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魔界都市新宿 ―聖杯血譚― 第2幕
きっとこのヒトは、いつもこんなふうだったんだ。胸にあるのは自分の言い分だけ。
見るものも、自分の見たいものだけ求めるものも、自分のほしいものだけ。
傷つくのも、いつも自分だけ。思いどおりにならないものを捨て、気に染まないものを切り離し、そこにあっても見ないふりをして、
ひたすらに求めるものはただひとつ。自分が求めるにふさわしいものだけ。それでは何処にも居場所なんかつくれるわけがない。
誰の親切も届かなければ、誰に裏切られようと、その兆候を感じることだってできるはずがない。
そして、ようやくたどり着いた安息の地は、女神との盟約という、燦然と輝く空虚だ。
――宮部みゆき、ブレイブ・ストーリー
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「問おう。君が、私のマスターかね」
この世に、美しさを比喩する言葉は、枚挙に暇がない。
宝石に例える事もあれば、樹木に例える事も、動物に例える事も、ロマンチックに、星の光に例える事も、少なくない。
人類が考えて来た、美醜の表現技法、修辞法。それら全てをひっくり返した所で、この男の美は、表現も不可能であろう。
群青色の鍵に拠りて導かれて来たその男は、白いケープを纏っていた。
夜の闇の中にあって、白く輝く綺羅星の様にそのケープは輝いていたが、何よりも目を引くのが、ケープから露出された男の手と、その貌。
まともに向き合ってしまえば、己の醜さを自覚し、その場で燃え上がるのではないかと言う自意識に人を囚わせかねないその美貌。
同じ人間のそれである筈なのに、全く異質の、穢れのない『何か』で出来ているとしか思えないその皮膚。
この男は間違いなく、その姿形だけを見れば、人間のそれである事は、間違いはなかった。
ではこの男が、本当に人間なのかと問われれば、きっと多くの者は、違うだろうと答えるに相違にない。
同じ人間の枠組みに押し入れるには、余りにも、その男は美し過ぎた。余りにも――恐ろし過ぎた。
美と言う概念を濾過し、濾過し、また濾過する。その様な過程を一万回程繰り返して最後に残った、最後の一かけら。
それを丹念に集めに集め、人の形に構成させた存在こそが、この男なのではないか。そう、錯覚せずにはいられない。そんな男が、このサーヴァントであった。
「そのようだね」
心のない物質にすら。デジタルの世界に格納された情報にですら、影響を及ぼしそうなその美を受けて、彼のマスターは、平然とした態度を崩さない。
男の白いケープに対応するかのような、漆黒のスーツを身に纏った、黄金色の髪の男性。
何処のテーラーに仕立てて貰ったのか、誰が見ても一目で高級品と解るスーツと、とても和合する美しい顔立ち。
目の前に佇む、白い魔人がいなければ、この世界で最も美しかったのは、きっと彼であったと言われても、万民は納得する所であろう。
そんな男を見て、白いケープの魔人は、一瞬だけ眉を顰めさせた。その表情の変化を、黒いスーツの魔人は、逃さない。
「不満でも、あるのかね?」
「貴方は――」
其処で、一秒程ケープの男は言葉を区切った。
「此処に来る意味が、果たしてあったのか?」
「ほう」
面白そうに、口の端を吊り上げた。愉快でしょうがない、と言う感情が、これでもかと匂い立つ。
「この場に私が何の為に呼び出されたのか。私も理解している。そしてこの街が曲りなりにも<新宿>であると言うのならば、私も此処に来るのは必然だったのだろう」
そう、この男は何故、自分が<新宿>に呼び出されていたのか。全てを理解していた。
そしてこの街で何を成すべきなのか、そして、この街が何の為に在るのかも、だ。
マスターもそれなりに丁重に扱うつもりであった。自分の欲する所を、邪魔しない限りはだが。
だが――人間以外の存在に呼び出されるのは、さしもの彼も、予想外だったのだ。特に、今まで幾度となく名を聞いて来た、あの悪魔に呼び出された、等と言うのは。
「改めて、私は問おう」
呼吸を置いてから、魔人は訊ねた。
「何を成しに、此処に来た。■■■■■」
一層笑みを強めて、黒いスーツの■■■は、語り始めた。騙り始めた。
「私が欲する所を、ただ成さんが為に」
一切の嘘は許さぬ、と言った風に言った、白魔人の言葉に臆しもせず、黒魔人は言葉を返した。
それ以上の事は最早聞き出せぬと悟った白いケープの男は、最早、何も問わなかった。
「……嘗て、『神』が生み出した最高傑作である究極の人間(ホムンクルス)であるアダムは、最悪の発明であるイヴ(おんな)によりて、堕落させられた。蛇が良かれと思って、知恵の果実を齧らせたからだ」
バサッ、と、白いケープを翻しながら、魔人は黒いスーツの男に背を向ける。
「蛇よ。貴方が何を思い女を誘惑したのかは知らないが、私が思うに、貴方が当初に考えていた、イヴを誘惑して成そうとしていた事は、失敗に終わっているぞ」
「つまり、何が言いたいのかな?」
「『今度も失敗する』。神の怒りに触れ、今度こそ永遠に蛇の姿にされぬ事を、祈っておこう」
其処で、白いケープのキャスター、メフィストは霊体化を始めた。
霊体化してもなお、世界には美の名残が満ちていた。陰鬱なコンクリートは輝き、淀んだ裏路地の空気は清澄な山の空気の如くに澄み渡っている。
そして、明けき月の光は、青く光って澄んでいた。それを一身に受ける男は、誰に言うでもなく、口を開くのだ。
「アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではない」
口の両端を吊り上げて、男は笑った。美しくそして――禍々しい、魔王の狂喜。
「禁じられていたから、食べたのさ。メフィスト。老教授に禁忌を授けた悪魔と、同じ名を冠する魔人よ」
愉快なサーヴァントを引き当てられて、魔人は――ルイ・サイファーは、何処までも満足そうであった。
スーツのポケットで、青色の鍵は、拍動するかのように淡く光り輝いているのであった。
【ルール】
①:舞台はエリザベスによって、何らかの手段で再現された偽りの<新宿>です。が、電脳世界と言う訳ではなく、れっきとした本物の世界です。
我々が認識している東京都内の23区の1つである新宿区ではなく、当企画では『菊地秀行氏の魔界都市シリーズ』の設定を採用。
魔震(デビル・クエイク)と呼ばれる大地震のせいで壊滅、この地震の影響で区の周囲に生じた深い亀裂により外界と地理的に断絶されてしまった<新宿>を舞台とします。
既に幾度も述べております通り、当企画における<新宿>は原作のような、妖物や蔓延り銃火器が流通する<新宿>ではなく、<魔震>から完全に復興し、
2015年現在の<新宿>と何ら変わらない程に反映した街と致します。
②:世界観的には、<亀裂>の向こう側の、<新宿>以外の特別区は設定上存在するものとしますが、聖杯戦争の参加者は亀裂の向こう側へと足を運ぶ事は『出来ません』。
東京都特別区から<新宿>へと渡るには、或いは<新宿>から特別区へと移動するには、『早稲田』『西新宿』、『四ツ谷』にある、
『ゲート』と呼ばれる場所に建てられた長いトラス橋を渡る必要がありますが、その橋の上は『移動出来る物とします』。橋を渡った向こう側の土地へは、透明な壁に阻まれ移動は出来ません。
③:<新宿>にはもしかしたら、参加者が元居た世界とゆかりのある建物や施設が存在するかもしれません。が、あくまでも時代背景と日本の国家事情に適した物であるようお願いいたします。
④:令呪の喪失或いは全消費、後述する契約者の鍵の喪失で、マスターはマスターたる資格を失いません。マスターがその権利を失うのは、『サーヴァントを失った時のみ』とします
⑤:<新宿>のNPCには、マスター・サーヴァントを含んだ作品のキャラクターがいるかもしれませんが、彼らは皆その世界で振るえた筈の力を封印されています。
またそう言ったネームドNPCだけでなく、所謂モブと言われるNPCであろうとも、殺生をし過ぎればルーラーによる討伐令或いは粛清を免れません。
⑥:契約者の鍵はその中の魔力を使用する事で『令呪としての機能の代用になる』だけでなく、『ルーラーからの伝達を受けとったり、
サーヴァントの情報を知る為のアイテム』です。但し令呪としての機能を扱えるのは、『当該契約者の鍵が最初に呼び寄せたサーヴァントだけ』であり、
その他のサーヴァントには転用不可です。なお、この令呪機能を用いた場合、当該参加者は『今後一切ルーラーからの伝達を受けとれません』。
また鍵を壊されれば伝達は受け取れなくなりますし、鍵を奪われれば相手にサーヴァントの真名のみならず、スキル構成や宝具すらも相手に知られてしまいます。
【此処からは本編に向けてのルール】
①:念話は原則『全ての主従が行える』物とします。但し、『主従共に魔術に疎い場合は、自分から10m程離れた範囲でしか念話は出来ません』。
主従のどちらかが魔術やそう言った知識に長けている、或いはこれらを補助するスキルを持っていた場合、念話範囲が上がります。
念話可能範囲を超えての念話は、ノイズや声の掠れが発生するものとします。
②:サーヴァントが自分以外のサーヴァントを知覚出来る範囲は、原作の設定から縮小させて、『自身を中心とした直径50mの円内』とさせていただきます。
但し、サーヴァントが知覚に関わるスキルや宝具を持っている、或いはそう言った魔術に長けている場合、知覚可能範囲は上がります。
③:本選の開始日時は、『7月15日金曜日深夜0:00』からスタートです。参加者はこの情報を、契約者の鍵が投影したホログラム経由で知る事が可能です。
④:通達はその日の深夜0:00に行う物とします。但し、ルーラー及びエリザベスに特殊な事情があった場合には、その時間以外に緊急通達があるかもしれません。
【時刻の区分】
深夜(0〜5)
早朝(5〜8)
午前(8〜12)
午後(12〜17)
夕方(17〜19)
夜(19〜24)
【状態票のテンプレート】
【地区名/○日目 凡その時間帯】
例:【高田馬場・百人町方面(BIG BOX高田馬場内)/1日目 午前11時】
※地区名に於いて、現実の世界でも有名な建造物や施設の中であったり、現実の新宿区にはない、参加者と縁のある所にいる場合は、()内にその名前を入れて頂けると嬉しい限りです
【名前@出典】
[状態]
[令呪]残り◯画
[契約者の鍵]有か無と記入。破壊されたり喪失した場合は無を選び、奪った側は誰から奪ったのかを明記してください。
[装備]
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:
1.
2.
[備考]
【予約期間】
1週間+延長3日間。最大で10日まで猶予があるものとします
【WIKI】
『ttp://www8.atwiki.jp/city_blues/』
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乙です!各組の金銭・食事風景から成るボーナストラック的な日常のお話、大変に楽しかったです
招かれたメフィストと彼のマスターを描いた挿話もすごく好きな雰囲気
書き手の皆様、これからも頑張ってください
やっぱり
iroha.xyz/edzg
新規スレ立て&番外編の投下乙です
埋めネタとは思えないほどの質と量、各主従の特徴が表れた日常風景はまさに嵐の前の静けさといった風情で素晴らしい
また、そんな埋めネタではコメディチックに描かれていたルイ&メフィストも、やはり魔人とその主。冒頭のSSにおいてはそれに見合った風格を漂わせていてとても格好いい
前スレに引き続き、企画の更なる進行と成功を期待し、応援します。
荒垣真次郎、アサシン(イル)を予約します
新スレ立て&番外編投下お疲れ様です
まさかの番外編!
こういう日常にもそれぞれの主従にらしさがあっていいなあ
不律で予約します
予約分を投下します
未知との遭遇というフレーズを聞いて余人が思い浮かべる物と言えば、それはなんであろうか。
例えばUFOに代表される未確認物体であったり、あるいはタイムスリップのような異常空間遭遇であることも考えられるだろう。人によってはそれこそ御伽噺めいた代物を想起するかもしれない。
例示されるものは枚挙に暇がないが、それらは総じて未知の言葉が示す通り、普段通りの日常を過ごす分にはまずお目にかかれない非日常の産物となるのが通例である。
そして実際に「そういうもの」と遭遇した場合、その瞬間に人は一体何を感じるのか。
驚き、戸惑い、恐怖といった感情。もしくは生命に関わる危険であるとか、豪気な者であるなら関心や興奮を覚えるだろうか。
それこそ十人十色の反応を見せるだろうが、そういった「怪異」と遭遇した者の多くに共通する証言のいくつかに、こういったものがある。
曰く、「一切の音が聞こえなかった。無音だった」というものがそれだ。
それは突如の事態に脳内処理が追いつかず、五感が麻痺していたのだ……と、そういうこともあるだろうが、しかしこうも考えられる。
つまり、目撃者の聴覚が麻痺していたのではなく、"普通"でないモノの近くには雑音というものが存在しないのだと。
無音領域、無音円錐域、コーンオブサイレンス。"異界"はあらゆる音を排除する。周囲の雑音は一切消え失せ、そこには当事者と、当事者に対峙する異物だけが存在するのだ。
ならば、この時間、この場所において。
眼前に聳え立つ無人の大邸宅を覆う無音の領域もまた、この現実離れした豪奢な邸宅がある種の"異界"であることを証明しているのかもしれなかった。
「はい、お邪魔しますよっと」
そんな、静謐という言葉をこれ以上もなく体現する、しんと静まり返った邸宅敷地内に、明らかに場違いな声が響いた。
声の主は青年だった。黒よりも深い夜色の廊下に、対照的に白く映える頭髪と服装。小さく呟かれた声はそのままに、しかしそれ以外のあらゆる動作音を立てないまま、青年は突如としてこの場所に現出したのだ。
何故、あるいはどうやって、という疑問は青年には通じはしない。この異界めいた邸宅と同様、彼もまた通常とは異なる存在であるのだから。
「そんじゃ、捜索開始といきますか」
言うが早いか、青年は素早く、しかし音と無駄を一切排した動きで歩みを進める。
手近な部屋のノブに手をかけ、躊躇することなく中に押し入った。そしてそのまま、何かを探すように行動を開始する。
棚を漁り、引き出しを開け、あるいは物と物の間の隙間を見て周る。天井裏や床だって見逃さない。
都合五分ほどあくせく動き回った彼はふと動きを止め、ふぅと一息つく
表情は優れず、首に手を当て、一言。
「……外れやな、こりゃ」
部屋の中を一通り見まわって舌打ちひとつ。青年は無造作に部屋を出て、次の部屋へと入り再度作業を続行した。
単純作業を繰り返す肉体と同様に、体内のI-ブレイン絶え間なく情報収集を続けている。脳内に展開される空間座標図には、周囲数十mに動く人間が存在しないことをはっきりと表示されていた。
見ようによっては新手の空き巣とも解釈できる行動を取る青年の名前はイリュージョンNo.17。この新宿においてはアサシンのクラスで召喚されたサーヴァントである。
勿論のこと、彼は本来盗みといった露骨で自分本位な犯罪行為に走る者ではない。ならば、彼は一体何をしているのか。
それは、他ならぬこの場所自体に理由がある。
神楽坂の一等地に居を構える西洋式の屋敷、あの有名な遠坂凛がかつて住んでいたのが、現状彼が忍び込んでいる邸宅だ。
真昼間の大通りでまさかの大量虐殺を行い、一般の警察機構に指名手配され、今や全国どころか全世界で時の人となっている、聖杯戦争においてはバーサーカーのマスターである、あの遠坂凛の元住所だ。
今も少なからぬ武装した警察官が24時間体制で警戒し、捜査を続けている場所である。彼らの目を潜り抜け、遠坂邸そのものに配備されている魔力感知の魔術さえも容易くすり抜け、彼は今この場にいた。
(けどまあ、どっかに必ずあるはずなんやけどな)
二つ目の部屋も収穫なしのまま退出し、ぽりぽりと頭を掻きながらイルは一人ごちる。
今彼がやっているのは、言うまでもなく手がかりの捜索だ。右も左も分からぬ新宿において、どれほど僅かでも情報は重要な存在である。
だからこそ、渦中の人物である遠坂凛の住んでいたこの場所まで遠路はるばるやってきたのだが……今の所、特にめぼしいものは見つかっていない。
生前のイルは時折諜報のような任務も請け負ったことはあるが、大抵は軍のバックアップがついて、専門の機材による情報収集を主としていたため、自分一人による捜索は想定よりもずっと難しいものとなっていた。
元より頭脳労働は専門外だし、そもそも既に警察の手によりガサが入れられている以上は目立つ証拠品など残されているはずもなし。そんな状況で成果を期待するほど、彼も楽観的な人物ではない。
しかし、あるはずなのだ。仮に遠坂凛が"そういった人種"なら、確実に存在するものが。
三つ、四つと次々に捜索を続け、最初に屋敷に押し入ってから数十分が経とうかという頃。漆黒の帳に沈んだ長い廊下を歩いている最中、彼のI-ブレインにとある反応が感知された。
情報制御を感知、という短い文言が脳内に走り、それを認識したイルは、口の端を知らず吊り上げた。
「……おし、おれの勘が当たったな」
そして反応のあった場所に、気持ち早足で近づく。辿りついた一見するとただの壁で、そこには何もないように見える。
しかしそれは間違いだ。実際にはドアが存在し、それを魔術によって視覚的に誤魔化しているに過ぎない。I-ブレインには極めて物質密度の低い空間が広がっていることが如実に表示されている。
一般の警官は騙せても、サーヴァントを騙すことはできない。イルはそのまま、ドアに手をかけようとして―――
「っと、そうやな」
(固有値捕捉。波動関数展開。『シュレーディンガーの猫は箱の中』)
寸前、イルは脳内に撃鉄を叩き込み、己が宝具を発動させる。そして改めて右手を伸ばした。
次の瞬間、その手はドアに触れることなく、まるで霧の中に手を突っ込むかのように「するり」と向こう側にめり込んだ。
最初は手首が、そして肘、肩と続き、遂には体が丸ごと向こうに消えていく。
最早ドアが持つ物質的な隔たりは一切意味を為さず、それはドアに仕込まれた魔術―――恐らくは感知式の防御魔術か―――すら発動の予兆を見せないほどだった。
そして、イルは部屋へ一歩足を踏み入れる。これまでの無機質なまでに整理された空気から一転、そこには乱雑に置かれた物品が所狭しと並び、この部屋の主が持っていた強い目的意識が感じられるようだった。
大量の書物がばら撒かれた机を横目に、イルは壁の書棚へと足を向ける。
そこに置かれた冊子を取り出し、開く。
「……とりあえずビンゴ、ってとこか」
イルは呟き、手の中の紙片をポケットに突っ込んだ。
▼ ▼ ▼
神楽坂は表通りから少し外れた箇所、そこに荒垣の姿はあった。夏場の東京で着るにはあまりにも不自然な厚手のコートを羽織り、目つきが悪いを通り越して凶眼とさえ形容できそうな視線を中空の一点に向けている。いかにもこれから戦場にでも行きますと言わんばかりの圧を放つ彼は、しかし何をするでもなくコンクリ壁に背を預けていた。
周囲に人の気配はなかった。元々神楽坂は、一本路地を入れば、人通りの多い表通りとは違い閑静な雰囲気を保つ静かな場所だ。もっとも、そういう事情や現在時刻が午前2時過ぎであるという事実を差し引いても、無差別大量殺人が話題になっている今、好き好んで夜中に出歩くような人間は皆無と言っていいだろう。
ならばそんな状況において荒垣は何をしているのかと言えば、なんのことはない、ただ待っているのだ。偵察という名のガサ入れに赴いた己がサーヴァントの連絡と帰りを待っている。
効率や戦略を語るならば、マスターである荒垣がわざわざ現場近くまで来る必要はないのだが、しかしこの青年にそんな理屈は通じない。そもそも彼らが行おうとしている"聖杯を破壊する"という生産性の欠片もない反逆行為は、元々荒垣が主導して行おうとしているのだから。そんな精神的な気負いを除いても、荒垣真次郎は安穏とした場所で待機するようなまどろっこしい真似を是とする人間ではない。
仮にアサシンが潜入した遠坂邸で戦闘が起こったならば、自分も即座に参戦する気概でいる。常道云々など関係ない、自分がそうと決めたのだからどこまでも突き進むだけなのだと、既に彼は心に決めていた。
「……遅ぇな」
とはいえ、彼は見境なく暴れまわるような馬鹿ではない。
故に今はその時ではないと、大人しくこうして機を待っているのだが、どうにもアサシンからの連絡が遅いように感じる。
二人が別行動を取ってから既に1時間。荒垣は今まで潜入行為に関わったことがないため推定などできはしないが、何かしらの進展があってもいいのではないかと、そう思う。
先に言った通り、荒垣はまどろっこしい行為は好いていない。有体に言ってあまり気の長いほうではないため、手持無沙汰な状況はどうにも落ち着かないのだ。
何某かの魔力感知に引っ掛かるかもしれないから控えるようにと言われた念話でもしてみるか、などと考え始めた、その矢先。
ふと、視界の向こうに黒い影が垣間見えた。
見れば、それは年若い、けれど妙に老けて見える女であった。
マタニティドレスのような余裕のある服を着て、それ以外には特に飾り気のない女だ。痩せた体は不健康さをひしひしと感じさせ、こけた頬は街灯の白い光を反射して死人のような青白さをこれでもかと浮き出させている。
窪んだ眼窩からはこれだけは異様なまでに生気の溢れた眼球がぎょろりと存在を示し、ふらふらとした足取りと合わせて、まるで幽鬼のようだというのが女への第一印象であった。
だが、荒垣は女のそんな異様な風体にも、不気味な雰囲気にも、一切目をくれない。
荒垣が目を向けるのは、女の口と胸元。
そこには、明らかに真新しいと分かる、大量の血反吐がへばり付いていた。
「……おい、あんた。俺が言えることでもねぇが、夜中の一人歩きは感心しねぇな。
早いとこ家に帰ったほうがいい」
分かりきった茶番のようなことを言いながら、左手を懐に忍ばせた召喚器に伸ばす。
既にこちらの準備はできていた。
声をかけられた女は、ぴくりと痙攣するように反応し、緩慢な動作で振り返った。
焦点の合わない目でこちらを見る女は、やはりふらふらとした足取りで荒垣へと近づいてくる。
徐々に鮮明に見えてくるその顔は、何かを失い慟哭しているような、そんな風にも見えた。
「ミンチ殺人……週刊誌で読みましたわ。
ふふ……犯人はきっと正気の者ではないのでしょうね」
外見から来る印象とは裏腹に、女の言葉は流暢なものだった。言葉尻からは確固たる知性が感じられる、そんな語り口調であった。
「人が死ぬ悲しみは痛いほどに分かります……私にも赤ちゃんがいてね、もうじきあなたくらいの歳になるのよ。
生きていれば、だけどね」
「……死んだのか」
会話を続けながらも、荒垣の警戒心は一切緩みを見せない。
背は既に背後の壁から離れ、足は適切な間合いを定めて地を踏みしめている。
「ええ。でも、もう悲しくはないの。分かったから。もうすぐ戻ってくるって」
そこで、女の言葉が微かに変質したのを荒垣は感じた。
いや、声だけではない。見れば女の体の震えは勢いを増して、最早痙攣の域に達していた。
「きょ、今日こそは、今日こそは間違いない!
あなた、あなたよ赤ちゃん。私の、私の赤ちゃん。
さあ、戻っておいでぇ」
「……」
……万が一の可能性を考えて話に付き合ったが、結果は無情にも予想通りだったらしいと、荒垣はそう考える。
最早疑う余地などなかった。この女は、狂っている。
そして、異常なのはその思考のみでは決してない。
何故ならば―――この女から発せられる、ある種慣れ親しんだ気配の正体は……!
「もう一度……私の、お腹にぃ!」
「ペルソナァ!」
瞬間―――人の身の丈ほどに巨大化した女の口に、黒く巨大な鉄槌がカウンターで打ち込まれた。
先ほどまで女だった何かは、潰れた蛙のような絶叫を上げながら後方10m近くまで弾き飛ばされ、金属の軋む音と共に街灯をへし折り、そこでようやく地面に落下した。
「てめえがどこのどいつで、どんな事情があるかは知らねえ。だが、襲ってきたってんなら容赦はしねえ」
銃を手にした荒垣の頭上には、半透明の、霊的あるいは精神的な一つの"像"が出現していた。
たなびく金の長髪、髑髏の如き無機質な白き仮面、全身を覆う黒の意匠、黒馬を模した異形の騎乗物。機械めいた性質をも併せ持ったそれは、荒垣の心象具現。
ペルソナ、名をカストール。古代ギリシアの大英雄にして勇壮なるディオスクーロイの片割れを模したヴィジョンだ。
今の荒垣の全身からは、青色の魔力が荒れ狂う暴威となって逆巻き溢れ出ている。
人を喰らう超常を、更なる超常を以て撃滅せんが為に、かつて忌避した"力"をここに顕現させたのだ。
「うぅ……が、ァ、アガアアァァッ!!」
倒れ伏した異形から、歪んだ狂声が迸る。想定外の攻撃に身悶えていたそれは、しかし苦痛とは別種の蠢動を更に加速させた。
次の瞬間、かつて背中であったろう場所を巨大な脚が幾本も突き破って出現した。硬質の物がひしゃげ、粘性の液体が飛び散る音を振りまきながら、辛うじて人型を保っていた肉体が急速な変質を遂げた。
「……そうか。それがてめえの正体なんだな」
呟く荒垣の眼前に"それ"はあった。
体高およそ3m、人の胴体ほどの脚を何本も持ち、後ろには丸々と肥えた腹部。全体的に蜘蛛を象った異形なれど、頭部から角が二本生えており、面はまるで鬼の如し。
鬼族・ギュウキ―――近畿、四国に伝承が残る半牛半鬼の妖物にして、蜘蛛の胴体を持ち人を喰らう悪鬼とされている。
荒垣はそんな伝承の類は知らなかった。けれど、眼前のこいつが人類と相容れない正真正銘の怪物であることは、嫌でも理解することができた。
「ォォォオオオオオオオオオッ!!」
人間では発声不可能な音域の咆哮と共に、ギュウキが瞬時に距離を詰めて襲い掛かる。
10mはあった相対距離は一瞬にして0となり、鉄骨の太さと日本刀の鋭さを持った脚が荒垣を串刺しにせんと唸りを上げる。
常人であるなら反応不可能な神速の動き。荒垣は、しかしその動きを一から十まで把握し、そして上体を逸らすことで回避した。
狙いの逸れたギュウキの脚が、背後のコンクリ壁を段ボールを破るかのような気軽さで粉々に破壊した。
喰らえば即死。そんな攻撃に、しかし荒垣は一切動じていない。捻った上体を戻し、つま先で軽くバックステップを取る。
ステップにより浮いた一瞬、それを狙ったのか否か、ギュウキによる薙ぎ払いが荒垣を襲った。中空に留まる彼に回避の術はなく、払われるままに建物の上部へと弾き飛ばされた。
しかし荒垣はギュウキの脚に合わせ蹴り上げることで衝撃を緩和、空中にて身を捻ると、何の危うげもなく屋根に着地した。
接地した荒垣が即座に後方へ跳躍すると同時、一瞬前まで彼がいた屋根部分が下から盛り上がるように破砕される。同じように飛び跳ねたギュウキが、文字通り食い破ってきたのだ。
幾本もの脚を器用に用いて屋根上に上がるギュウキを前に、荒垣は冷静な目で事態を見つめていた。
獲物の健在に苛立ち吼えるギュウキ姿からは、人であった残滓など僅かも感じられない。
野獣など比にならない唸りをあげる凶面は恐ろしく、けれどそれ以上に哀れで―――
しかし、荒垣は微塵の躊躇もなく引き金を引き絞った。
ガラスが砕けるような音と共に、カストールの鉄槌がギュウキを真上から叩き潰す。肉を潰す湿った音が響き渡り、着弾点の胴体が瞬時に下へとめり込む。ギュウキの体は階下へ落とされ、その姿は見えなくなった。
……戦闘の喧騒は、呆気なく終わりを告げた。最後の攻撃によって開いた穴に近寄り見下ろせば、元型の無くなった胴体に上を向いた数本の脚がくっついた前衛的な肉塊が、建物内部にへばり付いていた。
「……ったく、面倒かけやがって」
その言葉に、勝利の喜びも、額面通りの侮蔑もなかった。荒垣は女であった成れの果てから視線を外し、音もなく地面に降りる。
やはり聖杯戦争なんざ欠片も好きになれねぇ、と。彼の心中はそんなものであった。
▼ ▼ ▼
事が終わって数分、荒垣は既に戦闘のあった場所を後にし、今は別の道を歩いていた。理由は無論、凄惨な屠殺現場を目撃されて厄介に巻き込まれないようにするためである。
不意の襲撃であったため手加減ができなかったがために、後先を考えず全力で攻撃したのが仇となったのか、かの戦場跡は今や発破工事さながらの廃墟と化し、大量の血と肉片と臓物が溢れかえる地獄のような様相を呈していた。
それをNPCに見られたらどうなるかなど、よほどの馬鹿でもない限り理解できるというものだ。故の移動である。
わざわざ事態を厄介事に昇華させる趣味は荒垣にはない。そして、ぶち撒けた後始末をするつもりも、また。
「お待ちどうさん、しっかり物証掴んで……って、なんやその返り血。物騒やなぁ」
とはいえ、服にべったり付着した血は如何ともし難いようだ。
パスを辿って帰還したイルが、明らかに血生臭い荒垣を前に呆れたような口調で言う。確かに物騒だったことは否定できないが、それをサーヴァントに言われるのは腑に落ちないと、荒垣は心の隅でそう思った。
「人間に擬態したバケモンが襲ってきた、だから返り討ちにしただけの話だ。誰の仕業かは知らねぇがな。
……んなどーでもいい与太話はともかく、なんかいい情報は見つけられたのか?」
「いや、どうでも良くはないやろそれ。人を変異させるっちゅーと、多分キャスターかそこらの仕業やと思うが……
……まあこっちの話からにするとな、仕事はバッチリこなしてきたで。おれに抜かりはないってな」
ポケットから取り出した紙片をひらひらと振るイルに、荒垣はただ「そうか」とだけ返す。
明らかな無愛想にも特に動じることもなく、イルは話を続けた。
「で、結論から言うと、遠坂凛は黒でもあり白でもある、ってとこやな」
「……おい、ちょっと待て。言ってることが矛盾してるって自分で気付いてんのか」
「まあまあ、人の話は最後まで聞くもんやで」
ほれ、と軽い調子で渡されたメモを見遣る。それを傍目に、イルの言葉が続いた。
「まあ掻い摘んで言うと、遠坂凛は魔術師で間違いない。屋敷にはセンサーの役割を果たす魔術がかかってたし、魔術で隠蔽された部屋もあった。
そんで、このメモ見る限り聖杯戦争にもそれなりに意欲的だったみたいやな」
「なるほどな、それが"黒"ってやつか」
「そゆこと」
走り書きに書かれた内容を、荒垣もまた理解した。魔術が云々、聖杯を狙う、セイバーかランサーが欲しい等々、自分のような巻き込まれではありえない記述が散見される。
「そんで"白"ってのは、多分やけど遠坂凛は望んであの惨事を起こしたわけやないってことやな。
さっき意欲的だった言うたけど、"意欲的"言う程度には綿密に計画やら作戦やらを練ってたことは明らかや。そないな奴があんな無計画に無差別殺人起こすか?
それにな、これは前にも教えたことやけど、あの瞬間の遠坂凛の顔、ありゃ完全に予想外って面やったで」
イルが言うのは、ニュース報道における遠坂凛の映像のことだ。
今や特番にもなっている遠坂凛関連のニュースにおいて、嫌というほど流されたのが殺人現場における二人の映像だ。
それは周辺の監視カメラによる不鮮明で荒いものであり、礼服のバーサーカーが殺人を犯したことは分かれど、両者の表情などといった細かい部分は一切確認できない代物だった。
その不鮮明な映像を、しかしイルはI-ブレインによって修正・補正し、鮮明な代物へと作り変えて荒垣に提示していた。
それを見て荒垣は思う。確かに、あの画像に映っていた遠坂凛の表情は明らかな驚愕に染まっていた。とてもじゃないが、狙ってあの惨事を引き起こしたようには見えなかった。
「だが、それだけで白ってのは言い過ぎじゃねぇのか。大量殺人をやる気がなかったってだけで、別に野郎が善人だとか決まったわけじゃねぇ。むしろ、聖杯戦争に乗り気な魔術師って時点で俺としちゃ黒そのものだ」
「ま、おれかてこいつが善い奴とか言うつもりはあらへん。ここで言う白ってのは、あくまでキチガイやないって程度の意味や。
それに、仮に遠坂凛が善人でも、従えてるバーサーカーは何がなんでも排除せなあかん。わかっとるやろうけど、これは絶対や」
どちらにせよ、遠坂凛とかち合ったならば戦闘は不可避であると、二人は互いに承知し合っていた。
もしもの話、遠坂凛が善人あるいはそれに準ずる良識を持っていて尚あのような惨事を巻き起こしたというならば、つまりはそれだけ礼服のバーサーカーが凶悪な存在であることの証左になる。
遠坂凛が外道であろうと、そうでなかろうと、出会ったならば排除すべく戦わなくてはならないのだ。
「ああ。そもそも俺に言わせりゃ、自分で制御できねえ力なんざ持ってるだけで罪みてぇなもんだ。
それで誰かを傷つけたってんなら尚更な。だから、俺は容赦しねえ」
語る荒垣が思うのは、先ほど自分に襲い掛かってきた女だった。
奴も、自分では御することのできない力を持っていた。いや、無理やり持たされたと言ったほうが正しいのだろうか。
ともかく、自らの分を超える力など、どう足掻いたところで毒にしかならないのは明白なのだ。遠坂凛然り、怪物の女然り、かつての自分然り。
それを身を以て知っているからこそ、荒垣は躊躇しない。力には力で、理不尽には理不尽で対抗するのだと決めている。
「遠坂凛も、セリュー・ユビキタスって奴も、他人を化け物にする糞野郎も纏めて相手にしてやるさ。
……まあ、遠坂凛は事情如何によっちゃ、病院送りくらいで済ませてやってもいいがな」
あくまでも平静した呟きではあったが、そこに隠し切れない怒りの念と、どこか憐憫を感じさせる響きが含まれていることに、イルは気付いた。
この荒垣という男は、本人は無頼漢ぶっているが、実のところかなり人情味のある人間なのだ。そのことを、短い付き合いながらもイルはよく知っている。
「OK、お前のやりたいことはおれかて重々わかっとる。馬鹿は馬鹿なりに突っ走って、やらかしてる連中共々裏でふんぞり返っとる奴らをブッ飛ばしてやろうやないか」
だからこそ、イルは荒垣の方針を笑顔で以て迎え入れる。
軽口を叩きつつ、その先に待っているであろう苦難を見つめて、それでも尚馬鹿らしく突き進もうと決意して。
二人はただ、自らの感情に従い聖杯の破壊を目指すのだった。
【早稲田・神楽坂方面(神楽坂一等地、元遠坂邸の近く)/一日目 午前2時】
【荒垣真次郎@ペルソナ3】
[状態]魔力消費(小)、疲労(小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]召喚器
[道具]遠坂凛が遺した走り書き数枚
[所持金]孤児なので少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を企む連中を叩きのめす。自分の命は度外視。
1.ひとまずは情報を集めたい
2.遠坂凛、セリュー・ユビキタスを見つけたらぶちのめす。ただし凛の境遇には何か思うところもある。
3.襲ってくる連中には容赦しない。
4.人を怪物に変異させる何者かに強い嫌悪。見つけたらぶちのめす。
[備考]
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ギュウキ)と交戦しました。
・遠坂邸近くの路地の一角及び飲食店一軒が破壊され、ギュウキの死骸が残されています。
【アサシン(イリュージョンNo.17)@ウィザーズ・ブレイン】
[状態]魔力消費(小)、霊体化
[装備]
[道具]
[所持金]素寒貧
[思考・状況]
基本行動方針:荒垣の道中に付き合う。
1.敵意ある相手との戦闘を引き受ける。
[備考]
・遠坂邸の隠し部屋から走り書きを数枚拝借してきました。その他にも何か見てきてる可能性があります。詳細は後続の書き手に任せます。
投下を終了します
皆様投下乙です、感想は後ほど
ソニックブーム&セイバー(橘清音)
セリュー・ユビキタス&バーサーカー(バッター)
予約いたします
感想はこちらも後程
ウェス・ブルーマリン&セイバー(シャドームーン)
ルイ・サイファー&キャスター(メフィスト)
番場真昼/真夜&バーサーカー(シャドウラビリス)
を予約いたします
投下します
回診。
病院に勤める医師ならば必ず従事することになる仕事であり、自身の担当する患者に異常が出ていないか診療状況の把握と確認を行う医師の日常業務だ。
漫画やドラマなどの創作物ではよく医療業界の権威が多数の部下を引き連れて大名行列の相様を呈している描写が成されるが、
患者の様態をこまめにチェックすることは大変重要である。
ましてや院長であるメフィストの宝具と<新宿>という土地に顕現したメフィスト病院に勤務する面々ならば、誰もがその重要性を認識していた。
元々の魔界都市<新宿>であれば患者から少しの間目を離した隙に患者が死んでしまうことなどがままあるのだから。
尤も、暴れていた患者を押さえつけようとした看護夫がつい殺してしまったケースもあるのだが。
無論、メフィスト病院の医療スタッフは優秀だ。株式会社に例えるならば『社内教育が行き届いている』といえばいいのだろうか?
思わず患者を殺してしまうことなど半殺しにこそすれあってはならないことだ。
「うむ…身体には異常はない」
回診のために病室を訪れていた不律はカルテを見ながらベッドの上で眠る患者を見つつ嘆息する。
傍らに不律のサーヴァントのファウストはいない。院長と一対一で医者として語り合いたいと願い出てきたので、それを許可して行かせた形だ。
不律も、ファウストが抱いている想いは重々承知している。十中八九今後の行動に支障が出るような願い出でもない限り、それは認めてやるつもりだ。
メフィスト病院の中でも優秀な医療スタッフとして認知されている不律だが、己のサーヴァントの方が医術も患者と向き合う器量も上だと不律は評価している。
容姿は些か人間からかけ離れているが、そのくせ心の方は誰よりも真人間に近く、不律から見るとまばゆいほどの良心の持ち主だ。
願いのために動いているとはいえ、できるだけその望みを聞いてやりたいというのは不律の本心だ。
さて、不律がなぜ目の前の患者に異常はないのに嘆息したかというと、『身体には』異常がない――つまり、それ以外に問題があったのだ。
「あ、あのー…せんせー、ゆえはー……」
前髪で目を隠した少女が怯えを半分に混ぜた哀願の視線を不律と隣の看護婦へ交互に送る。
ベッドの上で目を瞑って植物のように動かない小柄な少女――名を綾瀬夕映という――はある日を境に眠り続けたままその瞼が開かれていないのだ。
しかし眠り続けていること以外は至って正常で、現に夕映はどこにも傷どころか憂いもない安らかな寝顔だった。
まるで白馬の王子様がキスしてくれる時を今か今かと待ちわびているようだ。
――ここにドクターメフィストが来れば彼女は目覚めるのだろうか?
そう自問して、目覚めるとしか思えない自分に不律は一抹の恐怖を覚えた。
回診が終わることを見越してか、不律の傍らにいる看護婦は夕映の身辺を整理している。
「儂にも、詳しいことは専門外故にわからぬ。元の担当医ならばわかるじゃろうが…」
不律に不意に視線を向けられ、少しビクついた後に夕映の見舞いに来た宮崎のどかは小さく頷いた。
現在の回診で相対している患者は、運悪く全くの専門外――不律に言わせてみるならば『ありえない』専門科に回された患者だった。
その『ありえない』専門科とは憑依科や夢科のように、心霊療法に魔術を行使する治療を施す専門科のことだ。
本来、不律はそれらの専門科の管轄する患者の診察はしなくともよいのだが、
夕映の担当医が調べたいことがあると言って不律に回診の業務を押し付けてそれを渋々承諾したという経緯もあり、現在に至る。
このように、メフィスト病院は外科といったメジャーな通常医療はもちろん、スピリチュアルな分野の医療まで幅広く取り揃えている。
それだけでなく設備も時代の先を行っており、<区外>の医療機器開発の権威が見たら自分のしてきたことはなんだったのかと虚無感に襲われることだろう。
始めてそれらを目にしたときは流石の不律も混乱を隠せなかったが、予め刻み込まれていた『役割』についての記憶を頼りに今では他の医療スタッフ以上の扱いができる。
ここ最近では、夕映のように眠り続けて目覚めない症状を持つ患者が増えていると聞く。
先に述べたように不律はそういった魔術的なモノは専門外だが、これがサーヴァントの仕業だと断定するのは容易だ。
今度、この娘の担当医にどのような症状か聞いておくべきだろうと不律は考える。
この手の専門医ならばこの件の黒幕への手がかりを与えてくれるはずだ。
「直に専門の医師がくるが、待つか」
「いえ…あのー、学校がありますのでー…。ゆえをお願いしますー…――」
「…儂の白衣が何処か汚れておるか」
「え、あ、あの、その、すいませんでした…!」
のどかが鞄を持って部屋から出ていこうとしたとき、のどかの目は不律の腰あたりにいっていた。
具体的には腰に差している物騒な刀を見ていたのだ。
不律に聞かれるとのどかはしまったというような顔をしてそそくさと部屋を出ていった。
不律も彼女を見届けるとカルテに必要事項を書き込み、一息ついてから次の患者へと移るべく出口の方へ向く。
「後は頼む」
不律はそう看護婦に一言伝え、部屋を出た。
白い廊下を、刀を携えた白衣の老人が歩く。
屈強な肉体の看護夫とすれ違った。腰のベルトには麻酔銃が据えてあり、『憑かれた患者』にはこれを浴びせかけて周囲の被害を食い止める役割を持つ。
次に、ロボット・パトロールとすれ違った。このロボットは1時間おきにメフィスト病院内を巡回し、不審者には高圧放電や麻酔ガス、
それ以上の危険な輩には容赦なくレーザー砲と超振動派が浴びせられる。
これをまともに食らっては並のサーヴァントでも致命傷は免れないだろう。
「……」
ある意味でメフィストの名に相応しいと思った。
不律も、白衣の下には電光被服と刀を常に携帯している。勤務中に関わらず、だ。
ここの医療スタッフは皆、雑事をこなす看護婦であってもなんらかの護身のための装備を所持している上に生身の身体能力も常人のそれを超えている。
医長クラスになるとそれこそサーヴァント以上の、現代科学の及ばないとんでもない力を持っている。
そんなメフィスト病院のスタッフの中で不律が医師として活動する際は常に電光被服と刀で武装していた方がむしろ自然だった。
ファウスト曰く、医療スタッフ一人一人から魔力を感知できる、とのことだ。
恐らくは、メフィストがサーヴァントであるならばここの不律以外の医療スタッフはメフィストの宝具によって顕現している存在なのだろう。
かの完全者に並ぶ力を持つ者がこの病院には大勢いるのだから恐ろしいものである。
(聖杯のためにはメフィストをも討たねばならぬ…)
自身の過去を消すために、聖杯を手に入れる。それを成し遂げるためには院長をもいずれは相手にしなければならない。
それを、とても残念に思う不律が、そこにはいた。それは何も、メフィスト病院を求める人々の希望をつぶしてしまうからの理由だけではない。
あの美貌を思い出すと、鉄のように冷たい心も瞬く間に融解し、輝かしい太陽の虜にならずにはいられなくなるのだ。
「見事だ」と褒められれば思わず五体投地をしてしまいたくなるような、
メフィストの顔に傷つける者がいれば全てを忘れて電光被服をフル稼働させてそいつをメッタ斬りにしたくなるような、
そんなメフィストを手にかけなければならないことが、たまらなく辛くなる不律の心があった。
(我が身、既にアイゼン)
それでも、不律には譲れないものがある。
パンドラの箱たる研究の成果と研究そのものを消す。その願いのためには、もはや手段を選んではいられないのだ。
かつて不律は、元同僚の持つ野望を『非望』と切り捨てたことがある。
そして現在、元同僚のように、聖杯という途方もない代物に手を出して己の咎をなくそうとしていることは自分でもわかっていた。
たとえ自身の身を落とそうとも、その命に換えることになろうとも、不律は研究を抹殺せねばならないのだ。
ファウストの存在がメフィストに気付かれていたのならば、自分もマスターだと気付かれているだろうが、
何故かメフィストに排除されるどころか不律は今も医療スタッフとして働くことができている。
まるで野放しにされているようで屈辱も少しはあったが、それを抑えてその役職に甘んじている。
このため、不律はメフィスト病院内では『マスター』ではなく『医者』として振る舞うと決めていた。
自分が死んでは、誰がかの研究を葬るのか。一つしかない命だ、不律もファウストも医術の心得があるとはいえ、慎重になるに越したことはない。
メフィスト病院や医療スタッフがメフィストの宝具によって顕現しているのであれば、殊更気を付けなければなるまい。
この病院内で騒ぎが起これば、すぐさまメフィスト含む医療スタッフが武装を固めて異分子の排除態勢に入るであろう。
その当事者が自分となれば、鉄をもバターのように両断する剣術と電光被服によるサーヴァントをも超越した敏捷を持つ不律といえど生きては帰れない。
この『メフィスト病院』においては、目の前にサーヴァントがいても正当防衛以外では刀とファウストを使ってはならないことを肝に銘じておいた。
このことや来訪している患者数を鑑みれば、メフィストと戦う時はまだまだ当分先であることに不律はほんの少し安堵を覚えるのだった。
【四ツ谷、信濃町方面(メフィスト病院)/1日目 午前8時10分】
【不律@エヌアイン完全世界】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]白衣、電光被服(白衣の下に着用している)
[道具]日本刀
[所持金] 1人暮らしができる程度(給料はメフィスト病院から出されている)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れ、過去の研究を抹殺する
1.無力な者や自分の障害に成り得ないマスターに対してはサーヴァント殺害に留めておく
2.メフィスト病院では医者として振る舞い、主従が目の前にいても普通に応対する
3.メフィストとはいつか一戦を交えなければならないが…
4.ランサー(ファウスト)の申し出は余程のことでない限り認めてやる
5.眠り病の患者(綾瀬夕映)の担当医に話を聞いてみる
[備考]
・予め刻み込まれた記憶により、メフィスト病院の設備等は他の医療スタッフ以上に扱うことができます
投下終了します
また、wikiにて不律とファウストの項目の記述を少し修正しておきましたことを報告しておきます
具体的には不律の日本刀の欄とファウストの宝具の記述を変更しました
ファウストの宝具については変更が少し大きいので一応こちらにも載せておきます
『刺激的絶命拳(エネマン・ルーレット)』
ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:1〜15 最大捕捉:1
地面を泳ぐようにして敵に肉薄し、敵の括約筋に存在する体内に直接続いている1点の穴に向かって貫手を突き刺すランサーの絶命奥義。
その鍛えられない秘孔を突かれた者は耐久のランクに関わらず、ある者は痛み、ある者は快感に悶えて各々のリアクションを取るであろう。
ただし、ランサーが貫手を入れる前の一瞬の間に相手は4つのカップから1つを選ぶ4択問題に挑戦させられる。
その中の3つに入っている「悪魔」を選ぶと貫手をヒットさせるが、1つだけ入っている「天使」を選ぶと逆にランサーがダメージを受けて吹き飛んでしまう。
なお貫手によるダメージはランサーの力加減次第で大幅に上下し、無力化するために腰を抜けさせる程度から痔だけでは済まずに内臓を損傷させることまでできる。
…ここではあくまで貫手と記述したが、有体に言えば単なるカンチョーを食らわせる宝具である。
『今週の山場(デストラクティヴ・グッドウィル)』
ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1
神業の如き腕を持つ闇医者・ファウストの暴力的かつ見事な荒療治を診察台の上に寝かせた相手に無理矢理施す。
治療(?)の内容は様々で、診察台の下に設置した爆弾を起爆したり、相手に顔面整形を施したりと効果にバラつきがあるが、
そのどれもこれもが大抵は碌な内容ではない。
北上(ブ)&アサシン(ピティ・フレデリカ)
再予約します
投下乙です
不律の独白による世界観の掘り下げが素敵でした
メフィストの美貌をすら凌いで成し遂げんとするその覚悟まさに鉄の如し
投下します
聖杯戦争の始まりを告げる喇叭の音が、契約者の鍵を通じて投影されるホログラムと言う形で嚠喨と<新宿>に轟いたのは、今から数えて六時間と半前の話だった。
この日から、<新宿>で巻き起こる聖杯戦争に纏わる騒動はより激化の一途を辿り、この魔都を覆う黒雲は更に色濃く分厚くなる事であろう。
<新宿>にて胎動する魔の鼓動は、より大きく、より忙しないものになるだろう事は、きっと、契約者の鍵を見た者は思うに間違いあるまい。
――この主従は、そんな、激戦の予感が齎す緊張感とは、無縁の二人であった。
まるで契約者の鍵が与えた、聖杯戦争の開始の旨など知らぬ存ざぬ、と言った風に、彼らは平然とした態度を崩しもしない。
一人は、神が座る高御座(たかみくら)の如き至上かつ至福の座り心地を与える、エクトプラズム製の椅子をリクライニングさせながら、部屋の天井を見上げる男。
墨の様に黒いブラックスーツを嫌味なく着こなしたその金髪の紳士は、数百m頭上の天井に建て付けられた天窓から差す、夏の朝の光を見ながら、不敵な笑みを浮かべていた。
雲の動きと、風の流れだけで、一日所か一週間、一ヶ月は楽しんで見ていられるのでは、と思わざるを得ない程の、異常な何かが、彼からは感じられた。
もう一人の男は、値段すら付けられない程の価値を誇る、黒檀のデスクに向かって座っていた。
ブラックスーツの男は対照的に、白いケープを身に纏った男……と言うだけならば、それだけである。より詳しく言えば、彼は、二人がいる病院の院長であった。
そして、余りにもその男は美し過ぎた。天の彫刻師が生命を掛けて彫り上げた様な美貌の持ち主と、嘗て魔界都市の住民は彼を見て思った。
白いケープに覆われた右手には魔界の力が宿り、メス所か錆びついたナイフ1本で如何なる悪疫をも治すのだと、魔界の住民は口にした。
男が学んだ技術が、病を祓うのか。それとも――男の美しさが、病魔を灼くのか。この男に関して言えば、美が病を滅ぼすのだと説明しても、皆が納得するであろう。
黒いスーツを着た紳士は、自らの事を『ルイ・サイファー』と呼んでいた。
白いケープを纏う白い魔人は、己のクラスを表す言葉であるキャスターではなく、己を『メフィスト』と名乗っていた。
聖杯戦争の火蓋が正式に切って落とされた、その事を認識してもなお、男達には気負いも緊張感も見られない。
遠坂凛の主従と、セリュー・ユビキタスの主従に纏わる情報も、彼女らを倒せば令呪が貰える事も、勿論把握している。
把握してもなお、ああそうなのか、以上の感慨を彼らは抱かない。現代の服装に身を包んだ王侯貴族こそが、彼らの事なのだ、と感じずにはいられない。
その様な気風が、彼らの身体からは放出されているのであった。
「君の街にも、朝の光は降り注ぐのかね、メフィスト」
エクトプラズムの椅子に大胆に背を預けながら、ルイは訊ねた。
「魔界と呼ばれた都市にも、陽は昇り、暁光は差す。君の故郷は如何だったのだ?」
「遮光性の高い気体で構成された雲に天空が覆われていてね」
「大変な事だ」
口にした言葉は以下の通りだが、毛ほどの感情も籠っていない。本気で受け取っていない事は明白だった。
「他に、言いたい事があるのではないのか? マスター」
敵わないな、と言った風に肩を竦め、ルイは上体を起こしながらこう言った。
「頼んだ物は出来たのかい?」
笑みを絶やさずルイは訊ねるが、そのオッドアイには、一瞬だけ、危険な色の光が宿った気がした。
「二つの内一つは」
ただ単に事実のみを告げるだけの、そんな声音。この男はきっと、癌ですら、このような口ぶりで患者自身に告げるに違いないだろう。
「アダム・カドモン。君は私にこれを所望したな」
「正式名称は『ドリー・カドモン』だ。その名称は改めた方が良い」
「アダム、と言う名前はお嫌いかね?」
「無神論者だからな」
あくまでも、自分は人間である……と言う設定を、この男は貫くらしいな、と。
メフィストは心中で考えた。この男には、ルイの正体など、最早筒抜けであると言うのに。尤も向こうも、そんな事は当然解っているのだろうが。
「メフィスト病院の中であろうとも、流石にこれを作るのは骨が折れた。設計図もない、基本理念も解らない。私の想像と独断で、神の現身を作るのは苦労した。いや、君に言わせれば、魔の雛形と言った方が良いのか」
世界で最も知られている、人類創世神話の雛形の一つである、アダムとイヴ。アダムとは、本来は『赤土』と言う意味の言葉であった。
彼は神が土を捏ね、其処に命を吹き込む事で生まれた存在である事は世に知られる所であるが、この話からも分かる通り、土と命は密接な関係にある。
土とは大地、即ち作物を実らせる畑であり田であり畝の事。この事から、土が命と結び付けられるのは、当然の運びであった。
アダムとイヴの寓話以外には、ギリシャ神話の偉大なる大地母神ガイアは、単体で天空神ウラノスを生み、様々な巨人族を生み出した逸話が象徴的であろうか。
また土とは、肉も象徴していた。大地や天空、果ては星辰や宇宙の起源を、一人の巨人や怪物の肉体で説明した神話は珍しくない。
北欧神話の原初の巨人であるユミル、バビロニア神話の巨龍ティアマト、中国神話に於ける大地の化身である巨人盤古。彼らの身体は、人や神が住まう世界の土台になった。
土とは命であり、肉である。これらのイメージから、土を利用した魔術を、人が編み出すのも当然の理であった。
最も有名なのは、ユダヤの民に伝わる魔術体系であるカバラの奥義、ゴーレムであろう。これは明白に、アダムのエピソードの影響を受けている。
ゴーレムの作成自体は、メフィスト自身は目を瞑っていても出来る程である。
何せこの男は、ホムンクルスを己が意のままに作成し、病院の従業員として補填する事が出来る程なのだ。
土人形の一つや二つ、作る事は訳はない。が、メフィストを呼び出してから幾日か経過した頃、ルイがメフィストにリクエストした品は、そのゴーレムの百歩先を往く代物だった。
アダム・カドモンとはその名が示す通り、聖書に出てくる始まりの男がモチーフになっている。
但しこの代物は、同じカバラの奥義の一つであるゴーレムとは一線を画した、別次元のものなのである。
アダム・カドモンとは即ち、神がアダムを創造する以前に、神が自らを物質界に投影しようと形作った原初的な人間であり、
神の写し身として完璧な知性と能力を兼ね備えた存在なのである。いわば神が宿るに相応しい依代であり、生命の源なのだ。
カバリスト達の究極の目標の一つが、自己研鑽の末のアダム・カドモンとの同一化だ。
アダム・カドモンを目指して、今日もカバリスト達はセフィロトの樹の謎を解き明かそうと。数秘法(ゲマトリア)や省略法(ノタリコン)、文字置換法(テムラー)を学ぼうと、努力を積み重ねているのである。
「ところで、マスターは私にこんな物を作らせて、『神』の罰が恐ろしくないのかね?」
「君らしくないなメフィスト。君も良く解っている筈だ。神は愚かで、つまらん男だ。生命の法は人には犯しえないと、神の方からタカを括っている以上、罰せられる事はあるまい」
この程度のカマかけは無駄かと、メフィストも予想はしていた。
諸人は言う。命を作ると言う領分は、人が絶対に足を踏み入れてはいけないエリアである、と。
生命の創造は造物主(つくりぬし)である神の手によってのみ独占されるべき事柄であり、人が手を出して良い領域ではない。
其処に手を出そうものなら、火傷では済まされない。神から子々孫々、転生の果てまで消えぬ地獄の罰が与えられる。彼らはそう思っているのだ。
しかし、カバリストも錬金術師も、その奥義を学ぶ内に知るのである。神は、人が生命の分野に手を出したとて、罰する事はあり得ないのだと。
理由は単純明快。そもそも生命の法を人は犯せないからである。生命の法を破る、それはつまり、新たなる命を生殖行為を経ずに生み出す事だ。
それが、人間には出来ない事を神はよく知っている。人は己の手で、新たなる命を作れないのだ。そしてそれは、メフィストもよく知っている。
精々人間に出来る事は、既存の動物を繋ぎ合わせて作ったキメラを作るか、ホムンクルスや既存の人間の細胞情報から人造人間をつくる程度の事しか出来ない。
これらの魔術の奥義は、神が新たなる命を生み出す奇跡とは根本から異ならせるものである。神の奇跡には程遠い。
人は命を無から創りだす事は出来はしない。だからこそ、『人』が生命の法を破る事など端から出来ない。神が、そうタカを括っている。故に、人は生命の則(のり)に手を伸ばそうと、人は罰されないのである。
――だがそれは、『人』が生命の法に手を伸ばした時の話である。
……この男の場合は、果たして如何に? 黒いスーツの完璧な紳士。いや、六枚の翼を背負った、魔その物であるこの男の場合は。
「それで、メフィスト。君が創りしカドモンの出来栄えを、私に自慢してくれ。君の自慢話は中々に面白い」
「本来の予想された意図のアダム・カドモンは、これと言った製作法も理念も不鮮明が為に、私でも作る事は不可能だった。況してや今はサーヴァントの身。如何に我が病院の中であろうとも、こればかりは私にも出来ないだろうな」
カバリストは何故、アダム・カドモンを作るのか。この人の雛形に宿るのは、神の力と知恵である。つまり、全知全能の一端だ。
これとの合一化が、彼らの目標であるのならば。カバリスト達が求める所も、とどのつまりは一つである。
そこは、真理の地平であり、究極の知識が渦巻く所であり、全ての原因であり、この世総ての事象のゼロ地点である。つまり、『根源』だ。
神の知識を以てすれば、成程確かに、根源と呼ばれる地平に到達する事は、夢物語ではないだろう。しかしそれは、メフィストに言わせれば賢いやり方ではない。
前述の様に人が新たに生命を作り出す事は不可能に等しい事柄であるのだ。しかも此処に、神の知識と力を宿したとなると、不可能に等しいが『不可能』に変わる。
無論、カバリスト達がアダム・カドモンを求める過程で発見した様々な知識と、カバラの奥義自体は素晴らしいものである。
しかし、根源への到達を究極目標とするのであれば、他にやり様はある。生命の法経由でその場所に足を運ぼうとするのは、正しい事柄とは言えなかった。
「だが、近づける事は出来たのだろう?」
「肉体の性能と、初期の知能レベル及び物事に関する習熟度を高め、異能を発現させやすい回路を設定させただけだ。到底、人を作る奇跡には及ばない」
「それでも構わないさ」
「君に語るまでもない事だが、アダム……いや、ドリー・カドモンはこれ単体では触媒以外の何物でもない。アダム・カドモンもドリー・カドモンも。
物の質こそ違えど、結局この二つは、『神或いは高次存在の依代』であると言う共通の目的がある。つまり、『存在の霊的情報』を固着させねば、私の創りしカドモンも、所詮はただの土塊で出来た人形でしかないのだ」
「アテはあるだろう。ドリー・カドモンに、情報と言う名の生命の息吹を与える方策が」
「君の言っている事は正しいし、九割九分九厘の確率で、あの土塊達は命を得るだろう。だが、それを行って何とする?
君の行おうとしている事は、<新宿>に混沌を齎す事だ。現状でも混迷の中にあるこの街に、要らぬ騒動を芽吹かせるつもりかね」
「何時だって歴史は、混沌の後に生まれる。良きにつけ悪しきにつけね。君も理解している所だろう」
玲瓏たる美貌には、何の感情も感慨も見られない。一切の心のうねりを感じさせぬその表情の裏で、この男は何を思うのか。
二往復程、かぶりを振るった後で、メフィストは口を開いた。
「何れにしても、マスターが所望したドリー・カドモンは、情報を固着させる依代としてならば、十分実用に耐えうるものになっている。もとより君が求めるレベルの代物は、これ位が十分なのだろう?」
「その通り。何れにしても、よく仕事をこなしてくれた。流石は、魔界医師と言うだけはある」
霊の椅子から立ち上がり、ルイは、石に刻まれた顔の様に、微笑みから変わる事のない表情をメフィストに向けて、次の言葉を投げ掛けた。
「それで、だ。私が君に頼んだ、二つの内一つ。ドリー・カドモンではない方は、如何なっているのだね」
「思った程上手く行かないと言うのが正直な所だ」
「何故だい?」
「マスターの提供物から供給出来る力の量が、余りにも少なすぎる。毛髪十本では、流石に不足が過ぎると言う物だ」
「ふむ……」
顎に手を当てて、ルイは考え込む。
「やはり、多少は身を切らねばならないか。ちなみに聞くが、現状の提供品での成功率はどれ程になる」
「甘く見積もって二%。低く見積もって一%。補足すると、五mm程の大きさの肉片ならば、成功率は七倍程に跳ね上がる」
「全く、恐ろしい事を言うな君は」
苦笑いを浮かべるルイだったが、対照的にメフィストの方は、網膜に一生その姿が焼きつかんばかりの美相を、毫も動かさずにいた。
「仕方がない、覚悟を決めるか。メフィスト」
「心得た――が、その前に。仕事があるらしい」
「ふむ」
メフィストの方に手を差し伸べたルイだったが、彼の言葉を受けて、腕を下ろした。
メフィストから見て真正面の空間に、溝が刻まれ始めた。横辺五m、縦辺三m程の長方形の形に。
その長方形の中の空間に、過去の遺物であるブラウン管テレビ等で見られた砂嵐の様なものが走り始める。半秒で、それが収まった。
すぐに砂嵐は、まるで健康的な視力の持ち主が肉眼で物を見た様な鮮明な映像に切り替わった。病院に勤務する医療スタッフの男性の一人が、その映像に映し出されていた。
「何用かね」
「外来患者です。但し相手の方は、院長先生に直々に治して頂きたいと」
「ほう。私に、か。我が病院を頼るとは嬉しい次第だが、君達ならば十分治せる筈だろう。自分達で治して見せる、と説得したまえ」
嘗て魔界都市の住民の全員が知る所であったが、メフィスト病院はそれこそありとあらゆる外傷や病魔を癒す奇跡の宮殿だった。
勤務するスタッフ、設置された医療設備。それらが全て優れていると言う所も勿論あるのだが、その中にあって、院長であるメフィストの医療技術は、別格。
撫でるだけで深さ四cmにも達する切傷や刺傷を癒してみせ、メスを使わず脳や心臓、血管やリンパ管を取り出すと言う奇跡を、この男は普通に成して見せる。
この男の手に掛かり、治らなかった患者はデータの上では存在しない事になっていた。しかし同時に、魔界都市の住民は知っている。
メフィスト自身が治療活動に当たる事は、滅多にない事を。メフィスト自身が治療行為に移る瞬間とは、己の興味を引いた病気を患った患者か、医療スタッフでは手に負えない時。
そして偶然メフィストが通りかかった所を、患者が彼に対して救いを求めた時。この三つ以外には存在しない。
<新宿>に顕現した白亜の大医宮の主は、其処で従事する優秀な医者達の事を全面的に信頼している。故に治療は彼らに任せている。そのスタンスはこの街でも変わらない。
この病院に勤務する医者ですら手を出せないか、この魔人自身が気まぐれを起こさない限りは、自分から癒しに掛かる事は、ないのである。
「そう私共も説明したのですが……」
「何か」
「……『聖杯戦争』。そう院長先生に伝えろ、と」
「成程」
メフィスト自身も、エクトプラズム製の椅子から立ち上がり、鋭い目線を、空間に刻まれたスクリーンに投げかけた。
「応接間に案内させたまえ。私も向かう」
「かしこまりました」
其処でスクリーンの内部の映像はプツンと切れ、空間に刻まれた銀幕自体も音もなく閉じ、元々の空間が広がるだけとなった。
いつものアルカイックスマイルをルイは浮かべ、愉快そうに、メフィストにその顔を向けている。
「楽しそうだな、マスター」
「とても」
短くルイが言葉を返した。キャスターの根城に聖杯戦争の参加者が乗り込んできていると言うのに、二人は至極冷静そのもの。
だからこそ二人は、この街で一番、魔界の側に近しい二人なのである。だからこそ二人は、魔人の主従なのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――突風にあおられ、岩壁に叩き付けられる記憶。
――湖に飛び込み、波に流され岸に戻される記憶。
――拳銃のトリガー引いても、湿った弾丸のせいで弾が射出されない記憶。
――街を埋め尽くすような勢いで増えて行く、カタツムリの記憶。
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
目が覚めるなり、ウェザーは自らのスタンド、ヘビー・ウェザーを顕現させ、窓ガラスをそのサッシごと、風圧を纏った拳で粉々に砕いて見せた。
響き渡るかん高い破砕音。聞くだに、鼓膜が傷付き破損しかねない程の澄んだ高音が鳴り響いた。
シーツもなければ毛布もない。そのまま床に転がった状態で眠っていたウェザーの心を、起床してからの数秒間支配していた感情は、怒りだった。
この街で見る夢は――いや。記憶が取り戻してからウェザーが見る夢は、本当に苛々を助長させるそれであった。
今しがた彼が見た夢は、この世の全てに絶望し自殺を敢行しようにも、能力のコントロールが上手く出来ずにいたヘビー・ウェザーのスタンドでそれが阻止されて来た記憶。
そして、俺は死ぬ事すら許されないと言う絶望が心を埋め尽くした時に発言した、悪魔の虹の力。思い出すだけで、胸糞が悪くなる、ウェザーの見る夢の一つだった
チッ、と舌打ちし、ウェザーが拠点とする、南元町食屍鬼街に住まうチンピラに、そのチンピラの『持ち』で買って来させた缶コーヒーを一気に呷る。
二十秒と掛からずそれを飲み干した彼は、乱暴に空き缶をブン投げた。カランカランと、缶のスチールとリノリウムの床が奏でる虚しい金属音が、狭い個室に鳴り響いた。
「荒れているな」
その言葉と同時に現れたのは、銀色の鎧を身に纏った長身の男だった。食屍鬼街の入口をずっと張っていた所から、戻って来たのだろう。
肘と踵から伸びた、バッタの脚を模した突起。腰に巻き付けられた緑色に光るバックルのベルト。そして、エメラルドに似た輝きの、昆虫の複眼めいた物が取り付けられた兜。
自分の呼び出したサーヴァントであれば、その余りの威圧感と非生物的な姿形に、人々は恐れを感じずにはいられまい。
影の月の名を冠したセイバー、シャドームーンとは、他ならぬこの銀鎧の男の事であった。
「癪に障る夢を見たからな」
自分がこんな夢を見る事は、ウェザーは大分前には解っていた。
こんな腹ただしい気持ちになる位であれば、いっそ眠らぬ方がマシであると思い、一日所か二日も寝ずに過ごしていた事がある。
しかし、情報収集が粗方終わり、平時の拠点である廃墟と化したコンビニエンスストアの店長室で、休憩がてらに、夢を見ない程度に浅い時間は眠って休もうと思い、瞼を閉じたのである。その結果が、あの夢であった。
この夢は、この記憶は。自分がプッチを殺さぬ限り、徐倫達と神父を繋ぐ宿命を断ちきらぬ限り、如何にもならぬと今ウェザーは知った。
聖痕は、何があっても消せないのなら、それを刻んだ者を消せば良い。聖痕による疼きよりも、宿敵を殺した事によって晴れた気持ちの方が、勝ってくれると、ウェザーは、強く信じていたから。
「いっそ眠らん方が、聖杯戦争をスムーズに勝ち進めるかもな」
「貴様自身の意見は知らん。それよりも、情報は集まったか?」
「急くなよ、教えてやる」
二本目の缶コーヒーのプルタブを開けながら、ウェザーが口を開いた。
「結論から言えば、セリュー・ユビキタスの情報は、一切入って来なかった。代わりと言っちゃぁ何なんだが、メイド服の女の話が出て来た」
「メイド……女中の事か」
「そんな所だな。んで、その女が、ヤクザを殺し回ってるらしい」
食屍鬼街にやってくるのは、チンピラやヤクの売人が殆どだ。つまりは、アウトローだ。その中には当然、そっちの筋に関係する者も多い。
ウェザーがこの通りを中心に聞き込みを行った所、その情報を得る事が出来た。情報源は、昔とある組に所属していた若衆の一人であり、組が突如としてなくなった為に、
こんな所でウサを晴らしていたのだと言う。話を聞くに、その男の組は突如として現れたメイド服の女によって壊滅状態にさせられたと言う。
それこそ、組長から末端の構成員に至るまで、全て皆殺しであった。その男が偶然にも難を逃れた訳は、丁度組の資金調達の為シノギの周りをしていたからであり、
如何してその情報を知ったかと言うと、監視カメラに映っていた映像から、だと言う。
更にこの男が言うには、このメイド服のヤクザ殺しは<新宿>の裏社会では現在相当有名な私刑人であるらしく、一説によればもう一人。
その私刑人がいると言われているが、此方に関しては男も知らないらしく、ウェザーがそっちを知りたいと口にしても首を横に振るだけだった。
「瓢箪から駒、と言う所だな」
シャドームーンが冷静に情報を分析した。
「恐らくその女が、聖杯戦争の参加者である事はまず間違いない」
「だろうな、俺もそう思うぜ。その証拠に、簡素な服装を着た少年の二人連れだった、らしい。しかも、馬鹿みたいに凶悪そうで、化物の右腕を持っているときた」
「警戒をしておこう。俺のマイティ・アイにもその情報がない以上……、転々と、拠点を移しているのかも知れない」
「そして」、と、此処でシャドームーンが話を転換させた。
「セリュー・ユビキタスと言う女に関してだが、全く情報が見つからないと言う事実で、解った事が一つある」
「それは?」
「百二十名超も殺しておきながら、俺のマイティ・アイでも姿が見つからず、世間でも話題に全く上がらない、その理由。考えられるだけで二つある。
一つに、痕跡すらも完璧に消し去る程の殺人技術を持ったサーヴァントを従えているか。そしてもう一つ、殺した相手の関係者を全員皆殺しにしているか、だ」
「後の方の推理の理由は何だ?」
「この現代社会において、些細な情報の伝播を完全に遮断する事は、不可能に等しい事柄だ。そして情報の伝達は、常に人が受け持っていると相場が決まっている。
ならば、情報の伝達を完全に遮断するには、如何すれば良い? ……関係者を全員殺せば、当然情報は永遠に闇に葬られる」
「そう簡単に、情報を遮断出来るのか?」
「無理だ」
シャドームーンは即答する。
「余程特殊な能力を持ったサーヴァントを引き当てない限りは、人がこの世にいて、しかも、何時いなくなったかの痕跡を抹消する事は不可能だ。
少なくともこのセリューと、奴が引き当てたサーヴァントにはそのような能力はない。本当にそんな力があるのなら、
何人殺したのかと言う情報をルーラーに知られる訳がないからな。ルーラーと言えどそう言った事実を認識出来るのであれば、当然、
この主従の情報の遮断法には少なからぬ間隙がある。ならば、そう言った存在を相手取る時の調査法で、俺達も情報を洗えば良い。そうすれば、何れは奴にぶつかる」
要するに、より丁寧に情報を捜し回れ、と言う事だった。缶コーヒーを半ばまで飲んでから、ウェザーは口を開く。
「……一先ず、だ。こんな吹き溜まりの街で集められた情報は、以上だよ」
「解った。では、そろそろ時間だ」
「あぁ。解ってる」
シャドームーンが此処にやって来たのは、ウェザーから集まった情報が如何ほどの物か、聞くと言う理由もあった。
だがそれ以上に、本日最初にして、ある意味で最大の目標は、近隣に聳え立つ、無視しようにも出来るわけがない程目立つ、白亜の大病院、
『メフィスト病院』の調査なのだ。事前調査で、生前世紀王として君臨していたゴルゴムに匹敵、或いはそれ以上の脅威だと、シャドームーンは認識している。
あのシャドームーンをして此処まで警戒させる相手なのだ、ウェザーにも当然、警戒心は伝播する。
手に持った缶コーヒーの中身を、ウェザーは自分の右脇にぶちまけて捨てた。
コーヒーの茶色の液体が飛び散った先には、大きめの机の引き出しにならそのまま収容出来るのではないかと言う程、手足を圧し折られ、コンパクトになった少女がいた。
液体をかけられ、ビクッと、小さく彼女は痙攣した。コーヒーを掛けられた時の反射と言うよりは寧ろ、等間隔で起る発作の様な症状に近いだろう。
視神経ごと眼球が零れ落ちてぶら下がっている様子を見たら、余人はきっと、吐くに違いない。これでもまだ、彼女は生きている。
どんな篤志家にも、殺してやった方が寧ろ慈悲であると発言したくなる程に痛めつけられたこの少女は、番場真昼と言う。
彼女はずっと、ウェザーと同じ部屋で、混濁とした意識のまま蹲っていた。
ウェザーとシャドームーンは、死体になった方が寧ろマシである程の傷付いた少女のいた部屋でずっと、集めた情報のやり取りをしていた。
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ガラガラガラガラと、大きめのキャリーバッグを引いて、特徴的な帽子を被った男は、白い宮殿を思わせるその建物の前に突っ立っていた。
黒色の大き目なゴミ袋を、空いた左手に持ったその様は、傍目から見れば浮浪者か何かとしか思えないだろう。
事実、この男の<新宿>における立場は、ホームレスと何ら変わりはない。実際持家もないし仮住まいもない事は事実だったからだ。
地上十階程のその建物の威容は、圧巻される。網膜が洗われるような清潔感溢れる白色で外壁の色は統一されており、シミ一つ見当たらない。
まだ朝も早い時間であるが、既に病院は開いているらしく、入り口の自動ドアにはシャッターが下ろされていない。
シャドームーンに曰く、この病院は二十四時間フルタイムで営業を行っており、深夜でも通常治療を行っているのだと言う。
病院のコンビニエンス・ストア化など聞いた事がない。これだけでもう、異常な環境だと言う事が解る。
そして、そんな異常で、凄まじくよく目立つ病院――神殿――を、こんな街中に建造し、あまつさえ一般患者の為にその門戸を開いていると言う事実が、
ウェザーは愚か、ある程度の事情を把握しているシャドームーンにすら信じられずにいた。
そう、此処こそは、シャドームーンがキャスターだと推測しているサーヴァントが建造した、敵の領地、大神殿。
メフィスト病院と呼ばれるその病院は、信濃町の街中に建てられた、白亜の大医宮なのである。
敵の領地と解ってしまうと、やはり二の足を踏んでしまうと言うものであった。
【落ち着け。患者と病院そのものに危害を加えねば、理屈の上では何の問題もない】
その情報自体は、既にセイバーから聞かされている。
そうと解っていても、やはり、緊張はする。この病院が好意的なのは、聖杯戦争とは何の接点も無い、極々普通のNPCだけなのだ。
聖杯戦争の参加者に対しても、そう言った振る舞いを行うのかどうかと言えば、それは、シャドームーンも解らない。
しかし、この病院自体の性質を見極める事が出来れば、事によっては此度の聖杯戦争を有利に勝ち進めるかも知れないのだ。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。意を決し、ウェザーはメフィスト病院内部に足を踏み入れる。
内部の広さと、清掃の行き届いた清潔感溢れる白色の室内と言う事を除けば、其処は病院のロビーそのものであった。
受付で応対されるまで待機する為の席もあれば、ウォーターサーバーもあるし、デジタルサイネージ式の自動販売機もある。コカコーラ社製のものとサントリー製のものだった。
此処が本当に、魔術師のクラスであるキャスターの居城なのかと、疑問に思ったのは寧ろシャドームーンの方であった。
余りにも、現代の文明に染まる事に、躊躇がなさ過ぎている。此処まで開けっ広げだと寧ろ、自分の認識こそがすべて間違っているのでは、そんな思いに駆られてしまう。
【交渉に行って来るぜ】
幸いにも、今は時間帯が時間帯の為に、待合人も受け付け待ちの人間もいない。
ウェザーだけしか、今この病院のロビーにはいなかった。と言うより今は朝の六時四十五分程度だ。この時間ははそもそも、病院は開いていない時間帯だ。
それでも、受付には女性の看護士がしっかりと待機していた。
「初診なんだが」
受付に近付くなりウェザーが言った。
「はい。保険証の方はお持ちでしょうか?」
「ない」
「かしこまりました。それでは本日はどちらの診療科にご用でしょうか?」
保険証がない事を、普通にスル―された。
この病院ではこのような事は日常茶飯事なのか、それとも、サーヴァントが運営する病院だからこそ、保険証など必要がないのだろうか。
恐ろしく胡散臭いので、生前ブラックサンを追い詰めた作戦の一つである、EP党の一件をシャドームーンは思い出していた。
「診療科か……多分、外科とか内科とか、色々だ」
余りにも手ひどく痛めつけてしまった為に、どの診療科に掛かれば良いのか、ウェザーも一瞬迷った程である。
「解りました。それでは、問診から行いますので、どうぞ一階の――」
「あぁ、ちょっと待ってくれ。掛かるのは俺じゃない。それに、院長先生の手で治して貰いたいんだがな」
受付の女性が手慣れた様子で話を進めて行く為に、何時本題を切り出すか迷っていたウェザーだったが、このままでは流されると思い、
すぐに本件に話を移らせた。院長の名を口にしたその瞬間、看護士の顔が、如何にもな業務用スマイルから、怪訝そうなそれに変わって行く。
「院長の、ですか?」
この反応は、メフィスト病院でなくても自然であろう。
勤務する医者をピンポイントで指名するのならばいざ知らず、よりにもよって院長を呼んだのである。
疑い深そうな表情を浮かべて、ウェザーの身なりをまじまじと確認するのは、無理からぬ事であった。
「聖杯戦争、そう院長先生に伝えて欲しい」
言って、ウェザーは待合席の方に向かって行き、自分は何も間違った事は言っていないと言うような態度で、其処に腰を下ろした。
聖杯戦争の名を出すのは、ウェザーは悪手だと思ってはいなかった。事実シャドームーンも、念話でウェザーの事を咎める事を全くしていない。
理由は簡単である、この病院に勤務するスタッフの殆どが人間ではない存在だと言う事が、マイティ・アイの千里眼で割れており、その事実を予め伝えていたからだ。
病院に勤務するスタッフから、外の植え込みを手入れする用務員に至るまで、極めて高度な改造手術で肉体を強化されている。
あのゴルゴムや、クライシス帝国に匹敵する程の技術であると、シャドームーンはこの病院で施された改造手術の程を概算していた。
要するにこの病院の中に存在する全ての『もの』は、この病院を運営するキャスター――院長――と呼ばれる男の支配下にあると言う訳だ。
ならば、自分が何者なのか伝えた方が、伝えずに院長を指名するよりはすんなりと行くと踏んでいたのだった。
「院長先生が、二階応接間でお待ちしております」
そして、目論見は上手く行った。だがこれからが本番なのだ。
椅子から立ち上がり、キャリーバッグを転がしてウェザーは目的の場所へと向かって行く。本当の勝負は寧ろこれからと言った方が良いだろう。
キャリーバッグが転がしにくいのはきっと、その中身が重いだけでは、ないのだろう。そんな事を、ウェザーは思っていた。
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
言外出来ない程の死線を潜り抜け、修羅場を踏んで来た人間が放つ、一種のオーラめいた空気を、何と呼べば良いのだろうか。
気風、覇気、威圧感、鬼気……色々な言葉があるであろうが、ウェザーはこの空気を、凄味と表現する事にしている。
凄味を放つ存在には幾つかの共通項がある。スタンド能力を持っているか、と言う事もそうであるが、それ以上に重要なのは、本体自身の性格だ。
覚悟も気負いも、性格の苛烈さも、彼らは一般の人間とは一線を画する。徐倫もエルメェスもアナスィも、F.Fも、凄味を持っていた。
殺してやりたい位に憎いプッチですらもだ。どんな傷を負おうとも、どんな敵が這い出ても、彼らは折れない、めげない、考える。
自分が成さんとする目的を達成させんと、必死になるのである。其処の気負いの精神が、凄味を生む。恐らく其処には、スタンドのあるなしなど関係なくて。
その精神をこそが、肝要な要素になるのであろう。
――閉じられた貝のように、自動ドアは沈黙を保ったまま、ウェザーの正面で閉じていた。
案内板の信じる通りであれば、此処が応接間であるらしい。この場所にウェザーが辿り着いたその瞬間、彼の動きは、大気にでも象嵌されたが如く、動かなくなった。
扉越しからでも、凄味と言う言葉ですら生ぬるい程の、最早妖気とも呼ぶべきオーラがウェザーの方に叩き付けられて来たからだ。
この先に、この病院を作り上げたキャスターがいる事は、シャドームーンに聞かずとも解る程であった。
「……此処までとは」、自分の馬であるセイバーが言葉を漏らす。彼の予想すら上回る凄味を放つ、扉の先のキャスターとは、果たして?
この扉の先に足を踏み入れるのは、初めて自殺を敢行した時に必要であった勇気の何十倍もの量のそれが、必要になるとウェザーは確信していた。
しかし、此処で臆病風に吹かれてはいられない。脳裏に神父の姿が過る。断じて、逃げる訳にはいかなかった。
ドアチャイムすら鳴らさず、ウェザーは応接間に足を踏み入れた。それと同時にシャドームーンが、霊体化を解除。銀鎧の姿を顕現させる。
ヨーロッパの宮殿の一室を思わせる、クラシカルな部屋であった。
絨毯から壁に掛けられた油絵、本棚、椅子に机にシャンデリア。全てが全て、中世風の装いで統一されている。
シャドームーンは一目見て、この部屋の広さが、メフィスト病院の外観上の大きさからは考え難い程の広さである事を見抜いた。
恐らくは、空間を弄り、実際上の広さを延長させていると見た。彼が知る怪人でも、此処までの真似を出来る者はいない。気を引き締めた。
そして、ウェザーの方は――客人である彼らを待っていた、この病院の主を見て、凍り付いていた。
美しさを表すのに引き合いに出される言葉は、花や宝石の他に、著名な多神教の神々も含まれている。
アポロンやヴィーナスの二柱の神など、古今の文献を漁れば、果たしてどれ程美しさの比喩表現として使われて来たのだろう。
最早手垢が付き過ぎていて、美しさを表す言葉としては最早時代遅れにも甚だしい言葉となってしまっていると見て間違いはない。
そうと解っていても、ウェザーは、アポロンが地上に顕現した、と錯覚せずにはいられなかった。
秀麗類なきその美貌は、ウェザーとシャドームーンを見ていると言うよりは、空気中を漂う微細な埃の動きを見ているかのようであった。
傍目から見れば到底二人に関心を払っているとは思えない。一切の感情が宿らぬその表情の、何と美しい事か。
この男がいる空間はその美しさの故に、例え汚穢蟠る吹き溜まりの一角ですら、アンブロジアが咲き誇る天国の花園宛らに錯覚する事であろう。
しかし、この男が佇む世界はその美しさの故に、自らの存在自体に世界を統合してしまい、風景や空間の調和と美を殺してしまう事であろう。
何と、罪深い美なのであろうか。
世界の存在意義の一つを奪い去る程の美を持ったこの男が、此処まで大地と天空の怒りを買わずに生きられたのは、その美が地球や星辰すらも宥めるからか?
