達から見ても分かる通り、与えられたロールを逸脱する行いを制限する文面は一切存在しなかった。
この前提と峰津院の存在、そして蜘蛛たちの動きを鑑みれば、見えてくる事実がひとつ存在する。

『蜘蛛の動きは、闇夜に紛れて姿を隠すものだ。法や社会の目を気にして動く、裏側の人間と言っていい。法や社会の目なんて、この聖杯戦争じゃ意味を成さないにも関わらず、だ』
『それは……居場所がバレたら色々まずいからじゃ』
『特定の守るものがあるWはその通りだが、蜘蛛はそうじゃない。明確な守勢を取るWとは違い、蜘蛛は終始一貫して攻める側、「社会的規範を逸脱した行動をとり続けた」側だ。にも関わらず、蜘蛛はある一定のラインを越えることなく、表舞台に姿を現さないギリギリの境界で活動している。それは何故か』

決まっている。法や社会など歯牙にもかけない、より圧倒的な力を持つ者の目を掻い潜るためだ。

『蜘蛛が気にしているのは法や社会ではなく、峰津院。現代社会の規範すら越えた法を布く巨大組織に他ならない。
Wの側が一か月の時間をかけて目立つことなく283プロの経営方針を変えていったのも、恐らく同じ理由だろうな。そうでなきゃ、もっと他にスマートなやり口はいくらでもある。
例えば……マスター、神戸あさひという少年の炎上騒ぎは知っているよな』
『えっと、はい。というかさっきライダーさんと一緒に見た奴じゃないですか』

白瀬咲耶に代わり、今のネットでのトレンドは「神戸あさひを許すな」というスローガン(?)を掲げた正義の人たちによる糾弾騒ぎだ。
話を見るに金属バット片手に街を練り歩いてる危険人物で、昨今の連続失踪事件も彼の仕業だとかなんとか騒がれているらしい。
「僕は絶対神戸あさひを許しません。見てろよあさひ、絶対捕まえてやるからな! チャンネル登録とオンラインサロンの案内は……」とかまくし立てるカバ似の男の動画を見て辟易した気分になったことを、にちかは覚えている。


164 : パ・ド・ドゥは独りで踊れ ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:15:49 Vms3kREk0
『白瀬咲耶炎上の一件は既に終わりを迎えている。騒ぎ自体はまだ続いてるけど、これ以上の進展はないという意味で終わってはいる。
だからこそ、Wと蜘蛛の暗闘は次のステージに移ったわけなんだが……』
『それが神戸あさひ炎上騒動?』
『同様の手段であることは確かだ。目的としてはやはり炙り出し……とはいえこの神戸あさひという少年が聖杯戦争関係者なのは間違いないだろう。白瀬咲耶炎上の一件でマスターたちの目が否応なしに動いた以上、今度ばかりは偽物を使うメリットが存在しない。
それで、彼には殺人や誘拐の疑いがかけられているわけだけど、それはあくまでネットの自称識者が言ってるだけで、警察や公的機関では一切取り扱われていないんだ』

つまり、ライダーが言いたいのはそういうこと。

『これが峰津院の仕業なら、まず間違いなく実際の罪状と逮捕状を取りつけて関係機関に捜査させるだろうな。それだけの力はあるし、やらない理由が存在しない。
なにせこれは、炙り出しと同時に神戸あさひという一マスターへの攻撃なんだから、追い詰めない手はない。後で回収し恩を売りつけて利用するにしても、陥らせる危機は大きいほうが都合がいい。
にも関わらずこの詰めの甘さは、やはり峰津院のやり口にはそぐわないんだ』

峰津院は聖杯戦争に関わってると悟られないため? いいやそうではあるまい。
極端な話、峰津院というだけで既に疑いの目は無くせない。にちかでも一人で辿りつけた疑惑なのだ、聖杯戦争の知識を得た者であるならば、真っ先に疑ってかかるのは峰津院で相違あるまい。

『けどマスターの目の付け所は悪くないと思うぞ。実際、ある程度の組織力が無ければ一連の騒動は起こせない。となれば公的機関ではなく民間企業、それなりに巨大な組織が蜘蛛の隠れ蓑と考えるのが妥当ではある』
『大企業……って言っても、東京にはほんと腐るほどありますよねそれ……』

東京は経済と流通の中心地。本社はそれぞれ別としても、数多くの企業が立ち並ぶ経済都市と言って過言はない。
一般に大企業と言えるだけの社が、果たしてどれほどあるだろうか。正直にちかはそんなもん考えたくはなかった。ぶっちゃけ気が遠くなる。

『それを踏まえて、俺としては神戸あさひとは一度接触してみたいんだが、大丈夫か?』
『え……理由を聞いてもいいですか?』
『俺達の最終目的は聖杯戦争からの脱出、そのための手段としてスフィアブリンガーの発動を提案したわけだが、そのための情報は絶対に必要だ。集められる時に集めておきたいというのが一つ』

神戸あさひの現状は、言ってしまえば孤立無援と言う奴だ。
彼がどこまでネットに依存した生活をしているかは分からないが……自分のそうした現状に気付くだけの余地はあるだろう。
ならばこそ、下手な者ではパニックに陥るか、性急な行動に移って身を晒すか、はたまた自暴自棄になり周囲全てが敵に見えてしまうような精神状態にもなりかねないのだが。
さて、逆に考えて今の彼らをわざわざ討ち取りたいと考える者は、果たしてどれだけいるだろう?

聖杯戦争とは一つしかない椅子を奪い合う戦いだ。途中でどれだけ偉大な戦果を残そうと、最後の一戦だけ敗れ去ってしまえば意味はない。倒した数だけ特典が貰えるルールならともかく、無駄な消耗はどの陣営も抑えたいのが本音だろう。
ならばこそ、全陣営どころか東京中のNPCにまで顔と名前が知れ渡った、孤立無援の神戸あさひを自分の手で殺す意味とは、いったいなんだ?
283プロのように、マスターの嫌疑がかけられ在籍主従の数も全容も知れぬ一件目とは話が違う。神戸あさひは明確な素性を明らかにされ、同時に助けの手を差し伸べられる可能性も極めて低いことは明確である以上、今後の盤面において難敵として立ちはだかる可能性もまた非常に低い主従であると判断ができる。
自分達に害を為す可能性が低い主従は、むしろ放置して他の主従と削り合った末に退場してもらうのが一番の理想である。むしろわざわざ騒乱の渦中に飛び込んで危険に身を晒すなど、よほどの目立ちたがり屋か考えなしくらいしか実行はしないだろう。
そしてそうした陣営は、既に予選期間でその大半が脱落しているはずだ。
ならばこそ、神戸あさひは一種の台風の目として機能していると言っていい。誰もがその存在を知りながら、誰も手を出さない腫物主従。彼ら自身が無差別に殺戮を繰り返す危険人物であるならともかく、そうでないならむしろ接触に際する危険は最小限に抑えられる。


165 : パ・ド・ドゥは独りで踊れ ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:18:32 Vms3kREk0

『二つ目としては、彼らとも同盟を組める余地がある。戦力は少しでも必要だし、協力できるならそれを厭う理由はない』
『……なんかこれしか言ってない気がしますけど、訳をどうぞ』
『彼らは嵌められた側だから、嵌めた奴には怨みがあるってこと。蜘蛛に対する共闘を条件に出せば、交渉の余地は十分にある』

何より彼ら自身が有力な情報源になる可能性も高い。
曲がりなりにも蜘蛛の陣営に目をつけられて利用された以上、その行動を逆算していけばどこかに蜘蛛と繋がる接点は存在するのだ。
ならばこそ、現状霞に紛れるが如く影を掴ませない蜘蛛たちの所在を突き止める、最大のカウンターにもなりかねない。

『けどまあ、この一件もWが対処するとは思うから、そういう台風の目状態も長くは続かないと思うんだけどな』
『どうしてそう言い切れるんです? 咲耶さんのは283プロのことだったから、ってのは分かるんですけど、今回無関係じゃないですか』
『むしろそれと地続きの話になるな。先の一件で、Wは明確に蜘蛛に遅れを取っている。Wの働きで被害は最小限にまで食い止めてはいるんだろうけど、それでも受けた被害は決して無視できるものじゃないし、何より社会的な騒動のペナルティが存在しないのと併せて「炎上の一手は有効である」という前提は残したくないはずだ。
言ってしまえば今の283プロは、蜘蛛の模倣犯をいくらでも呼び込んでしまえる状態にある。そうした意味で、蜘蛛以外の陣営にも釘を刺すためにこの炎上騒ぎには関わってくるはずだ』

炎上騒ぎの真実に気付き、283プロに悪意を以て関わろうとする輩にこう告げるのだ。「お前たちもこうなるぞ」と。
下手に関われば逆に首を狩られかねない、そうした脅しを含めた対策を、彼らはきっと取るのだろう。

『何よりあいつは───そういうのを許せない人間だろうからな』
『? ライダーさん?』
『ああいや、こっちの話』

怪訝そうな顔をするにちかを前に、霊体化したままのアッシュは、困ったような笑顔を向ける。

実のところ最初から思っていたことがある。アッシュの推測から導き出されるWの人物像と比較して、一連の情報戦はあまりにも露骨すぎると。
無論そこにも戦略的な理由はあるだろうし、手段を問えないほどに切迫した状況にあったというのも事実ではあるだろう。しかしどうにも、必要以上に背負い込んでいるというか、彼一人で全てを飲み下そうとしているような違和感があったのだ。
何も知らない状態ならば、あるいはギルベルト・ハーヴェスのように他者の一切を利用して使い潰す印象を抱いただろう。あるいはファブニル・ダインスレイフのように、己という一個の存在を以て世界に相対する肥大化したエゴの片鱗を感じただろうか。
今は違う。実際に話をした彼は、決して光狂いのような狂人でも人でなしでもなかった。嫌な奴ではあるけれど。
そうした在りかたには覚えがあった。アッシュの平凡で幸せな生涯において、常に傍にいてくれたひとりの伴侶の存在だった。
レイン・ペルセフォネ───ナギサの名をした彼女は、きっとそのような人間だった。
ひとりで何でも抱え込んで、自分は大丈夫だからと共に背負うことも許してはくれないひどい奴だ。光狂いのように「本当に大丈夫」な人種ではないのに、歯を食いしばって耐えて耐えて、そうしてひとりで墜落していくのだ。
かつての自分は、落ち行く彼女の手を掴むことができたけど。
果たして、Wと名乗った彼の手を掴んでくれた人間はいたのだろうか。

いずれにせよ、生涯を全うしたサーヴァントの身では詮無きことではあるのだが、とアッシュは思考を打ち切る。車内には、次の運行を告げるアナウンスが流れていた。


166 : パ・ド・ドゥは独りで踊れ ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:19:33 Vms3kREk0
『あと一駅で到着だな』
『そうですね……うーん、頭痛くなってきた……』
『ちょっと一気に話し過ぎたな、悪かったよ』

なんて笑うライダーの声に、ぷんすかと本気ではない抗議の声を届けてから、ふぅと一息つく。
落ち着いて思考を冷ましてみれば───どうにも、ふわふわした脱力感が全身を覆っていたことに気付く。
きっと、ああしてライダーと話をしていなければ、この浮ついた気分のまま、意識さえ浮遊してまともではいられなかったのだろう。
理由は何故か、自分でも分かる。
白瀬咲耶が死んだという、たった一つの理由だけだ。

薄情な話だが、にちかは咲耶が死んだと聞いた時も、その事実を現実だと受け入れた時も、別に悲しくはならなかった。
涙の一つも流れなかった。本当に酷い話だと思う。
にちかの胸にあったのは、悲しみではなく喪失感だった。
近しい者の死とは、概ねそうしたものだろう。死者を悼む悲しみとは、死という現象ではなく記憶が誘うものだ。
そして悲しみを感じるには、彼女の存在は新しすぎた。これは単に、それだけの話だった。
お母さんやお姉ちゃんが死んだら絶対に泣くのだろう。美琴さんも多分そう。プロデューサーは、どうなのだろう。泣けるだろうか。そうだったら、多分私は私を見限らずに済むと思う。

ふと、手元のスマホを覗き込む。そこには咲耶の失踪を記す文面があって、今まで何度も読んだそれが、どうにも空寒い感覚として目を通じて脳に訴えてくるかのようだった。


『白瀬咲耶失踪事件。
発生年月日:令和3年7月29日
発生場所:東京都江東区

令和3年7月29日午後10時20分以降から
東京都在住の女子高生 白瀬 咲耶(しらせ さくや)失踪時17歳
が所在不明となっています。

また、令和3年7月29日午後10時、江東区のコンビるニエンスストア店内において、防犯カメラに白瀬咲耶さんの姿が見確認されています。
同氏は東京都中野区に在るアイドルプロるダクション「283プロダクション」に所属するいアイドルグループ「アンティーカ」の一員であり、
ワンダー・アイドル・いノヴァ・グランプリでの優勝をるよきっかけに高い人気を持ち、
てい今年注目される新人アイドル特集にも抜擢されるるよなど、今後の活躍がるよ期待さているれる人物でもありま見ていしたるよ。
警察機よ関の発表によ見ていりますと捜査は依いるよ然難航見てしてよおり、見ている関係よ見てい者か見ているらの不安の声も見ているよ。
少見ているよ情報るよ見ているよ見てい事件るよ見ているよ見殺人ているよ君を見ているよずっと見ている見ているよ見ているよ見ているよ』


「─────────っ!」

ぞっ、と怖気が走ったのは一瞬だった。
背筋に氷を入れられたような寒気を感じ、"ばっ"と顔を上げた瞬間、更なる異常がにちかを襲った。


167 : パ・ド・ドゥは独りで踊れ ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:20:20 Vms3kREk0

「……は?」

誰もいなかった。
ついさっきまで人ごみで満杯だった車内は誰もおらず、寒々しいまでの伽藍の空間に、白い電灯の明かりが煌々と照らしている。
誰もいない。思わず立ち上がり、左を振り返り、右を振り返り、しかしにちかのいる車両もその先の車両に至るまでも、誰の影も見えはしない。
何時の間にか列車は止まっていて、特有の音も揺れる感覚もなかった。
何よりおかしかったのは、外の景色だ。夜だった。今は確かに夕方であるはずなのに、眩しいまでの赤い夕焼けが差していたはずなのに、今は向こうが何も見えない黒一色の闇だけが、列車の窓から見える景色の全てだった。

「な、に……これ」
「下がってくれ、マスター」

知らぬ間に実体化していたライダーが、既に抜き身の刀を提げて、片手でにちかを制する。
その表情は真剣そのものであり、その視線は何もない虚空の一点を見定めている。
いや違う、そうではない。何もないのではなく、にちかの目には何も見えないというだけなのだ。

しん、と静けさだけがそこにはあった。音は何もなかった。にちかの首を伝う汗も、衣擦れも、自分の内から響く心臓の煩い鼓動も、確かに耳に届くのに、それを音と認識できなかった。
音はないのに、空気は重かった。今まで認識もしていなかったそれが、今は鉛の質量を伴って肩にのしかかってくるような感覚。体はおろか、指の一本さえ動かせない。視線を逸らせない。筋肉が硬直したように固まって、末端がぷるぷると震えるのを止めることができない。

「出てこい、そこにいるのは分かっている」

ライダーの声に答えるように───

『 ンン 』

───闇が、嗤った。

それは、闇が人の形を取ったような存在だった。
ライダーの睨む先、何もないはずの虚空が「ぬるり」と揺れたかと思うと、水面から水死体が引き上げられるかのように、人の形をした何かが、滑るように姿を現したのだ。

それを一体、何と形容したら良いのだろう。
それは男であり、怪異であり、異常であり、何より全てが昏かった。
"何も見えない"のだ。その瞳は黒く、黒く、そして何も映していない。確かにこちらを見ているはずなのに、自分達など目に入らないと言いたげな漆黒の虚無。
だが一つだけ分かることがある。これは、紛うことなき敵であり───


「お初に、お目にかかりまする」


説得などできようはずもない、人道から外れた"外道"そのものであるのだと。


168 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/10/30(土) 22:21:12 Vms3kREk0
前編の投下を終わります。後編も期間内には投下します


169 : ◆EjiuDHH6qo :2021/10/30(土) 23:12:28 NKAf2JqM0
飛騨しょうこ&アーチャー、松坂さとう&キャスター予約します


170 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/01(月) 00:04:35 LVqnEJ/k0
予約を延長します


171 : ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/01(月) 06:58:12 Zx.noO6k0
皆様、投下お疲れ様です。
そして、以前のWモリアーティに引き続き、外部の絵師様より支援イラストの第2弾を頂きました。
今回は神戸あさひ&アヴェンジャー(デッドプール)の2名になります。
ttp://uproda11.2ch-library.com/e/es000165644615874411264.jpg

また、今回のイラストについてもSNSなど外部へのアップロードはご遠慮頂けるとありがたいです。


172 : ◆A3H952TnBk :2021/11/01(月) 20:46:09 XaQMwDa60
>>171
わぁ〜〜〜ッ支援絵ありがとうございます!!
ノリノリでピースしてるデップーとちょっと困惑気味なあさひくんのツーショットかわいい……!!


173 : ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 21:52:03 tby00kFs0
後編の投下ですが、期限内の投下が無理でしたので、一旦予約を破棄にします。
企画のルールに則り、この日にSSが完成しましても、5日間のインターバルを置いた後に再投稿をしたいと思います。
インターバルの間に予約が入った場合、その予約された書き手様の本を重視致します。
長期間のキャラクター拘束、申し訳御座いませんでした


174 : ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:18:31 tby00kFs0
一応、例にもよって文章の塊を投げる事になりそうなので、中編と言う形でいったん刻みます
投下します


175 : ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:18:57 tby00kFs0
 あんなバケモノ共の伏魔殿なんかいられねーや、とばかりに退散した場所は、見慣れた皮下医院――ですらなかった。
本来であれば、カイドウが繋げたポータルは、あの病院の院長室と連動していた筈なのだ。全く、異なる場所に飛ばされた。
病院の内部どころか、外近所ですらなく――寧ろ、病院からかなり離れた、草っ原の上に、皮下は着地したのである。
遠く離れた場所には池があり、更には、売店のようなものまで確認出来るではないか。一般市民に向けて、開放されている公園の類である事は、間違いない。

「此処は……」

 場所は直ぐに解った。
大火の焔を映したような、薔薇色の輝きを帯びた夕の空。沈みゆく太陽は世界の果てに刻々に滑るように近づいて行く、燃え盛る一滴の黄金のようで――
その黄金の落涙を背に、皮下が佇む場所から更に遠く、NTTドコモの超高層ビルが聳え立っていた。
『新宿御苑』。間違いなく、皮下は其処にいた。

「御誂えの場所だ。殺しても、露見しない」

 10m程背後から、目下最大の強敵である、峰津院大和の声が聞こえて来た瞬間、皮下は動いた。
動いたと言っても、振り向いた訳ではない。大和に背を向けたまま、皮下の背中から白衣を突き破り、金属細胞による黒い鞭が伸びて行き、これが凄まじい撓りを以て大和目掛けて振るわれたのである。

 ガキンッと言う音が生じた。
金属質の音で、密度のある金物どうしをぶつけないと生じ得ない音である。 
事実、生やした鞭ごしに皮下に伝わっている感触は金属のそれだ。問題は、『何で防いでいるのか』、と言う事だった。
この金属細胞で再現している金属の名前は黒陰石と呼ばれるものであり、嘗ては理論上のみ存在するだとか、某国では今も軍事研究として予算が使われているだとか、
真偽様々な情報が行き交う裏社会のスパイ界隈に於いても、実在が危ぶまれていた曰く付きのそれであった。

 黒陰石は、半ば都市伝説として語られる通りの硬度を秘めており、これを相応の速度を以て投げつければ岩が砕けるし、鉄の板だとて厚さ次第で容易くバラバラにしてしまう。
それを、防がれている。少なくとも同程度の硬度の代物である事は間違いない。その正体について、一瞬思考を奪われた瞬間。
ズンッ、と言う内臓の深奥にまで響くような重低音を生じさせ、凄まじい衝撃を叩き込まれる皮下。紙くずの様に上空20mの地点を、舞っている。
空中で体勢を整え、その動作の最中に攻撃を仕掛けて来た者の正体を確認する。右腕をアッパーカットの要領で突きあげていた、峰津院大和の姿。

 そして、大和の数m後で構えている、巨大な四足歩行の獣。
遠目からライオンに見えるその動物は、鋼の様な色味の獣毛を携えており……皮下の見間違いでなければ、尻尾を含めて6mはあろうかと言う、
神話の世界から抜け出して来たような怪物だった。その怪物は皮下目掛けて大口を開けた状態で睨み付けていた。――その獅子の口腔には、橙色の炎で形作られた、紅蓮の球体が鎮座していた。

「ばっきゃろう……!!」

 慌てて皮下は斜め下の地面目掛けて、身体から黒い槍を伸ばした。芝に、槍が突き刺さるや、それを伸縮させ、一瞬でその場から消え失せる
皮下が芝生に着地するのと、皮下がつい半秒前まで吹っ飛ばされていた場所に、獅子の口から放たれた大火炎のビームが通り過ぎて行ったのは殆ど同じタイミング。
火炎のレーザービームは、そのまま新宿のあらゆる摩天楼よりも高くに伸びて行き、そのまま雲まで貫かん、と言う所で消失した。
皮下の目測では、葉桜適合率に極めて恵まれた、アカイの炎よりも遥かに優れている。喰らっていればまさに、骨は勿論灰の一握りすら残っていなかっただろう。

「ライオンがペットかよ、汚い金持ちじゃねーんだからさ」

 欲しいものをあらかた手に入れ終えて、今ある予算の内で現実的に買えるものを探すのではなく、莫大過ぎる予算を減らしたいから趣味じゃない物を買う、
と言うレベルの金持ちがこの世の中にはいる。そう言う連中は大抵、金があっても国際法上、輸入は勿論市場に出回る事も、そもそもそれを取引する市場がある事すら許さない、
珍しい代物を欲している事が多い。絶滅危惧種などまさにそれで、ライオンは特に人気のある商品の一つである。


176 : ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:19:50 tby00kFs0
「私の片腕とも言える獅子だ。お前も今に、ケルベロスの異の中に消える事になる」

「旦那と言い夜桜と言い、イヌコロ一匹に大げさな名前付けやがってまぁ……」

 あの怪物の一族と言い、目の前の大和と言い、ペットの名前に付けるセンスは似通るのかと皮下は思う。……まさか目の前のあの銀獅子が、正真正銘本物のケルベロスであるだなどとは、夢にも思うまい。

 大和の方に身体を向けたまま、しかし、周囲の状況を意識しながら、皮下は考える。
自分の病院の事を一切意識せず戦える、と言う点で新宿御苑は彼にとって有利に働くフィールドである。
皮下が本気で相手を叩き潰すべく行動を始めた場合、あの程度の面積の施設では、1分と持たずに廃墟に変貌する。それだけの威力の攻撃を、皮下は行使出来るのだ。
患者や従業員の命については何ら問題ないが、施設そのものが消えてなくなるのは拙い。その為、あの病院内で戦うとなると、皮下としては、面倒な枷を付けている状態に等しい。
この新宿御苑では、その枷もない。思う存分、皮下は、その暴力性を披露する事が出来るのだ。

 ……ただしそれは、大和についても同じ事が言える。皮下が本気を出せるフィールドであると言う事実は、大和にしても変わらない。
寧ろ、本当に広いフィールドに移動出来て、暴力を遺憾なく発揮出来るのは、大和の方である可能性の方が高い。
この男の底知れなさは、対峙する皮下にとっては非常に驚異的だ。何をしてくるか解らない得体の知れなさをそのままに、その全てが、必殺の技と言う確信が、彼にはあるのだ。この御苑に於いては、その必殺技を全て開帳してくる前提で動かねばならない。

 ――そして、最悪ともいえる事が、

「この場所がどう言う所なのか、理解しているのだろう?」

 新宿御苑だろ? と言う、ちゃらけた返事を皮下は返さなかった。確かに、此処は新宿御苑だ。

 ……『峰津院大和が抑えている数ある霊地の一つ、新宿御苑』である。

「NPCに開放してやれよ、公共の憩いの場だろここ?」

「貴様や、他の無粋な参加者の手に堕ちるよりは、私が有効活用してやった方が願ったり叶ったりだろう」

 夕を過ぎる時間になっても、新宿御苑レベルの公園であれば、通常の場合は警備員が巡回しているし、
そもそも今の時間帯であれば、まだ善良な一般市民が憩いの場として活用していてもおかしくない。にもかかわらず、この公園には人っ子一人の気配すら存在しない。
単純な話で、峰津院財閥が『自らの権力を持ち出して本来の御苑の管理組織含めたあらゆるNPCの立ち入りを禁じているから』に他ならない。
入口を取り囲むように、バリケードも張られていた筈である。確か、表向きの理由は、地質調査の為だったか。
実際には、地質調査に必要なボーリングマシンの搬入が全くなく、これが地質調査の為でない事は土木工事に聡い者であれば誰もが理解出来る事柄であった。

 此処は既に、峰津院大和及びその財閥の持つ無尽蔵のカネとコネの力で。
大和にとって有利な作用を齎すフィールドに、改造されているに等しい場所であった。皮下は最早、相手の腹中にいるに等しい。

 NPCがいない事によって、先ず、『大和が此処で人を殺した』と言う事実が露見しない。
必然、皮下が当初考えていた、『人を殺そうとする大和のスキャンダラスな姿をNPCに見せつける』と言う作戦はこの時点で作戦足り得なくなる。
加えてもっと厄介なのが、大和がこの新宿御苑に如何なる仕込みを用意したのか、全く解らないと言う点である。
最悪、御苑全体が大爆発を引き起こすと言われても、皮下はその場で信じてしまいそうだった。それをやりかねないだけの力が、大和にはある。


177 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:20:01 tby00kFs0
「此処に飛ばされたの、アンタの仕込み?」

 皮下がそう尋ねるが、流石に口を滑らせる手合いじゃない。
不敵な微笑みを浮かべて大和は相手の問いを黙殺する。まぁ、そりゃ言う訳はねぇわな。皮下は素直にそれ以上問う事はしなかった。
カイドウのポータルは間違いなく、座標を皮下医院に設定した物だと思っていた。それを此処まで狂わせるとなると、あの規格外のランサーが何かしでかした、そうと思うのが常だろう。大和と、あのランサーならば、意図的に此方に有利なフィールドに、ワープ先を書き換える。それ位の事は、するだろうと皮下も思っていた。

 実は大和本人からしても――新宿御苑に飛ばされたのは、全くの予想外の事だった。
大和もまた皮下同様、空間の裂け目を通り抜けた先はあの病院だと思っていたし、それを想定した戦い方も頭の中で練り上げていた。
にもかかわらず、実際に大和と皮下が現れた場所は、――大和にとっては嬉しい誤算だが――新宿御苑であった。

 『特異点』、ベルゼバブの持つ、ランク化されていながら、その実、規格外のスキルの一つが作用したのであろう事は間違いない。大和はそう睨んでいた。
ベルゼバブの持つスキルや宝具はどれも具体的で、用途も明白。それでいて、どれもこれも極めて強力な物ばかりが揃っている、と言う隙の無い構成だった。
そんな中で唯一、特異点と呼ばれる要素についてだけは、抽象的なそれであった為に、大和の印象に強く残っていた。
ベルゼバブの話に曰く、因果すらも捻じ曲げるに足る力だと言っていたが、それが意味するところは、大和の知識を以てしても定める事は難しい。
2つ程確かな話があるとすれば、ベルゼバブは間違いなく大和に気を利かせてこのような場所に転移させたのではないという事。
そして、大和にとってこの場所は、己の神威を発揮するにはうってつけのものである、と言う事であった。

「砂時計の砂は、全て落ちた」

 着流していた黒いロングコート、そのポケットから大和は一つの物を取り出した。銃か、と皮下は思った。大和なら携帯していてもおかしくないと思っていた。
……実際にはそんな生易しい代物ではなく、見るからに、対峙する者にとっては、それが確実に此方に『最悪の結末』を齎し得るだけの代物である事を悟らせる、
不吉のオーラを禍々しく醸し出している代物であった。大和の握る代物は、鋼に似た質感の、鉄片のようなものだった。ナイフの刃に似た形状をしている、艶やかな鉄の剥片。

「夢見の時は過ぎた。地獄が呼んでいるぞ、皮下」

 其処まで言うと、大和が右手に握っていた鉄片が、カっと輝きだし、光が収まると、彼の手に剣が握られていた。 
如何なる技術で鍛造されたのか、想像だに出来ない程、澄んだ青い剣身が特徴的な西洋剣。とてもじゃないが実戦を想定した作りには見えない。
それこそ、富豪が玄関先や、私室、コレクションルームにでも飾っておくような、宝飾品のような扱いの代物であろう。
だが、そんなようなお飾りの代物ではない事など、皮下でなくとも誰だとて解るであろう。美しさ以上に……、あの剣には、拭いきれぬ死の臭いが漂っている事を、皮下は感じ取っていた。

「家の総督が何気なく口にした言葉があってね。結構、心に残ったからよ。それを以て、アンタへの返事とさせて貰うぜ」

 不敵な笑みを浮かべるや、皮下の双眸に、淡い文様が光った。桜の花びらを模した、夜桜の、スティグマが。

「人の夢は終わらねェ」

「死ね」

 皮下の姿が、高速の移動によってその場から消えた瞬間、戦端は切って落とされた。


.


178 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:20:23 tby00kFs0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 地獄について、どう言う物を連想するかと尋ねれば、返って来る答えは様々な物があるだろう。
人によって、類型は様々だからだ。尋常ではあり得ぬ空の色、人の血の様に赤い水、生命の色どりが一切感じられない禿げた山に荒れた大地。跋扈する、鬼や羅刹の獄卒達。
まるで悪い事をした子供に対しての戒める為の、脅し話、その中に出てくるような。或いは、日本人になじみ深い、仏教の宗教観そのものの地獄のような。
自分が幼い頃に、教育の為に使われて来たあらゆる戒め。そして、自分が信ずる宗教観が説く所の、不心得者や悪人が、死後に行き着く先。
そう言ったイメージを、地獄に対して抱く者が多かろう。他方そうではなく、大切な誰かを失って、それでも、今を生きて行かねばならないその現状をこそ、
地獄と認識する者もいるだろう。二度と面も拝みたくないような者がいるのにそれでも日々の生活の為に、それでも、足を運ばなくてはならない場所。其処を地獄と認識する者も。

 人によって、何を地獄と呼ぶかは様々だが――。
恐らく、今新宿に起きているこの現状を、地獄か、この世の終わりが。遂に、現実と言うヴェールを破られて剥き出しになったのだと。認識する者がいても、何もおかしな所はないであろう。

「なんだよ、何が……何が起こってんだよ!!」

 外回り中のサラリーマンが空とスマートフォンを同時に眺める。
空の色は、まるで、血で濡らした刷毛で何度も撫でて見せたように、真っ赤に染めあがっていた。
手にしたスマートフォンはと言うと、市街地の真っただ中、Wifiも電波の飛び方も良好なそれであるにもかかわらず、完全に圏外となっていた。

「お母さん……」

 怯えた様子で子供が、窓から空を呆然と見上げる母親にしがみ付いた。
まるでイチゴをピューレにしたような、鮮やかに赤い積乱雲が、地獄の魔城の如くに空に浮かび上がっていて、その雲が、幾度となく雷を閃かせていた。

「……」 

 制服に身を包んだ女子高校生が、スマートフォンを取り出して、公園の時計を撮影していた。
F1カーの、スピードメーターの様に、信じられない速度で時計の長針と短針が回転しているのだ。
世界の時間が正しいのか、それとも、この時計の方が正しくて、自分の身体は時計の針が回っている通りに老いているのではないか? 
それが少女には解らなくて、恐怖と、それでも、この状況を誰かに教えたくて動画を撮ってはいるも、電波が繋がらない為誰にもその状況を伝える事が出来ない。

 新宿の、その区画だけが、あらゆる因果から切り離され、隔絶された、別世界にでもなったみたいだった。
この世界が、誰から見ても異常な空間である事は歴然としていた。当たり前の話だった。
『ある区画だけ空の色が明瞭に真っ赤で、雷が轟いていて、雨も降りだしているのに、その区画より外は雲一つない夕空である』などと。
子供であっても、その風景の異常さが露わであろう。神話や説話の中に語られる、宗教の世界観。
その一部を切り取って、我々の現実世界にペーストして上書きして見せたような、その浮き彫りになった特異さ。

 ――それがまさか、地底の奥深く。
それも、『異なる時空で戦う2名の怪物の衝突の余波が、現実世界に干渉した結果である』、と言う事実を、果たして誰が、そうなのかと受け入れる事が、出来ようものか。


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179 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:20:39 tby00kFs0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 強い者が上を喰える、と言う気風は、別に百獣海賊団だけに限ったものじゃない。
偉大なる航路(グランドライン)の常識が一切通用しない、雷神と風神の怒りの具現のような天気の数々、海神の憤怒がそのまま鏡映しになったような大シケの海模様。
そう言った場所に於いては、お行儀が良い善人男女では、悪人に食い物にされるとか以前の問題として、生き残れない事の方が圧倒的に多い。
必然、あの海で名を挙げる海賊共と言うのは、鬼神も三舎を避けるような荒くれ者の比率が高くなってしまうのだ。
何せ偉大なる航路を往く船で、沈没するかしないかの瀬戸際に立たされた場合、比喩を抜きで一秒が全ての明暗を決めてしまう極限状態になる。
その状況下では全ての動作は荒々しくなり、余人の事情など斟酌していられず、指示出す言葉も喧嘩腰の荒っぽいそれに即座に変わる。丁寧に、が通用しないのだ。

 そのような、強さが他人を判断する価値観、基準として無意識のうちに組み込まれた海賊達を、統治する術とは何か。
麦わらや白ひげと言った、仲間や子への情に訴えかける者もいれば、四皇の一人であるビッグ・マムの如く、恐怖で抑えつける手段もまたある。
無法の荒海に帆を出し駆ける、海賊共とは言えど、完全な無秩序と野放図では立ち行かない。海は、人が思い描くよりもずっと無秩序かつ無軌道で、
宝の渇望や自由への希求を容易く呑み込み粉砕してしまう無慈悲な世界なのだ。斯様な世界であるからこそ、海賊は、その組織を成り立たせる為の独自の支配体形が必要になる。

 カイドウ率いる百獣海賊団は、恐怖と放任主義の二足の草鞋を履く事で、海賊団として成立していた。
此処では歳が上だから、海賊団に尽くして来た時期が長いから、偉い、と言う年功序列の仕組みはちり紙以下の価値観でしかない。
強くて、その強さの故に打倒した奴らが多いから、偉い。功績をあげられているから、偉い。それが、絶対の基準になるのである。
他方、恐怖とは何かと言われれば、それはカイドウの事である。船のシンボルとは、即ち船首に飾る像であり、母艦の帆であり、船そのものであったり……。
百獣海賊団の場合、カイドウただ一人こそが、海賊団を象徴するシンボルマークであり、恐怖と権威の権現であり、大黒柱なのである。
力を信奉する荒くれ者ですら、機嫌を窺い媚を売り、奪った宝を貢ぐ程の、圧倒的なカリスマ性。それが、カイドウにはあるのだ。
大なり小なり、海の上では海賊団と言うのは、船長による独裁のカラーがどうしても強くなる。船長の命令には、従わなければならない。そのレベルの裁量があるからだ。
カイドウは、その色を是とし、純度を高めた海賊団と、その仕組みを問題なく運営していると言う点で、他の海賊団と決定的に異なると言えるだろう。

 ――疫災のクイーンは、そんな百獣海賊団の、上澄みも上澄み。
下っ端達が、「いつかは俺も……」と夢見る大看板を任された、最高戦力の一人であった。
下剋上を狙う者が多い百獣海賊団の中にあって、クイーンは十何年を容易く超える年数を、大看板として働き、カイドウを支えて来た古参中の古参だ。
年功序列が意味を成さない海賊団にあって、クイーンがこれだけ長く大看板の座を堅守して来たのは単純明快。彼が強いからに他ならない。勤めた年数など一切関係ない。その強さで、他を跳ね除けて来ただけなのだ。

 カイドウの活躍を間近で見て来て、彼が暴れた場所がどうなったのか、と言う事も誰よりも知っているクイーン。
海賊王に相応しいのはあの人だ、と言って誰よりもリスペクトしている男の今の姿を見て、願う。

 ――頼むからこれ以上暴れねぇでくれえええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ……!!――

 大看板と言う立場上、遠く離れて逃げる訳にも行かない。
キングと同じ位置で、カイドウと、この鬼ヶ島に現れた黒衣の不届き者……ランサー・ベルゼバブの戦いの様子を、祈りながらクイーンは眺めていた。


180 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:21:07 tby00kFs0
 宴会場は、カイドウとベルゼバブの両名の戦いに、5秒と耐えられなかった。
四方数百mはある広大な場所が、たった5秒。カイドウとベルゼバブが激しく動き回り、攻防を繰り広げるだけで、二度と宴会目的では使用出来ない程に、原形を留めずボロボロになってしまったのだ。

 ベルゼバブとカイドウは、鬼ヶ島への外へと移動し、其処で攻防を繰り広げている。
勿論、破壊された宴会場から外周へと移動する傍らにも、攻撃を両名は続行しており、その結果がどうなったのか?
400m程上の地点、より言えば、鬼の頭蓋骨を象ったような巨大な岩の構造物、即ち、鬼ヶ島の本丸の事であるが、この鬼の頭で言えば、側頭部。其処をぶち抜くように開けられた、巨大な大穴を見れば、一目瞭然と言う物であった。

 生やした鋼の翼を、音速の6倍の速度で振るうベルゼバブ。質量そのまま鋼のそれが、音を遥かに置き去りにするスピードで動く。
それによって生じた衝撃波は鬼ヶ島の本丸の外壁を、薄焼きの煎餅の如く破壊し、そのまま内部を駆け抜けて行く。
この質量とスピードの暴力を、カイドウは両手に握った金棒でガード。それによってまた、核爆発にも似た爆音とソニックブームが駆け抜ける。
発生した衝撃波は容易く、分厚い岩盤で構成された地面をバラバラに砕き、地煙を立ち上らせる。
攻撃と攻撃どうしのぶつかりあい、それによって発生する副次物で、岩盤が砕けるのだ。況や、人体など、推して知るべし。現にカイドウとベルゼバブの攻撃の衝突、その余波に直撃した何十人の部下は、身体が粉々に爆散されて死亡してしまった。

 ベルゼバブの一撃を防いだカイドウは、ゴルフのウッドでも振るう要領で、金棒を掬い上げるようにスウィング。
鋼翼を音以上のスピードで振るうベルゼバブも異常だが、それを言うなら、規格外の体格で超質量の金棒を持っているのにそれを音を超える速度で振るうカイドウの方が、
異常性の面で言えば如実であったと言える。音の、4倍。しかし、ベルゼバブはこれを見切っていた。跳躍して攻撃を避けたベルゼバブは、カイドウの胸部の高さに到達するや、
ドロップキックを怪物の大胸筋に叩き込む。凡そ、人体と人体がぶつかったとは思えない程の凄まじい音が鳴り響く。想起されるイメージは、ダイナマイトの炸裂だった。
凡百のサーヴァントなら宝具級の鎧に身を包んでいた上からそのまま即死に持ち込めるこの一撃を直撃してなお、直立の姿勢を維持したまま、十m程後退させられるカイドウ。
ランサーの攻撃を防御するのに、相当の気合いを入れて踏ん張ったと見える。後退させられた距離と同じ分だけ、岩盤の地面に、カイドウの両足と接していた所が抉れて削られている痕跡が残っていた。

 攻撃を叩き込んだ側のベルゼバブの方はと言えば、攻撃を受けた側のカイドウよりも、長大な距離を吹っ飛ばされていた。
蹴り足を延ばした状態のまま空中を舞っている状態のまま、ベルゼバブは考える。防御能力が異常である。
勿論、カイドウの側は力む事によって、叩き込まれるであろう攻撃を迎え撃った事は解る。それにしたとて、あり得ない程の肉体的な防御力だ。
両足から伝わって来た感触は、凄まじい反発力を内包したゴムで包んだ、鋼。生身の肉体が持ちうる性質からは、余りにかけ離れていた。
この防御力の前に致命傷を与えられず、無念の敗退を喫した主従も、予選の中には多かった事が、ベルゼバブには窺えた。

「――破ッ!!」

 と、カイドウが一喝したその瞬間、彼の身体から突風が発生。
明白な指向性を以てベルゼバブへと向かって行くが、その突風の中に渦巻く、真空の刃――カマイタチの存在を、ベルゼバブは理解していた。

「温い」

 空中で姿勢を整えた後、鋼の翼を、横薙ぎに一閃。
それだけで、岩の塊ですらキャベツやレタスの如く容易く両断するカマイタチの霰が、これらを運ぶ突風ごと破壊されてしまう。


181 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:21:24 tby00kFs0
「悪食な事だ。貴様、何を喰らった」

 腕を組み直立する。その姿勢で空中を浮遊しながら、ベルゼバブは言った。

「ンなもん、おれのセリフだ。テメェの方が、よっぽど理解の及ばねぇ何かだぜ」

 ベルゼバブとしては、「余と渡り合えるだけの強さを何処で手に入れたのだ」、と言う思いの方が強かったろうが、
その疑問はどちらかと言えば、カイドウの方が強かった。そしてカイドウの方は、ベルゼバブが今の強さに至れている理由が、てんで理解出来ずにいる。
カイドウが強くなった理由など、シンプルだ。海の悪魔が宿るとされる、悪魔の実。それを喰らい、かつ、その悪魔の実自体がトップクラスの潜在能力を持っていて、
かつ、実を喰らった事に慢心せず己と能力を長年鍛え上げて来たから、に他ならない。そしておまけに、カイドウ自体の素質も高かった事も、忘れてはならない。
何て事はない。鍛えたから、強い。それを地で行くから、カイドウは四皇なのである。真物になる近道も裏技も、この世にない。力を理解し、それを如何伸ばすか。強者へ至る道とは、これを実践する方法一本しか延びていないのである。

 カイドウの骨子は、海賊でありながら近道を好まぬ、真面目なそれであるとすら言える。
勿論、その近道が正しいものであるのならば利用こそするが、全幅の信頼を置いている訳ではない。
SMILEにしてもそうであった。あの主だった用途は下っ端の平均値の底上げ、つまりボトムアップに用いたのであって、
カイドウが信を置く飛び六胞以上の面々には一切使用しなかったし、幹部クラスの面々には全くSMILEの適合者は存在しなかった。
しっかりと己を鍛え、自分の手足で功績を積み重ねる。自身もそのようにして今の地位を勝ち取って来たし、そう言った部下をカイドウは可愛がる。この点に、カイドウの性格や本質が、強く表れている。

 ――してみると、ベルゼバブと言う男は、カイドウからすれば全く理解不能の生き物であった。
このサーヴァントの強さは間違いなくある種の極点に達しており、油断すれば自分だとて喰らわれる事を、カイドウは理解していた。
ベルゼバブが、今の強さにまで至った理由が、全く理解出来ない。練度は申し分ない、どころか、下手をすればカイドウすら上回っている。
だが同時に、鍛え上げただけの要素ではない事もまた、朧げながらに理解している。

 ――……こいつも、混じってねぇか……?――

 悪魔の実、と呼ばれる珍奇の果実は、それこそ生涯を海賊として貫き通したカイドウですら、その全数と全貌を把握出来ない程であった。
しかし、悪魔の実の数が星の数程あれど、この実には一切の例外がないルールが幾つか存在する。それこそが、悪魔の実は大別して三種類しか存在しないと言う厳然たる事実。
超人系(パラミシア)、動物系(ゾオン)、自然系(ロギア)。全ての悪魔の実は、この三種の内のどれかに属し、カイドウの場合はその内の一つ、動物系悪魔の実を喰らっている。
動物系、つまり、本来人間である生命に、他の動物の性質を宿させる実だ。数ある悪魔の実の中で、喰らえばその時点で身体能力が跳ね上がるのは、動物系のみ。
ライオンの力を宿した実を喰らえばライオンの噛筋力を、恐竜の力を宿した実を喰らえば恐竜の膂力を。インスタントに、得られる訳だ。
カイドウの場合は、悪魔の実全体を通してみても特にレアとされる、幻獣種、より詳しく言えばウオウオの実モデル青龍と言う、動物系どころか悪魔の実全体を見ても、上澄みの実を喰らっている。

 生身に動物の力を宿す実を喰らい、それを極限まで練り上げて来たカイドウだからこそ、解る。ベルゼバブも、同じクチだ。
但し、世界観の違いがある為、悪魔の実を食した訳ではないのは明らかだ。このレベルの存在、いようものなら世界中で噂になる。
何か異なる生命体の力を取り込んでいるのは確かなのに、それが何か解らない。或いは、本当に、神でも喰らったのかも知れない。そうであったとしても、不思議はない。目の前の、ベルゼバブであるならば。

「殺してバラせば解るか」

 金棒を、肩に背負って構え、カイドウが言った。どうあれ――こいつを殺せば、解る事だろう。

「その強度は、興味深い。身体を腑分けして、検証してやろう」

 同じ事を、ベルゼバブも考えていた。似た者、どうし。


182 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:21:44 tby00kFs0
 金棒に覇気を込め、片手で思いっきり、横薙ぎに振るうカイドウ。
届かない。金棒の範囲よりもベルゼバブは離れているからだ。だから、当たらない、と言う考えでは、即死する。
そう言う楽観的な考えでカイドウに敵対して来た者は皆、今、金棒から放たれたような怒涛のエネルギーと覇気のうねりに呑み込まれ、身体中を粉々に爆散されて、死んでいったのだから。

 無数の海賊船を海の藻屑へと沈めて来た、まさに、透明な津波そのものとすら言える覇気とエネルギーの波濤。
ベルゼバブはこれに対し、なんて事はない。サマーソルトキックの一発で迎え撃った。脚部と、エネルギーの波がぶつかり合う。
この世のものとは思えない大音と、激震が鬼ヶ島をうち叩く。思いっきり叩かれたドラやシンバルみたいに鳴動する鬼ヶ島に対し、ベルゼバブは、涼しい顔をしている物だった。堪えている様子が、欠片もない。

「意趣返しだ、くれてやる」

 サマーソルトの体勢から戻るよりも前に、ベルゼバブは――厳密に言えば、彼の鋼の翼の一片が、剥離して行った、その刹那。
一瞬にしてその破片は、一つの形に転じて行く。破片よりも、遥かに体積が大きい。カイドウは、変じたそれを見て、弦楽器を連想した。
ブラックマリアが、弾いていそうな代物だ。だが、彼女が引いていそうな三味線とは全く趣をそれは異にする。例えて言えば、その楽器は、リュートだった。
いや、厳密に言えばリュートですらないのかも知れない。それはそうだ。

 ――リュートは、その楽器本体の周りに、乱気流など生じさせない。
ベルゼバブが生み出した楽器……、厳密に言えば、アストラルウェポンの一つ、『イノセント・ラヴ』。その楽器の周りだけ、見えない何かの流れが生じているらしい。その流れに沿って、煙は楽器を避けて行くのだ。

 ひとりでに、楽器が掻き鳴らされた。
聞くだに心が洗われるような、清らかで、心地の良い旋律と共に生じたのは、スプーンでゼリーやプリンでも掬うが如くに、地殻を捲り上げさせる程の勢いの、竜巻だった。

 重さにして数tにも匹敵する岩塊ですら、パン屑の如く巻き上げられているにもかかわらず、当のカイドウは平然そのもの。 
岩が身体にぶつかる――岩の方が砕ける。
当然と言わんばかりに、竜巻内部に生じているカマイタチが迫る――薄皮一枚、裂けやしない。
最早それ自体が、対軍宝具として機能する程の大嵐の暴風域に、カイドウは当たり前のように直立し、攻撃の機会を伺っている。

「嵐を泳ぐ龍に、竜巻は効かねぇ」

「蹴りなら効くだろう」

 その、自ら生じさせた大嵐を突き抜けて、ベルゼバブが、カイドウ目掛けて音速超のスピードで滑空。
右足に、この嵐を生じさせた武器である、イノセント・ラヴが付随していた。件の神器を付けたこの状態のまま、ベルゼバブは強烈なソバットを、カイドウの鳩尾目掛けて叩き込んだ。

 カイドウを呑み込んでいた、直径にして数十m余りの竜巻。
これを容易く呑み込む規模の超巨大竜巻が、イノセント・ラヴが蹴りの衝撃で爆ぜたのと同時に、巻き起こった。直径にして、二百m超。
内部に生じているカマイタチは、それ一つが最早、凶悪な宝具の攻撃そのものと換算しても間違いないものへと変貌。
山の峰にすら、消えぬ裂け目を生じさせる範囲と威力を内包する、凄まじいものとなっていた。

 外野、百獣海賊団の面々は、竜巻の中にいるカイドウとベルゼバブの姿が、見えずにいる。
見えないで、当たり前だった。天高くまで巻き上がる砂煙は覿面に視界を遮るスモークと化すのだし、そもそもキングとクイーンを除いた他の面々は、
鬼ヶ島内部に避難し、僅かに設置された窓や穴から彼らの戦いの様子を眺めているに過ぎないのだから。それだけにとどまらず、カイドウとベルゼバブが戦っている、
まさに爆心地から彼らは一㎞超も離れているのだ。『これを越えて二名が戦っている現場に近づくと、戦いの余波で死ぬ』からである。
キングとクイーンにしたとて、カイドウとベルゼバブの居る場所から500m程は離れて注視している。これ以上は、大看板であっても危険空域である、と言う事だった。

 嵐を突き破って、一つの塊が飛び出して来た。
それが、ベルゼバブである事に気づいた者が、果たしてどれだけいた事か。
自らの意志で出て来たと言うよりも、不可抗力によって出ざるを得なかったと言う飛び出し方だった。
空中で身体を捻らせ、一回転、二回転。姿勢を制御した後に、鋼の翼を羽ばたかせ地面へと急降下。左手と両足を岩盤の地面に接地させ、吹っ飛んだ勢いを全て殺しきる。地面に、靴と指とでブレーキを掛けた、抉れと削れの跡が刻み込まれていた。


183 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:22:03 tby00kFs0
「確かに……効いた蹴りだった」

 竜巻が止む。カイドウが、一本の巨木の様に立ち尽くしていた。
あれだけの規模の竜巻の内部にいながら、彼の身体には目立った外傷が殆ど見受けられなかった。
……ただ一つ、ベルゼバブのソバットの直撃を受けた鳩尾。其処にだけは、ジワリと、赤い血が滲んでいて、痛々しい打撲の跡が確認出来た。

 ベルゼバブの場合、左掌の皮膚が裂け、其処から血がポタリと滴っていた。
これは、ソバットを受けたカイドウが、カウンターとして繰り出した金棒の一撃を、左手で受け流し――しかし、完全に威力を殺しきる事が出来なかった結果、
吹っ飛ばされたと同時に負った傷だった。この程度のダメージで済んでいる事が、奇跡だった。彼でなければ、腕の骨が折れるどころの話ではなく、金棒に触れたその瞬間に、背骨が枯れた枝の様に圧し折られていたのだから。

「木偶の棒め」

 姿勢を正し、血を流す掌に力を込めるベルゼバブ。
如何なる術理が働いたのか、見る見る内に傷口が塞がって行き、回復してしまう。

 カイドウとベルゼバブ。両名に許された、休息の時間は僅かに呼吸一回分のみ。
それで、十分なのだ。今までの攻防による疲労、呼吸の一回で、帳消しに出来る、と言う事なのだから。

 ベルゼバブが展開している鋼の翼、その左翼部分から、ナイフの剣身のような形状をした羽が複数、舞い落ちて行く。
それは、数十㎝程落下した所で、輝きと共に体積と形状を激変させる。ゼロカンマ秒の速度でその羽は、白樺を削って誂えてみせたような、光り輝く美しい槍に変貌していた。
ランスと言うよりはスピアと言うべき形状をしているそれは、見る者に、半神の英雄が振るうが如き神韻を感じさせる程の、神々しさを与える業物だ。
だが、この魔王が生み出す武器に、神々しいものなどありはしない。徹底して、必殺の武器、殺しの道具、殺戮の機構。生み出した槍の銘が例え、『ロンゴミニアド』であったとしても、この事実は、揺るぎようがないのである。

「此処からだ」

 ベルゼバブのその言葉を、カイドウは、額面通りに受け取った。
虚勢でも何でもない。カイドウも本気を出してないように、ベルゼバブもまた、あれだけ暴れておいて本気ではなかったのである。

 ロンゴミニアドの複数が、ベルゼバブの近辺から消失。恐るべき鋼翼の魔王の近くに、一本のみを残す形となる。
その一本。照準をカイドウの方に合わせた光槍が、その輝く穂先から純白の光条を射出して来た。音の、十倍。

「遅ぇ」

 見聞色の覇気を用いる事で、ある程度の先読みは出来ていたらしい。
破滅的な速度で迫るレーザーを、身体を半身にする事で回避する。確かに、一本までなら――カイドウならば――回避は容易いだろう。では――それが無数に存在したら。

 カイドウが今避けたような光線が、まさにあらゆる角度から放たれた。
背後、左右、頭上。果ては、鬼ヶ島の内部から岩壁を貫いて。レーザービームが、カイドウの巨躯へと殺到して行く。

 これをカイドウは、手にした金棒を、両手に握った状態で、振るった。
生じた風が、鬼ヶ島を象徴する髑髏の山に直撃し、巍々たる岩山を鳴動させる。起こっていたのは風だけじゃない。衝撃波も、また。
遅れて激突した衝撃波は髑髏の岩山に直撃するや、山の巨大な外殻を容易く削り取り、粉砕する。
天すらも揺れるのではないかと言う轟音と、真実、大地を轟かせる程の激震が鬼ヶ島中に走り抜ける。
ただの素振りでは、なかった。振るわれた金棒に込められた覇気は、レーザービームの軌道を捻じ曲げ、あらぬ方向へと逸らさせて行く。
放たれた光の悉くが、カイドウの身体に掠りもしない。空に向かって関数の曲線の様に飛んで行くものもあらば、地面に向かって沈んでゆくものもあるし、カーブを描いて逸れて行くものもある。それはまるで、カイドウと言う一つの巨頭に、恐れをなしているかのようだった。

 ――唯一、カイドウの威力に恐れを成さなかったものがあるとすれば……、『空間転移を以て一瞬で距離を詰めて来たベルゼバブ』位のものであった事だろう。

「オオッ!!」

 カイドウの胸部の高さを浮遊するようにして現れたベルゼバブは、右手に握っていたものを振りぬいて来た。
斧、だった。木を切る為、そんな牧歌的な目的の為に作られたそれには到底見えない。と言うより、戦いの為に作られたようにも見えなかった。
宛らそれは、神に捧げ奉る、宝物か神器のようにも見える。或いは、地上に於いて姿を持たぬ無形の神が、形代として憑依する為の、御神体か。
平伏したくなるような威厳を醸し出すその斧は、湾曲した形状が特徴的な刃で、しかも、その刃の部分はルビーの様に赤熱していた。『ソル・レムナント』。そうと呼ばれる、武器であるらしい。


184 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:22:44 tby00kFs0
 斧――ソル・レムナントが、岩山のようなカイドウの胸部に突き刺さる。
明王の胸筋に、僅かに食い込んだとみるや、斧そのものが、砕け散った。壊れたのではない。
ベルゼバブ自身が、ソル・レムナントの耐久力を超えた力で振るって、『わざと壊したのだ』。
壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)。この原理をベルゼバブは完璧に理解していると同時に、自信の鋼の翼で生み出した、宝具級の礼装なら、これが可能だと踏んだのである。

 プロミネンス、と見紛う程の巨大な火柱が、カイドウが佇む地面を割って噴き上がり、ベルゼバブごと呑み込んだ。
当然の様に、ベルゼバブには炎が通じていない。寧ろ、炎がベルゼバブのみを的確に避けているからだ。
つまり、壊れた幻想によって生じた、摂氏6000度超の焔は、カイドウのみを的確に焼いていると言う事になる。
地球上に存在するあらゆる物質をプラズマ化させるレベルの極熱の中に晒されて尚、カイドウは、大したダメージを、負っている様子すらなかった。

「フンッ」

 金棒を、フルスウィング。
台風と見紛うばかりの突風と、核の炸裂に例えられる程の衝撃波が再び巻き起こる。
生じたプロミネンスは、突風と衝撃波によって雲散霧消。攻撃の掻き消しと同時に、カイドウのこの一振りは、攻撃をも兼ねていた。
金棒は音を遥かに置き去りにするスピードで、ベルゼバブの下へと向かって行くが、これを瞬間移動でベルゼバブは難なく回避。
カイドウの背後に回ったベルゼバブは鋼の翼を首元目掛けて打擲しようとする、が。
迅雷の如き速度で振り返ったカイドウが、その振り向きの速度よりも更に速く、金棒を一振り。激突する、鋼翼と鬼の金棒。
またしても、島を激震させる程の衝撃と轟音が響き渡る。互いの攻撃は全くの互角の威力であったらしく、翼と金棒は、鍔迫り合いの体を成していた。

 5秒程、その様な状況が続く。
拮抗の時間を打ち破ったのは、ベルゼバブが先程生み出し、各所に展開していた、ロンゴミアド。
これらを壊れた幻想にする事で、蟻の這い出る隙間もない、と言うレベルの密度で、白い熱線の驟雨が放たれた。
その総数は最早、千や二千で効く数ではなく、数える事すら愚かしい程の本数に至っていた。

 一切の逃げ場がない。上下左右は勿論、頭上からすら、鋼をも容易く貫通するレーザービームが、弾幕のように迫り来る。
何て事はない、カイドウはこれを、身体に武装色の覇気を纏わせる事でガード。……いや、正確に言えば、カイドウがやったのは覇気を纏っただけだ。
防御の構えらしい構えは一切取っていない。ノーガードだ。にもかかわらず、ロンゴミアドの光条は……、一切カイドウの身体にダメージを与えない。
表皮を、軽く炙る様に焦がしただけ。数千条ものレーザービームが与えたダメージは、その程度に終わったのだ。

「憎らしい程の頑健さだ」

 ベルゼバブが空間転移を行い、カイドウから百m程離れた所まで距離を取る。
だが、見聞色の覇気により、転移先を先読みしていたカイドウは、ベルゼバブが現れた先に既に手を伸ばしていた。
指を猛禽の爪に見立てて、曲げているその様子はまるで、龍か虎の口を連想させるみたいであり――

「熱息(ボロブレス)」

 其処から、炎が射出された。
否、それは最早炎を一束に纏めた、破壊光線とも言うべき装いで、少なくとも、吐息(ブレス)と呼ばれる類のモノでは断じてあり得なかった。
何て事はない。カイドウは、龍の姿に変身せずとも、況して、口からでなくとも――この技を、如意自在に放てるのである。

 放たれた熱息が、此方に直撃する、そのタイミングに合わせて、ベルゼバブは乱雑に左腕を振るった。
百獣海賊団の誰もが、悍ましいものでも見る目でベルゼバブを見た。当たり前だ。山の頂すら吹っ飛ばす熱息を、腕の動作だけで弾き飛ばしたのだ。人の技では最早ない。
大看板の面々ですら、若干引いている目をしている中で、カイドウだけが、狂猛の笑みを浮かべて、ベルゼバブを眺めていた。
それは無限の宝を前にした略奪者の笑みでもなければ、絶望の姿を露わにする弱者を見て恍惚とする変態の笑みでもない。
戦闘の悦楽と戦争の狂楽に酔いしれる、戦争狂の笑みであった。

「惜しいな……」

「何?」

 クツクツと笑うカイドウに、ベルゼバブは、理解が及ばなかった。


185 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:23:18 tby00kFs0
「此処でテメェをぶっ殺しちまう事がよ。おれの思い描く理想の戦争……テメェなら良い駒になれると思ったんだがな」

「駒……? 貴様が如き羽虫が、余を御するとでも? 片腹痛いぞ、思い上がるな」

 カイドウの方へと歩んで近づいて行くベルゼバブ。
ベルゼバブはカイドウと戦ってから、決定打を打てていない。全ての攻撃を、何らかの形で対応されているか、ノーダメージに近いレベルで防がれている。
だがそれは、カイドウにしても同じで、ベルゼバブの気勢を挫く事も、彼に対してダメージを与える事もままならないでいる。
互いが、互いの強さを最早十分すぎる程に理解している頃合いだ。にも拘らず、ベルゼバブの足取りには一切の迷いもない。勝つのは、我。そうと信じて疑わぬ、確固とした歩みを以て、カイドウに向かって、ただ歩む。

 カイドウの方が、地面を蹴って、距離を詰めて来た。
今まではベルゼバブの方が、受けに回っていたカイドウを攻め立てると言う構図だったが、今回は真逆だった。
9mを超す図体に、数百㎏を上回る体重。巨人そのものと言うべきその巨躯からは、想像も出来ない程、カイドウは軽捷だった。
数tの金棒を手にしていてなお、その速度は、時速に換算して700を優に越していた。

 金棒を上段から振り下ろすカイドウ。
脳天から、それをベルゼバブは受け止める。脳漿と頭蓋、脳髄が花火の様に飛び散る、凄絶極まる勝利の光景を、カイドウが目の当たりにする事はなかった。
ベルゼバブの頭頂部と金棒が触れた瞬間、夢幻の様に、彼の姿が消失したからだ。超スピードによる残像の類ではない。
五感すら惑わし掌握するレベルの、強力な幻術。それによって生み出された、幻影の類だった。

 ――勿論、目の前にいたベルゼバブが幻影であった事など、見聞色の覇気でカイドウは理解していた。
だからこそ、幻影を破壊した上段からの振り下ろし、それを地面に激突させるよりも速く、急激に軌道修正、左方向に振るわせたのである。

 激突する、金棒。攻撃を迎え撃ったのは、ベルゼバブが持つ杖だった。
全長にして、ベルゼバブの身長と同じ程。白磁のような色と艶の柄に樹木が巻き付いたような意匠の杖であり、それを特異点達は、『ユグドラシル・ブランチ』と呼んだのである。

 杖を正しく、目にも留まらぬ速さで振るいまくるベルゼバブ。 
振り下ろす事もあれば、振り上げる事も、右薙ぎに振るう事もあったし、袈裟懸けにする事もあるし、突いてくる事も。変幻自在の攻め手だ。
カイドウの方も、金棒でそれをいなすや即反撃に打って出るが、ベルゼバブはこれを、もう片方の腕で握った白い槍、ロンゴミニアドで受け流して防御する。
ベルゼバブの攻撃に、ロンゴミニアドによる光線の照射も混ざり始めた。心臓、頭部、肝臓、脊椎等々。人体においての急所目掛けて、寸分の狂いなく純白のレーザーは向かって行く。
これをカイドウは、金棒を片手に持ち構え、残った側の手でレーザーを弾く事で防いでいた。究極、極限とまで言っても差し支えないこの攻防下で、
攻撃と防御を並列して行える、この判断能力と反射神経。尋常のモノでは、断じてあり得なかった。

 殆どゼロ距離に等しい間合いで、ロンゴミニアドを壊れた幻想に用いるベルゼバブ。
砕けて散った槍の破片、その一欠けら一欠けらから、レーザービームが照射される。その数、1459条。
無数のレーザーが、カイドウの胴体に集中していく。そのまま全部直撃すれば蜂の巣どころか、胴体が消失する所だろうが、武装色の覇気を纏わせて容易く防御。
レーザーを受けても、カイドウは止まらなかった。ロンゴミニアドの壊れた幻想、それによって生じたレーザーを受け止めながら、カイドウは攻撃を叩き込んだ。
この一撃と、ユグドラシル・ブランチによる痛烈な一撃が、激突。余りに強烈な衝撃の為、カイドウもベルゼバブも、仰け反った。

「チィッ……!!」

「羽虫めが……!!」

 ベルゼバブの方は、インパクトの強さに杖が耐えきれなかったのか、中ごろから圧し折られてしまい、そのまま魔力の粒子となってそれが消滅して行く。
瞬間移動を行い、カイドウから距離を取るベルゼバブ。戦っていて解ったが、カイドウは恐らく、金棒を振るうだけのバカではない。
本当はもっと、多彩な攻め方を有している筈なのだ。それは、カイドウの中で混ざり合っている、超常生物の因子に絡んだ攻撃だ。
熱線を放つ、カマイタチを放つ。このような攻撃を、本来あのライダーは多数有していて、そのどれもが並大抵のサーヴァント相手なら、オーバーキルを免れ得ぬ威力なのだろう。
何故、ベルゼバブ相手にそれを用いないのか。単純な話だ。『それらの攻撃が決定打に絶対にならない事をカイドウ自身が理解している』からだ。


186 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:24:34 tby00kFs0
 カイドウの攻撃の中で最も威力が高いのは、『自身の五体を用いた直接攻撃』。ベルゼバブは確信していた。
山を破壊する熱線、岩石や鋼すら切断するカマイタチ、大地を叩き割る稲妻。そう言った現象を用いた攻撃よりも、金棒で殴る攻撃の方が、カイドウは強いのだ。
それを理解しているからこそ、カイドウはベルゼバブ相手に執拗に金棒で殴り倒そうとするのだろう。カイドウが愚直な訳でも、馬鹿なのでもない。
『ベルゼバブを倒すに最も相応しい攻撃のみを選んでそれを徹底しているからこそ、傍目から見れば金棒を振るうしか能がないように見える』だけなのだ。

 簡単に倒せる手合いではない。
それは、今この状況に至るまで、ベルゼバブもまた、カイドウを相手に決定的な一撃を叩き込めていない事からも明らかだ。

 ――チッ……この状況、あのクソランサーの方が有利だな……――

 それは、実力的な意味ではない。カイドウと、ベルゼバブ。実力で言えば伯仲しているとすら言える。
誰が負けてもおかしくないし、共倒れでも不思議はない。状況的な意味で、この戦い、カイドウの方が不利だった。

 カイドウの持つ宝具である、『明王鬼界・鬼ヶ島』……つまり、ベルゼバブと鎬を削っているこの鬼ヶ島の事だが、
これはカイドウと言うサーヴァントをライダークラスに召し上げている要因でもあり、再現された生前の部下達が跋扈する鬼城なのである。
語るまでもなく強力な宝具であり、現実世界に展開出来るだけの魔力プールを用意出来たのならば、その時点で勝負ありが確定するレベルなのだ。

 ――このままでは鬼ヶ島が、一度たりとも東京にその威容を知らしめる事無く崩壊する。
鬼ヶ島の崩壊は、強力な宝具の消滅に留まらない。それは即ち、今の段階での魔力総量では、鬼ヶ島内部でしか生きられない百獣海賊団の面々全員の死を意味する。
そもそもの話、鬼ヶ島の破壊を憂慮する事になるとは、カイドウとしても予想外の出来事だった。鬼ヶ島は、巨大な岩山の中の城の事である。
自然による堅固な要塞に加え、悪鬼羅刹による警備体制はまさに盤石。如何なる軍師が編み出す神算鬼謀をも跳ね除けるし、外部からの対軍・対城宝具だとて、
無傷にやり過ごす。攻略不能・破壊困難。拠点を再現する宝具、と言う観点に於いては、正しく一つの到達点に達している宝具なのだ、鬼ヶ島は。

 それが、こうも容易く破壊される。百獣海賊団の構成員達が、ボロ屑の様に殺されていく。
ベルゼバブは、強い。鬼ヶ島を破壊出来るサーヴァントなど、それこそ数限られる。その限られたサーヴァントが自分以外にも存在して、しかも、
こんな早い段階から攻めてくるなど、誰が予想出来よう。戦いは、水物。いつ何が起こるか解らない、これをカイドウはかなり最悪に近い状況で思い知らされていた。

 カイドウにとっては、鬼ヶ島の崩壊させてまでベルゼバブを討ち取るか。別のアプローチをとるか。選択肢はこの2つに1つだった。
……酒に酔っていたのなら、最悪の選択肢をカイドウは選んでいただろう。数千を越す頭数の配下及び、この1か月もの間皮下が努力して拵えて来た、
諸々の下準備の全てを台無しにしてでも、ベルゼバブとの戦いを愉しむ。そんな未来も、状況によっては選んでいた。
今は違う。酔いが回っていない今のカイドウは、数千名の海賊達を率いる総督、四皇の一柱。神よ魔よと畏怖され、そのものの如くに敬意を払われて来た魔人なのである。
故に、知略を巡らせるだけの頭脳の冴えを、維持出来ている。カイドウが選んだ選択肢は、何としてでも、ベルゼバブをこの鬼ヶ島から退散させるか、殺すか、だった。

「おれは今まで、この聖杯戦争で、戦う相手戦う相手、1分と経たずにぶっ殺して来た。常勝無敗だった、って訳だ」

 一匹だけ、取り逃したサーヴァントがいたにはいたが、客観的に見て、アレをカイドウの敗北だと捉える者は先ずいなかろう。誰が見ても、カイドウが圧勝していた戦いだった。

「人間の中では、それなりにやる事は認めてやる」

「勝ちっぱなしだったからよ、冷静に考えれば、聞いた事がなかったのよ。他のサーヴァント共が、何を考えて聖杯を獲ろうとしてるのかをな」

 当然と言えば当然だし、余りにも前提条件が過ぎるので、誰も疑問にすら思わない事柄だ。
聖杯戦争に呼ばれている以上、そのサーヴァントは何かしらの願いがあって聖杯戦争の檜舞台に導かれている筈なのだ。
カイドウとて例外じゃない。自分の強さを誰しもに解りやすい形で喧伝する事が出来、カイドウであっても壮絶に散らざるを得ない、大戦争(アーマゲドン)。この勃発こそが、カイドウの目的であり、悲願だった。


187 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:25:19 tby00kFs0
「他の有象無象、雑魚共の願い何て知らねぇがよ。テメェの願いとやらに興味がある」

 カイドウですら認める他ない強さの男、ベルゼバブ。
此処まで強いのに、界聖杯を巡る聖杯戦争に参加しているという事は、鬼神の如きこの強さがありながらそれでもなお叶えたい願いがあるからに他ならない。
これだけの強さを得ていながら、この魔王は、何を渇望しているのか。如何なる星に、手を伸ばそうとしているのか。生前に叶えられなかった理想とは、何だったのか?
それが、知りたい。界聖杯は、この男のどんな欲望を、煽ったと言うのか。

「願いは何だ? 女か? 金か? 二度目の人生とやらか? 生前の後悔をこの戦争で晴らすとかかよ?」

「余の目的は、常に一つ」

 両腕を、仰々しく広げて見せ、芝居がかったような素振りを見せた後で、ベルゼバブは、言った。

「――最強」

「は?」

 予想していなかった言葉に、カイドウは思わず、そんなリアクションをとってしまった。

「全てを掌握し、支配する、万物万象の頂点。全にして、一なる者。それこそが余の望みよ。余は、全ての力を手に入れ、最強の存在に……絶対者になる定めが与えられている」 

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」

 遠く離れた大看板達にも聞こえてくる程の、カイドウの、ドデカい、溜息。 
はぐらかされる可能性も考えていたし、戦う事が望みだと言う返事も読んでいた、手あかのついた陳腐な願いだと言う筋も捨ててはなかった。
……此処まで、単純かつ幼稚願いだとは、誰が予想出来た事だろう。余りに、頭が悪すぎる。
小難しい言葉をどれだけ並べ立てようが、言っている事はとどのつまりは『世界征服』。子供の御伽噺に出てきそうな、魔王様の目的を大真面目にこの男は叶えようとしているのだ。

「……馬鹿みてぇだ」

 それは、ベルゼバブの余りにもあんまりな理想に対しての言葉だったか。
或いは――彼相手に、提案を持ちかけようとした、自分に対しての言葉だったのか。

 調略も、カイドウは得意とする。
ベルゼバブの願いを問うた上で、その願いに纏わる『餌』を用意して、共闘か、同盟に近い関係を結ぼうと言う考えも、憤懣やるかたなくはあるが、候補としてあった。
こんな願いの前では、策略も腹の探り合いも、全く意味がない。何故なら、この魔王の願いには『妥協』の介在する余地がないからだ。
四皇として。最強の海賊の一角として。その名が伊達でも張りぼてでもない事をその実力を以て証明していたカイドウには、解る。
妥協と落としどころを探る者には、頂点は獲れないのだ。最後の最後まで、夢を捨て切れず、諦めず。どんな道でも歩き続け、どんな荒海や大嵐の中でも帆を張れる。
そんな者にしか、最強の座は掴み取れない。ベルゼバブの願いが最強に至る事であるのならば、カイドウと手を取り合うなどと言う選択肢は万に一つもあり得ない。何故ならカイドウの願いもまた、形は違えど、最強になる事であるから。


188 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:25:35 tby00kFs0
 ――“海賊王”になる男だ!!――

 ――それは、嘗ての昔、カイドウに対して跳ねっ返って来た、一人の恐れ知らずの若造が、恥知らずにも口にした言葉。
幾ら痛めつけても。力の差を見せつけても。信じられない諦めの悪さを見せつけ、その都度立ちはだかって来た、カイドウからしてみればケツの青いひよっこ。
年齢も違う、体格も違う、況して、アレと同じ人間か如何かすらも解らないベルゼバブと、ルフィと名乗ったDを冠する小僧。その姿が、カイドウには重なって見えてしまったのだ。

「とんだ巡りあわせもあったもんだ」

 自分の脅しに屈しなかった、ヤマトを名乗る若造。
そして、今自分の目の前で、信じ難い程の強さで立ちはだかっている、あの憎らしいゴム小僧と姿が重なって見える、ベルゼバブ。
海賊は大なり小なり、験を担ぐ者が多い。元が、まともな仕事に就くのが嫌だから志す者も大勢いる、馬鹿の稼業だ。
論理も何もあったものじゃない迷信や信仰を、大事にする海賊団も大勢いる。蛸は深海に住まう生き物であり、その足で船を引きずり込むからと言って、
周囲数百里に島一つない海のど真ん中に放り出されても蛸だけは口にしないと言う誓いを立てていた海賊もいる程だ。
そんな海賊達の中にあって、カイドウは神仏の類も信じていないし、迷信深くもない手合いの海賊だが……今この瞬間、運命や縁と言う物は、あるのだろうと思った。
神でもなければ、このような、皮肉めいた邂逅を、用意出来る筈がない。海賊の神と言うのは、成程、どうして性格が最悪であるらしかった。

「この世に王は二人といらねぇ」

「ああ、その通りだな」

 覇王は、二人もいらない。
最強とは、一人しかなれないのだ。二人とも同じ最強では、最早それは最強ではないのだ。その考えは、カイドウも、ベルゼバブも。同じだった。

「テメェが消えろ」

「貴様が去ね」

 ベルゼバブとカイドウの姿が共に掻き消えた。
小細工抜きだ。両者共に、鬼ヶ島の大地にクレーターが生じる程の力で踏み込み、音が遅れて聞こえる程の速度で移動。
あ、の一音口にするよりも速く、互いの攻撃の間合いに入った二人。ベルゼバブは鋼の翼を横に振るい、カイドウは金棒を下から掬い上げるように振り上げた。

 ――攻撃の激突と同時に、翼と金棒の衝突箇所から、『赤黒い稲妻』が迸っていた事に気づいた者は、何人いようか。


189 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/01(月) 22:25:50 tby00kFs0
中編の投下を終了します


190 : 名無しさん :2021/11/02(火) 02:15:55 HkWlCCUw0
皆様投下乙です。
いつも楽しく読ませていただいております。
「宿業」および「凶月鬼譚」の宮本武蔵VS黒死牟の支援絵を描かせていただきましたので、うpいたします。
ttps://imgur.com/qe25yxh
こちらは地平聖杯の企画内でご自由に使っていただいて大丈夫です。
それではROMに戻ります。


191 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/06(土) 12:33:17 hemzBHm20
とても素敵な支援絵ありがとうございます。
自分の作品のイラストを描いてもらうというのは初めての経験なので率直にとても嬉しいです。書き手としても励みになりました。

予約を延長します


192 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:17:29 tlt0jsRM0
後編を投下します


193 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:18:12 tlt0jsRM0






     黎明の子、明けの明星よ。あなたは天から落ちてしまった。
     もろもろの国を倒した者よ。あなたは切られて地に倒れてしまった。

                    ───「イザヤ書」十四章十二節





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


194 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:19:35 tlt0jsRM0

曰く、サーヴァントとは人間ではなく、厳密には生物ですらないらしい。
死後に信仰から精霊となった魂が、魔力の殻を得て現界した存在。それがサーヴァント。
七草にちかはそのことを知識として知ってはいたけど、しかしまるで実感が湧かないでいた。

今まで出会ったサーヴァントは、みんな人間らしい人たちばかりであった。
アシュレイ・ホライゾン、梨花ちゃんのセイバー、予選期間に私を襲ってきた鎧の人……
みんな凄くて強い人ではあったけど、でも人だ。感情があり、表情があり、好き嫌いがあり、確かに今を生きる人間としか見えなかった。
けれど。


「お初に、お目にかかりまする」


あれは違う。
あれは駄目だ。
あれが人間? そんなバカな。あんなものが人であるはずがない。

奇抜な髪型や服装を指して言っているのではない。肌に突き刺さる存在感が、放たれる瘴気が、死臭が、まさか生きた人間のものであるはずが。
その白貌を見るがいい。青ざめて血の通わぬ死人の肌よ、その下には流れる血潮も熱い魂も何もかもが感じられない。
誰をも映さぬ漆黒の瞳は、瞳孔が開き水分と虹彩を失ったがための死骸の眼球であるからに他ならない。今なお浮かべられる笑みの様相は、死後硬直で固まった顔面を粘土のようにこねくり回した結果のそれとしか思えないほどだ。
気味が悪い、気味が悪い、気味が悪い。言い知れぬ本能的な嫌悪感が、それすら凌駕して湧き上がる恐怖が、にちかの心胆を縛り付けて視線を外すことさえ許さない。
たった一言を喋っただけで、既ににちかの精神は限界に近かった。その甘い、まとわりつくような声が、どろりと粘性を帯びて耳の中を流れたのだ。その異様な感覚に、生理的な悪寒と共に冷たい汗がどっと背中を伝う。
あれが、サーヴァントなのか。
ライダーやセイバーと同じ、サーヴァントなのか。
何も信じられず、何も分からなかった。その姿に魅入られ、意識が吸い込まれるようだった。現に今もなお、思考は段々と薄まっていって……

「大丈夫」

すっ、と割り込んだ背中が、にちかと怪人の間を遮って視線を断ち切った。
それを機に、にちかの意識もまた我に返った。「かはっ……」と息を吐く音が喉から漏れる。知らず、いつの間にか呼吸さえ止まっていたらしい。

「息を整えて、それから深く呼吸するんだ。視線は俺の背中に合わせて……そう、落ち着いたら指を動かして、グーパーと曲げ伸ばしする感じかな。あいつのことは心配しなくていい、俺が対処する」

その声は、異常だけが充ち満ちるこの空間において、唯一の日常であり、慣れ親しんだものだった。
にちかは迷わずその言葉に従った。荒い息を正し、深呼吸をして、固まった指の関節をなんとか解きほぐそうとして……
そうすると、いつの間にか落ち着きを取り戻していることを、にちかは自覚した。時間にして十秒と経っていないだろう、混乱していた頭は冷静さを取り戻し、まともな思考と、現状を客観視できるだけの余裕が舞い戻った。

誘導療法───錯乱した人間には、まず驚かせるなりして思考を断ち切り、その上で別の何かに意識を集中させればよい。
話ができるだけの精神的余裕がない人間に対し語りかけるための初歩的な技術。知らず庇われたにちかを後目に、しかし状況はリアルタイムで進行していく。


195 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:20:34 tlt0jsRM0
「こちらに戦いの意志はない。俺たちの前に現れた理由と目的を教えてくれ。内容次第によっては協力できるかもしれない」
「ンン───」

ほう、と喜悦するかのような笑み。毅然と向き合うアッシュに対し、怪人の値踏みするような視線が突き刺さる。
一触即発の状況には至らず、しかしこれに堪らないのはにちかであった。

『ちょ、ライダーさん!? 協力っていきなり何言ってるんですか!?』

声のトーンが上がり、やや責めるような口調になってしまうがそれを省みるだけの余裕は今のにちかにはなかった。
だって、"これ"だぞ? ライダーのスタンスが専守防衛、手を取り合える相手ならできるだけ応えたいというものなのは承知しているし、自分だって賛同した。でも、それにしたって限度があるだろう。
端的に言って、目の前の相手は妥協とか利用とか、そんなものを挟めるような手合いではない。人間とは徹底的に相容れない、人の常識なんて一切通用しない、そういう正道から外れた存在なのだと理屈ではない感覚としてにちかは確信していた。
互いを遠ざけての不可侵条約だって、これを抑えるには不足過ぎる。こんなものが人の姿と言葉を操ってこちらに語りかけてくること自体が、理性と正気に対する冒涜に等しかった。
不動のアッシュ、怯えるにちか、愉快と嗤う怪僧。三者三様の沈黙を破ったのは、語りかけられた怪僧であった。

「これは愉快、よもや拙僧に対しそのように申し立ててくる者がいたとは……
おっと、申し遅れましたな。拙僧は此度の聖杯戦争におきましてはアルターエゴのクラスにて現界せしめしサーヴァント。名を呼ぶ際には、どうぞ"リンボ"と呼んでくださいませ」
「リンボ……?」

というか、アルターエゴって?
この短い問答の中で、しかし理解できない事柄は反比例して多すぎた。
湧き出る疑問符と、正気を蝕まれそうな重圧で、まともに口を利けそうにない。

「そうか。ならリンボ、先の質問に答えてくれ」
「性急に過ぎる男は嫌われるもの───と、語らいに華を咲かすのも一興ではありまするが。
ぶしつけに参ったのは拙僧の不徳、ならば身の上を話すのも吝かではありますまい」

言葉と同時、リンボは大仰な手振りと共に瞼を閉じ、やがて白々しいまでの口調で語り出す。

「此度の来訪、実のところ何も難しいところはありませぬ。
ええ、ええ。何も、どれひとつを取ってみても単純至極。ただ拙僧めは、欲しいものが一つある、というだけの話に過ぎませぬ」
「欲しい、もの……」

うわごとのように呟かれるのはにちかの言だ。リンボの言葉に応答したというよりは、耳に届いた言語の意味を無意識に復唱していると言ったほうが正しいか。

「聖杯のことか? それなら、俺達には話し合いの余地がある。
欲しいのは"俺とマスターの命"なんていう、言葉遊びの腹積もりなら全力で抵抗させてもらうが」
「聖杯───聖杯! ンフフフフフフ、確かに甘美な響きではありますなァ。
されどこのリンボ、求めしものは遥か別の一点にこそ存在致しまする。
聖杯に非ざる我が悲願の名は───このように」

微笑と共に、やがてリンボは嬉々と語り始める。その声音と目に、まるで懸想する乙女であるかのような、粘ついた情念を滲ませて。


196 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:21:45 tlt0jsRM0

「其れは実在せぬと言う者もいるが、遍く目の前に広がっていると言う者もいる。
巷に雨の降る如くに墜ちていくものであるが、大河の如くに多くを循環し穢れを流す洗い場でもある。
現世と大きさを比ぶれば勝るとも劣ることなく、されど矮小な人の身でさえそうと成り果てることもある。
時の始まりには飢えと共に朱き産着に包まれ、青年期には欲望と共に黄衣を纏い、老いては修羅となりて青の外套を身に纏う。
そして三界を巡った果てに、死して黒の死衣で横たわる。おお、我が名は?」

「よく分かったよ。交渉決裂ということでいいんだな?」

え? と呟かれる暇もなく、にちかの眼前に立つアッシュは刀を構え直す。

「聖杯を求める願いがあっても、それは俺達の最終目的とは競合しない。上手く妥協点を模索できたなら、十分に協力できると考えていた。けどな」

刃を水平に掲げ、右手上段へ構えた柄によって切っ先を相手顔面に向ける、一般的に霞の構えと呼ばれる防御重視の型である。
突きつけられた切っ先はまさに戦意の現れであり、それを以て拒絶の意とする決裂の合図でもあった。

「よりにもよって"地獄"などと、考えなしの破壊を企図するような奴は、悪いがサーヴァントとしてマスターと共に在る俺は到底受け入れられないんだよ」
「フフ、ンフフフフフフ───いや実に実にその通り! 紛うことなき正論なれば!」

瞬間、リンボがぶちまけたのは、たまらぬと言わんばかりの呵々大笑。
可笑しくてたまらぬと、世にも滑稽な見世物でも鑑賞するかのように、それは悪意と侮蔑織り交ぜた嘲笑であった。
美しき肉食獣、リディクールキャット。その嘲りは万象悉くに降り注ぐ呪詛の礫なれば。

「我が悲願、受容するには衆生はあまりにも未熟に過ぎるのでなァ。その返答は予想通り、ええ残念至極ですとも。なにせ拙僧が最初に出会ったのがあの娘ではなく貴方方であれば、あるいはその甘言に乗るのも一興でありましたのに!
しかし貴方も悪いお人だ。交渉決裂などと、最初から成功するなどと思ってはいなかったのでしょう? 会話で稼いだ時間で、その刃を通じての解析は終わったのですかな?」
「──────」

アッシュが構えるアダマンタイトの銀刀、それを包むように淡く発光する白色を指して嘲笑うリンボに、アッシュは重ねて無言。
星辰光───「白翼よ縛鎖断ち切れ・騎乗之型(マークライド・ペルセウス)」。それはアッシュが持つ原初の異能にして、刃を通じて触れた異能の解析と吸奪を可能とする力である。
本来は敵の攻撃に対する迎撃にこそ真価を発揮するこの星光は、しかし現在のような状況においては術式看破の解析能力としても機能する。
だらりと剣先を下げ、切っ先を地面に触れさせていたのは剣術体系における極意の脱力を実践していたわけではない。
刃を通じて触れる車両、ひいてはリンボが仕掛けたであろう空間途絶の結界術式の情報を取り込み、今の今まで解析を続けていたのだ。会話は説得のためというのもあるが、本命は時間稼ぎ。この窮地を抜け出す方策を割り出すための引き伸ばしである。
悟られないよう意識誘導も兼ねたつもりではあったのだが、それを容易に看破するこの力量。やはりリンボは、本来的にはキャスターに近しい術士であることは明白である。

「その答えは」

きん、と小さく鳴り響く硬質な音。
それは、にちかの目では視認不可能な速度で放たれた二連斬撃により、傍らにあった手すり棒を切断した際に響いた金属音である。

「お前自身の体で確かめろ」

50㎝ほどで断ち切られた金属棒が重力による自由落下を始める瞬間、剣技の構えから無拍子で放たれたアッシュの爪先がその先端を捉え、まるで中空でのトゥキックであるかのように蹴り飛ばしたのだ。


197 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:22:48 tlt0jsRM0

「笑止」

一瞬で亜音速に達した金属棒を前に、しかしリンボは涼しい顔のままであり───しかし次瞬、その様相は崩れ去る。
眼前にまで迫った銀色のそれが、突如として発火したのだ。
何の兆候もなかったし、魔力の反応もなかった。にも関わらず、無機物であるはずのそれは、突如として直径にして1mにも達するかという火炎を噴出し、リンボの視界を真っ赤に染め上げたのだ。
火を出す、などという技術は魔道においてさして珍しいことではなく、むしろ初心者向けの極めて単純な術式ではある。だからこそリンボにとってこんなものは本来牽制にもならず、精々が目くらましの役にしか立たない代物ではあったのだが。

「オオオォォ───ッ!!」

その一瞬さえあれば、アッシュにとっては事足りた。

「ヌ、ぐぅ……!?」

吹き上がった火炎を切り裂くように、飛来する一陣の剣閃。それが水平突きの要領で突撃したアッシュの一撃であることを理解したその瞬間には、既にリンボの右肩先に突き立った刃が骨肉を抉り、彼の右腕を肩口から斬り飛ばしていたのだった。
煌赫墜翔(ニュークリアスラスター)。それはロケットブースターの原理を利用した、対外発熱による炎翼加速の技法である。
それが証に、見よ。刃を突きだしたアッシュの背には、まるで赫翼が如く赤き焔の翼が今もなお無尽の熱量となって流れている。颶風となりて駆け抜けるは超絶の技であり、アッシュの身体は既に音速すら超過した砲弾が如き有り様ではあったのだが、しかし致命打にも等しき一撃を叩き込んだはずの彼の表情は決して優れたものではなかった。

肩口から切断された右腕。普通に考えるならば、それは明らかな致命傷である。
余人ならば即死に近い有り様であるし、そうでなくとも致命の傷は行動を著しく阻害する。この一撃が成った時点で、常ならば勝負ありと判断されるのが妥当ではあるのだが、しかし。

「既に拙僧は言ったはず。笑止、と」

嗤うリンボの嘲笑に、一切の翳りなり。明らかな致命傷を受けたにも関わらず何の痛痒もないとばかりに、その嘲りは更に深みを増して。
そして次瞬、巻き起こったのは地の底から湧きあがる怨嗟の声であるかの如き、漆黒なる瘴気の波濤であった。

「くっ……!」

アッシュは纏う星光を瞬時にハイぺリオンからペルセウスに変更。炎熱を白光と切り替えて下段を真横一文字に一閃し、白銀に煌めく斬閃によって闇の帳を切り裂く。
その原理は無論、ペルセウスによる術式吸奪である。瞬間の解析により判明した呪詛・疫病・災厄・腐敗といった諸々の性質をそのままに、アッシュの振り抜いた刀身は既に漆黒に染まり、簒奪した穢れを乗せて返す刃でリンボの首を狙う。
しかしそれより一呼吸早く、リンボは既に地を蹴り後退していた。軽く跳んだ、というにはあまりにも不可解な軽業であった。尋常な体術の成せる業ではない飛翔によって一両分もの距離を後退したリンボは着地と同時に左腕を一振り、やはり漆黒の瘴気纏う十五もの式符を燕のように放ったのである。
それは明らかな超常の業であったが、見るものによっては複数のホーミングミサイルを想起させたであろう。一つ一つが意思を持って幾何学的な軌道を描き襲い来る式神は、その数と同じだけ振るわれたアッシュの斬閃と共に両断され、地に墜ちることなく中空にて消滅を果たす。

「成程───弱い」

式神の悉くを斬り伏せるアッシュを睥睨し、リンボは誰ともなく、静かにそれだけを呟き吐き捨てる。
今の僅かな合戟だけで理解する。この相手は、悪神喰らえしアルターエゴ・リンボに遠く及ばぬ木っ端であると。

「異端の魔女もまた斯様に脆く拙い有り様ではあったが、器としての完成度ならば果て無き可能性を秘めてはおりました。
が、哀しいかな貴方はまるで見るべきところがない! 是には、ンンンンンンン拙僧も失笑を禁じ得ませぬなァ」

言葉と共に、リンボの眼前にて紡がれる術式、詠唱、光芒。描かれしは光条にて編まれた奇怪なる方陣であり、それが悪辣たる魔術式であると見る者に如実に伝えていた。
同時、アッシュの総身を正体不明の重圧が襲う。まるで重力そのものが倍加して圧しかかるような、あるいは疫病疾病の悉くに罹患してしまったような悪寒が全身を伝う。


198 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:23:56 tlt0jsRM0

「そうれ、そうれ輝き喰らえ我が五芒星。所詮は宿業なき汎人類史の英霊、一切鏖殺とは参りませんがンンンそうですねぇ、適当な怨念なりを埋め込んで差し上げる!」

それすなわち、霊基改造の外法なれば。
サーヴァント、英霊として現界せしめし存在の根底を丸ごと書き換える、人道に外れたまさに外道の所業である。
遥か彼方の事象世界、亜種平行世界なる日本の下総において行われし空想樹発現の前準備。
繰り広げられたのは悪鬼の跋扈に他ならず、すなわち悪逆たる宿業埋め込まれし七騎の羅刹の顕現であった。
その名、英霊剣豪。
その骸、すなわちキャスター・リンボによって塗り潰された英霊たちの末路なれば。
既に異星の神より接続を断たれ、本体ですらない式神であるものの。やはり本質はアルターエゴ・蘆屋道満、その身は今や辺獄(リンボ)をこそ体現せしめる黒き放射能であればこそ。
何ら特殊な霊基持たぬ一介の英霊如き、作り変えることに支障などあるはずが───

「───ぬるいぞ、アルターエゴ・リンボ!」

そのあり得ざる事態に、リンボは瞠目した。
宿業なりし五芒星がアッシュに触れて数瞬もしない間に、硝子が破砕するような硬質音と共に五芒星それ自体が粉砕されたのである。改造どころか、足止めすら碌に叶わなかったその現実を前に、リンボは驚愕に目を見開き───

「ああ、素晴らしき哉!」

喜悦の喝破と同時、兎歩と踏みしめられた床を基点として黒き影が津波の如くして広がった。地面を、壁面を、天井を、汚泥めいた黒が塗り潰していく。
乗席のシートが腐った。荷物棚が溶け崩れ、つり革が腐れ落ちた。リンボが地を踏みしめたというそれだけで、床と壁面に亀裂が走り、そこから汚らわしい膿汁めいた粘性の血液がじくじくと滲み出す。
異変にいち早く気付いたアッシュが、一転して後退しにちかの下まで戻り、ハイぺリオンに切り替えての紅焔一閃により周囲を焼き払わねば、彼らの運命は諸共に腐敗し醜い死骸を晒す末路であったことだろう。

「我が術式が手緩かったと───フフ、ンフフフフ!
意味、斯様な戯れに意味などあろうはずも! が、しかァし!
我が宿業と怨念の術式、容易に破るとは如何な絡繰りか、俄然興味が湧いてきましたぞ」

大手を振りそぞろ歩くはまさに無人の荒野を往くがごとし。喜悦と歓喜を振りまいて、美しき肉食獣が牙を剥く。

「影こそ我が触れ得ざる布陣、死こそ我が無間の領域なれば。此処より逃れる術などあるはずもなし。
仮に、そうとも仮に、死が地獄への道行というならば!
───ここが、辺獄(リンボ)であるのだから」

「地獄にはひとりで落ちろ」

同時、振り抜かれる剣閃は紅蓮の光刃となって地を抉った。空気の焼ける特有の臭いと共に腐海を割る灼熱の一撃は、しかしリンボに到達する寸前にて不可視の障壁に阻まれたかのように霧散する。キャスターめいて防御術式を張ったのか、しかし真に驚くべきは諸動作としてのその手段であった。
右腕が生えていた。抉り取られた凄惨な傷口から覗くは、血と肉と骨のみにあらず、なんと黒き影が腐汁のように滲み出て右腕の輪郭を取ったのだ。
その影を、鞭のようにしならせて振り払い、結果として紅焔の一撃は霧散霧消した。奇怪なるかなアルターエゴ・リンボの呪よ。しかし異変はそれだけに留まらない。

刹那、脈絡もなく頭上より溶け崩れた人体の破片が無数に降り注いだのだ。高所に置いた水槽の底を割ったように、夥しい量の血液がアッシュとにちかを襲い、その中には血液の元であっただろう人体が、細切れになった肉片となって混ざっていたのだ。
指が、骨が、眼球が、内臓が、脳が、筋線維の張り付いた血濡れの髑髏が、どれほどの人数分あるかも定かではない大塊となって襲い来る。咄嗟に頭上目掛け振るった炎熱の一閃が血肉を焼き払うものの、その全てを防ぐには到底及ばない。少なからぬ量の血と内臓を浴びたにちかが、最早言葉にならない息を詰まらせ恐怖に硬直する。


199 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:25:09 tlt0jsRM0

「あまりにか細く、無力で、弱い。全霊を賭しても我が身に及ばぬその無念、分かりますぞ。誰であろうと耐えられない。
何よりそれが、己が不明であるならともかく、足手纏いを連れているがためなら尚更に」

足元より伸びる影に加え、新たに広がった不浄───文字通りの血の海から、骨肉で編まれた歪な腕が這い出す。それはまばらに血肉が付着した、動く腐乱死体であった。本来なら動かざるもの、物として土に還るべき残骸は、動作に不慣れな人間のカリカチュアめいた不気味な動きで這い出し、立ち上がり、歩き出す。
さながら恐怖映画のフィクションモンスターめいてにちかたちへ群がるそれらを、アッシュの斬閃が次々と切り倒すものの……その物量に圧されて前進は叶わず、従ってリンボの回る口を止める者もまたいない。

「その炎、確かに熱くはありますが───只人を傍に置いては碌に出せますまい?」

瞬間、微笑は大笑へ変化する。

「ははははははははは見える、見えますぞ貴方の魂! 汚泥に穢れ死を前にもがくその姿、多少の気骨を見せようが我が前には丸裸も同じ!
苦しいでしょう、遣る瀬無いでしょう、思うままに力も揮えず無能な主を抱いての強行軍。その結果が貴方の浮かべる苦悶の表情か。
それでも尚足掻く様は何とも可愛らしいことではありますが、しかし無意味無意味どうしようもないのです!
貴方方の奮戦は実に無意味だった。実に、無惨なまでに滑稽だった!」

低劣な揶揄であり、見え見えの挑発だ。子供の口喧嘩にも劣る稚拙で下卑た雑言は、しかしそれだけに聞く者の心を掻き毟る。殺し合いの最中に飛ばすにはそれなりに有効であり、有史以来戦術の一環として取り入れられてきた事実は伊達ではない。
尤も、リンボには心理戦を仕掛けている自覚などないのだろう。
ただ、好きなのだ。趣味なのだ。人間ならば誰もが持っている触れられたくない聖域に、土足で踏み込んで糞を塗りたくるその行いが。
相互理解など端から欠片も頭にない、人が持つ悪性情報のみを抽出した生粋の『悪』こそが蘆屋道満、アルターエゴ・リンボなればこそ。

「ああ、ようやくはっきりと分かったよ。お前は、とても可哀想な人間なんだな」
「ンン?」

しかし、相対するアッシュから出た言葉は、まるで想像もしていなかったもので。
ふむ、ああいや、人道を解さないお前は可哀想な奴だと、安っぽいヒューマニズムでも持ち出すのか?

「皮肉かあるいは情に絆すつもりですかな? しかし残念、拙僧はそれなりに人の心にも精通して───」
「お前さ、実はコンプレックスの塊なんじゃないか?」

今度こそリンボの声が止んだ。笑みの様相を張り付けたまま、能面のように固まった顔でアッシュを見遣る。
アッシュは、平素のままだった。侮蔑を侮蔑で返そうとか、丸め込んでやろうとか、そういった負の感情はまるで見えなくて。
本当に、ただ本心から、リンボを可哀想な奴だと思っているようだった。

「俺のところにも似たような連中がいたんだよ。人間だった頃の特定の感情と衝動だけを過剰に誇張して蘇らされたアンデッドみたいな連中がさ。
端から見てて滑稽なほどにカリカチュア化された人格の持ち主ばかりで胸が痛くなったものだけど、お前も似たようなものなんじゃないか?」

第一世代型人造惑星(プラネテス)。それはアシュレイ・ホライゾンの生きた新西暦において開発された、人の死体を素体とした人造星辰運用兵器のことである。
それらは一つの例外もなく、生前に抱いていた強い衝動をそのまま肥大化・戯画化・記号化された人格を持ち、端的に言って「壊れた」性格の者ばかりであった。
死に際の未練に引きずられ、肉体は蘇ろうとも精神は死霊のそれと変わらない。見たくれだけが立派なゾンビ。それがプラネテスだ。
翻って、エクストラクラス・アルターエゴとはどのようなものか。
それは切り取られた一側面としての人格。人ならば誰もが無数に持つ精神のペルソナを、その内の一つだけを切り取られて一個の人格として確立させた存在だ。


200 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:26:07 tlt0jsRM0
「そんな風に成り果てなきゃ、手に入らないものでもあったのか? 越えられないものでもあったのか?
あるいは、そう成り果てたことすらお前の原型の意思じゃなかったのか?
いずれにせよ、本当に可哀想な奴だよ。もうそれ以上、歪められた言葉を吐かないでくれ。聞いてるこちらが悲しくなってくる」

アルターエゴ・リンボは蘆屋道満の悪性情報「のみ」を抽出した存在。ならばこその悪辣人格。
であれば、これ以上哀れなことはないだろう。人なら誰しも何かに怒り、憎悪し、蔑むことはあるだろうに。そしてそうした感情を持ったとて、それだけが当人の全てであるはずがないというのに。
彼はそんな一部分だけを切り取られて、お前は「それだけ」の人間だと勝手に烙印を押されたのだ。これを悲劇と呼ばずして何と言う?
アッシュは今、本心から、リンボを哀れんでいた。より正確に言うならば、リンボの原型となった生前の蘆屋道満を、である。今アッシュはリンボに語りかけていながら、しかし全くと言っていいほどリンボを見ていない。

「ンン───ンンンンンンンンンンンンンンン成程成程!
貴方がそう感じるのならば! 貴方も同じにしてあげしょうぞ!」
「いや断る。ああ、それともう一つ」

どこにそれだけの質量を仕舞う余地があったのか、大量の式符をばら撒いて臨戦体勢に映るリンボに対し、アッシュは傍らのにちかの肩を抱き、引き寄せた。
ぅえ? と当惑の声を敢えて無視して、片手で再び霞の構えを取り。

「マスターを足手纏いだと言っていたが、それはお前だけが思ってることだよ」

その声は間合いを離した今までとは違い、すぐ近くの真正面から聞こえていた。
何、と言いよどむ間もなく、ニュークリアスラスターによる高速移動を果たしたアッシュは、ハイぺリオンの出力を一時的に臨界不測域にまで押し上げる。
瞬時、全身から光と熱を放出させるアッシュ。そこに込められた魔力と威力はこれまでの比ではなく、必然傍に在るマスターさえ巻き込む他にない暴威であるはずなのに。

「願わくば、もう一度人間からやり直すといい」

誰しもの視界を、爆発的な紅光が埋め尽くした。
その際の焦熱音を、にちかは必死に耐えていた。両手で耳を塞ぎ、瞼を閉じてぐわんぐわんと鳴り響く頭蓋を死にもの狂いで抑え込んでいた。念話であらかじめ警告はされていたけど、これはちょっと想定外だった。
そう、アッシュはにちかを傍らに置いたまま、自爆めいて過去最大級の炎熱を爆発させたのだ。当然巻き込まれるにちかであるが、副作用として発生した気圧差による気流と爆音以外は、その破壊と熱でさえにちかの体も衣服も一切傷つけることがなかったのだ。
それは至極当然の話。アシュレイ・ホライゾンの星辰光は、付属性にこそ特化しているためである。
生み出した星光による物理現象を、他の物体に性質付与するこの才覚は、望めば破壊をもたらす対象を自由に選択できるということの裏返しでもある。
刀身に炎を宿らせるのと同じように、にちかにも炎を宿らせることができる。無論、彼女自身に熱さも何も伝えないまま。
ならばこそ、放たれる熱量がにちかを傷つけないのも当然であった。

無防備なリンボを炎熱が呑みこむのを確認すると同時、ペルセウスへと切り替えた刀の切っ先が真っ直ぐにリンボの喉元を刺し穿つ。そのままの勢いで背面の壁へ刃を突き立て、同時に壁面を構築する結界術式へ干渉、その制御権の一部を奪い取る。
結果、発生する人間大の大穴。結界を解かれて通常空間への回帰を果たしたその大穴は、リンボ自身に与えられた大ダメージとその間隙を突いたペルセウスによる吸奪によって引き起こされた現象であった。
アッシュの狙いは最初からこれである。リンボの撃破は二の次として結界外への脱出、これこそが肝要であった。会話に拠る時間稼ぎの合間に解析した結果を理解してから、ずっとこれだけを狙っていた。
そして今、全ては功を奏し脱出は叶った。故にこそ、これはアッシュたちの勝利であると。

「───油断、めされましたな?」

そのようなハッピーエンドを許すリンボではない。
全身に重度の火傷を負い首を貫かれてなお死なぬ不条理で以て、影の右手をアッシュの胸に添える。
瞬間、世界そのものが鳴動したかのような感覚がアッシュとにちかを襲って……

「では変革を始めましょう。さようなら少年、はじめまして新たなる我が傀儡。
英霊剣豪にあらざる欠陥品に、生きながら成り果てるが御身には相応かと……」

そしてリンボの視界は物質世界から精神世界へと切り替わる。


201 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:27:01 tlt0jsRM0




それは敢えて形容するならば、吸い込まれるような、と言えばいいのだろうか。
観測する世界を物質側と精神側とで切り替えるのは、言ってみれば意識的に夢見と目覚めを切り替えるようなものであるからだ。
リンボは今、まさに夢へと吸い込まれたと表現して正しい。
ただし、その夢とはアッシュの精神にこそ他ならず、リンボの目的は微睡みなどという優しいものではないのだが。

「は、は、は、は、は、は───成程然り、斯くも容易く侵入を果たせたわけだが。
彼奴め、よもや魔術的防壁を一切持っておらぬとは」

心の強さと肉体的な強さは違う。如何に屈強な益荒男とて、素養がなければ精神世界における守りなど薄紙も同然だ。
そこをカバーするのが魔術なりの修行となるわけだが、この餓鬼はそういった薫陶は一切受けておらぬらしい。
ならば一度侵入に成功したなら、あとはこちらの思うがままである。

「ならば良し也。貴様の意志も魂も皆全て───この儂が焼きつくし、新たに造り変えてくれようぞ!」

言うが早いかリンボの思念体は潜航を開始する。
今リンボがいるのは表層部分であり、何もかもが不確かな靄や闇があるだけの、あやふやな領域でしかない。その奥深くには無意識の領域があり、精神の核とも言うべきものが存在する。
無意識の領域はその人間の本質とも言うべきもの。聖者なら清らかな世界が、外道なら悪辣な世界が広がっているという認識で構わない。
ともあれ、である。

「喝采せよ、新たなる地獄の誕生を!
愚昧なる人間共、我が地獄曼荼羅の人柱たる娘の糧となり、矮小なる身を弁え永遠の何たるかを知るがいい!」

斯様な弱者の精神なぞ、取るに足りぬ有り触れたものに相違あるまい。
その確信だけを以て、永遠とも一瞬ともつかぬ特有の時間経過の感覚と共に、遂にはアッシュの無意識領域へと足を踏み入れ───


202 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:27:39 tlt0jsRM0






「──────────────────」






焔だけが、そこにはあった。
赤い、朱い、此処は何と紅いのだ。
見渡す限りの全てが、赤に染まっていた。最早一瞬以下の時間で眼球は蒸発していたが、それでも確かに見た。
地平線の端から端までが、焔に埋め尽くされていた。
空も大地も赤一色で、しかしそれだけでは終わらぬのだろう。
地平線の向こうも、空の彼方も、きっと同じような光景が続いているのだと確信できる。
何故なら此処は、紛うことなき一つの宇宙なのだ。比喩でも何でもない、数百億光年にも渡る膨大な質量と体積が、此処には確かに存在していた。違うのは、これが一人の人間の内的世界に留めさせられているということ。そしてこの宇宙は、空間の代わりに炎が、時間の代わりに死が発達した世界であるということだった。
リンボは既に言葉を失っていた。発声する器官そのものが最早焼かれて消失していたが、きっとそんなことは些末事なのだ。
だからリンボは、蘆屋道満は笑った。嘲笑ではなく、侮蔑でもなく、まるで母に抱かれる幼子であるかのように。ただ純粋に、心の底からの安堵と共に笑みを浮かべて。

「嗚呼……」

今も眼球が存在していたらきっと滂沱の涙を流していただろう、その感情のままに。

「此処が地獄か」

そうしてリンボは消滅した。
この世の真理を悟った賢者であるかのように、苦界を脱した生の解答者であるかのように。
ただ、安らぎのままに。天から降りた雷霆によって存在ごとを消し飛ばされ、永遠の闇の中へ墜落したのだった。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


203 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:28:32 tlt0jsRM0






たおやかな笑みを浮かべたリンボが、音もなく黒灰となって崩れていく。
その様子をやけにゆっくり流れる景色の中、にちかは勢いよく外へと転がり出ていた。

「わ、あ───うわっ」

ぼとり、と線路脇の茂みに落下し、尻もちをつく。ぼうぼうの草木がクッションになってくれたおかげか思ったよりも衝撃は少なく、痛みもなかった。転がったおかげで全身草だらけにはなってしまったけど。

「助かった……の?」

助かった───そう思った瞬間、全身から力が抜けるようだった。
へなへなと背中から倒れ込み、大の字になって空を見上げる。

「よ……か、ったぁ〜」

恐怖はあった。心身への疲労も、正直このままぐっすり寝てしまいたい程度にはあった。
けどそれ以上に、開放感が勝った。あの地獄を抜け出せたのかと思うと、生きてるって素晴らしい!と素直に思えた。
正直途中でスプラッタな体験をした時はマジで死ぬかと思ったけど、うん、諦めないってステキだね。

「あ、ライダーさん! ライダーさんも大丈夫……」

でしたか? と聞く声が、止まった。
彼は、いた。無事だった。少なくとも死んでないし、手足がなくなってるとかそんなこともないし、ちゃんと動いていた。
火達磨ではあったけど。

「……え、ちょっと、ライダーさん?」
「近、づくな……悪い、今は……」

ライダーの、アッシュの星辰光は自分と味方は傷つけないものだと聞いた。
いくら激しく燃え盛っても自分を焼くことはない。付属性に特化した自分の数少ない長所だと。そして事実、先の一戦ではにちかを焼くこともなかった。
今は違った。
燃え盛るライダーの体は、明らかに焔によるダメージがある。黒く焼け焦げ、纏う衣服も炭化していくのが分かる。

「大丈夫……少し、時間をくれ……すぐ収まる……」

おろおろと、どうしていいのか分からず戸惑うにちかに、アッシュは絶え絶えの声で窘める。
大丈夫。その言葉を信じたいけれど、貴方は今まで嘘なんかついたことないけれど。
でも、それって本当に、大丈夫なの?
強がりとか、そういうものじゃ、ないの?

にちかは思う。けど言葉にはできなかった。
そうしている内に本当に炎は勢いを失くしていき、時間にして数十秒で完全に鎮火したのだった。

「えっと、ライダーさん……今のは……」
「ああ、ちょっと怒られた。流石に不甲斐ないぞ、って感じでな。さっきも言ったけど大丈夫、もう話はつけたから」

まあ返答次第では此処で精神的に殺されてた可能性もあるんだけど。
なんてことは流石に言えなかった。スフィアセイヴァーが爆弾であることは伝えてあるが、その詳細はにちかには言っていないのだ。今もその気になればアッシュを内側から容易に殺害できる、文字通り生殺与奪の権を握った存在を心に飼っているなどと。

「それより、このままだと少し目立つ。ちょっと背負っていくけど構わないか?」
「いや、それは別にいいですけど……」

何か釈然としないものがある、とは言わない。
世界を明るく照らす夕焼けが眩しくて、真っ直ぐ彼の顔を見つめることはできなかった。


204 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:29:07 tlt0jsRM0

『品川区・プロデューサー自宅から一駅くらい離れた路線脇/1日目・夕方』

【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、精神的負担(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]
基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:プロデューサーと話をする。何してんのあの人?
1:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
2:ライダーの案は良いと思う。
3:梨花ちゃん達と組めたのはいいけど、やることはまだまだいっぱいだ……。
4:私に会いたい人って誰だろ……?
5:次の延長の電話はライダーさんがしてくださいね!!!!恥ずかしいので!!!!!
6:こ、怖かった……
[備考]
聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。


【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身に中度の火傷(回復中)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
2:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
3:セイバー(宮本武蔵)達とは一旦別行動。夜間の内を目処に合流したい。
4:アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)と接触。定期的に情報交換をしつつ協力したい。
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。




※アルターエゴ(蘆屋道満)は消滅しました。本体へのリンク等も一緒に消し飛ばされていますが、本体がどの程度情報を拾えているかは後続の書き手にお任せします。


205 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:33:27 tlt0jsRM0
以上で投下を終了します。また、前編の内容でにちかがPの住所を描写なく知っていた部分がありましたので、>>159の内容を修正します


206 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:37:59 tlt0jsRM0
>>159





───空、太陽が朱く輝いている。

電車の窓ガラスから差し込む朱の光は強く、緩慢に流れ去っていくビルの陰に遮られなければ、思わず手の平で視界を覆い隠してしまいそうなほどだ。地平から不吉に膨れ上がる入道雲は黒く染まり、遠景のビル群に覆いかぶさらんばかりである。地上に伸びる影は人も建物も異様に長く、黒く、まるで世界が赤と黒という二色明暗のコントラストに塗り潰されてしまったかのようだった。
がたん、ごとんと揺れる車内。満員電車とまでは言わずとも、それなりに人が乗っている車両ではあったが、物音を立てる乗客はおらず、ただ線路を走る車体の揺れる音だけが、嫌に存在感を伴って耳に届くのだった。

『もしかしたら、なんですけど』

彼女は、乗席にちょこんと座る七草にちかは誰ともなく。
掴まる者のいないつり革が運行に合わせて僅かに揺れ動くさまを見ながら、声ではなく念話で呟く。

『私に用がある人って、プロデューサーってことはないですかね?』
『いや、その可能性は低いだろうな』

姿なき声───ライダーたる青年に即答されてしまった。

『そう、ですかね……Wさんは283プロにいるって話で、プロデューサーは私に話があるってことで、点と点が繋がったぜ!って思ったんですけど……』

にちか達はプロデューサーの誘いに乗ることに決めた。そのためにちかの姉であるはづきに秘密裏にメールを送り、プロデューサーの住所を聞くというあからさまに怪しい挙動をしつつ(そこら辺なんとかライダーが誤魔化してくれた)、こうして向かってる今ふと疑問が湧いたわけだが。

『まあ、あり得ない話じゃないけどな。そもそもの話、マスターに用がある人物がプロデューサーでその仲介をWに頼んだとして、その後にプロデューサーが別口で接触を図るのはおかしな話じゃないか?』
『あ……なるほど、確かに』

そっか、ならWとプロデューサーは無関係なのか……と考えたところでふと気づく。
あれ? 283の事務所を纏めてくれたのに、プロデューサーとは面識がない?
そういえば梨花ちゃんから聞いた真乃さんも、話を聞いた感じWさんとか事務所のあれこれには関わってなさそうな雰囲気だったし……
事務所の主だったメンバーと連絡を取れてないのに、事務所をまとめたって?
あれ、もしかしてWさん、思ってたよりポンコツ……?

『なんとなく、考えてることは分かるぞマスター。Wとプロデューサーとの間に繋がりがないのはおかしくないか?ってことだよな』
『あ、えっと……まあ、はい。それだけじゃないんですけど、実際のところ今の283プロってどういう状況なのかなって』
『単刀直入に言ってしまえば、火薬庫、だろうな』

え?
と、思わず念話ではなく声に出して漏らしてしまう。
無意識の呟きに気づき、慌てて周囲を伺うも、周りの人間は特に気にはしておらず、ほっと胸をなでおろしたところで、にちかは改めて問いかける。

『いやどういうことですかそれ。確かに咲耶さんの炎上騒ぎとかありましたけど……』
『そうだな、全容を話すと結構長くなってしまうんだが、それでもいいか?』
『いいですよ、バッチシOKです。というか話してくれないと酷いんですから』

分かった、と一言。そうしてライダーはおもむろに語り始める。


207 : ◆Uo2eFWp9FQ :2021/11/06(土) 21:38:26 tlt0jsRM0
今度こそ投下を終了します


208 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:46:29 r4Qx31dk0
皆さん投下お疲れさまです。
感想についてはまた後日書かせていただきます。
また、当企画へのとても素敵な支援イラストをありがとうございました! とても励みになります。

自分も投下します。


209 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:47:17 r4Qx31dk0

 ――――この街には、二人の"犯罪卿"が存在する。

 一人は悪を名乗る善。或いは、悪の敵。
 一人は悪を名乗る悪。数学教授の皮を被って暗躍を重ねる毒蜘蛛の王。
 デトネラット本社。国内でも間違いなく上から数えた方が早いだろう大企業の本社ビルという城に巣食った"彼"。
 真名をジェームズ・モリアーティという、悪の枢軸を地で行く毒蜘蛛。
 辺獄の冠を持つアルターエゴが去った社長室の中で、蜘蛛の王はその視線をデスクトップのモニターへと向けていた。

「ふむ。予想通り、動き出して来たネ」

 シークレットモードのブラウザで表示させているのは複数の大手SNSサービスだ。
 検索しているワードは「神戸あさひ」。他でもないモリアーティ自身が地獄へと蹴り落とした、哀れな少年の名前である。
 断っておくと、モリアーティとあさひの間に面識や因縁の類は一切ない。
 彼はただ持ち込まれた依頼に対して、自分にやれる最大の形で応えただけだ。
 とはいえ彼が自軍の懐に抱えている少女の存在上、たとえそれがなくとも件の少年と友好的な関係を築くのは不可能であったろうが。

 モリアーティは、協力者の依頼に全力で応えた。
 神戸あさひは僅か数時間の内に東京中から敵視される咎人と化した。
 女性のみを標的とした連続襲撃犯。余罪多数。現在進行形で逃走中。巷を騒がす女性連続失踪事件に関与している疑いもあり――。
 持てる限りの全コネクションを活かしてあさひを潰しに掛かったところ、しかし案の定と言うべきか。
 その流れを明らかな意図的さで変えようとしている何某かの存在を見出すことが出来た。
 神戸あさひに関する一連の投稿は全てデマであり、彼は無実である――という"噂の否定"を行う者がちらほらと現れ始めたのだ。
 純粋にこの世界の民衆の善良さと賢さがその手の話を紡ぎ出したと考えられないこともなかったが、それにしては拡散の手際が良い。そこを見誤るモリアーティではなく、ある種必然のように彼はこれが"神戸あさひの炎上"を快く思わなかった者の工作であると直感した。

「スケプティックとキュリオスの手腕があればもう少しは燃やせるだろうが……そろそろ退き際だな、これは。
 対立意見が出てきたところで、理屈を抜きにして頑と認めない大衆は一定数必ず要る。
 真偽の争いは彼らに勝手に任せるとして、我々の目的は既に達成されている。
 神戸あさひが東京中に知られる存在となった――それだけで十分だ。禪院君もきっと満足してくれるだろう」

 結論から言うと、神戸あさひの破滅を善しとしない何者かが介入してくる事態は老いた蜘蛛(オールド・スパイダー)の予想通りの展開だった。
 
 神戸あさひの炎上騒動は、白瀬咲耶の時に起こしたのとは訳が違うほど徹底した"攻撃"である。
 キュリオスの牛耳る集瑛社が拡散に全力を尽くし、スケプティックの会社が違法に傍受した自社製品の映像データから神戸あさひの実像も割り出した。
 これだけでも無知な大衆を沸騰させる大炎上を引き起こすには十分だったが、しかしそこには付け入る余地がまだ多分に残されている。
 その最たるものが、金属バットを携帯した不審者による連続女性襲撃事件という事案がそもそも虚像だという点だ。
 警察に探りを入れればすぐそのことは割れるだろうし、そうでなくてもこれだけ騒ぎになっているのだ。
 直に警察から公式に拡散されているような事実はないとの声明が出されることだろう。
 モリアーティらしからぬ初歩的なミス……などと思うなら、その者はこの老獪な蜘蛛を侮り過ぎている。


210 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:48:17 r4Qx31dk0

「しかし……本当に良かったのですか? Mよ。
 貴方の手腕であれば、神戸あさひの炎上計画を振り撒く前に警察機関に取り入り、傀儡に変えてしまうことだって可能だったでしょうに」
「買い被りすぎだよ、四ツ橋君。如何にNPC相手と言えどもすぐには無理だ。
 情勢の悪化と状況の混迷化を加味しても、組織のトップ層のみを懐柔するだけで半日はかかる。
 何のボロも出さない形でやるとなれば更に倍、丸一日は欲しいところだ」

 それにね、とモリアーティ。
 彼の指すモニターには、一つのSNS投稿が表示されていた。
 その投稿には既に多数の引用が付いており、多くの大衆の目に留まっているだろうことが分かる。

【見つけた!!これ、やばくね?

 #拡散希望 #神戸あさひ #〇〇小学校 #神戸あさひを許すな #東京都新宿区 #不審者情報 #暴行犯 #薬物所持】

 これが、問題の投稿。

【小学校に逃げ込んだの?】
【ここ登校日いつだっけ? そろそろじゃね?】
【休日でも子どもは来るぞ。ここプール開放やってたっけ?】
【やばい。この近くに入院棟のある病院あるぞ。動けない患者がたくさんいる】
【そこ、さっき壊れたらしい】
【バットだけじゃなく、爆発物所持?】
【指名手配犯が、小学校付近に潜伏、やばい】

 そしてこれらが、それに付いている主な引用発言だ。
 これらについては、まあ十中八九目立つ噂に飛び付いた連中の拡散だろうとモリアーティはそう踏む。
 しかし事の始まりとなった最初の投稿。この投稿の裏に、モリアーティは策謀の影を見た。
 流れ始めた情報の濁流に指向性を持たせようとする意思。画策。年老いたる蜘蛛の眼光はそれを見逃さない。

「君も悪の片棒を担ぐのなら覚えておきたまえ。
 時に悪事というのはね、完全でないが故に捗ることもあるのだよ」
「……フム。では、これは――」
「確証があったわけではないがね。敵を信頼した、とでも言っておこうか」

 重ねて言うが、この世界の警察は木偶でこそあれど決して無能ではない。
 少なくとも警察機関としての仕事はちゃんと果たしているし、故に爆発的に拡散されている根拠のない噂に対しての声明は遠からぬ内に出ただろう。
 これだけ炎上が広まっているのだ、もう問い合わせも山ほど掛かっている筈。
 そして警察からの公式発表が出れば炎上沙汰はもはや混沌の内戦状態に発展していくに違いない。
 誤報を広めた自分を恥じる者、拡散した者達を冷笑する者、警察が無能なだけで事件自体は存在する筈だと信じる者、警察側には神戸あさひを逮捕出来ない何かしらの理由があるのだと勘繰る者――数多に分かれて不毛な議論を重ね始める。こうなればもう火力の維持は難しくなってくる。
 
「しかしMよ。貴方のご意図は分かりましたが……それは随分と分の悪い賭けだったのでは? 貴方らしくもないギャンブルだ」

 つまり。実のところジェームズ・モリアーティにとって最も具合の悪い展開は、神戸あさひがこのまま終わりまで燃え続けることだった。
 誰の介入もなく燃え続ければ警察の公式発表という最大の鎮火剤が投下され、延焼は混沌に進化する。
 そうなればこれ以上事態の発展は望めない。依頼人である禪院にしてみれば十分な成果だろうが、自分達の存在をともすれば辿られかねないリスクを背負ってまで事を起こしたモリアーティにはあまり旨くない終わり方だ。
 では、彼にとって旨みが生まれる事態とは? 簡単だ。神戸あさひの炎上へ介入するなり延焼の方向を誘導するなりして、こちらの策に自分の策をねじ込んでくる輩の出現。
 策謀冴え渡る何者かの尻尾を視界に収めること。それこそが、蜘蛛の真の狙い。


211 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:48:54 r4Qx31dk0

「言っただろう? 敵を信じてみたと。そして私の信頼に応えて、"彼"はスマートに動いてくれた。
 僅かな痕跡だが、このタイミングで動いたというだけでもプロファイリングの材料としては十分だ。それに、取れる手の幅も増える」
「若き蜘蛛。貴方が最も警戒し、重きを置く"彼"と見ているのですかな」
「まァ、十中八九ね。根拠は幾つかあるが、まずやり方がスマート過ぎる。これだけ狡知に長ける手合いの存在をこれまでずっと見落としていたとしたら私もいよいよ引退を考えねばなるまい。
 で、私が思うにだ。現在の本戦まで生き残っている聖杯戦争関係者の中で、これが出来る存在は恐らく二人」

 まるで教え子に講義でもするような口調で、モリアーティは四ツ橋に語る。
 それは生前、彼が大学教授として教鞭を執っていた時の姿そのものだった。
 誰かに何かを教えたり、誰かを導いたりするのが好きな彼にとって教授という職業は、悪の親玉の次くらいには転職だったのだろう。

「一人は君の今言った若き蜘蛛。そしてもう一人は、峰津院財閥の大和君」
「ははぁ。その二人であれば確かに――炎上沙汰に介入したのは前者でしょうな」
「察しが早いね、良いことだ。そう、この二人のどちらかに絞るのであれば消去法で前者になる。
 峰津院大和は間違いなく傑物だが、しかし彼が介入するのならばもっと大きく動くだろう。峰津院が噛むにしてはやり方が控えめすぎる。
 そして何より、このやり口には隠し切れないお人好し……善性が滲んでいる。それはあの取り付く島もない御曹司殿の人物像にはどうもそぐわない」

 峰津院大和――ひいては峰津院財閥。
 彼らは恐るべき勢力だが、その実モリアーティは現状彼らのことを火急で取り組まねばならない相手としては見ていない。
 モリアーティの分析では、大和はこちらから殴り掛かりでもしない限りは当分向かってこない相手と思われた。
 それに甘えてモリアーティも彼らを敵に回すことは最後の最後にすると決めている。死柄木弔や神戸しおと言った悪の器が完全な形で羽化を遂げ、今より増やした連合の総力をフルに動員出来るような――そんな状況が整ってからの話だ。今はまだ気にする次元にすら達していないと言っていい。
 しかし仮にモリアーティの分析が全て誤りで、大和が神戸あさひの炎上沙汰なんて些事に首を突っ込み出すような人間だったとして。
 そう仮定したとしても、やはり峰津院の手が伸びたと考えるには不自然な点が残る。
 
「あの財閥は限りなくこの地において最強に近い権力を持っているが、逆に言えばそこが唯一の弱点だ。
 何をしでかすにしてもある程度スケールが巨大化してしまう。常人であれば気付かずとも、私の眼は誤魔化せない」

 峰津院が介入したにしては、あまりにやることが小さすぎるのだ。
 彼らが本気で神戸あさひの炎上を止める、ないし自分達の望む方向に誘導しようとするならばもっと徹底的にやってくる筈。
 身も蓋もない言い方にはなるが、峰津院の介入を疑うには今回のやり方はスケールが小さすぎる。その上、善性が滲みすぎている。
 一言で言ってらしくない。だからこそ、消去法で介入者の正体はモリアーティが現状最も警戒する相手。若き蜘蛛、になるわけだ。
 
「件の彼……恐らくはもう一人の、異なる世界線の私。
 推察するに、仮称"ジェームズ・モリアーティ"の在り方(スタンス)は"悪の敵"だ」
「聞き慣れない言い回しですな。正義の味方、ではないのですか」
「これで合っているさ。彼が本当に"正義の味方"だったなら、もっと直接的なやり方で神戸あさひを救いに向かっているよ。
 しかし今回彼が取った手、選んだ策は非常に婉曲だ。なのにその中には、拭えない善の気配が息づいている。
 決して善にはなれないが、どうしようもなく悪を許せない。実に青く不自由で、救われるわけもない在り方だ。
 どう終わるにせよ、その末路は世界の為に殉ずる以外有り得ない。英霊になる前の死因も、大体そんなところだろう」

 正義の味方ならぬ悪の敵。
 善にはなれず、しかして悪を許せない愚か者の道。
 自分を塵屑だと誰より卑下し、軽視しながら、一人で茨道を歩む約束された破滅を背負った殉教者。
 言わずもがなその在り方は、悪の為の悪として生きて死んだ"この"モリアーティには理解に苦しむそれだった。


212 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:49:34 r4Qx31dk0

「話が逸れたネ。歳を取るとどうも話が長くなっていけない」
「いいえ、とんでもない。大変興味深い考察でした……我々もまた件の蜘蛛を敵に回している身。
 言わずもがな情報は少しでも多い方がいい。それが貴方の金言であるなら尚更です」
「とにかくだ。悪の敵たるモリアーティは、神戸あさひの炎上に恐らく我々がやったのと同じ手段で介入してきた。
 即ち転売アカウントを用いての情報工作だネ。"神戸あさひ炎上騒動"の中に唯一あったウィークポイントを見事突いて、いち早く事態を延焼期から混沌期へと移行させた。
 善性云々を抜きにしても、彼の意図するところには察しが付く。
 この介入の最大の意図は、権力に隠れて暗躍する私に対する敵意の矢印を作ることだ。光栄なことに私もなかなか買われているらしい。実際これはなかなかの妙手だよ。流石にそこまで察してはいないだろうが、戦力不足という我々が抱える弱点にも上手く合致している。
 こちらから挑むのであればいざ知らず――向こうから殴られるのは少々困るのでね。抜け目がないなと感心したとも」

 この一手は決して全方位をカバーしたものではない。
 延焼の速度をある程度抑制出来たとはいえ、神戸あさひの名前と人相が東京中の知るところとなっただけで当初の目的は達成されている。
 だが、あさひを通じてモリアーティという影に潜む蜘蛛の存在を感知させようとする手は間違いなく妙手だった。
 モリアーティほどの悪人であれば予想出来た手の一つではあるが、分かっていても相応に痛い。
 されど。少なくともモリアーティの目線からすれば、これは致命のそれではなかった。
 何故か。簡単だ。少なくとも"隠れる"ことにおいて、悪のモリアーティはそれの敵たるモリアーティの数段は上を行くからだ。

 ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ。
 "犯罪卿"を名乗った彼は、自らの終着点を他ならぬ自分自身の意思で決めていた。
 自己の破滅を前提にした改革。己という最大の悪の死を以って時代の転換点(ターニングポイント)を作った、それが"憂国のモリアーティ"。

 では純然たる悪の中の悪、悪の味方たるモリアーティは?
 言うまでもない。彼は、自分の破滅を計算に入れた事件など一度として用立てはしなかった。
 彼の描いた終局的犯罪が成就すれば必然モリアーティも只では済まなかったろうが、世界の為に死ぬのと世界を壊して死ぬのが同じなわけはない。
 モリアーティはいつだって隠れた。いつだって日の当たらない場所から事件を編み、名探偵と戦った。
 最終的にライヘンバッハの滝に追い込まれはしたものの。逆に言えばそれまでは、あのシャーロック・ホームズでさえモリアーティを捕まえることが出来なかったのだ。
 "犯罪卿"が"犯罪王"に勝る箇所も当然あろう。しかし少なくとも、潜むことの上手さにかけては後者が大きく水をあける。

 悪の敵とは即ち、顔も知らない誰かの為に身を粉にして奮闘出来る存在。
 悪の味方たるモリアーティは、無知な大衆や哀れな他人のために身を削ったりなどしない。
 そこの差異と、一足先に犯罪卿の本質を見抜いたが故のアドバンテージ。
 それが、老いた蜘蛛(オールド・スパイダー)の致命の程度を見誤らせた。こればかりは年季の差、そして歩んだ道の違いか。

「敵が示唆した神戸あさひと縁ある場所……例の小学校の周囲にFeel Good Inc.製のカメラやそれに類する機器がどの程度あるかをスケプティックに確認しておいてくれたまえ。
 顔の確認が出来れば御の字だし、彼本人ならともかくそれ以外の人間はカメラまではまず警戒しないし意識もすまい」
「は。……それ以外にはどんな手を講じましょう? 直に日も落ちます。最悪、件のバーサーカーを向かわせるのも手なのではありませんか」
「良い着眼点だ、四ツ橋君。君の意見を採用しよう。望みは薄いが彼にそれとなく提案はしてみる。
 だが彼にフラれてしまったなら、それまでだ。先に述べたカメラでの情報収集以上の形で、我々が神戸あさひ及び彼の存在に寄せられてきた他の器や英霊に干渉することは現状ない。
 いや。意味がない、と言った方が正しく、そして分かりやすいかな?」

 蜘蛛同士の共食い。敵はモリアーティを討たねばならぬ敵と看做しているだろうし、モリアーティとてそれは同じである。
 だがしかし。彼との知恵比べに全身全霊全てのリソースを注いで当たるのが最善かと言われれば、その答えはきっと否になる。

「アルターエゴ・リンボ君の話はしたね」
「ええ。先程、確かに」
「どう思った?」
「では率直に。……馬鹿げていると感じました。何故あのような目的を抱くサーヴァントが遥々派遣されてきたのか疑問でなりません」
「無理もないね、というか私も同感だ。彼は物凄い天才か、物凄い馬鹿かのどちらかだと思うよ。
 ……もしくはその両方か」


213 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:50:18 r4Qx31dk0

 アルターエゴ・リンボ――推定真名・蘆屋道満。
 彼の構想する地獄界曼荼羅は一言で言うならば、この界聖杯内界で積み重ねられてきた戦いの全てを台無しにする野望だ。
 銀の鍵の巫女を進化させることによる界聖杯の空想樹化、並びにそれを用いての飛翔。
 成程確かに馬鹿げている。というか、ふざけている。そう言っても言い過ぎではないだろう。
 もしもリンボの地獄界曼荼羅が完成した暁には……全てが彼の思い描く通りに進んだなら。
 誰も彼もの聖杯戦争が、その築いてきた基盤が、木っ端微塵に消し飛ぶことになる筈だ。
 もちろんそれはモリアーティの敵連合も例外ではないのだったが、それはさておき。

「これは私の推測だがね。若く聡明なかの人物は、いわゆる地獄絵図に対しての対抗手段を持っていない。
 リンボ君の"アレ"に限らず、そうだなァ……空襲なり災害なりそういう類の崩壊を持ち込めばそれだけで大打撃だ。
 私自身に対しても言えることだが、我々の全力が発揮されるのはあくまで秩序――社会の内側でなのだよ。
 人民全ての基盤たる社会秩序が著しく崩壊した状況では、悪巧みをすることは出来ても、打てる手の数は大幅に目減りする」

 そして都合の良いことに。
 老獪なる蜘蛛の目指す未来は崩壊の方を向いている。
 死柄木弔という悪意の器、破滅の寵児。
 彼を羽化させる、モリアーティのその目的が成就することはそれそのものが仮想敵たる"モリアーティ"への最大級のカウンターになるのだ。
 故にこれ以上深入りして、リソースを注いで、事を急いで潰しに掛かる意義は知れている。
 敵の性質について確信に近い分析が適っただけでも御の字だ。彼らの方から深追いしてくるというのなら無論対応するつもりはあるが、そうでないのなら優先して行うべきは同族殺しではない。

「……では、貴方は何を目指すのです?
 "もう一人の貴方"という目下最大級の脅威を差し置いて、一体何を」
「死柄木弔と、そして彼の競合相手たる神戸しお。彼らに進化と成長を与えたい」

 これはあくまでモリアーティ、この老獪なる数学教授の立てた推測であるが。
 この界聖杯を巡った戦いは、通常の聖杯戦争で考えられるそれに比べ遥かに早く破滅的な局面を迎える筈だ。
 東京がいくらそれなりの広さを持った大都市だとはいえ、二十三騎の英霊を内包するにはキャパシティ不足だと言う他ない。
 むしろ会場が東京でなかったなら、明日の夜明けを見る前に聖杯戦争の粗方が片付いていたとしても不思議ではないだろうと、モリアーティはそう考えていた。
 ならば重要なのは、やがて来る破滅に乗り遅れないこと。"それ"から避難するのではなく乗りこなすこと。
 破滅を拡散し伝播させ、秩序の全てを"崩壊"させる、終局的犯罪(カタストロフ・クライム)が必要だ。

「とはいえ選ぶのは若い彼らだ。平坦な道、地獄の道。
 私ならば選ばない道を敢えて進ませるのもまた一興だろう。
 その道がどんな道であれ、私は毒蜘蛛らしく糸を吐き巣を編むのみ、だよ」
「貴方は、あくまでも"教授"なのですね。ライヘンバッハの滝を経て滅び、"名探偵の敵"という運命から解放されても尚……」
「笑うかな?」
「まさか。私も男だ。そういう心意気はむしろ好ましく思いますよ」

 それは何より。
 そう言って笑うモリアーティ、そして彼に侍る四ツ橋。
 直後、彼の携帯電話が着信音を奏でた。端的な応答があって通話を切り、四ツ橋は主君に報告を行う。

「トランペットからの連絡です。星野アイを連れ、本社(ここ)に到着したと」
「礼儀としては応接室で対応するのが正しいのだろうが、社内の全員が君達のように訳知りというわけでもない。此処まで案内してあげてくれるかな」
「はっ、かしこまりました。
 星野との接触について外から勘繰られぬよう、彼女を選挙広報の一環で活用する旨の情報をマスコミ各社に流しておきます」
「キュリオス君によろしく言っておいてくれたまえ。彼女には何かと足労して貰っているからネ」

 一を聞いて十動いてくれる部下というのは代え難い戦力だ。
 それは人間の役割が機械に食われ始めて久しいこの高度発展化社会にあっても変わらないらしい。
 小走りで社長室を飛び出し各所への調整のために奔走する四ツ橋の背中を見送りながら、モリアーティは自身の髭を擦った。


214 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:51:32 r4Qx31dk0
◆◆


『ていうかさ。冷静に考えて、カーナビに盗聴システム仕込んで居場所特定してくるのってズルくない?』
『正直オレとしても予想以上だった。あっちの目的が勧誘(スカウト)じゃなかったら詰んでたレベルの反則(チート)だぜ、奴さん方』

 花畑孔腔――コードネームをトランペットという彼の後に続いて、星野アイと殺島飛露鬼はデトネラット本社ビルの中を歩いていた。
 このレベルの企業にお呼ばれして本社まで赴いた試しは、さしものアイも生前を含めてもない。
 だが恐ろしいのは、このビルに巣食う"悪の親玉"にしてみれば国民的大企業(デトネラット)すら手札の中の一枚でしかないのだろうこと。
 現にアイ達はデトネラットが手を広げていない分野であるカーナビゲーションシステムから居場所を特定され、接触されたのだ。
 神戸あさひを瞬く間に潰した手際といい、少なくとも絶対に敵に回したくない人物であるのは間違いなかった。

『それにしてもさ。良いのかな、空魚ちゃんのアサシンは私達が自分のバックと繋がるの嫌がると思うんだけど』
『何か考えがあるんだろうよ。アサシンの兄さんもアレはアレで怪物だ。頭の良い奴であればあるほど手放すのは嫌がる』
『ライダーと同じだっけ。サーヴァントとして認識されない体質』
『そりゃ買い被りすぎってもんだぜマスター。あの兄さんのはオレより偉大(パネ)ェよ。ありゃ真実(マジ)の超人だ』

 アイは正直、自分の身元を知っている敵を増やすリスクを抱えられるような状況にはない。
 如何に巨大な権力を持った主従と関わりを持てるとしても、それで空魚のアサシンと敵対してしまう展開は避けたかった。
 あさひのように身元を知られていようがいまいが関係ないほど徹底的に潰されているならいざ知らず……。

「社長室はあちらです。Mは既に中でお待ちしているとのことですので」
「あれ。花畑さんは入らないの?」
「Mの邪魔は出来ません。私は所詮"可能性の器"たり得ない、泡沫の器に過ぎませんから」
「……随分弁えてるんだね。怖くないの? そのMさんが勝ったとしても、花畑さん達は絶対に消えてなくなっちゃうのに」

 自嘲するように笑って肩を竦めるトランペットを見て、アイはこう考えた。
 何故この人は……いや。Mを崇めて彼に仕える連中は、こうも自分の運命に対して素直なのだろう。
 界聖杯内界にNPCとして生活している人間にとって世界の真実を伝えることは文字通りの余命宣告である。
 聖杯戦争の存在を知り、その荒波を生き延びることが出来たとして。
 それでも、可能性を持たない泡沫の器たちは時が来れば砕け散るのだ。
 必ず死ぬ、必ず消える。この世界に希望はない。この世界とは即ち、"誰か"の願いの為の踏み台だから。

「私とて人間ですから。当然恐怖はありますよ」
「そうは見えないけどなー」
「ただ、強いて言うなら死(それ)よりも怖いことがある。
 このまま何も知らず、何にもなれず、檻の中だけを生きて死ぬことです。
 この世界がたとえ泡沫だとしても、私の人生は私が経験してきた確たる現実なのですから。
 であれば……最期くらいは派手に、そして自由に。"解放"の二文字に夢を見たい」

 アイには散りゆく赤の他人に想いを馳せる慈悲深さはない。
 だから花畑の言葉に心を動かされることはなかったが、しかし学ぶところはあった。
 Mが社会を己の部下に出来た理由。真実という猛毒は、がらんどうの器達にあるべきでない可能性(いみ)を与える。
 誰も彼もがその猛毒に、余命の絶望に打ち勝てるわけではないだろうが……数こそ少なくとも、毒を克服し前に進める者は居る。
 やはり相当なやり手だ。アイはこれから会うMなる大悪に対する認識の程度を、更にもう一段引き上げた。


215 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:52:04 r4Qx31dk0

『アイ』
『なにー?』
『オレも目は光らせとくけどよ。……呑まれンなよ、化物(M)に』
『心配ないよ。私はいつだって呑む側だから』

 可能性の有無を問わず誰もを呑み込む強大な悪。
 その恐ろしさは話を聞くだけでも、彼の所業を見るだけでも理解出来る。
 アイ達はしたたかではあれど、主従としては脆く弱い。
 だからこそ彼の力は借りたい。その悪巧みの前ではなく後ろに居たい。

 ――けれど、呑まれるつもりはない。
 あくまで自分達は利用されるのではなく"する"側。
 いずれはその腹を食い破る、寄生虫であるべきだ。
 アイはそう思っていたし。
 そのことをアイ自身の口から聞けた殺島も、安心したように口元を緩めるのだった。


◆◆


 社長室。本来はデトネラットの代表取締役社長である四ツ橋力也がふんぞり返っているべき場所。
 そこにしかし四ツ橋の姿はなく。代わりに見るからに知的で老獪な一人の紳士が居座っていた。
 それは、彼こそが今のデトネラットの"真の長"であることの証。
 四ツ橋力也は彼に己の玉座を譲り渡した。彼と勝負して負けたからだとか、そういう理由ではない。
 戦いなどするまでもなく、四ツ橋の"心"が認めたのだ。
 このお方こそが自分達にとっての希望の光。
 万物、万象、万人。その全てを呑み込んで己が物とする――闇の超新星であると。

「貴方がMさん?」
「いかにも。急な連行ですまなかったね、星野アイくん」

 そして、そのサーヴァント。
 傍目には人間としか認識されない筈の殺島の目を見て口角を吊り上げるM……ジェームズ・モリアーティ。
 殺島も怯まず笑みで応える。この手の相手との掛け合いは、先に動じた方が自動的に負けになるものだと殺島はそう知っていた。
 尤も、実際に対面してみてすぐに理解出来たことはある。
 M。この男は――間違いなく、自分が警戒していた通りの……いや。それ以上の怪物であると。

 殺島の脳裏に浮かんでいたのは、生前彼がボスと呼んでいたとある男だった。
 忍者の脅威を前に衰退し、いつ消えるとも分からない風前の灯と化していた極道をその辣腕で復活に導いた傑物。
 全てを失い無力に枯れていくばかりだった殺島に、再び生きる意味を与えてくれた恩人。
 その人となり、そして能力を知れば誰もが化物と畏れた破壊の八極道の元締め。
 殺島は邂逅して数秒、Mの開口から同じく数秒で、眼前の大悪に極道(きわみ)の色を見た。
 ひとえに化物/怪物。人智を限りなく逸脱した存在。息を吸って吐くように他人を生かし、そして殺す巨悪。


216 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:52:45 r4Qx31dk0

「酷いことするよね。あさひくん、あれじゃもう立ち上がれないんじゃない?」
「いやあ、神の采配というのは弱者に優しいものだからね。
 自分の相棒(サーヴァント)の助力で立ち直るか、奇跡的な出会いで難を逃れるか。
 そのどちらかでしぶとく生き残ってくるものだと、私はそう考えているよ」
「……隠そうともしないんだ。一応カマ掛けたつもりだったんだけど」
「隠す理由が何処にある。私の素性がある程度読めていなければ、君達だって急な連行に応じはしなかったのではないかな?」
「……、……」

 成程、こういう感じか。
 アイは顔色を変えないまま一人納得していた。
 それと同時に諦める。この男と腹芸で勝負しようと考えるのは、自殺行為以外の何物でもない。
 投げる球は直球のみでいい。むしろそれが一番リスクが小さい――騙すことにかけてはアイはプロだが、それでも上には上が居た。

「じゃあまどろっこしいのは抜きにして本題。なんで私達を呼びつけたの? 交渉? それとも、脅し?」
「前者だ。脅迫で得た従属は脆いからね。こういう状況ならば、従属ではなく"共犯"が望ましい」
「私達と組みたいってことか。……でもいいの? 自分で言うのも何だけど、私達――弱いよ?」

 噓を吐くことを投げ捨てたアイは自分達の文字通りの"弱さ"を堂々と曝け出す。
 アイは自分のサーヴァントに……殺島飛露鬼に不満は抱いていない。
 むしろこう思っている。自分が召喚したサーヴァントが、彼で良かったと。
 自分の願いの意味(おもさ)を分かってくれる人で良かったと、そう思っている。
 だが事実として殺島は弱い。サーヴァントとしての実力で明らかに他に劣る。
 そんな自分達に共犯の誘いを持ち掛けることの意味は聞いておきたかった。
 それを聞いておかなければ、アイとしても一方的に利用される危険性を拭い去れない、というのもある。

「構わないさ。何しろ私の"連合"も、現状ではひどく脆いのだ」
「……え、そうなの? てっきり馬鹿みたいなチート集団で固めてるものだと思ってたんだけど」
「そうしたいのは山々なんだが、こちらにも色々と事情があってねェ。
 まあ、とにかく。我々は今、"波長が合う"ことを条件にとにかく多くの戦力を欲しているのさ」

 脅迫ではなく勧誘(スカウト)だったのは僥倖だった。
 花畑の話の時点では正直半信半疑だったが、モリアーティの言動を聞くに彼が噓を吐いているようには思えない。
 モリアーティは"連合"と言った。それは言葉通りの意味と取って間違いないだろう。
 むしろ彼ほど人心を操り、社会を手繰ることを得意分野とする存在が組織を作っていない方が不自然だ。
 とはいえ。そこに現状集まっている戦力は、彼にとって決して満足なものではないようだったが……。

「条件は互いに打算ありきで動けること。いつか裏切ってやると、そのくらいの気概を示せること。
 ――そして、私の眼鏡に適う"欲望"を持っていること。その深い浅いは問わないさ。重要なのは"質"だ」
「知った風な口を利くんだね。まるで、私のことを全部分かってるみたい」
「全部は分かっちゃいないさ。出来る範囲で推測はしたけどね」

 モリアーティが笑う。
 そして言った。

「星野アイ、二十歳。職業はアイドル。生育環境には恵まれておらず、事実上天涯孤独に等しい。
 グループの同僚との仲は良くも悪くも平均的。プライベートで会って遊ぶほどの深さではない。
 単に"死にたくない"のを理由に聖杯戦争に乗ったと考えるのがベターだが、しかしてありきたりが過ぎる。
 噓で自分を覆い隠した孤独な偶像(アイドル)、という境遇から邪推し、物語性を期待して考えるならばだ」

 さしずめ、それは――

「世間には明かせない、されど目に入れても痛くない"我が子"。
 戦う理由はその辺りが妥当だろうと推測したが、どうかな?」


217 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:53:21 r4Qx31dk0
「……、…………ふふ。どうだろうね? 秘密にしとく」
「おやおや。是非種明かしが欲しかったところなのだがねェ」

 白々しい言葉だとアイは思う。
 モリアーティの表情を見ていても、彼がそれが答えであると確信を持ってそう考えているのは明らかだった。
 そして事実、それは正解だ。百パーセント非の打ち所がない模範解答だった。
 ファンにも世間にも明かせない秘密の妊娠、そして出産。
 さりとてアイは明かせぬ我が子のことを心から愛している。
 だからこそ、願っているのだ。
 もう一度――生きて。母として、我が子達の許に帰りたいと。
 そのためならば何者であれ、どんな願いであれ、踏み潰して越えてやると。

「とにかくだ。"我々"は"君達"が欲しい」

 アイ君も、そこの彼もね。
 言って笑みを深めるモリアーティの勧誘は直球だった。
 欲しい。メリットを列挙することはせず、ただ一点自分の欲求だけを伝えて誘う。
 その気になればどれほどの話術を並べ立ててでも引き入れる場面だろうにそれをしないのは、ひとえにアイの人となりを理解している故だろう。
 星野アイはアイドルだ。それ故に――嘘つきのプロである。
 だからこそモリアーティは偽らないことを選んだ。何処までも直球で、ただ誘う。
 
「頷くのなら私の使える限りの総力で君を囲おう。いずれ来る決裂の時までは、"連合(われわれ)"は君達の仲間だ」
「頷かなかったら?」
「名残惜しさを抱えながら送り出すことになる。背中を刺す真似はしないよ」
「嘘つき。そんな義理堅いタイプじゃないでしょ、おじいちゃん」
「いや、おじいちゃんではないんだが? アラフィフなんだが? いや、マジで。」

 コミカルな反論で煙に巻かれるアイではない。
 アイには分かっていた。殺島ももちろんそうだ。
 此処で話を蹴れば、モリアーティは言葉通り名残惜しさを抱きながらも――これまでに握った"星野アイ"の情報のその全てを有効活用して潰しに来る。
 ただ直球で潰すだけならばまだ良い。最悪、あさひに対してやったよりも数段酷い"利用"をされるだろうなとアイは思っていた。
 それを指摘したものの、モリアーティは煙に巻くばかりで肯定も否定もしなかった。
 公正な勧誘(スカウト)の体を取りながらも、その実相手の喉に刃物を突きつけながら交渉を行うそのやり口。
 まさに根っからの悪だ。目的のために手段を選ばない、悪の中の悪だ。
 やっぱり、思った通りだ――アイは笑う。そして、モリアーティに改めて口を開いた。

「いいよ。協力する」
「"いずれ裏切る前提で"?」
「もちろん。皆で仲良く絆を紡いで、おてて繋いで幸せになれるのは絵本の中だけの絵空事」

 アイの脳裏に一人の少女の顔が浮かぶ。
 櫻木真乃。噓だらけの芸能界にはそぐわないほど真っ直ぐで眩しい娘。
 あの子は確かに"いい子"だった。
 少し純粋過ぎるけれど、その眩さはこんな世界でさえなければ立派な美徳として機能しただろう。
 でも、駄目だ。この世界では、あんな風じゃ生きていけない。


218 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:53:49 r4Qx31dk0

「裏切るよ、いつか。だけどそれまではお友達でいよう」
「素晴らしい。最高の回答をありがとう、星野アイ君」

 これが、これこそが、この世界で紡ぐ絆のあるべき形なのだ。
 いつか殺すと伝え合って、今この時を生きるためだけに絆を育む。
 あるのは互いに純度百パーセントの打算。だからこそ真に信用出来る。
 
「そしてようこそ、我ら"敵連合"へ」
「うん、よろしくねMさん。ところで早速なんだけど、一つお願いしたいことがあってさ」
「言わなくてもいいよ、分かっている。禪院君との折衝は私に任せたまえ。
 私も彼を失いたくはないし、彼も私とのコネクションを無碍に扱いたくはない筈だからね。
 上手〜い具合にクッションになってみせるとも。身体は石みたいに硬いけどネ、歳だから」
「やっぱりおじいちゃんじゃん」

 ――こと、人類史において。
 悪を為し英霊になった者はごまんと居よう。
 堕天、殺戮、反逆、不忠、姦淫、独裁、略奪。
 彼以上に多くの人間を泣かせ、そして殺した存在なんて珍しくもない。
 
 だが、"事件を編む"ことにかけては間違いなくこのジェームズ・モリアーティこそがハイエンドだ。
 人類史上最高の探偵の宿敵たり得る男は必然、人類史上最悪の犯人でなければ務まらないのだから。
 アイとモリアーティのやり取りを見守りながら、殺島は背筋の寒くなるような感覚に駆られていた。
 自分が彼に対し抱いた第一印象が間違いでなかったことを再確認する。
 この男は、真実(マジ)の化物だ。
 決して敵に回してはならないが。
 味方に抱える場合でも、常に最善の注意を払って目を光らせておかねばならない相手。
 
「(……まァ、サーヴァントのオレがビビってるようじゃ話にならねえ。
  適度に役立つことをアピールしつつ、万一(なにか)あればすぐにでも動けるようにしとかねえとな)」

 紫煙を燻らせながら考える殺島。
 その視線が、モリアーティのそれと交差した。
 ニヤリ、と口角を吊り上げて微笑んだ毒蜘蛛(だいあくとう)に。
 殺島もまた、凡人(こあくとう)の自分にやれる限りの不敵な笑みを作って応じるのだった。


219 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:54:21 r4Qx31dk0
◆◆


 ――俺、この世界に召喚されて良かった。
 サーヴァントになれて良かった。
 糞みてえなことは沢山あるけど、やっぱり現世が一番最高だ。
 だってそうだろ。窮屈で退屈な英霊の座なんかじゃ味わえなかった楽しみが山程あるんだ。
 英霊だの人類史の影だの大層に言われてても、結局。
 英霊の座(あんなところ)に居たら、可愛い女の一人も拝めないんだから。

「(やべえ……。本物のアイドル、マジで可愛いじゃん……)」

 感動の念をすら覚えながら、デンジはゲストルームにやって来た"新顔"の女を見つめていた。
 モリアーティが彼女について何やら紹介の弁を述べていたが、デンジの耳には入らない。というより、入れる必要がなかった。
 この界聖杯内界で一月も自堕落に過ごしてきたデンジは、彼女の顔をこれまで何度も見ている。
 テレビの中で歌って踊り、CMにも引っ張りだこの人気アイドル――星野アイ。

「Mさんが紹介してくれたけど、改めて。
 アイドルの星野アイです。よろしくね、皆」

 画面越しに見る分には「可愛い女だな」くらいにしか思っていなかったデンジだが、やはり画面一枚隔てて見るのと実際見るのとでは訳が違った。
 可愛い。アイの周辺だけ世界がやけに明るく見える気さえする。
 もしかすると俺は、この女に会うために此処に召喚されたのかもしれねえ……
 そんなことを大真面目に考えてしまうデンジを現実に引き戻したのは、彼と犬猿の仲な同盟相手の無愛想な声だった。

「……そっちのおっさんがサーヴァントか? 見たとこじゃ人間にしか見えねえが」
「お、察しイイじゃん。そうだぜェ〜、オレがアイのサーヴァントだ。クラスはライダー」

 夜露死苦ゥ〜、と手を振り笑うライダー・殺島飛露鬼。
 死柄木が彼の正体に気付けたのは単なる状況からの推察でしかなかったが、便利な迷彩だとそう思う。
 或いは、何かしらの条件が満たされることでその殻が外れるのか。
 今はさておきいずれは殺し合う相手。殺島が被っている"人間の皮"の正体には興味があったが、それはさておき。

「誰か連れて来るだろうとは思ってたけどよ……とんだ大物連れてきやがったな」
「皮肉を言うのはまだ早いよ死柄木弔。彼女は言葉通りの意味での"大物"だ」

 モリアーティが社会を掌握し、他の誰にも出来ないやり方で盤面を制圧していることは死柄木も知っている。
 しかし一方的に利用する相手としてならともかく、同盟相手として"社会に広く顔の知れた"アイドルを抱える判断には疑問があった。
 サーヴァントを連れているのだから戦力の増強にはもちろんあるだろうが、現状潜伏に徹している状態である今の連合に"外から足跡を辿られかねないリスク"を背負い込む余裕が果たしてあるのか。
 死柄木のその懸念は実に尤もなものだったが、相手はジェームズ・モリアーティ。人類史上最高峰の大悪党だ。
 たかだか一月で社会をその手に握った男が、死柄木のような若輩に思い付く危険性を見落としている筈もない。


220 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:55:14 r4Qx31dk0

「弔くんだったよね。Mさんのマスターの」
「そうだが」
「あんまり油断してたら足元掬っちゃうよ。私達(アイドル)は、噓をついて騙すことなら誰よりも上手いんだから」
「……おい、早速の裏切り宣言だ。今すぐこの女をつまみ出せ」

 くすりといたずらっぽく微笑むアイ。
 世間大勢の心を掴み、熱狂させたトップアイドルの微笑もしかし心の枯れ果てた青年には目障りな輝きとしてしか写らない。
 嫌そうな顔をしてそっぽを向き、死柄木はそれでアイとの会話を打ち切ってしまった。
 ファーストコンタクトとしては最悪の部類だろうが、そもそもこの気難しい男に最初からパーフェクトコミュニケーションを叩き出せる人間などこの世にそもそも存在するのか疑わしいので、そう考えるとまずまずの結果と言えるだろう。
 そして、当然。その明るい表情の裏で――アイは連合の核たる死柄木弔について分析を行っている。

「(……うーん。正直、そんな凄い子には見えないんだけどな)」

 だが、アイにはどうしても分からなかった。
 死柄木という青年が、モリアーティほどの頭抜けた悪が評価するに値する存在だとはとても思えなかったのだ。
 恐らく年齢はアイと同じかかなり近い。けれど彼と直接対面したアイがその人間性に対して抱いた感想は"幼い"だった。
 子ども大人(フリークス)とでも言うべきか。他人の上に立って操るよりは逆、操られ良いように使われる方が似合うような。
 とてもではないが大人物には見えない、やさぐれた男の子。それがアイの死柄木に対するプロファイリング。

「(ライダーはどう思う? Mさんはあの子のこと、随分高く買ってるみたいだけど)」
「(大体お前と同じだな。少なくとも頭(ボス)を任せるのは心許ねー……そんな奴に見える。ただな、アイ)」
「(?)」

 殺島も、それには概ね同意見だったが。
 彼がその先を考えることが出来たのは、ひとえに見てきた悪の数の違いか。

「(覚えときな。人間ってのは、結構簡単なきっかけで"変わる"もんだぜ)」

 殺島の目から見ても死柄木は大人物には見えなかった。
 モリアーティの存在がなかったなら、決してアイがこんな青年に身の上を委ねるようなことは許さなかったろう。
 殺島も、少なくとも今の死柄木に価値は見出だせない。

 ただ。この化物が――ジェームズ・モリアーティが彼を買っているという不合理が彼に軽率な油断を許さなかった。
 マスターを重んじるのはサーヴァントとしては当然の思考回路だが、しかしそんな当たり前はこの"犯罪卿"にまで当て嵌められるものなのか?
 そんな風に考えると、どうしても目が離せなくなる。 
 活動の止まっている火山や嵐の前の凪いだ海のように不気味な平凡さを、殺島は死柄木に対し感じ取っていた。
 けれどアイには結局いまいちピンと来なかったようで。
 むしろ彼女の注目は死柄木よりも、もう一人の連合構成員(マスター)の方へと向けられている始末だった。

「ねえねえ、らいだーくん! アイさんだよ、アイさん! テレビで見たよね、ねえっ」
「おいバカ、あんまこれ見よがしに騒ぐなって。いやあすいませんね、へへへ……」

 高揚した様子で傍らの少年の袖を引く、少女。
 引かれている少年――恐らく、彼がサーヴァントなのだろう――は照れたようにニヤついていたが、アイの興味を惹いたのは圧倒的に前者である。
 理由は単純。"少女"という言葉を使うのが適切かどうか一瞬悩んでしまうほど、彼女は幼かったのだ。


221 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:55:48 r4Qx31dk0

「テレビ見てくれたんだ。ありがとね、嬉しいよ。……えっと。あなたもマスターなの?」
「そうだよ! ……あ、じこしょーかいしてなかった。
 神戸しおです。うぃらん……ゔぃらん? やってまーす!!」
「……そうなんだ。まだ小さいのにすごいね〜、しおちゃんは」
「えへへー」

 アイに撫でられながらにこ〜っと笑う姿にも歳不相応なものは見られない。
 小学校に上がってはいるだろうが、それでも学年は一年生か二年生が良いところだろう。
 どう高く見積もっても命のやり取りをする場所に居るべき年頃には見えなかった。
 敵(ヴィラン)などという物騒な名前を冠した組織に"幹部"として召し上げられるにはあまりにも不似合いな少女。
 ならば彼女のサーヴァント……殺島とは雰囲気も年頃も違う"ライダー"の方が彼女の道先を決め、操っているのか?
 そう考えもしたが、アイの目から見た彼は死柄木以上に仰々しさを感じないただの少年だった。
 油断する気はないが、それはそれとして困惑はある。
 敵連合の実情は、現時点で既にアイが予想していたものとは大分異なっていた。

「(成程な。Mが勧誘(スカウト)に躍起になってる理由も分かるぜ)」
       
 殺島飛露鬼は"極道"であった。
 一人の男が牽引し、宿敵たる忍者共と文字通り互いの存亡を懸けて潰し合った。
 殺島は極道としての在り方、そして自分を救ってくれた男への報恩に殉じて死んだが、それを後悔したことは一度もない。
 極道は強靭な群体だった。衰退しゆくそれを蘇らせた男の手腕によって、恐らくは過去最も破壊的で破滅的な災禍の渦へと姿を変えた。
 その男とMは似ている。精神性においてはかけ離れていても、冴え渡る計略とカリスマめいた闇色の輝きはよく似ていた。

 だが――彼の率いた"極道"に比べて。Mの率いる"連合"は、現状あまりに脆弱で矮小な集団であると言わざるを得ない。

 人材不足と戦力不足。
 これが社会の中で行うマネーゲームなり政争なりであったなら確かに連合は最強の勢力だったろう。
 しかし聖杯戦争とは突き詰めていけばいくほど暴力の二文字に収束していく殺し合いだ。
 Mが掌握し操る東京の社会は彼にとって強力な武器であろうが、生憎そこには質量が伴っていない。
 この世界の人間にどれだけ可能性を与えても、彼らではサーヴァントに敵わない。

 いずれ羽化を遂げる可能性があったとしても今は所詮只の蛹。
 蝶蛾の死因の大半は捕食と寄生だ。
 卵、或いは芋虫、蛹の時期に鳥に啄まれるか蜂蠅の類に産卵されて内側から食い破られるか。
 その弱さを補う術があるとすれば二つ。
 寄せ来る脅威を払い除けられるだけの群れを作って耐え忍ぶか、何らかの手段で羽化の時期そのものを早めてしまうか。
 そして、ジェームズ・モリアーティがその二択を前にして選んだのは。


「――さて。新しい仲間の加入を祝い親睦を深めたい気持ちは分かるが、そろそろ我々も動くとしよう」


 彼が規格外の大悪党であるのだと改めて理解させるに足る、


「死柄木弔。神戸しお。君達に――課題(クエスト)を提示する」


 ――貪婪なる、"総取り"だった。


222 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:56:18 r4Qx31dk0
◆◆


「課題(クエスト)だぁ?」

 怪訝な顔でそう言ったのはデンジだ。
 彼としては予期せぬ僥倖で自分の目の前に現れた超絶級の美女、星野アイをもう少しのんびり眺めていたかったのだろう。
 まあまあ、と彼を宥めながらモリアーティの方を見やるしお。
 死柄木はソファに腰掛けて足を組みながら、続く言葉を待っているようだった。

「じきに日没だ。バーサーカー達との再接触を終わらせてからにはなるが、君達には敵(ヴィラン)らしい仕事をして貰う」
「……おしごと? それって――」
「お察しの通りサ、しお君。誰かの"敵"になるんだよ」

 アイが殺島と顔を見合わせる。
 自分の名前が呼ばれなかった理由は分かっていた。
 アイにはこの社会に適合出来るロールがあり、独自に築いた人間関係もある。
 故にこそそれを尊重し、無理に付き合う必要はないと言っているのだろう。
 無論、何か用向きがあれば手伝いくらいはさせるつもりなのだろうが。

 しかし、この采配はモリアーティらしからぬ不合理に思えた。
 連合が抱える最大の弱点である戦力不足。その解消を放置して、此処でわざわざリスクを取りに行く理由が分からない。
 そのことは当然モリアーティも承知の上だ。だがしかし、それを踏まえても尚今はリスクを取るべきだと。
 断崖の縁を歩かせ、艱難辛苦を超えさせる、"課題/試練(クエスト)"が必要なのだとそう踏んだ。

「アイ君達の動きについては任せよう。まだ新人だし、そちらの仕事(ロール)への差し障りもあるかもしれないしネ」
「"子供達"に経験を積ませたい、ってことかな。本当におじいちゃんみたい、孫思いの」
「否定はしないよ。連合が私の思い描く形になる為には、戦力の向上もそうだが個人の"質"の向上もまた絶対条件だ。
 前者が揃うのを悠長に待ってもいいが、私の手腕に任せきりではいずれ必ず綻びが生じる。
 そろそろこの辺りで、私のマスターを含む若い子達に一皮剥けて貰おうと思ってねェ」
「――おい、ジジイ」

 黙って話を聞いていた死柄木が割り込んだ。
 自分も含んで"子供達"と称したアイに不満を示そうとした、訳ではない。
 彼の興味は今、モリアーティの頭の中。その演算器めいた"悪"の思考回路にのみ向けられている。
 死柄木はモリアーティという個人のことを好いてはいない。むしろいけ好かないジジイだと、反発心を抱いてさえいるが。
 その一方で――ジェームズ・モリアーティという英霊の"脳"に対しては、一定以上の信用を置いていた。

 全ては私の為に(オール・フォー・ワン)と、そう嗤った悪が居た。
 稀代の悪人。人の社会を終わらせる力と脳を持った悪意の化身。
 ■■■■から生まれ変わった死柄木弔を育て、鍛え上げてきた師父。
 その声と微笑みを嫌になるほど覚えているからこそ、死柄木はモリアーティの言を戯言だと切り捨てられない。
 モリアーティの口元に浮かぶ不敵な笑みは。
 オール・フォー・ワンが野望を語る時のそれに、とてもよく似ていたから。


223 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:56:56 r4Qx31dk0

「課題(それ)を越えれば辿り着けるか?」

 幼い頃から苛まれてきたアレルギー。
 優しい絶望に満ちたあの家、その名残のような呪い。
 掻き毟った痕と罅割れで傷付いた口元を、引き裂くように歪めて。
 敵連合、その首領となるべく擁立された青年は、未だ地平線の彼方に眠る魔王の片鱗を確かに見せた。

「アンタの夢見る、終局によ」
「保証しよう。次に君が見る死線。それが終わりの始まりだ」

 覚醒の時はすぐそこにある。
 元より羽は固まりつつあったのだ。
 大戦(マキア)の調伏という無理難題。
 そして解放軍との激突という死線。
 その二つを経て、死柄木弔はそこに至る筈だった。
 そこに割り込んできたのが此度の運命。界聖杯を巡る、聖杯戦争。
 死柄木の居た個性社会よりも遥かに苛烈な死線で満ちたこの東京は最高効率の悪性培養土壌(プラント)だ。
 ならば。それを利用しない手はないと、モリアーティは。悪を導く者(クライム・コンサルタント)は考える。

「なら良い。受けてやるから、さっさと並べろよ」

 そう言って足を投げ出した死柄木に、モリアーティは。
 子の成長を祝するように笑みながら、口を開き――彼と彼女へ投げる課題(クエスト)を、二つ挙げた。



「"皮下医院"院長――皮下真の暗殺。並びに彼の擁する研究設備の簒奪」

 それは竜王の眠る奥津城。
 東京において最大数の火薬を秘めた桜咲く地獄。

「ガムテープの殺し屋集団──"割れた子供達(グラス・チルドレン)"殲滅作戦」

 それは狂おしき子供達と、偉大な母の蠢く恐怖。
 人間社会が生んでは捨てた罪の結晶たる哀れなレギオン。


「道は二つ。いずれも道程は険しく、道を踏み外さなくても崖下に落ちていくような奈落の難易度」

 だが、その分見返りは大きい。
 どちらの陣営にも、モリアーティでさえ全貌を把握出来ていないアドバンテージがある。
 暗殺ないし殲滅に成功すれば連合の聖杯戦争は大きく前進する。
 仮に失敗したとしても、命さえ残っていれば――必ずやその経験は彼らをさらなる悪に染め上げるだろう。
 敵連合。悪としての羽化を期待された二人に与えられた最初の分かれ道。


224 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:57:42 r4Qx31dk0

「存分に悩み、そして選びなさい。君達がどちらを選ぶにせよ、この蜘蛛(わたし)はその道の上に巣を張ろう」

 終局的犯罪(カタストロフ・クライム)。
 机上の空論、夢物語の産物。
 されど。そこに続く微かな道は、確かに彼らの目の前に。


【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル/一日目・夕方】

【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんとの、永遠のハッピーシュガーライフを目指す。
0:くえすと。どうしよう……?
1:さとちゃんの叔母さんに会いに行く。
2:アイさんとらいだーさん(殺島)とは仲良くしたい。でも呼び方がまぎらわしいかも。どうしようねえ。
3:とむらくんとえむさん(モリアーティ)についてはとりあえず信用。えむさんといっしょにいれば賢くなれそう。
4:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
5:“お兄ちゃん”が、この先も生き延びたら―――。
※デトネラット経由で松坂(鬼舞辻無惨)とのコンタクトを取ります。松坂家の新居の用意も兼ねて車や人員などの手配もして貰う予定です。
 アーチャー(モリアーティ)が他にどの程度のサポートを用意しているかは後のリレーにお任せします。

【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
1:しおと共にあの女(さとうの叔母)とまた会う?
2:死柄木とジジイ(モリアーティ)は現状信用していない。特に後者。とはいえ前者もいけ好かない。
3:星野アイめちゃくちゃ可愛いじゃん……好きになっちまいそう……


【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:最初に潰す敵は――
1:しおとの同盟は呑むが、最終的には“敵”として殺す。
2:ライダー(デンジ)は気に入らない。しおも災難だな。
3:星野アイとライダー(殺島)については現状は懐疑的。ただアーチャー(モリアーティ)の判断としてある程度は理解。


225 : むすんで、つないで ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:58:12 r4Qx31dk0

【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける。
0:そろそろ成長の機会を与え、本格的な行動を促す。
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:禪院(伏黒甚爾)に『283プロダクション周辺への本格的な調査』を打診。必要ならば人材なども提供するし、準備が整えば攻勢に出ることも辞さない。
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:"もう一匹の蜘蛛”に対する警戒と興味。真名が『モリアーティ』ではないかという疑念。
6:リンボと接触したマスター(田中一)を連合に勧誘したい。彼の飢えは連合(我々)向きだ。
[備考]
※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
 デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※283プロダクションの陰に何者かが潜んでいることを確信しました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」

【星野アイ@推しの子】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
0:まあ、新入りがあまり口出すことじゃないかな。
1:空魚ちゃん達への監視や牽制も兼ねて、真乃ちゃん達とは定期的に連絡を取る。必要があれば接触もする。
2:空魚ちゃん達との同盟を主にしつつ、真乃ちゃん達を利用。彼女達が独自に仁科鳥子ちゃんと結託しないようにしたい。
3:敵連合の一員として行動。ただし信用はしない。
4:あさひくん達は捨て置く。もう利用するには厄介なことになりすぎている。
[備考]
※櫻木真乃、紙越空魚と連絡先を交換しました。

【ライダー(殺島飛露鬼)@忍者と極道】
[状態]:健康
[装備]:大型の回転式拳銃(二丁)&予備拳銃
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アイを帰るべき家に送り届けるため、聖杯戦争に勝ち残る。
1:真乃達と空魚達の動向を注視。アイの方針に従う。
2:ガムテたちとは絶対に同盟を組めない。
3:アヴェンジャー(デッドプール)についてはアサシンに一任。
4:M達との協力関係に異存はない。だが油断はしない。厄(ヤバ)くなれば殺す。
[備考]
※アサシン(伏黒甚爾)から、彼がマスターの可能性があると踏んだ芸能関係者達の顔写真を受け取っています。
現在判明しているのは櫻木真乃のみですが、他にマスターが居るかどうかについては後続の書き手さんにお任せいたします。


226 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/07(日) 16:58:25 r4Qx31dk0
投下終了です。


227 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/07(日) 18:05:33 WjwSAgZI0
申し訳ありません、予約を破棄します
長期間のキャラの拘束、申し訳ありませんでした


228 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/10(水) 21:08:15 .jtQ2j4w0
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン) 予約します


229 : ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:27:21 rW4Z/dEQ0
前回破棄した作品と同じメンツで予約します

投下します


230 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:28:10 rW4Z/dEQ0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 それは、人の皮を被った何者か共の戦いだった。
新宿御苑である。普段は絶えず人の往来が活発で、平日祝日と問わず、多くの人々の憩いの場となっているこの公園は今や、
夕の光を一身に浴びながら、己が怪物性を発揮する人間共の危険な戦場と化していた。

 皮下の左手から延長する、黒光りする金属質の槍――黒陰石で構成されたそれが、凄い速度で大和へと殺到する。
槍の伸びる軌道上に、鋼色の獣毛を持った巨獣、ケルベロスが立ちはだかる。金属性質として比類ない剛性を秘めている筈のそれが、
ケルベロスの獣毛に触れた瞬間、まるで初めから脆い性質を授かった金属でもあるかの如く、ポッキリと圧し折れてしまった。

 ケルベロスの頭上を、今まさに飛び越えようとする黒い影があった。
夜の闇を切り取った様なブラックのロングコートを着流す、銀髪の青年。峰津院大和が、ケルベロスの背を蹴り、跳躍。
二十m程離れた皮下の下へと矢のようなスピードで向かって行き、メギドの魔力を纏わせた、胴回し回転蹴りを見舞おうとするも、
皮下は地面に対して腹這いになる事でこれを回避する。空中での回転蹴りを避けられ、今着地しようとしている大和。
この、隙となる瞬間を狙おうとする皮下だが、それが出来ない事を知った。真正面から、ダンプみたいな速度で此方に向かってくるケルベロスの姿を見たからだ。

 グッと、両手を地面に合わせて、力を勢いよく込めて、跳躍。
腕の力だけで数m程の高さまで跳躍して、ケルベロスの吶喊を皮下は飛び越えた。
アオヌマの力を、宙を舞いながら皮下は開放。夏の夕闇が齎す、粘ついた湿り気を帯びた蒸し暑さ。それが、ゼロカンマ一秒経つごとに、信じられない速度で低下して行く。
33度、28度、21度、15度、8度、1度、-8度、-15度。気温の変化の速度が、自然界に存在するバランスを著しく無視している。
夏の気温から春の気温になったかと思いきや、一気に秋に下がり、冬になる。マウスのホイールで、適当にスクロールダウンして行って、
その数値が都度世界の気温になっているかのような、出鱈目な下がり幅だった。余りに急激に冷やされたせいか、地面には霜柱が生じ始め、御苑内部の池がスケートリンクの様に凍り始めていた。

 今や気温は-40度。
瞳を開けていれば角膜が凍り付き、下手に呼吸すれば肺の中がシャーベットになる。
うっかり金属に触ろうものなら、皮膚とそれがくっついてしまい、皮膚がべろりと剥がれるのを覚悟しなければ離れられない事態になる位、過酷な環境だ。
その中にあって、大和も、勿論ケルベロスも、当然と言わんばかりにピンピンしていた。
大和の場合は、身体能力を向上させる強化魔術(カジャ)によって、身体機能を著しく向上させているからであり、ケルベロスの場合は、そもそもこの程度の気温では運動能力が損なわれすらしない。素で、平気なのである。

 握っていた青いロングソード、ベルゼバブの居た世界に於いて、『フェイトレス』と言う銘を与えられたその一振りを、空に浮かぶ皮下目掛けて振るう。
すると、如何なる不思議の業か。フェイトレスの剣身と寸分の狂いのない長さと大きさをした、剣状の鋭い氷塊が、皮下目掛けて弾丸に倍する速度で飛来していく。
表皮と筋肉を、黒陰石とさせ、その上で、腕を交差させて放たれた氷剣を防御。踏ん張りの効かない空中での防御だ、皮下の身体が、ピンボールの弾の様に素っ飛んでいく。

「逃がさん」

 空中を吹っ飛んでいる皮下目掛けて、大和が追走を始めた。
ケルベロスも、主に追随する。空中を無力に舞いながら、彼らのスピードをザっと計算する。おおよそ、ケルベロスの方は時速200㎞程。
大和の方は時速120㎞程か。本気でのスピードかは知らないが、十分過ぎる程の速さだし、皮下の目から見ても、バケモノ染みたスピードだった。

「冗談じゃねぇっての」

 皮下はアカイの持つ能力を発動。
人体など一瞬の内に黒焦げにさせるレベルの火炎を放出する能力だが、今回はその応用。
足元から炎を勢いよく噴出させ、これをスラスターの様に用い、空中を滑るように、素早く移動をする。
とは言え、かなり無茶な使い方なのか、姿勢の制御がかなり安定しない。それでも十分だ。迫る大和から距離をとりつつも、何とか地面に着地。
両手を地面に付き、四つん這いの体勢と言う、かなり無様で隙だらけなポーズ。ケルベロスが、この着地の隙を縫って猛速で皮下へと迫りくる。

 皮下の周りを取り囲むように、直径にして十数m以上もある、巨大な炎の渦が蜷局を巻いた。
アカイの能力の、本来的な使い方だ。敵味方の区別なく、容赦なく相手を焼き尽くす、火力の面で言えば虹花の面々でも最強の力だ。
摂氏にして、千度を超すこの火炎の中を、ケルベロスは、一切怯む事無く突き進んできた。獣毛に、焦げなし。敵意だけが、昂るだけの結果に終わっただけだった。


231 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:28:42 rW4Z/dEQ0
「うっはマジかよコイツら、少しは強さに慎みって奴を持てっての!!」

 こちとらアル中を超えたアル中の機嫌取りつつセコセコ戦力整えてんのに、どうなってんだよ峰津院財閥はよ〜〜〜〜〜!!!!!!
と、ブチ切れの気持ちと、最早笑うしかない気持ちが同居して、色々と皮下はハイになって来る。
サーヴァントもバケモノならマスターもバケモノ、その上従えてるサーヴァントじゃない生き物もチート生物と来た!! 笑うっきゃねぇだろこんなの!!

 やけっぱちになりながらも、皮下の頭は冴えていた。
右前脚を振りかぶったケルベロスを見て、サイドステップを刻み、距離をとる。石臼の様な大きさの前足が、地面と衝突する。
直径にして三十mを超えるすり鉢状の浅いクレーターが、草ごと焼け焦がさせた地面に刻まれた。攻撃の凄絶な威力に、新宿御苑の地面が、緩い振動と言う形で反応した。直撃していれば、黒陰石で強度を底上げした身体でも、粉々だった可能性もある。

 サイドステップを終えたその場所に、今度は大和が迫って来た。
手にした氷の長剣、フェイトレスの間合いに入るや、直ぐにそれを肩と腕だけの力で、コンパクトに横薙ぎにして来た。狙いは、胴体。
これを皮下は受けない。スウェーバックの要領で回避する。大和が武器として信頼している以上、その切れ味は間違いなく、
夜桜の所の次男坊が開発している武器に迫るか、上回っていると見て良い。再生能力が皮下には備わっているとは言え、この剣は冷気を操る。細胞の活動を停止する程の冷気を纏わせて真っ二つにされてしまえば、流石の皮下も死ぬしかない。受ける選択肢は、あり得なかった。

 ――勝てねぇ〜――

 皮下は勝負を既に捨てていた。
アカイの能力もアオヌマの能力も効いている様子はなく、クロサワの能力も通用するかは怪しい。
アイの能力を駆使して身体能力を上げてはいるものの、簡単に追随されている。ミズキの毒なら通用するかもしれないが、攻撃に当たってくれないし、
そもそもケルベロスに毒が通用するかどうかも解らない。ギリシャ神話に於いて、トリカブトの花はヘラクレスによって冥府から地上に引きずり出された、ケルベロスの唾液が大地に滴った事を起源としている。あの犬には毒も信用出来ない。

 確かにこの勝負、峰津院大和を殺す、と言う形での決着は、今の時点では殆ど不可能に近い。
得体の知れない力を振るう大和もそうだが、彼にしてもケルベロスにしても、余力を相当残している。底が知れない。
総合的に判断して、今の段階では大和達を相手に、苦い勝利は勿論の事、痛み分けに持ち込む事すら出来そうにない。

「考えている事は手に取るように解るぞ」

 鋭い目線を皮下に投げ掛けながら、大和は言葉を言い放った。

「大方、私との勝負を避け、御苑を派手に破壊する攻撃を行って、NPCの耳目を引くつもりなのだろう」

 冴えてるな〜こいつ、と皮下は感心する。
峰津院大和と言う参加者の最大の弱点は、峰津院財閥の当主と言う立場からくるその知名度だ。
元々、うら若き当主だとか言われていて注目度も高い上に、加えて隙の無いこの美形ぶりである。
イケメン当主だとか言って若年層からも持て囃されているし、良い意味でも悪い意味でも、大和の知名度はこの界聖杯内に於いて群を抜いている。
そのレベルでの超有名人、しかも各界にコネと権力を持つ大和が、今から無惨に破壊される新宿御苑の内部に一人でいたら、どうなるのか。
必然、NPCは勿論、聖杯戦争の参加者達の注目をも搔き集める事になる。下手をすれば、巷をお騒がせしている、神戸何某の一件を容易く上回るスキャンダルだ。
尤も大和の性格だ、NPCや他の有象無象の参加者が幾ら吠え立てた所で何の痛痒もなかろうし、情報の拡散にもメディアを操作して封殺してしまえる事だろう。
だが、時間は奪える。峰津院大和が、聖杯戦争に備えるための貴重な時間。それを、割く事が出来る。この点で、御苑を破壊するのは有用な作戦なのだ。
NPCが集まってしまえば、自動的に戦闘は中断せざるを得なくなる。……NPCが集まってるのにお構いなしに、彼らを巻き込んで破壊を行う手合いだった場合、いよいよデッドエンドになる訳だが、これはもう賭けなのだ。迷っている暇はない。


232 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:29:05 rW4Z/dEQ0
 ――……アレも気になるしよ〜…………――

 皮下には、この戦いを意地でも中断させたい理由があった。
新宿の夕空、炉の中にいるかのような橙色の空が広がる中で、ただ一点の空域だけ――魔界の空でも切り取って張り付けてみせたような、地獄の様相を見せているのである。
その空域だけ空の色は鳩の血の様に鮮やかに赤く染まっており、雲一つない夕空の中に在って其処だけに何故か積乱雲が立ち込めていて、稲妻を閃かせているのだ。
アレを初めて見た時、背中を嫌な汗がそれはもう伝ったものである。何せ位置相関的に言えば、あの空域の下には、皮下医院がある筈なのだ。
確実に、カイドウとベルゼバブが、何かを仕出かしていると見るのが正しい。元々界聖杯の東京に気まぐれに現れては、時に地区すら破壊する勢いで戦う程、
カイドウと言うサーヴァントには常識が通用しない。そんな事をやらかしても、大目に見ていた――見るしかない、の方が正しい――が、今回ばかりは話が違う。
何せ今カイドウと戦っているのは、アレに勝るとも劣らない強さを誇る、規格外のサーヴァントなのだ。

 あのレベルの強さのサーヴァントを、東京都に現出させて、戦わせれば如何なる。
地獄と言う言葉が意味するものが、成就するに決まっている。この再現された東京が滅ぼうが別に知った事ではないが、この段階で悪目立ちし、
全ての主従に一斉に叩かれると言う事態は流石に避けたい。大和並に強いマスターの存在を否定出来ない以上、全てが敵に回った時本当に危険なのはカイドウではなく皮下だ。
何はともあれ、この場から退散し、大和を撒きつつ、病院の無事を確認した後、別のアジトに避難する必要がある。難度は高いが、やるしか道は残されていなかった。

 こういう時、頼りになるのはアカイの力である。
心を昂らせると、彼女自身ですら制御出来ないレベルの猛炎を発生させてしまい、敵味方の区別なく焼き尽くしてしまうピーキーな力だが、
周りに一切味方がおらず、誰も気に留める事無く破壊を振り撒いて良いとなると、これ程便利な力もない。
アカイの力を利用して、新宿御苑の一切を、灰だけが降り積もる、憩いの場とは無縁の地へと変えてやる。そう思い、力を発露させようとしたその時であった。

 ――――――――天地が逆しまになり、遥かな天蓋から巨山の一つでも地上に落下して来たような、激震と轟音が世界中に轟いたのは。

「何ッ……」

 此処に来て初めて、大和の鉄面皮に驚愕の色が浮かび上がった。
皮下の視界には、あの大物に驚きの念を隠し得させなかった現象の正体が見えなかった。大和の目線の先、つまり、皮下の背後でその現象は起こっているのだろう。
今がチャンス、俺ってラッキー☆ ……そんな事を思う皮下ではなかった。そう言う気持ちも、確かにある。5%位の割合で。
残りの95%は、自分の背後で何が起こったのか、確認するのを心底厭う、ゲンナリとした気持ちであった。

「畜生、あのアル中総督がよぉ!! お恵み感謝するぜクソッタレが!!」

 殆ど、ヤケクソそのものの勢いでアカイの能力を発動。
燃焼と言うよりは、最早爆発とも言うべき紅蓮の華が、御苑全体を包み込んだ。
――皮下本人の思惑とは裏腹に、NPC達の目はこの爆発よりも、それ以前に起こった激震と轟音の方に向いていた事に気づくのは、果たして、何時の事になるのやら。

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233 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:29:50 rW4Z/dEQ0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 それを出した、と言う事は、然るべき実力の者が見た場合、カイドウは間違いなく本気を出していたという事が一目で分かる。
百万人に一人、授かって産まれるか否かと言う天性の才覚、可視化されるカリスマ――覇王色の覇気。
その時代に於いて突出した傑物である事の証明である、この覇気を扱える者達ですら、生涯通して、覇王色の覇気を『身体に纏える』事を知らなかったと言う事例は珍しくない。
そして、知っていてもこれを実践出来る者は、もっと少ない。覇王色を扱えるようになる事すら、努力や気持ちでは如何にもならない、才能の領分であると言うのに、これを纏えるようになるには其処から更にそれ以上の才能と、経験が必要になるのだ。単純には覇王色を扱えると言っても、此処までの格差が厳然として存在する。

 覇王色の覇気を纏わせた金棒を、鋼の翼で迎撃した瞬間、ベルゼバブは斜め上方向に、サッカーボールで蹴り上げたような勢いで吹っ飛ばされた。
インパクトの瞬間に、力負けないように踏ん張ったが、そんな努力を一笑するようなレベルで、一方的に、ベルゼバブの巨体は跳ね飛ばされたのだ。
その速度は、音。音速で吹っ飛ばされているにもかかわらず、大気摩擦にも、掛かる重力にも、ベルゼバブは平然としている。
音速移動に耐え得る身体を誇りながら――カイドウの一撃には、ダメージを強く受けていた。直撃した訳じゃないのに、この威力。
衝撃は胴体を強く打ち叩き、骨と内臓に強く鋭く響いた。衝撃が届く前に身体を微妙に半身にして、威力をある程度損なっていなければ、骨にひびが入っていた可能性が高かった。

 ベルゼバブが1000m程上空まで吹っ飛ばされたその時、凄まじい速度で何かが此方に向かって来ているのを、彼は直接目視した。
それを見た時ベルゼバブは、巨大な青い長城が迫ってきている風に見えた。或いは、紺碧の津波が押し寄せて来るようにも、見えた。

 ――それが、全長にして数百mもあろうかと言う、青い鱗を隈なくビッシリと生え揃えさせた、巨龍であった事を。ベルゼバブが理解したのは、間もなく直ぐの事であった。
そしてその青き龍が、タブレットで見た動画に映っていた、東京都に甚大な破壊を齎していた存在と同一の者である事も、合わせて理解した。

「丁度良い、探す手間が省けた」

 元よりあの青龍は、殺す対象としてマークしていた。
理由は単純明快。学術的な興味によるものだ。ドラゴンの身体には、不思議な力が宿っていて、その力の恩恵に与った様々なものが存在し、語り継がれている。
龍の血を浴び無類無敵、一国の軍隊をたった一人で退ける戦士がいる。炙って喰らえば、魚獣禽鳥の言葉を聞き分けられると言う竜の心臓の存在が伝説として口伝されている。
そして、龍の骨や腱などを用いて作られる、神すら恐れ戦く魔性の武具。その武器は時に世界に災禍を齎す呪具扱いされ、時には平和の福音を約束する神器としても語られる。


234 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:30:05 rW4Z/dEQ0

 目の前のドラゴンを殺した暁には、何が得られるのか。単純に興味があったのだ。
その肉を喰らえば、今よりも強くなれるのか。骨や牙から作られる武器は、己の振るう鋼の翼に近い働きを見せてくれるのか。興味は尽きない。
殺してみる、価値はある。ベルゼバブは、カイドウの事をそういう目でみていたのである。

 吹っ飛びながら、一瞬だけ身体を屈ませたベルゼバブ。
グッと身体を伸ばし、その動作と同時に鋼の翼を羽ばたかせた、瞬間。爆発的な速度で、ベルゼバブは一気に上空へと飛翔する。マッハ、3。これを超える速度だった。
その速度で飛翔するベルゼバブを見たカイドウは、翔駆する為に用いている、身体に纏わせた嵐。
この嵐を爆発させるように吹き荒ばせ、その力を推進力にしてロケットの様に移動させている訳だが、その力を更に高めさせた。
速度が上がる。時速700㎞が、一気に1400㎞にまで跳ね上がった。異常な程の加速力だった。

 物理的な制約の下で生きてゆかねばならない生き物が、生身で出せる遥か限界の速度での移動。
そして、有質量が数十㎏を越すもの達が、音速を超えるスピードで動いた結果、鬼ヶ島の象徴である髑髏のドームにまで、その衝撃波が届いた。
鬼の頭蓋骨を模した岩のドーム、その頭頂部の実に8割近くが、ソニックブームを叩き付けられて瞬時に崩壊。その瓦礫が、千mを容易く超える高高度まで巻き上がった。
大地に類する部分にまでその衝撃波は及び、まるで研がれたナイフで上等な肉に切れ目でも入れるような容易さで、大地に亀裂を無数に生じさせる。

 『それだけで』済んだのであれば、どれだけ良かったか。

 鬼ヶ島、と言う宝具は、幾度も説明されている通り、今この時点では『完成形』ではない。
この宝具が真に完成と呼べる段階に至る瞬間とは、潤沢な魔力を確保した上で、現実世界にその存在を流出させた時に他ならない。
今この瞬間、つまり、異次元に格納している段階の鬼ヶ島とは、島の耐久度の面ではともかくとして、現実世界に影響を及ぼせるか、と言う『概念的な実存力』については脆弱なのである。

 結論から言えば、ベルゼバブとカイドウの度重なる、時空にすら影響を与える戦いの規模に、とうとう、鬼ヶ島を隠蔽する異次元の方が限界を迎えた。
何処までも飛翔しようとしていたベルゼバブとカイドウ、その進路上に巨大な空間の裂け目が生じた。いや、現れたのはその一点だけじゃない。
鬼ヶ島の在る異空間の空、その至る所に裂け目が生じたのだ。裂け目の大きさや形も様々なら、それ自体が生じている高度も一様ではない。バラバラだった。
裂け目の数は加速的に生じて行き、遂には、断裂と断裂の間にまた断裂が生じて、それらが繋がり合って一つの巨大な『孔』となってしまった場所もあるぐらいだった。
これがそのまま、鬼ヶ島全体に広がってしまえば、この場にいる全ての面々は、異空間だとか、虚数空間だとか呼ばれる、とにかく、
数学的に限りなく『無』に近い場所に放逐され数十万分の一秒の時間で消滅する所であったが――その危機は、当面、回避される運びとなった。

 ベルゼバブと、龍体になったカイドウが裂け目に突っ込み、鬼ヶ島から姿を消した瞬間。
まるで揺り戻しの様に、あらゆる裂け目が消えて行ったからであった。


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235 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:30:21 rW4Z/dEQ0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ――202■年8月1日午後0■時■7分35秒、東京都新宿区新宿3-24-3、新宿アルタ前に鋼翼のランサー出現。
以下、その挙動記録。

 202■年8月1日午後0■時■7分35秒、都道430号線の交差点、その道路中央に、物理的に大地に生じている物ではない、トリックアートのように見える断裂が出現。
断裂からランサー、マッハ2.8で飛翔。断裂の出現地点を中心とした直径300m圏内に、音速の移動による衝撃波発生。
同範囲内において活動していた市民、衝撃波の被災を確認。

以下当該衝撃波による死者。

趙 磊  依田雄二 堀口昇 嶋秋江 谷口恵梨香 瀬谷弘 高橋伊和理 木野村英子 湯淺悠子 須々木かなめ 永瀬奈美恵 小澤宗一郎
冨田栄作 菊池旭希 石橋茜 竹本妙 吉井玄乃介 柏野紫鶴 米田定家 木原篤郎 岩崎慎斗 田行陽大 金籠亮太郎 菅屋悠燈
倉堂花音 杉本友子 津留田友貴子 神代伊佐那 武藤祥太郎 今泉ちなみ 妹尾香乃 金山小鳥 興田正三 上之郷雄一 矢島美奈
北埋川大地 溝口敬治郎 森本愛澄 シギスマンド・ブランドン サラ・ティリャード ブラッド・ピット 磯村健児 相良育子
江添二一 田淵里栄子 若原希久子 刘红梅   コーディー・キャルヴィン・ボルコフ 土山竜太 堅井律 赤峯五郎 大極朝葵
青山一弘 野方藤吾郎 石間佐織 フォスティンヌ・シェロン アレクサンドル・マリヴォー 三星太陽 マルセリーノ・エスパルサ・グリン
杉浦佑佳子 木村健誠 入福百 安野雲 千葉央 木村健誠 李 豪  柿本智恵子 松島千咲 公由喜一郎 周 建文

以上70名、『死体が確認出来かつ身元が特定出来ている者』。この条件に当てはまらない場合の死亡者数、身元の判別の為のあらゆる方法が通用しない程の死に方の為、測定不能。
また、断裂から直径150m圏内に建造されていた建造物及び鉄道路線、都道を走行中の車両、同衝撃波に直撃、被災。
建造物の倒壊及び、新宿駅に停車及び同地点を通過しようとしていた各路線の車両並びに都道430号線を走行していた車両の破壊及び爆発に巻き込まれた死者及び死傷者数、■千名超。


 202■年8月1日午後0■時■7分36秒、東京都新宿区新宿7-27、都道305号線と都道433号線の合流地点の交差点に、龍人のライダー出現。
以下、その挙動記録。

 202■年8月1日午後0■時■7分36秒、都道430号線の交差点、その道路中央に、物理的に大地に生じている物ではない、トリックアートのように見える断裂が出現。
断裂から、ライダー。マッハ1.3の速度で上昇。断裂の出現地点を中心とした直径400m圏内に、音速の移動による衝撃波発生。
同範囲内において活動していた市民、衝撃波の被災及びライダーの長大な巨躯との衝突確認。

以下当該衝撃波、衝突事故による死者。

浅田周三 パク・ドンウク キム・ジュンムン 東出誠児 木久真悟 鷲見かおり 吉澤敏子 高 云龙 吴 正南 チョン・ソンフン
小野田円 永谷桜花 松藤諒成 九条榛士 九条御先 加古佳和 石村もとみ 光崎猪助 片山准子 パク・メイスン クインシー・J・メイヤー
秋丸康成 石郷岡秋斗 和泉綴 チャ・ビョンチャン ジョン・バロン・ホロウェイ 秋江譲 久米五鈴 赤尾ゆう子 浦川香里 中込千冬
キム・ヘジン 周 佩君 畑純一 青山浩伸 金川真穂 白木孝秀 本多美幸 丹後康弘 丹後奈美恵 小幡銀二 杉田卓 ハンス・フォン・カールス
キム・ミヌ ユ・ヨンファ バーディ・ウォンイル 外山佳和 小早川敏宏 福永萩之助 亀井文恵 立和名小雪 ジョナサン・J・ブレイズ

以上52名、『死体が確認出来かつ身元が特定出来ている者』。この条件に当てはまらない場合の死亡者数、身元の判別の為のあらゆる方法が通用しない程の死に方の為、測定不能。
また、断裂から直径200m圏内に建造されていた建造物及び鉄道路線、都道を走行中の車両、同衝撃波に直撃、被災。
建造物の倒壊及び、新大久保周辺の商店街の破壊及び爆発に巻き込まれた死者及び死傷者数、■千名超。

 202■年8月1日午後0■時■7分37秒。
ライダー、新宿区上空1762m地点に到達。高度2088m上空を浮遊していたランサー、ライダーの存在を確認。
以降の挙動、両名を包み込むように発生した、直径2㎞を超えるスーパーセルにより、解析不能。


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236 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:30:54 rW4Z/dEQ0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 カイドウにとっての急務とは、ベルゼバブをとにかく、鬼ヶ島から追い出す事にあった。
自分の宝具の事だ、良く分かっている。鬼ヶ島のあちらこちらで空間の裂け目が生じた瞬間、放っておけば本当に鬼ヶ島は虚数空間に還る。
その事を認識したカイドウは、先ず、覇王色の覇気を纏わせた一撃でベルゼバブを弾き飛ばし、外界に叩き出そうとしたが、その時、カイドウが鬼ヶ島に籠っていたままでは、
このランサーは再び、その奇天烈な力を用いて鬼ヶ島内界に討ち入りに来るであろう事は容易に想像出来た。
ために、カイドウは、吹っ飛ばされたベルゼバブを追跡する方向を採用した。即ち、悪魔の実の中では突出して珍しい、自発的に空を飛べるウオウオの実モデル青龍。
その力を解放して自らを長大な龍の姿に変じさせ、飛翔、ベルゼバブに追撃を仕掛けるのと同時に、彼の興味を鬼ヶ島から、巨龍に変身した自分に移させたのだ。

 概ね、カイドウの狙いは達成された事になるが、いくつかの大きな誤算があった。
一つ目は、カイドウやベルゼバブが外界に出るに至ったあの空間の裂け目は、言うまでもなくカイドウが自発的に生じさせたポータルではない。
この両名の、想像を絶する規模のぶつかり合いによって生じた、時空間と因果律の断末魔のような現象であり、鬼ヶ島の崩壊一歩手前を知らせるサインであった事。
二つ目は、二名が登場した場所。そもそも皮下病院がある場所自体、新宿区と言う日本どころかアジア全体を見渡しても屈指の歓楽街だ。
人のいない、目立たない場所など存在するべくもないのだが、それでも、カイドウとしては自身が戦いやすいよう、多少人の少ない場所を選んだつもりなのだ。
その結果は、見ての通り、ベルゼバブは新宿アルタ前、カイドウの方は新大久保周辺と、見事なまでに人も建物も密集している地域である。結果として、彼らの登場、それによって生じたソニックブームや、音速越えの速度で移動する彼ら自身との衝突によって、実に1万を超す都民が死亡する事になった。

 そして何よりも最大の誤算は――この空である。

 誰もが心の内で思っている、地獄と言う概念の類型、雛形。地獄とはこうなのだろう、こんな場所なのだろう。
そのような、不変無意識のうちに蟠っていたイメージの一つが点と線を結び、遂に、この世に成就してしまったのかとカイドウは思った。
まだ星々の王である所の太陽の威光が、夕の残光となって世界に橙の色を落としている、その時間に在って、天の神の流した血がそのまま反映されているような、この赤い空は、何事だ。
怪異の存在、悪魔の名残が絶えて久しいこの現代。空がこれでは、悪魔が徒党を組み妖怪共が百鬼夜行の列を作りながら、今にも往来を闊歩しそうな終末的な光景であった。

 この空が、異常なものである事はカイドウにだって解る。
時間的に言えば今は夕方に相当する時である為、空が赤いのは、確かにそれは正しい。問題は――赤すぎる、と言う事であった。
夕焼け空の橙色では最早なく、人の血をそのままぶちまけた様に空の色が赤く、その上に、雷雨を孕んだ分厚い山脈のような積乱雲が無数に横たわっていた。
その積乱雲にしても、白とか黒とか灰色とかの常識的な色ではなく、鮮やかな赤色をした、自然界ではありえない色味の雲山であった。
極めつけに、その空が『何処までも広がっていない』と言う事実こそが、この事態の異常性を如実に物語る重大な要素だった。
カイドウを中心として、おおよそ直径3㎞の空『のみ』が、今言ったような異常事態に見舞われているのであって、その範囲外。
つまり、その3㎞を超えたその先の空は、『いつも通りの有り触れた東京の夕空』なのだ。
空を一枚の巨大な布としてとらえた場合、まるでこの異常な空の様子は、一点のシミのようだった。橙色の夕焼け色の中に在って、一点だけ赤い絵の具を溶いた色水でも落としたかのように、おかしさが浮き彫りになった空だった。

 四皇と言う、世界中に於いて比類なきレベルの実力者の覇気は、自らの身体のみに影響を及ぼす、と言う次元を超える。
つまりは、自らの意志力と体内に溜められた活力を放出すれば、外界に影響が出てくるのだ。とは言え、それ自体は珍しい事ではない。
覇王色の覇気を会得した者であれば、その覇気に当てられた者は、意志力に秀でて居なければ気を失い、意識を持っていかれる、と言う事は実力者の間ではよく知られている事だ。
四皇の場合は、別格。外部に影響を与える、と言う事象の極地。天候すら玩具の様に変えて行ってしまう程なのだ。
生前に於いても、四皇レベルの実力者同士の衝突は、比喩を抜きに空を割り、海を逆巻かせ、嵐を渦巻かせる規模の異常気象を見舞わせてしまい、このせいで、人知れぬ場所で戦うと言う事が最早困難になってしまうほどだった。


237 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:31:14 rW4Z/dEQ0
 だが、如何な四皇、或いはそのレベルの強さを持った猛者とのぶつかり合いとは言え、カイドウを以てしても、
まるで何処かのカルトの終末論が説いているようなこの異常気象については、前例の覚えがない程であった。
むべなるかな、これは世界に影響を齎す程の四皇の覇気と、世界の因果にエラーを生じさせるベルゼバブの『特異点』スキルがぶつかり合った結果の故だった。
世界が世界として成立する為に必要な諸々の要素。それこそ、物理的な事柄は勿論、概念・形而上学的な観念に至るまでの、言わば理(ことわり)。
これに狂いを生じさせるベルゼバブの特異性は、まさに世界に於けるバグそのものと言っても過言ではない、まさに歪みの体現者とすらも言える。

 特異点とはとどのつまりは、存在するだけでこの世の流れ、とも言うべきものを良い方にも悪い方にも加速させる、『ハイエンド/エラー』。
人間世界の行く末を決めるコンパスの磁針を狂わせる磁石であり、天外から落ちて来た隕石のようなものである。
この意味では、規格外の覇気、即ち意志の力を持つカイドウは、特異点とも換言して良い存在に近いのだろう。彼の存在は生前、人、もの、国、あらゆるものの歴史を歪めさせてきたのだから。

 故に、ベルゼバブもカイドウも、読めない。自分らがぶつかり合えばどうなってしまうのか。
特異点そのものと言うべきベルゼバブと、それに限りなく近い意志と肉体的な力を持つカイドウが衝突してしまえば、どうなるのか?
その結果が、これになる。空はあるべき色を失い、悲鳴を上げているかのような色に転じて行き、空に浮かぶ赤い雲はまるで腸がゾロリと暖簾の如く垂れさがっているようだ。
電波の類は散逸し携帯電話は役に立たず、計器(メーター)の類はあるべき値を示さない。ある場所の水たまり突如として沸騰を初め、100度を超えても気体にならず、
300度の超高温になってもなお真水の状態を維持。またある場所の水道の水は雪国の極低温に晒されたように凍結してしまい、水道管を破裂させてしまう。

 まるでこの世ならざる、語る事すら憚られる恐るべき神格の来臨めいたこの光景が、ベルゼバブとカイドウが鬼ヶ島の異空間で戦っていた、
その余波で引き起こされていた事を、カイドウは察した。だが、この光景の範囲が、『二人が現世に登場した瞬間爆発的に広がった』事までは、流石に知らなかった。
皮下医院が立てられていたエリアだけの影響に、元々は過ぎなかったのである。元から、これだけの範囲で引き起こされていたのだとカイドウは思っていた。
実態は全く違う。二つの特異点が正真正銘、現実世界にやって来たのだ。異次元にいてなお現世に影響を及ぼす化物が、現世そのものに出てくれば、その範囲も、異常の密度も深刻さも跳ね上がる。当たり前の話なのだ、これは。

「ウォロロロロ……!! 良いじゃねぇか、こういう演出は悪くねぇぞ」

 カイドウは、この空を気に入った。
青空の下での大戦争、と言うのも乙なものだ。空高く、雲一つなく、あるのはただ、青い敷板でも敷いたような蒼天の中にポッカリと空いた白い光の穴のような、太陽のみ。
庶民であれば、洗濯日和、買い物日和、釣り日和。ハイキングにもうってつけかも知れない。そんな空の下で、人の命など羽毛一枚ほどの重みもない戦争を行うのだ。
そのアンビバレンツさ。カイドウはそう言った点に、美学と言う物を感じ取る男でもあった。

 だが、この空模様も悪くない。
冥府・魔界の類が成就したようなこの空の下で、次々と命を刈り取って行くのもまた、雰囲気が良い。
この空の下で人を殺せば、人の魂は何処に逝くのか? 元より地獄か、死後の世界か、その一端が成就したような空の色である。此処で死ねば人の魂は、現世に残るのかも知れない。
どちらにしても、この混沌の度合いは、良いものだ。……出来ればこの空の下で、十全の鬼ヶ島が展開出来ていれば、なおよかったのだが……。

「大悪党が死ぬには、何とも良い感じで、映えるんじゃねぇか? えぇ、ランサー」 

 其処まで言うや、カイドウは己の青龍としての能力を発動させ、己の周りを取り囲むように、分厚い鉛色の雲の渦を形成させる。
俗に、スーパーセルと呼ばれる極めて強い嵐の大塊だ。青龍状態であればこのようなもの幾らでも創れるし、これを地上に顕現させようものなら、
鉄筋コンクリートのビルであろうとも、粉々に粉砕され、基礎一つ残らないであろう。そのレベルの強風と稲妻、そして雹とが、内部で荒れ狂っていて、地上にも、これをおまけと言わんばかりに降り注がせていた。稲妻が地上目掛けて閃く。車両のルーフに落雷し、そのまま車が、爆発した。


238 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:31:27 rW4Z/dEQ0
「羽虫にくれてやるには惜しい空だ」

 鳥は勿論、猛禽、果てはVTOLの類ですら姿勢の制御など不可能な嵐の中に在って、ベルゼバブは腕を組みながら、泰然自若。
全てを見下すような目つきでカイドウを睨めつけ、驕り高ぶりも甚だしい語気と態度で言って退ける。カマイタチ、稲妻、雹に大雨。それらが混然となって渦巻き、人の声など蚊の鳴く音以下にしか聞こえないこの嵐の中で、この二名如何にして声を届かせているのか。

「最後の最後まで口の減らねぇ野郎よ」

 カイドウはその口腔をめいいっぱい押し広げさせ、其処に、膨大な熱量を収束させて行く。
大口を開けたカイドウの口内。その中に、まるで恒星のような焔の塊が鎮座し始めた。この嵐の中、何処にこれだけの熱源を生み出すだけのエネルギーが、存在すると言うのか。
それを受けてベルゼバブは、右腕を高々と掲げ初める。上に向けた掌に、数万分の一秒以下の速度で、ボーリング球程の大きさの、紅色の球体が現れ始めた。
大きさは、カイドウが溜めているその熱源よりも大分小さい。カイドウが溜めている、熱源、即ち、熱息(ボロブレス)の卵の、一千分の一程に過ぎなかろう。
だが――エネルギー量は互角。カイドウは、ベルゼバブが溜めている魔力が炸裂した時の威力は、今の熱息と同じ威力。
しかも、彼の場合はそのエネルギーの上昇に終わりを見せない。際限なく上がり続けていた。つまり、まだこの技のチャージ段階は途中に過ぎないと言う事。
今この段階の収束段階ですら、地上でこの魔力塊を叩きつければ、新宿一区程度の範囲は忽ち草一本と残らないだろう。

 ――だからこそカイドウは、ベルゼバブの放つ技が完成を迎えるそれまでに、不意を打ったのだ。

「熱息!!」

 火を吹く龍、と言うのは普遍的なイメージであろうが、カイドウの吐く炎は、最早巨大なレーザー。
レーザーの射線上に存在する、雹や雨粒、雲に稲妻は、カイドウの放った熱息に触れた瞬間現象としての形を保てず、蒸発、消滅してしまった。
これが、人間の身体に触れようものなら、齎される結末は死以外の何物でもない。この技が放たれれば、只人は死ぬ。直撃する必要性すらない。
掠っただけで身体は灰すら残らず瞬時に消え失せるであろうし、余りの高温の為周囲の気温も爆発的に上昇、レーザーに触れてなくとも皮膚や筋肉が沸騰するように泡を立ててしまい、苦悶の内に死に至る。

 これをベルゼバブは、冷静に、迎え撃った。地図を書き換える必要すら生じる程の一撃に対し、迎え撃つのは、腕一本。

「ケイオス・レギオン!!」

 叫びながら、腕を振るってエネルギー球を叩きつけるベルゼバブ。両名が具象化させたエネルギーがぶつかり合った。

 ――激発。爆轟。熱波。轟音。衝撃波。猛風。


.


239 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:31:42 rW4Z/dEQ0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「馬鹿め……派手に目立ちおって」

 ベルゼバブとカイドウらが戦っている所から、二千m以上離れているにもかかわらず、十m以内の距離でダイナマイトでも炸裂させたかのような轟音を、大和は聞いた。
そしてその後に、ロングコートをはためかせる程の突風が、大和の身体に叩き付けられる。姿勢が、崩れない。常人ならば立っていられない風速であったにも関わらず。

 青い龍王の姿を大和が認識したその後には、既にベルゼバブもカイドウも、スーパーセルの内部に呑まれてしまい、全く姿が見えなくなっていた。
二人の戦いの行く末はもう確認しようがないが、それでもわかる事は一つ。彼らの出現によって、甚大な被害が新宿に齎されてしまった、と言う事。
最早確認しないでも解る。カイドウらが戦っている所とは別の場所、その至る所で建造物の崩落音と、ガス爆発のような爆音が聞こえて来るからだ。

 その、スーパーセルが既に消えていた。
あの嵐の中でカイドウとベルゼバブが、如何なるやり取りをしていたのか、大和には解らない。
ただ、あれだけの規模の大嵐が、まるで突風に払われる霧か煙の様に、雲散霧消。跡形もなく、消滅してしまった。

 派手にやってくれたな、と歯噛みする一方で、これも仕方のない経費であると割り切ってもいた。
あのライダーは……カイドウは、強い。恐らくこの聖杯戦争中、あのライダー以上に強い存在など、存在すらしなかろう、と言う確信すらある。
あれなるは、此度の聖杯戦争に於いての最強のサーヴァント。ハイエンド中のハイエンドであり、トップメタとして君臨する覇王であろう。
アレを殺せるのなら、聖杯戦争も大分楽になる。NPC1万人程度の犠牲で、カイドウを殺せるなら、破格の取引である。

 そうと思ったからこそ大和は、新宿御苑と言う霊地一つを破却、一つの巨大な魔力リソースとして、パスを通じてベルゼバブにくれてやったのだ。
霊地、と言うのは魔力のプールする土地であり、新しい魔力を生み出す為のシステムそのもの。大和はこの東京中に、幾つもその霊地を生み出し、
峰津院財閥に何かしらの名目を以てその土地を管理させていた。この一つを、大和は完全に消費した。
即ち、新宿御苑に溜められた魔力と、『魔力を生み出すと言う霊地としての機能をもひっくるめて魔力に変換』させ、ベルゼバブがカイドウを倒す助けとして与えたのだ。
これにより、新宿御苑は最早霊地としての機能を一切見込めなくなった。魔力の搾りかす一つ、残っていない。逆さに振っても何も出てこなければ、叩いて埃すら最早出ない。
一から作り直せば、霊地としての使用に耐え得るだろうが、それが出来るようになるには大和レベルの才能を以てしても、最速で数か月だ。聖杯戦争が終わるであろう期間を考えれば、最早霊地にはなりえない。

 決して安くない犠牲を払ったにも関わらず――カイドウを、仕留められてない。
その事が、大和には手に取るように解った。確かに、カイドウの魔力の反応も、暴力的とすら言えるあの覇気も、消滅している。
しかしそれは、生命活動の停止に伴って消えたのではなく、『移動に伴う消滅』だ。より言えば、空間転移、ワープの類で、その場から消えて居なくなったから消滅したに過ぎないのだ。

「皮下め、令呪を切ったな」

 この場から逃げおおせた、憎らしい男。
自分とは異なる、不愉快な形での平等の理想を叶えようとする道化の名を、大和は忌々し気に口にする。

 燃焼を飛び越えて、爆発とも言うべき熱波と炎の暴力の中を、大和は難なく生き残っていた。
芝生は燃え尽き、樹木は炭化し地面に圧し折れ倒れていて、池の水は余す事無く全て蒸発し切っていた。憩いの地、としての面影は最早ない。
ケルベロスを盾にしつつ、炎による害意を無効化する術式を編み上げ、その場をやり過ごす。難しい事はしていない。
たったそれだけの工程で、堅牢な要塞にすら致命的なダメージを与えうる焔の一撃を防ぎ切ったのだった。


240 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:32:17 rW4Z/dEQ0
 皮下とて、あの程度で大和を殺しきれるとは露も思っていないだろう。
アレは本当に、攪乱の為の一撃。大和をその場に留め置かせ、遠くに逃げる為の策だ。
そしてそれは事実、功を奏している。但しそれは、皮下の作戦がスマートだったからではない。凄まじい破壊と被害を振りまきながら新宿に現れたベルゼバブとカイドウ。
彼らをどうやって処理しようか考えていた、その一瞬の空隙を奇跡的に縫えたからに他ならない。間違っても、皮下はクールでもクレバーでもない。
その証拠に、去り際の皮下の顔は、慌てたような表情だった。これは、大和の追跡に焦っているのではない。自分が手綱を握っている、あのライダーの事を思っての事だろう。なんて事はない、皮下にしても、カイドウが何をしでかすか解らないから、心配だったのである。その点については、大和も理解出来る。大和が従えるサーヴァントも、人の言う事を聞く手合いではないからだ。

 恐らく何処かで、皮下は令呪を使った。
命令内容は大方、『龍の姿から人間に戻った上で自分の所に戻ってこい』、と言う所だろう。そうでなければ大和とベルゼバブは撒けない。
鬼ヶ島に招かれた事で分かった事がある。あの宝具はまだ完成の中途だ。魔力、兵力。それらを全て十全に整えた上で、地上に出現させる運用をせねばならないのあろう。
カイドウは単体でも恐るべき強さだが、鬼ヶ島完成の暁には、あの内部にいた恐るべき戦士達が東京に大挙するのだろう。ゾッとしない話だ。
今それをしない理由は、単純に、皮下があの宝具の使用に耐えられるだけの魔力を持っていないからだろう。だからこそカイドウは、大和相手に霊地の分割を提案したのだ。
元より大和は霊地の分割など誰であっても提案もしないが、あの主従のアキレス腱を、早々に見抜いていた大和は、この観点があったからこそ断ったと言う一面もある。

 恐らくベルゼバブは、鬼ヶ島に甚大な被害を与えている。
カイドウを殺せなかったのは惜しいが、実質的に、戦略的には此方が勝利したと言うべきだろうと大和は解釈した。
この解釈が正しければ、皮下達は、大幅なタイムロスを強いられる形になるだろう。破壊された鬼ヶ島の復旧だけじゃない。
誰の目にも明らかな形で被害を振りまき、悪目立ちもしてしまった為に、潜伏と言う形もとるだろう事が予測される。

 そうはさせない。
弱り目には、祟り目を与えてやるのが峰津院大和だ。石の下の虫がどれだけ蠢こうが、大和は普通気にしないが、皮下とカイドウを小虫と判断するのは、余りに愚かだ。
危険過ぎる。陣地にダメージを受けた今だからこそ、叩く必要がある。とは言え、今この状況で深追いするのは危険だ。
大和には、峰津院財閥と言う、権力と金の面で言えば無敵に近いロールがある。これを有効活用しない手はなかろう。

 アレを追い詰める手筈を考えながら、大和は、懐に忍ばせていた、ベルゼバブの鋼鉄の翼から抜かれた羽の一枚を取り出す。
この羽を、白く輝く長槍に変化させた大和は、天空に向かって、光の筋を一本、穂先から射出させた。
狼煙のようなものだ。この光の筋を矢印に、向かって来いと。事前に、ベルゼバブとは打ち合わせている。此方に向かってくるのは、時間の問題だろう。

 周囲を警戒させる為に、召喚したままにしていたケルベロスが、唸り声をあげた。
姿勢を低くし、周囲を警戒している。その様子を見て、大和は、回路に魔力を走らせ、一言、こう口にした。『テトラカーン』。


241 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:32:30 rW4Z/dEQ0
 背後から、可視化された三日月状の力場めいたものが、高速で飛来してくる。
狙いは勿論、大和ただ一人のみ。ケルベロスがそれに反応し、火炎を吐き出した。力場、或いは、エネルギーとも形容するべきそれが、ケルベロスの炎に呑まれ消滅。
頭上からも、同じような力が降り注ぐ。だが、一度見た攻撃だ。大和の頭は冴えている。手にしていたアストラルウェポン、ロンゴミニアドを振るい、エネルギーを破壊。
高度30m地点を飛翔する。金髪の男性。大和はこれを認めた。顔立ちは、日本人のそれではない。欧風だ。そして、若い。二十代前半か。どちらにしても、三十は超えていなかろう。

「小物が喧しい」

 穂先から、光芒を射出する大和。
音に優に数倍するスピードで飛来するそれの速度に、空を飛ぶその男――リップは反応出来なかった。
そのまま射線を移動し続ければ、頭蓋を射貫く。聖杯戦争の芳名帳から、一人の名が黒く塗り潰されるか? その運命に、待ったが掛かった。

「通行規制(アイン・ヴィーク)」

 唐突に聞こえて来た、年端の行かない、少女の声。
その言葉と同時に、本来曲がる筈がない、一直線に進むしかないロンゴミニアドのレーザーが、ゴルフの素人の様なヘタクソなスライスの軌道を描いて、逸れて行く。

「流石にいるか」

 空を飛翔するリップが、如何なるカラクリが内蔵されているのか。
西洋鎧で言う所のグリーヴに似た脚甲から噴出させているエネルギーを推進力に、器用に地面に降り立った。
リップの真正面に、まるで彼を守る様に、そのサーヴァントは現れた。守る様に、とは言ったが、姿を見れば笑止、である。
何せそのサーヴァントの姿は、中高生の少女どころか、小学生に近い年代の幼女そのもの。外見で年齢を判断するなら、10歳かそこらかも知れない。
寧ろ、背後のリップの体格の良さを思えば、彼女の方が寧ろ守られる側だろう。何と、弱弱しい姿か。――だが実際は全く違う。その黒髪の少女の身体から露出される機械の部品は、如実に、彼女が人間以外の何者かである事を、語らずとも雄弁に物語っていた。

「品のない山猿だ。何者だ、貴様ら」

 ケルベロスに油断なく見張りを命じながら、大和はリップと、機械仕掛けのアーチャー――シュヴィ・ドーラに対して、鋭く厳しい言葉を投げかけるのであった。


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242 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:32:53 rW4Z/dEQ0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ベルゼバブの姿をカイドウや皮下が認識するよりも前。
つまり、峰津院大和が皮下医院の玄関に入って来た、その時点から、この主従の強さを正確に把握していたサーヴァントがいた。
それこそが、ほんの一時間前、皮下医院に襲撃を仕掛けるも、失敗を喫してしまい、結果としてカイドウらと同盟を組まざるを得なくなった不運な主従。即ち、リップと、シュヴィ・ドーラの二名に他ならない。

 同盟と言っても、実際はカイドウの方が立場的に上である事は論を俟たない。
何せリップとシュヴィは、鬼ヶ島内界に事実上軟禁に近い形で待機させられている状態に等しく、滅多な事で外に出られない。
この上、カイドウ自身も桁違いの実力を秘めていて、隙を見て反旗を翻す事も出来ない。何せカイドウの強さは、全典開を開帳して漸く勝率が2割か、と言う化物のそれ。
恐らく、生前のスペックの話なら、シュヴィを起動停止に追い込ませた、天翼種(フリューゲル)のあの女性を上回る怪物の可能性が高い。とてもじゃないが、勝てる相手ではない。
結果として、雌伏の時を過ごしつつ、牙を磨いて待機していた事になるのだが――そんな折に、シュヴィは峰津院大和と、その近辺で霊体化している、衝撃的な怪物の姿を認識したのだ。

 時空を隔てての解析、これ自体は珍しい話じゃない。難しい話でもない。
機凱種(エクスマキナ)――とりわけ、戦闘能力を排して、その排したブランクエリアに解析と計算機能を詰め込んだ、解析体(プリューファ)であるシュヴィならば。
時空と時空の裂け目に隠された秘密のエリアは勿論、異なる空間の内部から別の空間の内部にいる何者かの生体情報すら距離によっては計算が簡単に出来る。
鬼ヶ島の内部にいるからと言って、その外部の様子を全く窺えない訳ではないのだ。だからこそシュヴィは、鬼ヶ島内部の構造情報を集めると同時に、外部、つまり皮下医院の近辺の様子にも気を張っていた。

 最初、その姿を見た時、シュヴィは、人間の形をした、人間以外のサーヴァントだと認識していた。
カイドウ。アレは、人間――にしてはサイズが規格外だが、世界観の違いだろう――であった。
人間ではあるが、後天的に会得した何らかの手段によって、その身体に龍精種(ドラゴニア)に似た何らかの生き物の因子を宿している、と言う事実をシュヴィは認識していた。

 ベルゼバブは、全く解らない。
先ず、人の形をしているが、その身体の中に、天翼種に似た何らかの命を宿しているのと、幻想種(ファンタズマ)の突然変異種。即ち魔王に似た何かの命を宿しているのだ。
キメラ、と言う生き物がいる。乱暴な言い方をすれば、一つの生き物に複数の生き物の性質を付け加える人造生命体であるが、実際はそんな簡単に行くものではない。
生き物の身体には拒絶反応と言う仕組みが備わっており、要は異物を肉体的に付属させた場合、肉体が壮絶な痛みや病状を以てその異物を拒否するのである。
この拒絶反応があるからこそ、今日に至るまで臓器移植(ドナー)と呼ばれる技術は移植後も予断を許さぬ技術になっているのだ。
同じ人間の臓器ですら、これなのだ。人間と全く別の生き物の身体や性質を付け合わせて、無事で済む筈がない。それを思えば、カイドウも途方もなく異常な生命体なのだ。
異次元を隔てた解析の段階ですら、人間以外の生き物、しかも極めて高度な生命体の性質を二種類、それも全く異なる水と油と言っても良い性質の物を取り込んで、無事でいられる。尋常の生命体である筈がなかった。だからシュヴィは、峰津院大和が従えるこのサーヴァントは、人間の形をした人間以外の何かだと、本気で認識していたのである。

 そして実際、ベルゼバブが鬼ヶ島に現れ、その姿を同一の次元で正確に観測し、認識がアップデートされた。
人間の形をした人間以外の何か、ではなく、『人間に近い超弩級の怪物の類』であると言う認識に。
先ず鬼ヶ島の内部に入る手段にしても、異常だった。無理やり空間に孔を生じさせ、その穴を思いっきり引き裂いて押し広げ、そのまま空間の裂け目に身を投げる。
そしてその状態から、鬼ヶ島の座標を探知し、空間転移を行ったのだ。原理は珍しくない。機凱種も良く使う、体系化され、技術化された空間航法。
彼女らの言葉で『一方通行(ウイン・ヴィーク)』と呼ばれる技術だが、これを行う為には勿論、これを行う為の武装が必要になるのだが、ベルゼバブはこれを『素手』でやっている。完全に、異常者の行動だった。


243 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:33:06 rW4Z/dEQ0
 カイドウとベルゼバブの戦いは、被害が及ばないよう遠く離れた場所で、音と激震を感じているだけのリップが、『戦術核のぶつけ合いかよ……』と零す程壮絶なもの。
解析体として、この世の演算機器を全て超越して一笑に付す処理能力を持つシュヴィは、二人の戦いの様子を冷静に観測出来ていた。
後の星の環境の事など知った事ではない、地上の生命体が一切死に絶えても自分達の種族さえ生き残っていれば良い。
そんな究極のエゴの下に、あらゆる兵器の使用が許されていたあの大戦時の観点から考えて見てすら、この2名の戦闘能力は別格。
種族の代表になり得るだけの、規格外の実力を秘めている事は、諸々の攻撃の威力、そして移動スピードや攻撃に対応する反射神経からも明白だった。
そして、これだけの強さを発揮していながら、この2名はまだ余力を残している。音速を超える速度での移動と、音の8倍以上の速度での攻撃の応酬。
大地を叩き割り、岩山をも砂糖菓子のように崩す攻撃を乱発しておきながら、これですらまだ本気ではない、と言う事実。何れは乗り越えねばならない、高すぎる壁。シュヴィらの前途は暗かった。

 リップもシュヴィも、カイドウと皮下の事を欠片程も信用していなかった。
カイドウの方は一言二言会話を交わしただけで解る、略奪者・アウトローの類。人間社会に生きて良い類の人物ではない。
思想、理念、夢。全てが全て、人間社会の通年通俗に反するそれだった。相容れられる筈がない。
皮下の方も、尤もらしい事を口にするペテン師だった。皮下がこの世界でも、そして元の世界でも、手足の指の本数では賄えない程の人数を殺して来ているのは間違いない。
人の人生を台無しにして来たその手で夢を掴むと誓い、何人もの人間の人生を魔道に誘ってきたその口で高邁な理想を語る。皮下真は、リップとシュヴィから見れば、恥知らずの屑であった。

 折を見て、カイドウを殺すか、或いは此処から脱出するか。リップとシュヴィは当初この作戦を念話で相談していたが、それが不可能である事を理解した。
何故か。カイドウはベルゼバブとの戦いに没頭しながらも、『シュヴィ達の動向にも気を張っていたからに他ならない』。
そう、あの龍人のライダーは、ベルゼバブと壮絶な死闘を繰り広げながらも、見聞色の覇気で彼女らが変な気を起こさないか探っていたのだ。
この事を解析で即座に理解したシュヴィは、完全に動きを封殺される状態になってしまった。鬼ヶ島から脱出しようにも、異空間から異空間へと逃れる兵装は、
基本的に魔力を多量消費するので、間違いなく相手に感づかれる。カイドウの不意を打って範囲破壊を繰り出すのは、最早論外。
何故ならカイドウが気付くのは勿論の事、ベルゼバブの方にも気づかれてしまう蓋然性が極めて高いと言う結論が出てしまったからだ。
一対一ですら勝利が不可能な相手に、二人同時に襲い掛かられる可能性が高い。要はそう言う事だった。そうなってしまえば最早逃げるどころの話ではない。リップ達の聖杯戦争は、終局を迎える以外の意味はなくなってしまう。

 転機が訪れたのは、カイドウとベルゼバブの戦いが大詰めを迎えた頃だった。
シュヴィは解析によって、鬼ヶ島を格納してある異空間が、ベルゼバブとカイドウの激突によって限界を迎えている事を既に理解していた。
特に致命的な影響を与えているのはベルゼバブの方で、如何も、彼の周りだけ時空や、物事の物理的な因果関係が散逸している。因果律の歪みが生じていると言うべきか。
この歪みと、カイドウの発する凶悪無比な覇気の力で、遂に、空間に断末魔の様に裂け目が生じ始め――其処からリップとシュヴィは脱出。
一方通行の力で転移を行い、両名は新宿区の国立競技場近辺に出現。これも、本来だったら皮下医院の辺りを転移先にシュヴィは設定していた筈だが、転移先が大幅に狂ってしまった。やはり、因果律に致命的な狂いが生じているらしかった。

「チッ、如何なってやがるこいつは……」

 ベルゼバブとカイドウが鎬を削っていた鬼ヶ島内部は酷い地獄だったが、外に出てみればこれまた大概な地獄が広がっていた。
正常な世界と、いつも通りの日常が無惨に打ち壊される。この新宿は今や、そう言う土地になってしまっていた。
車道では車の列がムカデか数珠のように連なっている大渋滞の有様で、クラクションの音が途切れない。
クラクションの音だけなら、不快なだけで済んだ。はるか遠くから、人々の怒号や悲鳴、慟哭が混然一体となって聞こえてきていて、耳をずっと傾けていれば心が参ってしまう程だ。
その上あの、彼方から立ち上る、不穏な黒煙と、建物の崩落音だ。朦々と立ち込める黒い煙を背に、高層ビルのような建物が、リアルタイムで崩壊していくその様は、派手な爆発をウリとするハリウッドの映画でも見ているかのようだった。


244 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:33:37 rW4Z/dEQ0
 極めつけが、あの空の色。
空が血を流しているかのように真っ赤に染め上がっていて、しかも、ハリケーンでもこれからやって来るんじゃないかと言う程に、スパークを孕んだ分厚い積乱雲が生じている。
UMAが現れたとて、こうは行かないだろうと言う程、終末的な光景。いや、最早終末そのものだ。最後の審判の日が遂にやって来たんじゃないかと言う程に、今この新宿は『終わっていた』。

「……あれが……原因」

 シュヴィは、冷静に、新宿に途方もない災禍を招いたものの正体を認識していた。
と言うより、シュヴィの凄まじい演算能力も解析能力も、今回に限って言えば無用の長物。誰でも、原因が解りきっているからだ。
新宿区上空を浮遊し、まるで我が箱庭の様子を睥睨し、其処に生きる人々を所有物として見下ろしているような、あの青い巨龍。
シュヴィはあの青き龍と、鬼ヶ島で姿を確認した9mを容易く超える巨漢と、ありとあらゆる情報の一致を認めた。同一の存在なのだ。
恐らく、身体の中の龍の因子を、励起させた結果こうなったのだ。カイドウはあの姿に、可逆的に変身出来るのである。

 あの巨体、あの質量。あの生命体が、音速を超える速度で移動すれば、如何なる結果が齎されるのか。
シュヴィの演算能力を駆使すれば、その結果は想定し得る被害者数から破壊規模まで、綿密に計算出来てしまう。その最悪の結果が、起こってしまったのだろう。
ベルゼバブとカイドウが、超音速で鬼ヶ島から脱し、外界に出現する。たったそれだけ、破壊の意志など何もなく、ただ目的の場所へと移動する。それだけの行為で、何千人ものNPCを、彼らは容易く葬り去れるのだ。

「この事態を引き起こしてるマスターの下に行くぞ、アーチャー」

「了解」

 シュヴィとしても、リップの意見には同意だった。
カイドウとベルゼバブの戦いの様相を眺めようにも、俄かに信じがたい事に彼らの周りをスーパーセルが取り囲み始めた為、これ以上の解析が不能になってしまった。
ならば、この事態を収める為には、サーヴァントの下へ行くよりマスターの所に向かった方が速い。リップがマスターに対して如何出るのか?
その点については不安が残るが、今はリップの言う通り、皮下の下に往くか、ベルゼバブを従える峰津院大和の下へ向かった方が速い。

 大和の居場所は直ぐに特定できた。
元より大和自体、容貌から社会的立ち位置に至るまで、特徴の塊過ぎる男だったので、一目見ただけで特定が容易い人物だった。
だが、シュヴィにとってそれ以上に驚きだったのが、大和自身に備わるあの魔術回路の多さである。人類種は、魔法を使えない。感知も出来ない。
シュヴィにとっては常識を超えて最早前提とすら言っても良い知識を、大和は粉々に破壊した。聖杯戦争に際して界聖杯に与えられた回路のみでは説明出来ない。
今回の聖杯戦争以前からずっと、何かに備えて用意して来たとしか思えない程、身体中に魔術回路を大量に、大和は備えていたのである。
外面は勿論、身体の内面と言う観点から言っても特徴的なこの大和と言う青年を、解析に優れるシュヴィが見逃す筈がない。
バリケードで封印され、関係者を含めた誰からの侵入も拒んでいる、新宿御苑。其処に、大和は一人で佇んでいた。

 その場所へと急いで駆け出して行き、人込みをかき分け、邪魔な車をリップは飛び越し――。
御苑の外縁をなぞる様に建てられた金属板の仮囲い塀を乗り越える。所々がパチパチと、野焼きにでもされたように燃え上がっている新宿御苑の真っただ中に、大和はいた。
いや一人ではない。この現実世界に於いては余りに異物としか言いようのない、鋼色の獣毛が特徴的な巨大な獅子を、彼は従えている。
「峰津院大和と、極めて強い契約の下結ばれている」、リップがそうと忠告してくる。想定され得る身体能力も同時に付け加えて来た。並のサーヴァント、数体分。サーヴァントのみならず、マスターも異常な手合いのようだった。

 走刃脚(ブレードランナー)の力を解放、足裏から空気を噴出させ、リップは高度数十m地点を飛翔。大和の下へと距離を詰め、脚を振るい、三日月状の可視化された斬撃エネルギーを飛ばす。
その全てを悉く破壊され、此方に向かってレーザービームを槍から放ってくるが、シュヴィの助けもあり、危なげなく回避し。
そうして地上へと降りたって――漸く、今に至るのであった。

「品のない山猿だ。何者だ、貴様ら」

 こちらの行為も相まって、大和は敵対的な態度を崩しもしない。当たり前といえば、当たり前か。
リップの目から見ても、優れたその顔貌を不愉快さと怒りに歪めさせながら、大和は此方に対し殺意を放射してくる。


245 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:34:24 rW4Z/dEQ0
「名乗る程の名でもねぇよ。アンタからすればつまらない白猿だ」

「何の用があって、私を襲う」

「惚けるなよ。アンタなら解る筈だろ。聖杯戦争の参加者ならアンタがダウトなのはバカでも解る。それに加えて、使役してるサーヴァントも、アンタ自身も。他の参加者からすれば不公平を嘆く程にバケモノと来た。一人の所を叩かない理由が何処にあるよ」

「道理だな。貴様が正しい」

 意外な事に大和は、リップの言葉を認めた。そして同時に、微笑みを浮かべもした。笑みながらリップを見つつ、背筋が凍るような殺意の投射も、忘れていなかった。笑顔のままに、殺しに来る。その可能性は十分過ぎる程、存在した。

【マスター、今は……駄目……】

 脚部に力を込めるリップを、シュヴィは窘めた。

【あのマスター。ヤマトは、攻撃を反射するバリアを張ってる……迂闊に攻めれば、傷を負うのはこちら】

【否定者……オレの不治みたいな固有の能力か?】

【多分……違う。技術の一つ。数ある術式の内の、一つ】

【チート野郎かよ、クソッタレめ】

 リップの持つ不治(アンリペア)は、戦闘に於いては恐ろしく凶悪な能力である。
何せ、切り傷一つ付けられれば。針で何処かを刺し貫く事が出来たのなら。その傷は、癒えない。いや癒えないどころか、『治療すると言う行為にすら及ぶ事が出来ない』。
ずっと血を流し続ける。瘡蓋が傷を覆う事もなく、血友病の患者の如く。身体中から血液を全て血抜きされるまで。傷つけられれば、サーヴァントですら、この否定の理に抗う事は出来なくなる。

 唯一にして最大の欠点は、リップ自身が相手を傷つけねばならないと言う点。
その攻撃手段の殆どを物理的な手段に拠らせているリップにとって、物理攻撃でそもそも傷つかない相手と言うのは、致命的に相手が悪いのだ。
大和の場合は攻撃が通用しないどころか、此方に向かって反射してくる可能性すらあると言う。そうなった場合、不治の否定力が乗った攻撃で、リップが傷つく事になる。
それは、恐ろしい未知の体験。こうなったらどうなるのか、リップにすら予測出来ない。自分の不治の能力で、傷を治せないまま退場する可能性すらある。攻撃に、出れない。
リップの行動を一方的に封印出来るそのバリアがしかも、大和にとっては何て事はない技術の一つに過ぎない。これ程の、不公平。許されて良いものか。

「好機を窺っている、と言う風には見えぬな」

 大和はリップの不治を知らないが、彼の脚部に取り付けられた走刃脚の存在はしっかりと認識していた。
大和の目からしても、かなり珍しい代物だ。戦闘に於いても有用なデバイスである事は、リップが実践してしまっている。それだけの物を有していながら、利用してこないのは、おかしな話だった。

「貴様の立ち居振る舞いを見れば解る。貴様は私を恐れていない。そのアーチャーが、私の回路を解析した上でなお、だ。それにもかかわらず攻めて来ないという事は、貴様の攻撃が通用しない事を認識しているな?」

「ベラベラとよく回る口だ」

「誤魔化しは、肯定と認める」

 大和の疑念が確信に変わった。リップは攻められないのだ、と。

「このまま無為に時間を浪費するつもりか? 解らぬ頭でもないのだろう、このまま棒立ちしていれば、私の従えるサーヴァントが来るぞ」

「もう来ている」

 この場にいる誰の物でもない、声。声紋認証。大和の従える、ランサー――――――――

「ッ!!」

 リップの服の襟をひっつかみ、霊骸――を模した魔力をシュヴィは噴射。
一瞬にして初速300㎞/hの加速を得たシュヴィは、大和らから40m程も遠のいた。

 ――リップとシュヴィが佇んでいた地点。その場所を中心とした直径15m圏内に、高さにして10mはあろうかと言う黒いドーム、半球が生じ始めた。
球の表皮には黒い泡が煮え立ち、プラズマめいたものがバチバチと飛び散っていて、それが傍目から見ても不吉なエネルギーの塊である事は明白だった。
その球が消える。地面が、丸く抉り取られていた。ドームではない。完全球だったらしく、抉り取られた跡とは、球の下半分であるらしかった。

【恩に着る】

 突然のシュヴィの行動を咎めようとするも、それを止めて礼を言うリップ。あの場で呑気に突っ立っていれば、死んでいたのはリップの方なのだったから。


246 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:35:04 rW4Z/dEQ0
 大和の右前方の空間が、ぐにゃりと、水飴の様に歪み始める。
その歪みが矯正された時には、既に、男はいた。180㎝を超える偉丈夫、余分な脂肪はなく、身体の至る所に搭載されている、研鑽と研磨を怠らなかった鍛えられた筋肉。
優れた美貌を不愉快そうに歪めさせながら、鋼の翼を携えたそのランサー・ベルゼバブは、あれだけの死闘を経ながら、大したダメージを負っている様子もなく、無事大和の下へと帰還した。

「倒したのか」

 大和の問いに、更にベルゼバブは機嫌を悪くする。

「解りきった事を聞くな。令呪を切られて逃げられたわ。あの羽虫めが……大見得を切っておいてふざけた真似を」

 如何やらベルゼバブの方も、カイドウが消えた理由を正確に把握していたようである。そうでなければ、あれだけの巨体が手品のように消え失せる筈がない。
大和との会話を適当に切り上げたベルゼバブは、目線を、リップとシュヴィの方に向けた。リップの皮膚が、粟立って行く。
化物だとは、聞いていた。怪物だとも、知っていた。だが、実際こうして目の当たりにすると、リップも、正確にその戦闘力を計測していたシュヴィですら、戦慄する他ない。
人類の可能性の範疇にまだ収められるような姿形をしていながら、しかし、常識を絶した力を秘めたる者。それがベルゼバブだった。

「……嘗て見かけた月の兵器に似ているな」

 意味を掴みかねる事を呟きながら、ベルゼバブはシュヴィの方を睨んだ。
物質的な質量と重圧が宿っていると錯覚しかねぬ、その目線の強さ。機械の演算や計算では、説明出来ぬ、再現出来えぬ。途方もない武練の持ち主である事を、シュヴィは認識した。

 カイドウに比べれば、勝率は高いとシュヴィは認めた。
身体の中に取り込んだ天使の因子。サーヴァントは何処までも、生前の逸話に引きずられる、人類の想念の結晶、夢と思いの権現である。
その逸話自体に、成程シュヴィは覚えがあるし、活用出来るのなら有効活用したい。そしてベルゼバブ相手にこの逸話が刺さるのであれば、意味は確かにあったのだ。

 ――だが、絶対に勝てる訳じゃない。勝率は確かに、カイドウと比較すればまだベルゼバブの方が高いと言える。……ほんの、1割程。
確かに、天使としての要素がベルゼバブに備わっている以上、シュヴィにとっては有利に戦える相手である事は間違いない。
ただそれは裏を返せば、切り札である『全典開』を用いて初めてベルゼバブを相手に戦える可能性がある、と言う事に過ぎないのだ。
恐らく全典開を用いた場合の勝率は、良くて四割、最悪三割程度であろう。勿論、これを用いなかった場合の勝率は、相手が余程弱ってない限りはゼロである。

 シュヴィの機凱種としての役割は、解析。そもそもの身体の作りが『戦闘に特化していない』のだ。
対してベルゼバブの身体つきは、戦闘用に作られた機凱種以上に、戦闘に特化した、生物の限界を超えた肉体スペックなのだ。
音速以上の速度で移動し、極音速を遥かに超えるスピードで矢継ぎ早に攻撃を繰り返すだけでなく、カイドウとの戦いを観察するに、武芸にも精通した動きをも披露出来る。
この暴力的なまでの戦闘能力を以て、全典開した上から殺される可能性もあるし、しぶとく喰らい付かれて、リップの方の魔力が枯渇して脱落する可能性すら出てくる。
特攻が働くからと言って、勝てる訳ではないのだ。この序盤で戦いを挑まれれば、拙いかも知れない。ベルゼバブとの戦いの後に、カイドウと悶着があれば、本当にシュヴィもリップも聖杯戦争から退場する。逃走の選択肢をも、エミュレートしたその矢先だった。

「この場をどう収めるつもりだ、ランサー」

「目障りな物は、消すに限ろう」 

「少し待て。私にこの場を与らせろ」

 助け舟を出したのは、誰ならん。
リップの不意打ちによって、怒りを覚えている筈の峰津院大和その人だった。
リップもシュヴィも、豆鉄砲でも喰らったような表情だ。ベルゼバブが不機嫌な表情を隠しもせず、大和に対して何かを言うよりも速く、ズイ、と。彼よりも前に出る。

「私が聖杯戦争の参加者である事など、貴様の言う通りだ。少しの学があれば誰だとて想到し得る結論だ。其処に驚きはない。だが貴様は、私がこのランサーのマスターだと理解した上で、接触を図ったな? 何処でこの関係を知った」

 一触即発の舞台が、一気に、交渉のテーブルに変った事をリップ達は理解した。
但し、何時までも続くような物じゃない。薄氷の上に成り立つテーブルだ。しくじれば瞬時に、殺し合いに発展する程の、危ういそれである事を重々承知していた。


247 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:35:53 rW4Z/dEQ0
「お前達も戦っただろ、馬鹿みたいな図体のあのライダーとだよ。あいつの拠点の中にいた」

「……ほう。気づいていたか? ランサー」

 意識を、背後のベルゼバブにやりながら、大和は問う。

「あの拠点自体、かなりの魔力が立ち込めて、余であっても気配の探知は困難を極めた。癪に障るが、見つけられなかった事は認めよう」

 鬼ヶ島内界は、カイドウの放つ覇気と魔力とが混ざり合い、カイドウ以外のサーヴァントの魔力を探知する事は、難しい状態にあった。
これを逆手に取ったシュヴィは、自らの兵装の一つを用い、サーヴァントとしての気配を実はずっと、鬼ヶ島にいた時は隠していたのだ。
ベルゼバブには効いたようだが、流石に、鬼ヶ島の持ち主であるカイドウには、通用しなかった。そう言う理屈が、実はあったのである。

「それで、貴様らは何故ライダーの宝具の中にいた? 首でも獲るつもりだったのか?」

「最初はな」

 リップは、大和との交渉に乗る事にした。虚実をいりまぜながら、有利な条件を引き出そうと火を吹かんばかりに脳を回転させる。

「だが、時期に恵まれなかった。失敗して、同盟を組むって運びになったのさ」

「アレと同盟を組もうと思ったのか? 使い潰されるのが関の山だぞ」

「そんな事は解ってるんだよ。そうせざるを得ない状況に陥っちまったんだ」

「無能、か」

 せせら笑うベルゼバブ。客観的に見れば、確かにその通りだ。怒りの念が湧いてこない。

「当初アイツが提示した条件は、部下、だぞ。それに比べれば、対等の同盟に持ち込めたのは、中々持ち直した方だと認めてくれや」

「成程、それはある意味そうだ」

 カイドウが如何に、『ぶっちぎれた』サーヴァントであるのかは、直接話した大和と、戦ったベルゼバブが何よりも知っている。
自分の都合が第一、欲しいものは奪う、我が欲望を隠しもしない。力で押し通る、その性情。
とてもじゃないが、同盟を組むには値しないサーヴァントだ。誰であっても、付き合いの果てが裏切りの末の死である事が、解りきっているのだから。
アレを相手に、アレの望んだ結果を跳ね除け、此方の条件を呑ませて、譲歩させるその手腕。成程、確かに認めるべき所はある。

「迂遠な会話は嫌いだろう。単刀直入に言おう。『私と組め』」

「……何?」

 警戒の閾値が、シュヴィもリップも、そして、ベルゼバブですらも。最大の値を振り切った。
同盟の、申し出? 峰津院大和が、である。ベルゼバブも大概だが、この大和にしても、性格と我の強さでは似たり寄ったりである。
自分以外は並べて、格下、道具。そのように思っているような青年が、まさかこのような提案をしてくるなど……。

「お前自身が良く分かっていようが。あのライダーと組んだ先に、未来はないぞ」

「んな事は解ってるんだよ」

「ならば話は速い。乗りかけている船がタイタニックだと解っているのなら、とっとと降りてしまえ。あの狂人と一緒に沈みたくはあるまいが?」

「お前だって信頼するに値しない」

 当たり前の話だ。出会ってすぐで信用出来ないとか言う問題以前だ。
大和の性格も、態度も、気に食わないと言うのは確かにある。だが、人目を一切憚らず、破壊を振り撒いて反省の色も一切ないベルゼバブに対し、咎める様子も見られない。
そんな人物を誰が、信頼出来ると言うのか。加えて従えるサーヴァントが、カイドウよりは多少はマシなのかも知れないが、正直な所信頼出来る出来ないの話では五十歩百歩だ。組めと言われて、即答できる筈がない。


248 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:36:49 rW4Z/dEQ0
「価値観の話で言えば、私の狂気など、あのライダーと似たり寄ったりだろうな」

 意外な事に――大和は、リップの言を肯定した。目を、丸くするリップ。

「隠し立てをしてもしょうがなかろう。貴様と、其処のアーチャーの懸念の通りだ。私は貴様らを、道具として使おうとしている」

「ふざけんな。交渉は不成――」

「そして、私の信念の下に、貴様らを生かす事もまた吝かじゃないと思っている」

 リップが全てを言い切るよりも前に、大和は言葉を紡いだ。

「目を見れば解るぞ。貴様は私の望む世界の側で生きるに相応しい人物だとな」

「アンタの望む、世界? 独裁でもするつもりか? 第三帝国思想は最終的に失敗に終わる、止めておけよ」

「今この瞬間まで続いている社会的な立場、階級、年齢や性別を軸として諸々の仕組み。これらを撤回した上で、個としての強さで全てを決められる世界。それが、私の望みだ」

 これに反応したのは、シュヴィの方だった。目を見開いて、信じられないような目で、大和を見る。
そして、何となく、その世界についてイメージがわくのは、リップの方だった。不治とは言ってしまえば、神(クソッタレ)から授けられた、有難くもなんともない呪いなのだ。
そもそもリップは医者であると言うのに、この能力のせいで治療行為に及べないのだ。メスを使えば、切開した場所の縫合が出来ない。その後の結末がどうなるか、最早語るべくもなかろう。
才能とも言えぬ才能のせいで、煮え湯を飲まされ続け、この呪いのせいで人の社会から弾き出されたリップだから、大和の言いたい事は、確かに理解が出来る。
不治は呪いではあるが、間違いなく稀有な才能なのは確かだ。これだけの力を授かっていながら、自分達は排斥される。そう言う世の在り方に疑問を抱いた事はなかったか、と問われれば、肯定出来ない。確かに、思っていた事もあるし、今でも思う所はある。

 ――だが

「アンタの地位までそのまま、は通らねえよな」

「当然の疑問だな」

 織り込み済み、と言わんばかりに大和が笑った。
当たり前だ。他人には、今までの世界で築き上げてきたものや、受け継いできた特権を捨てろだとか、実力で生きろとか言う癖に、自分だけが全てを引き継ぐ。そんな虫の良い話、あって良い筈がない。リップの論駁は、当然の事である。

「私は私の地位に対して何ら拘泥していない。あれば便利なのは認めるが、所詮は理想を叶える為に敷設されたレールに過ぎん。いつまでも利用するつもりはない」

「捨てられるのか」

「私がそれをできなくて何になる? 私の願いは、世界中の全ての民が実力主義の世界に目覚める事だ。個としての性能、強さ、特異能力こそが、全てに優先される。力で得られるものがあるのなら、全て得ても良い。叶えるべき理想の過程で、実力主義の世界を創造した私ですら邪魔だと思ったのなら、殺すのだって私は許容する。その世界に於いて、私の命ですら、価値がないのだから」

 リップからすれば究極的に、狂っていた。
恐るべき事に、大和の目は本気だった。完全かつ純然たる実力主義の世界が樹立され、その世界の中でなら、自分が邪魔だと思えば殺されても良い。
普通の人間なら、自分は別だ、自分だけは例外で君臨し続ける。何とも惨めでわがままで、見苦しい考えだが、そうと考えるのが当たり前だろう。
大和には一片とて、そんな感情がない。自分が淘汰される事すら、是。本当に、実力主義の礎を築き、時と次第によっては、その理想の中で死ぬ事すら、厭ってないのだ。

「……財閥のサイトの情報を信じるならよ。アンタの年齢は、17だって聞いたんだが?」

「間違ってはいない。その通りだ」

「何が、アンタを狂わせたんだ? その思想に目覚めるには……アンタは、若すぎると思うんだがな」

 平和な先進国の日本で目覚めるには、余りにも異質な思想。
これに開眼したのが、富も名声も思うが儘。才に溢れ、華も盛りもセブンティーンであると言う事実が、やにわにリップには信じられなかった。
この年齢ならば、カネの力もあって毎日のように違う女の子をとっかえひっかえ出来たであろうし、高い車を走らせて自慢する事だって出来たであろうに。
金のある17歳がやりたいであろう、あらゆる楽しみに見向きもしないで、叶える理想は実力主義の樹立、この一点。如何なる境遇が、峰津院大和を狂わせたのか。リップにはそれが想像出来なかった。


249 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:37:15 rW4Z/dEQ0
「守られるべきでない屑が、この世には多すぎる」

 吐き捨てるように、大和が言った。悲しい目で、シュヴィは大和の事を見ていた。

「世襲した物だけにしか価値がないゴミがいる。自分にはそれしかないからと理解しているから、己の特権を守る為に社会のあるべき形を歪めるクズがいる。それに諂う羽虫がいる。……自分に不幸な噛み合わせを強いている元凶が誰なのか理解しているのに、その誰かに慴伏する弱者がいる」

 言葉を、大和は紡いで行く。

「強くもない、立派でもない、美しくもないし褒められもしない。そんな者の為に命を懸ける事は、余りにも馬鹿馬鹿しい。ゴミとクズとが我が物顔で踏み付けている地面に、いつか芽吹く筈であった才能の芽が潰されたままでいる。……その事実に、私は憤りを覚える」

 その瞳に、野心で燃える焔と、鋼鉄の決意を携えた徹死の光を宿させて、大和が言った。

「肥えた豚共には、死を喰らわせる。媚びる事でしか己を保てぬ弱者には、百年の孤独と千年の寂寞を与える。私の目指す世界には……ただ、邪魔なだけだ」

「本当に、それが貴方の理想……?」

 今まで、沈黙を貫いていたシュヴィが、此処に来て、口を挟んで来た。

「何に代えてでも叶えたい。私の理想だ」

「弱いから、生きる価値がない……。そんな風になった世界を、私は知っている。……だから、言える。貴方の世界は、破滅するしかない世界……」

 「その世界は――」

「やめた方が……良い。悲しいだけの、辛い……世界だから。もっと違う願いを、探してあげて」

 ――空が蒼いと言う事実が、むかしむかしある所に、から始まる御伽噺であった世界。それが、シュヴィの生まれた世界だった。
シュヴィの知る嘗ての世界に於いて、人類種(じゃくしゃ)には希望など、一縷として残されていなかった。
人類が存続出来る環境の水準、その水準をあの世界は大幅に下回っていた。より言ってしまえば、人類が生き残れる可能性などゼロに等しい環境だった。
地に植えて育つ作物は何もなかった。土地の栄養が大地より失われて、数百と余年を優に経過していて久しい。人為的な御業の助けなしに草一本生えない土地など珍しくもない。
安心して口に出来る水など何処にもなかった。飲んだら腹を下す、程度などマシな方、戦争の過程で放出された毒素は水源を即座に犯し、農業用水にも使えない程だった。
満足に、呼吸出来る場所すら見つけるのが難しかった。霊骸……魔法を行使する為に必要な意志あるエネルギー体の死体は、地上の至る所に降り積もり、人類種であればガスマスクなしに呼吸をする事は自殺行為とすら言える場所が地上の7割以上も存在した。

 凡そ、人類に対して、夢も希望も、僅かな安心すらも。用意されていない地獄だった。
上述の環境だけじゃない。多少拠点に使える場所を見つけたとしても、山すら消滅させる上位種の兵器によって、何が起こったのかも解らないまま消し飛ばされる事もある。
哨戒中の幻想種や獣人種(ワービースト)に見つかり、原形すら留めない程に肉体を破壊されてしまう事など、日常茶飯事と言うべきケースであった。
空が蒼い。誰もが知っていて、疑問にすら思わないこの当たり前を、知らないまま死んでいった人類は大勢いる。空が蒼いと言う事実を、神話の中の出来事だと認識したまま、一生涯を終える者だとて無数に存在していた程なのだ。

 シュヴィは知っている。空は今日とて、何処までも蒼く、それが何処までも広がっていた事を。
自由と未来、そして平和を象徴する、清澄たる蒼い色を湛えている、あの空。時に、昔の事を思い出して泣いているのか、時々酷い雨だって降らせるけども。
それでもその雨は時に恵みになって、地の潤いになって。空の模様にも在り方にも、天気の一つ一つにも意味があって。
そんな天気の下で、人々は今日も生活の為に活動している。生きる事は、難しい。この世界に於いても、それは同じ事なのかも知れない。
今日もこの東京では、哀しみや苦しみ、怒りや憂いなどを抱きながら、生き抜いている人間が数多く存在しているのだろう。
だが、それだけじゃない。人の世の営みには、喜びや楽しみ、愛や安らぎだってある。そしてこの世界には、その良き領分が存在しているのだ。


250 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:37:31 rW4Z/dEQ0
 大和の目指す世界は、これを否定する。
シュヴィの居た世界だとて、弱者の方が圧倒的に多かった。人間以上の強さの種族とは言うが、その種族であっても、真っ先に死んでゆくのはその種族の中でも弱い者からなのだ。
人類種以外の十六種族の誰もが、あの戦争を肯定していたとは思えない。彼らの中にはいつ終わるとも知れぬあの大戦の終戦を願っていた者だって、いた筈なのだ。
弱い者に、生きる価値がない世界と言うのは、強い者にしか権利と価値の集中する世界の事であり、その世界に於いては、強い者が舵取りを間違えたその時、全てが終わるのだ。
だからあの世界は、皆が死に絶えるまで戦いを続ける寸前まで行ってしまった。星杯を巡る戦い。これを戦い以外で終らせるもう一つの方法に、神霊種すら気付かなかったのだ。
無限にも等しい連環の時間を、戦争に費やしていたあの世界。その戦いを終わらせたのが、ちっぽけで、卑劣で、悪魔などよりもずっと狡猾で、神などよりもずっと全てが見えていた、一人の弱者である事を知っているシュヴィだからこそ。大和の理想は、到底受け入れられないのだ。

 この空の下では、苦しみもあるし、楽しみもある。苦しみの方が多いのかも知れないし、同じだけの数なのかも知れない。
大和の言った、彼が唾棄するべき不平等、理不尽。それらは確かにあるのだろう。平和な世界であるが故に起こり得る、怠惰と独占、悪徳の類がある事は間違いない。
だが、ゆっくりと、向き合えば良いじゃないか。苦しみも悪徳も、確かにない方が良い。それは間違いないが、急にそれを全部なくす事は出来ない。
漸進的にでも良いから減らして行けば良いだけの話だろう。息苦しい社会の中で、小さく縮こまって、幸福を享受する者達をも、切り捨てる事は、ない。それを切り捨てた果てに、何が待ち受けるのか。痛い程知っているシュヴィだからこその、考えだった。

「他に手立てがなければ……そう言う考えを持っていたのかも知れんな」

 腕を組み、シュヴィの言葉を受け止めた後に、大和は言った。

「だが我々は今、何を求めてこの東京の地を踏んでいる? 貴様らサーヴァントは、何の為にこの地に招かれた? それすら理解出来ぬ愚物ではないだろう」

「解ってる……!! だけど、綺麗な空を血みたいに赤くしなくても……この街の人達をこんなにも殺さなくても……!!」

 自分以外のサーヴァントの姿を見ると、シュヴィは思う。何の為に、彼らは戦うのだろうと。
決まってる。聖杯戦争だからだ。この戦いが如何なる目的で開かれて、その戦いの末に何が手に入るのか。その事をよく知っているからこそ、彼らは命を削るし、他の命も葬れるのだ。

 万能の願望器と言うトロフィーを巡る戦いについて、シュヴィはこれをよく知っている。
――いや。『知り過ぎている』と言った方が正確なのかも知れない。同じような戦いに、シュヴィは生前にも長年従事していたからである。
因果なものだった。この世界では聖杯(ユグドラシル)で、元居た世界では星杯(スーニアスター)。言い方は違うが、字にした時の読み方は殆ど同じ。ちょっとした言葉遊びだ。

 如何なる願いをも叶える魔法の杯。それがどれ程魅力的に映るのか、シュヴィは理解している。その魅力は、黄金の眩さよりも、宝石の煌めきよりも。ずっと価値があり。
その獲得の為に、知性を宿したあらゆる生き物は同じ種族にどれだけ犠牲が出ようが戦争を続行出来る。
星が悲鳴をあげようがお構いなく、無慈悲な破壊を齎す兵器を星の至る所で炸裂させる事だって出来る。
そんな連中であるから、自分達の国や種族以外のあらゆるものに対して、それが当然の如く殺戮と死とを振り撒く事が出来る。だって彼らは、己が理想の敵だから。
神に等しい力を誇る連中ですら、万能の願望器の持つ馥郁たる香りに脳髄を焦がされるのだ。誘惑に弱く、流されやすい人間達が、それを求めるのはおかしい事ではない。当然の理なのかも知れない。

 シュヴィ・ドーラではなく、シュヴァルツァーと名乗っていた時代。己の名を、名前ではなく『個体名』と言う機械的な名前で称していた時代。
シュヴィも星杯を求め、機凱種の一員として活動していたし、解析体として彼女が開発・発明に関与した兵器は、数多くの種族の殺戮に貢献もした。
異常な時代だったと、思う。それが機凱種として当たり前の義務だった時代とは言え、その様な事が自分に出来た、と言う事実が、シュヴィにはただただ信じられない。
そしてその事を、正当な行為であると肯定していた己自身が、何よりも信じられない。


251 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:37:45 rW4Z/dEQ0
「空の色など、太陽から届く光のスペクトルが大気を舞う塵埃によって散逸された結果に過ぎない。戦いを止める理由にもならない。そして、もう一つ。この街の人間達はNPCだ。放っておいてもやがては消え去るが定めの、仮初の幻だ」

 揺るぎのない言葉だった。
この世界を徹底して、聖杯戦争の為に誂えられた檜舞台としてしか見ておらず、其処に生きる人間達はまさに舞台装置としか捉えてない。そんな言葉だ。
それは残酷な事に徹底的に正しい事実である。だが、そうと割り切れぬ主従だって、大勢いる。峰津院大和は違うのだ。本当に、割り切れているのだ。

「そこまでして……貴方は、夢を……その世界を、実現させたいの……?」

「貴様らにはないのか」

 大和が言った。

「私に聞くだけじゃない。貴様らの理想も語って見せろ」

 改めてシュヴィは思う。大和だけじゃない。この聖杯戦争に招かれた者達は、何の為に戦うのだろう。
自分達の世界に不満があるのか? 己の命を天秤にかけてまで叶えたい願いがあるのか? 過去に置き去りにされたままの後悔を、拾い上げ、掬い出したいのか?
それは、この世界の命を蹂躙してまで――――其処まで考えて、シュヴィは、これ以上先を考える事を、止めた。気付いてしまったのだ。その問いは、自分自身にまで跳ね返ってくる事に。

 心とは、ロマンチシズムを徹底して排した上で、究極的に言ってしまえば、アルゴリズムの副産物。自律的判断を埋める為の隙間だ。
感情と心とを獲得しなかった、徹底的に合理性の奴隷だった時代のシュヴィ、もといシュヴァルツァーと名乗っていた時代の彼女なら。
聖杯の獲得を至上命題としていただろうし、その獲得の過程で如何なる犠牲が出ようとも、出てしまったその犠牲以上の価値を聖杯に認めていた筈なのだ。
今は不思議と、界聖杯に魅力を感じない。リクに会いたい。その気持ちに嘘はない。再開が叶えられると言うのなら、本当に聖杯の獲得だってエミュレートした事もある。
だけど……人一人、自分の責任が及ばない所で死んでしまうだけで、己のせいだと背負い込み、一人夜の孤独の中で叫ぶあの少年が。
人を殺して殺して殺し尽くして、そうしなければ辿り着けない聖なる杯を利用して再開して喜ぶのだろうか。その可能性を考える時、シュヴィは無性に怖くなる。
痛みは、怖くない。同胞達の犠牲と研鑽の上に成り立っている、彼女が行使する兵装の数々を失う事だって、大した恐怖にならない。
リクに嫌われる。それは、心を得、誰かを尊ぶ事を学んだ彼女にとって、これ以上の物があるのだろうかと想像すら出来ない、恐るべき未来であった。

 心を学んでしまったからこそ、彼女はシュヴァルツァーではなく、シュヴィ・ドーラと言うサーヴァントなのだ。
そしてその心の作用があるからこそ、彼女は、界聖杯と言う物に対して、消極的な動きを見せてしまう。
だが――彼女のマスターは違う。マスター、リップは、聖杯を焦がれる程に求めている。叶うのなら、一つだけと言う事などせず、幾つもの叶えたい願いがある程であった。
それを、強欲だと切り捨てる事は、容易い。だけど、それはシュヴィには出来なかった。欲深と呼ぶには、余りにリップの願いは切実で……怒りに満ちていたものだったから。
そしてその怒りが、彼の生来の優しさと人の好さからにじみ出た、悲しい発露である事も、理解していたから。
これを理解してしまったら、リップや、他の参加者の願いの事を、『命を蹂躙してまで叶えたい事なのか』、と問いただす事は、もうシュヴィには出来なかった。
そうと詰問してしまえば返って来るのは『お前の願いはどうなんだ』と言う至極当然の疑問なのであり、これを言われればシュヴィは、沈黙するしかない。
なんて事はない、シュヴィの抱く願いだとて、他者からすれば命を奪ってまで叶えたい事とは思えない、些細なものに過ぎないのであるから。シュヴィにとって、リクとの再会を、つまらない願いだと言われるのは、悲しい事だ。だから、相手の夢の価値を計る事は、したくない。


252 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:37:58 rW4Z/dEQ0
「……私、は……」

「もういい、大丈夫だアーチャー、この紳士はオレに用があるんだ。オレが話を付ける」

 良い淀むアーチャーを制し、彼女の前にリップが出てくる。
大和と、リップ。二名の目線が交錯する。互いに互いの目を見、顔を全く、背けない。

「オレの願いは、過去を取り戻す事。ステロタイプ過ぎて、つまらねぇだろ?」

「万能の願望器を使うには、実に慎ましい願いだ」

「そんな小市民と、途方もない野望を抱いているアンタ。釣り合うと、思っているのか?」

「『願いは本当にそれだけ』か?」

 リップの内奥に燻る、怒りの熾火。これを、大和は正確に測っていた。

「……さぁね」

 茶を濁すリップ。ふっ、と大和は笑みを零した。真意を測りかねる微笑みだった。

「同盟についてだが、正直な話、アンタと組めると言うのは、オレには魅力的な提案に映る。打算的で気に入らん言葉だろうがな」

「リスクを計算出来る事は悪い事じゃない」

「アンタの言う通り、あのライダーについてはオレだって切れる物なら縁を切りたい。偽らざる事実だが、アンタの事だって今すぐ信用するのは難しい」

「時間をくれ、とでも?」

「当然と言えば当然の話だろ。重大な選択を前に、軽率に即決する奴はアンタだっていらないだろ」

「即断は才能だ。指揮官、指揮者と呼ばれる者に於いて、最も重い罪は、何も決断しないで引き延ばしにする事だぞ」

「急いては事を仕損じる、ってのはアンタらの国のイディオムだろ。先人の言葉には従え」

 沈黙の帳がおり、互いに互いを睨み付ける時間が続いた。
――20秒、経過。この重苦しい雰囲気を打ち破ったのは、大和の方であった。

「……よかろう。日付が変わる今日の零時まで、待ってやる」

「その時間を過ぎれば?」

「聞く程の事でもなかろう」

 大和の意向は、その言葉だけで、よく理解した。

「解った。その時間までに考えを決めておく」


253 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:38:17 rW4Z/dEQ0
 リップがそう言うと、大和は、ロングコートの裏地から、何かを取り出した。
一瞬リップは腰を低く構えようとするも、シュヴィから念話で武器じゃないと言う旨が告げられてくる。
大和が取り出したのは、長方形の小さい紙片と、ボールペン。その紙が名刺である事に気づいたのは、すぐだった。
名刺の裏地にスラスラと何かを記すや、それを手首だけの動きで、ピッと大和が放り投げて来る。これを指で挟み、リップはその内容を見た。
高級な和紙を思わせる名刺には、峰津院財閥のシンボルマークに、一切肩書も役職も表記されていない、峰津院大和の5文字が記されている。
裏面を見ると、極めて整った典麗な字体で、大和のフルネームがペンで記されているではないか。

「それを持って私の邸宅に来い。守衛にでも見せれば、全てを理解する。そう言う教育をしているからな」

 名刺をまじまじと眺めるリップ。
政財経の世界における要人やVIP、その誰もが欲しがる峰津院大和の名刺を、リップはズボンのポケットに乱暴にしまってしまった。ある種の意趣返しか。

「馬鹿が暴れた影響でな。此処も侵入を禁止したが、バリケードを越えて有象無象共が集まって来るのもそろそろだろう。目立ちたくなければ帰れ」

 言って大和は、足早に歩を進める。進行方向はリップ達から見て、右方面。
大和らの歩みを数秒程眺めたその後で。リップは、口を開いた。

「オイ」

「……何だ」

 立ち止まり、大和が言った。ベルゼバブの方は、シュヴィらの方に油断なく目線を投げかけている。

「オレの願いは、過去を取り戻す事だ」

「さっき聞いたぞ」

「俺によってつけられた傷は、絶対に癒えない。治らない。俺の攻撃を防ぐのに、攻撃を無効化するバリアを張ったアンタの判断は、ハッキリ言って正しいものだった」

 傾聴。大和は、リップの言葉に耳を傾けているのが、良く分かった。顔は見えないが、真率そうなそれをしているに間違いない。

「そんな呪いをオレは神から授かっててな。そんな呪いを受けていながら、俺は、執刀すらする医者だった。与えた傷が治らないのに、切開しちまえば、どうなるかなんて解るだろ?」

「続けろ」

「オレの願いは、呪われた手術によって死んじまった……あの患者を救うあの日をやり直したいという事。それが一番大きい。そして……アンタの指摘の通りだよ。俺の願いはそれだけじゃない。この願いのついでに、俺にこんな呪いを与えたもうた神サマとやらを殺してやりたいのさ」

 淀みなく、熱を込めて。リップは言葉を紡いで行く。
其処には紛れもなければ嘘もない。魂を絞り出すようにして言い放たれた、真実の言霊、万斛の思いであった。

「オレは、この世でオレを一番頼ってくれて、オレしか救える奴がいない娘を殺しちまった極悪人だ。そして……その娘はまさしく、アンタの理想とする世界では、弱者みたいな人だ」

 そこでリップは押し黙り、大和の背中に、矢のように鋭い目線を注ぎ続けた。

「生きる価値がないんだろ、その人は。アンタの世界じゃ」

「そうだな」

 即答。大和は、過たずそう言ってのけた。

「だが、貴様が守ると言うのなら、それを否定する事はしない」

「……何?」

 怪訝そうな表情を浮かべるリップ。
ククッ、と大和が笑った。彼の方向に向き直り、大和は口を開く。

「骨の髄までの弱者は生きる価値はないが、其処から這い上がろうとする意思まで価値がないとは言わん。この世界に於いて弱者でも、私の築く世界で才能を目覚めさせる者がいるかも知れない。その可能性までは、摘まないと言う事だ。ジェノサイドなど、今時流行らん。皮下にも言った言葉だ」

「……お前」

「弱者は生きる資格がない。蓋しその通りだ。この信念を私は揺るがす事はない。だが、貴様が強ければ、その弱者を護りながら、やりなおしの人生を生きる事もまた自由だ。貴様が強ければ、誰もその行為を咎めはしない。それもまた、私の信念。……それだけだ」

 コートを翻し、大和はリップに背を向けた。
今度こそ、振り返る気はないとでも、その背は語っているようだった。

「この聖杯戦争が開催する前に、二十組以上の主従を殺して来たが……漸く、私の目に適う者を見つけた気分だ」

 一歩、また一歩。歩を進め、大和は遠ざかって行く。

「貴様は才能がある。善い返事が出来るだけの分別が、備わっている事を願う」

 早歩きで遠ざかる大和の背を、リップは十数秒程見送った後で、自分も、この場を去ろうとする。
大和が最後に口にした言葉を一度、反芻しながら。声一つ上げる事無く、リップはその場を立ち去った。

 ――物思いに耽り、何処か小さくなったように見えるその背を。
シュヴィ・ドーラは、不安と心配の入り混じった表情で、ジッと見つめ続けている事に、リップは気づいていたのであった。


254 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:38:30 rW4Z/dEQ0



【新宿区・新宿御苑/一日目・夕方】

【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:宝具・漆黒の棘翅によって作られた武器(現在判明している武器はフェイトレス(長剣)と、ロンゴミニアド(槍)です)
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具
[所持金]:超莫大
[思考・状況]
基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
1:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
2:グラスチルドレンと交戦しており、その際に輝村照のアジトの一つを捕捉しています。また、この際に、ライダー(シャーロット・リンリン)の能力の一端にアタリを付けています
3:峰津院財閥に何らかの形でアクションを起こしている存在を認知しています。現状彼らに対する殺意は極めて高いです
4:東京都内に自らの魔術能力を利用した霊的陣地をいくつか所有しています。数、場所については後続の書き手様にお任せします。現在判明している場所は、中央区・築地本願寺です
5:白瀨咲耶、神戸あさひと不審者(プリミホッシー)については後回し。炎上の裏に隠れている人物を優先する。
6:所有する霊地の一つ、新宿御苑の霊地としての機能を破却させました。また、当該霊地内で戦った為か、魔力消費がありません。
7:リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)に同盟を持ちかけました。返答の期限は、今日の0:00までです。
【備考】
※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。



【ランサー(ベルゼバブ)@グランブルーファンタジ-】
[状態]:肉体的損傷(小)
[装備]:ケイオスマター、バース・オブ・ニューキング
[道具]:タブレット(5台)、スナック菓子付録のレアカード
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:最強になる
1:現代の文化に興味を示しています。今はプロテインとエナジードリンクが好きです。また、東京の景色やリムジンにも興味津々です。
2:狡知を弄する者は殺す。
3:青龍(カイドウ)は確実に殺す。次出会えば絶対に殺す。
4:あのアーチャー(シュヴィ・ドーラ)……『月』の関係者か?
【備考】
※峰津院大和のプライベート用のタブレットを奪いました。
※複数のタブレットで情報収集を行っています。
※大和から送られた、霊地の魔力全てを譲渡された為か、戦闘による魔力消費が帳消しになり、戦闘で失った以上の魔力をチャージしています。



【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
1:皮下陣営と組む。一方的に利用されるつもりはない。
2:敵主従の排除。同盟などは状況を鑑みて判断。
3:地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)の量産について皮下の意見を伺う。
4:ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)は様子見。追撃が激しければ攻勢に出るが、今は他主従との潰し合いによる疲弊を待ちたい。
5:峰津院大和から同盟の申し出を受けました。返答期限は今日の0:00までです
6:カイドウの所に一旦戻るか如何かは、後続の書き手様にお任せします
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。



【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:健康
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:…マスター。シュヴィが、守るからね。
1:マスター(リップ)に従う。いざとなったら戦う。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない





.


255 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:38:45 rW4Z/dEQ0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「……オイ、皮下」

 不機嫌。今のカイドウの態度を一言で表すなら、まさにそれだった。
皮下真が、己のマスター。殺してしまえば、自分もまたこの聖杯戦争の舞台から消滅する。そうと解っていても、カイドウは金棒で潰してしまいかねなかった。

 ベルゼバブとの戦い、その決着をつける事は、結果として出来なくなってしまった。
単純な話だ。皮下医院近辺まで対比していた、その院長、皮下が、令呪一画を切ってまでカイドウを呼び戻したからだ。
完全なる、不完全燃焼。気力は十分過ぎる程に漲っているのに、それを発散させるアテがない。ストレスに歪む顔を浮かべるカイドウを、皮下は悪びれもなく見上げていた。

「悪いな総督。状況を考えれば、こうするしか道はなかったんだ。まぁ許してくれや」

 謝意の言葉を述べはするが、その言葉には申し訳ないと言う気持ちよりも、お前も同罪だろうがと言う思いの方が強く出ていた。
令呪の消費内容は単純明快。『人の姿に戻った上で自分の所にワープして来い』、たったそれだけだ。
こんな事で令呪を切るなど、馬鹿らしいにも程があると皮下当人もそう思うが、大和が追跡して来かねないこの状況を思えば、近くまでサーヴァントを呼び戻すのは、悪手ではない。
ベルゼバブとの戦闘で最高にハイ・ボルテージになっているカイドウに、皮下の声が届くとも思えない。そもそも物理的にも、届く訳がない。なぜならカイドウらは高度1500m以上の高さで戦っていたのだから。

 口にこそだしてないが、要は『お前ちゃんとしろよ』と言う思いを、皮下は発散させていた。
新宿区は滅茶苦茶に破壊してしまい、最早完全に申し開きが出来ない状況だ。カイドウの姿が余りに目立っていた為に、『新宿区の事変はカイドウ1人によって齎された』。
そう考えられてもおかしくなかった。無論当事者は、新宿を襲った異変が、ベルゼバブとカイドウの衝突であり、カイドウ1人によるものじゃない事は理解している。
ただ、それを理解できている者は極々少数。しかもベルゼバブの方は大きさが人間相応で、人間の目には視認不能なマッハ3近い速度で移動していた為、普通は解る筈などない。
誰が如何見たとて、カイドウが全部悪い、と見られてもおかしくない状況だ。こうなると非常に厄介だ。いよいよもって本格的に、叩かれかねない状況なのだから。

「……チッ、おれも甘くなっちまったモンだ。良いぜ、皮下。俺も遊び過ぎた。許してやらぁ」

「流石、海より深い懐だ。サンキュー総督。……今鬼ヶ島って言うか、皮下医院に戻るのは危険だ。臨時のアジトにでも戻ろうや」

 と言って皮下は、念話でカイドウに霊体化を促し、それを受けてカイドウは直ぐにこれを実行。
皮下医院から少し離れた裏路地から、駆け出して移動。皮下医院には行かないと言ったが、状況だけは確かめる必要がある。
様子を見てから、別所に用意したアジトで息を潜めようと言う腹だ。そして、数分で目的地に到達し――その場所に来た事を、激しく公開した。

「……おわ〜…………………………………………」

 見慣れたものが、皮下医院を『圧し潰す』形で転がっていた。
特にカイドウは、ものの正体をよく認識していた。なんて事はない。『鬼ヶ島のドクロドームの巨大な角』が、皮下医院と言う建造物を圧し潰して破壊してしまっているのだ。
無論、角そのものが大きすぎる為、周辺の建造物も跡形もなく破壊してしまっているし、子供の泣き声や大の大人の叫び声が、痛くなる程に良く聞こえてくる。

 ベルゼバブとカイドウの激戦、その余波の一つだった。
破壊されたドクロドームの頭頂部、その破片が空中を舞った時、角が偶然、空間に空いていた裂け目の中に取り込まれ、その裂け目の繋がる先が、皮下医院の上空で。
それがそのまま勢いよく落下して、現在に至ると言う訳だ。その結果が、破壊された皮下医院プラス、左右合わせて十七棟分の家屋の破壊、道路の粉砕と言う現象な訳である。

「……お家が一番!!(オズの魔法使い)」

「おう、そうだな」

 カイドウとベルゼバブとの戦いの余波が漸くなりを潜め、元の夕焼け空に戻りつつある東京の天を見上げ、皮下は、100年ぶり位にマジ泣きしそうになっているのであった。


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256 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:39:24 rW4Z/dEQ0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「オラーッ!! ゴミクズ共ォ!! キリキリ働けぇ!! カイドウさんが来る前に塵一つ残さずに瓦礫を片付けておけえ!!

 と言うクイーンの発破に対して、「いや無茶っすよ」と口にする部下は一人もいない。
クイーン自身が偉いと言うのもあるのだが、それ以上に、カイドウの方を怒らせると本気で怖い事を、骨身に染みて理解しているからだ。
だから、百獣海賊団の面々は、瓦礫を必死に退かしていたり、ゴミやら何やらを片付け、急ピッチで畳を張りなおしたりと。カイドウが戻って来ても良いような体制を整えているのであった。

「クイーン様!!」

 と言って、ギフターズの一人がカイドウの下へとやって来た。
腹の部分に意思を持った象の頭が融合しているような人物で、クイーン程ではないが、一般人からすれば畏怖の対象そのものにしか映らない恐るべき巨漢であった。

「おう、如何だった。被害の方は」

「全然無傷じゃありません!! 葉桜とか言う奴の研究施設も7割程破壊されて、クイーン様が実験していた連中らもかなり殺されてて……」

 頭が痛くなるクイーン。
ベルゼバブとカイドウの戦いが早期に終わる事を祈っていたのはこれが理由である。
鬼ヶ島は勿論の事、自分の研究成果である様々な化学兵器にまで累が及ぶのではないかと、ずっと不安だったのだ。
結果は案の定とも言うべきもので、振出しに近い形に戻ってそうなのだった。今から0スタートは、中々精神的に来るものがある。

「……殺されてるだけに終わったのか?」

「? と言うと?」

「お前も見ただろ、鬼ヶ島中に生じた、あの空間の裂け目!! アレに呑まれた奴も、いるんじゃないのか?」

「……あっ、そうです。そうなんです。余波の衝撃波とかで死んでる連中も居ましたけど、そもそも裂け目に呑まれて消息不明の奴も……」

「馬鹿野郎それも併せて報告しやがれ!! だからテメェは何時まで経っても監獄長で出世が止まるンだよ!!」

「す、すいませんクイーン様!!」

「ったく……で、めぼしい奴らは呑まれたのか?」

「それが……クイーン様があのウィルスのサンプルに使ってたガキ2人ですが……」

 誰だっけ、と言うような態度で顎に手を当てて考え込むクイーンだったが、直ぐに合点がいった。

「お〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! いたいた、『はおり』とか言う女と、『みくる』とか言う奴だな!?」

「……灯織とめぐるでは?」

「良いんだよ細かい事は!! ……もしかして、アイツらが?」

「ハイ。裂け目に呑まれた事を、目撃した奴がいます」

「マジかよ〜……」

 クイーンは露骨に残念がる。
被検体としては貧弱だったが、限界を超えた痛みに苦しむ度に、『真乃』と呼ばれる少女の名を口にして、歯が砕ける程の勢いで食いしばる様子は、中々感動的な物があった。
『デク』の鑑である。その健気さに敬意を払って、早くこの苦しみから解放させてやろうと言う老婆心から、一足飛びに人体実験を終えられるものを、クイーンは投薬していたのだ。

「折角の研究の経過、見れずじまいになりそうか……!! 残念だ……ああ、残念だ!!」





「この世界の奴らに『氷鬼』のウィルスがどれだけ効くのか、ってのは後々に繋がるデータになるのによぉ……!! ああ、惜しいぜ、ババヌキよぉ!!」




.


257 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:39:36 rW4Z/dEQ0
【新宿区・皮下医院跡地/一日目・夕方】

【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:肉体的損傷(中)、魔力消費(中)
[令呪]:残り二画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:医者として動きつつ、あらゆる手段を講じて勝利する。
1:戦力を増やしつつ敵主従を減らす。
2:病院内で『葉桜』と兵士を量産。『鬼ヶ島』を動かせるだけの魔力を貯める。
3:沙都子ちゃんとは仲良くしたいけど……あのサーヴァントはなー。怪しすぎだよなー。
4:全身に包帯巻いてるとか行方不明者と関係とかさー、ちょっとあからさますぎて、どうするよ?
5:283プロはキナ臭いし、少し削っとこう。嫌がらせとも言うな? 星野アイについてもアカイに調べさせよう。
6:灯織ちゃんとめぐるちゃんの実験が成功したら、真乃ちゃんに会わせてあげるか!
7:峰津院財閥の対処もしておきたいけどよ……どうすっかなー? 一応、ICカードはあるけどこれもうダメだろ
8:つぼみ、俺の家がない(ハガレン)
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
 虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間はカイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」


【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:肉体的損傷(小)、魔力消費(中)
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
1:鬼ヶ島の顕現に向けて動く。
2:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
3:リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。
4:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
5:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
6:峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
7:ランサー(ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
[備考]
※皮下医院地下の空間を基点に『鬼ヶ島』内で潜伏しています。
※鬼ヶ島の6割が崩壊しました。復興に時間が掛かるかもしれません

[全体の備考]
※ベルゼバブとカイドウとの戦いの余波により、皮下医院周辺及び、新宿区の新大久保を中心とした直径数㎞範囲に、赤い空の拡大と積乱雲による落雷やスコール、スーパーセルの発生による暴風や広範囲の電波障害や水の煮沸、凍結などの怪現象が発生しました
※上述の余波によって、1万人近いNPCに被害が出、また数百〜棟以上の建造物が崩壊しました
※鬼ヶ島内界に生じた時空の裂け目に、『氷鬼』に感染させられた風野灯織&八宮めぐるが界聖杯の東京に弾き飛ばされました。場所の方は後続の書き手様にお任せします


258 : この狭い世界で、ただ小さく ◆zzpohGTsas :2021/11/10(水) 23:40:11 rW4Z/dEQ0
投下を終了します。キャラクターの長期間の拘束、大変申し訳御座いませんでした。
今後はこのような事にならないよう、スケジュールの調整をしっかりと致します


259 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:34:54 BDNzNBsA0
投下乙です。
私も投下します


260 : 夕景イエスタデイ ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:38:49 D9WIgfyk0
 時計を見るともう十八時半だった。
 あと三十分。
 それだけ経てばさとうにとって待ちに待った夜が来る。
 ようやく聖杯戦争を進められるようになるのだ、これで。
 誰にともなく溜め息をつくと隣を歩くGVの表情が目に留まった。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「そう言われても気にしないのは無理だ。理由は君も分かるだろう」
「アイツもあれで一応聖杯を目指してるみたいだから、食欲任せで同盟相手のマスターを殺したりはしないと思う」
 さとうだってもしGVの立場だったならあの狂った鬼とマスターを二人きりにするなど冗談ではないと考えるだろう。
 こうして付いてきてくれているだけでも温情というものだ。
 しょーこちゃんはいいサーヴァントに恵まれたね。
 さとうは皮肉抜きに、心の底から本心でそう思う。
「仮にそうだったとしてもだ」
 一方でGVはさとうに訝るような目を向けた。
 確かに童磨にだって願いはある。
 その願いが保たれている限り、そう軽率な行動は起こさないだろうが……
「彼はボクのマスターに対してきっと何か言うだろう。
 君はそれを分かった上で、ボクを連れ出したんじゃないのか」
「……別にそういうわけじゃないよ」
「マスターが君に付いて行けと言わなかったら、ボクはあの場を離れることはしなかった」
 GVは決して完璧な思慮を持ったサーヴァントではない。
 だが、それでもあの危険な鬼と自分のマスターを進んで二人きりにするほど耄碌してはいないのも確かだ。
 さとうの懇願を受けたGVは当然渋った。
 彼の重い腰を上げさせたのはしょうこの言葉だ。
 さとうに付いて行ってあげて。何かあったら念話するから。
 その言葉に促された結果彼はこうしてさとうと一緒に夕暮れの路傍を歩いているのだ。
「私が一番困るのはしょーこちゃんが神戸あさひに傾倒してしまうこと。
 それはあなたも同じなんじゃないの、アーチャー」
「言っただろう。ボクはあくまでサーヴァントだ。マスターが彼との合流を選ぶなら、ボクはそれに従うだけだ」
「あの子の意思なら東京中を敵に回すことになっても構わないっていうの?」
「次々敵が現れる状況には慣れている。たとえそうなったとしても、ボクはあくまで彼女のための雷霆であり続けるさ」
「ふーん。本当に忠犬なんだ」
 まあいいや。さとうは少し息づいて続ける。


261 : 夕景イエスタデイ ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:39:57 LgJwHe220
「とにかく、私はしょーこちゃんがそっちに進んじゃうのは困るの。
 だけどこのままあの子がぐずぐず燻ったままでいられても、それはそれで困る。
 こっちの方はあなたも同じでしょ? あなたはしょーこちゃんの忠犬だもんね」
「……」
 これについてはGVも言い返せなかった。
 GVがこの聖杯戦争で最も優先する存在は飛騨しょうこだ。
 それがしょうこの意思ならば、神戸あさひという情勢の爆心地に近付くことも厭うつもりはない。
 それどころかしょうこが望むのなら、聖杯を狙う大前提すら覆したって構わない。
 GVはそういう男でそういうサーヴァントだ。
 だが……そんな彼もさとうの言う通り、しょうこがああして沈んだままになってしまうのだけは避けたかった。
「直に夜が来る。日が沈んで人目が減るのを見計らって動き出す敵も少なくない筈。
 そんな状況なのにうじうじ沈んでるままじゃ、いざって時何も出来ずに殺されちゃうよ」
「お前は――そのために彼女とあの鬼を二人にしたのか」
「アイツは猛毒。見ても毒、聞いても毒、触っても毒。何度捨てたいと思ったか分からない」
 GVもそこに異論はなかった。
 かつて彼と相対した時、GVは律儀に言葉を交わしたが。
 本来ならばそれすら間違いなのだ。
 童磨の言葉は全て毒であり聞くに値しない戯言。
 童のように薄くて浅い言葉を吐き連ねるだけの口。
「でもあの子は私やあなたとは違って本当にただの……普通の女の子だから。
 立ち直らせるんなら、毒を飲ませるくらいがちょうどいいんじゃないかと思って」
「……本気で言っているのか、松坂さとう」
「冗談でこんなこと言わないよ。もし悪い方向に転がってたら、同盟も決裂かもしれないけど」
「当たり前だ。その時は、お前にも報いを受けてもらう」
「そうならないことを祈ってるよ。私もあなた達を敵にしたくはないから」
 しかし毒も場合によっては使いようだ。
 あの鬼の戯言が……哀れな譫言が。
 もしかするとしょうこの羽にこびりついた錆を落としてくれるかもしれない。
 さとうがしょうこと童磨を二人にしたのにはそういう考えも多少あった。
 いくら旧知の仲とは言えど、腑抜けた同盟相手なんて抱えているだけで損なのだから。
 あさひの方に向かって羽ばたいてしまうとしたら最悪の裏目だが、そこはそうなった時に考えるしかあるまい。
「それはそうとさ。一つ聞いてもいいかな」
「……何かな」
「しょーこちゃんから全部聞いてるんでしょ? 私のこと」
 さとうにとって神戸しおを愛する気持ちは己の全てだ。
 他の誰にどう罵られようと響かない。戯言にしか聞こえない。
 間違ってる? 支配欲(エゴ)? 言いたい奴は勝手に言ってればいい。
 松坂さとうの大切なものは神戸しおだけで。
 彼女と過ごすハッピーシュガーライフに、そんな戯言が入ってくる隙間なんてありはしないのだから。


262 : 夕景イエスタデイ ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:40:57 LgJwHe220
「いくら私としょーこちゃんが友達だったからって、なんで止めたりしなかったの?」
 だがさとうも外の人間が自分を見てどう思うか客観視することくらいは出来る。
 松坂さとうは事情を知らない人間から見ればただの誘拐犯だ。
 おまけにGVにしてみれば結果的に生き返ることが出来たとはいえ一度はマスターを殺した人間でもある。
 そんな相手との合流に、この男が素直に応じたらしいこと。
 それがどうにもさとうには不思議だった。
 打算や駆け引きの一切を抜きにした純粋な疑問だ。
 それを受けてGVは一瞬沈黙。
「……あの時は選んでいられる状況じゃなかった。君が危険な人間であることは重々承知していたよ」
「だろうね。私が裏切ったら優しいあの子に代わって、あなたが私を殺すんでしょ?」
「察しがいいね。隠しておくようなことでもないけど」
 答えたGVと彼の考えを読むさとう。
 さとうはしょうこを殺せたが、逆はきっと絶対に無理だろう。
 飛騨しょうこは自分の手を汚せるような人間ではない。
 そうなればこの真面目なサーヴァントは、彼女に出来ないことを代わりにやろうと考える。道理である。
「君達と同盟を組むことで生まれるリスクはボクが背負えばいい。それに」
「それに?」
「……別に、頭ごなしに否定するようなことでもないと思った。それだけだよ、松坂さとう」
 その言葉を聞いたさとうは。
 足を止めて、驚いたようにぱちくりと瞬きした。
「そんなに驚くことでもないだろ」
「そう……かな。十分驚くに値することだと思ったけど」
「さっきも言ったけど。人の愛なんて、誰かが語るようなことじゃないんだ」
 松坂さとうにとって神戸しお以外の人間が発する言葉は雑音に等しい。
 何一つとして彼女が与えてくれる甘さに並ぶものはない。
 なのに今の言葉に、普段聞いては流している無数の言葉にはない重さを感じてしまったのは気のせいだろうか。
 さとうは知らない。GVだけが知っている。
 蒼き雷霆のガンヴォルト。彼が殉じた一つの愛のその形を。
「だからボクはお前の愛まで否定するつもりはない。敵になるなら倒すし、味方でいる内は共に戦う」
「……真面目な人だね、アーチャーは。うちの馬鹿鬼にも爪垢くらいでいいから見習ってほしいな」
「そんな大層なものじゃないよ。そういう風にしか生きられなかっただけだ」
 もうじきに日が暮れる。
 鬼の時間が、聖杯戦争の時間がやってくる。
 波乱の予感を確かにすぐそばに感じながら。
 何の縁でも結ばれていない二人は家路を歩んでいた。


263 : 夕景イエスタデイ ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:41:57 vK23zW/U0
    ◆ ◆ ◆
 
 一人残された……いや。
 一人残ることを選んだ少女、飛騨しょうこ。
 彼女が危険を承知でそうした理由は、これ以上自分を嫌いになりたくないからだった。
 もしもさとうの頼みを拒んでGVと一緒に留守番をしていたなら。
 自分はきっとこの混乱した胸の内を彼にぶつけてしまっていただろう。
 彼が優しくて誠実なのをいいことに吐き散らしていたに違いない。
 だからGVを行かせた。行ってもらった。
 そうしなければ感情を制御することも出来ない自分の弱さと醜さにしょうこは心底失望していた。
「やあ。辛そうだねぇ」
 松坂さとう、かけがえのない大切な親友。
 神戸あさひ、自分に勇気をくれた男の子。
 飛騨しょうこはこの二人のどちらかを選ばなければならない。
 両方の手を取ることは出来ない。
 しょうこがそれを望んでも、さとうが……恐らくはあさひも、それを許さないだろう。
「しょーこちゃんだったかな? まさかあのさとうちゃんにこんな可愛いお友達がいたなんてなぁ」
 そんなしょうこの許に顔を出したのはさとうのサーヴァント、童磨だった。
 彼の危険性はGVを介して聞いているし、所謂喋るだけ無駄な人種なのも先刻のやり取りを見ていて分かった。
 少なくとも今このメンタル状況で言葉を交わしたい相手ではない。
 しょうこは憔悴を露わにした表情で童磨の方を見、けんもほろろに突っぱねた。
「……悪いんだけど少し一人にして。これからどうするべきなのか考えたいの」
「うーん。それは殊勝なことだが、君がいつまでもそうして燻っていると俺達みんなが困ってしまうんだ」
 わざとらしく口を尖らせながら言う童磨。
 他人の神経を逆撫でするためにやっているとしか思えない仕草にしょうこの心がささくれ立つ。
 とはいえ所作はともかくその言っていること自体はそう間違ってもいない。
 同盟を結んでいる都合、しょうこがこうして悩み沈んでいる間は童磨達も動けないのだ。
 こちらの同盟と心中するのか、それを蹴飛ばしてでも哀れな少年を助けに行くのか。
 どんな形であれしょうこが答えを出さないことには現状が前進しない。
「だから俺が君の悩みに答えを出してやろう。これでもそういうのは得意なんだ」
「いらない。……あっち行ってよ。アンタの意見なんて求めてない」
「そう言わないでくれよ。俺は喋るのが好きなんだけど、さとうちゃんと来たら何を話しかけてもつれなくてさ。そういう意味でも君達が来てくれてよかったと思ってるんだぜ」
「だから──」
 しょうこもそれは分かっている。
 分かった上で自分なりにひねり出そうと努力しているのだ。
 でもそれはあくまでしょうこ自身が考えて出すべきもので、間違ってもこんな狂った鬼に口出しされるようなことではない。
 はっきりと拒絶したにも関わらず粘ってくる童磨に声を荒げそうになるしょうこ。
 しかしそれを遮るように鬼の蠅声(さばえ)が響いた。
「あさひくんのことが好きなんだろう? しょーこちゃん」


264 : 夕景イエスタデイ ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:42:50 vJ4ZqWsA0
「なっ…! そ、そういうわけじゃ……」
 ぼっ、としょうこの頬が紅潮する。
 思いがけない方向から球を投げ込まれたのが丸分かりな反応だった。
 咄嗟に否定するしょうこに童磨は小首を傾げる。
「? 違うのかい?」
「それは…その。えぇと……」
 改めて違うのかと問われると困ってしまう。
 嫌い、ではない筈だ。
 そんな相手のためにこんなに悩んだりなんてしない。
 でも、その。
 かと言って好きなんだろうと聞かれて断言できるほどしょうこは思い切りのいい人間ではなかった。
 さとうと一緒になって男漁りをして遊んでいた時期は確かにあったが、あれをそういう観点で見るのは話が違うだろう。
 落ち着かなそうに指を絡めるしょうこに童磨は慈しむような微笑みを向けた。
「ならやることは決まってるはずだよ。雷霆の彼と一緒に颯爽と駆けつけてあげればいい」
 ――その聖者のような顔から出た言葉。
 それを聞いたしょうこは今までの初心な反応も忘れて真顔になった。
 彼女をそんな顔にさせたのは怒りではなく驚愕だ。
 今、この男はなんと言った?
「アンタ…何言ってるの? それって……私に"裏切れ"って言ってるのと同じじゃない」
「そうさ。さとうちゃんを裏切ってでも愛する彼を助けに行けばいいじゃないか。
 だって君はあさひくんを愛しているんだから。この世で唯一色づいたその感情に殉じればいい」
 しょうこはこの時自分の認識の誤りを悟った。
 異常な存在だと分かっていたつもりだったが、それでも最低限聖杯戦争のセオリーに添うつもりはあるのだろうと勝手に決め付けていた。
 だがそうですらなかった。この男には自分のマスターを、さとうを守るつもりすらないのだ。
 熱が入って潤んだ虹色の瞳が彼の言が狂言の類ではない本音であるとダイレクトに理解させてくる。
「この世に愛に勝るものなんてありはしないんだよ。
 俺は鬼になって何百年か生きたが、今際の際に知ったあの感動に勝る体験は長い生涯で一度としてなかった。
 忠誠も食欲も……あと友情もかな。そういう聞こえのいいものも全部、所詮誰かを想う胸のときめきには敵いやしないのさ」
 しょうこはごくりと生唾を飲み込んだ。
 それから呼吸を整えて、キッと童磨を睨みつけ言葉を絞る。
「アンタはさとうのサーヴァントなんでしょ。アンタだって譲れない願いがあって此処にいるんじゃないの?」
「もちろん願いはあるとも。ただそれは、何も彼女と一緒じゃないと叶えられないものでもないだろ?」
 しょうこはきっとどこかでサーヴァントという存在に対して幻想を抱いていたのだろう。
 彼女が呼んだサーヴァント、GV(ガンヴォルト)は常にマスターであるしょうこの方針を第一に考えてくれる。
 だからこそこの童磨も何だかんだ言いつつも本質的にはさとうの味方なのだとそう思っていた。


265 : 夕景イエスタデイ ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:44:00 vL8XL8Do0
 しかしそれは買い被りもいいところだった。
 童磨に対して用いるにはあまりにも役者の足りない常識の物差しに見極めを委ねてしまっているだけだった。
 この鬼は聖杯を求めてこそいるものの、成就の瞬間自分の隣にいるのが誰であるかには何ら執着がないのだ。
 ようやくそのことが分かったしょうこの目前で、童磨は陶然と語る。
「実は先刻さとうちゃんに酷いことを言われてね。
 俺はすごく心が痛んだんだが……同時にこうも思ったんだ。そこまで言うのなら、俺が見極めてやろうじゃないかって」
 補足しておくならば"今の"童磨は無条件でさとうを切り捨てようとしているわけではない。
 彼が今注目しているのは松坂さとうの信じる愛の形、その美しさだ。
 人間の分際で自分を哀れんださとうの"愛"。
 もしもそれが、己の愛に及ばないのなら。
 もしもそれが、己の愛の先を行くものでないのなら。
「あの子が俺に切った啖呵。それに見合うだけのものを見せてくれたなら俺は彼女にちゃんと従うさ。
 だけど期待外れだったなら"さよなら"だ。俺はさとうちゃんより優秀で、仲良くおしゃべりの出来る新しい主君を見繕って仕えることにするよ」
 その時童磨は松坂さとうを喰らう。
 そして彼女の愛すら糧にして先へ進む。
 さとうはただの人間でしかない。
 腹を一発刺されでもすればそれだけで死んでしまうか弱い命、ちっぽけな人間だ。
 彼女に勝るマスターなんていくらでもいる。
 それが分かっているから童磨はさとうを見極め、彼女との決別を視野に入れているのだ。
「……アンタさ」
 それを聞いたしょうこは眉根を寄せた。
 そこにある表情はもはや困惑の類でも、怒りですらもない。
 しょうこがその美顔を歪めて表現している感情はただ一つ。
「最悪ね」
 シンプルな、言葉を挟む余地もない"軽蔑"だった。
 男漁りをしている中でも最悪な男はいくらでもいた。
 体しか見ない男、こっちの行動を弱み代わりにして強請ろうとしてくる男、色々いた。
 だが飛騨しょうこという人間が人生で最も強く軽蔑の念を抱いた相手は、間違いなくこの童磨に対してであったに違いない。
「私には正直、愛ってものが何なのかは分からない」
「さしずめ小鳥だね。巣立ったばかりのいたいけな小鳥だ」
 嗤う童磨相手に苛立ちを示す気も起きない。
 しょうこは心底からさとうに対して同情していた。
 親友としての贔屓目抜きに、これと一ヶ月余り一緒に過ごしてきた彼女の心労を慮らずにはいられなかった。
 その上さとうはこれに自分の命運を預けなければならない立場なのだ。
 自分がもし彼女の立場だったらと思うと……ゾッとする。
「でも」
 睨みつける瞳に乱れはなく、発する声に震えもない。
 あまりに軽蔑の念が強すぎて恐怖や緊張の念など欠片も込み上げてこなかった。
「お願いだからアンタは誰の愛も語らないで。聞いてるだけで不愉快なの」
「酷い言い草だな。俺も真実の愛とやらには覚えが――」
「でもありがとう。アンタのおかげで決心がついたわ」
 しょうこもようやく理解した。
 この鬼の言葉は何一つ聞く耳を持つべきではないと。
 例えるなら蠅の羽音のようなもの。
 中身など何もないのにやたら耳障りで耳に残る不快音。
 だがそれでも、彼との対話があったからこそ辿り着けた……見つけ出せた結論があった。
 なんて皮肉だと思うし溜め息が出そうにもなる。
 だけど前に進めたのは確かだから、形だけでも礼は伝えることにした。
「私は」
 決意表明。
 もしくはさとうに自分の答えを伝える前の予行演習がてらに。
 飛騨しょうこは自分の運命を決める答えを吐いた。
「あの子のところには、行かない」


266 : 夕景イエスタデイ ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:45:45 mcPaTpWA0
    ◆ ◆ ◆

「……え」
 買い物から帰ってきたさとう。
 その姿を視界に収めるなりしょうこは告げた。
 自分が悩み、考えた末に出した答えを。
 それを聞いた時さとうが漏らした声は、単語ですらない驚きの"音"。
「諦めたの? 神戸あさひのこと」
「そういうわけじゃないわ、よ。でもほら、これ見て」
 言ってしょうこはさとうに自分のスマホ画面を見せる。
 そこに表示されているのはやはりと言うべきかSNS。
 検索ワードは、「神戸あさひ」。
 相変わらず炎上真っ最中であったがしかしその風向きは少々元のそれとは異なりつつあった。
「少しずつだけどこの炎上がデマだってことを広めてくれる人が出てきてるのよ。
 聖杯戦争の関係者なのか、それとも単純に世間の人たちが自分で気付いてくれ――気付いたのかは分からないけど」
「……ふぅん。運がいいんだね、あいつ」
 さとうに言わせればこれは間違いなく聖杯戦争に関係した人間なり英霊なりの工作に見えた。
 この世界のNPCとは可能性なき者、無知で蒙昧な大衆そのもの。
 そんな彼らの中から可能性ある存在の手を潰すような論調が自然に出現(ポップ)してくるとは思えない。
 だが真実がどうであったにせよ、神戸あさひが幸運に恵まれていることは間違いないと言えるだろう。
 さとうとしてはあのまま炎上の波に呑まれて潰れてくれれば都合がよかったのだが。
「それで。しょーこちゃんは、あいつの状況が好転したから助けに行くのをやめた……って認識でいいのかな」
「……あはは。アンタ相手に噓ついても無駄だと思うから本当のところを言うけど、ザッツライト。その通りだよさとう。
 でもね、それだけじゃない。よくあの子と話したこととか思い返してみたらさ……分かっちゃったんだ」
 しょうこはそう言って笑った。
 どこか寂しそうな、悲しそうな笑顔だった。
「あの子はきっと聖杯を手に入れようとする。
 そしてその道の途中に私が立ってたとしても、あの子の目指す目的地は多分変わらない」
「……」
「怖いのよ。あの子に会いに行って、もし拒絶されたらって考えると」
 聖杯戦争は仲良しこよしを保ったまま完結出来る戦いではない。
 飛騨しょうこは聖杯を求めていて、神戸あさひも聖杯を求めている。
 であればいつかはその時が必ず訪れる。
 しょうことあさひは決して相容れない。同じ道は歩けない。
 そのことにしょうこは多分最初から気付いていた。
 さとうからあさひの存在を教えられた時には既に。
 なのに今に至るまでそのことを直視しなかった理由は……きっと怖かったからなのだろう。
 誰にだって見つめたくない現実というものはあるのだから。


267 : 夕景イエスタデイ ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:46:39 08JR7uXU0
「だからさ。私はまだ当分アンタの友達でいるわ」
「そっか。……よかった。私もしょーこちゃんとまた喧嘩するようなことは避けたかったから」
「ほんとよ。アンタとの喧嘩はシャレにならないって身を以て知ってるんだからね、私は」
 それが愛の一文字に集約される感情であることにしょうこは未だ気付かない。
 気付かないまま、彼女は親友の身を慮った。
 童磨は信用ならないサーヴァントだ。
 この先彼のさとうに対する認識がどう変遷していくかは未知数だが、期待の眼鏡に適わなかった時童磨は必ずさとうを殺す。
 そのことが分かっていたからこそ、前述したあさひと組めない理由も含めて……しょうこは親友(彼女)を選んだ。
 最後に雌雄を決するのはいい。
 だけど狂人の癇癪じみた理屈の犠牲にされてさとうが死んでいくなんて未来は許せない。認められない。
 わざわざ恩着せがましくそれを口にするつもりはなかったが、確かな事実は一つ。
 飛騨しょうこは松坂さとうの手を取った。
 一度は自分を殺した少女の傍らに寄り添って戦うことを選んだ。
 恋と友情、その在り方は一から十まで全く異なる。
 あるいはだからこそなのだろうか。
 決して優劣を付けられないだろう両者の取捨選択という場面でしょうこが天秤を成立させ得たのは。
 恋と友情、似て非なる二つの概念の間に生じる差異故のものであったのかもしれない。
「だからさ。これからもよろしくね、さとう」
「……しばらくは、ね」
「それでもいいよ。もう私はアンタの愛についてとやかく言ったりしないから」
 そう言って笑うしょうこ。
 それを見てさとうは、彼女の名前を呼んだ。
「しょーこちゃん」
 松坂さとうは疑問を抱く。
 何故自分は、しょうこが自分を選んだことが分かった瞬間戸惑いの声を漏らしたのか。
 あれはむしろ好都合だと微笑む場面ではなかったか。
 なのにあの時さとうは確かに、心の底から戸惑いの声を口にしていた。
 信じられないものを見たような。
 そんな目とそんな声色をしていた。
 その理由は今以って分からないけど。
「泣かないで」
「…え? ……あ、あれ……。ちょ、何よこれ……おかしいな、もうっ………!」
 いつも通りの笑顔を浮かべたまま大粒の涙を流す友人にさとうは声をかけていた。
 苦笑いしながら困ったように涙を拭うしょうこ。
 その涙の意味がさとうには分かる。
 だけど彼女の選ばなかった道をさとうは肯定出来ない。
 その道を認めることは即ち、さとうの目指す理想の未来に唾を吐くことに繋がるからだ。


268 : 夕景イエスタデイ ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:47:18 v3rUbSbw0

 松坂さとうは神戸しおを諦めない。
 それはもう決して覆らない事実だ。
 飛騨しょうこが何をしようとこれだけは変えられない。
 真実の愛とはそれほどまでに重いもの。
 愛の真理へのきざはしを見出したさとうであれば尚更だ。
 だが。たとえ一番ではなくても二番を見ることが出来たなら。
 そこにいるのはきっとさとう自身すら予想だにしない"誰か"なのかもしれない。
「ありがと、しょーこちゃん」
 泣きじゃくる友人を抱き留めその頭を撫でながら。
 松坂さとうはその口で言った。
「私を選んでくれて、ありがとう」

【一日目・日没/北区・松坂さとうの住むマンション】
【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:魔力消費(小)。失意
[令呪]:残り2画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:さとうを信じたい。あさひくんにお礼を言いたい。そのためにも、諦められない。
1:さとうと戦う。あの子のことは……いつか見えるその時に。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。

【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:疲労(小)、回復中、クードス蓄積(現在3騎分)
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:マスター。君が選んだのはそれなんだね。
1:マスターを支え続ける。彼女が、何を選んだとしても。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
3:松坂さとうがマスターに牙を剥いた時はこの手で殺す。……なるべくやりたくない。
4:マスターと彼を二人にして心配だ……
[備考]
※予選期間中にキャスター(童磨)と交戦しています。また予選期間中に童磨を含む2騎との交戦(OP『SWEET HURT』参照)を経験したことでクードスが蓄積されています。

【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:もししおちゃんが居たなら。私は、しおちゃんに――
1:ありがとね、しょーこちゃん。泣かないで。
2:どんな手を使ってでも勝ち残る。
3:しょーこちゃんとはとりあえず組む。ただし、神戸あさひを優先しようとするなら切り捨てる。
4:叔母さん、どこに居るのかな。
[備考]
※飛騨しょうこと連絡先を交換しました。
※飛騨しょうこのサーヴァントが童磨の言う"雷霆の弓兵"であると当たりを付けました。
※本名不詳(松坂さとうの叔母)が聖杯戦争に参加していると当たりを付けました。

【キャスター(童磨)@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:ニ対の鉄扇
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:もう一度“しのぶちゃん”に会いたい。
0:君の愛が、俺の先を行くものでないのなら。その時は俺が君の先を行くよ、さとうちゃん。
1:日没を待つ。それまではさとうの“感覚”を通して高みの見物。
2:さとうちゃんの叔母と無惨様を探す。どうするかは見つけた後に考えよう。
3:雷霆の弓兵(ガンヴォルト)と話したい。俺は話すのが好きだ!
4:しょーこちゃんもまた愛の道を行く者なんだねぇ。くく、あはははは。
[備考]
※予選期間中にアーチャー(ガンヴォルト(オルタ))と交戦しています。さとうの目を通して、彼の魔力の気配を察知しました。
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要ですが、さとうは索敵のために渋々受け入れています。
※本名不詳(松坂さとうの叔母)と鬼舞辻無惨が参加していると当たりを付けました。本名不詳(松坂さとうの叔母)は見ればわかると思ってます。


269 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 00:47:45 v3rUbSbw0
投下終了です


270 : ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 19:44:20 zZe4cJuQ0
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)予約します


271 : ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:27:11 zZe4cJuQ0
申し訳ありません、投下後一日間を予約期間を空けるルールを失念していました
話は既に書き上がったので一度破棄します


272 : ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:42:10 zZe4cJuQ0
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)予約して投下します


273 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/11(木) 23:42:12 5v7Jz8.w0
櫻木真乃&アーチャー、NPCで風野灯織、八宮めぐる予約します


274 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:45:49 zZe4cJuQ0

QUESTION
全知全能の神でも叶えられない願い、とは


⭐︎


「全くどこもかしこも、蜂の巣を突いた様な騒ぎだな…」


新宿区の災禍(カタストロフ)から十数分後。
俺とアーチャーはようやく混乱状態のただ中から抜け出していた。
抜け出した、と言っても区外に脱出し立ち寄ったレストランで人心地ついた程度の状態だ。
腹拵えをしながら外を見ればこの国の消防救急警察車輌が走り回っている。
とは言え、あの混迷を極めてた新宿区にどれだけの車輌が到着できるかは疑問なところだけどな。
走刃脚(ブレードランナー)を使って離脱するときに見た新宿は、控えめに言っても地獄だった。
中心区は爆撃を受けた様な有り様となり、少なく見積もっても数千人規模で死傷者が出ただろう。
この国では地震が珍しくないそうだが、間違いなく大型地震規模の被害と見て間違いない。

そして、そんな地獄編を作り上げた二組の主従に俺は繋がりがある。
一組は成り行きだが同盟を結んでいて、もう一組からも同盟の打診を受けている。
数時間後までに正式に組むか決定しろとの制約付きだが。
つまり、あと数時間で身の振り方が大きく決定する事になる。


『ーーーマスター、どう……する?』


運ばれてきたスパゲティを胃の中に放り込んでいると、霊体化したアーチャーが念話で語りかけてきた。
どうする、というのは聞くまでもなく、峰津院大和との同盟の打診の事だろう。
俺は少しの間を置いて、不安げな声を上げた俺の従僕に答えを提示した。


275 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:47:05 zZe4cJuQ0


「今の所、6:4だな」
「どっちが…6?」


提示した比率は、言うまでもなく組むか否かを示す数値だ。
だが、俺はあえてどちらに天秤が傾いているかアーチャーに伝えずに始める。
峰津院大和に与するリスク、簡単に言えばダメ出しだ。


「奴の減点する箇所のまず一つ目、あのランサーだ」


少しばかり前に俺とアーチャーの前に現れた鋼翼のランサー。
ステータスを確認するだけで目眩がする様な怪物だった。
あの鬼のライダーと真っ向から殺し合えるのも頷ける話だ。同時に死ねよとも思う。
だが、一眼見ただけでわかる、同盟相手としてのランサーの性格はハッキリ言ってクソだ。
一応マスターの言葉には従う様だが此方と…何よりアーチャーと足並みが揃えられるとはとても思えない。天上天下唯我独尊を絵に描いたような、傲岸不遜を擬人化したらこうなるだろうという、そんな雰囲気に満ちていた。
傲岸不遜さで言えばあの鬼のライダーもそうだが、海賊の長していただけあって此方と足並みを揃えるという発想はまだ彼方はありそうだった。
大和は皮下達のことを散々こき下ろしていたが、少なくともサーヴァントの性格で言えばこき下ろせる様な立場じゃないだろと言うのが正直な印象だった。
とは言え、皮下も、皮下のライダーが信頼できるかと言えばそんな訳はない。
ただ、後々起爆するであろう爆弾と、いつ起爆するかタイミングが読めない爆弾なら前者の方がマシ、程度の話だった。


276 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:47:55 zZe4cJuQ0

『減点その2、峰津院大和は組むには強すぎる。
同盟相手としては心強いが競争相手として見れば論外もいい所だ、俺は奴に聖杯を献上する下僕になるつもりはない』


そう。
峰津院大和は強すぎる。
マスターとしての実力も、財閥を仕切る権力も、サーヴァントの実力も。
完全無欠、おおよそ組む相手としては不満など何一つない。
きっと、やっと組めば楽に最後の2騎まで生き残ることができるだろう。
だが。
そうして生き残ったとして、俺たちが奴に勝てるかと言えば、限りなくその可能性は低いだろう。
最後の2騎まで生き残っても、聖杯が獲れなければ何の意味もない。
俺は奴に聖杯を送る引換券になるつもりは毛頭無かった。
そこまで説明した所で、シュヴィが異論を挟んでくる。


『……でも、あの鬼のライダーもそれは同じ……サーヴァントに限れば、あのランサーの方が勝算は高い……』
『サーヴァントだけ見れば、な。マスターを見れば逆転する』


峰津院大和は俺には殺せないが、皮下真は違う。
何しろ大和はこっちのアーティファクトの攻撃でも跳ね返してくる様なチート野郎だ。
ハッキリ言って上級サーヴァントに匹敵する様な怪物だ。シュヴィの解析ではそこから更に奴はAランク相当の宝具で武装していると言う。
俺1人では手に余るどころか勝機はゼロと言っても良い。
対する皮下も怪物ではあるんだろう。
しかし最初の接敵の時に俺の不治の説明を聞いた時の奴のほんの僅かな心拍数のブレと瞳孔の揺らぎを俺は見逃さなかった。
切り札として持っていた札が屑手に変わったような、そんな動揺の仕方だった。
身のこなしや能力の相性から言っても、俺は奴に有利な立場にある可能性が高い。
ならば皮下さえ始末すればあの鬼のライダーも力を喪うだろう。
そうなれば恐るるに足らず、だ。
マスター狙いが通る以上、いずれ殺す同盟兼競争相手としてはやはり皮下の方に軍配が上がる。忌々しい事に。


277 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:49:12 zZe4cJuQ0
『減点その3、奴らは派手にやりすぎた。
他の主従がまだ全員残ってるこの局面でな』


新宿御苑と言えば、峰津院財閥のお膝元である事はこの東京では知れ渡っている。
知らない奴はもぐりだ。
だが、少なくともそんな出鱈目な規模の財閥は俺の世界では聞いたことがない。
皮下も同じだと言っていた。
そんな場所でこの惨状だ。もはや殆どのマスターが峰津院大和がマスターである事を疑う奴はいないだろう。
また、いくら財閥の力が強大でも共産主義の統制国家じゃないんだ、この騒ぎを揉み消すのは無理だろ。というかできたら流石に出来レースを疑うレベルで奴に都合が良すぎる。

そしてこの騒ぎで戦争の様相は大きく変わる。
それは間違いない。
実は俺も皮下も峰津院大和がマスターであることは前々からアタリをつけていた。
それを知っていた上で仕掛けることが無かったのは峰津院大和が強すぎた事と、目立った動きが無かったからだ。
この都市一の権力者なんて面倒な相手、喧嘩を直接売られたのでもない限りこんな序盤では御免被る。
だがそれも、峰津院大和が目立った動きをしなかったと言う前提に大きく依存する。
そして、その前提もこの惨状で崩れた。
これで皮下が指名手配などされようものなら更に他の主従にとっての危機感は加速するだろうな。
峰津院大和は、NPC数千人を虐殺できる精神と実力を持ったマスターであり、更にその権力で以て追い詰めることができる、と。


『こうなると他の奴らも放っておくわけにもいかない。だが、散々言った通り大和達は馬鹿みたいに強い。となれば………』
「同盟、連合……討伐、令?』
『その通り、そして組むとなればそいつらも俺たちを襲ってくる……あの鬼のライダーも含めてな』


278 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:49:50 zZe4cJuQ0
これが他の主従も疲弊し始めた中盤やサーヴァントの頭数自体が減った終盤なら話は変わった。
だけど、実際はまだ本戦が始まって一日も経ってない、他の主従も充分に余力を残してる。
となれば、考えるはずだ。
峰津院大和を殺せるとするなら、大量のサーヴァントで連合を組み、余力のある今しかないってな。
奴らはそれでも良いんだろう。
あの鬼のライダーが鋼翼のランサーを抑えたとしても、大和は他のサーヴァントに対応できる。
だが、俺たちにもサーヴァントが押し寄せてくると厄介だ。
俺も下級サーヴァントくらいなら殺す自信はあるが、三騎士が相手だと流石にフィジカルや反応速度の差で負ける。
そんなのが複数騎で押し寄せてくるかもしれない。
峰津院に喧嘩を売るぐらいだ、向こうも死に物狂いでくるだろう。どちらかが死滅(くたば)るまで戦闘はきっと終わらない。
皮下も条件は同じだし、峰津院財閥はこの騒動の主犯が奴であると報道するだろうが、しがない町医者でしかない皮下と大和では印象が大きく変わってくるだろう。
むしろ、聖杯戦争に参加したマスターなら大和の方を危険視する筈だ。
今アーチャーに話したのが2番目に大きい理由。
そして俺は、最も大きな減点をアーチャーに続けた。


279 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:51:04 zZe4cJuQ0

『理由その4、聖杯で奴が願いを叶えたら結局俺は願いを叶えられない。もしかしたら奴はサーヴァントの分の聖杯を譲ってくるかもしれないが、その場合でも俺は聖杯に消されて元の世界へ帰れない』


奴は俺の願いを認めた。
加えて、奴の語る世界は否定者の俺にとって理想的とも呼べる世界だった。
聖杯が願いを叶える権利を与えるのは一人きり、という前提がなければ。
何のことはない、奴が願いを叶えたら俺の願いはそれでご破産。
そして、奴の言う新世界を、俺は生きていくんだろう。
あの日の間違いを精算できないまま。
結局、どれだけ俺の願いを認めていようと、それで俺が願いを叶えられないならそれはもっともらしいペテンでしかない。
いや、奴が嘘を言っていたとは思わない。
しかし、奴の言葉を鵜呑みにするには余りにも勝算の分からない賭けだった。
仮に奴が俺に聖杯を譲っても、消失する世界から帰る権利まで獲得できるかはシュレディンガーの箱の中、だ。
そんなどう転ぶかわからないギャンブルをするつもりは俺には毛頭無かった。


『じゃあ…マスター、はーーーー』


以上の俺の話に耳を傾けて、アーチャーが何処か期待する様な声を上げる。
だが、俺は静かに首を横に振った。
彼女の気配が落胆へと変わったことは、姿を見ずとも分かった。


『いや、アーチャー。残念ながら組む方が6だ』


280 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:52:26 zZe4cJuQ0



今まで散々語った内容を差し引いても、峰津院大和を敵に回すのは相当旨くない。
案外、周りの主従はビビって包囲網など敷かれないかもしれないし、敷かれたとしてもそれを鼻歌混じりで突破してもおかしくないのがあの2人だ。
組まない選択肢を取るには手札が足りない。
そして、手札が足りなければ補充させれば良い。
ごくり、と今まで取っていた夕食の最後のひと口を飲み込む。
そして、俺は懐のスマートフォンを操作し、少し前に伝えられていた奴のメールアドレスを入力、そのメールを送信した。


ーーこれから俺の指定する場所にライダーを連れずに30分以内で来い。でなければ同盟は破棄する。


そうして、俺は間抜けにも拠点を喪ったであろう、負け犬に連絡をとった。
理由は単純、今度はこっちが足元を見る番だ。
これからも同盟を続けるにあたって条件をふっかける。
その条件は単純に、数時間以内に峰津院大和の権力を躱して奴のケツを蹴り上げられるだけのカードをもう一枚用意しろ、だ。
来なかったりこの条件を蹴れば勿論同盟は破棄。
来てもライダーの気配が有れば破棄。
ライダーの魔力は既にシュヴィが解析してる、霊体化してもその残滓は彼女には誤魔化せない。
遠距離からライダーの気配を感じ取った時点で全力で離脱し、大和の元へと下れば奴は手を出せない。

奴が約束を守り、条件を飲み、そしてこの無理難題を叶えた時のみ、同盟を継続してやってもいい。
そう俺は考えていた。


『蓬莱の、球の、枝の方が…まだ簡単……』


281 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:53:01 zZe4cJuQ0
ポツリと、シュヴィが言葉を漏らす。
意味はよくわからなかったが、とにかく難題を吹っかけると言うことは伝わったらしい。
それもその筈、あのランサーに匹敵するサーヴァントを数時間以内に連れて来いなんて土台無理な話だ。
ともあれ、この条件が果たされなければ俺は大手を振って奴と縁を切れる。
その上で、強力な大和の主従と同盟を結べる。
まるで期待していないが、もし奴がクリアすれば大和との同盟は蹴っても良い。
兎に角、大和を敵に回すならサーヴァントが互角の程度の条件では厳しい。
此方が有利でようやく、だ。
ようは、奴が6:4の残りの2をひっくり返せる札を用意できるか否かで身の振り方が決定する。


『でも、皮下達と縁を切るのは早い方がいいだろ?』
『それはそう』


即答だった。
アイツ、相当嫌われてるな。
俺も嫌いだしどうでも良いけど。


『それでだ、アーチャー。もし仮に、皮下がこの条件をクリアして、大和と事を構える事になったら…あのライダーの結界内で全典界を使えば…奴を殺れるか?殺れるなら、俺が皮下を殺す』


俺からすれば、ここからが本題だった。
アーチャーは強力なサーヴァントだ。
本戦では一度敗走したし、鋼翼のランサーと鬼のライダーというアーチャーを超えるサーヴァントも存在した。
だが、それでもアーチャーは手の内をほんの僅かしか見せていない。
それも偏に、アーチャーは優しすぎるからだ。
彼女が全力を出せば、容易に東京を火の海にできるだろう。
だが、彼女はそれを望まない。
俺としても、無理やり命令して彼女との間に亀裂を産みたくはない。
だから、この優しい兵器が全力を出せる場所が必要だった。
その点で言えば、あの鬼のライダーの結界内ならうってつけだ。
周囲の被害を気にせず、アーチャーの全兵装を使用できる。
そしてらアーチャーの全力を以ってすれば、大和に勝ち目はあるか。
それが知りたかった。
俺の問いにアーチャーは一度天を仰ぎ、
ぎゅっと目を瞑り、そしてカッと見開いて答えた。


『………できる、シュヴィは……やる。
マスター…貴方が、そう、命じるなら』


解析の結果、アーチャーの持つ件のランサーへの特攻性能は奴が生み出した武器にも有効らしい。
あの時密かに解析を進めており、既に4割ほど解析が済んでいるという。
その上で、全兵装を使用すればーー大和の首に手が届く。


282 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:54:22 zZe4cJuQ0


『……よし、お前が大和の奴を始末してくれるなら俺は皮下の奴を必ず殺す。それで怪物どもは共倒れだ』

大和のランサーを止める役目は必ずあの鬼のライダーに押し付ける。
対抗馬がアイツしかいないので奴も否とは言えないはずだ。
目障りなライダーの側近どもはあの白い犬の様な化け物の露払いに行かせて、アーチャーに大和を撃たせる。
皮下は警戒するだろうが俺もアーチャーを出撃させてる以上心理的な隙が出るだろう。
そこを殺す。
奴さえ討てば、ライダーも、ライダーの側近も魔力が絶たれて消え失せ。
そして大和とランサーも同時に消えて失せる、という訳だ。


『大和の相手をする時は一切奴に何もさせるな。奴が何かする前に最大火力で始末しろ。でなけりゃ殺されるのはこっちだからな』
『……うん』


逡巡しながらも頷くアーチャー。
……やっぱり、こいつは優しすぎる。
なぜ俺みたいな人でなしの呼びかけにこの弓兵は答えたのだろう。
そう思わないでもなかった。
けれど、こいつは俺頼まれた以上、役目を完遂するだろう、それだけで十分だ。
それ以外の答えなど要らなかった。
食後の水を飲み干しながら、席を立つ。


『……勝つぞ、アーチャー。聖杯を勝ち獲るのは俺たちだ。俺たちの願いは…誰かに施されて良いものじゃない』
『うん……了解、した』


カランカランと店を出ながら、俺は待ち合わせの場所へと向かう。
夜も蒸し暑いこの国の気候に辟易しながら、俺は気まぐれにアーチャーに問いかけた。


『………なぁ、アーチャー。全知全能の神様って奴でも叶えられない願いって何だと思う?』
『……思考実験?少し、待って、ほしい』
『…いや、良いんだ、忘れてくれ』


283 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:54:56 zZe4cJuQ0



本当は、大和の誘い入れを敬遠する五つ目の理由があった。
全知全能の神でも叶えられない願い。
それは神が叶えようとしない願いだ。

リップは真実、大和の言葉がペテンなどとは少しも考えてはいなかった。
ただ、アーチャーとリップ自身のささやかな納得のためにそう述べたのだ。
大和はきっと聖杯を使って自分の願いを成就させた上でリップの願いをも叶えることが可能なのだろう。
リップの懸念であった優勝者だけが帰還の権利を得るという課題も、大和ならばなんとかしてしまうのかもしれない。
だが、一つだけ。
大和にも決して叶えられない願いがあった。


ーーーなぁ、『シュヴィ』、もう一つ聞かせてくれ。


ーーーーなぁ、に、マスター…


ーーーーお前は、今の空は…ダメだな。少し前の空は好きか?


ーーーー肯定。きっと、リクと、シュヴィは……綺麗な……本当に、綺麗な、あの、太陽と……蒼空を、拓くためにーーーー


大和の理想の世界の成就。
それはきっと、アーチャーの目指した空のある世界ではない。
大和に恭順の意思を示せば、リップの願いは叶うのかもしれない。
だけれど、アーチャーの願いは決して叶わない。
どれだけ弱くて、取るに足らない存在に対しても。
温かな太陽の降り注ぐ世界。
それは大和の思想と相反するものだからだ。
だから、リップは大和の思想を『否定』する。


自分とアーチャーの願いならきっと彼は自分の願いを優先するだろう。
だが、アーチャーと大和の理想の世界ならば、どちらかを優先するかは当に決まっている。

とどのつまり、リップという男はどこまで行っても、そういう男なのだった。


284 : 嘘の世界で貴方と2人 ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:55:21 zZe4cJuQ0
【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
1:取り敢えず指定の場所で皮下を待つ。今度は此方が足元を見る。0時までにベルゼバブに匹敵するサーヴァントをもう一体用意できない様なら同盟は破棄し大和と組む。
2:もし仮に条件をクリアした場合は同盟を維持し大和らと皮下らを潰し合わせる方向へシフトする。(皮下を何処で待つかは後続の書き手にお任せします)
3:敵主従の排除。同盟などは状況を鑑みて判断。
4:地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)の量産について皮下の意見を伺う。
5:ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)は様子見。追撃が激しければ攻勢に出るが、今は他主従との潰し合いによる疲弊を待ちたい。
6:峰津院大和から同盟の申し出を受けました。返答期限は今日の0:00までです
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。

【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:健康
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:…マスター。シュヴィが、守るからね。
1:マスター(リップ)に従う。いざとなったら戦う。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない


285 : ◆l4zufnK/uM :2021/11/11(木) 23:55:34 zZe4cJuQ0
投下終了です


286 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/12(金) 20:46:15 x.33Rj/20
再予約ルールの5日が経過しましたので

ガムテ&ライダー(シャーロット・リンリン)
北条沙都子&アルターエゴ(芦屋道満)
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
NPCで竜宮レナ

再予約させていただきます。土日のうちには投下いたします


287 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/12(金) 23:56:43 8xlpwtG.0
皮下真&ライダー(カイドウ)
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
幽谷霧子&セイバー(黒死牟)
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)
NPCでアイ、ミズキ@夜桜さんちの大作戦 予約します。


288 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/13(土) 00:13:56 mXxFjct20
トリは違いますが◆l4zufnK/uM です。
リップの状態表に時刻と現在地を忘れていたので追記しておきます

【渋谷区・中央付近/一日目・夜】


289 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/13(土) 20:58:38 .M3r82EA0
>>パ・ド・ドゥは独りで踊れ
リンボの禍々しさを存分に表現した戦闘パートが好きすぎる。
にちかの心にトラウマを残してもおかしくないようなおぞましい光景の中で戦うハイペリオンアッシュはとても映えそうです。
リンボに対して鋭い言葉を放ち本質を射止めるアッシュが本編後ならではの的確さで良いですね。
とはいえ式神の状態でもリンボは強い。アッシュの内界に踏み込んで消滅した式神の記憶が本体にどんな考えを抱かせるのか。
場合によっては窮極の(ryよりとんでもない計画を思い付く可能性もあって恐ろしくもあり、楽しみでもあり……。

>>この狭い世界で、ただ小さく
超大作の投下本当にお疲れ様でした……! 長さに見合う面白さが詰まってて凄い。
混沌としか言いようのない大戦闘の余波で新宿は壊滅、南無三。えらいことしてくれた!!(ドラえもん)
カイドウとベルゼバブという当企画最大級の強者同士のぶつかり合いをこちらの期待のハードル遥か上の出来栄えでお出しされて笑顔になれました。
特異点になり得る存在同士がぶつかればこうなるぞというのが何より明確な形で示された形。
この戦闘の影響は今後様々なところで出てきそうですし、本当に特異点だなぁ……。

>>夕景イエスタデイ
は〜〜〜〜〜〜〜!!! 天才書き手か〜〜〜〜〜!?(クソデカ溜め息)
それはさておき、さとちゃんとしょーこちゃんの二人の心情描写をたっぷり読めてとても楽しかったです。
童磨という猛毒との対話で自分の道を見出したしょーこちゃんの答えが眩しくもあり物哀しくもあり。
そして彼女の答えを知ったさとちゃんが自分で仕組んでおきながら動揺してしまう辺りとかとても好きです。ニヤニヤしちゃう。
童磨はさとしょー両方に前へ進むきっかけを与えるしもうこいつ実質サポーターですね。間違いない。

>>嘘の世界で貴方と2人
破壊的で破滅的な新宿事変を終えての主従考察回、登場人物は少ないのにとても読み応えがありました。
大和組と皮下組のどちらかを取るかという岐路について冷静に考えるリップがとてもらしい。
書き手目線から見てもキャラクターの考えをしっかり読んで把握することが出来ありがたいなと思いました。
同盟に取り込まれても単に首輪を繋がれただけでは終わらないハングリーさが実に好きです。
そして最後のシュヴィとの対話がまた最高なんですよ。この組み合わせの良さをたっぷり出してくれて感謝です。


遅れましたが感想になります。
皆さんたくさんの投下をありがとうございました……!


290 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:26:16 OvBs0aZY0
投下します


291 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:27:24 OvBs0aZY0
 その時櫻木真乃はバスに揺られていた。
 沈み始めた夕陽をぼんやり眺めながら想うのは元の世界のことか、仲間であるアイドル達のことか。
 真乃のスマホは未だ沈黙したままだ。
 ひとしきり迷った末連絡を送ったアイからの返信もまだ。そして灯織達からのそれも然りだった。
 もちろん真乃も暇なわけではない。
 連絡は早く貰えるに越したことはなかったが、だからこそ体と心休められるというのも正直なところを言うとあった。
 真乃は予選の間特にマスターらしいことをしてこなかった。
 もとい、しなくても済んだ幸運なマスターであった。
 だからこそ本戦が始まってから今に至るまでの間で、真乃は他のマスター達よりも強く聖杯戦争という戦いの現実を思い知ることになってしまった。
“真乃さん、本当に大丈夫かな……”
 ひかるはそんな真乃のことを霊体化した状態で見つめながら自分の不甲斐なさを噛みしめた。
 自分がもっとちゃんと真乃に聖杯戦争の過酷さや危険さを伝えていれば、本戦が始まってから受けるストレスももっと小さく済んだかもしれない。
 英霊は一部の例外を除き、その生涯で最も輝いていた時期――全盛期の状態から召喚される。
 宇宙に飛び立ち夢を叶えた後の姿ではなく、キュアスターとして戦っていた頃の姿で召喚されているのはそのためだ。
 輝きの強さが優先された結果背負ってしまった未熟さと青さ。
 それがマスターの首を絞めていることをひかるは心の底から申し訳なく思っていた。
“……なんて、私が弱気になってたら一番ダメだよね。サーヴァントの私には真乃さんを守るっていう大事な大事な役割があるんだもん”
 その自分が弱気になっていては勝てるものも勝てない、守れるものも守れない。
 だからひかるは心に涌いた弱さを蹴飛ばして兜の緒を締め直した。
 これまでがダメだったならその分これからを頑張ればいい。
 明るくて優しくてとても素敵なこの人と、幸せな光の中でお別れするために。
“あ…ひかるちゃん。ごめんね、ちょっとぼーっとしちゃってた”
“そんなことで謝らなくていいですよ! 真乃さんもたまには何も考えずに休まないとダメです!”
“……ふふ。じゃあごめんじゃなくてありがとだね。ありがと、ひかるちゃん”
“えへへー”
 思わず笑みが溢れてしまうような微笑ましい会話。
 主従というよりは姉妹のようなそれを念話で交わし合いながら二人はバスに揺られる。
 そんな穏やかな時間が終わるのはほんの一瞬のことだった。
 和やかに真乃との会話を楽しんでいたひかる。
 その発する雰囲気が刹那にして、素人である真乃にも分かるほど明確に張り詰めたのだ。
“……ひかるちゃん?”
“真乃さん”
 脳裏に響く声も同じだった。
 束の間の安息に浸っていた真乃を一瞬で引き戻すに足る緊張。
 生唾を飲み込む真乃に対しひかるは続けた。
“ダメです。此処、早く離れないと”
 ひかるがそこで感じ取った感覚。
 それを一言で言うなら、"破滅"だった。
 彼女は数多の戦いを経て世界を救っている。
 星の名を持つプリキュアとして輝き続け、人々に希望を与え続けた少女。
 その彼女をして戦慄を覚えた。


292 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:28:26 PqEfI7t60
 なに、これ。喉元まで出かけた言葉を己の内に留めておけたのは真乃に少しでも不安を与えまいと配慮した故のこと。
 逆に言えばそれくらいの事情がなければひかるをして忘我の境地に立たされ、茫然としてしまっていただろうほどの事態。
 それがどうやらこの町のどこかで発生している。
 いったい今この町で何が――事が爆発的な進展を見せたのはひかるの頬を一滴の汗が伝い落ちたちょうどその瞬間だった。
「…! ごめんなさい真乃さん! ちょっとだけ――」
「っ…!? ひかるちゃんっ……!!」
 サーヴァントの鋭敏な感覚がこの車両に乗り合わせた誰よりも早く"それ"の到来を察知した。
 逡巡している時間はないとプリキュアとして戦ってきた経験から直感的に判断。
 ひかるは霊体化を解くなり、驚愕する乗客と自分のマスターを置いてけぼりにして手近な窓から外へと飛び出した。
 変身は常時維持している。手抜かりなくひかるは押し寄せる"それ"と対面。

 "それ"の正体は衝撃波だった。
 何かとてつもなく巨大な物体同士が衝突した余波のようでもあり。
 また無形の界そのものが断裂した結果生じた空間震のようでもあり。
 しかしそのどちらであれ、触れた人間を刹那以下の時間でグシャグシャの圧殺体に変えるだろう明確な災禍。
 このまま行けばバスはそれと衝突し木っ端微塵に砕け散る。
 そうなってしまったとしても真乃一人だけなら守れるかもしれない。
 しかし他の乗客は例外なく死ぬ。恐らく即死する。
 実の親が見ても判別の付かないような肉の塊以下の何かに成り果てる。
 たとえ自分が助かるとしてもその顛末を真乃は良しとしないだろうし、ひかるもそれは同じだった。
 だから……
「――ちょっとだけ、無茶します!!」
 そうなってしまう前に何とかする。
 理屈を無茶で殴り飛ばすのはプリキュアのお家芸だ。
 硬く握り締めた拳をただ前へ。
 目には見えない、しかし此処まで近付けば常人にも分かるほど致命的な轟音と風圧を伴っている世界の落涙めいた災害へ向けて。
 地を這う流星という矛盾を、顕現させる!
「プリキュア――スター、パァァァァアァアアアンチッ!!」
 星のエネルギーそのものが眩く弾けて。
 世界を白く塗り潰して、そして……。


293 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:29:45 rHA9SEK.0
    ◆ ◆ ◆

 結論から言うとひかるは本懐を遂げることが出来た。
 彼女の勇気は真乃とバスの乗客十数名の命を救い、怪我一つ負わせることはなかった。
 激突の衝撃で道路が抉れてしまい走行を続けるのは不可能になってしまったが、全員の生存を確保できただけで十分過ぎるお手柄だろう。
 ひかると真乃で協力して乗客を外に出し、けが人がいないのを確認した上で彼らを逃した。
 なるべく団体で行動することと、とにかく遠くまで逃げることを言い含めた上でだ。
 本当なら危機に対処する力のあるひかる達が引率してやるのがベターだったのだろうが、そうも行かない事情がある。
 星奈ひかるとそのマスター、櫻木真乃は聖杯戦争の参加者……恐らく新宿を襲った大異変を引き起こした元凶達と同じ身分の存在なのだ。
 そんな人間と一緒に行動していては却って狙われ、彼らを危険に晒してしまいかねない。
 だからひかると真乃は心配な気持ちを抑えて、避難する乗客達の背中を見送ることにした。
 ……また。二人がそうして慈善活動に当たっている間にも新宿の異変は更なる拡大を見せていた。

 ひかるは見事ヒーローとしての務めを果たした。
 だが身も蓋もないことを言えば、彼女達のいた座標が"そうすることが許される"程度の場所であったからだ。
 真乃とひかるはこの新宿を襲う大異変の爆心地から比較的遠い位置にいたのだ。
 だからあの程度で済んだ。マスターだけでなく無関係な乗客まで助けるという慈善行為が許された。
 遠くから聞こえてきては鼓膜を打つ轟音と破壊音がそのことをこの世の何より雄弁に物語っていた。
「なにが、起こってるの……?」
「たぶんサーヴァント同士の戦いだと思います。それもとびっきり強い人達の」
 真乃が思い出したのは学校の授業で見た戦争の教材ビデオだった。
 爆音が響き町は燃え、人々は為す術もなく逃げ惑うしかない。
 そんな繰り返してはならない負の歴史と重なって見えてしまうようなこの世の地獄が自分達のいる町を舞台に起きている。
 もしもひかるがいなければ、恐怖と動揺でパニックを起こしてしまったとしても不思議ではなかっただろう。
「そして……絶対に許しちゃいけないような人達の」
 異様な色をした空から地上に向かって伸びる何百本という雷。
 先刻自分が退けたような衝撃波が町の至るところに飛来しているのだろう、重い轟音が絶え間なく反響している。
 そんな天変地異めいた光景を遠巻きに見つめるだけで済んだのは間違いなく幸運だったと言える。
 それは何も直接の危険に晒される恐れが少ないからというだけではない。
 ひかるはサーヴァントだ。
 どれだけ見目が歳幼くとも、サーヴァントなのだ。
 彼女は直接それを目にしたわけではなかったが……それでも分かった。
“今ので…一体どれだけの人が犠牲になったの……?”
 自分が異変を感知してから今に至るまでのわずかな時間。
 その中で、気の遠くなるほどの人命が失われたのだと。
 一度壊れれば二度と戻ることのない誰かの命がゴミのように踏み潰されてしまったのだと。
「……なんでこんなことが出来るんですか」
 心の中に留めておけず口をついて出た言葉。
 そこには少女らしく直球な、何一つ飾り立てることのない本気の怒りが滲んでいた。
「この世界は確かにいつか消えてしまうかもしれない。
 誰かの願いごとが叶ったらそれで終わりの一瞬の夢みたいなものかもしれない!
 でも…それでも! この世界の人達もみんな、一生懸命生きてるのに……っ!」
「ひかるちゃん……」
 漏れ出た感情に真乃は何も言えなかった。
 ただ彼女の心を落ち着かせるために手を握るので精一杯だった。
 手を握られたひかるはハッとしたような顔になり申し訳なそうに目を細める。
 マスターそっちのけで熱くなってしまったことに気付いたらしかった。


294 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:30:50 HkEap86Y0
「…すみません。ちょっと熱くなってしまって……」
「ううん…ひかるちゃんのその気持ちはきっと、すごく正しいものだと思う」
 ひかるのように感覚で感じ取っていたわけではないが真乃も馬鹿ではない。
 聖杯戦争絡みの事案でこれだけの規模の天変地異が起きているとなれば、その中心がどうなっているのかには想像がついた。
 真乃の場合、ひかるのように怒りを抱くのではなく……むしろ哀しみの方が強かった。
 どうしてそんなことをするのか。どうしてそんなことをしてしまったのか。
 怒り糾弾するのではなくただ哀しみにその若い心を染める。
 だって櫻木真乃は、兎にも角にも優しいアイドルだから。
「ひかるちゃん。助けようよ、この町の人達のこと」
「……真乃さん。でも――」
「ひかるちゃんは、そうしたいんだよね?」
「……っ!」
 星奈ひかるは英霊だ。
 だがそうである以前に、プリキュアなのである。
 だからこそこの惨状を前にそう思ってしまうのは当然で。
 そのことを誰より分かっているからこそ真乃もこんな言葉が吐けた。
 こくりと頷くひかる。
 その頭を優しく撫でながら真乃は笑う。
 心の中の不安を押し殺して、それでも笑えるからこそ彼女はアイドルなのだ。
「じゃあそうしよ? 私も手伝うよ。ひかるちゃんには今までたくさん助けられてきたから……そのくらいはさせて?」
「…! はい、真乃さん……! よろしくお願いします……!!」
 まるで天が彼女達の善性と優しさを見ていたかのように、この会話から程なくして新宿の戦乱は一旦の幕引きを迎える。
 されど少女達の足は止まらなかった。
 少しでも多くの命を助けるためにアイドルとプリキュアは奔走する。
 その先に待ち受ける再会(であい)の運命など露ほども知らないままに。

    ◆ ◆ ◆

 新宿の町を揺るがす轟音と震動はもう止んでいる。
 それが戦いの終了を意味していることは分かっても彼らの傍迷惑な戦乱の正確な幕切れの形。
 即ち、片方が令呪を使うことによる痛み分けという顛末までは分からない。
 この事態を引き起こした下手人であるサーヴァントは二騎ともまだ生きているというその絶望的な事実。
 それを知らないまま、ひかると真乃は生存者の誘導と負傷者の救助を行うべく歩みを進めていた。
 遠くからはヘリコプターの飛ぶ音が聞こえている。
 爆心地の方には自衛隊や消防隊がもう向かい始めているらしい。
 そこに自分達が向かっても仕方ないし却って邪魔になるだけだ。
 あくまで自分達の近くで目に入った人達を助けていく。その目的で合意した二人。
 彼女達が最初に見かけたのは、十人に届くかどうかという人数の小さな人だかりだった。
「ひかるちゃん、あれ」
「怪我をしてる方がいるみたいですね。行ってみましょう!」
 どうやら地面に蹲っている誰かを介抱しているらしい。
 怪我の程度にもよるが、場合によっては救助を待つよりサーヴァントの脚力で運んだ方が早い可能性もある。
 見つけるなり駆け寄っていく二人だったが、しかし真乃は途中で何かに気が付いたように足を止めていた。


295 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:31:43 HkEap86Y0
 それに気付かずひかるが駆け寄り話を聞く。
「どうしました? 怪我をされた方がいるんですか!?」
「怪我っていうか…病気、なのかなぁ。とにかく様子がおかしいんだ!
 さっきから何を聞いても痛いとか寒いとか、そういうことしか言ってくれなくて……」
「それは大変ですね…! よかったら私達が運ぶので――って、あれ」
 そこまで話を聞いたところでひかるはようやく真乃がついてきていないことに思い至る。
「真乃さん? どうかしましたか?」
 振り向いて名前を呼ぶも返事はなかった。
 ただその表情はとても真剣で……いや深刻で。
 信じられないようなものを見るような目で人だかりの中心、蹲る二人を見ていた。
 やがてようやく思考が体に追いついたのか彼女は声を絞り出す。
「灯織ちゃん…めぐるちゃん……!?」
 聞いているだけで心が痛くなるような悲痛な声だった。
 止めていた足を動かして駆け寄る。
 風野灯織、そして八宮めぐる。
 真乃が所属するユニット、イルミネーションスターズのメンバー達だ。
 ひかるも彼女達のことは知っているし見たこともある。
 なのに灯織とめぐるだと気付けなかったのには理由があった。
「ダメです、真乃さん!」
「っ…! ひかるちゃん、なんで!」
「お二人の体から魔力を感じるんです! それに見てください。二人とも様子がおかしいです」
 二人の姿が、以前に見た時のそれとはかけ離れていると言っていいほど変わり果てていたからだ。
 肌の色はまるで血が通っていないみたいに青白く、自分で噛んだのか唇がボロボロになっている。
 そして極めつけはその体だった。
 一部がまるで凍りついたように霜で覆われ、それが緩慢だが着々と肉体の侵食を続けている。
「でも…! それなら尚更早く助けないと……!」
「…落ち着いて聞いてください、真乃さん」
 以前会った時、この二人は確かに魔力を持たない一般人(NPC)だった。
 なのに今は微弱だが魔力を感じる。
 その理由が彼女達を襲っている体の異変とイコールで結ばれるものであろうことには容易に察しがついた。
「お二人は恐らく他の参加者に何かされています。それが何か分かるまでは不用意に触れ合うのは危険なんです!」
「そんな……っ」
「分かってください…真乃さん。お二人が心配なのは分かります。でもそれで真乃さんの身に何かあったら元も子もないんです」
「ひかるちゃん……」
 今の彼女達に真乃を接触させるのは危険すぎる。
 そう判断して真乃を止めたひかるの判断は正しかった。
 そんな彼女の背後で、最後に会った時と比べあまりにも酷く変わり果てた少女達が口を開く。
 常に苦悶の喘鳴を漏らし続けている二人だが知覚能力はまだ残っているらしい。
 もしくは真乃が抱く思いと同じくらい、この二人も真乃のことを大切に思っていることの証なのか。


296 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:33:13 IlNApy4E0
「…真、乃……?」
「真乃…? 真乃、なの? 霞んでうまく、見えないけど……そこに、いるの………?」
 その声を聞いて思わず駆け寄りそうになる真乃。
 それを自制するのが彼女にとってどれほど辛いことだろうか。
 ひかるは胸を痛めながらも、でも何も言えない。
 今はただ話させてあげることくらいしか出来ない。
「いるよ…私はここにいるよ! 二人ともどうしたの……何が、あったの……!?」
「よ、かった…無事、だったんだ……」
 安堵からだろう。灯織が噛み締めてボロボロの唇で笑みの形を作る。
 こんな状態になっても他人のために心を動かせる。
 まさに輝く星のように眩しい善性がそこにはあった。
「真乃…わたしたち、頑張ったよ……。これからも、もっと…もっと頑張るから……」
「めぐるちゃん…! 教えて、何があったの……!? 誰が――っ、二人をそんなにしたの……!」
 真乃は痛ましく声を張り上げて問いかける。
 しかしそれに返ってきた言葉は回答ではなかった。
「っ…寒い……寒い、寒い……!」
「あ、ぁああぁああっ…! 寒いっ、痛い……く、るし……ぃ…っ」
「灯織ちゃん! めぐるちゃん! ――ひかるちゃん……!」
 灯織は右半身のほとんどを例の霜に侵食されている。
 だがめぐるはもっと酷い。顔こそ半分の侵食で済んでいるが、首から下は八割方侵食が終わってしまっている。
 苦痛に喘ぐ二人の名前を呼んでから真乃は縋るような顔でひかるを見る。
 惨すぎる再会を沈痛な面持ちで見守るしかなかったひかるだが、彼女も当然灯織達を見捨てるつもりなどなかった。
「危険ですけど真乃さんの大事な人達をこのまま見捨てるなんて出来ません。
 わたしが二人を隣の区の病院まで連れていきます。ただ、真乃さんを一人残すことに」
「それでもいいよ! 私は大丈夫だから……今は灯織ちゃん達を!」
「分かりました! なるべく急ぎますが、真乃さんはできるだけ安全そうなところに隠れていてください!」 
 医療機関で二人をどうにか出来るかは分からないが何もしないよりは遥かにマシな筈だ。
 そもそもこの新宿は今町そのものが危険すぎる。
 此処に置いておくだけで彼女達にとってのリスクになるだろう。
「うん…! 二人をお願いします、ひかるちゃん!」
「任されました! わたしにお二人を助けることは出来ませんけど…せめて安全なところまでは送り届けてみせますから!」
 そう言ってひかるは二人に一歩近付く。
 彼女達は苦痛で歪んだ顔で真乃を見た。
 がたがたと絶えず震える体。
 駆け寄って抱きしめ温めたくなるがそれは許されない。
「…大丈夫だよ、二人とも。怖がらないで。その子はとっても優しい子だから」
 張り裂けそうな胸、今にも溢れ出しそうな涙。
 その両方を堪えながら真乃は精一杯いつも通りの声を出す。
 星奈ひかるはとても優しいいい子だ。
 ひかるがいなければ真乃はきっと此処まで生き抜いてこられなかった。
 真乃の元に来てくれたのがひかるのような思いやりのある優しい子でなければ、真乃は。
 界聖杯という異世界で生きなければならない孤独と不安で潰されてしまっていただろう。
「わたしの…自慢の、サーヴァントなの。妹みたいにかわいいいい子なんだよ。二人が元気になったら必ず紹介するから、だから……」


297 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:34:11 rHMLt0fY0
「さー、ゔぁんと……」
 その感謝も込めてなけなしの笑顔で言った。
 だから、きっと元気になってね。
 此処でお別れなんて絶対に嫌だからね。
 そう続けようとした真乃。
 しかしそれが彼女の口から発せられることは、なかった。
「さー、ゔぁんと」
 苦痛と疲弊で歪んだ二人の目。
 それが、少しずつ見開かれていく。
 寒さにがちがち鳴らすばかりだった歯がぎりりと噛み締められる。
 アイドルは歯が命。
 白くて綺麗に並んだ、彼女達の美しさと可憐さを示す美点だった筈の歯。
 でも今この瞬間の彼女達に限って言うなら……
「に、げて……真乃!」
「さー、ゔぁんと…サーヴァント、ぉおおおおっ……!!」
 自分達の縄張り。
 大切な巣に近付いた外敵に憤って噛み鳴らす、獣(けだもの)のそれによく似ていた。

    ◆ ◆ ◆

 そこは地獄だった。
 風野灯織と八宮めぐるの全てを壊すに足る時間がそこにはあった。
 体の内側を余すところなく駆け巡る激痛。
 細胞の一つ一つが鋭利な棘を生やして暴れ回っているとしか思えない疼き。
 胃の内容物を全部吐き出したのなんて最初の数分だ。
 以降は喉が裂けて血反吐が出てくるばかりになった。
 こんな喉じゃもうアイドル出来ないかも。
 そんなことを考える余裕すら灯織達には許されなかった。
 彼女達に考えられたのはただ一つ、ただ一人。
 かけがえのない大切な友人であり仲間である櫻木真乃のことだけ。
 真乃は無事だろうか。
 皮下はちゃんと約束を守ってくれるだろうか。
 発狂しそうな苦痛の生き地獄を漂いながら、最後に残った希望とばかりに二人は友を想うことに縋っていた。
 そんな彼女達の耳にやかましく響き渡るのは怪物のような巨漢の笑い声。
『ムハハハハハ! 使い捨てだから問題はねえがこりゃ酷ェ! 日付が変わる前に百パー死ぬなァ!』
 彼の言う通り、灯織とめぐるの二人に施されている人体改造はあらゆる意味で"酷い"ものだった。
 適合率や拒絶反応の大小を度外視した葉桜の大量投与。
 こんなやり方では虹花の影も踏めないだろうが、皮下もそれを分かった上でこの方針を選択しているから始末が悪い。
 むしろ強くなられたら困るのだ。生き残られたら困るのだ。
 皮下が二人に求めているのは人間ならいくらでも殺せるが超人には決して勝てない程度の戦闘能力。
 そして用が済んだら勝手に壊れてくれるような極めて短い活動限界。
 後は何も求めない。強いて言うなら彼女達が友達のために阿鼻叫喚の激痛地獄を耐え抜いてくれることくらいだ。
『ハッピーなニュースだモルモット共! あと一時間もしたら友達のところに帰してやるよ!
 精々頑張って悪いサーヴァントから大好きな真乃ちゃんを守ってやるんだなァ! ムハハハハハハハハ!』


298 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:35:20 qbAgH2ik0
 発狂していないのが不思議なほどの激痛なのだ。
 それに加えて葉桜の過剰投与による悪影響も全身のあらゆる器官に生じている。
 その結果灯織とめぐるの思考能力は極めて鈍麻していた。
 それでも。友達を守るために行動しなけなしの可能性を得た二人の耳に、クイーンのその言葉は深く刻まれた。
“サーヴァント…悪い、もの……”
“真乃を、守らなきゃ…優しい、真乃……わたし達の、大事な………”
 悪いサーヴァントから真乃を守る。
 真乃に自分達のような思いをさせないために。

 実験体に堕ちた二人のアイドルの脳に刻み込まれた強い思い。
 この後灯織達はクイーンの気まぐれで疫災弾を撃ち込まれ"氷鬼"のキャリアーと化した。
 しかしそれからすぐにクイーンはおろか皮下ですら予想外の事態が起こった。
 二体の怪物の激突は空間を崩壊させ、二人はその崩壊に巻き込まれる形で現世に弾き飛ばされた。
 そして二人は崩壊した新宿に放り出され……調整が完了する前に放り出されたことで本来の役目を果たせずにただ苦しみもがいていた。
 サーヴァントという言葉さえ聞かなかったなら灯織達はひかるによって病院に運ばれるか。
 もしくは真乃を守るためにそれを拒むかして、いずれにしても程なく死んでいただろう。
 
 サーヴァントという言葉さえ聞かなかったなら。

    ◆ ◆ ◆

「え……っ!?」
 灯織が憎悪の形相を浮かべてひかるに飛びかかった。
 首を握り締められることそれ自体はサーヴァントである彼女にとっては大した痛手ではない。
 だがその力は逆に言えば、サーヴァントが相手でさえなければ一息に首の骨を粉砕出来るほどの怪力だった。
“この力…おかしい! 人間のそれじゃない! 灯織さん達、何をされたの……?!”
 ひかるでさえ驚いたのだ。
 普段の彼女達を知る真乃の驚きはそれよりもっと大きい。
「ひ…灯織ちゃん!? その子は危ない人じゃないよ!?」
「真乃…真乃、っ……!」
 病人を無碍に扱うわけにはいかない。
 首を掴まれたまま逡巡していたひかるだがその脇を抜ける形でめぐるが真乃に近付くとなると話は変わる。
 二人の異常を認識した瞬間から既に危険視していたことだが、今それは確信に変わっていた。
 今の灯織さんとめぐるさんを、真乃さんに触らせるわけにはいかない。
「ごめんなさい……!」
「あ、ぐぅっ……!」
 サーヴァントの膂力で灯織を跳ね除けてめぐるの腕を掴み地面に引き倒した。
 ひかるにしてみればそれは当然真乃を守るためのやむなき行為であったし、事実その認識で間違いはない。
 しかし今のひかるの行動は二人に大きな焦りを与えた。
「なんで…なんで、っ」
「あんなに…あんなに、がんばったのに……!」
 あれだけ苦しい思いをした。
 クイーンは言っていた、悪いサーヴァントから真乃を守れと。
 自分達を地獄に突き落とした張本人の言葉を信じる意味がどの程度あるのかという思考にすら今の二人は至れない。
 ただ盲目的に自分達の無力に焦燥を募らせる。
 あんなに頑張ったのに、このままじゃ真乃を守れない……! ――と。
 しかしそこに言葉を挟み込む余地はない。
 そんな救いの余地が彼女達に残されていたのなら、どれほど優しい物語だったろうか。


299 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:36:29 cP2wnqhQ0
「「あぁぁああぁあぁああああっ!!」」
 真乃やひかるが何か言うのも待たずに二人はひかるへ憎悪を剥き出しにして突撃する。
 ひかるは彼女達をこんな風にした人間に対して怒りを覚えながら歯噛みした。
“こうなったら、もう……!”
 このままじゃ病院には運べない。
 気絶させてでも無力化しなければ周りの人達にも危険が及ぶ。
 いや、そもそもこんな力で暴れられる人間を病院に任せていいのか。
 問題は山積みだったがとにかく二人を無力化しないことには始まらない。
 なるべくダメージを残さないように意識を落とす。
 次に起こす行動をひかるが決めたその時だった。
 ひかるの目に、最悪の光景が飛び込んできたのは。
「おい…おい、お前! 大丈夫か、おいっ!」
「ぅあぁぁああぁっ! 寒い…寒いぃいい!」
「どうしちまったんだよ…、……!? お前……その手、あの娘達と同じじゃ……!?」
 急に悲鳴をあげて座り込んだ老婦人。
 助けようと駆け寄ったその夫らしき老爺が慄く。
 彼女の右手には灯織達に出ているのと同じ霜が出ていて。
 そして助け起こすために婦人へ触れたのだろう彼の手にもその霜が伝染る瞬間を、ひかるは確かに見た。
“まさか……!”
 灯織とめぐるは別に暴れていたわけじゃない。
 サーヴァントという言葉を聞くまで、彼女達は哀れな病人に過ぎなかった。
 年若い娘が二人揃って異常な状態で苦しみ蹲っているのだ、良心ある人間なら介抱しようともしただろう。
 手で直接触れて体温を測るようなことをしたとしても不思議ではない。
 そして今ひかるの視界の中で……霜の出た人間に触れた者の体が新たに霜で侵された。
「――逃げてください! 真乃さん! 皆さんも!」
 理解した瞬間すぐに叫んだ。
 なんて悪趣味。なんて非道い。
 ひかるは戦慄する。
 要するにこれは伝染病(ウイルス)なのだ。
 触れば霜が伝染る。霜は感染者の体を徐々に覆っていきその過程で耐え難い悪寒が襲う。
 灯織達に限った話ではない。
 もしも感染者となった人間が助けを求めて誰かの体に触れたなら。
 助けを求めるその手は――悪夢を拡散させる凶器に変貌してしまう。
「ひかるちゃん……でも、二人が!」
「わたしが……わたしが必ずどうにかします! だから、今は!」
「…………」
「信じてください……真乃さん!」
「………………、……わかった! 二人を…灯織ちゃんとめぐるちゃんを、お願い……!!」


 意を決して走り出した真乃の方は振り返れない。
 一瞬でも隙を見せればそれが最悪な事態を生むかもしれない。
 目の前には怒り狂った、正気とは思えないほどに変わり果てた灯織とめぐる。
 彼女達だけではない。その後ろで新たに感染した老爺が逃げる若者の背中に触れた。
 若者が悲鳴をあげれば腕に霜が新たに這い、彼がまた寒い寒いと苦しみ始める。
 早く止めなければ最悪なことになると誰の目にも分かった。


300 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:37:34 QALIHznE0
「お願いします…お願いだから、今は眠ってください!」
 だからひかるは灯織達の腕を振りほどくと、彼女達の頭部に意識を落とすための打撃を加えた。
 ぁっ――。そんな声をあげて二人が崩れ落ちる。
 それをいいことに踏み出そうとした足がしかし他でもない、今気絶させた筈の灯織によって掴まれた。
“嘘…今ので気絶しないの……!?”
 星奈ひかるはサーヴァントである。
 その力で気絶させるつもりで叩いた。
 なのに気絶していない。脳震盪の影響を受けている様子もない。
 灯織さん達は何をされたのか。
 一体何をすれば人間がこんな風になれるのか……一体何を考えていたら人間をこんな風に出来るのか。
「行かせ、ない……! サーヴァント、っ……!」
「話を…話を聞いてください! わたしは確かにサーヴァントですけど……真乃さんを守りたい気持ちはお二人と、」
「嘘を……つく、な……ぁっ!!」
 どれだけ彼女達が頑張ってもひかるには傷をつけられない。
 身を侵す業病……"氷鬼"の影響でその体は確かに魔力を帯びているがあくまで微量だ。
 その程度ではサーヴァントをどうこうするなど夢のまた夢。
 しかしこうして彼女達が食い下がることは、二人の狙いとは別の形でひかるを焦らせていた。
“灯織さん達から感染した人を早く回収しないと…! このまま広がったら大変なことになっちゃう……!”
 二人に構っていればその間にも感染者がどんどん散ってしまう。
 けれど二人を見捨てることは出来ないし、その結果彼女達が真乃を追ってしまえば本末転倒だ。
 その場合でも感染者が増える可能性は非常に高いのだからリスクを背負う意味がない。
「…ちょっと、手荒にします!」
 握った拳に、人間相手に向けるには強すぎる力を込める。
 少なくとも日中にグラス・チルドレンの構成員を殺めた時のそれよりは格段に強い力が宿ったその拳。
 それで灯織の腹を殴れば、彼女の体は紙切れのように宙を舞った。
「ひ…おり……!!」
 こんなになってもまだ友人を思う心は健在なことが何より痛ましい。
 灯織を痛め付けられた怒りを胸にめぐるが襲う。
 その凶手には作法も何もなく、ただ力だけしかない。
 そしてその力もくどいようだがサーヴァントには通じない。
 ひかるが軽々とめぐるの文字通り決死を受け止める。
 めぐるはそれを押し潰さんと力を込めた――恐らく八宮めぐるという少女の過ごしてきた人生の中で一番の力を。
 それが、いけなかったのだろう。
 ただでさえ葉桜で崩壊寸前の臨界状態にある肉体なのだ。
 元々使い捨て前提の失敗作として作られていた人間兵器。
 そこに更に予定外の調整中断が重なった結果そのもの。
 そんな体で、人間の限界を遥か彼方に置き去るほどの力を出そうとすれば……当然。
「……あ……?」
 こうなる。
「あ、が――ぃ、ぎ……! は、ぁ……あ、あぁぁぁあああ゛あ゛あ゛………ッ!?」


301 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:38:37 WeB/sYlM0
「めぐるさんっ!!」
 一言、それは崩壊だった。
 力を込めていた右腕がひび割れるように張り裂けた。
 噴き出す鮮血がキュアスターのきらびやかな衣装を汚す。
 そして間髪入れず、めぐるはその口からごぼごぼと大量の血液を吐き出した。
 バケツ一杯分は優にあるだろうそれが致死量であることは医学に造詣のないひかるが見ても明らかだった。
「ぉ゛……あ゛、ぁああぁあ……?」
「動かないで! 横になってください、すぐ病院に……!」
「さ、ぁ……ゔぁ、んと、ぉ……!」
 右腕が張り裂けて触腕のようになり。
 内臓は限界を迎えて自壊し絶えず口から血が溢れる。
 霞んでろくに見えない目すらひび割れて。
 それでも八宮めぐるは友人のため、目の前の"サーヴァント"をどうにかしてやろうと奮戦していた。
 もうあと一分も保たずに死ぬだろう体で、それでも必死に。
“……なにこれ?”
 なんでこんなことになっているのだろう。
 ひかるはこうなる前の八宮めぐるを知っていた。
 あの時の彼女はとても可愛くて明るくて素敵で。
 真乃さんはこんな人達と一緒にステージに立っているんだと高揚したのを覚えている。
 よく覚えているからこそ、目の前の惨すぎる姿が現実のそれだと思えなかった。
“なんで、めぐるさんや灯織さんがこんな目に遭わなきゃいけなかったの?”
 この世界は泡沫のそれだ。
 でも、この世界に住む人達だって生きている。
 皆にそれぞれの人生があって心があって大切な人がいる。
 本戦まで勝ち残ったマスターもサーヴァントも、そんなことは当然分かっている筈だろう。
“なんで、こんなことが出来るの?”
 なのにどうしてそれを踏み台に出来るのか。
 人生も心も誰かを思う気持ちも踏み躙ってこんな風に壊せてしまうのか。
 ひかるには理解出来なかった。
 そして、理解したいとも思えなかった。
 それはもしかすると。
 時には敵にも思いやりの心を抱き言葉をかけてきたキュアスターが初めて示した、"通じ合うこと"の拒絶だったのかもしれず。
“ごめんね、真乃さん。わたしにはもう……”
 プリキュア。無限の可能性を秘める星宙の乙女。
 その輝きが翳ることの意味も重さも今のひかるには考えられなかった。
 目の前の現実があまりにも痛すぎて悲しすぎて。
 気付けばひかるはその両手を伸ばしていた。
「こうしてあげることしか、出来ないや」
 八宮めぐるの首を掴む。
 そのまま力を込めた。
 全身を血塗れにして、その状態でもまだ霜に侵され続けて。
 最後まで一片の救いを得ることもなくめぐるのひび割れた両目はひかるのことを睨んでいた。

 ぱきり。
 何かの砕ける音がして。
 ひとつ。もしかしたらふたつ。
 この世から、星が消えた。


302 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:39:57 8l1TeJ9M0

 

 逃げろと言われた真乃は路地裏に一人屈んでいた。
 心を満たすのは不安。ただただ、不安。
 見る影もなく変わり果てた大事な仲間。
 サーヴァントという言葉を聞いた瞬間に豹変して、ひかるに任せるしかなくなってしまった二人。
 二人は無事だろうか。
 ……病院に行けば助かるだろうか。治るだろうか。
 そう考えながらどれだけ待っただろう。
 恐らく時間としては数分くらいだったと思われる。
 だが真乃の体感では永遠に匹敵するほど長い時間だった。
 その果て、不意に念話が真乃の思考へ割り込む。
“真乃さん。大丈夫ですか”
“…! ひかるちゃんの方こそ……大丈夫だった!?”
“わたしは大丈夫です。こっちはもうちょっとかかりそうなので、真乃さんは新宿を出てとにかく安全なところまで逃げてください”
“う…うん、分かった。ひかるちゃんも無理しないでね?”
 大丈夫だとひかるは言った。
 しかし真乃は内心とても心配だった。
 念話で伝わってくるひかるの声が、今まで聞いたことがないくらい平坦だったからだ。
 まるで何かいろいろなものを押し殺して喋っているみたいに。
“ひかるちゃん……その”
 ひかるを置いて新宿を出るのは正直気が乗らなかった。
 だが真乃にも道理は分かる。
 またいつ地獄になるか分からないこの町を自分のような人間が、サーヴァントと離れた状態で彷徨くのはあまりにも危険だ。
 だからそこで食い下がるつもりはない。
 つもりはないが……一つだけ聞いておかねばならないことがあった。
“灯織ちゃん達、大丈夫だった?”
“……”
 真乃が聞きたかったのはひかるの明るい声。
 いや、明るくなくてもよかった。
 ただ一言"なんとかなった"と言ってくれればよかったのだ。
 なのにひかるは押し黙った。
 何を言うか悩むように沈黙していて、思わず真乃は急かしてしまう。
“ひ、ひかるちゃん…? やだな、やめてよ……急に黙らないで。
 二人のことはなんとかなったんだよね。あ、もちろんすぐ病院に運ばないといけないだろうけど……。
 でも、とりあえず助けられたんだよね? だから私にこうして――”
“真乃さん”
 そんな真乃にひかるはただ一言だけ言った。
 何があったのか。
 何がどうなってしまったのか。
 それは真乃の知りたいことを一言で理解させる言葉だった。
“ごめんなさい”


303 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:40:58 DYytRbkg0


“わたしはまだやることがあります”
 返事はない。
 念話の向こうからは何も返ってこない。
 でもひかるには真乃を気遣う言葉なんて吐けなかった。
 どの口でそんなことを言えばいいのか分からなかったから。
“ちゃんと終わらせたら真乃さんのところに帰ります。その時、ちゃんと……”
 全部話しますから。
 そう言い残してひかるは歩き出した。
 その瞳に星のような輝きはなくただただ虚ろ。
 体は血で汚れており、その中には"彼女達"が吐き出した内臓の欠片のようなものすらもが付着していた。
 ひかるが路地の片隅に寄せて安置した二人は寄り添うようにして眠っている。
 張り裂けた体と全身を覆った霜。
 惨死体と呼んでいい状態にあってもなお二人は仲間で、友達だった。
 友達のまま死んでいた。
 星奈ひかるがその手で殺した。
 全身を崩壊させながら怒りと怨嗟を吐く彼女達の頚椎をへし折った。
 このことでひかるを責めることは出来ない。
 大前提として八宮めぐるはああなった時点で百パーセント数分足らずで死んでいた。
 ひかるが手を下さなければ二人はいたずらに苦痛が長引き、生き地獄のままで死んでいった筈だ。
 ひかるがやったのは言うなれば介錯。
 放っておけば人生の最後まで筆舌に尽くし難い生き地獄の進行を味わうだけになった二人に安息をあげた、それだけのこと。
 しかしひかるは逃げられない。そして逃げるつもりもない。
 一度目の罪ならば前向きになれた。償って背負って生きていく、責任を果たすと決められた。
 二度目も三度目もひかるが悪いわけではない。殺すしかなかった、そういう命だった。
 だが。ひかるに安易な自己弁護を許さない、末期の声が今も彼女の鼓膜に貼り付いて離れずいる。

『よく、も…よくも、めぐるを……!』
 八宮めぐるを終わらせた瞬間に風野灯織が起き上がった。
 葉桜による異常強化と、後は彼女自身の執念の賜物か。
 定かではなかったが憤怒の形相で襲いかかった灯織の体はめぐると同じように崩れていた。
 ひかるのやることは一つだ。
 灯織の攻撃を受け止めて、そのまま努めて優しく地面に寝かせて首を押さえた。
『許さない…許さない、絶対……!』
 ごめんなさい。ごめんなさい。
 でも、こうするしかないんです。
 こうしないと誰も救われない。
 あなたたちが。あの人の大好きなあなたたちが誰かの幸せを壊してしまう。
 だから止めなくちゃいけないんです。
 あなたたちがあなたたちである内に。
 全部忘れてしまうほど苦しんで、痛がって、悶えながら死んでしまう前に。
 こうしなきゃいけないんです。
 分かってなんて言いません。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
『こ、の……人、殺……し…………!』
 星奈ひかるはそうして風野灯織を殺した。
 人殺しと呼ばれたのは言わずもがな生まれて初めてだった。


304 : 星々の葬列 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:42:54 /ftb3hU60


 ああ、空に星が見える。
 日が沈んでいるからだろう。
 星の残骸を背後にしながらひかるは空を見た。
 まだだ。まだ止まれない。
 幸いにしてこの期に及んで新宿に留まっている人間はそう多くないだろう。
 だから今追いかけて対処すれば氷鬼の拡大はきっと食い止められる。
 早く捕まえてこれ以上の感染を防がなければ。
 そこまで考えて、ひかるの中の冷静な部分が問うた。
“捕まえて。それでどうするの?”
 星奈ひかるには宇宙への夢を叶えた記憶と、そこまで努力した記憶が当然備わっている。
 その中には医学に纏わるものもあるが本職の医師には数段劣るし、そもそも真っ当な医術では氷鬼は治せない。
 病院に運んだってどうにもならないだろう。
 ただいたずらに被害を拡大させてしまうだけだ。
 そしてひかるは知らないことだが、人間だけでなくサーヴァントの手を頼ったとしても氷鬼のキャリアー達を救える可能性は極小だった。
 知略長け万事に通ずる二人の犯罪卿でも異界の科学から成る業病は専門外だ。
 医術の道を志す少女はまだまだ途上で、夢破れた男は今や切り傷一つ治せない。
 そのサーヴァント、機人の少女ならば即座に解析して治せるだろうが彼女は氷鬼を製造した男の所属する陣営にいる。
 全ての器の中で最も優れた万能者の彼でも可能かもしれないがその首を縦に振らせることがまず不可能だ。
 鬼の始祖は無能の手駒を増やす気がなく、そもそも彼を頼った先に待つのは罪に応じた地獄である。
「それでも」
 ――それでも。
 ――この足は止められない。
「これはわたしにしか出来ないことだから」
 キュアスター。星のプリキュア。
 その身と輝きを血で汚して、拭えない罪で自分を縛り付けて。
 氷鬼の拡大を此処で食い止めるのだとそう決めて少女は走る。
 救えない業病を宿した衆生をどう救うのか。
 答えはまだ選ぶことなく、しかし彼女の記憶にその答えはもうピースとして収まっていて。
 一つまた一つ増えていく夜空の星々に見守られながら。
 地獄を見た星はそれでも輝く。
 まるで、悲鳴のように。

【新宿区・路地裏/一日目・日没】

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、精神的疲労(大)、激しいショック、茫然自失
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:ひかるちゃんと一緒に、アイドルとして頑張りたい。
0:――――。
1:アイさんのことを話せない以上、今夜はもうこちらから摩美々ちゃん達には連絡しない。
2:アイさんやあさひくん達と協力する。しばらく、みんなのことは不用意に喋ったりしない。
3:あさひ君たちから283プロについて聞かれたら、摩美々ちゃんに言われた通りにする。
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:健康、血塗れ、精神的疲労(極大)
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:プリミホッシーの変装セット(ワンピースのみ。他は灯織・めぐるとの交戦時に破損)
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:真乃さんといっしょに、この聖杯戦争を止める方法を見つけたい。
0:これはわたしにしか出来ないことだから。
1:感染してしまった人達を追いかけて捕まえる。……捕まえて、どうするの?
2:アイさんやあさひさんのことも守りたい。しばらく、みんなのことは不用意に喋ったりしない。
3:ライダーさんと戦うときが来たら、全力を出す。
4:おでんさんと戦った不審者(クロサワ)については注意する。


[全体備考]
新宿区に風野灯織・八宮めぐるから氷鬼に感染したキャリアーが解き放たれました。
まだひかるの元からはそう遠く離れておらず、数もそれほど多くはありません。


305 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/14(日) 01:43:15 /ftb3hU60
投下終了です


306 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/14(日) 20:40:11 GfO9/v2c0
申し訳ありません、新宿付近との描写の擦り合わせに難航しており本日の投下は難しそうです
期間中にはからなず投下します


307 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/15(月) 00:05:54 qyeB2yJE0
光月おでん&セイバー、峰津院大和&ランサー予約します


308 : ◆A3H952TnBk :2021/11/15(月) 06:17:16 f0xrbUyo0
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
星野アイ&ライダー(殺島飛露鬼)
予約します。


309 : ◆HOMU.DM5Ns :2021/11/15(月) 16:05:30 uARk3kH20
田中摩美々&アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
七草にちか(弓)&アーチャー(メロウリンク・アリティー)
死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)
神戸しお&ライダー(デンジ)
紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)
予約します


310 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/16(火) 18:15:49 4lFEcKqA0
延長します


311 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:48:00 4Urky78Q0
投下します


312 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:48:56 4Urky78Q0


……すまない。俺は、君達に嘘をついた。
俺はもう、君達の元へ戻るつもりはない。
君達のプロデューサーは死んだものと思ってくれて構わない。
俺は『彼等』と共に全ての役割を遂げて、全ての結末を見届ける。そう決めた。
何を言っても言い訳にしかならないし、許してくれとは言わない。
だがこの道しか、俺は今まで自分が犯した間違いと折り合いがつけられない。
だから、この選択に後悔も諦めもない。
短い間だったが、君達の元で働けて幸いだった。
そして―――これでお別れだ。
…………………
…………
……


―――時は、暫し遡る。


313 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:49:22 4Urky78Q0

               ▼    ▼    ▼



「黄金時代ちゃんのサーヴァント、まだかな……」


品川区、プロデューサー宅付近の路地にて。
割れた子供達の構成員、竜宮レナは同盟相手のサーヴァントを待っていた。
時刻は19時前。夏のしぶとい太陽もいよいよ洛陽の時を迎えていた。
だが先程起きた地震の影響か、待ち人は未だに姿を現さない。



「焦っちゃダメ。向こうにはサーヴァントがいるんだもん。
私一人が突っ込んだってどうにもならない」


虎の子の地獄の回数券は渡されているが、相手は忍者を超える正真正銘の怪物だ。
挑み、帰ってこなかったものは両手の指では足りない。
その事実が、逸りそうになるレナの心にブレーキをかけていた。
だが、数分前に入ったガムテの通信では標的は出かける準備をしていると言う。
食事などならいいが、明らかに誰かに会うための準備との事だった。
急がなければ、好機を逃してしまうかもしれない。
まだか。まだか。腕に嵌めた時計に視線を映した、その時だった。
どろりと、己の直ぐ近くで泥がはじける様な音が響いたのは。



そして、世界から音が消えた。


「ンンンン、失敬。遅くなりましたな。羽虫が一匹様子を伺っていたものですので…
拙僧はアルターエゴ、どうぞリンボとお呼びください」


―――来た、間違いない。
弾けた黒い泥の先に現れた、白い肌の偉丈夫。
ねばつく泥の様な存在感。この男こそ、黄金時代のサーヴァント。
その足元には、極道と思わしき狒狒面の男が目を見開いて事切れていた。
リンボと名乗った男が柏手を一つ討つと同時に男の亡骸が泥に包まれ消え失せる。
その尋常ならざる光景に思わず気おされそうになるが、心を落ち着かせてレナは尋ねた。


「……いいえ、構いません。黄金時代ちゃんから話は聞いてますか?」
「ええ、仔細という訳にはいきませぬが――拙僧の役目などは」
「そう、ですか。なら直ぐに―――」
「何、急いては事を仕損じましょう。一先ず、仔細を教えて頂けます哉?」
「……?今はそれよりも―――」

悠長なリンボの言葉に、レナは訝し気な声を上げた。
確かに自分は任務遂行のために、ガムテや解放者から犯罪卿や283に纏わる情報を渡されている。
だが、それを説明している時間はない。
第一、おいそれと教えられる事でもないのだ。
ただでさえ、今割れた子供達は情報漏洩に過敏になっているのだから。
しかしリンボはニヤニヤと拒否の言葉にも笑みを深めるばかり。
悪意の坩堝の様なその顔を見て、本能的な危機感からポケットのヤクに手が伸びる。
だが、所詮はNPC。できたことはそこまでだった。
既にそこは邪悪なる陰陽師の間合いだったのだから。
視界が歪み、意識が朦朧とし、何も考えられなくなる。
木偶になった少女を眺めながら、リンボは満足げに語り掛けた。


「何、心配せずとも話を伺うのみに御座いますれば
仔細を承知している方が拙僧としても御役目を果たす士気が上がるという物」


彼は、何処までも面白い事があればその中心に立ちたがる手合いであった。


314 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:50:23 4Urky78Q0



               ▼    ▼    ▼



七草にちかと約束した時間は20時。
確実に陽が墜ち、ランサーが行動可能になる時間帯だった。
無論の事だが、現時点で彼女と事を構えるつもりは毛頭ない。
例え彼女が、俺の知っている彼女ではなかったとしてもだ。
だが、相手のサーヴァントはどうなのか分からない。警戒するに越したことはない。


「……そろそろ、準備しないとな」


待ち合わせの時間まであと一時間余り。
外を見れば少し前に起きた地震の影響か。
自衛隊や消防救急の車両がせわしなく動き回っていた。
陽の堕ちた夜空も、普段の様子は明らかに違っていた。
今までずっとにちかの無事を確認するのに必死になっていたが、後で何があったか確認しておかなければならない。
……本当は、サーヴァント間の衝突によって先程の地震が起きた可能性が脳裏を過ったが、直ぐに考えるのを辞めた。
幾ら何でも、そこまででたらめな怪物が競争相手にいるとは考えたくなかったからだ。
思考を切り替え、時間には十分間に合うが手早く準備に取り掛かる。
髪を軽く整髪剤で整え、顔を洗い、髭を剃り、半袖のワイシャツにてきぱきとアイロンをかける。



―――うーわ…プロデューサーさん、人に会うときは身だしなみくらいしっかりしてくださいよ…


だらしない格好で会えば、こういわれても仕方ないだろうな。
脳裏に浮かんできた彼女の声に苦笑し、靴を簡単に磨きながら思案を巡らせる。
……きっと、これで身の振り方がはっきりする。良くも悪くも、だ。
七草にちか。
俺の、罪の証。
これから出会う彼女は、あの日、俺の前から姿を消してしまった彼女なのか。
そうであって欲しいという気持ちと、こんな場所にいてほしくない気持ちが両方あった。
けれどそれよりも一番心の中を占めていたのは、彼女に会いたいと言う気持ちだった。
ただ会って、言葉を交わしたかった。
そうすれば、あの日からの決して消えない後悔が少しだけ報われるような気がしたから。


「よし、と……」


スーツに袖を通し、身だしなみを今一度確認する。
疲れ切った顔はそのままだったが、朝よりは遥かに見れる風体になったと言えるだろう。
そして、そんな時だった。
俺のサーヴァントであるランサーが、再び彼の目の前に姿を現したのは。



―――破壊殺、羅針。


現れた彼はランサーはその身体を、冷酷な殺意で満たしていた。
一瞬また何か彼の癇に障ることをしてしまったかと思ったが、その殺意が俺に対して向けられていないことは直ぐに分かった。
何故なら、彼は俺に一瞥も向けようとはしなかったからだ。
その上能力を解放しながら現れるなど、どう考えてもただ事ではない。
どうしたのかと尋ねるより先に、ランサーは口火を切った。


『マスター、敵だ。明らかに此方を狙っている』
「……確かなのか?」
「間違いない。日没前から此方に向けられた闘気は感知していた。
そしてこの闘気は敵サーヴァントでも、マスターでもない。贋作のものだ」
『マスターでもないって…誰かがNPCをけしかけてきてるって事か…?』


背筋に冷たいものが流れる。
予選で自分たちが経験してきた戦いはどれも偶発的な遭遇戦だった。
けれど、今回は明らかに毛色が異なる。
NPCを差し向けて此方を狙わせる、人を動かせる主従。
脳裏に過ったのはもう一人のにちか達が抱えるサーヴァントだが……


315 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:51:01 4Urky78Q0


『ランサー、そのNPCがどんな相手か分かるか。
逃げるにしても、追い払うにしても、相手の姿は知っておきたい』


こうなると日没直後に数分だけでもランサーを索敵に回しておいて良かったと心の底から思う。
ランサーは直接の戦いだけでなく、優れた探知能力を持っているからだ。
彼の探知能力には予選の段階でも何度も助けられた。
今回も、俺の引いたサーヴァントが彼でなければ突然襲われていてもおかしくはなかった。
だが、それが良い事ばかりを齎すとは限らない。
それをランサーの口から俺は知る事となった。


『に、にちかだって……!?』


背筋に冷たいものが奔る。
ランサーの口から聞かされた襲撃者の風貌は、俺の知る七草にちかそのものだったからだ。
だが、七草にちか本人ではないことは闘気を見たランサーの言から調べがついている。
二人のにちかをマスターとして招いておいて、三人目のにちかをマスターではなくNPCとして配置する可能性は、俺の目から見ても低く思えた。
一瞬NPCとしてこの場所に居たにちかが、誰かに操られてけしかけられた可能性も危惧した。
ランサーが明らかに市井の者の闘気ではないと否定したことでその仮説も棄却されたが。
だが、現状重要なのはそこではない。
重要なのは、襲撃者が俺たちを相当調べ上げている可能性が非常に高いという事だった。
最早偶然の遭遇戦ではない事は明白。でなければにちかに化けてやって来たりなどしないだろう。
此方の顔や人となりも割れている可能性が高いとなれば、逃げ切ったとしても問題の解決にはならない。
待ち受けているのは拠点を喪い街中で知り合いの顔をした敵に怯え続ける未来だからだ。
どうするべきか。
考えを巡らせるが、状況は俺を待ってはくれなかった。


『―――!サーヴァントが到着した様だな。
……こいつは今までの相手とは次元が違うぞ』


その言葉に、嫌でも緊張が走る。
できるだけ消耗を避けたいと思っていた矢先にこれだ。
全く持って、自分の運の無さを呪いたくなる。


『君よりも…か?』
『あぁ、闘気の量だけなら俺を凌ぐ。まだ仕掛けてくる様子はないが――
逃げを討つなら今しかない』


その言葉に、頭を殴られた様な衝撃が奔る。
ランサーよりも、彼よりも強いサーヴァント。
できる事なら居てほしくはなかったが、最悪の仮定はえてして当たるものらしい。
そしてランサーの言葉通り、逃げられる可能性は今しかないだろう。
だが…俺は数秒の逡巡の後、首を横に振った。
逃げても問題は解決しない。現状よりも悪化するのが目に見えている。
となれば、今は腹を括って勝負に出るしかない。
俺は深く息を吐いてから、ランサーに命じた。


『ランサー、打って出よう』


分かっている。この場ではどう考えても逃げを打つのが最もリスクの低い選択だ。
だが同時に攻める事ができるのも今しかない。
すぐさま攻めてこない辺り、相手がまだ此方が気づいていないと思っているであろう今しか。
逃げるだけでは喪い続けるしかない。
にちかが事務所を去ったあの日から、嫌でもそれは理解させられたつもりだ。


『俺たちとは喧嘩するより仲良くした方が得だって、相手に分かって貰おう。
必要なら令呪も使う。先に向けての投資だと思うさ』


316 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:51:13 4Urky78Q0

反発が来ると思ったが、ランサーの対応は穏やかだった。
ただ一度「よく考えての決断なんだな」と尋ね、俺が頷くともう何も言わなかった。
俺をじっと見つめた後、くるりと身を翻して彼は言った。



「……今まで蓄えた魔力を全て使う。それで五分だ」



ランサーのその言葉に、俺は無言で頷いた。
蓄えた魔力。それは予選でランサーが倒し喰らったマスターやサーヴァントから得た魔力。
その全てをここで使い切る。それほどまでの相手だと、彼の背中は語っていた。
ハッキリ言って、危険な賭けだ。ここまでしても勝てるかどうかは分からない。
…それでも自分たちより強いかもしれない相手と組むならこうするしかない。
勝てるかもしれないが、戦えば深手を負うと思わせられれば、対等に近い立場で交渉できる。
そして強い相手ならそれだけ味方につけたリターンも大きい。
だから、これから死地へと向かう彼に、俺は強く声を掛けた。


「―――あぁ、ランサー、正念場だ。一緒に乗り切ろう」


その言葉を最後に、颯のように戦場へと向かう無言の背中を見送る。
そして、思うのだ。
…何故、最後の戦いに臨もうとしていたにちかにもこうやって言葉を掛けてやれなかったのか、と。
分かっている、そんな言葉を掛けた所で、俺はステージの上には上がってやれない。
彼女と一緒戦ってやることはできない以上、気休めにもならなかっただろう。
だけど…今は違う。
俺にも、ランサーのためにできる事が一つだけある。
手早く財布とスマートフォンだけを握りしめ、俺は扉を空けた。





              ▼    ▼    ▼


317 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:51:32 4Urky78Q0




「ンンンンンン!素晴らしい。いやはや拙僧のあずかり知らぬ所でそのような座興があったとは」


逢魔が時を迎えた路地裏で悪辣非道たる陰陽師の快哉が響く。
目の前には虚ろな瞳を浮かべた若草色の髪の少女が一人。
彼女の、礼奈(レナ)の忠誠心もリンボの呪術を前にしては無力に等しい。
あまり手を加えては己のマスターの同盟者の怒りを買う恐れがあったため暗示程度に納めたが、それでも効果は絶大だ。
非常に興味深い話を幾つも聞かせてくれた。


竜宮礼奈を始めとする、マスターの同盟者である怨嗟と憎悪に満ちた割れた子供達。
彼らの王が従える怪物が如きライダー。
そして、そのんな主従に真っ向から喧嘩を売ったらしい”犯罪卿”とそのマスターと思しき偶像達。
そんな偶像たちを絶望に沈めるための第一の矢として自分が選ばれたのだ。


「えぇ、えぇ。であれば拙僧ほどの適任はおりますまい」


リンボの関心を何より惹きつけたのは犯罪卿の存在だ。
話に聞くだけでも、圧倒的窮地にありながら全てお見通しだと言わんばかりのその態度。
それはリンボにとって世界で唯一の仇敵を想起させるに十分なものだった。
そんな犯罪卿が我が眼の光を喪い、絶望の大海に沈む姿を想像するだけで胸がすくような思いだ。
できる事なら、これから襲う男のサーヴァントではなく偶像たちのサーヴァントであればいい。
そして、これから襲う男が偶像たちと深い関係で会ってくれればなおよい。
其方の方が収穫できる悲痛と絶望も、より甘美なものとなるだろう。


「ンンン!やはり仕事の背景を知った方が士気も上がるというもの―――」


ではいざ、哀れな子羊を狩りにいくと参りろうか。
余り趣味に傾倒しているとマスターからお叱りを受けかねない。
愉悦に唯浸るだけでなく、仕事も完遂するのが一流のサーヴァントだ。


「―――ッ!?あ、あれ……礼奈(レナ)…どうしたのかな?かな?」


ぱしんと柏手を打つと同時に、少女に掛けられていた暗示を解く。
別に此方としては掛けたままでも構わないが、真っ向から同盟者の反感を買うような真似はマスターにも不信感を与えてしまう。
また呪いをかけようと思えばすぐにかけられるため、一旦解いておくこととした。
呆けた様子で上背のある自分を見上げてくる少女に笑みを向けて。



「では、参りましょうか」



そう告げた、その刹那の事だった。




―――――破壊殺・終式



狩られるはずだった羊が、狼に化けたのは。



              ▼    ▼    ▼


318 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:52:19 4Urky78Q0


――――破壊殺・終式



上弦の参足る猗窩座が取った方法は、実に単純なものだった。
破壊殺・羅針によりレーダーの如くリンボの存在を感知し。
羅針の座標めがけて鬼種の魔に複合された魔力放出を使用、捕食行動で蓄えていた魔力を全て放ち、ロケットブースターの如く肉薄する。
その速度は音の壁を突破し、300はあった距離を瞬きよりなお短い時間で零にした。
リンボの誤算は猗窩座の索敵能力が想像以上だったことだ。
もし他の上弦であれば間違いなく最初から最後まで”狩る”側だったのはリンボだっただろう。
加えて、もう一つ。
今の猗窩座は―――



―――――青銀乱残光


鬼舞辻無惨の走狗だったころとは違う、正に滅私の戦鬼であった。
その戦闘に一切の無駄は介在しない。
遊びもなく、強者を鬼に堕さんとする勧誘もなく、ただ機械のように。
愚かで滑稽でつまらない男のために、ただ勝利を捧げようとする機構。暴力装置。
故に既に格上だと察しているリンボに振るう拳も小手調べの一撃ではなく。
放つは彼が放つことのできる最高峰の一手。
ただ敵を撃滅せんとする、最高速度から振るわれる闘気を纏った拳の暴風雨。


「フハハハッ!!」


猗窩座の強襲は間違いなく、奇襲としては最高に値する技であった。
しかし―――それで悪辣非道の陰陽師足るアルターエゴ・リンボが狩られる側に回る事はない。
事実、絶死の拳を前に、リンボは笑みすら浮かべ。
残像が残る速度で懐の式神を顕現させると、即席の盾とする。
コンマ数秒で到達するはずだった拳に間に合わせるその反応速度。
特に式神の顕現速度は陰陽師として十二分に神業と言って良いものだった。
直撃するはずだった拳はこれで直撃にはなり得ない。だが―――


「なん…とっ―――!」


逆に言えば、彼が撃てた防御策はそれだけだった。
一撃ならば十分に防御できたはずの式神に、怒涛の連打が襲い抱る。
轟!!と。
接触の瞬間まるで爆発でも起きた様な轟音が、否、それは最早正真正銘の爆発であった。
リンボの後方に控えていた竜宮レナの身体が衝撃で吹き飛ばされ、宙を待ったのだから。
そのまま身体を路地の傍らに設置されていたガードレールに打ち付け、沈黙する。
結果的に、リンボの暗示でヤクをキメる事ができなかったのが災いした。
だが、当然現状の彼にその事を構っている暇はない。


「ンンンンン―――!!!」


時間にして刹那。
爆発めいた拳を撃ち据える音が極めて同じタイミングで響くこと、二十四。
そこで式神は限界を迎え、遂に打ち破られる。
だがそれでも拳撃は止まることはない。
破壊殺・終式・青銀乱残光はほぼ同時に、百発の乱れ撃ちを繰り出す技。
この技は生前、鬼舞辻無惨にすら通じた水柱の防御すら真っ向から打ち破った。
無駄撃ちしたとは言えたかだか24、まだ数十発の残弾残している。
ここで有効打を与えられなければ、首を取られるのはこちらだ。
予選で蓄えた全ての魔力を、この技に賭ける。


319 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:52:51 4Urky78Q0


「―――フ」


対するリンボは―――それでも尚、笑みを崩さない。
余裕がある、という訳ではない。
今猗窩座の放っている技は、さしもの彼でも直撃を受ければ致命打は決して免れない。
それでも彼は狂気の笑みを浮かべて、その巨躯を迫りくる死へと前進させる。
刀剣の様な爪を煌めかせ、稲妻の様な呪力を纏い。


「フフフフフッ!!ハハハハハハハ!!!!」


心底楽しいと言わんばかりに。
まるで子供の様な笑い声を上げて。
彼が選んだのは、陰陽師という存在からは逸脱した迎撃方―――突き(ラッシュ)であった。
そして、衝突。
先程まで響いていた音が爆発だったならば、今度は遠雷であった。
それも、当然ながら一度では終わらない。
衝突。衝突。衝突―――!突き(ラッシュ)の速さ比べ。
軍配が上がるのは、当然の如く猗窩座の方だ。
一撃衝突するごとにリンボの爪は砕け、手は裂け、骨さえ露になっていく。


320 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:53:09 4Urky78Q0




「ハハハハハハハハハハ――――!!!」


放たれた拳が八十を数えた時、均衡は破られる。
金槌で叩いた砂糖細工より哀れな様相を呈したリンボの拳と両腕が、猗窩座の下段からの拳によってカチあげられる。
そして―――残りの闘気の暴風が、リンボに殺到した。



「オ――――オォオオオオオオオオオァッッッ!!!!!」


猗窩座の咆哮が轟き―――
連打。連打!連打!!!!
敵を絶する拳が、リンボの全身を粉砕していく。
鬼狩りなら一度受けただけで胴が泣き別れになる一撃を二十以上受けて、リンボの二メートル近い巨躯が砲弾のように吹き飛ぶ。


321 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:53:30 4Urky78Q0


(――――浅い!!!)


見事競り勝った猗窩座だったが、笑みを浮かべる事は無かった。
自分の闘気と拳を受けてなお、相手の闘気は陰りを見せては居ないのだから。
事実彼の放った技は有効打ではあった。だが、致命打には届かない。
その証拠に。


「ンン。いやはや、中々の拳でしたなァ。だが哀しきかな、拙僧の首を獲るには不足。
何、安心なされよ。我が五芒星であれば御身を更なる境地に立たせるのも可能なれば」


リンボは大健在であった。
無論、無傷ではない。
砕けたはずの両手は既に癒えていたが、口の端からは鮮血を垂らしている。
しかし―――それだけだ。
暗黒の太陽と悪の神を取り込んだハイ・サーヴァントを倒すには、猗窩座入魂の一撃を以てして不足。
それを誇示する様に、リンボは嗤う。そして、思案を巡らせる。
先のセイレムの巫女と比べれば見劣りするが、この鬼のサーヴァントも傀儡としてなら一級品だ。
呪ってやろう。堕としてやろう。犯してやろう。かつての英霊剣豪のように。
今度はこちらの番だと言わんばかりにゆらりと、蛇の様に手を翳し唱える。


「急―如律令」
「……ッ!」


立ち上がる業火を、しかしてセイレムの巫女とは違い墜ちた戦鬼は交わしてのける。
当然、その隙をリンボが見逃すはずもない。
先程撃ち負けた獣の吶喊が、今度は猗窩座の身を裂く刃となる。
肉が引き裂かれ、骨を晒す。人の英霊ならば既に致命傷の傷である
それでも猗窩座は人ではない。心臓を貫かれ、頭部を破壊されても駆動が可能な超常の鬼だ。
すぐさま傷は癒える。が、リンボの攻勢は止まらない。
再び宙に式神が舞い、それを起点としてドス黒い呪毒の奔流が迸った。


―――破壊殺・鬼芯八重芯


ドス黒い呪毒の洪水を、蒼光の闘気にて強引に切り拓き離脱する。
上手い。リンボは心中で称賛の声を漏らした。
ここで回避を選択していれば、呪毒の奔流は周囲を押し包み、罠として仕掛けていた五芒星が起動する手筈だったのだ。
しかし相対する鬼が放った技は、呪毒に隠された罠の呪符を正確に破壊し、致死の空間をこじ開けて見せた。
卓越した勘と戦闘経験だけではない。何か此方の動きを探知、予知する能力を目の前のサーヴァントは備えているのだろう。
今もそうだ。
先程の奇襲以降、槍兵とアルターエゴの戦いは槍兵の防戦一方の様相を呈している。
だがその実槍兵の受けている傷はどれも有効打にすらなり得ないものばかり、致命的な呪いが籠められた攻撃は悉く回避・迎撃せしめている。
簡単には破壊されぬよう別行動させている式神に力の三割程を籠めたのもある。
最初の奇襲のダメージは決して小さくはない。
だがしかし、それでも尚自分の攻勢を凌いでいる目の前のサーヴァントの奮戦はリンボをして称賛に値するものだった。


キィン、と。
そうしている間にも拳と爪が激突し鋼の旋律を響かせながら三十六度目の交錯が終端を迎える。
傷を負っているのはやはり猗窩座だった。
しかし、その戦意は衰えてはいない。


「お見事、お見事。実に素晴らしい。その身に拙僧の宿業を授ければ良き英霊剣豪になり得るでしょう」
「ほざけ、俺は貴様の顔を見ているだけで不快な顔を思い出して虫唾が奔る。
生理的に受け付けない。今ここで殺す」
「ンン。つれなき物ですなァ―――だがそれは決して叶わない。
貴殿の在り方では、黒き太陽を喰らった拙僧を超える事は決してない―――」


嘲笑と共に、リンボは猗窩座のある一点を指さす。
そこは傷としては僅かな物だった。小さな小さな火傷傷。戦いには何の支障もない。
だが、傷が残っている。それ即ち鬼の最たる強みである不死性が機能していない事を意味する。
そう、その傷を付けた攻撃は、リンボが喰らった黒き太陽の力が籠められていたのだ。
導き出される答えは一つ。目の前の鬼は―――太陽/天の高みは決して越えられない。
それさえ分かってしまえば最早彼の槍兵は敵ではない。
何故なら、悪逆の陰陽師たるアルターエゴの宝具は正に。
鬼の身を灼く暗黒太陽に他ならないのだから。
小賢しい探知能力も周囲一帯を包み照らす暗黒太陽を前にしては何の意味もない。


「ではこの座興の結末も見えました。適当に炙って―――我が傀儡に作り変えて差し上げましょう」


言葉と共に、リンボの周囲に漂うコールタールの様な粘性かつ黒色の魔力が肥大していく。
彼の宝具である狂瀾怒濤・悪霊左府の限定展開。
通常の三騎士ならば滅ぼすに不足であろうが、目の前の鬼ならば別だ。
限定展開でも十分に戦闘不能まで追いやることができるだろう。
猗窩座が発動を阻止せんと迫ってくるが、四股を踏み、呼び出した適当な式神を使い捨ての尖兵とすれば発動まで十二分に時間は確保できる。
発動まで後二秒、これにて詰みである。


322 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:53:52 4Urky78Q0


――――リンボさん?お待ちなさいな。


その時の事だった。
今まで静観していた己のマスターから静止の念話が入り、魔力の供給が強制的にカットされたのは。
当然宝具の発動もストップし、槍兵の命を刈り取る筈だった致死の太陽は日の目を見ることはなくなった。


『如何いたしましたかな、マスター。今暫しお待ちくだされば―――』

―――いいえ、時間切れですわ。貴方が趣味に興じる時間は。聞こえてくるでしょう?

『……?』


主からの伝令を受け、意識を耳に集中させると遠くの方からサイレンの音が聞こえてきた。
聖杯から与えられた知識から推察するに、この都の検非違使(警察)か。
この戦いを見た市井の民の通報を受けやってきたかと思ったが、それにして来るのが早すぎる。
そもそも、この周囲には人払いの呪いを掛けており、異変が伝わることなどあり得ない筈だった。



「……俺が呼んだんだ。君と、話がしたくてね」



リンボの脳裏に浮かんだ疑問に応える様に。
ランサーのものではない、新たな声が路地に広がる。
現れたのは、夏用のスーツに身を包んだ青年だった。
右手に刻まれた三画の令呪は紛れもなく彼がマスターであることを示していた。


「もし君たちが聖杯を目指しているなら…俺は君と手を結びたいと考えている。
態々俺の事を調べてきたんだろう?何か俺に用があるんじゃないか。
でも、もし君が振り上げた手を下ろせないなら…こっちも覚悟は決めないといけない」


男の言葉を受けて、さてどうするべきかとリンボはその悪意の詰まった頭脳を働かせる。
今宝具を発動させればランサーを倒すことは容易い。
だが、男の闖入によってほんの僅かにだがリスクが生まれた。
即ち、令呪の行使と言うリスクが。
念話による命令をキャッチしほんの一瞬意識を傾けた隙に、ランサーは式神を全てなぎ倒し、男の直ぐとなりに控えている。
令呪による命令そのものを妨害するのは難しいだろう。
三画の絶対命令権によって命じられるのが攻撃ならばまだいいが、瞬間移動による離脱を選ばれればその時点でこの拿捕作戦は失敗に終わる。


―――リンボさん?ガムテさんからの伝言です。目立つような真似は辞めろ。との事ですわ。
向こうの方から来てくれる様子ですし、私の今後のためにも貴方の趣味は別の相手にして下さいな。


プロデューサーにとっての幸運は二つ。
一つは、新宿の一件により出動していた警察車両が偶然直ぐ近い位置に巡回していた事だ。
そうでなければ通報から五分以内に警察が付近まで来るなどあり得なかっただろう。
もう一つはこの拿捕作戦を決行したガムテが情報の拡散に若干神経質になっていた事。
宝具まで使用されては余計な注目を集めかねない上に、流れ弾で人質にするプロデューサーが死亡しかねないからだ。
となれば、静止するのは自明の理であった。
対するリンボにとっては、お愉しみに水を刺された形となる。
しかし、暫しの間じっとランサーのマスターを見つめ。


「ンンン!いやいや、拙僧は元より貴殿のお迎えに上がった使いの者。
貴殿が自らの足で来てくださるというなら、矛を交える必要などありませぬとも」


意外にもあっさりと、邪悪の権化足るアルターエゴは、矛を納めた。
そのまま恭しく礼をして、友好の意を示す。


「使いの者?」
「えぇ、実は我が主の同盟者であるさる御方が貴殿の協力を求めている次第に御座いますれば。
そこで拙僧がお迎えに上がったという次第に御座います。
先ずはそこで気をやっている少女が起きるまで情報交換と言うのは如何でありましょうや―――」


323 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:54:12 4Urky78Q0


             ▼     ▼     ▼


「ンン。さて、あの御仁の天運は如何ほどか」


一仕事を終えて、満足げにリンボは独り言ちた。
ランサーとの戦闘に水を差されると言う幕切れに放ったが、全く不満などはない。
むしろ、実に鑑賞/干渉に値する見世物の可能性を狭めなかった主に感謝の念すら抱いていた。
実にナイスタイミング。

「できる事なら、生き延びて欲しいモノですなァ…地を這うように。
其方の方が、拙僧の愉悦を満たす至極愉快な座興(プロデュース)となりましょう」

あの男を見た時、電流が流れる様な感覚が奔った。
あの男の瞳と魂は、かつて自分を破った人類最後のマスターとよく似ていた。
中立にして善。普遍的な魂の形。
けれど全く同じではない。
むしろ似ていながらその実どうしようもなく遠くなってしまったものだ。
消せない罪を課されて、拭えない汚れを背負って。
本質的には同じでありながら、どうしようもなく遠くなってしまったもの。
そんなものが、そこにあった。


あの男がもっと深い深淵まで堕ちていくところが見たい。
窮極の地獄界曼荼羅の計画とは別の所で、リンボはそう思っていた。
尾の男が絶望し、堕落し、一点の曇りなき闇に染まる瞬間を最前列で鑑賞したい。
田中一が甘き蜜ならば、此方は極上の美酒だ。
此処で途絶えるのは余りにも惜しい。
故に、自分が割れた子供より奪った情報はすべて伝えた。
無論、宝石たちの窮状もだ。
それを知ればあの男は後には退かないだろう。そう確信していた。
それに加えて、彼を守る陽光に嫌われた鬼が昼も活動できる様に護符も贈った。
―――屍山血河の死合舞台とまではいかずとも、一刻程度であれば陽光を遮り紅き月を呼び出す力は零落した霊基にも健在であった。
陽光を遮る他は精々実家の様な安心感を抱く程度の力しかないが。


敵に塩を送る所ではない。余りにも自己の欲求優先の非合理な選択。
だが、この快楽と悦楽の求道者。悪辣なる陰陽師は迷いなくそれを選ぶ。
彼は彼にとって実に正しく存在している。
そして、これだけお膳立てをしても彼の男が生き残れるかは分からない。
あの男が向かった場所は正しく死地なのだから。
だからこそ生き残ってほしいと願う。
もし生き残る事ができたなら、彼の中の穢れはさらなる萌芽を迎えるはずだ。
願わくば、そうなった彼と是非また会いたいものである。


「いやはやこの界聖杯は全く喜劇と地獄に満ちている。成らぬと分かっていても目移りを禁じ得ませぬなァ…」


一刻程前に起きた、新宿周辺の莫大な魔力衝突の気配。そしてあの異常な空。
方角的にも間違いなく、あのライダーが引き起こしたものだろう。
それによって一体どれ程の地獄が生まれたか。想像するだけで頬が緩んでしまう。
突然自分とのリンクが絶たれた式神もそうだ。
本体に情報を送る暇もなく倒されたらしい式神。下手人は一体何者か。
気になる事は山ほどある。休んではいられない。
邪悪なる陰陽師はただ、静かに。次なる悦楽を求めて。
ゆっくりと、降りた帳の中へと溶け込むようにその姿を消した。

【品川区・プロデューサー宅付近の路上/一日目・夜】

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:???
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:マスタ―には当分従いましょう。今の拙僧はあの幼子の走狗なれば。
2:新宿区の地獄を眺めに行くか、リンクの切れた式神の調査を行うか…
3:式神は引き続き計画のために行動する。田中一へ再接触し連合に誘導するのも視野
4:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
5:まさに怪物。――佳きかな、佳きかな。
6:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
7:機会があればまたプロデューサーに会いたい。

[備考]
※式神を造ることは可能ですが、異星の神に仕えていた頃とは異なり消耗が大きくなっています。
※フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)の真名を看破しました。
※地獄界曼荼羅の第一の核としてフォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)を見初めました。
 彼女の再臨を進ませ、外なる神の巫女として覚醒させることを狙っています。
※式神の操縦は一度に一体が限度です。本体と並行して動かす場合は魔力の消費が更に増えます。


324 : 絶望と、踊れ ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:54:40 4Urky78Q0


     ▼     ▼     ▼


ネクタイを、今一度結びなおす。
時節を考えれば真夏の盛り、クールビズが囁かれて久しい昨今だが、プロデューサーがそれを外す気配は決してなかった。
しっかりと、丁寧にアイロンをかけた夏用のスーツに袖を通す。
これこそ自分の戦闘服だと己を鼓舞するように。
そしてきっと、死に装束ともなるだろう。
そんな思考を頭の隅に追いやり、怪しきアルターエゴから伝えられた情報を必死に咀嚼していた。


曰く、自分に変わりこの東京における283プロダクションを運営していた犯罪卿の存在。
曰く、その犯罪卿がこれから出会う少年たちと敵対しているらしいこと。
曰く、少年たちは優れた統率力と殺人経験を持つ殺し屋であること。
曰く、そんな彼らに、自分が見つけてきたアイドル達が狙われている事。


話を統合すれば、こんな所だった。
どこまで真実かは分からない。
何しろ、あのリンボと言う男は胡散臭さと生理的な嫌悪感に満ちていた。
でも、嘘は言っている様子は不思議となかった。
無論、手放しで鵜呑みにすることはないが。
それでも、これから向かう場所は間違いなく死地となる。
となれば、今自分が持っている情報が生命線になるかもしれないのだ。


「……彼に、感謝しないとな」


ぽつりと呟きながら、手の中の護符を握りしめる。
かのアルターエゴからのもう一つの餞別。
陽の光を嫌うランサーのために用意してくれたらしい護符。
何でも、日中でも陽の光を遮断し、紅い血染めの月が呼び出せるらしい。
零落した身ではその他に特別な効果はなく、貴殿にとっても安心な代物である。
それが彼の言だった。
安易にその言葉を信じたりはしないが、一度ランサーを呼び出す前に使って見るのも視野に入れて、スーツのポケットにしまい込む。
これで、準備は万端。


「行こうか、ランサー」
「………」
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ…俺を、信じてくれ」


今から死地へと赴く男とは思えないほど穏やかに。
プロデューサーは傍らに立つランサーにそう命じて。
部屋を出ると、窓ガラスの前に立つ少女の眼前に静かに相対する。


「準備、できましたか?」
「あぁ、迎えに来てくれてありがとう」
「……別に、感謝されるようなことはしていません」


感謝の言葉を告げられるのは予想外だったのか。
今はもう、七草にちかの姿から元の外見に戻った茶髪の少女がバツの悪そうに顔を背ける。
そして、その後はプロデューサーに対して無言のままに。
光を放つ窓ガラスの向こうを指さした。


「……ガムテ君、プロデューサーさん、準備できたみたいだよ」
「オッケ〜〜!!御苦労(オツカレ)礼奈(レナ)〜撤収して良いぜ〜」
「うん、ごめんね、役に立てなくて」
「Pたんちゃんと来てくれるなら問題無〜し!!気を付けて帰ってこいよな〜」


主と思わしき少年の言葉にこくりと頷いて。
礼奈は、鏡の前へと進むように促した。
その案内にプロデューサーは無言で歩を進める事によって応える。
生き残るための布石は打ったとはいえ不安はある。迷いはある。
だが、立ち止まる事も。後ろを振り返る事も彼はしなかった。


この界聖杯が作った世界は残酷だが正しい。
何も選ばずリスクを放棄するだけでは、喪い続けるしかないのだ。
だから、喪って後悔を重ねる前に。
後悔する前に、自分で選択する事を、彼は選んだ。
だから、鏡が放つ輝きの向こう側へと、死地へと顔色一つ変えずに進んでいった。



              ▼     ▼     ▼


325 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:55:30 4Urky78Q0






―――そして、時は現在へと至る。


「……これで、俺は君達を裏切るわけには行かなくなった。
明確に彼らと敵対する旨を伝えた以上、君達に放り出されたら致命的だからね。
今撮った動画をどうするかは、君達の判断に任せる」


手を結びたい、話がしたいとは此方から言い出したことではあったが。
まさか、こんな怪物が待ち構えているとは。
しっかり意識を保っていないと立つ事すらままならない威圧感。
肌で感じる。今の自分は、台風の前に放り出された一匹の蟻だ。
そして、当然のことながら。
この交渉に失敗すれば命は、ない。
招かれたプロデューサーはその事を強く実感していた。


「マ〜マママハハハ…随分と殊勝な態度じゃねェか……自分の足で此処に来て、自分からおれに協力しようだなんてね」


まるで夢の中にいる様なメルヘンチックな鏡の中の世界。その最奥。
その空間に用意された玉座に座っている…いいやこれはもう、聳え立っていると言った方が正しい。
そんな規格外の巨体を持つ女性。ライダーと呼ばれたサーヴァント。
現在のプロデューサーの生殺与奪は彼女と、その傍らに佇むマスターの胸三寸だ。


「ちょっと待てよォ〜ライダ〜〜〜!!
テメ〜ふざけてんじゃねーぞPたんッ!!仲間を売る裏切野郎(ユダ)何て信用できるかァ〜!!!」


そう言って、ライダーのマスター…顔にガムテープを張り付けた少年は糾弾の声を上げた。
信用できないのは無理もない話だろう。
何時だって戦場にて敵味方問わず蔑まれるのは純粋な敵よりも裏切り者なのだから。
だが、その糾弾は少し…毛色が違っている様にプロデューサーは感じた。
上手くは言い表せないが、本気の糾弾ではない。
結論は既に決まっていて、その上で此方を試している様に思えたのだ。
一見、目の前のガムテと名乗った少年はそんな事を考えるタイプではないように見える。
しかし、己がプロデュースで培ってきた審美眼はそれが彼の全てではないことを微かに伝えていた。


「だから、そのための動画だよ。それがある限り少なくとも俺は貴方達を裏切れない。
裏切っても、彼女たちのサーヴァントと君達を同時に敵に回せばどの道先がないんだ。
……少なくとも、彼女たちのサーヴァントを排除するまではね」


今しがた撮影された、ハッキリと283プロダクションに所属するアイドルのマスター達との決別宣言。
これでアイドル達はどうであれ、そのサーヴァントはハッキリと自分を敵と認識するだろう。
その状況下でガムテ達をも裏切れば、四面楚歌になるのは想像に容易い。


「少なくとも、彼女たちのサーヴァントを倒す事に関しては協力を惜しまない。
持っている情報は全て渡すし、彼女たちと対立するうえで知恵も貸します
……だけど、こちらにも見返りが欲しい」
「見返りィ?……お前、見返りを求められる立場だと思ってんのか?
此処に来た時点でお前がおれに協力するのは決定したことなんだよ。
こっちはお前を拷問して生きてるだけの有様にしたっていいんだ!」
「それなら俺に人質としての価値はなくなります。ライダーさん。
ただでさえ敵に回った上に、説得もできない状態ともなれば彼らは簡単に俺を斬り捨てるはずだ。
……貴方もきっと、同じ判断をするでしょう?」


326 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:56:04 4Urky78Q0


うっ…しまった……別の事を言えばよかったか。
そんな事を考えている暇すらない。
兎に角、頭と口を動かさなければ、全てが終わるのだから。
震え出しそうになる声を、蹲りそうになる足を、飛びそうになる意識を死に物狂いで繋ぎとめて、言葉を紡いでいく。


「俺が望むのは、貴方たちに協力している間の俺と、彼女たちの身の安全の保障。それだけです。
…彼女たちは皆普通の女の子だ。サーヴァントさえ喪えば彼女たちに貴方を邪魔する力なんてない。
当然、貴方たちが喪う物なんて何もない。………それでもまだ、不足ですか」
「足りないに決まってンだろうが!!お前が人質になってる間の待遇は考えてやってもいいが、それだけさ。
お前が拾える命はお前一人だ。対して小娘共は何人いる?ひいふうみい……おやおや。
お前一人の働きなんぞじゃとても釣り合わないねェ……」


ビッグ・マムからすれば友好的に手を伸ばそうとしたのにその手を払われたばかりか唾を吐きかけられたようなものだ。
例えアサシンが主導でやった事でも、マスターの小娘共を殺すことに変わりはない。
このビッグマムの看板に泥を塗った以上、一人残らず生かしては返さない、と。
ハッキリと、プロデューサーに彼女はそう宣言した。
この通告には、プロデューサーも押し黙らざるを得ない。
正しく、同じ可能性の器の候補を掌で転がす愉悦にライダーは酔いしれていた。
そして、そんな愉悦は一つのアイデアを導き出す。


「だが…それでもお前が小娘共を助けたいっていうなら…別の物を張るしかない」


これは単なる余興だ。
ビッグマムが一番に欲する物は何時だってお菓子と他人の魂(ライフ)。
この状況なら別にこんな事を言わずとも簡単に奪えるだろう。
だが、彼女は敢えてそれをしない。理由は一つ、目の前の男が滑稽だからだ。
踊れ、踊れ。精々踊っておれを楽しませて見せろ。
命乞いをするときのコツは命を握るものを納得させるか、愉しませるかの二択なのだから。

寿命を捧げる、その概要を伝えたプロデューサーの顔が絶望に染まる。
何時だって、ビッグマムに敵対したものはこんな絶望の表情を浮かべていた。
彼女にとって、とても慣れ親しんだ顔だった。
そして男は暫くの間俯き―――顔を上げると、彼女にこう告げた。



「九割だ」
「何?」
「俺の魂の九割を―――貴方に差し上げます。それで、彼女たちの処遇を不問にして頂きたい」



ほう、と。
マムの中で、俄かに目の前の男の評価が上がる。
無論、道化としての、だが。
一番に欲しいと思っていたのはサーヴァントの魂だが。
マスターの魂をコレクションするのも悪くはない。
だが、どうせ奪うのならもう少し揺さぶって遊ぶこととする。


「お前良くモノ考えて言ってんのかい?言っておくがおれは一度奪った寿命は絶対に返さねぇ…それが海賊だ」
「……ライダーさん、俺は何も覚悟もせず此処へ来たんじゃない。俺の役目を果たすために…
これから起きる全てを見届けるために、此処へ来たんです。全ては、覚悟の上です」
「そこまでして礼儀知らずの小娘共を助ける理由が何処にあるってのか?」
「―――貴方の目にはそう映るのかもしれない。でも、俺にとっては何より重要な事です。
曲がりなりにも、俺は彼女たちのプロデューサー…だったから」


327 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:56:36 4Urky78Q0


稀代の女海賊を見上げるその視線に、もう絶望も恐怖も宿っては居なかった。
ただ真っすぐな瞳で、マムを見上げていた。
それはある意味であのクソ生意気な犯罪卿に似ていたけれど。
不思議と、苛立ちなどは湧いてこなかった。
自分と身の程を弁えているからか、それともこの男が元々持っている力なのか。
何方かはハッキリしないものの、成程、この男もまた可能性の器の一人という訳かと得心が言った。


「だからちょっと待てやァ〜〜!!何Pたんはさっきから俺の事無視して話進めようとしてんだァ〜!
超立腹(ぷんぷんまる)だぞこのガムテ様はッッ!!!」
「この男は今おれと話をしてんだ!!ガキは黙ってなッ!!」


意を唱えるマスターを一蹴して黙らせる。
先の事務所では自分を押しのけて勝手な決断をした意趣返し。
再び魔力供給をカットされてもおかしくはなかったが、意外にも彼はあっさりと引き下がった。
鬱陶(ウゼッ)とだけ吐き捨てて、顛末を見守る事としたらしい。
それを確認してから、再び口の端を釣り上げてマムはプロデューサーに向き直った。



「なァるほど……覚悟は決まってるってワケだ、いいだろう。
非道な海賊の世界に正義なんてモンはねェが仁義はある。ここで手を出せば恥を掻くのはこっちだ。
礼儀と筋道さえ通ってりゃあ話の分かる女何だよ、おれはね!」
「……寛大な処分を、期待します」
「ハ〜ハハハマママ…良いだろう。だが、お前、おれがこのまま全部の魂を吸い取っちまうとは考えねェのかい?」


貴方はそんな事はしない、と。
投げかけられた問いに対して、男は穏やかな笑みで答えた。


「これでも、人を見る目は鍛えてきたつもりです。
貴方は自称の通り話の分かる方だ。そんな貴方を信じようと思った。
ただ、それだけの話ですよ」


勿論、リンボから齎された情報により彼女が自分に人質としての働きを期待しているのは知っている。
それを承知した上での、本心からの発言だった。
余りにも甘く、根拠に薄く、命を掛けるに値しない理由。
しかしその言葉は長きにわたって万国を治めた彼女の為政者としての側面を大いに擽った。


「……此方からももう一つ、彼女たちのサーヴァントを倒す時は…徹底的に叩いてほしい。
サーヴァントがいる限り、彼女たちはこの戦いに関わり続けようとするだろう。
この聖杯戦争にもう関与しない、そう思うぐらい大敗を喫する事。
――――それだけが、彼女たちを戦いから解放する」


追い打ちの様に吐き出されるプロデューサーの言葉。
鋼の様な冷たい決意と覚悟が籠められたその言葉は虚飾やお為ごかしで言っていない事を示していた。
そして、そんな切実な懇願を、強大なる母の異名を持つ女は、変わらぬ豪快な笑みで答えた。


「ママママ…それに関しては完璧に叶えてやるさ!その間はお前の面倒もちゃんと見てやる…
だが、最後に一つ言っておく、おれは去るやつが大嫌いなんだ。逃げようとしたら必ず殺す
よく覚えておきな……!」



その宣言を最後として。
簒奪の歌が鏡の箱庭に響き渡る。



―――LIFEorTERAT



ごっそりと。
自分の中から、大切な何かが抜けていく。消去されていく。
魂を奪われるとは、こんな感覚なのか。
恐怖はなかった。痛みもなかった。不快感さへ、ありはしなかった。
ただ、途方もない喪失感だけがそこにあった。
―――かくして、情けなく滑稽でつまらない男は、未来さえない身体となり。
その意識を、ブラックアウトさせた。


328 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:56:54 4Urky78Q0

          ▼    ▼    ▼



あの犯罪卿の小僧のお陰で出鼻は挫かれたが、概ね順調に進行している。
稀代の女海賊ビッグ・マムは、そう考えていた。
傘下の主従はこれで二組目となり、
コレクションに加えたいと思っていたマスターの魂(ソウル)も首尾よく手に入った。
流石、聖杯に『可能性の器』として選ばれただけの事はあるマスターだ。
魂の輪郭がキラキラ仄かに光って、まるで宝石のよう。
自分のコレクションに加えるに相応しい一品だった。


「さァて、これでどんなホーミーズを作ろうかねェ……そのホーミーズに小娘共を襲わせるのも面白いかもね。ママママ……」


言葉の通り、ビッグ・マムに283のアイドル達を見逃すつもりは毛頭ない。
犯罪卿とその周りにいるサーヴァントを排除するまではあの男の仁義に免じて攻撃を抑えてやってもいいと思っている。
だが、そこまでだ。その後の事は、奴とは何も約束していない。
サーヴァントを喪い無防備になった小娘たちをどう扱おうが此方の思うがまま。
白と言えば黒も白となり、黒言えば白も黒となる。
彼女はそうやって海賊として生きてきたのだから。


上機嫌で笑って、一度魂を仕舞う。
そして、傍らに詰まれた数千個のシュークリームをぺろりと一口で平らげた。
甘いクリームに舌鼓を打ちながら、電子の海、SNS上にて思わぬ一方的な再会を果たしたあの男の背中を想起する。
一騎打ちなら自分よりも強いと言われていた、広い偉大なる航路で数少ない同格とも呼べる相手。
数十年にわたって浅からぬ関係を孕んだ、四皇の一人。


「ハ〜ハハハマママ…お前も此処にいるんだろう?カイドウ。
仲良く行こうじゃねェか、昔みたいに……」


マムはカイドウの事を弟のように思っている。
無論聖杯への道を邪魔するなら殺すが、今ではない。
それどころか生前ワノ国を襲撃した時のように、海賊同盟を再結成することを彼女は考えていた。
自分とカイドウが再び並び立ち、あの忌々しい犯罪卿どもを血祭りにあげる。
対等な同盟相手としては申し分ない。

無論、あの男も最初は嫌がるだろう。
殺し合いにさえ、発展する可能性は十分にある。
それでもヤツは何時まで経っても自分の弟分だ。
例え英霊として世界に召し上げられても、それは変わらない。
最後には肩を並べてこの聖杯戦争を荒らしまわる事となる。

思い立ったら早速行動だ。
マムは傍らの大きな鏡からその巨腕を突き出す。
場所は適当だ、新宿区からほど近い地点で巨大な鏡がある場所なら何処でもいい。
傍から見れば異様な光景だろう。
鏡の中から巨大な腕が出ているその光景は。
そして、突き出した掌から爆発的な”覇王色の覇気”を放つ。
バタバタと、鏡の向こうで人が倒れる気配を感じるが気にしない。
マムにとって、これは信号弾の様なものだからだ。
暫くこうしていれば、あの男は必ず気づく、気づけば必ず自分の前に姿を現すだろう。
自分がいて、あの男がいる。
ならば放っておいても必ず磁石のようにこの聖杯戦争と言う海は自分たちを引き寄せるはずなのだ。
偉大なる航路と何も変わらない。この混沌とした聖杯戦争においても。
必ず四皇は、シャーロット・リンリンとカイドウは。
時代のうねりを、嵐を呼ぶのだから。


【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/一日目・夜】
【ライダー(シャーロット・リンリン)@ONE PIECE】
[状態]:健康
[装備]:ゼウス、プロメテウス、ナポレオン@ONE PIECE
[道具]:なし
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:邪魔なマスターとサーヴァント共を片づけて、聖杯を獲る。
1:あの生意気なガキは許せないねえ!
2:ガキ共はビッグマムに楯突いた事を必ず後悔させる。
3:北条沙都子、プロデューサーは傘下として扱う。逃げようとすれば容赦はしない。
4:カイドウを見つけて海賊同盟を結成する。

※SNSの画像よりカイドウがいる事を確信しました。
※鏡面世界から腕を出して新宿区近くの鏡のあるポイントから覇王色の覇気を送っています。
具体的に何処で行っているかは後続の書き手にお任せします。


          ▼    ▼    ▼


329 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:57:10 4Urky78Q0





「―――誰かが井戸に毒を入れた…!」


「慶蔵さんやお前とは直接やり合っても勝てないから…あいつら酷い真似を!」


「惨たらしい…あんまりだ!!恋雪ちゃんまで殺された!!」


「生まれ変われ、少年」


「―――弱いやつが嫌いだ。醜い。辛抱が足りない」


「正々堂々やり合わず、井戸に毒を入れる。醜い」


「すぐ自暴自棄になる。護る拳で人を殺した」


「師範の大切な素流を血まみれにして、親父の遺言も守れない」


「きっと治す。助ける。護る。俺の人生は妄言を吐き散らすだけの、くだらない物だった」


330 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:58:04 4Urky78Q0

          ▼    ▼    ▼


「……夢、か」


ぼんやりと。
闇の底から浮かび上がった意識で、上体を起こす。
身体を動かすのにに支障はない。何処にも痛みはない。
だがやはり、全身を言いようのない喪失感が包んでいるのは確かだった。


「ヤッホ〜☆Pたんグッドモ〜ニ〜ング!!」


傍らから、ひょうきんな子供の挨拶を投げかけられる。
其方の方向を見てみれば、ライダーのマスターと思わしき少年がお道化た調子で此方を見下ろしていた。
怒りを浮かべていた先程までとは打って変わった豹変っぷりであった。


「……あぁ、おはよう。俺に、何か用かな」
「いんや〜あの話の通じねェババアに話(ナシ)付けたワルのPたんに伝えたいコトがあってな〜
おっと、その前に九割死んだ気分ってどんなん?ボクチン知りたァ〜い!!」


そう言って、ガムテは猿のように上体を起こしたプロデューサーの周りを跳ね回る。
その姿はやはり、頭の螺子が飛んでしまった『可哀そうな子供』にしか見えない。
そんな彼の姿とは対照的な澄んだ、穏やかな態度でプロデューサーは語り掛ける。


「―――思ったより、悪くはないよ。これで一つ、ようやく決まった気がする。
それで、俺はこれからどうなるんだろうか」
「ン〜別に?俺たちに協力するならババアのコトもあるし偶像(ドル)共との抗争(センソー)まで自由にしててい〜ぜ?見張りはつけるけどな〜〜」


自由にして良いとは言ってはいるが、恐らく事実上の監禁となるだろう。
見張りをつけると言う言葉から、プロデューサーはそう汲み取った。
最も、元より昼間は拠点で余り行動しなかったため、今も状況的にはそう変わりないのかもしれない。
強制されているか、そうでないかの違いだけで。
とは言え、今の自分にはどうしても話がしたい人間が一人いる。


「それなら、どうしても話がしたい人が一人いるんだ。見張りでも何でもつけてくれて構わない。
話が終わったら君達の元へ自分の足で帰ってくることを約束するよ」
「おっ!ひょっとして偶像(ドル)かァ〜、この色男(ヤリチン)!
ン〜〜まっ!快諾(イ)〜か!!でも俺の用事が終わってからだなァ〜」
「……何ていうか、少し意外だな。俺が逃げるとは思わないのか?」
「非実在(ナイナイ)☆アンタは必ず約束を護る。オレ達もう仲間(ダチ)…だろ?」


―――この少年は。やはり、見た目通りの道化ではない。
言葉の端々から滲み出る彼の知性を、プロデューサーは感じ取っていた。
彼に宿る、普通の子供では決して持ちえない雰囲気。
この雰囲気を身に着けるまで、彼は一体どんな人生を歩んできたのか。
そう強く感じるのは、ガムテという少年の尋常ならざる気配を隠す巧さにも起因していた。
こんなにも、唯のお道化た少年ではないと感じているのに。
彼の一挙手一投足の度に、ただのお道化た少年ではないかと錯覚しそうになる。
もし意識的にやっているなら、相当な食わせ者だ。
そうして注視していると、彼と視線が交わる。
そして交わったその視線が―――狂気と愉悦に歪む。


「あ、そ〜だァ……お仲間になるならこれは神託(オチ)えとかね〜とな〜」


先ずは瞳。その次に口が。
ぞっとする程冷酷に、残酷に、笑みを形作る。
不吉の鐘の音が、プロデューサーの脳裏を駆け巡る。
だが、動けない。まるで手足は石になったかのように、動いてはくれなかった。
そして、ガムテは一欠けらの容赦もなく、普段通りのお道化た調子でそれを伝えた。


331 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:58:14 4Urky78Q0

「Pたんの事務所に白瀬咲耶ってブスがいただろォ〜。アレ殺ったの、オレ」


目が、見開かれる。
この瞬間。
心のどこかで思っていた、咲耶はまだ生きているではないかと言う考えは残酷な形で裏切られる事となった。


「…………ッ!!!なんで…ッ!!!」


ほとんど無意識のうちに、ガムテに掴みかかる。
さっきまで鉛のように重かった腕が、今は弾けるように軽やかに動く。
少年は動かない。
男の腕など止まっているように見える程遅いが、わざとされるがままになっていた。
その事もあり、男の両手は自分が持っている全力で目の前の少年の服を掴んだ。
このまま力を籠めれば、きっと殺せるだろう。
白瀬咲耶の仇を、撃つことができる。
しかし彼はそこで気が付いてしまった。



「……っ、なん、で……ッ!!」



己の手もまた、血に塗れていることに。
目の前の少年を糾弾できるような立場では、自分は決してない。
自分もまた、多くの願いと命を踏みにじって此処に立っているのだから。
その事に気づいてしまえば、もうダメだった。
掌から力が抜けていく。頭(こうべ)が下がり、十字架を背負わされた罪人のように項垂れて。
そんな彼の姿を、掴みかかられた本人は、ガムテは無言のままに見つめていた。
さっきまでのお道化た表情はなく。
彼が認めた”パパ”輝村極道の様な冷たい瞳で見下ろしていた。
そして、ぽりぽりと頭をかいた後、プロデューサーの鳩尾に膝を叩き込んだ。


「ッ……が……はッ!!!」


痛烈な痛みに崩れ落ち、冷たい床でもがき苦しむプロデューサー。
そんな彼に、べぇと舌を出して、ガムテは吐き捨てる。
如何にも興覚(ナエ)たと思っていそうな、そんな顔だった。


「意味不(イミフ)な事聞くなよなァ〜Pたん。これは抗争(センソー)だって聖杯に言われただろ?
だから、Pたんも一杯殺してきたんだろ〜が。
んじゃッ!ボクチンもう一人友達(ダチ)作りに行ってくンね〜」


そう言って殺人の王子はくるりと踵を返す。
伝えたい事はもう終わったと言わんばかりに。
だが、その離れていく背中をプロデューサーは何もせず見送りはしなかった。
腹部の鋭い痛みをこらえて、少年の背中に叫ぶ。



「待て…!待って、くれ……!さく、や…咲耶は……」




男の叫びに、ガムテは振り返らない。
振り返らないまま、ただ返事を返す。



「強かったよ」


「あの女は、予選で戦ったマスターで、一番強かった」


「ライダーをあれだけ追い詰めたのはあの女だけだ。だから、全力で罵った。全力でブッ殺した」


「それが殺し屋としての、最大の礼儀だ」


332 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 07:59:36 4Urky78Q0
    

                ▼    ▼    ▼



「―――ガムテ、新宿の付近にいた子たちだけど…やっぱり死んでたわね。」
「了解(りょ)。しっかし随分派手に激突(ドンパチ)ったもんだな」
「えぇ、新宿は酷い有様よ…それ以外は全員偶像(ドル)達の傍に着いたわ。
ガムテ、貴方の命令一つでいつでも全員攻撃に移れる。今更アイドルが十人程度消えたって誰も気にしないでしょうしね」
「オーケー。取り敢えずPたん拉致って向こうがどう出るかだなー。一応ババアが約束もしてるしィ〜」


取り敢えず、向こうの出方を見る。そう言ってガムテは通話を打ち切った。
都内各所に散らばったグラス・チルドレンは既に283関係者の自宅付近に配置が完了した。
後は自分の命令一つでいつでも攻撃に移れる。
だが、だからといって攻勢を焦ったりはしない。
別に破っても構わないが、プロデューサーとの約束がある。
グラス・チルドレンより送られてきた情報…新宿で大暴れしたらしいマスター・峰津院大和の対策も急務だ。
一度斥候を送り、それが帰ってこなかった時から彼の男がマスターであることは予想していた。
だが、此処まで考えなしに大虐殺を行う男だとは思っていなかった。
これで黙っていれば殺人の王子様(プリンス・オブ・マーダー)の名折れである。
そして何より、新宿の一件で恐らくライダーのお菓子の調達に更に人員を裂かなければならなくなるだろう。
新宿の製菓子工場が止まるだけならまだいい。
しかし流通が止まれば、あのライダーはまた激怒して何を言い出すか分からない。
既にお菓子の調達は基本的にネットからの仕入れに移行していることは不幸中の幸いだった。
だが、都外から送られてくるお菓子を各地で受け取る役目は更に重要性が増した。
受け取りさえすれば、後は鏡面世界を通じて一気にライダーの元へと届けられるのだから。


そんな思案を巡らせていると、隣に立つ黄金時代から声を掛けられた。


「で、これで私はガムテさんのお仲間として正式に認められたという事でいいんですの?」
「勿論(モッチロン)、疑ってるなら悲哀(ぴえん)だぜ、黄金時代(ノスタルジア)」
「そういう訳では御座いませんけど…リンボさんも私も、殆ど何もしていませんもの」
「Pたんをここまで連れてきてくれただけでジューブンジューブン、
正式に仲間になった証に、黄金時代はミラミラワールド、自由に出入りできる様にしてやるよ」


そうこなくては。
黄金時代(ノスタルジア)こと沙都子は、同盟者の少年の言葉に笑みを深める。
殆ど何もせず、安全かつ便利な拠点を手に入れる事ができた。
情報収集も割れた子供達と、この鏡面世界があればぐっと楽になる。
孤軍である自分に足りなかった安全な拠点と情報源、両方を一度に手に入れたのだ。


「それで、プロデューサーさんの処遇はどうなさるおつもりですの?」
「Pたんか?ま、暫くは監禁(ピーチ)状態だろ〜な〜外に出すとしても俺と一緒だ
手足の二本くらいぶった切っても良かったケドォ…あのババアが変に乗り気になった以上面倒臭いんだよな〜〜」


ガムテからすればまたライダーの機嫌を損ねて仲間を差し出すことになるのは避けたい。
完全に安全を求めるならあのプロデューサーの手足を切って転がしておくのが最善だろう。
だがそれがライダーの耳に入ればあのババアはまた何を言い出すか分からない。
おれに恥をかかせたね!と逆上して仲間の魂を簒奪しにかかってもおかしくはなかった。
それを考えれば、一先ずはこの鏡面世界に軟禁と言う形にせざるを得ないだろう。
ともあれ、逃げようとする様子も逆らおうとする様子も現状では見られない。
となれば態々強硬な手段を取ってあの男のサーヴァントと波風を立てる事もない。
自発的に協力してくれるならそれが一番リスクが少なくうまみも大きい選択肢であるのは確かだ。
一番の目標であったプロデューサーの身柄を確保は達成されたのだから。
その上、偶像(ドル)共の身の安全と撮影した動画と言う二重の『首輪』も用意した。


(バンダイッ子、テメ〜にゃ切り札はあるか?俺のはPたんだ)


333 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:00:15 4Urky78Q0

裏切るリスクで言えば、傍らの黄金時代の方が余程高いとすらいえる。
それに、今自分が描こうとしている絵図はプロデューサーが五体満足でいてくれた方が都合がいい。
そのため、目下プロデューサーに対する最大の問題は裏切り防止のための動画を公開するか否か。
後悔しなければ人質としての価値は高いが、万が一身柄を奪取された場合プロデューサーに向こう側に寝返る余地を与えてしまうかもしれない。
逆に公開して敵に回った事を宣言させてしまえば人質としての価値が薄くなるが、相手方のマスターに相当な混乱が見込めるだろう。
上手くいけば見捨てたいサーヴァント達と何とか助けようとするマスターの間に亀裂を入れられる。
強力なカードだが、使いどころが悩ましいものだ。
そう思いながらガムテはこっそりプロデューサーから奪っておいた動画の眠る彼のスマートフォンを掌で弄ぶ。


「まッ!面倒臭(シリアス)えな事は今は考えなくてイっか〜!
取り敢えず、もう一人同盟(スカウト)したい奴がいるしな〜っと」
「?まだ仲間に引き込めそうな方がいますの?」
「うんッ☆こいつこいつ〜〜!今のうちにイカした名前(コールサイン)考えとかないとな〜」





そう言いながらガムテはSNSのアプリを起動し、その画面を見せてくる。
だが、画面を見せられた沙都子は訝し気に眉を顰めた。
その相手はある意味、有名人だった。
と言ってもいい意味ではなく、悪い意味で。というかお尋ね者だった。
一見すれば、引き込む価値があるようには思えない。


「この方、大勢の人に追われているようですが……」
「ンなもんこの鏡面世界(ミラミラ・ワールド)にくれば関係(カンケー)皆無(ねー)だろ?
新宿抗争(ジュクセンソー)でうやむやになる前にこっちに引き込む」
「そうまでしてこの方を引き込む価値があるのかは分かりませんけど……ガムテさんの判断であれば否やはありませんわね。あ、後で新宿で何があったかちゃんと教えてくださいまし」


沙都子の揶揄するような言葉も、ガムテは特に気にしない。
肩をすくめて、「勿論あるさ」とだけ答える。
そして、画面に映る少年を身ながら、鏡の前に手をかざして映る光景を切り替えていく。
網を張る範囲は少年の潜伏先と思わしき中野区周辺。それも人気のない所。
その近辺を庭としている割れた子供達に情報を提供させ、隠れられる場所や廃屋をピックアップする。
後はその地点の座標を地図アプリで割り出し、虱潰しで攫っていく。
人のめったに来ない様な倉庫や廃屋は反射物も少なく、チェックしやすい。
映す場所さえ決まっていれば、ミラミラの実の能力は絶大な効果を発揮するのだ。


「発見(み〜)つけた☆」

ガムテがこれから同盟(スカウト)に望む理由は二つ。
まず、あの犯罪卿を速度と物量で押しつぶすためだ。
それが今、聖杯戦争を勝ち抜くうえでガムテが描いている計画であった。
その為には、もう少し戦力(サーヴァント)が欲しい。
故にこうして、同盟を持ちかける。
ライダーの方にも何某かのアテがあるようだったが、まるで信用ならない。
無邪気に任せていたら身の破滅を招く。故に自分が動くほかない。

そして、もう一つ。
沙都子の言葉の通りかの少年を仲間に引き込むメリットは薄い。
それに加えて、相手は数時間ばかり前に割れた子供達の構成員が襲撃していると言うのだから猶更だ。
交渉は困難かもしれない。
しかし、ガムテにとって、写真の少年は紛れもなく『割れた子供』であった。
ならば助ける。自分は、全ての割れた子供の味方であり、王なのだから。
話に応じないなら敵だが、そうでないなら彼の中でまだ少年は救うべき割れた子供だった。
大人たちに追い立てられ、社会に見捨てられ。
肝心な所で運命に嫌われる。


法も国も大人も、誰も俺たちを救ってはくれなかった。
だからこそ、俺が救う。
そんな矜持(プライド)を胸に、廃屋の窓ガラスの向こうに映る子供を静かに見すえる。


334 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:00:32 4Urky78Q0




…鏡の向こうの少年が此方に気づいていないことを良い事に、まず周囲を伺う事をガムテは優先している様子だった。
そんな彼の背中を見て、北条沙都子は何故彼がレナや圭一に慕われていたのか、分かった気がした。
ほんの一瞬だったが、彼が少年に向けていた瞳。きっとあの瞳こそ―――。
この、壊れた少年の真実なのかもしれない。
あくまで推測。それも一瞬の事だったので信憑性は薄いが。
もしそうであるなら、それは明確につけ入る隙になる、と沙都子は感じていた。
だけれど。


(……思っていたより損な性分ですわね、ガムテさん)


狂った、壊れた、つかみどころのない少年の微かに見えた輪郭。
その輪郭を蔑んだり、揶揄する感情は不思議なほど湧いてこなかった。
ただ、苦笑を浮かべて。
索敵が終わり、少年に語り掛けようとするガムテの横顔を見つめる。
かくして、ゆっくりと口を開き、此方に背中を向ける『神戸あさひ』に向けて、ガムテは口火を切った。



「ハァイ…昆布アイス☆こんばんちわ〜〜!!」


【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/一日目・夜】

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券。
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。
1:神戸あさひをこちら側に引き込む。断られたらしゃーなし。
2:283プロへの攻撃は今は控えさせる。でももう新宿抗争(ジュクセンソー)があったし良いかな
3:あのバンダイっ子(犯罪卿)は絶望させて殺す。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。

【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
1:最悪脱出出来るならそれでも構わないが、敵は積極的に排除したい。
2:割れた子供達(グラス・チルドレン)に潜り込み利用する。皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?


335 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:01:27 4Urky78Q0


        ▼     ▼     ▼



人質とは言え不自然なほどに甘い自分への対応。
自分を此処へと連れてきた、自由に出入りできる鏡の世界。
そして少年が言っていた『友達作り』
それらにアルターエゴ・リンボの口より伝えられた割れた子供達という組織の情報を組み合わせる。
組み合わせた上で、自分が勝ち残るとしたらどうするかにつたない思考を巡らせる。
自分がもし、手元にあるカードで犯罪卿との睨み合いを破綻させるとすれば―――


「―――――やっぱり、これしかないな」


ぽつりと、独り言ちる。



「何一人でぶつくさ言ってんだこのホワイトカラー野郎」


誰に言ったわけでもない完全な独り言だったが、それを目ざとく聞いていた者がいた。
先程出会ったガムテと言う少年の仲間らしい、これまたガムテープを顔中に巻いた茶髪の少年。
彼は自分の事を『解放者(リベレイター)』と名乗った。


「いいか、最初に言っておくが俺たちはお前の事なんてこれっぽっちも信用してねぇ
何か妙な真似したらガムテに命令されるまでもねぇ、俺がお前のアタマ勝ち割ってやる」


ブン!と。
ありったけの敵意を籠めた瞳で解放者はそう宣言して、プロデューサーの眼前にバットを振りかざす。
まだ喋った事もないのに、随分と嫌われているらしいと、プロデューサーは感じた。
もっとも、その敵意は正当な物であるとも。


「…すまない。気分を害したなら謝るよ」
「フン!言っとくがこの階には爆弾が仕掛けてある。俺たちを殺したとしてもその瞬間にドカンだ。
サーヴァントがいたって関係ないからな」
「辞めなよ解放者君…私の事はもういいから」


プロデューサーの見張り役として選ばれたもう一人。
礼奈(レナ)と呼ばれた少女が、解放者を宥める。
今、プロデューサーは鏡面世界を一度追い出され、高級マンションの一部屋に監禁されていた。
縛られたり等はしていないが、部屋の外に出ることは許されてはいないし、見張りも二人つけられている。
ランサーの霊体化も現在は許可されていない。
自分の用事が終わるまで此処で大人しくしていろと言うのが、ガムテからの言だった。


「心配しなくても君達が約束を守ってくれる限り、逃げたりなんてしないよ。
……俺とランサーが生き残るには、ガムテ君の力が必要だ」



集団の中に潜り込み、消耗を避ける。
それを目的とするなら今の環境はある種理想的ともいえる。
此処にいる限り、他の主従が攻めてくることは非常に困難だ。
人質としての立場もあり、鉄砲玉として狩りだされる恐れも低い。
彼らにとって自分の今の立場は、斬り捨てても痛くはないが、使い潰すには惜しい程度のカードだろう。
無論従順に従っている限りだとか、犯罪卿を始末するまでだとか様々な制約はあるにせよ、だ。


(……だけど、今のままじゃ先がない)


この立場も永くは続かないであろうことは承知している。
283事務所関係者のマスター達と雌雄を決すれば、必ず自分を使いつぶしに来るだろう。
勝ち抜くうえで、それだけは絶対に避けねばならない。
もしそうなってしまえば、本当に詰みだ。


336 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:01:51 4Urky78Q0


『―――ランサー、少しいいか。これからの事を話したい』


だから、その状況を阻止するために策を撃つ。
あの日自分が追いかけられなかった七草にちかがいると知った時から考えていた最終ウェーブ。
それを踏襲した上で、現状を打開し、優勝へと進むために拙い頭脳を総動員して導き出した一手。
だがその遂行にはランサーの協力が不可欠だ。
そのため、自分の傍らで腰掛け微動だにしないランサーに念話を送った。
ランサーは様子を一切変えることなく、念話で『何だ』と尋ねてきた。


『まずは、ありがとう。俺の事を信じて、耐えてくれて
君のお陰で、俺たちはあのライダーに近づくことができた』


猗窩座は答えない。
彼がマスターの危機に動かなかったのは、偏に動いたところで状況が好転しないからだ。
一目見ただけで、否、見なくともわかる。あれは規格外だ。
鬼の始祖である鬼舞辻無惨ですら、あれには遠く及ばない。
もし事を構えれば、マスター共々消される。そう判断しての事だ。他意はない。
故に無言を貫こうと考えたが―――続いたマスターの言葉は流石に沈黙を決め込めるものではなかった。


『あのガムテ君の狙いが分かったかもしれない。
それを踏まえた上で、これからの事を話そうと思う」
『――話してみろ』


337 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:02:20 4Urky78Q0


切り出す前に、解放者と礼奈の様子を伺う。
二人とも、ランサーとの会話には気づいていない様子だった。
念話で話してしまえばNPCには話しているかの判断がつかない。
バレないようにポーカーフェイスを作りながら、話を切り出す。


『まず、ガムテ君たちは283の誰かのサーヴァント…犯罪卿というサーヴァントから牽制を受けてるらしい。283の関係者に手を出せば他の主従に狙われるぞってね』


その情報はリンボから聞いたものだ。
真偽のほどは定かではなかったが、自分を人質として欲する動きとライダーの発言から真実であると推し量る事ができた。


『……だから多分、そうなっても関係ないよう仲間を募ってるんだ。
最低でも、犯罪卿と決着をつけるまでは』
『何かと思えば、数で勝負ときたか』
『でも、有効だ。そして―――仲間の数はそこまで多くなくていい。
彼らには、東京中を自由に行き来できる能力がある』




恐らく、仲間に引き込むとしてもあと2、3騎程で十分だと判断するだろう。
余り集めすぎても船頭多くしてなんとやら。
一つのイスを争っているのを考えれば大人数を集めるメリットは薄い。


『多分、一騎や二騎じゃ覆せない程度の戦力。それだけ揃えば彼らは行動に出るはずだ。
あの鏡の中の世界を使って』


反射物を通り道にできる射程が東京全土なら、数時間おきに拠点を転々とすれば先ず捉えることはできない。
この拠点を特定し、復讐の主従で取り囲んだ時には既にそこはもうもぬけの殻になっているのだから。
都内を行き来するのにかかる時間は僅か数十秒だ。
その速度の前には犯罪卿の牽制など何の抑止力にもならない。
後は淡々と他の主従の居場所を割り出し、複数の自陣営で個別撃破を繰り返す。
相手に自分の運命を悟る暇すら与えない。

動にかかる時間が自分と同じ数十秒程度であるのなら。
標的を撃破し、次の攻撃ポイントに移るまで多く見積もって数分。
一時間もあれば、十か所以上に連続攻撃を仕掛ける事ができる。
その攻撃速度にはどんなサーヴァントも、マスターも付いて行けないだろう。


『俺を今の所自由にしているのは、その為でもあるんだろう
俺も一先ず、彼等に協力しようと思う、でも』


あの少年が自分に危害を与えていないのは、他の同盟者への抑止力としたいのではないか。
それがプロデューサーの立てた仮定だった。
この計画にあたって、最も怖いのは内部からの裏切りだ。
それを防ぐにはお互いを監視し合う他ない。
そして同時に、計画をプロデュースした側からもある程度の信用が必要となる。
即ち、計画に参加している間は非戦協定を守ると言う信用が。
そんな時に、自分がズタボロの格好で出ていけば彼は他の同盟者からの信用を喪うだろう。
彼は公平である必要はないが、公平感は演出しなければならない立場なのだ。



『……ガムテ君たちの準備が整ったとき、先ず攻撃を受けるのはあの子たちだ』



あの子たちとは勿論、283プロダクションのアイドルに他ならない。
犯罪卿も、この鏡面世界のからくりには気づいていないだろう。
知っているなら、283の情報セキュリティをもっと強固にしていた筈なのだから。
そして、気づくことができなければ、彼女たちはまず間違いなく皆殺しにされる。
自分に対して交わした約束など、何の気休めにもならない。
よしんば割れた子供達やライダーが見逃したとしても、他の同盟者の聖杯狙いは知った事ではない。
消耗を避けるために、進んで彼女たちを排除しようとするはずだ。



『――――だけど、』


338 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:02:46 4Urky78Q0



腹のそこから響いてくるような、低い声だった。
少なくともアイドル達の前ではどんなことが会っても発しない類の声だった。
分かっている。
にちかのために、全てを裏切ると決めた自分が、こんなことを考えるのは烏滸がましいと。
でも、それでも。
言わずには居られなかった。
例えどんなに恥知らずな言葉でも、吐かずには居られなかったのだ。
単純に優勝するため、だけではない。
自分が幸せにできなかった七草にちかがいるかもしれない。
それが分かった時から考えていた事があった。
だが、アイデアは漠然としていて、それを選ぶ踏ん切りが付かなかった。
今は違う。
皮肉にも、己の身体に未来が亡くなった事で道は拓かれた。
七草にちかを幸せにして。少なくとも聖杯戦争に参加した他のアイドルがこの東京から脱出できる方法を思いついたのだ。
だから、彼は静かに宣言する。



『そんな事は、させない』




そのための布石は、用意してある。


『……どうやってだ』
『さっき用意した、キミが持ってる物を使ってだ』
『…これか』


そっと掌で隠しながら、伸びをするふりをして、ランサーは右の腹の下を摘まんだ。
ぶじゅりと、指が沈み込む。
そして、体内からある物が微かに見えた。
板状の物体。
スマートフォンと呼ばれる電子端末。
それは、プロデューサーが元々持っていたものではない。
数時間前に謎の人物――恐らく犯罪卿から与えられたものだ。


『俺が持ってるスマホは渡してしまったけど…そのおかげでキミはノーマークだ。
それで彼らの情報を犯罪卿へ流して、彼らを誘導する』


元々は、いざと言うときに誰か助けを呼べたらいいな。
そう思ってこの高級マンションに来る前にランサーに持たせていた物だった。
連絡はできる事なら声の出す必要がないメールで行いたい。
いざとなれば、確定でマスターだと知っているにちかにメールすることになるだろう。
アイドルの連絡先なら、全て暗記している。


『奇襲前に彼らが現れるポイントとタイミングを伝えることができたら
少なくとも彼女たちは戦場から逃がせる。上手くいけば、待ち伏せにして混戦状態にできる』


アイドル達のサーヴァントが乗ってくる可能性は高い。
彼等からすれば裏切り者の自分を切りたくて仕方ないだろう。
だが、状況は彼等の想定よりも水面下で深刻化しているのを伝えれば乗って来ざる得ない。
タネが分かっていても反射物などこの街には幾らでもある。
一度補足されてしまえば対策は難しい。
そして、手品の種を知っていることが分ればそれに応じた手をガムテと言う少年は打ってくるだろう。
彼を倒さなければ、神出鬼没のサーヴァントに彼等はずっと着け狙われる事となる。
そうなればいずれ守り切れなくなる時が来る。
それを避けるには、自分の情報が生命線となるのだから。


339 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:03:12 4Urky78Q0


『本当は、衝突の瞬間はできる限り先延ばしにしたいけどな。ガムテ君が脱落しても、先はまだ長い』


ライダーの力を借りながら終盤まで力を温存しつつ、競争相手が少なくなった終盤に283のサーヴァント達と対消滅刺せるのが最善の進行だ。
だが、そう都合よく彼(ガムテ)がより危険視してくれる敵が現れる望みは低いだろう。


―――ハッキリ言って、作戦そのものが正気ではない。例え最善の過程で事が進んでもだ。
何しろプロデューサーは、283にどれだけの戦力がいるのか知らないのだから。
そんなギャンブルの様な作戦に、自分も含めたアイドル達の命をオールインしようとしているのだ。
皆のプロデューサーであった頃の彼なら、絶対に選ばないだろう選択肢。
しかし、今の彼は最早そうではない。


『―――何にせよ、混戦状態になれば、君の探知能力が活きてくる。
それを使って状況を誘導できれば…俺たちが場の権利を一度だけ握れる。
離脱するにせよ、消耗した生き残った方を討つせよ、チャンスが巡ってくる』


今の彼は優勝を目指す、『七草にちかだけのプロデューサー』となることを決めた。
ガムテらを仕留めれば、283のサーヴァント達も優勝への道を阻む障害だ。
彼女達はきっと、自分を止めようとするだろう。
プロデュースしてきたのは他でもない自分なのだから、それはよく理解している。
だから、アイドル達を戦場から遠ざけた上で、彼等には脱落してもらう。
サーヴァントさえ喪えば、彼女たちにもう聖杯戦争に関わる力はない。
そして彼女たちを聖杯戦争から遠ざけた上で優勝することができれば、現在のプロデューサーが描いている絵図へと到達できる。
だが、その前に。
ランサーに、どうしても確かめておかなければならないことがあった。
投げるべき問いは、おおよそマスターとして最低の部類だ。
今度こそ殺されるかもしれない。
だが、尋ねておかなければならなかった。


『ランサー…聞いておきたい。
君が、聖杯に託す願いは、何だ?君は聖杯に、何を望む』


数時間ほど前にランサーに真意を話した時と同じく。
真っすぐな声だった。
多くのアイドルを導いてきた、真っすぐな声だった。
その声を以て、彼はランサーに問いかける。


『……それが今の話と何の関係がある』
『直接的には関係は薄いかもしれない。でもこれから俺が君とやっていく上で重要な事なんだ』
『……………』


それは嘘も方便も介在しない、本気の声色だった。
きっと、この問いかけは真に重要な事なのだろう。
だから、少しの間をおいて、猗窩座は静かに答えた。
『願いは、ない』と。


『………本当にそうなのか』
『―――あぁ、俺の目的は聖杯背を目指す強者と戦い、至高の領域に至る事。
器そのものは、どうでもいい。些事だ』
『……ランサー、君は、恋雪さんと―――』
『誰だそれは。そんな者、俺の記憶の中に存在しない』
『……っ、そんわけ』
『くどい。これ以上食い下がるなら話は此処までだ』


340 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:03:42 4Urky78Q0


恋雪。
その名前を聞いた時、こめかみに疼くような痛みが走った。
だが、どうでもいい。今のこの、猗窩座には関係のない話なのだから。
そう、本当に、関係のない話なのだ。そうあらなくては行けない。
だから、珍しく食い下がろうとする主の言葉を斬り捨てた。
追求の余地を潰して、本題へと入るように促す。
プロデューサーはしばらくの間押し黙っていたが、意を決したように再び口を開く。



『―――もし、本当に聖杯が託す願いが無いなら』


『君の分の聖杯を―――彼女たちのために使ってやってくれないか』


かくして吐き出された懇願は。
主として正しく厚顔無恥で失格とも呼ぶべきものだった。
要するに、一言で言うならば。
タダ働きをしろと言っているような物なのだから。


『この数時間。ずっと、考えてたんだ』


『にちかは、あの子を聖杯の元へと送り届けて―――
それで、あの子がちゃんと自分のために聖杯を使ってくれるかって』


そして、何度考えても。


『あの子は誰かを犠牲にしてまで自分の幸せを願う事のできる子じゃない』


向き合う事のできなかった自分でも理解しているつもりだ。
七草にちかという少女は、きっと。
例え幸せが目の前にあったとしても。それに手を伸ばすことができない。
他人の命がかかっているなら、猶更だ。


『そこで、彼女がもし、自分の幸せを願わなかったら―――君が、願ってやってほしい』


そのまま彼は言葉を続ける。
七草にちかが自分の知っている七草にちかではなく、自分たちが聖杯を獲った時の場合を。


『そしてもし、俺たちが聖杯を獲ったら―――俺はにちかの為に聖杯を使う。
そして君は…君が許してくれるなら……この東京にいる他の全てのマスターの、
帰還を、願ってやってほしい』



―――それが、彼が描こうとしている絵図の終着点だった。
全ては仮定でしかないけれど。
きっと優勝者が決まった時点では、この世界は消失しない可能性は高いと彼は踏んでいた。
恐らく消失が始まるのは優勝者の願いが果たされ、界聖杯の役目が終わった時の事。
その前に、残存マスターの帰還を聖杯に願うことができたなら。



「―――にちかは幸せになれて、他のマスターも死なずに済む。それで殺し合いは終わる』


341 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:04:02 4Urky78Q0

この絵図を描き切る事ができたなら、にちかは幸せになれて。他の宝石たちも死なずに帰還できる。
願い方を工夫すれば、咲耶だって救えるかもしれない。
大団円の道は、まだ消えたわけじゃない。
そんな優しいハッピーエンドの為なら、他には何も要らなかった。
自分の様な咎人の寿命など、迷うことなく捧げられた。
ただ、それは。
何処までも浅ましく図々しく恥知らずな願いを、ランサーにしなければならなかった。



『勿論、君が聖杯に何を願うのかは君に任せる。君の決断を尊重したい。
これは、彼女たちに筋を通したい俺の我儘でしかないから…でも、選択肢の一つとして考えていてほしい』


言いながら、我ながら本当に最低最悪の屑だなと自嘲してしまう。
自分の伸ばせる手は余りにもちっぽけで不確かだ。
大団円と言っても、NPCのアイドル達はきっと全員は護ることはできない。
本来なら、彼女たちも守り抜くべき存在であるのに。
しかし全てを賭して守り抜く、その銘を受けた椅子には、既に一人の少女が座ってしまっている。
そして、生と死の最前線ではその椅子はこれ以上は増やせない。
本当に、無力で、不義理に過ぎて笑みすら零れる。
宝石たちを裏切り、ランサーの主として振舞うこともできず、そして何より―――


「オイ!ホワカラ野郎!!何ニヤニヤ笑ってんだよ気持ち悪い!」
「……少しぼーっとしてたんだ。すまない。俺に何か用かな?」
「えっと…私達これから晩御飯にしようと思ってるんですけど。
貴方も……食べるのかな?かな」


自分の計画が成功すれば、目の前の二人もきっと死ぬことになる。
割れた子供達。
生きるためにナイフを握るしかなかった子供達。
自分や283のアイドル達の命を狙う恐ろしい殺し屋。そう再現されただけのNPC。
けれど。
それでもプロデューサーの目には、今の目の前の二人は、唯の子供に映った。
仲間が傷ついた事に怒り。
仲間のために戦い。
目の前の相手を気遣える、唯の子供だった。
283プロダクションの彼女たちと変わらない、血の通った唯の子供だった。


「……あぁ、実はお腹が空いてたんだ」
「そう、ですか。なら、貴方の分も用意しますね」
「チッ、コンビニのおにぎりで良いだろこんな奴」


ガムテ、と言う少年もそうだ。
最初に会ったときはこの少年は壊れている、素直にそう感じた。
でも、咲耶の最期を話す彼の背中は、目の前の二人に慕われる彼は。
傷ついた仲間のために戦い。
矜持(ほこり)を胸に戦い。
決して救われない、自分の様な大人が取りこぼしてきた子供達を背負って戦う彼には。
不思議と、憎しみだとか敵意とかは生まれてこなかった。
咲耶を殺した仇である事は分かっているのに。
侮蔑の感情は全くと言って良い程湧いてこなかった。
自分もまた、多くの命と願いを踏みにじって此処にいるのだから。
そして、それでもなお。


342 : 最後に残った、たった一つの偽物 ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:04:22 4Urky78Q0

『この二人にも、ガムテ君も、消えてもらう。
あの子たちがマスターと知ってる人間は、全員』


彼等には、ここで消えてもらわなければならない。
自分の願いのために。辿り着こうとしている大団円のために。
その終着点には、彼等は必要がないから。
それは十分理解している。それでもその時の事を思うと、どうしようもなく心が軋んだ。
…それでも、為さなければならない。
どんな犠牲を払ってでも、一人の少女が幸福な未来にいるために。
その為なら、あの日の少女ではない彼女ですら、殺める決意をしたのだから。
決断の血は、自分が流す。地獄の特等席は、自分が座る。


……田中摩美々は勿論。
櫻木真乃ですら、割れた子供達は人ではなかった。
自分と仲間の命を狙う恐ろしい殺し屋。怪物。あるいは影だった。

影だから恐ろしいと思うだけで済んだ。
でも、プロデューサーにとって、彼等はもう影ではなかった。
殺さなければ行けない敵であり―――人だった。
大多数の人間にとって、人は人を殺せない。
殺せるとしたら人とみなしていない、影だけだ。
人を殺せるとしたら、それは鬼だ。
事実猗窩座は何人も罪もない人間を貪ってきた。
だけれど、彼の主は鬼ではなかったし、鬼にはなれなかった。
それでも彼は鬼の道を歩もうとする。
彼にとって、それ以外の道を選ぶという事は。
あの日笑えなかった少女を諦めるという事だから。
そして、そんな様を見て上弦の参たる彼は思うのだ。
主が目指す未来。その未来には。


『――――――そこに、お前はいるのか』



そう、考えずにはいられなかった。


343 : 名無しさん :2021/11/17(水) 08:07:26 4Urky78Q0

     ▼     ▼     ▼


――――未来を喪っても、不思議と心は凪いでいた。
俺は弱い。それは覆る事のない事実だ。
おおよそ、聖杯戦争を勝ち抜くのに必要なものは何一つ持ち合わせていない。
そんな俺が勝ち残ろうと思えば、代償としてはむしろ安いだろう。
過去も未来も、もう俺には必要ない。
必要なのは今と、奇跡に辿り着くための僅かな明日だけだ。


――――――靴に合わせないとダメなんです。


今ならわかる。あの時言っていたにちかの言葉が。
勝つために今の自分が何もかも足りないと言うなら、全く別の人間に変わるしかない。
例え、今までの自分を粉々にしたとしても。
全く違う人間であることが出来たなら、合わない靴でも走り続ける事ができる。
ランサーに語ったプランも、ある意味ではそれを狙っての事であった。
今はにちかと他の宝石たちを天秤に掛ければ、選ぶのはにちかだと言える。
だけれど、極限の状況下でそれを貫き通せるかは分からない。
貫き通せたとしても、心が揺れてしまう可能性は十分にありうる。

だから、例え彼女たちがどんな言葉で説得しようとも。
決して揺れる事の無いように。
後ろを振り返る事が無いように。
前だけを見て、ゴールを目指し進むことができる様に。
最後まで、七草にちかだけのプロデューサーであれる様に。
今の道を選んだのだ。


―――そうだ。絶対に選択を間違えるな。


きっとこれから先も、見えない月を追いかける、無明の雪原を行く道行となるだろう。
だが、今の自分に後悔も、諦観もない。
やるべきことは明白で、後は前進あるのみなのだから。


にちかは、幸せになるんだ。


分かっている。これは醜いエゴだ。
彼女だけのプロデューサーとして、彼女の夢を挫折と諦観では終わらせない。
例え、世界が彼女の夢を否定しても。
七草にちかが夢を見る事が愚かで間違いではないと断じても。
自分だけは、それは違うと言い続ける。
…そうだ。
あの日、小さな肩を震わせて、笑う事すらできなかった彼女が。
沢山の人に愛されて、幸せになるべき彼女が。
何時か輝くステージの下で、強く笑えるように。

―――月(きせき)はなく、星(きぼう)もなく、道(みらい)は闇に溶けた。
しかしそれでも、それなのに、まだ体は鼓動を刻んでいる。
だから、宵闇に立つ男の胸に抱いたものはきっと祈りではなく。
独善的で、矮小で、どうしようもなく無価値な己へと向けた―――誓いだった。



【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/一日目・夜】

【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし。
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。……動かなくてはいけない。
0:にちか(騎)と話す。ガムテの用事が終われば彼とまた交渉を行う。
1:もしも、“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
2:時が来れば自陣営と283のサーヴァントを潰し合わせ、両方を排除する。
3:白瀬咲耶が死んだことに悲しむ権利なんて、自分にはない。
4:『彼女』に対しては、躊躇はしない。
5:序盤は敵を作らず、集団形成ができたらベスト。生き残り、勝つ為の行動を取る。
6:にちか(弓)陣営を警戒。

【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:携帯電話(犯罪卿より譲渡されたもの)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は、何だ?
1:ひとまずは、合理的と感じられる範囲では、プロデューサーに従う。


344 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 08:07:59 4Urky78Q0
投下終了です


345 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/11/17(水) 19:55:10 4Urky78Q0
プロデューサーの状態表に修正箇所があったので修正させていただきます。

【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/一日目・夜】

【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×10枚
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。……動かなくてはいけない。
0:にちか(騎)と話す。ガムテの用事が終われば彼とまた交渉を行う。
1:もしも、“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
2:時が来れば自陣営と283のサーヴァントを潰し合わせ、両方を排除する。
3:白瀬咲耶が死んだことに悲しむ権利なんて、自分にはない。
4:『彼女』に対しては、躊躇はしない。
5:序盤は敵を作らず、集団形成ができたらベスト。生き残り、勝つ為の行動を取る。
6:にちか(弓)陣営を警戒。

※リンボの護符は発動中1時間ほど周囲の日光を遮り、紅い月が現れる結界を出すことができます。
異星の神とのリンクが切れているためそれ以外の効果は特にありません。

※ソウルボーカスにより寿命の9割が喪失しています


346 : 名無しさん :2021/11/19(金) 21:04:24 LdDGFmvo0
乙でした〜!
一般人ながらガムテの裏に何かがあることに感づくP


347 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/19(金) 21:04:41 Q3cTQk4I0
皆さま投下お疲れ様です!
感想は後ほど。

予約を延長します。


348 : ◆A3H952TnBk :2021/11/20(土) 07:07:35 0.dO76Gg0
延長します。


349 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/20(土) 22:24:03 mO19n//c0
延長します


350 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:17:20 ROKnPNLU0
前編だけにはなりますが一旦投下します。


351 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:18:39 ROKnPNLU0
 人間万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。
 皮下は眼下に広がる変わり果てた鬼ヶ島の姿を見下ろしながら、肺の空気を全て外に押し出す勢いで溜息をついた。
 
「まあ、上手く行き過ぎてるな〜とは思ってたけどよ……」

 皮下真及び彼の率いる陣営は、間違いなく此度の聖杯戦争における優勝候補の筆頭だった。
 神秘こそ持たないものの下手なサーヴァントよりは余程戦えるし、尚且つしぶとい"再生"の開花持ち。
 あらゆる人材や武装・設備を格納出来る上に潜伏先としても優秀極まりない固有結界・鬼ヶ島。
 そして極めつけが鬼ヶ島の主。今は皮下の目の前で不機嫌そうに髭を擦り、杯を呷っている人外じみた巨躯の怪物。
 暴力の化身たるカイドウ。一つの世界における"最強"の座を恣にした魔人が優れたマスターと膨大な戦力の両方を抱えているのだ。
 これで勝利を確信しないのはむしろ臍曲りというものだろうし、事実余程の相手でもない限りは、彼らの牙城を崩すことは不可能であろう。

 問題は――その"余程の相手"がこの界聖杯内界には存在していて。
 尚且つ運の悪いことに、そいつが皮下の潜む拠点に突撃して来たことだった。

「なあ総督よ。鬼ヶ島(これ)の修復って俺の魔力を吸い上げてパパっと終わらせたり出来ねえの?」
「止めとけ。幾らお前でも干上がっちまうぜ」
「流石に無理かぁ。俺としちゃ倉庫ってイメージの方が強いんだけど、これ固有結界だもんな。
 しゃあない、保管してる実験体共を多少溶かすよ。ちょうど試してみたいこともあったしさ」

 皮下とカイドウの負った損傷は大したものではない。
 多少魔力を使う羽目にはなったが肉体面の疲労はとうに全快している。
 カイドウについては言うまでもない。
 問題は彼と戦っていた鋼翼のランサーもまたさして大きな損傷を負っている様子がなかったということだが、こればかりは退かせた人間である手前胸に留めた。
 只でさえ頭の痛い状況だと言うのに、下手なことを言ってこの怪物の怒りを買ってしまう事態は避けたい。
 
「(本当は明日の夜明け前にも鬼ヶ島計画を実行に移して、聖杯戦争を詰めに掛かりたかったんだが……流石にそれまでには間に合わねえな)」

 先の交戦が皮下陣営に齎した痛手は大きく分けて二つある。
 一つは表の拠点であり、自身のロールの要でもあった皮下医院の崩壊。
 研究設備は鬼ヶ島に軒並み送っていたからまだ助かったが、少なくとも社会的ロールに絡めた計略はもう打てない。
 然るべき時が来るまでは"皮下真"は病院の崩落に巻き込まれて死んだと、そういう風にしておくのが無難だろう。

 そしてもう一つの痛手は、真の拠点である鬼ヶ島に大きな被害が出たことだった。
 これが一番皮下にとって頭の痛い事案だ。
 鬼ヶ島の復興までに掛かる時間消費(ロス)が、ほぼ約束されていた勝利までの道筋を大きく遠ざけてしまった。
 これで葉桜関連の設備や備蓄が破壊されてしまっていたならいよいよ頭を抱えるしかなかったに違いない。
 そうならなかったのは、百年以上に渡って世に蔓延り、あらゆる犯罪に加担しながら悠々と生き永らえてきた男の悪運か。
 幸い事態は最悪ではないが、それでも決して良くはない。
 あのクソドラ息子がよ〜〜、と、口汚い愚痴が溜息に乗って口からつい出てしまう。

「まあ……確かにおれも盛り上がり過ぎた。それは認める。
 英霊になれば少しは落ち着くかとも思ったが、あんな野郎が出てきちまうとついな」
「あんたの部下がどんな気持ちであんたに付いて行ってたかよ〜く分かったよ。
 ……それで? 結局どの程度だったんだ奴さん。俺が止めなかったら殺せてた?」
「あれが奴の限界ならな。だがそうは見えなかった」

 一対一(サシ)でやるならカイドウだろう。

 人は畏怖と諦観の念を込めて彼のことをそう評した。
 故にこその"最強生物"。超人魔人犇めく大海賊時代における四つの頂点、その一つ。
 そんなカイドウだが――彼は"最強"ではあっても"無敗"ではない。


352 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:19:30 ROKnPNLU0
 
 カイドウは数え切れない数の勝利と蹂躙を生涯通して重ねてきたが、彼の背後には少なからず敗北の記録も存在する。
 彼は最初から最強だった訳ではなく、何度も転んではその度に起き上がり、その威容に似合わない真面目で地道な研鑽を重ねて此処まで強くなった。そういう類の強者なのだ。
 とはいえ此処まで仕上がり、最強生物の肩書を体現するまでに至った彼を負かせる存在などそうそう現れはすまい。
 だがカイドウは先程相見えた鋼翼のランサー……真名を"ベルゼバブ"という破壊者の内に、決して小さくない致命の可能性を見た。
 鬼ヶ島と現世を股にかけて戦った先の大戦(こぜりあい)がベルゼバブの限界であったなら恐るるに足らない。
 後先を考えなくていいのなら次は確実に撃滅出来るだろうとカイドウはそう踏んでいる。
 問題はベルゼバブの強さにまだ"先"があった場合である。
 隠し玉の仔細にも依るが、場合によってはベルゼバブは最強生物カイドウを討ち滅ぼす何人目かの勝者となり得るだろう。
 
「おれの予感じゃ、あの野郎はまだ何か手を隠してる。おれと同じでな」

 とはいえ、手を隠しているのはカイドウも同じだ。
 ベルゼバブとの戦いでも幾らか見せた悪魔の実の能力。
 カイドウがその身に宿す幻獣種の力には、まだもう一つ先の段階が存在する。
 それを解放することを前提で考えるならばベルゼバブの打倒は十分に可能と見ていた。
 しかしベルゼバブもまたカイドウと同じであるのならば……その時は先の比ではない、空前絶後の大戦争を演じることになる筈。
 
「じゃあ比較したら不利なのはこっちだな。あのガングロ男は良いとして、隣でふんぞり返ってるお坊ちゃんが厄介過ぎる」
「戦ったんだろう。どうだった?」
「化け物だね。俺も大概人のこと言えないだろうが、流石にあそこまでじゃない。
 安全に処理するんなら大看板をぶつけるのは必須だな。飛び六胞じゃ手に負えないし、虹花(ウチ)の奴らは論外だ」
「とことん弱者の気持ちが分からん奴らだな」
「あんたが言えたことかよ、総督」

 自分達でさえこれほど苦戦させられたのだ。
 そこらの真っ当な主従があれらとかち合えば、さぞかし見応えのない殲滅になることは想像に難くなかった。
 つくづく悪い冗談のような奴らだった……皮下は先の騒動をこう総括する。
 そんな彼に対しカイドウは訝るような目を向ける。よもや臆病風にでも吹かれたのかとそう疑う目だった。

「そんな目で見るなよ。これでも一応色々考えてるんだぜ。これからのことは」
「指揮官はお前だ、皮下。お前が使える人材である内は、言うことも聞いてやるよ。
 だがそうでなくなったなら、その時はおれも考えるぜ」
「そいつは困る。俺にはあんたが必要なんだよカイドウさん。
 仮に大和の野郎からあのランサーをぶん取れたとしても、あいつじゃ俺のサーヴァントは務まらない。
 あんたが持つ"最強の力"と"最強の兵力"が最高なんでな。あんたは俺にとって理想のビジネスパートナーだ」

 二枚舌の口先八丁はお手の物の皮下だが、この言葉に嘘はない。
 本戦が始まって早くも最初の夜を迎えた東京。
 中には此処に来て自分のサーヴァントに見切りをつけ始めた者も居るようだが、少なくとも皮下にその気は一切なかった。
 彼が自分を切るというのならば土下座でも何でもして温情を乞うただろう。
 それほどまでに、カイドウは皮下にとって理想的な存在だった。
 小細工が出来て、手数に任せた圧殺も出来て、それでも駄目なら馬鹿みたいな最強生物が金棒でガンガン殴って無理矢理潰す。
 まさに何でもござれだ。そして皮下は彼の武力に驕ることなく、絶好調の現状を更なる高みに押し上げる策も練っていた。


353 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:20:12 ROKnPNLU0

 結果的にそれは功を奏したと言えよう。
 峰津院大和とそのサーヴァントの襲撃により皮下の絶好調にはケチが付いた。
 それでもまだ覇者の王冠に限りなく近い優勝候補なことに変わりはなかったが、よりそれを確実なものにしたければ大きな変化が必要になってくる。
 聖杯戦争に勝利するために立てた筋道(プラン)の改良と、そして改造(リモデル)が不可欠だ。

「ずっと考えてたんだ。この聖杯戦争って儀式(ゲーム)、もっと効率良く勝てる裏技があるんじゃねえのって」

 まだ、それは仮説に過ぎない。
 可能性がある、という段階に過ぎない。
 だがもしもそこを乗り越えて実用化に至れたならば。
 皮下真の頭の中を飛び出して、現実の道理としてその裏技(グリッチ)が罷り通るのならば――。
 
 その時、皮下は。
 そして、カイドウは。

「……ウォロロロロ。面白え話じゃねェか。皮下てめえ、何を掴んだ?」
「じっくり語って聞かせたいところなんだけどな。見ろよ、予想した通りお呼び出しだ」

 肩を竦めてスマートフォンの画面をカイドウに向ける。
 そこには彼らの同盟相手である、とある主従からのメールが表示されていた。

 これから俺の指定する場所にライダーを連れずに30分以内で来い。でなければ同盟は破棄する。
 ……まあ、ものの見事に足元を見られている。
 表面上の拠点とはいえ病院をああも完膚なきまでに潰されては仕方のない話だったが、こう強気で来られると多少面倒だった。

「どうすんだ。切るなら切るでもおれは構わねェが」
「あんたは構わなくても俺は結構死活問題でなー。サーヴァントの方もそうだが、何とこっちもマスターの方がちと具合悪い。
 首輪を付けて飼ってないとおっかなくて夜も眠れねえよ。あの兄さんは間違いなく俺の天敵だ」
「回復の禁止、だったか? ま、確かにてめえには効果覿面の鬼札だわな」
「……正直今の内に殺しちまうのもアリっちゃアリなんだけどなー。
 いよいよもって東京中のあらゆる主従から目を付けられるだろうことに目を瞑れば、だけど」
「はっきりしろよ。おれの出番なら出撃(で)てやる。お前に死なれると俺も困るんだ」
「いや、此処は素直に行ってやることにする。もし死んだらあの世で謝るわ」

 流石に、カイドウの姿を前にしても頑なに服従を拒んだだけのことはある。
 どういう経緯で彼がこの思考に至ったのかも大体想像はつく。
 自分がなんとか逃げ遂せた後にでも、彼らは彼らで大和と接敵していたのだろう。
 そしてスカウトなり何なりを受けた。峰津院大和と皮下真を利害の天秤に掛けた結果、沈んだのは前者だった。
 だからこうして直球で足元を見に来たのだと皮下は推察する。なんとも面倒で、かったるい話であった。

「本当なら今頃は、目ぼしいマスター候補の連中に片っ端から粉掛けて遊んでる筈だったんだけどな。峰津院のせいです、あーあ」

 とりあえず多少の時間は掛かるが建て直しは出来る。
 峰津院大和と鋼翼のランサーの実力を思えばこれだけの損害で済んだのは喜ぶべきことなのだろうが、皮下はそこまで謙虚にはなれなかった。
 リップ達のところに向かうことを決めて返信を打ち込みつつも未練がましく愚痴る。
 カイドウはぐびぐびと酒を呷って微かな疲れを癒やしつつ、彼と語らった。

「真乃ってガキか? クイーンが弄り回してる連中のダチだとか言う」
「真乃ちゃんもそうだけどさ、俺は俺で色々と調べてたんだぜー?
 今ネットでボコボコに叩かれておもちゃにされてる神戸あさひって子とか。
 侍みたいな風体であちこち出歩いては気まぐれに人助けしてる、妙な大柄の男とかさ」
「何だそりゃ。もしマスターならバカって次元じゃねェだろう」
「だよなー。でもマスターなのは多分間違いないんだよ、これが。
 クロサワって覚えてる? 虹花(ウチ)の部下なんだけどさ」
「覚えてはいる。興味はねェけどな。人殺しが上手いだけの兵士なんざ、今更さしたる価値は感じねェ」

 百獣海賊団の上位幹部に比べれば皮下の率いる虹花のメンバーは戦力で見て数段劣る。
 後先考えずに暴れれば一部は飛び六胞に届き得るだろうが、それでも現状神秘を宿せないのだから戦力としては期待出来なかった。
 しかしそれでもカイドウは、彼ら彼女らの顔と名前が全員一致する程度には記憶野の容量を割いてやっていた。


354 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:21:09 ROKnPNLU0

「そのクロサワから連絡があったんだよ。
 件の風来坊殿はサーヴァントらしき別の侍を連れていた、ってな」
「そりゃ分かりやすくて話が早えな。出る釘は打たれるって言葉を誰も教えてくれなかったと見える」
「峰津院のガキがカチコミかけてさえ来なかったなら、潰すなり上手く取り込むなりしたんだけどな。
 ……ま、そんだけ目立ってるんだ。わざわざ俺達が手を下さなくても目聡い誰かが目を付けるだろうさ」

 皮下は戦力の増強を良しとする。カイドウも同じだ。
 他の誰かの手で潰されるくらいなら自分達の手で格の差を分からせて、令呪でも使わせた上で隷属させた方が遥かに利がある。
 そう考えて皮下は件の風来坊にカイドウをけしかけようと思っていたのだが……それも今となっては白紙だ。
 とてもではないが、そんなことをしている場合ではなくなってしまった。
 リップの元に向かうべく踵を返し、ぽりぽりと頭を掻きながら。皮下は何度目かの嘆息を漏らした。


「惜しかったな〜、真乃ちゃんも光月なんちゃらも。
 大和のクソガキさえ居なかったら、思う存分遊んで虐めてやるところだったんだけどなー」


 とはいえいつまでも過ぎたことを引きずっていても仕方がない。
 とりあえず今はリップと会って、彼と今後の関係性について話し合うのが先決だろう。
 何を話すか。もとい彼に対してどう出るかはもう決めている。
 それで通るならば良し。通らないのなら、その時は多少無茶をしてでも生き延びることに全力を注ぐまでだ。

 そう思考しながらいざ、一歩を踏み出そうとした皮下。
 だが、彼の足が二歩目を踏み出すことはなかった。
 
 踏み出そうとしたその寸前で――さながら、突如皮下の周囲の重力が数十倍に膨れ上がったかのような重圧に襲われたからである。


「(――――――――なんだ? これ)」


 それがどうやら己の背後に居る鬼神の如き男から発せられたものであると理解した時、皮下は背筋に明確な寒気を感じた。
 この世の何よりも美しく、それでいて悍ましい永久の満開を保つ桜と共に死ぬことを決めた瞬間から、彼は人間ではなくなった。
 どんな非道にでも手を染める。昨日まで和気藹々と話していた人間がボロ雑巾のように死んでも泣くどころかケラケラ笑える。
 人でなしのマッド・サイエンティスト……その皮下にとって恐怖という感情は長らく無縁の概念であった。
 そのため、少しばかり気付くのが遅れた。
 自分の足を止め、背筋を寒からしめているものの正体が、そんなとうの昔に忘れた筈の情動であることに。

 カイドウは馬鹿げた強さの持ち主だが、しかし馬鹿ではない。
 知略、計略、軍略、交渉まで幅広く手がけるまさに総督肌の人間だ。
 だから基本的には話が通じるし、彼の考えと反目してしまう場合でも辛抱強く理を説けば認めてくれることも多い。
 だがそれを踏まえても、皮下はこの男を親しみやすい存在だなどと思ったことは一度もなかった。


355 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:21:58 ROKnPNLU0

 地雷が埋まっていると分かっている荒野で陸上競技をさせられているような張り詰めた緊張感が常にある。
 酒に酔っている時は勿論、素面の時であってもカイドウはいつ何処でブチ切れるか分からない。
 話が通じると言っても、いつその前提があちらの都合で崩れ去るか分からないのだ。
 そして万一彼を怒らせてしまったなら、たとえマスターであろうと情け容赦は期待出来ない。
 ひとえにカイドウとは、"海の皇帝"とはそういうものなのである。
 
「え、えぇっと……どうかされましたか? カイドウさ〜ん……?」
「皮下。お前、今なんて言った?」

 何処だ? 何処で地雷を踏んだ?
 考えてもそれらしい言葉を口にした心当たりはない。
 鬼ヶ島の郎党を除けば誰よりもカイドウの恐ろしさを知っているのがこの皮下だ。
 軽口を叩くことはあっても彼の怒りを買うことはないよう、常に気を配って振る舞っている。
 如何に余裕のない状況とはいえそんな致命的なミスをした覚えはないのだったが……カイドウはそんな彼にもう一度問うた。

「偶像(アイドル)のガキなんざに興味はねェ。
 もう一人の方だよ、皮下。おれの聞き間違いかもしれねェからもう一度名前を聞かせろ」
「ん? ああ……光月――光月おでんだよ。そんな名前あるか? って笑ったからよく覚えてる」

 どうも怒らせたわけではないらしいと察し、一人安堵する皮下。
 だが今度は疑問が込み上げる。
 2021年の東京で侍装束を纏い堂々と歩き、人助けと日雇い労働に邁進する巷で噂の風来坊。
 確かにクロサワを相手にしても一歩も退かなかったという辺り相応の度胸と実力はあるのだろうが、何故カイドウがこうも気にするのか。

「……もしかして知り合いか? カイドウさ――」

 ん、と言いかけて振り向いて。
 皮下はまた固まった。そんな彼を臆病だと笑える人間が果たしてどれだけ居るだろう。
 彼が振り向いた先にあった光景は、全ての動作を投げ捨ててでも静止してしまうに足るものだった。
 
 百獣海賊団"総督"、世界最強の生物、海賊の頂点"四皇"、ワノ国の明王――百獣のカイドウ。
 十数騎のサーヴァントを無傷で屠り、蒼き雷霆を容易く退け、鋼翼の破壊者とすら互角に渡り合った怪物。
 その彼が、俯いて震えていた。人間の規格を完全に超えた長身と鋼以上に堅牢な肉体を震わせ、揺らし、呻いていた。
 いや、違う。呻いているのではない――笑っているのだ。
 カイドウは愉快だとか痛快だとかそういう言葉では表し切れない、万感の想いでも込めたかのような重厚な歓喜の念でその図体を揺らしている。
 
「そういう重要なことは早く言えよ。それを知っていたならおれは……もっと真剣にやってやったってのによ」

 そんなことを今言われても困る。
 その言葉はどうにかぎこちない愛想笑いの内側に押し込めたが、皮下は今以って理解が追い付かなかった。
 東京でまことしやかに評判が広がっている義侠の風来坊・光月おでん。
 彼の名前を突き止めたのはつい先刻のことであるし、そうでなくても何故この怪物がこうまで件の侍に巨大な感情を向けているのか。
 元の世界で知己ないしは宿敵の間柄だったのだろうことは察せられたが、だとすればおでんという男は果たしてどれほどの人物なのだ。
 あの鋼翼と相対した時ですら大きく感情を揺るがすことのなかったカイドウ。
 そんな何処まで行っても規格外の一言でしか形容出来ない男を、こうまで揺らせる光月おでんとは何者なりや。


356 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:22:44 ROKnPNLU0
 皮下の困惑を余所に、カイドウは空を見上げて獰猛に笑んだ。

「……そうか。そうか、そうかよ。てめェ此処に来てやがったのか――おでん」

 そこに宿る情念は煮え滾る溶岩の如し。
 彼の言い草は間違っても友人や同胞に向けるそれではなく、そこから両者の間柄は想像出来る。
 だとすれば。カイドウがこうまで情念を燃やす光月おでんという男は――まさかカイドウに勝ったのか。
 脳裏を過ぎった最悪の想像に、皮下は思わず表情筋を引き攣らせた。いつになったら俺の受難は一段落するんだと心の中で女々しく嘆いた。

「気が変わった。リップのガキとアーチャーは必ず連れて帰って来い。お前に限って失敗はねェよな」
「そりゃ俺だってそのつもりだけどよ……いきなりどうしたんだよ。急にそんなマジになられると心臓が吃驚するぜ」
「帰ってきたらお前の言う奥の手とやらも教えろ。使えるかどうか見極めてやる」
「……お〜〜い。総督〜〜……?」

 まるで話を聞いてくれない。
 これまでのカイドウは言うなれば巌のようにどっしりとその場に構え、時が来るまでは不動を保つというスタイルだった。
 峰津院大和とそのサーヴァントによる襲撃があったことを含めても、カイドウは当面指針を変えるつもりはないように見えた。

 なのに光月おでんの名前が出た瞬間――これだ。
 突如としてその姿勢は前のめりに変わり、リップとアーチャーを連れ戻せという命令にはある種の圧力すら伴っていた。
 もしも失敗して帰ってこようものなら、たとえ皮下であろうと彼の不興を買うことは間違いないだろう。
 戸惑う皮下の前でカイドウは杯を呷り、喉を鳴らして、酒で濡れた口元を拭い言う。

「もう遊びは終わりなんだよ、皮下。
 この戦争で最も危険視すべき相手は峰津院大和でもなければ、あの鋼翼野郎でもねェと分かった」

 百獣のカイドウ。誰もが認める最強の生物。
 彼は自分自身の武力と、その背後に揃った戦力に絶対の自信を持っている。
 だからその立ち回りには焦りがないし、見ようによっては消極的と取られてもおかしくはないものとなる。
 当然カイドウとかち合って無事で済むサーヴァントなど存在しないだろうが、生憎と此処は数多の可能性が犇めく蠱毒の壺。
 最強生物の牙城を崩し、彼の聖杯戦争を終わらせる"討ち入り"が起こる可能性は十二分にあった。
 
 その点を踏まえて言うならば、皮下が彼の前で"その名"を口にしたことは間違いなく最大級のファインプレーであったと言えよう。
 光月おでん。その名を聞いた瞬間、カイドウの中から全ての慢心が消えた。そして火が点いた。
 文字通り"遊びは終わり"なのだ。その名を軽んじることはカイドウに限っては絶対にない。

「サーヴァントらしく忠言ってやつをしてやる。"光月おでん"を見くびるな」

 警告をしているとは思えない、吊り上がった口角。
 隠し切れない歓喜を滲ませるカイドウを前にして皮下は悟った。
 自分は今まで、この怪物の表面だけしか見ていなかったのだと。
 彼の中に潜む狂おしく荒れ狂う禍々しき情念――最強生物の裡を今、見た。

「野郎は……このおれに消えねェ敗北を刻んだ"侍"だ」

 カイドウの胴に刻まれた大きな、大きな刀傷。
 英霊となっても尚癒えることのない、それほどの意味を持つ傷。
 忘れられない、忘れるなど出来る筈もない、生涯最大の敗北の証。
 
 界聖杯を巡る戦いの中における最大の敵。
 少なくともカイドウにとってそれは、間違いなく光月おでんであった。
 皮下には分からないだろう。ともすれば百獣海賊団の部下達ですら理解は示さないかもしれない。

 しかしそれでもカイドウだけは疑わない。
 もう二度と、彼が光月おでんを軽んじることはない。
 奴こそが、此度の戦争で立ちはだかる最大の難敵であると。
 そう声高に断言するカイドウに……皮下は何も言えなかった。
 何か少しでも言葉を誤れば取り返しの付かない目に遭う、そんな本能的直感があったからだった。


357 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:23:24 ROKnPNLU0
◆◆


 皮下が去り、部下の一人も居ない玉座にて。
 カイドウは一人飽きもせずに酒を呷っては呼気を吐いていた。
 これほど呑んでいるというのにしかし酔いはまるで回っていない。
 回る気配もない。かの男の名を聞いた瞬間から、カイドウの頭は未だかつてないほど冴え渡った状態を維持し続けている。
 それほどまでに重き名であった。
 それほどまでに、意味のある名であった。
 誰もが最強と呼んで恐れたカイドウが、ただ一人生涯に渡って縛られ続けた男。
 どれだけ研鑽を重ねても塗り潰すことの出来ない敗北。
 天を翔ける龍であろうと彼岸の向こうにまでは届かず。
 ついぞその生涯が終わるまで――カイドウは自らの喫した雪辱を果たすことは叶わなかった。

「お前の侍共はよくやったぜ、おでん」

 思い出す。
 二十年の時を超えて自分の許に討ち入った赤鞘の侍達。九里大名であったおでんの家臣共。
 光月おでんは滅んだが、彼の意思は肉体が失われた後においても生き続けた。
 カイドウを斃すためではなくワノ国を救い、開国するために。
 彼の想いは受け継がれ、"D"に繋がり嵐を生み、遂にはカイドウの喉笛にまで迫った火祭りの夜の大戦争。
 しかし今。カイドウの胸中を満たす期待と歓びは、あの時と比べても尚全く別格のそれであった。

「あれだけ派手に暴れてやったんだ。お前も、もうおれの存在には気付いてんだろう」

 誓って意図した訳ではなかったが、よもやあの無軌道な巡遊が功を奏する事態が到来しようとは。
 余人が見たのなら、周囲への被害も省みずに暴れる青龍のサーヴァントが居るという認識だけに留まるだろう。
 だが光月おでんが居るのであれば、彼に対してだけは話が違う筈だ。
 おでんはカイドウの存在を認識する。そして、己の現界の意味を悟る。
 カイドウを討たねばと猛り、かつて青龍斬りを成し遂げた閻魔を握り締めているに違いない。

 そうであってなければ困る。
 死を超え、時空を超え、そうまでしてようやく舞い込んできた再戦の機会。
 これでどうして笑わずにいられるだろう。
 カイドウの願いは、もうこの時点で一つ叶ったのだ。

「お前に不覚を取ってから随分鍛えた。もうあの時のおれじゃねェぞ」


 ――真面目だな……せいぜい強くなれ。


 カイドウはその言葉を真に受け強くなった。
 最強と呼ばれるまでに自らを鍛え上げた。
 もはや此処に居るのはあの日のカイドウではない。
 本人もそう思っているからこそ、尚更彼はおでんの居る世界に召喚されたことを喜ばしく思うのだ。


358 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:24:08 ROKnPNLU0
 生死の彼岸すら超えた再戦。それが成るのであれば……あの日の不本意な決着を塗り替えて、今度こそ自分の手で光月おでんを滅ぼせるのならば。
 それは、一体どれほどの僥倖であろうか。

「来いよ、おでん。おれを殺しに来い。お前の討ち入りをもう一度見せてみろ。
 今度こそは誰の横槍も入れさせねェ――あの日のやり直しをしようじゃねェか」

 此処に誓おう。
 今度こそは一対一だ。
 おれかお前か、どちらかが滅びるまで。
 誰の邪魔も許さない。誰の横槍も認めない。
 その果てに聖杯への道が閉ざされたとしても、それが運命(さだめ)と諦めよう。

「もっとも……"勝つ"のはおれだがな」

 しかしその"もしも"を空想する意味はないとカイドウは断ずる。
 彼は海賊だ。己の没落を想定して船を出す海賊など居ない。
 それと同じで、カイドウは自身の敗北など微塵も考えてはいなかった。
 かつては死という、"人の完成"を求めた身。
 されど今は違う。今のカイドウはただ純粋に、おでんとの決着という悔恨をやり直すことこそを求めていた。
 
 さあ、今こそ戻らないあの日をやり直そう。
 舞台は東京。ワノ国によく似た異界の大地。
 再戦までに経た時は二十年……否、もっと遥かに長い久遠。
 ようやく叶った悲願を前に――カイドウは四皇としてではなく、一人の海賊として、再びおでんとの戦いをやり直すことを決めた。


「……で」

 それはさておき、と。
 カイドウは眉を顰め、虚空を見据えていた。
 異空間に広がる空、その向こうに繋がる現世。
 そこから伝わってくる皮膚の痺れるような感覚は忌々しくも感じ慣れたもので。
 光月おでんの存在を確信した時の歓喜が一転、苦虫を噛み潰したような嫌そうな顔になる。
 その表情をした理由は、界の層を隔てても尚カイドウの元に届く程のこの強烈な"覇気"の主が誰なのか、容易に理解出来てしまったからだった。

「何をしてやがんだ、あのババアは……
 そもそも何だってこんな所に居やがる。おれを追い掛けてきたわけでもあるめェし」

 カイドウにとっての腐れ縁。
 何かにつけて恩着せがましく付き纏ってくる狂った女。
 それでいて、カイドウと肩を並べる程の規格外――海の皇帝、その一角。
 "ビッグ・マム"と呼ばれた鬼婆の存在を、彼はこの時確かに感じ取っていた。


359 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:25:32 ROKnPNLU0

「おれはもう今度という今度こそは分かってんだ。お前と組むとロクなことにならねェと……」

 現世で突如ビッグ・マム……シャーロット・リンリンの"覇王色の覇気"が撒き散らされた理由は想像出来る。
 昼間の巡遊か先の新宿大戦かは知らないが、何処かのタイミングでリンリンはカイドウの存在を知ってしまったのだろう。
 だからこうして大胆どころの騒ぎではないド派手なアプローチを打ってきた。
 おれは此処に居る。おれとお前で組めば敵はねェだろ、仲良くしようぜ昔みたいに――。
 あのババアの考えなど手に取るように読める。
 しかしカイドウにその誘いを受けるつもりはさらさらなかった。

 リンリンは確かに強い。
 それはカイドウも認めるところだ。
 聖杯を獲れる可能性のあるサーヴァントは己とあの鋼翼、そして彼女の内の誰かだろうと確信している程だ。
 しかしリンリンを味方に抱えることのリスクの大きさを、カイドウは嫌というほど知っていた。
 ひょんなことでタガが外れて暴れる、人の部下を癇癪起こして勝手に倒す。
 リンリンの菓子欲求が限界まで達したならどうなってしまうかなど考えただけでも頭が痛くなってくる。

 海賊同盟など二度と組んでやるものか。
 ……とはいえ、あからさまに"誘って"きたリンリンを放置しておくのも賢明な選択とは言えない。

 くどいようだが、あのババアには常識というものが一切通用しないのだ。
 彼女が勝手に弟分と思い目をかけているカイドウに誘いを無視されたなどと知れば何を仕出かすか分かったものではない。
 鬼ヶ島に居る間はさしもの彼女も居場所を特定して乗り込んでくるようなことはないだろうが……後顧の憂いを断つに越したことはないだろう。
 はあ、と酒臭い溜息を吐き出して、カイドウはリンリンに会いに行くことを決めた。

「まァ……それも皮下の野郎が帰ってきてからだ。リップのガキめ、一丁前におれから鞍替えしようとするなんざふてえ奴じゃねェか。
 あまり跳ねっ返りが酷ェようなら灸を据えなきゃならねえか――いや。
 或いは、そういう奴も居てもいいのかもしれねェな。あの"最悪の世代"のガキ共のように、おれの予想を超えてくれるかもだからよ」

 去るのならば殺すが、味方で居る内は生意気も跳ねっ返りも美点と見るべきかもしれない。
 かつてそういう若者達に痛い目を見せられたカイドウは、それ故にリップという青年のことを高く評価していた。
 リップの中には、カイドウを最大の窮地に追い込んだ"最悪の世代"を彷彿とさせるぎらつきがあった。
 敵に回れば厄介。されど友軍に抱え続けた場合の可能性は未知数だ。
 サーヴァントの強さも申し分なく、峰津院にお礼参りをする際の良い兵器になるやもしれない。
 拠点を破壊され、虎の子の鬼ヶ島をすら半壊させられながらも……カイドウの心は弾んでいた。
 これは面白い。必ずやこの先に自分を満足させてくれる戦乱があるのだとそう確信してさえいる。

 思う存分に楽しもう。
 思う存分に味わおう。
 そして、その果てに――あの日の悔恨に"決着"を。

「(あのイカレババアにかかずらってる暇なんぞおれにはねェんだ。
  タダじゃ退かねェだろうが、いざとなったらマスター諸共叩き潰して済ませるか……)」

 リンリンが自分を誘い出そうとしてきた意図。
 それが何であれ、カイドウの出す答えは決まっている。
 絶対にあのババアとは組まない。邪魔をするなら叩き潰す。
 そう胸に誓いながら、残った酒を一息に己の体内へと流し込む、カイドウなのであった。


【新宿区・皮下医院跡地(異空間・鬼ヶ島)/一日目・夜】

【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:健康
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:あの日の悔恨に"決着"を。
1:ライダー(シャーロット・リンリン)とは組まない。まず何で居やがるあのクソババア!(それはそうと会いに行く準備中)
2:鬼ヶ島の顕現に向けて動く。
3:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
4:リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。てめェ戻って来なかったらブチ殺すからな
5:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
6:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
7:峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
8:ランサー(ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
[備考]
※鬼ヶ島の6割が崩壊しました。復興に時間が掛かるかもしれません
※ライダー(シャーロット・リンリン)の存在を確信しました。


360 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:26:15 ROKnPNLU0
◆◆


 日は落ちて、空は夜天が満たし。
 頭上に星々を瞬かせながら両者、もとい三者は邂逅した。
 待っていたのは眼帯の青年と、機械めいた装いの少女(サーヴァント)。
 現れたのはへらへらとした軽薄な笑いを浮かべた白衣の男。サーヴァントは連れておらず、その気配もない。
 代わりに片手に持っているのはエナジードリンク。翼を授けるとか、そんな謳い文句で宣伝されている代物だった。
 それをぐびぐびと呷りながら現れた男――皮下真は、手土産代わりに持ってきたらしい未開封のそれをひょいと青年・リップに投げ渡した。
 当然、リップは缶を払い除ける。
 地面に落ちて缶が割れて、じゅうううと音を立てながら中身が溢れ出しアスファルトを汚し始めた。

「ひっでえな。食べ物を粗末にする男は嫌われるぜ」
「負け犬が。よくノコノコ顔を出せたもんだな」

 負け犬、と評されて皮下はけらけら笑いながら肩を竦めた。
 自虐している風ではない。彼はいつだとてこうなのだ。
 軽薄で、馴れ馴れしくて、何も知らない者には好青年の印象を与えるが事情を知る者にはただただ不快感ばかりを押し付ける。
 もっとも今彼が立たされている状況が苦境のそれであることを知っている故、リップの出方は挑発的だった。
 彼が峰津院大和とそのサーヴァントの襲撃によって表舞台での拠点を失い、裏の拠点にも甚大な被害を受けたことを知っているからだ。

「呼んだのはお前らだろ? 状況が変わった途端に足元見てきやがって。俺は悲しいぜ」
「俺は打算でしか他人と組むつもりはない。
 先の戦いを見て……そして直接峰津院大和に接触してみて思った。現時点じゃ、お前より奴と組んだ方が得策だってな」

 は、と鼻で笑うリップ。
 そう、あくまでも彼が抱いているのは打算だ。
 確かに皮下の有する兵力は膨大だが、状況が整わなければろくに現出させられない兵力など無いも同然だ。
 であれば、この現実社会に対して他と一線を画した影響力を持つ峰津院を味方につけた方がどう考えても賢明であろう。
 少なくとも現状では、リップの中の天秤では峰津院と組む未来のほうが優先されていた。

「首輪付けて飼えるとでも思ってたか? 間抜け。手綱を握ってるのはこっちの方だ」

 皮下達は、すっかり"してやった"気持ちで居たことだろう。
 だがそれは一気に崩れた。峰津院大和の進軍を前に崩壊した。
 その結果、今手綱を握って、足元を見ているのはリップ達の方だ。
 笑みを浮かべたままの皮下に対して、リップは尚も続ける。

「俺が求める条件はメールで伝えた通りだ。今この場で明確な具体策を提示出来なきゃお前らを捨てる」
「俺じゃなきゃ頭抱えてる無理難題だぜ、それ。この短時間でどれだけのものが用意出来るってんだよ」