真実は誰にも解らない。そう、この病院の主であり、チェスターフィールドソファに腰を下ろす、純白のケープを纏った魔人、メフィスト以外には。
「かけたまえ」
顔に違わぬ美しい声で、メフィストはウェザーらに告げた。繊指で音色を奏でられたハープに万倍する、鼓膜に響くのではなく、脳に響く様な声だった。
シャドームーンが有する宝具、シャドーチャージャーの奥に隠されたキングストーンが放つ、微弱な精神波動で、ウェザーは我に返る。
メフィストの顔を見た瞬間から今までの記憶が、全くない。その美しさのせいで、意識すらも奪われていたようだ。
今になってシャドームーンが言っていた、一筋縄ではいかない相手の意味を、その身を以てウェザーは思い知らされた。
意識を回復させたウェザーは、メフィストに言われた通り、彼が座っているようなチェスターフィールドに腰を下ろす。
シャドームーンは、ウェザーの後ろに佇立して控えていた。座っていてからでは、次の動作に移るのに遅滞が生じるからであった。
「一先ずは、申し出を受け入れてくれて、感謝しよう」
ウェザーの後ろに立つシャドームーンが言葉を発した。メフィストとの交渉は、この優秀なセイバーの仕事であった。
理由は単純明快、相手がサーヴァント、特に、権謀術数に秀でた存在が呼び出される傾向にあるキャスターのクラスであるからだ。
「そのキャリーバッグから、患者を出して貰おうか」
世間話をしないタイプの男であるらしかった。
直に本題に切りかかった、だけではない。患者がウェザーでもなければシャドームーンでもない事を見抜き、更に、本当の患者が何処にいるのか、一瞬で看破した。
シャドームーンがウェザーに行動を促した。ウェザーはそれを受けて、キャリーバッグの中を空け、その中身をメフィストに向けて見せつける。
「ほう」、と息を漏らしたのは、メフィストではなかった。彼の背後で佇立していた、黒いスーツの男であった。
この瞬間初めて、ウェザーは、この部屋にいた病院側の人物が、メフィストだけでなかった事を知る。
今まで黒スーツの男、ルイは、奇術を使うでもなく、メフィストの傍にいた。それにすら気付かない程、メフィストと言う男が、目立ち過ぎていたのである。
キャリーバッグの中には、一人の少女が折り畳まれていた。
子供一人ならば身体を丸めるように屈ませられれば何とか入るであろうが、目の前の少女は、如何贔屓目に見ても成長期を半ばも過ぎた十五〜六歳の少女であり、
例えウェザーらの持って来たキャリーが一般のそれよりやや大きめであると言う事実を差し引いても、通常は入る訳がなかった。
では何故、其処に少女――番場真昼が入っていられたのか。腕と脚を、人間の関節駆動上絶対に折り曲げられない方向に折り曲げていたからだ。
これにより、キャリーバッグの中に彼女は無理やり押し入れられていた。このバッグに入れる段になって、足がどうしても邪魔だったので、
今朝方もう二回程両脚をウェザーは折って入れていた。最早生きているのか如何かすらも疑わしい。余程、注意して耳を凝らさねば、呼吸の音すら聞こえないだろう。
「この少女を治して貰いたい」
いけしゃあしゃあと言った風に、シャドームーンが要件を告げる。
「君がその現状を招いたのにか」
無論、真昼/真夜に現況を招いた張本人が誰なのか。見抜けぬ程メフィストは馬鹿ではなかった。
一目見ただけでこの男は、この少女に現状の怪我を与えた下手人が誰なのか、知る事が出来た。
少女の身体から漂う魔力の質は、正直だ。それは他ならぬシャドームーンの物であると、彼は即座に看破した。
「霊体化した状態のサーヴァントがこの少女に寄り添っていると言う事は、そう言う事かね」
そして、もう一つの重要な事柄も、メフィストは見抜いている。
今や小刻みに痙攣するだけとなった番場真昼の傍に寄り添う、バーサーカーのサーヴァント、シャドウラビリスの姿を。
令呪を以て下された、真昼を守れと言う命令と、回復に専念せよと言うシャドームーン達が脅して下す事に成功した命令。
その二つの相乗効果によって今やシャドウラビリスは、例え狂化を受けたバーサーカーと言えど、己の身体を自由に動かす事すら難しい状態にあった。
「そうだ」
「このような風になるまで徹底的に痛めつけたと言う事は、君達もこの少女を殺す事に何の躊躇もなかった筈だ。心変わりを起こしたと言うのならばそれでも良いが、態々私を頼った訳を知りたいな」
……此処まで、此方側が意図した所を見抜かれると、驚くよりも前にいっそ清々しくなるとウェザーもシャドーも感じ入った。
結局、ウェザー達はその真意を全て、目の前の魔界医師に暴かれていたのである。
「私の手札でも確認しに来たか」
「そうと解ったら、治療を断るか。キャスター」
威圧的にシャドームーンが言った。常人ならば心臓が張り裂けんばかりの鬼風を放つシャドームーンを見ても、メフィストは恬淡とした雰囲気を崩さない。
仮に、メフィストが治療を断り、この二名を引き下がらせたとしても、彼らには実害は全くないと言っても良い。
確かに、このキャスターの手札が知れなかったと言う事は痛いかも知れないが、それだけだ。その時は番場とシャドウラビリスを殺せば良いだけだ。
手札は知れないが、聖杯戦争の舞台から一組の主従が脱落する。これだけでも十分過ぎるリターンだ。
このリターンだけでは満足出来ないから、彼らはメフィストに交渉を仕掛けている。シャドウラビリスの情報が組み込まれた契約者の鍵は、ウェザー達が握っている状態だ。
番場組達が縦しんば完治した所で、命綱はウェザーらが握っている。治ろうが治るまいが、ウェザー達のリターンは、既に約束されているのであった。
「そうとは言っていない」
メフィストの言葉は、此処までの流れに至るやり取りとは裏腹に、否、であった。
「例え後に敵に回る事が解っている相手だとしても、患者として私とその病院を頼った者を見捨てるのは、我が信条に悖る行為だ」
「……引き受けるのか、キャスター」
ウェザーが言った。この男との会話は、想像以上にエネルギーを使う。
「――私は病める者が好きだ」
ウェザーの方に向き直り、メフィストは言った。
表情を、此処に来た時から一ミクロンたりとも彼は動かしてはいない。ずっと、変わらない表情だ。
それまでウェザーは、メフィストの美を見て、忘我の域に達する程の恍惚とした感情を憶えていた。――今は、違う。
身体の至る所を氷の螺子で貫かれたような、身体の中の内臓が口から溢れ出んばかりの、恐怖とプレッシャーを憶えていた。
美の性質が、変化した。人を陶酔とさせるそれから、死を連想させる様な、純度の高い恐怖のそれへと。
「私の事を求めてくれるからな。それを袖にする事は、私には出来ん」
体感上の部屋の気温が、一気に零下を割ったような感覚をウェザー達は憶える。
威圧感も、殺意も、メフィストは放出していない。内側が透けて見える様な瑞々しさと透明さの唇から紡がれた、言霊によって、一同を威圧して見せた。
すぐに立ち戻ったのは、シャドームーンの方であった。彼が、メフィストの狂気に気圧されたのは、数百分の一マイクロ秒と言う短い時間に過ぎない。すぐに彼は、こう言った。
「では、早速引き受けてくれ」
「良かろう。では、去りたまえ」
「……何?」
「聞えなかったか、去るのだ」
「理由を、説明して貰おうか」
「君達の役目は、その少女を此処に連れて来た時点でもう終わりだ。健康な人間を此処に留め置く理由はない。病院は、病める者の世界だ。
君達がいては、次に我が病院を頼るであろう者が、治療に与る為の席に座れず困惑する。最後通牒だ、去りたまえ」
シャドームーンはこの言葉の意図を読み取った。
要するに、自分がどのような治療を施すのか、=この病院の設備や自分の技術の事を、やはり知られたくないのである。
治療は施すが、邪魔だからお前達は帰れ。この言葉は恐らくは本心から出ているだろう。
だが同時に、自分の手札を開帳したくないと言う思いもあると、シャドームーンは推測した。だが、予めこのように断られる事を、シャドームーンらも織り込み済みだ。
此処で、ウェザーに持たせた手土産の出番であった。
「マスター」
シャドームーンの言葉に呼応するように、ウェザーは、チェスターフィールドの下に置いてあった黒色のゴミ袋を取り出し、それを開封した。
部屋の中に、血と肉のムッとした臭気が充満する。堪えがたい程の臓器と死者の香り。「ふむ」、とメフィストが口にする。
「何故、部屋に臓器など持って来たのだと思っていたが、それが、交渉材料と言う訳か」
言ってメフィストは、ゴミ袋の中の、種々様々な内臓系を見ながら言った。
臓器を包むゴミ袋はそれ一枚だけと言う訳ではなく、開封した今だから解るが、ゴミ袋の中に更にゴミ袋を入れて縛り、と言った事を九重にしていた。
こうする事で恐ろしく強い血臭と臓器の匂いを遮断しようとしたのだろうが、それで死臭をシャットアウト出来るのならば苦労はしない。
実際此処に来るまで、タクシーの運転手に感付かれ、シャドームーンの洗脳を用いて血臭に気付かないふりをさせねばならなかった程だ。
そして、メフィスト病院内では、その洗脳は使わなかった。いや、使う必要がなかったと言うべきだろう。
理由は単純で、あの受付嬢は、血や臓器の臭いを感じても、眉一つ動かさず、ウェザーに応対したからである。つまり、この病院ではそのような事は慣れっこなのだ。
この瞬間にウェザーは悟り、シャドームーンも再認した。この病院が既に敵の腹の内である、と言う厳然たる事実を。
「肺、肝臓、膵臓、腎臓、消化器……だけじゃない。眼球もある。大脳や心臓以外で、特に有用で需要もあるものを持って来たつもりだ」
と説明するのは、この血塗られた贈答品がメフィストとの交渉に便利だと考えた当の本人である、シャドームーンだ。
ゴミ袋の中にはシャドームーンが言葉で告げた様な臓器が、買い物をした後の様に満たされており、吐き気を催す程の地獄絵図を形成していた。
元々臓器或いは輸血用の血液を交渉材料にすると言う計画を考えており、その為にこれらを持って来た。
メフィスト病院は常に、ドナー用の臓器と輸血用の冷凍血液を求めている、と言う噂を聞いていたからだ。本当は輸血用の血液も用意したかった所であるが、別個に用意せねばならない袋が多くなる為に、臓器だけに今回は絞った。
「殊勝な心掛けだな、メフィスト」
此処に来て初めて、メフィストの背後で佇んでいた黒スーツの紳士が、明白な言葉を投げ掛けた。そして何よりも、普通に真名で会話している。
ウェザーもシャドームーンも、このキャスターの真名については推測出来ていたとは言え、流石にこれは大胆と言うか、愚挙と言うべきか。
「少しは、物事の道理を弁えてはいる」
と言って、メフィストはウェザー達の評価を改めた。
「出所については……興味はないのか、アンタら」
余計な一言であるとは、解っていても、ウェザーは問いたくなった。
真っ当な神経の持ち主であれば、この臓器の提供者が誰なのか、と言う疑問を問い質すのだろうが、この二人に関しては、それが全くなかった。
寧ろメフィストに至っては、この臓器で誰を治すのか、と言う事について、既に思案すら巡らせている風にも思える。
「大方の予想は付く。が、そんな事は些細な事。肝心な事は君達が提供した臓器で、少なからぬ数の患者の命が助かる事だ。我が病院にそれを寄贈してくれるのであれば、私はその善意を有り難く賜る事としよう」
余りの発言に、ウェザーは言葉を失った。
この主従が調達した臓器と言うのは、彼らが拠点としている食屍鬼街で、健康ではあるが聖杯戦争に利用するには適さないNPCのそれである。
シャドームーンのキングストーンで洗脳し、彼が生み出した剣で身体を分解させ、それらを摘出して得たものである。
それについてウェザーは、自分が悪い事をしたなどとは欠片も思っていない。文句なら地獄で聞いてやると、開き直ってすらいた。
しかしそんなウェザーでも、悪い事をした、と言う意識は少しと言えどある。メフィストからは、一切その意識が感じられない。
ウェザーを咎める事もせず、本人の意思など一顧だにせず臓器を摘出されたNPCに感謝をする事もなく。
与えられた臓器で誰を救えるのか、何が出来るか、と言う事をひたすら冷静に、冷徹に分析するだけ。
ウェザーはその姿に、硬質なダイヤモンドを見た。その姿に――人類がアダムの時代から連綿と受け継いできた、経験と知恵が及びもつかない程の『怪物』を見た。
「良いだろう、治療の現場に立ち会う事を許可しよう」
メフィストからの言質を、二名はとった。順調に、事が運んでいる事をウェザーのみならず、シャドームーンも実感していた。
「それじゃあ、集中治療室にでも向かうのか? 専門的な事は解らんが……、施術に立ち会う時は、身体を消毒してから、滅菌服とか言うのを着るんだろ?」
「不要だ」
「は?」
即答されてしまった為に、ウェザーが頓狂な声を上げる。
「サーヴァントは兎も角、この少女は特に損傷が酷い。早急にこの場で治す必要がある」
色々と、突っ込みを入れたい所がウェザーにもシャドームーンにもある。
急ぎの治療が必要であると言うのならば、こんな所で話さずにもっと早く治療を施す必要があったのではないか、と言う事。
そもそも特に神経を使う程酷い外傷の患者に行う治療行為は、このような不潔な場所で行う事は通常ないのでは、と言う事。
死にそうな状態であると言う事が素人目どころか、本業の医者にすら理解出来るような状態で、その医者自身に治療を放置されていた、番場真昼の心境や、果たして如何に。
「その少女を、テーブルの上に」
メフィストの指示に従い、シャドームーンとウェザーは二人で一緒に、弁当箱に敷き詰められた食べ物の如く、
キャリーバッグの中に押し詰められた真昼を掴み、白色のクロスに覆われたテーブルの上に乗せた。ジワリと、白地の布に血が滲む。
「改めて見ると、流石に酷いな」
そんなのは、見りゃ解る。
「視神経が繋がった状態で、左目が外部に垂れている。恐らくは高圧電流で沸騰させられた影響だろう。失明は免れん。
上下含めて、歯が十二……いや、十三本折れているな。通常は差し歯にする必要がある。
両手両足の骨折。これも凄まじい。余程念入りにしなければ、こうまで悪意的には折れんだろう。だがそれ以上に目を瞠るのは、脳の損傷だろうな。
必要以上の頭への衝撃によって齎された頭蓋の破壊で、大脳が実に最悪の状態になっている。大脳に刺さった頭蓋骨の破片、君達の内何れかが放った高圧電流で、
例え治ったとしても、致命的なまでの後遺症が残る事は容易に想像出来る。言語・自律双方の障害、脳障害も最悪免れんだろう」
――「そう」
「普通の病院であれば」
其処でメフィストはスッと立ち上がり、番場の顔面に、そっと右手を当てた。
一際大きく、彼女の身体が痙攣する。たとえ意識を失おうとも、機能しない神経の方が身体の大多数を占めようとも。
この男が触れれば、人の身体は、それと解るのか、と思わずにはいられない。
「魔界都市に於いては、この程度の外傷など、珍しくもなかった。頭は抉れ、胴体の過半が消滅し、四肢を斬り飛ばされた状態で運ばれる患者など、日常茶飯事だったな」
そう口にするメフィストの言葉は、昔日の日々や、遥かな故郷の事を思うようなそれであった。
額にその繊手を置いたメフィストは、すっ、とその手を額から顎の方へとスライドさせ――ウェザーのみならずシャドームーンも、愕然とした。
傷が、消えている。顔に刻まれた、ウェザーのスタンドが放った高圧電流による電紋やその火傷も、唇や皮膚・筋肉に刻まれた裂傷も、である!!
「だが、それでも問題はない。冥府の神が統治する世界に、魂が足を踏み入れていないのであれば、私は如何なる損傷も治して来た」
零れ落ちた左目を視神経ごと、眼窩に嵌める。奇跡が、起こった。
最早切除以外に道はないそれは、メフィストがポッカリと空いた眼窩に入れ込んだ瞬間、この時を待っていたのだと言わんばかりに見事に収まったのだ。
すっ、と瞼が落ちる。この様な損傷に至る前と全く変わる事のないスムーズさで。
次にメフィストは後頭部や頭頂部をその手でさっと撫でた。
剥がれた皮膚が、流れ出る血液が、頭蓋が砕けた影響で変形した頭が――時間でも回帰して行くように元のそれへと戻って行く。
この時、マイティ・アイと言う科学の千里眼を持ったシャドームーンは、その透視能力で、理解してしまった。
焼き切れた視神経が完全に回復し、メフィストが眼窩に眼球を嵌めただけで、その切れた視神経が完璧な状態で繋がった事。
破壊された頭蓋骨が、独りでに体内を動いてゆく。正確に言えば、メフィストが手を当てた方に戻って行き、破片が元の形に結集されて行き、
破壊される前の頭蓋骨に完全に戻ってしまった事を。
次にメフィストは、懐から何かを取り出し、それをピンと伸ばし始めた。シャドームーンの方が、それが針金だと気付くのが早かった。
メフィストはそれを二m程の長さに切り取った、刹那。彼が断ちきった針金が、意思を持った蛇のように、真昼の骨折に骨折を重ねた右腕に殺到する。
上腕二頭筋の辺りから飛び出た骨の傷から、針金は体内に侵入。一秒程経過した後、真昼の右腕全体が、ブルブルと震え始め、そして、勢いよく伸ばされた。
何が起ったのか、とウェザーは目を丸くする。やはり、マイティ・アイを持つシャドームーンは認識してしまった。
真昼の右腕の中で何が起っているのか、認識出来ていた。メフィストの切り取った針金が、折れた骨と骨を繋ぎ、
体内で作用するギプスの様な役割を果たしているのだ!! これと同じ工程を、残った左腕、右脚、左脚にもメフィストは行い、その後で、
早くに針金を没入させた順に、四肢に手を当てて行く。異常な速度で、折れた骨と骨との継ぎ目が消えて行くのだ。
恐らくメフィスト程の術の持ち主であれば、針金のギプス等使わなくても、骨折など治せるだろう。
なのに彼がギプスを用いたのは、用いた方が、骨が治る速度が速くなるからに他ならない。
二秒と掛からず、四肢の一つの治療が終わり、四肢全ての骨折が完治し終わるまで、十秒と掛からなかった。針金は、骨を形成するカルシウムと溶けて、同化してしまった。
最後にメフィストは、バッと、真昼が着ていた、ウェザーらの戦闘の影響でボロ屑とかした学校制服を剥き取り、その裸体を露にさせた。
露になったのは、きめも細かく、雪の様に白い乙女の柔肌――ではなく。殴打の後と、ウェザーのスタンドが流した高圧電流の電紋と火傷跡、裂傷が刻まれた、
見るも無残な身体であった。しかし、顔と四肢は女の白さと柔かさを残しているのに対し、胴体が此処まで傷だらけであると言う状態が、
ある種のアンビバレンツを生み、独特のエロチシズムを醸し出している、と言う事実もまた否めなかった。
これを、メフィストは解体した。
己の患者には、一切の傷も許さないと言った風に、メフィストは真昼の腹部と背部の外傷を完璧に治し、黒く焦げた皮膚も殴打や斬られた跡も修復させ、
元の白肌に戻した後で、彼女を仰向けに倒し、彼女の胸部にその手を当てた。真昼の肌の白さよりも、メフィストの繊手の白さは、目立っていた。
寧ろウェザーの目には、このバーサーカーのマスターの肌の色が、雑多で汚れたそれにしか見えずにいる。
メフィストの右手が、真昼の体内に没入する。一瞬は驚くウェザーだったが、除倫に惚れているあの男のスタンドの事もあった為、直に平静を取り戻した。
まるで水の中に腕を突っ込んでいるかのように、メフィストは、真昼の胴体に腕を入れたまま縦横無尽に動かしていた。
シャドームーンに念話でどうなっているのか訊ねた所、『筋肉や骨、内臓がメフィストの腕に齎す接触と抵抗を無視して、彼が番場の内臓を一々治療している』、
と返ってきた。最早、驚く事すら疲れてしまう。スッとメフィストが、右腕を真昼の体内から引き抜く。
彼女の薄い皮膚には、嘗て、この美しい男が腕を突き入れ、これでもかと掻き回した跡一つすら、見受ける事が出来ない。元の、生まれたままの身体が、其処にあるだけだった。
「後は」
と言って、メフィストが、真昼の額に人差し指を当て、目を瞑り始めた。
何をやっているのだと、ウェザーが考え、直にシャドームーンにも念話で訊ねるが、【あのマスターの精神に何かを働きかけているが、何をしているかは解らない】、
と言う返事をよこして来た。目を覚まさせるのだろうかと、銀鎧のセイバーは考えたその時、パッとメフィストが目を見開かせ、口を開いた。
「……過去のトラウマから来るであろう、分裂した人格。それを治してやろうかと思ったが……如何やら、向こうにも半分の主導権があるらしい」
歯痒そうな表情で、メフィストはかぶりを振るった。此処に来て初めて見せた、無表情以外の顔の変化がこれであった。
自分の医術に絶対かつ、究極の自信を持つこの男は、その医術を拒否される事に、堪らない敗北感と屈辱感を憶えるらしい。
尤も、彼が果たして、何を治そうとしたのか。ウェザーには、解らないのであったが。
「さしあたっての治療は完了した。後は、足りない魔力を補い、目が覚めるのを待つだけだ」
さしあたって、と言うレベルではない。
誰がどう見た所で、完治である。外傷もないし、シャドームーンには、内臓や神経系すらも元の状態にまで戻されている事も解る。
しかもついでと言わんばかりに、ウェザーらが交戦した時には既に顔面に走っていた、古い切傷すらも治されていた。
即日退院出来るのではないかと言う程、綺麗な状態。今にも目をさまし、立ち上がり、此方に襲い掛かって来るのではと言う位であった。
「次は、そのサーヴァントか」
と言ってメフィストは、虚空に目線を送った。
正確には霊体化、番場真昼/真夜と言うマスターに寄り添った状態のバーサーカー、シャドウラビリスに、だ。
「一目見て解った事だが、霊体、霊核共に、著しい損傷を負っている。実体化する事も、元の形に戻る事すら、出来ない状態だろう」
実際に、其処までして痛めつける必要がシャドームーンにはあったのである。
メフィストがどのようにして、サーヴァント、特に、消滅まで時間の問題と言ったレベルでダメージを負った状態の者を治すのか、と言う興味関心もある。
だがそれ以上に重要だったのが、このサーヴァントがバーサーカーのクラスで召喚されていたと言う事実。
令呪による命令も、狂化の影響で正常に受け付けない事もあるこのクラスで召喚された以上、令呪を以て大人しくしていろ、と言うだけでは、
手綱と言うには余りにか弱く心細い。其処で、徹底的に痛めつけ、実体化は出来ないが辛うじて生きられる状態まで痛めつける事で、
マスターであるウェザーの安全を確保させると同時に、メフィストの治療技術を試す試金石にシャドウラビリスを仕立て上げた、と言う訳なのである。
「……人を試しすぎるのは、長生きしないぞ、銀鎧のサーヴァントよ」
「何の事だ?」
「このサーヴァントを構成している現在の魔力、その殆どが、君に由来するものだ。魔力だけは与えてこの世に留めさせてはいるが、霊核と霊体を傷付け実体化はさせなくしている。何故、こんな事をしたのか、明白だな」
「他意はない、戦略上そうする必要があっただけだ」
と言ってシャドームーンは、惚けてメフィストの追及を躱す。
「まぁ、良い」と言って、それ以上院長の方も問い質す真似はしなかった。追及をした所で、躱されるのがオチだと判断したのだろう
「霊体や霊核を治すなど造作もない事だが、この九割近くを破壊された霊核となると少々面倒だ。門派の技術と、専用の物品が必要になる」
言ってメフィストは、纏うケープを光の礫の如くにはためかせ、ウェザーやシャドームーン、あまつさえ己のマスターでさえ眼中にないような足ぶりで、
嘗てグラハム・ベルが作成したような、骨董品の如き電話の方に近付き、恐らくは病院の内部に何かを告げていた。
用件を病院スタッフに告げると、メフィストは電話を切り、その場に待機する。
沈黙の時間が流れる事、数分。
身体の中に石でも詰め込まれたような居辛いプレッシャーをウェザーは感じる。何せ誰も言葉を口にしないのだ。
自身が引き当てたセイバーのサーヴァントも、元々は寡言気味のサーヴァントだ。今は特にこれと言った危難もない為か、念話で何も告げる事はしない。
恐ろしく奇妙な状況であった。部屋には、人外の美を誇る白ケープのキャスター、銀鎧で身体を覆った飛蝗のセイバー、黒スーツの男、テーブルの上で全裸で横たわる少女。
真っ当に生きていれば先ず出くわす事もないシチュエーション。漂う空気の異質さと、余りの重さ。苦手な状況だと、ウェザーは一人ごちる。
そんなウェザーに出された助け舟の様に、自動ドアが開かれた。
勤務スタッフの一人が、銀色のトレーを持った状態で応接間に現れる。「失礼します」と告げた後で、メフィストの下へと近付いて行きトレーをメフィストに手渡した。
魔術の類なんて此処に来るまではてんで知らなかったウェザーにすら、メフィストが持つトレーに乗せられた代物が、奇妙かつ異常なものであると解る。
拳大程の大きさをした、幽玄な青色の光で燃え上がっているとしか思えない何かであった。燃え上がっているとは言うが、ウェザーの目にはそう見えるだけであって、
本当に熱を伴った燃焼がその物質に起っているのかどうかは、ウェザーにはわからない。
この、チェレンコフ光を思わせる青色に光る物質は、何なのか。メフィストに訊ねようとするが、すぐに彼は、説明に掛かっていた。
「この物質を、我々は、アストラル体と言う」
少なくともウェザーはその人生の中で、聞いた事すらも無い言葉であった。
「物質化された星幽体の結晶だ。通常この霊的粒子は特殊な霊能力者の中でも特に優れた人物にしか見えない。
こう言った、素養のない人物の目に見える形まで純度が高められて物質化されたアストラル体は稀だ。魔術師が喉から手が出る程欲しがる触媒になる」
「……んで、それで何をするんだ?」
ウェザーの反応は尤もだ。凄いものである事は十分伝わったが、其処からどう、あのバーサーカーの治療に派生するのか、てんで解らないのである。
「アストラル体の本質は、極めて高純度の霊魂の凝集体と言う所にある。感情を司るエネルギーである事から、情緒体とも感覚体とも、
『マガツヒ』とも呼ばれるこの物質は、霊や悪魔にとって人間以上に魅力的な餌でもある。これを以て、其処のサーヴァントの身体を補うのだ」
「成程、足りないものは補えば良い、って事か?」
「乱暴な言い方だが、そう言う事になるな」
其処まで言うとメフィストは、アストラル体を持って来たスタッフを部屋の外まで下がらせ、トレーを持った状態で、
テーブルの上で仰向けになった真昼の方へと近付いて行く。左手で、彼が星幽体を持った。
幽玄たる青色の光が、彼の身体を照らす。それでもなお、彼の身体から放出される、神韻にも似た白色の光は、褪せる事もなかった。
幽界の物質ですら侵されざる美を持った男は、アストラル体を持った左腕を、真昼の丁度臍の上に当たる位置まで伸ばし、其処でそれを離した。
白磁の繊手を離れたアストラル体は、引力に従い落下するのではなく、その場に、一切の浮力を伴わず、ふわふわと浮遊を続けている。
それが――異常な程の速度で、何もない空間に色が刻まれ、体積が膨張して行き、質量が満たされて行く。
青色の光を伴った、スライムに似た原形質の何かが番場真昼と言う少女の身体の上で、グネグネと膨張したと見えたのは、二秒と言う短い時間の話。
直にそれは、その原形質の何かがウェザーらの視界に現れるよりも更に早い速度で、極めて大雑把な人間の形を形成して行き――。
やがて、番場真昼の操るバーサーカー、シャドウラビリスと言うサーヴァントを形成した!!
「セイバー!!」
アストラル体を何かが取り込み、シャドウラビリスが実体化を行うと言う過程を呆然と眺めていたウェザーだったが、流石に死闘の場数を多く踏んで来た男だ。
我に戻るのも、危難を認識する能力も早い。背後に控えていたシャドームーンにすぐに指示を飛ばした。
シャドームーンが構える、チェスターフィールドの背もたれに片腕をかけ、その片腕を起点に後方に一回転。シャドームーンの背後に、ウェザーは移動した。
「うぅ、ぐぅ……!?」
真昼を避けて、テーブルの上に降り立ったシャドウラビリス。
自らの両手と身体を、信じられないように、この影は見ていた。狂化されている理性にも、奇妙なものに映っているのだろう。
それまでは霊体化した状態でしか自らを現世に止められずにいた自分が、呼び出された時と寸分違わない十全の状態で実体化させられているのだから。
やや白みがかった銀色の髪も、着用している制服も、元通りであった。
「……」
テーブルから床の絨毯の上に降り立ったシャドウラビリスは、右腕を水平に伸ばす。
その右手に、自身の肉体よりもずっと大きく、ずっと質量も多そうな戦斧が握られた。――途端に、黄金色の瞳が喜悦にわななき、口の端が吊り上った。
「■■■■■■■■■■■ーーー!!!!!!」
そして、心胆を寒からしめる、狂獣の咆哮を上げ始めた。シャンデリアが大きく左右に揺れ、調度品がビリビリと震える程の声量だった。
面白そうな笑みを崩さないルイ、恬淡とした態度で、シャドームーン達の方向を見つめる、メフィスト。
「狂戦士なら狂戦士と、予め説明しておきたまえ」
「失念していた、すまない」
「そう言う事にしておこう」
大気を引き裂き押し潰し、戦斧を大上段からメフィストの方目掛けてシャドウラビリスが振り下ろす。
それに呼応してか、まるで、中世貴族に使える騎士道精神に篤いナイトの精神でも封じ込められているかの如く、メフィストが纏ったいたケープが、一人でに動き始め。
その戦斧を真っ向から受け止めた!! 目の前の状況を、誰が信じられようか。重さにして百kgは下らない、大質量の斧を、総重量一kgにも満たない純白のケープが、
今の力関係が当然なのだと言わんばかりに、受け止めていたのだ。如何なる魔術を用いているのか、ケープは布の柔かさを保ちながら、
鋼の如き硬度を得て、シャドウラビリスが振う斧を動かす事を全く許さない。
魔界医師が、身体の方向を、シャドームーン達の方角から、シャドウラビリスの方向へと向き直らせた。
――機械の乙女の顔付きから、爆発するような狂気の感情が消え失せた。ハッとしたその少女の、その顔こそが。
狂化と言う枷を取り払い、ネガティヴ・マインドと言う感情から解放された、『ラビリス』と言う少女本来の顔つきなのだと、この場に知る者は誰もいない。
猛る狂った女魔の怒りと狂喜すら消し飛ばせ、あらゆる鬱屈とした感情を、破魔の月光を浴びたガラスの魔城の如く崩れ去らせる。
天界の美、美の概念の超越者。メフィストの美こそが可能とする、ある種の奇跡が其処に在った。
「狂気の枷に束縛され、我が言葉を正しく受け入れられなくなった君に、私の言葉が届くとは思えないが……これだけは、口にしておこう」
刹那、ウェザーやシャドームーンの身体に、宇宙の暗黒が勢いよく叩き付けられた。
体組織が一瞬で凍結し、破壊されそうになる程の冷たさを孕んだ、虚無の昏黒。
それが、ウェザーから見た、メフィストの身体から迸り、己らにぶつけられた何かの正体だった。
殺意とも、高邁な意思とも違う。如何なる感情を伴った波動を、メフィストは、この鋼の乙女に直撃させているのか。ウェザーには、解らずにいた。
「――我が病院とその患者に仇名す者は、『神』であろうともその罪を贖わせる」
絶対零度の冷たさでそう告げた瞬間、ゴゥン、と言う鈍い金属音が、シャドウラビリスから見て右方向から響き渡った。
肩の付け根辺りから切断された彼女の右腕が、あの巨大な戦斧を握った状態で床に落ちているのだ。
自身に何が起ったのか解らないと言った表情で、彼女は己の右腕の在った方向を見ていた。忘我の域に、彼女は在った。
痛みすらも遅れさせる、美貌と言う名のメフィストが使う天然の麻酔に、未だに彼女は酔っていた。
何を以て、シャドウラビリスの腕を切断したのか、ウェザーには解らない。
しかし、世紀王として優れた身体能力を誇り、マイティ・アイと言う千里眼を持ったシャドームーンは、何が起こったのかを理解していた。
番場真昼の四肢を治した、あの針金だ。あの針金を目にも見えない程の速度でシャドウラビリスの腕に巻き付かせ、これを高速で収縮させて彼女の腕を斬り落としたのだ。
彼らは、知らない。メフィストの針金細工と言う名前の技術が、嘗て彼のいた魔界都市<新宿>に於いて、どれ程恐れられ、同様の魔術や奇術を用いる人物から、
尊敬と嫉妬の念で見られていたのかを。彼の腕に掛かれば、ビルですらも容易く輪切りに出来るのだ。
「眠りたまえ。君の主が、その目を覚ますまで」
そう言ってメフィストは、キョトンとするシャドウラビリスの眉間に指先を突き付ける。
彼女の目線が、彼の指先に集中した瞬間、突き付けられた右手全体から、白色の電光がスパークし、彼女の身体を包み込んだ。
「ギィッ……!!」と言う声を上げて、衣服ごと彼女の身体は黒焦げになり、俯せに倒れ込む。
数時間前に消滅一歩手前まで痛めつけられ、再び十全に回復したのに、今また気絶する何て、不器用で哀れな奴だなと、ウェザーは少しだけ同情の念をこのサーヴァントに覚えた。
「必要なものは全て見せた。これ以上は見せん」
ウェザーらの方に向き直りながら、メフィストは告げる。
「この少女とバーサーカーを我が病院に搬送しようと考えたのは、君の入れ知恵だな? セイバー」
「知らんな」
「咎めている訳ではない。対価も頂いた、さしあたっては感謝しよう。但し、肝に銘じておくが良い」
「何だ」
「私と、愛し子とも言うべき我が患者と、我が病院に仇名す者は、神であろうと魔王であろうと、辺獄(リンボ)からゲヘナ、エデンの園に至るまで。
この世の果てに逃げようとも追い詰めて、世界に存在したと言う痕跡すら残さず、私は滅ぼすつもりだ」
メフィストと、シャドームーンを取り巻く空間が、陽炎めいて歪む。
殺気の光波は、歪んだ空間の中を走り始め、その空間の中だけ、黒雲が満ち、稲妻が荒れ狂うのではないかと言う程の、敵意と殺意のぶつかり合い。
まともな人間がこの空間の中に足を踏み入れようものならば、その瞬間、狂死の運命が待ち受けているに相違あるまい。ウェザーですら、正気を保つので精一杯であった。
「帰りたまえ、セイバー、そしてその主よ。次会う時は、敵の関係にならないように祈っておこう。我が腕が、君の力の源である霊石を破壊するような関係にならない事を」
「俺も、その白いケープごとその美しい身体を断ち切らない事を祈るだけだ。その様な関係は、望むべくではない」
本心で言っているのかどうか。誰にもそれは解らない。
「結構。受付に戻りたまえ。代金を払ってな」
「解った。帰るぞ、マスター」
「……ああ」
言ってシャドームーンを霊体化させ、ウェザーは、応接間から去って行った。
その時に一瞬、掛け時計の方にウェザーは少しだけ目線を移動させた。時間にして、朝の七時。
応接間に入ってからメフィストと言葉を交わしてから、十分程度しか経過していない事になる。
とても信じられない。時間の流れが、狂っているとしか思えない。ウェザーは三時間も、あの魔界医師達と話しこんでいたような気分が、今も抜けないのであった。
.
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「二千円か……何て言うか、マジでイカれてるな」
メフィスト病院から外に出るなり、ウェザーは一人ごちた。
二千円、この値段が何を意味するのか。それは、メフィストが直々に、番場真昼とシャドウラビリスを治療した、診療費だ。
保険証を持っていないウェザー……、と言うより、あれだけの治療に本当に保険証が通用するのか疑わしい所であるが、
兎に角、死と消滅の境を彷徨っていた真昼とシャドウラビリスにあの治療を施しておいて掛かった値段が、この料金である。
余りにも良心的過ぎて逆に不気味で、恐怖すら覚えてしまう。この良心の裏に何らかの下心があるのならば、人間的で可愛い方であるが、それすらもない。
人間のエゴや欲求と言うものを極限まで無視した、メフィスト病院の医療対価に、ウェザーは明白な寒気を憶えていた。
しかも、今ウェザーが持っている紙袋よ。
これは本来ならば退院患者のみに与えられるメフィスト病院の贈答品なのだ。今回は特別にメフィストが便宜を計らい、ウェザー達にも与えられた。
中身は『せんべい』だ。オーソドックスな塩せんべいや海苔せんべい、ざらめが塗されたそれ等、様々な種類のせんべいが複数袋詰めにされたそれであった。
余りにも至れり尽くせりなその姿勢。いっその事、完全に敵とした回った方が、まだ納得する主従の方が多いのではないか?
【で、セイバー。お前から見て、あのメフィストって言う男は、どう見えたよ】
【噂を聞くだけでは、破綻者以上のイメージは抱けなかった。実際に言葉を交わした今では――】
【今では?】
【狂人だ。それも、恐ろしく筋骨の通った、な】
シャドームーンですらが、自分と同じイメージを抱いていると知り、ウェザーはほっと胸を撫で下ろした。
このセイバーから大まかな噂を聞くだけでも、頭がおかしいとしか思えなかった、ドクターメフィストの逸話の数々。
その伝説の姿を目の当たりにし、ウェザーが抱いた感想は、狂気の世界の住民以外の何物でもなかった。
自らの病院と、彼に救いを求めた患者のみしか見えておらず。彼らには慈母の如き愛情を与える一方で、健常者には悪魔の如くに一切の容赦もない男。
魔界医師の顔が、ウェザーらの脳裏に過った。瞼を閉じるだけで、あの男の姿が焼き付いているかのようだ。「病める者が好きだ」と言った、あの狂人の相貌が。
【今後、あの先生とコトを争うつもりはあるか?】
【今はない。俺達の、メフィストと言うサーヴァントと奴の神殿である病院の設備がどの程度のものなのかを見極める、と言う目的は確実に見抜かれていた。
これは推測だが、あの男は持てる技術の二割も、バーサーカーとそのマスターの治療に当てていない。俺達の意図を察していたからだろうな】
【……あれで底を見せていないのか】
普通の医者ならば見るだけで匙を投げ、葬式屋にでも連絡をし葬儀のパンフレットを遺族に送るよう催促してしまいそうだった、
真昼の傷をいともたやすく治したあの手腕。アレが全力でないとなると、本気を出せばそれこそ……死者すら蘇生させられるのではと、ウェザーが思うのも、無理はない事だろう。
【あのキャスターは正気ではないが、言った事を絶対に違える性質ではない事は言葉を交わして解った】
【ああ、それは俺も理解した。あのキャスターの言葉に……嘘偽りは、全く感じられなかった】
【これはある種危険な賭けだが……もしかしたらあの施設、怪我を負った際に体の良い治療屋として利用出来るかも知れん】
【……本気か?】
駐車場を歩いて移動していたウェザーが立ち止まり、シャドームーンの正気を今度は疑いに掛かった。
【この病院がサーヴァントの手による者だと言う事は、少し考えれば誰でも解る事だ。そして少し努力すれば、この病院の狂気染みた良心さも解る筈だ。
だが、実際にあのキャスターの姿を見ず、話しこんでもいない人物が、『聖杯戦争の参加者にも同様に振る舞う』と、果たして信じられるか?】
無理である。サーヴァントが運営する病院と解った以上、真っ当な神経の持ち主ならば、入院して無防備な所を殺しに掛かるのでは、と疑うのが当たり前だからだ。
【だが、実際に違うと言う事を俺達は理解している。これは推測だが、メフィスト病院の院長の方針を概ね正しく理解出来ているのは、今の所俺達以外に存在しない。
サーヴァントが運営する病院であると言う事実を忌避して、この病院の世話になりたくない主従も、今後当然出て来るだろう。これは非常に大きい。
お前も見ただろう、あのキャスターの卓越した医療技術。あの男は病院と、自身の患者に手出しさえしなければ、俺達ですら治療し匿うだろう。
あの病院の性質と、その技術の高さから、何が言えるか? それは、『多少無茶な傷を負っても、この病院に来れば治療して貰える』と言う事だ】
【要は、他の主従が手負いになってひいひい言ってる所を、俺達は手傷を負えばこの病院に足を運んで、直に回復させて貰い、また鉄火場にGO出来る、って事か?】
【そうなるな】
成程、確かにそれは凄まじいアドバンテージだ。
聖杯戦争は何日で終結するかも解らない上に、<新宿>のこの狭さだ。交戦回数も数多くなるだろう。
現にウェザーらは聖杯戦争が開催される前に、バーサーカー達と交戦した程である。全員殺し尽すのがこの主従の究極目標だが、同時に、
消耗もなるべく抑える事も念頭に入れておかねばならない。特に終盤戦は、互いに消耗も激しく、切り札である宝具もおいそれと発動出来ない状況が起こるだろう。
そんな中でメフィスト病院の治療を受け、肉体的にも魔力の総量的にも十全となった自分達が、どれ程優位な立ち位置に立てるかは、考えるまでもない。
確かに、こう言う状況は、この主従の理想とする所であろう。
【尤も、俺もあの病院を頼る事を前提とした戦いはしたくない。可能なら手傷を負う事無く、相手を殺す。それが理想だ】
【ああ、そうだな】
だが流石に、シャドームーンは気位の高いサーヴァントだった。
メフィスト病院に甘えるような戦い方を良しとせず、世紀王と謳われたその実力を以て、相手を完膚なきまでに殺戮する。
その様な在り方をこそ、彼は良しとしていた。
【……だが、実際にあの病院の内部に足を踏み入れて、解った事が一つある】
【何だ?】
【真の脅威は、別にあったと】
【……本当の脅威?】
【俺は、今日のこの時に至るまで、あのメフィストと言うキャスターこそが、あの病院を攻略する上で、一番の難敵だと理解していた】
【だが、違う】
【奴も確かに、比類稀なる強敵だ。だが……『奴のマスター』。あれが一番、警戒するべき存在かも知れん】
【メフィストのマスター?】
その姿をウェザーは思い出そうとする。
黄金の糸のように美しい、黄金色の髪型。妖しい光を湛えるオッドアイ。ウェザーが一生涯働いても手に入らない程の値段の、仕立ての良いブラックスーツ。
メフィストを引き当てたマスターだけあり、ただ者ではない感は確かにあったが、それだけ。寧ろあの場においては、メフィストの存在感の強さで、
極限までその存在が薄められた、目立たない人物以外のイメージを、ウェザーは抱けずにいた。
【メフィストがどんな美貌の持ち主だろうが、例え人間ではなかろうが、卓越した魔術と医術の腕前の持ち主だろうが……『奴はサーヴァントだから』。これだけで全て納得が行く】
当然だ。人類の常識の埒外の技術を持った存在こそが英霊になり、そして、サーヴァントとして聖杯戦争に招かれるのだから。
人智を逸脱した魔術と医術の技を持ったメフィストが今更、人間ではないと言われても、誰も驚かない。
【だが……マスターの場合はそうはいかない。マスターが人間以外の存在となると、話は変わってくる】
【あのジェントルマンは、人間じゃないとでも?】
【解らん】
【あ?】
【人間か如何かすらも、解らなかった】
シャドームーンはあの病院の姿を初めて捕捉した時から、今日初めて内部に侵入した時まで、マイティ・アイでつぶさにその内部を見極めようと観察していた。
結果は、失敗。病院自体に、極めて高度な霊的かつ空間・魔術的な防衛措置が施されているせいで、その全貌が全く確認出来ないのだ。
ゴルゴムが十万年以上も培ってきた科学力の結晶体であるシャドームーンですら、一階の様子を透視するだけで精一杯であったと言えば、その恐ろしさが知れよう。
しかしそれも、あの魔界医師が手掛けた病院だから、と言う理由で、乱暴ではあるがまだ説明も出来る。
――説明が出来なかったのは、マスターであるあの男、ルイ・サイファーをマイティ・アイで観察した時だった。
解らなかった。人間か如何かすらも。ゴルゴムの技術の粋である千里眼が弾き出した、男の正体は『ERROR』。
何を以てその肉体が構成されているのか。そして、男が何を得意とし、如何なる身体的特徴を持っているのか。その全てがエラー。
解析不能だったのだ。これは初めての事柄であった。あのメフィストですら、人間ではないと言う事実が辛うじて理解出来たと言うのに、
あのマスターに関しては、一から百まで全てが解析不能の結果を弾き出したのだ。其処にシャドームーンは、一抹の不安を覚えた。
【あのサーヴァントを呼び出すマスターだ。真っ当な精神の持ち主でない事は容易に想像出来る。真に警戒するべきは、あの男かも知れん。覚えておけ】
【理解した】
このセイバーが言うのであれば、恐らくは本当なのだろう。
不敵な笑みを浮かべるだけで、全く会話にも乗って来なかったあのマスター。あの態度は、演技なのだろうか。
そんな事を思いながら見上げる<新宿>の夏の空は、鬱屈としたウェザーの心境に反して、何処までも澄んで輝いていた。
そう言えば朝飯を食ってないなと思い、メフィスト病院からもらったせんべいを、歩きながらウェザーは取り出した。
その後で、毒が入っていないか、不安に思うウェザー。マイティ・アイで分析した結果、毒は入っていないと、シャドームーンの念話が頭に響いた為、袋を開封。
ざらめのついたせんべいを齧る、ウェザーなのであった。
.
【ウェス・ブルーマリン(ウェザー・リポート)@ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン】
[状態]健康、魔力消費(小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]無
[装備]普段着
[道具]真夜のハンマー(現在拠点のコンビニエンスストアに放置)、贈答品の煎餅
[所持金]割と多い
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界に戻り、プッチ神父を殺し、自分も死ぬ。
1.優勝狙い。己のサーヴァントの能力を活用し、容赦なく他参加者は殺す。
2.さしあたって元の拠点に戻る。
[備考]
・セイバー(シャドームーン)が得た数名の主従の情報を得ています。
・拠点は四ツ谷、信濃町方面(南元町下部・食屍鬼街)です。
・キャスター(メフィスト)の真名と、そのマスターの存在、そして医療技術の高さを認識しました。
・メフィストのマスターである、ルイ・サイファーを警戒
【シャドームーン@仮面ライダーBLACK RX】
[状態]魔力消費(小) 、肉体的損傷(小)
[装備]レッグトリガー、エルボートリガー
[道具]契約者の鍵×2(ウェザー、真昼/真夜)
[所持金]少ない
[思考・状況]
基本行動方針:全参加者の殺害
1.敵によって臨機応変に対応し、勝ち残る。
2.他の主従の情報収集を行う。
3.ルイ・サイファーを警戒
[備考]
・千里眼(マイティアイ)により、拠点を中心に周辺の数組の主従の情報を得ています。
・南元町下部・食屍鬼街に住まう不法住居外国人たちを精神操作し、支配下に置いています。
・"秋月信彦"の側面を極力廃するようにしています。
・危機に陥ったら、メフィスト病院を利用できないかと考えています。
・ルイ・サイファーに凄まじい警戒心を抱いています。
.
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「中々面白い主従だったじゃないか」
院長室に戻るなり、ルイ・サイファーは面白そうな表情でメフィストの方に語り掛けた。
「人を値踏みする意図が気に食わん。あの性根故に、いつかは滅びるだろう」
黒檀のプレジデント・デスクに向き直り、メフィストが口にした。
此方の医療技術と実力を拝見させて貰おう、と言う意思がありありと伝わる主従であった。
この程度で事を荒立てるメフィストではないが、敵対するとなれば、容赦はしない。幸いにもあのセイバーは相当な切れ者であった為、この場で戦う事を良しとせず、引きさがったが、次出会う時はどうなっているか、想像も出来まい。
番場真昼/真夜は意識を取戻し次第、搬送した病院三階の個室から即日退院させるつもりであった。
通常あれ程の怪我を負った者は一日二日、時間を置いてから退院させるのが常なのだが、メフィストが直々に治療した場合は、意識を取戻し次第即座に退院だ。
理由は簡単で、それだけメフィストの医術が芸術的で、そして、完璧だからだ。健康な者を何時までもこの病院に留め置く必要はない。次の患者の為に、席を譲らせてやるべきである。
一方シャドウラビリスは、メフィスト病院の地下階の一室に、全身に針金を撒き付けた状態で監禁させてある。
暴れられたらコトであるからだ、と言う事は言うまでもない。メフィストが操る針金は、余程筋力に優れた存在ない限りは先ず断ち切れない。
それにあのサーヴァントは、霊体と霊核こそメフィストが用意したアストラル体で回復させられたが、今度はメフィストの手によって、
宝具が発動出来ないレベルまで魔力を徴収されていた。あのバーサーカーの宝具が何かは解らないが、これも暴走対策である。
真昼が退院させる時には返すつもりであるが、それも、シャドウラビリス次第と言うべきだ。
「ところで、メフィスト」
「何か」
「あの主従と戦って、君は勝てると思うかい?」
普通の聖杯戦争に参加した普通のキャスターには到底聞ける訳もない質問だ。余りにも結果が見え透いていて、馬鹿らしい問だからだ。
キャスターは三騎士が固有スキルとして保有する対魔力の影響で、その魔術の殆どが意味を成さないクラスであり、より端的に現実を言い表すのならば、
始る前から勝負の殆どが付いている状態と言っても過言ではないのだ。当然メフィストも、その対魔力スキルの存在を理解していて――
「この病院の中ならば勝てるだろうな」
理解していてなお、この言葉だった。
「では、病院の外では?」
「良くて半々。悪くて、此方の勝率は四割だろう」
メフィストの目は節穴ではない。
現代科学では、いや、事によったら魔界都市の科学技術を以ってしても再現出来ない程の技術と魔術で、あのセイバーが生み出されている事を、
この美貌の医師は見抜いていた。そして、自分が懸想する、黒コートの魔人。魔界都市を体現する、“僕”と“私”の二つを使い分ける妖糸の男を。
それと解っていても、この自信。いや、この男ならば、或いは……? そう思わせる程の凄味が、魔界医師には、満ち満ちていた。
「成程」
それと聞いて、ルイは不敵な笑みを再び浮かべるだけ。
この質問の意図の方が、メフィストには掴めない。悪魔の考える所を理解出来る所は、その悪魔当人か、同じ悪魔のみ。
自分には理解するのはまだ早いのだろうかと、メフィストは静かに思考の海に潜り始めた。
「さて、メフィスト。『先程』の続きだ」
「……フム、そう言えばそうだったな。予定外の客人のせいで、すっかり忘れていた」
それまでエクトプラズムの椅子に腰を下ろしていたルイが立ち上がり、黒檀のデスクの方へと近付いて行く。
メフィストの方に手を差し伸べ、それを見るやメフィストは、ケープの裏地から一本のメスを取り出し、それをルイに手渡した。
――そしてそれで、何の躊躇いもなく、ルイは己の左小指を斬り落とした。
机の上に湿った音を立てて落ちる小指。
嗚呼、見よ。ルイの小指の切断面を。その切断面は、色の濃い墨を塗った様に真っ黒ではないか。
身体の中に宇宙が広がっているような暗黒が、その切断面から見えるではないか!! 赤い血も溢れ出ない、痛がる素振りも見せはしない。
これこそが、メフィストのマスターである魔人、ルイ・サイファーが、人間ではない事の証左ではあるまいか!!
「ふむ……これだけの大きさの指ならば、先ず失敗する事はなくなるだろうな。それに喜びたまえ、情報の量は作成速度と比例する。この量ならば、一時間程で完成するぞ」
「そうと解っていれば、初めから私の毛髪ではなく、指を差し出すべきだったな」
「全くだ。それ程痛がる素振りも見せないのならば、小指の一つや二つ、訳はないだろう」
凡そ医師が口にする言葉とは思えない発言を受けても、ルイ・サイファーは笑みを強めるだけ
痛覚と言う神経が、初めから身体に通っていないとしか思えない程の豪胆ぶり。それを発揮しているのが、目の前の優男風の紳士であると言う事実。
此処は魔界だった。常人が足を踏み入れるべきではない、異界の理をこそが全てを統べる、事象の外の世界だ。
「エラーのせいで流出し、現実世界と固着してしまった私の固有結界のせいで、不利益を被るマスターの為だ。責任を以て、ドリー・カドモンと共に所望した、もう一つの品。製作をさせて貰おう」
「私に命令されたから製作する、と言う言い方は良くないぞ、メフィスト。君自身も、興味があるのだろう? なぁ、魔界医師。溢れ出る無限の知識欲を抑えきれぬ、欲深き魔人よ」
その繊指が、ルイ・サイファーの小指を摘まんだ。
白く艶やかな指が摘まむのは、人間の身体から分離された一本の小指。そのアンビバレンツが、驚く程グロテスクで、耽美的で、見る者の目線を捉えてやまない。
「悪魔の力の純然たる結晶、『マガタマ』。初めて聞く呪物だが、面白い。それを、況してや、彼の大魔王の身体から創れるのだ。面白くない筈もないだろう」
「おっと、その名前を出すのはルール違反だ。私はただの、君の病院のパトロンだ」
何処までもこの男は、自分を人間だと偽り通すつもりらしい。
先程の応接間の時も、シャドームーンが、信じられないと言った様子で自分達の事を見つめていた事に気づかぬ程、愚鈍な男でもあるまい。
「付いて来たまえ。マガタマを用意するついでに、失った小指の義指を用意しておこう」
「その配慮、有り難く承ろう」
言ってメフィストもルイもその場から立ち上がり、院長室から退室する。
両者の向かう先は、共に暗黒。共に虚無。共に■■。■■■■。
.
【四谷、信濃町(メフィスト病院)/1日目 午前7:10分】
【ルイ・サイファー@真・女神転生シリーズ】
[状態]健康、小指の欠損
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]ブラックスーツ
[道具]無
[所持金]小金持ちではある
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯はいらない
1.聖杯戦争を楽しむ
2.????????
[備考]
・院長室から出る事はありません
・曰く、力の大部分を封印している状態らしいです
・セイバー(シャドームーン)とそのマスターであるウェザーの事を認識しました
・メフィストにマガタマ(真・女神転生Ⅲ)とドリー・カドモン(真・女神転生デビルサマナー)の制作を依頼しました
・??????????????
【キャスター(メフィスト)@魔界都市ブルースシリーズ】
[状態]健康、実体化
[装備]白いケープ
[道具]種々様々
[所持金]宝石や黄金を生み出せるので∞に等しい
[思考・状況]
基本行動方針:患者の治療
1.求めて来た患者を治す
2.邪魔者には死を
[備考]
・この世界でも、患者は治すと言う決意を表明しました。それについては、一切嘘偽りはありません
・ランサー(ファウスト)と、そのマスターの不律については認識しているようです
・ドリー・カドモンの作成を終え、現在ルイ・サイファーの存在情報を基にしたマガタマを制作しようとしています
・そのついでに、ルイ・サイファーの小指も作る予定です。
・番場真昼/真夜と、そのサーヴァントであるバーサーカー(シャドウラビリス)を入院させています
【番場真昼/真夜@悪魔のリドル】
[状態](魔力消費(絶大) 、各種肉体的損傷(極大) 、気絶、脳損傷、瀕死、自立行動不能)→健康、睡眠中
[令呪]残り零画
[契約者の鍵]無
[装備]ボロボロの制服(現在全裸)
[道具]
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:真昼の幸せを守る。
1.-
[備考]
・ウェザー・リポートががセイバー(シャドームーン)のマスターであると認識しました
・本戦開始の告知を聞いていません。
・拠点は歌舞伎町・戸山方面住宅街。昼間は真昼の人格が周辺の高校に通っています。
・メフィスト病院三階で眠っています。一日目が終わる頃までには、意識を取り戻すでしょう
【シャドウラビリス@ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ】
[状態](左腕喪失、腹部損壊 霊体損壊(大)、魔力(キングストーン由来)最大充填)
↓
健 康
↓
右腕喪失、電撃によるダメージと火傷、全身を針金による束縛、魔力消費(極大)
令呪による命令【真昼を守れ】【真昼を危険に近づけるな】【回復のみに専念せよ】(回復が終了した為事実上消滅)
[装備]スラッシュアックス
[道具]
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:全参加者及び<新宿>全住人の破壊
1.全てを破壊し、本物になる
2.苦しい
[備考]
・セイバー(シャドームーン)と交戦。ウェザーをマスターと認識しました。
・シャドームーンのキングストーンが生成した魔力を供給されましたが、代償として霊体が損傷しました。
・霊体の損壊は何の処置も施さなくても、魔力を消費して半日ほどで全回復します。
・メフィストが何者なのかは、未だに推測出来ていません。
・現在暴走対策の為に地下で監禁されています。
投下を終了いたします
初投稿です。
ブ北上&アサシン(ピティ・フレデリカ)、投下します。
☆アサシン
魔法少女の強さを表す表現に『世界観が違う』という表現がある。
言い得て妙な表現だと思う。
魔法少女はとにかく能力の幅が大きい。
『ご近所の問題解決をする魔法少女』から『宇宙空間で邪神と殴りあう魔法少女』まで、世界には多種多様な魔法少女が存在していた。
思うに、サーヴァントというのもそういうものなのではないだろうか。
如何に伝説を残し歴史に名を残した英雄だろうと、その幅は広い。
歴史書を紐解けば『神話の大英雄』も『後世でようやく評価を得たしがない童話作家』も同じ英雄と扱われる。
そして、同じ英雄なのだから英霊として聖杯にその名を刻まれサーヴァントとして聖杯戦争の地で相まみえることもある。
サーヴァント同士の争いというのは、まず『世界観』という壁がある。
聖杯が欲しければ『しがない童話作家』は『神話の大英雄』に勝たなければならない。
アサシンは自身のことを確認する。
アサシンは、ベテラン魔法少女であるが強い魔法少女というわけではない。
上を向けばいくらだって強い魔法少女は居た。
実力なんて高く見積もっても下の上くらい。魔法少女内だってヨーイドンで戦えば勝てる相手のほうが少ない。
『童話作家』と同じ程度と考えたほうがいいだろう。
この地にどれほどの英霊が顕現しているのかは知らないが、『神話の大英雄』クラスもごろごろ居るだろう。
右手の薬指から人差し指にチャンネルを切り替える。
水晶玉の中に映る映像が切り替わる。
『童話作家』が『神話の大英雄』に勝つにはどうすればいいのか。
普通ならば無理だ。
割り箸で作ったゴム鉄砲で空母に勝てるわけがない。
戦闘に対する意識が違う。
持ち込める機能が違う。
戦闘の次元が違う。
戦力の規模が違う。
全くもって、『世界観が違う』。
じゃあ、どう立ち回るか。それを考えるのが『童話作家』たちの最初の課題だ。
市販のインスタントコーヒーを一口飲む。味が尖っていて違和感がある。
サイフォンとお気に入りの豆が欲しいが、生憎アサシンのマスターはコーヒーを嗜まないので無理は言えない。
サーヴァントも魔法少女も食事は必要はないので、実際はコーヒーを飲む必要すらないのだが、そこはそれ、生前の嗜好である。
生前からの嗜好や癖は変えられない。たとえ英霊になっても、アサシンはアサシンなのだから。
もう一口コーヒーを飲んで、やはり微妙な味にちょっとだけ辟易する。
次があれば別の種類を買ってこよう。
マグカップをおいて水晶玉に向き直る。
『童話作家』はどう戦局を作り、立ち回るべきか。
答えは簡単だ。
戦わないように立ちまわる。それしかない。
勝つだ負けるだは結局、同じ舞台に立っている者同士でしか成立しない。アサシンが不用意に土俵に立てばものの一薙で勝負すらなく消滅する。
ならば舞台には立たない。
舞台の上では『神話の大英雄』同士で戦ってもらって、両者に潰し合ってもらって、アサシンは最後の最後まで舞台裏に居続ける。
そして舞台裏で動きまわって戦争を進め続け、最後の最後で舞台の上で幕引きを告げる。
潰し合って弱った英雄を後ろから刺すもよし。がら空きのマスターを襲撃するもよし。
そういう、正々堂々とか騎士道とか、そういった精神を持つ人間には『姑息』と謗られるような戦い方をする。
というより、正面からやって勝てるわけがないのでそうする他ない。
その方針が顕著に現れているのが『暗殺者(アサシン)』のクラスだと思う。
気配遮断のスキル。暗殺特化の宝具。こんなものを渡している以上はアサシンたちにとっては『そういう戦い方』こそが王道と言える。
アサシン組の基本方針は、『神話の大英雄』同士の潰し合いを発生させること。もしくは、どこかで自然発生したその潰し合いに生じて両者を潰すこと。
可能ならば、優れた能力を持つ『神話の大英雄』と手を組み、彼らを支援して他の組を駆逐しつくしてもらい、最後の最後で寝首をかくというのが一番望ましい。
聖杯戦争に呼び出されながら聖杯戦争にかかわらず、そして聖杯戦争で勝利するためにはどうする必要があるか。
そのためには、情報を集める必要がある。大小問わず、この<新宿>の全ての情報を。
どんな相手とも手を組めるだけの。どんな相手でも殺せるだけの情報を収集する。
敵の察知を情報で逃れ、敵の追走を情報で撒き、敵の攻撃を情報で躱し、敵の喉元を情報で締め上げて殺す。
英霊ならばその真名を探り、弱点を突き止め、的確に弱点だけを突いて殺せる準備をしておく。
マスターならばもっと簡単。寝ている彼の枕元にそっと爆弾を一個おいてあげればいい。不眠不休や爆弾で死なない化物がいれば話は別だが、おおよそはこれで片がつく。
物事にはいずれも規格外というものが存在するが、規格外だけを見つめ続ければきりがない。
ならばしばらくは堅実に行こうじゃないか。不意討ちでは倒せない規格外ばかりの聖杯戦争とぶち当たっていたならばその時は、北上にも『運がなかった』と割りきってもらうしかない。
指に巻きつけた髪の毛の一本を確認し、水晶玉に翳す。
割りきってもらうしかないなんて考えたが、アサシンはそこまで薄情な人間ではない。
全力で手を貸すと誓った以上、八方手を尽くして聖杯奪取のために働く所存ではある。
先に上げた情報収集のための秘策も、まあないわけではない。
NPC。ノンプレイヤーキャラクター、この<新宿>に再現された戦争に直接関わることのない『意志を持たない住民』たち。
この<新宿>には数万か、数十万か、あるいは更に多くか、とにかく途方も無い人数のNPCたちが生活している。
これはアサシンにとって、願ってもみない状況だった。
もしも無人島に集められてのスタートだったら早々に白旗を振って座に帰ったことだろうが、彼らが居るならば話は違う。
アサシンはこの地、この戦争に限り、数万か、数十万か、あるいは更に多くの目を持って<新宿>をつぶさに見続けることが出来る。
これまでも、これからも、この聖杯戦争中も当方もない回数、水晶玉に幾つもの現在と過去を見ることになる。
アサシンはまた、過去と現在に焦点を絞った。
右手の中指に意識を向ける。
アサシンの宝具であり魔法である『水晶玉に好きな相手を映し出せるよ』を発動する。
しかし水晶玉に移る景色は変わらない。この髪の持ち主は既に死んでいるからだ。アサシンの魔法は、死者を覗きこむことはできない。
この髪の持ち主だった女性はサーヴァントによって殺された。彼女以外にも、同一の主従の犯行によって無辜のNPCが百二十人程死んでいるらしい。
痛ましい事件だ。まだ被害者が増えているというのだから、更に心が痛む。
アサシンは彼女の生活を見るのが大好きだった。貧困にあえぎ、やくざ者たちの暮らす通称『ヤクザマンション』で暮らしていたが、それでも悪行に手を染めず慎ましやかに生活を続けていた。
そして、ある日殺された。突如飛び込んできた殺戮者の手によって殺されてしまった。罪状は分からない。この水晶玉は音を通さないので、肝心なところを掴みそびれてしまった。
もう彼女たちの慎ましやかな生活はどこにもない。それは非常に悲しいことだが、彼女はアサシンの目として立派に役目を果たしてくれた。
感謝の言葉は胸のうちに秘め、括ってあった彼女の髪の毛を捨てて、別の指―――右手の小指にチャンネルを切り替える。
すると今度ははつらつとした少女―――セリュー・ユビキタスが水晶玉に映る。
アサシンの宝具は彼女が手を突っ込むまで知覚されることがない。セリューもまさか見られているなんて思ってもいないことだろう。無警戒とも取れる足取りで、喜々として(とアサシンには見える)道を歩いている。
もしここでアサシンがひょいと腕を突っ込んで彼女の首をへし折れば、それだけで奇襲成功だ。
先ほどのNPCの髪を利用し、セリューの喉元まで迫った。かいつまんで説明すれば、まるで魔法のようだが、実際はそんなにファンシーではない。
先のNPCの髪を用いて彼女の生活を眺めていると殺戮者が押し入ってきたというのまでは先程通り。
そこから、下手人がたらたらと長口上を並べているうちに、視点を切り替えて下手人の死角に回り込み、ぷつりと一本髪の毛を拝借した。昔から、他人に気づかれず近寄り、痛みどころか違和感すら残さずに髪を抜くのが得意だったので、この程度造作も無いことだった。
一つ気がかりだったのはセリュー自身が勘良く気づくことだったが、なけなし程度の気配遮断スキルのおかげか、それとも随分気が大きくなっていたからか、セリューは気づくことなく口上を並べ続けていた。
ありがたいことだ。水晶玉にかざしていた右手の髪の毛の一本を巻き直し、水晶玉に映す。感度良好、セリューの後頭部とその先に広がる血だまりが映った。
どうやらちょうどのタイミングで見る相手を変えられたらしい。
まるでヤドカリだな、などと思いながらも、首尾よく宿り木を飛び移れたことに内心喜びながら揺れるポニーテールを目で追う。
下手人は、顔貌こそ憤怒に染まっていたものの容姿は整っていた。
ただ、髪はいまいちパッとしない。彼女の髪は煤けた戦場と機械油とを混ぜた、戦車のような臭いがした。ストレスか、食生活か、文化の違いか、あるいは他の原因か、髪全体に艶も少ない。中の下くらいだ。
それから彼女がサーヴァントと合流し、帰宅し、以後数日他の者を殺しに繰り出すところを折を見ては観察し続けた。
なんというか、元気な少女だ。やくざ者、与太者、浮浪者、悪徳業者、総じて悪側の人間に裁きの鉄槌を下し続けている。
ふと、最愛にして最後の弟子である白い魔法少女の顔が思い浮かんだ。この場に彼女が居れば、セリューをどう評しただろうか。『悪を許さず、力を欲する者』同士、分かり合えることがあるだろうか。
くすりと笑ってセリューを映している角度を変える。
セリュー・ユビキタス。正義の御旗をあちこちに立てまわることに余念のない少女。名前は通達で知った。
セリューは、ワニのような頭の男と楽しげに(少なくともアサシンにはそう見える)話していた。
此方のワニのような頭の男はセリューのサーヴァント、クラスは狂戦士。これも通達で知った。
狂戦士であるにもかかわらず自我を残し、自我を残しているにもかかわらず凶行を繰り返す。ある種異例なサーヴァントといえるかも知れない。
ともあれ、手際の良さや殺しに対する倫理観など、非力なアサシンが素面で接してはいけないタイプの最たる例のようなサーヴァントだ。
そして、なにより特筆すべきは、彼と彼女はとても仲がいいということか。
まるで良き師匠、良き弟子のような関係を築いている。彼女らの行動と世間一般における善悪のベクトルがどうあれ、いつでも二人揃って同じ方向を向いて互いを高め合っているというのは素晴らしいことだと思う。
この二人はきっと途方も無く強い。『魔法少女は思いが全て』なんて声高に叫ぶ魔法少女が居たが、別に魔法少女にかぎらずとも、強い思いを持つ者は相応の強さを発揮するものだ。
強い意志同士が同じ方向にむけて統率されているとなると、その強さはどれほどか。きっと、放っておけば二人で結束を高め続けそのうち街中の悪を根絶することだろう。
そのことを脅威と捉えたから、主催者も『討伐令』を下した。報酬付きで。
だからこそ、アサシンはこの二人には一切手出しをしない。
討伐令が出された以上、彼女らは近い未来に、必然、他サーヴァントと接触し刃を交えることになる。
そして、その狂おしい正義の鉄槌を持って他者の願望に殴りかかってくれる。
頼もしいことじゃないか。ありがたいことじゃないか。
そうやって誘発される争いと犠牲こそが、アサシンの望むところだ。生き残れるよう細々と助けさえすれ、害してなんの特もない。
アサシンは、彼女らを通して他の主従を確認し、時には彼女らを助けながら、彼女らが力尽きるその時まで彼女らの聖杯戦争を眺め続ける。
もし、彼女らが死の淵に立ったならば……その時はまた、他の参加者に止まり木を変えるだけだ。
他の参加者。
その存在を思い出し、ため息を一つ零す。
開幕初日の朝っぱらだというのに血気盛んな参加者たちが色々な方面でいろいろな事件を起こしている。
というより、開幕以前から厄介事ばかり起こしている。
今アサシンが注目しているセリュー・ユビキタスだけではない。
もう一人の討伐令の相手、遠坂凛とバーサーカーは、大々的にニュースで取り上げられるほどに無辜のNPC大虐殺している。
更に『局地的な気象異常』。『肉体を細分化された死体』。『ヤクザの事務所を壊滅させたメイド』。『黒いクラゲのような頭の人間』。『巨大なハンマーで頭を潰された死体』。『街中を走る馬』。大きな異変から小さな違和まで、数え上げればきりがない。
これらと無力なマスター一人に身ひとつ水晶玉一つで対等に渡り合えというのだから、聖杯もなかなかの無茶を言うものだ。
戦争の開始が告げられた今日の0時からだけでもNPCたちの情報網には新しい情報が引っかかり続けている。
特に目を引いたのは落合方面で起こった朝の怪事件。『輪切りにされた自動車』について。
見惚れるほどの切断面で、自動車がまるでゴボウかキュウリかというように輪切りにされていた(これもまた、NPCを通してアサシン自身確認してある)。
その一切の曇りのない、まるで鋼の目にそって裁断鋏を当てて走らせたような切断面を見てアサシンが得たのはようやくの確信。「ああ、やっぱり」の一言。
ただしこの「ああ、やっぱり」が指すのは「やっぱり規格外が多いな」のやっぱりではない。
「やっぱり居た」。
いつか知ることになるだろうと思っていた人物の存在をに対する確信を、そこでようやく掴んだ。
お茶請けに用意した市販のせんべいをかじる。
「コーヒーに合う」と書かれている割には、塩味が濃すぎる気がした。
アサシンがその存在に触れたのは、大久保の図書館司書をやっている女性NPCの髪を手に入れて、彼女経由で図書館に侵入して色々な逸話について調べた時のことだ。
予選期間中に聞こえた様々な噂の中から逸話を探す折、当然、最も目立つ怪異についても調べる運びになる。キーワードは『メフィスト病院』『神業の医師』そして『美形』。
説明するまでもない、あの、K義塾大医学病院とそっくりすげ変わっていた『メフィスト病院』なる陣地についての探りだ。
驚くほど大雑把な情報なので候補だけでもと思っていたのだが、それが思わぬ形で大当たりを引いてしまった。
魔界都市<新宿>の医師、即ち『魔界医師メフィスト』。ご丁寧に病院名それ自体が真名だったらしい。
つらつらとまとめられた情報に目を通し、そこで何度も一人の名前に当たることに気づく。メフィストの逸話に多く登場した名。『秋せつら』。
メフィストとの交渉時に役に立つかと思ってメフィストと同時に彼の逸話も探ってみると、有益な情報が手に入った。
この世界とはまた別の<新宿>について。
そして<新宿>という奇妙な土地と、それを上回るほどの奇縁に結ばれた二人の男の伝承について。
彼ら二人こそ別世界の<新宿>で舞台を回す主役だったようだ。
彼らの情報を知り、アサシンが抱いたのは三つの予感。
ここが<新宿>であり、魔界医師メフィストが居るならば、二枚看板の片割れであるマンサーチャー秋せつらもまたここにいるのではないかという直感。
もし彼らが居るならば『彼らに触れてはいけない』という生存本能にも似た予感。
そして、もし彼らが居るならば『近いうちに彼らに会うことになるだろう』という、アサシンの計略。
その一つが今、肯定されようとしている。
鮮やかに切断された車、通常の刃物での犯行はない。もっと細く、そして強い、現実には存在し得ない『糸』による切断。彼らの伝承を見た今ならば、その可能性を当然考慮する。
そして、残りの二つもまた、現実味を帯びだした。
ここが<新宿>である以上、二人の役者が揃っていることは想像に難くない。
しかし、それが肯定されたことでここで無視できない案件が生まれてしまった。
それは彼らの持つ『特異性』。
二人は医師として・人探しとしての類稀なる才能の他に二つ、天から才能を与えられている。
一つは言うまでもない、戦闘能力だ。この二人はべらぼうに強い。もしなんの前準備もなしに相対すれば、一瞬でなますにされることは最早計算の範疇と言ってもいい。
ただ、戦闘力はこの際無視する。他の参加者に対しても正攻法ではどうあがいても勝てないのが分かりきっているのに、それでも面と向かって戦うことを考えるのは馬鹿のやることだ。
戦闘力ではない。神が二人に与えたもう一つこそ、アサシンの最も警戒するもの。
すなわち『美しさ』。
たかが美しさと侮ってはいけない。
逸話によるとその二人は、あの美しい月だろうと醜い痘痕面(あばたづら)まで貶すほどの美貌の持ち主らしい。
しかも、髪は生糸のようにたおやかで、艶めいていて、しゃらりと揺れればそれだけで人の心を締め付けるとか。
これは非常に危険だ。
美貌の方はまだ対応できる可能性がある。魔法少女はほとんどの代謝活動が大幅に減退しており、性欲もさっぱり減退してしまっているので、異性からの魅了の類はある程度軽減できると予想できる。
完全に無効化はできずともAランクと非常に高い魔法少女性を持ってその魅力が軽減ができるなら、アサシンの魔法で逃走は可能だ。
ただ、髪の毛の方は拙い。非常に拙い。
自分で言うのも何だが、アサシンは堪え性がない。生前、計画の途中で髪に目がくらんで手を出してしまい、その結果襲撃を察知されることになった、なんていう情けない逸話も残っている。
もし、そこまで上等な髪を一目でも見てしまったら、アサシンは耐え切れるだろうか。
……きっと耐え切れない。アサシンは自分のことをよく分かっているから、取り繕うつもりはない。
アサシンの方針上警戒すべきは、『自身が予期せぬ形で相手の前に引きずり出されること』だ。
そして、アサシンにとって美しい髪とは、全てをなげうってでも飛びつきたい至上の餌だ。
当然、その世にも美しい<新宿>の住民たちは、他の参加者とはまた違う意味でのアサシンの天敵となる。
時が満ちるまでは彼らを視界に入れることすらしてはならない。
だが、だからといって無視はできない。
むしろ、<新宿>で聖杯戦争をする以上、彼らとの関係は切っても切れないだろう。
再現された<新宿>に呼び出された、再現元の<新宿>を見つめ続けた者。
彼らを呼び出す人物とは、どのような人物であり、どのような願いを持ってこれに挑むのか。
<新宿>を象徴する二人を呼び出す程だ。この聖杯戦争において相応の存在であると見るべきだろう。
だからこそ、アサシンは優勝を狙う以上彼らの実情を知り、その動向を探り、その行く末を水晶玉に重ねる必要がある。そう判断した。
いつか。そこまでは分からない。
ただ、アサシンが参加者としてこの聖杯戦争に関わっている以上、そう遠くない未来に、アサシンは『秋せつら』か『メフィスト』か、そのどちらかに会いに行くことになる。
ならば当然、会いに行く準備を整えておく必要がある。
今は視界に入れることすらままならずとも、道筋だけは確保しておき、ホットラインを繋いでおく必要がある。
居場所が『早朝時点で落合周辺に居た』としか分からない秋せつらは無理だろうが、居城を晒しているメフィストについては、早めに手を打っておいたほうがいいだろう。
どうやってホットラインを用意するか。
とくと考え、水晶玉に向き合う。
例えば……
三度チャンネルを切り替える。
スーツに身を包んだ名前も知らない男性が歩いているのが見える。
彼がもし、『不慮の事故』を起こせば。
彼は善意の一般人によって呼ばれた救急車に乗り、近場のメフィスト病院へと搬送される。
そうすればアサシンはこの場にいながら病院の中を監視することが出来るようになる。
搬送作業を行っている人物の髪の毛を一本頂戴する。もしくは看護婦の髪の毛を一本拝借する。
そうすれば、勝手に動きまわってくれる新たな偵察が完成する。
労せず病院内の情報を手に入れる下地ができる。メフィストという人物について知る機会が格段に増える。
だが、そんな『不慮の事故』が偶然起こってくれるはずがない。
ため息をまたひとつ。
水晶玉を眺めながらせんべいをかじりつつコーヒーを飲む。
やはりこのコーヒーは味が合わない。砂糖やミルクで味を調整してみるべきか。
この戦争がいつまで続くかは分からないが、まだ買って一二杯しか飲んでいないから、これからしばらくはこのコーヒーと付き合っていかなければならない。
再び水晶玉に目を向ける。角度を切り替えて周辺を見る。人目はない。そして丁度のタイミングでトラックがウィンカーを出しながら走ってきている。
傍においてあった物を手に、素早く水晶玉に手を入れて抜き出す。
映像を確認し、もう一度水晶玉に手を入れ、向こう側においてきたものを回収する。
「んー、おはよー」
不意に声をかけられた。
振り返ると、パジャマを着た北上が目元をこすりながらこちらに歩いてきていた。
「おはようございます。いつもより少し早いですね」
「ん、なんか目が覚めちゃってさぁ」
「通達があったからかもしれません。戦争が始まったので気をつけてくださいね」
へらりと笑った北上に、預かっていた『契約者の鍵』を渡す。
北上は物珍しそうに翳したり透かしたりしたあとで、通達の内容を確認した。
「うわ、なにこれ……三百人くらい死んでるじゃん」
「非道い事件もあったものです。マスターも注意してください」
「注意ったってさぁ、NPCを無差別に殺すってなると、もうどうしようもなくない?」
「そうなったら、全力で逃げ、令呪を持って私の名を呼ぶんです。私を呼んでくれれば、たとえそこがどこであろうとマスターを救ってみせます」
「救ってみせる、ねえ。でも、アサシンって―――」
北上の言葉を遮るように、遠くで救急車のサイレンの音が響いた。
北上が、そして北上に釣られる形でアサシンも、音の方を向く。
「……何かあったのかな」
北上が不安そうな声をあげた。
だが、アサシンはさほど困惑していなかった。
この街において救急車が動いているということは、間違いなく相手は生きていると断言できるからだ。
今はどうあれ、救急車で運ばれた先のメフィスト病院で確実に完治して明日には動き出すだろう。
そのことを告げると、北上はまたへらりと笑って「まるで高速修復材だ」とよく分からない感想を漏らした。
「こんな朝早くに災難だね。死なないだけましかもしれないけどさ」
「ひょっとすると、どこかの男性が出勤途中で石にけつまずいて事故に合われたのかも」
「なに、その具体的な例」
「例えばですよ、例えば」
笑ってみせると、北上も眠そうな目で笑った。少しは緊張もほぐれたらしい。
「ところでアサシン、その石なんなの」
北上が、アサシンの傍に置いてあった人の頭ほどの大きさの石を指して問う。
「ああ、これ」と石を持ち上げ、靴墨のようなものが付いているのに気づいた。
この程度で確たる証拠にはならないだろうが、一応消しておこう。
持ち上げるついでに靴墨の汚れを拭き取り、和やかな笑顔で答えた。
「日中に漬物を漬けようかと」
「ちょっとぉ、戦争の方はいいの? 始まったんだよね?」
「もとより、能力が一回りも二回りも劣る『暗殺者』のクラスは序盤に動きまわるのを得意としません。
しばらくは諜報に徹し、他者が疲弊するのを待つのが得策なのです」
幾分噛み砕いて説明すると、北上は納得したように笑った。
ひょっとすると、やる気のない人間の言い訳として受け取られてしまったかもしれない。
「嘘じゃありませんよ。これは立派な作戦ですから。マスターにもいずれ分かってもらえるはずです」
「はいはい。信じてるよ。いざとなったら救ってくれるってのもねー」
北上はまた笑った。
動きに合わせてしゃらりと髪が揺れる。
愛らしい笑顔に愛おしい髪。そして、アサシンに深入りしない大らかな性格。
本当に、いいマスターに巡り会えたものだ。
北上と詳しい情報交換するつもりは、今はまだない。
予選期間中に起きた事件に関しても『テレビで入手できる範囲まで』しか伝えていない。
最低限、『令呪が刻まれている背中は誰にも見せないように』と『人の流れに逆らわず歩くように』、そして『窮地に陥ったら令呪を何画使おうと生き抜くことを優先するように』『黒衣礼服のバーサーカーを見つけたらなりふり構わず逃げるように』だけは伝えてある。
これを守っていれば、即座に相手に殺されるということはない。北上に望むのは、今のところそれだけで十分だ。
彼女がアサシンの集めた情報を知ると逆にこちらの不利に働く可能性のほうが高い。
敵が出た時に余計な行動を起こせばそれだけで殺されてしまうかもしれない。
彼女に望むのは、NPC北上某としての生活だけだ。流れに棹さすことなく、他のNPC同様流れ流れてくれればいい。
生半可な精神で戦争に参加してはいけない。戦争に参加させないと決めたならば、一切かかわらせないべきだ。
戦争が始まったからこそ、ノンキに高等学校に通うべきだ。
聖杯戦争というものを舐め腐り、慢心し、平和ボケを重ねることで、徹底的にNPCに擬態するべきだ。
およそ全ての参加者が抱いている緊張感を無視し、戦闘の意識なんか持つことなく優勝というぼたもちが棚から落ちてくることを待ち続けるべきだ。
高等学校という場所は、なかなかどうして便利が良い。人目が多く、不用意に襲撃した場合関係のない被害者が出る可能性もまた高く、そして何かあった場合マスコミの追跡も過激。
NPCを無闇矢鱈に殺せばどうなるかが通達された今、襲撃場所として選ばれにくい場所を考えるなら学校施設は上位に入るだろう。
だからあえて、高等学校に通わせ、日中は他のNPC同様の生活を送ってもらう。
理想は、彼女がNPCという仮初の殻から抜けださずに戦争が終わること。
彼女がマスターであると誰も気づくことなく、彼女自身がマスターとしての自覚や確固たる信念を得ることなく戦争を終えること。
その理想を遂行するためには、彼女がNPCでありつづけられる土壌作りが必要だ。
セリュー・ユビキタスを陰ながら助力するのも、秋せつらとメフィストに会いに行くのも、やや婉曲ながらそこに繋がっている。
セリューが暴れれば暴れるほど、市井の高校生北上某は影に埋もれていくことになる。非常に都合の良い目眩ましだ。
魔界都市の住人たちから<新宿>という都市の深淵に触れることができれば、彼らを呼び出した人物からその願いを聞けば。
現在はたんなるNPCである北上某にどこまで踏み込ませるかのセーフティを更に明確に出来る。
勿論、いくら上手く無辜のNPCに化けていようと討伐令を受けている遠坂凛組のような無差別殺人鬼が現れればひとたまりもない。
だが、北上を救う方法もまた、確立してある。
北上の髪の毛は左手の薬指に結んである。
なにかあればこの髪の毛を使って北上をこちら側に引き摺り戻す。
逆にアサシンが何かに襲われれば、北上の元に飛び込む。
どちらもピンチなら、アサシンが別のNPCの元へ行き、北上を引きずり込む。
そこも駄目なら別の場所、ダメなら次、ダメなら次の次。
アサシンの武器はマスターと自身を窮地から逃す力と、瞬時に移動できる十個の拠点。
集めた髪の毛は目についたもの全部。確認した髪の持ち主は公務員からホームレスまで。
つまり移動できる拠点は各公共施設から、路地裏のホームレスのたまり場まで。<新宿>の端から端まで。場所の位置も方向性も多様を極めてある。
非力さ故に居場所が割れれば不利になる暗殺者のクラスとしては及第点だろう。
「それじゃあ、朝ご飯の用意をしますね」
「んー」
出歩く機会を最小限に抑え、人目にも触れないよう気を払い、いつかのように水晶玉を手放すような失態を演じることはない。
北上の髪だって予備を何本も拝借した。(その際少し味も楽しんだが、これは役得だ)
アサシンの魔法は、対象の髪の毛と水晶玉さえあればたとえ対象が別次元に居ようと、電脳世界に居ようと、虚数空間に逃げ込もうと、こちら側に引きずり出すことが出来る。
この黒曜のように輝く北上の黒髪は、かの『妖糸』ほど強くはないし、針金ほど固くはない。
だが、この髪の毛数本分の絆を断たないかぎりは、誰も北上とアサシンを引き離すことはできない。
【歌舞伎町・富山方面(新宿三丁目周辺、北上(ブ)の暮らす安アパート)/一日目 早朝 AM7:55】
【北上@艦隊これくしょん(ブラゲ版)】
[状態]寝ぼけ
[令呪]残り三画、背中中央・艤装との接合部だった場所
[契約者の鍵]有(ただしアサシンに渡してある)
[装備]最寄りの高等学校の制服
[道具]なし
[所持金]戦勝国のエリート軍人の給料+戦勝報酬程度(ただし貯金済み)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯が欲しい
1.アサシンにまかせて普段通りの生活を続ける。
2.危機に直面した場合、令呪を使ってでも生き延びる。
【アサシン(ピティ・フレデリカ)@魔法少女育成計画】
[状態]健康
[装備]魔法の水晶玉、NPCの髪の毛×8、北上の髪の毛、セリュー・ユビキタスの髪の毛
[道具]NPCの髪の毛を集めたアルバム、北上の髪の毛予備十数本、セリューの髪の毛予備一本、契約者の鍵
[思考・状況]
基本行動方針:北上の願いを肯定、聖杯を渡してあげたい
0.北上の周囲を警戒。なにかあれば北上を引き戻す。
1.情報収集に徹する。しばらくはNPCを用いた情報収集の傍らでセリューを眺めて楽しむ。
2.秋せつらもしくはメフィストとの早期接触が目標。そのためにも彼らのさらなる情報を収集。
3.頃合いを見計らってメフィスト病院に送り込んだNPC越しに病院内の諜報体制を整える。
[備考]
※セリュー・ユビキタス&バーサーカー(バッター)を一方的に確認しました。しばらくは彼女らを陰ながら助力する方向で動きます。
※予選期間中に起こった事件のうち、NPCが認知している事件は全て網羅してあります。
※図書館司書NPCの髪の毛を持っているので、司書の勤務中はいつでも図書館に忍び込めます。帰るのにも不都合はありません。
※NPC越しに妖糸による車の切断痕(浪蘭幻十)を確認しました。ここが<新宿>であることやメフィスト病院の存在を鑑みて『秋せつら』が呼び出されていると半ば確信しています。
ただし、浪蘭幻十についてはまだ辿り着いておらず、切断痕が幻十のものだともまだ気づいておりません。
※秋せつら・メフィストの逸話を知りました。真名・武器・美貌など伝承に残っている部分に関しては把握しています。
彼ら二人は『要警戒対象』であると同時に『接触の必要あり』と判断しています。
髪の魅力には耐え切れないと確信しているので、時期を見計らいます。
※髪を回収しているNPCに『偶然の事故』を起こし、『メフィスト病院』に送り込みました。
投下終了です
タイトルは「未だ舞台に上がらぬ少女たち」でお願いします。
また、作中図書館を情報検索施設として利用しましたが、もし本聖杯にそういう機能がない場合別の方法考えますので>>1 氏は一言お願いします。
感想をば
>>心より影来たりて
やはり、遠坂邸を調査に来るキャラクターは一人や二人、絶対いるよなぁと思いますね。
あれだけ目立つ事して、しかも邸宅が区内にあるのならば、聖杯戦争参加者は様子を見に行くと思います。それを最初に聖杯戦争開催後に、荒垣ペアがやりましたか。
自分の魔法士としての特性を活かして、監視や、凛が仕掛けた仕掛けを掻い潜り、凛についての物品を調達するイルの描写が、
実にスパイに適したサーヴァントっぽくてらしい。こう言う使い方を当然するよなぁ、と感心させていただいた次第です。
一方で、一人待機状態の荒垣先輩の所に現れた、ジェナが撒いた種であるチューナーのギュウキと、それを手玉に取る荒垣さんの圧倒的強さ。
ペルソナ使いとしての強さと、それを下ろした人物の強さと言うものが描写されていて、実に面白い。
遠坂邸に残された証拠から、遠坂凛と言う人物のパーソナリティと、呼び出したサーヴァントの性格を推理。
そして、チューナーを<新宿>にばら撒いたジェナとの因縁が、今後どうなるのか、見物ですね。期待しております。
ご投下、ありがとうございました!!
>>求ればハイレン
せつらや幻十と言った生前からの付き合いがあるサーヴァントを除けば、現状一番関わりが深いとされる不律&ファウストペア。
その方針上、絶対に聖杯を手に入れなければ行けない不律にとって、メフィストは当然討たねばならないサーヴァントでもありますが、同時に、
現状では唯々諾々と従わねば行けない上司である、と言う不服感が、かなり伝わってきますね。
しかしその一方で、メフィストの技術と彼の宝具であるメフィスト病院の事をこれ以上となく、医者の観点から認めていると言う、自己を冷静に内観する冷静さも、
また不律らしいと言うべきでしょうか。現在彼は、タイタスの毒牙に掛かった夕映を治療していますが、この分だと、この裏ではアレが糸引いてる事が解るのもすぐですね。
近い内にこの病院には、<新宿>が誇るもう一人の優れた医者である永琳が来ますが、その時には如何なる事でしょうね。
ご投下、ありがとうございました!!
>>未だ舞台に上がらぬ少女たち
NPCに不慮の事故(大嘘)を起こしておいて、いけしゃあしゃあと自分が観察していたNPCが死んで心が痛むなんて、よくそんな事言えますね……。
原作でも様々な局面で暗躍を繰り返し、その魔の手が伸びていなかった作品の方が少なかった位、場を掻き乱して来た魔法少女であるフレデリカの、
真正の腹黒さと計画の立案能力が窺える、素晴らしい話だと自分は思いました。
自分は<新宿>で何が起っているのか、と言う事実をリアルタイムで観測出来、結構情報も集まって来たのに対し、肝心のマスターには集まった情報を一切教えず、
普段通りに生活して貰う、と言う、一見すると無体に見えるけど、実際は結構理に叶った作戦な当たり、やはりただ者では無さがハッキリしている。
この主従は<新宿>においても戦闘能力は低いですけれど、その宝具はハマりさえすれば本当に凄まじい、尖った性能の宝具ですので、本文中にもある通り、
何とか交戦を避けつつ、強いサーヴァントには強いサーヴァントと戦って貰い、数を減らさせて貰う、と言う作戦が何処まで通用するのかが、ポイントになりそうですね。
ただ、当企画の<新宿>には、参戦主従の情報を得られる図書館のような施設は存在しない為、それに関する記述とそれを用いた情報周りの描写を修正して頂ければ、非常に助かります
ご投下、ありがとうございました!!
自己リレーを含みますが、現状書ける人物が、恐らく企画主の自分以外に居ないと考えました為に、予約を致します
ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)
一之瀬志希&アーチャー(八意永琳)
不律&ランサー(ファウスト)
ルイ・サイファー&キャスター(メフィスト)
北上&モデルマン(アレックス)
を、予約させていただきます
>>19 の予約を延長させていただきます
修正の件了解しました。
wiki掲載分を修正後、修正のあらましについて此方で報告させていただきます。
その際はお手数ですが確認をよろしくお願いします。
皆様投下乙です
>死なず学ばず、死んで学ぶ者は誰?
レイン・ポゥの原作での来歴が気になる導入から脳筋・身体はメカのマスター登場!
純恋子様への辛らつな評価に笑いましたが、流石に金持ちだけあって情報収集も精度が高い
しかし得た情報を元にそいつらを(アサシンで)殴りにいくというのが困りものですね
レイン・ポゥの災難に期待が高まります!
>Brand New Days
東方キャラの中でもトップクラスに頼りになる永琳と、友達が酷い目に遭ってしまった志希
珍しく荒事に耐性がないマスターだけに、この新宿での先行きがとても不安ですね…
続々とメフィスト病院に関わっていく主従たちの中でも、永琳が魔界医師とどう関わっていくのかは目が離せない
9歳のアイドル〜いいな〜
>新宿のブランチ
飯テロォ!