 アーチャー……シュヴィ・ドーラはリップが皮下に突き付けた命題を指してこう評した。
 蓬莱の玉の枝の方がまだ簡単なくらいの、とてつもない無理難題であると。
 事実それは皮下も認めるところであったし、リップもそのつもりで彼に突き付けている。
 そして、皮下が何を言おうとリップに条件を歪めるつもりはない。
 あくまでも今足元を見ているのは自分達の側なのだから、温情をかけてやる理由など一つとしてなかった。


361 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:27:21 ROKnPNLU0

「即座に切らないだけ譲歩だと思え。
 お前の持つ戦力は確かに強大だが、お前という一個人に対する信用は出会った時からずっと地の底だ。
 本当なら、交渉の余地なく捨ててもよかったんだ」

 皮下真という人間に対するリップの印象は、最初から現在に至るまでずっと"最悪"の一言に尽きた。
 皮下はお世辞にもまともな人格をしているとは言い難い、残忍で非道な人物だ。
 情けを掛ける理由など一つたりとも見当たらない、後腐れなく殺せる屑だ。
 そんな男がカイドウ――あの鬼神の如きライダーを連れているというのはあまりにも目障り過ぎる。

 とはいえ、リップは皮下を完全に切るつもりでいるわけではない。
 皮下が自分の押し付けた無理難題に応えてのけたなら、素直に同盟関係を続行してやるつもりであった。
 その場合でも峰津院を退けつつ、尚且つ皮下陣営を壊滅させられる算段は既に先程立ててある。 
 リップは選択を強いられる側ではなく、選択することが出来る身分なのだ。
 皮下陣営と峰津院陣営。この聖杯戦争を終わらせる力を持つ両陣営を、贅沢にも比較して選ぶことが出来る。
 そんなリップの心中を見透かしたように、皮下は嗤った。

「嘘だね。お前なりの未練だろ、リップ」

 空気が張り詰める。
 リップの眼光と皮下の眼光が交差した。
 自身が事実上丸腰であることを忘れたのかと思うほどの流暢な口振りで、皮下は語り出した。

「峰津院のお坊ちゃんに何を吹き込まれたか知らないけど、今対面して確信したよ。
 口じゃ高圧的に脅し紛いのことを言ってるが、結局お前もお前で俺達に未練があるんだ。
 まあ気持ちは分かるぜ、仕方ない仕方ない。俺らを切るってことは、当然あの人も敵に回るってことだもんな」
「仕損じた奴がよく言うもんだな。あのまま続けてれば勝ってたとでも言うつもりか? この国じゃそれを"負け惜しみ"って言うんじゃなかったか」
「勝ってたんだよ。退かせたのは合理的判断ってやつだ」

 皮下の言を負け惜しみと貶したのは本心からだ。
 だが、皮下の言う"あの人"……彼が率いるライダーを敵に回す云々の下りに関しては否定しきれない側面があった。
 峰津院大和と彼が従えているサーヴァントは確かに怪物だろう。
 しかしそれは、リップとシュヴィがあの時見た鬼神の如き男の脅威度を引き下げる要因にはまるでなってくれなかった。
 今でも引き続き、リップにとってカイドウは脅威なのだ。
 
 アレは、怪物だ。
 アレは、化物だ。
 大和の連れるランサーと比べても何ら劣らない強さを持っていることを理解しているからこそ、皮下の負け惜しみを貶しこそすれど全否定出来ない。
 本当にあのまま戦いが続いていればどうなっていたのか。
 皮下が臆病風に吹かれていなければ、新宿大戦の結末は如何なものとなっていたのか。
 それを断言出来ないからこそ、リップは現在の同盟関係を維持する未来を完全には捨て切らなかった。
 まさしく"合理的判断"だ。ともすれば混乱してもおかしくない状況に置かれながら、どちらの道にでも転べる最善の思考を練ることに成功した。


362 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:27:59 ROKnPNLU0

「とはいえこうして議論してても平行線だ。そして俺も、ぶっちゃけ今は色々忙しくてな。
 鬼ヶ島の修復のこともそうだし、総督は何故か急にやる気出し始めてるし、他のことにあまりかかずらってられないんだわ」

 そして皮下は、リップが賢明な判断をした末にこうして自分を呼び付けているだろうことを察していた。
 彼は人間の可能性や美しさを信じない。彼が信用するのは、今この時点で目の前にあるデータだけだ。
 されどその点においても、リップという人間は極めて優秀な――油断ならない"やり手"であった。
 だから信用した。リップが最善を選んでくるだろうことを。
 だから此処までやって来た。最善を選べる頭のある輩には、こちらも最善を選んで相対さなければならないから。

「だからまあなんだ。あっちに行きたきゃご自由にしてくれて構わないぜ?」

 胡座を掻きながらのんびり来るべき時に備えていればいい、そんな慢心はこの一時間弱で吹き飛んだ。
 カイドウが聖杯戦争に対する関心を明らかに高め出したことも、彼の気性と不安定さを思うと素直に喜んでいいものかどうか分からない。
 そんな真実の皮を巧みに被って、リップに頑なになられては困る自分の本心を包み隠す。
 こればかりは年季。この世界に比べて何十倍、否誇張抜きに何百倍も裏社会の技術力や人材レベルが上昇した世界で百年暗躍してきた杵柄だ。
 実力と相性ならば上を行かれるだろう。
 しかし悪人としてのキャリアならば、皮下はリップを遥か後ろに置き去ることが出来る。

「……大きく出たな。自分が置かれてる状況は理解出来てるか?」

 こき、と首を鳴らして薄笑いの皮下を睥睨するリップ。
 彼がした一瞬の目配せに、シュヴィはこくりと頷いた。
 何も手抜かりはない、という意味合いだ。
 皮下が何かしようとすれば、即座にシュヴィは過剰火力で彼を吹き飛ばすだろう。

「アーチャーの解析でお前があの化物を連れて来てないことは分かってる。
 此処で話が決裂するなら晴れてお前との縁は解消だ。お前のことは此処で殺したって構わない」
「そら見ろ、未練タラタラじゃねーか。否定すんなら喋る前に一撃なり入れる場面だろ不治(アンリペア)。同性相手のツンデレはキツいぜ?」

 オブラートなど一切包まない剥き出しの脅迫(ナイフ)。
 皮下はエナジードリンクをまた一口飲み、まるでカフェで一服でもするみたいな調子で彼へと返した。

「そっちがその気で来るなら令呪を使ってライダーを呼ぶ。確かにお前との相性は最悪だが、それならそれで"喰らわないように"逃げに徹すればいいからな」
「させると思うか」

 リップの言う通り、皮下はこの場にカイドウを同伴させていない。
 虹花の中で動かせる僅かな人材――ちょうど現世へ出ていたアカイを近くに待機させてはいるがそれだけだ。
 もしも何か怪しげな行動を起こせば、くどいようだがシュヴィが黙っていない。
 アカイが駆け付けることに成功したとして、神秘を持たない彼女では何の足止めにもなるまい。
 令呪を使うまでの時間稼ぎすら、果たして出来るかどうか。

 皮下はそれが無茶なことは自覚している。
 此処に来る前、元の世界で悲願の成就に向け邁進していた頃。
 皮下が運命の車輪で轢き潰した轍の一つ。
 そこから飛沫して車輪に紛れ込んだ、あるとても小さな砂粒の存在が、彼に一つの窮地を生んでいた。


363 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:28:32 ROKnPNLU0
 
 おぞましき血筋。凡人にとっての悪夢。
 人の不幸を苗床にして咲く徒花。ある魔人の始まり。
 一家六人、全員が超人。一個師団は愚か、誇張抜きに一国を敵に回すのと同等クラスの危険度を誇る連中。
 夜桜一家。色濃い破滅を突き付けられて意地で笑むしかないこの状況は、彼女達との対決が決定的になったあの懐かしい世界でのそれにもよく似ていた。

「あまり舐めてくれんなよ」

 皮下の眼に、ぼうっと灯るその光。
 桜の紋様。開花の証。彼を包む呪わしい祝福。
 ぐしゃ、とエナジードリンクの缶を握り潰して投げ捨てた。


「俺が今まで、誰と揉めるの覚悟でやってきたと思ってんだ」


 さりとて、窮地にあって尚皮下は歩みを止めない。
 過去。夜桜との対決という破滅の運命を見据えても、彼は足を止めようとはしなかった。
 何故なら彼は常に、その状況を想定して、覚悟して罪を重ね続けてきたから。
 そしてそれは世界が変わり、敵が変わった今であろうと何一つ変わらない。
 カイドウ、峰津院大和、そしてリップとシュヴィ・ドーラ。
 誰が相手でも、皮下真は一歩も退かない。
 ポーズはしよう、処世術も使おう、でも道を譲ることだけは有り得ない。
 
 夢追い人が歩みを止めればそれで終わりだ。

「……とはいえだ。何のかんの言っても、人材を失うってのはあまり旨くない話だ」

 いざとなったら腹を括ろう。
 しかし、言わずもがなそれは最悪の展開になった場合の話だ。
 皮下とてそうならないように努力くらいはする。
 そして今回は幸い、頭の中にあった秘蔵のカードを一枚明かすことで済んだ。

「だから一応、話自体は持ってきたんだぜ。ただ実証実験はこれからだ。
 今はまだ仮説段階の話でしかないし、ひょっとしたら俺の考え違いで全部終わる可能性もある」

 問題があるとすれば、それがまだ確証も糞もない仮説上の話であること。
 もし実証段階に移して空振ろうものなら、その時はいよいよ去る者達を引き止められない。

「ただ」

 勿論、カイドウの不興も買うことになろう。
 皮下は今以上のピンチに追い込まれるということだ。
 が、もしも全てが皮下の考える通りであったなら。
 その仮説を実証に移した時、得られる成果が皮下の思い描いた可能性をなぞってくれたなら。


「全部が俺の推定通りなら、間違いなく勝ち馬は俺達の方だ。
 多分俺達が一番効率よく、それでいて大規模にやれる。
 総督が聖杯戦争の粗方を終わらせてくれるだろうぜ」


 ――それが証明された時点で、聖杯戦争の終わりは見える。


364 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:29:08 ROKnPNLU0

 皮下はそう確信していたし、だからこそ此処でカードとして切ったのだ。
 峰津院大和という新たな取引先を見つけたリップの心を曲げさせるのは容易なことではない。
 故にこれは、皮下陣営にとっての今後を決定付けると言ってもいいワイルドカードであった。
 そうまでして自分達を引き止めたい、その考えはリップ達にも筒抜けだろう。
 皮下とてそれは承知の上。しかし今以上は一歩も譲らない。
 彼らが"これ以上"を求めるのならば話は決裂、一か八かの大博打……皮下はそう考えていた。
 どだい同盟相手に足元を見られ養分を吸われているようでは、あの大和を相手に打ち勝てなどすまい。

「(ハッタリを言っている風には見えないが……お前はどう思う?)」

 訝る様子を隠そうともしないリップ。
 彼の送った念話に、シュヴィが応答する。

「(ん……。虚勢ってわけでは、ないと思う……。
  ただ皮下も相当焦っては、いる……ペースを乱されないように、気をつけて……)」
「(分かった。ただ一応、いざとなればすぐにでもこいつを殺せるよう準備しておいてくれ)」

 解析体(プリューファ)であるシュヴィの眼はそう簡単には誤魔化せない。
 皮下の心拍数やバイタルサインを常に把握し、シュヴィは彼の言葉に嘘がないかを逐一監視している。
 皮下の焦りなんかはこれである程度筒抜けになっているのだったが、それでも嘘を吐いている風には見えなかった。
 念話を聞いたリップも、皮下の十八番が話術を用いての撹乱であることには察しが付いている。
 落ち着きを保ったまま、あくまで"上の立場から"、彼に話の続きを促した。

「聞かせろ。それに応じて考える」
「俺の部下の話は……したことあったよな」
「虹花。葉桜の超高度適合者で組織した私兵集団だったか」

 あれらはリップにとっても面倒な奴らという認識だった。
 数こそそれほどでもないが、一人一人が人間程度なら数百人単位で殺せる武力を植え付けられている。
 リップとて、虹花の主戦力になり得るメンバーに多対一を仕掛けられれば死を覚悟しなければなるまい。
 つくづくロールの格差がでかい戦いだと、界聖杯に悪態をつきたくなったものだった。

「あいつらには聖杯戦争のことと、この世界の真実についてを教えてある。
 自分達が勝敗に関わらず必ず滅んで消える線香花火みたいな存在だって知って尚健気に仕事してくれる最高の仲間達さ。
 それはいいが──おかしいと思わないか?
 界聖杯の定義じゃ奴らはNPC……"可能性なき者"って話だった筈だろ。世界の真実と自分の末路を知った連中は、それでもまだ"可能性がない"のか?」

 ……これについては、リップも考えていたことだ。
 "可能性なき者"と聞けば、浮かぶ印象はただ流されるままで、盤上に主体的に関与することの出来ない存在――というもの。
 故にNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)。言い得て妙な表現である。
 
 では皮下の虹花のような、世界の真実を知り行動する者達は――その扱いに含めていいのか?
 自ら物を考え、終わる世界の中を歩む者。それを、可能性なき者の一言で片付けていいのか?
 これは何も道徳上の話を論じているわけではない。界聖杯内界における定義の問題だ。
 リップも疑問に思ってはいた。ただその上で、然程重要視するべき事でもないかと片付けていただけ。


365 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:29:43 ROKnPNLU0

「俺はそうは思わない」

 しかしそこには確たる意味があるのだと、確信した様子で皮下は断言した。

「界聖杯が言うところの"可能性"は、多分外側からの煽動で後天的に発現させることが出来るんだ。
 さあ、そこでクイズだリップ。別にアーチャーちゃんが答えてもいいけどな」

 どっかりとその場に腰を下ろして胡座を掻く藪医者。
 クイズ番組の出題者でも気取っているのか、指を一本だけ立ててみせる。

「ではそもそも、界聖杯にとって"可能性"とは何を意味する?
 未来へ歩む資格があるとかそういうエモい話じゃなくて、もっとシステマチックに考えた場合だ」

 界聖杯は"宇宙現象"の類であるが、そのあり方は非常に機械的だ。
 実際界聖杯とは無限の猿、或いは渦を巻く五十メートルプールにばら撒かれた時計の部品。
 小数点を遥か、本当に遥か下回る、ほとんど無と変わらない確率で出来上がった"自然発生した機械"。
 そう見るのが正しい存在なのだろうと、皮下はそう考えていた。
 少なくとも界聖杯そのものに何らかの意思が介在している気配はない。 
 であれば界聖杯が頻りに重視する"可能性"とは。ひいては、"可能性の器"とは一体何を意味する言葉なのか?
 その答えを先に出したのは、やはりと言うべきか機凱種の少女だった。

「ただの、NPCと……そうでない存在を、区別する……データ………?」
「正解……かどうかはまだ分かんないけどな。少なくとも俺はそう予想してる。
 要するに可能性持ちの人間ってのは、そうでない連中に比べて持ってる容量がでかいんだ。
 この世界の人間はNPC。元を辿れば界聖杯が直接生み出した存在だろ?
 ならその構成材質は人体組織に限りなく酷似した魔力で間違いない。似てはいるけど、人間じゃあないんだよ。本来はな」

 そう、あくまで本来は。

「しかしそこに外からアプローチを行うことで、本来存在しない筈の"可能性"を代入することが出来るんじゃないかと俺は考えた。
 可能性を後天的に得て覚醒したモブ共は途端に"ノン・プレイヤー・キャラクター"らしからぬ行動を取り始める。
 繰り返しの日常に疑問を抱き、いずれ来る終末に何かを想い、場合によっては命を懸してでも誰かの願いに奉仕しようとさえする」
「……まるで本物の人間のように――か?」
「そうそう、厳密には違うけど概ねヒト。四捨五入したら人間、みたいなイメージだな。
 で、界聖杯サマは多分そこのところをあまり厳密に区別してないんじゃないか……って所に俺の計画の骨子がある」

 皮下とリップの会話を見ているシュヴィの眉が微かに動いたことに、リップは気付いていた。
 けれどリップは何も言えない。彼は、シュヴィほどこの世界の住人の"命"を重く見られない。
 だから皮下の非道な言にもすんなりと順応することが出来た。

「無垢な人間もどきと知恵の実を齧った解脱者。サーヴァントに喰わせるならどっちの方が美味しいディナーになると思う?」
「後者、だろうな。界聖杯の定義する"可能性"がお前の言う通りのものならだが」
「確かにそうだが、此処では俺の仮説が正しいものとして話を進める。
 可能性覚醒者を狙っての魂喰いは、恐らく通常のそれとはかけ離れた効率の良さを持つと俺は考えてる。
 そうじゃなきゃ原理的に話が通らないからな。で、そういう裏技が使えるんなら、だ」


366 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:31:16 ROKnPNLU0

 そして皮下には当然、この世界に生きるNPCの命にも。
 可能性を与えられたことで覚醒した者達の命にも、等しく興味がなかった。
 どだい全てが終われば泡沫と消える命の重さなど、彼にしてみれば羽毛に等しい。
 いや。己の願いの礎になること、そしてこれから明かす"策"の燃料になることを踏まえるならば。
 羽毛というよりかは――"薪木"の方が近いか。
 天、或いは地平線の彼方へと飛翔する為に必要な炎。そこに焼べるための、薪木。



「人口密集地で鬼ヶ島を開き、NPCを取り込んで覚醒者を乱造する。
 哀れな彼らに世界の真実を共有したら片っ端からライダーの餌。
 鬼ヶ島の復旧は進むし、あのアル中モンスターはやればやるほど手に負えねー化物になっていくってわけだ」

 
 ……さしものリップも、一瞬閉口した。


「机上の空論だな。第一、その"可能性覚醒者"とやらがそう簡単に乱造出来るものとも思えない。ヒトラー気取って演説でもするつもりか」
「どうせ殺すんだ。勇気に燃えてくれる必要はない」

 確かに全ての理屈が正しいのならば、これは目を覆いたくなるほど効果的な裏技(グリッチ)だろう。
 本来そこにはもう一つ、"そんなことが可能ならば"という言葉が付くのが普通だ。
 が、皮下達に限ってはそこは問題ではない。彼らには鬼ヶ島がある。
 あの異界に外から入れる存在など、どだい先の鋼翼くらいのものなのだ。
 つまり重要なのは皮下の唱えた仮説が正しいかどうか。それだけなのである。
 そしてもし、全てが彼の考察した通りであったのなら。

 ――鬼ヶ島を展開して無差別にNPCを取り込み、覚醒させ、喰らう。
 このプロセスを用いて、何処までもカイドウや自軍のサーヴァントを強化することが出来たなら。

「"死にたくない"って気持ちも、世界の真実と合わせて捏ねれば充分"可能性"だろ。
 ウチのライダーや、おたくのアーチャーちゃんの力があればそこの課題は克服出来る。
 お手軽でローリスクな強化法(レベルアップシステム)の完成ってワケだ」

 その先に待つのは、確かに。
 聖杯戦争の終幕、そうでなくとも洛陽だろう。
 カイドウという圧倒的な"個"と、彼が有する百獣海賊団。
 彼の傘下に入ったサーヴァント達による援護射撃。
 これを切り抜けられる陣営など、まず居ない。
 少なくとも外からでは間違いなく切り崩すことの叶わない、世界最悪の軍勢の完成だ。 

「ま、出せる交渉材料はこんなところだ。これでも気持ちが変わらないならそれまでだな。
 お前らからなんとか逃げたら、次に会うのは聖杯戦争を終わらせるその時だ。
 お前はアーチャーちゃんと二人三脚で、頑張って総督への対抗策を考えてくれや」

 ひらひらと手を振って、今までのお返しとばかりに思い切り足元を見る。
 無論、皮下が背にしているのが断崖絶壁であることに変わりはない。
 "リップ達から逃げる"ことがまず前提条件として難題過ぎる、しかしそんなことは百も承知だ。
 此処まで来たら後は度胸と覚悟。嘘は見抜かれるのでなりふり構わず堂々、面と向かって勝負するしかない。
 

「──で、どうする?」


367 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:31:53 ROKnPNLU0
◆◆


「(あっっぶね〜〜〜〜〜〜! こんな序盤で令呪もう一画なんて使えるかよ〜〜〜〜〜!!)」

 皮下が提示したカード。
 それを前にしてリップが選んだのは……"一先ずの"同盟関係の継続だった。
 とはいえ、同盟を反故にする旨の全面撤回とまでは行かなかった。
 リップが先方から提示されている回答期限、それまでに皮下が確たる成果を示すこと。
 もとい、背中に冷や汗を垂れ流しながら一か八かで突き付けた虎の子の覚醒者乱造計画。
 それが"実現可能なものである"とリップが認めなければ、彼らは当初の予定通り皮下陣営を離反する。
 落とし所としては上々だろう。むしろ皮下はよくやった。
 あの場面で掴み取れる最大の戦果を、寿命の縮むような思いをするのと引き換えに見事毟り取れたわけだ。

「(まあ、これでとりあえず当面の間は引き止められるだろ。
  ……実験やるまでにもう一回、今度はカイドウさん直々に面談でもしてもらうか。
  もしかしたら上手いことこいつらを完全に懐柔出来たりするかもしれないしな。うんうん、時には仕事は上司にぶん投げだ)」

 もう二度と、こんな大立ち回りはしたくない。
 峰津院大和との対面といい今回の交渉といい、この一時間弱の間で振り切った筈の寿命が爆速で縮んだのを感じる。
 とにかく今、皮下はさっさと鬼ヶ島に帰ってゆっくり腰を落ち着けたかった。
 というか、リップから離れたかった。
 気まぐれ一つで自分に決定的な致命傷を刻めるような"天敵"の傍に居たいと考えるほど、皮下は酔狂な人間ではないのだ。


 そして、皮下が胸を撫で下ろす一方で。
 リップとシュヴィはやはり、お互い以外には聞こえない声で対話していた。
 話題はもちろん、今しがた皮下から聞いた話について。
 正確には、皮下の話を一時的にとはいえ"信じた"その選択について、であった。

 
「(よかった、の……? 皮下の話、信じて……)」
「(実際馬鹿に出来た話じゃないからな。
  奴の理論が的を外していたなら即座に見切りをつけるが、本当に例の方法が通用するなら組み続ける価値はある)」

 峰津院大和、ひいては彼の率いる峰津院財閥は確かに強大だ。
 しかして、社会のしがらみに一切縛られることなく他者を圧せる絶対的な存在の出現を前にしては烏合の衆と変わらない。
 皮下の計画はまさに、峰津院大和が持つアドバンテージを正面から押し潰し得る"蓬莱の玉の枝"だった。

「(それに俺が回収した"麻薬"。これの量産も、多分峰津院よりかは皮下達の方がスムーズにやれるだろう。
  皮下もそうだがクイーンとかいうクソ野郎も居る。設備の規模もデカくておまけに足が付かない)」

 皮下陣営と峰津院を天秤に掛けた時、リップは麻薬――"地獄への回数券"について妥協した。
 峰津院財閥の手でも量産は可能だろうが、速度で言えば皮下達と組んだ場合に比べれば劣るだろうと。
 そう分かった上で様々な条件を鑑み、妥協ないしは後回しにしてもいい部分であると踏んだ。
 が、皮下が峰津院はおろか目の前の現状全てを破壊し得る作戦(アイデア)を持っていたとなれば話は変わってくる。
 一度は妥協し遠ざけた問題に、もう一度手を伸ばすことが出来るようになったわけだ。


368 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:32:44 ROKnPNLU0

「(期待はしてなかったけどな。少なくとも、当分様子を見てみる価値はあると判断した)」

 皮下の話が的を外していたならばその時は大手を振って離脱するまでだ。
 問題は、もしも皮下がこれから行うだろう実証実験で成果が出てしまった場合の話。
 そうなれば、皮下陣営と峰津院、どちらと組むかのウェイトは完全に逆転する。
 リップは結果を見て、それに応じて出す答えを切り替えればいいだけ。
 
 なんとも旨い話だと思う者もあろう。
 けれどリップはそうではなかった。
 そしてシュヴィも、そんな主の心境を理解していた。
 皮下が提示してきたワイルドカード。
 それが本当に効果を発揮することが判明したとして、強い力を味方に付けることには代償が伴う。

「(ただ、あのライダーが余計に強くなることだけは留意しておく必要がある。
  そもそも分が悪かった相手が余計に魂喰いで肥え太るんだ。胡座掻いてたら気付いた時には手遅れだ)」

 リップが大和と組むことに対して示した難色。
 彼が挙げた四つの減点。その三番目と四番目は、そのまま"仮説が正しかった場合"の皮下陣営にも当て嵌められる。
 派手にやり過ぎたことについてはまだいい。カイドウの持つ異空間に隠れ潜めば、大半の輩は座標すら突き止められないのだ。
 四番目の減点項目に関しては論外だ。大和とは違い、皮下は十中八九自分の願いに譲歩しない。
 大和の言が本当だったかどうかは今以って分からない。真実は奴の頭の中にしかない。

 だが重ねて言う。皮下は、その点においては論外である。
 万が一の時の夢も希望もありはしない。
 皮下を選ぶということは即ち、今までにも況して"必ず勝たねばならない"ということ。
 此処に関しては大和を信じていいかが微妙なラインであることを踏まえても、明確に皮下側が劣る点だろう。

「(後、これだけは言っておくが)」
「(……、……)」
「(仮に皮下の論が正しかったとしても、俺はお前に"覚醒者喰い"をさせるつもりはない)」

 カイドウの排除手段を手に入れておかなければならない理由の一つが、これだった。
 リップはシュヴィに覚醒者喰いをさせるつもりがない。
 それが心の贅肉、非合理的な思考に基づく判断であることは百も承知だ。
 だが、それでもリップはその一線だけは踏み越えなかった。
 踏み越えたくなかった、というのが正しいだろうが、彼はそれを頑なに認めないだろう。

 リップは、そういう男であるから。
 何もかも捨てたような面をして、最後の最後まで他人への情を捨てられない。

 その優しさが、シュヴィには痛かった。
 魂喰いなどしたくはない。それは、シュヴィの愛する"彼(リク)"の選んだ道と反目する行いだから。


369 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:33:30 ROKnPNLU0
 けれど、リップが自分のために本来歩むべき道を逸れることには――心が痛む。
 私のせいで、と。そう思ってしまうシュヴィもまた、マスターに負けず劣らず非合理的な英霊だった。
 彼らは――どれだけ覚悟を決めても、覇を唱えても、心の奥にある優しさまでは捨て切れない。
 そんな合理の二文字とは正反の道を行く、優しい者達なのであった。

「(皮下達と組む場合は、当然あの化物じみたライダーを殺す策も並行して組んでいくことになる。
  こいつだって馬鹿じゃないんだ。俺達との同盟を維持出来るのが確定したら、確実に不治(おれ)を対策してくる筈だ)」

 皮下の暗殺を狙えばカイドウの排除は容易だと、そう高を括れたら確かに楽だ。
 だが現実は違う。皮下はリップへの対策を考えるだろうし、カイドウも黙っては居るまい。
 かと言ってカイドウの強さに胡座を掻いていれば、地獄と向き合うことを後に回していたツケを誰も彼もが死に絶えた地平で支払うことになる。
 この辺りについては後ほど作戦を立て、程良く暴れさせた上で頃合いを見て蹴落とせるよう準備しておくことが肝要だ。
 最悪。峰津院との同盟自体は断りつつも、あちらに内通するような立ち回りも視野に入れる必要があるか。

「(……悪いな、シュヴィ。結局のところ俺は、自分の願いへ向かう近道を選んじまう)」
「(マスターが、謝ることじゃ、ない……。おかしいのは、シュヴィの方……だから……)」

 語るべき、伝えるべき方針を全て語り終えたリップが告げた言葉。
 それがもし念話でなく声に出しての対話であったなら。
 二人だけで交わす会話の一部であったなら、シュヴィはふるふると首を横に振っていただろう。
 
「(マスターは……シュヴィに、誰かを殺すことをさせないでくれた……。
  それだけでも、シュヴィは……マスターに、ありがとうって……言わないと、だよ……?)」
「(そうか。……悪――いや。こっちこそありがとう、か」

 とはいえ、方針は決まった。
 皮下の理論が正しいものであったなら彼の方を。
 彼の理論が空振ったなら、峰津院大和の方を取る。
 どちらを選ぶにせよ油断なく、確実に自分達が勝てるように立ち回るまでだ。
 リップは念話を終え、鬼ヶ島へ繋がる門(ポータル)を開いた皮下の方へ視線をやった。
 
 ……その時。おもむろに口を開き、白衣の彼へと問いを投げたのはシュヴィだった。


「……ねえ」

 シュヴィは、皮下を嫌っている。
 胡散臭く、命を何とも思わず、おまけに言動までいけ好かない。
 そんな相手を好きになれる道理はないと今でもそう思っているが。
 彼女はそれでも、皮下に対して口を開き。そして、問いを投げた。

「あなたは……なんで、聖杯を……求めてる、の……?」

 リップも、彼女のその行動には驚いた。
 驚いたが何を言うでもなく無言を保ったのは、彼もまた興味があったからか。
 これから手を組むことになり得る相手の志に、或いは根源に。
 形はどうあれ触れておくことはマイナスにはならないだろうと、そう思ったのか。


370 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:34:29 ROKnPNLU0
 定かではないが、彼は己のサーヴァントの独断行動に沈黙を保ち。
 問われた側である皮下は門へと向かう足を止め、振り返らないまま口を開いた。

「世界を平和にしたいんだ」
「……え……?」
「平等と平和だ。聖杯なんかなくても叶えられる算段はあったが、最近はちょっと雲行きが怪しくてなー。
 界聖杯を手に入れてぽんと種をまく。全人類の血に、綺麗な綺麗な桜の花弁を混ぜるんだ。
 そうすれば誰もが等しく超越者、人類はみんな仲良く横並びになるってわけさ。
 意外と素敵な野望だろ? 峰津院のお坊ちゃんには、理想に反するってにべもなく切り捨てられちまったけどな」

 その言葉に嘘がないこと。
 こんな非道で、ただただいけ好かない人間が。
 他人の地雷の上でタップダンスを踊って爆笑しているような人間が、嘘偽りなくこんなことを言っている。
 それが、なまじヒトより遥かに優れた解析力を持ってしまったシュヴィには分かってしまった。
 分かってしまったからこそ、返す言葉はなく。

「驚いたか? 俺みたいなろくでなしが、存外まともなことを夢見てるって」
「全く以ってらしくないな。悪い冗談だ」
「ですよねー。けど、これでも百年くらいかけてちまちま進めてきた話なんだぜ?」

 ――ああ、そして。

「満開に咲いた綺麗な桜が、いつか皆の"当たり前"になるように。
 誰もがそうであることを疑いもしない、そんな世界が来るようにってな」

 シュヴィには分かってしまう。
 伝わって、しまう。
 忌み嫌っていた男の瞳に浮かんだ微かな慕情の色。
 それを見て、察せてしまう。
 彼が叶えようとしている願い。数多の屍を踏み越えて辿り着かんとしている理想の果て。
 それが、"誰かの為"の願いであることを。
 誰もが夢物語と笑い飛ばすような過酷な旅路の果てに待つ、空想じみたエンドロールであることを。
 
 知らなければ良かった。
 知ろうとしなければ良かった。
 されど一度踏み出した足は戻らず、なまじ優秀な記憶野は覚えたことを忘れてはくれず。
 シュヴィはただ異界へと向かう主の後に続くことしか、出来なかった。


【渋谷区・中央付近/一日目・夜】

【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:魔力消費(中)
[令呪]:残り二画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:医者として動きつつ、あらゆる手段を講じて勝利する。
0:とにかく少し休みたいんだが……そうも行かねえんだろうな〜〜〜。
1:覚醒者に対する実験の準備を進める。
2:戦力を増やしつつ敵主従を減らす。
3:沙都子ちゃんとは仲良くしたいけど……あのサーヴァントはなー。怪しすぎだよなー。
4:全身に包帯巻いてるとか行方不明者と関係とかさー、ちょっとあからさますぎて、どうするよ?
5:峰津院財閥の対処もしておきたいけどよ……どうすっかなー? 一応、ICカードはあるけどこれもうダメだろ
6:リップとアーチャー(シュヴィ)については総督と相談。
7:つぼみ、俺の家がない(ハガレン)
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
 虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間はカイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」


371 : で、どうする?(前編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:35:02 ROKnPNLU0

【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
1:皮下の提示した理論が正しいかを見極める。
2:もしも期待に添わない形だった場合大和と組む。
3:敵主従の排除。同盟などは状況を鑑みて判断。
4:地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)の量産について皮下の意見を伺う。
5:ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)は様子見。追撃が激しければ攻勢に出るが、今は他主従との潰し合いによる疲弊を待ちたい。
6:峰津院大和から同盟の申し出を受けました。返答期限は今日の0:00までです
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。

【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:健康
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:…マスター。シュヴィが、守るからね。
1:マスター(リップ)に従う。いざとなったら戦う。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない


372 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/21(日) 15:35:24 ROKnPNLU0
前編の投下を終了します。
後編も期日までには投下します。


373 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:17:29 xuP1R/rg0
投下します


374 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:19:37 xuP1R/rg0
奈落。
ステージの上と下を繋ぐ、せりあがる床の舞台装置。
スポットライトの届かない人ごみの一人から、誰もが注目する主人公として上がっていくための昇降機。

ステージの下。客席のざわめきを一番感じる場所。
見上げる場所。始める場所。

上りつめた先では、一手の過ちも死につながる。
正しい動きを、正しい時に、正しく振る舞い、ただの一つも間違えない。
ターンの一つでも失敗すれば、身を崩して無様に転落。
観客は落胆し、なんて馬鹿なことをしたんだと好き勝手に口走り、落伍者の印を押す。
そういう場所。

そこを上がった時のために、すべてがある。
けれど、そこを上ったらひとりになる。
そう信じながら、皆が狭くて高いところに上っていく。

だとしたら、どうかこっちを見てほしい。
私の見ている世界に、あなたがいることを見つけてほしい。
そこは危ないから。
だれもがひとりで踊るなら、だれかがふたりにしないといけない。


◆◆◆


リンボを自称する劣等感の魔星から襲撃を受け、電車から飛び出して後。
七草にちかとアシュレイ・ホライゾンは西日が色あせ始めた世界を小刻みに歩いていた。
向かう先は依然として283プロダクションのプロデューサーの自宅であることに違いはないが、そこに電車に乗っている時のようなくだけた念話はない。
ヘリオス(内なる比翼)の存在を封じこめる事、七草にちかにその詳細説明をいったん回避したことで気まずくなったことが原因の一つ。


375 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:20:24 xuP1R/rg0
『マスター』

だが、会話の終わってしまった最大の理由は、七草にちかが徐々に表情を翳らせるようになったことだ。
電車を転がり落ちた時には良かった良かったとハイになっていたものだが、危機から物理的な距離をおくにつれて態度は反転していった。
とぼとぼと、そういう歩き方が似合う有り様に。
だから、励まさなければいけないと思った。その為にアッシュはマスターと念話で呼んだ。

『言えてなかったけど、ありがとうな。あの戦場を耐えて、一緒に戦ってくれて』

それは紛れもなく本心であった。
これまで、マスターを安全圏において立ち会うことを許してくれた緒戦のサーヴァントだとか、剣豪から売られた喧嘩を横で見ていた程度の少女が、いきなり鉄火場で臓物のシャワーを浴びせられた直後だというのに、アッシュの念話をうけとめて指示にしたがってくれたことには賞賛しかない。
アッシュなど、傭兵時代は何年たってもスムーズな弾込めさえおぼつかず、剣林弾雨にはいつまでも慣れず、己よりも戦歴が短い者にどんどん追い抜かれるような情けない有様であったというのに。
ぶっつけ本番で、『今から浴びたら即死するほどの爆発を放つけど、何も知らない顔でそのままじっとしていてくれ』という無茶ぶりに答えてくれた少女とは、まるで比べるべくもなかった。

だが。
もっと別のことを言えば良かった。
見る見るうちに顔色を青くさせ、眉根をこれ以上ないほど険しく寄せた少女に睨まれると、そう思わされた。

「…………っ、思い出させないで、くださいっ!!」

にちかの悲鳴は、念話ではなく声になった。
たちまちに脂汗をにじませながら走り、駆け込んだのは公衆トイレだった。
住宅街の隙間をぬって子どもを遊ばせるための遊具場――公園と呼ぶにはやや狭い――に滑りこみ、スカートをはいた赤塗りの棒人間がマークされた扉の中へと滑り込む。
アッシュが意図的に音を聞き取らないよう耳をふさいでいると、何分もたってからややふらついた足取りで、血色を失った顔色で、祟り目のにちかが戻ってきた。

当然の帰結だった。
思い出してしまえば、戦場の異臭と、血を浴びた体感と、臓物に晒された生理的恐怖をよみがえらせるしかない。
否、足取りが力ないものに変わった段階で、すでに彼女の意識はそちらを振り変えることに費やされていたのだろう。

「……すまない。いや、この言葉には答えなくていい。答えるにも気力を使う時はあるよな」

恨みがまし気な顔のままで、頷きをひとつ。
そのまま遊具場のベンチに2人で座り、気まずい沈黙の帳をおろした。
というより、沈黙するしかなかった。余計な言葉は電車内で起こった恐怖の『揺り戻し』にしかならない。

「まだ、続くんですか?」
「続く……?」

口火を切ったことばには、絡むような湿度があった。
会話の切り出しが唐突な時は何かを溜めこんでいる証拠だと、一か月の付き合いで察することはできている。

「私の目の前で、無茶して、血だらけになって、燃やして、ドンパチすることですよ」

言い終えるや、ローファーを履いた普通の女子高生の足が、何もかも気に入らないとばかりに芝生をどすんと蹴りつける。

「私が慣れるしかないんですよね。ライダーさん、私を放ってどっか行けないですもんね。分かってますよ、私が素人なのが悪いんですよね。足手まといをそうじゃないって嘘までつかせてごめんなさい!」

極力抑えた声で、しかし声ではあっても叫びに近い吐き出し方で、にちかは衝動をぶつけた。
ぶるぶると震えを今更のように引き起こす身体は、焦燥感と生理的疲労感だけでなく、自己嫌悪。
そして、これからやってくる新たな恐怖への、不安を体現していた。


376 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:21:05 xuP1R/rg0
「俺は嘘なんてついていないよ」

にちかが、こういう苛立ちを見せることは初めてではなかった。
むしろ、他者を責める言葉がギリギリで飛び出していないだけ、七草にちかという少女がたまに発露する『悪癖』としては軽い方だ。
これまでもアッシュとの対面時に限った話などではなく、私生活でもバイトとして勤務している職場の人々にたまに言葉をとがらせてしまい、言うだけ言ってからさらに顔を曇らせるという悪循環を、霊体化して寄り添いながら目撃していたことがある。
七草にちかは、己の不出来について落ち込むと言葉を攻撃的なものに変える。
ある程度の毒をぶつけてもいいぐらいには心を許した誰かに、鬱憤をぶつけることに走ってしまう。
前提として気を付けなければいけないのは、何も彼女がすぐに誰かのせいだと責任転嫁するような心根をしているわけではないということだ。
ただ、自己嫌悪の感情を内省として消化することができずに、八つ当たりに換えてしまうだけ。
そして、吐き出すだけ吐いてしまった後は、私はなんて性格が悪いんだろうと更に自己嫌悪の悪循環に走ってしまう。
だからこの子を相手にする時は、己を不幸にするような結論にたどり着かせないことが大事なのだ。

「俺だってあんなのを相手に啖呵を切るのは怖かったし、できればやりたくない事だったよ」
「へー、私のせいでやりたくない戦いをやらされてるんだー。正直なイヤミをどーも」
「そこじゃないよ。あの場で声を聴いてくれて、頼もしかったのは本心だってことさ」
「……これからも、私にああいうのをやれって事ですか。ハードルたっかいなー」

念話にもならない声には、皮肉めいた含み笑いが籠っていた。
にちかがこうやって相手の言葉尻を捕えるようになった時に、こちらも捕え返してはいけない。
こういう時に必要なのは、論戦ではなく相互理解なのだから。

「君は頼りになったよ。でも、さっきと同じことをなるべく繰り返さないように、待ち構え方を改善することは必要だと思ってる」

これからも続くのか、これからも慣れるしかないのかとにちかは言及した。
つまりにちかが恐怖している先は、過ぎ去ってしまった危機についてではない。
こういうピンチがこれからも起こるかもしれないという懸念に、先刻の戦いはあくまで本選の緒戦でしかないという予感に恐怖しているのだ。

『改善するところなんて……あったんですか』

これからの話になったことで気持ちがそちらに引かれたのか、にちかも念話に切り替えてくれた。

『マスターも言ってくれたことだよ。俺がマスターの傍を離れにくくなってる。これが戦場で深刻な問題化する前に、マスターの安全を確保する手段は必要だ』

七草にちかは、脱出策のために令呪を三画すべて残しておかなければならない。
それが意味するところは、すなわち。
『俺はマスターを巻き込まないために単独で戦いに出るけど、身の危険を感じたらすぐに令呪で呼んでくれ』という通常の主従ならば用いる安全策に、寄りかかれないことを意味する。
必然として、七草にちかを先刻のような戦場に立ち会わせる機会が増えてしまう。
『ライダーがにちかの傍を離れにくくなっている』とは、そのことを指すものだ。

『でも、そんなのどうしようもないですよ。私、身を守る武器があったとしても使えっこないですもん』
『二人だけなら難しいかもしれない。でも、協力者を増やせれば、前線組と待機組に別れることはできるようになるだろう?
そういう意味では、今後は同盟を組めたセイバーと共同作戦を組む流れにした方がいいかもなって話でもあるんだが』

カァカァと、鳴き始めた烏がまさに遊具場を寂しい空気にさせてくれる。


377 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:22:02 xuP1R/rg0
『そもそも、向こうのマスターは小学生でもあるからな。サーヴァントがマスターを離れて戦闘せざるを得ない状況に不安があるのは、向こうも同じだと思う。
そういう意味ではWのところもそうだな……『マスターを悪い子にはしない』って言い回しを使ったからには、そこそこ幼い年齢のアイドルなのかもしれない』

だからマスターも、自分が劣ったマスターかもしれないと比べることに意味なんてない、とそう続けるつもりだったのだが。

『え? 『悪い子』……?』

まるで聞き馴染みのある単語のように、にちかが単語にピンポイントで反応しのだった。

『それって、アンティーカの田中摩美々じゃないですか?』
『知っているのか、マスター?』

思わぬところからWのマスターが簡単に特定されて、アッシュは驚く。
しかし、顧みれば283の事務所にいた七草にちかが知っているのも無理はないことだった。
七草にちかに携帯端末を操作してもらい、特定されたアイドルの紹介ページを見せてもらった。

田中摩美々。
年齢18歳。身長161cm。体重49キログラム。
血液型はB型。
趣味、放浪・人をからかう。特技、自分で髪を切る。
第一印象は、七草にちかに比べると、いや、たいていの同年代の少女に比べると、ずいぶん派手だなぁというもの。
ニュースで把握した白瀬咲耶が『凛々しい』『かっこいい』印象を受けるアイドルなのだとしたら、こちらの少女は『小悪魔』というカテゴリが似合うだろうか。
アッシュとしても、身近な『紫色+少女』で印象付けられている存在がとんでもない性欲剥き出し露出過多の合法幼女の義姉であるために全く偏見がないとは言い切れないが。
毒々しい飾りつけのまま宣材写真に写り、実際に『悪い子』『人をからかう』と自称する公開情報から先行するイメージは、言葉は悪いが『ガラが悪そう』に見える。
だが、おそらくそうではないぞとアッシュは『見た目第一のイメージ』に軌道修正をかける。
この公開情報をもとに、この少女は『アイドル』をやっているという情報があるだけだ。
世間に公表されている余所行きのイメージが、本人の人格そのままだと受け止めるなんて元外交官としても失格だろう。

『しかし、白瀬咲耶さんの写真を見た時も正直思ったけど……なんというか、『濃い』よな……。
アイドルっていうのは、デビューしたらこんな風に属性で飾らないとやっていけないのか?』
『いや……ガーリィアンドスパイシー、とか言ってた私達が言うのもどうかと思いますけど、283は極端な方だと思いますよ?
苺プロとかもそうだけど、他の事務所はもっとナチュラルってゆーか、無理に属性をつけたって『作ってる』と思われそうじゃないですか?
しょーじき私も、この売り方で数字取れるのかなーって思ったことがあったぐらいだし』
『この子達は、売れないのか?』
『いや、アンティーカは283でもトップじゃないかなってぐらい売れてますけど……採算度外視、っていうんですか?
283に通ってた時にアルバム見せてもらったんですけど、その売れてる初期メンバー16人を集めてやったことが、親睦のピクニックなんですよ。
そこでカメラ回してたらめちゃくちゃ数字取れたじゃないですかって私は力説したんだけど、曖昧に流されちゃうし。
美琴さんも『283は変わってるから』で済ませちゃうし……』

女子高生にして、交流目的のピクニックでも売上のことが頭にあるのは、アイドルとしての貪欲さだけでなく、姉と妹ふたりの慎ましい生活にも遠因がある気はしないでもなかった。
しかし、283プロが芸能界でも特異な売り方をしているというニュアンスは伝わる。
田中摩美々のプロフィールを観察するうちに、そのニュアンスはたしかな感触に変わった。
18歳にして、『小悪魔系パンキッシュアイドル』として売っているという在り方。
アッシュにはこの国のアイドルファンの需要などは理解しきれないけれど、それでも18歳という年齢が遠からず成人の仲間入りをする歳だということは分かる。
つまりこの少女は、そう何年もしないうちに『その年齢で小悪魔系を売りにするのはきついんじゃないかなぁ』と世間から評価される年齢がやってくる。
その上で、283は『この子はこう輝いていい』という判断をしたのだ。
それが全てのアイドルプロデュースに通じる283の在り方であるなら、七草にちかが『宝石と石ころ』のたとえを持ち出した背景も想像できなくはない。
世間への迎合よりも、アイドルの個性(かがやき)を信頼して伸ばしていく283のスタンスは、彼女に限って言えば私がいちばん普通だという焦燥を生じさせたのだろうから。


378 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:23:39 xuP1R/rg0
(それでもマスターの『プロデューサー』は、七草にちかをアイドルにしたいと思ったんだよな……)

まだ見ぬ、これから会いに行こうとしている男が、従来のプロデュース方針を曲げてまで、どうしてそう思ったのか。
その理由を、『俺が彼女を守りたいと思った理由と似ているのかもしれない』とまで感じ入るのは穿ちすぎだろうか。

『なるほどな、283がどういう空気の事務所だったのかは分かった気がするよ。
Wのマスターがこの摩美々って子で間違いなさそうだってことも』
『え……そこまで私をあてにしちゃうと外れたときがめっちゃ怖いですよ? 私、悪い子ならこの人かも、って言っただけですよ?』
『マスターの手を汚させずに、とか言い方が他に幾らでもあったのに『悪い子』なんて子供っぽい言い回しを選んでるんだ。意図しての発言だと俺は思う』

それに、電車内でアッシュが考えていた『白瀬咲耶の一件はW主従にとって逆鱗だったのではないか』という推測とも噛み合うのだ。
殺されて炎上させられた白瀬咲耶のユニットメンバーなのだから、『大切な友人がマスターであり、既に脱落させられており、その死を利用された』と知った時の衝撃たるや、想像を絶するものがある。
わざわざ『マスターを悪い子にはしない』と誓って発言したのも、かつての諸事の黒幕、ギルベルト・ハーヴェストに対するレイン・ペルセフォネの憎悪を目撃しているアッシュにとっては、『おそらくWのマスターも激昂したのだろうな』と予想させることになった。
だが、わざわざアッシュに対してマスターの特定に繋がりかねない単語を口にしたというのは解せない。

『マスター……もしかして、田中摩美々が『悪い子』を名乗ってるのは、けっこう有名だったりするのか?』
『メンバーの顔と名前を憶えてるぐらいの人なら、まず知ってるんじゃないですか? トークの時もよく『悪い子なのでー』って言ってますし、そもそもビジュアルからして悪そうな路線で行ってるし……』

少なくとも、『283のアイドルで悪い子は誰だ?』って聞かれたら一人しかいないですよ、とアッシュのマスターは答えた。
つまり、『悪い子』という単語が飛び出した時点で、かなり特定余裕だったということ。
こればかりは、にちかとの間で情報共有の言葉が足りなかったアッシュに落ち度があった。

『つまり…………俺は向こうのマスターについて、かなりのヒントを貰ってたのか?』

確かにこちらは信用したいし信用されたいと発言したが、だからと言って初めての接触でマスターの名前をほぼ明かすほどのオープンさまでは期待していなかった。
だいぶガードが緩すぎやしないか、W。
それとも、俺だけを贔屓する特別な理由があるのか?

『それって、いかにも信用できない顔で登場するけどめっちゃいい人だったとか、漫画で味方の新キャラが出た時によくあるヤツですか?』
『いや、ただ信頼されてるだけなら良かったけど、それにしては教え方が遠回しというか……もしかして、こっちを見極める布石だったのか? こうやってマスターと会話ができる信頼関係があれば、推理できる。だから次に会話した時に、俺が正体に当たりをつけてたら主従仲は良さそうだと加点して、ついてなかったら減点する、と』
『それ、意地悪なひっかけ問題を出してくる先生みたいですよ。数学のテストで、グラフの問題に見せかけて、実は図形の公式を当てはめれば解ける問題だったー、とか無駄に意地悪なことをする先生っていますもん』
『俺は高校ってものに通ったことはないけど、言いたいことは分かるよ』

――だから、そうじゃないと言っている。

覚えが悪い。察しが悪い。しかも対応が素直すぎる。
そうやって虚実(フェイント)に引っ掛かるところは何とかしろ、と。
アッシュにとって、口やかましく師に怒られた経験とは、教室で定期考査を説かれる時間ではなく、血まみれになって剣技を叩きこまれる時間だった。
……英霊にまでなっても、変わらずずっと現在進行形で知略(フェイント)には弄されっぱなしだと伝えたら、大いに嘆かれそうだなと内心で苦笑して。

『やっぱり『正義の味方』のやり口ではないんだろうな。神戸あさひの件についての対応からも、それは明らかだ』
『あー、対抗炎上みたいになってましたね。アレはフツーに助けてるんじゃないですか? 炎上を消してるんだから』
『たとえば、マスターだったらいきなり自分の噂を点けたり消したりされて、立ち回りを事故らないと言えるか?』
『たしかに、SNSでもいますよねー。状況に合ってないことを気付かずに呟いて、すぐ発言を削除するけど拡散されちゃう人』


379 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:24:33 xuP1R/rg0
じつのところ、初見での感想は不謹慎かつ悠長ながらも『電車でマスターに語った考察が外れてなさそうで良かった〜』という冷や汗だった。
アシュレイ・ホライゾンは蜘蛛たちのような策謀家でも知略に秀でた英霊というわけでもない。
元軍人として、交渉人として、外交官として、必須スキルとなる戦術戦略や分析術、駆け引きでの立ち回りというものはおよそ頭に入れているけれど、あくまで『仕事がら身に着けた』というもので、それを真骨頂とするわけではない。
なので、電車の中で七草にちかにきっぱりと語った『283プロは火薬庫説』だとか『Wによる283プロ掌握説』だの『神戸あさひの炎上は蜘蛛の仕業であってWも対抗するだろう説』だのは、もしかしたら的外れかもしれないという不安と裏腹だったのだ。
だが神戸あさひを擁護する向きが流れ始めていることで、それらが間違ってない裏付けができたという安堵が先に来た。

(思えば俺、『駒になるつもりはない』だなんてずいぶんな大見得を切ったんじゃないか?)

少なくともアッシュには、蜘蛛のように人ひとりを社会的に破滅させる工作などできやしない。
そしてまたWのように、炎上に対する打ち消しを考案するような知恵が回るわけでもない。
神戸あさひに会ってみたいと言っても、探すアテひとつない有り様だった。
生前はそれらの足りないところを、めぐまれた人間関係――ひと声かければ動いてくれる協力者たちや社会人としての常道である根回し活動――によって賄っていたわけだが、現状で明確な同盟者はまだセイバーたち一組しかいないわけで。

(駒にはならなかったとして、じゃあ『差し手』の側に回ろうってガラではないよな……かといって光の英雄たちみたいに、盤面ごと状況を引っくり返すような『暴』の力は持ってない)

正確には、持っていないわけでないのだが絶対に使用させてはならなかったり、令呪三画で一回しか使えなかったりするシロモノだ。

『そういえばライダーさん、神戸あさひに会いたいって言ってましたけど、私達あの人が悪い人に嵌められたって知ってるだけで、べつにいい人だと決まったわけじゃないですよね?』

にちかが疑問点を、別のところに向けた。

『ああ。あくまで交渉目的は、脱出ではなく共通の敵の打倒にするつもりだったからな』
『……それって、サーヴァントがリンボみたいにヤバイのかもしれなかったり、共通の敵がいなくなったら戦いになるかもしれないってことですよね』

嫌だな、とにちかは感想をこぼした。
今さら遅い現状認識と言ってしまえばそうだが、それは聖杯を狙わない主従と立て続けに接触した上でリンボに会ってしまったが故の、当然の揺り戻し。
無理に強気を取りつくろって同調されるよりは、ずっと正直でありがたいし、サーヴァントの立場では見落としてしまいがちな当たり前の感覚だった。
そもそも、集団戦なんてものをやっていれば忘れがちだが『遠くない未来には殺し合うかもしれないけど今だけは仲良くしましょう』という関係がストレスにならない人間はそうそういない。
ライダーは先刻『もっと複雑な勢力図が存在するのかもしれない』と予想したが、そもそも『蹴落とし合いが確定的に決まっている同士で陣営を組む』という状態さえ、常人の精神でなかなか耐えきれることではないのだ。
いつ寝首をかかれるか分からないという不安はぬぐえないし、共に過ごすうちに殺し合いたくはないという情も沸くのだから。


380 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:24:57 xuP1R/rg0
『その見極めは話し合いの時に俺がやるよ。マスターは、相手の警戒を解くことに専心してくれたらいい』

それに、誤解を正しておく必要があることも分かった。
神戸あさひに限ったことではなく、こちら側からは『敵に回すつもり』はそうそうないこと。

『それに少なくとも、俺の方から裏切らないのは嘘じゃないよ。リンボの時にも言ったとおり、俺は【どんな陣営だとしても、俺が協力して丸く収まるなら手を伸ばす】』
『え? えぇ? あれって会話に乗ったふりをして時間を稼いでやったぜ、ってパターンじゃなかったんですか!?』

にちかはバラエティ番組で大きくリアクションを取るかのようなびっくり仰天顔をするしかなかった。

――俺たちの前に現れた理由と目的を教えてくれ。内容次第によっては協力できるかもしれない。

ライダーはWとの通話においても似たようなことを言ったし、あのリンボにもそう言った。
まず理由を教えろ。内容しだいで協力したいのは嘘じゃない、と。
直後に起こった戦闘の初手を見て、てっきり『そうか、相手のことをコピーの宝具で解析する時間を稼ぐために対話に持ち込んだんですね!』とバトル漫画の解説役のようにしたり顔をしたものだったが、事実としてそれは否だった。
アシュレイ・ホライゾンという男は本気で、目的さえ競合しなければリンボのような類に対して協力するのもやぶさかではないと思っている。

『いや、時間稼ぎだったのは本当だけど、説得の意思だって嘘じゃなかったよ。
聖杯を獲った結果として何を為すかにもよるけど、相手が聖杯を獲りたいとしても聖杯を帰還装置として動かす魔力リソースが足りている限りは競合しない』
『それは、そうかもしれませんけど……』

アッシュの語る脱出策が『聖杯の権能の書き換え』に留まる限り、少なくとも『聖杯を改造しているうちに優勝者の願いを叶えるための魔力まで使いきってしまいました、ごめんなさい!』などという事態が発生しない限り、聖杯の願いを叶える機能そのものを残してもいいことになる。
理屈の上ではそうだが、実際にそれを『貴方達が願いを叶える邪魔はしません』という保証として通せるかというと、魔術の知識など皆無であるにちかの視点でも怪しく思えた。

『脱出派の梨花ちゃんたちに聴かせても反応イマイチな話なんですよ? 聖杯の改造が上手くいくかも分からないのに、改造した後の聖杯は好きに使っていいよって言われても、もっとうさん臭いじゃないですか……』

まず、聖杯の改造工程さえ心当たりがない現状で、改造後の聖杯が本来の機能を残すかどうかに保証など出せない。
そもそも聖杯が願望器として働けるのは、脱落したサーヴァントの魔力を一定以上取り込んでからだと予想してしかるべきであり。
つまり、優勝者が出現する前の聖杯を改造してしまったところで、願望器としてきちんと起動するかどうかは未知である。
むしろ俺たちの聖杯に魔改造をするんじゃないと憤激される可能性の方が、よっぽど高くないだろうか。

『だが、切実な願いの成就を必要としている者に初めから『願いを諦めて手ぶらで帰ってくれ』と言うことはしない。
こちらの願いが破綻しないギリギリのところまで、願いをかなえるための余剰魔力の譲渡、あるいは帰還後を見据えた損失補償ができないかどうかを一緒に議論する』


381 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:25:35 xuP1R/rg0
聖杯の権能書き換えの際に余剰の魔力リソースが生じれば、それは必ず聖杯を諦められない者達が被る損失(ねがい)の補填に用いることを確約する……もちろん、願いによって為す所業にもよるけれど。
そもそも『奇跡にすがらなければ叶わない』という前提を抱えている者が多数予想される以上、『願いのスケールを妥協するなど認められるか、馬鹿にするな』と蹴り飛ばされることも承知の上で。
それでも、その一線だけは手放さない。
何故なら。

『こちらが何も与えるつもりはないけど従ってくれと言うなら、俺たちは最初から相手を否定することありきで対話を始めた事になってしまう』

俺が君に手を貸すことで、どうか丸く収まらないだろうかという確認。
それはアシュレイの生前からの本懐であり、絶対のルールだ。
相手が人でも人外でも、異形だろうと破綻者だろうと、敵意があろうとなかろうと。すでに危害を加えられた後だろうとも。
まずは一度、手を伸ばしてみること。
相手が誰であっても『俺にできることはありませんか』と問いかける事。
たとえ相手にとってどうしようもなく余計なお世話で、綺麗言で、手を伸ばすにはもう遅くて、可能性がゼロだとしても。
相手はその一工程さえ省くに足りるほどの奴なんだと決めるのは、あまりにも傲慢が過ぎるだろう。
その一言を欠かした時に生まれるのは、『どうせこいつは最初から否定する気でいるんだ』という諦念だけだ。

だから、こちらの努力と妥協で互いの得になるなら手を伸ばす、と断言する男の背筋は、のびていた。
そこにあったのは、西日を背負ったごく穏やかな笑顔だった。
灰色と金色の混色をなした髪色が、己と夕空の境界を曖昧にするように輝いている。
いつの間にか漫才でも交わすように打ち解けていた青年のことを、にちかは思わず仰ぎ見るように眼を細めてしまった。

(本当に、私と同じぐらいの歳なのかな……)

前々から実感していたことではあったけど、改めて思う。
ライダーの物言いは、まるで美琴が舞台上での演出について語る時だとか、あるいはプロデューサーが忙しい仕事を当然として受け入れている時のように、『自分のするべき仕事は当然こうだと思っている』時の大人のそれに近いように見えた。


382 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:25:58 xuP1R/rg0


(プロデューサーとライダーさんなら、きっと気が合いそう……)



……なんて。
思った。その時は、一瞬。



『あー!! 次に会うサーヴァントはさっきのみたいなのじゃないといいなー!!』

もう気分の悪さは収まりましたという照れ臭さを隠すため、念話であさってのことを言い放ち、立ち上がってぐっと伸びをする。

だがすぐにその足元はぐらつき、にちかはその場に膝をつくことになった。
地面が、巨大怪獣でも蠕動したかのように揺れたからだ。


◆◆◆


383 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:26:30 xuP1R/rg0
プロデューサーから指定された時間は8時だったが、6時頃には品川区の目的地最寄り駅に着いてしまう計算でにちか達は移動していた。
その2時間、ただ何もしないのはあまりに勿体ない。
故に、品川区の最寄り駅まで到着したら、まずは近場で七草にちかの夕食タイムを設けようとアッシュは考えていた。
その間にこちらはWとの連絡を再開し、当初の用事――今やずいぶん過去の事のようだが、ラブホテルでのあれこれ――に関しては済ませた旨を告げて、情報交換に移行。
283プロが危険な状態にあると察している事を伝え、そして283のプロデューサーと接触する予定であることについても根回しをはかり、互いの状況についてすり合わせを行い、プロデューサーに伝えるべきことがあれば引き受ける……という予定のはずだった。
だが、実際には移動中にリンボに襲われ、そのショックがマスターにとって大きかったこともあり、最寄り駅への到着が遅れた。
さらにそこに、予期せぬ『地震』が起こり、にちかから借り受けた携帯端末で状況を調べることにも時間を要していた。

もっとも、こういった思惑を口にしてしまうとマスターが『じゃあ私が吐いてたせいで時間がなくなったんですね』と自傷のこもった結論を出しかねない。
なので、『8時まではまだ時間があるし、夕食がてら状況を整理しよう』と言い換えてチェーン店のファミレスに突入したのが、今現在。

気分で言えば、臓物を浴びて吐いたばかりの身体に、食べ物を詰め込みたくはない。
だが、常識的に考えてそろそろ晩ご飯を意識する時間ではあるし、空腹そのものはやってきてしまう。
その上で、七草家のエンゲル係数はファミリーレストランで予定外の散財が許されるほど緩くはない。
それらの諸事情が合わさった結果、にちかが注文したのは価格として最安値であり、メニューの中でもっとも胃袋にやさしい野菜のリゾットだった。
アッシュが端末からの情報収集で手指を動かさざるを得ない都合上、ドリンクバーに甘んじているのを前にして、もそもそとゆるやかに食欲を回復させながらスプーンを運ぶ。

『梨花ちゃん、ちゃんとあの場から離れられたんでしょうか……』

ファミレス入店前後のSNSやニュースサイト巡りによって、≪地震≫の震源地が新宿方面――あのラブホテルがあった近辺――だということは分かった。
それが地震ではなく、『暴』の桁が違うサーヴァント同士の激突だとしか考えられないことも察せられた。

アップされた現場の遠距離撮影写真を見てアッシュがまず連想したのは、仮想世界で終わりが見えないほどの時間を観戦したダインスレイフとケラウノス(超越者同士)の殺し合いだ。
あの記憶においては余計な人民は廃されていた上で雑兵は蹴散らされた後だったがために被害は足場と建造物に留まっていたたが、あれを周囲への配慮もなく高層ビル群と一般市民を敷き詰めた東京の真ん中で演じれば、かような被害総数になるだろうか。
ともあれSNSにおける被害状況の詳細なデータや映像などは、にちかに見せてしまえばまた胃の中身を逆流させかねないほどに凄惨な有り様で。
そして遠からずSNS運営による通報からの削除待ったなしの地獄絵図まで混じっているために、まだ直接には端末の画面を見せておらず、事件の概略説明のみにとどめている。
とはいえ、その概略の説明――発生した事象と犠牲者について――でさえ少女を『信じられない』という胡乱な顔にさせるには充分であった。
現場写真などを視えないように手で隠しながらトップニュースの記事をいくつも読ませたことで、ようやく冗談ごとではないと理解に至った。
理解にいたっても、呆然とした顔から、言葉は出てこなかった。
シェル・ショック――間近で災害によって人が死ぬところや、あまりに凄惨すぎる事実が脳への情報として流れ込んできた場合において、『受け入れられない』という拒絶だけが先行し、意識だけが貝殻に引きこもったように反応が停止する戦闘ストレス反応のことをそう呼ぶ。
アッシュも傭兵時代に飽きるほど目撃、体感した。
その災害がまぎれもなく事実だと理解した時のにちかは、さながらそれに近いような反応停止をした。


384 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:27:00 xuP1R/rg0
アッシュが気付けをしっかりさせるためにいくつかの精神療法を行い……そして、スプーンを動かせるようになったところで。
こぼれた感想は、やっと同盟を組めた者達の安否についてだった。

『既に遠く離れた後だったか、セイバーの危機回避スキルに期待したいところではあるんだけどな……』

古手梨花のセイバーは強かった。手練であり、達人であり、抜け目なかった。アッシュは実感としてそれを知っている。
仮に新宿区にとどまっていたところで、二次被害の現場に放り込まれてもマスターを抱えて退避を遂げるだけの判断力と地力はある……と、そう当てにできるところはある。
だが、まさに災害を産んだ戦闘行為そのものに巻き込まれていた場合は……マスターごと新宿で暴れた者の『震源地』に巻き込まれてしまったならば、安否の心配どころではなく絶望しかない。

『向こうが固定の連絡先を持ってないのは痛いな。夜時間には連絡をくれると言っていたから、それを待つしか手立てがない』
『でも、向こうだって新宿区で別れたんだから、こっちが心配しそうな事ぐらい察してくれますよね? 無事なら、安心させるために早めに連絡くれたって……』

言葉が尻すぼみにとぎれ、にちかは水を一息に飲む。
のどが渇いていたのではなく、すべき事が見当たらないのをごまかすような挙動だった。
ぷは、と一息をついて、念話の言葉をあさっての方に向ける。

『でも、それにしたって! プロデューサーさん、ちょっと薄情過ぎませんかね!? こっちは時間を指定した上で呼ばれてるんですよ?
今頃にちかは電車に乗ってるのかなー、巻き込まれたりしてないかなーとか、メールぐらいくれたっていいんじゃないですか?』

さすがに口をついての言葉ではなく念話にとどめたけれど、表情はありありと憤慨し、頬を膨らませている。
遊具場にいた時のような自傷の罵倒ではない、『私はいま気を害していますよ』アピールをする構ってほしい女の子のそれだ。
こういうところがこの子は可愛いんだよなぁと、決して浮気心などではないぞと生前の伴侶たちに誓いを立てた上でしみじみ癒される。
かつてアッシュの周囲にいた女性陣は同い年か年上ばかりだったが、もし『妹分』がいれば、こういう時のにちかに向けるような感情を持ったかもしれない。
七草にちかのプロデューサーも、こういう所を眩しく思っていたんだろうなと一方的な共感を覚えた。
こんな風に『いまいち分からず屋の兄』を語るがごとくの言い方をされるプロデューサーに対して、よほど気を許されていたんだろうなぁという羨ましさもあった。

七草にちかが口を悪くするのは、己の貶めたいところを他者に見出してしまった時だ。
裏を返せば七草にちかは『自分に向ける罵倒を代わりに向けることさえおこがましい』という親愛なり尊敬なりを抱いている相手に対しては、遠慮のない口をきくことはあっても、その人自体を貶めるような真似はしない。
とくに相方だった緋田美琴のことを語るときの言葉は尊敬と愛慕に満ち溢れていて、そのたびに聴いているこちらまで微笑ましくなるものだった。
プロデューサーに対して向ける言葉も、憎まれ口だったり、照れ隠しで素っ気ない態度だったりすることはあっても、まるで親愛が欠けたところは見えない。
WINGの敗退を己の非才だと決めつけて自嘲することはあっても、その男のプロデュースを悪く言ったことは一度もなかった。


385 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:28:16 xuP1R/rg0
アッシュは七草にちかの為の、無敵の英霊(ヒーロー)になると誓った身だ。
だが彼女のこれからも続いていく人生に、ずっと寄り添える立場ではない。
そんな彼女のアイドルとしての導き手が、ここまで気安い口を叩かれる男だったことは望外の喜びだったし、まだ見ぬ男への敬意を持たずにはいられなかった。

WINGから墜落してしまった時に、彼女のプロデューサーはどれほど悔しく、彼女の痛みを感じ入ったことだろう。
そんな彼女が、殺し合い蹴落とし合いの舞台に招かれていると察した時は、どれほど衝撃を受けたことだろうか。
きっと今頃、七草にちかがマスターだという事実に気をはやらせ、早く無事を確認して話し合いをしたいと気が気でない想いを募らせているのだろう。
かつて大切な人を護れなかった弱い少年が、『今度こそ君のことを守り抜く』と誓ったように、今度こそ七草にちかが幸福になることを切に願っていると思う。
プロデューサー視点ではおそらく、『彼女を護り導くことを一度失敗した』という認識に陥っていてもおかしくないのだから。

それこそ、蝋の翼しか持っていなかった時の己のような切実さで。



――それ以外の全ての絆を、薪にして燃やしてでも――



……待て。

先刻、内面世界で同調した煌翼(ヘリオス)から、ひとしきり不甲斐ないぞと赫怒を受けて会話をしていたことで。
当時のふたりが、蝋翼として同調するたびに去来していた想いがはっきりと蘇る。

思考回路が、ぎしりと嫌な擦れ方をして、軋みをたてた。
それは、電車からずっと『今の283プロはどうなっているんだろう』と思いめぐらせていたときに、まとまりかけては霧散した想像だった。

七草にちかを今度こそは守りたいと願っているかもしれない、プロデューサー。
どういう伝手によるものかマスターだと察して、対面を望んできたこの状況。
そんな七草にちかに対して、決して戦意からではなく伝えたいことがあるという『283プロダクションの関係者である第三者』。
ここで『その可能性』を視野に入れてしまえば、現在の283プロダクションが、とても嫌な絵図であるようにぼんやりと見えた。

『ライダーさん、なんか急に固まってませんか?』
『ごめん、マスター……ちょっとの間、いや、思いついたことを整理するまでの間、考え事をさせてほしい』

アシュレイ・ホライゾンは探偵でもなければ策謀家でもない。
数々の手がかりから、『真相はこれだ』と組み立てるような神がかりの天分を持ち合わせていたならば、再会した幼馴染の少女たちの想いにすぐさま気付くこともできて、悲しませることもなかっただろう。
だが彼は長らく、策謀に踊らされる側にいた人間だった。
計画的英雄として担ぎ出されるべき駒として、策謀家たちから扱われていた。
その経験則が、『未だに己には全貌が見えていない』と告げていた。
加えて、彼には七草にちかと過ごした一か月間の記憶があった。
アイドルを目指してから、WINGの準決勝で敗れるに至るまでの経緯を聞いていた。
283プロダクションという事務所がどういうところなのか、先ほどピクニックの話を持ち出されたように、微に入り細というほどではなくとも知っていた。


386 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:28:54 xuP1R/rg0
だから、仮定する。
283プロダクションのマスターが、聞いていたとおりの人物だとして。
聖杯戦争の舞台に招かれて、いったい何を想っただろうかと。
にちかは、界聖杯に呼ばれる前にプロデューサーが失踪したなどとは聞かされていなかった。
つまり二人が界聖杯を訪れた順は、まったく同時だったか、あるいはWING敗退直後のにちかが謎の失踪をした後になってから、プロデューサーも消えたという順番だ。
だとすれば。

違和感ならすでに、幾つも落ちていた。
そこに至る導線は、皆無ではなかった。
プロデューサーとWの間に、連携が図られていないこと。
現状の283プロダクションが、火薬庫だということ。
プロデューサーの持つ、283という特異点への絶大な影響力。
283プロの少女たちは、輝きこそあれ『普通の女の子』だとということ。
Wはマスターのアイドル達の心身が傷つくことを徹底して避けたがるという、これまでの傾向。
神戸あさひへの炎上対策にともなう『Wは手段を選ばない傾向はあるが情は解する』とアッシュに伝わるようなやり口。

そしてそこに追加される、『Wのマスターは今日になって脱落が判明した白瀬咲耶のチームメイト、田中摩美々である』という新情報。
Wが、それらを直接ではなく、『それとなく状況が読めるように』『考えて初めて分かるように』『重要さを匂わせるように』伝えてきたという事実。
何より、プロデューサーにとって、七草にちかは『283プロの従来の方針や、己のこれまでの傾向を無視してまでプロデュースするほどの存在だった』という感触。



そこに、『プロデューサーは七草にちかをどう思っているのだろう』という決定的な一滴をぽつんと垂らせば、波紋とともに色合いが変わる。



『マスター、この東京に来てからの、君のお姉さんの働きぶりについて改めて確認したいんだが……』

その上で、七草にちかから、七草はづき経由で得た情報を確認する。
ここ一か月、本来の東京での七草はづきに輪をかけて忙しそうであったこと。
その理由は、どうにもプロデューサーが欠勤している事にあったらしいこと。
お姉ちゃん一人に任せるなんてひどいと憤慨すれば、在宅で仕事は割振ってくれているからちゃんとやれている、とのこと。

考えの真偽についてWにメールで問いただせば、正解を知ることは可能ではあった。
だが、考えている絵図面が真実であれば、『今、それをすることはできない』という確信が深まっていった。
何より、よりにもよってマスターである七草にちかをめぐる企みことに、踊らされるままということがあってはならない。
追いつけ。
追いすがれ。
視界に捉えろ。地平を超えろ。
ことの内側にいる者の視点に寄り添え。
お前、共感するのは苦手じゃないだろう。
がむしゃらに追いすがるのは慣れっこだろう。
ムラサメの直弟子であり、もっと以前から英雄に憧れていた無知の時代から。
何よりも、意思を強く持つたびに負けじと焼き尽くそうとする煌翼(ヘリオス)の相棒として、叡智の才が無いことを諦める理由にしてはならない。


387 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:29:43 xuP1R/rg0
『……やっぱり、最悪の可能性を前提に動いた方がいいな』
『最悪? いま最悪なことがあるって言いましたか、ライダーさん』
『マスター、いったん理由を聞かずに、俺の指示を聞いて欲しいんだ。それが終わったら、店を出ながら考えを説明するから』

アッシュが指示したのは、七草はづきへの電話だった。
七草はづきには、『今、新宿のテロ騒ぎで外が物騒だから、今夜はバイト先の友達の家にそのまま泊まる事にする』と、シンプルに外泊の連絡を。
はづきは283プロダクションの関係者や妹の学校の連絡先は押さえていても、妹のバイト仲間すべてを網羅しているわけではないので、この方が『友達の家に泊まる』よりも幾らかもっともらしい。

『それで、急に慌ただしくなっちゃってどうしたんですか?』

電話が終わるや会計を促されてファミレスを出たタイミングで、にちかが不安そうに尋ねる。
時刻はすでに午後7時を回っていたが、今から目的の住所を目指したところで、指定の時間よりかなり早く着いてしまう頃合いだった。

「わっ」と驚きの声をあげて、少し恥ずかしそうに歩き出しながら、にちかはアッシュの説明を待っていた。
ライダーがちゃんと後で説明をくれると信じている、無垢な二つの眼が見上げていた。
覚悟をする。
この瞳を、これから濁らせるかもしれない覚悟だ。

『マスター、色々考えた末に、さっき思いついたんだが』

仮にこの仮説が外れていた時は幾らでも罵倒されて擦られ続けようという弱気も、ちょっとだけ背負って。



『283プロダクションのプロデューサーは、聖杯を求めて最後の一組になるつもりでいる』



無垢な少女の瞳が、けげんそうに眇められた。

「い、いやいやいや。いやいやいやいや。ありません。無いですって、それだけは!」
『その、マスター。念話で頼む……』

通行人の不審な目線などがないかそわそわしながら、アッシュは冗談ごとのような顔をしているマスターの手を引いた。


388 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:30:18 xuP1R/rg0
『ライダーさんはプロデューサーさんに会ったことないからそんなこと言えるんですよ。
私の知ってる大人の中で、あの人とお姉ちゃんが、いっちばん殺し合いとかやりそうにないですから!』
『プロデューサーさんができた人だったのは聞いている。でもマスター、そんなできた人が、NPCではなくマスターとして、体調に不自由なさそうにここにいたのに、一か月欠勤を続けてマスターのお姉さんたちだけを働かせていたなんておかしくないか?』
『……出勤すれば、周りに迷惑がかかると思ったんじゃないですか?』
『だが、白瀬咲耶が失踪した知らせは届いていたはずだ。失踪届が出れば、家族や同僚に聞き込みを行うのはこの国でも必然だからな。
昨日か、遅くとも今朝の段階で警察が訪れたことは想像できる。
ついさっきマスターにメールしたことから言っても、プロデューサーは白瀬咲耶の事件を受けた後でアイドルにマスターがいる可能性に気付き、マスターがそうであるらしいと察知したんだろう。
他にもアイドルが大勢いる中で、すでに事務所を辞めているマスターに真っ先に対面を望むというのは、すでに【皆に公平なプロデューサー】としての動きから逸脱していないか?
まず出勤してみるなり電話するなりして、事務所そのものに探りを入れるのが筋だろう。
仮にプロデューサーがそう動いた上で七草にちかに会いたがる理由があったんだとしても、そうなるといよいよWと連携していないことが怪しくなる』

そしてアッシュは、数々の違和感を線でつないだ結果を語る。
プロデューサーとWが対立陣営、そこまでではなくとも仮想敵陣営として緊張状態にあるのだとすれば、Wとプロデューサーの不連携には説明がつくということ。
何よりも、『プロデューサーが聖杯を狙っている』という大前提があれば、電車でも語った283プロの余裕の無い印象に、これ以上ないほどの説得力が伴うこと。

『プロデューサーは、アイドルの女の子達全員から慕われていたんだろう?
田中摩美々からしてみれば身内といってもいい関係にいた白瀬咲耶を失ったばかりだ。
信頼していたプロデューサーが、白瀬咲耶を失わせた聖杯戦争を肯定しているようにも見える状況が、精神状態を悪化させないはずがない。
他のアイドル達視点でも、最悪はプロデューサーと戦うことになるのかと爆弾になるだろうしな。
Wがマスターの心身のケアに気を遣っているのは電車で説明したとおりだし、このままでは帰還した先でもアイドル達の居場所は無い、なんてことにもなりかねない』

また、それは『悪の敵』に対して『元祖“悪の敵”のような超越者ではなく、逆襲者たちのような破滅型の精神性に近い』と察する理由でもある。
超越者たちは、総じて孤独など何でもないと自己完結することができた。よって愛情や感傷に由来する心の痛みへの共感を欠いていたが、Wはそうではない。
大切な人の安否は心の生死につながり、それは時として命の生死に匹敵すると思っていなければ、こうはいかない。
であれば、手を伸ばされたのかはともかく、存在はしたのだろう。
蝋翼(イカロス)にとっての死想冥月(ペルセフォネ)のような、対極で向かい合う位置に座する運命が。

『その、ジョウキョウショーコ、がそうなのは分かりましたけど、やっぱり納得できないですよ。
そもそも私、あの人がマスターだって時点で場違いだと思ったぐらいですもん。
それにプロデューサーさんがそんなことを考えてるなら、それこそWさんだって私に会ってる場合じゃないでしょ。
真っ先に事務所の人達をけしかけて、プロデューサーさんを説得するのが先じゃないですか』
『ああ、だから、ことは他のアイドルでは解決できずに、七草にちかというアイドルこそが最も鍵を握っている状況なんだ』
『あの、そういう言い方、さっきから意味深でわからないんですけど……』


389 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:31:02 xuP1R/rg0
ファミレスのある駅近辺から、景色が住宅街のそれに変わり始めたことを確認して、深呼吸。

これから口にする言葉は、これまでの聖杯戦争で発してきた、どの言葉よりも重い。
正直なところを言えば、今でも伝えてはいけないのではないかと迷いさえある。
だが、伝えたい。

七草にちかとプロデューサー。
このまま、知らないまま対峙すれば、必ず『信じられない』という言葉が飛び出してしまうことが、予想できるその真実を。



『おそらく、プロデューサーが聖杯を欲している理由は君なんだ、七草にちか』
『…………は?』



たった一音の呟きに、ありありと『それこそ何を言っているんだ』という不審を込めて、にちかはアッシュを仰ぎ見た。

『これなら、Wの同盟者が会いたいと望んでいる要件にも心当たりができる。
おそらく、プロデューサーが283のマスターと道を分かった原因が七草にちかにあると察したマスターがいるんだ』
『いやいや、いやいやいや。もっと、もっと分からなくなってますよ、ライダーさん!』
『知っている範囲で色々と考えたけど、君のプロデューサーが聖杯に託したい願いとして、俺にはそれ以外を思いつかなかった。
もしかしたら、WING終了後に界聖杯へと失踪した七草にちかと再会することも、願っての上だったのかもしれない』
『な、なに言ってるんですかライダーさん……私がWINGで負けたからって、あの人が殺し合いをするはずないじゃないですか』

WINGで敗退するというのは、べつだん不名誉なことでも、プロデュースした側の能力が疑われるようなことでもない。
たしかに七草にちかにとっては、敗退すればそこでアイドルを諦めるという一生に関わるイベントではあった。
しかしプロデューサーにとっては、敗退させてしまったところでプロデュース人生に傷がつくような出来事ではない。
その後の人生でも、他のアイドル達が輝くための舞台を用意し続けるだけのこと。
だから自分一人のために命を懸けて聖杯を獲るなんて有り得ないと、にちかは主張する。


390 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:31:35 xuP1R/rg0
『マスター、俺は君に、幸せになって欲しいと思っている。君なら、夢をかなえることで、それができると思っている』
『え…………なんで今、そんなこと言うんですか』

七草にちかは、『ありのままの自分』に価値を見いだせない。
オーディションに合格すれば『なみちゃんのパフォーマンスのおかげでラッキーを拾えた』と解釈する。
SHHisというユニットを現場の人間から褒められることがあっても『美琴さんがいるおかげだ』と受け止める。

だから、『俺は君を愛しているので、君の幸せを望みます』なんて言葉を向けられることがあるなんて、人生において想像すらできなかった。
いつか自分の家族を作るという大目標があったにも関わらず、家族になろうとする人間が現れるとは思い描けなかった。
しかし、『ライダーがマスターの夢の為に戦う』という言葉は、何度も貰っていた。
事実として、この男がにちかの為に命を懸けて戦うところを何度も見てきた。
故に、アシュレイ・ホライゾンというサーヴァントは七草にちかに親愛を持ってくれていることまでなら、どうにか理解できてしまう。

『だから、きっと君のプロデューサーも同じことを思っていたんだ。俺より長く、君を見てきたんだから』
『それは……仕事だからじゃないですか?』

愛の告白であるかのような熱い言葉の数々に耐えきれないとばかりに、にちかは目線を落としながら歩く。
ふたりの関係は、プロデューサーとアイドルだ。それ以上のものはない。
283プロで研修を受けたアイドルだからマネジメントをした。
それ以上の感情があったようには受け取れない。

『上手なマネジメントができていたというなら、それは彼の能力が高かったってことなんだと思う。
だけど、『付き添う』ってことは、それだけじゃ務まらないんだ。
自分の時間を削ってまで見守ろうとするのは指導の上手い下手じゃなくて、相手を大事に想ってる前提がないとできないなんだよ』

いつか、どこかの本で、読んだ覚えがあった。
型を覚えているかどうかは視覚的に判断できるが、基礎体力がついているかどうかは印象だけでは測れない。
力を養う基礎トレーニングに付き合えるかどうかは究極のところ根気であり、根気のために必要なのは究極のところ『愛』なのだと。

『それは、他のアイドルの人だって同じじゃないですか……むしろ、私が一番できない子だったのに、困らせてばっかりだったのに』
『俺だって、予選の間に色んなアイドルの映像を見せてもらった。俺はそれでもマスターが一番だと思ったよ?』
『だから、そういうほめ過ぎは要らないです……』

こうやって伝えようとしている事は、あるいは余計なお節介なのかもしれない。
何より、恋愛感情であれ、それ以外の感情であれ、『あの人はお前のことが好きなんだよ』という内心を当人のいないところで暴露する事は、タブー以外の何物でもない。
デリカシーもクソもないのは承知の上で、それでも七草にちかに『そんなものは無い』と言ってほしくない。

『俺の師匠(せんせい)もそうだった。三人いた弟子の中で俺が一番凡庸で、上手くできなかったのに。俺に技を継がせたいと言ったんだ』
『それ……ライダーさんが尊敬してた人じゃないですか』

なぜなら、アッシュの導き手(師匠)は才能ではなく愛情によって、優秀な玉石の教え子たちを差し置いて、石ころのアッシュを選んだのだから。
あなたの全てを継いでみたいという、非才な弟子の幼稚な願いを叶えるためだけに余生のすべてを使ってくれたのだから。
その気になれば世の趨勢にいくらでも関われる立場にいたのに。
アッシュよりも戦いの才能を持った教え子だっていたのに。
師匠は教えたことの十分の一も習得できない最も不出来な弟子を育てる為だけに、全てを捨てた。


391 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:32:12 xuP1R/rg0
――俺で、いいんですか? こんな覚えの悪い弟子なんかで。
――ああ、お前がいい。誰よりも強く優しいお前だからこそ、俺はここにいるんだよ。

師匠は、他のどんな煌く才能の持ち主よりもアッシュを導きたいと選んだ。
それは、真っ当な人間がみればバカだと断じる決断で。
何より、芸術品の域にまで高められた絶対無敵の剣を、そんな相手に託すことはないと誰もが嘆くような選出基準で。

『俺は、マスターがいいと思った。周りがどんなに他のアイドルの方が優勝だと言っても、マスターの懸命さに輝きを見た。
今なら師匠の選択も理屈じゃないって分かる。他に反論はあるか?』
『それは、――だからって、プロデューサーさんもそうだなんて、言えないじゃないですか……』
『マスターはプロデューサーを軟禁までして無理やりに志願したんだろう? それでも何か月もプロデュースを続けるなんて、情がなければできないと思わないか?』
『ちょ……黒歴史を掘り返さないでください!』

それでもアッシュは、『世界よりもお前のことが大切だ』と宣言されて、それを無碍にすることができなかった。
そこまで師匠から愛されて、誇りにされて、拒める弟子がどこにいるのか。
そんな想いには、どんな正論も差しはさめないことを、アッシュは誰よりも知っている。
だから、プロデューサーが七草にちかの為に他の全てを捨てたという仮説を、有りえると断じるし、理解できると頷けた。

『こういうのは、貴賤じゃないんだよマスター。正解が一つしかないことでもない。
マスターよりもっとうまく踊れる女の子がいても、もっと歌の才能がある女の子がいても。
そんな人達を差し置いて誰かに一番に好きになってもらえることが、世の中にはあるんだ』

そして、察してしまったからには明かすことを止められなかった。
七草にちかにとって、晴天の霹靂で、劇薬かもしれないことを理解していて。
『お前のせいで人を殺すかもしれない』と伝えることの残酷さも、理解した上で。
必ずしも、にちかの為にならない方に転ぶかもしれないことを承知の上で。
あるいは、守護者(サーヴァント)として失格かもしれないと、怯えながら。

『そうでなくとも、プロデューサーは聖杯戦争で真っ先に話したい相手に、七草にちかを選んだんだ。
その時点で、マスターは間違いなく特別に思われているよ。
俺の考えたことが全部ばかばかしい杞憂だったとしても、そこだけはきっと間違いじゃない』


392 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:32:38 xuP1R/rg0
それでも、あまりに理不尽ではないかという熱に浮かされた。
それほどの想いを向けられていることが伝わらないまま終わるなんて、悲しいと心から思った。
七草にちかにも、『そんなこと言われても重すぎる』と拒絶する権利があることは分かっている。
だが、相手に伝わらない一方通行であるより、伝わることにだけは意味があると思いたかった。

――だからどうか、俺にあなたの剣を受け継がせてはもらえないでしょうか
――あの時は、きっとプロデューサーさんから、平凡な女の子だと思われたと思うんですよ……

仮にプロデューサーの彼女を見る眼が、育て子を慈しむような愛情に近いものだったとすれば。
何も知らない未熟者が、『どうか私をあなたの門下にしてください』と夢ひとつを頼りにして殴り込んだことで。
結果的に、どれほど人の心を動かしたのか。
それを彼女は、知らずに生きていくべきではないという想いに負けてしまった。

にちかは、顔をあげなかった。
地面を見たまま、アッシュの言葉にどう思ったのか分からないまま、歩いていた。
しばらく、そんな道行が続いた。

『…………それで、どうして待ち合わせの時間より、急がなきゃいけないんですか』

口を開いたことででてきたのは、感想ではなく、事務的な確認。
表情はうかがえないが、声音は結論を保留するかのように淡々としていた。

『これが、馬鹿な俺の妄想だったらいい。
もちろん『プロデューサーから大事に想われてる』ことは一切の妄想だとは思わないけど。
でも、本当にプロデューサーが脱出を放棄して戦い続けるつもりでいるのかどうか、その真偽を確かめたい
要するに、『不意打ちぎみに約束より早めに到着』をして、どのぐらい動揺するのか反応を見たいってことだよ。
まるっきり検討違いだったら『早く着すぎてごめんなさい』って謝るさ』

まず話をしてみたいという相手側の申し出を過剰に拒絶しにかかることはしないが、最低限の警戒だけは携えて挑みたかった。
アッシュの推測どおり七草にちかの為に戦っているのだとしたら、自宅に招いたと見せかけて襲い掛かってくるようなことは無いだろう。
それでも聖杯戦争が終わるまで戦いから逃れるような頼み事を強要されたりと、荒事に発展する可能性は否定しきれな――



「――あの、283プロダクションの七草にちかと、Hさんですか?」



教えてもらった住所の地番まであと何番も無い、というところで。
声をかけられ、警戒とともに主従そろって振り返る。
そこにいたのは、刈り込まれたいがぐり頭に、左ほおに三本傷のある大柄な男だった。
いかつくて目つきが悪いわりにはどこかのっそりとした風体で、熊というよりも『白熊』のイメージを抱かせた。


393 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:33:18 xuP1R/rg0
◆◆◆


「遅かったか……」

鍵の開いていた窓ガラスからアパートの一室に侵入し、アシュレイ・ホライゾンは歯ぎしりをした。

その自宅が、既にもぬけの殻になっている事に対してであった。

これがアヤ・キリガクレであれば数々の諜報技術を活用してプロデューサーの直近の動向の手がかりでも拾うことができたかもしれない。
あいにくと諜報員でも探偵でもないアッシュにできる最大のことは、マスターから借りたスマートフォンで室内の写真を一通り撮影して手がかりとして持ち帰るぐらいのことだった。
だが、そのために室内を色々と見て回ったことで、目についたこともあった。
ごみの日に出荷される予定だった袋の中の食料品が、すべてインスタントやレトルト、24時間営業店販売の作り置き品やツマミに偏っていることは目撃した。
……ここ数日間の、男の生活が荒れていたことを察した。あるいは、白瀬咲耶よりも以前に参加者の死亡を目撃した……他の主従を既に落としていたのではないかと想像した。
また、衣装棚らしき収納スペースを改めたところ、そこに何かが架かっていたようなポイントに衣装一着分の空白があることも分かった。
……彼の男が、この場を出立する際に、仕事着――勝負服に身を包む覚悟を持っていたことを察した。

これらのことをどう整理して、どう伝えたものか。
この近辺の路地よりはやや駅近く――いざとなれば人の注目を呼べるポイントに待機させしてきた七草にちかと、無いよりはまし程度のお目付け役を依頼した白熊似の男に、どんな顔をさせてしまうかを想像して、暗澹たる心持ちになる。
少なくとも、彼が心配していた『ドブ』という男の生死については絶望的と言えるだろう。

『白熊』の言によれば、彼らはもともとWから指示を受けて、対象Pと呼ばれる男の自宅近辺を交代で見張る仕事を引き受けていた。
そしてドブと呼ばれる同業の男と見張りを交代するため、何よりも情報共有を兼ねて連絡を取り合っていたのだが、突如として仲間からの交信が途絶えたのだという。
Wにその旨を報告したり、問われたことに答えたりといった仕事を一通りした後、いてもたってもいられずにドブのロストポイントに向かっていたところを、七草にちか達に遭遇。
本来、見張りの交信が途絶えた場所に単独で捜索に出るなどどう考えてもリスクの高い行動であり、Wからもそこまでやれと指示はされていない動きだった。
それでも白熊が動かしたのは『ヤノさ………げふん、俺の大切な人と、浅からぬ関係の人だったので』ということらしい。
そこに至っても白熊の態度に『何てことに巻き込んでくれたんだ』というWへの恨み節がないのは意外だったので、それも追及してみた。
すると、『今までお世話になったのは事実なので』とふんわり事情を話してくれた。
始まりは不法行為を見とがめられたところからだったが、行動を共にするうちに、この都市において本当に関わってはいけない集団『半グレを通り越した極道』を避けて活動する手法を教示してもらい、彼の『大切な人』ともども助けられていたという経緯があるらしい。
また、白熊がにちか達を呼び止めた理由は単純だった。
もし対象Pの自宅に七草にちかと若い男の二人組が出入りするようであれば、『訪問することは制止せずに報告だけ入れるように』『自宅から出てきた時は近辺で呼び止め、Wからの使いを名乗り、できる限りは便宜を図るように』という二つの指示を夕方前に受け取っていたと語る。

(Wの方も、『今のプロデューサーは協力的ではないから訪問を呼び止めて連絡を寄越させろ』といった類の指示はださなかったんだな)

本来であれば、まっさきに伝えるべきはずの情報伝達を、Wは『やらない方がいい』と指示した。
その理由は、アッシュであればこそ分かる。
ファミリーレストランでの推測において、アッシュ自身が『Wに確認する』という過程を敢えて避けた。それと同じ理由だ。
アッシュがそう対応することは、電話での答えによって示されていた。


394 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:35:12 xuP1R/rg0
『お前の企てに俺達が協力すれば、全ては丸く収まるのだろうか』

いつだってアッシュは他人に対してその答え一つしか返さない、という電話での受け答えを、Wはそこに一切の嘘はないと信用した。
そして、『こちらはあなたを信用したいと思っている』という言葉もまた偽りのないものだろうと。

もし先にWに真偽を確認して、『プロデューサーは聖杯の為に283プロと袂を分かったのだ』とでも伝達を受ければ。
プロデューサーの立場を推測し、悩むための時間は少しばかり省略できたかもしれない。
しかし、そこに生まれるのは『プロデューサーを敵に回したくないから止める』だったり『馴染みの場所であり七草はづきもいる283プロが損害を受けたくないから対話する』だったりといった利害計算を意識しないではいられない、一方的な説得だ。
その時点で、『善意によって七草にちかに会いたいという願いを叶える』だとか『もし貴方が胸の内を打ち明けたいと思っているなら、こちらは誰にも言わずに受け止めよう』という相談窓口にはならなくなってしまう。
プロデューサーに心を開いてもらうための誠実さを、初手で放棄することになる。
また、プロデューサーの側も『既に283プロダクションの非戦派たちと繋がっている』ことを察知した場合、にちか達に対する警戒度が跳ねあがっていた可能性は高い。
『事情は283所属側のサーヴァントから聞いている』という気配を見せただけで、サーヴァントに令呪を使用しての強制離脱をされる恐れもある。

故に、『もしもP個人から七草にちか主従のみに話をしたいと動いた場合だけは、余計な事情を挟まない方がいい』と判断した。
Hは事情を知らなくとも明らかな失言はしないし、マスターにもさせないだけの話術はある、と。
その上で、『Hとにちか達がその可能性があるところまでは自力で気付いて、内部留保したまま会いに行く』ならばまだ筋が通ると踏んで、幾つかアシュレイが疑問を抱くような点だけは残した。

自身のマスターを『悪い子』だと指定した。
――Wのマスターのプロファイリングを行いやすくすると同時に、その特定作業によってアッシュたちの目を283プロダクションの陣容そのものに向けさせた。

七草にちかに会いたいという要望を、とても意味深に、断片だけ語り残した。
――こちらはあの言葉で『七草にちかに会いたい存在とは誰だ』と潜在的に疑い続けることになったし、プロデューサーから『会いたい』と連絡が来た時に『今の事務所はどうなっているんだ』と考えを巡らせるきっかけになった。

神戸あさひの炎上抑止を『白瀬咲耶の炎上の裏側を知る』アッシュならばWの仕業だと察せられる形で世間にも目が見えるように行った。
――炎上への対応は、別の必要性に迫られて行ったことで疑いない。しかし、『Wはこういう人物で/今現在は手が足りないし火種も多い』というアッシュたち限定での自己紹介は果たした。

アッシュたちは常に、『今の盤上は危ないのではないか』とざわめきだけは察知できる舞台下に置かれていた。
協力関係を要請されながらも、盤上の火種におじけづいたならば、見切りをつける権利だけはいつでも留保された状態で。
それがたった一件のメールで、プロデューサーの思惑に追いつかされる羽目になった――そして、はっきりと間に合わなかった。
どちらにとっても不測の消失、一手の誤りが起こった。


395 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:35:56 xuP1R/rg0
「やられた…………」

長居を警戒して路地へと来た道を辿りつつ、歯を食いしばって軋ませる。
これが致命的な行き違いだということが理解できないほど、アッシュも鈍感ではない。

プロデューサーは単独で旅だったのではなく、連行された。これは間違いない。
それも、対等な同盟関係を結んでの旅立ちではない。実態としては誘拐に近いものだろう。

まず、主従単独による出立であれば、七草にちか達に書置きの一つも残さない理由はないし、自宅周辺にあった新しい戦闘痕に説明がつかない。
プロデューサーがその場で殺害され遺体を持ち去られたのであれば、まだ暖かいアイロンがしっかりと片付けられ、家主が自ら身ぎれいにして出発した痕跡と矛盾する。

だが、友好的な関係を築き上げた陣営と同盟したのであれば、『七草にちかと会話をしてから自宅を出る』という選択肢を取らなかった理由がない。
有無を言わせない相手でもないかぎり『七草にちかの現状を確かめて引き出せるだけ情報を引き出した上で離脱する』という選択肢を取ることは可能であり、その方が今後より動きやすくなったことは間違いない。
つまりプロデューサーを連れ出したのは、『七草にちかの現状確認をする猶予さえ与えてくれないほどの相手』か、もしくは『七草にちかと接触したことを知られたくない相手』だ。
さらに283プロが火薬庫になり、他の主従から注目されているタイミングを合わせて考えると。
プロデューサーを連れて行ったのは『283プロの敵』の元である可能性が高い。

かといって、無理やりに連行されたのとも違う。
白熊がPの自宅近辺に接近する道中で、『嘘通報に騙されたところを帰還する警官隊』の情報を仕入れていた。
誘拐する側がわざわざ通報をしたりしない以上、誘拐される側が自衛のための布石を打っていたと考えるべきだ。

なら、プロデューサーの意思はどこにあるのか。
アッシュは、己が七草にちかの為に、サーヴァントではなくただのマスターであればどうしただろうかと考える。
今度こそ守り抜くためなら、蝋翼ではばたくことを躊躇しなかったアシュレイであれば、どのように思考したか、置き換える。
いや、『当時のアシュレイがプロデューサーをしていたら』という例えの時点でおかしいのだが、判断基準がアッシュと同じであればどう動いたかを予測する。

客観的に経緯を見れば、プロダクションに対するとんでもない翻意だと受け取られかねない行動だ。
しかし、『聖杯を獲る』という一点に目的を絞れば、それはもっとも実現可能性が高い。

283プロダクションの関係者が『いい人』ばかりである時点で、アイドルのマスター達が積極的な聖杯狙いを良しとしない集団であることは読める。
このまま283プロから居所を知られている住所に留まり、七草にちかとの対話を円滑に進めたところで、にちかもやがて283に潜んだ勢力から勧誘され、『プロデューサーを止める為に力を貸してください』とPを抑止する側に回るのは避けられない。
その後に待っているのは、プロデューサーが聖杯を狙って動くことを阻止するためのより強固になった監視とけん制、それらに加えて、彼を想う少女たちからの『どうかもう止めてください』という涙ながらの説得の嵐だ。
とても聖杯に向かって動き出せるような立場ではなくなる。

その点、連行されても監視下には置かれるだろうが、少なくとも聖杯を獲るために自陣以外を排除するという大目的は一致している。
283プロに対して取りえる戦略を意見する、サーヴァントを戦力として貸与するなど、必要であれば功績をあげて、発言力を確かにする余地もわずかにある。
何より、プロデューサーは聖杯を獲るだけでなく、終盤まで少なくとも七草にちかには生き残っていてもらう必要がある。
獅子身中の虫となり、生還させたい少女だけは生き残るよう采配するという博打の駆け引きでもやらなければ、一般人のマスターが聖杯戦争において『特定のマスターを生き残らせたままで聖杯を獲る』という勝ちの眼など狙えないと、逆転の発想にも迫られてしまう。


396 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:36:24 xuP1R/rg0
自分なら、やるだろう。
だがそれは、あくまでも机上の実現可能性の話だ。
実際に挑もうとすることは、いつ奈落に転落してもおかしくない修羅道に尽きる。
誘拐犯たちの情報をアッシュは寡聞にして得ていないが、『人質』である限り、言動をひとつ誤まっただけで容赦はされない。
この部屋の主であった男は、死ぬ気だ。
否、死ぬ気という言葉さえ実際には生ぬるいのだろう。
一手でも誤まれば、一瞬でも気を緩めれば全てを失う博打の中に、これからの全てを投じるつもりでいる。

283プロダクションの陣営は、アイドルの心を左右するアキレス腱を抑えられた。
渦中にいるプロデューサーも、いつ命を落としてもおかしくない。

そして、さらに悪い情報だが、アシュレイ・ホライゾンが駆け付けたところで事態にさほど光明は射さない。
ただでさえ火薬庫であった283プロダクション勢力に、『煌翼(ヘリオス)が苛つき始めている」という厄ネタを一つ投下することになる。
煌翼(ヘリオス)のことは今や大切な相棒だし、そもそも煌翼がいなければ己はとうに死んでいる。
いつでも二人で生きて、二人で世界を見聞きして、二人で解決する関係だ。
だがヘリオスの現界を許すことは、ヘリオスが人々を許せなくなることを意味する。
己を止められなかった『できない』人間に対する赫怒で、世界は救済さ(焼か)れる。紛れもなく災厄になる。
一度ヘリオスの存在を感知させたリンボについては焼き尽くしたが、ヘリオスの感触では本体ではなく写し身を焼いたような印象だったとのこと。
そしてリンボは、地獄の顕現を望んでいる。良からぬことが起こる予感しかない。
……この上で、リンボ以外に、『魂や内面世界をより直接に操作することが可能な英霊』などが、この土地に存在したら悪夢だ。

とてつもなく荷が重い。
荷が重いついでにと、様子伺いも兼ねて、意見を聞くことにした。
サーヴァントになってまで己を悩ませる、先の戦闘でも叱咤されたばかりの魔人に対して。

――とまぁ、マスターのプロデューサーはこういう奴だと思うんだが。お前はどう思う?――
――俺の答えは、以前に死想冥月(ペルセフォネ)に相対した時と同じだ。
  それは罪償いと、愛する者の守護とを混同している。
  男がいなければ女は立てないという前提ありきで杯を求めるなら、依存しているのは男の方だ。違うか?――

いつも通りの極端な正論をありがとう。
もしそれをもって答えとした場合、俺はプロデューサーに『スイマセンスイマセンこいつはこういう奴なんです』と平身低頭するしかないんだが。

――だが、これは俺の答えだ。俺と交わらないお前の答えはまた別だろう――

うん、おかげで参考にはなった。やはり相談とはすばらしい。


397 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:37:03 xuP1R/rg0
――ナギサの時を思い出したのは俺も同じだよ。
  お前も同じ姿を重ねたというなら、俺がたまたまセンチメンタルになったわけじゃないってことだ――

それにしても、この土地に来てから彼女(ナギサ)を引き合いに出す連中は、どうして男ばかりなんだ。
283プロに関係する男性は、みんな愛重族(アマツ)しかいないのか。
閑話休題。

身を滅ぼしても救いたい。
今度こそ、君を守り抜きたい。
そこに至った気持ちなら、狂おしいほどに共感できる。
むしろ、まったく共感も理解できないというなら、そっちの方がどうかしてる。
アイドルのサーヴァントたちは、ここ一か月ずっと多感な『普通の女の子』を見守り続けてきたのだ。
生前からして強敵だったけど、本当に『女の子』は難しい。
自己紹介で真名のリスクを説いただけでバッドコミュニケーションを踏んだような顔になるし、己の実力を謙遜をすれば嫌味に聞こえると叫ばれる。
些細な失言さえも見逃されないという緊張感に、危うくこちらが絆されそうな反則手の数々。
本当に、どんな交渉相手にも負けず劣らず疲労した。
一か月をともに過ごしただけで、これほど眼が離せなかったのだ。
WINGとやらに至るまでの数か月以上をともに過ごしたプロデューサーの心配と思い入れは、幾らでも大きく重く積み重なったに違いない。

大切な彼女が辛い時、苦しい時、悲しい時。
どこからともなく現れて、涙を止められる無敵のヒーロー。
そうなりたいと我武者羅に彷徨ったからこそ、運命は蝋翼を選んだのだから。

――だから、七草にちかだけのヒーローとして、彼女のためなら墜ちるというなら、蝋翼(オレ)はその覚悟を否定しない――

彼だけの勝算と、痛ましいまでの決意を胸に飛ぶというなら、アッシュはそれに輝きを見よう。
たとえアッシュが見捨てられないアイドルの少女たちがそれで傷つくとしても、彼はまぎれもなく優しい男だ。
あれだけの女の子たちの心をつかんでいたこと、七草にちかを育てたこと、心から尊敬する、本当に。



――だが、『まだだ』な――
――ああ、『まだだ』よ――



「反論は、させてもらうぞ」



どんな時でも自己犠牲は良くないなどと、一般論に走るつもりはない。
愛する者のために覚悟の上で堕ちることを他ならぬアシュレイ・ホライゾンが否定するつもりは毛頭ない。
責任の取り方や贖罪の果たし方は人の数だけ存在し、それらを一朝一夕に評価できるほど己は傲慢でも明晰でないとも理解している。


398 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:37:37 xuP1R/rg0
とりたてて凄いことのない一万年の交渉歴でも、数多くの『身を削って飛んだ』存在を見てきた。
そういう連中の相手をするのは、生きていればよくあることだ。
一万年の大半を占める、どうあっても決意を変えようとしなかった頑固な救世主がいた。
たった一つでも答えが気に入らなければ即刻に殺してやるという狂人たちもいた。楽しく話せた。
どうしようもなく戦場に来て、本音では救いを求めるただの兵士もたくさん見てきた。助けられなかった。
むしろ死んでないとおかしいだろいい加減にしろという、勝利の為にいろいろ捨てた亡者たちもまれによくいた。
本当は死ぬほどがんばれるような人間ではないのに、大切な人の為にがんばり過ぎて星になってしまった男もいた。
自分のやったことの責任を取るためにも、愛する者の幸いのためにもと、無理やりにも強い自分であろうとする者については、もう一生分ほど見てきた。

それを、よりにもよって七草にちかをプロデュースしていた男が、にちかの意向と関係ないところでやっているともなれば、言いたいことは、いささかある。
アシュレイ・ホライゾンは、伝えるべき想いと言葉を叩きこむための英霊だ。
そして守るべき少女に対して、まさに伝えているところだった。

どうか、自分が不幸になる方に進もうとしないでくれないかと。
自分は自分でしかないのだから、無理して変わる必要などなく、ありのままでいて欲しいと。

――教えてる真っ最中なのに、アンタがそうじゃない方に行ってどうする――

どいつも、こいつも、どっちの陣営でも。
俺が守る。君のことを守る。
いざとなったら自分だけで全てを終わらせるという強がりは、いい加減にそろそろ止めにしないか。
俺たちは結局のところ、只人で、人間≪サーヴァント≫だろう。
誰かを愛しているなら、それは自分一人で完結できない半端者の証拠だ。
半端者同士でどちらかを一方的に守ろうとして、その結果の幸いなんてたかが知れているんだよ。
一方的に守られて未来を押し付けられた人間がどんな気持ちになるかを、お前らは考えたことがあるのか。
誰かが一方的に犠牲になった結末を、守られた側がああ良かったと諸手を挙げて喜ぶと本気で思っているのか。

繰り返すが。
あれだけ自己嫌悪を他人への攻撃にすり替える七草にちかが、プロデューサーのことは一度も悪く言わなかったんだぞ。
それは、つまり。
『アイドルとしてまた飛ぶための七草にちか』には、プロデューサーが必要だってことじゃないか。
アイドルとプロデューサーだろうがヒーローとヒロインだろうがマスターとサーヴァントだろうが。
人と人との間に、一方通行の関係なんて成り立たないんだよ。

そういう連中の、こういった状況から生まれる論理的帰結。
それはこのままだと、そして今もどこかで、≪誰か(たいせつなひと)≫が涙するということ。


399 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:37:58 xuP1R/rg0


――誰かの笑顔を、よろしく頼む。



一度だけ対面した、本家本元の『悪の敵(カウンター)』から、任された。
お前に、世の中の大きな枠組みを変えるようなことは似合わない。
お前は衆生すべてを救うのではなく、ひとつひとつの小さな声に応えるのだと。
そういう風に、お前には世界のこと託したいのだと。
であれば、涙を止めるために飛び続けよう。
無理やり造った蝋の翼が墜ちるところを見せつけられて、己がマスターを傷つけさせないためにも。
墜落しない飛び方を教えてやると大見得を切った者として、これを看過する是非もなし。

マスターから借り受けた携帯端末に記録されている、教わったばかりのメールアドレスの持ち主に再返信。
七草にちかがどうしたいのかの意向は確認せねばならないが、少なくとも『事情を聴かない』という選択肢はない。
どうせ白熊は今頃、『Hに会った』という報告でも送っていることだろう。
であれば、自分が行うのは状況説明よりもまず、質問の続きだ。

――少なくとも、駒で終わるつもりはない。

そう答えた上で、さらに先方への問い返し。
アシュレイ・ホライゾンがどうありたいかではなく、彼にとってのアシュレイ・ホライゾンは何者か。



『俺はお前にとって、単に計画に必要な駒か? 
そうでないなら、俺を舞台に上げろ。 From H』



駒扱いをされたくはないが、舞台に上がりたいという訴えの意味はひとつだ。
『腹を割って話そう』と。
悪役と不可能男。
肩書からして、まるで足りない二人にもほどがある。
そして、互いに頼りにしている正逆の対存在がここにいないのがまた酷い有り様だが、手を取り合わないよりはずっといい。
何もできない俺だけど、これでも破滅と仲良くなることには慣れている。
それが相互理解(コミュニケーション)なら、言葉だろうと暴力だろうと嵌め手だろうと幾らでも惜しまない。

只人・アシュレイ・ホライゾンと救世主・ヘリオス。
そして、心の行方しだいでは七草にちかもだ。
いつまでも舞台下で庇われ、逃がされているような器じゃない。
ざわめきを感じているだけの時間は、もう過ぎ去った。
真っ白な四角い足場をせりあがった先で、『俺』と『俺たち』が互いを見つけるために。
一つの身体に掛け合わされた比翼同士で、声を合わせる。



――「「求めるからこそ、是非も無し」」――



奈落を上がれ。


400 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:38:14 xuP1R/rg0
【品川区・プロデューサー自宅の最寄り駅近く/1日目・日没】

【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、精神的負担(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:?????
1:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
2:ライダーの案は良いと思う。
3:梨花ちゃん達、無事なんだよね……?
4:私に会いたい人って誰だろ……?
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。


【品川区・プロデューサー自宅付近/1日目・日没】

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身に軽度の火傷(回復中)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:Wと腹を割って話す。そしてプロデューサーとどうなりたいのか、マスターの意思を確認する。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
4:セイバー(宮本武蔵)達とは一旦別行動。無事でいてほしい
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。


401 : 動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ ◆Sm7EAPLvFw :2021/11/21(日) 22:38:38 xuP1R/rg0
投下終了です


402 : ◆HOMU.DM5Ns :2021/11/22(月) 07:23:41 xqu7uS7Y0
延長します。


403 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:23:52 tGNg28PM0
投下します。(ギリギリ)


404 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:24:37 tGNg28PM0
 刀というのは、剣というのは、非常に繊細な得物である。
 使い方一つ、振るい方一つでどんな業物でも鈍らに成り下がる。
 今武蔵が目の前にしているその剣は、一見すると莫迦の世迷言としか思えないような形(なり)をしていた。
 刀身の巨大さもさることながら、三叉に分かれた異形の刀身はあまりに奇を衒いすぎている。
 剣に精通した者であれば失笑とてしよう。こんな一発芸で死合の場を切り抜けようなど笑止千万、片腹痛し――と。

 ひとしきり笑った後で、そのまま死ぬだろう。
 その身を散り散りに引き裂かれて、臓腑を撒き散らしながら果てるだろう。
 剣の極致に触れた武蔵にはそれが分かる。常なる剣士ならば扱えぬ莫迦げた刀も、しかし異能の鬼が振るうならばどうか。
 その答えが具現化するのを待たずして武蔵は仕掛けた。先手必勝、勝負事の世界においてはいつも不変の真理。

「……ッ!」

 が、仕掛けた武蔵よりも更に疾く黒死牟の剣戟が迸った。
 行った動作はほんの微かに虚哭神去、真の姿を露わにした鬼刀の刀身を傾けただけ。
 しかしそれだけで無数の斬撃が、地を這いながら武蔵に向かって襲いかかった。
 言わずもがなそこには不可視の力場が載っている――武蔵の目をしてもそれは見えないが、これだけ打ち合っていれば形は正確にイメージ出来る。

 イメージさえ出来るならば、形と大きさが分かるならば。
 欠けていく月の像を正確に思い描けるならば――斬り伏せることは造作もない。
 無論それからして絶技も絶技。人間が辿り着ける領域を遥かに超えた魔人の剣だ。
 それを誇るでもひけらかすでもなく当然のものとして繰り出しながら肉薄する、武蔵。
 黒死牟も驚かない。この女剣士はまさに達人、否それ以上。
 そう分かっているからこそ、"知っていたぞ"とばかりに乱れず動じず呼吸する。

「(――来る!)」

 ホォオオオオ、というその独特な呼吸音は武蔵の知らない技術だ。
 同じ剣士としてどういうノウハウを使っているのか教えを乞うてみたい気持ちもあったが、そんな雑念は排除して全神経を集中させる。
 その意気や良しとばかりに振るわれた刀が描いたのは、月の呼吸――捌ノ型。

 月龍輪尾。その名の通り、龍が尾を振るったような重く鋭い横薙ぎの一閃が迸った。
 しかしその斬撃の大きさ、即ち攻撃範囲の広さは先程まで彼が見せていた剣技の比ではない。
 ざっと数倍に達して余りある範囲を死線に定義しながら、そこから更に月の力場を撒き散らす。
 何たる欲張り。何たる無茶苦茶。とことんまで、下総の英霊剣豪達と被る男だった。
 見通しが甘かったと武蔵は思う。これほど"出来る"鬼を相手にするに当たって、自分はどれほど軽い気持ちでいたのかと。

「(重っも……! 間違っても直撃は出来ないわね……!!)」

 受け止めた剣が砕けるのではないかというほどの威力。
 衝撃を殺して力場を斬り、舞い上がる粉塵の中で大地を踏んで接敵へ。
 武蔵も負けてなどいない。彼女が放つ斬撃の速度、そして手数は黒死牟のそれを超えている。
 多刀のアドバンテージを活かしての連撃で、武蔵は至近距離から黒死牟の牙城を攻略しにかかった。
 既にお互いの手の内は相手に殆ど割れている――よって戦いのステージは単純な実力勝負、最も原始的な形のそれに回帰した。


405 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:25:20 tGNg28PM0

 黒死牟には失血という概念がない。
 臓物を撒き散らしたところで、手足を斬り落とされたところで、体を両断されたところで、彼は死なない。
 しかしそれは不死を意味しない。始祖以外の全ての鬼に共通する、日光以外のもう一つの弱点――それが頸だ。
 頸を斬られれば黒死牟とて死ぬ。滅ぶ。
 その点、先程の武蔵は惜しかった。
 あともう少し刃を深く通せていたなら、黒死牟を斬首して殺すことも可能であったろう。
 尤もその場合は黒死牟も身に迫る死の気配を察知し、武蔵に斬られる不覚をそもそも晒さなかった可能性もあるが。

「(気付いていようがいまいが関係はない。この女には、私の頸に触れられる程の力量があるのだ)」

 黒死牟がかつて人間だった頃。
 丁度その時代を生きていた、とある剣術家の存在を彼は思い出していた。
 直接剣を交えたことはおろか会ったこともない、一方的に風聞を聞いたことがあるだけの相手だ。
 曰く二刀流。二天一流兵法の開祖。巌流島の戦いを制して天下にその名を轟かせた、日ノ本剣士の代名詞――。
 
 その名と生涯に興味を惹かれた試しはなかった。
 黒死牟はその男なぞより余程優れた、怪物としか形容のしようがない剣士の存在を知っていたからだ。
 だから彼を追いかける道すがら、余計な横道を見るようなことはしてこなかった。
 だが今、相対してみて感じる。互いに死を超えて迷い出た異境の戦場で死合っているこの女から、その剣士の伝説を。生き様を。
 勝利のためなら手段を選ばない姿勢、決められた型に収まることのない柔軟でそれでいて苛烈極まりない剣。
 彼女が風評とは異なる性別をしてさえいなかったなら、黒死牟はその真名を看破していたかもしれない。

 剣と剣が交錯する。
 火花を散らして斬り結ぶ。
 絶望するどころかより活き活きと、愉しそうに全力の黒死牟と戦う女剣士。
 彼女こそは、世界こそ違えども、黒死牟が脳裏に描いたのと同じ名を持つ英霊。
 すなわち宮本武蔵。消えゆく世界からさえ弾かれた流浪人。
 されど、されど――その剣の冴え、武芸の次元。いずれも、黒死牟が侮った"男の武蔵"を遥かに凌ぐ。

「さあ鬼さん、次は何?」
「そう望むのならば……馳走しよう……」

 挑発するような武蔵の言動。
 それを受け止め、黒死牟が次なる月を繰り出すべく呼吸する。
 その隙を縫うように切り込む武蔵の暴挙は想定の内だ。
 糞真面目としか言い様のない完璧な対処、迎撃を行いながら、その上で満を持して次の凶月が顕現した。


 ――月の呼吸・拾肆ノ型。
 その型の多さからしてまず異質なことは言うまでもないが。
 黒死牟の剣は型の数字が増す毎に、"技術"と"血鬼術"のウェイトが逆転していく。
 拾肆ともなればもはや繰り出される斬撃は剣術の域を完全に超絶する。

 まさに兇変。兇変――天満繊月。
 黒死牟の周囲を武蔵諸共に埋め尽くし、磨り潰さんとする渦状の斬撃。
 その攻撃範囲はもはや、剣という武器から繰り出されるそれではなかった。
 血鬼術に物を言わせた殲滅斬撃。武蔵の体に裂傷が増え、血が風に乗って地面を汚す。


406 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:25:57 tGNg28PM0

 武蔵は瞠目していた。
 異能の剣など見慣れている筈の武蔵が目を見開いた訳は、しかし単に"技"の冴えに対して驚愕しているわけではなく。


 それは、憐れむ眼であった。
 それは、哀しむ眼であった。
 そういうものを見る、眼であった。


「(何故――私をその眼で見る)」 

 
 どくん――。
 今はもうない心臓が脈打つような錯覚を覚える。
 その時黒死牟の脳裏に過ぎったのは、思い出したくもない赤い月の夜だった。
 数十年の時を経て、人間相応に老いさらばえて、それでも二本の足で地を踏み締めていた忌まわしい男。
 お労しやと。人の肉体を捨て永遠になった黒死牟を、かつて人間だったソレを見て涙を流した彼の瞳。
 それとよく似たものが武蔵の瞳に宿っているのを、黒死牟は確かに見た。

「(私の何が憐れだというのだ。私の何が、哀しいというのだ)」

 武蔵は生きている。
 己の凶月の只中にありながら、月光の代わりに降り注ぐ斬撃の中にありながら、耐えている。
 だが黒死牟にとって今重要なのは、武蔵が浮かべたあの眼だった。
 鎖した記憶。死に際に見た追想。侍とは思えぬ姿に成り果てて自壊し、塵のように消えていったその末路。
 
 ――こんなことの為に、私は何百年も生きてきたのか?
 ――負けたくなかったのか? 醜い化け物になっても
 ――強くなりたかったのか? 人を喰らっても

 やめろ。
 やめろ。思い出すな。
 出して来るな、それを。
 
 ――家を捨て。
 ――妻子を捨て。
 ――人間であることを捨て。
 ――子孫を斬り捨て。
 ――侍であることも捨てたというのに。

 やめろ。
 

 ――――ここまでしても、駄目なのか?


 開きかけた妄執の門。悔恨の最期。
 パンドラの匣めいたそれが最後まで開かれることがなかったのは、しかし何という皮肉か。
 斬殺ではなく圧殺に等しい斬撃の渦を乗り越えて懐にまで迫った武蔵を視認したことで、黒死牟の思考がようやく現実に戻ってきた。
 元より拾肆の型は打ち終えた後に多少の隙が伴う技。
 にも関わらず忘我の境地に立たされているようでは当然、身を滅ぼす窮地が訪れることになる。

 筋肉を限界を超えた領域で駆動させる。
 自身の頸を狙い迫る刃を迎え撃つべく魔剣を振るう。
 それでも間に合うか、否々間に合わせずしてどうする。
 剛柔の後者を切り捨てた、ただがむしゃらに生を繋ぐためだけの斬撃。
 それが武蔵の剣に触れるかどうかの一瞬に。
 武蔵が呟いたその声が、聞こえた。

「そう。貴方、自分でも分かってるんだ」

 その意味合いを理解することもなく。
 自身の剣が彼女の剣を弾いたかどうかを確認することもなく。
 この戦いの勝敗を、自らの生死を悟ることもなく。
 黒死牟は、目には見えない逆らい難い力に引かれて死合舞台から姿を消した。


407 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:26:28 tGNg28PM0
◆◆


 熱中症とだけ聞けばありふれた、そこまで怖くないものに聞こえるかもしれない。
 だがその認識は大間違いだ。熱中症は怖い。人を殺すこともあるし、そうでなくても一人の人間を永久的に意思疎通の困難な状態にすることもある。
 有名な例えだが、卵を茹でた結果出来上がったゆで卵があったとしよう。
 それを生卵に戻せと言われて出来る人間は、魔法使いでもない限りまず存在すまい。
 それと同じだ。熱中症は脳にダイレクトで、不可逆の変化を及ぼす。そしてその変化は、人間の一生を終わらせるのに十分すぎるものなのだ。
 医学の道を志す者として、幽谷霧子は当然かつて熱中症から生まれた悲劇の数々を知っていた。
 だから本人が「大丈夫」と言っても横着することなく、医学的な最善の手段で目の前の少女を介抱した。

「大丈夫……? 具合が悪かったら、遠慮せず言ってね……」
「……みー。もう大丈夫なのですよ、霧子」

 触れた感じ熱はなかった。
 その時点でとりあえず重篤ではないと分かったが、念には念をだ。
 霧子はコンビニで冷却シートとスポーツドリンクを買い、少女……古手梨花へと与えた。
 冷却シートは額ではなく首元に貼った。太い血管が体の表面近くを走っている箇所に貼った方が、熱中症対策としてはベターである。

「そっか……なら、よかった……。でも無理しちゃダメだよ、梨花ちゃん……」
「現役のアイドルさんに直接看病してもらえるなんて、みんなに自慢できそうなのですよ。にぱー」
「ふふ……そう……? そう言ってもらえるのは、嬉しいな……」

 今、二人……いや。
 霧子に同行していた柔らかい雰囲気の女性・ハクジャを含めれば三人か。
 三人の居る場所は、梨花を見つけた場所からそう遠くない位置にあったチェーンの喫茶店だ。
 霧子はミルクティーを、ハクジャはレモンティーを。梨花は葡萄のジュースを頼んでいる。
 日が当たらない場所である上にクーラーも程よく利いており、梨花の具合は大分良くなりつつあった。
 無垢な少女として、いつも通り猫を被って霧子達に応対する一方で。

「(幽谷霧子。アンティーカのメンバー……咲耶の、仲間)」

 梨花はその心中では、一人の少女の面影を描き出していた。
 白瀬咲耶。本戦まで生き残ることの出来なかった"可能性の器"。
 否、彼女という人間の人となりに触れたことのある身としては、そんな無機質な形容はしたくなかった。

 白瀬咲耶。強くて、誠実で、どこまでもまっすぐな――ひとりのアイドル。
 華やかなだけでない確かな芯と心を持った彼女の声を聞くことは、もう叶わない。
 その顔を見ることすら、叶わない。あの時取れなかった信頼の手に"もう一度だけ"と手を伸ばすことさえ許されない。
 そんな梨花の前に現れた、幽谷霧子。アンティーカのメンバーである彼女は、傍目には落ち込んだり打ちのめされたりしている様子は見えない。

 だが平気ではないだろうと、梨花はそう考える。
 大事な仲間を喪う痛みの重さはよく分かるつもりだ。
 そして、だからこそ。目の前の霧子に後ろめたさを感じないと言えば嘘になった。
 梨花が悪いわけではない。
 確かに梨花が咲耶と協力する道を選んでいれば運命は変えられたかもしれないが、それを彼女の咎として責め立てるのはあまりに酷だろう。
 けれど。自分達の間にあったことを知らずに優しい善意を分けてくれる霧子に対して何も感じないほど、梨花は割り切れなかった。


408 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:27:17 tGNg28PM0

「梨花ちゃんは……今日は、お出かけ……?」
「はいなのです。お買い物をするつもりだったのですが、お日さまがぴかぴかでボクはへなへなにゃーにゃーになってしまったのですよ」
「ふふっ……。そうなんだ、でも……この季節は、熱中症にはくれぐれも気をつけてね……」
「身に沁みて分かったのですよ。これからは気をつけますです」

 傍目には微笑ましいそれにしか見えないだろう会話に興じつつ、梨花はちらりと。
 霧子の隣に座って自分達の会話を眺めている妙齢の女性の方を見た。

「改めて、危ないところを助けてくれてありがとうございました。霧子も、ハクジャも」
「ふふふ。お礼を言うのは霧子ちゃんに対してだけでいいのよ? 梨花ちゃんを見つけてくれたのは、霧子ちゃんの方なんだから」

 ハクジャ、と呼ばれた彼女。
 立ち振る舞いは上品で、梨花はどことなく自分を運命の檻の中に捕らえていた看護婦のことを思い出した。
 だからこそ、というわけではないが――梨花はハクジャに対しこう思っていた。
 この女は怪しいと。隙を見せたり、自分の素性に近付かれてしまうような情報を晒すべき相手ではないと。

 それとなく探ったところ、霧子のマネージャーのような立場というわけではないらしい。
 霧子が暮らしているという病院寮。その大元である病院……皮下医院に縁のある人物だという。
 近頃は何かと物騒だから、こうして霧子の外出に付き添っている。
 表面上こそ納得した素振りを見せたものの、内心では梨花は"それは出来すぎているのではないか"と疑っていた。
 普通に考えれば警戒しすぎと片付けられてもおかしくはない疑念。
 されど古手梨花が聖杯戦争の参加者、可能性の器(マスター)であることを踏まえて勘案すればむしろ妥当なものという評価に変わろう。

「霧子は、ハクジャと一緒にどこへお出かけするつもりだったのですか?」

 武蔵が戻ってきたなら、彼女の評価も聞いてみたいところだったが。
 別れてからそれなりに経つというのに、未だあのお転婆な女剣士が戻ってくる気配はなかった。
 彼女の実力の程は知っている。知っているけれど、それは心配しない理由にはならない。
 何かあったのではないかと思いつつも、不用意に念話をして彼女の剣を鈍らせてしまったらと思うと迂闊な行動には出られず。
 結果梨花はクーラーの効いた喫茶店の中で、悶々とした時間を過ごすのを余儀なくされていた。

「…………見つけたいものが……あって……」
「……え?」
「もしかしたら……形は、ないかもしれないけど……。
 でも……それでも、わたしは……どうしても、見つけたいんだ…………。
 きっとそれが……今のわたしに出来る、一番のことだから………」
「そう、ですか。……みー。それはとっても素敵なことだと思うのですよ」

 話を繋ぐため、それでいて不自然さを感じさせないため。
 梨花としては、精々その程度の腹積もりで話を振ったつもりだった。

 けれど霧子はそんなこと知る由もない。
 そもそも彼女は、梨花のことを見た目相応の可愛らしい子どもとしか認識していなかったろう。
 だからこそ。いや、"にも関わらず"――か。
 霧子は事の本質をぼかすことこそすれど、梨花の問いに対して極めて正直な回答を返した。
 梨花にその言葉の意味が伝わることはないだろうと分かった上で、それでも嘘を吐いたり誤魔化したりはしなかったのだ。
 そして、そんな霧子の言葉は。奇しくも彼女自身の意思とは裏腹に、古手梨花に"完全に"伝わってしまった。


409 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:28:12 tGNg28PM0


 ――見つけたいもの。
 形はもうないかもしれないもの。
 アンティーカの末っ子、幽谷霧子が今見つけたいと願うもの。
 その正体を、輪郭を、梨花は思い描けてしまう。
 何故なら梨花は、恐らく霧子が今面影と遺したものを探しているのだろう"彼女"と既に会っているから。
 
 梨花は、霧子に何と言葉をかければいいか分からなかった。
 "彼女"。白瀬咲耶との間にあった出来事を、顛末を、全て伝えてあげたい。
 ハクジャさえ居なかったなら、梨花は霧子に対しそうしていたかもしれない。
 しかしハクジャが梨花の視点で警戒対象である内は、彼女に向けてそれらを吐露することは出来ず。
 結果として、梨花は曖昧な返事を返すだけして沈黙することを余儀なくされてしまった。


 ――時間は流れる。
 各々が頼んだ品物を胃の中に収め終える頃には、すっかり日が沈み始めていた。
 今は夏だからまだ完全に暗くなったわけではないが、それでも梨花の齢ならばもうそろそろ家路につくべき頃だろう。
 
「……みー。改めて、ボクを助けてくれてありがとうなのですよ、霧子とハクジャ。
 二人にはきっと、オヤ――こほん。神さまの御加護があると思いますです」
「ふふっ……そう、かな……。だったら、嬉しいな……?」
「ボクはこれでもありがたい神社の子どもなのです。神様とお話したこともあるのですよ」

 運命の呪縛から解かれ、正しく巡る時の中に戻された古手梨花の前から、神は笑って姿を消した。
 あの時にはまさか再び繰り返しの地獄が始まることになるなどとは思ってもいなかったし、いざ彼女の残滓と再会した時には当たってしまったけど。
 それでも思う。見たことのない、既存のルールも常識も何もかも通用しない異形の雛見沢の中でも、時空を超えた聖杯戦争の中であっても。
 傍に誰かが居てくれるというのはとてもありがたく、それでいて支えになるものなのだと。

 実際、何だかんだ言いつつも常に傍に武蔵が居てくれることには身も心もかなり助けられていた。
 あの土地神と比べるとかなり直球で頼れるのもいい。
 逆に行動がアクティブすぎて時折生きた心地がしないのは玉に瑕か。
 ……まあ、つまり。新旧どちらも一長一短、古手梨花の相棒は毎度そういう奴らばかりということだった。
 
「だからボクは、助けてもらったお礼にお祈りしておきますです。
 霧子。あなたの探しものが見つかりますように――と」
「…………。……ありがとう、ね。梨花ちゃん…………」

 咲耶のことを教えてあげられなかったことへのせめてもの侘びというのもあるし。
 純粋にこの善良で、ぽかぽかと優しく照らすお日さまみたいな温かさの少女の想いが報われて欲しいと、梨花はそう思った。
 だから今は何処に居るとも分からない、母親のようでも姉妹のようでも、友人のようでもあるかつての比翼に祈る。
 あんたも一応神様なんだったら、巫女のお祈りには応えてみせなさいよね――と、やや皮肉を交えてではあったが。
 
 
 新宿(せかい)が揺れたのは、それからすぐのことだった。


410 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:29:28 tGNg28PM0
◆◆


 何が起きたのか、最初は全く分からなかった。
 突然、世界が揺れた。いや、跳ねた、弾んだ、と言った方が正確だったかもしれない。
 店内に轟く悲鳴。明滅する照明。テーブルはまるで痙攣でもしているみたいに揺れ震え、窓ガラスがけたたましい音を立てて割れた。
 地震――? ようやく思考が現実に追いつき始めた梨花が最初に考えたのはそんなこと。
 まともに立つこともままならない世界の中で、霧子が懸命にも立ち上がり、梨花の隣にやってきてその手を握る。

「……梨花ちゃん……! ハクジャさんも……早く、机の下に隠れよう………!」

 霧子もきっと、梨花と同じ結論に行き着いたのだろう。
 しかし霧子の手の熱を感じ取る頃には、梨花は既に「地震ではない」と数瞬前の結論へ否を唱えていた。
 割れた窓ガラスの外。そこから見える空が、先程までとは一線を画した異様な色彩を湛えていたからだ。

 赤い――血そのものの色を何処かから引っ張ってきたとしか思えないような、赤い空。
 遅れて霧子もそれに気付いたのか、梨花と同じく空を見つめて言葉を失っていた。
 両者の思考は此処で一つになる。互いの立場には気付かぬままでありながら、それでもだ。
 これは、自然災害などではない。恐らくは、聖杯戦争に関係する――途方もなく強大な存在が引き起こした"破局"であると。

「霧子ちゃん」
「……は……ハクジャ、さん――――っ…………?」

 ともすれば、混乱に満たされてもおかしくない状況で。
 ただ一人震動に乱されることなく、すっとその場に立っているハクジャが霧子の名前を呼んだ。
 その髪の毛が、目の前でするすると伸びていく。どこまでも長く伸びていく、見惚れるほど美しい白髪。
 元々彼女に疑念を抱いていた梨花は"やはり"と思ったが、警戒も何もしていなかった霧子はただただ戸惑う他ない。
 それはきっと、隠していた素性を晒した相手に対して取るにはこの上なく最悪な反応だったろうが……そういう意味では霧子は幸運だった。
 
 ハクジャが霧子に正体を明かし、彼女をどうにかしてしまう未来。
 そんなものが仮にあったとして、しかしそれはもはやあったかもしれない"もしも"でしかない。
 今、そしてこれからまさに。"そんなことをしている場合ではなくなってしまう"のだから。


「令呪でサーヴァントを呼びなさい。多分――私じゃ守り切れないから」


 なんで、そのことを。
 一瞬、世界が静止したような錯覚すら覚えてしまう霧子。
 信じられないものを見るような目で自分を見る梨花の反応に「どうして」と疑問を抱き、考える余裕は今の彼女にはなかった。
 遠くから迫ってくる轟音。それはもう、霧子達の耳でも聞き取れるレベルの距離まで迫っていたからだ。
 ハクジャがもう一度言う。「早く」と、ただそれだけ。
 霧子はその声に背中を押されて、その手に刻まれた三画の刻印の一遍を輝かせた。
 迫る破局の片鱗。破壊的なソニックブームの到来に揺れ惑う世界の中で、霧子はただがむしゃらに――叫んだ。


411 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:30:01 tGNg28PM0


「…………わたしたちを――――わたしたちみんなを……! 助けてください、セイバーさん…………!!」


 その声に。
 その魔力に。
 吸い寄せられるようにして――日没を迎えた都市の一角。
 これから吹き飛ぶことになる一帯の中へと、鬼が立つ。
 
 鬼気と凶気を横溢させる彼の手に握られている剣は、三叉に分かれた異様な形をしていた。
 鬼は顕れるなり己が主君の方を見、何かを言おうとしたが。
 到来する破壊への対処が先であると踏んだのだろう。
 そのまま刀を大上段に構えれば、形のない衝撃波へと向けて――此処に来る前、二天一流の剣士へ見せたのと同じ型を放った。
 兇変・天満繊月。鬼……もといセイバーのサーヴァント・黒死牟が持つ技の中では最も広い範囲を補えるものであるからだ。

 黒死牟が単なる"呼吸の剣士"であったならば、押し寄せるソニックブームを切り払うなんて芸当は不可能だったろう。
 しかし彼は生前からして人間を辞めている。呼吸の技術を保ったまま鬼となり、堕ちてからも自己の研鑽を怠ることはなかった。
 その奇跡的な噛み合い、要素と状況の符合が本来不可能であった筈の芸当を可能にした。
 
「何故……己を連れて逃げろと、命じなかった………」

 喫茶店は僅かな骨組みだけを残してほぼ完全に崩壊した。
 が、黒死牟の奮戦の甲斐あってか、屋内に居た霧子達とその他の客達の身体に被害は殆どなかった。
 事情を知らない後者は"どうやら助かったらしい"ことを悟るや否や蜘蛛の子を散らしたように逃げ出すか、或いはショックで気絶しているかのどちらかで。
 結果として残されたのは事実上、黒死牟と幽谷霧子、そしてハクジャと古手梨花。聖杯戦争についての知識を持つ者達のみとなった。

 黒死牟はこの場に転移してきた瞬間、古手梨花がマスターであることに気付いた。
 ハクジャに関してはとうの昔に皮下真が寄越してきた間者であると見抜いていた。
 霧子がほんの僅かでも利己に、保身に走ってさえいれば。
 この場に居合わせた邪魔な命を二つ。最低でも離脱手段のないハクジャだけは葬ることが出来た筈なのだ。
 霧子を連れて逃げる際に与えられた一瞬の時間で、黒死牟が直接斬り捨ててやっても良かった。
 しかし霧子の令呪が彼に命じたのは自身の身の安全の維持ではなく――"わたしたちの"救出。

 サーヴァントに対する絶対の命令権であるところの令呪は存分にその役割を果たし。
 結果、黒死牟は数百年ぶりに――殺すためでなく守るための剣を振るう羽目になった。
 令呪一画を費やして。あった筈の好機さえも逃して。得たのは本来敵になる筈だった二人と、数える価値もない幾つかの雑多な命。
 
「あ……その……ごめん、なさい……。でも…………」

 詰問する黒死牟に対し、霧子は正直まともな答えを返せる自信がなかった。
 今この場に居る面子の中で一番何が何だか分からないのは――混乱しているのは間違いなく彼女である。
 突然の破局にハクジャの変貌。梨花がマスターであることにまだ気付いていないのは、幸か不幸か。


412 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:30:41 tGNg28PM0

「………セイバーさんなら、できるって………わたしたちみんなのことを、助けてくれるって……思った、から………」

 とにかく。
 頭を使うことなどまだ出来なそうな霧子には、ひどく拙い答えしか返せなかった。
 何やら怒っていそうな黒死牟。彼の機嫌を伺うとか、そういう器用な真似は出来なかった。
 霧子が口に出来たのは、一番最初に心に浮かんだ答えをそのまま口にするという、ただそれだけのことで。

「――――」

 それに、黒死牟は沈黙した。
 何なのだ、この娘は。
 もう幾度考えたか分からない疑問。
 ともすれば見限ることを考えてもおかしくない状況、場面。
 それが分からぬ訳でもないだろうに、何故この娘はこうなのだ。
 考え、らしくもなく言葉に窮し、その末に口を開いた――しかし。
 
 黒死牟の口から次の言葉が紡がれようとしたまさにその瞬間。
 ぱち、ぱちという乾いた拍手の音が突如響き出したことにより、彼の次ぐ言葉はかき消された。


「お見事でした。幽谷霧子さん、そしてそのサーヴァント」

 眼鏡を掛けた、オールバックの男性だった。
 その傍らに侍って裾を引いているのは、まだ就学すら済んでいないだろう小柄な"獣耳の"少女。
 紳士然とした空気を纏う前者を精一杯守ろうとしているのか、後者の少女は気を張っているように見える。
 黒死牟が刀の柄に手を伸ばしたのを見て、男性は両手を自分の前に掲げ敵意がないことを示した。

「え……あの、ええと……? どこかで……お会い、しましたか……?」
「おっと、これは失礼。お会いするのはそういえば初めてでしたか」

 ふむ、と顎に手を当てて。
 男は微笑し、慇懃に一礼する。

「私はミズキと申します。所謂"可能性の器"ではありませんが……聖杯戦争については一通りの知識を持っていますのでご安心を」

 ハクジャさん、貴女も命拾いしましたね――
 そう言って笑うミズキに、ハクジャも「ええ、全く」と微かな苦笑を返す。
 黒死牟はそれで察した。要するに此奴らも、皮下の手の者なのだと。
 これまでは間者を一人付けるだけで済ませていた連中が、何故此処で急に直球の接触を図ってきたのかも想像は付く。
 今の破壊だ。新宿区を席巻した大破局(カタストロフ)。
 あれの影響で、皮下達の計画が大きく狂ったのだろう。その発想が正しいことは、すぐにミズキの口から語られる。

「経緯を話すと長くなる上、まだ私も事の全容を把握出来ている訳ではないのですが。つい先程、皮下医院は崩壊しました」


413 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:31:29 tGNg28PM0
「え…………っ」
「ああ、ご心配なく。院長は"今のところは"健在ですよ。
 ただ如何せん受けた被害が甚大過ぎるもので……蒔いた種の経過をのんびり見守っていられるような状況では無くなってしまったのです」

 新宿区を舞台に繰り広げられた、最強と最強の激突。
 それが理不尽にも撒き散らした無数、無尽数の被害。
 均衡は乱され静寂は破られた。
 故に誰もが突き付けられる。誰もが、問いかけられるのだ。
 目の前の他人に。或いは、内なる己に。


「単刀直入に言いましょう、霧子さん。貴方には――我々の居城に来ていただきたい」


 ――どうする? と。


【新宿区・喫茶店(ほぼ崩壊)付近/一日目・日没】

【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:疲労(小)、焦り
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:セイバーに念話で連絡する。場合によっては令呪を使うのもやむなし。
1:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
2:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
3:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
4:彼女のいた事務所に足を運んで見ようかしら…話せる事なんて無いけど。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。

【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、動揺と混乱、お日さま
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人の思いと、まだ生きている人の願いに向き合いながら、生き残る。
0:混乱中。病院のことがとにかく心配。
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※皮下の部下であるハクジャと共に行動しています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。


414 : で、どうする?(後編) ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:31:53 tGNg28PM0

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:苛立ち(大)、微かな動揺
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:強き敵と戦い、より強き力を。
0:この者ら……
1:鬼の時間は訪れた。しかし──
2:皮下医院、及び皮下をサーヴァントの拠点ないしマスター候補と推測。田中摩美々、七草にちか(弓)はほぼ確信。
3:セイバー(宮本武蔵)とはいずれ決着を着ける。
4:上弦の鬼がいる可能性。もし無惨様であったなら……
5:あの娘………………………………………
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。


【新宿区・路地裏/一日目・日没】

【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:全身に複数の切り傷(いずれも浅い)
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:急いで梨花の元に戻る。
1:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」


415 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/26(金) 23:32:08 tGNg28PM0
投下終了です。


416 : ◆A3H952TnBk :2021/11/26(金) 23:52:55 eUJlZwUw0
自分も投下します。


417 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/26(金) 23:53:10 eUJlZwUw0
◆◇◆◇



息を吸って、吐く。
二度、三度。
深呼吸を繰り返す。
心は、揺れ動いたままだ。
身体が、震える。
冷たい風が、肌に刺さる。


「きらめく、星の力で」


歌を、紡いだ。
一人の少女が、奏でた。
自らを鼓舞するように。
自らを奮い立たせるように。
己が“変身”するための歌を、その喉から絞り出す。


「憧れのワタシ、描くよ―――」


憧れの自分。
なりたい自分。
私らしい私。
―――どこへ、いってしまったのだろう。
星は、見えない。
ひどく、薄暗くて。
か細い唄声は、闇へと沈んでいく。

夜が、好きだった。
顔を上げた先は、煌めきに満ちていたから。
満天の星空を、見上げることができるから。

星は、いつだって輝いている。
ひとつひとつ。それぞれの個性。
違う形で、バラバラの光。
空に浮かぶ星は、みんな独りぼっち。
それでも、精一杯に。
自分らしく輝き続けて。
そして、他の星々の煌めきと結びついて――星座を作っていく。

それはまるで、人と人の繋がりみたいで。
彼女は、そんな絆を手に入れていた。
あの日、宇宙からやってきたララたちと出会って。
ひょんなことで、チカラを手に入れて。
ノットレイダーから宇宙を守るために戦い続けて。
そうして日々を重ねて、彼女の世界は広がった。

“一人で好きなことをする”のも、変わらず好きだったけれど。
“みんなといること”も、同じくらい好きになった。
そして、この世界や宇宙には色々な輝きがあって。
誰もが違う想いを背負っているからこそ、反発し合うこともあって。争うこともあって。
責任を貫くことの重さも、歩み寄ることの難しさも、何度も噛み締めて。

それでも―――分かり合おうとする意思だけは、絶対に捨てなかった。
この宇宙は、誰かのものじゃない。
みんなのものだからこそ、手を伸ばせる。
誰もがバラバラだからこそ、世界は眩しい。
それぞれのイマジネーションが未来を創り、繋げていく。

無垢な少女は、仲間達と共に現実や困難と向き合い。
宇宙を侵略する敵と戦い続け、そして手を伸ばし。
ついには、宇宙さえも救ってみせた。

銀河に伝わる伝説の存在、プリキュア。
彼女は―――星奈ひかるは、英雄だった。
5人の少女達が歩んだ道は、掛け替えのない日々となり。
そして、紛れもない神話になった。

――きっと、なんだってできる。
――何処までだって、輝ける。
――私達のイマジネーションは、“キラやば”だから。

星は変わらず、そこにいるのに。
ああ、どうして。
夜がこんなに、暗いんだろう。


418 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/26(金) 23:53:45 eUJlZwUw0
ひかるは、血に濡れた脚で弱々しく進む。
この地上で、星は独りぼっちだった。
側に仲間は居ない。
共に結びつく“想像の輝き”は、何処にもない。
一人には慣れていたはずなのに。
一人でも平気だったはずなのに。
ひかるは、孤独に苛まれていた。

ほんの少し前の光景が、脳裏によぎる。
守るべき人達が、異形へと成り果てた。
痛ましい慟哭を絞り出しながら。
“少女達”は藻掻き、摩耗し、凄惨な姿を晒した。
絶対になんとかする。絶対に助ける。
そんな誓いは、水泡に消えた。

知っている。理解している。
星々の光は、時に交われないこともある。
想いや矜持があるからこそぶつかり合うし、酷いことをする人達だっている。
星奈ひかるは、分かっている。
彼女は、宇宙を見たのだから。

それでも。
あの惨劇を前にして。
少女達の返り血と共に。
ひかるの心には、深い傷が刻まれた。
無垢な輝きは、夜の闇に淀んだ。

――寒い。
――ひどく、寒い。

それでも、彼女は進み続ける。
痛みを背負いながら、血に汚れながら。
ただひとつの明星は、災厄の現場と化した路上へと立つ。

凍えるような霜を纏う、“鬼の群れ”がいた。
氷に包まれたような姿をした彼らが、星奈ひかるへと殺意を向ける。

あの怪現象の犠牲者達。その、成れの果て。
感染は際限なく広がり、地獄を作り出していく。
再びひかるは、深呼吸をする。
震える吐息に、見て見ぬ振りをする。
これ以上の拡大を食い止める。
苦しむ“あの人達”を救う。
戦える者としての責任を背負う。

どうすればいい。
どうしたら、止められる。
――悩むまでもない。
答えなんか、分かりきっている。
とっくの昔に。

これが“慈しい鬼退治”だったら。
どれほど良かったのだろう。
淡い希望は、夢となって消えていき。
そして。英雄、キュアスターは。
勢い良く地を蹴り、“氷鬼”へと目掛けて駆け出した。



◆◇◆◇


419 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/26(金) 23:54:46 eUJlZwUw0
◆◇◆◇


《あー、こっちは大丈夫だよ。
 そんな心配しないで》

デトネラット本社内、数人規模の簡素な小会議室。
“個人的な連絡”の為にその一室を借りていた星野アイは、キャスター付きのチェアに腰掛けながらスマートフォンで通話していた。
慌てて心配した様子の通話相手――苺プロダクションの社長に対し、アイはいつもの調子で応対する。

《うん、今は向こうで“避難”させて貰ってる。
 大丈夫大丈夫、明日の予定はちゃんと守るから。
 ……まぁ、この様子じゃ十中八九ダメだろうけど》

“こんな事態”が起きれば、今度こそライブはおじゃんだろうなぁ。
レッスンは手を抜かなかったし、打ち合わせもちゃんと繰り返してきたけど。
多分この調子なら、延期じゃなくて中止になるかもなあ。
――そんなことを考えて、アイは名残惜しい思いを抱く。

《……うん。じゃ、社長も気をつけてね》

そう言ってアイは通話を終える。
やれやれ。そんな表情を浮かべながら、物思いに耽った。

ヴィラン連合の盟主であるMの連絡先は確保した。
"課題/試練(クエスト)"への参与も要求されず、行動は社会的ロールを尊重した自由意思に任された。
さて、これからどうするか。聖杯戦争の只中とはいえ、明日にはライブも控えている。
Mと適当に打ち合わせをしてから、一旦帰路に着こうか。
そう思ってた矢先、“災害”が起きた。

空の色がおかしくなった。天候が狂った。
SNSでそんな情報が流れた矢先、“地響き”と共に“なにか”が起こった。
情報は断片的なまま錯綜している。
各地の情報機関も混乱しているらしい。
多数の救急車や消防車が出動してるとか、各地で大渋滞が発生しているとか。
あちこちで建物や何やらが倒壊してるとか、人が沢山死んでいるとか。
当事者でないアイには何が起こっているのかは分からないし、何が事実なのかも読み取れない。
唯一つ理解できることがあるとすれば、新宿近辺でとんでもない事態が発生しているということだけだった。

アイは状況を把握して安全が確保できるまで、デトネラットで“避難”させて貰うことにした。最悪、ここの施設で寝泊まりすることも考えていた。
戦力拡張に勤しんでいるMがこの段階で自分達を罠に嵌める可能性は低い。
そんなことをするくらいなら、車内の盗聴器を利用して闇討ちなり何なりしたほうが余程効率的だ。
下手に“切られる”危険性が薄い以上、今の時点ではデトネラットは安全な拠点になり得る。

現場が相当酷いことになっているのは容易に想像できる。
そしてこの東京には、それほどの大被害さえも厭わないサーヴァントが跋扈していることにもなる。
――“化け物”のペースになんか合わせたくないけど。
――あちらさんはきっと、お構い無しなんだろうなぁ。
アイは改めてそれを認識して、溜息を吐く。


420 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/26(金) 23:55:17 eUJlZwUw0

ライダーのサーヴァント、殺島飛露鬼はいま傍には居ない。
新宿方面で何が起こっているのか、確かめておきたい――という話だった。
情報収集なんか別にM達に任せればいいのにとアイは思ったが、ライダーはあくまで自分の目に焼き付けたい様子だった。

曰く、“懐かしい匂い”がするらしい。
だから、久しぶりに“地獄”の風を感じたい。
そのようにライダーは告げていた。

ああ、偵察って言うか“そっち”がメインなんだろうなぁ――アイはそう思っていた。
尤も、ライダーの私用をアイは特に咎めたりはしなかった。
彼のことは信頼しているし、聖杯戦争が始まってから常に世話になり続けている。
自身の願いの意味を理解してくれるライダーに対して、アイが少なからず気を許してるのは事実だった。
だからこそ、多少の“自由行動”にも目を瞑る。
本人も「ヤバくなったらすぐに撤退する。“警察(サツ)”や“怪物(もっとヤベェの)”から逃げんのには慣れてる」と言ってたので、それを信じることにした。
やっぱとんでもない経歴だなあ、とアイは密かに思う。

「……さて」

そうしてアイは、通話を終えたばかりのスマートフォンを操作する。
そのまま慣れた手付きでメッセージアプリを開く。
画面を細い指先でスクロールし、登録された多数の連絡先を眺めた。
プロダクションの社長。同じユニットの娘。業界での知り合い。顔見知りのアイドル。ちょっとした友人エトセトラ。
そんな面々を尻目に、アイは日中に接触したばかりの相手の連絡先を見つめた。

櫻木真乃。
彼女は、283プロダクション所属のアイドルであり。
この聖杯戦争に参加している、マスターの一人であり。
アイの同業者であり、利用対象だった。

紙越空魚が不審な動きを見せないよう牽制するべく、真乃には定期的に連絡を入れる。
そういう方針を決めていたし、今回の“災害”はある意味でその取っ掛かりにもなる。
友人の安否を心配する同業者として連絡を入れ、それとなく相手の現状を探る。
そうして“友好的なフリ”をしながら相手を飼い慣らし、空魚との駆け引きにも目配せする。

アイは、真乃に連絡を入れようとした。
しかし。指が一瞬、動きを止めた。
直感というか、何というか。
ほんの少しだけ胸騒ぎがした。
詳細不明の“大災害”。
多数出ているという“被害者”。
なにか、妙な予感がして。

一呼吸をしたあと。
そんな疑念を隅に置き、真乃の携帯電話へと“発信”した。


◆◇◆◇


421 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/26(金) 23:56:28 eUJlZwUw0
◆◇◆◇



―――真乃さん。
―――ごめんなさい。


その一言を告げられたとき。
自分は一体、何を思ったのだろう。
答えは、分からなかった。
何故なら、受け止めることが出来なかったから。
言葉の意味を察して、ただ呆然とすることしか出来なかったから。

“新宿を出て、安全なところへ”。
ひかるから、そう頼まれて。
櫻木真乃は、宛もなく逃げ続けて。
行き先もわからないまま、彷徨っていた。

区の境目付近まで辿り着いたところで、彼女はぐったりと壁に寄りかかった。
そのまま小さな段差に座り込み、茫然と俯く。
そこは、ビルとビルの隙間にある路地裏だった。
周囲に人の影はいない。放置されたゴミが側に転がっている。

真乃は、打ち拉がれて。
胸の真ん中に、空虚な穴が生まれていた。
心が疲弊して。擦り減って。
どうしようもない現実に打ちのめされて。
まるで魂のない抜け殻のように、その場に留まり続けていた。

そんな矢先。
懐にしまっていたスマートフォンが、振動した。
思わずビクリと震えた真乃は、画面を確認する。
―――星野アイからの着信だった。
ほんの少しの躊躇い。そして、確かな恐怖。不安。
窶れた心を誤魔化しながら、恐る恐る通話に出た。

《もしもし……アイさん?》
《凄い“地震”だったけど、大丈夫?》

電話に出た真乃は、通話相手のアイからそう問いかけられる。
なんてこともない彼女の態度に、真乃は仄かな困惑を覚える。

《私は……平気、です》
《そっか。多分、明日の予定も危ういだろうけど……。
 ともかく、無事なら安心だよ》

真乃の身を案じていたようにアイは言う。
穏やかで、真摯で。そんな声色の言動に対して、真乃は後手に回る。
罪悪感のような後ろめたさが、彼女への追求を足止めさせる。


422 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/26(金) 23:59:01 eUJlZwUw0

《あとさ。あの子も、大丈夫なの?》
《え……》
《真乃ちゃんと一緒にいるんじゃないの?
 なんか変な炎上してたけど、あの子》

誰のことを言っているのかを、真乃はすぐに理解できた。
神戸あさひ。あの公園で自身を気遣ってくれた、優しい少年。
そして、何者かの手によって槍玉に挙げられてしまった不幸なマスター。
真乃が問いかけるよりも早く、アイは矢継ぎ早に聞く。

一緒にいるんじゃないの。その一言が、ずきりと真乃の胸に突き刺さる。
まるで罪悪感をわざと抉るかのような言葉に、真乃は歯切れの悪い返事をする。

《その、あの後……別れて》
《ふうん。……別れた直後の隙を狙って、あんなことしたのかな。
 すぐに鎮火したのも引っかかるけど……》

思いを巡らせるように、アイは白々しく呟く。
彼女はあさひが炎上した一件の真相を知っている。その裏に潜む“蜘蛛”と接触したばかりなのだから。
しかし、真乃には悟らせない。あくまで「自分にも分からない事態が起きている」かのように装う。
現にこの東京では、予想だにしないことが繰り返されている――先程の大災害のように。
少なくとも彼女達にとって、この聖杯戦争における“あらゆる能力の上限”は全くの未知数だ。
どれだけ曖昧な可能性だったとしても、それが絶対に起こり得ないと断言することは何よりも難しい。

《詳しいことは分からないけど……気を付けてね、真乃ちゃんも。
 ここのところ、“パパラッチ”が酷いことしてるみたいだから。
 何処から狙われるかなんて分かったものじゃない》

嘘をつくことは、星野アイの特技だ。
すらすらと、台本を読むように言葉を重ねる。
神戸あさひとはもう別れてるし、何が起こってるのか分からないけど、怪しい動きはあるみたいだから気をつけようね。
それだけの無難な対応。だからこそ、真乃は何も言えなかった。

摩美々の手を借りずにアイとの対話をする筈だったのに、言葉が上手く出てこない。
もっと聞きたいことがある。聞かなきゃいけないことがある。

《……あの。アイさん達に、会いたがってた人達って―――》
《ごめん。あれ、罠だった》

え、と真乃は声を上げる。

《ほら、“子供たち”。あさひくん達を追跡してたみたいに、私にも目を付けてたらしくて。
 ライダーって、あいつらの知り合いだったでしょ?だから標的にされたみたい。
 で、私達はまんまと釣られたって訳。「あなた達と組みたい」って言う餌に誘き寄せられてね》

梯子を外された様子の真乃をよそに。
なんてこともなしに、アイは嘘を連ねた。
子供達――グラス・チルドレンを、都合の良い避雷針として利用した。
彼らの残忍ぶりも、狡猾ぶりも、真乃達はライダーを経由して知っている。そして、その実態を目の当たりにしている。

《ごめんね。暫くあいつらに気取られないようにしてたから、どうしても連絡が遅れちゃった。
 あいつら、あちこちでああやって別個に遊撃してたんだと思う》

そして、真乃は283プロダクションの騒動も知っているからこそ、“グラス・チルドレンの暗躍”を否定できない。

《だから……真乃ちゃん達も気を付けたほうがいいよ。
 そうやって“手を組みたい”って近寄ってきて、罠に嵌めようとしてくる奴がいるから》

それでも、アイへの疑惑は完全に晴れた訳ではない。
情報は全て、あくまでアイを経由して語られたものだ。
ここで追及しなければ、真乃はその機会を失う。


423 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/26(金) 23:59:48 eUJlZwUw0
責任を改めて自覚して、それを貫くはずだったのに。
真乃の口は、上手く動いてくれない。
聲が喉につかえたまま、堰き止められている。
理由は、単純だ。


―――真乃…わたしたち、頑張ったよ……。これからも、もっと…もっと頑張るから……。


真乃は、疲弊していた。


―――わたしが……わたしが必ずどうにかします! だから、今は!


真乃は、憔悴していた。


―――ごめんなさい。
―――わたしはまだやることがあります。


アイを問い詰めようとしても。
立ち向かおうとしても。
その脚は、酷く傷付いていて。
勇気も、責任も、雁字搦めになる。

風野灯織。八宮めぐる。
真乃の大事な仲間で、大切な親友。
真乃は知っていた。
二人は本当に良い子で、本当に優しい子だということを。
真乃は分かっていた。
あの子達は、何も悪くない。
何も悪いことなんてしていない。
酷い目に遭わなくてはならない理由なんて、あるはずがない。
なのに。なのに、なのに。

二人の変わり果てた様子は、真乃の瞳に焼き付いている。
青白い肌も。ボロボロの唇も。
あちこちが酷く凍りついていた身体も。
苦痛にまみれた表情も、叫び声も。
自身の一言で豹変してしまった、あの瞬間も。
そして。そうなっても尚、友達/真乃のことを想い続けている、その姿も。
全部、全部。真乃の記憶に、鮮烈に刻まれていた。

私が、必ずどうにかしますから。
信じてください、真乃さん。
アーチャー/ひかるはそう告げて、真乃を送り出した。
真乃は、ひかるを信じた。
何とかしてくれる。大丈夫。ひかるちゃんなら。きっと助けてくれる。灯織ちゃんも、めぐるちゃんも、無事でいられる。
そう信じた。信じていた。
けれど。ひかるから告げられた一言は。
事の顛末を、残酷に訴えかけていた。
何が起きたのか。
どうしてそんなことになったのか。
それを問い質す勇気なんて、真乃には無かった。
あの時のひかるに問い詰められるほど、真乃は冷淡にもなれなかった。

ただ、確かに分かること。
綺麗だった星々は。
虚しく散らばる、星屑になった。
それだけが、現実だった。

《……ねえ》

暫しの沈黙を破ったのは、アイの呟きだった。
彼女が紡いだ言葉に、真乃は思わず現実へと引き戻される。


《何か、あったの?》


探りを入れるように。あるいは、案じるかのように。アイは純粋な疑問を投げかけた。


424 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:00:39 ZPGAHnyo0
真乃の身に、何かあったのか。言うまでもなく図星だった。
アイの問いかけを前にして、真乃は沈黙する。

ほんの数時間前。
電話越しに摩美々から告げられた言葉が、真乃の脳裏に蘇る。
仕方なかった。
願いを叶えるためだった。
だから、貴方は幸せにならないで。
この想いのために、犠牲になって。
――そんなのは、ズルい。
仕方ないなんて、割り切りたくない。
ましてや、その為に大切な人達が踏み躙られるのを、許したくなんてない。

あの時の真乃は思った。
摩美々の言うことは間違いではない。
それでも、誰かに歩み寄る意思だけは捨てたくない。
願いのため。生きるため。大切な誰かのため。
ひかるが抱いてきたもの、向き合ってきたもの―――イマジネーションと同じ。皆、それぞれの気持ちを背負いながら歩き続けている。
例え相容れなくても、争うことになったとしても。そうするに至った気持ちは、否定したくない。
それが真乃とひかるの祈り。そして摩美々から“任されたこと”であり。この聖杯戦争における、彼女達の矜持だった。

心は、硝子細工だ。
無垢であるほど、容易く砕ける。
親友二人の変わり果てた姿。
人々が凍り付く、悪夢のような光景。
ひかるから告げられた顛末。
どれだけ優しい人間だろうと、罪無き人間だろうと、関係はない。
戦争という盤上において、残酷な現実というものは――否応なしに立ちはだかってくる。
真乃には、受け止められなかった。

《……アイ、さん》

言葉がつかえそうになる。
恐怖と動揺が、胸の内でざわめく。

《灯織ちゃんも……めぐるちゃんも。
いつだって、私のそばにいてくれました。
とっても良い子達で、大好きな友達でした》

それでも、真乃は強張りかけた声を絞り出す。

《本物じゃないかもとか、可能性が無いとか、そう言われても納得できないんです。
 だって。灯織ちゃんとめぐるちゃんは、確かここで生きてたから。
 優しくて、あたたかくって。二人は、二人のままでした》

取り留めもなく。それでも、確かに彼女は。
自分自身の胸の内を、吐き出していく。

《……だから、わからないんです。
 なんで、こんなことになっちゃったんだろうって》

飾ることなんて、しない。
いつもの明るさは、影に覆われて。
疲れ切った声で、真乃は零す。


425 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:01:08 ZPGAHnyo0

《なんで、あんなことができるんだろう。
 考えてみても、わからないんです。
 ……分かり合おうとする気持ちは、捨てちゃ駄目だって。そう思ってたのに》

“聖杯戦争”。たった一つの願望器を巡る戦い。
願いの為に、生きる為に、他の誰かを蹴落としていく。
その結果が、“あれ”だというのなら――。

《どうすればいいか、わからない》

ぽつりと、呟いた。

《そう、思ってしまいました》

今にも泣き出しそうな声で。
アイにも伝わるほどに、震えた言葉で。
真乃は、告白する。

《戦うことが、ああいうものなら。
 願いの為に、なんでもできるのなら。
 アイさんも……》


――そして。


《いつかは、“ひどいこと”をするんですか》


真乃は、そう問いかけた。
抑えられない疑心と恐怖。
言葉は、か細い刃となって。
通話先の相手へと、弱々しく突きつけられる。

そして。
沈黙が、場を支配する。
ほんの数秒。あるいは、十数秒。
互いの小さな呼吸音だけが、耳に入る。
ほんの刹那の時間であるはずなのに。
まるで永遠のような静寂が続く。

電話越しのアイは、答えを返さない。
何を思っているのか。どう感じているのか。
真乃にはそれを知ることはできない。

ただ一つ、確かなことは。
向こう側にいるアイは、真顔のまま沈黙していたということだった。



◆◇◆◇


426 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:02:02 ZPGAHnyo0
◆◇◆◇



今、ここで防がなければ。
“氷鬼”を、捕まえなければ。
野放しにしてはいけない。
止められるのは、ここにいる自分だけだ。

彼女は言い聞かせる。
自分を奮い立たせる。
赤い血で汚れた衣装を、靡かせながら。
少女/キュアスターは、走り出す。

―――どうするの?

彼女の中で、彼女自身が問いかける。
捕まえる。あの怪物達を。
元は普通の人達だった、あの鬼の群れを。

―――何ができるの?

彼女の中で、声が反響し続ける。
考えろ。考えろ、考えろ。
自分の背中を必死に押し続ける。
生前の親友達を思い浮かべながら。
守るべき存在である、真乃のことを考えながら。

―――無理だよ。

誰かが、彼女の中で囁いた。
ほんの一瞬。刹那の時間。
思考が、永遠のように感じられる。

―――無理なんかじゃない。

彼女が、彼女を否定する。
必死に、必死に拒み続ける。
考えろ。もっと考えろ。
どうすればいい。どうすれば。

―――無理だよ。
―――無理じゃない。
―――無理だよ。
―――無理じゃない。
―――無理だよ。
―――無理じゃない!

自問自答。
繰り返される否定と拒絶。
コンマ数秒の合間に、キュアスターの心が激しく揺れ動く。
伸るか反るか。留まるか、抗うか。
二択の道が、彼女の眼前に立ちはだかる。


いいや。
選択肢など、初めから有りはしない。


キュアスターの脳裏で繰り返される光景。
己の罪が、幾度となく木霊する。
風野灯織と、八宮めぐる。
真乃の大切な人達が、変わり果てた姿で現れ。
苦痛に悶え苦しむ彼女達は、ふとした一言で“豹変”し。
憤怒の表情を浮かべ、味方であるはずのキュアスターへと襲い掛かった。
真乃を守る。サーヴァントから、真乃を救う。
彼女達は、そう呻き続けた。二人は、紛れもなく真乃の親友だった。
優しくて。友達思いで。健気で。
なのに。なのに、なのに。
あんなことに、なってしまって。

あの娘達でさえ救えなかったのに。
どうして、彼らを救えると思っているんだろう。
とっくのとうに、分かっているくせに。


427 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:02:58 ZPGAHnyo0

刹那の思考から抜け出し。
一瞬の現実が迫り。
そうして、キュアスターは。
流れ星のように、突撃して。
一直線に突き出した右拳で。
氷鬼の一体を―――吹き飛ばした。

勢いよく道路を転がる氷鬼。
推進力を乗せた一撃を受け、胴体からは血と氷の結晶が撒き散らされ。
その手足は、衝撃によって引き千切れんばかりにへし折れていた。

キュアスターは左手を地面に付けて、滑るような急ブレーキを掛ける。
荒い呼吸を整える。
冷静になれ、冷静になれ。
そうやって自分を押し殺す。

周囲にいた氷鬼たちはキュアスターの突進時の衝撃によって仰け反り、後退していた。
それでも尚、獰猛な本能に従うかのように彼女を取り囲む。
態勢を整えたキュアスターは、怪物達を見渡して構えた。


私。何やってるんだろう。
少女の脳裏に、そんな一言がよぎる。


虚しさと遣る瀬無さが、押し寄せてくる。
助けるんじゃなかったの。
治す方法を見つけるんじゃなかったの。
灯織さん。めぐるさん。
二人を助けられなかったなら、せめてこの人達は―――。
そんなふうに思いを巡らせても、全て風のように吹き消えていく。

他に手立てなんて、なかった。
これ以外に出来ることなんて、ない。
彼女は、“諦めていた”。
キュアスターは、“こうするしかない”と受け入れた。

“私らしい私”なんて、ここには居ない。
酷いことも、悲しいことも。
“こうするしかなかった”なんて、受け入れたくない。
誰かが辛い思いをするような結末を、“仕方なかった”なんて割り切りたくない。
それが、キュアスターの望んだ“自分の在り方”。

しかし、彼女は自分を誤魔化して。
痛みを抱えたまま、立ち続けていた。

最初から、分かっていた。
“伝染病”によって次々に鬼と化す人々。
魔術に長けている訳でもないキュアスターにさえ感じ取れた、不安定な魔力。
ガタガタで、継ぎ接ぎだらけで。
鬼になった人達の身体を、ボロボロに壊していく。
苦しい。苦しい―――魔力が、生気が、彼らの中で悶えていた。
それは、いつ沈んでもおかしくない泥船のようで。

初めから気付いていた。
選択肢など無かった。
分かっていたけれど、分かりたくなかった。
だから拒絶を繰り返して。
それでも、受け入れざるを得なかった。

――もう助からないし、長くはない。
そんな結論に至った。至ってしまった。
だから。もう、迷わなかった。
自分のやるべきことを、貫いた。


428 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:03:42 ZPGAHnyo0

再び、意識が現実へと戻る。
視界に入ったのは、迫り来る敵だった。

右腕の拳を、横薙ぎに振るった。
2体の氷鬼を巻き込み。頭部を拉げさせ、砕け散らせ。
コンクリートの路上へと、勢いよく吹き飛ばした。
それに続いて、背後から飛び掛かってきた氷鬼に反応し。
振り向きざまに放った回し蹴りで、脇腹から胴体を抉り取る。
そのまま間髪入れずに、左側面から突進してきた氷鬼に右拳を振りかぶる。
そして―――流星のような突きで、顔面を一撃のもとに叩き潰す。
氷晶が舞う。超低温の破片が飛び散る。
震えるような冷気の中、肉片が弾ける。
人だったモノの残骸が、次々に転がる。

数はまだ、多い。
鬼は未だ、半分も削れていない。
英霊には遠く及ばない異形が、蠢く。
キュアスターは、その瞳を濁らせる。
全力を出せれば、敵にもならなかっただろう。
慈悲を捨てることが出来れば、容易に殲滅できただろう。
そう在れるなら、きっと彼女は彼女でなくなる。
諦めへと直面しても尚、彼女は彼女のままだった。

手を取り合って、困難を踏破して。
それぞれの輝きを胸に、突き進んで。
誰かへと手を差し伸べ、世界を救う。
それが、ヒーロー。
それが、プリキュア。
だから。
力を振り絞れずとも。
立ち向かうしかない。
戦うしかない。
走り出すしかない。


何がしたいの。
何をやりたいの。
私は、どうしたかったの。
何度も、何度も、彼女の中で反復し続ける。


撒き散らされる冷気を振り切り。
襲い来る氷鬼を凌ぎ、躱し。
そして、拳によって容易く粉砕し。
そんなことを繰り返して、何度も。
永遠のような悪夢の中で、彼女は彼女に問い続ける。
――憧れの私って、何?
――これが、私の望みだったの?
わからない。答えは出てこない。

寒い。
暗い。
怖い。
痛い。
辛い。
苦しい。
悲しい。
激しく渦巻く感情。
吐き気のするような濁流。

全力が出せなくとも、氷鬼など相手にもならない。
キュアスターは傷一つ付いていないし、苦戦などする筈もない。
なのに、彼女の胸の内は。苦痛に支配されていて。

戦いの中で、心がどんどんすり減っていって。
それでも、拳を振るう。
氷鬼を砕き続けて、彼女自身の心にもヒビが入って。
それでも、拳を振るう。
ヒトだった彼らの亡骸を、踏み越えて。
それでも、拳を振るう。
戦って、戦って、戦い続けて。
キュアスターの瞳からは、星が掻き消えた。


429 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:04:36 ZPGAHnyo0

やっと、半分。
それでもまだ、氷鬼は数多く残っている。
灯織とめぐるを弔っていた合間。
その最中にも、数を増やしていた。
一瞬の隙で、更なる犠牲を増やしてしまった。
キュアスターは、呼吸を整える。
まだ、まだだ。自分がやらなければ。
ここで屈したら、私は――――。

空を見上げられなくなった時。
人は、何を見つめるのだろう。
それはきっと――薄汚れた、足元だ。


「―――あ……」


足元に転がる、氷鬼達の残骸。
身体は砕け。手足は千切れ。
氷晶と血肉の入り混じったものが、散乱している。
それだけでは、ない。

可愛らしいピンクのケースに包まれた、スマートフォンが落ちていた。
学生が使うようなポリエステル製のリュックサックが、転がっていた。
老眼用の眼鏡や、歩行用の杖が、無惨に砕け散っていた。
幼い子どもが履くような、小さな靴が取り残されていた。

視界の端々に映るもの。
ここで沢山の人が犠牲になった証。
氷鬼たちが人間だったという証。
どれも、同じ。霜と血で汚れていた。

それらを、目にしてしまった。
星空を見上げることを恐れて。
キュアスターは、足元を見てしまった。
そうして少女は、鬼達に囲まれる中で。
その動きを、止めて。
両膝をついて。
変身が、解けた。

キュアスターだった少女、星奈ひかるは。
ただ呆然と、その場で俯く。
どうしようもない無力感。
闇のように深い絶望感。
心が、沈んでいく。
深い深い底へと、落ちていく。
まるで、星が命を使い果たすかのように。


430 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:05:54 ZPGAHnyo0

何故、こうなってしまったのだろう。
ひかるは、自分に問い続ける。
何故、誰も救えないんだろう。
ひかるは、自分を責め続ける。
何故、こんなにも痛いんだろう。
ひかるは、己を呪っていく。

―――人殺し。
―――この、人殺し。

あのときの、記憶。
風野灯織の眼差しが。言葉が。
ひかるの胸を、突き刺す。


「ああ……」


一筋の涙が、落ちた。
それは、無垢な少女への罰だったのか。
――違う。



「うあぁ―――」


嗚咽の声が、零れた。
それは、無垢な輝きに課せられた試練だったのか。
――違う。


「うわああぁぁぁ――――――……」


そして。涙も、声も、止め処なく溢れ出す。
それは、無垢な英雄が負うべき責任だったのか。
――断じて、違う。


「ああ、うあああああああぁぁ……――――ッ」


罪ではない。
罰でもない。
必然でもなければ、十字架ですらない。
裏目に出た優しさ。皮肉な結末を齎した愛。誰かを救うことのできなかった善性。
実を結ばぬ徒花に、意味はないのか。
そんな筈がない。
純粋な願いが、無価値である筈がない。
彼女を傷付けるに足る、業である訳がない。
祈りから出た想いが、悪であるものか。

それでも、彼女は打ちのめされる。
運命の悪戯に、翻弄される。
ただ、そうなってしまっただけ。
刻まれる傷に、善悪は関係ない。
痛みで蝕み、痛みで苛む。それだけだ。
痛みの前では、正邪も、道理も、混濁する。

ひかるは、立てなかった。
痛みの前に、膝を付いた。
迫り来る氷鬼達を前にしても。
もはや、戦うことなど出来なかった。

諦めることは。
割り切ることは。
分かり合えないことは。
手を伸ばせないことは。
こんなにも、痛い。
こんなにも、苦しい。
あんなに広かった宇宙が。
ひどく冷たくて、ひどく息苦しくて。
だから、もう。

何も、見えなかった。
何も、感じられなかった。
そうしてひかるは。
襲い掛かる氷鬼達に、何も出来ず。
そのまま、毒牙が眼前まで迫り―――。



爆音が、轟いた。
エンジンの咆哮が、放たれた。
鉄屑の軍勢が、地上を駆け抜けた。



.


431 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:06:57 ZPGAHnyo0

怒号。狂喜。閃光。破壊。混沌。
“漆黒の鉄馬(バイク)”が、群れを成す。
“灰色の大地(コンクリート)”の上を、暴走する。
疾走する鋼鉄。ヘッドライトの光。
それらは無数の流線と化して迸り、ひかるの両脇を風のように次々と突き抜けていく。
制限速度など構いやしない。アクセル全開で突撃を敢行し、地上を闊歩する氷鬼達を容赦なく蹂躙していく。
彼らが人間だった頃の残骸さえも、容易く粉砕されていく。

流星と呼ぶには、余りにもけたたましく。
星々の姿を見出すには、余りにも無機質であり。
だと言うのに―――それは、異様な輝きを放っていた。
暴力と悪徳。退廃と破滅。狂熱に満ちた暴走が、星奈ひかるの眼に焼き付けられる。

それはまさに、特攻。
明日なき男達の、爆葬。
銀色の雨が、走り抜ける。
煌めいた閃光が、乱れ飛ぶ。
“地獄(テンゴク)”への道は、スパンコールで飾られる。

極光。極星。鋼鉄の極彩色。
入り乱れるヘッドライトの灯火に照らされ、一人の男がひかるの眼前に立つ。
まるで水面の上を渡った“救世主(ジーザス)”の如く、男は悠々と佇む。


「『帝都高爆葬・暴走師団聖華天』」


彼女はただ、呆然と見上げていた。
目の前に立ちはだかった男を、見つめていた。
数時間前に出会った時とは、まるで違う。
気配、魔力――――そして、存在の爪痕。
そこに居たのは、紛れもなく“英霊”だった。


「―――『前夜祭(ファースト・ギア)』」


かつて帝都高(テトコー)を蹂躙した破滅的暴走族・聖華天。
此れは、“その逸話(デンセツ)”の小規模な具現―――いわば宝具の限定的発動。
都市部。潤沢な魔力。発動条件さえ揃えば、“小出し”の発動も不可能ではない。

総勢十万へと達する本来の爆走には程遠い。
その数、百名にも満たず。精々が数十名。
完全開放された宝具と比べれば、火力は遥かに劣る。伝承の再現は愚か、その断片に過ぎない程度の規模だ。
ましてや真の英傑―――サーヴァントと戦う領域(レベル)には、到底及ばないだろう。

「懐かしくなっちまうなァ。
 俺達が最期の“青春(ユメ)”を見た――あの夜と同じ“疾風(かぜ)”だ」

しかし、それでも尚。
“悪童(ワルガキ)”達の“神話(カリスマ)”的英雄・殺島飛露鬼―――彼がそこに君臨すれば。

「俺達も、“疾風(かぜ)“と一つになりたかった。
 惨めな人生なんか、振り切りたかった」

明日なき男達は、スパルタの戦士が如き軍勢と化す。
恐れるものなど無い。俺達にはあの御方が憑いている。俺達には“暴走族神(ゾクガミ)”がいる。
神を知らぬ“怪物(ケダモノ)”など―――木偶も同然だ。

理由なき反抗。やがて破滅へと至る“乱暴者(アバレモノ)”。
数十の男達による特攻は、瞬く間に氷鬼たちを粉砕していく。


432 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:07:38 ZPGAHnyo0


「“自分(テメー)”がこの世界の主役だと信じてても―――」


ライダーのサーヴァント。“暴走族神(ゾクガミ)”――殺島飛露鬼が、“煙草(セッタ)”を咥えながら呟く。
ひかるに何が起こったのかを、察しているかのように。


「どうしようもねぇ困難の数々にブチ当たって、最後は“心(タマ)”がへし折れちまう」


憂いを込めた眼差しは、膝を突いたひかるを真っ直ぐに見据えていた。


「辛えよなぁ。嫌になっちまうよなぁ」


苦痛。諦観。遣る瀬無さ。
そして―――根深い共感。
その言葉に宿る感情を、ひかるは感じ取った。
アイの側にいた時の、飄々とした佇まいとはまるで違う。
その姿は、言うなれば。


「“大人になれ”って突き付けられるのは……痛ェよなあ」


現実の壁に直面し、挫折を知ってしまった“大人”だった。

彼が現れたことに驚愕し。
そして、彼が背負う悲哀を感じ取り。
ひかるは、茫然と殺島を見上げた。
そんな彼女の様子を尻目に、殺島は彼女のすぐ横を悠々と通り過ぎていく。

「今回は、散歩ついでの“手助け(スケダチ)”だ。
 “特例(サービス)”……って奴だぜ?
 ま、そういう訳だ―――」

そう告げながら、ひかるの後方をゆっくりと歩いていく。
そんな殺島へと振り返り、何か声を上げようとした。
しかし、既に遅く。


「―――じゃあな、嬢ちゃん。元気でな」


その一言とともに、殺島は霊体化をしてその場を去っていく。
地上を爆走していた筈の暴走族達も、まるで風が吹き去っていったかのようにその姿を消した。
そうして。鬼達の残骸が散乱する中で。
星奈ひかるだけが、取り残された。


◆◇◆◇


433 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:08:21 ZPGAHnyo0
◆◇◆◇



―――いつかは、“ひどいこと”をするんですか。


スマートフォンを片手に、耳を当てて。
星野アイは、沈黙していた。
言葉に詰まっている、というよりは。
真乃の吐露に対して、なにか思いを巡らせているかのように。
咄嗟に慰めの言葉でも投げてやればいいのに――アイの心が、アイ自身にそう囁く。

《んー……》

それでもアイは、考え込む。

《……なんか》

感情を押し殺して。
胸の奥から湧き上がる想いを、留めて。

《なんていうか、さ》

淡々とした声色で、紡ぎ出す。

《真乃ちゃんらしいよね、そういうの》

ふぅ、と一呼吸を置いて。

《あー……なんか、言っていいかな》

思うところがあるかのように、彼女自身もまた打ち明けた。


《……私さ、最初はあんま乗り気じゃなかった》


それは、アイの本心だった。
あまり物騒なことはしたくないし、ライダーに人を殺してほしいとも思わない。
“この世界”に来た当初は、間違いなくそう考えていた。

《物騒なことするのかなぁって、ちょっと憂鬱だった。
 今も別に積極的にそうしたい訳でもないけどね》

“あの子達”の為に生きて帰りたい。その想いは本物でも、始まりから冷血になれるほどアイは非情ではなかった。

《でも、この一ヶ月……“あの人”から毎日“見回り”の報告聞かされて。
 最後の最後に、“負けた人達の処遇”まで聞かされてさ。やっと実感したんだよね》

敵との直接対面といった“聖杯戦争らしい出来事”と、アイは予選期間中にも出くわさなかったが。
それでもアイは、少しずつ感じ取っていた。
ライダーによる偵察の報告。SNSなどを経由した情報。日常の裏側で日に日に目立っていく、街の異変。
アイドルとして日々研鑽を重ねていても、今まで通りの日常を送っていても、理解できた。
この街の裏側では絶対に“何か”が起こっている。
そうして最後、予選の終了と共に告げられた――敗北したマスターの末路。
生きて帰るためには、他を蹴落としてでも勝つしかない。

《これ、“そういうもの”なんだなぁ――って》

その通達を伝えられ、そして確信したことで、アイは方針を変える決断をした。
穏便に、物騒なことをせずに。そんな調子では、この先生き残れない。
生きて帰る為にも他の参加者間の争いが激化することは見て取れる。その荒波に乗る勇気が無ければ、きっとすぐに飲み込まれる。
悪意や敵意という、激しい濁流に。
だからこそ、アイは甘さを捨てた。強かで、狡猾に。そう振る舞うことを選んだ。


434 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:09:10 ZPGAHnyo0

《あのね、真乃ちゃん》

ふいに、アイが呼びかける。
真乃は無言で、彼女の言葉を聞く。

《自分のために戦うのってさ。
 別に悪いことじゃないと思うよ》

誰かが勝てば、誰かが負ける。
誰かが笑ってれば、誰かが泣いてる。
幸せの陰で、悲しいことも山ほど転がってる。
そんなの、アイドルだって同じだ――アイはそう考えていた。
足踏みを繰り返した挙げ句に落ちぶれるくらいなら、一歩を踏み出したほうがいい。
それが例え、誰かを傷付けることになっても。

《ズルいって思う?》

真乃の脳裏には摩美々の言葉がよぎっていた。
その矢先に、アイは先回りするかのように呟く。

《未来を手放すくらいなら、私はズルくてもいい》

そして、ぽつりと。
しかし確かに宣言するかのように、そう告げる。

《あんなことを、してでも?》
《必要ならね》
《それじゃ、アイさんは――》
《汚れても、私は立ち続ける》

問いかける真乃の言葉にも、アイは毅然と断言し続ける。
――別に、とうの昔から汚れてるよ。
――お母さんに愛されなかったもの。
――それでも、ここまで来た。
内心に浮かんだ言葉を、押し込めながら。

《アイさんは……傷つくのが、怖くないんですか》
《怖いよ、でもね》

一呼吸を置き、アイは言葉を紡いだ。

《もしも還れたなら……どんなことがあっても、全部ウソの魔法で塗り潰すから。
 知りたくもない真実なんて見せてあげない。私は、とびきりの愛で皆を騙し続ける。
 傷付いたことも、誰かを傷付けたことも、墓まで持ってくよ。
 ステージの上に立つのは、皆が待ち望んでいた“絶対的不動のエース”だもの》

それは、アイドルとして此処まで上り詰めた彼女自身の矜持であり。
あるいは、戦いを是認をする為の詭弁とも捉えられるかもしれない。
されど真乃は、何も言い返せない。
何故なら。自分よりも、ずっと向き合っていたから。
この聖杯戦争の現実というものに対峙して、“アイドルとしての自分”への落とし所を見つけていたから。
それを知ってか知らずか。それとも、分かった上での言葉選びか。

《何があっても、私はアイドルで居続ける。
 それが私を想ってくれる人達(ファン)への誠意。
 そして、私を送迎(おく)るって約束してくれた……“あの人”への敬意》

――それに、もう一つ。
――今もきっと、帰りを待ち続けている。
――“あの子達”への愛情。
アイの脳裏に浮かぶのは、双子の顔。
嘘偽りのない想いを抱くことができた、掛け替えのない我が子達。


435 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:09:49 ZPGAHnyo0

真乃は、沈黙していた。
何も言えなかった。
寄り添うことは、もう出来ない。
擦り減った意思が、彼女の歩を止める。
臆病な心が、後ろ髪を引く。

隠し通したとしても。
誰かを傷つけたことも。
自分が傷ついたことにも、変わりはない。
それはきっと、自分自身を苦しめる――。

そう思っても、言葉が上手く出ない。
毅然と答えるアイは、それさえも乗り越えてしまうのかもしれない。
真乃には、どうすればいいのか分からない。
道標の星は、見えない。
顔を上げることが、出来なくなってしまったから。

《ねえ、真乃ちゃん》

そこに一つの道が示されるとすれば。
きっとそれは、路地裏への誘いなのだろう。

《真乃ちゃんだって、何かあったから此処に“呼ばれた”んでしょ》

そのときは、ふいに訪れる。


《なら、狙っちゃえば》


真乃は、目を見開いた。
言葉の意味は、すぐに理解できた。

《真乃ちゃんの優しさは、いいところだよ。
 でも。何もできずに失っちゃうくらいならさ。
 せめて、戦う覚悟くらいはした方がいいと思う。
 ……そうじゃなきゃ、どんどん取り零していくと思うから》

――なんのために?
奇跡の願望器を求める、動機。

元の世界。小さな歪みから、離散へと至ってしまった事務所。
大切なひとを支えられなかった後悔。無理ばかり繰り返して、皆に心配をかけた自分自身。
そして、この世界。すぐ近くにいたのに、歩み寄れたかもしれないのに。
白瀬咲耶の手を、取り損ねた。
灯織も、めぐるも。ずっと傍に居た親友達も、あんな悲惨な目に遭って。

――なんのために?
優しい人達が傷付いて、苦しまなくてはならない謂れ。

どうして、こんなことになってしまったんだろう。
真乃は問い続ける。現実を運んできた、運命と言うべきものに対して。
考えても、考えても、考えても、答えは出ない。

――なんのために?
何処かにいる誰かが、優しい人達を平気で踏みつけにする理由。

わからない。わかりたくもない。
分かり合う。そうなるに至った想いを知る。
そう考えていた筈なのに、足踏みしてしまう。
そして。きっとその人達は、これから先も誰かを傷付けていく。
そうして誰かの痛みを積み重ねた果てに、自分の願いを叶える。
そんな“ズルい人達”に、奇跡を渡してもいいのか。

そこまで考えた末に。
とある思いが、心に湧き上がった。


436 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:10:34 ZPGAHnyo0

咲耶を失ったときの摩美々は、どんな気持ちだったんだろう。
何を感じて、何を思ったのだろう。
真乃はふと、それを考えた。
ほんの少しだけ、遠い出来事だと思ってたのに。
今では、限りなく近いものに思える。
ああ。きっと、彼女は。

星野アイは、戦いへと向き合っている。
マスターとしても、アイドルとしても。
覚悟を決めなければ、前へと進むことはできない。
現実と対峙しなければ、舞台には立てない。
そして。それを成し遂げられた者は、間違いなく強い。

だけど。それでも。

―――咲耶さん。

強いことは、何かを奪うことの免罪符になるのだろうか。

―――灯織ちゃん。めぐるちゃん。

罪を犯すことさえも、赦してしまうのだろうか。

―――ひかるちゃん。

大切なみんながいなくなってしまうことが、“仕方のないこと”だと言うのなら。
そのために他の誰かが傷ついていくのが、“この世界の現実”だと言うのなら。
だとしたら。そんなもの。


《……なんて、ごめんね》


ふいに飛んできた、アイの一言。
意地悪をしてしまったことを詫びるように、彼女はそう呟いた。
真乃は呆然としたまま、意識を現実へと引き戻される。

《とにかくさ、ウソでもホントでも。
 最後に自分の人生(シアワセ)を決められるのは、自分だけだよ》

真乃の返答を待つこともなく、アイは言葉を続ける。
後輩を諭すように紡ぐ彼女の助言を、真乃は無言のまま受け止める。
聞かなければならないことは、きっと他にも沢山あった。
ただ黙っているだけでは何も始まらないことも、真乃自身が理解していた。
だからこそ。真乃は。

《なんかごめんね、時間取らせちゃって。
 ……じゃ。気をつけてね》

アイは、長引いた会話を断ち切り。
その一言と共に、通話を切ろうとして。


《――アイ、さん》


最後に、辛うじて絞り出した。


437 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:10:58 ZPGAHnyo0


《私は……それでも》


真乃の胸の内に、感情が込み上げる。


《ズルいって、思います》


今までずっと感じたことのなかった思いが、湧き上がってくる。


《……許せない?》
《もう、許せません》


真乃は、気付いていた。
この気持ちは。
これは、きっと。


《許したくない》


怒り、なのだろうと。
憎しみ、なのだろうと。
この瞬間。
真乃は、何かを捨てた。
吐き出した声も、携帯電話を握る手も、震えていた。


《……そっか》


何処か名残惜しそうに、アイが呟いた直後。
真乃の携帯電話のスピーカーからは、ただ無機質なビジートーンが鳴り続けた。


◆◇◆◇


438 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:11:35 ZPGAHnyo0
◆◇◆◇



『櫻木真乃んトコのアーチャーに会った』


アイが真乃との通話を終えた後。
“偵察”という名の散歩に出かけたライダーに、念話を飛ばした。
街の壮絶な惨状。死屍累々の地獄。
そんな状況報告に続いて告げられたのが、アーチャーと対面したという出来事だった。

『真乃ちゃんは?』
『傍には居なかったし……嬢ちゃんは酷ェ有様だった』
『……どんな感じだったの』
『“自暴自棄(ヤケ)”って感じだな。だが、それでも戦い続けてた。
 見てらんねェから、ちょっとばかし“手助け(スケダチ)”してやったよ』

――真乃ちゃんがあの様子だったし。
――アーチャーも、まあそうなるよなあ。
アイは内心でそんな納得を覚える。

『あのアーチャーに何か言ったの?』
『ま……ちょっと“寄り添って”やっただけさ』

自暴自棄になってたアーチャーへの寄り添い。
同盟相手とはいえ、それは敵に塩を送るような行動で。
しかし、アイは咎めることもなく口を一文字に結ぶ。

『私も、まあ……あれアドバイスだったのかも』

アイが省みるのは、自分のこと。
当初の目的は、真乃側の状況確認。空魚達が接触していないかを確かめることも兼ねての連絡。
そこで偶々、真乃の傷心を知った。真乃が潰れて“使い物にならなくなる”くらいなら、軌道修正の余地を作る。
彼女の善意を利用したがっているであろう空魚に対して、カウンターを仕掛けることも兼ねて。
その為に真乃へと発破をかけた。それが裏目に出ただけ。
――アイはそう自分に言い聞かせているものの、何処か釈然としない。

『らしくねぇな、アイ』
『うーん……』

――都合よく利用するのが真乃ちゃんに対するスタンスだったのに。
――あれじゃあ、腹割って話したようなものだよなぁ。
――しかも、変に焚き付けちゃった気がするし。
アイは、何とも言えぬ気持ちの悪さを感じてしまう。

『真乃ちゃん、すごく沈んでてさ』

思いを巡らせながら、アイは言葉を紡ぐ。

『もう折れる寸前みたいな感じだった。
 なんていうか、酷い目に遭ったんだなーって。
 それに……まだ煮え切らないんだな、ってのも思った』

脳裏に浮かぶ真乃の姿は、何処までも無垢だった。
穏やかで、朗らかで、優しい女の子だ。
そんな娘だからこそ、アイは躊躇なく利用した。
だというのに。分かりきった現実を前に蹲る彼女の様子を感じ取って、アイは少なからず本音をぶつけてしまった。
――まあ、要するに。

『なんかちょっと、言いたくなっちゃったのかな』
『要するに、ムッとなっちまったんだな』
『あー、認めたくないけどそれかも……』

ライダーの言ったことは、概ね的を射ていた。
つまるところ、良くも悪くも思う所があったのだ。


439 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:12:20 ZPGAHnyo0

『トチっちゃったかなぁ……』
『しょうがねえさ。アイだって……まだまだ“女の子(トシゴロ)”だろ?』
『子持ちのハタチだけどね』

気さくに軽口を叩いてくるライダーに対し、苦笑い気味にアイは答える。
アイドルは永遠の女の子だから、ある意味間違ってないかもね――なんてアイは思った。

『ま……もう何だっていいんだけどさ』

ともかく。
今後も櫻木真乃を利用できるかどうか。
その雲行きは、もはや怪しくなっていた

そもそもM達とのパイプを結べた今、真乃との関係はさして重要なものでもなくなっている。
Mと対立する段階で真乃達を頼る算段も一度は考えていたが、“衆目を集めやすい著名人”と“メディアさえも掌握した暗躍者”の相性はあまりにも悪い。
それに騙しながら都合良く利用し続けていくことも、あの様子ではもはや難しいだろう。
使い物になるかも疑わしいし、思い通りに動いてくれるかも怪しい。
また、もしも此方への敵意を固めた場合――真乃達の性格から見込みは薄いとはいえ、「星野アイはマスターである」という情報を横流しする可能性も否定できない。

『たぶん、ライブも中止になるよね』

そして紙越空魚が独断で何らかのアプローチを行う危険性もある以上、このまま真乃を野放しにし続けるのも頂けない。
あのアサシンとの関係もMが取り持ってくれる手筈だ。
現時点で更なる戦力を求めているであろうMが、アサシンと結託してこちらを陥れる可能性は限りなく低い。

『……Mさんに伝えてもいいかもね、真乃ちゃん達の情報(ネタ)。
 あの娘をどうするか、向こうと相談する』
『……了解(オッケ)。アイの判断に任せるよ』

だからアイは、そう判断した。
ライダーもまた、それを肯定する。

櫻木真乃をMに売る。
それはつまり、彼女を死に至らしめることにも繋がる選択だ。
しかし新宿の大災害が起きた今、アイドル一人の犠牲など“些細な出来事”になる。
状況は変わってしまった。
だからこそ、躊躇を捨てられた。
尤も、アサシンを抱えるMならば既に真乃達の情報を掴んでいる可能性もあるが、その時はその時だ。
例えそうだとしても、真乃について相談する足掛かりにはなる。
どちらにせよ真乃達の話題を切り出すことは、彼女への区切りになる。

『……そういえばさ、情報で思い出したけど』

真乃に対する方針は決めた。
そうしてアイは、ふいに話を切り替える。

『“割れた子供達(グラス・チルドレン)”のガムテ君だっけ』

それは、“クエスト”の件だった。
神戸しおとライダー、そしてMのマスターである死柄木弔。
彼らは二組の主従との対決を課題として出されていた。
その片割れが、グラス・チルドレンとそれを率いるガムテ。つまり殺島飛露鬼にとって旧知の間柄だった。
生前の記憶に加え、日中に末端の“子供”を脅した殺島達は、サーヴァントを含めた彼らに関する情報(ネタ)を持っていた。
価値という点では、真乃達に関するそれよりも大きいだろう。

『昼間は聞きそびれたけどさ』
『……なんだ?』
『あの子と絶対に組めないのって、どうして?』

そうして投げかけたのは。
アイのふとした疑問だった。

『ガムテって子、ライダーのこと慕ってたんだよね』


440 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:12:56 ZPGAHnyo0

アイは、ライダーからその話を聞いていた。
グラス・チルドレンの首領、輝村照――通称ガムテ。
「破壊の八極道」の一角。「殺人の王子様(プリンス・オブ・マーダー)」の異名を取る最凶の殺し屋。
言うなれば、ライダーの“同僚”に当たる存在だった。
そんな二人の“関係性”を知っていたからこそ、アイは純粋な疑問を抱く。

『それでも、組めないの?』
『あァ』
『ひょっとして、その子のこと嫌いだったり』
『……いいや、可愛いヤツだったよ』

ぽつりと呟くような、ライダーの一言。
アイはすぐに察した。――これはウソじゃないな、と。

『だけど組むのはダメ、と』
『アイツは、玄人(プロ)だからな』

アイは、思う。
そう語るライダーは、ガムテを少なからず恐れているように見えたが。
それと同時に、何処か自慢気とも取れるような――そんな雰囲気があった。

『そこいらの素人(アマチュア)とは違うのさ』

日中、グラス・チルドレンの末端と遭遇した時にライダーは思った。
ガムテとは組めない。奴ならばアイを人質に取り、自身を傀儡として利用することだって出来る。

――ああ、ガムテならやれるさ。
――オレみたいな“半端モンの大人”とは、訳が違う。

ライダーは同じ八極道であるガムテから慕われていた。
兄貴分として懐かれていたし、ライダー自身もガムテを弟や子供のように可愛がっていた。
それ故にガムテの思考も、理念も、“ある程度は”理解している。
だからこそ、ライダーは信頼していた。
彼は、“玄人(プロ)”だ。殺すことにおいては、誰よりも卓越している。
そして、同じ境遇を持つ“子供達”の為ならば―――“救世主(カミ)”にだってなる。“悪魔(バケモン)”にだってなれる。
ライダーが明日なき男達に寄り添ったのと同じように。ガムテは、彼らの味方だ。

八極道の同志を踏み台にして勝ち抜くことなど、彼にとっては容易い。
例え心から慕った相手だとしても、ガムテならば“やれる”。
ライダーは、そう確信していた。
アイに対し、それを語った。

『だからこそ、潰さなきゃならねえ』

ライダーはガムテの手の内を知っている。
ガムテもライダーの手の内を知っている。
だが、ガムテの側に“ビッグ・マム”という未知数の手札が加われば。
必然的に不利となるのは、ライダーの方だ。
その点においても、ガムテはいずれ排除しなければならない。
だからこそ、ヴィラン連合が“グラス・チルドレン打倒”をクエストとして提示したのは僥倖だった。
敵が未知数の手札を持っているように、こちらにも奴らの知らない“協力者”がいる。
かつての同胞であるからこそ、決して油断はしない。

『……やっぱ頼もしいよね、殺島さん』

そんなライダーに対し、アイはふっと微笑みながら呟いた。
無垢で、純粋で。それ故に、壊れやすい。
櫻木真乃とアーチャーは、きっとそんな類いの人間だった。
だからこそ、ああなってしまった。

――私には、この人が着いてる。
――絶望なんてしないし、するつもりもない。

だって、この人は私の幸せを望んでるでしょう?
だったら、とびきりの笑顔で応えてあげないと。
それは星野アイが贈る、嘘偽りのない想いだった。


441 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:14:21 ZPGAHnyo0
【新宿区/一日目・日没】

【ライダー(殺島飛露鬼)@忍者と極道】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[装備]:大型の回転式拳銃(二丁)&予備拳銃
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アイを帰るべき家へと送迎(おく)るため、聖杯戦争に勝ち残る。
1:アイの方針に従う。
2:M達との協力関係を重視。だが油断はしない。厄(ヤバ)くなれば殺す。
3:ガムテたちとは絶対に組めない。アイツは玄人(プロ)だからだ。
4:アヴェンジャー(デッドプール)についてはアサシンに一任。
[備考]
※アサシン(伏黒甚爾)から、彼がマスターの可能性があると踏んだ芸能関係者達の顔写真を受け取っています。
現在判明しているのは櫻木真乃のみですが、他にマスターが居るかどうかについては後続の書き手さんにお任せいたします。
※グラス・チルドレンの情報を既にM側に伝えているか(あるいは今後伝えるか)否かは後のリレーにお任せします。


【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル/一日目・日没】

【星野アイ@推しの子】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
1:櫻木真乃の情報をM達に売って、彼女をどうするか相談したい。
2:敵連合の一員として行動。ただし信用はしない。
3:あさひくん達は捨て置く。もう利用するには厄介なことになりすぎている。
[備考]
※櫻木真乃、紙越空魚、M(ジェームズ・モリアーティ)との連絡先を交換しています。
※グラス・チルドレンの情報を既にM側に伝えているか(あるいは今後伝えるか)否かは後のリレーにお任せします。


442 : ベイビー・スターダスト ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:15:42 ZPGAHnyo0
◆◇◆◇



「―――きらめく……星の力で……」


路地裏で、歌が奏でられた。
対峙を経て。葛藤を経て。
そして、悲しみと怒りを悟って。
櫻木真乃の中で、ひとつの想いが湧き上がる。


「憧れのワタシ……描くよ……―――」


ずっと自分を守ってくれたサーヴァント。
ずっと自分を支えてくれた親友。
そして、可愛らしい大切な妹のような存在。
そんな彼女の勇姿をなぞるように、真乃は唄った。

それは、勇気の讃歌か。
あるいは、哀しいスワンソングか。
答えは、まだわからない。


『……ひかるちゃん』


そうして真乃は、念話を飛ばした。
返事は、返ってこない。


『ありがとう。ずっと支えてくれて。
 この世界で、私の友達でいてくれて。
 優しいひかるちゃんがいたから、私は今まで笑顔でいられた』


告げられる感謝の言葉。
灯織とめぐるの件を、責めはしない。
責めるわけがない。


『だから……ごめんね』


謝るのは、自分の方だ。
真乃は、そう思っていた。


『私はもう、笑顔でいられないと思う』


―――だって。
―――こんな酷いことをする人達を。
―――許したくなんて、ないから。
―――分かり合うことも。歩み寄ることも。
―――したくないって、心から思ったから。

夜空を、見上げても。
星の輝きは、見えなかった。
溢れ出る涙に、光は掻き消されていた。


【新宿区・路地裏(区外近く)/一日目・日没】

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、精神的疲労(大)、深い悲しみと怒り
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:???
1:悲しいことも、酷いことも、もう許したくない。
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。


【新宿区・路上/一日目・日没】

【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:健康、血塗れ、精神的疲労(極大)、魔力消費(小)
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:プリミホッシーの変装セット(ワンピースのみ。他は灯織・めぐるとの交戦時に破損)
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:???
1:――――。

[全体備考]
新宿区の氷鬼は限定発動した『帝都高爆葬・暴走師団聖華天』によって殲滅されました。


443 : ◆A3H952TnBk :2021/11/27(土) 00:16:20 ZPGAHnyo0
投下終了です。


444 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:09:14 r33hbOIw0
投下します


445 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:10:16 OOxzOAPk0
 東京都は新宿区を舞台に勃発した最強同士の大激突。
 それがもたらした余波は新宿全体をほぼ壊滅状態にまで追い込み。
 そしてその報せと異変は東京の全土に轟き渡った。
 新宿と隣接する中野区の廃屋に身を置いていた光月おでんも当然、件の異変を察知していた。
 彼の場合は、新宿方面に広がる異様な色彩の空を見上げる必要すらなかった。
「縁壱。感じたか?」
 鍛えに鍛え抜かれた肉体。
 周囲の反対を押し切って大海に出、世界を旅して積んだ経験。
 新免武蔵とすら打ち合うことを可能にする大剣豪、それがおでんだ。
 そんな彼の体はかの地から放たれる巨大な力の気を鋭敏に感じ取ってくれた。
 理由としてはそこに加えて更にもう一つ。
 隣区にまで届くほどの震撼を巻き起こした気の中に、おでんにとって覚えのある波長が紛れていたというのもあった。
「ああ。巨大な……途方もなく巨大な力の兆しを感じた。
 そして大地が丸ごと吹き飛んだかのような、壮絶極まる破壊音も聞こえた」
「本当かよ。おれは流石にそこまでは聞こえなかったが……すげェ地獄耳だなお前」
 無論それを縁壱が感知していない筈はない。
 彼はおでんのように覇気を持たない身だが、彼と同じかそれ以上の感知能力を有していた。
 生まれ持った感覚の強さにかけても、継国縁壱は当然のように規格外なのだ。
「見ろ。あの空を」
 おでんは廃屋の窓から遠方に広がる空を見る。
 忌々しげな顔だった。
 彼には分かっているからだろう。
 あの空の下で何が起こっているのか。
 どれだけの命が巻き添えになって潰れたのか。
 おでんは、聖杯を願うあまりに人の心を失った亡者達の醜さを空の色に見出した。
「何処かの大馬鹿野郎が暴れてやがる。手前の力をひけらかすみてェに」
 だがおでんの表情がこうまで苦い理由はそれだけではない。
 大気を通じてひしひしと伝わってくる皮膚の痺れるような"覇気"。
「……おれのよく知る馬鹿野郎だ。だから余計に放っとけねェ」
「それは」
 おでんはその覇気の主を知っていた。
 故郷ワノ国の闇から這い上がってきた復讐者、黒炭オロチ。
 奸計を練る頭脳はあっても戦う力はからっきしだったにも関わらず、彼の布く独裁体制を誰も崩せなかった理由。
「アヴェンジャーの言っていた"青龍"のことか?」
「真の名はカイドウ。龍に化ける怪物だ」
 それこそが青龍……真名をカイドウという大海賊。
 音に聞くロックス海賊団にも名を連ねていた怪物。
 おでんは生前彼と相見え、その体に消えない傷跡を刻み付けた。
 しかしあと一歩のところでおでんは奸計に倒れ、それが彼の破滅を決定付けた経緯がある。
 その決着を不本意に感じ引きずる程度には真面目な男だったがそんな一面はカイドウの脅威度をほんの僅かたりとも下げない。
 その証拠が彼方、新宿方面に広がる異様な空とそこから伝わってくる震撼だ。


446 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:11:20 bik/q7PA0
「……おれは昔あの野郎を仕留め損ねた。あと一歩のところで判断を誤っちまった。
 今でも思うんだ。もしあの時おれがカイドウを討てていればどれほどいい未来を遺せたかって」
 こう言ってはいるがおでんも自惚れてはいない。
 自分はカイドウに一太刀入れただけだ。
 オロチの腹心の企みを見破れていたとしても、その先に待っていたのは本気になったカイドウとの一騎打ち。
 勝てたかどうかは分からない。だがそれでも、あの時もしババアの罠を見抜けていたなら。
 それだけの頭が自分にあったなら……ワノ国の未来はどれほど安泰なものになっていただろうかと。
 二度目の生を受けてからというもの、おでんはずっと取り返しのつかない悔恨に思いを馳せてきた。
「死人のおれが此処に呼ばれた意味は、界聖杯を裁定することだとずっとそう思ってた。
 けどよ……今はこう思うんだよ。もしかしたらそれはとんでもねェ勘違いだったのかも、ってな」
 おでんに聖杯を手に入れるつもりはない。
 彼の敗北がワノ国に齎した暗黒の二十年が消えることはない。
 しかしそれでもおでんは龍化の法を宿すあの怪物に因果を感じずにはいられなかった。
 デッドプールの口から青龍の話を聞いた時、パズルのピースがカチリと嵌る感覚が確かにあったのだ。
 自分のような死人が此処に招かれた意味。
 界聖杯が遺恨ばかりを残して死んだバカ殿なぞに可能性とやらを見出した理由。
 それはつまり――あの日果たせなかった"討ち入り"の再演なのではないかと。
「おれはカイドウを討たなきゃならん」
「……私もお前も。裁定者などではなかったということか」
「元々ガラじゃねえとは思ってたんだよ。だがこれで納得したぜ」
 光月おでんは百獣のカイドウを。
 継国縁壱は鬼舞辻無惨を。
 それぞれ生前に仕留め損ねた悔恨の大元。
 それを討つために自分達は二度目の生を与えられたのだと二人は共に理解する。
「おれは新宿に向かう。あの地獄絵図は放っておけねえからな」
「あさひとアヴェンジャーのことはどうする」
「正直不義理だが……こればかりは書き置きを残してでも出かけるしかねェな。
 あさひ坊達のことは確かに心配だけどよ、だからといってあれは放置出来ねえよ」
 おでんが気がかりなことはもう一つあった。
 新宿で暴れているのがカイドウだというのは分かる。
 だがあの怪物が格下に向けて必要以上に力をひけらかす質だとは思えない。
 それを前提に置いて考えた場合に浮かび上がるのは恐ろしい可能性だ。
“カイドウの野郎とまともにやり合える奴がいるってことか……?”
 冗談ではない、と思う。
 あんな怪物一体でも手に余るのだ。
 なのにそれと切った張ったの勝負が出来る輩がいるとしたらこれほど最悪なことはない。
 だからこそおでんは"新宿に行かねばならぬ"と強くそう思ったのである。
 もしもそんな事態になっていたなら――怪物同士の闘いを止められる主従など相当限られるのだから。
「来てくれるか? 縁壱」
「私はお前のサーヴァントだ、おでん。お前が決めた指針に逆らう理由はない」
 す、と縁壱は立ち上がる。
 渦中の新宿へと向かうために。
「胸を張れ。お前の進もうとしている道は……少なくとも私の目には、正しいものに見える」
「そうか。……お前に言われると何だか安心するぜ」
 光月おでん。継国縁壱。共に、侍。
 いざ――崩壊都市と化した新宿へ向かう。


447 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:12:28 P/KwE/gE0
    ◆ ◆ ◆

“羽虫”
“解っている。光におびき寄せられた輩だろう、まさに羽虫というわけだ”
 自分の下僕が破壊した町を悠然と立ち去るは峰津院大和。
 皮下医院の襲撃という目的は達成出来たが、敵の首級を挙げられなかったのは計算外だった。
 皮下真。人間を辞めて非道の限りを尽くしながら理想を追う男。
 彼自体は大和に言わせれば取るに足らない相手だった。
 最後逃してしまったのは不覚だったが、その不覚さえなければ間違いなく大和が仕留めていただろう。
 だが皮下の根城で待っていたあの龍人(ライダー)は話が別だ。
 最終的には皮下側の撤退という形の決着に落ち着いたものの、殺せなかったことに変わりはない。
 口の利き方や態度はともかく、実力だけは誰よりも確かなベルゼバブが仕留め損ねたのだ。
“距離もそう遠くない。殲滅するが異論はないな?”
“構わん。ジークフリートになり損ねた汚名を存分に濯ぐのだな”
“龍の腰巾着一匹仕留められなかった無能がよく吠える。恥を知らないのか?”
 主従の絆も共感も一切存在しない棘だらけのやり取り。
 こんな男達が現状一二を争うほど聖杯に近い位置にいるというのは皮肉なものだった。
 しかし現に大和は強い。ベルゼバブについては言わずもがなだ。
 先刻は仕損じたが、逆に言えばあれほど理不尽な強さがなければこの二人を相手に生き残るのはまず不可能ということでもある。
“時にランサー。つかぬことを聞くが”
 ベルゼバブは大和の言葉にいちいち反応などしない。
 彼に限っては無言は肯定を意味する。
 大和も今更彼のそんな態度を問題にする気はなかった。
 この傲岸、不遜を絵に書いたような男を相手に礼儀を説くほど困難なこともそうそうないのだから。
“先の戦いで宝具を開帳しなかったのは何故だ?”
“羽虫よ。余が慢心したとでも言いたいのか”
“身も蓋もない言い方をすればそうなる。貴様の矛は不滅すら滅ぼす『腐滅』だろう”
 ベルゼバブは先刻のライダー、カイドウとの戦いで宝具を使っていなかった。
 宝具は宝具でも彼が常から自在に操っている鋼翼ではない。
 彼がランサーのクラスで召喚されている所以でもある第一宝具、腐滅の魔槍だ。
 その本質を知る大和にしてみれば、彼がカイドウを相手に出し惜しんだ判断に多少の疑問が残った。
“原初の一たるルシフェルすら滅ぼした混沌の槍。惜しむ意味があったのか?”
“あった”
 大和の詰問にベルゼバブは即答で断言した。
 第一宝具『滅尽滅相・混沌招来(ケイオスマター)』。
 天司長ルシフェルを殺害するという最大級の難業をねじ伏せたその実績を、大和は知識として把握している。
 仮にベルゼバブが先刻の戦いでそれを抜き、カイドウの身に突き立てていれば十中八九それで事が済んでいただろう。
 ベルゼバブの虎の子とはそれほどの代物なのだ。
 これを上回る攻撃手段がこの界聖杯に存在しているとは、大和は思わない。
 では何故ベルゼバブがそれを抜かなかったかといえば、その理由は単純だった。
“あれは羽虫の中でも上澄みの上澄みだ。でなくば余とああも延々戦えはすまい”
 それは大和も認めるところだ。
 生半なサーヴァントなら力押しで打倒出来るほどの実力を持つ大和でも、流石にあの龍人が相手では手も足も出ないだろう。
 恐らくカイドウはこの聖杯戦争において最強もしくはその座に限りなく近いサーヴァントに違いない。
 そこの認識に相違がないことを大前提にして、ベルゼバブは続けて理由を述べる。
 彼の場合それは釈明ではなく、あくまでもマスターという肩書きを持つ羽虫に対して垂れる高説だったが。
“奴はまだ全力を出していなかった。余があれしきの羽虫に遅れを取るとは思わんが、万一、億一の可能性があるのも否定はしない”
“君らしくない発言だ。意外と堅実に物を考えるのだな、ランサー”
“ケイオスマターを抜くのは奴の底が見えてからでも遅くはない、そう考えたまでのこと。異存はあるか?”
 カイドウは無窮の武錬を体現するベルゼバブをして、武の究極に達した存在に見えた。
 常に相手を羽虫と軽んじるベルゼバブではあるが、彼はある種カイドウのことを信用したのだ。
 ケイオスマターを抜き殺しにかかったとしても呆気なくは終わらない。
 腐滅の槍に宿る危険性を直感的に見抜き、槍に決して触れない、当たらない殺陣に切り替えてくる。
 そう信じたからこそあえてベルゼバブは安直な道を選ぶのを避けた。
 それを聞いた大和も、これ以上そこについて追及しようとはしなかった。
“いや。少なくとも単なる油断でないことは分かった、十分だ”
“羽虫の物差しで余を測る無礼は改めろ。命がある内にな”
 相変わらず親しげな様子の一切ない会話。
 それも途切れ、二人は無言のまま気配の方へと歩を進めていった。


448 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:14:45 ucE8PhPo0
    ◆ ◆ ◆

 新宿へ向かうべく急ぐおでん。
 その駆ける様子をワノ国の人間が見たならば、かつて彼が黒炭オロチの許へ乗り込んだ日のことを思い出したろう。
 しかし彼の足取りは途中で止まることになった。
 新宿で起きた悲劇を止めるためにと全身全霊を懸けて走るおでん。
 そんな彼を撃ち抜かんと、鋼の羽毛が数十と吹き寄せたからである。
「一歩下がれ」
 それに反応したのは縁壱だった。
 彼の声に従って足を止め、慣性の法則を力ずくでねじ伏せて後ろに一歩分飛ぶ。
 結果空いた一歩分のスペースに縁壱が霊体化を解き現界。
 視認すら難しい速度での斬撃を繰り出し、飛来した鋼羽を全て叩き落とした。
「悪ィ、助かった! だが…何だこりゃ。敵襲か!?」
「そのようだな」
 縁壱に促された方向をおでんは見る。
 そこには急ぐおでんに不躾極まりない攻撃を仕掛けてきた敵の姿が確かにあった。
 苛立ちも露わにそれを見つめて、おでんは。
“――縁壱”
“皆まで言うな。分かっている”
 自分の中の苛立ちの念が一瞬で冷め切っていくのを感じた。
 光月おでんは海に出て、自分の生きていた世界が井戸の中であったことを思い知った。
 ゴールド・ロジャー。エドワード・ニューゲート。そうした強者達の全力を目にする度に畏れで体が震えたものだ。
 自分を攻撃してきた褐色の男を目にした瞬間おでんが抱いた感覚は、あの頃のそれによく似ていた。
 コイツは――強い。というより、ヤバい。
 あの頃の百獣のカイドウと相対した時ですらこれほど心胆から震える感覚に陥りはしなかった。
 何故今。よりにもよって今こんな化物に出くわしてしまうのかと悪態をつかずにはいられない。
「おい、そこの褐色肌! 詳しい事情は省くがおれ達は今メチャクチャ急いでんだ!」
 今はこんなところで時間を取られている場合ではないのだ。
 新宿にはカイドウがいる。
 もう戦いが終わってしまっていたとしても救える命があるかもしれない。
 自分に誰かを救える力があるにも関わらず、何かしら理由を付けてそれに背を向けることが出来るおでんではなかった。
「戦いてェなら後でいくらでも付き合ってやる! だから今は退いてくれ!」
「何を言うかと思えば……実につまらん命乞いだ」
「ああ!? 何だと!」
 おでんの言葉を聞いた男は何ともつまらなそうにそう言った。
 つまらんと。おでんの抱く焦りも真剣さも、全てを一笑に付したのだ。
「光月おでんだな。君の評判は私も常々聞いているよ」
「…マスターの方か。ならお前でもいい。戦うのは構わねェが今はナシだ」
「残念だったな、義侠の風来坊。今から君が向かったところで全て遅い」
 なんだこの態度のでけェ男はと噴飯するおでん。
 そんな彼にとって新たに現れたマスターと思しき少年は希望の光に見えただろう。
 が、おでんのそんな期待は通らない。
 少年……峰津院大和はおでんの期待を裏切るどころか、更にその遥か下を行く言葉を口にしたからだ。
「新宿での戦いは既に痛み分けで終わっている。まさか此処まで事が大きくなるとは思わなかったが」
「その言い草、まさか…てめェらか、カイドウの野郎と戦ったのは!?」
「ほう、これは思いがけない収穫だ。まさかあの青龍に化けるライダーの真名をこんなところで知れるとはな。
 感謝ついでに教えてやろう。いかにも、我々は貴様の言う"カイドウ"と戦ったとも」
 むしろ仕掛けたのはこちらの方だ。
 そう言って微かに笑う大和におでんは拳を握り締めることを禁じ得なかった。
「あの様子では数百人……いや、数千人単位で死んだかもしれないな」
「……お前。何を笑っていやがる」
「いや、失礼。君があまりにも必死な形相をしていたものでな」
 大和の言を聞いておでんは確信する。
 こいつらは、カイドウに一方的に仕掛けられた被害者ではない。
 事実は逆。こいつらが、カイドウに仕掛けたのだ。


449 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:16:12 62fFTz9s0
 その結果新宿は崩壊した。大勢という言葉ですら足りないほどの人間が死んだ。
 何が何だか分からない内に、大切な人との別れを済ませる間もなくゴミのように死んでいったのだと。
「若輩の身なことは承知で助言しよう。死んだ民衆の命など、気負う必要も背負う必要もない」
「……」
「聖杯戦争のために生産された世界に生きる人間の命に一喜一憂するなど、それは心の贅肉というものだ」
 おでんはただ無言だった。
 その体が小さく震えていることに大和は当然気付いている。
 自分が風来坊の逆鱗の上を歩いていることを承知しながら、しかし大和の口は止まらなかった。
「彼らは"泡"だ、光月おでん。戦いが終われば弾けて消える、意味を失う。
 界聖杯に選ばれ地平線の彼方へ至る権利を得た私達が、弾けた泡の行方に想いを馳せるのはまったく無意味なことだ」
「そうか。よく分かった」
 空気が張り詰めた。
 縁壱ですらもがおでんの方に目を向けた。
 英霊ならざる人の身が発するにはあまりに過大な怒気の波。
 ベルゼバブは縁壱を睥睨しながらも、内心で独りごちた。
 成程、少しは出来るようだ――と。
「名を名乗れ」
「峰津院大和」
「ヤマト。お前はつける薬のねェ大バカ野郎だ」
 何故初対面の相手が自分の名前を知っているのか、なんて疑問すら頭の中に残らない。
 おでんは今、憤激していた。
 命を命とも思わない傲慢な支配者の言動に魂からの怒りを覚えていた。
 こいつらは生かしておけないと武士の魂がそう叫ぶ。
 父、光月スキヤキから受け継いだ光月の血の誇りが、この男を許すなと言っている!
「お前らは此処でおれ達が倒す。明日の朝日は拝ませねェ」
「吠えたな。日本男児を気取るならば吐いた唾を飲む無様だけは晒してくれるなよ」
 大和がベルゼバブに目配せする。 
 言われるまでもないと、彼は縁壱の方を見た。
 大和とベルゼバブは常に険悪な、主従という形容をすることが憚られるような関係性の中にある。
 だがその実彼らは互いの実力を理解できないほど愚鈍な人間ではなかった。
 だから余計な懸念を挟むことなく対処を任せられる。
 マスターはマスターを。サーヴァントはサーヴァントを。
 確固撃破という極めて基本的でありながら最もベターな回答で打ち破る意思を共有する。
「ぶった斬る」
「やってみろ。侍の出る幕などこの時代にはもう無いことを教えてやる」


450 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:17:18 cCIWP7o20
    ◆ ◆ ◆

「愚かなマスターを持つと苦労するな」
 ベルゼバブは嘲笑も露わにそう言った。
 対する継国縁壱はただ無言。
 刀一振りのみを寄る辺に最上位の武力を持つ破壊の権化と相対する。
 縁壱をして分かる、相対したその瞬間に伝わってくる恐るべき強さ。
 縁壱の生きた生涯の中では間違いなく最大の脅威であったろう鬼舞辻無惨すらこれに比べれば遥かに霞むだろう。
 人間の完成形と言って差し障りない縁壱がそう感じるほど、目前の男が発する闘気は圧倒的だった。
「なんと痩躯な霊基だ。哀れみすら覚えるぞ」
 英霊としての格など比べるまでもない。
 間違いなく、格上はあちらの方だ。
 これほどの存在までもが呼ばれていたのかと驚嘆さえ覚える。
 これが新宿を破滅に追い込んだ英霊の片割れか。
 まさに怪物。鬼など及びもつかない暴力の化身。
 これを相手に人が出来ることなど、何一つありはしないだろう。
「一つだけ聞かせてほしい」
「何だ」
「お前は、主……峰津院大和の言を聞いて何か感じたか」
 だが――しかし。
 ベルゼバブは縁壱の質問にただ嘆息した。
「何かと思えば、つまらん」
「……」
「下らぬ感傷に引き摺られて無様を晒す意味が何処にある。
 あえて奴の言葉を借りるが……泡が弾けて消えたことに嘆き悲しむほど無意味なことが他にあるか?」
「そうか。よく分かった」
 日輪刀を携えて。
 破壊の君と相対する彼は人ではない。
 人を超え、英霊の座へと至った存在。
 失敗に満ちた生涯を永遠のものにされて尚自身のあり方を損なわぬもの。
「貴様は存在してはならない生き物だ」
「吠えたな、羽虫。ならばどうする」
「斬る」
 悔恨の念の一つでも口にしたならば話は違ったかもしれない。
 しかし縁壱の問いに対してベルゼバブが返した答えはどうだ。
 悪びれるどころか、散っていった命を慈しむ意思の欠片もない。
 ならばもはや縁壱に刃を振るうことを躊躇わせる理由は何一つとしてなかった。
 かつて彼が鬼と相対し、その首に向かって刃を振るっていた頃のように。
 ただ殺すという意思のみを向けて縁壱は日輪刀の柄に手を掛けた。
「相分かった。己の愚かさをあの世で恥じろ」
 ベルゼバブもそれに応えるように翼を広げる。


451 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:18:12 m7lW9Coc0
 鋼の翼、おぞましく。
 須臾の内に数多の命を奪える暴力の具現が花を咲かせる。
「余を相手に大口を叩いたその浅慮。貴様自身の血肉で支払うがいい」


 もしもこの戦端に観衆がいたのなら、誰もが初撃での終幕を確信したたろう。
 ランサー、ベルゼバブの背中から噴き上がった黒い爆発。
 正確にはそう錯覚するほどの勢いで噴射された無数の黒翅。
 それがセイバー、継国縁壱の立っていた座標を惨たらしい槍衾に変えてしまったからだ。
 しかしそこに縁壱はいない。
 落ちてきた翅の軌道を正確に予測した舞踏のように繊細な脚使いでベルゼバブの初手をいなした。
 が、それがどうしたと言外に告げるのがベルゼバブの次手。
「死ね」
 ゴムのように伸縮する鋼という矛盾。
 事もなくそれを実現させながら背の鋼翼を縁壱目掛けて振り抜いた。
 当然、縁壱はこれも回避。
 髪の毛の数本が引きちぎられて宙に舞う。
 その毛髪が風に吹かれて縁壱の視界から消える頃には、ベルゼバブが彼の目の前にいた。
 至近距離で振り抜かれる拳は見栄えでこそ見劣りするが、これも侮れる威力では到底ない。
 並のサーヴァントなら拳骨一つで撲殺出来る程度の膂力がそこには込められている。
 空を切る拳。
 その風圧だけで路傍の街路樹が砲弾でも食らったみたいに抉れて散り散りになっていくのは何の冗談か。
 ベルゼバブに比べて悲しいほど細い体、低い背丈、そして刀という頼りない得物。
 あらゆる点で縁壱は彼に劣っており、傍から見ると相対的にひどくちっぽけな存在に見えた。
 現に縁壱は此処までベルゼバブに何も出来ていない。
 ただ避けて、避けて、避けて……。
 避け続けることしか出来ていないのだ。
「分を弁えているな。避けるのだけは一丁前というわけか」
 そう挑発する一方で、ベルゼバブの内心は至って冷静だった。
 ベルゼバブは手抜かりなく打ち込み攻め立てているが、縁壱は未だ傷一つ負っていない。
 逃げに徹しているといえばそれまでだが、それにしたってベルゼバブを相手にこの間合いで無傷を保つなど容易なことではない。
“多少は出来るらしい。闇雲に打ち込むばかりでは捉えられんか”
 敵に対する認識を一段引き上げながら、ベルゼバブはその手に黒い靄を纏わせる。
 徐々に形を確かにしていくそれは彼の生み出すアストラル・ウェポンの一つ。
 創世の破壊を含有する、黒銀の滅爪であった。
「ならばこれならどうだ?」
 ランサークラスであることを忘れそうになるほどの多芸は彼が積んできた研鑽の程を窺わせる。
 鉤爪などという凡そ一般的とは言い難い武器の扱いも、ことベルゼバブに限っては抜かりなどある筈もない。
 人間の動体視力では黒い線にしか見えないような高速の爪撃。
 それを受けて継国縁壱は、此処で初めてその刀を抜いた。
 妙な刀だ――ベルゼバブはそう思う。
 東洋の刀としてはありふれた形状であるし、強いて言うなら特異な点は刀身が赫く染まっていることくらいだ。
 宝具ではあるのだろうが魔力の反応は無きに等しく、ベルゼバブが今用いている黒銀の滅爪の方が数倍も武器として強大だった。


452 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:19:19 B9f1Jn2Y0
 なのに何故か、取るに足らない鈍と片付けることに躊躇を覚える。
 何かを見落としているようなそんな不快感が脳の片隅に居座っている。
 思案するベルゼバブだったが、その間も攻撃の手は止めるどころか緩めもしない。
 黒い嵐と呼ぶ他ない滅びの闇と刀一本で戦う無理難題の遂行を、縁壱は強いられ続けている。
 闇、闇、闇、闇。
 その中に凛と煌めく赫銀の斬光。
 希望の光と呼ぶにはあまりに細く小さいそれ。
 しかし消えることだけはない。
 不滅の灯火となってベルゼバブと打ち合い続ける縁壱の技量は成程英霊の座へ上るに相応しいものだ。
 ベルゼバブでさえ、そこのところには異論がなかった。
 己が殺す気で潰しにかかっているというのに、未だ以て殺せても潰せてもいないその事実。
 だがそれでも。
 縁壱が多少拮抗出来ていることを含めても、ベルゼバブは終始優位に立ち続けていた。
「涙ぐましい姿だな。後何分耐えられる? それとも何十分か?」
 手数の違い、パワーの違い。
 力と手数を両立させた上で途切れることなく降り注ぐ混沌の雨霰。
 縁壱がこれほど耐えるのはベルゼバブにとって予想外だったが、それならそれで耐えられなくなるまで続けるのみだ。
 彼の優位は何も揺るがない。
 更にベルゼバブは駄目押しとばかりに目前の煩わしい羽虫に対し、火力を上乗せする暴挙に出た。
 渾身の力を込めた滅爪の大振りが縁壱を襲う。
 当然縁壱は受け止めるか躱すかするだろうが、どちらを取っても彼にとっては荊道だ。
 まず受け止めるのは愚策の中の愚策。
 面で受けることには特化していない日本刀が、滅爪の纏う闇とそれを担うベルゼバブの剛力に耐えられる道理はない。
 躱すのならば得物を失わずに済む。
 だが……今まさにその選択をした縁壱に向けて、超音速の"代償"が殺到した。
 身を引いての回避に出た縁壱に対しベルゼバブは再度の乾坤一擲。
 但し今度は滅爪ではなく背の鋼翼を袈裟懸けに振るうことでの攻撃だ。
 今更補足するまでもないだろうが、ベルゼバブの鋼翼は縁壱程度の英霊なぞ容易く両断出来る。
 先刻のカイドウは例外中の例外で、普通の英霊がベルゼバブの力をその身で受けることは即死に繋がると言っていい。
 その上彼の全力はこの速度。
 音を超え、サーヴァントの動体視力を以てしても完全に捉え切るのは困難な超高速。
 そんな怪物の力と速度が歴戦の戦術眼に基づき振るわれるのだから恐ろしいなどという次元ですらない。
 事実哀れな侍はこうして詰みに追いやられ、まさしく羽虫のように無残に殺されてしまうことと相成り――
「……ほう?」
 は、しなかった。
 縁壱の行動にベルゼバブが訝しげな目をする。
 縁壱は回避が困難と悟るや否や、迫る滅びの翼に向けて前進したのだ。
 血迷ったか。
 死の淵に立たされては、縁壱ほどの剣士でさえも滑稽な愚を犯してしまうのか。
 違う。
 ベルゼバブにはそれが分かっていたし、事実事態は彼の思った通りになった。
 縁壱は身を屈め、翼と擦れ違いざまにそれに劣らぬほどの速度で一閃刻んだのである。
 鋼翼などと称されていてもその実態では鋼のそれを遥か上回る強度を持つ恐るべき翼。
 しかし斬鉄までは行かずとも、接触を介して軌道をズラすことなら可能だ。
 少なくとも縁壱には造作もない。
 表情一つ変えずに踏み込み、敵と定めた羅刹を斬るべく刀を振るう。


453 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:20:19 N5u8QsJs0
 頬から垂れる一筋の血。
 彼が超音速の死に挑み失ったものはたったのそれだけだ。
 幸運などではない。全ては理屈に基づいた必然だ。
 継国縁壱はベルゼバブの速度を目で追うことが出来るという、ただそれだけの単純な理屈。
“此奴……”
 ベルゼバブの眉間に皺が寄った。
 今度は自らが至近で仕掛ける形となった縁壱。
 ベルゼバブは此処で初めて攻勢に回った縁壱を相手にすることとなり、そして知った。
“随分と、不快な剣を使う”
 この男の剣は並大抵のものではない。
 剣士など何度となく相手にしてきた。
 何度となく、屠ってきた。
 だが、剣士を相手にしてこのような気分になった試しは今まで一度もなかった。
 ジリジリと脳の何処かが焦げ付くような。
 ひどく不快で、そして鬱陶しい気分。
 滅爪による斬撃と鋼翼による連続攻撃は既に迎撃の範疇に収まっていない。
 にも関わらず足取りを崩さず徹底的に攻勢を保ち続ける縁壱。
 幾百打ち合った頃だろうか。
 互いに息一つ切らさずの攻防の中、一つの変化が発生した。
“……掠めたか”
 ベルゼバブの首筋に一筋の裂傷が走った。
 流れ落ちる血は彼がこの戦いで初めて受けた手傷だ。
 首筋に手をやり、雫が滴る不快な感覚を拭い去るベルゼバブ。
 ――その瞬間から更に二秒ほど遅れてのことだった。
 彼の胸から紅い血潮がひとたび噴き上がり、褐色の貌が驚愕に歪んだのは。
「――――何」
 袈裟に刻まれた斬痕。
 肺の表面にまで及ぶほど深いそれの存在に気付いたところでようやく痛覚が追い付いてきた。
 カイドウと世界そのものを巻き込みながら殺し合った時ですら手傷らしい手傷は負わなかったベルゼバブ。
 その彼が初めて負った刀傷は、強者の脳細胞に甚大な激痛を運んでいた。
「貴様……何をした?」
 細胞の一つ一つが炎で灼かれていくような痛みだった。
 傷口を基点に全身へ痛みの火が燃え広がっていく気さえする。
 妙な剣だと思ったその理由が今はよく分かる。
 あの剣は、滅ぼすものなのだ。
 ベルゼバブが秘めるかの混沌と、形は違えどよく似た性質を宿している。
「千三百ほど打ち合って、ようやくお前の速度に慣れてきた」
「……」
「速度に慣れれば隙も分かる。そこを斬っただけのことだ」
 今、縁壱の眼はベルゼバブの速度を完全に捉えられる。
 だがそれまでの間は流石の彼も苦戦を強いられた。


454 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:21:32 zAs1Ke7w0
 目前の敵に動体視力が追い付かないという初めての経験。
 明鏡止水たる透き通る世界に生まれながら入門していた縁壱が、その眼の力あってもなお追い付けない超高速の連撃。
 空気の揺らぎと打ち合いの中に滲んだ敵のクセ、傾向。
 そういうものをまで逐一つぶさに観察し、読み解きながら迎え撃たなければならなかった。
 しかし幸い、そうしている内に縁壱の肉体がベルゼバブという"異常事態"に対し順応してくれた。
 千三百の苦境を超えた末、千八百でベルゼバブの隙を知覚。
 千九百合後半にて遂に、縁壱は彼の見せた本人すら無自覚であったろう間隙へ自らの斬撃を"挟み込む"ことに成功したのだ。
 当人が斬られたことに気付かないほどの速度と精度で、正確に。
「二撃目は頸を落とすつもりだったが……上手く行かないものだ」
「……業腹だが認めよう。余が侮っていた」
 ベルゼバブの頸に走る一筋の傷。
 それは打ち合いの中で偶然掠めたものではない。
 首尾よく一度彼を斬ることに成功した縁壱が二撃目を狙い、惜しくも仕損じた結果の傷。
 期せず殺されかけていたこと。
 あまつさえ、そのことに気付かない道化を晒していたこと。
 二つの事実に屈辱と怒りの念が噴き上がる。
 羽虫の跳梁を此処まで許してしまった己の不覚に、マグマのような憤激を感じる。
 今も脳を灼き続ける赫刀の激痛ですら、その煮え滾る激情の前に芥と消えていく。
「貴様は確実に殺す。その羽音は此処で消さねばならんと、そう理解した」
「そうか」
 虚空から出でる――混沌。
 招来されたそれが宿す理は滅尽滅相、万象全ての死と滅び。
 あらゆる神話を破却するデウス・エクス・マキナ。
 縁壱の赫刀をさえ遥かに凌ぐ、不死(モノ)を殺すということの極北。
 『滅尽滅相・混沌招来(ケイオスマター)』。
 その顕現を前にしても、しかし縁壱の表情は変わらない。
「私も同じ想いだ」
 
    ◆ ◆ ◆

“なんて剣使ってやがる、このガキ……!”
 峰津院大和という少年のことを、おでんは当初さほど評価していなかった。
 体を鍛えてはいるようだがそれもおでんが今までに見てきた強豪達に比べれば数段劣る。
 所詮はマスター。そう舐めていたのは否定出来ない。
 しかし今はそんな侮りも吹き飛んだ。
 その大和がおでんをして息を呑むほどの業物を振るいながら、遅れを取ることなく拮抗勝負を演じているからだ。
“おれの二刀流と打ち合える刀なんてそうはねェぞ…!? 宝具か、こりゃ……!?”
 大和が振るうは青き長剣、フェイトレス。
 運命を否定する名を持つ一振りはおでんの重剣を受けても軋みすらあげていない。
 稀代の大業物であり、妖刀である閻魔。その相方を務める天羽々斬。
 その二刀を同時に相手取って形を保てる武器がこの世に幾つあるだろうか。
 それもその筈、おでんの推測は当たっていた。
 かの剣はアストラルウェポン――彼のサーヴァント、ベルゼバブの宝具から生成された武装なのだ。
 如何におでんが強くとも容易に砕ける道理はない。
「ちッ…! 鬱陶しい剣だな! 普通に斬り合えねェのかお前は!」


455 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:23:53 HvI0yvM20
「貴様の時代錯誤に付き合ってやる義理が、私にあると思うか?」
 純粋に強いだけならまだしも、大和の剣は時に氷を吐いた。
 迂闊に受けられる速度ではない。
 おでんの肉体が屈強と言えど、まともに貰えば深手になるのは必至だろう。
 やり難い。彼が思わず漏らした悪態を一蹴しながら……大和は不意に剣を離した。
「うおッ――!」
「とはいえ不満なら、それに応えて棄ててやろう。このようにな」
 瞬間、フェイトレスが凄まじい速度でおでんを目掛けて飛翔した。
 時速は数百キロは優にあろう。
 咄嗟におでんは二刀を交差させて受け止めたが、それでも数メートルかの後退を余儀なくされた。
 肝を冷やしながらどうにかそれを乗り越えた彼に、称賛の代わりに降り注ぐのは次なる脅威。
「"カレイドフォス"」
 大和の手に、今度は白銀の槍が握られており。
 その切っ先がおでんの方を向いていた。
 大和が呟いた一つの言葉。
 意味すら理解出来ないそれが、しかし光月おでんの背筋を粟立たせる。
 見聞色の覇気。極めれば未来予知の真似事すら可能になるそれが、光月おでんの命運を助けた。
 アストラルウェポン、ロンゴミニアド――疑似宝具真名解放。
 網膜が灼けるような眩い光条が数瞬前おでんが立っていた座標に着弾。
 爆裂としか形容することの出来ない閃光と破壊を撒き散らし、おでんの大柄な体が紙切れみたいに宙を舞う。
「どういう原理だよ!!」
 とんでもない出鱈目だ。
 危うく死ぬところだったし、体に受けたダメージも少なくない。
 どうにか着地し、当然のように着地点を予期して放たれていたレーザービームを切り払う。
 そして大和を睥睨して……おでんは舌打ちをした。
“眩惑か…忍者みてェな真似しやがって……!”
 強すぎる光を至近で見たことによる影響か、大和の姿が霞んで見える。
 おでんとて大名をしていた身だ。
 自分の命を狙った忍者崩れと戦ったことくらいはある。
 しかし大和ほどの強者が使ってくる小細工の脅威度は、雑魚が使うそれの比ではない。
「ガキの火遊びにしちゃ激しすぎんだろ」
「そのガキに、貴様はこれから己が願いを踏み潰されるわけだ。笑えるな」
 おでんを嘲笑うように殺到する光条弾雨(レイストーム)。
 このままでは防戦一方だし、いずれ削り切られてこっちが負ける。
 意を決しておでんは不自由な視界のまま踏み出した。
 光の悉くを力押しで突破し、弾幕をこじ開け、目指すは峰津院大和。
 裂帛の気合を込めて迫り来るおでんへ追撃を続けながら……大和もまた、内心では舌を巻いていた。
“これほどのマスターがいるのは計算外だった。そう認めざるを得んか”
 大和がおでんとの接近戦を早々に投げ出した理由は一つである。
 光月おでんが、大和の予想以上に強かったのだ。
 打ち合う度にその膂力に驚かされた。
 おでんはフェイトレスの強度に悪態をついたが、あれほどの業物でなければ数合でお釈迦になっていただろう。
 剣戟の音がもう少し小さかったなら、彼が最初の激突の直後に「タルカジャ」と小さく呟いたのが聞き取れたに違いない。
“皮下なぞより余程上だ。下手なサーヴァントなら敗れても不思議ではない”
 思考しながら大和が行ったのはケルベロスの招来だった。
 ロンゴミニアドの射撃を力ずくで乗り越えんとするおでんの頭上からケルベロスが襲いかかる。
「は!?」
 驚愕しながらも防御はしっかり行うおでん。
 だがケルベロスの攻撃は流石の彼も両手を用いねば防げない。
 そこで大和は先刻棄てたフェイトレスを呼び戻す。
 おでんの背に向かって迫ったそれから逃げるため、彼は地面を転がった。
 呼び戻したフェイトレスをキャッチし、振り被り。


456 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:25:06 aSKiu1w60
「"アイシクルスティング"」
 二度目の疑似宝具真名解放。
 それに合わせてケルベロスが更に真上から渾身の一撃を叩き込む。
 大きく体勢を崩したおでん。
 そこに、水を司るアストラルウェポンの全霊が壮絶な音響と共に撃ち込まれ――
「……驚いたな。腕の一本は吹き飛ばせるものと思ったが」
「ハァ、ハァ…こんなもん、白吉っちゃんのゲンコツに比べたら屁でもねェよ……!」
 土煙が晴れた時。
 おでんは額から流血し、全身に擦過傷を作りながらも五体を保ってそこにいた。
 地面に突いた片膝を持ち上げ、立ち上がってから顔を垂れ落ちる血を拭う。
 分かっていたことではあるが、改めて大和は光月おでんの超人さを悟った。
 今の挟撃を受けてこの程度で済む人間など、皮下真のような例外を除けばまず他には居まい。
 大和の口角に笑みが浮いた。
「何を笑っていやがる」
「嘲っているわけではない。貴様があまりに出鱈目をするものだからつい、な」
「何だそりゃ。これだけやっといて嫌味な野郎だな」
 この男はこんな世界にいるべき人間ではない。
 一切の皮肉を抜きに大和はそう思う。
 彼がいるべき世界は、自身の理想の果てに待つ実力主義の楽園だ。
 彼のような存在が溢れた世界をこそ大和は夢見ている。
 全ての弱者の見苦しい言い訳や嫉妬、怠惰を棚に上げた不平不満。
 その全てをただそこにいるだけで黙らせられる圧倒的な強さ。
 これを評価せずして他の誰を評価すればいいのかという話だった。
「提案がある」
「……言ってみろ。聞くだけ聞いてやる」
「私と組め、光月おでん。風来坊をさせておくには惜しい」
 リップを指して大和は素質があると評した。
 だがおでんに対する評価は彼に向けたものより遥かに上だ。
 よもやこの世界で、自分相手に此処まで食い下がれるマスターが存在するとは思わなかった。
「なんでおれが新宿を地獄に変えたお前らと組むんだ」
 おでんの眉間に皺が寄る。
 瞳に赫怒の炎が燃えている。
「分かってねェなら教えてやる。おれはブチ切れてんだぞ」
「侘びるつもりはないが弁明はしようか。私としてもあれは想定外の事態だった。
 あれはなかなか難儀なサーヴァントでな。恐らく興が乗りすぎてしまったのだろう」
 嘘は言っていない。
 大和はあれだけ野放図な混沌を描くのを好む質ではないのだ。
 少なくとも自分の計画の中には絶対に持ち込まない。
「貴様にも願いがあるのだろう。場合によっては、それを汲んでやる。
 私の目的は界聖杯なぞという一介の願望器風情に留まらない。界聖杯は所詮ただの鍵に過ぎん。
 鍵を用いて扉を開いたその先にあるものを掴んだ暁には、貴様の働きに免じて――」
「おれは見極めるだけだ」
 台詞を遮っておでんが断ずる。
「界聖杯の善悪とその真贋を見極める。それが、おれの目的だ」
「……成程。利口とは言えんが、貴様らしい不合理だ」
「ただおれは別に聖杯を欲しがってる連中の全員を否定してェわけじゃない。
 何かを願う気持ちは尊いものだ。道理で叶わない願いを無理で叶えること、それを悪と呼ぶ気はねェんだ」
 脳裏に痩せぎすの少年の面影を浮かべながら、おでんは言った。
 不合理と言われるのは分かる。そこに異論はない。


457 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:26:13 DUZnciDY0
 だがそれでも二度目の生などに興味は持てないし、そのために今を生きる人間を踏みつけにするなどおでんにとっては論外だった。
「だからまずはお前の願いを聞かせろ。話はそれからだ」
「私を試すか。大きく出たな」
 鼻を鳴らすも気を悪くしたわけではない。
 聞かせろと言われたならば教えてやるまで。
 ロンゴミニアドを地に突き、大和は口を開く。
「新世界だ」
「あ?」
「私が望む世界に既存の秩序や枠組み、慣習は必要ない。
 重視するのはただ一つ、"個"としての強さ。生物としての強さのみ。
 強くあれるのならば、男女の区別も年齢の違いも、肌の色も信教の違いも身分の貴賤も全て問わん」
 新世界という言葉にはおでんも多少の思い入れがある。
 が、大和の口に出したそれは文字通りの新たな世界。
 確かに、それこそ万能の願望器なんて代物でもなければ実現不能の夢だった。
 新世界の海とは弱者は生存すること自体叶わない……そういう場所であった。
 そして大和が夢想する新世界もまた、強者生存の理を布くという。
「生きるべき人間が明日を生き、評価されるべき人間が正当に評価される。
 貴様とて一度や二度は感じたことがあるのではないか? この世の憎むべき不条理を」
 おでんは黙って話を聞いていたが、仮に口を開いたとしても否定はしなかったろう。
 何故ならそれはまともな価値観を持って生まれた人間ならば、誰もが何処かで抱く憎しみだからだ。
 平等という名の不条理への疑念と嫌悪。
 この世は常にそういうもので溢れている。溢れかえっていると言ってもいい。
 世襲文化が根強く残っているワノ国の出身であるおでんだ。そう感じた機会はきっと人より多い。
「それが私の理想(イノリ)だ。この身、この魂は、それを叶えるためだけに此処にある」
「……」
「世界をより美しく、優れたものにしたい。これは間違った願望か? 裁定者を気取る彷徨者よ」
 おでんは過去、父スキヤキから盆栽の薀蓄を聞いたことがあった。
 おでんには全く理解の出来ない爺臭い趣味だったが、どういうわけかよく覚えている。
 曰く盆栽では、余分な枝や葉は切り捨てて純粋な木の美しさや雄々しさを追求していくのだという。
 野放図にあるがまま成長させていては立派とは程遠い駄木になる……そんな風に父は言っていた気がする。
「……一つだけ、聞かせてくれ」
 大和の語る新世界とはつまりそういうものなのだろうとおでんは認識した。
 弱者という名の枝葉を剪定することで、それに隠され阻害されていた力ある者達を輝かせる。
 そうして世界そのものを限りなく先鋭化させていき、それを以って理想郷と成す。
 とてもではないが二十歳にも達していないような小僧が考えるとは思えない理想だった。
 おでんは険しい顔をしながら大和の思想を噛み締め、彼なりに咀嚼して、それでようやく口を開いた。
「その世界に、おれの好きなものは残せるか?」
「……貴様らは揃って同じことばかり気にするのだな。だが、答えてやろう」
 先刻相対したリップを彷彿とさせる問い。
 苦笑しながらも大和はおでんに答えを返す。
「そこに尊く輝く素養があるのならば。芽を出す前の種を穿り出して捨てる真似はしない」
 そも、大和は現在の世界で弱者に足を引かれて割を食っている素養ある者達の存在を憂いているのだ。
 その彼が現行世界における強者以外は全て消すとかそんなことを宣うのはダブルスタンダードというものだろう。
 この世界には蝶になるのを待つ蛹や、日が当たらないせいで芽吹けない種が山程ある。
 大和の目的にはそういう者達に日を当て昇華させるというのも当然含まれている。
 おでんに返した答えに一切の嘘はない。
「言ってみろ。貴様は何を残したい?」


458 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:28:02 frY7z4o.0
 打って変わった大和の問いに、おでんは答える。
「金を借りる時はしおらしい態度するクセして、返せと迫ると千里を駆けてでも逃げ回るバカ。
 毎日朝から晩まで酒ばっかり飲んで、仕事もしないでのらりくらり生きてるジイさん。
 いつ行ってもマズい飯しか出さねェそば屋のオヤジ、完全にボケちまって何度訂正してもおれをてめえの息子と勘違いしてるバアさん。それと…」
「……逆に聞こうか」
 大和の思想を咀嚼し飲み込んだおでん。
 その上で彼があげつらうのは、彼の望む世界に適合出来るとは思えないろくでなしばかり。
 大和は小さく溜息を吐いてから、おでんへ逆に問いかけた。
「貴様は本当にそんなゴミ共の存在に価値があると思っているのか?」
「ああ。思ってるぜ」
「……」
 即答に閉口する大和。
 今度はおでんが語る番だった。
「おれの世界にも山程の問題と不幸があった。お前の世界もそうなんだろう。
 そこでお前が何を見て育ってきたかは知らん。だが、お前の"憂う心"全てを否定する気はねぇよ」
 ワノ国はお世辞にも完璧な国ではなかった。
 根付く迫害に貧富の差。明日の飯に困窮する貧乏人がいる一方で平気で白飯やおしるこを床にぶち撒けて笑う奴らもいる。
 大和の育った世界にもきっと山程の欠陥があったのだろうことは分かる。
 その不条理を嘆くことに罪はない。
 素直に受け入れて大人になれなどと吐くつもりはない。
 だが。
「けどなヤマト。おれはあいつらが好きなんだ」
 弱い人間がいるから生まれる不幸もあれば、弱い人間がいるから生まれる美しさもあるのだ。
 自分の立場や身分に驕ることなくワノ国を奔放に駆け回って育ってきたおでんはそのことをよく知っている。
 駄目な奴、弱い奴、狡い奴、悪い奴。
 色んな人間を見てきたし、時には成敗だってしてきた。
 だが……それでもおでんは彼らに生きる価値がないとは思わない。
「強ぇ奴、弱い奴。色んな奴らが生きててバカみてェに笑ってる、おれはそんな世界が好きなんだ」
「その多様性の結果、不当に可能性を閉ざされる人間がいるとしてもか」
「そいつらが救われるべき存在なことに異論はない。だが、その為に弱え奴らが全員死ななきゃならねえって言うなら話は別だ」
 大和の眼光の強さが増す。
 おでんへの期待が失望へ挿げ替わるのが分かる。
 しかしおでんも怯まない、譲らない。
 峰津院大和の理想を聞いて彼が思ったのは共感ではなく確信だ。
 この願いだけは認めてはならない。
 彼の描く世界が実現することだけは、たとえ生きる世界が違っていようと決して許してはならないのだと。
「あれこれ理屈こね回すのは性に合わねえ。直球で言うぜ、ヤマト」
 閻魔の切っ先を大和に向ける。
 それは彼の提案を蹴り飛ばす意思表示であり。
 そして彼の描く新世界に唾を吐く明確な宣戦布告だった。
「おれの友達(ダチ)を蔑ろにしてんじゃねェ」


459 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:29:00 KJd6lP6c0
 強い者が羽ばたけない理不尽に憤る、その感情はきっと正しい。
 しかしだから羽ばたけない弱い者は生きる価値がないと言うのならおでんは何度だって否を叫ぶ。
 少なくともそんな世界じゃ、光月おでんは笑えない。
 おでんが愛した世界を国を上から目線で勝手に取り仕切ろうとする目の前の男を認められない。
 光月おでんは――ワノ国の誰よりも、窮屈な世界を嫌っているのだから。

「二十年も生きてねェガキが! おれの国を! おれの大好きな世界を! あいつらを! 見下げてんじゃねェぞ――ヤマト!!」

 おでんの喝破が木霊する。
 その反響が途絶えた頃に大和はまた息づいた。
 交渉の決裂だけならばまだ良かった。
 だが事態はそれより悪い。
 おでんの愚かしさを知った今、大和が彼に対してすることは一つだった。
「そうか。貴様が莫迦なのはよく分かった」
「ンなことよく知ってるぜ。おれのアダ名を教えてやろうか?」
「結構だ。貴様の強さは認めるが、もはや未練はない」
 大和の望む世界は窮屈だ。
 しかしその分上には伸びていく、尖っていく。
 おでんにはその意義が分からない。
 おでんの望む世界は広大だ。
 上ではなく横に伸びていく、広がっていく。
 大和にはその意義が分からない。
 故にこの決裂は必然だった。
 光月おでんと峰津院大和は決して手を取り合えない水と油。
 世界の理不尽さを知っていても、そこに希望を見たか失望を見たかはまるで違う。
 彼らが手を取り合うなど、天地がひっくり返っても起こるかどうか。
「余計な邪魔者が来ては面倒だ。此度は退く」
 大和は既にベルゼバブの苦戦に気付いていた。
 あの程度のサーヴァントに苦戦するなどとは思っていなかったが、これ以上戦い続ければ分が悪いのは間違いなくこちらだ。
 おでんほどの強者を相手にしながらやって来た野次馬共を捌くとなるとさしもの大和も苦しい。
 ケルベロスのみでも大半のサーヴァントならば相手は出来るだろうが、新宿の戦いを経た今は一旦腰を落ち着けたかった。
「だが忘れるな。私は貴様を脅威だと認識した」
 手にしたロンゴミニアドを消失させ、ケルベロスを傍らに呼び戻す。
「その武勇と義侠心を礎にして、私は私の世界を築こう」
「させねえよ。おれがいる」
「繰り返しになるが――貴様も忘れるな。私がいることを」
 おでんとしても追う気はなかった。
 今は新宿に行かなければならない。
 そこに溢れている悲劇と被害を調停し、一人でも多くを助けなければならないのだ。
 峰津院大和とそのサーヴァントは確かに倒さねばならない脅威だったが……深追いすれば生死をかけた戦いになるとおでんは理解していた。

「勝利とは走り抜けた後で振り返るもの。貴様の未来は私の轍だ」
「そうなる前にぶん殴ってやるよ、ヤマト。お前の夢を醒まさせてやる」

 勝敗の行方は未来へ。
 光月おでんと峰津院大和、最強のマスター二人は決着を預けて別れる。
 倒さねばならない敵の存在を互いに確信しながら。


460 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:29:53 r9G0No260
    ◆ ◆ ◆

 ベルゼバブと継国縁壱の戦いは再び拮抗に戻っていた。
 互いに併せ持つ剛柔。偏りのない武力と武力。
 その胸に袈裟の刀傷を負いながらも、ベルゼバブは二度目の不覚は取らなかった。
“恐るべき男だ。不覚を自覚した途端に全ての隙が消えた”
 縁壱をして恐ろしいと形容する。
 生涯ただの一度も敗れず、不倶戴天の敵にさえ一方的に恐怖を植え付けた神の玩具が。
 その生涯が始まって初めて相手の武力に脅威を覚えた。
 これほどの生物が存在するのかとそう思った。
 否、それどころか……"疲労"という概念すら、縁壱は混沌を振るう槍兵との邂逅を経て初めて知覚したのかもしれない。
“つくづく癪に障る羽虫だ。こうも余の神経を逆撫でするとは”
 だがベルゼバブも縁壱に苦いものを覚えていた。
 開帳した忌槍、ケイオスマター。
 当たれば必ず殺すそれも前提を満たせなければただの風車に過ぎない。
 そして縁壱は、ベルゼバブほどの強者が全神経を欹てなければ避け切れないほどの攻めを維持しながら致命傷を避け続ける超人技を成し遂げていた。
 掠めるのが精々。まともな当たりは一切与えられていない。
「ちょこまかと逃げ回る羽虫だ。虫螻の跳梁も極めればこうまでなるか」
「私はお前とは違う。人間としてこの世に生を受け、人間として生きてきた」
 最初から神仏の類として作られていたならと。
 そう思ったことは一度や二度ではないが、噤む。
「人間はお前のようには戦えない。それだけの血を失えば手足が縺れ、やがて死に至る」
 誰もがそうだった。
 鬼の一挙一動、その全てが人間にとっては致死だった。
 掠めただけで手足が飛ぶ、脈が裂ける。
 仲間の死など日常茶飯事であり、だからこそ誰もが一瞬一瞬に命を懸けるのだ。
「受け止めていい攻撃など人間にはない。その気構えがなければ、怪物とは戦えない」
「……合点が行った。そもそも前提からして間違えていたか」
 ベルゼバブも事此処に至って理解する。
 継国縁壱、目前の羽虫に対して使うにはケイオスマターは不適であったと。
 彼にとって当たれば死ぬ槍など特筆すべき脅威ではないのだ。
 何故なら彼にとっては、自身の放つ全ての攻撃が致死だから。
 「当たれば死ぬ」を常識として歩み英霊の座に至った彼には……混沌の魔槍など今更敵ではない。
「しかし……笑えるな。羽虫よ」
 究極の完成度を誇る人間の剣士。
 彼を相手に不覚を取り……挙句やり返せない。
 そんな屈辱を受けておきながら、しかしベルゼバブは嗤った。
「人間の振る舞いか? それが」
「――――」
 縁壱は答えない。
 肯定する義理はなく。
 今更否定するつもりもなかった。
 交差する二つの不死殺し。
 赫刀とケイオスマター。
 それが衝突し、世界を震わせたその時。
 何百回目かの震撼の瞬間に――ベルゼバブが顔を歪めた。


461 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:31:33 7MZEcIw60
“ランサー。退くぞ”
“世迷言を。余を負け犬にするつもりか?”
“貴様が光月おでんのサーヴァントに不覚を取ったことは既に把握している”
 突如響いた念話に青筋が浮かぶ。
 ベルゼバブにとって縁壱は既に殺す以外にない相手だった。
 だからこそケイオスマターを抜いたのだ。
 にも関わらず大和は退くと言う。
 これで黙って従うほど、彼のプライドは安くない。
“想像出来るぞ。貴様は貴様で野良犬に手を噛まれたのだろう。だから臆病風に吹かれたというわけか”
“このまま続ければ横槍も入るだろう。それは今の我々にとって芳しくない事態だ”
“覇道を志す者の言葉にしてはずいぶんと弱気だな。寄せ来る敵など全て殺し尽くしてしまえばよかろう”
“それを先刻の青龍に対してやってくれていれば、私の胃痛の種も減ったのだがな”
 仮にも主従という間柄であるとは思えない会話。
 互いに考えを曲げるつもりなど毛頭ないため、必然その行く末は強硬策になる。
“もう一度言うぞ。退け、ランサー”
 ベルゼバブの強さは大和も知っている。
 彼ならば本当に横槍を入れてきた野次馬どもも薙ぎ払えるだろう。
 しかしその結果、目前の強敵に首を取られる可能性はある。
 そのことは彼が既に一撃不覚を貰っていることからも明らかだった。
“こんなところで令呪を使いたくはない。私にリードを引かせるな、ベルゼバブ”
“……貴様。それを余が許すと思うか?”
“御託はいい、今は私の采配に従え。消えぬ屈辱をもう一つ追加で味わいたくなければな”
 浮かぶ青筋が一つ増える。
 だがベルゼバブは結局、主の采配に従うことを選んだ。
 煮えくり返る腸の処理は大和に贖わせる。
 そして……
「邪魔が入った。此度の勝敗は預ける」
 ケイオスマターを消し。
 ベルゼバブは苛立ちを露わに踵を返す。 
 縁壱は主がそうしたのと同じく、そこへ斬りかかろうとはしなかった。
「と、言いたいところだが。あえて貴様に与えてやろう」
 ベルゼバブは一度だけ足を止めてそう言った。
「此度は貴様の勝ちだ。しかし次は、余が貴様の全てを踏み躙る」
 敗北することは屈辱だ。
 しかし慣れている。
 ベルゼバブは絶対無敵の常勝者ではない。
 彼の生涯には現に消えない敗北の記憶が残り続けている。
 だが――次はない。敗北を敗北のままにはしない。
 それもまた、ベルゼバブだ。
 天司長を墜とした男の不撓不屈の殺意なのだ。
「覚えておけよ、侍」
「分かった。覚えておくぞ、悪鬼」


462 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:33:10 dzPsg0KE0
 ……斯くして二つの戦端は閉じる。
 最強と最強の決戦にはまたしても決着がつかず。
 その行方は未来へと委ねられた。
 動乱の東京にて聖杯戦争は続く。
 数多の因縁を渦のように逆巻かせて、地平線の彼方が見えるその日まで。

【新宿区・郊外/一日目・夜】

【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:宝具・漆黒の棘翅によって作られた武器(現在判明している武器はフェイトレス(長剣)と、ロンゴミニアド(槍)です)
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具
[所持金]:超莫大
[思考・状況]
基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:ひとまず休息を取る。ベルゼバブとの情報共有もしておきたい。
1:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
2:グラスチルドレンと交戦しており、その際に輝村照のアジトの一つを捕捉しています。また、この際に、ライダー(シャーロット・リンリン)の能力の一端にアタリを付けています
3:峰津院財閥に何らかの形でアクションを起こしている存在を認知しています。現状彼らに対する殺意は極めて高いです
4:東京都内に自らの魔術能力を利用した霊的陣地をいくつか所有しています。数、場所については後続の書き手様にお任せします。現在判明している場所は、中央区・築地本願寺です
5:白瀨咲耶、神戸あさひと不審者(プリミホッシー)については後回し。炎上の裏に隠れている人物を優先する。
6:所有する霊地の一つ、新宿御苑の霊地としての機能を破却させました。また、当該霊地内で戦った為か、魔力消費がありません。
7:リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)に同盟を持ちかけました。返答の期限は、今日の0:00までです。
8:光月おでんは次に見えれば必ず殺す。
【備考】
※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。

【ランサー(ベルゼバブ)@グランブルーファンタジ-】
[状態]:極めて不機嫌、疲労(中)、胴体に袈裟の刀傷(再生には時間がかかります)
[装備]:ケイオスマター、バース・オブ・ニューキング
[道具]:タブレット(5台)、スナック菓子付録のレアカード
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:最強になる
0:いい加減にしろよ羽虫(大和)。合流次第詰める。
1:現代の文化に興味を示しています。今はプロテインとエナジードリンクが好きです。また、東京の景色やリムジンにも興味津々です。
2:狡知を弄する者は殺す。
3:青龍(カイドウ)は確実に殺す。次出会えば絶対に殺す。
4:あのアーチャー(シュヴィ・ドーラ)……『月』の関係者か?
5;セイバー(継国縁壱)との決着は必ずつける。
【備考】
※峰津院大和のプライベート用のタブレットを奪いました。
※複数のタブレットで情報収集を行っています。
※大和から送られた、霊地の魔力全てを譲渡された為か、戦闘による魔力消費が帳消しになり、戦闘で失った以上の魔力をチャージしています。


463 : 明日の神話 ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:33:24 dzPsg0KE0
【光月おでん@ONE PIECE】
[状態]:全身にダメージ(中)、右肩に刀傷(行動及び戦闘に支障なし)、疲労(中)
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:二刀『天羽々斬』『閻魔』(いずれも布で包んで隠している)
[所持金]:数万円程度(手伝いや日雇いを繰り返してそれなりに稼いでいる)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯―――その全貌、見極めさせてもらう。
0:新宿に向かって人々を助けたい。
1:他の主従と接触し、その在り方を確かめたい。戦う意思を持つ相手ならば応じる。
2:界聖杯へと辿り着く術を探す。が――
3:カイドウを討つ。それがおれの現界の意味と確信した。
4:ヤマトの世界は認められない。次に会ったら決着を着ける
5:何なんだあのセイバー(武蔵)! とんでもねェ女だな!!
6:あの変態野郎(クロサワ)は今度会った時にぶちのめしてやる!
7:あさひ坊のことが心配。頃合を見て戻りたい
[備考]
※古手梨花&セイバー(宮本武蔵)の主従から、ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の計画について軽く聞きました。
※「青い龍の目撃情報」からカイドウの存在を直感しました。
※アヴェンジャー(デッドプール)の電話番号を知りました。
※廃屋に神戸あさひに向けた書き置きを残してきました。

【セイバー(継国縁壱)@鬼滅の刃】
[状態]:疲労(中)、全身各所に切り傷や擦過傷(いずれも小程度)
[装備]:日輪刀
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:為すべきことを為す。
1:光月おでんに従う。
2:他の主従と対峙し、その在り方を見極める。
3:もしもこの直感が錯覚でないのなら。その時は。
4:凄腕の女剣士(宮本武蔵)とも、いずれ相見えるかもしれない。
[備考]
※鬼、ひいては鬼舞辻無惨の存在を微弱ながら感じています。
気配を辿るようなことは出来ません。現状、単なる直感です。


464 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/28(日) 03:34:34 pEw2OrfI0
投下終了です


465 : ◆HOMU.DM5Ns :2021/11/28(日) 20:01:45 srGxCeZM0
申し訳ありません、予約を破棄します


466 : ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/28(日) 20:03:25 mCYoHdFE0
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
予約します。


467 : ◆KV7BL7iLes :2021/11/28(日) 23:48:56 6EzoThZQ0
幽谷霧子&セイバー(黒死牟)
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)
NPC・アイ、ミズキ、ハクジャ
予約します


468 : ◆EjiuDHH6qo :2021/11/29(月) 00:55:46 tlfxwyNY0
ガムテ&ライダー、プロデューサー&ランサー、北条沙都子&アルターエゴ・リンボ、神戸あさひ&アヴェンジャー予約します


469 : ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:39:13 jEsWTb/w0
投下します。


470 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:40:24 jEsWTb/w0

 何もできなかった。
 助けられなかった。
 とっくに諦めてしまった。
 最初からわかっていたのに、現実から目を背けて。
 何がしたいのかわからないまま、一方的に命を奪い続けて。
 なりたいわたしにも、憧れのわたしにもなれず……たくさんの犠牲を許しちゃった。
 こんなわたしが、キュアスターでも星奈ひかるでもあるはずがない。
 わたしは、いったい何なんだろう。そんな疑問だけが、わたしの中を満たしていた。

『あ、が――ぃ、ぎ……! は、ぁ……あ、あぁぁぁあああ゛あ゛あ゛………ッ!?』

 八宮めぐるさんの悲鳴が、頭の中でリピートされる。
 腕が壊れて、全身からたくさんの血を流しながらも、彼女は真乃さんのために戦っていた。
 苦しんでいためぐるさんの命を……わたしはこの手で奪ったよ。

『こ、の……人、殺……し…………!』

 血と罪で濡れたわたしを見た、風野灯織さんの言葉を忘れられない。
 その綺麗な体が壊れていくにも関わらず、めぐるさんの仇を取ろうとわたしに立ち向かったよ。
 灯織さんの願いと優しさを、わたしは容赦なくぶち壊した。
 言い訳はできないし、責任から逃げるつもりだってないよ。
 わたしが二人の心を踏みにじり、命を奪ったのは事実だし、やり直すことはできない。

『辛えよなぁ。嫌になっちまうよなぁ』

 どうしようもないわたしを助けてくれたのはライダーさん。
 鬼にされた人たちの命を奪ったライダーさんを責められない。
 あそこで駆けつけてくれなければ、わたしは命を奪われていた。
 ライダーさんの目は、わたしの辛さと悲しみを理解した目だったよ。
 でも、ライダーさんはすぐにいなくなっちゃう。星野アイさんの所に戻っていったんだね。
 わたしは命を助けられたけど、喜べないよ。
 ライダーさんと話すことはたくさんあったはずなのに、それ以前に……わたしは何の責任も果たせなかったから。
 助けられなかった苦しさがわたしの中に広がっていて。
 わかりあえなかった悲しみがわたしの心を傷つけていて。
 周りに広がり、わたしの体を容赦なく汚す赤い血のせいで、これからどうしたらいいのかわからなかった。


471 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:41:55 jEsWTb/w0

「……スターカラーペンと、ペンダント…………」

 震える手で、わたしは握りしめる。
 ララと出会った日に、わたしに与えられた大切な宝物。
 いつも手にしている宝物だけど、今のわたしには重くのしかかって、両手が震えちゃう。

(…………わたしに、何ができるの? 約束も、責任も……全部裏切り続けた、わたしなんかに…………)

 キュアスターの変身が解けちゃったのだって、わたしが真乃さんの願いを裏切ったからなんだ。
 ここにいるみんなの幸せと毎日を、わたしが奪ったんだ。
 約束を破ったから、その報いを受けなきゃいけない。

(…………ララと違って、わたしは本当に悪いことをしたのに……持っている資格があるのかな……)

 ペンを持って思い出すのは、遠い日の出来事。
 昔、ララが宇宙人だってことがクラスのみんなにバレそうになって、ララはひとりぼっちになった。
 でも、ララは何も悪さをしてないし、ララはララだから……わたしはずっとそばにいると約束したよ。
 今のわたしは違う。わたしに優しくしてくれた真乃さんから、灯織さんとめぐるさんを奪った。
 いいや、どれだけの命を奪ったのか、もうわからない。

『……ひかるちゃん』

 ふと、わたしの頭に声が響いてくる。
 突然のことに、わたしの意識が浮かび上がった。

『ありがとう。ずっと支えてくれて。
 この世界で、私の友達でいてくれて。
 優しいひかるちゃんがいたから、私は今まで笑顔でいられた』

 聞こえてくるのは、櫻木真乃さんの念話だよ。
 この世界に召喚されてから出会った、わたしの大切な人。
 相変わらず優しくて、こんなわたしのことを、今も気遣ってくれる声だよ。
 だからこそ、そこから聞こえる念話が、わたしにとって信じられなかった。


472 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:43:27 jEsWTb/w0
『だから……ごめんね』

 えっ、と声が漏れる。
 その真意を聞くことができないまま。

『私はもう、笑顔でいられないと思う』

 真乃さんの想いは、わたしの心に突き刺さった。
 ほんわかした暖かさはなく、まるでナイフのように鋭い。
 真乃さんがそんなことを言うなんてありえない……いや、灯織さんとめぐるさんを助けられなかったわたしのせいだ。

『……な、なんでですか?』

 ようやく届けたのは、強い疑問。
 真乃さんの言葉に納得できなかった。
 わたしにこんなことを言う資格がないのはわかっている。
 だって今のわたしはまぎれもない悪人だし、誰かに守られる資格だってない。
 例え、ララたちが優しく手を伸ばしてくれても、わたしは絶対に掴んじゃいけなかった。
 ……それでも、真乃さんを守る約束と責任だけは捨てたくない。
 真乃さんには笑顔でいてほしいから、わたしは戦えた。
 その真乃さんが、自分から笑顔を捨てようとしていることが、信じられない。

『ごめんね、ひかるちゃん……本当に、ごめんね……』
『あ、謝らないでください! 悪いのは、みんな、わたしなんです! わたしが、灯織さんとめぐるさんの二人を……!』
『違うよ』

 真乃さんの念話が、氷のように冷たくなっていく。
 まるで、真乃さんが真乃さんでなくなりそうで、わたしは息をのんだ。
 真乃さんが、笑顔でいられない?
 あんなに暖かくて、優しい真乃さんが笑えない?
 疑問が胸の中で爆発して、わたしは言葉が出ないよ。ここにいない真乃さんから、感情がどんどん消えていきそうな気がして。

『絶対に……許しちゃいけないの。
 酷いことをする人や、悲しいことを起こす人なんて、許しちゃいけないし……ひかるちゃんを、傷つけるなんて、ズルいから……
 だから、私は…………』
『そんなの……そんなの、ダメですッ!』

 その先を言わせないために。
 気が付いたら、わたしは立ち上がりながら念話を送っていた。
 真乃さんの声は本当に辛くて、悲しく聞こえる。
 灯織さんとめぐるさんがいなくなって、自分の心がコントロールできないんだ。


473 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:44:57 jEsWTb/w0
『……どうして?』
『真乃さんが……真乃さんが、危ないことをするなんて、ダメです! わたしが、イヤなんです!』

 わたしは必死に思いを叫ぶ。
 確かに、わたしだって悪いことをする人は許せないし、戦う責任がある。
 グラスチルドレンの子とわかりあえないと決めて、その命を奪ったことを忘れないよ。
 でも、真乃さんが危険なことをするのは違う。
 ううん、させたくない。
 もしも、真乃さんが危ないことをしそうになったら、わたしが止めなきゃいけないんだ!
 だってわたしは……真乃さんを守りたいから!

『真乃さん! 今から、わたしは真乃さんのところに戻りますから……待っていてくださいね!』
『……うん、待ってるから。ひかるちゃん』

 必死に念話を送るけど、真乃さんの返事はとても弱々しい。
 今にも壊れそうな声で場所も教えてくれた。

(そうだよ……わたしは、真乃さんと約束したんだ。ちゃんと、真乃さんの所に戻るって)

 わたしの名前を呼んだ真乃さんは、今もわたしを待っている。
 人の命を奪い続けて、許されない罪を背負ったわたしを責めなかった。
 わたしが足を止めている間、真乃さんはたったひとりで不安だったはず。
 だから、キュアスターに変身するための宝物も、わたしは絶対に捨てない。
 真乃さんと交わした約束を忘れちゃダメだよ。

「…………本当に、ごめんなさい」

 その前に、わたしにはやるべきことがあった。
 誰かの悪意に巻き込まれて、わたしに命を奪われてしまった人たちに目を向ける。
 わたしのせいで、酷い姿にされた命。
 謝ったって、許されるわけがない。
 自己満足でしかないのはわかっている。
 この世界で生きている命を、わたしは確かに奪い続けた。
 本当なら、帰りを待っている人たちにだって、ちゃんと謝る責任がわたしにはある。

「苦しかったですよね? 怖かったですよね? わたしが、何もできなかったせいで…………本当に、本当にごめんなさい」

 だけど、今は時間がない。
 この人たちから逃げて、その弔いだって誰かに押しつけちゃう。
 本当に無責任で、最低なわたしだ。


474 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:46:44 jEsWTb/w0

「…………でも、わたしは行かないといけないんです。
 わたしを待っている人が、いますから。
 全部、全部終わるまで……待っていてください。
 その時まで、ごめんなさい…………」

 上手く言葉にできないまま、わたしはこの場から去っていく。

(咲耶さん……それに、摩美々さんのアサシンさん……ごめんなさい、わたしはお二人の優しさを裏切るかもしれません。
 わたしは、真乃さんを守り抜いたら……ちゃんと、悪いことをした罰を受けます)

 地球に限らず、宇宙に広がるどの惑星でも当たり前のことだよ。
 この界聖杯でも同じで、みんなの命を奪い続けた罰をわたしは受けるべき。
 アサシンさんが知ったら、絶対に止めようとするけど、わたしに優しさを受ける資格なんてない。
 ただ、わたしのワガママが許されるなら、真乃さんを守り抜いてからにしたい。
 わたしと違って真乃さんは何の罪も背負っていないし、背負わせちゃいけないから。
 真乃さんのためにも、わたしは足を必死に動かしていた。

『今回は、散歩ついでの“手助け(スケダチ)”だ。
 “特例(サービス)”……って奴だぜ?
 ま、そういう訳だ―――』

 わたしの頭に過ぎるのはライダーさんの言葉。
 きっと、ライダーさんは大きな壁にぶつかって、心が折れちゃった人なんだ。
 キラやば〜な夢や想いがあったのに、叶えられなかったことに苦しんでいた。
 やっぱり、ライダーさんは立派な大人だと思う。わたしの代わりに戦って、そして守ってくれたから。
 もちろん、次に会えばどうなるかわからない。戦う時が来たら、ライダーさんが相手でも全力を出すって決めたから。


475 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:47:50 jEsWTb/w0
『―――じゃあな、嬢ちゃん。元気でな』

 だけど、ライダーさんがわたしを助けてくれたのは、本当のことだよ。
 あの人と違って、約束を破ったわたしが、真乃さんを助けられる自信はまだない。
 でも、このまま何もしなかったら、ライダーさんの気持ちだって裏切るような気がして。
 それも、どうしてもイヤだった。

「ありがとうございます、ライダーさん」

 あの人に届かないことはわかっても、わたしはお礼を言うよ。
 ライダーさんがわたしを守ったように、わたしも真乃さんを守ってみせる。
 これが、わたしなりの誠意だから。
 スターカラーペンとペンダントを手に取って、わたしは魔法の言葉を叫んだ。

「スターカラーペンダント……カラーチャージッ!」

 心と体の疲れを無視して、必死に力を振りしぼりながら、わたしはキュアスターに変身する。
 力を貸してくれたことに安心せず、前を進んだ。
 コスチュームに血は残っているけど、今は関係ない。
 わたしの罪とも呼べるにおいに、顔をしかめながらも走る。
 まだこの足は動く。
 わたしは走ることができる。
 怖くてたまらないけど、真乃さんがわたしのことを待っているから。
 街灯は壊れて、東京なのに光がほとんどなくて、周りはとても暗い。
 ガレキで転ぶかもしれないけど、気にしていられないよ。

「真乃さん……真乃さん……真乃さん……ッ!」

 ただ、わたしは名前を呼んでいた。
 わたしの大切な人……真乃さんの名前を呼びながら、地面を強く踏みしめる。
 運動会のリレーやマラソン大会みたいに、わたしは全力で走るよ。
 だって、真乃さんはひとりで待っているから、わたしは足を止めちゃダメ。
 罪悪感で全身が痛むけど、わたしは真乃さんに会わなきゃいけない。
 わたしは、真乃さんの所に進むしかないんだ。


476 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:49:40 jEsWTb/w0





 私は彼女のことを大切に想っています。
 この聖杯戦争に巻き込まれてから、星奈ひかるちゃんという女の子はいつだって私の隣にいてくれました。
 283プロのアイドル……櫻木真乃でしかない私のことを、いつだって優しく励ましています。

『真乃さん! 勉強でわからないことがあったら、いつでも相談してくださいね!』
『ほわっ……ひかるちゃん、こんなに難しい問題も解けるんだね!』
『えっへん! わたしは宇宙飛行士になるため、いっぱいお勉強をしましたから!』

 予選期間中のある日、ひかるちゃんと一緒にお勉強をしたこともあります。
 聖杯戦争の最中でも、ちゃんと勉強を忘れてはいけません。そんな時、ひかるちゃんから教えてもらうこともあります。
 彼女の夢は宇宙飛行士でしたから、その実現のために努力したのでしょう。
 胸を張るひかるちゃんがとても元気で可愛かったです。

『あっ、真乃さん! 流れ星が見えましたよ! キラやば〜!』
『本当だ! ひかるちゃん、一緒にお願い事をしようか!』
『はい! えっと……真乃さんと一緒に聖杯戦争を止めて、みんなで元の世界に帰れますように!』
『ふふっ……それじゃあ、私のお願い事は……ひかるちゃんと一緒に、頑張れますように……!』

 一緒に夜空の天体観測をした日もありました。
 いつも、ひかるちゃんは私よりも先に流れ星を見つけちゃいますよ。
 オリジナルの星座をノートにいっぱい描くくらい、彼女は宇宙と星座が大好きです。

『ひかるちゃん、それは何の星座なの?』
『真乃さんの星座ですよ! その名も真乃さん座です!』
『そっか……ひかるちゃんのおかげで、宇宙に私の星座ができたんだね!』

 前に星座ノートを見せてもらったこともありましたが……とてもキュートな星座でいっぱいでした。
 私の星座を見せてくれた時、胸がキラキラしましたよ。
 夜空を見ながら、ノートにオリジナルの星座を描くひかるちゃんは可愛いです。

『できたよ、ひかるちゃん!』
『すごいです! 真乃さんのおかげで、髪がまとまりました!』
『ひかるちゃんの髪は、とてもきれいだからね! 私も、ちゃんとセットしたいんだ!』
『じゃあ、これからも真乃さんにお願いしていいですか?』
『もちろんだよ!』

 毎日のように、私はひかるちゃんの髪をセットしてます。
 ふんわりした髪は、さわるだけで心が落ち着いて、私は自然と笑顔になります。
 おなじみのツインテールはもちろん、ポニーテールや三つ編みを結ってあげましたし、ハーフアップにした日もありますよ。
 鏡の前でヘアメイクをしてあげる時、私とひかるちゃんは一緒にワクワクしてます。


477 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:50:29 jEsWTb/w0

『ピーちゃん! この子は、星奈ひかるちゃんだよ! 私の新しいお友達なんだ!』
『初めまして、ピーちゃん! わたしは星奈ひかるです! ぽっぽるぅ〜!』
『ひかるちゃん、鳩さんの言葉が上手だね! ピーちゃんも喜んでいるよ!』
『はい! キラやば〜! って、挨拶をしましたからね!』

 私の家にいるピーちゃんに、ひかるちゃんを紹介しましたよ。
 この世界で生きるピーちゃんもNPCかもしれませんが、大切なピーちゃんであることに変わりません。
 ひかるちゃんとピーちゃんはすぐに仲良くなって、わたしの心はぽかぽかしました。

『はやるココロ〜!』
『じらさないで!』
『『輝きのたもとへ、走りだそうよーーーーヒカリのdestination!』』

 二人でカラオケに行って、熱唱した日もあります。
 私とひかるちゃんだけの特別ステージで、お互いに気持ちを合わせて歌いました。
 ひかるちゃんは歌もとても上手で、私の心をワクワクさせてくれます。
 もしも、ひかるちゃんがアイドルだったら、一緒に高めあっていたかもしれません。

『ひかるちゃん! いつも一緒にいてくれるから、私からおこづかいをあげるよ!』
『やったー! 真乃さん、ありがとうございます〜!』
『どういたしまして。ひかるちゃん、大事に使ってね!』
『はい! わたしと真乃さんのお約束ですね!』

 本戦が始まるちょっと前に、私はひかるちゃんにおこづかいをあげました。
 3000円で大丈夫かな? と、悩みましたが、ひかるちゃんは喜んでくれました。
 ぴょんぴょんと、ウサギさんみたいにジャンプしてて可愛かったですし、目をキラキラと輝かせています。

「………………」

 ひかるちゃんと念話をするたびに、聖杯戦争の本戦が始まるまでの日々を思い出しています。
 彼女の笑顔に、私はたくさんの元気をもらえました。
 もしも、私に妹がいたら……こんな元気で楽しい毎日を過ごしていたのでしょうか?
 私は理想のお姉ちゃんになれるよう、頑張ったかもしれません。
 風野灯織ちゃんや八宮めぐるちゃんに紹介して、4人でどこかにおでかけもしたかったです。
 でも、私のささやかな願いはもう叶いません。


478 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:51:54 jEsWTb/w0
『真乃さん!』

 私の頭に声が聞こえました。
 ひかるちゃんが念話を送ってくれました。誰も通らず、しんと静まりかえった路地裏に、彼女の声がよく響きます。

『今から、わたしは真乃さんのところに戻りますから……待っていてくださいね!』

 ひかるちゃんの声で、新宿での騒ぎを止めてくれたことに気付きました。
 彼女だって辛いはずなのに、気丈に振る舞っています。
 変わり果ててしまった灯織ちゃんとめぐるちゃんを、ひかるちゃんはその手にかけてしまった。
 そんなこと、信じたくありませんでした。強くて優しいひかるちゃんが、灯織ちゃんとめぐるちゃんの命を奪うなんて、何かの間違いだと。
 でも、彼女は嘘をつく子じゃありませんし、たちの悪い冗談だって絶対に言いません。
 何よりも、グラスチルドレンと戦って、その命を奪ったことをちゃんと話してくれましたから…………

『……うん、待ってるから。ひかるちゃん』

 わたしは返事をして、ひかるちゃんに居場所を教えました。
 きっと、もうすぐ彼女が来てくれるでしょう。でも、どんな言葉をかけてあげればいいのか、まだわかりません。
 こんな私の笑顔をひかるちゃんは望んでいるのに、私はひかるちゃんの優しさを裏切ろうとしていますから。

「……灯織、ちゃん……めぐる、ちゃん……」

 ひかるちゃんと同じくらい、大切な2人の名前を呼びます。
 もちろん、2人から返事が来るわけがありません。だって、灯織ちゃんとめぐるちゃんはもう……
 そして、脳裏に浮かぶのは、恐ろしい姿になった灯織ちゃんとめぐるちゃん。
 ひかるちゃんですら、彼女たちを助けられなかったのでしょう。
 聖杯戦争は過酷で、白瀬咲耶さんも命を奪われましたから、力を尽くしても届かない願いがあります。
 だからこそ、咲耶さんの悲劇を繰り返さないって私たちは誓ったのに。

(…………どうして?)

 私の中に生まれてくるのは、真っ黒な疑問。

(咲耶さんと……それに、灯織ちゃんとめぐるちゃんが、何をしたって言うの?)

 とまどいと、胸の奥からわき上がってくる怒りと憎しみ。

(ひかるちゃんはあんなに優しいのに……どうして、傷つかないといけないの?)

 激しくなるのは、アイさんとの電話をきっかけに生まれた感情。
 咲耶さんが踏み台にならないといけなかった理由があるの?
 灯織ちゃんとめぐるちゃんがあんな酷い目にあわないといけない理由があるの?
 ひかるちゃんが重荷を背負って、悲しまなきゃいけない理由があるの?
 どうして、私から大切な人たちを奪っていくの?
 大切な人を失った瞬間、私の心がバラバラになったことを知らないのに?
 私だけじゃなく、摩美々ちゃんだって傷ついたはずなのに?


479 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:54:07 jEsWTb/w0
(グラスチルドレンや、灯織ちゃんとめぐるちゃんに酷いことをした人だけじゃない。
 アイさんだって……みんなを悲しませるつもりなんだ)

 星野アイさんは聖杯を狙っていることを、私は知っていました。
 その気持ちを変えるつもりはないでしょうし、これからも聖杯を求めて戦うでしょう。
 アイさんを放置していたら、いつか摩美々ちゃんも狙われます。

(そんなの……許せるはずがありません。アイさんは聖杯を狙うでしょうが、認めませんよ)

 心の中で炎が激しく燃え上がります。
 私が咲耶さんを失った悲しみを知っているはずなのに、摩美々ちゃんの命を奪おうとするなんて酷いです。
 アイさんは私の命だって狙うでしょうが、私にも考えがあります。

(…………ひかるちゃんは本当はとっても強いサーヴァントだから…………私がその気になれば、ひかるちゃんは誰にも負けないよ)

 ひかるちゃんは宇宙すべてを救ったほどのサーヴァントです。
 私が令呪を使って、ひかるちゃんを戦わせればアイさんとライダーさんは敵じゃありません。

(みんな、知らないんだ。ひかるちゃんが本気を出せばすごいことができるって……なら、ちょうどいいや。
 令呪さえ、使えば…………)

 ひかるちゃんの可能性は無限大です。
 すべての令呪を使って、宝具だって展開させれば……ビッグ・マムだけじゃなく、新宿を破壊したマスターとサーヴァントたちも仕留められるでしょう。
 もちろん、灯織ちゃんとめぐるちゃんに酷いことをした人も敵じゃありません。
 その気になれば、こんな戦争を仕掛けた界聖杯すらも破壊できるはず。
 ひかるちゃんだって、私の言葉ならなんでも…………!

『真乃さん……もうすぐ着きますから!』

 念話が聞こえて、我に返ります。
 えっ……?
 私は今、何を考えていたのですか?
 まるで、冷たい雨水に打たれたように、心と体にショックが走ります。
 ドクドクと響く心臓の音に、全身が真っ青になりました。
 今までひかるちゃんはずっと私の隣にいて、守ってくれたのに。
 聖杯戦争に巻き込まれてから、ひかるちゃんの素敵な笑顔をいっぱい見たのに。
 私の代わりに、グラス・チルドレンと戦って、神戸あさひくんを助けてくれたはずなのに。
 さっきだって、バスに乗っていた人たちを助けようと、ひかるちゃんは頑張っていたのに。
 何よりも、私と一緒に聖杯戦争を止めると、約束してくれたひかるちゃんに……
 ……大切なひかるちゃんに、酷いことをしようと考えていた?
 ひかるちゃんが私のことを心配してくれている間、私は何をしていたのか?
 私は、声をかけてくれたひかるちゃんを……復讐の道具として、考えていた?


480 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:55:38 jEsWTb/w0
「あ……あ、あぁ……!」

 ドロドロとした熱い気持ちを自覚したまま、体の奥から震えます。
 夜よりもどす黒い、暗闇の中に引きずりこまれそうで、とても怖いです。
 瞳がにじんで、涙がほおにこぼれますが、今の私にぬぐうことはできません。
 自分の弱さと情けなさ、そしてひかるちゃんを道具として見ていたことに気付いて……呼吸も荒くなります。
 地上にいるのに、まるで水の中でおぼれたような息苦しさを感じて、何かにすがろうとキョロキョロしました。

「…………あぁっ……!?」

 私の口から声がもれました。
 だって、手のひらに刻まれている令呪が、目に飛び込みましたから。
 私たちを繋いでくれる絆の証であり、ひかるちゃんの存在を感じられる印。
 マスターとして令呪に願いをこめれば、サーヴァントのひかるちゃんは何でもするでしょう。
 ……でも、その令呪で、ひかるちゃんを操り人形にしようと私は考えちゃいました。
 あんなに優しいひかるちゃんの気持ちを踏みにじって、戦わせようとしていた。
 もしも、令呪でひかるちゃんの心とイマジネーションを壊したら……そこにいるのは、私の大切なひかるちゃんじゃない。
 マスターという立場を悪用して、サーヴァントのひかるちゃんに戦いを押しつけようとしていた。
 強いからって、誰かから何かを奪う理由にならないと、わかっていたはずです。
 許せない人と戦うために、ひかるちゃんを壊すなんてあってはいけません。
 それは、私から大切なみんなを奪った人たちと、いったい何が違うのでしょう?

「ーーーー…………!」

 私の手に刻まれた令呪がおぞましく見えてしまい。
 もう、何を口にしているのか、私自身にすらわかりません。
 思考が働かなくて、ただ震えています。
 大切なみんなを奪った人たちは許せませんし、分かり合いたくもないです。
 アイさんとの同盟だってもう関係ありませんし、いつか戦う時が来るでしょう。
 この胸で燃える怒りと憎しみを、捨てるつもりはないです。
 だからって、ひかるちゃんの心をねじ曲げていい理由になりません。
 令呪で強引に戦わせたら、ひかるちゃんが悲しむことは……ちょっと考えればわかるのに。
 それはズルいことのはずです。
 摩美々ちゃんだったら、許さないって言ってくれるのに。
 なのに、私は…………
 ショックのあまりに、何も考えられなくなったその時。

「真乃さん!」

 誰かが私の名前を呼びながら、手首をつかんでくれました。

「落ち着いてください!」

 聞き覚えのある声に、わたしは振り向きます。
 ひかるちゃんです。
 キュアスターじゃない、星奈ひかるちゃんでした。
 でも、さっきとは打って変わって、いたましい姿になっていて。
 彼女の小さな体と、可愛らしい衣服は真っ赤に染まっていました。


481 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:56:54 jEsWTb/w0
「ひ、ひかる……ちゃん……?」

 生々しい赤い模様とイヤな臭い。ひかるちゃんが浴びてしまった大量の返り血に、わたしは思わず後ずさりました。
 手を振りほどこうとして、彼女の目のよどみに気付きます。
 灯織ちゃんとめぐるちゃん、そして恐ろしい姿にされた人たちの命を奪った……
 その重みに、ひかるちゃんは苦しんでいるのでしょう。

「あっ……ま、真乃さん…………」

 私の視線に気付いたのか、ひかるちゃんは手を離します。
 彼女の悲しそうな表情を前に、私は言葉を失いました。
 今、私は確かにひかるちゃんを拒絶した。
 ひかるちゃんには誰かの助けが必要で、私が支えてあげるべきだったのに。
 真っ赤な跡と、生ぬるい感触が手首に残りますが、それどころじゃありません。

「……ご、ごめんなさい……わたし、灯織さんとめぐるさんの、命を……奪って……それどころか、誰のことも、助けられなくて…………」

 ただ、ひかるちゃんに謝らせていました。
 震える声で、真っ赤になった目からは涙がいっぱいこぼれているのに。
 きっと、私に伝えることを、ひかるちゃんは怖がっていた。
 誰も助けてくれないまま、ひとりぼっちで戦わなきゃいけないことに泣いていた。
 ひかるちゃんだって、本当はみんなを助けたいと思っていたのに。

「めぐるさんを、怒らせて…………灯織さんからは…………!
 ひ、ひと…………ひと…………ひと…………! うう、うぅ…………うえ…………」

 ひかるちゃんの嗚咽は止まりません。
 言葉がのどにつっかえているけど、伝えたいことはわかりました。
 私がいなくなった後、灯織ちゃんとめぐるちゃんは、ひかるちゃんに酷い言葉をぶつけたのでしょう。
 本当なら、私はあそこに残ってひかるちゃんを守らないといけなかったのに。
 ひかるちゃんは2人から傷つけられました。
 灯織ちゃんとめぐるちゃんは、そんな女の子じゃないとわかっています。
 でも、大切な友達が、他の大切な友達を悪く言うのは悲しいですし、誤解をといてあげるべきでした。
 優しさに甘えて、妹同然の女の子を泣かせている今がつらくて、私だって泣いちゃいます。
 誰にも頼れず、いじめを受けて泣いている子と、今のひかるちゃんは同じですから。

「ごっ、ごめん、なさい……真乃さん…………泣いちゃ、ダメなのに……泣き虫で、ごめんなさい…………
 体だって、こんなに…………うぅっ…………よ、よごれて…………」

 真っ赤になった両手で、ひかるちゃんは涙をぬぐいます。
 違うよ。
 謝ることなんてない。
 あなたは何も悪くないよ。
 ひかるちゃんは泣き虫なんかじゃない。
 むしろ、私こそひかるちゃんに謝らないといけないことがたくさんあるのに。
 でも、アイさんたちを許すことができない。
 いざとなったら、ひかるちゃんを戦わせようとしていた。
 たくさんの感情が頭の中をかき回して、私は言葉を出せません。
 ただ、ひかるちゃんの姿にいたたまれなくなって……


482 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:58:06 jEsWTb/w0
「…………ひかるちゃん…………」

 気がつくと、私はひかるちゃんの小さな体を抱きしめていました。
 震える背中をなでてあげる以外、私は何もできません。
 ひかるちゃんの傷ついた心もなでたいけど、私の手では無理です。
 せめて、少しでもひかるちゃんの心が癒されますように。そんな願いと共に、なでていました。

「……ま、真乃、さん……? だ、ダメですっ! 今の、わたしにさわったら…………!」
「いいの、気にしないで……私が、ひかるちゃんを抱きしめてあげたいの」

 ひかるちゃんから流れる涙とたくさんの血が、私の両手やジャケットにも染みつきます。
 でも、関係ありません。
 これは私にできるせめてもの償いです。
 小さく震えているひかるちゃんを守れるのは私だけ。
 だって今のひかるちゃんは…………泣いている一人の女の子ですから。

「ひかるちゃん……怖かったよね? 辛かったよね? 苦しかった、よね?」
「真乃さん…………!」

 とんとん、と……私はひかるちゃんの頭と背中を優しくなでました。
 すると、ひかるちゃんは思いっきり泣きました。
 彼女の気持ちを受け止めるため、わたしは両うでをまわして、ひかるちゃんを抱きしめます。
 やっぱり、ひかるちゃんの体は暖かいです。
 でも、私よりも小さくて細いことを、改めて実感しました。
 もしも、強く抱きしめたりしたら、このまま壊れちゃいそうで。
 こんな小さな体で、凶悪な敵と戦ってみんなを守り続けたことがすごいです。
 私の元に戻るまでにも、荒れ果てた道をたった1人で走ったはず。
 転んだらケガじゃ済まないのに、ここに駆けつけてくれました。
 全身が血で汚されて、そのイヤなにおいにひかるちゃんは耐えてくれた。
 そんなひかるちゃんを抱きしめて、私は消えたくなります。
 ひかるちゃんは、ちゃんと帰ってきてくれた。
 待っている間、私はひかるちゃんを道具として見ていたのに。
 とってもひどいことをしようと考えていたのに。
 こんな私を心配して、ひかるちゃんはたった1人で走ってくれていた。
 ひかるちゃんの優しさを踏みにじろうとして、私は泣いちゃいますが、何とか声を抑えます。


483 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 19:59:22 jEsWTb/w0

「う、うあ…………あ……あ、あっ……!」

 私の涙を、ひかるちゃんに気付かれないよう、小さな頭を胸に押しつけました。
 彼女の温度が、ほんわかと伝わります。
 あぁ……ひかるちゃんは本当に優しくていい子です。
 私よりもずっと。

「いっぱい、泣いてもいいから…………ひかるちゃんは、泣いてもいいんだよ…………」

 私が言えるせめてものなぐさめ。
 虫がいい話とはわかっていますが、今はひかるちゃんのことだけを考えたいです。
 だって、ひかるちゃんはどこにも飛ぶことができません。
 本当なら、宇宙にまで届く力を持っているのに。
 ひかるちゃんの強さに、私は甘え続けました。
 私を守り続けてくれてうれしいですが、そのせいでひかるちゃんが酷い目にあわされるのはイヤです。
 今だって、ひかるちゃんから涙があふれていますから。
 もう誰かに笑顔や癒やしを届けられない、弱くてズルい私に、何ができるかわかりませんが。


 聖杯を求めて悪さをする人たちのせいで、こんなにも傷ついたひかるちゃんを支えたいです。





 真乃さんを見つけてから、どれだけの時間がたったのか。
 ただ、わたしと真乃さんは歩いていた。あてはないし、どうすればいいのかわからないけど。
 少しでも新宿から離れようとして、2人で誰もいないコインランドリーの前にたどり着く。
 しかも、コインシャワーまで付いているお店だよ。
 あれだけの地震があったのに、奇跡的にも被害は少なくて、お店として利用できた。
 もしかして、災害対策がしてあるお店かな。


484 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 20:00:23 jEsWTb/w0
「ねえ、ひかるちゃん……コインシャワーを、使おう?」
「えっ? で、でも……」
「私が見張っているから、大丈夫だよ。女の子だから、体を大事にしないと……洋服だって、私が洗濯してあげるから」

 真乃さんの提案を、わたしは断れなかった。
 確かに、今のわたしの全身は血で汚れていて、とても人前に出られない。
 いつまでも霊体化はできないし、何よりもわたし自身が体を洗いたいのは確かだよ。
 幸いにも、お店の中には誰もいないからね。

「……わかりました。何かあったら、すぐに呼んでくださいね」

 そうして、わたしは手元にスターカラーペンとペンダントを用意しながら、コインシャワーの個室に入る。
 でも、鏡に映ったわたし自身に、わたしは何も言えなくなる。
 真っ赤になった目と、髪や全身に飛び散った大量の血を見て……胸が痛んだ。
 あぁ……わたしは、どれだけの命を奪ったのだろうって。
 それでも、真乃さんを心配させたくないから、シャワーで体を洗い流す。排水溝に流れる血が、まるでSFホラー映画のワンシーンみたいだった。

(誰かの命だった血が、こんなにも簡単に流れちゃうなんて……)

 シャワーで体が温まっても、わたしの心はちっとも落ち着かない。
 シャンプーやボディソープの香りも、血の匂いを忘れさせてくれない。
 これ以上、わたしから流れていく血を見るのが辛すぎて、シャワーのお湯を止める。
 真乃さんが用意してくれたタオルで体を拭いても、血の感触は消えない。
 ここに来るまで、真乃さんがお店で買ってくれたのに、わたしの罪を染みこませちゃう。
 どこまで、真乃さんのものを汚しちゃうのだろうと、わたしは不安になった。

「……真乃さん…………」
「おかえりなさい、ひかるちゃん……」

 洗濯機の音にかき消されそうなほど、わたしと真乃さんの声は小さい。
 当然、わたしたちは笑えていないよ。
 真乃さんが買ってくれたワンピースを着ても、ちっともワクワクしなかった。
 2人で選んだお気に入りの洋服なのに、わたしの心は動かない。

「家には私が連絡したよ……今日は地震の影響で帰れないから、どこか泊まれるところを探すって。
 この分だと、明日のライブだって中止になると思うから……」

 元々、わたしたちは真乃さんの家に帰る途中だった。
 だけど、新宿の災害のせいで交通機関の大半がマヒして、乗り物は使えそうにない。
 この聖杯戦争では、真乃さんの家は文京区に用意されているけど、とても帰宅できなかった。
 キュアスターに変身して、真乃さんを家まで送り届ける方法もある。でも、疲れ切った真乃さんを抱えたまま、長距離を走るのはダメ。
 真乃さんが休める場所を見つけるしかなかった。


485 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 20:01:27 jEsWTb/w0
「ひかるちゃん、座ろう?」

 備え付けられた椅子に、真乃さんはわたしを座らせてくれた。
 今、わたしは実体化をしている。
 狙われるリスクが高くなるけど、真乃さんの見える所にいたかった。
 だって、もしもわたしが霊体化をしたら、真乃さんがひとりぼっちになりそうな気がしたから……

「髪、セットしてあげるね……」

 いつの間にか、真乃さんはお店に用意されたドライヤーで、わたしの髪を乾かしてくれる。
 髪留めとカチューシャを外して、肩にまで届いたわたしの髪を、真乃さんは丁寧にほぐしていた。
 一本一本、髪の毛をドライヤーで暖めながら、くしでとかしてくれる。
 アイドルとして、髪にも気をくばっていた真乃さんだからこそ、おしゃれを意識したドライヤーの使い方を知ってるよ。
 聖杯戦争が始まるまでの一ヶ月、真乃さんはわたしに何度ヘアメイクをしてくれたのか。
 でも、鏡の前にいるわたしたちは……やっぱり、笑顔じゃない。
 いつもなら、2人ではしゃいでいたのにな。

「ひかるちゃん、ごめんなさい……」

 髪をセットしている最中、いきなり真乃さんにあやまらせてしまう。
 悲しい声に、わたしの瞳から涙が浮かんだ。

「……どうして、真乃さんがあやまるのですか? 真乃さんは、何も悪いことを……してませんよね?」

 誰が悪いかと言われたら、わたしだよ。
 約束を裏切って、真乃さんを心から悲しませたから。
 今だって落ち込んでいて、笑顔を見せてくれない。

「灯織さんと、めぐるさんのことを…………助けられなくて、本当にごめんなさい…………」

 わたしは涙をこらえることができないよ。
 真乃さんを心配させたくなくて、下を向きながら両手で涙をぬぐうけど、とまらない。
 信頼を裏切ったことが申し訳ないし、本当だったら合わせる顔だってないよ。
 真乃さんから買ってもらった変装セットだって、台無しにしちゃった。
 さっきだって、わたしを抱きしめたせいで、真乃さんのジャケットを汚しちゃったのに。
 道路で鬼にされた人たちだって、誰1人も助けられなかった。
 責任を取ると言いながら、わたしは何もできていない。

「何も、できなくて……何も、頑張れなくて……真乃さんを、裏切り続けて…………!」

 いつか、真乃さんともわかりあえなくなりそうで。
 どんどん、わたし自身が……わたしのことをきらいになりそう。
 当然、真乃さんから逃げるなんて許されないし、ちゃんとわたしの口から話すって決めたのに。
 だけど、涙をがまんできない。
 真乃さんの顔を見た瞬間、頭の中がぐちゃぐちゃになって……決意したはずなのに、泣いちゃった。


486 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 20:02:20 jEsWTb/w0
「…………違うよ」

 髪をセットしている真乃さんは、わたしを悲しそうな目で見つめている。
 でも、すぐにわたしの頭を優しくなでてくれた。
 まるで小動物に触れるような、丁寧な手つきが暖かいよ。

「ひかるちゃんは、私を裏切ってなんかないよ?」

 はっきりとした口調で、真乃さんは言ってくれる。
 その手と、言葉が本当に暖かくて、わたしの中から気持ちと一緒にあふれでてくる涙が止まらなかった。

「……むしろ、私こそ……最低なマスターだよ。ひかるちゃんに、ひどいことをしようと考えていたから……」

 そう口にしながらも、真乃さんはなでてくれる。
 そっと振り向いてみると。

「……私ね、令呪で……ひかるちゃんを戦わせようとしていたから……こんな私なんか、ひどいよね……?」

 つぶやきと共に、わたしの髪をセットする真乃さんの手が止まっちゃった。

「……令呪で戦わせることがひどいって……どうしてですか?」

 真乃さんを傷つけないよう、わたしはゆっくりと聞くよ。
 いざとなったら、真乃さんが令呪を使う状況は必ず来るし、わたしだってサーヴァントだからどんな願いでも叶えてみせる。
 だから、真乃さんがこんな話をした理由がわからない。

「…………それは、ね…………さっきも言ったように、許せないって、思ったんだ…………」

 ためらいながらも、真乃さんは言葉にした。
 まるで怖がっているように、体が震えている。
 この聖杯戦争や凶悪な主従ではなく、もっと別の何かに不安を抱いていた。
 真乃さんの心の奥底に、重くて大きな何かがのしかかっている。
 数秒ほど、沈黙が続いた後……真乃さんは口を開いてくれた。

「聖杯を狙うために、みんなを傷つける人たちを……許せないって……」
「そ、それは……わたしだって同じですよ! いくら願いがあるからって、優しい誰かを傷つけるなんて……!」
「……そのために、私は……ひかるちゃんを復讐に利用しようと考えたの…………」

 そう、口にした真乃さんの瞳は、とても暗かった。
 疲れ果てて、すべてに絶望したように。深い深い、闇しか見えない。
 怒りと憎しみ、そして自分自身に対する失望が……真乃さんの瞳に広がっていて、わたしは驚いた。


487 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 20:03:18 jEsWTb/w0
「……令呪を使って、ひかるちゃんの心を奪ってでも……ズルくて悪い人たちと、戦わせようとしたの……
 そうしないと、摩美々ちゃんたちを守れそうにないって……思って……」
「ま、真乃さん…………」
「最低だよね、こんな私……だって、ひかるちゃんをモノみたいに扱おうとしたんだよ?
 酷いことをする人たちは、もう許したくないし、歩み寄りたくなんてない。
 ……でも、そのために……ひかるちゃんを、壊そうって考えちゃったんだ……!
 今だって、心のどこかで……ひかるちゃんの意志を無視してでも、復讐してやろうって、考えちゃうの……!
 ひかるちゃんを、支えたいって思うのに……ひかるちゃんを、道具みたいに、考えて…………!
 なのに、ひかるちゃんを休ませることで……私自身を、安心させようとして……ズルいよね……?」

 そう、真乃さんはうつむきながら、ドライヤーとくしを落としちゃう。
 真乃さんだって、どうにもできない心の叫びだ。
 いつもならこんな酷いことを考えないし、思いついても絶対に実行しない。
 だけど、大切な人を失い続けて、辛すぎるんだ。
 わたしの気持ちを知っているからこそ、真乃さんはよけいに悲しくなってる。

「だから、私はもう笑顔でいられないの……
 咲耶さんだけじゃない。灯織ちゃんとめぐるちゃんも、いなくなって…………
 ひかるちゃんに、ひどいことをしようって、考えたのに…………!
 どうやって、笑えばいいのか…………わからないよ…………!」
「…………無理に、笑わなくて、いいと思います」

 気が付くと、わたしの口からそんな言葉が出ていた。
 ほとんど直感だから、これが正しいなんて保証はどこにもない。

「……誰だって、辛いときが来たら、笑えませんよ。
 許せない人と出会ったら、許せないままでいいですし、心から怒ってもいいですよ。
 わたしだって、そうですから」

 ただ、わたしは真乃さんの心に寄り添いたかった。
 挫折の痛みを知ったライダーさんが、わたしを励ましてくれたように。
 あの人が届けてくれた想いは、わたしの背中を確かに押して、真乃さんの所まで走らせるパワーになったんだよ。

「たとえ、真乃さんの笑顔が見れなくなっても、わたしの気持ちは変わりません。わたしは、何があっても真乃さんの隣にいます。
 もちろん、真乃さんの苦しみだって、分けてほしいです……」
「…………ひかるちゃんは、やっぱり優しいね。
 でも、私は笑えないし、そうなったらアイドルでもいられない……輝くことも、できない…………」
「アイドルじゃないとか、輝いていないとか……何も関係ありません! 真乃さんは、真乃さんですから!」

 椅子から立ち上がって、わたしは声を出すよ。
 今にも折れそうな心と体で、それでも必死に力をふりしぼって。
 真乃さんがアイドルでいられないなら、それでもいい。
 輝きたくないなら、わたしはその意思を尊重する。
 でも、それで真乃さんをきらいになるなんて、絶対にありえないから。


488 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 20:05:01 jEsWTb/w0
「……これから本当に、許せなかったり、どうしても危険な相手と出会ったら……令呪を遠慮なく使ってください」
「……なにを、言っているの? それは、ひかるちゃんを……」
「そうしないと誰かを守れないって、真乃さんが思うほどの相手なら……わたしも全力で戦いますよ」

 令呪を使おうとしたことに、真乃さんは苦しんでいたよ。
 そんな真乃さんが令呪を使うなら、よっぽどの状況になる。
 他にどうにもできなかったら、わたしは真乃さんの令呪を受け入れるよ。
 令呪を使った結果、わたしが誰かの命を奪っても、それは真乃さんの罪じゃない。
 もちろん、相手の命を奪わなければそれに越したことはないよ。
 ただ、誰かの命を奪う痛みや重圧を、真乃さんに背負わせたくない。
 真乃さんと出会ったあの日から、わたしはずっとそう誓った。
 もしも、真乃さんが1人でも誰かの命を奪ったりしたら、永遠に笑えなくなるから。
 それに…………鬼にされた人たちと戦った苦しみは、わたしだけが背負えば充分だよ。

「アイさんや、ライダーさんが……本気で、敵になっても?」

 真乃さんが口にしたのは、星野アイさんたちとの決別を意味する言葉。
 わたしの元にライダーさんが来てくれたように、真乃さんもアイさんと話をしたのかな。
 何を話したのかわからないけど、きっと同盟が決裂したんだ。
 あの時、ライダーさんが残してくれた言葉は、本当の意味のお別れだった。
 あれは最後の手助けであって、次に会えばわたしたちは敵同士になる。
 ライダーさんは口に出さなかったけど、そんな予感がした。

「……真乃さんが2人と戦うなら、わたしは力になります。
 アイさんたちが、真乃さんを傷つけるなら、わたしが真乃さんを守りますから」

 これも、わたしの本心だった。
 ライダーさんには感謝しているけど、わたしだって真乃さんを守りたいからね。

「……ひかるちゃんが、こんな私を守ってくれるのは、サーヴァントとしての責任だから?」
「…………それ以上に……真乃さんが大切だから。大切な人だから、守りたいんですよ。
 だから、真乃さんには危ないことを……してほしくありません。
 戦いだったら、わたしが引き受けますから…………」

 マスターとサーヴァントだからじゃない。
 たとえ、その繋がりがなくても、わたしは絶対に真乃さんを守ってた。
 優しくて暖かい人だから、真乃さんを守りたいって心から思うようになったんだよ。
 さっきだって、悪い人たちへの怒りと憎しみを抱えながらも、わたしを支えてくれたから。

(今のわたしに、何ができるかわからないけど……何があっても、真乃さんを守りたい)

 聖杯じゃなく、わたし自身の力で叶えたい願いが、わたしの中で生まれていた。
 本当に真乃さんを守り抜いて、優しい笑顔を取り戻せるのか……その方法は、少しずつ考えるしかないよ。
 こわくて、不安なことはたくさんあるけど、この気持ちだけはゆずれない。

「真乃さんは、ひとりじゃありませんよ」

 その気持ちを込めて、わたしは真乃さんの手を包むよ。
 まだ、真乃さんは笑えていない。
 夜空で輝く満天の星みたいな笑顔は、今のわたしたちには遠くなっている。
 それでも、わたしと真乃さんはつながっていた。
 わかりあえなくなってもおかしくないし、心が離れそうだけど、何度でも追いかければいいだけ。
 昔、大切な友達のララとケンカしても、わたしはまた手を取り合えたように。
 わたしは……真乃さんの笑顔と幸せをあきらめるつもりはないよ。


489 : 星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜 ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 20:06:10 jEsWTb/w0


【渋谷区のどこかにあるコインランドリー兼コインシャワー/一日目・夜】

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、精神的疲労(大)、深い悲しみと怒り、令呪に対する恐怖
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:???
1:悲しいことも、酷いことも、もう許したくない。
2:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
3:いざとなったら、令呪を使うときが……? でも、ひかるちゃんを……
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。
※文京区の自宅に帰ることは困難になったため、どこかの宿泊施設を探す予定です。


【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:疲労(小)、ワンピースを着ている、精神的疲労(極大)、魔力消費(小)、悲しみと小さな決意
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:洗濯中の私服(真乃のジャケットと共に洗濯中)、破損した変装セット
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:……何があっても、真乃さんを守りたい。
1:真乃さんに罪を背負わせたりしない。
2:もしも真乃さんが危険なことに手を出そうとしたら、わたしが止める。
3:ライダーさんには感謝しているけど、真乃さんを傷つけさせない。
4:真乃さんを守り抜いたら、わたしはちゃんと罰を受ける。


490 : ◆k7RtnnRnf2 :2021/11/30(火) 20:07:57 jEsWTb/w0
投下終了です。
>>470>>479が前編となり、>>480>>489が後編となります。


491 : ◆0pIloi6gg. :2021/11/30(火) 23:14:35 Fz1fyBzc0
>>星々の葬列
おえええええええええええええええええええ(鬱ゲロ)(地獄)(ワイプで腹抱えてる皮下と目玉飛び出してるクイーン)
あまりにも丁寧な精神破壊がお見事なんですが、何が凄まじいってひかるの側には何の落ち度もないことなんですよね。
彼女の能力では他者の治療は出来ず、かと言ってこのレベルの伝染病患者を病院に運べば余計に地獄が拡大する。
そして極めつけに始まる自壊と、徹底的に地獄の方に追いやられていくひかるちゃんがもう、ネ……
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)という主従に途轍もない挫折を突き付けた一話、お見事でした。

>>絶望と、踊れ/最後に残った、たった一つの偽物
状況を分かりやすくそれでいて驚きの切り口から整理し変形させていく手腕が凄まじい。
ビッグ・マムを相手にしても決死の覚悟で命を繋ぎ止めるプロデューサー、成程一般人としての限界値。
勝利に向かいながらも、でも「そんな事は、させない」の一言が出てくるのがこの男さ〜〜ってなっちゃうやつですね。
また個人的には猗窩座とリンボの戦闘シーンがとても好きでした。躍動感のある戦い運びが氏の文の良さ出てるなあって。
情景が脳裏に浮かぶ戦闘描写と言いますか、鬼滅勢も着々と戦い出してきたなと。あ、猗窩座殿は護符もらえてよかったね。(こなみ)

>>動点Pおよび境界線H上の接点Nとの距離を求めよ
アッシュの人格や辿ってきた道程を状況考察の道具として扱うテクニカルさに脱帽しました。
この御話、アシュレイ・ホライゾンっていうキャラクターへの理解が深くなければ絶対書けない一話だと思うんですよね。
プロデューサーの方針を見抜きウィリアムとの更に深いかかわりへ繋げていくのもお見事。
そしてにちかがアッシュに八つ当たりしてしまうところも個人的にかなり好きでしたね。
にちかの悪癖を誤魔化したり躱したりせずに受け止めて、向き合っていくの善い男すぎる……。

>>ベイビー・スターダスト
色々と言うべきことはあるんですけど、まずゾクガミの乱入シーンがあまりにも格好良すぎて。
忍極世界のパワーバランスだと聖華天ってグラチルとかに比べると二段ほど格が落ちる印象ですが、しかし演出がめちゃくちゃズルい。
どん底のひかるの前に現れて言葉を掛け、後始末をして去っていくのクールすぎる。
真乃とアイの通話もいい味出してるんですよね、アイも何だかんだで真乃に地金を出してしまいつつあるのがいい。
SSの要所要所で氏の演出力が眩く輝いていて、読んでいて幸福感の高いお話でした。(書いてあることは地獄なんですけど)

>>明日の神話
バトル! バトル! そんでバトル! なお話なのに全く飽きずにするする読めるところにスキルの高さを感じました。
カイドウ戦ですらそう大きな痛手は喰らわなかったバブさんが一太刀入れられる展開などもこちらの度肝を抜いてきてすごい。
そして大和VSおでん。大和の強さとおでんの強さを遺憾なく発揮しつつレスバに持ち込んでいく構成がまず好きですね。
その上でおでんが大和の理想を知った上で返す一喝の言葉がたまんないです。かっこいい。
新宿決戦が方々に様々な影響を及ぼしてますが、発端となった大和組もその例外ではないのだなあ。

>>星の涙〜だれかをたいせつにおもうこと〜
致命的な挫折と喪失を経て翳り始めた光、そこに優しく目を向けるお話だったと思います。
真乃は怒りと哀しみでぐしゃぐしゃになりながら、つい一線を超えた考えをしてしまう。
一方のひかるは彼女なりに心を打ちのめされながらも、それでも輝こうとする。
此処が人間と英霊の違いだなあと思いつつ、どれだけ汚れても健在な眩い思い出の描写がひたすら切ない。
これからどうなるんだろうなあこの子たち……もう一回光の中に返り咲けるのか、それともこのままなのか。


ウルトラ後回しにしていた感想を書きました! 皆さん投下ありがとうございました!!!

七草にちか&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
田中摩美々&アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン) 予約します。


492 : ◆zzpohGTsas :2021/11/30(火) 23:28:05 SimyTgNs0
峰津院大和&ランサー(ベルゼバブ)
予約します


493 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/03(金) 07:29:44 Q60S/t0U0
死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)
神戸しお&ライダー(デンジ)
星野アイ&ライダー(殺島飛露鬼)
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)

予約します


494 : ◆KV7BL7iLes :2021/12/03(金) 09:55:34 xuiKy1II0
予約を延長します


495 : ◆EjiuDHH6qo :2021/12/05(日) 17:20:50 tlppgOBY0
延長します


496 : ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:40:00 EBktk21w0
投下します


497 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:42:20 5I6e6DIU0
 神戸あさひとアヴェンジャーが廃屋に戻ってきた時、そこに光月おでん達の姿はなかった。
 しかしその理由はすぐに分かった。
 というより察しがついたと言った方が正しいかもしれない。
 新宿方面から響いてきた地鳴りと、違う区にいても聞き取れるほど大きな轟音。
 あさひでさえ瞬間的に悟ったほどなのだ。
 新宿で何か……とんでもないことが起きたのだと。
「……こんなことなら家にいればよかったな」
「だな。サムライどもめ、不器用キャラなんて今時流行んねーっての」
 あさひ達はその時外に出ていた。
 すっかりトレードマークと化してしまっているパーカーを脱いでバットを捨てて、その状態で買い出しに出てみることにしたのだ。
 もし意外とバレないようなら今後少しは安心と余裕を持って行動できる。
 バレてしまったのならその時はデッドプールが上手くやって、あさひを抱えるなり背負うなりして追手を撒く。
 あさひは最初反対したが、今後いつまでも廃屋に潜んでいるわけにもいかない。
 最終的にはあさひも納得しておっかなびっくり買い出しに出かけ……特に誰にもバレることなく目的を済ませて帰還することが出来た。
 そのことにあさひは心底安心したのだったが、結果としておでん達とはすれ違う形になってしまった。
「サムライどもの前では間違っても言えねえことだけどよ。あさひ、こいつは俺ちゃんにとっちゃそう悪くない展開だぜ」
「……っ」
 デッドプールがあさひにスマホの画面を見せる。
 それを介して新宿の現状を見たあさひは思わず息を呑んだ。
 あさひが思い出したのは数年前、自分がまだあの悪魔の巣で暮らしていた頃に起こった震災の映像だった。
 瓦礫の山がそこかしこに広がる凄惨な光景。
 自然災害かサーヴァントかの違いはあれど、画面越しに見る新宿の風景は見る影もない地獄絵図に姿を変えていた。
「民衆ってのはさ、バカなんだよ。めちゃくちゃバカ」
「これだけの被害が出てたら俺のことなんか忘れる……よな」
「少なくとも今までよりは格段に炎上の火力が弱まるだろうな。
 何処の化物が暴れたんだか知らねえが、ペニーズ・フロム・ヘブンってわけだ」
「……どういう意味だ?」
「棚からぼた餅ってことさ」
 あさひは決して悪人ではない。
 彼は人の痛みが分かる人間だ。
 だから新宿事変という降って湧いた幸運を諸手を挙げて喜ぶことは出来なかった。
 たとえそれが自分の願いの成就に近付く結果を生んでくれるのだとしても。
 見知らぬ誰かの不幸を足蹴にして喜ぶには、神戸あさひは優しすぎた。


498 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:43:52 9iEBfHf60
「ま、流石に今夜くらいは大人しくしといた方がいいだろうけどな。
 明日になったら多少身なりに気を遣えば……よっぽど熱心な奴ら以外は気付かないと思うぜ」
「そんな悠長なことをやってて勝てるのかな……俺は」
「……さっきはあんなこと言ったけどよ。それでも俺は、基本的にはお前の願望に添ってやりたいと思ってる」
 本心だ。誓って嘘じゃない。
 そしてあさひもそこを疑う気はなかった。
「本当にどうしようもなくならねえ限りは勝ちを追うさ。俺ちゃんに任せとけ」
「分かった。……頼りにしてるよ、アヴェンジャー」
「え? 悪いもっかい言ってくれ、スマホで録音するから」
「調子に乗るな。バカ」
 苦笑しながらもあさひはデッドプールに感謝していた。
 如何に覚悟を決めたと言っても、彼はまだ二十年も生きていない子供なのだ。
 町一つ…今回に限っては世界一つを敵に回したのも同じな四面楚歌に立たされて平静を保てるほど神戸あさひは強くない。
 彼の軽口や戯言がどれほど自分の助けになっていたか、状況が予期せず落ち着き始めた今だからこそ実感出来た。
「どうせ当分は潜伏タイムなんだ。今の内に寝ときな」
「…ああ、そうする。何かあったら起こしてくれ」
 とはいえそれにしたって疲れは既に限界点だ。
 どの道動けないのならその時間を仮眠に当てるのは、成程合理的な判断である。
 廃屋の埃まみれの床に寝そべることにも躊躇はない。
 汚いところで眠るのなんて元々日常茶飯事だったのだから。
“起きたら、今後のことも考えないとな……”
 いつまでも場に流されるままじゃいけない。
 何か、考えないと。そうじゃなくちゃ此処でも俺は何も得られない。
 そんなことを考えながら床へ寝転ぼうとした、まさにその時だった。


『ハァイ…昆布アイス☆ こんばんちわ〜〜!』
 そこで無粋な声が響いて、あさひの休息に待ったをかけた。
 眠気も一瞬で吹き飛んだ。名残惜しさなんてちっとも感じない。
 それ以上にこの青天の霹靂めいた異常事態への混乱が勝っていた。
「あさひ、下がりな」
 デッドプールはあさひよりも先に声の出どころを看破していた。
 鏡台だ。埃を被った、それどころか蜘蛛の巣すら張っている洋物の鏡台。
 それを見てあさひはまた息を呑む。
 まるでチープなホラーフィルムだ。
 鏡台の前には誰もいないのに、当の鏡面には顔にガムテープを巻いた異様な少年が写っている。
“アヴェンジャー、こいつ……!”


499 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:45:19 So/STnIE0
“間違いねえな。ハロウィンにしちゃ時期尚早だし、こんな省エネなコスプレは流行んねーよ”
 このガムテープ面には覚えがあった。
 まさに今日の昼間のことだ。
 あさひ達は今鏡に写っている彼と同じ装いの狂った子供達から襲撃を受けている。
 割れた子供達(グラス・チルドレン)。
 その危険性と異常性を知っているからこそデッドプールの対応は冷たかった。
「誰かと思えばグラチル君かよ。殺された仲間の仇討ちなら人違いだ、よそを当たりな」
「ウッセ! お前は呼んじゃいねーよサーヴァント! 変態仮面に用はねえの、銀幕の向こうに帰ったら〜?」
「おいおいどっちももう公開終了して久しいぜ! 帰るんならゲオかツタヤを探さなきゃならねー」
 まるで不味い食べ物でも口に含んだ後みたいに舌を出しながら悪態をつく鏡の少年。
 それに対してもいつも通りの対応を返す……しかし張り詰めるような警戒心は保ったままのデッドプール。
 一触即発と言っていい空気を、少年は何ら気にせず打ち崩した。
「とにかくさ〜。オレは変態仮面(オジサン)に用はねーンだわ。
 その体勢のままでいいからさ、昆布アイスと話をさせてくれよ」
「…頭のおかしい殺し屋が、俺と何を話すっていうんだ?
 こっちはお前の仲間に白昼堂々襲われてるんだ。お前らがこの東京で何をしてるのかも知ってる」
 相手が鏡の中から何をしてくるか分からない。
 多少情けなさはあったが、デッドプールの後ろに隠れる形になりながらあさひは少年へ答えた。
 しかし言わずもがなそこにある感情は不信の一辺倒だ。
 結果的に難を逃れられたとはいえ殺されかけたことには何の変わりもない。変わることはない。
 何の話をするつもりなのかは知らないが、あさひに彼の言い分を信じるつもりは微塵もなかった。
 何を言ってこようが突っ撥ねてやる、そのくらいの気構えで相手の返事を待つあさひ。
 そんなあさひに……少年、ガムテは得心行ったという表情をして手を叩いた。
「あ〜。もしかしてオレの仲間に突撃(カチコミ)でもされちゃった?」
「囲まれて、殺されかけたよ。自分の部下がどこで何をしたかも分かってないのか?」
「心痛(イテ)ッ! 心痛々(イテテ)ッ! 何だよ昆布アイス、お前って意外と毒舌キャラなの? 心痛(イテ)ェとこ突いてくんじゃ〜ん……」
 コミカルささえ感じさせるオーバーリアクション。
 しかしそれを見せられても毒気を抜かれたり印象が改善したりすることは決してない。
 むしろ逆に、あさひの中の警戒心は一段と深まってさえいた。
「故郷(あっち)じゃいなかった顔とかもあってな。オレの指示待たずに勝手に突っ込んでく連中も多少いてさ、お前んとこ行ったの多分ソレだわ」
「……」
「で、今度はこっちが聞くけどよ」
 ぴり、と空気が張り詰めた。
 冬の外気のような冷たさと鋭さ。
 あさひの背筋に鳥肌が立ち、デッドプールもいざとなればすぐ鏡を割れるよう身構えた。
 人間のあさひにも歴戦のデッドプールにも分かる気迫がガムテのあどけない顔に宿った。
「お前、そいつらのことどうした?」


500 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:47:08 puiQh/p20
「おいおい何言うかと思えば。仕掛けてきた側がどの面下げてそんな…」
「待ってくれ、アヴェンジャー」
 あさひに答えさせるには荷が重いと思ったのか。
 デッドプールが気を利かせようとしたが、他でもないあさひ自身が彼を止めた。
 疲れた心身には鞭以外の何物でもない緊張感に胸の鼓動が大きくなるのを感じつつ、あさひは乱れ出した呼吸を整える。
“ありがとう。でも此処は俺が答える。多分アイツは、それを望んでる筈だから”
 念話でそう一言断ってから、割れた子供達の王の顔を改めて見た。
「……殺したよ。同情もしないし謝る気もないけど、それは答えておく」
 思えば確かに彼らはガムテの統率を逸して暴走していたのだろうと感じる。
 彼らはあさひだけでなくサーヴァントのデッドプールまでもを殺人対象に含めていた。
 聖杯戦争の知識を持つ者なら誰もが知る、神秘がなければサーヴァントは殺傷出来ない原則も知らない無知な子供達。
 ガムテに直接伝えたように、あさひは彼らに同情するつもりは一切なかった。
 そもそも自分は殺されかけた側なのだ。
 なのに殺してきた側の命の重さを考えて心を痛め、頭を下げる……それが出来るほどあさひは聖人君子ではない。
「真面目か〜? 昆布アイス。そこは適当に誤魔化して地雷避ける場面だろうがよ」
「そこで逃げたら…お前は本気で怒ると思った。俺だって馬鹿じゃない。お前が何を考えてるのかは、ある程度だけど分かってるよ」
 ただ先刻ガムテが見せた反応で、あさひは悟ってしまった。
 割れた子供達の頭目である彼が仲間達のことをどう思っているか。
 どんなに不出来でも。自分の統率から飛び出してしまうような連中でも。
 それでもきっと……ガムテはその命や生き様を軽んじはしないのだろうことを。
 だから逃げることも誤魔化すこともせず真実で応えた。
 それはあさひなりの、彼に対する誠意だった。
 殺されかけた側であるという前提はあれど、命を奪ったことに変わりはない。
 あさひは彼らの死に罪悪感を感じられる聖人君子ではなかったが。
 一方で奪った命を轍だと割り切れるほど冷たい人間でもなかった。
「お前がどうやってこの場所を突き止めたのかは分からないけど……。
 わざわざ宣戦布告するために俺達に接触してきたとは思えない」
「正〜解。思ってたより鋭いじゃん、正直もっと鈍いと思ってたよ」
「お前が俺達と組みたいと、そう考えて接触を図ってきたのなら。
 "俺に"それを断る理由はない。どうせお前も知っているんだろう、俺が今どんな状況にあるかを」
「そりゃな。何処の誰がやったんだから知らねーけど非道えことするよな〜。
 知ってた? お前の顔だけ切り抜いた嘲笑風刺画祭典(クソコラグランプリ)とか開催されてんだぜ、今」
 あさひはガムテのことを信用などしていない。
 ただ、彼が自分に接触してきた理由には察しがついた。
 どういう理由でか知らないが、ガムテは自分と手を組もうと考えている。
 鏡を通じて居場所を把握できるにも関わらず、律儀に自ら声を出して正面から接触を図ってきたのがその証拠だ。
 そしてあさひとしてもこの状況で新たな協力者を得られるのは願ったり叶ったりだった。
 そうでなければ、殺し屋集団の頭目なんて目に見えた危険人物と意思疎通などしようとはしない。
「お前の推測は正しいよ神戸あさひ。オレが窮地(ピンチ)のお前にわざわざ接触した理由は、ぜ〜んぶお前が言ってくれた通りさ」
 ガムテは素直に自分の目論見があさひの推測の通りであることを認めた。


501 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:48:36 fEi/XL0c0
 あさひの状況は一言で言って最悪だ。
 新宿の大破局という生贄羊のおかげで多少動きやすくはなったものの、東京中に自分の身分がフリー素材同然に出回っている事実は不動のままだ。
 あさひは心の中で、折り悪く……あるいは折り良くこの場にいない二人のことを想い謝罪する。
“おでんさん…ごめんなさい。俺は何処まで行ってもあなたの敵でしかあれないみたいだ”
 デッドプールは先刻ああ言ってくれたが、あさひが聖杯を望む気持ちは聖杯戦争が始まって以来ずっと不変だ。
 自分は願いを叶えなければならない。自分が願いを叶えなければ救われない家庭がある。
 らしくなくても、無謀な背伸びでも。
 それでも神戸あさひは聖杯を求めるし、そのためにみっともなくでもあがくのだ。
「でも打算(それ)以前に、オレはお前を仲間にしたいと思ってる」
「……は?」
 そんなあさひでも続くガムテの言葉には呆けた顔をするしかなかった。
 彼が紡いだ言葉は、あさひの想像していたものとはあまりに異なっていたからだ。
「グラス・チルドレンって名前は知ってるんだろ? じゃあ、その意味は分かるか?」
「……いや」
「割れた子供達、だ。オレ達は世界(オトナ)に見捨てられた子供達の寄り合いなんだよ」
 子供の心とは脆いものだ。
 ひょんなきっかけで簡単に砕ける、割れる。
 そして時に。一度割れた心は、二度と戻らないこともある。
「オレはそういうガキ共の王子(プリンス)だ。そう呼ばれてるし、オレ自身そうあるべきだと思ってる」
 当初は極道の思惑により生み出された道具でしかなかったグラス・チルドレン。
 しかしガムテは大人達の道具ではない。憎たらしい父親の思惑をすら跳ね除ける正真正銘、子供達の英雄だ。
 故にこそのリーダー。故にこその殺しの王子様(プリンス・オブ・マーダー)。
 そんな彼にだからこそ見えるものというのも、当然ある。
「オレにはお前の心が見えた。砕けて戻らない心が見えた」
「……ふざけるな。お前が俺の何を知ってるっていうんだよ」
「知らないね。だけど分かるよ。オレが今まで何百人、お前みたいな同胞(ガキ)を見てきたと思ってんだ」
 あさひは表面上こそ反抗的な言葉を口にしたが。
 ガムテの言を完全に否定することは、出来なかった。
 彼の生涯は常に心を砕かれ続ける毎日だった。
 悪魔のような父親の元で過ごした幼少期。
 父親が死んでも、あさひの元に最後の大事なピースが戻ってくることはなかった。
 ようやくそれを取り戻せたと思ったあさひの楽観は最悪の形で打ち砕かれた。
 あの日あの病室で、変わり果てた目で自分を見る最愛(いもうと)の顔は今でも夢に見る。
「お前がオレの手を突っぱねるならそれ以上追うことはしない。
 選択を強制するようじゃ糞共(オトナ)と一緒だ。お前がオレを拒むなら、後は生存(いき)るか死滅(くたば)るかの殺し合いさ」
 でも、とガムテは続ける。
 あさひも言葉を挟まず聞いていた。
 そうしなければならないと感じていたことは否めなかった。
「でもそうじゃないなら、オレはお前と一緒に戦ってやる」
「…理解出来ない。お前にだって願いがあるんじゃないのか? なのにそんな約束をするのは、お前にとって不便でしかない筈だ」
「か〜〜〜ッ、分かってねーなあ昆布アイス。便利とか不便とかそういう話じゃね〜〜んだよ」
 神戸あさひは希望を抱いてあがいた。あがき続けた。
 全ては最愛の妹のため。
 自分達家族の暮らしが戻ってくるのに必要な最後のピースを取り戻すために。
 そう思って頑張ってきたその道筋はあの病室で全て否定された。
 その時、彼の心は――"割れた"。
 粉々に砕け散った。聖杯の恩寵でもなければ二度と復元出来ない微塵にされた。
 その経緯を知るわけはないが、それでもガムテはあさひの心を見抜く。


502 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:49:43 fEi/XL0c0
 見抜き、信じる。
 彼は自分と……自分達と来るべきだと。
 自分達だけがその心を拾ってやれるのだと。
「最後は殺し合う。でもそれまでは仲良しこよしでもいいだろ?」
「……信じろって言うのか、その言葉を」
「信じる信じないはお前の勝手だ。そんでもって選ぶのもお前の勝手だ」
 そう言われてもあさひの中の憂いは消えないままだ。
 ガムテがどういう人間なのかの理解が進めば進むほど、彼の仲間を殺した事実が影になる。
 割れた子供達(グラス・チルドレン)。
 血の繋がりに依らない絆で結ばれた彼らが仲間を殺した人間に対しどんな感情を抱くのか。
 しかしそんなあさひの思考を読んだかのようにガムテが溜息をついた。
「あ。つまんねーこと考えてんな〜? オレ達が機を見て後ろから刺すとでも思ってんだろ」
 当たり前だろ、と言いかけたあさひだったが。
 彼が口を開くのに先んじてガムテが言う。
「お前がオレの仲間を殺したのは分かった。
 たとえこの世界で初めて出会った新顔だからって仲間なことには変わりねえ。
 大人を憎む割れた子供達、その一人をお前は殺した。オレもオレの仲間達も…それを忘れることはない」
「なら」
「先に言っとくが、これは脅しじゃねえ」
 練度の低い仲間。
 勝手に動いては足を引っ張るグズ。
 彼らがガムテの悩みの種であったことは彼自身否定しない。
 否定できる立場ではない。
 あの狂った老婆の犠牲として切り捨てるのを良しとした自分に今更取り繕う資格はないと、彼自身そう思っている。
「お前がオレ達の敵になるんなら、オレ達は仲間の仇としてお前を殺す。
 お前の割れた心を見つめながら殺す。同情はするけど容赦はしねえ」
 あさひが割れた子供達に刃を向けるのならガムテとて未練がましくする気はない。
 その時は敵として、仲間の仇として……後腐れなく殺し合うまでのことだ。
 もしかしたら仲間になれたかもしれない。
 肩を並べて同じ釜の飯を食って一緒に戦えたかもしれない。
 そんなちょっぴりの憐憫を抱きながらガムテは仇討ちのための戦いを行うだろう。
 神戸あさひを殺すだろう。
「けどお前がオレ達と組むってんなら、俺はお前達に刃を向けることはしねーよ」
 されど。
 もしもあさひがガムテの差し伸べた手を取ったならば。
 その時ガムテは彼を憎まない、殺さない。
 いつか肩を組んでいられない状況が来るまでは、ガムテはあさひのことを仲間の一人として受け入れる。
「あいつらは確かにオレの言うことを聞けない、突っ走るしか能のない奴らだった。
 それでも――あいつらだってオレらと同じ殺し屋だ。自分の頭で殺すと決めて挑んで、そして死んだんだ」
「お前の仲間、死ぬ前にお前らの秘密を我が身可愛さにベラベラ喋ってくれたぜ」
 馬鹿、とあさひはデッドプールを制したくなった。


503 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:51:15 XSSIS2oo0
 しかしもちろん彼の言葉には意味がある。
 デッドプールは饒舌で飄々とした言動をするが、彼はトリックスターではない。
 そうはなれないのだ、この男は。
 そうなれなかったからこそ此処まで。
 こんなところまで落ちてきてしまった。
「そんな奴らのことも仲間と呼ぶのかい? 少年犯罪の王子様」
 藪をつついて蛇を出すことになる恐れがあるのは百も承知だ。
 だがガムテの内心にあるのが自分達に対する親愛でなく仇に対しての憎悪だったなら、下手に日和って手を取ってしまった方が命取りになる。
 今この場を凌ぐのと相手の腹の中で逃げ回るのとでは窮地の度合いは段違いだ。
 だからデッドプールはあえてガムテの地雷の位置に見当をつけ、その上で足を振り下ろした。
「だとしてもだ。オレはあいつらにとっても王子(プリンス)だった」
 ガムテは爆発しない。
 踏んだ地雷は物寂しい静寂を醸すだけだった。
「どれだけ出来の悪い連中でも、仲間を売ったグズだとしても…そこだけは変わらねぇし、変えるつもりもないよ」
「……」
「で、殺し屋として挑んで負けて死んだからには引きずって恨み散らかすつもりもない。
 お前らがオレの誘いを断るってんなら話は別だけどな。その時は仲間の仇として遠慮なく――ブッ殺すぜ」
「だってよ。あさひ」
 “どうする?”と念話が続いた。
 あさひはすぐには答えられなかった。
 マスターの自分が決めなくてどうする、という話なのは分かる。
 だがこの状況に即答を返すなど大概の人間は無理だろう。
 むしろ恐慌していないだけで立派というものだ。
 あさひが相手にしているのは泣く子ならぬ嗤う大人も黙る、幼狂達の王。
 あさひは選ばねばならない。
 迫られているのだ、二股に分かれた茨道のどちらに進むかの答えを。
“あさひ。一つだけ忠告しとくぜ”
“……聞くよ”
“こいつの手を取ったら最後だ。お前はもう止まれない”
 デッドプールはいざという時のことを既に想定している。
 あさひの願いを叶えるのが不可能ないしそれに近い状況になった場合。
 その時は、デッドプールはあさひを聖杯の獲得以外の方法で生き残らせることも考える。
 その旨は先刻彼にも伝えた通りだった。
 が……。
“ボクは改心しました助けてくださいじゃ利かなくなる。
 聖杯を手に入れて願いを叶えるか、敗北者として死ぬかの二択だ。
 こいつらの一部(なかま)になるってのはそういうことだぜ”
 デッドプールは確信していた。
 一度でもガムテと手を組めば、あさひが割れた子供達の一部になれば。
 それで最後だ。あさひは、その道しか進めなくなる。
 勝つか負けるか。生きるか死ぬか。それしか選べない。
 あらゆる常識をぶち壊して笑うヒーロー、デッドプールでもその結末はきっと変えられない。
 子供達(かれら)は――ヒーローには救えない生き物なのだ。
 ヒーローが救わなかったから生まれた社会の負債を、一体どうして今更救えるというのか。
 グラス・チルドレン。割れた子供達。
 そうなってしまった、なるしかなかった、小さな小さなバッドエンドの集合体。


504 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:53:03 FXsM4hCo0
“ごめん、デッドプール。俺は…お前の気持ちは分かってるつもりだ”
 デッドプールのことを鬱陶しく思ったこともある。
 もっと強いサーヴァントだったならと思ったのも一度や二度じゃない。
 それでもあさひは、彼という男が不器用ながらも深い慈しさを持った大人であることを知っていた。
 そう分かった上で、あさひはしかしまず最初に謝った。
 そのことは、神戸あさひという少年の選んだ道がどちらであったのかを酷薄なほど物語っていて……。
“でも俺は、元々そのつもりで戦ってたんだ。
 あの結末を変えられるのならどんなことでもするつもりだった。
 俺は……弱いんだよ。弱くてちっぽけなガキでしかない俺がこの恐い世界で生きていくには、道を絞るしかなかった”
 願いを叶えて元の世界に帰る。
 そのためなら命を懸ける。
 自分の命全てを賭け金にして、中途半端な逃げ道を全て捨て去って。
 弱い自分はそれでようやく、地平線の果てを目指して走る奴らの隣に並べる。
 あさひの中ではもうとっくの昔に覚悟が決まっていたのだ。
 勝利以外の明日を捨て、茨道よりなお深い修羅の道を歩む覚悟が。
“止まれないなんて、今更だよ。俺はもう…今度こそ、失敗するわけにはいかないんだ”
“……本気なんだな?”
“ああ。未来のことは分からないけど――俺が、俺の望んだ未来を手に入れるためには…これが正しいはずだ”
 あさひがデッドプールよりも更に前へ出る。
 ガムテの前へ。鏡に映る彼の前に。
 彼の思いやりを振り切るように。
“そうかよ。…は〜あ、俺ちゃんの厚意を無碍にしやがって”
“……ごめん”
“謝んなよ。ま、分かってたさ。お前みたいな家族バカの考えそうなことはな”
 サーヴァントはあくまでも道具、しもべだ。
 分かっているからこそこれ以上引き止めることはしない。
 それに、あさひならばこうするだろうと心の何処かで分かってはいた。
 その予想は、出来れば当たってほしくなかったが。
「分かった。俺は…お前と組むよ、ガムテ」
 あさひはデッドプールの手を取らなかった。
 最後の分かれ道。引き返せる最後のチャンス。
 それを押し退けて修羅道を選んだ――生きることよりも、自分の望む未来を実現出来る可能性を重視した彼の意思。
 迷いも後悔も見せない彼の足を引くなどデッドプールには出来なかった。
 出来なかったからこそ、デッドプールも腹を括る。
 もはや事態はそうせねばならない状況になってしまった。
 いや、"なった"。あさひが自らそれを望んだから。
「けど、俺は割れた子供達(グラス・チルドレン)には入らない。
 あくまでも協力者だ。俺の目的は……あくまでも聖杯だから」
「了解(りょ)、それでいいぜ。一応コードネームも用意してたが、お前の意思を尊重するよ」
 あさひの断りにガムテは即、そう返した。
 彼もまた分かっている。
 あさひには、あさひの願いがあること。
 彼はそのためなら己の命すらチップとしてディーラーに突き出せる人間であると。
 だからあさひはガムテを王子と崇め、彼のために死ぬ人材にはなり得ない。
 神戸あさひはいつかガムテの前に立つ。
 敵として、子供達の王様を殺すために戯言の英雄(ヒーロー)を連れて立つ。
 そう分かった上で、それでもガムテはあさひに言うのだ。
「ようこそ。歓迎するぜ、神戸あさひ」
 神戸あさひがその顔にガムテープを巻くことはきっとない。
 彼の心は割れている。
 悪魔憑きの少年と破壊の寵児に挟まれて邁進する妹との違いはそこだ。
 だが、彼には守りたいものがある。
 残してきた母をまた微笑ませてあげるために。
 そして、あの悪魔に奪い去られた妹を取り戻すために。
 あさひは決めていた。
 どんな罪を犯してでも、血に塗れてでも……かつて願った未来を今度こそ形にしてみせると。


505 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:54:24 FXsM4hCo0
「話したいことはたくさんあるけどよ。とりあえずまずは、オレ達のところに来てもらおうか」
「言われなくてもそのつもりだ。…東京中のお尋ね者だからな、俺は」
「もう民衆(バカども)もそれどころじゃなさそうだけどな。
 ニュース見た? 新宿がほとんど地図から消えたらしいぜ、さっき」
 鏡の中からニュッとガムテが出てきてあさひの手を取る。
 何となくそうではないかと思っていたが、やはり鏡面を通じて覗いた先に移動することも出来るらしい。
 やろうと思えば自分のことなど簡単に殺せたのだと思うと、少し背筋が寒くなった。
「ところでさ、話の腰折るのは良くねェと思ってさっきは無視(スルー)したんだけどよ」
「……?」
「――オレ、お前に名乗ったっけ?」
 グラス・チルドレンの存在自体は裏社会に精通した人間ならば知っていてもおかしくない。
 あさひがそんな世界に縁のある人物とは思えなかったが、しかし自分の名にまで辿り着いているとなると話は別だ。
 そして事実、あさひは彼らについて自分の足で聞き回り調べたわけではなかった。
「ああ…お前の仲間に襲われた時、実は他のマスター達に助けてもらったんだ」
「ふ〜ん。そいつらから聞いたってことか」
 どんな奴らだった? と聞くガムテ。
 あさひは少し答えに悩んだ。
 ガムテ達は確かに協力者、味方だ。
 だが…だからと言ってあの人達、真乃達のことまで売り渡していいものか。
 そこで悩んでしまうことそれ自体が帰り道を捨てた人間の思考として矛盾している、あさひ自身そう分かっている。
“アーチャーの嬢ちゃんはガキ共を全員殺したわけじゃない。変に隠せば後で億劫(ダル)いぜ”
“…そうだな”
 デッドプールが言ってくれなかったら、自分はどうしていただろう。
 ひょっとすると真乃達のことだけは隠していたかもしれない。
 自分の半端さに嫌悪を覚えながらも、あさひはガムテに質問の答えを伝えた。
「アイドルの女の子と、アーチャーのサーヴァント。
 ……あまり詳しいわけじゃないから名前までは分からなかったけど、サーヴァントの方は"プリンセス"みたいな格好をしてた」
 名前を濁したのはあさひから真乃へのせめてもの餞別だった。
 でもこれが最後。これからはもう、敵同士。
 また会うことになったなら容赦はしないし遠慮なく利用させてもらう。
 心の痛みを覚悟の炎で焼き尽くしながら、しかし続く言葉は淀みなかった。
「もう片方もアイドルだ。こっちは名前も分かる」
 彼女達はあさひにとって明確に敵だからだ。
 確定したわけでこそないものの、突然撒き散らされた自分の悪評は彼女が何か糸を引いた結果だろうと確信している。
「星野アイ。サーヴァントのクラスは、ライダー」
「おー、えらい大物(ビッグ)じゃんか」
「そのライダーがえらくお前らのことについて詳しかった。
 ガムテって名前もそうだし…お前がどんな風に戦うのかまで教えてくれたよ」
「……」
 ガムテの眼がすっと細くなった。
 無理もないだろう。彼は殺し屋なのだ。
 その殺し方まで詳らかに知っている人間など、同じ極道であっても多くない。
「どんな見た目の奴だった? ゴツくて暑苦しくて、いかにも極道(ヤクザ)! って感じのオッサン?」
「いや…オッサンではあったけどゴツくはなかったな。逆立った黒髪で……ステータスが見えなかった。
 いい年な癖して妙にギラギラしてて――」
「…そっか」
 その時ガムテが漏らした声は。
 憎らしげでも恐ろしげでもなく、そして嬉しげでもなかった。
 ただ事実を飲み込んで、それから自然に出した声。
 道化の顔と、子供達の王子様としての顔。
 そのどちらで零すにしたって似合わない、ガムテらしくない声だった。
「来てんだ、殺島の兄ちゃん」


506 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:57:14 qwTPb/ck0
    ◆ ◆ ◆

「…君も、彼に?」
「ああ……はい。鏡の中から急に話しかけられて」
「なるほど。俺達の時よりずいぶん穏当だな」
 苦笑する男の名前をあさひは聞けていなかった。
 廃屋でおでん達に向けた書き置きを残した後、すぐに彼らはそこを去ることになった。
 ガムテに彼らの拠点へ連れて行かれるなり、あさひはこの男の許に案内された。
 さぞかし重要な人物なのかと思っていたが、実際は彼もまたあさひと同じ新入り未満の協力者であるらしかった。
「まあ、こうして受け入れてもらえただけでも待遇としては破格だ。文句を言うつもりはないけどな」
「……あなたは大人だ。針のむしろでしょう、この場所は」
 グラス・チルドレンは大人という存在を嫌悪している。
 大人のせいで傷付き割れた者達であるのだから当然だが、だからこそこの男性には同情した。
 あさひが彼に刺々しい警戒を見せなかった理由は一つ。
 彼からは臭いがしなかったからだ。
 汚い大人。誰かを傷つけたり踏みつけにすることを日常と思っている連中の臭いが。
 だから信用とまではいかずとも、ひとまずそう激しく警戒するまではしなかった。
「心配してくれるのか。…優しい子だな、君は」
「……あさひです。神戸あさひ」
「知ってるよ。というか嫌でも目に入ったっていう方が正しいかな。
 でもこうして会ってみたらすぐに分かった。大変だったな、あらぬ噂を流されて」
 ええ、まあ……。
 そんなぎこちない返事を返すあさひを遮ってデッドプールが割り込む。
「全くだぜ。何が悲しいってこの俺ちゃんの話題と来たら一個もねえの。
 極悪人(ボニー)の横にいる相棒(クライド)のことも疎かにしないでほしいもんだぜ」
「クライドがそんな格好をしていたら、ボニーだってきっと走って逃げますよ」
 初対面とは思えない馴れ馴れしさに若干胃が痛くなるあさひだったが、男は「いやいや」と笑いながら適切に突っ込んでいる。
 普通なら勢いに押されて引いてしまいそうなものだが、大したコミュニケーション能力だった。
「てかアンタのサーヴァントは実体化(で)てこないの? 仲良く四人でリッツパーティーしようぜ」
「おま…買い物かごにそんなのいつ入れたんだよ……。盗ってきたわけじゃないだろうな」
 聖杯を狙う覚悟を決めた少年の言葉ではないが、あさひはそれをおかしいとすら思わなかった。
 やはり基本根っこの部分から神戸あさひは善人で、常識人なのだ。
「コンプラ違反でトキワ荘が吹っ飛んだら悲しいだろ。ポケットマネーでこっそり買ったよ」
 安心してくれよな、管理人さん! そう言って虚空にピースも忘れない。
 何処にしまっていたのか、いや何処にしまっておけるスペースがあったのか。
 慣れ親しんだクラッカーの赤い箱を懐から取り出しながら言うデッドプール。
 それに男は苦笑してあさひの方を一瞥した。
 君も大変なサーヴァントを引いたな、という目なのはすぐに分かった。
“一応聞いておくが……君も参加するか? ランサー”
“殺すぞ”
“だよな”
 プロデューサー、と呼ばれるばかりの男は一応猗窩座に念話を飛ばしたが答えは即答。
 そもそも彼は鬼である。
 人肉載せのリッツなんてゲテモノがあの箱の中から出てくるとは思えない。


507 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:58:22 7IWiGnAw0
「俺のサーヴァントは堅物でして。列席は出来そうにないかと」
「ヤだねぇ硬い男は。そんなんじゃモテないぜ」
 溜息をつきながらクラッカーを並べ、クリームチーズやらジャムやらをその横に置いて。
 率先してそれらをクラッカーの上に載せてしゃくしゃく食べ始めるデッドプール。
 次にプロデューサーが手をつけた。
 これ本当に食べる流れなのか……と困惑しながら、あさひがそれに続いた。
「ジャパニーズ・アマノイワドよろしく楽しそうにしてたら出てくるかな。アンタのサーヴァントも」
「いやあ、どうでしょう。何だったら黄金時代(ノスタルジア)ちゃんでも呼んできますか? 俺も彼女とはまだ話せていないので」
「ああ、アイツはいいや」
 デッドプールはプロデューサーの提案に即、否を返した。
 小粋なジョークを付け足したり、エグめな下ネタと絡めたり。
 そんな"らしい"ことをするでもなく、ただ一言で断った。
「ありゃダメだ。同じ箱のリッツを食った仲として忠告しとくぜ、あの嬢ちゃんのことは信用するな」
「…それは、また。根拠を聞かせてもらってもいいですかね」
「目だよ目。あれはガキの目じゃねえ」
 指を一本立ててデッドプールが語る。
 黄金時代(ノスタルジア)。
 そんなコードネームを与えられた少女の姿を見るなり、デッドプールは彼女への警戒度を最大に引き上げた。
 その度合いたるやガムテに対するものよりも上だ。
 まだガムテのサーヴァントにはお目にかかれていないため今後変動する可能性はあるが、それでも心を許すことは永劫ないだろうというほどの警戒。
「アンタ、名前は?」
「…プロデューサー、とだけ。此処ではそれで通ります」
「じゃあPちゃんな。Pちゃん、アンタも気抜いてたら――食われちまうぜ。がぶりとな」
 あれは悪人の目だ。
 他人の人生を、運命を。
 弄んで嗤えるそんな人間の目だ。
 グラス・チルドレンという魑魅魍魎の巣をそのまま養分に変えてしまえるだけの悪意。
 デッドプールは黄金時代なる少女の目に、面影に……そんな破滅を感じ取った。
 だから警戒する。
 絶対に背中は向けない、気は許さない。
「…覚えておきます。ご忠告に感謝を」
「出世払いな。界聖杯譲ってくれ」
 プロデューサーは黄金時代とそれほど深く関わっていない。
 だがデッドプールの言葉に一定の説得力を見出すことは出来た。
 彼は見ているからだ――知っているからだ。
 彼女が使役するサーヴァント、アルターエゴ・リンボ。
 あの嘲笑と跳梁を、プロデューサーは知っている。
“どう思う? 君の意見が聞きたい”
“その男は不快だが…気を緩めるべきでないという点においては同感だ”
 実際に矛を交えた猗窩座は当然、もっと実感を持って理解している。
 猗窩座は実体化していないものの、それでもプロデューサーは眉間に皺を寄せた彼の顔を幻視した。


508 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 22:59:22 Z6x2WogM0
“あの陰陽師を使役して平気な顔をしている童がまともなはずはない”
 言動、表情、放つ攻撃。
 その全てが背に虫の這い回るような不快感を伴った。
 にも関わらず出力は頭抜けて高く、間違いなく純粋な火力の高さならば猗窩座の上を行く性能。
 警戒しておくに越したことはない。
 少なくとも猗窩座は、デッドプールの忠告を弱者の戯言と切り捨てるべきではないと感じていた。
「何かと…君達の存在は俺達にとって大きそうだ。改めてよろしく頼むよ、神戸くんにアヴェンジャー」
「他人行儀だな。俺はともかくこいつのことは名前で呼んでやってくんねー?」
「はは……すまないが名字呼びで許してほしい。知り合いに同じ名前の子がいましてね、どうしてもその子を思い出してしまうんです」
 神戸あさひの顔にガムテープは巻かれていない。
 そして彼には、グラス・チルドレン特有のコードネームが与えられていないようだった。
 その事実からプロデューサーはこう考える。
 彼はガムテの協力者ではあっても、同胞(なかま)ではないのだと。
“本当に…大きいな。渡りに船とはこのことだ”
 プロデューサーは最終的にガムテ達を消すつもりだ。
 彼らは、そしてあのライダーは頼れる味方であると同時に目の上の瘤でもあるのだ。
 アイドルを切り捨てることを良しとしなかったものとしてそのための策は練ってある。
 いつか来るその時に備える上で、手札が多いに越したことはない。
“……すまないな、神戸くん。俺は君を利用する気でいる”
 頭の切れるデッドプールが保護者役を務めているのは厄介だが、あくまであさひはカードの一枚だ。
 必要なら使う。そうしなければならないのなら、切り捨てることだってしよう。
 プロデューサーに迷いはなかった。罪悪感ならばともかく。
“俺の歩む道のために、君の心(ネガイ)を貸してくれ”
 願いと思惑は交差して複雑に絡み合い、混沌の未来へと翔んでいく。
 プロデューサーは考える。
 九割の寿命と魂を失ってそれでも前に進み続ける凡人は考える。
 そこに誤差があるとすれば。
 神戸あさひもまた、目指すところは違えど……"割れた子供"であることだろうか。

【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)/一日目・夜】

【神戸あさひ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(小)、全身に打撲(小)
[令呪]:残り3画
[装備]:デッドプールの拳銃(懐に隠している)、着替えの衣服(帽子やマスクを着用)
[道具]:リュックサック(保存食などの物資を収納)
[所持金]:数千円程度(日雇いによる臨時収入)
[思考・状況]
基本方針:絶対に勝ち残って、しおを取り戻す。そのために、全部“やり直す”。
0:ガムテと協力する。後戻りはもう出来ない。
1:折れないこと、曲がらないこと。それだけは絶対に貫きたい。
2:ライダー達は、いつか必ず潰す。
3:“あの病室のしお”がいたら、その時は―――。
4:聖杯は、出来る限り諦めたくない。
5:櫻木さん達のことは……
[備考]
※真乃達から着替え以外にも保存食などの物資を受け取っています。
※廃屋におでん達に向けた書き置きを残しました。内容についてはおまかせします。


509 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 23:00:05 mGKZQTAg0
【アヴェンジャー(デッドプール)@DEADPOOL(実写版)】
[状態]:『赫刀』による内部ダメージ(小)
[装備]:二本の刀、拳銃、ナイフ
[道具]:予選マスターからパクったスマートフォン、あさひのパーカー&金属バット
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:俺ちゃん、ガキの味方になるぜ。
0:お前がそう望むなら、やってやるよ。
1:あさひには安全な拠点に身を隠してもらう。出来れば一箇所に留めたいが、必要に迫られる事態が起これば拠点を移す。
2:星野アイ達には必ず落とし前を付けさせるが、今は機を伺う。
3:真乃達や何処かにいるかもしれない神戸しおを始末するときは自分が引き受ける。だが、今は様子見をしておきたい。
4:黄金時代(北条沙都子)には警戒する。あのガキは厄(ヤバ)い
[備考]
※『赫刀』による内部ダメージが残っていますが、鬼や魔の属性を持たない為に軽微な影響に留まっています。時間経過で治癒するかは不明です。
※櫻木真乃と連絡先を交換しました。
※ネットで流されたあさひに関する炎上は、ライダー(殺島飛露鬼)またはその協力者が関与していると考えています。

【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×10枚
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。……動かなくてはいけない。
0:にちか(騎)と話す。ガムテの用事が終われば彼とまた交渉を行う。
1:もしも、“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
2:時が来れば自陣営と283のサーヴァントを潰し合わせ、両方を排除する。
3:白瀬咲耶が死んだことに悲しむ権利なんて、自分にはない。
4:『彼女』に対しては、躊躇はしない。
5:序盤は敵を作らず、集団形成ができたらベスト。生き残り、勝つ為の行動を取る。
6:にちか(弓)陣営を警戒。
7:神戸あさひは利用出来ると考える。いざとなれば、使う。

※リンボの護符は発動中1時間ほど周囲の日光を遮り、紅い月が現れる結界を出すことができます。
異星の神とのリンクが切れているためそれ以外の効果は特にありません。
※ソウルボーカスにより寿命の9割が喪失しています

【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:携帯電話(犯罪卿より譲渡されたもの)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は、何だ?
1:ひとまずは、合理的と感じられる範囲では、プロデューサーに従う。


510 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 23:00:59 oNoLK38s0
    ◆ ◆ ◆

 話したのはあくまで少しだけだ。
 まだ話せていないこと、伝えられていないことは山程ある。
 とはいえガムテから見た神戸あさひの印象は既に固まっていた。
「で。貴方の目から見てあの方はどうだったんですの?」
「アイツは裏切らない。裏切るなら多分お前の方だなァ黄金時代」
「常々言ってるでしょうに。私は貴方とあのお婆様を利用するつもりで此処にいるんですのよ?」
 彼は間違いなく同類だ。
 自分達の仲間になることは拒まれたが、しかしあさひは恐らく自分を、自分達を裏切らない。
 決定的な断絶となる状況が訪れない限りはあさひとは手を取り合える。
 ガムテはそう考えていた。
「P野郎は百パーどっかで裏切る。アイツはその時、絶対あさひをアテにするはずだ」
「そんな方を仲間に加えるなんて貴方も酔狂な方ですわね」
「物は使いようだぜ黄金時代。腹に一物あるのを前提に使えばあら不思議、怪しい怪しいPたんも頼れる手札(カード)に早変わりさ」
 ガムテは本職(プロ)だ。
 目前の危険を見誤らない。
 故に彼は見抜いている。
 察している、プロデューサーの腹を。
 彼はいずれ裏切るだろう。
 いつか、どこかでこちらに破滅を突き付けてくるだろう。
 そう分かった上で彼を使う。
 やれるものならやってみろと傲岸不遜に受け入れる。
 それが二十歳に満たない少年が持つ胆力でないのはもはや言うまでもない。
「それよりガムテさん。お婆様に会いに行くならお一人で行くか、舞踏鳥さんを連れて行ってくださいません?」
「つれないこと言うなよォ〜。どうせしばらく暇なんだろ?」
「……もしあの方が癇癪を起こしたなら即座に離脱しますから、そのつもりでいてくださいな」
 黄金時代こと北条沙都子も例に漏れずガムテのサーヴァントには極めて強い忌避感を抱いていた。
 とはいえ沙都子の場合は少々他とは事情が異なる。
 沙都子は知っているのだ、彼女と並べる凶悪なサーヴァントの存在を。
 鬼ヶ島の王として君臨するあの化け物と同じだけの力を持つサーヴァントが存在するなど、率直に悪い冗談以外の何物でもなかったが……。
“ま…。そのうち共倒れにでもなってもらいましょう。
 もちろんその前に、出来る限り利用させていただきますけど”
 ライダーの許に向かう時はガムテの足取りも心なしか遅い。
 ガムテとそのサーヴァントの間には見かけこそ地味だが、深淵にも等しい溝があるのに沙都子は気付いていた。
 もし武力と軍勢の双方を併せ持つ彼らの陣営を瓦解させようとするならその隙を突くのが有効かもしれない。
 そんなことを考えている内、いつしか沙都子はガムテに続く形でライダー……シャーロット・リンリンのねぐらへと足を踏み入れていた。


「ハ〜イ、ライダー。ちょっと聞きたいことがあんだけどさ〜ッ」


511 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 23:02:14 /P0YfR1o0
「ん〜? 何だいガムテ。お菓子なら今は足りてるよ。今はだけどね」
 何度見ても慣れるということはない、圧倒的な巨体。
 体のでかさを差し引いてもこの老婆が放つ存在感は明らかに異常だった。
 ウェディングケーキを片手で持ち上げ頬張って、満足げに甘い吐息を零す怪物。
 シャーロット・リンリンの眼光が、彼女にしてみれば蟻にも等しいだろう二人の子供へと向けられた。
 思わず生唾を飲み込む沙都子だったがガムテは今更怯むこともなく話し始める。
「さっき、覇王色(ちから)使ったでしょ。あれ何で使ったの?」
「マ〜マママ…流石はおれのマスターだねェ。素質あるよ、お前」
「エヘヘ〜〜、そう〜〜? ――それより答えてよライダー。何のために唐突炸裂(ブチカマ)した?」
 沙都子には全くそんな剣呑な気配は感じ取れなかったが、彼女よりも殺しの世界に身を浸して長いガムテは違った。
 この拠点の中でそれに気付けたのは彼と、後はプロデューサーの連れる拳鬼くらいのものだろう。
 とにかく彼はリンリンが不意に放った覇王色の覇気の片鱗を感じ取った。
 拠点の近辺でこそないものの、だからこそ意図が分からない。
 ただの気まぐれかとも思ったが……それはないなとガムテはすぐにその安直な結論を否定した。
“このババアは心底ヘドが出るクソだ。でも質の悪いことに莫迦じゃねぇ”
 リンリンの行動はいつも彼女の欲望に直結している。
 菓子を求めるにしても敵を追い詰めるにしても、誰かしらの交渉に応じるにしてもだ。
 リンリンは欲望を堪えない。
 欲しいと思ったなら何百人犠牲にしてでも叶える。手に入れる。
 逆に言えば……シャーロット・リンリンは無意味なことはしないのだ。
「どうもこの都には……おれのダチがいるみたいでねェ」
 その時、北条沙都子の背筋に冷たいものが走った。
 嫌な予感がした。このライダーと初めて邂逅した時に感じたのとはまた違う怖気。
「何十年来の腐れ縁だ。信用できるぜ、安心しな」
「……呼んだのッ!? 此処に!?」
「そりゃ、おれの覇気なんざアイツは見慣れてるだろうからねェ……。
 へべれけになってるかもしれねぇが、まあ近々やって来るだろう! ハ〜〜ハハハハ!」
「ッ……」
 ガムテは閉口するしかなかった。
 しかし心の中では勢いよく中指を立ててこのように叫び散らしている。
“――なに必要(イラ)ねえ災難(イベント)増やしてんだこのクソババア〜〜〜ッ!!”
 シャーロット・リンリンの友人(ダチ)。
 とてもじゃないがロクな奴だとは思えない。
 リンリンの覇王色に誘われてやって来る手合いなぞどう考えたって厄災の類だろう。
 上機嫌に高笑いするリンリンの遥か下で苛立ち全開に歯軋りするガムテ。
 その隣で彼とは打って変わって冷や汗をかいているのが、沙都子だった。
“まずい、ですわね……”
 まだ確定したわけではない。
 そこ問い質せば墓穴を掘ることになるので追及は出来ないが、沙都子はもう半ば確信していた。
 シャーロット・リンリンの友人(ダチ)とは十中八九、彼女が黄金時代ではない北条沙都子として傘下に入っている異空間の王。
 式神とはいえリンボを一瞬で粉砕できる力を持ったあの怪物だろうと。
 沙都子は怪物、カイドウの打倒手段を探していたしその点リンリンは最有力候補だった。
 だがこの二人が肩を組んで一緒に聖杯戦争を暴れ回れるような仲だというなら話は変わってくる。
 その時割を食うのは二つの陣営を股にかけてしゃぶり尽くそうと画策していた沙都子ただ一人だ。
 多少の波風はあっても概ね順調に見えた魔女の暗躍に一気に影が落ちた。


512 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 23:03:32 3bHnMimk0

“――ンンンン。これは、これは。少々苦しい状況でございますな”
“…! リンボさん、いたんですの? ちょうど良かったですわ”
“ええ、いたのです。式神ですがね”
 …しかしそこに救いの手が差し伸べられる。
“本当ならばこの場に用はなかったのですが…何やら災いの気配がしましたので。せめて式神だけでも配備させようと思った次第”
 先刻の仕事のために呼び戻した沙都子のサーヴァント、アルターエゴ・リンボ。その式神だった。
 彼がいればまだどうにかなるかと思ったところで、沙都子は鬼ヶ島でのことを思い出しまた落胆した。
 この男はカイドウに嫌われている。
 あの蛇蝎を見るような目は心胆の底から警戒されていることの証だ。
 そんな彼を怪物同士の再会の場、自分達にとっては断罪の場になるかもしれないそこへ立たせて何になるというのか?
“マスター。あまり拙僧を見くびりなさるな”
“……何か手があるっていうんですの? 言っておきますけれどこのお婆様は、多分あの鬼さん以上に話が通じませんわよ”
 もしも怒らせれば取り返しがつかない。
 "次はない"なんて穏当な措置で見逃してくれるとは思えなかった。
 そんな沙都子の懸念にしかしリンボは笑う。
 面白いことを思いついた。
 悪戯に胸を輝かす稚児のような笑いだった。
“此処は一つ拙僧にお任せを。災厄そのものなこの窮地、このリンボめが取り持ってみせましょうぞ”
“お任せを、って…具体的にどうするつも――”
 沙都子の難色はまだ晴れてなどいない。
 いないのに、リンボは彼女の言葉を最後まで聞かなかった。
 最後まで聞くのを待たずして、一人で勝手に博打を始めてしまった。


「――何だい、お前は」
 霊体化の解除。
 すなわち、実体化。
 像を結んだアルターエゴ・リンボ。
 美しき肉食獣――剣呑たる禍気を醸して。
「お初にお目にかかりまする、遠い事象の大海賊どの」
「誰がおべんちゃらを使えって言った?」
 彼を見つめるリンリンの眼光は鋭い。
「おれは"何だ"って聞いてんだよケダモノ野郎」
 不躾な謁見に対する不快感がこれでもかと滲み出ていた。
 視線にすら物理的な圧力が宿る格の違った存在感。
 それを涼やかに受け止めながら「これは失礼」と、リンボ。
「拙僧、そこな北条沙都子…此処では黄金時代(ノスタルジア)と呼ばれる童のサーヴァントにございます。
 クラスをアルターエゴ。しかし拙僧は少々特別です故……どうぞ"リンボ"とお呼びください」
「アルターエゴ…? へぇ、こりゃ珍しい…! エクストラクラスってやつだね?」
「いかにも、いかにも。本当はもっと早くご挨拶に伺いたかったのですが…ンン、この場所にはあまりに童が多い。
 率直に――毒でしょう? 拙僧のような者が大手を振って歩けば、只でさえ脆い彼らの心をよりかき乱してしまいまする」
 ガムテを一瞥し、本性を知る者からすれば吐き気がするような爽やかな笑みを向けるリンボ。
 ガムテはそれに笑顔で応じることが……出来なかった。
 彼の眉間に寄ったのは皺。
 見抜いたからだろう。分かったからだろう。
 そして納得もしたに違いない。
 沙都子が頑なに、ガムテ達に自分のサーヴァントを見せなかったことに。
「…おい黄金時代。テメェなんて野郎連れてやがる」
「だから言っていたでしょう、出したくないと」
「出してんじゃねえかッ」
「勝手に出たんですのよ! 私だって知りませんわ…!」
「舞踏鳥が知ったらどんな顔するか、想像しただけでも戦慄(こえ)えよ」
 悪意ありきで尽くす礼儀。
 片膝を突いて臣下のように振る舞いながら、リンボは頭を抱えるマスター達二人をよそに言った。


513 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 23:04:48 6QPzoZYU0


「聞けばもうじき貴女のご同輩が此処へやって来るとか。
 不肖の身ではございますが…拙僧めの仕入れたある与太話を、御二方の酒の肴にさせていただきたい」 
 嵐の訪れは近い。
 その中で妖星は爛々と輝く。
 たとえ腐れ縁の海賊二人が殺し合おうと。
 嵐の先に待つ凪を待ってリンボは嗤い続ける。
 彼は災厄を遣うもの、手繰るもの。
 悪霊左府を率いて都を襲った逸話をなぞるように。
 令和現代の都にて、蘆屋道満はかくも図々しく跳梁するつもりでいるのだった。

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康、苛立ち(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券。
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。
1:これから起こるだろう事態への対策。いい加減にしろクソババア〜!!
2:283プロへの攻撃は今は控えさせる。でももう新宿抗争(ジュクセンソー)があったし良いかな
3:あのバンダイっ子(犯罪卿)は絶望させて殺す。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
5:黄金時代のサーヴァントに強い警戒。こいつはダメだ。
6:そっか、いるんだ。殺島の兄ちゃん。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。

【ライダー(シャーロット・リンリン)@ONE PIECE】
[状態]:健康
[装備]:ゼウス、プロメテウス、ナポレオン@ONE PIECE
[道具]:なし
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:邪魔なマスターとサーヴァント共を片づけて、聖杯を獲る。
0:アルターエゴ…マ〜マママ。さあてどうしたものかねぇ?
1:あの生意気なガキは許せないねえ!
2:ガキ共はビッグマムに楯突いた事を必ず後悔させる。
3:北条沙都子、プロデューサーは傘下として扱う。逃げようとすれば容赦はしない。
4:カイドウを見つけて海賊同盟を結成する。

※SNSの画像よりカイドウがいる事を確信しました。
※鏡面世界から腕を出して新宿区近くの鏡のあるポイントから覇王色の覇気を送っています。
具体的に何処で行っているかは後続の書き手にお任せします。


514 : あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 23:05:32 JGqp0.DU0

【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:健康、頭を抱えてる
[令呪]:残り3画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
0:何してるんですの………………
1:最悪脱出出来るならそれでも構わないが、敵は積極的に排除したい。
2:割れた子供達(グラス・チルドレン)に潜り込み利用する。皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?
5:にっちもさっちも行かなそうなら令呪で逃亡する。背に腹は代えられない。

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/式神)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:???
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:マスタ―には当分従いましょう。今の拙僧はあの幼子の走狗なれば。
2:新宿区の地獄を眺めに行くか、リンクの切れた式神の調査を行うか…
3:式神は引き続き計画のために行動する。田中一へ再接触し連合に誘導するのも視野
4:…のつもりでしたが、やめました。祭りの気配がしますぞ、ンンン――。
5:式神にさせるつもりだった役目は本体が直接担うことに変更。何をするつもりかはおまかせします。
6:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
7:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
8:機会があればまたプロデューサーに会いたい。

[備考]
※式神を造ることは可能ですが、異星の神に仕えていた頃とは異なり消耗が大きくなっています。
※フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)の真名を看破しました。
※地獄界曼荼羅の第一の核としてフォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)を見初めました。
 彼女の再臨を進ませ、外なる神の巫女として覚醒させることを狙っています。
※式神の操縦は一度に一体が限度です。本体と並行して動かす場合は魔力の消費が更に増えます。


515 : ◆EjiuDHH6qo :2021/12/06(月) 23:05:55 JGqp0.DU0
投下終了です


516 : ◆zzpohGTsas :2021/12/06(月) 23:57:27 qCqML9EI0
エッエッ……? 明日で締め切り……ってコト!?(無計画書き手)
延長ついでに投下します


517 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/06(月) 23:57:52 qCqML9EI0
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     昨今、世界は頽廃している。この世の終末が間違いなく近づいている

            ――古代アッシリアから発掘された楔形文字の粘土板。約5000年前の物とされる





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518 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/06(月) 23:58:36 qCqML9EI0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 その男の帰還を目の当たりにした時、誰もが、死人が目の前で蘇ったのを目の当たりにしたような驚愕の表情を浮かべていた。
ロングコートを着流す、銀髪の美青年。大の大人であってもたじろぐ程の威圧感をオーラのように纏わせ、それが嫌味でも何でもなく様になる男。
この邸宅に働く者達の中に在って、青年の態度や言動を咎める者は誰も居ない。それが許される立場であるから。――それが許される、絶対的な支配者であるから。その倨傲に相応しいだけの才覚を持ち、カリスマを持ち、知性を持つ。峰津院財閥の構成員達から見た、峰津院大和とは、そんな人物だった。

 皇帝を意味する言葉であるところの、カイザーの語源となった男、カエサルですら、その名誉と名声を絶頂にまで押し上げ、
王としての才能の全盛に至らせたのは、頭の毛が薄くなり禿散らかって来た50過ぎの事である。
大和は、違う。生まれながらの帝王であり、賢者だった。日毎に、全盛期を刷新して行く末恐ろしい時代の寵児だった。
やがては財閥と言う組織の枠すら超え、総理大臣をも超える新たなる国政のリーダーとしてのポジションを創設し、其処に君臨し得る何者かに至り得る、神の子でもあった。

 その大和が、もしや死んだかも知れないと言う報告が上がった時には、財閥は一時騒然となった。
新宿区を揺るがした、未曽有の大事件。その情報は勿論、峰津院財閥のネットワークにも引っかかっていた。
……と言うより、これは最早引っかかったとか以前の問題である。どこぞの誇大妄想狂(メガロマニア)が大通りで刃物を振り回して人を殺した、等とは訳が違う。
建造物が幾つも倒壊し、何百人を容易く超える都民及び外国人旅行者達が命を失うと言う、人災を遥かに飛び越えた域の大事件が起こっているのだから。
事件の沿革は勿論の事、正式な死亡者・死傷者の数すら判別出来ない。何せ数分経過する度に、死者の数が何十人と増えて行き、軽・重を問わぬ負傷者の数に至っては、
これに数倍する形で増加していくのだ。倒壊した建造物の数は何百棟をも容易く超え、これによって生じた土煙があまりに酷過ぎて視界不明瞭に陥る為、
現場に入ると捜査すらままならないのだ。事件の全貌も、被害の規模がどれ位なのかの見通しも立たず、しかし、それが嘗て前例が存在しない程の重大なインシデントである事が誰にでも解る。これは最早、天災の域を超えた、『厄災』そのものであった。

 その災厄の真っただ中に、峰津院大和が巻き込まれているかも知れないと言う可能性を考慮した時、財閥は大パニックに陥った。
財閥の構成員の中には、大和のスケジュールを理解している者もいる。当日になって初めて知らされる者もいる。そもそも、知らされないような下っ端もいる。
大和の本日の予定を知る、所謂上級幹部から、パニックは広まった。何て事はない、スケジュールから逆算すれば明らかだ。
新宿を巻き込んだ大災害、それが勃発したと思しき時間近辺には、大和はその場所で会合を行っている筈なのだから。

 峰津院財閥は確かに、大和が居なくとも回る組織である。それは、組織と言う仕組み、システムが完成している事を意味する。
だがそれは、峰津院大和と言う当主が文字通り存在しない――死んでいても回る、と言う事ではないのだ。当たり前の話ながら。
大和が生きていて、当主と言うポジションに収まっている上で、彼が仕事をしなくとも回る組織であるのだ。頭の大和が死んでしまえば、文字通り財閥は機能不全になる。
諸所の雑務であるのならば兎も角、大和の意志と手がなければ回らない重大な業務が存在する為である。例えばそれは、意思決定であったり、対外機関との折衝であったり。
峰津院大和とは、峰津院財閥における、まさに欠くべかざる脳(ブレーン)。彼の判断の下で、財閥の手足となる様々な会社や機関は動くのであり、これを欠けばどうなるのかなど、言うに及ばずだ。

 肝心の大和に対して幹部達が連絡のTELを入れても、まるっきり反応がない。
ならば、と、大和の側近の一人である真琴に対してTELを入れても、これも繋がらない。
「新宿区に構成員を送り捜索を行うべきだ」、「いや警察や自衛隊を動かした方が良い」、「駄目だそれをやれば財閥に何か危機が起きたのだと感づかれる」。
その様な侃々諤々の議論を行い、何をすべきか、どのような判断を下すべきか紛糾していたその折に――新宿区は峰津院大和の邸宅に、そのオーナーがやって来たのである。

「……フッ。今までそれが当然だったから気にも留めなかったが……出迎えがないと言うのも新鮮だな。気分転換には丁度良いか」


519 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/06(月) 23:59:01 qCqML9EI0
 大和が本宅に帰還した場合、その10分前には、其処で働く構成員や使用人達は玄関先で整列し、大和を待ち構えなくてはならない。
そして、帰還と同時に、礼、だ。お辞儀のタイミング、角度、これを維持する時間。全てが皆、判で押したように同じ。統率の逸れたマスゲームを見ている気分になる。
そう言った慣習が当たり前の物と大和は認識していた為、ないならないで、新鮮な気持ちだった。

「如何した、何を呆けている。私が戻ってきたのだ。深々と頭を下げろとは言わんが、せめて軽くお辞儀位はしておけ」

 正門から堂々と入って来て、玄関先で慌ただしく動き回っていた無数の財閥職員達の姿を眺めながら、大和は言った。
其処で漸く皆、我を取り戻したらしい。一列に並ぶと言う事すら忘れ、その時自分が立っていた位置でそのまま、深々と一礼し始めた。

「ご、御当主様!!」

 黒いスーツを纏った、年配の構成員が此方に駆け寄って来る。父親の代から仕えていると言う、財閥の幹部クラスの一人だった。

「よ、よくぞご無事で……御身にお怪我は……?」

「息災だ。だが、流石に新宿から此処まで歩いてくるのは疲れた」

 背後を振り返り、朦々と土煙が立ち込めている新宿区の方角を見上げてから、目線を年配の幹部に移した。

「状況が状況だ、今日この後の私の予定は全てキャンセルだと、先方に伝えておけ」

「承知致しました」

「私は休息を取らせて貰う。キャンセルを伝え次第、新宿を筆頭とした23区内に起きた様々な異変……それによって滞りの生じた業務についての解決に当たれる職員に仕事を振れ」

「承知致しました」

「……迫からの連絡は来ているか?」

 思い出したかのように、大和は尋ねた。
迫真琴。大和の側近の一人だ。新宿があのような事態に陥るまでは、大和の秘書として付きっ切りであった。
戦いに巻き込まれて死んだ可能性もあるし、逃げおおせた可能性もある。或いは、大和の事を必死に捜索している可能性もゼロではない。
どちらにしても、その行方は杳として知れない。大和に連絡が行っていないからである

「さ、迫ですか……。申し訳御座いません、彼女からの連絡はまだ来ておりません」

「解った。奴から連絡があり次第、私に取り次ぐか、それが無理そうなら此処に来させろ。良いな」

「承知しました……」

「暫く一人にしてくれ。それと、昼を抜いてしまった。並行して、夕食も用意しておけ」

 其処で大和は確固とした足取りで邸宅の中に入って行き、この場を後にする。
彼の姿が邸内に消えるまで、財閥の関係者達は全員礼をしたままだった。彼が消えてもなお、数秒は、その態勢を維持し続けていた。王に対する礼儀が、そうであるかのように。


.


520 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/06(月) 23:59:21 qCqML9EI0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 執務室に、大和は戻って来た。
大和が主として使う部屋は特に、ハウスキーパーが細心の注意を払って掃除を行き届かせている。執務室もそんな場所の一つであり、そこには埃一つ見受けられなかった。
絨毯、本棚、スチルラック、来客用のソファにガラステーブルに、大和が執務に用いるマホガニーのデスク。
大和がいつみても、今しがた掃除を終え、ワックスでも塗ったかのように、ピカピカの状態を維持している。カーテンすらも毎日洗濯を欠かしていない。
いつだとて香るのは、太陽と洗剤の芳香。ハウスキーパーが一切、己の職務に手を抜いていない証拠が、此処にはあった。

 仕事ぶりは、いつも通り。
特に何かに目を配らせるでもなく、執務机であるマホガニーのデスクまで歩み寄る大和。
そこで身体の向きを彼は変えた。机に向かってではなく、入って来たドアの方に身体を向け、口を開く。

「構わんぞ」

 大和がそう告げた瞬間、殺意が爆風となって室内に荒れ狂った。
一瞬で実体化したベルゼバブは、大和の反射神経を容易く凌駕する速度で、彼の首根っこをガッとひっ掴む。
そのままデスクに背面から叩きつけて、行動を著しく制限させてしまった。制限と言っても、手足は動くのだが、そんな事はベルゼバブの前では些末な問題でしかない。
この状態での大和に出来る事などたかが知れているし、そもそも何かアクションを起こそうとした瞬間にベルゼバブがこれに反応して、殺しに掛かれるのだ。
要するに、この状態、大和にとっては限りなく詰みに近い状態である。生殺与奪は完全にベルゼバブが握っており、大和を生かすも殺すも、正しくこの鋼翼のランサーに全て掛かっている訳だ。

「……」

 大和から、此方を押し倒しているベルゼバブの顔が良く見える。
これ程まで、怒りに燃えている、と言う感情が、露骨な表情もあろうか。仏の怒りの発露であるところの、不動明王ですら、斯様なまでの表情はとるまい。
悪鬼羅刹ですら、こうも行かない。大和の事が、殺したくて殺したくて堪らない。そんなような表情を、ベルゼバブは浮かべている。
果たして今のこの様子を見て誰が、この主従こそが新宿に災禍を齎した片翼であり、現状の界聖杯における最強の主従の一人だと思おうか。
此処まで解りやすい仲間割れを引き起こし、消滅覚悟でマスターの事を殺そうとするサーヴァントの姿からは、とてもではないが、本戦まで生き残れる程の説得力を感じさせない。本来ならば、予選の時点で淘汰されて然るべき、程度の低い関係性であった。

「いや、驚いているぞ。貴様が其処まで辛抱強い性格だったとはな。正直な話、此処に来る途中の路地裏で、我慢出来ずに殺しに来ると思っていた」

「この状況下で其処までの軽口を叩けるとは。勇敢を通り越して、阿呆か貴様は?」

 現状を余りにも認識していない大和の言葉に、更にベルゼバブの心はささくれ立つ。
大和とベルゼバブ、互いに戦えば言うまでもなく勝利するのは、ベルゼバブの方だった。
それは、大和がケルベロスと言う規格外の存在を従えて戦って居てもなお、勝敗の構図が変わる事はない。
互いに万全の状態で戦って居てもこれであるのに、今のこの状況下において、大和が有利に転ずる可能性などゼロに等しい。ベルゼバブの意思一つで、峰津院大和の命は、消し飛ぶのである。

「余の言いたい事は解るな」

「それは此方の台詞だ。言いたい事など私だとて山ほどある」

 大和にかける力をベルゼバブが更に強めた。
ミシミシ、メキメキと、不吉な音が生じて行く。大和からではない。大和が押し付けられている、デスクから。


521 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/06(月) 23:59:54 qCqML9EI0
「余は貴様の発言を許可していない。死にたくなければその口を閉じろ羽虫」

「強がるなランサー。お前が私を殺せない事を見抜けぬと思っていたか?」

「此処で貴様を殺す事を余が躊躇する存在だと、思っているのなら随分余を下に見るものよ。貴様が如き羽虫、いつでも殺しても構わぬのだぞ」

「クックククク……笑わせてくれる。貴様を召喚して早一ヵ月、その間私を生かしていた事こそが、既に私を殺せぬ事の証拠よ」

 嘲笑。自分の命が、まさにゼロカンマの一瞬間の内に消えてなくなる様なこの状況に陥ってなお、峰津院大和と言う男は、余裕の態度を崩しすらしない。自分の命が潰えて消える、その可能性を、恐れてもいなかった。

「貴様も現実を理解しているだろう? 我々は何人の主従を屠って来た? 幾人のマスターを見て来た? なぁランサー、貴様の性格だ。貴様は私よりも遥かに優れた資質のマスターに鞍替えする事等、最終的な目的の為なら造作もない事だろう。何故それをしなかった?」

「――」

「『いなかった』のだろう? 私より優れたマスターが。その事を、実感したんじゃないか?」

「……羽虫めが……!!」

 大和の言葉は、痛い程に、ベルゼバブの急所を突いていた。
この銀髪の美青年の考察は、ベルゼバブ、と言う人物のパーソナリティを正確に捉えていた。
そうだ、ベルゼバブが大和、ひいてはマスターと言う立場の人間の意見を汲み、生かしておいているのは、マスターがベルゼバブと言うサーヴァントを現世に留め置く要石だと、
理解しているからに他ならない。もしもベルゼバブがマスターと言う存在が不要なまでのスタンドアローン性を得て、かつ、マスターに利用価値がないと判断したならば。
そして或いは、今のマスター以上に優秀にマスターが他にいたのであれば。峰津院大和と言う生意気な小僧など即座に殺してしまい、その優秀な方のマスターを利用とするだろうし、マスターがいらないレベルで単独行動出来る機会、つまり受肉の機会があっても同じように殺してしまっていただろう。

 大和の言う通りである。彼以上に優れたマスターが、いなかったのである。
マスターと言う観点から見た場合、大和と言う人物は極めて異常な存在である。単体でサーヴァントを相手に渡り合える程の戦闘能力もそうだが、何よりも特筆するべきはその魔力。
サーヴァントの強さと、彼らの活動の為に消費される魔力の量は正比例の関係にある。当たり前だ、優れたサーヴァントであるのに魔力の燃費も良く、
現界出来る時間もそれに応じて長いと言うのは、道理が通らない。強力なサーヴァントはその分、燃費も悪い。絶対に近しい法則である。
ベルゼバブとて、このサーヴァントとして召喚されている以上、この天則には逆らえない。本来、ベルゼバブレベルのサーヴァントを従えていながら、一ヵ月も、
魔力を枯渇させる事無く生活し続ける事など、並の魔術師には不可能な事柄である。普通であれば、霊体化を常時させておき魔力の消費を抑えておき、『ここぞ』の場面に備えるものだ。
勿論大和もそのセオリー通りに動いてはいたが、それでも、霊体化で節約出来る魔力の量以上に、サーヴァントを留め置く為に必要な魔力の方が多いのだ。
況して大和達は、本戦に至るまでのその過程で、20組を容易く超える主従をこの手で葬っている。にも拘らず、大和の魔力は不動。プールを越えて最早湖、それどころか海に形容され得る魔力量だった。

「今更、死に怯える私ではないが、それを抜きにしてもこの状況は恐れるに足りん。死なぬと解りきっているショーに対し、誰が怯える物だと言うか」

 普段の言動や態度から見ても明らかなように、ベルゼバブにとっては他人など、彼の語る通り羽虫である。
自分以外等しく、価値がない。敵か、道具、もしくは、塵。それでしかない。だが、それでは物事は進展しないし好転もしない、最強の道を歩み続ける事もまた難しい。
見るべきものなどまるでないと言いつつも、その実、他人を見ているし、区別している。だからこそ、新宿を破壊した片割れのライダーであるカイドウや、
月の兵器に良く似た少女であるシュヴィ・ドーラ、己が所業の報いだと言わんばかりの必罰の斬傷を刻んだ継国縁壱。本戦で戦い、或いは相見え、取り逃したサーヴァントの事は覚えている。
マスターにしても同じだ。ベルゼバブはサーヴァントとそのマスターの姿を見るや、マスターの素質を、その目で測っていたのである。


522 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/07(火) 00:00:21 I5rNQ/D.0
 ――話に、ならなかった。
他の聖杯戦争のマスターを見て、見聞を広げれば広げる程、峰津院大和の優秀さが浮き彫りになるだけだった。
最も肝要となる魔力の量と言う面では、殆ど全てのマスターが水溜まり程度の量でしかなく、ベルゼバブを満足に動かすには到底足りない。
ロール的な面に至っては、論外である。元々財閥の当主である大和に対して、ロール面で優位に立とうと思ったのならば、大企業の取締役だとか総株主、
と言うレベルでは最早効かない。大和の立場はそんな彼らを容易く上回る。どころか、下手な衆参の議員ならば、顎で使える立場なのだ。これより上のロールを所望するとなれば、最早総理大臣位しか択がない。

 見れば見る程、自分に相応しいマスターは、この世界に於いて大和一人のみ、と言う現実が露呈する。
立場も優れていれば魔力も潤沢、一々此方が世話を焼かないでも問題ない実力と機転を有し、極めつけには頭もキレる。
凡そ、マスターとしてはこれ以上とない優良物件。如何なるサーヴァントであろうとも、大和の下で戦うのであれば、何らの不足もあるまい。

「余を、脅すか? 人の分際で」

「ほう、羽虫から人呼ばわりか。随分立場を上げてくれるな、粘り強くコミュニケーションを取り続けた私の苦労が実ったか」

 ――唯一にして最大の、ベルゼバブが大和を気に入らぬ理由。それはこの、大和の性格だった。
優秀さに裏打ちされた、その傲慢かつ驕り高ぶったその性格は、ベルゼバブの最も気に入らないそれであり、――ベルゼバブは死んでも認めなかろうが――同族嫌悪を想起させる。
要は、大和はベルゼバブをまるで恐れていない。彼を立てるでもなく、対等な立場で平気で指示を飛ばしてくる。
その指示が的確な内はまだ良かったが、ベルゼバブの想定していた理想を大幅に下回る働きしかこなさず、剰え、そのまま行けば楽に殺せていたであろう縁壱を相手に撤退を命じ、
勝利を譲る等と言う腸が煮えくり返らんばかりの行いすら許してしまった。この失態が、ベルゼバブの辛抱を爆発させてしまった。

 この、自分は殺されないと思っている、余裕な態度が、なによりもベルゼバブの神経を逆撫でさせる。
ベルゼバブが大和以上に優れた資質のマスターがいない事に気づいたように、大和もまた、自分以上に優れたマスターが居ない事に、とっくに気付いていたのである。
ベルゼバブが聖杯を望むその限り、自分が死ぬ事はない。大和の余裕の裏付けとなる考えであり、そしてそれが、真実であった。

「余が……界聖杯への未練で、貴様を殺す事を躊躇すると思っているか。見縊るなよ、峰津院大和……!!」

「……意外だな。私の名など当に忘れている物かと思ったが。存外、自分以外に興味があるじゃないか」

 これは本当に驚いていたらしい。大和にしては珍しい、驚きの表情だ。
まさかこのランサーが、人の名前を素直に口にするなど、思ってもいなかったからだ。

「その興味に対して敬意を払う。二度は言わん。肝に銘じて、自覚しろ」

 今にも命を失いかねないその態勢のまま、大和は口を開いて言い放った。

「貴様と契れるのは私だけだ。お前は何処にも行けはしない」

「――ヤ、マ……ト……ォ!!」

 大和が背中を押しあてられているその机が、凄まじい音を立てて、木っ端微塵に砕け散った。
数㎝単位にまで破砕されたマホガニーの木片は部屋中に飛散し、デスクの中に置かれていた重要機密書類もまた、子供が無我夢中で契って見せたような細やかな紙片となって舞い飛んだ。
絨毯に堆積する木片の上に、大和が押し倒された。後頭部を勢いよく打ち付けられるも、大和は苦悶の一つも上げる事がなかった。

「私の理想は知っていよう。強者にならば殺される事だとて是としている。貴様にならば殺されたとて、切歯扼腕する事もない」

「志半ばのこの状況下でも、か……!!」

「元より帰る場所も、魂が還る故郷もない。この世から命が一つ消えた所で何も不都合はないだろう。些細な事さ」


523 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/07(火) 00:01:05 I5rNQ/D.0
 肝の据わっている男だった。声になんの揺らぎもない。抑揚のない、淡々とした語調。
元より大和には、死をネタにした恫喝が一切通用しない事を、ベルゼバブは当に見抜いていた。これ以上の真似は、己の格を下げる事になると判断したか。
額に青筋を浮かべながら、大和の顔を睨み付けるベルゼバブ。数秒程、経過した頃だろうか。大和の胸元をガッと掴み、そのまま、背後に放り投げてしまった。
放物線を描いて大和は投げ飛ばされて行き、バンッ、と言う音を立てて、扉に勢いよく背面から衝突する。それでも、受け身は取っていたらしい。
両足からスタリと着地。そのまま、ドアに背を預けた態勢のまま、腕を組んで直立していた。

「才能に救われたな、羽虫……」

「そのようだ」

 目頭を押さえ、一息つく大和。受けた衝撃によって混濁気味の頭の中を、明瞭にさせる為であった。

「……契り、と言う言葉の意味と重みは私も知悉している。戯れには使わん」

「何が言いたい」

「私としても貴様以上のサーヴァントが見当たらなかったと言う事さ。貴様以外のサーヴァントに鞍替えするつもりはない」

 何て事はない。ベルゼバブが対峙したマスターの事を観察していたように、大和の方も、対峙したサーヴァントをよく見ていたと言う事である。
彼もまた多くのサーヴァントを眺め、ベルゼバブが乱心を起こした際に鞍替え出来る存在か如何かを判別していたが――結果は、ベルゼバブと同じだ。
誰も彼も、大和が共に理想を目指そうと誘いたくなるような手合いではなかった。ある者はこの聖杯戦争を勝ち抜けるだけの実力がないとして。
またある者は大和が掲げる実力主義を迎合出来るかと言う思想面で。大和が合格の印を出せる基準を満たすサーヴァントは、未だ存在しなかった。

「……ふっ、フフフ……」

 顔を俯かせ、大和が、クツクツと笑い始めた。

「何がおかしい」

「笑いたくもなろう。私を捨てんと他のマスターを具に品定めし、誰も見つからなかった貴様。貴様が馬鹿な事を考えて裏切った時の為に、乗り換え先のサーヴァントを探そうとしていた私。結果はどうだ、双方共に目当ての物は見つからず、結局何処までも我々は組み続けるしかない」

 「――全く何処までも」

「歪で、皮肉な関係だと思わんか」

 互いに互いを利用しあう、ビジネスライクの関係。或いは、片方は信頼しているのに、片方は裏切りの算段を付けている関係。或いは、当初から、険悪な関係。
聖杯戦争に参加する主従が一蓮托生の間柄と言えど、究極の話、人と人だ。聖杯を勝ち取るその時まで、または脱落してしまうその時まで、仲良しこよしとは簡単に行くまい。
何処かで楔が打ち込まれる主従も居れば、亀裂に至る小さな傷が刻まれる者達もいるし、冷え切ってしまいそれどころじゃないタッグもいるであろう。
大和達はそれ以前の問題だ。亀裂など早い段階から生じていただろうし、互いが互いを利用し、互いが互いを裏切る算盤だとて、召喚当初から弾いていたに違ない
其処までやって至った結論が、組む事を貫くしかないと言うどうしようもないそれ。どれだけ互いを嫌悪しようとも、最早認めるしかない。


524 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/07(火) 00:01:18 I5rNQ/D.0
 大和が気に入らない。その性格に、嘗て自分を出し抜いた、腐れ縁にして唯一の友を、ベルゼバブは見出してしまう。
ベルゼバブが気に入らない。傲岸不遜とは、を象徴するこの驕慢児は、駒としては落第寸前だ。全く以て扱い難い。
だが、優秀なのだ。強いのだ。そして――自分自身の才能を最大限認めている存在なのだ。だから、裏切らないし裏切れない。
如何な綺麗言を並べ立てようが、聖杯戦争を勝ち抜く為に必要なのは慈愛の精神でもなければ互助の精神でもなく、況して分け隔てなく全てを救って見せるような善性ではない。
何処まで行っても、他を蹂躙し粉砕する暴力。奸計を練れる悪知恵。非情に徹せられる残酷な心持。そして、強靭で、決して折れない、不撓不屈のメンタリズム。
大和とベルゼバブは、これを有していた。それも、高すぎるレベルで。互いに優秀だから、組んでいる。要するに、利害の一致である。
だが利害の一致は時に、愛だとか信念だとか、友情と言う物に匹敵するかそれを上回る、強固かつ堅固な関係性となる。大和とベルゼバブはまさしくその関係性であり、致命的な歪みを抱えていながらもその実、先に戦ったおでんや縁壱、リップやシュヴィと並ぶ程の強い絆で結ばれている。だからこそ、大和とベルゼバブは、最強の座に限りなく近い主従の一組なのであった。

「……人の才能のなさには辟易する」

 怒りと、呆れの入り混じった低い声で、ベルゼバブが言った。

「羽虫。貴様の命、この一瞬間に奪った程度では、余の怒りは収まらん。界聖杯……それを目前にして、貴様は死ぬのだ。理想の世界を成就させる全て、それが手を伸ばせば届く距離で、貴様の命を潰えさせてくれる」

「その時が愉しみだ、ランサー。サーヴァントと言う、現世に投射された英霊達の影法師にして夢幻。貴様は、界聖杯の在る玉座に足を踏み入れたその瞬間、泡沫の夢のように溶けてなくなるのだ」」

「ほざけ」

 限りなく敵に近しい関係であり、限りなく運命共同体に近しい関係。聖杯戦争のサーヴァントとマスターの関係と言うよりは、最早一触即発の敵同士の会話であった。
大和はベルゼバブとの会話もそこそこに、右腕に巻かれた腕時計の時刻を確かめ、頃合いか、と呟いた。

「積もる話もあろう。が、此処で話すのも落ち着くまい。食事の席を用意してある。其処で話すとしよう」

「……良かろう」

 そう言う、事になったのだった。


.


525 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/07(火) 00:01:35 I5rNQ/D.0
前半部の投下を終了します


526 : ◆EjiuDHH6qo :2021/12/08(水) 01:01:15 Cvb7VGN20
投下乙です。
昨夜の投下ですが、モリアーティ (憂国)から受け取ったスマートフォンの行方についてwiki収録の際に追記させていただきました。
具体的には猗窩座がスマートフォンを所持した上で霊体化していると隠し持つことが出来ないため、持ち主を彼からPに変更した形になります。

田中&アサシン、仁科鳥子&フォーリナー、アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)予約します


527 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/08(水) 20:42:22 Z02InQ3A0
延長します


528 : ◆0pIloi6gg. :2021/12/09(木) 00:11:32 Eo4dykbo0
延長します・


529 : ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:39:24 LcIg3pco0
ひとまず前編のみ投下させていただきます


530 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:40:01 LcIg3pco0
 
ミズキたちにとって、このタイミングでハクジャたちと出会えたことはまさしく僥倖といったところであった。

まず大前提として、皮下医院の崩壊があった。
チャチャとは違い、葉桜の過剰適応によって得た能力が物理的な干渉力を所持していたアオヌマ。
彼が這う這うの体で己の生存域を確保し、ドクロの角の墜落による即死を免れながらなんとか瓦礫から抜け出して、皮下と合流――した後すぐに鬼ヶ島にブチ込まれて雑用として働くハメになる――までの間。
それまでの間に、彼は現状を分かる範囲で仲間に報告していた。
チャチャが残していた電子回路自体は幸いまだ機能していたのもあって、災害時においても繋がる緊急用のホットラインが繋がったそれは、外にいる『虹花』の仲間たちへと緊急事態の共有を可能としていた。

『アイドル探してる場合じゃねえ。病院が丸ごと潰れちまった』
『さっきのアレで死んでなければとっとと戻って来い。あの人のことだからどうせキレねえだろ』

それはアオヌマの独断であったが、しかし皮下真という人物をよく理解しての発言でもあった。
皮下という男が、極論仲間の命はどうでもいいと思っていること。
それはそうと、手駒としての仲間を極力大事に思っているのも事実であること。
正直に言えば嫌がらせにすぎないアイドルにちょっかいを出すことと比べた際に、流石に自陣の被害が大きすぎたこと。
最後の一つに関しては皮下に限らない反応だろうが、ともあれ、それらの方針から導き出される答えは「一旦ちょっかい出すのはやめて自陣で状況を立て直すのを手伝った方が、有能な手駒が欲しい向こうも好き好んで消されたいわけじゃない自分たちも得をする」ということで。
したがって、ミズキもアイを伴って集合場所のアジトに直帰する、という結論に至っていた。
とはいえ、それでも車は使えない。元はと言えば自分たちの味方が引き起こした大規模災害は各種交通機関を致命的なまでに麻痺させるには十分であり、都心の交通量も手伝ってあっと言う間に整然とした大行列を形作る。
従って、ミズキは車を降りた後にアイの身体能力を借りて移動することを選んでいた。メンタル面を考慮し、ここではアイにはチャチャや仲の良い実験体の死亡については伏せて。

ここで、ひとつの偶然が発生した。
新宿の近隣を通るアジトへの道からそう遠くない場所で、ハクジャの反応があったのだ。
そしてそれは、情報収集した限りでは新宿での大戦争の余波を食らっている筈の場所でもあった。
彼女は幽谷霧子と共にいるはず。ならば霧子自身は死んでいるということもないだろうが、付き添っているハクジャの安否が不明であり、よしんば生きていても混乱によって取り逃したということも十分に有り得る。
そうした状況の整理も鑑みて、二人はハクジャの元へ立ち寄ることを選んだのだった。
つまるところ、ここに皮下の手下が集合したのは、ある程度運が味方したもの。
これがもう少し離れていれば彼等が立ち寄ることもなかっただろうし、ハクジャの側から安否を送っていただろう。間隙を縫うようにして、結果的に彼等は霧子を包囲することに成功していた。


531 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:41:49 LcIg3pco0
 
「……成程……」

――ああ、それで?

「……だが、運がない」

此処に来たのが運だと知っていたのなら、それは悪運に他ならないと、そう黒死牟は断じていただろう。
折しも大災害の跡地の一角。この建物が己の剣によって奇跡的に死人を防いでいるとはいえ、後から検分でもしない限り誰が死んでいてもおかしくはない場所だ。
                    ・・・
ならばこそ、己のマスターをつけ狙う間諜を事故死に見せかけるのであれば、此処を置いて他にないくらいの絶好の瞬間。
殺し合いをただ生き残るためであっても、ここで殺すのは当然の選択といえるだろう。

そう。
その、筈なのに。

「……駄目、です……」

他ならぬ己のマスターがそれを庇い立てしているというのだから、黒死牟にとっては本気で意味が分からなかった。
ミズキとアイ、そしてハクジャが三人で集まるのをこれ幸いと一刀に伏そうとしたところで、この少女が己の腕を握ったのだ。
振り払うことは容易だが、先程令呪を使って己だけでなくハクジャを守ったことも考えれば、最悪ここでもう一画を使ってくる可能性もある。
今はもう二画となった、絶対命令権にして絶大な魔力リソースである令呪を、これ以上無駄にするという愚行をこれ以上犯されても困るのだ。
その一線が分かっているからこそ、黒死牟は一度剣を止めているが――それでも、間諜どもの出方によってはそれすら覚悟で一刀に伏さなければならないだろう。

「……霧子さんがマスターである可能性については、既に伝えています。ここで我々をどうしたとしても、あなたたちは彼の捕捉の下にあると考えていただきたい」

そんな黒死牟の思考を更に逆撫でするかのように、ミズキは滔々と語る。
語り口は平坦なれど、そこに慢心もなければ虚勢もないことが、皮下が誇る陣営の強さに裏打ちされた事実であると伝えるかのようで。

「私としては、何も言わずに着いてきていただけると幸いなのですが。そちらが積極的に敵対さえしなければ害することはありません」
「何を……世迷言を……」

そんなミズキの言葉に対して、苦々し気に黒死牟は斬り捨てる。
その六つの目が三人を睥睨したかと思えば、苛立つように吐き捨てた。

「貴様等……恐らくは何等かの改造か薬を服した身であろう……既に人に在らぬ肉体で……何を語る……?」
「――ッ」

霧子が小さく息を吞む音。仮にも医術に興味を抱くものとして、感じ入るものもあったのだろうが、今はそれも本題ではない。
黒死牟の透き通る目は、ハクジャ、ミズキ、そしてアイの三者三様の肉体の構成を既に見抜いている。
本来の人間ではありえない構造をそれぞれ各部位に持つ彼らのそれは、自然界にはあり得ない。その上で医者だと言うのであれば、肉体改造、薬物投与、他にも諸々の処置を施していることは文字通り目に見えていた。

「……ハクジャの力も見られている以上、言い逃れはできませんか。おっしゃる通り私たちは皮下によって施術を受けている身です。
 本来なら何の力も持たなかった筈の存在ですが、この通り――あなた達サーヴァントには及ばずとも、ある程度のマスターと渡り合うだけの力はあると思っていただきたい」

こんなふうに、と言わんばかりにアイの頭を軽く撫でる。
ミズキを見上げすり寄ってくるその頭からぴょこんと伸びた獣耳。自然の人間にはあり得ないその変異も、なるほど非人道の医術によってなされたというなら理解は及ぶ。
物語の中にいるマッドサイエンティストさながらのその所業を見れば、常人なら忌避して当然。
未だに専門教育を受けていない学徒の身であっても、半端に医術を学んでいるならば猶更、そんな人間に近寄りたくはない。
一般人であるなら、今すぐ逃げて関わらないことを選んでもおかしくないだろう。


532 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:43:30 LcIg3pco0
 
「ですから、信用されていないのは十二分に理解できています。
 ――そして、私たちはその上で、あなた達に話を持ち掛けている」

――けれど、元より皮下の陣営に身を置くものとしても、穏当に済ませられるラインはとうに超えている。

皮下医院、もとい主従を盤石にしていた陣地が表裏共に甚大なダメージを被った以上、悠長に小競り合いを仕掛けていられるラインは踏み越えられた。
ならば、可能性の器としてほぼ確定している相手に対して、ただ傍観し続けることは得策とは言えない。
即ち、ここに至っては敵と味方の線引きを明確にしておきたい、という訳だ。
この場で皮下の軍門に下り、傘下として戦うならば良し。
そうでなければ、今後二人は皮下の『敵』として認定される、ということ。

「ついでに――必要とあれば、283プロダクション自体を検めさせてもらうかもしれませんが」

そして、一般人である彼女に効くだろうダメ押しも忘れない。
身近な人間が攻撃されて戸惑わないものはいないし、よしんば彼女が他メンバーと不仲であったとしてもその仮定で他のマスターを潰すことができればそれでも十分。
もしも霧子を『敵』と認定したなら、その程度の所業をすることに皮下は一切の容赦をしないだろう。

「……下らぬ。貴様等を、ここで斬れば良い。ただそれだけの話だ」
「それで上手くいけば、良いわね」

黒死牟の身も蓋もない暴論に、今度はハクジャが言葉を返す。
事実として、それは可能だろう。
アイの攻撃、ハクジャの拘束、そしてミズキの毒――たとえ全員が持てる全ての力を振り絞ったとして、目の前のサーヴァントに傷一つ付けられない。
よしんば幽谷霧子に攻撃対象を絞ったとしても、それらが及ぶ前に斬って捨てられる。

そしてそれは同時に、ハクジャたちを殺した下手人として、今度こそ霧子に『明確な敵』という烙印を押すこととなる。
皮下に対しても、『ハクジャの生死を確認しつつ、幽谷霧子の状態を確認する』という旨の連絡はすでに行っている。ハクジャの死だけなら新宿の戦争の余波で済むかもしれないが、ここでミズキたちも死んでしまえば言い逃れのしようもない。
野良のサーヴァントに襲われた可能性も勿論否定はできないが、それより可能性が高いものとして――『幽谷霧子のサーヴァントにこれ幸いと逃げられ、追ってくる自分もそこで死んだ』と解釈されるのが自然というものだろう。
もちろん、ただ逃げるとしても――どちらにせよ、皮下という男から「倒すべき相手」として標的に据えられる。

「……脅しのつもりなら、片腹痛い……」
「名の知れたアイドルである幽谷霧子の目撃情報くらいなら、集められるだけの情報網はこちらもありましてね」

正確には、電子ハッキングによって任意の人間の追跡をこなせるチャチャはもういない。だが――「それを所持していた」という事実で胸を張れる以上、ブラフとしては十分だ。
ついでに、チャチャが死んだ旨をまだ伝えていないアイが自信満々に胸を張っている。彼女の態度を利用するのは気乗りしないが、こういう時に演技のできない無垢さというのはそれなりに信憑性を持ってくれる。この笑顔を後に曇らせる感傷を今は無視して、楽しそうにしている彼女の頬を猫のように撫でながら再び黒死牟を見据えた。
それに、チャチャがいなくなったとしても、強者の相手さえ終わらせてしまえば百獣海賊団という物量での虱潰しが手段として解禁される。

大事なのは、皮下から敵視されることそのものがディスアドバンテージとなりうる状況である、という状況を認識させることだ。
自分たちが有利な状況にある、というカードが切れるうちは、交渉においても有利に立ち回れる。
最早、この場における主導権はミズキが完全に掌握していた。

「然らば最早……斬らぬ理由もなし……」

そして、ならばこそ是非もなし。
斬ろうが斬るまいが、どちらにせよ状況は同じだ。ならば、せめて少しでも後腐れなく処理をしておいた方がまだ目眩ましになるだろう。
その結果として周辺を幾ら突かれようと知ったことか。むしろ、鎬を削る機会が増えるのであれば上等だ。正面から戦うことこそ、黒死牟にとっての本懐のひとつであるのだから。
故にこそ、黒死牟は再び殺気を放ち。


533 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:45:07 LcIg3pco0

「……ダメ……です……」

そしてそれを、やはり霧子が止める。

「皮下先生が……何をしたいのか……わたしには分からないし……」

霧子とて、皮下が何かを狙っていることくらいは理解している。
それが多くの願いを――命を簡単に踏み躙るものであるなら、止めるべきなのだろう。

「みんなに……危ない目に遭ってほしくも……ない……」

けれど、それで仲間が踏み躙られるのであれば――幽谷霧子にとっては、それを聞き逃す訳にはいかない。
咲耶だけでなく、摩美々や結華、恋鐘ですらも失われるということを、良しとできるほどに非情にはなれなかった。
それに、皮下という男についても霧子は何も知り得ない。彼が聖杯に願う祈りも、彼と道を同じくするサーヴァントも。ミズキとアイの存在ですら、今しがた知ったばかりの彼女には。

「……皮下先生の……お話を……聞かないと……」

せめて、皮下真という男が何を願って、戦うのか。
それを聞かなければ。ただここで道を違えるだけでは、彼の何もかもを知らずに敵対することになってしまうから。
それでは――彼の祈りも、知らないままになってしまうから。
だから、霧子はゆっくりとミズキの方に歩み寄る。

(……ならば……)

それこそが、黒死牟にとっての好機だった。
霧子の注意が三人に移った今こそ、三人を斬り捨てる唯一の好機。
これ以上の議論は無駄だ。
何となれば、主ごと斬ろうとも構わぬとばかりに、刀を一瞬の間に抜き放つ――。






「はい、そこまで」

されど、振り抜かれる前に、機先を制した声がひとつ。
皆が振り向けば、そこにいたのは一つの影。陽が落ちて薄ら暗がりになった世界で、尚鮮やかさを失わぬ華。
無双の剣客・新免武蔵、此処に参上。

「うんうん、タイミングピッタリ。……というわけで改めて再戦、といきたいのは山々なのだけれど――」

そして、それはあくまでお膳立て。鬼たる剣士を抑える為の、彼女が持っていたカードの一つ。
鬼札ならぬ魔女の札。今にも沸騰しそうな場を抑えるべく注がれた冷水が、傾きつつあった天秤を再び押し戻す。

「ここは、私の相方の顔を立ててくれると嬉しいわね。という訳で、いける?」
「はいなのです。霧子、ここはちょっとだけ任せてほしいのですよ――にぱー」

そして、彼女が立ち上がる。
やはり、と目を細めるハクジャとミズキ。訳のわからぬままに瞠目する霧子とアイ。
それらの視線を一身に受けながら、百年の時を過ごした雛見沢の魔女は静かに言葉の海に躍り出た。


534 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:46:17 LcIg3pco0


(……まさか、あれが霧子のサーヴァントだったなんて)
(聞いてる感じ、サーヴァントの独断って感じでしょうね。そうじゃなければあなたが聞いた通り、梨花ちゃんまで庇う必要はない)

時は僅かに遡り、ミズキが霧子たちへと声をかけた頃。
梨花が霧子とハクジャの陰に隠れつつ武蔵とつないだ念話で分かったのは、霧子を守ったサーヴァントが武蔵と相対していたものと同一であったことだった。
自分だけ離脱するのではなく、ハクジャや梨花も含めて守るような善性を持つマスターがあの幽鬼のごときサーヴァントを連れていることには、さしもの二人も内心で驚愕するしかなかった。

(もっとも、手綱を握れていない、ってのはマイナス要素だけれど。あの立ち辻、下手に引っかかってたら死人のひとりかふたり出てもおかしくなかったでしょう?)

しかし、善性があるからといってならばそれで全てが丸く収まるかと言われればそうでもない。
それだけの配慮の心がありながら、あのようなサーヴァントの全方位への敵対行動を許している。上手く取り入っている、という訳でもないとなると、律するという点においては不足があると言えるだろう。

(……ま、それはそれ。ひとまずは当座の問題をどうにかしないとね。という訳で、梨花ちゃんとしてはどうするのかしら?)
(……私は)

そんな霧子と、霧子を狙う間者たちが言葉を交わす中で、梨花はどうすべきか。
今のところは、「怯えて立てないただの少女」として取り繕えている……はずだ。ミズキと名乗った男が此方に一瞥をしたが、令呪は服で隠してある為に見えていないはず。
すぐに逃げていないという意味では怪しまれるのも道理だが、まだ言い逃れはできる程度。逆に言えば、下手な行動を起こしてしまえばすぐにマスターだと看破されるだろう。言い逃れをするのであれば、このまま徹底して少女を取り繕わなければならない。

(……少なくとも、手そのものはあるわ。上手くいけばここを切り抜けるという意味でも、将来的な敵を減らすという意味でも)

その上で。
ただ指をくわえてこの状況をやり過ごすのか、それとも何等かの形で打開して、霧子に助け船を出すのか。
策は、ないわけではない。これまでの話を聞いた上で、あの話を切り出せば、或いは――そんな想いも、確かにある。

(ただ、あいつらが「それ」で動いてくれるかどうかもわからないし……もし動いてくれなかったら、結局今度は私も含めて追われることになりかねない)

かといって、それは100%の説得を確約してくれるものでもない。
いいところ五分五分だし、彼等の方針によってはすげなく断られる可能性も高まる。そしてそうなれば、自分たちもまた霧子と同じく敵と見做されて彼等に追われることになるだろう。
にちか達の同盟に厄介事を持ち込む可能性も考慮に入れてまで、それをする意味はあるのか。
幽谷霧子の為に、そこまで命を張れるのか。

(……それは)

戦略的に考えれば、リスクは高い。
だからこそ、本当にここで踏み込んでいいのかに関しては熟慮せねばならない。
ただ霧子を皮下から遠ざけるにしても、戦力を整えて後から彼女を助けにいくとか、そもそも一緒に逃げるという手段だってあるのだ。
けれど、それは咲耶の。私たちを信じてくれた、あの少女の望む姿なのか――

(うん。それは正しいわ、梨花ちゃん。その選択は確かに間違ってない)

その煩悶を、武蔵はあえて否定しない。
武蔵自身、無闇に命を捨てることを肯定するような愚直さは持ち合わせていないのだ。鉄火場での斬り合いで死ぬことに異論こそないが、それで死ぬくらいなら躊躇なく遁走を選択する。最後に立って、生きていた方が勝ち――それが、戦場における当然の理なのだから。
だから、己の命惜しさにこの場をやり過ごすこともまたひとつの戦術。同意こそすれ、責める理由などどこにもないのだ。


535 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:47:07 LcIg3pco0
 
(――だから、ここから先は現実の話です)

けれど、それもあくまで今この場面の梨花に限った話。
咲耶、霧子、そして自分。梨花の視点はあくまでそこ止まりだが、それら以外の大局を見れば、また違った版図が現れる。
それを示すのも、また相方として――曲がりなりにも鉄火場を生き延びてきた者としての武蔵の役目だろう。

(貴女が同盟を結んだ相手、七草にちか。覚えてるとは思うけど、彼女は283プロダクションのアイドルよ)

忘れてはならないのは、生き残るその最終目的がこの聖杯戦争の脱却であるということ。
そこからの逆算。天眼を持ち、勝ちにも負けにも至る道筋を考える武蔵だからこそ、とまでは言わずとも、この場の生死を超えたところで新たな戦いが始まっているというのなら彼女の戦への感はそれを見逃さない。
刃を交わす決闘ならまだしも、言葉の戦場で安易に飛びついてそのまま袋小路へ――というわけにはいかないのだ。

(それだけではありません。プロダクション近くで会った櫻木真乃だってそうだし、彼女たちが会おうとしていた人間もきっとそう。咲耶のユニットだってもしかしたらもっと仲間がいるかもしれない)

流石にそこまで言われれば、梨花にもその内実が理解できる。
同盟の基点、脱出を主導するあのライダーは、あくまで283プロダクション内の存在だ。梨花は咲耶との親交も、スタンスとして脱出を図っているのもあってそこに踏み入ったが、あの事務所内で今後いっそう一丸となるのであれば、自分達はそもそも外様の存在であることには変わらない。

(彼女達が、きちんと連携を密にした場合――幽谷霧子の行方不明、まして怪しさに溢れた病院の院長に連れ去られたのを、私がみすみす見逃していたら)
(ええ。当然のように信用は墜落、私たちの同盟はせっかく繋いだ縁ごとまるっとご破算でしょうね)

つまり、そういうことだ。
仲間の仲間、同盟相手にとって見知った相手と知りながら助けなかった行為が露見すれば、せっかく築いた絆がすべてお釈迦になる。
生き残る可能性も、知らない世界の中で掴んだ信頼も、すべてを無に返してしまう。そう考えれば、今すぐにでも霧子に加勢するべきか――と言われれば、またそれも異なる。

(そういう訳で、今は仁義を通すべき場面です。……とまあ長々と講釈垂れたけど、ぶっちゃけここで見過ごしたところでバレる可能性は少ないのもまた事実なのよね、残念ながら)

逆に言えば、「バレなければ問題ではない」というのもまた事実なのだから。
古手梨花がこの場所にいることを知っているのは、ここにいる面々だけ。自分の不義理が露見するのは、皮下の部下はともかくとしても、何らかの形で霧子が逃げおおせた上で自分の存在に言及された場合のみだ。
敵陣からなんとか霧子が逃亡できなければ、露見する確率もゼロだろう、と。
そうした現実的な見立てまで、相棒たるセイバーは整えて、その上で。

(……セイバー)
(選ぶのは貴女です、梨花。貴女が信じて行くと決めた道を、私は切り拓きます。
 あとは強いて言うなら、そうね。令呪一画とお命までいただいてしまった恩義、私なら返すかなあ、といったくらいでしょう)

そう委ねてくるのだから、まったく。
自分は人斬り包丁だと息巻いて、だからこそ正しい人間に委ねたい――そう言っておきながらこれになるとは、彼女も大概人がいい。
あるいはこれも、彼女を従えていた元の『マスター』の影響か。
ともあれ、それだけの言葉を寄せられて――それで自分の中でも、漸く腹を括ることができた。

(……ありがとう)

結局のところ、必要なのは理由だ。
ここで見逃してはいけない、誰も喪わせないことに合理性を与える理由。
感情で命を賭けるには、背負ってるものが多いけど――見捨てなくてもいいのなら、諦めて折れるのは間違いだから。
ああ、そうだ――諦めるな。信じろ。言葉を紡げ。そして、絶望を越えてみせろ。

だから、古手梨花はしかと立つ。
白瀬咲耶が生きた証として生きる――一度誓ったそれに、恥じることなき選択を。
そして何より、雛見沢の惨劇を一度越えた者として、運命に打ち勝って生き続けるために。


536 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:47:58 LcIg3pco0
 


「まず、一つ確認したいことがあるのです」

さて。
根本的な問題として、古手梨花は知将ではない。
彼女の理知を支えているのは積み重ね続けた百年の経験であり、経験則と状況の分析――今置かれている状況が、発言が、『彼女の知る常識』からどれ程外れているのかという間違い探し。

だが、少なくとも今の話を聞いていた上で、そこから類推される推測をできないほどに馬鹿な訳でもない。

「皮下、という男の部下らしいあなた達は……NPC、可能性の器ではないのですね?」
「はい。あくまでこの界聖杯に再現された人格にすぎません」

きっかけは、ミズキが発した最初の台詞だった。
「可能性の器ではないが、聖杯戦争を知っている」。この台詞から考えられる可能性は、大別すれば二つ。「この界聖杯のNPCである」か、「サーヴァントの宝具で召喚された何等かの武器であるか」か、だ。
だが、皮下医院という病院の存在は梨花でも知っている。その上で、霧子が口にした皮下先生という言葉も含めて考えれば、彼等の主はサーヴァントではなくマスターとして医者の役割(ロール)を背負っている皮下その人に他ならないだろう。
そもそもサーヴァントの呼び出した存在であるのなら、自分たちを『サーヴァントそのものではないですが』と自己紹介するはず。マスターを指す言葉である可能性の器の側を否定している、ということも、そう考えれば辻褄が合う。

「……なら、分かっているのですか?皮下が優勝しても、あなた達は……」
「この世界や可能性喪失者と諸共に、消える。ええ、理解していますよ」

そしてそうであるなら、梨花としては僥倖だった。
最悪、ゼロから説得するつもりもあった。だが、そうであるなら――梨花にとっては、一つの切り札がある。

「……あえて、聞くのです。この世界が終われば消えてしまうと分かっていて、どうして皮下に味方をするのですか?」

思い出すのは、あの時――一度はレナを見捨て、それでも尚圭一の努力によって彼女を救うことを再び諦めずに選んだカケラのこと。
あの時だ。あの時こそ、自分は知った。自分が時間を戻しても
それまでの自分は――ああ。自分がいなくなった後のカケラのことを、気にしてなどいなかった。
どうせいつかは消えるのだからと、その後を顧みることなんて一切しなかったあの頃――今となっては
それは、今のこの状況とて変わらない。自分たちが脱出した上で、界聖杯と共に泡沫に消える存在のことを、深く考えはしていなかった。
だって彼らは、本当に消えるのだろうから。
可能性喪失者ごと、この世界は喪失する。そのルールが定められている以上、彼らはこの鳥籠の中で死にゆくしかない――それが、可能性の器たちが認識しているこの世界のルールで。

「それを知って、何をすると?」
「……あなた達が生き残る術。それを、示したいのです」

ここからだ。ここからが正念場――惨劇の中でひとつ磨いた、『生き残る』為の覚悟を括る。
……正直に言えば、不安要素もある。なにせ、ここから先は彼等にとっては荒唐無稽な話だろう。信じろという方が無理な話だし、そもそも信頼関係どころか敵対関係にある相手なのだから猶更だ。
だが、生半可な言い訳では結局のところ現状打破にもなりえないのもまた事実。持ちうるカードを突き詰め、真実を以て話さなければ、そこに可能性は産まれ得ない。
そして、何より――泡沫に消える運命だと、それを受け入れている彼らを、彼女は黙って見ていられない。
故にこそ、古手梨花はあえて真実を語る。

「私たちの目的は――聖杯戦争からの脱出なのです。にぱー」

古手梨花の最終目標、それそのものを。


537 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:48:38 LcIg3pco0
 
言い放ったその目標に、皮下の部下たちの反応は三者三様だった。
眉をぴくりと動かしながらも、静かにこちらを見据えたままのハクジャ。
こちらを訝しむように目を細め、緊張感をより高めたミズキ。
そして、男とは対照的に僅かに目を見開いた猫耳の少女。
その反応を目端に捉えつつも、梨花はここでは止まらない。

「私たちは、生きる為に戦うのです。その手段も、私たちはもう見つけているのですよ」

断言する。
手段――アッシュのそれが不完全である可能性は、ここでは考慮しても意味がない。
どちらにせよ、ここで丸め込まなければアッシュを含む自分たちの陣営そのものが皮下の陣営と対立するだろう。上手く騙くらかすのが成功して休戦関係を構築するか、失敗しても元の状況通りこちらが敵視されるのみだ。ハッタリだろうがなんだろうが、ここで貫き通さなければどうしようもない。

「ただ器ではない人形としてではなく、純粋に生き残りたいと願うのなら――私たちは、あなた達とも手を取り合いたい。それが私の、偽らざる本音なのです」

アッシュの脱出方法。
それは、界聖杯そのものに干渉し、これを破壊、あるいはルールの書き換えを行う宝具であるという。
だとするなら――可能性の器だけではない。ここで産まれた彼らを救うためのルールすらも、挿入することができるのではないか。
梨花が賭けたのは、その可能性だった。

「……あの」

そして、それに答えるように――ハクジャでもミズキでもない声が、小さく響く。
梨花がそちらを向けば、おずおずと手を上げるのは、ミズキの横で縮こまっていた影。先程霧子に対して胸を張っていた、確か、そう――アイという少女。
不安気に挙げたその顔で、小さく、彼女は言葉を紡ごうとして――

「もし、もしそのだっしゅつに、アイさんたちが――」
「アイさん」

か細い言葉を、ミズキの冷徹な声が断絶させる。
頭に添えられた手に僅かに力が籠ったかと思えば、アイがびくりと大きく震え――その後、目に見えて萎縮した。

「それは、彼への裏切りになります。やめておいた方がいいでしょう」

そう告げるミズキの目は、言葉通り冷徹に徹したそれ。
怯える彼女を抑え込んだ彼は、しかし苦々しく顔を歪めた。
――子供の態度は、分かりやすい。
その間隙を――確かに、梨花は見届けていて。

「……生きたいと願ってるのに、それを妨げるのですか」

そして、その間隙は、同時に。
梨花にとっても、絶対に見過ごせないものであった。
籠の鳥、囚われの身。そう産まれておきながら、それでも――生きたいという願い。
その痛みを、古手梨花はきっと、この世界の誰より強く強く知っている。

「運命が死ねというのであっても、生きたいのであればその為の道を探す。それが、最善の道ではないのですか――!」

だからこそ、やはり我慢がならないのだ。
消えたくないと願う祈りは、今確かにそこにある。それは決して恥ずべきものでも、まして抑圧されるべきでもないのだ。
自分とて、運命をただ受け入れるままになっていた頃もあった。一度や二度ではない、何度も繰り返す中で挫折すらも幾度となく経験した。
けれど、その先で手を差し伸べてくれる人間が、希望を示してくれたことがあったから。
だから自分も、そのように手を伸ばそうとして。


538 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:49:53 LcIg3pco0

「――確かに、そうね。私たちは、運命に縛られている」

その声を、冷たく遮るものが一つ。
振り返る梨花の視線の先で、薄く笑うのはハクジャだった。

「……私たちは、いつ産まれたと思う?」

その頬に浮かべた微笑を僅かに強張らせながら、彼女は朴訥と、唐突に問いかけた。
記憶には、連続性がある。
自分が生きていたそれまでの積み重ね。ずっと歩んできた道筋。それは、NPCであろうと可能性の器であろうと等しく持ち得ていたものだ。

「私たちは、私たちの記憶の通りに生きていた。――その記憶は、たとえ縛りであり呪いなのだとしても――どうしても、嘘になれない」

だから、必然的に彼らも、その行動はその記憶に準じるものだ。
たとえ全てが虚像だと分かっていても、自分の在り方が人形だと認知していても――役割からは、逃げられない。
あてがわれた自分の役割、詰め込まれたその記憶を――自分がそういうもので、だからこうして生きるしかないのだという命題を裏切れない。
今、ミズキの手の下で震えてしまった彼女がそうだ。
             トラウマ
存在しない過去であろうと、心的外傷からは逃げられない。命を縛る鎖は、最早解けるもの足りえない。
――うたかたの記憶。可能性の器にあらぬ、元の世界の記憶を刷り込まれただけの木偶。

「だから、この記憶がある限り――私が生き残りたいと願ってしまう限り、同時に……いえ、だからこそ、過去にそれを叶えてくれた皮下さんは裏切れない」

そこから抜け出ることなど、出来ないのだ。……誰にも。
たとえそれが、全て張り子であると、分かっているとしても。

「……ああ」

それで、梨花にも理解が及んだ。
――彼らは、きっと諦めている。
さながら、井戸の中で空を眺める蛙――いや、蛙にすらなれなかった、鰓呼吸のままのオタマジャクシか。
実際、覚えはある。
信じた過去が空虚であるという、その可能性はとても苦しい。そうでなければ、あのカケラで鷹野のスクラップ帳にしがみついたレナがあそこまで苦しむものか。
まして、それが自分を構成していた全てというのなら――彼女達がそれに縛られることも、無理はない。

だとしたら。
だとしたら、己が言うべきことはなんだ。
あの時自分が、惨劇の中で欲しかった言葉――駄目だ。ただでさえこちらを信用していない相手に、「奇跡を信じろ」と謳って何になる。

なら。
なら、どうする?

(どうするのですか、圭一――)





「…………違う…………」

――その答えを、告げる声は。
梨花の背後から、響いてきた。

それまで、状況から置いていかれていた、一人の少女。
生還からも、聖杯戦争の勝利からも、この場で最も遠いと言えて。
超人的な力も、精神も、持ち得ることなどなくて。
ただ――この空間で最も優しいという、ただそれだけの少女が。
決然的な輝きを灯す菫の瞳で、世界を見据えていた。


539 : ◆KV7BL7iLes :2021/12/11(土) 10:50:26 LcIg3pco0
前編の投下を終了します。


540 : ◆0pIloi6gg. :2021/12/12(日) 01:39:34 bhkt/DX.0
投下お疲れ様です。
感想は後ほど纏めて。

ちょっと期日までに書き終われなそうなので一度破棄します。申し訳ありません


541 : ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:20:04 ObvTtims0
後編を投下します。


542 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:21:32 ObvTtims0

霧子にとって、この急転した状況はすべて飲み込めるようなものではなかった。
ハクジャとその仲間、ミズキの登場。己を勧誘する彼等と、自分を守るように言葉を交わす小さな少女。
そして、その少女が謳う、この世界からの脱出。
怒涛の情報量と織りなされる議論に、本来なら当人であったはずの霧子は置いていかれていて。
けれど、その中で――霧子の見過ごせない事実も、確かにあった。
それは、梨花の提案した脱出プラン――ではなく。

「………何かしら、霧子ちゃん」

目の前で固い微笑を湛えている、彼女たちのこと。
脱出プランそのものは、確かに、霧子としても望むものではあった。
自分の為に誰かを殺すとか、蹴落とすとか、そういうつもりは元からない。かといって、アンティーカの仲間と別れることを安易に良しとできるような強さを持ち合わせてもいない。
だから、その選択自体は、彼女の望むものであって。
けれど、それだけでは駄目なのだと、同時に分かった。

「……生まれてきたから、そう生きるとかじゃ、ない………」

――この世界は、残酷なものなのだろう、と。
界聖杯という機構を指して、霧子はやはりそう思った。
幽谷霧子を称して、可能性の器だと指した、かの聖杯。
それはきっと恵まれたものであれど――その実態が、可能性を持たぬものは、ただ無遠慮に削除するものであったから。

「あのね……」

可能性の器は、聖杯を手に入れることで生き残れる。――そうでない器は、切り捨てられる。
だから最初は、せめてそれに逆らおうと思った。
彼等がもし切り捨てられるような結末を迎えてしまったとして、それでも、聖杯に願った想いまで無駄になることがないように。
咲耶もそうだし、今となっては梨花もそう。皮下ですら、願いそのものはもしかしたらただ純粋に祈りを尽くす価値があるだけのものなのかもしれない。
自分一人では限界があるのは、最初から分かっているけれど、それでも自分に聞こえる限り、その願いだけは聞き届けたい。


543 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:24:05 ObvTtims0

「生きたいって思えるだけで…………生きてていいの………」

――ああ、それだけではなかったのだ。

目を、向けたいと思ったのだ。
「切り捨てられる」ものは、もっと広くて。もっと多くて。
今目の前にいる、「界聖杯の中に生きている人々」という存在は。
可能性の器ですらない、未来に何の影響も及ぼさないと断じられる者たちは――元より籠の中の鳥で、生きることすら許されない。
わたしは、それでも、生きることを許されたけれど。
彼等は、そもそも、命すら彼等のものではなかった。

「……過去は……大切で、わたしたちのそばに、ずっとあって……」

……過去に縛られるだけなら、いい。
過去として入力された記憶に基づく行動方針は、確かに指針であるのだろう。
それは否定されるべきものではない。
だから、皮下を裏切れというのも、彼等が恩義を感じているからこそというのも、わかるのだ。
――けれど、その結果として。
命すら彼女たちのものじゃないと感じてしまっている、そのことが、とても哀しい。

「……でも、それは……いなくなっていい理由には、ならないから……」

――はは、霧子もパン、もらっていいんだ。
――もし、なんにもつくれなかったとしても。

だって。
パンをもらうべきじゃない人なんて、この世界にはいないのだと、あの人はいつか言ったではないか。

ただ生きることに、その人生を享受することに、誰の許しもいらなくて。
まして、自分が自分に生きることを許していけないということなんて、どこにもなくて。
そういったものを伝えようと、アイドルとしての幽谷霧子はそうであろうと、思ったから。
誰かにパンをあげられるアイドルに、なりたいから。

誰かが抱く、聖杯に対する願い。咲耶のように死した人の無念。
そして、何より――一度「生きたい」と願ってしまった、可能性を保たないという烙印。
全部を抱きかかえるのなんて無理だ。幽谷霧子は偶像であっても、全てを救えるような救世主じゃないから。
だから、手の届く限り。できることは、掬い上げられるのは、唄えるのはたったそれだけ。
……それだけしか、できなくて。

「……わたしは、もう、知ってるから……ハクジャさんたちが、生きたいって思ってること……」

……それだけのものを、見過ごせない。
命として生まれ出でたと感じて、消えたくないと――生きたいと、願い始めているのであれば。
その想いに、未だ帰る場所がないというのであれば。

「だから……ハクジャさんも……アイさんも、ミズキさんだって……ただ……ただいまって……言えるように……」

――ああ、だから、せめて。
帰る場所が、あるように。
可能性が喪失して、泡沫と化してどこにもいけず、ただ無に戻るだけで終わらないように。
彼等が生きて、ここがあるべき場所だったんだと、言えるように。

「記憶を、覚えてて……今のことを、大事に思えるなら……いいの……」

そのあるべき場所が、あるいは皮下真なのかもしれない。
それならそれでいいと、霧子は思っていた。
だが――皮下真は、彼等を顧みることはない。
命は平等(かる)くて犠牲は尊(しかたな)い。安心していろ、結果を使ってやるから忘れない。
かの男がそういう人間であることを、霧子自身は知らなくとも――今ここにいるアイが、ミズキが、ハクジャが、『生きて帰る』べき場所ではないというのは、分かった。
そうであるのなら、もっと笑って、運命すらも飲み込んでいる筈だ。実際に、そういう生き方を選んだ器足りえぬ者――割れた子供や、悪の救世主の心酔者もいるのだから。
そうなっていない時点で、皮下は義理を通すべき相手であっても――彼等の安息には、なりえていなくて。


544 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:25:02 ObvTtims0

「でも、そうじゃないなら……心が、どこにも帰れないなら……」

それなら、帰る場所を作りたいと思った。
聖杯戦争の参加者と同じように、彼等の思いと願いが帰る場所。
ただ、思いを引き継ぐだけでなく――生還という形で真に生きる場所を与えられるというのであれば、尚更に。

「過去だけじゃなくて……未来のことだって、思っていいんだって……」

だってこんなにも、目の前の命は生きているから。
生きているのなら、生きたいと、欲しいものを願っていいのだから。

「……未来に、帰る場所を、作れるんだって……」

……その願いが、生まれているなら。
そこにはきっともう、可能性がある。

「帰って、いいの……」

それはまるで、雨の先で虹が出るように。
それはまるで、種を残す花が咲くように。

「生きたいって思える場所に、帰りたいって思っても、いいの……!」

世界は、過去の記憶という蓋で閉ざされてなんていなくて。
未来が、可能性が、輝きがあって。
それを、誰しもが掴んでいいはずなんだからって。
あまりにも優しすぎるその歌のような声で、幽谷霧子は伝えていた。

「あ――――――」

だから。
真っ先に、ひとつの声が上がって。
その優しさを見て、一番最初に生きたいと願った、獣耳の少女は。
アイという、『まだ子供にしかすぎない自我を与えられてしまった少女』は。
植え付けられた記憶と相応に、生への渇望を与えられてしまった、彼女は。
己の居場所の喪失への恐怖と、それを掬い上げてくれる目の前の偶像に、確かに救われて――ただ、膝を折って泣き崩れた。
それを傍らで見ていたミズキは、ただ嘆息することしかできない。
ああ、これだから――子供の態度というのは分かりやすくて。

「……みー。改めて、提案するのです」

そう考えれば、彼女のこの老獪さは、やはり子供染みてはいない。
今この瞬間を逃すまいと――希望が芽生えて手を伸ばしたその瞬間を必死に掴み取らんと、まっすぐにこちらの目を見据えるのは、百年の魔女。
――百年を生きてなお、帰る場所を見失いたくなかっただけの、少女。

「……あなた達が生きることを望むなら、わたし達はあなた達と一緒に、外の世界に一緒に抜け出したいのです」

それすらも、可能かもしれない。
カケラの先に思いを残し、仲間を信じて未来を、そんな奇跡を、この手で掴んだように。

「それが運命だからと、死ぬことを諦める前に。生きる為に、手を伸ばしたいと思うなら」

もしも、「生き残りたい」と、願うようになったのあれば。
彼等がそれを望むのであれば――ただ純粋に、生き残り、ただ消える未来に飲み込まれることへ抗うというのであれば、古手梨花は。

「私は、生き残れる道を示すのです。それが、あなた達が真に生きる為になるのなら」

誰かに手を伸ばすことを、選びたいと思った。


545 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:25:59 ObvTtims0

「……だから、自分たちの意見も聞いてくれ、と?」
「みー。そこはギブ&テイクというやつなのです。実際、損はしないと思うのですよ?互いに攻撃されないまま、こっちは逃げたい人だけで逃げられて、そっちはライバルが減るのですから」

……もちろん、打算もありき、だ。
見ず知らずの人間にそこまで無遠慮に信を置けるほど、梨花も馬鹿ではない。
けれど、それでも。
互いにとっての解が目に見えているのなら、それを信じたい――そう、梨花は感じていた。
だからこそ伸ばした彼女の手に、ミズキは傍らのアイを一目見ながら逡巡し。
両者の間に、僅かな静寂が流れ。

「……ミズキさん」

不意に声がしたと思って男の側が振り向けば、どこか爽やかに笑うのは長髪の少女。
幽谷霧子に付き従っていた彼女からしても、こうなることは予想できなかったのだろう。
自分たちが皮下に感じている恩義自体は本物だ。こうしなければ生きられなかった、いや、この世界で自分というものを真の意味で認識する――生まれてくることすらできなかったのだろうから。

その上で。
だから死んでもいいと――死ななければならない運命なのだ思っている自分たちに、彼女は希望を示してみせた。
この世界で息づいた、いずれ消えるものでさえ、生きる価値があるのだと言ってみせた。

「……あなたにとっては、この展開は想像していたのですか?それとも――」
「予想なんて、していなかったわ。彼女たちを殺す気も十分にあった。
 ……ただ、私も――あとほんの少しだったとしても、生きたくなってしまった」

そう呟く彼女に、ミズキは嘆息で返す。
仮にも皮下のサポートを行った側の人間として、ミズキは彼女の生い立ちを知っている。たとえそれが偽りであったとしても、彼女の記憶には鮮明に刻み込まれているのだろう。

「……ずっと、生きたいと願っていた。だから、手段はどうあれ生き延びようとし続けた。
 だからかしら。生きたいって思う心が、私はどうしても切れないみたい」

……朝の太陽という希望を唄う、そんな誰かに生かされた。
たとえ偽りであっても、そんな記憶を持つ彼女に、どれだけこの少女の輝きが刺さったことか。
暖かな日差しと生きる道行の希望をもう一度示してくれたことは、彼女にとってはきっと、それこそ命を救われたに等しいことだから。

(……私はといえば、そこまで執着することもないでしょうに)

事実として。
太陽の輝きに魅せられた少女たちに比べれば、ミズキは二人ほど感傷に浸ってはいない。
生そのものに価値を見出しているのかといえば、そこまでという訳でもない。ただ、皮下という男が自分たちに居場所を用意してくれた以上、その恩義には報いるべきであると感じただけ。
そして、それと同時に――皮下の無情さについても、理解はしている。気まぐれで人を殺すような外道である彼の下で生きる以上、自分たちが虹花としての存在価値を担保し続けなければいけないというのも分かっている。
だからこそ、最悪の場合、アイが処断されないように、全てをハクジャに押し付けて彼らを敵だと認定することも、勿論選択肢として残してはある。
そうすれば、アイが「裏切り者」として皮下に消される可能性もなくなるだろう。自分たちも、聖杯戦争が終わるまで虹花として生き残れる可能性はまだ幾らかはある。


546 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:26:54 ObvTtims0
けれど、ミズキには元より疑念があった。
今後の聖杯戦争において、ただ虹花としての利用価値を活かすだけでは、自分たちは生き残れない可能性がある。
百獣海賊団としての戦力は、自分たち虹花をして優に凌駕している。魔力消費のことを加味しても、この身がサーヴァントには到底敵わぬ以上、今後の激戦化において自分たちが戦場に出るメリットは下がる一方だろう。
だとすれば、合理的な選択として――自分たち虹花は、ただ付き従っているだけでもいずれ彼らの「電池」として使われる可能性もある。
重ねて言うが、自分は良いのだ。それで死んでも、元より行き場のないこの身に悔いはない。
だが。

――アイさん、消えたくないなぁ……

それでも結局、皮下がただ勝利するだけでは、彼女が泡沫と消えてしまうのならば。
それを回避する手段が、あってしまうというのであれば。
我が子と重ねた彼女が、どうか救われてほしいと願ってしまうのは、本来可能性を持たない木偶が持つにはどうしようもなく愚かしい願い。

正直なところをいえば、本当にアイを助ける理由があるのか、と自問自答することもある。
彼女を重ねている娘の記憶も、所詮作り物なのだからと囁く声も、内心にはあるのだ。
だが、それは同時に皮下に救われた事実も嘘であるということになり――それこそ、自分が今こうして皮下の手先として動いている理由も失われる。
どうせどちらも受け入れてしまうのなら、今この瞬間に自分が救いたいと思うものが矛盾せず生き残れる可能性というものを信じてみたい。

ああ、全く。
もしも彼女達の言葉全てが狂言であったなら、自分たちはただの舞台装置であるにも関わらず不義理を働いただけの存在に成り下がる。
愚かな木偶人形が失敗作ともなれば、最早誇れるものなどない。籠の中で夢を見て藻掻き、結局は羽をもがれた鳥として、ただ可能性のない存在であることを突き付けられるだけだろう。
ただ――それでも。

「いいでしょう。あくまでも私たちは、ですが、あなた達の結論を飲もうと思います」

今、この瞬間。
0%にも等しかった自分たちの命という可能性を、1%にベットするという選択に――彼等は、乗った。
生きる為の選択を、選び抜いた。


547 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:27:48 ObvTtims0

「その上で、皮下を説得できるか――それは保証できません。というより、できないと考えるべきでしょう」

そして、ならばこそここからは現実との戦いだ。
1%をモノとする為に、その可能性を潰えずに持ち続ける為に、どのように歩むべきか。
自分たちが真の意味で生きるために――まずはそれこそを、考えなくてはならない。

「私たちは、確かに皮下さんを最後までサポートしながら、それでも生きる為にあなた達に従うという可能性はあるわ。
 ただ、皮下さん本人は違う。どちらにせよ聖杯を獲れば帰れる以上、あなた達を信じる上でのメリットがない」

その目の前にある最大の関門は、彼らの主たる皮下に他ならない。
彼にとっては、この交渉は決して頷けるものではない。
わざわざ相手に対して徒に魔力を無駄遣いせず、また一部の戦闘では共闘もできるというのはなるほどマスターとしてはメリットだ。
だが、なまじ彼のサーヴァントが強すぎるからこそ、それらのメリットの為に「徒党を組んで襲われる」というデメリットの可能性を切り捨てるのでは天秤が合わない。

「幸い、あなた達からすれば皮下から283プロへの追求については、どちらにせよ弱まるでしょう。我々の陣営としても、この大災害を起こすきっかけのサーヴァントを撃滅することが恐らく目下の問題となるでしょうから」

峰津院――彼等が攻めてきた以上、皮下含むカイドウ陣営としてもそちらへの対応に追われている。
何しろ損害らしい損害を与えられていないということなのだ。アジトが露見すればまた襲われかねないし、それまでに一刻でも早く自陣を盤石なものにする必要がある。
283プロがどこまで育っているかは分からないが――少なくとも現時点で『弱いものいじめ』をしている状態ではない、というのは皮下も考えているだろう。

「でも、そこから先――生還を目指したり、そのために不可侵でいたい、という意見については私たちも保証できない。それに――彼に利用価値がないと判断された時点で、私たちは見限られるでしょうから、こちらから助け船も出せないわ」

要するに、今語った同盟を皮下に通すのであれば、虹花の協力もなく真っ向から話さなければならない、ということだ。
皮下自身から283への攻撃意思を奪うなら、それ以上の策も必要だろう。

「……わかったのです。ちょっと霧子とも相談するのです」


548 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:28:49 ObvTtims0



「……なんとか、話は着いた、ということなのです」

そうして、改めて梨花は霧子と対面する。
彼女の目に、自分はどう映っているのだろう。最初のように年相応の少女として映っているか、それともこうして言葉を交わしていたことを得体の知れない少女として見ているのだろうか。
ただ、どのように見られていたとしても――彼女には、言わなければいけないことが、残っている。

「あの……梨花ちゃん……」
「……ちゃんと、話したいと思ってたのですよ、霧子」

不安気にこちらを除く彼女の目に、真っ向から向き合う。
状況の不安を取り除くとか、信用を勝ち取るとか、きっと優先するべきは他にあるのだろう。
だが、その信用を得るという意味でも――何より、梨花自身が言いたいという意味でも、真っ先に梨花はそれを伝えることにした。

「……私は、咲耶に会っているのです」
「……………!」

瞬時に、霧子の目が大きく見開かれ――頽れるように、梨花の手を掴む。
先程見せた優しさも、何処か超然とした雰囲気も捨てて、ただ梨花の言葉に縋るように。

「あの……梨花ちゃん……!咲耶さんは……!」

何かを言おうとして、しかし何から話せばいいのか分からず、ただ必死に問いかけるような。
そんな表情を、彼女もするのだな、と思った。
友を、心配する目。かけがえのない運命を共にした誰かを、真に想い、そして案じる、そんな普通の顔。
梨花にとっても見覚えのあるその顔を、優しく包み込むように、あの高潔な少女からもらった言葉を返す。

「咲耶は、脱出するための相談をする為に、私たちに接触してきたのです。
 ……そして、その相談に乗れなかった私に、最後にこう言ってくれたのです」

――最後に一つ。約束してもいいかな?
――どうか…生きてほしい。これからもきっと、辛い事はあるかもしれない。
――だけど、私は…白瀬咲耶は、梨花。君が生きて元の世界に帰れることを祈っているから。

それは確かに、咲耶が梨花へと向けてくれた、祈りの言葉。

「……そう……なんだ……」

それを、聞いて。
朝露が花からこぼれるように、はらりと一滴の水が落ちる。

「……………そっか……………」

流れた涙を、優しく拭う。
運命を共にしたかけがえのない仲間を喪う気持ちに、せめて少しでも寄り添いたくて。
わなわなと震えるその手と身体を、今はただ、しっかりと握っていた。

「うん……」

しばらくそうしていた後、霧子は懐から何かを取り出した。
一瞬ただの白い紙に見えたそれは、封筒に入った一通の手紙で――なんとなく、その中に入っているものには検討がついた。

「梨花ちゃんにも……これ……」

差し出されるそれを、おずおずと受け取る。
取り出してめくって見れば、そこに書いてあったのはやはり――疑いようもなく、彼女の言葉。
直に対面したからこそ、分かる。偽物などではない、彼女自身が彼女の想いを込めて書いた、あまりにも優しい、許しと願い。

「咲耶さんの……想い……そこに、あるから……
 こうして、伝えられれば……咲耶さんが、ずっとそこにいてくれるから……」

白瀬咲耶の、ありったけの想い。
あれほど優しい少女が、彼女の信じる者たちへ残した、最期の言葉。
……それを、自分にも託してくれるということを、心苦しく思う。
結果的にとはいえ、私は彼女の手を取れず、ともすれば見殺しにしたのかもしれないのだから。

「……伝えられて、いたのね。あなたの、仲間に。そして、私にも……」

……それでも。
白瀬咲耶のあの優しさを、今はただ、抱き締めていたかった。
自分たちの信じる道を進む、その勇気を、彼女の言葉から繋ぐ為に。

「……ありがとう、なのです」
「……うん……」

今は、ただ。
白瀬咲耶という一人の人間が生きたその証を、願いごと抱き締めて歩いていく。
それがきっと、彼女という存在を未来にも届かせる為に、唯一できることだから。


549 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:31:06 ObvTtims0

「……それで、その。霧子は正直、よく分かってないことも多いと思うのですよ。それに、霧子にお願いしたいこともあるのです」

――と、いつまでも感傷に浸ってはいられない。
ミズキたちをいつまでも待たせるわけにはいかないし、何より打開策を考えなくてはならない。
それにそもそも、霧子は偶然居合わせただけで、正味どこまで冷静に事態を把握しているかは怪しいところだろう。

「だから――」



そして。
それらを全て傍から聞き届けるだけだった剣豪ふたりは、互いにその剣気を諌めつつ相対し続けていた。
張り詰めた空気を通しつつも相方の案が上手くいったことを察した武蔵は、ここを幸いに、と剣の切っ先を揺らす。

「結局、私たちは蚊帳の外で決着がついたようね。折角ならそっちもここは顔を立ててくれると嬉しいんだけどなー」

そうして均衡を和らげようとしてみても、やはり気を抜かず此方を睨み着けるのみ。

「……下らん……貴様を主諸共斬り捨てることも……」
「そうなったら結局、アイツらに狙われるだけね。まあ町自体が一個吹き飛んだからどこまで行き届いてるかは知らないけど、『こういう世界』で監視から逃れる手に本気で自信がないならオススメはできないかなぁ」

尚も剣気を収めない鬼の言葉を、嘆息しながら叩き切る。
事実、武蔵のそれは経験談によるものだった。かのオリュンポスにおける主神の監視とまではいかないが、この世界も少し気を抜けばどこに目があるか分からない都市。もし皮下たちがそれに何らかの形でアクセスできるというのなら、追われる可能性は十分にある。
徹底的な閉鎖世界であることや、先程ミズキが語ったような「おびき出し」に弱いというのも逆風だ。向こうからすれば、手を打つ可能性は大いにあるだろう。

「で、実際どうなの?貴女から見て、あのマスターは」

そして、そんな「おびき出し」に釣られてしまうようなマスターとこの鬼が主従関係を結んでいる――というのは、武蔵から見れば奇妙に映るものだった。
端的に言えば、不釣り合い。殺戮を主とし、剣にのみ生き様を求めるサーヴァントと、あのマスターはどうにも噛み合わない。
彼女の持つ優しさ、それ自体は本物だ。泡沫の消える存在にまで思いを馳せ、手を伸ばそうと足掻いて悩んでいた存在を間近で見たからこそ、同じものを掲げる彼女の強さは理解できる。
だが、その優しさのあまり律しきれていないのか。少なくとも、あの立ち辻を放置してしまったことは失策だっただろう。
もちろん、『それだけ』で決まるものではないことも知っている。
梨花と自分の縁だって、世界のカケラを旅するという傍目にはわからない共通項で結ばれた縁。そうした内面の繋がりあってこそ、ということも考えられる。
だからこそ、この二人にもそうした縁があるのかとも思ったが。

「……下らん。脆弱で戦う意志も持たない、弱き存在……」

それらの疑問に対し、黒死牟は無情に一蹴した。
そこに見えるのは、苛立ちと怒り。己の主として定めるには、やはり本意ではないと言わんばかりの歪んだ表情。

「仮に、奴等が代わる主になるならば……今すぐにでも…」

そう告げる黒死牟の目は、ミズキたちに向けられている。
実際、目の前の鬼がその選択をする可能性まで考えていた故に一切の油断をしていなかった武蔵ではあるが、やはり既に見極め自体は終わっていたらしい。


550 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:34:01 ObvTtims0
そう――NPCでは、可能性の器と同等の英霊の受け皿とはなり得ない。契約に縛られるサーヴァントであるからこそ、その事実は両者共に認識していた。
界聖杯の管理する情報量自体は同じであろうと、あくまでマスター権限を保持しなければサーヴァントとの契約は不可能なのだ。
それがなければ、今すぐにでも霧子を殺し、『やる気』のあの三人の誰かを次なる主として選んだ方が黒死牟にとっては好都合。
主が霧子のままであれば、ひとえに霧子という首輪が自分のウィークポイントとなったままではあっただろう。彼ら部下のうち誰かであれば、ある程度は自由に剣を振るうこともできただろう、と。
なるほど、理に適ってはいる。力を求め、斬り合いを求める剣鬼ならば、その道を求めるもありだろう。

「理に適ってはいる。だけど、そうであっては引っかかる部分もあるのよね」

――ならば、なぜ。
『戦う機会がなくなる』ことになる、梨花の脱出案を聞いて、彼は何もしなかった?
自分とて同じ人でなしだから、その求道を理解はできる。まして自分よりも血に飢え、戦を求める目の前の鬼ならば、「戦えなくなる」という道には強く反発して然るべき。
ならば、梨花の案に対して動かなかったのは何故か。相対していた武蔵には、その理由が理解できた。
自分と相対していたから、言葉を発する余裕もなかったとか、そういった理由では断じてない。
彼女が交渉をしている最中、彼の注意は彼等ではなく、己がマスターに向いていたのだ。
今は下らないと斬り捨てたばかりのあのマスターの、柔らかな微笑みを見て。
その剣を、殺気を、煩悶によって一瞬でも途切れさせていたのだ。

「だから、一つだけ質問。貴方、聖杯に何を願うの?」

それは、ある種の本質を捉える問。
武蔵の見立てが正しいならば、あるいは――これで、はっきりする。
黒死牟が、真に剣の鬼たりうるものなのか。それとも、やはり彼の本質は――

「無論……強さのみ。聖杯に強さを願い、我が剣技を今度こそ最強に至らしめんが為……」

その一言で――武蔵は、理解する。
この鬼の強さの、本質の一端。

「……そう。そうですか。そういうこと」

ああ、そうだ。そう言うのであれば間違いない。
ひとりの剣鬼として、武蔵は黒死牟の存在を見極めた。
この鬼は、厳密には――『剣』の鬼では、ない。
確かに、外道に墜ちてでも力を求める姿勢は理解できる。
だが、そのひとでなし足る所以、求める力の在り様は既に剣を高めるという点にはあらじ。より純粋に、特化した、何かへの妄念を打ち払うための『強さ』でしかない。
      ・・・・・・・・・・・・・・・・
でなければ、己が修練の機会を聖杯ごときに譲りなどするものか。
術理を食らう、刃を交える、どちらも魅力的だと感じていながら、その実彼が求めるのはただ勝利と強さのみ。
――極論、『剣の道の奥を垣間見えたなら死んでもいい』とか、『己が認める剣に斬られるなら本望』などとは思っていないのだ、この鬼は。その点においては、嘗て相対したかの至高天(エンピレオ)の方がまだ上等だ。

(……多分、『それが分かっていても自分では気付けない』のね。考えてみればその通りでした。あの御前ですらああなっては気付けないのですから)

宿業の埋め込み――業(カルマ)の肥大とは言ってしまえばそういうものだ。
己が妄執、世界への祈りが九を占めていたとしても、残りの一を破滅的なまでに拡張する所業。
己が無念を認識しても、その哀切で剣を止めること能わず。いやむしろ、認識してしまうからこそ無念は否定の呪詛と化して一層破滅を加速させる。
いっそ英霊剣豪との相対のように宿業ごと両断してしまえば或いは解放に至れるのかもしれないが、その為には恐らく此方も先を更に越える決死を以て挑まねばならないだろう。そして、そうしたところで結局主人である少女が訳も分からず投げ出されるだけ。
口惜しいが、所詮は多少まともなだけの剣鬼に過ぎない宮本武蔵が出来ることといえば斬ることただ一つに絞られる。
まして彼を――人を妄執より救うなどという行動、まさしく分不相応。
そういうのは、あのまっすぐなライダーや今は彼方にいる嘗ての主。そして――その主と同様に、「消えるべき世界でもなお生きたいと願った誰かを見過ごせない」と謳った、剣鬼の主その人こそが見せるべき優しさだ。


551 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:35:47 ObvTtims0

「ええ。ですが、あえて言わせてもらいます」

だからこそ。
その優しさを持つ少女に、僅かでも意識が向いているのならば――まだそこに余地があるのならば。
それこそが、この二人を繋いだ縁だというのなら。

「――貴方もいっぱしの人斬り包丁を名乗るなら、戻るべき鞘くらいは見つけておきなさい。野晒しのままの剣は、ただ錆びていくだけでしょう?」
「……黙れ………!」

ずお、と音を立てて巡る殺気。
いよいよ以て何かの地雷を踏んだか、と身構えつつも、しかしここで引き下がれない。
こうしなければ、

「セイバー」
「………セイバーさん」

その張り詰めた空気を、互いの主が咎めなければ。
瞬時にぎらついた黒死牟の剣が、二人すら射貫いたその瞬間に――武蔵はあえてその剣を収めてみせた。
しかし、位置取りは油断なくマスター二人と黒死牟の中間点。しかも刀の柄には手を添えたまま。
居合の構え
そのまま、数秒の沈黙が流れたかと思えば――

「……ま、そういうことで。少しは貴方の主と話すべきだと感じたけどね。その後――あなたが真に剣の道を賭けて戦うというのであれば、私も改めてお相手しましょう」

軽くそうあっけらかんと言い残すと、彼女はひと時のうちに梨花を抱えて虹花のいる方へと飛び退っていた。
苛立ちに身を任せて追い縋ろうとする黒死牟に、彼女は一言短く告げる。

「……剣鬼を名乗るモノよ。この私に剣を誇るのであれば、その迷い、これ以上見せるな」

侍として、剣を誇る矜持の言葉。
それで一瞬足を止めた彼を、最後に一瞥して――梨花たちは、最早廃墟と化したカフェを後にしたのだった。



『……随分と、剣呑だったのです。大丈夫だったのですか?』
『色々ギリギリだったけど、まあ十分ね。できれば放置もしたくなかったけど釘も刺したし…あとは、アレを引いたのがあの子だったという事実を信じたいわね』

皮下へのアジトへ向かう道。
その道中で、梨花と武蔵は念話を交わしていた。
向こうも念話していることは百も承知だろうが、かといって内容を詮索しても無意味なことくらいは分かっているのか歩みを止める素振りもない。
というか、子供の方に至ってはうとうとし始めていた。レナが見ていたら「お持ち帰り」は間違いないだろうな、と苦笑する。……自分の右側から似たような気配が感じられることは無視しておこう。

『ともあれ、こちらもこちらで一旦正念場になることは間違いないわね。もちろん全部赤裸々にするつもりはないんでしょ?』
『はいなのです。だから、一回あの人たちとも連絡をしないといけなかったのです』

身を守るためとはいえ、ここまである程度赤裸々にしてしまった以上、少なくともアッシュたちとのある程度の合意形成が必要だ。
梨花たちも今はまだ一度言葉を交わしただけで、同乗といえど連携が密とは言えない。ひとつの陣営と共闘でき得るというメリットも持ち込めたとはいえ、独自判断でこれだけのことをやってしまった以上報告だけでもしておかなければならない。
かといって、この場で二人とも向かわなければ皮下は成果がなかったハクジャたちを処分する可能性もあるとなれば、少なくともどちらかは出向かなければならない。
だからこそ、そちらは自分たちが担うしかなかった。
ここで「だから霧子を一人で向かわせた」となれば、自分は283プロの面々から信用されないだろう。それに、283プロの誰と話を通せばよいのかも、自分より霧子の方が詳しい。
更に言えば、敵陣から逃げる最後の手段である令呪を既に一画失っていることや、サーヴァントとの連携が取れていないことも含め――虎穴に飛び込むのは、自分たちの方が都合が良かった。


552 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:37:04 ObvTtims0

『283との交戦か、そうでなくても警戒か……緩めてくれればいいんだけどねえ』

――それでも283を追う、と皮下陣営が動くのであれば、是非もなし。
令呪による離脱と逃避行で、なんとか凌ぐしかない。
もちろん、ただ逃げるだけではその後に追い付かれる可能性もあるが――そこに関しても、考えはある。

『なんとなれば――おでんとも協力して、戦うのです』

既に、彼に向けた言付けを霧子に託した。光月おでんという男へのコンタクトと、その内実。
古手梨花とセイバーが七草にちか擁するライダーとの同盟を正式に結んだことと、皮下という医者がマスターである――『黒』の可能性が高めの――主従に会ってくること。
上手くいけば逃げた先で合流したい、と幾つかの合流ポイントも示しておいた。互いに連絡手段を持っていないのが苦しいが、それでも賭けるには値する程に協力な助っ人だ。

『風来坊って本人も言ってたし、会えるかどうかが問題かなー。流石にさっきのアレで死ぬ人ではないでしょうけど』
『一応、住んでいるらしい場所は教えたのです。……いるかどうかは運なのです』

日ももうじき沈む頃だ。
これまでの新宿での大災害が例外であっただけで、聖杯戦争の本番になるだろう深夜に、何等かのアクションを起こしていても不思議ではない。
夜だからとねぐらに戻ったり、その近辺にいてくれれば最高なのだが、果たして。

ともあれ。
彼等が霧子の助けによって合流することができれば、皮下陣営からの離脱後も格段にやりやすくなるだろう。
あの義人が残留と離脱のどちらを選ぶかは分からないが、途中で誰かを見捨てるような人間ではないことは伝わってきた。脱出までは確実に自分たちの力となってくれる筈だ。
彼等と、そしてアッシュたちと力を合わせれば――

(……井の中の蛙。それだけじゃ、ない。井戸の中から、生きたいと願う誰もを救いだせるような……)

そんな可能性は、きっとここから。




その居城に住まう敵が、光月おでんの仇敵であること、未だ知らず。
おでんと幽谷霧子の従える二人の侍が血を分けた兄弟であること、未だ知らず。
皮下と同盟を結んだ北条沙都子が、聖杯を獲るべく暗躍していること、未だ知らず。
沙都子に付き従う人理の影法師が、嘗て武蔵が相対した美しき肉食獣であること、未だ知らず。

さあ――是より向かうは、因縁渦巻く伏魔殿。
其処には、龍が待っている。



【新宿区・喫茶店(ほぼ崩壊)付近/一日目・日没】

【古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:疲労(小)、焦り
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:皮下の陣地へ。283にどれ程の矛先を向けているか確認、新宿区の大戦の趨勢によっては協力。
1:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
2:ライダー(アシュレイ・ホライゾン)達と組む。
3:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
4:彼女のいた事務所に足を運んで見ようかしら…話せる事なんて無いけど。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。


【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:全身に複数の切り傷(いずれも浅い)
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:梨花と共に皮下の陣地へ出向き、動向を見定める。……それはそうとどんなサーヴァントなんだろなー!あとアイちゃんかわいいなー!
1:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
4:あの鬼侍殿の宿業、はてさてどうしてくれようか。


553 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:38:13 ObvTtims0



今した話を伝えるというのも含めて、一度にちかと連絡を取ってほしい――というのが、梨花の提示した答えであった。
正直に言えば、状況が掴み切れていない霧子にとっては渡りに舟の提案ではあった。そこを否定するつもりはなかったし、283の皆と連絡を取れることも含めて断る理由もない。
だが、その話の内容を聞いているうちに、霧子の中では僅かな引っかかりが産まれていた。

(……にちかちゃんの、番号……)

霧子が梨花から渡されたのは、にちかに渡されたという電話番号。
それ自体は、歪な部分は何もなかった。
だが、『夕方に新宿区で会った』という言葉が、どうにも引っかかった。
霧子がにちかと会ったのは、摩美々と会った昼頃。そこから移動した、というのであれば辻褄は合うが、しかしそこから新宿区まで移動して人と会って、を全てこなしたのだろうか?
しかも、聞けば新宿区での待ち合わせはにちかの側が待っていたとのことで――彼女の行動経路が、ひいてはそれらを繋ぎそうなひとつの違和感が、霧子の頭に引っかかっていた。

――やっぱり……283プロが……ざわざわしてる……

何かが、違う。
聖杯戦争だけではなく、もっと根深いところで、自分の知らない何かがあるような、そんな気がした。
だからこそ、まずは摩美々と、にちかと、連絡を取って。
その後、梨花に言われたように、おでんという人物に会えないかどうか試して。
そして改めて、脱出に向けて歩き出そうと、霧子が意を決して――それと、同時に。

「……セイバーさん……」

先程の、梨花のセイバーと話し合ってから押し黙っている自らのサーヴァントに、目を向けた。

「……セイバーさんは、何を……」

何を、聞こうとしたのだろう。
あのセイバーが告げた、迷いについてか。その前、立ち辻を行っていたらしいことか。それとも、もっと別のことか。
霧子がその答えを出す前に――黒死牟は、霧子に詰め寄り、その胸倉を掴んでいた。

「貴様が……何を……知ろうというのだ……」

憎々し気に。
今すぐにでも両足を斬って、死なないまでも自由に行動をできないようにしてやろうかとも言わんばかりの形相で。
黒死牟は、霧子を睨みつけていた。
武蔵の指摘。霧子の言葉。何もかもが腹を据えかねる。
己の剣の在処など、聖杯を求める理由など、強くなる以外の何者でもなく。それ故に、この少女の優しさなど全て邪魔でしかなくて。

「私は……」

なのに。

「色んなものを、知りました……」

目の前で、染みわたるようなこの声を発する少女の言葉は。

「皮下さん……は、まだわからないけど……ハクジャさんに、ミズキさん……それに、アイさんに……梨花ちゃん……そして、咲耶さん………」

――武蔵が黒死牟に向けたような、哀れみの声ではない。
哀れみであれば、きっと今よりも早く斬っていた。自分の百分の一にも及ばぬ強さの幼い少女に哀れまれることなど、あってはならない。
ただ、そう。彼女が求めているものは――きっと、ずっと最初から。

「だから……セイバーさん……黒死牟さんのことも……」

――あなたにとって、辿り着きたい場所はどこですか。
――あなたにとって、暖かい場所は、どこですか。

「暗いだけじゃ……帰り道も、わからないから……って……」

暗いのならば、寒いのならば、暖かい場所に一緒に往こう。
焼かれる炎が熱いとしても、想いが呪いと化していても――その想いには、根源があるはずだ。
その願いの根源こそを、霧子は知りたくて。
知った上で、彼が帰るべき場所に、一緒に歩いていきたくて。

「黒死牟さんが、帰れるように……」

きっとそこで、彼の安息を共に見たいのだと。
霧子は、ずっと謳っていた。
暫しの静寂の後――突き放すように、黒死牟は握っていた手を放り出した。
少し力を入れるだけで、飛んでしまう小さな少女を見下しながら吐き捨てる。

「……………………………………必要、ない」

帰る場所。温かい陽だまり。自分にとっての安寧の地。
・・・・・・・ ・・・・・
あってたまるか、そんなもの。

「……………………帰る場所など、ない………!」

全て。
全て、捨てたのだ。
何もかもを捨てた。帰る場所も、
それほどまでに求めて、飛び込んだ場所は焼かれる焔の中だ。
暖かい?ああ、この身が焦がれる程に熱いとも。今のこの身は、心は、きっといつまでも焼かれている。
その炎を鎮めることでしか、真の安息はない。


554 : てのひらをたいように ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:38:53 ObvTtims0

「……それでも……」

そう言って背を向け、霊体化した黒死牟の背中をじっと見つめながら、ひとり残された霧子は呟く。
影に隠れるように去った彼が抱いているはずの、記憶のこと。

「お日さまは、きっと、待ってるから…………」

――太陽があるからこそ輝ける、月面が照らすまっさらな反射光(リフレクト・サイン)を。
太陽は今もきっと、待っているはずだと、そう信じたかった。

「黒死牟さんの、お月さまが………お日さまに、光をあげる日のこと………」

だって。
天に浮かぶ上弦の月が、陽が落ちる前も尚、青い空で見下ろしてくれているように。
これ程までに焦がれる太陽の輝きを放ってなお――その太陽もまた、月の傍で佇んでいたはずなのだから。

【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:おでんさんと……摩美々ちゃんたちに……色んなお話、伝えなきゃ……
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
5:にちかちゃんと……283プロのみんな……何か変……?
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。


【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:苛立ち(特大)、動揺(特大)
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:強き敵と戦い、より強き力を。
0:誰も………彼も………!
1:鬼の時間は訪れた。しかし──
2:セイバー(宮本武蔵)と決着をつけたい、が……?
3:上弦の鬼がいる可能性。もし無惨様であったなら……
4:あの娘………………………………………
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。


555 : ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 15:42:05 ObvTtims0
投下終了です。
なお、今回の話ではNPCの扱いをこれまで以上に大きく扱っております。
今後のリレーにおいて、何らかの支障をきたすと感じられた場合は指摘していただけると幸いです。


556 : ◆KV7BL7iLes :2021/12/12(日) 16:52:15 twg6BoFk0
すいません。>>551>>552の間に以下の一文が抜けていたのと、各キャラの現在地・時刻の修正をそのままにしてしまっていたため、ひとまずその二点だけ修正させていただきます。
・挿入文
>もちろん、そうなればハクジャが霧子を取り逃がしたことも追求されるだろうが――新宿の大災害からサーヴァントによって逃がされた、という説明自体は用意してある。
>サーヴァントたる鬼のセイバーの外見だけでも伝えることで信憑性は増すだろうが、その信憑性が信頼にまで及ぶかどうかは未知数……というより、疑念を抱かれる可能性も存在はする、か。
>疑念を抱かれた上での交渉になれば、不利になるのはこちらだ。
>先にもミズキが言った通り、現在の状況を鑑みれば283プロに攻め込む理由は薄い。それも含めてどうにか方針を誘導するだけでも狙いたいところだが――

・武蔵、梨花の時系列
【新宿区・皮下のアジトまでの道中/一日目・夜間】

・霧子、黒死牟の時系列
【新宿区・喫茶店(ほぼ崩壊)付近/一日目・夜間】


557 : ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:21:25 /6s3E3CI0
投下乙です。
自分も投下します


558 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:23:11 /6s3E3CI0
「…ところで」
 麦茶を一口啜って仁科鳥子が気まずい静寂を裂いた。
 同盟が成立したのはいいが油断ならない相手であることに変わりはない。
 鳥子は確かにアサシン……吉良吉影の同盟を受けた。
 だがそれだけだ。それ以上の関係ではないし信用など寄せていよう筈もなかった。
「リンボを倒すって言っても……具体的にはどうするつもりなんですか?」
 にも関わらず鳥子が同盟の申し出を承諾した理由は、ひとえに二つのリスクを天秤にかけた結果。
 吉影という真意不明の危険人物か、自分のサーヴァントを明確に狙っているという仇敵か。
 天秤は後者に傾いた。
 吉影が腹に抱えているものが何であるにせよあのリンボは捨て置くには危険すぎる。
 リンボの打倒さえ成れば場合によってはすぐにでもアサシンは排除する。そうでなくとも距離を取るなり何なりする。
 もちろん背中なんて見せない、付け入る隙など晒しはしない。
 吉影の素性を知らない身でありながら、鳥子は彼に対して人間が出来る最善の警戒を布けていた。
「君達はあれと戦ったのだったね。それを踏まえて聞くが……どうだった?」
「…すごい気持ち悪い奴だったけど、強かったですよ。あれで本気じゃなかったら……とか考えたくないくらいには」
「だろうね。そうでなければ地獄を築くなんて大口は叩けないだろう」
 当然そんな相手に手の内を晒すのは避けるべきだ。
 鳥子は自分の手のことについて吉影に一切話していない。
 いかに吉影が聡かろうが、前情報なしに昼間の交戦の真実に辿り着くことは不可能だろう。
 リンボ以外のサーヴァントに対しても役立つかは不明だが、切り札は秘めておくに越したことはない筈だ。
「情けない話だが、私はサーヴァントとしては三流だ。
 直接での戦闘も出来ないわけじゃあないが……君達で苦戦するようなら役に立てるかは怪しい」
 一方の吉影も涼しい顔をしながら事実をぼやかす。
 彼はアサシン、文字通り暗殺のような闇に紛れた戦いをこそ得手とするサーヴァントだ。
 だがその実吉影は自分の力と強さに一定の自信を持ってもいるのだ。
 直接戦ったとしてもそうそう遅れを取るつもりはない、そう思っている。少なくとも目の前の見るからに「青い」女達などには。
「マスターを狙うってことですか?」
 ただ鳥子の頭の回転は吉影が思っていたよりも早かった。
 というより、通常避けたがりそうな手を選ぶことに迷いがないことに驚いた。
 実際には吉影の方策とは違う意見だったのだが…話が早いのはいいことだ。
「半分正解、半分不正解だ。マスターを殺してリンボを消滅させるのも悪くはないが…そうまでしなくてもリンボの目論見は崩せる」
「あ……そっか。リンボは聖杯戦争とぜんぜん関係ないことをやらかそうとしてるんだから――」
「そういうことだ。奴の下らない計画を聞いてなお共鳴できる異常者なら話は変わるが、その可能性は流石に低いと考えてたいね」
 狙うべきはリンボではなくマスターである。
 命を取らずともリンボの地獄構想を密告すれば八割方勝ちだ。
 そうして首尾よくリンボを排除すれば後は残った彼のマスターと手を結ぶだけ。


559 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:25:37 /6s3E3CI0
 そこまで進めば吉影の道に横たわっていた問題は大方消える。
 彼の愛する平穏な日常がようやく帰ってくるというわけだ。
「問題は、どうやって勝利条件を満たすかだ」
「私達、あっちのマスター絡みの情報はまったく持ってないですよ」
「分かっているさ。そこはこれから詰めていこう」
 詰めていこう、って……。
 不満げに言い淀む鳥子に吉影は続ける。
「先刻も言ったが私には標的を『追跡』するスキルがある。
 君達の居所を特定し訪ねることが出来たのはそれによるものだ」
「……一方的に特定されて侵入される方は堪ったもんじゃないですけどね」
「ただしそれも万能じゃあない。少なくともリンボのマスターに対しては現状効果を発揮出来ない」
 今すぐは辿り着けない。
 しかし探ることなら出来る。
 何しろリンボは話に聞いただけでも伝わってくるような目立ちたがりだ。
 確実にいずれ……そう遠くない内に尻尾を出すものと吉影は確信していた。
 そこを突く。
 そこから伝う。
 そしてその時、渦中のフォーリナーと組めている事実は吉影にとってとても大きく作用する。
「だから今はひとまず待ちだ。それに」
 吉影が鳥子にスマートフォンを見せる。
 液晶に表示されたニュース速報を見て鳥子が目を見開いた。
 新宿の崩壊。直下型地震に匹敵、それどころか凌駕する被害。
 不明者を含めれば死者は五桁に達する見通し……。
「……これ、リンボがやったと思います?」
「別口だろう。現場では前々から目撃談のあった"青龍"の姿が確認されたって話もある」
 見た瞬間思わず血の気が引いた。
 現実の出来事だと思えなかった。
 自分にとっても慣れ親しんだ東京の一角が完全に崩壊している光景はショッキングで、裏世界で見たどの冒涜的光景よりも恐ろしくて。
 これがリンボの手引きではないことを心底信じたくなった。
 こんなことをしでかせる奴に狙われているなんて、考えただけでも気が滅入るから。
「都合がいいのか悪いのか…一概には言えないがね。この新宿事変を皮切りにして聖杯戦争は大きく動くと予想出来る」
 東京という都市は広い。
 だが二十三騎のサーヴァントを争い合わせるスペースとしてもそうかと言われれば、答えは否である。
 やる気になれば一対一の合戦でこれだけの規模の破壊を叩き出せる怪物までいるのだ。
 事態が動かない筈がない……町が一つ消えるということにはそれだけ大きな意味がある。
「願わくば末永くよろしくやれるよう祈っているよ、仁科鳥子さん」
 末永く、ね。
 続くその言葉に何故か背筋が寒気立つ感覚を覚える。
 ただ吉影の本性を知らない鳥子はそれを気のせいだとか緊張だとか、そういうもっともらしい理由をつけて片付けてしまった。
 話が終わって、特に何をするでもない時間が流れる。
 そこで彼女がしたのは吉影から意識を背け、アビゲイルに念話を送ることだった。


560 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:26:46 /6s3E3CI0


“アビーちゃん、ごめんね”
“そんな…どうか謝らないで、マスター。悪いのは私。謝るべきは、私なんだから……”
 聞こえてくるアビゲイルの声は明らかに沈んでいた。
 無理もないと鳥子は思う。
 彼女は先刻、吉影の手によって自分の触れられたくない過去を切開されたのだ。
“本当はもっと早く…私からマスターに打ち明けなくちゃいけなかったの。
 なのに、私……っ”
“いいよ、その先は言わないで”
 アビゲイルが鳥子に過去を打ち明けずにいたことは確かに不誠実な振る舞いといえるかもしれない。
 しかし鳥子は彼女に対し怒ってもいなかったし、その不忠を咎めるつもりもなかった。
 彼女のことを疑うなんてもってのほかだ。
 これが会ったばかりの頃であったら話は違っていたかもしれないが鳥子はアビゲイルと既に一ヶ月の時を過ごしている。
 同じ部屋で一緒に寝食を共にして、時間を共有してきた相手なのだ。
 ぽっと出のサーヴァントがセンセーショナルな"衝撃の真実"を伝えてきたところでその事実は揺らがない。
“私はアビーちゃんのことを、アサシンが思ってる風になんて見てないよ”
“マスター……”
“アビーちゃんのことは信じてるし、これからも私のサーヴァントはあなただけ。
 だからそんなに落ち込まないで? アビーちゃんが沈んでたら私、一人でこの人とやり合わなきゃならなくなっちゃう”
 そう言って苦笑する鳥子。
 その言葉にアビゲイルは追い詰められた心がふわっと安らぐのを感じた。
“晩ごはんでも一緒に食べてさ。元気出そうよ、ね?”
 気付けば口元に笑顔が戻る。
 吉影に気取られない程度にではあるものの、アビゲイルは確かに笑ってくれたのだ。
 そのことに鳥子までなんだか安心してしまう。
 空魚が聞いたら拗ねること間違いなしだが、やっぱり彼女の存在とその無垢さは孤独な日々の中で欠かすことの出来ない支えだった。
“……ありがとう、マスター。私、これからもマスターのために頑張るわ”
“ん、そうしてくれたら嬉しいな。アサシンのことは正直信用は出来ないし、いざとなったら助けてもらわないとだからね”
“安心して。あなたのことは守ります、必ず”
 何があっても、誰が敵になったとしても。
 この人のことだけは守ってみせる――アビゲイルは改めてそう決意する。
 であればへこたれている暇などないのはすぐに分かった。
 立ち直ってサーヴァントのしての勤めを果たさなければ。
 この優しくて綺麗なマスターが……本当のお姉さんのような彼女が。
 大切な人の、好きな人のいる世界に帰れるように。


561 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:27:49 /6s3E3CI0

 
 アビゲイルは吉影に鳥子と念話していたことを悟られまいと努めていたが。
 それまで目に見えて沈んでいただけに、その表情が急に和らいだのは彼にもあえなく伝わってしまった。
 吉影としてはアビゲイルには多少沈んでいてくれた方が助かったが、とはいえ然程期待はしていなかった。
 立ち直ったことで風除け程度には働いてくれることを祈るとして思考を切り替える。
“当然のことだが…やはり警戒されているな。バカな女ではないようだ”
 同盟を成立させるところまでは首尾よく行った。
 が、流石に彼女達の心にある警戒心と疑心まではどうにもならない。
 長い時間をかけて信頼関係を築いていけば話は違うのかもしれないが流石に望みは薄い。
 期待はせず、逆にあちらから切られるようなことがないようにだけ気を付ける。
 今のところはそれで十分だろう。
 吉影のことを疑ってはいても、鳥子達にとって吉影との繋がりを失うことが痛手なのもまた事実なのだ。
 少なくともリンボの脅威がある内は鳥子もアビゲイルも吉影(じぶん)を切れない。
 人心の把握に長ける吉影はそう分かっていたから、現状彼女達に対しては楽観的だった。
“――爪が、伸びてきたな”
 しかし鳥子に対する情動は依然吉影の中で燻り続けている。
 意図的に抑えている心。堪えている衝動。
 英霊となっても消えることのなかったその性はもはや彼の霊基と結びついて離れようとしない。
 そして吉影の性は今、彼の心の中で絶えず絶叫していた。
 目の前の"美しい手"を手折り己の物にしろという衝動(こえ)が止まない。
“……?”
 そこまで考えて、不意に――。
 吉影は自分の内側がその実奇妙なほど静かなことに気付いた。
 今響いているのは自分の性に基づく衝動の音のみ。
 自分以外の誰の声も響かない時間がずっと続いている。
“親父?”
 吉影達は今非常に重要な局面に置かれている。
 アルターエゴ・リンボの跳梁への対処。
 それに乗じた田中という無能との決別。
 あの過保護な父親のことだ。
 事ある毎に何か念話を飛ばしてくる筈なのだ、普通は。
 だというのに……息子の呼びかけに対して応答の一つも返してこない。
「鳥子さん」
「……何ですか?」
 明らかな異常事態だった。
 田中に対しても念のため念話したが案の定返事はない。
 その時点で吉影は事の次第を概ね察した。
 だが焦りはなく、動揺もなかった。
 遅かれ早かれ起こり得る事態だとそう腹を括っていたからだ。


562 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:28:58 /6s3E3CI0
「アルターエゴ・リンボが動いたようだ。私達も動こう」
 そう語る吉良の目はひどく冷たかった。
 マスターに対する利用価値はこの瞬間ゼロに堕ちた。
 であればこの先待ち受けるのは決裂だけだ。
 田中という名のマスターは結局徹頭徹尾、吉良吉影に何一つもたらすことはなかった。

【荒川区・鳥子のマンション(日暮里駅周辺)/一日目・夜(夜突入直後)】

【仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:えっ……?
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
3:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
4:出来るだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。

【フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスタ―を守り、元の世界に帰す
0:あなたが、あなたの好きな人のいる世界に帰れますように。
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:マスタ―にあまり無茶はさせたくない。
3:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。

【アサシン(吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康、殺人衝動
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(一般的なサラリ―マン程度)
[思考・状況]基本方針:完全なる『平穏』への到達と、英霊の座からの脱却。
0:残念だよ、マスター。
1:アルターエゴを排除。フォーリナー(アビゲイル)の覚醒を阻止する。
2:アルターエゴのマスターを探して“鞍替え”に値するかを見定めたい。尤も、過度の期待はしない。
3:あの電車で察知したもう一つの気配(シュヴィ・ドーラ)も気になる。
4:社会的地位を持ったマスターとの直接的な対立は避ける。
[備考]※スキル「追跡者」の効果により、仁科鳥子の座標や気配を探知しやすくなっています。
※仁科鳥子の住所を把握しました。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。

※田中の裏切りと『写真のおやじ』が人事不省に陥ったことを悟りました。


563 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:29:58 /6s3E3CI0
    ◆ ◆ ◆

 ふざけやがって。
 何なんだよこいつら。
 何なんだよ、あいつ。
 何で俺は一度でもあんなしょぼくれた野郎に憧れてたんだ。
 チェーンの居酒屋でちびちび酒を呷りながら俺は吐き捨てる。
 とてもじゃないが、呑まなきゃやってられなかった。
“いつまで呑んだくれておるのだ…おまえは。 
 おまえも新宿で何があったかは知っておるだろう。もはやそうして自堕落に過ごしていられる時間は終わったのだとまだ分からんのか……?”
「……うるせえよ。心霊写真が人間様に説教すんな」
 新宿の事件は見た。
 驚かなかったと言えば嘘になる。
 すげえと思ったし、自分が非日常の中にいるんだってひしひし感じた。
 ニュースででかい災害や事故を見た時に覚える不謹慎な高揚感。
 あれを何倍にも膨らませたようなそんな感覚だった。
 だけど気分は乗らないままだ。
 俺が新宿の惨状を見て抱いた感想はどうせ、アサシンやこの"写真のおやじ"にしてみればクソ以下なんだ。
 何が出来るわけでもない無能がスリル満点の非日常に憧れて騒いでるだけ。
 あの死んだ魚みたいな目で俺を見て、そう考えるんだろうと分かってるから。
 酒のせいもあってか念話にするのを忘れてた。
 おやじが何かうるさくグチグチ言ってるから仕方なく切り替えてやる。
“俺が何処で何してようと関係ねーだろ? アンタの愛息子が全部なんとかしてくれるんだから”
“何を子供じみたことを言っているのだお前は。マスターとしての自覚というものがないのか?”
“知らねえよ。俺がマスターらしく振る舞ったとして、アンタらは親子揃ってグチグチ文句言うんだろうが”
 ハイボールを喉の奥に流し込みながらする念話は今までより言葉の切れ味が増している気がした。
“とんだハズレだ。やっぱガチャ運ねえな、俺って”
 真っ昼間からアルコールを入れていたのにこの期に及んでまだ呑むのかと言われたら返す言葉もないが、もう知ったことじゃない。
 喫茶店に長々居座るよりはこっちの方が世のためってもんだろ。
 否定するしか能のない老害の言うことなんざ聞いてやる義理はない。
“俺は心底思い知ったよ。アンタの息子が肝っ玉の小せえ臆病者だってことがな”
“きさま……わが息子を愚弄するかッ!? きさま如き小僧がッ!?”
“そら見ろ。マスターに対して使う言葉かよそれが?”
 俺はとことん辟易していた。
 大きな事をする度胸もないアサシン。
 それを盲目にヨイショするだけの紙切れ(おやじ)。
 こいつらは俺に何も求めてないんだってことが心底分かった。
 要するにこいつらが俺に求めてるのは"生きていること"だけなんだ。


564 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:30:52 /6s3E3CI0
 生きていればそれでいい。
 アサシンが現界し続けるための柱でいればそれでいい。
“二人で勝手にやってろよ”
 ふざけんなよ。
 口開けばつまらないことしか吐けない玉無し共。
 マスターは俺だ。俺なんだよ。俺が上でお前らが下なんだ。
 誰がお前らを英霊の座から引きずり出してやったと思ってる?
 ああ腹が立つ、胸糞悪い。
 つまみとして注文した塩辛をハイボールで流し込む。
 そうすると、いつもより躊躇いなく本音を吐き出せる気がした。
 気分がよかった。
“俺はお前ら親子の行く末なんて死ぬほどどうでもいいんだ。
 俺に真面目に働いてほしかったら……おたくの息子さん連れてきて土下座でもさせてみれば?”
“ほざくな! わしの吉影がきさまのようなボンクラに頭を下げるなど天地がひっくり返ってもありえんわッ!”
“別に俺はよ…いいんだぜ? アンタの愛しの息子を切って他のサーヴァントに鞍替えしても”
 例えばリンボとかな?
 そう言って笑うと案の定写真のおやじはすげえ顔をした。
 少し胸がすいた。
 そうだよ、本当の関係性はこうなんだ。
 立場が上なのは俺なんだから。
 俺が上でお前らが下なんだよ。
 なのに威張り散らしやがって。
 バカを見るみたいな目で見下しやがって。
 ふざけんじゃねえ。
 誰が認めるかよ、そんなこと。
 楽しいことだらけのこの世界で俺だけが現実の延長線?
 クソ喰らえ。
 俺の田中革命を……俺の一世一代を。
 てめえらクソ親子の臆病風になんてかき消されてたまるか。
 アサシンにビビり散らかしてた俺の口は見違えたみたいに流暢になってくれた。
 強めのアルコールがローションになってくれたらしい。
“マスターを失えばサーヴァントは死ぬけど、サーヴァントを失ってもマスターは死なない。
 ものの例えだけどさ…俺が令呪でアサシンを自害させたとしても、俺は気分爽快なまま生き続けられるってことだ”
“…きさまこそ忘れるでないぞ田中一。わしは今この場できさまを殺すことも出来るのだと……!”
“やってみろよ。その時泡を食うのはお前ら親子の方だ”
 写真の中のおやじが歯軋りするのが分かった。
 いい気味だ。ストレス発散にちょうどいい。
 酒が進む。もっと早くこうしていればよかった。
 そう思っていた矢先、写真のおやじは口を開き。
“よく分かった。わしはかつてきさまのことを庇ってやったが…それは間違いだったらしい……”


565 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:31:50 /6s3E3CI0
 写真の中にあるその形相を鬼のように顰めて言った。
“きさまはわが息子のマスターを勤められる器ではない。
 なぜ、わしの息子がこうも無能な男と引き合ってしまったのか……考えるだけで惨憺な気分になる。
 わしはこの地に満ちる『引力』を恨む”
“そうかい。ようやくアンタの本音が聞けたな、クソおやじ”
 ほら見ろ。
 こいつらは最初からそうだったんだ。
 リスペクトしてたのなんて俺だけだった。
 こいつらにしてみれば俺はただの石ころ。
 自分達の存在を繋ぎ止めるだけのものでしかなかったんだ。
“もういいわお前ら。マジで失望したよ”
 こんな奴らのことなんて知るか。
 俺はこいつらの親子ごっこのために此処まで来たわけじゃないんだよ。
 もう心は決まっていた。
 マジでイラねえよ、お前ら親子。
“な…待て、きさまッ! 何をする気だ、まさ――”
「令呪を以って命ずる」
 死ねよ。
 モンペのおやじもヘタレの息子も揃って死んじまえ。
 俺が殺してやるよ。
 お前らの願い、全部俺が踏み躙ってやる。
 念話で息子に伝えるか? いいじゃんやってみろよ。
 令呪もないのに俺のとこまですっ飛んで来れるならだけどな。
 それより俺が命令する方がずっと早い。
 もうお前らなんていらねえんだ。
 俺は地獄を目指す。リンボを探して、あいつと組む。
 悪いな、おやじ。
 悪いな、アサシン。
 お前ら親子は――用済みだ。
 おれのために死ね、ヘタレ共。
 さあ、『田中革命』の再開だ。
“や…やめろッ! このちっぽけな小僧がぁぁぁッ!!”
 間に合わねえよな、監視役のお前が今から報告したって。
 おやじの無様な絶叫を心地よく聴きながら。
 おれは命令を下すために口を動かした。


566 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:32:35 /6s3E3CI0


 ――だけど。
「おやおや。間一髪のところだったようで」
 その声は途中で遮られた。
 というか、俺が止めた。
 そうするしかなかった……そいつの突然の登場は俺にとってそれだけ予想外のことだったから。
「リ…リンボッ!? どうして此処に……」
「貴方に用がありまして。しかし、ンン――なかなかどうして良いところに割り入れたようで」
 居酒屋の暖簾をくぐって当たり前みたいにそいつは現れた。
 周りを見渡せばいつからそうだったのか、客も店員もみんな倒れ伏して眠ってる。
 そんなことをやっておきながら俺の前で笑うそいつは誇るでもなく平常通り。
 何時間前かに始めて会った時と同じ顔をして、アルターエゴ・リンボはそこにいた。
「ご…ごめん。俺、アサシン達を説得出来なくて……」
「それは惜しい。しかしながら致し方ありますまい。
 拙僧の地獄はあらゆる願いを下敷きにして成り立つもの。こと英霊ともなれば受け入れられる者はそうそう居りませぬ」
「で、でも…俺はアンタの方に就くよ。もう決めたんだ、迷いはない。
 俺の言うことを聞きもしないで見下すばっかりのヘタレ野郎なんざ知ったことかってんだ……! ひ、ひひッ……!」
 心はもう決まってる。
 生き延びなきゃいけないのは分かってる。
 でもあいつらは違う。
 あいつらは俺が組むべき奴らじゃない。
 だから決めた。
 俺はリンボにつく。
 リンボについて、こいつの描く地獄を見る。
 地獄の田中革命だ。
 これはその第一歩。
 令呪でアサシンを自害させて、手始めに二人揃って俺を否定しやがったこいつらの夢を終わらせてやる。
 笑顔すら浮かべながら命令に踏み切ろうとする俺にリンボは。
「おやめなさい、田中殿」
「…え。なんでだよ……なんで止めるんだよ!?」
「貴方の決意は実に天晴だ。拙僧、大変嬉しく思います」
 わけが分からない。
 こいつにとってはこれが一番嬉しい選択なんじゃないのか?
、困惑する俺に言い聞かせるようにリンボは言った。


567 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:33:52 /6s3E3CI0
「しかしよく御覧なさい。今此処に、貴方を力ずくでも止める者はいますか?」
「……え」
 そこで初めて俺は気が付いた。
 今の今まで俺と言い争いをしてた写真のおやじ。
 そいつの写り込んだ写真が表情一つ変えない、それこそただの写真みたいに凍りついていることに。
「昔取った杵柄です。死霊の一体二体抑える程度のこと、造作もありませぬ」
「は…はは。マジかよ……何でもありじゃん」
「これで貴方を止める者はいなくなりました。そして貴方のサーヴァントにはまだ利用価値がある」
 自害させ潰えさせてしまうには惜しい。
 リンボは…毒々しい色合いのアルターエゴはそう言って笑った。
 それに続くように俺も笑う。
 そっか。
 ああ、それもいいな。
 あのアサシンをいいように使って…使い潰してやるってのは……結構胸がすくんじゃあねえのか?
「リンボ。俺は……アンタの地獄が見てみたい。
 窮極の地獄界曼荼羅だっけ。あれ、さ……最高にイカしてると思ったよ。痺れた」
 腹は決まった。
 それで死んでも構わないとそう思える。
 それくらい俺は目の前のこいつに憧れていた。
 こいつの目指す地獄とやらが見てみたかった。
「だから俺と組んでくれよ。俺を……アンタのマスターにしてくれ」
「残念ですが、それは叶いませぬ」
 ――え。
 俺は息が出来なくなって間抜けな声をあげた。
 なんで。なんでだよ、リンボ。
 なんでそんなことを言うんだ。
 俺はお前のためにサーヴァントを捨てた。
 お前に全部を賭けたんだぞ?
 大体俺以外の誰がお前の願いを認めてやれるっていうんだ?
「拙僧のマスターは貴方以上に優秀です。それを蹴ってまで貴方を選ぶ理由が、現状拙僧には見出だせません」
「な…なんだよそれ……。じゃあ俺は……俺は、何のために……」
「早合点なさるな、田中殿。拙僧とて鬼ではありませぬ。貴方の行くべき場所は既に見繕っております」
 そう言ってリンボは俺に一枚の紙切れを差し出した。
 そこに書かれているのは誰か宛ての電話番号。
 此処に連絡しろってことなのか。
 リンボの目を見ると、こいつは笑んだまま頷いてのけた。
「この番号の主と連絡を取りなさい、田中一。そこにはきっと貴方に相応しい居場所が待っている」
「お、俺は…アンタを信じて、全部賭けたんだぞ……!?」
「聞くのです。拙僧は決して貴方を陥れようなどとはしておりませぬ」
 声を荒げた俺に対してもリンボは変わらない調子だった。


568 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:35:00 /6s3E3CI0
 俺はリンボと組みたかった。
 こいつのマスターになりたかった。
 けどその考えは面と向かって否定されて、代わりに渡されたのは何処の誰宛てなのかも分からない連絡先。
 でも俺が縋れる先はもうこの電話の主以外にはないんだって、俺の貧弱な脳みそは嫌味なほど迅速にそう理解してくれた。
「その証拠に貴方が彼らと接触出来るまでの間は拙僧が護衛を勤めて差し上げましょう。
 であれば怖いものなどないでしょう? 貴方のことを憎むサーヴァントも手出しが出来ない筈だ」
「信じて……いいのかよ」
「信じるも信じないも、決めるのは貴方だ」
 リンボの言葉に俺はごくりと喉を鳴らした。
 此処から先は引き返せないって俺でも分かった。
 そんな状況だってのに、俺の答えは最初から決まってた。
 これしかないんだ。
 アサシンも写真のおやじも俺を否定した。
 あいつらは俺の邪魔しかしない。
 俺が俺でなくなる以外に、あいつらと組んでいられる未来はない。
 だから……。
「……分かった。分かったよ、リンボ」
 俺は決めた。
「アンタの言葉を信じる。だから…俺を守ってくれ」
 さよならだ、アサシン。
 そして写真のおやじ。
 もうお前らは敵だ。
 精々俺のことを追いかけながら必死に踊ってろ。
 俺は俺の道を行く。
 アンタら親子の下らない人生と心中してやるつもりはない。
「そしていつかアンタの隣が空くことがあったら、さ。
 その時は……俺を選んでくれよ、リンボ」
「ンンン……。その時は考えておきましょう」
 おれの選ぶ道はこっちだ。
 悪いなアサシン。悪いなおやじ。
 一生安牌だけ切って生きてろ。
 そんでもって――地獄に落ちちまえ。

【荒川区・居酒屋/一日目・夜】

【田中一@オッドタクシー】
[状態]:吉良親子への怒りと失望、吉良吉影への恐怖、地獄への渇望
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×4
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命』。
0:ヴィラン連合って……何?
1:リンボの意向に従う。アサシンは切った。
2:敵は皆殺し。どんな手段も厭わない。
3:SNSは随時チェック。地道だけど、気の遠くなるような作業には慣れてる。
4:リンボに“鞍替え”して地獄界曼荼羅を実現させたい。ただ、具体的な方策は未だ無い。
5:峰津院大和のことは、保留。その危険度は理解した。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。


569 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:35:56 /6s3E3CI0
【吉良吉廣(写真のおやじ)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:行動不能(蘆屋道満の術で一時封印されている)
[装備]:田中一のスマートフォン(仕事用)、出刃包丁
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:愛する息子『吉良吉影』に聖杯を捧げる。
0:………………。
1:アルターエゴ(蘆屋道満)を抹殺すべく動く。田中一の監視も適宜行う。
2:息子が勝ち残るべく立ち回る。必要があればスマートフォンも活用する。
3:当分は田中をマスターとして受け入れる予定だったが、危機感を抱いている。より適正なマスターへと鞍替えさせたい。
4:『白瀬咲耶の周辺』の調査は一旦保留。
5:田中も遅かれ早かれ“鞍替え”を考えるだろうと推測。
[備考]※スマートフォンの使い方を田中から教わりました。
※アサシン(吉良吉影)のスキル「追跡者」の効果により、仁科鳥子の座標や気配を探知しやすくなっています。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。 
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)の術によって行動不能に陥りました。今後の処遇についてはお任せします

    ◆ ◆ ◆

 蘆屋道満は陰陽師である。
 その根幹は今になっても変わらない。
 リンボなどという変わり果てた存在になってもなおだ。
 吉良吉廣は宝具になっても結局一体の死霊。それに変わりはない。
 だから術をかけて封じ込めるのは容易だった。
 吉廣が人事不省に陥れば田中の動向をアサシン、吉影に伝える者はいなくなる。
 此処まで含めて全てリンボの思い通りに事が進んでいた。
 田中が堪忍袋の緒を切らして令呪を使おうとした時吉廣に対する封印は既に効果を結び始めていた。
 彼が咄嗟に吉影へ連絡出来なかった理由はそれだ。
 なかなかに間一髪のタイミングだったが、間に合った。


570 : サイレントマジョリティー ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:38:03 /6s3E3CI0
“田中一を殺そうとするにせよ鞍替え先を探すにせよ、彼のアサシンはもはや脱落したも同然の苦境に立たされた。
 後は拙僧が携わらずとも十分でしょう。優良な駒だけ残れば拙僧はそれでいい”
 田中は愚図の無能だ。
 一般人という言葉から一切逸脱出来ない役立たずのでくの坊だ。
 だがそれならそれで利用のしようはある。
 他人を誑かして操ることに誰より長けるリンボにはそのことがよく分かっていた。
“それであのフォーリナーが…銀鍵の巫女までもが誘い出されてくれるならなお良し。
 拙僧の計画には一切支障なし、我が野望は前へ前へと突き進むばかり! ンンンン――実に素晴らしい!”
 リンボの式神は今鏡面の世界で交渉にあたっている。
 その結果次第では更に窮極の地獄界曼荼羅は完成へ近付くことになる。
 後はアビゲイルを確実に闇へ堕とせるかどうか。
 彼女の中に眠る本性を覚醒させられるかどうか。
“とはいえ。並行して、"彼"に対しても考えておく必要があるか”
 どちらを選ぶにせよリンボの計画は現状順調そのものだ。
 であれば気にするべきは計画の外側にある存在。
 リンボの式神が先刻接触していたとあるサーヴァントについてのそれが、目下最優先だろうと彼はそう踏んでいた。
“偶像(アイドル)七草にちか。彼女を守る灰髪のサーヴァント……”
 彼と接触した式神が原因不明の断絶(ロスト)をしたことをリンボは把握している。
 果たして何があったのか。彼は何を秘めているのか。
 いずれは確かめねばならないだろうとリンボはそう考えていた。
 もしもアビゲイルを利用したプランが頓挫するのならば、場合によっては……。
“いやはや、実によりどりみどり。拙僧にとってこの地は…巨大な遊技場にしか見えませぬなァ……”
 リンボは嗤う。蘆屋道満、その成れの果てが嗤う。
 瞳の中に地獄を写す彼の跳梁は止まらない。

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:???
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:田中を連合に誘導する。しかし状況によっては利用したい。
2:新宿区の地獄を眺めに行くか、リンクの切れた式神の調査を行うか…。(今のところ興味は後者に向いているようです)
3:式神は引き続き計画のために行動する。
4:…のつもりでしたが、やめました。祭りの気配がしますぞ、ンンン――。
5:式神にさせるつもりだった役目は本体が直接担うことに変更。何をするつもりかはおまかせします。
6:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
7:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
8:機会があればまたプロデューサーに会いたい。
9:七草にちかとそのサーヴァント(アシュレイ・ホライゾン)に興味。あの断絶は一体何が原因か?