同じ庶民的な値段の食事でも、ちょっと危なそうな店でカレーを食う奴からタンメンをワープさせる奴まで色とりどりだぁ…
純恋子様はおやつや人形にも浪費を欠かさないお方、凛に黄金律をちょっと分けてあげて欲しい
ジョナサンの改善されたテーブルマナーは原作ではこれから見れるぞ!って時にディオの生首が来て中断されたので子供達に教える様子が新鮮でした!
>心より影来たりて
アサシンのサーヴァントの中でも珍しい、電子的な能力を持つイルの行動が興味深い
凛の境遇を知りうる手がかりを得られた荒垣は暗躍する者たちの策謀を止めることができるのか
自分で制御できない力を持つ者への憤りが印象的でした!
>餓狼踊る街
美貌描写の安定感もさることながらやはり圧巻なのは、メフィストの医療技術の描写。
神業という言葉すら生温い術理の極致、あの凄絶な過去を持つウェスですら「先生」と呼んでしまうのにも、ただただ納得あるのみ
番場ちゃんは完治してよかったですがチャームポイントの傷跡も消えてしまった!しかも起きたら追い出されるぞ
閣下は何を企んでいるのか、とにかく不気味です……シャドームーンですら驚愕するその正体とは一体!?
シャドウラビリスは換金されてしまいましたが、メフィスト病院の腹の中に潜り込んだのがどう作用するのか…先が気になります
>求ればハイレン
この聖杯戦争の中で目立つグループの一つ、医者組の一人のお話ですね
不律がかなり物騒な思考をしていて、風雲急を告げそうなアトモスフィアをビリビリ感じます
墓場送りにする奴等が多いので、新宿で一番NPCを病院送りにしているのはタイタスなのかもしれない、とこのSSを呼んで感じました
>未だ舞台に上がらぬ少女たち
フレデリカ怖い、まほいく怖い
このSSを読むだけでも原作の黒さがはっきり分かるのですがそれは…
髪を媒介に遠隔視、というだけでなく、視ているところに手を伸ばせるのは凶悪すぎる
直接対決に向かないサーヴァントがどこまで聖杯戦争を支配できるのか、という観点から、彼女には大注目です
予約分を投下します
「ごちそうさまでしたっ!」
「いつもより、少し早いな」
食卓に響く合唱の余韻が消えるより早く、食器を重ねて立ち上がる。
一刻も無駄に出来ぬとばかりに台所に走り、食器を洗い始めるセリュー・ユビキタス。
それを無感情な、爬虫類の瞳で見つめる異形の男の名はバッター。
迅速に洗浄を終了し、水切り棚に食器を乗せてから洗面台へ歯を磨きに向かう己のマスターを見つめながら、彼は鼻腔を鳴らした。
「気が急いているのではないか、セリュー」
「もごもご……」
「昨日と今日の差異は、俺達の内にはない。外界の変貌に対応するためには、俺達は一定でなくてはならない」
バッターに話しかけられ、慌てて水を含んだ口を動かすセリュー。
ぷはぁ、と息を継いで口元を拭い、バッターに向き直る彼女の目には、確かに焦りが宿っているように見えた。
「はっ、はい。緊張してるのは否定できませんね……普段通りにすればいいって分かってはいますが!」
「お前の目的に対する克己心は好ましい。だがそれも過ぎれば任務に支障を来たすことになる」
「平常心、ですね!」
ビシッ、と敬礼を決めるセリュー。大きく深呼吸をして、ズサァァァ、と擬音が立つ勢いでちゃぶ台の脇に座り込む彼女は、落ち着く時でも全力だった。
当然のように正座しながら真剣な表情で正義への熱い思いを巡らせる彼女を見て、バッターはこれもこれで平常か、と頷いた。
数分の沈黙の後、バッターの顔色を窺うセリュー。余人が見ても分かるべくもない、狂人なりの平静を見て取ったバッターが口を開く。
「今日は、図書館に行く予定だったな」
「はい、この本を返さなければいけないので!」
セリューが取り出した、法律や警察権に関する数冊の書籍には、蔵書印が押されている。
警察官を目指して上京した蛍雪の功持つ女性、というロールのセリューに割り当てられていた住居には、当初より設置されていた物品であった。
掃除の際にその存在に気付き、一通り目を通した後で巻末に貼られた貸出期限の記録簿を見て返却の義務がある、と悟ったセリュー。
「連絡をしてみればこれ、本来貸し出せない種別の物を特別に預けていただいているらしくて……」
「便宜を図った労力に報いないのは、正義の行いとは言えないか」
「仰るとおりです! 借りる期間を延長するほど、興味を引く内容でもありませんでしたし」
あけすけに語るセリュー。バッターはそうだろうな、と心中で呟く。
多少の異状はあれど、現代日本を基幹とした<新宿>においてセリューのロールが目指す警察という機関、引いては国が持つ常識 = 世界観は、その水準に則ったものとなる。
民事不介入の原則がある時点で、セリューが列席を保てる組織ではないのだ。
彼女はむしろ積極的に民の抱える問題に首を突っ込み解決する事を生きがいとするタイプであり、属していた機関はそれを容認・助長するものであった。
己を改める気など毛頭ないセリューにとって自身のロールは完全に形骸化しているといっても過言ではない。
日々のニュースを見て、国や警察の不祥事とそれを正せない現実を覚知したセリューの表情は、それを思い出すたび曇りを深めていく。
元居た世界では決して見ることもなかった、セリューにとっては存在しない事象である。
「私がもっと頭がよければ、こんな悪法に惑わされているこの国の民の方々を助けてあげる事も出来たんでしょうか……」
「それはお前の任務でも、俺の任務でもないな。俺達には決して余裕はないぞ、セリュー」
「そうですね! 聖杯なんて物に頼らず、世界を正義に満ちたものにする為に戦う……それが私とバッターさんの使命でした!」
ばっさりと逡巡を断ち切るバッターの簡潔さに、セリューは我に返る。
脇道に逸れそうになる人間とそれを導く先達は、全くもって真っ当な関係と言えた。
「ああ、連絡といえば……」とセリューが携帯電話を取り出す。
化石のような旧機種のそれは、固定電話のない安アパートに住むセリューが契約から二ヶ月完全無料、という謳い文句に引かれて取得した端末である。
自身には想像すら出来ないほど電子機器が発達した<新宿>においても、この小さい機械で遠隔地にいる人間と意思疎通が出来るという事実は白眉の驚愕をセリューに与えていた。
半ば衝動買いのように入手した後で、自分がこの街で会話する相手がバッターしかおらず、己がサーヴァントとは念話で十分事が足りる事に気付いたという落ちなのだが。
それでもこの携帯のおかげで、セリューの情報収集や行動の幅には格段の広がりができた。
特別な権限や卓越した対話力があるわけでもない彼女だ、初期には聞き込みにもいまいち成果が上がらない事が多かった。それを補う為の役に立ったのだ。
ソーシャルメディアを利用するのはハードルが高かったが、匿名の掲示板などを端末から閲覧する事で、街の噂を知り、自分の足で確認するという手法。
そしてもう一つ、そういった掲示板にえっちらおっちら書き込みをしている中、出会い系じみた流れでセリューが通話による交流を持った男性が一人居た。
「ふーむ、電話はかかってきていないみたいですね……"るすでん"というのも、……なし、かな?」
「例の"足長おじさん"か。顔が見えない相手だ、それほどアテにはしないことだ」
「でもあの薄汚いマンションの情報といい、あの人は信頼できる方だと思いますよ!」
先日、悪の巣窟たるヤクザマンションを全滅に追い込めたのも、バッター言うところの"足長おじさん"からの無償の情報提供の甲斐あっての成果だった。
病院施設に逗留しているとの事でセリュー側から連絡することはできないが、時たま通話や留守録で世間話や新宿の危険なスポット(セリューにとっては狩場であるが)を教えてくれる彼に、
セリューはかっての師オーガ、その友人で自分に力を与えてくれたDrスタイリッシュ、そして最も尊敬するバッターに次ぐ信頼を感じていた。
「あっ、そうこうしている内にもう8時ですね、バッターさん! 図書館が開くのが9時ですから、そろそろ出かけないと!」
「図書館の位置は大久保か。歌舞伎町ほどではないが、ここから歩きでは少し遠いな」
「免許証がありますよ。これを使って、自動車というのに乗せてもらいましょうか? 20枚くらいあるから、行き帰りで2枚くらいなら使っても」
「この国の交通はそういう仕組みではない。電車を使うべきだな」
「そうなんですか! この街は私がいた帝都とは勝手が違いすぎて色々戸惑いますね……」
ちゃぶ台の上に置かれたのはセリューが殺したヤクザから強奪し、人別帳代わりにして次の標的を定める為に使っていた免許証の束。
バッターが僅かに首を傾げる。彼のマスターが清貧生活を送る理由の多くは、この紙片と最低限必要な武器以外に、殺した相手から金銭や物品を奪い取らない事にあった。
それどころか初期には、「悪党が不当に貯めこんだお金は、国庫に返還されるべきですよ」と語り、あろうことか警察機関に連絡して回収を依頼しようとしていたものだ。
バッターとしては生前……といっていいのかはともかく過去の経験から、浄化した相手にとって不要となった金品を奪うことは当然の権利だと考えるのだが。
文明への理解はバッターの方が深いだろう。社会への理解はセリューの方が常人に近いだろう。
しかし二人は共に、致命的に普通人からかけ離れていて、それでいてどうしようもなく、俗世からは解脱できない存在なのだった。
◇
……俺が刑事になってから数年になる、と思うのだが。
張り込みというものは、何度やっても退屈で自分の人生を浪費させられているように感じるものだ。
しかも非番の日に、大量殺人鬼の塒を、明らかに危険であると知っていて、一人で張り込むとなれば、諸行の無常を嘆かずにはいられまい。
「まったく、世の中って奴は……」
だがしかし、今朝方入った情報を知った後では、休日の返上も止むを得ない。
刑事という職についていたのは全く持って幸運だった。他の誰よりも先んじるチャンスを得られたのだから。
セリュー・ユビキタス。この帰化外国人こそが、<新宿>を震撼させている大量殺人事件の一つ、「歌舞伎町マンション殺戮」の犯人である事を知るのは、新宿警察署の人間くらいのものだ。
防犯カメラの映像が残っていることから完全に断定されているにも関わらず、それが公表されていないのには、とても奇妙な事情があった。
重大犯罪に対し、警察組織はできる事ならば極秘裏に捜査を進め、犯人逮捕と同時に会見を行うことで自分たちの行動の成果を市民に示すといった結果を望む。
セリューに対してもそれは同様で、凶悪な殺人の手口を鑑みて十分過多な人数を動員し、万全な装備を整えての突入・制圧作戦が行われた。
しかし結果は、作戦に参加した全署員の行方不明という結果に終わる。あまりの異常事態に上層部は体勢を立て直すのに大わらわ、当然セリューを刺激するであろう大本営発表にも二の足を踏む。
暴力組織が関わる一件だけに、セリューの情報を完全に秘匿し、署内から外部に漏らさないようにしていたのが不幸中の幸いだった。
万が一裏社会の連中に知られることになれば彼らが報復の為に動き出し、現状なんとか捕捉できているセリューが拠点を移して『第二の遠坂凛』にもなりかねなかっただろう。
新宿警察署という組織が全霊を尽くして情報を隠匿すれば、ヤクザたちに情報が渡る事を防ぐ事は可能なのだ。大量殺人が多発し、署内で非常事態宣言が発令されているからこそでもあるが。
「もっとも、それはあちらも同じ事だろうけどねぇ」
異常な事態に突き落とされた<新宿>において、暗然と存在していた個人レベルでの警察と極道の温い癒着は完全に消滅していた。
平時に両陣営を行き来していた、利害関係を壊しすぎないリークが、今ではまるで回ってこない。
極端な物の言い方をすれば、<新宿>は紛争状態に片足を踏み込んでいるのではないか、と思えるような混沌に支配されているのだ。
「……出てきたか」
帝都の明日を憂う間もなく、安アパートの一室からポニーテールの可憐な少女が飛び出してくる。
肩掛けバンドがついた竹刀袋を背負い、世界に対して何一つ恥じる事などない、とばかりに胸を張り歩くその姿に、暗い犯罪の色を見て取ることは不可能だろう。
車道に走り出ようとする子供の首根っこを掴んで止めては諭す生真面目さ、横断歩道に踏み入っては老婆の手を引く優しさには周囲から微笑ましい視線が送られている。
虐殺の映像が残っているにも関わらず、あれは何かの間違いなのでは、と思ってしまうほど完成された擬態だ。
それでも、尾行には細心の注意を払う。数少ない報告ではセリューは尾行に気付き、撒こうとするような様子は一切見せた事がないとのことだが、間違っても油断していい相手ではない。
「遠出するみたいだな……面倒くせえ」
最寄の駅に向かっている事を察し、盗聴防止の対策を施した端末を取り出して通信、その旨を伝える。
きょろきょろと周囲を見回し、他の客に倣って切符を買うセリューの後方に回り、どのパネルを押しているか確認、「新大久保だ」と通達。
何食わぬ顔で同じ切符を購入して、同じ車両に乗って移動する。まさかここで殺しをおっぱじめないだろうな、と心配だったが、それは杞憂だった。
痴漢を見つけて捕らえ、駅員に突き出した以外は特に何事もなく新大久保駅で降りたセリューは、地図を広げながら休む事なく歩いていく。
「挙動にブレがない女だな……逆に薄気味悪い」
どうやら区立図書館に用があったらしく、ガラス張りの自動扉をくぐって丁度開館した施設へ入っていく。
駐輪場に放置され、撤去予告の張り紙が貼られた自転車の脇にしゃがみ、錆びたチェーンに携行していた油を注す。
長い用事ならまたここで張り込みだな、と思わず溜息が出たが、幸いにもセリューは数分で図書館を後にした。
駅とは逆方向に歩いていく……好都合だ。後姿がかろうじて見える、程度の距離が開くのを待ってから尾行を再開する。
まったく、単調な足取りだが、単調こそ順調の証。セリューに、じわじわと間合いを詰めるこちらに気付いた様子はない。
「このまま進むと……よし」
端末を通して相方に指示を出す。彼が選んだ待機場所にセリューは向かっている。
平時、パトロールのような行動を取っている彼女は、新しい場所に来ると高確率で小学校、幼稚園のような施設の外郭を一回りする。
侵入しようとしているわけでも、子供好きで子供を見に来ているわけでもなく、その姿は自警団のような印象を与える。
上層部に伝えても困惑されるだけだと判断し、主任か係長辺りが止めているとも聞く情報だが、末端なりの横の繋がりで聞き及んだのだ。
今回もそうするという確信があったわけではないが、相方が待機するにはこの辺りは丁度いい土地だった。
「……む」
周囲に建造物が多く、死角も多い小学校の西側にセリューが差し掛かった時だった。
ゴン、と鈍い音。数秒遅れて、ヒュゥゥゥゥ、と気の抜けた口笛のような響きが、セリュー以外に誰もいない通りに届く。
即座に異変を察知したセリューは誰何の声も上げず、一速足に音の発生源、路地裏に駆け込んでいく。
……ここで走って追いかけるのは素人のやることだ。セリューが飛び込んだ路地前まで静かに近づき、鉄火場の様子を窺う。
喧騒と同時に、アスファルト塀が崩れる音が響いた。何か、危険な事態が起きている事に疑いはない。
唇に舌を這わせて乾きという緊張を押さえ込んで、無言で路地裏に進む。
角から一息に身を出した俺の目に映ったのは、<新宿>においてもまさしく非日常の光景といえるだろう。
「ッッ!? 退っ……」
「■■■■■■ーーーーーーーーーッ!!!!」
まず目に入ったのは、市街地に居て良い存在ではない二体の猛獣だった。
片や四足で舗装された大地を踏みしめる、人面のヌエ。長い舌を伸ばし、全身から鬼気を放っている。"四凶"の一角、トウコツの名を冠する悪魔だ。
片や―――余りにも理解に苦しむ姿形なので我が目を疑う―――野球のユニフォームと、ありふれた金属製のバットを持った、ワニ頭の男。"バッター"だろうと、推察した。
トウコツの足元には、髪を逆立てた成人男性の無残な死体が転がっている。脇には、相方に持たせていた通信端末。
喉笛を噛み切られ、ハラワタを貪られたその酸鼻な末路は、まさに<新宿>で多発しているミンチ殺人の被害者だった。
位置的に俺に最も近い、ワニ頭の背後でトンファーを構えるセリューが、「逃げろ」と叫ぶ。
同時に巨獣が飛び上がり、セリューたちを飛び越して俺の目前に全長4mはあろうかという体躯を下ろす。
その口が喜悦に広がる前に、セリューのトンファーが放火を噴いた。ヤクザマンションの監視映像にも映っていた頓狂な武器による攻撃が、正確な狙いで目標に着弾する。
「■■■…〜」
「バッターさん、代わります!」
「痛ましい姿をした、穢れた魂よ。俺はお前を滅ぼし、濁った悪意から世界を解放するために来た」
巨獣は唸り声を上げ、俺に背を向けながらその豪腕を頭上に掲げた。鋭利な爪が、報復の一撃を加えんと大気を裂く。
だが銃弾が悪魔の肌に難なく弾かれるのを見て取ったセリューは、素早く己の従者と立ち位置を入れ替えていた。
コンマ数秒でセリューの前に回りこんだ従者の、あまりにも早い走塁がアスファルトの地面を融解させてスチームじみた煙を生む。
指向性を持って殺到した熱煙が獣の本能を刺激し、速度を鈍らせた。しかし、獣の右腕は人間を五人引き裂いて余りあるほどの威力を残したまま揮われる。
間一髪セリューの前に出たワニ頭がバットを脇構えの変形に構えてその一撃を受け止める。
先端が垂直に地面を指す棒術の素人のような姿勢で、しかも片手で持たれているただの棒切れに、渾身の爪打が打ち込まれた。
しかしバットは折れるどころか傷の一つも残る事なく、その衝撃を受け止めた。持ち手の足元が沈み、無数の罅が地面に走るが、それだけだ。
煙の余波を避けるべく後退していた俺ですら直下型の地震かと思うほどの一撃を、男は容易く捌いたのだ。
「力は相当な物だ。……衝撃波の類に耐性があるようだな」
微塵の忍苦も感じさせない声色で、淡々と言葉を発する持ち手の目に、不気味な光が宿った。
敵を値踏みするように観察する鰐の瞳は、凶眼(エボニー・アイズ)と呼ぶに相応しい暴力的な怒気を孕んでいる。
前腕を下ろして体勢を立て直そうとするトウコツの、好戦的な笑気を絶やさぬ顔面にバットが打ち込まれる。
ホームランを確信させるような快音と共に、その下顎が跳ね上がった。
細身の男に殴られたとは思えぬほど軽々と、巨体が宙に舞う。戦闘中に出来た数秒の猶予を逃さず、打ち上げた男は手首を回すような仕草を取る。
瞬間―――まるで最初からそこにいたかのように、男の周囲に光体が存在していた。
リング状のそれは三対在り、グルグルと旋回して光子を撒き散らしている。
「―――――っ」
その名状しがたい光輪が視界に入った時、俺は意識せず崩れ落ちていた。腰が抜けた、という奴だ。初めての体験、初めての体感。
全身から力が抜ける。触れてはならないもの、見てはならないもの、聞いてはならないもの。
それらに同時に接してしまったかのような言語化できない、神仏に対する畏れと錯覚するほどの何かを、魂が識っている。
光輪が動きを止める。中空から獣ならではのボディバランスで着地したトウコツもまた、その威容に目を見張っていた。
だが、中原の四方に放たれた悪神の一柱であるトウコツに、戦いから逃げる選択肢など存在しない。
己を鼓舞するかのごとく咆哮し、その爆音の中に衝撃系の魔術を織り交ぜながら突進する。
殺人鬼のセリューですら息を呑み、常人なら生じた威圧に触れただけで魂魄が消し飛ぶであろう猛進を前に、"バッター"は眉一つ動かさない。動いたのは、光輪だけだ。
「■■……■■■■■■ーーーーーーーーーッ!!!!!!」
「臆病者ではないらしいな。だが、穢された魂の起こす行動になど、一遍の実も結ばせてやるものか」
三つの光輪が同時に輝く。見た目上なんの差異もないそれらから、まったく異なる三つの現象が解き放たれた。
光の鎖が巨獣に纏わりつき、動きを封じると同時に発光して皮が焼け焦げるような臭いを撒き散らす。
何の抵抗もなく空間上に突如出現した数枚の極薄板が、トウコツの鋼鉄のような骨ごと四肢の半分、右腕と左足を切り落とす。
輝きと音を認識しただけで一幕の劇を想起させるような超自然的念動波が、板が開いた傷口から侵入して霊肉と神経を破壊していく。
吶喊も虚しく、トウコツはその場に停止した。バチッ、とその身体を紫電が走る。限界が来ているのか。
「セリュー。お前に殺せる程度にまで弱らせた。今後の為にも、一度霊的存在を浄化してみろ」
「はいっ! ご配慮、感謝します!」
消えていく光輪の一つが去り際に光を放ち、セリューの身体が霊気に包まれる。
憎憎しげに視線を飛ばすトウコツを相手に、全く怯むことなくセリューが飛び掛る。
四肢の損壊により立つ事すらできず、寝そべったまま応戦している現状でも、トウコツの攻撃は人間に耐えられる威力ではない。
ヤクザマンションを襲撃した時とは一線を隔す敏捷性を何らかの秘術で得たとはいえ、セリューの表情に余裕はない。
鞭のように自在に振るわれる尻尾。不意に繰り出される、衝撃系の魔術。
一撃でも貰えば致死の攻撃を回避するセリューの体術は、俺の目から見れば従者のそれより洗練されていた。
トウコツや"バッター"とセリューでは技術以前に『数値』があまりにも違いすぎるので、その部分だけが優れていても大した意味は感じないのだが。
それでも、攻撃に関してのセリューの『手の多さ』には目を見張るものがある。
「はっ!」
背負っていた竹刀袋から匕首を取り出し、トウコツの顔に向けて投擲。
それを打ち払った際に一瞬動きを止めた尻尾を、纏う霊気によって強度を増したトンファーで斬り落とす。
全体の五分の四ほどの長さの尾を鞭のように扱い、強かにトウコツの目を打ち据え、隙を生じさせる。
素早くコンクリート片を蹴り上げ、鞭の先端に結び付けて振り回し、遠心力を利用した一撃を敵の頭に叩き込む。
砕けた塀から鉄製の芯棒を抜き出し、身の丈程のそれを槍のように構えて尻尾を失ったトウコツを安全域から痛めつけていく。
「ドクターが開発していた新しい武器を使いこなす為、課された訓練の成果だ! 罪もない人を喰らう悪め、これこそが正義の裁きィ! 正当な苦痛を受けて、死ね!」
「的確な攻撃だ。言葉とは裏腹に、迅速に浄化をこなせ、という教えも守っている。……導くとは、こういう気分になるものか」
一度劣勢に回れば、手負いの猛攻すらできなくなるのが現実。
トウコツはやがて抵抗の兆しすら見せなくなり、力なく首を垂れた。
容赦なく襲い掛かるセリューの手が止まる。慈悲など当然ない。
手心を加えたのではなく、突如トウコツの身体を走る紋様に異変を察したのだ。
様子を窺うセリューの前で、トウコツの身体が萎んでいく。
数秒後、トウコツの居たところに横たわっていたのは、魔獣が受けていたのと等しい瑕疵を負った……小学生低学年ほどの子供だった。
無言で駆け寄って、手足を失った少年を抱き起こすセリューには慈悲など、当然、ない。
「正体を現したな、悪め」
目の前の子供にどんな事情があろうがその事情も悪に墜ちた事も許さないという意思が、彼女の表情をそれこそ悪魔的な狂笑に変える。
セリューは怯えた表情を浮かべる子供の口腔にトンファーを押し込み、即座に発砲した。
脳を貫いた弾丸は頭蓋を貫通して上空に抜けた。激しく痙攣する少年を放り投げ、確実に絶命させるために、砕けた頭に更に弾丸を撃ち込むセリュー。
「まさか悪党が危険種みたいな化け物に変わるなんて……驚きましたね!」
「恐らくはキャスターのクラスのサーヴァントの仕業だろう」
「まったく!主催者の思惑に乗ってなんて傍迷惑な事を……そのサーヴァントは悪、間違いないですよ!」
「亡霊を生み出す存在だ。必ず滅ぼすぞ」
狂人たちが、狂った正義を語っていた。
腰を抜かした俺に気付き、困ったような笑みを浮かべてセリュー・ユビキタスが近づいてくる。
「怪我はありませんか!? ……な、なんと言ったらいいのか……この件は忘れてくださいね、じゃ済みませんよね……」
「いや……心配することはないよ」
そうだ。聖杯戦争の秘匿など、気にする事はない。俺は既に知らされているのだから。
先の出来事の全ては予定調和……計算外だったのは、セリュー達と俺達の戦力差だけだ。
二人が俺の平静すぎる態度に反応するより早く、身体に紋様が走る。
今日の俺は刑事として行動していたわけではない。非番の日に滅私奉公するほど、立派な人間ではない。
何せ"あの女"から悪魔の力を得てからというもの、両手足の指では足りないほどの人間を殺して喰らってきたんだからな。
今しがた始末された俺の相方……両親を殺した後、実験台として"あの女"に差し出した孤児も同じだ。
悪魔化し、俺に脅されるがまま凶行を重ねていたあのガキも、所詮は醜い人間。他者を蹴落として力を得る事に快感を覚えていたに違いない。
「……まさか!」
頭のない、異形の蛇のような姿を強く連想する。
コンマ数秒で変身は完了し、力ある言葉を放ち眼前のセリューを攻撃できるだろう。
どれだけの手傷を負わせられるかはわからない。仮に殺せたとしても、次の瞬間バッターに殺害される事は容易に想像できる。
だがその結果は、この場を切り抜けたとしても同じ事。自分より強い悪魔を預けられておきながらヘマをして死なせてしまった俺を、あの女は決して許すまい。
俺にとって生き残る道は、今日この場でセリューたちを殺し喰らう、それだけだったのだ。
あの女が知った、聖杯戦争なる闘争の参加者と、俺が知っていた殺人事件の犯人が重なった事が、そもそも不幸だったと諦めるしかない。
それならば、せめてその相手に吠え面をかかせてから……死んでやろうじゃないか。
「マハ――」
呪文を解き放とうとする刹那に、走馬灯のように過去の映像が浮かぶかな、と思ったが、そんな事はなかった。
思い出すのは、あの女に出会ってからの記憶だけ……逆らえない屈辱と見下される羞恥に苛まれる日々の記憶だけだった。
脳裏に僅かな疑問が浮かぶ。疑問の本質すらはっきりと分からないような、小さな違和感。
俺は、俺の命を生きていたのだろうか。何もかも忘れたまま、他人の生を歩んでいたのではないだろうか、というような。
自分なら、この状況になれば必ず言うはずの心の底から湧き出すような言葉。
それに鍵がかかっていて、もどかしく腹立たしい、そんな。
そんな疑問は――――――。
「ドーモ、セリュー・ユビキタス=サン。ソニックブームです」
文字通りの爆音に、かき消された。
何かが飛来して、頭を踏まれた……それが俺の最期の認識で。
「っヨッ…世の……ナ…カ……マッポー!!マッポーーーー!!!!!アイエエエエ!ニンジャ!?ニンジャナンデ!?」
その"何か"を認識した瞬間に全身を支配する、冒涜的ニンジャ・リアリティ・ショック。
どこかの異世界から響いているのではないかと思うほど自分の声には聞こえないそれが、俺の最期の言葉になった。
◇
【……本当に行くんですか?】
「おい、おい、セイバー=サンらしくもねえ。何度も説明する気はねえぜ」
【理屈はわかったんですがね……】
ありふれたマアマア・タカイビルの前にありふれたサラリ・マン。
独り言を呟いているのも、近頃のシンジュクではそう珍しくはない。
僅かに往来を歩く者の目を引くのは、サラリマンのスーツの下から覗き見える金糸のシャツくらいのものだろうか。
アント行進めいてビルに群がる経済戦士たちは、彼の顔を見てアイサツを交わす。
柔和な笑みを浮かべて応じ、誰も居なくなればハンニャもブルーフェイスになるコワモテ男に戻るサラリマン、名をフマトニ。
しかしサラリマンとしての名前はあくまで擬態。ソウカイ・シックスゲイツのニンジャネーム・ソニックブームこそが彼の本名なのだ。
「今日で見納めなんだ、固い事は言いっこなしって決まっただろうが、エエッ?」
【決まったときには本戦は始まってませんでしたがね】
「サイオー・ホース! ま、丁度いい区切りになったと思おうぜ、セイバー=サン」
<新宿>の聖杯戦争に望み、記憶を取り戻したフマトニ=ソニックブームは、勤務していた商社に退職願を出した。
受理されたのが三日前、最後のタダメシ・サラリー消化が昨日。
最後にお世話になった職場の皆さんにアイサツをしてから去る、とソニックブームがセイバー・橘清音に告げたのが、二日前の夜である。
仮初とはいえ組織に属していたのだから何も言わず去るのはスゴイ・シツレイに当たる、というソニックブームの言葉に同調したセイバーではあったが、その時とは状況が変わってしまった。
聖杯戦争本戦の開始の通知、そして危険な主従の情報開示と討伐令を受け、自分たち以外のサーヴァントとマスターも積極的に動き出すだろう。
令呪が極めて分かりやすい位置にあり、本人にコソコソと隠すつもりがまるでないソニックブームは、最も捕捉されやすいマスターだと言える。
本戦が始まるまでに三度も主従に襲撃されたのがいい証拠だ。
【そう思うようにしますよ。これまで倒した人たちに仲間がいた時の為に拠点も変えずに誘いを打っていましたが、杞憂だったみたいですしね】
「アー……そうだな。南元・マチのなんとかってストリートが実際住みやすそうな噂を聞くが?」
【いえ、先ほど不動産屋に行って新居の用意はしておきました。俺は今からそっちに移りますから、貴方もNOTEを閲覧して住所を確認してください】
「流石セイバー=サン、仕事が早ぇ。俺の荷物は?」
【必要なら梱包して運んでおきますが】
「任せた」
マイドの名残でタイムカードを押しそうになり、受付嬢と談笑してから社内に入るソニックブーム。
エレベーターを使わず階段を上がり、脳内にセイバーの宝具、『目覚めた自由の翼(むげんまあいのNOTE)』のイメージを浮かべる。
セイバーがNOTEに書き込んだ新居の住所を文字として認識した。実際シンジュクに来るまでは考えもしなかった体感だ。
七階の踊り場から自分の勤めていた部署に通じる廊下に入る。
挑戦的かつ意欲的な売り上げ努力への喚起を誘うスローガンが無数に張られた掲示板を脇目に、ガラガラと引き戸を開けて神聖な職場に踏み入った。
「ドーモ、ミナサン」
「オオッ」「フマトニ=サンだ!」「ワーーッ!」
「おーおー、フマトニさん。よく来たねえ。優秀な君が退社とは困ったが、部長の私は良き先輩として君の門出を祝うしかない立場上」
その仕事ぶりから職場で信頼を得ていたソニックブームの周囲に、同僚たちが集まってくる。
しかし始業時間まで間もない割には、その人数はソニックブームの予想を超えてまばらだった。
普段ならズラリと並んだデスクが満員だというのに、今は半分も埋まっていない。
ところどころに置かれる花瓶を見れば、ジュンショク・シャが昨今の新宿環境問題で出ていると察しはつくが、それを差し引いても欠席が多い。
ドタドタと足音を立てて近づいてくる部長に一礼し、ソニックブームはこの奇妙な現象の訳を尋ねてみた。
肥満体の部長は、汗を拭きながらデスクを見渡して言った。
「それがさっぱり分からんのだ。誰からも連絡がないし、他の部署でもこの有様だそうでな」
「電車でも脱線したのでは?」
「いや、来てない奴が皆同じ方面に住んでるからそうじゃないかと思って問い合わせたんだが、違うらしい」
「それはかなり奇ッ怪ですね……」
まあともかく、と部長は困り顔から満面の笑みに戻り、分厚い茶封筒を差し出した。
フマトニの一ヶ月分のサラリーの半分ほどの額だがカンパ餞別だ、と遠慮するソニックブームの懐に金をねじ込む。
さらに今夜は丁度週末なので送別会という名目で飲み明かそう、と誘う。
「ユウジョウ!」「ユウジョウ!」
「ハハ……」
和気藹々とした同僚たちのアトモスフィアに愛想笑いを返すソニックブーム。
内心では、真面目に生きているモータルの皆さんとユウジョウはできねえよ、などと悪態をついていたのだが、空気を破壊するような事はしない。
ニンジャも時には奥ゆかしいのだ。
十分礼儀は果たしたと判断して別れのアイサツと共に部署を後にするソニックブームに、部長が一人見送りだと言って着いてくる。
並んで階段を降りながら、彼は感慨深げに切り出した。
「なあ、フマトニさん。君は退社してこれからどうするんだい?」
「特には考えてませんが、新宿でお目にかかる事はもうないでしょう」
実際、会社を出ればフマトニの姿はソニックブームへと変わり、再度出現することはない。
両者を結び付けられる者が余人にいない以上、フマトニはこの街から消えると考えてもいいだろう。
部長はその言葉を額面通りに受けとったようで、「確かになぁ」と頷いて困ったような笑みを浮かべた。
「何せ、今の新宿は酷い有様だ。こんな街を出て行きたいって気持ちも、分からんじゃあないよ」
「恐縮です」
「ま、それでもフマトニさんが我が部署で立派に働いてくれていたのは事実。街が静かになって、都合が合えばいつでも戻ってきてくれ。上へは私が口利きする」
「感謝の極みです、ブチョウ=サン」
ニンジャとして暴力の世界に生きる事を是とするソニックブームだが、フマトニとして過ごした経済生活も決して悪いものではなかった。
重金属酸性雨も降らず、暗黒メガコーポに支配されているわけでもない平穏な国が嫌いな者などいるものか。
しかしこの街が平穏を取り戻す時、ソニックブームはこの街にはいない。
醜くもすっかり馴染んだ己の生き場所・ネオサイタマに戻るか、一敗地に塗れて死んでいるだろう。
ソウカイ・シックスゲイツのニンジャ、ソニックブームに迷いや未練など微塵もない。生き残って最後に笑うよう努力するのみだ。
一階エントランスに到着し、部長に向き合ったソニックブームは最後のサラリマン・オジギを交わす。
「ブチョウ=サン、見送りはここまでで結構です。オタッシャデ!」
「サヨナラ!」
爽やかな気持ちでフマトニとしてのロールに別れを告げ、ソニックブームは商社を後にした。
スーツを脱ぎ捨て、天を衝くヘアー・スタイルを醸成し、メンポを被りながら気を吐く。
これにて現世のしがらみは清算。聖杯戦争に専念するのだ。
「と、いっても願いも決まっちゃいねえんだがな……ン?」
とりあえず、連絡もなく休んでいる同僚達が住む西新宿方面にでも行ってみるか…と考えた直後だった。
商社を離れてブラブラと歩くソニックブームの常人より三倍は優れた聴力が、喧騒を聞きつける。
バイオ・スモトリよりも凶暴そうな獣の声。明らかに尋常な事態ではないと察したソニックブームは即座に足を地面に踏みしめた。
直後、彼の身体は野鳥のごとく飛翔。ビルの三階ほどまで跳ね上がり、群列するアパート・マンションの壁に足をつけた。
目撃者がいればニンジャを想起せざるを得ないほどの機動性で壁を駆けるソニックブーム。
市街地におけるショートカット・ワザマエにおいてニンジャを凌駕する者はとても珍しいのだ!
パイプや室外機を踏みつけ、眼にも止まらぬ速度で音源地に到達する。その場には、怪物の死体と、見覚えのある者たちの姿があった。
一瞬の逡巡もなく、ソニックブームは彼らが敵対していると判断したモノノケじみて変化しようとする男の頭を踏みつけにして、その場に足を下ろす。
息を呑む女をもう一度眺めてその素性を確信、セイバーに念話を送りながら、ソニックブームはニンジャとしてのアイサツを行う。
「ドーモ、セリュー・ユビキタス=サン。ソニックブームです」
足元の男が何か呟こうとするのを最期まで聞く事なく、ソニックブームはその頭を踏み砕いた。
◇
ニンジャが出て挨拶された。
あまりに突飛な出来事に、セリューは数秒硬直していたが、自分の前に出たバッターの姿を見て我に帰る。
悪党を仕留めたと思ったら、目撃者もまた悪党。その目撃者が牙を剥くと同時に殺害したニンジャは敵か味方か……。
セリューの名前を知っているという事は、討伐令を確認した聖杯戦争の参加者に相違あるまい。
いかにもチンピラのような暴力的な様相だが、ニンジャとしか形容しようのない不気味さをも全身から放っている。
しかし、巧妙に擬態しセリューの隙を突いてきた敵を排除するというニンジャ・ソニックブームの行動が、セリューの判断の撃鉄を留めていた。
「俺は"バッター"だ。神聖な任務を果たす為に来た」
「ドーモ、バッター=サン。……そこのガキと男はテメエ等が殺ったのか?」
「子供は、何者かに魂を穢された怪物だ。我々が浄化した。男はその被害者だ」
「その通りです! ええと、ソニックブームさん。確かに私はセリュー・ユビキタスです、よろしくお願いします」
動じる事なく自己紹介を行ったバッターに倣い、セリューも敬礼と共に名乗りを上げた。
対するソニックブームは、悪魔と人間の合間のような形態になって死んでいる足元の男をぐい、と担ぎ上げて横目でまじまじと眺めている。
完全に絶命したにも関わらず、並みの使い魔のように魔力が霧散して消滅しない事例は、ソニックブームも幾度か目にしていた。
「こいつらも例のミンチ殺人事件の下手人ってわけだな、エエッ?」
「殺された者の死体の状況を見れば、そう考えるのが妥当だろう」
哀れ血肉を貪られた青年の死体のような者は、今や新宿の至る所で発見されている。
あまりに広範囲で起きている為カルト教団か都市テロ集団か、と恐れられる事件の真実は、こういった悪魔たちが各地で暴れまわっているという事なのだろう。
組織的でない多数の犯人が存在する同じ手口の殺人、と当たりをつけられる者はいるかもしれない。
しかしそれら犯人たちが人外の魔物だと想定できるのは、聖杯戦争の参加者くらいのものだった。
……数秒の後、緊迫する空気を打ち破るように、ソニックブームが突如声を上げる。
「アッアッ……うちのサーヴァント=サンがテメエ等に聞きてえ事があるってんで、代弁するぜ」
「霊的存在はお前の傍にはいない。少なくとも、念話が届く距離にはな。虚勢を張っているのか?」
「ウルッセー、色々とあるンだよ。エー……【何故<新宿>の住民を百名以上も殺した?】だとよ、バッター=サン、セリュー=サン」
バッターの持つスキル、対霊・概念に対する知覚力は、ソニックブームのサーヴァントを捉えていない。遠く離れている事は明白だ。
しかしハッタリを見破られた様子など微塵も見せないニンジャに対し感知力を深めたバッターは、何らかの宝具の発動を見て取っていた。
本来のランクより大きく下がっているとはいえ対霊・概念スキルは極めて強力かつ有用なスキルではあるが、決して絶対ではない。
先ほどの男が本性を現すまで悪魔であることに気付けなかったのも単にファンブルの問題なのか、男が何らかの秘匿スキルを用いていたのかも分からない。
優れた感覚だからこそ過信は禁物なのだな、と肝に命じたバッターは、それゆえにサーヴァントを侍らせていないソニックブームにも警戒を怠らなかった。
セリューに念話を飛ばして【お前が応対しろ】と指示を出し、自身は臨戦態勢を保つ。セリューは【お任せあれです!】と返し、隠すことない本音でニンジャの問いに答えた。
「何故って、あいつらが悪だったからですよ! 私たちは無差別に人を殺す遠坂凛とは違います!」
「……【悪とは、どういう意味だ?】だってよ」
「善良な民を苦しめる、反国家的な集団や個人です。主に正義を執行した相手は、この国で俗に言うヤクザですね」
「おお、ひょっとしてヤクザ・クランを壊滅させたってのはてめェ等の……【どういう権利があって、ヤクザたちを殺している?】」
「正義を体現する者として行動した、それだけです! 権利や義務なんて大層な話じゃなく、当然のことをしたまでですよ!」
「【善良な人を助けるのはこの国では警察の仕事であり、彼等の職責だ。この<新宿>にとって部外者の貴女がやっていい事ではない】」
「前者は知っていますが、後者は間違っていますよ! 警察の方が私が来るまで行動していなかったから私がやっているだけで、正義を名乗って正義を為してはいけないのは、悪だけです!」
【会話をするだけ無駄なようですね……理屈が合わない相手との会話は生前嫌というほど経験しましたが、ここまでの人相手では俺にはちょっと……】
「ハッハッハッ! ま、後は俺に任せな、サーヴァント=サン」
「??」
サーヴァントの暴走など何か事情があって殺人を犯したのではないか、と討伐令を出された主従との対話を試みたセイバー=清音だったが、特別な事情はないと悟ると対話を諦めた。
自分が悪と認めた者を殺す、という意思がもはや生態に近い域に達しているセリューと、それを助長するバッター。
杓子定規な性格のセイバーでは彼等の考えを改めさせることはできないし、生前の経験から歩み寄る気がない人間の区別は本能的につく様にもなっていた。
怪訝な顔のセリューに、豪放に笑うソニックブームが語りかける。所謂「こだわり過ぎない」彼のような人間の方が、狂人の相手には向いているのかもしれない。
「オッケー、オッケー。バトンタッチだ、セリュー=サン。次は俺様とお話しようぜぇ」
「サーヴァントさんの方は分かってくれたみたいですね。 ええ、構いませんよ、ソニックブームさん!」
「お前サンは自分が正しいと思っているみてぇだが、社会には秩序ってもんがある。それを破ったから、討伐令を出されたわけだが、それについてはどう思う、エエッ?」
「正義を為した結果崩れる秩序なんて、在ること自体が間違いなんですよ。そんな理不尽を平然と敷くこの聖杯戦争の主催者を、私とバッターさんは絶対に許しません!」
「ヒュー、吹くじゃねえか。聖杯争奪の相手を前に、先にシャチョサンに喧嘩を売るってかぁ?」
ソニックブームは、湧き上がる嘲笑と苛立ちをメンポで口元に留めながら、セリューの青すぎる危険な主張を聞き続ける。
「聖杯争奪……やはりソニックブームさんも、聖杯を求めてこの戦争に?」
「いや、気付いたらこのシンジュクにいた。聖杯に届ける願いは、考え中ってとこだ」
「正義を否定する主催者の口車に乗るなんて、いけませんよ! 聖杯は諦めて堅実に生きるべきです!」
「疑いだすとキリが無い、ってコトワザがあるが……まあ一理はあるように聞こえるな、エエッ」
願いが希薄なソニックブームだからこそ、セリューの妄言に一定の理解が得られた。
確かに、強制的に連れてこられて言うことを聞いて勝ち残れば願いを叶えてやる、などという仕打ちはマッポーのネオサイタマでもそうはない。
聖杯戦争を仕組んだ連中の腹積もりくらいは探ったほうがいいのかもしれないが、ソニックブームとしては特に興味はそそられなかった。
暴れられればそれでいいとすら思える。
「じゃあてめェ等は聖杯じゃなくて何が目当てでこのシンジュクにいるんだ、エエッ?」
「正義に満ちた世界を作る……それが私とバッターさんの目的です!」
「成る程、立派じゃねえか」
心にもない賛辞を送りながら、ソニックブームは心中でセリュー達をどうするか、と思案していた。
令呪を使う予定がない以上、戦いを挑まなくてはならない理由もないし、彼個人としてはセリューたちの思考はともかく行動に干渉して阻む確固たる理由もない。
己のサーヴァント・セイバーはヤクザ相手でも虐殺はやめさせたいし、聞き入れないならば実力を行使するのも構わないとの意見だ。しかし、これも現状では超積極的ではない
何よりソニックブームにとって重要な、戦って楽しめるか?という所に、セリューたちが十分に応えてくれるとは彼には思えなかった。
目の前の狂人二人はワザマエは十分だろうが、戦いではなく処刑に喜びを覚える人種だと、無意識の内に看破したのだ。
彼等と戦うよりは、彼等を狙ってくる主従を狙っていた方が、実りある戦争の日々を過ごせると結論したソニックブームは、一つの提案を持ちかけた。
「セリュー=サン、お前の正義感にはほとほと感服したぜ、どうだ、俺と組まねえか、エエッ? 」
「協力する、という事ですか?」
「オオ、スカウトって奴だ。討伐報酬目当てに寄って来る連中を俺が受け持ち、そっちは主催者ってのを倒すのに専念する。どうだ?」
ソニックブームの魂胆は、無論言葉通りのものではない。
共に行動すれば隙を突くことも容易く、令呪が必要になった時に補充するアテが出来る。
主催者だけに目を向けさせれば、セイバーが懸念している悪党狩りも少しは減らせるだろう、と考えての同盟の持ちかけであった。
だが、セリューに意見を求められたバッターは、無言で首を振る。
「それは出来ない。穢れた魂と歩む選択肢は、ない」
「バッターさん?」
「ソニックブーム。お前には亡霊の魂が宿り、もはや分離できない程に混ざり切っている」
「ニンジャ・ソウルの事か。それがどうした? 俺は俺だぜ、バッター=サン」
「お前は穢れた魂だ。浄化を免れることはできない」
セリューの同意を待たず、バッターが己が凶器を構えて駆け出した。
常人ならば瞬きする間に間合いをゼロにするサーヴァントの突撃に、しかしソニックブームはバック・ステップで対応することが出来た。
ニンジャ動体視力の恩恵か、死への時間を零から一瞬延ばす事に成功した後退。
だがその一瞬を、英霊の具現たる者たちは即座に零に引き戻す。故に、本来意味のない抵抗―――。
そう、ソニックブームのサーヴァントが他ならぬ橘清音でなければ、意味のない一瞬の抵抗である。
「ッダテメー!スッゾオラー!」
「!?」
追いすがるバッターの手を止めたのは、空気を振るわせるニンジャの怒号ではない。
怒号を喚び水にするように、ソニックブームの周囲から菱形の非実体がバッターに向けて殺到したのだ。
手裏剣のようなそれをバットで弾いたバッターは、それが刀剣による斬撃に近い性質を持っていると看破した。
その威力も、瞬発的に放たれた物として人間が届き得ない域にあり、サーヴァントの攻撃としか思えない。
だが、バッターが油断なくソニックブームの周囲を注視しても霊的存在はどこにもいない。
"圏境"に準えられるほどの気配遮断スキルを持ってしても、バッターの概念感知力から こうは隠れ得ないだろう。
「ザッケンナ、このバケワニが……交渉は決裂ってわけだな、エエッ!?」
「……」
「チッ……セリュー=サン、せいぜい気張るんだな、アバヨ!」
バッターの足が止まる。相手の手の内が読めない以上、当然のことではあるが、バーサーカーというクラスにはあり得ない冷静さだ。
目に見えない存在が、遠隔地からこの場に干渉している。そうとしか思えない現象を前に、バッターは警戒のレベルをMAXにしていた。
ソニックブームはそんなバッターを見て、壁を縦横に蹴って飛び上がり、道路脇の電柱の頂点に着地した。
半悪魔化した男の死体を担いだニンジャが、捨て台詞を残してその場を去っていく。
ソニックブーム・遁走だ。瀑布の烈風と共に駆けるその姿は、モータルでは目で追うことすらできまい。
建物から建物へと飛び移り、やがて廃工場のトタン屋根の上で腰を下ろす。
バッター達が追ってきていないことを確認し、死体の服をまさぐる。果たして、目当ての物は見つかった。
「やはりマッポだったか。アトモスフィア直感で分かるってもんだぜ」
ソニックブームはこの悪魔刑事の頭を踏み砕く瞬間、官憲特有のオーラを感じていた。
元ヤクザ・バウンサーならではの後天的嗅覚であるといえよう。
取り出した警察手帳には、いくつかの連絡先の中にセリュー・ユビキタスの名と現住所が記されていた。
彼女達を狙っている主従に対する交渉条件にするもよし、周辺を張り込んで嗅ぎ付けて来たハンターを強襲するもよし。
「しかし一体何匹いやがるんだ、このモノノケ共は、エエッ?」
【無作為に放たれている、という俺の推測は間違いだったかもしれませんね、あの正義の味方気取りの連中を狙っていたわけですし】
「モータルを改造する親玉がいるとして、それがこうゴロゴロとシティをうろついているとなると……厄介だな」
【拠点を移したところでどこで見つかるか分かりませんね。寿司を食べに外出するの、やめませんか?】
「スシはやめねえ」
決然と言い放ち、死体を担ぎなおしてニンジャが再び走り出す。
聖杯戦争を勝ち抜く為の謀を適当に立て、暴れる算段を思うがままに立てる。彼らしく、彼のままに。
フマトニを脱したソニックブームは実際、<新宿>を吹き荒れる音速戦闘機となっていた。
【西大久保二丁目 移動中/1日目 午前9:20分】
【ソニックブーム@ニンジャスレイヤー】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]ニンジャ装束
[道具]餞別の茶封筒、警察手帳、悪魔(ノヅチ)の屍骸
[所持金]ちょっと貧乏、そのうち退職金が入る
[思考・状況]
基本行動方針:戦いを楽しむ
1.願いを探す
2.セリューを利用して戦いを楽しめる時を待つ
3.セイバー=サンと合流
[備考]
・フマトニ時代に勤めていた会社を退職し、拠点も移しました(過去の拠点、新しい拠点の位置は他の書き手氏にお任せします)。
・セリュー・ユビキタスとバッターを認識し、現住所を把握しました。
・新宿に魔物をバラまいているサーヴァントとマスターがいると認識しています。
【???/1日目 午前9:20分】
【橘清音@ガッチャマンクラウズ】
[状態]健康、実体化、変身中
[装備]ガッチャ装束
[道具]
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯にマスターの願いを届ける
1.自分も納得できるようなマスターの願いを共に探す
2.セリュー・バッターを危険視
3.他人を害する者を許さない
◇
「消えたか。人間とは思えない素早さだ」
「バッターさん、あの人は悪なんですか?」
「浄化の対象だ。その問いには、お前が自分で答えを出すといい」
路地裏に取り残されたセリューとバッターは、被害者の死体を簡単に弔いながら会話をしていた。
バッターの手に触れた死体が黴とも塵ともつかぬものに代わり、風に乗って消えていく様を見ながら、セリューは腕を組んで考え込む。
「あの怪物たちと同じ、何かに憑りつかれている……それなら、彼もいつかは暴走して他人を襲うんでしょうか?」
「否定はできないな。だが、奴は強靭な精神力で亡霊の魂に負けず、己を保っている。俺も、これまで見たこともない例だ」
「だったら……」
「それでも、穢れた魂は浄化されなくてはならない。神聖なる任務は、果たさなくてはならない」
断言。バッターは常に、自分の意見を曲げずに言い放つ。
不変不動の狂気。それはスキルで保障される以前に、彼の魂の在り方だった。
その力強さに、セリューも頷いた。
「そうですね、正義に満ちた世界を作るためには、悪や亡霊を一掃しなくちゃならない、そうでした」
「お前は、ソニックブームを殺すことができるか?」
「……あの人は今は悪ではないと思います。でもいつか悪に染まるのが決まっているなら、正義を執行することに迷いはありません」
「そうか」
セリューは、どこか恩師に似た雰囲気を持つソニックブームに心からの好感を覚えていた。
一件強面で、言葉遣いも粗暴だが、セリューとバッターの理想を立派だ、と言ってくれた彼の心の中にも、きっと正義があるに違いない、と。
しかし、絶対的に信頼するバッターの言葉、彼がニンジャソウルなる亡霊に憑りつかれてあの悪の獣たちのようになるというのならば。
その前に自分の手で殺すことも、一種の救いと言えるのだろう。セリューはそう考えることで、悪を殺す自身の理想と、世界を浄化するバッターの理想の齟齬から目をそらす。
そして目を逸らした先で、由無し事を一つ、思い出した。
「……あ、スカウト、って……」
ソニックブームがふと漏らした言葉と同じそれを、つい近日耳にした覚えがあったのだ。
<新宿>に来てからセリューが穏便に会話をした相手は相当数いるが、会話の内容を思い出せるほど何度も話した相手は限られる。
姿も名前も知らない電話だけの付き合いの情報提供者。その穏やかな声に不思議と信頼を覚える、セリューの名前も知らないはずの男性。
彼との世間話の中で、最近<新宿>に来たという共通点があることに会話が及んだことがあった。
もちろんセリューは割り当てられたロールを語ったが、相手の男は珍しく少し抽象的な言葉で、自分が新宿に来た目的を語ったのだ。
『まあ、他人から見たら遊興なのだろうがね』
『傍観でもあり、俯瞰でもあり……そうだな、最終的には……』
君達をスカウトに来たことになるのかも知れんな、と男性は語っていた。
きょとんと沈黙するセリューに『まあ、今はまだ手段も何も変えられる、それくらいのつまらない目的だよ』と言って次の話題に移ったものだ。
「いい人は言葉も似てくるのかもしれませんね!」
その事については深く考えることもなく、セリューは己の精神を狂った正常値に保ち、帰路に着いた。
―――もう九時だというのに。空に、明けの明星を望みながら。
【西大久保二丁目 路地裏/1日目 09:20】
【セリュー・ユビキタス@アカメが斬る!】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]この世界の価値観にあった服装(警備隊時代の服は別にしまってある)
[道具]トンファーガン、体内に仕込まれた銃 免許証×20 やくざの匕首 携帯電話
[所持金]ちょっと貧乏
[思考・状況]
基本行動方針:悪は死ね
1.正義を成す
2.悪は死ね
3.バッターに従う
[備考]
・遠坂凛を許し難い悪だと認識しました
・ソニックブームを殺さなければならないと認識しました
・主催者を悪だと認識しました
・自分達に討伐令が下されたのは理不尽だと憤っています
・バッターの理想に強い同調を示しております
・病院施設に逗留中と自称する謎の男性から、<新宿>の裏情報などを得ています
・西大久保二丁目の路地裏の一角に悪魔化が解除された少年(トウコツ)の死体が放置されています
・上記周辺に、戦闘による騒音が発生しました
【バーサーカー(バッター)@OFF】
[状態]健康 魔力消費(小)
[装備]野球帽、野球のユニフォーム
[道具]
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:世界の浄化
1.主催者の抹殺
2.立ちはだかる者には浄化を
[備考]
・主催者は絶対に殺すと意気込んでいます
・セリューを逮捕しようとした警察を相当数殺害したようです
・新宿に魔物をバラまいているサーヴァントとマスターがいると認識しています
・自身の対霊・概念スキルでも感知できない存在がいると知りました
・………………………………
以上で投下終了です。
前編後編と分けないと長くなりそうだと判断したので、先ずは前編から投下します
背中と尻から伝わるコンクリートとアスファルトの感覚が、冷たかった。
夏も盛りのこの時期は、其処に突っ立っているだけで体中から汗が噴き出る程暑いものなのだが、北上が今いる場所は、日の当たらない路地の影の中である為、
それ程暑くはないし、寧ろ涼しい位であった。しかし、体感温度が低いのは決して、日陰の中にいるだけではなかった。
きっと今、自分の身体の血の巡りは、相当悪くなっている。だからきっと、こんなにも自分の身体は冷たいんだと、彼女は思っていた。
肘から先が消失した、自分の右手を北上は眺める。
やはり、ない。本当ならば下腕があった場所には、物足りない空白の部分が存在するだけであった。
どんなに上腕の神経を動かそうとも、指も無ければ手もなくて。そんな状態で、腕が動かせる訳もなかった。
この腕を見る度に、自分は泣きそうになる。そして、己の身体に氷でも押し付けられたかのような恐怖感が、身体を包み込む。
忘れたくても忘れられない、人外の美貌を誇るあのアサシンの姿。彼を思い出す度に、北上は例えようもない恐怖を感じてしまうのだ。
瞼の裏どころか、大脳の奥底にすら刻まれ焼き付き、脳が死を迎えるまで忘れる事はないのではないかと言う程の美しいアサシンだった。
そんな男が齎した、圧倒的な残虐性を誇る暴力の数々。許せないと思うと同時に、全く抵抗も出来ずにいた事による虚無感が、今の北上の心を、
色水が混ざり合うようにして撹拌されている。
――だがそれ以上に、自分は今でも、あの男の美を忘れられずにいる。
敵なのに。自分の右腕を細切れにし、あまつさえアレックスを痛い目にあわせた、許し難い相手の筈なのに。
今でも、あの男の美を忘れられない。天使の美貌に、悪魔の性根。その二律相反性に惹かれる自分がいる事を、北上は嫌悪していた。
「……馬鹿な女」
これだけ痛い目を、主従共にあわされたと言うのに、何て馬鹿何だろう。
今の北上はそんな事を考えていた。申し訳なく思わないのか、自分を助けてくれた、あのモデルマンのサーヴァントに。
そのモデルマンのサーヴァントである男、アレックスはまだ戻って来ない。
近場にサーヴァントがいると厄介な為、クラスをアーチャーに変更させ、それなりの高さの建造物の屋上から、近隣の様子を監視している、らしい。
真意の程は解らないが、北上も疑っていない。危機的状況の最中に陥って初めて、普段は自分のパソコンでエロゲをtorrentで落としてプレイしている自称勇者の男の、
危機判断能力とその性根を理解した。確かに、俗物的な人物だったのかも知れないが、聖杯戦争に呼び出されるサーヴァントに相応しい側面も、有していたのだ。
勇者と言う言葉に、勇ましい者と言う意味があるのならば、確かに彼も、その条件を満たしている。北上の中ではアレックスは、自分を守る勇者なのだ。
だから彼女も、彼を信じる事とした。今は彼は、自分に危機が舞い込んで来ないよう、予防線を張ってくれている。そう、北上は思っていた。
――そして、それが真実であった事を、今知った。
「……よう、無事だったか」
北上の聴覚が捉えたのは、よく知ったる己のサーヴァントの声。
少しダウナー気味になっていた今の北上には嬉しい声だった。急いでその方向に顔を向け――血の気を失った。
「そんな目で見るなよ……照れる、だろ……」
槍を地面に突き刺した状態でなければ、直立する事が難しいと言った風に、アレックスが言った。
彼の右脇腹は綺麗な円形に抉られており、其処からジクジクと血液が流れ出ている。
傷の割に出血量が大人しいのはきっと、自分を治したような治癒の魔術を懐にあてたからだろう。
しかし痛みと苦しみは完全に消せないらしく、身体中から脂汗を噴出させ、苦しそうに喘ぎ声を漏らしながら、彼はアスファルトの上に膝を付いた。
「あ、アレックス!!」
美貌のアサシン、浪蘭幻十への様々な感情で占められていた脳内が、今のアレックスを見た事で真っ新な空白状態になり、
一種のフリーズめいた様子を見せていた北上であったが、片膝を付いたアレックスを見るや、直に正気を取戻し、彼の方に駆け寄って行く。
「な、何で……!?」
傷が酷くなってるのか、と言おうとする。
「そりゃお前……戦ったからだろ。ヤバそうなサーヴァントと、一戦交えたんだが……向こうの方が強くてな……」
今もアレックスは考える。正直、戦って生きていられるのが不思議な程強いサーヴァントだった。
灰胴色の巨鬼に変身出来る、少年のサーヴァント。その速度は音の様に速く、腕から放たれる一撃は稲妻の様な破壊力を内包する。
如何して自分は、サーヴァントの巡り合わせがこうまで悪いのか。戦う度に、傷だらけじゃないかと自嘲する。
一日所か、半日すら持たないと、頭の何処かで冷静な自分が告げている。本当にその通りである、このまま行って、本当に北上を護り通せるのだろうか?
「だ、大丈夫なの!? 死なないよね!? そうだよね!?」
涙目になりながら、膝を付いたアレックスに安否を尋ねる北上であったが、明らかに大丈夫でないし、そもそも死なない方がどうかしてる程のダメージだ。
艦娘として経験を積んで来た、頭の中の北上が、恐らく無理かもしれないと計算していたが、直に、そんなネガティヴな思考を彼方に吹き飛ばした。
此処で死なれたら、絶対に嫌だ。聖杯戦争に勝ち残れないとか、元の世界に帰れなくなるとか、この勇者に死なれるのは絶対に嫌だとか、その様な感情が色々入り混じった、伏魔殿の如くに複雑な感情であった。
「死なないように気張るが……やー……ハハハ、痛ぇわ」
「駄目駄目!! こんな中途半端な所で……元の世界に戻って大井っちに会って、それで、手痛いビンタを貰って、私を笑わせてくれるんでしょ!?」
「そんな予定、立てたつもりはねーよ……ただ、元の世界には、戻すつもりで……ぐっ……!!」
強い電流が流れた様な、シャープな痛みに苦悶を漏らした。
気を抜けば気絶する程苦しいし痛いのだが、今は歯を食いしばってアレックスは耐える。
此処で気を失ったら、勇者の沽券に係わる事もそうだが、何よりも、北上が無防備の状態に晒される。それだけは、防がねばならない事柄であった。
「アレックス!!」
「心配するなって、一応時間を置けば――!!」
言葉の途中で、ハッとした表情を浮かべ、慌てて北上の襟を掴むアレックス。
「えっ、えっ!?」と、何をするのかと北上が訊ねるよりも早く、彼は北上を己の背中に回らせ、ドラゴンスピアの穂先を路地の先へと突き付ける。
アレックスは感じ取っていた。決して速い速度ではないが、此方に向かって確実に近付いてくる、サーヴァント達の気配を。
そしてそれは事実、此方が狙いだったらしい。言葉を交わせる距離まで、その一組は近付いてきた。
鍛え上げられた身体つきと筋肉量が、黒い紳士服の上からでも解る、高い身長のアングロサクソンだった。
走り難い恰好であるのに、実に健康的で若々しく、理想的なフォームで、彼は此方の方に走って近付いてくる。
ジョナサン・ジョースター。身体の裡に黄金の意思を宿す本当の貴族であり、本当の紳士である。
槍の先から、殺意が水滴となって落ちるのではないかと言う程の気魄を滾らせて、アレックスがジョナサンを睨む。
それを受けて、ジョナサンは、槍の先端から三〜四m程離れた位置で停止。それと同時に、ジョナサンのサーヴァントである、アーチャー。
ジョニィ・ジョースターも霊体化を解き、実体化。人差し指の照準を、アレックスの額に向けて構えた。「ひっ……」、と言う声が、アレックスの後ろから聞こえて来た。
「……アーチャー」
数秒程の間を置いて、ジョナサンが言葉を発した。
ジョニィは明らかに、アレックスに対して、爪の弾丸を放とうとしている。威嚇でも何でもない、此方に対して攻撃を仕掛ければ、即、動く。
ブラフでも何でもなく、その本気さを、ジョナサンは感じ取っていた。先程まで共闘した相手にも、お前は牙を向くのか、ジョニィ・ジョースターよ。
「マスター、君にも解っている筈だ。彼が向ける殺意を」
そう、ジョナサンだって能天気な馬鹿じゃない。
アレックスが此方に向けて放射しているものが、敵意と殺意である事は、理解している。
無論、アレックスが此方にそう言った感情を向ける気持ちは、解らなくもない。今のアレックスは、ステータスの上では一段二段も劣るジョニィですら、
殺し切れる可能性がある手負いの状態である。あのバーサーカーの少年と戦った時は必要に駆られて共闘しただけ、と言う側面が否めない。
となれば、アレックス達の側からしたら、ジョニィ達を頭から信用するのは、難しいのは当然の事。必然、このような状況に陥ると言う訳であった。
「……落ち着いて欲しい、ランサー。少なくとも僕には、君と争う気概はない」
と、ジョナサンは語るが、これで敵意が薄らぐとは、彼も思っていない。現にアレックスは、怪訝そうな顔で此方の顔を睨むだけであった。
「信用出来るかよ」
「嘘じゃない。僕らは聖杯を破壊して、聖杯戦争を止めに――」
「馬鹿かお前、何でも願いの叶う杯を破壊する何て、正気じゃねぇだろ」
ジョナサンは事此処に及んで、自分の思考がどれだけ顰蹙を買う考えなのかを理解していなかった。
当人の意思など関係なく、契約者の鍵に触れただけで此処に呼び出され、願いが叶えられる杯が手に入るぞ、さぁ殺し合ってくれ。聖杯戦争の本質はこれである。
これは到底許される事柄ではない、正義に反する。だからこそ、その裏に潜む主催者に制裁を与え、参加者の犠牲と血肉で出来た聖なる杯を破壊する。
論理の帰結としては納得しやすく、寧ろ共感を得るのも容易い考えであるが、ジョナサン達のこの考えに賛同する人物とはあくまでも、聖杯戦争に接点のないNPC或いは、
この聖杯戦争自体に怒りを抱く者だけなのだ。聖杯を用いて願いを叶えたい人物が相手では、ジョナサンの説得など滓程の効力も持たないどころか、
最悪聖杯戦争自体を台無しにしてせっかくのチャンスを水泡に帰させる人物として、排除される危険性すらあるのだ。
故に、他参加者を説得する口上としては、聖杯を破壊すると言うスタンスの表明は、下の下。ジョナサン・ジョースターは、あの時十兵衛がして見せた指摘の意味を、理解していなかったのだ。
「少なくとも俺達は聖杯を利用して、元の世界に帰るって言う目的があるんだよ。聖杯を破壊されて……痛ぅ……ッ!!」
「アレ、ッ、モデルマン!!」
精神の均衡を欠いた状態にある北上は危うく、真名を言いそうになるが、慌ててクラス名に修正する。
モデルマンと言う言葉の意味する所を理解出来ずにいるジョナサンとジョニィであったが、少年のバーサーカー、
高槻涼が放った荷電粒子砲に貫かれた部位が齎す痛みに苦しむアレックスを見て、その疑問は吹っ飛んだ。
「大丈夫か、ランサー!! ……いや、ちょっと待て、其処のマスターの君……腕が」
気付いたのだ。北上の右腕の肘から先が、完全に消えてなくなっている事に。
その指摘を受け、ビクリ、と、露骨な反応を見せる北上。剥き出しの骨を触られたようであった。
「成程、な。あのバーサーカーと戦う前から、いやに魔力を消費していると思ったが……僕らが戦う前に、既に手痛いダメージを受けていたのか……」
ジョニィの言葉に、アレックスは歯噛みする。一から十まで全て、その通りの事柄であったからだ。
「……何しに、此処に来た」
此処で初めてアレックスが、ジョナサン達に、自分達を追って来たその意図を問うた。
「聖杯を破壊しようにも……僕らだけじゃ心許ないのは事実だ。同じ考えを持った仲間を探してるんだが……」
「それを俺らに求めるのか? 言っておくが俺らは――」
「聖杯を求めている、と言うんだろう? それは確かに僕としても許せない事柄かも知れないが……そうだな、確かに君達みたいに、切実な願いを抱く者も……いるんだよな」
少しだけ、残念そうな表情をし、ジョナサンは言葉を続ける。
「だが、聖杯戦争の果てに手に入る褒賞の聖杯が、本当に願いを叶えるそれなのかも疑わしいだろう? 元の世界に戻るだけ……と言うのならば、超常存在のサーヴァント達だ。
それ位出来る存在、一人や二人、いないとも限らない。どの道、僕ですらもこの先何が起こるか解らないんだ。ある時期までは、一緒に行動する事は、間違いじゃないと思う」
言葉に詰まるのはアレックスの方だった。正直な話、その通りだと思ったし、同盟自体が、魅力的な提案であったからだ。
同盟のメリットは、サーヴァントが二体になる事で単純に戦闘状況に直面した場合、事を有利に運べる事だ。
無論最終的には、聖杯を求めて戦うと言う未来がある事も否定できないし、そもそもジョナサン達は聖杯を破壊する側の人間だ。
聖杯を求めるアレックス達とは確実に最後の最後で争う事は目に見えている。それでも、この提案が魅力的に思える理由は、一つ。
それはアレックス及び北上が、聖杯戦争を勝ち抜くには非力な主従であるからに他ならない。北上は魔力の総量が少なく、アレックスは器用貧乏。
美貌のアサシン・浪蘭幻十、核熱のバーサーカー・ジャバウォック。この二人と戦って解った事だが、彼の戦闘能力は、かなり控えめだ。
とどのつまりは、自分達だけの力では、聖杯を勝ち取るどころか、生き残る事すら解らないのである。生存率をせめて上げる方策として、同盟はかなり理に叶った選択なのだ。
アレックスは考える。
此処が、この聖杯戦争における自分達の最大の分水嶺なのではないか、と。
自分達は今手負いの状況だ。魔力の消費も馬鹿に出来ない上に、マスターである北上の状態も最悪を極る。
そもそもそんな主従を見つけて、同盟を組もうだなどと、婉曲的な言葉を用いたとしても、持ち掛けるマスターの存在など、稀何てレベルの話ではない。
人が良すぎて、何か裏があると勘繰る方が正常な反応な程である。そして、今自分達の目の前にいる男は、そんなマスターであった。
此処で選択を間違えてしまえば、自分達は間違いなく、聖杯に辿り着くどころか、今日の一日を乗り越える事もなく死んでしまう。
普通に考えれば、乗るべきだろう。しかし、アレックスはまだ疑っている。
「……一つ、条件がある」
重苦しい様子で、アレックスが言った。
「マスターの腕か、俺の傷を治して欲しい」
「君のマスターと、君自身を?」
ジョニィがオウム返しに返事を行う。
「見ての通りだ、マスターは前の戦いで腕を失った。日常生活も不便だろうよ。……んで俺がこのまま消滅すれば、間違いなくマスターはのたれ死ぬ。……それだけは、避けたい」
「……モデルマン」
提案としては、尤もな所である。が、厳しいものであるのは事実だ。
ジョナサンの波紋は傷を治す事は出来るのだが、欠損した身体の部位までは修復できない。ジョナサンからして見たらそんなもの魔法か何かだ。
次に、アレックスの身体の治療だが、これ自体は、魔力を分け与えれば済む話であろうが、魔力が黄金より重い意味を持つ聖杯戦争で、それを分け与えるのは、
余程信頼した主従以外にはやりたくない。無論、アレックス達を信頼していない訳ではないが、全幅の、と言う言葉を用いる程ではない。
それ以上に、たった今ジョニィから釘を刺された。【貴重な魔力を割くべきではない】、と。ジョナサンの性格を鑑みたら、やりそうであると踏んだのだろう。
困ったな、と言う風に考えを巡らすジョナサンであるが、一つ。賭けに等しい妙案が思い描かれた。
それは、自分達が拠点としている新宿御苑周辺でも特に目立ち、そして――恐らくは、<新宿>の聖杯戦争に馳せ参じた人物達なら、皆が気付いているであろう病院であった。
ドイツが生んだ誉れ高き詩人であるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの名作、ファウストに登場する誘惑の悪魔、メフィストフェレスと同じ名をした病院。
「――『メフィスト病院』だ」
ぴくり、と、アレックスも北上も反応を示した。そして、ジョナサンのサーヴァントである、ジョニィでさえも。
「君達の傷を治せる所は、メフィスト病院以外に存在しないと僕は思う」
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
十九世紀の精神分析家であるジグムント・フロイトが、人の心の中に無意識の領域を発見し、その世界にアプローチする方法として、
夢分析と呼ばれる手法を確立してから、百年以上の年月が経過していた。人は眠りに入ると、夢を見る。誰に教えられるでもない。
古の昔から、人間が知る不変の知識の一つである。しかし、何故人が夢を見るのか、その原因と、メカニズムを発見出来た人間は、未だ現れていないと言うのが実情だ。
今日に於いてすら、肉体から抜け出た意識或いは魂が夢を見せている、夢自体が神や悪魔と言った上位次元の存在が見せる予言或いは神託なのだと、
本気で主張する者もいる。何故、科学が世を統べていると言っても過言ではない二十一世紀の世界に於いても、斯様な前時代的な思想が幅を利かせているのか?
誰も科学的に、夢と言う事象の全てを解体出来ていないからに他ならない。
夢とは人の『身体』が生きている時にしか見られない。
人の『心』が見せる虚像であり実像である。『現実』に体験し、獲得した知識が『空想』の世界に反映される、『意識』の中に生まれた一つの世界である。
『身体』と『心』、『現実』と『空想』、そして『意識』が、パッチワークキルトの如く織り交ぜられた夢の世界は、深層心理学と言う学術分野が確立され、
解体の為のメスの刃を此処まで研ぎ光らせても、未だにその全貌を切り拓けずにいる。
――この病院は、そんな、『夢』の領域すらも扱っていると言う事を、此処の<新宿>の住民の誰も知らない。
誰も知らないと言うよりは、誰も知る事がなかったと言うべきか。いや、知る必要性がなかったと言うのが、一番正鵠を射ているだろう。
――人の身体が、蛋白質から『夢』で構成されてしまう現象。恐らくこの意味を理解する人間はいないし、あまつさえ、魔術師ですら理解不能であろう。
現実の肉体にまで影響を及ぼす魔術的な悪夢、身体が夢で構成される奇妙な現象。そう言った患者を治す為に、メフィスト病院のとあるフロアには、
通称夢科と呼ばれる診療科が存在するのだ。但し、今は閑古鳥が鳴いている状態に等しい。
理由は単純で、此処<新宿>には、“魔界都市<新宿>”で頻々と起る奇病や魔疫の類がゼロであるからに他ならない。魔術的な奇病など滅多に起こらない。
必然、夢科は使われなくなる。現在のメフィスト病院は、魔術的な治療が絡む診療科は一切使われておらず、代わりに、一般の病院にもある様な診療科がフル稼働している状態であったのだ。
そう――ほんの一日前までは。
「先生の見解を、御伺いしたい」
細身の刀身を思わせる老人であった。
背丈も体格も、特筆するべき所はなく、皮膚の張りも既に身体からは失われ、若々しさとは無縁の、そんな男だった。
しかし、その瞳に宿る光を見るが良い。蛮刀の荒々しさではなく、剃刀に似た鋭い光を湛えたその瞳は、呆けた老爺の瞳とは一線を画する。
例えるならその男は、倭刀の剣身。例えるならばその男は、引き絞られた鋼の糸。
戦士としての風格を身体から醸し出して居ながら、纏う白衣から放たれる知性の香りが、全く損なわれていなかった。
名を、不律。頭に黒いものが一本としてないその老人の名であり、此処メフィスト病院の専属医の一人として働く、聖杯戦争の参加者であった。
「大脳、脳幹、代謝共に異常なし。脳波は勿論の事、脈拍から循環系の全てに至るまで、取り立てる所もなし」
「つまり」
「先生の見立ての通りですよ。これは、ただの昏倒ではありません」
不律に対してそのような言葉を投げ掛けるのは、年の頃にして三十代半ばの白衣の男であった。
掛けた鼈甲縁の眼鏡が、メフィスト病院の給金の高さと言うものを窺わせる。中原と言う名前のこの男は、メフィスト病院夢科に所属する医者の一人。
そして、綾瀬夕映の担当医の『一人』。一人、と言ったのは、彼の少女の病状は複雑怪奇であるらしく、複数の診療科の腕利きが、担当分野を分けて見ているからだ。
その複数の診療科の医者と言うのが、近頃は全く患者が来ないので医務室で暇をしていたらしいのだが、ある時を境に患者を回された為に、途端に、嬉々として職務を遂行しているわけだ。
「ただの昏睡、昏倒の類ではない事は儂にも解る。だが、脳にも身体にも異常がないとすれば……やはり、このような場所の領分かと思うてな」
「正しい見方ですね。脳にも身体にも原因を見いだせない昏睡は、我々に言わせれば、霊障か、魔術によるものと相場が決まっておりますので」
うんうんと首を縦に振る中原。
「ですが、カルテやレントゲンを見せて貰っただけでは、この手の症状は何が原因なのか断定しづらいのも、また事実です」
「何故か」
「霊や魔術はそれ自体が神秘に拠るものだからですよ。それ故に、科学ではその異変を感知し辛い。古の昔より、霊や魔が成した障害を観測、解消するには、霊や魔、聖(ひじり)が宿った器物で見るのが確実なのです」
サーヴァントのファウストも言っていた。神秘の塊であるサーヴァントに人間が直接攻撃を行い、損傷を与えるには、神秘を纏った攻撃でなければならない、と。その法則の延長線上にあるのだろうかと、不律は考える。
「だが、此処の病院の施設であれば、霊や魔の成す障害も観測出来る筈では?」
「ははは、それは院長が手掛けたシステムですから。院長が手掛けた科学は、容易く神秘を征服し、解体する。だからこそ、魔界医師であり、この病院の院長なのですよ」
「つくづく凄い方です」、と中原は言葉を切った。
実際不律の目から見ても、メフィストと言う男の医術は凄い……と言うよりも、神業なんて言う言葉では尚足りない程の医療技術の持ち主であった。
まるで、ケイローンの下で育てられた、死者を蘇生させる医術の持ち主として有名な、アスクレピオス宛らであった。
きっとあの男ならば、死者すら蘇らせる事が出来るのでは、と、不律は思わずにはいられない。
「それで、中原先生。この綾瀬夕映の症状は、見当が付くだろうか?」
「他の診療科の先生の意見を仰がない限りは、何とも言えませんな」
首を横に振りながら、中原はカルテを横のデスクに置いた。
其処には患者である綾瀬夕映の顔写真と一緒に、彼女の病状や現在の体長等々が仔細に書き込まれている。
「一口に霊障や悪魔憑き、狐憑きと言いましても、色々あるのです。もっと言えば、齎される障害は実に様々です。
同じ悪魔でも、例えば夢魔の類に干渉された場合は我々の分野になりますが、患者の性格を大きく改変させる悪魔に取りつかれた場合は我々より寧ろ心霊科や魔術科の領分になるのです」
「綾瀬夕映が区内の病院から、メフィスト病院に搬送されてから既に二日は経過している。それでもまだ結果は出ぬ、と」
「お恥ずかしい事ですが、相当難航しております」
「何故か」
「魔術科の先生達の見解によれば、これが極めて大掛かりかつ高度な呪いの類であるとの事なのですよ」
「ほう」
「私もそれについては同意です。問題は……」
「問題は?」
「高度すぎると言う事ですな」
かぶりを振るった。
「綾瀬夕映さんの魂が、別の所まで抜き去られている。『昏睡の正体』はこれなのですよ」
「魂を?」
「今の彼女の状態は、仮死状態に近いそれ、と言った方が宜しいのかも知れません。脈もある、呼吸もある、脳波も安定している。だが、魔術的に見れば死んだ状態。それが、今の彼女なのですよ」
「専門外の故に、初心者の様な質問をする事を許してほしいのだが、魂を抜き取られる事は、死ぬ事とほぼ同義ではないのか?」」
「間違ってはいません。ですが、事と場合による、と言う所でしょうか」
「事と場合に……?」
「単に魂を抜き取られただけであるのならば、その魂を元の肉体に戻せば、当該人物は復活します。ですが、心臓や大脳を破壊された状態の肉体に、魂を入れたとしたら、どうなります?」
「常識的に考えれば……元の肉体がそんな状態なのだ。戻った所で、どうしようもないと思うが」
「事と場合と私が申しましたのは、そう言う事ですな。元の肉体が生命活動を維持出来ない状態の肉体には、魂は戻れないのですよ。いや、戻っても意味がない、と言うべきでしょうか」
確かに、そう言う事ならば論理に矛盾はない。
「では綾瀬夕映は、その魂を肉体に戻せば」
「えぇ、理論上は九割の確率で蘇生するでしょう。ああ、残りの一割と言いますのは、肉体を離れている間魂が摩耗していたり損傷していたり、と言った事態を想定してです」
「肉体に戻せるか?」
「戻せませんねぇ」
凄まじくあっさりと、中原は匙を投げた。
「『昏睡の正体』は、我々は突き止める事が出来ました。ですが、その魔術が『如何なる術であるのか』、それが全く解らないのですよ」
「それが、高度過ぎると言った理由か」
「はい」
ポリポリと、側頭部を人差し指で中原がかいた。
「魔術の世界も結局の所、異界の法則や特定の理の下でしか効力を発揮出来ません。呪いと呼ばれる奴も、それが如何なる類のものなのかを判別させない事には、打つ手立てもないのです」
「医療と同じだな」
「えぇ」
苦笑いを彼は浮かべた。
「この病院の施設でも特定し難い呪い……相手は余程高度な魔術を扱う術者に他なりません。難航の正体が、それなのです」
「では進捗は、ないと言う事か?」
「一概にそうとも言えません」
言って、机の上に置いてあった、外で開発された物とは違う、PCタブレットを手に取った。
今は所持していないが、不律にもそれは配られている。ただのタブレットではない。魔界都市の技術と、メフィストの悪魔の智慧が混ざり合った器物である。
人類が開発した量子コンピューターの数万倍の演算速度を叩き出す事を可能としていながら、タブレットのレベルにまで小型化する事に成功した、科学の最先端の先を行く電子機器であった。
「今から見せるものは、綾瀬夕映さんの夢を映像化して、このタブレットに出力したものです」
「夢を、映像化……。何を使った?」
「まぁ噛み砕いていえば、夢たしかめ機、って奴ですよ」
ハハハ、と笑いながら、中原は目当ての映像のサムネイルをタッチし、それを不律の方へと見せつけた。
映像はおよそ一分ほどの長さである事がシークバーから窺う事が出来るが、動画自体の長さよりも目を引くのが、映像そのものだった。
綾瀬夕映が、確かにそこにいる。先程見て来た患者の顔を見間違える程、不律は耄碌していない。間違いなく彼女が動画に映っている。
しかも、動いている。動画である以上当たり前だと思われるが、先程まで何をしても動かなかった少女が、全く問題なく活動していると言うのだから、
不律としては驚きを隠せない。だが、それ以上に奇妙だったのは――
「此処は、何処だ?」
疑問に中原が答えてくれる事を期待して、不律は言葉を発した。
綾瀬夕映は、見知らぬ街角で生活を送っていた。この見知らぬと言うのは、行った事のない都会や村落とか、集落とか言う意味ではない。
本当に、知らない街なのだ。建造物の様式が、明らかに二十一世紀よりも千年、いや、事によったらそれ以上昔のそれなのである。
街行く人間の服装は古代ローマのそれを踏襲した様な、麻の軽装であったり白いトーガであったり。舗装された街路には当たり前の如くに荷馬車が走っていた。
動画の中の夢世界は青空であるらしい。一瞬だが、その青さに不律は目を奪われた。工業地帯も地球上になく、汚れた物を人類が海に流し空に昇らせていなかった太古の世界の情景とは、きっと、こんな物であったのだろうか、と、連想せずにはいられなかった。
「此処は、何処か。結論から言いましょう。解りません」
残念そうな口ぶりで、中原が言った。
「周囲の建造物の様式。ローマ様式にもエジプト様式にも取れますが、これと言った特徴が掴めない。地球上に存在しなかった文明です。なのに、この異様なリアリティ。
よく見て頂ければ解りますが、綾瀬夕映さんの見る夢に出てくる建物から青空、道行く人間全てに至るまで、かなり精緻に形作られています。
まるで……そう。『実際にこのような場所を何処かで見聞している』かのようなリアルさです」
夢は、当該人物が経験した体験や、獲得した知識とリンクする。
その人物が知らない事柄の夢は基本的に曖昧かつ抽象的な姿として映像化されるのだが、この映像。
もしも中原の言う事が本当であるのならば、綾瀬夕映は何処から、この夢の中に不思議な世界を見聞きしたのか?