[備考]
※式神を造ることは可能ですが、異星の神に仕えていた頃とは異なり消耗が大きくなっています。
※フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)の真名を看破しました。
※地獄界曼荼羅の第一の核としてフォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)を見初めました。
 彼女の再臨を進ませ、外なる神の巫女として覚醒させることを狙っています。
※式神の操縦は一度に一体が限度です。本体と並行して動かす場合は魔力の消費が更に増えます。


571 : ◆EjiuDHH6qo :2021/12/13(月) 21:38:22 /6s3E3CI0
投下終了です


572 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/14(火) 07:33:57 5Z8jJ4ws0
すいません、水曜か木曜の夜を目途として投下はできそうなのですが
話の都合上、櫻木真乃&星奈ひかるの登場場面が無いまま進むことになりそうなので
この二人についてだけ予約を破棄させていただきます
不要な拘束をして申し訳ありませんでした


573 : ◆KV7BL7iLes :2021/12/14(火) 21:20:07 e.q91uL.0
すいません、拙作「てのひらをたいように」でのNPCの扱いについて、一旦措置を減少させるために>>537>>538を微修正したものを投下させていただきます。


574 : ◆KV7BL7iLes :2021/12/14(火) 21:22:06 e.q91uL.0
けれど、その先で手を差し伸べてくれる人間が、希望を示してくれたことがあったから。
だから自分も、そのように手を伸ばす。
そんな梨花を見つめ、対するミズキはあくまで冷静に自分たちの現状を語る。

「……まず、前提として。そもそも私たち、可能性の器ではない者たちは界聖杯が用意した『世界』の構成要素の一つです」

ミズキがそれを理解したのは、彼が虹花として己の権能を理解したその時点であった。
自分の存在が、より大きなものの一部である感覚。自らの身体を手で触れた時のように、自分が今経っている地面の側から、ミズキという個体と客観的に接触しているという感触が伝わっていること。
その感覚が自分だけではないことは、周囲の覚醒者と交流することでも確認できた。

――自分たちは、人間ではない。この世界を構築する舞台装置としての、人形の一つ。

それを実感として受け取れていたからこそ、界聖杯の真実を知った時もそういうものなのだと自然と理解できてしまっていた。

「ですから、根本的に――界聖杯から離れた時点で、私たちを構成している魔力を得ることはできなくなります」

そして、その実感がなくなれば――この世界そのものと分たれてしまえば、きっと自分たちは生きていられないであろうことを、明確に認識できてしまった。
葉桜の覚醒のみに留まらない。真実を認識することや、何らかの方法で力を手に入れるに至るなどによって自己を強く確立した時、大なり小なりそれは心のどこかで理解できてしまうのだ。
自分は、ただこの世界に置かれた、ただの張り子にすぎないのだと。

「それは……」
「――あなた達の能力からは、私たちほどではないにせよ魔力がある。それでも?」

想定していなかった情報に尻込みする梨花に、再び武蔵が助け船を入れた。
サーヴァントである身だからこそ、ある程度の魔力は探知できる。故にこそ、彼等が使っている異能は確かに魔力を経由して作り出されていることも看破できた。
ならばそれは、彼等の肉体を構成している魔力の代用品なり得ないのか。

「……ええ。その可能性は、確かにあります」

それも、また事実。
自分たち虹花のバイタルチェック結果と併せて、この事実を報告した際に、仮説としては産まれていた。
界聖杯の一部として構築されているのはほぼ確定。界聖杯から与えられた魔力によって肉体が構成されている可能性は、
だが、それと同時に、恐らく記憶や人格そのものは端末としての肉体に埋め込まれている。そうでなければ、葉桜で外部から刺激を加えたとしても元世界と同じく個人に由来する能力を行使するのは難しいはずだ。
そして、ソメイニンの適合率が100%を超過し、「開花」のレベルまで至っている虹花の面子であれば。

『界聖杯からのリンク切っても動く可能性は、ま、ゼロじゃねえな。
 できればそのリンクを利用して聖杯いただき……とかやれたらクッソ楽だったんだけど、流石にそれくらいは対策済みだろうなあ』

要は、PCを主電源から切り離しても、バッテリーを内蔵して記録内容の読み込みさえできれば支障なく使えるのと同じ。
肉体を構成するだけの魔力を自己生成できれば、最低でも肉体の維持自体は行える可能性が高い。
そして、虹花の面々が持つ能力は、それを満たしているともいえた。
皮下が予想しているように、ただ単に覚醒するだけで情報量という界聖杯からの魔力の追加剰余が行われるのとはまた別だ。
葉桜の原材料そのものは界聖杯という世界で構成されている故に魔力を帯びているが、その製造技法とソメイニンに由来する神秘の力は紛れもなく皮下が開発した独自の事柄。
極論を言えば、彼等虹花のオリジナルがこの世界に存在した時、ソメイニンを由来とする魔力は彼等がサーヴァントを従える上で潤沢なリソース足りえただろう。そういう意味で、彼ら虹花は間違いなく魔力を自己生成していると言えた。

「それなら――」

ならば、可能性はやはりゼロではない。
勿論、問題は山ほどある。彼等がどのくらい界聖杯と同一の存在なのか。ルールの書き換えはどのように行えばいいのか。彼等は、どの世界に戻るべきなのか。
けれど、それでも――生き残る可能性自体は、ゼロではないのだ。
ならば、やはりそれを試す価値がある。
そう叫ぼうとした

「――確かに、そうね。私たちは、運命に縛られている」

その声を、冷たく遮るものが一つ。
振り返る梨花の視線の先で、薄く笑うのはハクジャだった。
その頬に浮かべた微笑を僅かに強張らせながら、彼女は朴訥と語り出す。

「……私たちが産まれたのは、こうして世界の真実を知った時。……でも、それだけで、私たちの過去までも否定したくはないのよ」


575 : ◆KV7BL7iLes :2021/12/14(火) 21:26:32 e.q91uL.0
以上の部分を、
>>537
>けれど、その先で手を差し伸べてくれる人間が、希望を示してくれたことがあったから。
>だから自分も、そのように手を伸ばそうとして。
の部分から、>>538
>記憶には、連続性がある。
>自分が生きていたそれまでの積み重ね。ずっと歩んできた道筋。それは、NPCであろうと可能性の器であろうと等しく持ち得ていたものだ。
の間に挿入させていただきます。


576 : ◆0pIloi6gg. :2021/12/14(火) 23:08:22 ECQAWgxg0
>>あらし(ワイルドハントあるいは祭り)のよるに
 ガムテの台詞回しが最高に決まってて読んでて痺れました。再現度の高さが凄い。
 あさひ達に対する接し方といい、殺島の存在を知った時の反応といい最高みが強くて読んでいて幸せな気持ちになれました。
 そうしてグラチル側に与したあさひ達を最初に出迎えたのはプロデューサー達。
 プロデューサーのコミュ力の高さというか、社会人的な話術がなんだかこの企画では新鮮で好きです。
 そして最後にまたしてもやらかしたあの男。頭を抱えるガムテと沙都子の悪ガキ二人、良すぎるな……。

>>暗雲の中へ
 前半のみの部分に対する感想なので少々短めになりますがご容赦ください。
 新宿大戦、そしてその後のおでん・縁壱組との交戦も踏まえた二人のアフターとして大変面白かったです。
 バブさんの殺意を一身に受け止めながらも怯まないし日和らない大和、やはり格が高い。
 彼らの間にあるのも他の者達と形は違えど絆である、っていう考え方が素敵だなあと思いました。
 企画的にも盤面をかなり大きく動かしてくれた功労者の二人、今は思う存分美味しいものを食べててほしい。(小並感)

>>てのひらをたいように
 霧子と梨花ちゃん、二人の人間的な輝きをこれでもかと見せられた感じの一話でした。
 限定的とはいえ救える存在は救いたいと考えるの、あまりにも彼女達らしい善性で眩しいです。
 霧子は個人的にかなり描写の難しいキャラクターだと思うので、それをこのクオリティで仕上げてくる氏には毎度のことながら脱帽ですね。
 そして黒死牟と武蔵ちゃんのやり取りもまたとっても良い……剣豪勝負からのリレーをとても上手く仕上げて来られたなあと。
 >これ程までに焦がれる太陽の輝きを放ってなお――その太陽もまた、月の傍で佇んでいたはずなのだから。 ←好き of the Year

>>サイレントマジョリティー
 田中組がついに崩壊したことにより、吉良達も否応なしに動かねばならなくなりましたね。
 前の話では喫茶店にいたのにいつのまにか居酒屋に移って飲み直してる田中、最悪すぎる。
 前半の鳥子・アビーの会話でほっこりさせられた後に純度百%の田中革命をぶつけられるの温度差で風邪ひきそう。
 吉良はおやじを封じられた上マスターと決裂(しかも生殺与奪は握られたまま)と、かなり厳しい状況に立たされたか。
 けど最後に暖簾をくぐって入ってきたリンボに一生ニヤけさせられたのでぼくの負けです。


皆さん素敵な投下をありがとうございました!


577 : ◆EjiuDHH6qo :2021/12/15(水) 00:18:10 /ql8ctFg0
松坂さとう&キャスター、飛騨しょうこ&アーチャー、さとうの叔母&バーサーカー予約します


578 : ◆zzpohGTsas :2021/12/15(水) 19:46:38 /eX6JbWE0
予約期限を過ぎた為一旦破棄いたします。報告が遅れて申し訳御座いませんでした


579 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:34:24 y1pjQvBk0
投下します


580 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:35:33 y1pjQvBk0
課題(クエスト):"皮下医院"院長――皮下真の暗殺。並びに彼の擁する研究設備の簒奪

課題(クエスト):ガムテープの殺し屋集団──"割れた子供達(グラス・チルドレン)"殲滅作戦


◆◆◆


緊急速報。
ゲストルームでさてこの二つのどっちがいいだろうと意見を交わし始めた若いマスター二人を見守っていたジェームズ・モリアーティは、四ツ橋からのたった一言で社長室に立ち戻っていた。
口頭で用件を伝える前にともかく社長室までと呼び付けられるのは珍しいと、事態の急変を予感しながら階上へと一人で上がる。
緊張感をみなぎらせた人員が複数集っている場面に特有の、嗅ぎなれたきな臭さがその階層にはあった。
時代が変わってもこの匂いは変わらないらしいと、懐かしさに口元の皺を緩めながら社長室に踏み入る。

待ち構えていたのは、複数台の情報端末と、引き締まった面持ちの四ツ橋力也と、それぞれ所属部署をまったく異にする複数名の社員たちだった。
ある情報源(ソース)はFeel Good Inc.から。ある風聞(ニュース)は集瑛社から。中にはスーツを汗やそれ以外の染みでくたびれさせたまま到着したといった様子の、『新宿方面帰り』のただの営業社員までいる。

一同の口から共通して語られたのは、新宿区において『災害』に相当する事件が起こったということのみ。

そこから先は一人一人が情報端末ごしに、あるいは口頭で、己でも半信半疑といった様子のままに社長席に座した『M』へと語り尽くす時間だった。
報道情報のまとめ。
目撃した現場近辺の感想。
SNSで飛び交う重軽傷者で済んだ幸運者達からの速報。
空撮写真や、『破壊される前の監視カメラ』に残っていた映像の断片のデータ。
それら以外にも、地上の具体的な被害者数の推定や巻き込まれた企業のリストアップ、道路交通への影響や気象情報の観点からの見解に至るまで。
それらが『四ツ橋の手にひとたび認可された報告書』としてではなく、真偽のつかない情報の羅列そのままに届けられる。
すなわち、とうてい即座にはまとめきれない、真偽のほどもつかみきれないまま速度を優先してMに届けるしかないと判断された事案を意味していた。

「いやいやこれは……思ったより気が早い輩がいたらしい」

報告を終えた社員を四ツ橋も含めて退出願い、全ての情報を咀嚼しきり、デマと真実を頭脳によって選り分けた先で、老いた蜘蛛は深々と息を吐いた。
予想していた事。予想できなかった事。
その二つの情報が混成された事案であるが故に、四ツ橋にはいったん前者の顔を見せて『続報の収集に励んでほしい』と送り出したのだ。

一時間前には同じ社長室で『今のうちに試練を』などと語っていたものだが、まさに『今のうち』を限りなく短縮するほど好戦的な輩が、しびれを切らしたらしい。
引き起こされた結末は、『新宿の大動脈にあたる交通路を抱え込んだ直系約数百メートルほどの土地がふたつ、瓦礫と、炭と、肉片の山に変わった』というもの。
報道ではそれらの原因については『異常気象によって齎された突発型ハリケーンと地震の同時発生ではないか』『某国の新兵器による白昼堂々のテロリズムではないか』『新宿アルタ前に悪魔がいたという流言は集団幻覚ではないか』と未だに実態と乖離した仮説が交錯していた。
街頭映像にかろうじて捉えられていた竜鱗の影を見て『やはり板橋区を炎上させた龍は実在したのか』と番組進行人の驚愕するくだりのみが、どうにか実態の一端を掴んでいたと言える。

戦争を起こした陣営の一方は明らかであった。
東京都上空の異常気象の中心点を割り出したところ、座標の真下は皮下病院であったのだから。
しかも全てが終わった後の皮下病院一帯は『巨大な角』に潰されているというトドメ付きで。

また、対立するもう一方の陣営の正体も、情報を紐解けば明らかであった。
一連の災害における、もう一か所の開戦地――最初に炎熱の光線が天高くまで伸びた座標――はちょうど新宿御苑の只中、峰津院財閥の実質的な私有地であったのだから。
まさに私有地であるが故に御苑内での戦闘風景を抑えられなかったことが残念ではあったが、御苑内の貯水池の水が全て干からび、御苑そのものの景色も枯れた庭園へと一変するソニックブームと別個の被害までが生まれている以上、そこもまた直接の戦地になったことは疑いない。


581 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:36:11 y1pjQvBk0
災害の原因と、それを起こしたサーヴァントの姿は情報が出回った。
引き起こした当事者(マスター)の陣営は、双方ともに特定されている。
新宿近辺に配置されていた監視の目、デトラネットの息がかかった設備や機材、社員の数々が犠牲になったことはたいへん遺憾であったが、致命ではない。

ではどこが思惑の埒外だったのかと言えば、その最たるものはここまで規格外のサーヴァントを擁していたとは思わなかった、ということ。
確かに彼らの陣営は、相当な強者、優勝候補に相当する実力を持っているのだろうとは考えられていた。
しかしそれはあくまで『マスターが擁する組織力と権力と実行力』から推定される強さだった。
一般に知られている『表の顔』から伝わる人格を鑑みるに、相当のやり手であり実力も伴っている、だとか。
これだけ目立つ組織を露わにして小動(こゆるぎ)もしていないのだから、荒事にも相当の自信があるのだろう、だとか。
東京の都市伝説にまで昇華されている『龍』のような真偽たどれない怪物の主君も、あるいは彼らであるのかもしれない、など。
そういった断片情報から察せられる程度の戦力しか、彼らは今まで明らかになってこなかったのだ。
こればかりは界聖杯において、これまで双方のサーヴァントが『一方的な圧勝』には終始しない、正しく実力が披露される戦闘をする機会に恵まれてこなかったために、予測しようもない事象ではあったのだが。

では、その二大勢力の激突において。
どちらの勝利と言えるか判定をつけるとすれば、おそらく峰津院大和の方だろう。
峰津院のサーヴァントの負傷度合いにもよるが、少なくとも彼の勢力に確認された明確な被害は新宿御苑という幾つかある領地の一つを潰されたことに留まり、資産と配下をほぼ損耗なしに戦闘を乗り切っている。
対して皮下ははっきりと、社会的な本拠地であり信用の土台である皮下病院を失い、『目下行方不明』というレッテルも付けられている。
そしておそらく、皮下側の被害はそれだけに留まらないだろうとモリアーティは踏んでいた。

(なぜなら、新宿に齎された被害が、あまりに『少なすぎる』)

被害が少なすぎる、などという感想だけ取れば、誰もが『そんなまさか』と反論するだろう。
ほぼほぼ一瞬――建造物の倒壊等による巻き込まれも含めれば被害にかかった時間は数分から数十分は加算されるだろうが、それでも短時間の顕現と、移動に伴う風圧と激突だけで殺害した人数として、数千人を少ないと評するのは過少評価どころではない。
だがそれは、あくまで『時間に比して殺害した人数』だけを見た場合の多寡である。
まさか峰津院と皮下のサーヴァントは、地上に出現してからより早く新宿上空に駆け上がるべく競争を行い、その後たった一回の打ち合いを演じるためだけに霊体化を解いて姿を現したというのか。
そんなはずはない。
明らかに双方のサーヴァントが取った行動は、『ある程度の時間を継続していた戦闘の、ほんの1ターンだけを切り取った行為』としか見えない。
つまり、『二体のサーヴァントは、初めから現実の新宿と隔離された結界、あるいは異空間の中で戦闘を行っていたが、その隔離空間をあの刹那においては維持できなくなり姿を現してしまった』と解釈するのが妥当なのだ。

(戦闘開始から戦闘終結までを都内で行っていたとしたら、下手すれば周辺の区ごと更地になっていてもおかしくはなかっただろうね)


582 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:36:29 y1pjQvBk0
双方が本格的な戦闘を行った余波で消し飛ばされた人数として見れば、数千人は『少なすぎる』。
では、被害人数をその程度に抑え込むことができた原因――二体の巨獣を社会から隠匿させた上で暴れさせていた『結界』とは、果たしてどちらの陣営の能力に由来するのか。
これについては、皮下陣営の宝具である可能性、峰津院陣営の宝具である可能性はそれぞれ7:3程度だと見ていた。
なぜなら峰津院陣営はこれまで目立った動きを見せていなかったが、皮下陣営の『龍』はこれまで結界・空間跳躍の手段を携えていなければ説明のつかない行動を繰り返していたからだ。
この地に『龍』の姿を取ることができるサーヴァントが他にもいるというのでない限り、皮下陣営のサーヴァントは板橋区に出現し、予選のうちから都市伝説としても噂の種になっていた『龍』と同一存在と見て間違いない。
『龍』の噂のもっとも不可解な点は、『龍が出現した』『龍が破壊活動を行った』という流言だけが先行しながら、『龍はどこから出現し、どこに消えた』という追跡のかなった試しがない点にあった。
人の姿に変じて身を隠すといった小技を有している可能性も否定しきれなかったが、マスターである皮下も『龍の姿を取って他の主従を潰す派手なパフォーマンス』を予選から看過していることから、いざとなれば龍の姿そのものを丸ごと隠匿するアテがあると見た方が自然だ。
つまり、峰津院との激突においても、最初に異空間を展開してサーヴァントを引きずり込んだのは皮下陣営の『龍』の方……という見立てが7割。
それを戦闘終結まで維持しておけなかった事実があることの意味は、絞られる。

(皮下陣営は、それまで龍の秘匿に成功していた『結界』ないし『拠点』の性能を持つ宝具を峰津院に相当に損壊させられた)

ともなれば、皮下陣営の擁していた資産、研究成果もこの度の戦闘で大きく減失してしまったことだろう。
病院内に隠していたところで、結界型の拠点に移築していたところで、そのどちらも戦闘によって巻き添えを受けてしまったのだから。

故に、新宿での激突は皮下陣営の失ったものがより大きい。
これが新宿で起こった激突に対する蜘蛛としての見解だった。

(では、これを機に我々は課題(クエスト)の矛先を皮下院長一択へと絞り、とどめを刺すために動く方がたやすい……とは、単純に運ばないだろうねぇ)

そして、この勝敗を受けてモリアーティの頭には懸念が一つ芽生えていた。
それは課題(クエスト)の前提そのものを揺るがしかねない、皮下陣営、グラス・チルドレン陣営の間に有り得るかもしれない、一つの未来だ。
だが、まずはそれについて結論を出すよりも、マスター達の様子見をすませなければいけない。
どのみち、『課題(クエスト)の標的がこんな事をやらかしたけど、黙っていました』ということにはできないのだから。

(どうやら私は、『新宿』という土地にはとことん振り回される宿痾があるらしい)

四ツ橋をも人払いさせた理由は、もう一つあった。
社長室を立ち去る前に窓の外から煙の上がる方向を見下ろし、しばし瞑目する。
かつて新宿のアーチャーを称したサーヴァントは、1999年の思い出があるホームグラウンドに、密かに哀悼の意だけは示す時間を作ろうとした。


◆◆◆


583 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:36:48 y1pjQvBk0
敵(ヴィラン)連合の頭脳にして導き手、モリアーティ教授による未来予想図はおおむね間違っていなかった。
遠からず東京には破滅と破壊が常在するようになり、その破滅を乗りこなすためには課題が必要となる。
だが、タイミングは悪かった。

まず、その災害はまさに『課題(クエスト)はこれだ』と提示されたのとほぼリアルタイムで発生していたということ。
そして、Mが離席している間に残された一同(死柄木、デンジ、しお)は誰ともなくテレビのスイッチを入れてしまい、番組がどこも『緊急報道』のテロップ付きで新宿上空の空撮映像を流しているところを視聴してしまったことだ。

「サーヴァントって、本気出せばこんなこともできるんだ。すごいねぇ」
「しれっと俺にもできて当たり前みたいに言うのマジでやめろ、な?」

まるで見慣れないニュースに対して感嘆が先行をする神戸しおをよそに、青少年二人は『何だこりゃ』という感想とともに硬直するしかなかった。
銃の悪魔。ギガントマキア。両者ともに同じだけの破壊活動を行えそうな存在について、身に覚えはあった。
だがそもそも、それは巨獣(ギガントマキア)が進行に伴ってすべての経路上を更地にしていくのとも脅威の種別が異なるのだ。
移動する巨大なサーヴァントと激突したというだけならまだしも、『衝撃波(ソニックブーム)』による被害らしいということはすなわち、移動のために押し潰したわけですらない、ただの進行に伴って肩で風を切って進んだその『そよぎ』の動作だけで。
周囲一帯を肉片に変えた規格外が、新宿に力のごく一端を見せたに過ぎないということ。

そんな彼らのところに再び訪れる、悪の親玉にして課題を与えた教師であるところの『M』。
告げられた『これは峰津院財閥のサーヴァントと皮下病院の院長のサーヴァントの激突ですよ』という分かりやすい解説。
つまり何か。
いかにも私がこの連合の頭目ですといった顔をしているこの爺さんは、アレができる実力を持った怪獣もどきの主従の一方を倒せという課題を出したところだったのか。

よし、痛い目を見せよう。
犬猿の仲だった二人の思いは、初めて完全一致をした。

「いや待って。私、最初から難易度EX(ベリーハード)だと言ったよネ? 騙したりしてないよネ?」
「『そうじゃないなんて言ってない』は詐欺師の常套句なんだよなァ……」
「その、参加は強制じゃないとも言ったよ、私?」
「おい、しわくちゃマスター。俺も『課題(クエスト)』思いついたわ。よりど真ん中を蹴った方が合格ってルールな!」
「待ってそれ痛いやつ! そこ狙うのやめて! いや、片方は神秘が無いとかじゃなく、気持ち的にとても痛い!」
「お〜。どっかのジジイが決めたルールよりよっぽど分かりやすいなぁ」
「二人とも、子どもが見てる前でそんな宜しくないことを――」
「「その子どもに、ヴィラン名乗らせてんのは誰かな〜」」
「あと腰のあたりが悪化を――」
「お邪魔しまーす」


584 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:37:07 y1pjQvBk0
外見は五十代相当の白髪の男性の腰元に2人の青年が脚を振り下ろそうとする残虐な絵図が描かれてようとした、まさに同じタイミングであった。
極道姿のライダーを伴った星野アイが、再びゲストルームに姿を現したのは。


◆◆◆


「なんだ、明日のライブとやらに備えて早めのご就寝じゃなかったのか?」
「どのみちライブは中止になりそうでしょ? それに、そのライブ絡みの話で伝えといた方がいいことがあってね」

内線でMの取り次ぎを頼んだところゲストルームに向かったという連絡を受け、アイはその場にひょうひょうと、さもいるのが当然という存在感を維持しながら混ざる。
いきなり『櫻木真乃』というアイドルの名前を切り出しても死柄木たちからは『何の話だ』という顔をされるかもしれないが、かといって度々Mだけを呼びつけて個別で相談をするのも、露骨に取り入っているかのようで傍目からの印象がいいものではない。
ならば全員がいる場で話してしまった方がいいかとゲストルームのソファに座って、報告連絡相談(ホウレンソウ)をしますよと居座ることを選んだ。
あからさまにアイに対して下心ありありで甘い態度を取るしおのライダーがいるので、いきなり新情報を持ち込んでも邪見にはされないだろうなぁという計算もある。

「らいだーくん。ライブってなーに?」
「アイドルが皆の前で歌って踊ることじゃねーの?」
「それってテレビでやってることと、どう違うの?」
「あーっと……何でしたっけぇ?」

いきなり話の腰を折られたが、愛想よく子どもにも分かるように説明する。
ふんふんと頷いて『ライブ』とは何ぞやと理解していく女の子を見ているうちに、アイとしても言わずにいられないことがあった。
完全に雑談であることは承知で、念話でサーヴァントにだけは伝える。心持ちうずうずと。

――どうしよ、殺島さん。うちの子達、やっぱり天才だと思う。
――どうしても言いたかったんだな。まぁ、気持ちは共感(ワカ)るさ。

決して親バカだけでなく断言できる事だが、星野アイの大切な息子と娘は天才児だ。
思えば二人は、説明するまでもなくアイドルとは何なのか、ライブとは何たるかを飲み込んでいたし、初めて見たステージで超絶に可愛らしいヲタ芸まで披露していた。
とても保育園児とは思えない語彙で社長夫人、兼マネージャーのミヤコに叱咤激励をとばす光景など日常茶飯事だし、母親であるアイに対しては芸能活動に迷惑がかからないようにと出来過ぎなまでに聞き分けがいい。
社長夫妻の子どもという体をとって現場に連れられて来ることがあれば、「弊社のアイが大変お世話になっております」などと堂に入った大人顔負けの挨拶をする。
そんな二人の『成熟した子ども』に比べると、しおは『年相応の子ども』であるように見えた。
第一印象もそうだったが、とても『敵(ヴィラン)』の二つ名を冠するに足る才能を感じさせるところはなく、それがアイの中で疑問点として残り続けている。

「んで、なんでそのライブが俺らに関係してくるんだ?」
「うん、ライブで共演する予定だった子が、マスターだったから」
「話に緩急がつきすぎだろ」
「まぁ話を聴こうじゃないか弔君。東京に23組しかいないマスターが、また1人判明した。実にありがたいことじゃないか」


585 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:37:30 y1pjQvBk0
先ほどまでの弄られようがなかったかのように、Mは狡知の笑みをもって悠然と席を囲んでいた。
櫻木真乃に眼を付けていたアサシンと繋がっていた以上、とうに察しをつけていたのかもしれなかったが、それについては窺わせずにアイの口から発言を促している。
もしかして、こっちの立ち回りを知りたい意味もあったりするのかな。
そんな想像をめぐらしながらも、アイは今日の午前のうちから櫻木真乃に対して行ったアプローチと心証を一同に説明する。
いかにも脱出派に歩み寄りたい聖杯狙いの振りをして櫻木真乃と同盟を結び、その上でアサシンとも隠れて同盟していたくだりについて聞かせると、少年のライダーが真顔になって、「知ってた。恐い女じゃないはずがなかった。いつものパターンだった」と何やら呟き始めた。

「なんでさっき話さなかったんだよ。俺らに対する伏せ札にでもするつもりだったのか」

いざ敵連合に対して裏切りを決行する際に、連合の知らない伏兵として使う気だったのではないかと死柄木は勘繰った。
アイが反論するよりも先に、言い返したのは真顔から回復したライダーの少年だった。

「お前、つっかかってんじゃねェよ。知り合った女がこっちを殺そうとしてくるぐらい、よくあることじゃねぇか」
「そりゃあお前に限ってはよくあるだろうな……」

こちらも計算込みで彼が同席する場を選んだとはいえ、ここまで露骨にかばってくれるのは何ともありがたい。

「別にわざと黙ってたつもりはないよ? もともと私とアサシンさん達の二重同盟だったから、何となくアサシンさん達より先に紹介するのは順番が違うかなと思ってただけ」
「ほらー」

アイから言質を取ったかのように死柄木に煽り顔を向ける『らいだー君』を見て、『ああ、この二人は基本こういう関係なんだな』とアイは完全に察した。

「で、今になって紹介したってことは、またここに連れてくるマスターが増えるって話か?」
「それが、さっき事情が変わってね」

らしくもなく、素顔を晒したことまでは、決して話に出さなかったけれど。
新宿の事変で何かを見た櫻木真乃が聖杯狙いを敵視するようになったという現況は語った。
新宿に赴いたライダーが目撃した、出どころ不明の『生ける屍になったNPC』についても、ついでに喋らせる。

「なんだ、半日もかけて付き合っておきながら怪しまれて離反されたって話じゃねぇか」
「手厳しいなぁ。これでも、他のマスター達の相手だって忙しかったんだよ? ほら、Mさんに有名にしてもらった神戸あさひ君とか」

ここまでSNS拡散されてしまえば、M以外の者にもとっく事情は通じているだろう。
そう思って名前を出したに過ぎなかったが、反応は思わぬところから出た。


586 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:38:04 y1pjQvBk0
「……あ、お兄ちゃんのことだ」

そう言ったのは、もっとも幼い連合員。
お兄ちゃん、という星野家でも耳馴染みのある単語がこの場で飛び出すなどと思わず、アイはまじまじと少女を凝視する。

そう、自己紹介の時はあまりの『幼い』という特徴に注目がいって流してしまったけれど。
少女はたしかに『神戸』しおと名乗っていた。
そして『神戸』という氏は、珍名というにはほど遠いにせよ、決して同じ街に一人は見つかるような類のありふれた苗字ではない。
そもそも、それ以前の問題として。
よく見たら、癖はあるけどふわふわ触り心地良さそうな猫毛とか、吊り目よりの大きな瞳とかにばっちり面影がある。

星野アイに去来した感想は、二つ。

一つは、(かわいそう)という憐憫。
我が子のためならズルくも悪にもなると言い切った身ではあったが、10歳にも満たぬ少女が兄との殺し合いを避けられない環境にあることを不憫だと思う感性まで失ったわけではない。
一つは、(面倒なことになったかも)と厄ネタを踏んだことへの舌打ち。
アイが予想した神戸しおの次なる台詞は、『お兄ちゃんがいるなら会いたい』という子どもらしい願望の発露だった。
もしかすると一足飛びに『お兄ちゃんが死んじゃうなら聖杯獲りたくない』とまで言い出すかもしれない。それが普通の子どもらしい反応だ、たぶん。
これからどうやって優勝候補の主従たちを倒すんだろうという相談をしようという時に、よその家の子達の兄妹愛のために同盟が揉めるのはごめんだった。
というかMさん、妹が同盟内にいるって分かってたのにSNS攻撃を決行したのか。
兄を陥れたことが妹にばれた時に、サーヴァントを使って暴れられるとかは警戒しなかったのかな。
アイがそこまで考えて困ったところで、しおは「そっか」と頷いた。

「お兄ちゃんを追い詰めてほしいって頼んできたの、アイさんだったんだね」

神戸あさひが敵連合に何をされたのかすでに知っていて、とても納得がいったという風に、ぱぁっと明るい顔をして。
まるで通行中に落としたモノを拾ってもらったかのように自然に、お礼を言った。

「お兄ちゃんがお世話になりましたっ。わたしの代わりにお兄ちゃんを追い詰めてくれてありがとう」

お世話になりました、だけなら『ああ、この子は事態をよく分かっていないんだな』と思った。
だが、代わりに追い詰めてくれてありがとう、とは。
アイやMがやらなければ、自分が神戸あさひを追い詰めていた。そう聞こえる。

「えっと……もしかして、お兄ちゃんと仲が悪いのかな?」
「ううん、フツーにお話するよ? でも、聖杯戦争って、みんな敵なんでしょう?」

なるほど、しおの言うことは聖杯戦争の道理として真っ当に適切だ。
だが、ただの幼い少女が即座に適応できて当たり前のことではない。


587 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:38:58 y1pjQvBk0
(アクアとルビーは、もうちょっと違ったんじゃないかな……?)

星野アイの大切な宝物は、息子と娘であり、兄と妹でもある二人だった。
幼児ばなれして頭が良く、時に親として心配になるほどひねた感性を持ったところのある双子だったけれど。
兄妹仲は親の眼から見ても良かったし、時々は息ぴったりと言っても良かった。
人並みに家族について語れるほど暖かい育ちとは無縁だったけれど、双子の子どもたちと過ごした数年間の時間が、果たして兄妹とはこういうもだろうかという違和感を抱かせる。
それは星野アイが初めて目の当たりにする、神戸しおの逸脱した側面だった。

「283プロダクションの、櫻木真乃」

めいめいに若者たちが好きなところに着目した後を締めくくるように、その場で最も渋い声が唱えた。
口の端にのぼった名前を舌の上で転がして味を見るような重みのある声に、満足げな笑みがにじんでいた。

「通話をした、ということは連絡先は交換しているのだね?」
「トーゼン。チェインも含めて登録してあるけど、欲しい?」
「会話の後でいただくとしよう。情報提供を感謝する」

敵連合の導き手は、騙し合いの巧者だ。
ことに演技の世界ではなく魑魅魍魎の世界にいた極道(ライダー)がそう諫言してくれたからには。
アイはMというサーヴァントを『通常の場合ならばこうだ』という人物眼だけで図ってはならないと覚悟していた。
それでもなお、アイはその時に覗き見えた『喜色』を、嘘でないと感じた。

(利用価値は無くなったことを話した後なのに、食いつきがいい……?)

課題(クエスト)の話を聴いた限り、敵連合はべつだん標的として狙う主従に事欠いている風でもなかった。
それなのに、新宿の街中で孤立している風であり、精神的にも衰弱している主従との糸を掴んだことに重きを置く理由が、星野アイの視界からは見えない。

「時に苺プロのライダー君。言動の端々や、『グラス・チルドレン』を返り討ちにした経緯の話も踏まえて察するに、君は『殺し屋を雇う側』――ヤクザ者の世界に通じているようだが」
「それがどうした?」

話題を逸らしたかったのか、あるいは『把握していないわけではない』と釘を刺したかったのか。
Mは追及する矛先を、星野アイの傍らに控えるライダーへと向けた。

「例えば、我々が今後『子どもたち』を相手にする際に取りえる試みの一つとして、面会を取り付けたり話を通したりすることは可能かネ?」

踏み込み。
それも、かなり具体的な行動を視野にいれた話題の転換だった。
加えて言えば、『子どもたち』を殲滅するという大目標を掲げた割にはいささか迂遠な行動選択にも聞こえる。
やはいというか、課題(クエスト)を振られた当事者たちも疑念の声をあげた。

「おい、殲滅するっつったのに交渉なんて悠長なことやってる場合なのか?」
「え? 何、アイさんも一緒にクエストしてくれんの? なら俺ァ、グラチルの方をやってもいいわ」
「いや、いくらか慎重に動く必要がでてきたのでね。あくまでアプローチの一つとして彼らがその手段を取れるかどうかの確認だよ」


588 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:39:31 y1pjQvBk0
顔を見合わせるアイとそのサーヴァント。
グラスチルドレンの長であるマスターへの感情と感傷は、先刻聞かされたばかりだ。
ライダーはとっくに、アイのためにかつての縁に決別することを選んでくれている。
故に、アイはその見解をライダーに一任する。

「断る。今のうちに叩きたいってんなら加勢(ツレ)もやぶさかじゃねぇが、アイツラと接点(ナシ)をつけるのは願い下げだ」

殺島の回答は強固だった。
組めないという見解はアイも知っていたが、篭絡、策謀の一環としての接触であれ会話の余地はないと言い切る。

「ふむ。関わりたくないのではなく話をしたくない、と。もしやアイ君とくだんの非行少年たちを関わらせたくないのかな?」
「そりゃあライブどころじゃなくなったとはいえ、アイドルに悪い交友(ムシ)はご法度だろ?」

そりゃあアイドルに荒事はごめんだろうなと少年達は頷いたり鼻を鳴らすなり当然の回答と見ていたようだったが、Mと殺島の間では互いにだけ分かる視線の火花が散った。
理由はそれ以外にもあるのだろう、という静かな探り入れと、『取り付く島もない』以外の態度を見せられないという撥ね付けの火花だった。

実の所、殺島が頑なになる理由はガムテが玄人(プロ)であるからという以外にもう一つあった。
こればかりは、アイにも語れない理由であり、この場でもアイがいるからこそ語れない理由だ。
確かに殺島はガムテに対して個人的厚意を持っているが……出会って間もない頃のガムテとその父親への心象は『無情(エゲツネェ)』の一言に尽きた。
父親の命を狙うことを至上命題にする息子と、息子を笑顔の一つもなく返り討ちにする父親。
詳しい事情を知らされてからは見方が変わったものの、人の親をやっていたことがある者からすれば、とても見ていられない二人だった。
そして『母親』である限り、間違いなく星野アイも似たように受け止める。
グラス・チルドレンという寄り合いは、『家庭に恵まれなかった子どもはこうなった』という経歴の集合体でもあるのだから。
子どもの為に生還を勝ち取ろうとしている母親に、彼らと関わらせること。
それは、『お前が失敗すればお前の子どもたちもこうなるぞ』という脅迫をたえず囁くような行為に等しい。
絶対に組めないというのみならず、星野アイをグラス・チルドレンに近づけること自体が過酷(キツイ)と殺島は見ていた。

「まぁ、こればかりは自発的な協力が前提だから仕方ない。敵対に忌避が無いと分かっただけでも良しとするよ」

老境のアーチャーが眼差しの射線を外すと、別の席に起こった異変を見とがめて「おや」と一声を漏らした。
なんだと全員が注目すると同時に、ぽすっと柔らかく空気のはずむような音がその位置から鳴る。
死柄木の呆れ声が、敢えて空気を読まない。

「おい、いいのかよ。親戚のおばさんが来るとかじゃなかったのか?」
「いや、寝かしてやれよ。叔母さんがこっちに来るなら、そん時に起こしゃいいだろ」

ソファーに横倒れになったまま寝息をたてる神戸しおを、デンジがソファーごとくるりと回して話し合いのノイズから隔離する。
すっかりこういう事には慣れている風に、どこかから子ども一人くらい覆えるようなタオルケットを持ってきてしおに被せた。
元よりデンジは生活習慣に細かい性質ではなかったけど、例えば子どもを深夜までテレビゲームに付き合わせるほど非常識でもなかった。
もっとそれ以前の生活を言うなら、松坂さとうは神戸しおが心身ともに安らかに暮らせるよう努めてきたし、その中には当然に『よく食べてよく眠ること』も含まれた。
時にはさとうの帰りを待つためだけに夜遅くまで起きていた日もあったけれど、日々しっかりとベッドで眠れるように計らわれてきた。
要するに神戸しおは、夜遅い時間になる前にきちんと眠る生活をしてきたのだ。

「まぁ、夜は長いからネ。常時起きていてもらうより、いざという時のために仮眠を摂ってもらうぐらいがいいだろう」

ちなみに、これまで松阪さとうの叔母との面会およびバーサーカーへのアポイントメントは引っ張られたままになっていた。
なぜかというと、松坂家のバーサーカーの新居として考えていた地下住宅が新宿区の新大久保にあったからだ。
いっそ人目に触れる都心の中央に近い方が日中の住居破壊による攻略を想定しにくいという四ツ橋らの気遣いが完全に裏目に出て、そこはとても住民が引っ越せるような土地ではなくなった。
これによりバーサーカーは日光を遮断する新居への移転を潰され、結果として引っ越し祝い、神戸しおとの面会、捜査協力への依頼なども含めた色々な連絡が宙に浮いている。

(いっそ、引っ越し先ではなく直接こちらに呼んでしまうか……)


589 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:39:51 y1pjQvBk0
どのみちあのバーサーカーは、他の同盟者に伏せたままでは『なんでこんな厄ネタを今まで黙っていたんだ』とも言いだされかねない。
加えて、敵連合の戦闘面における脆さを考えれば、現有戦力の最大利用は必須となる。
ひとつ協力を乞いがてら、新拠点が見つかるまでデトラネットに身をひそめることを提案するかと思案していた時だった。
ゲストルームに、Mを名指しで内線電話から連絡があった。



「なに、迎えが空振り? 松坂家が留守にしている?」



「マジで!?」とデンジだけが、敢えてでも何でもなく空気を読まずに嬉しそうな声をあげた。


【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル/一日目・夜】

【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康、睡眠中(熟睡では無いので何かあれば起きます)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:さとちゃんとの、永遠のハッピーシュガーライフを目指す。
0:すぅ……。
1:さとちゃんの叔母さんに会いに行く。
2:アイさんとらいだーさん(殺島)とは仲良くしたい。でも呼び方がまぎらわしいかも。どうしようねえ。
3:とむらくんとえむさん(モリアーティ)についてはとりあえず信用。えむさんといっしょにいれば賢くなれそう。
4:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
5:“お兄ちゃん”が、この先も生き延びたら―――。
※デトネラット経由で松坂(鬼舞辻無惨)とのコンタクトを取ります。松坂家の新居の用意も兼ねて車や人員などの手配もして貰う予定です。
 アーチャー(モリアーティ)が他にどの程度のサポートを用意しているかは後のリレーにお任せします。

【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
1:しおと共にあの女(さとうの叔母)とまた会う?
2:死柄木とジジイ(モリアーティ)は現状信用していない。特に後者。とはいえ前者もいけ好かない。
3:星野アイめちゃくちゃ可愛いじゃん……でも怖い……(割とよくある)


590 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:40:08 y1pjQvBk0
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:最初に潰す敵は――
1:しおとの同盟は呑むが、最終的には“敵”として殺す。
2:ライダー(デンジ)は気に入らない。しおも災難だな。
3:星野アイとライダー(殺島)については現状は懐疑的。ただアーチャー(モリアーティ)の判断としてある程度は理解。

【ライダー(殺島飛露鬼)@忍者と極道】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[装備]:大型の回転式拳銃(二丁)&予備拳銃
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アイを帰るべき家へと送迎(おく)るため、聖杯戦争に勝ち残る。
1:アイの方針に従う。
2:M達との協力関係を重視。だが油断はしない。厄(ヤバ)くなれば殺す。
3:ガムテたちとは絶対に組めない。アイツは玄人(プロ)だからだ。
4:アヴェンジャー(デッドプール)についてはアサシンに一任。
[備考]
※アサシン(伏黒甚爾)から、彼がマスターの可能性があると踏んだ芸能関係者達の顔写真を受け取っています。
現在判明しているのは櫻木真乃のみですが、他にマスターが居るかどうかについては後続の書き手さんにお任せいたします。

【星野アイ@推しの子】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
1:ガムテ君たちについては殺島の判断を信用。櫻木真乃についてはいったんMに任せる。
2:敵連合の一員として行動。ただし信用はしない。
3:あさひくん達は捨て置く。もう利用するには厄介なことになりすぎている。
[備考]
※櫻木真乃、紙越空魚、M(ジェームズ・モリアーティ)との連絡先を交換しています。
※グラス・チルドレンの情報を既にM側に伝えているか(あるいは今後伝えるか)否かは後のリレーにお任せします。


591 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:40:24 y1pjQvBk0
◆◆◆


さて、課題(みち)を選ぶのはマスター達だ。
試練を課した側として、その原則を冒すつもりはない
だが、道程作りの為の露払いは行わねばならない。



再びの社長室。
社長専有のデスクに己の窓口となる携帯端末を鎮座させ、モリアーティはその液晶画面に己の黙考する顔を映していた。
その思索のアテは、『マスター達を二つのクエストの、どちらに挑ませるか』という事について、ではない

皮下院長と、グラス・チルドレンいずれかの討伐。
この二つのクエストは、近い将来に一つのクエストとしてまとまってしまう可能性がある。

新宿での激突は両陣営にとって、現実に及ぼした被害が『少なすぎる』戦闘ではあったが、まぎれもなく『本領を発揮させられた』戦闘でもあったとモリアーティは呼んでいる。
シンプルに暴力による生存競争をさせれば圧倒的優位(トップメタ)に君臨する者同士が、初めて『全力を出しても敗北するかもしれない』と認識させられる闘争に発展したのだ。
組織の長とは、圧倒的に駒が足りない時には戦力を欲する。
しかし、圧倒的優位に裏打ちされた慢心が脅かされた時にも、手駒が欲しいという渇望が強くなる。
『独力で勝ちぬくことは思いのほか難しかった』と認識されてしまえば、では更なる戦力強化に勤しんでみようという余地が生まれてしまうのだ。

そして、そこに生まれる勧誘行為は、敵(ヴィラン)連合のように『マスターの悪としての将来性』に着目した観点からでは無いだろう。
重要視するのは単純な戦闘力、あるいは『資源』としての有用性だ。
あれほどの戦禍を単騎で引き起こす者同士の争いでは、もはや生半可なサーヴァントでは『その場にいるだけで精一杯』にしかならない事は自明の理。
魔力リソース、囮役などの駒としての隷属でもない限り、たいていの者では『どうかこれ以上暴れないでくれ』と震えあがる役しか務まらないからだ。
また、サーヴァントとの直接対峙を諦め、相手方のマスターの暗殺に全リソースをつぎ込むような策に全振りができるかどうかも怪しい。
あれだけの戦闘を行ったということは、逆説的に『マスターをあれだけの戦闘に巻き込んでも支障なかった』ということでもあるのだ。
震源地がそれぞれ『皮下病院』『新宿御苑』というお膝元であり、峰津院本社発のリムジンが新宿の病院方面に移動する映像も残存していたため、『サーヴァント同士がマスター不在の間に戦闘をした』という可能性はあらかじめ潰されている。
また、『新宿御苑での戦闘は、たまたま同時に始まった別のサーヴァントないし脱法超人同士の戦闘に過ぎなかった』と仮定し、『新宿上空の戦いと新宿御苑での異常現象がほぼ同時終了だったのは偶然である』という仮定が重ならない限り、『マスターの強さは並みであり、戦闘が行われている間だけ何らかの手段で安全地帯にいたのだろう』という反証も成立しない。
つまり双方の勢力は、おそらく主従ともに個体としてパーフェクトに強い。
彼らを相手にして『共通の敵を倒し終わったら改めて雌雄を決するけどいいですよ』という条件が引き出せる主従は、限られる。

では峰津院と皮下は、あれだけ全陣営から注目される戦闘を演じた上で、次にどの陣営に眼を付けるであろうか。
東京23区において、『存在を明らかにされた主従』なら複数の候補がいるだろう。
しかし誰からも『間違いなく強い戦闘力と資源を持っている主従』として認識されている存在は、ほぼ一択だ。
その一択に選ばれる主従は、『子ども達の殺し屋集団』という人的資源を持っている。
広範囲の組織的暗躍を行っても揺るがないだけの『戦闘力』があることを匂わせている。
白瀬咲耶の殺害に伴う東京湾埠頭の破壊をはじめ、予選期間の間に『サーヴァントの戦果』をうかがわせる爪痕を残している。

そのグラス・チルドレンと長のマスター、サーヴァントとの間に、同盟が成立するかどうかを仕掛け人の蜘蛛は検討する。


592 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:40:48 y1pjQvBk0
まず、グラス・チルドレンと峰津院が組む可能性。これは無いと見ていい。
まず相性からいっても、社会的ヒエラルキーの頂点と、社会からはぐれて殺し屋に墜ちた子どもたちの寄り合いだ。
集団としての性質の悪さもさることながらだし、そもそもグラス・チルドレンの予選期間における『知る人ぞ知る』マスター暗殺のための暗躍ぶりを踏まえてみれば、この都市で圧倒的に『目立つ』峰津院に、子ども達が一度も喧嘩を売らなかったとは考えにくい。
既に小競り合いが発生していることは前提に置いていいだろうし、その上で峰津院大和を世間に公表されている情報源からプロファイリングしただけでも、降りかかってきた火の粉に妥協と寛容を持って接するような人物でないことは明らかだ。
故に、峰津院とグラス・チルドレンは組まない。
その上で、現在の峰津院と皮下陣営が敵対しているとなれば、大きく盤面が動く可能性は一つだ。

それは、皮下陣営と、子どもたちの陣営が同盟すること。

双方の陣営とも、水面下から伝わってくる不穏な噂を拾い上げるだけでも相当な癖の強さを持った陣営であることは疑いない。
通常の平穏な東京であれば、モリアーティも両陣営が強く手を組むことを強く警戒視することはなかっただろう。
しかし、今現在においてより戦力の拡充を強く欲している陣営は、峰津院よりも皮下の方だとモリアーティは踏んでいた。
なぜなら新宿での激突は、皮下陣営の方にこそ甚大な被害をもたらしたのだからだ。
失われたものをできるだけ性急に補填し、叶うならば峰津院よりも優位にたった状態で全ての主従を薙ぎ払いたい。
それが皮下陣営としての本音だろう。

そもそも課題に対してどう向かい合うかは、死柄木たちが決める事だ。
標的の選定と、『戦い』そのものの方針については若者に任せたい。
そうでなければ経験として蓄積されない。
しかし、本当に危うくなった時に備えての『巣(セーフティネット)』の確保は蜘蛛の仕事であり、最低限の生還を担保できるように手を打つのは、送り出した側としての領分に当たる。
また、教授としては『予測外の災難』も含めて変数Xを育てる素材足りえると期待しているが、それでも最低限の『課題(クエスト)』としてのゲーム性は確保する必要がある。
――早い話が、『どっちかクエストを選んだら二つとも待ち構えていました』はいくら何でも破綻しているし、そうはならないようにしたい。

なので、敵陣の戦力について探りを入れられるような交渉役がいるに越したことはないと思ったのだが。
グラス・チルドレンとの貴重な繋がりとなる、当の星野アイのライダーは、子ども達との接続を断固拒否した。
こうなっては、少なくとも『グラス・チルドレンに対して敵連合から揺さぶりをかけることによって強者同士の同盟を回避する』という手段は打てない。
そして、皮下陣営に対してはこちらは現状において接点を持たない。
接点を持つための社会的な口実(フック)となる、皮下病院が失われてしまったのは大きい。
現状、傘下企業に指示を出して皮下真の目撃情報や他の潜伏地候補を洗い出させてはいるのだが、『龍の姿を隠匿できる隔離手段』が全壊したと判断できない以上、そもそも23区のどこにもいない可能性もある。


593 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:41:13 y1pjQvBk0
(ふむ……こうなっては、禪院君への調査依頼を撤回して、討伐の為の下調べを頼むとするかな)

モリアーティは、その決断を躊躇わなかった。
強者同士の同盟阻止、あるいは既に成立していた場合には、峰津院も含めた潰し合いへと誘導することも視野に入れねばならず、その下準備として。
皮下院長、およびグラス・チルドレンのマスターに対する所在地および現況の調査を再依頼する。

どのみち星野アイからも、禪院との関係についてとりなしを頼まれており、そのためのコンタクトを控えているところだった。
依頼を差し替えることになったいきさつが、内輪で開催した課題(クエスト)のためだと知れば良い顔をしないだろうが、『頭抜けた実力の二陣営が不可侵を取るなり手を組むなりするかもしれない』というリスクを持ち出せば、彼にとっても無視できる話ではなくなるはずだ。

また、今となってはそこに『標的がNPCの能力では捕捉できないところに身を置いているかもしれない』という懸念も加わっている。
これは、皮下陣営に限った事情ではなくグラス・チルドレンについても言えることがあった。

元より、『グラス・チルドレンの根城が中央区の某高層マンションにある』という情報は得ていたし、夕方に禅院とコンタクトを取った時点でもそう聴いた。
近辺で噂されている『喋る街路樹』のことを思えば、公道上に設置された監視機器だけでは信用できない。
よって近隣にある別マンションの一室を至急で買い取り、マンション正面入り口が見下ろせる窓にインテリアに擬態させた夜間対応のカメラを仕掛けるという強引な手段も併存させて始めた、即席の監視ではあったが。
収獲はあった。
建物から外出した未成年の人数が、少なすぎるのだ。
出入りが無かったわけではない。
集合命令でもかかったのか、監視を増設しようとした時点で十代の若者が大勢マンションへと入っていったことは裏取りができているし、それ以降も子ども達の散発的な外出は報告されている。
だが現在時刻になっても、集合は解散したのだろうと判断されるだけの人数を建物から出していない。
たしかに一般人の子ども達であれば、外出など許されない戒厳状況ではある。
だが、マンションを根城にしていた集団は玄人(プロ)であるはず。
まして、いくら在宅でも仕事ができる情報化社会とはいえ、あきらかに地勢が変わるほどの災害が都内で起こった上でなお、である。
情報収集や地下活動などが求められている時局なのだから、マンションから屋外に吐き出される人間の数は、むしろ急増してしかるべきだ。
いやそうではない、仮に『子ども達の活動は停滞していない』とすれば、こちらも皮下医院と似たような手段を持っている、ということになる。
すなわち、『マンションからその足で外に出なくとも、空間を超えて移動する手段を持っている』という厄介な能力だ。

つまり課題(クエスト)の対象は、どちらも『その足で拠点に乗り込んで殲滅する』ことがかなわない隠蔽手段を持っている。
こちらがそれと見込んだ拠点に乗り込んでも、もぬけの空だったところからの不意打ちを食らってしまえば手痛い。
もしもサーヴァントの仕掛けがそこにあるとすれば、NPCではそもそも感知や侵入を許さないシステムでもおかしくない。
故に、同盟者のサーヴァントに頼ることになるのは必然だった。

(もし手札が足りないようであれば、アイ君からもらった『連絡先』を使うことも視野に入れていいだろう)

当初に課題(クエスト)を提示した時点で『283プロダクションの裏側にいる黒幕』のことは捨て置くと決めていた。
だが、その陣営は現状で唯一『グラス・チルドレンおよび皮下陣営の双方から接点(ターゲッティング)を持たれている勢力』に該当する。
子ども達(グラス・チルドレン)から目を付けられていることは、夕方までの事務所周りの動きから判明している。
まして、昼間の火薬庫状態を乗り切っているのだから、子ども達の代表や、あるいはサーヴァントとの直接的な交渉、対面を果たしている公算も大きい。
また、皮下病院は283プロダクションのアイドル『幽谷霧子』の自宅でもあったことも把握している。
その彼女が病院の倒壊に巻き込まれて亡くなっていたような場合は烏有に帰す話ではあるのだが。
皮下としては、日中の283プロダクションの炎上も認識した上で、『資源』にすることも視野にいれた上で幽谷霧子をいったんは囲もうとするだろう。
つまり、彼らの動向の中に、標的もしくはその配下の出現情報が混ざってくる必然性は大きい。


594 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:41:29 y1pjQvBk0
(使うとすれば、タイミングは『その動きがある』と確信できた時点だな……)

まずは禪院を呼び出すべく端末を手に取ろうとしたが、それを中断するものがあった。
モリアーティが起動させるよりも先に、端末そのものが着信を告げる音をたてて震え始めたのだ。
着信の電話番号として映っている数字列は、誰の番号とも登録されていないもの。
見ず知らずの他人が、モリアーティの私的な連絡先を知っている。
さて誰だろうと警戒半分、面白み半分で記憶をたどり、『そういえば直近でもこうやって急な来訪を受けた覚えがあったな』と既視感を抱く。
そのおかげで、心当たりが1件あったと気付いた。


――そう言えば、連絡先を渡した相手がいたな。

【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル/一日目・夜】

【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける。
0:かかってきた通話(田中一からの電話)を受け取る。
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:禪院(伏黒甚爾)に『皮下院長およびグラス・チルドレンの拠点と現況調査』を打診。
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:"もう一匹の蜘蛛”に対する警戒と興味。必要であれば『櫻木真乃との連絡先』を使う。
6:リンボと接触したマスター(田中一)を連合に勧誘したい。彼の飢えは連合(我々)向きだ。
[備考]※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
   デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※283プロダクションの陰に何者かが潜んでいることを確信しました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」


595 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 19:42:00 y1pjQvBk0
投下終了です

タイトルは『Epic of Remnant:新宿英霊事変』でお願いします


596 : ◆Sm7EAPLvFw :2021/12/16(木) 21:44:26 y1pjQvBk0
すいません、NPCの鏡面空間での扱いを誤解しておりましたためにグラス・チルドレンの描写について齟齬がありました

>>593のパートに関して
>これは、皮下陣営に限った事情ではなくグラス・チルドレンについても言えることがあった。
から
>つまり課題(クエスト)の対象は、どちらも『その足で拠点に乗り込んで殲滅する』ことがかなわない隠蔽手段を持っている。
までの下りをカットする形で修正させていただきます


597 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/12/18(土) 00:03:56 8O3Heo8M0
皮下真&ライダー(百獣のカイドウ)
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)

予約します


598 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:05:38 ZNmiu80I0
5日間が過ぎましたので、前回の続きを投下いたします


599 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:05:54 ZNmiu80I0
 峰津院大和、本日の晩餐。

先付:あわびの酒蒸し
御椀物:土瓶蒸し(鱧・鶏・蟹つみれ・大黒しめじ・三つ葉・酢立)
お造り:ズワイガニの刺身
焼き物:エテカレイの一夜干し
煮物:炊合せ(蕪・巻海老・合鴨・里芋菊花餡掛け)
台の物:かにすき
御飯物:寿司(マダコ、イカ、スズキ、シマアジ、マグロ、イワシ)
甘味:白桃のシャーベット
お飲み物:緑茶

 ベルゼバブ、本日の晩餐。

先付:特撰和牛しぐれ煮
御椀物:ズワイガニ土瓶蒸し
お造り:季節のお造り5点盛り
焼物:銀鱈の西京焼き
揚げ物:河豚唐揚げ
台の物:ステーキ
御飯物:茶飯
甘味:コーヒーゼリー
お飲み物:レッドブル(プロテイン割り)


.


600 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:06:19 ZNmiu80I0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「……」

 此処まで、呆れている、と言う感情が露わの表情もそうはあるまい。
大和の邸宅、その食事室である。食事室と言っても、実際上は会食や宴会、パーティ等にも用いられる広大な一室であり、そう言った催しがない場合は専ら、
当主である大和及び財閥の中でも役職の高い幹部達の食事の場として使われる。外国からの来賓を出迎える為に作られた向きが強いらしく、
部屋そのもののデザインも設置されている調度品も欧風のそれに統一されていて、テーブルや椅子一つ、使われる皿の一枚とっても、高級(ハイグレード)である事は言うまでもない。
そこで大和とベルゼバブは食事を取っていた。何十人も収容出来るこの食事室に、物音一つ立てる事無く料理を頂く者は、この二人だけ。
大和が人払いをしている為である。単純に、ベルゼバブの姿を見られない為にであるが……その人払いの原因になっている当の男を、まるで下手物でも見るかのような目で、大和は眺めていた。

「その組み合わせは、君の出身世界では当たり前なのか?」

 大和もベルゼバブも共に、会席料理を食していた。
両名共に和を主体とした食事を取っているが、これも、大和の命令一つで、和・洋・中を初めとした様々な様式に料理を変更する事も出来る。
勿論、食器自体が、およそ食器の価格なのだろうか?と疑りたくなる程の高級品なのである。器が高価なのであるから、それが盛られている料理の食材自体も、
高級品である事は言うまでもない。季節の魚や海老・蟹についてはその時期国内で取れる最も高い産地から水揚げされたの物を用いているし、肉のグレードの至っては最高級のA5である。
財閥の当主の食事であるのだ、庶民のそれと同じである、と言うのは対外的にも示しが付かない。故にこの、過剰なまでの高級志向の食事については、政財界の力学に則った重大な意味があるのだ。

 だからこそ、テーブルの向かい側に座るベルゼバブの近くに置いてある、レッドブルの缶とプロテインのボトルが、凄まじいまでに浮いている。
場違い所の話じゃないのもそうだが、そもそも、会席料理、しかも、料理の品目を見れば解る通り甘い飲み物と基本的には合わないものばかりである。
取り合わせとしては最悪に近い筈であろうに、ベルゼバブは平気で食事を続けている。元々の世界の食文化自体が、そう言う感じの風であったとしか、大和には思えないのであった。

「余は食事の必要性がない。これも、文化の習熟の為だ」

 そもそもの話、ベルゼバブ、つまり星の民と呼ばれる種族は有機生命体のように、食事の摂取の必要性が極めて薄い。
食事を摂ると言う事の目的は、栄養とエネルギーの補給であり、その観点から言えば星の民と言う種族には食事は不要なのである。
万民が想起する所の不老不死に、限りなく近い生命体である為だ。とは言え、ベルゼバブは生前の時点で、星の民が有する不死性を失っていた。
その不死性がなくなっていた時点においても、食事の必要性は限りなく無に近かったのだが、それを承知でベルゼバブは、食事を鍛錬として組み込んでいた。
何て事はない、新しいエネルギーの補給方法の模索、と言う観点から必要だったに過ぎない。星の民にとって食事は確かに必要はなかったが、エネルギー補給の観点から見た食事は、
極めて効率の良い方法であるからだ。危機に陥った際、何かしらの解決策は複数用意しておく必要がある。だからこそベルゼバブは、食事からエネルギーを効率よく補給する術を、鍛錬として組み込んでいたのだった。

 界聖杯内界にサーヴァントとして召喚された今では、鍛錬の意味もあるが、ベルゼバブの言うように他の文化を学ぶと言う意味合いもまた強かった。
ベルゼバブを召喚して間もなくから、彼も大和と同じような食事をする、と言う習慣は続いていた。大和も、ベルゼバブの意図を理解し汲んでいる為か、それについては何も言わなかった。

「カイドウなるライダーとの戦いについて話せ」

 煮物を口に運びながら大和が言った。ギラリ、と鋭い目線をベルゼバブが投げ掛けて来る。銀鱈の西京焼きを、箸で解している最中であった。

「凄んだとて無駄だ。如何したとて、この件については絶対に共有しておかねばならない。それは君の聡明さであれば、理解している筈だ」


601 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:06:54 ZNmiu80I0
 ベルゼバブにとっては、手痛い失態を穿り返される形に絶対になるだろうが、それでも、大和としてはこの件は掘り下げておきたい事柄である。
状況のせいもあって、大和はカイドウが保有する鬼ヶ島の固有結界から急いで退散した形になってしまった為、あの異界について詳しく検分する事が出来なかった。
あの異界の中で死闘を繰り広げていた……つまり、長い時間滞在していたベルゼバブは、カイドウと言う恐るべき最強種の実情を、その耳目で見聞きした事になるのだ。
これを情報として共有しておかねば、何の為の戦いであったのか、まるで意味が解らなくなる。敗北の話をするのが不快だから、と言う理由で拒否して良い訳がなかった。

「ハッキリ言おう。君が新宿区に於いて、無視出来ぬ程の災禍を引き起こした事、それはもう不問にする。私に落ち度がなかったのかと言われれば、皮下を取り逃したのだ。なかった筈がない。そのフォローは私がしよう。だから、答えろ。あの結界の中で、何を見た」

 有無を言わさぬ、強い口調。此方を睨み付けるベルゼバブの眼光に、勝るとも劣らぬ剣呑な光を、その双眸に湛えながら大和が言った。
ベルゼバブが新宿に於いて仕出かした一件は、最早失態だとか、やらかしだとか、そう言った次元では済まされないレベルの事だ。
大和やベルゼバブが、あの一大事件の下手人の一人だと知れれば、その時点で多くの聖杯戦争参加者は、彼と共闘すると言う選択肢を選ぶ事を差し控えるだろう。
それ程の、負の力があの一件にはあるのだ。それを理解していない大和ではない。理解した上で、水に流すと言うのだ。直接的な死者だけで優に数千と余命を遥かに超え、その遺族を含めれば軽々に数万、数十万を超す人間を不幸の奈落に落としたあの事件を、如何でも良いとすら断じたのだ。これを寛大と取るか、冷血漢と取るか、外道と取るか、大物と取るか。それは、個々人の問題なのだった。

「……。あの手の宝具、もとい道具の常として、あのカイドウなる羽虫は、かなりの戦力を蓄えていた」

「だろうな。少しあの場にいただけの私でもそれは解る」

 大和らが認識する所の三次元の世界とは、異なる次元に空間を拡張出来る宝具。その使い方、とは何か。
言うまでもなく、人間と科学の利器の認知を超越した場所に空間を展開出来る、と言う事の利点は計り知れない。
真っ先に思い浮かぶ使い方としては、隠れた拠点、アジトであろう。基本的に聖杯戦争の為の本拠地など、割れない事が理想である。
別次元のアジトなど、隠れ蓑としての条件を完璧に満たしている。物理的にこの世界には存在せず、如何なるセンサーにも引っかからないのだ。最高の秘密基地であろう。

 だが、誰にもバレない秘密基地、でこれだけの宝具を終わらせるのならば、聖杯への到達可能性などゼロに近い。二流の使い方だ。
カイドウはその点、理想的な使い方を実行していた。それが、ベルゼバブの言うように戦力の貯蔵である。早い話が『倉庫』である。
鬼ヶ島内部を見るがいい、恐らくはカイドウの宝具と思しき私兵達が、あの中では息づいて、牙を磨いていたではないか。
勿論あれがNPCの筈がない。生前のカイドウと強い関係性で結ばれた、部下或いは同胞のような存在であろう。
大和の見立てでは、鬼ヶ島内部には千名は固い私兵達が待機していると見ていた。千名にも上る頭数を、誰にも露呈せずに収容出来る施設など、
滅多にあるものでないし、それに加えてカイドウの部下達は物理的に『デカい』。同じ人類であるかも疑わしい程の巨躯の武士達が、何人もいるのだ。普通は、露見してしまう。

 その隠匿の難易度は計り知れぬ物になるであろうが、実際にそれを、カイドウの宝具は達成している。
ベルゼバブが新宿一区を半壊させるその前から、青い龍の姿で東京の街に災禍を齎していた一方で、カイドウは兵力の増強と言う事実だけは、隠し通せていたのだ。
成程、軍師だと大和も思う。龍の姿を臆面もなく披露していた理由が、本当に隠したい物から目を逸らさせる為だったと解釈すれば、筋が通る。

「だが、それだけとは思えない。他にも何か見たのではないか?」

 ――そう。
実際に、皮下と剣を交え、カイドウの威容と強かさを目の当たりにした大和の直感が、告げていた。
本当に、自分の宝具によって供給される私兵を蓄える為だけに、鬼ヶ島を運用していたのだろうかと。勿論、その目的が第一義である事は疑いようもない。
だが、ベルゼバブと互角に渡り合える強豪が。大和を相手に一歩も引かなかった怪人が。強兵の作戦の為だけに鬼ヶ島を用いていたとは、とても思えないのだ。

「余が奴の宝具の中を、戦闘の折に移動していた時。確かに貴様の言う通り、奇妙な物を見かけた」

「それは?」

「恐らくは、研究施設。あの宝具の中に在って、其処だけが、異物のように浮いていた。だからよく覚えている」

「研究施設……か」


602 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:07:33 ZNmiu80I0
 大和の言葉に、意外性や驚きと言う物はなかった。寧ろ、予測の一つが当たったな、と言う風な事すら思っていた。
ラボか、それに準じる施設や一室が、あの鬼ヶ島の中に存在する可能性。それを大和は予測していたのだ。
根拠はある。カイドウ率いる百獣海賊団、その最高幹部である大看板であるクイーンが、大和に対して口にした、或いは口を滑らせた言葉。

 ――なあ船長、コイツの身柄は俺に任せてくれないか? 頑丈そうなデクは何体いたって良いからな!!――

 この後のカイドウのやり取りで、大和は一瞬で、鬼ヶ島の内部には非道な実験を主とする場所がある事を理解した。
それも、カイドウの宝具によって生み出された海賊達だけではない、話を聞くに、マスターをも貪欲に利用しようと言う精神性が感じ取れたのだ。
此処から導き出される結論の中で、最も有力な物は、『皮下達はNPCを利用して何かしらを企んでいる』、と言う事実。
当たり前のことながら、聖杯戦争のマスターを実験材料にする事は、困難を極める。当然の論理の帰結として、マスターの死はサーヴァントの消滅と等号で結ばれる。
マスターを危険に陥らせるような真似は、真っ当な精神性のサーヴァントならば許す筈もないし、必然、拉致しようとしても妨害に合うであろう。
また、そう言った要素を抜きにしても、マスターの数は絶対的に少ない。何せ、東京都民1000万人超の中で、23人しかいないのだ。ほぼ、50万分の1、である。
当然の話、マスターの存在はレア中のレア。実験材料として利用しようにも、余程の事ではお目に掛かれない。では、人体実験の協力者をどのようにして工面する。
答えは一つだ。この聖杯戦争の為だけに用意された、やがては死に逝く、しかし、確かに血肉の通ったNPCが、山程いるではないか。彼らを利用すれば、万事が足りる、と言う話であった。

「その施設、完膚なきまでに破壊したか?」

「無論。だが……軍事工学の考え方として、研究施設や工廠、兵器の貯蔵庫の役割を果たすものを、一つの部屋のみに限定しているとは思えん」

「鬼ヶ島の至る所に、分散させていると言うのだろう」

「そうだ。余が見た研究所は……NPC共を使って何かを企んでいたようにも思えた。粗末なベッドや寝床に、死にかけの羽虫共が呻いていたわ」

「他には何があったか?」

「桜の文様が特徴的な……培養槽の様なものか。詳しく検分する時間もなかったのでな。その施設ごと破壊して、カイドウなる羽虫の下へと向かったわ」

「そうか……」

 其処を咎める事はしなかった。カイドウが超A級のサーヴァントである事は大和だとて理解している。
あの時はカイドウとの戦闘が優先であったし、怪しいものがあったら調べろとは大和も指示しなかった。寧ろ、あの目まぐるしく戦況が変転・流転する戦いの中で、よくもこれだけの情報を持ち帰れた物だと、感心する次第だった。

 ……そして、大和も気づいていながら指摘しない。
施設を破壊したという事は、その時までは生きていたNPCの命を、ベルゼバブは容易く刈り取ったと言う事実を。大和は、咎める事をしなかったのだった。

「その培養槽の中身について、君の意見を聞こう」

「有り触れた考えで行けば、毒よ。人体実験で試すものとしては珍しくなかろう、洋の東西を問わぬ」

「私も、普通ならばそう考えていただろう。皮下との会話を、交わしていなければ」

「違う、と?」

「恐らくは」

「話せ」

 そこで大和は、皮下医院にて、皮下真と繰り広げた舌戦、その内容を話した。
全人類に等しく、異能に近い能力を授け、誰しもを本当の意味で特別にする事で、世界平和と平等を達成しようとした事。
その、異能を無理なく遺伝させる過程において、有史以来類を見ない程の淘汰と、コンピューターの枠組みを超え、政治経済にまで波及する程のシステム・ダウンが生じる事。
そして、肝心なその異能を授ける方法が、ある女性の血液から複製された特別な血清のようなものであると言う事。これを大和は、ベルゼバブに掻い摘んで説明して見せた。

「平等や平和など、どうでも良い。余には些末な事よ」

 だろうなと大和は思う。
大和にとっては皮下の掲げる人種平等の思想は、真っ向から大和の理想に唾を吐くような考え方だ。どうでも良いを越えて、唾棄すべき思想なのだ。
考え方のスタンスが大和に比較的近いベルゼバブが、皮下の理想に興味を示さない、と言う事は容易に想像できた事柄だ。

「その培養槽に入っている物は、奴の理想の成就に必要な、只人に異能を授ける血清、或いはそれの模倣品と考えて良いだろう」

「……」

 大和の言葉に耳を傾けながら、ベルゼバブは、土瓶蒸しの中に入っていた、ズワイガニの爪を口元に持って行く。
身を、穿らない。その甲殻ごと噛み砕き、磨り潰してから咀嚼、呑み込んだ。その間、ずっと、何かを考えていたようで、数秒の後に、言葉を紡ぎ出した。


603 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:08:41 ZNmiu80I0
「仮に、皮下なる害虫が、本当にそのような代物を製造していたとして。これを用いる目的が、2つ思い描ける」

「聞こうか」

「最も解りやすいものとしては戦力の増強だろう。底上げ、と言っても良い。内部での状況を見るに、主にNPC共に用いる予定だろう事が解る」

 これは、誰しもが到達出来るだろう、しかし、最も可能性が高い利用方法の一つであろう。
適合さえ出来れば誰しもに、人智を超えた強力な異能を授ける薬なのだ。私兵の戦力、そのアベレージを高めるも良いし、虎の子の側近に投薬するのも良い。
その様な物が手札として用意されているのであれば、ベルゼバブの言った使い方は、最もベーシックかつオーソドックス。そして、最も効果の高いやり方と言える。
唯一の欠点は、大和達はその名を知る由もないが、葉桜に備わる致命的な副作用。即ち、適合出来なければ『死ぬ』と言う、無視出来ぬ極大のデメリットであろう。
皮下の話を聞くに、十全の状態で作られた葉桜そのものですら、死のリスクは避け得ぬらしいのだ。リソースが不足しているであろうこの界聖杯内で生み出された葉桜に、
そのリスクが低減させられている筈がない。いやそれどころか、元の世界で作られたそれよりも死のリスクが一割、二割程増しているのではないかと、大和は考えていた。
それを考えれば、投薬は差し控える事だろうと普通は思う。だが、皮下は違う。あの男は、大和と同じでこの世界のNPCが死のうが、それを『数』でしか捉えない冷血漢だ。
NPCが死んだとて、命が失われた、と思わない人種だろう。だから、NPCに大量に葉桜を投与して、適合出来ずに何百人が苦痛の内に死に絶えようが、痛む腹も流す涙もないのだ。

「だが、如何に戦力の平均を高めようとも、所詮素体が素体だ。有象無象共ならいざ知らず、仮想敵を余に設定しているのなら、愚弄しているにも程がある。話にもならぬわ」

 だが、どれ程能力を扱えるNPCを集めようとも、所詮はNPCである。
ベルゼバブとカイドウの大立ち回りを見れば解る通り、トップクラスのサーヴァントの衝突は、それ自体が最早天災や災厄に等しい規模と内容の被害を齎してしまう。
しかも恐ろしい事に、あの時新宿でこの2名が繰り広げた戦いは、別に、東京を破壊しようだとか地図を書き換える程の破壊を披露しようだとか。
そう言った意図は全くなく、ただただ、敵対する相手を撃滅しようと言う目的の下繰り広げられた物に過ぎず、極めつけに彼らが東京に現出して火花を散らしていた時間は、
ものの一分かそこらに過ぎない。たったこれだけの時間、ぶつかり合っただけの『余波』で、数千人もの死者を瞬時に叩き出す。
これが、十全の魔力を収束させた状態での、最上位のサーヴァントなのである。これだけの力を有するサーヴァントを前に、たかが能力を得て間もないNPCに、何が成せると言う物か。良くて数秒の足止めにしか、ならないであろう。

「……此処で、2つ目の使用目的が、前景として開けてくる」

「それは?」

「食糧として、だ」

 それが比喩である事は、大和は直ぐに解った。何についての、メタファーなのか。『魂喰い』だった。

「カイドウなる羽虫を御する為には、相応の魔力が必要となる」

「だろうな、あれ程のサーヴァントだ。見合った魔力が入用になる」

「一見すると、あの羽虫共は魔力に不足はなさそうに見えるが、実際にはそれ程でもないと余は考えている」

 これは大和も考えていた事だった。
あの時、カイドウが大和に持ち掛けた提案。霊地を分譲しろ、と言う相談は、半ば以上彼の本心だったのではないかと考えている。
勿論、最終的には全部奪うつもりではあったのだろうが、魔力が欲しかった、と言うのは間違いのない事実であった事は容易に想像が出来る。


604 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:09:04 ZNmiu80I0
「あれ程の性情と強さの持ち主だ。機が熟していたのなら、当の昔に打って出たであろう事は想像に難くない。」

「であるのに、あの羽虫共はそうしなかった。それどころか、余が彼奴の拠点に攻め入っていた、あの大事の時ですら、大軍を運用する事をしていなかった。出来ぬ事情があったのだ。余はそれを、魔力が原因だと睨んでいる」

 ベルゼバブ程の強さのサーヴァントが、本拠地に攻め込んで来る。
この、未曽有の一大事にかち合った場合、行うべきは総力を以てベルゼバブを排除する事が正解になろう。
つまり、鬼ヶ島の中にいた大看板や飛び六胞、真打達から最下級の下っ端に至るまで、全ての力を、ベルゼバブに注ぎ込むべきだったのだ。そうしなければ、滅ぶしかないのだから。
しかし実際にはカイドウや百獣海賊団の面々は、そう言う選択を取らなかった。外界での出来事なら、話は解る。鬼ヶ島の内部。
つまりは、カイドウ側にとってはこれ以上となく有利な条件が働く、メイン・フィールドなのだ。その中に於いてすら、百獣海賊団達を斯様に運用しなかった。その答えは最早一つだ。魔力しかない。その様に運用したら、皮下が死にかねなかったからなのだろう。

「だが、魔力など、問題の類型としては余りにも有り触れている。あの混ざり物共が、自分達のリソースの不足に気付いていない筈がない」

 そもそも、魔力と言うリソースについて頭を悩ませている主従は、カイドウ達に限った話じゃない。
殆どの主従、それこそ、魔術の素養が一切ない、戦闘の一回でガス欠が見える程ダメなマスターの場合なら、下手をすれば事態はカイドウ達よりも深刻な筈なのだ。
霊地を抑え、それを最大限運用している上、自身も魔力の電池として優秀な峰津院大和がおかしいだけで、魔力についての問題は、殆どの主従について回る深刻なそれなのである。

「それを魂喰いで補う、とでも? あれはいわば、借金の利子だけを返すようなもの。その場凌ぎ、苦し紛れの手段だぞ」

「だから、『血を濃くする』のだろう」

 大和の箸の動きが、止まった。目線を、ベルゼバブへと向け、口を開く。 

「……醜い下拵えもあったものよ」

 ベルゼバブが何を言いたいのか、その意図を瞬時に大和は理解した。
そもそもの話、NPCを利用しての魂喰いは、効率が悪い。存在としての強度が、薄いからだろうと大和は考えていた。
界聖杯によって生殺与奪を握られている、魔術回路もないNPCでは、三流サーヴァントならばともかくベルゼバブレベルのサーヴァントを動かすには何もかもが足りないのだ。

 要は葉桜とは、調味料。塩コショウのような物なのであろう。
そのままでは存在の強度、魂の濃度、生命の重みの足りないNPC達への、彩りのようなものだ。
能力を授かった状態でのNPCなら、魔力の還元率が高くなる。そう言う、事なのだろう。

 根拠はある。予選段階、その時点で大和はベルゼバブに、魂喰いを命令していた。
尤も、NPCを喰らわせたわけじゃない。喰らわせたのは、聖杯戦争の参加者だったもの、予選段階でベルゼバブが下した敗北者である。
ベルゼバブが下した者の中には、何かしらの使い魔を召喚する手合いもいたので、実験がてらに魂喰いの効率を確かめたのだ。
結果は、使い魔はその格にもよるが基本的には還元率は高くなく、マスターの方も、多少回路が備わっていたとて、元の素養がないなら腹ごしらえにはならない。
ベルゼバブに言わせれば味が濃いのが、サーヴァント及び、魔力の豊富なマスターとの事だ。サーヴァントの霊核はそれ自体が、サーヴァントを動かす文字通りの心臓部だ。
喰らった時の魔力の吸収量は、弱小サーヴァントと言えどかなり良く、元が魔術師のマスターならば保有する魔術回路の分魔力を多く得られると言う。

「能力を得たNPCでどれだけ、あの羽虫共は魔力を補えるのかまでは知らぬが……NPCの利点は数よ。あれだけの数のNPCに無造作に能力を与え、その全てを喰らったのならば……。個々の量は大した事はなかろうが、その数だけでかなりの魔力が補充出来ると睨んでいる」

 これはベルゼバブの言う通りだ。
極論、もしもNPCを餌とする為に葉桜を投薬しているのなら、葉桜に適合する必要も、余命が3日を切っただとか、そんな事を憂慮する必要もない。
丸焼きにされる豚のようなものだ。喰らわれる運命が定められている者について、果たして誰が気を揉もうか。病むのだろうか。
それしか利用価値を見出してないのだから、後の事などどうでも良い。死体の山がどれだけ築かれようが関係ない。
そして、皮下はこうと割り切れ、開き直れる精神的な強さを持つ。ベルゼバブの案は、かなりの現実味を帯びている。やり得る。大和はそう考えていた。


605 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:09:47 ZNmiu80I0
「その案が現実の物であった場合、ランサー。君はどう対策する」

「『余も倣えば良かろう』」

 ベルゼバブは、即答した。

「折角用意された持て成しなのだ。余も喰らわねば、失礼であろう」

 ――そう。ベルゼバブは、こう言う男だ。
新宿に大破壊を齎しておいて、何も悪びれを見せない男である。効率が悪いからNPCを魂喰いしないだけで、その効率が高まる方法があるのならば、話は別。思う存分、そのNPCを利用する腹でいた。

 これこそが、カイドウないし皮下が想定しているプランの弱点である。
魂喰いはカイドウの専売特許ではない。モラルや後味の悪さ、罪悪感等と言ったものを捨て切れるのであれば、サーヴァントであれば誰だとて出来る行為なのだ。
無論、ベルゼバブとて例外ではない。それどころかベルゼバブに至っては、それが戦略上必要であると言うのなら躊躇なく踏み切れる思い切りを有している。
その通り、誰でも魂喰いが出来るのであれば、誰でもカイドウらが用意した能力者NPC達を魂喰いして魔力の回復に使用出来るのだ。

「君らしい言葉だ」

 NPCの事など知った事ではない、と言う考えはベルゼバブにしても同じ。
己の引き当てたサーヴァントの、魔王に比肩し得る残忍な思考を、大和は微笑みを浮かべて肯定した。
峰津院大和。彼もまた、死に逝くNPCの命について、何も思いを馳せない魔人であった。

「……次は貴様の番だ、羽虫」

 河豚のから揚げを、箸で摘み、ベルゼバブが言った。

「惚けは、通用しないようだ」

「腹芸など、この期に及んで通用すると思うな。弁疏の機会を設けてやっているだけ、余の寛大さに平伏するが良い」

 失点を回復する機会を、与える。とどのつまり、ベルゼバブが口にしている事はそう言う事だった。

「皮下の奴を取り逃した事については、弁解のしようもない。私のミスだ」

 そも、ベルゼバブがカイドウを取り逃す事と、大和が皮下を仕留め損なう、と言う事は全く同列に語れない。それどころか、責任の度合いで言えば大和の方が重い。
対サーヴァントは、何が飛び出してくるか解らない死闘である。銃が懐から突如現れる、とかそう言う次元の話ではないのだ。
この世の摂理や理を歪めるような恐るべき絶技や魔具の数々が飛び出し、時にこの世を貫く物理法則ですら超越した無茶苦茶な現象が頻発する事もあるのだ。
ベルゼバブが、次に会えば必ず殺すと決めている緑壱でさえ、ベルゼバブが油断や慢心を捨てた戦法に切り替えてから彼が放つ攻撃の全てを、回避し続けられた位だ。
サーヴァントによっては平然と、それこそ二流どころに近い連中ですら、一芸によってはベルゼバブを瞠目させる力で渡り合えるのだ。彼らを逃がす事も、成程確かに起こり得る。

 ――だが、マスターは違う。
傾向的にマスターは、戦闘力がサーヴァントに比べて格段に劣るか、それ以前の問題として全く戦えない者のどちらかしかいない。
加えて聖杯戦争の絶対の法則として、単独行動スキルを持っていないサーヴァントは、マスターが死亡したその瞬間、魔力の供給を断たれる為に消滅してしまうのだ。
サーヴァントの消滅はマスターの消滅を意味しないが、その逆は違うのだ。だからこそ、聖杯戦争に於いてマスターを狙う事はセオリー中のセオリーになるのである。
確かに、大和が戦った、皮下真と言う怪人も、光月おでんと言う時代錯誤のサムライも、尋常ならざる強さの持ち主だった。どころか、下手なサーヴァントよりも強かったろう。
だが、おでんの時ならいざ知らず、大和は皮下を、確かに殺せる状況にいたのだ。誰の目にも留まらない場所で戦って居て、しかもその場所は大和が用意していた霊地の中。
つまり、大和からすれば本気も本気を出せるスペースで、彼は皮下を仕留め損なったのだ。極めつけに、あそこで殺せていれば、ベルゼバブが殆ど無傷に近い状態で、
カイドウを詰ませられると言う王手に一歩近づけられるレベルの大躍進を遂げられていたのである。
他の取るに足らないマスターであれば、皮下と戦って無事か、逃げ果せられた事は、称賛に価されるべき事なのだろうが、大和の場合は違うのだ。
彼の場合は、皮下を、おでんを。仕留めなければならない実力なのだ。ベルゼバブは、それを果たせていないと言う事実に、憤っているのだ。

「フッ。らしい言い訳も思い浮かばないのでな。どうせ貴様の事だ、私の謝罪の言葉など何も響くまい」

「……オイ。まさか、本当にその言葉だけで終わらせるつもりではなかろうな」

 其処で話を打ち切るのであれば、本当に只では済まさない。その意思を大和に対して放射するベルゼバブだが、それを受けても、彼は何処吹く風。
平然と、食事を続けていた。寿司を、口に運んでいる最中であった。


606 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:10:09 ZNmiu80I0
「安心しろ。それで納得行く筈がない事は解るし、私もそれで終わらせるつもりもない」

 「――なので」

「私なりの誠意を以て、君の怒りを鎮めるとしよう」

「……貴様が、実にならぬ話をしない事は理解している。良かろう、最後の機会だ。話してみろ」

 ベルゼバブもベルゼバブで、大和が利がある話をすると言った時、其処には本当に利がある事を承知している。だからこそ、話を素直に聞く気になった。

 緑茶で軽く、口内を潤した後。大和は静かに、語り始めた。

「単刀直入に言おう。今より話す事は、『明白に君を出し抜く為の策』だった。言い換えるなら――」

 冷えた緑茶の入ったコップを置き、大和は言った。

「『最後の一組になった際に貴様を殺す為の策だった』と言う訳だ」

 其処まで言った瞬間、殺気が大和に叩き付けられてくる。ベルゼバブの瞳が鋭く引き絞られ、瞳の底で、殺意が急速に溜まり始めていた。
今にも、眦から殺意が焔となって迸って来かねないばかりの。恐るべき、鬼気の塊を、ベルゼバブは宿し始めたのだ。

「まぁ逸るな。それを今こうして話しているという事自体が、私の誠意だと思わんか?」

「面従腹背の徒であるとは思っていたが、まさか此処までの者だったとはな。続けて見ろ。沈黙は死だ」

「その策は、私……つまりは峰津院家の秘奥秘術に関わる物だ。そして、その秘奥こそ、峰津院家が峰津院家たる所以でもある。ランサー、私の得意な技術は覚えているな?」

「霊脈の管理、だろう」

 それは予選の時点、しかもかなり早い段階から大和に聞かされていた。
その手腕がどの程度の物かと、ベルゼバブは見定めていたが、実際、言うだけの事はあり大和の手腕は見事であった。
魔力が流れるラインの調整や、魔力を溜め置くプールの拡張。そして、肝心の魔力を供給する為のパイプを果たす場所の修復及び、機能向上等。
霊地の質と効率を向上させるあらゆる方策について彼は知り尽くしていたのである。魔術魔法の類が当たり前だった空の世界でも、此処までの才覚を示す者は稀であっただろう。

「峰津院家では霊脈とは言わん。この世界の……界聖杯の挟み込んだ余分な知識の流儀に従った言い方をしていただけだ。私はこれを、『龍脈』と呼ぶ」

「リュウミャク? リュウとは、ドラゴンの事か」

「字の上ではその通りだ」

「貴様が使役するあの駄犬のように、その龍も使役出来ると?」

 大和が悪魔、と呼ばれる伝説上の存在を使役する術を会得している事も、ベルゼバブは知っている
其処から、龍脈とは、強大な龍を使役する技術のようなものなのだろうと彼は考えた。その様な技術は、空の世界にも存在していた。

「9割は正解だ。流石の見識だな、ランサー」

「残りの間違っている1割とは、何だ」

「龍脈は定義によって形を変える概念エネルギーだ。私の使役するケルベロスのように、悪魔ではない。純粋な無色の力そのものだ」

「凡その意味は余は解る。貴様らの世界に於いての龍脈とは、何だ?」

「大地……もとい、この星の息吹を噴き出させる、気孔のようなもの龍穴と呼び、その龍穴と繋がる経絡の事を、龍脈と呼ぶ」

 魔術の大家と言う物は、通常、これぞ、と言った風に、血道を上げるべき分野を一つに絞る。
錬金術、ルーン、召喚術、占星術、カバラ、降霊術、方術、陰陽道、修験道等々。先祖からこう言った魔術の流派を子孫もまた継承し、また研究し、可能性の裾野を広げて行く。
故に、複数の分野や流派を複合的に嗜む家柄と言うのは魔術の世界には珍しく、況して、先祖の研究成果をリセットし別の分野に鞍替えする、と言うのはレア中のレア。奇人変人の類なのだ。

 峰津院家はその珍しい方の、前者。つまり、複数の分野や流派を習得せねばならない家柄だった。
収めるべき分野を一本化、つまり専門家させて『狭く深く』が定石の魔術の世界に於いて、峰津院家の行っている事は浅く広く、つまり器用貧乏化を招きかねない方針だ。
にも拘らず峰津院家が、元居た世界に於いても有数の魔術の大家として名を馳せ、そしてその実力を遺憾なく此度の聖杯戦争でも発揮できている理由は一つ。その方針で、峰津院家は成功しているからに他ならない。


607 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:10:35 ZNmiu80I0
 峰津院が修めねばならない流派は、特に多い。
先ず、悪魔を使役する為に必要な知識を、陰陽道から彼らは習得する。これはほぼ最優先で学ぶ必要があり、その練度は、ケルベロス程の大悪魔を使役出来ている事からも伺えよう。
次いで、霊地の運営と管理、クオリティの向上の為の術を、密教から会得する。つまりは曼荼羅だ。大和はこれも学んでいる。
占星術から、星の配置、天体の運行についても学ばねばならない。峰津院家が修めるべきは宿曜道、つまりは東洋における占星術であるが、大和はこれに加え西洋の占星術(アストロジー)にも造詣が深い。

 龍脈とは、峰津院家が修めねばならない魔術体系の一つ。即ち、『風水』に由来する用語であった。
風水、である。元来、中国に端を発するこの魔術体系は、最早魔術師と言う奇人達が研究する神秘の学問ではなく、一般人にも広く浸透している『おまじない』の域にまで達してしまった。
ちょっとした書店のブックコーナーに行けば、易だとか星占いだとかの本に交じって風水のあれこれが記された本など幾らでも置かれている。
要は、一般的な考え方として、受け入れられてしまったのだ。本場でない日本ですら、これなのだ。風水の本場たる中国では、この考えは深く浸透しきっている。されきっている。
広東語や北京語で書かれた風水に関する書物や雑誌は書店の書棚をずらりと占領しているなど序の口。香港の中国銀行ビルと香港上海銀行ビルの間で繰り広げられた、
悪しき気をライバル会社に跳ね返し反対に幸運を自社に招く為にビルを増改築したり、その為の風水的に最良の立地を求める為の経済とオカルトの入り混じった武器なき戦争。即ち『風水戦争』が繰り広げられたのは、30年程昔の話だった。

 正真正銘本物の魔術師であり、その魔術師の中でも突出した毛並みのエリートの集まりである峰津院家が使う風水は、一般に知られる占いレベルのそれから隔絶している。
勿論、一般人が知る風水でもイメージされる、方位学と色彩学の入り混じった占いような考え方も、確かにする。
だが峰津院家は此処に、中国医学に代表される気の医術、つまりは経穴や経絡、秘孔の概念や、先に語った占星術の概念も適用する。
更に極めつけに、峰津院家が有する弩級の権力だ。大和ひいては峰津院家の面々は、自分の権勢を以て、風水的に核となる土地を優先して抑え、
此処に国家の『運の向き』を整えさせる為の重要な建造物や寺社を建築し、これらが建てられた土地、ひいては日本国の護国を成すのである。
勿論、この考えは峰津院家が有する自前の領地にも適用されており、彼らの家が今日まで隆盛しているその訳は、こう言った風水的にも完璧だからと言う事もあるのだ。

「私がこの龍脈を秘中と呼んだ事には理由がある」

「独占している、と言う事だろうが」

「流石」

 フッ、と大和は笑みを綻ばせる。
その通りだ。武術の世界でも、学問の世界でも、経済の世界でも。秘奥だとか秘中だとか、機密事項だとか呼ばれて守られている知識や技が幾つもある。
秘奥義や秘中の秘と呼ばれるものは、並べて『独占』と言う言葉で言い換えられる。知られれば、拙いから。知られたら、此方の既得権が奪われるから。だから彼らはその知識を守るのだ。峰津院家とて、例外じゃない。

「我ら峰津院家は、大地より噴き出る星の息吹と活力に、定義と形、方向性を与え、具現化させる事が出来る。これぞ龍脈の術だ」

 風水は大地もまた人と同じ一つの生命体と考え、その中を流れる気、即ち星の生命エネルギーの発露点を探し出す。
良い流れの気が噴き出る場所に建てられた家は当然繁栄するし、古の為政者はこのポイントを抑えて都市計画を練り上げていたのだ。
藤原京や平安京、江戸の街は、明らかに風水ないしそれに類似した学問を意識した街作りになっており、だからこそある時期まで、この街は栄華の絶頂を謳歌出来ていたのだ。
そう、風水に於いては気の流れの事を龍脈と呼び、その気が噴き出る発露点を龍穴と呼ぶのである。そこは、峰津院家でも変わらない。

 ――違うのは、峰津院家は前述した学ぶべき学問を加え入れる事。
即ち、本来ならば人間如きには到底纏め切れない星の内海からのエネルギーを、密教由来の方陣で形を整えさせ、
それでいて宿曜道由来の占星術でそのエネルギーを増幅させ、その増幅した無形無色の力の波濤を、陰陽術で定義付けさせ、これにアルゴリズムと形を付与させて使役する。
これが、峰津院家が独占する秘術。龍脈の秘蹟なのだ。峰津院家が複数の学問を収めるのは、この龍脈のエネルギーを制御する為。全てはこの為の下準備なのだ。
そして、この術があったればこそ、峰津院家は日本国に存在するあらゆる魔術の流派に優越していたと言っても、過言ではないのである。


608 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:11:29 ZNmiu80I0
「仮に、その龍脈なる力があったとして。この聖杯戦争に於いて、何が出来る」

 ベルゼバブが問うた。当然の疑問だ。
その様な大仰かつ大袈裟、勿体ぶった秘術なのだ。相応のリターンがなければ、話にならない。

「勝利」

 大和は即答した。そして、その言葉は比類なき程にシンプルで、解りやすく、魅力的な物だった。

「龍脈とは即ち、星のエネルギーの具現だ。惑星が有するエネルギーの一欠けらに形を与えたに過ぎぬが……、人の力やテクノロジーなど、これに比べれば爪垢にも及ばない。人も、英霊も、悪霊も、怪異も、悪魔も、神霊も。この星に住まわせて貰っている居候、地球から見れば小うるさいダニよ。星の身震い一つであり方を一変させねばならないか弱い生き物だ。身震いですら全体の在り方を激変させる星の力を、恣意的に操れるのだ。況や英霊如きなど……何万体いたとて話にならぬ。これを具象化出来れば、その時点で私達の勝ちだ。其処に疑いはない」

「勝てるか? あの龍人に。破壊出来るか? あの兵器の小娘を。二度と、耳障りな羽音を生じさせぬように出来るか? あの生汚い、生意気な剣士を」

 クツクツと、大和は笑った。下らない質問、とでも言うように。

「何が起こったのかも解らずに殺せるさ」

「余ですらも、か」

「お前ですらも」

 大和はやはり即座に答えた。
嘘や誇張が一切ない。それは、当然の帰結でも話すような口ぶりだった。木になるリンゴはやがて地面に落ちる、そんな当たり前の事を口にするような語調で大和は言ったのだ。
成程、それが事実なら……峰津院家が隠し通すのも無理はない。ベルゼバブを相手に此処まで強気だった理由も頷ける。彼を殺せると言う話にも、信憑性が帯びて行く。

「それだけの力があるのなら、発動出来るのだろう? 貴様は不愉快な奴だが、この瞬間勝利を収められるのなら、今までの事は水に流してやる」

「フフ……」

 不敵に笑みを浮かべる大和。
そう言うだろうと思った、とでも後に続けそうだ。もうやっている、とも言いそうに見える。

 ――そして、大和が続けた言葉は………………………………………………………………。

「嘘だ、出来ん」

 ベルゼバブの額に、青筋をいくつも浮かび上がらせるに足る、言葉だった。

「ぬか喜びさせて悪いな、ランサー。語弊がある。今言った龍脈の使い方は、『ここが完全な惑星だったらの話』になる」

「何が言いたい、羽虫……」

「龍脈について色々思索を巡らせていた最中に至った結論だがな……。恐らくこの界聖杯、願望器としての能力に不足が見えて来た」

「……何?」

 大和の言葉にベルゼバブが喰いついた。
大和の言った事はまさしく、聖杯戦争を成立する根幹の要素への疑問だったからだ。
願いを叶える力について、其処が『偽』であったのなら、果たして何の為の戦いであると言うのか。

「勿論、これは私が個人でそう思っているだけに過ぎない事だ。真実でない事もあろう。或いは、全て私の言が間違っていたと言う可能性とてゼロではない」

「続けろ」

「界聖杯とやらが設定した聖杯戦争の舞台は、地球と言う惑星の中にある国家、島国である日本の首都、東京。その中の23区と呼ばれる場所の中で行われている」

「知っている」

「そして、一度この聖杯戦争の舞台に招かれたものは、この23区の外に出る事は何人たりとも叶わない。私ですらも、君すらも」

「そうだな」

「これは間違いない事実だが、恐らくこの23区の外は『何も再現されていない』。仮に出ていけた所で、広がっているのは虚無の辺獄の可能性が高い」

「虚無の辺獄……? 何もない空間が広がっていると言う事か?」

「勿論、23区と他県他町の境から向こう、目に見える範囲までは再現されているだろう。だが、其処を越えた範囲からは、『何もない』蓋然性が極めて高い」

「その、根拠を示せ」

「『龍脈が余りにも不完全にしか再現出来なかったから』さ」

「どういう事だ」

 大和の言葉に疑問を差し込む。先ほど龍脈は、使う事と再現する事が出来ないと……。

「龍脈の術にとって肝要となるものは、土地、制御する為の各種魔術の御業……。成程それは正しい。だが、それ以上に大事な条件がある。そしてその条件は最早大前提とも言うべきもので、余りにも在って当たり前の存在である為、大抵の場合は意識すらされないものだ」

「――『星』か」

「その通り」


609 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:11:59 ZNmiu80I0
 確かに、大和の言うように、龍脈の術が風水に属する秘儀であるのなら、土地や多種の魔術の深遠な知識が必要になる事は間違いない。
だが、その土地と言うのも、龍穴から噴き上がるエネルギーと言うのも、その全ては地球と言う惑星が存在して初めて成立するのだ。
この事実を、忘れがちになる。当然だ、そもそもある日突然この星が消えてなくなる、と言う事態は起こり得る危難としては100%あり得ない。普通は考えない事だ。
そんな可能性まで視野に入れて活動する者は、最早強迫観念に強く囚われた異常者の類である。

「元来龍脈とは、脈の名が指し示す通り、連続した経絡。繋がった道なのだ」

「……そうか。『完全に惑星として再現されてない、一つの都市しか再現されてない故に不完全でしかない』、そう言いたいのだろう?」

「然り」

 ベルゼバブの言った事が全てだ。
地球でも、それ以外の惑星でもいい。龍脈もとい、地球のエネルギーの経絡とは、岩石状の惑星なら何処にでも存在し得るし、其処に大地があるのなら大なり小なり、
存在して然るべき物なのだ。もしも、界聖杯が完全に地球と言う星を再現出来ていたのであれば、大和が言ったような完全な龍脈を完全な形で再現出来たし、
そもそもベルゼバブを戦わせるという事すらもせず全ての主従を蹂躙出来ていた筈なのだ。

 エネルギーの流れが、余りにも不完全かつ弱かった。
それこそ、大和ですら愕然の念を禁じ得ない程に。此処まで地球のエネルギーが弱い筈がない。これは最早、死に逝く星のエネルギー……いや、それ以下の以下の以下の量だ。
だがそれも、『界聖杯が聖杯戦争の為に再現した個所を限定した』と仮定すれば全てが説明出来る。
東京都ないしそこ以外の隣接した県しか、土地として再現していない。だからこそ、龍脈の力が弱いのだ。
何せ地球のエネルギーが流れる経絡、それが丸々再現されてないどころか、存在しない。『東京都内にぶつ切りの形にしか脈がないのであるから』。これでは、龍穴から噴き出る力が弱いのも、うなずける。

「一つ、君の意見を仰ぎたい」

「言ってみろ」

「『都市の一つしか再現出来ぬ願望器に、新世界や新宇宙の創造が成し得ると思うか』?」

「……願望器の裁量を越えている可能性が高い」

 勿論、聖杯戦争のような最後の一組が勝ち残らねばならない殺し合いであるのなら。
舞台は狭くて、個々人が出合いやすくて、殺し合いにも発展しやすい方が良いだろう。これは間違いないし、そう言う意図があるのならばこれは界聖杯のジャッジは正しい。
だがもしも、これが『惑星全土を再現した場合処理の限界を迎える』、と言うのならば話は別だ。個々人の細々とした願いなら成就出来ようが、果てなき野望を叶えようとするなら。
例えば、神を殺したいだとか、新しい星を創造したいだとか、宇宙を開闢したいだとか、時間を巻き戻したいだとか。その願いは、達成出来ない可能性が高いじゃないか。これでは、大和の願いは達成出来ない。

「我々が本戦を勝ち抜いた際にアナウンスされた、最後の情報。聖杯戦争に敗れた者……つまり、サーヴァントを失った者達は、誰かが界聖杯で願いを叶えたその瞬間、帰還出来る事無く消滅する」

「勝てばよかろう、と言う話になるが」

「冷静に考えればおかしな話だと思わないか? サーヴァント共ならいざ知らず、マスターは基本的に……巻き込まれた側だ。此方の都合など構いなしに殺しあえと宣って此方に拉致して来たのだ、最後まで生き残ったのだから、帰還の融通位は図ってやっても良かろうが?」

「一理は……譲ってやっても良い」

「元々、そういう現象なのだから仕方ない、と言って終わる事も出来る。……だが、私の目には違って映る。界聖杯が機能する為には、『最後の一組以外の全員が死んでもらう必要があるのではないか』とな」

 一呼吸。

「界聖杯が殺し合いを激化させる為に、敢えて舞台を東京都一つに限定する。つまり、戦いを加速させる為に敢えて場所を限定したのならば良い。話は終わりだ。だが、『リソースを節約させる為に舞台を限定させた』のなら、話は大きく変わって来る。そして、何故最後の一組まで生き残らねばならないのか、の理由も見えてくる」

「……優勝者以外の全主従は、薪に過ぎぬ。と言う事か?」

「薪、と言う言い方は言い得て妙だ。だが恐らく、現実は『一つたりとも欠かしてはならない燃料』なのではないかと私は推測している」

 「そうだ――」

「『主従の命や魂を燃料にする事で初めて、願望器になる。界聖杯が機能する為には主従の命か魔力は前提。欠かしてしまえば願望器として機能しなくなる可能性が高い』」


610 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:12:31 ZNmiu80I0
 沈思黙考。ベルゼバブが考え込む。
幾らなんでも、それは願望器として失格にも程があるのではないのか?
サーヴァントとして召喚されたその折より、ベルゼバブは、この世界と、界聖杯についての知識を刻み込まれている。
渺茫たる多元宇宙、可能性の次元に泡沫のように起こっては消える、たった一人の熱意と本気を叶える為の、万能の願望器。過程を歩まずとも良いスキップ機能。
それが、界聖杯だと言う。その様な前提があるからこそ、ベルゼバブも界聖杯の取得に本気であるのだ。それだけの謳い文句で彩られている代物が、マスターの頭数が一人足りないだけで機能しなくなる、と言うのは、言葉負けにも程がある。

「羽虫。貴様の仮定がもしも事実であったとするのなら、余らの本当の敵は、カイドウや、余に一撃を加えたあの剣士ではなかろう」

「その通り」

 其処で両名は、示し合わせたように、口を開いてこう言った。

「『この世界から脱出を図ろうとする羽虫』だ」

「『界聖杯の舞台から逃げ果せようとする者』だ」

 そうだ。大和の推測――界聖杯の顕現の為には誰一人の命も欠かしてはならないと言うのなら。
真の敵、界聖杯を手中に収めようとする者達にとっての背信者とは、聖杯戦争に乗らないで『この東京から何らかの手段で逃げようとする者』の事なのだ。
聖杯戦争に加担しない方が、最悪の結末が待ち構えている。これが真実であるならば、カイドウ等、聖杯戦争について真摯な分まだマシな手合いとすら言えるだろう。

「元より、戦いに乗らないような軟弱者共は殺し尽くす腹でいたが、それも、こう言った仮定があったからだ」

「それだ、羽虫」

 箸の先端を、大和に付き付けながらベルゼバブが言った。

「本当に貴様が言うように、他の羽虫共の命が失われる事で初めて界聖杯が顕現するのなら……何故そうと解って、貴様は他の羽虫共を勧誘した」

 ベルゼバブとしては当然の疑問である。
彼からすれば大和が何故他のマスターを此方の帷幄に招くのかも理解不能なのに、その上、斯様な界聖杯についての考察を行っていると言うのに、何故態々己の首を絞める真似をするのか。
下手に此方側に引き入れて、殺さないままにしたとしても、早晩何処かで殺し合いになるであろうし、最悪の場合、本来優勝している筈の此方が何も願いを叶えられず、界聖杯の消滅と共に消え失せる可能性すらあるじゃないか。

「其処で、龍脈の話に戻る」

 そう。元はと言えばこの話は、峰津院家の秘術である、龍脈の儀から始まっていた。ベルゼバブも忘れていた訳ではないが、此処でよもや、話が戻るとは。

「先程も言ったように、龍脈は私が望むべくような完全な形での再現は出来ない。そもそもの、龍脈が続いていて然るべき土地がない、と言う異常事態だからな」

 それは最早、大和がどれだけの努力をしたとて、解決出来る問題ではない。新たに大地を生み出してみろ、等と言うバカげた事は、流石にベルゼバブも言えない。

「だが……この東京都一都に限って言えば……恐ろしい事に、完全かつ完璧な精度で、龍穴龍脈の類が再現されている。理解したからこそ、霊地の確保を予選の段階で急いだ。その要点を理解している主従を優先的に抹殺した」

 そも、霊地の有用性を理解している主従は、何も大和に限った話じゃない。
カイドウ達ですら、自らの野望の躍進の為に、都内の霊地を優先的に抑えようとしていたじゃないか。尤もそれは、大和の手管によって阻まれてしまったが。
予選の段階では、大和と同じで、戦略上の考えの上で霊地を抑えようとしていた者達がいた。それだけならばまだしも、龍脈龍穴についての知識を会得していた者まで中にいた。
後者については、明白に危険人物だった。だからこそ、優先的に、丹念に。彼らを殺した。峰津院家の龍脈の秘術、それを行う為に、彼らには死んで貰わねばならなかったのだ。

「NPCとその土地、再現するにはどちらが簡単か。……いや、危険なのか。そう言う話になって来る」

 大和は淡々と語り始める。

「恐らくだがこの界聖杯のNPC、本戦に参加している主従、マスターかサーヴァントかは問わないが、彼らの縁者が元の世界での能力と、元々の正しい関係性の記憶を封印された上で再現されている」

 これは、峰津院財閥に所属する、元の世界での大和の部下だった者を模したNPC。即ち、迫や菅野、柳谷と言った面々を見て確信した事だ。
大和から見ても、驚く程に彼らは良く再現されている。顔や体形は言うに及ばず、喋り方や思想すらも、まるで同じであったのである。


611 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:12:57 ZNmiu80I0
「皮下真に機械のアーチャーのマスター。そして、光月おでん。私とも……サーヴァントとも渡り合える程の力を持った連中の縁者など、それに匹敵する怪人物であろう事が容易に想像出来る。そんな者達の関係者を、異能や身体能力を混みで再現すれば、如何なる?」

「より、聖杯戦争は混沌の坩堝に叩き込まれような。それ以前に、聖杯を巡る戦いとしての体裁を保てるかどうかすら危うい」

「其処だ。だからこそ、界聖杯はNPCの能力については制限を課したのだ」

 立てた人差し指を、ピッとベルゼバブの方に向けながら、大和は言った。

「意図はどうあれ、界聖杯の目的は願望器としての機能を果たす事だろう。仮に其処は事実とするとして、問題は願いを叶える権利が与えられているのは現状マスター及びそのサーヴァントのみである事だ」

 滔々と、話を続ける大和。

「能力を再現しなかった理由は何か? 界聖杯の容量や処理の不足かも知れないが、此処に加えて2つ、理由が思い浮かぶ」

「ほう?」

「一つに、実際は再現こそ出来るが、危険性が高過ぎてやらないと言う事。当たり前だ、サーヴァントを打倒せる程度の強さですら異常なのに、場合によっては、界聖杯の根幹部分のシステムにすら亀裂を生じさせる存在もいるかもしれないのだぞ? そんなものを再現してしまえば企画倒れだ、再現するにはリスクが大きすぎる」

 マスターの関係者だから、召喚されているサーヴァント以下の強さしかないのだろうか? 大和はこれを、否だと考えている。
皮下と言い、おでんと言い、リップと言い。明らかに、大和の知る世界観の常識からは致命的にズレた実力と、異能を兼ね備えた人物が平気でマスターとして召喚されている。
彼らがその世界に於いて一番強いと言うのなら話は別だが、それは楽観視しすぎである。実際にはそれに準ずるか並ぶ実力の者や、身体能力では計り知れぬ恐るべき特異能力を持った者が平然といるのだろう。この特徴ごと再現し、界聖杯の目論見をスポイルされてしまうのは、余りに本末転倒だ。やる意味は、確かになかった。

「そしてもう一つ。そんな能力を保有したNPCを再現して見るがいい。聖杯戦争の戦略の一つに、NPCを自軍に引き入れる、と言う駆け引きが其処には当然生じ得る」

「言うまでもない帰結よな」

「聖杯戦争の核たる、サーヴァントを用いた戦い方が変わる。其処は問題ではない。本当に問題なのは、NPCに願いを叶える力がない事だ」

 ――

「サーヴァント同士の戦いにNPCを巻き込む。あるタイミングで、必ず、この世界の真実に気付くか、誰かが教えねばならない局面が来るだろう。其処でNPCが素直に、自ら滅びを受け入れるだけの諦念を持っているのなら何の問題もない。だが、殆どの者が違うだろう。自分も聖杯で願いを叶えたいと思う者は確実にいる。この世界から抜け出したいと思う者だとて、いるだろう。如何足掻いても滅ぶ運命は変えられないからと、マスターを殺す者だとて出て来よう。序盤中盤で、そんな争いが起こるのならばまだ良い。だが、最終盤……しかも、最後の一組になったその段階で、NPCが牙を剥けば如何なる? NPCだとて愚鈍ではあるまい。最後の一組になれば当然消耗が激しくなって疲弊しているだろう事ぐらいは想像出来るだろうし、其処を狙ってくるだけの頭はあるだろう。其処でマスターが殺されてみろ。後に残るのは、願いを叶える力を持たない絞りカスだけだ。今までの戦いの全てが、否定されるぞ」

「……ふむ」

「究極、界聖杯がNPCの能力について厳密に制限を課したのは、聖杯戦争と言う今回の設定を否定されかねないからだろうと私は思っている。私としてもその判断には同意する。神は、知恵の実を齧ったからこそ楽園からアダムとイヴを追放したのだ。界聖杯とこの世界の真実を教え、それによって目覚めたNPCについて責任が持てないのなら、無意味にこれを喧伝するのは余りにも無責任だ。殺してやった方がまだ慈悲深いとすら言える」

「NPCの能力が再現されていないであろう理由については理解した。ならば何故、土地に流れる魔力だけは再現されているのだ?」

「大局に何の影響もないからだ」

 大和の言葉に迷いはなかった。


612 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:13:20 ZNmiu80I0
「土地の魔力を抑える、と言うのは確かに戦局が大幅に有利になる策ではあるが、それ以上の域は出ない。戦略上有利な場所を抑えていても負ける事もあるからな。それに、霊地を確保していたとて、精々出来る事と言えば、サーヴァントの現界の時間を長引かせるか、強力な宝具を放ちやすくする、位が関の山だろう。何の問題もないし、それによって結果として聖杯戦争の決着が早まるのであれば、問題はない。大局……聖杯を確保する、と言う目的からは軸がブレていないだろう?」

「余には、別段霊地を再現する必要性も薄いと考えているのだがな。羽虫。貴様は如何考えているのだ?」

「それこそ、本当に憶測になるが……恐らくだが、聖杯戦争と言う催しは、界聖杯が独自に考えたものではないと、考えている」

「オリジナルが存在する、と言う事か?」

「そうだ」

 大和がずっと疑問に思っていたのは、聖杯戦争は、そのルールを具に観察する度に、機械的な意志を感じさせないのである。
英霊の得意な分野、或いは有している側面をなるべく一面・一元化させ、七つのクラスの内のどれかに当てはめる、クラスシステム。
英霊の有する特殊な能力や才覚を、ランクによって細分化させ、何をどれだけ出来得るのかを一目瞭然にした、固有スキルと保有スキル。
そして、その英霊の生前のエピソード及び、彼らの代名詞である武器や防具を、切り札として象徴化させた、宝具と呼ばれる代物。
聖杯戦争のこう言った基本的な枠組みを、心のない機械が平等を目指して作り上げたモノだとは大和には思えないのだ。

 意図的に、意志ある何者かが雛形を作り上げたものを、界聖杯が流用しているだけなのではないかと言う予測すらあった。
余りにも、セイバー・アーチャー・ランサー・ライダーの4つのクラスがステータスの面でも、宝具の面でも有利だからだ。
キャスターもアサシンもバーサーカーも、魔術など何もわからないズブの素人には到底扱う事など出来ない程運用に難しいクラスであり、
基本的にこれを引かせられたらその時点で、余程卓越した才能の持ち主でなければ敗北の向きが濃厚となる。
まるで、予め負けさせるべきスケープゴートを決めさせる為に定められたクラスのような……そんな気がして大和にはならない。

 人為的、作為的な意図が見え隠れする、聖杯戦争と言うこのイベント。
とてもじゃないが、心を持たない存在が、平等と公平をなるべく目指して作り上げた仕組みには見えない。
良心と悪意、目的意識を持った、限りなく人間に近いか人間そのものの生命体が作り上げた、恣意的な代物。大和は、聖杯戦争をこう捉えていた。

「聖杯戦争自体は、あらゆる時空、あらゆる世界で、名を変え形式を変え、行われている可能性がある。今回のような一組だけの勝ち残りの形式もあれば、チーム分けをしてのぶつかり合いもあり得るし、トーナメント形式だとて存在するやもしれん。場所だとて、東京の所もあればアメリカだとてあり得るし、ドイツや英国、地球の地理が通用しない全くの異世界で行われた事あるかもしれないだろう」

「今回の聖杯戦争は、過去に何処かで行われた聖杯戦争のデータの焼き直しに近い、と言う事か?」

「可能性の域を出ないがな。だがどうあれ、この聖杯戦争の舞台は疑いようもなく私の知る東京都であり……、龍脈の流れも龍穴の位置も、寸分違いなく私の知識と符合すると言う事実。これが重要になる」

 白桃のシャーベットを、デザート用のスプーンで掬う。程よく溶けていて、まるで砂地か何かのように、スプーンが果肉に食い込んだ。

「界聖杯からすれば、霊脈霊地……もとい、龍脈や龍穴を再現した理由は、一つの主従に大幅に有利になるだけに終わるから、問題ないと判断したのだろうな」

 掬ったシャーベットを口元に持って行く。程よい酸味の混じった甘さが、心地よかった。

「そう言う事なら、存分に使ってやるとしよう。厚意は無下に出来んからな」

「貴様の口ぶりで言えば、その龍脈とやらは、貴様が望む形には至らないが、再現は出来るのだろう?」

「その通り」

「完全な形から劣後している、と言う事は良い。問題は、その状態で何処まで出来るのか、だ」

 それはベルゼバブでなくとも、問いたい事柄であろう。
大和から聞いた龍脈の話、聞くだに凄まじい秘術である。大和の一族が独占し、使用方法を隠匿し続け、何としてでも成立させたいと言う思いもむべなるかな、と言う説得力があった。
それだけの威力を秘めた術なのだ。如何に完全な形での成就は出来ないとは言え、それが行使出来ると言う点でも、価値は十分過ぎる程であった。


613 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:13:56 ZNmiu80I0
「峰津院の操る龍脈とは先に言ったように、ある種の定義によってその在り方を千変万化させる万能エネルギーのようなものだ。魔力のプールとしての形で願えば莫大な魔力の海として用いる事も出来るし、己の身体の強化を望めば自壊の現象を伴う事無く最強に近しい力を得られる。少なくともこの聖杯戦争に限って言えば、龍脈の魔力を用いれば『成就し得ぬ宝具などない』し、サーヴァントの強化に用いればクラスシステムの軛を超えて別クラスの宝具をも使用可能となる程に進化するだろう」

 成程、ベルゼバブから隠し通すのも無理はない奥の手だった。
単純に、自己を強化すると言う名目で使用するだけでも、これだけの恩恵を得られるのだ。マスター、特に大和程のマスターに使おうものなら、それこそ、
トップクラスの実力のサーヴァントが相手でも一歩も引かぬ強さを発揮出来る事だろう。この事実を、予め教えるなど、確かに大和が口にしたように、誠意にはなっている。
最後の一組まで生き残り、消耗した状態で、龍脈の力を得た大和が立ち塞がるのは、何も知らなければベルゼバブであっても予想外かつ予定外。大和の勝利か、共倒れになっていた可能性だとてある。何れにしても、ベルゼバブの気性を考えれば、この切り札を秘匿すると言う大和のやり方は、正解だった事だろう。

「その術は、今この瞬間にでも、余に適用が出来るのか?」

「この場では無理だ。龍脈の力が噴き出る龍穴……其処に私が出向かねばならない」

「何処だ」 

「港区と墨田区……と言って、察しがつく程君は地理には詳しくあるまい。具体的には、この地の住民に『東京タワー』と『スカイツリー』と呼ばれる場所の、地下施設に陣を展開している。どちらか片方を潰されても、もう片方が無事なら術は発動出来る」

「ならば話は速い。疾く向かい、余を最強にするが良い」

 ベルゼバブの性格を考えれば当然の言葉であるし、戦略と言う観点から見ても真っ当な発言であった。
このレベルの強化手段、眠らせ、腐らせておくには余りに勿体ない。それに、他の参加者に龍脈の秘術の存在に気づかれ、此方が利用される前に使われてしまった、
等と言う結果が訪れようものなら地団駄を幾ら踏んでも足りない程の後悔に苛まれる事だろう。それを防ぐ為にも、直ぐ使った方が良い。当たり前の提案だ。

「……」

 大和程の頭なら、ベルゼバブの言葉の利を、絶対に理解している筈なのに。彼の顔は、気乗りのしない、悩まし気な顔であった。

「羽虫ッ!! 何を躊躇う……!! 貴様の失策と、余の失態……それを同時に余が帳消しにしてやろうと言うのだぞ。今更、余が力をつける事に臆したか!!」

「それで、全ての決着が付き……界聖杯が私の望むべく物だったのなら、今すぐにでもそうしている」

 ベルゼバブの啖呵に一切動じる事無く、大和は続けた。

「先程も語ったが、私は界聖杯の能力に疑問を覚えている。どうせ願いを叶えるのならば、十全のそれにしたい」

「それだけではなかろうが」

 ベルゼバブの瞳に、剣呑な眼光が煌めく。殺意が、その光には伴っていた。

「貴様、あの兵器のアーチャーのマスターに義理を立てようとしているな? 本気で、奴を生かそうと言うのか?」

 新宿御苑で邂逅したアーチャー、シュヴィ・ドーラと、そのマスターであるリップ。
あの場で大和は、リップの実力と気性を認め新世界に招こうと誘っていた。相手を油断させる為の調略、だとベルゼバブは思っていなかった。
本気で、勧誘していた事を見抜いていた。勝者以外は全員死ぬ、そうと解っている筈なのに、大和はそう約束したのである。

「私の人間的なプライスは、交わした契約を守る事にあるのでな。お前とは違う」

「それで、最終的に勝利出来るのならば何も言わん。だが貴様は、界聖杯の顕現の為には全ての主従に死んで貰わねばならないと言った筈だ。その言と、他の羽虫を生かす方針は、明白に矛盾する」

 そも、大和が小難しい考察を語るまでもなく、『元の世界に帰還を果たせるのは優勝した主従のみ』。
これは、何も隠されていない、外ならぬ界聖杯の側から開示した情報であり、勿論の事大和もベルゼバブもこれを悉皆理解しているのだ。
聖杯戦争の参加者なら誰もが知る公然の事実を見ないふりをしていると言うのなら、これ程愚かしい話もない。目を、如何なる手段を用いても覚まさせるべきだった。

「私が……龍脈の御業を開帳しない理由はただ一つ。界聖杯への疑問、これに他ならない」

 続ける、大和。

「界聖杯が真に、私の望む新世界の創世を成せる……その確証があるのなら、私は今すぐにでも龍脈の儀を行おう」

 ……そこで大和は呼吸を一つ置いて。ジッと、此方を睨むベルゼバブを睨め返した。


614 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:14:13 ZNmiu80I0
「……今より話す事を、貴様が信じぬも信じないも自由だ。この話は、事情を知らぬ者が聞けば誰もが、私を山師呼ばわりする、質の悪い妄言と放言にしか聞こえないだろうからな。無理からぬ事だ」

「話してみろ」

 ベルゼバブは、疑問を挟む事無く、話を促した。

「どうあれ、貴様の描いた絵図には、耳を傾けてやるだけの価値がある事は、認めてやる他ない。それを聞いてから、全て判断する」

「……そうか」

 フッと、笑みを綻ばせ、大和は言った。直ぐに表情は、真率そうなそれに転じる。

「君からも……いや、聖杯戦争の参加者からにしても、私は異端だろうな」

「……」

「実力だとか、龍脈の術が使えるとか言う話ではない。界聖杯の機能そのものに、懐疑的であると言う点でだ」

 東京に集い、北欧の神話体系に語られる、宇宙そのものを内在させた巨樹と同じ名を冠する杯を求める為の、聖杯戦争。そして、それを求めて争う者達。
この戦いが成立する為には、一つの絶対条件が必要となる。簡単だ、『界聖杯の機能が真実本当のそれである事』だ。
聖杯の獲得に意欲的な者もいようし、己が悦楽の充足の為に動く野放図な輩もいよう。一方、聖杯戦争のコンセプトを否定するような、戦わないで脱出出来る方法を模索する者だとていよう。
一番最後の人種については最早どうしようもないが、とにかく、聖杯戦争を戦争として成立させるには、勝ち残った者への報酬(トロフィー)、これが本物であれば良いのだ。

 ――トロフィーである聖杯に、願いを叶える機能がなかったら? この戦いの意味は、まるでない。無為と徒労が全てのバカげた殺し合いに終わってしまう。
そして皆、それが真実であると思っている。だから聖杯戦争は続いている。一部には、界聖杯と言う存在について考察を巡らせる者もいるかもしれないだろう。
だがそれにしたとて、願いを叶える機能については、疑いを挟んでいる事はしてないのではあるまいか?

 大和だけが、違う。
彼だけは明白に、界聖杯と言う存在について疑いの眼差しを向けている。
それは彼が猜疑心が強い、強迫症にも似た心持ちの人物であるからと言う訳じゃない。彼が歩んだこれまでの道筋と、深く関係していた。

「――界聖杯など及びもつかない願望器の存在を、私は知っている」

「……何?」

 流石のベルゼバブも、当惑を隠しきれずにいた。疑念を、言葉と態度で隠せていない。

「その願望器を掌握した瞬間、誇張抜きにその存在はあらゆる時空と多元宇宙を統べる王だ。他を圧する力など言うまでもない、完全なる無から万物を創造する奇跡ですらその者にとっては最早下らぬ余技に成り下がる。新しい宇宙を開く事も、時間の回帰も児戯に等しい。認識と思考の速度よりも速く、人も神霊も、星も銀河も宇宙を消す事も指を動かすような容易さで可能とする。光より速いものはない、火は水を掛ければ消えると言う当然至極の物理法則すら改竄する事も出来るぞ。そして――叶えられる願いにもまた際限はない。それこそ、界聖杯を無限に生み出し、願いを叶え続ける事だとて……な」

「………………色々と、聞きたい事がある」

 レッドブルを口にし、呼吸を整えてから、ベルゼバブが尋ねる。

「貴様の口にしたそれが本当なら、確かに、界聖杯など比較する事すら酷な願望器だろう」

「そうだ」

「何故その存在を知って居ながら、この戦いに参加しようとする?」

 当然過ぎる疑問だった。
大和の語ったそのアイテムは、誰がどう聞いても界聖杯の完全な上位互換だ。その存在が真実であるのなら、これを求める戦いに身を投じた方が、良かったのではないか。


615 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:14:36 ZNmiu80I0
「参加するつもりもなかった。そもそも私が本当に求めていて、手に入れる準備をしていたのは、その玉座の方だ」

 何て事はない。聖杯戦争の舞台に招かれていなければ、大和は己の持てる全ての才覚を、彼が口にしていた真なる願望器の為に費やすつもりであったのだ。
そして、その存在を知って居たからこそ、大和は界聖杯の存在について懐疑的だったのだ。何せ大和は正真正銘本物の、全能の願望器の存在を知って居るのだ。
真物を知る大和に対して、それ以外にも願望器がある、と説明したとて、彼が疑いの目を向けるのは、当然の話とすら言えた。
そう、大和は結果的に界聖杯を追い求めざるを得ないだけなのだ。この峰津院大和もまた、他の参加者達と同じだ。界聖杯を巡る聖杯戦争の意志に、巻き込まれた側。ある種の、被害者の枠組みに位置する人物なのであった。

「……次の問いに答えよ。羽虫、貴様はその願望器の存在を、何処で知った?」

 これも、当然の疑問。
ベルゼバブも永く生きて来たし、世界の根幹に近い部分の知識も有してはいたが、所詮それも、彼が生きていた世界だけの話である。
だが、大和の語るその情報は明らかに、単一の宇宙のみの秘密、と言う枠を超えている。それこそ、幾千幾万、幾億もの多元宇宙の深奥に関わる秘密である。
少なくとも、ただの人間が知り得る範疇を軽々と越えていた。何処で、大和はそれを知ったのか。

「……」

 これに対し大和は、明白に苦い顔を露わにした。それどころか、嫌悪の感情すら克明に浮かび上がっている。

「その玉座に由来する、上位存在に、教えられたとでも言っておこう」

「ほう」

「悪いがそれ以上は言えん。……不吉な者でな。容易く時空を越えて来る存在だ、変にその名を口にすれば、私の下に邪魔しに来かねん」

 そう口にする大和の言葉には、怒りの念が滲んでいるようにベルゼバブには聞こえた。
それ以上の追求は、しなかった。大和がこう言う以上、危険な存在である事には変わりないのだろうし、その通りの事が、出来るのであろう。

「……最後だ。その願望器、何と呼ばれている」

「厳密に言えば、先の述べた諸々の機能……願望器としての側面を含めた、それそのものに名前はない。その機能の管理者に名前がある。名を、『ポラリス』と呼ぶ」

「北極星、か」

 ベルゼバブの言う通り、ポラリスとは現代に於ける北極星の名前である。
地球の自転に左右されないこの星は、常に北の方角を指し示す二等星として、地球から400光年離れた宙域で輝いている。
羅針盤がまだ開発されてなかった時代の船乗りは、昏黒の海原の上往く夜の航海を、この北極星の位置を基準として進む事で乗り切っていた。
現在の北極星と言ったのには訳があり、北極星の星と言うのは代替わりする。人間には知覚出来ない程ゆっくりと、北極星は動いており、3000年以上前はコカブと言う星が北極星であり、その1500年以上前にはトゥバンと言う星が北極星だった。現在の北極星であるポラリスもまた、西暦4100年ごろには、エライと言う星に北極星の座を譲り渡す運命にある。

「界聖杯が、君の望みと私の望む世界を両方成就させられ、その上で、私の理想の賛同者をも如何にか出来る程に融通が利くのなら、ポラリスには今回は頼らん」

 「だが――」

「もしも私の望むべくそれでなかった場合、プランを修正する。修正すると言っても、本来的に私が目指していたプランは、其処に至るまでの過程は違えど此方だったのだがな」

「ポラリスとやらを頼るのか」

「概ねその通りだ。……とは言っても、ポラリスへの謁見は私としても未知の部分が余りにも多すぎる。最悪の場合、古典的ではあるが……力を示せ、と言う流れになる可能性だとて多分にあり得る」

 「そうなった時の保険の為に――」

「龍脈の力と界聖杯の力を用いる」

「……」


616 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:14:51 ZNmiu80I0
「私の懸念の通り、界聖杯が意にそぐわぬ物ならば、ランサー。界聖杯を用いて、君を受肉させる。その後、龍脈を全て君の強化に当て、最後に私は界聖杯の全エネルギーを燃焼させ、ポラリスへの道を開く」

「余に戦え、と言う事か? その、ポラリスめと」

「最強、無敵とは、平生君が口にする所だろう。戦う相手が最後に一つ増えるだけだ、問題ない。真に全てを掌握出来る座に到達出来るのだ、安いとは思わんか」

 最後の最後で他力本願、と来た。
ムシと都合の良すぎる話だったが、ポラリスの話に魅力を感じなかったか、と言えば嘘になる。
これがあれば今度こそ、ベルゼバブは、彼が認める最強の頂を踏破し――一度は余りの美しさに焦がれ、不意打ちでしか討ち取れなかったルシフェルを遥かに超える強さと、
それを生み出した絶対の知性を誇る異端者……、ルシファーが赤子にしか見えぬ知性を一気に獲得出来るのだ。
仮に、彼我の力の差が絶大で、戦う事を避けるべきであったとしても、力だけは願いの形で、ベルゼバブは頂くつもりだ。何て事はない、ポラリスの場所さえ解れば良い。
解ってしまえば、1000年、1万年、いや1億年だとて、ベルゼバブは耐えられる。その間ずっと己を鍛え、今度こそ、ポラリスを抹殺し、天の玉座を我が物とする。時間との付き合いは、得意なのだから。

「……貴様が、自分の理想の同士を誘おうとするのも、その時の為の手駒と言う訳か」

「駒と言う訳ではない。力ある者が私の新世界で生きるべきだと言う思いは本当だ。私の理想に賛同し、界聖杯に不足が見えたのであれば、手を貸す事位は当然の話だろう」

 大和は疑いもなく優秀な男だ。ベルゼバブと言う曲者が、認めるだけの実力も知性もあるし、作戦の立案能力も、考察能力も非常に申し分ない。
そして、手堅いだけの男じゃない。ここぞの場面で博奕に出れる、それこそ、しくじれば大勝ちが死かの二択しかない賭けにすら、大和は打って出れるのだ。
その胆力も、評価の対象である。堅実なだけの人間には、戦いには勝てない。定石しか知らない者は、奇手に寝首を掻かれる。将としての、器だった。

 だが、峰津院大和と言う人物は、根本の部分は理想主義者である。夢想家だ。
そうでなければ、こんな、傍から聞けば実行する事すら憚られるような、大胆を通り越して無謀そのものの作戦を、自信気に語れる筈がない。
大和には、もうこの理想しかないのだ。その理想の為ならば、己が身が砕け散ろうが最早どうでも良いのだ。
次へ進めるか、死ぬか。その二つしかない選択肢で、何千回と正解のそれを選び続けねばならない。大和のやろうとする事は要するにそれだ。
世界を変革する為には、それ程の万難が伴う。それを承知で、大和はその賭けに身を投じたのだ。夢想家と狂人は、およそニアリー・イコールの関係だ。
彼もまた、ベルゼバブと同じで、過去に焦がれる程の何かに心を砕かれ、その夢に邁進しているのだろう。

 ――だから、ベルゼバブを呼べたのだろう。だから彼もまた、あの時大和を殺せなかったのだろうか。

「……貴様の話は分かった。その首は、まだ貴様の胴体と繋げておこう」

 ベルゼバブは、大和を今は生かす事にした。言い換えるなら、彼のプランの船に、また乗ったと言う事だ。

「だが、ポラリスを目指すが前に、先ずは貴様の失点を取り戻せ。話は、それからよ」

「その心算だ」

 大和は此処で、手元からスマートフォンを取り出し、通話を行った。1コールで、その相手は出た。

「菅野を呼べ。仕事を与える」

 其処で、大和は通話を切った。
菅野とは峰津院財閥が抱える、IT部門の天才プログラマー。財閥の屋台骨を支える、若き天才の一人であった。


.


617 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:16:22 ZNmiu80I0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ――その動画は、8月1日の夜の7時。
TV業界の用語で言えばゴールデンタイム。一般的な職業の多くが、業務を終え、帰路に着くか、そもそも自宅に着いていて。
フリーの時間になっているであろうタイミングに、動画配信サイトに、公式のアカウントを通じて配信された。

 アカウントの名は、峰津院大和。
動画を配信する運営からも、これは本物であり、公式のものである、と言うお墨付けを受けた、真新しいアカウントだった。作成日時、本日の夜6:50分。まさに、産まれ立てのアカウントであった。

「国民の皆様方。そして平生、私共峰津院財閥と清い御付き合いをされている方々に置かれましては、私がこのような形で皆様にメッセージを配信致しますのは、ある意味予想外に思われたり、驚愕の念を覚えるかも知れないと、私は思っております」

 その青年は、単刀直入に言って、美青年、と言う言葉がこれ以上となく相応しい若い男子だった。
日本人離れした顔つき、目鼻立ち。鋭く射貫くような瞳と、其処に湛えられた強い意志の煌めき。そして、染めた訳ではない、生来からの物である事が明白な銀色の髪。
何よりもその、其処らの政治屋や経営者では及びもつかないような老成した空気。これからの日本を背負って立つ者とは、彼の事か。
そうと誰もに納得せしめる程の、強いオーラのようなものがあった。そのオーラを、何と呼称するべきなのか、人は知っている。カリスマ、と呼ぶのだ。

 そのカリスマを纏った青年が、己の体格に合わせて作られたと見るべき、オーダーメイドのブラックスーツに身を包み、白一色の空間に直立していた。
目線はカメラの方にしっかりと向けられており、姿勢はまるで崩れていない。スーツもまた、ビシッと言う効果音が今にも立ちそうな程、見事に糊が効いている。
革靴は光を当てれば顔すら映り込もうと言う程にピカピカに磨かれていて、上から下まで、締まりのない弛緩的な要素が見られない。人から好印象を抱かれるには、どういう風にすれば良いのか? それを理解している者の、仕草と服装であった。

「ですが、今国民の皆様方、そして、諸外国の重鎮の方々の不安を払拭する為、私共も、内閣・国会・司法、そして警察、消防、自衛隊の最大限の努力に協力せねばならないと痛切に感じ、こうして動画を配信している次第で御座います」

 音吐朗々。あまりに言葉は滑らかでそして、オーバーな感情を全く乗せていないのにしかし、聞く者に、この人物は反省していると解るよう。
薄っすらと感情を綯交ぜにして言葉を紡ぐその様子からは、一級の政治家や貴族、独裁者でもなし得ぬ、スピーチの妙技が炸裂していた。

「本日夕方に起こりました、新宿における大災害。恐らく皆様の関心事……いや、不安に思われる事は、正しくそれであろうと私は考えております」

 言葉を、更に大和は続ける。

「この災害を、テロだと見做す向きが強い事を、私は存じております。その可能性が高いとも、思っております。この平和な日本に於いて、国家が最も恐れる事はテロリズムであり、この国が他国からそのような攻撃を、終戦から全く受けた事がない事は皆様も承知の通りです。これが永遠に続くのだろうと我々は思っていた事でしょう。それ故に、その永遠が遂に脅かされたと思い、不安を覚え、夜も眠れぬ日々をこれから過ごす事になるのか、と……。心配で仕方がないと御思いになる方がおられても、何も不思議ではありません」

 其処まで言って、大和は沈黙する。時間にして、4秒程。

「情報の刷新の度に、被害に見舞われた方の数が増えて行く今回の大災害。この被害の助長に、我々財閥も関わっている、と言う批判については、私も認める所で御座います」

 はっきりと、大和は認めた。言葉に出してからは、躊躇いの念が全くなかった。

「元来、新宿御苑とは国民の皆様の憩いの場であると同時に、国家機能に著しい影響を与える天災や緊急事態が起こった際の避難場所としての機能も有する土地としての機能も有しております」

 「そして――」

「我々はこれを、スマートフォンの急激な普及に伴う、第5世代移動通信システム……。世間的には『5G』の名で知られる電波の、『地下通信局建設』の地質調査の為に、封鎖しておりました」

 新宿御苑が、峰津院財閥の手によって封鎖されていた事は、多くの都民が知っていた。
だが……その封鎖の目的については、誰にも知られておらず、今初めて知った者の方が、この場合殆どであった。


618 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:16:33 ZNmiu80I0
「勿論このプロジェクトは、熾烈を極める昨今のネットワーク競争について、我が国が諸外国に遅れを取らないよう、と言う国益の為に打ち立てられた側面も御座います」

 ――ですが

「それ以上に、このプロジェクトを主導する事で、我が峰津院財閥が日本国にこれから芽吹く、『Google』や『Apple』等の巨大IT企業に成長するであろうまだ見ぬ原石や卵に、優越・優位しようと言う思惑があった事を、私は否定致しません」

 目を瞑る大和。黙祷にも、似ていた。

「……そのような見果てぬ野望によって、今回の事態の復調を遅れさせてしまった事。そして、被災された皆様方に大変な不便とご迷惑をお掛けしました事を、この場を借りて謝罪させて頂きます」

 深々と、大和は頭を下げた。

「……プロジェクトは撤回いたします。勿論の事封鎖も解きます」

 「そして」、と続ける。

「今回の事態を悪化させてしまった者の責務として、峰津院財閥が抱える医療部門及び、地質調査部門のスタッフを派遣し、緊急の医療キャンプと炊き出しの設営を行いたいと思います」

 「また――」

「私共の用意出来る医療部門の面々では、恐らく全ての課題を処理し切る事は不可能な事が予想されます。我々の力不足を露呈するようで、忸怩たる思いでありますが……この未曽有の国難におかれましては、その様な事を申してはおられません」

 決然たる光を双眸に宿し、大和は言った。

「新宿区内、並びに区外の、公的医療機関ではない、個人が経営されておられます、クリニックや個人診療所の皆様方の御力添えを頂きたく存じます」

 またしても、深々と頭を大和は下げる。
数秒の後、姿勢を元の状態に正すのと同時に、彼の左上にワイプが現れる。
石で出来ていると思しき、まるで、山羊か何かの角を模したような巨大な彫刻物に押し潰された建物の空撮画像が、そのワイプ内に表示されていた。
ワイプ内の画面がアップされる。『皮下医院』、そんな事が掛かれた表札が見えるまで画像は拡大され、其処で止まった。

「このような悲劇に見舞われている医院があると聞き、胸が痛む思いであり……。また、自分の事ですら手一杯であろう先生方に、このような事を頼み込むのは、大変心苦しい思いで一杯です」 

 「それでも」――

「我々に御協力頂ければ、大変ありがたく思います。愚かしいまでに欲深だった、この蒙昧な小僧めに、手助けを頂けるのであれば、これに勝る喜びは御座いません」

 一呼吸置いた後、大和は言い放った。

「被災され、家に帰る事が難しい方。怪我を負われ、搬送される病院がなくお困りの方。……我々のサポートをしていただける、医療関係者の方。新宿御苑にて、御待ちしております。私からは、以上で御座います」

 其処で大和は深々と頭をまた下げて、そこで、シークバーは右端に到達し、動画は終わりを迎えた。
時間にして4分ジャスト。凄まじい勢いで再生回数が増えて行き、休息に浮上したトレンドの正体が、この動画なのであった。


.


619 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:17:05 ZNmiu80I0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ――そして話は、動画を撮影していた時間にまで遡る。

「……よし、以上だ。此処までの範囲で動画を簡単に編集しろ」

 そう大和が言い放った相手は、白いチャイナドレスの上に、峰津院財閥のジャケットを羽織っていると言う、奇特な格好をした女性だった。
菅野史、と言う名前の女性であり、峰津院財閥のIT部門に所属する、若き幹部の一人だ。
若くしてMITを卒業したその経歴を買われ、財閥にヘッドハントされたと言う経歴の持ち主であり、才覚の面では語るまでもない程だった。仕事ぶりも、大変優秀。才能さえあれば、若くとも役職付きになれる。峰津院財閥のこのシステムを、地で行く、麒麟児であった。

「え? 本当にそんな仕事で良いの?」

「何だ、不満か?」

「いや、別に。アタシとしては、当主様直々の及びだったからさ〜? 3日3番徹夜のデスマーチでも命令される事を覚悟してたけど、ただスマホで当主様撮影して動画を編集しろだなんて……。あ、良かったらバーチャルの肉体用意してVの者にしてあげよっか? 女の子の身体で良い?」

「いらん」

 大和は即答する。史の方はノリノリだったらしいが、素気無く断られ、つまらなそうだった。

 先述のように、史は超一流の研究者でもあり、プログラマーでもある。
同時に、峰津院財閥の過酷な労働面を担う人物の一人でもあり、大和の命令で、3日間眠らずにエナジードリンクとゼリータイプの流動食だけで生活、プログラムを組み立てていた事もある。
その様な経験をした事もある史からすれば、大和から御指名があったと聞けば、それはもう労働法に真っ向から反旗を翻すような内容の労働を命令される事を予想していたのだ。

 ところが来て見て命令された事は、ただの動画の撮影と編集である。
今日日のYoutuberですら、高い撮影機材を用いるのに。峰津院財閥なら数十分で、TV局で使うような1個1000万もするような高級カメラを用意出来ると言うのに。
用意した撮影機材はスマホのみ。しかも史が三脚などで固定せず、手で自ら持って撮影している為手振れもしていると来ている。
単価の安い底辺の映像屋がやりそうな、質の低い仕事を、年収にして数千万を容易く稼ぐ史に行わせる。
勿論撮影中、大和が口にしている事をずっと耳にしていた為、意図は解る。要するに、ポイント稼ぎだ。彼がそう言う事に余念がない事も理解している。だがそれなら、道具には拘るべきじゃないかと、思わないでもない。

 ――こんなもので良いだろう……――

 そして史の予想通り、大和の目的はポイント稼ぎであった。
いつかは何かの形で失うロールではあるが、それでも、あると便利な立場である。軽々に失うのは惜しい。
だからこそ、こう言う形で点数を稼ぐ事にした。大和自身が誠意ある謝罪をする事で、ダメージを最小限度に抑え、それどころか、傷つきつつある評判すらも回復させる。
ピンチはチャンスとは良く言うが、大和は窮地を好機に変える術を知っている。それを、身振りと言葉遣いで示したのである。
撮影道具をスマホにしたのは、敢えて立派な撮影器具を揃えないでスマホ1個に限定する事で、この動画を緊急に配信していると言う事実と、急いで動画を配信せねばならない必死さを演出する為と言う魂胆があったからだ。

 ――だが本当の目的は、別にある。
早晩、聖杯戦争の参加者達はこの動画を目の当たりにするだろう。これを見て、何を思う?
峰津院大和は話の解る良い奴だと短絡的に思う者もいよう。恐らく魂胆を察知し警戒する者も出て来るだろう。
目論見は兎も角、事態を収束させる為の努力を惜しまない男だとも思うかもしれない。そう言う思いを参加者に抱かせる事も、目的の一つ。
真の目的は『皮下病院こそが東京を騒がせる青き龍のライダーを御する者』だと他の参加者にも教え込ませる事だった。
気付かないような愚鈍な輩もいるだろうが、キレ者……それこそ、大和らが言う『蜘蛛』ならば確実にピンとくる筈である。
新宿でのカタストロフに於いて、どう見たとて目立っていたのはカイドウ達の方である。単純だ、あの青龍は規格外のサイズを誇る龍体を披露していたし、
あの大災害の前にも存分に暴れまわっていた。訴求力は、絶大。対してベルゼバブの方は、サイズは人間相応である為、遠く離れた上空で戦って居る様子が誰の目にも映っていない。
どちらが、あの状況を齎したのかと問われれば、返って来る


620 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:18:17 ZNmiu80I0
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 ――そして話は、動画を撮影していた時間にまで遡る。

「……よし、以上だ。此処までの範囲で動画を簡単に編集しろ」

 そう大和が言い放った相手は、白いチャイナドレスの上に、峰津院財閥のジャケットを羽織っていると言う、奇特な格好をした女性だった。
菅野史、と言う名前の女性であり、峰津院財閥のIT部門に所属する、若き幹部の一人だ。
若くしてMITを卒業したその経歴を買われ、財閥にヘッドハントされたと言う経歴の持ち主であり、才覚の面では語るまでもない程だった。仕事ぶりも、大変優秀。才能さえあれば、若くとも役職付きになれる。峰津院財閥のこのシステムを、地で行く、麒麟児であった。

「え? 本当にそんな仕事で良いの?」

「何だ、不満か?」

「いや、別に。アタシとしては、当主様直々の及びだったからさ〜? 3日3番徹夜のデスマーチでも命令される事を覚悟してたけど、ただスマホで当主様撮影して動画を編集しろだなんて……。あ、良かったらバーチャルの肉体用意してVの者にしてあげよっか? 女の子の身体で良い?」

「いらん」

 大和は即答する。史の方はノリノリだったらしいが、素気無く断られ、つまらなそうだった。

 先述のように、史は超一流の研究者でもあり、プログラマーでもある。
同時に、峰津院財閥の過酷な労働面を担う人物の一人でもあり、大和の命令で、3日間眠らずにエナジードリンクとゼリータイプの流動食だけで生活、プログラムを組み立てていた事もある。
その様な経験をした事もある史からすれば、大和から御指名があったと聞けば、それはもう労働法に真っ向から反旗を翻すような内容の労働を命令される事を予想していたのだ。

 ところが来て見て命令された事は、ただの動画の撮影と編集である。
今日日のYoutuberですら、高い撮影機材を用いるのに。峰津院財閥なら数十分で、TV局で使うような1個1000万もするような高級カメラを用意出来ると言うのに。
用意した撮影機材はスマホのみ。しかも史が三脚などで固定せず、手で自ら持って撮影している為手振れもしていると来ている。
単価の安い底辺の映像屋がやりそうな、質の低い仕事を、年収にして数千万を容易く稼ぐ史に行わせる。
勿論撮影中、大和が口にしている事をずっと耳にしていた為、意図は解る。要するに、ポイント稼ぎだ。彼がそう言う事に余念がない事も理解している。だがそれなら、道具には拘るべきじゃないかと、思わないでもない。

 ――こんなもので良いだろう……――

 そして史の予想通り、大和の目的はポイント稼ぎであった。
いつかは何かの形で失うロールではあるが、それでも、あると便利な立場である。軽々に失うのは惜しい。
だからこそ、こう言う形で点数を稼ぐ事にした。大和自身が誠意ある謝罪をする事で、ダメージを最小限度に抑え、それどころか、傷つきつつある評判すらも回復させる。
ピンチはチャンスとは良く言うが、大和は窮地を好機に変える術を知っている。それを、身振りと言葉遣いで示したのである。
撮影道具をスマホにしたのは、敢えて立派な撮影器具を揃えないでスマホ1個に限定する事で、この動画を緊急に配信していると言う事実と、急いで動画を配信せねばならない必死さを演出する為と言う魂胆があったからだ。

 ――だが本当の目的は、別にある。
早晩、聖杯戦争の参加者達はこの動画を目の当たりにするだろう。これを見て、何を思う?
峰津院大和は話の解る良い奴だと短絡的に思う者もいよう。恐らく魂胆を察知し警戒する者も出て来るだろう。
目論見は兎も角、事態を収束させる為の努力を惜しまない男だとも思うかもしれない。そう言う思いを参加者に抱かせる事も、目的の一つ。
真の目的は『皮下病院こそが東京を騒がせる青き龍のライダーを御する者』だと他の参加者にも教え込ませる事だった。
気付かないような愚鈍な輩もいるだろうが、キレ者……それこそ、大和らが言う『蜘蛛』ならば確実にピンとくる筈である。
新宿でのカタストロフに於いて、どう見たとて目立っていたのはカイドウ達の方である。単純だ、あの青龍は規格外のサイズを誇る龍体を披露していたし、
あの大災害の前にも存分に暴れまわっていた。訴求力は、絶大。対してベルゼバブの方は、サイズは人間相応である為、遠く離れた上空で戦って居る様子が誰の目にも映っていない。
どちらが、あの状況を齎したのかと問われれば、返って来るのは間違いなくカイドウの方である。畢竟、あの大災害はほぼカイドウのせいであり、彼こそが危険なサーヴァントだと思う、善意の主従も出て来よう。


621 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:18:56 ZNmiu80I0
 その誤認こそが、本当の狙い。
皮下真が悪である、カイドウこそが敵である。そうと口にせず、『解る者には解る編集』をするだけで、そうと誘導させる。これこそが、真の目的。
最小限度の労力で、最大限の威力を発揮する、武力を伴わぬ攻撃(アタック)。これこそが、大和の考える皮下主従の孤立策であった。

「どれ位の時間があれば動画を配信出来そうだ」

「30分ありゃ行ける行ける。皆さまのお目に触れられるお時間には、配信出来そうだね」

「良かろう。先に行ったように、必ず潰された皮下医院の画像は使うようにしろ。私からのオーダーは以上だ。早速取りかかれ」

 言って大和は、撮影の為のスタジオから立ち去ろうと、史の横を通り過ぎ――彼女を背後にする形になってから。
スマートフォンを操作する史が、言葉を言い放ってきた。

「ねぇ、当主様」

「……質問を許可する」

「本当にさ、悲しいって思ってる?」

 撮影した大和の動画を眺める史に対し、大和は振り返らずにこう言った。

「慙愧に堪えんよ」

「……そっか」

 それに対し、嘘でしょ、と尋ねる勇気は、史にはなかった。
後ろで、ドアが開かれ、直ぐに閉じる音が聞こえて来た。「さーてやりますかー」と、グッと背を伸ばしながら、史は言われた事に取り掛かるのであった。



.


622 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:19:07 ZNmiu80I0
【渋谷区・大和邸/一日目・夜】

【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(小)
[令呪]:残り三画
[装備]:宝具・漆黒の棘翅によって作られた武器(現在判明している武器はフェイトレス(長剣)と、ロンゴミニアド(槍)です)
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具
[所持金]:超莫大
[思考・状況]
基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:ひとまず休息を取る
1:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
2:グラスチルドレンと交戦しており、その際に輝村照のアジトの一つを捕捉しています。また、この際に、ライダー(シャーロット・リンリン)の能力の一端にアタリを付けています
3:峰津院財閥に何らかの形でアクションを起こしている存在を認知しています。現状彼らに対する殺意は極めて高いです
4:東京都内に自らの魔術能力を利用した霊的陣地をいくつか所有しています。数、場所については後続の書き手様にお任せします。現在判明している場所は、中央区・築地本願寺です
5:白瀨咲耶、神戸あさひと不審者(プリミホッシー)については後回し。炎上の裏に隠れている人物を優先する。
6:所有する霊地の一つ、新宿御苑の霊地としての機能を破却させました。また、当該霊地内で戦った為か、魔力消費がありません。
7:リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)に同盟を持ちかけました。返答の期限は、今日の0:00までです。
8:光月おでんは次に見えれば必ず殺す。
9:逃がさんぞ、皮下
【備考】
※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。

【ランサー(ベルゼバブ)@グランブルーファンタジ-】
[状態]:極めて不機嫌、疲労(中)、胴体に袈裟の刀傷(再生には時間がかかります)
[装備]:ケイオスマター、バース・オブ・ニューキング
[道具]:タブレット(5台)、スナック菓子付録のレアカード
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:最強になる
0:業腹だが……結局この羽虫(大和)が一番優れているらしい
1:現代の文化に興味を示しています。今はプロテインとエナジードリンクが好きです。また、東京の景色やリムジンにも興味津々です。
2:狡知を弄する者は殺す。
3:青龍(カイドウ)は確実に殺す。次出会えば絶対に殺す。
4:鬼ヶ島内部で見た葉桜のキャリアを見て、何をしようとしているのか概ね予測出来ております
5:あのアーチャー(シュヴィ・ドーラ)……『月』の関係者か?
6:セイバー(継国縁壱)との決着は必ずつける。
7:ポラリス……か。面白い
8:龍脈……利用してやろう
【備考】
※峰津院大和のプライベート用のタブレットを奪いました。
※複数のタブレットで情報収集を行っています。
※大和から送られた、霊地の魔力全てを譲渡された為か、戦闘による魔力消費が帳消しになり、戦闘で失った以上の魔力をチャージしています。

【追加備考】
※龍脈の秘術の要となる方陣を、東京タワー(港区)とスカイツリー(墨田区)に用意しております。大和が儀式を行う事で、凄まじい魔力プール並びに強化ツールとなり得ます
※上述の儀式は徹底して秘匿されており、また現状に於いては大和レベルに術が堪能でなければ逆に発動する事すら難しいかも知れません
※界聖杯について、最後の主従以外の全員を殺さねば願望器として機能出来ない程に、頼りないのではないかと考察しております
※1日目夜7時を目途に、動画配信サイト上に、新宿御苑に医療スタッフと炊き出しの為の地質調査部門のスタッフを派遣する旨と、遠回しに皮下医院が新宿での事件の黒幕である事を示唆する動画を投下しました


623 : 暗雲の中へ ◆zzpohGTsas :2021/12/20(月) 04:20:41 ZNmiu80I0
投下を終了いたします。
今回の話は割と此方の妄想で舞台の世界観を掘り下げた話になってしまった為、企画主様が『これはダメです』と判断した場合、修正ないし撤回をさせて頂きます

また、こちら側の不手際でレス番>>619をミスして投下してしまいましたので、wikiに掲載される場合は此方は無視して頂ければ幸いです


624 : ◆EjiuDHH6qo :2021/12/21(火) 22:43:09 2xbQ6WIk0
延長します


625 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/12/22(水) 23:18:14 1URaR6xE0
延長お願いします


626 : ◆HOMU.DM5Ns :2021/12/25(土) 00:00:03 0rfQPl8w0
死柄木弔&アーチャー
田中一
アルターエゴ(芦屋道満)
紙越空魚&アサシン

予約します


627 : ◆0pIloi6gg. :2021/12/25(土) 23:20:50 5HypKVEI0
>>Epic of Remnant:新宿英霊事変
新宿大戦の勃発を受けて面食らいながらもしっかりとその仔細を推測していくアラフィフのクレバーさがたまんないですね。
盤面が動けば当然同盟の結成などにつながる可能性もあると予期してる辺り、絶対に遅れは取らない男。
そして仲良しサークル感の常に漂う敵連合の絡みが読んでいて楽しい。
何かと犬猿の仲なデンジと弔ですがこうして見ると結構相性良さそうまであるのが面白いですね。しおちゃは今日もかわいい。
あと、アイから見た連合の描写や構成員についての印象なんかも面白かったです。この手のキャラ掘り下げはあればあるほど好きになっちゃいます。

>>暗雲の中へ
主従一組でこれだけの文量を、品質を保った上でお出ししてくるその筆力にただただ脱帽です。
新宿大戦では一応勝者側に分類して良さそうな彼らも、しかしおでん組との交戦など背負った不覚も多いですね。
しかしそれを持ち前の頭脳と権力に飽かして収束させていく手際は流石というべきか。
大和の界聖杯に対する考察については、現状の考察としては特に問題のあるものではなかったと思います。興味深く読ませていただきました。
脱出派に対しての強烈な牽制役にもなってくれそうで今後の彼らにますます期待が出てくる一作でした。

修正依頼ですが、大和の放送の時間軸が少々他の夜間突入組との兼ね合い上不自然になりそうな気がしますので、ある程度時間を遅らせた方が(21:00以降のどこかにしておくのが妥当?)いいかとは思いました。

お二方とも投下ありがとうございました!

また、現在ほとんどの予約で延長申請が行われているのを鑑みまして、予約期間のルールについて一部変更を加えさせていただきます。

旧予約期間:7日+延長申請で更に7日延長可能

新予約期間:延長なしの14日

以上が変更点になりますので、書き手諸氏は確認しておいて貰えると幸いです。
予約期間そのものが長くなったわけではありませんが、延長申請がいらなくなりました。


七草にちか&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
田中摩美々&アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン) 再予約します。
破棄後のインターバルの間で状況も結構動きましたので、投下までにはある程度時間をいただくと思います。


628 : ◆EjiuDHH6qo :2021/12/27(月) 17:32:43 bRJMcL0Q0
間に合いそうにないので予約を破棄します。
キャラ拘束申し訳ありませんでした。


629 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2021/12/29(水) 15:35:50 6CzanrHQ0
予約を破棄します
長期間のキャラ拘束申し訳ありません


630 : ◆EjiuDHH6qo :2022/01/06(木) 23:56:17 arTMIaes0
松坂さとう&キャスター、飛騨しょうこ&アーチャー、さとうの叔母&バーサーカー再予約します


631 : 名無しさん :2022/01/07(金) 23:57:45 mlYm5Y4c0
test


632 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/07(金) 23:58:16 mlYm5Y4c0
投下します


633 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/07(金) 23:59:30 mlYm5Y4c0



 ───豊島区池袋・デトネラット本社ビル社長室。
 

 国内最大手のライフスタイルサポートメーカー会社。ひとつだけでも業界内での約束された名声を手に入れ脚光を浴びる業績を、多方面に展開しその殆どを成功に収めてみせている大企業。
 集積した富が築いた、王者の城と誇示するが如く、区に範囲を絞っても視点が並ぶもののない超高層ビルディングに構えた総本山。その最上階から。

 摩天楼のガラス越しに映る夜景。朝には細かな砂絵にも見える雑踏は、日が落ちる時分になるとその印象を一変させる。
 消えることのない街灯の並び。
 張り巡らされた動脈(サーキット)の中を走行するカーライト。
 延々と燃え続ける人の情熱を焚べて広がる、文明の営み。
 人という種が、永い時間を超えていつか辿り着くべき星の運河。
 果てしなき未来へと繋がる構図の綾紋様が、未だ黎明にいる時代の街で描かれている。

 今は違う。
 今広げられてるのは別の紋様だ。
 紋様には無視できない裂け目がある。陥没、といってしまってもいい。
 日本の繁都たる東京の中心地・新宿区において、夜を知らず点き続けている筈の明かりが、落ちている。一葉の絵画に、巨大な虫食い穴が出来てしまったように。
 穴。そう、孔だ。これは穿たれて出来た街の陥没。底を抜き、そこに向かって削れた部位から砂と崩れ落ちていく蟻地獄。破滅を招く空洞。

 見るがいい。
 不夜の新都には黄昏が落ちた。
 夜が明けようとも上がる事のない終焉の幕が開始された。
 星の終わりへ導く結末の鐘だ。
 安寧と平穏あれと設定された都市の架空と、聖杯戦争という虚構の均衡が崩れた瞬間だ。日常は崩壊し舞台は戦場に移り変わった瞬間だ。
 サーヴァントの戦い。英雄と悪鬼。歴史の浮上、降下する天上の戦いが如何なるものかを、この一戦が知らしめた。
 都市機能停止。
 民間人の計算不能の被害。
 混乱に乗じた人心の荒廃。法の無為化。秩序統制の形骸化。
 これらは戦場には往々にして起こるもの。起こる場所はすなわち戦場である。
 戦場は奪う。命を。心を。尊厳を。ただ、そこにあるというだけのありとあらゆるものを奪い、壊し、簒奪していく。
 
 逃げる事は出来ない。人は全て仮初だから。
 抗う事は出来ない。人は総て無力であるから。

 嗤え。嗤え。
 人の惨憺を嗤え。社会の崩壊を嗤え。世界の無意味さを嗤え。
 界聖杯の住人。彼らは所詮影絵。焚べられる薪であり、燃料。黒く焦げるまで燃やされ、より火を大きく打ち上げるまで灰になる役目。
 唯一本物の生者である証の令呪を持ったマスター以外の偽物の人生の犠牲に、誰が心を痛めるというのか。

 それだけがお前達の意味だ。それだけしかお前達の意味はない。
 それしかないのなら、死ね。死ね。死ぬがいい。
 自分がただ世界観の都合の為に作られた、背景を彩る数合わせだと知ることもなく死に尽くせ。
 それが、お前達に許される唯一の救いだ。


 地獄の様相と無縁の空から、街を俯瞰する視線がある。
 骸の街を俯瞰する視線の名は衝動。
 顔面を自分のものではない人の掌に掴まれた青年。

「……」

 目は、獲物を横取りされて溜まる鬱憤を、いったいどう晴らしてやろうものかと沸々としていた。


634 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:01:15 E9oJvRZ60



 ◆



 電話をかけるのに緊張したのは、いったいいつ以来だろうか。
 惰性で就職したゲーム会社で、入社した初の仕事日に早々に電話番をさせられた時だろうか。
 能動的に電話をかけるような関係は小学校時代から築いていない。ネットオークションで親のクレカから10万抜いたのがバレて全身痣だらけになるまで殴られた日の登校でも、クラスメイトは遠巻きに見るか無言で立ち去るかの二択だった。
 まあ、一過性のブームだった消しゴムの希少性でしか話に混ざれなかった程度の当時の関係性ではそれも当然の反応なわけだが。
 就職後ちょくちょく来ていた同窓会の誘いだってメールか葉書での、「参加の意思があれば連絡を」の一方通行だ。

 無論、俺は出なかった。
 出たところで出世したクラスメイトと対面しても自分の惨めな現状を再認識するだけなのは目に見えてる。
 あの頃から顔なり運動なり性格なりで人気だった奴なら納得もするが、俺と同じで消しゴム自慢するしか称賛される機会のなかった連中まで立派になっているのを見たら、今の俺はどうするか予想がつかない。
 確か時期的に通知が来るのは俺がガチャに沼って課金の歯止めが利かなくなっていた頃だろうから、気づいてすらいなかったかもしれない。
 いや……そもそも、連絡とかするか?
 少なくとも俺だったら、回想で話題に出てくる事もなく、懐かしくなって卒業アルバムの写真を開いても「こんなやついたっけ?」で終わるような、今の連絡先を誰も知らないやつなんかに同窓会の連絡なんかしないね。
 無駄だし、もし仮に来ても空気冷えるだけだろ。

 前置きが長くなったが、ようは俺は、電話応対というものにまったく慣れていない。
 誰かと会話する工程自体が億劫になるのだ。
 どんな気の合うと思った相手にも、事務的に対応するしかない人にも、「俺なんかに話してなんになるの?」という諦観が常に付き纏う。  
 何なら会社の面接もキツかった。あの全身を締め付けられるような圧迫感は今でも嫌になる。
 貴方の特技はなんですか? アピールポイントは? この会社を志望した動機は? 何か一言ありますか? 
 ゲームのオープニングにあるプレイヤーキャラの設定入力欄みたいな定型句。こっちの内面なんて見やしない、履歴書にある卒歴と資格欄、どれだけ会社に従順かにしか興味がない薄っぺらな笑顔の仮面。
 いやまあ、人格やら内面なんか評価にされたら俺みたいなからっぽの人間はどこにも雇ってもらえないから、それはそれで有難い話なんだが。


『問おう、君は何者かね』


 で、そんな対人経験が最低限しかない俺にとって。
 数コールもしないうちにかかった電話から聞こえた声の重圧は、強烈に過ぎた。

 重い。深い。黒くて、熱い。
 足りない頭脳は断片的な単語を自動で抽出してくる。
 
「…………あ、はい。あの。え、えっと、お、お俺は……」

 たった一言。それで俺はすっかり吞まれていた。簡単な応対にすら舌がもたついて上手く話せないでいる。
 格付けは、この時とっくに決まっていたといってもよかった。

 アサシンは悪意を隠蔽し、リンボは悪意を露出する。
 アサシンは、どこかエリートぽい雰囲気を漂わせてるが、殺人鬼という裏の顔を知らなければどこにでもいる普通の会社員としか思えない声だった。
 今も隣にいるリンボは、粘着質で神経を苛立たせる為だけに聞かせているような声だが、惜しげもせず隠しもしない破滅の予感には抗いがたい魅力があった。
 この声は、なんだ。声からして壮年の男らしいが、頭で理解できるのはそこまでだ。何も、わからない。
 ただ漠然と、俺は、踏み込んだんだと思った。
 闇とか。暗黒とか。そういう一度触れたら二度と以前のままではいられない、バカでかい引力みたいなのが発生してる場所に。

『なに、そう気構えなくてもいい。この時間この場面でこの電話に連絡してきた時点で予測はついている。リンボ君の差し金だろう? 彼は今そこにいるのかね?』
「あ……えっと、はい……」

 電話に耳を当てながら横目で後ろに控えるリンボを見やる。通話前と変わらない位置でこちらをにやついた薄目で見つめてやがる。暗がりにいるせいか猫みたいに眼だけが光ってやがる。どういう感情の顔だそれ。

『君の事はリンボ君から聞いていた。あちらから進んで推挙したものではないが、私の方は君に可能性を見出していてね。機あらば取り次いでくれるよう頼んでいたのだよ。
 改めて、ようこそ『敵(ヴィラン)連合』の加盟希望者よ。私の事はM、と呼んでくれたまえ。我らがリーダーのサーヴァント、連合の頭脳担当さ』


635 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:01:44 E9oJvRZ60

 敵(ヴィラン)同盟、というのが、こいつらのチーム名らしい。
 リンボから聞かせられてはいたが、ありきたりというか、あからさまというか、包み隠さず言ってしまえば、ダサい名前だ。
 それこそゲームに出てくる、主人公と敵対して負けるべく登場した、分かりやすい悪の組織。
 決まった負け組の通称みたいなのを名乗るなんて、大丈夫なのかここ? 既に俺は不安だった。
 かといって話を蹴っても他に行く宛などない、俺はこの陣営に身を寄せるしかないのだ。

『基本来るものは拒まずが我々のスタンスだが、声のやり取りだけでは限界があろう。まずは私のマスターとお目通り願おう。
 現在この陣営の今後の趨勢を左右する課題(クエスト)選択の真っ最中でね。まさに猫の手も借りたい状況で、君の加入は渡りに船というやつだ。
 なに、サーヴァントの能力や戦術、全て詳らかにしろとは言わないさ。概略と方針だけでも教えてくれれば───』
「───あ」

 なんだか分からんうちに個人面談の流れになっていたのを、間抜けた俺の声が不躾にせき止める。聞き覚えのある嫌な単語が聞こえたから遮ったわけではない。
 まず真っ先に伝えなくちゃいけない事があるのを、思い出したのだ。和やかに面接なんてしてる場合じゃない。生死がかかった緊急の。 

『何か、疑問点でも?』
「すいません。その……今いません。俺のサーヴァント。ていうか、追われてます」
『ほう?』

 馬鹿か俺は。説明が下手すぎるだろ。
 それじゃまるで、俺が自分のサーヴァントに裏切られた間抜けみたいに聞こえるじゃないか。
 間違えるな。裏切ったのは俺が先だ。俺が使えないアサシンを見切ったんだ。断じてその逆じゃない。

「いや、違う! 違、います……! 契約はしてるんだけど、そいつと俺、合わなくてさ。
 女の手を切り取って保存するしか能がない変態野郎のアサシンで、俺のやりたいことみんなケチつけて、こっちの話なんか理解しようとする素振りすら見せやしねえんだ。大した事もできねえくせに好き勝手してよぉ……!」

 ここらが瀬戸際だ。もう必死になってアサシンがどれだけ無能なのかを、酒の席での愚痴めいて捲し立てる。
 これが面接なら自分の能力をアピールする方に時間を使うのが正しいのだろうが、そんな余裕は持てていなかった。

「それにさ、俺はアサシンの計画を知ってるんだ。フォーリナーのマスター、仁科鳥子っていって左手が透明な女なんだけど、そいつと組んでリンボを倒すつもりだ。聞いてるだろ? 地獄界、なんとかってやつ。
 それを聞いたアサシンは邪魔になるからぶち壊すって言って、それでフォーリナーのガキとマスターを殺すでもなく逆にリンボを殺すとか言い出したから、もう限界になってさ、捨てる事にしたんだ」

 ダメ押しに、とっておきの情報を送る。
 リンボ襲撃の件は、俺以外には絶対に知らない情報だ。自分の正体を晒すのを何より嫌うアサシンが協力者以外に口外してるはずがない。
 俺があの親子を裏切ったからこそ、この情報をリンボに先んじて伝えられた。どんな経緯であれ連中を出し抜いてやったのだ。
 この時点で俺は痛快な気分で、頭の中で快楽の波が収まらなかった。

『つまり自分のサーヴァントに不満があるから手を切りたいと。しかし生憎こちらに空きの枠はない。英霊の後ろ楯なしにこの先の新宿を戦おうというのかね?』
「リンボがいる。あいつのマスターが消えたら、変わりに俺と契約するんだ。そう、約束してくれたんだ……」

 伝えた価値を分かってるのか分かってないのか、Mは淡々と質疑応答を続ける。


636 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:02:21 E9oJvRZ60

『そのアサシンは、君の裏切りに気づいているかね?』
「……たぶん。狙った相手をどこまでも追いかけられるスキルを持ってたって言ってた、気がする」

 事務仕事ばった確認作業に、段々と焦れてくる。
 こうしてる間にも、アサシンが後ろに回ってるのかもしれないんだ。
 あの殺人鬼。どんなにコケにしていても、一度『脅し』で覚えこまされた恐怖は簡単には抜けきらない。
 虫でも潰すような感覚で伝えた殺意。非日常の極みにある殺人を、ルーチンワーク程度としか捉えていない異常さ。
 思い出すだけで、夏なのに歯の根が合わなくなる悪寒が背筋を這い上がりそうになる。
 
 クソ、なんだよ。なんでこんなビビってんだよ。
 俺はもうお前を裏切ったんだぞ。なんで後になって暗殺者みたいな真似してくんだよ。
 こっちにはまだ令呪があるんだ。いつでも殺せる、どんな風にも辱められる。怖がる理由なんて何処にもないんだ。
 ああ、でも、それって向こうにとって俺はもう『始末する対象』でしかないのであって。
 今度は脅しなんか挟まない、本物の『爆弾』が爆発する。
 俺のスマホか。財布か、それとも───俺自身がもう、すでに──────。


『────安心したまえよ、君』


 桶に張った水に浮かぶボウフラみたいに沈んでいた、ちっぽけな俺の意識を、黒い指(こえ)が拾い上げる。

「整理すると。君の望む状況は契約しているアサシンの報復から逃れ、排除し、アルターエゴ・リンボのマスターが消えた後に再契約に持ち込み、彼の地獄界曼荼羅を見たい。それで正しいかね?」
「あ……ああ。いえ……はい」
 
 こうして並べ立てると、ずいぶん無茶な要求をしてるものだと思う。流石にそれくらいの自覚はある。

「受領した。ではその指針で経路(チャート)を組もう。やはり君には光るものがある。この局面で機運を掴んでいる」
「……え」

 アッサリと。
 俺の要求は通った。
 色よい返事が聞けるまで何度も、どれだけ無様な真似をしようとも縋りつくつもりいたのに。
 やった。助かった。勝ち馬に乗れた。そう喜んでいいはずなのに、空ぶった覚悟が宙に浮いたままで上手く表現できていない。
 あとさっきもそうだったけど、気にしてしまう事があった。

「……あんた、なんで、そんなのが分かるんだよ。俺は今初めてあんたと話したんだぞ……?」

 初対面の相手に、可能性だとか、光るものがあるとか。
 いったいどこの安いセールスマンの押し売り文句なのか。アイドルの「みんな大好き!」並に信用ならない言葉だ。
 適当におべっかを使えばこっちが調子に乗ってくれると思ってるのだろうか。
 あのリンボが、俺の印象が良くなるよう有能なプレゼントをしてくれたとは、どうしても思えない。
 唯一の同類、同じ理想を夢見てる仲間ともいえるリンボだが、現段階では契約してないマスターとサーヴァントの関係でしかない。

 虚ろだった俺の脳の隙間から、ムクムクと何かが肥大化していく。
 孤立無援の中、唯一の寄る辺だった先に、体のいいカモだと見做されてる事への憤慨か。
 それともそんな───人生で数えるほどあったかも分からない安い褒め言葉程度で、自己肯定感が満たされているからなのか。


637 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:03:21 E9oJvRZ60


「決まっている。君が凡人だからだ」


 爽快なまでに、Mは俺という人間の評価をバッサリと切り捨てた。

「君は平凡で、凡庸で、取り立てて秀でた点のない一般人だ。人生を前向きに生きていける自信を得るだけの成功体験がない、あるいは得る寸前で失敗している。それすら劇的な出来事ではなく、ありふれた失墜でしかない。
 自分のツキのなさを誰よりも理解しており、だからこそちっぽけな拘りに没頭してしまう。自分だけの証を立てたいと願ってるが、その能力も、機会も、自発的に掴む意欲を湧かせる事もない。
 それが君という個人の性質───変える事のできない宿命だ」

 それは、まるで履歴書でも読み上げるような淡々とした語り口だった。
 声の重厚さは変わらないのに、聞いている俺の耳は無機質な機械音声で流されるスピーカーとした捉えられない。人間味が、ない。
 告げられたのは、田中一という人間の足跡を辿る、藁半紙一枚で足りるぐらいのぺらぺらの経歴書。
 誰にも打ち明けていない恥部、惨めな汚点まで記されたそれは、裁判官が犯罪者に罪状を告げるのに近いのかもしれない。
 地獄の王であり管理者である閻魔大王には、死んだ人間の犯した罪が全て記された手帳があるという。
 そんな逸話を、ふと思い出した。 

「だが君は、それを変えたいと強く強く願っている。人生の成功? 真の自分を見出す? そんな段階はとうに越してる。
 変える、とは違う。もっと不可逆で、後戻りの利かない変化を齎したくてたまらない」

 制止の声を上げたかった。
 やめろと、それ以上言うなと、張り裂けんばかりに叫びたかった。
 赤の他人に恥部を曝け出されるのが情けなくて耐えられないからじゃない。
 それを言われたら、こんなにもハッキリと断言されたら──────俺はもう、その声を信じるしか、なくまっちまうから。

 けれどカラカラに乾いた喉からは呻き声ひとつ出てこない。
 舌は完全に引っ込んで、電話から零れる雑音一つ聞き逃すまいと、今か今かと待ち構えている。
 神の声を聴く信徒ってのは、こんな気持ちなのだろうか。自分より遥かに上に立つ存在から、自分の全てを決められる安心と、全てを奪われる恐怖を抱えて、手を握って蹲ってるのか。
 だったら、祈りは何のためにある? 助けて欲しいのか、それとも助けないで欲しいのか?

 少なくとも、俺は神ってやつを信じてる。
 そいつはとんでもねえクソゲーのプログラマーで、ひとりひとりに別々のクソゲーを強制させるクソ野郎だって。


『君が渇望するものは───世界の破壊だ』


 ──────────────────天から突き付けられた銃口に、頭蓋が震えた。


『己を不遇に追いやった隣人・社会・政治・国家・創造主に復讐を、などという御大層な野望は板いてない。
 望むのは混沌。社会という集団秩序内での価値観が切り替わる一瞬の閃光を見る事が君の願いだ。
 復讐には非ず。信念、計画とも異なる。秩序の崩壊。ヒエラルキーの逆転。いうなれば───』
「『革命』」

 気づかないうちに、そう言っていた。
 この言葉だけは誰にも取らせたくない。そんななけなしのプライドだった。


638 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:04:02 E9oJvRZ60


『そうだね。革命。その名が最も似つかわしい。秩序を壊すものはつてに狂気である。どれだけ非力であろうとも、今の君はそれを有する。我々の仲間に加わる資格は十二分にあると見た』
「仲間……あんた、他にも誰かと組んでるのか」
『如何にも。それなりに大勢』
「どうせ最後には潰し合うのに?」
『皆、それは理解してる。だからこそこうして寄り合うのさ。正道から逸れた悪が社会に潰されぬよう。更なる巨悪に喰われぬよう』

 ようは、ソシャゲのレイド戦みたいなもんか。単騎じゃ勝てない設定のボスを、プレイヤーで協力して撃破する。
 ボスエネミーは、新宿で派手に暴れたどいつかだろう。確かにあんな破壊を起こすチート、数で寄ってたかって潰す以外に勝ち筋は見えない。
 そういうシステムは、実はあまり好きじゃない。ゲームは日常との切断、好きな時に好きなだけ一人で遊ぶものだと思ってる俺には、他のプレイヤーと交流して攻略するのは気が進まないのだ。

 俺の嫌気を悟ったのか、声はすかさず助け舟を出してきた。

『なに、団体行動を嫌うというなら、それに見合った役職を与えよう。組む事自体が受け付けないというのなら、残念だが君とはここまでだ。
 だが私は君の狂気を買っているし、手放したくはないとも思ってると告白しよう』
「で? 利用した後はゴミみたいに捨てるのかよ」
『そのような結末も場合によってはあり得る、とだけは言っておこう。だが蹴落とし合える関係に絞れば我々は限りなく対等だ。君の衝動が私の計算を上回れるようならば───分からんぞ?』
 
 そこで言葉を切って、反応が止まる。ここが最後通牒だろう。電話越しでもそんな雰囲気がした。
 俺が乗るか、反るか。それだけの、だがまぎれもない一大決心。
 アサシンを切り捨てて頼るものがない以上選択の余地なんてないが、麻痺した頭でも、これが只俺にだけ都合がいい契約なわけがないぐらいは理解してる。
 電話の相手、Mはまあ、頭がいいんだろう。こういう手合いは、口にしている以上に裏で色々考えてる。
 俺なんかの手助けは本当に必要なのかも怪しい。あと仲間も大勢いるらしい。
 その中に俺が加わって、特別待遇を良くしてくれるなんてあるだろうか?

 アサシンも、リンボも、きっと俺の事をナメている。
 お前に何ができるんだと、内心でせせら笑っていやがる。
 ああ事実だ。その通りだよ。何も返せない。
 まだ顔も知れないMだって、見えないところで馬鹿にしてるんだろうさ。

 でも───いただろうか?
 ここまで俺を理解して、俺の言葉に耳を傾ける、対等に話してくれるような相手が。聖杯どころか、この24の人生のうち一人でも?

 俺を利用するつもりでいる。価値がなくなるまで使い倒す。
 でも、それって別に悪いコトか? 
 つまりさ、俺を最大限利用するまでは、好きにやらしてくれるってコトじゃないか?
 束縛し続けるアサシンに飼い殺されるよりも、そいつはよっぽど芽がある状況じゃないか。
 何よりこいつは……リンボの計画を、邪魔する気はない。
 そうでなきゃ取り次ぎをする関係になんてなれるわけがない。
 俺の『田中革命』が、阻止されることだって、ない。

 き、き、き、と。
 喉から笑い声が漏れた。
 砥の悪いナイフが擦れあうような音。革命の火蓋を切る聖剣が抜かれる音。

「ああ……いいぜ。組むよ、あんたたちと」

 今度は、緊張も吃音もなかった。
 こんなにも堂々と何かを宣言できたのは初めての経験かもしれない。妙に晴れやかだ。

『では改めて問おう───君は何者かね』

 狂気を吐き出した口で、俺は答える。


「……田中一。ゲーム会社員。契約したサーヴァントはアサシン。
 志望動機は、革命です」


 そうして、面談は終わった。
 まがりなりにも競争相手と交渉をやれているという実感が、脳髄から口腔に至るまで充満する。
 根拠のない自信が、際限なく積み重なっていく。
 自分が落ちる転機になったあの日。親父のクレジットカードの番号を盗み見て、スーパーハッカーになれたと空想していた時と、それは同じ興奮だった。


639 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:05:14 E9oJvRZ60



 ◆



「……ああ、ではそのように、禅院君。吉報を期待するよ」

 通信が切れたのを確かめて、端末をデスクに置く。
 二度目の交渉を危なげなく済ませ、モリアーティは図面を更新させた。
 悪の枢軸の思考回路は数学的公式が行き交う小宇宙を構築している。逐一入力される新たな数値で綴られる数式が移す図は一時たりとも形を止めず変化し続ける。
 今回加えた数値は、この小一時間の内では大きな変動をもたらした。

 四ツ橋名義で依頼していた時期を含めれば連合内でも古参に入るエージェントである禅院。
 数々の依頼をそつなくこなす働きぶりは、課題(クエスト)という大規模活動を念頭に置いている連合にあって軽快な動きで運営を回してくれている。
 デトラネット本社内に招いて他メンバーの顔合わせをしてもいい頃合いにも関わらずそうしないのは、激化する水面下の諜報戦でも先陣を切ってもらいたいからだ。
 新宿の破壊然り、NPCの枠を超えない人間から得られる情報の鮮度は目減りしていく一方になる。
 禅院にはこれまで以上の情報の融通を約束する代わりに、NPCでは届かない困難な調査を依頼する形で契約を更新したところだ。

 このまま使い走りの役目に甘んじる禅院ではない。
 確度の高い情報を回すようになり、連合メンバーの認知してないモリアーティの懐刀のポジションを帯びてくる禅院が最終的に狙うのは、懐のモリアーティの寝首に他ならない。
 道聖杯戦争の同盟関係は決裂前提、裏切り上等、薄氷の上に立てられた砂上の楼閣だ。
 重視するのは信用より信頼、相性より実績。疑わしくとも有能で、このタイミングまでなら利用価値があるから裏切らないと安心して内実を曝け出せる距離感が望ましい。
 その点で論じるなら、先の新規加入の田中某の利用価値は───さて。

「さて、では行動に移るとしよう。時は金なり、なんでか居場所が不明になったレディ松坂を捜索してる間に新たなメンバーを迎え入れるわけだが、マスター」
「あ”」

 顔面に張り付いた手。後頭部を掴む手。
 肩に、腕に、己を縛り付ける鎖のように雁字搦めにされた手こそは、彼の戦装束。
 死柄木弔。田中一を受け入れる用意をしていたモリアーティのマスターは、苛立っていた。

 さにあらん。ようやっと見せられると意気込んでいた派手なパフォーマンスが、直前になって中止にさせられたのだ。虫の居所の悪さが目に見えて渦巻いてる。

 崩れ落ちるビルディング。陥没する道路。恐怖し恐慌し逃げ惑う市民達。
 いずれも、死柄木の手で起こして見せたかった社会の混沌だった。 
 秩序や正論でならされたスポンジをミキサーで泡にする感覚。自分の手でやってみせたくあったのに。
 こんな、自分と一切関わらない場所で披露されていいものでは、ない。


「……また加えるのはいいけどよ。クエストだのなんだの、あっさりと他のイベントに先越されてばっかだよな」
「うむ、済まない。まさかこれほど早く大っぴらに暴れるとは思わなかった。
 神秘の隠匿やら事後処理の事を考えなくて済むという環境は、考えてみればああいった暴れん坊向きの環境だ」

 新宿の争乱の影響は大きい。
 ここまで聖杯戦争という現象が実社会に周知される事態は今までなかった。
 謀略暗躍が戦術の常であり、サーヴァント同士の戦闘になっても余波をなるべく出さず、痕跡を残さない形で済ましていた。
 何故なら、まだ序盤であるから。
 敵がどれだけいるかの洗い出しも、自陣の戦力がどこまでの位置にいるかの計算も、何も進んではいなかった。
 どの主従も考えていた。今はまだ様子見をする段階であると。

 知ったことか。
 堅実も安牌も知ったことでない。考慮しない。
 敵がどれだけ待ち構えてても、滅ぼせばいい。敵がどれだけ強くても、己がそれより強ければいい。
 隠れ潜む機を窺うだけの鼠など眼中にない。罅割れて漏れた我意のみ。溢れ出た傲岸がもたらした結果がこれだった。
 いずれにせよ、秘して為すべしという聖杯戦争の暗黙の了解は、これで完全に破られた。


640 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:06:24 E9oJvRZ60

「連中、潰しあったのか」
「まさか。これで落ちる駒ならわざわざ課題にしたりしないとも。
 予測するに、アレは余波だ。少なくとも不本意な結果ではあったはずだ。
 最初は当人達も、戦う場所を選んでいただろう。横やりが入っても迎え撃つ自信はあったが、あえて誘い出す意図ではない。
 互いの力の衝突、魔力の摩擦が、たまさか逸れる形で暴発してしまい、ああいう結果を生んでしまった」
「余波でアレかよ。界聖杯はキャラの公平性ってもんをまるで考えちゃいないクソゲーらしい」

 本来のサーヴァント戦。英霊と英霊による、人知を超えた真剣の殺し合い。
 死柄木は未だ、それを直に体感してはいない。
 伝聞で、小競り合いで、脅威のほどを知る機会は多く、サーヴァントなる未知の存在が強大無比なる『力』であるとは理解していた。
 あくまで、己の延長線上に立つものとして。
 『個性』を磨き、体を鍛え、ヒーローでもヴィランでも、とにかく信条の立ち位置をはっきりさせる一念を持ったのが英雄だと。

 比較にすらならない。
 あれは延長ではなく彼岸だ。跳び越えられる枠を完全に逸脱した溝の向こう岸に立つ存在だ。
 登り詰めるのを諦観させる断崖絶壁だ。
 己の師、その宿敵と何ら遜色のない、つまり希望/絶望の担い手。
 ヒーローぶった客商売では絶対になれない、ヒーロー殺し・ステインが見据えていた本物の英雄の力だと、今になって至った。

「場打てしたかね」
「するか、殺すぞ」

 愚問を聞くな。駄法螺を吠えるな。
 敵わぬ相手を、勝てぬ敵を、乗り越えられぬ壁を、だから壊すと。
 他人に任せて崩れていく世界を歯ぎしりして咥えるための指じゃない。
 そのために、この手はあるんだろうが。



 「佳い答えだ。しかしマスターよ……本当にそちらでいいのかね?」

 らしくもない、躊躇した物言いだった。
 蜘蛛の智慧で纏った威厳が少し萎びている。それでも言わずにはいられないと。

「二番煎じじゃ誰も見向きもしねえだろ。コソコソせこい悪事したところでさ」
「いやそうだがね。それにしたってそうも性急に決めることでもないだろう? あれは転換期ではあるがあらゆる状勢を覆すわけでも……」
「アンタが考えてること当ててやろうか、教授」

 記憶に違いがない限り。
 死柄木がモリアーティをその名で呼んだのはこれが初めてだったはずだ。
 表向きの職業を呼んだ死柄木は、覆われた掌の上からでも分かるほど、凄絶に歪んだ笑みをして。

「『時間かけて決めなきゃちゃんと考えたことにならない』って、そう思ってるだろ」
「……」
「頭のいいやつって、そうだよな。熟慮は短慮に勝ると決めてかかってやがる」


641 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:09:02 E9oJvRZ60


 ───背中から昇る火が揺らめいてる。
 
「火事場泥棒なんざ今更誰も目を向けやしねえ。ショボい悪事なんざもうここじゃ日常茶飯事になる」

それは猛りと呼称される火。
 朝に目覚めても夜に寝入っても消える時のなかった埋火が、隣で燃え広がる猛火の煽りを受けて、導火線の先端に着火する前触れ。

「いいから空欄に俺をブチ込めよ。手があるんだろ? だったら出し惜しみすんな。
 俺にはあるんだ。伸ばして、触れて、壊してやりたい連中が、あそこに山程いる。
 公式も○Xもねえ答えってやつを、解答欄に手形でつけてやるからよ」

 解き放たれようとしていた。始原の殺意。
 靄が晴れようとしていた。記憶の根源。  

 新宿の廃都化のほんの僅かな時間に、燻り続けたマスターの衝動が膨張し、今にもデトネラット本社ビルに波及せんとしていた。
 一度として、戦いらしい戦いをさせず押さえ続けてきた予選期間。それは戦略以外にも作用をもたらすと踏んだアーチャーの策だ。
 解放のカタルシスは力んだ時間に比例する。溜めに溜めた抑圧(ストレス)は彼の精神と反発し、彼の虚奥をこじ開ける一助になると。  

 しかしまさか、ここまで火付きが早く強い勢いをもたらすとは。
 犯罪界の皇帝は見誤っていた。
 侮っていたつもりはない。マスターに眠る可能性の最大限を期待している。開花のための手入れを欠かさず、花を見せる瞬間を待ち望みにしていた。
 ああ、だが、それでも、上回っていたと言わざるを得ない。
 超級のサーヴァントの戦いの余波は確かに死柄木に影響を与えていた。爆弾が自ら起爆のスイッチを切る、炸裂の瞬間のカウントダウンが始まった形で!
 
 ああ───若いとは、これだから。

「いいとも。ああ、いいとも。その殺意。指向性が定められた暴発寸前の破壊衝動。
 かつての私には持ち得ず理解できなかった原始の"叫び"を信頼し、私も自らをBetするとしよう」

 計画更新。誤差修正。
 失敗の負債は増し、成功の成果はより増している
 ならばよしだ。観念とも、腹を括ったとも。
 この乗りの速度を止める方が、かえって不利益を被る。

「課題(クエスト)選択承認。『"割れた子供達(グラス・チルドレン)"殲滅作戦』を───これより遂行しよう。
 君はその殺意を蒸留させておきたまえ。解放の刹那まで。たとえ仲間が意に反していても頷かせるのも首魁の器だよ。
 その時が早まるよう、私も切り札を切るとしよう」
「ああ。寒いポエムキメながら、何回切り札があるって言うか数えながら待っててやるよ」
「フフフ、策士キャラには『こんなこともあろうかと』をちりばめておくのが必須なのだよマスター君。
 それに今度のは凄いぞ? なにせ死ぬかもしれないからネ、私が」
「あ”?」


「悪は善を喰らうが、正義に倒されるものだ。君は知っているねマスター?
 敵(ヴィラン)は、“どうせ倒されるもの“。その絶対の構図。かつて私はその逆転に挑んだ事がある。三千年の試行をかけて。
 試み自体は、まあ最終的にはまさかの善堕ちで失敗してしまったんだが、それで得た教訓や、知見もある」


「正義と悪は互いを滅ぼし合うしかないが、善と悪なら、意外と手を取る余地があるものだ」


642 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:09:47 E9oJvRZ60



 ◆


 私は、何をしているんだろうな。


 予選期間中、突然異世界に連れてこられてサーヴァントを召喚してからの約1ヶ月、私がしてきた事に特筆すべきものはない。一切。まるっきり。
 なにせその頃の私は第一に生存優先、第二思考はなし、意欲なし、考えなしのないない尽くし。
 鳥子という最大のモチベーションを欠いていた私は、なるべくこの事態に関わらず適当にやり過ごす事に終始していた。

 した事といえばせいぜい、アサシンに頼んで拳銃を手に入れてもらったぐらい。一般人にできる最低限の自衛行動だ。取り立てるものじゃない。そ
 りゃあむざむざ死にたくはないし、現実逃避して引きこもってれば何もかも解決するなんてお気楽な考えはもっちゃいない。
 危機的状況に体なり頭なりを働かせなくちゃあっという間に沼に落ちて、逃げられなくなるのを理解してる程度には経験がある。
 何より最大事項として、鳥子のいない場所で死ぬなんて死んでもごめんだ。

 じゃあ何で本気で挑まなかったといえば。それもやはり、鳥子のいない場所では頑張りがいがないというか。
 私はサイコパスじゃない。喜び勇んで人間狩りに勤しむ変態でもなければ、仕方ないからで人を殺して何も感じないほど乾いた仕事人じゃない。
 巻き込まれた境遇の人には気の毒だと思うけど、進んで蹴落とすのは躊躇するけど、見ず知らずの他人の死を鳥子(わがこと)のように悲嘆できるような人情家ではないのだ。
 我が身を省みず手を伸ばせる……話に聞く櫻木真乃みたいな人間は尊いし、立派だと思ってるけど、だからといって倣う必要はないじゃん。
 なので私はこの案件についてなるべくドライでいるよう努めていた。間違いだとは今でも思わない。最善手のベストといえずともベターな手をとれたと疑わない。



 私は、何をしていたんだよ。
 これは疑問じゃない。
 思考放棄していた自分自身の馬鹿さ加減への、後悔と怒りだ。

 あんなにも鳥子の事を思い、鳥子も私を思ってると自負するくらいなら、鳥子と私が離ればなれになる事態を何より恐れるのなら。
 此処に鳥子も一緒にいる可能性を、真っ先に潰していくべきだったのに。



「──────────────────は?」

 空白を、そこで感じた。
 一瞬で詰め込まれたデータの質量が異常過ぎてキャパオーバーし、頭が真っ白になって出力も入力もバグった結果、意味のない雑音が勝手に出てきた。

 結局、『鳥子を捜す』という依頼を承諾させられないまま部屋に取り残され、暫く出ると言った割に二時間くらいで戻ってきたアサシンから伝えられた『上書きの依頼』。

『星野アイがアサシンの取引先の元締めと直接関係を結んだ』

 この時点で軽く処理が追い付かなくなる展開だった。
 昨今のアイドルのフットワークはそこまで軽いのか。尻が軽いとか、そういう品のない方面のスラングを使いたくなってしまう。
 接触してきたのは協力者の側からとの事だが問題はそこじゃない。これがアイと付き合ってく関係でこっち側のアドヴァンテージだった情報面で追いつかれてしまった。
 元締めとやらは私とアイとの微妙なバランス関係について上手く折衝してくれるとはアサシンの弁だが、一度過失をやらかした疑念はどうしたって絡みつく。
 当事者でありながら蚊帳の外で執り行われた話だが、今後の状況で憂慮すべき事態なのは理解できている。

 
 でも、さ。
 それどころじゃないだろ。これは。
 報告の前半部分については、正直言って、ろくに考えてない。
 正しく言えば、考えてる途中で完全に停止して吹き飛んだ。
 残り半分の報告。それを聞いたその瞬間こそが、私の脳内を空白で占めた。
 いろいろ枝葉がついていたが、要約するとこのようなものだ。


643 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:10:14 E9oJvRZ60





『仁科鳥子とそのサーヴァントを補足。及び仁科鳥子への殺害も含む危害を加えようとする陣営を察知した』




 は?

 いや。

 は?


 脳機能が復旧した今になっても、何度聞いたって、返せる言葉はその文字しか見当たらない。
 鳥子が見つかって、しかもマスターで、その上命を狙われてる? は?  

 アイとの関係も、櫻木真乃をどうにか経由できいないかをかっ飛ばしていきなりの事実判明。凶事発覚。
 今までは、鳥子が何処にいるか。いたとしてそれはNPCなのかマスターなのか。そうした見極めの段階で足を踏んでいたのに、どうして殺すなんて話になってるんだ。
 
「先方は、仁科鳥子を殺す事でそいつのサーヴァントを覚醒させ、バカげた真似を仕出かそうとするバカがいるとさ」

 完全無欠のバカかそいつ???

 世界を覆す可能性を秘めたサーヴァント。
 それを利用して界聖杯に地獄……なんだか口にしただけで脳細胞が死滅しそうなぐらい頭の悪い名称の、とにかく酸鼻な光景を作ろうとしてる何某か。
 前後に理由を付け足されたところで言えるのはひとつだけだ。聖杯戦争でやる意味あるのかそれ?
 
「今すぐ殺せとか、どうこうする具体的な話があったわけじゃねえ。
 俺が受けたのはこれまで通り283プロへの探り。ただしそのものよりは横に繋がってる陣営との関係の紐づけだけ。
 仁科鳥子とそのサーヴァント、フォーリナー、『アビゲイル・ウィリアムズ』を巡る対処については、星野アイを抱き込んだ件を突っついたついでだ」 
「……え?」
 
 トップスピードでぶち込まれた鳥子関連の情報の処理がようやく追いついて、暴走していた熱も急速にクールダウンされていく。
 そうやって思考が平常に回り出した頃になって、今聞いた話の内容のおかしさに気づいた。
 アサシンは何と言った?
 鳥子の情報を、自発的に収集したと、そういう言い方をしなかったか?

「なに呆けてる。仁科鳥子について調べろとオーダーをくれたのはそっちだろ」

 ……いいや、落ち着け。よく考えろ。
 ここにきて情に絆された、私の意を汲んでやったなんて心変わりを期待するのは話が上手いどころじゃない。
 仕事人のスタンスを崩さず、感情面の一線を決して越えなかったアサシンが依頼を果たしたのなら、そこには確かな目的がある。
 それが私にどう作用するかまでを含めて。

「……それだけで終わりじゃないですよね? あれだけ私に調べられるのを釘差してたんですから」
「別に、お前に伏せた上で仁科鳥子の件について片付けてもよかった。背後に忍び込んでバッサリってな」

 素面で空恐ろしい発想をしないで欲しい。本当にやりそうなんだから。

「だが俺は包み隠さずに全てを開示した。───この意味、分かるな?」

 星野アイが同盟内にいるんなら、そこ経由でいずれ私と鳥子の関係性もバレる。隠し通せる段階じゃない。
 ───……そういう理由じゃ、ないんだろうな。
 ああ、くそ。分かってしまう。理由なんて、最初からそれしかない。


644 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:11:55 E9oJvRZ60

「こいつは『縛り』だ。俺が、星野アイが、連中が、お前をいいように操れる『縛り』。
 今後どう動こうが、『仁科鳥子が明確にターゲットにされてる』事実に動きが縫い付けられる」

 私がさんざ言っていた。
 私が何度も力説していた。
 鳥子は必ず私に付く。絶対に協力できる。
 戦略的なメリットを差し引いた、個人的な感情論にまで訴えてしまった。

 遠からず知る事になるだろう星野アイにとって、以後私と接触してくる全ての陣営にとって。
 もう仁科鳥子は『紙越空魚と組めばもれなくついてくる、味方になるマスター』じゃない。
 『紙越空魚からの行動を制限し、情報を残らず搾り取れる人質』だ。

 『紙越空魚にとって仁科鳥子がどれぐらい重大な存在か』を触れて回った結果が───これだ。

 なあ、紙越空魚(おまえ)─────────今まで何してたんだ?

「そしてこの『縛り』は、お前が仁科鳥子を諦めればあっさり破棄できる程度の契約だ」

 自罰が突き刺さって膝をついてる私に、アサシンが解決法を持ちかける。
 当然こんなのは解決になったりしない。伸びすぎて腐った枝葉を切除して木の寿命を延ばす剪定だ。そして鳥子は腐ってなんかいない。 
 仮に腐ってるとしたらそれは私の方で、鳥子がそこに巻き取られてしまってる形なだけだ。

「仁科鳥子はおまえにとってもう呪いになってる。ここで潔く、綺麗さっぱり祓っとけ」

 これがアサシンからの通達。
 現在の鳥子の状態が如何に『詰んでる』かを知らしめて、私の手で解呪させる。
 ……何だろう。別にこの人の過去とか心情とか何も知らないけど、義理みたいなものを勝手に感じてる。
 与り知らぬところで失ったと全部終わった後で気づくより、自分の意思で切り時を決められるだけマシ、とか思ってるんだろうか。

 こんな冴えないオッサンでも、取りこぼしたくない何かがあったんだろうか。あるいは、零れ落ちてしまったからこんなになってしまったのか。
 死んだ目で、その日暮らしで、尊さを捨てて、目に映る何もかもをへらへら笑いながら、心から笑えたりなんか二度とない、一昔前の私みたいな?
 ねぇ、つまり私もそうなれって言いたいのか?

 だいいち、鳥子が大人しく人質や標的でいるタマか。
 素直に捕まったりなんかせず、暴れて抵抗して、私が気づくぐらい大声を上げてくれる。
 フォーリナーのマスターだとか人質だとか、ひっついた外部の伝聞ばかり見て、誰も鳥子がどんな奴か考えてない。
 鳥子の事を考えてる人間なんて、ここには私しかいない。
 言いすぎ? いいだろ、共犯者なんだ。この世で最も親密な関係、なんだから。

 あれ。
 変だぞ。落ち着いてきたらなんか、どんどん腹が立ってきた。
 そもそもなんで私を置いて鳥子をどうこうする話が進んでるんだ? 逆じゃあないか?
 鳥子にあれこれ言いたいなら、まず私を通すのが筋だろうが。

「アサシンだって、このまま唯々諾々と依頼を受け続けるつもり、ないんですよね?」

 腹は括った。後はやれるだけを精一杯やっていくだけ。
 計算高くて強かな彼のことだ、情報収集に勤しむ傍らで、寝首を掻くチャンスを探ってきたはず。 
 そう考えると、案外私に鳥子の情報を教えた理由も、そこにあるのかもしれない。
 私を追い込んで鳥子を諦めさせる、なんて、それで労働と釣り合いが取れてるのか。
 アイとの件で突っ込んだ。地獄なんちゃらやら鳥子やらで思いがけない情報が返ってきた。
 案外、向こう側も対応を迫られて慌ただしくなっていて、ここが『削る』タイミングと見計らったのだとしたら。

「欲しくないですか。絶対に裏切らなくて、世界を壊せるぐらい強いっていうサーヴァント」

 アサシンは、「ああ、やっぱこうなったか」とでも言いたげに、わざとらしく溜め息をついた。
 ちょっと悪いだろうか。いや構うか、女心を弄んだ罰だ。残念にもとんだハズレを引いたと諦めて貰おう。

 呪い? 上等じゃないか。呪いや悪霊じみた【裏世界】の住人とさんざ交わってきたんだ。
 アレに比べたら鳥子なんて呪いとしちゃレベル1並に可愛いもんだ。むしろもっと縛ってくれ。いや、これだとちょっと意味が違っちゃうな。
 でも私みたいな人間は、誰かに縛ってもらうぐらいがきっと丁度いいんだ。
 たとえ足取りが重くなっても、繋がっていさえすれば。

 鳥子が呪いだっていうなら、私は一緒呪われたままでいい。
 あの思い出が、この思いが、呪いから生まれたものなら。
 私は一生、呪いと共に生きていきたい。


645 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:21:35 E9oJvRZ60
状態表を忘れてました。以下の通りに挿入してください。

>>638>>639の間に

【荒川区/一日目・夜】

【田中一@オッドタクシー】
[状態]:吉良親子への怒りと失望、吉良吉影への恐怖、地獄への渇望
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×4、吉良吉廣(写真のおやじ)
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命』。
0:ヴィラン連合に合流。俺はやれる。
1:リンボの意向に従う。アサシンは切った。
2:敵は皆殺し。どんな手段も厭わない。
3:SNSは随時チェック。地道だけど、気の遠くなるような作業には慣れてる。
4:リンボに“鞍替え”して地獄界曼荼羅を実現させたい。ただ、具体的な方策は未だ無い。
5:峰津院大和のことは、保留。その危険度は理解した。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。

【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:拙僧はおふたりを仲介しただけ。今回は何も喋らず、邪魔立てしてもおりませぬぞ?
2:新宿区の地獄を眺めに行くか、リンクの切れた式神の調査を行うか…。(今のところ興味は後者に向いているようです)
3:式神は引き続き計画のために行動する。
4:…のつもりでしたが、やめました。祭りの気配がしますぞ、ンンン――。
5:式神にさせるつもりだった役目は本体が直接担うことに変更。何をするつもりかはおまかせします。
6:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
7:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
8:機会があればまたプロデューサーに会いたい。
9:七草にちかとそのサーヴァント(アシュレイ・ホライゾン)に興味。あの断絶は一体何が原因か?


646 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:26:55 E9oJvRZ60
>>641>>642の間に。

【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル/一日目・夜】

【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康、抑圧(ストレス)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:潰す敵は決めた。後は手を伸ばすだけだ。
1:しおとの同盟は呑むが、最終的には“敵”として殺す。
2:ライダー(デンジ)は気に入らない。しおも災難だな。
3:星野アイとライダー(殺島)については現状は懐疑的。ただアーチャー(モリアーティ)の判断としてある程度は理解。

【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける。
0:リンボ君はさぁ……。
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:禪院(伏黒甚爾)に『皮下院長およびグラス・チルドレンの拠点と現況調査』を打診。
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:"もう一匹の蜘蛛”に対する警戒と興味。必要であれば『櫻木真乃との連絡先』を使う。
6:田中一を連合に勧誘。
[備考]※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
   デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※283プロダクションの陰に何者かが潜んでいることを確信しました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」
※田中一からアサシン(吉良吉影)と仁科鳥子によるリンボ奇襲の作戦を聞きました。(詳細は田中が知らないので不明)。
 アサシン(吉良吉影)の能力の一部も知りました(真名は田中が知らないので不明)。


647 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:36:12 E9oJvRZ60
>>644の後に

【世田谷区・空魚のアパート/一日目・夜】

【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:健康、憤慨、衝撃、自罰、呪い
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を助ける。
0:鳥子を助けに行く。何が何でも。何を利用しようとも。
1:アイ達とは当分協力……したかったけど、どう転ぶか分からない。
2:アビゲイルとか、地獄界曼荼羅とか……正直いっぱいいっぱいだ。

【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:健康
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:ああ、結局呪われに行くのか、お前は。
1:マスターであってもそうでなくとも幽谷霧子を誘拐し、Mの元へ引き渡す。それによってMの陣容確認を行う。
2:↑と並行し283プロ及び関わってる可能性のある陣営(グラスチルドレン、皮下医院)の調査。
3:ライダー(殺島飛露鬼)やグラス・チルドレンは283プロおよび櫻木真乃の『偽のゴール』として活用する。漁夫の利が見込めるようであれば調査を中断し介入する。
4:ライダー(殺島飛露鬼)への若干の不信。
5:神戸あさひは混乱が広がるまで様子見。
6:鳥子とリンボ周りで起こる騒動に乗じてMに接近する。
[備考]※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。


648 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/01/08(土) 00:38:03 E9oJvRZ60
以上です。時間がかかって申し訳ございませんでした。
タイトルは以下でお願いします。

ヴィランズ・グレイト・ストラテジー~タイプ・アサルト~


649 : ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:10:10 PJGcmM1g0
投下お疲れさまです! 感想は後ほど投稿させていただきます。

お待たせしてしまいましたが、自分も予約分の投下を開始します。


650 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:11:26 PJGcmM1g0
 
 気付けば日は沈み、東京には夜の帳が下りている。
 日輪が消え果てたことでようやく表を出歩けるようになった者達の存在を、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティはまだ知らない。
 
 いや、或いは彼ならば。
 予選期間中に起こった不審な失踪事件や殺人事件のデータから下手人共の"事情"を割り出すことも可能だったかもしれない。
 日光に嫌われた悪鬼の存在を白日の下に晒すことだって、こと調べる者が彼であるならば不可能ではなかったろう。
 しかしながら今、ウィリアム――犯罪卿たる彼にそれを行える余裕はなかった。
 夕方までの時点でさえ常にタスクを抱えていた彼だが、現状の切迫具合はその時点でのものを遥かに超えていた。
 その理由は言わずもがな、新宿区を爆心地として勃発した、大破壊(カタストロフ)と呼ぶに相応しい破局にある。

 ――やられたな、と素直にそう思った。
 それを迂闊だと誹謗するのはあまりに酷というものだったろうが、さりとて彼はその手の慰めを自分に掛けてあげられる人間ではない。
 言い訳するでも取り乱すでもなく、冷静にこの災禍を読めなかったことを自己の不覚として認知する。

 この界聖杯内界には二匹の蜘蛛が存在する。
 一匹は老いた蜘蛛。もう一匹は若き蜘蛛、犯罪卿その人だ。
 そして二匹の双方に共通して言えることが、これまた二つ。
 一つは、老若どちらの蜘蛛もお互いの存在を疎み、最上級の警戒を払っていること。
 もう一つは――

「("青龍"の目撃談は予選の間から確認されていた事柄だった。
  板橋区で起こった戦闘の報せで、件の龍が今も生存していることも分かっていた。
  であれば、予め糸を張っておくべきだった。我々は"それ"に対してあまりに脆弱なのだから)」

 彼らはいつだとて、災害(ハリケーン)に弱い。
 どんなに人脈を作って策を巡らせて盤石の布陣を築いても、まさに先程新宿を襲ったような災禍に曝されればたちまち消し飛んでしまう。
 犯罪卿(じぶん)は青龍の情報から、彼がいずれ何らかの形で自分達にとって致命的な事態を引き起こすことを想定し備えておくべきだった。
 他人に求めたなら噴飯されること請け合いの批判を他でもない自分自身に対して行いつつ、犯罪卿は先を見る。
 新宿事変という起きてしまった災害を今更どうにかするのは不可能だ。
 今、真に肝要なのは、"新宿事変が起きてしまった"ことを踏まえた上で――では、どうするか。を考えること。

「(新宿区内に居た協力者はいずれも音信不通。彼らに集めさせていた情報も回収は難しいだろう。
  ……"犯罪卿"として選ぶべき最善手は、新宿周りで起こったことは全て"仕方がなかった"と切り替えることか)」

 爆心地となった新宿で一体どれだけの被害が出たのか、具体的な全貌は今以って不透明だ。
 だが報道機関、及び関係各所の見立てによれば犠牲者は数万人単位になると目されている。
 実際妥当な数字だろうと犯罪卿は思う。出回っている映像を見ても、数百数千の犠牲で済まないだろうことは明白だった。
 けれど冷たいことを言うならば、此処で真に注視するべきは死んだ人数ではない。
 インフラの停止を始めとした二次被害の発生と……新宿事変の勃発を受けて他陣営がどう動くかだ。


651 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:12:10 PJGcmM1g0

 それこそもう一匹の蜘蛛がいい例だろう。
 犯罪卿以上に都市と密接して体制を築いている彼が受ける打撃は、当然自身の比ではない筈。
 そこで彼がどう動くかを観測できれば、今後の老蜘蛛狩りが大きく楽になるかもしれない。
 だが……。

「(しかし。私がそうする方を選んだなら、彼女は……酷い貌をするに違いない)」

 犯罪卿は冷徹ではあっても、冷血ではない。
 彼がマスターの"きもち"を無視して最善手のみを取っていたならば、既にその辣腕は幾つかの主従を終わらせていたに違いない。
 それが出来るのが犯罪卿だ。英国中にその正体が露見し、後ろ盾の一切を仰げない状態に立たされて尚大義のための殺人を続けた超人。
 手段を選ばなくていいのであれば彼の脅威性は対抗馬たる蜘蛛にさえ並ぶ。

 だが、彼は今手段を選んでいる。
 取る行動の選択肢を絞っている。
 可能性の幅を狭めて、進むべきでない岐路へ進んで。
 そんな不合理を自覚しながら良しとしているのが犯罪卿の現状だ。
 しかしてそれでも、彼はその愚を改めようとは思わない。
 それをすれば失ってしまうものがあると、そう分かっているからだ。

 兎にも角にもまずは折り返しの電話を入れるべきだろうと、犯罪卿は携帯端末を取り出した。
 例の破局が起こってからすぐに摩美々から連絡があったが、その際には落ち着くこととくれぐれも早まった真似はしないことを言い含めた上で、状況の確認が完了次第折り返すと伝えて電話を切っていた。
 そして確認は済んだ。今後のビジョンも……まだ大まかなものではあるが、浮かんだ。
 であれば彼女と話をし、それを共有して次に繋げるべきだろう。そう思い、電源ボタンを押したその時。

「……、……」

 
 『俺はお前にとって、単に計画に必要な駒か? 
  そうでないなら、俺を舞台に上げろ。 From H』


 届いていたメール。
 それを見た時、犯罪卿は素直に驚いた。
 チェスの対局中、相手から予期せぬ一手が飛んできたような――そんな表情。
 だが、今の犯罪卿にとってこれは渡りに船と言っていい申し出だった。
 界聖杯内界、東京都という名のチェス盤に並べられた彼の駒達。
 その何割かが、チェス盤に突如として生じた陥没に呑まれて消え去った今。
 何を置いても必要なものとは何か。当然、決まっている。――新たな、駒だ。

「……いいでしょう。貴方が何を考え、このような申し出をするに至ったのかは不明ですが」

 駒で終わるつもりはないと、メールの主たる彼は言っていた。
 実に結構だ。そのくらいの危害がある相手でなければ、腹を割って話すなんて出来やしない。
 犯罪卿はメールの宛名欄をタップし、次いで表示されたメニューから通話ボタンを選び、もう一度タップ。
 無機質な電子音が数秒、響いて。通話の向こうから、声が届いた。


652 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:12:40 PJGcmM1g0
◆◆


「突然の連絡すまなかったな。こんな状況で俺の求めに応じてくれたことに、まずは礼を言わせてほしい」
『礼には及びません。しかし貴方もご想像の通り、我々も今はあまり余裕のある状況ではないのです。
 故に――まず、率直に用件を聞かせていただきたい。それを以って私の腹の中、曝け出すかどうか決めましょう』
「じゃあ単刀直入に言うぞ。283プロダクションのプロデューサーが攫われた」

 始まった会話、開かれた会談。
 その始まりは実に淀みなく、立て板に水を流すが如しであった。
 状況に余裕がないのはお互い様だ。双方抱える事情も置かれた現況も違えど、同様に切迫している。
 落ち着いて冷静に立ち回るのは肝要だが、しかしてある程度焦って事を進めなければ取り返しの付かない損失を生み出しかねない崖際。
 であればやり取りに婉曲さなど不要。対話の形は直球の投げ合いこそが最適である。
 少なくとも"犯罪卿"ウィリアム・ジェームズ・モリアーティに自ら進んで踏み込んだアシュレイ・ホライゾンはそう考えていた。

「予想外の事態ってわけじゃないよな。お前の部下から一通りの経緯は聞いてる。
 ドブとかいう見張り役の男からの連絡が途絶えた報告はお前の元にも行っていた筈だ」

 283プロダクションのプロデューサーは、何者かによって攫われた。
 犯罪卿が使っていた駒の一つは恐らく消失(ロスト)。
 まんまと襲撃者達はプロデューサーの略取に成功し、当の彼の行方は杳として知れない。
 アッシュの言葉を聴き終えた犯罪卿は特段濁すでもなく素直に彼の指摘が正しいことを認めた。

『私としても、かの"プロデューサー"の動向は出来る限りつぶさに把握しておきたいと考えていた。
 故に本来であればすぐにでも彼の在宅を確認させ、もし部屋を空けているならば追跡の手を用立てるつもりでした』

 犯罪卿のマスターは283プロダクションと関わりが深い……どころか、十中八九そこに所属するアイドルだ。
 件のプロデューサーによって眩しいステージの上へと導かれ、故に彼に対して抱く信頼と親愛の念は非常に強い。
 アッシュのマスター、七草にちかと同じように。なればこそ、この犯罪卿としてもプロデューサーは捨て置けない相手であると察しが付いた。

 そして事実、犯罪卿(かれ)はプロデューサーの失踪を知るなり、その行方を探るつもりでいた。
 相手もまた現世の道理に縛られない存在(サーヴァント)である以上追跡は至難に思われるが、それを何とかするのが犯罪卿だ。
 逃げる側が超常の民ならば、追う側もまた同じ。そこに鬼ごっこの関係性は十分に成立し得る。
 しかしそれは、聖杯戦争が波風立たない凪の戦況を保ったまま進んでいた場合の話である。

「だが、問題が生じた。お前の頭脳をしても予想だにしない事態が起きた」

 境界線の青年や犯罪卿のような聡さが無くとも、誰でもそれが何かは想像が付いたに違いない。
 それほどまでに先程起きた……新宿区を中心として轟いた"事変"の影響力は甚大だった。
 今まさに張られようとしていた新たな糸諸共に、若き蜘蛛の計略の網を散り散りに吹き飛ばしてしまった。
 全くの予想外。予兆なき天変地異になぞらえて語るしかない、超弩級の理不尽(インシデント)。
 プロデューサーの行方は確かに重要なファクターだったが、そこに手を伸ばすのが致し方なく遅れてしまう程に、最強生物二体の激突は犯罪卿の俯瞰する盤面を大きく狂わせてくれた。


653 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:13:14 PJGcmM1g0

『お察しの通り。当初プロデューサーの現況を探る予定だった私の目論見は、新宿の災禍によって大きく掻き乱された』

 此度の犯罪卿は勝利のみを求めて行動している訳ではない。
 それでも、自分を呼び出したマスターという存在がある以上行動指針に一定の優先順位を設けることは必要だった。
 依頼人(マスター)である田中摩美々の意思にコミットはする。だが、その為に彼女の命と未来までもを擲つつもりはない。
 冷たくも狂いなき天秤はその時も、いつも通りに正論という名の最適解を導き出してくれた。

『我々が居を構えている土地もかの区からそう遠いわけではありません。
 災禍の時間が本当に終わったのか、それに伴う二次被害はどの程度の規模で広がっているのか。
 我が身に掛かる火の粉を振り払うことに労力を割かねばならなかった。不覚と責められるべき計算外(エラー)です』
「それは自罰的過ぎるってもんだろ。あのな、ああいう輩が湧いてくるのはいつだって突然なんだ。
 その手の馬鹿の出現を大真面目に受け止めてたら胃が擦り切れるぞ。犬に噛まれたとでも思ってさっさと切り替えた方がいい」

 生前のきらびやかな、本当に色んな意味できらびやかな記憶を思い返しながら、アッシュは心胆からのアドバイスを贈った。
 とはいえ別に光に限った話ではない。属性が、陰陽が何であれ、そういう輩は何処にでも湧く。
 古都プラーガを舞台とした銀の運命(シルヴァリオ)を踏破した後の人生でも、アッシュはそれを幾度となく実感させられた。

『いやに実感の籠もった物言いですね。さぞや生前は苦労の多い生涯を送っていたものと推察します』
「ご想像の通りだよ。おかげで忍耐力だけは人並み以上にまで鍛えられたけどな」

 とはいえ、まあ……そんな苦労も巡り巡って今の自分をより強固に形作る鎧になってくれていると感じる場面も多々あるから、実際にはそれほど悪しく感じているわけでもないのだったが――閑話休題。 

「話を戻すぞ。俺は、プロデューサーを追いたいと考えてる。そしてそれはお前も同じの筈だ――そうだろう?」

 犯罪卿の返事を、答えを待つことはしない。
 彼も同じ考えを抱いていると確信しているから、アッシュは言葉を紡ぐのを止めようとはしなかった。

「新宿の一件と奇しくも期を同じくして動き出した連中が居る。
 お前ほどの知恵者でさえ完全には読み切れないほど目まぐるしく戦況が変わる、そういう状況になってきたわけだ。
 もうそろそろ腹を割って話す頃合だろう。そうじゃなきゃ、俺もお前もいつか大きな荒波に呑まれるぞ」

 何も鳴動は自分達の周りだけで起こっているわけではない。
 恐らくはこの異界東京都の全域で、ほぼ全ての主従が何らかの分岐点に立たされ、自ら進んで行動を起こし始める。
 安穏とした凪を破り、自ら進んで鉄風雷火の吹き荒ぶ大時化の運命へと船を出す。
 そんな混沌を生み出せるほどの力が、あの新宿事変にはあった。
 そして犯罪卿も、アッシュの考えには全くの同意見だった。

『本来であれば貴方がたとはある程度距離を置きつつ、信用に値するかどうかをもっと時間をかけて見極めるつもりでした。
 しかし戦況……以前の会話から引用するなら"チェス盤"がこのように歪み果てては話も変わる』

 いや、そもそもからして思い上がり過ぎていたのだろう。
 犯罪卿(ウィリアム)は自らの慢心を認め、そして羞じる。
 脳内にインプットされた聖杯戦争の概略とセオリー。
 そんなものが実戦で役に立つわけもないなんてこと、少し考えれば分かることであった。
 盤面が盤面の形を保って進む安穏な聖杯戦争は、そもそもこんな異常な量の主従数でなど執り行われない。
 チェス盤は崩壊して駒の位置と向きは見る影もなくシャッフルされた。
 もはや此処から先の戦争に、今までの常識と固定観念は通用すまい。


654 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:13:56 PJGcmM1g0

「お前は、プロデューサーを攫った相手に心当たりがあるのか」

 根拠ありきで口にした問いではなかった。
 ただ、この男なら混迷した状況の中でも凡人には理解出来ない論理と推論で解を導き出してもおかしくないという、そんな信用があった。

 アシュレイ・ホライゾンは聡明だ。しかし仮に他人からそう評されたとして、彼は決して素直に頷きはしないだろう。
 何故なら彼は、あまりにも自分より上の人間を見すぎたからだ。立場ではなく、能力を見た話。
 頭脳面で言うならば、自分に"運命"を与えた楽園の審判者がまさにその典型である。
 あの炯眼を敵としても味方としても目の当たりにしてきた身で、自分の頭の出来を誇るなどとてもではないが出来やしない。

 そして――アッシュの目から見た犯罪卿は、かの審判者に匹敵し得る傑物として映っていた。
 無論それは性能(スペック)のみを見た場合の話だ。
 犯罪卿にかの者の狂的な執念と突き抜けた思想はない。覚醒という奇跡など起こせるわけもない。
 だからこそ信用に足る。
 共闘相手としての信用と、一人物としての能力に対する信用。
 その両方を安心して傾けることが出来る。
 無論、警戒の一線はちゃんと引いた上で付き合うつもりだったが、それでも常に一挙一動に警戒を巡らせて神経を擦り減らす必要がないのはありがたかった。
  
『まだ予想の域を出ない推論ではありますが……大方彼らだろう、というのは』

 そして犯罪卿とは、その信用に応えられる男なのである。
 少なくとも能力面に関して言うのであれば、犯罪卿はアッシュの期待を悉く満たす。
 普通なら買いかぶり過ぎだと肩を竦めるような問いにだとて、この通り。

『――"割れた子供達(グラス・チルドレン)"。裏社会では都市伝説的に語られる集団ですが、聞き覚えは?』
「いや、生憎そっち方面の情報収集までは手が回らなくてな。手間じゃなかったら説明して貰ってもいいか?」

 犯罪卿は語って聞かせる、"彼ら"の話を。
 少年犯罪の凶悪性に着目して組織された子供だけの殺し屋集団。
 ネバーランドならざる常世でピーターパンが導いた狂おしき若人の群体。
 そして彼らを率いるピーターパン、殺しの王子様(プリンス・オブ・マーダー)。
 その少年は犯罪卿を憎悪している。必ずや蜘蛛を巣から叩き落として踏み殺してやると憤怒している。
 状況証拠とタイミング。犯罪卿ウィリアムが冒したたった一つの、不可避の失策。
 彼自身それに気付いていたからこそ、暫定容疑者を導くまでに時間はかからなかった。

「……脅威だな。一人ひとりは武器を持っただけのNPCでも、それが百人単位で揃ってるなら立派な傭兵団だ」
『私は彼らの頭目から恨みを買っている。そして私が283プロダクションと縁深い身であることも"知られてしまった"』

 自ら晒したアキレス腱と、今の犯罪卿を戒める鎖。
 仮に下手人が彼らもとい幼狂を率いる"彼"なのだとすれば、実に見事な手際だと言う他なかった。
 数刻前、283プロダクションの事務所での邂逅は犯罪卿の完勝に終わったが。
 それで燃え上がらせた闘志を糧に、あの王子は見事犯罪卿の横っ面にカウンターを叩き込むのに成功したのだ。

『監視役がSOSを出すことも出来ずに消されてしまった程の手際、この局面でプロデューサーを攫うという選択。
 全くの第三者が偶然彼を狙ったという可能性を度外視し、その上で現状の情報の中で考えるならば……』
「いや、待て。それで決めて掛かるのは少し早計じゃないか?
 事務所……283プロダクションは何者かの計略によって悪目立ちさせられているんだろう。
 お前と"割れた子供達"の間に確執があるのは分かったが、283プロダクションという誘蛾灯に寄せられてきた別の勢力って可能性は考えられないか」


655 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:14:38 PJGcmM1g0
『仰りたいことは分かります。しかし私も、それを見落とすほど慌てふためいてはいません』

 新宿事変が勃発するまで、283プロダクションは此度の聖杯戦争の中心と言っても過言ではないほどの影響力を持っていた。
 無論、悪い意味で……だが。
 白瀬咲耶というアイドルの死を発生源に蚊柱の如く巻き上がり拡散した情報の濁流。
 そこに目を付けているサーヴァントなりマスターなりが居ないというのは考えにくいし、であれば下手人は割れた子供達に限らず、そうした未知の手合いの可能性も考えられるのではないか――アッシュの指摘は尤もだ。
 事実犯罪卿も、これが既知の相手でない何者かの犯行である可能性はそれなりにあると踏んでいる。
 しかしそれを差し引いても尚、容疑者候補の最有力は割れた子供達だ。犯罪卿はそのオペラ歌手のようによく通る美声で、精密な思考の糸を手繰る。

『まず、私はこの"本戦"に進出した二十三組の内、既に三分の一ほどを把握しています。
 直接確かめたわけではない推定の顔触れも含まれますが、恐らく間違いはないものと感じている』
「まあ、今更それくらいのことには驚かないよ。続けてくれ」
『その中で敵対の可能性が高い、ないし敵対が不可避である主従は三組。
 皮下病院を根城としていた"院長"、峰津院財閥を統べる"当主"、そして割れた子供達の"頭目"。
 彼らには恐るべき共通点がある。社会的基盤なり組織力なりに基づいた、"長"としての強さです』 

 正確に言えば、皮下医院の院長に対しては確信を以ってそうだと断言出来るわけではなかったが。
 それでもあの病院に付き纏っていた奇怪さ、不穏さを鑑みればこの面子と同類に語っても問題はないだろうと、犯罪卿は判断した。
 大方、院長の皮を被り善人を演じながら、水面下では特殊部隊なり何なりを率いている――そんなところではなかろうか。
 そして実際、その推測は的中していた。鬼ヶ島という"反則"のことを除けば、犯罪卿は皮下医院の実情をほぼほぼ看破していた。

『新宿での災禍を知りながら、予定を崩さずプロデューサーの誘拐に踏み切るというのも彼らならば可能でしょう。
 逆に言えば、彼らほど大きな群れを作った陣営でもなければ……こうもスマートに事を〆ることは難しい筈だ』

 だが、と犯罪卿は続ける。

『だが、皮下勢力と峰津院財閥にはある種の"アリバイ"がある。新宿事変です』
「確かに皮下医院の院長があの災禍に一枚噛んでたかもしれないってのは分かる。
 けど、そこで峰津院が出てくるのは何故だ? またぞろ"こんな事もあろうかと"の賜物か?」
『峰津院財閥は非常に強大な組織です。もはや公権力の一つと看做してもいい。
 されど組織が大きくなれば、それだけ隠密に行動するというのは難しくなるものだ。
 ましてや偉大な当主が直々に何処かへ出向くという話なら尚更です。
 それでもある程度の情報統制は可能かもしれませんが、私の情報網をすり抜けるほど小さくはなれません』

 峰津院からは手を引いた身だが最低限の監視は続けていた。
 その一環で皮下医院に当主大和が向かうという情報を察知出来たため、覚えていたというだけのこと。
 さしもの犯罪卿も、情報を得た時点ではあんなことが起こるとは思っていなかったが。

『新宿事変は皮下真と峰津院大和の両陣営が激突したことによって生じた大災害です』
「……そして、アレは奴らとしても予想外の事態だった」
『彼らに利が一切ありませんからね。
 私のような策謀家の築いた地盤を吹き飛ばせるのはメリットと言えるかもしれませんが、それでもデメリットの方が遥かに大きい。
 "長"として何かを率い統べる者であれば嫌う展開の筈です。皮下に至っては自分の拠点を失っているのですから尚更だ』
「成程な。――だから、犯人は一人しか居ないってわけか」
『そういうことです。新宿事変の余波が冷めやらぬ中で、明らかに計画的な誘拐を変更なく遂行出来るだけの勢力がまだ隠れているとは思い難い』


656 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:15:04 PJGcmM1g0

 因みに今、犯罪卿は意図的に"老いた蜘蛛"のことを省いて話している。
 同類故の直感のようなものだった。あの蜘蛛は、こういう形で動いては来ない。
 直接敵対してくるとすればもっと致命的で、もっと破滅的な局面となる筈。
 そう悟っていたから、敢えて可能性からは排して考察を進めたことを、此処に補足しておく。

『第三者の介入という可能性を完全に潰せたわけではありませんが、手持ちの情報(カード)のみで考察するならこんなところかと。
 私自身些か勇み足な結論だという自覚もあります。何か反論があれば、どうぞ遠慮なく聞かせてください』
「いや……正直唸らされたし、納得したよ。だから反論はない。その代わり、此処からは俺のを聞いて貰ってもいいか」

 犯罪卿から聞かされた情報を咀嚼し、反芻しながら。

「あの白熊って男は、帰還していく警官隊を目撃してる。
 誘拐する側にどんな目的があるにせよ、わざわざ進んで事を荒立てることにメリットはない。
 であれば、通報したのは他でもないプロデューサーの側だということになる」

 淡々と――どこか白々しく。
 アッシュは己の知る、知ったことを語っていく。

「プロデューサーは敵に目を付けられ、実際に接触するまでに至った。
 しかしそこで、彼は諦めなかったし投げ出さなかった。
 我が身に迫った窮地の中にこそ、現状を切り開く活路を見出そうとしたんじゃないか」
『"283プロダクションのプロデューサー"は、聖杯を狙う腹積もりでいる……と。そういうお考えですか』
「とぼけるなよ。俺に思い付く程度のことだ、お前に限って見落としてたなんてことはないだろう」

 白々しくなるのも当然だ。
 アッシュは相手を決して過小評価などしない。
 それどころか彼は既に、この犯罪卿の傑物性を見抜いている。
 なればこそ此処まで想像が付くのは当然の帰結だった。
 プロデューサーは恐らく聖杯を狙っている――アッシュが先程導き出したこの結論。
 犯罪卿ことWは、自分が辿り着くよりも遥かに前からこの段階にまで辿り着いていたのだと、アッシュはすぐに看破していた。

「とっくに気付いてたんだろう、そのことには。そしてお前は、俺がそこに至れるように導線という名の布石を敷いていた。
 或いは本筋ではない横道(サブプラン)だったのかもしれないけどな。けど俺はこうして、お前の期待に応えられたわけだ」

 何とも面倒臭い、遠回りなやり方だと思うが……逆に言えば"この程度"も頭を回せない相手を重用など出来ないということなのだろうと納得する。
 実にこいつらしいと思うし、実際自分は彼の敷いた布石をきちんと拾って模範解答に辿り着けた。
 であれば今更頭を抱える必要も、その婉曲さに難色を示す必要もない。
 そのハードルは既に越え終えたぞと、堂々としていればそれでいいのだ。

「なあ、流石に様子見はもういいんじゃないか? 俺達にはお前の力が必要だし、お前だって俺達の協力があるに越したことはないと思ってる筈だ」
『……非礼を詫びましょう。ええ、確かに貴方の推察の通りです。
 私は予備候補(サブプラン)として、貴方がたを対等な同盟者として受け入れるつもりでいた』

 よくも、いけしゃあしゃあと――
 そんな感想を抱かせない気品と、不思議な魅力がこの男にはあった。
 さぞや上等な身分にあったか……そうあるべく知識と振る舞いを蓄えてきたのだろうとアッシュは察する。


657 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:15:42 PJGcmM1g0

『ならば最初からそう持ち掛けろというのは尤もな話ですが、しかしそこはご容赦いただきたい。
 獅子身中の虫を好んで体内に招き入れることになるかもしれないリスクと、腹を割るに値しない凡であった場合のリスク。
 先の電話でのやり取りだけでも貴方が聡明で優秀な人物ということは分かりましたが、しかしてこれらのリスクは排し切れなかった』
「分かってるさ、それを非礼だと責めるつもりはない。こっちとしてもむしろ、お前という策謀家の信用度は上がったくらいだよ」

 苦笑しつつアッシュは応じる。赦す。
 しかしその言葉にお世辞や誇張はない。
 犯罪卿(W)が日々どれだけの布石と導線を敷き、策を練り戦っているかが分かったからだ。
 成程、なかなかどうして頼れる男だと思う。
 少なくとも敵に回したい手合いでは確実になかった――極晃も使えないこの身で相手取るには確実に手に余る。

「腹を割って話せる相手だと、そう思ってくれたと信じて訊く。
 お前は――283プロダクションのプロデューサーをどうしたいと思っている?」
『かの事務所に縁ある身として言うのならば、奪還してその心を開かせ、聖杯戦争からの脱出に向け手を取り合いたいと』

 当然、そういう答えが返ってくるだろう。
 では、とアッシュは次の問いかけを紡ぎ出す。


「じゃあ、"W"としての本音だとどうなる?」
『彼の存在は、不穏分子過ぎる』


 即答だった。
 その回答はあまりに酷薄なものであったが、しかし彼の立場を思えばアッシュはそれを責められない。
 プロデューサーと会ったことがないどころか、その声すら聞いたことのないアッシュではあるが。
 それでも件の男の人物像はにちかの言及や反応を参考にするだけで自ずと察せられた。
 さぞかし誠実で、真面目で、優秀な男だったのだろう。
 そんな男が変転し、聖杯を求めて修羅の茨道を歩んでいると知ったなら……あまつさえそれと戦わねばならぬと突き付けられたなら。
 彼を信じた娘達がどれほど"揺れる"のかは、想像に難くない。

『彼の一挙一動、その思想、現況。
 およそ彼に付いて回るあらゆる情報が、私の守るべき方々に大きな影響を及ぼし過ぎる。
 冷徹な蜘蛛としての視点から言わせていただくならば、彼には早い内に消えて貰った方が都合がいい』
「けど、今のお前にそれをする気はないんだな。その物言いからするに」
『ええ。……実に不合理な話ではありますがね。
 今の私にとってはその最適解こそが、最もリスクのある一手と化してしまっている』
「大変だな」
『実に。しかし、もう慣れました』

 ――"283プロのプロデューサー"は存在がリスクの塊だ。

 これについては、アッシュも反論は出来ない。
 彼の生死と動向はその全てがアッシュのマスターであるにちかの、そしてWの周辺の(恐らくはアイドルであろう)者達の精神を揺さぶる。
 存在そのものが障害であり、出来ることなら可能性の器として存在していては欲しくなかった特異点。


658 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:16:13 PJGcmM1g0

 が、アッシュには言わずもがな彼を消して面倒事を排する選択肢などなく。
 犯罪卿もその選択肢を認識してこそいたものの、それを選べばどうなるかを正しく把握していた。
 プロデューサーの排除を選べばこれまで築いてきた信頼関係、絆、その全てが水泡だ。
 だから犯罪卿はプロデューサーを排除出来ない。彼を救う方策を考えることを余儀なくされる。
 首輪に繋がれた蜘蛛とは、これまた妙ちくりんな話だな――と。
 心の中でそう思いつつ、アッシュはまた口を開いた。

「そいつは何よりだ。……そして、そんなお前に改めて質問する」

 否。本題に戻った、と言うべきか。

「俺はお前にとって、単に計画に必要な駒か?」

 チェス盤は崩壊した。此処から先は混沌が描かれる。
 であればこそ駒の価値は下がる。
 盤面にいつ生まれるとも知れない亀裂、それに呑まれてしまえば終わりだ。
 その駒に対して費やしたリソースも駒の存在ありきで編み上げた蜘蛛糸(さくぼう)も無為と帰す。
 この男に限ってそれを理解していない筈はない、そのことを念頭に置いた上でアッシュは問うた。

「お前は同じ役者としての俺に、何を求める?」

 ……。
 …………。
 ………………。
 沈黙が、流れ。
 やがて若き蜘蛛は、通話の向こうでその口を開いた。

『私は貴方を、あくまで駒として考える。この大前提が揺らぐことはありません』
「それは残念だ。少しは考えも変わってくれてるものだと思ったんだけどな」
『生憎と、その席はもうとうに満席なのでね。
 少なくとも……"場合によっては"これまでの状況や立場を白紙にして殺し合う可能性のある相手に与えられる席ではない』

 アッシュは、気付かない。
 "その席はとうに満席"というのが、聖杯戦争が開幕するよりも遥か以前の話であることに。
 気付ける由もないし、犯罪卿もまたそれを承知で口にしていた。
 真の意味で"彼"とそうなれた未来を己が知らないこと、そこに微かな痛みを覚えながらも――

「じゃあ何だ。お前は、俺をどうしてくれるっていうんだ」
『導きましょう。打ち手(プレイヤー)として』

 あくまで彼は打ち手としてあり続ける。
 犯罪卿に剣はない。犯罪卿に盾はない。
 彼にあるのはいつだとて己が頭と、それが導き出す権謀術数の蜘蛛糸のみだ。
 そしてそれは、これから先も変わらない。
 犯罪卿はアシュレイ・ホライゾンの意思を受け止め理解した上で、その上で駒として使う。
 だがその意味合いは、決して余人が思うほど軽くはない。チェスの駒にとて――序列と優劣はあるのだから。


659 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:16:52 PJGcmM1g0

『貴方という駒を最大限に活かします。それでは不足ですか?』
「……いや。それで構わないよ、W。
 案外そういう関係性の方が、お前とのやり取りはうまく行きそうだ」

 口から溢れたのは非難ではなく、苦笑だった。
 自身に課された運命を乗り越えてからはずっと他人と向き合うことに生涯を費やしていたからだろうか。
 今の言葉が犯罪卿/Wが自分に出せる最大の誠意なのだということが自然と理解出来た。
 ならば難色を示す理由などない。望んでいたのとは少し違う形だが、これくらいは誤差として片付けよう。

「契約成立だ。俺はお前が信用に足る悪人である限り――お前の、お前達の味方をするよ。
 ただしその代わり、一人であれこれ抱え込んで意味深に笑ったりするのはナシだ。
 せめて使う側として最低限の説明くらいはしてくれ。そのくらいは求めてもいいだろ?」
『出来る限りは、善処しましょう』

 それでは駒にならないでしょう、と突っ込まれないか冷や冷やしていたが、流石にそこまで塩の効いた男ではなかったらしい。
 何にせよ、助かったとアッシュは思う。これが単なる口約束であることを踏まえてもだ。
 犯罪卿(こいつ)のような優れすぎた男を味方にする時は、気休めだろうが優しい言葉が欲しくなるものだから。

「で……お前が今編んでいる腹芸は――割れた子供達の殲滅。これで合ってるか?」
『プロデューサーを攫った容疑者の第一候補は彼らです。それに、そうでなくともその存在は目の上の瘤すぎる』

 私にとってはね、と、犯罪卿。

『彼らの頭目を務める少年……"ガムテ"は傑物だ。そして彼が従えるサーヴァントもまた並の英霊ではない。
 主神の玉体にも匹敵する霊基を持つ、生まれながらの怪物(ナチュラル・ボーン・デストロイヤー)。
 当初はもう少し様子見を続けるつもりでしたが――私の冒したミスが災いし、彼らは今目下最大の脅威として我々の喉元に迫っています』
「ミス、か。お前には似合わない言葉だな」
『可能な限り失策は無いように心掛けていますので。しかし、完全犯罪などという単語は物語の中だけに許される幻想だ。
 現実でそれを目指せば必ず何処かで綻びが出る。……それどころか先の邂逅での私は、完全犯罪(それ)を志すことすらしていなかった』

 そうすることが出来ないほど、あれはギリギリの状況だった。
 数多くの綱渡りを平然と渡ってきた犯罪卿をして肝を冷やすものが、あった。
 一手でも間違えれば、一言でも過てば、それで全てが御破算になる。
 ガムテとその側近のみならいざ知らず。
 彼らに侍っている――或いは彼らが侍る側であったのか。そこまでは、分からないが。
 
 確かなのは、犯罪卿がそこで失策を冒すのは必然であった――ということ。

『私はミスをした。そしてそのミスは、聡明なる幼狂によって拾い上げられてしまった。
 であれば……』
「自分で後始末を付ける、ってことか。お前らしい考え方だな」
『元々、そうせねばならない立場でしたので』


660 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:17:26 PJGcmM1g0

 そも、犯罪卿を失脚……もとい"後に引けない状況"に追いやったのは一人の俗物であった。
 その名を此処で語る意味はないが、隠蔽し切れない欠陥故に見過ごすしかなかったという点においては酷似している。
 犯罪卿の頭脳を以ってしても、永劫に真相の露見しない完全犯罪の実現は並大抵の難易度ではないのだ。
 罪を犯すまでに辿った生涯、罪を犯した時に周りを囲んでいた状況、関係――犯罪の精度はそれらに大きく左右されるのだから。

「分かった。詳しい話は後々、直接合流してからでもいいだろう。
 この期に及んで断られたら正直面食らうが……お互い、直接顔を合わせることに異論はないか?」
『異論を唱えるつもりはありません。ですが、その場合一つ条件を設けさせていただきたい』
「……聞くよ。俺達に何を望むんだ?」
『私が先の電話でお伝えしていた、"あなたのマスターに用のある人物"と会っていただきたいのです』

 今度は、アッシュが沈黙する番だった。
 別に不審がっているわけではない。ただ単に、疑問に思っただけだ。
 それほどまでに……彼の言う"七草にちかに会わせたい人間"とは、彼我の関係性を築くにおいて重要な人物なのかと。

「そうでなければ話は始まらないと?」
『話を始めること自体は可能ですが、お勧めはしません。少なくとも私の予想では、十中八九恐ろしく角が立つ事態になる』
「疑念ありきの発言じゃないことを先に断っておくけど……怖いな。触りだけでも聞かせては貰えないか?」

 アッシュがある程度の説明を求めたのも無理はないだろう。
 何しろ大事のために小事を優先するというのは、犯罪卿の人物像らしくない。
 彼がそうまでするということは、即ちそれに値するだけの重要度があるということであり、
 アッシュが慎重になるのは当然の話であった。
 そして無論、犯罪卿もそれを理解している。
 だからこそ彼の求めた"触り"を返した。
 それを聞いた彼が何を感じ、どう答えるか――……全て読み切り、予測した上で。 

『"七草にちか"が聖杯戦争を生きるに当たって、避けて通ることの出来ない命題です』
「……、……分かった。だがいざという時のフォローは頼むぞ。化学反応を起こして戦火が大爆発――なんて洒落にもならないからな」

 アシュレイ・ホライゾンが納得するにはその一言で充分事足りた。
 七草にちかは偶像(アイドル)たり得る人物だ。
 凡人? 才能がない? そう彼女を嗤うならば節穴が過ぎるぞと、この一ヶ月にちかと時を共にしたアッシュには断言出来る。
 が、その実。七草にちかという少女がひどく不安定な均衡の許に成り立っている人物であることに異論はなかった。
 元の世界ならばいざ知らず。聖杯戦争という、何もかもが不明瞭で一寸先さえ窺えない霧中にあっては。

 その彼女にとって必要不可欠な課題だと、そう言われればアッシュとしても何も言えない。
 仔細までは知らないし、犯罪卿も敢えて語っていないのだろうが――彼が言うからには、それなりの命題が待っているのだろう。
 そしてそれと向き合わなければ、かの蜘蛛に近付くことは叶わない。足並みすら揃えられない。
 であれば、どうするか決めるのはアッシュではない。こればかりは、彼の一存では決められないのだ。

「良い返事が聞けたらメールするよ。悪いが、待っててくれ」

 そう言って、アッシュは電話を切った。


661 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:17:54 PJGcmM1g0
◆◆


 境界線と犯罪卿の対話が終わった頃には、時刻はもう夜になっていた。
 夜のない街と呼ばれる世界有数の大都市にだって、こうして夜はちゃんと来る。
 空を塗り潰して、光を遮って、人の心に影を落とす――そんな夜が。

「ずいぶん長電話でしたけど……Wさん、なんて言ってました?」
「交渉は上手く行ったよ。駒は駒だって言われてしまったが、あいつが打ち手ならきっと大丈夫だ。
 もちろんあいつの心が別なところに向かい始めたと察したら、すぐに退職届を突き付けるから安心してくれ」
「まあ……その辺はライダーさんに任せますけど。それより――その。プロデューサーさんのこと、とかは」

 通話が始まった時にはもう、アッシュはにちかの所へ戻っていた。
 にちかも最初は通話の内容に耳を傾け、アッシュの言葉や反応から何を話しているのか推測しようと頑張っていたのだが、いつにも況して動揺している今のメンタルでは集中などとても出来ず、途中で頭を使うのを諦めた。
 アッシュも、にちかが今何を……否、誰を気にしているのかは理解している。
 自分のプロデューサーだった男が聖杯を求め、戦っている――それも、恐らく自分のために。
 そんな話を聞かされて心をかき乱されないほど、にちかは超人でも大人でもなかった。
 ましてや――

「プロデューサーが何者かに誘拐された可能性が高いってことは、さっき伝えたよな」
「……はい。聞きました」
「その実行犯に当たりが付いた。Wと浅からぬ因縁のある奴らで、プロデューサーに目を付けたのもその絡みらしい」

 実行犯が分かったと聞いても、にちかの表情は晴れない。
 彼女も理解しているのだ。そういう可能性があることを、既に頭の中に入れている。
 プロデューサーがもしただの被害者で。
 悪の誘拐犯共を打ち倒して彼を救い出せばそれでオーケー……そんな状況だったならどれほど良かったろうか。

 だが、現実はそうではない。そうはならない。
 実行犯と推定される割れた子供達を叩き潰したとして、それでプロデューサーが帰って来てくれる保証はない。
 いや、むしろ。真実がアッシュの推測通りであったなら、その逆の可能性の方がずっと高いのだ。

「誘拐犯は単独じゃなくて組織だ。それも、どいつもこいつも人殺し上等の殺し屋集団だと聞いてる。
 単純に野放しにしておくには危険すぎるし、プロデューサーの指針がどんなものであれ奴らの元に置いておくのは不味すぎる。
 だからWの勢力と合流して、当座の脅威である件の集団に対処しようって話になったんだが……」
「……だが、なんですか?」
「Wがこう言って来たんだ。それは構わないが、"その前に"七草にちかをある人物に会わせろと」
「…………え。この状況で真っ先にそれなんですか? 誰なんですか、その私に会わせたい人間って」
「相変わらずそこのところは教えてくれなかったが、Wはこう言ってたよ」

 にちかは繊細だ。
 だから話すか迷ったが、やはり秘めておくわけにもいかない。


662 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:18:23 PJGcmM1g0

「避けて通ることの出来ない――七草にちか(きみ)が向き合うべき命題、だそうだ」
「……、……」

 そんなことをしている暇があるのか、この期に及んで。
 相手の素性も教えてくれないのに一方的に会え会えって、ずいぶん勝手な話ではないか。
 不満たっぷりのにちかだったが、こう言われてしまっては黙るしかなかった。
 にちかが向き合うべき命題。避けて通れない、相手。
 にちかには相手の心当たりが全くない。
 自分をこの先で待つ人間の顔が、全く見えない。

「なんなんですか……」

 だから、困惑した。
 ただただ、困惑していた。

「誰に会えって言うんですか、私に。
 私に、何を……」

 
 ――私に、何を話せって言うんですか。

 
 そんな言葉は、外気に触れることなく上下の歯に阻まれて消えて。
 七草にちかは困惑の中、自らの運命(Fate)との邂逅に導かれていくのだった。


【品川区・プロデューサー自宅の最寄り駅近く/一日目・夜】

【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、精神的負担(中)、動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:?????
1:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
2:ライダーの案は良いと思う。
3:梨花ちゃん達、無事なんだよね……?
4:私に会いたい人って誰だろ……? そんなに私にとって重要な人って、いったい……?
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身に軽度の火傷(ほぼ回復)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:Wの返信があり次第指定された場所に向かう。そして、にちかを"命題"の人物と会わせる。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
4:セイバー(宮本武蔵)達とは一旦別行動。無事でいてほしい。
5:武蔵達と合流したいが、現状難しそうなのが悩み。なんとかこっちから連絡を取れればいいんだが。
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。


663 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:18:48 PJGcmM1g0
◆◆


「……そうですかー。ついに来るんですねぇ、もうひとりのにちか」
『あちらの"七草にちか"がどう選択するかにも拠りますが……彼女が承諾するのでしたら、そう遠くない内に顔を合わせることになるでしょう』

 犯罪卿――ウィリアム・ジェームズ・モリアーティからの連絡は簡潔に纏められていた。
 プロデューサーの誘拐。割れた子供達をこれ以上無視するのは難しくなったという旨。
 そして、もうひとりの七草にちか及びそのサーヴァント、"H"との合流。
 敢えて長々説明しなかったのは、ウィリアムなりの摩美々に対する配慮であった。

 時に多弁は追い打ちになる。
 特に、それが人の心を抉るような話題であるならば。
 摩美々は聡い少女だ。
 当然、ウィリアムの意図は分かる。それでも――忘れてはならない。
 彼女もまた、七草にちかのように。
 結局は、ひとりのまだ青い少女なのだということは。

「いまは、我慢します。アサシンさんを困らせない"良い子"でいようと思います」
『……、……』
「でも――今回だけはぁ、摩美々もあまり長く待てません。
 にちか達の話が終わったら、その時はちゃんと説明してください。いろいろ、ぜんぶ」

 新宿のことも、プロデューサーのことも。
 その言葉を呑み込んだのは、きっとそこまで口にしてしまえば堪え切れなくなるから――であろう。
 摩美々の心も摩耗している。
 喪失、異変、不安、焦り。
 感情と感情と感情と感情が奏でる四重奏に心が掻き乱されている。
 ウィリアムはややあってから、摩美々に対して素直な言葉を口にした。

『申し訳ありません。今回の件に関しては、明確に私の落ち度です』

 責任転嫁の余地などないしする気もない。
 ウィリアムは何ら言葉を付け足すことなく、摩美々に詫びた。
 摩美々はそれを黙って聞いている。責める気には、なれなかった。
 この人が自分達のためにどれだけ身を粉にして頑張っているかは、ちゃんと知っているから。

『時が来れば必ずや、貴女と……にちかさん達の不安を払拭するため尽力すると約束しましょう』
「……約束、ですよ?」
『ええ、犯罪卿の名に誓って。破れば私の名は血と罪だけでなく、泥にも塗れることになる』
「そういうのは、いいですからー……私と、あなたの。アサシンさんの約束を、してください」

 犯罪卿の名に誓われてもピンと来ない。
 誓うんなら、もっと身近な距離感で誓ってほしい。
 そうでなければ安心なんて、とてもじゃないけど出来やしない。


664 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:19:12 PJGcmM1g0

「指切りげんまん、です」
『……では、嘘であったなら針千本を飲みましょう』

 そう、こういうのがいい。
 こういうので、いい。
 摩美々は自分を落ち着かせるように深呼吸して、また口を開いた。

「……じゃあ、私はにちかに今のを話してみますー。
 にちかとにちかで腹を割って話すなんてー、絶対何処かで角が立つの見えてますしー」
『ありがとうございます。助かります』
「じゃ、切りますねー。また後で」
『ええ。また、後で』


 ――通話を切って、ふう、とまた息づく摩美々。
 そんな彼女のことを見ている少女。七草にちかの表情は、険しかった。
 摩美々と同じ、いろいろなものが入り混じった胸中。
 それを表情筋に出力しているのだとすぐに分かる、そんな複雑な顔だった。


「――来るんですか、もうひとりの私」
「あっちのにちかが断る可能性もあるとは言ってたけどー……来るだろうね、多分ー。
 ていうか来てもらわないとこっちも困るし。だよね、にちか」
「……はい。摩美々さん達にまで、私の都合に合わせてもらうのはちょっと申し訳ないですけど――」
「水臭いこと言わないのー。にちかがずっともやもやしたままだったら、摩美々達だって困っちゃうんだからー」

 そう言って、ぽんぽん、と摩美々はにちかの肩を叩いた。
 少し安心したように、にちかが身体に入っていた力を抜く。
 もうすぐ此処に――もしくは、また別の場所を目印にするのかは分からないが。
 もうひとりの七草にちかがやって来る。
 今此処に居る、アーチャーのマスターの七草にちかとは別な世界を生きた"七草にちか"が。

「じゃあにち会談の前にー、アサシンさんから聞いたこと……にちかにも話しておくね」
「に……にち会談……」
「こうやってぽわぽわした名前にしておけばぁ、ちょっとは緊張も和らぐんじゃないかと思ってー」


665 : 各駅停車 ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:19:40 PJGcmM1g0

 とはいえ、これから摩美々がにちかに対して行う"説明"を聞き終えたなら、彼女の表情はもっと曇るだろう。
 そのことは分かっているが、しかし伏せておくわけにもいかない。
 もはや誰も見て見ぬ振り、知らない振りは出来ないのだ。
 そういうところまで、この物語は既に墜ちており。


 そんな奈落の只中で、界を隔てた運命(Fate)が、奏でられようとしていた。


【渋谷区・代々木近辺の廃ビル/一日目・夜】

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、赤い怒りと青い憂欝、動揺と焦燥感
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わなくなっちゃった
0:にち会談の行方を見守る。何かあったらフォローしたい。
1:霧子、プロデューサーさんと改めて話がしたい。
2:アサシンさんの方針を支持する。
3:咲耶を殺した奴を絶対に許さない。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています

【七草にちか(弓)@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、いろいろな苛立ち、若干の緊張
[令呪]:残り三画(顔の下半分)
[装備]:不織布マスク
[道具]:予備のマスク
[所持金]:数万円(生活保護を受給)
[思考・状況]基本方針:生き残る。界聖杯はいらない。
1:"七草にちか"を待つ。
2:あの野郎(プロデューサー)はいっぺん殴る。
3:お姉ちゃん……よかったあ〜〜〜。
[備考]※七草にちか(騎)のWING準決勝敗退時のオーディションの録画放送を見ました。

【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:健康
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:"七草にちか"を待つ。いざという時にはすぐ動けるよう準備。
1:にちかと摩美々の身辺を警護。
2:『自分の命も等しく駒にする』ってところは、あの軍の連中と違うな……
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、 
アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。
また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。


【世田谷区・七草にちか(弓)のアパート付近/一日目・夜】

【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:健康
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
0:ライダー(アッシュ)を"使う"。だがまずは"七草にちか"同士で顔合わせをさせる。
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:首尾よくライダー(アッシュ)と組めた場合"割れた子供達"を滅ぼす。その為の手筈と策を整えたい。
3:いざとなればマスターを信頼できるサーヴァントに預けて、手段を選ばない汚れ仕事に徹する。マスターには復讐にも悪事にも関与させない。
4:『光月おでん』を味方にできればいいのだが
5:"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と嫌悪。『善なる者』なら蜘蛛を制するのではないかという読み。
[備考]ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
七草にちか(弓)と七草にちか(騎)の会談をセッティングしました。


666 : ◆0pIloi6gg. :2022/01/08(土) 18:20:01 PJGcmM1g0
投下終了です。


667 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/10(月) 13:51:35 U5CPV0Wk0
死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)
星野アイ&ライダー(殺島比露鬼)
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ) 予約します


668 : ◆0pIloi6gg. :2022/01/10(月) 15:09:57 oSdx2G1M0
>>ヴィランズ・グレイト・ストラテジー~タイプ・アサルト~
派手な戦いこそないものの、キャラクターの会話と心情描写がめちゃくちゃ巧みで非常に読み応えのある作品でした。
連合に加入するための面接に立たされる田中の小市民感とその中にある月並みな異質さ、そしてそれを歓迎するアラフィフに始まり、
新宿事変を指して"先を越された"という風に感じる弔もまた非常にらしくて、彼のこの先の伸びしろをとても強く感じましたね。
そして遂にクエストの向かう先も決まり、空魚&甚爾組もいよいよ大きく動く時が来たなと……!
この空魚のパートがまた実に良くて、読んでいて何かこう、コラーゲン的なものが得られた気がします。ぷるぷる。

素敵なご投下ありがとうございました!