疑問に思っても、映像の中の綾瀬夕映は答えてくれない。宮崎のどかの通う学校と同じ制服を身に纏いながら、オロオロと街道を歩く綾瀬夕映は。
「解決の糸口は、間違いなくこの夢の世界にあると私は思うのですが……これ以外に手がかりがありませんので……」
やはり、心底残念そうな口調を隠しもせずに彼は言った。それ以上に残念そうだったのが、不律の方である。
この老侍には、綾瀬夕映が、聖杯戦争に参加したサーヴァント或いはマスターの毒牙に掛かっている事を、既に見抜いていた。
中原の様な専門の診療科に属していなくても、今の彼女の身体状況から、そんな事、容易に想像が出来る。
綾瀬夕映を救うと言う目的もあるが、それと同じ位、この呪いを施したサーヴァントの正体を知りたい、と言う心持ちも不律には存在する。
打つ手なしか、と落胆しかけた不律であった。
――その時であった。氷で出来た蛭が、何百匹も身体を這い上がって行くような、総毛立つような感覚を覚えたのは。
バッと自動ドアの方に向き直りながら、懐に差した刀の柄に手を掛ける。半秒程遅れて、診療室に、チャイムが鳴り響いた。
慌てて中原は、自動ドアの入室許可スイッチを押す。音もなくドアは左右にスライドして行き――その美しい男が姿を見せた。
標高七千mと言う極寒かつ超高度の霊峰の頂にしか積もらない万年雪で形成されているとしか思えない程の白さを誇るケープを身に纏う、
自然界の法則をも、『美』と言う概念的な要素で支配しかねないその男。メフィスト病院の主であり、聖杯戦争に参加した魔術師のサーヴァント。ドクター・メフィストが。
「い、院長!? な、何の御用でしょう……?」
この病院に於いてはカースト制度と言う前時代的な身分区分が、暗黙の了解的に存在する。
但し史実の様な、バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・スードラ、更に不可触民であるアチュート、と言った様な生まれや職業別のそれではないし、
寧ろ職場における上下関係の延長線上のものであり、其処まで酷いものではない。しかしそのヒエラルキー意識はこの病院の職員の、
不律を除いたほぼ全員に徹底して刷り込まれており、それが絶対的な関係であると彼らは認識している。
即ち、院長であるメフィストが上であり、それ以外の職員は下。この関係は徹底されており、如何な超常的な力を持った医者や職員ですら、このヒエラルキーを壊せない。
それだけ、メフィストと言う男が誇る魔術の腕前と、知識の量が、次元違いであるから。そして――そんな文句も吹っ飛ぶ程に、美しいからだ。
恐ろしく中原と言う男はおろおろとしていたが、それを小ネズミめいているとは、不律も思わない。その様な反応も、むべなるかなと思ってしまうのだ。メフィストと言う男を見てしまえば、誰だって、そんな反応を取るのではなかろうか。
「夢科以外の、綾瀬夕映氏を担当していた診療科の先生から、このような患者がいる、と言うカルテを送られてきてね。興味が湧いたので、足を運んだ次第だ」
「では……、院長自らが?」
「無論、君に打つ手立てがあるのならば、それを尊重しよう。私は夢科の所属医である、中原巧先生を信頼しているからな」
「……も、申し訳ございません。正直な事を言わせて頂くならば……、私には綾瀬夕映氏を治療する事は……」
「構わん。そう言う患者が運ばれる事は珍しくなかっただろう。下がりたまえ。中原先生。後は此方が受け持つ」
「了解しました……」
言って中原は、メフィストに対する畏敬の念を抱きながら、素直に医務室から退室。
後には、メフィストと、刀の柄に手を掛けたまま動かない不律だけが残された。
「出てきやすいのではないかな、ランサー」
言って不律の方に、ではなく、部屋の片隅に目を向けるメフィスト。
ゴミ箱も置かれていなければ、書類棚すら存在しない完全なる部屋のデッドスペースの一角に、その男が姿を現した。
ナナフシの様に細長い身体つき、茶色の紙袋を頭から被った奇怪な出で立ち。不律が従えるランサーのサーヴァント、ファウストとは、この奇人の事である。
「数十分ぶりですな」
と、ファウストはさしあたって挨拶を交わす。
不律は己のサーヴァントが此処にいる事に気付かれている事も、彼がメフィストと話している事も、全く驚いていなかった。寧ろ、当たり前だと思っている感すらある。
「件の患者を診たかね」
言うまでもなく、その件の患者とは、綾瀬夕映の事だ。
「時間の都合上、触診も診察もしておりませんな。霊体化した状態で、少しカルテを拝見させて貰った程度ですが……」
「君の意見を伺おう」
「サーヴァントが裏で糸を引いている以上の事は解らない、と言うのが正直な所です。何分私、魔術の分野が消え去った世界から来ましたので」
これは、半分は事実である。そもそもファウストがいた世界は、魔術と呼ばれる術理は科学的に証明、解体され、法術と呼ばれる形態に変化(進化)した。
科学によって説明された魔術は、性能は上がったかもしれないが、およそ全ての魔術が有している神秘と言うものが極限まで損なわれた。
そのせいで、心霊が絡む領域やスピリチュアルな現象が齎す奇病と言うものはほぼ絶滅寸前にまで追い込まれてしまったのだ。
そして、半分は嘘である。
ファウストは実際には、魔術的な要素が絡んでいると思しき奇病を知っている。知ってて言わなかった訳は、シンプルに二つだ。
一つ、その病気を治せなかった事。そしてもう一つ、ファウスト自身が現代医学にカテゴライズされる病気だと認めていない事。
幽霊が憑依しているとか言うのならばまだしも、偶発的にタイムスリップしてしまう病気など、ファウストは絶対に病気と認めたくないのであった。
「……何故、此処に足を運んだ? 院長、いや。ドクター・メフィスト」
何百トンもある石を動かすかのような労力を以て、漸く不律は口を開いて、言葉を発する事が出来た。
目の前の神医を相手にコミュニケーションを取るのは、並々ならぬ労力がいるのである。
「偶然、その患者を診ていた人物に、不律先生が含まれていたと聞いてな。優れた医術をお持ちのサーヴァントを従えているのだ、君の意見も伺いたかったのだがな」
「御力になれず申し訳ない」
「患者をまだ見ていないのだろう、仕方がない事だ」
と言いながら、メフィストは、先程中原が机の上に置いたカルテを手に取り、それを眺めた。
「此処の病院の腕利きですら、その全貌が明らかにならない呪い、か。成程、相当の手練だな」
「Dr.メフィスト、それでは貴殿は、この呪いの類にどう対処するおつもりで?」
「私の目で診察してから決めよう。百万文字にも渡る仔細なカルテより、一分の触診だ」
其処でメフィストは、不律らに背を向け、始めた。翻るケープが、オーロラの様であった。
「不律先生の案内に従い、綾瀬夕映の所に先に向かっていたまえ」
「私達だけで、ですか? 先に診る事自体は、吝かではないのですが」
「用事を済ませてから私も追って向う。時間は掛からない」
言ってメフィストは、医務室から足早に退室、後には不律とファウストだけが残った。
純白の美魔がいなくなったせいで、一切の色取りを失ったその部屋で、不律は、己が使役する槍兵のサーヴァントに問うて見せた。
「罠か?」
「罠に掛けたいのであればこの病院以外の所で既に掛けているでしょうし、既に我々も生きていないと思いますがねぇ……。違うとは思いますよ。あの方は……少なくとも、自分の医術に纏わる事柄に関しては、真摯です」
それは不律自身も良く解っている事柄だった。
メフィストは患者を治す、と言う事柄を、聖杯戦争を勝ち抜くと言う事よりも重視している。その在り方は崇高とか高尚と言うよりも、最早狂気の域に達している程だ。となれば、これは恐らくは、罠ではないのだろう。
「一応、私もその患者を診て見たいですな。マスター、案内の程を」
「心得た」
言って不律が歩き出すのを見て、ファウストも霊体化。腰に刀差す老侍の後をファウストは追った。
――この時、彼らは気付いただろうか。何故メフィストが、この二人だけを患者の下に向かわせたのか。
気付いていないのは、明らかであった。となれば必然、解る筈もない。病院の外に、魔力と霊気が蟠り、それの正体を確認すべくメフィストが其処に向かった事も。
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
タクシーの運転手に指定の料金を払い、車外に出、メフィスト病院の入口近くで立ち尽くしているのは、一之瀬志希である。
見る者が見ても、今の彼女を、某プロダクションに所属するアイドルの一之瀬志希だ、と断定出来る者はほぼいないだろう。
貴女は一応、それなりに名の売れている人物であると言う自覚を持て、と言う永琳の指摘を受け、ステージ衣装ではなく、指定の学校制服を着用しているからだ。
だがそれ以上に、彼女を一之瀬志希だと判別を難しくしているのが、今の彼女の表情であった。
驚く程優れていない。マイペースで能天気と言うのがウリであるのに、今の志希の表情は、酷く精彩を欠いている状態なのだ。
――何故か。
それは、本格的に聖杯戦争が始まってしまった、と言う事実をいやがおうにも実感しているからに他ならない。
【一日目の時点から……随分と、ね】
【……うん】
そもそもの切欠は、タクシーの運転手が流していたニュースラジオから流れた、緊急速報であった。
有体に言えばそれは、新宿二丁目のとある交差点に、外国人女性を抱えた異形の右腕を持った青年が現れ、大暴れ。
結果、一度舗装し直さなければ道路としての体を成さない程周辺が破壊されただけでなく、五十数車両以上もの自動車が爆発、壊された事。
現在は道路の消火活動を終え、警察が緊急捜査と現場検証にあたっていると言う。通行封鎖箇所も出来ており、運よく拾ったタクシーはそう言った交通事情を把握していた為か、渋滞を免れる事は出来た。
トップニュースが、これだけならばまだ良かった。
その速報を受けて急いで志希はスマートフォンを開き、ニュースアプリで更なる情報を得ようとして――固まった。
トップニュースは、それを含めて『四つ』あった。一つ、早稲田鶴巻町の某公園とその周辺地域が、竜巻が通った後みたいに破壊されていた事。
二つ目、落合のあるマンションの駐車場で、停めていたマンション住民の車の車体が融解、更にある一室が調度品から壁紙、トイレや台所に至るまで粉々に切り刻まれていた事。
三つ目、指名手配犯・遠坂凛の邸宅周辺の飲食店に放置されていた、巨大な怪物の死骸と、新大久保のコリアタウンのある建物で斬り殺されていた鬼の死体。
それらが、ニュースアプリのトップトピックスであったのだ。
普通はこれらが何であるのかなど、普通の人間は知るべくもないであろう。
しかし、志希達は、この不可解な大破壊と死骸が、何によって齎されたものなのか、理解しているのだ。
そう、これこそは、聖杯戦争の参加者。座より招かれた超常の存在、聖杯を求めてこの街を跳梁する者達。サーヴァントの手によるものだ、と。
【マスター、私が思うに、事態は相当深刻よ。元々この街は狭いから、戦闘が頻々と起る事は予想していたけれど、此処までとは私も予想外だったわ】
【つまり……、あれだよね? 私達ももう例外じゃないって事……】
【安全な場所なんて、ないに等しいわ。残念ながら】
もともとそう言った事は志希も認識していたが、こうまでその現実を見せつけられると、内臓がキュッと圧迫されるような感覚を覚える。
そう、この街の平穏は最早死んだのだ。自分の身の安全は、最早保証不可能なのだ。生き残りたければ、相手を殺して、聖杯まで辿り着かねばならない。
棄権もサレンダーも出来ない、余りにも残酷なデスゲームに自分が参加している事を、志希はまざまざと実感していたのだった。
もう、泣きそうになる。大の大人ですら逃げ出したくなるような状況なのだ。まだまだ精神的には子供の域を出ない志希は、身も世もなく泣きだして逃げ出したい位であった。
【泣きたい気持ちも、わかるわ。マスター。だけれども、今は堪えてなさい。その時が来たら、痛みと苦労の九割程は、私が受け持つから。今は、成すべき事に集中して】
厳しくも、志希への配慮が見え隠れする永琳の言葉に、少しだけ、志希は救われた。
こくり、と小さく頷き、改めて彼女らは、自分達の降りた場所である、メフィスト病院前を確認する。
【……何から何まで常識破りね、此処は】
呆れた様な驚いた様な、そんな感情を永琳は隠せない。
純度の高い石英みたいな白く大きな、宮殿めいた大病院。百車両以上もの自動車の駐車を可能とする専用のパーキングエリア。
病院周辺には食事処やコンビニをカバーしており、如何にも、都会の最中の大病院と言った風情である。
サーヴァントの運営する病院、しかも、名前があの『メフィスト』病院だ。志希としては、外壁の色は黒一色で、入口の辺りに黒山羊の頭でも飾っているのかとすら思っていたが、余りにも普通の大病院過ぎて、拍子抜けする。
【寧ろ、そっちの方がまだ可愛げがあったかも知れないわね】
そんな、志希が思い描く一般的な魔術師の根城のイメージに対する、永琳の返答がこれであった。
【どうして〜?】と疑問をぶつけてくるマスターに、この優れたアーチャーはすぐにその訳を話し始めた。
【余りにも目立ち過ぎな上に、現代の多くのものを受け入れ過ぎよ此処は】
永琳の言っている事を詳しく理解出来ている訳では志希はないが、確かに、その通りなのかも知れない。
駐車場に停められた車、病院が設置したと思しき自動販売機、今も病院を出入りする、入院患者の親族や関係者と思しき人々。
【恐らくこの病院はある種の巨大な陣地であり、この病院を管理するサーヴァントはキャスターだとは思うけれど……通常キャスターのサーヴァントの陣地は、解り難い場所に作製して、そして、信頼を勝ち得た存在しか通常は足を踏み入れられない所よ】
【全部のセオリーから外れてるね】
【だから不気味なのよ】
霊体化しながら、恐らくかぶりを振るっているであろう事が志希には解った。
【誰の目にもハッキリ映る形で、都会の真ん中に神殿に匹敵する規模の陣地を作成するだけじゃなくて、病院として運営、患者を事実治療させて……余りにも、
現代の生活に馴染み過ぎている。仮にこの陣地に主がキャスターだったとして、常軌を逸してるわ。これならばまだ、貴女が言ったみたいに、
黒山羊の頭でも入口にデンと飾っておいた方が、よっぽどらしくて可愛げがあるわ。此処の主は、私に匹敵する天才か……】
【天才か……?】
【ただの馬鹿ね】
バッサリと切り捨てた。何だか此処まで言われると、志希としても此処に足を踏み入れるのが怖くなる。
病院だと言う先入観が今まで強かったが、此処はまず間違いなく、サーヴァントの居城なのだ。
其処に、今から永琳と自分は入って行く。未だに二の足を踏んでいる志希であったが、入り口の自動ドアからロビーを透かして見ると、
自分よりも小さい子供や、年配の男性や女性が、待合席で座っているのが見えた。そうだ、彼らですら、この病院は受け入れているではないか。
仮に自分が聖杯戦争の参加者だとしても……、自分にはこの、聡明なアーチャーがいる。彼女がいれば大丈夫だと思い、志希が一歩足を踏み出した――その時だった。
「――私の後ろに隠れてなさい」
永琳の声が、念話を通して、ではない。一之瀬志希と言う女性の聴覚を通して聞えて来た。
永琳はその手に、自身の身長の半ば程もある和弓を取り出しており、更に、弓を持っていない側の手には、鋭い鏃のついた矢を握っていた。
「え、な、何してるのアーチャー?」
「良いから隠れてなさいな。それと、私の指示次第では、病院の中に駆け込む準備もしておきなさい」
「あの、何を……」
「サーヴァントよ。近付いて来るわ。病院の側からじゃない、道路の方からよ。それも、二体もいる」
嘘、と志希は口にする。が、冷静に考えれば珍しい事ではない筈だ。
此処は誰の目にも見ても明らかなサーヴァントの居城、其処がメフィスト病院である。
となれば、自分以外の参加者も様子を確認しに来たり、最悪、襲撃を掛けに来る者だって、あり得た話じゃないか。
他参加者とかち合うタイミングが、丁度自分達の訪問の時だっただけ。あり得た事態であるが、心の何処かで、志希は、自分達は大丈夫だろうと思っていたのだ。
「ね、ねぇ。こんな駐車場で戦って大丈夫なの?」
「人に見られて困ると言う意味なら、問題ないわ。NPCの目に私達の姿が映らないような、認識阻害の魔術を今張り巡らせてるから。これを無視して、一直線に向かって来る……ますます以て、サーヴァントか、その回し者ね」
「アーチャー、その……」
「言われなくても解ってるわ。最初に、戦わないで済むか、と言った交渉でしょう? 尊重して上げるから心配しないで」
永琳は聡明だった、志希の意図する所をしっかりと理解していた。
ホッと胸を撫で下ろし掛ける志希だったが、事態は未だに危険な状況の最中にあると思い出し、直に気を引き締める。
「来たわ」、永琳が、あそこに石が転がっているとでも言うような口調で志希に告げた。永琳の後ろに隠れながら、そっと頭だけを出して、彼女の目線の先を確認する。
クラシカルな黒い礼服を身に着けた、長身の外国人が先ず目立つ。
今<新宿>は愚か、日本に於いて、黒い礼服の男性と言えば、遠坂凛と一緒に行動していたあのバーサーカーの事を皆思い描くだろうが、
この男の礼服は遠坂凛のバーサーカーと違いよれよれのそれではなく、しっかりとアイロンがけをしており、シワ一つない。バッチリと着こなしていた。
そしてその外国人男性の後ろに、志希と大して歳の変わらない、<新宿>を所在地とする如何なる中学・高校とも違う指定制服を身に着けた女性が歩いている。
まさか彼女がサーヴァントな訳はあるまい。そして、事実それはその通りだった。駐車場内に、黒髪の外国人が足を踏み入れた瞬間、彼の両サイドに、霊体化を解いてサーヴァントが現れた。永琳の言う通り、二人いた。
【貴女の目には、あの二名のサーヴァントのステータス、如何映ってるかしら?】
【え〜っと……あの特徴的な帽子を被った男の人は、アーチャーで、ステータス的にはこっちの勝ちかも。それで、鉢巻つけた男の人も『アーチャー』で、ステータスは、耐久と魔力以外は向こうの勝ち】
【二人で一斉に掛かられたらキツいわね。いざとなったら、帽子の方のアーチャーから狙うべきかしら】
念話でそのような計画を立てる頃には、既に向こうのアーチャー達は、会話が交わせる程の距離まで近づいていた。
彼我の距離は、七m程。アーチャークラスは大なり小なりではあるが、飛び道具の適性が高いサーヴァントである。つまり、接近戦は通常仕掛けに来ない。
そう言った適性を無視し、此処まで近づいてくると言う事は、向こうも話をしたい事でもあるのだろうかと、永琳は考えた。
「心配しなくてもいい。僕らは戦いに来た訳じゃないんだ」
先ず初めに、黒礼服のマスターである男性、ジョナサン・ジョースターが断りを入れた。
「此処の病院に、ちょっとした用があってね。だから、その弓はしまって欲しい」
「えぇ、構わないわよ。其処の、鉢巻を巻いたアーチャーが、身体に溜めた魔力を此方に向けさせなければ、の話だけども」
ビクッ、と。何故か、ジョナサンの後ろにいた少女が身体を跳ねさせた。如何やらあの、鉢巻の方の男のマスターであるらしい。
数秒程経過してから、チッ、と舌打ちを響かせて、鉢巻を巻いたアーチャー、アレックスは身体の内部に溜めさせた魔力を身体の中で循環させる。
これで、攻撃に転用させる事は出来なくなった。まさか自分を相手に、魔術を用いて攻撃しようなどとはお笑い草にも程があると永琳は考える。
対魔力スキルが高い事もそうだが、永琳自身が研鑽し積み上げて来た、魔術の才覚は、神に等しい程のそれにまで達している。一般的なサーヴァントが、彼女と魔術で対抗するのは、無茶もいい所である。
アレックスが溜めた魔力を如何にかしたのを見て、永琳も、弓矢を四次元と三次元の隙間にしまい込んだ。
魔術によって生み出されたその隙間は、余人の目には空間にクレバスが空いた様にしか見えないであろう。
弓矢をしまって大丈夫なのか、と言う懸念が念話で伝わって来たが、問題はない。弓矢が無くても、サーヴァントごとマスターを攻撃できる魔術など、
永琳は百や二百では効かない程保有している。つまり、万が一不意打ちをされたとしても、志希を護れるには充分だと言う事だ。
「ところで、貴方達が此処に来た訳と言うのは、その外傷が理由かしら?」
チラリと、ジョナサン、アレックス、北上の順で目線を配らせて、永琳は口にした。
ジョニィに一瞥もくれないのは、彼が怪我らしい怪我を負っていない事を見抜いたからだ。
「黒礼服の貴方は、左腕に銃弾が埋もれてるわね。早く摘出しないと危険よ、銃弾の金属は人体には毒だから。後ろの女の子の貴方は、右腕がないわね。
遠目から見た限りじゃ何とも言えないけれど、恐ろしく鋭利な何かで切断されたようね。それで、その子のサーヴァントである貴方は……説明不要ね、脇腹がないもの」
右腕の事を指摘された北上は、「うっ」、と声を上げた。
そして、ロベルタの銃撃によって負った、銃弾の傷の事を指摘されたジョナサンは、一瞬驚いた様な表情を浮かべた。
「驚いたね……。一応それと解らないように銃痕は隠したつもりなんだけれど」
「血の匂いまでは消せないわよ。良く此処までその状態で来れたわね」
「随分と苦労したよ」
苦笑いを浮かべてジョナサンは口にした。
裏路地を主に移動し、人通りの在る所を通る際は、早歩きで、かつ人通りが普通の通りにくらべて少ない所を歩く。
最短ルート、しかもバスやタクシーと言った移動手段を使えば十分程度で到着する所が、その倍以上の時間を掛けてしまった。そんな苦労が、永琳はその苦笑いから窺い知れた。
永琳は考える。この主従達が、メフィスト病院の治療を受けに来たであろう事は明白だ。
メフィスト病院の事を知っていての行動ならば、大それた勇気だと思うが、その逆であるのならば、情報に疎すぎると言う他ない。
しかしどちらにしても、その判断は間違っていない、かも知れない。と言うのもメフィスト病院は、NPCの患者を必ず完治させた上で退院させると言うのは有名な話で、
少し調べればその裏は幾らでも取る事が出来る。つまり、こと医療に関しては、それこそスキルや宝具、或いは因果律の定めによる制約のレベルで、
真摯である可能性が高い。それを利用し治療を受けに来、なおかつ完治させた上で退院出来るのであれば、成程、此処ほど体の良い施設はない。
賭けてみる価値は、あるであろう。――そうと解っていて、永琳は一つ、カマを吹っ掛けて見た。
「如何かしら? その程度の傷なら、私が治してもいいけれど?」
永琳の背中に隠れていた志希が、驚いた表情を浮かべる。
「アンタが……?」、と反応したのは、ジョニィの方だった。見た目相応の声だ。
「これでも医者の端くれなの。今の貴方達が負っているダメージ程度ならば、時間を置かずして治せるけれど。流石に、四肢がないのは無理だけれど」
断られる可能性の方が高いと永琳は知っている。知りつつも、ダメもとで交渉に臨んだ。
理由は単純明快、恩を売りたかったからに他ならない。一言二言話して解った事だが、この紳士服の男は実直な青年である。
つまりは義理堅く――利用しやすい。と言う言い方は聞こえが悪い、つまりは、一緒に戦う、同盟相手としてはこれ以上となく適任だと考えたのだ。
では、制服の少女、北上は如何か? 結論を述べれば、彼女とアレックスの組は、永琳は切り捨てる算段でいた。
理由は単純で、アレックスが理由である。一目見て解った、アレックスの瞳の奥で燃える、理性と言う紗幕で隠された強い憎悪を。
同盟をあまり組みたくない相手であった、こう言う相手は自分から逸る行動を起こしかねない。ならば、多少リスクの低いジョナサンに交渉を、と思うのは無理からぬ事であった。
――さて、如何出る。そう思った、その時であった。
心臓を、氷で出来た手で掌握されたような、悪寒に限りなく近い寒気が、永琳のみならず、この場にいた全員の身体を襲ったのは。
「ならんな」
その声は、ジョナサンらの頭上から聞こえて来た。
極楽浄土に響き渡る天琴の様な、オルフェウスが奏でる竪琴の様な、聞くだけで陽との心を蕩かすような男の声であった。
きっとこの男が何かしらの聖歌を歌おうものならば、冥府の王(ハーデス)ですら涙を流し、万の悪魔ですらその聖性の前に塵と化すであろう。
声の方に身体を向けたのは永琳だった。百分の一マイクロ秒程遅れて、ジョニィがその声の方に人差し指を向け――
両者共に、慄然の表情を浮かべた。
「我が病院を頼りに此処にやって来た以上、その患者は私の庇護下にある」
胡粉よりも、卯の花よりもずっと白いケープを纏った、黒髪の男であった。
全身を覆うケープの下からでも解る、人体の黄金比そのものと言っても良い、均整と調和のとれた身体つき。
美を司る神が手ずから筆と差金を取り、紙に設計図を描き、その通りに寸分の狂いもなく創った人間こそが、この男なのだと言われても、万民は納得しよう。
だがそれ以上に恐るべきは、その顔付き。精子と卵子が有する遺伝子情報の交合。それによって形作られた奇跡とは、到底思えない程、男は美しかった。
永琳は一目で理解した、この男の美は、既存の人類が有する如何なるDNA情報にも刻み込まれていない、悪魔のそれであると。
そしてジョニィは驚愕する。自分を自分足らしめる漆黒の意思が、神韻を放つ男の美が放つ聖光を前に、一瞬ではあるが薄れた事を。
宇宙に鏤められた星々の中の王たる日輪をも凌駕する圧倒的な存在感。
太陽天の様に光り輝く美を誇ったその男の名は、一対何なのか。この場にいる全員が等しく、それを理解した。してしまった。
カン、カン、と音を立てて、メフィスト病院の非常階段二階部分から、一階に下りてくるこの男の正体は。
「君が如何なる医者なのかは知らないが、この病院から患者を横取りする者は、相応の裁きを受けて貰おうか」
患者の治癒の為ならば悪魔にだってなる事を厭わないこの男の正体は――ドクターメフィスト。
この白亜の大宮殿の院長であり、そして、魔界医師と呼ばるる白き魔人その人であった。
前編の投下を終了します
延長します
感想は後程。投下いたします
佇むだけで、その場の空気と雰囲気を支配し、自らの中に統合する男であった。
この男の眼前で、例え誰が騒ぎを起こそうとも、問題にならないだろう。例え近くで爆弾が発破されたとしても、注目を浴びるのは、
爆音でもなければ爆発した後の跡地でもなく、この白いケープの魔人であろう。人の目を引き、獣を注視させ、星辰の目線すらも掻き集める美の男。
魔界医師・メフィストだからこそ、その場に現れるだけで場の雰囲気を制する事が出来るのだ。例え、超常の存在の見本市であるサーヴァントが集う、この場に於いてすらも。
ハッ、と。一番最初に正気に戻ったのは永琳の方であった。
数千年の時を伊達に生きてはいない。何時までも魅了された状態の訳ではないのだ。
まだ顔が赤らめられている状態のまま、チラッ、と目線を、自身のマスターである志希の方にやった。
全身の細胞が完全に凍結してしまっているかのように、表情も身体も動いていない。美しいものを見て、顔を赤らめる、と言う極めて人間的な反応をした永琳は、
マシな方だったのだ。耐性のない人間は、メフィストの美を見ただけで、固まる。アイドルと言えど、所詮は一介の人間の女が、
狐狸妖怪、悪魔や天使の類すら忘我の境地へと誘う彼の美貌に、耐えられる訳がなかった。そしてそれは――波紋使いとして、筆舌に尽くし難い死闘を潜り抜けたジョナサンや、スタンド使いと熾烈な争いを繰り広げたジョニィにしても、同じ事だった。
何らの強化措置も手術も施していないにもかかわらず、百分の一マイクロ秒を超える程の高速思考能力を有するに至った、その月の脳髄が、次に移るべき行動を弾き出す。
メフィストの気配に気付かなかったとは、迂闊だったと言う他ない。そして、メフィストが此処まで断固としたプロフェッショナリズム、いや、
此処まで独占欲の強い医者だとは、予想だにしていなかった。自分が治すべき患者を、他の医者に横取りされると言うのは、確かに永琳としてもカチンと来る。
しかし、メフィストのそれは常軌を逸していると言わざるを得ない。横取りされれば、その医者には死で贖わせる。これを独占欲が強いと言わずして、何と呼ぶ。
虎の尾を期せずして踏んでしまった事を、永琳は素直に認める。となれば、此処から何を成すべきか。
【マスター】
……反応がない。再び念話で呼びかけてみる。ビクッ、と肩を跳ねさせて、志希が返事をした。
【な、何……?】
こっぴどく叱られるのも已む無しの悪戯が親にバレた子供の様に、ビクビクとした声音で志希は言った。
【貴女の判断に任せるわ。あの医者を『倒すか』どうか?】
一瞬、志希の思考がフリーズしたのは、言うまでもない。
余りにも永琳が凄まじい事を口にしたので、志希の思考処理能力が何とか処理出来る閾値の限界を越え、完全に頭が真っ白になってしまったのだ。
そして、二秒程経って、漸く意味を咀嚼した瞬間、志希の顔が青ざめた。
【戦うって、アーチャー!?】
【戦わざるを得ない局面を作ってしまった事は謝るわ。もしも、貴女が私に戦えと言うのならば、私は全力であの男を排するつもりよ】
勝算は、ない訳ではなかった。
自身の対魔力の高さと、思考速度。そして、魔術の腕前と、志希が健在でかつ魔力さえあれば正真正銘の不老不死であると言う肉体的特性を活かせば。
活路はあると、永琳は踏んでいた。無論、それだけでは勝算は五分五分、最悪六対四でしかない。勝つか負けるかの確率は半々。
確率論的には悪い賭けではないが、勝手な判断でこの賭けに挑むような真似はしない。だからこそ、志希に判断を任せたのだ。
戦うのか、それとも、それ以外の選択肢を模索するのか、と。
【その、戦わない方向で、お願い出来るかな……?】
【解ったわ】
本音を言うと、そっちの方がまだ気が楽だと永琳は思っていた。
メフィストを相手に戦っても、勝ちの目がないわけではないが、要らないリスクは背負い込みたくない。
況してや今は序盤も序盤。サーヴァント同士の戦いも頻繁に起きると知った以上、無駄に消耗はしたくない。寧ろ、消耗をさせる側に回らねばならないのだ。
だから此処は――
「知らなかったとは言え、大変な非礼を致しました。如何かこの場は、怒りをお抑え下さいませ」
と、永琳は深々と上半身を折り曲げて、謝罪の言葉を送った。
驚いたのはジョニィらよりも寧ろ、志希の方だった。何処か居丈高な空気を隠さない自身のサーヴァントが、こうまであっさりと謝る性格だとは思わなかったのだ。
が、そんなイメージは永琳と付き合って間もない志希の勝手な空想である。そもそも永琳は確かに高貴な身分ではあるが、
その更にまた高貴な身分である『姫』に仕えていた存在であり、月の世界を追放される以前は宮仕えとしてかなり長く月の支配者に従っていた程である。
人間が連想する所の処世術等、彼女は凡そ全て身に付けている。窮地を脱する為に頭を下げる等、永琳にしてみれば、苦も無い事なのだ。
値踏みする様な瞳で、メフィストは永琳の事を見ていた。
人の価値を図る様な目。しかし、この男がそれをやると、人の心の中に眠る善性を推し量る天使か神の様に見えてならない。
美しいと言う事は得であった。一般的にマイナスの解釈で見られる様な行いも、その美の下に、正当化されるのであるから。
「いいだろう。実際治療には及んでいないのなら、不問にしよう。次は気をつけたまえ」
「有り難い配慮、痛み入りますわ、ドクター」
言って永琳は、再び恭しく頭を下げる。数千年とその者に従って来た、忠臣のような立ち居振る舞いであった。
メフィストは興味の対象を永琳達から、ジョナサン達の方に移した。慌てて、ジョニィが人差し指をメフィストへと向けた。
美しいとは、ジョナサン達も聞いていた。そもそも彼らがアレックス達をメフィスト病院に連れて来た訳は、新宿御苑で遊んでいた子供達の親御から、
この病院の評判を聞き及んでいたからに他ならない。名前だけでも怪しいと思い、聖杯戦争開催以前にその病院に近付いてみれば案の定、
其処はサーヴァントの領地であった。黒い噂も、NPC達からの悪い声も、全く聞かなかったからその時は見逃した。態々襲撃をかける必要もなかったからだ。
が、胡散臭いと言う印象はその時は消えていなかった。名前の時点でそれは当たり前だ。怪しいと解っていてアレックスらを此処に連れて来たのは、サーヴァントの怪我を一般の病院が治せる訳がないと言う極めて常識的な判断からであった。
――そして、この病院を統べる主を見て、ジョニィは確信した。
この男が、魔界医師メフィストが、想像を絶する程の怪物であると言う事を。凄味、脅威、覇気。
人間がおよそ物怖じし、脅威を感じるであろう諸々の要素を一時に叩き付けられた様な感覚を彼は憶えていた。
そしてそれが、威圧や恫喝によって齎されたそれではなく、その美を以てただ佇み、此方を見るだけで人に錯覚させている、と言う事実が最も恐ろしかった。
だからこそ、頭で物を考えるより爪弾の照準を向けてしまった。其処にジョニィの意思はない。完全なる、生物学的な反射によるものであった。
「銃弾が体内に混入しているな。成程、其処の女史は見る目はあるようだ」
「恐縮です」
――と、何気なく返事をした永琳の瞳の奥で、静かに敵対心が燻っていた事を、果たしてこの場にいる誰が、見抜く事が出来たであろうか。
「治して下さるのですか、メフィスト先生」
神の威風に呑まれたクリスチャンの様な敬虔さを以て、ジョナサンが訊ねる。
「銃創など……、指が何万本あっても足りない位には治して来た。この病院で凡そ外敵が与えた怪我の類を治せぬ医者などいない。来たまえ、案内しよう」
言ってメフィストはケープを翻しながら一同に背を向ける。
目線だけをこの魔人は永琳達の方に送る。それだけで、氷で出来た剣で脊椎や脊髄ごと貫かれるような感覚を、志希は憶えるのだ。
美しい。だが、それ以上に、恐ろしい。サーヴァントも生身の人間も、この魔人を見て考える所は、かなり似通っていた。
「病院の前に張った認識阻害の結界、見事な腕前だ。かの魔界都市にすら、君程見事な魔術を操る魔術師は、高田馬場の二人をおいて他にいなかっただろう」
「だが」
「いつまでも張られると患者に迷惑だ。解除し次第、可及的速やかに此処を去りたまえ」
「何故かしら、ドクター」
「解っているのに理由を訊ねるのは褒められた事ではない」
メフィストが、永琳達の方に向き直った。冷風を浴びせられる感覚。
「此処は病める者達の城だ。立ち入る事が許される健康な者は、患者の関係者とスタッフだけしか私は許さない。もう一度言う、去りたまえ」
「非常に申し訳ないですが、私共はこの病院に故あって伺いに来ましたの」
と言うが、その言葉からは申し訳なさは全く感じ取る事が出来ない。
いつもの八意永琳、と言う女性の『らしさ』が、此処に来て漸く発揮され始めて来た。
「その故だけは、聞いておこうか。中に入れるかどうかは別としてだがな」
――勝った、と。永琳は思った。
伊達に永く生きてはいない。交渉事には万斛の自信を持っている。永琳レベルの女性にとって、交渉で重要な事は、
最早『相手を交渉のテーブルに立たせられるか』と言う事なのだ。それが、何を意味するのか。『交渉にさえ移れれば、ほぼ有利な条件を引き出せる』事を意味するのである。
「――魂を彼岸へと連れ去る眠りの呪いについて、伺いたい事が御座います」
メフィストの、優れた流線を描く眉がピクリと反応を示した事を、八意永琳は、見逃さなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……医者が使うべき言葉ではないとは百も承知ですが……敢えて言わせて頂きましょう」
紙袋の中で、直立すれば天井に頭が届かん程の細長い体躯の男、ファウストが溜息を漏らした。
「お手上げです」
気だるげな、それこそ、何十年と生きて来て、もう生きるのにも飽いたと言うような風情でファウストは言葉を告げる。
それを見て、彼のマスターである、白衣を着た老爺、不律は何も咎める事はない。希代の名医であるファウストがそう言うのであれば、そうなのであるから。
ファウストの近くのベッドに、一人の少女が眠っていた。先程まで彼は、この少女を見ていたのである。
綾瀬夕映と言う名前のこの中学生の女こそが、先程不律と中原が話していた件の患者であり、曰く、魂を抜き取られ何処かに隠されていると言う人物である。
その姿だけを見れば、最も適切な反発力を自動調整する事で患者に安眠を約束するマットレスのベッドで、気持ちよさそうに眠っている風にしか見えないだろう。
立てられる寝息も健康者のそれであるし、実際レントゲンや触診と言ったありとあらゆる方法を用いても、彼女は『肉体的には』健康そのものである
その、肉体的に健康な少女は、優に五日はこのような状態であった。現代医学的には彼女は正しく健康であったが、『心霊科学的』には彼女は死んでいるに等しい状態だった。
綾瀬夕映には現在、魂がない。中原の言によれば、何処かに在ると言うが、それも定かではない。
実際今の綾瀬夕映は何をしても起きない状態に陥っているらしく、例え腹を掻っ捌いた所で、魂が体内にない為に常時全身麻酔を掛けられているに近い状態であるのだ。
当然、食事も摂れない。仕方がないので、点滴で彼女は栄養を補給している形になる。完全に、九十歳を過ぎて病床に臥せる老人と同じ生活形態であった。
「ランサーの目から見て、綾瀬夕映は如何映った」
「前にも申しました通り、裏でサーヴァントが暗躍している事はほぼ確定的かと。それが解っていて治せないのは、実にもどかしい。怪我や病気の治療なら出来ますが、解呪(ディスペル)となると……それは最早私の領分を外れます故」
「全く、もどかしい事です」、と、最後にファウストが言葉を継ぎ足した。
その気持ちは不律にも解る。医者と言うのは総じてプライドがかなり高い人種である。
地頭は相当高く、倍率何倍〜何十倍とも言える試験を医者になる過程で幾つも受け、凄まじい量の金額を投資し、厳しいスケジュールの勉強を何千時間とこなし続け。
そう言った事を経て、人は一端の医者になるのである。積み上げて来た実績、幾つも用意された篩に残ったと言う自負。そう言った所からか、医者はプライドが高い。
そのプライドの高さと言うものは二つに大別され、一つは自分が医者、つまり優秀な人種であると言う上流階級意識。
そしてもう一つは、優秀な人間であるからこそ、患者が治せないのが腹ただしいと言う強すぎるプロフェッショナリズム。メフィストも、そしてファウストも、どちらかと言えば此方に属する人物だった。
「一番良い解決方は、根元を叩く。つまりは、この呪いの大本であるサーヴァントを断つ事です」
「それで良いのか?」
「無論、それすらも未知です。が、少なくとも被害の拡大は食いとめられます」
それはその通りである。不律としても、綾瀬夕映の様な患者がこれ以上<新宿>の内にも外にも増える事は、聖杯戦争参加者以前に、医者として好ましくない。
早い所その大本を排除したい気持ちもあるが、如何せん、情報が余りにも少なすぎる。その事を、ファウストに伝える。
「推理が必要ですな。この場合、大幅な発想の転換が必要になるかと」
「それは?」
「この呪いの正体ではなく、『何故そのサーヴァントは綾瀬夕映さんに呪いをかける必要があったのか』? 此処に、謎を解く鍵があると睨んでおります」
「口封じか?」
「それは、ありえないと思います。何故ならば――!! 失礼、マスター、壁際まで移動して頂ければ幸いです」
空いた紙袋の穴から覗く、発光体の瞳が一際激しく輝いたその後で、ファウストは虚空から長い長い得物を取り出した。
ファウストの身長程もある長さをした長大な『メス』。丸刈太と呼ばれるこれこそが、ファウストがランサーとして呼び出された原因となった武器であり――思い出したくもない殺戮の時代に、何人もの無辜の人間の血を吸った忌むべき凶器だった。
「どうした」
ファウストについては信頼している為、大人しく不律も壁際に移動するが、突如として武器を出されれば、身体を強張らせるのは無理もない事だった。
「サーヴァントの気配です。Dr.メフィストのものと一緒に……それとは別の主従が近付いてきます」
これには不律も目を見開いた。メフィストは基本的には孤高の存在である。切り立った崖(きりぎし)に一厘だけ咲く薔薇の様な男だ。
他の医者や看護師を引き連れて移動すると言った事はせず、移動したい時に移動し、興味のある患者だけを診て、即時的に治療させる。
そんなスタンスの男だ。この病院に勤務してからあの男が、マスターと共に行動している場面すら、不律は見た事がなかった。
斯様な男が、他のサーヴァントと共に行動して、此方に近付いてくる。サーヴァントが近付いてくると言う事以上に、その事が一番の驚きであるのだ。
「確かなのか、ランサー」
「元々この病院はこの世の空間ではございません。現在地がワンフロア違うだけで、サーヴァントが放つ霊体や魔力の気配の察知が不可能に近しくなるレベルです。
逆に言えば、同じフロアにサーヴァントがいるとなると、まだ察知は出来ますが、それも階によってはまちまち。が、此処まで接近してくれば、私も把握が出来る程です」
「敵性存在の確立は?」
「ゼロではない。が、極めて低いかと。Dr.メフィストは病院内での争いを嫌っているようですから。その当人が近くにいる以上、暴れる事はないと思います。最悪暴れれば、院長と一緒にねじ伏せればいいだけですので」
「違いない」
言いながらも、不律もファウストも警戒を緩めない。
不律は白衣の裏に仕込ませた刀の柄に手をかけ、ファウストは身体を屈ませた状態で槍を持ち構えると言う、独特の構え(フォーム)で、来たるべき人物を待ち受けていた。
――気配が、自動ドアの向こう側にまで接近する。扉の向こうの人物は、一切の逡巡も溜めの時間もなく、ドアを開かせた。
それが、これより患者の診察に入る医者として、当たり前だと言わんばかりに。
ファウストと不律の目には、百万日以上連続で見続けたとして、美しいと言う認識が絶対に揺らぐ事はない程の美を誇る、白いケープの魔人が先ず映った。
そして、次に目に映ったのは、その魔人が引き連れるには余りにも不相応な、学校指定の制服を着用した、歳にして十六〜十八程の少女だ。
酷く怯えている。親からブギーマンの話を聞かされる、臆病な子供さながらであった。
二人が部屋に入るなり、その少女の近くで、赤と紺のツートンカラーの衣服を身に纏った、長い銀髪を三つ編みにした女性が霊体化をといて現れた。
女性は、街を歩けば男性は愚か、女性ですらその美しさに一度は振り向くであろう程の、存在感の強すぎる可憐さを持っていたが、生憎と、同じ部屋にいる相手が悪い。
性別の垣根など容易く超える程の美貌の持ち主であるメフィストの隣に並べられれば、折角の美も、霞んでしまおうと言うものだった。
「何かの間違いかと思っていたけれど……本当だとは思わなかったわ」
はぁ、と溜息をついて、銀髪の麗女である、八意永琳は口を開く。
「節操がないのではなくて? ドクター。此処の病院はサーヴァントも雇用するのかしら」
「我が目に適う優秀な存在であれば、サーヴァントであろうが、医療免許を不所持であろうが、四十年も職歴が無かろうが私は構わん。それに、彼は君と同じ程には優秀な医者だと思っているが」
「あら、面白い冗談」
上品に笑って見せる永琳であったが、その瞳は全く笑っておらず、メフィストに至っては愛想笑い等微塵にも浮かべていない。
……此処に来るまでの間に何があったのかと不律もファウストも思わざるを得ない。肌を筋肉ごと針で刺されるような冷たい空気が、両者の間から吹いてくる。
それを直に浴びている、永琳のマスター、一之瀬志希など、完全に泣きそうな表情であった。
「……成程。それが、『用事』、であった訳ですか」
ファウストが言葉を放った。先に彼と不律を綾瀬夕映の所にまで行かせたのは、永琳達を迎えに行く為であったと、この時彼らは気付いたのだ。
「今朝の七時頃に思ったのだ。我が病院とその周辺にサーヴァントがいて、私がそれに気付かないのは不気味だとな。
だからこそ、八時半過ぎに我が病院の技術部を動かし、霊体や魔力の気配を察知する装置を病院の敷地に設置しておいた。上手く稼働されている。見事なものだ」
永琳以上に、この事を脅威だと思ったのは寧ろファウストと不律の方だ。
このような装置を作れた技術力に、ではない。メフィストと、彼の薫陶を受けた医者が活動するこの病院であるならば、その程度の装置など創れよう。
問題は、不律やファウストですら感知出来ない、そのような道具を作っていると言う噂すら流させない、病院の統制システムの完璧さだった。
メフィスト病院には、サーヴァントですら立ち入る事が出来ないブラックボックスの領域が余りにも多すぎる。
不律らですら、この病院の全貌は愚か、実質的な診療科の総数と、それに纏わる専用治療室などを把握出来ていない程だ。これを、自分達の排除の為に転用させに来たら、と思うと、彼らですら身体を冷たいもので撫で上げられる感覚を隠せない。
「さて……。自己紹介をして置きたまえ。穏便に、な」
「かしこまりました」
と言って永琳は一歩、メフィストの先を行き、不律とファウストを交互に一瞥してから、口を開いた。
「お初にお目に掛かりますわ。真名を明かせぬ非礼を先にお詫びさせて頂いた上で、自己紹介をさせていただきます。クラス名はアーチャー。
当病院の院長の大赦を賜り、我が主の関係者を襲う眠りの呪いについての情報を共有して貰いに来たサーヴァントに御座います」
「主の関係者を襲う、眠りの呪い……と言うと、まさか」
「えぇ、そのまさかです」
不律の予想は、正しくその通りだと言わんばかりに永琳は言葉を続けた。
「マスターの関係者が現在、そちらのベッドで昏睡している少女と同じ様な状態に陥っているのです」
一瞬驚きかけた不律とファウストだったが、よくよく考えれば、あり得た話の為に直に平静を取り戻す。
一人いれば二人いて、二人いれば同じような症状の者は、その倍いるかも知れない。統計上のデータは取れていない、無根拠の予測に過ぎないが、念頭に入れておく必要性があるだろう。
「患者の方は、ランサーに診させたのかね、不律先生」
「結果の方は芳しくない。生粋の医者であるが故にな」
言外に、医術と魔術等と言うオカルトは違う、と言う事を不律は言っているに等しかった。
それを聞き、フム、と言葉を漏らしたのはメフィストであった。
「科学万能主義は改めておきたまえ。世界には、科学と等価の法則など、幾らでも見られる。未知の知識と真理を、貪欲に求め続ける事だ、ランサー
「肝に銘じておきましょう」
会話を終えた後、メフィストは綾瀬夕映の方へと、薄い薄い絹の織り物の上を歩くが様な優雅さで近付いて行く。
「同じ症状の患者を診た、と言ったな。アーチャー」
「ええ」
「何処まで、その謎を解き明かした」
「先程も述べた通り、極めて高度かつ大掛かりな、離魂の呪いの類だと私は見ております。その魂の所在については、流石に、と言った所ですが」
「上出来だ。我々病院側の見解と一致している。そして現状では、恐らくはこれ以上の情報は得る事は出来ないだろう。尋常の方法では、だが」
其処まで言うと、メフィストは、綾瀬夕映の広めの額にその人差し指を当てる。
「きゃっ……!?」、と言う悲鳴が漏れたのは、一之瀬志希の口からだった。両手で口を当てる。
綾瀬夕映の額に、メフィストの左手が、水に手を入れて行くように没入して行くからだ。まるで彼女の身体が、蛋白質ではなく沼の成分にでもなったかのようであった。
本当に大丈夫なのかあれは、と常識的な判断で志希は考える。手首までメフィストの繊手が、完全に入り込んでいる。当然、頭蓋も大脳もタダでは済まない。
引き抜いたその瞬間あの少女は死んでしまうのではないか、と言う危惧すら志希にはあった。チラッ、と心配げな目線を永琳に送る。
彼女は平然と、メフィストの行為を見つめていた。不律も、彼の従えるランサーも同じような態度であった。この場でおろおろしているのは、志希ただ一人だ。
【安心なさい、あれもあの男の医療よ】
と、念話で志希を諭す永琳。
「魂がこの少女の身体の中に存在しない以上、何を問いかけようが無意味だ。だが、肉体的には彼女の体は健在の状態だ。大脳も機能し、心臓も搏動している。これを、逆手に取ろう」
「脳の記憶を読み取りますのね? ドクター」
「その通り」
空いた右腕を、ドアの方向に伸ばしながら、メフィストが返事を行う。
「今私は、綾瀬夕映の海馬に触れている。人間の記憶を司る箇所の一つだ。其処に収められた、昏睡するまでの間の、ほんの短期の記憶を私が映像化して投影させる。其処から、情報を得られるかも知れん」
「その術を、大掛かりな装置を用いず成すなど、流石は音に聞こえたドクターメフィスト、と言うべきなのかしら?」
「道具を用いて魔術や秘儀を成そうとする者は二流。私が唯一認める老魔術師が述べた言葉だ。私もその通りだと思っているし、ある程度は己の手で成さねばな」
と、会話を行う永琳とメフィストであったが、何故だろうか。
志希はどうも、己のサーヴァントである永琳から、メフィストに対する敵愾心と言うか、ライバル意識と言う物を感じ取れていた。
同じ医者であるから、ライバル意識を燃やしているのだろうか。元々かなりプライドと言うか、気位が高い女性であるとは思っていたが、此処でそれが反映されるとは思っても見なかった。
「では――始めよう」
其処まで言った瞬間だった。メフィストの右手薬指に嵌められた、無色の宝石が美しい指輪から、光の壁のような物が噴き出始めたのは。
ビクッ、と志希は反応する。不律も一瞬身体を強張らせる、直にその正体を看破する。遅れて志希も、その光の壁の正体を見抜いた。
それは、スクリーンだ。紙や布ではなく、光の膜で出来た銀幕であった。何処かで似たようなものを見た事があると思ったが、そう。契約者の鍵から投影されるホログラムだ。
乳白色の光の膜に、様々な映像が流れてくる。
家族との食事の様子、通学の様子、授業を受ける様子、体育のプールの授業で疲れてばてている様子、友人たちと会話している様子。
ここ数日の物と思しき、綾瀬夕映が体験した事柄の中から、特に怪しいと思われる物をメフィストはピックアップして、光のスクリーンにその映像を流す。
しかし、素人の志希にも解る。明らかに、この少女が昏睡に至る直接の原因と思しき映像が、全く見当たらない事に。
それを認識した瞬間、メフィストは映像を高速化。二倍速を越え、四倍速を超過し、十六倍速を超越する、一万倍速に映像を早送り。
瞬きする間に情景が目まぐるしく変化して行く。余りにも速過ぎて、残像が繋がっている程だった。目を回しそうになる。
志希は当然の事、鷹の様に鋭い瞳を持った不律、果てはファウストですら、何の映像を流しているのか解らないと言った様子だった。
この映像の早回しを平然と眺めているのは、メフィストと永琳の二名だけだ。この二人は、何の映像を流しているのか理解しているらしい。怪物であった。
と、思ったのも束の間。突然、メフィストが映像を通常倍速に切り替えたと見るや、巻き戻し。
一万倍速の映像を認識出来ていなかった三名の為に、何の映像をメフィストと永琳が見ていたのか、それを解りやすく伝えようとする。
光のスクリーンは、綾瀬夕映と、目が隠れる程前髪の長い、彼女と同じ制服を着た少女を映していた。綾瀬夕映はテーブルに座り本を読んでいる。
薄いカーテンから透けて見える空の色は、燃えるような茜色。夕方の映像である事は明白であった。二人の少女は、本がぎっしりと詰まった広い一室にいるらしい。
彼女たちの通う学校の図書室であろう。二人以外に、人はいない様子だった。
「目の隠れているあの娘は誰?」
と、志希が疑問を口にする。
「宮崎のどか。綾瀬夕映の同級生であり、友人だ。今日も友人が心配だったらしく見舞いに来たので、儂が応対した」
それに答えたのは不律だった。「あ、ありがとうございました」とぎこちなく口にし、志希も映像に集中する。ファウストも不律も、そして永琳も。
「ゆえー……図書委員の皆もう帰ったよ〜?」
内気な性格が、一日と付き合わないでも解る、そんな声だった。
「先に帰っててもいいですよ、のどか。後十ページ程読んだら、私も帰ります」
一方、綾瀬夕映の方は、かなり神経質と言うか、気難しがり屋で、理屈屋なのだろう、と言う事が一時間と一緒に過ごさないでも解る声だった。
「そんな事言って、いつもその三倍読み進めないと腰上げないのに〜……」
「十ページも三十ページも大して変わりません」
「変わるって変わるって……」
どうも、綾瀬夕映と言う少女はかなりの書痴らしい。何だかこの読書に対する入れ込みぶりを見ると志希は、自分の所のプロダクションに所属するアイドルの一人を思いだす。鷺沢文香と言う名前の、大人しい少女の事を。
「……あれ? ねぇ、ゆえ。その本って、学校の本じゃないよね?」
「えぇ。よく解りましたね」
「だってラベルシール貼られてないし……持ち込みの本? 何だかやけに古いけど……」
志希が綾瀬夕映の持っている本を注目する。紙の色は完全に酸化し切ってヤケており、表紙もかなりゴワゴワとしている。
ちょっと小突けば風化して崩れ去ってしまうのではないか、と余人に思わせる危うさに溢れている。
「これはですね、のどか。私が数日前に西早稲田の古書店に足を運んだ時に、三千円程で手に入れた歴史書です」
「歴史書……? ゆえ、期末テスト日本史も世界史も赤点だった筈じゃ……」
「何度も言うように、学校の勉強が嫌だから本気出してないだけです。流石に常識レベルの歴史は理解してます」
「ふ、ふ〜ん……。で、でだよ。ゆえ。その歴史書って、何処の国の歴史書なの?」
「……のどか。一つ聞きたいですが……」
「? なに?」
「――『アルケア』と言う国について、知っていますか?」
「……アルケア?」
のどかはうーんと考え込むが、ややあって口を開いた。
「ちょっと、聞いた事がないかな……」
「そうですよね、実は私も聞いた事がないんです」
其処で一拍置いてから、綾瀬夕映は再び続ける。
「この歴史書は、そんな、『地球上のどの歴史の教科書にも学術書にもこれまで記述のなかった』、アルケア帝国の成り立ちを記したものなのです」
「ちょ、ちょっとゆえ。それ本当に、歴史書なの? 何だか話だけ聞くと……ゆえは偽物を掴まされたような気が〜」
「……怯えて言わなくても大丈夫ですよ。普通は皆そう思う所でしょうし、そもそも私も、面白半分でこれを購入したようなものですから」
「面白半分で?」
「のどか、そもそも歴史書の古書何て、普通三千円何て捨て値で買えませんよ。どんなに安くても数万円、モノによっては五十万以上がザラの世界です。
そんなの、私のお小遣いが全部吹っ飛びます。では何で、この古書を扱っていた人は、三千円でこれを売っていたのか? 多分この人も、これが本物の歴史書だと、信じてなかったと思うんです」
「でも、その歴史書、仮に書いてある事が全部デタラメだとしても、三千円はちょっと高すぎる気が……」
「其処なんです」
ピッ、とのどかの方に人差し指を指して、綾瀬夕映は言った。
「何故、この本が三千円もしたのか。のどか、見れば解りますがこの本、相当古い事が解りますよね?」
「うん。何て言うのかな……数百年は普通に経過した本みたいな……」
「実家に何冊も古い本がありますから、真実経年で劣化した本と言うのは私はよく解ります。本物の歴史書に見せかける為に作られた贋物は、
紅茶に紙を浸したり天日干しにさせたりするものですが、やはり慣れた人間の目は誤魔化せません。ですがこれは……」
「本当に、数百年位経過してるって事?」
「数百年所か、下手したら千年以上かも知れません。本当に千年以上前の書物なら、例えデタラメの歴史について記した書物であろうとも、それだけで価値があります。
ですが、古い事は確実だけれど、内容に確証が全くない。これが、三千円と言う値段で売られてた訳なのですよ」
「何だか、二重の意味で冒険だね……」
「否定しません」
「……ねぇ、ゆえ。その歴史書って、どんな事が書かれてるの?」
のどかが漸く、その内容について踏み込み始める。
「内容については、実はあまり読み進められていない、と言うのが現状です。恐らくは原典に当たる物を古英語に訳した写本なのでしょう。
辞書を引きながらで相当難航しています。解読できた所で良ければ、お教えしますが?」
「おねがい」
呼吸一つ分くらいの間をおいて、綾瀬夕映が言った。
「アルケアと言う国が実際に存在した、と言う過程で言いますが、ハッキリ言って内容は眉唾ものですね」
「どうしてわかるの?」
「歴史書、と言うより神話の側面が強いと言いますか……古事記と言えば、伝わりますか?」
「え〜っと……神様とか魔術とか、そう言うのが出て来るのかな?」
「出て来るどころか、話の大筋に絡んでいるレベルですよ。今見ている『神帝紀』……と訳すべき書物は、事実上の帝国の始祖とも言うべき初代皇帝、タイタス一世についての活躍を記した書物なんです」
聞いた事はあるか、と言う疑問の目線を、不律が部屋の全員に投げかけて来る。
答えは、ない。志希は当然の事、永琳や、世界の全てを解体し尽くした賢者とも言うべき立ち居振る舞いのメフィストですら、全くの反応を見せなかった。
「この皇帝は、小王国が群雄割拠していた時代に、周辺のあらゆる王国を武力と知略で支配……しただけならば勢力図を最大にした偉大な王、で終わったのですが、
其処からがおかしいんです。初代のタイタスは妖精族とその王を支配し、魔女を嫁にし、巨人族を従え、竜族を打ち倒し、度量衡を定め、暦や星々の運行を解明し、宗教の礼拝を一つに定め、治水と灌漑の方法を民草に教え……」
「ちょ、ちょ、ちょっとまってゆえ……」
目をグルグル回しながら、のどかが言葉を遮った。
「幾らなんでも、盛りすぎって言うか……」
「私もそう思いますよ。自分がどれだけ偉大かを後世に残す為、美談や武勇伝で飾り立てた歴史書何て珍しくないですが、これはハッキリ言って常軌を逸しています。それ以前に、妖精に魔女に、巨人に竜ですよ。指輪物語ですかこれは」
ふぅ、と一息吐く綾瀬夕映。同時に、本をパタンと閉じ始めた。
「……これを、頭がちょっとおかしい人が書いた架空の書物、と断じるのは容易いです。ですが、私にはそうは思えないんですよ」
「? 何で?」
「文章が理路整然としていますし、言葉の選びも悪くありません。当時としては、それなりに学のある人間が書いた事が解ります。
次に、竜や巨人と言うフレーズですが、これは、恐らくは敵対していた国家や民族の事を婉曲的に指していた、と考えれば辻褄が合います。つまり、半々の確率で、この書物はある程度事実を記しているのでは、と言う事になります」
「は、はぁ……」
付いていけない、と言う風にのどかが言うと、綾瀬夕映はすっくと席から立ち上がり、件の古書を隣の席に置いていた学生鞄の中に入れ込んだ。
「? もういいの?」
「話していたら少し疲れちゃいました。続きは家に帰ってからでも読みますよ。帰りましょうか、のどか」
「う、うん」
其処で、映像が途切れた。と言うよりは、メフィストが中断したと言うべきか。
指輪の宝石から投影されていた光のスクリーンは音もなく消えて行き、後には何もない空間だけが、同じ人の指とは思えぬメフィストの繊指の上で蟠るだけであった。
「此処までだ」
ぴしゃり、と鞭を打つようなメフィストの声であった。
これと同時に、彼は綾瀬夕映の額から左手を引き抜いた。彼女の額に、水面の様な波紋が生じた。
呼吸一つするか否かと言う短い時間で波紋は収まり、元の彼女の顔の状態に戻った。そして、何事もなく、寝息の音が病室に木霊するようになる。
先の数分間、彼女の額に魔人の白腕が没入していた、と言われて、果たして誰が信じようか、と言う程、綾瀬夕映は平然としていた。
「私は綾瀬夕映の海馬に触れ、この十日間に彼女が体験した記憶を映像化した。これ以前にサーヴァントが召喚され、そして、彼女に接触したとは考え難い。
故に、その指定の日数の範囲内で記憶を探した所、怪しいと思った記憶を発見した。それが、今の映像だ」
「地球上で今まで見られなかった文明についての歴史書、其処に出て来る妖精や巨人、竜と言うワード。成程、確かに、疑うに足る材料ですわね」
志希は化学や数学等、理系の分野を得意とする為、世界史については余り自信がない。
しかし、アルケア帝国等と呼ばれる文明が存在した等、少なくとも彼女は聞いた事もないし、そもそもあのスクリーンで宮崎のどかと綾瀬夕映が口にした言葉が、竜や妖精である。成程確かに、サーヴァントが絡んでいると見るのは、自然な事だろう。
「情報を整理しよう」
この場にいる主従が考える、めいめいの事を打ち切るように、メフィストが言った。彼はこの病室における議長(チェアマン)であった。
「当病院に来て間もない女史は知らないだろうが、この綾瀬夕映と言う患者を、我が病院の様々な診療科の腕利きが診察した所、奇妙な夢に囚われている事が解った」
「夢に囚われる……?」
何だか詩的で、耽美的で、幻想的な表現だと志希は思った。そして同時に、嫌な表現だとも。
夢に囚われると言う事は、アイドルの、いや。芸能の世界ではおよそ普遍的で、そして、誰もが囚われる『魔』の姿であるからだ。
「要するに、魂は身体の中にないけれど、脳は生きているから、無意識の内に夢を見ている、と言う事ね?」
「意識がないのに夢を見る、ですか。何ともまぁ、医学の常識を超えた現象です」
「ドクター、この患者は、どのような夢を見ているのかしら?」
「我々ですらも聞いた事がない王国の中を、おろおろと歩いている夢だ」
「あの映像の中で綾瀬夕映が語っていた、聞いた事のない帝国についての書物。そして、今昏睡中の彼女が見る夢が、貴方達ですら未知の国のそれ。成程、確かに、きな臭いわね」
「アルケア、だったか。其処に類似した異空間に、彼女の魂が囚われている可能性は高いだろう」
「其処なのですが……」
此処で、ファウストが挙手をし、意見の表明を行う。
「私には如何にも、このサーヴァントが綾瀬夕映さんをこのような状態に至らしめたのか、解らないのですよ」
「く、口封じ、とか……?」
恐る恐ると言った風に、自分の思う所を志希は告げる。
それを、首を横に振るって否定したのは、誰ならん、彼女のサーヴァントである永琳であった。
「ないわね」
「私も、女史と同意見だ」
メフィストの言葉に、不律の主従も首を静かに縦に振った。
此処まで全員に即否定されると、流石の志希もショックを受ける。強ち間違いではないと思っていただけに、衝撃は大きい。
「ど、如何して、ですか?」
「口封じ、と言う事は、知られたくない秘密を知られたから行う。知られて困る秘密を余所に知られた場合、私ならば、その人物を生かしておかない」
「私もドクターと同意見よ」
冷たい何かで、背中を撫で上げられる様な感覚を志希は憶えた。こう言う感覚を、ゾッとする、と言うのだろうか。
自分とは考える所も価値観も違い過ぎた。怜悧な美貌の持ち主であるメフィストならば、然もありなんで済ませたろうが、永琳ですらが、
同じ考えを持っていたと言う事に、志希は戦慄を覚えていた。此処で初めて、志希は理解した。八意永琳と言うサーヴァントは、必要に迫られれば折衷案や同盟など、
他者に譲歩する様な考えや行動を行える一方で、何の躊躇いもなく人間を殺す事が出来る、極端な二面性を持った人物である、と。
「冷たい考え、と思っているのでしょうね。マスター」
ビクッ、と、冷や水でも浴びせられたように身体を跳ねさせ、志希が反応する。声と同様、怜悧な感情を宿した瞳で、彼女は志希の事を見ていた。
「でも、口封じにしてもおかしいのよ。仮に貴女の言った事が真実だったとして、何で態々、『昏睡にとどめる必要がある』の?」
「そ、それは……」
説明が、出来ない。永琳の言われた通り、少し考えると確かに妙なのだ。
知ってはいけない事を知った人物を、殺さないで敢えて昏睡の状態に留めておく。聖杯戦争でこの処置は、致命的ではないだろうか。
サーヴァントとは文字通り超常の存在。御伽噺と神話の登場人物。人知の及ばぬ神秘の具現。そしてそれは戦闘のみならず、治療にも発揮される事があると、
志希は己のサーヴァントを通じて身を以て知っている。万が一そう言う存在が、秘密を知って昏睡状態にあるNPCを治療してしまえば、その人物は秘密を喋る事だろう。
そうなってしまえば、不利を蒙るのは昏睡させたサーヴァント達の方だ。そうなる位ならば、人道面の問題はさておいて、永琳達の言う方に、殺害して死人に口なしにした方が、遥かに合理的であった。
「……儂が思うに――」
と、口火を切ったのは不律であった。
「昏睡させる事が目的ではなく、『このような夢を見させる事』が目的だったのでは?」
「だろうな。そうでなければ、このような迂遠な方法に説明がつかん」
メフィストが肯定する。「では、何の為に」。このまま数秒程の時間を置いていれば、誰かがそんな疑問をぶつけに来た事であろう。
しかし、この魔人は、そう言った疑問をぶつけられる事を予測していたらしい。一つの分野に打ち込む事幾十年と言う碩学者が、己の知見を語る様なスムーズさで、メフィストは言葉を発し始めた。
「夢とは、精神が織りなす一つの閉じた世界の事であり、遍く生物が持つ、自己の領域の事を指す。
私は胎児が見る夢を記録した事もあるし、獣や虫、魚に貝の見る夢も目の当たりにした事がある。夢とはつまり、眠る生き物である以上、誰もが垣間見る泡沫の一瞬の事なのだ」
「そして、それは同時に――」
「ある種の精神世界でありながら、現実の肉体や世界にも影響を与え得る、特異の世界でもある。
西欧に淫魔や夢魔と言う名で伝わる、インキュバスやサキュバスは、夢を通じて女を孕ませ、夢の中で男の性を受け悪魔の子を産む事が出来る。
その一方で夢は神や天使の啓示に使われる事もある。聖パトリックは夢の中に現れた大天使であるヴィクターを通じて悟りを得、死後聖人に祀り上げられた。
場所を変え、インドのヒンドゥー教においては、この世はなべて、維持の神であるヴィシュヌの夢に過ぎないと語る一派も存在する。
更に場所は東に行き、中国においては蜃と呼ばれる、夢を見る蛤(ハマグリ)の伝承が伝わっている。海の底深くで眠るこの蛤は眠ると同時に気を吐き出し、現実に触れも出来る楼閣を生み出すと言う」
「つまり、どう言う事だ。院長」
「超常存在は人の夢に干渉が出来、神仏の見る夢に至っては、本来ならば精神の活動でありながら、それだけで現実世界に実体を伴って影響を与える事が可能と言う事だ。
そして、極々稀であるが、薬物の力を借りるか、特殊な寄生虫に脳を犯されるか、或いは、天与の才によりて、妄想や夢想を現実化(マテリアライゼーション)させる人間が、少なからず存在する。我々はその様な能力者を、チェザーレと呼ぶ」
「よ、要するに……どう言う事、ですか?」
恐る恐る、と言った風に志希が訊ねる。眼前の、白い闇が蟠ったような魔人を相手に言葉を発するのは、何㎞も走り続ける事よりも労力を使う程であった。
「夢を用いた術など、珍しくも何ともないと言う事だ。魂だけを別所に隠させ、機能している意識で夢を見させる。この様な遠回りな方法を取る理由は、恐らくは此処にあるとみた」
「今までの話を統合するに……、夢を以て現実世界に何かしらの干渉を行おうとしている、と言う事でしょうかな?」
「然り」
「その様な事、簡単に出来るのでしょうか?」
「無理だ」
それまで長々と口にして来た講釈を全て台無しにする、余りにも短い一言だった。
「夢とは、確かに特殊な世界である。だが同時に、人間の見る夢が世界に与える影響など、余りに儚く、か弱い。
そもそも彼らは、数分前に見ていた夢ですらも、朝起き、歯を磨き、顔を洗うその時には忘れているだろう。その程度なのだよ、夢と現実の関連性などは」
「それでは――」
「但し」
ファウストの異議を封殺するように、メフィストが素早く補注を付け加える。
「現実世界に影響を与える夢を成す魔術を、人の夢を以て成就させる方法は、ないわけではない」
「……まさか」
「その通りだ、女史」
一同に、氷の針で出来た様な鋭い目線を投げ掛けた後、メフィストは口を開いた。
「『遍く多くの人間に、同じ夢を見させればいいのだ』」
二人のサーヴァント達は、全てに得心が言ったような反応を取った。遅れて、不律が反応を示す。志希は最後まで、反応を取れずにいた。
「夢とは人の精神や意識が見せる発露の一つだ。だが、人間、いや、NPCが見る夢の影響力など、先述したように、それは儚いものだ。
だが、これが複数人……千、万、いや、十万と集えば話は変わってくる。それだけの人数が一時に『同じ夢を永続的に見させ続けられる事が出来たのなら』。
特に『夢を見る力の強い人間が何人も同じ夢を見たのであれば』? この空論が仮に正しかったとしたら、精神世界或いは、虚空と思しき空間に、
極めて強い精神的実像が結ばれる事になる。こうなれば、後はほんの少し、後ろから手で押してやれば良い」
「ドクター。貴方の概算では、このまま推移すれば、どうなるかお分かりなのかしら?」
「仮に、の話だが。もしも、<新宿>の全人口三十と余万の内、十万人の人数が、綾瀬夕映の様な症状で、かつ、彼女の夢の中に登場した未知の国ではなく、東京の夢をその十万人が一斉に見ていたとしよう」
「……如何なるのだ? 院長」
「簡単だ。東京の上空に『東京』が生まれる。その本質は人が見る夢なれど、実際に見て触れ、歩く事すら出来る東京が、東京の上に成就される」
「……信じられない話ですな、Dr.メフィスト」
「少なくとも、これを仕組んだサーヴァントは、その絵図を、綾瀬夕映が見聞した王国で成そうとしている可能性が高い。敵の目的は、十中八九はそれと見て良い。だが問題は――」
「『その目的が果たされた時に何が起こるのか』? そして、『そもそもどう言う手段で綾瀬夕映を昏睡させたのか』? これが解らない内は、まだまだ敵の手札は明かされていないに等しいですわね」
「大本を断つ、これが一番確実な方法なのだろうが、敵の姿はまだまだ未知の上に、私が述べた事も、まだまだ推論の域を出ない。相当な手練だな、相手は」
その声は微か憂いを帯びていたが、表情は全くの無感動と無表情の象徴の様なそれだった。
つまりは、平素と変わらぬ顔と言う事である。その表情のまま、メフィストは、我関せずと言った風にベッドの上で寝息を立てる綾瀬夕映の方に向き直り、口を開く。
「彼女と同じ様な症状の患者が、恐らくはこれから運ばれて来る事だろう。彼女の魂を肉体に呼び戻す薬を作っては見るが、
魂を囚われていては効果は期待出来まい。陳腐な言葉だが、最善を尽くすしか、私には出来んな」
如何にもなげやりな風に永琳には聞こえたが、この場合、メフィストを責める事がどうにも彼女には出来なかった。
寧ろ、この医師をして此処まで言わせしめ、月の賢者である永琳をしてその実態の全貌を掴ませない、昏睡を引き起こした下手人のサーヴァントの手練手管をこそ、恐れるべきであろうか。
相手の力量を認めつつ、内心で歯噛みしていると、メフィストが此方の方に向き直った。
それまでは、唐突にその美相を向けられると、全身が総毛立つような感覚を覚えたものであるが、永琳の方も伊達に数千年以上の時を生きてはいない。
積み重ねて来た経験と、それによって鍛えられた不動の精神で相手を見据えるまでに成長した。……主の方は未だに、彼の美貌に慣れておらず、硬直とドギマギを隠せないようであるが、それを責めるのは、少々酷であろう。
「時間だ」
そろそろ来る頃合いだと思っていた。
メフィストが何を言おうとしているのか、永琳も理解している。理解していてなお、飛び出して来たのは次の言葉であった。
「何の意味ですの?」
「惚け過ぎは命を縮めるぞ。呪いの正体についての所見は、私も述べた。これ以上の事は、呪いをかけた当人にしか最早解るまい。呪いについての事を知りたい、と言う君の目的は、果たせた事になる。去りたまえ、アーチャーと、そのマスターよ」
この程度のすっ呆けが通じる相手ならば、苦労はしない。メフィストは眉一つ動かさず、永琳の誤魔化しを斬り捨てた。
永琳には、此処の院長とナシを付けておきたい、と言う打算があった。病院内部に入った時から、軽い探知の魔術で病院の内部を探ってみたが、結果は、
ワンフロア上の階所か、部屋の内部すら見通せない始末だった。大掛かりな魔術を使えば数階程度は探知出来るだろうが、
メフィストに気付かれないレベルの探知の魔術の精度等、たかが知れている。が、其処は腐っても永琳の魔術だ。
彼女の術ですら、その全貌を全く掴ませないと言う事は、この病院に施されている空間的・霊的防衛システムは、下手をしたら月の都のセキュリティと並ぶかも知れない。
つまりは、こと防衛に関しては、この病院は凄まじい程の能力を誇ると言っても良い。これが、何を意味するのか?
己の手綱を握るには余りに頼りないマスター、一之瀬志希を守る為の一時的な拠点には、持って来いと言う事を指す。
もっと言えば、もしも関係が深まれば、この病院に貯蔵されている――と、永琳は見ている――霊的な材料を用いて、霊薬の類を作成出来るかも知れないのだ。
つまり永琳が望むのは、メフィストとの『同盟』だ。もっと言えば、メフィスト病院の設備と備蓄を利用してやろうと思っているのだ。
しかし、そう簡単に事は運ばない事も、永琳はとうの昔に気付いていた。彼自身の性情が、それを許さないと言う事もある。
だがそれ以上に――何故かこの男は、自分に対して敵意を抱いているような気がして、ならないのだ。
【マスター】
【――えっ、あっ、何?】
やはり、メフィストの美に当惑としていたのだろう。反応するのに、やや間があった。
【貴女も気付いている通り、今の<新宿>はいつ何処で戦いが勃発するか解らない所よ。貴女に下手に出歩かれるよりは、こう言った定まった、それでいて安定感のある拠点にいて貰う方が、私としては都合が良いの、解る?】
【え? そ、それは〜……解るけど、出来るの?】
その疑問は至極当然のものと言えた。
誰がどう見た所で、メフィストの意思を曲げさせる事は、不可能なように思える。この男は否と一度口にすれば、ジャハンナムの業火に焼かれようとも、己の意思を変えたりなどしないと言う、不撓不屈の心構えすら見て取る事が出来た。
【念話している時間すら惜しいわ。どう、乗る? 乗らない?】
【……アーチャーを、信じる】
【解ったわ】、と言う言葉を最後に念話を打ちきり、永琳はメフィストの方に毅然とした目線を向けた。
此処に来て初めて永琳は理解した。今までメフィストの美に慣れていたのは、少しだけ彼の顔から目線を外していたからであって――。
真正面から彼の事を見据えると、その余りに完成され過ぎた人体と顔つきで、正気を保つ事すら精一杯である、と言う事に。
それでもなお、永琳はその様な気配を億尾にも出さない。
「ドクター。貴方の目には、私のマスターは如何映るかしら」
「君と言うサーヴァントを御すには、余りにも力不足と言わざるを得ないな」
「全くですわ。何処までも力が足らなくて、私も苦労が絶えませんの」
「うっ……」、と言う苦しげな声が背後から聞こえて来た。想像だにしなかった、永琳からのキラーパスに、ショックを受けている事がすぐに解る声音だった。
「ですけれど――、駄目な子程可愛い、と言うでしょう? 私のマスターとしては確かに力不足の大失格のマスターですけれど、其処がまぁ、庇護欲をそそる、と言いますか」
「単刀直入に言いたまえ」
「此処で私達を保護してくれません?」
弾丸の如く真っ直ぐで、物質的な圧力を伴ったメフィストの目線に射抜かれたその瞬間、永琳は極めて明快かつ、これ以上解釈の余地等ないとしか思えない、シンプルな言葉を言い放った。
「無論、タダで、とは言いませんわ」
メフィストが断るよりも速く、永琳は彼の言葉尻を奪った。
「私の故郷の技術の一部を、ドクターにお教えする、と同時に、此処で医者としての実力を奮わせて貰いますわ」
「ほう」
食い付いた、と永琳は見るや、直に畳み掛けに掛かる。後ろで志希が「えっ、嘘っ」、と戸惑いの言葉を上げていたが、無視する事とした。
医者として此処で活動すると言えば絶対に混乱するだろうと思っていたからこそ、永琳は敢えて念話での会話の時に黙っていたのだ。
「不老の薬を――」
「不要だ。医者としての修業時代に、師から学んだ」
「空間の謎を――」
「無用だ。我が病院に既に施されている」
「量子に携わる発明を――」
「いらぬな。量子の謎など、遥か昔に解き明かしている」
……よもや此処までとは、と永琳は舌を巻いていた。
永琳の想像を絶する知識量の持ち主である事は、薄々ではあるが彼女も察していた。まさか、普通の人間であれば、劫と言う時間を消費しようとも、
解き明かせるかどうかは神が振う賽子次第の、量子の謎すらも解き明かしていたとは、思いもよらなかった。永琳の瞳には、微かな驚愕の光が灯っていた。
「御帰りの時が来たようだな、アーチャー」
暗に、次の言葉が浮かばないのなら帰れ、と言う意味が言外からヒシヒシと、永琳は感じ取る事が出来た。
次をしくじれば、同盟の話は水泡に帰す事であろう。――其処で永琳は、敢えて、切り札を切った。本人自体は二度と作る事もないと信じていた、あの薬の名を。
「――『蓬莱の薬』」
「……なるほど」
反応の質が、明らかに違うものになった事が、不律やファウストは勿論、志希にも解った。
明らかに、興味を示していた。表情は依然として変わる事のない、石のような無表情であったが、永琳とファウストには、違った感情が今、彼の美貌に過っているのが解るのだ。
「月の都の姫が、当代の帝に与えたと言う不死の薬か」
「製法を教えるだけよ。作るのは、この世界に協力者がいないと無理だから」
これは、嘘でも何でもなく事実だった。『あらゆる薬を作る程度の能力』、と言っても全能ではない。
薬を作るとある以上、材料が不可欠であるのは言うまでもなく、それがないのであれば、無い袖は振れないのだ。
蓬莱の薬を作るのに必要な協力者とは、永琳が一生涯仕えると決めた、蓬莱山輝夜ただ一人。彼女の能力がないのであれば、蓬莱の薬は、作れない。
嘘偽りのない、厳然たる事実を、メフィストよ。お前は、どう受け止めるのか。
「その条件で、構わん」
魔界医師は、一切の迷いも見せる事無く、永琳の提示した条件を受け入れた。
「作る事は、出来ないのに、かしら?」
「知識として記録しておく事の、何がおかしいのかね? 医者はプライドが高く、知識と経験に貪婪でなければ務まらない」
「……」
沈黙の時間が流れた。永琳とメフィストの目線が交錯する。二名の身体から発散される、凍土の最中の様に冷たい空気に、他の三人の皮膚が粟立つ。
サーヴァント同士の睨み合いは、それだけで常人を気死させる圧迫感がある。この二人の場合は、サーヴァントである事を抜きに――自身の存在の格も関わっているであろう事は、想像に難くなかった。そんな時間が、数秒程続いた後で、永琳がこの空気を打ち破った。
「解ったわ。折を見て、御教授して差し上げますわ」
「痛み入る」
簡潔な、メフィストの言葉であった。間髪を入れず、彼は「次の話だが――」と切り出した。
「我が病院で医療スタッフとして働く、と言うのは、どう言う事だね?」
「教えただけで「はい、終わり」、と言うのは矜持に反しますので。蓬莱の薬の製法を教えただけでは、この病院に彼女を匿って貰えないと思いましたが、違いますか?」
と言い、永琳は志希の方を軽く一瞥する。何と反応すれば良いのか解らず、当惑で目を回し気味の志希の姿が其処に在った。
「我が病院は優秀な医者は常に受け入れている。優秀であると言う条件を満たす者ならば、我が病院の門戸を叩く者は、誰であろうと歓迎しよう」
「恐縮で――」
「但し」
最後まで永琳が言い切る前に、メフィストは言葉を遮った。そう簡単には行かせるか、と言う強い意思が声音からも感じ取れる。
「登用の為の簡単な面接は受けて貰おう」
「面接があるのか」、と不律は一瞬驚いたが、そもそも彼は<新宿>にやって来た瞬間に、メフィスト病院の専属医としてのロールを与えられた人物である。
つまり、来たその時から病院のスタッフの一人なのだ。普通に考えれば、登用試験や面接の類があるのが、当たり前なのである。
「お時間は何分取るおつもりなのかしら?」
「一分と掛からん」
――不律は、この病院も存外まともかも知れない、と、頭の中で一瞬湧いた考えを一瞬で払拭した。
一分で終わる面接など、今日日アルバイトですらあり得ないだろう。魔人の運営する病院は、その採用試験も常軌を逸したものであるらしい。
「……面接は、何時?」
「もう始まっているよ」
そう言うとメフィストは、目も眩まんばかりの白いケープの袖を、永琳の方に向けた――刹那だった。
ビュンッ、と言う音を立てて袖から、音速を超える程の速度で黄金色の細い何かが放たれ、それが、寸分の狂いもなく永琳の心臓を貫いた。
黄金色のラインが永琳を貫く前に、その正体に気付けたのはファウストだった。貫いたその瞬間に、何かの正体に気付いたのは不律だった。
永琳の心臓を貫き、背中までラインが貫通してから数秒経過して、漸く、自分のサーヴァントに起った異変に気付いたのは、志希であった。
「あ、アーチャー!?」
口元を覆い、灰の空気を全て使い潰す程の大声で志希が叫んだ。
永琳は、メフィストのケープから放たれた、黄金色の針金で心臓を刺し貫かれていた。
金メッキの放つ、チープな輝きではない。輝きから質まで、その針金は文字通り、本物の黄金で出来ているとしか思えない程、
限りなくAuの元素記号で表記される金属に等しかった。
戦慄の時間が、緩やかに、そして、忙しなく流れて行く。
メフィストの袖から寸分違わぬ直線に伸びた黄金の針金は、永琳の心臓を撃ち貫いている。
そして、永琳は、自身の心臓を貫いているメフィストの事を、無感情に眺めている。ややあって、永琳は口を開いた。『開いた』。
「人を試し過ぎるのは、長生き出来ません事よ。ドクター」
「因果だな。今朝私も、同じ事を言った」
そう言って、メフィストは、永琳の身体から針金を引き抜いた。
――誰が、信じられようか。メフィストのケープの中にシュルシュルと、訓練された一匹の金蛇のように巻き戻って行く針金には、血の一滴すら付着していない。
それどころか、彼女の身体を貫いていた筈の先端部が、完璧に乾いた状態であるのだ!!
そして、心臓を穿たれた筈の永琳の服には、血の一滴どころか、衣服に穴が空いた様子すら、見られない!!
誰もが忘我の域に誘われるであろう程凄絶な、あの数秒の短い時間は、魔人同士がお互いの実力を図る為に行った刹那の一時であると認識出来た者は、この部屋には二名いるのであった。
「アーチャー!! だ、大丈夫!?」
この病院に来てから、取り乱す事が多くなった事を志希はもう認識出来ない。
無理もない、余りにもこの病院の中で起る事は、志希の知る常識を遥かに逸脱した現象ばかりであるからだ。
だがそれは、当たり前の事なのだ。この病院は<新宿>のものではなく、<新宿>の中にあって、『魔界都市』と呼ばれたある街の則によりて運営される魔城なのだ。
余人の常識が一切通用しないのは、嘗てあの街に住んでいた住人であるならば、誰もが理解する所なのであった。
「痛みもない、流血もない、そもそもあの針金は体内に入った瞬間軌道を変えて、心臓を避けるように背中を突き抜けた。あの針金は治療の為の道具、痛み何て全く与えない。でしょう? ドクター」
「その通りだ」
腕を下げながら、メフィストが口にする。
「この針金に驚き、目を見開かせる様な存在ならば、我が病院のスタッフになる資格など与えないつもりであったが。優秀だな、君は」
「其処が、セールスポイントですから」
一切の臆面もなく、永琳は口にした。それを受けて、メフィストは肯じる。
「いいだろう。今から君は、臨時のメフィスト病院の専属医としての地位を与える。責任を以て、職務を遂行したまえ」
「解りましたわ」
「案内板に従って、ロビーの方に移動し、待機していなさい。じきに案内役の看護士の一人を呼ばせる」
「畏まりました。……出るわよ、マスター」
「……えっ? あ、え、う、うん」
要領を得ない、と言った風に志希は頷き、永琳の後を追い、部屋から退室。
後には、腰に刀を差した老医と、長躯のランサー。そして、白いケープを身に纏った、汚れ無き天国の威光のみで身体が構成されているのではないかと言う、美貌の魔人のみが、部屋に残された。
「彼女を採用されて、良かったのですか。Dr.メフィスト」
と言うのはファウストだ。無理もない。誰が見ても明らかに、八意永琳と言うアーチャーは怪し過ぎる。
彼も、そしてマスターである不律も。永琳は、その美貌の中に、ギラリと光る白刀を身体の中に隠し持った、一癖も二癖もある難物である事を見抜いていた。
明らかに、何かしらの下心がある事は解るのだ。目の前の、聡明な院長がそれに気付かぬ筈もない。
「優秀な医者は、いつでも求める所。其処に嘘はない」
「彼女は、優秀な医者ですか」
「君にも言った所だが、優秀な医者は見るだけで解るのだよ。面接と言う茶番など、用意するまでもなかった。女史は、この病院のあらゆるスタッフの中でも、最も優秀な人物かも知れんな」
それが、メフィストが送る最大限の賛辞であると言う事を、不律もファウストも知らない。
この病院の設備と、其処に勤務する医者の実力を何処までも信頼しきっているメフィストが、外様の医者を此処まで褒め称えると言う事は、ありえない事なのだ。
「……仮に、裏切って、院長にその矢を向けたらどうするつもりだ?」
「その時に対処するさ。私は、私に故意を以て襲い掛かる存在には、相応の対価を支払って貰う事にしている」
いつも通りの無感情な言葉だが、それが、嘘でも冗談でもなく真実であると言う事を、二人は理解している。
メフィストは、普段通りの声のトーンであるのに、放つ言葉によって、自由自在に威圧感と冷たさを調整出来るのだ。
言霊の謎を解明し、言葉を自由自在に操る吟遊詩人(トルバドゥール)のような男だった。二人は今の彼の、そんな発言に、背骨を濡れた氷で撫で上げられる様な悪寒を感じた。
「では、患者に対し悪意を以て――」
「それは、ないな」
ファウストの懸念を、メフィストは素気無く斬り捨てる。まさに、即答であった。
「何故、そう言えるのでしょう?」
「プライドが高いからだ」
「……プライドが?」
「本物の医者と言うのは、プライドが高くなければならない。己の患者に一切の怪我も病気も許さず、己が管理する病院の全てに万斛の自信を抱いていなければならない。
それを以て初めて、真実の医者になれるのだ。彼女は、私の理想に限りなく近しい思想の持ち主だと思っている。つまりは、私に敵対する事はあれど、患者には慈悲深い性格である、と言う事だ」
「それが本当であれば……確かに、優秀な医者であろうな」
「その通りだ、が。神は何時だって、人に全てを与えない物だな」
「と、申しますと?」
「彼女には欠点がある」
「はて?」
「医者としての資質も十分、見識も極めて深く、魔術にも造詣があり、有事の際の荒事にも長ける。まさに、医者の鑑とも言うべき人物だ。が、唯一の欠点を上げるとするならば……」
「上げると、するのならば。何です、ドクター?」
ふぅ、と溜息をついてから、メフィストは解を告げた。
「『女であると言う事だ』」
「えっ」
「えっ」
両者とも、殆ど同時のタイミングだった。
「女であると言う事実だけが、嘆かわしいな。女のインテリと言うものは、如何にもプライドが無駄に高い。男であればそれも可愛げがあると言うものだが、女になった瞬間それが失われる。実に、嘆かわしいな」
「……院長は、衆道の方が好みなのか」
「悪いかね」
「……いえ」
歯切れの悪い返事だと不律も思う。仕方があるまい。
想像だにしていなかったメフィストの性趣向に、困惑してしまったからだ。目の前で刀を突然、急所目掛けて振るわれる事よりも驚いている。
そう言った人物がいる事も知っているし、実際軍医を務め、曲りなりにも軍属であった不律には解る。同性愛は思った以上に普遍的な性癖なのだと。
――だが、メフィストがまさかそうだったとは、思いもよらなかったのだ。その気になれば、世界中の女のほぼ全てを我が物と出来る男は、その実、女に全く興味を示さない男色家であったのだ。誰も、想像が出来まい。
何処か気だるげな装いで佇むメフィストであったが、何かに気付いた様に面を上げ、先程、綾瀬夕映の海馬の記憶を投影させるのに使った、
右手の薬指に嵌められた指輪から、何かの映像を投影。年配の、髭を蓄えさせた中年男性の顔が、立体映像となって指輪から発せられる光に映った。
「何事かね」
「突然申し訳ございません。実は先程、院長が私共に預けた、『北上』と言う患者ですが……」
「治せなかったのかね?」
「……面目ない。彼女に合った義腕を選ぼうとしたのですが……傷口が余りにも特殊で、腕に合う義腕が見繕えないのです」
酷く無念そうな顔で、その中年男性は口にした。そして、覇気のない子供の様に、委縮している。
まるで、初めて問題に誤答してしまい、親か教師にそれを咎められる優等生のような心境である事は、容易に想像が出来ようと言う物だ。
「直に向かおう。不律先生、事後処理は任せた」
「心得た」
任せた、と言ってからのメフィストの行動は迅速であった。
足早に部屋を去り、部屋の内部と言う空間を悲しませるだけ。この男は、世界を構成する空間の一部など一顧だにしない。
どれだけ空間が待てと言われようが、待たない。自身の患者に異変が起これば、そちらの方を優先する。メフィストと言う男は、そんな男であった。
後には、不律とファウスト、そして、この部屋で起った魔人達の会話の事など一切知らずに、夢を見続ける眠り姫。綾瀬夕映だけが、残されるだけだった。
「人は見かけによらぬな……」
と言う言葉は、メフィストに対して向けられたそれである事は、明白だった。
「……同性愛は一応病気では御座いませんから」
動揺した風にファウストは言う。寧ろ彼の方が、衝撃を隠せていないようなのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【勝手に話を進めて、悪かったわね】
と言って、一之瀬志希に詫びの言葉を念話で投げ掛けるのは、八意永琳だった。
彼女は今、実体化の状態で病院を歩いている。今より病院の臨時専属医として働く事になっているのだ。
霊体化をした状態では差支えがでる。だからこそ、こうして実体化の状態で病院を歩く事にしたのだ。
廊下ですれ違う患者や看護師、医者が、永琳の方に顔を向ける。この病院で働くスタッフ達は、こと、美しいと言う概念を審美する時は極めて厳格だ。
何せ主である院長が、この世の美の基準点のような男なのだ。必然、此処で働く者は審美と言う行為にうるさくなる。
そんな彼らですらも、思わず目を引く程の眉目秀麗たる容姿を誇る女性。それが、八意永琳だった。メフィストと言う男が全てを支配する病院の中でも、
彼女の華麗さは褪せる事はない。八意永琳は、メフィストと言う日輪に対する、月輪のような存在感の女であった。
【アーチャーが必要だって思った事なんでしょ? だったら私も、それに従うかな〜……って】
そう、確かに必要な事だった。と言うよりは、戦略上、此方に着いた方が有利だと永琳は認識したのだ。
住宅街で起ったサーヴァントとの交戦とその戦闘の後、そして、繁華街ですら大規模な戦闘が起ったと言う事実を聞いた瞬間、永琳は真っ先に考えた。
それは、『家に籠城する』と言う作戦は最早何の役にも立たないと言う事だ。この狭い街で、頻々と戦闘が起こる以上、明日は我が身になる可能性は極めて高い。
そうなった場合、何の才能もない自身のマスターは真っ先に殺される可能性が高い。何処か安全な場所を探そうにも、聖杯戦争が始まった以上、
絶対的に安全な場所など存在しない。自分の実力で、マスターを守らなければならない。ある時まで永琳はそう考えていた。
その負担が楽になるかもしれないと思ったのは、メフィスト病院内部に入った時からであった。
この病院が保有する霊的・空間的な防衛システムは、主の保護に打って付けであるし、何よりも、上手く院長と話を付けられれば、
自身の道具作成スキルを最大限に活かせる、霊薬を製作する為の材料ですら工面して貰えるかもない。
そうなれば、後の可能性は無限大だ。永琳は、魔力がほぼ枯渇寸前の状態から魔力を、肉体的な怪我ごと全回復させる霊薬(エリクサー)だって造り出せるし、
ワニザメに皮を剥がれた因幡の白兎の傷を治した大国主が用いた薬だって、製作が出来る。拷問に用いる自白剤も作成出来れば、肉体を瞬時に溶かす毒薬の類だってお手の物。
そう戦略上、永琳は必要な事だと思っていた。
無論、リスクがないわけではない。腐っても此処は、他のサーヴァントの拠点である。いわば、敵の腹中で文字通り自分達は活動している事になる。
メフィストが何らかの心変わりを起こして、自分達に牙を向く可能性だって、ゼロではない。そうなったら、さしもの永琳ですらどうなるか解らない。
その危険性を加味してなお、得られるリターンの大きさが魅力的なものに永琳は思えた。だからこそ、あのような話を進めたのだった。
……しかし、本当はそれだけではなかった。
単純に言えば、かなり『腹が立った』から、この病院で働く、と言う下心が永琳にあったのも事実である。
メフィストは狂人だった。疑いようもなく、彼の心は破綻していた。
余りにも断固としたプロフェッショナリズムの持ち主の為に、彼は人の心の在り方と言うものから何処までも浮いているのだ。
患者を愛し、病院を信頼し、自分達の患者を害する者は一切許さない。それ自体は、医者として当然の在り方だ。だがあの男は、その度合いが異常過ぎる。
プロフェッショナリズムを求めに求め、求め過ぎた結果。彼の心は、『人間の可能性』とも言えるべき極北の地点の更に先に、向かって行ってしまった。
永琳から見た、メフィストと言う男は、そんな人物であった。
そして、驚く程あの男は気位が高い。
感情のない天使にすら恋慕の情を抱かせる程のあの美貌と、確かな医療技術を持っているのだ。
プライドが高くない方がおかしいし、事実医者と言う者はメフィストが言うように、新たな知識に貪欲で、医者としての矜持にプライドが高くなければ務まらないのだ。
解っていても『ムカついた』のは、自分の事を値踏みする様な、あの瞳と態度だった。本質的にあの男は、自分と自分の病院以外で働く医者を見下している。
そんな態度が、透けて見えるようだった。永琳は、自分が医者としても、戦士としても、優秀であると言う自負があった。
自分でも自覚している所だが、プライドは高い方だと思っている。だからこそ、許せないのである。戦闘能力で見下されると言うのならば兎も角、
医術の腕前で馬鹿にされるのは、沽券に係わるのだ。あの男は、その永琳の沽券を簡単に見下した。それが、永琳には耐え難かった。
――……言える訳がないわよね――
まさか志希に、そう言った感情もあってメフィストの所に着いたなどとは、言えなかった。
諸々のメリットの比較衡量も当然行ったが、それ以上に、斯様な感情があったなどと、まさか永琳の口から説明出来る筈もなし。
医者として働く以上は、適当な事は出来ない。自分があの男以上に優れている事を、これを機会にその一端だけでも発揮できれば、と、永琳は思っていた。
――……子供ね――
後で冷静に自分を俯瞰して、何とも幼稚な考えだと思っていた。
比較衡量の部分がなければ、完全にこらえ性のない子供とほぼ同義であった。
数万年以上の時を経てなおこの精神性とは、笑わせる、と。皮肉気な笑みを浮かべる永琳。
彼女らの横を、黄金色の髪をした、ブラックスーツの男性が過った事に彼女らは、全く興味も示さなかった。
【四ツ谷、信濃町方面(メフィスト病院)/1日目 午前9:20】
【一之瀬志希@アイドルマスター・シンデレラガールズ】
[状態]健康、廃都物語(影響度:小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]
[道具]
[所持金]アイドルとしての活動で得た資金と、元々の資産でそれなり
[思考・状況]
基本行動方針:<新宿>からの脱出。
1.午後二時ごろに、市ヶ谷でフレデリカの野外ライブを聴く?(メフィスト病院で働く永琳の都合が付けば)
[備考]
・午後二時ごろに市ヶ谷方面でフレデリカの野外ライブが行われることを知りました
・ある程度の時間をメフィスト病院で保護される事になりました
・ジョナサン・ジョースターとアーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上とモデルマン(アレックス)の事を認識しました。但し後者に関しては、クラスの推察が出来てません
・不律と、そのサーヴァントであるランサー(ファウスト)の事を認識しました
・メフィストが投影した綾瀬夕映の過去の映像経由で、キャスター(タイタス1世(影))の宝具・廃都物語の影響を受けました
【八意永琳@東方Project】
[状態]十全
[装備]弓矢
[道具]怪我や病に効く薬を幾つか作り置いている
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:一之瀬志希をサポートし、目的を達成させる。
1.周囲の警戒を行う。
2.移動しながらでも、いつでも霊薬を作成できるように準備(材料の採取など)を行っておく。
3.メフィスト病院で有利な薬の作成を行って置く
[備考]
・キャスター(タイタス一世)の呪いで眠っている横山千佳(@アイドルマスター・シンデレラガールズ)に接触し、眠り病の呪いをかけるキャスターが存在することを突き止め、そのキャスターが何を行おうとしているのか凡そ理解しました。が、呪いの条件は未だ明白に理解していません。
・ジョナサン・ジョースターとアーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上とモデルマン(アレックス)の事を認識しました。但し後者に関しては、クラスの推察が出来てません
・不律と、そのサーヴァントであるランサー(ファウスト)の事を認識しました
・メフィストに対しては、強い敵対心を抱いています
・メフィスト病院の臨時専属医となりました。時間経過で、何らかの薬が増えるかも知れません
【不律@エヌアイン完全世界】
[状態]健康、廃都物語(影響度:小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]白衣、電光被服(白衣の下に着用している)
[道具]日本刀
[所持金] 1人暮らしができる程度(給料はメフィスト病院から出されている)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れ、過去の研究を抹殺する
1.無力な者や自分の障害に成り得ないマスターに対してはサーヴァント殺害に留めておく
2.メフィスト病院では医者として振る舞い、主従が目の前にいても普通に応対する
3.メフィストとはいつか一戦を交えなければならないが…
4.ランサー(ファウスト)の申し出は余程のことでない限り認めてやる
[備考]
・予め刻み込まれた記憶により、メフィスト病院の設備等は他の医療スタッフ以上に扱うことができます
・一之瀬志希とそのサーヴァントであるアーチャー(八意永琳)の存在を認識しました
・眠り病の呪いをかけるキャスター(タイタス1世(影))の存在を認識、そして何を行おうとしているのか凡そ理解しました。が、呪いの条件は未だに解りません。
・メフィストが投影した綾瀬夕映の過去の映像経由で、キャスター(タイタス1世(影))の宝具・廃都物語の影響を受けました
【ランサー(ファウスト)@GUILTY GEARシリーズ】
[状態]健康
[装備]丸刈太
[道具]スキル・何が出るかな?次第
[所持金]マスターの不律に依存
[思考・状況]
基本行動方針:多くの命を救う
1.無益な殺生は余りしたくない
2.可能ならば、不律には人を殺して欲しくない
[備考]
・キャスター(メフィスト)と会話を交わし、自分とは違う人種である事を強く認識しました
・過去を見透かされ、やや動揺しています
・一之瀬志希とそのサーヴァントであるアーチャー(八意永琳)の存在を認識しました
・眠り病の呪いをかけるキャスター(タイタス1世(影))の存在を認識、そして何を行おうとしているのか凡そ理解しました。が、呪いの条件は未だに解りません
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……凄いな。痛みも何もない」
心底感心した様にそんな事を言うのは、診療室で、包帯の巻かれた左腕を軽く動かすジョナサンだった。
全く痛みがない。其処が、驚きの最たる所だ。と言うのもジョナサンの左腕には、つい先刻までロベルタが発砲した凶弾が体内に埋め込まれていたのだ。
更に胴体には銃弾による怪我もあり、歩くのも中々どうして、苦労した程である。その労苦が今、完全に消え失せていた。
驚くべきはメフィスト病院の医療設備と、スタッフの優秀さだ。評判は、前々から聞いていたが、此処までその高さを見せつけられると、敵対心など抱く気もなくなる。
自分達の生きていた十九世紀のイギリスの医療技術が、未開の民族の怪しげな民間治療にしか思えない程であった。
「Mr.ジョナサンの身体の壮健さと、自然治癒力は目を瞠るものが有りますね。この調子なら、一時間後にはラグビーだって出来る程ですよ」
と、太鼓判を押すのは、自身の治療を務めてくれた、月森と呼ばれる若い、眼鏡をかけた男の医者だ。
若いながら優れた医術を持ち、たったの数分で弾丸の摘出と、事後の毒素処理を行った医者である。
「いえいえ、先生の優れた医術があればこそですよ」
「ハハハ、お褒めの言葉は嬉しいですが、まだまだ僕もこの病院では若輩者でしてね。先輩方には、負けてしまいますよ」
謙遜としては良く使われるタイプのそれであったが、これが嘘ではない事をジョナサンもジョニィも知っていた。
恐らく月森は本気で言っている。サーヴァントの運営する病院に集まるのが、普通の医者しかいない訳がない。
特にそう疑っているのはジョニィの方だ。ジョニィは生前、泉と、其処に生える巨大な大樹自体がスタンド、と言う、つまり、
場所がスタンドその物と言う相手と関わった事がある。メフィスト病院とはまさに、場所そのもののスタンド、つまり、宝具なのではと考えていた。
そう言ったスタンドにありがちな事であるが、その場所スタンドの内部で起る事は、基本的には何でもアリで、外の世界の常識など通用しない。
このメフィスト病院が宝具であるとするのならば、其処に勤務するスタッフも、宝具の一部である。つまりは、何かしらの『力』を付与されている可能性が高い。つまりは、月森とは別の、或いは、彼をも超える医療技術の持ち主は普通にいるし、場合によっては戦闘すらもこなせる医者も存在していると、二人は推測していた。
「院長先生には、やはり勝てませんか」
「メフィスト院長ですか……あの御方は最早別格ですね。私も彼の技術を目の当たりにした事がありますが……私では、例え千年研鑽を積んだとて、彼の領域には至れない。そう思い知らされました」
と、過去の事を思い描く様な口調で月森は語る。真実の事を語っているらしく、遠い目で語るその喋り口に、嘘は見られなかった。
ジョナサンらは未だに見ていないが、やはりこの病院を運営する院長の技術は、想像を絶するそれであるようだった。
「……話は変わりますが、先生」
「何でしょう?」
神妙な顔付きのジョナサンに対して、月森の方は、柔和な表情のままであった。
「私と一緒に付いて来た、北上、と言う少女の件ですが……」
「北上……あぁ、あの右腕の肘から先がない女の子ですね?」
眠り病と呼ばれる聞いた事もない病気の事を知りたいと言ったあのアーチャーは、メフィストの案内に従い移動。ジョナサンと北上は別れて、別の所に案内された。
ジョナサンが案内された場所はごく一般的な外科であるが、北上の方は、身体の義部を作る為の診療科に案内され、そのサーヴァントであるアレックスは、
専門の、霊体治療の為の診療科に案内されているとの事。現在彼女らは、全く別々の所を行動していると言う事だった。
元々、ジョナサン達が見た時から、欠損した部位も見た所持っていなかった為に、治療は不可能であり、仮初の部位を作る事で治療を施そうと言うメフィスト病院の意思は、
理解していた。それでもやはり、心配になる。ジョナサンは思い出していた。時折北上が見せる、親類の全てが死に絶え、頼るもの縋るものもなくなったような、深い絶望に彩られた彼女の顔を。
「当病院の技研の腕前は頗る評判です。人によっては、元々の自分の手足よりもよく動くと言われる方もいる程ですよ。技研の先生方の腕前を、信用して下さい」
「いえ、そうではなく……ですね。聞かれないのでしょうか? 腕のなくなった理由を」
ジョナサン達も、それについては何の憂いも無い。この病院の事だ、上手くやってくれるだろうと言う無根拠な信頼すらあった。
だが、不気味なのが、この病院の誰もが、『如何して四肢がなくなったのかと言う事に興味を払わない事』である。
普通の病院であれば、間違いなく四肢を失った理由を訊ねるだろうが、この病院はそれをしない。此処を頼る患者ならば、誰でも治療する。
その様な意思を、ジョナサン達はこれ以上となく感じ取れていた。そして其処こそが、この病院がサーヴァントの運営する魔窟たる所以なのだろう。
「これは、メフィスト院長の自論なのですが……。自分を頼りにやって来た患者は、誰であろうと治せ、と言うのが、あの方にはありまして……」
滔々と、月森は語り始めた。
「例え後に、自分の敵に回るような人物でも治療せよ、と言う事らしいのです。それこそが、医道の扉を叩いた物の宿命であり、運命なのだ、と」
「……と、言いますと?」
「私が思うに、院長にとっては、怪我を負った理由よりも、怪我を負った結果こそが大事なのだと思っているのです。それを治す事こそが、医者の仕事。
それは、私共にも徹底されております。故に我々は、怪我を負った理由を敢えて聞きません。何事も、話したくない事は、あるでしょうから」
傍から見れば、聖人の言葉にしか聞こえない月森の発言であったが、時と場合にそれはよる、と言わざるを得ない。
人の言う事を全て疑う人間は病気であるが、人を疑う事を一切知らない人間もまた病気である。何故、四肢の一部を失ったのか?
それは、人間である以上、況してや医者である以上当然疑って然るべき事柄であり、彼らはそれを訊ねようともしない。
ジョニィは、やはり此処は、危険と安全と紙一重の場所だと、再認した。此処で働くスタッフ達は、正常と異常の境を彷徨う、魔界の住民なのだ。
怪我だけを治したら、さっさと距離を離す事が一番だろう。それが彼の思う所であったが――ジョナサンは、月森の言葉に感銘を受けている様子であった。
「実に素晴らしい、紳士の鑑のような人達だ」、とすら言う始末だ。ジョニィは、此処をもう少し改善してくれたら、と思わずにはいられない様子なのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
此処が、義肢や義眼の作成担当の為の場所だと認識した瞬間、北上は思った
ああ、自分の腕はもう、何をしても治らないのだ、と。涙は最早出ないので、虚無感だけが胸中を支配した。
予測出来なかった事ではない。何せあそこまで細切れに、自分の腕はなったのだ。普通は無理であろう。
どんな名医でも、失った腕を元に戻せと言われれば、匙を投げてしまう。北上の負った傷とは、つまりそんなものだ。
事実、自分の事を担当していた、髭を蓄えた中年男性もお手上げと言った調子であった。
「切断の傷が異常だ」、「如何してこう言う傷を負ったのか理解が出来ない」、小声で男はそんな事を告げ、ある程度傷を見終わってから、
「少しお待ちを」と言って、部屋を後にした。北上は、用途すら及びもつかない大仰な機械の数々と、壁掛けのコンソールスクリーンが至る所に設置された部屋で、
ぽつねんと一人残されるだけとなった。
アレックスは今、何処にいるのだろうか。自分を守り、要らぬ怪我を負った、あの頼りない勇者は。
自堕落でスケベで、それでいて、いざという時には『勇』ましき『者』の名に恥じぬ動きを見せぬ、未だ姿形の定まらぬ男は。
あの男の負った損傷も酷かった。メフィストの案内で今彼は、『心霊科』と呼ばれる、その名を聞くだけで胡散臭い診療科に案内され、霊体の治療を受けているらしい。
自分よりも境遇が心配だった。この世界で彼に死なれてしまえば、真実北上は一人ぼっちだ。そうなってしまえば、もうこの世界で生きる術はないに等しい。
いやであった。
死ぬ事よりも、一人で、しかも、鎮守府の皆に死んだと言う事をも認識されずに消えてなくなるのが、何よりも怖かった。
元の世界に帰りたい。そして、アレックスにも無事でいて欲しい。目を瞑り、その事を必死に祈る彼女であったが、その行為は、自動ドアの開く気配で中断される。
ハッとした表情を浮かべ、その方向を見つめた。
不思議なものである。自分を担当していたあの中年男性が戻って来たのではない事を、直感で北上は理解していた。
部屋の白さと言うよりも、明度が極端に上がったような気配を彼女は憶えた。部屋に満ちる電子機器の数々が上げる稼働音が、
喜びの讃美歌を上げているようなそれに変貌した様な錯覚を感じた。彼女の目線の先にいる、白く輝く美貌の男の姿を見て、硬直する。
この男は――地球から何万光年と離れた恒星の放つ、汚れ無き白い光を集めて作ったような、この男は。
「気分がすぐれないかね」
そう言って此方に近付いてくる男の名は、メフィスト。
この病院の院長でありそして、別所に向う為に病院に入ってすぐに解れて行動していた白の美人であった。
「四肢を失う事は、当人にとっては心に穴が空いた様なショックを受ける。当然の事だ。だが、安心したまえ。我が病院に救いを求めた以上、私は誰であろうともその思いを無碍にはせん」
此方に歩み寄りながらそんな言葉を口にするメフィストは、誰が聞いても、聖人の様にしか見えぬであろう。
断固としたプロフェッショナリズムは、見る者によっては狂気の権化に見える一方で、人によっては天より遣わされた天使のように映る。
特に患者には、メフィストの姿は、聖母の如き慈愛性を誇る救い主に見えるに相違あるまい。事実、多くの患者は、彼の事をそんな目で見ていた。
嗚呼、だが、北上よ。
何故お前は、メフィストをそんな瞳で見る。美貌に対して陶酔とする感情でメフィストを見る一方で、何故、彼の美貌を極度に恐れるような瞳で。
「腕を見せたまえ」
と言う、メフィストの言葉を認識するのに、数秒は掛かった。
のろのろと右腕を上げ、その姿をメフィストに見せる。二の腕を軽くメフィストは掴む。
耐えがたい至福の陶酔感が、彼女の腕から身体全身に伝わった。本当に美しい物の手に触れられたものは、それだけで歓喜の念を隠せない。
その事を今彼女は、自身の身体で実感させられていた。しかし、メフィストには彼女を喜ばせると言う気概など欠片も無い。
ただ冷徹に、北上の怪我の原因を調べるだけ。それを精査する為、彼女の腕を見るメフィストの目に――驚愕の光が、誰の目から見ても明らかな程しっかりと刻まれていた。
「……成程、北里先生では治せぬ筈だ」
そっと手を腕から離し、メフィストは、北上の方に向き直る。
メフィストの美は、正視するのとしないとでは、精神に対する影響力がまるで違う。
北上のような女子には、目線を全力で外し、顔を俯かせて話す事が、現状の精一杯であった。
「私は余り、患者の怪我の原因を聞かない事としている。見ただけで何が原因なのかが解るからだ。これに関しても、何が原因でこのようになったのかは解る」
「――だが」
「解っていても、聞かざるを得ん。北上さん」
「……はい」
声と言う声を出しつくし、声帯が極限まで擦り減ってしまったような、掠れた声であった。
「何時、何処で。そして、何者の手によってその傷を負った」
一切の嘘は許さぬと言う、厳然たる口調でメフィストは詰問する。
恐る恐る、と言った風に、北上は、その原因を語ろうとする。ラダマンテュスの審判を受ける死者もまた、今の北上のような心境であるのだろうか?
「七時半より少し前に、落合の家で……です。黒いコートを着た、先生みたいな綺麗な人に……」
「下手人の一人称は解るかね」
「……『僕』、でした」
顎に手を当てて考え込むメフィスト。
彼は、北上の傷を見て一瞬で、それが細さ千分の一ミクロンのチタン製妖糸によるものだと看破した。
見間違えようがない、腐れ縁でもあり思い人の男が傷付けた痕と同じ物であるのだから。
だが、違う。確かにそれは、メフィストの知るチタン製妖糸によりて傷付けられた傷であるが、問題は、それを負わせた張本人だ。
断言しても良かった。それは間違いなく、彼が懸想する、この世で最も黒が似合う男、『秋せつら』のものではなかった。
しかし北上は、彼の一人称を『僕』と言っていた。其処が引っかかる。『僕』のせつらが操る糸は、『私』のそれに比べて格段に技倆が落ちる。
それなのに今の北上の右腕の傷痕は、『僕』のせつらの操るそれよりもかなり複雑怪奇で、腕前が良いのである。
「君の義腕は、私が担当しよう。それまで少しだけ、この病院のリハビリルームで待機していてくれたまえ」
「……はい」
と、北上は口にした。
メフィストは考える。確かにこれは、この病院の手に余る傷だった。
秋せつらが、絶対に再生させないと言う意思の下で操った妖糸によって傷付けられた者は、この病院のスタッフの手でも『治せない』。
『僕』の人格までなら、メフィストも治せる。だが、『私』に変わった瞬間、最早メフィストでも匙を投げる程の傷痕と化し、二度と治療が出来なくなる。
北上は、下手人の事を黒コートの美人で、かつ僕と自分を呼んでいた男にやられた、と言っていた。
一瞬せつらの事を考えたが、彼らは、北上達を襲撃した後で、この病院にやって来たのだろうか? 時間的に無理があるように思えるし、
そのサーヴァントが戦闘を事前に行って来たのかどうかは、特に、秋せつらに関しては手に取るようにわかる。
断言しても良かった。せつらは明らかに、戦闘を終えてからこの病院にやって来ていなかった。
それを加味して、『僕』の人格より一段階上の糸の技量を持ちながら、その『一人称が僕』である、同じ黒コートの人物。
――思い当たるフシが、一つだけあった。
魔界都市の住民の誰にも認識されず、覚えている者も最早絶無に等しい青年の事を。
メフィストが認める、この世で唯一、黒一色の服装の似合う男。せつらに並ぶ美貌を持ちながら、せつらとは比較にならぬ邪悪な性格を持つ男。
嘗て魔界都市の王になり損ねた、黒いインバネスコートの魔人の事を、今メフィストは思い出していた。
――……君がいるのか、浪蘭幻十――
改めて、罪な街だとメフィストは思った。
魔界都市の具現である、黒コートの魔人を呼び寄せる。メフィストからしたら、魔界都市“<新宿>”の住民であった彼からしたら、『<新宿>』の判断は、
当然のものと言えた。だがこの街は、彼の魔界都市よりもずっと、悪辣で、嫌味な性格であるらしかった。
秋せつらの影であり、妖糸を操る一族の内で滅びた片翼。そして、魔界都市の亡霊とも言うべき、あの男を呼び戻す。
<新宿>よ、お前は此処で、何を成そうとする。そして、此処を舞台にして役者達を踊らせて。我が主は、何を成さんとするのだ。
懐かしい傷跡の感触を一度指でなぞってから、メフィストは静かに瞑想を止め、北上の義腕の制作に、取りかかろうとするのであった。
【四ツ谷、信濃町方面(メフィスト病院)/1日目 午前9:20】
【ジョナサン・ジョースター@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]健康、魔力消費(小)
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]不明
[道具]不明
[所持金]かなり少ない。
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を止める。
1.殺戮者(ロベルタ)を殺害する。
2.聖杯戦争を止めるため、願いを聖杯に託す者たちを説得する。
3.外道に対しては2.の限りではない。
[備考]
・佐藤十兵衛がマスターであると知りました
・拠点は四ツ谷・信濃町方面(新宿御苑周辺)です。
・ロベルタが聖杯戦争の参加者であり、当面の敵であると認識しました
・一之瀬志希とそのサーヴァントあるアーチャー(八意永琳)がサーヴァントであると認識しました
・ロベルタ戦でのダメージが全回復しました。一時間か二時間後程には退院する予定です
【アーチャー(ジョニィ・ジョースター)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]魔力消費(小)
[装備]
[道具]ジョナサンが仕入れたカモミールを筆頭としたハーブ類
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を止める。
1.殺戮者(ロベルタ)を殺害する
2.マスターと自分の意思に従う
3.次にロベルタ或いは高槻涼と出会う時には、ACT4も辞さないかも知れません
[備考]
・佐藤十兵衛がマスターであると知りました。
・拠点は四ツ谷・信濃町方面(新宿御苑周辺)です。
・ロベルタがマスターであると知り、彼の真名は高槻涼、或いはジャバウォックだと認識しました
・一之瀬志希とそのサーヴァントあるアーチャー(八意永琳)がサーヴァントであると認識しました
・アレックスの事をランサーだと未だに誤認しています
・メフィスト病院については懐疑的です
【キャスター(メフィスト)@魔界都市ブルースシリーズ】
[状態]健康、実体化
[装備]白いケープ
[道具]種々様々
[所持金]宝石や黄金を生み出せるので∞に等しい
[思考・状況]
基本行動方針:患者の治療
1.求めて来た患者を治す
2.邪魔者には死を
[備考]
・この世界でも、患者は治すと言う決意を表明しました。それについては、一切嘘偽りはありません
・ランサー(ファウスト)と、そのマスターの不律については認識しているようです
・ドリー・カドモンの作成を終え、現在ルイ・サイファーの存在情報を基にしたマガタマを制作しました
・そのついでに、ルイ・サイファーの小指も作りました。
・番場真昼/真夜と、そのサーヴァントであるバーサーカー(シャドウラビリス)を入院させています
・人を昏睡させ、夢を以て何かを成そうとするキャスター(タイタス1世(影))が存在する事を認識しました
・アーチャー(八意永琳)とそのマスターを臨時の専属医として雇いました
・ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上&モデルマン(アレックス)の存在を認識しました
・浪蘭幻十の存在を確認しました
・現在は北上の義腕の作成に取り掛かるようです
【北上@艦隊これくしょん(アニメ版)】
[状態]肉体的損傷(中)、魔力消費(中)、精神的ダメージ(大)、右腕欠損
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]鎮守府時代の緑色の制服
[道具]艦装、61cm四連装(酸素)魚雷
[所持金]一万円程度
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界に帰還する
1.なるべくなら殺す事はしたくない
2.戦闘自体をしたくなくなった
[備考]
・14cm単装砲、右腕、令呪一画を失いました
・幻十の一件がトラウマになりました
・住んでいたマンションの拠点を失いました
・一之瀬志希&アーチャー(八意永琳)、ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)の存在を認識しました
・現在メフィスト病院に入院しています。時間経過次第で、身体に負った損傷や魔力消費が治るかもしれません
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――これで、宜しいのかね?――
と言ってメフィストは、ルイ・サイファーの方に向かって、一匹の線虫めいた物を差し出した。
クリーム色に輝く装甲上の外皮に覆われた、虫のような生物で、ダンゴ虫の様に今それは丸まっていた。
その丸まっている様子が、メフィストの目には、古代日本で使われた祭器の一つであり、現在でもモチーフに使われる事が多い呪物、『勾玉』を連想させる。
成程。だから、マガタマなのか。だからこそ、『禍玉』なのか。
――素晴らしい、完璧な出来栄えだ――
と言ってルイは、マガタマの尻尾に当たる部分を掴む。キィキィと言う泣き声を上げて、ブンブンとそれは暴れ始めたが、
掴んでいる人物がルイであると認識した瞬間、途端に大人しくなり、元の勾玉状のそれに形を戻す。よしよしと言う風にルイは笑みを浮かべ、それをポケットの中にしまい込んだ。
――君に、このマガタマの名付け親になって欲しいんだが、メフィスト――
――それに意味はあるのかね?――
――からかってはいけないよ。名は、最も強力な呪(しゅ)の一つだ。全人類が、才能の隔てなく使用出来る、ある意味で最強の『魔法』だ。
名は物を定義する。広大かつ渺茫たる存在を有限かつ有形のものに。形無き水を桶に汲み入れるように。定義された存在は、本来の力を限定的に制限される物さ。
人の信仰に定義される神霊程、名に弱い者はない。全知全能を司る存在が、名前一つで落魄して行き、名前一つで、異教の魔王に変じて来た例を、私は飽きる程見て来たのでね――
――成程、一理あるな――
と言った後で、メフィストは少し考えてから、脳裏に浮かんだその名を言葉にすべく、口を開いた。
――『シャヘル』、と言うのはどうだね――
――ハハハ、皮肉が上手い。ウガリットの神話に於ける『明星』の神じゃないか――
――皮肉を理解するだけのウィットはあるようだな――
――面白いものは素直に面白いと認めるよ、私は――
相も変わらず、その内心を悟らせない微笑みを浮かべて、ルイは楽しげに言った。
何時みても、心の内奥を悟らせない男であった。メフィストですら、この男の正体は掴めれど、その目的を認知するまでには至っていない。
つまるところ、この男を理解する事は、誰にも不可能と言う事になる。
――但し、このマガタマ、『寄生』させるには、いくつかの条件がある――
――その条件を御教授して貰いたい――
――絶対条件は、『人間』である事だ。人間以外の生き物である場合、その『因子』が、君の力を受け入れられず、拒絶反応を起こして、狂死する――
――人間であるのなら、サーヴァントでも構わないのかい?――
――魔力で構成こそされているが、性質は人間のそれだ。問題はない――
――まだ、条件はあるのかい?――
――人間ならば誰でも良いと言う訳ではない。可能性の分岐が多い存在でなければならない――
――比喩的な意味ではなく、それは、『不確定性』と言う意味かな?――
――そうだ。可能性の分岐とはとどのつまりは不確定性だ。人間以外の何かになれる程、それこそ魔王や悪魔にもなれる程のランダム性。言うなれば、『万民の雛形』と言う奴だな――
――後はあるかね?――
――マガタマの寄生には耐え難い苦痛と激痛を伴う。肉体的にある程度頑強でなければ、痛みに耐えられずショック死を起こす――
――全く厳しいな――
――元が、最高位の悪魔の力で作られたマガタマだ。条件は厳格を極めるだろう――
――私は悪魔でもなければ、其処まで強い自覚もないのだが、まぁそれは兎も角。もしも、その様な存在が患者として此処に搬入され、完治させたら、私に教えてくれないかね――
――構わん――
フッ、と笑みを零し、ルイは笑った。
秋せつらが去ってから、ニ十分程経過した時の会話であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
アレックスは無力だと思っていた。
何処までも弱い自分と言うサーヴァントについて、だ。
黒いインバネスコートのアサシンに、手酷過ぎる敗北を喫した事は、座とやらに還っても忘れられないだろう。
マスターに要らない損傷を与えた事など、悔やんでも悔やみきれない。
灰胴色の鬼と戦った時の恐怖など、想像を絶する程のものであった。生前に戦ったドラゴンやゴーレムなど、及びもつかない覇気と迫力。
その時の戦いで自身が負った、手酷過ぎる手傷。あの時の痛みは、今でも身体が覚えており、脳の忘れろと言う命令を無視する程だった。
そして、何よりも惨めなのが、その傷を、何処の馬の骨とも知らないサーヴァントの御情けで、彼が運営する病院のスタッフで治療されると言う事だ。
『心霊科』だのと呼ばれる胡乱な診療科に案内されたアレックスは、余りにも見事な手腕で、失った霊体部分と、消費された魔力を補填され、
召喚された当時の十全な状態と寸分違わぬコンディションで、診療室で一人待機していた。その時になって、思考の海に沈んだ時、勇者はまざまざと、己が無力であると言う事実を、ハンマーで頭をブン殴られたように認識させられていた。
アレックスは、弱かった。出来る事は多いが、それだけだった。
敵を打ち倒すだけの力が、自分には備わっていない。その事を、痛い程彼は思い知らされた。
黒いインバネスのアサシンには傷一つつけられず、鬼との戦いの時には全く彼の動きを阻害させられなかった。
勇者は、勇ましい者の事を指すと言うが、それは嘘だ。そんな物は単なる言葉遊びに過ぎない。
世間は勇者と言う役割に、力強さを求めるし、勇者自身もそれを強く認識している。力がなくても良いと嘯く者など、勇者などでは断じてありえない。
自身に備わる力の量が自信に繋がり、自信の強さが『勇気』に直結する。身体を鍛え、力を付けると言う事は、言葉通りの『勇ましい者』になる事への布石なのだ。
故に、力がなくても勇者になれると言う言葉は、アレックスにとっては虚言妄言の類以外の何者でもない。力を備える事を止めた勇者は、その時点で、勇者ではなくなるのだから。
それを解っていたからこそ、アレックスは、力を欲した。
勇者として。北上に召喚されたサーヴァントとして。何者にも屈する事のない、不撓不屈の意力をそのままに、万軍を一人で鎧袖一触する聖なる力が。
いや――負けない為の、力が欲しい。北上を守り、向かい来る敵を打ち倒す為の力であるのならば、アレックスはそれを受け入れるつもりでいた。
力さえあれば――それが、アレックスの胸中を占めていた、そんな時であった。自動ドアの扉が開かれ、廊下の空気と室内の清浄な空気が撹拌されたのは。
「失礼しよう」
入って来た男は、後ろ髪の長く伸ばした金髪の男だった。
夜空を鋏で切り取り服の形に誂えた様なブラックスーツを身に纏った、一目見て、紳士だと解る大人の男性。
身体から発散される、教養のオーラと、貴族めいた気風。一目見て、ただ者ではない事が窺える、謎の男であった。
誰もが美男子と認める程の整った容姿を持つ男であったが、インバネスのアサシンと、メフィスト、と、天界の美を立て続けに見せられてきたアレックスは感覚が麻痺していた。目の前の紳士を見ても、普通の男だ、と認識する程度には。
「私が何者か、と言う君の疑問に答えるとしよう」
アレックスの誰何を予測した男が――ルイ・サイファーが、直にそんな事を口にした。
「私の名はルイ。ルイ・サイファー。此処の病院の主である男のマスターだ」
それを認識した瞬間、アレックスは剣を引き抜く。それをルイは、微笑みを浮かべるだけだ。
「争うつもりは私にはない。無論、君をどうこうしようと言う考えもないよ」
「如何信じろって言うんだよ」
「マスターが一人で、サーヴァントに会いにくる。これが正気の考えだと思うかい? 君を滅ぼそうと考えるのならば、僕はメフィストを連れて来るよ」
「――尤も」
「この病院の中で死人は出さない、争いなど引き起こさせない、と言うのがメフィストの意向でね。仮に此処で戦えと私が令呪を用いても、言う事を聞きそうにないよ、彼は」
と言って、大げさに嘆いた様な素振りをルイは見せる。
メフィストの意向の真贋は別にするとして、冷静に考えれば、その通りだとアレックスは考えた。
自分と戦うのであれば、サーヴァントを連れて来るのが道理である。なのに付近には、メフィストの気配もない。美が世界を浸食するような雰囲気も、感じられない。
「それじゃあんたは、正気の人間じゃない、って事か?」
「正気と狂気は紙一重だ、サーヴァント君」
どうにも、掴み所がない相手だとアレックスは思った。
まるで、人の形になった雲霞とでも話をしているような、そんな感覚だ。言葉を返して来るが、どうにもその真意を掴ませてくれない。
要するに、話していてかなり疲れるタイプの人物だ。
「俺に何の用だ」
アレックスが、要件を単刀直入に問い質した。
「力が、欲しくないかい?」
『力』。その単語に、アレックスは少しだけ、興味を持った。
「何で、俺が力を欲してるような奴だと解るんだ?」
「経験に基づく、勘と言うべきものかな。私自身、過去に手痛い敗北を喫した身でね。負けを味わった人物は、大体解る物なのだよ」
「適当だな、アンタ」
「そうでもないよ。これでも考えて動いている」
ふぅ、と息を一吐きしてから、かぶりを二、三度振った後。
射殺すような鋭い目線をルイに投げかけるアレックス。飄々とした態度を、黒スーツの紳士は、崩しすらしない。
気持ちの良い春の微風を真っ向から受け止めるような風に、男はアレックスの敵意に当てられていた。
「俺に力を与えて、何をするつもりだ」
「理由が必要かね」
「当たり前の事を抜かしてんじゃねーよ。無償の善意何てこの世界にある訳ないだろ」
「成程、それはそうだ」
考え込む仕草を見せるルイだったが、アレックスの疑いの気配が最高潮に達したのを感じるや、彼はその訳を話し始めた。
「君に同情を禁じ得ないからさ」
「……何?」
「君が何に負けたのかまでは、私の知る所ではないが。敗北が意味する所ならば、私は君よりもずっと詳しい」
その男は、静かに語り始めた。
「敗北した、と言う事実は絶対に拭えぬ汚点になり、癒せぬ傷となる。熾烈な政争に敗れ、落ちぶれた貴族や大臣、王侯がこの世に何人いた?
派閥争いに敗れ、神の座を追われ、邪神や魔王に身を落とした神は? 自分達こそが正しいと信じて来た天使の何体が、地の底に叩き落とされたのだ?」
タンッ、と、靴底でルイはリノリウムの床を叩いた。部屋の中にその音が良く通った。
「敗北で得られるものなどこの世で一つたりとも存在しない。敗北が意味するのは権威の失墜、力の喪失だ。負けたくないのならば、努力をするしかない。負けたくないのならば、考え続けねばならない」
ルイの語り口は、熱を伴った感情も込めていなければ、人々が魅了されるような言い回しでもない。ただ事実を語るだけ。
だが、不思議だった。まるで、心の何処かに生じた亀裂から、針で刺したような小さな穴の中から染み透って行き、心の中に浸透し、胸中に響く様な、そんな弁舌だった。
如何なる経験を積めば、この男のような不思議な弁舌能力を得られるのだろうかと、世の政治屋は己の立ち位置固めの為に躍起になって彼を研究する事であろう。
「我がサーヴァントは、病める者を愛している」
部屋の中を見回しながら――いや、違う。
部屋と言う匣の中を取り囲む壁の、その先の先。ルイはきっと、メフィスト病院を見ているに相違ない。
「そして私は、力のある者と――敗北から立ち直ろうとする者を、評価している」
其処でルイは、目線を真っ直ぐとアレックスの方に向け、間断なく言葉を投げ掛ける。
「君には力がある。だが、何故か負けてしまった。君は、それを事実として受け入れるかね」
「……当たり前だろうが。あれを事実として受け入れられなきゃ――!!」
「ならば君には、資格がある。明星の加護を受ける資格が。人より修羅となる権利を、君は得られる」
「人から――何だ……?」
懐に手を入れ、ルイは一匹の、虫のようなものを取り出した。
クリーム色に光り輝く外殻で身を鎧った線虫に似た生物で、ダンゴ虫の様にそれは身体を丸めさせている。
その様子が、アレックスには、勾玉のようなそれに見えた。ルイはその、薄気味の悪い生物の尻尾を摘まんで、これをアレックスの方に手渡した。
怪訝そうな顔で、彼はそれを眺めた。
「――呑めるかね」
信じられないような事をルイが口にするので、思わず目を剥いた。
「猛毒かも知れないだろ」
「先にも述べたが、この病院でそんな事をすれば、私の命がないのでね。例えマスターと言えども、メフィストは容赦がないのだよ」
……確かに、それは解るかも知れない。
病院の玄関先で見かけ、彼の語り口を見させてもらったが、患者の治療に一切の妥協がない、そんな印象をアレックスは受けた。
そんな男が支配する病院で、スタッフ以外の余人が死者を出したと知れれば、確かに、メフィストは容赦も何もしないかも知れない。そんな凄味が、あの男にはあった。
「心配しなくても、これはメフィストが手ずから作り上げた逸品だよ。力は確実に得られるし、力を得たとしても、メフィストの支配下に置かれるわけでもない。
飲んだ際に恐ろしい激痛が走るが、それもすぐだ。君のマスターは依然として君のマスターのままで固定される。誰も君を害さない。意思をそのままに、君は力を得る事が出来る」
ルイの顔と、手渡されたマガタマを交互に見渡す事、十度程。その時になって、アレックスは、口を開く。
「俺に力を得た、としよう」
「うん」
「その俺にお前は、どんな働きをする事を望むんだ」
「働き、か。君の自由に――」
「見え透いた嘘を吐くんじゃねぇ。嘘を吐く位なら、時には正直に本音をぶちまけた方が信頼を得られる。アンタなら解らない事じゃないだろ」
「それもそうか」
敵わないな、とでも言う風にルイは肩を竦め、その心の裡を語り始めた。
「君には、『きっかけ』になって欲しいのだよ」
「きっかけ……?」
予想をしていなかった言葉に、アレックスは小首を傾げそうになる。
無論ルイの方も、アレックスが理解をしているとは思ってないらしく、直に補足をするべく口を開いた。
「私はね、自身のサーヴァントが今の様に病院を運営している状態だから、中々此処から出られない。聖杯戦争にも、参加が出来ない」
「だから、ね」
「せめてこの病院の薫陶を受け、十全の状態になった君達に、聖杯戦争を謳歌して貰いたいのだ。君に、その『マガタマ』で力を得て欲しいと言うのはね、私の単なるつまらない拘りさ」
「拘り?」
「私のサーヴァントが時間を見つけて作った器物で得た力を、他のサーヴァントがどの様に発揮し、何処までやれるのか。それを見てみたいのさ、私は。
……まぁ要するに、この病院から一歩も動けない暇人の、つまらぬ御節介と思っておきたまえ」
キョトンとしたような表情で、ルイの顔を見つめるアレックス。
あるかなしかの薄い微笑みを浮かべ、ルイは、最後の一言と言わんばかりの言葉を、勇者に目掛けて射放った。
「君は今、あらゆる敵を倒すきっかけの直前にいる。此処以外にそのきっかけは、もしかしたら転がっているのかもしれないが、此処を逃せば、次に同じような機会があるとは、限らないよ」
痴呆のように呆然とした表情が、皮肉気で、自嘲する様な笑みへとアレックスは変わって行った。
すてばちな笑みとは、きっと今のアレックスの事を言うのだろう。
「嘘だったら、この病院の中だろうとアンタを殺して見せるからな」
「構わないよ」
其処まで言った瞬間――アレックスは躊躇いも逡巡も捨てて、マガタマを一呑みした。
その瞬間であった。視界の端に、赤色の亀裂が走った。空間全体に、割れたガラスの器を糊で張り合わせたように不細工なヒビが生じ始めるや否や、
目に映る全ての物が赤く染まった。筆で直接眼球を赤い絵の具で塗られたように、何も見えない。
皮膚が張り裂け、筋肉が断裂する様な凄まじい激痛が体中に走る。骨が凄まじい悲鳴を上げる。メキメキと言う音を響かせながら、別のものに変容して行く感覚が、
身体全身に襲い来る。うなじの辺りが、恐ろしく痛い、身体の中から剣が飛び出しているが如き痛みは、常人であれば十回、いや、百回は狂死している程のそれだった。
「ごっ、あっ……があぁああぁぁぁああぁぁああぁぁぁぁぁああぁっ!!!!!」
恥も外聞もない苦鳴を上げ、アレックスが顔面を抑え近場の壁に身体を預け、悶絶する。
地面をのた打ち回らないのは、最後の理性とプライドが強要したちっぽけな維持であった。
身体の中に、特別な力が湧き上がる。そんな感覚をアレックスは憶えていた。今俺は、痛みと引きかえに、力を自分は得ている。
そんな実感が、今の彼に湧いてくる。耐えろ、耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ!!
今度こそ自分は、力を得る。勇者になる。自身のマスターを、元の世界に戻して見せる。――憎らしい美貌のアサシンに、力を叩きつける。
こんな痛みなどでくたばって等いられない。カキンッ、と言う音が奥歯から響いて来た。余りにも強く顎を噛みしめてしまった為に、奥歯の何処かが欠けてしまったのだ。
「――これで、君も■■になるんだ」
ルイが、何かを言った気がする。何かは、自分の悲鳴に掻き消された。
視界が完全なる紅色に染まる直前、彼の笑みに、何か名状し難い感情が宿っていたのは、果たして、見間違いだったのであろうか?
【四谷、信濃町(メフィスト病院)/1日目 午前9:20分】
【ルイ・サイファー@真・女神転生シリーズ】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]ブラックスーツ
[道具]無
[所持金]小金持ちではある
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯はいらない
1.聖杯戦争を楽しむ
2.????????
[備考]
・院長室から出る事はありません
・曰く、力の大部分を封印している状態らしいです
・セイバー(シャドームーン)とそのマスターであるウェザーの事を認識しました
・メフィストにマガタマ(真・女神転生Ⅲ)とドリー・カドモン(真・女神転生デビルサマナー)の制作を依頼しました
・マガタマ、『シャヘル』は、アレックスに呑ませました
・失った小指は、メフィストの手によって、一目でそれと解らない義指を当て嵌めています
・??????????????
【“魔人”(アレックス)@VIPRPG】
[状態]全回復、激痛(極限)、人修羅化
[装備]軽い服装、鉢巻
[道具]ドラゴンソード
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:北上を帰還させる
1.幻十に対する憎悪
2.聖杯戦争を絶対に北上と勝ち残る
3.力を……!!
[備考]
・交戦したアサシン(浪蘭幻十)に対して復讐を誓っています。その為ならば如何なる手段にも手を染めるようです
・右腕を一時欠損しましたが、現在は動かせる程度には回復しています。
・幻十の武器の正体には、まだ気付いていません
・バーサーカー(高槻涼)と交戦、また彼のマスターであるロベルタの存在を認識しました
・一之瀬志希&アーチャー(八意永琳)、メフィストのマスターであるルイ・サイファーの存在を認知しました
・マガタマ、『シャヘル』の影響で人修羅の男になりました
投下を終了いたします
前後編投下乙です
<新宿>で手傷を負った主従がまず思い浮かべるであろうメフィスト病院の存在、そこに行けばどうなるのかという興味に見事に応えてくれる力作、素晴らしいの一言です
まず目が行くのはやはり病院に住む三人の医者と外様の医者一人、水面下でプライドがぶつかり合う描写は心臓に悪い! 永琳のメフィスト相手に一歩も引かない気迫と、男色魔人カミングアウトに動揺するスタッフ二名が印象的
永琳がメフィスト病院でパートをやることになり住み込みが決定したしきにゃん、ただ飯くらいはアレなのでなにかやらされそうな予感
ジョナサンの屈託のなさとジョニィの疑い深さの差異、病院を離れてどう転ぶのだろうか?
そしてアレックス!!!お前騙されてるぞ!!!騙されてないとしても顔グラ絶対変わってる!!!!!!
混沌大好き新世界大好きおじさんにたぶらかされて人修羅二号になったアレックスの未来が、ひたすら凹むマスターの三万倍は暗そうでとても悲しいです……
英純恋子&アサシン(レイン・ポゥ)
遠坂凛&バーサーカー(黒贄礼太郎)
予約します
投下乙です
メフィスト病院に続々と医者の鯖が集まってくるな
そして幻十の参戦に気付いたメフィストはどう出るか
前半、後半に分けて投下いたします
横断歩道の停止線直前で停まる、漆黒の車体が眩しいトヨタ・センチュリーがあった。
衆目を引く車である。国産車が今一恰好が悪いと言うバイアスが強い日本においても、流石にこのグレードの高級車ともなれば話は別である。
歩道を歩く通行人や、片側の車道に停まる乗用車や原付、対向、反対車線を往く車の運転手の目線を集めているような錯覚を、この高級者に乗る現代の貴族は憶えている。
運転手は、小柄な体格をした、病的なまでに白い皮膚で、禿げた頭の男性だった。
白昼夢でも見ているかのように間抜けた表情をしているが、その実ちゃんと意識は覚醒状態にある。
が、如何にも危うさと言うものを隠せない。名をエルセンと言うこの男は、英財閥に所属する構成員の一人であり、その令嬢から直々に運転手を任せられた男であった。
上座には、礼儀正しい姿勢で座る、エルセンと余り背格好の変わらない少女がいた。
貞淑として、それでいて如何にも育ちの良さそうな顔付きをした女性で、都会の雑踏の中には相応しくない、百合の花のような娘であった。
しかし何故、この女性の表情には、うずうずとした期待感のような感情が渦巻いているのだろうか?
英純恋子は、何を楽しみにしているのだろうか?
センチュリーの内部は、車の中と言うよりも、ある種の動くホテルの一室のような物であり、通常の乗用車の内部とは一線を画す。
空調の性能、シートの座り心地、カーテレフォンやカーテレビなど、食糧さえ持ち込んでしまえば、そのまま一日は過ごせてしまいそうな設備を搭載している。
とは言え、車の内装の素晴らしさは如何あれ、運転手と後部席の純恋子に会話がなければ、どうにも場の空気が悪くなりがちなのは、致し方ない。
故にエルセンは、適当なラジオにチャンネルを合わせ、それを流しているのだが、それがどうにも、エルセンの気付かない第三の乗車人物には耳障りでしょうがなかった。
「は〜い、以上、モンスターさんからのリクエスト曲、プリマ☆ジカルでした〜。やー、いい曲だったね〜聞いてなかったけど。はいそれじゃ、とっととミュ〜ジック二件目のお便り――」
実に軽そうな若い女性がMCを務めるラジオ番組だった。
とっととミュ〜ジックなるこの番組は、このような如何にも軽くて、頭に何も詰まってなさそうな女性がこのようなテンションで進めて行くラジオ番組であるらしい。
これからよく、生きるか死ぬかの殺し合いをしに行くのに、このような、聞いているだけで頭が悪くなりそうな番組で集中が出来るものだと、
霊体化したレイン・ポゥは純恋子に感心した。ひょっとしたら、何にも考えていないだけなのかも知れないが。それはそれで、大物か。自分のマスターとしては堪らない位困るのだが。
停止したセンチュリーの窓から車外の光景を見つめるレイン・ポゥの気分は頗る憂鬱だった。
アサシンと言うクラスは原則、後手に敢えて回る事の多いクラスである。聖杯戦争の序盤と言うのは言うまでもなく、ほぼ全ての参加者が十全の状態である。
怪我も一切負っていない、魔力の量も万端。そのくせ、情報だけは揃っていない。このような局面では通常、アサシンのクラスは動く時ではない。
クラススキルである気配遮断で籠城や水面下行動を行い、盤面がある程度動くまで待ちつつ、情報を収集する。
皆が疲弊し、ある程度の情報が出尽くした所で動き、消耗した相手を影や闇からの一撃で直に葬り去る。これこそが、アサシンクラスの常道である。
アサシンであるレイン・ポゥが、ではどうして今、サーヴァントの暗殺にこんな序盤から向かいに行くのかと言うと、後部席の上座で上機嫌そうな、
英純恋子――馬鹿――の意向があるからに他ならない。勉強は出来る、金もある。だが、馬鹿なのだ。何故かは知らないが、だ。
二人は今、英財閥の情報室が集めた、<新宿>に住む聖杯戦争参加主従の内、把握している四組。
その内の一つである、『遠坂凛と黒礼服のバーサーカー』が住んでいると言う市ヶ谷の某邸宅に向かっていた。
正気の沙汰では、ないだろう。何せ真正面からの小細工抜きでの戦いであれば、三騎士を凌ぐと言われているバーサーカーを相手に、
暗殺を旨とするアサシンクラスが戦いを挑むのだ。愚作、としか言いようがない。しかし、これに関して言えば、レイン・ポゥはある打算を織り込んでいた。
そう、今回、遠坂凛の主従に襲撃を掛けに行くと決めたのは、マスターの純恋子の意向を汲んだと言う事も勿論あるのだが、この虹の魔法少女の計算も其処にはあるのだ。
先ず一つに、遠坂凛達は聖杯戦争のルーラー直々が指定した、成果報酬に令呪一画が与えられる正真正銘の賞金首である事が一つだ。
令呪一画が与えられると言うのは、財力にこそ優れるが、魔力量は聖杯戦争のマスターとしては落第点の純恋子には与えてやりたい代物だった。
令呪が一画増えると言う事は、レイン・ポゥの意思を無理やり捻じ曲げる鎖が一本増える事を意味するが、それでも、ないよりはあった方が良い。
ここぞの場面で令呪があるのとないのとでは、全く違う。令呪が欲しい、と言う事が一つ。
そしてもう一つ、これこそが一番重要なのであるが、遠坂凛の主従は聖杯戦争の参加者のみならず、一般のNPCからも、その扱いは賞金首のそれなのだ。
世界中を震撼させた、白昼堂々の大量殺人犯と、その共犯者。社会における遠坂凛達の扱いは、凡そこんな所である。
仮にそんな存在に純恋子達が襲われ、万一彼女らの方が下手を犯したとして、遠坂凛達と純恋子達。どちらの肩を、聖杯戦争の参加者及びNPCは持つだろうか。
言うまでもなく、後者の方である。相手は誰もが信じて疑わぬ、殺人鬼達。仮に襲われて敗走したとしても、相手の方がその魔の手を先に延ばして来た、
と多くの者は思うだろう。況してや遠坂凛が呼び出したサーヴァントは、一般人には御し難いバーサーカーである。
もしかしたらであるが、『一般人の遠坂凛』に制御が不可能になったバーサーカーに襲われた哀れな被害者と純恋子が認識され、聖杯戦争の参加者とは認識されないかも知れないのだ。仮に、一回失敗しても、セーフティの可能性が高い。だからこそレイン・ポゥは、敢えて遠坂凛の方を選んだ。
残りの三組では、そうも行かないのである。
セリューらの主従は頭が回りそうな為、事後処理に失敗するかもしれない。メフィスト病院とUVM社の社長の場所を襲撃など、論外である。
後者二つは対外的にも極めて名の知れた場所であり、遠坂凛達と比べて悪評もまるでないし、情報面への根回しも英財閥に勝るとも劣らぬとレイン・ポゥは見ていた。
『暗殺者は暗殺者とバレていないその時に真価を発揮する』。名と顔の割れた暗殺者は事実上その時点でデッドだ。
だから、後二つの方は省いた。――以上が、レイン・ポゥが、遠坂凛が奪った邸宅に襲撃を掛けようとしたその理由である。
――とは言え、である。
「(ま、何時だって初陣はそれなりに緊張するもんね)」
聖杯戦争の正規の七クラス、その中でもキャスターと並んで最弱を争うクラスが、真正面からの小細工抜きでの戦闘ならばほぼ最強に近いバーサーカーと、
事を争うのである。緊張をしていないわけがない。レイン・ポゥの踏んで来た場数は、決して少なくない。寧ろ歴戦の魔法少女の一人と言っても良い。
相手が余程の格上でない限り、戦闘には自信がある方であるが、それはあくまでも対魔法少女の時の話、況してや相手が全く違う世界観の強者となれば、話は別だ。
これで緊張をしない方がどうかしているが、レイン・ポゥはその感覚を大事にしていた。そもそも彼女は暗殺に臨む時は何時だって、緊張をしていたものだ。
恐れからではない、暗殺任務の遂行上必要な心構えであったからだ。緊張感とは言い換えれば、警戒だ。
失敗した場合戦闘以上にリスクの大きい暗殺任務の遂行を行う際には、警戒や緊張感は重要な要素である。
実際これを抱いていない、馬鹿で無謀な鉄砲玉のような魔法少女程、カモな存在はいなかった。疑心や警戒心を忘れない存在こそが、一番やり難い。
経験でこれを解っているからこそ、自分も仕事の時はこれを忘れない。それはレイン・ポゥの演技力スキルに、如実に表れているだろう。
【マスター】
【何ですの?】
目線だけを、レイン・ポゥのいる隣の座席に向けて、純恋子は念話で返した。
身体の向きを動かすどころか、体幹にも動きがない。この車内には自分と運転手のエルセン以外にいると言う事を、彼に悟らせない見事な配慮であった。
【アンタ、緊張とかはしてないの?】
【余り、そう言うのはしない性格ですの。貴女の方はいかがかしら、アサシン? 貴女のような腕利きでも、武者震いはしますのかしら】
【ま、多少はね?】
この女はあいかわらず、そう言った緊張とは無縁の破綻者なようだと、改めて認識しながら、レイン・ポゥは窓から車外の光景を眺め始めた。
さっきからセンチュリーの進みが遅いのは、気のせいなどではなかった。センチュリー・ハイアットを出てから既に四十五分は経過している。
出る時に純恋子のスマートフォン経由で知った、新宿二丁目での大規模なサーヴァント同士の戦闘の影響であると見て、先ず間違いはなかった。
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
朝昼を塩水で凌ぎ、夕食を元の邸宅の主に仕えていた人物達が予め買い置きしていたであろう食糧の数々でやりくりして、遠坂凛は解った事がある。
カップヌードルは早く作れてしかも美味い、と言う事である。これがラインの上で大量生産され、日に数十万個と生み出され、世のスーパーに並ぶと言うのだから、
つくづく人類の進歩と言うのは驚くべき所がある。ここ百年近い歴史の中で、最も偉大な発明の一つと、これについて言及した人間がいたそうだが、
今ならそれも頷ける。これがなければ、遠坂凛は当の昔に、餓えて狂っていたかも知れないのだから。
ペリペリと、発泡スチロールの容器に成された蓋を剥がし、台所から借りて来た箸を右手に持ち構え、遠坂凛はそれを啜る。
遠坂家は冬木の御三家の中では、財政的に翳りを見せていた。それと言うのも、神学と魔術、武術の修行に明け暮れて財政学や会計学の初めの一文字すら知らない、
馬鹿な弟弟子にして現状における凛の後見人であるあの男のせいであった。尊敬する父が残した数々の利権を活かそうともしなかった結果が、あの冬木での生活だった。
往時のそれに比べれば冬木の遠坂の生活ぶりは、倹約に重きを置いたそれではあったが、それでも。此処の生活よりかは遥かにマシだった。
と言うよりも、廊下を出歩けば死体と遭遇する様な生活よりも酷い生活が、本当にあるのであれば今すぐにでも報告して欲しいものだと言うのが、今の遠坂凛の偽らざる本音である。
最悪のバーサーカー、黒贄礼太郎を呼び出してからの遠坂凛の生活は、頗ると言う言葉でもなお足りない、最悪の中の最悪であった。
朝昼夜のニュース番組で、自分達の事を報道していなかった事など一つとしてなく、胸中で私は無実だと何度主張したのか、最早解らない。
人を殺さずにはいられないあのバーサーカーについてのストレスもそうだが、何時聖杯戦争の参加者及び警察組織が此処にやってくるか解らない為に、
警戒と緊張の糸を極限まで張り詰めさせる事による心労も、彼女にとっては凄まじい負担となっていた。
ピークの時は空腹や尿意、睡眠と言った人間としての宿命である生理反応ですら忘れる程、心の重圧は強かったが、とうとう聖杯戦争の管理者から直々に、
討伐令を下された瞬間、ドッと疲れが舞い込んで来た。黒贄に屋敷の門番を――心底不安だが――頼んだ後、遠坂凛は、久方ぶりに泥のように眠った。
そうして現在に至って、彼女はカップヌードルを啜っていると言う訳だ。
これらの食糧は夜にしか食べないと心に決め、実際その通りの生活を送っていたのだが、事此処に来てそれまで抑えていた空腹感が一挙に襲い掛かって来て、
耐えられなくなったので、このように食事を摂っていると言う訳だ。
「……惨め」
本当に惨め過ぎて、泣けてくる。あのバーサーカーは恨んでも恨み切れない、最低かつ最悪のサーヴァントだった。
しかし現状、自分に対して有効的な人物は黒贄を除いて他にいないと言うのも、厳然たる事実だ。
今の凛の境遇を招いたのは、間違いなくバーサーカー・黒贄礼太郎である。しかしタチの悪い事に、黒贄はその事を欠片も悪いと思っていない。
あの男と凛とでは、世界観が全く違うのだ。あの男の生きた世界は、彼に聞くに、殺人と言う行為が全く咎められない場所であったと言う。
咎められないと言うよりは、黒贄と言う男を咎める手段がないの間違いなんじゃないかとも思ったが、兎に角、あの男は自分の行為を全く悪いと認識していない。
魚が水中を泳ぐ事を、悪い事だと言う人間はいない。鳥が空を飛ぶ事を、邪悪だと叫ぶ馬鹿はいない。あの男にとっては殺人と言う行為が、
魚が行う所の水の中を泳ぐ事、鳥が行う所の空をはばたく事と、殆ど同じなのである。だからこそ、最悪なのであるが。
あの時、宝石商が扱っていた契約者の鍵に触れていなければ、今頃は自分は、冬木の聖杯戦争に向けて様々な準備を行っていたのだろうと、夢想していた。
自分に相応しい最強のサーヴァントを呼び寄せて、志半ばで倒れた偉大なる父である、遠坂時臣の意思を継ぎ、聖杯を獲得する。
それこそが悲願であったと言うのに。現実に遠坂凛は異世界の新宿、いや、<新宿>に呼び寄せられ、考え得る限り最悪のバーサーカーと共に、
聖杯を目指さなくては行けなくなっている。これ以上の理不尽などあろうか。聖杯の獲得の為に、今まで一日たりともサボらず続けて来た聖杯戦争のシミュレート、
魔術回路を増やす修行、魔術に対する研鑽、万が一の時の為の八極拳。それらの努力が、神の気まぐれで一瞬で台無しになったような物である。
「あぁ、もう!!」
言って凛は、勢いよく麺を大量に啜り、一気にそれを咀嚼し、飲み下す。
乱暴な食べ方だと思うし、これではすぐにまた空腹が訪れる。脳が、食べたと言う気にならないだろう。
解っていても、やってしまった。この和室に焼酎の一升瓶でもあれば、直に其処に素っ飛んで行き、それをラッパ飲みしてしまいかねない程度には、
今の凛にはストレスが溜まりに溜まっていた。本当に、何で、自分だけ。
はぁ、と深い溜息を吐いて、凛は畳の上に仰向けに倒れ込んだ。
今凛の頭の中には、二人の遠坂凛がいる。ストレスに苦しみ続ける遠坂凛と、状況の割に冷静な遠坂凛の二人だ。
一つの頭に、二つの思考が並列して稼働しているのだ。その中の、冷静な方の遠坂凛が場違いに考えていた。
人の精神は擦り切れに擦り切れると、ある種諦観めいた悟りのようなものを啓くのだと。
――……もう、無理なのかな――
平時の遠坂凛からは、考えられない思考だった。
聖杯を獲得する、と言う、普通であれば誰もが一笑に付すような望みに向かって、全霊の努力を続けて来た女の心は、
今や赤子がおもちゃを押す程度の力で軽く圧し折れてしまいそうな程脆くなり切っていた。
自分の脇を固める狂人のバーサーカー、NPCからもルーラーからも指名手配されていると言う現実。
この現状で、かつ、慣れない『<新宿>』を舞台にした聖杯戦争を、勝ち抜ける訳がない。魔術に聡く、聖杯戦争の何たるかを知っている凛でも、これは無理だ。
……そもそも『何故<新宿>で聖杯戦争を行う必要性』があったのか?
ふと、そんな事を遠坂凛は考え始めた。情けない話だが、今の今まで彼女はこのような思案に行き着く余裕がなかった。
サーヴァントは周知の通り、現在進行形で災厄を振り撒く殺人鬼である事と、それが齎す緊張感と、他のサーヴァントが襲撃に来るのではと言う警戒から、
そう言った事を考えようにも考えられなかったのだ。あらゆるしがらみから一度離れ、諦めにも似た冷静さが頭を冷やしている今だからこそ、このような思考に至っている。
何を以ってして、聖杯戦争の参加者と言えるのか、と言えば、それは令呪である。
本来の聖杯戦争では、聖杯が見込んだ参加者に、予め令呪が与えられ、其処で初めて当該人物は、自身が聖杯戦争の参加者である事に気づくのだ。
通常その参加者と言うのは、聖杯が見込む程の腕の立つ魔術師であると相場が決まっているのだが、この聖杯の見立て言うのは実はかなりアバウトで、
魔力量や魔術の腕に乏しい三流魔術師、果ては魔術回路が死んでいるも同然の一般人にすら、令呪を与える事もあると言う。つまるところ、聖杯戦争参加者になるか否かは、聖杯の胸先三寸と言う事になる。
――だが、聖杯戦争を行う『場所』に関しては、そうは行かない。
聖杯戦争を行う土壌と言うものは、決して適当に選ばれている訳ではない。
この大掛かりな儀式を行うに相応しい土地と言うのは、極めて潤沢な霊地のみに限られると言っても良い。
霊地とは即ちマナの通り道である霊脈が大量に存在する場所とほぼニアリーイコールであり、冬木市などまさに典型的な霊地の一つだった。
何故か、と言えば、潤沢なマナを吸い上げられる土地でない限り、聖杯戦争を行う上で最も重要となる、大聖杯が起動出来ないからである。
冬木の聖杯戦争は、その土地の霊脈を殺さないよう、何十年と言う年月をかけてゆっくりとマナを溜め、ある程度溜まった所で、聖杯戦争を開催させるのである。
聖杯戦争を行う上で、その地が霊地であるか否かと言うのは重要な要素であり、仮に新しく聖杯戦争を他の土地で行おうと言うのならば、先ず吟味すべき最も重要なファクターである。
一般人はそれと言う認識は薄いかも知れないが、東京は実は、霊地として見た場合、それなりの格がある土地柄である。
彼の江戸幕府の祖である徳川家康に仕え、百歳以上も生きたとされる老怪僧・南功坊天海。
彼は家康の江戸幕府を盤石のものとするべく、彼の統治していた江戸を、魔力やマナの満ちる霊地に改造した。
当時から世に稀なる祟り神として恐れられていた平将門を明神として祀り、幕府に仇名す可能性のある霊的存在を慰撫し、鎮めた後で。
彼は風水に基づき、江戸城を中心に北東に寛永寺、南西に増上寺を建て、江戸の表鬼門と裏鬼門に守護寺を置き、国家の鎮守を果たそうとした。
無論天海は、江戸のレイラインを見抜き、其処に敢えて寺を置いたのは言うまでもない。これを以て江戸幕府は二百数十年以上も存続し、今でも、天海が確約した霊地としての東京は、生きているのである。
但し、霊脈として機能としているのは『東京全土』であり、間違っても『<新宿>一区』だけではないのだ。
其処が、おかしい。<新宿>は然程霊地としては優れておらず、聖杯戦争の舞台の候補からは真っ先に外されかねない場所であるのだ。
そんな所で、如何して、聖杯戦争を行おうとしたのであろうか。
目が、冴えて来た。頭の回転が速くなる。
上体を引き起こさせ、姿勢をよくさせた後で、凛は再び思考の海に沈む――その前に。
和室を歩き回り、紙とペンを探してから、再び和卓の前に座り込み、己の考えを纏めようとする。
<新宿>で聖杯戦争を行おうと、何故この世界の主催者は決めたのか。
世界中に点在する数多の霊地を蹴り、何故霊脈的にも優れないこの土地を、選んだのか?
――違う。紙に纏めた自分の考えを、ペンで乱暴に黒塗りにし、凛は思い直した。
そうだ、この世界の<新宿>は、凛が知る東京都二十三区の、副都心新宿区ではないのだ。『<魔震>』だ。
この街は、二十と余年以上前に、この区だけを襲った未曾有の大災害、<魔震>によって、他区を<亀裂>で隔絶された、本来の歴史とは違う道を歩まされた街なのだ。
となれば、彼女の知る新宿区の知識など、全く通用しない事になる。この街にはもしかしたら、自分の知らない、マナの溜まる場所が、何処かに在るのかも知れないのだから。
そもそも、だ。
前述の通り、聖杯戦争を開催するにあたり、霊地が優先的に選ばれる傾向にあると言うのは、大聖杯、或いは、それに類するシステムを稼働させる為に、
マナや魔力を霊脈から吸い上げる為であるからに他ならない。この言葉からも解る通り、聖杯戦争は霊地であると言う事も必須条件であるが、それだけでは駄目なのだ。
そもそも聖杯戦争自体が、一種の魔術的な儀式と言うべきものであり、儀式と言うものには何時だって、御膳立てと言うものが必要になる。
この儀式を行う上で、必要となる物こそがその大聖杯である。これがなければ、聖杯戦争の核とも言うべき、サーヴァントを呼び出す為に必要な、
英霊の座にアクセスすると言う行為がそもそも不可能になる。必然、此処<新宿>にも大聖杯、或いは、それに類似したシステムが、何処かにある筈なのだ。
それが、全く何なのかが見当もつかない。一歩も足を運んだことのない土地で行われる聖杯戦争であるが故に、それも仕方がない事ではあるが、
凛は<新宿>に来る前から聖杯戦争の関係者の一人だった。知らないで完結されるのは、どうにも悔しかった。
情報が、やはり足りない。
何を思い、この世界の主催者達は、聖杯戦争を開いたのだろうか。
そして、この<新宿>で聖杯戦争を運営出来る、基盤とは何か。それは、何処にあるのか?
謎は、尽きない。この際だが――この世界の聖杯戦争で、聖杯を勝ち取る事は最早捨てた方が良いかも知れない。
他の参加者とは違い、遠坂凛は、元の世界に戻っても聖杯戦争の機会が待っていると言う事が最大の相違点である。
此処で元の世界に戻っても、聖杯戦争が再び待っている。つまり彼女に限って言えば、『聖杯を手にするチャンスが二度用意されている』と言う事になる。
<新宿>で行われる聖杯戦争が聖杯戦争なら、凛の性質上何が何でも勝ちに行くのが通常であるが、今回ばかりは流石に状況が悪すぎる。
故にこれ以降は、聖杯を勝ち取る為、と言うよりは、<新宿>での聖杯戦争の謎を解き明し、元の世界に帰還出来る方法を模索した方が良いのかもしれない。
だがその為には、名実共にお尋ね者、賞金首となった身で、外を出歩かねばならないと言うリスクがつきまとう。
如何したものか、と悩み始めた、その時であった。背後に気配を感じたのは。
自分のサーヴァントであっても、いや、あのサーヴァントだからこそ、背後を取られたくなかった。
引き当てたサーヴァントに一番警戒している現状を馬鹿みたいに思いつつも、バッと振り返って――顔から血の気が失せて行き、青褪めた様な顔に凛は変わって行った。
「おっと見つけた賞金首」
そう口にするのは、如何にも可愛らしい桜色を基調とした服装を身に纏う、円形の虹環を背負う少女であった。
背負った虹の環を小さくしたようなリングが少女の頭上に浮いている。まるで天使の光輪(エンジェル・ハイロゥ)のようであった。
しかしその姿を見ても、凛は少女の事を天使だとは思わなかった。本やアニメによく出て来る、魔術の世界等欠片も知らない一般人が、
そのイメージだけで創造した様な、年端もいかない少女が変身する愛くるしい魔女――例えて言うなら、『魔法少女』、と言うイメージを、凛は抱いた。
そして目の前の魔法少女は、浚ったドブのような、腐敗した匂いがした。
「悪いけどさ、アンタ相当恨み買ってるっぽいし、このまま生きててもしょうがないみたいだから此処で死んでくれないかな」
同じ女性の、しかも自他共に高い評価を貰う程整った容姿を持つ遠坂凛から見ても、可憐で可愛らしいと言わざるを得ない、
虹の少女のその顔に、笑みが浮かんだ。ハイエナが嗤えばきっと、こんな顔になるのだろうかと言う程に、狡賢く悪辣な笑み。
彼女が魔法少女ではなく、サーヴァントであると言う事は、最早明白な事柄であった。
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夢もなければ希望もない、楽しい事だってありゃしない、自身に言わせればクソッタレな世界に生きて来たレイン・ポゥには解る。
能力にもよりけりだが、百数十名以上の人物を表の世界で殺すと言う事の意味を。
先ず、その表の世界の住民に事が露見する。現代の世界では至る所に公権力の仕掛けた隠しカメラが置いてある上に、その公権力の追跡力も凄まじい。
これだけで済むのであれば、魔法少女の力で逃げ果せる事が出来るのだが、今度は所謂魔法の国の追跡が待っている。これを振り切る事は不可能に近く、
それこそ裏仕事や汚れ仕事の腕利きが、地の果てまで追跡して来る事になる。こうなればもう殆ど詰みに近い。死を待つのみとなる。
百名を超す人物を殺すと言う事は、それはそれは大それた事であり、自身の破滅を早めるリスクが極めて高い行動なのだ。まるで、殺された人物の怨念や、殺してしまった因果応報が百人分、自身の運命にのしかかってくるようであった。
暗殺は確かに人を殺す事が任務であるが、殺すべきなのは言うまでもなく標的と、その標的の身辺を警護する存在。
そして、自身の魔法の正体を知った者にのみ限られると言っても良い。殺し過ぎて事が露見するのは下の下。
この辺りの調整能力が、レイン・ポゥのような嘗て魔法の国の暗部を跋扈していた魔法少女には求められた。
恐らく、あのバーサーカーにはそう言った調整能力や、物事に対する帰結を予測出来る力がなかったのだろうと、レイン・ポゥは解釈していた。
百歩譲って、バーサーカーが引き起こした大量殺人を、仕方がない、既に起きてしまった事だと割り切る事としよう。
――だからと言って、あれは信じられない。
――如何にも退屈そうな表情で、黒礼服のバーサーカー、黒贄礼太郎は、遠坂凛が拠点としているあの邸宅の周りをウロウロと、実体化した状態で巡回しているのだ。
「自分が百何十人も殺してるって自覚ゼロじゃん、アイツ……」
仮に数百人も殺し、事実ルーラーからも指名手配を受けている身ならば、水面下で活動し、その姿を隠し通すのが常である。
全く、その事について勘案していない。それどころか霊体化すらせずに、実体化して邸宅の周りを見回っている始末。
これはもう馬鹿を通り越して、気狂いの領域だった。常識で物を考える、と言う事が、サーヴァントの方もマスターの方も、出来ていないのだろうか。
「マスターの遠坂凛が、近辺を監視させているのではないのかしら?」
「それがまぁ一番あり得る線なんだろうけど、それにしたって、あのバーサーカーに頼むかぁ?」
「……確かにそうかも知れませんわね」
往来の真っただ中で、百人超の人間を殺すようなバーサーカーに、拠点の周りを警備させる。
常識的に考えればありえない話だが、遠坂凛の主従は実際そうでもしない限り危険な程追い詰められている。
放っておいても脱落するのは最早秒読み段階な事が、遠目から見ても理解出来る程だった。
英純恋子とレイン・ポゥは、あるマンションの屋上から、黒礼服のバーサーカー、黒贄礼太郎の事を監視していた。
エルセンの運転していたトヨタ・センチュリーは、遠坂凛が拠点としている邸宅から離れた所の駐車場に待機させ、
二名は非常階段経由で、見晴らしの良い屋上までのぼり、黒贄の動向を逐次監視していた。
五感や身体能力が通常人類の埒外の所にある魔法少女であるレイン・ポゥは、肉眼でもこの程度の距離からなら黒贄礼太郎の姿は勿論、
表情すらも視認出来るが、マスターの純恋子はそうは行かない。双眼鏡を利用し、彼女は黒贄の姿を監視していた。
エルセンが齎した調査資料を確認した所、遠坂凛の主従は『香砂会』と呼ばれる、日本でも有数規模の暴力団組織の邸宅を現在の本拠地にしていると言う。
この暴力団はかなり手荒な真似を平気で犯す事で、そのスジやカタギの人間からも有名で、調査部によると近年では、ロシア人のアフガン帰還兵で構成された、
ロシアン・マフィアとも繋がりを持とうとしていると言う噂もある。そう言った過激派の組の邸宅であるからだろう。
その邸宅の周りだけ、蚊帳でも下ろしたかのように人がいないのは。皆が仕事に行き、学校で勉強をしている真昼の時間と言う事を差っ引いても、いくらなんでも人気が少ない。
「で、よ。マスター」
「何でしょう」
「あのバーサーカーのステータス、如何?」
聞いておきたい事柄であった。一応直接戦闘も出来るとは言え、自身より優れた身体能力の魔法少女など掃いて捨てる程存在した。
況してや今は、音に聞こえた英霊や猛将の類が平然と召喚される事もある聖杯戦争である。自分より優れたステータスの持ち主など、当然いる物とみている。
暗殺をしくじった時の為の、純恋子からこの情報だけは聞いておきたい所だった。何せ、相手のサーヴァントのステータスをその目で確認出来るのは、――心底不服だが――マスターだけなのであるから。
「貴女なら勝てる強さですわ」
「具体的に言えや」
こめかみに健康的な血管を浮かべながら、ドスの効いた声でレイン・ポゥが返事をした。
如何してこのマスターは、やる事なす事がアバウトの極みなのだろうか。自分について全幅の信頼を抱いていると言うのであれば、それはそれで良いのだが、
流石にこれは抱き過ぎである。何せこの少女は本当に、三騎士やバーサーカーと真正面から戦っても、自分が勝つと思っているのだ。信頼と言うよりは、もう狂信の域に近かった。
「信頼していますのに……」、と言う小言の後に、純恋子は具体的な黒贄のステータスを口頭で告げた。
結論から言えば、真正面から戦う相手ではないと言う事だ。当たり前だ、近接戦闘で特にモノを言う三つのステータスが、レイン・ポゥが何人居ても叶わない位に高いのだ。
曲がり間違っても勝てる道理など何一つとしてない。やはり、此処は暗殺で決着をつけるのがベストだろう。
……だがそれにしても、耐久のEXが非常に気になる。想像を絶する程高いと言う事か、それとも、その耐久の高さにはカラクリがあると言う事か。
スキルは見えないのかと純恋子に打診した所、見えないと言う返事が寄越された。本当だろうなと脅した所、やはり返事は先程と同じ。
見えない、と言うのならば仕方がない。此処は先手必勝で、レイン・ポゥの有する最大かつ最強の勝ち筋を見舞ってやるしかない。
「マスター、一つ聞くよ」
「はい」
粛々とした表情と声音で、純恋子が言った。
「アンタの価値観から言ったら、あの主従は、自分が出張って戦う程でもないんでしょ?」
レイン・ポゥは、純恋子がハイアット・ホテルで口にしていた言葉をシッカリと記憶していた。
彼女は、自分に見合った誇り高い強者と戦う事を矜持にしており、無軌道で無思慮な、遠坂凛達の主従は歯牙にもかけない、と言う如何にも貴族的な性格だ。
だからこそ純恋子は当初、黒贄達と事を構える気概などなかったのだ。……実を言うと、レイン・ポゥが敢えて黒贄達を選んだ理由はこれもあり、
初めから興味の薄い主従であるのならば、百%レイン・ポゥと言うサーヴァントの計算に基づいて純恋子は行動させると、踏んでいたのだ。
「そうです」
「なら、戦い方についても、私の好きにやらせて貰っても構わないっしょ?」
「えぇ」
短く、純恋子は即答した。自分の目論見は、正しかった。
「じゃ御言葉に甘えて」
そうレイン・ポゥが告げたその瞬間。
何も無い虚空から偏平状の何かが現出、凄い速度で此方に背を向けた状態の黒贄目掛けて向かって行った。
その偏平状の長方形には、クッキリとした赤、橙、黄色、緑、水、青、紫色の七色が、筆でなぞった様に浮かび上がっていた。
聡い者がみれば、それが虹の七色である事に気づくだろう。これこそが、レイン・ポゥが有するただ一つの魔法にして、アサシンたる彼女の宝具。
実体を持った虹の橋を作る宝具だ。それは虹の橋(アーチ)と言うよりは道(ストリート)とも言うべき物で、見事なまでに一直線に、黒贄の下に向かって行き――
――――彼の心臓部を、抉るように貫いた。
それだけでは飽き足らず、二本目の虹が腹部を斬り裂き。
三本目の虹が、鳩尾の辺りを打ち抜いた。魔法少女の顔には、上手くいった、と言うような笑みが刻まれている。
「……何時みても、小狡い戦い方ですのね」
数秒程の時間をおいてから、純恋子は溜息交じりにそう言った。
「は? アンタが足手纏いにならないように配慮して戦っただけだよ。寧ろ光栄に思って欲しいね」
何処か軽口を叩く様に――しかし、マスターである英純恋子に対する嫌悪を匂わせて。
アサシン、レイン・ポゥはそう言った。これ以上の言い合いをするのは得策ではないと、純恋子も思ったのだろう。
かぶりを二度ほど振ってから、双眼鏡で、虹の道に貫かれた黒贄の方を確認する。見る事の邪魔になると思った虹の魔法少女は、自らが生み出した七色の凶器を消してやる。
よく黒贄の姿は見えた。うつ伏せに倒れながら、胸から流した血でアスファルトを染め上げていた。耐久EXなど、飾りも同然。ピクリとも動いていない。
ああ、とレイン・ポゥが思い出す。あの倒れ方、誰かに似ていると思ったら。魔王等と言う大層な名前を冠していながら、自分の正体にすら気付けなかった、あの愚かな女そっくりではないか。
「生きてるわけないよ」
レイン・ポゥが補足する。
「手ごたえあり過ぎてこえー位。もう即死だよ即死」
「の、ようですわね。ピクリとも動きませんわ」
「そ言う事。んじゃま相手のマスターの方に行きますか。サーヴァントの死体は時間を置いたら消滅するみたいだし?
ルーラーから令呪を貰えるっていうんなら、その遠坂凛って奴の首を刎ねてそいつの所に持って行けば、流石にルーラーの方も、『殺したって証拠がないから令呪はやれない』何てナメた事言えないでしょ」
令呪を貰うと言う事が一番ベストな結果であるが、手ぶらでルーラーの下に赴いても、シラを切られる可能性が高い。
だからこそ、殺したと言う証立てを用意する必要があった。中世の武人達が、斬り落とした首や耳をその証拠としたように。
レイン・ポゥ達は、遠坂凛の首をそのままルーラー達に見せる事で、一切の逃げ道を断とうとしていた。
「その辺りの手筈は、貴女に任せますわ、アサシン。早く、邸宅に向かいません事?」
「あいあいさー」
と言ってやる気のなさそうな声で、虹の魔法少女は霊体化を行い、純恋子は元来た道を戻り、遠坂凛がいるであろう邸宅の方に向かって行った。
虹の刃で切り裂かれた黒贄が、倒れる間際、「ありゃりゃ」、と口にしていた事など、二人は知る由もない。
【黒贄礼太郎@殺人鬼探偵 死亡】
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「ば、バーサーカーは!?」
声が裏返るのを抑えつつ、凛が叫んだ。
反射的に立ち上がる。カップヌードルの容器に入っていたスープの飲み残しが、踵が和卓の裏面に当たった衝撃で零れた。
「私の従者であるアサシンが葬り去りましたわ」
第三者の声が、アサシンの魔法少女、レイン・ポゥの背後の廊下から聞こえて来た。凛の視界には、その姿は見えない。
如何にも育ちが良く、並々ならぬ教育を受けて来た声であると、直感で凛は悟った。一応凛も、世間上はそう言った少女に分類され、自身もそんな自覚があるからだ。
やがて、魔法少女のサーヴァントのマスターと思しき女性が、姿を現した。亜麻色の髪の乙女、と言う言葉がこれ以上なく相応しい女性で、
流した後ろ髪の優美さと、顔立ちそのものの優艶さの、如何にもな女性らしさよ。通っている学校が学校ならば、マドンナや高嶺の花のような扱いで、
蝶よ花よと生徒や教師を問わず愛でられそうな事が容易に想像出来た。レイン・ポゥの前では兎も角、英純恋子と言う少女は、対外的には、
英コンツェルンの令嬢に相応しい教育と帝王学を叩き込まれて来た、一端の女王である事を再認させられる瞬間であった。
――バーサーカーが。黒贄礼太郎が、死んだ!!