紙越空魚&アサシン(伏黒甚爾)
アサシン(吉良吉影)
仁科鳥子&フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ) 予約します。


669 : ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:04:36 V5piiRec0
投下します


670 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:06:04 CoQnUEw60
 松坂さとうと飛騨しょうこの二人はタクシーの後部座席で揺られていた。
 路面状況はお世辞にも空いているとは言い難い状態だったが、そこはどうやらやり手の運転手を引けたらしい。
 空いている道をうまく選択し続けてくれ、結果思ったよりも早く目的の地域に辿り着けそうだった。
「それにしても…お嬢ちゃん達、本当に気を付けるんだぞ? 家族と早く会いたい気持ちは分かるが……」
 二人の目指す先は中央区。
 件の大惨事が起こった新宿とは一区隔たれた位置にあるが、しかしだから安全だなどとは口が裂けても言えないだろう。
 人の良さそうな運転手の忠告に愛想笑いで無難な受け答えをするさとう。
 そんな彼女を横目で見ながら、しょうこは浮かない顔でこう思っていた。
“覚悟してたことではあるけど……やっぱり涼しい顔ではいられないわね”
 さとうと一緒に戦うことを選んだ手前これみよがしな溜息はつけない。
 不安と緊張を心の中に秘めてしょうこは窓越しに流れていく町並みに視線を移した。
 つい先刻までは北区にあるさとうのマンションで過ごしていたしょうこ達。
 彼女達が安全な住処を出て事の爆心地に近付くのを選んだ経緯は、ざっと以下のようなものである。


「何よこれ……」
 二人がその事件を最初に知ったのはSNSのニュース速報だった。
 絶句するしょうこと、そんな彼女とは裏腹に素早くテレビを点けたさとう。
 しかし次の瞬間、テレビ画面に映し出された現地の映像を見た時にはさしものさとうも言葉を失った。
 聖杯戦争が現実感だとか常識的だとかそういう範疇から逸脱した儀式であることは百も承知していた筈なのに。
 それでもさとうをして言葉を失うほど、最強と最強の激突という災害に見舞われた新宿の有様は凄まじかった。
「……アーチャー。これって」
「ああ。間違いない」
 ようやく沈黙を破ったさとうはまずしょうこのアーチャー、GVに意見を求めた。
 新宿で生じた被害を焦った調子で伝えるニュース番組の中では一つ、明らかに異質な情報を伝えてもいたからだ。
 それは天を埋め尽くすような巨大な"青龍"の姿が記録された映像。
 件の龍の姿形と大きさは、さとうがGVから聞いていた龍に化ける怪物の特徴と完全に一致していた。
「ボクが戦ったあの青龍(ライダー)だ。この分だとボクが与えたダメージはとっくに消え去っているようだね」
「それじゃ…あの時令呪を使ってでも逃げたのは正解だったってことよね」
「そうだね。ボクもみすみす負けてやるつもりはなかったけど……実際、あのまま戦い続けたなら敗れていたのはボクだったろう」
 強大なサーヴァントだとは思っていた。
 だがこれほどのことを出来るというのは流石に想定していなかった。
 その点、令呪を使って逃走したしょうこの判断は間違いなく正しいものであったと言える。


671 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:07:03 KI6SDHX20
「不謹慎かもしれないけど……正直安心したわ、さとうんちが新宿から遠くて」
 そんな言葉を口にすることにも罪悪感を感じるしょうこは、やはりとても真っ当な人間だと言う他ない。
 たとえいずれ消え去る命だとしても、一万人以上もの死者の存在はしょうこの心にずっしりと重くのしかかった。
 聖杯戦争の真の恐ろしさを垣間見たしょうこの顔色は悪い。
 そのことを察していたのはGVと、そして彼女の親友であるさとうだった。
「しょーこちゃんに相談なんだけどさ」
 相談、という言葉を使ったことに打算的な意図はない。
 これはさとうなりのしょうこに対する誠意だった。
 あんなに庇い立てていた神戸あさひを捨てて自分を選んだ彼女。
 一度己を殺した相手を健気に信用してしまう小鳥のことを愚かしく思わなかったといえば嘘になる。
 だがその愚かしさは結果として、さとうにとっての"飛騨しょうこ"の信用度を引き上げていた。
「これからどうするべきだと思う? このまま私の部屋で晩ごはんでも食べるか、それとも打って出るか」
「打って出るって、そんな…、……いや、逆に私から聞くわ。アンタはどうしてあの惨状からその選択肢を思い浮かべたの?」
「あれだけの戦いがあって動かずいられるのは、私達みたいな爆心地から遠く離れた場所にいる人間だけ」
 新宿で起こった戦いは単なる小競り合いの域に留まっていない。
 一つの区を壊滅に追いやるほどの壮絶な激突だ。
 死者の数もさることながら、インフラやその他様々な方面に甚大な影響が出ているだろうことは想像に難くない。
 それほどの大きなイベントが起こったとなれば否応なくその周辺の連中は動くことを余儀なくされる。
 さとうが注目しているのはひとえにそこだった。
「要するに火事場泥棒みたいなものかな。動きたくもないのに動かなきゃいけなくなった奴らを狩るの」
「で、でも…それって危なすぎない? 新宿にはまだあの化物みたいな連中が居座ってるかもしれないのよ?」
「新宿には行かないよ。その近くを狩場にするだけでも十分だと思う」
 しょうこはさとうの答えに舌を巻いた。
 やはりこういう状況での判断力なら自分とさとうの間には無限大の差がある。
 こんな理路整然とした方針を突きつけられては、とてもではないが新宿の戦いに巻き込まれた犠牲者達に対する哀悼の念など滲ませられなかった。
「しょーこちゃんのアーチャーはさっきの映像に出てきた龍とある程度戦えるくらいには強いんでしょ?
 私のキャスターも…まぁ人格はともかく……実力は確かだから。二人で組めばよっぽど規格外な相手でもない限り優位に戦えるんじゃないかな」
「さとうちゃん?」
 童磨の抗議は当たり前ながらスルーする。
 しょうこも、そしてGVもそれに突っ込もうとはしなかった。
 下手に反応して彼に絡まれるのは本当に嫌だという意思がその無言から伝わってくる。
「しょーこちゃんが嫌だって言うんなら理由は聞くけど、でも今は攻めるチャンスだってことだけは覚えておいて」
「……アーチャーはどう思う?」
 さとうとしょうこは今でこそ同じ行き先を見据えて手を繋いでいるが、二人が持つ争いごとに対しての適性は雲泥の差である。
 あくまでもしょうこは背伸びをした素人だ。
 真っ当な良識と倫理観を持った善良な少女が頑張って背伸びをして、どうにか人でなしになろうとしているのが今の彼女。
 しょうこもそれは自覚している。
 だがそれを逃げ道にする気はなかったし、こうして自分のサーヴァントに助け舟を求めたのも自分の未熟さを自覚しているからだった。
「作戦としては悪くないと思うよ。ただ、同時にかなり危険だとも思う」


672 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:07:54 KI6SDHX20
 愚図が気持ちだけでがむしゃらに出す即答よりかは、周りの意見を参考にして出した丸っこい結論の方が絶対いいに決まっている。
 第一そうでもしなければしょうこはさとうの方針に控えめに頷くだけの存在と化してしまう。
 二人を比べた場合、優れているのは何をどう考えたってさとうの方なのだから。
「さとうの推測は多分正しい。でも、それを踏まえた上でマスターが乗り気になれなくても当然だ。
 そうならないように努力はするけど、ボクらが首尾よく狩る側でい続けられるかは分からないからね」
「飛んで火に入る夏の虫……ね。もしそうなったら」
 大きなリターンを得ようと思うなら当然それに見合うだけのリスクを背負う必要がある。
 世の中そう美味い話はないということだ。
 しょうこはGVの意見を胸の中でしっかり噛みしめる。
 決意という麻薬で麻痺させていた恐怖心が再び渦を巻き始めるのが分かった。
「それでも勝負するの? さとう」
「するよ。新宿の件で危機感を覚えてそこかしこに同盟が乱立するようなことになったら、此処で攻めに出ること以上のリスクを負うことになる」
 さとう達のサーヴァントとて決して弱くはない。
 もしも弱かったならそもそも此処まで勝ち残れていないだろう。
 しかしGVの言う通りリスクの高い選択であることも当然分かっていた。
 それでも進撃案を推す理由は、此処で競争相手を減らしておかなければという感情によるものだった。
「みんな考えることだと思うんだよね。同じマスター同士で同盟組むのって」
「あー…正直それは分かるかも。安心出来るものね」
「私達と同じくらいの……二組規模の同盟だったらまだ太刀打ち出来るけどさ。もっと大規模にやってる奴らがいたら怖いと思わない?」
「それは……確かに、やばいわね。純粋に物量だけで押し潰されちゃうし」
「正直私は、もう今の時点でかなりの大規模同盟が成立してるものだと考えてる」
 さとうは自分達の戦力を過小評価はしていない。
 気に入らない童磨もしょうこのGVのことも、ある程度その戦力の輪郭を正確に捉えて評価していた。
 だがその一方で彼女は自分達の脆さについても自覚的だった。
「そいつらの足並みを適当なところで崩さないと私達は最悪詰む」
「……っ」
「例えばだけどさ、しょーこちゃんの家を壊して新宿を焼け野原にしたあのライダーがそんな大同盟を抱えてたらどうなると思う?」
 答えは一つだ。
 考えたくもない。
 まさに悪夢。取り付く島などある筈もない。


673 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:08:45 1J.4SjXY0
「だから今動いておきたいの。あまり積極的に探すつもりはないけど、もしかしたら私達のこの同盟も拡張出来るかもしれない」
 さとうの考えを聞いて内心認識を改めていたのはGVだった。
 自分のマスターを悪く言うつもりはないと断っておくが、それでもさとうはマスターとしてしょうこより確実に優れていた。
 善し悪しではなく頑然たる事実としての話だ。
 彼女は少なくとも自分の抱く狂おしい愛に支配されるばかりの存在ではないのだと、GVは密かに理解する。
「…分かった。アンタの心配はもっともだわ」
「分かってもらえて嬉しいよ。じゃあすぐに出発ってことでいい?」
「いいけど、でも一つだけ釘を刺させて」
 ずいっとしょうこが身を乗り出した。
 表情を変えないさとうの沈黙を肯定とみなし彼女は言う。
「もしもアンタが私に不満を感じたり、至らないところがあると思ったら……その時はすぐに言って」
「そのつもりだけど……いきなりどうしたの?」
「……私とアンタは最終的には敵同士だって分かってる。でも、一方的に切り捨てられるのは寂しいでしょ」
 過去のあの時は話し合うことすら出来なかった。
 しょうこはさとうが自分にやったことを根に持ってはいないが、心の傷まではそう簡単に消せない。
 生命活動の継続という現世利益とは関係なしに、しょうこはもう二度とあんな思いはしたくないと思っていた。
 なんで、どうして。
 そんなことだけを考えながら自分が自分でなくなっていく、物言わぬ何かに変わっていくあの感覚はもう二度と味わいたくない。
 だからこうして改めてさとうに求める。
「私も直せるところは直すからさ……おこがましいかもしれないけど私、アンタとは親友同士だと思ってんのよ。
 そのくらいの間柄なんだから――何でも話したいし、話してほしいの」
 お互いもっと話をしようと。
 そうすれば自分は聞くし、そっちにも自分の話を聞いてほしい。
 そういう訴えだった。
 さとうにとってその訴えは取るに足らない、下らないものでしかない。
 松坂さとうにとって世界の中心は神戸しおであり、それ以外の有象無象の価値は等しく陳腐だ。
 だが飛騨しょうこに関して言うならばその枠組みに含めていいかは微妙であった。
 過去、自分の秘密を知った彼女を殺した時。
 その時さとうが感じたのは――確かな命の重みであったのだから。
 神戸しお以外のすべては等しく羽毛の如くなりと。
 そう価値を決定づけていた筈のさとうが感じるにしてはおかしな重み。
 当時のさとうであれば不合理の一言で片付けてしまうのだろうが、不思議と今のさとうは違った。
「……分かった。じゃあ何かあったら遠慮なく言うね」
 この世界での自分は。
 正しくはしょうこと再会してからの自分はらしくないなと、さとう自身そう思う。
 利用するだけして使い潰すべき相手の言うことにいちいち驚くなんて、此処に来る前の自分では考えられないことだ。
 でもその理由は分かる。
 以前のさとうならばいざ知らず。
 今のさとうにならば、なんとなくだが分かる。
「その代わりちゃんと働いてね。私達のために」
「調子乗るんじゃないわよ、バカ。最後に笑うのは私だっての」
 彼女の存在は他の有象無象と同列ではなかった。
 飛騨しょうこと自分は、信じ難いことだけれど。
 思いのほか――ちゃんと友達だったらしい。
 そう分かったからこそさとうはしょうこの言うことを聞き流しはしなかった。
「……それは無理かな。勝つのは私だから」
 神戸あさひを切り捨てて自分の手を取った彼女に対して、さとうはらしくもなく一定以上の信用を抱いてしまっているのだった。


674 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:10:24 3kU4VdTg0


 ……以上が二人が家を出て動き出すまでのざっくりした経緯だ。
 買ってきた食糧(栄養食品、インスタント食品中心)をかばんに詰めて家を出てタクシーに飛び乗った。
 運転手にはかなり心配されたが、家族と合流したいからという言い訳をすれば特に粘られることもなかった。
 さとうのアドリブにしょうこも素早く話を合わせられたのは彼女も伊達にいろいろ遊んできたわけではないということか。
「でも流石に結構遠かったわね。タクシー代怖くなってきちゃった」
「多めに持ってきてるから大丈夫だよ」
 さとうが運転手に伝えた行き先は中央区だった。
 別に特定の誰かを狙い撃ちにして此処を目指したわけではない。
 危険地帯である新宿と程よい距離にあるのが何処か探してみて、たまたま中央区が丁度いい位置にあったというだけ。
「着いたらどうする? とりあえず今晩の宿でも決めた方がいいかな」
「目処だけはつけておきたいね。荷物だけ置いてそれから少し散策してみたいかも」
「ん…分かった。じゃあスマホで適当にホテル探しとくわ。
 安いところでいいわよね? 流石にセキュリティとか気にしないでしょ」
「うん、安いビジホでいいよ。お金も無限じゃないからね」
 慣れた距離感と歩幅の会話は淀みというものがない。
 直に長めの旅も終わる。
 そしたら今しょうこに対して言ったように当面の宿を見つけ、それからマスターとしての仕事に勤しむ。
 それが彼女達の当座の指針だったのだが――それを突き崩したのはやはりと言うべきか童磨だった。
“さとうちゃん。一つ耳に入れておきたいことがあるのだが”
“いいよ、言ってみて。返事するかどうかは聞いてから決めるね”
“非道いなぁ。その言い草じゃまるで俺が日頃ろくなことを喋らないみたいじゃないか”
 違うの? と聞かなかったのは童磨と会話する上では間違いなくパーフェクトコミュニケーションだ。
 彼とスムーズなやり取りをするには塩分を利かせた対応をするのがコツである。
 さとうはもちろんしょうこもGVもそろそろそのことを理解してきた頃だろう。
“で、何”
“中央区だったかな? この町に、多分俺の元上司がいるぜ”
“……。それ、本当?”
 童磨が念話で告げた内容にさとうは表情を硬くした。
 少なくとも彼女は何も感じていなかったし、見る限りしょうこもそうだ。
 この友人は裏で自分のサーヴァントに危機の訪れを伝えられて平静を保てるほど人間離れしていない。
 そう考えるとGVもやはり何も感じていないのだろうと思われた。
 となると気付いたのは問題児の童磨だけという状況になるのだったが……
“この全身の毛穴が逆立つような感覚は間違いなくあのお方……あぁ、今は鬱陶しい呪いもないのだったか。
 この世に最初に生まれた鬼であり、俺達を生み出した偉大な始祖殿。鬼舞辻無惨様の気配に違いない”
 さとうは意外にもそこに疑念を抱くことはしなかった。
 彼女は夢を通じて悪鬼童磨の生涯を垣間見ている。
 ならば当然、ただの哀れな青年を鬼に変えた諸悪の根源についても知識を持っていた。
“同族だからお互いを感知することには長けてるってことか”
“まぁそんなところだろう。まして相手は全ての鬼の産みの親だ”
“一応聞いておくけど、無惨の支配が今も生きてるってことはないよね”


675 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:11:28 y9ayhr5M0
“それはまったくないから安心していいよ、さとうちゃん。
 ただ…恐らくあのお方も俺が近くまで来ていることに気付いてる”
 全ての鬼は始祖、鬼舞辻無惨の生み出した眷属だ。
 臆病で小心な無惨は全ての鬼を常に監視し呪いという名の支配で縛っていた。
 今では支配は外れているようだが、それでも互いの気配くらいは感じ取れても不思議ではない。
 だからさとうは特に疑うことなく童磨の報告に納得した。
 だが問題はそこからどうするか、で。
“意見を聞こうかな。キャスターとしてはどうした方がいいと思う?”
“俺に意見を聞くとはさとうちゃんもずいぶん心を開いてくれたものだねぇ。俺は嬉しいよ”
 もちろんさとうはそんな戯言にはまともに取り合わない。
 童磨もそれは予想通りだったのか、特に粘るでもなくすぐに質問の答えを続けて述べた。
“無惨様は常軌を逸して苛烈なお方だ。領地の内に入ってなお俺が素知らぬ振りをしたと知れば……怒るだろうなぁ”
“味方になってくれる保証は?”
“それは交渉次第かな。生前なら有無を言わさず従わされてるところだが、今はそれがないから難しい話ではないだろう”
 さとうは少し考えてから、運転手に「此処でいいです」と告げた。
 タクシーが停まり、移動としてはなかなかにお高い運賃を支払ってしょうこ共々降りて中央区の大地を踏む。
 車のドアが閉まるなりすぐにさとうはしょうこに対して口を開いた。
「キャスターの知り合いがこの区にいるらしいんだよね。知り合いっていうか元上司だけど」
「え…アイツの上司? やめといた方がいいんじゃない? ……その、絶対ろくでもないでしょ」
 眉根を寄せるしょうこの言うことはもっともだ。
 童磨の人間性を抜きにしたって相手は人食い鬼の首魁だ。
 何も事前知識がなくてもヤバい相手だと分かる。
 無惨(かれ)に対する知識のないしょうこでさえごく自然に懸念の言葉が出るくらいには当然のことだった。
「うん、私もそう思う。ギャンブルになるのは否めないかも」
「まぁアンタのことだから私なんかよりいろいろ考えてるんだろうけどさ。自信はあるのよね?」
「自信があるかって言われたら微妙かな。でも打算ならあるよ」
 自分達ではどの道単独で都市を滅ぼせるような強豪達には敵わない。
 だから必要なのは兎にも角にも戦力だった。
 そのためなら多少のリスクは冒して然るべきだとさとうは考えていた。
「怖いのは、出会った瞬間こいつが支配されちゃう展開だけど……」
「あぁ、それはないと思うよ?」
 さとうの懸念に童磨が口を挟む。
「無惨様は、自分の部下の存在を知って悠長に待てるような気性はしておられない」
 尊敬しているのだか馬鹿にしているのだかよく分からない物言いだったが彼に限って他意などはあるまい。
 夢の中で垣間見ただけの相手ではあるが、無惨がこの鬼のことを好ましく思っていなかったろうことは優に想像がついた。
「今も無惨様の声すら聞こえてこない。あくまで気配と存在感だけだ。
 無言で圧だけかけるようなやり方は、俺の知るあのお方らしくないと言わざるを得ないなぁ」
「……そ。ならそこは心配ないか」
 お世辞にも言動に信用のある男ではないが、腐っても無惨に百年以上仕えてきた臣下である。


676 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:12:48 y9ayhr5M0
 それにさとうの中で形成された無惨という存在のイメージと合致する所見でもあった。
 無惨と会う選択に伴う最大のリスクはあらかじめ排せたことになる。
「いざとなったら私が令呪を使うよ。アーチャーもそれでいい?」
「決めるのはボクじゃなくてマスターだ。マスターに異論がないのなら従うよ」
 さとうとGV、両者の視線がしょうこに向く。
 しょうこは少し緊張した面持ちだったが控えめに一度だけ頷いた。
 まだ不安と懸念はあるのだろうが、石橋を叩き続けていては状況は進まない。
 他の参加者達に比べて明らかに出遅れている自分達が彼我の差を埋めるためには、多少のリスクは覚悟して受け入れなければ。
 修羅場を知らない未熟な小鳥にもそのくらいのことは分かっていたから、ぎこちなくでも友の肩に乗る方を選んだようだ。
「交渉とかそういうのは任すわよ。いざとなったら私も、やれる範囲でアーチャーに暴れてもらうから」
「うん。その時はお願いね」
 ナビは無惨の気配に慣れ親しんだ童磨が務める。
 無惨に対して合流の意思があることをアピールするためにも実体化を保たせ、気配をより濃く放たせている。
 下手すれば死地になりかねない場所に向かう緊張感から高鳴る心臓。
 その居心地悪さを紛らわすためにか、しょうこはさとうに話を振った。
「……アンタとはいろいろ一緒にやってきたけどさ、何気に修羅場ったことはなかったよね」
「たかが男漁りだったしね。変な人はたまにいたけど、そういう人は物腰見てればなんとなく分かったし」
「あ〜…それ分かる。なんか笑顔が不自然なのよね、良からぬこと企んでる男って」
 ずいぶん昔のことのように感じられるが、実は足を洗って久しいと言えるほどの時間は経っていない。
 さとうは自分の運命と出会って無軌道で無意味な遊びを止め、しょうこも彼女に続く格好になった。
 あの頃からまだ数ヶ月しか経っていないと考えると、此処最近の時間がどれだけ濃密なものだったかがよく分かる。
 さとうにとっても、しょうこにとっても。
“この戦いもきっとそうなんだろうな”
 この先自分達の同盟がどんな結末を辿るとしても、きっと最後に振り返った時思うことは一つなのだろう。
 あっという間だった。もう終わってしまった。
 もしかしたらこの先数時間。長くてもきっと数日。
 自分がさとうと過ごせる時間はせいぜいその程度。
“それなら、せめて……”
 せめて、もう一度会えてよかったと思えるように。
 そして――思ってもらえるように。
 最後に勝つのは自分だとそう信じつつも、この再会を蔑ろにだけはしたくないから。
 しょうこは隣を歩く親友の横顔を見つめながら、神様のくれた奇跡のような今を改めて噛み締めた。

    ◆ ◆ ◆

「…………」
 童磨の誘導(ナビ)に従って辿り着いた先は富裕層がこぞって居を構える高級住宅街だった。
 正しくはその中に紛れるようにして建っていた一軒家。
 豪邸と言っていい佇まいだが木を隠すなら森の中とはよく言ったもので、この一等地にあっては一切浮いたものは感じられない。
 此処に恐ろしい鬼が巣食っているなど、傍から見ただけでは想像することも出来ないだろう。
「さ、さとう…。此処に住んでるのってまさか……」
「うん。そうみたいだね」
 備え付けのインターホン。
 その真上に貼られた表札に二人の目は釘付けとなっていた。
 そこにあった苗字は『松坂』。
 偶然か? いや、さとうもしょうこもそうは思わない。
 さとうに至っては元より"彼女"の存在を直感していたから余計にだ。
 つくづく、奇縁だ。
 界聖杯が恣意的に自分の周りの人間ばかりを生き残らせたのではないかと勘繰りたくなってくる程に。
「多分、叔母さんだ」
 とはいえ叔母の存在はさとう達にとって追い風だった。
 味方に付けられる可能性が高いのもそうだし、何より鬼舞辻無惨という危険すぎる相手を制御しているのが知己の相手だというのは大きい。
 油断は相変わらず禁物だが少しだけ肩の力を抜いてさとうはインターホンを押す。
 しょうこはと言えばまださとうの叔母に対する苦手意識が抜けていないのか、まだ緊張した様子だったが。


677 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:14:00 zKXX//6U0


 ぴんぽーん、ぴんぽーん。
 呼び鈴の音が響いて数秒する頃。
 がちゃりと内側からドアが開かれた。
 姿を現したのは、ああやはり。
 さとうにとっては見慣れた、しょうこにとっては苦い思い出のあるその顔。
「あら、さとうちゃん。久しぶり。元気にしてたぁ?」
「うん。叔母さんみたいな人が生き残ってるとは思ってなかったけどね」
「うふふ、私の力じゃないわよ。私はな〜んにもしてないから」
「だろうね」
 この人は変わらないな。
 さとうは冷めた瞳のままそう思う。
 いや、この人を変えるなんてことはきっと地球上の誰にも無理だろう。
 松坂さとうの叔母は多分、精神のつくりが普通の人間と違うのだ。
「中に上げてもらってもいい? 叔母さんのサーヴァントに用があるの」
「きぶ…バーサーカーくんに? ふふっ、あの子にも友達がいたのねぇ……」
「なんにも聞かされてないの? 私達、そのバーサーカーに呼ばれたんだけど」
 これだけの会話でも叔母達の主従関係がどんなものであるかは理解出来た。
 バーサーカーこと鬼舞辻無惨はこの女を完全に持て余している。
 元々マスターなどという要石を相手に相互理解など試みるとは思えない傲慢な鬼なのだ。
 そんな人物がよりによってこんな人間に召喚されたとあっては……。
 さぞかし神経を逆撫でされる毎日を過ごしてきたのだろうなと、さとうはそう思った。
「とりあえずいいわよ、中に上がって。小鳥さんも一緒にね」
「あ…、……ありがとうございます。お邪魔します……」
「ふふっ……なんだか前より逞しくなったんじゃないかしら。これからもさとうちゃんと仲良くしてあげてね」
 さとうとしょうこの間にあったことを知っておきながら、平気でこんなことを言う。
 もちろん悪気などあるはずもない。
 彼女には、そういうものはないから。
 だからこそ尚更始末に負えないのだったが、そのことを彼女が自覚する日はきっと来ないのだろう。
「大丈夫、しょーこちゃん」
「……うん。入りましょ、さとう」
 けれど飛騨しょうこという小鳥が以前に比べて逞しく成長しているのは事実だった。
 臆病風を吹き飛ばすように力強く頷いて、しょうこはさとうの後に続く。
 そんなしょうこにGVが念話を飛ばした。
“マスター”
“大丈夫よ、心配しないでアーチャー。もう平気だから”
“いや――そうじゃない”
 GVの語気には忌々しげな嫌悪感が籠もっていた。
 何かひどく悍ましいものに触れたようなそんな声。
“もしもいざという状況になったら、惜しむことなく令呪を使って此処から離脱するんだ”
“……それって、この家にいるバーサーカーが危険だから?”


678 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:14:59 tdXuncF.0
“危険度なら板橋でボクが見えた龍の方がずっと上だろう。
 でも…この家は腥(なまぐさ)すぎる。血と、臓物と……死の臭いが汚泥のように堆積している”
 GVは英霊の座に至るまでに様々な敵と戦い、それを斃してきた。
 中にはどうしようもない奴もいた。
 理解不能の倒錯者だっていた。
 だがこの先でこれから自分達が邂逅する存在は、そんな彼らと比べても格段に救えないものであるという確信がGVにはあった。
 相互理解など試みるだけ無駄だ。
 この臭いの主と分かり合えたというのなら、それはもう人間と呼べる存在ではない。
“さとうを置き去りにすることに抵抗があるなら彼女のこともボクがなんとかする。
 だから判断は誤らないでほしい。ボク達が足を踏み入れたこの家は、人外魔境の伏魔殿だ”
“……分かった。その時は言われた通りにする”
 化物の腹の中に入るのだ、選択するタイミングを見誤れば何もかもを失うことになる。
 そう思っての忠告だったし、しょうこも此処にいる鬼が極めて危険な存在だということは聞いていたため素直に首肯できた。
 と。
“でもちょっとびっくり。アーチャーはさとうのこと邪魔がってると思ってたから”
“百パーセントの信用を置ける相手ではないからね。警戒しなきゃいけない対象が増えるという意味じゃ、その認識も間違いではないよ”
“私のためとはいえ、私が言ったらさとうも助けてくれるなんて。二人で買い物に出かけて、もしかしてちょっと打ち解けた?”
“別に打ち解けてはいないと思うよ。彼女の側がどうかは知らないけど”
 GVは一拍置いて。
“ただ……少し印象は変わったかもしれない”
 そう締めくくった。
 しょうこを殺したという少女は思っていたよりずっと人間だった。
 破綻してはいても狂人と呼べる存在ではなかった。
 ひょっとすると――だからこそなのだろうか。
 飛騨しょうこという小鳥が一度その命を壊されても尚、もう一度彼女のところに飛んでいったのは。

    ◆ ◆ ◆

 部屋の中はごくごく普通の今風だった。
 蛍光灯が照らし出す豪奢な、それでいてある種の慎みを持った内装。
 白を基調にした壁紙と肌触りの良さげな絨毯。
 デスクの上にはパソコンが置かれ、モニターには株式関連であろうグラフや数字が所狭しと踊っている。
 そんな何処からどう見ても現代の部屋といった内装の中で。
 その"鬼"は殺気にも似た不機嫌を隠そうともせず来訪者達を迎え入れた。
「……聞いていた特徴と一致する。よもや貴様、松坂さとうか?」
「……はい」
 成る程、これは――確かに恐い。
 さとうでさえそう思った。
 体の奥の本能的な部分が警鐘を鳴らしているのが分かる。
 しょうこは唇をぎゅっと噛んで、微かに体を震わせていた。
 しかし傍若無人な鬼の始祖が女子供の怯えに配慮などするわけもない。


679 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:15:46 dXLo8DnQ0
「童磨を出せ」
「分かるんですね」
「上弦(やつら)は私の血を分け与えることで鬼になった存在だ。
 腹立たしいことに今は呪いも監視も機能していないが、それでも気配で個体を識別することくらいはできる」
 無惨の目が鋭く細められる。
 猫のそれを思わせる鋭い瞳孔の目がさとうを睨め付けた。
「私に同じことを二度命じさせる気か?」
「いえ。……出ていいよ、キャスター」
 何気にしょうこ達に真名がバレてしまったが、気にするだけ無駄だろう。
 さとうの言葉に呼応する形で血染めの髪を揺らし、虹瞳の鬼が実体化した。
 恭しく片膝を突いて頭を垂れる鬼(かれ)の名は童磨。
 臣下のように傅く童磨であったが、それを見下ろす無惨の表情は一切緩まない。
 それどころか発せられる殺気の桁が跳ね上がったようでさえあった。
「お久しゅうございます、無…おっと。今はバーサーカー様とお呼びするべきか」
「当たり前だ。相変わらず腐った脳をしているようだな」
「また酷いことを仰る。俺は貴方の存在を知るなり、真っ先にこうしてお傍に駆け付けたというのに」
「真っ先にだと? 遅い。聖杯戦争が始まってから一月経っている。
 貴様は私の存在を感じ取ったその日に、草の根を分けてでも私の許へ飛んで来なければならなかった」
 言っていることは無茶苦茶だが、彼の中ではそれも立派な理屈なのだろう。
 人を喰い殺して笑う悪鬼達でさえもが恐れた鬼舞辻無惨。
 同族に対する絶対の支配権を持ちながら、あまりに気性の激しすぎる活火山のような男。
 サーヴァントとして別なマスターの許に召喚されている以上、種族は違えど敵同士だという道理は理解していても……それがどうしたと無惨は不変。
 上弦としての役目を果たせと臆面もなくそう言い放つ。
「その娘を捨てて私に隷属しろ。解けた呪いを今一度刻み直してやる」
 無惨の言葉は何であれ絶対の正当性を持つ。
 それが鬼の世界における掟だ。
 破った者は誰であれ例外なく処刑される。
 たとえ心の中であろうと無惨に異を唱えることは許されない。
 上弦である童磨がそれを知らない筈はなかったが。
「ん〜……非常に心苦しいのですが、それは承服しかねます」
 さとうには無惨の顔に亀裂が走ったように見えた。
 血管がビキビキと隆起したのがそういう風に見えたのだ。
 次の瞬間無惨の腕が童磨へと高速で振り下ろされた。
 家の床が破砕してしまうことなど気にも留めない"癇癪"だった。


680 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:17:06 X.4tYPjM0
「何故避ける」
「ははは。貴方に触れられては俺とてひとたまりもないのです、勘弁してくださいませ」
「見ない内にずいぶんと物の道理が分からなくなったようだな、童磨。
 貴様は私の願望を叶えるためだけに生み出された同族だ。意思決定が叶うなどと思い上がるな。
 まさか貴様に限って聖杯の恩寵が惜しくなったわけでもあるまいに。
 黒死牟ならば、猗窩座ならば、即断即決で私に頭を差し出していた筈だ」
 さとうとしょうこの思考は今共通していた。
 此処に来た選択は間違いだったかもしれない。
 最悪、どうしようもないことになる前に令呪で逃げた方がいいか……?
「いやぁ。誠にお恥ずかしい話なのですが……」
 マスター達の焦燥をよそに童磨は笑った。
 頬を微かに染めて、まるで照れたみたいにだ。
 彼を知る者が見たら誰であれ気味の悪さを感じ取るだろう、そんな表情をした。
「そのまさかなのですよバーサーカー様。俺にも聖杯にかける願いができました」
「……何?」
 無惨の眉間に皺が寄る。
 この男を困惑させた鬼など未だかつてあったかどうか。
「覚えていますかな。鬼狩りの柱の……」
「そんなものを私が記憶していると思うか?」
「でしょうなぁ。では結論から申しましょう。
 ――恋をしたのですよ、俺は。あの日無限城で散る今際の瞬間に!
 人の心をついぞ理解できなかったこの魂に、初めて熱が灯ったのです!」
 童磨の高揚した調子での告白。
 それを聞いた無惨の内心は一言だけだった。

“何を言っているのだ、こいつは……?”
 無惨は童磨の宿業を知っている。
 彼は人の感情を持たない伽藍の洞だ。
 明るい言い回しも浮かべる喜悦も全ては猿真似に過ぎない。
 だからこそ眷属の心が読める無惨にとって、童磨はある種嫌悪の対象でもあった。
 表面上の忠心と冷え切った内心という矛盾した二面性が彼に限っては両立する。
 もしも鬼としての実力が高くなかったなら、彼は何処かの頃合で無惨に殺されていたに違いない。
 そんな男が何やらわけの分からないことを言っている。
 恋を知った、心に熱が灯った――こいつが? よりにもよって、こいつが?
「……その下らない妄執に憑かれ、貴様は私の聖杯を掠め取ろうと思い立つに至ったのか」
「バーサーカー様に逆らうのは俺もとても恐ろしい。ですが……愛というのは障害に満ちたものと聞く。
 であれば僭越ながら俺は、貴方の悲願を追い越させていただくことにします」
「愛などという妄想のためにか?」
「いかにも!」
「そうか」
 疑問は尽きない。
 一体どういう風の吹き回しか。
 死に際に何を見たというのか。
 こいつの空洞をさえ埋める、それも人の力とやらの一つなのか。
 尽きなかったが、しかし無惨の取るべき行動は改めて決まった。

「死ね」

 童磨(こいつ)は殺す。


681 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:17:59 X.4tYPjM0
 もはや新しく呪いを刻む価値も見出せない。
 それほどまでに今のは不愉快な体験だった。
 増やしたくもないのに仕方なく増やした同族。
 存在するだけで脳の何処かが苛立ちでささくれ立つ"ままならなさ"の象徴。
 それが何やら意味不明なことを言いながら自分の意に背いてきた。
 そんな従僕は必要ない。
 細胞から分解させて跡形もなく消し去ってくれよう。
 無惨の肉体が膨らむ。膨張する。
 始祖と眷属の間にある力量差は天と地だ。
 たとえ上弦の壱である黒死牟ですら無惨には届かない。
 であれば上弦の弐たる童磨を食らうことはどれほど容易か。
「……叔母さん!」
 一計を案じたのはさとうだった。
 無惨は手のつけられないサーヴァントだが、この世界に限っては彼にも手綱がある。
 そしてそれを握っているのは他でもない、松坂さとうの叔母その人だ。
「駄目よ、バーサーカーくん。その子を虐めないであげて?」
「口を挟むな」
「うふふ、挟むわよ。だってその子はさとうちゃんの…私のかわいい姪っ子のサーヴァントなんだもの。壊されちゃ悲しいわ」
「貴様は、何処まで……!」
 さとうは考える。
 無惨はさとうの想像以上にどうしようもない男だった。
 癇癪持ちの癖して力ばかりべらぼうに強いなんて厄介過ぎる。
 クズの上司はやはりクズか、と辟易すら覚えた。
 だが童磨と無惨で違うのは気位の高さ、高慢さ。
 童磨はマスターに令呪で従わされようが何とも思わないだろう。
 しかし無惨は恐らく違う。
 彼にとって人間に従わされることは……中でもいっとう気に入らないこの叔母などにそうされることは、最悪の屈辱なのではないかと考えた。
「私からもお願いします、バーサーカーさん。
 キャスターの非礼はお詫びしますから話を聞いてください」
「私と何を話すというのだ。売女の血筋めが」
「貴方はこのままじゃ聖杯を手に入れられない」
 空気が凍った。
 火事場の只中のように赤熱していた空気が今度は極地の極寒に変わった。
 それほどまでにさとうの言葉が鬼舞辻無惨の現状を鋭く言い当てていたということ。
「分かっていますよね。貴方のマスターには聖杯を狙う熱がない。
 自分からあちこち動いて敵を見つけるでも、情報を得ていくでもない。
 お察しします。その人のことはよく知ってるつもりだから」


682 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:18:47 OUMD9HDk0
 さとうの叔母には飛び抜けた異端の才能がある。
 それは人を堕落させること。
 彼女の信じる"愛"で駄目にしてしまうこと。
 その一点において彼女に勝る人間をさとうは未だかつて見たことがない。
 しかし一方で、その一点以外はからっきしだ。
 情熱もなければ執着もなく、悲嘆や憐憫を動力に動くでもない。
 ただ、自分の世界の"愛"だけを振りまく存在。
 鬼舞辻無惨のマスターであり、松坂さとうの叔母であるこの女はそういう人間なのだ。
 まさに異常者。社会に混ざることのできない、混ざってはいけない人間。
「日光を浴びることができない貴方が、マスターの積極的な行動なしに勝ち抜くことはとても難しい」
「…………」
「手を組みませんか。そうすればマスターの不在という問題をクリアできますよね」
「何を考えている」
 さとうの言うことはすべて正論だ。
 日光に嫌われた体質が英霊になってからも健在である以上、無惨が単独で聖杯戦争を制するには夏の夜間帯というわずかな時間に縋るしかない。
 だが東京は広い。
 そのわずかな時間を闇雲に動き回るだけでは効率が悪すぎる上、他の主従の結託に対してあまりにも弱すぎる。
 無惨がいくら強大だといっても彼には新宿を焦土に変えたあの二体ほどの抜きん出た強さはない。
 今のまま聖杯戦争を続けていけば……いずれ無惨はごくごく順当に負けるだろう。
「取引になっていない。そこの小娘ならばいざ知らず、松坂さとう。貴様には私を斃す手段がないだろう」
 ならばこの話、無惨にとって乗らない理由はない。
 そう見える。
 が、無惨は見逃さなかった。
 自分の眷属である童磨を従えている限り、さとうは絶対に己を打ち倒すことができない。
 この先を順調に勝ち進んでいった場合、その時さとうは自分が結んだ同盟関係という名の壁に直面して詰むのだ。
「何を目論んでいる。この私を謀るというなら万死に値するが」
「…そう警戒しなくても、童磨(こいつ)はそのうち捨てますよ。叔母さんにでも譲ります。
 そしたらバーサーカーさんは私と新しく契約し直せばいい。私にはちゃんと願いもありますから」
 さとうは小さく溜息をついて無惨に答えた。
 どうせこの叔母に願いなどないだろうし、喜んで踏み台になってくれるだろう。
 二人を横目に叔母が童磨へ「あら〜〜」と微笑み。
 童磨も「さとうちゃんったら俺に本当つれないんだよ叔母さん〜」とそれに答えているが当然拾わない。
 構えば構っただけ疲れるのだから触らぬ神に祟りなしだ。
 奇しくも異常者(叔母)(童磨)への対処法はさとうも無惨も同じだった。


683 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:19:42 OUMD9HDk0
「ただ……」
 別にさとうとしては今すぐ童磨を捨ててもよかった。
 というかそれが一番合理的だ。
 ベクトルは違えど同じように性格が終わっているのだから、強い方を取った方がいいに決まっている。
 だからこの先は非合理の世界。
 他人から見ればちっぽけな、でも本人にとっては譲りたくない意地だ。
「少しこいつに証明してやりたいことがあって。
 契約をし直すならその後になると思います。
 バーサーカーさんが呑んでくれるならの話ですが」
「……下らん。理由を聞く気も起きん。
 暫く見ない間に白痴を通り越して気違いになった屑と比べ合う意地など、取るに足らぬに決まっている」
 ――鬼舞辻無惨は愛を知らない。
 否、知る気もない存在だ。
 そんな下らないものに命を懸ける輩の気が知れないとすら思っている。
 そんな無惨はさとうの素性について、他ならぬ彼女の叔母から聞いていた。
 他所の家の娘を誘拐して愛を育み合うなどとんだ破綻者だとその時は思ったが、こうして話してみると……。
“叔母に比べれば幾分使いでがある、か……”
 頭の回転が速く話もまともにできる。
 自分の破綻を内側に納めて振る舞うことができる。
 その上非情な判断も下せる。
 愛などという病じみた疾患を抱えているのは玉に瑕だが、そもそも無惨はこの手の輩の相手は慣れていた。
 息を吐くように虚言を撒き散らす老爺や芸術狂いの奇人すら鬼に変え、何百年と関わってきた無惨なのだ。
 理解の及ばない相手であろうとも能力があってなおかつその存在が自分の利になるのであれば……利用するのもやぶさかでない。
「だが私がこの狂った女のせいでろくに動けず、不本意な後手に甘んじさせられているのは事実。
 非常に業腹だが貴様の話を呑んでやろう、松坂さとう。
 私の悲願のために身を粉にして働け。鬼に変えて呪いを刻まないでやることを最大の慈悲と思え」
「ありがとうございます。同盟は成立ですね」
 さとうはぺこりと一礼する。
 無惨は未だ憤懣やる方ない様子で舌を打った。
 戦力の少なさという問題を抱えていたさとう達だが、それもこれで少しはマシになるだろう。
「話は終わりだ。私をこれ以上不快にさせる前に消えろ」
「バーサーカーさんはこの後外に出るんですか?」
「貴様らがどう動くのか決まったら伝えに戻れ。連絡先もその時渡せ。
 どの道その後私も出る。これ以上待ち惚けるのは癪に障る」
 ……呆れるほど不遜な物言いだったし待ち惚けとは何のことだか不明だったが、彼と関わる上では気にしないのが吉らしい。
「いくよ、しょーこちゃん」
「う、うん!」
 しょうこの手を取って粉塵が舞う部屋を後にするさとう。
 とりあえず、目下の問題はなんとかなった。


684 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:21:07 OUMD9HDk0


「やっぱり凄いわね…アンタ。私なんて息するだけでやっとだったわよ」
「叔母さんがいたからね。そうじゃなかったら私だって逃げるしかなかったよ」
 鬼舞辻無惨のマスターがよりによって叔母だったことはさとうにとって最大の幸運だった。
 あれがなければさとう達は令呪一画を無駄にして帰ることになっていたのだ。
 もちろんそれだけの損害で済まなかった可能性もある。
 因果なものだとしょうこは感じていた。
 あの時は自分とさとうの仲を終わりに導いた叔母さんが、今回は打って変わって救いの光になるとは。
「うんうん、あの無惨様を相手に一歩も引かずに交渉を持ちかけるのは凄かったなぁ。拍手してやらなくちゃだ」
 霊体化する素振りも見せず、何がそんなに愉快なのかニヤニヤ笑っている童磨が口を挟んでくる。
 しょうこは露骨にイヤそうな顔をしたがそれで察してくれる童磨ではない。
 彼はわざとらしくパチパチ手を叩いた後で、思い出したように言った。
「それにしてもさとうちゃん、俺は感動してしまったよ!
 君があのお方に言っていた……"証明してやりたいこと"っていうのは――俺達の"愛"のことだろ?」
「俺達のって言わないで」
「俺もね、君の愛を見極めてやろうと思っていたんだよ。
 これで正式に勝負が成立したってわけだね。
 君の愛か、俺の愛か。どちらが正しい本物の"愛"なのか!」
「…別に貴方に付き合ってあげたかったわけじゃないよ」
 勘違いされては困るという風にさとうは童磨へ言う。
 さとうは童磨に対して新たに哀れみの感情を覚えた。
 だが今も変わらず彼女にとって童磨は嫌悪の対象だ。
 一刻も早く自分の視界から消し去りたい、無粋でがさつな冒涜者だ。
 そしてだからこそ、彼にしたり顔で消えられては困るのである。
 それでは自分の心にいつまでも…童磨の存在が残ってしまうから。
「散々不快にさせられた分をやり返したいってだけだから。ただそれだけのつまんない意地」
 童磨はそれに対しても何やら喋っていたが重要ではないので割愛する。
 いつも通りの壊れたラジオみたいな妄言だ。
 わざわざ聞く価値もないと、さとうは思考の照準をさっさと彼からずらした。
「しょーこちゃんの意見も聞きたいな。これからどうするのがいいと思う?」
「えっ…あ、えーと……。やっぱり敵を探して回るのがいいんじゃない? 元々そういう目的だったでしょ、私達」
「ん……そうだね。やっぱりそれがいいのかな」
 流石のさとうも先刻の大立ち回りは多少緊張した。
 それが無事成功に終わった今、予定通りに動くべきかそれとも何か方針転換を行うべきか。
 思考を巡らすさとうであったが、その思考をおもむろに切り裂く声があった。

「ねぇさとうちゃん、ちょっといいかしら」
「……叔母さん。さっきはありがとうね、助かった」
「うふふ、いいのよ〜。鬼舞辻くんはすっごく暴れん坊さんだから、本当に童磨くんを殺してしまうかもしれなかったし」
 まあ死んだら死んだでよかったのだが、その時は交渉の難易度が多少上がっていただろうことを思うとやはり叔母には感謝だった。
 それはそうと何の用なのか。
 再会を祝するという柄でもないだろうに――と思っているさとうに。
 叔母はいつも通りの笑顔を貼り付けたまま、天使みたいに絶望を突き付けた。


「しおちゃん、来てるわよ」


    ◆ ◆ ◆


685 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:21:55 OUMD9HDk0


 胸倉を掴んでいた。
 そのまま壁に押し付けていた。
 しょうこの制止も耳に入らない。
 らしくなく我を忘れながらさとうはそうしていた。
「苦しいわ、さとうちゃん」
「何処にいるの」
「うん、うん。教えてあげるから落ち着いて? お洋服が伸びちゃうわ」
 血が出るほど唇を噛み締めながら力を緩める。
 解放された叔母はけほけほと咳き込むが表情は崩れない。
 嘘だとは思わなかった。
 叔母はそういう冗談を言う人間ではない。
 嘘であってほしかった。
 童磨に指摘され、なるべく見ないようにしていたその可能性。
 ずっと目を背けていたその可能性がまさか的中してしまっていたなんて。
「昼間にね? とっても悪そうなおじさまと、ちょっとお馬鹿さんって感じの男の子が来たの」
 やや稚拙な説明だったが今は話の腰を折らない。
 さとうは黙って先を促す。
 しょうこは口も挟めず、ただ二人のやり取りを見守るしかできずにいた。
「鬼舞辻くんがその人達といろいろお話をした後で、私の閉じ込められてた部屋にも顔を出しに来てくれたのよ」
「…………」
「その時ね、男の子が言ったの。確かに"しお"って」
 おじさまも男の子もサーヴァントだったから、しおちゃんはきっとマスターね。
 あっけらかんと言う叔母の胸倉をもう一度掴みたくなった。
 その言葉の意味が分からないのかと怒鳴りかけて、それが無意味なことを思い出した。
 この女にそういうものを期待することは暖簾を腕で押すみたいなものだ。
 ひとえに、意味がない。
「まさか、そいつらに脅されて……」
「さとうちゃん」
 真っ先に思いついた可能性。
 それを思わず口にした矢先。
 叔母はさとうの唇にそっと指を当てた。
「だめよ。嘘をついたら」


686 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:22:41 OUMD9HDk0
「っ」
「あなたは頭のいい子だもの。分かってるでしょ?」
 ……日中この家を訪れ叔母の許に顔を出したのは"二人組のサーヴァント"だった。
 主従というのはその名の通りマスターとサーヴァントで一セットだ。
 他の聖杯戦争でどうかは知らないが少なくとも此処ではそれに例外はない。
 "悪そうなおじさま"と"男の子"はどちらもサーヴァント。
 ならば彼らとセットになるマスターが存在するはずで。
 ああでもまだ。
 可能性はゼロじゃない。
 二人の内どちらか、しおちゃんのサーヴァントの方が悪玉で彼女を利用している可能性。
 しおちゃんが含まれる三組目の主従が存在し、しおちゃん達は件の二体が含まれる主従に利用されている可能性。
「それにね、男の子が言ってたわ。
 私が"神戸しおちゃんを知ってるの?"って聞いたら教えてくれた」
 でも。
「――しおは俺のマスターだけど、って」
 松坂さとうに逃避は許されない。
 叔母が突き付けた現実は、正確無比に彼女の鋼の心を貫いた。
 さとうの心にあるただ一つのウィークポイント。
 それが神戸しお。
 ただ一人甘い、世界で唯一の愛する人。
 こうなってはもう現実から目は反らせない。
 

 神戸しおは、聖杯を狙ってこの戦争に加担している。
 じゃあそれは何のため?
 決まっている。
 自意識過剰と言われるかもしれないが、さとうにはそれが答えだと分かってしまう。
 それほどまでに通じ合った二人だから。
 自分の想いが一方通行の独りよがりなんかでないことを知っているから。
 だから分かる。
 神戸しおは。
 しおちゃんは――自分のために。
 愛する"さとちゃん(わたし)"のために戦ってくれているのだと。
「さとうちゃん。おばさんは何もね、あなたを追い詰めたくて教えてあげたわけじゃないのよ」
 でも冷静に考えればそれはさとうの聖杯戦争の破綻を意味しない。
 自分としおちゃんは同じ未来を目指して戦っている。
 なら協力することだってできる筈だ。
 最後に自分達だけが生き残って、そして自分が死ねばいい。
 そうすればしおちゃんは聖杯を使って願いを叶え、私達の永遠のハッピーシュガーライフを現実のものにしてくれる。


687 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:23:21 OUMD9HDk0
 私がしおちゃんを殺す必要もない。
 ちゃんと守ってあげることさえできれば……この世の誰より頼もしい味方が増えたと解釈することだってできるはずだ。
「しおちゃんの仲間達と鬼舞辻くんはつながってる。
 それにね? 遅れてはいるけど、もうすぐ此処に来ることになってるのよ。しおちゃん達」
 叔母が笑う。
 さとうはただ俯いていた。
 親友のしょうこですら見たことのない弱々しい姿だった。
 今此処にいる松坂さとうは破綻者などではなく、ただの誰かを想う歳相応の少女だった。
「しおちゃんに会えるのよ、さとうちゃんは」
 叔母の言葉が脳裏に反響する。
「会いたいでしょう?」
 その言葉はまるで差し伸べられた手のよう。
 差し伸べられた言葉(て)にさとうはその手を。
「……私は」


「しおちゃんには、まだ会えないよ」


 伸ばさなかった。


    ◆ ◆ ◆


688 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:24:25 x7I7yeY60


「…あのさ、さとう」
 返事はない。
 ただ無言で少女は座っていた。
 廊下の壁にもたれるようにしてさとうが座って、その横にしょうこが同じく腰を下ろしている。
「私が言うのも何だし、もしかしたらアンタを怒らせちゃうかもしれないけど」
「…………」
「よかったの? あれで」
 しょうこはさとうの愛を正しいものだとは思わない。
 だって彼女の愛が向かう先はひたすらに自閉した箱庭だ。
 二人だけの世界。
 二人だけしかいない世界。
 他の誰も入れない、見ることすら能わない角砂糖のような甘い部屋。
 それが正しい愛の賜物だなどとしょうこはどうしても思えない。
 思えなかったが、しかしその一方でさとうが神戸しおという少女に向ける気持ちの強さと重さは分かってきたつもりだった。
 だからこそ問わずにはいられなかった。
 本当にあれで良かったのかと。
「びっくりしたんだよね」
「え?」
「しおちゃんって、私がいなくても歩けるんだって」
 もちろんそれは比喩だ。
 身体の動作としての歩行ではなく、人間としての歩行。
「しおちゃんだけじゃ何もできないと思ってたし、それでいいと思ってた」
 予選は一ヶ月もあったのだ。
 しおは弱い。
 吹けば飛ぶような小さな体と幼い心、無知な頭脳。
 他のマスターからすれば格好の獲物だろう。
 それなのに彼女は生き残っているという。
 この本戦まで生き残った上で仲間を得て、聖杯に向かって彼女なりの歩みを続けている。
 ほんの少し外に出ただけで辺りをきょろきょろしていたあの子が。
 自分の足で歩いて、生きていた。
 それを知った時、さとうは思った。
 此処で自分があの子を迎えに行ってしまうのはきっと違う。
「おかしいよね、しおちゃんが危ない目に遭っちゃうかもしれないのに。
 私の知らないところで死んじゃうかもしれないのに――私、嬉しいって思ったんだよ」
 自分で歩いて。
 自分で選んで。
 でも二人の愛だけは見失わないで。
 地平線の果てを目指して長い長い遠足を続けていることを知ったさとうの舌が感じ取ったのは甘さだった。
「私が今あの子を迎えに行ったら、あの子は歩くのをやめちゃうかもしれない」


689 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:25:36 inFyKdas0
 それがさとうには怖かった。
 そんなの良いことでしかない筈なのに。
 何かとても大事なものを壊してしまうような、そんな風に感じられてならなかったのだ。
「……さとう。あのね」
 さとう自身後悔しているのだろう。
 今も迷っているのだろうと伝わってきた。
 しょうこは自分が偉そうに語れる身でないことを自覚している。
 自分はさとうの喜びも苦しみも、その半分だって知らない。
 死が二人を分かつともなんてとても言えない。
 だからかけられる言葉はひどく浅い、友人としてのものでしかなかった。


「さとうのそれは、"愛"だと思うよ」
 ハッピーシュガーライフ、二人の理想。
 永遠に自閉した不純物のない甘いだけの蜜月。
 現実という火に晒された砂糖菓子はとろけて形を変えていく。
 キャラメルのように甘く、カラメルのようにほろ苦く。
 理想とは離れた筈のそれも愛だと小鳥は言う。
 その言葉に何も言い返せず、砂糖少女は自分の膝に顔を埋めるしかできなかった。

【一日目・夜/中央区・豪邸】
【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:?????
1:しおちゃんとはまだ会わない。今会ったらきっと、あの子を止めてしまう。
2:どんな手を使ってでも勝ち残る。
3:しょーこちゃんとはとりあえず組む。ただし、神戸あさひを優先しようとするなら切り捨てる。
4:叔母さんとバーサーカー(鬼舞辻無惨)と同盟。
5:"愛の証明"が終わったらキャスター(童磨)を切ってバーサーカー(無惨)と再契約する。
[備考]
※飛騨しょうこと連絡先を交換しました。
※飛騨しょうこのサーヴァントが童磨の言う"雷霆の弓兵"であると当たりを付けました。
※本名不詳(松坂さとうの叔母)が聖杯戦争に参加していると当たりを付けました。

【キャスター(童磨)@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:二対の鉄扇
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:もう一度“しのぶちゃん”に会いたい。
0:君の愛が、俺の先を行くものでないのなら。その時は俺が君の先を行くよ、さとうちゃん。
1:さあ、どうしようかな?
2:しょーこちゃんもまた愛の道を行く者なんだねぇ。くく、あはははは。
3:黒死牟殿や猗窩座殿とも会いたいなぁ〜
[備考]
※予選期間中にアーチャー(ガンヴォルト(オルタ))と交戦しています。さとうの目を通して、彼の魔力の気配を察知しました。
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要ですが、さとうは索敵のために渋々受け入れています。
※本名不詳(松坂さとうの叔母)と鬼舞辻無惨が参加していると当たりを付けました。本名不詳(松坂さとうの叔母)は見ればわかると思ってます。


690 : 世界で一番の宝物 ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:26:32 JCXrHauE0

【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り2画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:さとうを信じたい。あさひくんにお礼を言いたい。そのためにも、諦められない。
1:さとうと一緒に戦う。あの子のことは……いつか見えるその時に。
2:それはきっと"愛"だよ、さとう。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。

【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:健康、クードス蓄積(現在3騎分)
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
0:マスター。君が選んだのはそれなんだね。
1:マスターを支え続ける。彼女が、何を選んだとしても。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
3:松坂さとうがマスターに牙を剥いた時はこの手で殺す。……なるべくやりたくない。
4:バーサーカー(鬼舞辻無惨)への強い警戒。
[備考]
※予選期間中にキャスター(童磨)と交戦しています。また予選期間中に童磨を含む2騎との交戦(OP『SWEET HURT』参照)を経験したことでクードスが蓄積されています。

【バーサーカー(鬼舞辻無惨)@鬼滅の刃】
[状態]:肉体的には健康、精神的には不快の絶頂
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数億円(総資産)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯を用い、自身の悲願を果たす
0:『M』からの連絡が遅いので、そろそろ連絡先だけ残して家を出たい。
1:松坂さとう達を当面利用。
2:『M』もといアーチャー達との停戦に一旦は合意する。ただし用が済めば必ず殺す。
3:マスター(さとうの叔母)への極めて激しい嫌悪と怒り。早く替えを見つけたい。
4:神戸あさひはもう使えない。何をやっているんだ貴様はふざけるなよ私の都合も考えろ
5:童磨への激しい殺意
6:他の上弦(黒死牟、猗窩座)を見つけ次第同じように呼びつける。

【本名不詳(さとうの叔母)@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:いつもの通りに。ただ、愛を。――ああ、でも。
1:さとうちゃん、あなたはそうするのね。



※当話の時間軸は『Epic of Remnant:新宿英霊事変』よりも前になります。
※この後家を出るまでの経緯は後の書き手さんにおまかせしますが、何か問題があるようであれば対応します。


691 : ◆EjiuDHH6qo :2022/01/10(月) 23:26:55 JCXrHauE0
投下終了です


692 : ◆KV7BL7iLes :2022/01/10(月) 23:44:02 h0YexH4g0
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
七草にちか&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
田中摩美々
幽谷霧子
予約します


693 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/11(火) 00:00:26 S5akOv0w0
皮下真&ライダー(カイドウ)
リップ&アーチャー(シュヴィ・ドーラ)
予約します


694 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/12(水) 07:38:17 8NVuE5ic0
バーサーカー(鬼舞辻無惨)&本名不詳(さとうの叔母) 追加予約します


695 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:23:53 .rwefCFM0
投下します


696 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:24:33 .rwefCFM0

時刻は20時半を回った頃。
命がけの交渉を終えて、とにかく一息つこうと皮下真は己の拠点へと歩を進めていた。
彼の背後には交渉の成果である同盟相手、リップが続いている。
何とか、同盟の決裂は避けられたと見ていいだろう。
少なくとも、大和がリップと交わした定刻までは。
胸を撫で下ろしながら、念話で己のサーヴァントに交渉の顛末と、これからの計画を報告する。


―――ウォロロロロ…よくやったじゃねェか皮下。褒めてやるぜ。
お前が企んでる計画も悪くねェ…だが、
『何か、気になる点でもあるかい総督?』
―――あぁ、計画自体は悪くねェが…俺の見立てだとそれでもまだ大和を叩き潰すには不足だな。
『マジかよ。こんだけやってもまだ足りないとかどんだけチートだあのボンボン』


計画自体がまだ実証段階。
だが、立てている仮説が正しいかどうかさえクリアーしてしまえばまずイケると踏んでいたのだ。
だが、皮下のサーヴァント、カイドウの反応は予想よりも渋いもので。
本当に大和の奴は自分の二手三手先を行っているのだと辟易しながら―――
皮下はカイドウにそう見積もった内訳を尋ねる。


―――おめェも忘れたワケじゃねェだろう。奴がドデカい霊地を二つも抑えてるのを。
『うわぁ…そういえばそうだったな〜それを考えりゃこっちのほうが圧倒的に不利だな。
開花したNPCを食うって俺たちの計画は大和もできないワケじゃねぇし』
―――そう言うことだ。今迄温存しておいたあの魔力溜り。
俺達という戦力を察知した以上奴らがあのまま腐らせておくはずがねェ。


話を聞きながら本当に不公平なものだと皮下は心中で毒づく。
カイドウの話に出た霊地とは、予選期間中皮下達も足を運んだ東京タワーとスカイツリーの事だろう。
あそこが莫大な魔力の油田であることは既に調査済み。
だがそれを承知していながら、皮下達はそれを手に入れることを見送った。
理由は三つある。
一つは単純に、それらの霊地が峰津院に抑えられていたこと。
もう一つは、莫大な魔力の油田を狙う皮下の様な主従と何度かぶつかってしまった時間的ロス。
そして最後はその莫大な魔力は地下深くに眠っており、抽出しようと思えば熟達した魔術師の儀式が必要だったことだ。
つまり、膨大な魔力の泉を手に入れるにはキャスターかそれに匹敵する魔術師の存在が不可欠ということ。
だが皮下達はあいにくマスターもサーヴァントも魔術的技量は持ち合わせていなかった。
どんなに価値ある資源でも、掘り出す方法が無ければ絵にかいた餅でしかなく。
故に予選期間中は諦めるほか無かったが―――もう現状ではそうも言ってはいられない。
大和はその熟達した魔術師の資格を十二分に有しているのだから。
そしてカイドウという同格レベルの相手との接敵。
そんな目の上の瘤と戦力的に差をつけるために、今夜にでも霊地の使用に踏み切るかもしれない。


697 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:24:59 .rwefCFM0


―――グズグズしてたら手遅れになるぜ。大和の小僧はかなりのやり手だ。
『何としても霊地をブン獲らないといけないってのは分かったよ。
はー…今夜は休む間もなくデスマーチか。掘り出す方法も探さないといけないしなぁ』
―――いいや、そうでもねェ。お前も覚えてるだろ。あのアルターエゴの事を。
『え?あのうさん臭い坊さん使うの?それはやめといた方がいいんじゃね?』


皮下の脳裏を過るのは、傘下に加えた少女、北条沙都子のサーヴァントだ。
アルターエゴ・リンボと名乗った怪僧である。
確かに、皮下が確認したかのサーヴァントの魔力値は規格外(EX)を示していた。
本人も呪いに長けていると豪語していたし、完全自立駆動の式神もこの目で見た。
規格外というのはポジティブな意味合いで捉えても良いだろう。
能力的には問題ないかもしれないが―――人格面は別だ。
あの胡散臭いリンボに莫大な魔力の油田など与えれば何を企むか分かったものではない。


―――そこでお前がリップの奴を引き留めたのが活きてくるってワケだ。
あの機械のアーチャーの奴にリンボの見張り役をさせる。
『えー…いや、確かに適任かもれないけどさ。
あの子をリンボに会わせるのスゲー怖いんだけど。主に過保護な保護者(リップ)が』
―――分かってる。だが替わりのカードも無いだろ。
奴が地獄何たらを勝手に始めようとしたら俺が責任を持って叩き潰す。
だからリップの小僧の説得はお前がやれ。
『あのーカイドウさーん?俺とリップは友達でも何でもないっていうか、
むしろ天敵そのものなんだけどさー……』
―――知らん、こっちもこっちで頭痛の種があるんだよ。


リップのサーヴァント、アーチャーの少女が解析や分析等の仕事に長けているのは皮下も察しがついていた。
虹花の一人であるチャチャを真っ向から破った電子戦の腕や、これまでのリップ主従の言動から見てほぼほぼ間違いはないだろう。
そしてこれまた間違いないといえるのが――彼女はまず間違いなくリンボが嫌いだ。
その為リンボに懐柔され裏切ってくる恐れはまずない。
何だかあれと同レベルに見られている様で誠に遺憾だが、皮下自身が身をもって実感している。
どちらかというとあのアーチャーの娘は283プロのアイドル達の様に善い子なのだろう。
問題は彼女が不快な思いを抱くのを良しとしない、過保護な保護者(マスター)だが…
土下座して頼む準備でもしておくかと心中で嘆息しながら、皮下は念話に思考を戻す。


―――更に言っとくが、霊地を一つ手に入れた程度じゃまだ大和が有利だぞ。
『えぇ…そりゃいくら何でも盛りすぎじゃねぇの』
―――いや、大和の奴はあの鋼翼に全ての魔力をつぎ込める。
だが、俺たちはそうもいかねぇ…まぁ精々、二割か三割がいいところだ。
『えっとつまり…山分けでもする……ってコト!?
アンタの事だからてっきり総取りしにいくもんかと……』
―――俺たちだけで霊地を奪えるならそれでいいが。それだと協力するリップもリンボの奴も納得しねぇだろ。この計画には奴らが不可欠だしな。
それに…山分けにしねェと絶対納得しねェババアも噛んでくるかもしれねェんだよ。
大和の奴も気づけば当然妨害しにくるだろうし、そんな時に揉めてられるか。


698 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:25:57 .rwefCFM0
告げるカイドウの言葉に、真面目だねぇと心中で呟く。
確かに自分たちだけ魔力を独占しようと知れば傘下といえど反感を買うだろう。
リップなどそうなった瞬間即座に裏切って大和の奴を呼んでくる恐れすらある。
カイドウがいくら強かろうと魔力の抽出は、自軍ではリンボにしかできない。
そしてそのリンボがおかしな真似をしないように見張れるのはアーチャーしかいない。


(ま、長年海賊のボスやってた側面が出てんだろーな。この酔っ払い親父)


いくら腕っぷしが強くとも、それだけで偉大なる航路を制覇するのは不可能だ。
優れた料理人、船医、航海士に船大工…それらの多くの仲間(クルー)が必要不可欠。
どんな荒くれであっても。ましてそれが新世界という大海に至るものならば猶更。
一人で海を征くことなどできはしない。その不文律をカイドウは佳く理解していた。
あの天上天下唯我独尊を地で行くビッグ・マムですら例外ではない。
故にこそ、二人の四皇はこの聖杯戦争においても傘下の勧誘を積極的に行っていたのだ。
そしてそんなカイドウが呉越同舟を纏め、一丸とする為に山分けという結論になるのは自明の理だった。


『ふーん…総督がそう言うなら俺に異論はないよ。でさ、話は変わるけど―――、
さっきアンタが言ったババアって、もしかしてあのリンリンって婆さん?』
―――……


意味深に無言。
皮下にとっては軽い雑談染みた問いかけだった。
その老婆の話は予選期間中、酔ったライダーからさんざん聞かされている。
しかしまさか、そんな偶然は無いだろうと思っていた。
あの怪物の様な肉体に消えない傷をつけた侍に加えて、まさか。
だが、予想に反して生まれたのは重苦しい沈黙で。
そのままたっぷり十秒間、カイドウは黙り込んでしまった。


『あー?総督?もしかして図星だったか――――?』
―――酒!!!


699 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:28:27 .rwefCFM0


瞬間、ヤケクソめいた声が皮下の脳髄をクラクラと揺らす。
嘘から出た実というか、実際そんな偶然がありえた様だった。
この反応を見ればもはや疑いようがなく。
先ほどカイドウが漏らしたババアとは、彼と同じ四皇ビッグマムことシャーロット・リンリンを指すのだろう。
曰く、災害の擬人化の様な戦闘力の高さと気性の婆さんだとか。
その風評は間違ってはいない様だ。
四皇、カイドウをしてここまで頭を痛める相手はそうはいない。
下手な手合いなら痛めさせるまえにこの世を去っている。
かの女海賊を除けば彼の不肖の息子ぐらいだろう。
ともあれ、自分が交渉に出かけている間に彼女の存在を察知する何かが―――
或いは、彼女の方がコンタクトを取ってきたのだと、皮下は察した。


―――あぁ…クソ。殺しに行こうとした矢先にリップと言い大和と言い…
何だってあのクソババアの思惑を後押しする様な事が舞い込んで来やがるんだ!


酔いつぶれた落伍者が場末の居酒屋でくだを巻くように、罵声を上げるカイドウ。
それに続いてグビグビと豪快に酒を呷る音が聞こえてくる。
このままだと後三十分もしないうちに完全にへべれけだろう。
リップが初めに掲げていた要求を伝えたときから様子がおかしかったのもこのせいかと皮下は思い至った。


『あー、その。総督的には嫌だろうしリスクが高いのも承知の上なんだけどさ。
これから大和とやりあうなら俺的にはその婆さんを敵に回したくはないんだけども』
―――分かってらあ。だからこれから奴と会ってくるんじゃねェか。
殺すかどうかはその時決めるが…一つはっきりしてることがある。
『何?』
―――あのババアと会うのに素面じゃやってられねェって事だ。


カイドウの言葉に、思わず笑みが引きつる。
皮下だって、シャーロット・リンリンという老婆がそれだけ厄介かは酔った己の従僕からさんざん聞かされている。
少し前までなら、彼も関わり合いになるのを避けようとしていただろう。
だが今の皮下は大和という最高峰の参加者に狙われる立場であり、
リンリンという戦力を魅力的に感じないと言ったら嘘になる状況下だ。
特にカイドウの様にリンリンもまた、自分の部下を呼び出す能力を有しているなら是非とも欲しい能力がある。
鏡の世界を自由に行き来できるというミラミラの実の能力。
異世界に兵を収納できるという点では鬼ヶ島も同一であるが、監視と傍受、そして移動も行えるというのは鬼ヶ島には無いアドバンテージだ。
多少荒事に精通したものなら必ず目をつけるであろう鬼札。
これがあれば峰津院の社会的追跡を躱すのも容易になる。
現状の皮下が最も欲している、喉から手が出るほど自軍に欲しいカードであった。
霊地の争奪戦でも、大いに役に立つだろう。
加えて、リンリン本人もカイドウが認める、彼と肩を並べるほどの実力者だという。
少なくとも、現状で大和と同時に敵に回すのは絶対に避けたかった。
適度な距離感を保ちつつ、大いに利用させてもらいたい陣営だった。
更に、リンリン陣営を此方に引き込めばリップが最初提示した条件もクリアーできる。
流石の皮下も数時間で大和のランサーに並ぶサーヴァントを味方に加えるのは無理だと判断していた。
だが、ミラミラの実で峰津院の社会的追跡を無視し、鋼翼のランサーに並ぶ実力サーヴァントを味方に加えられたなら。
リップの引き留めも現実的になってくる。そこにNPCの開花計画を加えれば裏ドラだ。
だからこそカイドウも非常に嫌々ながら、交渉に赴こうとしているのだろう。


700 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:28:46 .rwefCFM0

―――大看板は置いていく。何かあったらお前と大看板で何とかしろ。
『俺はついていかなくていいのかい?』
―――言ったろ、癇癪を一度起こせば話の通じるババアじゃねェ。
そんな時にお前がいたら邪魔だ。今は諸々の計画の準備をするんだな。
『…りょーかい。せめて不可侵条約だけでも話が纏まる様祈ってるよ』
―――期待はするな。面倒になったらさっさと殺して終わらせる。


うーん、これは望み薄かな…
そんな事を考えながら、念話を打ち切る。
本当に上手く話が纏まってほしいが、中々上手くいかないものだ。
事態は緩やかに、しかし確実に逼迫しつつある。
割れている主要な霊地二つを潰すか奪うかしない限り、大和は明日にでもチェックをかけてくるだろう。
拠点を失った状態で、果たしてどこまで巻き返せるものか。
頭が痛いが、休んでいる暇はない。貧乏暇なしとはよく言ったものだ。
自分のサーヴァントのご機嫌伺いの次は、同盟者のご機嫌伺い。
にこやかな笑みはそのままにため息を一つ吐き、皮下は気難しい同盟者に向き直った。


【新宿区・皮下医院跡地(異空間・鬼ヶ島)/一日目・夜】

【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:やけ酒中
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:あの日の悔恨に"決着"を。
1:ライダー(シャーロット・リンリン)とは組まない。組まないったら組まない。
あのババアと素面で会えるか!!(それはそうと会いに行く準備中)
2:峰津院の霊地(東京タワーとスカイツリー地下)を強奪ないし破壊する。
3: 鬼ヶ島の顕現に向けて動く。
4:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
5:リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。てめェ戻って来なかったらブチ殺すからな
6:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
7:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
8:峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
9:ランサー(ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
[備考]
※鬼ヶ島の6割が崩壊しました。復興に時間が掛かるかもしれません
※ライダー(シャーロット・リンリン)の存在を確信しました。


701 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:30:41 .rwefCFM0



「つーわけだ。仮説の検証の前にお前の要望(オーダー)に応えられるかもしれないぜ」
「そう言うことは実際ことが運んでから言うことだな。俺はお前の胡散臭い話より、
大和の持ってる霊地の方が魅力的に聞こえたぞ。お前らと分けるより取り分は多くなるだろうしな」
「おいおいおーい。ただでさえクソ強いあのボンボンこれ以上強くしてどうすんだよ。
何?もう身も心も大和の手下か?オーハイル峰津院なのか?」
「ほざいてろ。俺とアーチャーの目的はあくまで優勝だ。
…時が来れば殺すさ。大和も、お前も。お前らは俺達の踏み台にすぎない」
「それなら大和を倒すまでは少なくとも俺たちについた方が得だな。
…大和の奴に何を吹き込まれたかは知らねーが、奴のランサーが霊地の魔力を手に入れたら真っ先にお前のアーチャーちゃんを始末するはずだ。賭けてもいい。
最強になったら他のサーヴァント置いとくなんてリスクにしかならねぇ。


火花の散るような剣呑な会話。
だが、皮下は内心安堵していた。
目の前の同盟者、リップはやはり優秀な男だ。大和が引き抜こうとしたのも頷ける。
凡夫なら聞いた瞬間大和の屋敷へ走り出しそうな龍脈の話をしても、冷静なままだ。
リップもまた、大和ら主従が莫大な魔力資源を得るリスクの高さに思い至ったのだろう。
もしこの眼帯男が愚鈍ならどうぞ大和の足を引っ張てくれと送り出せたのだが。


「それで?その大和のお尋ね者になってるお前はこれからどうするつもりだ。
そろそろ、大和の奴はお前を追い詰めるために手を打ってくるころ合いだろ」


リップの懸念。
それは、大和が峰津院の権力をフル活用して皮下への社会的追撃を行うこと。
この未曽有の惨状の元凶として指名手配されるか、或いは神戸あさひの様に炎上させられるか…
何方にとっても、皮下にとって不味い事態になるのは確かだ。
だが、その当の本人の反応は、


「あぁ、それに関しちゃそこまで支障はないと思ってる」


実に淡白なものだった。
いつもの軽薄な笑みを浮かべたまま、ひらひらと手を振ってリップの懸念を一蹴する。


「随分と余裕だが、根拠はあるんだろうな」
「勿論あるさ。まず一番不味いのが罪をおっ被せられて公的に指名手配される事だが…
幾ら何でも被害の規模が大きすぎる。俺がゴジラでも飼ってたって言うか?」


702 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:31:20 .rwefCFM0

そう、神戸あさひのケースとは違い、新宿事変は個人が引き起こせる被害規模をはるかに超えている。
まるで大型直下型地震か、絨毯爆撃でも受けたかのような地獄絵図だ。
例え爆弾を使ったとしても、個人であの惨状を引き起こすのは不可能だ。
皮下が犯人だと大和が言っても、気が触れたと思われるのがオチだ。
翻って、公的に追われる立場にはまずならない。
となれば予想されるのは被害者として取り沙汰されるケースだ。
これについては最早回避しようもないが、NPCから積極的に追跡される立場にならなければ致命打にはなりえない。
何故なら、皮下には鬼ヶ島という反則手があるのだから。

故に、NPCに対する懸念はほぼほぼ問題ないだろうと皮下は語る。


「NPCはそれでいいのかもしれんが、マスター達の心証はどうなる」
「俺がマスターだって露見するのはもう不可避だわな。それは明確に痛手だ。
けどさぁ、何処の世界に開戦初日に本拠地吹っ飛ばしておっ始めるバカがいるよ?」


あぁ、それはそうだな、と。
何処か遠い目をして切ない声で語る皮下の言葉にリップは腑に落ちた気がした。
同時にほんのちょっぴり、同情もした。


「まず真っ先に皮下病院が爆心地になったのはもう報道されてる。
ここから情報操作するのは無理だし、それでどっちが先に仕掛けたかは分かるだろ?」


報道を抜きにしてもSNSなどから一連の惨事の状況は調べることができる。
峰津院がマスメディアに圧力をかけようと、もう揉み消せはしないだろう。
従って、広まった情報から既に時系列程度なら容易に推理が可能になっている。
皮下病院がまず爆発し、新宿御苑がそれに続いた。
頭の回る者なら気づくだろう、まず襲撃を受けたのは皮下病院ということに。
院長という身分を与えられている以上皮下病院で戦闘を始めるメリットがほぼないからだ。
サーヴァントの衝突を受ければただの病院など直ぐに壊滅。
当然院長なんてロールはもう使えないし、存在も他のマスターに露見してしまう。
となれば損得勘定ができる人間なら皮下病院での戦闘は避けようとするはず。
だが、そうはならなかった。
それは、それほど相手が河岸を変えるほどの交渉の余地もなかった事を示している。
そして、その襲撃者はだれか?
そんなものは決まっている。
新宿御苑の管理者にして、これから皮下を晒上げにする峰津院大和に他ならない。


「病院を攻撃するのは実際の戦争でも禁止されてんだぜ?その為の国際条約もある。
病院に先制攻撃を仕掛ける外道の上に、それを利用して遠回しな吊し上げやるマスター見たらお前ならどう思うよ」
「…一理あるが、それでもお前が応戦して惨状を作ったのは事実だろ」
「そりゃそうだ。それについては申し開きもない。
でも、無抵抗で殺されるわけにいかないってのはどの参加者も同じだ。
違うってんならそいつはよっぽどの偽善者だな」


703 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:31:57 .rwefCFM0


あくまでさして支障はないとみているのは大和の遠回しな糾弾に限る。
新宿大虐殺の片棒を担いだのは事実であり、警戒されるのは不可避である。
だが、そんな苦境の最中にあっても皮下の態度は相変わらず飄々としていた。


「油断はしない、警戒はちゃんとするさ。
だが、ここで大和の方を一番に警戒しない程度の相手に総督が負けると思うか?
少し考えを巡らせれば、お前が今言ったことはそっくり大和にも当てはまる」


道理だな、と。
口には出さないが、リップは心中で相槌を打つ。
これから皮下らを新宿事変を起こした極悪人としてプロパガンダを大和は流すだろう。
だが、大和も新宿大虐殺の元凶の一人であることは変わらない。
それだけでなく、開戦の狼煙を上げ、新宿を戦場に選んだのは大和だ。
峰津院のバカげた権力を持つ彼ならば封鎖した地区で雌雄を決するのも可能だった。
無論、皮下が乗ってくるかという問題もあるが、本拠地を潰されるリスクを考慮すれば乗る可能性も決して低くはなかった。
にも拘らず、大和は行わなかった。
理由は簡単、先制攻撃というアドバンテージと、敵の本拠地を潰す好機をのがすつもりはなかったからである。
わざわざ手間をかけてNPCの身を案じる心のぜい肉は彼には存在しない。
そして、敵対者を逃せば今度は権力で追い詰めようとする。
ここまで材料がそろえば、あの男の腹の中が真っ黒なのは推理できるだろう。


「んで、大和の腹が黒いことに気づけば当然その後の事も想像がつくだろ?」


その後の事とは、つまり。
皮下らを下した後に、次に大和たちの標的に選ばれるのは自らという未来だ。
新宿を地獄絵図に変えた戦闘力。
公的機関に匹敵する社会的権力。
そして何より、病院に躊躇なく先制攻撃を仕掛けられる冷酷さ。
皮下らが没した後、それらの脅威はほかの主従へと向くだろう。
それを回避する方法はたった一つ。
何のことはない、皮下らをこのまま放って置くということ。
可能なら、対大和陣営の旗印にしてしまうこと。
面倒ごとは対岸の火事にしてしまい。火中の栗はだれかに拾わせる。
遥かな昔から面倒ごとはそうやって解決するのが不都合がない。


「勿論俺達が弱ったとみて溺れる犬を叩こうとするハゲタカも出てくるだろ。
そう言った連中は警戒する必要があるが…大半のマスターは静観を取る可能性が高い。
どうだ?納得したか?」


704 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:32:20 .rwefCFM0


笑みを浮かべながら、教鞭を振り終えた教師の様に。
皮下真はそうやって大和のプロパガンダ戦略を結論付けた。


「……あぁ、根拠のない楽観って訳ではないのは理解した」
「わかってくれて何よりだ。とりあえず今は総督の交渉結果待ちだな。
それまではNPCの仮設の検証や、大和から霊地を奪う計画を立てるさ」
「精々急ぐことだな。俺はともかく、大和の気は長くない」


話の終わりに、これから具体的にどう動くかの補足も忘れない。
リップの反応は相変わらず塩気の強い物だったが、未だ皮下の元を離れる様子は無く。
皮下としても、下手に態度を軟化されるよりは其方の方が安心できた。
精々、大和との定刻までご機嫌伺をしてやるさ。
そう思いながら、懐からスマートフォンを取り出す。
通話の相手は、リップの交渉と並行して重要な仕事を頼んだ自身の部下。
語るまでもなくハクジャ達だ。
未だに連絡がないということは、殺されてしまったのか?
それならそれで構わないが、生死だけは確認する必要がある。
そんな思いからの確認の通話だった。
かかるとは思っていなかったが、予想に反してハクジャへのコールはあっさり繋がった。


「……は?」


ハクジャから聞かされた報告は二つだった。
一つは幽谷霧子に替わり、彼女の仲間である古手梨花という少女を連れていくと言う事。
もう一つは彼女らが企てているという聖杯の改ざんによる脱出計画。
どういう事だと尋ねてみたが、帰ってくるのは何とも要領を得ない答えだった。

無論の事ではあるが、ハクジャが語ったのはこれから皮下のアジトで梨花が語る内容とほぼ同じだ。
ハクジャ達がその脱出計画に乗ろうとしていることは勿論、梨花の不都合になる情報はできる限り伏せている。
だが、その報告は。
今しがた可能性の器についての仮説を立てていた皮下にとって青天の霹靂とも呼べる――
かなりの厄ネタだった。
彼の頬を、冷たい汗が一筋伝った。





705 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:32:47 .rwefCFM0


その報告を受けて皮下が思ったことは一つだ。
……あれ、これヤバくね?と。
通話を切ってから、無言で天を仰いで思考を巡らせる。
今しがた報告された283プロダクションのマスター御一行が目論んでいる脱出計画。
それを聞いた瞬間、非常に嫌な予感が皮下の背中を走った。
前提として、現段階では取り越し苦労も十分にあり得る懸念だ。
だが、その懸念の払拭は困難を極める、正しく悪魔の証明だ。
実際にどうなるかは、蓋を開けてみなければ分からない。
だが、そのシュミレーションは絶対に行う必要があるだろう。
正しくその箱は、パンドラの箱に他ならないのだから。
皮下の懸念が正しければ、最悪この聖杯戦争そのものが転覆する。


「なぁリップ、アーチャーちゃんに聞きたいことがある。話をさせてくれ」
「突然どうした。大和の奴が殴り込みでもかけてきたのか?」
「あぁ、下手すりゃそれより不味いかもしれねー。
そしてこれは、お前にとっても厄ネタの可能性が高い。それもド級のな」
「……アーチャー」


皮下の表情は今まで通りヘラヘラとした軽薄な笑みだ。
だが身に纏う雰囲気は先ほどまでのそれとは確実に違っていた。
此方を揶揄ったり、何かを企んでいる様子ではない。
故に普段はアーチャーに皮下をなるべく近づけない様にしてるリップも、ここは譲る。
主に促されればアーチャー…シュヴィの方も否やはなく。
先ほどまでの嫌悪一色ではない複雑な表情を浮かべながら、皮下の前へと現れる。


「……なに…」
「単刀直入に聞きたいんだけどさ、アーチャーちゃん。
この東京…ひいては聖杯戦争から、聖杯を改竄して逃げようとしてる奴らがいるらしい」


仮にそう言った宝具があるとして―――
令呪三画分の魔力量によって、発動した宝具が聖杯に影響を及ぼす可能性はいか程か?
それが皮下の提示した最初の問いかけだった。
その問いには思わずリップも目を?いた。
聖杯の改竄による脱出。
文字列だけならば完全な与太話にしか聞こえない。
だが普段吐く言葉全てが与太話の様な皮下が、大真面目にその事について尋ねている。
異常事態であることは、リップにも分かった。
故に彼は口を挟まず、シュヴィも真摯な対応を行う。


「……情報、不足…余りにも。それだけでは…解析、不可能…
できて…精度の、不確かな…推測…それでも、可能?」
「構わないよ。無理な頼みなのは承知の上だし、今はそれだけでも値千金だ」
「ん…それ、なら…理論上、は…可能……
令呪、三画ぶん……魔力リソースなら……成功率、約4%と、推定……」
「4%か、思ってたより高いな」
「解析、材料…不足…推定、値……条件によって…大きく、変動…予想」
「あぁ、いや、疑ったわけじゃないんだ。ありがとな」


706 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:33:18 .rwefCFM0


約4%。
それは皮下が推察していた数値とほぼ同一だった。
判断材料は可能性の器として本選に進んだ主従の総数。
何のことはない、単純に23分の1の確立ということだ。
大和クラスの魔力量のマスターが発動すれば更に確立は上昇するだろうし、
そもそも宝具の性質によってはこの仮定自体が意味のないものになる。
しかしそれらの要素をここはいったん無視し、純粋に魔力に乏しい283のアイドル達が件の宝具の燃料源となることを前提とする。
ならば逆さに振っても、賭けられる最大の賭け金は令呪三画分が天井だろう。
そして、単純な出力で比べるなら23分の1という数値もかなり都合がいい数値だ。
聖杯が割いたリソースの中で、サーヴァントの魔力分だけ計上しているのだから。
東京という都市の再現、霊地の魔力や膨大な数のNPCも当然聖杯製だ。
それを考慮に入れればカイドウや鋼翼のランサーの霊基ですら、聖杯全体のリソースで言えば数パーセントあるかどうかも怪しい。
そんな途方もない聖杯の持つ全ての魔力と、一人のマスターに与えられた令呪の魔力。
単純に考えれば、勝負は火を見るより明らかだ。
純粋な出力勝負になれば聖杯の改竄の成功率は4%どころか小数点を割るだろう。


「まぁ、正しく大海をコップで乾すものって奴だな」


計画が成功しても、その程度の出力では用意できて一人分の帰り道の可能性が高い。
何か、出力面をカバーする秘策や宝具の性質でもあれば別だが―――、と。
そこまで考えて、今度は少し視点を変えて、皮下は考えてみることとした。
自分が脱出をしようとして。改竄が難しいなら他にどんな手を考えるか。
顎に手をやり、少し考えると、再び彼はシュヴィに問いを投げる。


「少し本題とはずれるんだが…仮に聖杯の改竄なんかじゃなくてさ。
物理的にここから逃げ出そうとしたらどうなる?宇宙船やワープ能力とか、
サーヴァントの中にはそう言う宝具持ってる連中がいるんじゃないか?」


皮下のその問いに、シュヴィは困ったように小首を傾げて。
少しの間をおいて、「まず…不可能だと、推測……」と回答した。


「この、界聖杯……あらゆる、可能性…あらゆる、世界…あらゆる、時間軸、から…
マスター、は…集め、られてる…物理的、な…距離、の…問題、じゃない……
まず…各々、の…次元、世界線、の観測…から、困難……」


彼らにも知る由はないが。
この界聖杯という舞台は様々な世界線や時間軸、次元の壁が入り混じった可能性の坩堝。
光月おでんやリップ、古手梨花や峰津院大和がその証明といえる。
更に283プロダクションのアイドル達の様に複雑に入り組んだ世界線を形成している例もある。
距離的な空間の問題ではなく、世界線や時間軸の問題も横たわっているのだ。


707 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:34:07 .rwefCFM0


「それに…聖杯の、観測、範囲から…離れた…受肉、していない…サーヴァントは…座に強制、送還……される…と推測…優勝者…の、サーヴァントも…
最終的に…座に還る、のを、考えれば……これは、ほぼ確実……虚数、空間…でも、経由…して…存在証明、誤認…しない、限り」
「ま、要するにまず物理的な脱出は無理、と……
その虚数空間ってのが何かじっくり聞きたい処だが、今は置いておこう。
……でさ、ここからが本題なんだが―――」


ここまでシュヴィの語ったのは全て推測であり、机上の空論の域を出ない。
それを考慮しても全財産を賭けるには分の悪い賭けだと皮下にもリップにも分かった。
だが、決して0ではない。
仮に成功確率が4%なら、宝くじの一等を当てる確率の約8000倍だ。
この数値は、脱出を目指す者にとってはある意味希望となるだろう。
だが、皮下達にとってそんなもの今はどうでもよかった。
そもそも宝具の性質によってこんな数値は意味をなさなくなる。
知りたかったのは不可能か、それとも0.01%でも可能性があるかどうかだった。
元より皮下もリップもそんな脱出計画に乗るつもりは毛頭ない。
それ故に、今の彼らの本題となる懸念は―――


「―――もし、奴らの脱出計画が成功した場合、この聖杯戦争はどうなる。
残った可能性の器に聖杯はどういった裁定を下すか、解析を頼む」


708 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:34:36 .rwefCFM0

皮下の言葉を遮って尋ねたのは、シュヴィのマスターであるリップだった。
問うのは283プロダクションの関係者が脱出に成功した場合の、残存マスターの処遇。
もしも彼女たちの脱出が叶った場合も、聖杯戦争がそのまま進行するならまだいい。
リップたちからしても戦わずして競争相手が減るなら万々歳だ。
協力するかは分からないが、少なくとも進んで邪魔するつもりもなかった。
だが、つい先ほど皮下から聞かされた『可能性の器』の仮説。
『可能性の器』がこの聖杯戦争を構成するピースとしてどれほど重要かという仮定。
もし、皮下の考察が純然たる真実だったとして。
可能性の器の大量喪失が、この聖杯戦争にどんな影響を及ぼすか―――
リップの背筋に、嫌な予感が駆け抜けた。
そのため、彼もシュヴィに意見を求めた。
懸念が正しい物の場合、早いうちから手を打っておかねば手遅れになる。
だが対するシュヴィは頷いた物の、その表情はさっきと輪をかけて自信なさげで。


「本選…通達時、の…ログ、から…界聖杯、に…アクセス、してみる…
けど…多分…また、聖杯の…防衛…システムに…弾かれる」
「ダメで元々だ。遠慮なくやってくれ」
「そうだアーチャーちゃん!ファイトだ!!」


励ますようにリップはシュヴィに命じ、皮下もそれに便乗する。
聖杯へのアクセス自体は、予選期間中にも何度か試したことはあった。
この聖杯戦争全ての情報が刻まれているのは言うまでも無く、界聖杯である。
ならばシュヴィの有する解析能力で聖杯へとアクセスすれば、様々な情報が楽に手に入るのではないか?
リップがそう考えたのも無理からぬ話だ。
現在生き残っているのはどんな能力のサーヴァントか。
また、その所在はどこにあるか。
それらを手に入れれば他の主従では影も踏めないアドバンテージとなる。
そんな目論見を孕んだ試みだったが…結果はすべて失敗に終わった。
如何に既存サーヴァントでこと解析能力では最強を誇るシュヴィも所詮は一介の英霊。
聖杯の公平性を保つために用意された情報保護は突破できず、解析結果は全てエラー。
今回も空振りに終わる可能性が高いと、シュヴィ自身はそう踏んでいた。
だが、物は試しだ。
不治の命じるままに、機凱種の少女は解析を開始する。

―――確認。分析。演算。既存情報をもとに再定義。情報防衛網、衝突(エンゲージ)
―――CRACK。CRACK。CRACK。


事態は、意外な方向へと転ぼうとしていた。
カッとシュヴィの瞼は見開かれたまま、解析が進行している。。
情報保護のための防衛システムに衝突したにも関わらずだ。
以前は情報防衛網に衝突した瞬間、エラーを吐き出していた。
シュヴィを含めた全員の予想を裏切って、解析は進む。
嬉しい誤算だったが、同時にパンドラの蓋を開けるような戦慄を禁じ得ない。
だがそれを億尾にも出さず皮下は不敵に笑い、リップは無言のままに。
観測を深めていく機凱種(エクスマキナ)の少女を見守った。
そして、それから一分ほど後。


「―――解析、完了」


……解析が、完了した。


709 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:35:05 .rwefCFM0




シュヴィの解析結果が出てから、その場にいる全員が暫く無言だった。
全員が結果を受け止め、目まぐるしくどうするべきか頭脳を回転させていた。
シュヴィが参照できた情報は、奇しくも峰津院大和の立てた仮設を裏付けるものだった。


―――もし、聖杯戦争進行中に複数の可能性の器の中途喪失が認められた場合、
    その時点で聖杯戦争を終結とみなし、残存マスターを抹消する。


それが、シュヴィの導き出したシュミレーション。未来予想図。
聖杯を求める者たちにとっての行き止まりだった。


「しっかし、界聖杯も意地が悪いよな。複数の可能性の器って言い方は。
一人ならいいのか。一人でもダメなのか。何人からダメなのか、それすら分からん」


見えてきた拠点に案内しながら切り出したの皮下だった。
くつくつと含み笑いを浮かべて聖杯に毒づく。
結局、彼らが得ることができた情報はそれだけだった。
後は何を解析しようとしても、以前の通り全てエラー。
界聖杯はむしろ混乱の火種を投げ込むだけで、再び黙して語らない。
ただ、一つはっきりしていることは。


「界聖杯は望んでるんだろうな。空の玉座にたどり着くものが現れることを。
それだけはハッキリした」


界聖杯は儀式の完遂を望んでいる。
この解析の一度きりの成功こそ、皮下は界聖杯からのメッセージだと感じた。
せっかく招いたパーティに途中で帰宅されては片手落ちというもの。
その為ゲストの引き留めを遠回しに依頼してきたのかもしれない。


「そんなことはどうでもいい。問題はこれからどう対処するかだろう。
件の事務所の偶像(アイドル)共はマスターが何人いるんだ?」
「今のところ、確定してるのが一人。限りなく黒に近いのが白瀬咲耶を含めれば三人。
古手梨花って嬢ちゃんも入れれば五人だが…この調子だともっといるかもな」
「…それだけいれば立派な一大勢力だな」


皮下から話を聞いてリップは天を仰いだ。
推定死人の白瀬咲耶を抜いても四組。しかももっと増える恐れがあるという。
後2,3組増えれば残存マスターの約三割を占める立派な大勢力だ。
対聖杯陣営としては勿論の事、純粋な聖杯を求める競争相手としても放って置くわけにはいかない。


「俺達が殴り合ってる間にアイドル共がこっそりゴールを決めればそれでゲームセット。
聖杯戦争は打ち切り最終回。俺達はめでたく間抜けな敗残者として消去(デリート)されるわけだ」


710 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:36:37 .rwefCFM0


しかも彼女たちの大半は顔見知りであるのが更に性質が悪い。
彼女たちが『善い子』なのは皮下も知っている。
元の世界からの仲間ならそれだけ結束も強く、聖杯を目指さない分一枚岩となる。
外部からの切り崩しも余程の事がない限りまず不可能だろう。
みんなで帰ろうと今頃息巻いているのではないだろうか。


「…それで、どうするんだ。ガキの一人がこれから来るんだろ?」


最早静観は不可能。
知ってしまったからには共存の道はない。
283の面々と全面戦争になるか否かの瀬戸際だった。
故にリップも皮下の次の動向が気になったわけだが…


「んー…ま、取り合えず話を聞いてみるさ」


対する皮下の反応は拍子抜けするほど弛緩した物だった。


「何事も早計は良く無いだろ? 向こうの言い分が俺達の意向に沿う可能性が無い訳じゃないしな」
「……もし、沿わなかったら」


リップの問いに対して、皮下の返答は薄笑いとポケットから取り出した錠剤だった。
それをリップの方へと投げ、無言のままにキャッチする。
何だこれはと、再び問うと、ワクチンさ、と皮下は返した。


「仮面の霧っていう無色無臭の幻覚ガスに、氷鬼ってウイルスをブレンドした。
あんまり合ってねぇのか殺傷力はガタ落ちだが、それでもインフルエンザの倍は酷い感じになる」
「化学兵器か、お前らしい汚い手段だな」


リップは容赦なく侮蔑の視線を送るが当の皮下はどこ吹く風。
肩を竦めて軽薄な笑みを浮かべるのみだ。


「向こうさんはいざとなりゃ令呪を使えば逃げ切れるとタカを括ってるんだろうが…
そうは問屋が卸すかよ。気づいた時には手遅れって訳だ」


令呪の瞬間移動の効果の絶大さは皮下も身をもって知っている。
それを封じるには、これが最も効果的な策だと彼は語った。


「向こうがこっちに不都合になる存在って判断したら使う。
最低でも件の宝具を持ってるサーヴァントとマスターの事は吐いてもらわないとな?
今回ばかりはお前にも協力してもらうことになるかも」
「……状況を見て判断する。それまで俺はただのギャラリーだ」
「構わない。大看板じゃ手に負えそうになかったら協力してくれ」


711 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:37:26 .rwefCFM0

何なら、アンタの不治を使ってもいい、と。
皮下はそう付け加えた。
というより、脅迫するならそれが一番確実な手段だとも。
確かに上手く事が運べば、使える駒が増えるかもしれない。
リップにとっても、脱出を企てているガキがどんな手合いか興味があった。
聖杯戦争を揺るがしかねない相手ともなれば、高みの見物もそうはできない。
古手梨花との会談に同席するのを決め、手の中の錠剤をシュヴィに解析させる。


「信用ねーなぁ全く。俺、これでも一応お前にゃ誠実に対応してんだけどね。
じゃなきゃあらかじめワクチン何か渡さないだろ?」
「信用できるか、バカ」
「ハハハ。じゃあ信用できないついでに、こっちも見てもらうか」


シュヴィが問題ないと伝えた後、やっとリップはワクチンを口へと運ぶ。
その様を見てやれやれと口に出しながら、再び皮下は懐のスマホを取り出した。
そのまま一分ほどかけて何某かの操作を行い、終わってから二人の前に画面を晒した。
そこに映っていたのはツイステの公式アプリだ。

@DOCTOR.K ・4分  …
峰津院が管理する東京タワーとスカイツリーの地下には莫大な魔力が眠っている。
聖杯戦争を週末に導く魔力プールが峰津院の手の中にある。

@DOCTOR.K ・3分  …
283プロダクションのアイドル達はマスターであり、聖杯戦争からの脱出を狙っている。
そして、それが達成された場合、聖杯戦争は中途閉幕となり残存マスターは全て消去される。


DOCOTR.Kと銘打たれた生まれたばかりのアカウント。
そのアカウントには既に二つの投稿の下書きが示されていた。
一つは、峰津院の、もう一つは283プロダクションに対して向けた投稿だ。


「俺達だけが大和や283の事で悩むのは不公平だろ?
だからほかの奴らにも一緒に頭を悩めてもらうって訳だ」


712 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:37:55 .rwefCFM0

今しがた皮下が行ったのは、一言でいうなら他主従へのリークだ。
何しろ大和も283も放って置いたら聖杯戦争の趨勢を決定させかねない厄ネタを抱えている。
同時に対処するのは皮下達がいくら強かろうと無理だ。
なのでこうしてほかの主従へと情報をリークする。
大和も聖杯を目指す以上、283を無視はできない。
同時に大和が莫大な魔力を独り占めするのが危険(ヤバ)いのを283や他の主従に分からせる。
こうすれば状況は更に混沌とした方向に進むだろう。
大和も最早皮下らを注視してはいられず、283にも気を払わねばならない。
更に283は他の聖杯狙い達相手に四面楚歌となる。
大和から霊地を奪うには、その混沌こそ最大の好機となるのだ。


「誰とも繋がってないアカウントの投稿だ。気づくのには時間がかかるだろ。
大和たちが気づく頃にゃ、総督の交渉も結果が出てるだろうな」


繋がりが皆無なアカウントの投稿など普通の人間なら早々目にすることは無いだろう。
それこそ神戸あさひを炎上させた情報戦のやり手か、サイバー部隊を抱えている峰津院以外の聖杯狙い達はまず気が付かないはずだ。
だが、余り拡散されなくとも問題はない。
折角貴重な情報をリークするのだ。もとより雑魚は不要。
一定以上のレベルの参加者が気づけば、この投稿の目的は達成される。
カイドウとリンリンの交渉や、梨花との会談が控えていることも考えれば、そのやり手たちが気づくタイミングもできる限り遅い方がいい。


「さぁ、キックオフだ」


拠点へとたどり着き、異界への扉が開かれる。
それと同時に、言葉とともに投稿ボタンがタップされる。
今はまだ誰も気づくことのない騒乱の種。
だがそう遠くないうちに芽吹き―――聖杯戦争を更に混沌へと運ぶだろう。
眠れぬ夜が来る。
世界を回す嵐の夜が、始まろうとしていた。






713 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:38:36 .rwefCFM0


「しっかしどんな子だろうな?霧子ちゃんみたいな可愛い子なら良いねぇ」
「知らん。ただのガキだろ」
「安易な人道主義(ヒューマニズム)を掲げるお花畑少女か…
或いは本当に奇跡を起こす俺たち最大の敵かもしれないけどな。一つ賭けてみるか?
お前が勝ったら一杯奢るよ。俺が勝ったら…そうだな、お前の願いって奴を教えてくれ」
「……それじゃ、お前と逆の方で」
「前者だな。俺は後者ってことで。
中途半端な平和の使者はいつの世も志半ばで倒れるもんだが…お手並み拝見と行こう」


【渋谷区・中央付近/一日目・夜】

【皮下真@夜桜さんちの大作戦】
[状態]:魔力消費(中)
[令呪]:残り二画
[装備]:?
[道具]:?
[所持金]:纏まった金額を所持(『葉桜』流通によっては更に利益を得ている可能性も有)
[思考・状況]
基本方針:医者として動きつつ、あらゆる手段を講じて勝利する。
0:とにかく少し休みたいんだが…マジ勘弁しろよ大和も283も。
1:大和から霊地を奪う、283プロの脱出を妨害する。両方やらなきゃいけないのが聖杯狙いの辛い所だな。
2:とりあえず拠点で古手梨花を待つ。総督の交渉は成功してくれ。
3:覚醒者に対する実験の準備を進める。
4:戦力を増やしつつ敵主従を減らす。
5:沙都子ちゃんとは仲良くしたいけど……あのサーヴァントはなー。怪しすぎだよなー。
6:全身に包帯巻いてるとか行方不明者と関係とかさー、ちょっとあからさますぎて、どうするよ?
7:峰津院財閥の対処もしておきたいけどよ……どうすっかなー? 一応、ICカードはあるけどこれもうダメだろ
8:リップとアーチャー(シュヴィ)については総督と相談。
9:つぼみ、俺の家がない(ハガレン)
[備考]
※咲耶の行方不明報道と霧子の態度から、咲耶がマスターであったことを推測しています。
※会場の各所に、協力者と彼等が用意した隠れ家を配備しています。掌握している設備としては皮下医院が最大です。
 虹花の主要メンバーや葉桜の被験体のような足がつくとまずい人間はカイドウの鬼ヶ島の中に格納しているようです。
※ハクジャから田中摩美々、七草にちかについての情報と所感を受け取りました。
※峰津院財閥のICカード@デビルサバイバー2、風野灯織と八宮めぐるのスマートフォンを所持しています。
※虹花@夜桜さんちの大作戦 のメンバーの「アオヌマ」は皮下医院付近を監視しています。「アカイ」は星野アイの調査で現世に出ました
※皮下医院の崩壊に伴い「チャチャ」が死亡しました。「アオヌマ」の行方は後続の書き手様にお任せします
※ドクロドームの角の落下により、皮下医院が崩壊しました。カイドウのせいです。あーあ
皮下「何やってんだお前ェっ!!!!!!!!!!!!」
※複数の可能性の器の中途喪失とともに聖杯戦争が破綻する情報を得ました。


714 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:40:14 .rwefCFM0


【リップ@アンデッドアンラック】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:走刃脚、医療用メス数本、峰津院大和の名刺
[道具]:ヘルズクーポン(紙片)
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:聖杯の力で“あの日”をやり直す。
1:皮下の提示した理論が正しいかを見極める。
2:もしも期待に添わない形だった場合大和と組む。
3:283プロを警戒。もし本当に聖杯戦争を破綻させかねない勢力なら皮下や大和と連携して殲滅に動く。
4:敵主従の排除。同盟などは状況を鑑みて判断。
5:地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)の量産について皮下の意見を伺う。
6:ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)は様子見。追撃が激しければ攻勢に出るが、今は他主従との潰し合いによる疲弊を待ちたい。
7:峰津院大和から同盟の申し出を受けました。返答期限は今日の0:00までです
[備考]
※『ヘルズ・クーポン@忍者と極道』の製造方法を知りましたが、物資の都合から大量生産や完璧な再現は難しいと判断しました。
また『ガムテープの殺し屋達(グラス・チルドレン)』が一定の規模を持った集団であり、ヘルズ・クーポンの確保において同様の状況に置かれていることを推測しました。
※ロールは非合法の薬物を売る元医者となっています。医者時代は“記憶”として知覚しています。皮下医院も何度か訪れていたことになっていますが、皮下真とは殆ど交流していないようです。


715 : 神の企てか?悪魔の意思か? ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:41:03 .rwefCFM0

【アーチャー(シュヴィ・ドーラ)@ノーゲーム・ノーライフ】
[状態]:健康
[装備]:機凱種としての武装
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:叶うなら、もう一度リクに会いたい。
0:…マスター。シュヴィが、守るからね。
1:マスター(リップ)に従う。いざとなったら戦う。
2:マスターが心配。殺しはしたくないけと、彼が裏で暗躍していることにも薄々気づいている。
3:フォーリナー(アビゲイル)への恐怖。
4:皮下真とそのサーヴァント(カイドウ)達に警戒。
5:峰津院大和とそのサーヴァント(ベルゼバブ)を警戒。特に、大和の方が危険かも知れない

※聖杯へのアクセスは現在干渉不可能となっています。


716 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 21:41:20 .rwefCFM0
投下終了です


717 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/17(月) 22:21:31 .rwefCFM0
皮下とリップ組の現在地を
【港区・皮下のアジト(異空間・鬼ヶ島)/一日目・夜】
に修正します。申し訳ありません


718 : ◆0pIloi6gg. :2022/01/19(水) 23:38:42 QhM5vudA0
>>世界で一番の宝物
 あ〜〜尊い……。(感謝感激雨霰) ハピシュガのオタクとしては歓喜するしかない素晴らしいお話でした。
 さとしょーこの繋がりを掘り下げながら状況もしっかり前に進ませていく手腕がお見事。
 そして、さとちゃんがしおちゃんの存在を知り、その上でどうするか――という命題を予想を遥かに超える手際で描写していただけて感激です。
 「私が今あの子を迎えに行ったら、あの子は歩くのをやめちゃうかもしれない」良すぎる……。
 そこ以外だと無惨相手に交渉を成功させるさとちゃんが好きですね。何気にかなりのファインプレーな気がします。

>>神の企てか?悪魔の意思か?
 おもしろい! 内容的には考察がメインなのにこんなにお話としておもしろいのは氏の技量の高さを感じます。
 カイドウと皮下の会話、そして皮下がリップ達と共に聖杯戦争(界聖杯)の内情について掘り下げていくパート。
 明かされる怒涛の情報量をキャラのセリフに落とし込んで消化させるのがとても巧みで凄い。
 龍脈の件といい、聖杯戦争からの脱出が行われた場合の"残された者達"に待ち受ける末路といい、これからの可能性が凄く広がったなと。
 皮下のばら撒いた爆弾がどのように機能していくか、いやー楽しみですね。

お二方とも投下ありがとうございました!


719 : ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:47:04 kFoXplj.0
分量が長くなってきたので、分割投下をさせていただきます


720 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:47:52 kFoXplj.0
How do you justify your existence?
(あなたは何をもって自身の存在を正当としますか?)





洗浄と着替えを終えて、コインランドリーをばかりの出たところ。
自動販売機で、ペットボトル式のココアをふたりぶん買った。
購入ボタンがいくつも『売切れ』の点灯に変わっているのは、先ほどから往来にうろうろと見える帰宅難民たちが買って行ったのだろう。
櫻木真乃と星奈ひかるは、夜空を見上げながらアイスココアの甘さを少しずつ飲み込んだ。

(ここでは自動販売機が使えるのに……)

『それなのに隣の区では』という事実を思い出して、ココアの甘さが苦さに転じる。
どちらも同じ世界であるはずなのに、新宿区と渋谷区の境界を、生きている人達といなくなった人達の境界であるように感じてしまった。
そんな風に思ってしまったことが悲しかった。

人ならざる姿をした災厄のサーヴァント達にかき乱された東京上空は、星があるのに、くすんでよく見えない。
いまだ暗雲に覆われているのか、あるいは新宿周辺の各所で立ち上る黒煙に空気を汚されたのか、
はくちょう座のデネブは、見えなくてもそこにある。ずっと輝いてる。
環境が変わってもキラめいている。
さっき髪を結ってあげた女の子が、そんな風に励ましてくれたのがずいぶん大昔に思えた。

(いけない。そろそろホテルを探さないとね)
(はい……私だと予約を入れられないので、真乃さんにお任せしますっ)
(うん。街中はこんなだし……帰宅できませんっていえば高校生の名前で予約しても怪しまれないよ、ね?)

ココアをカバンの中にしまうため、そして急な宿泊にも対応しているホテルを探すためにスマートフォンを取り上げた時だった。
そこで、チェインにいくつもの通知が届いていたことに気付いた。
家族へと電話するためにスマートフォンを使った時はかける事しか意識しておらず、『かかってきた通知』を見とがめる余裕さえなかった。
そこまで色々なものが見えなくなるほど、疲れと涙は目を曇らせていたらしい。

(ちょっと待って、ひかるちゃん。摩美々ちゃんからかかってきてた)
(えぇ!? アサシンさんのマスターさんの人、ですよね?)

ですよね、とひかるが確認を付けたのは、今しばらく世界で二人きりだったことで麻痺していたのだろう。
まだ陽も明るかったうちから遣り取りしていたのと同じ、摩美々の登録名からの着信。
それも、283の全体トークルームでも、摩美々との個別トークルームによるメッセージでもなく、通話によるものだった。
用心のために電話はできるだけ少なくしようと打ち合わせしたことも遠くに放り投げたかのような、緊急連絡ぶりだった。
こんなに必死に連絡してくるなんて、何かあったのかな。
そんな風に摩美々のことが心配になりかけたけれど。
未応答の着信一件目は、新宿での地震とバス事故からそう時間が経っていない時点でのものだと気付いてはっとする。

これはきっと、心配されていたのは真乃だちの方だった。
今日はもう家に帰りますと遣り取りした後に、明らかに聖杯戦争が関係している災害が起こったのだから。
ちゃんと帰宅できたかどうか、巻き込まれていないかどうかが心配にもなる。

「たぶん不安にさせちゃったと思う。謝って、伝えないとね」
「そうですね。もしかしたらホテルより、お友達のお家の方が近いかもしれませんし!」

ひかるを促し、人目を避ける為にまたランドリーの中へと入り込んだ。
チェインアプリの画面を滑らせ、とにかく無事を伝えなきゃという申し訳なさに動かされる。
そんな風に慌てて動いてしまった後で、『その後に何を言わねばならないか』に直面した。


721 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:48:33 kFoXplj.0
(心配させてごめんって言ってから…………事情を、説明する。灯織ちゃんと、めぐるちゃんの、ことも……)

よく灯織をいたずらの標的にしていた彼女にも、顛末を伝えることになるのが悲しく。
それを伝えて悲しみを広げることで、ひかるがまた己を責めてしまうだろう理不尽が、やはり許せないままだった。





松坂さとうより今後の指針と連絡先を告げられた際に、鬼舞辻無惨はその後の予定をぼかした。
人を待っていたが、なかなか迎えが来ないので焦れていると。
それも間違いではない。
しかし、童磨たちの来訪によって、新たな予定が生まれたというのが正確なところだった。

(童磨があのような叛意を見せた以上、もはや『他の鬼も待っていれば馳せ参じる』などとは期待しない)

元より予選期間の段階から、上弦の鬼たちの現界は感じ取っていた。
そして不愉快な来訪によって、童磨がいることは確かめられた。
そして、不当な弱体化を背負わされてしまった支配力の範囲についても、把握させられた。
同じ街(行政区)ほどの距離であれば、上弦の鬼たちの気配を捕らえ、無惨の存在を示すことも可能である。
また、鬼の血筋による感応は、霊体化を果たしていても関係が無い。
それが証拠に、童磨は霊体化したまま移動していても無惨の気配を察知したし、無惨も松坂家に姿を消した童磨が入ってきたことを見抜いた。
つまり、もし『いる』ならば向こうが気配を消していようとも、『近づく』だけで捕捉するに足りるのだ。
現在地にさえ目途がついていれば。

さて、この地において無惨が居所を掴みたい麾下の鬼は二体いた。
上弦の壱・黒死牟および上弦の参・猗窩座。
上弦の鬼であれど、童磨をのぞいて英霊となりえるほどの力を持った鬼ならば、まずこの二体に相当する鬼であろうと無惨は読んでいた。
上弦の鬼は下弦よりはるかに入れ替わることが少なく、候補として思い当たる鬼の候補は多くない。
その上で、童磨と遜色ないほどの活動歴、武勇、戦闘力を買って選ぶならば、無惨でもこの二体であろうと見た。

実のところ、英霊としての上弦の参は散り際に鬼舞辻の支配を打ち破ったことを逸話由来の反骨体質として取り込んでいる。
それにより、生前のわずかな例外であった竈門禰豆子や珠代のような者と同等の奇跡を体現したまま現界していたのだが、それを無惨は知りようもなかった。

そしてこの二体は、無惨が数多生み出した十二鬼月の中でも長く存命し、とりわけ“強者との戦い”に対する渇望を持った鬼である。
彼奴らならば、新宿でひと波乱あったと聞けば、中央区で松坂さとう達がやろうとしていた事を、より鉄火場に近づいた上でやろうとしてもおかしくない。
すなわち、残党狩りも兼ねた強者との立ち会いだ。
強烈な力をこれでもかと誇示するような異常者どもの戦場跡で、自らの足を使った探しものに奔走するなど、平素の無惨であれば愚行だと断じていた。
だが、新宿区に近づくだけで残りの上弦たちの所在が分かるやもしれぬとなれば、無惨の中で損益計算の収支がやや黒字として出た。
際どい所まで近づいて、気配が無いことを検められたらその時点で引き返せばよいではないか、と。
こうして、単独で出発しようとした矢先に。


722 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:49:19 kFoXplj.0
「鬼舞辻くん、どこに行くの?」

いつもの壊れた笑みで、その女はひたひたと玄関まで付いて来た。

仮にMの使いが邸宅を訪れた場合、この女に対応を任せるのは心もとない。
この女が無惨の意を汲んで、口裏を合わせるかどうかに無惨は信をおけない。
麾下の鬼たちは、いざM一派の寝首をかこうという段に備えて伏せておきたい駒だ。
幸いにも童磨については、その要石である松阪さとうがM一派には会わないと叔母に言ったことから漏洩の恐れはないだろう。
だが、他の鬼たちについても、『バーサーカー君は、お友達を探しに行ったみたいよ』とは告げ口されては不都合だ。
麾下の前に姿を現した際に、己の要石(マスター)はこいつだと明らかにすることは羞恥の極みではあったことも事実だが。
黒死牟や猗窩座にこの女を見られた時のことを想像して苛立ちながらも、無惨は女を小脇に担いで家を出た。

元より新宿区との区境を越えてすぐの地点で気配探知を行い、当たりがなければすぐに引き返す公算であったために、『マスターという要石を敵性サーヴァントの前に立たせることにやるやもしれない』という危機意識は、彼にしては珍しく薄かった。
何故なら、上弦の壱と参は童磨よりもよほど聞き分けが良く、無惨への臣従が強い。
彼らにも要石たるマスターがいたところで、麾下に加えることはずっとたやすいだろうと見込んでいたし、反抗される想定など無かった。

中央区ならばまだしも被災地の中心である新宿区に進路を向けられるタクシーを捕まえることは容易ではなかったが。
運転手があからさまに女の方に困惑していることや、幾度も迂回をして時間を取られたこともまた不快ではあったが。
新宿区と隣接区の境でタクシーを降りた時点では、すぐに確かめられることだと踏んでいた。



そして、そこで真性の『国すら威する』と言っていい暴と凶の波動に遭遇した。





723 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:50:20 kFoXplj.0
奈落の帳の下。
役割を持たぬNPCたちが仮初に信じている役割のままに、インフラを動しているのだろうか。
枯れ木と枯れた芝生だけが残された新宿御苑の広場を、灯りを就けて右往左往する人影があった。

(本当に、避難所になるのかもしれませんね)
(うん……少しでもあったかくなる人が、増えてくれたらいいな)

ふたたび新宿区に立ち入ることになる、という足労と感傷に対して申し訳ないと謝罪された上で。
田中摩美々に返信をしたところ、直接の電話をしてきた彼女の代理者からは、そこを合流地点に選んだ。
どうしてなんですかと聞き返せば、おそらく避難民キャンプが近く設置されるだろうとのこと。
大量の死傷者、帰宅難民が発生した災害現場の間近に、焼けてはいても面積だけは広い公園があるという現状。
行政から峰津院財閥に開放の要請があるか、峰津院が自発的に門戸を開放するか、どちらかの措置が取られるだろうと。
そうしたら真乃さんもここで泊めてもらえばいいんですね、とひかるは喜んだ。
残念ながら、峰津院のマスターはこの災害を越した首謀者の一人なのでと、にわかに信じられないことをそのサーヴァントは答えた。

二人のいたランドリーからはそう離れていない距離にあり。
曲りなりにもアイドルとして知名度のある櫻木真乃が来訪して衆人に気付かれてしまえば、峰津院財閥の手の者に狙われるリスクが高いので、キャンプ地が完成しても近づくことはできないが。
全焼したことで、防犯カメラを始めとするセキュリティも潰されており、広場から距離をとった森林地帯の跡に潜めば隠れることは可能。
なおかつ、合流するならば、急ぎ新宿区にも立ち寄る要件ができたという相手方のばくぜんとした要望。
干からびた湖底をサーヴァントの脚で駆ければ、すぐさま『集まってきた帰宅難民に紛れ込む』という一手だけは打てそうな位置取り。
『自らの領地に他主従が紛れ込んだことが発覚したら、峰津院も手を打つ』というリスク込みでも、他の主従から『ここにすぐ火種を放り込むのはリスクが高い』と現時点では警戒されるべき座標。
なおかつ通行人や調査隊を避けられることは計算したポイント。
そういう予測だけは、彼は昔から得意だったという。
摩美々は今いる場所をどうしても離れられない用事があるので、彼だけが迎えに来ると言っていた。

そんな隠れ場所に潜んで、櫻木真乃は朽ちた木陰で瞳を閉じていた。
疲れてない、と言ったりしたら大嘘だ。
だけど、気が遠くなるというよりは、むしろ色々なことが頭に浮かぶ。
これから悪だと断じられる時がくると予言するように言われた、古手梨花とセイバーのこと。
あの頃は街のどこも壊れてなかった、神戸あさひの騒動と光月おでんのこと。
事務所が狙われているという話から、ずっと移動していたこと。
連絡が来たと思ったら、変わり果てた灯織とめぐるのこと。
屍鬼のようになった人々と、ひかるの心の傷のこと。
次は敵になると、星野アイとの決別のこと。

それから283プロダクションの事務所で、何があっても信じると言われたこと。

最後に皆に会った時から、プロデューサーとお別れした事務所の休業日から、真乃はずいぶん変わってしまったこと。

――P.Sまみみ達にできないことは、よろしく。

今の私達は、笑えない私は。
あの人から、摩美々ちゃんから、他のアイドルの皆から顔を見られたら、どんな顔をされるだろう。


724 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:51:22 kFoXplj.0


「――お待たせしました」



事務所で出迎えられた時と同じ、男性にしては高音すぎるほど透き通った、沁みわたるように静謐な声。
ひかるはほっとして、真乃は半ばどきりとして、それぞれに顔をあげる。

そこにいたのは、陽が明るかった時とはまるでうって変わった男だった。
明るい事務所で和やかに立ち会った紳士の姿とは、すっかり裏表を異なった姿をしていた。

漆黒を纏った男だった。
漆黒で身を固めた男だった。
黒くて丈の長い外套に、黒い紳士服、黒い靴に、黒い錫杖。
眩しいほどに美しかった金の髪さえ、黒いケープに縫い付けられた黒いフードによって覆われ、隠されている。
闇から自然発生したかのように夜と同化する立ち姿で、彫像のように怜悧な顔立ちにある肌の色は体温も無いがごとくに白い。
まるで、太陽の下を歩けない暗躍者のそれだ。
昼間に一度出会ってさえいなければあまりの『影』としての印象に怯えてしまったかもしれない。
むしろ昼の装いこそが、仮の姿だったのだと主張するかのような切なさがあった。
まだ明るいうちに出会ったその人は、穏やかな紳士で、ほっとするような笑顔で。
きっと英霊になる前は多くの人から好かれたんだろうなぁと、そう思わせる人だった。
暗殺者(アサシン)だと名乗った意味を、まったく深く考えないで済むような人だった。

それに何より、瞳が違っていた。
絶望の影をその奥に塗りこめて塗りこめて曇らせたような、深い緋色だった。
悲しみと、労りと、憐憫と、ままならない情動をその奥におしこめている暗い輝きがあった。
いったい何があったんですか。
こっちだって大変な思いをした事さえ脇にどけて、思わずそう聞きたくなる。

「アサシンさん……」

真乃は、どう再会の挨拶をしたらいいのか悩んで。


725 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:51:56 kFoXplj.0
ぐっと意を決して口を開いた。



「あ、暑くない、ですか……?」



言ってしまったことで、その瞬間だけ空気のぬるさがぐっと増したように思う。

大前提だが、東京の夏である。
ヒートアイランド現象顕在である。
つまり、熱帯夜である。
真っ黒い外套を着て歩き回る男など、金属バットを持ち歩く青少年の比ではないぐらいに珍しい。
「そう言えばそうですね!?」と同じくサーヴァントであるために外気には左右されない星奈ひかるがはっとした声をあげた。

「これは、ですね。暑苦しく見えてしまったのは、申し訳ありません」

その困ったように口元だけを緩めた笑みだけが、昼間の穏やかさのわずか唯一の面影だった。

「別に変身だの霊基の再臨だのではありませんよ? 生前の仕事着のようなもので。
サーヴァントの中には、最低限の魔力で生前の鎧を編むことができる者もいる、それに類するものだと思っていただければ」

ここは瓦礫の撤去と救助活動にさえ行き会わなければ、人眼などあって無きがごとしの奈落の新宿。
なるほど、冬服の厚着という奇妙さはあれど、それでも闇に埋没する現在の恰好の方が人目を忍んで会うにはより適しているだろう。

「こんな寂しい場所にお呼びたてして、まずは謝罪をしないといけません。
そして、夕食を終えていなければ、こちらをどうぞ」

恰好のことばかりに注目がいって気付かなかったが、そこにはコンビニサンドイッチと、飲料ふたり分で膨らんだ袋を提げられていた。
そんなに目立つ格好で、どうやって手に入れてきたのか。
さっぱり分からなかったし窃盗におよんだとは思いたくなかったけど、誰かに見られるリスクを重く説かれたばかりであることを思えば、少なくとも露見する心配については要らないのかもしれない。
そしてここまで気遣われているという現状に、こちらで起こったことにどこまで察しが届いてるんだろうと思い立って。

「あの、摩美々ちゃんは私達に起こったこと、どのぐらい聞いてますか?」
「貴女が返電した以上のことは何も。地震によってバスが止まり、新宿付近で足止めされているとだけ。
ただ、折り返し私がかけた時に『灯織ちゃんとめぐるちゃんが』と言いさしたことについては、述語がついていなかったのでまだ伝えていません」


726 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:52:54 kFoXplj.0
そうなんですかと袋を受け取り、後半の言葉が伝わるにつれて心臓がどきどきし始めた。
この人は、真乃がふたりを失ったことをすでに察知している。
それなら何か言わなきゃ、それについて伝えなきゃと思うのに。
あまりに酷いことをされてしまった二人のことを、どこから口にしていいのか分からなくて。

――ひどいことを、するんですか。

先刻、つたなく問いかけたことを、思い出す。
ひどくてもずるくても構わないと、言い返されたことも。
アサシンの闇に合わせたような恰好に、この人の仕事も、もしかして『悪い事』が関わっていたのかな、と考えがぶれて。

「……汚れてもステージに立つって、言われました」

脈絡のない言葉が、口から出ていた。
アイドルではない、ここに来たばかりのアサシンに発するのは、あまりに不親切な語りだったとしても。

「アサシンさん達にかけるよりも前に、電話がかかってきて。
私はその時、みんな酷いことをするんだって思ったから」

星野アイのことは他の主従に言わない。
その約束が、砕けた。
もとより電話で、もう許し合わないと言質はとっている。

「人を傷つけても、ステージに立つ時の気持ちが分からなくて。
それが、傷つけても、傷ついても、隠してステージに立つのが、アイドルの誠意だって」

それでもずるい、と言い返した。
けれど、そんなのアイドルとしていけないだとか、ファンに不誠実だとは言い返せなかった。
アイドルは、ステージで笑顔を届けるのがお仕事だと思っていた。
だから笑顔を奪ってステージに立つのは、できない、と。
それでも、彼女の言葉は詭弁には聞こえなかった。

「誰かのための笑顔って、簡単じゃないです。笑顔を奪われた人だって、軽くないのに……」

ずるい、と思っている。
許せないところまで、来てしまっている。

ひかるには最後までできなかった『病気になった人達殺し』を、その星野アイのライダーは完遂したという。
それでひかるの心が少しでも慰められたのは、感謝したいことではあって。
けど、それに対して『ありがとうございました』ということは、『あの人達を代わりに殺してもらえてよかった』と認めている事にもなる気がする。
だから、ままならない現実に胸が苦しくなる。

「ちゃんとアイドルの仕事ができたら、許されることになるんでしょうか」
「――いいえ。それだけは、有り得ない」


727 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:53:38 kFoXplj.0
座り込んだ真乃と、腰を落として目線を合わせて。
緋色の乾いた瞳は言い切った。
ともすれば、真乃とひかるにも刺さってしまうかもしれない言葉を。
しかし、『アサシン』と言われるだけの仕事をしてきたのかもしれない、その人は。
友達がいれば償えるといった、同じ人が。

「苦しいことですが、許せる心が強いのと同じぐらいに、許せない思いだって消えない。
この世界が消えても、己が為したことを覚えている限り、追いかけてくる」

歴史の教科書で見た、西洋の彫刻を思い出した。
その美しい顔に、表情はなかった。
ただ、感情だけはあった。
温度の無い白い相貌から悲し気に伏せがちにされた両の目が、それでも慈しみをたたえていた。
聖女や聖人さんは、こういう顔で皆と向き合うのかもしれない。
そう思わせるような、私情に蓋をして他者を想うときの顔だった。

「だから、それでもその人が笑えるのだとしたら、それは正しい正しくないではない、『強さ』の一つなのだと思います」

意外な言葉だった。
償いについて説かれた時には、この人はなんとなく、ズルい事を続けること自体を認めない人のように思っていたから。

「私が生前に出会った一番の大女優(プリマドンナ)は、己の手を汚す手段を使っても、舞台を降りても、輝いている人でした。
女優だった姿を見たことはありませんが、生きざまがそのまま己の証明になる、そういう女性(The woman)でした」

手を汚しても美しい。
人から笑顔を奪っても誇りだけは持ち続ける。
そういう人がいることだけは、認めざるを得ないとしたうえで。
だからまず、貴女たちにも言わせてくださいと、涙を拭うためのハンカチを手渡される。

「生きていてくれて、ありがとう。まだ手を取り合おうとしてくれて、ありがとう」
「あ……」

彼女たちが互いを支え合いながらかろうじて歩いてきたことだって、罪を背負った重たい脚でも、歩いてきた結果だから。
緋色の双眸を閉ざし、懺悔のように顔を俯かせて。感謝を礼によって表す。
真乃とひかるを送り出してこうなったという結果までも、抱え込もうとするかのように。
自分よりよほど背の高いその人の背中に大きな十字架が見えた気がして。
真乃もひかるも、感傷より驚きがまさって、心持ちが不思議と静かになった。


728 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:54:09 kFoXplj.0
「そして、もう一つ謝らないといけない。本当なら貴女は心を休めていいのに、私は辛いことを尋ねないといけません」

瞼を開けて瞳をふたたび見せれば、そこには事務所でも垣間見せた怜悧さが灯っていた。
相手の傷を思いやる慈愛と、相手にいくらか無遠慮でも踏み込まねばならない打算が、そのひと時で交錯したかのように。

「汚れてもステージに立つ、その人の名前は、『星野アイ』ですか?」

どうしてこの人は分かっちゃうんだろう。
夜食を受け取った両手が、じわじわと熱を持った。





計画(プラン)を組むための素材(ピース)は、集まりつつあった。
意図して集めさせたものから、不意に舞い込んできた未知の因子まで、さまざまに。

切り札を切ろうとしたところで、舞い込んできた一報は、後者だ。
仕掛ける一手に繋がるための通話(アポイントメント)を、こちらから仕掛ける。
ジェームズ・モリアーティの手をしばし止めたのは、捜索させていた対象からの着信(レスポンス)であった。

こちらは数コールで応答したにもかかわらず、着信相手は神経質そうな「遅い。何故すぐさま出ない」という一声を放った。
松坂家のバーサーカーとの連絡が繋がった。
それも、バーサーカー自らが携帯端末によってかけてきた。
先に移り住む予定を無視したのはバーサーカーであるにも関わらず、車はどうなっていると詰められる理不尽さをなだめなければ、情報は引き出せない。
その一連をまぁまぁと受け流して、どこにいると確かめれば、それは意外な行先だった。

「……つまり、新宿でただならぬ殺気を放つ『巨大な女性の手』を観測したと?」

手首から先は、硝子張りの高層建築の影に隠れて姿は見えなかったが、あたかも存在を誇示するようだったとのこと。
付近で停車していた報道関係者の車の乗員などは、皆一様に泡を吹いて倒れていた。
こちらには要石の女が呑まれて気絶した程度の被害しかなかったが、やがて唐突に暴力的な圧力が消失し、続いて存在の気配も消えたのを不審に思い立ち戻ったところ、気配の主の姿はなかったとのこと。

『貴様、私が現場の検分もせず落ち延びた腑抜けだと言いたいのか?』
「いや、全くそんなことは無いが」


729 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:56:28 kFoXplj.0
思わず、モリアーティ教授は社長席から腰を浮かし、摩天楼から眼下の景色を見下ろしていた。
そこには、ただ変わらず奈落の色をした闇深い地盤陥没があるばかり。
そんな暗闇のうちに身をひそめながら、今も破滅を振り撒いた者たちに対応せんとする余波が幾つも蠢いているのだ。

そんな何者かがいるやもしれない暗渠に主従そろって赴いていた理由を、バーサーカーは濁した。
動ける時間のうちに巡回をしては不味いのかと。
松阪邸には既に迎えが着いていると告げれば、なら早く合流させろと現在地を告げてくる。
松阪邸にも電子機器や財産入りの金庫、人間を装うための衣服など私有財産はあるだろうに、それらを移すのはこの際、後でいいと。
粗暴ではあってもいっそ臆病なまでに慎重であるはず、というのが対面したことで見えたバーサーカーの輪郭(プロファイル)である。
よほど手ごたえのある情報でも掴まない限り手間ひまをかけて今の新宿に向かうような性格ではなかったが、『理由を濁した』時点で何らかの伏せ札があることは察せられた。

「ともかく、君が遭遇したという座標(ポイント)については調べさせよう。それこそ居を構える建造物の持ち主も含めてね」
『もし要石(マスター)が保有する拠点での所業であれば、即座にマスターを狙って潰せ。
生前の我が配下であれば即座にそのぐらいの判断を利かせるところだ』

後半の言葉がどれほど的を得ていたものかには敢えて言及しない。

「ああ、君の危機察知能力は鋭敏だ。でなければ規格外の妖異としての生態を持ちながら、討伐者たちの思惑を超えた生存戦略を練ることなどできなかっただろうネ」
『言われるまでもない』

バーサーカーの感覚を侮るどころか信用していることは、事実だ。
あれの生前はおそらく、ひとたび里に下りれば街を奈落ではなく血の海にたやすく変えてしまう類の妖物だ。
そんな生態系の頂点がそれでも『臆病であれている』ということは、それだけの脅威に面してきた経験があるに違いない。

また、バーサーカーの感覚にかなりの信を置いていいというモリアーティの判断は、実際の上でも正しい。
始まりの鬼は、他の鬼たちへの支配力が特に鋭敏ではあったが、鬼以外の気配に対して鈍いわけではない。
配下にあった第三の鬼ほど正確無比の精度ではないにせよ。
襲撃をかけた屋敷の周囲に鬼狩りの柱7人分が接近していることを即座に知れる程度には、相手の闘気を推し量ることができる体質を持っている。
故に、覇気を放った者が、他より頭ひとつ抜けているとか二つ抜けているとか、そういう次元の強さですらないことは嫌が応にも伝わっている。

だが、威圧者の脅威そのものよりも、その地点で『強者である何者かが存在を誇示するかのように、正体不明の威圧行為を行った』という特異性が肝心だった。
新たな数値。新たな証拠。新たな判断材料(ピース)。
不確定要素という変数を塗り替える、たしかな定数。
それが手に入るごとに連合の頭脳は歓喜をもって、盤面の塗り替えを行う。


730 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:57:18 kFoXplj.0
バーサーカーに送迎者との合流地点をナビゲートしたところで、通話は断ち切られた。
予定外のイベントを挟むことにはなったが、おおまかな対応については変わらない。
デトラネット本社ビルの別室で、急遽日光を遮断できるよう改装したレストルームを作り、受け入れる。
バーサーカーが『こちらは日中動けないのに拠点を同じくできるか』と喚かないよう、並行して新宿区付近以外ですぐに入居できる仮住まいも見繕わせる。
同伴でやってきた松坂女史は、神戸しおが起きられるようだったら面会させる。

だが、バーサーカーがこちらの不在時に新たな出会いを持ったのやもしれないという違和感をそのままにするつもりもない。
それを確かめるために、複雑な手順や強引な脅迫はどこにも必要ないのだから。
田中一がデトラネット本社ビルに到着したとして、そこで対面させればいい。
『サーヴァントと決別し、替えのサーヴァント候補がマスター不在になるのを待っている』という説明付きで。
もちろん、その男はバーサーカーともそのマスター松坂ともまったくの初対面となる。
しかし田中一の凡庸さは、モリアーティ自身が解いて聞かせた通りだ。
つまり田中とは、バーサーカーにしてみれば『今のマスターよりはマシ』と断ずることだけはできる男であり。
それでいて、バーサーカーが他に替えのマスター候補と出会っているのならば、ほぼ食指を動かさないだろうマスターでもある。
つまり、田中一を見て眼の色を変えるかどうかでバーサーカーのマスターがすげ替わる可能性を判断できる。

(その上で、追及するかどうかはしお君の成長経過も踏まえて決めればいい。
彼のマスターが替わってもいいかどうかということは、『レディ松坂が神戸しおの成長に必要かどうか』ということでもあるのだから)

悪の教授役は、枝葉末節を見誤らない。
切り捨てることも見放すこともするが、明白に『こちらが手を噛まれる展開』だけは回避する。
そもそも田中一についても、成長性への期待と歓待の意思は示しているが、踏み込みすぎてはいない。
目下離反中であるアサシンとの追いかけっこにおいて、たしかな安全保障まではしていない。
いや、そもそも。
田中の敵連合への穏当な参入を阻むものは、田中のサーヴァントだけではあるまいと半ば断定ぎみに結論づけている。

禪院のマスターは、おそらく仁科鳥子に入れ込んでいる。
マスターに関してを極力伏せている禪院が、それでも情報が入って来たら教えろというマスターがらみだろう要求を出さざるを得なかったのがその証拠だ。
それが、『新たな同盟者候補は仁科鳥子を殺そうとしています』などと言われてこのまま動きを見せないとは思えない。
しかし、彼らが水面下で対立を始めた時に、最終的な収拾先として当てにしなければならないのは『敵連合』だ。


731 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:58:23 kFoXplj.0
・『仁科鳥子をフォーリナーの眼前で失わせる』ことを前提とするアルターエゴ・リンボの計画に対して、静観すると約束した
・田中一に対して(リンボの半同席の場であったとはいえ)『リンボのマスター交代』を前提とした経路(チャート)を組むことに同意した。
・禪院に対して、そのマスターが『仁科鳥子の殺害に反発する』と予想した上で、同盟を持ちかけた。

個々の関係を並べれば、三枚舌どころではなく絡み合っている。
これら三者の要求を全て叶えるなど、こと陣営単位で対立をすることが常態化した界聖杯東京ではもはや絵空事ですらある。
しかし、ただ個々の関係と程よい距離で付き合いながら利益を吸い取ろうという話であれば、さほど労苦は無いことだった。

・リンボには、計画に介入しないと言っただけで、リンボの仲間や協力者に対立しないとまで踏み込んだ約束はしていない。
・田中一には、切り捨て前提の同盟だと悪魔の契約を交わしている。
・禪院との同盟関係は、仁科鳥子の保護までを約束したものではない。

そして彼らは一様に、『新宿事変を起こすような者を打倒するには同盟を受けるしかない』という点で連合への期待を捨てきれない。
フリーハンドで『連合にとってもっとも旨味のある』選択肢を出した者を拾えるという主導権を握っているのは、常に敵連合(こちら)だ。

故に、仁科鳥子たちをめぐる本社ビル周囲の争いには介入しすぎない。
そもそも、いかな知将だったとしても、完璧に確実に嵌め殺そうとしてもなかなか上手くいくものではない。
謀略とは、いつでも軌道修正をかけられるようにしておくもの。
計略(プラン)A、B、Cと用意し、Aが外れたならBに切り替え、Aを再利用する必要が生じたらCの要素を汲み込むと、対応の余地だけは幅広く取る。
成功しようが失敗しようが、結果がどちらに転んでも、それはそれで美味しいように仕込んでおくのが肝要なのだ。
奮起も挫折も自由にやらせ、奇跡が起きてもなお揺るがず。
だが、状況の手綱だけは握っておく。
それが、策士。

――しかし、安全策にばかり気を遣っていては勝てない局面もある。

本当に勝利したいのならば、いつかは賭博(ギャンブル)に身を投じなければいけない。
それは期せずとも、かつて『幻影魔人同盟』の名のもとに二者の魔と人が執念の限りを尽くして『賭け』に踏み切った想いと重なるものがある。
新宿事変を見て『先を越された』と受け取った教え子は、その境地に己を投じると言い放った。

課題(クエスト)。『"割れた子供達(グラス・チルドレン)"殲滅作戦』

死柄木弔の完成を見届けるまで、己もまた死ぬつもりはない。そのはずだった。
だが、そうではないだろうと若者の姿を見て改める。
活を見出すとは、たとえ己の命を懸けることになっても、それの上でなお生き延びようとすることだ。


732 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 22:59:29 kFoXplj.0
(それでは、巣を編み上げよう)

携帯ゲーム機で一人遊びに興じる己がマスターを横目に、モリアーティは思い描く。
奈落の中で、最後の一組として立っている深淵の光景を。
いつ、どこで仕掛けるのが最適であるかを。

そしてまた。
『もう一人』もまた、同じ深淵を見つめているか否かを。



「Mさん」



ノックの音がした。
内線も人づてによる取り次ぎも、何もなかった。
入室した闖入者は、『"割れた子供達(グラス・チルドレン)"殲滅』に当たって、標的を知る者としての重要さを増した主従。

「悪いけど、お話はいったん後回しでいいかな?」

星野アイと、そのライダーが入室許可さえ待たずに老教授の眼前まで歩いてきた。
彼女たちには、バーサーカーが連絡を入れるより以前の段階で『課題(クエスト)』が決定したことを内線ごしに伝えてある。
だが、今の彼女が神妙な面持ちを、むしろ、どこかこわばった顔つきを見せているのは、それが原因であるはずがない。
なぜなら策士として敵うべくもないモリアーティのような者を相手にしてでも、態度の上では強気に、したたかな顔を見せ続けるのが彼女であったはず。

「私の電話に知らない男の人から電話がかかってきて、『教授に繋げ』って言ってるんだけど」

彼女はその傍らに、己のサーヴァントを伴っていた。
その眼は、『これはお前経由で転がり込んでいたトラブルなのか』と勘繰るような疑念を孕んでいた。
彼女はその手に、己の携帯端末を持っていた。
その画面は、通話中のそれを表示し、通話相手の電話番号はまるで見覚えのないものだった。

「ほう。そのような場合のはぐらかし方は試したのかね?」

簡単に連合の元締めにたどり着かれないための予防線をモリアーティは引いている。
既にして、神戸あさひの件で『蜘蛛』という扇動者の影が多くのマスターに認知されたのだから。
当てずっぽうやハッタリで『さては蜘蛛の手の者だろう』と同盟者が問われる懸念はあったし、そのための応答は伝えていた。
だが、その防衛線を通過せざるを得ないと、この主従が判断した根拠とは。


733 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:00:01 kFoXplj.0
「『貴女達の教授は、貴女が二重同盟を結んでいた櫻木真乃との連絡先を使うつもりでいる。その手間を省きませんか?』って」

星野アイの先刻までの内情をすでに掴んでいることを示した上での、Mもまた無視できないはずだという正確な推察。

「ほう」

差し出された携帯端末に対して。
老年の犯罪紳士は、意外な驚きに満ちた微笑を浮かべた。

【新宿区付近(中央区へ引き返す途中)/一日目・夜】

【バーサーカー(鬼舞辻無惨)@鬼滅の刃】
[状態]:肉体的には健康、精神的には不快の絶頂
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数億円(総資産)
[思考・状況]基本方針:界聖杯を用い、自身の悲願を果たす
0:松坂邸にやって来た迎えと合流し、『M』の本拠へと向かう
1:あの謎の『腕』についてはMを露払いに使わせればいいか。
2:松坂さとう達を当面利用。
3:『M』もといアーチャー達との停戦に一旦は合意する。ただし用が済めば必ず殺す。
4:マスター(さとうの叔母)への極めて激しい嫌悪と怒り。早く替えを見つけたい。
5:神戸あさひはもう使えない。何をやっているんだ貴様はふざけるなよ私の都合も考えろ
6:童磨への激しい殺意
7:他の上弦(黒死牟、猗窩座)を見つけ次第同じように呼びつける。
※別れ際に松坂さとうの連絡先を入手しました。さとう達の今後の方針をどの程度聞いているかは任せます。
※ビッグ・マムが新宿区近くの鏡のあるポイントから送った覇王色の覇気を目の当たりにしました。
具体的に何処で行っていたかは後続の書き手にお任せします。

【本名不詳(さとうの叔母)@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康、気絶
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:いつもの通りに。ただ、愛を。――ああ、でも。
1:さとうちゃん達に会ったことは、内緒にしてあげなきゃね。


734 : ブラック・ウィドワーズ(前編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:00:26 kFoXplj.0
【ライダー(殺島飛露鬼)@忍者と極道】
[状態]:健康、魔力消費(小)
[装備]:大型の回転式拳銃(二丁)&予備拳銃
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:アイを帰るべき家へと送迎(おく)るため、聖杯戦争に勝ち残る。
0:ボスに似たお人ってのは二人もいるもんだな…
1:アイの方針に従う。
2:M達との協力関係を重視。だが油断はしない。厄(ヤバ)くなれば殺す。
3:ガムテたちとは絶対に組めない。アイツは玄人(プロ)だからだ。
4:アヴェンジャー(デッドプール)についてはアサシンに一任。
[備考]※アサシン(伏黒甚爾)から、彼がマスターの可能性があると踏んだ芸能関係者達の顔写真を受け取っています。
現在判明しているのは櫻木真乃のみですが、他にマスターが居るかどうかについては後続の書き手さんにお任せいたします。

【星野アイ@推しの子】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
0:もしかしてわたし達、何かやらかした?
1:ガムテ君たちについては殺島の判断を信用。櫻木真乃についてはいったんMに任せる。
2:敵連合の一員として行動。ただし信用はしない。
3:あさひくん達は捨て置く。もう利用するには厄介なことになりすぎている。
[備考]※櫻木真乃、紙越空魚、M(ジェームズ・モリアーティ)と
の連絡先を交換しています。
※グラス・チルドレンの情報をM側に伝えました。


735 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:01:36 kFoXplj.0



対象Nとそのライダー、Hと対面する約束を先送りにしたことに、未練はある。
七草にちかの面談においてフォローは任せたと頼まれながら『急用ができて立ち会えません』という追伸を送ることに、不誠実だと気が咎めなかったわけでもない。
もっと言えば、己のマスターとの顔合わせだって先延ばしにしている。
心が追い詰められている時に、寄り添う人がいてくれることがどれほど大事なのか、『ウィリアム』という一人の人間は誰よりも知っているにも関わらず。

――それでも、『お願いします』が効くようになっただけ、ありがたいと言うべきか。

己でなければできない采配(ワン・オペレーション)で多くが回っていた頃に比べれば、ではあるが。
『会談そのものの趨勢は彼らに委ねる』という判断が効くようになったのは、直近の出来事の中でも数少ないプラスだった。
最初の同盟者であるアーチャーが『七草にちか(283プロ非所属)』の精神安定に寄与していることは言うまでもなく。
いざ会話する時間を設けてみて、Hの英雄としての指向性には察しがついた。
きっとHの得意分野は、相談役(コンサルタント)とも探偵(ディティクティブ)とも異なる。
おそらく解決屋(クローザー)とでも称するのが、もっとも正しい肩書だ。
仲裁し、取りまとめる事。相手の立場を慮った言動をすること。
二度の通話において、それができる人物だとの信用はある。
彼ならば、七草家での会談の立ち合いを任せても問題はない。
駒として使うという風に言ったばかりなのに、早くも『任せる』という頼り方を、それも暗黙で押し付けている矛盾に、いったんは目をつぶらせて欲しい。

新宿事変に巻き込まれていた櫻木真乃との連絡がここにきて繋がったことは、それだけの緊急性と重要性があった。
それも、代理人による使いで済ませるわけにいかない三つの理由がある。

理由の一つ目は、言うまでもなくマスターにとって案ずるべき知己の一人であるということ。

二つ目は、プロデューサーが誘拐されたという第一報は、どんなに酷であっても早急に伝えなければいけないこと。
当然ながら、283プロダクションには『犯罪卿直通の連絡先』など存在しないし、存在すべきではない。
つまり、誘拐にともなって犯人側が通常取りえるであろう『脅迫文』に相当する連絡は、283プロ全体に伝わるような形で告知される可能性が高い。
であれば、誘拐について伏せていたところで、何の覚悟も無い寝耳に水のタイミングで、プロデューサーがマスターであること、手段を選ばない聖杯狙いに誘拐されたこと、そして場合によってはそのスタンスさえも知らされる事態が待ち受けていることになる。


736 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:02:17 kFoXplj.0
そして三つ目が、最重要の理由。
もはや、『櫻木真乃がこっそりと接触している主従』について、看過できる時節ではなくなっている。
峰津院財閥。皮下勢力。割れた子ども達。
この三勢力が分かりやすい強者として盤面に影を現してきた。
今後の戦局で予想されるのは、『それ以外の主従』による、蹴落とし合いと同盟の併存する大物狩り。
誰が誰と繋がっているのか、裏返しになっている伏せ札はもう引っくり返して関係を検めなければならない時が来ている。
その上で、櫻木真乃と繋がったマスターの『先』にいる存在は、おそらく無視できるほど小さくない。

――悪意ある主従から『糸』を付けられている可能性。消極的な聖杯狙いの主従と接点を持ってしまい、打ち明けられないでいる可能性。

田中摩美々には両方の可能性を伝えたが、実のところ謎のマスター候補を全く絞れていないというほどではなかった。
犯罪卿は、ここ一か月において283プロダクションの黒幕であり、アイドル達に割り振る仕事をコンサルティングしていた立場でもあったからだ。
『櫻木真乃は、今日の午前中に初めて共演するアイドルと対談をしていた』という情報も、そのスケジュールが決まった時点で仕入れている。
そして新宿事変後に正式発表された『合同ライブ開催中止』の通達と、それに対する関連情報として捕捉された『星野アイの元に選挙公報のキャンペーンガールとしてのオファーが来ている』という非公式情報。
仮に『星野アイがそうである』とした場合、彼女が更なる大物と繋がりを持っていることは、推測可能だった。

だが、それらの理由は、櫻木真乃とそのアーチャーが直面したそれ以外が、大事でないという事にはならない。
ふたりの少女から笑顔が砕かれたことは、決して小さくない。軽くない。

――櫻木真乃のことを案じていた風野灯織と八宮めぐるを殺してしまった?

――それこそ、『犯罪卿(オマエ)』がやるべき事だろうに、なぜ全て終わってから駆け付けている?

――お前が少女たちを殺していれば、少なくとも『櫻木真乃とアーチャーが犯罪卿を恨む』以上の業を、彼女らに負わせずに済んでいた。

そんな至らなさを、彼女らに見せて不安にさせることはできなかったが。

「たくさんのお話をありがとう。そして、私も己に刻みましょう。
本当なら、星野アイのライダーがそうだったように、危機に駆け付けなければいけなかった」

全てを聴き取り、二人が『そんなことありません』と否定するのを、その気持ちだけは受け取る。


737 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:03:11 kFoXplj.0
――暗殺者(アサシン)として、貴女方の代わりに手を汚し、血を浴びなければいけなかった。

続く言葉は封じ込めて、苦悩の顔として表に出てこないように、念入りに錠をかける。
『貴方達の代わりにNPC殺しができなくてごめんなさい』などと告げられても、優しい少女二人は嬉しくも何ともないだろう。
しかし、送り出した少女たち二人が傷だらけになって戻ってきたという事実は、大人として、サーヴァントとして、許されないに決まっていた。
彼女達もまた己の意思と目的を持ったマスターとサーヴァントであり、匿うのではなく自由にやらせたのは正しい形なのだろう。
その一連すべてを己の責任として肩代わりしきるのは、傲慢でしかないことも理解している。
それでも、風野灯織と八宮めぐるを、無辜のNPC達を絶命させる役目が必要だったのなら、その悪行については己が引き受けるべきだった。
こればかりは、二人の治癒が叶わない以上はどう足掻いても無力だったとか、万事を尽くしていれば間に合ったか間に合わなかったかという問題でさえない。
少なくとも。
罪を重ねたくないと願う少女たちが、己の意思でないまま手を緋色に染めることだけは。
返り血で汚れきってしまった者として、防がなければいけなかった――


――それは自罰的過ぎるってもんだろ。あのな、ああいう輩が湧いてくるのはいつだって突然なんだ。


風に優しく、ふわりと撫でられたような言葉だった。
先ほど聞かされたばかりの言葉が、現在に追いついて心の荷物を軽くする。
放置している相手に、勝手に助けられていては世話がないなと、苦笑をごまかすために少女たちの元から立ち上がった。

彼の言葉に、『探偵』を重ねているせいだけではない魅力があることには、気付いていた。
おそらく、高ランクの話術スキル。催眠や洗脳で支配するでなく、ただ『耳を傾け』させるようなもの。
それも、会話時間と効能が比例するのだろう。
なぜなら一回目の会話より二回目の方が、なかなか悪い気がしない。


738 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:03:53 kFoXplj.0
「では、さっそく星野さんの連絡先を使わせていただきましょう」
「えっ……私たち、もう話せそうにないぐらいの、別れ方をしちゃったんですけど」
「星野アイが他の主従と繋がっている裏は取れています。仲直りではなく、そのつながりの確認と、情勢把握のためのお話を少々」
「え、私達と別れたばっかりなのに、もう他の人達と!?」

おそらく繋がったのはあなた達と電話するより以前ですよ、と言われても急展開過ぎることだろうけれど。

これで『糸口』は手に入れた。
櫻木真乃とアーチャーが『すでに星野アイ以外にも繋がっている主従が多数いる』という秘密を守ってくれたおかげ。
悔いるだけなら、全ての策が潰えた後でもできる。
いま折れたところで、夜明けを迎えられはしない。
マスター達を待たせている分、憎まれ役になり損ねた分まで働く。
これを元手に仕掛けないと、遠からず≪詰み(チェックメイト)≫に持ち込まれる。

計画更新。誤差調整。
失地回復を始める。

人目、カメラのレンズ、形のある人工物、想定済(オールクリア)。
対聖杯戦争用・新規獲得反復動作(ルーティン)開始。
両手の五本指を、彼がそうしていたように口元で指の腹同士を合わせる。
少しの時間だけ、そうする。
彼がサーヴァントだったならば伴ったであろう、何らのエンチャントもありはしないと分かっている、子どものまじないのようなルーティン。
ただ、勇気が欲しかっただけ。
彼から名前を呼ばれたことを、思い出したかっただけ。
両手をほどくと、被災地で手に入れた多数の予備の携帯端末(遺品)の一つを手に取る。
それらはいずれも外国メーカー由来であり、販売時点での盗聴器内臓のリスクについては排除している。

さて。
再び腹を括ろう。
敵(ヴィラン)に対面しよう。
最悪の策(プラン)に、観念して乗っかろう。
己の命を賭け金に乗せるというずっと続けてきた営みを、吊り上げよう。


739 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:04:15 kFoXplj.0
――一人であれこれ抱え込んで意味深に笑ったりするのはナシだ。せめて使う側として最低限の説明くらいはしてくれ

また、袖を引かれるようにその言葉を思い出した。
Hとの連絡に使っていた方の端末を先に取り出した。
メールを立ち上げ、思いついたことを試すために新規メールの画面をなぞり、第一宝具の限定展開・簡易計画書の開帳を思い描く。
ちなみに、これから通話をする行為自体が『遺失物横領およびその使用』という犯罪行為の括りに入る。
従来であれば、そこから生み出されるのは横書きの書面の形をとった『計画書』だ。
しかし宝具の性質上、『計画書』には『紙媒体でなければならない』という制約事項はないし、田中摩美々との作戦では口頭説明でも効果が確認されている。
試みの成功が確かめられたのは、真っ白い新規メールに本文がまるごと現れる一瞬だった。

≪櫻木真乃さんと話した結果、白瀬咲耶さんと神戸あさひさんの炎上を起こした扇動者の連絡先を掴みました。
 また、相手方にも櫻木真乃さんの連絡先を掴まれていると分かったため、猶予のない緊急対応としてこちらから扇動者に電話します≫

続いてつらつらと、その判断に踏み切った根拠が長文メールとして出来上がっている。
我ながら愛想も何もない文面であることは自覚している。
かといって、こういう書き方でもしないと、どうにもHには甘えの入った対応をしそうになってしまうから良くない。
ともあれ、『無茶なことを発言していないだろうな』と疑念の種にもならないよう、通話を録音する準備も万全。
一言でも発言ミスは許されない手合いであるため、むしろ『後々の公聴会不可避(これ)』ぐらい緊張感があった方がいい。



――なにせ死ぬかもしれません、私が。



なるべく軽く聞こえるよう、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティは内心でうそぶいて発信した。





740 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:04:52 kFoXplj.0
かくて、二人の犯罪紳士は対面しないままの邂逅を果たす。

絶対悪と必要悪。
青い蝶と赤い薔薇。
善殺しの為の悪と、悪殺しの為の悪。
魔弾(アーチャー)と緋色の手(アサシン)。
巨悪(モリアーティ)と、義賊(モリアーティ)。

「問おう。君は何者かね」

この地において、幾度となく交わしてきた問いかけ。
そして、互いの脳裏では、すでに応酬されていたかもしれない問いかけ。

『初めまして、連合の教授。私は櫻木真乃主従と同盟するアサシンのサーヴァント。そして、あなたのご想像通りの英霊です』

連合、という言葉を使ったからには敵連合の名乗りまでを認識しているのか。
否、『この通話相手ならば既に集団を作っているはず』という前提の鎌かけやもしれぬため、敢えて追求する意味はない。
そしておそらく若い蜘蛛だろうという輪郭は掴んでいたものの、『いや、予想以上に若いな!』という驚きがきた。
仮に『同じ物語』を出処とするのであれば、彼が数学教授の職を得たのは21歳の時になる。
声色から推定される年代は、教授職に就いてから何年も経過していない。おそらく田中一と同年代なのだろうと思わせた。
なぜか声質そのものも黄色人種であるはずの田中と酷似していた為に、年代が重ねやすかったのかもしれないが。

「そうか、おそらく私も、君が察している通りの英霊だ。聖杯を狙う者同士で連帯する連合の頭脳役。
アーチャーの座をいただいているが、ここでは『M』と名乗っているよ」

向こうがクラスを開示したからというわけではないが、ここでクラスを隠匿する必要はない。
モリアーティの魔弾は新宿聖杯戦争という特異なポイントで獲得したものであるが故に、真名からは辿れない。
むしろ相手もまた『その真名を持つ』と推定される以上、弓の宝具ならば『大佐』を伴っているのではないかというミスリードの種にもなる。

『奇遇ですね。私は『W』と名乗っています』


741 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:05:34 kFoXplj.0
『奇遇』という単語に宿る、やや強い響き。
拒否感はあったのかもしれないが、牙を剥いてくるというほどではない。あるいは牙を隠そうとしている。
『W』とはこちらが『M』を用いることを想定しての対抗心なのか、あるいは彼だけの由来があるのかまでは定かではない。
だが、第一声から終始、にこやかな挨拶を、穏やかな受け答えを、通話口の向こうで微笑みさえ浮かべていそうな表敬を崩さない。
白瀬咲耶の炎上から始まった騒動が己の陣営に何をもたらしたのかを、承知の上で。
それでいい、それでこそとMは頷いた。
もしも敵視しているからだとか、所属陣営が不利にあるからといった理由で、自分を大きく見せようとする程度の輩であれば、即座に減点をつけていたところだ。
互いの間にすでに敵対関係を持った上で、殺意を隠した紳士の仮面をつけているという事実と、その名乗りによって彼を知ることができる。
何より、『M』をして教授という呼び名を断定したことが根拠だ。
彼もまた、『モリアーティ』を戴く英霊だ。

「ではW君。話をすることはやぶさかでないが、まずは聞こうか。
なぜ、星野アイと櫻木真乃の接点ひとつから私の存在にたどり着いた?」

通話が繋がったことはまずくはない。
そもそも、こちらから通話を持ちかけようとしていたことは事実だ。
まずは星野アイから頂戴した櫻木真乃の携帯電話へと発信。
283プロダクションを動かしている黒幕のサーヴァントを通話に出すよう要求する。
たとえその会話で仲間は売れないと強情になったところで、星野アイの話ではかなり憔悴しているとのことだったし、『向こうも対話は望んでいるはずであり、必要なら先方に連絡して確認を取ってもらってもいい』とレスポンスを促せば話は通る。
向こうとて、この状況下で『蜘蛛』からの直接的なアプローチを無視することはできない。
その場合は櫻木真乃に対してついでに『後々にこちらの思い通りに動く布石』を打ち込んでいたことも間違いないが。

だが、先んじてかかってくるとは思っていなかった、という所見が正確だ。
新宿の壊滅および情報網の混乱は、283プロダクションのアイドル達という移動する座標を抱えている上に、デトラネットのような大企業の支援はないWの陣営にとって、敵連合以上のダメージがあったはず。
加えて、当該事務所が依然としてグラス・チルドレン他、複数主従の標的にされている事実は動かないことも読めている。
この状況で『生存が確認されたばかりの櫻木真乃に絡みついた糸をたぐり寄せること』を行動の最優先に置くものではない。
それは、『櫻木真乃の周囲にいる何者か』とモリアーティ陣営の繋がりを確信していなければ選べないアクションだ。
星野アイからそのような糸を手繰られないために、キュリオスによって世間から身を隠しても疑われないような筋書きが既に流されている。
彼らの働きぶりにいささかの綻びもなかったことは事実だ。


742 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:06:09 kFoXplj.0
『大きな根拠は二つ。
苺プロダクションは実質的に夫婦経営の小規模事務所であり、社長夫妻に子どもはいない。
そして、星野アイが選挙公報の仕事のオファーを得たという情報が、今晩の時点で流れていることでした』

これが推理小説であれば、凡人の脇役が『それはどういう意味だ』と問いただすような解法だろう。
星野アイの人間関係の特定とまったく別の話題である上に、二点の間にさえもまるで脈絡が見えないのだから。
だが、この両者の間でそれらのやり取りは不要となる。

「なるほど。星野アイには隠し子がいる、それを前提として推理したというわけだネ」
『合同ライブ中止の布告があったおかげで、苺プロ絡みの関連ニュースに不自由しなかったのは幸いでした』
「名犯罪者は名探偵に成り得るとは私の持論だが、なかなかに味な真似だネ」
『その様子だと、そちらも彼女の『動機』にはすでにたどり着かれていましたか』

まず、星野アイは『隠し子を持つ母親』である。
これが全ての前提であり、そもそも初めにモリアーティが禪院に与えた芸能関係者リストの中に、彼女を含めた理由。

「たしかに私も、彼女をこちらに招聘する前からマスター候補だと疑っていた。
情報収集によって組み立てられた輪郭(プロファイル)と、彼女の設定(ロール)がどうにも噛み合わなかったからね。
この際、ひとつずつ印象をあげていこうかな?」

通話器ごしに、互いの目利きを並べようと誘いをかける。
星野アイ当人には、わざわざ手口を漏洩することはないと見なして深くは語らなかった、その人物評を晒していく。

『五感が鋭敏』
「歩き方が大股」
『教育レベル低め』
「無頓着さと過度な執着」
『破天荒な行動に対し完璧主義者』
「愛情の抱き方に何かしらのバイアスあり」
『秘密主義と暴露欲求……無意識もあるのだろう、手の包帯などもそれだろうネ。コスメティックに精通した職業柄、他に幾らでも令呪の隠し方はある』
「金銭感覚が節制傾向……あの年齢で将来のための貯蓄を視野に入れた感覚を持っている」
『この世界での『経歴』を見る限り、15歳あたりから破滅的行動に改善が見られる……少女にとって最も有り得そうなものは、良い出会いだろうネ』

そして、その直後に病気療養と称して約一年の長期休暇に入っている。


743 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:06:56 kFoXplj.0
もちろん、この『一年の休暇』はあくまで界聖杯に付与された設定(ロール)だ。
だが、設定(ロール)として与えられた経歴、人間関係は、おおむね『再現元の世界のそれ』に準拠する。
例えば、283プロダクションの人員とユニットの編成であったり。
例えば、Mが予選期間に利用、蹴落としを行ったマスター達の周辺関係であったり。
死柄木弔の世界では誰もが有していた『個性』の欠落や、七草にちか達の経歴などの、NPCが影響を持ちすぎないよう、マスター達の存在を割り込ませるようにとの空白、改変がままあったことも事実ではあったが。
それらの『モデルとなったであろう世界との違い』に一か月の観察期間、本戦一日目の様々な出会いを経て慣れてきたモリアーティ達は、わざわざ『星野アイの数年前の経歴』に改変を加える意味はなく、再現元の世界そのままなのだろうと推定する。
彼女は、数年前に意味深な長期休暇で世間の目から隠れていたアイドルだと。

『何より肝心な点がひとつ。思春期の段階で性交渉があった者特有のバランスの悪さ』
「……いや、君、そういう眼で283のアイドルも見てたの? 君のプロファイリングこそ修正が必要だった?」
『貴方もそこで純情ぶる歳ではないでしょうに。お互いに世間の暗部は見慣れているはず』

暗に『往年のロンドンはそういう処だったはずだ』と示唆しいてる。
当時のイーストエンドで春を売っていた女性たちの人数は『かなり階級の低い』者だけでもおよそ1200人。
その中には無論、十代で稼ぎに出た少女もいれば四十代の壮年女性もいた。

「16歳で出産したなら、現在は4歳児程度。若い母親で、まして彼女の性格であれば別居は辛かろう」
『苺プロダクションの社長は星野アイの後見人を兼ねている。子どもを隠すなら、社長夫妻の子どもという扱いにするのが最も穏当』
「だが、社長夫妻に子どもはいない。故に星野アイの所感は『噛み合っていない』となる」

ともあれ、これらの推理は今日を迎えるまでの時点では『あるいはマスターなのかもしれない』という程度のもの。
櫻木真乃と対談の仕事をした後でさえも、『彼女こそが櫻木真乃の秘している主従である』と断定に足りるものではなかった。

『この推測のみの時点では『他の居所に子どもを預けている』設定のNPCという可能性もありました』
「そこに『アイドルの政治活動参加』と受け取られかねない情報がリークされた。
政治がらみのネタは、どうしたって家族の思想、出自を追求されるからね。隠し子を育児するアイドルが引き受けるには、確かにリスキーだ」


744 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:07:25 kFoXplj.0
キュリオスは当然に星野アイに隠し子がいる前提での仕事などしていない為、それについて彼女の落ち度だとは言えない。

『加えて、その情報がリークされた時点では、まだ新宿事変が起こっていないことが決定的でした。
ライブによって大勢のファンの前に姿を現すことになる、その前日です。デリケートな分野の仕事を受けたという先行情報が流れるのはタイミングとしておかしい』
「アチャー。早急な繋がりの隠蔽を促したことが裏目に出たか。とはいえ、痕跡の抹消は早ければ早いほどいいから、このあたりは難しいところだネ」
『仮にこのニュースがカモフラージュで流されたのだとすれば、星野アイはメディアを操作できる立場にある主従に囲われた、と見ました。
それも、よほどの大組織を構えた黒幕、なおかつ隠蔽せずとも堂々と引き込みができる峰津院以外の者だというのは疑いない』

これによって証明終了。
仮に星野アイが『櫻木真乃と接触したマスター』であった場合、その背後には既に『蜘蛛』がいる。
少なくとも、そのような隠蔽工作が自然かつ鮮やかであればあるほど、真っ先に候補としてあがる存在はそれになる。
それを以ってWは先んじて接触する選択をした。
星野アイ経由で『蜘蛛』が櫻木真乃の連絡先を握ることになれば、彼女を先んじて接触させるのは相手が悪すぎるとも読んで。

「よく分かった。君と人間観察の手法について議論するのも面白そうではあるが、そろそろ要件に入るとしようか」
『はい、情報交換の申し出とこれからの話を……と言いたいところですが、その前に互いの最終目的だけでも確認しておきませんか?
互いにこれだろうと決めつけたままでは、要らぬ誤解があるかもしれない』
「よかろう。では同時に言おうか」

要約。殴っても後腐れはないかどうか改めて確認させろ。
そして、この問いには沈黙する意味も偽る意味も無い。
こちらとて最終目的を偽るようであれば、そもそも『敵(ヴィラン)』連合という名称は冠しないが故に。

『私の目的は、マスターのこれから先の人生』
「私の目的は、マスターの大願成就」
『おや、最低でも一国家の破滅、最大であれば全ての破壊をご所望だと伺っていました』
「おやおや、どこでそのような悪評を聴きこんできたのかね? 私は後進の育成に頭を悩ませるしがない老人だよ」
『己の死を理解したNPCが本意から傘下に入る為の動機となれば限られてきますので、悪い噂もたってしまうのでしょう。
己の死を度外視して尽くしたいほどの忠誠心か、NPCの皆さんもまた破滅そのものを目指しているのか、と』


745 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:07:58 kFoXplj.0
どこでそのような悪評を、と言いつつも、Mが返した言葉はその実で謙遜ではない。
死柄木弔と同じ部屋にいる場で『破滅(カタストロフ)は望まない』とは言えないし、言わないものだが。
言外に告げた意味は別だ。
私のマスターは、私を超えていくほどの破壊者に育つだろう。

また、Wの方にせよ、ありもしない噂によってMの指向性を判断したわけではない。
1970年代にシャーロキアン兼SF作家だったアメリカ人の発表した短編小説では、ホームズの小説作品の限られた描写からモリアーティ教授の最終目的は地球の惑星破壊だと推理されており、現代でも既知の事実になったという。
彼はMのことをモリアーティだと確信するが故に、もし義賊ではないモリアーティがいるとすれば目的はこうだと推量したのだ。

『なるほど、マスターはよほどの大器のようだ』
「ここには競争相手も数多くいるからネ。将来が楽しみだよ。ところで、情報交換の申し出とは?」

自慢もそこそこに、本題を要求する。
わざわざ動転していたであろう櫻木真乃から連絡先を引き出してまで、一体なにを提示するつもりなのかと。
一拍が置かれた後、涼しくさりげない誘い声が社長室に届く。



『戦場の真ん中に放り込まれたくはありませんか?』



それは……という驚きの声が漏れかけた。
『相手の欲しい物を先に用意しているかどうか』は、交渉相手を推し量る際に極めて重要だ。
もしこれが『あなたはどうしてほしいですか』と聞いてくる手合いだったならば、『そちらが交渉を望んだのに、ろくな下調べもしていないのか』と軽視され、『つまり、ふっかけてもいいんだな』と搾り取られる末路まで見える。
もしも『こちらは全てを差し出す用意がありますから教えてください』を前提にする交渉人がいれば、ウルトラレアだと言わざるを得ない。
その観点で言えば、これは。
暴投にして直球。

「こちらが望むような戦場を用意できると?」
『どこを標的と定めて戦うのかにもよりますが』
「グラス・チルドレン(割れた子どもたち)を殲滅したい。それが我が主の選択だ」


746 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:08:29 kFoXplj.0
ここで、今度は相手方が驚いたような間があった。

『不可能ではない。しかし……そちらのマスターは、白瀬咲耶さんから端を欲する騒動を詳しくご存知の上で?』
「いいや、星野アイ君が見聞きした程度のことしか伝わっていない」

つまり、日中に283プロ事務所においてグラス・チルドレン絡みの騒動が起こったことも知らないと暗に伝える。
最初から283の窮状を見越した上で、標的をそちらに定めたわけではない、と。

『貴方が一目おく理由のひとつは分かりました。あなたのマスターは、つまり賭博師(ギャンブラー)ですね』

賭博師(ギャンブラー)。
それは、最小のリスクで最大の利益を得ようと『見積もり』をする策謀家の発想とは、まさに真逆の者。
それも、己の破滅と、己以外の破滅を天秤に賭けて引っくり返そうとする大博打の挑戦者。
どこを狙えば二番煎じにならないか、どこを突けばまだ荒らされていない鉱脈を掘り当てられるかという『最大の見返りだけ』を判断基準に置く。
リスクについては考慮しない、できないし、そもそもリスクを恐れて歩みを止めるなら、オール・フォー・ワンの後継たる器には至れまい。
それは『数学者』『教師』『相談役』『頭脳役』であれば、よほどの窮地、一発逆転を企図しない限り至れない発想。
故にWは、初手でグラス・チルドレン殲滅を選択したことについて『それほどの賭けに対してMが後押しをしたがるほどの人物』だと判断したのだろう。
最も、そのギャンブラーには苦手とする勝ち筋、期待値計算とイカサマの仕込みを担当する指導役(サーヴァント)が付いているため、死角はないという自負がMにはある。

「そう言われると鼻が高いものだネ。
しかし、お互いに意外な思いをしたようだったが、もし私が『戦場なんてやーだー!』と答えればどうしていた?」
『その時は誘い方を変えました。しかし、マスターが将来有望だと聞いた時点で、この路線にしようかな、と。
貴方が好まれるということは、戦いを忌避する性格のマスターではない。なおかつ、貴方から策謀家としての教授までは受けている風ではない。
予選の間から意識していた『貴方の手並み』には、どうにも誰かとの合作という趣がありませんでしたので』

つまりMと共謀して裏方に回る策謀家ではないが、戦いに積極的な輩だと仮定して。
そろそろ戦場に立ちたいのではないか、という方向で問うことにした、と。

『ともあれ、標的がそこであったのは安心しました。
他の二勢力を狙うようであれば、かなり込み入った手順が必要になるところでしたので』
「二勢力とは?」
『新宿での事変を起こした二組ですよ。他に潜在する強者はいるかもしれないにせよ、あの事変が起こってしまった後では彼らを意識した上で動くことは避けられない』


747 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:09:01 kFoXplj.0
つまり、現在の東京において全主従に対して『我は強者だ』と名乗りを上げる真似をした二組。
そこに既にして『強者(プロ)の集団組織』として成立している割れた子ども達を含めて、『君臨する三大勢力』とでも呼びならわしたいのはモリアーティとて同感だ。

「対グラス・チルドレンであれば自信を持って打ち出せる策があると?」
『我々が彼らとの間に確執を持っていることは、貴方なら察しているでしょう』

ちなみに、この会話で『実は皮下院長の方を追っていて……』などと虚偽を答えるメリットは皆無だ。
選択をしたのは死柄木だが、それを元に経路(チャート)を汲むのはモリアーティの仕事であり、ことによってはその『経路を部分的に明かす』ことさえも誘導の糸口となるため、まずはWの真意、申し出の詳細を問うことが優先される。
Wの側もそれは了解できることであり、両者の間に余計な疑念は発生しない。

「いよいよ決戦の時は近い、という事かネ。まずは君がどの程度その敵について知っているか、教えてもらおうかな?」
『その前に』

短く、前置きがあった。
その一言は、仕切り直しのように冷たく鋭いものへと変じていた。
天使にも似た悪魔ほど人を惑わす者はいないと。
そんな言葉で形容される舞台の役者が、役柄をがらりと悪魔に変えるように。

『あらかじめ言っておきますと』

その言葉に宿るものが何かを、M(ジェームズ・モリアーティ)はよく知っていた。
生前は常に顧客の傍らにあり、しばしば操ってきたものであるから。
緋色の殺意。

『この通話は私の独自判断で設けたものです。
そちらも人員配置などを考える時間は必要でしょうから、この場で全てを決めるつもりはありませんが。
もし我々のマスター達がどうしても飲めないと決断すれば、残念ながら話は打ち切らせていただきます』

私も貴方と同じようにマスターの意思を優先しますので、とさも軽く言いながら。
お前はいつか殺してやるという不退転の意志を隠さず、むしろ示すための言葉を吐いている。


748 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:09:40 kFoXplj.0
『私は、あなたのしたこと全てを忘れない』

アイドルのマスター達が『対グラス・チルドレン』へと向くようになった状況の火付け役は、悪の味方をする扇動者が発端だった。
それが水に流され、許されることはない関係になるぞと、布告している。
それは、もしもマスターにとって酷な要求を持ち出すようなら話を打ち切る、という牽制のようであり。
しかし、その為だけに紳士の仮面を剥がして殺意を見せた意図を、Mは読もうとする。
そして、間もなく理解した。

「なるほど、つまり君はこう言いたいのだね?
『こちらが窮地だからと言って、足元を見られるつもりは無い』と」

Mからの接触を待たずに、先んじてアプローチを仕掛けたこと。
気配遮断を持ち得る暗殺者のクラスだと、まず名乗ったこと。
お互いに要望を満たすことができると、言い切ってみせたこと。
その上で、いつか殺してみせるだけの志があると表明したこと。
おそらく、全ての理由はその前提を作るためのものだった。

改めて説明するまでもなく、Wは新宿事変がらみでなにがしかの痛手をこうむり、283プロダクションは危機を脱していない。
その情勢下で、悪の組織の首領がアイドルのマスターと直通の連絡先を手に入れれば、どうなるか。
まずは、【君達の窮状は察している。ここはひとつ手を組もうじゃないか】と言うそれらしい申し出。
そして、【私達を嫌うのは構わないが、全てこちらの要求を呑まないと死ぬぞ。もっとも最終的には殺すぞ】と使い潰される隷属の成立。
むしろ、こちらから電話しようとしていた時点では実際にそうするつもりだった。
故に、利害が一致するならば話は聞くが、それが足元を見た対等でない支配関係なら、こちらにも覚悟があると示されている。

「しかし、私がこう言えばどうする? 私たちの助力を失えば、より追い詰められるのは君たちの方だと」

敵連合とて、課題(クエスト)には挑もうとしても、標的にそれらしい隙がないという攻めあぐねている状況。
283プロダクションの存在は、むしろ渡りに船であり、善なるアイドル達から断られれば有効打が一つ潰れる。
だが、それは相手にとっても同じであり、むしろ現在進行形で攻撃を受けている時点で、283プロダクションの方がより痛手が大きい。
一時的にでも味方にならないと分かれば、犯罪王は即座に283プロダクションを潰そうとする側に加勢するだろう。
拒絶する選択肢が無いのは、どう考えてもWの方だ。


749 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:10:22 kFoXplj.0
それだけの含意をこめた言葉を、犯罪の王としての威圧を乗せて突きつけると、青年の答えは端的だった。
初めから台詞を用意していたかのように。

『【その姓】は悪役を任ずる。貴方も、こう言えば分かるはずだ』

己の真名であり、蜘蛛の真名である姓。
それを指しているのは、証明するまでもなく。

なるほど、君もまた理解しているのかと、悪の味方はその縁に妙味を感じる。
犯罪王が、死柄木弔に対して、その『切り札』を死ぬかもしれないとした根拠は幾つかある。
第一の死因。
それはどちらの英霊も『モリアーティ』だという確信を両者が有しているということ。
悪役としての『モリアーティ』は、己が滝壺に落とされるその間際に、探偵を起死回生で道連れにしようとした男だ。
でなければ、ホームズに武術の心得があると分かっていながら、その時点ですでに壮年期の終わりであったモリアーティが徒手空拳の喧嘩を売るだろうか。
実際には、物語のご都合設定でしかないのかもしれず、しかし本音では、悪役の意地があったのだろうと、虚構かもしれない記憶に対してつけた結論。
『モリアーティ』とは、たとえそれで追い詰められることになっても、お前を倒すための布石を打ってから死ぬ男だと。

「【やめろよ。誰かさん同士のあらそいはみにくいものだ】とでも返せばいいのかな。
例えば、もし私が取引を蹴った後に、君たちの囲い込みを加速させたらどうする?」
『こちらも敗北するつもりはない。しかし、仮に貴方の言うような敗北を迎えるとしたら、道連れにする為に、ありとあらゆる布石を打ってから倒れます』
「その布石が渡る先には、白瀬咲耶を直接的に殺害したマスターなどもいるのだよ?
マスターの生還を優先する君からしてみれば、自陣以外のどこが勝ったところで結果は同じだ。そんなことをする意味がない」

グラス・チルドレン。
櫻木真乃たちの心を砕けさせた皮下と峰津院。
Wにとっての憎むべき敵が東京には多すぎる以上、そんな言葉はどの陣営を相手にも口にできて、脅迫の実態など無いとMは説いた。
だが、Wはさらりと話題を変えた。

『日中、事務所を訪れたグラス・チルドレンのマスターには、随行していた少女がいました』
「…………」
『隙の無い身のこなし、リーダーとの距離感など明らかに右腕のそれでした』
「『大佐』に当たるというわけか」


750 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:14:13 kFoXplj.0
『歩き方と立ち姿がバレエのそれでした。殺しの巧者(プロ)になった後も動きが沁みついているのだから、おそらく経歴は長い』
「極めようと思えばお金がかかるだろうネ。保護者が裕福だったことが推定される」
『殺し屋に転身してもフォームを崩していない時点で、愛着が弱いとは思えない。保護者には娘のやりたい事をやらせる親心があった』
「それが現在は非合法組織に身を置いている。とても両親が未だ健在だとは思えない」
『裕福で娘想いの保護者だったにも関わらず、先立った時に備えて何も残せなかった。つまり、両親の死亡と時期を同じくして財産も奪われている』
「ことによると真っ当な施設に入ることも叶わなかったのだろうネ。いやはや理不尽なことだ」
『右腕にまで登り詰めた少女がそうであること。【割れた】子どもだと名乗っていること。他の子ども達にもそのような過去があるとは察せます』
「社会に追い詰めらた子どもたちの寄り合い、というわけだネ。して、それがどう繋がる?」
『あなた達の集団にいるマスター、1人1人の願いについては分かりません。
しかし、貴方個人の願いと、彼らの頭目が聖杯にかける願いであれば、私はまだ、後者を優先する』

彼らはこれからも殺し続けるのだろうけど。
それでも『勝ち負け』ではなく『どちらの願いに叶ってほしいか』という話であれば。
Mに釘をさすための、ハッタリも半ば混じった言葉であるという、否定はしきれないにせよ。

――だって少なくとも彼らは、守るべきものがある限り世界全てを壊すことはしないでしょう?

どちらにも因縁と仇があり、排除すべき敵の一人と位置付けていることには変わりません、とWは誤解を正すように付け加えた。
その上で、仮にそちらの連合のせいで自陣の敗北が決まることがあれば。
負けるつもりはないが、もしMの言うような結果が起こったとすれば。
その時は、こちらを直接的に攻撃したグラス・チルドレン達の勝率を上げるかもしれないと承知の上で、Mの陣営が不利になるような暴れ方をする。
なぜならMとそのマスターが聖杯を獲った時の方が、より大きな悲しみが生まれて、たくさんの未来が失われそうだから。


751 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:15:20 kFoXplj.0
なるほど合わないな、と犯罪王は犯罪革命家との違いを痛感する。
その上で、判断する。
ここまで主導権を渡さない姿勢を固められたならば、折れたほうが得策だと。

「仮に手を組むとしたら対等、了解した。改めて話を続けよう」

当初の気が合わないという直観は、正しかった。
なぜなら生前の己は、ここまで誰かに対して殺意をつのらせたことはなかった
人を殺す計画を練るときはいつも楽しく、充実していた。
たった一人だけ、例外はいたが。
ジェームズ・モリアーティがその生前に心からの殺意を持ったのは、『モリアーティ』ではなく『ホームズ』だった。



その男を『M』と呼ぶことに、思うところが全くないと言えば嘘ではあった。
兄弟と同じ二つ名で呼びたくはないからどうにかしろなどと、子どもじみた難癖を付けられる歳でもないが。

だが、そういった『同族嫌悪がある』だの『性質が受け付けない』だのという個人的な情動よりも、何よりも。
その男に表明すべき怒りは、既に多くを狩り取り、これからも総てを狩り取るであろうという一点に集約される。
例えば、櫻木真乃の現状。
新宿に闊歩していた『冷たい屍鬼』の情報。
それは状況だけ見れば、新宿事変の影で始まりそうで世間的には始まらなかったテロ未遂。
しかし、蜘蛛たちは『皮下病院では来院する患者を攫って≪研究≫に利用していた』という手ごたえを得ている。
その上で、『新宿事変の影で感染症テロをやらかそうとした新興勢力がいた』と考えるよりは。
あの暴発は、皮下院長の拠点が破壊された余波で逃げ出した『実験体』たちの成れの果てなのだろう。
そして、その上で283プロダクションのアイドル達だけが目撃させられたものがある。
風野灯織と八宮めぐるは、最初に『病気』を発症した人達の中にいたこと。
そして、既に別のアイドル達が『体の各所を変形させられる真っ黒人間』に攫われかけたという事実があること。
幽谷霧子に皮下病院の手の者が監視者をつけていた事実があること。
重ねれば、イルミネーションスターズのアイドル達を悲劇の渦中に投げ入れたのは誰なのかは仮説が成り立った。
これらは、前提として。
そうなったさらに遠因は、1人のアイドルの死が敵意の的として祀り上げられたことが発端だ。
そういった悪意の火付けは、醜聞によるものだけではない。
星野アイを怪しむに至った経緯について確認するだけでも、裏側で『怪しむべき芸能関係者のリストアップと情報提供』をもって他主従を暗躍させる企み事が、為されていただろうことは明白。

Hに対しても、『私はその輩を許しはしない』と言い切った当人が、会話の成立するところにいるという赫怒が、感情の多くを占めていた。
その怒りを抑えることを可能たらしめているのは、半生で培った牙を隠すための処世術だけではない。
会話によって得られる情報のすべてが『可能であれば敵に回すな』と訴えてくる、その男の傑出性によるものだった。


752 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:16:41 kFoXplj.0
これなる者は、たしかに常世総ての悪を敷く者。
物語で描かれた姿をそのまま映した、虚構からの侵食。
例えば、こちらの発する推論を聞いて、感心した風に髭を擦るような挙動の音。
それに伴う微かな衣擦れだけで、その男の纏っている衣服の仕立てと、布地と、着こなしが一級のそれであることが読み取れる。
時に発せられるおどけたような軽薄な声はすべて道化であり、この男の本質は紳士であり、貴族であり、支配者である。
己の振る舞い方を知り尽くしている理性の怪物である。

であるからこそ、最初に『足元を見るな』という前提は絶対に必要であったし、それを獲得できた時点でどっと崩れかけたことも内心の秘密ではあった。
だからこそ、得られる利益は惜しまず供与し合わなければならない。

『海賊帽子、巨体の老女、無類のお菓子好き、魂の干渉。
理解した。実のところサーヴァントに対しては全くの未知であったのでネ。どれも有り難い情報だよ』

「櫻木真乃および星野アイさんたちの証言によって、名が『ビッグ・マム』であることも確認は取れている。
明らかに風体から付けられている以上、真名ではなく通り名のようですが。
あの頭部の大きさから推定すれば、どんな体格だったとしても身長8メートルはくだらないかと」

『体格が大きいということは、皮膚も厚いということ。耐久力も並みではないだろうネ』

「観察ができた部位、たとえば表情筋ひとつとっても脂質だけでない頑健さが存在しました」

『うむ……極道のライダー君たちのおかげで海中では溺れるという弱点が判明したことは僥倖だが、向こうも一度痛い目を見たなら、それがある戦場は避けるだろう』


753 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:17:33 kFoXplj.0
「加えて、そちらの傘下が中央区マンション付近で聴きこんだという『意志を持った樹木』。
これは、魂の収奪能力と関連づけていいものかどうか」

『こうして並べてみると【分かっていたところで、どう対策するんだ】案件が多すぎて頭が痛いネ……。
しかし『気を強く持てば魂は守れる』っていうのは、君、味方側を盛ってる感じがしない?
こっちが同じようにやろうとして、嵌るのを期待してない?』

「嘘はついていません」

この会話が始まった大前提だが、両者は莫迦ではない。
互いの手札を見せ合うことは、将来の敵を有利にはしても、現在の敵にとって不利に働くことは疑いない。
故に、足を引っ張り合った結果の両損(ジレンマ)はまず避ける。
それを上回る黙秘理由はない。

「ただ、主従関係が不仲であるという点については特筆すべきでしょう。これは数少ない隙ではある」

『ふむ。敵を欺く為に、敢えて仲が悪いように振る舞っていたという可能性はない?』

「ありません。右腕の少女についての印象は、先に語った通りですが。
立ち去り際に『ライダー女史への言伝をお願いできますか』と言ったところ、聞こうともせず拒否されました。
もし『もう一人の首領』と認めた相手への言伝なら、演技の最中だろうとも聴くだけは聴く義務と立場がある」

『つまり信頼関係どころか、最低限の主従関係さえも皆無である、と』

「彼女が会談の最中に目線で指示を仰いでいたのも、リーダーに対してのみでした。
指揮系統の統一などを抜きにしても、子ども達はあくまでサーヴァントではなくリーダーについている」

『彼女だけが特別そうしていたという可能性は?
少なくともアイ君たちの話では、リーダーの情報を漏らす子どもだっていたそうだが』

「こちらも末端の子どもと予選の間に関係を作っていましたが、リーダーの求心力自体は相当なものでしたよ。
そしてサーヴァントについては『リーダーの客人』と言った言及で、しかも敬遠している趣きがあった」


754 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:18:22 kFoXplj.0
『機嫌を取らねばならない厄介者、というわけか。
しかし、それなら実のところサーヴァントにマスター裏切りの可能性を示唆してあれこれ操れば足りる話ではないかネ?
労せずに主従の連携を崩せるとなれば、そこを狙わない手は無いように思うのだが』

「私の所感としては、その余地はないと思われます。
そのような仲であるにも関わらず、予選期間も含めて一か月以上も関係を回していた事実を軽視すべきではない。
それに、貴方より若い者としての見解ですが、あの手の『支配者(おや)』は、いざその時が起こるまでは子どもに叛逆されるリスクを軽視するものです」

それを利用して養父母と養兄を焼殺した子どもが口にするには、あまりにも白々しいことは自覚している。

『なるほど、君がその手段に訴えない理由はある、ということか。
ちなみに、これは伝聞情報であり同一人物だと確証は無いのだがね。
そのビッグ・マム女子、先刻、新宿に現れたそうだよ』

最新情報が得られる。
その期待を表し過ぎないよう、努めて落ち着き払った返答を心掛ける。

「それは、霊体化ではなく、あの巨大な姿を現したと?」

『姿は建物の陰に隠れて、片手の手首から先だけだったそうだが。
目撃者によれば、人間離れした巨大さを持ち。肉付きは硬くはあれど女性のそれに近く、女性ものの指輪が幾つも見受けられたことから性別についてはほぼ確定的だと』

それに加えて、その『目撃者』が見聞きしたという挙動と気配についても伝えられる。
一般人であれば失神に至るほどの闘気を周囲に放ち、明らかに並みのサーヴァントでは及びもつかない脅威だと認識され、その威圧が終わると間もなく気配ごと姿を消したと。
目撃者について曖昧にされているのは、おそらく既に同盟者として引き込んでいると見ていい。

「気になる事がいくつかありますね」

『ああ、並みの異能を持たないマスターであれば近づくだけで脅威となることも恐ろしいが、特筆すべきはそこにいた『手段』と『目的』だろうネ』

「霊体化は気配遮断ほど便利ではないし、『目撃者』も『覇気』とは別にその手の人物もまた別格の強者であることを気配で察している。
最低限、『そこにいる』ことさえ割れてしまえば、『明らかに他と違う別格の風格』を放っていたほどのサーヴァントが、全く痕跡を辿らせずに消失するのは難しい」

『存在するだけで別格だと分かる巨女のサーヴァントなど、そうそう何人もいるものではない。
しかしそうなると、ビッグ・マムは海賊という職業にはいささか似つかわしくない気配遮断の能力を有していることになる』

「そうでなければ、空間を超えて移動するような秘技を持ち合わせているか、それができるサーヴァントの助力を借りている、と」

『そこでさらに目的の謎が加わるわけだ。闘気だけを放って消えた。それだけで相手に伝わり、何かしらの合図を送るには充分だと言わんばかりに』


755 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:18:55 kFoXplj.0
「しかも周囲に他のサーヴァントもいない戦場跡地の付近で行っている。それで伝わるとなれば、可能性として浮上するのは『それだけで感知も伝達も可能な既知の関係者がいる』ということ」

これまでの情報交換で、Mの側における『皮下とグラス・チルドレンはあるいはてを組むのではないか』というリスクについては聞き込んでいる。

「峰津院財閥のサーヴァントに向けて放たれたものだという可能性は?」

『峰津院は逃げ隠れもしておらず拠点もはっきりしている。合図など送らずとも連絡手段はあるだろう。
一方で青龍達の方はいずこへ逃亡したとも知れず、拠点さえ表側の世界には無いかもしれない。
もちろん彼女ら独自の手段で新宿近辺にいると見なした別の主従に合図をしたという線も無いではないが。
いずれにせよ想定できるのは、グラス・チルドレンの側も戦力拡充を図り得る、ということだろう』

つまり、いざという時の戦場は、ビッグ・マム一人に大勢でかかるのではなく大乱戦になるかもしれないね、とさほど焦った風もなく老紳士は結んだ。

「こちらの想定以上に混み入っているのはよく分かりました。他に、現時点で提供できる情報はありますか?」

『そうは言われても、現状で我々が持っている彼らの情報(ネタ)はこれ限りだよ?』

「こちらは、人間観察(スキル)持ちが直接にサーヴァントと対峙した結果を他の主従より先に提示している。
さすがに、もう少し見返りを要求しても罰は当たらないと思いますが」

暗に、この情報を既知であるかのように扱うようだったら『ビッグ・マム主従と内通している』と疑われても仕方が無いとも含みを持たせると、老練の策謀家は良かろうと答えた。

『では、他の主従の情報(ネタ)も含めた、我々のこれからについて少し話をしよう。
……峰津院財閥が先の事変で新宿御苑を失ったことは分かるね?』


756 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:19:30 kFoXplj.0
「はい、私有地としての権利は残っているが、土地そのものは焦土になった……やはり霊地だったのだろうと見ますか?」

『聖杯戦争において、土地に強くこだわる理由と言えば、施設の用途以外にはそれしかないだろうからネ。そうでなければ、豊かな公園として一般開放されてしかるべき場所だ』

「他に似たような『不自然な私物化』がされている名所がありますね」

『ああ、特に目立つのは東京タワーとスカイツリーだろう』

蜘蛛たちはいずれも、魔術に秀でたサーヴァントではない。
だが、新宿御苑、東京タワー、スカイツリーといった施設の『常識的に考えられる本来の運営』を推測。
加えてMについていえば過去に別世界での『聖杯戦争』を経験していた際の現代記憶もある。
よって、『本来ならば半ば公有の商業施設として万人に開放されてしかるべき立地・機能を持った土地および施設が、いち早く私有地として抑えられている』という状況証拠を拾うこともできる。

『そこでこちらからの情報だ。予選期間も含めて探りの者を出した感触だが、御苑を探らせた者よりも二つの塔の方が消息が途絶えるのが早かった。秘匿レベルが相当に高い印象を受けたよ』

当然にその『探り』たちは峰津院主従に口封じを図られたことだろう。
所業については思う所あれど、話を先に進めるために黙する。

「となると、新宿御苑をはるかに超える霊地になり得る」

『埋蔵金や秘蔵の魔術兵器を隠しているのでもない限りは、まぁ似たような、より優れた機能を持っているのだろうね。
その上で、ここまでが前提なのだが』


757 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:20:07 kFoXplj.0
ああ、彼は嗤ったなと直感的に悟った。
顔も知らぬ相手がニヤリと口元だけを緩めたのが、その部位だけ見えたかのようだった。



『できれば決戦の地はこの二つのいずれかにするか、あるいは、段階的に戦場をここに移動させたいと思っている』



「…………」

呆ける。
瞬間的に、ここは呆けてもいいものだろうか、こちらに意図の読み損ねがなかったかと不安にはなったものの。

「峰津院の長を標的と定めなかったのは、他に心算があったから、というわけですか」

――なぜ峰津院を狙わなかったのか?

標的を定めたのはMのマスターだとしても、進言により『今もっとも危険な主従は他にいる』と中断させることは可能だったはずだ。
まして、老教授は新宿事変の勝敗をかなり正確に分析している。
最も優勝候補と見なし得る存在は、そこだと割り出せなかったとも思えない。
その通りと頷き、地獄の底まで届くような重みと苦みのある声で。

『理由の一つ。この東京における最たる過剰戦力は、峰津院ではない。
件の会合がどうにかこうにか収まり、協力、ないし不可侵の関係が成立した巨大サーヴァントを抱える組織二つだ』

峰津院はとかく『目立つ』『強すぎて隙を見て裏切る余地さえ少ない』という理由ふたつによって、同盟者を誘致しにくいという慢性的欠点を抱えている。
一方で、峰津院の無法ぶりを目の当たりにした東京中の主従の中には、こう考える者もいるだろう。
その峰津院と勝負が成立していた青龍や、それと同等のサーヴァンを味方につけた上で数によって勝れば、あるいはと。

「ただでさえ峰津院戦を想定した戦力拡充の余地がある二勢力。
その上で確実に峰津院を上回る為に、最低でも相互不可侵を、と考えることはするでしょうね」

『そうなったら我々が付け入る余地はどこにもない。単騎であっても複数主従で徒党を組まなければ対抗できない本命主従が、数の力をも得てしまう』

だが、二勢力が不可侵の関係を得て峰津院の力を上回るのを片方を落としたところで、それは峰津院が弱体化することを意味しない。
むしろ、峰津院の対抗馬、潰し合いを行う候補者を削ってしまうことで、峰津院が一人勝ちに至る可能性を高めてしまうとすら言える。
そのことを、裏社会の勢力図を書き換えてきた海千山千の老蜘蛛が理解していないはずもない。


758 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:20:41 kFoXplj.0
『もう一つ。この状況では誰だって最たる脅威は峰津院だと印象づくだろう。
皆も冷静になれば戦闘の仕掛け人も勝利者も峰津院だったと気付き始めるだろうからネ。
だが、誰だってそう考えるということは、奇をてらう隙もないまっとうな対処が組まれるということだ。それではこちらが主導権を握る余地がない』

事前の準備で戦う前から勝敗は決まる、とは戦略理論の常套句だ。
逆に言えば、強者同士が万全の準備を整えた状態で開戦すれば、分かりやすくもあっけない勝因、敗因はついてしまうとも言える、とMは説く。

「つまり三大勢力が準備万端、想定通りの状態で戦っている場合は、かえって戦況を操りにくい、と」

『そう、だから彼らにとっての予想外が必要になる。【今さら二番煎じをしても仕方がない】という我が主の決め手は、そういう意味では正しいよ』

そもそもこの討伐は、超新星爆発を誘発するための機会でもあるのだ。
あの新宿大崩壊を見て『先に始めやがって』と幼い怒りを露わにする以上、皮下たちの思惑に組み込まれてまずは峰津院からだ、とするような常道は辿らない。
アレを超える所業を為す、己の破壊が全てだと知らしめるという、幼さと紙一重の妄念が生み出す後先考えない賭博(ギャンブル)。
彼のサーヴァントは、すでに命令された。その変数を式に入れろと。
なるほど、と口舌を通して指向性が見えた。
根本的なところで、この主従は夢想家だ。
夢の方向性が、憂国のモリアーティとは相いれない正反対ではあるけれど。

そしてその上で蜘蛛の巣づくりには、『峰津院の要所を戦地にする』という一手が織り込まれている。
それはつまり、最初に仕掛けるのは割れた子ども達であっても、その延長で峰津院を引っ張り出すことも視野にいれる、と。
まず倒れまいと思われている強者の一角が、予期しないダークホースの手によって欠けた、あるいは欠けそうになっている事態で場を荒らす。
その後、願わくばたて続けに他の強者も引っ張らざるを得ない戦場を作り出す。


759 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:21:16 kFoXplj.0
「この霊地にはそれだけの価値がある、と見ているわけですか」

『現状で、峰津院を引っ張りだせそうな手札がそれというだけのことだ。他に餌として使えるものがあれば使う』

「我々がその『餌』にされる可能性もある、と」

『そうならないよう心掛けるのが君の仕事だろう。いや、君のことだから、むしろ我々を巻き添えにしようと動くか』

とすれば、二つのタワーが要所だと伝えたのは、単なる情報提供だけではない。
いざという時に『あの陣営は知っていたぞ』『知らなかったとは言わせないぞ』という状況を創るための布石でもある。
言うなればこの会合は、手を結ぶ密約であると同時に、毒杯の飲ませ合いでもあった。
あるいは、共に開戦の一発目を撃とうと拳銃を差し出し、ハンカチで互いの手をひとつの引き金に縛り合う儀式。

「要約すると、意図的に大乱戦、あるいは連戦を狙うわけですか」

例えば、『手っ取り早く排除したい弱者の集団に気を取られているうちに、峰津院が王手をかけるかもしれない』ともなれば。
残る二大勢力は背面作戦になると分かっていても峰津院に強硬突撃をかけるしかなくなるだろう。

『実際はもう少し柔軟にやるつもりではあるヨ。なに、場を唆して総浚いするのは、昔から得意だった。マフィアだの自警団だのをぶつけ合わせてネ』

つくづく『犯罪卿』の逆を行くような企みごとをしている。

「仮にその流れが実現すれば、一気に局面は終盤まで雪崩れかねない」

『そうだ、相手はなるべく確実に勝てる環境を望むだろうが、こちらは破滅がやってくる心構えをしている。
私がこれから教導しようとしているのは、状況の手綱を握る事、破滅を乗りこなすことだからネ』


760 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:21:47 kFoXplj.0
策というにはいくらか大雑把。
だが、その大雑把を乗りこえるし、乗り越えさせてみせると豪語するのは、まぎれもない経験則だ。
まったく、頭が痛い。
特に、アイドルのマスター達もともにその『破滅』を超えなければ未来に至れないという大嵐になることが。

これが、死ぬかもしれない理由の二つ目。
青龍と女傑海賊が同盟しているところに突っ込むのはいかがなものか、といった慎重さは、もはやできない。
巻き込む主従の規模を広げる以上、どうあっても予測しきれない死地に赴くことになる。

「しかし、巻き添えと言っても何も我々が共に行動しようというわけでは無いでしょう。」

『それはそうだ。言葉は悪いが、君達が厄ネタになっていることは否定できないからネ。
それに聖杯戦争に積極的でない陣営を擁していると聞いた時点で、我々の連合に与することを躊躇う敵(ヴィラン)だっているかもしれない。
だいいち私はまだしも、複数組を擁している陣営同士が合同で動く想定をするなど、我々の陣営には頭がパンクする者もいるだろう』

そして、理由の三つ目でもある。
この東京において、それぞれの陣営は、それぞれの置かれた環境、スタンスによって『厄ネタ』と成りえる状況にある。
それを協力者として孕むことによる巻き添えのリスク。
それに対して、いざとなれば己が糾弾の矢面にも立たねばならない。

「そもそも櫻木さんと星野さんのように、既にして不和が生じている関係もある。
こちらも合流して仲良くしましょうと言うつもりもありません」

『だが、同じ組織を共に攻撃する必要はある。
そしてその為には、最低条件として必要なものがあるネ』

それは確認ですらない、ただの断定。

「組織の首領、殺し名にして『ガムテ』と称する少年と、逃げ隠れの効かない場で対面することですね」

『そうだ、末端を幾ら潰しても根本的解決になりはしない。
サーヴァントである『ビッグ・マム』は無軌道な性質をしている上に、謎の消失手段も持っている。
また、青龍の陣営と同盟していれば、『東京から隔絶された拠点に逃げ込む』という手段も解禁されかねない。
ならば、極道のライダー君いわく、駆け引きを知っている玄人(プロ)である少年の方に働きかけて、拠点から降りてきてもらうしかない』


761 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:22:29 kFoXplj.0
策というにはいくらか大雑把。
だが、その大雑把を乗りこえるし、乗り越えさせてみせると豪語するのは、まぎれもない経験則だ。
まったく、頭が痛い。
特に、アイドルのマスター達もともにその『破滅』を超えなければ未来に至れないという大嵐になることが。

これが、死ぬかもしれない理由の二つ目。
青龍と女傑海賊が同盟しているところに突っ込むのはいかがなものか、といった慎重さは、もはやできない。
巻き込む主従の規模を広げる以上、どうあっても予測しきれない死地に赴くことになる。

「しかし、巻き添えと言っても何も我々が共に行動しようというわけでは無いでしょう。」

『それはそうだ。言葉は悪いが、君達が厄ネタになっていることは否定できないからネ。
それに聖杯戦争に積極的でない陣営を擁していると聞いた時点で、我々の連合に与することを躊躇う敵(ヴィラン)だっているかもしれない。
だいいち私はまだしも、複数組を擁している陣営同士が合同で動く想定をするなど、我々の陣営には頭がパンクする者もいるだろう』

そして、理由の三つ目でもある。
この東京において、それぞれの陣営は、それぞれの置かれた環境、スタンスによって『厄ネタ』と成りえる状況にある。
それを協力者として孕むことによる巻き添えのリスク。
それに対して、いざとなれば己が糾弾の矢面にも立たねばならない。

「そもそも櫻木さんと星野さんのように、既にして不和が生じている関係もある。
こちらも合流して仲良くしましょうと言うつもりもありません」

『だが、同じ組織を共に攻撃する必要はある。
そしてその為には、最低条件として必要なものがあるネ』

それは確認ですらない、ただの断定。

「組織の首領、殺し名にして『ガムテ』と称する少年と、逃げ隠れの効かない場で対面することですね」

『そうだ、末端を幾ら潰しても根本的解決になりはしない。
サーヴァントである『ビッグ・マム』は無軌道な性質をしている上に、謎の消失手段も持っている。
また、青龍の陣営と同盟していれば、『東京から隔絶された拠点に逃げ込む』という手段も解禁されかねない。
ならば、極道のライダー君いわく、駆け引きを知っている玄人(プロ)である少年の方に働きかけて、拠点から降りてきてもらうしかない』


762 : 連投大変失礼しました ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:23:59 kFoXplj.0
「その機会を用意するのは、ちょうど少年たちから狙われている我々の側になる。
元より、そちらも『グラス・チルドレンが我々を襲う隙をついて攻め込みたいです』という取引きを持ちかけるつもりだったのでしょう?」

『うむ、それが一番シンプルだからね。日時や呼び出す用件の練り込みは君達に任せよう。
『放り込む戦場を用意する』とはそういうことだろう』

そして、Mにはいまだに秘していることだが、その『密会』の機会となり得るかもしれない事件が、現在進行形で起こっている。
283プロダクションのプロデューサーが誘拐され、遠くないうちに彼の処遇をめぐる結論を出さざるを得ないことだ。
Hによって『七草にちかを聖杯とともに生還させるための獅子身中の虫となる気ではないか』と、推理された存在。
彼を巡る取引や密会ごとが起こるかどうかは、誘拐についての進展と、プロデューサーの現況の把握と、なにより七草にちか同士が対話をした結果にかかってくる。
そもそもHの元にいる彼女と、プロデューサーの知る彼女とが同一人物かは分からないという問題もあることだが。
プロデューサーの方は、Hとそのマスターを自宅に向かわせていたことから、七草にちかとの対面を望んでいると考えていい。
また、Hの側にプロデューサーを追いたいという意志があることもうかがえた。
だが、肝心の七草にちかがプロデューサーと対話する意思を持てないようであれば、そもそも彼女達を送り出すという選択ができなくなる。
彼女が拒否をするなら彼女抜きの作戦を組まねばならないが、彼女が答えを出さなければ彼女抜きの作戦になるかどうかが決定できない。
世田谷区で行われている二人の少女の対面は、彼女が前線に出るか否かの分水嶺でもあるのだ。

その上で、問題は子ども達側にも同盟者がいる可能性が高い以上、取引を行うとしてもその場に同席するのがガムテ以外の主従になる可能性もあることで。
どうにかしてガムテ当人もその場に同席せざるを得ない口実を作ることも、また課題には違いないのだが。
犯罪卿がその場に来るぞ、などと告げるのは幾らなんでも意図が見えすぎる。
かと言って七草にちかおよびそのサーヴァントに、ガムテでさえ犯罪卿以上に注目せざるを得ないほどのヘイト感情を集められるとは思えない上に、そうしたくもない。


763 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:25:02 kFoXplj.0
「それについては、この密約そのものの成否をマスター達に図った後に詰めますよ。
そちらも『連合に与する仲間』を増やす算段を立てているようですし、忙しい立場なのでしょう」

『うむ。こちらは面談を控えている。こちらはこちらで、アイ君たちを納得させるのも不可欠である以上、成否を図った上で連絡しよう』

「では、こちらはこちらで紹介を」

色々と話はしたが、要点はさほど多くない。



①標的である283の主従が誰か矢面に立ち、ガムテ少年自身がやって来ざるを得ないような密会の場を設ける。
②敵も組織および複数の同盟者を抱えていることが予想されるため、実際の戦闘は散らばると想定する。
③協定は結ぶが、互いの不和は避けられないため団体行動は避ける。指揮はそれぞれ別にして動く。



これらを双方の陣容に図り、双方ともに同意が取れたところで、場所と時刻などの詳細を定めてゴーサイン。

『ところで』

だが、それでいったん会話は打ち切り、とはならなかった。



『――君、生前の『宿敵』のようになりたいなら、やめておきなさい』



その問いかけで、別の戦いだと犯罪卿は察した。
ああ、これはこれで七草にちかが全く他人事ではない。
これは、『もう一人のモリアーティ』としての言葉だ。

ここまでで、陣営同士の相談は終わり。
ここから先は、個と個の会話になる。





764 : ブラック・ウィドワーズ(中編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/22(土) 23:25:37 kFoXplj.0
以上で投下を終了します

後編も期日までにはどうにか


765 : ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:34:07 Bc7BaaRg0
投下お疲れ様です!
感想は後ほど、後編の投下後にでも書かせていただきます。

自分も投下します。


766 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:35:53 Bc7BaaRg0

「今まではアサシンさんに全部任せてましたけど、こうなった以上は私も首を突っ込みます。
 お互いの認識を擦り合わせて動かないと、あなたがどれだけ完璧に働いても私を狙われて終わってしまう。ですよね」
「……そうだな。お前が仁科鳥子を追い続ける限り、奴らの目は常に付き纏うものと考えていい筈だ。
 俺としてもそこに目を向け手を尽くしながら、お前の意に沿う仕事をするのは難しい」
「鳥子を諦めるつもりはありません。これは絶対不動の大前提です」

 もっと早くこうしておくべきだったのかもしれない。
 此処までの私はいつも何処か他人事だった。
 鳥子のいない世界は私にとってあまりに無味乾燥としていて。
 紛れもない立派な非日常的事態だってのに、いつになっても危機感とか焦りとかは湧いてきてくれなくて――
 その分鳥子が居るかもしれないと知らされた時は、我ながら酷い間抜け面を晒していたんだろうと思う。
 まさしく、鳩が豆鉄砲を食ったみたいな阿呆面を。

「鳥子を諦めて元の世界に帰っても、私はきっとその先死んだような顔をしながら生きていくことになる。
 そうなるくらいなら此処で無茶して死んだ方がずっとマシです。……もちろん、死んでやるつもりはありませんけど」

 アサシンの報告を聞く限り、今の鳥子はまさに火中の栗だ。
 鳥子のサーヴァント"アビゲイル"に目を付けた馬鹿。
 星野アイとライダーに、彼女達が取り入った巨悪"M"。
 後者の二陣営に何処まで鳥子を害するつもりがあるかは未知数だけど、手を差し伸べて助けてやろうなんて考えがないことだけは分かる。
 そんな奴らが居るにも関わらず、鳥子に関わる。
 あまつさえそれを助けようとする。
 火中の栗を拾おうとすれば手は焼け、痛い目を見る。そんなことは私だって分かってる。
 分かった上で、こう思う。

 ――だからどうした。
 リスクも無謀も今更だろ。
 そんなものを怖がりながら、あの裏世界に足を運んでいたのか。
 自分の現実を、日常を侵食されて、それでも懲りずに探索し続けてたって言うのか?
 違うだろ、紙越空魚。馬鹿になれ。危険と手を繋いで無謀(ステージ)で踊っちまえ。

「それはもういい。お前が仁科に心底憑かれてるのはよく分かったよ」
「じゃあ、早速ですけど本題に入ります」

 憑かれてる、という言葉は若干不服だったので食い気味に本題へ移ることにした。
 私と鳥子の関係をそんな月並みな言葉で語ってほしくなかった。
 けど変に理解者面されたらそれはもっと不快だったろうから、私も大概面倒臭い奴だな、と少し自虐的になる。
 あいつと出会うまではこんなちょっとしたことでモヤモヤすることなんてなかったんだけどな。

「ぶっちゃけた話、M達と敵対した場合の勝算ってどのくらいありますか」
「俺の予想じゃ今のあいつらは烏合の衆だ。勢力としての強さは大したことねえ。
 そういう意味じゃ勝算はそれなりにあると言えるだろうな。
 "強さ"だけに視点を限った場合は、だが」
「……じゃあやっぱり、連中の厄介なところは強さじゃないんですね」
「ああ。というか真に厄介なのは、現状はMただ一人だ」


767 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:36:36 Bc7BaaRg0

 素人考えを承知で言うと、そんなワンマンチーム崩すのは簡単なんじゃないのかと思ってしまう。
 一人のカリスマなり優秀さなりで成り立っている集団の足元が脆いってのは古今東西で定番だろう。
 だけど、やっぱりそれは戦いを知らない素人の考えでしかなかったらしい。
 アサシンの眼が鋭さを帯びる。GS研の汀を思い出す剣呑さがそこにはあった。
 暴力の世界を知る者の眼、とでも言おうか。

「俺も仕事柄、頭の良い奴ってのは大勢見てきたし、大勢殺ってきた。
 結局のところそういう仕事で厄介なのは、頭の切れるインテリより単純に強い野郎の方でな。
 Mが今お前が想像してるような"ただの策謀家"だったなら、俺だってさっさと殺してる」
「……そんなにヤバい奴なんですか。そのMって」
「あれは怪物だ。向こうの陣営がどれだけ脆かろうが弱かろうが、奴の存在だけでお釣りが来る」

 個人の優秀さだけで一つの組織を成立させておきながら、足場の脆弱さという欠陥を生み出さないほど完璧にそれを管理出来る知恵者。
 ふざけてると思う。そんなのが存在を許されるのは創作物(フィクション)の中だけにしてほしい。
 
「謀(はかりごと)であれに挑むのは遠回しな自殺だ。要するに悪手だな」

 正直私の中でのM及びアイ達に対する心象は今相当悪い。
 出来ることなら早めに退場してほしいと、心の底からそう思ってる。
 でもその一方で、アサシンのMに対する評は概ね予想通りだった。
 Mは厄(ヤバ)い。少なくとも今の段階で、ほぼ孤軍と言っていい状態で敵に回していい相手じゃない。
 これは私にとって非常に面倒な、かと言って乱暴に取るわけにはいかない目の上の瘤が出来たことを意味していたが――

「……Mは、アビゲイル・ウィリアムズを利用しようとしている奴とはどういう関係なんですか?
 まさか、聖杯戦争の存在意義からなぎ倒そうとしてるような馬鹿と大真面目に手を組んでるわけじゃないですよね」
「そこまで聞いたわけじゃない。言っただろ、仁科周りの情報は星野とライダーを抱き込んだことを追及した副産物だって」
「じゃああなたの個人的な意見でいいので聞かせてください。Mは、その馬鹿野郎と組んでると思いますか」
「思わない。だが、手早く他の主従を減らせる手段の一つとして勘定してる可能性はある」

 逆に言うと、だ。
 敵に回すのが旨くない相手ということは、敵に回さなくていい相手、ということでもある。
 その上アサシンのこの推測。もちろんあくまでも推測は推測でそれ以上でも以下でもないが、本職(プロ)の見解はやっぱり信憑性が高い。
 それに、そうでなくたって普通に考えればMが"馬鹿"と組む展開は考えにくい。

 理由は単純。やらかそうとしている"馬鹿"のスケールがでかすぎるからだ。
 アビゲイルとかいうサーヴァントが本当に、この界聖杯をぶち壊せるほどの力を持っているのかどうかは分からない。
 でももし仮に某の見立て通りの力がそいつの中に眠っていたとして、それが目覚めた暁に齎されるのは聖杯戦争の破綻と世界の終わりだ。
 よっぽど頭のかっ飛んだ奴でもない限り賛同はしない筈だし、それこそMみたいな常軌を逸した策謀の大蜘蛛でもない限り、そこに利用価値を見出そうとすることさえしないだろう。
 リスクが大きすぎる。馬鹿の手に核爆弾のスイッチが渡るなんて冗談にもならない。

「じゃあ、私達が鳥子を狙う奴らを排除しようとしたとしても……多分止めてこないですよね」

 私みたいな凡人に、同じ英霊が舌を巻くような怪物の考えることなんて推し測れるわけもない。
 だからMの頭の中を探ることはしない。
 身の程を弁えること、自分達の身の丈を誤らないこと。
 裏世界で学んだ生きるための定石だ。形も成り立ちも違えど、怪物が相手なら問題なくこれを応用出来る。

「言っとくが、連中の力を借りるのは多分無理だぞ」

 欲を言えばリスクは承知でM側の力を利用したい。
 そんな考えもあったけど、それは先回りしてアサシンに否定された。

「MはMで何か大きな仕事に取り組むらしい。
 星野もそれに駆り出されるのかどうかは不明だが、わざわざこっちにリソースを割く真似はしないだろうな」


768 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:37:13 Bc7BaaRg0
「そうなんですね。それは良かったです」
「……だろうな。お前ならそう言うと思ったよ、マスター」

 呆れたように言うアサシン。
 でも私には正直、追い風以外の何物でもなかった。そうとしか思えなかった。
 私だって好き好んでMなんかの手を借りたいとは思わない。
 Mの力が借りられない。その代わりMは私のやることに介入する余裕がない。
 それなら大いに結構。Mが別な仕事に打ち込んでる間に、私は本懐を果たさせてもらおう。

「鳥子を追い立ててる馬鹿を倒します。もしどうしようもないようなら、マスターも殺して構いません」
「言ってることの意味は分かってるな?」
「はい。分かってます」
「その上で聞くぞ。――手段を選ばなくていいんだな」
「はい」

 愚問だ。
 だから即答するし、断言する。
 過去にはこの人が戦果を挙げてきたことに動揺したりもした。
 でもそれは鳥子が居ない世界だったからだ。
 鳥子が居ないから動揺した。鳥子が居ないから、私は"普通"に堕ちていた。

 けど鳥子が居るのなら話は全部別だ。
 私は鳥子の居る世界に帰りたい。
 仮にこの界聖杯を出られたとしても、帰ったその先の世界に鳥子が居ないのなら何の意味もない。
 私が、私の大事な日常/非日常に帰れるのなら、私は喜んで全部の犠牲を許容する。
 
「あなたのやれるだけの手段を使って、鳥子の敵を殺してください」

 口から出た言葉は自分でも驚くくらい冷たかった。
 だけどこれに関しては、一切自己嫌悪は起こらない。
 私の、紙越空魚の中にある全ての細胞が、鳥子を助けろとそう叫んでいる。
 鳥子の敵は私の敵だ。
 そして私は、自分の敵を寛大に許して手を差し伸べられるほど人間が出来てない。
 潤巳るなの時は思わず助けてしまったけど、あれは例外中の例外だ。
 今回はきっと、一切の手抜かりなく潰せる。そんな確信が私の中にはあった。

 鳥子が聞いたら、自分のためとはいえきっと悲しい顔をするんだろうけど。
 あいつが側にいない時の私の倫理観なんてこんなもんだ。
 私は、私の敵に優しさを持てるほど大人じゃない。

「分かった。それならまずは、だ」
「鳥子の居場所を特定して合流する」
「……やけに察しがいいな。とことんぞっこんなのがよく分かったよ」

 うえ、と舌を出して顔を顰めるアサシン。
 ぞっこん――なのは私よりもむしろ鳥子の方だけど。
 まあ否定はしない。あいつが私の心の壁を乗り越えてずけずけ入ってきてからというもの、いつだって私の世界の中心は鳥子だ。
 自分のために動く時よりも、鳥子のために動く時の方がずっとスムーズに脳が回転してくれる。


769 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:38:02 Bc7BaaRg0
 
 あなたのやれるだけの手段を使って、鳥子の敵を殺してください。
 私は確かにそう言った。でもそれは最優先でやってほしいことじゃない。
 アサシンもそれは分かってくれているようなので、手間が省けた。
 
「私の目的は、あくまでも鳥子を助けることです。
 鳥子を殺そうとした馬鹿野郎のことはもちろん許せないしぶっ殺したいですけど、それが最優先ってわけじゃない」

 地獄だかなんだか知らないが、現実の見えてない下らない野望のために鳥子を殺そうとした奴。
 もちろん私は顔も知らないそいつに対してこれでもかってほどの悪感情を抱いてる。
 私の知らないところで鳥子を巻き込んで何かしでかそうとしてるってだけで気分が悪いのに、あまつさえ殺そうとしてるだって?
 ふざけるな。認められるかそんな奴。ぶっころだ、ぶっころ。
 そいつに病気の息子が居たとしても、多分私は躊躇なくそれにマカロフをぶっ放せる。
 そのくらいトサカに来てるんだ、こっちは。
 だけど。此処で私情を優先してカチコミかけようと考えるほど、私も向こう見ずじゃない。

「それに、鳥子との合流で得られるのは、私が個人的に嬉しくなれるってだけじゃありません。
 鳥子と会えば必ず同盟を組めますし、そしたら鳥子のサーヴァント"アビゲイル・ウィリアムズ"の力も借りられる。
 この界聖杯をぶっ壊せるような力を持ったとんでもないサーヴァントを、私達が味方として独占出来るって寸法です」

 実のところ私は、その真名(なまえ)に覚えがあった。
 アビゲイル・ウィリアムズ。セイレム魔女裁判の密告者。
 怪談本か何かで薀蓄のように語られていて、それを読んで「とんでもないガキも居たもんだ」と思ったのを覚えている。

 だけど――そのアビゲイルが聖杯戦争を破壊出来るほどの力を持ったサーヴァントだって話は、正直全然ピンと来ていない。
 だって私の知る限りの知識だと、アビゲイル・ウィリアムズはただの"密告者"でしかなかった筈だ。
 黒魔術とかそういう方面に関する知識はあったのだろうけど、それも日本で言うなら"こっくりさん"とかそのレベルの話だろう。
 そんなませた悪ガキが世界を破壊する力? 地獄界ナントカを築く鍵になる?
 どこぞのオカルト雑誌でさえ取り上げないようなトンデモじゃないか。
 今でも何かの間違いとか勘違いなんじゃないかと思ってるんだけど……まあそこのところも含めて、実際に会って聞いてみたいところだ。

「鳥子の死がアビゲイルの覚醒に繋がるって、例の馬鹿野郎は考えてるんですよね。
 もちろん鳥子をこんな傍迷惑な儀式のために死なせるなんて御免ですけど、アビゲイルが秘めてるらしい力自体はとても有用だと思うんです」

 此処では一応、アビゲイル="聖杯戦争を終わらせ得る爆弾"と仮定する。
 その前提は実のところ崩れても構わない。
 私にとっては鳥子と組むことこそが最優先事項なのだから、アビゲイルの秘める力が眉唾だったとしても行動に軌道変更を加える必要はないのだ。
 ただ、万一アビゲイルが話通りのヤバい力を持ったサーヴァントであったなら……私達の聖杯戦争は大きく前進する。

「令呪なり、鳥子からの直接の説得なり。
 そういう比較的穏便なやり方で力を引き出せるなら、あなたが呪いと呼んだ鳥子との縁も未来に繋がるリーサルウェポンになると思いません?」

 改めて言っておくが、私は"生きて帰れるなら何でもいい"というスタンスでこの聖杯戦争と向き合っている。
 脱出出来そうな可能性が高まってきたならそっちに転ぶし、そうでなければ優勝して元の世界に帰るまでだと考えてる。
 とはいえ、正直脱出なんてのは無理難題だろう。
 どうやって糸口を見つければいいのか分からないし、裏世界で言うところの<ゲート>のような都合のいい出口があるとも思えない。
 であれば私達がこの界聖杯を抜け出し、元居た日常に帰還する最も有力な方法は"聖杯戦争に勝利すること"ということになる。

 もちろんそれだって十二分に無理難題なのは分かってる。
 新宿をあっという間に壊滅させたらしい問題児ども。
 裏世界から来る<かれら>さえ軽く見えるような圧倒的な怪物達――あれをどう倒せばいいのかなんて、考えただけで頭が痛くなる案件だ。


770 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:38:50 Bc7BaaRg0

 でもアビゲイルには、その難題を真正面からぶっ飛ばしてくれる可能性がある。
 私に言わせれば、アビゲイルこそが私達にとっての"可能性の器"だ。
 彼女に本当に世界を壊せるほどの力があるというなら、それを聖杯戦争という正攻法の土俵で運用したらどうなるかって話。
 それが分からないアサシンではないだろう。この人、殺したり壊したりすることにかけては汀以上のプロフェッショナルなんだから。

「お前、意外と根に持つ方か?」
「……ご想像にお任せします」

 うわ、みたいな顔をされた。
 鳥子との繋がりを呪い呼ばわりされたことが実は内心むかついていて、だからわざと当て付けじみた言い回しをした側面は確かにあったので、ばっちり見透かされていたことに驚き思わず目を逸らす。
 誰が断ち切るもんか。捨てたりするもんか。そのくらいなら死んだ方がマシだ、冗談抜きで。
 鳥子なくして今の私はない。鳥子と関わることが私の破滅を招くとしても、私は喜んで鳥子の手を取り破滅の中に飛び込もう。
 鳥子が居ると分かった以上、私が聖杯戦争に対して向けるモチベーションは天井をぶち抜く勢いで高まった。
 元からこんなつまんない異世界なんかに骨を埋めるつもりはなかったけど……やっぱりあいつが居るのと居ないのとじゃ"負ける"重みが全然違う。

 私が負けたら鳥子は一人だ。
 あいつは絶対潰れる。自惚れかもしれないけど断言できる。
 あいつ、私のこと大好きだし。潤間冴月のことすらあんなに長々引きずってたくらいだし。
 それに、他の誰かを見つけて私との日々の残滓を振り切って前に進む鳥子の姿なんて想像もしたくない。
 私は生きる。鳥子も生かす。私と鳥子で、生きて帰る。
 それが今の私が目指す最良の未来だ。何をしてでも、何に縋ってでも、私は私達の非日常(にちじょう)を守ると決めた。

「仁科との合流に今更異論を唱えるつもりはねえよ。
 俺は仕事をするだけだ。お前があくまでも仁科鳥子を望むってんなら、その通りに動くさ」
「それは良かったです。で、鳥子と合流する方法についてなんですけど」
「切り替え速えな。……まあ、それについても考えは一応ある」

 考えはある。その言葉を聞いて私は正直、安心した。
 鳥子と会いたい気持ちがどれほど大きくても、じゃあ実際にどうするかって言われると私はどうしても口を噤むことになってしまう。
 東京は広い。この中から一人の人間を探し出すなんて至難の業だ。
 それこそ、他の主従にこっちの身元が割れるくらいの大きなことをやらかしでもしない限り、何処に居るとも知れない鳥子にこっちの存在を伝えることは難しい。合流の難易度は言わずもがなである。

「仁科も元の世界じゃお前と同じで大学生だったんだろ。なら、この世界でのロールもそれを引き継いでる可能性が高い」
「……あ。なるほど」
「俺が予選の間に作ったコネやパイプは何もM相手の一つだけじゃねえ。
 とりあえずそっちを伝って、仁科鳥子が在籍してる大学を探させる」
「でもそれって、ちょっと悠長じゃないですか? そんなに早く見つけるとか無理ですよね、学校だってザルじゃないでしょうし」
「カタギが直接電話して聞き回るわけじゃねえんだぞ。どれだけ遅くても明日の朝までには調べが付くだろ」

 ……そんなもんなのか。
 銃(こんなもの)を携帯してる人間に言われても説得力がないかもしれないが、私は今も昔もずっと一貫してカタギなつもりだ。
 だからこそ、裏社会での人脈の作り方や人員の動かし方をよく知るアサシンが淡々と口にする言葉には得も言われぬ頼もしさを感じてしまう。
 とはいえだ。聖杯戦争の激化具合を――具体的には新宿で起きたあの大騒動を思えば、"朝まで"というその破格の所要時間でさえ物足りなく感じられる側面がないと言えば嘘になる。


771 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:39:39 Bc7BaaRg0

「なるべく早く見つけさせてください」
「こっちでも既存の案件の調査と並行して、仁科の居所を探る努力はする。
 お前の個人的な感情とアビゲイル・ウィリアムズの潜在性の話を抜きにしても、こいつはMの野郎に近付く好機だからな。
 手抜かりなくやるさ。だからお前も精々、やり過ぎない程度にその情熱を活用しろ」
「……いいんですね、私も個人で動いて」
「構わないが、もう一度言うぞ。くれぐれもやり過ぎるなよ。
 俺は他のサーヴァントと違って、令呪で即座に呼び付ける……みたいな真似が出来ねえ欠陥品の猿だ。
 お前が万一ミスった時、俺はお前のケツを拭けない。全てが自己責任だ、分かるな」
「百も承知です」

 何を分かりきったこと言ってるんだ。そんな本音を込めて、言う。
 私があいつのことをどれだけ大事にしてると思ってるんだ。どれだけ重く考えてると思ってるんだ。
 どんなリスクがあってもいい。
 どんな綱渡りだって構わない。
 それがあいつを、鳥子を助けることに繋がる可能性があるなら、私は何だってする。
 何だって利用する。もしそうしなくちゃいけないってんなら、人だってきっと殺せるだろう。
 何もかもを失いながら/捨てながら生きてきた私にとって。
 鳥子(あいつ)は、間違いなく世界で一番大切な人間だから。

「あなたの目的は、私を勝たせるという仕事を完遂すること。ですよね」

 アサシンの無言を、私は勝手に肯定だとみなす。
 
「鳥子の勝ちは私の勝ちなんですよ」

 そうだ。
 私の勝ちは鳥子の勝ちで。
 鳥子の勝ちは私の勝ちだ。
 私達は共犯者。この世で最も親密な二人。
 それなら一心同体なんて当たり前で。
 逆に言えば、片割れの存在を疎かにして"勝つ"なんて――夢物語も甚だしい。

 鳥子、鳥子。
 今何処で何をしてるのか知らないけどさ。
 私は絶対おまえのところまで会いに行くからな。
 だから――


 死ぬんじゃないぞ、私が行くまで。

 
【世田谷区・空魚のアパート/一日目・夜】

【紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:健康、憤慨、衝撃、自罰、呪い、そして覚悟
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を助ける。
0:鳥子を助けに行く。何が何でも。何を利用しようとも。
1:私も行動する。もう人任せではいられない。
2:アイ達とは当分協力……したかったけど、どう転ぶか分からない。
3:アビゲイルとか、地獄界曼荼羅とか……正直いっぱいいっぱいだ。

【アサシン(伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:健康
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:ああ、結局呪われに行くのか、お前は。
1:マスターであってもそうでなくとも幽谷霧子を誘拐し、Mの元へ引き渡す。それによってMの陣容確認を行う。
2:↑と並行し283プロ及び関わってる可能性のある陣営(グラスチルドレン、皮下医院)の調査。
3:都内の大学について、(M以外の)情報筋経由で仁科鳥子の在籍の有無を探っていきたい。
4:ライダー(殺島飛露鬼)やグラス・チルドレンは283プロおよび櫻木真乃の『偽のゴール』として活用する。漁夫の利が見込めるようであれば調査を中断し介入する。
5:ライダー(殺島飛露鬼)への若干の不信。
6:神戸あさひは混乱が広がるまで様子見。
7:鳥子とリンボ周りで起こる騒動に乗じてMに接近する。
[備考]※櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※櫻木真乃、幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。


772 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:40:17 Bc7BaaRg0
◆◆


 仁科鳥子は、アサシン・吉良吉影に従う形で家を出た。
 吉影のことは未だ以って半信半疑といった認識だったが、しかし今は腐っても協力相手だ。
 自分達の方針は、アルターエゴ・リンボという脅威を排除したいその一点で重なっている。
 たとえこれが呉越同舟だとしても、鳥子とて馬鹿ではない。
 その兆候が見えたなら彼のことはすぐにでも切り捨てる気でいたし、それに"少なくとも今は"吉影は自分達を切ることが出来ないと、そう的を射た推測を立ててもいた。

「あの、アサシンさん。リンボが動いたって話でしたけど……具体的にはどういう感じで動いたとか、分かってるんですか?」
「私のマスターへ接触があったようでね。先程その旨の連絡があった」
「大丈夫なんですか、そっちのマスターは」
「さしたる問題ではないさ。元より私のマスターは、無力で底の浅い小人物でね。
 何しろ私を捨ててリンボに与そうとしているような救えない馬鹿なのだ――死なれてしまえば流石に困るが、直に替えを見繕うとするさ」

 頭の中で立てていた推測。
 吉良吉影とそのマスターの間には、不和ないしそれに限りなく近い亀裂が存在するのではないか――というもの。
 そう思うに至った根拠は単純だ。吉影は自分のマスターについて、あまりにも無口だった。
 大した才能のない一般人とだけ語り、以降は新しい情報やその指針をこちらに共有してくることも一切なかった。
 勿論、それを単に情報の漏洩を避けたかったと看做すことも出来たろうが……鳥子は"そうではないのでは"と疑念を抱いた。

 アルターエゴ・リンボからの接触があったと自分達に告げた時の、彼の眼。
 そこに宿っていた底冷えするような冷たさと無機質さ――。
 それを見たことによって、鳥子の疑念はある種の"確信"へと姿を変えた。
 だからこそ、こうしてさり気なく探りを入れてみたのだったが。

「……リンボに付いたんですか、あなたのマスターは」
「告白するのも恥ずかしい話だがね。私も出来る限り譲歩し、彼の考えに歩み寄るよう努力はしていたのだが……こればかりは相性だったと諦めるよ。
 私と彼はとことんまでに会わなかったんだ。性格も、能力も……その生き方さえもね」

 すると、どうだ。
 吉影は誤魔化すどころか、まるで"隠すようなことでもない"と言わんばかりにあっさりと鳥子の推測通りの答えを打ち明けてのけた。
 今の吉影には事実上マスターが居ない。であれば此処で自分達を敵に回すことは、やはり避けたい筈。
 自身の推測が確信に変わったというのに、安心感のようなものはまるで生まれてくれなかった。
 さながらそれは、峻険とした山道を歩いていた筈なのに、突然整備の行き届いたアスファルトの脇道が現れたみたいな。
 本来であれば僥倖の筈なのに、あまりに都合が良すぎて不気味さを感じてしまうという事態。
 鳥子の片翼ならば、こう評したかもしれない。
 "実話怪談の文脈だ"、と。

「仁科さん。念の為、改めて伝えておくが……私に君達と争い事をするつもりはないんだ」
「分かってますよ。でもこっちだって、最低限の警戒くらいはしないとですから」
「無論私も願いを持って現界した……聖杯の走狗であることに違いはない。
 いずれ君達とも相見え、ともすればその"可能性"を摘み取る時も来るかもしれないな。
 だがそれはあくまで"いずれ"の話で、"今"じゃあない。今は"それどころではない"からね」

 アルターエゴ・リンボの馬鹿げた計画が万一実れば、その時点で聖杯戦争はあらぬ方向に転がり出してしまう。
 それを阻止したい。此処で目先の欲に駆られた結果、大局を見誤るような愚は犯したくない。
 吉影の言うことは鳥子にも理解出来る。
 なのに彼に対する一抹の疑念、或いは懸念が消えないのは……彼女が裏世界に深く関わりを持ち、日常の細部に対しても常に一定の警戒心を以って当たるようになっていたことの賜物と言えたかもしれない。


773 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:40:50 Bc7BaaRg0

 今、仁科鳥子の隣に紙越空魚は居ない。
 だから危険の兆しには、鳥子が進んで気付かなければならない。
 判断を誤れば最悪、帰れない。鳥子と空魚の冒険は、界聖杯なる意味不明な"おおいなるもの"によって打ち切りを余儀なくされる。
 その恐怖が鳥子の五感を、もしかすると科学的には定義されていない第六感までもを励起させているのかもしれなかった。
 
 そしてその警戒は実に正しい。
 吉良吉影は仁科鳥子にとって、文字通りの"爆弾"だ。
 今はたまたま導火線に火が灯っていない。
 今はたまたま、彼の手が"透明な手の女"である鳥子の身体に伸びていない。
 されど忘れるなかれ。吉影も決して、賢人ではないのだ。
 自らの衝動で、自らが何より焦がれていた平穏な日々を棒に振った――そんなおぞましき愚者であるのだ。

 彼の言うことに、その立場に、何一つとして正当性はない。
 どこまで行っても彼は殺人者。誰かを殺さずにはいられない、世界にさえそう定義された存在。
 彼にだとて人間味はある。この手の存在にしては"ありすぎる"と言っていいほどに、彼には人間的な人格の色が備わっている。
 だが、それに誑かされれば死に至る。同情、理解、憐憫、いずれも全て逆効果。
 吉良吉影は救えない、救われることの決してない男。
 そういう"性"を有して生まれ、それを抱いたまま英霊の座という名の終身刑に処された虜囚。

 なればこそ鳥子の警戒は実に正しかった。
 真実を知らぬ身であるとはいえ。殺人鬼(かれ)相手の同盟で兜の緒を緩めることがあれば、その先に待つ結末は一つ以外に有り得ないのだから。

「……で、なんで居酒屋なんですか」
「見たまえ」

 促されて店内を覗き込んだ鳥子は、思わず眉根を寄せた。
 店の中に起きている人間が居ない。
 客から店員に至るまで、一人の例外もなくテーブルに突っ伏したり床に突っ伏したり、三者三様の形で眠りこけている。
 誰の目にも分かる、異常な状況だった。
 しかし吉影の話を聞いた以上、何があって、誰のせいでこんなことになったのかは察せる。
 アルターエゴ・リンボだ。地獄界曼荼羅を画策し、聖杯戦争の行方すら度外視した大願成就を目指す狂人の仕業としか考えられない。

 吉影は鳥子の脇を追い越して、店内に入り。
 脇目も振らず店の奥の方の席まで進むと、そこで足を止めた。
 僅かな逡巡の後、アビゲイルの手を握って彼を追いかけた鳥子。
 吉影も吉影で、「ふむ」と何やら逡巡している様子だった。
 どこまでも無感動で、無感情な横顔。
 これを見ているだけでも――彼ら主従間の関係がどれほど冷え切っていたかは、よく分かった。

「……此処に、アサシンさんのマスターが?」
「再三言っていると思うが、私は標的の気配を追うことに長けていてね」

 吉良吉影が持つスキルの一つ、『追跡者』。
 殺人の標的、及び自身の正体を探ろうとする者を直接認識することを条件に、本来の規格を超えた気配探知能力を手に入れることが出来る。
 これもそれの一環だ。つい先程まで、少なくとも数十分前までは此処に居たであろうマスター/田中一の存在。その残滓。
 吉影はそれを感じ取れる。感じ取ったその上で選べるのだ。
 彼を追うか、無視するかを。


774 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:41:18 Bc7BaaRg0

「追うんですか」
「一長一短だが、此処は追うことにするよ」

 出来れば君達にも同行を頼みたい。
 いけしゃあしゃあと言ってのける吉影に、鳥子はどう返すべきか迷った。
 吉影の主従間の問題は、言わずもがな鳥子達にとっては首を突っ込む意味のない案件だ。
 彼の様子を見るに、マスターとの間に巨大な不和があり、それが要因となって断絶が生じたということ自体は事実なのだろう。

「返して貰わなければならないものもあるのでね」
「……言っておきますけど、あなたのマスターを抑えるために私達が手荒なことを代行するとかはナシにしてくださいね」

 だが、であればこそ吉影の危機感の無さが気にかかった。
 "主従"という言葉が表す通り、聖杯戦争における人間と英霊の関係性は"主君と従者"だ。
 どれだけ無能だろうと、凡愚だろうと、主は主。
 その手には三画の絶対命令権が存在し、それを行使されれば従者たるサーヴァントは抗えない。
 ましてや対魔力のスキルを持たないアサシンクラスであれば尚更だ。
 袂を分かったマスターに逆上され、令呪を使われでもしてしまえば……その時点で吉影は詰み。
 それどころか最悪、その場で自分達を殺しに掛かってくる"敵"に変貌を遂げる可能性すらある。

 吉影とてその危険を全く想定していないわけではないだろうに、しかし彼は何処までも余裕だった。
 そうか、君はそういう考え方をするのか――そんな不気味な微笑を浮かべて。吉影は、鳥子に言う。


「その心配はない。彼を思い通りにするのに、暴力なんて大層なものは必要ないからね」


 私はそれを知っている。
 そう断言されてしまえば、鳥子も返す言葉がなかった。
 そこには妙な説得力があって。
 事実吉影は、田中一の反逆が自分にとって致命的な結果を生むなどとは全く思っていない。
 リンボやこの仁科鳥子ならばいざ知らず。 
 田中一、あの男には自分を殺せない。この私を破滅させるには、あの男は底が浅すぎる。
 人格においても、能力においても。その手に令呪があろうとも、まだ足りないと確信していた。

「それに、彼の居所を突き止められればリンボに続く道も開けるだろう。
 リンボがあの愚かな男のことをそこまで重用するとは考え難いが、取っ掛かりくらいは見つかるかもしれない。
 一刻も早くリンボを排除して平穏を取り戻したい君達にとっても、悪い話ではないと思うが」
「……それは。私だって分かってますけど」

 分かった上で、不安がってるんだよ。
 その言葉は心の中に止めたが――実際、此処で吉影の申し出を断る理由はない。
 
 元々吉影とは、リンボの打倒を目指して組んでいるのだ。
 なのに最もリンボを目障りと思っている自分達が、彼に続くであろう道を避けるなど道理が通るまい。
 此処は踏み込むべき場面だ。奈落の気配を強く感じながらも、しかし鳥子は結局リスクの存在を割り切った。
 ただし。もし少しでも"話と違う"と感じたら、その時は。


775 : 死ぬんじゃねえぞ、お互いにな ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:41:56 Bc7BaaRg0

『マスター。いざという時は、どうか令呪で私を動かしてくださいね』
『……うん、そうする。正直だいぶキナ臭いもんね、今の時点で。
 リンボを倒すことは私達にとって凄く大事なことだけど、そのために妙な落とし穴に嵌ったら元も子もない』

 その時は、吉影を切り捨てる。
 この男は有能ではあるのだろうが、信頼に値する男とは思えない。
 鳥子は慣れない打算を組み立てて今後の展望をはっきりさせた。

 何分、いつもこういうことを考えるのは自分ではなく相棒の方だ。
 彼女の行き過ぎた考えやぶっ飛んだ言動を嗜めることも普段は多いが……こうして自分が"考える"側に回るとそのありがたみが分かる。
 やっぱり私には、空魚が必要だ。
 空魚が居ないと戦えない。
 空魚が居ないと、もう生きていけないかもしれない。

「(言いすぎ……じゃないんだよなあ、これが)」

 空魚には、こんなところには居てほしくない。
 そう思っているけれど、その一方で今すぐにでも空魚に会いたい気持ちもあって。
 自分が居るのに空魚が居ないなんて、そんな変な話もよくよく考えればおかしいとか、そんな意味不明な理屈を唱える自分も居て。
 禁断症状さながらに、鳥子の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 自分の重症具合に流石に苦笑を禁じ得ない。


 空魚は結局、この世界に居るのだろうか。
 それとも元の世界で、自分のことを血眼になって探してくれているのだろうか。
 分からないけれど、こう思う。
 どっちにしたって、もう一度。
 もう一度、私があなたの隣に立つまで。
 その手を私が握るまで。
 どうか――


 死なないでね、死んだら怒るから。

 

【荒川区・居酒屋周辺/一日目・夜】

【仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:ただし彼への不信が強まったら切る。令呪を使ってでも彼の側から離れる。
3:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
4:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
5:出来るだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。

【フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスタ―を守り、元の世界に帰す
0:あなたが、あなたの好きな人のいる世界に帰れますように。
1:アサシンのことは信用しきれないが、アルターエゴ・リンボの打倒を優先。
2:マスタ―にあまり無茶はさせたくない。
3:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。

【アサシン(吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康、殺人衝動
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(一般的なサラリ―マン程度)
[思考・状況]基本方針:完全なる『平穏』への到達と、英霊の座からの脱却。
0:田中一の追跡。『写真のおやじ』の奪還。
1:アルターエゴを排除。フォーリナー(アビゲイル)の覚醒を阻止する。
2:アルターエゴのマスターを探して“鞍替え”に値するかを見定めたい。尤も、過度の期待はしない。
3:あの電車で察知したもう一つの気配(シュヴィ・ドーラ)も気になる。
4:社会的地位を持ったマスターとの直接的な対立は避ける。
5:リンボの追跡。あの馬鹿げたストレス因子はさっさと排除したい。
6:おやじの奪還は果たすが、田中に固執するつもりはない。鞍替え先を見つけ次第、落とし前を付けさせる。
[備考]※スキル「追跡者」の効果により、仁科鳥子の座標や気配を探知しやすくなっています。
※仁科鳥子の住所を把握しました。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。
※田中の裏切りと『写真のおやじ』が人事不省に陥ったことを悟りました。


776 : ◆0pIloi6gg. :2022/01/23(日) 15:42:21 Bc7BaaRg0
投下を終了します。


777 : ◆k7RtnnRnf2 :2022/01/23(日) 19:46:24 QQL8eVsE0
皆様いつも投下お疲れ様です。
外部の絵師様より支援イラストの第3弾及び第4弾を頂きましたので掲載させて頂きます。
峰津院大和&ランサー(ベルゼバブ)
ttps://imgur.com/a/F4awOyl
神戸しお&ライダー(デンジ)
ttps://imgur.com/gallery/gUrevpM
上記のイラスト2作についても、言及については当スレッド内のみでお願い致します。


778 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/23(日) 23:56:51 fXqgmC1I0
投下お疲れ様です

後編を投下させていただきます


779 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/23(日) 23:57:54 fXqgmC1I0
「私が、そちらを指向しているように見えますか」

『見えるとも。神戸あさひ少年の件など、君が私を意識して動いていたことは明らかだ。
であれば、悪(ヴィラン)である私を打倒するためには、正義(ヒーロー)の側に回るのが妥当。
また、君の生前を察するに、より苛烈で悪どい手段は使い慣れていただろうに、それを奮っていない。
理由には、どうしようもない事情もあったのだろう。
初期配置が283プロダクションという人質の温床地であった為に、守勢を取らざるをえなかったとか。
同盟を結びたい穏健な主従を敵に回すようなことをしたくなかっただとか。
だが根本的な理由は、最初に挙げたそれを達成するためで、マスターもおそらく善人であったからだ』

やっていることがそのように見えることは、否定しない。

『名犯罪者は名探偵に成り得るのが持論だと言ったね。だが、英雄(ヒーロー)に成り得るかどうかは別だ。
君の方向性は善なのだろうが、属性(アライメント)は≪混沌・悪≫なのだろう。
他人から後ろ指を刺されようとも自分のしたい善行を、悪行を以って行う者だ。
いつか業を抱えきれなくなり自滅するリスクをはらんでいる』

シャーロック・ホームズ。
世界最高の探偵にして、世界唯一の顧問探偵。
そして、小説界においては、初めてフィクション作品のキャラクターとして人気を博した、キャラクターとしての『ヒーロー』の祖とも言われている。
アメリカンコミックもいまだプラチナ・エイジであり、映画などもなかった時代の、市民にとってもっとも身近な拠り所であり象徴ヒーロー。
そういう者は、この世界には存在しない、なろうとしてもなれないものだと告げる。

『忠告をするようなお節介は持たないが、同業者として混同されるのも厄介なのでね。
私も似たような奴だとよそから誤解を招くよりは、ここで言っておいた方がwin-winだろうと思ったわけだ。
君は≪彼≫にはなれないのだろう、と』

べつだん煽っているわけでもない。
怒りの表明ではなく、かといって愉悦でもなく、ただ現実の宣告として老教授は告げた。
それを受けた若い教授は、いったん言葉のすべてを咀嚼するように沈黙して。
ふぅと、予備動作のようにひとたび息を吐いて。


780 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/23(日) 23:58:46 fXqgmC1I0
「それはその通りでしょう」

誰もが知ってる公式を今更のように説かれて、さらりと受け流すように、あまりにも淡泊に。
あまりにもあっさりし過ぎた同意が、一切の嘘はないと示している。

『うん?』
「しかし、マスターの性格をマイナスと受け取られるのはいただけない。
なにもここでマスター自慢をするつもりはありませんが、『そう思っているのは貴方だけだ』とは断言します」

静かな声の延長のまま、静かな怒りを言葉に換えて言い切る。

知っている。
彼女がいることで、己が生前のような強硬手段を、悪辣の徒を称する機会を何度か失っていることは。
だが同時に、それらを繰り返したことで生前は自壊寸前に陥ったことも自覚している。
もし、彼女がアサシンを『犯罪卿』であったままに使おうとするマスターであったならば。
いかにも意気投合した風を装って、それに頷いていたかもしれない。
予選で幾らかのサーヴァントを狩り取れてはいたかもしれない。
だが、己は生前と同じように心を殺した、ただの道具に成り下がっていただろう。
彼女の甘さは、しがない反英霊の心を守ってくれた。
そういう存在が生きていける時代になったことを、美しいと思えた。
そういうマスターでなかったら、何も始まっていないのだ。
自分しか頼れる者がいないなら、支えになってやりたい。
自分がいなくても、歩けるようになってほしい。
相反するふたつの願い。
彼女の現在と未来に向けたそれぞれへの祈りは、どっちも嘘じゃない。

「そしてもう一つ。私が善を為そうとしているように見えたのなら、それは私がそうなろうとした結果ではない。
私もあなたと同じように、教え導くことが嫌いではないというだけのこと。
そしてあなたとは違って、あなたと逆の指向に光を見る者だったということです」

この男が悪の教授であったように、己もまた教師であり、仕掛人(プロデューサー)だった。
ただ、見守っていたのが悪人ではないというだけ。

一方で、お前はホームズにはなれないという断言。
もしもそれが、煽りや嘲りの意味で使われていれば、それは間違いなく逆鱗のひとつだっただろう。


781 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/23(日) 23:59:15 fXqgmC1I0
そんな風に『ホームズを』馬鹿にするなと。
なぜなら彼は、彼自身を引き合いにだして友人を下に見られることに、決して良い思いをしないのだから。
おそらく、Mにとってのホームズはそういう関係ではないからこその発言だと理解していても、どうにも歯がゆかった。



「私は、彼のようになりたいなんて思ったりはしませんよ」



それ以上は、言葉にしなかったが。



――僕は、彼のようになりたいのではなく、彼と共にありたいのだから。



願ったのは共に生きる事。
それ以上でもそれ以下でもない。
その上で、憧れ、競争心、隔絶感のどれもがあったことは否定しない。
だが、二人の間にあるものはそれらを圧倒的に上回る敬愛であり親愛だ。
≪犯罪卿≫など及びもつかない彼の美点をよく知っている自分が、彼に成り代わりたいなどと考えるものか。

「私達は過去(サーヴァント)です。未来は今を生きるマスターが作るもの。
仮に善人の集団を率いているようにでも見えたのだとすれば、後進の道を拓きたい以上の意味があるでしょうか」

いや、その理屈だとHも過去の者になるのだろうけど、少なくとも導き手(プロデューサー)としては新米のようだし。
あれこれと誘導、教導を加えたくもなろうというもの。

ならば、なぜ『マスター命令』を受けたとおりに『もう一人友達を作れ』を実行しないのかと言われると困るけれど。
『彼』にだって他にも相棒(ともだち)がいたのだし、ヒーローの席が埋まっているからといって友人の席に限度はないのかもしれないが。
少なくともHの方だって、必死になりたい相手がもう存在するようだったし。
いつ冷酷な顔を見せるかもわからない男から友情を求められたって、きっと相手も重いだろう。


782 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/23(日) 23:59:44 fXqgmC1I0
『なんというか、君は真面目だねぇ。少しは遊びを覚えないと生き辛いんじゃないの?』

遊び相手ならいるけど、ここにいないのはある意味良かった。
もしここにいたら、あまりに最強になりすぎる。

『私はいつだって私が楽しいように悪事をしてきた。うん、性格破綻者であることは認める。
だから、世の中への主義主張を述べることはあまりしないが、今回についてはね。
教え子の手前もあって確認したくなった』

ふつりと、髭を擦る時のような小さな挙動の音が止む。
楽し気に話を聴講する老教授の声から、しんみりと説くような声に変ずる。

『後進を育てると言ってもね。彼のような象徴ヒーローは、今どき流行らんと思うのだよ』

いいかね、と前置いて。

『みんなが笑って暮らせるための象徴ヒーロー。未成熟な犯罪社会に求められるのは分かる。
そういう時代では上手くいくかもしれない。人々の希望の星と受け取られるだろう。
だが、やがて【誰かがやってくれる】という守られることへの慣れは、社会に蛆を沸かせる。
皆が見て見ぬふりをして、護られなかった者たちは心が割れる。
ごく一部のヒーローがそれに蓋をして、取り繕い、破滅を引き延ばすという社会を、私は既に把握している』


783 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:00:27 .WmSUR4s0
たとえば、割れた子ども達を、お前も見たはずだ。
そのように、破壊者の相談役は告げる。
子ども達とMのマスターは敵同士だが、それでも『現代社会に心を殺された』という点において、両者はWの『現行世界を未来へ繋ぐ意義』を否定する。

『世界が継続する未来を望む者もいれば、世界など終わらせた方が早いと考える者もいる。
私は『やってみたいからやる』という破綻者だが、若者の相談役としてはその考えをくみ取っているよ。
正義のヒーローに憧れる人間もいれば悪の魔王を志す人間もいる。だから私のような者が望まれた』

英霊として聖杯戦争に召喚された時点で、それは人間の願いによってここにいるのと同義。

『君は、それでも現行の世界に『良くなっている』と信を置けるのかね?
人間はきっと過去から進歩していると、信用できるのかね?』

考えるまでも無い。

「私は人間を信じていませんよ、きっと」

櫻木真乃たちを信じるなどと送り出したように、場に応じてその言葉を使うことはあるかもしれない。
だが、己が人間を信じる性質かと言われたら、間違いなく否だ。
でなければ、人間の悪意を前提としてSNS炎上を阻止する策など立てたりしない。
でなければ、四方のどこを向いても格差と差別しかない世界に、嫌いだと早々に見切りをつけたりしない。
でなければ、社会制度を強硬に変革するために、命を積み上げ街を燃やすような手段に訴えたりしない。
でなければ、人を信じすぎる人間に、好感を持ったりもしなかった。

「でも私は、人の可能性は信じている」

制度はすぐには変えられない。
でも人の心は、時に一瞬で変えられる。
誰にも注目されなかった謎狂いの偏執狂だって、皆の英雄で誰かのヒーローになった。


784 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:01:05 .WmSUR4s0
「人間は誰だって間違える」

それはヒーローの彼でさえも、時に取返しのつかない引き金を引く。

「だからこそ試行錯誤の末に、究極の答えを目指す」

『では、そんな答えを待っていられない『手段を選ばない者』の側に、私はつこう。
しかしそうなると、君の答えはどこに行った?
君が考える、ヒーローの本質とは何だろうね』

考えるまでも無い。
それは、伸ばされる手。
必要悪の反対は、すなわち要らない善。
つまり。

「余計なお節介」

マスターにとっての仲間も、きっとそういうものなのだろう。
その余計なお節介(やさしさ)に、救われた。
そういう人達さえもいなくなってしまうというのは嫌だなと思う。
つまり、この抵抗はただの愛(エゴ)なのだ。

『理解した。つまり我々は理解できない鏡写しなのだとね』

理解できなくていい、できないから正義(ヒーロー)と悪(ヴィラン)だ。
正義の味方(オレ)は邪悪(オマエ)の不倶戴天。
どちらが生存(いき)るか、死滅(くたば)るか。
そうやって人類は大昔から境界線を引いてきたし、これからもそれを超えた折り合いが叶うことはない。


785 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:01:28 .WmSUR4s0
『さて、有意義な時間をありがとう……と言いたいところだが。
そうなれば一つ、教えておかねばならないことがある。宿敵から宿敵に対してだ』

ぞわり、と肌が泡立つような気配の変動を察知した。
電話での会話であるがゆえに、コールド・リーディング(対面による読心)は効かない。
しかし、人の悪意や殺意を山ほど浴びてくれば、どうしても慣れてしまうものだ。
相手の意思が、加害の指向性を帯びる瞬間には。

『私は、過去に開催されたまったく別の聖杯戦争でも召喚されたことがあってね。
あいにくと最後の勝者になることはできなかったものだが、ここにはいない様々なサーヴァントと対面したことを覚えているよ』

しわの刻まれた口元が、大きく笑みの湾曲を描くように。

『その中には、君の知っている英霊もいた。私にとって最たる強敵だった』

声色に勝者としての礼儀である嘲笑はあれど、愉悦はなく。
いっそ誇らしげに、もう一人のモリアーティはその戦果を口にする。



『私は、過去にその人を殺しているよ』



『君の知っている英霊』の言葉が出た時点で、予測は可能。
回避も防御も絶対的に不可能。
どう足掻いても隠し切れずに、絶句を晒した。

視界が捻じれて緋色になる。
声にならない声が出そうになって、歯を食いしばる。
まるで、その変わりようが視界に入らずとも見えているかのように。


786 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:02:01 .WmSUR4s0
『君、顔色が変わっているよ。これがカードゲームなら気を付けたまえ』

こちらが言い返せないことを見越したように、会話を締めにかかる。

『では、ごきげんよう。私への直通の連絡先は短縮メッセージで送ろう。ああそれと』

少しだけ考えるような時間を空けて、付け加える。

『もし私なら、283プロダクションを狙うとしたらプロデューサーを攫うよ。気を付けたまえ』

その返事を待たずに、通話はぶつりと断絶された。




やるべきことを整理する。
プロデューサーの誘拐はおそらく、Mからも経験則で推測されている。それを念頭に動いた方がいい。
まずは櫻木真乃達のところに戻る。プロデューサー誘拐について、まだ伝えられていない。
今までの通話は録音が済んでいる。この情報はHにも共有した方がいい。アイドルにも聞かせるかどうかは、Hの判断に任せるとして。
『最後のやり取り』まで公開するのは拒否感が強いけれど、『相手はこういう手段も使う』という事まで伝えなければ意味が無い。
その上でHとは、本格的に合流。対談の結果も含めて先に電話をするとして。

大丈夫、まだ思考は回る。
なぜなら。

「…………別人」

言い聞かせるように、言葉にする。
左胸を、握り込むように抑えた。
彼が殺したという『その人』は、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティの知るその人ではない。
これは強がりや希望的観測じゃなく、根拠があること。
もし知っている彼が、『もう一人の絶対悪のモリアーティ』などというものと、聖杯戦争で対峙したというのなら。

――『俺のモリアーティは、お前なんかと全然違う』と、負け惜しみだろうと何だろうと自慢しないはずがないのだから。

Wを称するモリアーティは、己のことを最高とまで自負しない。
しかし、彼から『最高』と評された回数は正確に覚えている。
つまり、自分についての事前情報を持っていなかったMは、彼と敵対した事がない。
敵対した事があるとすれば、界聖杯東京で手に入れた情報だけでこちらを分析しているはずがないからだ。
あの男が殺害したのは『Wにとってのホームズ』ではなく、あくまで『彼にとってのホームズ』だ。


787 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:02:45 .WmSUR4s0
だから、あの言葉は不意の挑発と、迷いの付与が目的。
『私はお前の思っているような≪お約束≫には倒されないぞ』と釘をさしこみ、いざという時に判断を迷わせるのが狙い。
その意図は理解できていたが、しかし。

それでも、いささか以上に、深く刺さったかもしれない。
やられた、という感想は否定しきれず。
ひきずり降ろしてやるという燃料が、薪を追加するように心にくべられた。

【新宿区の新宿御苑/一日目・夜】

【アサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)@憂国のモリアーティ】
[状態]:心痛
[装備]:現代服(拠出金:マスターの自費)、ステッキ(仕込み杖)
[道具]:ヘルズ・クーポン(少量)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)→限定スイーツ購入でやや浪費
[思考・状況]基本方針:聖杯の悪用をもくろむ主従を討伐しつつ、聖杯戦争を望まない主従が複数組残存している状況に持って行く。
0:ライダー(アッシュ)に連絡を取り、Mとの会話を共有しつつ対談の結果を聴く
1:『彼(ヒーロー)』が残した現代という時代を守り、マスターを望む世界に生還させる。その為に盤面を整える。
2:首尾よくライダー(アッシュ)およびMの陣営と組めた場合"割れた子供達"を滅ぼす。その為の手筈と策を整えたい。
3:いざとなればマスターを信頼できるサーヴァントに預けて、手段を選ばない汚れ仕事に徹する。マスターには復讐にも悪事にも関与させない。
4:『光月おでん』を味方にできればいいのだが
5:"もう一匹の蜘蛛(ジェームズ・モリアーティ)"に対する警戒と殺意。
[備考]ライダー(アシュレイ・ホライゾン)とコンタクトを取りました。以後、定期的に情報交換を試みます。
櫻木真乃およびアーチャー(星奈ひかる)から、本選一日目夜までの行動を聞き出しました。


788 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:03:16 .WmSUR4s0



――少し、塩を送ってしまったかな。

283プロダクションの危機とは、おそらく欠勤を続けているというプロデューサーが絡んでいるのではないか。
そのように察していることを、わざわざ打ち明ける必要はなかったのだ。
こちらは先方の状況など知りませんよという振りをしていればいい。
いざという時に『実は知っていました』と揺さぶりのタネにした方が、使いでがあったのだから。
そうしなかった己の思考回路が不思議で、モリアーティはううむと髭を擦る。

そういえば、とうとう聞かれなかったなと、心にしこりが残っていることを自覚した。
『もう一人』と邂逅したならば、必ず問われると予測していたことがあったのに、何も言われなかった。

もし彼が『小説の悪役としてのモリアーティ教授を意図して作り上げた義賊』なのだとしたら、まず知りたがったはずであり。
それを問われた時にはどう返すのか、あらかじめ答えを用意していたぐらいだ。

――How do you justify your existence?

あなたの存在は何をもって証明されるのか。

ここにいるあなたは、小説の中だけのジェームズ・モリアーティ教授ではないかと。
それに対しては、否定も肯定もするつもりはなかった。
ひとつ言えるのは、モリアーティには記憶はあっても、己が実在した証明ができないということ。
故にそれに対しては躱すかはぐらかすつもりだったのに、相手はそこを突かなかった。

だが、実在するもう一人と会話してみて、その理由は察せられた。
もし『あなたは物語上の存在だから、己の語っているそれだって作り物の記憶に過ぎないのだろう』などと決めつけたら。
『Mの在り方とはまったく関係がない、M自身にはどうしようもない≪生まれ≫によって人を決めつけた』ことになってしまう。
それはおそらく、青年にとって禁じ手だったのだろう。

つまりモリアーティは。
悪役ではあっても、潔癖ではある性格のところで。
相手がこちらのデリケートな生前の情報を突かなかったのに、己は突いてしまったかもしれないと自覚して。
珍しく、『そこを突くのはまずかったか』と反省してしまった、ということらしい。


789 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:03:40 .WmSUR4s0
【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル/一日目・夜】

【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康、抑圧(ストレス)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:長い話は、終わったか
1:しおとの同盟は呑むが、最終的には“敵”として殺す。
2:ライダー(デンジ)は気に入らない。しおも災難だな。
3:星野アイとライダー(殺島)については現状は懐疑的。ただアーチャー(モリアーティ)の判断としてある程度は理解。

【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:連合員への周知を図り、課題『グラス・チルドレン殲滅作戦』を実行。各陣営で反対されなければWの陣営と同盟
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:田中一を連合に勧誘。松坂女史のバーサーカーと対面させてマスター鞍替えの興味を示すか確かめる
[備考]※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」
※田中一からアサシン(吉良吉影)と仁科鳥子によるリンボ奇襲の作戦を聞きました。(詳細は田中が知らないので不明)。
アサシン(吉良吉影)の能力の一部も知りました(真名は田中が知らないので不明)。
※星野アイおよびそのライダーから、ガムテ&ビッグ・マムの情報および一日目・夕方までの動向を聞きました


790 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:04:15 .WmSUR4s0



(アサシンさん。283のことでも大事なお話があるって、何のことなんだろうね……)
(も、もしかして昼間おでんさんに助けてもらった事件と関係があるんでしょうか。犯人が分かっちゃったとか……!)
(そうかも。アサシンさん、アイさんのことも当てちゃったぐらいだもんね)

買ってきてもらった軽食を空にして、真乃とひかるは念話で気をまぎらわせていた。
話題がどうしてもしんみりしてしまうのは、仕方がないことではあったが。

(でも、そうしたらやっぱり、心配してくれたおでんさん達にも伝えたいよね……)
(おでんさんとセイバーさんに連絡をとりあうなら……やっぱり、アヴェンジャーさんにメールしたこと、お話しなきゃですよね)
(そうだね。でもそれは、あさひ君に確かめてからにしたい。今でもやっぱり、聖杯が欲しいですかって)

アサシンに全てを打ち明けた時に。
櫻木真乃が、二つだけ明かさなかったことがある。

神戸あさひとの出会いについては、話さないわけにはいかなかった。
あさひまで、星野アイと同じように決別すべき相手だと割り切れたわけではない。
だが、あさひのことを取り繕って隠した上で星野アイだけのことを説明するには、真乃たちは疲れすぎていた。

けれど、気が咎めなかったわけではない。
いくら聖杯を狙っていたという言葉を聞いていても、神戸あさひは真乃にとって、何も悪事をしていない少年だったから。
彼らについては秘密にしておくという約束を、非常時とはいえ一方的に破ってしまったことに、悔いがあった。
その呵責が、星野アイの連絡先を渡す際に、ひとつの沈黙を選ばせた。
星野アイと違って、神戸あさひは固定の連絡先を持っていなかった。
だが、神戸あさひのアヴェンジャーは強かに携帯電話を隠し持っていたこと。
つまり、真乃と神戸あさひのサーヴァントもまた、連絡先を交換していたこと。

神戸あさひの聖杯を欲しがる願いというものを、簡単に捨てられるものだと軽く見ていたつもりはない。
けれど真乃にとって、どうしても神戸あさひの優しさと、新宿の惨劇がもたらした冷たさは、同じ括りに入れられるものではなかった。


791 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:04:37 .WmSUR4s0
――あさひ君があれと同じ事をして、その先を幸せに生きていけるとは、思えない。

そう、心のどこかで思っていた。

だから、渋谷区から新宿御苑へと移動する道中、神戸あさひのアヴェンジャーのアドレスに、1件のメールを送っていた。
それが、二つ目の隠しごとだった。

『アヴェンジャーさん、あさひ君はあれからちゃんと隠れられましたか?
ご飯はちゃんと食べられましたか? おでんさんは一緒ですか?
もしあさひ君が大丈夫そうなら、お話がしたいです』

(ちょっと返信が来てないかどうかだけでも、確認しておこうか)
(そうですね。あ、でもアサシンさんには伝言を残しておきましょう! )

サーヴァントであるがゆえに闇の中でも視界の効くひかるが、真乃の手帳のページを使って書置きを作り、二人の少女はその場を離れた。
本当はいけないことだけれど、神戸あさひのサーヴァントに連絡ができるとはまだ伝えたくなかったので。
『携帯に着信がありました。ここで携帯を付けると灯りが人目についてしまうので、目立たない場所で確認してきます』と嘘を書いてしまったけれど。

神戸あさひの決意を、知らないままに。
神戸あさひが、誰とともにいるのかも知らないままに。


【新宿区の新宿御苑付近/一日目・夜】

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、精神的疲労(大)、深い悲しみと怒り、令呪に対する恐怖
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:???
1:悲しいことも、酷いことも、もう許したくない。
2:神戸あさひくんもアイさんと同じようにするとは思いたくない。連絡を取りたい。
3:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
4:いざとなったら、令呪を使うときが……? でも、ひかるちゃんを……
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。


792 : ブラック・ウィドワーズ(後編) ◆Sm7EAPLvFw :2022/01/24(月) 00:05:01 .WmSUR4s0
【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:疲労(小)、ワンピースを着ている、精神的疲労(大)、魔力消費(小)、悲しみと小さな決意
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:洗濯中の私服(真乃のジャケットと共に洗濯中)、破損した変装セット
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:……何があっても、真乃さんを守りたい。
1:真乃さんに罪を背負わせたりしない。
2:もしも真乃さんが危険なことに手を出そうとしたら、わたしが止める。
3:ライダーさんには感謝しているけど、真乃さんを傷つけさせない。
4:真乃さんを守り抜いたら、わたしはちゃんと罰を受ける。


ーーーーーーー

投下終了です


793 : ◆KV7BL7iLes :2022/01/24(月) 22:49:18 koSfOpCQ0
予約を破棄させていただきます。
長期間の拘束、及び時間ギリギリになっての破棄になってしまい、誠に申し訳ありません。


794 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/01/26(水) 00:10:30 xgVEvAiM0
ガムテ&ライダー(シャーロット・リンリン)
北条沙都子&アルターエゴ(蘆屋道満)
ライダー(百獣のカイドウ)
セイバー(継国縁壱)

予約します


795 : ◆EjiuDHH6qo :2022/01/26(水) 19:27:26 0jLcOvkg0
紙越空魚、櫻木真乃&アーチャー、星野アイ&ライダー予約します


796 : ◆KV7BL7iLes :2022/01/29(土) 23:01:42 nTzrL0C20
予約インターバルが空いたようですので、改めて
七草にちか&アーチャー(メロウリンク・アリティ)
七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
田中摩美々
幽谷霧子
で予約させていただきます。


797 : ◆0pIloi6gg. :2022/01/31(月) 22:40:07 6w0cBRa.0
>>ブラック・ウィドワーズ
 超大作の投下お疲れ様です……! 当企画きっての知恵者である蜘蛛二匹の対談、読んでいて息が詰まるような緊張感がありました。
 二人のモリアーティの違いや因縁、どうあってもなあなあに手を取り合うことは出来ないというのを改めて強調。
 その上で目の前の脅威を排除するために一時共闘もとい共謀するというあり得ない展開を素晴らしいロジックで仕上げているなと。
 行動や判断の一つ一つにしっかり納得出来るだけの理由付けがあり、やはりプロだ……ちがうなあ……となってしまいました。
 そしてそんな頭脳戦じみた駆け引きのあとは年季の差で的確にウィルへダメージを残していくアラフィフがまた厭らしくて好き。


改めて投下お疲れ様でした。
自分も
死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)
神戸しお&ライダー(デンジ)
バーサーカー(鬼舞辻無惨)&本名不詳(さとうの叔母) 予約します。


798 : ◆EjiuDHH6qo :2022/02/02(水) 00:26:36 HCqvJs6E0
申し訳ありません、予約を破棄します


799 : ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/04(金) 18:27:04 8mIrBDtc0
櫻木真乃&アーチャー(星奈ひかる)
神戸あさひ&アヴェンジャー(デッドプール)
プロデューサー&ランサー(猗窩座)
予約します。


800 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:53:48 HWXhDJGc0
投下します


801 : sailing day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:55:16 HWXhDJGc0


落ち着け、と。
北条沙都子は必死に言い聞かせていた。


(今のお前は何?北条沙都子。今のお前はオヤシロ様の代行者。
雛見沢の新たな祟りを下す者でしょう。この程度の苦境、嗤って相対なさい)


現状の北条沙都子の立場は、一言で言って芳しくなかった。
二つの巨大陣営に取り入り総取りの機を伺う。
その計画はついさっきまで順調に事が進んでいたのだ。
首尾よく要求された仕事をこなし、鏡の要塞と割れた子供達という戦力も手に入れた。
同盟者二組のサーヴァントは何方も正確に難ありだが超一流。
このまま上手く立ち回ればリンボの企てが実を結ぶときまで安心して待てるはずだった。
扇動し共倒れさせるはずだった怪物二人が、数十年来の知己でなければ。


(状況を、整理しましょう)


予想される最も不味い展開は、二組の主従に八方美人の裏切者として認識されること。
そうなれば待ち受けているのは正しく童話の蝙蝠の末路だ。
鳥からも獣からも嫌われ追放される。
そうなれば沙都子はこれまで築いてきた全ての地盤を失うことになる。
最悪の場合皮下とガムテの主従、そして割れた子供たちを同時に敵に回す事になるかもしれない。
そうなれば勝ち残りどころか生存さえ絶望的だ。
令呪を使っての逃走も考えたが、今は棄却する。
それでは地盤を失うだけでなく、令呪一画も失う物の中に加わるだけだからだ。
逃げるにしても状況を好転させる当てがなければ意味がない。
死期が僅かに伸びるだけだ。


(…クールに。COOLになるのよ沙都子。
まだ私は何方の陣営にとっても不利益になることは喋っていない。
大事なのはここからの立ち回り。それさえクリアーすれば挽回は十分可能)


深く呼吸を一度行い、脳に酸素を巡らせる。
瞳を紅く煌めかせ、思考を切り替える。
皮下らにガムテと一緒にいられるのを見られれば確かに心証は下がるかもしれない。
だが、最悪でもその程度だ。
何せ自分は皮下主従の情報を一つとしてガムテらに売り飛ばしたわけではない。
双方共に八方美人を行うつもりだったのだから当然ではあるが。
ともあれ、決定的な裏切りに当たる行為は行っていない。
加えて皮下主従には自分から売り込んだが、ガムテの場合スカウトして来たのは向こうだ。
彼のサーヴァントと割れた子供達という私兵を抱えている事を伝えれば孤軍であった沙都子に断る選択肢など無いと察しが付くだろう。


802 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:56:28 HWXhDJGc0


(向こうだってあの調子なら他にも同盟者がいるはずですし、皮下先生に対しては開き直ってしまいましょう)


となれば問題はガムテの方だ。
こっそり自分が同盟を結んでいて、それを黙っていたとバレればいい顔はしないだろう。
だがそう遠くないうちに裏切ることは常々話していたし、最初に誘ってきたのも向こうの方だ。
彼らと同盟を結ぶ以前の事を詳らかにする義理なんて何処にもない。
整理してみれば、此方もさほど問題は無いといえる。
もし何方かに寄ったスタンスを見せていればもっと苦しい状況だっただろうが…
それを考えると露見するタイミングが今だったのは怪我の功名だったのかもしれない。


(とは言え余裕を見せられる状況でもありませんの。
何らかのフォローは行うべきでしょうが…謝罪、何てもっての外ですわね)


いつか裏切るぞと公言していた者が「自分は二股をかけていましたすみません」なんて謝罪するなど愚の骨頂。
心証を下げるだけでなく誤魔化す度量も無い無能の誹りは免れない。
裏切りではなく己の能力不足を疑われて放り出されるなどあってはならないのだ。
故に、今とるべき行動は…と。
思考巡らせていた時だった。


「お〜い黄金時代(ノスタルジア)、鞍替え(チェンジ)の予定はあるか
あの生臭坊主(リンボマン)はダメだ。ちょーっち臭いぜ」
「…今のところ予定はありませんわね。あれでも命令には忠実ですのよ、彼。
能力的にも優秀ですし…そこが頭の痛い部分でもありますけど」


ガムテから珍しく咎める様な言葉をかけられる。
しかし、沙都子には現状リンボを手放すつもりは毛頭なかった。
二体の怪物は別としても、リンボは優秀だ。
プロデューサーや神戸あさひのサーヴァントを一瞥した時にそれは実感した。
贔屓目になるが、この聖杯戦争に招かれた英霊の中でも上澄みに入るだろう。
……鬼や婆の様な怪物だらけではありませんように、という願望が少し反映されている気が無いとは決して言えないが。
それに、もし予想通り二体の怪物級サーヴァントが知己の仲で。
本当に共同戦線を張るとするならば。
猶更、リンボを手放すわけにはいかない。
彼の企てている窮極の地獄界曼荼羅は盤上全てを覆す鬼札になりえるのだから。


803 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:57:26 HWXhDJGc0


「ハ〜ハハハハ…不躾な謁見への処罰はそのクソ度胸と面白ェ話で猶予してやるさ。
つまらない話だったら殺すがね!」
「ええ、必ずや御身の享楽を満たす絵図を紡ぐと自負しております」


それはそれとして。
此方の胃痛も知らないで地雷原でブレイクダンスを踊る己の従僕に青筋がピクピクと震える。
果たしてこの陰陽師は今の状況を分かっているのか?


(丁度いい機会ですわ…リンボさんの有用性のアピールと、私がちゃんと手綱を握っている事を示しておきましょう。
お婆様と鬼さんがあの与太話を聞き入れてくれるかどうかは…祈るしかありませんけど)


状況は苦しいが、致命傷には遠い。
かと言って胡坐を?いていられる状況でもない。
故に沙都子はカードの一枚を切ることに決めた。
今最もすべき行動は、己のサーヴァントの有用性を示し、その手綱を握っていることをアピールすることだと判断。
裏切られる危険性を考慮しても、手放して敵に回られるよりは自陣に加えておきたい。
そう思わせることが現状では最も肝要なのだ。
筋さえ通せばリンボの存在に難色を示しているガムテも一応の納得を見せるだろう。
何しろ人質とは言え確実に裏切るであろうプロデューサーさえ懐に置いている少年なのだから。


「リンボさん!ガムテさんとお婆様にもあの蜘蛛さんの事をお話しして下さいまし。
突然の訪問になったのですから、せめて手土産が無いと失礼ですわ」
「……ンン、それはしかし―――」
「いいから。普段は偉ぶるつもりはありませんが、これは主としての命令ですの」
「……マスターのご命令とあれば仕方ありますまい。では……」


自らの主の命令に多少の逡巡を見せたものの、リンボは直ぐに肯首する。
彼にとっても、沙都子にとっても、デトラネットに巣食う蜘蛛はさして聖杯戦争の盤上において重要なピースではない。
田中という凡夫と約束はしたが、それも彼にとっては気まぐれの一つでしかなく。
蜘蛛とは向こうは此方の邪魔はしないといったが、此方は特に約束もしていない。
ならば主の不興を買ってまで黙秘する義理も無かった。
そうしてリンボは朗々と、この東京に巣を張る蜘蛛の存在とその所在を語った。


「あのクソガキと同じようなのがもう一匹、ねェ…本当だろうね
お前はどうも胡散臭いからねェ……」
「ンン、これは辛辣。ですが拙僧の語ったことはすべて真実ゆえ」
「ま〜そのクソ坊主(リンボマン)が胡散臭いのは事実だしィ。
取り合えずデトラネット傍受(デバガメ)してみるかァ〜」


804 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:58:00 HWXhDJGc0


ガムテはそう言うと、タブレットのウィンドウを切り替える様に、鏡が映る映像を切り替えていった。
デトラネット程巨大な企業なら地図アプリがあれば性格な位置は直ぐ割り出せる。
それに加えてリンボの情報を参考とすれば……


「発見(み)〜つけた」


―――如何な蜘蛛と言えど、ミラミラの実の補足から逃れるのは不可能だ。
ガラスウィンドウから覗き見た、老年期に差し掛かった紳士。
その姿を見た瞬間、ガムテは確信した。
こいつだ、間違いない。リンボの情報は正しかった。
姿こそ違えど、纏う雰囲気は殆ど同一のもの。
こいつは283プロダクションで出会った美男子(イケメン)と同じ地平に立つ存在だ。


「手柄(ジャック・ポット)だぜ、黄金時代」


ガムテは、目の前の老人を全く侮ってはいなかった。
むしろ、自分ともあろうものが今に至るまでこの毒蜘蛛の存在を認知していなかったことに戦慄が走る。
峰津院や283の蜘蛛と同じく、最上級の警戒対象。
それを拠点を含めて探知できたのは大きな収穫だ。
ミラミラの実という反則を気取られている様子もない。


―――『仮に手を組むとしたら対等、了解した。改めて話を続けよう』


彼の蜘蛛は何某かと電話している様だった。
それが分かった瞬間、ガムテはガムテープで目や耳を塞がれても周囲を精密に認識できる知覚能力を全力で行使する。
隣の沙都子に口の前で静かにするようジェスチャーを送りながら、老人のみならず電話先の相手の微かな声さえ聞き逃さない。
沙都子もそれに倣うように耳を澄ませる。
背後にそびえるリンリンも彼女にしては非常に珍しい事に空気を呼んだのか一言も声を発さない。
リンボは「ンンン!」と何か言おうとしていたがリンリンの裏拳で吹き飛んで行った。
それきり、一同は無言で。
鏡の向こうの、蜘蛛の企みを傍受していった。





805 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:58:22 HWXhDJGc0


衝撃を受けた話は、幾つもあった。
対ガムテ陣営を見越して同盟を結んだ二匹の蜘蛛の陣営。
これだけならばまだ飲み込むまで時間はかからなかっただろう。
だが、それに殆どノーヒントでミラミラの実という反則級の能力に気づく蜘蛛の脅威。
莫大な霊地と予想される東京タワーとスカイツリー地下、そしてそれを確保する峰津院陣営という最大級の主従。
それを利用し、ガムテらを罠に嵌めようとしている双頭の蜘蛛の毒。
ここだけ積み重なれば一息で咀嚼し情報を吟味するのも難しくなる。
いや、それよりも。
沙都子にとって目下最大の、ガムテにとっては猶更無視できない情報があった。


「ハ〜ハハハハママママ……ガムテェ…あのジジイの話に気になる所があるんだが……
お前はどう思う…?最低限の主従関係もないとか、マスターの裏切りとかねェ……」


二匹の蜘蛛によって示唆された、ガムテとリンリンの間に横たわる亀裂。
沙都子もそうではないかと考える瞬間があった。
実際に切り崩すとしたらそこだとも考えた。
だがまさか、こんな形で目の前の怪物にその情報が伝わることになろうとは。
今この局面でよかったのか?それを教えてしまった自分達にも矛先が向くのでは?
逃げるべきか?ガムテはこの問いになんと答えるのか?
目まぐるしく脳内で現状で考えるべき疑問が巡り、思考が纏まらない。
はっきりしていることは一つだけだ。
即ち目の前のガムテープをつけた少年は、次に吐く言葉次第では死んでいると言うこと。
当事者本人ではない沙都子にすら、緊張が走る。
息をのむ。音が消える。
視線の先のガムテは、無言無表情だった。
そして、その表情のままに告げる。


「あァ―――俺達がライダー、お前を裏切(ユダ)るかもしれないって話だろ?」


―――死ぬ気ですの、ガムテさん!?
思わず喉元まで出かかった言葉を、沙都子は必死に飲み込んだ。
そんなことを言われれば、目の前の老婆は容赦しないだろう。
絶対に、裏切りを許すタイプではない。確信をもってそう思えた。
事実、その予想は正しかった。
シャーロット・リンリンという女は裏切りを許さない。
目の前の少年は確実に死ぬ。
事実、主のその言葉を受けて老婆は巨大なカトラスを振り上げていた。
あれを振り下ろせば少年の体は豆腐よりも脆く砕け散るだろう。
手ごわい競争相手が脱落することを喜ぶべきか。
しかし彼が死ねばこの空間はどうなる。
自分は皮下らに身を寄せるべきなのか?
再び選択肢が湯水のように沸いてくるが、事態は沙都子を待ってはくれない。
彼女を置き去りにして、事は進んでいく。
そして、空気を切り裂き、唸りを上げて。
少年へと、断罪の刃が振り下ろされた。
迫る死に、少年は。
少年の表情が変わる。
無表情から、感情の籠った顔へと。
怒りではない。
無念の表情でもない。
口の端が弧を描き、一部が欠けた歯をのぞかせて―――





806 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:58:40 HWXhDJGc0


あぁ、畜生(ファック)だ。
な〜んでこのタイミングで露見(バレ)るかね〜
いっつもいっつも俺達は運命に嫌われる。
傍受(デバガメ)なんてちない方がよかったか?
でもあの状況ならするだろ定石(フツー)。


「そうかい、だったら死にな!」


質問に正直に答えると、クソババアがドスを振り下ろしてくる。
薬(ヤク)もキメてねーのに異常にゆっくり見えた。
あー…これは死(ち)んだな。確定だ。
恐怖(ぴえん)超えて絶望(ぱおん)だぜ。

こういう時、極道ならどうすンのかなァ。
こーゆーどう考えても詰んでる時は。


………。


って仮定(かんが)えるまでもねーか。
あいつなら、きっと。
きっと、こうするんだろうなァ。
何しろあいつは超一流だ。
超強い、超賢い、超クソ野郎のあいつなら……


そして、俺は笑って見せた。
糞婆に、これまでで一番の笑顔で、にっこりと。
見えた彼奴の顔は、ババアのくせにムキになったガキの様だった。
何だ。
意外と矮小(かわい)いジャン。
その顔がおかしくて、余計笑止(ウケ)た。





807 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:59:01 HWXhDJGc0


殺意は本物だった。
一瞬でも逃げようとしたり、令呪を使うそぶりを見せれば、そのまま振り下ろすつもりだった。
マスターを殺せば己の身が消滅するとしても関係はない。
このビッグ・マムを謀るなど万死に値する。
来るものは拒まず、去るものと裏切る者には死を。
それがビッグマム海賊団の鉄の掟だ。
だが、ガムテと呼ばれた少年は、まだ死んではいない。


「マ〜マママ……!よく最後まで突っ立っていられたねクソガキィ……!」
「勿論(モチ)。どーせ避けようとしても無理だかんな〜
それにあのバンダイっ子共の推理は、ぶっちゃけて言うと外れてる」


ガムテは笑みを崩さない。
目の前で停止した刀が視界一杯に広がっていても、だ。
それしきのことでは道化の笑顔は奪えないといわんばかりに。
つつう…と。
磨き抜かれた刀身を撫でながら、ガムテは歌うように言葉を紡ぐ。


「確かに、舞踏鳥達はライダーに畏(ビビッ)てるかキレてるかのどっちかだ」

「だけど、俺は違う。俺はお前の力を信用ちてるのさ。ライダー」

「お前が他のサーヴァントにブッ殺されない限りは、俺はお前のマスターだ」

「“最後まで”…俺のサーヴァントはお前だけだ」


女海賊と幼狂の王の視線が交わる。
一触即発の空気に、傍らの沙都子は再び息をのんだ。
ガムテは未だ微動だにしない。
背を丸めて微笑みを浮かべたまま、ライダーを見上げている。
後ほんの少し彼女が力を籠めれば、確実な死を迎えるにも関わらずだ。
そのまま、しばし。
沈黙が、鏡面世界を包む。


「……そうかい、まぁ、お前はいつもせっせとお菓子を用意してくれるし―――」


静寂が終焉を迎えたのは、ライダーが巨剣をガムテのすぐ脇へ降ろしてからだった。


「安心したよ。お前を殺さなくて済んでね」


808 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:59:23 HWXhDJGc0


さっきとは打って変わって真顔で、ライダーはそう言った。
どこまでも笑みを崩さないガムテとは対照的な、真剣な表情だった。
それはつまり。
二匹の蜘蛛の推理よりも、ガムテの言葉を信じると決めた決定に他ならない。


(死に際でも笑みを崩さない、か…忌々しいが、ロジャーの奴を思い出すねェ)


リンリンもまた、ガムテと同じく二体の蜘蛛のやり取りを余すところなく聞いていた。
高レベルの見聞色の覇気を有する彼女にもまた、造作もない事だった。
そして、示唆された裏切りの可能性。
どれもガムテ本人の裏切りの意思を決定づける物ではないが、怪しいのも否定しきれず。
故に断片的にしか聞いていないフリをしてカマをかけたのだ。
結果は御覧の通り。
ガムテは正直に疑われるのを覚悟のうえで、自分に誤魔化さず話した。
そして、怒り狂ったフリをして振り下ろした巨剣にも、避けようとする素振りすら見せなかった。
それどころか、死に際に笑みすら浮かべて見せた。
故に、リンリンはガムテの言葉を信じることに決めたのだ。


「あのクソ生意気な小僧と小娘どもに関しちゃお前に任せるよ
おれは先にダチと話をつける必要があるからね」
「了解(りょ)、任せとけ。
……あと、話(ナシ)付けンならココと新宿(ジュク)以外にしてくれると嬉ちい
暴れんなら、昼間行った矮小(チャチ)い事務所の前とかあンだろ?」
「さぁてねェ、そりゃ向こう次第だが…まぁいい。散歩がてら行ってくるとするか」


ビッグ・マムと言う女は狡猾だ。
だが、同時に身内と呼べる存在には酷く純粋になるきらいがある。
食い煩いを発症した際ですら、苦し紛れに放った実子の嘘を信用したのだから。
それどころか矛盾を指摘されればヒトの息子を嘘つき呼ばわりするなと怒り狂う程だ。
血縁上の繋がりは無いとは言え魔力パスの繋がったマスターを身内として判定したのかは微妙だが、ガムテの言葉を信じたのは確かだった。
そのため、彼女にしては本当に珍しいことに物分かりも良く。
巨大なカトラスを担ぎ、のっしのっしと空間内で一際巨大な鏡へと歩む。
犯罪卿の小賢しい策をねじ伏せる戦力を手にするために。
そして、その巨大な女王の背中を見送りながら、幼狂の王は心中で呟くのだ。


(―――あぁ、テメーは最後(メインディッシュ)だクソババア。
聖杯がもー少しで手に入るって時じゃねェと…最高に最悪の状況(シチュ)にはならねェだろ?)


809 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 22:59:41 HWXhDJGc0

ガムテは一つの嘘も吐いてはいない。
最後の一組までリンリンという最強のババアを御しきって見せる。
犯罪卿がいくら裏切りを示唆しようとも、ガムテが行動を起こさなければ裏を取る術はないのだから。
仲間にすら、最後にババアを殺すと明言したのは舞踏鳥ただ一人。
それまではどんな屈辱も甘んじて受け入れる覚悟だった。
そう、どんな屈辱も。
ス…と無くなった左手に手を添え、その先に収納されていたある物を取り出す。
それはガムテにとって宝物だった。
心底(マジ)で胸糞(ムカ)つくが、彼の人生の中で一番の宝物。
サンタからもらった人間国宝・関の短刀(ドス)。
だが、それは。


『ママー!いってらっしゃい!!』
「黙れ。喋るな」


今はライダーの手によって醜悪に魔改造されていた。
ライダーの有するソルソルの実の能力。
最高レベルの神秘を有するその能力を付与されたドスはサーヴァントにすら致命傷を与えるだろう。


―――ハ〜ハハハ!どうだい?おれのお陰で素敵な剣になったろう!!


柄を握る掌に、握りつぶさんばかりの力がこもる。
聖夜に贈られた、かつての記憶を踏み躙られた様で屈辱だった。
それでも、ガムテは殺意すら殺して時を待つ。
踏み躙られた刃を突き立て、狂った女王の尊厳を蹂躙するその時を。
それまで彼は彼女のマスターを完璧に演じ切る。
仲間を捧げることも厭わない。


(極道をブッ殺す前に―――俺はお前を超えるぞ。クソババア)


壊されたいつかの日の思い出を握りしめ。
幼狂の王は仮面の下で、殺意の花を育て続ける。





810 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:00:07 HWXhDJGc0


「……好機も乗ったとはいえ、上手くやりましたわね。ガムテさん」


一部始終を眺めていた沙都子は、事が終わるとぽつりとつぶやきを漏らした。
二匹の蜘蛛には、同情してしまうくらいタイミング的に運がなかった。
自分が瀬戸際に陥るのがもう少し遅ければ。
彼らの悪だくみがさっさと終わっていれば。
傍受される憂き目には合わずに済んだに違いない。

では、翻って自分にはどうだろうか。
リンボの存在で揺れた自分の立場の回復はできたといえる。
だが、反対にガムテとライダーらを仲たがいさせ、陥れるのは難しくなった。
人は一度疑いが晴れたと思ったものを再度疑いなおすのは難しいからだ。
とは言え、大連合にガムテらが狙われているのを知れたのは収穫ではある。
できる事なら、彼らとガムテらをぶつけて対消滅を狙いたい処だが…


(そうなると、重要になるのはタイミングですわね……)


できる限り双方の被害が拡大したうえで共倒れを起こしたい。
そうなるとタイミングは限られてくる。
何方にとっても有利過ぎない状況を作れるものか。
いっそ惨劇を容易に演出できるあの悪魔の薬があれば楽だったのだが―――


「よ〜う黄金時代(ノスタルジア)。さっきは貴重(レア)な情報、感謝(アザ)」
「別に、お礼を言われるようなことはしていませんわ。
ガムテさんにリンボさんを嫌われたままでは後々不都合が生じそうでしたし」


思考の海に沈んでいた意識が、ガムテからかけられた言葉で浮かび上がった。
それとともに、無い物ねだりをしていても仕方ないと思考を切り替える。
今はとにかく、ガムテと意識のすり合わせを行っておかねば。
何しろ彼が置かれている状況も、決して楽観視できるものではないのだから。


「ガムテさんももうかうかしてはいられませんわね。
蜘蛛さんたち、どうにか貴女を誘い出して袋叩きにしようと必死ですわよ」


会話の全容を把握した訳ではない沙都子にも、ガムテが狙われているのは伺えた。
その上で、「当然、このまま済ますつもりは無いんでしょう?」と問いかける。
ガムテは沙都子の問いに対し、ニッと口が裂けたような獰猛な笑みで笑い返し。
懐のスマートフォンを取り出した。


811 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:00:36 HWXhDJGc0


「当然(モチ)だぜ、黄金時代。滅茶苦茶にしてやるよ」


取り出されたスマートフォンは本人のモノではなく。
プロデューサーから奪ったものだった。
淀みのない動作でチェインのアプリを起動し、283の共通アカウントを開く。


「ほい、Pたんの組抜け動画をアップロードっと」


アイドル達が目にしているそこへ―――先ほど撮影したプロデューサーの動画を挙げる。
真剣な様子で、283への決別を示すプロデューサーからの動画だ。
すぐさま何人かの事情を知らない様子のアイドル達から『どういう事?』『何の冗談?』と問いただす様な反応が見られるが、当然のごとく無視する。

犯罪卿が283プロダクションと繋がりがあるのは既に確信へと至っている。
そして、283の関係者が善良な者ばかりなのもプロデューサーの命がけの献身で察することができた。
単に職場の繋がりというだけの相手に寿命のほとんどを捧げたりはしないだろう。
それだけプロデューサー側からの思いが深いならば、アイドル達も当然彼を憎からず思っているはず。
それでなければさしものガムテと言えど僅かに同情してしまうところだ。
兎も角、そんな相手に一方的に拒絶を示されるのは相当な混乱を見込むことができる。
そして、これはあくまで第一の矢だ。
悪魔を更に追い詰めるべく、幼狂の王はすぐさま第二の矢を放つ。


「もっしもォ〜し、舞踏鳥(プリマ)〜!準備できてるか?」
『―――えぇガムテ。何時でも』
「よ〜し☆そんじゃ十五分後に襲撃(カチコ)め。家族も纏めて鏖殺(みなごろち)だ」
『家にいないアイドルはどうするの?田中摩美々や櫻木真乃、
あと七草にちかも帰ってる報告が無いけど…幽谷霧子も皮下病院が無くなったし」


下す命令は総攻撃。
時刻は二十時を回り21時に差し掛かろうとしている。
夏休み中で学校や部活が無く、仕事に炙れたアイドルは家で休んでいる頃合いだ。
にも拘らず未だ家を不在にしているアイドルはほぼ黒と見ていいだろう。
逆に言えば現在家にいるアイドルは白の可能性が高いが…そんな事はもうどうでもいい。
283陣営もこのままではジリ貧だ。
それ故にこれより攻勢に出てくるのが予想される。
差し違える覚悟の相手に、遠巻きな牽制や圧力など藁の楯にも等しい。
故にガムテ達もこれからは攻撃一辺倒とはいかなくなるだろう。
その前に向こうの出鼻を挫く。それが割れた子供の首魁の決定であった。


812 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:01:04 HWXhDJGc0

「いない奴のお家は…殺島の兄ちゃん見習って火をつけるだけでいーや。
サーヴァントがいるかも知んねーし、そこに差し向けるのは最小限でいい」


関係者の拉致と放火は極道の常套手段だ。
此方の力を見せつけ、戦力差を理解(わか)らせ、立ち上がりを崩す。
東京各地のアイドル達の家庭への一斉攻撃だ。
如何な犯罪卿と言えど迎撃は難しいだろう。
昼間はプロデューサーという切り札が彼女達を救ったが…その鬼札ももう無い。
ガムテ達が抑えているから。


『了解よガムテ。他の標的(ターゲット)はちゃんと家にいる?
小宮果穂、有栖川夏葉、三峰結華、月岡恋鐘……だったかしら』
「あァ、お利口な偶像(ブス)共は呑気に家で寛いでるぜ。
ただ、警察署(ぶたばこ)にいる奴らはちょっとな〜』
「そっちは天井努と七草はづき…あと浅倉透に市川雛菜、芹沢あさひだったらかしら?」
「あァ、本当は事情聴取(おはなち)も夕方前に終わったんだろうが…
あの新宿の騒ぎがあって警察(サツ)共もお目目グルグルでこんな時間になったんだろ」


遠方のロケの許可が下りなかった高校生以下のアイドルや東京在住のアイドル。
それだけでなく事務所荒らしの一件で事情聴取を受けていたところに新宿の事件があり、まだ帰宅できていないアイドルや関係者が不幸にも標的に選ばれていた。
標的の選出は、プロデューサーのスマホから標的の方から情報を送ってくれるため、何ら困らなかった。


「警察(サツ)共は殆ど出払ってるけどォ…それでもまだ十人はいるみたいだぜ〜」
『そう、それなら薬(ヤク)を持たせた誰かに行かせる?』
「それでもちょっち厄介(めんど)いな〜証拠消したりさ〜
生け捕りにしてほしい、歯臭歯磨きって女(オバサン)もいるし…」
『……七草はづきのこと?―――あぁ、確か七草にちかの姉だったわね
その子がマスターなら確かに……』


既に事務所を去っている七草にちかだけはプロデューサーや元同僚への思い入れが無い可能性が高い。
だが肉親であり283の事務員である七草はづきだけは別の可能性が高い。
七草にちかがマスターの可能性が高い以上、拉致する価値はある。
そう考えての判断だったが、やはり警察署そのものに襲撃をかけるのはリスクが高い。
どうするべきかと考えた所で、意外な方向から助け船が来た。


「………………………ガムテさん、ちょっと」
「ン〜何だ黄金時代?」
「察するに、今お話ししてるのはアイドルの方々への攻撃という事ですわよね
それも、マスターでは無い方への」
「肯定(そー)だけど、どした?」
「それなら、私とリンボさんが行ってきますわ」


813 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:01:46 HWXhDJGc0

意外にも、警察署にいる面々への攻撃は自分が受け持つと。
少女はそう宣言した。
まさか志願されるとは思っていなかったため、ガムテも目を丸くする。


「ん〜と。どういう風の吹き回しだ。黄金時代?」
「どうやらガムテさんはまだ、リンボさんの事を認めてはくれないご様子ですし、
ここはもう一押しお婆様が帰って来られる前に私達の能力をアピールしておこうと思いまして。
誘拐という形なら、リンボさんの方がより確実ですわ…ねぇリンボさん!」
「はい、此処に」


丁度、憂さ晴らしがしたい所でしたし、とトカレフを指で弄びながら。
沙都子は怪しく微笑み、己の走狗へと呼びかける。


「事情は聴いていましたわね?お婆様がお帰りになる前に、もう一仕事こなしましょう」
「ンンン、拙僧が身を治している間に大海賊殿が行ってしまわれたのなら仕方ありますまい」


彼女の背後に、ついさっきライダーの裏拳で吹き飛ばされたリンボの姿が現れる。
自身のサーヴァントが不在の状態でリンボと同じ空間にいるのは大抵のマスターであれば相当な緊張が伴うだろう。
だが、ガムテは顔をしかめつつも自然体を保ったまま、沙都子の提案を承諾した。


「オーケー。そんじゃ〜警察署(ブタバコ)は黄金時代に頼むわ。
聞こえてた舞踏鳥?そういう事だから警察署は包囲解除(フリー)でヨロ」
『……了解よ、ただ私はその子を信用するのは反対とだけ言っておくわ』
「分〜かってるって。こっちの事は心配するなよ舞踏鳥。指揮は任せたぜ、俺の右腕」
『えぇ、勿論。私達、精一杯殺すわ。ガムテ」


確かな信頼が込められた言葉と共に、通話が終了する。
昼間の攻撃の意思すら希薄だった訪問とは違う。
これから始めるのは正真正銘の全面戦争(コウソウ)。
ガムテもまた、本格的な激突に向け腹を括る。
他の主従に目をつけられてもなお勝つという気概がこれから先には必要だ。
それでこそ、破壊の八極道。それでこそ、殺しの王子様(プリンス・オブ・マーダー)。



「……態勢も定まった様ですし、此方も動きましょうか。二十分程で帰ってきますわ」
「あァ、そんじゃ〜頼んだぜ。黄金時代、糞坊主(リンボマン)」


814 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:02:08 HWXhDJGc0

鏡の前に手をかざし、フリック入力の様に映像を切り替える。
すると、十秒ほどで目的地である中野区の警察署へと座標を合わせることができた。
相変わらず、反則染みた能力ですわね。
そんな事を考えながら、沙都子は鏡の前へと進み出た。
やはり、この少年はできる限り敵に回したくはない。
この能力が見せ札に過ぎないともなれば果たしてあと何枚切り札を残していることやら。
自分も彼に勝ちうる手札を持っているが…かなり信頼性に欠けるのが頭痛の種だ。


「リンボさん、向こうについたら―――」
「えぇ、承知しておりますとも。人と絡繰りの目を誤魔化す呪いは既にかけております。
拙僧、常に一流を志しております故、抜かりはありませぬ」


警察署に襲撃を駆ける以上、警察と監視カメラの誤魔化す術は必須。
引いたサーヴァントがそういった搦め手に長けているリンボでなければまず志願はしなかっただろう。
例えNPCが相手でも準備は入念に。油断はしない。
鞄に忍ばせたトカレフと弾倉の感触を確かめながら、恐れることなく沙都子は鏡の中へと進んでいく。


「では、ガムテさん。また後で」
「はいよ〜☆フレフレ黄金時代っ!!」


ひらひらと、無くなってしまった腕を振って。
自分を見送るガムテの姿を苦笑しながら、沙都子は鏡の中へと姿を消した。





無人の女子トイレに降り立ち、そのまま黄金球に与えられたスマートフォンの地図アプリを起動する。
位置情報を確認すると、中野区の警察署内になっていた。
どうやら、問題なく侵入は成功したらしい。


「リンボさん、先ずは出入り口の封鎖と、外から中の様子を分からなくして下さいまし」
「では簡単な結界を張りましょう。ンンン!甘美な恐怖と絶望の響きが収穫できるか楽しみですなァ!!」


相手はマスターですらないNPC。順当にいけば赤子の手を捻るが如くだ。
反撃のリスクで言えばプロデューサー主従を相手にする方が余程危険だっただろう。
周辺に魔力存在が確認できないのも、簡易ではあったがリンボの索敵で裏が取れている。
檻を最初に作ってしまえば、後は楽な仕事だ。


815 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:02:30 HWXhDJGc0


「しかしマスター…何故あの少年の指示を?
あの大海賊殿が去った時勢ならば、拙僧が屠ることも可能だったでしょう」
「ガムテさんを侮ってはいけませんわ。それで失敗すれば死ぬのは此方ですもの。
それにまだ敵対主従は大勢いますし、まだまだ彼らには暴れてもらいたいですし…」
「ふむ、成程…しかしそれでも御身自ら動かずとも宜しかったのでは?」


珍しく身を案じる様な台詞を吐くリンボ。
意外と忠誠を見せたりするのが悩ましいですわねぇ等と思いを巡らせつつ、沙都子はもっともらしい理屈を述べていく。


「まぁ、そうでござますが。偶には動く的に当てないと腕も錆びついてしまうでしょう
私自ら出向いた方がガムテさんの心証もよろしいでしょうし、それに―――」


そう。
ここまで述べられてきた理由は建前でしかない。
それを示すように、少女の瞳には昏い憎悪の炎が燃えていた。


「単純に、アイドルという方々が大嫌いですのもの。
この薄汚い街並みと一緒に消え去ってほしい位には」


いうまでも無く、283のアイドルと沙都子は出会ったことはない。
だがそれでも彼女にとっては梨花を、親友を奪っていく薄汚い新天地の象徴だった。
午前中耳にした彼女たちの歌声も、何処までも不快な不協和音でしかなく。
どうしようもなく心がささくれだった。
そんな不快な存在に、惨劇を起こす機会が訪れたのだ。
ならば裁きを下そう。祟りを起こそう。
人の子よ、恐れるがいい。我こそはオヤシロ様なり。

…雛見沢で新たな祟り神となった時も。
彼女は自らの手足で惨劇の糸を引く黒幕となった。
引きこもっているよりは、本来積極的に動く方が性に合っている。
無論、リスクが無い場合に限るが、と。
彼女は自分自身をそう認識していた。


「お喋りはここまでですわ。お婆様が帰って来られる前に、もう一仕事行きますわよ」
「…………えぇ、マスターの御心のままに。
あの大海賊殿達の再開の宴の音頭を取り計らえるのは拙僧以外におらぬと自負しております故」


前を行く主を見て、リンボは思う。
やはり自分を引き当てたマスターだ。田中一などとは役者が違う。
この娘が健在である限り、鞍替えなどありえる筈も無し。
そして…楽しみだ。本当に、愉しみだ。
我が主は身の破滅の瞬間、どんな苦悶と断末魔の響きを聞かせてくれるものやら!
垂涎の瞬間を想起しつつ、にたりとリンボは嗤う。


「さぁ…楽しい楽しい兎狩りの時間ですわ」


己の従僕が浮かべるええ身に気づかぬままに。
主もまた、血の様に紅い瞳を煌めかせ嗤う。
それは最早人の笑みではなかった。
魔道に堕ちた…魔女の笑みに他ならない。
かつて、仲間に悩みを伝えることの大切さと、人の痛みを知っていた少女。
そんな少女の面影は……今は遠い。


816 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:02:46 HWXhDJGc0


【中野区・中野警察署内/1日目・夜】

【北条沙都子@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:健康、軽い頭痛。
[令呪]:残り3画
[装備]:トカレフ@現実
[道具]:トカレフの予備弾薬
[所持金]:十数万円(極道の屋敷を襲撃した際に奪ったもの)
[思考・状況]
基本方針:理想のカケラに辿り着くため界聖杯を手に入れる。
0:取り合えずガムテの心証を上げておく。差し当たっては仕事をこなす。
1:最悪脱出出来るならそれでも構わないが、敵は積極的に排除したい。
2:割れた子供達(グラス・チルドレン)に潜り込み利用する。皮下達との折り合いは適度に付けたい。
3:ライダー(カイドウ)を打倒する手段を探し、いざという時確実に排除できる体制を整えたい
4:ずる賢い蜘蛛。厄介ですけど、所詮虫は虫。ですわよ?
5:にっちもさっちも行かなそうなら令呪で逃亡する。背に腹は代えられない。


【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/式神)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:???
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:マスタ―には当分従いましょう。今の拙僧はあの幼子の走狗なれば。
2:新宿区の地獄を眺めに行くか、リンクの切れた式神の調査を行うか…
3:式神は引き続き計画のために行動する。田中一へ再接触し連合に誘導するのも視野
4:…のつもりでしたが、やめました。祭りの気配がしますぞ、ンンン――。
5:式神にさせるつもりだった役目は本体が直接担うことに変更。何をするつもりかはおまかせします。
6:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
7:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
8:機会があればまたプロデューサーに会いたい。

[備考]
※式神を造ることは可能ですが、異星の神に仕えていた頃とは異なり消耗が大きくなっています。
※フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)の真名を看破しました。
※地獄界曼荼羅の第一の核としてフォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)を見初めました。
 彼女の再臨を進ませ、外なる神の巫女として覚醒させることを狙っています。
※式神の操縦は一度に一体が限度です。本体と並行して動かす場合は魔力の消費が更に増えます。


817 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:03:32 HWXhDJGc0





返し手は打った。
迎え撃つ心の準備ももう済んだ。
此方も腹を括ろう。
ババアが連れてくる厄ネタをも手札の一枚と扱おう。


「邪魔な足手纏い(ハンデ)はこっちで処理してやるよ、バンダイっ子
だから…本気(マジ)で殺しに来い」


守る片手間で勝てる様な相手ではないことをたっぷりと教えてやろう。
あの犯罪卿の本気の悪辣さを引き出したうえで勝利する。
それでこそ、“パパ”を超えるための経験値(はぐれメタル)になる。
一人となった鏡の世界でガムテは虚空に向けて言葉を放つ。


「お前の本気(マジ)を出させて殺さないと…最悪のシチュにはならないだろ?
ババアと同じ、極道を殺す前の踏み台にしてやる」


ガムテにとって、聖杯戦争の勝利ですら通過点に過ぎない。
彼にとって人生の最大の目的は、父を超えることに他ならないからだ。
人質を取って本領を発揮させないまま勝つことも可能だろう。
だが、それでは極道を超えるための経験値にはならない。
あの犯罪卿の全てを引き出したうえで絶望させて殺す。
それでこそ、殺しの王子様としての矜持は保たれる。


「……そうさ、お前に比べれば“犯罪卿“なんざ怖くはねェ―――」


そう言って、独りの時にしか見せない複雑な感情を含んだ瞳で手の中のスマホを眺める。
そこには、この聖杯戦争でガムテが最も恐れた敵が映っていた。
聖杯戦争本選開幕時に、ガムテがとある事務所を訪れようと思ったきっかけ。
この敵に比べれば、犯罪卿すら恐ろしくはない。
割れた子供達は悪意には慣れている。


―――もう、殺すのは、私、で最後に…して、くれ…。


消えゆく命で。それでも彼女は訴えた。
類稀なる演技力を有するガムテだからこそ分かった。
その女は、本気で自分達がこうなる原因となった悲しい過去に怒っていた。
そんな事をしなくても、自分たちは幸せになれるのだと、嘆いていた。
そして、まだやり直せるのだと、訴えた。
消えゆく命で、それでもなお、彼女は。


「……遅いよ」


消え入りそうな呟きを一つ。
割れた子供達はどんなヒーローであっても救えない。
全員地獄への道行きが決定した者たちだ。
だからこそ、ガムテもまた。
どんな言葉を掛けられても冠を捨てるわけにはいかないのだ。
顔に手をやり、再び少年は狂える王の顔へと舞い戻り。
鏡の要塞(グラス・フォートレス)で、宣戦を布告する。




「―――さぁ…殺し合いだ。決めようか、蜘蛛と極道。
何方が生存(いきる)か。死滅(くたば)るか……!」




何時だって、死者は生者が恨めしくてたまらない。
憎悪によって磨かれた怨嗟と咆哮は高らかに。
砕けて尖った夢の残滓を、幸せな子供達に叩き付けに行こう。
いざ、いのちといのちを相打とう。
見捨てられ、闇に沈んでいった孤独なる者たち。
その逆襲劇(ヴェンデッタ)を―――此処に。


818 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:04:03 HWXhDJGc0


【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)・鏡面世界内/一日目・夜】

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券。
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。
1:蜘蛛共を叩き潰す、峰津院の対策も 講じる。
2:283プロ陣営との全面戦争。
3:あのバンダイっ子(犯罪卿)は絶望させて殺す。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。


819 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:04:20 HWXhDJGc0


アスファルトを草鞋で切りつけ、夜の街を駆ける。
ビルディングの側壁を水平に駆け抜け、一足飛びに屋上を跳ぶ様は地上に現れた流星の如く。
全てはこれ以上の犠牲者を、これ以上の涙を生まぬために。
自分が為さなければならない。
主ではいけない。
彼の度量、真っすぐな性根、そ して剣の腕は尊敬に値する。
今回も、彼はまず自分が死地へと赴こうとしていた。
マスターであるとか、峰津院大和との戦闘での疲労が残っているだとか。
そんなことは関係ないと言わんばかりに。
奴がもし居るのならば、来るのならば、と。
鉄火場へと馳せ参じようとしていた。

だが、今回ばかりは自分が赴くことを譲らなかった。
未だ新宿という街が負った傷は根深く、火の手が燻っている箇所が至る所にある。
民を守る者たちも奮闘しているが、早急なる救命活動にはこの都市は猥雑に過ぎた。
故に主君には民草を救うように告げ、この身が赴くことに決めた。
これから相対するものは間違いなく、先の鋼翼の悪鬼に負けずとも劣らぬ強敵だろう。
自身の主君を打ち滅ぼした男なのだから当然だ。
そして、それ故に。
主君と待ち受ける龍が相対すれば生存(いき)るか死滅(くたば)るかの果し合いになるは必定。
消耗を避けるだとか、今後のための立ち回りだとか。
そんな小賢しい考えは相対した瞬間お互いの脳裏から消え去るだろう。
そして、熾烈極まる死闘が、周囲のすべてを巻き込んで始まる。
だが、傷を負った街にこれ以上の追い打ちをかけるわけにはいかない。
悪鬼を打つよりも、これ以上の惨禍を回避するのを彼らは優先した。


故に。
その場所に向うのは光月おでんではなく。
神域の剣士―――継国縁壱が、その場所を目指し駆けていた。





820 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:04:45 HWXhDJGc0


一言で言って、苛立っていた。
テメェが呼んだんだろうがと毒づいて。
いやそう言えば正確には呼ばれたワケじゃねェな…と我に返り。
じゃあいそいそと急いできた俺がバカみてェじゃねェかとまた憤る。


「人を呼んでおいて、何でいねェんだあのババア〜〜!!!」


そんなこんなで四皇・百獣のカイドウは夜の帳が下りた空で叫ぶのだった。
現在地は新宿の空、暗雲立ち込めるビルディングの上空。
つい2時間ほど前に、かのシャーロット・リンリンの覇王色の覇気を感じ取ったのもこのあたりだ。
だが、肝心のリンリンの姿が見えない。
あれだけ大掛かりなアプローチをしておいてこれはどういうことか。
そんな時だった。
新宿にほど近い地点…確か、中野区といったか。
そこに、唐突に爆発的な存在感があふれ出したのは。
空を覆う漆黒の天蓋を切り裂いて、全速でその地点へと向かう。
三分も掛からず到達したのは283の数字が刻まれた事務所前方の交差点。
時折覇王色の覇気を垂れ流しやじ馬たちを次々と昏倒させながら、カイドウは龍から人の姿へと変わり降り立った。


「ウォロロロロ…さっさと出てこいリンリンッ!!」


その一言で中野の街を行く人々がバタバタと倒れ伏せる。
カイドウの覇王色の覇気を僅かにでも浴びれば常人など一瞬で昏倒する。
そのため道路を跨ぐような巨体のカイドウが仁王立ちで陣取っていても、周囲は驚くほどに静かだった。
しかし、そんな静寂も長くは続かない。
ゆらゆら、と。
カイドウの眼前にある283の数字が刻まれたガラスウィンドウが陽炎の様に揺らめく。
そしてまるでゴムの様に膨れ上がり―――弾け飛んだ。


「おれの名を!!呼んだかい〜〜!!!カイドウ〜〜〜」


事務所を崩壊させながら巨人の老婆が現れる。
リンリンが覇王色の覇気を送っていた新宿からほど近い地点とは、283プロダクションの事務所だった。
どこまでも豪快に。怪獣映画さながらに。
少女たちの夢の城を見るも無残な瓦礫の山に変えて。
四皇、シャーロット・リンリンは最強生物・カイドウの前に降りたった。


「………相変わらずだなこのクソババア。何でこの街にテメェがいる」
「マ〜マママ!!お前も相変わらず酒臭いねェカイドウ!決まってるだろう!!
お前と同じ、聖杯っていうとびっきりのお宝をいただきに来たのさ!」


ゴクゴクゴクゴクゴクゴクと酒を呷りながら憤るカイドウ。
そんな腐れ縁の仇敵の姿を見て、怪婆は愉快そうに爆笑しながら応えた。


821 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:05:07 HWXhDJGc0



「お前が聖杯を獲ることはねェよ。俺がいるからな」
「さぁて…そりゃあどうだかねェ!シンジュクって街で一戦やらかした見てェだが相手は死んでねェみたいじゃないか。それでよく大口を叩けたもんだ!!」
「ウォロロロ…言ってろ。言っておくが俺が新宿で戦った相手はお前よりも強いぞ」
「へーそりゃあ腕が鳴るねェ。ハ〜ハハハハ!!」


喧々囂々。共に海賊の高みへと至った者たちは丁々発止のやりとりを興じる。
それもそのはずだ。
彼と彼女にとってお互いは数少ない、片手の指で足りるほど貴重な対等な相手なのだから。
この世の九割はどちらかに同じような態度で接した場合、三分と経たずこの世を去っていることだろう。


「おれがお前を呼んだ理由はもう分かってるだろ?いがみ合ってりゃ届かねぇが―――
手を組めばもう射程距離だ!一緒に界聖杯を獲りに行こうじゃねぇかカイドウ!!
此処へ来たって事は、お前もそのつもりなんだろう?」


マムがカイドウを呼んだ理由はたった一つ。
それ即ち、生前の如くカイドウと海賊同盟を結ぶこと。
それだけが、彼女の目的だった。
布団の様な巨大な舌をだらんと覗かせ、猛禽の様な鋭い視線で酒乱の鬼を視線で射貫く。
常人ならば恐怖で失禁していてもおかしくないプレッシャーだ。
事実、彼女の威圧は覇王色の覇気と合わせればロケットランチャーすら跳ね返すほど強力なもの。
それを受けて立っていられるだけでも、大いに評価に値する代物だ。
だが、しかし。


「ウオロロロ…お前なら俺がどういうか分かってるはずだぜ。リンリン」


マムの重圧を受ける者も、遥か怪物。
怪物そのものな老婆の覇気にも涼しい顔でカイドウは聳え立ち。
またゴクゴクと寸毫も動じることなく酒を呷って。
そして、答えた。


「―――断る」


彼は、酔っていた。
マムの提案をコケにしながら袖にするという暴挙を肴に再び酒を飲む。
そして笑う。どこまでも豪快に。人さえ呑み込めそうな大口を開けて。
その酒勢は最早飲むというより浴びるという方が近しいかもしれない。


822 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:05:29 HWXhDJGc0


「あァ、お前ならそう言うだろうさ。そうでなくちゃ張り合いがねェ…」


対するマムもまた、笑顔であった。
こうでなくては、こうであろうとも。
従順に自分に迎合する百獣のカイドウなど気持ちが悪い。
この世で本当に数少ない、おれの意見を突っぱねられる男なのだから、と。
聖杯によって世界に召し上げられても変わらぬ仇敵の姿に、子供の様に無邪気に笑いながら。


「ナポレオン!」


自身の魂を分けた懐刀であるカトラスを開帳する。
満面の笑みだったが、瞳だけは全く笑ってはいなかった。
舌なめずりをして、大剣を構える。


「フン…足腰弱ってねぇだろうな。クソババア…!」
「誰に物言ってんだい。ガキが…!」


交渉は決裂した。
だが、ビッグマムという女はそれで諦めるような潔い性格ではない。
言葉での説得が失敗したならば、今度はその双肩に物を言わせるのみ。
カイドウもまた、それに受けて立つ。
長大な柱のごとき金棒を正眼に構えて、戦闘態勢へと移行する。


「安心したぜ。殺しあった方が話は早え」


とどのつまり、海賊とはこういう生き物だ。
どこまでも自由にあろうとすする。
そして、エゴと欲望を貫く手段を己の腕っぷししか知らない。
その事に誇りさえ持っているのだから周囲の人間にとってはたまらないだろう。
激突は最早必至。
天は割れ、大地は裂け、気を失った人々の命は躯へと変わる。
それは回避不能の未来だ。
この光景を眺めたなら、誰もがそう思っただろう。


「生憎…殺されるつもりはないねェ…!」


数階建てのビルと同程度の身長の巨人たち。
カトラスと、金棒を構えたのは同時だった。
それに伴い、周囲に暴力的なまでの覇気が満ちる。
常人のマスターならそれだけで昏倒している強者同士の戦場だ。
事ここに至り言葉は不要。
後はお互いの全力をぶつけ合い、雌雄を決するのみ。


「「ウォオオオオオオオオオ!!!」」


大気を落雷の様にふるわせて。
咆哮が轟き、武器が振り下ろされる。
最初はゆっくりと、次瞬には音の壁を超えて。
それが激突すれば衝撃波で周囲の建物は崩れ落ち、更地へと変貌を遂げるだろう。
激突、したならば。


823 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:05:49 HWXhDJGc0


「「―――――ッ!!?」」


それを感じ取ったのもまた、殆ど同時だった。
双方の武器が激突する、その寸前。
丁度人一人分まで二人の武器が接近したその時に、それは現れた。


「――誰だい、あいつは」
「…生憎、俺も知らねぇ。だが……」


ビッグ・マム、百獣のカイドウ。
両者から笑みは消え失せていた。
真剣そのものな表情で、闖入者を睥睨する。


「俺に用があるらしいな」


現れたのは男だった。
柳の様に静謐。しかし登りゆく日輪の様な得も言われぬ存在感。
額から頬にかけて奇妙な痣が顔を覆うその男の風体にはカイドウは見覚えがあった。
あぁ、この男は―――、



「あの災禍を招いたのは、お前だな」



この男は、侍だ。
それも、あの光月おでんに匹敵する。
本能が、警鐘を鳴らしていた。
男の実力に、ではない。
男からは、所謂名を挙げた剣士が放つ剣気というものがまるで感じられなかったからだ。
人というよりは植物の様な穏やかな覇気。
しかし、それをまともに受け取るには余りにも男の存在は不気味だった。
もし男に実力がないのなら、そもそもリンリンとカイドウの激突の瞬間に居合わせることすらできない。
覇王色の覇気の渦に充てられて即昏倒だ。
加えて、新世界でも最高峰の水準を誇る二人の見聞色の覇気でも彼の接近に気が付けなかった。
アサシンの持つ気配遮断とは別の、世界と同一化したような接敵。
侍の持つただならぬ『スゴ味』を、二人の四皇は感じ取っていた。
だが、その上で。
目の前の侍の超常の腕を微かに感じ取った上で、彼らは怯まない。
カイドウは泰然とした態度で、首を縦に振った。


「―――あぁ、そうだ」


侍の姿が描き消えたのは、瞬間の事だった。
その瞬間に限り、彼らをして見えなかった。
侍の速度は四皇の知覚の外へと飛び出していた。


824 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:06:19 HWXhDJGc0


(――――!!!ぐ、ぉ…ッ!?だが、視(み)えるぞ侍ッッ!!!)


カイドウの金棒に比べれば哀れなほどに見すぼらしい白刃を煌めかせ。
50はあったはずの彼我の距離が10メートルを切る。
正しく、瞬きにも満たない一瞬のうちの出来事だった。
完璧なまでに想定の外の速さ。
だが、カイドウは追いついた。追いついて見せた。
残されたのは刹那に満たない僅かな時間。
だが、その刹那さえあれば彼には十分すぎる。
筋肉のバネに力を籠め、侍の斬撃に合わせて金棒での刺突を敢行しようとする。
タッチの差で間に合った。これで肉塊へと変わるのは奴の方だ。
その瞬間まで、カイドウはその事実を疑ってはいなかった。



「避けなカイドウ!!ただの刀じゃねェ!!!」



ゾクリ、と。
カイドウの背筋に悪寒が走った。
即座に金棒の刺突を諦め、そのまま即席の盾として身を翻す。
彼に屠られてきたサーヴァントが見れば驚愕を禁じ得ない光景だろう。
熟練のレスラーの様にあらゆる攻撃を打ち破ってきた最強生物が逃げに徹するとは。


「―――っ!!…チッ、成程な」


回避に徹したため、受けた傷はとてもとても小さなものだ。
だが、燃えるような痛みがカイドウの首筋に奔った。
侮っていたわけでは決してない。
だが、あのおでんの剣技を受けたときと同じ悪寒と、リンリンの警告が無ければ。
カイドウの首は、今ここに転がっていたかもしれない。


「……俺はライダー。
いや、お前にはカイドウでいいか。百獣のカイドウで昔は通ってた」


カイドウには、ある種の確信があった。
もし、光月おでんがサーヴァントではなくマスターとしてこの東京にいるのなら。
彼が連れているサーヴァントは、まず間違いなく。
その確信があったから、彼は真名さえ明かして名乗りを上げた。


「―――お前の名はなんだ。おでんのサーヴァント」


一度立ち合い、その剣を受ければ否応なく理解できた。
目の前の侍は、間違いなく光月おでんのサーヴァントである、と。
単なる直観ではない。彼の剣にはおでんの気配があった。
おでんだけではない。
あの鋼翼のランサーの気配すら、カイドウの見聞色の覇気は感じ取っていた。
成程、目の前の侍ならば、あの鋼翼のランサー相手でも屠るのは難しいだろう。
サシの勝負なら生き残っているのは必定と言っても何ら過言ではない。
カイドウが下したのは、そんな最上級の評価だった。
それ故に、真名とまではいかずともせめて英霊としてのクラスだけでも知りたかった。


825 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:06:40 HWXhDJGc0


「―――セイバーの位階を以て、此度の聖杯戦争に現界した」


カイドウの予想通りの答えを、セイバーは簡潔に返した。
成程、おでんが従える英霊ならば、彼に勝るとも劣らぬ剣の腕を有していなければ不釣り合いという物。
界聖杯は、けだし納得の人選を行ったらしい。
それを認識するや否や、フッと笑みがこぼれる。
何故笑みが零れたのかは、彼自身にも分からなかった。
だが、その笑みを引き締める事はせず、そのまま視線をセイバーから隣に佇むリンリンへと移す。
そして、彼女に命じた。


「おいババア、お前の話に乗ってやる。だから暫くの間口を挟むな」

「……!良いだろう。お前がおれの話に乗るっていうなら黙っててやるさ」


笑みを滲ませた口で紡いだのは、リンリンの話への承諾だった。
あれだけ嫌がっていたにも拘らず、打って変わった即決であった。
リンリンも彼の意思を汲み、顛末を見守る事にしたらしい。
それを確認したのち、カイドウはセイバーへと改めて向き直った。


「さて、セイバー。改めて言うが、概ねお前の予想してる通りだ。
あの街の景色は、確かに俺とお前も覚えがあるだろう。鋼翼のランサーで作った」


その言葉に、セイバーは再び納刀した刀の柄に力を籠める。
我流の、抜刀術の構えをとる。
カイドウはその様にまるで大砲を向けられているような威圧感を幻視した。
しかし…それでも彼は顔色一つ変化させず。
ズン!!と。
自らの武器を大地に降ろすではないか。


「それについては申し開きをするつもりはねぇ。何を言ってもお前を謀ることになる。
だが…お前が何のためにここに来たのかも分かった上で、提案がある」


大仰に腕を広げて。
カイドウはあろうことか何某かの提案があると、己の首を飛ばしかけた相手に言った。
縁壱は動かない。
カイドウの首をその気になれば即座に狙える体勢のまま目の前の男の言葉を待つ。


「―――俺と共に、あのランサーの首を獲るつもりはねェか」
「断る」


826 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:07:05 HWXhDJGc0


即答、であった。
偉大なる航路にその名を馳せたカイドウの誘いを、セイバーはにべもなく断った。
だが、カイドウは動じない。
断られるのは予定通りと言わんばかりに余裕を醸し出しながら、訴える。


「まぁ、待て…俺もお前ら“侍”がどんな生き方をする生き物かは分かってるつもりだ。
だから下につけって言ってるワケじゃねェし。共闘するのも鋼翼を倒すまででいい」
「断る、と言ったはずだ」


その言葉を最後に。
再びセイバーは神速の踏み込みへと至る。
一秒を百等分した僅かな時間でカイドウへと肉薄する。
―――ヒノカミ神楽・円舞。
その斬撃は昼間アヴェンジャーの片腕を両断したのと同じもの。
その超絶の剣技を以て、カイドウの右半身を狙う。
しかし―――、


「雷鳴八卦」


断絶は、為されなかった。
ゴゥッッッ!!!、と。疾風が駆け抜けた。
残心は暴風の如く吹きすさび、周りの木々や倒れた一般人達の体をボールの様に転がした。
双方、無傷。
得にカイドウは金棒を地面に降ろしていたにも関わらず、だ。
それは彼が、セイバーの疾(はや)さに順応した証だった。


「これはお前の目的を達成する一番の道だぜ。セイバー」


再び金棒を降ろし。
まるで政治家の演説の様に、カイドウは語る。
力の差はそれこそアリと巨象ほどあるというのに、自分と打ち合ったセイバーが無傷なのには疑問を抱いていない様子だった。


「ここで殺しあうのもいいが…寝転がってる奴らは全員死ぬぞ」


セイバーの足が止まる。
こう言えば、侍という人種の足が止まることをカイドウは熟知していた。
その為に、あえて先ほどは限界ギリギリまで膂力を抑えていたのだ。
それですら余波で突風が吹くほどの威力。
彼が全力でスイングを行えば、この場に倒れているNPC全員の命が危険に晒される。
それをセイバーは認識させられてしまった。
そして、認識させられれば否が応でも交渉のテーブルにつかざるを得ない。
カイドウは、セイバーが此処へ調停のために訪れたことを看破していたのだ。
四皇の激突、それによって齎される死を阻止する為に。


「お前もあの鋼翼のランサーと戦ったんだろう。奴は話の通じる相手じゃねぇ。
となれば殺しあうしかねぇが…生憎こっちは奴に構ってる暇はなくなった
奴なんぞより、よっぽど俺にとって重要な相手が此処にいると分かったからな…」


セイバーは先ほどまでと同じ何時でも切りかかる事のできる態勢で。
しかし先ほどまでの様に踏み込む様子は無かった。
彼がカイドウの言葉に耳を傾けているのは明らかだった。


827 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:07:31 HWXhDJGc0


「とは言え奴はそんな事お構いなしだ。俺やお前を見れば即襲い掛かってくるだろう。
俺のとってもお前にとっても、奴は目の上の瘤って訳だ
…そして俺は生憎周りに配慮して戦うってのがちと苦手でな。奴と戦えばまた大勢死ぬことになる」


そこで言葉を区切り、カイドウはセイバーに向けて指をさした。


「そこで、お前よ。俺が持ってる固有結界の中で、お前があのランサーの首を獲れ。
討ち入りは侍の得意技だろう。お前ほどの剣士ができねぇとは言わせねぇ」


確かに、セイバーにとっても悪い提案ではなかった。
あの鋼の翼を携えたランサーは、悪鬼だ。
何を置いても斬らねばならぬ。
だがそれは、目の前の別の悪鬼の片棒を担ぐやもしれぬという事であり…


「勿論、ランサーを倒した後は俺やこのババアの首を狙ってもいい。
もしかしたら、挙げられる首が三つに増えるかもしれねぇぜ。ウォロロロロ…」


一理はある話ではあった。
セイバーからしてみれば先ほど戦った槍兵も目の前の騎兵も討たねばならない悪鬼。
そして両者ともに最高峰の実力を有している。
一騎打ちならば必ず勝てるとは口が裂けても言えない、激戦は必至の難敵。
当然、生存(いきる)か死滅(くたば)るかの戦いともなれば巻き添えになる人間も新宿事変の比では無いだろう。
だが、カイドウの固有結界内で、乱戦という形に持ち込むことができれば…
外界への被害を最小限に、或いは二体の悪鬼を一気に屠ることも可能なのかもしれない。
そこまで考え、セイバーは始めて自ら話を切り出した。


「お前が言う、最優先の相手とは…」


ある種の確信を抱きながら、それでも彼は尋ねずにはいられなかった。


「我が主…光月おでんのことか」


数秒の間、重苦しい沈黙が流れる。
常人ならば呼吸すら怪しくなるほどの緊張が伴う一幕だった。
その沈黙はカイドウの肯首を行うまで続いた。


「―――そうだ。そして、おでんの奴にも伝えろ。俺はお前との決闘を望んでいる、と。
あの鋼翼にも、隣のババアにも、他のサーヴァントにも、誰にも邪魔はさせねぇ…!
今度は、お互い一人の海賊として一対一(サシ)の勝負と行こうじゃねぇか…」
「おい!お前おれが弟分の決闘に茶々を入れる無粋な女だと思ってんのかい!!」
「思ってるから言ってるんだ。ババアは引っ込んでろ」


口を挟んできた女海賊の言葉も一蹴し。
紡ぐ言葉は紛れもなく男と男、海賊と海賊の間で為される決闘の申し込みだった。
その言葉にはカイドウの狂おしいまでの渇望が伺えた。
おでんから生前戦った際の勝者はカイドウであると既に聞いている。
だが…目の前の男が纏う覇気は勝者のそれではない。
まるで挑戦者の様な…ギラギラとした“飢え”があった。
彼の瞳は、地獄の業火の様な野望の焔を湛えていた。


828 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:08:02 HWXhDJGc0

「その為にもあのランサーの野郎は邪魔だ。
おでんの奴もあんなのを野放しにしたままじゃスッキリ戦えねぇだろう。
それじゃダメなんだ。奴との決着は今度こそ何の憂いもない物じゃねぇと意味がねぇ…!」
「―――マスターを戦わせるサーヴァントがいると思っているのか」


カイドウの全てを飲み込むような渇望を前にしても、縁壱は冷静だった。
冷静に、こんな怪物の前に主を立たせるわけにはいかないと指摘した。
それは至極当たり前の判断。市井の民もみんなそう考えるだろう。
だが、彼らは海賊だ。当たり前の思考をしていては海賊は務まらない。


「それを決めるのはおでんの奴だろう。そして主君がそうと決めれば…
お前もそれに従うさ。それが侍ってモンだろ」
「―――私は、侍ではない」


何処までも、自信に満ちた声。
おでんが自分の誘いに乗ってこないことなどありえない、と。
そしてマスターのその意思を、セイバーがたがえる事もまたあり得ない、と。
確信していなければ決して出せない声色だった。
だが、カイドウのその言葉を縁壱は否定する。
自分は侍などではない、と。
一時は志していた事もあった。だが、今はもう、自分は……。


「私は、鬼狩りだ」


領地と民を守る侍にはなれなかった。
自分にできた事は、生涯を賭して鬼を殺すことだけ。
大切な人さえ、守り抜く事はできなかったのだ。
だからセイバーは、カイドウの信頼さえ混じった声を否定し。
そのまま重ねて、問いを投げる。


「……お前は、先の新宿で。あの地獄を作ったことをどう考えている」
「そんなもんは決まってる。弱い奴らは死に方も選べねェ。それだけだ」


今度はカイドウが即答する番だった。
偉大なる航路においては弱さこそ罪。
アリを踏み潰すのを気にして歩くゾウはいないのだ。
そして、その言葉を受け、
セイバーはやはりこの男は斬らねばならない、と。
その認識をさらに強め、場の空気が再び剣呑なものへと変わる。
その直後の事だった。


「ちょっと待てカイドウ!あの騒ぎはやっぱりお前かい!!
ふざけるなよてめェ!!お前が吹き飛ばした街にはお気に入りの店があったんだ!」
「黙ってろって言ってるだろうがクソババア。恨むならランサーの奴を恨め」
「そいつは勿論ブチ殺さないとねェ!!」


ぷんすかとセイバーとは別方向で怒りを露わにして。
再び口を挟んでくる老婆のサーヴァント。
彼女の怒りはどうしようもなく自身の欲望に依るものだったが。
それでも、本心から憤怒に駆られているのは確かだった。


829 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:08:23 HWXhDJGc0


「お前は…」


カイドウから、ババアと呼ばれていた老婆へと視線を移す。
そして、その憤るさまを見て、思わず。
思わず、問いかけていた。
大和の語った思想と、新宿の被害を絡めて。
その上でお前はどう考えると、セイバーはそれが知りたかった。
問われた老婆のサーヴァントは笑みを浮かべて答える。


「ハ〜ハハハママママ…ま、隣の男と概ね同じだねェ。
顔も知らねェ奴の事なんざどうでもいいし、弱い奴は死に方も選べねェ、だが…」


やはりこの女も、似通った思想らしい。
自分の主、光月おでんとは同じ海賊でも全く違う。
生前狩ってきた鬼たちや鋼翼のランサーと何ら変わりはない。
冷酷かつ残虐。命を何だと思っているのか。
清流のせせらぎの様に静かに。
その実マグマのような激情を煮えたぎらせて。
柄を握る己の手に力を籠める。
だが、直後に彼女が語った内容は、セイバーの義憤すら上回るほどの、彼の想定を完全に超えたものだった。


「半年にひと月分の寿命!それか甘〜〜いお菓子!!何方か捧げるなら守ってやるさ!
おれの国(トット・ランド)は、来るもの拒まずだからね!!」
「……?」


セイバーの眉根がほんの僅かに顰められる。
女の言葉をどう咀嚼したものか考えてしまったのだ。
彼にしては非常に珍しい事に、感情に困惑の色が混じった。
その様を見て、老婆は子供の様に破顔の表情を作り。
巨木の様な腕を振り上げて、己の大志を述べる。


「ハ〜ハハハハハハハ!何を言ってるか分からねェって顔だねェ!
いいさ、お前ほどの剣士なら聞かせてやろう!俺の夢を!!!」


ビルの様な巨体に備わった声量もまた並みのモノではなく。
びりびりと、大気を震わせて。
高らかに、歌うように、老婆はセイバーへと告げる。


「このビッグ・マムの夢は…!世界中のあらゆる人種が『家族』となり…
同じ目線で食卓を囲む…そんな国を創ること……!」


830 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:08:49 HWXhDJGc0


まるで婚姻前の処女が語るように普遍的。
されどその『家族』の規模を考えれば誰もが夢物語だと断じる大望であった。
人の歴史とは差別と争いの歴史。
その一切を排除し、差別も偏見も争いもなく、誰もが平等にテーブルを囲む世界。
それこそが、万国(トット・ランド)。それこそが、彼女の目指すシャングリラ。


「おれのマスターやそのダチのガキ共は不憫な奴らでねェ…親に捨てられたり、
貧乏だったりでまともに育った奴は一人もいねぇ…その辛さはおれにも分かる。
おれも、実の親に捨てられた育ちだからね!!!」


ビッグ・マムを自称する老婆が元孤児だったことに、セイバーも驚愕を禁じ得ない。
一体全体どんな巡りあわせならば、孤児がここまでの怪物に育つというのか。
表情には出さないものの、セイバーをして驚かずにはいられなかった。
そんな彼の驚愕も意に介さず、マムは夢を語り続ける。


「そんな救えないガキ共でも家族としてテーブルを囲める…そんな国をおれは創る!!
おれの名のもとに!!偉大なるマザーの威光は永遠の命を持つのさァ!!」


見果てぬ夢を語るマムの瞳と声は、何処までも澄んでいた。
先ほどまでの如何にもアウトロー然としたふるまいとは違う。
理想を唄う牧師や歌手の様な、或いは今日初めて夢を抱いた幼子の様な。
無垢なる希望に満ちていた。
何時だって慈しいマザーと、羊の家の仲間と過ごした楽しい日々が彼女の原風景。
もう記憶の彼方になってしまったあの家には、全てがあった。
争いなんて一つもなかった。
皆が幸福なだけの世界だった。
マザーは、理想郷を確かに作っていた。
なら、おれにもできない道理はない。つまらない道理など蹴散らしてしまえばいい。
居なくなってしまったマザーの分まで。
この世の光の意思は、おれが継ごう。


「いつ聞いてもバカな夢だぜ。海賊が見る夢とは思えねェ」
「ママママ…言ってろ、そんな場所が確かにある事をおれはもう知ってる。
逆に夢物語だと笑う奴らがそんな国は存在しえないなんて証明できた試しは一度もねェ」


セイバーはこの時、得心が言った気がした。
目の前の存在が、“何”であるのかを。


831 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:09:07 HWXhDJGc0


「バカな夢で結構!!笑ってきた奴は全員この手でぶちのめしてきた。
誰も築いた事のねェ国だからこそ、追いかける甲斐があるってモンだ。
そう、それでこそ――――」


彼女達は。
紛れもなく、悪ではあるのだろう。
正義でも、善なる存在でも断じてない。
しかし、彼らはそれでも自由だった。
そして、




「それでこそ、浪漫(ロマン)だ!!!!」




彼らは、永遠の夢追い人だ。
寝ても覚めても、それしか頭にないのだ。
命を賭して夢(ロマン)を追い求め、母なる海に帆を張る愚かな旅人(ドリーマー)。
年老いた後も、死後ですら。
果てなき夢を、前人未到の明日を求める憧憬こそ、彼女達の無限のエネルギー。
それ故に、揺らがない。
それ故に、強靭(つよ)い。
それは彼女たちが停止不能かつ無限駆動の怪物であることも同時に意味するからだ。


「―――其方の聖杯に託す理想は理解した。ビッグ・マムよ」


その夢を聞いて。
眼前の女傑は、あの久遠の時を生きる悪鬼とは違う。
それは理解した。
セイバー…継国縁壱をして、目の前の老婆の夢が悪であると断じることはできなかった。
それどころか、ほんの僅かに。
彼女の求める頂きを聞いた時…本当にほんの僅かだが、胸が高鳴ったのだ。
有体に言えば、一瞬だが、高揚した。
善悪を超越した、人という種が持つ希望(ロマン)への久遠の憧憬が、縁壱の心を揺らしたのだ。
だが。
その上で、彼は、


「残念だが…お前の至ろうとする悲願と我々の道は、どうしても交わらない」


彼は、マムの掲げる理想を斬るべきものだと判断した。


832 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:09:28 HWXhDJGc0


「ほう…その心は?」


己の夢を否定されても、マムは怒らない。苛立ちすら沸いていない様だった。
無論凡夫の否定なら即座に叩き潰していたし、目の前の剣士もそうするつもりだった。
だが何故そう思ったか知りたくなる程度には、マムは目の前に立つ剣士の腕を買っていた。
彼女の問いに、縁壱は簡潔に答える。



「お前の悲願が成就するまでに…私たちの大切なものが踏み潰されて」


もしかしたら、間違っているのは自分で、正しいのは彼女の方なのかもしれない。
だがそれでも、縁壱はマムの夢の成就を認めるわけにはいかない。
誰もが家族として食卓を囲める世界。
その願いには敬意すら禁じ得ない。
自分もまた、うたと。我が子と。共に食卓を囲むのが夢だった。
そんな夢は実現不可能だとか。
縁壱を懐柔する為に彼女が嘘を言っているなどとは考えなかった。
目の前の老婆は本気でそんな世界を目指しているし、
それを実現しうるだけの力を有している。
彼女を目前にしてそんなことは不可能だと笑う人間の方が節穴というものだ。

事実マムは数十年にわたって、万国という国家を運営してきた。
食い煩いという災害はあったものの。
民を飢えさせることも戦禍に巻き込むこともなく、混沌とした新世界においても秩序と平和を保っていたのだ。
無論その陰には他国の犠牲はあったにせよ、自国をファーストに考えるのは為政者として当然のことでもある。
その事を認めているため、馬鹿な夢だと評しつつもカイドウはマムの夢を笑わなかった。
だがしかし。
彼女は、夢のためなら縁壱がこの世界で大切に思う物を踏み潰し続けるだろう。
佳き人々の営みを、二つとなき華達を無残に散らしながら進み続けるのだろう。
生前逃してしまった栄光を、今度こそ手にするために。



―――故に、斬る。



マムが己の夢を諦めない様に。
縁壱もまた、彼が大切に思う物を一歩も譲らない。
故に共存の道はなく。
何方かが死滅(くたば)らなければ未来には進めない。
それをハッキリと認識したからこそ、縁壱のその宣言に迷いはなかった。


「ママママ…お前ほどの侍の血も万国(ウチ)には欲しかったが…仕方ないねェ
お前ほどの剣士なら、スムージーの奴をくれてやっても良かったんだが」
「生憎、主君も、妻もすでに定めた身だ。……お前たちを斬ることも、な」


833 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:09:51 HWXhDJGc0


マムの言葉に、縁壱はやはりという思いを強める。
彼女が語った理想は本心から目指しているものだが。
家族の基準がすべて彼女に依るものならば、その在り方は独裁に近い。
彼女という親に捨てられた子供も、実子を殺めたこともある可能性すらある。
彼女の夢に対する敬意は揺るがないが、やはり相容れることはない。
斯くして対立の姿勢を強める縁壱だったが、対するマムもまた悠然とした態度を崩さず。


「ハ〜ハハハママママ恐れるに足りねぇなァ!おれは海賊王になる女だからねェ…!」


その巨躯に、はち切れんばかりの覇気と戦意を漲らせ。
バチバチと周辺の空気がスパークする。
彼女の代名詞である雷霆と陽光が、現出しようとした、その時だった。


「いい加減にしろクソババア。直ぐ話を本末転倒な方に持っていこうとするんじゃねェ」


カイドウが横やりを入れ、開戦に傾きかけていた空気を修正する。
ここでマムが戦闘を始めてしまえば、自分が行ってきた交渉が全て水の泡だ。
視線を遮るように強引にマムの前に陣取り、再び縁壱と相対する。


「……で、質問には一通り答えてやったわけだが…お前はどうする。
やっぱり此処で俺達と殺しあうか」


冗談の様な対格差で縁壱を見下ろしながら、最強の生物は問いかける。
縁壱はやはり変わることなく、刀の柄を握ったままの様で、カイドウを見上げる。
そして、カイドウの射すくめる様な視線も意に介さず、一つの要求を投げる。
―――お前の話を信じるに値する、証を示せ、と。


「フン…そりゃあそうだな。お前からしてみれば話を飲む根拠がないと話にならないよな」


その要求を受けて。
カイドウは、己の肉体に走る刀傷を示した。
数十年前に付けられたと見られる、古い十字傷。
それを摩りながら、百獣のカイドウの名のもとに宣言する。



「俺は……この傷に嘘はつかねェ。足りねェか」



見るものを震え上がらせる強者の瞳。
その瞳で縁壱を見据えて、カイドウは言葉を紡いだ。
視線と視線が交わる。
真っすぐな瞳だった、少なくとも、この台詞だけは真である、と。
そう確信させるだけの説得力を有した瞳の色だった。


834 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:10:09 HWXhDJGc0


「……マスターには、伝えておこう」


暫しの間を開け、縁壱は刀を収めた。
四皇二人を前にして武器を収める、普通に考えれば自殺行為以外の何物でもない。
だが、カイドウもマムも仕掛けることはなく、ただ一度頷き。


「……夜明けまでにはあの鋼翼達に仕掛けるつもりだ。時が来れば覇気で知らせる。
部下達にお前たちが来れば通すように伝えておくから、今度はおでんも連れてこい」


それだけを告げて、カイドウもまたくるりと背中を晒して。
地面にずっと降ろしていた金棒を担ぎ上げる。


「行くぞババア、帰って聖杯を獲る計画を練る。
あとどうせお前も傘下を作ってるだろ、そいつらも紹介しろ」
「そうだね。お互い色々話すことは多そうだしねェ…
おっと、それまでに少し野暮用をすませるよ!」
「行っておくが、余り時間はとれねェからな」


喧々囂々と、軽快なやり取りを交わしつつ。
カイドウは人から龍の姿へと変貌を遂げ、マムは己の愛騎である雷雲を呼び出す。
去ろうとする彼らの背中を眺めながら、縁壱は別れの言葉代わりの情報を一つ与えた。


「あのランサーは…触れるもの全てを腐食させる槍を使う」


カイドウはその言葉にほう、とつぶやきを漏らし。
マムと共に宙に浮かび上がりつつ、短い返事を返した。


「覚えておくぜ」


その言葉を最後に。
二人の四皇は縁壱の日輪刀でも届かぬ夜の闇に消えていった。
きっと、次に相まみえるときは。
こんな別れにはなりえないだろう。何方かの屍が晒されているに違いない。
その時を予感しながら足早に、残された日輪の剣士もまたその場を去る。
残されたのは覇気で気を失った可能性なき命たち。
しかし、それでも。いずれ消えゆく命だとしても。
四皇二人が相まみえたにも拘らず、潰えた命は一つとして存在せず。
今聖杯戦争で頂点に位置する強者たちの邂逅は結びを迎えた。






835 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:10:29 HWXhDJGc0


「…そうか、やっぱりあの野郎だったか」
「すまない。あそこで、斬り伏せるべきだったのやもしれん」


時刻は日付が変わるまでに三時間を切った頃。
縁壱は再びおでんのもとに戻り、今しがた起きたことの顛末を報告した。
おでんの体は煤や粉じんで薄汚れていた。
縁壱が二人の四皇の調停に赴いている間も。救命活動を行っていたのだろう。


「なぁに気にするな!あいつを前にして死人無しで済ませるなんて、
やっぱりお前さんは大した奴だぜセイバー!俺じゃそうはいかなかったろう」


バシバシとセイバーの背中を叩いてガハハと豪快におでんは笑う。
そして、その表情が巌の様に引き締められたのは直後の事だった。


「後は俺の仕事だ。奴を仕留めそこなった責任は…俺が果たさなくちゃいかん」


揺るぎのない決意に支えられた様相で、おでんは為すべきことを口にした。
彼もまた、自身の因縁の再演の完遂を望んでいるのだ。
本来なら止めるべきなのかもしれない、しかし。
縁壱は制止の言葉を飲み込む。
我が主なら、きっと…あの龍鬼にも勝つだろう。その確信があった。


「さ、まだこの辺に崩れそうな建物がいくつかある。
諸々は先ずこの街を助けてからだ。手伝ってくれセイバー。
俺一人じゃ、へとへとの体で休む間もなく奴と戦うことになっちまう」
「……承知した」


未だ地獄の最中にある新宿で。
二人の剣士はそれでも一つでも多くの命を救うために奔走する。
魔を絶つ剣を執るその時を、静かに待ちながら。


【新宿区・郊外/一日目・夜】


[状態]:全身にダメージ(中)、右肩に刀傷(行動及び戦闘に支障なし)、疲労(中)
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:二刀『天羽々斬』『閻魔』(いずれも布で包んで隠している)
[所持金]:数万円程度(手伝いや日雇いを繰り返してそれなりに稼いでいる)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯―――その全貌、見極めさせてもらう。
0:新宿に向かって人々を助けたい。
1:他の主従と接触し、その在り方を確かめたい。戦う意思を持つ相手ならば応じる。
2:界聖杯へと辿り着く術を探す。が――
3:カイドウを討つ。それがおれの現界の意味と確信した。
4:ヤマトの世界は認められない。次に会ったら決着を着ける
5:何なんだあのセイバー(武蔵)! とんでもねェ女だな!!
6:あの変態野郎(クロサワ)は今度会った時にぶちのめしてやる!
7:あさひ坊のことが心配。頃合を見て戻りたい
[備考]
※古手梨花&セイバー(宮本武蔵)の主従から、ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の計画について軽く聞きました。
※「青い龍の目撃情報」からカイドウの存在を直感しました。
※アヴェンジャー(デッドプール)の電話番号を知りました。
※廃屋に神戸あさひに向けた書き置きを残してきました。

【セイバー(継国縁壱)@鬼滅の刃】
[状態]:疲労(中)、全身各所に切り傷や擦過傷(いずれも小程度)
[装備]:日輪刀
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:為すべきことを為す。
1:光月おでんに従う。
2:他の主従と対峙し、その在り方を見極める。
3:もしもこの直感が錯覚でないのなら。その時は。
4:凄腕の女剣士(宮本武蔵)とも、いずれ相見えるかもしれない。
[備考]
※鬼、ひいては鬼舞辻無惨の存在を微弱ながら感じています。
気配を辿るようなことは出来ません。現状、単なる直感です。


836 : Sailing Day ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:10:45 HWXhDJGc0


夜の闇の中の空を、二体の怪物は我が物顔で進む。
その様はまるで天を流れる彗星の様だった。


「おい!どこへ行くんだこのババア!!行っておくが時間はあまりねェぞ!!」
「ハ〜ハハハ!おれとお前が殺しあってた時間を考えりゃお釣りが来るよ!
なに、ちょっと鬱陶しい蜘蛛の巣をぶっ潰しに行くだけさ!」


グングンとスピードを上げ、二体の怪物は目的地を目指す。
目指す地点は新宿からほど近い豊島区。
そこへ聳え立つ一際大きいビルこそ、女海賊の目的地だった。
先ほど傍受した二匹の蜘蛛の内の一匹の所在。
そこへ行って一暴れしようというのが彼女の魂胆であった。
昼間の283プロの時とは違い、制止するガムテは隣にはいない。
カイドウという申し分ない戦力も手に入れた。
ならば海賊として後々必ず障害になる小賢しい蜘蛛の住処を焼き払いに行くのも悪くはない。
勿論ガムテには知らせていない独断だが気にしない。
天上天下唯我独尊、何処までも無軌道。
カイドウはそれを咎める事はしても止めはしなかった。
どうせ無駄だし、時間の浪費にしかならないからだ。


「チッ!20分以内に済ませろよクソババア!!」
「十分だねェ!それだけありゃ!!!」


見るものを震え上がらせる笑みを浮かべて。
強大なる母は蜘蛛の巣へと迫る。
あと数分もしないうちにその脅威はデトラネットへと降りかかるだろう。


「さぁ…!始めるよ!!国盗りをねェ!!!」


【豊島区・上空/一日目・夜】

【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:首筋に切り傷。
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:あの日の悔恨に"決着"を。
1:峰津院の霊地(東京タワーとスカイツリー地下)を強奪ないし破壊する。
2:組んでしまった物は仕方ない。だけど本当に話聞けよババア!!
3: 鬼ヶ島の顕現に向けて動く。
4:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
5:リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。てめェ戻って来なかったらブチ殺すからな
6:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
7:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
8:峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
9:ランサー(ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
[備考]
※鬼ヶ島の6割が崩壊しました。復興に時間が掛かるかもしれません

【ライダー(シャーロット・リンリン)@ONE PIECE】
[状態]:健康
[装備]:ゼウス、プロメテウス、ナポレオン@ONE PIECE
[道具]:なし
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:邪魔なマスターとサーヴァント共を片づけて、聖杯を獲る。
0:蜘蛛の巣をぶっ潰して、カイドウとこれからの計画を練る。
1:あの生意気なガキは許せないねえ!
2:ガキ共はビッグマムに楯突いた事を必ず後悔させる。
3:北条沙都子、プロデューサーは傘下として扱う。逃げようとすれば容赦はしない。
4:カイドウを見つけて海賊同盟を結成する。


837 : ◆8ZQJ7Vjc3I :2022/02/07(月) 23:11:08 HWXhDJGc0
投下終了です


838 : ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:50:48 bRwFiT7w0
投下お疲れ様です!

>>Sailing Day
 ガムテ組とカイドウ、そして予約段階からあからさまに目立っていた縁壱。
 彼ら全ての魅力が限りなく引き出され、企画的にもあまりに面白すぎる、美味しすぎる方向に転がしてくれたお話でした。
 何が好きって、登場人物の格が軒並み高くて、読んでいてひたすら幸せな気持ちになれることですね……マスター側とサーヴァント側で違った良さがある。
 ガムテや沙都子がそれぞれの想いと立ち回りで地獄を生まんとする一方での四皇&縁壱の邂逅、これでテンションが上がらないわけもなく。
 クロスオーバーの妙と呼ぶ他ない思想の交錯と、それでも貫く意思、善悪どちらにせよ決して嘲笑うことの出来ない強く眩く輝くそれぞれの心。
 大変楽しく読ませていただきました。やっぱりこういう混迷した状況を描かせたら氏は天下一品ですね……おもしろかった……


さて、自分も投下します。


839 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:52:07 bRwFiT7w0

 夢を見ていた――誰かの夢。
 それが誰の夢かを、少女は知っている。
 前にも、見たことがあるから。
 これは世界に"よくできました"と認められたある少年の生涯を追想しているのだ。

 そこは悪魔が棲む世界。
 常世で死んで、地獄で死んで、常世に生まれて、地獄に生まれるマトリョーシカ。
 今日の彼は戦っていた。
 乱れ飛ぶ銃弾、乱れ舞うチェンソー、舞い散る瓦礫と粉塵はクラッカーを鳴らしたみたいで。
 戦う相手は、顔から銃を生やした某か。
 銃の彼は笑っていて。チェンソーの彼は、泣いていた。

 ――らいだーくんも泣くんだ。
 ――そういうの、ない人だとおもってた。

 少女は驚きながら、二人の■■■■――その名は遠い昔に失われている――の殺し合いを高き視点から眺めている。
 有機ELのディスプレイでいつも流れていたアニメや映画を眺めているのと、気持ち的には然程変わらなかった。

 もし隣にポテトチップスやポップコーンがあれば、何気なくつまんで口に運んでいただろう。
 どちらも"さとちゃん"と暮らしていた時には、あまり食べることのなかったタイプのお菓子だった。
 甘くはなくて、どちらかと言うとしょっぱい……さとちゃんだったら"身体によくない"とやんわり眉を八の字にしそうなお菓子達。
 ふわふわ素敵な甘いものが好きなさとちゃんとは違って。
 らいだーくんは、しょっぱくて身体に悪そうなものが好きらしい。
 そう感じたのを、少女は何故だかやけによく覚えていた。

 殺し合う、殺し合う。
 二人の悪魔が殺し合う。
 チェンソー。銃。
 一人は泣いているように見えて。
 一人は楽しそうに、まるでなにかから解放されたみたいに笑っていて。
 戻れ、戻れ、戻れ、戻れ。聞こえる声は聞いたことのない色を湛えていて。そして――

 ――あ。
 ――終わっちゃった。

 決着は呆気ないほど突然だった。
 チェンソーが銃の腹を突き破った。
 飛び散る鮮血、溢れる内臓。
 それは少女の年齢を鑑みればあまりにグロテスク過ぎる光景だったけれど、少女に動じた様子はない。


840 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:52:56 bRwFiT7w0

 ただ、勝利の喜びなんて微塵も滲ませず、茫然と立ち尽くす彼の姿が、やけに印象的に目に焼き付いた。
 チェンソーの彼は間違いなく、少女のよく知る"彼"だ。
 大人げなくて遊びたがりで、買ってくるお菓子やごはんはいつも味の濃いものばっかりで。
 なのに自分がうたた寝していると、いつの間にかさっとタオルケットをかけてくれている。
 そんな、彼。自分が一ヶ月同じ部屋で暮らした、甘くない日々(ノンシュガーライフ)の同居人。
 少女の知る彼の姿と、この追想の中で見た彼の姿は――あまりにも似つかなかった。
 
 どうしてだろう。
 なんでだろう。

 首を傾げる少女の後ろに、小さななにかが居た。
 "それ"は犬のようなシルエットをしており、しかし決して犬ではありえないものを顔の真ん中から生やしていた。
 チェンソーの刃だ。見れば頭には持ち手のような箇所もあり、他にも身体の所々にチェンソーの面影が見られる。
 彼こそはチェンソーの悪魔。その成れの果て。
 みすぼらしく死んで誰の記憶にも残らない筈だった少年と契約し、彼に"未来"を与えた存在。


 これが、君の行き着く先の景色だよ。 
 悪魔は言う。囁くのではなく諭すように。
 せっかくのクリスマスプレゼントに、くだらないガラクタをねだってしまう子供に心変わりを促す父親のように。
 それに対して少女はまず、ぱっと声の調子を明るくした。


 ――ポチタくんだ! ポチタくんだよね、わんちゃん!

 悪魔は面食らったみたいに目を見開いてから、苦笑するような素振りを見せた。
 少女は彼のことを知っている。この記憶を垣間見るよりも前に見た結末の夢で、彼の存在を知った。
 此処に居る彼はあくまでポチタだった。チェンソーマンでは、ない。
 英霊になった少年の霊基、その内側で眠る悪魔の一端。
 夢の中に出現してマスターの少女にコンタクトを取っていることを踏まえて、触覚、とでも言おうか。

 
 こうして会うのは初めてだね。
 デンジと仲良くしてくれてありがとう、しおちゃん。
 悪魔は天使の反対で、人にあれこれ囁いて悪いことをさせようとする存在だということは、幼いしおでも知っていた。
 だけどポチタにその気配はない。彼が"デンジ"と呼ぶ時の声は、びっくりするほど優しくて穏やかだった。


841 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:53:42 bRwFiT7w0


 ――わたしの行き着くさきって、どういうこと?
 少女は問いを投げる。それにポチタは目を瞑って答えた。


 君はああして血をかぶる。誰かを殺した罪を背負う。
 君が好きな人も嫌いな人も、こうして殺すことになる。
 崩壊の彼も。犯罪の王さまも。ともすれば大好きな人さえも。
 君が選ぼうとしている道はそういうものなんだよ、しおちゃん。


 ――少女は。神戸しおは、今の日常が好きだ。
 ぶっきらぼうで人嫌いで口が悪い、けれど自分と一緒に戦ってくれる死柄木弔は、本物よりもずっと自分のお兄ちゃんみたいで。
 何でも知っているし教えてくれるえむさんは、まさに理想のおじいちゃん。
 さとちゃんも知らなそうな遊びをたくさん知ってるらいだーくんは、一緒に居てとても楽しい友だち。
 アイさんとらいだーさん……紛らわしいので"らいだーのおじさん"としておくけども、彼らとだって仲良くなれたらいいなあと無邪気にそう思っている。
 
 神戸しおは、敵(ヴィラン)連合の仲間たちが好きだった。
 甘くはない日々だけれど。さとちゃんが聞いたら目を回しそうなメンバーだけれど。
 それでも連合の人達はしおにとって家族みたいで。
 彼らと過ごす時間は、すごく楽しい。はしゃぎすぎて疲れて、思わず居眠りしてしまうくらい。


 君はまだ戻れるんだ。
 悪魔が言う。

 戻って、お兄ちゃんとお母さんと一緒に暮らそう。
 君の好きな人が守ってくれたその命で、君はきっと幸せになれる。
 悪魔が言う。

 この先には、進んじゃダメだ。
 悪魔が、言う。


 ――ポチタくん。わたしね。
 少女が言う。


842 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:55:30 bRwFiT7w0

 だいじょうぶだよ。らいだーくんと約束したの、全部壊そうねって。

 ポチタの言葉が途切れる。
 その約束は彼も知っているところであったが、それでも。
 迷いなくそう断言し、無邪気そのものの笑顔を綻ばせる少女の姿には言葉をなくした。
 それと同時に悟る。理解してしまう。この娘はもう何があっても、何を前にしても、きっと止まらない。
 開けてはいけない扉を笑顔で開けて、地獄のワンダーランドをスキップで駆け回れる。
 少女はもう、そう成っていた。悪魔の言葉でさえ、もうその手を引くことは出来ない。
 月夜。燃えるビルから墜ちるつがい。失われた約束、さりとて今も不滅を保つ二人の誓い。

 
 ああ、そうか。
 悪魔は言う。悲しむように、憐れむように。
 (……これは契約だ。私の心臓をやる、かわりに……/述懐。いつかの記憶を、悪魔は垣間見る。)
 それは確かに、"契約"だね。
 

 夢が薄れる。
 現実に墜ちる。
 しおは形なき身体で手を伸ばした。
 ポチタとの繋がりが離れていくのがわかる。
 墜落の夢見心地を小さな身体一つで感じながら、しおはポチタにありがとうを叫んだ。
 ありがとう、心配してくれて。ありがとう、会いに来てくれて。
 

 ――ありがとう、教えてくれて。
 あなたは今もらいだーくんの中に居るんだってこと。
 でもだいじょうぶ。わたしはとむらくんもおじいちゃんもちゃんところせます。
 もしかしたら泣いちゃうかもしれないけど、それでも涙をふいて先に行けます。
 だから今はらいだーくんの中で、ゆっくりねむっててください。



 ひつようになったら、ちゃんとよびますから。



 浮上、浮上、浮上――――そして。


843 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:56:06 bRwFiT7w0
◆◆   


「んぅ……」

 子猫がそうするように喉を鳴らして、身をよじる。
 それから目がゆっくりと開けば、隣で自分を見下ろす少年と目が合った。
 「やっと起きやがった」とため息混じりにこぼした彼は、心なしか疲れたような顔をしていて。
 らいだーくんはどうしたんだろう、と思いながら、神戸しおは身体を起こして伸びをした。

「ごめんなさい……ねちゃってた。えむさん達は?」
「もう居ねえよ。ヤバい客が来たから、今はそっちの対応に出てるみたいだぜ」
「お客さん?」
「おう。……ほら、あそこに座ってんだろ。お前の待ちに待ってたお客」

 え? と言って部屋の中を見渡し。
 そこでしおの表情がぱっと明るくなった。
 デンジの言う通り――ゲストルームに備えられた椅子の一つに、しおの待ち人が座っていたからだ。
 あまり長い付き合いがあったわけではない。
 "さとちゃん"に連れられてお城を出て、新しいお城に移り住むまでのお手伝いをしてくれた人。
 彼女はこの界聖杯という異常な世界にあっても、以前しおが見たのと全く同じ笑顔で微笑んでいた。

「……おばさん!」
「うふふ。お久しぶりね、しおちゃん。また会えておばさんとっても嬉しいわ」

 たたたた、と駆け寄っていくしおを横目に見て。
 デンジは心底嫌そうな顔で、小さく鼻を鳴らした。
 彼は他人に対する悪感情を隠して振る舞えるほど大人ではない。
 日中、松坂邸で邂逅した時から抱いていた漠然とした苦手意識は今も健在で。
 だからこそ、一度は合流の見通しが不透明になった筈の"おばさん"ら主従がこうして自分達の元を訪れている現状は彼にとって快く受け止められないものだった。
 
「(顔だけは良いんだけどなぁ〜……やっぱ俺は無理だわ、この女)」

 彼女のサーヴァントが論外レベルに関わり合いになりたくない相手だというのも、ある。
 松坂ことバーサーカー。真名を鬼舞辻無惨というあのサーヴァントは、まるで人の形をした地雷のような存在だった。
 自分が何かと言動に遠慮のない方だということはデンジ自身自覚している。
 もし面と向かって話す機会があれば、ひょんなことで地雷を起爆させてしまう未来は優に想像がついた。
 だが無惨への忌避感と、この女……"松坂さとうの叔母"に向ける嫌悪感は全く別種のものだ。
 だって少なくとも。この脳髄がどろどろに蕩けているとしか思えない女は、地雷だとか逆鱗だなんて剣呑なものとは一切無縁だろうから。

 ――気持ちが悪い。
 言語化するなら、多分そんな表現になる。

 デンジは女好きである。
 彼も無惨のことを笑えないくらいには一時が万事、その場の感情で動くタイプの人間だ。
 例えば先程連合に加わった星野アイが、上目遣いなり何なりしてデンジに私的な助力を乞えば彼は「仕方ないっすねェ〜!」とか言いながらアイにまんまと利用されてくれるだろう。一抹の下心を胸に抱きながら。
 そのデンジが、この妙齢の女に対しては一切その手の"反応"を示していない。魅力をすら感じられていない。


844 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:56:47 bRwFiT7w0

 気持ちが悪い。この女はどうにも――対面していて気持ちが悪いのだ。
 何故ならそこには何の意図もないから。かつて支配の悪魔がデンジを唆したのとはわけが違う。
 何故ならそこには何の裏表もないから。彼女が他人に振り撒く感情は全てが真実、全てが肯定。
 支配の悪魔を殺すという幼年期の終わりを経て現界している故、なのか。
 デンジは一度の邂逅、わずかな時間の会話から女の本性を悟った。
 その上で気持ちが悪いと、そう感じた。俺、この女は無理だ――そう思うまでに時間はかからなかった。

「(顔も知らねえ"さとちゃん"に同情しちまうぜ。これと一つ屋根の下とか、マジでゾッとしねえや)」

 生理的嫌悪感。
 葉の裏に群がる毛虫の群れを見たときのような。
 背筋がぞわぞわと粟立つ感覚。この傾城めいた女を前にしてそう感じられること自体、彼の生い立ちを鑑みれば十二分に"成長している"と看做してよかったろうが……閑話休題。話を、主役達の方へと戻す。
 即ち松坂さとうの叔母。そしてデンジのマスターたる、堕天の月へと。

「おばさんは、えむさん達と一緒に戦うことにしたの?」
「そうよ? せっかくお誘いをもらったんだもの、無碍にしたら可哀想でしょう?
 それに私のサーヴァントのバーサーカーくんも、その"えむさん"の力を借りたがってるみたいだったし。本人には内緒よ? たぶん怒るから」
「やった〜! じゃあおばさんと私達、仲間ってことだよね!」
「そうなるわねぇ。おばさんも嬉しいわよぉ、しおちゃんと一緒に頑張れるなんて。正直、もう二度と会えないかもと思ってたもの」

 松坂さとうの叔母であるこの女は当然、彼女達の甘い愛の物語の結末を知っている。
 墜落の夜。死は誓い通りに二人を分けた。さとうは死んで、しおは生き延びた。
 女はマンションへの法的責任を被って逮捕され、生き残った翼なき天使と運命の線が交わることは二度とない――そう思われたが。
 今こうして、女はしおと対面している。同じ陣営のマスターとして、互いに笑みを浮かべながら。

「おばさんのサーヴァントは、なんて名前なの?」
「ふふ〜。それは、しおちゃんがそこのライダーくんの名前を教えてくれたら、かしら」
「ぶぅ。けちんぼー」
「うふふふ。ごめんねぇ。おばさん、一応あの子のマスターでもあるの。だから全部は教えてあげられないわ」

 唇を尖らせて目を>< ←こんな形にしているしおと。
 それを見て、大人の女性らしい柔らかな微笑みを湛える女。
 微笑ましい会話を交わす様子は完全に、親戚同士。それこそ叔母と姪のそれに見えて。
 だが次の瞬間に女がしおへ放った言葉が、その蜃気楼を吹き飛ばした。

「ところでしおちゃん、一つ聞いてもいいかしら」
「? なぁに、おばさん?」
「しおちゃんがみんなを殺すのは、あの子のため?」

 殺す。
 その言葉は本来、しおのような齢の子供の前では話題が何であれ出すべきではない単語である。
 しかしこの場、この状況においては、そんなタブーは適用されない。
 むしろそれを踏まえずに話をする方が可笑しい程だ。聖杯戦争とは即ち殺し合い、願いを/明日を誰かの生を踏み台にして希求する鏖殺の遠征。
 それに名を連ね、あまつさえ聖杯を狙うことを公言している者が……誰かの命を奪うことに今更忌避感を覚えるなど有り得ない。
 事実。女の言葉に対し、堕天使の少女は事も無くこくりと頷いて言った。


845 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:57:24 bRwFiT7w0

「そうだよ。今度は私が、さとちゃんみたいにがんばるの」

 天使の翼は夜空に消えた。
 蝋翼神話さながらに、炎の熱で溶かされ堕ちた。
 無垢という名の聖性を失った少女に、もはや禁忌はない。
 その歩みは願いのために。あの日失った永遠を取り戻すために。
 ぶぅん、と悪魔の刃音を響かせながら。
 軽やかな歩みと共に、すべての願いを踏み潰す。

「さとちゃんが私のために、どれだけのことをしてくれたか。
 今ならね、よくわかるの。私はさとちゃんに……すごく、愛されてた。愛してもらってた」
「……そうね。あの子は本当に、しおちゃんのことを愛していた」
「だから、今度は私の番。私はまだ、さとちゃんみたいにうまくは出来ないけれど――」

 その目に宿る光を、女は見る。
 蒼玉の瞳に宿る、"あの子"の色。
 自分が育てた、自分が汚した少女の感情(こころ)。
 愛を。慕情を。尽きることのない、消えることのない炎を。
 この世の何事よりも尊い炎熱(ねつ)を――そこに確かに垣間見た。

「この"気持ち"だけは、さとちゃんにだって負けないから。
 あの甘くて、しあわせだけがある時間を……取り戻したいと思うから。
 だから私は、ころします。私たちの、ハッピーシュガーライフのために」

 女は笑った。既に微笑んでいた傾城の貌(かんばせ)を更に綻ばせた。
 この子は間違いなく、あの子と同じ領域に立っている。
 狂気を、愛を、狂おしいほどに歪んでいて/だからこそこの世の何より切なる願いを。
 すべてを継承して、此処に居るのだと――そう分かった。

「あのね、しおちゃん」

 女は問う。
 己の信じる愛にすべてを捧げた女が、愛を掲げて邁進しつつも、この世界における"互い"の存在を知らない少女に問う。
 答えを教えてあげることは出来ない。それをしてしまえば、あの子の想いは無駄になってしまうから。
 それは"愛"を尊ぶこの女に限っては、決してあり得ない不実だった。
 魔性の言葉を、言祝ぐように。
 数多の人間を狂わせてきたその薄い桃色の唇から――こぼす。

「さとうちゃんが居なくて、さびしい?」

 その言葉を聞いた、しおは。

「ううん。だって、すぐにまたあえるから」

 そう、答えた。


846 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:58:08 bRwFiT7w0
 女が笑みを、慈母の如く/或いは食虫花の如くに深くする。
 それは、女が期待していた反応そのものだったから。

 神戸しおは無垢な少女。故にこそ、砂糖菓子の日常の住人たり得る天使。
 そういう存在だった筈の彼女は、その清らかさは保ったままに見る影もないほど穢れていた。 
 初めて会った時の笑顔そのままの無邪気な顔で、夢見るように言ってみせる少女。
 愛する者との未来を疑う道理などどこにあろうかと、そう一笑するような即答。

 いや――神戸しおはきっと、本当に"そう信じている"のだろう。
 この分ではともすれば、さとうが居ると伝えられたとしても揺らぎはしないのではないか。
 そんな風にさえ感じられてしまうような鋭さと、果てしなさがその蒼玉の瞳の中には広がっていた。
 
「私はさとちゃんのことを愛してて、さとちゃんも私のことを愛してくれてる」

 ならば、死がふたりを分かつとも。
 ハッピーシュガーライフは必ず成就する。
 神戸しおはそれを微塵も疑ってなどおらず、そのことが伝わってくるからこそ女は心の中で姪を祝福せずにはいられなかった。
 さとうちゃん、愛されてるわねぇ……と。身体の外でも内でも、さとうの叔母は妖しく笑う。

「さいごに愛は勝つんだよ。テレビでだれかが言ってたの」

 ――此処は生と死が交錯する異界。
 時系列、世界線、その他諸々の邪魔な道理(ルール)を一切合切無視したあり得ざる世界である。
 だが、それにしたって神戸しおの周囲からはあまりに多くの人間が器として招集されていた。
 しおとさとう。彼女の兄であるあさひに、さとうの友人のしょうこ。そして、さとうの叔母。
 五人だ。二十三個の器が残るのみとなった状況であるにも関わらず、甘くて脆い愛の物語に触れた者達は未だこれだけ生き残っている。

 きっとそれは、紛れもなく。
 運命と――そう呼ばれるべき、奇跡的な偶然であるのだろう。

「ありがとうね、しおちゃん」
「? 私、おれいされることなんてなんにもしてないよ?」
「これでもあの子の……さとうちゃんの親代わりをしてたんだもの。
 しおちゃんがそんなにあの子のことを想って――愛してくれてることが、おばさんはとっても嬉しいわ」
「あたりまえだよ、そんなの。私とさとちゃんはね、どんなに離れても、ちかいの言葉で繋がってるの」

 "死"は、ふたりの運命を確かに分けた。
 さとうは死に。しおは生きる。
 そんな永久の断絶を、愛し合うふたりに突き付けた。
 されどそれこそが――ふたりの真実の愛の成立を証明した。

「やめるときもすこやかなときも。
 よろこびのときもかなしみのときも。
 とめるときもまずしいときも。
 しがふたりをわかつまで、私はさとちゃんが大好きなことをちかいます」

 死という不可逆の断絶を前にしても尽きることなく、むしろ激しく燃え上がった愛の慕情。
 墜落の夜を境に永遠に停止した存在になったさとうと、その先に進むことの出来たしお。
 ふたりはあり得ざる"その先"の運命に辿り着いて尚――愛を失っていない。
 死を超えて輝く焔の如き愛、あの甘さだけが満たすお城に戻らんとする願い。
 破滅を超えて耀やかんとする愛の祈りが強さ(キセキ)を生む。
 今や血と罪に汚れるのは砂糖少女だけに非ず――堕天の月もまた、罪に穢れたその身を抱いて、かつて知った愛へと微笑むのだ。


847 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:58:36 bRwFiT7w0

「ほら。こんなに、あったかいよ」

 自分の胸に、女の手を持っていって。
 にぱっ、と幼い美顔を綻ばせて笑うしお。
 それを見て女は思う。ああ、壊れてしまったのね。
 それを見て女は憩う。ええ、それはとっても素敵な"愛"ね。

 この言葉をあの子が聞いたなら、どんな顔をするだろう。
 女は思う。そして、「ふふふ」といつものように艶かしく笑った。
 女は、これ以外の表情(かお)を知らない。
 そもそもからして喜怒哀楽の"喜"以外の感情が存在しないような、狂った女なのだ。
 故にそれは当たり前のことだと言えたかもしれないが――それでも彼女は、彼女なりに。
 常人で言うところの"感慨深さ"のようなものを、確かに感じ取っていた。

 ああ、そう。そうなの。そうだったの。うふふ。
 さとうちゃん、あなたの貫いた"愛"は。
  
「……決して。無駄なんかじゃ、なかったみたいよ?」
「? おばさん、なにか言った?」
「うふふ。ううん、なんでもないわぁ。しおちゃんがちょっと見ない間にすっごく大人になってて、思わず感心しちゃっただけ」

 砂糖少女を失ったあの日、天使はその翼を失った。
 今そこにあるのは、千切れた羽根が生えていた痕のみ。
 麻酔の香りは今はなく、されど彼女の身体に赤い血が流れていることは未だ確かで。
 
 砂糖少女は少女を天使と呼んだ。
 ある少年は少女を清浄の月と呼んだ。
 今の少女は、そのどちらにも合致しない。
 罪に穢れて尚、かつて見た愛を追い求める旅人。
 堕天の月――蒼い運命。
 すべての願いを喰って立つに足る、可能性(アイ)の器。
 覇道と呼ぶに相応しいモノをその身に秘めて笑う少女の顔を。

 チェンソーの少年は、どこか複雑そうな面持ちで見つめるばかりであった。


848 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:59:19 bRwFiT7w0
◆◆


 さとうの叔母はゲストルームを去った。
 なんでも、自分のサーヴァント……バーサーカーの元に顔を出してくるらしい。
 連合の形式上のトップである死柄木弔もあちらに居る以上、必然、ゲストルームにはしおとデンジの二人のみが残される。
 アイと殺島は何やら彼女達なりに話すことがあるのだろう。
 暫く前に「社内を散策してくる」と言って出ていったきり、そのままだった。
 残された少女と少年は。
 ソファの上に座って、隣り合いながら、ぼんやりと言葉を交わす。

「さっきね、ポチタくんと話したよ」
「あ? ポチタと? ……ああ、そういうことね。
 そういやそんな設定あったなア、マスターはサーヴァントの生前の記憶を夢で見る、だったっけ」
「んー。ただの思い出じゃなくて、あれはちゃんとポチタくんだったと思うよ?
 だってポチタくん、言ってくれたもの」

 この先には、進んじゃダメだって。

 しおのその言葉を聞いたデンジは――少し黙って。
 それから、「そうかよ」とぶっきらぼうに一言だけ言った。
 そしてまた数秒の静寂。これを切り裂くのも、同じくデンジだった。
 
「……ポチタはさ、俺の初めて出来た友達(ダチ)なんだよ。
 色々あって、アイツは俺の心臓と一緒になっちまったけどよ。
 それでもアイツは俺の味方で居てくれた。ポチタは、良いやつだ」

 英霊デンジの存在意義は、ひとえにチェンソーの悪魔の器である。
 デンジの個我や人格は、所詮支配の悪魔を殺した功績のおかげで英霊の座に載せて貰えたおこぼれでしかない。
 しかしデンジは、それを不服とは感じていなかった。
 もとい、感じる筈もなかった。デンジとポチタは親子の縁よりも深く、強い絆で結ばれた二人だから。
 ポチタの献身がなければ今の自分はない。デンジ自身、そのことはよく理解していた。
 だからこそ――彼からの言葉を受け取ったというしおに、こうしていつになく真面目なトーンで語りかけるのだ。

「アイツが言ったんなら、よ。……多分、その通りにした方がいいんじゃねえかなあ」

 ポチタはしおのことも、ちゃんと大事に考えてくれている。
 時空の果て、世界の垣根すらも超えた類稀なる縁で結ばれた彼女のことを――案じている。


849 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 00:59:55 bRwFiT7w0
 
「らいだーくんは、やさしいね」

 そしてデンジも、口では決して認めないだろうが――この少女のことを単なる偶然の縁だと切り捨てることは出来なくなりつつあった。
 たかが一ヶ月、されど一ヶ月だ。
 寝食を共にして、一緒に遊んで、互いの辿った人生を知った間柄。
 デンジにとって神戸しおは、もはや単なる他人ではない。
 戯言ばかり吐き散らす狂った餓鬼と断じて切り捨てるには余る、そんな大きな存在になってしまっていた。
 家族でもなく、恋人でもない。共にだらだらして、ゆったり遊んで、くだらないテレビを見て笑い合える――"友達"として。

「でも、ごめんね。私は、もうそっちにはいけないの」
「……そっか。まあお前のことだ。そう答えるだろうとは思ってたけどよ」
「ごめんなさい。私はね、さとちゃんのいない世界じゃ生きていけないの」

 しおにとってもデンジは友達だった。
 生まれて初めて出来た、友達。少なくともしおにとって彼は従者などではなかった。
 それでもだ。神戸しおは、デンジとその裡に眠る心優しい悪魔の差し伸べた手を取れない。
 そっちの道では、もうしおは生きられない。
 翼をなくし、罪に穢れたその身では――もう。光の下は、歩けない。

「だから、おねがいします。デンジくん。デンジくんの中の、ポチタくんにも」

 ぺこり、と頭を下げる。
 その瞳に涙はない。堕天使は涙を流さないから。
 それでも――

「私達の"ちかいの言葉"を、どうか嘘にしないでください」

 しおはその手に握る武器(チェンソー)に希った。
 どうか――私の愛のために動いてくださいと。
 あの日見つけた愛。あの日誓った言葉。いつか口にするだろう、"ただいま"。
 そのすべてを、嘘にしないでくださいと。
 
 そして願われた少年は、静かに自らの顔に手を当てた。
 やっぱりこうなっちまうんだよな、とでも言うように。
 それでも――彼が少女に返せる言葉もまた、一つきりで。
 
「……ああ、わ〜ったよ。こんなでも、俺は……お前のサーヴァントだからな」

 きっと答えるべき言葉はこうじゃない。
 こうじゃないと、分かってはいても。
 デンジはこう言うことしか、出来なかった。
 そしてそれはきっと、彼の中のポチタも同じであったろう。
 彼らはあくまでサーヴァント――願いのために招かれた従僕だから。


850 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 01:00:30 bRwFiT7w0
 
「好きに使えよ。愛想が尽きるまでは面倒見てやる」

 悪魔が最も恐れた悪魔。
 チェンソーの悪魔――地獄のヒーロー。
 それを単なる武器として、少女は振るう。
 英雄譚の出番はない。逆襲劇も、此処には要らず。
 
 尊き銀月が、尊かった銀月が希う結末は、ただ一つ。

「ありがと、らいだーくん。
 あのね。私の一番すきな人は、さとちゃんだけど――」

 
 彼女達が望む永遠の為の――伐採(ジェノサイド)であった。


「らいだーくんと、ポチタくん。
 とむらくんにおじいちゃん、アイさんにらいだー"さん"も。
 みんなのことも、ちゃんと――すきだよ」


 大切なものを。
 一度はその手で愛でた小鳥を。
 安息を感じた誰かの存在を、犠牲に出来ること。
 そこまで含めて――神戸しおは松坂さとうをなぞる。
 そして――その上を行く。今は小さく、されどいずれ全てを喰らう程に大きくなるだろう運命の車輪が、静かに回転を加速させていた。


【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル/一日目・夜】

【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:さとちゃんとの、永遠のハッピーシュガーライフを目指す。
1:これからもよろしくね、らいだーくん。
2:アイさんとらいだーさん(殺島)とは仲良くしたい。でも呼び方がまぎらわしいかも。どうしようねえ。
3:とむらくんとえむさん(モリアーティ)についてはとりあえず信用。えむさんといっしょにいれば賢くなれそう。
4:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
5:“お兄ちゃん”が、この先も生き延びたら―――。

【ライダー(デンジ)@チェンソーマン】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:……これでいいのかな。いいんだよな?
1:あの女(さとうの叔母)やっぱり好かね〜〜〜! 顔も身体も良いんだけどなァ〜〜!!
2:死柄木とジジイ(モリアーティ)は現状信用していない。特に後者。とはいえ前者もいけ好かない。
3:星野アイめちゃくちゃ可愛いじゃん……でも怖い……(割とよくある)

【本名不詳(さとうの叔母)@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:いつもの通りに。ただ、愛を。――ああ、でも。
0:鬼舞辻くん達のところに向かう。
1:さとうちゃん達に会ったことは、内緒にしてあげなきゃね。


851 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 01:01:01 bRwFiT7w0
◆◆


「申し開きはあるか?」

 鬼舞辻無惨は、当然のように青筋を浮かべていた。
 無惨は激情家なんて言葉ではとても足りないほど、気の短い存在である。
 社会に溶け込むための演技をしている時を除けば、無惨はほぼ不発弾とか地雷とかそういうものに等しい。
 この地でせっかく作った下弦相当の鬼も、思う通りの性能でないと分かるや否やすぐさま殺してしまった程だ。
 後先を考えず、時にひどく理不尽に他者へと向かう彼の怒りだが――こと今回に限って言えば、そこには幾許かの正当性があった。

「この私を散々待たせた挙句の果て、約定の拠点が用意出来ていないとはどういう了見だ。
 よもや貴様、私を体のいい走狗か何かと考えているのか? であれば今此処で告解しろ。速やかにその魂、地獄に叩き返してやる」
「面目ない、私もその件については反省しているよ。たとえそれが、予測不可能な災害の結果だったとしてもネ」

 とはいえ、"M"……ジェームズ・モリアーティという名の毒蜘蛛もまた、彼に提示した条件を反故にするつもりは本来なかった。
 拠点となり得る建造物は見繕っていたし、何事もなければこの時間には既に案内を終えている手筈だったのだ。
 そうなればバーサーカー陣営はもはや傀儡も同然。常に監視の人員を配置しておけば、いつ如何なる時でもその生殺与奪を操れる。

 そんな下心もありきでの計画はしかし、新宿での大破局――新宿事変によって予期せぬ崩壊を迎えた。
 未来予知じみた権謀術数を巡らせることなど日常茶飯事の老蜘蛛をして、思わず嘆息したくなるような予想外。
 それを前にして、鬼舞辻無惨に拠点を提供するという話は見るも無残に吹き飛んでしまった。
 無惨が激怒するのも宜なるかなである。とはいえその"災害に遭った"も同然の不運を自分の落ち度と断言出来る辺りには、やはりジェームズ・モリアーティという"犯罪卿"の能力の高さが見え隠れしていたが。

「しかし無論、それなりの埋め合わせはするつもりだから安心したまえ。
 此処の地下を使って貰っても構わないし、不満であれば今夜中にも代わりの塒を見繕おう。
 君達とは思っていた以上に仲良くやれそうなようだからね、バーサーカー君」
「……私が今、どのような気分だか教えてやろうか?」

 モリアーティが差し出した手を、この男は当然取ったりなどしない。
 眉間に巌のように深い皺を刻みながら、そのこめかみに浮かんだ青筋をぴきぴきと鳴らした。
 噴火寸前の活火山とはまさによく言ったもの。無惨の激情は直に一つの発散を迎えてもおかしくないほどに高まっていた。

「臓物の全てが余すところなく煮え滾っている。かつてないほどの苛立ちと失望で私の頭は一杯だ。
 屑虫があまり思い上がるなよ。私にはもはや、貴様の奸計に身を委ねる必要すらないのだから」
「ほう。鞍替えのアテでも生まれたのかね」
「……つくづく不快な男だが、その通りだと肯定してやろう。
 そして私があの汚れた売女から解き放たれた時は、貴様にもこれまでの体たらくを贖って貰う。精々覚悟しておくことだな」
「実に結構だ。ではそれまでは、引き続き仲良く出来るということだね」
「死にたいのか?」

 飄々とした物言いで隠してはいるが――実際、予想外ではあった。
 モリアーティとて他人のことを言えた義理では全くないが、はっきり言ってこのバーサーカーは相当に論外の人種である。
 悪の権化のような思考回路もさることながら、兎にも角にもその人格が終わり過ぎている。
 もはや個人の好き嫌いの範疇を超えて、戦略的不利益をすら生み得る悪徳を抱えた実に近寄り難い不発弾。鬼舞辻無惨とはひとえにそんな男だ。


852 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 01:01:34 bRwFiT7w0

 その彼が、よもやこうも早く"次"の目処を立てて来ようとは。
 実際問題、鬼舞辻無惨が夜の内に敵に回る展開はモリアーティにとってもお世辞にも芳しいとは言えないものである。
 彼のことを少々見縊っていたかと考えつつ。
 自分達と彼の"この後"のことへと話を移さんとしたモリアーティと、無惨――両者の眉がぴくりと動いた。
 いや――何かに反応した、と言った方が正しいだろうか。

「……これは……」

 彼にさんざっぱら煮え湯を飲まされてきた無惨ならば、嘲笑の一つも浴びせて然るべきであろう表情を、今のモリアーティは浮かべていた。
 それは驚き。自分の策を超えた事態が生じたことを察知した、表情。
 しかして無惨にその余裕はなかった。彼は舌打ちを一つし、心底忌まわしいとばかりに歯を噛み鳴らした。
 
 鬼舞辻無惨は気配感知に長ける。
 鬼の始祖であり、千年に渡り人間社会に雌伏し続けた超越者の権能の一つ。
 故に彼は"それ"がこの地に迫っているという事実のみならず、更にその一つ先。
 迫り来る"それ"が、このデトネラットへやって来る前に感じ取ったあの途方もない覇気の主と同一人物であることまでもを、如実に感じ取っていた。

「末永く仲良く行こうじゃないかバーサーカー君。どうだね、まずは一緒に避難訓練でも」
「――――――――――死ね」

 反吐を出す勢いでそう吐き捨てる無惨と。
 自身の失策を悟りながらも笑みを浮かべるモリアーティ。
 片方にとっては酷く不本意な、もう片方にとっては手放し難い呉越同舟の関係は――当面の間は続きそうだった。


【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける
0:さて……。
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:連合員への周知を図り、課題『グラス・チルドレン殲滅作戦』を実行。各陣営で反対されなければWの陣営と同盟
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:田中一を連合に勧誘。松坂女史のバーサーカーと対面させてマスター鞍替えの興味を示すか確かめる
[備考]※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」
※田中一からアサシン(吉良吉影)と仁科鳥子によるリンボ奇襲の作戦を聞きました。(詳細は田中が知らないので不明)。
アサシン(吉良吉影)の能力の一部も知りました(真名は田中が知らないので不明)。
※星野アイおよびそのライダーから、ガムテ&ビッグ・マムの情報および一日目・夕方までの動向を聞きました

【バーサーカー(鬼舞辻無惨)@鬼滅の刃】
[状態]:肉体的には健康、精神的には不快の絶頂、焦り
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数億円(総資産)
[思考・状況]基本方針:界聖杯を用い、自身の悲願を果たす
0:殺すぞ(殺したいため)
1:『M』に解決の手立てがなければ即座に逃亡する。付き合ってられない。
2:松坂さとう達を当面利用。
3:『M』もといアーチャー達との停戦に一旦は合意する。ただし用が済めば必ず殺す。
4:マスター(さとうの叔母)への極めて激しい嫌悪と怒り。早く替えを見つけたい。
5:神戸あさひはもう使えない。何をやっているんだ貴様はふざけるなよ私の都合も考えろ
6:童磨への激しい殺意
7:他の上弦(黒死牟、猗窩座)を見つけ次第同じように呼びつける。
※別れ際に松坂さとうの連絡先を入手しました。さとう達の今後の方針をどの程度聞いているかは任せます。
※ビッグ・マムが新宿区近くの鏡のあるポイントから送った覇王色の覇気を目の当たりにしました。
具体的に何処で行っていたかは後続の書き手にお任せします。


853 : Twinkle Night/そして全ては、永遠に落ち続ける ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 01:02:37 bRwFiT7w0
◆◆


 そして――


「何だよ。手間が省けたじゃねえか」


 連合の王は、最上階からそれらの進撃を眺めていた。
 火急の窮地。ともすれば全てが御破算となりかねない苦境。
 そこに追い詰められて尚、彼はその口元を引き裂くように歪める。


「準備はいいか、しお。クソッタレのチェンソー野郎」


 破壊の御子、此処にあれり。
 魔王の器、未だ開花を迎えぬまま。
 迫るは百獣の王。遍く魂司る恐るべき母(ビッグ・マム)。
 その武威を前にして尚。恐怖にも勝る勢いで燃え上がる渇望――滅びの願い。
 故に彼は笑った。ヴィランたる者、そうすることは不自然でも何でもないと彼はいっぱしに自負している。


「――――最低最悪の試練(クエスト)の幕開けだ! 老害(ロートル)共には御退場願おうぜ!!」


【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康、高揚
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:?????
1:しおとの同盟は呑むが、最終的には“敵”として殺す。
2:ライダー(デンジ)は気に入らない。しおも災難だな。
3:星野アイとライダー(殺島)については現状は懐疑的。ただアーチャー(モリアーティ)の判断としてある程度は理解。


854 : ◆0pIloi6gg. :2022/02/09(水) 01:03:03 bRwFiT7w0
投下終了です。


855 : ◆EjiuDHH6qo :2022/02/10(木) 01:07:43 cK26Vp8o0
死柄木弔&アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)、神戸しお&ライダー(デンジ)、星野アイ&ライダー(殺島飛露鬼)、さとうの叔母&バーサーカー(鬼舞辻無惨)、ガムテ&ライダー(シャーロット・リンリン)、ライダー(カイドウ)、田中一予約します。


856 : ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:44:42 6on6.N360
一端前半部分のみ投下させていただきます


857 : Hello, world!〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:46:00 6on6.N360





十分理解できてる ずっとそれと一緒
そうじゃないと 何も見えないから





◇◆


858 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:47:01 6on6.N360
 


新宿の中心にも伸びていた年の動脈が、車と人の群れで行き詰まりを起こしている。先のあの大災害から流入してきた人と元からいた人とが混ざりあい、休日の娯楽施設もかくやと言わんばかりの混雑度を見せていた。
その一部に紛れながら、アシュレイとにちかの二人はそそくさと歩を進めていた。
避難民から、安否を心配する人々。ともあれ無事だった自宅に早く帰って身体を休めようとする人まで、一様に疲労感と焦燥が支配しているような往来は、一応はTVに出る程には有名なアイドルだったにちかの存在を覆い隠してくれている。
……さっきから「なんか空気暗くないですか?」だの「人多すぎません?」だの「うっわ、今靴踏まれましたよ!信じられなくないですか!?」だのと不機嫌そうなセリフをポンポンと念話でアシュレイへ投げ込んできているのだが、そこはそれ。

『そろそろ裏道に入るぞ、マスター。こっちから住宅街の方に入ればあと十分かそこらだ』
『あー、やっとですか……ほんと、こんなごった返してちゃ歩けるものも歩けないですよ』

元よりそこまで大通りを多用しなかったのもあって、時間的なロスで言えばそこまで大したレベルではないのだが、それはそうと百万都市の人口を押し込めたようなストレスフルな空間は時間の長短を問わず鬱陶しい。
アシュレイにしたって、古都プラーガは元よりセントラルにおいてもこれ程の人混みに混ざったのは祭りやら何やらで都市の人々が一箇所に集まった時くらいだろう。それ程の人混みが新宿近辺のそこかしこで起きているというのだから、改めて東京という都市の大きさを実感しているところであった。
ともあれ、そんな空間を抜ければ、ようやくWから提示された合流ポイントの程近くまで到着していた。
如何にも格式の高そうな学校やマンションが並んでいるような一角だが、提示された住所を地図アプリで検索したところによれば、むしろ古ぼけた建物のようにも見える。
都市開発の事情というのもままならないな、なんてアシュレイの感想に、「うっわ誰ですかこんなところに住んでるのって」と身も蓋もない感想を零したにちかであったが――ひとまず、そこに待っている人間と会うのが、Wの提示した条件。
そんな訳で、二人はそこに辿り着こうとしていたのだが――あともう少しで辿り着く、というところで、地図アプリを起動していたにちかのスマートフォンが徐に振動した。
非通知、と書かれた番号に警戒をしながらも、ひとまずはにちか本人が電話を手に取り――

『もしもし……にちかちゃん……?』

通話先から聞こえてきたのは、にちかの思いもよらない声だった。

「え……っと、幽谷……霧子さん、ですか?」

辛うじて、事務所で同席した時やTVで見た時の記憶からアタリをつけてそう聞けば、電話口の向こうから肯定の声が聞こえてきた。
どうして、しかもこのタイミングで、急に――そんな思考の奔流で表情を白黒させるにちかの横で、アシュレイも僅かに思案する。
幽谷霧子。名前だけは、先程の田中摩美々を調べた時に一緒に見ていた。彼女、そして白瀬咲耶と同じユニットのメンバーである、という程度の情報しか手に入れることはできなかったが。
ともあれ、そんな霧子という少女が、にちかに何の用かと耳を傾けてみれば――

『えっと、今……梨花ちゃんに会って、にちかちゃんたちに話を聞いておいた方が良い、って言われて……』

いきなりそんな情報を流し込まれたことで、二人の困惑はより一層強まった。
へ?という生返事を聞けたか聞かずか、電話口の先の霧子は彼女に電話することになった経緯を丁寧に紡いできた。
例の新宿の大災害に巻き込まれたとか、そのちょっと前に梨花に会っていたとか、皮下病院にサーヴァントがいるとか、もしかしたらNPCも魔力があったら一緒に生きて帰れるのではないか――エトセトラエトセトラ。
ひとつひとつは丁寧であったのだが、明後日の方向からそこそこの情報量を押し付けられたにちかの頭脳はパンクを起こしかける。

『それで、その…梨花ちゃんは、皮下先生のところに向かった、って……』
「あー、す、すみません!ちょっと待ってください……!」

と、途中だった通話を無理矢理一旦打ち切って保留モードにした後、一旦脳内を整理する。
気がかりな様子のアッシュに、ひとつひとつ念話で聞いた話を伝えていくと、彼の顔もどんどん怪訝そうなものに変わっていった。

『どう思います、ライダーさん?正直、なんかいきなりすぎてめっちゃめちゃ怪しいんですけど…』

不安そうに、というよりは、むしろ相当に疑いを強めた顔でにちかが問う。
アシュレイとしても、正直に言えば話の展開が早すぎると思いはしたが、ひとまずは一つ一つ精査を行っていく。


859 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:48:21 6on6.N360
 
『とりあえず、無条件に信頼することはできないな。電話口なら、声の偽装もしやすいから、本人だとも限らない――電話口の声とか、それこそTVを介した声だって、自分の声とは違うと思うだろ?』
『まあ、それはそうですね。話し方だって、テレビ見てれば真似できるし。じゃあやっぱり……』

まず疑うのは、電話口の相手が本当に幽谷霧子なのかどうか。
彼女の喋り方は特徴的だが、真似ができないかと言われればそうではない。資料だけなら、その辺りの動画サイトを漁るだけでもいくらでも発見できる。
肝心の声にしても、少しボイスチェンジャーを噛ませるか、それっぽい声を出すだけでも騙せることはある。霧子の身柄を向こうが抑えているとすれば、脅して本人に言わせたって問題ない。
ましてにちかは霧子の声をそこまで深く聞いたわけでもない。その判別で言えば、彼女が幽谷霧子である保証はまずできないと言っていいだろう。
だが、偽装ができるかどうかと、その内容の真偽に関してはまた別の問題だ。

『……いや。少なくとも、こっちに連絡する理由を聞いた限りでは、問題はないような気はする。これだけの情報を一方的に渡すメリットが、俺の考えつく限りではない』

そして。
その真偽について――少なくとも、にちかから聞いた限りの情報について、アッシュはそう結論づけた。
梨花の位置関係や諸々の込み合いで連絡がつかなかったことを考えても、霧子が言う巻き込まれた状況については一定の納得自体は得ることができた。
その上で、こちらの存在を知っているぞ、という脅しが目的なら、現在283から脱退しているにちかに対して、特に仕事などで明確な接点があった訳でもない幽谷霧子を選択するというのはかなり迂遠だ。
その場合の選択肢としては、恐らく櫻木真乃が最良だろう。梨花たちの方からアシュレイたちに伝えてきた以上、梨花とにちか達の間でマスターであるという情報を共有できている存在だ。情報の信頼度は跳ね上がったことだろう。
そんな安牌を選ばずに幽谷霧子を選ぶ必然性が、中々向こうには見当たらない。

『罠の可能性があるとしたら、梨花を尋問してこちらの情報を聞き出した上で、彼女の無事を伝えつつこちらを遠ざけておく、という可能性はあるが…そこまで考えられるなら、むしろ放置しておくだろう』
『なんでですか?』
『こっちには能動的に彼女を探す能力がない、ということは、彼女とセイバー自身が知っている。もし尋問されて自白を強要され、こっちの情報がそこまで筒抜けになったなら、むしろ行方不明のままの状態の方がこっちに無駄な努力をさせられる』

あのセイバーが当初探し人を尋ね歩いていたように、こちらも協力者を探し、かつ会敵するまで互いに存在に気付くことがなかったという事実がある以上、こちらも向こうも特別な探知能力を持っていないということは割れている。
そんな状態で東京の全部をひっくり返して、攫った彼女たちを取り戻してみろ、というには、皮下という男のアジトについても情報が足りなさすぎる。
せめてもう少し情報を漏らせば攪乱の糸もあったようなものだが、そうした指向性を与える情報があるわけでもない以上、罠を引かせたところで、そこからどうこちらを動かすかについて全く考えていない。

『……なんか、そう言われると逆に怪しくないですかねー?裏の裏の裏まで読んでる、ってことは……』
『有り得なくはないだろうが、その結果として向こうが得られるアドバンテージも目減りしているんだ。怪しまれない為に効率性を削っていけば、ローリスクな代わりにリターンも限りなく少なくなる』

少なくとも、こちらから情報を聞き出す訳でもなく、向こうが一方的に情報を喋った形になる。これで罠だとして、得られるのは梨花の身柄が怪しいことだけだ。
本人の警戒とは別の軸で「脱出計画のことがある程度広まる可能性がある」ということを意識して動かなければいけなくなった、という問題ももちろんあるが、それはどちらにせよ今後考えて動かなければならないことだろう。彼女達の話が本当であっても、皮下という男の陣営の手で広まる可能性は考えなければならないのだし――本当に界聖杯からの脱出に彼の部下を連れていく場合であっても、幾らかは考えないといけないことだ。


860 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:49:58 6on6.N360
 
『ひとまず、これまでの経緯は聞いたんだったな?それなら、今後の行く先も多分自発的に話してくれるだろ。それを聞いた上で、上手くいけそうならこれから会う面々とも含めて合流を持ち掛けたいところだな』

というのが、ひとまずアッシュが導き出した結論だった。
にちかとしても、ひとまずは異論はなかった。これから283プロの人々と合流する以上、こうしてその中に人脈が増え、頼れる仲間が増えていく、というのは心強さを感じさせるものだ。いや、283プロ、とりわけアンティーカのマスター率いよいよおかしくないですか?という思いには溢れているのだが。
ともあれ、アシュレイにも同時に聞こえるようにイヤホンで繋ぎ――勿論ワイヤレスだった。こうした機会に必要になると言われ、「浮かれたカップルみたいになるの嫌なんでー!」とアイドル時代の稼ぎで買いに行った――直すと、長い事保留になっていた通話をようやく再開する。

「あー、えっと。しばらくお待たせしてすいません。ひとまずこっちの人からもOKが出たのと……それと、一応今後どうするかについても聞いておけって」
『良かった……えっと、この次には、さっき言った光月さんって人を……探しに行かなきゃって……』

おでん、というのは、梨花が会った対聖杯の心強い味方であるらしい。
今後皮下陣営と対立した場合との保険で連携を図りたいということであったが、戦力としては彼女も太鼓判を押していた、というのはにちかとしても助かる気持ちだった。新宿の災害の様子を見た今となっては、頼りになる戦力というのはいくらあってもいいのだろう。
……と。
にちかにとって、突然ではあったものの、いずれの情報も彼女の不安を軽減させるものであった。
これから合流する、283プロダクションという勢力の中で仲間を増やせることは、単純に聖杯戦争を戦っていく上で心強いものであったから。

『えっと……摩美々ちゃんも、まだ近くにいる……?』
「……え?」

だからこそ。
それまでとはまた違った、一切合切の心当たりのない霧子の発言が、彼女の頭に深い混乱を呼んだ。

「……まだ、って、どういうことです?というか、なんで会うって知ってるんですか?」
『え……?』

そもそも田中摩美々という存在がマスターであるという当たりをつけたのが、ついさっきなのだ。接点などあろう筈もなく、こちらがこれから相手をするものとして事務所にいた頃の記憶をなんとか縋って思い出していたところ。
その程度の間柄で、なんで繋がりを見出してくるのかと思ったにちかの脳に。

『お昼ごろ、にちかちゃんと摩美々ちゃん、一緒にいたから……』

霧子の言葉は、更なる混乱をもたらした。

「…………は?」

これまでの話は、にちかにとっての処理能力の範囲内ではあった。霧子についてはともかく、彼女から齎された情報自体はあくまで自分たちと梨花の同盟の内容から推測し得る内容のものではあったから。
だが――これは、どういうことだ。
今度の理解は、明らかににちかにとっては知らない情報だ。

『……いや、まさか』

イヤホンから流れ込んでくる情報を、今度は同時に聞いていたアシュレイは、同時に思案を巡らせ――真っ先に思い浮かんだのは、ついさっき自分が霧子を疑ったのと同じ理屈。

『……「七草にちか」の偽物がいる?』

霧子の声を偽物のそれと疑ったように、自分のマスターの偽物、あるいは替え玉か何かを用意しているのではないか。
まず思い当たったのは、その可能性だった。

『そんな……』
『いや、でも少なくとも、向こうはこっちのマスターが君であることを根本的に見抜いていた。だとするなら、向こうには七草にちかがいない、ということは分かっていた筈なんだ』
『……でも、私、そもそももう283プロのアイドルじゃないんですよ?確かに引退してから少しくらい会って話すのもあるかもですけど、だからといって……』
『それでも、向こうが俺達を認知していたなら利用はできる。後から引きこむつもりだったなら、可能性はあるだろう』

その上で七草にちかの見た目だけを利用した、というのであれば、筋は通る。向こうとしてもこちらを抱き込むことを第一目標としていた以上、後に本物を出してしまえば変装能力があったとしてもその存在を隠匿することはできる。
現段階のアシュレイからすれば、ある程度は信憑性があるようには思えた。
最も近しい選択肢で言えば、彼女の姉であるはづきなのだろうが、彼女がにちかに変装したところで付き合いの長い霧子も誤魔化せるのだろうか、という疑問は残る。


861 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:50:36 6on6.N360
 
『――いや』

と、そこで念話を切り上げる。
他にも色々と考えなければならないことはあるのかもしれないが――少なくとも、考えるよりも実際に見聞きした方が早い局面というのもある訳で。
つまるところ、二人の歩みは、当初の目的地へと到達していた。

「本人に聞くのが、一番いいだろうな」

角を曲がった先。
新築の住宅や集合住宅に囲まれた中で、時代においておかれたかのような古ぼけたアパートを照らす街灯。
その下で、静謐な空間には似合わぬ鮮烈な紫色の髪が揺れるのが、アシュレイの目に留まっていた。

「お、来たー」

気だるげな、それでいてどこか楽しそうな声が、アシュレイとにちかの耳朶を打つ。
向こうもこっちも事務所でそこまで長い付き合いがあった訳ではないが、見かけたぶらりと手を上げるその様は、何度か見た彼女のようににちかには見えた。

「田中、さん」
「ふふー、久しぶりー」

とは言っても、状況が状況な訳で、にちかからの挨拶は随分と堅苦しいものになってしまい。
それに対しての摩美々の反応はといえば、こちらはやたらと緩いというか、久しぶりに会ったにしてはどこか角の取れた挨拶を送ってきた。
……というか。どちらかと言えば珍しいものを見るようにじろじろとこちらを見られているのは気のせいだろうか?

「……いや、なんでそんな見てるんですか」
「…………いやー、まー、ちょっとねー」

何がそんなに珍しいのか、まるで品定めする蛇のようなその目に、思わず身を隠してしまう。
そうして数歩後ずさった彼女の前に乗り出すように、今度はアシュレイが前に出た。

「……君が、田中摩美々さんかな」

人当たりのいい、よく通る声。静謐とした空間を揺らして溶けながら、夏の湿気を飛ばすような済んだ声。
アイドルのそれとは質が違うが、それでも言葉の力で渡り合うものの明朗とした声に何か感じるものがあったのか、それともまた別の理由か。摩美々の口角が、ほんの少しだけ上がるのがにちかにも見えた。

「はいー。それじゃ、あなたが…」
「ああ。サーヴァント、ライダー。今回彼女に呼ばれたサーヴァントだ」

そう言いながら、
本来なら、自分たちをこうして呼びつけた上での本来の案件に取り掛かりたいところだが――あいにくと、今はそれよりも先に聞かなければいけないことがあった。

「……早速だけど。君は、俺のマスターである少女以外の『七草にちか』と会っているか?」

単刀直入に。目の前に降ってきた問題が、彼女、ひいては彼女の裏にいるのであろうWの策略なのか否か。
それを見極めないことには、本題に入るもなにもなくなってしまう。

「……なんでですかー?」

果たして、怪訝そうながらも、しかしどこか面白そうに、彼女はその言葉に食いついた。
当たっているかどうかはともかく、何かを知っている。そう言わんばかりの態度に、心の中で小さく息を吐く。
少なくとも、Wが仕込んでいた計略に食い込むことに関しては成功していたらしい――全く、相も変わらずカマをかけられ続けていたということか。
だが、彼女の要素も見るにそこまで意図して仕込んでいたという訳でもなさそうだ。これに関してはこちらが察する可能性が無かったものを、偶然こちらが拾っただけか。

「俺の推理じゃない。あくまでそういうことがあった、というのを……彼女に、聞いただけだ」

ともあれ、そう言いながら、原因であるところのにちかのスマートフォンを彼女へと渡す。
ワイヤレスイヤホンの接続を切りつつも通話中になったままのその画面を、怪訝そうに覗く彼女だったが――もしもし、と耳に当てて。

『――!摩美々ちゃん………!』
「…………!霧子じゃーん…………」

電話口から、思いもよらぬ声が聞こえてきた瞬間に、摩美々の表情が崩れる。
一見すれば表情は動いていないものの、弾みを隠しきれない声からは隠しようのない喜色と安心が混じっている。

(……少なくとも、偽物、には見えない…?)

アンティーカは仲がいい――営業とかではなく、本当に。
別に、自分の目で確認したということはそこまで多くないけれど、姉に話をせびった時にはそんなことも決して少なくない回数聞いたことだ。
だから、なんていうか。
目の前で、いつもは悪ぶってるような彼女がこうして柔和な雰囲気を出していると――正確には、誤魔化そうとはしていてもそれでも心配が隠せなかった、というのをありありと出していると、少なくとも彼女は偽物でもなんでもないんじゃないか、と信じたくなってしまう。


862 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:51:39 6on6.N360
 。

「………どうして、霧子と繋がってるんですかー?」

かと思えば、こちらに露骨に怪しげな目を向けて来る。
……こちらが待望していた相手であるとはいえ、心配していたことを隠そうとしていたという体も投げ出してはいないだろうか?という無粋な懸念が、にちかの思考の端を過った。

「どうして、も何も、向こうから電話が来たからだ。とはいっても、事情についてはかなり立て込んでいるんだが。
 ……俺達でもちょっと驚いたくらいには色々と複雑なことになっているから、経緯はともかく、詳しい内容についてはまた後で、君のサーヴァントとも交えて話をしたい」

それに対するアシュレイの返答も、当たり障りのないものだった。
この一件については、彼等にとっては不意を突かれた形だ。梨花と結んだ同盟の話も含めてWと深く話さなければならないとは思っていたが、それが想像以上に早まったという形になる。
ともあれ、今この場で展開してしまうとややこしさが膨れ上がっていくだけだ。正式に落ち着いたテーブルを用意した上で話したい、というのが、正直なところだった。

「……さて、話を戻すけど。ああ、もちろん電話の邪魔をしたい訳じゃないからそのままでいい」

話を戻す、と聞いて、一旦携帯電話を下ろそうとした彼女を手で制しながら、ひとまずは向こうが用意している本来の要件を聞く。返す返すも、霧子の話はあくまでおまけなのだ。
同時に、ユニット仲間の安否確認という意味では、彼女はむしろこうして本来の要件を済ませている間に情報交換を済ませてくれていた方がありがたい。そういう意味で、電話に関してはこのまま彼女に任せるつもりでいた。

「あの男が言っていた、マスターに会わせたい人というのは誰だ?状況から察すると、ここにいるってことなんだろうけど」
「……え、分かってるんじゃなかったんですかー?」

そう聞いたアシュレイたちに対して、摩美々は少し意外そうな顔を浮かべたものの――そう間をおくこともなく、徐に右手でアパートの一室を指差した。
灯りが漏れているその一室は、外見からは何の変哲もない、ただの古い一室にしか見えない。

「お話については、私も――」
「大丈夫だ。なにかあれば、俺がちゃんと見ておくよ。……気になるようなら、電話をしていてくれても構わない」

彼女も本来、ストッパーとして設定されているような立ち位置で丸く収めてくれるのかもしれない。Wのマスターだと言うのであれば、尚更期待もしたくなる。
だが、それにしたってこの電話を遮ってしまうほど無粋なこともないし、
それに、あくまでHが彼女を会話上の抑止力としていたなら、少なくとも「彼女に収められる程度」のトラブルしか起きないということだ。手荒なことにはならないだろうし、外交官という立場にかけて自分がどうにか収めてみせよう。

「……はいー。ありがとうございますー」
「こちらこそ、ありがとう。……行くか、マスター」

そうして、二人してドアの前に立ったはいいが――はてさて。こちらはこちらで、何から手を付けたものか。
ドアの標識を見れば分かるかとも思ったが、聖杯戦争の隠れ家として利用しているためか、それとも名前を見るだけで察してしまうのを恐れたのか、こちらの標識は抜き取られていた。
従って、今に至って尚、情報は皆無だというわけだ。

『一応もう一度聞くけど……心あたりはなさそうか?』
『ないですよ、こんなふっるいアパートに住んでる人で知り合いなんて……』

ことここに至っても、にちかに心当たりはないという。
実際に建物に立ってみれば、何か思い当たる節が浮かぶかとも思ったが、結局そう都合よくは行かなかったようで。
ともあれ、分からないなら分からないなりに、対面してから向き合ってみるしかない。
ここまできたら出たとこ勝負ですねー、と念話で告げながらドアベルへと手を伸ばすにちかを見ながら――不意に、アシュレイはこれまでのやりとりを思い出す。

――"七草にちか"が聖杯戦争を生きるに当たって、避けて通ることの出来ない命題です
――お昼ごろ、にちかちゃんと摩美々ちゃん、一緒にいたから……
――分かってなかったんですかー?

摩美々の反応に、霧子の反応。
マスターにとって必ず相対しなければならない運命である、という言葉。
ふと。馬鹿げた考えが、アシュレイの頭に飛来する。
本来ならば有り得ない、界聖杯のバグか何かと思ってしまうようなその考えを精査するために、アシュレイの思考が回転しようとして。


863 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:52:03 6on6.N360
 

「あー、やっと来た」


その思考が結実する前に響いてきた声を聞いて、アッシュはまず、聞き慣れているその声を発した筈の彼女を見た。
なぜ前から声がしたのか、という謎に対して、まず念話になんらかの介入をされたのかを疑い、その次に敵の襲撃や精神操作があったのかともあたりをつけたから。
けれど、その当の本人はといえば、未だに怪訝そうにきょろきょろと辺りを見渡して、ただ声の聞こえてきた方向とアシュレイのほうを見つめている。
そこから、あけ放たれたリビングの扉から、やはり聞き慣れた、聞き間違いではない声が再び聞こえてくる。

「鍵は開いてるんで、早く入ってきてもらえますかー?……言っとくけど、罠とかないですよ?住んでる家に仕掛けるのは危ないからやめてってアーチャーさんに何回言ったと思ってるんですか」

口調に言い回し、そして声音。ああまさか、という予測が、しかし一番現実に近いのだと無情に理性は告げている。
そんな荒唐無稽があるかと思いつつも、しかし真実は僅か数歩先、ドアの向こうで待っている。
固まった表情のマスターの手を軽く引いて、ドアを開く。
そこは外見から見合った狭い部屋で、玄関からでも居間がすぐに見えて。だから、そこにいる灯りに照らされた人影の顔も、すぐに理解できてしまえて。

「………………え?」

唖然と黙り込むにちかの横で、アシュレイはふと、先程の会話を思い出していた。
――電話口の声とか、それこそTVを介した声だって、自分の声とは違うと思うだろ?

自分はすぐに気付けて、自分の隣の彼女が気付けない、というのが、正解をこれ以上なく示していたのかと思いながら。
果たして、テーブルの向こうにいたのは、アシュレイが予想していた通りの顔。

「……まあ、気持ちは分かりますけど。とりあえず靴脱いでこっちに座ったらどうですかね。一応こっちも話したいことは一杯あるのでー」

その顔面には、赫く染まった令呪が煌めいていて。
それはまるで、『その』七草にちかという人間そのものを象徴する、傷痕のようだった。


864 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:52:59 6on6.N360
 

◆◇

『ふたりも……にちかちゃんが……いるなんて……』

流石の霧子といえども、こればっかりは驚いているようだった。
まあ、驚くな、という方が無理のある話だろう。自分だって、状況をただ言葉で聞かされただけでは絶対に信じなかったと思う。

「まあ、実際に会ってみないと信じられないかもだケドー。実際、話した感じも多分ちょっと違うしー」

今のところ、とりあえずは大丈夫なのだと思いたい。

「それに、霧子の方が大変じゃないー?」
『ううん……わたしは、大丈夫……その、アサシンさんって人も、探してみるから……』
「そっちの目的があるなら、そっち優先でもいいケドー。気を付けてねー」

幽谷霧子が巻き込まれた状況は、摩美々からしても頭が痛くなるような代物だった。
アサシンからの情報で、かなりの切れ者なのだろうとは認識していたが――脱出方法を具体的に所持しているとか、そのレベルで凄い人間だとは認識していなかった。
これはアサシンさんが帰ってきたら、またとんでもなく頭の良い話をすることになるのだろう。甘いものくらいは、まあ、あったかどうか確認しておいてもいいかもしれない。
ともあれ。
摩美々にとって大きな懸念であった霧子の安否が確認できたことは、この状況の中で心底安心できた事柄の一つだった。
聞けば、未だに新宿の近くにいるらしい。幾らか距離はあるようだが、なんとなれば御苑に向かったアサシンと合流もできる距離だ。
少なくとも大災害の余波で行方不明だった頃に比べれば、安全を確保するのは遥かに楽になった。それだけで、摩美々にとっては安心する要素だらけだった――のだが。

『にちかちゃん……W.I.N.G.の後も大変そうだったけど……また、お話できたらいいな……』

彼女が、ユニットメンバーであったから、霧子の口がつい和らいだのか。
はたまた、七草にちかという名前が、そうさせたのか。
幽谷霧子だけが知り得る情報が、それだけではないことを。
田中摩美々は、こと此処に至って、誰よりも先に知ることとなった。

「―――――え」

ちょっと待って。
今、彼女は何と言った?
――W.I.N.G.の後と、そう言ったのか?

「……W.I.N.G.の後って、霧子、その時のにちかの居場所知ってたのー……?」
『……?』

此方の焦った声に、霧子の方もただ疑問符だけで答える。
一体どうしてそんなことを聞くんだろうと言わんばかりに、当然のような声で、霧子は平然と返してきた。

『摩美々ちゃんや智代子ちゃんと一緒にやった、お花屋さんの、職業体験のとき……真乃ちゃんと一緒に、乗っていたって……だから、今度は私もお話したいな、って……』

知らない。
霧子や智代子と一緒にやったという花屋の職業体験のことも。その時、にちかがいた、とか。
そんな出来事を、田中摩美々は知らない。
七草にちかがW.I.N.G.の後も事務所に滞在し続けているということもおかしいのに、そんな私が知らないことが起きている、と、いうことは。

「―――――あっ」

図らずも、二人のにちかの存在について、強く意識していたお陰か。
もしかすると。
彼女――幽谷霧子、その人が。
自分の知る幽谷霧子とは違う、別の世界にいたかもしれないのではないか、と、すぐ思い当たることができた。

自分たちが、辿り着くことのできなかった――にちかがW.I.N.G.に優勝し、283プロダクションが何ら問題を起こすことなく進行したという、理想的な世界にいたかもしれない、ということに。

そして、その世界について想いを馳せるよりも早く。
不味い問題がひとつあることに、摩美々はすぐに思い当たる。
だとすれば。霧子は、「この世界にいるプロデューサー」のことを、本当に、いつものプロデューサーの延長として見ている。
彼女は、最早前提となりつつある283プロダクションの事情――敵対相手となるプロデューサーについて、何一つ事前情報を持っていない。


865 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:53:25 6on6.N360
 
だと、すれば。

(……あー)


幽谷霧子は、彼の――プロデューサーのことが好きだ。無論、恋愛的な意味ではない。
正確には事務所のアイドルで、彼を人間的に好いていない人間はほとんどいないだろう。
仕事人としてはちょっと理想主義で、引っ張ってくれていた存在である、頼りになる大人。
好感度についてはそれこそ幾らでも個人のブレはあるだろうけれど、少なくともアンティーカのメンバーは全員、彼に対して深い信頼を向けていたことは確かだ。

だから。
そうした彼の姿を知っている、霧子が。
もし、全く何も知らない状態で、変わってしまった可能性が高いあのプロデューサーと、直面してしまえば。

(…………………………あー)

そんな光景を、想像したくなかった。

「……ねえ、霧子」

本当は、教えたくなど無かった。
こんな状況を教えてしまったら
だけど、きっと知らないと――本当に何も知らない状態で聞いてしまったら、もっと傷付く。
それは、何も知らないうちから不意打ちで傷付けられるということだけでなく。
霧子の優しさから考えると、むしろ「摩美々がそれを言わなかった」ことで、「霧子を傷付ける要因であるプロデューサーから遠ざけようとした」ことにこそ、後ろめたさで心を痛めるだろうから。

「霧子が分からないって言ってる、プロデューサーとかにちかの事情について。ちょーっと長くなるんだけど、一旦全部ぜーんぶ話そうと思いまーす」

だから、それは自分の役目だ。
痛い目に合わせてしまうのかもしれないなら、せめて悪い子はそのクッションくらいにはなりたい。
アサシンたるに、辛い役目を自分から背負おうとするなと言ったばかりの、二律背反であることを責められても仕方ないことだけど。
それでも、ユニットの仲間がみすみす傷付いてしまう可能性を摘み取るくらいは、許してほしい。

「……だからぁ」

そして――それと同時に、願わくば。

「その前に、霧子がここに来る前の283プロのこととか、にちかのこととか、聞いてもいいー?」

その世界のことを。
何もなかった、ただ、世界がありのままに続いてくれた283プロのことを、知りたかった。
幸せな世界のことを――今はただ、知りたかった。


866 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:54:00 6on6.N360
 
◇◆



「……改めて」

呆然としているこちらのマスターを、なんとか案内された通りに席に座らせて。
なんとも言えない、少なくともアイドルがいるにはあまりにも場違いと言うべきであろう安アパートの一室で、彼女たちは向かい合っていた。
どこから聞いたものか、誰から話したものか、という沈黙が維持される中を、からん、と氷の音だけが通り過ぎていく。

「……ライダーのサーヴァント。マスター……こっちの、にちかに召喚されたサーヴァントだ。ひとまずはライダーか、君たちの仲間とクラスが被っているようならHとでも呼んでくれ」

そんな静寂で、真っ先に口火を切ったのは、やはりアシュレイだった。
状況や心情はどうあれ、敵意もない相手でありこれが対話のテーブルであるのなら、仕切るという程ではなくとも互いの意思疎通を円滑にさせるのがアシュレイの役目なのは変わらない。
ついでに言えば、にちか両人はともかく、向こうのサーヴァントもそういう――弁が立つタイプには見えなかったから、いっそう、というのもあった。

「彼女に召喚された、アーチャーのサーヴァント。馬鹿げた強みがある訳じゃないが、よろしく頼む。それで――」

未だに黙るにちかよりも先に、その男――アーチャーが簡潔な自己紹介を済ませてきた。
口下手、というよりはシンプルに必要なことだけを口にしたのだろう。彼が漂わせる雰囲気に、どこか昔を思い出す。
自分が軍属の頃と比較するには刺々しいが、しかし荒れていた傭兵時代と比較すると、どこか険が取れているような。
ちょうど、その中間。自分の身一つに頼っているが、決して他者を排斥するようなものではないような。そんな雰囲気を纏っている男だった。
そんな彼が、促すように彼自身のマスターの方を向けば、顔に傷のような令呪を刻んだ彼女はため息をついてそれに応える。
麦茶をおもむろに手に取って一息に飲み干したかと思えば、意を決したようにこちらを向いた。

「七草にちか。なんというかー……まあ、『アイドルじゃない』方のにちかなんで、そうですねー。そっちが紛らわしいなら七草ってだけでいいです」

こちらが来ることを把握していたとはいえ、流石にこんな荒唐無稽のシチュエーションに僅かながらの緊張はしているのか。不安そうに揺れつつも、それでも芯のある目でこちら二人を見据え、そう説明してきた。
その姿と説明に幾つかのひっかかりを抱えつつも、それを指摘するよりも先に、アシュレイは最後に残った主へと意識を向ける。
座り込んでからずっと俯き、固く握り締めた拳を膝に置いて黙りこくっているマスター。
確かに状況が突飛ではあるが、しかしここから
さてどうしたものか、と念話を送ろうとした、その時。

「……いや、おかしいじゃないですか!私が二人いる訳ないじゃないですか、偽物なんじゃないですかねー!?」

――あろうことか。おもむろに立ち上がったと思えば、そんなことを言い出した。
急に出た言葉と、その内容に一瞬呆気に取られていた三人であったが――真っ先に瞠目から立ち直った向こうのにちかが、負けじと立ち上がって抗弁を始める。

「はぁ!?今更そんなこと言うとかありえないでしょ!?こっちはテレビで見た時から散々考えてきたのに――」
「知る訳ないでしょそんなこと!私以外に私がいるとかぜっっったいありえないし!あなたなんて知りませんー!」
「そっ……そうやって知らない知らないって言って誤魔化す方がありえなくない!?自分がこんなに物分かり悪いとか思わなかったんですけど!」
「はいはいそうですかそうですかー!ライダーさん!電車の中でやってたアレでこいつの正体分からないんですか!?」
「こ、こいつって……自分にこいつって言い出すとかやめてよ!私までバカみたいに思われるじゃん!」
「私までってどういうことなんですかねー!?ほんとに同じ人なら頭の良さも一緒でしょー!?」

わいわいがやがや、けんけんがくがく。
お互いサーヴァントのことなど忘れたかのように、一切遠慮なしの言葉の応酬をガンガンと交わしていく。
その積極性には驚くこともあるものの、なにせ相手が自分自身だ。彼女が包み隠さず言いたいことを言えるということに関しては、間違いなく最適な相手と言えるだろう。
……それはそうと、全く顔も声も同じ完全な同一人物が、段々語彙のレベルを下げながらさんざっぱら罵り合うのを聞くのは、傍観者の立場から見ると滑稽とか混沌とかそういう類の混乱を招いてくる。天は全てを照覧す(るんたたるんたたるんたたるん)――なんて嘯く双子の姿が頭をよぎったような気がした。


867 : Hello, world! 〜第一幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:54:31 6on6.N360
 
「……マスター、落ち着いてくれ」

とにもかくにも、こうして散々口論してるだけではまとまる物もまとまらない。話を振られたのを良いことに、アッシュは立ち上がって同じ目線に立ちながら二人の口撃の隙間へと滑り込んだ。

「まず、マスター。俺のアレは正体看破に使えるようなものじゃないし、それを差し引いても彼女に魔力やそれ以外で彼女を変装させるような魔術的な余地はない。少なくとも、今の彼女が君と同じ姿形をしていることは間違いなく事実だ」

アレ、とぼかしたのは、リンボに用いたペルセウスのことだ。ここまできて敵対する要素もないだろうとはいえ、ひとまず落ち着くまでは宝具の情報は取っておくに越したことはない。
それをすんでのところで覚えていたのか、マスターであるにちかも口論の中で宝具名までは口に出さなかった、という冷静さを看破した上でそんな声をかけた訳で――案の定、自分の中に残っていた冷静さを突かれた彼女は水をかけられたように大人しくなる。

「それは…まあ、そうですけど……」

実際、幾らか思う所はあるようだが、不満げに口を尖らせるだけで特に反論らしい反論をする訳ではなさそうで。
彼女自身、受け入れてはいるのだろう。どうあれ、彼女が自分自身であるという事実からは恐らく逃げられない、ということを。
そうであるなら、先程の幽谷霧子からの電話にも矛盾はなくなる。アシュレイたちの存在を早期に向こうが認知したことについても、今のにちかのロール――はづきとの関係性などから齟齬が生まれていたためと考えれば理解が及ぶ。

「それに」

……それに。
彼女が間違いなく彼女自身であろう理由がもう一つ、既に語られている。

「……君にとって、避けられない邂逅だというなら。これ以上に避けられないものなんて、ないだろう?」

その言葉を聞いて、それまで良くも悪くも弾けるように回っていた彼女の表情が、沈み込むように歪む。
一瞬だけちらりともう一人の自分を見たかと思えば、やはり立ち上がる前のように顔を俯かせ、それきり、やはり黙り込む。
再びの静寂は、一度目のそれよりも重く――そしてこればかりは、アシュレイ・ホライゾンといえども軽率に口を出せるものではなかった。

――自分との対話。
誰しもが一度は己の心に自分の道を問うだろうが、今目の前にいるのは本当の本当に自分自身だ。
アシュレイ自身、そんなことができたとして必ず上手く行くと保証はできなかった。いや、上手くいかせてみせるとは言うのだろうが、それでも100%の保証ができるものでもない。自分が行っている、片翼との対話ともまた趣が違う。
何せ、対話の土俵で己を守るものがない。己の武器も鎧も、その使い方さえもが鏡映しの相手と戦うようなものだ。
傷の負い方も負わせ方も、同じものとして知り尽くしている。真に致命の一言ならば、防御も回避も意味をなさない。
そんな状況に放り出されれば、怯えるのも当然だろう。

「えー、そんな格好つけて話してたんですかあの人……?」

そんな対話であることを分かっていながら、しかし、相手側のにちかはどこか居心地が悪そうな態度で肩をすくめる。
向こうも必要以上に気負っている様子ではないことは幸いであり、同時に、アシュレイは彼女に覚えていたひっかかりの正体が少しずつ理解できてきた。

(……なんというか、そう。言うなれば、彼のような)

どことなく。
彼女の様子が、とある人に似ていると思ったのだ。
そんなアシュレイの思いを知ってか知らずか、彼女はうんうんとうなり始めていた。

「……まあ、ほんと。何から話したものか、って感じなんですけど」

ああでもない、こうでもない、と。言葉をひとつひとつ選ぶように、その目が空をなぞる。
語りたいこと。喫緊の事から、彼女たち自身のことまで。語るべき内容はそれこそ山とあるだろうし、それら全てを悠長に議論している時間がある訳でもない。
数拍の逡巡の後、一瞬だけ目を閉じたかと思えば――腹を括るような表情で、その最初のひとつを定めたようだった。

「とりあえず、私たちはそっちの事情を聞いたので、こっちの身の上から全部話すとして……その後は、まあ重要になるんじゃないかーってことから話しましょうか」

そうして、彼女が問いかけたのは――七草にちかにとって、最早逃げられようもなくなっている、ひとりの人間のこと。




「そっちの私とプロデューサーさんのこと、教えてもらってもいいですかね?」


868 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:55:13 6on6.N360
◆◇





選んだ色で塗った 世界に囲まれて
選べない傷の意味はどこだろう





◆◇


869 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:55:43 6on6.N360
 
――プロデューサーという男は、自分にとってどんな存在だったのだろうか。

それは、先程のアシュレイの話を聞いてから、自分なりに考え始めていたことであり――同時に、それからずっと考えて尚、答えの出ない問いであった。
彼の言葉や態度に、何度もぶつかっておいて。彼の方針や、自分へのプロデュースの方法に、何度も、何度も衝突しておいて。
今になって、彼自身がどんな風に自分を思っていたのかも――自分が彼をどんな風に思っているのかも、上手く説明できないことに気が付いた。
いや、もっと事態が単純であれば、もっと気楽に印象だけを話すことだってできたのかもしれないけれど。
彼が今しているかもしれないことを思えば、自分から見た彼が本当はどんな人間だったのか、定義できようはずもなかった。

だから、ただ朴能と、あったことだけを話した。
最初はCDショップの一室に監禁したことや、それで無理矢理オーディションの権利を勝ち取って研修生として所属を許されたこと。
彼が、アイドルとしての自分からふとしたきっかけで顔を逸らしていたことや、自分のアイドルとしての生き方への反駁のやり取り。姉との約束と、自分のアイドルとしての将来のこと。
レッスン場や舞台袖で繰り返した論争。かけてもらった言葉の中から、印象的だったもの。
そして、最後に――W.I.N.G.のステージで、結局、脱落したことまで。

気付けば、それは。
アイドル・七草にちかそのものの、遍歴を全て語るに等しい、供述だった。

「……そう」

それを聞いた彼女の顔を、見ることが出来なかった。
先程彼女から聞いた話が、耳の中に蘇る。
――彼女は、アイドルではない。そもそも、アイドルにならなかった人間である、と。
自分が、諦めた姿。姉の死の前兆に気付いたことをきっかけとして、アイドルになる為の熱意すら失ってしまったが為に、ただ順当に脱落してしまったイフの自分。
そんな自分は、こうして実際に失墜した自分のことを、どう思うのだろう。

「まあ、なんというか――聞きたいことは聞けた、というか……自分からこういう話聞くの、めちゃめちゃ変な気分ですね」

誤魔化すようなその言葉も、聞きたくなんて無かった。
いっそ罵ってくれた方が、こちらとしても幾らか楽だ。
高望みをした代償に失墜した自分を、やはりおまえは駄目なのだと罵ってくれたら気が楽だったし。
自分がそう思っているのだから、向こうだってそう思っているはずなのだから。
ここから、それでも自分がアイドルを志していると知ったら、彼女はどう思うのだろう。

「……こっちの方が、恥ずかしい思いしてるんですけどー」
「いや、そこはおあいこじゃないですか?私だって話したじゃないですか」

そんな負の思考の循環を打ち消す為に絞り出した言葉も、淡々と返される。
深く、詰るような言葉ではない。
それが、あまりにも自分という人間に即していないように思えて――却って追い詰められているような気がしてならなかった。
自分が

「……アイドルにそもそもなれなかった話されてるのに、同じ気持ちとか言わないでくれますかねー?」

だから、つい。
そんな恐怖に怯えて、自分を逆撫でするような言葉を言ってしまう。
いつも誰かに当たってしまうように、自分自身に当たってしまう。
これまでの話を聞いていれば、それがどれだけの地雷か分かったものではないというのに。
ああ、流石に向こうも、これは怒るだろうか――そんな予感と共に、拳を強く握りしめていた。

「……そうですね」

だから、そこにも素直に同意されたことに、少なからず驚いた。
自分なら、そこでまだまだ納得せずに反論を繰り返すか、そうでなければ嫌味で返すのだろうな、と思っていたから。
そういうところが、自分とは違うらしいと益々突き付けられるようだった。

「プロデューサーさんは、こんなやつの為に戦ってるのか、とは思いましたね」

そして。
その直後にニュートラルな口調で発せられた、余りにも無遠慮な一言が、徐ににちかの胸を貫いていた。

「………………な」

何も言えない。
反論も順応も、何もできない。
縫い付けられたように身体は動かなくて、凍り付いた舌は自虐の一つも飛ばせない。
何か言われたらその通りだと開き直ってやろうとしたのに、それすら出来ずに凍り付く。


870 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:56:21 6on6.N360
 
「……こんなやつ、という言葉に関しては言いたいこともあるけど。やっぱり、そうなのか?」
「まあ、間違いないだろうなとは思ってます」

代わりにアシュレイがそう聞けば、傷痕の彼女は彼女たちなりに推測したプロデューサーのあらましについて語ってくれた。
摩美々たちから聞いた話、として語られた、元の世界の話。
W.I.N.G.敗退後に失踪した自分。それに乗じて荒んでいき、いつか事務所すらも飛び出して自分を追っていたというプロデューサー。
元から、事務所すらも放り出して、自分を探し出そうとしていた男が、此方の世界で聖杯というものを求めてしまったなら?
その仮定の続きを考えてしまえば、アシュレイ・ホライゾンの推測の通りにことが運んでいる可能性は、遥かに高いといえただろう。

「……それは」

そして、そのあらましを聞かされてたまらないのは、それを今まで知らないままだった方の七草にちかだ。
もちろん、自分たちだけではない世界線の違いについては、聞ける限りのことは聞いている。少なくとも決勝と準決勝という明確な違いがある以上、それはこのにちかの責任であると断じられるものでは到底ない。
このにちか自身、W.I.N.G.終了後に失踪しようと思っていたかどうかで言えば、流石にそれ程までの暴挙には出るつもりはなかった。少なくとも、この話を聞くまでそんな選択肢は頭に浮かんでいなかったのだから、その筈だ。
けれど、それでも。
聖杯戦争なんてものがあろうとなかろうと、ただ自分の愚行一つで、色んなものを台無しにしてしまっていたという事実に、それがただイフの自分がやったことだからと割り切れる程、彼女は単純ではあり続けられなかった。
そんなものを突き詰められて絶句している彼女を、一目見やって――しかしやはり、只人たるにちかは言葉を続ける。

「もちろん、お姉ちゃんとか社長さんとか、色んな人がもう無理になって、立ちいかなくなったっていうのは分かります。だから、そこに関してはしょうがないと思うんですよ」

……あくまで、プロデューサーという男に絞ったなら。
彼は優しい人で、アイドルや七草はづきのことをずっと心掛けられて、その為に己の身を削れるような立派な人間であったことは、把握しているし。
彼が心を壊しても尚アイドルの為に身を粉にして働き続け、283プロを維持しようとしていたことだって聞いた。
その上で、283プロダクションという企業そのものが立ち行かなくなってしまったという事実は消しようもない事実だ。それはプロデューサーだけが責を被るべきことではないし、むしろそこまで働き続けたことを賞賛するべきなのだろう。
そしてそんな状態で、七草にちかを未だに追い続けて――その先に招かれたというのであれば、聖杯を求めるということも、百歩譲って理解はできる。
人を殺すという倫理観の問題はさておくとしても、七草にちかという存在がすべての崩壊の切欠だとしたら、それを埋め直すことで全てが戻るだろうと思ってしまうことは……過去のあの頃を取り戻そうとした自分にも、分かることだったから。

「……でも。その上で、心配してる人もいるって知って、それでも来ないっていうのは、ありえないと思うんですよ」

だが、だからといって免罪符になり得ることはない。
この聖杯戦争において283プロダクションが動いていることを認識して、プロデューサーとしてそこに来るべきだった、とまでは言わないけれど。
それでも、彼がプロデューサーという立場であり続けるためならば、アイドルの味方であることを真っ先に選ぶべきだったとは、思っている。
七草にちかの味方であるのか、プロデューサーという立場を選ぶのか。そのどちらかを選ぶ時に、目の前の彼女への連絡を優先したというのなら。
それは、最終的な天秤を、七草にちかに偏らせたという選択のはずで。
その選択が。ただ他人から想われているからというその程度で許される程、軽いものであっていいはずがない。

もしも彼の中でその踏ん切りをつけることがまだ出来ていないというのなら、それこそを七草にちかは弾劾する。
既に賽は振られ、事態は手遅れなまでに進んでいる。……いや、白瀬咲耶が死んだ時点で分水嶺は既に分岐している。
それを越えてしまった以上、何も分からないままでは、こと此処に及んでも尚彼のことを純粋に慕っている彼女たちがあまりにも報われない。


871 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:56:47 6on6.N360
 
――実のところ。彼を慕っているアイドルたちや、目の前の少女には、流石に言わないでおこうと思っているが。
正直なところ、283プロダクションの部外者であった七草にちかにとっては――彼は、ぶん殴ることに抵抗がないくらいに、こっちが潔く諦められるくらいに、ひたすらに283プロにとっての悪であってほしい。
彼女たちの人生を左右した者が背負うなら、それくらいはしてもらわないとイーブンにならないと思っている。
それくらいに全てをぶん投げる覚悟もないなら、彼を慕っていたアイドルたちという光と共に歩む幸福を得ていた方が、遥かにマシだっただろうと、七草にちかは思っているから。
この七草にちかは――「等身大の幸せを掴む」ことを選んだ七草にちかは、そういう価値観で生きているから。

その上で。身の丈に合う、其処にある幸福を手放してまで、得難い光を目指すのならば。
せめてそこから引き戻そうとしてくる相手に「君たちとは共に進めない」と断言して、こちらの未練を断ってくれるくらいには、ちゃんと敵であってほしい、と願っている。
それが、全てを投げ出す覚悟を決めた愚か者が、最低限貫き通すべき尊さだと思っているから。

……そう。
そして、それは。

「そんな、そんなの――」
「――そこまでやらせておいて、あんたは何やってるんですか」

目の前の七草にちかにも、思っていることだった。

プロデューサーという男にそこまでやらせている七草にちかは、どのような存在であるのか。
24のアイドルを放っておいてまで、一人の男に選ばれたということを、百歩譲って認めたとしても。
そうしてまで選ばれた七草にちか当人は、どうであるのか。
姉の心配を押し切って、只管必死にアイドルに焦がれ、実際にW.I.N.G.の舞台に立った私は――何を、やっているのか。

「何、って」
「見たんですよ。あなたの、その、負けたステージのこと」

え、と、驚愕で目を見開くにちかのことを、これ見よがしに睨みつけて。
あの番組。W.I.N.G.とやらの準決勝をわざわざ数ヵ月遅れで流す番組で切り取られた、彼女達のステージ。
そのステージの、正直な感想を、踊っていた張本人へと突き付ける。

「正直、あのステージのこと、ひっどいなーって思いながら見てました」

――真っ向から、御託を捨てて。
七草にちかから七草にちかへの、忌憚ない言葉が、それだった。

「目が真っ赤なの隠せてないし。テーピングの痕も残しっぱなしで、本番の為に隠すとかしてないし。ケアはしててダンスも必死だったんだろうけど、そこ見せちゃ駄目でしょ、とか。ほんと、言いたいことは一杯あるんですけど」

口を開けば、出てくるのは罵る言葉ばかり。
なにせ相手が自分だ。言いたいことも何一つ歯に衣着せずに言えてしまう。
――そして、その中でもとびきりの。
七草にちかというアイドルのステージの、最大の汚点。他の欠点の全てが些細に映る程の、どうしようもない瑕疵が、そこにはあった。

「一番、聞きたかったのは――どうして、なみちゃんのステップを踊ったのかです」

――あれさえなければ絶対に勝てていたと断言できる程の、踊り。
八雲なみの真似事で、
そのステップが基点となって、全てが崩れていた。
そのステップの美点も何もかもを壊す、協和の取れていないダンスが、最も見ていられなかった。

「……私なのに、そんなこと言うんですか」

――けれど、流石に言われっぱなしで終われない。
プロデューサーが彼女の為に捨てたものの大きさを受け止めきれずに、それまで黙りこくっていたのだけれど、それでもいい加減、言われっぱなしで頭に来た。
プロデューサーという男のことも、アイドル七草にちかのことも、何も知らない筈の自分に、ただ言われ続けるということが耐えられなかった。

「あなたは私なんだから――私に才能なんてないって、分かるでしょ!?」

分かっている筈なのだ。
一度はアイドルを志したと言った以上、彼女にとってもそれは分かっている筈で。
たとえ支えてくれる人がいたことを見直すことができたとしても、それで自分の才能の無さが覆されることなどない。

「だから、ああやって……アイドルとして戦うために、なみちゃんの真似をするしかないじゃないですか。アイドルやってないから、そんなことも分からないんですか!?」

だから、薪にするしかないのだ。
また羽ばたく為には、そうするしかない。アイドル七草にちかがもう一度輝くには、そこまでやらないと結局変わらない。
そう思っていることは――どうしたって、変えられない。


872 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:58:14 6on6.N360

「……そうやって」

その、筈なのに。
七草にちかは。
もう一人の七草にちかは、それを見据えて、心底苛立ったような顔で、一言を吐き捨てた。

「負けたことまで、なみちゃんのせいにするんですね」

――瞬間。
八月、熱帯夜の東京のアパートの一室の空気が、冷え込んだかのような錯覚に襲われて。

「――知ったようなこと言うのも、いい加減にしてください!」

そしてその空気を瞬時に沸騰させるように、激昂して叫んだ。
どう見ても防音ではなさそうなアパートだったから隣の部屋から怒られるかもしれないとか、そんなことを考える余裕すらない。

「……なみちゃんだって」

八雲なみ。
その存在に憧れて。そのステップを取り入れて。
そうすれば輝ける、彼女のような天性のアイドルになりたいと思って、でもそうなれなかったから、せめて輝く手段だけでもと彼女の後ろ姿を追い続けて。
――その先にあった、八雲なみの白盤。彼女が思ったことが、分からなかったこと。
そのことが頭に過った時には、もう手遅れだった。

「私たちが憧れたなみちゃんなのかも、わからないのに――!」

その言葉。
それまで、感情のまま反駁し続けても否定してきた彼女が、はじめて揺らいだように見えた。
――八雲なみが、少なくとも、自分たちの憧れと違うものであったのかもしれないという可能性は。
それだけで、彼女に伝わったみたいだったから。
別存在であろうと、彼女に憧れたのは同じで――だからこそ、そのことを相手が理解したというのも、手に取るように分かった。

「……プロデューサーさんに選ばれた理由なんて、私の方が知りたいですよ」

吐き捨てるように、そう呟く。
勝手に選ばれて、勝手に見捨てて、皆に失望されて。
そこまでされるような人間じゃないと、ライダーは言ってくれたけれど。
それでも、自分の為に命を賭けていることが、誰かを苦しめているという事実があることに、耐えられなかった。

「こんな駄目なやつの為に、色んな人を見捨てるとか……ほんと、ありえない」

それだけを言い残して、にちかはテーブルに背を向けた。
――少しだけ。一人に、なりたかった。



玄関から飛び出していく彼女を見送りながら、残った方の――アパートの主である方のにちかは、彼女と随伴していた青年へと目を向ける。

「……なんで、止めなかったんですか?」

そう聞けば、青年――アシュレイは、徐に立ち上がりながら肩を小さく竦めた。

「無理に止めるよりは、ああした方が整理が着くだろうからな」

もちろん、アシュレイとしても放置しておくつもりはない。
だが、今ここで彼女を無理矢理この場に留め置いたとしても冷静な議論はできなかっただろう。もう一人の七草にちかの糾弾が、彼女が抱えられるキャパシティを一時的に越えたことは誰の目にも明らかだった。
そういう意味では、彼女が自発的に外に出て行ったのは、クールダウンという意味では悪くない。本人としても、単身で飛び出てどうにかなると思っている訳ではないだろうから、そこまで遠くは行かないだろう。
この短距離ならパスで居場所も分かるし、サーヴァントとして、あるいは星辰奏者としての身体能力があればすぐ追い付ける。

「ひとまず落ち着かせて、話を聞いてくるよ。悪いけど、話の続きはその後だ」
「……ですねー。まあ、まともに話できる感じじゃなかったですし」

とはいえ、だからといつまでも悠長にしていられる程余裕のある状況ではない。アシュレイもまた、彼女をすぐに追いかけるつもりでいる。
……けれど、その前に。
マスターに対して接する前に、もう一人の七草にちかに、確認したいことが残っていたから。

「ああ。……君も、別にあれが言いたいこと全部って訳じゃないんだろう?」

アシュレイは先程の言動を振り返る。
確かに、それは身勝手な指摘ではあった。観客だからこそ偶像に向けて飛ばせる、心ない野次にも等しい言葉。
だが、彼女は決して、七草にちかを詰る為だけにこの場を設けた訳ではないだろう。プロデューサーという男に向き合う為――向き合えるだけの少女に、七草にちかがなる為の行程である筈なのだ。プロデューサーと対立構造になった以上、それは経なければいけない過程なのだから。
そうでなければ、向き合わなければならない命題とまでは言わない筈だと、アシュレイは踏んでいた。
ならば、その答えを持っているのは、目の前の彼女である筈だ。


873 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:58:35 6on6.N360

「……まあ、まだ言えなかったことは残ってます」

……やはり。まだ、その答えの鍵が出揃ったわけではない。
そうであるのなら、まだこの会談は終わらない。マスターのにちかが命題に向き合う前に、彼女もまた言わなければならない言葉を残している。
もちろん、それは劇薬ではあるのだろう。
彼女が彼女であり続ける――アイドルで、プロデューサーに向き合える存在である為に必要なものではあるのだろうが、しかしその過程は、確かに彼女を全否定してしまう可能性をも孕んだものだ。
けれど、アシュレイにはそうならないという確信もあった。

「……君は、俺のマスターとは、違うな」

その存在を確かめる為に、アシュレイはそう問いかける。
もしも考えが正しければ、彼女の深奥が、それで垣間見えると思ったから。
果たして――七草にちかは、ほんの少しだけ笑みを浮かべながら。

「言ったじゃないですか。……私は、アイドルじゃないって」

そう答えた、その目に浮かぶ感情の色と、言葉の意味を、まっすぐに見据える。
それを見届けて――ああ、やはりな、と思う。
それがどういう在り方なのかを、アシュレイ・ホライゾンは知っている。見たことが、ある。

「……ああ、そうだったな」

――彼女が、そういうものなら。
彼女の言葉は、マスターを追い詰めるものであったとしても、彼女を全て否定するものには、きっとならない。
なら。
もう一度彼女の言葉と向き合わせることが、サーヴァントであり、彼女の幸福を願う身として、しなければならないことだ。

その想いを新たに、アシュレイはアパートの一室から飛び出ていった。


◇◆


そうして、アシュレイ・ホライゾンが、己のマスターの元へと飛び出していった後。

「……はぁー」

元通りの二人切りになった部屋に、ため息の音だけが響く。
机に突っ伏して両手を投げ出しながら、残された方のにちかは口を小さく尖らせる。

「逃げるって、どうなんだし……」

そうは呟くものの、にちか自身なんとなく理解はしていた。
ぶっちゃけ自分なら言われたくないだろうな、ってことを選んでズバズバと言ったのもそうだ。自分相手だから隠す必要もなにもなくて、遠慮なしに言えてしまったのもあるのだろうか。
それに、最後に言い淀んでしまったことも。自分自身、あそこで伝えたいと思っていたことが、結局まだ言えないままでいる。
そこまで言わなければ、自分が言いたかったことは、完結しないというのに。
……我が事ながら、冷静に分析できているものだ、とも思うけれど。

「……アーチャーさんも、なんとか言ってくださいよー」
「……俺に言えることはないだろう」

試しにメロウリンクに振ってみると、返ってきた答えは想像以上に無粋なものだった。
……なんか悔しい。いや、彼は何も悪くないのだが、それはそうとあのライダーさんがめちゃくちゃ口が立って向こうのにちかにも甲斐甲斐しく世話をしてくれる大当たりサーヴァントだったように見える以上、気の利いた言葉の一つもくれれば嬉しかったと思っている図々しい自分がいた。

「うえー、気が利かないですよアーチャーさん。向こうのライダーさんあんなに喋り上手だったのに」
「そんなこと言われてもだな…」

困ったように頬を掻くメロウリンクに、にやにやと笑ってみるにちか。
成長した姉に敵う機会というのは中々なかったが、こうして悪戯好きの妹のようにおどけてみると、メロウリンクは意外に耐性がないのか頬を掻いて顔を逸らすのだ。
こうして彼のことを揶揄うのは、ここで暮らし始めてからたまにやっていた――この殺し合いの場でも、なんとなく息抜きになってくれた数少ない要素だ。申し訳ない、とはちょっと思っているけれど。

「……でも、本当に心当たりとかないんですか?」
「俺にそういうことを期待する方が間違っている。なにせ、ただの猟兵だからな」

とはいえ、向こうも向こうでそう真面目に言い切ってしまわれたら、こんな揶揄いも意味がなくなってしまう。
そして、にちか自身、彼がライダーと似たような人間に会ったことがないということについてはなんとなく理解もしていた。
メロウリンクはあくまで軍属としては逸れ物だ。国家間での外交官、なんてレベルの大物には、軍属の頃は相手にする機会がなかったし、反逆者となってからは必然正義もクソもない相手ばかりを見てきたわけで。必然、どうしてもああいう好漢にお目にかかる機会はなかった。
まったく――ただの人間というのは、世知辛いものだ。


874 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:59:02 6on6.N360

「それで、どう思ったんだ」

と。
メロウリンクのこれまでに思いを馳せてしまった一瞬を突いて、今度はこちらが核心を突かれる。
油断していたつもりはないのだが、それでもどうしても痛いところを突かれたという表情が浮かんでしまう。

「あー……それ、聞いちゃうんですかー……」

本来なら、わざわざそんなことを聞いてくるんじゃないとか、いちいちこっちの考え聞こうとするとかデリカシーがないとか、言ってたんだろうけど。
今は、そんな気分にはなれなかった。
どちらにせよ、口にでもしない限り、抱え込んだ思いを吐き捨てることができようもなかった。

「……見ての通りっていうかー……こうかもしれないけど、もしこうなってたらいっちばん嫌だなーって思ってたのにかなり近かったっぽいんで」

隠すこともせず、不機嫌な感情のままに吐き出すのは、そんな弱音の言葉だった。
正直なところで言えば、可能性の一つとしてそうなのかな、とは、思っていた。
――あの時、ライブで見た時からずっと、「自分がああして努力して、誰かの真似をするようなら、どんな自分でいただろうか」というのは、考え続けていたから。
その為の材料は、ライブの映像であったり、プロデューサーとの電話であったり、田中摩美々という先輩アイドルからの伝聞であったわけだけれど。

「……あの私が、自分を見つけられていないって、プロデューサーさんが言ってたのも。私が、あのステージを見て怒ったのも。そういうことだったのかなーって」

――実のところ、姉の死や、恵まれている境遇、アイドルになれたというそれそのもの事態に嫉妬はない。
もちろん、良いなあ、と思う気持ちはある。それが揃っている世界は、きっと今の自分よりは間違いなく恵まれた世界だろうと思うし、手に入るならどんなにいいかと思っている。
けれど――その逆恨みで彼女に怒るとか、聖杯を手に入れてそんな世界を望むかといえば、そうではないのだ。
そんな権利は、自分にはない。
そして、そんなことよりも。

「……結局、あの子が何を蔑ろにしてるのか、あの子自身がまだ分かってなかったんだな、って」

どうして彼女がそうなっているのかに、彼女自身が気付いていないのが嫌だった。
もしかしたらそうなんじゃないかなと思っていたけど、本当に気付いていなかったとは。

「……まあ、でも。そうなっても仕方ないなあって理由も、あったんですけど」

――とはいえ、そこにもまた、理由があった。
彼女なら――もしも、「それ」を否定されていたなら、自分もそうしていたのだろう、と。
そう思うに足る理由も、彼女が言い残していた。

「……八雲なみ、ってやつのことか」

メロウリンクの言葉に、無言で頷く。

「……そのアイドルのこと、好きだったのか?」
「そりゃ、今でも大好きですよ。というか、アーチャーさんにも聞かせたかったのに、どうでもいいっていっつも突き放してたじゃないですか」
「………ぬぅ」

彼女のことが、好きだったこと。彼女と同じものを、一度は目指したこと。
それは、今のにちかにとっても否定できない。
忘れようもない。過去に自分がアイドルを志した時、その原点と言うべき存在だ。
夢が失墜し、胸の中で静かに燻るだけの今となっては、自分に彼女の模倣をすることなど無理だと思い知っているけれど。それでも、ショックなのには変わりない。
『彼女のようになろうとしなかった』ことが、自分の夢の失墜のはじまりだったのだと、今更思い知らされたようで。
そして結局のところ、彼女を追ったとしても、その先では失墜で終わってしまったことも、突き付けられてしまったから。

「……だがな、マスター。」

――だから。

「憧れていたことは、嘘にならないさ」

そのメロウリンクの言葉は、そんなにちかに、新鮮な思いを投げて寄越した。

「マスターの生き方を、俺は否定しない」

機工猟兵メロウリンクにして、復讐者メロウリンク。
逸れ者にして負け犬。世界の舞台から弾き出され。ただの雑兵として死ぬはずだった彼が人類史に名を刻んだのは、復讐を完遂したからであり。

「――その生き方を選んだ俺から、言えることがあるとすればだ」

されど、彼のクラスは復讐者にあらじ。
彼の復讐に存在した瑕疵。シュエップスという上官が、復讐の前提となる捨て鉢の作戦を、勲章欲しさに飲み込んでしまったという事実。
そして、それを知って、それでも尚彼は自分の戦いを、最後の最後まで貫き通した。
利口に引きさがるのではなく、あくまで自分が生きたそれまでの戦いに終止符を討ち。その上で、戦いから別れを告げるところまでが、『機工猟兵メロウリンク』という物語だった。


875 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:59:26 6on6.N360
 
「軍とか、アイドルとか聖杯戦争とか。そんな大きな流れから逸れて生きていくのが、俺達の生き方だが」

だって、彼がこうして生き残ったのもまた、シュエップスという男が身を挺して庇ってくれたお陰だったから。
彼がただ引きさがるのではなく、戦争から逃げおおせる前に、そうして生き延びた自分へのケジメを着けたのは、そこから始まった己の戦いだけには嘘を吐きたくなかったから。
だから彼は、その復讐から始まった自分の宿命を、完遂せずにはいられなかったし。
その上で、復讐から――軍部という運命からもまた、解き放たれることが叶ったのだから。

「だからといって、戦っていた頃の気持ちや、その憧れまで否定する必要はない。俺はそう思う」

だから、七草にちかもきっと、そうなのではないかと感じた。
そこにあった裏切りを飲み込んだ上で、それでも、己が魅せられた姿を否定せず。
そして、だからこそ――その運命に、決着を付けられるのではないかと。

「……ありがとうございます」

……果たして、それは事実だった。
彼の言葉と、夢で見た経緯。
己の戦いに対して、彼が墓標のように突き立てたスナイパーライフルを思い出せば、少し胸がすくような気持ちがした。
背を押してくれていたものの正体と、それを裏切った自分。
夢を見せてもらって、背中を押してもらっておきながら、結局信じ通すことが全くできずに裏切ったもの。
ずっと遺恨として残っていた、夢の残骸と化していた八雲なみの、その真実が明かされて。
その上で、折り合いがつけられた。
だから、改めてこう言える。
燻っていた夢の残骸は、完全にそれで燃え尽きた。
夢は夢だった。八雲なみも自分も、結局のところ二人揃って地に足を着けて歩いている。ならばそれは、それでいい。
見せてもらった夢だけは忘れずに、それでも生きていくことを是とする理由を、改めてもらうことができたから。

「……じゃあ、そうですね。こんなでっかい戦争に、まだ巻き込まれてる、今のうちに」

……そして、けれど、その前に。
まだ、やらなければならないことが残っている。

「ついでに、もう一個、伝えてきます」

世界からはみ出て、あぶれた自分は観客(モブ)にすぎない。
たとえどれだけ夢を思い返しても、私という存在が光輝くステージに立つことは二度とない。絶対に。
それが自分の答えであり、だからこそ願いなど存在しない。
だけど、どこにでもいるただの七草にちかでしか見えないことが、どうやらあったみたいだから。

「まだアイドルになりたいって思ってるなら、一番言ってやりたかったことが、言えてないので」

ここから始まる、『七草にちか』の為の、物語の為に。


876 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/10(木) 23:59:50 6on6.N360
 

◆◇



……走って、走って、走って。
気付けば、小さな公園に駆け込んでいた。
アパートからそう遠くない距離、通りを一本か二本通り過ぎたくらいの場所だから、どうせすぐに見つかるだろうと思いつつも、今は一息つこうと思った。
なにせ、思考がぐちゃぐちゃのままだ。走ったまま全て忘れられたなら楽だったのだろうけど、それを状況も自分自身の頭も許してくれないのは分かり切っていた。
それに――どうせ数刻もしないで、彼は追ってくるのだろうから。
案の定、自分の後を追うように、ひとつの人影が公園に入ってきた。
人影は何を言うでもなく自分の隣のベンチに腰掛けると、ただじっと自分の隣で。

「………………なんなんですか」

そんな沈黙に耐えられず、ぽつりと言葉を漏らしてしまう。

「なんなんですか、ライダーさんも、あの私も………プロデューサーさんも」

愛されている、とか。
にちかのために、283プロダクションから出奔していた、とか。
そのせいで皆は傷ついて、アイドルすら強制的に辞めさせられたようなものだった、とか。
それら全てが、七草にちかにとっては――重かった。

「……知らないんですよ、そんなの。知らないうちに、プロデューサーさんが、私のために聖杯を求めてるとか。そのせいで、アイドルの皆さんが、めっちゃめちゃ迷惑かけさせられてるとか」

自分が行方不明になったせいで、283プロダクションが事実上の休止状態に追い込まれた?
姉にも倒れるくらいの心配をかけて、それでも家出し続けた?
たとえ別の世界の人間だとしても、七草にちかとかいう愚か者は、自分一人のエゴのせいで、一体どれくらい迷惑をかけてしまえるのだろうか。
それを想像するだけで、消えてしまいたい気分になった。

「……こんな迷惑かけてばっかだったら、普通だったらじゃあいなくなれ、って話なのに、いなくなっても意味ない……ううん、それどころかいなくなったほうが迷惑なんですよね」

しかも、それで消えても問題はむしろ悪化するのだ。
もしここで自分が完全に降りてしまえば、それこそプロデューサーという男のエンジンにガソリンを継ぎ足すに等しいことになってしまう。
自分が死んだと知れば、彼は自分を生き返らせるという真に奇跡でしか叶わない可能性へと挑むかもしれないのだ。そうなってしまえば最早ブレーキなど効かず、アイドル達の言葉は今度こそ全く届くこともなくなるのだろう。
結局のところ、向き合うしかないのだ。向き合わされ続けるしか、ないのだ。

「ほんと、最悪」

……そんなもの、急に向き合えと言われても、無理なのに。

「……それに関して、俺が言えることはないよ」

そして、その通りだと、相席するアシュレイも思う。
彼女は、一日にして背負わされるにはあまりにも多くの因縁が織り積もっている。
事前にプロデューサーの想いを想像して伝えたことに後悔こそないけれど、その一因を担ってしまった身としてせめて彼女に寄り添うくらいはするのが筋というものだろう。

「知らない間に、誰も彼もから重要人物にさせられてるのとか、怖くて当たり前なんだ。弱音があるんだったら、いくらでも言ってくれればいい」

アシュレイ自身も、知らないうちに極光星(スフィア)実験の超重要サンプルとなっていた存在だ。
それを自覚して以降、自分のとんでもなく重要な立ち位置なのだと思い知らされてからは、煌翼とはまた違う形で頼りになった友人が心の中にいてくれたとはいえ様々な苦労を強いられた。
だから、と理解を示すのは、彼女には押し付けになってしまうだろうから口にはしないけれど。
その恐怖を断片的にでも知っているアシュレイだからこそ、せめてその弱音の捌け口程度にはなりたい、と、そう思っていた。


877 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/11(金) 00:00:25 E4yNur6o0
 
「……プロデューサーさんは」

それが、功を奏したのか。
ぽつり、と、まず彼女が漏らしたのは、やはりプロデューサーという男のことだった。

「どうして、事務所を最悪の結末にまでもっていった私を、探してるんですかね」
「……少なくとも、そこに関しては、彼なりのけじめだったんだろう」

少なくとも、プロデューサーが信頼できる男であったかという状況証拠がどれだけ手に入ろうと、この聖杯戦争の場で火薬庫であることは変わらない。
……彼に提示できる最大の鬼札として機能し得るのが七草にちかだけであるという状態は、きっと変わりはしないのだ。むしろ、これまでの情報を聞けば確信に至ったとまでいえる。
それを分かっているからこそ、七草にちかも逃げられない。

「もちろん、彼が君の為に聖杯を取ろうとしていることは否定しない。君に幸せになってほしいと思っているだろうことも、間違いないと思う。
 ……その上で、たぶん。君が戻ってくれば、あの世界はもう一度前に進むんじゃないかって、思ってるんじゃないかな」

けれど、それが単なる彼女一人を救うための試みかといえば、どうやらそうでもないのではないかとも思えるようになった。
あの世界の283プロダクションの破綻の原因。もう一人のにちかを経由して、田中摩美々から手に入れたそれ。
少なくとも、それを聞いた限りでは――プロデューサーがたった一人、283プロダクションを投げ捨てた訳ではない。
心が壊れかけながら、他の誰から救いを得られることもなくなりながら、それでも彼は事務所を守り続けた。過労で壊れてもおかしくない24人のプロデュース。彼が背負った責任を、大人として遂行し続けるだけの理性が、彼には確かに存在していた。
そして、あの事務所が閉じられることとなった直接的なきっかけは――彼だけではなく、もう二人。
七草はづきと天井努、事務所を回している残る両名ですらも心を病んでしまったことが、あの事務所が閉じられることとなった最大の原因だ。

――そして、その全てが、七草にちかという存在が欠けたことで産まれた歪みなのだとしたら?

そう考えれば、少なくともアイドル達から聞ける限りでの彼という人物像と、辻褄が合うような気がした。
彼女の帰還は、きっと。彼の中で、あの世界の283プロダクションを再起動することにも繋がり得るものなのだ。

「……そんなの、ただの予想じゃないですか」
「ああ。でも、そうであってくれれば俺達も幾らか手が増える。楽観的かもしれないけど、悲観的になりすぎて折角見えたかもしれない光明を見失うよりはマシだろう?」

こちらにとっての危険人物である可能性を、捨てる訳にはいかない。
彼に殺されないと太鼓判を押せるとしたら、283プロダクションの中でも七草にちかだけだ。
だが、理はある。
理が存在するということは対話が成立するということで、対話が成立するというのであればそこには可能性が存在するということだ。
那由多の彼方であろうと、可能性があるならば。たとえ結果的に一万の体感時間を支払おうとも、我慢強い議論でそれを掴むことが、アシュレイ・ホライゾンの在り方だから。
その可能性が見えるだけ見えたということは、アシュレイにとっては朗報だった。
通用しないかもしれなかろうが、それでもプロデューサーの目的にそれが含まれているのであれば。捨て札になるかもしれなかろうが、それを保持する意味は出て来るのだから。

「……でも、まあ。プロデューサーがそうでも、やっぱり私が駄目なまんまだと、同じことの繰り返しになりそうなんですけど」

ただ――プロデューサーについての責任が、それで済むとしても。
にちかが抱える問題が、それだけで解決する訳でもない。
自分が全てを台無しにしていたかもしれないという責任を払拭できるものではなく、また、そうしてしまう自分への嫌悪を拭うものでもない。
普段のそれと違う、証拠の存在する自己嫌悪は、七草にちかの精神をより蝕む方向で作用した。

「いっそのこと、向こうがプロデューサーさんに会いにいけばいいんですよ」

そしてそれは、この場においては。
自分よりも弁が立って、立派そうな彼女を立てるという方向に噴出する。

「摩美々さんたちとも仲いいみたいだし、プロデューサーさんのこと考えっぱなしみたいだし――それで、プロデューサーさんにもう一度アイドルさせてもらうとかすればいいじゃないですか」

つらつらと、そんな言葉ばかりが出て来る。
情報の格差こそあれ、今の時点で冷静に置かれた状況を共有し、その上でこちらを弾劾できるまでに『アイドル:七草にちか』のことやプロデューサーのことを分かっているらしい、もう一人の自分。
そこまで言えるなら、こんな自分は放っておいてそっちで勝手にやってくれればいいのに、という苛立ちと共に、にちかはそんな提案を引っ張り出していた。


878 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/11(金) 00:00:54 E4yNur6o0
 
「……多分、そうはならない」

そして、その選択肢だけは有り得ないと、アシュレイは思っていた。
マスターと比べて、幾らか成熟している面はあることは否定しない。マスターとの舌戦においても冷静さを残していた方だし、物怖じだってしていない。その姿は、特に今の塞ぎこんでいる彼女からは素晴らしいものとして映ったことだろう。
だが、それは大した違いではない。向こうのにちかだって、感情任せに言いたいことを言い切らないまま相手のことを慮らない暴言を放ってしまうくらいには、等身大の少女なのだし。
何より、彼女にはプロデューサーの説得ができない理由が、別にある。
プロデューサーの目的が『アイドル七草にちか』であるのなら、彼女だけは絶対に、マスターの代役となることは、できない。

「彼女はアイドルを目指してもいないし、多分……本当に、普通になることを選んだんだ。アイドルであることを諦めた代わりに、ただの人間として胸を張ることを選んだ」

……こちらの七草にちかと比べた時の彼女は、厳密に言えば己のマスターと同一人物ではない、とアシュレイは思っていた。
それは、第一印象の時点で既に垣間見えていた。
にちかと比較した時の彼女の様子は、少しばかり不健康そうであったから。
勿論、目に見えて栄養失調であるとか、そこまで困窮しているという風には見えないけれど。
こちらが、「アイドルであり続けられる」程度には健康的なのと比較してしまうと、どうしても彼女は見劣りしてしまう。
雑、という訳ではないが、ただ、そう。日常に埋没するのであれば、それで十分だろうと思う、その程度の日々の過ごし方。
そしてそれは、アイドルを目指している彼女に見劣りすることは事実だが、かといって自暴自棄と呼べるようなそれでもない。
その確認が、彼が最後に投げかけた問答だった。
己と、形はどうあれアイドルになった自分を比べるような質問を受けたあの時。彼女は、静かに笑ってそれに答えた。
その声色に、嫉妬や羨望、そしてそこから来る破壊的欲求はなく。
むしろ、マスターがよくする声にも似た――自己嫌悪の響きさえ、感じられてしまった。
……恐らく。
あれは既に、己の敗北に対して線引きを済ませている。
ただの、凡庸であり幸福な人間なのだ、あの少女は。
身の程に足りる身近なものの幸福だけを願い、それを乱すものやその原因には当然に怒り、大義すらも関係無しにただ己の人生において必要な最小限の幸福だけを追求する。
それこそ多分、凄い人間であるにも関わらずやたらと俗っぽいあの元銀狼の友人が、それでも自分を慕ってくれている人間を見過ごせない程度には、良い人であったように。
あれは、そういう一般的で凡庸な嫉妬と、羨望と、善心の塊だ。
ただの人間――本当に、そう。普通に生きて普通に幸せになることを夢見る普通の人間だ。

「それは、決して悪いことなんかじゃない。夢を諦めて、それでも尚普通に生きることまで否定してしまったら、生きていけない人間だらけだ。
 むしろ、その境遇で妬み嫉み――逆襲の願いを抱かないだけ、彼女は立派と思う」

そう、それ自体は悪い事でもなんでもない。
舞台を降りて尚まっすぐ生きることだって、等身大の人間には中々難しい。大義だとか夢だとか希望だとか、そんな輝かしいものだけを掲げて生きていくことのなんと過酷なことか。
それに、夢を諦めたからといって、逆襲を許容できるような心を抱いている訳でもまたない。
敗北者であり、舞台に上がるべきではない存在であることを認めて、その上で、それはどうしようもなく逆襲からは外れている。
彼女のその在り方は、きっと尊いものなのだ。

「……でも、その普通さも立派さも。多分、プロデューサーを止める条件にはならない」

――だが、その愚かさと平凡さが、どんなに尊いものであったとしても。
今のプロデューサーに、その尊さは届かない。
その理由は、先述の通りだ。彼にとっての勝利条件が「アイドル七草にちかの帰還」であり、その先にある283プロダクションの再始動であるのなら。
彼が取り戻そうとしているのは「失敗」であり、再び物語を始めることができない只人では、その歩みを変えることはできない。


879 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/11(金) 00:01:26 E4yNur6o0
 
(――彼が別れを告げたのは、たぶん、その証左だ)

それに気付いたのは、七草にちかに対して「さようなら」と告げた、プロデューサーのことを聞いた時。
電話を切る時には到底そぐわない、別れの言葉。そして、マスターの七草にちかと彼女の相違点。
そして、何より、かつてのプロデューサーが、過去の――信じた光の為に命を賭していた頃の自分と似ている、と感じていたからこそ、アシュレイはそれに気付くに至った。

ヒントになったのは、先程田中摩美々のことを調べている時ににちかが漏らした、283プロダクションのプロデュース方針。
大事なのは、彼が現実と向き合う中で、ある種の理想を追い求める者である、ということだった。
アイドルの希望を聞き、それを極力叶え、観客だけでなく本人にとっても理想的な形で輝けるようにする為の努力。
それを怠らなかったことは、マスターからの話でもなんとなく伝わってきた。

そんな理想家の面に加えて、彼が善人であること。
そこに、改めてもう一度、「彼が人を殺したかもしれない」という情報と、向こうのにちかが電話をするまで落ち込んでいたことを情報として付け加えると。

――まず前提として、彼は殺人を躊躇なく起こせるような人間じゃない。むしろ、取れる方向がそれしかなかったということに関してはずっと悔いを残すタイプ、だろうな。
――目的の為に誰かを殺すことに嫌悪感を示し、それでも尚進むと決意したならば……元が善人であればある程、その犠牲を見過ごさずにはいられない。光であろうとなかろうと、人を殺した善人ならば誰もが一度は悩むことだろうよ。

そう答える片翼に、心の中で頷く。
七草にちかの為に生き残ることを良しとしたところで、その罪悪感を誰しもがすぐに忘れられるタイプではない。
そういった問題をあっさり「仕方ない」の一言で片付けられるような人間ではない、というのが、プロデューサーへの印象だ。
アイドルの希望に妥協せず向き合おうとする、その潔白さと理想主義に、殺人という行為は相反すると言って相違ない。

だが、彼が殺人を躊躇したかといえば、そうではない。
彼は既に、予選の段階で数人を殺している可能性がある。少なくとも、聖杯戦争への勝利を狙う上で、マスターを巻き込む可能性は十二分にあり得る。
正しい倫理観を持ちながら、それでも殺人には絶対に躊躇しない――その矛盾する答えが成立する前提を、しかしアシュレイ・ホライゾンこそは知っている。
光の英雄。理想の信奉。犠牲を全て受け入れて、背負って立つという選択。

――進む時に切り捨てたものに、目を向けずにはいられない。命を奪うことは当たり前に悪なのだから、その悪辣に目を瞑ってしまえば抱いた理想にすら傷がつく。
  それは光の背負った勤勉さだ。殺人に葛藤を重ねるが故に、己がその葛藤で足を止めることもまた許せなくなる。
――……ああ、そうだな。よく知ってるよ。

だって、自分がそうだった。
まだ自分が光に吞まれていた頃。レイン・ペルセフォネと再会する直前の、あの墓場の戦場で、自分は同じ思想を抱いたのだ。
理想の為の殺人など、矛盾の塊であり。だからこそ、殺人という業を全て背負い進むことのみが、報いることなのだと。
あのプロデューサーが、光ではないにせよ、七草にちかという彼にとっての理想の為に進んでいて、そして「真面目な理想家」という面を捨てきれていないのであれば。
己が人を殺した罪を背負う為に、その犠牲全部を、必要以上に背負ってしまっている。
戦争だから仕方ないとか、相手にも願いがあった正々堂々の戦いだったとか、そういったお為ごかしの理屈で、背負ったものを正当化することが出来ていない。
その可能性は、十分にあった。

そして、その上で。
自分でも分かるくらいに二人のにちかが別人であることと、そんな彼女に対して「さようなら」と言ったことを繋ぎ合わせると、最悪の想定が出来上がる。

――その為に、「別の世界から来た同一人物すら殺さなければいけない対象とする」、か。
――光(オレ)のようなものであれば、そうだろう。己の不徳、悪徳を許せぬならば、せめて徹底的なまでに信じた理想に殉じるしかないのだから。

最悪の場合。
プロデューサーは、向こうの七草にちかを殺す覚悟を決めているかもしれない、ということ。


880 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/11(金) 00:01:54 E4yNur6o0
 
本来ならば、有り得ないのだ。
救いたい相手と同一人物である人間に殺意を抱くなど、まともな人間が考える訳がない。
殺してでも救いたいなどという狂気的な考えでなければ、到達しないのだ。
だが、それに到達する可能性が、一つだけある。あの七草にちかにだけは、例外処理が発生する余地がある。
それが、あの七草にちかは、プロデューサーが知っている七草にちかとまるきり別人であるという事実。
ただ平凡でそれ故に幸福を選んだ七草にちかは、背負った運命が根本から異なっている。同一人物と呼ぶには、その精神の在り方がどうしようもなく違ってしまっている。
仮に彼がその覚悟を持っていたとして、自分のマスターである七草にちかにはその殺意は及ばないだろう。プロデューサーの世界の彼女と今のマスターの間でも、誤差はあるとはいえ、少なくともW.I.N.G.に到達するまでの大まかな概要は同じだし、何より彼女は「アイドルになろうとする意思」を持っているから。
だが、そもそも彼女は、その意思どころかそれを持つに至るだけの意欲を完全に捨て去っている。
自分でもあっさりと気づけたくらいなのだ。電話越しとはいえ、半年を越える間接し続けたプロデューサーがそれを察する可能性は十分にある。
そして、別人であるならば――あの七草にちかが、他人であるというのなら。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――同一存在だからというその程度の理由で、アイドルですらない誰かに情けをかけてしまっては。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――描いた理想の為にこれまで殺した誰かに申し訳が立たない。全く以て同感だ。犠牲が既に支払われたなら、せめてそれに報いることが唯一の贖罪足り得るのだからな。

七草にちかという光があって、283プロダクションにいたアイドルという守りたいものがあって、その為に既に犠牲を払ってしまった。
そして、ならばこそ、己のエゴ故に犠牲になってしまったものを思えば――「自分が守りたい人間に似ている」という、それだけの理由で、「関係ない他人」を殺すことを躊躇ってしまうことの、なんと愚かなことか。
そして、何より。
その恣意的な選択は、プロデューサーという男にとって、「救けなければいけない七草にちか」と「283プロダクションに無関係な、ただの普通の一般人である七草にちか」を天秤にかけた時に。
 ・・・・・ ・・・・・  ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・
「彼女を救う」ことよりも、「彼女に似た他人を殺さない」ことを選んでしまうという、最悪の間違いになってしまう。
それは、既に「彼女を救う」為にたくさんの無辜の人間を殺してしまったプロデューサーが、絶対に選んではいけない答えだった。

(つまるところ、真面目で純粋で正しい――光に近しい存在であるからこその、殺意)

……根差した性質こそ違えども、それはまさしく光の宿痾が一つ。
伝え聞く通りの実直さと理想主義は、最悪の結末と奇跡の可能性を目の前としたことで、彼自身をも縛り付ける強迫観念へと成り果てた。

そして、その漆黒の殺意を無自覚で感じ取っているからこそ。
あの七草にちかだけは、本気でプロデューサーのことを敵として定めている。
283プロダクションに関わるマスターたちの中で、恐らくは彼女だけ。彼女だけが、同情と好意の皿よりも、敵愾と嫌悪の皿を天秤の下に敷き、プロデューサーという男に敵対する覚悟を持っている。
彼が事実アイドルにも向けていないかもしれない、「七草にちかのための殺意」を、彼女だけがその身を以て感じているから。

彼女自身には、確かにプロデューサーという男に会うつもりはあるのだろう。
なにせ、彼女の中心にあるのは「殺されるかもしれない」という恐怖心だ。もし傍らのにちかがプロデューサーを救ったとしても、「自分を殺すかもしれない相手」とそれで和解、という訳にはいかない。
だから。この後どんな結論が出たとしても、彼女は彼女自身の身を以て、プロデューサーという男に対面しようとする筈だ。
ただし、和解するためではなく――必要とあらば、戦う為に。
彼女は、「プロデューサーが殺意を持っているかどうかを示すバロメーター」にはなり得ても、「プロデューサーに宿った殺意をなかったことにする」という役目は、絶対にこなすことができないのだから。


881 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/11(金) 00:02:38 E4yNur6o0
 
(……とはいえ。流石に、誰にも言えないけどな)

……あの七草にちかが、恐らくは意図的に隠している通り。
彼女がそう思っている、という事実を、ここで言ってしまう訳にはいかない。今の時点でこれを詳らかにしてしまえば、恐らくは彼女を283プロダクションの軍勢から孤立させてしまう。
Wが田中摩美々を残そうとしたのも、彼女が抱く「これ」が露見することを恐れたからだろう。
何も遠慮せずに言い合うことができる七草にちか同士だけでは、この言葉が隠されず出てしまう可能性があった。事実、プロデューサーという男への推察が前提にあったとはいえ、アシュレイが顔色で七草にちかの殺意を理解できるくらいなのだ。そのくらいには、彼女はこの無意識の恐怖と嚇怒を隠すことに向いていなかった。
だが、田中摩美々がもしプロデューサーを慕っていて、それをにちかが知っているのであれば。恐らくは、より意図的に、この感情を隠そうとして話していた筈だ。
慕っている相手の前で殺意を口走る程、愚かではない。それだけの分別を、彼女は意図的に身に着けていたようだったから。
彼女自身、知っているならあのアーチャーも。そして、アシュレイとW。ひとまずはこの四人だけで、この事実を押し隠す必要がある。

――ともあれ。

「彼女は、プロデューサーと会う時には、一緒に会ってくれると思う。だけど、アイドルであることを諦めている彼女は、きっと説得することはできない」

アシュレイの口から確約できるのは、その程度に収まっていた。
プロデューサーの真意は、彼女に更なる重みを背負わせてしまうことになる。これ以上、判断基準に重荷を乗せる訳にはいかない。
今この時、にちかが判断しなければいけないことは、もう一人の彼女とプロデューサーの間にある確執についてではなく。

「だからといって、マスターがやらなきゃいけない訳でもない。マスターがやりたくないなら、今からでも俺からWに降りるって言ってもいい。
 ――ただ。もしプロデューサーに会うつもりなら、あの子が怒った理由について、考えるべきだと俺は思う」

彼女自身が、プロデューサーと――ひいてはアイドルと、どう向き合うべきなのか、なのだから。
Wが避けては通れない命題だと示したのも、つまりはそういうことだ。
283プロダクションの戦禍に巻き込まれるというのであれば、彼女はプロデューサーと絶対に向き合うことになる。
そしてその時、プロデューサーと向き合ったなら。その時の彼女は、聖杯戦争のマスター・七草にちかではなく、283プロのアイドル・七草にちかでしかなくなってしまうだろう。
そしてその時、彼女が心の中でアイドルとしての道標を立て直すことができていなければ。
恐らくは彼女にとってもプロデューサーにとっても、最悪の結末を辿る結果に終わってしまう。

「……聞かせてくれないか。さっきの、八雲なみって人の話」

故に、直面しないといけない。
プロデューサーではない、彼女を取り巻いていた人々でもない。もっと根本の、アイドルに憧れた理由。アイドルになると、決めた理由に。
七草にちかにとって、彼等彼女等の因縁とは別に、ただアイドルとして立つ為の、道標として。

「……なみちゃんは。昔のアイドルで、私たちの同世代ではあんまり話題にならないんですけど、本当に凄くて」

か細い声で、ぽつりぽつりと、にちかの口から言葉が漏れる。

「スカウトの話とか、すっごくキラキラしてて。インタビューで、靴に合わせるんだって語ってたのが忘れられなかったから、私もそれを目指して。……そうやって、背中を押してもらって」

注意深く聞かなければ聞き落としてしまいそうな小さな声で、けれど、それを話している彼女の目には、小さく光が灯っていて、見ているアシュレイからしても、好いていることが手に取るように分かる。

「……でも、もしかしたら、なみちゃんはそうじゃなかったんじゃないかって」

けれど。
そう言うと同時に、彼女の目が沈む。
輝きをどこに見出していたのか、忘れてしまったかのように、その瞳の中から輝きが逃げ出して。

「なみちゃんは、私に勇気をくれたけど……本当は、もっと別に歌いたいことがあったんじゃないかって」

絞り出すようなその声は、きっと、ずっと認めたくなかったこと。
口に出してしまえばそれが本当であるように思えてしまうから、言いたくないとずっと感じていて。
それでも――心の中からどうしても追い出せないくらいに、浮かんでしまった可能性。

「……なみちゃんも、本当は、アイドルを楽しめてなんかいなかったんじゃないかって」

……それは、ああ。なるほど。
それは確かに、辛いだろう。苦しいだろう。
その痛みに関しては、共感できるな、と。アシュレイ・ホライゾンは思った。


882 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/11(金) 00:03:45 E4yNur6o0
 
「……気持ちは分かる、なんて言うつもりはないけど。俺もさ、似たようなことがあったんだ」

だって自分も、そうだった。
クリストファー・ヴァルゼライドへの憧憬。あまりに正しい英雄への畏敬。自分もああなりたいという、間違うこと無き栄光を目指した己の心が、全て偽物だったと分かった時のことを思い出す。
自分の記憶が偽物で、どうしようもなく改竄されて、道標にしてきたものそれ自身が誰かに仕組まれた本来あり得ぬ感情で。

「その上で、俺は――その憧れを、否定しないよ」

……けれど。
そこまでされても、アシュレイ・ホライゾンにとっては。
今でさえ、胸を張って言えることがある。

「自分が憧れてたことも、憧れていたものの素晴らしさも。絶対に嘘になんてならないってことは、俺は胸を張って言える」

自分にとっての憧憬は、半身に相当する煌翼(ひかり)の在り方だ。
たとえ過程に偽りがあっても。仰ぎ見た姿が嘘だったとしても。それに憧れたことは変わらないし、その在り方にはどうしたって惹かれてしまう。
――だって、光は光で素晴らしいから。
それが何より尊くて、自分の背中を押し続けてくれた事実は、変わらないから。

「俺は今でも、誇りに思っているよ。あの日植え付けられた光景の中の、彼の雄姿も」

――もちろん、お前のこともな。
――此方の台詞だ、蝋翼(イカロス)よ。英雄(ヒカリ)の業に運命を掻き乱されながら、それでも未だに俺のことをそう思ってくれるお前こそ、俺の誇りであり無二なのだから。

そう答えてくる彼にしたって、間違いなく正しい心を持っているのだ。その在り方が苛烈であり全てを滅ぼしてしまうとしても、彼がそう生きる理由は、間違いなく曇りない正しさだと思っている。
正しい理屈はどこまでも正しいし、自分もそんな絶対的な正しさに憧れて道を歩んだのだ。そんな極めて単純な理屈を、誰が否定できるだろう?

「マスターは、そうじゃないのか?」
「……………」

そう問うてみれば、にちかはただ黙りこくるだけで。
けれど、それが何よりの肯定だった。
八雲なみに支えてもらった道程を、彼女だって否定できる訳ではない。

「……でも」

けれど、ならば。
ならば、どうすればいいのか。

「だから、なんなんですか。なみちゃんがいなくなったところで、私が才能ないのは、変わらないままなんですよ」

尊敬は嘘ではない。背中を押してくれていたのは、嘘ではない。
けれど、ことここに至って、それが背中を押してくれないのならば、ここから先進む為にはどうすればいい?
才能がないから、背中を押してもらわなければ立てないような弱い人間が。支えを失くしてしまったら、どうすればいいのだ。

「だから、新しいものを――また私が燃やして、飛べるようなものを見つけないと、結局同じことの繰り返しで。
 そうじゃなければ――やっぱり、私は。なみちゃんの靴に、合わせるしか………」

だったらもう、そこに頼るしかないじゃないか、と。
そう一人ごちる彼女の声は、しかし、その答えを最早信じられているようではない。
……分かっているのだ。
ただ合わせるだけじゃ、駄目なのだと。
光をただ素晴らしいものだと妄信し、それに縋ればきっと上手く行くのだと信じ込もうとするだけでは。
それはただ、闇に見ないふりをしているだけだ。その裏にある彼女にとって都合の悪い現実に蓋をしているだけなのだ。

「……そうだよな」

……たとえその都合の悪い現実というものが、彼女の主観に過ぎないものであったとしても。
結局のところ、彼女の問題はそこに行きつくのだろう。
彼女の自己嫌悪。どこまで言っても、自分は駄目なのだというレッテルを自分に貼ってしまう自傷行為。
それを打ち破らない限り、八雲なみという外部の虚飾を被るしかないくらいに自分は足りないのだと、彼女は言い続けてしまうのだろう。
ただ自分の認める形での承認を得たいと願うそれを、我儘だと一蹴されればそれまでなのかもしれない。
だが、理想の自分に近づこうとしても絶対にそうなれない心苦しさには、アシュレイだって覚えがあるから、簡単に否定できるものではない。

「言葉で諭されるだけで、そんな簡単に、前なんて向けない。この程度で心の底から払拭できるなら――」

……君は多分、もうプロデューサーに、周りの人々に救われていただろうから。
その言葉を、アシュレイは飲み込んだのが、にちかにも分かった。
君には才能があるとかないとか、そういうことに、プロデューサーという男は一切口を出してこなかった。
ただずっと、にちかがやりたいことと、にちかがアイドルとして歩むことができる道について、聞き続けてくれていた。
それを真正面から受け止められたら、変わっていたのだろうけれど――言葉ひとつでそれを簡単に受け入れられていたなら、彼女だってここまで苦しむことはなかっただろう。


883 : Hello, world! 〜第二幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/11(金) 00:04:09 E4yNur6o0
 
「だけど、それ以上に。誰よりも君が、君を見つけてる」

……だったら。
プロデューサーでも、アシュレイ・ホライゾンでも、彼女の価値観を覆すことが容易ではないなら。
七草にちかのそれをたった一つの言葉で変える“可能性”を持つ人間は、最早一人しかいない。

「……『君』が、君を見つけてる」

その、言い直した言葉の意味を、分からない程に馬鹿ではなかった。
だって、もうそこには彼女がいたから。
息を切らして駆け込んで、自分の姿を見つけてから、サーヴァントを引っ張ってくるようにこちらへと駆けだしてくる姿が見えたから。

「だから――もう一度、聞いてみてくれ。彼女の言葉を」

それを最後に、アシュレイ・ホライゾンは立ち上がる。
離れる訳でもなく、さりとてそれ以上近づくでもなく。ベンチの裏側に立って、依然としてすぐそばに寄り添いながら、共に歩み寄ってくる主従へと向き直ってくれる。
そして、向き直った先。息を切らして、駆け込んできた彼女は、自分の前に駆けよって来たかと思えば、膝に手を突いてしばらく肩で息をしていて。
どれだけ走ってきたんだ、そんなに遠くない筈で、私が全力で走ってきてもそんなに息を切らすことなんてない距離なのに、と思って、ふとひとつの事実に思い当たる。

(……そうか。この、私は)

走り込みもしていなければ、筋トレやダンスレッスンも全く行っていない。
もちろん歌唱だって本格的に磨いていないだろうし、化粧なんて令呪を隠していないという一点でたかが知れてしまうような。
そんな、本当に――ただの、七草にちかなのだ。
アイドルでもない、体力もそこまでなければ家だって生活保護で辛うじて送っているような、きっとこの後生き延びたとしても一生スポットライトを浴びることのないであろう。
そんな、役すらも与えられない彼女は。

「……さっきも、言いましたけど。もっかい、ちゃんと返事を聞かせてください」

それなのに、今。
観客席に座っている群衆にすぎない、彼女は。
決然と立って、その視線を向けている。
舞台に立っている筈の、七草にちかへと。

「見たんですよ、アイドルのあなたを」


――七草にちかにとっての、開戦の合図を告げる為に。


「なんで、あそこで――なみちゃんのステップを、踊ったんですか」


884 : Hello, world! 〜第三幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/11(金) 00:04:55 E4yNur6o0
一旦投下を終了します。第三幕についても期限中には投下予定です。


885 : ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:19:08 S1fTyhcg0
投下お疲れ様です。
自分も予約分の投下をさせて頂きます。


886 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:20:23 S1fTyhcg0
 プロデューサーさんが声をかけてくれた日のことを、私はずっと忘れません。
 何もなくて、自信がない女の子でしかなかった私に声をかけてくれたから、アイドルとしてたくさんの笑顔と幸せを届けられました。
 でも、プロデューサーさんが今の私を見たら、何を思うでしょう。
 灯織ちゃんとめぐるちゃんを失った怒りと悲しみで、ずっと隣にいてくれた女の子を裏切ろうとした私を知ったら、ガッカリするはずです。
 みんなに酷いことをする人は許したくないですが、私自身が誰かを悲しませてはいけません。
 この世界で出会った優しい女の子……星奈ひかるちゃんに、私はそう誓いましたから。





『アヴェンジャーさん、あさひ君はあれからちゃんと隠れられましたか?
ご飯はちゃんと食べられましたか? おでんさんは一緒ですか?
もしあさひ君が大丈夫そうなら、お話がしたいです』

 俺ちゃんのマスターこと神戸あさひがグラス・チルドレンの協力者になった頃だ。
 二度にも渡ってあさひを助けてくれたピュアな女の子、櫻木真乃チャンが連絡をしてくれたのは。
 ふぅ、と俺ちゃんことデッドプールはため息をついてしまう。

(……あの娘たち、今もあさひのことを信じているだろうな)

 中野区で分かれてから、真乃チャンたちがどうなったのか俺ちゃんたちはわからない。
 ひとまず、無事なことは確かなようだが……喜べるわけがなかった。
 俺ちゃんたちは殺し屋の仲間になってしまった。当然、予選期間の時点でゴッサムシティのヒットマンになったし、あの娘らは俺ちゃんたちのスタンスを知っている。
 でも、あさひは真乃チャンたちとふれ合っていた。二人と過ごした時間は、あさひの心を確かに癒やしていた。
 あのアーチャーチャンが頑張ったからこそ、おでんやサムライジャックと再会できたことを忘れない。

(けど、もうあさひは真乃チャンたちと共に歩くことはできない。バットマンとジョーカーみたいに、敵対するしかないのさ)

 俺ちゃんは今、マンションのお手洗いにいる。
 ガキンチョたちには「トイレタイム」と言い訳して、あさひの炎上がどうなっているかをスマホでチェックしたのさ。新宿事変の後とはいえ、炎上の件を忘れるのはNGだからな。
 すると、真乃チャンからの連絡が来ていた。全く、とんでもないタイミングだな。

(……せめて、お別れの挨拶くらいはきちんと済ませておかないとな。あと、Pちゃんのことも……伝えてやるか。星野アイのライダーの野郎を真似るのはムカつくけどよ……)

 グラス・チルドレンに囚われてしまったPちゃんことプロデューサーは、283プロダクションの関係者だ。
 Pちゃんがグラス・チルドレンに囚われた理由は、283プロダクションとの戦いに備えた人質らしい。
 ……真乃チャンがマスターってことを踏まえると、囚われのヒロインとしてPちゃんは適任だ。この件を知ったら、Pちゃんを絶対に助けに行くだろう。
 だが、真っ正面から突っ込むなど自殺行為だ。いくら彼女たちが敵同士になったとはいえ、このまま放置するのも寝覚めが悪い。
 早いうちにメッセージを送るべきだ。もしも、あの娘たちが頼れる協力者と出会えたら、ちゃんとしたプランは立てられるからな。


887 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:21:42 S1fTyhcg0

(拝啓、櫻木真乃様……その節は大変お世話になりました…………いや、ジャパニーズ式の前置きなんざ無粋か)

 こういうのは、ちゃんと言葉にしないとな。
 彼女はハートをぶつけてきたから、俺ちゃんとあさひも答える責任があった。
 今、あさひはPちゃんと話をしている最中だが、あの部屋には見張りが二人もいる。
 Pちゃんは人質だから、逃走や裏切り防止のために監視しなきゃいけないのは当たり前だが……同時に、俺ちゃんとあさひも妙な動きはできない。
 ここは、俺ちゃんお得意のサービストークの時間だな。

『真乃チャン、あさひなら無事だぜ。メシはちゃんと食べたけど……ちょっと用事があって、おでんとは別行動を取った。今から、あさひに電話させるぜ』

 まず、彼女には最低限のメッセージを送る。
 女の子からのメッセージをスルーなんてマナー違反だからな。
 だけど、真乃チャンの話し相手は俺ちゃんじゃなくてあさひだ。
 ……あさひが聖杯を狙っているのかどうかを、今でも気になっているだろうしな。





「283プロダクション……ですか?」
「あぁ。俺は、そこのプロデューサーだったんだ。明日、283プロのアイドルがライブをするはずだったけど……この大地震が起きた後じゃ、中止になるだろうね」
「それは、残念ですね……」

 ガムテの協力者になってから、案内されたとある部屋でプロデューサーさんと話をしている。
 話をするうちに、この人は283プロで働いていたことがわかった。
 プロデューサーさんの知り合いの『あさひ』は『芹沢あさひ』というアイドルらしい。
 その人を思い出すから、俺のことだって名字で呼んでいるはずだ。

「星野アイさんと、もう一人……アイドルの女の子がいて、神戸くんを助けてくれたみたいだね? もしかしたら、彼女は283プロのアイドルかもしれないな」
「そうかもしれません。名前、聞けばよかったでしょうか?」
「……いいや、大丈夫だよ」

 プロデューサーさんの横顔はどこか寂しそうだった。
 きっと、この人も悩んでいるんだ。
 大切な人を救いたくて、でも心のどこかにある何かがそれを邪魔している。
 そんな半端な自分に嫌悪しながらも、足を止められない。
 だからこそ、俺はプロデューサーさんに悪い印象を持てないんだ。


888 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:23:36 S1fTyhcg0

(ガムテたちは……予選期間中に白瀬咲耶さんの命を奪った。だから、283プロを狙っているのか…………?)