一瞬ではあるが凛は、凄まじく喜んだ。あの最低最悪のバーサーカーが殺されたと言う事は、今自分を苛む要素の一つが消え失せた事を意味するのだから。
だがすぐ後で、全く喜べない事を理解する。黒贄が死んだと言う事は、もう誰もこの<新宿>に遠坂凛の味方がいないと言う事を意味するのだから。
あんな男でも、一応は自分をマスターだと認識していたのだ。たまに勢い余って自分を殺そうとする事もあるが、それでも、味方なのだ。
「呆気のない物でした。そして同時に、貴女を哀れにも思いましたわ、遠坂凛さん。不意を打たれて殺されるようなサーヴァントを引き当てた程度で、
舞い上がり、白昼の往来の只中で大量の人間を殺してしまうなんて」
「舞い上がってんのはお前の方だろ」と突っ込みたいレイン・ポゥであったが、此処は黙っておいた。
だが、そもそもお前は前線に出てくんなオーラを放出する事は、やめない。凛の方はと言うと、純恋子のこの言葉を受けて、激昂した。
「私は、誰も殺してもないし、舞い上がってもない!!」
誰もが抱く誤解を真正面からきっぱりと言い放たれて、遠坂凛は久方ぶりに、自身のサーヴァントである黒贄以外に激昂の言葉をぶつけた。
冬木における聖杯戦争の参加者として遠坂凛は、魔術師としての非情さを時と次第によっては発揮するつもりであった。
敵は状況次第では殺すし、見られては行けないものを見られたら、サーヴァントを駆使して口封じだって行うつもりでもあった。
白昼の往来で、人目に付く程の大虐殺など、遠坂凛の望む所では断じてあり得なかった。神秘の秘匿を至上とする魔術師だから、と言うのも確かにある。
しかし実際には、遠坂凛と言う少女の本質は何処にでもいる少女のそれであり、感性自体は一般人のそれと大差がないと言う所に起因すると言っても良い。
殺したく何て、なかった。間が、悪すぎたのだ。狂った歯車のせいで、運行がおかしくなったのだ。全てはあの時、鍵に触れた瞬間から。
バーサーカー、黒贄礼太郎が彼女の元に導かれたその瞬間から。
「アンタがどんなに弁解した所でさ、恨みを買われてるし、首に掛けられた賞金首の札付きも消えないんだわ。此処で死んだ方が楽になると思うけど?」
と言うのはレイン・ポゥだ。これ以上の会話は、もうする気はない。
虹の刃で相手の首を断ち斬り、そのままこんな状況を終わらせよう。彼女は確かに、そう思っていた。
英純恋子のみならず。
魔法少女達が跋扈する世界で生きて来たレイン・ポゥですら、予測出来なかった事が、一つある。
いや恐らくは、彼女らだけでなく。他の聖杯戦争の参加者ですら、こんな事は予測は不可能であろうか。
遠坂凛を、バーサーカーの制御に失敗した一般人だと、恐らく多くの者は思っているに相違ない。しかし、その思い込みは半分しか合っていない。
遠坂凛は、確かにバーサーカーの制御には失敗した。しかし――
「――!?」
慌ててレイン・ポゥが、純恋子の真正面の辺りに虹を伸ばし、七色のバリケードを作り上げる。
其処に、赤黒い色をした弾丸めいた物が幾つもぶつかり、水あめで塗り固めた砂糖菓子の様に脆く砕け散った。
この間、ゼロカンマ五秒。純恋子は、この間に如何なる攻防が行われていたのか、全く認識出来なかった。
レイン・ポゥはプロである。ヤクザの邸宅を拠点に設定した以上、マスターである遠坂凛は、其処の構成員が所持していた匕首や、
縦しんば拳銃の類を護身用に用意している。純恋子は到底解らなかったであろうが、このアサシンはそう予測して行動をしていたのだ。
そして実際、弾丸は放たれた。――腕利きのアサシンのレイン・ポゥですら、予測が出来なかった事。それは、遠坂凛の放った弾丸が、『魔術に由来するもの』であった事だろう。
遠坂凛は、バーサーカーの制御には失敗した。
しかし、彼女は一般人では断じてないのだ。そう、彼女は魔術師。将来の訪れが恐ろしくもある一方で、楽しみとすら人に思わせる程の、
天才的な才覚を持つ魔術師。それこそが、遠坂凛が有する本当の顔。一般人としてのペルソナで覆い隠した、真実の側面。
マスターに向けて撃ち放ったガンドが防御されたと認識した瞬間、凛は和室の体裁を成させた居間から、脱兎の如く逃走。
レイン・ポゥ達が陣取る側の廊下方面とは別方向にかけだし、閉じられた襖を蹴破り、其処から逃げ果せる。
敵に背を向け、何とも情けない姿ではあるが、サーヴァントを相手に戦うと言う愚を犯すよりは遥かにマシ、と言うものだった。
「チッ、ミスった!! アイツ一般人じゃなくて魔法使えるのかよ!! 」
盛大に舌打ちを響かせてレイン・ポゥが言った。
まさかこれまで無力な一般人だと思っていたマスターが、その実、魔術師だったなど、誰も予想出来る筈がない。
魔法少女である自分とは比べるべくもないが、人間が努力して得られる実力と言う範疇で見れば、あの魔術師はしかも相当な腕利き。
不意打ちのガンドを防げたのは、半ば運の要素もある。魔法少女としての優れた反射神経、そしてレイン・ポゥと言う個体が培ってきた経験がなければ、
間違いなく純恋子は凛の放った赤黒の弾丸に貫かれ即死していただろう。
今までの余裕ぶった言葉は、相手が一般人だと言うバイアスから出て来た言葉だった。相手がそっちの側の人物と解った以上、最早容赦はしない。
早急に、遠坂凛は殺されねばならなかった。と、認識した瞬間だった。魔法少女の感覚が告げる。壁を数枚程隔てた数m先で、魔力が収束して行くのを。
幅四十cm程の虹を横向きに幾つも展開させ、自分と純恋子を覆うバリケードを生み出す。
遠坂凛が放ったガンドが壁を打ち抜き、百を超えると言う圧倒的な物量でレイン・ポゥ達に殺到する。
狙いは完璧に適当で、やたらめったら撃ちまくっているらしく、見当違いの方向に向かうガンドが幾つも存在した。完璧に、当たれば良いの精神だが、今その判断は正解だ。
チィンッ、と言う音と同時に、ガンドが虹の障壁に衝突し、砕け散った。ガンドは人体に当たれば致命傷であろうが、
生憎、レイン・ポゥが生み出した虹を突き破るには威力が絶対的に足りない。こうなれば、虹を展開させていない背後でも取られない限り、凛のガンドがマスターを害する事はない。
「完璧に目測を誤ったようですわね」
事此処に至って、純恋子は冷静だった。
買い物をして、牛肉と間違えて豚肉を買ってしまった、とでも言うような口調であった。声音からは緊張感が感じられない。
「全くだよ、情けないったらありゃしない!!」
「不測の事態が起きたのならば、如何するべきだと思います?」
「あん?」
怪訝そうな光を宿した瞳で、純恋子の方をレイン・ポゥは見た。
「堂々と構えて、この程度の事態なんて何の支障もない、と言う顔でいるのですよ。混乱をしていては、相手の思う壺。ピンチの時ほどふてぶてしい笑みを浮かべるのは、帝王学の基本ですわ」
一瞬ではあるが、レイン・ポゥは、純恋子のこの堂々とした威風に呑まれそうになった。
帝王学何て欠片も学んだ事がない所か、寧ろ生涯を掛けて学んで来た事柄は、それとは正反対の、小狡く生きる方法であったレイン・ポゥには、
生涯をかけても、純恋子のような威風堂々とした空気など醸し出す事は出来まい。考えてみれば、彼女は大物だった。
今の発言もそうであるが、気が滅入るどころか、常人ならば内臓ごと吐き出しかねない程グロテスクな死体がそこかしこに散らばる、香砂会の邸宅の内部に入っても、
純恋子はその態度を崩してすらいなかった。この程度で臆するようでは、女王は務まらない。念話で彼女はそう伝えていた。
ひょっとしたら、彼女は想定を超える程の大物であり、場合によりては、自分のかけている部分を満たす、正真正銘のパートナーに成り得るかも――其処まで思った、その時だった。純恋子が口を開いたのは。
「そして――」
言った。
「『従者のミスを、嫌な顔一つせずに修正してやるのも、女王の務め。貴女の失策の帳尻を、私が直々に直してさしあげましょう』」
レイン・ポゥが「は?」と言うよりも速く、純恋子は、凄まじい速度で畳を蹴り、走り出す。
凄まじい加速度を得た純恋子が、見事な白色をした和室の塗り壁を右拳で殴打し、粉砕。人一人は余裕で通れる程の大穴を作った後、そこを通って別所に移動する。
虹の魔法少女が、全てを理解したのは、自身のマスターがその穴を通って遠坂凛を追跡に掛かったのだと言う考えに至ったその時だった。
石鹸の様に白くてすべすべとした彼女の顔が、全身の血液が昇って来たのではないかと余人に知らせしめる程に赤くなっていったのも、殆ど同時だった。
「あんの馬鹿女ァ!!」
生前の時代でも叫んだ事のないようなドスの効いた叫びをレイン・ポゥが上げる。
描いていた遠坂凛を殺す計画が、パーになった。弾丸を放った位置から、壁を貫いて相手を切り裂く虹の刃で相手を殺そうと言う計画が、おじゃんになってしまった。
純恋子がいては、彼女も巻き込む可能性が強かったからだ。苛々を募らせながら、レイン・ポゥも畳を蹴って移動する。
蹴られた畳が真っ二つに圧し折れたのは、彼女の怒りを如実に示すいい証拠であった。
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さしあたっての急務は、この邸宅から逃げ果せる事だった。
逃げ果せる、つまりは、指名手配犯に等しい身分で日の当たる所に逃げると言う事であるのだが、これは凄まじいリスクを伴った行動と言える。
しかし、この屋敷にいては先ず間違いなく、遠坂凛は殺される。座して死を待つくらいならば、一波乱の中を泳いだ方が余程マシだった。
こう言った時、一秒と言う判断ミスが死に直結する。熟考する天才より、このような状況では行動する馬鹿の方が、存外生き残れるのだ。
己の才能と行動力、そして、自分の残ったなけなしの運を全て信じ、遠坂凛は香砂会邸宅から逃げようとしていた。
――そうはさせじと、凛の真正面数m先の、左脇の木製の壁が、凄まじい音響を立てて砕かれた。
唐突に起こった現象に、凛は急ブレーキをかけ、停止。空いた穴から、先程虹の魔法少女のマスターと思しき、亜麻色の髪の女性がその姿を現した。
如何なる力を用いてか、彼女は壁を破壊し、此処まで追跡して来たらしい。腕の立つ魔術師である、と言う可能性を先ず視野に入れ、凛は構えた。
「ごきげんよう、遠坂凛さん」
ある晴れた昼下がりに、よく歩く散歩道で知り合いと偶然出会ったかのような口ぶりの、純恋子だった。
だがそれがなまじ、恐怖と不安をかきたてる。正真正銘の殺し合いの場において、純恋子の口ぶりは、場違いを極るそれであった。
「私のみならず、私の従者の裏をかくとは、成程、ただの少女、ではなかったようですね」
その言葉の意味を凛はよく理解していなかった。
そもそも凛にとって聖杯戦争とは、『魔術師が参戦するもの』であり、魔力回路がそもそも存在しない一般人など、参加出来る可能性はゼロに近いと言う認識なのだ。
まさか、純恋子の言っている裏と言うのが、自身が魔術師であると言う事を指している事など、凛は夢にも思わない。
此処に認識の齟齬が生じていた。凛は聖杯戦争に魔術師が参戦するのは当たり前の事柄だと思っているが、純恋子はそうだと思っていない。
そして純恋子は――遠坂凛は、あのバーサーカーに大量殺人を命令したのは間違いなく彼女自身であり、『バーサーカーの制御に失敗した一般人と見せかけて、襲撃に来た人物を叩く抜け目のない女性』と、認識していたのだ。
「前言を撤回いたします。貴女は中々に強かな女性のようです。そして――女王の座を賭けて戦うに相応しい人物でも、あるようです」
「じょ、え、なに?」
全く相槌を入れずとも、女王の勝手な思い込みによる会話は進んでいく。
「ならば、私の真の力を――」
よく見たら隙だらけだったので、凛は人差し指からガンドを放った。
目を見開かせる事以外の一切の反応を許させず、赤黒いガンドは純恋子の右腕を肩の付け根付近から貫き、遥か向かいの壁に建て付けられたガラスを砕いて、
彼方に消えて行った。心臓や頭を狙えなかったのは、凛の本質が人間的にお人よしな所がある、と言うのも確かにある。
それ以上に、自分のサーヴァントが原因だった。自分は何があっても、あの男のような無軌道に人を殺す外道になりたくない。そんな思いが、心の中にあったのだ。
あったから、殺せなかった。令呪が刻まれているであろう位置を特定し、それを奪い去り無力化させようと言う、甘い以外の何物でもない判断。
――そしてそれが、本当に甘かったと知ったのは、口の端を吊り上げた、実に好戦的で血色が香る笑みを純恋子が浮かべたのを見た時であった。
痛がっていない!! いやそれ以上に、腕から血が流れていない!! 代わりに弾痕から走っているのは、血色の花ではない。白と青、橙色が織りなす、電気の花、スパークなのだ!!
「貴女の判断は間違っていないですわ、遠坂さん。ですが、半分は間違い。私を殺すつもりならば、頭か、心臓を狙わなければ!!」
言って純恋子は地面を蹴り、凛と彼女の彼我の距離数mを、格闘技の達人めいた速度で一瞬でゼロにする。
左腕で、前動作も何もない見事なフックを、凛の顎目掛けて放つ。普通であれば純恋子の拳が顎を捕らえ、脳震盪を起こすどころか、顎そのものを砕いていたであろう。
あの弟弟子から八極拳を学んでいて、今日程救われた日はないだろう。ボクシングにおけるダッキングの要領でこれを回避。けんけんの要領で、軽く後ろに跳躍。
純恋子の放った一撃から、彼女が格闘技の心得を習得している事を理解した凛は、迅速に行動を始めた。
距離調整で離した彼我の距離から、凛は思い切り踏込み、純恋子の胸部を右拳で撃ち抜いた。グッ、と言う苦悶が純恋子の口から漏れるが、お構いなしだ。
空いた左手で凛は彼女の左手首を掴み思いっきり引く。体勢の崩れた純恋子の、やはりまた胸部に、肘鉄を放つ。
身体を魔力で強化した一撃は、純恋子の身体を二m程も吹っ飛ばすが、どうにも、手ごたえが妙だ。
『重い』のだ。筋肉量と体格から想定される、英純恋子の全体重。それが、凛の想定よりも重い。まるで、身体の何処かに金属を仕込んでいるような――。
其処まで考えて気付いた。今も純恋子の右腕から走る火花。
もしや彼女は身体の幾つかを機械に――
「良い腕ですわ、実に暗殺者らしい!!」
痛みなど感じないのかと言わんばかりに、即座に床を蹴って純恋子が凛の下に駆け寄って行く。
左腕を思いっきり引き、凛の顔面にストレートを放とうとするが、余りにも動作が大振りなので、カウンター気味の一撃を放とうと待機する、が。
拳を突きだしたその途中で、純恋子の左腕の一撃が停止。フェイント、と気付いた時にはもう遅い。鋭い膝蹴りが、凛の下腹部に突き刺さり、十m程も吹っ飛んで行く。
吹っ飛んだ先の廊下の壁をクッションに、思いっきり背後から激突した凛は、肺の中に溜められていた酸素の全てを一瞬で吐き出して軽い酸欠状態になり、
余りにも鋭い衝撃と痛みで、視界が混濁とし始めた。
凛の予想通り、英純恋子はその四肢を機械の物に挿げ替えさせた、ある種のサイボーグとも言っても良い人間で、生身の部分は胴体にしかないと言っても良い。
頭か心臓を狙わなければ殺せないと純恋子が言ったのは此処に起因するのだが、果たして其処をガンドで撃ち抜いたとて、純恋子が死ぬかどうか。
九十九階建ての建物から落下して、生存し、女王への執念を未だ捨て切れていないし諦めてもいない女性こそが、英純恋子だと、誰が認識出来ると言うのか。
雄叫びを上げて、凛がガンドを純恋子の方へと殺到させる。
しかしその本質が、殆ど直線的な移動でしかない赤黒の弾丸は、スピードこそ速いが見切るのは容易い。今の様に、フェイントを交えていないのならば猶更。
純恋子は勢いよく左脇の壁に肩から体当たりをし、破壊。別の部屋への道を無理やり通じさせ、其処に移動する事でガンドをやり過ごす。
痛みに苦しむ身体に喝を入れ、無理やり立ち上がった凛は、玄関口の方へと走って移動する。其処までの距離はもう、十m程だ。
逃げながら、純恋子が移動したその部屋目掛けて、機関銃の如き威力のガンドを掃射させた、刹那。
ガンドの軌道上に七色のバリケードが何枚も張られ、それにぶち当たった、殺意と言う名前の加速度を十分に得切ったガンドが粉々に霧散して行く。
虹の障壁が消え失せたその先に、あの、虹の環を背負ったあの魔法少女がいた。顔面の全ての組織が凍結したような無表情で、凛を見据えた後に、彼女は口を開いた。
「ゲームオーバー」
情け容赦なく、無色の殺意を内包した虹を伸ばそうとした、その時だった。
凄まじい勢いを立てて、玄関のガラス戸のガラス部が砕け散り、ガラス内部の基礎枠が全体的にその形を保ったまま、高速で天井に突き刺さった。
嗚呼、来てしまった。
実を言うと凛は、本当は死んでいないのではないかと思っていた。それを百%信じ切れていなかったのはひとえに、ある筈がないと思っていたからだ。
本当の不死など、再現される筈もないし、英霊の身で到達出来る境地にないと、頭から決め込んでいたのだ。
自分のサーヴァントが傷らしい傷を負った局面など見た事がなかったから、凛は俄かには信じられずにいた。不死など、ある筈がないと。
ゆっくりと、己が引き当てた、最低最悪、しかし、確かに最強のバーサーカーの方を見て、疑いが確証に変わった。
「いやぁ、珍しい凶器を使われるのですねぇ」
胴体から大量の血を流し、空いた黒礼服の隙間から、ぞろりと大腸を暖簾のように下げながら。
破壊された玄関のその先で、黒贄礼太郎はいつものように、何がおかしいのか解らないような薄い微笑みを浮かべていた。
【黒贄礼太郎@殺人鬼探偵 復活】
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前半の投下を終了いたします
投下乙です
おかしいな…聖杯戦争ってどれだけ早く自分の相方を落とせるかを競う戦いだったっけ…
どっちも連携がちぐはぐすぎて笑うしかない
でもレイン・ポゥが純恋子の器に一目置いたり凛が己のサーヴァントの最強を確信したりどっちもコンビとしての伸びしろがあるな
後編も期待
後今更の指摘で申し訳ないですが、
死なず学ばず〜で「一般的な魔法少女の多くは、ギャラの為に仕事を遂行する。とありますが
ギャラ貰ってる魔法少女は全体の中で一部です(ファンブックより)
とりあえず投下乙です
純愛子の覇王気質は清々しいぐらいだ
そんな覇王様に振り回されるレイン・ポウには同情しかない
そして暗殺者なのに、バーサーカーと対面してしまった二人の運命はいかに?
指摘の方、ありがとうございます。Wikiに拙作を掲載し次第、修正に参りたいと思います
感想の方が溜まっておりますがそれは次の予約の時に必ず……
投下します
いきなり剣を身体に突き立てられたような驚きが、レイン・ポゥを襲っていた。
生前、自らが生み出した虹色の凶器で、何人もの魔法少女を葬って来た。だから、解るのだ。
クリティカルヒットの手ごたえと言う物を、である。よもや間違えようもない。あの時彼女が放った虹は、寸分の狂いなく黒贄の心臓を断ち、
内臓器官をズタズタにした。如何に頑強な魔法少女と言えど、内臓を破壊されれば即死する。此処で初めて、純恋子が告げた、
黒贄のステータスの不透明な部分を認識した。『耐久値EX』、もしや、これが関係しているのか? と、レイン・ポゥは睨んだ。
「おや凛さん、何とか生きておりましたか」
久方ぶりに出会った旧友の調子でも尋ねるような呑気な口調で黒贄が言った。
薄い笑みは崩れない。能天気を通り越して、最早気狂いの域にある現状の認識能力のなさであった。
そんな彼でも、今はいた方がマシの人物だった。慌てて彼の下へと近付いて行く、と言うよりは、彼の右斜め後に隠れた。
黒贄の真正面に立って居たら、自分も殺される可能性が高いからである。
「ば、バーサーカー……、そ、その傷、大丈夫なの?」
黒贄のせいで、死体は既に見慣れている。純恋子やレイン・ポゥから逃げる間に、何人も見てきた。
しかし、自分が引き当てたサーヴァントがこうなっているとなると、流石の凛も動揺を隠せない。
「あぁ」、と気付いた様に黒贄が言った。
「ご心配なく。場面転換してたら治る傷ですから、と言っても、如何もここではそうも行かないようですが。それと、私の名はバーサーカーではなく黒贄です。お間違えようのなく」
「(場面転換……?)」
黒贄の言っている事の意味は理解出来なかったが、さしあたって無事である、と言う事だけは凛は認識出来た。
ちなみに、黒贄が己の真名を敵のサーヴァントの前で口にしている事は、普通に無視している。指摘した所で黒贄が凛の言う事を聞くとは、思わなかったからだ。
真名を、公共機関に自分の名前を告げるような感覚で言い放った黒贄に、敵であるレイン・ポゥは驚きを隠せていないようであったが。
「さて、そちらの方は、どなたでしょう?」
と言って黒贄は、レイン・ポゥの方に目線を送った。
暗殺者の魔法少女、レイン・ポゥが、液体窒素を浴びせ掛けられたような、冷たすぎる悪寒を感じる程の瞳だった。
川底の淀んだ泥のような瞳をした魔法少女を見た事もあるし、ドブ川のような臭いと性格の魔法少女を見た事もある。
この男は、別格だった。瞳は淀んでいない、寧ろ冷たく澄んでいる位だ。腐ったドブのような臭いだって、欠片も感じ取れない。
――『死』だ。純度の高い、『死』の香りが、黒贄からは漂っていた。この男は、善だの悪だのと言う、二元論的な概念を超越している。
あの大量虐殺は、この男にとっては善も悪もなかったのだ。ただ、自身がそうしたいと思ったから。楽しいと思ったから。
そうしただけなのだ。ただ無邪気に、自分がしたかったから人を殺しただけ。この男は悪でもないし、況してや善ですらない。
――『災厄』。そう、この男を言い表すならば、この二文字が、何よりも相応しいと、レイン・ポゥは即座に理解してしまった。
黒贄は、人の意思を持った大地震だった。黒贄は、恣意的な感情で動き回るタイフーンだった。
「敵よ、敵!! 討伐令の報告を見て、私達を殺しに来た!!」
現状を理解していない黒贄に焦りを覚えた凛は、慌ててレイン・ポゥ達の素性を説明する。
「ははぁ」、と、やはりこの黒礼服のバーサーカーは呑気だった。
「護衛の任務を果たす時、と言う奴ですな」
「そうよ、今こそ――」
「安心して下さい凛さん。この方は――『そそられます』」
――そそられる。
その言葉の意味を、殆ど同時と言うタイミングで、人の身である遠坂凛と、暗殺を重ねて来た魔法少女であるレイン・ポゥは理解してしまった。
つまり、レイン・ポゥは、黒贄礼太郎と言う、希代の殺人狂の眼鏡に、適ってしまったのである。
「えーっと、初めまして。私の名前は黒贄礼太郎、くらちゃんで結構ですよ。あ、バーサーカーで呼ばれてます」
真名を語るにしても、クラス名と逆に言うべきだろうと、この場の誰もが思わない。
完全に、黒贄礼太郎と言うバーサーカーの度を過ぎたマイペースさに呑まれているだけであった。
「そちらは?」、と、黒贄は自己紹介を促すが、やがて、正気、もとい、レイン・ポゥもいつもの調子を取り戻したらしく、ハッ、と黒贄の言葉を鼻で笑った。
「馬鹿じゃないのアンタ? 言う訳ないっしょ」
「成程、馬鹿じゃないのアンタ? 言う訳ないっしょさんと言うのですね。よくその名前を市役所は受理したものですなぁ」
本人はいたって大真面目に言っているのだが、真っ当な精神の持ち主からしたら、人をおちょくっているとしか思えない。
それに、今の黒贄の姿は、余りにも隙だらけだった。だからレイン・ポゥは、次に何かアレが言葉を口にしたら、虹の刃で切り裂こうとすら思っていた。
「ところで――」
其処まで言った瞬間だった、レイン・ポゥの身の回りの虚空から現出した偏平状の虹が、時速数百㎞と言う殺人的な速度で伸びて行ったのは。
肉を切り、骨を断つ音が、再び黒贄の胸部から響いて来た。彼女は今度は、虹の向きを横ではなく、『縦』にして伸ばして見たのだ。
胸から血が噴き出、紅色の霧霞が黒贄の周りに舞い散った。手ごたえだけはある。あるのに……死んだ、と言う一番欲しい時間が、如何にも希薄で曖昧だ。
「黒贄!!」と言う凛の悲痛な叫び声が聞こえて来たが――
「凛さん、くじを引いて貰いたいのですが」
何事もなかったかのように、いつもの薄笑いを浮かべながら、黒贄は言葉を発していた。
明らかに虹の幅的に、肺を切り潰しているにも拘らず、何故この男は、平時と変わらない声量で喋れているのか。
「くじ、くじ!?」
と、凛は、黒贄の胸部に突き刺さった虹の凶器に驚くのと、黒贄が言い出した突拍子もない事に対する呆れとが入り混じった声で叫ぶ。
この期に及んで黒贄は、宝具である凶器くじを凛に引かせようと言うらしい。そんな事をしている時間は、ないに決まっているだろう。
だが実際には――その時間は存在した。レイン・ポゥが、完全に黒贄の異常性に動揺していたからだ。
どんなナイフよりも、どんな銃よりも信頼している、自らの虹で、急所を切り裂いた筈なのに、何故、このバーサーカーは生きている。
耐久EX。これが、何に起因する高さなのか、全く分からない。宝具か、それとも、スキルか。そんな事を考えているレイン・ポゥを、凛は見た。
その一瞬を、彼女は見逃さなかった。念話で【出して!!】と急いで告げるや、黒贄はどこからか、立方体のくじ箱を取り出した。
箱の上面に、人が腕を余裕で入れられる穴の空いたそれは、くじ箱だ。正確には、黒贄礼太郎が用いる、凶器を呼び出す狂気の箱。
通称を、『凶器くじ』。凛は急いで其処の中に右手を入れ、真っ先に手に触れた紙を摘まみ、取り出した。
「77!!」
凛が叫ぶ。そして、何時までも、黒贄の不死性について思案し続けるレイン・ポゥではない。
レイン・ポゥは、黒贄がダメなら、マスターである凛の方へと、虹の刃を向かわせた。マスターが死ねば、マスターの魔力で現界しているサーヴァントは、
滅びを待つだけだからだ。「あ」、と言う一言を口にするしか、彼女には出来ない。自らの主目掛けて、虹の刃が音も立てず、熱も生じさせず、殺意をも伴わせず。
ただ、対象に到達する、と言う意思だけを以て向かって行く。主が真っ直ぐに迎えと念じれば、その念のみに従い真っ直ぐ向かって行く、この世の誰よりも愚直な、七色の従者。
その軌道上に、黒贄が立った。
腰の部分に、虹の刃が食い込む。血飛沫が舞い、骨盤が破壊される音が響いた。
ほんの少しであるが、生身のサーヴァントに直撃してしまうと、虹は本来の進行速度から減速してしまう。況してや相手が、頑強なサーヴァントともなると猶更だ。
その一瞬の減速に、凛は救われた。急いで横っ飛びに飛び退き、迫りくる七色の殺意を回避する。
「く、黒贄……」
一瞬だが、自分を守ってくれたのか、と凛は思った。
自分がいなければ殺人を行うと言う欲求を満たせないからだ、と解っていても、殊勝な心掛けだとは思うが――それですら、なかった。
黒贄は、今まで突っ立っていた玄関の靴置場に置いてあった、ゴム製の長靴を屈んで拾い取り、その一部分を指の力で破り取った後で、
長靴めい一杯広げ、それを被った。指で破り取った所が丁度、黒贄の目の位置に来ており、まるで長靴の被り物を被っているかのようだった。
舐めるな、と思いながら、虹の刃を、今度は首目掛けて射出させるが、黒贄は横に移動し、自らの身体を突き刺す虹の刃から身体を引きあがす。
無理に身体を虹から離れさせたせいで、骨盤は最早元の形を留めない位に砕かれ、虹が突き刺さった足と腰の境目付近は、九割程も切り裂かれてしまっていた。
ほんの少しの衝撃を加えるだけで、足と胴体を繋いでいる肉の繋ぎ目から千切れ落ち、上半身が地面に落ちてしまいそうであった。
そう言えば、以前、黒贄の口から語られた事があった。
殺人鬼には幾つかの美学がなければならず――理解が出来ない――、彼は特に、『仮面』と『奇声』に拘ると言う。
ではあの長靴は、仮面なのか? 仮に仮面だとしたら次に行う事は――。
「長靴を被っていますからね、今日は『な』で行きますか」
レイン・ポゥは、待たない。黒贄の頭蓋目掛けて虹を放つ。
額の真ん中の辺りに虹の縁が直撃し、頭の皿の部分が頭上に空中に素っ飛んで行く。
自身の呼び寄せたサーヴァントの、余りに凄絶な状態に、凛は堪らない嘔吐感を覚えるが、気合で、それらを抑え込んだ。
「ナャルテュー、ナミムメー、ナミミミム、ナノモヤエ、ナナコプフー……よし、これに致しましょう」
そう黒贄が告げた、その瞬間だった。
「ナナコプフー」
.
驚く程気の抜ける声だった。身体の裡で気張らせた感情が一つ残らず殺されるような。
腹の中に隠し持っていた刀が一瞬で錆びて使い物にならなくなるような。この世の全てが、全て無意味であると説かれてしまうような。
だが――あの目は何だ。レイン・ポゥだけが、長靴の仮面から覗く黒贄の瞳を見ている。
この世の全ての命の意味を否定する瞳をしていた。万物の存在する意味とは何か、と問いかける瞳をしていた。
蒼い空と言うヴェールを剥ぎ取り、宇宙の暗黒を剥き出しにした様な、絶対零度の冷たさを宿した瞳で。黒贄は、レイン・ポゥ――獲物――を見ていた。
「ナナコプフー」
気の抜ける奇声を上げながら、黒贄が走った。
初速の時点で時速百kmを超える、凄まじい速度の移動速。レイン・ポゥの下に近付くまでに、彼は何時の間にか、凛が引いた凶器くじに対応する武器を握っていた。
黒贄が今手にしているのは、境界標だった。材質はコンクリートらしく、長さは一m程。家屋や建物との土地境界を確約させる重要なものであるが、
実物は長い。普段は土に埋まっているからこそ、実感が湧かないのである。そして、重い。二十〜三十kg、場合によってはそれ以上の重さは下るまい。
それを黒贄は、子供が小枝を無邪気に振り回すような感覚でレイン・ポゥの脳天目掛けて振り落とした。
焦らずに彼女は、境界標の振り落とされる軌道を読み、其処に虹を生み出す。形容の出来ない程の大音を立てさせて、コンクリートの殺意と七色の殺意が激突する。
埒外の筋力の衝突を喰らう虹であるが、それはビクともしなかった。レイン・ポゥは、自らの生み出す虹の強度に全幅の信頼を置いている。
物理的な攻撃であれば、砲弾やミサイルによる一撃ですら、防いで見せる程の防御力を虹は有していた。
「ナナコプフー」
達人めいた速度で黒贄は腕を引き、横薙ぎに境界標を振った。風のような速度だった。
これだけの重さの物を全力で振り落とせば、腕に衝撃が走り、痺れて動けなくなるのが当然の運びになるのだが、この男にはそれがなかった。
いや、既に感覚と言うものを、感じないのかもしれない。
レイン・ポゥは黒贄のこの一撃を、やはり、信頼する虹のバリケードを展開させて防ぎながら、後ろの方にバックステップをし、距離を取る。
虹の刃が殺人的な加速度を伴って黒贄の首目掛けて放たれる。――殺人鬼は、避けなかった。いや、厳密に言えば、少しだけ上体を横にずらした。
レイン・ポゥが本来意図した直撃の仕方をすれば、黒贄の首が刎ね飛んだのだが、黒贄は、そうならないように上半身を少々右に傾ける事で、この事態を防いだ。
しかし、虹の縁は確かに首に直撃。全体の七割が、剃刀の万倍の鋭さを誇る虹の縁に斬り裂かれる。常人であれば首を刎ねられなくとも、死んでいる程の致命傷。
この状態で黒贄は、変わらぬ笑顔を浮かべてレイン・ポゥの方へ猛進して来た。
「ナナコプフー」
境界標を振り落とし、レイン・ポゥの頭を潰そうとする黒贄。
まだまだ軌道が大ぶりな為、余裕を以てレインポウは後ろに飛び退き回避する。
着地ざまに虹を、境界標を持つ右腕の肘方面に放つが、黒贄はこれを、右脇の壁を体当たりで破壊し、隣の部屋に移動する事で躱す。
進行ルートを予測し、その方向に幅一m半程の虹のバリケードを幾つも展開させる、と同時に、その予測した方角から、壁の砕ける音が勢いよく響いた。
「ナナコプフー」
境界標で思いっきり、虹のバリケードに刺突を放つが、七色の壁に阻まれる。
レイン・ポゥの生み出した虹は全く微動だにすらせず、黒贄の一撃を防いでしまう。
「ナナコプフー」
右斜めから振りおろし、激突させる。やはり破壊されない。
「ナナコプフー」
左斜めから振り落とす。衝突、壊れない。
此処で、黒贄の背後から虹が不意打ち気味に現出、彼は成す術もなく肝臓の辺りを、幅三十cm程の大きさの虹に貫かれる。
「ナナコプフー」
それすらも意に介さず、黒贄は、滅茶苦茶に境界標を振り回しまくり、虹の壁を破壊しようとする。
彼が虹の破壊に夢中になっている間、レイン・ポゥは素早く移動。虹の壁や橋は、レイン・ポゥの目から見た場合透明に映るのではなく、
しっかりと壁として機能する為、視界より大きな虹を作った場合、自らの視界をも阻害されると言う欠点を持つ。
だがこれは言い換えれば、上手く使えば虹の壁は視界を妨害する為の一種の魔法としても機能する事を意味する。
殺人意欲が極限まで達し、そう言った瑣末な事に頭が回らなくなっている黒贄には、これ以上となく良く機能する妨害作戦となっていた。今の彼は、虹の向こうにレイン・ポゥがいない事に気付いていなかった。
虹の壁が崩れ去る。黒贄の蛮力に破壊されたのではない事は言うまでもない。
生み出した主であるレイン・ポゥが用済みと判断して消え失せさせただけだ。此処で初めて黒贄は、先程まで殴打しまくっていた虹の壁の向こうに、
殺すべき魔法少女がいない事に気付いた。――瞬間、黒贄の臍より上の上半身が、宙を舞った。
黒贄のいる位置からは見えない位置に移動したレイン・ポゥが、七m程伸ばした虹の刃を横薙ぎに振り回し、壁や調度品ごと巻き込んで黒贄を切断したのである。
「黒贄!!」
と、凛が叫んだ刹那、彼女の背後に、何かがスタリと着地する様な音が聞こえて来た。
バッと振り返ると其処には、機械式の右義腕の付け根近くから、火花をスパークさせる亜麻色の髪をした少女がいた。
暗殺者の魔法少女、レイン・ポゥのマスター、英純恋子である。従者であるレイン・ポゥの邪魔にならないようなルートで大回り、邸宅の二階部分から、凛の近くに降り立ったのだ。
「貴女の相手はこの私でしてよ、遠坂凛!!」
言って純恋子は地面を蹴って、凛の方へと向かって行く。人の話を全く聞かない女だった。
焦らなかったと言えば、嘘になる。実際は相当焦った。
魔法と言う御伽噺の中の技術を苦もなく操る点を筆頭に、魔法少女は基本何でもアリの存在だ。
そんな魔法少女の中に、度を越した再生能力の持ち主がいるであろうと言う事は、常々レイン・ポゥは意識していた。
と言うのも自身の魔法は、そう言った能力に弱い。鋭い切れ味を持っているが、それだけであり、再生技術の持ち主が相手では、殺し切るには威力が不足しているのだ。
但しそう言った存在に対する対抗策も実際彼女は考えていたし、そもそも今まではそう言った魔法少女と相対して来なかった。
まさかその最初の相手が、よりにもよって魔法少女ではなくサーヴァントだったとは、さしものレイン・ポゥも予想外だった。
魔法少女である自分よりも優れた腕力や瞬発力、そしてあの滅茶苦茶なタフネスには、肝を冷やした。
しかし、それだけだった。身体能力は戦闘を円滑に進める上で重要な要素ではあるが、それと同じ程に、超常的な特殊能力も重要なウェートを占める。
これを活かしたからこそ、自分は勝ったと思っていた。だが、まだ油断は出来ない。黒贄を斬り裂いた実感はあったが、死んだかどうかは解らない。
すぐに黒贄の位置が見える場所へと、廊下を通じて移動。曲がり角を丁度曲がった先十m程に、いた。
上半身と下半身が泣き別れにされており、黒贄の上半身は板張りの床に俯せに倒れ伏している。虹に斬り飛ばされた頭の皿部分から、大脳がドロリと落ちている。
この邸宅の死体にこれよりももっと酷い死に方をしてるそれがあるのを見て来ている以上、まだ綺麗な死に方だとすら、レイン・ポゥは思っていた。
「ナナコプフー」
……冗談のような声が聞こえた。
先程と同じ様な、気の抜ける声。だからこそ、恐ろしいのだ。……『生命力が衰えている気配が全くしない』。
十全の状態で発した時と、何ら変わらない調子の、黒贄の声が聞こえて来たのである。
黒贄の死体にずっと目を凝らしていた事。その事が、レイン・ポゥの命を救った、と言っても過言ではなかった。
でなければ、腕の力だけで、『時速三百㎞』で板張りの床を這いずり回る黒贄に、対応出来なかったかも知れないからだ。
レイン・ポゥの脛目掛けて握っていた境界標を横薙ぎに振るう。
それを思いっきり、曲がり角に近付く時に移動した経路方向に飛び退く事で、レイン・ポゥは回避。
黒贄が振った境界標の衝撃で、彼を中心とした半径三mの全ての壁や調度品が吹っ飛び、破壊される。妙だ、と、歴戦の魔法少女が訝しむ。
明らかに、威力が上がっている。常識的に考えれば、威力が下がってなければおかしい筈だと言うのに。
上半身だけで動き回る黒贄目掛けて、真正面と左右、頭上からこれでもかと言う程虹を射出させまくる。
それを彼は、あの「ナナコプフー」と言う気の抜ける奇声を上げながら、床を思いっきり左腕で叩き、粉砕。
邸宅の床下の基礎建築部分に逃れる事で、事なき事を得る。気のせいか、黒贄が床を叩いた瞬間、邸宅全体が、揺れた様な気がした。
――急速に嫌な予感を感じ取ったレイン・ポゥが、思いっきり頭上に飛び上がった。
天井にぶち当たり、其処を突き破って、お手伝いの女性やもとは組の構成員だった男達の死体で埋め尽くされた宴会場に、レイン・ポウは移動する。
そんななりふり構わぬ行動を取って、正解だった。彼女が今まで直立していた地点の床が粉々に破壊されたのである。
破壊された先で、長靴を仮面代わりに被った男の姿を見た。空けた穴から、宇宙の黒の様に無機的な、絶対零度の瞳が覗いている。
細い虹を雨の様に、そして、弾丸のような速度で降り注がせ続けるレイン・ポゥ。
虹が、ほんの数十cm移動した所で、黒贄の姿が掻き消えた。移動の余波による衝撃で、先程までいた廊下の板張りが全て吹っ飛び破壊された。
移動速度が、明らかに跳ね上がっている、と認識した次の瞬間、壁を隔てた先で、何かが床を突き破る音が聞こえて来た。
「ナナコプフー」
そして、宴会場を仕切る壁を突き破って、黒贄が亜音速で突進してきた。単純な左腕の腕力で床に力を込め、跳躍するように彼は移動していた。
移動の際の衝撃で、或いは、黒贄の上半身との衝突で、床に転がる屍体は、至近距離で爆発にでも直撃した様に粉々に爆散している。
最早、境界標の直撃を経ずとも、単純な体当たりで魔法少女に大ダメージを与えられる程であった。
虹の障壁を、殆ど反射的に展開するレイン・ポゥ。
ベシャァンッ、と言う音が先ず響いた。境界標、ではなく、黒贄自体が虹にぶつかる音だった。
その後、ゼロカンマ五秒程の時間を経ずして、境界標で虹をぶん殴る音が響き始める。
「えっ」
と、言う、久しく上げた事もなさそうな頓狂な声を思わず上げてしまう。
我が目を、信じられなかったのだ。黒贄が恐らく境界標で殴った所を起点に、虹に亀裂が入り始めていたのだから。
「ナナコプフー」
再び虹を殴った。亀裂が広がる。また殴る。――虹が、氷柱の様に破壊された。
驚愕に顔が歪んだのと、黒贄の寄生と同時に境界標が音速の三倍の速度で振るわれたのは。殆ど同時だった。
黒贄が腕を振うと思われる全ての方向に、二枚重ねにして強度を倍増させた虹を展開させ、レイン・ポゥは防御を試みる。
境界標が衝突する。一枚目の虹が薄焼きの煎餅の様に砕かれた事を直感で理解、二枚目の虹にしても、ヒビのような物が衝突点から生じている。
レイン・ポゥが生み出す虹の強度は凄まじい物だ。
人智を逸した身体能力の持ち主である魔法少女が踏み抜いても破壊されないのは当然の事、それが物理的な攻撃であるのならば、
例え戦車砲だろうがミサイルであろうが、全方位にそれを張り巡らせる事で、その威力と衝撃を遮断させる事が出来る。
ありとあらゆる人物から距離を置いていたレイン・ポゥが、全幅と言っても良い程の信頼を置く能力。それが、彼女のこの魔法なのだ。
その信頼が今、砕かれた。神秘もなければ裏もない。ただただ原始的で、野蛮で、純粋な、腕力一つで、虹が砕かれたのだ。
それが、この魔法少女にとって、どれだけ。どれだけの衝撃を与えるものなのか。ただ殺意の赴くがままに、腕力を以て死を振り撒くこの魔王には、解る事はないだろう。
「ナナコプフー」
世界で一番気の抜ける、しかしそれでいて、世界で一番殺すと言う意思に満ち溢れた死刑宣告は今も途切れなく黒贄の口から紡がれている。
これと同時に、境界標を再び虹に激突させる。脆いコンクリートの様に虹が砕け散ったのと殆ど同時に、レイン・ポウは頭上目掛けて、
自らの魔法が設定できる最大限の幅の虹を幾つも射出させて、天井を破壊。畳を蹴り、垂直に十数m程も飛び上がった。
すんでの所で、横薙ぎに振るわれた黒贄の境界標を回避する。判断がもう少し遅れていれば、膝から下が消え失せていたかも知れない。
跳躍が最頂点に達し、後は引力に従い落ちるだけ、と言う所で、レイン・ポゥは虹を足元に生みだし、足場を形成。
まさに彼女は、即興の虹の橋(ビフレスト)を作り上げた。再び虹の足場を蹴って、跳躍、また、適度な高さまで到達したら虹の足場を作り、再び其処を蹴り跳躍。
これを繰り返す都度四回ほど。既に彼女は、黒贄が這いずる地点から六十m程頭上、地上から七十m弱の所に、虹を足場に佇んでいる形となった。
そして其処から、幅一m半程の、剃刀のような切れ味の縁を持った虹の雨を、機関銃の如くに降り注がせる。
狙いは勿論、眼下の、上半身だけで怪物じみた機動力を発揮する、バーサーカー黒贄礼太郎であった。
水分を伴わない、七色の雨が屋根を貫き、天井を破壊し、床を斬り裂き、地面に幾つも突き立って行く。
しかし、黒贄に命中する気配はない。「ナナコプフー」などと言うふざけた奇声を上げながら、右に左に。
飛び跳ねながら虹を避け、時に境界標を振り抜いて虹を破壊し回避し続ける。
疑惑が確信に変わった瞬間だった。明らかに、腕力が上昇し続けている。
段階的に本気を出しているのか、それとも筋力が永続的に上昇しているのか。それは解らない。
だが少なくとも、初めて出会った時と、現在とでは、明らかに腕力が違うのだ。
もしも永久に力が上がり続けるのであれば、背筋も凍る話であるし、しかも今の腕力は『下半身のない状態で発揮されているもの』なのだ。
あれで、五体満足の状態だったらと思うと、ゾッとしない話だった。
しかし何よりも謎なのは、黒贄のあの、常軌を逸した生命力だった。
今の黒贄の状態は、下半身がなく、心臓や肺、肝臓などと言った主要臓器を虹で破壊され、首が殆ど落ちる寸前で、大脳を全て欠いている、と言う、
サーヴァントでも既に死んでいてもおかしくない程の重傷なのだ。それなのに彼は、相も変わらず元気に奇声を上げ続け、縦横無尽に腕の力だけで動き回っている。
戦闘続行能力が高すぎる、と言う言葉の問題ではない。『不死』――そんな単語が、レイン・ポゥの脳裏を掠めた。
「ナナコプフー」
崩落しきった邸宅の屋根、床下に散らばる建築材の瓦礫。
落下するそれらと、レインポゥが降り注がせる虹の雨を回避し切った黒贄が、奇声を上げながら境界標を、レイン・ポゥが佇立する、
高度七十m地点の所に投擲する。初速の段階で音の五倍にも達したそれは、余りの移動速度に全体が赤熱し、焼けた鉄棒の様に赤々とした色をしながら、
レイン・ポゥの下へとありったけの殺意を渦巻かせて向かって行った。
最早レイン・ポゥは、殆ど反射的に行動していると言っても良い状態であった。
つまり、境界標の移動スピードをその目で捉えられていない。だが身体は、思考するよりも速く動いてくれていた。
魔法少女の肉体は、一瞬で五枚重ねにした虹を、境界標の弾道ぴったりの所に配置するよう生み出したのである。
境界標がブチ当たる。三枚目までを紙でも貫くかのように押し通り、四枚目を粉々に。最後の一枚で漸くその勢いが止められたが、
それにしたって、全体に亀裂が生じている。首の皮一枚で、繋がった、と言う所か。
「ナナコプフー」
展開させた虹の壁で、視界を遮られてしまったせいで、黒贄の動向が見えない。
急いで視界を覆う、境界標を防御した虹を消した、と同時だった。ズゥンッ、と言う音と同時に、上半身だけの黒贄が、
レイン・ポゥと同じ高さにまで移動していたのは。ズゥンッ、と言う音は、黒贄がこの高度まで跳躍するのに必要なエネルギーを生む為に、
それまで這いずり回っていた床を右手で叩いた音だった。但し叩かれた二階の床部分は無事では済まなくなっており、床・調度品・死体、全てが崩落。
香砂会邸宅は今や完全に、住居と言う体を成していなかった。
黒贄の左手には、唇から上の部分が鋭利な刃物で切断された死体が握られていた。
乳房がある所を見ると、女性の物だ。足首から掴んだその死体を、黒贄はレイン・ポゥの『脳天目掛けて振り落とした』。
余りにもあんまりな攻撃に、目を見開かせる。攻撃が大振りだった為に、まだ体が反応してくれた。
軌道上に虹の壁を生みだし、死体による攻撃を防御。音速超の速度で振るわれた事によるGと、その速度での衝突の為、死体は原形を留めぬ程に砕け散り、
高度七十mの空を筋肉の破片が舞った。死体は振い始めた瞬間から崩壊を起こしていたらしく、そのせいで威力は境界標程ではなかった為か、虹には亀裂が入っていなかった。
「ナナコプフー」
そんな事などお構いなしと言わんばかりに、黒贄は、空中で、水の中を泳ぐように腕を掻き、レイン・ポゥの下に近付いて行くや、そのまま、
肉片のこびり付いた虹を殴打する。一mmしかない氷の板の様にそれは砕かれた。三枚重ねだった。
四mと距離の離れていない至近距離からレイン・ポゥは、真正面から一本、頭上から三本、真下から三本。黒贄に目掛けて虹を放った。
真正面の一本は、脳を欠いた黒贄の頭をザクロの様に斬り裂き、上下から迫る六本は、胴体部を貫いた。
これ以上黒贄と付き合っていては、もう埒が明かないとレイン・ポゥは判断した。
間違いなくこの男の戦闘続行能力は、何らかの宝具或いはスキルに依拠したそれである。
その正体が何なのかが解らない以上、アサシンクラスであるレイン・ポゥは無理な事をしたくない。
故に彼女は、最も確実に、目の前のバーサーカーを相手に勝利をおさめられる方法を実行する。
マスターの暗殺。それは、レイン・ポゥを含めた殆ど多くの聖杯戦争参加者の敗北条件であり。
そして、アサシンクラスの王道にして必勝の勝ち筋であった。
頭を下、足裏を斜め右上、と言うような体勢を空中で整えた後、足元に小さい虹を生みだし、それを蹴り抜きレイン・ポゥは急降下して行く。
身に纏う可愛らしい服装のせいで、地上から見たら今のレイン・ポゥは、地上に堕ち行く一条の桜色の流星にしか見えなかった事だろう。
その流星は、虹を生みだして死を与える魔星だった。狙うは、狂人を従える魔術師の女、遠坂凛。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ガンドとは元を正せば北欧の地に伝わる魔術体系の一つであり、ルーン魔術には一歩劣るが、それでも、無視出来ない影響力を持っていた体系であった事は事実だ。
元々北欧にはガンドの他にセイズと呼ばれる魔術が伝わっており、これらは広義の意味での呪術に属しており、嘗てはヴォルヴァと呼ばれる巫女が操っていた。
セイズ魔術とは所謂『憑依』を主体とした魔術だ。自らをトランス状態にさせ、神々や祖霊等を我が身に降ろさせる、いわば降霊術を主軸にしている。
一方ガンドの奥義は『幽体離脱』だ。元々ガンドとは『杖と狼』と言う意味であり、その名の通り、杖が重要な意味を持つ。
幽体離脱を行った巫女は杖を以て空を飛ぶ、狼に変身が出来るなど、様々な魔術を行使する事が出来た。
また、呪術の奥義である『共感』も、ガンドは得意とする。杖で殴る振りをすれば鈍器で殴られたような痛みを相手に与える事が出来るし、
優れた術者は呪殺も病魔をけしかけるなど、思いのままだ。一口にルーン、セイズ、ガンドと言っても、先人達が築き上げた魔術の奥義は、一生涯をかけても極め尽くせるか解らない程に、奥深いのである。
遠坂凛もガンドを学んでいる。但し、使用出来るのはガンド撃ちと言う、自らの魔力を呪詛にして相手に放つ、門派の中でも初歩中の初歩の魔術だ。
それより先の、ガンドの神髄たる幽体離脱や共感魔術は、学んでいない。自身の才能の資質から言って合わないし、時間が掛かるのえ、学んでいない。
だからこそ、攻撃を行うには極めて便利な、ガンド撃ちだけを、摘まみ食いがてらに習得した。
確かにこのガンド撃ちは体系の魔術の中でも初歩中の初歩だが、同時に奥深い。威力を自在に調節できるし、優れた術者が放つガンドはライフル並の威力を発揮する。
これが、彼女がガンド撃ちを学んだ理由である。弛まぬ研鑽の甲斐もあり、今の彼女のガンドは人体を貫いて余りある威力を秘めるに至っていた。
聖杯戦争の為に学んだ技術である事は言うまでもない。マスターである魔術師同士の殺し合いを制する為に、彼女は技術の一つとしてこれを昔に学んだのだ。
――それを披露する聖杯戦争の参加者第一号が、よりにもよって身体の一部を機械化させたサイボーグなど、誰が予想出来ようか。
真正面から展開させた、赤黒いガンドの弾幕が、亜麻色の髪をした少女目掛けて放たれる。
もう、なりふり構って居られなかった。目の前の人物、英純恋子は、完璧に自分を屠ろうと言う動きで此方を追い立てている。
狙いは既に、機械化された四肢を絞ったそれではない。頭や内臓器官等と言う、直撃すれば死は免れない位置にまで、ガンドの弾丸は放たれていた。
弾幕を、舌を出せば土すら舐められるのではないかと言う程の低姿勢のタックルで、純恋子は掻い潜った。
タックルは相手の腰に突進し、姿勢を崩す事を主軸にした技術である。
そのタックルに合わせ、凛は鋭い膝蹴りを純恋子の顔面に放つが、ガンドに打ち抜かれていない機械の左手で、純恋子はこれをガード。
鈍い痺れが、凛の右脚全体に走る。それに苦しみ動きが鈍ったその隙を縫って、純恋子は素早く、遠坂凛の足首を左足でガッと掴み、
人形を振り回すかのように、遠坂凛を、ジャイアントスウィングの要領で、一回転、二回転、三回転、と、自らの身体ごと振り回す。
遠心力が頂点に達した所で、純恋子は凛を投げ飛ばす。受け身すら取れずに彼女は後頭部と背後から地面に衝突。
よく手入れのされていた芝生だったから、大事には至らなかったものの、それでも、背部と後頭部を強かに打ち付けてしまい、目を回すような痛みと
呼吸困難に拠る苦しさが彼女を苛んでいた。
混濁した視界で立ち上がろうとする凛。
斯様な状態の凛の視界に映る、水中から通して見た様にグニャリと歪んでいる純恋子の様子は、何処か妙だった。
ガンドで撃ち抜かれたせいで動かす事が出来なくなった右腕の腋に左腕の下腕を挟んでいる、ように見えるのだ。
凛の聴覚がこの音を捉えたかは定かではないが、プシュン、と言う音が、純恋子の左腕から生じた。
視界が明瞭になって行く。その時には既に、純恋子が、左腋に挟んで『取り外した』右下腕を、芝生の下に落とした時であった。
――彼女の左腕の肘から先には、長大な鉄の棒が伸びていた。それを、銃口であると凛が認めたのは、一瞬の事である。
「ッ!?」
慌てて芝生を横転した瞬間、純恋子は躊躇なく凛の胴体に、予め腕に仕込んでおいた対物ライフルを発砲。
銃声と言うよりは一種の小爆発と言うべき音響が鳴り響き、超音速に等しい速度で弾丸が飛来する。
幸いにも凛は、発砲前に弾道から逃れていた為、事なき事を得たが、もし、直撃していたら如何なっていたか。
それは、幹を貫通し、その際の衝撃で破断して芝生に倒れ込んだ松の木と、それを貫いて尚余りあるエネルギーで、屋敷を囲う塀を破壊し通り抜けたと言う、弾丸が齎した現状からも、推測が出来よう。
凛の方に目線を向け、再びライフルを発砲させようとする純恋子だったが、それよりも先に、凛が、ガンドの弾幕を展開。
純恋子は発砲を中断させ、大きく横っ飛びに移動。回避がやや遅れたらしく、既に機能不全になっていた右機械腕が、ガンドにこれでもかと貫かれる。
最早一目見て義腕と解らない程の屑鉄になったそれであるが、左腕が銃になっている現状では、取り外す事も出来ない。
やや不便そうな表情をしながら、再び凛の方にライフル弾を発砲。ガンドを避けたら撃って来る、とアタリを付けていた凛は、これも、
地面に不様に転がりながらであるが、回避する。邸宅のガラス窓を容易く破壊し、それは邸内を突き抜けて行く。
再び撃とうと構える、凛がガンドの準備を行う。
それと同時に、邸宅の二階部分から、凄まじい轟音が鳴り響いた。その音源が何なのか、一関係上凛には窺う事が出来ない。
邸宅側ではなく、邸宅から離れた所で待機していた純恋子は、その原因が何なのか認めているらしく、驚いた様な表情を浮かべていた。
それを見逃す凛ではない。ガンドの弾幕を展開させ、純恋子の方へと走り寄って行く。
しまった、と言うような表情で凛の方を見る純恋子。最早ライフルで狙撃するには遅すぎる。そして、回避行動に移るのも、遅すぎた。
慌てて右方向にサイドステップを刻むが、左胸をガンドが捉え、撃ち抜いた。苦悶と、笑みが入り混じった複雑な表情を、凛に向ける。
「お見事!!」
と言い、純恋子は近付いて来た凛の脚目掛けて、機械の脚によるローキックを放つが、凛は大腿部にガンドを幾つも放ち、純恋子の機械の脚を破壊する。
此処でガンドを撃てば、純恋子は殺せる。だが――凛は躊躇した。その躊躇の末が、純恋子の顔面を右拳で殴り抜く、と言う決断だった。
自己強化を施した凛の拳が純恋子の顔に突き刺さり、彼女は数m程吹っ飛ばされる。一瞬地面に仰向けに倒れ込むが、直に片足だけで立ち上がった。
鼻血を左肩で乱暴に拭い、実に愉しそうな笑みを浮かべる凛を見る純恋子を、凛は、狂人でも見るような瞳で見ていた。
最早、殺すしかない、と思った凛が、ガンドを撃とうとしたその時だった。
「手を出さないで下さいな!!」と純恋子が一喝し始めたのだ。瞳には、まるで無粋な者を咎めるような光が宿っていた。
明らかに自分に向けて口にした言葉ではない。バッと背後を振り返り――雨樋に起用に直立したレイン・ポゥの姿を見て、
恥も外聞もないと言った様な体で凛は地面を転がった。そして、彼女が直立していた所に、虹の殺意が突き刺さる。もしも、純恋子が一括して、凛に気付かれていなければ、この希代の女性魔術師は、虹に貫かれ即死していた事だろう。
「馬鹿かお前は!! んな事言ってる場合じゃないでしょ!!」
当然、レイン・ポゥは猛り狂う。烈火の如き怒りとは正しく今の彼女の浮かべる表情の事だろう。
あの怪物じみた強さを誇るバーサーカーのマスターを殺せる千載一遇のチャンスだったのだ。それを、よりにもよって自身のマスターに潰されてしまった。
日頃の純恋子の行いの事もあり、この魔法少女の怒りのボルテージは最高潮にまで達していた。
「貴女の役目はサーヴァントを相手に華々しく立ち回る事です、マスターは私に任せなさいな!!」
「そのマスターにボコボコじゃないかアンタは!!」、と至極正論を叫ぶレイン・ポゥ。
吐く息が火炎にでも生じかねない程の怒りぶりである。遠坂凛の頭の中の、冷静な方な遠坂凛が、あちらもあちらで苦労が絶えないらしいと場違いな事を考える。
が、直に、そんな事を言ってられないような局面に陥る。レイン・ポゥは雨樋からすぐに芝生に上に着地し、虹の刃をその右掌から伸ばした。
幅一m、長さ十m程にもなるそれを、今まさに彼女は振おうとしていた。腕を今まさに振おうとした――その時だった。
「ナナコプフー」
それは、万象一切の意味性と言う物を否定する、まるでやる気の感じられない声だった
春風の心地よさに、何も詩歌を紡ぐ事も出来ない詩人が口にするような、駘蕩とした声ではない。
この世の全ての現象を知りつくし、味わい付くし、最早何もする事がなくなった人間のような、覇気も何も感じられない、そんな声。
声の主は、芝生に上に勢いよく着地した。いや、転がったと言うべきか。その男には足がない。下半身がない。
上半身だけしかなく、しかもその上半身にしても、レイン・ポゥが生み出した虹によって斬り刻まれた跡だらけ。
地面に落ちる際に、脛骨と両腕が圧し折れたらしく、絶対に曲がってはいけない方向にそれらが曲がっていた。
だが何よりもその男の頭だ。眉から少し上の所から、頭の皿が消失しており、しかもそこから覗く頭の内部は、空洞。そう、大脳が収まっていないのだ。
魔王、黒贄礼太郎は、そんな状況下でも、平然と、薄い笑みを浮かべてレイン・ポゥを見つめていた。その目に、絶対的な虚無を宿して。
「ナナコプフー」
黒贄礼太郎が地面を、折れた腕を駆使して這いずり回った。時速、五百㎞。
地面目掛けて、大量の虹を降り注がせるが、Wの形状に折れ曲がった左腕を用いて、左方向に跳躍。
先程純恋子が放った対物ライフルで圧し折れた松の木を、右手で掴み、持ち上げた。
「ナナコプフー」
まるで小枝でも振り回すような感覚で、圧し折れてなお樹高七m程の高さを保っていたそれをブン回し、レイン・ポゥの方へと特攻した。
摩擦熱に耐え切れず、枝葉の所が炎上を引き起こし、まるで、樹木自体が巨大な松明にでもなり、それを振り回しているかのようだった。
距離が六m以上離れた所から、黒贄が松を振り回すものであるから、対応がやや鈍った。
「マズッ――!!」
虹の展開が遅れたレイン・ポゥは、慌てて腕を交差させる。
燃えあがる松の枝葉に直撃した彼女は、大砲から放たれた砲弾の如き勢いで水平に吹っ飛んで行く。
凛と純恋子の間の空間を吹っ飛び、塀に衝突。カステラ生地の様に鉄筋を基礎にしたコンクリートの塀が崩壊し、更に先の、マンションの一階部の外壁に衝突。
其処にめり込んで漸く、彼女の勢いが止まった。
「ナナコプフー」
燃える松の木を片手に持ちながら、黒贄は、先程と同じ移動速度で、レイン・ポゥの下に向かって行く。
めり込んだ壁から苦しげに抜け出た時には、既に彼は松の木の間合いにいた。
「ナナコプフー」
それを、レイン・ポゥに振り抜く黒贄。
痛みに苦しみながらであるが、どんな攻撃をして来るのか、という予測が出来ていた為、今回は対応が早かった。
松の幹の中頃を虹で切断し、ゴトンッ、と、燃え上がる松の木の、幹の中頃より上の部分を地面に落下させ、何とか攻撃を中断させられた。
そして、跳躍。香砂会の方へと一直線に虹の橋を伸ばし、其処を彼女は全力で駆け出した。
「ナナコプフー」
黒贄が追う。運悪くその移動ルート上にセルシオが重なる。
黒贄の突進の勢いに車体が貫かれ、破断。そして、爆発。運転手と、助手席に座っていた誰かは即死したが、黒贄は、黒礼服を燃え上がらせながら、レイン・ポゥを追跡していた。
【マスター、聞いてる!?】
と、執拗に追跡を続ける黒贄から逃げ回りながら、レイン・ポゥは自らの主に念話を試みる。
その間、凛に虹を放ちまくるのを忘れない。しかし、かなり狙いが雑な為か、身体強化を施した凛ですら、辛うじて避けられる程度である。
しかし、これで問題ない。いわばこの虹は牽制である。魔術を使えるマスターが、純恋子を狙わない為の示威行為だ。
黒贄の余りにも野蛮な戦い方に目を奪われていた純恋子の反応は、レイン・ポゥが想定した時間よりも半秒遅かった。
「……ハッ、何でしょう?」
【念話で話せ念話で!! 状況が悪すぎる。このまま行ったら私達の姿が目立ちかねない、一端退却するよ!!】
高度七十m地点から地上に急降下する際、レイン・ポゥは見た。
近隣住人及び、彼らが連絡を入れて要請したであろう、警察組織が明らかにこの場所目掛けてやって来ているのを。
ヤクザの邸宅で起る騒動だ。抗争か何かと勘違いしているのだろう。警察の、その場所に向かう本気の度合いが尋常のものではない。
このまま行けば、最悪自分達の姿がメディア上に露出する。それだけは避けたいから、レイン・ポゥは退却を純恋子に要請した。
【ですが、此処で倒しておかねば――】
【あれは桁違いの強さ!! 事前情報がなかったとはいえ、マスターの質もサーヴァントの強さもかなり纏まってる!!】
そもそもの間違いは、遠坂凛が無力な一般人だと誤認していた時からだった。
そして最大の間違いが、黒贄礼太郎と言うサーヴァントが、常識を超えた、タフネスと言う言葉でも生ぬるい程の生命力の持ち主だった事。
予定していた運行は、大小の歯車の狂いで大きく暗雲を見せ始め始め、そして、現在に至っている。
完全に、純恋子とレイン・ポゥのミスだった。いや、遠征を行おうとした純恋子のミスだとレイン・ポゥは思い直す。
どちらにしてもこの魔法少女が言うように、今は状況が悪いのだ。どの道黒贄はあの状態。最早長くない。手柄――令呪――は、他の主従にでも譲ってやる、そんな考えでレイン・ポゥはいた。
【言っておくけど、まだ戦える何て言うなよ!! アンタ脚が破壊されてる状態なんだからな!!】
と言い、純恋子は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
今の純恋子の機動力など、たかが知れている。この状態では何をしようとも、ガンドを放てる凛には勝てないだろう。
その現実を認め、純恋子は、心底渋々と言ったように、念話でこう言った。【貴女の随意に任せます】、と。
【よし言質取った!! マスター、令呪を使って、私の虹の橋を生み出す力を強化して!!】
令呪は、三画ある。これを、多いか少ないか、如何とるかは人の自由だろう。
しかし大半の人間は、少ないと取るに違いない。使い方次第では物事の通りを捻じ曲げる奇跡のタトゥーは、三回しか使えないのだから。
言うなればこれは虎の子。突発的で、予測も出来ないアクシデントに対応する為の最終兵器であり、凶器に囚われた自身のサーヴァントを消滅させる最終手段。
だから普通は、令呪をおいそれと消費する主従はいない。だが、純恋子は違った。彼女は、自分ならばサーヴァントを御せて当然だと、
その鋼の万倍も堅く揺るぎない心で思い込んでいた。自分ならば、サーヴァントに叛逆される訳がないと、本気で考えていた。
――故に彼女は、数秒の迷いもなく、自らの腹部に刻み込まれた、雲の上に虹のアーチが掛かったような意匠の令呪に力を込め、ただでさえ奇跡の存在である魔法少女に、より強い奇跡を成す力を付加させるべく、その言霊を紡いだ。
「――令呪を以て命じます」
堂々とした、王が勅令を発布するような口調で、純恋子は言った。バッと、凛が顔を純恋子の方に向ける。
「虹を生み出すその力を極限まで高めなさい、アサシン!!」
それを口にした瞬間――レイン・ポゥの体中に、これでもかと言う程魔力と力が漲った。
黒贄の進行ルート上に、幅一m以上の虹を三枚重ねにしたものを縦に突き立てさせる。移動を邪魔された黒贄は右に移動しようとするが、
其処にも三枚重ねの虹が突き立つ。後ろに移動――虹が突き立つ、左――突き立つ。
機銃の乱射めいて虹は黒贄の四方に、ズガガ、と言う音を立てさせて突き立って行く。
今までずっと虹の橋を走っていたレイン・ポゥだけが、窺う事が出来る。黒贄は今、自らが生み出す虹の橋の檻――いや、結界に閉じ込められていると。
黒贄の四方を取り囲む、突き立った虹に、虹を更に張りつけさせ、張り付けさせ、張り付けさせる。
今や黒贄は、レイン・ポゥが生み出した虹が織りなす直方体に閉じ込められている体となっていた。これに並行して、直方体の上面も同じように虹の橋で蓋をする。
二秒足らずで、虹の直方体結界が完成する。
一面に付き虹は四十二枚使っており、総計で二百十枚の虹を張り合わせて、黒贄を閉じ込めている形になる。
純恋子が令呪で虹を生み出す力を強化しているからこその芸当だった。そうでもなければ、黒贄の人智を逸した反射神経と移動力で、
結界を生み出すよりも速く逃げられていただろう。――そして、これすらも時間稼ぎにしかならない事をレイン・ポゥは知っている。
虹の箱がガタガタと動き始めた。内部から、「ナナコプフー」と言う奇声が響いている。悠長にしている時間はない。
彼女は急いで虹の橋から降り、凄まじい速度で純恋子の所にかけより、彼女を横抱きにし、急いで香砂邸の敷地から遁走する。
「ナナコプフー」
それと同時に、虹の箱の一面を、黒贄のジグザグに曲がった腕が突き破った。
力を込めて、その腕を思いっきり下に降ろすと、クッキーの様に虹の板は破壊され、上半身だけの黒贄礼太郎の姿が現れる。
虹の蛹から現れ出でた男の、何と醜い姿よ。彼の瞳は、絶対零度の殺意で凍て付いていた。
「ナナコプフー」
……そう言って辺りを見回す黒贄であったが、誰もいない。
背後に佇立する、虹の箱もやがて消え失せた。完全に、逃げ果せらたらしい。「ありゃりゃ」、と、黒贄が口にする。
現状を理解したらしい。瞳に元の、気だるげで濁った光が宿り始めた。
「逃げられちゃいましたな」
仕方のなさそうな笑みを浮かべて、黒贄は凛の方に顔を向ける。
一瞬だが、怯えのような物が彼女の顔を掠めた。今の黒贄の状態が状態である。当たり前だった。
「いやはや申し訳ございませんなぁ、凛さん。私としては頑張った方なのですが……」
「え? え、えぇ、そうね。随分とその……頑張ってたっぽいし」
そもそもこんな状態になるまで戦い、そして、レイン・ポゥを確かに追い詰めていたのだ。これで頑張ってなかった、と言う方が寧ろ恐ろしい。
「いやいや、悔しいでしょうねぇ凛さん。私も悔しいですよ。あんなにそそられる人物を逃がしてしまうなんて、本当に、本当に、本当に本当に本当に本当に本当に、悔しいです」
ゾワッ、と、肌が粟立つ感覚を凛は感じる。
やはり、このバーサーカーは普通ではなかった。不死のスキルと言うのも、今までは信じる事が出来ずにいた。
しかし今ならば、全て信じる事が出来る。このバーサーカーは、常軌を逸した戦闘能力と、一度殺すと決めた人物は、殺さずにはいられない性分を持つと言う事を。
絶対死なない、執念深い殺人鬼。創作の中に出すのも躊躇われる、今時の現代ホラーにも出せないような手垢のついた設定の人物。
しかしそれは、フィクションの中だからこそつまらないだけである。それが実際に存在し、目の前にいる……。それが、どれだけの恐怖を見る者に与えるのか、今凛はその事を、まざまざと実感しているのだった。
「そ、それより、黒贄。その傷、無事なの?」
話を無理やり変更させ、凛は、自身のサーヴァントの安否を問うた。
「まぁ、場面転換をすれば治る傷ですので……と言っても、やはり少々不便ですなぁ」
チラッ、と、邸宅の玄関の方に向き直った黒贄は、その方向に這いずって移動。凛も急いで、彼の後に追従する。
一体、どんな戦いが繰り広げられていたのか。邸宅の一階部は、二階の床部分を含めた天井の瓦礫が崩落しており、最早一歩も立ち入れない状態となっていた。
それを彼は、「お掃除お掃除〜」と言う一秒で考えた様な歌を口ずさみながら、ぽいぽいと、綿埃でも掃除する様な勢いで除けさせてゆく。
瓦礫をどけさせた先には、それに埋もれていた、レイン・ポゥの虹で切断された黒贄の下半身と、額より上の頭の皿、そして、潰れた大脳があった。
「お、ありましたな」
と言い黒贄は、頭の皿の方に近付き、それを頭に無理やりくっ付けた。大脳は無視である。
「凛さん、ちょっと私の下半身を持って頂きたいのですが」
「……えっ」
余りにもトチ狂った黒贄の提案に、凛は頓狂な声を上げてしまう。
「凛さんは確か、治癒の魔術を使えましたな?」
「うん、余り得意じゃないけど……」
霊体を治療するのは、それはそれは特別な技術が必要になる。これに関しては、あの疫病神一歩手前の弟弟子の方が上である。
と言うよりあの男は、そう言った事を習わねばならない立場なのだ。自分より技量が上でなければ、話にならない。
「その技術で、私の下半身と上半身を繋ぎ、頭を軽く治して頂ければ」
「わ、解ったわ」
と言い、凛は懐から、虎の子とでも言うべき、魔力を十年以上も蓄えさせてきた秘蔵の宝石を取り出そうとする。
遠坂邸に複数個を置いて来たのが情けない。今も持っている事には持っているが、令呪の本来の画数同様、三つしか持ち合わせがない。
そんな秘蔵っ子を取り出そうとするが、黒贄はこれを制止させる。
「貴重なものみたいなので、それは使わないで結構ですよ」
「え? でも私、サーヴァントの治療はそれ程上手くないけど」
「ですので、雑で結構ですよ。雑な治療でも、場面転換してれば歩ける筈ですので」
「だから場面転換って何よ!?」
今一黒贄の言っている事が理解出来ない凛。黒贄自身も、何を言っているのか理解出来ていない風であった。
【市ヶ谷、河田町方面(暴力団から奪った豪邸)/1日目 午前10:00】
【遠坂凛@Fate/stay night】
[状態]精神的疲労(極大)、肉体的ダメージ(中)、魔力消費(中)、疲労(中)、額に傷、半ば絶望
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]いつもの服装(血濡れ)
[道具]魔力の籠った宝石複数(現在3つ)
[所持金]遠坂邸に置いてきたのでほとんどない
[思考・状況]
基本行動方針:生き延びる
1.バーサーカー(黒贄)になんとか動いてもらう
2.バーサーカー(黒贄)しか頼ることができない
3.聖杯戦争には勝ちたいけど…
4.今は此処から逃走
[備考]
・遠坂凛とセリュー・ユビキタスの討伐クエストを認識しました。
・豪邸には床が埋め尽くされるほどの数の死体があります。
・魔力の籠った宝石の多くは豪邸のどこかにしまってあります。
・精神が崩壊しかけています。
・英純恋子&アサシン(レイン・ポゥ)の主従を認識しました。
・今回の聖杯戦争が何処か、冬木のそれと比べて異質であると認識。その正体を暴こうとしています。
※今回の戦闘の影響で、暴力団から奪った豪邸(香砂会@BLACK LAGOON)が崩壊、またその周囲に黒贄とレイン・ポゥの戦闘の名残が残っています
【バーサーカー(黒贄礼太郎)@殺人鬼探偵】
[状態]健康(肉体的ダメージ(超絶)、両腕複雑骨折、内臓器官の九割損壊、大脳完全欠損)
[装備]『狂気な凶器の箱』
[道具]『狂気な凶器の箱』で出た凶器
[所持金]貧困律でマスターに影響を与える可能性あり
[思考・状況]
基本行動方針:殺人する
1.殺人する
2.聖杯を調査する
3.凛さんを護衛する
4.護衛は苦手なんですが…
[備考]
・不定期に周辺のNPCを殺害してその死体を持って帰ってきてました
・アサシン(レイン・ポゥ)をそそる相手と認識しました
・現在の死亡回数は『1』です
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「車をお出しなさいな」
黒贄達の拠点での戦いなど、如何と言う事はない、と言うような口調で立ち振る舞いで。
純恋子は、英財閥所有のセンチュリー以外何の車も止まっていない駐車場に現れ、車に乗るなりそう言った。
当然、車を出る前とは全く違う姿をした純恋子を見て、エルセンは驚きの表情を浮かべる。
「え……? あ、あー純恋子様……その傷は……」
「バーサー……あの黒礼服の殺人鬼に襲われました」
事実ではあるが、半分は嘘だ。そもそも今の状態を生み出したのは、黒贄ではなく遠坂凛であるのだから。
「あー、何であの殺人鬼に襲われるような事が――」
「細かい事は良いでしょうエルセン。早く車を出しなさい。此処は危険ですよ? 貴方にまで危難が及びます」
エルセンの至極尤もな疑問を、力技で純恋子は封殺。
エルセンは単純な男らしく、純恋子が黒贄に襲われたと言う疑問よりも、英財閥の令嬢があの殺人鬼に襲われ、そしてあの恐ろしい男が、
此処にやってくるかもしれない、と言う事態の方を、重く受け止めたらしい。「あー、はい……」、と怯えたように口にし、キーを回し、センチュリーを駐車場から出そうとする。
【ったく、令呪も一画失って、私もアンタもダメージを負って……骨折り損にも程があるよ】
と、念話で愚痴を零すのは、霊体化したレイン・ポゥだ。
言葉の端々から、不満と言う不満を彼女は隠しもしない。当たり前だ。一人のお嬢様の我儘のせいで、ダメージは負うし令呪を失うし。
当初の予定である、令呪を一画貰う事も、あのバーサーカーを葬ると言う目的も全く達成出来なかった。完璧に、自分達の敗北だ。
この現実を純恋子には重く受け止めて貰い、次は自分の言う事に従って貰うよう、誘導しようとしたのだが……。
【貴女の仰る通りでしたわね、アサシン】
【はい?】
【情報の有用性、私も身を以て実感致しましたわ】
正直、かなり意外だったので、レイン・ポゥは驚いた。
何を言っても暖簾に腕押し、と言うイメージで固まりつつあった純恋子が、此処に来て、素直に彼女の言う事を聞こうとしているのだ。
戦いを通して漸く成長したかと安堵する彼女であったが――。
【成程、あのような主従がこの<新宿>にはおりましたのね。臨む所です】
一瞬で事態に黒雲が立ち込め始めた。
【私の傷と、貴女の傷の痛みが治まるまで、一先ずは拠点で待機していましょう。その間、<新宿>中で起ったサーヴァント同士の交戦を調査部に調べさせ、
私こそが真の女王になるに相応しいステップを、研究すると致しましょうか】
【なぁ、アンタ、頭の中に反省って言葉ない訳?】
【ありますわよ。でなければ、今回の件を省みた様な発言は出来ない筈です】
【省みるとこが違うんだよアンタは!!】
胸をガンドで打ち抜かれ、顔面を殴り飛ばされ、令呪を失い。そして黒贄の狂気じみた性分と強さを見せつけられ。
それでなお、この性格。黒贄と純恋子。どちらが異常なのか、最早、解ったものじゃなかった。
――ああ、トコ。アンタが懐かしいよ……――
気の違った性格の剣士に操られ、最後は自身の手で幕を下ろしてしまったあの妖精の事を、レイン・ポゥは懐かしく思っている。
あの時の事は百回程謝るから、トコには是非ともこの場に来てほしかった。純恋子が相棒では、正気を保てそうにない。
恐らくは、黒贄や凛に虹を放つよりも、今なら躊躇なく純恋子に虹を撃ち放つ事が出来る。
内憂外患と言う言葉がある。
本当に噛み砕いて説明すれば、内にも外にも敵がいると言う状況の事を指す。
内に敵がいる事が厄介であると言う事を、如何して、もう一度復活の機会が与えられるこの聖杯戦争の舞台で、認識させられねばならないのか。
己の運命――いや、英純恋子と言う女ただ一人を、呪うような瞳で睨みつけるレイン・ポゥなのであった。
【市ヶ谷、河田町方面(ある駐車場)/1日目 午前10:00】
【英純恋子@悪魔のリドル】
[状態]意気軒昂、右義腕、右義足、肉体的ダメージ(中)、魔力消費(小)、左胸部をガンドで貫通
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]サイボーグ化した四肢(現在右腕と右足が破壊状態)
[道具]四肢に換装した各種の武器(現在は仕込み式のライフルを主武装としている)
[所持金]天然の黄金律
[思考・状況]
基本行動方針:私は女王
1.願いはないが聖杯を勝ち取る
2.戦うに相応しい主従をもっと選ぶ
[備考]
・遠坂凛&バーサーカー(黒贄礼太郎)、セリュー・ユビキタス&バーサーカー(バッター)の所在地を掴みました
・メイド服のヤクザ殺し(ロベルタ)、UVM社の社長であるダガーの噂を知りました
・自分達と同じ様な手段で情報を集めている、塞と言う男の存在を認知しました
・現在<新宿>中に英財閥の情報部を散らばせています。時間が進めば、より精度の高い情報が集まるかもしれません
・遠坂凛が実は魔術師である事を知りました
・次はもっとうまくやろうと思っています
【アサシン(レイン・ポゥ)@魔法少女育成計画Limited】
[状態]霊体化、肉体的ダメージ(中)、魔力消費(小)、狂おしいまでのストレス
[装備]魔法少女の服装
[道具]
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯獲得
1.マスターを狙って殺す。その為には情報が不可欠
2.コイツマジコイツ
[備考]
・バーサーカー(黒贄)との交戦でダメージを負いましたが、魔法少女に備わる治癒能力で何れ回復するでしょう
・遠坂凛が実は魔術師である事を知りました
投下を終了いたします
投下乙です
黒贄ってこんなにヤバイ奴だったのか……
圧倒的なパワーと不死性、理不尽すぎる……
こんな怪物から生き残ったレイン・ポウもよく頑張った
そして、あんな怪物の戦いを見ても心が折れず、全く懲りない純恋子も流石と言うべきか
投下乙です
レイン・ポゥちゃんが不憫な苦労人過ぎて可愛い
敵はとんでもだし味方はとんちんかんだしで鯖に引っ張り回される凛とは逆方向で大変だw
ナナコプフー(力作投下お疲れ様でした)
ナナコプフー(なんかもう、これ絶対あとで夢に出てくるよねって展開でした)
桜咲刹那&ランサー(タカジョーゼット)
雪村あかり&アーチャー(バージル)
ザ・ヒーロー&バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)
予約します。諸々の予定が重なり、期日に書ききれない可能性がありますので、初めに延長を宣言しておきます
最近前半後半に投下する癖がついちゃってますが、ひとまずは投下いたします
聖杯戦争と言う催しは、公正ではないが、建前上は、公平と言う事になっている。
建前の公平さの最たるものが、存在の格落ちであろう。当然の事ながら、生前の英雄譚や冒険譚が凄まじい存在程、強いサーヴァントと言う事になる。
生前に世界を支配した魔王を討ち滅ぼし、邪悪な法を世に敷こうとした魔神を葬った英霊程強くなるのは当然な訳で。
そう言った存在は確かに強いのだが、聖杯戦争の建前上の公平性の桎梏を、最も強く受ける存在と言っても良い。
その最たるものが、ステータス、スキル、宝具だ。恐るべき強さを持った英霊程、生前からの強さからの乖離が著しい。
生前程の身体能力を発揮出来ない、生前程特性の冴えが鈍い、生前程宝具、もとい切り札の威力が低いし燃費も悪い。
これは聖杯戦争、もとい、英霊達を再現する聖杯のスペックをオーバーするような存在は、格落ちを施した上で召喚させねばならないと言う、
意思無き聖杯の判断が故なのである。こうする事で初めて、弱小の英霊達や、土地柄の恩恵に中々与れない英霊達にも、付け入る隙が与えられるのだ。
……尤も、如何にスペックを下げられたと言っても、それでも強いサーヴァントは、強い。結局は、弱小の英霊は餌にされる宿命の方が強いのだが。建前上の公平と言った理由は、此処に起因する。
良くて半神がそのスペックと箔の最高峰である、英霊と言うカテゴリですらこれだ。
本物の神霊や魔王の類など、他に類を見ない程の弱体化を聖杯から強要される。……いや、訂正するべきか。
彼らはそもそも呼ばれない。呼ばれる筈がない。彼らは単身で、聖杯以上の奇跡を、それこそ呼吸をするように地上に成す事が出来る存在達。
神秘の世界の貴種中の貴種なのだ。そもそも神霊を完全かつ完璧な状態で呼べるのであれば、聖杯など無用の長物であるし、そもそも格落ちした神霊魔王ですらが、尋常の手段で呼ぶ事は出来ないのである。
身体を蝕む尋常ではない毒の痛みを堪えながら、タカジョーは考える。
何故自分は、此処<新宿>にいるのだと。自分は『魔王』である。魔界に於いてもその名を轟かせる深淵魔王。宇宙の創造主である大神霊・ホシガミの側近だ。
深淵魔王・ゼブルの転生体である高城絶斗として召喚されるのならば解る。だが、尋常の聖杯であれば、自身の深淵魔王としての力を再現させる事は不可能な筈。
それが今や、可能となっている。タカジョーからしたら屈辱以外の何物でもない手順を踏まねばならないとは言え、自分は深淵魔王への覚醒が可能となっている。
これはどうした事かと考えるも、身体を病魔が如く蝕む痛みに、一瞬だが思考が紛らわされる。
――チッ、想像以上に痛いなこれ……――
そう心の中で愚痴り、女子トイレで、水に濡らしたタオルで打撲痕を拭く刹那に気付かれない程、小さな舌打ちを口の中で響かせるタカジョー。
自身に手傷を負わせた、あの金髪のサーヴァントから逃走した先のマンション、その中の公衆トイレの中に、二人はいた。
此処ならば、余程理性がぶっちぎれた主従でない限りは、騒ぎを起こせまい。人を殺し過ぎればルーラーからのペナルティが下されると解った今ならば、猶更だ。
マスターとしての桜咲刹那には、タカジョーも一定以上の評価を下している。しかし、彼女は甘い。根本的に殺し合いと言う行為を甘く見ている。
一番後腐れもなく、後顧の憂いと言う物も沸き立たせないベストな方策は、相手を殺す事である。この少女は、その最後の一歩が踏み出せずにいる。
地面に刻まれた、只人と人殺しを区分する境界線。彼女は其処に近付く事こそは出来るが、其処を飛び越えると言う事が出来ない。
それは悪手だ。下手な慈悲は、本当につまらない結果しか招きかねない。その結果が、今の惨状だ。自分も傷付き、刹那自身も決して見過ごせるレベルではない怪我を負ってしまった。
――だから覚悟を決めとけと言ったんだがな――
つくづく物覚えの悪いマスターだと呆れるタカジョー。
だからこそ、負う必要のないダメージを受けてしまうんだと、内心で毒づく。
が、今の刹那の現状は、無論彼女の性根のせいもあるが、それだけではない事も、タカジョーは知っていた。
刹那の事を小馬鹿にする一方で、タカジョーは刹那に対して一定以上の評価を下してもいた。豊富な魔力、高い戦闘能力。
下手な人物には後れを取らない。筈だったが、現状はこれである。如何に彼女が甘いと言えど、早々後れを取る事はない。
これに関して刹那に問い質した所、戦った敵マスターが単純に、自分の甘さ云々を抜きに、非常に強かったとの事。
――何者だそいつは――
考察するタカジョー。
あの時、目も眩まんばかりの金髪の男は、自分の事を『蠅の王』と言っていた。
ケルベロスが、自分の事をそう言うのは解る。相手は悪魔であり、己の霊性を確かめる術を知っているからだ。
だが、あの住宅街で戦った男は、断じてそう言った超常存在の関係者ではなかった。極々普通の人間。それに間違いがない。
悪魔としての性質を多分に含んでいるとは言え、今のタカジョーは『高城絶斗』であり、深淵魔王・ゼブルの要素は薄い。
サーヴァントであろうとも、余程悪魔や天使と言った存在と関係が深くなければ、自身の正体を割り出せる筈など、ないのだ。
それを、あの男は覆した。お前の正体など御見通しだ、と、物的・人的証拠を全て揃えて取り調べに臨む刑事の如き口調で、あの男は自分の正体を口にした。
あの金髪の男か、それともあの男のマスターの入れ知恵か。
それは解らない。どちらにしても、桜咲刹那程の手練を一方的に追い詰める程の強敵がマスターとなれば、打てる対策は二つ。
自身がマスターを葬りに掛かるか、そもそも相手にしないで逃げるか、だ。この場はタカジョーも、引いた方が良いと考えた。
ケルベロスならば兎も角、真っ当な人間のサーヴァントに自分の正体が露見された、と言う事が不気味過ぎる。機を窺う、いわば見の姿勢が、今は重要だろうとタカジョーは判断した。
思考を進めるタカジョーだが、細胞の一つ一つが擦り減り、蒸発して行くような痛みに、顔を少しだけ歪ませる。
本当に、忌々しいサーヴァントだった。ケルベロスを相手にした時ですらまだ余裕があったのに、まさか只人の身で、此処まで自分から余裕を奪えるとは思わなかった。
特に、あの刀から迸った極光の斬撃だ。魔王の尋常ならざる反射神経があったから、直撃を前に瞬間移動で回避できたから良い物の、
真っ当なサーヴァントであれば反応すら許さずあの極光斬に呑まれて、形も残らなかった事であろう。
しかし、直撃こそ防げたが、あの斬撃は、微かにタカジョーの身体を掠めた。そう、ただ掠めただけ。
それだけなのに今のタカジョーには、尋常ならざる痛みが、毒が身体を巡り巡るように循環していた。
魔王の存在を許さない、と言うあのサーヴァントの裂帛の意思がタカジョーを消滅させんと奮闘しているかのようだった。
そうならないのは、タカジョーに備わる魔王としての身体能力と、再生スキルがあったればこそであるが、彼以外の下手なサーヴァントであれば、
この痛みに今頃狂っている事だろう。それ程までに、あの極光の痛みは凄まじい。
存在の劣化が著しいと、タカジョーもゴチる。
高城絶斗と言う存在の格を誰よりも理解している彼だから解る。生前よりも自分の実力は大幅に弱体化している。
昔ならばこの程度の痛みはすぐに治ったが、如何もこの世界では――いや、サーヴァントの身ではそうも行かないらしい。
それでも、普通の再生スキル持ちに比べればずっと早い方である。何せ今のタカジョーには解らない事であるが、彼の身体を蝕む痛みの正体は放射線のそれである。
普通は治らない、自然治癒など以ての外。再生スキルで回復する可能性が多分にある時点で、既に異常と言う他がないが、それにしたって、悔しいったらないのだ。
人間に不覚を取ったと言う事実、そして、あのサーヴァント自体が、気に食わない。実物に出会った事はないが――そう、勇者だ。
まるで、光に愛され魔を蹴散らす、勇者とでも相対したかのような不愉快さが、タカジョーにはあった。魔王としての在り方は、そう言った存在を許せないのだろうか。
「それで、マスター」
ひとまず、あのサーヴァントの事を考えるのは後にし、タカジョーは身体を拭き終えたマスターに対して声を掛ける。
「この後の動きとかは、何か考えてるのかい?」
「学校に向かう、と言う意思に変わりはない。いや、もとい、一ヶ所に留まり続けるのは危険だと判断している。
住宅街で、範囲攻撃を行おうとする程の危険人物だ。人の住むこのマンションだとて、攻撃を全く行わない保証はないだろう」
「ま、そりゃそうだな」
刹那の人払いを、あの主従が認識していたかどうかはさておいて、あそこまでの範囲破壊力を秘めた攻撃を躊躇なくタカジョー達に放つ者達だ。
少なくとも、それが正常な人間のやる事だとはタカジョーも断じて思っていない。確かに刹那の言う通り、此処に留まり続けるのは、賢い判断とは言えなかった。
「逃げられるといいねぇ、此処からさ」
おどけたような口調で、タカジョーは口にした。怪訝そうな顔で、刹那は彼の事を睨む。
「どう言う意味だ?」
「近付いてるんだよ。サーヴァントの気配がこっちにさ」
カッ、と、目を見開かせる刹那。反射的に、夕凪を握る手の力が強まる。
「驚く事じゃないと思うね。ケルベロスの咆哮、あの狂人が放った閃光の規模。それを考えたら、サーヴァントが気配を察するのも珍しい事じゃない」
「此処に向かっているのか?」
「……いや、ちょっと待て。……ははーん、成程ね」
刹那の目線から見れば、それはそれは、あくどいとしか言いようがない笑みを浮かべて、タカジョーは一人納得した。
タカジョーの性格を知らない一般人から見ても、ニヘラ、と言うオノマトペを幻視するのではないかと言う程の、ベタついた笑みだった。
「どうした、ランサー」
「こっちに向かって来てるんだ、確実にそのサーヴァントは僕らに気付いてる。
が、僕は転移で距離を離せば、サーヴァントが持つ気配の察知能力から余裕で逃げられるし、相手を振り切れる。
マスターにしたって空も飛べるし、飛ぶ前に見つかったとしても最悪シラを切ればいいんだ。実際は気配を掴まれたからとて、焦る事はない」
「それはそうだが、何が言いたい」
「こっちに向かう主従がもう一組増えた。そっちも、僕らの方に向かってきている」
「何!?」
流石に二組同時にかかられては、刹那やタカジョーと言えどもなす術がない。
が、タカジョーは焦るな、と言わんばかりに刹那を制止。笑みはまだ崩れていない。
「まぁ落ち着きなよ。こっちに向かう主従は二つ。最悪僕らはその場から逃走する事に関してはとても優れているし、仮に僕らを狙って二組が合流したら、それはそれで面白い事になるんだ」
「……何?」
ニィッ、と、タカジョーの笑みが強まった。
「同士討ちが、狙えるからね」
.
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
雪村あかりが、サーヴァントとの戦闘を目撃したのは、全くの偶然と言っても良い。
戦闘を目撃したとは言うが、実際にサーヴァント同士が戦闘を繰り広げたのを見た、と言う訳ではなく、あくまでも彼女が見たのは、
戦闘の副次物と、戦闘が終わった後の場の被害であり、実際には、祭りの後を見たに過ぎない。
しかし、それが凄絶だった。あかりが見た副次物とは、自分は愚かバージルですら見切れない程の速度で天空へと伸びて行った黄金色の光の柱。
そして彼女が見た場の被害とは、巨人でも暴れ回ったのかと思わずにはいられない程滅茶苦茶になった、早稲田鶴巻町のある公園と、その周辺の住宅街。
公園は遊具と言う遊具、植え込みや樹木の類が全て、住宅は地下の基礎部分すら剥き出しにし、破壊されている程の有様で、大地震が起きたとて、こうは酷い様にはならないだろうと思わせる程の光景だった。
何が起ったのか、と破壊された公園や住宅街に集まりつつある野次馬達。それに紛れて、あかりも近づこうとするが――。
【其処に向かうのはやめろ】
と、頭の中に若い男の声が聞こえて来た。
念話。そう、自らのサーヴァントである、蒼コートの剣士、バージルが警告を発して来た。
【如何して?】
【悪魔の血がやけに警告を発している。その場所には、常人が触れれば身体に支障を来たす程の濃密な魔力が滞留している。中に入れば、兵器を埋め込んだ貴様どころか、俺ですら何が起こるか解らん】
常ならば突拍子もない話だと思ったが、今は魔術が当たり前のように蔓延る聖杯戦争の最中なのだ。素直に、バージルの言う事に従うとした。
【NPCにも、当然被害が?】
【俺ですら無事では済まないのだ。何の力もない人間が耐えられる訳がないだろう。心配しているのか?】
【全然】
素気無くあかりは否定した。彼女の心は冷え切っている。
今の彼女の究極の目標は、百億円の山を幾つ積んでもその価値を図れない、聖杯の獲得なのだ。
自分はそれを以て、あの地球破壊兵器を消滅させるのだ。その大業を秤に掛ければ……、縁もゆかりもないNPCが、千人死んだとて、あかりには如何でも良い事なのである。
【アーチャーは如何したい? 多分、まだこれをやったサーヴァントは近くにいると思うけど】
【敵に出会えば斬る。使えると判断したら、聖杯を獲得する直前までは利用してやる。だろう】
【そうね】
一先ずは、この破壊を齎したサーヴァントに接触を試みようと、両者は判断した。
敵であるのならば、斬り殺せば良い。此方に友好的な素振りを見せたら、利用してやれば良い。いわば、同盟だ。
バージルもあかりも、その辺りの融通は利く。但し、聖杯の獲得だけは絶対に譲れない。機を見て殺す事に、何の躊躇も二人にはないのだから。
通学途中で、聖杯戦争の一面に遭遇するとは、さしものあかりも予想は出来なかった。
これは大きな収穫と思いつつ、二人はサーヴァントの気配を頼りに、その場から立ち去り始めた。
消防か、警察かの車両のサイレン音が、うなじに埋め込まれた触手をフルフルと震わせるのであった。
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
立ちはだかる者は神だろうが悪魔だろうが斬り捨て地に伏せさせた、ザ・ヒーローでさえ。
立ちはだかる者は正義の極光で尽く焼き滅ぼして来た、クリストファー・ヴァルゼライドでさえ。
即ち、世にその名を轟かせる勇者であろうとも、ままならない事は多いものである。
主従合せた戦闘能力に関して言えば、類を見ない二人であるが、それでも、であった。
その代表的な物が、サーヴァントを発見・知覚出来る力であろう。
結論から言えば、ヴァルゼライドは極限までに戦闘に特化した人間だった。
力もある、技術の練度も凄まじい、どんな巨悪や巨獣をも葬り去る一撃必殺の宝具だとて有している。
正しく戦闘に関しては凄まじい天稟を持った男であるが、戦闘以外に気の利いた小技など、てんでこの男は持っていない。
生前統べていた、アドラー帝国数千万人の国民を魅了していたカリスマは、バーサーカークラスの召喚の影響で翳りを見せ、完全に、
戦闘以外に役に立つスキルを持っていないと言う現状が、此処に来てこの主従にのしかかっていた。
気の利いた小技、つまりは、相手を知覚出来るスキルなり宝具と言う意味だ。二人にはこれがなかった。
彼らはサーヴァントに備わった素の知覚能力で、先程仕留め損ねた蠅の魔王、タカジョー・ゼットらを捜索しているのだが、全く知覚範囲のネットに引っかからない。
当たり前だ、相手は数十〜百数十mもの距離を一瞬で転移すると言う芸当を、呼吸を行うかの如く行えるのだ。
つまり、逃げようと思えば簡単に彼らを振り切る事が出来る。こうなれば、二人はもうお手上げだった。追い縋れる筈もない。
普通であれば、此処で諦めもするのであるが――。
【捜すぞ、マスター。機運は俺達に傾いている】
この主従は諦めずに、あの主従を探していた。
<新宿>でのロール上賜られた名前を捨て、自身をザ・ヒーローと名乗る青年は、無尽蔵のスタミナで、辺りを走り回っていた。
敵は逃したくない、と言う根幹は同じだが、二人とも、何を思いタカジョーを討とうとしているのか、その方向性は違っていた。
ザ・ヒーローの場合は、自身の宿命もあった。
彼は元居た世界で、分霊であったとは言え、正真正銘本物の蠅の王と戦い、これを打ち倒した事がある。
分霊であろうとも強かったのは言うまでもないが、此処で重要なのは、魔王とは種族的な特徴として、極めて暗黒面の荒廃を好む性質が強い者が多い事が上げられる。
魔王や邪神と言った存在は、人理の敵であり、人類種の存続すら場合によっては脅かす程の驚異的な存在である。
故に、討ち果たす必要があった。何故ならばザ・ヒーローこそは、人類を護る為に、人の世の存続を強く祈り、剣を握ったその腕を振い続ける英雄なのだから。
一方でクリストファー・ヴァルゼライドの場合は、違った。
生前の行為を鑑みれば、間違いなくこの男は一線級の英霊であり、その魂の高潔さや、魂自体が発する光も、勇者のそれであった。
アレがマスターの言う通り、本物のベルゼブブの分霊(わけみたま)であるのならば、責務を以て葬らねばならぬとヴァルゼライドは確かに思っていた。
そして確かに、あの魔王は強かった。実力が矮化されていると、ザ・ヒーローは口にしていたが、戦って初めて解った。
それを全く感じさせない技のキレ、自らの魔王としての力を効果的に、そして、要所要所で発揮する判断力。
魔王が持つ怪物性と、勇者が誇る技術の練度。その二つを両立させた、あのタカジョーに、ヴァルゼライドは心中で称賛していた。
魔王と言うプライドの高い種族でありながら、危機に陥れば躊躇なく逃走の選択を選ぶと言う思い切りも、戦術面で見れば間違っていない。
掛け値なしの強敵。それが、クリストファー・ヴァルゼライドからみた、タカジョー・ゼット評だ。
故に、あの魔王は討たれねばならない。魔王だからと言う事もある。汚れた蠅々が世に蔓延る前に、それを断ちたいと言う気持ちに嘘も無い。
だがそれ以上に、あの魔王は、聖杯に到達する過程の『聖戦』にくべられるに相応しい供物だった。その強さも、魔王としての魔性も。全てが、聖戦に馳せ参じるに相応しい魔物だった。
ザ・ヒーローとヴァルゼライドの違いは此処だった。
前者は人理の固定化、人類種の存続を願い続けているのに対し、ヴァルゼライドは人類の為でもあり、自らの強烈な我欲を満たすと言う心に従い動いている。
ヴァルゼライドは強敵と認めた存在に立ちはだかれれば、その存在を斬り殺さずにはいられない、燃え盛る烈火の如き気性の男だった。
他の誰かが、あの魔王を倒すだろう。その為のお膳立ては既に整えられた。だから自分は今は退く。そんな思考回路は、ヴァルゼライドには存在しない。
逃げられた、だがあの状態ならば誰かが倒すだろう。それは甘えだった。逃げられた、許さないので追い縋り葬り去る。
それが今の、ヴァルゼライドの思考であった。要するにこの男は――極めて眩しい『短絡性』の下に、タカジョー・ゼット及び、桜咲刹那を追跡しているのであった。
【バーサーカー。あのベルゼブブの化身の強さは、如何だった】
【強かった】
幾らなんでもそれは要領を得ない。更に詳しくザ・ヒーローは切り込んだ。
何せ彼は、直接あの少年と剣を合わせてもないし、強さを目の当たりにしてもいないのだから。其処は、聞いて置きたい。
【俺自身、悪魔と戦う等と言う前例がない。比較は出来ん】
生前は悪魔と比して何ら遜色のない、悪鬼羅刹と見紛う様な存在を相手取った事があるヴァルゼライドであったが、
さしもの彼でも、本物の悪魔と事を争った経験はない。
【ただ決して、魔王を名乗るには役者としての器が小さい、と言う事はあり得なかった。それだけは確かだ】
【そうか。魔王が聖杯戦争に参戦する以上、相当な弱体化がされてる筈だけど、流石に蠅王。弱体化されても相当な手練みたいだ】
【案ずるな、マスター。相手が如何なる罠を用意し、如何なる力を発揮しようとも――勝つのは俺だ】
木の葉は瀑布を上れない。火は水を掛けられれば消える。
そんな当たり前の事を口にするかのような語調で、ヴァルゼライドは言い切った。
英雄――ヴァルゼライド――にとっては勝利を求め、これを得る事は常態のそれであり、如何なる不確定要素や最悪のパターンが方々に見られても。
例えどんな敵が目の前に現れても。この男は、自身の勝利を疑わず、生前幾百幾千と口にして来た、勝つのは自分である、と言う旨の言葉を臆面もなく口にするのだ。そしてそれが、ハッタリでもでまかせでもない事を、ザ・ヒーローは知っていた。
多くの人間が、道を走るザ・ヒーロー達とすれ違う。彼らは皆、ザ・ヒーローとは別の方向に向かっている様であった。
今走る早稲田鶴巻町は、本来今の時刻は人通りは少ない方である。それにも関わらず、まるで神輿か山車でも練り歩いているかのように人が多いのは、単純明快。
ヴァルゼライドが放った宝具によって齎された大破壊。それを見物、或いは様子見に行こうとしているからだ。早い話が、野次馬、と言う訳だ。
こう言った事が十分予測が出来たから、なるべく短期決着を心掛けていたが、その目論見は結局失敗に終わってしまった。
さりとて、ベルゼブブ程の大悪魔をそのまま逃がす訳にも行かない。見つけ次第、早急に処理せねばならない。
そんな事を考えながら、英雄二人は走る、走る、走る。
早稲田鶴巻町の住民が皆、あの公園周辺に向かったのではと言う程、今走る地域には人気がない。
まるで森の深奥にでもいるかのような静けさ。周りに聳えるのは、マンションと、住宅街。
【――気配を見つけたぞ、マスター】
遂に、ヴァルゼライドが敵の気配を捉えた。
空を飛べるマスターと、転移を自在に行えるサーヴァントの組み合わせからは考えられない程、騒動の場所であった公園周辺から距離が離れていない。
普通ならば、早稲田鶴巻町からは別の町に逃げるだろう。余程焦っていたのか、はたまた、自分達を迎え撃つ策があるのか。
ヴァルゼライドも考えたが、直にそれを捨てた。何が来るのかは解らないが、勝つのは自分だと、信じて疑っていないからだ。
ヴァルゼライドの感覚と指示頼りに、ザ・ヒーローも走るペースを引き上げる。
走って、走って。そうして向った先には、確かに、サーヴァントがいた。
但しそれは、先程までヴァルゼライドが死闘を演じていたサーヴァントとは全く異なる男だった。
左右にマンションが立ち並んだ車道の真ん中に立つその男は――気障ったらしい青いコートに袖を通し、腰に、ヴァルゼライドと同じく刀を差しているのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
抜身の刀を思わせる男だった。
それもただの刀ではない。世にその勇名を轟かせ、そして、幾千幾万もの武芸者の血で剣身を濡らして来た、殺しの刀だ。
鋼を思わせる銀髪をオールバックにした男で、顔つきを見れば若い事は確かなのだが、全くその年齢を悟らせない。
何が不機嫌なのか解らないが、鋭く威圧的な仏頂面が、状態であるかのように男の顔には刻まれており、それが正しい年齢を誤認させるのだ。
しかしその顔つきは、険が多いとは言え見事な物で、誰の目に映っても美青年と言う評価以外は下しようがなかった。
故に、昼の陽光を浴びた大海原のような青色のコートが、良く映える。普通人が着れば気障としか言いようがないそのコートが、その男にはよく似合っていた。
英雄達の直感が告げていた。
目の前の男は、強い。特に、サーヴァントと二度も交戦する機会に恵まれたヴァルゼライドには解る。
この男が、一筋も二筋も行かない難物であり、生半な行為と決意では、勝利は当然の事、引き分け(ドロー)すら手繰り寄せられない程の存在であると。
ヴァルゼライドが、腰に差した七本の刀の内の一本を引き抜き、実体化を始めた。
鷹が、同じ猛禽を相手に雌雄を決するかの様な瞳で、彼は、蒼コートの剣士、バージルを睨んでいた。
バージルは敵だった。餌でもなければ、聖杯/聖戦への前座でもない。れっきとした一人の、英雄を苦戦させる豪傑であろうと、ヴァルゼライドは認めていた。
「お前達が、あの場所を破壊したのか?」
バージルが問うた。立ち居振る舞いと全く乖離しない、巌の如き意思を感じさせる言葉だった。
先の戦いで、バインドボイスに直撃し鼓膜を破壊されたヴァルゼライドだったが、此処に来て漸く、マスターの潤沢な魔力の影響で、音が聞こえる程度に回復を見せていた。
「そうだ、と言ったらどうするつもりだ?」
ヴァルゼライドは、動じない。
「選択肢を二つくれてやる。俺達と組むか――」
「断る」
全てをバージルが言い終える前に、ヴァルゼライドは即答した。
予めバージルが何を言うのかを予期していなければ、そう答えるのは不可能な程の、凄い速度の返事だった。
「俺達の目的は、全ての主従を斬り伏せ、聖杯へと到達する事だ。誰に与するつもりもなく、誰に頭を垂れる事もない」
間髪入れずに、ヴァルゼライドは言い放った。
「この場で死ぬが良い、名も知らぬサーヴァントよ。俺達は貴様の屍を踏み越え、人理に万年の繁栄を誓うのだ」
その言葉を聞いた瞬間、バージルの体中から、殺意や敵意、覇気と言った、敵対者に向けられる様々な感情が吹き上がって来た。
だがそれは、殺人鬼や狂人が醸すような、統一性や指向性の欠いたそれではない。
寸分の互いなく対象存在に向けられている上に、研ぎたての刃の様に鋭い、英雄や猛者だけが放つ事の出来るそれであった。
「……人目が付く程暴れ回る狂人に、話が通じる訳がないか」
正味の話、バージルですら、この二名が同盟を受け入れるなどとは、露程も考えていなかった。
その理由は、彼の言葉の通り。一目のつく住宅街の真ん中に、最低でも対軍宝具規模の威力の一撃を打ち込むサーヴァントなど、正気の沙汰とは思えない。
話が通じる訳がないと言う前提で彼も話していたが、こうまで話が通じない、と言うより、我が強いと清々しさすら覚える程だ。
成程、これならば。躊躇なく閻魔刀の錆に出来る、と言うものであった。
「――You shall die」
強い敵意を言葉にしたその時、戦端が開かれた。
一切の気配もなく、ヴァルゼライドの周りを円形に取り囲むように、浅葱色の剣が現れ出でた。
まるで初めから其処に在ったとも言う様に、浅葱色の剣は宙空を浮遊、彼の身体の周りを旋回していた。
幻影剣と呼ばれる、銃と言う飛び道具を美学に反し扱わないバージルが用いる、魔力を練り固めて作った飛び道具だった。
旋回が停止すると同時に、ヴァルゼライドが音の速度でアダマンタイトで剣身が構築された刀を振るい、前方の四本を粉砕。直にその方向に移動した。
しかし、彼を囲んでいた幻影剣は後十本程も残っていた。そして、壊したのが前方向だけ、と言う事は、彼の背後にあった幻影剣は未だに健在と言う事を意味する。
音速を超える程の速度で、浅葱の魔剣が放たれる。ヴァルゼライドに、そして、マスターであるザ・ヒーローに。
ヴァルゼライドは背後から迫りくる幻影剣を、後ろ手に刀を振るう事で粉砕。彼のマスターであるザ・ヒーローは、ヒノカグツチを振り抜き、簡単に破壊して見せた。
そして残った幻影剣は、電柱や、建物の壁面に命中。剣身が全て、其処に埋もれてしまった。恐るべき、幻影剣の威力、直撃していれば、無事では済まなかっただろう。
ヴァルゼライドの一刀の間合いに入るまで、後、四cm程。
ヴァルゼライドが其処まで到達した瞬間だった。バージルが腰に差した魔剣・閻魔刀の柄を握り、それを鞘走らせたのは。
刀を大上段から振い落そうとしたヴァルゼライドは、稲妻の如き反応速度で、刀を握っていない左腕を動かし、左腰に差した刀を鞘ごと、
乱暴にベルトから引き剥がし、鞘に納められた状態で、右腰の辺りに動かした。
――刹那、腕が圧し折れんばかりの衝撃がヴァルゼライドの左腕に走った。
そしてその衝撃は、彼の身体ごと、それが舞い込んで来た方向に水平に吹っ飛ばした。
そのまま行けば電柱にぶつかる所を、ヴァルゼライドは気違い染みた反応速度で、ブーツの踵をアスファルトと接地させ、摩擦を以て勢いを殺す。
この時、目線はずっとバージルの方に向けられていた。だからこそ、気付けた。彼の姿が霞と消えたのを。
消えたと同時にヴァルゼライドは考えるよりも速く、優れた体幹軸を利用して回転動作を行い、その勢いを以てアダマンタイトの刀を振り回した。
ギンッ、と言う金属の衝突音が響いた。バージルが、抜身の刀でヴァルゼライドの一撃を防いでいた。バージルは彼の背後に佇んでいた。
大上段から刀を振り下ろす直前、バージルが、鞘に入れていた刀を引き抜こうとした動作を、ヴァルゼライドは見逃さなかった。
そう、あのヴァルゼライドですらが、腕を動かす動作が視認出来なかった程の動きで。頭が考えるよりも速く身体が行動していたのは、
ヴァルゼライドがこれまでに蓄積してきた異常とも言うべき戦闘経験があったればこそだった。
反応が遅れていたら、音に六倍する速度のバージルの神速の居合が、ヴァルゼライドの胴体を真っ二つにしていたのだから。
しかし、居合抜きは防げても、刀と刀が衝突した際に生まれる衝撃までは殺せない。その結果、ヴァルゼライドは吹っ飛ばされてしまったのだった。
どうやらこの男も、瞬間移動の使い手らしいと、ヴァルゼライドは考えた。
傍目から見たら、バージルが行った、瞬間移動から背後にまわり、其処から宝具・閻魔刀による刀の一撃を防げた事は、奇跡にも等しい行動だったと見えるだろう。
しかしヴァルゼライドにとっては、寧ろ此方の方が防ぐのは容易かった。何故なら彼は先の戦いで、瞬間移動を用いた練達のサーヴァントと戦っている。
故に、対処が出来た。そう、ヴァルゼライドは此処に移動する傍ら、あの瞬間移動をどう攻略するかと言うシミュレートを、頭の中で凄まじい密度で行っていたのだ。必然、対策出来る。この男なら。クリストファー・ヴァルゼライドなら。
閻魔刀とアダマンタイト刀に力を込め、鍔競り合いを行う二名。
如何なる圧力が込められているのか、刀と刀の接合面が、赫奕と赤熱し始める。
神速の居合を防いだ時点で解っていたが、この男、技術と力が極めて高いレベルで和合しあっている。
つまり、骨の髄まで、魂の底から戦闘者だ。一切の侮り、一切の油断は、してはならないと、改めてヴァルゼライドは強く認識した。
それと同時に、彼は大きく左方向にサイドステップを刻んだ。背後から一本の幻影剣が、己の心臓目掛けて射出された事を優れた勘が予期したからだ。
そしてそれは現実となった。貫くべき対象が消えた途端幻影剣は煙のように消え失せ、そしてバージル自身も、空間転移で移動し始めた。
転移先は、何処か。背後か、左右か。それとも頭上か、はたまた建物の中かこのような便利な力を持っているのならば、視界の死角に移動する事だろう。
――この男は違った。真正面だ。バージルは、クリストファー・ヴァルゼライドを、移動先に選んだのだ。
「見事ッ!!」
敢えて死角に回らず、小細工抜きに真正面から挑みかかる、バージルの精神性に惜しみない賛辞を与えつつ、ヴァルゼライドは、
アダマンタイトの刀の尖端を、バージルの心臓部目掛けて突き立てようとする。空気の壁を突き破る程のその一撃を、バージルは、眉一つ動かさず、
閻魔刀の柄頭で弾いた。勢いの強い攻撃程、弾かれた際に体勢が崩れやすい。気合で身体がよろけるのを、ヴァルゼライドは防ごうとした。
そして事実、それは功を奏したように思えたが、バージルの目に違った。この二名の戦いでは、ゼロカンマ一秒が隙になる。
余人が隙とすら認識出来ないほんの短い時間であるが、ヴァルゼライドの思考と肉体は、数瞬空白となった。これを狙わぬバージルではない。
電瞬の速度で、バージルは左腕の拳から肘部分を覆う、籠手の様な物を装着し始めたのだ。光の筋の様な物が籠手の表面を走る、神秘的な武器。
これぞ、バージルが持つ宝具、閃光装具・神韻剔抉。その真名を、ベオウルフと呼ぶ宝具だった。
身体を動かそうとするヴァルゼライドだったが、もう遅い。
ベオウルフを纏ったバージルの左拳は、英雄の腹部を寸分の互いなく打ち抜き、颶風に飛ばされる紙片の様な勢いでヴァルゼライドは吹っ飛んだ。
右手に握った刀をアスファルトに突き刺し、吹っ飛ぶ勢いを一気にゼロにして、彼は殺し切った。
本来ならば二十mは吹き飛ばされて然るべき所を、その半分以下である七m地点で留まらせる事が出来たのは、彼がクリストファー・ヴァルゼライドだからこそだった。
「まだだ!!」
ベオウルフを纏った左拳で殴られた腹部を中心に、全身に衝撃が伝播する。まるで修羅(アスラ)の拳にでも当たったかのようだった。
大腸が磨り潰されたような痛みは胴体を苛み、顔に走った刀傷を除けば極めて整った顔立ちであるヴァルゼライドの顔は、今や血まみれの状態だった。
殴られた衝撃で、鼻からは血が噴き出、瞳から血涙を流しているからだった。だがそれでも、英雄は止まらない。
痛み? それが如何した気合で耐えろ。内臓が悲鳴を上げている? 俺の身体の一部なら根性を見せてみろ。
俺の意思が挫かれない限り、俺に負けは訪れないし死にもしない。その証拠に、見よ。アスファルトに突き差した刀を引き抜き、戦う意思を更に滾らせる、この男の姿を。クリストファー・ヴァルゼライドは、まだ戦える。
バージルの周辺の空間に、幻影剣が配置、固定化された。
その数、彼の左右に計十本。切っ先は全て、ヴァルゼライドの方に向けられていた。
英雄が走る、翠剣が飛翔する。右手に握った刀を一振り、それだけで幻影剣の内三本は砕かれ、先程居合を防ぐのに使った、鞘に収まった状態の刀を更に一振り。
再び三本の幻影剣が粉砕された。残りの四つは、最小限の動きで回避する。そうするつもりだったが、ヴァルゼライドはまたも見た。
鍔鳴りが遅れて聞える程の、バージルの神速の居合。それを何故、剣身の射程外で――全てに気付いた瞬間、ヴァルゼライドはそのまま移動速度を上げ、
バージルへの接近を急いだ。幻影剣の回避を完全に度外視してしまったが為に、右肩、左胸部、腹部、大腿に幻影剣が突き刺さる。この状態で、ヴァルゼライドはバージルに突進していた。
それが結果的に、最善の方策だと解ったのは、次の瞬間だった。
先程までヴァルゼライドが疾駆していた地点に、青色の空間の断裂が何十本も走り始めたのだ。
もしも、もしもだ。ヴァルゼライドが移動スピードを速めていなければ、彼は空間の断裂に全身を斬り刻まれ、その場で即死していたに相違ない。
これぞ、バージルが有する本気の居合。音速を超え、神速を出し抜き、魔速の域に達した速度の居合を以て、空間や次元をも斬り断つ、
スパーダ直伝の剣術と閻魔刀の力が合わさった究極の居合。奥義、次元斬。果たしてこの技に掛かり、何体の悪魔が塵と化し穢土へと戻って行ったのか。
これをヴァルゼライドは、幾千も潜り抜けて来た死闘の経験が齎した野生の勘で回避したのだ。しかし、全く無傷だったわけじゃない。断裂の一本が、彼の左脹脛を捉えていた。結果、ホースの先から水が飛び出るかのように、彼の左足から血がたばしり出た。
そんな痛みよりも、今のヴァルゼライドにとって重要な事柄は。アダマンタイトの刀の間合いに、漸く達したと言う事であった。
Metalnova Gamma・ray Keraunos
「――超新星―――天霆の轟く地平に、闇はなく」
ヴァルゼライドの口から紡がれるは、必勝の詠唱(ランゲージ)。
あらゆる悪を討ち滅ぼし、己が意思を何処までも貫き、勝利と言う結果へと愚直に突き進む、クリストファー・ヴァルゼライドの星辰光。
常勝不敗の神話の体現たる星辰光(アステリズム)が今、<新宿>の地に二度煌めいた。
バージルがベオウルフを装着したのと同じ程の速度で、ヴァルゼライドの手にした双刀に、黄金色の光が纏われた。
鞘に収まったままの状態だった左手の方の刀は、光が有する圧倒的なまでの高熱で、鞘が一瞬で蒸発、黄金光で眩い剣身の姿が露になった。
溶かした黄金の様に光り輝くその剣身の、なんと汚れの無い高貴さか。エデンの園を守り、焔で燃え盛る剣を持った大天使であるウリエルこそが、
この男だと言われても皆は無言で首を縦に振ろう。それ程までの威圧感。それ程までの厳格性。今のヴァルゼライドには、それらで満ち満ちているのだ。
バージルの中のスパーダの部分、と言うよりは、悪魔の部分が、凄まじいまでの警鐘を鳴らし続ける。
あの黄金色の光は、危険過ぎる。あの光は生きとし生けるものに対する死そのものであり、それが例え悪魔や天使と言った超常存在にも、
等しく痛みを齎す魔の光であり、聖なる輝きであると。そしてバージルのその予感は、何処までも正しかった。
今ヴァルゼライドが二振りの刀に纏わせているその黄金光こそは、悪魔や天使どころか、無辜の人間にすらも死を与える、他ならぬ人類が生み出した、人類自身をも滅ぼす最悪の毒。放射線なのだから。
左手に握った黄金色の刀を、横薙ぎにヴァルゼライドは振う。
焦らずバージルは、鞘から引き抜かれた、刀紋の美しい閻魔刀の剣身で防御する。アダマンタイトの刀に纏わせた黄金光が、火花みたいに飛び散った。
防御される事など織り込み済みだと言わんばかりに、ヴァルゼライドは、バージルが閻魔刀で攻撃を防いだのと全く同タイミングで、
右手の方の刀を胸部目掛けて突き刺そうとした。彼の姿が掻き消える。空間転移。これでバージルが攻撃の間合いから逃れたのだ。
これを卑怯だとは思わない。自分が生まれ持った能力を有効的に行使する。これを如何して、卑怯と言えようや。
バージルはヴァルゼライドの真正面先三m地点に現れた。
腰を低く落とし、腰に差した閻魔刀の柄に右手をかけている状態。ヴァルゼライドが動いた。彼は不退転、後ろに引かず、真正面、バージルの方をただ往くのみ。
残像すらも捉えきれぬ速度で、バージルの右腕が霞んだ。そして、ヴァルゼライドは、それを見た瞬間、静かに瞑目を行った。何と、目を閉じたのだ!!
闇の中を走りながらヴァルゼライドが屈む、身体を半身にする、そして、地面を前転する。――果たして、誰が信じられようか。
彼はこう言った動作を行う事で――空間をも紙の様に切断し、遠方にいる相手をも容易く斬り殺すバージルの絶技、次元斬を避けた。
空間に走る青色とも、紫色とも取れる色の空間の断裂が当たらない。当たったとしても、それはヴァルゼライドの軍服であったり、皮膚一枚である。
一見すればバージルは無軌道に居合を走らせ、デタラメに空間の断裂を生み出していると思われるが、ヴァルゼライドはそれは違うと見抜いていた。
あの男は、此方の移動ルート、何処でどう回避するのかと言う予測を立て、空間を斬り裂いている。英雄はそう判断し、実際それはその通りだった。
高い技術を持った存在であればある程、バージルの絶技に引っかかる。しかし、ヴァルゼライドはその先を行く。
バージルの練度は恐るべきものだ。しかしヴァルゼライドもそれに追随する程の技量の持ち主。同じ程度の技量の持ち主だからこそ、解る。
相手が結局何を狙い、何がしたいのか、その為にはどのような行動を行うのかと言う事が。況してや相手は自分と同じく刀を操る。
故に、解る。発動までどのような軌道で走るのか解らない空間の断裂。バージルが何処に如何断裂を生み出すか、瞼を閉じた闇の中に白々と、次元斬が浮かび上がるかのようであった。
一騎当千の英雄等と言う存在が神話や叙事詩と言ったフィクションの中の世界にしかありえなかった時代に、
単騎で千の軍を無双すると言う、未来に現れた神代に生まれるべきだった英霊・ヴァルゼライドもそうであるが、
その彼に此処までやらせねば彼の命をも一方的に奪う事が出来るバージルもまたバージルだ。
この男との戦いを行っていた時間は、二分にも満たない短い時だった。電車やバスの待ち時間よりも、ずっと短いそんな時間。
しかしその短い刻の間に行われた戦いは、確かに神話の戦いだった。聖戦だった。英雄が魔物を討ち滅ぼす瞬間だった。
鞘に収まった閻魔刀を引き抜こうとバージルが柄に手を掛けたのと、裁きの光を纏わせた刀をヴァルゼライドが振り落としたのは殆ど同時の事。
バージルは思考速度よりも早く、自らの周りに幻影剣を円陣状に展開させる。剣身は自らの外側の方を向いており、この状態で幻影剣を高速で回転させた。
近付けば回転する幻影剣が、不用意に近付いて来た者の肉体をズタズタにしている事だろう。現にヴァルゼライドの腹部は、回転する幻影剣でズタズタにされていた。
大腸など最早機能しないのではと言う程の損壊を負っている。それが如何した。奥歯が割れんばかりに歯を食い縛るヴァルゼライド。
この程度で、刀を振り下ろす手を止めやしない。いや――気のせいか。振り下ろす速度が、途中で……『上がった』。
「ヌグアァッ!!?」
そしてとうとう、敵対者を滅ぼす裁きの剣(アストレア)が、バージルを捉えた。
先ず彼の身体に走ったのは、極熱。これは、ヴァルゼライドの刀自体が纏う光熱に拠るものだった。
それよりも問題なのは、バージルの身体を急速に伝播する、身体の細胞と言う細胞が泡のように弾けて行くような、正体不明の痛み。
酸を浴びせ掛けられるのとも違う、炎を浴びせられるようなそれとも違う。正体不明、原理不明の痛みに、バージルは苦しんだ。
ヴァルゼライドは止まらない。目の前の敵は生かしては帰せぬ強敵であるが故に。
今度は左手の刀を振るい、バージルを消滅させようとするが、ヴァルゼライドの極光斬に直撃しても、彼の意思は萎えず、そしてまだ戦闘が続けられるのだ。
バージルの姿が霞と消えた。振るった刀がスカを食う。背後に感じる、あの男の気配。ヴァルゼライドは前方方向に跳躍しながら、身体を背後に向けた。
バージルはヴァルゼライドの三m程後ろの、高度十m地点に瞬間移動をしていたらしい。既に閻魔刀は鞘に仕舞われており、未だに彼の身体には幻影剣が円陣を組んでいる。
――違うのは。先程ヴァルゼライドを殴った時に纏わせた、閃光装具・ベオウルフ。
それと思しき宝具が、四肢に纏われていた事だろう。
「ハァッ!!」
裂帛の気魄を声に出し、バージルが流星の如き勢いで斜め下に急降下していった。
正体不明の金属で出来たバトルブーツを纏わせた右足を伸ばし、ベオウルフから光の奔流を放出、それをブースター代わりにして。
正しくバージルは光の矢の如き速度で、アスファルトに衝突。地面が揺れる、アスファルトで舗装された分厚い道路が焼き菓子の様に真っ二つになる。
割れて真っ二つになったアスファルトは四m程も舞い上がる。もしも、この一撃に直撃していれば、ヴァルゼライドは如何なっていたか。
論ずるべくもない。肉体は欠片も残さず、血色の霧煙となっていた事だろう。バージルの放つ、スパーダ直伝の格闘術、流星脚には、それ程の威力があるのだから。
「俺には解せんよ、サーヴァント」
油断なくバージルの方を睨み、黄金光を纏わせた刀で、それまでずっと身体に突き刺さっていた状態の幻影剣を砕きながら、ヴァルゼライドが言った。
「力もある、そしてただ単に、人智を逸した力を示威するように振うだけの愚か者でも貴様はない。其処に、確かな技倆を絡ませた、本物の戦士だ貴様は。その点に一切の疑いもない、俺は貴様を称賛しよう」
「だが――」
「お前が磨き上げたのは、その内に眠る『人智を超えた領域だけ』だ。よくも此処まで磨き上げた物だよ。大した奴と言いたいが……お前は如何して、確かにお前と言う存在を構成している、人間の部分を軽んじている」
厳密に言うのであれば、クリストファー・ヴァルゼライドと言う男は、本当の意味で人間ではない。
彼が操る超常の力、星辰光(アステリズム)とは、生前彼が統治していたアドラー帝国で、才能のある人間が強化手術を経ねば得られぬ力であり、
この手術を経た人間、つまりは星辰体感応奏者(エスペラント)と呼ばれる存在達は、ある意味で改造人間と言う事が出来る。
無論この能力を使う以上、ヴァルゼライドも当然手術を受けたのだが――彼の場合は、少々事情が異なる。
彼が受けた強化手術とは厳密には、人造惑星(プラネテス)と呼ばれる星辰体感応奏者(エスペラント)の上位種と言うべき存在になるべきそれであり、
とどのつまり星辰体感応奏者になる為の手術とは、人造惑星になる為の措置条件をより緩やかにしたそれに過ぎないのだ。
そう、ヴァルゼライドは厳密には人間ではない。人造惑星(プラネテス)と呼ばれる、人間の遥か先を行くスペックを保有した改造人間なのだ。
とは言え、そんな存在になったから、今のヴァルゼライドが在る訳ではない。不撓不屈、人智を逸した光の意思。
それらは生まれながらにヴァルゼライドが有していた財産であり、これがあるからこそ、彼はゼウス-NO.γ 天霆(ケラウノス)ではなく、一人の人間、クリストファー・ヴァルゼライドとして活動出来るのだ。
自身もある意味で人間を逸脱しているからこそ、ヴァルゼライドには解ってしまった。
目の前のバージルもまた人間ではない。正確に言えば人間と、ヴァルゼライドの知識にもない強大な力を秘めた『何か』との相の子であるである事を。
そしてバージルが、自身の人間的な部分を嫌い、自らの力の源泉である、悪魔としての部分を磨く事に全てを賭け、結果、極限閾まで達した存在である事も。ヴァルゼライドは解ってしまった。
「それでは、貴様は勝てん」
冷徹に、ヴァルゼライドは告げた。
「勝つのは俺だと言う事実に一切の揺らぎはないが、人としての部分を誇りに思わぬ貴様では、俺は当然の事、他のサーヴァントにも後れを取ろう」
それは、ヴァルゼライドの根幹でもあり、彼と言う存在を成す哲学だった。
自身、自らで考える意思を持ち、逆境に遭えばそれを乗り越える不撓さを発揮する、と言う、己が人間であると言う絶対の事実に拘りを持ち続けた男。
そしてそれこそが、人を人足らしめる強さであると彼は堅く信じていた。だからこそ、ヴァルゼライドは高く評価していたのだ。自身の敵でもあった土星の人造惑星と、水星の人造惑星の誇りを、忘れた事など彼は片時もない。
両手にそれぞれ握られた、黄金色の焔の剣を構え、ウリエルを幻視させる様な英雄は、更に続けた。
「貴様の屍(かばね)を踏み越えて、俺は貴様の先を往く。冥府に下る準備は出来たか、サーヴァント」
余りにも一方的で、バージルに言葉と言う言葉を挟ませる隙もない弁舌。
しかしバージルは確かに、その言葉の意味を咀嚼していた。そして、その瞳にはヴァルゼライドを映していなかった。
生前の最期の光景――『バージル』としての意識が残っていた、最後の瞬間の事を思い描いていた。
何から何まで対照的だった、双子の弟とのやり取りを。
――そんなに力が欲しいのか? 力を手に入れても、父さんにはなれない――
――貴様は黙っていろ!!――
――俺達がスパーダの息子なら……受け継ぐべきなのは力なんかじゃない!!――
――もっと大切な……誇り高き魂だ!!――
――その魂が叫んでる……あんたを止めろってな!!――
――悪いが、俺の魂はこう言っている――
「……俺も覚悟を決めた」
真っ二つに破断したアスファルトの真ん中で、ベオウルフを装着したバージルが、構えを取った。
ヴァルゼライドはその構えを見て、生前の知り合いである、ある事情で右腕を鋼のそれに変えさせた老拳士を幻視した。彼の構えと、瓜二つだった。
「貴様は生かして帰さん、人間」
人の事情など一切知らず、ズカズカとその領域に土足で入り込み、剰え上から目線で御高説すら垂れるこの男を。
バージルは、断じて許さなかった。御高説を垂れるにしても、話す内容が悪すぎた。
何故ならば今のヴァルゼライドの高説は、バージルと言う男の決して触れてはならない琴線を、快刀で一閃する様な発言だったからだ。
バージルと言う男の生前を一切否定する内容であったからだ。
殺意の光波を体中から発散させて、バージルは、射抜くが如き鋭い目線でヴァルゼライドを睨めつける。
生前の最期が最期だ。愚弟が口にした、人間としての部分も、尊重はしよう。それでも、バージルの認識はサーヴァントとなった現在でも、変わる事はない。
――もっと力を――
これこそが、バージルが終生追い求めた、真理であり、不変の事実であるのだった。
.
前半の投下を終了いたします
皆様投下乙です、感想は後ほど
葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)
佐藤十兵衛&セイバー(比那名居天子)
塞&アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)
予約します
前編投下乙です。
ヴァルゼライドが登場すると毎回街が滅茶苦茶になっていく恐ろしさ。
最早事故直後のチェルノブイリに足が生えて動き回っているかのような大迷惑。
しかしそれ故に出る度凄まじい名勝負を繰り広げていて、抜群の見応えがあります。
またキャラの魅力に加えて巧みな表現と、互いがどんどんと奥の手を出して際限なく激しさを増す構成も相まり、
読みながら思考が感嘆符と興奮に埋め尽くされました。
これに後半が控えているというのも凄まじい……
読む人間の知性も吹っ飛ぶような激しいお話、面白かったです。
>>214 の予約を延長させていただきます。
期限に間に合わないので>>214 の予約を破棄させていただきます
酉
今までクソサボってた感想を投下します。◆2XEqsKa.CM氏、散々待たせて申し訳ございません
>>唯我独善末法示離滅烈
ツクール2003の要領を得ない戦闘シーンから、此処まで描写出来るその筆力に脱帽するしかないですね。
バッターのバーサーカーとしての実力は、身体能力よりも、アドオン球体などを用いた多芸な戦闘展開、と言う事がこれでもかと主張されて凄いと言う他ない。
浄化狂いのバッター君に付き添うセリューさんの良妻振り好きです。いいコンビだなぁと思う一方、二人の願う正義の行く末は大きく異なりますので、
其処からどのような結末を辿るのか、非常に興味が湧いてくる反面、それが恐ろしくもなると言うか。
そして後半の、最早お約束となった忍殺キャラクター登場時の、忍殺文体の再現力。それがもう見事としか。
ソニックブームが、ソウカイヤの魔の手もなければ重金属酸性雨も無い新宿の生活を、何のかんの楽しんでいた、と言うさりげない一文が好きなんですよ。
忍殺の世界はかなり退廃的で末法的世界ですから、例え再現された世界と言っても、その平和を噛みしめていたと言う辺りが、どうにも切なくて。
セリューと同盟、と言うの名の一方的な利用関係を築こうと言う作戦は、バッターの予想していなかった能力で阻止されましたが、
その辺りの描写も、スカウトとヤクザ的恫喝を生業としていたソニックブームらしくて見事だったとしか。今回は、相手が悪かったとしか。
戦闘能力だけならば<新宿>でも上位クラスですが、総合力で見れば中堅どころのソニックブームと清音ペアと、そもそも指名手配をかっくらってるキチガイ正義ペア。
今後の顛末が気になる本編でしたね。……て言うか閣下、何時の間にセリューさんの電話番号を知ったんですかね……。メフィスト病院の技術力の乱用はNG。
ご投下、ありがとうございました!!
待たせたと言えば、本編の後編を今から投下します
此処に、一つの破片が宙を舞っていた。
材質はアスファルト。大きさは何処にでも転がっている小石と同じ程度の大きさ。
先程バージルの流星脚で割られた道路。それが力の掛かり方と加減の妙で、小石の様な形の破片を生み出したのだ。
高度五十m程の距離に達した途端、それは、上に上にと言う勢いを失って行き、地面への落下を始めた。
高度十五m程の所に、その小石が差しかかった、瞬間だった。
円陣を組ませていた幻影剣を全てヴァルゼライドの方へと射出させると同時に、バージルが地を蹴って突進していったのは。
瞬間移動など用いずとも、悪魔の脚力が生み出す移動速度は、自動車やバイクのそれよりもずっと速い。
ヴァルゼライドはこれに反応、先ずガンマレイを纏わせた刀で幻影剣を全て砕いた後で、刀を横薙ぎに振るう。
が、バージルはこれを、ベオウルフの籠手を纏わせた右腕で防御。凄まじいまでの衝撃がバージルの腕に走り、途轍もない頑健さの金属を思いっきり打ち叩いた様な痺れがヴァルゼライドの腕を伝って行く。
だが、片方の腕は動く。
ヴァルゼライドがそう思い、空いた左腕を動かそうとしたその時だった。バージルが装備するベオウルフから、
指向性と物質的質量を伴った眩い光が放出され、それにヴァルゼライドが吹っ飛ばされたのは。
ベオウルフと呼ばれる宝具は、嘗て魔界に存在した同名の、光を操る上級悪魔の魂が武器へと変貌を遂げたものである。
そう言った悪魔は自ら認めた勇姿に魂を捧げ、武器に転生してその者の為に尽くす事が、極々稀な事例だが存在する。
実際には強制的に魂を武器に変貌させられると言う事例の方が殆どなのだが。ベオウルフと言う悪魔が光を操った事からも解る通り、この宝具も、
光を操る事をその神髄としている。ヴァルゼライドを吹き飛ばした質量を持った光とは、当然、ベオウルフの神髄の発露だった。
数m程の距離をヴァルゼライドが吹っ飛ばされたのと、バージルが右腕のベオウルフに光の力を収束させたのに、殆ど時間的な差は存在しなかった。
そして、ヴァルゼライドが地面に足をつけ、体勢を整えたのと、収束させた光の力を放出させたのは、同時だった。
右腕を勢いよく突出し、光球を凄まじい速度でヴァルゼライドの方へと飛来させる。
光の刀をヴァルゼライドは振い、バージルが放った光球を斬り裂いた。そしてそれが悪手だったと、ヴァルゼライドは知る。
かなり無理な姿勢で右に横転する。彼が先程までいた空間に、青色をした幾十本もの空間の断裂が走った。バージルが放った次元斬である。
主要な臓器を斬り裂かれる事は防いだが、左肩を深く、断裂に斬られてしまった。
立ち上がろうとヴァルゼライドは体勢を整えるが、カッ、と目を見開かせる。そして急いで、身体や頭、四肢を絶妙に動かした。
バージルは、あの次元斬でヴァルゼライドを仕留められるとは欠片も思っていなかった。故に彼は――避けた先にも次元斬を放っていたのだ。
断裂が空間に走る。心臓や肝臓、肺や頸動脈と言った急所を寸分の互いなく狙うその断裂であったが、ヴァルゼライドは、未来予知染みた反射神経で、
そう言った急所に迫る断裂を尽く回避して行く。しかし、断裂そのものは全て回避し切れてない。
逆に言えば、急所以外の身体の部位は全て断裂の餌食になっているのだ。攻撃を行うに支障がない程度には、ダメージを受けているのだ。
――まだだ――
ヴァルゼライドの心の熾火は消えない。
餓えたる獅子の如き眼光をバージルに向けながら、ヴァルゼライドは、ガンマレイを纏わせた右腕の刀を頭上目掛けて一振りさせた。
薄氷の砕け散る様な音が鳴り響いたのと時を同じくして、アスファルトに幻影剣が何本も突き刺さった。
バージルはヴァルゼライドの頭上に幻影剣を何十本も固定させ、それを五月雨の様に降り注がせたのだが、彼はこれを、刀を振るい、自分に刺さる物だけをピンポイントで破壊したのだ。
――此処までに経過した時間は、一秒。
バージルの姿が掻き消えた。
ヴァルゼライドの視界の死角ではなく、敢えて真正面に立つと言うその選択。自分の技量に絶対の自信がなければ、選べぬ選択だった。
バージルの四肢から、ベオウルフが消え、閻魔刀の柄に手が伸ばされている。この男にとって、己が両腕両脚程信頼に足るもの、それこそが、この閻魔刀である事の証明だった。
放たれた拳銃よりもずっと速い速度で、バージルが閻魔刀の柄頭でヴァルゼライドの胸部を打とうとする。
直撃すれば間違いなく胸骨が粉々になっている所を、ヴァルゼライドは刀の剣身で防ごうとするが、直撃するまで、まだ大分距離がある所でバージルが攻撃をやめた。
誘導(フェイント)、と気付いた瞬間、漆黒の鞘の鐺(こじり)が、ヴァルゼライドの左大腿を打擲した。
どうやら刀だけでなく『鞘自体』も宝具に等しいらしい。脚に与えられた痛みが、半端なものではなかった。
そして放たれたのは、神速の居合。音の六倍にも達するスピードのその居合は、真っ当ならば、鞘で叩かれた痛みに苦しんでいる間に直撃。
直撃した存在は、余りの居合の速さの故に、自分が刀で斬られた事すら認識出来なかった事であろう。
痛みから気合で覚醒し、ヴァルゼライドは黄金刀でバージルの居合に対応、防いだ。
それを防御するなり、この英雄は空いた方の手で握った刀でバージルを斬り殺そうと動かすが、それよりも速くバージルは閻魔刀を振い、その一撃を弾く。
体勢が崩れかける所を、培った技術と気合で持ち堪え、そのまま、先程バージルの居合を防いだ方の刀で彼に刺突を放とうとするが、
彼はこれを、閻魔刀でやはり弾いた。チンッ、と言う小気味の良い鍔鳴りの音。バージルが鞘に閻魔刀を仕舞い込んだ――刹那。
鞘から稲妻が迸ったのではと思う程の速度で彼は抜刀術を行い、ヴァルゼライドの首目掛けて居合を放つ。これを紙一重で防御するが、
バージルは防御されたと解るや、直に閻魔刀を、ガンマレイを纏わせたヴァルゼライドの刀から引き離し、閻魔刀を振り下ろした。今度は右肩の方だ。
英雄はこれも、左手で握った刀で防御するが、刀と刀が衝突した瞬間、間髪入れずにバージルは閻魔刀を引き離し、再び振う。
それをヴァルゼライドが防ぐ、再びバージルが閻魔刀を振う。防ぐ、振う、防ぐ、振う――。
バージルが閻魔刀を、振るう。薙ぐ。振り下ろす。斬り上げる。突く。袈裟懸けにする。振う。振り下ろす。斬り上げる。袈裟懸けにする。
その全てが、一撃必殺の威力を内包した魔速の一振りであり、一つたりとも喰らって良い技ではなかった。
であるのにこの男は、ただ単に、速いだけの攻撃を繰り出しているだけではない。時には信じられない位遅く刀を振るいその落差でヴァルゼライドの瞳を狂わせ、
時にはバージルの技量からは信じられない位雑な軌道で刀を振るってヴァルゼライドの思考を漂白したりと。
ただ単に、人間を越えた存在が有する異能や身体能力だけで戦うのではない。努力によって獲得した超絶の術技と剣理で、相手を圧倒する。
それは正しく、ヴァルゼライドが理想とする所の、究極の戦闘者の戦い方であった。
放つ一撃、紡がれるコンビネーション。そのどれもが必殺、超速、そして玄妙。
それを放つバージルもバージルなら、その一つ一つに対応して見せるヴァルゼライドもヴァルゼライドだ。
この男はバージルが放つ眩惑的な連続攻撃の数々を全て、両手で握った刀で防ぎきっていた。
頭で何かを考えるよりも速く、身体が対応する。最初の方は天運ありきで防げていた行動も、目が慣れ、シナプスが繋がって来るや、
確証を以て腕を動かし、バージルの絶技の数々を防げるに至っていた。しかし、相手の方も負けていない。
徐々に、居合のマックススピードが上がって来ている事を、ヴァルゼライドは認めていた。断言出来る、この男は未だ、本気で居合を放っていなかった。
バージルの一撃をヴァルゼライドが防ぐ度に、衝撃波が彼らの周りを駆け抜ける。
アスファルトはそれに衝突し砕け散って行き、車道の両脇に建てられたマンションの壁面や電柱は、衝撃波で削られて行く。
この二人が本気で戦えば、今いる早稲田鶴巻町どころか、早稲田全域が砂地になるのではないのかと言う程の破壊の勢いが、
こんな限定的な被害で済んでいるのは、偏にバージルが閻魔刀の真の力とスパーダの血を解放させていないから。
そしてヴァルゼライドが、己が星辰光(アステリズム)の真なる一撃を放っていないからに他ならなかった。
バージルの姿が消える。必然連撃が止む。
彼はヴァルゼライドの目線の先十m程の地点に佇んでいた。ヴァルゼライドが動くよりも速く、バージルが動いた。
英雄は動けなかった訳ではない。動かない方が、この場合は対応が上手く行くと判断したからだ。
――此処までに経過した時間は、二秒。
「Scum」
バージルの身体が消えた。
瞬間移動、ではない。それと見紛う程の速度で、地面を蹴って駆けだしたのだ。
地面を滑っているとしか思えない程スムーズかつ高速のこの動きは、摩擦抵抗にこの男は害されないのか、としか思えないだろう。
閻魔刀の間合いにバージルが入った瞬間、彼はそれを目にも留まらぬ速さで中段から横薙ぎに振るう。
ヴァルゼライドは即座にその攻撃に対応し、星辰光(アステリズム)を纏わせた刀で防御する。
ギィンッ、と言う金属音が生じると殆ど同時に、バージルは閻魔刀の刀身を引かせ、再び閻魔刀を振う。左上段から袈裟懸けに振り下ろす。
やはりヴァルゼライドは、人外の域にある反射神経で、先程の、中段からの攻撃を防いだのとは違う方の手で握った刀でバージルの攻撃を防御する。
今度は此方の番だと言わんばかりに、ヴァルゼライドは右手に握った刀を振り下ろそうとする。が、バージルはこれを防いだ。
しかも、閻魔刀ではない。バージルは何と、純度と密度を高めた幻影剣で、星辰光を纏わせたヴァルゼライドの鋭い一太刀を防いだのだ。
が、根本の宝具ランクの差故か、幻影剣は攻撃を受け止めた瞬間に亀裂が生じており、次バージルの膂力で振るおうものなら、その瞬間木端微塵になるだろう。
そして躊躇いもなく、バージルはその幻影剣の一本を、超至近距離で爆散させる。
凄まじい熱量を伴った魔力の爆風は、主であるバージルの方には一切向かわず、全て、敵対者ヴァルゼライドの方に指向性を伴って向かって行く。
爆風にほぼゼロ距離で直撃、吹っ飛ばされながらも、ヴァルゼライドは根性で体勢を整え、ブーツの踵部分をアスファルトに無理やり接地させ、勢いを殺し尽くす。
軍服は所々が破れ、黒く焦げた生身の部分が露出されていた。それでも顔面が無事の状態なのは、幻影剣が爆発するその瞬間に、両腕で顔面を覆って頭に対するダメージを防いだからだ。
――見切った――
次にバージルが行おうとした魂胆を見抜いたヴァルゼライドが、地を蹴り、彼の下へと急接近した。
即決即断、思い立ったらすぐに行動に移すと言うこの英雄の行動は、決して無鉄砲から来るそれではなく、バージルがやろうとしていた事を正確に読んだからの事だった。
簡単だ、バージルは今、ヴァルゼライドが吹っ飛ばされた所目掛けて、次元斬を放っていた。空間に刻まれる、魔速の居合によって生み出された空間の断裂は、
しかして、ヴァルゼライドの生身を斬り裂き抉る事無く、単なる虚空を裂くのみの結果に終わった。
だがバージルの方も、敵対するヴァルゼライドが次元斬を回避する事を読んでいたらしい。明らかに、断裂の数が少なく規模も小さかった。
本命は、彼が接近をする事に合わせて放つ、渾身の居合であろう。この悪魔はその準備をすでに終えており、腰を低くし、ヴァルゼライドの接近を待ち構えていた。
そうはさせじと、ヴァルゼライドが、アダマンタイトの刀の間合いの外で、それを振り被っていた。
悪魔としての『直感』が風雲急を告げている。
居合を行う事を中断し、直に、瞬間移動で距離を離す。二十m、バージルの激しい気性からは信じられない程弱腰な選択で、距離を離し過ぎとしか思えないだろう。
そして、その選択が、最良だったと解ったのは、次の瞬間。天空から黄金色の光の柱が、嘗てバージルが佇んでいた所に亜光速で降り注いだのだ!!
余りの熱量で着弾点のアスファルトは沸騰、気化、蒸発の三プロセスを一瞬で経ただけでなく、そのポイント周辺の地面が、沸騰し溶岩化していた。
莫大なエネルギーを内包した超高速度の光の激突が生んだのは、熱量だけでなく、凄まじい衝撃波も生み出し、距離を離したバージルにすらそれが届いた程だ。
周辺のマンションはグラグラと、ヴァルゼライドの放った宝具の影響で激震しており、構造力学的に安定してかつ強固な筈のそれらは、
積木の建物みたいに不安定に揺れていた。これぞ、ヴァルゼライドの放った宝具の真骨頂。科学とヴァルゼライドの意思から成る、
『神』造兵装ならぬ『心』造兵装とも言うべきそれは、星ではなく、彼個人の心の在り方が生み出したと言っても良い、彼だけの雷霆(ケラウノス)だった。
――此処までに経過した時間は、三秒。
カツーン、と言う小さな音を立てて、アスファルトの破片が道路に落下した。
以上が、この二人の怪物が、短い時間の間に行った殺意の応酬のあらましだった。
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自分のサーヴァントが強いと言う事は、解っていた。
最初の戦いの時に、あの生意気な年増の女魔術師が使役していたセイバーを苦もなく斬り殺した事からも、それは推察出来た。
しかし、その時に見せた自身のアーチャー――バージルの戦いぶりは、ほんの小手調べと言った風が拭えなかった。
今あの男は、間違いなくその神髄を見せて戦っている。今になって、バージルのマスターである雪村あかりは、自身が引き当てたサーヴァントの強さと、恐ろしさを知った。
触手兵器を埋め込み、常人を凌駕する反射神経及び身体能力を手に入れたあかりですら、残像は愚か影すら追う事の出来ない速度の抜刀術。
弾丸を超える程の速度で幾つも射出される上、ライフル以上の威力を有する幻影剣。これらだけでも脅威なのに、瞬間移動を巧みに戦闘に組み込むその技量。
あれが自分の求めに応じて現れたサーヴァントなのかと、あかりは恐ろしくなった。
あの男ならもしかしたら、自分の仇敵であるあの地球破壊生命体を殺せるのでは、と、今の戦いぶりを見て幾度思った事か。
自分は当然の事、あのタコの化物のような男ですら、バージルの前に立てば、何の反応すらも許さず殺害出来るかも知れない。
では――その悪魔と相対して、あそこまで持ち堪えられている、軍服のサーヴァントは、何なのか。
狂おしいまでの信念を軸に、バージルの超絶の猛攻を防ぎ続ける、あの金髪の男、クリストファー・ヴァルゼライドは、一体。
自分が信じる最強のサーヴァントと、その敵対者の目まぐるしい攻防を、あかりは、彼らが戦っている近くのマンションの外廊下から観戦していた。
そんな場所から眺める理由は、単純明快。隙あらば、相手のマスターを自分が葬る気でいるからだ。
バージル自分から直接打って出る事を好む所とするサーヴァントであるが、しかし、正々堂々かつ騎士道精神に則った戦いを旨とした男と言う訳ではない。
つまり、雪村あかりがエンドのE組で今まで培ってきた、暗殺についてのノウハウを彼は否定しないのだ。
隙があれば、お前がマスターを暗殺しても良い。それが勝利に繋がるのならば、何も言う事はない。それが、バージルのスタンスだった。
――結論から言おう。その隙が、全くない。
雪村あかりはマンションの三階からずっと、ヴァルゼライドのマスターであるザ・ヒーローの動向を注視しているが、
全く付け入る隙が存在しないのだ。これは暗殺に限った事ではないが、相手に隙があればあるほど、暗殺も戦闘も、成功や勝利と言う結果で終わる可能性は高まる。
だからこそ、色仕掛けや酒による酩酊、情事などと言った営みの最中に、暗殺が行われる事は多いのである。
エンドのE組で、殺せんせーや烏間、イリーナ等と言った手練に、暗殺の戦闘の基礎応用を叩き込まれているあかりは、そう言った隙を観察する能力に、
普通人より長けている。それでも尚、あのマスターには隙らしい隙が見当たらないのだ。恐らくは、烏間やイリーナですら、あの青年に隙を見出す事は不可能だろう。
年齢は、あかりと大差がない。中学生特有の幼さが消えつつ顔立ちを見るに、高校生か、大学生なのだろうか?
バージルの幻影剣を、燃え盛る剣で破壊する程の反射神経から、彼がただ者ではない事は一目でわかった。だが、此処までとは。
一体、どのような戦場を体験すれば、あの男の様な境地に至れるのか? あの男には、どのような過去があったのか?
解らない事が多すぎる。戦場では如何でも良い事など考えるなと、あの自衛隊からやって来た教員は厳しく指導していた。
それは当然解っているのだが、そんな事を思わず考えてしまう程には、隙がないのだから仕方がない。
今飛び掛かっても、返り討ちに遭うだけなのは解っている。何か、何かあの男の隙を生むような要素はないか。そんな事を考えるあかりであったが――。
それはすぐに、訪れる運びとなった。但しそれは、バージルとヴァルゼライドが今も行っている魔人同士の死闘の趨勢が変わったとか言う訳ではなくて……。
第三者、それも、自分の知らないサーヴァントの闖入によって、であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それは、ザ・ヒーローにとっては殆ど不意打ちと言っても良かった。
蒼コートを纏ったアーチャーと、自身が信ずるバーサーカーの熾烈な戦いを見ながら、未だにこの場に姿を現さない、
敵アーチャー、バージルのマスターを目視と鋭い感覚で探していたザ・ヒーローの背後に、唐突に現れた強大な気配。
それを認識した瞬間、彼は急いで左方向に大きくサイドステップ――瞬間、ゴアッ、と言う音が鳴り響いたと同時に、白色のフラッシュが迸り、
彼が先程まで佇んでいたアスファルトの道路が大きく、地面ごと抉られた。それは、高熱と高エネルギーを内包した魔力だった。
そしてその出元は、先程ヴァルゼライドと戦っていた、少年の姿をしたランサーの右手からであった。
突如として場に現れたそのランサーこそは、高城絶斗。ザ・ヒーローの見立ての通り、深淵魔王・ゼブルと呼ばれる強大な蠅の魔王の転生体だった。
「へぇ、驚いたね。避けるんだ」
普段通りの軽い口調でタカジョーは言ったが、それは軽口でもおどけでも何でもなく。
彼は本気で驚いていた。サーヴァントですら回避は不可能と言える程のタイミングでタカジョーは、魔力放出による一撃を見舞った筈なのに。
ヴァルゼライドのマスターは、危なげながらも回避したのだ。成程、刹那が敵わなかった筈であると、タカジョーは此処で初めて、刹那が見栄や嘘を言っていなかった事を知る。
アスファルトが衝撃波で斬り裂かれる程のチャンバラを行っていたヴァルゼライドとバージルの動きが、停止する。
ヴァルゼライドは一気にバージルから飛び退き、バージルの方は空間転移でヴァルゼライドから距離を離す。二人とも、予期しなかった闖入者に警戒をしている事は明らかだった。
「小狡いな蠅の王。俺に勝てぬと解るや、マスターを狙うのか?」
大上段に、ヴァルゼライドが挑発した。
「馬鹿には付き合ってられないんでね。楽したい時だってあるのさ、僕も」
と、いつものようなヘラヘラとした表情で、おどけて見せるタカジョー。
ヴァルゼライドの強さを知っているにも拘らず、このような態度を取れるのは単純明快。
マスターである刹那がもう、このバーサーカーとザ・ヒーローでは追い縋れない距離まで逃げ果せたからだ。
だからこそ、タカジョーも余裕の態度でいられる。刹那がいないと言う事はつまり、自身もまた本気で逃走出来ると言う事を意味するからだ。
それ程までに、タカジョーの瞬間移動の距離と精度は優れている。少なくともこの場に於いて、この魔王に追随出来るサーヴァントは一人も存在しない。
ヴァルゼライドとバージルの戦闘模様を遠方から眺めていたタカジョーだったが、一つ。ヴァルゼライドに関して解った事が一つあった。
それはこの男が、融通も利かなければ柔軟性もなく、そして、途方もないアホであると言う事だ。
タカジョーにとって最も選んで欲しくなかった選択は、一時的にバージルと共闘し、タカジョーを一緒に探しこれを叩くと言う事だった。
これが一番困る。さしもの魔王と言えど、深淵魔王として覚醒しているならばいざ知らず、高城絶斗の状態で二体のサーヴァントを同時に相手取る事は厳しいのだ。
ヴァルゼライドが共闘を選んだ場合、タカジョーは即座に、刹那と逃走を選んでいた。
結局この英雄は、魔剣士のサーヴァントと戦闘をするという選択を採ったのだが、これにしたってお粗末だ。
仮に交渉が決裂して戦うにしても、タカジョーの存在を気に掛けつつ戦うのが当たり前だ。にも拘らずヴァルゼライドの戦いぶりときたら、
タカジョーの事など完璧に忘れ、目の前の敵を討ち滅ぼすのに全身全霊、と言う有様だ。おかげでこの魔王としても、マスターを狙うのに苦労はしなかったが、
唯一にして最大の誤算があったとすれば、ヴァルゼライドのマスターが本当に、刹那の言う通り尋常な強さではなかった、と言う事だろう。これに関してだけは、本当に予想外であった。
要するにヴァルゼライドと彼のマスターは、一事が万事を体現する男なのだ。
自分達を追跡し、これを叩くと言う目的を忘れ、目の前に突如として現れた強敵を打ち倒すのに、必死になる。
おかげで、刹那も無事に逃す事が出来た。本来は二人が戦っている所にタカジョーが乱入し、妨害や時間稼ぎを行う手筈だったのだが、その必要性がゼロになってしまったのだ。
――コイツ死ぬな――
ヴァルゼライドの主従は自身が手を下さずとも、自滅して野垂れ死ぬ。
それが、タカジョーの判断だった。戦闘能力だけで見れば間違いなく強い方ではあるが、如何せん心構えが余りにも直線的かつ直情的過ぎる。
これでは聖杯戦争でも長生きは出来まい。しかし、その強大な戦闘能力と言う一点が厄介だ。此処で消耗させて置きたいと言うのも事実である。
「へい、其処の蒼コートの兄さん」
そう言ってタカジョーは、バージルの方に目を付けた。
「苦戦しているようだね。手を貸そう」
敵の敵は味方、と言う法則は魔界でも通用する共通原理だ
バージルもバージルで一癖も行かない難物である事は、彼らのやり取りを見ていたタカジョーには御見通しだ。
しかしそれでも、今なら組出来ると、この魔王は予測を立てていた。
「断る」
バージルは、当然のように即答した。うむ、とヴァルゼライドが首肯する。よく答えた、と感慨しているかのような様子だった。
「貴様はこの狂人以上に信用が出来ん。失せろ、悪魔が」
バージルにとっては、ヴァルゼライドと言う男は身体中を斬り刻み、首を刎ねても飽き足らない程立腹している存在であるが。
それでも、悪魔に比べればまだ信用してやっても良い程度の人物だった。そう、バージルはタカジョーが悪魔、それもかなり高位の位階に位置する存在だと見抜いていた。
悪魔に母を殺され、彼らを斬り殺す為だけに力をつけ、技に磨きをかけて来たバージルが、今更悪魔の誘いなど受ける筈もなく。
よって、この結果は必然。バージルにとっては、斬り殺さねばならない相手が一人増えただけに終わった。やれやれ、と言った風にタカジョーが苦笑する。
「嫌われたもんだね、僕も」
自嘲気にそうボヤいた後――タカジョーは、自身が悪魔だからこそ解る、バージルの怒りの要訣を抉った。
「流石は出来損ない。この場の損得を無視して自分の意思を貫こうとする当たりに、その救えなさが透けて見えるようだ」
「――貴様。もう一度、今の言葉を口にして見ろ」
キシリ……、と空気が凍結する様な感覚を、この場にいる、雪村あかりを含めた全員が錯覚した。
針で突けば音すら生じるのではと思う程緊密で、冷たい空気。それは全て、バージルが放射する絶対零度の殺意が故であった。
空間の全てを、己の殺意で塗り潰して行くその様子は、無限に水を湧き上がらせる泉を見ているようだと、この場にいる全ての者はそう思った。
バージルの顔をタカジョーが見た。いつも通りの仏頂面は変わる事がないが、彼のコートと同じ、蒼色の炎が、その瞳の中で燃え上がっているのを、タカジョーとヴァルゼライド、ザ・ヒーローは見逃さなかった。
「リピートするのかい。ああ、良いぜ」
ニッコリと、百点満点の明るい笑みを浮かべながら、タカジョーは口を開いた。
「流石は半人半魔、半分人間の半端者だけあって、出来損ないにも程があるって言ったのさ。
その無能さは人間の要素から来るのかな? 何処の淫売の股座から生まれれば、何処の種馬から遺伝子を賜れば、君みたいな馬鹿が出来上がるんだろうな」
其処まで言った瞬間、バージルの右手が霞と消える。
放たれた次元斬が、タカジョーの佇む空間を斬り刻むが、生憎タカジョーはバージルのこの絶技を遠目から何度も見ている上に、
この魔王自体が、バージルよりも優れた瞬間移動の使い手である。故に、回避出来る。一切の予備動作なく其処から消え失せたタカジョーは、
バージルの背後に転移。膝を大きく曲げた状態で、高さ一m程の所に現れたタカジョーは、グンッ、と脚を伸ばし、ドロップキックの要領でバージルに打撃を与え、彼を十数mと吹っ飛ばした。
「カッカすんなよ出来損ないくん、短気は損気って言うじゃないか」
タッ、とヴァルゼライド達との戦いの影響で、切り刻まれたり崩れたアスファルトの上に降り立ちながら、タカジョーは言った。
ベオウルフを纏わせた右足をアスファルトに接地。摩擦を以て蹴り飛ばされた勢いを殺し、バージルは直立の姿勢に戻った。
タカジョーの煽りを受けても、バージルの技術には、全く鈍りも曇りもない。寧ろ技術の練度だけが上がって居るように見えた。
成程、強いとタカジョーは感じ入るが、絶対にそんな事はこの魔王は口にはしない。
「蠅の王、何の為に戻って来た。」
腹部を筆頭とした内臓器官に重大なダメージを負い、目に見えて確認出来る肉体的外傷に至っては、素人目に見ても無事では済まないと解る程のそれが、
幾つも幾つもあるにもかかわらず、ヴァルゼライドの気魄は萎えてすらいない。どころか、新たなる敵であるタカジョーの姿を見て、敵意と覇気が、更に膨れ上がっている。
「僕に手傷を負わせたムカつくサーヴァントが、知らないサーヴァントと戦って、剰え苦戦してる所を見ればさ、遭いたくなるに決まってるじゃん? 挨拶のキス代わりにマスターを殺せれば良いと思ったが、中々の当たりくじを引けたみたいだね君は。ハッ、羨ましい事で」
肩を竦めて、皮肉っぽく。自嘲っぽくタカジョーが言った。
その反応の対象が、此処にいる誰でもなく、自身のマスターである桜咲刹那に対してだとは、誰も知るまい。
「この場に来たのが、貴様の命運の尽き時と言う物だな。俺と、あの蒼コートの剣士。二人を相手に、勝利を奪えるとでも?」
「勝利? ハッ、何それ? 言った筈だぜ、僕は楽がしたいんだって」
ヴァルゼライドの言葉を嘲り、タカジョーは言葉を続ける。
「そりゃ君みたいに、その力を揮って相手を殺し続けるのが一番気持ち良いんだろうが、僕は賢く生きるんでね。この場を適当に掻き乱して、君達を消耗させて、弱った所を他の誰かに叩きに来て貰うとするよ僕は」
タカジョーの目的は、聖杯戦争を楽しむ事である。
それは勝利を得て優越感に浸る、と言う事柄も該当するが、相手が戦い争い、傷つき疲弊する所を見るのも愉悦の一つに入るのだ。
世界の管理者であるホシガミの懐刀であり、属性自体も明白に秩序の側に類するタカジョーであるが、本質的には彼は魔王である。
自分が良し、と認めた人間以外にはドライで、冷酷で、無慈悲な存在。それが彼、タカジョー・ゼットであり、深淵魔王ゼブルであるのだから。
「下らない存在だな、貴様は。腐肉を漁るハイエナと何も変わらん」
唾棄するようにヴァルゼライドが言った。
自ら手足を動かし、剣を振い、アドラー帝国を鋼の王国へと叩き上げて来た男の目には、タカジョーと言うランサーは俗悪で醜怪な何かにしか見えなかった。
生前に兎に角嫌悪と軽蔑の対象として来た、実力も無ければそれを改善しようと言う意思もなく、国と民とに利益を還元させようと言う意思など論ずるに能わず。
自らの私腹を肥やさんが為に国益と血税を貪り、丸々と太った官憲の類を見ている様であった。
「好きに言ってろよ馬鹿が」
そう言ってタカジョーは、ヴァルゼライド達の方――ではなく。
道路に佇む四人の両脇に聳えるマンション、その左脇のそれに、右掌を向け始めた。そして、掌に収束されて行く魔力。
目を見開いたのはバージルの方だった。タカジョーの意図する所を理解したその瞬間彼は、瞬間移動でその場から消失。
ヴァルゼライドも、彼のマスターのザ・ヒーローも、直に彼の気配を探ろうとする。バージルが空間転移を巧みに操り、
相手を翻弄するサーヴァントだと言う事がよく解っているからだった。しかし、今のバージルに、ヴァルゼライド達を攻撃する意思がない事を知っているのは、
タカジョーだけだった。そう、この魔王は遠くから一部始終を見ていたので知っていたのだ。今自分が掌を向けている方向には――バージルのマスターが息を潜めて隠れている事を。
白色のフレアーが、タカジョーの掌から迸った。狙いは、雪村あかりが隠れているマンションの三階部分。
人体程度なら容易く一呑みする程の大きさのそれは、影すら残さず消滅させる程の威力をそれは秘めている。
攻撃の補助どころか、余りの精度と勢いの故に、攻撃そのものにも転化させられる程の、タカジョー・ゼットの魔力放出だった。
その軌道上に、バージルが現れ、閻魔刀を勢いよく縦に振りおろした。
タカジョーの放った魔力放出は閻魔刀の剣身に触れた瞬間、大風に祓われる霧の如く、消えてなくなった。
ヴァルゼライドとの戦闘で失われた魔力の一部が回復して行くのが、バージルには解る。閻魔刀は魔力を喰らう魔剣である。
サーヴァントや魔術師を斬ればその魔力を自身のエネルギーに変換するこの魔刀に掛かれば、タカジョーの魔力放出を防ぐ事など訳はない。何せ魔力放出とはその文字通り、『魔力』そのものを形として放っているのだから。
【そのマンションから離れろ!!】
念話でそう一喝するバージル。それを受けるのは当然、彼のマスターである雪村あかりだった。
突如としてこの場に現れた、少年の姿をしたランサーと、彼とヴァルゼライド、バージル達が行うやり取りを、白痴の様な態度で眺めていたあかりに、漸く自意識が復活してきた。自分は、タカジョーに攻撃されたのだと、この瞬間彼女は気付いたのだ。
一瞬だが、タカジョーの瞳に驚きの感情が掠められる。
魔力放出が防がれる事は、織り込み済みだった。しかし、魔力と魔術を操る者の頂点とも言うべき、魔王の魔力察知能力は、見逃さなかった。
魔力放出をバージルが斬り裂いた瞬間、彼の失われた魔力が回復したと言う事実を。
フッ、と言う音すら立たせず、タカジョーの姿がその場から消え失せる。
その後、刹那程の時間を置いて、彼の佇んでいた空間に、幾つもの空間の断裂が走った。空中でバージルが、次元斬を放った為である。
タカジョーはこれを読み、卓越した空間転移の技術で簡単に回避して見せたのだ。そして現れた先は、先程バージルが流星脚を見舞ったせいで、
真っ二つになったアスファルトがある地点。バージルが割り裂いたアスファルトに腕を突き刺し、それを、ザ・ヒーローの方に放り投げた。
軌道は放物線上でなく、完全な直線(ストレート)。重さは優に半tを超え、一t以上は下らないそれを、ボールでも投げるような感覚で投擲出来るのは、偏にタカジョーの怪力の故であった。
鞘からヒノカグツチを引き抜き、飛来する六m超のアスファルトの分厚い板に、ザ・ヒーローはこれを振り下ろした。
音速を超過する速度で振り下ろされたヒノカグツチに触れた瞬間、アスファルトは先ず、大小の瓦礫に変貌し、その後で、
ヒノカグツチの剣身に纏われた灼熱で蒸発。一瞬で気化してしまう。
今の攻撃で、タカジョーは確信した。ヴァルゼライドのマスターは、強い。
但しその強い、と言うのは、現生人類の中では、と言う意味ではない。『サーヴァントと比較しても何ら遜色がない程強い』、と言う意味だ。
ともすれば、英霊の座に登録されている下手な英霊や、生前に葬って来た上級悪魔ですらも、この男は眉一つ動かさず葬れるかも知れない。
しかも所持しているあの武器、つまり、ヒノカグツチであるが、明らかにあれは宝具級の一品の上、その宝具が齎す効果があるから、あの強さがあると言う訳でもない。
ザ・ヒーローの強さは、完全に自前の物であり、その上、確固とした戦闘経験が身体に培われているのだ。
――勝てない訳だな、こっちのマスターがさ――
とどのつまりヴァルゼライドのマスターは、生きている英霊に近しい。
何処で何を経験すれば、斯様な強さが得られるのか、全く理解が出来ないが、それは確実だとタカジョーは睨んでいた。
これが、何を意味するのか。一つ、この主従に関しては、マスターにマスターをぶつける、と言うやり方は悪手以外の何物でもない事。
そしてもう一つ。此処でヴァルゼライドと事を争うのは、言ってしまえば、英霊二人と戦う事に殆ど等しいと言う事だ。
しかもこの場には、自分について恨み骨髄、そうでなくても滅ぼす気しかない、バージルと言うアーチャーまで存在する始末だ。
やはり、この三者相手に本気で争う事は愚の骨頂と言う自分の考えは正しかったのだと、タカジョーは改めて認識するのであった。
地を蹴って、ヴァルゼライドが一直線にタカジョーの方へと向かって行く。
真っ当な三騎士でも、最早動く事すらままならないのでは、と言う程の外傷を負っているにも関わらず、先程戦った時と、
何ら変わらない移動速度で接近してくるヴァルゼライドの姿に、不気味な物をタカジョーは感じ取る。こいつ本当に人間か?
ケルベロスと一緒にあの公園で戦った時もそんな疑問を抱いたタカジョーであったが、事此処に至って、その思いは膨れ上がるばかりだ。
間合いに入った瞬間、ガンマレイを纏わせた極光剣をタカジョー目掛けて振り下ろすヴァルゼライド。
この一撃には絶対に直撃してはならないと、文字通り、『痛い程』解らされているタカジョーは、魔王の反射神経で、サイドステップを刻む事で回避。
避けた先で、この魔王は空間転移を行い、ヴァルゼライドも、獣の反射神経で何を感じ取ったか、大きくバックステップを行い、その場から離れる。
何て事はない、バージルが着地したと同時に、次元斬を放ち、空間の断裂でタカジョーと、彼に接近したヴァルゼライドごと斬り殺そうとしたからである。
頭に血が上りつつも、纏めて二人を斬ろうと冷静な判断を行い続けるバージルも優れた戦士なら、彼の方に一切目をくれずとも、空間の切断の予兆を察知するタカジョーとヴァルゼライドもまた、人外の怪物であった。
ザ・ヒーローの目の前に空間転移して現れたタカジョー。
一見すれば何処にでもいそうな佇まいのこの青年目掛けて、タカジョーは凄まじい速度の殴打と蹴りのコンビネーションを放った。
フック、ジャブ、ローキック、ハイキック、ジャブ、フック、ストレート、アッパー、エルボー、ローキック……。
人外の速度を前面に押し出しながらも、高い練度を感じさせる鋭い一撃の応酬は、ザ・ヒーローに反撃の余地を許さない。
許さないが、しかし。タカジョーの放つ攻撃の数々は全て、捌かれていた。
半身にする、身体を傾けさせる、ヒノカグツチの剣身や柄頭で往なす、弾く、等々。冷静に冷静に、ザ・ヒーローは、タカジョーの攻撃を処理していた。
彼が、反撃に転じられないと言うのは事実である。それ程までにタカジョーの攻撃は速く、カウンターすら狙えない程の練度で行っているのだから。
だが、これに持ち堪えられている、と言う時点で、ザ・ヒーローは既に人間ではない。魔力放出等を用いて速度や威力の底上げをしていないとは言え、
真っ当な英霊であれば、凌ぎ続ける事すら困難なタカジョーのコンビネーションを防げている。この時点で、ザ・ヒーローは最早異常であった。
その事実を――バージルに気付かせる、と言う意味で、タカジョーは、ザ・ヒーローに攻撃を行っていた
バージルも気付いたらしい。
今更気付いた、と言う訳ではない。初めてザ・ヒーローを見た時から、この男がただ者ではない事をバージルは見抜いていた。
しかしそれも、人間の中では、と言う括りの中での話で、率直に言えばバージルはザ・ヒーローの事をかなり見下して見ていた。
今は、違う。サーヴァント、しかも、生前はかなりの上級悪魔である事が窺えるタカジョーの攻撃を防いでいる、と言う現場を、バージルは今目の当たりにしている。
そう、漸くバージルも認識したのだ。ザ・ヒーローが、サーヴァント級の強さを持った男であると。
そして近い将来、英霊の座へと登録される事が、夢物語でも何でもない程の剛勇であると。そうと解れば、バージルは、いや、真っ当なサーヴァントなら如何動くか?