 聞いた話では、プロデューサーさんは283プロのアイドルと決別する動画を撮ったらしい。
 もしも、櫻木真乃さんが動画を見てしまったら、何を思うのか……優しい彼女のことだから、絶対に悲しむはず。
 アーチャーと力を合わせて、プロデューサーさんを説得するために、自分たちから死地に飛び込んでいくだろう。
 でも、ガムテと組んでしまった今の俺は、もう彼女たちの力になれない。

『……あさひ。絶対に、Pちゃんは真乃チャンのことを知っているぜ?』

 今、この部屋から離れているデッドプールからの念話が届く。
 彼なら、俺とプロデューサーさんが何を話しているのかを察しているはずだ。

『そうだろうな』
『お前のことだ。今は黙っているつもりだろ?』
『…………この人が、櫻木さんと俺の繋がりを知ったら、きっと俺を逃がそうとする。それをグラスチルドレンに知られたら、どうなるかは……考えただけでも怖い』

 デッドプールが言うように、彼は櫻木さんのプロデューサーさんだ。
 譲れない願いを持っていても、本質的には櫻木さんと同じ善人だろう。下手に櫻木さんのことをプロデューサーさんに話したら、彼の決意が揺らぎかねない。
 俺だって、彼女と敵対すると決めておきながら、彼女に対する迷いを未だに自覚しているから。

『……だから、今は櫻木さんのことは黙っていようと思う』
『OK。でも、いつまでも後回しにできないからな。お前がこの道を選んだなら、いつか彼女たちとも戦うってことだぜ』
『わかってる。でも、櫻木さんについて話すのは、俺の口からにしたい。デッドプールも、それでいいか』
『それがわからない俺ちゃんじゃないぜ』

 昼間、櫻木さんがアーチャーと共に283プロの事務所に向かったのは、もしかしてガムテたちが関係しているのか?
 だけど、詳しい事情をガムテから聞くつもりはない。迂闊に話をしては、俺と櫻木さんに繋がりがあることが知られてしまい、糾弾を受けてしまう。
 それ以上に……

『あさひ』
『何だよ』
『あの子たちを売ったら……お前や、お前の家族を傷つけた悪魔と同じになる、って思っているだろ?』

 ……やっぱり、デッドプールは立派な大人だ。大人だからこそ、俺のことをよく見ている。
 星野アイと、彼女のサーヴァントであるライダーは絶対に許さない。
 どんな笑顔を見せようとも、あいつらは俺や母さんを傷つけ続けたあの悪魔と同じだ。
 でも、櫻木さんとアーチャーは違う。
 櫻木さんたちからは二度も助けてもらった恩義がある以上、軽率に話せない。
 当然、彼女たちが敵になるなら容赦しないが、最低限の義理だけは通すつもりだ。
 櫻木さんたちは、災害からきちんと逃げられたか……そんな疑問も芽生えるが、俺は振り払う。
 せめて、こんな俺ともう二度と出会わないことを、祈るしかなかった。


889 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:25:02 S1fTyhcg0
『お前はお前だ。何があろうとも、俺はお前を認めてやる。だから、お前もお前を認めてやりな』
『……そうだったな。ありがとう、デッドプール。でも、櫻木さんたちのことはまだ話さないさ』
『あぁ、今はそれがベターだ』

 頃合いを見計らって、櫻木さんたちに星野アイたちのことを警告する予定だった。
 しかし、グラスチルドレンの拠点に足を踏み入れた以上、外部への連絡など不可能。
 櫻木さんたちに向けた星野アイの悪意を見逃す形になるけど……今はどうにもできない。

『……デッドプール。星野アイたちは、俺たちの手で必ず潰そう』
『当たり前だろ? 俺ちゃんだって、落とし前はつけさせるつもりさ……なんたって、復讐者(アヴェンジャー)だからな』

 こうしている間にも、星野アイたちはどこかでのうのうとしているはず。
 だが、俺は指をくわえたままでいるつもりはない。
 ライダー……奴の真名だって、ガムテの口から俺は突き止めた。
 殺島飛露鬼という暴走族のカリスマだったロクでもない男。櫻木さんのアーチャーはあいつを信用しているみたいだが、やっぱり俺には受け入れられない。
 だからこそ、確実に潰すチャンスを得られたという意味では、ガムテの協力者になって良かったと思う。
 ガムテがライダー…………いや、殺島に対してどんな感情を抱いているのか、俺にはわからない。
 敵として排除するつもりなのか、あるいは味方に引き入れたがっているのか。それとも、また別の何かか。
 だけど、聞くつもりはない。俺とあいつは協力者だが、必要以上に干渉するのは違う。

『…………話を戻すけどよ、真乃チャンから連絡が来たぜ。あさひと話がしたいってさ』

 デッドプールの言葉に、俺は目を見開いた。
 胸が異様な鼓動を鳴らして、体が震えてしまう。

『ご飯をちゃんと食べたか、おでんは一緒にいるか……大地震の後でも、あさひを心配していたぞ』
『……デッドプールは、櫻木さんに答えたのか……?』
『最低限は、答えたぜ。でも、あさひとPちゃんがここにいることはバラしていない』

 デッドプールは返事するけど、俺は安心できない。
 櫻木さんには、俺自身の言葉できちんとお別れを済ませろということだ。

『…………わかった。俺が今から櫻木さんに連絡をするよ』
『どうしてもイヤだったら、今からでも俺ちゃんが代わるぜ?』
『大丈夫。そんなズルいことをしたら……俺はこれから、聖杯戦争に集中できなくなる』
『そうか。お前なら、そうすると思ったぜ』

 ガムテの手を取った時点で、俺は後戻りする選択肢を捨てている。どんな手段を取ってでも、界聖杯で願いを叶えると誓った。
 でも、それとはまた別の話だ。二度も助けてくれた彼女たちに対する、俺なりの責任は果たすべき。

『なら、ここは俺ちゃんに任せろ。見張りなら、ごまかしてやるからさ』

 その念話と共に、マンションのドアが開く。
 現れたデッドプールは、プロデューサーさんを見張る少年と少女……解放者と礼奈(レナ)の前に立った。


890 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:26:10 S1fTyhcg0
「やぁ、少年少女……ただいま」
「お前……なんか、時間がかかってたな。まさか、妙なことをしてたんじゃないだろうな?」
「フッフッフ、そいつはトップシークレットだ。俺ちゃんはジェームズ・ボンド並に口が固い……だが、当たらずとも遠からずだ。なぁ、坊や……義侠の風来坊って知ってるよな?」
「義侠の風来坊? あぁ、噂には聞くな……光月おでんっておっさんだろ?」
「そう、そのおっさんだ! あいつも聖杯戦争のマスターだが、俺ちゃんたちのピンチを助けてくれたサムライなのさ……表向きでは、サムライと同盟を結んでいて、定期的に連絡を取り合う約束になっている」
「何!? ま、まさかそいつに俺達の情報を流したのか!?」
「違う違う! むしろ、その逆……俺ちゃんは、あいつらを利用しているのさ。あいつらの強さはふざけたレベルで……真っ向からぶつかるのは危険すぎる。だから、上手く隙を狙っている最中だぜ? サムライたちの情報だって、ガムテ君に教える予定だったのさ」

 鋭い目つきを向けてくる解放者を前に、デッドプールは流暢に説得している。
 おでんさんを利用することになり、俺の胸は痛むけど……こうするしかない。デッドプールだって、内心では葛藤しているはずだ。

「そのサムライが、あさひと連絡したがっているから、二人きりでトークする時間が欲しいのさ。大丈夫……個人情報保護法はちゃんと守るって」
「疑われたくないなら、ここで今すぐ電話をすればいいだろ!」
「そうもいかない。どんなマジックなのか知らないけど、サムライは周りの気配を上手く察知する力を持っている。
 もちろん、不意打ちやヒソヒソ話なんて論外だし、なんだったら電話の向こう側から聞こえる音から、相手の気配や居場所も探れるほどだ!
 ガムテ君にスカウトされる前も、少し電話をしていたけどよ……なんと、俺ちゃん達の周りに誰もいないことを当てちまったのさ!」

 デッドプールはオーバーなリアクションで語る。
 多少の嘘を混ぜているけど、デッドプールの話は事実だ。
 4人で廃屋に向かうまで、おでんさんは周囲の気配を探っていた。詳しいことはわからないけど、おでんさんは特殊な力を持っているらしい。

「そんなデタラメがあるか!」
「デタラメだったら、新宿で暴れ回ったゴジラとキングギドラの方がよっぽどだろ? あれで街が軽く吹っ飛んだんだ……それに比べりゃ、俺ちゃんの話なんて可愛いレベルだろ!」
「はっ! どうせ、ガムテを出し抜くために、俺達を売ろうとしているんだろ!?」

 だけど、解放者はデッドプールを前に怒っている。
 実際におでんさんの力を見ていない二人を説得するのは、難しいだろう。

「……その男の話は、充分にあり得る」

 場の空気が悪化する中、ランサーが唐突に口を開く。
 プロデューサーさんのサーヴァントだけど、無口でとっつきにくい雰囲気があるから、話に入ってきたのが意外だ。

「至高の領域に近づいた強者であれば、他者の気配や闘気を察する力は自然と身につく。人間を超えれば、風の流れや呼吸の音など……微かな気配から、居場所を探るなど造作もない」
「そういえば……ランサーさんも、礼奈(レナ)やリンボさんのことに気付いたよね?」
「アヴェンジャーの話が事実であれば、迂闊に話などしてはここが探られる……そう言いたいはずだ」
「そうそう! ランサーくん、なかなか鋭いじゃん! ウィル・スミスやライアン・レイノルズみたいなボディだけど、実はネバー・ゴー・バックやロング・グッドバイとか愛読してる?」

 デッドプールの軽口に、ランサーはフンと鼻を鳴らす。
 一方で、解放者のいぶかしげな視線は変わらないが、刺々しい雰囲気は和らいでいる。

「と、いう訳だ解放者君。おでんにバレないため、どこか静かな所に移動させて欲しいのさ。もちろん、ここのマナーはちゃんと守るぜ」
「……5分だ」
「ん?」
「5分以内に話を済ませろ。それを過ぎたら、俺はガムテに報告するからな」
「おぉ、サンキューベリーマッチ! さあ、行こうぜあさひ」

 デッドプールに手を引かれながら、俺は部屋から出て行く。
 ガムテの協力者になった俺だけど、グラス・チルドレンの全員から信用された訳ではない。
 既に俺たちはグラス・チルドレンの命を奪っているから、解放者から警戒されるのも無理はない。
 何よりも、界聖杯を手に入れられるのはたった1人だけだから、いつかはガムテと戦う。
 プロデューサーさんたちに比べれば、まだ自由だけど……迂闊な行動はできなかった。


891 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:27:23 S1fTyhcg0

「ここなら大丈夫だぜ?」

 デッドプールと共に移動した先はマンションの階段だ。
 誰かが通る気配はなく、話をするにはうってつけの場所かもしれない。
 もちろん、長電話はできないけど……

『……デッドプール。プロデューサーさんのことも、俺の口から話したい』
『本気か?』
『プロデューサーさんのことは早いうちに教えるべきだって、デッドプールは考えていただろ? 俺は何から何まで、デッドプールに任せてばかりだった……だから、俺も責任を果たしたい』
『そうか。なら、責任感に溢れたお前に、このミッションを任せたぜ』

 俺たちの念話は、とても暗い色を帯びている。
 デッドプールがいなかったら、俺はここまで生き残れなかった。
 敵対主従はもちろん、グラス・チルドレンとの戦いだって彼に押しつけている。
 SNS炎上を原因とした危機だって、他のみんながいたから乗り越えられた。
 ……その優しさを裏切るけど、俺だって自発的に動かないといけない。
 決意を胸に、デッドプールから受け取ったスマホの通話ボタンをタップして、端末を耳に添える。

『…………もしもし。あさひくん、ですか?』

 スマホの向こう側から聞こえてきたのは彼女の声。
 震えているけど、心を優しくなでてくれそうな雰囲気はそのままだった。

「はい、あさひです」
『よ、よかった……! さっき、新宿で大きな地震があったから、巻き込まれていないか心配でした……!』

 敵同士になったとは思えないほどに、穏やかなやり取りだった。
 言うまでもないが、櫻木さんは俺の決意を知らないし、また話せる時間も少ない。
 だから、早めに伝えなければいけなかった。

「心配をかけてすみません。俺たちなら、特にケガをしていませんから。そっちはどうです?」
『私たちは……色々、ありましたけど…………ケガは、してませんよ…………私も、アーチャーちゃんも……生きてます…………』

 耳元から聞こえてくるのは、明らかに疲れた様子の櫻木さんの声だ。
 何があったか? なんて聞く必要はない。新宿では1万人を超える犠牲者が出たから、櫻木さんとアーチャーにとってショックは大きいはず。
 もしも、むごたらしい死体を目の当たりにしたら、大きな心の傷を負ってしまう。
 櫻木さんたちは、人を助けられなかったことに苦しんでいるはずだ。

「…………大変、でしたね」

 けど、そんな言葉が俺の口から出てしまう。
 櫻木さんの声だけじゃなく、けたたましいサイレンの音も聞こえたからだろうか。
 彼女たちは今、被災地の真っ只中にいる。だから、つらい目にあってしまったはずだ。


892 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:28:50 S1fTyhcg0
「……ごめんなさい。こんな言葉しか、言えなくて…………何があったのかも、知らない…………のに…………」
『……いいえ。大丈夫、です…………あさひくんが、無事だってことが……わかりましたから…………』

 どう考えても、大丈夫じゃない。
 電話の向こう側にいる櫻木さんは疲れ切っていることが、声を聞いただけでわかる。

 ーーこいつの手を取ったら最後だ。お前はもう止まれない

 だけど、俺の脳裏に過ぎるのはデッドプールからの忠告。
 そう……ガムテたちの手を取った時点で、俺の道はもう決まってしまった。

『どうする? 今なら、まだ間に合うかもしれないぜ……俺ちゃんが命がけで、逃がしてやることもできるぞ』
『……そんなこと、するわけがないだろ』

 デッドプールの念話に、俺はキッパリと答える。
 ガムテと出会った時点で、俺の運命は決まった。
 何を裏切ろうとも、あらゆる善意を踏みにじることになっても……界聖杯で願いを叶える以外にない。
 星野アイたちを売ることには何の痛みもない。
 ただ、おでんさんと櫻木さんたちの情報をグラス・チルドレンに与えてしまったけど……俺たちはいずれ戦う運命にある。

『……あの、あさひくん……一つ、聞いてもいいですか?』
「なんでしょう?」
『今でも、あさひくんは…………やっぱり、聖杯が、欲しいのでしょうか……?』

 櫻木さんの声から伝わる温かさが、ゆらいでいくのがわかる。
 その質問は予想していた。
 彼女は聖杯戦争そのものに否定的で、俺は聖杯を求めて戦っている。
 でも、櫻木さんは俺のことを信じてくれていたし、俺ともわかり合おうとしていた。その優しさを忘れられるはずがない。

「…………はい。俺は、今でも聖杯を手に入れたいと思っています」

 だからこそ、俺は自分の決意を言葉にするべきだった。
 例え、俺の命を救ってくれた恩人だろうと、踏み台にすると決めたから。

「あなたは、それを知っているはずです。俺たちが、聖杯を求めて戦っていることを、昼に話したでしょう?」

 この決意を固めるため、俺は淡々と語る。
 彼女からの信頼や、俺に向けているであろう善意や想いを踏みにじるために。
 俺自身の心をゆっくりと、鉄のように冷たく固めながら……
 そうだ。願いを叶えるため、俺とデッドプールは既に罪を背負った。
 今更、道を変えてしまっては、願いのために踏みにじった命が全て無駄になる。
 何よりも……しおや母さんを救えるのは俺以外にいない。

「この際だから言います。俺たちは予選期間中に他の主従を殺しました……」

 だから、彼女の気持ちを裏切るよう、俺は言葉に悪意を込める。
 自分の意思で悪魔になっていく事実に、胸がズキズキと痛むけど……これは事実だ。
 何よりも、この程度の困難を耐えなければ、どうやって聖杯戦争の勝者になれるのか?


893 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:30:02 S1fTyhcg0
「名前すら知らない人も、俺はたくさん殺してきました。さっきの、地震だって…………どれだけ、犠牲者が出ても…………俺は、何も…………」
『…………ウソ、ですよね』
「……えっ?」
『あさひくん、声が震えていますよ…………人を傷つけて、平気でいられる男の子じゃないってことを……私は、知っています』

 だけど、櫻木さんは俺に気持ちを届けてくれる。
 痛心の中、希望を踏みにじられた直後にも関わらず、俺のことを怒る素振りもない。
 スマホから聞こえてくる言葉は、俺の心を激しく揺らす。

『もしも、あさひくんが本当に悪い人……だったら、私たちはもっと早いうちに、酷いことをされていました。あさひくんとアヴェンジャーさんは……不意打ちできたのに、それをしていません……でした。だから、私たちはふたりを信じたいって思うようになったんです』

 やめてください。
 俺たちはそんな人間じゃない。
 自分の都合のため、優しい人を殺す道を選んだんだ。
 本当なら、あなたたちと一緒にいていい人間じゃない。
 一刻も早く、櫻木さんは俺たちと離れるべき。
 このままじゃ、俺のせいで櫻木さんの輝きが曇ってしまう。
 体が震えて、息が荒くなってしまい、俺の視界が大きくぶれる。
 これ以上話すと、櫻木さんの優しい言葉によって、俺の決意すらも変わってしまいそうで。

『あさひくんは……酷いことをして、願いを叶えても…………本当に、幸せになれるのですか? ズルいことを、したって……』
「俺にはもう、こうするしか幸せになれないっ!」

 だから、櫻木さんの気持ちをはね返す。
 彼女との確かなふれ合いや、語り合った時間を無理矢理にでもぶち壊すように。
 櫻木さんが俺の決意を望まないと知った上で、そして二度と救いの手を伸ばさないように……ためらってはいけなかった。

「あなたはもう知っているはずだ……この世界じゃ、そんな理想は通用しないって!」
『あ、あさひくん……わ、私たちは、ただ…………!』
「綺麗事を言ったって……どの道、いつかは戦うことになる! あなたのサーヴァントだって、とっくに人を殺したはずだ!」
『…………!』

 電話の向こうで、櫻木さんが絶句するのがわかる。
 俺は今、何を言ったのか?
 衝動的に口から出てきた言葉が、俺自身も信じられなかった。
 櫻木さんのアーチャーは確かにグラス・チルドレンの命を奪ったけど、それは決して私利私欲じゃない。グラス・チルドレンの集団から俺を守るために戦ったからだ。
 俺の前では笑顔を浮かべていたけど、本当はアーチャーだって罪の意識に苦しんでいたはず。
 この命を助けてもらった俺だけは、絶対に口にしてはいけなかった。

「…………だから、俺はもうあなたたちとは一緒に歩けない。俺は、あなたとお別れをするために電話をかけた」

 でも、言葉を取り消せない。
 彼女たちとはもう終わり。あとは、俺が櫻木さんたちとの繋がりを断ち切るだけだ。
 俺のせいで二人がどんなに傷つこうとも、決して振り向いてはいけない。
 自分でも信じられないほど、声色を冷たくしながら。


894 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:32:39 S1fTyhcg0

『…………あ、あさひくん…………でも…………あなたは…………!』

 だけど。悪意をぶつけたのに、櫻木さんは俺に声をかけてくれた。
 彼女の優しい輝きが、罪を背負った今の俺にとっては何よりも辛すぎて。

「あなただけじゃない……あなたの仲間だって、俺は踏み台にする。俺たちは、敵同士だから」
『待ってください! まだ、私の話は…………!』
「最後に一つだけ、話しましょう……俺たちの元には、283プロのプロデューサーさんがいます。彼も、聖杯を狙っているそうですよ」
『…………えっ? それって、どういうーーーー』
「さよならだ」

 櫻木さんの返事を待たず、俺は一方的に電話を切った。
 俺の言葉は、彼女を深く傷つけただろう。
 スマートフォンを強く握りしめて、良心の呵責を少しでもごまかしていく。
 心の痛みなど構わずに、俺はデッドプールに振り向いた。

「お待たせ、アヴェンジャー」
「……これで、本当によかったのか?」
「俺の今の協力者は、グラス・チルドレンだ。あの人たちは、邪魔だった……だから、見捨てるしかなかったのさ」

 デッドプールにスマホを返しながら、俺は歩く。
 解放者から指定された時間はもうすぐだ。今の俺に無駄な行動はできない。

『あさひ。お前、真乃チャンの名前を呼んであげなかったよな』

 廊下を歩く最中、デッドプールの念話が俺に届く。

『どうしてだ?』
『……俺とあの人は、もう敵同士だ。名前なんて、呼ぶ必要はない』
『違うね。彼女との繋がりを、ここのガキンチョたちに知られないようにしたんだろ? 迂闊に喋ったら、誰かに聞かれるかもしれないからな』

 ドキン、と胸が鼓動を鳴らす。
 反射的に振り向くと、デッドプールはどこか悲しそうな目で俺を見つめていた。

『優しいお前のことだ。真乃チャンからもう助けてもらわないように、わざと悪ぶったんだろ? ヴィランを気取りながら、Pちゃんのことは教えてやったしな』
『……あれは、彼女を動揺させるためだ。彼女を傷つければ、いつでも…………この手で…………』
『やめとけ。俺ちゃんを前に、ブラックジョークが通用すると思うか?』
『…………思っていないよ』

 やはり、何もかもが彼にはお見通しだった。
 この迷いを断ち切るため、あえて酷い言葉をぶつけたけど……後悔や胸の痛みは簡単に消せない。
 彼女たちから受けた恩を仇で返した。これじゃ、俺から全てを奪ったあの悪魔と何が違うのか?


895 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:34:29 S1fTyhcg0
『言ったはずだ、お前はお前だってな…………俺ちゃんは、何があろうともあさひの味方だぜ? 俺ちゃんは、あさひのヒーローだからな』

 まるで俺の葛藤を見抜いたように、デッドプールは肩を優しく叩いてくれる。
 覆面の下では、俺を励ますために力強い笑顔を浮かべていることがわかった。
 ……でも、櫻木さんの笑顔を犠牲にした上では、素直に受け止められない。

『Pちゃんのことを、万が一聞かれても心配するな。おでんは、283プロのアイドルと繋がりを持っているから、不和をまき散らすために話した……そう、あいつらに言っておくさ』

 おでんさんは283プロのアイドルを3人も守り、櫻木さんとも繋がりがある。
 実際に、おでんさんがプロデューサーさんの件を知ったら、アイドルたちのために行動するはずだ。

『真乃チャンたちには、真乃チャンたちの守りたいものがある。同じように、あさひにも助けたい家族がいる…………どっちも選べれば、最高なのにな』
『何だよ、いきなり』
『苦しいときは、いつだって俺ちゃんに言えよ。ダークヒーローだって、悩んだり泣いたりするぜ?』

 それは、デッドプールだからこその支えだろう。
 心の中にたくさんの重荷を抱えているデッドプールだけど、それを悟られないようにおどけている。
 少なくとも、俺の前では弱音なんて決して吐かなかった。

『ありがとう。でも、俺はもう……決心がついた。櫻木さんのことだって、迷わない』
『……お前の本気を、俺ちゃんは受け止めたぜ。でも、弱音を吐いたっていい……それだけは、忘れるなよ』

 デッドプールは気遣ってくれるけど、俺はもう足を止めない。
 櫻木さんやおでんさんとの縁はこれで終わり。利用する選択肢も、俺自身が潰した。
 次にあの人たちと出会ったら、遠慮無く敵対できるはずだ。

 ーーおれの知っているヤツが謂れのない罪で罵られるのを黙って見るつもりはねえ。

 俺の話をちゃんと聞き、気持ちを受け止めてくれたおでんさんを、確かに裏切った。
 これから、俺はたくさんの罪を重ねようとしている。

 ーー私は、あさひくんが悪い人じゃないってことを知っています

 そして、櫻木さんとの決別だって果たした。
 覚悟を決めた。本気で聖杯戦争と向き合うきっかけを掴むことができたはず。
 この選択以外にない。こうする以外に、道はないと最初からわかりきっていた。

 ーー綺麗事を言ったって……どの道、いつかは戦うことになる! あなたのサーヴァントだって、とっくに人を殺したはずだ!

 ……だけど、この口から出した酷い言葉は、俺の中から消せなかった。


896 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:36:14 S1fTyhcg0





『……ランサー。あの場を取り持ってくれてありがとう』
『無駄に騒がれては耳障りなだけだ』

 ランサーの念話はそっけないけど、きちんとお礼を言う。
 彼の助言があったからこそ、神戸あさひくんたちは光月おでんと連絡を取ることができた。
 当然、本当におでんと電話をしているとは限らないが……ランサーの力がここで役立つのはありがたかった。

『ランサー……神戸くんを助けてくれたアイドルの片方だが、心当たりがある』
『櫻木真乃、とやらか』
『そうだ。神戸くんは星野アイと接触している……彼女は明日の合同ライブで、真乃と共演する予定だった。星野アイが聖杯戦争のマスターであれば、真乃もマスターになっている可能性が高い』

 神戸くんから聞いた話に、俺は一つの確信を得ていた。
 既に聖杯戦争のマスターで確定している咲耶やにちかの存在と、俺が殺すべき『彼女』の言葉から予想していたが……聖杯戦争のマスターとなった283プロのアイドルは少なくない。
 『合同ライブに参戦するアイドルの櫻木真乃』というロールを与えられたNPCとして再現された可能性はある。しかし、星野アイがマスターとして確定した以上、真乃もマスターという前提で考えるべきだ。

『明日のライブで共演する以上、仕事の都合で星野アイが真乃と接点を持つ機会は充分にある。だけど、偶然にも神戸くんが彼女たちと出会って、一時的とはいえ同盟を組んだのだろう』

 星野アイがどのような人間か。
 プロデューサー業から離れた俺では、彼女と接触する機会はないため、深く知ることはできない。だけど、神戸くんが情報を売り渡した以上、危険人物であることが推測できる。
 また、ガムテ君と星野アイのライダー……殺島という真名を持つ男は、元の世界で関わりを持つ極道だ。
 ガムテ君の組織力を考えると、殺島の背後にも反社会的な集団が潜むことは考えられた。

『……ランサー。神戸くんを陥れたのは、星野アイたちである可能性が高い』

 夕方、SNSで不当に流された神戸あさひくんに対する悪評。
 個人の力程度では到底できないため、何らかの組織が関与している可能性があった。
 それも社会的な影響力が甚大かつ、聖杯戦争のマスター並びにサーヴァントの息がかかった組織だ。

『星野アイと、殺島とやらにとって……神戸あさひが邪魔になったからか?』
『そうだ。彼女たちは、神戸くんを助けたのだから、一度は利用するつもりだったかもしれない。しかし、何らかの要因で神戸くんが邪魔になったから、社会的な抹殺を企てた……きっと、真乃に対しても同じスタンスかもしれない』

 星野アイが殺島のマスターとなって、大規模な組織と繋がりを持つ事実を考えると……俺たちにとって明確に敵となる。
 星野アイは、明日のライブで真乃と共演するアイドルだ。既に283プロと接点を持ってしまった以上、その存在を無視できない。
 彼女を放置しては、俺が救うべきにちかすらもいずれ狙われてしまう。
 鏡の世界を利用した拉致及び襲撃、ガムテ君たちの攻撃対象とされてしまった283プロのアイドル、北条沙都子とアルターエゴ・リンボ、そして星野アイとライダーの真名。
 悠長なことは言っていられない。神戸くんが行動を起こした今、俺も早急に動く必要があった。

『真乃とやらが、お前の前に現れたら……どうするつもりだ?』

 肝心な問いかけが、ランサーからぶつけられる。
 俺が聖杯を狙っていることを知ったら……真乃は絶対に俺を止めるはずだ。


897 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:37:18 S1fTyhcg0

『……言ったはずだ。真乃がいても、戦場から遠ざけて、サーヴァントだけを脱落してもらうと』

 だけど、答えはたった一つ。
 その力だけを奪って、この聖杯戦争に関わらせないようにする。
 真乃がどんなサーヴァントを召喚したのかわからない。だけど、神戸くんの話から推測すれば、真乃のように純粋なはずだ。
 この一ヶ月間……真乃のことを必死に守り、共に過ごして、強い絆で繋がっているだろう。
 それでも、真乃のサーヴァントも仕留める必要があった。彼女が悲しむことはわかった上で。

『俺は……諦められない。未来をなくした俺にできることは、彼女たち……そして、にちかが生き残れる可能性を少しでも上げる……それだけだ』

 どんな罠が待ち構えていようとも関係ない。
 どんなに強大な敵が現れようとも止まらない。
 どんなに憎まれて、軽蔑されようとも構わない。
 にちかの夢と幸せを取り戻す奇跡を手にするため、すべてを捧げることを誓ったから。
 にちかが笑顔になるためなら、俺はどんな道だろうと突き進むことができる。
 俺が、いくら鬼と罵られようとも受け止める。
 283プロのアイドルが……そして、もうこの世にいない咲耶が声をかけてくれても、誓いを曲げたりしない。
 何故なら俺は、にちかを幸せにするプロデューサーだから。


【中央区・某タワーマンション(グラス・チルドレン拠点)/一日目・夜】

【神戸あさひ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:全身に打撲(小)、覚悟と後悔
[令呪]:残り3画
[装備]:デッドプールの拳銃(懐に隠している)、着替えの衣服(帽子やマスクを着用)
[道具]:リュックサック(保存食などの物資を収納)
[所持金]:数千円程度(日雇いによる臨時収入)
[思考・状況]
基本方針:絶対に勝ち残って、しおを取り戻す。そのために、全部“やり直す”。
0:ガムテと協力する。後戻りはもう出来ない。
1:折れないこと、曲がらないこと。それだけは絶対に貫きたい。
2:星野アイと殺島は、いつか必ず潰す。
3:“あの病室のしお”がいたら、その時は―――。
4:聖杯は、出来る限り諦めたくない。
5:櫻木さん達のことは、次に会ったら絶対に戦う……?
6:プロデューサーさんに、櫻木さんのことをいつか話すべきか……
[備考]
※真乃達から着替え以外にも保存食などの物資を受け取っています。
※廃屋におでん達に向けた書き置きを残しました。内容についてはおまかせします。

【アヴェンジャー(デッドプール)@DEADPOOL(実写版)】
[状態]:『赫刀』による内部ダメージ(小)
[装備]:二本の刀、拳銃、ナイフ
[道具]:予選マスターからパクったスマートフォン、あさひのパーカー&金属バット
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:俺ちゃん、ガキの味方になるぜ。
0:お前がそう望むなら、やってやるよ。
1:あさひと共に聖杯戦争に勝ち残る。
2:星野アイ達には必ず落とし前を付けさせるが、今は機を伺う。
3:真乃達や何処かにいるかもしれない神戸しおを始末するときは自分が引き受ける。だが、今は様子見をしておきたい。
4:黄金時代(北条沙都子)には警戒する。あのガキは厄(ヤバ)い
[備考]
※『赫刀』による内部ダメージが残っていますが、鬼や魔の属性を持たない為に軽微な影響に留まっています。時間経過で治癒するかは不明です。
※櫻木真乃、ガムテと連絡先を交換しました。
※ネットで流されたあさひに関する炎上は、ライダー(殺島飛露鬼)またはその協力者が関与していると考えています。


898 : 支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:38:17 S1fTyhcg0

【プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:覚悟、魂への言葉による魂喪失
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:リンボの護符×10枚
[所持金]:そこそこ
[思考・状況]基本方針:“七草にちか”だけのプロデューサーとして動く。……動かなくてはいけない。
0:にちか(騎)と話す。ガムテの用事が終われば彼とまた交渉を行う。
1:もしも、“七草にちか”なら、聖杯を獲ってにちかの幸せを願う。
2:時が来れば自陣営と283のサーヴァントを潰し合わせ、両方を排除する。
3:白瀬咲耶が死んだことに悲しむ権利なんて、自分にはない。
4:『彼女』に対しては、躊躇はしない。
5:序盤は敵を作らず、集団形成ができたらベスト。生き残り、勝つ為の行動を取る。
6:にちか(弓)陣営を警戒。
7:神戸あさひは利用出来ると考える。いざとなれば、使う。
8:星野アイたちに関する情報も、早急に外部へ伝えたい。
9:もしも、真乃が聖杯戦争のマスターでも、決意を変えない。
※リンボの護符は発動中1時間ほど周囲の日光を遮り、紅い月が現れる結界を出すことができます。
異星の神とのリンクが切れているためそれ以外の効果は特にありません。
※ソウルボーカスにより寿命の9割が喪失しています
※ランサー(猗窩座)からアサシン(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)より受け取ったスマートフォンを受け取りました。

【猗窩座@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:携帯電話(犯罪卿より譲渡されたもの)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターを聖杯戦争に優勝させる。自分達の勝利は、何だ?
1:ひとまずは、合理的と感じられる範囲では、プロデューサーに従う。


899 : 支え合う心! 真乃とひかるの小さな星 ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:39:42 S1fTyhcg0





 神戸あさひくんとの電話は、一方的に切られました。
 私とひかるちゃんを心配してくれたことが、ほんの少しだけ嬉しくなったのに。
 やっぱり、今でも聖杯を求めていましたけど、あさひくんの声は震えていました。
 あさひくんにだって、どうしても叶えたい願いがあることを、私は知っています。
 けれど、何もできずに迷っていた私を優しく励ましてくれたから。
 このままじゃ、あさひくんは幸せになれない…………そう伝えようとしましたが、あさひくんから拒まれます。

 ーーあなたのサーヴァントだって、とっくに人を殺したはずだ!

 それどころか、ひかるちゃんを悪く言ったことが信じられなくて、頭が真っ白になりました。
 ひかるちゃんが、人を殺した……
 それは、まぎれもない事実です。
 灯織ちゃんとめぐるちゃん、グラス・チルドレンの子、そして氷の鬼にされてしまった人たちの命を、ひかるちゃんは奪いました。
 でも、守る責任を果たそうとしたから。ひかるちゃんが誰かの命を奪うことを本当は望まないって、あさひくんだって知っていたはずです。

 ーー俺たちの元には、283プロのプロデューサーさんがいます。彼も、聖杯を狙っているそうですよ

 もう一つだけ気がかりなあさひくんの言葉。
 あさひくんの隣にはプロデューサーさんがいて、聖杯を狙っている……立て続けのショックで、すぐに受け止められません。
 283プロがバラバラになってから、プロデューサーさんは私たちの前からいなくなりました。この世界の283プロでも、姿はまだ見ていません。
 でも、プロデューサーさんが聖杯戦争のマスターになっていた?
 聖杯を求めて、戦っている?
 まさか、あのプロデューサーさんが酷いことをしているのですか?
 どうして、あさひくんとプロデューサーさんが出会ったのか?
 二人は今、どこで何をして、そしてこれから摩美々ちゃんたちを傷つけようとしているのですか?
 もし、本当に酷いことをするつもりなら、あさひくんだけじゃなくプロデューサーさんとも戦わないといけない?
 たくさんの疑問が胸の中をかき回して、私の口から言葉が出ません。
 スマホから声が聞こえなくなっても、この体は震えたままです。
 このまま、崩れ落ちそうになったそのとき。

「…………真乃さん」

 暗くなる心が、小さな光で照らされました。
 私を呼びながら、この体を支えてくれる優しい手の感触が伝わります。
 不安な目で振り向くと、彼女が私を心配そうに見つめていました。
 夜の暗闇の中でも、星のようにきらめく女の子に、私は思考を取り戻しました。

「ひかるちゃん……」

 私は彼女の名前を口にします。
 星奈ひかるちゃんは無言ですが、きっとすべてを察したのでしょう。
 星野アイさんたちのように、神戸あさひくんとの繋がりが切れてしまったことを……ひかるちゃんは気づいているはずです。
 でも、何から話せばいいのかわかりませんでした。
 あさひくんの決意と酷い言葉。
 プロデューサーさんが聖杯戦争のマスターとなって、聖杯を求めて悪いことをしている事実。
 どちらも、今のひかるちゃんにとって重荷になります。
 ですが、あとまわしにしてはダメです。ここで黙っていても、何の解決にもなりませんから。

「…………心配事なら、何でも言ってくださいね」

 そんな私の心を見抜いたように、ひかるちゃんから励まされちゃいます。
 本当だったら、私がひかるちゃんを支えなきゃいけないのに。
 ひかるちゃんを泣かせたくない……そう考えていたら。


900 : 支え合う心! 真乃とひかるの小さな星 ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:40:41 S1fTyhcg0

「……ひかるちゃん。私ね、ひかるちゃんのことが好きだよ」

 自然と、私はひかるちゃんに気持ちを届けちゃいました。

「はい、知っていますよ?」

 私をまっすぐに見つめながら、ひかるちゃんはきょとんとした顔を浮かべます。
 やっぱり、今更ですね。この一ヶ月間、毎日のように私たちは想いを伝え合いましたから。
 でも、いつだってひかるちゃんを愛おしく感じます。

(ひかるちゃんも、私を想ってくれてるから……知ってて、当たり前だよね)

 灯織ちゃんやめぐるちゃんと離れ離れになってから、私は一人で頑張る日常が続き、それが普通になりそうでした。
 だけど今の私には、ひかるちゃんがいつだって隣にいてくれます。
 聖杯戦争で怖いニュースが続いても、彼女のぬくもりと優しさは私の心を癒やしてくれました。
 どうすればひかるちゃんのいない日々を過ごせばいいのか、わからないくらい、私の毎日を光で照らしています。



 聖杯戦争に巻き込まれる少し前のことです。
 ある日、お仕事を終えて帰宅している最中に、激しい雨が降りました。
 バケツをひっくり返したような大雨で、あたりの空気がすぐにジメジメとします。

『えっ……!?』

 むしあつさで息苦しさを感じる暇もなく、私は走って。
 でも、すぐに雨足が強くなって、私を濡らします。
 お気に入りの洋服も、お仕事のためにセットした髪も、お化粧をした頬も……雨粒が降り注ぎ。

『きゃっ!』

 水たまりに足を滑らせて、私は転んじゃいました。
 靴やスマホも雨に打たれて、追いうちをかけるように。
 ゴロゴロゴロゴロゴロ! と、雨雲が轟音を鳴らし、どこかで雷が光りました。

『う……うぅ…………っ……!』

 それでも、私は立ち上がって走ります。
 痛みや生ぬるい感触に耐えて。激しくなる雨の中でも、たった一人で進まないといけません。


901 : 支え合う心! 真乃とひかるの小さな星 ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:42:17 S1fTyhcg0

(プロデューサーさんの分まで、頑張らないと…………)

 だって、プロデューサーさんの気持ちに応えないといけないから。

(灯織ちゃんとめぐるちゃんの力を借りずに、立ち上がらないと…………)

 灯織ちゃんとめぐるちゃんがいなくても、私はアイドルとして輝くべきだから。
 これくらい、苦しくともなんともない。
 私は折りたたみ傘も使わず、ただ前を走っていました。
 いくら、雨に濡れても助けてくれる人は誰もいませんが……関係ありません。
 灰色の道を走りながら、たった一人になっても輝くことが私の責任です。
 土砂降りの中、木々を容赦なくゆらす激しい風が襲いかかります。

(どんな困難でも、私だけの力で乗りこえて、虹を照らせるアイドルにならないと…………輝かないと…………!)

 きっと、この時の私は前を向きながら、泣いていたでしょう。
 体が雨で冷えきって。
 洋服や髪が泥で汚れようとも。
 ただ、一人でがむしゃらに突き進む日々を過ごしていました。
 雨雲の向こう側でも、星は輝いていますから。


 だけど、私の毎日を変えてくれたのがひかるちゃん。
 一緒に笑って、一緒にごはんを食べて、一緒に楽しく遊んで……そのすべてが、星のようにキラキラした思い出ですよ。
 私がズルくて悪いことをしそうになっても、ひかるちゃんは私の気持ちをちゃんと受け止めてくれました。

「ひかるちゃんは、私のことを大切な人って言ってくれたよね。それは、とっても嬉しいし、私も同じ気持ちだよ」

 つらくて、悲しみにしずんだ私の心を、ひかるちゃんは照らします。
 ひかるちゃんはもっと苦しくて、暗くて冷たい闇の中に閉じ込められていたのに。
 私を守るため、するどい痛みに耐えてくれた。

「だからね、ひかるちゃんは……ひかるちゃん自身を、好きになってもいいんだよ。私はひかるちゃんのことが、好き…………大好きだから」
「……でも、私は…………灯織さんとめぐるさんのことを…………」
「悪いのは……灯織ちゃんとめぐるちゃんに、酷いことをして…………ひかるちゃんをあそこまで追い詰めた人たちだから。それを忘れちゃダメだよ」

 私だけは、きちんと言わなきゃいけない。
 本当に悪いのは、ひかるちゃんに罪を背負わせた悪い人たちだってことを。
 その人たちが悪さをしなければ、ひかるちゃんだって傷つかなかったから。

「もし、誰かがひかるちゃんに悪口を言ってきたら、絶対に私がひかるちゃんを守るから。ひかるちゃんには、私がついているから!」

 大切な友達を守って、ひかるちゃんに胸を張っていられる私になりたい。
 例え、どんな結末が待っていても、逃げたくないです。
 私とひかるちゃんの夢が叶わなくても、理想に届かなくても。
 ひかるちゃんや283プロのみんなに悪意をぶつけてくる人たちに、負けたくありません。
 その決意と共に、小さいけど……確かな星が私の心を灯しました。
 夕暮れに見える一番星のように、キラキラとした光です。


902 : 支え合う心! 真乃とひかるの小さな星 ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:44:52 S1fTyhcg0

「……私は、ララちゃんみたいに、ひかるちゃんのことを上手く励ませる自信は、まだないよ。でも、どんなことがあっても、ひかるちゃんを悲しませたくない……これだけは本心だから」

 許せない人には今でも怒っていますし、わかり合いたくないです。
 その一方で、聖杯を求めているプロデューサーさんやあさひくんと出会った時、どうすればいいのか……すぐには決められません。
 だって、プロデューサーさんとあさひくんは、私を支えてくれましたから。
 二人とちゃんと話し合うのか、それとも二人と戦わないといけないのか?
 優柔不断な私じゃ、答えを出すまでに時間がかかるでしょう。
 でも、今の私にとって一番大事な願いは一つだけあります。
 私が笑顔でいられなくなっても、ひかるちゃんだけは、絶対に悲しませたくないです。

「今すぐじゃなくていいし、時間がかかってもいい……ただ、何があっても私はひかるちゃんのことが大好き。この気持ちは……今までも、これからも……ずっと同じだから……ひかるちゃんも、自分を傷つけないでね」

 まだ東京が太陽の光で照らされていた頃、あさひくんとひかるちゃんが私を励ましてくれたみたいに。
 小さくてきれいなひかるちゃんの手を、私はゆっくりと包みます。
 本当なら、宇宙に生きるみんなを助けられる奇跡の手なのに。
 ひかるちゃんは、私のために罪と血で染めちゃいました。

「……都合の良いことを言ってるのは、わかってる。でも……」
「大丈夫ですよ、真乃さん」

 ひかるちゃんは優しく首を振ってくれます。

「…………いや、まだ、100%大丈夫ってわけじゃないです。でも、真乃さんがそう言ってくれれば……うれしいです」

 星々を凝縮させたように、つぶらなひかるちゃんの瞳。
 今までみたいな輝きはありませんが、そこには確かな優しさがありました。

「私、ライダーさんに助けられてから、ひとりになって……どうしたらいいのか、わからなくなりそうでした。でも、真乃さんが優しく声をかけてくれたから、私はまた立ち上がれたんです」

 きっと、心からの言葉が、ひかるちゃんの口からゆっくりとこぼれていきます。
 一語たりとも聞き逃さないよう、私はしっかりと耳にしました。

「真乃さんは、わたしのことを好きでいてくれた。真乃さんが、わたしを抱きしめてくれたとき……とても暖かくて、わたしはひとりぼっちじゃないってことがわかって…………うれしかったんです…………」

 流れ星のようにきれいな言葉は、とどまることを知らずに。
 ひとすじの小さなしずくが、ひかるちゃんの頬をつたいました。

「今だって、真乃さんが手をにぎりしめてくれるから、わたしの心は暖かいですよ。きっと、これから先…………何があっても、真乃さんの大好きと優しさを思い出せば、わたしは立ち上がれると思います」

 まっすぐな想いには、ひかるちゃんの強さがこめられていて。
 私の心をなでて、よりそってくれるみたいです。
 今だって、ひかるちゃんはつらいはずなのに。
 灯織ちゃんとめぐるちゃんから悲しい誤解をされて、傷つけられて、命を奪うしかなくなって……心から泣いてたのに。

「だから、わたしに何を話してもいいです。真乃さんの、悩みを解決できるって、言いませんけど……でも、真乃さんのことを知りたいんです!」

 ひかるちゃんの言葉に、私の心はほぐれそうで。
 ついに、ひかるちゃんに話す時が来てしまったのだと、私は予感しました。

「…………うん、ひかるちゃんには聞いて欲しかったんだ。私とプロデューサーさん、それに元の世界の283プロに、何があったのかを……」

 息を整えながら、優しくうなずくひかるちゃんを前に、私は少しずつ話しました。


903 : 支え合う心! 真乃とひかるの小さな星 ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:45:50 S1fTyhcg0





 真乃さんは、わたし・星奈ひかるにすべてを教えてくれた。
 283プロで起きた事件と、聖杯戦争に巻き込まれるまでの出来事を。
 真乃さんは283プロダクションのアイドルとして、たくさんの人に笑顔と癒やしを届けていた。
 その活動に伴ってアイドルも増えて、283プロはどんどん成長したよ。
 でも、七草にちかさんの所属するアイドルユニット・シーズが、W.I.N.G.の決勝で敗退したことをきっかけに、283プロはバラバラになっちゃった。
 その日から、にちかさんは事務所に来なくなり、プロダクションもイヤな空気が広がったみたい。
 やがて、283プロは続けられなくなって、真乃さんのイルミネーションスターズも活動できなくなった。
 それでも、真乃さんはたった一人でアイドルとして頑張り続けた。
 灯織さんやめぐるさんと過ごす時間を減らしてでも、ソロアイドルとして活動したみたい。
 自分が頑張れば、いつかまた283プロが元通りになって、プロデューサーさんやにちかさんたちも戻ってくる……そう、真乃さんは信じてた。
 プロデューサーさんのおかげで、真乃さんはアイドルになって自分を好きになれたから、その恩返しをしたかったんだね。

「…………心のどこかで、奇跡に頼ってでも283プロを元通りにしたかった。だから、私は聖杯戦争のマスターに選ばれたと思う」

 そうやって、話を終えた頃。
 真乃さんは今にも泣きそうな顔をしていた。
 本当は、言葉にするだけでもつらいはずだったのに。
 わたしの前で、灯織さんとめぐるさんの話をしちゃって、真乃さんはどれだけ胸が痛んだのか。

「プロデューサーさんや、あさひくんも……ゆずれない願いがあるから、聖杯戦争に呼ばれたんだよね……」

 事務所だけじゃなく、神戸あさひさんとの電話についても話してくれた。
 聖杯が欲しい気持ちは変わらず、願いのために真乃さんたちを傷つけるつもりみたい。
 しかも、あさひさんの隣には283プロのプロデューサーさんもいた。プロデューサーさんも聖杯を求めて戦っていると、あさひさんは真乃さんに話したよ。
 わたしは、なんて言ってあげればいいのかわからなかった。

(どんな綺麗事を言っても、わたしは人の命を奪った……)

 真乃さんを通じた、あさひさんの言葉はもちろんショックだよ。
 あさひさんが知らなくても、グラス・チルドレンの子以外にも命を奪った事実は変わらない。
 でも、同時に真乃さんが悲しんでいることもイヤだ。
 真乃さんの力になりたかったのに、この口が動かない。

『大丈夫です! わたしたちであさひさんとプロデューサーさんを助けましょう!』

 言葉だけは思い浮かぶ。

『きっと、わたしたちが気持ちをとどければ、考え直してくれますよ!』

 まぶしくて、あたたかい励まし。
 だけど、たった一人で頑張り続けても、真乃さんはむくわれなかった。
 何よりも、聖杯を求める人に明るい言葉が届くなんて、今のわたしたち自身が思っていない。
 新宿の災害が起きた後じゃ、気休めにもならないよ。
 居場所を奪われて、心がすさんでいたノットレイダーのみんなだって、わたしの言葉に怒ったから。



『ねえ、ひかるちゃんには叶えたい願いがある?』

 予選期間のある夜、真乃さんからこんなことを聞かれたよ。
 戦いとは全く縁がない、二人で満天の星空を見上げていた時だった。


904 : 支え合う心! 真乃とひかるの小さな星 ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:47:31 S1fTyhcg0

『願い、ですか?』
『そうだよ。ひかるちゃんだって…………何か、願いがあるんじゃないかなって、思ったの』
『わたしの願いは、真乃さんを守ることですよ!』
『……ありがとう。でも、ひかるちゃんの本心を聞かせて欲しいの。ひかるちゃんは、ララちゃんたちとまた会いたいって、願ったことはある?』

 どこかさみしそうな目で、真乃さんはわたしを見つめていたよ。
 サーヴァントとして契約を交わしたから、わたしが人間だった頃の思い出を、真乃さんはいっぱい知っている。
 もちろん、わたしがララたちと過ごした日々のことだって、真乃さんは夢で見たよ。
 だから、本当はララたちにまた会いたいと、わたしは願っている…………そう、真乃さんは心配してくれた。

『大丈夫ですよ』

 わたしの答えはたった一つだけ。
 誰に言われるまでもない、わたしの心からの言葉を真乃さんに届けたい。

『もう、その願いは……わたし自身の力で、ちゃんと叶えましたから』

 星々に負けないくらい、まぶしい笑顔を浮かべたよ。
 すべての戦いが終わって、宇宙に平和を取り戻した後……わたしはララたちとお別れするときが訪れた。
 宇宙人のララと言葉が通じなくなっても、「ありがとう」を伝え合って、また会いに行く約束をしたよ。
 プリキュアの力を失い、わたしたちは普通の女の子に戻った。
 遠い宇宙に離れ離れになったララを想いながら、えれなさんやまどかさんと一緒に星の輝きを見上げたよ。
 それから、わたしはいっぱい努力して、15年後には宇宙飛行士としてロケットに乗った。
 ララたちと一緒にいた思い出と、わたしの夢を叶えた喜びを胸に……数え切れない星がまたたく宇宙に飛んで。
 なつかしいフワの声と共に宇宙がかがやいて、わたしはララと再会できたよ。

『わたしたちは、わたしたち自身が努力したから……また会えるようになりました。その喜びを、真乃さんにもわけてあげたい。これが、今のわたしの願いです!』

 サーヴァントとして召喚されても、わたしの気持ちは変わらなかった。
 もし、聖杯の力でララたちと再会しても、みんなは喜ぶわけがない。それどころか、心の底からガッカリされちゃう。
 真乃さんをちゃんと守って、大切な友達が待っている元の世界に送り届けてあげたい。
 だって、灯織さんとめぐるさんは、今も真乃さんを待っているから。
 真乃さんにとって灯織さんとめぐるさんは、わたしにとってララみたいな存在だからね。

『ありがとう、教えてくれて。なら、私も……私自身の力で、頑張らないといけないよね……ひかるちゃんたちみたいに』

 でも、わたしの隣にいる真乃さんはやっぱりさみしそう。
 ほほえんでこそいるけど、優しい目には影があった。
 真乃さんの様子が気になったけど、わたしは事情を聞かないことにした。
 いつか、真乃さん自身から話してくれるときまで、ちゃんと待つよ。

『……今日も、流れ星がすごいね』
『とっても、きれいですよね! 真乃さん、わたしたちが見ている星は、いつだって歌っていることを知っていますか?』
『ほわっ? 歌ってる?』
『宇宙で輝く星は、みんな楽器みたいに音を鳴らしていて、そこから星の大きさや年を知ることができるんですよ!』
『へぇ〜! じゃあ、この星空はお星様たちのステージで、アイドルのようにみんなを楽しませているんだね!』
『はい! みんな、真乃さんみたいに優しく歌いながら、輝いているんです!』

 ただ、今は真乃さんとゆっくり話をしたい。
 心地よい夜風を浴びながら、真乃さんと一緒にわたしは空を見上げるよ。
 こんなに優しい時間が、もっと続きますようにって、わたしは考えちゃったんだ。


905 : 支え合う心! 真乃とひかるの小さな星 ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:49:22 S1fTyhcg0
 今まで一緒にいて、真乃さんの様子が気になったことはあったよ。
 今日のお昼も、アイさんとの対談前だって、真乃さんは何だか無理をしてそうだった。
 せつない雰囲気や、たまに見せる悲しそうな表情の理由も、わたしは納得できたよ。
 真乃さんは、たったひとりでずっとなやんでいたんだ。
 みんなの居場所と笑顔を取り戻そうと、真乃さんは頑張り続けた。
 どんどん気負い、大きな責任でがんじがらめになって、いつ押しつぶされてもおかしくなかったのに。
 プロデューサーさんが聖杯を求めていると知って、真乃さんはどれだけショックだったのか。
 気持ちはわかります、なんて言えるわけがない。
 大切な友達を失い、信じていた人から裏切られ続けた真乃さんが、遠くに離れちゃいそうだった。

「……もしかして、283プロを元通りにするために、プロデューサーさんは聖杯を欲しがっているのかな?」

 くらい顔で、真乃さんはつぶやくよ。

「プロデューサーさん、責任感が強くて……283プロのアイドルひとりひとりと、真剣に向き合っていたの。きっと、にちかちゃんがいなくなって、事務所がバラバラになってから……自分を責めていたと思う」

 真乃さんのプロデューサーさんが、どんな人なのかわたしは知らない。
 ただ、話を聞くだけでも、すごい人ってことはわかった。事務所のアイドルは20人を超えるのに、ちゃんとプロデュースをしていたからね。
 社長さんとはづきさん、それに真乃さんたち……みんな、プロデューサーさんがいたから笑顔でいられたし、何度でも輝けた。
 プロデューサーさんとの思い出があったから、真乃さんもソロでも頑張れた。

「……プロデューサーさんも、ひどいことをしたのかな」
「ひどい、こと?」
「他のマスターさんを、傷つけて…………泣いていたの、かな? こわくて、つらくて、くるしかったのかな?」

 真乃さんはプロデューサーさんを責めていない。
 むしろ、プロデューサーさんの気持ちに寄り添おうとしている。

「あさひくんも、声が震えていたんだ……」

 酷いことをする人は許したくないって、真乃さんは言ってた。
 もちろん、誰が相手だろうと、悪いことは許しちゃいけないよ。
 ……でも、プロデューサーさんとあさひさんから優しさをもらったから、真乃さんも敵と思いたくないよね。

「真乃さんは、二人を助けたいですか? それとも、許せないですか?」
「……まだ、わからない。二人が摩美々ちゃんやひかるちゃんを傷つけるのは、私は絶対にイヤだよ。ううん、誰だろうと、傷つけさせたくない」

 真乃さんも、答えはすぐに出せそうにない。
 わたしだって、今の真乃さんをはげますための言葉が思いつかないから。
 言葉の代わりに、真乃さんの背中にゆっくりとわたしの手を添えるよ。

「……ひかるちゃんは、ユニちゃんのことだって止めようとしたよね」

 少し時間がたったころ、真乃さんはわたしに目を向ける。

「宇宙怪盗ブルーキャットになって、ユニちゃんが危ないことをたくさんするのがイヤだったんだよね……ひかるちゃんたちは」
「そうですよ。ユニは、大事な友達ですから……危ないことをしそうなら、止めたかったんです」

 危ないことをする友達がいたら、それをちゃんと止めるのも友達だよ。
 だから、ユニがブルーキャットになって盗みを働いたり、真乃さんが復讐に手を出すこともわたしはイヤだ。


906 : 支え合う心! 真乃とひかるの小さな星 ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:52:34 S1fTyhcg0
「でも……私は、ひかるちゃんに危ないことを……押しつけてばかりだよ……? そのせいで、ひかるちゃんが……」
「真乃さん、言ったはずですよ。それが……今のわたしの願いですから!」

 その上で、真乃さんが自分を責めないよう、わたしは叫ぶよ。

「義務や責任じゃありません。わたしが、わたし自身の気持ちで……プリキュアになって戦ってるんです! これは本心だって、何度でも言いますよ!」

 わたしの頭に浮かぶのは、すべてのはじまりとも呼べるあの夜。
 流れ星のようにフワがやってきた日のことは、今でもハッキリと覚えてる。
 フワを守りたいって心から願ったから、わたしはキュアスターになれた。
 そうして、ララたちともわかり合えるようになって、宇宙を守る大きな第一歩を踏み出せたよ。

「だれに何を言われようとも……わたしは、わたしの願いをまげません!」

 また、他の誰かとわかり合えず、傷つけた果てに命を奪う決断を迫られるかもしれない。
 それは、プリキュアとしてあってはいけないよ。
 ララたちはもちろん、今までのわたしやあこがれのわたしに対する裏切りになる。
 その上で、わたしは真乃さんのために頑張りたかった。
 だって、真乃さんを悲しみから守れなかったら、わたしはわたしを許せない。
 これから、どこで何をしたって……わたしはずっと後悔する。
 大切な人のため、わたしはキュアスターに変身して戦いたいよ。

「さっき、真乃さんは言いましたよね……真乃さんはララみたいになれないって。でも、それは当たり前です」
「えっ?」
「真乃さんは真乃さん、ララはララ……だから、他の誰かにならなくていいと思います」

 わたしはララが大好きだよ。
 この広い宇宙で、一番大好きな友達はだれ? って聞かれたら……迷わずララって答えられる。
 ララと出会えたから、わたしの中の宇宙が広がったし、たくさんの思い出だってもらった。
 もちろん、えれなさんとまどかさんとユニ、フワやプルンスにユーマ……これまで出会ったみんなだって、わたしは大好き。
 そして、ここにいる真乃さんは……今のわたしにとって心から大切な人だよ。
 わたしが頑張れなかったせいで、笑顔と心がバラバラになっても、真乃さんはわたしを抱きしめてくれた。

 ーーひかるはひかるルン!

 そう言って、わたしを励ましてくれた大好きなララ。
 何があっても、わたしを大好きでいてくれた大切な真乃さん。
 二人は違って当たり前。でも、真乃さんとララは……わたしにたくさんの愛と優しさをくれたよ。

「…………?」

 ピコン、と。
 わたしたちの間に割り込む、真乃さんのスマホから聞こえる着信音。
 すぐに、真乃さんはスマホを手にして、アプリを操作した瞬間…………

『……すまない。俺は、君達に嘘をついた』
「ぷ、プロデューサーさん…………!?」

 男の人の声に、真乃さんは絶句する。
 思わず画面をのぞき込むと、見知らぬ男の人の動画が再生されていた。
 この人が、真乃さんのプロデューサーさんだと、わたしはすぐに気づいたよ。


907 : 支え合う心! 真乃とひかるの小さな星 ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:54:07 S1fTyhcg0
 
『―――これでお別れだ』

 そう締めくくられて、動画が終わったころ……真乃さんの顔は青ざめている。
 わたしだって動揺しているよ。
 だって、プロデューサーさんは283プロのみんなに、お別れを伝えたから。
 この動画の意図はたった一つ。聖杯戦争のマスターとして、最後まで戦う宣言のはず。

「……真乃さん! すぐに、アサシンさんに伝えましょう!」

 勝手にスマホの画面をのぞいちゃダメだけど、今はそれどころじゃない。

「あの人なら、何か力になってくれるはずです! プロデューサーさんのことも、あさひさんのことも!」

 283プロダクションを守るため、影で頑張っていたアサシンさんに話をする。
 そうだ。
 わたしも真乃さんも、ひとりぼっちじゃない。
 心配して、力になってくれる人はいるんだ。
 それに、古手梨花さんとセイバーさんに対する答えだって、わたしたちはまだ出していない。

「ふたりだけでダメなら、力を借りましょう! わたしたちと繋がっている人は、いますから!」
「……そ、そうだね! もし、お話が終わってたら…………私たちのことを、探していると思うし」
「はい! わたしと真乃さんでも、どうすればいいのかわからなくなったら……助けを求めていいんです! そうすれば、キラやば〜! なアイディアも出て、今を変えられると思いますから!」

 思い通りにいかないことはいくらでもある。
 わたしと真乃さんだって、それを充分にわかっているよ。
 でも、イヤなことや現実の厳しいところと向き合った上で、わたし自身の気持ちをぶつけたい。

(暗くたって、止まらないよ。だって、わたしたちは星の光に導かれているから)

 足下に気をつけながら、わたしは真乃さんの手を引いて前を進む。
 辺りは闇に覆われて、星空だって見えないけど、わたしたちは歩ける。
 どんな暗闇の中でも、わたしと真乃さんの元に駆けつけてくれたアサシンさんは…………今のわたしたちを見守っている、優しい星だから。


【新宿区の新宿御苑付近/一日目・夜】

【櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(中)、精神的疲労(大)、深い悲しみと怒り、令呪に対する恐怖、動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
0:アサシンさんのところに戻って、プロデューサーさんとあさひくんのことを相談したい。
1:悲しいことも、酷いことも、もう許したくない。
2:ひかるちゃんに酷いことを言ってくる人がいたら、私が守る。
3:あさひくんとプロデューサーさんに対してどうすればいいのか、まだわからない。
4:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
5:いざとなったら、令呪を使うときが……? でも、ひかるちゃんを……
[備考]※星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
※プロデューサー、田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【アーチャー(星奈ひかる)@スター☆トゥインクルプリキュア】
[状態]:疲労(小)、ワンピースを着ている、精神的疲労(大)、魔力消費(小)、悲しみと小さな決意
[装備]:スターカラーペン(おうし座、おひつじ座、うお座)&スターカラーペンダント@スター☆トゥインクルプリキュア
[道具]:洗濯済の私服、破損した変装セット
[所持金]:約3千円(真乃からのおこづかい)
[思考・状況]基本方針:……何があっても、真乃さんを守りたい。
0:今はアサシンさんのところに戻る。
1:真乃さんに罪を背負わせたりしない。
2:もしも真乃さんが危険なことに手を出そうとしたら、わたしが止める。
3:ライダーさんには感謝しているけど、真乃さんを傷つけさせない。
4:真乃さんを守り抜いたら、わたしはちゃんと罰を受ける。


908 : ◆k7RtnnRnf2 :2022/02/11(金) 10:54:55 S1fTyhcg0
以上で投下終了です。


909 : Hello, world! 〜第三幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:00:28 t2vPDkoM0
後編を投下したいと思います。


910 : Hello, world! 〜第三幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:00:57 t2vPDkoM0

◆◇





さあ目を開けて 君は強い人
その目が見たから 全ては生まれた





◇◆


911 : Hello, world! 〜第三幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:01:39 t2vPDkoM0


「それ、さっきも聞いたじゃないですか」
「……聞いたのは、なみちゃんが私たちの想像と違ってた、ってことだけです。答えはまだ、聞いてません」
「それを聞いて、何になるんですかね……!」

何になる、かと言われれば――確かに、私は何をしているのだろう。
聖杯戦争がどうとか、プロデューサーをどうするとか、そんな本筋からはまるきり離れたことを聞いている。
だけどあいにく、今から言おうとしているこればっかりは、そんなことを考えずに。
ただ、彼女に言いたいことを言うだけだ。
自分に言いたいことを言うというただそれだけの、ひとりごとのような時間くらいは、許されてもいいじゃないか。

「私は」

――息を吸う。
たぶんこれから私は、めっちゃめちゃ恥ずかしいことを言う。
あのプロデューサーのことを笑えないくらい、こっぱずかしい内容だ。
後から聞き返すようなことがあれば黒歴史確定なので、ほんっとうに心の底からやりたくはないんだけど。
でも、言わなきゃやってられないことでもあった。


「あなたのあの踊りから、目が離せなかった」


――は?

それを言い切った時の彼女の顔は、自分でもこんなバカみたいな顔をするのか、と呆れかえる程に酷い顔だった。
そんな自分はといえば、多分今は憮然とした表情で耳を赤くしているんだろうなってことが分かる。
ああ、まったく。本当にクサい。こういうのを真っ向から言葉にするの、本当に恥ずかしいし、ないと思う。他人に言うってだけでもバカみたいな台詞なのに、言う相手が自分自身であるのだからなおさらだ。
……それでも。

「だから、許せなかったんですよ」

それでも許せないことがあった。
だから、言わなきゃいけないと思って、こうして言葉にして伝えている。

「……あなたに許してもらう必要、なくないですかね」

ああ、そうだ。その通りだ。
こっちはあくまで観客だ。自分から敗者になり下がったものだ。努力して戦ってきた彼女に、身勝手に言うことを許されないというのは当然の理屈だ。
逆襲(ヴェンデッタ)は許されない。負け犬はあくまで負け犬で、それを受け入れた逸れ物の、ステージを降りた観客で。
ただの聴衆が、演者に野次を飛ばす権利があるのかなんて、考えるまでもない自明のことだ。


「――だって、絶対に、勝ったと思った」


でも。
それでも、譲れないことが、あったのだ。

「は――はぁ!?どこが、だって、私はあそこじゃ絶対負け……」
「違う」

断言する。
こればっかりは譲れない。
これは、七草にちかから七草にちかへの客観的評価だ。食らいつくように見て、勝利と敗北を同時に祈って。
そんな複雑な思いの中で、それでも私は、あの舞台に――釘付けに、されたのだ。
自分自身のステージだから。確かにそれはあるだろう。だけど、そうじゃない。
それだけじゃ、ないのだ。


912 : Hello, world! 〜第三幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:02:17 t2vPDkoM0

「誰かのふりをしなきゃ、絶対勝ってた。あの歌は、あの踊りは、八雲なみのステップじゃなければ、勝ってた」

だって、ほら。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アレさえなければ七草にちかは確実に勝っていたと断言できる程の、最悪のノイズだったんだもの。
だから、しょうがないじゃないか。
そう思ってしまうくらいには。
私は、あなたのパフォーマンスに見惚れたのだから。

「私の、何百倍も努力して。――こんな、諦めた私なんかより、めっちゃめちゃ努力して、相方の人にも食らいつくぐらい頑張ってたんだから、絶対勝ってたはずなんですよ」

諦めたこと自体に後悔はない。私はそういう人間だ。
けれど同時に、こんな私のようではない「諦めなかった誰か」は、きっと輝かしいものなのだと思う。
ならば、目の前の七草にちかは――こんな私なんかよりも、何百倍も頑張った、立派な七草にちかである筈なのだから。
私は、それができなかった人間である。だから、それを当然のように、眩しく、憧れる、羨ましいものだと思うのだ。
努力は必ず報われるとか、そんなことを言うつもりはないけれど。
その努力が報われてほしいと切に願いたくなるくらいには、彼女は必死に努力して、その成果を見せつけていて。
同時に、そこまでして努力をして報われないのであれば、もう言い逃れの余地もないくらいに彼女は向いていなかったことになる。

「それなのに負けたのは、真似をしてたから――だから私は安心したし、でも、許せなかったんです」

もし自分が、アイドルをまだ目指していたなら。
それに気付いていても、彼女と同じように、気付かないふりをしていただろう。
だって、それをしてしまえば、今度こそ自分の才能の無さを、自虐で守ることすらもできなくなってしまうから。

「『ああ、もし七草にちかがアイドルになってたら、こうして勘違いしたまま突っ込んで負けたんだろうな』、って。それなら、まだいいから、って。『私が出し切った結果じゃない』って、誤魔化せるからって」

プロデューサーが言っていた、自分をまだ見つけられていないというのも、つまりはそれくらい単純なこと。

自分を信じられていないのだということは、あの映像を見た最初から気付いていた。
だって、自分がそうだったから。
自分がアイドルを目指していた頃は、怖くて怖くて仕方なかった。
いつか突き付けられてしまうのであろう、自分の才能の低さに怯えていた。
だから、それを受け入れた時、私は楽になったし――同時に、「それでも諦めきれなければ、自分はどうしていただろう」と考えずにはいられなかった。証明することから逃げた本当の自分の力量のことが、それを思い知らされる日の恐怖が夢が燻り続ける限り脳裏にこびりつき続けていた。
だから、みっともなくそこから逃げ出して、全てを八雲なみに押し付けているあの映像を見た時、私は安堵したのだ。
結局、自分の才能の底を見ることをせずに済んだのだと。
自分に才能があったのかどうかも知らないままなら、夢を諦めたことにも踏ん切りがつくから、と。
そんな虚しい答えを追ってしまう自分に、嫌気が差しながらも、そう思わずにはいられなかった。

「……そんな言い訳を、なみちゃんにさせないで。負けた理由を、なみちゃんに押し付けないで。楽しいか、楽しくなかったかまで――なみちゃんのせいに、しないで」

けれど、それは押し付けているだけだ。
八雲なみを信じて、八雲なみになりたいと思うのなら、それでもいい。
けれど、八雲なみを逃げる為の理由として使うのなら、そんなのは負けるに決まっている。

「……もし、あなたの言う通り、なみちゃんが歌ってたのが、私たちが思ったようなことじゃなかったとしても」

たとえ、背中を押してくれていたことを、疑うようになってしまっても。
彼女が間違っていると知りながら、それでも固執することで、間違いをそちらの責任にするべきではなかった。
……そうでなければ。
八雲なみは間違っていたのだと認めた上で、それでも好きだったのだと。

彼女に魅了されてアイドルになったことは、きっと間違ってなんていないことなのだと。

それを認めて飛翔できていたなら、彼女のステップを纏おうがどうしようが、勝てていた筈だと、今でもそう思っているから。


913 : Hello, world! 〜第三幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:03:10 t2vPDkoM0

「なみちゃんを、汚さないで――なみちゃんがそうだよって背中を押してくれていたことまで、裏切らないでよ」

これは、祈りだ。
身勝手で、どうしようもない祈りだ。
全て終わった負け犬で、それでも、だからこそ、ステージではなく観客席からあなたのことを誰より応援している、たった一人の。

「……その上で、『私』を、信じてください」

『七草にちか』の、祈りだ。

「どれだけ心細くても、それでも、あなたにはあなたしかいない」

あなたには、あなたしかいない。
ああ、舞台上ではそうだっただろう。
だけど、今ならそれだけは違うと分かる。違うと言える。言ってやる。
だって、あなたは見られているから。
私と違って、石ころになることを選んだ私と違って、誰かに拾われるまで必死に足掻いたあなただから。

「……ううん、ちがう」

だから、私はこう言うの。
皆が見てるのに、あなただけが、あなたを見ていないのなら。
あなただけが、着飾ることをやめたありのままの自分を見られることに、怯えているのなら。

「私(あなた)には、私(わたし)がいるから」

――他でもない『七草にちか』が。
――どんな文句を言おうと、死ぬまでだって見続けてやる。

たとえどんなに不格好で、怖くて、他人から見られるのが怖くても。
それでも絶対に、私はあなたを見続けてやるのだと、叫ぶのだ。
世界の端、ステージから見えるかどうかも分からない席の一つから。
それでも、緑色のペンライトを翳して、ささやかな願いを贈る。
ただの観客の中の一群衆(モブ)でも、それくらいは、願わせていてほしい。



◆◇



……ああ。
彼女は、笑っていた。
私を詰りながら、泣き叫ぶように笑っていた。
私を称えながら、感動したように笑っていた。
その笑いを、私はどこか、知っているような気がした。
違う。知っているどころじゃない。私の記憶に焼き付いたそれに、どうしようもなく似てるそれ。

――なんていうか……

そうだ。何度も見たことがある。
数インチの液晶の中。もう既に本物の電波は飛び去ってしまって、それでも電子の海の中でまだ漂っていた、私の憧れの。

――似てるみたいだな、にちかに。

何度も何度も見た、彼女の笑みのようで。

「――――やめてよ」

『それ』からは、逃げられない。
逃げられないように、なってしまった。
否定してはいけないものだと、認めてしまったばっかりだ。

「……ないですよ、才能なんて」
「わかってますよ、そんなの」

――今すぐ、納得できるわけじゃない。
才能の有無だって、どうでもよくなんてない。自分が今でも実は才能があって、実はダンスがとても素晴らしいものだったんだとか、そんな自惚れをしたい訳でもない。

「……あてつけですか。あんなステージ、楽しくもなんともなかったのに」
「才能が足りなくても、楽しんでなくても――それでも」

――なみちゃんは、楽しかったのかな。
答えは分からない。知ることなんてできない。
ここに彼女がいない以上、それを問うのは難しい。
けれどそれでも、自分が背中を押し続けてもらったのが、事実なら。
もし本当に、なみちゃんが実は苦しくて、アイドルを辞めたかったんだとしても。
私は、「彼女に背中を押してもらっていた」という事実までは、どうしても否定できない。

「………………………好きなんですよ。哀しくても、才能がなくっても、馬鹿みたいに身勝手でも」

……同じなのだ。
「七草にちか」が、「八雲なみ」のステージに背中を押され続けていたように。

「私も、もうなれないし、なるつもりもないですけど……もしもああなれていたなら、アイドルやってたのも良かったなあって……そう、思ったステージだったから」

「七草にちか(あなた)」が、「七草にちか(わたし)」に、背中を押してもらったとするのなら。
「私」にそれを否定する権利は、どこまで探したってないのだ。
憧れは嘘になんてならない。憧憬はどこまでも憧憬だ。与える側がどれ程それを否定したところで、それは変わらないのだから。


914 : Hello, world! 〜第三幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:03:44 t2vPDkoM0
 

――だって、ほら。
偶像(ひかり)は偶像(ひかり)で、こんなにも素晴らしい。


哀しくても、痛くても、そうなのとずっと問いかけていても。
そうであったからこそ好きで、そうであったからこそ背中を押されたと、七草にちかが思ったことが、棄却されはしないのだから。

八雲なみが、間違っていたのかもしれないと思った。
背中を押してもらっていた彼女が間違っていたと思い込んで、彼女に教えてもらった笑い方すらも忘れてしまった。
そう思いながら、形だけをなぞるように彼女を纏ってしまった。
自分が信じていないものを纏っても、負けるだけなのは道理なのに。

――けれど、もう憧れは否定しない。
背中を押してくれていたことそのものは、もう嘘になどできやしない。

プロデューサーでも、アシュレイ・ホライゾンでも、七草にちかでさえも、その肯定に意味がないとしても。
「八雲なみ」に、背中を押してもらっていたことなら、肯定できる。

(……ああ、ズルいな)

……彼女のことを。凄いな、と、素直に思えた。

失墜してそれでも尚、その光をきちんと眩しいと言えることが。
腐ることなく、ただ真っすぐに、憧れとは何かを突き詰められることが。
そのお陰で、思い出せた。
W.I.N.G.の序盤。自分がただ無邪気になみちゃんに憧れていた頃のことを。
――自分の、七草にちかの足跡を、駄目なものなのではなかったのだと、彼女が私に教えてくれた。

奈落を上がった先。
終わるまで出ずっぱりのそこに立たされたら、私は一人になるのだと。
誰にも見られず、誰にも思われず、ただ一人孤独に踊るのだと。
そう、思っていた。

「……そこまで、言ったんだったら」

だけど違った。
観客席に立って、彼女は私を見続けている。
時には叱咤を、時には野次を、時にはただ単に悪口を飛ばしてきそうな、だっさい令呪をメイクもせずにマスクで誤魔化している、全部諦めた、目の前の七草にちかは。
そのくせ、『アイドル七草にちか』から――七草にちかという人間から、ずっと目を離してくれない。
そして、突き付けてくる――あの日憧れた、『アイドル』の原点を。

「見ててくださいね、私のこと。撤回とか、なしですよ」

だったら、もう。
空っぽのふりなんて、できない。
『七草にちかが背中を押してもらった』アイドルを、裏切れない。
彼女に背中を押してもらったところから、わたしは始まったのだから。

「だから――私を、見てください。アイドルの、七草にちかを。あなたの背中を押した、ステージを」

舞台と客席を隔てて、私達は互いを見つめ合う
その境界線は既に越えることは叶わないけれど、それでも光は越えていく。
スパンコールの光も、ペンライトの光も。境界を越えて、舞台と客席を照らし合う。

「そういうアイドルに――なみちゃんみたいなアイドルに、なってみせますから」

嘗ての憧れのように、貴女に光を見せてあげるから。
だからあなたは、数多の観客席のひとつから、私に光を届け続けて。

「ああ――そうだよ、にちか」

だから、それを見て。
アシュレイ・ホライゾンは、今こそ真に彼女を言祝ぐ。
いろんな人に祝福されてなお、ただ一人自分だけ顔を背けていたあなたが。
たった一人のあなた自身と、向き合うことを決めたのだから。

「狂い哭け、祝福しよう――きみの末路は『偶像(アイドル)』だ」

いつか冥狼から貰った言葉を、口ずさむ。
真に迷った上で尚、その道を選んだ君ならば。
自分の背中を押してくれた光を、認めて。
失墜した、ただの人間である自分に、認められて。
その上で、自分もまた、誰かの光でありたいと望めたなら。
それは確かに、何処までも飛翔できる、比翼足り得る。

彼女はたった今、自分(ふたり)を救う偶像と成る。


915 : Hello, world! 〜第三幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:05:24 t2vPDkoM0

「……だったら、どうするか。決めてるんだろ?」
「…………はい。そりゃあ、まあ」

そして。
アイドルとして立つのなら、絶対に向き合わないといけない人間がいる。

「だってまだ、笑えた訳じゃないですから」

決意表明をしたところで、今すぐ何かが変わる訳じゃない。
意思一つで臆病な心すら覆せるような、決然的な勇気には、まだ足りない。
だから、心が軋んで悲鳴を上げる。期待に応えることを考えてしまえば、怖くて怖くてたまらない。
重い重圧に足は震え、まだ舞台には立てない有様。

「だから」

だから、まずは。
誰より『アイドル七草にちか』を見てくれていた人。
誰より『アイドル七草にちか』を、信じてくれていた人。
あの日以来、ずっと話していなかった人。

――『アイドル七草にちか』の、本当に、一人目のファン。

そこから、もう一度すべてを始めよう。
殴り込んで、必要なら鍵だって閉めて、もう一度踊ってやろうじゃないか。
今度は、間違えない。憧れも失意も才能のなさも全部ひっくるめて、それでも踊るのだ。
誰よりも自分を見続けてくれた人に。
舞台に送り出してくれたあの人に。
そして、見せるのだ。
『アイドル七草にちかが、こうして立ったのだ』ということを、最初のファンに、目を逸らさずに認めてもらえたら。
――いいや。

「言わせてやりますよ――可愛いって。上手くいくって。だから――聖杯なんていらない。私はもう、私だけで立てるから、大丈夫だって」

彼が、私の光を、見ていてくれたなら。
七草にちかはきっと、舞台へと、胸を張って飛翔(か)け上がれるから。




「――私の笑顔を、見ていて、って」





【七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、精神的負担(中)、決意
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
1:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
2:ライダーの案は良いと思う。
3:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身に軽度の火傷(ほぼ回復)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:今度こそ、Pの元へ向かう。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
4:武蔵達と合流したいが、こっちもこっちで忙しいのが悩み。なんとかこっちから連絡を取れればいいんだが。
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。


916 : Hello, world! 〜第三幕〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:05:46 t2vPDkoM0

【七草にちか(弓)@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、いろいろな苛立ち(割とすっきり)、プロデューサーの殺意に対する恐怖と怒り(無意識)
[令呪]:残り三画(顔の下半分)
[装備]:不織布マスク
[道具]:予備のマスク
[所持金]:数万円(生活保護を受給)
[思考・状況]基本方針:生き残る。界聖杯はいらない。
1:アイドル・七草にちかを見届ける。
2:あの野郎(プロデューサー)はいっぺん殴る。
3:お姉ちゃん……よかったあ〜〜〜。
[備考]※七草にちか(騎)のWING準決勝敗退時のオーディションの録画放送を見ました。

【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:健康
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
1:にちかと摩美々の身辺を警護。
2:『自分の命も等しく駒にする』ってところは、あの軍の連中と違うな……
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。
4:少しだけ、小隊長のことを思い出した。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、 
アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。
また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。


917 : ――そんでグッバイ 〜緞帳を降ろし終幕後〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:07:01 t2vPDkoM0

◇◆





見慣れた 知らない 景色の中で





◆◇


918 : ――そんでグッバイ 〜緞帳を降ろし終幕後〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:08:32 t2vPDkoM0


ずっと、話を聞いていた。
幽谷霧子の世界。七草にちかが、いなくならなかった世界のこと。
とりわけ、彼女が選んで話してくれた、にちかにも自分にも関りのあるエピソードがあった。
それは、あるひと夏の話。
真乃と智代子、霧子、そして摩美々がした、花屋の職業体験。台風による事故や、花の命についての話。
そして、恋鐘が出演したゲームの――寡婦と、寡婦にあいを与えた男の、物語。
間違いをした夏にずっと囚われていた寡婦に、かもめの餌を通して彼女自身の手で彼女へとあいを届けさせる物語。

「……それは、恋鐘にぴったりだねー」
『ふふ……うん……』

楽しそうに笑う彼女の声は、本当に、以前の通りだった。
アンティーカが揃って283プロで仕事をしていた頃、皆が揃っていた頃と同じだった。

「……そっか」

その声に、どこか救われたような気がして。
小さく微笑みながら、摩美々は小さくお礼を言った。

「さんきゅー、霧子ー」
『ううん……それで、摩美々ちゃんからの話も……』
「うーん。摩美々から言っちゃうのは簡単なんだけどー。ちょーっと、時間かかっちゃうかなあ」

色々話すことは立て込んでいるが、ただでさえ相当な長電話だ。ここから更に逐一説明してしまっては、時間がかかることこの上ないだろう。
なにせ、向こうではにち会談が終わったらしい。なんか良い雰囲気になったと思ったけど、「ところで…ちょっとさっきの台詞クサすぎじゃないですか?」「はぁ!?」とか、和気藹々とした言い合いが聞こえてきた。いいことだ。
ともあれ、それだけの時間を、彼女の言葉を聞くためだけに過ごしてしまったのは、色々とよろしくない。

『あっ……ごめんね、わたしが……いっぱい喋っちゃったから……』
「ちょっとー。霧子に話してって言ったの、こっちなんですケドー」

だから気にしないで、と言葉の裏に込めた意味を、霧子は読み取ってくれたのか。
小さく笑う彼女の声がむず痒くて、誤魔化すように毛先を弄った。

「……まあ。アサシンさんと合流してからでも、話は遅くないと思うのでー。霧子の用が済んで、アサシンさんと合流したら、話すからー」
『うん……ありがとう、摩美々ちゃん……』
「ん。あ、ついでにアサシンさんに、『マスターが話すから余計なことは言うな』って言っておいてー」

こちらからも彼に連絡はしておくつもりだが、先に全部詳らかにされたら、それはそれで困る。
流石に頼んだことはしないでいてくれると思う――なにせ相談役であり、クライアントがこちらなのだから――ので、ひとまずはこれでいい。
そして、互いに電話を切る。
通話終了のボタンを押して、座り込んだ茂みの木を背もたれに――長い、長いため息をついた。

「……んもー」

アパートから飛び出た七草にちかの行き先を、アパートの中に残っていたもう一人のにちかの元にメッセージで伝えておいたのは、彼女が駆けだした様を見届け、それを追っていた彼女だった。
だから、今彼女がいるのは、二人を邪魔しない程度の距離で、しかし声が聞こえる程度には離れた、植え込みの中。サーヴァントたちには流石に気付かれているだろうけど、にちか二人に気付かれている様子はない。
そこで、霧子からの通話を聞きながら、こっそりとアシュレイとにちかの会話、そしてその後のにちかの会話もまた、ある程度では聞き届けられていた。
そして、その中で。

――プロデューサーが、にちかを救うことで、全てが上手く行く可能性。

アシュレイから発案されたそれを、摩美々も聞き届けていた。
それは、放置してはいけないくらいには、彼女にとっても重要なことだったから。
成程、それは確かに良いのだろう。
彼の最終目標がそれだとするのなら、納得がいく。理解もできる。
プロデューサーという男が、自分たちにギリギリまで寄り添おうとしてくれる人間であることは知っているし。
その果てに、たぶん、にちかも救われて、バラバラになった283プロダクションが、元に戻って。

結果だけ見れば、正に望んだ通りの場所ではないか。
自分の願いが叶う世界。
ずっと考えていた、アサシンにも頼んだ、理想的な世界。
そう考えれば、むしろ田中摩美々は、彼を応援するべきなのではないだろうか。
彼がどうにか人を殺すことだけは食い止めて、サーヴァントだけを倒せるように心掛けて、その上でなんとか彼自身が戻るべき道を整えれば。
帰る手段ひとつとっても、にちかのサーヴァントがとても凄い人らしいから、その人に相談するという手もある。
そうすれば、ただ、目的としていたあの頃に戻れるのではないか。


919 : ――そんでグッバイ 〜緞帳を降ろし終幕後〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:09:08 t2vPDkoM0

「……違う」

――それを理想とただ信じられたら、どんなに良かっただろうか。

理想の世界は、そんな、彼一人が痛みと苦しみとを以て齎すものではなかった。
抜けない棘を各々に刺したかのような遺恨を、ずっと残し続けてしまうようなものではないのだ。

……霧子が語ってくれた世界は、優しい世界だった。
そんな輝かしい世界が存在するのかと言いたくなるくらいに、眩しい光に満ちた世界だった。
それは当然のように、摩美々たちが暮らしていた筈の日常と酷似していて。
そして同時に、どうしようもなく今の摩美々からはかけ離れた世界だった。
それが、幽谷霧子のいた――本当に、理想の世界。
間違いは咎められ。けれどそれを許す為に、自分と誰かが、自分自身に愛を注いで。
それは、田中摩美々が求めた、帰りたいと願った、理想の世界だった。

けれど、そうはならなかった。
それは誰のせいでもない。にちかのせいでも、彼のせいでも、ましてや自分たちのせいでもない。
ただ、運命は変わってしまったという、それだけだ。
それだけ、なのだと、思っていた。

「……そんな訳、ない」

――そうではない。
そうでは、ないのだ。
誰も悪くない、わけがない。
誰もが、間違えたのだ。正しくなど無かったのだ。
たとえそれが痛くて苦しいものだとしても、それを間違えたままここまで来たのであれば、それはやはりまっすぐに見据えなければならない。
あれは、ほんの少しずつの、零落の結果なのだと。

あの大舞台の後、何処とも知れない場所に消えてしまった、七草にちかも。
283プロダクションのアイドルをただ待たせるだけ待たせて、ただそれさえ戻ってくれば嘗てのようになるとひた走った、プロデューサーも。
……所属するアイドルとして、そんなプロデューサーをただ信じて、止めなかった、田中摩美々も。

正しくなんて、ない。
だって皆が正しくあったなら、世界はもっと正しく回っていた。
……正しく回っていたということを、知ってしまった。

(……知りたく、なかった)

もしかしたら。心のどこかで、ずっと思っていたのかもしれない。
どんな道を辿っても、こうなっていたのではないかと。
私たちに選択肢はなくて、だから283プロダクションがああなったのも、当然の帰結だったのかもしれないと。

――だから、仕方ないのだと。どうしようもなかったのだと。

だって、そう言い聞かせなければやってられない。
イルミネーションスターズの輝きは、曇天の果てに見えなくなって。
放課後クライマックスガールズの最高潮は、終わらせられるべきではない時に失われ。
アルストロメリアの幸福は、失意となって散っていった。
ストレイライトが辿った光は、迷い拡散し闇へと溶けて。
ノクチルは出航して間もなく、海原を往く指針を失った。
……そして、L’Anticaの運命も、まだ、閉ざされるべきではなかったのだ。
それら全てが罪だと言うのなら、どれだけの大罪となってしまうだろう。
突き進んでいたアイドルという道を奪い、彼女たち自身から生きていく道の一つをどうしようもなく奪ったことを、何を以て償えようか。

ならばこそ、その責任を、誰かに被せてはいけないのだと、誰もが思った。
「誰かが悪い」ということにしてしまえば、それはとんでもない大罪となって誰かを苦しめてしまうから。
田中摩美々は、悪いことをしたら責めてほしいと思っているけれど――表立って責めるには、それは余りにも重すぎて。
だから、見ないふりをしてしまった。
見て見ぬふりをして、その嘘を信じるふりをしてしまった。
だから、そう。
それを恐れたのは、きっとほんの小さな過ちのせい。

……にちかを探したいのだと、一言でも、言ってくれれば良かったのだ。
……にちかを探したいのだろうと、一言でも、声をかけてしまえば良かったのだ。

それこそが、罪。
誰もが誰もを気遣って、それ故に言葉には出さなかった。

それを言ってしまえば、プロデューサーという男が無理をするようになったことが、七草にちかのせいになってしまうから。
にちかが離れることになってしまった、プロデューサーのせいになってしまうから。
頑張ってくれていることを知っていながら、彼のせいになってしまうから。
だから、誰も言わなかったけれど――それは、やはり間違いで。
己にもう価値はないのだと思い込んで、七草にちかが全てを捨てたことも。全てを捨てた七草にちかに踏み込むことができなくて、プロデューサーが永遠に機会を失したことも。
そんなプロデューサーの背中を、押し切ることをしなかったことも。
全部全部が小さな間違いだけれど、ほんの些細な罪だったそれが、気付けばこんなに広がった。


920 : ――そんでグッバイ 〜緞帳を降ろし終幕後〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:09:44 t2vPDkoM0

……その結果として。
行き過ぎた、少しだけだった筈の各々の間違いは。
聖杯戦争、万能の奇跡という産物が目の前に訪れたことで、最早、取り返しのつかないものとなってしまった。
……仮に、これら全てがこちらの考えた幻想に過ぎなくて、彼が他のアイドルの存在を無視して七草にちかだけを選んだのだとしても、同じことだ。
彼が七草にちかだけを選んだのであれば、尚更、もっと早くにちかの元へと送り出すべきだったのだから。
誰だって少しずつ、何かを間違える。
それは是正されなければいけなかったけれど、だとすればそれは、一人が「自分のせいだ」と抱え込んで、自分を切り詰めてするべきではない。
その結果が齎す救いは、決して救い足りえない。

「……だって」

何故なら。

「プロデューサー、いなくなっちゃうってことじゃないですか」

一人で罪を背負って生きていくのは、難しすぎるから。
霧子の通話で、聞いた話。
寡婦はずっと、己のあいを切り崩していたのだという。
まるで過去に背負った罪の代償行為を行うかのように、物品とあいを交換しつづけていたのだという。

それは、奉仕だ。
己を切り詰めて、身を崩しながら、罪を償うように誰かに尽くすことは。

田中摩美々は、プロデューサーに奉仕されたい訳ではない。
プロデューサーに傍らにいてもらって、プロデュースをしてもらって、アイドルの活動を共に過ごしたかった。
それは別に、己に限った話ではない。
Pたんが努力してくれるなら、三峰はそれに応えるだけですよ、と誰に言うでもなく嘯いた三峰結華も。
今はただプロデューサーさまのお心を、と寂しそうな笑顔で笑う、たぶん一番辛い思いをした杜野凛世も。
なんか、つまんなくなっちゃったっす、とある日唐突に呟いたらしい芹沢あさひでさえも。
皆、そうだ。あの事務所に、ただ「自分がアイドルをする為の装置」としてのプロデューサーを求めているアイドルなど、ただ一人だっていやしない。
彼に、ただ尽くしてもらうことだけが、アイドルをするということではないのだから。

……別に、にちかを優先順位の上に置くことは、全然いいのだ。
あの人が七草にちかを選んだことについては、それでいい。プロデューサーという人間にだって好きなものがあるということなら、むしろ揶揄うネタになるな、と思うくらいだ。その個人的な好悪を否定する程野暮な訳でも、彼に個人的な想いを寄せているという訳でもない。

だけど。
彼は、傍らに寄り添う「アイドル」として、七草にちかとだけ、一緒にいることを選んだ。
それ以外の少女たちを、あくまで、プロデューサーという男のエゴの被害者だと定めていた。
それ以外の24人に対して接する時、ずっとずっと、彼は自分を責めていた。
そして、プロデュースではなく、償う為の奉仕をしていたのだ。

283プロダクションがなくなったきっかけは、確かに純粋な機能不全によるものだ。
それまでのプロデューサーは、きちんと仕事に邁進してくれていた。
自分たちの将来と立場を考え、その責任を遂行して、未来に繋げようとしてくれていた。

――裏を返せば。それは、その頃のプロデュースが、義務感と責任感によって、形骸だけで行われていたということだ。

それは確かに、社会的責務としては立派なことだろう。好きでもない仕事をそれでも遂行することは、紛れもなく素晴らしいことだと言える。
だが、それは、プロデューサーという男が仕事の対象としているアイドルという人間に、多少なりとも伝わるものだ。

彼は、贖罪として、「アイドルのプロデュース」をしていただけで。
「田中摩美々のプロデュース」は、もう、していなかった。

だから、田中摩美々のことを、もう彼は見つけてくれない。
「田中摩美々がどう思っているのか」を彼が聞くことは、もうなくて。
「田中摩美々がアイドルとしてどう進むのか」を聞くことなしに、ただ「アイドルをすることができる道」を舗装することだけしか、彼はしてくれない。


921 : ――そんでグッバイ 〜緞帳を降ろし終幕後〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:10:22 t2vPDkoM0

そして。
それだけの義務感と、責任感を持っているような、彼が。
人を殺した上で、元の世界に戻ったとして。283プロダクションを再始動させたとして――彼自身がまたプロデューサーとして残ることは、ないだろう。

だって、そうだ。
彼の掲げた理想が、今提示された通りのものであったとして。
彼の理想の下で、摩美々と真乃も元の世界へと帰ることができたとして。
彼と自分の世界が同じで、にちかを救って帰ってきたことで283プロダクションが復活したとして。
自分たちが享受するにせよ、にちか一人だけが享受するにせよ――ただ何も考えることなく受け取れというには、彼が背負った罪は重すぎる。
何故ならそれは、ひとりひとりの小さな歪みが集約され、可視化されるに至った罪だから。
その大きすぎる罪は、その罪によって癒されたものからすれば無視するなどできないし――ならばと共に背負おうとしても、彼はそれを良しとしないだろう。
その悔い、その罪、その罰、その傷の全て分ち合おうと、彼にとっては救いにならない。
だって彼自身は、救われたい訳じゃないから。
七草にちかを、あるいはアイドルを、あるべき場所に送り出せればそれでいい。
……選んだのが七草にちかだけであれ自分たち全員であれ、どちらにせよ、もし彼の救いが誰かに罪の意識を残すようなことがあれば、彼は自分達アイドルの元に寄り添おうとはもうしないだろう。
彼はきっとどこかから舞台を見続けて、そして一人で永遠に罪を被り続ける。七草にちかのいる、あるいはアイドルがいる舞台を見続けたまま。同じ観客席に降りて声をかけようと、ただ聞こえないか、離れていくだけだろう。
彼は、アイドルにとって自分がどれだけ重要な人間か、理解していないから。
数年もしたら別れていることを無意識に考えてしまうくらいに、自分のことを軽く考えているから。

「……でも」

そう。
彼が、救われたくなどないのだとしても。
ただにちかが、アイドルが、生きてくれればいいのだと思っているのだとしても。

「悪い子を差し置いて、一人で勝手に悪い人になろうだなんて」

それでは、にちかは救われないのだ。
だって今、彼女はそう言った。
七草にちかがアイドルとして立つ為に、あなたにも見ていてほしい、と。
そんな彼女を放っておいて、罪を全部背負っていなくなるなんて――それこそ、にちかのことすら裏切っている。

「虫が良すぎると、思いませんかー?」

そうだ。
田中摩美々は、悪い子なのだから。
悪い子にも、罪を被らせてほしい。
それが仮に、二十四分の一にも満たない罪なのだとしても。
せめてそれくらいはこちらが勝手に背負わないと、せめてもの悪い子の面目が保てない。
もしも田中摩美々が彼と対面したとして、きっとそれが、今になってプロデューサーという男にできること。


プロデューサーは田中摩美々を見出してくれたけど、田中摩美々はプロデューサーを救える何者かにはなれない。

だから。

田中摩美々は、プロデューサーの罪を一緒に背負う、誰かになる。



もちろん、殺しを手伝うとか、そういう意味ではない。
彼が誰かを殺しているのなら、それは止める。
だから、罪というのはそちらではなく――この世界に来る前の、罪。
彼が私たちに向けている思いが、「最後までプロデュースできなかった」ことへの、贖罪なのだとしたら。
もう一緒にいれることはないけれど、せめて幸せであってほしいという、そういう性質のものならば。
「それはこっちも悪かった」と謝って、その上で、「それでもあなたは生きているべきだ」という、それだけは伝えなければならない。
……聖杯を狙う上で誰かを殺すという罪を許せる程、田中摩美々は優しくない。咲耶の復讐だって、そうだ。そっちを恨む気持ちは、やはり失くせない。
だけど、罪がこちらにもあったのに、その罪を勝手に背負って、その罪の為に死なれることまで正しいと呼べるほど、田中摩美々は良い子ではない。

だから、せめて。
救いも安らぎも与えられなくても――生きていくことだけは、肯定しよう。
いつしか彼自身が、彼自身のことを、もう一度「生きてていい」と思えるような時間が、作れるように。


922 : ――そんでグッバイ 〜緞帳を降ろし終幕後〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:10:58 t2vPDkoM0

アサシンの夢の中で、色が鮮明についていたのは、確かに「彼」と一緒にいる時だ。
世界の中で、彼だけが、眩しかった。
プロデューサーにとっての七草にちかも、きっと似たような存在なのだろうから。
私は、それにはなれないな、と、今でも思っている。
なりたいのかと言われれば、どうなのだろう。少なくとも、彼とアサシンは末永く一緒にいたのだろうから、やはりなりたかったのかもしれない。
けれど、そうはならなかった。
その結論は、受け入れる。
彼にとっての「アイドル」に、田中摩美々はもうなれない。

でも。
色のない世界の中でも、温度はあった。
傍らに寄り添ってくれる支えの、その暖かさはあった。
彼が小さい時からずっと、二つの暖かさが共に歩んでくれていた。
それに甘えることができたから、彼はずっと歩んでこれた。
己の罪によりいつか死に至るとしても、それまで生きることを是としてくれた。

だから。
田中摩美々は、せめてここに来る前の、最初の罪を共に背負うことで。
彼の世界に、もう一度だけ、温度を与えたい。
モノクロの世界の中で、田中摩美々の紫色を捉えることが、もうできないのだとしても。
田中摩美々の蜃気楼が持つ、茹だる熱さと沈む冷たさの。
その温度だけは、まだ、彼に伝えたいから。

――この、暑い夏の夜に。
――わたしたちはどうしようもなく、決定的な間違いをした。

不可逆的に世界へと刻まれた、その傷を癒せる人が、もういなくとも。

探しに行こう。
その傷を刻んだ罪人が失くしてしまっている、己へのあいを。

この夏が、終わるまでに。
紫色の蜃気楼が、残っているうちに。



【世田谷区 七草にちか(弓)のアパート/一日目・夜】

【田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:健康、赤い怒りと青い憂欝、動揺と焦燥感
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散策しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:ただ、プロデューサーに、生きていてほしい。
1:プロデューサーと改めて話がしたい。
2:アサシンさんの方針を支持する。
3:咲耶を殺した奴を絶対に許さない。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています




【新宿区・喫茶店(ほぼ崩壊)付近/一日目・夜】

【幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
0:摩美々ちゃんも……元気だった……
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
5:おでんさんに、会わないと……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。


923 : ――そんでグッバイ 〜緞帳を降ろし終幕後〜 ◆KV7BL7iLes :2022/02/12(土) 21:11:28 t2vPDkoM0
投下を終了します。


924 : ◆EjiuDHH6qo :2022/02/16(水) 23:16:27 mQyt247M0
予約にアルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)を追加します


925 : ◆Uo2eFWp9FQ :2022/02/18(金) 18:32:05 .cXtWQsY0
七草にちか(弓)&アーチャー(メロウリンク)
七草にちか(騎)&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
田中摩美々
予約します


926 : ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 22:57:49 p3G9Lmdw0
投下します


927 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 22:59:12 p3G9Lmdw0
 それは来訪と呼ぶにはあまりにも不躾で。
 そして、あまりにも剣呑が過ぎる襲来だった。
 豊島区・上空。第二次大戦下では焼夷弾を搭載した戦闘機が駆け抜けたであろうその空に。
 百年の時を超え、再びそこを敵が翔ける。
 機械に非ぬ生身の身体と地上に存在しない幻想種の龍体で。
 人に生まれながら人を超えた二体の皇帝が、一つの企業を潰すべく。
 もといそこに巣を張った狡知の申し子を滅ぼすべく我が物顔で夜空を切り裂きながら進撃していた。
 その気配を感じ取れない者などいないだろう。
 マスター、サーヴァントは言わずもがな。
 何の魔術的センスも持たない凡夫達でさえその恐るべき気配に尻餅をつく。
 何故なら彼らは。
 これらは。
 乱世という言葉が死後と化し、未知の浪漫が駆逐された現代においては異物と言う他ない無遠慮な侵略者であったから。
 そして彼らの接近は無論、彼らが標的としている蜘蛛の片割れとその共犯者達にも遅滞なく伝わっていた。
「バーサーカー君。こんな状況で悪いが、一つ頼まれてくれまいか」
「貴様は何を言っている。こうなった以上もはや貴様らに付き合ってやる義理はない」
「逃げようというのであればやめておきたまえ。あんなのでも一応君を現世に繋ぎ止める要石だ」
 単独行動に類するスキルを鬼舞辻無惨は所有していない。
 それはつまり、現在のマスターを欠くような事態になれば彼は現界を保てないことを意味していた。
 松坂さとうという後任のあてはあるものの生憎この場に彼女はいない。
 今から呼びつけることが可能だったとしても、どう考えても此処に迫る二体の脅威が到着する方が早い。
 その意味するところは無惨にとって致命的だった。
 得意の逃げの手が打てない。
 聖杯戦争の土俵にあっては、さしもの彼も一人では生きていけないのだ。
 そういうルールの許に召喚されている以上、要石の存在は必須であった。
「共に腹を括ろうじゃないか。今や君と私達は運命共同体だ」
「その不愉快な喩えは二度と使うな。命が惜しければな」
「覚えておこう。で、協力してくれるかね?」
「…巫山戯た要件であれば今すぐこの場で貴様を引き裂き殺す。それを承知して言葉を紡げ」
「うむ。では率直に頼む。この部屋を、なるべく原型を止めない形で破壊してくれたまえ」
 無惨の行動は実に迅速だった。
 戦闘能力に悖るモリアーティでは残像を目視するだけで精一杯の速度で彼の注文をこなしてのけた。
 無惨は短絡な人物だがしかして馬鹿ではない。
 その上こと生き延びることにかけての本能は一級品と呼んでいい鋭敏さを誇っている。
 自分が目前にしている老紳士が如何に腹に据えかねる存在であれど、今この場で自分の生存に繋がる手を打てる可能性は高いと評価したのだろう。
 社長室だった部屋は一瞬にして台風一過もかくやの惨状に成り果てた。
 此処に四ツ橋が居合わせていたならきっと頭を抱えたろうが…今はそれどころではない。
「それで、この行動に何の意味があったのだ?」
「これは私の不徳の致すところなのだがね。恐らく我々の動きは、某かによって傍受されていた可能性が高い」
 そうでなければこうも早く足が付くのは不自然だとモリアーティは続けた。
 漏れる可能性があるとすれば数刻前にこのデトネラット本社を訪れたアルターエゴだが、それにしたって段取りが良すぎる。
 盗聴器という可能性は考え難いにしろその傾倒の傍受手段がこの社長室内に存在する可能性は極めて高いと老蜘蛛はそう踏んでいた。
「だが此処まで念入りに壊せば追加で情報が漏れる心配はないと踏んでいいだろう。
 これでようやく、心置きなくこれからの話ができるというものだ」


928 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 22:59:45 p3G9Lmdw0
「……どう見積もっても到着まで一分もない。その時間で講じられる策があるというのか?」
「単なる役割分担の話だがネ。おそらく敵は直にこのビルを吹き飛ばすだろう。
 その時敵が複数だったなら、バーサーカー君には敵をなるべく分散させるよう動いてもらいたい。
 無論可能な限りで構わないよ」
「死にたいのなら遠回しではなく率直にそう言え」
「話は最後まで聞きなさい。君の悪い癖だぞ」
「貴様」
 傍らの無惨から迸る殺意の桁が一桁膨れ上がった。
 モリアーティは両手を挙げながら続ける。
「君はまだ生き延びられる期待値が高い方だよ。
 私などはほぼほぼ詰んだに等しい状況だ。君より数段は悪い」
「私を此処まで足労させてその言い草とは恐れ入る。こうも舐め腐られたのは初めてだ」
「だがね…世の中、案外何事も最後まで分からないものだ」
 彼の表情は笑みを象っていた。
 この状況で微笑める神経が無惨には皆目分からない。
 無惨は決める。
 すぐにでもあの出来損ないのマスターを回収してこの場を離れると。
 新たな拠点を作れないのは惜しいがそれもこの老蜘蛛の一派が死に果てれば何ら問題はない。
 耄碌した死にかけの虫は勝手に死ねばいい。
 至極平常運転の思考で無惨がそう結論付けた、その数秒後のことだった。

「『熱息(ボロブレス)』!!」

 天下総てに轟くような雄々しい咆哮が響くや否や。
 国内外にその名を轟かせるデトネラットの本社ビルに、とてもではないが自然現象では片付けられないサイズの火球が直撃。
 多数の社員の命運を業火の灼熱に溶かしながら、蜘蛛の巣食っていた本拠地は崩壊の末路を結論付けられた。

    ◆ ◆ ◆

 着弾。
 それと同時にデトネラットは炎に包まれた。
 ガラス窓を押し破って社内に流入した業火。
 聖杯戦争の存在すら知らない平の社員も四ツ橋経由で覚醒させられていた者達も見境なく焼死体に変えられていく。
 わずか数秒にして数百人単位の死者を出しながら、"彼ら"の初陣は壮絶な幕開けを迎えた。
「…! らいだーくん、これ……!」
「黙ってろ! 舌噛んでも知らねぇぞ!」
 デンジとそのマスター、神戸しお。
 彼らが幸運だったのはあてがわれていたゲストルームが低層階にあったことだ。
 開戦の号砲と呼ぶにも激しすぎる一撃は主にビルの最上階から四階程度を埋める形で炸裂した。
 無論じきに下階も焼けて崩落するだろうが、それでも上の連中に比べればわずかに猶予があるのは確か。
 変身を果たして異形の頭を晒し、サーヴァントとしての身体能力でしおを抱えて走る。
“なぁにがクエストだあのクソジジイ。とんだクソゲーじゃねぇかよ〜!”
 舌打ちをしながら後ろを見る。
 すると"あの女"…バーサーカーのマスターも付いてきていた。
 こういうところはちゃっかりしているというか抜け目ないというか。
 いっそうっかり瓦礫に潰されでもしてくれれば楽なんだけどなと、デンジが思う一方で。


929 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:00:15 p3G9Lmdw0
「しおちゃん、ライダーくんの言う通りよ。この辺はまだ大丈夫そうだけど、火が広がってるところに出たらできるだけ息を止めてね。
 火事のときは喉をやけどするのが一番危ないの。煙を吸わないように口と鼻を塞いで、じっとしてるのよ」
「はぁいっ…! ん、むっ…」
 案外そういう基礎的な知識はあるらしい。
 ちなみにデンジはこれについては全く知らなかった。
 義務教育を受けていない彼には当然、避難訓練の経験なんてものはないのだ。
 頭のチェンソーで積もった瓦礫を切り裂いて押し退けて先へ進む。
 そうしてようやく外に続くドアが見えた時、そこには既に先客がいた。
「星野アイさん! 無事だったんスね〜…いや〜良かったっす!」
「あ、しおちゃんのライダーくん。よかった、そっちも何とか逃げ出せたんだね」
 こんな状況でも男というのは正直なものである。
 デンジはしおを抱えたままビッと背筋を正し、ぺこぺこと意味もなく頭を下げた。
 星野アイとそのサーヴァント、ライダー…殺島飛露鬼もまた渦中ならぬ火中のデトネラットから脱出を果たせたようだった。
「そう畏まんなよ。今は同じ釜の飯を食う仲間なんだから。そうだろ?」
「言われなくてもアンタにはぺこぺこしねぇよおっさん」
「おいおい気にしてんだぜこれでも。オレもてっきり二十歳そこらの姿で呼ばれると思ってたからよ…」
 聖華天にその人あり、暴走族神(ゾクガミ)ありと謳われたあの黄金の時代こそが自分の全盛期だと殺島は今でも信じて疑わない。
 しかし蓋を開けてみれば聖杯が殺島の全盛期と認定したのは"八極道"になってからの姿。
 純粋に戦闘能力だけを見てそう判断したのかそれとも別な理由があるのか、そこは殺島にも分からなかった。
「で…。しおチャン達はMの爺さんから何か聞いてたかい?」
「聞いてたらもっと早く避難してるぜ。耳に水が入ったみてえな気分だよ」
 寝耳に水って言いたいのかな、とアイはそう解釈した。
「私もきいてませんでした」
「ま、そうだよなぁ。もしかしたらオレとアイはまだあの爺さんに信用されてなかったのかと思ったが…」
「それに…もしえむさんがこうなるってしってたら、だいじな会社をこわされないようにしたと思う」
 しおの推測に殺島は納得した。
 ややもすると自分達は嵌められたのかとも思ったが、それにしては確かにあちらの抱えるリスクが大きすぎる。
 デトネラット本社ビルという最高級の拠点をわざわざ棒に振ってまで自分達を切り捨てたいと考える、あの男がその程度のおつむだとは思えない。
 だが、だとしても事態と今の状況は何ら好転しない。
 あのMをして予想外の状況。
 喉元にナイフどころかロケットランチャーの砲口を突きつけられている現状。
 果たして連合に加入することを選んだ選択は正しかったのかと感じ、殺島はアイとどちらともなく顔を見合わせた。
“…どうする?”
“んー…もし本当にヤバそうだったら令呪を使うよ。Mさんの力が借りられなくなるのは痛いけど、それで死んだら元も子もないし”
“了解(りょ)。その時が来たら躊躇うな”
 アイ達にとって敵連合は協力相手だ。
 利害が一致している間は付き合うし甘い汁も吸う。
 が、彼らとつるむことそのものがリスクになるなら切ることに躊躇いはない。
 言われずともアイに躊躇いなどなかった。
 願いを叶えるためならどんな非道も働ける、どんな嘘でも吐ける彼女だ。
 出会って数時間の少年少女を捨て駒同然に切り捨てることすら今更厭いはしない。
 念話で殺島と今後の打ち合わせを迅速に済ませつつ。
 デンジ達と共にデトネラット本社の外へと一歩踏み出したその瞬間に……
「……本気(マジ)かよ」
 殺島は苦笑した。
 そうでもしないとやっていられなかったし、種別はどうあれ微笑めた時点で上出来だ。
 彼以外の者は感情の麻痺した狂った女一人を除いて皆一様に表情を失っていた。
 茫然自失。その一言に尽きるあまりにも無防備な顔。
 各々の顔面を味気ない無機――という名の絶望に彩りながら。
 彼らは、そして彼女達は…夜空を背に立つそれを見上げていた。


930 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:00:49 p3G9Lmdw0

「マ〜マママ…! 見なよカイドウ、火に燻されて出てきたよ! クモ野郎が後生大事にしてやがった虫ケラ共が!」
 
 燃え盛り崩れ落ちる高層ビルを前にして一人の老婆が立っている。
 老婆だ。
 そう、それは確かに老婆だった。
 顔には皺が寄り容貌は劣化し見る者全てに老境の色を認識させる。
 だが、それは老婆と呼ぶには精強すぎた。
 巨大(おおき)すぎた。
 今この場にいる人間の中では一番長身である殺島でさえ頭を大きく上に動かさなければ顔が見えないほどのサイズをしていた。
 しかしその顔を見ないに越したことはなかったのかもしれない。
 だるんと弛んだ皺だらけの顔の中に空いた眼窩。
 そこに収まった二対の眼と目が合えば…否が応にも自分達が生物としてどれほど格下なのかを思い知ることになってしまうから。
「なぁオイ、しお」
 確信する。
 やはりあの爺が自分達にやらせようとしていたクエストなるものはとんでもないクソゲーだったのだ。
「やっぱ後であのクソジジイとっちめた方がいいんじゃねぇか?」
「……そうだね、ちょっと怒ろっか」
 そう言って頷き合うデンジとしお。
 彼らやMに見切りをつけて安全を優先するべきか、冷や汗を滲ませながら逡巡するアイと彼女の判断を待つ殺島。
 ただ一人平時と何も変わらないさとうの叔母。
 物理的な大きさも一人一人が持つ力も小虫のように矮小な彼らを、偉大な母(ビッグ・マム)は残忍な笑みで見下ろしていて。
「さァて」
 すぅと息を吸い込む音が聞こえた。
 それを聞いた時、アイが連想したのは津波だった。
 大津波が押し寄せる前。
 ざっと海の水が引いていく光景をイメージした。
 そこまで思い描けたなら必然この後に何が起こるのかも予想がつく。
 引いていった潮は何処へ行くのか。
 何処にも行かない。
 必ず、元あった場所に帰ってくる――。
「落とし前の時間だよォ〜! 虫ケラ共ォ〜〜!!」
 そしてそのイメージ通りに。
 老婆の咆哮が響くと同時、津波の如き"覇"が核爆弾のように炸裂した。

    ◆ ◆ ◆

 燃え上がる城から青年が翔び立った。
 死柄木弔は個性保有者である以外は普通の人間だ。
 数十メートルの高所から飛び降りて生き延びられるような超人性は持っちゃいない。
 しかしこの墜落は悲観でも博打でもない。
 連合のブレインは全てあの犯罪王に任せているのだ。
 ならば手前の読み切れなかった非常事態、その責任くらいは取るべきだろう。
 もしあの男が自分のケツも拭けない程度の器だったのなら自分の命運も此処までだったということ。
 自由落下に身を委ねながら死柄木はそう考えていたが。
 実のところ、そう最悪なことにはならないだろうとも思っていた。


931 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:01:34 p3G9Lmdw0
 だからこそ焦りはなく。
 ヒリつくような感覚もてんでない。
 そして引力に誘われ落ちていくその体は、至極予想通りに抱え上げられた。
「心底気色悪い構図だな」
「そう言わないでくれたまえ、未来の魔王。これでも足腰に無理を言わせて飛んできたのだよ?」
「当たり前だろ駄蜘蛛。元を辿ればテメェのミスだろうが」
「いやぁ申し開きのしようもないネ。四ツ橋君が社外に出払っていたことだけが不幸中の幸いだ。
 彼さえいれば拠点には困らない。都内には他の支社のビルもあるだろう」
 デトネラットは連合の最大のパトロンだ。
 四ツ橋力也が擁する巨大な財力と社会的信用度は、蜘蛛が巣を張るのにあまりに適した大木であった。
 そのデトネラットという太木の所有者である四ツ橋が所用で本社を留守にしていたのは大きな幸運。
 そこのところに関しては、死柄木も異論はなかったが……
「それまで生きてられたらいいけどな」
「…そこなんだよネー。問題は」
 間違いなく此処は連合の存亡の分水嶺になる。
 デトネラットを強襲した二体の強者。
 恐らくはモリアーティがクエストと称してぶつからせる腹積もりだった、サーヴァント界のハイエンド達。
 それが仲良く肩を並べてこのデトネラット本社にやって来ているというのだから状況は最悪どころの騒ぎではない。
「現状の我々は戦力で語れば貧弱そのもの」
「まともにやればまず負ける、か?」
「弁解させて貰うなら、君達にこなさせようとしていたクエストも一応は可能な限り正面戦闘を避けて進められる形にしようとは思っていたよ」
 だがその配慮もこうなってしまっては何の意味もない。
 この超絶難易度(ベリーハード)な状況を平定できなければ敵連合は間違いなく消滅する。
「崖っぷちだな」
 数刻前の死柄木ならば不貞腐れたように眉根を寄せていただろう。
 しかし今の彼は笑う。
 乾いた唇を吊り上げれば裂け目のような傷からじわり血が滲んだ。
 一歩踏み外せば奈落の底。
 破壊を求道した男が更に上の破壊者にすり潰されて終わるという皮肉すぎる結末。
 それを前にして心を躍らせるなど、気が触れたとしか思えない沙汰である。
「断崖を背にして笑うかね。一体その目で何を見据えている?」
「変わらねぇよアーチャー。初めて会った時、アンタに話したそのまんまだ」
 だが気が触れているくらいでなければ、世界を破壊するなど夢のまた夢だ。
 そもそも正気なら世界の滅びなど願わない。
 社会に迎合して。誰かと足並みを揃えて。
 背伸びはしないでなぁなぁに生きる。
 理由が環境であれ人格であれその両方であれ、その妥協ができなかった者達は大輪の花を咲かせるものだ。
 周りの全てを養分にして咲き誇る、悪の花を。
「皇帝(ロートル)共を蹴り落とす。力と知恵を貸しやがれ"犯罪王"」
「委細承知だマスター。ではまずは、我々の最高戦力である彼に助力を仰ごうか」
 視界に映るのは蒼い龍だ。
 新宿を滅ぼした二体のサーヴァントの片割れ。
 本来ならばかち合うのは当分先になる筈だった相手だが、蜘蛛の巣を突くのならば是非もない。
 不躾な来訪者にはこちらも精一杯手荒な歓迎をするとしよう。
「すまないが足止めを頼むよ、バーサーカー君!」


932 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:02:16 p3G9Lmdw0
    ◆ ◆ ◆

 鬼舞辻無惨は生前、神仏の存在など一切信じていなかった。
 もしも実在するというのなら、千年もの間自分のような巨悪が跋扈することを許した無能だと嘲笑っていた。
 英霊の座なる理が存在することを知った今では多少認識も変わっているものの…彼が神をも恐れぬ男であることは依然変わらない。
 だがその彼をして今日という日を称するにはこんな表現を用いる他なかった。
 私は疫病神にでも取り憑かれているのか――と。
“何故こうも想定を外れる。物事の全てが私の逆鱗の上で繰り広げられているかのようだ”
 視界に入る龍の全容は天災と呼ぶしかないほど非現実的で荒唐無稽な規格をしている。
 こんなものと何故真正面から向かい合わねばならなくなっているのか。
 血管が切れそうな程の憤怒と脳裏を焦がす生存本能由来の焦燥。
「蜘蛛野郎の尖兵か? ずいぶんと貧相なナリだが…ロクでもねェ眼をしてやがる」
 黙れ。
 喋るな。
 貴様如きが私を評すな。
「龍(おれ)を睨むとはいい度胸だ。業火で骨まで焼き尽くしてやるよ!」
 龍の顎(アギト)が開く――地獄の窯を思わす光景。
 そこに渦を巻く炎はデトネラット本社を焼き払った文字通りの業火だ。
 彼こそは龍に化ける大海賊、地上における最強生物"百獣のカイドウ"。
 彼が明王として君臨したワノ国の民衆達…その誰もが心から恐怖した破壊と君臨の象徴。
 龍という幻想種のパブリックイメージを地で行く天変地異が再び牙を剥く。
「『熱息(ボロブレス)』!」
 それを前にした無惨。
 しかし彼は無様に喚きはしなかった。
 恐怖に震えもしなかった。
 確かにカイドウは強大な存在である。
 その彼を最強たらしめる柱の一つ。
 ゴッドバレーで女傑リンリンから譲り受けた悪魔の実の力。
 それが弱いわけはない。
 だが侮るなかれ。
 浴びた恐怖と絶望、生み出してきた悲劇の数ならば。
 無惨もまたカイドウと同じ規格外の領域に達している。
「邪魔だ」
 無惨の肉体から異形の肉が突き出した。
 触手、触腕という形容が適しているだろう鞭のように靭やかな肉塊。
 無惨がそれを用いて行ったことは決して難しいものではない。
 迫ってくる火球に向けてただ全力で触腕を振り抜いただけだ。
 大きさも見栄えもカイドウのそれの比ではないが。
 無惨の肉とカイドウの炎とが激突した瞬間、それは起きた。
「…何!?」
 カイドウの炎が、熱息(ボロブレス)が弾けたのだ。
 弾けた火球は結合も勢いも失い大気中に溶けていく。
 無惨は無傷で消耗している様子もない。
 小手調べの色が強かったとはいえ、四皇の一撃をこうも容易く凌いだ芸当はお世辞にも弱者のそれではなかった。
「デトネラットの主は私ではない。殺したければ好きにしろ」
 だというのに無惨は追撃をしない。
 彼が放つのは攻撃ではなく言葉だった。
「お前達のような馬鹿共の戦いに巻き込まれたくはないのだ。
 私が去れば連中の戦力は激減する。蹂躙なり略奪なりするがいい」
 無惨としても連合には一定の利用価値を見出していた。
 というよりもM、ジェームズ・モリアーティの存在が大きかった。


933 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:03:03 p3G9Lmdw0
 約定通り新たな拠点を見繕わせるまでは利用し、美味い汁を吸う。
 その後には殺すがそれまでは不服ながら生かしておいた方が利が大きい。
 そういう腹積もりでいたのだったがこうなるとその気も変わる。
 Mと組むことで得られる恩恵が目前のリスクと比べ下回っている。
「…お前、わかってねェな」
 決して悪くない話だ。
 それは間違いない。
 無惨を欠いた現状の連合は戦闘力に限って言えば烏合の衆もいいところである。
 ならば無惨の離脱はデトネラットに巣食った計略家を潰す上で間違いなく得になる筈。
 理屈は通っている。
 が、この理屈に一つ問題があるとすれば……
「確かにおれ達の目的はこのビルを根城にしてた蜘蛛野郎の素っ首だ。
 だが此処に集まってる連中を潰しておくこともおれ達にとっちゃ利になる。
 後でもう一度探して潰す手間も省けんだろうが」
「その蜘蛛を逃す可能性が高まるとしてもか? 随分と楽観的に物を考えるのだな。簡単な頭で羨ましいぞ」
「それがわかってねェって言ってんだよ」
 無惨の眦がピクリと動く。
 そんな彼に龍はニヤリと笑った。
 不敵を体現するようなその顔はひどく無惨の神経を逆撫でする。
「目の前の財宝を妥協する海賊はいねえ」
 確かに無惨という最高戦力が消えるのならば、蜘蛛殺しという本懐を遂げられる可能性は高まるだろう。
 だがそれがなくともカイドウは蜘蛛を逃がすようなことにはならないと踏んでいた。
 無惨の在不在は目的の達成に影響を及ぼさないとすら考えている。
 その考えの源泉はひとえに自らの強さに対する自覚だ。
 蜘蛛は殺す。
 蜘蛛が巣穴で飼っていた仲間達も殺す。
 両方を完全にこなす難易度は蜘蛛の実力も合わさって相当に高いが。
「だがおれと戦わずに済む方法が一つある!
 ウォロロロロ…! おれの炎をハジいといて眉一つ動かさねェその実力は類稀なモンだ。
 お前がおれの傘下に入るってんならおれも鉾を収めてやる。悪い話じゃねェだろう!?」
 それができるからこそ彼らは四皇なのだ。
 彼らの頭に不可能の文字は存在しない。
 どれだけ無謀だろうが手を伸ばす。
 荒唐無稽だと笑った奴らはブチのめして手を伸ばす。
 彼らはいつだってそうしてきた。
 諦めを知らない夢追人(ドリーマー)共の到達点こそがカイドウであり、ビッグ・マムなのだ。
「あの鋼翼を仕留め損ねたことをそうまで気にしているとはな。図体の割には繊細な男だ」
「野郎の処理のアテはもう出来てる。これは純粋に手前の能力を買っての勧誘だ」
「……」
 無惨は気位の高い男だ。
 誰かの下に付くなんてことが許せる人格はしていない。
 もしも顎で使われるようなことがあれば彼はどんな状況であれ、それが如何なる契約の許にある関係だろうと破壊するだろう。
 しかし現実問題…敵を仕留め損ねたとはいえ新宿をああも完膚なきまでに破壊できる力を一先ず味方にしておけるのは破格の話だ。
 そこについては無惨も業腹ながら異論はなかった。
 どんな謀も正面から突破できる武力。
 それと当分の間敵対を避け、雌伏し…その間に彼ら怪物共を退ける手を探るという選択も悪くはあるまい。
 一時とはいえ傘下などに入らねばならない事実(屈辱)は脳髄を焦がすが、得られる利はあまりに大きすぎる。


934 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:03:44 p3G9Lmdw0
「…鋼翼のランサーを処理するアテがあると言ったな。具体的な手の内を聞かせてもらおうか」
「ヤツとやり合って生き延びたとんでもねェ侍を見つけてな。
 勧誘には失敗したが契約は出来た。あのランサーも相当な野郎だったが……侍って連中には侮れねェもんがある」
 新宿を破壊した二体の片割れ。
 鋼翼のランサーと仮称されるあの男は紛れもない怪物だった。
 そんな男を殺すために用意した人材が言うに事欠いて侍と来た。
 無惨の生きた最後の時代でさえ銃器の発展に負けて淘汰されていた連中が、英霊になったとはいえそこまでの能力を得られるものなのか。
 訝るように眉を顰めた無惨にカイドウは何処か上機嫌に続ける。
「そいつの腕と刀がありゃランサーは倒せない敵じゃねェと判断した。根拠はこれでいいか?」
「……」
 根拠としては確かにこれで十分だろう。
 だが無惨は沈黙した。
 カイドウに対する敵意や猜疑心によるものではなく、もっと別な理由からの沈黙だった。
 カイドウにとって侍は宿敵だが、それ故に一目置いている存在でもある。
 一方で無惨にとっての侍もカイドウと同じく宿敵だ。
 しかしその意味合いは彼のそれとは大きく異なる。
「特殊な刀でも持っていたのか」
「あぁ。あれは妖刀の類だろう。首筋を掠めた程度だったが…ありゃ凄まじい。
 何せ今でも傷が治らねェ程だ。ランサーの野郎もひょっとしたら今頃痛みでのたうち回ってるかもな」
 赫い刀だ。
 恐ろしい刀だった。
 そう付け足したカイドウの眼下で無惨の瞳孔が静かに肥大した。
 何かを言いかけて一度止め。
 それから無惨は改めて空を泳ぐ青龍へと問うた。
「その男は…日輪の耳飾りを付けていたか?」
 ――鬼舞辻無惨は。
 ――神仏の存在を信じていない。
 英霊になった今でも遥か彼方に逐わす彼らには何の力もないのだと蔑んでいる。
 その彼が今この時ばかりは本気で祈っていた。
 神仏に対してではなくとも、無惨のような男がただ無形の願いを掲げていたことだけは間違いない。
 そうまでして避けたい事態があった。
 決して聞きたくない言葉があった。
 自分の何を捧げてでもあり得てほしくない現実があった。
「耳飾り? …あぁ、そういえば付けてやがったな。知り合いか?」
「――――」
 無惨の眼がクワッと大きく見開かれた。
 心底からの戦慄と心底からの動揺がその動作に同居していた。凝集されていた。
 次の瞬間無惨が起こした行動はカイドウへの返事でも更なる詰問でもなかった。
 その痩躯から……ぶわりと、赤黒い色の染み込んだ茨の波を噴き出させたのだ。

「おい」
 血鬼術――黒血枳棘。
 自然で喩えるなら茨。
 現代で喩えるなら有刺鉄線によく似たそれらは無惨の血をもとに成立した死の触腕である。
 体内に無惨の血が入れば末路は即死か即座の鬼化のどちらか。
 サーヴァントであろうと重篤な影響を受けることは間違いない。
 それを仮にも交渉を持ちかけてきた相手に放つという行為の意味は…つまり。
「これは……そういうことでいいんだな?」


935 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:04:28 p3G9Lmdw0
 話は終わりだという暴力的な意思表示。
 カイドウという怪物を相手にしている以上、そこには更に"命知らずな"という言葉が足されるか。
 暴風を巻き起こして黒血枳棘を打ち払った青龍の鋭い眼光が地の無惨を睥睨する。
 しかし無惨は彼以上に激怒していたし、それ以上に動揺していた。
 呼吸は荒く弾み、青筋がところどころに浮き出た形相。
 彼はこの界聖杯に召喚されてからというもの数多の苛立ちと憤怒を噛み締めてきた。
 それはマスターの狂人ぶりに対してであり、他の某かに対してでもある。
 だが――今の無惨が抱いている感情の激しさは、間違いなくこれまでのどれよりも荒れ狂っていた。

「私の力が入用だというのなら今すぐ件の侍を殺して来い」
 目を閉じれば今でも鮮明に思い出せる。
 忘れることなどできる筈もない。
 今もあの侍に斬り刻まれた傷は無惨の総身に刻まれ続けているのだ。
 肉の奥深くに何百年と残り続け、死を経ても尚消えることのなかった忌まわしい傷。
 人間であることを止め、日光のみを敵として思う存分に人を喰らい続けていたかつての無惨。
 その自負と驕りを完膚なきまでに打ち砕き膾切りにした男がいた。
 赫い刀を振り翳し。
 日輪の耳飾りを提げたおぞましき男。
 無惨を鼠のように闇に隠れ潜ませた男。
 神仏をも恐れぬ鬼舞辻無惨に、初めて恐怖を与えた男。
「そうでなければ私が貴様を殺す」
 カイドウが満足げに語った"侍"の情報はその全てが彼と一致していた。
 否、そうでなくとも無惨には分かった。
 誰よりもかの剣士を恐れた身であるからこそ分かった。
 激突だけで都市を崩壊させる程の怪物共。
 それと伯仲できる程の力を持った"耳飾りの剣士"。
 これで人違いならば無惨は生涯で初めて神と仏に感謝の言葉を吐くだろう。
 そんなことはあり得ないと分かっているから。
「お前とあのセイバーにどんな因縁があるのかは知らねェが……」
 カイドウが無惨を見下ろす眼にもはや好奇の色はなかった。
 そこにあるのは退屈と諦観。
 つい先刻まで傘下に入れと勧誘を行っていた者がするとは思えないほど冷めた眼だった。
 次の瞬間カイドウの龍化が解ける。
 どん――と揺れる大地。
 地震を思わす振動を伴いながら着地した彼の姿は一言で言うならば鬼神。
 無惨と彼の眷属達よりも遥かに大衆のイメージ通りの"鬼"の姿形をした、怪物。
「もうお前はいい。底が見えた」
 失望を露わに吐き捨てたその言葉に無惨は憤ったが、それは屈辱から生じる感情ではなかった。
 実際に対面していながらまだ分からないのか。
 あの男を利用するなどと本気で考えているのか。
 そんなことができると本当に考えているのか。
 実際にあの剣を見たなら考えるべきことは利用でも泳がすことでもなく。
 真っ先にあらん限り全ての手段を使ってあの男を潰すか、奴が敗走することに懸けて隠れ潜むことであろうが。
「そんなにアイツが怖ェなら会わないで良いようにしてやるよ。
 こんな腰抜け野郎が此処まで生き残ってやがるとは…流石に思わなかったぜ」
「精々利用した気になっていろ阿呆め。あの男を軽んじている時点で貴様の末路は見えた」
 金棒を構えて嘆息するカイドウに対しての興味などはもはや無惨にはなかった。
 耳飾りの剣士。
 継国縁壱という名の人間を名乗る化物がこの地に存在していることを聞いた時点で無惨の選択は決まった。


936 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:05:07 p3G9Lmdw0
 Mも青龍も今となってはどうでもいい。
 縁壱が死ぬまで全ての気配と痕跡を隠して雌伏に徹する。
 それが無惨の決定だった。
 縁壱が死なずに生き残ってしまった場合のことなどを考える余裕は今の彼にはない。
 今の無惨を支配しているのは縁壱という稀代の超人に対する忌避感(トラウマ)。
 合理性や細かな理屈など吹き飛ぶ程に峻烈な、動揺(ショック)だった。
“聞こえているな。細かい話は後だ。すぐに令呪を使え”
 無惨は青龍と睨み合いながら、マスターである異形の精神を持つ女へ念話を飛ばす。
 命じるのは令呪の使用。
 彼女に手綱を引かれることをあれほど嫌っていた彼とは思えない命令だったが、これはそれだけ彼にとって状況が切迫していることの現れだった。
 こんなところで油を売っている暇はない。
 新宿を滅ぼしたサーヴァントだろうが何だろうが関係ない。
 新しい拠点の話になど、もはや名残惜しさの一つも感じられなかった。
“この場から今すぐ貴様を連れて退避する。分かったら今すぐに令呪を使って私を呼び寄せろ!”
 無惨はこと逃走することにかけては卓越したものを持つ。
 彼がこうまで恐れる耳飾りの剣士ですら初見では無惨の逃走を止められなかった。
 そんな彼もマスターという重荷を背負っている以上はこの場から逃げ出す判断はそう容易くは下せない。
 しかし令呪がもたらす一時的なブースト効果さえあれば。
 空間移動に等しい速度であの女を回収し、二体の怪物の手が届かない射程圏外まで逃げ遂せることも可能だろう。
“鬼舞辻くん。私、あなたにお願いするわね”
 そうだ、それでいい。 
 令呪を使って救援を希え。
 貴様の命令に従わされるなど腸が煮えくり返るなんて形容では済まない不快感だが今この時だけは寛大に許そう。
 一画で足りなければ二画を重ねて私を強くしろ。
 頭の涌いた愚図が私に貢献できるまたとない機会だ。
“令呪を以って命じます。Mさん達を助けてあげて、鬼舞辻くん”
「――ふざけるなァァァ!!」
 無惨が咆哮した。
 それと同時に彼の肉体が膨張し無数の触腕を振り乱す。
 音を遥かに置き去って振るわれる触腕が鎌鼬めいた真空の刃を飛ばし、カイドウは金棒を斜めに構えてこれを防ぐ。
 最強の生物に堂々弓を引いておきながら、しかし無惨の激情はカイドウではなく己のマスターへと向けられていた。
“あの女は…一体、何処まで……!”
 異常発達を遂げた脳に走った血管がブチブチと音を立てて切れていくのが分かる。
 もしも無惨が鬼にも英霊でもないただの人間だったなら、間違いなく彼は七孔噴血の末に憤死していただろう。
 忌まわしき耳飾りの剣士の存在を知っておきながら逃げられない。
 速やかに気配を消して闇に身を潜めねばならないというのに、これから悪目立ちをすることになる。
 何をどう間違えたらこんな最悪の状況に立たされる羽目になるのか問い質したい心地ですらあった。
「思い通りに行かなかったみてェだな。顔に出てるぜ」
「黙れ!」
 鬼舞辻無惨、激昂。
 不退転を課せられた彼は単身最強生物と相対する。
 全てを殺し尽くしたい、喰らい尽くしたくて堪らない苛立ちと衝動。
 かつて鬼の始祖として君臨し傍若無人の限りを尽くした男も……此処では首輪に繋がれた一匹の猛犬でしかないのだった。


937 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:05:48 p3G9Lmdw0
    ◆ ◆ ◆

 芸能界という魔界を生きてきた。
 日本中から集まった妖怪が所狭しと犇めく魔境をスキップで歩んできた。
 その星野アイが片膝を突いて口を抑え、逆流した胃液でその手を汚している。
 それがどれほどの異常事態かは彼女がどれほどよくできたアイドルなのかを知る者であれば自ずと理解できよう。
 アイドルは人前で汚い姿など見せない。
 弱い部分など晒さない。
 それなのに今のアイはどうだ。
 顔を青褪めさせ、みっともなく吐瀉物を吐き散らしている。
 ファンが見たら言葉を失いともすれば幻滅してもおかしくない姿。
 しかしそれを指差し笑ったり揶揄したりできる者は恐らく居まい。
 むしろ彼女達の前に立つモノが何であるかを一目でも見れば、白目を剥いて泡を吹いていないだけ上出来だと賞賛すらしたくなるに違いない。
“大丈夫か、アイ”
“…あんまり。てか、ちょっとやばいかも”
“無理もねぇよ。英霊(サーヴァント)のオレでさえ……心底(マジ)で戦慄(ブル)った”
 覇王色の覇気。
 大海賊時代を生きた豪傑達の中でもごくごく一部の者だけが習得できる雄々しきカリスマ。
 立ち塞ぐ敵の全てを鎧袖一触に薙ぎ払うことすら可能とする覇気のエネルギー。
 ましてや今回の場合それを振るうのは海賊達のハイエンド、四皇"ビッグ・マム"である。
 それを間近で浴びて平気でいられる筈がない。
 それが可能なのは彼女と同じかそれ以上の資質を秘めた超人だけだ。
「ン〜? 何だい、女子供だらけのクセして存外タフじゃねェか。
 おれの覇王色がこんなガキ共に耐えられる程ヌルいわけはねェんだが…界聖杯の野郎、まさか余計な真似をしたんじゃないだろうねェ」
 ギロリと天を睨むビッグ・マムだが当然返答はない。
 が、彼女の推測は的を射ていた。
 可能性の器としてこの地に立つマスター達の存在はこの世界においては常人よりも一段上の存在として扱われる。
 可能性の器、地平線の彼方に辿り着く資格の保有者という格(ランク)。
 ビッグ・マム…シャーロット・リンリンの覇気を受けて尚アイやさとうの叔母、それどころか幼子であるしおさえ意識を保てているのはその恩恵だった。
 もっともこれはリンリンにしてみれば至極不愉快な話であった。
 本来なら覇気の放出だけで人事不省に叩き込めるような女子供が、ただ足腰立たなくなってゲロを吐く程度の被害で済んでいるというのは。
「おいおい、おれに一人で喋らせてんじゃねェよガキ共?
 どんな手品を使ったのか知らねえが…おれの覇王色を耐え抜いてみせたんだ。名乗りくらいはあげたらどうだい? 無作法な奴らだねェ!」
 ママママと呵々大笑するリンリンを前に殺島は苦笑するしかなかった。
 確かに殺島は破壊の八極道の中では下から数えた方が早い程度の人材だった。
 最強の極道と呼ばれた男はおろか、息子程の歳である幼狂にすら及ばない三下。
 だが…それを踏まえても断言できる。
 こいつは格が違う。
 サーヴァントとしての格以前に、生物として格が違うと。
“アイ。令呪を使え”
“…仕方ないかな、これは”
“戦えって言うならそうするが…勝率はハッキリ言って1%あるかどうかってとこだろうな。
 オレの宝具(オウゴン)も化物(モンスター)相手じゃ分が悪い。そこの電ノコ君の働きにほぼほぼ委ねることになっちまう”
 殺島飛露鬼の宝具『帝都高爆葬・暴走師団聖華天』はマックス数万に及ぶ軍勢を召喚する強力な制圧宝具だ。
 しかしながらリンリンのような圧倒的すぎる個を押し潰すには彼らはあまりにも向いていない。
 最悪今しがた見せた覇気の解放一つで数割削られてしまうような事態もあるだろうと殺島は踏んでいた。
 つまり、此処で戦い続けることはほぼほぼリスクしかない選択なのだ。
 であれば令呪の一画を使ってでもこの鉄火場を離脱した方が利口であろう。
 アイもそこに異存はない。
 ないのだが。
 そんな彼女達をよそに少年少女は言葉を交わしていた。


938 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:06:31 p3G9Lmdw0
「らいだーくん、戦える?」
「…まぁ行けるか行けないかで言ったら行けるけどよ。お前は大丈夫なのかよ、今の」
「だいじょうぶだよ。へっちゃら、だから」
 神戸しおと星野アイならば覇道に通じる素質があるのは確かに前者だろう。
 ならば覇王色の覇気を浴びたことによる負担も多少は軽減されるかもしれない。
 だが前提としてしおはあまりにも幼すぎた。
 狂気という名の武装をしていることを含めても。
 可能性の器であるという特権を含めても。
 ビッグ・マムの覇気を浴びておいて"へっちゃら"な筈はない。
「くえすと……ちゃんとやろ?」
「……お前、マジでこういう時ムチャクチャ言うよなあ」
 地面にへたり込んで息を切らしながら笑う姿は明らかに空元気で。
 だがだからこそデンジも嫌だ逃げようぜと正論を言うことができなくなってしまう。
 デンジが目にしたどの悪魔よりも悪魔らしい化物を見上げながら…デンジは嫌々一歩を踏み出した。
 それからチェンソーにすげ替えられた頭でぐりんと振り向く。
「アンタはどうすんだよおっさん」
「負け馬に張る趣味はなくてなぁ」
「ケッ。まぁそんな事だろうと思ったけどよ」
 溜息をつきながら前に向き直るデンジ。
 リンリンは彼の貧相な霊基を見透かしたように甲高く嗤った。
 アイは心の中で小さく呟く――ごめんね、しおちゃん。
“私は生きなきゃいけないの”
 アイとて人の子だ。
 悪女ではあれど悪魔ではない。
 この年頃の幼子を置いて自分達だけ逃げることに後ろ髪を引かれる思いがないと言えばそれは嘘になる。
 だがそれでもアイはしおとデンジに背を向ける。
 彼女達の姿をよそに踵を返せる。
 そうまでしてでも生きなければならないから。
 そうしなければならない理由があるから。
「まって、アイさん」
 その背中を引き止める声がかかる。
 今まさに令呪を使おうとしていたアイの意識がそれに引かれる。
 しおはアイの方を向いてはいなかった。
 未知の強敵であるイカれた老婆に一人向かうデンジの背中だけを見ていた。
 されどそれはヒーローの背中に願いを懸ける無力な子どもの姿ではなく。
 デンジという名の武器を振るって敵を殺さんとする可能性の器の形をしていた。
「もう少しだけまってください。らいだーくんがあのおばあちゃんを殺せるかもしれないから」
「ごめんね。私、その言葉で足を止めれるほど子どもじゃないんだ」
「そうじゃなくても」
 しおが目指す未来は二人きりの楽園だ。
 だけどこの世界で生きる彼女には家族のような仲間がいる。
 それは一蓮托生のらいだーくんことデンジであり。
 都市一つをすら自分の手の平で転がしてのける犯罪王モリアーティであり。
 そして……
「とむらくんが来てくれるから」
 神戸しおの好敵手(ライバル)である彼。
 世界を壊すと豪語した彼。
 彼がこの場に駆け付けないなんてあり得ない。
 しおはそう信じていた。
 そんなしおの言葉にはアイの心にも響く、強がりや我儘ではない心からの確信があった。
「だからもう少しだけ、まってください。おねがいします」
 これは試練(クエスト)だ。
 自分と彼を育てるための無理難題なのだ。
 そんな難しい言葉は分からずとも。
 しおは今この時にあっても、この現状をそういうものだと思っていた。


939 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:07:10 p3G9Lmdw0
「本気で言ってるの?」
 だからアイも思わず子どもに向けるべきでない言葉が出る。
 子どもの言葉に"本気で言ってるの?"なんて大人げなすぎるが。
 それでも言わずにはいられなかった。
 それほどの重さがしおの言葉には籠もっていたのだ。
「うん。らいだーくんととむらくんが、必ずあのおばあちゃんをころすから」
 そしてしおはやはり断言する。
 勝つのは私達だと。
 その言葉にアイは足を止めた。
 殺島から聞こえる念話を受けても…それでも気付けばそうしていた。
 なんて不合理。
 なんて自殺行為。
 そう分かってはいるのに。
 それでもアイがそうしたのは彼女があらゆる嘘を知り尽くした偶像(アイドル)の中の偶像(アイドル)だったからなのかもしれない。
 その言葉には嘘がなかった。
 何処までも荒唐無稽で馬鹿げているのに嘘だけはなかった。
 それが、アイの足と選択を止めたのだろう。

    ◆ ◆ ◆

 カイドウが金棒を振り上げる。
 そして振り下ろす。
 それだけの動作であるにも関わらずそこには黒い稲妻が伴っていた。
 武装色の覇気。
 たとえ自然という概念を体現するロギアの能力者であろうともただの一打で打ち砕く武の極北。
 最低ラインを音速として振るわれる重打はしかし空を切る。
 鬼舞辻無惨は最強生物の一撃を躱したことを誇るでもそれに驕るでもなく、怒色満面の貌で血鬼術を解放した。
 黒血枳棘の茨がシュルシュルと奇妙奇怪な音を立てながら押し迫る。
 それはカイドウの表皮に触れるなりその鋭利な棘で皮膚を破り、無惨の血を最強生物の体内に流し込まんとしたが…
“つくづく不快な男だ。私の血鬼術で薄皮一枚裂けぬとは…”
 その体内へと続く傷(道)が開けない。
 カイドウの皮膚は明らかに異常な耐久性を有していた。
 いや。よしんば彼を流血させその体内に血を流し込むことができていたとしても。
 それで果たして無惨の期待通りの成果を得ることが果たしてできたかどうか。
 カイドウという生物の規格外ぶりを含めて考えれば、実に怪しいと言わざるを得ないだろう。
「やればできるじゃねえか。お前、おれの一撃を見てから避けやがったな」
「貴様のような野蛮人が私に向かって囀るな」
「ウォロロロ! よく吠えるじゃねェか…じゃあてめえは何だ?」
 カイドウは笑う。
 不敵に笑う。
「むせ返るような血の臭いが此処まで匂ってきやがるぜ。お前今まで何人殺した」
 答える義理はないしそもそもそんな些末な事柄をいちいち記憶しておく程無惨は殊勝な生命体ではない。
 強いて言うならば数えるのが億劫な程と答えるのが正しいのだろうが、重ねて言うが答える義理などないのだ。
 無言を貫き、肉塊から成る有機の槍を数十と生成してカイドウへ放つ無惨。
 そんな彼を愉快そうに下瞰しながら明王は無惨をとある言葉で評した。
「人間の真似事は止せよ…鬼が。似合ってねェぞ」
 カイドウ、金棒を一閃。
 生じた衝撃のみで無惨の攻め手を全て薙ぎ払う。


940 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:07:55 p3G9Lmdw0
 次の瞬間その巨体が無惨の視界から消えた。
 無惨の思考を驚愕が満たす。
 次の瞬間、彼の腹部を中心に強烈な衝撃が炸裂した。
“ち――…!“
 雷鳴八卦。
 最強生物の代名詞たるその一撃は言葉で語るならただの打撃だ。
 しかしその速度はまさに雷鳴の如き疾さで牙を剥く。
 高速戦の世界に列席するに十分な力を持つ無惨でさえもが被弾を余儀なくされる超音速の一撃。
 胴体の八割以上を吹き飛ばされながらも無惨は瞬時に肉体を再生。
 彼に限って意趣返しなどという考えを思い浮かべる筈はなかったが、奇しくもその形になる行動へ無惨は打って出た。
 全身の肉を蠢動させてバネのように扱い、自らの全身を"射出"。
 カイドウへ肉薄するなり至近距離から叩き込む連撃の総数凡そ百二十。
 カイドウはやはりと言うべきか金棒を構え防御したが…その少なく見積もって鋼鉄以上の硬度を持つ皮膚は確かに血を流していた。
「大した速さだ。耳飾りのセイバーにゃ及ばねェが」
 瞬く間に無惨が追撃する。
 かの侍を相手に張り合うつもりなどない。
 無惨にとっての彼は恐るべき化物でこそあれど、対抗意識を燃やすような相手ではないから。
 故に無惨はただ単純に"自分の前でその存在に言及した"という事実に憤激した。
 さながら妖魔について言及する童のことを、不吉だから止めろと一喝する老人のように。
「道理も解らぬ蛮族が。その愚かしさは地獄で償え」
「道理なら解ってるさ。解った上で笑い飛ばすのが海賊(おれ)だ」
「そうかならば死ね」
 何故この私がこんな戦いをさせられている。
 あの男の存在を知りながら逃げることすらしていない。
 現状への怒りはそのままカイドウに対する攻め手の苛烈さに直結する。
 生半な攻撃では薄皮を裂くことすら叶わない最強生物の血を流させる、それだけの力を思う存分感情のままにぶち撒ける無惨。
 今の彼はそうするしかない。
 そうしなければならないように、目には見えない絶対の命令権によって無理矢理背中を押されている。
“認めること自体が業腹だが、埒外の強度を持っていることは確かなようだ”
 並のサーヴァントであれば挽き肉に変えられて然るべき高速連撃。
 それを受けておきながら僅かな流血で踏み止まっているカイドウの異様さを、無惨は激情の中にありながらも確りと理解していた。
 普通に刻んでいたのではいつまで経っても削り切れない。
 血を流し込んで呪いを刻む手もあるが望みは薄い。
 となれば万事休すと諦めて溝鼠のように逃げ回る以外手立てはないのか。
 無惨はこの苦境に心底怒っていたが、しかしそれは否だと考えていた。
“ただ刻むだけでは糞にもならない。ならば…”
 生前ならばまずあり得なかった、自分が戦略を立てて立ち回らねばならないという状況。
 それそのものが無惨にとっては十分に憤怒の対象だ。
 過去最大級と言ってもいい屈辱に身を焦がしている無惨を一顧だにせずカイドウが再び暴を奮った。
 再度の消失――高速移動。からの雷鳴八卦が無惨の半身を先刻の焼き直しのようにもぎ取るが。
 その刹那、半身を欠いた無惨の体が溶けた鉄のようにどろりと歪んだ。
「気味の悪ィ体だなァ!」
 無形の体は新世界の海賊にとって敵ではない。
 自然(ロギア)を殴れる覇気を纏ってカイドウが一閃。
 無惨はそれを巧みに掻い潜り、そこで人の姿へと回帰。
 したかと思えばその右手でカイドウの腹の、つい先刻自身が流血させた傷口に触れた。
「大層な体をしているようだが」
 成程確かに怪物だ。
 無惨もそれは認める他ない。
 が。体表から深く刻むことが不可能だとしてもそれならそれで打つ手はある。
 実に単純な発想だ。
 外から破ることができないのなら、内側に直接響かせてやればいい。
「――所詮はただの肉袋だろう。蛮人如きが私を見下すな」
 血鬼術、発動。
 名など与えてすらいない、それにしては絶大すぎる出力の異能。
 生前ただの一度の解放で迫る鬼狩りの群れを壊滅状態にまで追いやった無惨の虎の子。
 それは俗に衝撃波と呼ばれる現象であった。
 傷口を介してカイドウの体内へと響いた衝撃波。
 人体程度なら掠めただけでもお釈迦にできる破壊の力場を直接流し込まれれば…如何に四皇と言えども。


941 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:08:28 p3G9Lmdw0
「お、ォォッ……!?」
 無傷ではいられない。
 涼しい顔ではいられない。
 カイドウが漏らした苦悶の声。
 それを聞き終えるのを待たずして、無惨は全力の衝撃を彼の胸板に叩き込んだ。
 ぐらりと傾ぐその巨体は地面に背を触れさせた。
 倒されたのだ、無惨によって。
 敵の攻撃で倒されて天を仰ぐのは、此度の現界で二度目のことだった。
「おォ…ウォロロロロ! なかなか……効いたぜ、今のは」
 口から垂れた一筋の血を拭うカイドウ。
 四皇に血を吐かせたその事実は紛れもなく誇るべき功績だ。
 此処までの戦いでカイドウに屠られてきたサーヴァント達は、皆いずれも彼の血の一滴すら拝めず終いだったのだから。
 だが無惨の顔はあいも変わらず厳しいままだ。
 少なくともそこには難敵に攻撃を通せたことを誇る色は微塵も見られない。
“化物め……”
 無惨の見た目は既に五体満足、完全な状態に復元されている。
 しかし彼の現状は実のところ満身創痍と言っていい状態だった。
 カイドウの繰り出す打撃を浴びたことによる消耗が予想以上に激しかったのだ。
 それもその筈、形なき自然すら捉える武装色の一撃ですら十二分に強力なのにも関わらず――カイドウが振るうのは覇王色。
 覇気の頂点たる力を横溢させた金棒で殴られたとあっては無惨の玉体もただでは済まない。
 毒に冒されながら異常者共の相手をした忌まわしい落日の記憶が嫌でも蘇ってくる。
“だが…脆い箇所もあると分かっただけでも収穫か……”
 無惨は常に最強だった。
 それは鬼狩りとの最終決戦にあっても変わらなかった。
 継国縁壱という例外こそありはしたが、無惨は端から彼の存在を勘定に含めてなどいない。
 技を磨く必要などない。
 工夫などせずとも腕の一振りであらゆる障害が砕け散る。
 無惨にとってはそれが常だった。
 なのに今の自分はどうだ。
 憤死寸前の怒りを噛み殺しながら不合理な戦いに臨むことを強制され、まるであの鬼狩り共のように頭を回して難題に立ち向かわされている。
 令呪の束縛さえなければすぐにでも逃げ出しているというのに。
 無益な戦いに匙を投げることすら今の無惨には許されない。
「……」
 奥歯を噛み潰しながら戦闘態勢を維持する。
 カイドウは口許の血を拭って金棒を無惨へ向けた。
 現代風に言うならばそれはホームランを予告する打者のような仕草で。
 次の瞬間鬼神が黒い稲妻を纏わせながら得物を振り被る。
 無惨は回避することに意識の大半を割きつつも、カイドウの隙を縫って再びその体内に衝撃を打ち込む算段を練る。
 秘術に依らず物理的な部位の多さを要因として実現する分割思考。
 アトラスの本家本元達が見れば失笑するような力技でのそれが皇帝殺しの活路を開く微かな望みになる。
「鬼退治だ! ガラじゃねェがな、ウォロロロロ!」
「ほざけ――!」
 停滞を引き裂く暴力と暴力の躍動。
 それがいざや再開されるのだと互いの発散する凶気が予兆を醸す。
 が…先手となるであろうカイドウが動くよりも先に、彼らのどちらにも起因しない暴力的な熱光が夜闇の中で炸裂した。


942 : 崩壊-rebirth-(前編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:08:55 p3G9Lmdw0

「…あのババア!」
 既に瓦礫の山になりつつあったデトネラット本社の残骸を文字通り消し飛ばす炎と光。
 カイドウにとっては嫌になるくらい見覚えのある爆光だった。
 天候を従える女(ビッグ・マム)のホーミーズ、プロメテウスの力だ。
「興が乗るのは結構だが、こっちに余波を飛ばしてくんじゃねェよ。全く……」
 苛立ち半分呆れ半分といった様子で嘆息するカイドウ。
 とはいえ飛んでくる瓦礫や余波の炎は彼にとっては何ら致命的なものではない。
 鬱陶しげに金棒を軽く一振りすればそれで終わる程度のアクシデントだ。
 しかし。
 単身で四皇の暴力と相対するのを余儀なくされている鬼の始祖、鬼舞辻無惨の反応は違った。
「――――」
 彼がその反応を見せるのは二度目。
 驚愕に目を見開いて言葉を失っていた。
 継国縁壱の存在を知らされた時程の動揺でこそないものの。
 無惨は此方の戦場に飛んできた爆光とそれ由来の炎で燃えた瓦礫に一瞬の躊躇いもなく背を向けた。
「…なんだ、お前」
 カイドウはそれを訝しげに見つめる。
 そしてその背中に向け、何の感慨もなく無惨の最大の欠陥(ウィークポイント)を看破した。
「太陽に弱ェのか?」
 答える義理も余裕もない。
 しかしそれが答えだった。
 ビッグ・マムのホーミーズが一体にして主力格の"プロメテウス"。
 彼は、"太陽"のホーミーズだ。

 鬼舞辻無惨は…彼ら鬼は。
 太陽の光を浴びれば、死ぬ。


943 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:09:37 p3G9Lmdw0
    ◆ ◆ ◆

「弱いねェ〜! ママママ! おれの肌に傷一つつけれねェナマクラじゃねェか!」
 四皇ビッグ・マム。
 チェンソーの悪魔を宿す少年デンジ。
 此方の戦いはカイドウと無惨のそれとはとても比べられない程一方的だった。
 地面に倒れるデンジの体は所々が曲がってはいけない方向に曲がり、脇腹から折れた骨が臓物混じりの血肉を載せて突き出している。
 ごぼっと嗚咽すればバケツを引っくり返したような吐血が彼の異形頭から流れ落ちた。
 ビッグ・マムは未だ傷一つ負ってはいない。
 デンジのチェンソーはマムの打撃に合わせて切り込めば力負けし、その上彼女に血の一滴も流させることのできないまさにナマクラだった。
「…らいだーくん」
 しおの声色も曇っている。
 デンジは千鳥足もかくやの状態で立ち上がるが、それが無駄な抵抗でしかないのは誰の目にも明らかだった。
 殺島は思わず片手で目を覆う。
 見てられねぇなと小さな声が漏れて、彼はアイに横目で目線を送った。
 その意味が何かをわざわざ克明に解説する必要はないだろう。
“痛っ…てえ……。このババア、本気(マジ)バケモンかよ……”
 デンジだって英霊の呼び名に恥じない戦いくらいはできる。
 支配の悪魔を殺した時点での彼にはそれだけの実力はあった。
 なのにこの通り、まるで敵わない。
 防戦に徹することすらできない。
 純粋な暴力としての強さであればそれこそ支配の悪魔…マキマをすら遥かに凌ぐだろうとデンジは確信した。
 もしもデンジが特殊なサーヴァントでなかったなら、とっくに彼は消滅していただろう。
 現に彼の霊核はこの時点でもうボロボロだった。
 ヒビ割れて崩れて、原形を保っていないような有様だった。
「らいだーくん…!」
 分かってるよ、クソ。
 いちいち言ってくんじゃねえ。
 言っとくけど今俺メチャクチャ体痛えんだからな。
 後でたっぷり嫌味言ってやるから覚えてろクソガキ。
“なんて言ってはみたけどよ…”
 全身の関節全てが錆びついたようにぎこちない。
 骨が折れすぎて至るところに食い込んでいるからなのだろう。
 憎らしいババアの不気味な笑顔を見上げながらデンジは心の中でぼやく。
“そもそも後先とかあんのかよこれ”
 ビッグ・マムがデンジに対してやったのは実に単純。
 殴って、蹴って、剣(ナポレオン)で斬る。これだけだ。
 サーヴァント同士の戦いの経験に悖るデンジでも分かる。
 このババアはまだ、本気を出していない。
 本気を出していない状態でこれなのだ。
 なら本気を出してきたら、出させてしまったら自分はどうなるのか?
 その答えは考えるまでもなくすぐに明らかとなった。
「それじゃ…」
 皇帝が手を掲げる。
 そこに出現するのは小憎たらしい表情を浮かべた太陽だった。
 惑星(ほし)を照らす炎の星、それを極限までデフォルメさせたホーミーズ。
 四皇ビッグ・マムの魂を分け与えられた太陽の化身プロメテウス。
「お遊びは此処までな♪」


944 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:10:11 p3G9Lmdw0
 むんずとプロメテウスを掴むビッグ・マム。
 そのまま彼女は地を蹴った。
 上空に跳び上がってプロメテウスを離せばあろうことかそこを狙ってその剛拳を叩きつける。
 それだけで空間が軋む程の衝撃が生まれるがそんなものはこれから起こることの序の口ですらない。
 マムの拳を受けたプロメテウスが眩く感光して、燃え上がって……
「――"天上の火(ヘブンリーフォイアー)"ァ〜〜〜!!!」
 …地表を焼き払う太陽熱の爆炎を降り注がせた!
 まさしくそれは天上の火、プロメテウスの名に相応しい御業。
 彼と同じ名を持つ神が天から盗み出した珠玉の炎に他ならない。
「…後退(さが)れッ!」
 殺島がその時アイやしお、そしてさとうの叔母に指示を出したのはほとんど咄嗟のことだった。
 しかし彼が声をあげなくとも誰だってそうしていただろう。
 それほどまでに空から堕ちてくるその火は致命的なものだった。
 太陽の偉大さに日々照らされながら生きている人間であれば誰もが等しく畏怖する、それ程の凄まじさが確かにそこにはあったから。
 あくまでもマムの攻撃の標的はデンジだ。
 だから殺島やアイ、しおやさとうの叔母がその爆熱に巻き込まれることはなかった。
 逆を言えばデンジだけはそれから逃げられない。
 逃げるほど足は上手く動かせないし、逃げたら逃げたで追撃が飛んできていただろう。
「畜生が」
 デンジはぺたりと地面にへたり込む。
 そして夜空を見上げて吐き捨てるように言った。
 空に浮かぶのは嘲笑うビッグ・マムと太陽のホーミーズ。
 それから吐き出された炎の津波。
「人に損な役回りばっかり押し付けやがってよ〜…」
 しかして。
 デンジが見ているのは笑う老婆でもそのしもべでもなく。
 彼女達の更に上空(うえ)。
 そこからやって来る、憎たらしい奴らの姿で。
「何考えてたんだか知らねぇけどよ――もっとちゃっちゃと来てくれねぇかなあ! クソジジイがよぉおおおお〜〜!」
 その言葉を辞世の句にしてデンジは死んだ。
 黒焦げの焼死体に早変わりした。
 だがビッグ・マムはそれを確認する間もなく振り返ることを余儀なくされる。
 夜空(そこ)からやって来る新たな敵があったから。
「てめえ」
 ビッグ・マムの喜悦が消える。
 そこに宿るのは満面の怒り。
 自分を出し抜いた者に対して、出し抜かれた者が向ける当然の表情だった。
「てめえだなァ!? コソコソ嗅ぎ回ってやがった蜘蛛野郎は〜〜!!」
「いかにも」
 一流の悪役ならば出遅れるような真似はすまい。
 しかし超一流の悪役ならばあえて遅れてやってくる。
 主役とはいつだって遅れてやってくるもの。
 そして超一流の悪役もまたそうして遅れてやってくる。
 されど彼らの遅刻には必ず理由がある。


945 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:11:01 p3G9Lmdw0
「すまないねライダー君。我々が普通に馳せ参じても状況は何も好転しない。
 この怪物めいたご婦人と切った張ったの勝負ができる程、私は強いサーヴァントではないのでネ」
 とはいえ君は特別なのだろう。
 どうか寛大な心で許してくれたまえ。
 傲慢さすら感じさせる口振りで紳士は嘯く。
「故に君には難題を請け負ってもらった。
 客人が思う存分気持ちよくなれて、思わず前後不覚になってしまう程のワンサイドゲーム。
 君を過小評価しているわけではないが…こればかりは君にしか任せることのできない仕事だった」
 快く請け負ってくれてとても助かったよ。
 まぁ君に直接許諾を得たわけではないのだがそこは目を瞑ってくれたまえ。
 その分の埋め合わせはこれから、そしてこの後でしっかりとさせてもらうとも。
 だからまずはご苦労さま、ライダー君。不死の君。
 しお君から事前に君の体質について聞いておいてよかったよ――声なき声で人柱の少年を労い蜘蛛は笑う。
「では地に墜ちたまえ、無粋極まりない来訪者よ!」
 ――夜を切り裂くマズルフラッシュ。
 爆音轟音銃声、ありとあらゆる剣呑を詰め込んだノクターン。
 上空から巨大なる女傑に殺到したそれは彼女の肉体に着弾するなり鮮やかな爆発を引き起こした。
 それでも連射は止まらないが、機銃掃射が続いているのに粉塵が晴れるという超常現象が巻き起こる。
「効かないねェ〜!」
 余人ならば蜂の巣、否原形を留めない肉塊に成り果てること請け合いの弾幕。
 だが生憎と皇帝の彼女は常人ではない。
 砲弾すら跳ね返す鋼の皮膚。
 鋼鉄の風船と称された頑健さは颯爽登場した犯罪王もといオールド・スパイダーの一斉掃射を無傷で耐え凌ぐ。
 笑いながらビッグ・マムがホーミーズ化させた剣を振るう。
「"刃母の炎(ははのひ)"!」
 蜘蛛を奸計もろとも焼き切る皇帝(ナポレオン)の刃。
 地に墜ちながら真上の敵を斬るという後の先にも匹敵する御業とて彼女にしてみれば朝飯前。
 実力ありきの度胸を前にしてなお蜘蛛は不敵に笑う。
 そしてその片腕…過剰武装仕込みの棺桶を刃に向けて構えた。
「聞いたよ? お前ら、このおれを陥れようとしてたらしいねェ!」
 衝突するや否や犯罪王の棺桶が軋みをあげる。
「おれに跪いて詫びでも入れりゃ部下として飼ってやるのも吝かじゃなかったが…!
 よりによってお前このおれに銃を向けやがったな! そんなクソガキは殺さなくちゃねェ〜!?」
「ふははは――よもやこの歳でガキ呼ばわりされるとは。
 えぇえぇ、申し開きのしようもありませんなご婦人。しかし私はガキはガキでも根っからの悪ガキでしてな」
 なのに犯罪王が。
 ジェームズ・モリアーティが笑うのは何故か。
 見栄? 苦し紛れ? 負け惜しみ? 全て違う。
 彼の笑顔の意味はそのどれでもない。
 誰もがあり得ないと思う理由から出る笑みだ。
「ふんぞり返った大人に手痛い悪戯をやらかすのは、いつの世も我々ガキの特権です。
 それとも…そういう経験はおありでないですかな? 傍若無人なご婦人(ビッグ・マム)殿は」
 あまりに無謀な鍔迫り合い。
 泡沫未満の拮抗。
 だが実情はどうあれ今この瞬間、ジェームズ・モリアーティはビッグ・マムと限りなく零に近い間合いで相対している。
 武芸の心得を持たないモリアーティだがこれだけ距離が近ければ外す道理もない。
 ナポレオンと競り合う超過剰武装多目的棺桶…その砲口が、砲弾でも銃弾でもない何かを横溢させて夜に吠える。
「ッ…!?」
 ビッグ・マムが驚愕した。
 それと同時に彼女は自らの不覚を悟り激怒する。


946 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:11:51 p3G9Lmdw0
 彼女もまたその腕っ節で成り上がった実力者であるから。
 我が身一つで英霊の座に登録される栄誉を得たサーヴァントであるから。
 モリアーティの砲口に満ちた何かの正体と彼の目論見の真体を悟れた。
 されどもう遅い。
 次の瞬間、ビッグ・マムの愛剣は規格外のエネルギーによって押し返されていた。
「挨拶が遅れましたな。しかしてその非礼これに免じて許していただきたい」
 ビッグ・マムが吠える。
 モリアーティが笑う。
「私なりの…連合(われわれ)からの宣戦布告でございます」
 宝具解放。
 真名、同じく解放。
 解き放たれるは破壊の力場。
 もう一匹の蜘蛛が持たない強力無比な物理破壊のすべ。
 宝具の素性を明かす程モリアーティは驕った性格はしていない。
 だが此処では彼の御業の正体を語ろう。
 彼の宝具は惑星破壊という規格外の所業、空想上の絵空事そのものだ。
 あるべき歴史にては果たされることのなかった悲願。
 「この」モリアーティが夢に見続けた終局の破壊を具現化させる超絶の宝具。
「――終局的犯罪(ザ・ダイナミクス・オブ・アン・アステロイド)」
 今はまだせいぜい対軍規模。
 しかし今後対都市、対国と成長していく余地を起こした窮極の破壊。
 ジェームズ・モリアーティの描いた見果てぬ夢そのものが破壊力を帯びた尊き幻想(ノウブル・ファンタズム)。
 その一撃は罵詈雑言を喚き散らかす皇帝をその剣もろとも押し返していく。
 誰もが恐れ誰もが慄いた人類種の例外、生まれついての破壊者(ナチュラルボーンデストロイヤー)。
 その体は具現化された惑星破壊のエネルギーを前にただ墜ちていき。
 そしてとうとうその背中が、地面に触れ――

 ……轟音と閃光が世界を埋め尽くした。

    ◆ ◆ ◆

 鉄の風船と称されるビッグ・マムの体はしかし実際は筋肉と脂肪の塊だ。
 その上で八メートルを超える巨体ともなれば、当然重量も桁違いのそれになる。
 そんな化け物が地面に落ちてきた。
 もとい君臨していた天から叩き落された。
 墜落の衝撃でビルや家屋がドールハウスのミニチュアのように粉砕され。
 ドォンと地の底まで響くような鈍い轟音と振動が夜の東京に轟いた。
「えむさん!」
「待たせてしまったねしお君。ライダー君にもずいぶん苦労をかけてしまったようだ」
 言いながら着地するモリアーティ。
 いかにも悪の総帥めいた登場だが、その右手が腰に添えられているのをアイは見逃さなかった。
 悪党も寄る年波には勝てないんだなぁ…と思うアイであったがそれはさておき。
「戦勝を祝するのはまだ早い。見ての通りまだまだお元気なようだからね」
 粉塵と白煙をあげる瓦礫の山から勢いよく巨体が起き上がる。
 あれほどの衝撃を伴う落下だったにも関わらず。
 不完全とはいえ惑星破壊の概念を宿した宝具の一撃を間近で食らったにも関わらず…ビッグ・マムの威容には何の翳りも見えない。
「やってくれたねェ…。悪だくみが趣味のガキにしちゃいい宝具(モン)持ってんじゃねえか」
「お褒めに預かり恐悦至極。その刺激に免じて見逃していただけるとありがたいのですがネ」
「マ〜ママママ! 図に乗るんじゃねェよ虫野郎。そんなに頭が良いんならよぉ…今の状況はおめェが一番よく分かってるよねえ?」
 ビッグ・マムは依然として健在だ。
 タイミングを見計らって上手く不意打ちを当てられた、成程それはお見事。


947 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:12:32 p3G9Lmdw0
「誰を敵に回したのか教えてやるよ……!」
 ――で、だから?
 そんなもので彼女達の牙城は崩れない。
 宝具の真名解放に直撃していながらふらつきもしていないマムの姿がその証拠。
 社会の闇に隠れ影に潜み、人を操って犯罪という名の糸を編み続けてきた犯罪王は遂に皇帝の手の届く範囲に収まった。
 颯爽と登場したことそれそのものが愚の骨頂。
 モリアーティはこれから身の程を弁え損ねた失策のツケを支払わされる。
「ふむ」
 だというのに男は笑っていた。
 実に面白いと。
 或いは面白くなったと。
 いや…"思った以上に"面白くなったと。
 そういう風な笑みが空元気でも何でもなくその水気の失せた初老の肌に浮かんでいる。
「分かっちゃいたが後には引けないネこりゃ。勝っても負けても進んでも逃げても全面戦争は避けられないようだ」
 肩を竦めるモリアーティ。
 いやに芝居がかった台詞だった。
「さて――どうする我がマスター?」
「まどろっこしいな。答えなんざ最初から決まってんだよ」
 靴音が響く。
 一挙一動が地鳴りと轟音を伴う四皇共に比べれば酷く矮小な靴音だった。
 暗闇の先から歩んでくるのは不健康な顔色と荒れた地肌の目立つ青年。
 その右手に輝く三画の令呪が、ビッグ・マムの不興を買った蜘蛛と繋がる絆(たづな)であることは明らかだろう。
 覇者の眼光が青年を射抜く。
 死柄木弔の痩身に襲いかかる形なき圧力。
 ビリビリと大気を震わせる程の威圧を受けて、連合の頭(かしら)は不遜に鼻を鳴らした。
「よう…ボス猿。ガキ共は連れてこなくてよかったのかよ」
 モリアーティは弔にこう問うた。
 どうすると。
 弔は即答した。
 決まっていると。
 それが全てだ。
 状況は依然として最悪も最悪。
 裏方仕事の黒幕業が本職のアラフィフと発育途上の小悪党(クズ)が一人増えた程度で四皇との戦力差が埋まる筈もない。
 だとしても――弔は挑発するように笑って、怒れる皇帝を嘲笑うのだ。
 死柄木弔は、どこまで行っても一人のヴィラン。
 そういう風にしか生きられないよう導かれた闇の救世主なのだから。
「そっちのマスターと違って老人介護の心得はねぇんだ。スカスカの灰になっちまうぜ、ババア」
「へぇ」
 弔の軽口を受けたビッグ・マム。
 その口角がニィと弧を描き丸く白い歯列を覗かせた。
 安い挑発だが唱えた相手が相手だ。
 身の程知らずの愚行も一周回って偉業に変わる。
 しかしもう一度言う。
 相手が、相手だ。
「吐いた唾飲むんじゃねェぞ? ケツの青いヒヨッ子の分際で…このおれを"殺す"と吠えたんだ。
 当然、それなりの覚悟はあるんだろうねェ……!」
 覇気横溢。
 泣く子も黙るを通り越した頂点の殺意。
 ビッグ・マムの異能が今此処に発動される。


948 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:13:31 p3G9Lmdw0
 それは魂に語りかける声。
 万物に魂を与えそして奪う規格外の能力者の力の片鱗。
「『LIFE』 or――」
 ソウル・ボーカス。
 ビッグ・マムを怪物たらしめる理由の片翼たる力。
 夜の闇の中に爛々と輝く母の眦を不敵に見据えるは連合の王。
 彼の中に渦巻いていたフラストレーションは新宿の抗争を目の当たりにして遂に沸騰を起こした。
 燻るばかりだった中途半端な犯罪者はもういない。
 お山の大将と指差し笑っていられるのはその猿山が自閉している間だけだ。
 山と人里を繋ぐ境界線が、垣根が消え果てたなら。
 彼の君臨する領域が陣地を超えて社会へ、世界へと拡大をし始めたなら――
 そこに待つものはただ一つ。
 夢見る青年と犯罪卿が追い求めた破滅の地平線だ。
 絵空事の中にしか存在を許されない絶対的な悪の誕生だ。
「――『SLAVE』…!?」
「どっちでもねぇな」
 弔が駆けた。
 地を蹴った。
 目指す先は"四皇"ビッグ・マム。
 泣く子も黙る、神でも恐れるシャーロット・リンリン!
 雷霆と太陽を侍らせながら壮絶に笑う古き時代の皇に最新の悪は咆哮する!
「テメェが死ねよビッグ・マム! 次は……俺だ!」
 
    ◆ ◆ ◆

「正気ではないと思うかね」
「えぇ…まあ、正直言うと。ありゃどう考えても無茶(ヤリスギ)でしょうよ」
 殺島飛露鬼の隣に立って腰を擦りながら言うのはジェームズ・モリアーティ。
 自身の見落としが原因でデトネラット崩壊という惨事を巻き起こしてしまった蜘蛛は奮戦で責任を取るでもなくギャラリーとして立っていた。
 だが誰もそれを笑えない。
 誰もが釘付けにされていた。
 チェンソーの少年が弾き出され犯罪王が自ら退いたリングの上で戦う一人と一体の姿に。
「死にますぜ、あの死柄木(ガキ)」
 紫煙を吹かしながらも殺島は流れ弾ともう片方の四皇(バケモノ)の動向に気を張り続けている。
 しおの妙な剣幕に押されて撤退の判断を下さなかったアイ。 
 それを責めるつもりはないが、やはりこの鉄火場は状況が悪すぎると言わざるを得なかった。
 まして今行われている戦いは…もはやそれを許したモリアーティの正気を疑ってしまう程酷い、絶望の温床だった。
「俺達(サーヴァント)とは違うんです。骨が折れりゃ治らねぇし潰れた内臓は死を運搬(はこ)んでくる。
 手足が吹っ飛んだらそこでおしまいだ。そんな脆弱(ヤワ)な体で…何ができるってんですかい、化物(アレ)に対して」
「ふむ。君の言うことは確かにもっともだが…見たまえ」
 ビッグ・マムが剣を振るう。
 ナポレオンの斬撃は地面を割る。
 ゼウスが瞬けば弔はそれを避けねばならず、プロメテウスの炎は致命的な火傷に繋がるためもっと念入りに回避せねばならない。
 避けるために地面を転がるのですら生身の人間にとっては十分なダメージだ。
 今や弔の全身は頭の上から足の先まで余すところなく泥と粉塵に塗れていた。
「彼は死んでいない」
「…Mの爺さんよ。アンタまさか本気で信じてるんですかい」
 既に呼吸は絶え絶えで顔色も悪い。
 虫の息とそう一言で切り捨てられる這々の体。
 それでも彼は生きている。
 死柄木弔は、生きている。
 技術に依らない動物的直感のみを寄る辺にビッグ・マムの攻撃の中で生を繋ぐことに成功していた。
 ギガントマキアを相手に積み重ねた勝ち目のない戦いが彼の体に経験を蓄積させていたのだろう。


949 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:14:16 p3G9Lmdw0
 一切大袈裟でも何でもなく、今までの人生で最も死を身近に感じる状況だからこそ。
 その苦境は死柄木弔に対し無尽蔵の、そして未曾有の経験値を注ぎ込んでくれる。
「サーヴァントは慈善事業ではないよ。彼に見込みがなければ私とて後生大事に抱えはしないさ」
 単に優勝するだけならばもっと楽なのだ。
 こちらのモリアーティは手段を選ぶ必要がない。
 若く青い彼のように無数の足枷に戒められてもいない。
 マスターが無能ならばすぐに見切りをつけて次を探す。
 それで何とかなるだけの頭脳と能力を彼は当然持っている。
 犯罪界のナポレオンの二つ名を侮ってはいけない。
「彼は私の夢を叶えられる逸材だ」
 だから信じているのさと。
 そう言って笑う犯罪王の眼差しに殺島はある種の憧憬を垣間見た。
 こうなると殺島はもう何も言えない。口を挟めない。
 その上で改めて孤軍奮闘する青年の不格好な姿を見れば、心の中の何かがドクンと脈を打つのを感じた。
“…黄金時代(オウゴン)”
 若さは全てに勝るなんて月並みなことを言うつもりはないが。
 若者は誰もが一度はこう思う。
 自分は何でもできるのだと。
 何にでもなれるのだと。
 思って歩んで走って、敗れて転んで諦める。
 それが人生のテンプレートだ。
 殺島もそうだった。
 暴走と疾走に全てを注いだあの頃は確かに自分が何物にでもなれる存在だと信じて疑わなかった。
 暴走の果てに挫折して、拾われて、また暴走して…負けて終わって。
 そうして行き着いた先の世界。
 人生の排気口のようなこの世界で見るみすぼらしい青年の背中が何故か輝いて見える。
「…似合わないっスよォ〜。その歳(ナリ)で夢追人(ドリーマー)とか」
「何を言うか。人生は冒険だよ、極道のライダー君」
 失意の底にあった殺島を拾い上げてくれた男。
 輝村極道とはベクトルも資質もまるで違うが、しかしたった一つだけかの男と弔の間には共通項があった。
 その単語以外の何もかもが違えど、彼らはどちらも悪のカリスマなのだ。
 人を惹きつけて暗い明日に導く者。
 敵(ヴィラン)という言葉を一人で体現できるそういう輝きを持った者なのだ。


「マ〜ママママ! 威勢の割にはその程度かい? みっともねェガキだねェ〜!」
 呵々と笑うビッグ・マムには未だ傷一つなく。
 弔はそれに比べて全身くまなく汚れきったまさにみっともない姿を晒していた。
 よろよろと立ち上がる姿はいじらしさすら感じさせるものであり。
 それは奇しくも先程マムの前にボロ雑巾のように散ったデンジの姿の焼き直しのようだった。
「とはいえおれを相手に此処まで立ってられたのは大したもんだ…そこは褒めてやるよ。
 そのチンケな能力でおれに勝てると夢想しちまった頭の出来は何とかした方がいいと思うけどね…!」
 当たり前だ、そもそも勝てる道理がない。
 膂力の差、耐久値の差、スタミナの差。
 いずれも文字通り天と地程の格差があるのだ。
 ジャイアントキリングを成し遂げられる要素は弔には存在せず、極論ビッグ・マムは何の能力も使わなくても彼を打ちのめせただろう。
 弔の個性もそれ程までに力の差がある相手に対しては何の役割も果たしてはくれなかった。
 触れた物体を崩壊させる能力など、触れられなければ惨めったらしい風車でしかない。
 マムは彼の個性の性質を理解したその上で一度もそれを浴びることなくちっぽけなヴィランを圧倒した。
「ムカつく目だね。今から死ぬってのに潤みもしねえ」
 マムのこめかみに青筋が一つ浮かんだ。
「おれはそういうガキが嫌いなんだ。散々手を焼かされたからね…!」
 ビッグ・マムを破ったガキ共。
 何度力の差を見せつけてやっても懲りずに食らいついてきた新世代(ガキ)共。
 彼女は今この瞬間、無駄な足掻きを続ける目前の青年に彼らのそれと同じものを見ていた。
 だからこそ機嫌は悪くなる。
 よりにもよって新世代! おれを地に落としやがったあいつらと同じ目をしやがるなんて!


950 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:15:09 p3G9Lmdw0
「おれの夢の礎になれるんだ、光栄に思いな…! お前みたいなドブネズミにはもったいねェ程の名誉だろう!」
「…夢か。心底……似合わねぇな。知ってるか? テメェみてえな奴のことはな、老害って言うんだぜ」
 虫の息ながら減らず口は尽きない。
 だがそれとは別に純粋に気になった。
「聖杯なんて大それたもんに縋って晩節汚してよ…そうまでしてどんな夢を叶えてぇんだ?」
「此処まで食い下がったご褒美だ。冥土の土産に教えてやるよ」
 ビッグ・マムには夢がある。
 誰もが馬鹿げていると笑うような夢。
 しかし当の本人は大真面目だ。
 鬼の始祖が恐れる耳飾りの剣士ですら一目置く他なかった、彼女の暴威と比較すると空寒く聞こえる程綺麗な夢がその巨体の内にはある。
「誰もが同じ目線で食卓を囲んでメシを食える、そんな理想の国を作ってやるのさ! お前みてェな小汚いガキでも例外じゃねえから安心しなァ!」
「そうかよ。…あぁ、確かにそいつは安心だ」
 
誰もが並んで同じ目線で食卓を囲めるような国。
 冗談かと問いたくなる程、目前の巨女には似合わない夢だった。
 高尚なことだと弔は思う。
 そこで異論を唱えるつもりはなかったし、むしろ今放った言葉の通りだ。
 ビッグ・マムの理想を知った死柄木弔は確かに安堵した。
 何故ならその理想は呆れる程愚直で眩しくて…。
 死柄木弔がまだ志村転弧と呼ばれていた頃、確かに持っていた幸福の形だったから。
『お父さんはああ言うけどねぇ、大丈夫だよ。私は転弧の事応援してるから』
 お母さん。
『お父さんは…ただ…知ってるの。ヒーローが大変だって事』
 華ちゃん。
『やめろ――転弧!』
 お父さん。

『痒みはもう感じなかった』

 あの家は僕を優しく否定した。

 穏やかで笑顔に溢れた優しい優しい絶望の家。

 脳裏を蘇る記憶は既にただの事実として認識できるようになっていて。

 弔は何の動揺もなく笑顔と共に右手を伸ばす。

 触れたものを何であれ壊す崩壊の手。

 それを前へ──立ち塞がる皇帝の巨体へ翳した。

「心置きなくブッ壊せる」

 死柄木弔の体に纏わりついた手が崩れていく。

 形を失い塵になって消えていく。

 いびつな家族の絆と未練を振り切った弔の髪の毛が白く染まる。

 外見に急速な変化が及ぶ程の何かが、それだけの現象が彼の体内で起こっているのだ。

 弔が再び地を蹴った。

 体力などとうに尽きていて然るべき有様ながらその初速は今までのそれよりずっと速い。

 しかし当然ビッグ・マムの目で追い切れない程のものではないのが現実だった。

「知ってるか? 大口叩くのにも責任ってもんは伴うんだ」

 この小僧は自分の夢を聞いてこう言った。

 ブッ壊すと。
 他でもないおれの食卓(未来)をブッ壊すと啖呵を切った。

 その言葉はビッグ・マムに対する何よりも明確な宣戦布告だ。

 相手がどれほど取るに足らない小虫だったとしても、これを言われたら見逃せない。

「おれの“夢”を壊すって!? 上等じゃねェか! やってみろよできるものなら!

 おれに触れもしねェヒヨっ子が、いつまでも涙ぐましく喚いてんじゃねェぞォ──!?」
「テメェこそ喚いてんじゃねぇよ老害が。ヒステリー拗らせたババアと食うメシなんざクソ以下だろ」
 真の悪とはよく笑うものだ。
 ビッグ・マムも怒髪天を衝きながら笑っている。
 弔もボロ雑巾同然になりながらそれでも笑っている。
 戦場(ここ)には悪しかいなかった。
「ほざいてなァ! "刃母の炎"!」


951 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:16:11 p3G9Lmdw0
 炎を纏ったナポレオンを振るう皇帝。
 不敬の報いに素っ首落とさんと迫る巨体の速度は明らかに生物としての常識や限界を無視している。
 速度も力も確実にギガントマキアの上位互換と言っていいだろう。
 オール・フォー・ワンお抱えのドクターが寄越したクエストと比べて、今の状況は難易度で数段上を行く。
“速すぎるな。此処まで来ると避けただけでも体の何処かが軋みをあげやがる”
 しかしそれは逆説的に、元々死柄木弔にはこういう怪物との交戦経験があったということを意味した。
 そしてビッグ・マムは未だ弔に対して全力を見せているわけではない。
 彼女が空へ上がってゼウスとプロメテウスによる炎雷の雨霰でも降らせれば弔はそれで確実に詰んだろう。
 にも関わらずそれをしていない訳はビッグ・マムが彼のことを舐めているか、それともこれ程の矮小な弱者に本気を出すのはプライドが許さないか。
 本当のところは彼女にしか分からないが、その手抜かりは弔にとってたいへん幸運だった。
“だが…ああ。ようやく見えてきたよ”
 長い戦いの中で当時の弔はマキアの大暴れに適応しつつあった。
 それと同じことが今この戦場で起こっている。
 太陽の炎を帯びた皇帝剣を躱す。
 実に不格好な舞いだったが回避は回避だ。
 マムの眉間に皺が寄る。
 死柄木弔は生きている。
 まだ生きている。
 何十年もの間山程の猛者をその豪腕で蹴散らしてきた怪物が…二十歳そこらの社会のゴミ一匹殺せていない。
「不味いツラだねェ」
 マムがおもむろに剣を掲げた。
 ナポレオンの刀身を見つめて止まる弔。
 弔の見上げる刀身に炎と雷が付属(エンチャント)されていく。
 ゼウスとそしてプロメテウス。
 天候を司る二柱のホーミーズの権能が皇帝の名を冠したビッグ・マムの愛剣に凝集される。
「これで後腐れなく消し飛ばしてやるよ。カビたお菓子を残しておくと、他の旨いお菓子にまで感染(うつ)っちまうからね…」
 それによる光を肌で浴びているだけでも痛みを感じる程の熱量と光量。
 対城宝具の真名解放に匹敵する程の力が母(マム)の意のまま思うままに剣へと灯る。
 その規格はサーヴァントの限界域に近い。
 ある平行世界で異聞帯の王と呼称される七柱にも酷似した災害のような力と魔力。
 人間、死柄木弔が相対しているのはひとえにそういうものだ。
 決して人間が相手になどするべきではない…ただ怪物とか災害とかそういう表現をして目を背けるしかないような存在。
「綺麗さっぱり消し飛びなァ――"鳴光剣(メーザーサーベル)"!」
「今だ」
 弔は驚くよりも戦意を吠えるよりも先に言った。
 ビッグ・マム及び彼女の振るう全ての力と事象に対してもはや微塵も怯むことはない。
「――――助けてくれ、しお」
 悪いなクソババア。
 でもよ、お前ガキ共を連れて来なかったんだろ?
 じゃあアンタの失策だ。
 知らなかったか? 忘れてたか? じゃあ教えてやる。


952 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:16:57 p3G9Lmdw0



「――――たすけてポチタくん」

 俺達は連合(レギオン)だ。
 此処で死ね。


.


953 : 崩壊-rebirth-(中編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:17:31 p3G9Lmdw0
 ――たすけてポチタくん。
 令呪を以って少女はそう希った。
 それが何よりの起動詠唱になる。
 星の光を担う者が聞けば驚く程に短く飾り気のない詠唱(エンゲージ)。
 しかし少女の願いは必ず届く。
 彼はそういうものだから。
 本来のあり方を望まれなくても、彼がそういうものであることに変わりはないから。
 ぶうん。音がした。
「――ッ!?」
 それに反応したのはビッグ・マムだった。
 その顔に浮かんだ表情は海の覇者たる彼女に相応しくないもの。
 驚愕と動揺が現れた顔は単に誰かに知恵や根性で出し抜かれた時のそれではない。
 純粋な驚愕だ。
 彼女をして脅威だと認識するしかない、そういう存在が突然出現したことに対しての驚きだった。
 爆光が夜暗を切り裂いて炸裂する。
 地面に叩きつけられた光は弔の方に向けられてはいなかった。
 新たに現れた、否復活した気配の方に向かった。
 ビッグ・マムの鳴光剣。
 英霊一人を文字通り蒸発させるくらいはワケのない超火力が解き放たれ。
 ぶうん。と、また音がした。
「何だい…? お前……」
 次の瞬間に起こった出来事を前にしてビッグ・マムは訝るような声を出す。
 そう反応するに足る事象が今、全員の見ている前で起こった。
 放たれた光と熱が超音速の何かで以って文字通り両断されたのだ。
 雷切の逸話が裸足で逃げ出す超人技を苦もなく成し遂げた得物の正体がチェンソーであるとマムが理解したその時。
 ビッグ・マムを驚嘆させたその男は既に彼女の懐にまで迫っていた。
「うおおおおおッ!?」
 四皇がその速さを追えない。
 少なくとも初見では。
 ビッグ・マムはこの次元の速さを知らなかった。
 先刻カイドウと共に対面した耳飾りの剣士。
 こと足運びの速度に限っては、この悪魔は彼すら上回る。
 カイドウの雷鳴八卦ですらも超える異次元の速度、歩み!
「テメェ…本当にさっきのガキかい!?」
 それは一言で言うならば。
 チェンソーの、悪魔だった。
 デンジが変身していたのとは訳が違う。
 人間らしいところは手足の数と輪郭くらいしかない。
 その面影から漂ってくるのは…四皇をして驚く程の血と臓物の臭い。死の臭い。
 あまりにも腥すぎるのに彼の体と一体化したチェンソーの刃に錆は一切ない。
 錆びる隙もなく刃を回転させ続けているからだ。
 錆びる隙もなく――悪魔を屠り続けてきたからだ。
「言葉は通じるかよライダー」
「……」
「そんな成りになってもテメェとは合わねえんだな。…まぁいいよ。これだけ伝わりゃそれでいい」
 弔はデンジという英霊の真実を知らない。
 デンジはあくまで彼と契約を交わしたある偉大な悪魔の乗り物でしかないのだということを知らない。
 しかしそんなことは何も関係はなかった。
 とことんまで馬の合わない二人だが、ただ一つにおいてだけは彼らは同じ方向を向ける。
「敵(ババア)を殺すぞ。行けるよな」
 無言は肯定の同義語だ。
 チェンソーの悪魔が動くのと同時に弔も地を蹴った。
 ビッグ・マムを此処で殺す。
 その目的の許に人間と悪魔が疾駆する。
 悪魔(かれ)を表現する言葉を手綱を握った彼女は決して吐かない。
 彼女はそれを望んでいないから。
 ヒーローなんて慈善事業じゃ彼女の夢は叶えられない。
 彼女が求めているのはただ一つ、武器だけ。
 皆殺しの武器(チェンソー)として全ての敵を倒してくださいと。
 彼女は過去も今も変わることなく経験に、悪魔(かれ)に対してそう願っている。

 その令呪(ねがい)を動力源として。
 地獄のヒーローだったもの、チェンソーマンは四皇殺しを開幕させた。


954 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:18:11 p3G9Lmdw0
    ◆ ◆ ◆

 誰もが息を呑んでいたというと多分語弊がある。
 神戸しおと、彼女の愛する少女を知る女だけが例外だった。
 だが逆に言えばその二人を除けば。
 トップアイドルも犯罪王も八極道も、誰もが例外にはなり得なかった。
「…女史。つかぬことを聞くが、あのご婦人の友人が此処に乱入してくる可能性は?」
「大丈夫よ。鬼舞辻くんには先刻ちゃんとお願いしておいたから」
「ふむ…。彼は今頃怒髪天を衝いているだろうが、それは……僥倖だねェ」
 鬼舞辻無惨がどれだけ持ち堪えてくれるかは分からない。
 とはいえ彼が潰れるまではビッグ・マムの片割れはこの場に乱入してこない。
 それは敵連合にとってあまりにも都合のいい幸運だった。
 にわかに変わりつつある戦況。
 神戸しおが令呪を使って呼び寄せたチェンソーの怪人。
 そして今まさに鬱屈のヴェールを脱ぎつつある死柄木弔。
 この三要素が絡み合えば…ともすれば。
「試練(クエスト)を考案した段階では長い因縁を想定していたが…」
 そう――ともすれば。
「グラス・チルドレンの最大の後ろ盾(サーヴァント)…"ビッグ・マム"は、此処で落とせるかもしれない」
 四皇狩りは成るかもしれない。
 希望的観測をしない犯罪王をしてそう言わしめた。
 それ程までの追い風が今連合には吹いていた。
「…ねえ」
 問いかけたのはアイだった。
 モリアーティに対してではない。
 令呪を使ってデンジの中に眠る彼を呼び出した神戸しおに対してだ。
「あなた、本当にしおちゃん?」
「そうだよ。私は神戸しお」
「…変なこと聞いちゃったかな。ごめんね、ちょっとびっくりして」
 アイとて本気で入れ替わりの可能性を考えて聞いたわけではない。
 ただあまりにも、今此処にいるしおの姿はゲストルームで見た彼女のものとは違っていた。
 自分ですら嘔吐した覇王色の覇気を受けて意識を保ち。
 決して絶望することなく仲間を見つめて自らの頭と口で戦況を変えた。
 その姿はとてもではないが齢十歳に満たない幼子のものとは思えなくて。
 気付けばアイは問うていたのだった。
「私からも一つ聞いておこうかな。君は…チェンソーの彼の中にあんなものがいると知っていたのかネ?」
「うん。夢の中じゃもっとかわいい、ワンちゃんみたいな見た目だったんだけど……」
「ワンちゃん。あれが?」
「そうだよ? 夢の中のポチタくんはすっごくかわいくって、ぎゅ〜ってしてなでなでしてあげたかったよ。
 …あ。でもあんなにがんばってくれてるんだから、こっちのポチタくんにもそうしてあげたほうがいいかな?」
「そこは君の判断に任せるが…なるほどね。ポチタ君、というのか彼は」
 とはいえそこは犯罪卿と並ぶ、あるいは上回る犯罪王だ。
 デンジというサーヴァントには何らかの"先"があるのだろうということは薄々察しがついていた。
 しかしこれ程強い奥の手を控えさせていたというのは流石に予想外だった。
 まさか単体の武力で四皇ビッグ・マム、この聖杯戦争においても最上位の一格であろう怪物に冷や汗を流させるとは。
「どうだね極道のライダー君。君も大分血が騒いできたのでは?」
「…どっちかってーとオレは……死柄木の坊主(ガキ)の方っすかね」
 破壊の八極道、通称暴走族神(ゾクガミ)…殺島飛露鬼。
 彼も当然デンジもとい彼の中から出でたポチタには驚嘆させられた。
 だが彼が。暴走族神が見ているのはあくまでも弔の方だった。
 確かにチェンソーの彼は強いだろう。
 四皇ビッグ・マムを慄かせ、その化物じみた武勇と真っ向相対せる程の強さを秘めているのだろう。


955 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:18:53 p3G9Lmdw0
 しかしそれでも殺島は弔の方に目をやってしまう。
 彼の中に一つの予感があったからだった。
「どう見えるかね、私のマスターは」
「化けますよ。あの野郎は」
「ほう」
「昔を思い出します。オレみてえなクズと一緒にされるのは奴さんも不本意でしょうけどね。
 でも…あのガキは化けますよ。良かったですね。読み通りなんでしょう? これも、アンタの」
「いいや。想像以上だよ」
 無論最終的にはそのくらいになってもらわねば困ると思ってはいた。
 モリアーティの理想形は世界を滅ぼせる"崩壊"だ。
 それに比べればようやく目覚め始めた程度ではいささか以上に事足りない。
 だが。
「逃げないで良かったね極道君。見逃すところだったじゃないか」
「今は裏切(ユダ)るかどうかを迷ってますよ。正直アンタ頼みの烏合の衆だと思ってたんでね」
「それも結構だがまだ判断が早いだろう。何しろ我が敵連合は今ようやっと君達に価値を示せたのだから」
 それでも死柄木弔が此処に来て見せた成長は想像以上だった。
 デトネラット本社の崩壊という痛手を含めてもお釣りが来る程の成長…進化。
「末永くよろしくしようじゃないか。なぁ、しお君もそう思うだろう?」
「うん。私ももっとアイさん達と仲良くなりたいよ」
「…ずるいなぁ。しおちゃんさ、将来はきっと悪い女の子になるよ。
 魔性の女(ファム・ファタール)っていうんだよそういうの」
 アイは思わずそう言って苦笑した。
 分かっている。
 きっとしおは本心からそう言っているのだと。
 しかし彼女の目には言いしれぬ光があった。
 芸能界という魔界に身を窶して何年も第一線を戦ってきたからこそ分かる、異常な輝きがあった。
 この先自分と彼女がとても仲良くなったとして。
 それでも大一番のときが来れば、しおは自分のことを乗り越えていくのだろうと分かった。
 実際にやり合ってどちらが勝つかは分からないにせよ。
 神戸しおはそれができる少女なのだとこの時星野アイは確かに理解した。
「…まぁいいや。当分は"よろしくお願いします"だねこりゃ」
 そう言ってアイは殺島と顔を見合わせる。
 そして偶像(アイドル)は極道(ヤクザ)に言った。
「お手伝いしてきてあげて。あのおばあちゃん、今なら倒せるかもだから」
「いいのか? 案外あっさり返り討ちに遭っちまうかもだぜ」
「その時は新しいサーヴァントを探すよ。だからお願い。暴走族神(ゾクガミ)なんでしょ?」
「……お前も大概、人のこと言えねー悪女(わるいおんなのこ)だよ」
 苦笑しながらタバコを地面に捨てる。
 靴底で踏み潰して殺島は戦場の大舞台を見つめた。
 あんな狂ったババアなんぞとは関わり合いにもなりたくない。
 だが…だが。
 やはり人間、簡単に性根は変えられないものだ。
 見果てぬ破滅(みらい)を夢に見て狂喜を浮かべて戦う青年を見ているとどうしても血が騒いだ。
 だからこそ殺島は愚行を犯す。
 愚行と理解(わか)った上で…決行を宣じた。
「ちょっと遅れちまったが…――行くか。お前ら」
 帝都高爆葬・暴走師団聖華天――またしても限定展開。
 最大展開はまだ早いと自分を抑えながらもこの高まりは一人で抱えるには過ぎたもので。
「いつかはオレの手で殺す存在(てき)だが…後輩の成長ってのは嬉しいもんだからなぁ」


956 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:19:24 p3G9Lmdw0
    ◆ ◆ ◆

 チェンソー駆動。
 異次元の駆動速度はソニックブームじみた衝撃波を引き起こしながら悪魔殺しの刃をビッグ・マムに迫らせる。
 だがマムも同じ芸で何度も驚く凡愚ではない。
 四皇の突出した動体視力はこの時点で既にチェンソーマンの攻めに適応し始めている。
 ナポレオンでチェンソーによる六連撃を受け止めたビッグ・マムの体はたたらも踏まずその場で不動。
 しかし……
『マ、ママ! 痛いよ! あの変な武器すっごく痛い!』
「黙ってなナポレオン! 無駄口叩くと殺しちまうよ!」
 ゼウスを浮揚させて悪魔をめがけ稲妻を落としながらも、ビッグ・マムはこの乱入者もとい復活者について冷静に評を下していた。
“直撃するとマズいか…打ち合っただけでナポレオンが弱音を吐くとはね”
 間違いなくあれは自分やカイドウに並ぶ実力者だ。
 そう認めざるを得なかったからこそ彼女も全力を出すことに躊躇はなかった。
 これまでは死柄木弔というちっぽけなマスター一人に対してだったから力はセーブしていたがこうなった以上もうその必要はない。
「"震御雷(フルゴラ)"ァ!」
 ゼウスの雷を左腕に纏わせて振り下ろした。
 それにより降り注ぐ雷のエネルギーは戦略兵器の炸裂にも等しい。
 カイドウの鬼ヶ島をすら震撼させた一撃をチェンソーマンに向け打ち込んだビッグ・マム。
 しかし視界が晴れるのと同時に彼女の視界に飛び込んできたのは彼ではなく……
「あァ!?」
 鋼の騎馬。単車(バイク)の群れであった。
 彼らに向けてマムは眉を顰めながらも武装色の覇気で強化した右腕を振るう。
 それだけで単車の彼らの首が飛んだ。
 断末魔の声すら許さない瞬殺。
 しかし首から上を失った彼らとその愛車は、マムの直前で派手な爆発を遂げた。
 神風特攻(カミカゼアタック)など時代に合わない。
 だが暴走の末に自分の神のために死ねたのだ。
 呼び出された彼らも本望だったに違いない。
「ちィ…! 猪口才じゃねェか!」
 爆風に包まれながらもマムにダメージはない。
 だが彼女もまた一人の戦闘者。
 今の行動の意味も原理も手に取るように分かった。
“宝具の自壊…壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)とかいうのに近いね。
 だがおれに使うには弱すぎる……つまり目的は……!”
 ビッグ・マムが地面を踏み鳴らした。
 彼女の重量で行う震脚の威力は一つの爆発だ。
 爆風が消え、迫るチェンソーマンの姿も露わとなる。
 目眩ましなどという手で欺かれるビッグ・マムではない。
 狂喜じみた笑みは彼女にとってこの世の何よりも攻撃的な表情だ。
 チェンソーとナポレオンが何度目かの激突を果たすが…
「"皇帝剣破々刃(コニャックハハバ)"…!」
「……!!」
 ちょうど鍔迫り合いの格好になった途端にマムの皇帝剣が赤熱した。
 いや、炎を帯び始めたのだ。
 そのまま炎が拡大すればチェンソーマンごと焼き払わんとする。
 無論その間もマムの剣戟は止まってなどいない。
「死にな〜!」
 大上段からの振り下ろしとそれを受け止めるチェンソーマン。
 だがこれではマムが一方的に有利だ。
 もっともそんなこと、この悪魔が理解していない筈もない。
 デンジという少年を器として現界した全ての悪魔が恐れた悪魔。
 彼のステータスには武の究極と呼んでもいい一つのスキルが記載されているのだから。
 そのスキルの名を、無窮の武錬という。


957 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:20:03 p3G9Lmdw0
 チェンソーマン駆動。
 身を焼く鍔迫り合いの格好から彼は有刺鉄線じみたチェーンを無数に伸ばした。
 それがマムの巨体を瞬時に絡め取る。
 ビッグ・マムは当然引き千切ろうとするが……
“あ…!? 動けねェだと!? このおれが……!?”
 千切れない。
 マムは強行突破に失敗する。
 ゴムのような柔軟さと鉄の硬さを併せ持った異様な強靭さだった。
 しかし不可能を可能に、不条理を条理に変えてねじ伏せるのは彼女ら四皇の専売特許。
 強引にその両手で鎖を引っ張れば、少しずつだが拘束は緩み始める。
 が――この調子ではチェンソーマンの到着に間に合わない。
「ゼウス! おれを巻き込むのを許可するよ!」
 雷のホーミーズは返事をしないが指示には従う。
 生前さんざっぱら主人を裏切った役立たずから自我を奪うのはこの鬼女のやりそうなことだった。
 ゼウスの雷霆がマムを巻き込む形で着弾すれば絶大な衝撃と共に辺りのものが悉く吹き飛ぶ。
 その衝撃も利用して鎖の拘束を脱却したビッグ・マム。
 雷霆を縫って接敵したチェンソーマンと何度目かの火花を散らした。
 そして。
「やめときな三下ァ…! 銃(チャカ)なんぞじゃおれは殺せねェよ」
「ま、だろうな」
 先程現れて盛大に爆死した二人の単車乗りのように。
 だが彼らより数段上のドライビングテクニックを見せ、瓦礫の段差を利用して跳躍。
 そのまま上空から超高精度の精密射撃の雨を降り注がせた男がいる。
 殺島飛露鬼。星野アイのライダーだった。
“理解(ワカ)っちゃいたがやっぱり此処までデタラメな野郎相手だと渋いね、どうも。華虎の旦那を思い出す怪物(バケモン)っぷりだぜ”
 彼の放つ弾丸は十分一般人、及び魔術師の基準で言えば技術的にも性質的にも魔弾の領域に達している。
 しかしビッグ・マムに対して使うならばその威力は豆鉄砲の一言で片付けられてしまう。
 それ程までに現代社会の極道と大海賊時代の極道の間には隔絶した力の差があった。
 そこに一抹の自嘲を覚えながらも、こんな射撃はおまけに過ぎない。
「おい。今の必要だったか? 手の内がバレちまったろうが」
「運賃の代わりだ。さ、行けよリーダー」
 上空。
 殺島の単車の後部座席から青年が飛び降りた。
 死柄木弔の背中を見送って殺島は期待と郷愁の入り混じったような、そんな顔をする。
「…青(わか)いってのは強ぇなぁ。やっぱりよ…」
 

「随分様変わりしたなチェンソー野郎」
 マムと打ち合うデンジだったものにそう笑う弔。
 次の瞬間彼は猟犬と化した。
 四皇と悪魔の中の悪魔、この界聖杯を巡る戦いの中でも頂上決戦に近いだろう二体の激突を前に毛程の恐れも抱いていない。
「まだしゃしゃってくるのかい。悪いがおれも先刻みたいに遊びやしねェぞ!」
 崩壊の手はマムに触れられない。
 弔を取るに足らないモノと看做していながら彼の手には常に警戒を張っていた。
 個性とは"超常"の力だ。
 弔の生まれた時代には既にある程度科学で分析できる力となっていたが、
 それでも科学だけでは語り尽くせないブラックボックスの部分は依然として存在していた程。
 個性には超常の神秘が宿っている。
 故に弔の手はサーヴァントであろうと触れば崩せるのだ。
 ビッグ・マムの警戒と危険意識は実に正しいものであったと言えるだろう。
「てめェら仲良く纏めて死ねよ! プロメテェェウス!」
『は〜いママ! ゼウスのバカと違って確実に仕留めてみせるよ〜!』
 ビッグ・マムの周囲が炎の海と化す。
 これだけで死柄木弔はもう自分に近寄れない。
 チェンソーマンは別だが、彼と戦うのはマムとしても臨むところだった。


958 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:21:03 p3G9Lmdw0
“此処まで楽しめそうな相手がいるとは思わなかったからね…! あの退屈な予選の間は一体何処に隠れてやがったんだか……!”
 何てったってこのビッグ・マムが死の気配を感じているのだ。
 それ程までにチェンソーの悪魔は優れた戦士だった。
 仮に此処にいるのが自分でなくカイドウだったとしても、同じく高揚を見せただろうという確信さえある。
“唯一肝を冷やしたのは船乗りのガキ共だったか…捨て身とはいえおれを海に突き落としやがった憎たらしいガキ共!
 カイドウ以外におれを焦らせられる奴なんざ居やしねェと思ってたが……あの侍といいこのチェンソー野郎といい、認識が甘かったねェ”
 マムとチェンソーマンの激戦が続く。
 炎と雷、そして剣。
 三種の混合攻撃を放ちながら笑うマムは最早天変地異の擬人化に等しかった。
 そしてそれを悉く捌き切りもとい捌き斬り、三色の混沌の中戦い続けているチェンソーの彼は…まさに悪魔としか言いようがなく。
「マ〜ママママ! 認めてやるよ蜘蛛野郎! いい駒を集めやがったじゃねェかテメェ!」
 もう一匹の蜘蛛とは偉い違いだと笑うマム。
 彼女は今やモリアーティのことを敵視してはいても侮ってはいなかった。
 策だけで猪口才に足元を掬おうとしている連中と、優れた策といざという時の凶悪な暴力を併せ持つ連中。
 海賊である彼女がどちらを好むかは分かりきった話だった。

「認めてもらえたようで何よりですが」
 ギャラリーに徹するモリアーティが蓄えた髭を弄びながら言う。
 ビッグ・マムの賞賛。
 彼女に敵として認められることは間違いなく栄誉なのだろう。
 それはモリアーティも素直に受け取った。
「連合の王は私ではない」
 その上で言葉を返す。
 蜘蛛に玉座は似合わない。
 犯罪王などと呼ばれてはいるが、自分にあるのはあくまで黒幕の資質なのだとモリアーティは自覚している。 
 玉座に座って覇者を名乗るジェームズ・モリアーティなど三文喜劇も甚だしいだろう。
 だから連合の王も必然彼ではない。
 敵連合の王はただ一人。
「さあ、目覚めの時だ」
 ジェームズ・モリアーティは王の目覚めを歓喜と共に迎え入れる。
 今この瞬間、終局的犯罪(カタストロフ・クライム)へ向かう時計の針は一気に加速した。
「これは――君が最高の魔王になるための物語なのだから」

 
 炎の中を縫って青年は走った。
 笑いながら、手足を狂った人形のように振り乱しながら。
 そのまま手を伸ばす。
 しかしその手は届かず彼は地面に手足をついた。
 土下座のような見窄らしい格好は笑い者にされそうな程だったが。
 彼が手で触れた地面が、その時――
「……何?」
 ぼろ、ぼろと崩れ出し始め。
 妙な気配を感じたマムが訝しげに眉を顰め振り返ったその瞬間に起こったことは。
 きっと…悪夢としか形容できないだろう。
「クエストクリアだ」


959 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:21:34 p3G9Lmdw0

 
 始まった崩壊が次から次へと伝播する。
 物体から物体へ。
 大地から建造物へ。
 建造物から人間へ。
 弔自身にさえ止められないそれはデトネラット本社跡地、正しくはそこに座す死柄木弔の前方数キロメートルに渡る都市機能の全てに影響を与えた。
 文字通り崩れ落ちたのだ。
 建物も運の悪い人間も、二匹の蜘蛛が配備していた策にまつわる何かしらもそこにあったかもしれない。
 だが関係ない。
 一度始まってしまった崩壊は地表の全てを絶滅させる。
 主人の抱える衝動と破滅の地平線への憧憬、その二つを現実世界に表出させるかのように。
「……!」
 マムが空へと逃れにかかる。
 立ち上がった死柄木が彼女に魔手を振るった。
 ゼウスとプロメテウスに指示を飛ばしていたのでは間に合わない。
 ナポレオンを用いた斬撃で対応する判断を下すまでにコンマ数秒。
 振るった刃は剣圧のみで弔の右腕を複雑骨折させ、彼の手首から先の骨は余さず粉々になった。
 だが切断はされていない。
 何故か。
「触れる前に壊せばそこまででもないな」
 ビッグ・マムの魂を分け与えたホーミーズ。
 巨体と怪力を存分に発揮して振るわれる剣術。
 それを支えていた皇帝剣ナポレオンが、崩れたからだ。
 耳触りな断末魔の叫びと共に崩れて塵となった。
 目を見開くビッグ・マムは自分の愛剣だったそれをすぐさま捨てる。
 この崩壊は伝播する。
 既にその種は割れていたからだ。
 本気の危機感と共に空へ跳び上がったビッグ・マム。
 だがそれを許さじと跳び上がるモノがもう一体いた。
“こいつら…本気で!”
 チェンソーマン、肉薄。
 ビッグ・マム、戦慄。
 海の皇帝は恐怖などしない。
 今更死など恐れはしない。
 だが。
 そうなる程に自分という存在を鍛え上げ、そうなるに足る程に多くの戦場を乗り越えてきた存在だからこそ……
“此処でおれを……殺す気だったのか!”
 ビッグ・マムは驚愕した。
 チェンソーマンが刃を振るった。
 炎と崩壊が包む深夜零時。
 界聖杯戦争本戦の日付が"二日目"へと動いたまさにその瞬間……

 偉大な皇帝の血が飛沫(しぶ)いた。


960 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:22:13 p3G9Lmdw0
    ◆ ◆ ◆

「あ…?」
 所変わって百獣のカイドウ。
 その目がビッグ・マムの戦う方へと向いた。
 そちらから聞こえてきた崩壊音と異様な空気。
 それはカイドウにとって何か起きたことを察させるには十分すぎた。
“宝具か? いや、それにしては……”
 それにしては魔力の反応が小さすぎる。
 だが何にせよ、ビッグ・マムを…シャーロット・リンリンをして予想だにしない不測の事態が起こったろうことは明らかだった。
 マムの魔力反応は健在である。
 殺されたということはないようだが、あのあらゆる意味で手に負えないババアが一杯食わされたらしいその時点でカイドウの興味は大いに惹かれた。
“この野郎の相手も飽きてきたしな。顔でも出してやるか”
 カイドウは既に鬼舞辻無惨への興味を失っていた。
 無惨は見かけ上は損傷がないようだったが体内はその限りではないのだろう。
 カイドウの打撃を何発となく受ける羽目になった無惨は今目に見えて消耗していた。
「お前はもういい。殴っても簡単には死なねえようだしな…今は見逃してやるよ」
「貴様……」
「テメェの大嫌いな太陽に灼かれてもいいってんなら追ってこい」
 ずしんずしんと足音を響かせながらカイドウは無惨に背を向けた。
 そのまま二度と振り向きはしない。
 無惨がまだ戦う姿勢を見せるなら話は別だったかもしれないが、そうでない限りはもう興味はなかった。
 そして無惨も…令呪の強制力にあれほど振り回されていたにも関わらず今はそれにある程度逆らえていた。
“…冗談ではない。あのような悪夢の如き戦場になど誰が赴くものか……!”
 鬼舞辻無惨は生存することに異常な程執着した生命体である。
 故に他者への共感性は著しく低く、人間というよりその精神構造は昆虫などの下等生物のそれに近い。
 そんな無惨だからこそ太陽光が乱れ舞う場所へ向かうということは魂レベルで激しく拒絶した。
 令呪一画分の強制力ならばこうして抗えてしまう程、無惨にとって太陽というのは忌むべき概念だったのだ。
“あの女には必ず今回の事の報いを受けさせる。こうして地上に出てくるのも今回が最後だ”
 無惨はカイドウを此処まで足止めしていた。
 彼に対してそれを伝えても逆上されるだけだろうがこれは十分すぎる功績だった。
 持ち前の耐久力と手段次第ではカイドウにも通用する膂力。
 これを最大限駆使することで、無惨は終始劣勢でこそあったものの四皇との戦闘を可能にしたのである。
 もしも無惨が早々に潰れていたならばカイドウはその時点でリンリンへ加算し、敵連合は壊滅していたに違いない。
“あの男が…この怪物共などより余程恐ろしいあの化物がいつ私の存在を探り当てるか分からん。
 そうなればこれまでの全てが御破算になる。こんなところで油を売っている場合ではないのだ…!”
 それが誇るべきことだなどとは露程も考えずに。
 鬼舞辻無惨は一人屈辱と、その何倍も大きな焦燥に身を焦がしていた。


961 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:22:55 p3G9Lmdw0
    ◆ ◆ ◆

 ビッグ・マムの小指が切断された。
 巨人族ですら投げ飛ばし、数え切れない程の海賊に夢を諦めさせてきたその剛拳。
 右拳の小指が根元から切り飛ばされて地面に転がっている。
 ポタポタと滴り落ちるビッグ・マムの血液。
 鉄の風船とすら称される彼女がこんな姿を晒していることの異常さは、彼女と一度でも相対した者なら分かる筈だ。
「おい、ガキ」
 あの瞬間に起こったこと。
 死柄木弔が進化した崩壊を解放した。
 ビッグ・マムは彼の手で愛剣を破壊され。
 その隙を突いたチェンソーマンがその小指を切断したのだ。
 マムは空へと一度逃れてから数メートル離れた位置に着地。
 そして地の底から響くような声で彼女は連合の王、死柄木弔へ言葉を発した。
「お前…名前は何て言うんだい」
「死柄木弔」
「陰気な名前だね。名付け親のツラが見てみたいぜ」
 ビッグ・マムは不気味な程静かだった。
 弔の名前を聞くとケラケラ愉快そうに笑ってみせる始末。
 だが場の空気は全く緩まない。
「今回はしてやられちまった。おれとしたことが油断したね!
 最初から何の手抜きもなしに全力で潰しておくべきだった」
 チェンソーマンが動いていない。
 彼が追撃をしようとしていない。
 その事実はどんな言葉よりも雄弁にこの状況の緊迫を物語っていた。
 下手に動けば、核爆弾が炸裂する。
 指詰め(エンコ)のように失った小指を誇示するビッグ・マム。
 弔はそれを詰ったり煽ったりはしない。
 むしろ失敗だったとすら思っていた。
 弔は本気で…あの場でビッグ・マムを殺すつもりだったのだから。
「だからよ」
 こんな化物。
「――次は殺すぞ」
 一分一秒だって、生かしておくべきではないだろう。
 自分で物を考えて欲望のままに自律行動する災害そのものだ。
 それにせっかく気持ちよく物を壊せるようになった。
 それができるだけの力を得られたのだ。
 殺したかったなぁと弔は笑う。
 誰もが魂まで凍り付くビッグ・マムの殺意と人の身で対峙するは、犯罪王に魔王たれと見初められた事実に恥じない姿だった。
「四皇(おれたち)に全面戦争吹っかけやがったんだ。
 小便漏らして詫び入れても絶対に勘弁はしねェ。一人残らず殺してやるよ。
 テメェらの魂最後の一滴まで搾り取って…"絶望"ってもんを教えてやる。ママママ……!」


962 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:23:27 p3G9Lmdw0
「絶望するのはどっちだろうな。テメェの断末魔はさぞかしいい気分になれそうだ」
 此処に全面戦争は開幕する。
 海賊同盟と蜘蛛達の戦線は、そこに敷かれた導火線はとうとう燃え尽きた。
「皆殺しにしてやるよ老害共。これからは"新時代"だ」
「そいつはおれのと〜っても嫌いな言葉さ。だがお前を殺せたらちょっとは好きになれそうだよ」
 新時代は啖呵を切った。
 古い皇帝はそれを受け止め殺意で以って歓迎する。
 カイドウの足音が聞こえてきた。
 大方想定外の展開が起こったことを察して様子を見に来たのだろう。
 カイドウと共に潰しにかかればこの場で皆殺しにすることはきっと容易だ。
 しかしそれではビッグ・マムの気が収まらなかった。
 こいつらは徹底的に潰す。
 そう決めたからこそ、今は踵を返すのだ。

「随分と手こずったようだな。…やったのは誰だ?」
「後で話すさ。それより今は帰るよ、ナポレオンの代わりを見繕わなきゃならねェ」
「あ? 厭に消極的だな。お前らしくもねェ…」
 時に激しすぎる怒りは人を冷静にする。
 ビッグ・マムは怒っていないわけではない。
 むしろ真逆だ。
 彼女は自分に敵対する者を決して許さない。
 敵連合と蜘蛛達はこの先もう彼女に対して日和ることは叶わないだろう。
 ビッグ・マムの巨体が骸となって斃れるまで、彼女は彼らの敵として立ち塞がり続ける。
「そのガキ、海賊同盟(おれたち)を潰すと吠えやがった」
「そりゃ随分だな。骨のある野郎が出てきたじゃねえか」
「だから徹底的に潰してやるのさ。思い出すだろ? ムカつく記憶を!」
 そして連合もそれに臆しはしない。
 彼らだけではないもう一方の蜘蛛達も直にそうなるだろう。
 蜘蛛の巣を焼き払えば確かに彼らの糸は失われるが。
 巣を失って怒り狂った群れが、そうした者の体に毒牙を突き立てない保証は何処にもない。
 蜘蛛連合対海賊同盟。
 この対立構造はきっと確定的なものとなる。
 東京を舞台にした聖杯戦争という名のボードゲームは俄に激化の様相を見せるに違いなかった。

「そういうことだからよ、お前も欲張らねェで帰りな」
 マムが振り向いてギャラリー達の方を見る。
 かれこれ数十秒前からそこにはマムと縁深い人物がいた。
 犯罪王の棺桶が火を噴けばただでは済まない射程圏内で…その少年は。
「ガムテ」
「ちぇっ。ライダーにだけは言われたくね〜なそれ。マジ鬱陶(ウッゼ)!」


963 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:24:01 p3G9Lmdw0
    ◆ ◆ ◆

 崩落した瓦礫の中に運良く破壊を免れた鏡面があったのだろう。
 ガムテはそれを使ってぬるりと出現し、すぐにモリアーティにより察知された。
 彼は確かに殺し屋であるがアサシンのサーヴァントのように気配遮断スキルを持っているわけではない。
 英霊…その中でも特に悪意害意の気配には鋭いであろうモリアーティを出し抜いて凶行に及ぶことは不可能だった。
 しかしガムテはそれに不満を示すでもなく悠然と歩くと。
 一人の少女の横にべしゃっと腰を下ろしてあぐらをかいた。
「お前さ、神戸あさひの妹か何か?」
「? お兄ちゃんを知ってるの?」
「知ってるっつーか今は一蓮托生(マブ)。あっちはそう思ってないだろうけどな」
 その少女を見た瞬間ひと目で分かった。
 兄とあまりによく似ていたからだ。
 あさひを女体化させて年齢を多少引き下げればこうなるだろうなと納得できる見た目の少女。
 或いはそれを見た時点で既に、ガムテはこの場で事を起こす気を抱いてはいなかったのかもしれない。
 殺しの王子様としてではなく割れた子供達(グラス・チルドレン)の王としてのある種の義理だった。
「じゃあじこしょうかいしないとだ。神戸しおです、はじめまして。よろしくね」
「ガムテ。にしても真実(マジ)かぁ。不安定(くも)るだろうな〜アイツ」
「お兄ちゃんにつたえてあげてほしいの」
 言ってみ、とガムテ。
 ありがと、としお。
「心配しないでいいよって言ってたって。つたえてあげて」
 ガムテはその言伝てについて追及するつもりはなかった。
 そんなことをしなくても理解できたからだ。
 神戸あさひと神戸しお。
 この二人は兄妹として完全に断絶している。
 あさひがどうかは分からない。
 でもしおの方はもうその視界に兄を入れていない。
 それは明らかだった。
 あさひへの思いやりじみた伝言を頼んできた時のしおの目には肉親に対しての情など微塵も見えなかったから。
「今のあさひは相手が妹(オマエ)でも殺すよ。多少曇りはするだろうが、アイツの覚悟はもう決まってる」
「そっか。またお兄ちゃんがでてくるんだ」
 あの日みたいに。
 その言葉の意味はガムテには伝わらないだろう。
「でもべつにいいよ。私もお兄ちゃんのこと殺すつもりだし」
「あ〜理解理解(オッケオッケ)。そういうことなら分かりやすいな」
「ガムテくんはお兄ちゃんにきょうりょくするの? わたしにはきょうりょくしてくれない?」
「当たり前だろ、バカかよ。お前の加齢臭(クッセ)ェ仲間(ファミリー)が今あそこでオレのサーヴァントとドンパチやってんだろ〜が」
「そっかぁ」
 べーと舌を出すガムテと肩を落とすしお。
 あまりにも場違いなのどかさがそこにはあった。
 互いにナイフを持っているのに、年こそ離れていても二人の会話は絶妙に子供らしいのだ。
 内容がどれだけ物騒でも子供らしくなくても、その根底には幼いあどけなさがある。
「じゃあなかよくなれないね、わたしたち」
「どの道だな。お前の心はもう塞がってる」
「…ゲームとかたのしいよ? いっぱいあるよ?」
「バ〜〜カ」
 ガムテくんお口悪〜い。
 そう言ってむっと唇を尖らせるしお。
 ガムテはまた舌を出しながら、すっくと立ち上がった。
 遠くでは彼のサーヴァントが帰るぞとそう言っている。


964 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:24:52 p3G9Lmdw0
「もう行っちゃうの」
「ン。次はもう敵同士だ。
 オレは容赦なくお前を殺すから、お前もその気で来いよ」
「やさしいね」
「あさひの妹だからな。アイツへの義理ってやつさ」
 ガムテが子供達の王子であることが理由に含まれていなかったのかは彼にしか分からないことだ。
 ガムテは立ち上がると、「じゃあな」と言ってしおの隣から立ち去った。

 …いや、正確にはその足は一度だけ立ち止まった。
 そしてガムテは見ていた。
 相手もガムテのことを見ていた。
 ガムテが此処に来た目的の主たる所は状況の視察と出た所勝負(ワンチャン)の暗殺である。
 彼と会うことを意図してやって来たわけではない。
 ガムテはきっとそう言うだろう。
「殺島の兄ちゃん」
「違うだろ、ガムテ」
 色のない顔で呼びかけたガムテ。
 その声に殺島は、彼よりも先に逝った破壊の八極道はダメ出しをした。
 違うだろ。そうじゃないだろと。
「もうオレはお前の兄ちゃんじゃねぇんだ。
 極道さんが見てたら叱責(こごと)言われちまうぜ」
「…あぁ、そうだな」
 ガムテの目が紫電のような戦意を宿す。
 殺島はそれをじっと見つめて受け止めた。
 ガムテがあさひへの義理としてしおと対話をしたように。
 殺島もまたガムテへの礼儀として口を開く。
「破壊の八極道、殺島飛露鬼」
「――破壊の八極道、ガムテ」
 二人の極道の間に多くの言葉は必要ない。
 既に彼らの道は分かたれた。
 殺島が死んで英霊になり、ガムテがマスターに選ばれたその時点で。
 かつて彼らの間にあった親しさや絆のようなものはもう何の意味も持たない。
 忍者と極道ならぬ。
 蜘蛛と極道ならぬ。
 極道と極道。
 それでも。
 道を違えた極道同士が敵として相見えたなら言うべきことは…

「「ブッ殺す」」

 結局のところ……それしかないのだ。


965 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:25:21 p3G9Lmdw0
    ◆ ◆ ◆

 後悔した。
 後悔していた。
 田中の傍に護衛役の陰陽師の姿はない。
 彼は田中の向かう先で予定外の戦いが行われていることを察知するなり、自分は同行できなくなったと言い始めたのだ。
『拙僧があの場に顔を出せば貴方にとっても都合の悪い事態になるでしょう。
 引き受けた仕事を投げ捨てるようで非常に心が痛いですが…この先は貴方一人で向かいなされ』
 もちろん田中だって抗議した。
 そんな話があるかと怒鳴った。
 自分一人であんなところに出向いてどうなるかなんて火を見るより明らかだろうと。
 駄々をこねる子供のように、しかし内容としては極めてもっともなことを田中はリンボに訴えた。
 そんな田中に対してリンボはまさに子供へ言い聞かせるようにこう諭したのだ。
『案ずることはございませぬ。貴方はあの老蜘蛛にすら認められた悪の卵なれば』
 ふざけるなと怒鳴っても誰にも文句は言われないような無茶苦茶な状況なのに。
 それでも自分を肯定するリンボの声はどうしようもなく甘くて、心地よくて……
『拙僧が保証しましょう。貴方は必ず望んだ居場所にありつける筈ですよ』
 結局田中はその言葉に押し切られてしまった。
 リンボから貰った護符もあるからと。
 そんな馬鹿丸出しの楽観視で、一人旅することを決めてしまったのだ。
 そして今、田中はそのことを心の底から後悔している。
「な…なんだよ、どうなってんだよ……。
 盤石なんじゃなかったのかよ、なのになんで本社が燃えてるんだよッ」
 デトネラット本社のある地点は燃え盛っていた。
 それだけならまだいい。
 そこから絶え間なく轟音が響いてくるのだから田中の心はすっかり臆病風の大嵐といった有様と化した。
 なのに牛歩同然の歩みなれど足を進めること自体は続けられたのは、リンボの言葉に背を押されたからというのと。
 もう一つは…自分はもう後戻りできないのだという昏い自覚だった。

 此処で引き返せば俺は必ずアサシンに殺される。
 あの殺人鬼は絶対に俺を追ってくる筈だ。
 令呪を使って自殺させればいいだけの話と言われればそれまでだ、確かにそれまでだろうよ。
 だけど怖い。
 しょうもないしみったれた変態野郎と見切りをつけた今になって急にあの冷たい目を思い出しちまう。
「頼むよ…頼むよぉ……!」
 涙すら流しながら田中は歩く。
 体をガタガタ震わせながら田中は進む。
 その間も心臓が口から飛び出そうになるほどの轟音が目的地からは響き続けていて。
「俺には、もう……!」
 何処かのタイミングで音が消えた。
 それでも田中の恐怖は何も目減りしなかった。
 こいつも戦地で戦っていたのかというくらいボロボロになりながら。
 田中は思い出す、先刻の"M"の言葉を。
 ――やはり君には光るものがある。この局面で機運を掴んでいる。
 冗談でも何でもなく悪の親玉がかけてくれた言葉。
 リンボの言葉の魔力は歩む中でいつしか臆病風に押し負けて、田中は今その言葉だけを頼りに歩んでいた。
「連合(アンタら)しかいないんだよっ…!」


966 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:25:55 p3G9Lmdw0


 そうして愚かな男は辿り着く。
 哀れな男が辿り着いた時にはもう祭りは終わっていた。
 デトネラットを瓦礫に変えた二人の皇帝は去り、残っているのは連合の面々のみ。
 本社は焼け落ちてマスター達もそのほとんどが疲弊なり消耗なりしている。
 ボロボロじゃないかと失望の声をあげてもいいような状況で……
 しかし田中はそれとは別の意味で言葉を失っていた。
 そうせざるを得ないものがそこにいた。
「あ…」
 彼の背後には世界の終わりが広がっている。
 家やビルは瓦礫に変わり大地は死に絶えた。
 一体どれだけの人数が死んだのか想像もできない破壊の痕跡が果てを見通せないくらい遠くまで続いている。
 彼の背後に、まるで長く一本伸びた影のように続いている。
「ジジイの言ってた新入りか?」
「あ、ぁ。え、ぇと、は、はい……」
 自分より何歳も年下だろう青年なのに自然と敬語が出てしまう。
 彼が連合の先輩だからというのももちろんあったろう。
 だがそれ以上に田中は、その青年のことが…ひどく神々しく見えた。
「そうか。まぁ…見ての通り、ちょうど一仕事片付いたところだ」
 白を超克した純白の髪。
 ボロボロに壊れているのに一切弱さや脆さを感じさせない体。
 滅びを背にして佇む彼は田中の全ての鬱屈をすら打ち砕く異様な魅力を放っていて。
 同時に田中は理解した。
 これなんだ。
 俺が見たかったのは、きっと……
「ようこそ敵連合へ。歓迎の前に撤収だ、ついてこい」
 救世主(これ)なんだ。
 田中の足は小市民じみた後ずさりをすることもなく気付けば前に歩み出していた。
 こうして田中は――敵(ヴィラン)になった。

【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル跡地/二日目・未明】

【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)、右腕複雑骨折、覚醒
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:さぁ――行こうか。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:四皇を殺す。
[備考]
※個性の出力が大きく上昇しました。


967 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:26:34 p3G9Lmdw0

【アーチャー(ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:腰痛(中)
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:死柄木弔の"完成"を見届ける
0:――成ったね、死柄木弔。
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:連合員への周知を図り、課題『グラス・チルドレン殲滅作戦』を実行。各陣営で反対されなければWの陣営と同盟
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:田中一を連合に勧誘。松坂女史のバーサーカーと対面させてマスター鞍替えの興味を示すか確かめる
6:…もう一度彼(ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ)に連絡しておいた方がいいね、これは。
[備考]※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ〜…(クソデカ溜め息)」
※田中一からアサシン(吉良吉影)と仁科鳥子によるリンボ奇襲の作戦を聞きました。(詳細は田中が知らないので不明)。
アサシン(吉良吉影)の能力の一部も知りました(真名は田中が知らないので不明)。
※星野アイおよびそのライダーから、ガムテ&ビッグ・マムの情報および一日目・夕方までの動向を聞きました

【神戸しお@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:疲労(中)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:さとちゃんとの、永遠のハッピーシュガーライフを目指す。
1:ポチタくんありがとう!
2:アイさんとらいだーさん(殺島)とは仲良くしたい。でも呼び方がまぎらわしいかも。どうしようねえ。
3:とむらくんとえむさん(モリアーティ)についてはとりあえず信用。えむさんといっしょにいれば賢くなれそう。
4:最後に戦うのは。とむらくんたちがいいな。
5:“お兄ちゃん”が、この先も生き延びたら―――。
6:れーじゅなくなっちゃった。だれかからわけてもらえないかなぁ。

【ライダー(デンジ/■■■)@チェンソーマン】
[状態]:令呪の効果によってチェンソーマン化中
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(しおよりも多い)
[思考・状況]
基本方針:サーヴァントとしての仕事をする。聖杯が手に入ったら女と美味い食い物に囲まれて幸せになりたい。
0:…………。
1:あの女(さとうの叔母)やっぱり好かね〜〜〜! 顔も身体も良いんだけどなァ〜〜!!
2:死柄木とジジイ(モリアーティ)は現状信用していない。特に後者。とはいえ前者もいけ好かない。
3:星野アイめちゃくちゃ可愛いじゃん……でも怖い……(割とよくある)
[備考]
※令呪一画で命令することで霊基を変質させ、チェンソーマンに代わることが可能です。
※元のデンジに戻るタイミングはしおの一存ですが、一度の令呪で一時間程の変身が可能なようです。


968 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:27:10 p3G9Lmdw0

【本名不詳(さとうの叔母)@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康、ぱちぱち
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:いつもの通りに。ただ、愛を。――ああ、でも。
0:わぁ、みんな頑張ったわねぇ。
1:さとうちゃん達に会ったことは、内緒にしてあげなきゃね。
2:鬼舞辻くん怒ってるかしら?

【バーサーカー(鬼舞辻無惨)@鬼滅の刃】
[状態]:疲労(大)、体内にダメージ残留(大)、この世のあらゆる怒りや屈辱も霞む程の激しい焦り
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数億円(総資産)
[思考・状況]基本方針:界聖杯を用い、自身の悲願を果たす
0:速やかに表舞台を退いて水面下に潜る。
1:松坂さとう達を当面利用。
2:『M』もといアーチャー達との停戦に一旦は合意する。ただし用が済めば必ず殺す。
3:マスター(さとうの叔母)への極めて激しい嫌悪と怒り。早く替えを見つけたい。
4:神戸あさひはもう使えない。何をやっているんだ貴様はふざけるなよ私の都合も考えろ
6:童磨への激しい殺意
7:他の上弦(黒死牟、猗窩座)を見つけ次第同じように呼びつける。
8:叔母「鬼舞辻くん怒ってるかしら?」無惨「当たり前だ!!!!!!!」
※別れ際に松坂さとうの連絡先を入手しました。さとう達の今後の方針をどの程度聞いているかは任せます。
※ビッグ・マムが新宿区近くの鏡のあるポイントから送った覇王色の覇気を目の当たりにしました。
具体的に何処で行っていたかは後続の書き手にお任せします。
※今はマスター及び他の連合メンバーとは少し離れた場所にいますが、すぐ合流できます。

【星野アイ@推しの子】
[状態]:疲労(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:子どもたちが待っている家に帰る。
0:マジか。(弔の破壊した町並みを見ながら)
1:ガムテ君たちについては殺島の判断を信用。櫻木真乃についてはいったんMに任せる。
2:敵連合の一員として行動。ただし信用はしない。
3:あさひくん達は捨て置く。もう利用するには厄介なことになりすぎている。
[備考]※櫻木真乃、紙越空魚、M(ジェームズ・モリアーティ)と
の連絡先を交換しています。
※グラス・チルドレンの情報をM側に伝えました。


969 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:27:43 p3G9Lmdw0

【ライダー(殺島飛露鬼)@忍者と極道】
[状態]:疲労(小)、魔力消費(小)
[装備]:大型の回転式拳銃(二丁)&予備拳銃
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:アイを帰るべき家へと送迎(おく)るため、聖杯戦争に勝ち残る。
1:アイの方針に従う。
2:M達との協力関係を重視。だが油断はしない。厄(ヤバ)くなれば殺す。
3:ガムテたちとは絶対に組めない。アイツは玄人(プロ)だしそれに――啖呵も切っちまった。
4:アヴェンジャー(デッドプール)についてはアサシンに一任。
[備考]※アサシン(伏黒甚爾)から、彼がマスターの可能性があると踏んだ芸能関係者達の顔写真を受け取っています。
現在判明しているのは櫻木真乃のみですが、他にマスターが居るかどうかについては後続の書き手さんにお任せいたします。

【田中一@オッドタクシー】
[状態]:吉良親子への怒りと失望、吉良吉影への恐怖、地獄への渇望、忘我
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)、蘆屋道満の護符×4、吉良吉廣(写真のおやじ)
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命』。
0:あぁ…これだ。これだったんだ。
1:リンボの意向に従う。アサシンは切った。
2:敵は皆殺し。どんな手段も厭わない。
3:SNSは随時チェック。地道だけど、気の遠くなるような作業には慣れてる。
4:リンボに“鞍替え”して地獄界曼荼羅を実現させたい。ただ、具体的な方策は未だ無い。
5:峰津院大和のことは、保留。その危険度は理解した。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。


【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル跡地→移動中(行き先は次の話にお任せします)/二日目・未明】

【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:首筋に切り傷、体内にダメージ(小)
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
0:あの日の悔恨に"決着"を。
1:峰津院の霊地(東京タワーとスカイツリー地下)を強奪ないし破壊する。
2:組んでしまった物は仕方ない。だけど本当に話聞けよババア!!
3: 鬼ヶ島の顕現に向けて動く。
4:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
5:リップは面白い。優秀な戦力を得られて上機嫌。てめェ戻って来なかったらブチ殺すからな
6:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
7:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
8:峰津院大和は大物だ。性格さえ従順ならな……
9:ランサー(ベルゼバブ)テメェ覚えてろよ
[備考]
※鬼ヶ島の6割が崩壊しました。復興に時間が掛かるかもしれません


970 : 崩壊-rebirth-(後編) ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:28:16 p3G9Lmdw0

【ライダー(シャーロット・リンリン)@ONE PIECE】
[状態]:疲労(中)、右手小指切断
[装備]:ゼウス、プロメテウス@ONE PIECE
[道具]:なし
[所持金]:無し
[思考・状況]
基本方針:邪魔なマスターとサーヴァント共を片づけて、聖杯を獲る。
0:カイドウとこれからの計画を練る。
1:敵連合は必ず潰す。蜘蛛達との全面戦争。
2:ガキ共はビッグマムに楯突いた事を必ず後悔させる。
3:北条沙都子、プロデューサーは傘下として扱う。逃げようとすれば容赦はしない。
4:カイドウを見つけて海賊同盟を結成する。
5:ナポレオンの代わりを探さないとだねェ…面倒臭ェな!
[備考]
※ナポレオン@ONE PIECEは破壊されました。

【ガムテ(輝村照)@忍者と極道】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:地獄への回数券。
[道具]:携帯電話(283プロダクションおよび七草はづきの番号、アドレスを登録済み)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:皆殺し。
1:蜘蛛共を叩き潰す、峰津院の対策も 講じる。
2:283プロ陣営との全面戦争。
3:あのバンダイっ子(犯罪卿)は絶望させて殺す。
4:黄金時代(北条沙都子)に期待。いざという時のことも、ちゃんと考えてんだぜ? これでも。
5:あさひに妹(しお)のことを伝える。
[備考]
※ライダーがカナヅチであることを把握しました。
※ライダーの第三宝具を解禁しました。
※ライダーが使い魔として呼び出すシャーロット・ブリュレの『ミラミラの実の能力』については以下の制限がかけられています。界聖杯に依るものかは後続の書き手にお任せします。
NPCの鏡世界内の侵入不可
鏡世界の鏡を会場内の他の鏡へ繋げる際は正確な座標が必須。
投射能力による姿の擬態の時間制限。


【アルタ―エゴ・リンボ(蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:こうなるとは。よもや、よもや…
2:新宿区の地獄を眺めに行くか、リンクの切れた式神の調査を行うか…。(今のところ興味は後者に向いているようです)
3:式神は引き続き計画のために行動する。
4:…のつもりでしたが、やめました。祭りの気配がしますぞ、ンンン――。
5:式神にさせるつもりだった役目は本体が直接担うことに変更。何をするつもりかはおまかせします。
6:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
7:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
8:機会があればまたプロデューサーに会いたい。
9:七草にちかとそのサーヴァント(アシュレイ・ホライゾン)に興味。あの断絶は一体何が原因か?


[全体備考]
※デトネラット本社から北東へ直線数キロメートル範囲で"崩壊"が放たれました。


971 : ◆EjiuDHH6qo :2022/02/20(日) 23:29:30 p3G9Lmdw0
投下終了です。
チェンソーマンのステータスシートについては企画主様のご判断を仰ぎたいと思います。
私が製作して構わないようでしたら後程wikiの方に加筆させていただきます


972 : ◆HOMU.DM5Ns :2022/02/20(日) 23:51:02 3IiFpymw0
投下お疲れさまです
光月おでん&セイバー(継国縁壱)
幽谷霧子&セイバー(黒死牟)
北条沙都子&アルターエゴ(蘆屋道満)
予約します


973 : ◆M4mdhnLg8M :2022/02/22(火) 00:17:27 Clgdc2KI0
バーサーカー(無惨) 予約します


974 : ◆M4mdhnLg8M :2022/02/22(火) 01:10:08 Clgdc2KI0
投下します


975 : 逃げるは恥だが役に立つ ◆M4mdhnLg8M :2022/02/22(火) 01:13:41 Clgdc2KI0


終わりだ。もう何もかも全て、おしまいだ。



四皇だの、連合だの銀翼のランサーだの、最早全てが塵芥に等しい茶番でしかない。
この戦いは勝者の決した一方的な蹂躙でしかない。

四皇が二人、百獣のカイドウとビッグ・マムを退けたという偉業中の偉業。
ある世界の政府が耳にすれば、ヴィラン連合に億を超えるであろう賞金を指定するかもしれない大事を鬼舞辻無惨は冷ややかに受け止めていた。

「やはり、奴がいたのか」

継国縁壱。カイドウから語られた最悪の存在。
奴がいる限り、聖杯戦争にそれ以外の勝者はない。
あまりにも馬鹿げた、荒唐無稽のそれを彼は本気で信じ、そして恐れを抱く。
その最強の侍に打ち勝つ者共など居はしない。かつて、確かに一つの世界にして世界を牛耳りかけた二大海賊を敵にしても尚、その畏怖は衰えることはない。

「一刻も猶予はない。だが……」

無惨の持つ、たった一つの最高の一打はただ逃げて隠れ、そして潜むのみ。

しかし、されどそれは叶わぬことを無惨は理解している。させられている。
マスターたる松坂、奴が神戸しおに執着を見せ連合に好意的になっているからだ。今すぐ奴らに縁壱の脅威を説明し説き伏せたいとこだが、恐らく聞く耳を持たない。
何を考えてるか知らないが、Mはマスターにご執心かつ馬鹿みたいな野心を燃え滾らせている。歳を考えろ馬鹿めと吐き捨てる。
完全な逃げの一手など、あのマスターと若作りから却下される。そして学のない貧相なサーヴァントと幼女、その他諸々もその方針に賛同するに違いない。あの星野アイとかいう女はまだ違うかもしれないが。
当然、そこには松坂も入るだろう。綿のように軽く空っぽな脳味噌では何も分からないのだ。

「全員殺されるぞ。馬鹿共が」

松坂ではなく、松坂”さとう”ならば話は通じたのだろう。
神戸しおが居る。危険が迫っているので、二人で退避しろ。安全を保障する代わりに、無惨が聖杯を手にする。
早急とは言わないまでも、あの女に連絡を取り今後の手段を確立するのは悪くない。
しかし、厄介なのは神戸しおだ。あの幼女はやけに好戦的と言っていい。
何をどう狂ったのか知らないし、知りたくもないがMとそのマスターを好敵手視しているらしいのは見ていて分かった。
やはり、逃げなど選ばないだろう。

(叱られたことがないのだろうな……母親は何をしている?)

恐らくは、Mに大層煽てられたのだなと無惨は思う。いや界聖杯に導かれる以前に、違った道を正されたことが一度としてない。
普通は誰かしら叱るだろう。子供とはそうやって学び、成長するものだ。

だが、神戸しおは違う。睨めば相手が勝手に黙る。ただ見放されているとも知らずに。
それを成長と思い上がり、驕っていく。童子故の万能感が何時までも拭えず、善悪を超える己に酔っている。
愛だの狂気だの、都合の良い装飾で覆い隠し、周りはそれに忖度する阿呆共しかいない。
真の愛というならば、まずは法律、そして社会と世間という障害こそ、逃げずに乗り越えて見せるべきだろう。それすら出来ず、逃げ回っているだけの臆病者に過ぎない。
今は運が味方しているが、それがいつまで続くのやら。

珍しくもない話だ。無惨とて人間社会に長く潜んできた。その手のまともな大人がおらず、図体だけでかい子供などいくらでも見た。
しおはその図体が大きくなるまで生きているかも分からないが。

本当に愛を振りまくというのなら、あのさとうの叔母(おんな)は叱ってやるべきだろうに。
無惨からすれば見たくもなかった過去だが、垣間見えた過去の光景の中で、友人を殺し逃亡に助力を願い出た松坂さとうに当初は保護者(おとな)として現実と限界を突きつけてはいた。

(あの女は狂っているが、現実を知らない子供ではないはずだが……)

あるいはそこにも例外があり、神戸しおの……いや松坂さとうという肉親への想いが……そこまで考え打ち切る。どうでもいい話だ。


976 : 逃げるは恥だが役に立つ ◆M4mdhnLg8M :2022/02/22(火) 01:14:07 Clgdc2KI0

(この連合の連中よりは松坂さとうは話が通じそうだ。だが、神戸しおのM共への躾けられ方を見るに、戦う意思を変えないしおにさとうが引き摺られるのは間違いないだろう)

何ならMに同じように煽てられて、全員奴の傘下入りも考えられる。

(戦うなら勝手にしろ。この勝ちの決まった遊戯に何の意味もない)

理想は連中が潰しあう事だ。当然、縁壱の勝利は揺るがないがこちらに害する者共が屠られていくのなら好都合。
そして、最終的には無惨が勝利する。

一見して矛盾する思考を無惨は組み立てる。

縁壱には勝つことはできない。奴こそが真の化け物で、無惨は被害者だ。

それでも、最後には無惨が勝つ。
この界聖杯内で、唯一あの男に事実上勝利できるのは己一人だとも確信していた。

もしも、この戦いが参加者すべてに命を奪うことが可能な首輪を嵌められ、限られた範囲の中、更にそれが時間経過で削られていくようなバトルロワイアルであったのなら、無惨はそのようなこと考えもしない。
真っ先に首輪の解析を行い、迅速な脱出を目指すことだろう。

だが、この聖杯戦争(ぶたい)はそうではない。

時間の制限がないのだ。界聖杯はそれを一切明示していない。
であるのなら、それこそサーヴァントがいる限り、戦いが続く限り、聖杯戦争に終わりはない。それこそ1000年経とうが、終わらないのではないか?
サーヴァントは事実上の不老だろう。実際には様々な制約があるが、ある意味不死に近い。しかしマスターはどうか?
そう、マスターは、可能性の器であっても人間である以上は時間の流れという老いには勝てない。縁壱がそうであったように。

つまるところ己のマスターが老衰で死ねば、例え縁壱でも現界は不可能だ。それは聖杯戦争の脱落を意味する。
その後に残ったのが無惨とそのマスターであったのなら、この戦争の勝者は無惨なのだ。
この場の全てのマスターが死に絶えるまで戦いを遅延させ続ければ、聖杯を手にすることは決して難しい事ではない。

(可能な限り若い要石がいい。女のほうが長生きもする。やはり、条件を満たすのは神戸しおか……)

寿命という観点ではしおが最も有利に働くが、それは難しいのは身に染みている。
ライダーが何らかの要因で死に、契約できるのが無惨しかいないのであれば乗っては来るだろうが、そう都合のいい状況にはならないだろう。
なったところで、無惨の指示をすべて聞くとも思えない。

(あるいは、脳を意図的に破壊し植物状態とするか? いささか持ち運びが面倒だが、令呪という縛りを実質無視できるのは悪くない)

太陽の克服のためにあらゆる文献を網羅し知識を体得した無惨、それは再び現界した令和の現代でも例外はなく、医療知識も豊富に蓄えた。
機会さえあれば、しおを生かしたまま昏睡状態に陥れることも可能だろう。無論、M等の障害を取り除き、再契約もさせなければならないが。

(とはいえ、植物状態の人間は永くはない。……大半が半年ほどで、それ以外でも数年以内に死ぬ。数十年生きた例もなくはないが。ある程度の世話も必要になる。
 だがそれでも、いっそ神戸しおではなく、あのさとうの叔母(おんな)を黙らせるには十分か)

しおにこだわり過ぎることもない。それこそ100年単位で、戦いを引き延ばすことが一番だが、数年でも連中の精神を摩耗させるには十分だろう。


977 : 逃げるは恥だが役に立つ ◆M4mdhnLg8M :2022/02/22(火) 01:15:04 Clgdc2KI0

数年という時は、やはり人には長い。
マスターであるなら、何かの病が発症するかもしれない。事故で命を落とすかもしれない。そもそもが、戦いへの士気を保てず終わることのない聖杯戦争に自ら死という終止符を打つやもしれない。

仮にサーヴァントであろうと、戦う意思を維持し続けることは難しい。

百獣のカイドウだろうと、ビッグマムだろうと、犯罪界のナポレオンだろうと、そして最強の鬼狩り継国縁壱だろうと。

サーヴァントになり果てたとしても、その精神は人間であることに変わりはないのだから。

(千年の時を経て、私は人間に討たれたが、鬼狩り共は後に託す者たちがいた。だから、その意思は劣化せずこの首へと届いたのだ。
 界聖杯にはそれはない。可能性はたかだが20かそこら、後に託す可能性など皆無だ。故にその意思はいずれ劣化するだろう。人の老いと同じく)

例え戦いには劣ったとしても、一時的に策略に於いて遅れを取ろうとも、生物として己を上回る者などいない。
人間とは違う。最後に生き残れさえすれば、それこそが真の勝利だ。

何より、その意思は、信念は、何物にも屈せず折れることはない。

その精神性を予測することは、ジェームズ・モリアーティだろうが完全に推し量ることは不可能。
連合にとって、それは予期できぬ最大の地雷にして、時限爆弾なのかもしれない。


断固たる意志の中で無惨は連合の元へ向かった。



【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル跡地/二日目・未明】

【バーサーカー(鬼舞辻無惨)@鬼滅の刃】
[状態]:疲労(大)、体内にダメージ残留(大)、この世のあらゆる怒りや屈辱も霞む程の激しい焦り
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数億円(総資産)
[思考・状況]基本方針:界聖杯を用い、自身の悲願を果たす
0:速やかに表舞台を退いて水面下に潜る。
1:松坂さとう達を当面利用。
2:『M』もといアーチャー達との停戦に一旦は合意する。ただし用が済めば必ず殺す。
3:マスター(さとうの叔母)への極めて激しい嫌悪と怒り。早く替えを見つけたい。
4:神戸あさひはもう使えない。何をやっているんだ貴様はふざけるなよ私の都合も考えろ
6:童磨への激しい殺意
7:他の上弦(黒死牟、猗窩座)を見つけ次第同じように呼びつける。
8:神戸しおやさとうの叔母を植物状態にするのも検討する。マスターの脳を破壊するのは有用かもしれない。
9:可能であるなら、自軍以外の全マスターが老衰で死ぬまで隠れ続け、勝利が確定するまで聖杯戦争を遅延したい。(その際のマスターは性格を除けば、幼い神戸しおが理想)数年単位の遅延でも、他参加者の精神が衰弱するまで逃げたい。
10:とにかく、縁壱から逃げる(最優先)。
※別れ際に松坂さとうの連絡先を入手しました。さとう達の今後の方針をどの程度聞いているかは任せます。
※ビッグ・マムが新宿区近くの鏡のあるポイントから送った覇王色の覇気を目の当たりにしました。
具体的に何処で行っていたかは後続の書き手にお任せします。
※今はマスター及び他の連合メンバーとは少し離れた場所にいます。合流に向かってます。


978 : ◆M4mdhnLg8M :2022/02/22(火) 01:15:51 Clgdc2KI0
投下終了します。


979 : ◆0pIloi6gg. :2022/02/23(水) 13:08:37 4oguiuA60
>>Hello, world!四部作
とうとう開かれた(?)にち会談、身の上も時期もまるで違うそれぞれのにちかの色や良さが出てて最高でしたね。
そりゃこの子が二人集まったらまずは衝突から始まるよなと納得させつつ、そこからお互いのサーヴァントも絡めて発展させていくのがとても巧み。
アッシュとメロウリンクはそれぞれにちかという不安定なマスターを支えるいい緩衝材兼相談役になれてていいなあと思いました。
更ににちか達に限らず、摩美々の最後の独白パートもまた良くて、やっぱりシャニドルの持つ独特な雰囲気はいいなと感じた次第です。

>>支え合う心! あさひの覚悟と確かな繋がり/支え合う心! 真乃とひかるの小さな星
とうとう袂を分かつ運びになった二陣営の切なさと眩しさがそれぞれ出ているお話でした。
あさひは覚悟を決め、真乃は今まで抱いていた幻想と言ってもいい無垢な善性を穢されてしまった状況ですが、それでも各々もがきながらも前に進もうとしている意思を見せているのはとても美しいな……と感じて胸が熱くなりましたね。
どちらも進む先は艱難辛苦も甚だしい茨の道だと思いますが、この先もぜひ各々の輝きを見せていってほしいな……と思いました。

>>崩壊-rebirth-
海賊同盟VS敵連合というどう考えても盛り上がるけどメチャクチャ技量が要求されるの請け合いな引きを見事に捌き切っていて凄い!
弔の覚醒にしおちゃんによるチェンソーマン召喚、直接の活躍こそ少なくとも良さをしっかり見せてくる暴走族神やアイ……と、全てのキャラにしっかり見せ場が用意されており、しかもその全てが布石として機能しているところに氏の技量の高さをひしひし感じました。
この話の影のMVPは間違いなく無惨様ですね。カイドウを単独で足止めし続けてたの、なかなかできることじゃないよ。
チェンソーマンのステータスについては氏の方で用意していただいても構いませんが、もし此方で作ってもいいよということでしたら製作させていただこうと思います!

>>逃げるは恥だが役に立つ
そしてそんな影のMVPこと鬼舞辻無惨さん、とんでもない考えを思いついてしまう。
ほとんどの人間が聞けばお前何を言ってるんだ?(炭治郎)請け合いなのに、発言者が無惨だと途端にお前なら言うか……ってなるので面白いです。
前話でもそうでしたが縁壱の存在で無惨は完全に逃げと隠遁に移る思考になりましたね。もう上弦との合流とか心底どうでも良くなってそう。
力量だけなら間違いなく無惨より上だろうカイドウや太陽光を扱えるマムと出会っても尚一番は縁壱なの、好きですね〜〜。

皆さん投下ありがとうございました!
さて、スレの残量も少なくなって参りましたので新スレの方を用意させていただきました。
今後の投下はこちらによろしくお願いします。

ここだよ→ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12648/1645589065/l50


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