――そのマスターに、攻撃の矛先を変えるに決まっている。
その事を悟ったヴァルゼライドが、猛速でバージルの方へと向かって行き、星辰光を纏わせた自身の刀を振り下ろす。
雲一つない澄んだ青い晴天から、敵を裁かんと亜光速で降り注がれる、黄金色の裁きの放射光(ガンマレイ)。
如何なバージルと言えど、これ程の速度の攻撃を見切る事など不可能である、が。その予兆を見て回避する事は出来る。
ヴァルゼライドが右手で握った刀を振り下ろそうとしている、と認識するや、空間転移を行いその場から移動。
その後、百万分の一秒と言う程の短い時間が経過した、その瞬間、ガンマレイが着弾。アスファルトを砕き、その下の土地を蒸発させ、忽ち、放射線汚染された死の領土へと変貌させる。
タカジョーが狂的な笑みを浮かべその場から消え失せる。音速に相当する速度のミドルキックを、ヒノカグツチに弾かれたのと、殆ど同時だった。
消えた、と認識した瞬間、ザ・ヒーローは、上空に溜められた濃密な魔力を看破した。ヴァルゼライドは、魔力こそ見抜けなかったが、此方に向けられた、
暴力的なまでの殺意を感知した。二人が上空に何かがあると認識した瞬間だった。
正しく驟雨としか言いようのない程の速度、勢い、そして物量で、浅葱色の魔力剣が降り注がれてきたのは。
超絶の技量と速度を以て、ヴァルゼライドが両手で握ったアダマンタイト刀を振るう。
悪魔との苛烈なる死闘を繰り広げて来たと言う実戦経験から来る、化物染みた直感と人類種の限界点を超越した身体能力でヒノカグツチを振いまくるザ・ヒーロー。
物質的な強度も申し分ない幻影剣が氷柱の様に砕け散り、浅葱色の魔力の粒子が、ダイヤモンド・ダストめいて二人の周りに舞い散り出す。
降り注がれる幻影剣を全て砕いて防御する二人の技量も勿論の事、もう一つ、凄まじい点があった。
両者の肉体にではなく、地面に突き刺さる幻影剣が幾つも存在するのであるが、その全ては、地面に刺さるや即座に爆発していた。
何故か? 爆発の勢いを借り、亜音速超の速度で土片やアスファルトの礫を飛来させているからだ。言わば、手榴弾の要領と言うべきか。
これらもまた、ザ・ヒーローとヴァルゼライドの身体を害さんとする要素の一つと今やなっていたのだが、これすらも彼らは弾き飛ばし、破壊し、事なき事を得ているのである。
幻影剣の雨が止む。
束の間の安堵、などと言う甘い考えを起こし、気を緩ませると言う真似を二名は絶対にしない。
ヴァルゼライドもザ・ヒーローも、即座に跳躍。一足飛びに、前者は後方十数mを、後者は前方数十mを移動する。
着地と同時に、空間に刻まれる、幾百もの空間の断裂。もしもザ・ヒーロー達があのまま跳躍していなければ、バージルの放った次元斬は、二名ごとその肉体を百以上の肉片に分割していただろう。
音もなく、バージルが空間転移で、耕運機で耕された後としか思えない程、粉々になった道路に降り立った。
場所は、ヴァルゼライドとザ・ヒーローが佇む現在地点と現在地点を結ぶ線分の中間地点。
ヴァルゼライドが地面を蹴り、バージルの方へと向かって行く。腰を低く落とし、鞘にしまわれた閻魔刀の柄に手を伸ばすのはバージルだ。
両者の距離が五m程のそれに近づいた瞬間だった。――この場に、これまで静観を決め込んでいた第三者が、漸く躍り出たのは。
それは、自身が今まで隠れていたマンションの屋上から、無事な状態の電線に触手を一本巻き付け、それを伸縮させる勢いを利用し、
ザ・ヒーローの方へと弾丸の如くに特攻していった。うなじから伸びる細い鞭のような触手は、少女にとっては不倶戴天の仇敵である地球破壊兵器と同種の物であり、
確かに忌々しいものである一方、この聖杯戦争では何よりも頼る事の出来る立派な武器の一つであった。
彼女こそは、世界で唯一の暗殺が教科として組み込まれた学校教室の生徒の一人であり、誰よりもその教室の究極目標殺害に燃えている少女。雪村あかりなのであった。
驚いたのはザ・ヒーローとヴァルゼライドだ。
平時の彼らならば、この程度の不意打ちには反応出来たし、そもそも雪村あかりの射出の勢いだって、如何贔屓目に見ても、弾丸の速度に達していない。
にも拘らず、特に、ザ・ヒーローの反応が遅れたのは、やはり、バージルとタカジョーの超猛攻を防いだ後である、と言うのが一番大きい。
少し疲労が蓄積したのと、ヴァルゼライドとバージルの戦いの顛末を見届け、その後指揮を適宜下そうと考えていた、その瞬間を狙われた。
無論、あかりは当然、ザ・ヒーローの隙をラッキーで突けたのではない。その瞬間を敢えて狙ったのだ。
格上を暗殺するのに必要なのは、兎に角油断と隙を誘う事。例えば色仕掛け、例えば酒、例えば――隙を作ってくれる仲間と共にツーマンセルを組む。
全ては狙った事だった。タカジョーが此方に向けて放った魔力放出を、バージルが閻魔刀で斬り裂き無効化していたあの時。
本当に一瞬の時間だったが、念話経由であかりはバージルに、ザ・ヒーローを殺せる程度の短い隙を作って欲しいと頼んでいたのだ。
それを、バージルは忠実に実行した。この蒼コートのアーチャーの本命は、あかりによる不意打ちであったのだ。
うなじから伸びるもう一本の触手を、音速を超える程の速度で振るい、ザ・ヒーローの心臓部を打擲しようとするあかり。
回避しようと身体を捩じらせる彼であったが、触手の想定を超える速度に、判断を見誤った。
鞭の様なしなやかさを持ちながら、水銀の様な質感のあかりの触手は、彼の胸部を打ち抜き、凄まじい速度で吹っ飛ばした。
電柱に彼は背中からぶち当たり、血を吐いた。クッション代わりとなった電柱は直撃点から亀裂が生じ、ほんの少し衝撃を加えれば倒れそうな状態となる。
「マスターッ!!」
流石のヴァルゼライドも焦る。
その一喝を受け、あかりは急いで、電線に今も巻き付けている触手を動かし、その場から移動。一秒程度の速度で、マンションの屋上まで逃走した。
しかしヴァルゼライドはあかりを見逃した。優先順位はマスターの無事を確かめる方が高い。
ザ・ヒーローの方へと駆け寄ろうとするが。歩みが止まる。簡単な話であった。目の前に――右掌を向けているタカジョーが佇んでいるのだから。
彼は、帰って来た。バージルが降り注がせた幻影剣の雨から逃れる為、二百m程離れた地点まで空間転移。頃合いを見て、この場に戻って来たのである。
「死ねよ」
言ってタカジョーは、伸ばした掌から白色のフレアーを迸らせヴァルゼライドを消滅させようとする。
しかし、星辰光を纏わせた刀を目にも留まらぬ速度で振るい、彼はフレアーを斬り裂き、身体全てを呑み込むと言う事象だけは何とか回避した。
だがそれでも、振った側の右腕はフレアに呑まれ、軍服の袖が消滅、皮膚には、酷過ぎるにも程がある、黒々とした火傷が刻まれていた。
「まだだ!!」
英雄は、止まらない。そして、負けてはならない。
瞳に裂帛の気魄と、眼球自体から火が噴きかねない程の闘志を宿し、ヴァルゼライドは、どんな苦境に陥っても、どんな絶望的状況に立たされようとも、一瞬で心を奮い立たせる、魔法の言葉(ランゲージ)を叫んでいた。
――コイツ狂ってるな……――
改めて、その歪みもなければ曇りもなく、そして迷いなんて欠片もないヴァルゼライドの精神性を見て、そんな事をタカジョーは考える。
此方に向かおうとするヴァルゼライドを冷めた目で見ながら、タカジョーは空間転移。先程まで彼のいた空間に、燃え盛る剣が振り落とされた。
それこそは、記紀神話に於いてイザナミの股座から生まれ、陰部ごと女神を焼きつくした焔の神と同じ銘を冠した神剣、ヒノカグツチだった。
あかりの触手に打擲された痛みと衝撃から即座に復帰し、背後からタカジョーを斬り裂こうとしたのだが、魔王はこれを見抜いていた。
裾の短いズボンのポケットに手を突っ込みながら、タカジョーは、如何なる浮力を生み出しているのか。
中空十m程の地点を浮遊しながら、一同を見下ろし、あの、皮肉気で、此方を嘲るような笑みを浮かべていた。
「お前達みたいな屑と出来損ないの集いでも、悔しいだろ? 僕みたいな劣化の著しい魔王に、此処まで場を引っ掻き回されて、さ」
ケラケラと言うオノマトペが周りに浮かび上がりそうな程の笑みを浮かべて、タカジョーが言葉を続けた。
が、直に、虚無その物の如き無表情を形作りながら、タカジョーは、眼下の四名を見下ろした。
「お前達のやってる事は、この街の混沌を悪戯に助長させてるだけだ。契約者の鍵に投影された、遠坂凛とセリューとか言う女と、やってる事は何も変わらない」
「魔王である貴様がそれを説くのか、蠅の王。悪魔に人倫を説かれるとは、俺も思いも拠らなかったぞ」
と、ヴァルゼライドも侮蔑の念を以てタカジョーに言葉を返すが、即座にタカジョーの方も、反撃を仕掛けて来た。
「悪魔に人倫を説かれる方が異常だと思わないの?」
肩を竦め、タカジョーが言葉を続ける。
「何が、人理に万年の繁栄を誓うのだ、だよ。人の住居と街並みを破壊する恥知らずが良くも大上段にそんな事が言えたもんだ」
「悪いけど、君の挑発には乗らないよ、ベルゼブブ。敵の悪魔の言う事は、僕らは聞かない事にしてるんだ」
「正しいね、狂人のマスターくん。そう、悪魔に対しては、それが正しい反応だ」
「ただ――」
「これだけは、覚えておきなよ。聖杯を求めるのは悪い事じゃないが、たまには何故自分が此処にいるのか、と言う事も考えた方が良い。案外、とんでもないものの為に、フルートを吹かされてるかも知れないんだから、さ」
「逃げ口上か?」
と言うのは、バージルだった。
「解釈はご自由に、出来損ないくん。まぁ、身の振り方位は、考えときなよ。君達と戦って、僕も理解した――」
其処まで言ってタカジョーの姿が消え失せた。と同時に、彼が浮遊していた空間に、無数の空間の断裂が刻まれ、黄金色の光の柱が亜高速で降り注いだ。
その予兆を読んで、タカジョーは消え失せたのである。斬り刻まれる空間、地面に着弾し、オモチャの様にアスファルトを砕き、土煙を巻き上げるガンマレイ。
それを嘲るが如くタカジョーは回避する。後には、あの魔王の声が、その場に響くだけであった。
――我々は、とんでもない混沌の世界に呼び出されたのではないか、とね――
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【追うぞ、バーサーカー】
消え失せたタカジョーを視認するなり、即座にザ・ヒーローは決断を下した。
決して、当初の目的であった、タカジョーの追跡を思い出した、と言う訳ではない。
活動していた世界において、ザ・ヒーローが辿った道筋と、其処で体験した悪魔の恐ろしさを考えた場合、
ベルゼブブ程の最上位悪魔を見過ごす訳には行かなかったからだ。此処で自分達が戦った、蒼コートのアーチャーと戦うのも確かに急務である。
しかし、ザ・ヒーロー達にしてみれば、ベルゼブブの化身だと解っているサーヴァントの方が、優先処理順位が高い。
故に此処は、あの魔王のランサーの追跡を、ザ・ヒーローは急務とした。
【従おう、マスター】
そう言ってヴァルゼライドは、ザ・ヒーローの下へと走る。
そしてザ・ヒーローは、目にも留まらぬ速度で拳銃を懐から引き抜き、敵アーチャーのマスターである、雪村あかりの脳天目掛けて早撃ち(クイックドロウ)した。
「!?」
驚いたのはあかりの方だった。
年恰好も自分と同じ位、見た目に至っては、何処にでもいる普通の青年その物。
ザ・ヒーローと言う大仰な名前をしているが、結局、この男の容姿を一言で説明するのならば、そんな所に過ぎない。
であるのにこの男は、サーヴァントに匹敵する程の戦闘力を発揮するだけでなく、あろう事か、何処から入手したのか。
日本国内では所持自体が禁止に等しい拳銃を、仕入れていた。と言うその事実と、何の躊躇いもなく此方に発砲して来たと言う事実に、彼女は驚きを隠せなかった。
眉一つ動かさず、バージルが弾丸の弾道上に立ち、閻魔刀を高速で、プロペラの如く回転させて弾を弾いた。
チィン、と言う小気味よい金属音が鳴り響き、弾丸は明後日の方向に弾き飛ばされる。
無論、ザ・ヒーローは、この程度の事など織り込み済みだ。この弾丸は、牽制。タカジョーの追跡を滞りなく行う為の、だ。
ザ・ヒーロー達は、バイクか何かと見紛う程の速度で走って、あかり達から遠ざかる。
そしてザ・ヒーローは走りながら、凄まじい連射速度でベレッタ92Fの弾丸をあかり目掛けて発砲しまくる。
トリガーを引く速度が余りにも速過ぎるので、銃声が途切れる事無く連続して鳴り響く。百分の一秒以下の速度で、ベレッタに装填された弾丸は撃ち尽くされる。
放たれた弾丸は全て、あかりの急所、頭部や心臓、内臓が集中する胴体部を狙っているのだが、やはりバージルはこれを簡単に閻魔刀で弾く。
拳銃で人間の急所を撃ち抜いた時、確実に殺せる距離は二百mとされている。但しこれは、拳銃の最大射程距離であり、言うなれば拳銃の射程のリミットだ。
アマチュア、プロ問わず、拳銃が最もその効力を発揮出来るとされる距離は、凡そ五〜五十m程とされ、それ以上の距離を離すと、
運動エネルギーの低下による弾丸自体の威力低下や、外的要因、例えば横風などにあおられ弾道そのものがねじ曲がる、等と言う不可避の物理現象で弾の威力が損なわれてしまう。
現在ザ・ヒーロー達は、バージル達から八十m以上離れている所まで移動し終えた。
それなのに、ザ・ヒーローは、凄まじい速度でマガジンに次弾を装填。途切れる事無く弾丸を放ち続ける。
既に拳銃の有効射程距離から大幅に離れた所から弾丸を発砲しているにも拘らず、命中精度が、全く落ちていない。
寸分の狂いなく、あかりの脳天や心臓目掛けて弾丸を殺到させているのだ。頭の中に、超精度の量子コンピューターが大脳の代わりに搭載されていると説明されても、
誰も疑わない程の命中率だった。そんなザ・ヒーローの超絶の技巧を、バージルはあざ笑うかのように弾き続ける。最早、流れ作業的とも言うべきだった。
しかし、これで良い。銃弾を防ぐのに閻魔刀を、腕を使わせていると言う事は、あの恐ろしい閻魔刀の居合を封じられていると言う事なのだから。
これがザ・ヒーローの狙いだった。幻影剣ならば彼も余裕を以て対処出来るが、閻魔刀の居合は、見るだに恐ろしい程の速度と技量から放たれるので、対処が困難だ。
これを封じるだけでも、此処からの逃走率は、グンと上がる。
曲がり角を曲がり、即座にヴァルゼライドに霊体化を命令。ザ・ヒーロー達は走る速度を更に上げる。バージル達の視界からは、逃げ切った。
だが油断は出来ない。此処から猛速で、彼らを振り切る必要があるからだった。
【悪いね、バーサーカー。あのアーチャーとの決着をつけられなくてさ】
【構わん。あの男が俺の見立て通りの男なら、簡単に命を失う事はあるまい。その時まで、その首は預けておこう】
ヴァルゼライドは思い出す。あの蒼コートの超絶の剣技と、技術を。
如何なる地獄を見、如何なる絶望から這い上がれば、あの男が完成するのか。如何なる運命を征服すれば、あれ程の個が、成る事が出来るのか。
面白い、と彼は思う。相手にとって如何程の不足もない。生前の時点ですら、体感した事もない強敵の出現に、身体の中の何かが震える/奮える/揮える。
――それでも
――勝つのは俺だ――
この聖杯戦争に参加している全サーヴァントが自分を袋叩きにでもする、と言う行動でなければ、自分は死なない。
それどころか、そうでもしなければ、五分と五分の状況にすら自分を追い込ませる事は出来ないだろうと、この男は本気で思っていた。
如何なる願いでも叶う、聖なる杯。旧暦の時代に存在した基督教の中の伝説の一つの、その様な伝承が存在した事はヴァルゼライドも知っている。
それを以て、自身のアドラー帝国を――いや。人理の永久(とこしえ)の繁栄を願う事こそが、ヴァルゼライドの願いだった。
この願いが、簡単に成就されぬ事を彼は知っている。何時だって英雄譚の中の主人公は、順風満帆に目的を達成させられて来た訳ではない。
常人であれば即座に心も折れてしまうような艱難辛苦が、ある時は悪魔や竜と言う形で実体を伴い立ち現れ、ある時は運命そのものが敵として立ちはだかったりで。
彼らの邪魔をして来た筈なのだ。ヴァルゼライドを英雄と言う役柄に代入するのであれば、彼の覇道を邪魔する悪魔や竜とは、サーヴァントの事に他ならないだろう。
その敵を、ヴァルゼライドは全て砕いて見せると決意していた。如何なる悪魔が立ちはだかろうが、ガンマレイの極熱で塵一つ残さず消し滅ぼして見せよう。
どれだけの巨体を誇る竜が現れようとも、その顎を引き裂いて見せよう。
そう、最後に勝つからこそ、英雄なのだから。最後にその場に立っているからこそ、英雄なのであるから。
霊体化したヴァルゼライドも、街を走るザ・ヒーローも、青空を見上げた。
夏至も過ぎて間もない、夏の盛りの朝だと言うのに。明けの明星が、やけによく見える気がした。
太陽(カグツチ)の光に負けぬ存在感を醸して宙に浮くその星は、気のせいか。此方を見下ろし、笑って/嗤って/哂っているようであった。
【早稲田、神楽坂方面(早稲田鶴巻町・住宅街)/1日目 午前8:30】
【ザ・ヒーロー@真・女神転生】
[状態]健康、肉体的損傷(中)、魔力消費(中)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]ヒノカグツチ、ベレッタ92F
[道具]ハンドベルコンピュータ
[所持金]学生相応
[思考・状況]
基本行動方針:勝利する。
1.一切の容赦はしない。全てのマスターとサーヴァントを殲滅する。
2.遠坂凛及びセリュー・ユビキタスの早急な討伐。また彼女らに接近する他の主従の掃討。
3.翼のマスター(桜咲刹那)を追撃する。
[備考]
・桜咲刹那と交戦しました。睦月、刹那をマスターと認識しました。
・ビースト(ケルベロス)をケルベロスもしくはそれと関連深い悪魔、ランサー(高城絶斗)をベルゼブブの転生体であると推理しています。ケルベロスがパスカルであることには一切気付いていません。
・雪村あかりとそのサーヴァントであるアーチャー(バージル)の存在を認識しました
【バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)@シルヴァリオ ヴェンデッタ】
[状態]全身に炎によるダメージ、幻影剣による内臓損傷、右腕の火傷(大)、魔力消費(中)
[装備]星辰光発動媒体である七本の日本刀
[道具]なし
[所持金]マスターに依拠
[思考・状況]
基本行動方針:勝つのは俺だ。
1.あらゆる敵を打ち砕く。
[備考]
・ビースト(ケルベロス)、ランサー(高城絶斗)と交戦しました。睦月、刹那をマスターであると認識しました。
・ ザ・ヒーローの推理により、ビースト(ケルベロス)をケルベロスもしくはそれと関連深い悪魔、ランサー(高城絶斗)をベルゼブブの転生体であると認識しています。
・ガンマレイを1回公園に、2回空に向かってぶっ放しました。割と目立ってるかもしれません。
・早稲田鶴巻町に存在する公園とその周囲が完膚無きまでに破壊し尽くされました、放射能が残留しているので普通の人は近寄らないほうがいいと思います
・早稲田鶴巻町の某公園から離れた、バージルと交戦したマンション街の道路が完膚なきまでに破壊されました。放射能が残留しているので普通の人は近寄らない方がいいと思います
「逃げられちゃったね……」
と言うのは、バージルの近くに佇む雪村あかりだった。
「直に殺せる、と思ったが、予想が外れたな」
マスターの中には、高い戦闘能力を持った存在がいる事自体は、バージルもあかりも織り込んでいた。
だが、あそこまでとは、思わなかった。高い存在がいるにしても、サーヴァントと交戦が可能な程度に強い存在など、居る筈がないと思い込んでいた。
その顛末が、今なのだろう。あかりは思い出す。そんな事、出来る筈がない、理論上不可能だ、と言うバイアスは危険なのだ。
暗殺と言うのは基本的に成功率が低い。常道の手段での暗殺など、余程の事がない限りは成功がしないのだ。
だからこそ、シチュエーションに合わせて奇を衒い、そんな事不可能だ、とタカを括っている所こそが、彼らの付け入る間隙となる。
今回は、逆に其処を相手に突かれる形となってしまった。悔しい、と思うのはあかりだけではない。バージルも同じだった。
いや寧ろ、バージルの方が悔しいだろう。その実、弟のダンテよりも父であるスパーダを尊んでいたバージルにとって。弟よりも母を愛していたバージルにとって。
その両者を、あの少年の姿をしたランサーに侮辱されたのであるから。
――しかし逆に言えば、この程度の被害で済んだのは、ある意味で幸運と言うべきか。
あかりにはダメージらしいダメージもなく、バージルの損傷も、高い自然治癒能力で何とか治る可能性があるだろう。
何よりも二人は、あれ程の強さのマスターがいる、と言う経験もした。これが何よりも得難い財産だ。今回で一番の収穫だろう。
同じミスは二度と繰り返さない事は、勉強でも、戦いでも当たり前の事である。二人は、次は同じ轍を踏むまいと、決意する。
「次何て用意したのが、あいつらのミスだよ」
「同意見だな。此処で俺達を何としてでも殺さなかったのが、な」
あの二人は危険だ。その戦闘能力も、その思想も。
生半な主従では、忽ちあの強さと意思の強固さの故に、瞬く間に敗れ去る事は必定だろう。
しかし、あの性情故に、あの主従は疾く滅び得るであろう。敵と出会えば真正面からそれに挑みかかり、その実力を如何なく発揮する。
そればかりでは間違いなく、あの二人は勝つ事はないだろう。余りにも堅固かつ強固な意思の強さ故に、それ以外の搦め手を使えず、その強すぎる意思の故に折り合いも付けられない。その柔軟性のなさは、間違いなく死を早める。下手をすれば、放っておいても良いかも知れない。
――だがそれよりも気になるのは、少年のランサーだ。
バージルは一目見た瞬間から、あのランサーが悪魔、それも、魔界でも類を見ない程の上級悪魔が転生した存在である事を見抜いていた。
其処が、引っかかる。英霊の座と言う物のシステムを考えれば、通常、あのような悪魔はそもそも登録すらされないのではないか?
いやそもそも、魔王と言う存在の格を考えれば、聖杯戦争に使われる魔力量では、召喚させる事すら困難なのではないか?
あのランサーは言っていた。自分が何故、此処にいるのか、それを考えろ、と。
悪魔が此方を惑わす為の発言である事は重々承知だが、それでも、引っかかる所はあった。何故、バージルは――俺は、聖杯戦争に呼び出されているのか、と。
其処まで考えて……バージルは、直に思い直した。自分自身が此処にいて、自分の意思で聖杯を求めている。
その事実には、何の違いもなかったからだ。聖杯が存在し、それが、自分の願いを叶える。それだけが、重要な事柄ではないのか。
かぶりを振るい、バージルは直に、いつもの様な仏頂面を作りだし、霊体化を始める。
【俺達の戦いは目立ち過ぎた。早い所去らないと、人が集まるぞ】
【……そうだね】
先程ヴァルゼライドが交戦したと思しき、早稲田鶴巻町の公園での顛末を見れば解る通り、派手過ぎる戦いを繰り広げると人が来る。
此処もじき、大勢の人間が駆け寄る事だろう。それを見越して、あかりは急いでその場から退散する。
――後には耕された後の様なアスファルトと土地の惨状と、目には見えない、放射線に汚染された道路とだけが、広がるだけであった。
【早稲田、神楽坂方面(早稲田鶴巻町・住宅街)/1日目 午前8:30】
【雪村あかり(茅野カエデ)@暗殺教室】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]なし
[道具]携帯電話
[所持金]何とか暮らしていける程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を絶対に手に入れる。
1.なるべく普通を装う
2.学校へ行くべきか?
[備考]
・遠坂凛とセリュー・ユビキタスの討伐クエストを認識しました
・遠坂凛の住所を把握しましたが、信憑性はありません
・セリュー・ユビキタスが相手を選んで殺人を行っていると推測しました
・ ザ・ヒーローとバーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)の存在を認識しました
・ランサー(高城絶斗)の存在を認識しましたが、マスターの事は知りません
・この後何処に向かうかは、後続の書き手様にお任せ致します
【アーチャー(バージル)@デビルメイクライシリーズ】
[状態]肉体的損傷(小)、魔力消費(小)、放射能残留による肉体の内部破壊、全身に放射能による激痛
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れ、力を得る。
1.敵に出会ったら斬る
2.何の為に、此処に、か
[備考]
・ ザ・ヒーローとバーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)の存在を認識しました
・ランサー(高城絶斗)の存在を認識しましたが、マスターの事は知りません
・宝具『天霆の轟く地平に、闇はなく』を纏わせた刀の直撃により、体内で放射能による細胞破壊が進行しています。悪魔としての再生能力で治癒可能ですが、通常の傷よりも大幅に時間がかかります
「ただいま」
一切の音を立たせず、瞬間移動を駆使し、タカジョーは、マスターである刹那の下へと移動した。
場所は、BIGBOX高田馬場の利用客が用いる、立体駐車場の屋上。タカジョーがヴァルゼライド達の所へ向うその前に、刹那はこの場所まで距離を離していたのだ。
今の所、刹那以外此処に人はいない。人払いと言うよりは、自らの姿を認識され難くする魔術を、用いているのだろう。
「手傷がないようだが」
訝しげに、タカジョーの事を注視する刹那の服装は、いつもの学校制服から、学校指定のジャージに着替えられていた。
先程、ヴァルゼライドのマスターと交戦した際に、ボロボロになってしまった為に、着替えておいたのだ。それ自体は、妥当な判断と言えようか。
「ま、適当に場を掻き乱して帰って来たからね。少なくとも、あの金髪のバーサーカーは、自滅を狙った方が良いよ。あれはそう遠くない未来に、滅びそうだからさ」
ニッと笑った後で、タカジョーはケラケラ笑い始めた。
何がおかしいのか解らない。向こうで何が起っていたのかは解らないが、如何やら、タカジョーの溜飲を下げる何かだけは、あったらしい。
「いやぁ、良い物だね。人を追い詰めた人間の破滅が、確実な物になるって事が解るのはさ」
顔を右手で抑えて、タカジョーがクツクツと忍び笑いを浮かべた。
それを、やはり、敵意に満ちた目で見る桜咲刹那がいた。やはりこの男は、悪魔なのだと、再認させられる。そんな瞬間であるのだった。
【高田馬場、百人町方面(BIG BOX高田馬場 立体駐車場屋上)/1日目 午前8:30】
【桜咲刹那@魔法先生ネギま!(漫画版)】
[状態]魔力消費(中)、戦闘による肉体・精神の疲労、左脇腹に裂傷(気功により回復中)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]某女子中学指定のジャージ(<新宿>の某女子中学の制服はカバンに仕舞いました)
[道具]夕凪
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの帰還
1.人は殺したくない。可能ならサーヴァントだけを狙う
2.傷をなんとかしたい
[備考]
・睦月がビースト(パスカル)のマスターだと認識しました
・ザ・ヒーローがバーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)のマスターだと認識しました。
・まだ人を殺すと言う決心がついていません
【ランサー(高城絶斗)@真・女神転生デビルチルドレン(漫画版)】
[状態]魔力消費(中) 放射能残留による肉体の内部破壊が進行、全身に放射能による激痛
[装備]
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を楽しむ
1.聖杯には興味がないが、負けたくはない
2.何で魔王である僕が此処にいるんだろうね
3.マスターほんと使えないなぁ
4.いったいなぁ、これ
[備考]
・ビースト(パスカル)、バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)と交戦。睦月をマスターと認識しました
・ビーストがケルベロスに縁のある、或いはそれそのものだと見抜きました
・ビーストの動物会話スキルには、まだ気付いていません
・宝具『天霆の轟く地平に、闇はなく』が掠ったことにより、体内で放射能による細胞破壊が進行しています。再生スキルにより治癒可能ですが、通常の傷よりも大幅に時間がかかります
・雪村あかりとアーチャー(バージル)の主従の存在を認識しました
投下を終了いたします。諸事情により、投下が予約期限を過ぎ、大幅に遅れました事を、此処に謝罪いたします
投下おつー!
バージルとヴァルゼライドの激戦やザ・ヒーローの異常性、カエデの油断できない奇襲もさることながら、タカジョーがかき回したな。
悪魔らしく翻弄しつつ、隠された何かを察しそれを仄めかす様があいつらしい。
ここにきて英霊化による劣化やそもそも呼び出せるものなのかとかにもメスが入って。
派手なバトルながら考察的掘り下げも進んだ面白い話でした!
有里湊&セイヴァー(アレフ)
魔将ナムリス
予約します
投下乙です
何だこの脳筋!?(驚愕)
主従揃ってひたすら突っ走ってんなぁ
投下を致します。今回の投下に際し、自主従である有里湊&セイヴァー(アレフ)に新しい宝具を追加しました事と、
モデルマン(アレックス)の宝具に新しい性質を付与しました事を、此処に明記します
有里湊が目を覚ました時には、朝の七時だった。
港区巌戸台の月光館学園に通っていた時は、電車通勤かつそれなりの広さの人工島を移動しなければならなかった上、寮住まいであった為か、
寮則に従った生活を送る事を義務付けられていたせいで、早起きと言う物を常に心掛けさせられていた。
それ故に朝は何時だって余裕がなかった。同級生のゆかりは、今時の女子高生と言った容姿をしているにもかかわらず、あれで中々生活面はキッチリとしていたし、
反対に順平の方はと言うと、影時間のない所謂オフの日は、夜中までゲームをやって眠そうにしていたな、と言った事を、湊は思い出していた。
そんな生活が、自分にもあった事を、湊は改めて思い知った。
そして――そんな、些細で、苦しくて、しかし、楽しい事もたまには転がって来る生活が、一年経たずに終焉を迎える事も、また。
鉛を巻き付けられているかのような鈍重な動きでベッドから起き上がり、背を伸ばす湊。
本当を言うともっと寝ていても、学校に向かうには十分間に合うし、ロール上両親は遠方に出張していると言う設定になっている為、
事実上今の湊は、学校に向かおうが向かうまいが、全く問題がない立場であるのだ。
しかし、生活習慣の方は、元の世界でずっとその習慣を続けて来たが為に、一日二日の自堕落な生活で消える物でもないし、
例え学校をサボって自宅に連絡が来ようとも、そもそも両親がいないので、実質上問題がないのだが、どうにも学校に行ってないと締りが悪い、
と言う理由から湊は律儀に学校へと毎日向かっていた。そう、聖杯戦争が今日の深夜零時から始まった事を、知ってしまったとしても、だ。
深夜零時から体感時間一時間の間だけ、世界に挿入される、この世の時間とは別の一時間、通称影時間。
その隙間の時間の謎を解明するべく組織された、S.E.E.Sのリーダーであって湊は、深夜零時までは起きている事が半ば、義務染みた習慣になっている。
その様な生活スタイルの為、湊達は契約者の鍵から投影された、通達事項――今回は主に、ルーラー直々の指名手配がなされた二組の情報がメインであったが、
それを知る事が出来たのだ。家の中であったから波風が立たなかったものの、これが人目のつく繁華街の只中であったと思うと、湊でもゾッとしない話だった。
「本戦が始まるって解っても、学校に行くのか。律儀だな」
と言うのは、湊が引き当てた、セイヴァー(救世主)のサーヴァント、アレフである。霊体化していて見えないが、今も彼は湊の傍で彼を守っている。
「まぁ、惰性だよ。自分が思うに、学校に行く行かないに、初動のミスって言うのはないと思う。肝心なのは、最初に遭ったサーヴァントへの対応じゃないかな」
アレフは確かに強いサーヴァントであるが、キャスター等が行うような、籠城作戦は余り向かない、
積極的に出て行って相手を倒しに行く、と言うのが常道のサーヴァントだが、家に籠って待ちの一手でも、消耗を抑えられる為に一概に悪手とも言えない。
結局は、外に出るか出ないか、と言う最初の一歩は、アレフ程のサーヴァントにとっては、その戦闘能力を発揮するか否かの違いでしかないのだ。
「兎に角、サーヴァントと出会ったら、先ずは交渉、駄目だったら、後はお願い」
「了解」
特に何の異議反論もなく、アレフは湊の要求を呑んだ。
元より、湊を元の世界に送り返す事を彼は目的としているし、その過程で、何かと戦う事についても、別段彼は厭な思いはしない。
共に戦うに値する相手には、交渉を。そうでなければ戦い、殺し、勝てそうにないなら逃げる。生前日常茶飯事的に行っていた事を、此処でもやるだけだった。
「マスターに聞いて置きたいんだが、この指名手配犯達についてはどうするつもりだい?」
恐らく全主従、それも指名手配犯本人も知る情報であろうが、現在聖杯戦争参加者は、二組の主従について既知の状態にあると言っても良い。
つまり殆ど全員が、この令呪と言う賞金付きのお尋ね者について、何らかの処置を立てている筈なのだ。
積極的に狙って行こうとする者もいるだろう、無視を決め込むものだって、ゼロじゃないかも知れない。自分達も、これについて決めておかねばならないのではと、アレフは考えた。
「遭わない事を祈るしかないんじゃないかな」
「適当だなぁ」
「そりゃ、何人も人を殺すのは許せないけれど、だからと言って、積極的に倒しに行く義務は僕らにはない筈だよ」
月光館学園の制服、ではなく、新宿の某高校の指定制服に袖を通しながら、湊は言った。
「目の前にセリューって言う人や遠坂凛がいれば、僕らも何か考えなくちゃいけないけど、そうじゃないんだったら、別段躍起にならなくても良いんじゃないかな。
そもそも、僕らは今目の前の課題を片付けるのに忙しいんだ。現状脅威にならない主従を相手に、時間を奪われるのは、どうかと思うよ」
「成程ね、正しい判断だ」
本心からアレフは言っていた。
人間に出来る事など、たかが知れている、と言う事をアレフはよく知っていた。
救世主等と呼ばれ、他者を超越する程の力を誇っていたアレフであろうとも、出来なかった事は多いし、救えなかった者も多い。
結局、救世主も英雄と呼ばれる者も、目の前の出来る事を粛々と処理していった末に、偶然それが世界の為になる結果に繋がっただけなのではないかと。
アレフは時たま、考える事があるのである。何せ、彼ですらが、そうであったのだから。
「そろそろ朝食を摂るよ」、と言って湊は自分の部屋を出た。
聖杯戦争、と言う名の熾烈な殺し合いはもう始まっていると言うのに、何処までもこの青年は、恬淡とした雰囲気を崩しもしないのだった。
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此処で、とある主従の裏事情――つまり、その名をタイタス帝と呼ぶキャスター達の裏事情を語らねばならない。
初代皇帝タイタスを御する、マスターのムスカは、タイタス帝の真なる陣地である、古王国アルケアの首都であるアーガデウム。
この顕現の為にムスカは、己が人脈と財力を擲ち、タイタスをして「尽瘁した」と言わせしめる程の働きを示した。
だが、そんな彼の働きを裏切るかの様に、アーガデウムは顕現しない。そう、何時だって不測の事態は起こるもの。
アーガデウム顕現の為に必要な、タイタス帝と古王国アルケアに纏わる伝説を人々に播種させる、と言う過程が実を結ぶのは、
それがあくまでも『正真正銘本物の人間のNPCの時だけ』であり、人間以外の存在には無効なのである。
そう、ムスカ達は知る由もなかったが、実は<新宿>には、彼ら同様裏で跋扈するあるキャスターの存在があり、彼らがNPC達を怪物に仕立て上げているせいで、
彼らの聖杯獲得への第一歩は、思わぬ形で頓挫させられてしまったのである。
自分らの予想を超える謎の妨害に、ムスカは狼狽したが、流石に智慧者であるタイタスは冷静であった。
元々、真名とその顔がより広く知れ渡られる、と言う、通常聖杯戦争においてデメリットとなる事柄が、逆にメリットに働くタイタスにとって、
寧ろ自らの名とその活躍が知れ渡る事は、好都合な事柄なのだ。つまり、契約者の鍵を通して投影される指名手配通告ですらが、デメリットにならない。
であるのならば、それを活かさぬ手はない。故に彼が打った手段は、人が集まる場所に於いて自らの手の者を送り込み、メディア媒体を通じてより広く、己が名を売らせると言う作戦であった。
しかし、完璧を予想してムスカに行わせた作戦が、思わぬ横槍で失敗に終わった、と言う前例があるのも事実。
これだけでは不十分ではないだろうかとタイタスは思い、同日の深夜四時頃に、もう一つの算段を実行に移していた。
タイタスは、己が忠実な手足であり、友である、魔将を運用する事にしたのだ。
タイタスのスキルである魔物作成は、夜種と呼ばれる魔物を文字通り生み出す事を可能とするスキルだ。
この夜種と呼ばれる生き物達は、元を辿ればタイタス統治下の時代のアルケアで考案された、ある種の人造奴隷と言うべき存在だ。
人の血肉や汚泥、塵等と言った不浄な構成物から彼らは生み出され、しかし、それでいて主君に忠実な性格をした彼らは、当時の帝国の兵隊として、時には帝国の下部労働者として、国自体を支えていた。
魔将とは、この夜種と呼ばれる存在とは一線を画した存在である。
彼らは血肉や汚泥などと言った、『物』から生み出される存在ではなく、れっきとした一人の人間を用い、彼らの個我を色濃く残した状態で生み出される、
幽鬼の様な存在と言っても良い。その戦闘能力は元となった人間の強さに比例し、モデル次第では、夜種とは別次元としか言いようのない強さを発揮する事がある。
タイタスは生前、五体の魔将を従えており、その五体とも、後世数百〜千年後にまで伝わる程関わりが深い存在であった。
では、その存在を聖杯戦争の舞台に呼び寄せられるか――と言えば、それは通常不可能であると言う他ない。
何故ならばその五体の魔将とは、今となっては『それぞれが英霊の座へと登録されている存在達』であり、彼らを呼び寄せると言う事は、つまり、
『サーヴァントの身でありながらサーヴァントを呼び寄せる』、と言う事を行うに等しいのだ。
そう、その五体の魔将とは今や音に聞こえた英雄或いは反英雄であり、例え主君であるタイタスであろうとも、彼らを召喚する事は不可能に等しい事柄なのだ。
――但しそれは、『通常』不可能なのである。逆に言えば、二つの問題さえクリアすれば、召喚は可能となる。
一つ、魔力的な問題。サーヴァントになる前のタイタスならばいざ知らず、サーヴァントとしてその力を制限されている今の彼の身では、
魔将程の存在を維持するのは困難な筈なのだが、彼は運よくこれをクリアした。先ず、ムスカ自体が、やや貧しいとは言え魔力を有する人間であった事。
次に、彼の身を粉にする活躍の甲斐があって、宝具・『廃都物語で多くの魔力を徴収出来た事』。これで、魔力面の問題はクリアした。
そしてもう一つ、魔将の再現である。夜種とは別格の強さを誇り、かと言って、自分の霊を引き継いだ歴代のタイタス帝とは違う存在である彼らは、
尋常の手段では生前の様な強さを発揮出来ないし、そもそも召喚すらもままならない。タイタスは、其処を妥協した。
つまり、生前の強さを完全に再現すると言う事を捨てたのだ。彼ら魔将を、『最上位の強さを誇る夜種の一角と定義』、ワンランクその格を落とす事で、その召喚と維持を簡易的な物とさせた。
タイタス自身の顕界にも必要な、基本にして最大のリソースである魔力を引き換えに、本来想定された強さよりも一段劣る強さになった魔将を、
<新宿>の地に招聘させた理由は、先の通り、アーガデウムの顕現を速めさせる為に他ならない。
現在この地には、ムスカ自身が提案した、アルケア文明を想起させる様な、現代メディアを通したマーケティング・ストラテジーの他に、
タイタス自身が行っている、古流の切り込み方。即ち、アルケア由来の古美術品を現世に流通させると言うやり方であるが、魔将はこの延長線上の存在だ。
タイタスが流布させた古美術品の中には、戯曲や彼自身の活躍を記した叙事詩の様な物が存在し、その中に魔将が記述されている書物は少なくない。
魔将を<新宿>に出現させる事で、彼らの記述のある書物を呼んだNPCをアンテナ代わりに、より広く噂を流布させ、アーガデウム現界を早めさせると同時に、
魔将自体にも広く動き回って貰い、聖杯戦争の他参加者の早期発見及び、アーガデウムの出現を早めさせる役割を果たさせて貰う。
このような仕事を期待して、タイタスは魔将を世に放った。こう言う事である。
そして、その大任を先ず任された魔将の一人が現在、<新宿>は花園神社の境内で、タイタスの生み出した夜種に下知を飛ばしている事を、恐らくは誰も知らないであろう。
境内には現在、タイタス縁の魔術道具を使った人払いの術が行われいる為、参拝客は当然の事、花園神社と言う宗教施設の関係者ですらが、
此処にいる魔将の存在を認知出来ていないであろう。境内の至る所を忙しなく、トールキンの小説に出て来るゴブリンの様に醜い生物が駆け回り、
境内上空は、人の顔を持った巨大な怪鳥が飛び回っている。彼らを率いる隊長格と思しき、獣と人の相の子の様な様相をした大兵漢は、
花園神社の拝殿の前に威圧的に佇むその存在に、恭しく礼儀をし、世にもおぞましい怪物的な響きの言葉で何かを報告していた。
その報告を受けとる存在――つまり魔将であるが、一目見ても、明らかに夜種共とは一線を画した存在である事が窺える姿をしていた。
毛並みのよい灰黒の雄馬に跨る、漆黒の外衣(ローブ)を身に纏った長身の男で、その手にはハルバードに似た武器を携えていた。
彼こそは、始祖帝タイタスが従える五の魔将が一人。アルケアと同年代の王国である、ウーに生まれた双子の兄弟の弟を由来とするこの魔将の名を、『ナムリス』。
人の手には殺されぬと言う託宣を授かり世に生まれ、そして事実その通りとなった、不死身の戦士であった。
「捜せ……サーヴァントを……そして、皇帝陛下に上奏せよ……」
酷くくぐもった声で、ナムリスが言葉を告げる。
今や此処花園神社は、一人の魔将の陣地であり、そして、タイタスが効率よく聖杯戦争参加者の情報を集める為の電波塔の一つとなっていた。
人に化けた夜種を<新宿>にある程度撒き、古美術の類を<新宿>に流通させる傍らで、聖杯戦争参加者の情報を集める事を忘れない。
生前同様、ナムリスは完全にタイタス帝の傀儡以外の何物でもなかった。
ナムリスが花園神社を拠点としてから、既に三時間程は経過した。
古美術品の流通はある程度は進んでいるだろうが、未だにサーヴァントの情報は集まって来ない。
タイタスに曰く、サーヴァント達は霊体化と言う技術を用いる事が可能な為、下等な夜種ではその気配を認知出来ない可能性が高いと言う。
一行に、サーヴァントを目撃した、と言う情報を配下から聞かないので、ナムリスはもどかしくなる。
そんな折であった。
慌ただしい様子で上空から、人間の胴体と顔、鳥類の翼と脚を持った夜種である、告死鳥が急降下して来たのは。
「ほ、報告いたします将軍閣下!! サーヴァントがこの拠点に気付きました!!」
何、と言うよりも速く、大鳥居の方から配下の夜種達の悲鳴が上がった。
目を凝らして見て見ると、小鬼型の夜種の首を跳ね飛ばし、身体中をサイコロ状に切り刻みながら、此方に歩んでくる剣士と、彼の背後を歩く青年の姿を、ナムリスは認めた。
――ゾッとする程冷たい何かが、魔将の身体を貫いて行くのを、ナムリスは感じるのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
自転車を漕ぎ、目的地である学校へと向かおうとしていた矢先の事だった。
霊体化していたアレフが、花園神社の方角から魔力の強い香りを嗅ぎ取ったのは。
無視出来る範疇を越えた魔力量であるのと、それが目の前あった事の二つの要因から、湊達に素通りと言う選択肢は端からなかった。
自転車を適当な場所に停めて、改めて花園神社の方に目を向ける二名。
不思議な程、通行人達は神社の方に目線の一つもやらない。ある者はスマートフォンを歩きながら動かし、ある者はイヤホンを耳にし、またある者は、
同僚やクラスメイトと話しながら道を歩く。誰も彼もが自分達の事情を優先、と言った風であるが、それでも、皆示し合わせたように神社の方に顔を向けない。
その方向以外に顔を向ける事はあれど、此処まで道を歩く全員がその方角を気にも留めないと言うその光景に、湊は異様な物を感じる。
【そう言う術なんだろうね、珍しい事じゃないさ】
と、湊に伝えるのは、霊体化をしたアレフだった。
恐らくは、人間の認識に訴えかける術を神社全域に施しているのだろうが、どうにもお粗末なのか。この程度の練度ではサーヴァントには気付かれてしまうだろう。
尤も、今回これを認知しているサーヴァントは、千では足りない程の天使や悪魔を斬り捨てて来たアレフである。彼の優れた神魔の察知能力を掻い潜って、陣地を維持しろ、と言う方が、無茶なもの、と言う奴だった。
【どうする、マスター? 君が望むのなら、俺も向かうけど】
【行こうか、セイヴァー】
湊は、即答した。
【会って話だけでもして来ようか。駄目なら、後処理は頼むよ】
【了解】
言って湊は、神社の境内に足を踏み入れるや、叩き付けられる濃密な敵意と殺意。
此処でアレフが、霊体化を解き実体化。境内の内部でならば、霊体化を解いても誰も気にしないと判断した故であった。
「どうやらあまり歓迎されていないようだね」
湊にも、それが理解出来る程であった。
小屋の内側や影、鳥居の死角、果てはアレフ達の上空まで。ありとあらゆる方角から、殺意を叩きつけられている。
瞬間、鳥居の死角と、売店と思しき小屋の影と小屋のなかから、数匹の何かが勢いよく飛び出して来た。
アレフと湊はそれが、土色の体表を持った、小さな鬼の様な生物と、オレンジ色の皮膚を持ち、身の丈以上の剣を持った長身の鬼であると認める。
数はそれぞれ四匹。狙いはアレフ、ではなくそのマスターであるらしい。如何やらマスターを狙えば何が起こるか、と言う事を予め知らされているとアレフは一瞬で看破。
湊にその怪物達――夜種が到達するまで後五m程、と言う所で、四体の怪物達は粉微塵に砕け散った。武器を持った者は、武器ごと、だ。
アレフは、湊が認識出来ない程の速度で二m程先の地点まで踏み込んでおり、いつの間にか、今まで背負っていた鞘から刀を引き抜いている。
鋼色の刀身と、其処に波打たれている刀紋が非常に美しい太刀で、一目でそれが、業物と解る程の逸品だった。
何が起ったのかは、湊には解らない。
人間の認識出来る速度の更に先の速度でアレフが動き、その移動速よりも更に速いスピードで刀を引き抜き、夜種目掛けて振り抜いて、彼らの身体を粉微塵にさせたなど。
湊には解る由もないだろうが、特に彼も驚いていない。自分のサーヴァントが、己を守ってくれた。その事実だけで、最早充分であった。
「この調子じゃ、話も聞いて貰えそうにないかな、セイヴァー」
「だろうなぁ」
一昨日の夕食何を食べた、とでも言うような口ぶりでそう話す湊と、それに答えるアレフ。
境内の死角の至る所から現れる夜種の面々を見ても、平然とした素振りを貫き通す二名。
湊もアレフも、現れた夜種達に目を配らせる。先程爆ぜさせた小鬼に似た物から、剣を持った長身の鬼。
槍を持ち簡易な鎧を身に纏った矮躯のゴブリンから、力士の様な体格をした紫色の鬼、果ては空には、人間の胴体と顔を持った鳥の様な生物まで此方を睨んでいた。
先手必勝と言わんばかりに、腰のホルスターに掛けられたブラスターガンを引き抜いて、上空を飛ぶ三体の告死鳥目掛けてトリガーを引いた。
ブラスターガンとは元を正せば、天使が統治するディストピアであったミレニアムのセンターが作り上げた最新鋭の銃で、既存の銃の様に、
質量を持った弾丸ではなく、質量のない光を銃弾として放つタイプの銃である。一般的には、光線銃と言った方が解りやすいか。
質量のない弾丸――つまりそれは、『光速』で飛来する弾丸その物とほぼ同義であり、トリガーを引いた瞬間実質ほぼ命中しているも同然の銃なのだ。
必然、直撃する。アレフの放ったブラスターガンは、告死鳥の額を寸分の狂いなく撃ち抜き、一瞬でそれらを汚泥の塊に変貌させる。
此処まで掛かった時間は、ゼロカンマ二秒程。雑魚を相手に本気になるのは労力の無駄だとアレフは考えた為、余力は残してある。つまり、まだまだ時間は詰められる。
頭上の告死鳥が死んだ事に気付かず、此方に特攻を仕掛ける夜種達。
土色の体表を持った小鬼が、腕を振り被る、よりも速く、稲妻の如き速さでアレフが刀を縦に振り下ろす。
小鬼の頭頂部から股間までを完璧な垂直に刀を走らせたアレフは、左方向を振り向き、そのまま刀を下段から上段へと勢いよく斬り上げ、
鎧を纏った鬼をその鎧と構えた槍ごと切断、股間から頭頂部までを斬り裂いた。そのまま勢いよく右方向を振り向いたアレフが、袈裟懸けに刀を振り下ろし、
力士の様な体格をした大兵漢の鬼を斬った。内臓器官をズタズタにされて、うげっ、と言う悲鳴を上げてその鬼は即死した。
邪魔だ、と言わんばかりにアレフが、先程上段から剣を振り下ろして見せた小鬼を蹴飛ばす。今まさに斬られた所から真っ二つになり掛けていたその鬼が、岩をも砕く程の威力を誇るアレフの蹴りを受けて粉微塵に爆散。そのまま塵となって風と共に消えた。
異変に気づき始めたのは、他の夜種達だ。
傍から見れば、瞬きを終えた瞬間には先陣を切った三匹が、一瞬で斬り殺された風にしか見えないだろう。
事実アレフは、先程ブラスターガンで葬った三匹の告死鳥の分も含めて、ゼロカンマ五秒程の時間もかけていない。
歩き慣れた道を歩くかのような様子で、アレフは石畳を歩いて行く。呆然とその様子を見守る夜種達。
アレフが愛刀である将門の刀を振るう。前方にいた、鎧を纏った小鬼の夜種の首が刎ね飛ぶ。
再び刀を振るう。縦幅も横幅も大きな鬼が、二十三分割されて即死する。
振う。体中が一辺十cm程のサイコロ角にされて鬼が死ぬ。
振う。音速を超える速度で振るわれた剣身に直撃した瞬間、ゼロ距離で爆弾を炸裂させたように身体が粉々になる。
将門の刀を振るい、散歩をするかのように石畳の上を歩き、夜種達を斬り殺して行く今のアレフの姿は、
死神ですらが泣いて逃げ出す程の悍ましい何かとしか映らなかった。夜種達の腰が引けて行き、ある者は背を向けて、拝殿にいるナムリスの方へと逃げようとする。
逃がさないと言わんばかりに、アレフがホルスターからブラスターガンを引き抜き、背を向けた夜種へと発射。光速の弾体が、後頭部を貫き、夜種を瞬時に塵と化させた。
今や夜種達にはアレフとそのマスターを倒すと言う気概はなく、何とか、この迫りくる死その物から逃げよう逃げよう、と言う心持ちしかないようであった。
「これ以上は労力の無駄なんじゃないのかな、セイヴァー」
「かもな」
そう言ってアレフ達は、歩くペースを速めた。
これ以上徒に夜種に構って、魔力を消費するのは得策ではない。何故ならば目線の先――つまり拝殿方向であるが、其処に佇む、黒馬に跨るローブの戦士を見つけたからだ。
夜種達の妨害も最早なく、スムーズにアレフ達は本殿の方に向う事が出来た。
彼らを見下ろすナムリスからは、途方もない敵意が横溢している様子で、今にも、不意打ちの一つや二つは、アレフが油断をすれば行ってきそうな様子であった。
魔将を見上げるアレフと、救世主を見下ろすナムリス。その様子を、配下の夜種達が、火中の三名を取り囲むように見守っていた。
「――控えよ」
そう言ってナムリスは、ハルバードを持っていない側の手を水平に伸ばし、夜種達を制止させる。
取り囲んだ夜種の中には、未だアレフ達に襲いかかろうと言う気概を持った者もいたが、それは少数派だった。
殆どの者は、自分では敵わぬと、戦う気概すら最早ない状態だ、と言っても良い。
「この者の相手は我が行うとしよう」
言ってナムリスは馬ごと、石段の最上段から馬を跳躍させ、境内地面に着地。アレフ達と同じ目線に今降り立った。
「セイヴァー。其処のサーヴァント、ステータスが見えないよ」
不思議そうに湊が告げる
サーヴァントと対峙したらクラスとステータスが明示されると聞いたが、目の前の黒馬の騎士には、それが見えないのだ。
さもあらん、目の前の存在はそもそもサーヴァントでなく、サーヴァントが生み出したある種の使い魔である。見えなくて当たり前なのである。
「サーヴァントじゃなくて、その眷属なのかも知れないな」
意識を湊の方から、ナムリスの方に向けて、アレフは言葉を続ける。
「サーヴァントが使役する使い魔、って事で良いのかな、君は」
「答える義理もなく」
「まぁ、そう言わないで。数分だけ付き合おうよ」
友好的にアレフは言葉を投げ掛け続けるが――
「配下の『夜種』を殺戮した者の……話を聞くと思ったのか」
ハルバードを構え、ナムリスが語る。
もう次の言葉には応じない、と言うような心意気が、身体の端々から発散されているのが、アレフ達には解る。
「駄目だね、話が通じない」
「みたいだね。後は頼むよ」
「了解。じゃあ死ね」
其処までアレフが言った瞬間、全身が朧と消えた。
夜種達は当然の事、湊、果ては魔将たるナムリスですら、何処に消えたかも判別出来ない程の移動スピード。
何て事はない、アレフはナムリスの真正面一m圏内まで、踏み込んでいたのだ。彼我の距離は、アレフが詰めるまでは十m程あったが、この程度の距離など、
人智を逸した身体能力と、人間の常識を超えた死闘を日常茶飯事的に繰り広げて来たアレフには、離した内にも入らない。
将門の刀を大上段から振り下ろすアレフ。
音に数倍する速度で振り下ろされたそれは、ナムリスの騎乗していた灰黒の獣毛を持った騎馬を、鼻頭から臀部まで斬り断ち、真っ二つにする。
刀の剣尖が石畳に触れた瞬間、刀に秘められた運動スピードが爆発。凄まじい轟音を立てて、刀の切っ先が触れた所を中心に、石畳に直径十五mにも達する程のクレーターが生まれた。
違和感を誰よりも速く感じたのは、他ならぬ刀を振るったアレフだ。
生身を斬った手ごたえは、刀を通じ腕全体に伝わったが、それはあくまでも馬体を斬った感触であり、本命のナムリスの手ごたえは、殆どゼロだった。
この感触に覚えがある。生前戦った悪魔の中には、物理的な干渉力を持った攻撃の効果が薄い、最悪、全く効果がない敵と言う者は、珍しくなかった。それに、アレフは似ていると推理する。
騎乗していた馬が左右に真っ二つになり、血と臓物を撒き散らして倒れ込む。
石畳の上に散らばった内臓器官の真上に、ナムリスが背中から落下する。ナムリスからしたら、何が起こったのか、理解の到底及ばない事柄であったろう。
事実彼は、自分の身に何が起ったのかすら、理解出来ていなかった。この思考の漂白状態を逃さないアレフではない。
ホルスターからブラスターガンを引き抜き、目にも留まらぬ速度で心臓、大脳、肝臓の位置に光線を放つ。
確かに、光速の熱線は寸分の狂いなく急所を撃ち抜いたが、全く効いていると言う様子がない。
剣がダメなら、銃を撃つ。アレフのいた世界では鉄則どころか、最早戦士の常識レベルの理であったが、これすらも通用しないとなると、新たに自分に設定された虎の子を開帳しなければならないな、とアレフは一人愚痴った。
ナムリスが急いで立ち上がり、手にしたハルバード状の武器を、横薙ぎに振るう。
――遅い、と感じたのはアレフではなく、ナムリスである。平時の自分の力からは想像も出来ない位、威力も速度も衰退している。
今の自分の実力が、生前のそれから劣化していると言う事は聞かされているし、事実どの程度劣化しているのか、ナムリスは確認している。
最後に確認した時から、明らかに劣化が進行している。今の自分ならば、末端の夜種が数に物を言わせて襲いかかってきたら、忽ち殺されてしまうのではと思わざるを得ない程だった。
刀を振るい、アレフはナムリスの攻撃を迎撃。ナムリスが手にするハルバードを数十に輪切りさせる。
ナムリスがハルバードを持っていた腕ごと輪切りにしては見たが、やはり、剣身は素通りするだけだった。
馬を殺され、武器すらも瞬く間に破壊された。雄叫びを上げてナムリスは質量とエネルギーを伴った闇の帳をアレフの周りに出現させ、
それを纏わせようとするが、目にも留まらぬ速度で刀を一薙ぎさせ、彼は退屈そうにそのカーテンを斬り裂いた。
魔術の威力ですらもが、著しく劣化している。自らのあらゆる能力の劣化が、まさかアレフのスキルに起因している等、ナムリスには想像すら出来ないだろう。
これこそが、人間の救世主であるアレフの象徴とも言うべきスキル、『矛盾した救世主』。
人の思念が生み出した究極の存在、救済の願望器とも言うべき神格であるYHVHを、『人間の世界を救う為に斬り殺した』と言う矛盾に満ちた行動の末に獲得した、
彼だけの聖痕。人間の人間による人間の為の世界を導いた救世主の前では、あらゆる超常的存在は委縮する。その神威も、その邪悪さも、彼の前では色褪せる。
一方でアレフの方も、ナムリスに攻撃が通用しない、と言うロジックが解らずにいた。
魔将・ナムリス。古王国のウーの双子の王子の片割れとして生まれたこの男は、生前、『人間の手には絶対に殺されない』と言う託宣を受けていた。
事実彼は、如何なる神か諸仏か、それとも悪魔かの加護かは知らないが、人間の用いるあらゆる武器や魔術が通用しない神代の肉体を持っていた。
ナムリスにアレフの攻撃が全く通用しないのはひとえに、そう言った裏事情があるからに他ならないのだが、当然彼はそんな事を知る筈もなく。
寧ろ、マスターである湊の攻撃なら通用するのだろうかとすら考えていたが、マスターに危険な橋は渡らせたくない。だとするならば――自分がケリを付けるしかないか、と、アレフは結論付けた。
ナムリスは攻撃の矛先をアレフからマスターの湊に変更、先程アレフに行った様な闇の帳を投影させるが、それを許す彼ではない。
地面を蹴り、残像を見る事すら難しい速度で湊の眼前に立ち、闇の投影を将門の刀を振るって祓う。
湊は湊で、何かしら迎撃をするつもりだったらしく、懐から、ペルソナなる技術を用いる為に必要な拳銃型のデバイスを取り出していた。
【苦戦してる?】
と、念話で湊が語りかけてくる。
【切り札を使えば倒せるよ。俺の攻撃が通用しない事を除いたら、大した存在じゃない】
アレフはナムリスの事を、耐性だけが全ての悪魔だと考えていた。
悪魔を使役し戦う、デビルサマナーとしての側面を持つアレフにとって、あらゆる攻撃に強いと言う悪魔は、それだけで十全の価値がある存在として、
認めてこそいるが、逆を言えば、それだけしか取り得のない悪魔は、強い攻撃の属性以外の攻撃で攻められると、呆気なく落ちる事も良く知っている。
折角、サーヴァントになって得た宝具なのだ。使わない事には損であるし、どのような感じなのか、試して見たくもなる。
【使って良いよ、宝具】
【ありがとう、マスター、それじゃ試しに……】
言ってアレフは、将門の刀を正眼に構え、ナムリスの方を見た。
睨むような目でもなければ、敵意を感じさせる様な感情も宿っていない。
ただただ、目の前の存在を、邪魔な敵、歩く道を妨害する障害物程度にしか見ていないような瞳であった。
邪魔をしたから、処理をする。行く先を妨害するので、殺して黙らせる。その程度の感情しか宿っていない瞳で、ナムリスを見つめる。
それが――魔将と化し、尋常の人類の理解の範疇の外の精神性を持つに至ったナムリスや、人間としての感情を欠片も有さない筈の夜種達にすら、例えようもない恐怖を抱かせるのだ。
ア レ フ
「――神魔よ、黄昏に堕ちろ」
そうアレフが告げた瞬間だった。
彼の姿が消えた――と認識するよりも速く、ナムリスの視界がグルンッ、と縦に一回転する。
回転は目にも留まらぬ勢いで続いて行く。二回転、三回転、四回転。回転する己の視界に、直立した状態のまま、胴体から首より上が綺麗になくなっている、
己の身体をナムリスは見た。嗚呼まさか――自分は首を跳ね飛ばされたのか。
刀を横に振るったアレフは、そのまま刀を上段へと持って行き、ナムリスの首の切断面から刀を振り下ろす。
手首に独特の力を込めているのか、ナムリスの身体はローブと着衣物ごと『ひらき』になり、綺麗に左右に真っ二つになり、石畳に転がった。
悪魔の中には、斬り殺して尚、再生機能が働き、殺したと思ったら再び活動を再開する者も少なくない。そう言った存在に対抗して、
再生能力を封じる斬り方と言う物も、アレフは終わりの見えなかった戦いの最中で学んでいた。
ナムリスの頭部が、石畳の上に転がった。
今の彼は、アレフの事を、サーヴァントだと見ていない。それ以上の、何かだと見ていた。
……怪物だ。ナムリスはこの期になって、生前――魔将にその身を堕とすよりも以前の記憶。初めて、始祖帝と顔を合わせた時の事を思い出していた。
初めて、遠からん国々にもその名を轟かせる、アーガの帝王タイタスの姿を見た時に感じた、例えようもない畏怖と、この救世主のサーヴァントを見た時の感情に。嘗てない程の、デジャヴュを感じていた。
「我が名は……『ナムリス』。始祖帝の従える、魔将が一柱……」
其処で、ナムリスの視界に、黒々とした墨が塗られた。
如何なる光を差そうとも、晴れる事のない暗黒が、彼の視界と思考を覆った。
彼の頭部と胴体が、蒼白い炎を上げて燃え上がる。纏っていた外衣だけは、完全なる形で残っているにも拘らず、肉体だけが、跡形もなく消え失せた。
灰すらも残らず、魔将ナムリスはこの世から消え失せた。始祖帝に魂を縛られた魔将の第二の生は、かくの如くに幕を下ろした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この騒ぎを、何と例えるべきか。
耳障りな声を上げて、ナムリス達の周りを取り囲んでいた夜種達が、悲鳴を上げていた。
自分達を率いていた統率者である魔将が、いとも簡単に斬り殺されたと言う事実を認識した瞬間、夜種達の心は恐怖で支配された。
夜種は完璧に人間の奴隷であるかと言えばそうでもなく、柔軟性を持たせる為、彼らには一定の自由意思と言うものが設定されている。
指揮者を失い逃げた夜種の中には、野性に帰り、自分なりの生活を送っている、と言う者も、嘗ての世界では珍しくなかった。
つまり彼らは、頭を失うと途端に混乱する習性がある。今等は正しくそうで、統領であるナムリスを失った瞬間彼らは、潰乱状態にも等しい騒ぎになっていた。
「逃げられると面倒そうだし、逃がさないで欲しい、セイヴァー」
「そうだね」
冷静に湊は指示を下す。それを受けて、アレフの姿が掻き消える。次の瞬間には、夜種の一団が吹っ飛んでいた。
手足や首が切断されて、中空に四散される。アレフの神速の一振りを受けて、身体全体が粉々に爆発する。十以上のパーツに、身体が分割される。
自分達に何が起っているのかと言う事すらも認識出来ずに、彼らはその命を、無慈悲な救世主に刈り取られて行く。
三十以上にも上る夜種の一軍は、五秒と掛からずアレフ一人によって皆殺しにされ、空中を浮遊する告死鳥すらも、逃さない、と言わんばかりに、ブラスターガンで狙撃され、塵にされる。
刀を鞘にしまい、ブラスターガンをホルスターにかけ、そして最後に、宝具を解除。
後には何事もなかったかのように、アレフは石畳の上を歩いて行き、湊の下へと向かって行く。
「血もなければ肉の破片も無い。薄々は思っていたが、如何やらあの使い魔達は、砂やら塵やらで出来ているらしい」
冷静にアレフは周りを見渡し分析する。そして、夜種と言う存在の本質を、直に看破する。
彼の言う通り、夜種とは、古代の魔術師達が使役した、労役の為の道具であり、彼らを構成する要素は塵や泥等と言った不浄の物だった。
であるのならば、成程、殺したとしても目立たない。血や肉が周辺に散らばるよりは、余程人目がつかないと言う物だ。
「ナムリス……そう言ってたね」
今わの際に、自身の事をそう言っていたのを湊は思い出す。
何故、最期の最期になって、その様な事を口にしたのか。湊は愚か、アレフですら理解が出来ていない。
二人は、境内に残った、ナムリスが羽織っていた漆黒の外衣を見下ろした。
「セイヴァーは聞いた事あるかな、そう言う存在」
「ないかな、心当たりもまるでない」
その戦い方の都合上、神話伝承の類に詳しくなければならないアレフですら聞いた事がないとなると、尋常の事ではない。
ナムリス、と言う名前から、彼を嗾けた大本の存在を推察するのは、現状では不可能、と言う結論に至った。
「これだけの使い魔を生み出せるサーヴァント……となると、油断は出来ないかな。俺じゃなかったら、サーヴァントでも苦戦は免れなかったかも知れない」
「遭わないようにしたいなぁ、僕も」
「俺もさ」
其処まで言ってアレフは霊体化を行い、その姿を透明な状態にさせる。
【人払いが晴れたかもしれない。早い所境内から逃げた方が、人目もつかなくて済むと思うよ、マスター】
【そうだね】
会話も短く、湊は元来た大鳥居の方に身体を向け、足早に其処から去って行く。
……その身体に、アルケア帝国の記憶と言う、決して消せぬ魔痕が刻まれていると言う事実を、知る事もなく。
ナムリスは、最期の最期で、大役を果たしたのだ。タイタスから下された任務――自らが滅びる時が来れば、己が名前をサーヴァント達に告げ、アルケアの記憶を流布させよ、と言う命令を。ナムリスは、忠実に果たしていた。
夢の都はなお遠く。人々の心の奥底に、無意識の国の水底に。今はまだ沈んでいる。
しかして、着実に。その版図を広げて行っている事を、今はまだ、誰も知らない。
【歌舞伎町、戸山方面(花園神社)/1日目 午前8:00】
【有里湊@PERSONA3】
[状態]健康、魔力消費(極小)、廃都物語(影響度:小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]<新宿>某高校の制服
[道具]召喚器
[所持金]学生相応
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界に帰る
1.可能なら戦闘は回避したいが、避けられないのなら、仕方がない
[備考]
・倒した魔将(ナムリス)経由で、アルケア帝国の情報の断片を知りました
・現在<新宿>の某高校に通い、其処に向かっております
・拠点は四谷・信濃町方面の一軒家です
※現在<新宿>中に、人に変装した夜種がおり、ナムリスの命令を受けて行動をしています。また花園神社に、魔将の外衣が放置されています
【セイヴァー(アレフ)@真・女神転生Ⅱ】
[状態]健康、魔力消費(極小)
[装備]遥か未来のサイバー装備、COMP(現在クラス制限により使用不可能)
[道具]将門の刀、ブラスターガン
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを元の世界に帰す
1.マスターの方針に従うが、敵は斬る
[備考]
.
投下を終了いたします
執筆出来るかどうか解らないので、予め延長宣言します
マーガレット&アサシン(浪蘭幻十)
ザ・ヒーロー&バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)
エリザベス&ルーラー(人修羅)
予約いたします
伊織順平&ライダー(大杉栄光)を予約します
投下いたします
【傷の方は治ったのかい? バーサーカー】
人目のつかない裏路地だった。
<新宿>ほどの人口密度の都市で、人気が完全にない場所を探す事などほぼ不可能な事柄であるのだが、此処の所のこの街の異常性は、
聖杯戦争開催と同時に倍以上に強まって来ている。アウトローが目に見えて少なくなってきている、と言う事実がその最たる事柄であろう。
それでもやはり、この街は<新宿>。聖杯戦争開始一日目程度では、まだまだ街に人は大勢いる。
彼ら――ザ・ヒーローの主従が、全く人のいない裏路地を発見出来たのは、全くの偶然と言っても良かった。
【召喚された当時の、十全の状態とは言えんが、動く分には支障はない】
念話であろうとも、力強さの衰えが微塵にも感じられぬ声音で、ヴァルゼライドは返答した。
例え心臓を抉り取られようとも、数時間は活動出来る、と言われても、この男の場合それも仕方がないと皆に思わせてしまう。
それ程までの力強さで、このヴァルゼライドと言う男は満ち満ちているのである。
あれから、桜咲刹那と、彼女が従えるランサーである高城絶斗を探し回っては見たが、一向に彼らは見つからない。
当たり前と言えば当たり前だ。何せ相手は、空を飛べる上に、サーヴァントに至っては数百m間を一瞬で転移して移動出来るサーヴァントである。
如何にザ・ヒーロー達が強いとは言え、地上を移動するだけしか移動手段がなく、特に気配察知にも優れている訳でもない主従が、彼女らを見つけられる筈がなかった。
結局あれから二時間経過し、その内一時間半ばかりの時を、<新宿>を無駄に歩くだけの徒労に終えさせてしまった。
今やタカジョー達の主従は勿論の事であるが、半身に悪魔を宿す蒼コートの剣士すらも、今や見失ってしまった。
これ以上は無駄に自分もサーヴァントも消費するだけだと考えたザ・ヒーローは、急遽、先程の戦いで傷付いたヴァルゼライドの治療に方向性を変更させる。
その方針変更の結果、彼らはこうして、一目のつかない裏路地で、回復活動に専念している、と言う訳だ。
サーヴァントの肉体の蘇生は、人間とは違い、蛋白質や水分、と言ったものではない。
マスターから供給される魔力と、自前の魔力が活動のリソースであるサーヴァント達。これらの事実からも推察出来る通り、マスターが保有する潤沢な魔力がそのまま、
サーヴァントの活動出来る時間に直結する。つまり、魔力が多ければ多い程、越した事は全くなく、寧ろ少ないとデメリットしかないのである。
ザ・ヒーロー自体には、そもそも魔力回路等と言う物自体が存在しないと言っても良い。元を正せば、彼は市井の人間であり、魔術的な才能など皆無だった。
それにもかかわらず、彼が潤沢な魔力を保有し、ヴァルゼライド程のバーサーカーを平然と御せている理由は、今や悪魔の一匹も収められていない、
彼のCOMPにそれこそ無駄に詰め込まれたマグネタイト、=魔力があるからであった。
このマグネタイトを、ヴァルゼライドの治療に使っている。
身体の構成要素が魔力であると言う事は、外部からそれを供給させられれば傷の治りも早い事を意味する。
尤もこれは、ヴァルゼライドの固有の性質と言う訳ではなく、サーヴァントと言う存在である以上誰もが分け隔てなく有する共通項と言っても良い。
故に特筆すべき所など本来はない筈なのだが、ザ・ヒーローが溜めこんだ無尽蔵のマグネタイトの故に、傷の治りも早い。
バージルとタカジョーと戦った際の負傷など、尋常の手段では幾日掛かろうが治せるレベルではない筈なのに、今やもう、傷が塞がりつつあった。
先程のヴァルゼライドの言葉は強がりでもなく、正真正銘の、事実であったのだ。
【この聖杯戦争に招かれる存在だ。弱き者など一人としてあり得ぬ。そう考え、俺はあらゆる敵に対して、油断せず、全力で戦って来たつもりだ】
それは、ザ・ヒーローもよく解っていた。
【ままならぬものだ。お前に不様な姿を幾度も晒す事になるとはな】
【気にする事はないさ。だったらより一層――】
【そうだ。輝けば良い】
其処で英雄(ザ・ヒーロー)が言葉も英雄(ヴァルゼライド)も、言葉を切った。
そして、次なる宣言を行うのは、光り輝く鋼の英雄であった。
【俺は、力が強いだけの愚物が世を導くだなどと、死んでも思わん。強くそして――正しい者こそが。遍く悪を灼く光を放てる者こそが、勝者になれるのだと俺は信じている】
再び、言葉を区切る。
【腕がある、脚がある、頭もあり、心臓も脈を打っている。俺はまだ生きている。まだ全力でいられる】
【だからこそ、だ】
【完全なる勝利を求めて。今度こそ勝ちに行くぞ、マスター】
【そうだな】
コンクリートの剥げ掛けた壁に背を預けていたザ・ヒーローが立ち上がる。
その一瞬の間、彼は考えていた。勝利、と言う言葉が含む意味を。
自分は今度こそ、勝てるのだろうか。
絶望の中で得た友を再び失う事無く、誰もが笑って暮らせる人の世の楽園(ニルヴァーナ)を、今度こそ築く事が出来るのだろうか。
九十八%の理想の成就など。九十九%の理想の成就など。最早、彼は求めていない。
求める者は、たった一つの、完全なる勝利。自分の様な不幸が例え偶然でも起る事が許されず、家族も友も、理不尽に失う事がないそんな世界。
その為に、彼は剣を振い続けた。鬼に食われた母の為。自分とは異なる理想に殉じた友の為。最期の最期まで、自分について来てくれたパスカルの為。
全ての涙も悲しみも、この戦いで、彼は終わらせたかった。完全なる勝利が、それを払拭させてくれると、彼は信じていた。
――……見ていてくれ……――
その祈りが、誰に向けられた物なのか。それすらも、最早英雄は、理解が出来ずにいるのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
公正な競技を行う上で、最も必要な要素は、選手間の能力差の解消でもなければ、厳格かつ完璧なルールの施行でもない。
有能かつ極めて中立的な立場からジャッジを下す審判の存在こそが、この場合最も重要なファクターとなる事は疑いようもない事柄だ。
如何に完璧なルールを下地にし、如何に選手の能力を水平的に保とうが、結局、審判を下す者が偏向的で無能であれば、著しくその公正性と公平性を欠いてしまう。
競技性、と言う、根幹的な要素を崩さない為には、その様な審判の存在をこそが、求められるのである。
万能の願望器である聖杯を巡って行われる、広義の意味で競技と言うべき聖杯戦争。
これを管理、運営する、極めて特殊なクラスこそが、『ルーラー』と呼ばれるサーヴァントであるが、では、此処<新宿>のルーラーは、公正なのか?
と言われれば、答えは否だ。いや、正確に言うのであれば、ルーラーとして召喚された人修羅自身は、何の要因もなければ特に何も口出ししない。
問題は、彼を呼び出したマスターが、著しく公正さを欠いていると言う事だ。
聖杯戦争を管理する為の存在であるルーラーの手綱を握る者が、実は誰よりも聖杯を欲しており、本来ならば戦争運営に支障を来たさない為に与えられた数々の特権を、
最後の最後で聖杯を獲得する為に用いる等、最早公正さ以前の問題としか言いようがない。
聖杯戦争は持久戦としての側面も有している。
現世に留まる為の魔力がマスターから供給されていると言う性質上、当然マスターの魔力は限りある資源であり、無駄には出来ない。
ルーラーのサーヴァント人修羅のマスターであるエリザベスが保有する魔力量は、最早膨大と言う言葉ですら尚足りない程のそれだ。
真正の悪魔、しかもその中で最上位の格を誇るとも言うべき人修羅を維持してもなお、膨大な余裕に満ちている程であるのだから、その程度が知れよう。
もしも、ルーラーのサーヴァントを用いて聖杯を欲すると言うのであれば、参加者に戦いを挑み回ると言うのは愚作である。
聖杯戦争の管理・運営者と言う表向きの立場を利用し、一見すれば個々の争いには不干渉。そして、ジャッジするべき所では審判を下す。
このように振る舞って、一見すれば誰の目から見ても明らかな程の中立性を見せびらかしつつ、参加者が少なくなってきたところで、打って出る。これが、基本的なやり方と言えようか。
――とは言え、簡単には行かない事も、エリザベスは知っている。
聖杯戦争参加者の中には、聖杯を求めると言う目的を持った者もいれば、『自分達を明白な敵性存在と認識』して行動している者も、少なくない、と。
自分達に聖杯戦争なる催しを教えた『蛇』は、報告してくれた。それは、彼女も解っていた事だ。
中には聖杯戦争等と言うイベントに勝手に呼ばれ、殺し合いをしろ、とのたまう自分達を許せない、と思う者は、居る筈なのだ。
当面の目的は、彼らに対して如何に遠回しな不利を強いるか、と言う事になるだろう。危険な目は潰して起きたい。
しかし……しかし。エリザベス、つまり、力を司る者と総称される彼女らは、総じて好奇心が旺盛で、好戦的な人物が多いのも事実だ。
他の主従に潰して貰うのがベストだと、思っていても……自分達が出て行って戦いたい、と思っている自分がいるのだ。
「……ハッ。いけませんいけません」
かぶりを振るい、エリザベスは考えを正した。
自分の本当の目的は、今も世界の果ての果てで、人類を破滅から防ぐ為の大扉の錠前になっている、有里湊の解放だ。
彼を救う為であれば、自分は、如何なる犠牲をも払うつもりだと、心に決めたではないか。
現に彼女は、既に、大事な姉弟を捨ててまでこの地にいる。此処で、目的を果たさねば、彼女らを裏切ってまで此処までやって来た意味がないのだ。
「……戦いたいのか」
「えっ?」
と言って、エリザベスは声のした方角に顔を向ける。
見事な黒色に緑色に光る縁取りを成させた入れ墨を、体中に刻み込んだ、上半身裸の青年は、呆れたように彼女の事を見ていた。
彼こそは、<新宿>の地にて開かれた聖杯戦争を管理する役目を任された、ルーラー(統率者)のサーヴァント。真名を、人修羅と呼ぶ、真正悪魔そのものであった。
「まぁ……ルーラーは、読心術まで使われるのですね。スキルなり宝具なりに説明しておけば宜しいですのに」
「使えない。お前の顔にそう書いてあるだけだ」
これ以上となく澄み切った、玲瓏たる美貌の持ち主。
男は勿論の事、悋気に煩い女性達ですら、エリザベスの顔を見れば、美人、と言う評価を下しようがないだろう。
基本的に、顔の表情を動かす事が少ない彼女であるが、いざ動かすと、驚く程、内面の感情が露になる。
今の彼女の浮かべていた表情は端的に言って、戦闘に対する欲求不満とでも言うべきか。一番勝率の高いクラスである事は否めないが、その勝率の高さとは、
権限や特権等を用いた待ちの一手による高さであって、戦闘を行っての勝率の高さ、と言う訳ではない。それが如何してか、エリザベスには、微妙な風であるらしかった。
ラジオを聞きながら、エリザベスは、簡素なパイプ椅子に腰を下ろしている。
何を聞いているのかと言えば、ニュースチャンネルだ。聖杯戦争開始から現在に掛けて、<新宿>で起った異変を、彼女らは具に纏めている。
そんな事を彼女らが行う理由は単純で、<新宿>で何が起ったのかの情報を集める為である。
結論から言うと人修羅は、サーヴァントとしては申し分ないどころか、間違いなく単純戦闘では超が付く程一流のサーヴァントである。
だが、この男はルーラーと言う観点から見たのであれば、三流どころか失格の烙印すら押されても最早文句は言えないサーヴァントでもあった。
この男は、ルーラーと言うクラスが有するべき様々な資質を著しく欠いている。
危難が起りそうな、起った所を指し示す『啓示』のスキルも無い。<新宿>全域を監視する『状況把握』もそれに類する宝具も持たない。
自身の分身を送り出すスキルもなければ、ルーラー自身に与えられる気配の察知能力も、この男は有さない。
とどのつまりは、真名看破と、極めて高ランクの神明裁決を除けば、人修羅は他クラスのサーヴァントと最早何の違いはないのである。
だからこそ、エリザベスらはこのように、ラジオと言う古典的かつ、聖杯戦争の状況を把握する為にルーラー達が用いるとは思えないデバイスで、情報を集めているのだ。
何故、人修羅はこのようなルーラーになったのか。
一つ。どちらかと言えば彼は、『聖杯戦争の管理者』と言うよりも、『帝都の守護者』としての側面が強いと言う事。
今の彼は、坂東にまします、ある『やんごとなき神格』から、帝都即ち東京の守護を任されている、と言う設定状態にある。
そう、彼が護るべきものは聖杯戦争でもなければ聖杯でもなく、東京そのものなのだ。だからこそ、彼には高ランクの神明裁決と、スキル・『帝都の守護者』が与えられた。
帝都の守護こそが優先任務であり、聖杯戦争の管理など二の次。だからこそ今の人修羅には、本来ルーラーが有するべき、状況の把握に関わる宝具もスキルもないのだ。
東京の平和を脅かす者を叩き潰す戦闘能力と、それを如何なく発揮する為のスキルこそは持って来れたが、本来ルーラーならば有していて然るべき、
そう言ったスキルと宝具がない。これが、人修羅と言うルーラーなのだった。
そもそもこの男がルーラーで呼ばれると言う事自体が、強引なこじつけだ。
曲がり間違っても、彼がルーラーで呼び寄せられる事などあり得ないし、そもそも聖杯程度の魔力でこの男を召喚する事など不可能だ。
それにもかかわらず、人修羅がルーラーのサーヴァントとして、エリザベスの願いに従っている理由は、この聖杯戦争の異常性を証明する事の一つ以上に……。
彼の上司とも言うべき、とある大悪魔の意向によるところが大きい。端的に言えばエリザベスが人修羅をサーヴァントとして使役出来ている訳は、
その大悪魔からの手解きを受け、しかも直々に、人修羅を召喚する為の触媒を渡された事が大きい。これがなかったら、もっと別の存在が呼び寄せられていた事は、想像に難くない。
――余計な事をするな……あいつも――
舌打ちを響かせそうになる人修羅だったが、グッと堪える。つくづく、ロクな事を考えない魔王だと思う。
エリザベスに従う事自体は、別に人修羅は文句はない。東京をなるべく破壊せず、聖杯戦争を管理・運営すると言う事自体にも、積極的だ。
――よりにもよって、何故その上司自体が、聖杯戦争に参戦しているのかと、人修羅も、そのマスターのエリザベスも、ほとほと呆れ返っている。
しかもサーヴァントとして、ではなく、マスターとして、だ。ご丁寧に、身体能力の水準も一般的なマスターのそれと合わせているのだ。
何処までも、あの男は茶々を入れたいらしいな、と……。何だか頭痛が隠せなくなって来る。
ラジオの掠れた声が、様々なニュースを人修羅達に告げて行く。
――天気予報に予測されない降雨や雷鳴。
――新宿二丁目に突如として現れた、馬に騎乗した西洋系男性二名と、巨大な鬼の様な生物。
――突如として早稲田鶴巻町に巻き起こった、二か所の大破壊。
――落合のあるマンションとその駐車場で勃発した、謎の切断現象。
――黒礼服の殺人鬼(バーサーカー)が暴れ回った神楽町で発見された、巨大な怪物の死体と、新大久保のコリアンタウンで発見された世にも奇妙な怪物の死体。
――香砂会と呼ばれるヤクザ組織の邸宅が完膚なきまでに破壊され、しかも、その時に、黒礼服のバーサーカーの姿を見たと言う目撃談。
<新宿>は狭い。やはり、既に大規模な戦闘は起っているらしく、更に、これは推測だが、小規模な小競り合い程度ならば、もっと起っているだろうと、
人修羅もエリザベスも判断した。良い感じに、戦局は混迷を極めつつあるようだ。そして、着実に……<新宿>は破壊されていっているらしい。
「……」
顔を抑えて、溜息を人修羅は一つ。
「どうかなされましたか?」
「後で公の大目玉があると思うと憂鬱だ、俺も」
ある程度の破壊が齎されるであろう事は、人修羅も読んでいた。
なるべくならそれを、最低限度に済ませたかったが、如何も現状を見る限り、最早それも難しいらしい。
今の内に、申し開きの一つや二つを探しておいた方が良いのかも知れない、と人修羅は本気で考え始めた。
エリザベスが引き当てたサーヴァントとして、一応の責務を果たしつつ、帝都の守護者としても振る舞わねば行けない、と言う板ばさみ。何で俺がこんな目に、と思うようになってきた。
情報がラジオ頼みと言うのは不便極まりない。何故ならばラジオと言うメディアを通じて伝えられる情報とは、意図的な編集が加えられているからだ。
ルーラー達が聞きたい、生の情報なのである。魔術、=神秘の事を知らぬ一般人から見た情報など、役に立たないのだ。
こう言う時に動いてくれない辺りが、実に、あの魔王らしいとしか言いようがない。
人修羅がルーラーとして落第点であると言う事の最たる理由が、聖杯戦争を監視したり、危難を未然に察知するスキルや宝具を持たないから、と言う事が大きい。
しかし、それを補う方法は、ないわけではない。人修羅はこれを、『配下の悪魔を利用して』解決した。
とは言え、ルーラーとして召喚された人修羅は、『彼自身の強さと指導力』を強調されて現れたサーヴァントの為に、『率いていた悪魔と共に戦っていた』、
と言う側面が排されている。つまり、今の彼には悪魔の召喚能力は完全に存在しない。
だが逆に言えば、召喚される前の人修羅は、これを有していたと言う事を意味する。――結論から述べるのならば、人修羅は、
彼の大魔王からルーラーとしてこの地に赴けと言われる前に、大魔王の傘下にある悪魔の何体かを、此処<新宿>に先に潜入させておいたのだ。
この時侵入させた悪魔は、擬態能力で完璧に人間に変身しており、人修羅及び彼の上司の大魔王から、聖杯戦争には不干渉を貫けと厳命されている。
彼らの役割とは即ち、聖杯戦争の参加者についての情報収集である。彼らの集めた情報があったからこそ、ルーラー達は、
遠坂凛の主従やセリュー・ユビキタスの主従の顔写真を用意し、契約者の鍵を通して皆にその姿を教える事が出来たのである。
但し、制約も多い。
先ず悪魔の数が多すぎると、逆に目立ちかねないので、その総数は抑えておいた。十体もその数はいないが、その分、実力の高い悪魔を揃えておいた。
次に不干渉を貫く、と言う事は、彼らは基本、人修羅が危機に陥ったからと言って、彼を助ける事もない。完全な中立である。
これは、ルーラーがこのような不正を行っていると言う事を他参加者に知られ、要らぬ不信感を招く事を防ぐと言う意味もある。
そして決定的な制約が、これらは人修羅の指導下ではなく、大魔王の指導下にある存在である、と言う事だ。
つまり、人修羅の命令よりも、大魔王の命令の方を優先して聞く傾向にある。これはそもそも、正体が露見された時に、他参加者に脅され、
誰の手による者かと聞かれた時に、人修羅の名前を出さないようにする為、と言う上司の有り難い配慮の故なのだが、これが人修羅には不安だった。
大魔王の命令で動く悪魔。この時点で、もう人修羅には嫌な予感しかしなかった。情報の意図的な編集を行うのは、メディアだけではない。
『アレ』にしたって、それは同じだからだ。……いや、場合によりては、向こうの方がずっとタチが悪い。
エリザベスにしても、それは同じ意見であるらしい。
裏方で、あの魔王も――ルイ・サイファーと言う千回ぐらい聞いた偽名を用いてるらしい――動いているのは確実だ。
彼の齎す情報は、ルーラーとしての活動の一助になっている事は紛れもない事実であるが、同時に、なるべくならば頼りたくない。
不本意ながら、ラジオに情報収集の源として頼っているのは、こう言った事情もあるからであった。
「何でも願いの叶う、と言うお題目を掲げた戦争だ。参加者も必死になるのは解るが……なるべくなら、俺が怒られないようには誘導したい」
「まるで子供みたいですね」
「不興を買うのを避けたい奴は、俺にだっている」
チッ、と舌打ちを響かせる人修羅。
混沌王と呼ばれる悪魔になって幾久しく、明けの明星が有する切り札として数多の戦場を駆け抜けて来た期間など、これよりもっと永い。
そんな人修羅でも、喧嘩を避けたい存在の一人や二人は、存在する、と言うものだった。この場合公は、マサカドゥスを借り受けたと言う恩義から、反目に回りたくない人物だった。
どうしたものかと苦い表情を浮かべる人修羅と、ラジオに耳を傾けるエリザベス。
――両者の表情が一瞬で、真率そうなそれへと変貌し、互いに顔を見合わせたのは、本当に殆ど同時の出来事だった。
「やれやれ、こんな早くから殴り込みか。ルシファーの差金か? これは」
とうとう人修羅も、上司に対する配慮も何もかもかなぐり捨てた。
「……恐らくは、此方に対して宣戦布告を仕掛けて来た、と言う事は事実でしょうね。問題は……」
「何だ」
ふぅ、と一息吐いて区切りをつけてから、エリザベスは口を開いた。
「宣戦布告をしに来たであろう人物が、私の関係者、と言う事でしょうか」
「……そうか」
それについて人修羅も、特に何も言う事はなかった。ただ、現れた敵についての処遇を、冷静に考えるだけ。
ルーラーとしての知覚能力は最低クラスだが、サーヴァントとして、そして、真正悪魔として。
彼が有する気配察知の知覚能力は、容易くこの病院一つはカバーする。
人修羅の知覚能力が。エリザベスの血の疼きが。この病院にやって来た存在の、並々ならぬ殺意を感じ取っていた。
その存在は――エリザベスの姉に当たる人物だとは、まだ人修羅は知らない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この病院に、目当ての主催者がいると言われた時、浪蘭幻十は自らのマスターを訝った。
朽ち果てた、という表現がこれ以上となく相応しい病院だった。ガラスは割れ、外壁の所々が欠けていたり、剥がれていたり。
サーヴァントの優れた視力は、割れた窓ガラスからその部屋の内部をよく窺える。見るも見事に蛻の殻の、荒れ果てた状態だ。
幾年と言う年月を、時間の流れるがままに任せていたのだろうか。そもそも、病院と言う、通常は潰れる事などありえない施設が、何故こんな事になっているのだろうか。
――<新宿>衛生病院。其処が、今幻十達が見上げている場所である。
そして、幻十のマスターであるマーガレットに曰く、此処こそが、彼女の妹にして、此度の聖杯戦争の首謀者の拠点である、と言う。
このような、都会の只中にある事自体が珍しい廃病院を、よりにもよって拠点とするとは。成程、盲点であった。
と同時に、何故、このような場所を本拠地に設定したのか。そしてそもそも、マスターは如何して此処に主催者がいると解ったのか。
マーガレット曰く、如何なる理屈でも説明出来ないとされる、姉妹の共感性、としか返って来なかった。
馬鹿を言うなと、幻十は言わなかった。自分もそれには覚えがあるからだ。何故ならば彼もまた、その共感性を以て、このケチな<魔界都市>に、親友――仇敵――がいると認めたのだから。
そして現に、この病院には確かに、『いる』。
如何なる術法を用いているのかは解らないが、病院の前に立っただけでは、サーヴァントの気配を察知する事は出来ない。
しかし、幻十は妖糸の使い手である。人の目には絶対に捉えられないナノサイズのチタン糸を病院内部に張り巡らせた所、気配が二つある。
どちらも、怪物だった。一人は確かにサーヴァントのもの。そしてもう一つは、そのサーヴァントに追随する程強い存在。
おまけに相手は、糸に気付いているらしい。糸を切断しながら、歩いて此方に向かっているのが幻十には解る。
切断しているのはサーヴァントの方。鋭利な剣で、チタン妖糸を切り払いながら迫っている。
「どうかしら、アサシン」
不遜な態度を隠しもせず、マーガレットが言った。
「如何なる手段でか、<魔震>と<亀裂>を再現した女の呼び寄せたサーヴァントだけはある。相当な手練だ」
幻十を知る者が聞けば、それが彼にしては珍しい、最大限の賛辞であると皆が言うであろう。
諸霊諸仏の類ですら恋慕の念を沸き立たせるやも知れぬ、幻十の美貌。彼の美を以て褒められてしまえば、その者は皆、この男に無条件で尽くすようになるのではなかろうか。
「僕の妖糸を認識してる事は確実だし、何よりも、如何なる手段を用いてか、病院自体の大きさも、三次元の法則に囚われていない。普通より拡張されている」
病院の中のサーヴァントらを確認する傍ら、幻十は病院の構造を妖糸で把握していた。罠等を感知する為だ。
結論を言えば院内にはそう言った類は存在しなかったが、外見上の病院の大きさと、内部の広さが合致しないのである。
空間自体を広くさせる術を用いている。幻十は即座にそう判断を下した。それを除けば、この病院に施された不可思議な現象はそれだけだ。
この病院を拠点だと言われた時、幻十は、魔界都市の住民の誰もが想起するであろう、あの『病院』の事を連想した。
幻十ですらもが敵に回す事を恐れる魔界医師が運営する、史上最も堅固で最も危険な要塞、メフィスト病院を。
ただ、中に探りを入れて見れば、メフィスト病院などとは比べるべくもない、無その物と言っても良い防衛システムに、少しだけ幻十も安堵した。
但し――その中に鎮座する存在は、彼のメフィストと同等か、それ以上と呼んでも差し支えのない存在であるのだが。
「中に入るわよアサシン。意地でも、止めて見せるわ」
「解ったよ」
聖杯戦争の主催者、並びに、ルーラーを葬り去ると言う事は、最悪の場合聖杯戦争のシステムの根幹すらも破壊すると言う事を意味するかも知れない。
だが、知った事ではない。マーガレットも幻十も、共に、聖杯などに大した意味を見出していない。
幻十にしたって、聖杯戦争に乗り気なのは、主催者の殺害と、恐らくは呼ばれているであろうせつらとの決着の為だ。
聖杯はあくまでも、手に入れてから使い道を考える程度の代物に過ぎず、本命は、その過程にある、と言う点で、幻十は他の主従を逸脱したサーヴァントであった。
二人は病院の内部に足を踏み入れる。
嘗て病院のロビーであった場所は、当たり前の事であるが、無人の野、とも言うべき状態であった。
果たして、最後に人の気配がなくなってから、幾つの月日が流れたのだろうか。
スプリングとスポンジの飛び出したソファ。堆積した塵と埃。床に飛び散ったガラス。そのガラスの元と思しき、割れた蛍光灯などの照明類。
このような廃墟を、拠点に選んだ意味を、二人は考えない。此処にいる、と言う意味だけが、今や重要なのであった。
妖糸を張り巡らせなくとも解る。
――『とてもなく、恐ろしい悪魔の気配』が、体中に叩き付けられてきているのであるから。
それを理解してなお、幻十もマーガレットも、その場にとどまった。何が来るのか、と言う事への期待感。
そして、如何なる存在を呼び出し、どのような戦いを繰り広げられるのか、と言う強い関心もあった。
マーガレットもまた、新たなる力の萌芽を喜ぶ『力を管理する者』の一員なのであった。
「姉上がこの地にやってくる事――私、薄々ながら理解しておりました」
それは、マーガレットから見て、広いロビーの右側の四隅の右上側、其処に位置する曲がり角から聞こえて来た。
姉とは女性としての声質は似ていないが、酷く落ち着いていると言う点だけは、共通していた。
先程から糸を動かそうとしているが、動かせない。動かす前に、彼女のサーヴァントが妖糸を切り刻んで無力化させているからだった。
一ナノmにも達する程の細さのチタン妖糸を視認或いは感知し、しかも、幻十程の手練の操る糸を斬るとは、やはり、普通ではない。
――そして、二人が姿を現した。
マーガレットの来ているスーツと似たような配色をした着衣物を身に纏った、銀髪の美女。
その背後に控える、全身に特徴的な、光る入れ墨を刻み込んだ青年男性。上半身裸にハーフパンツと言う、蛮族もかくやと呼ばれる程ラフな格好である。
マーガレットと幻十は、即座に理解した。この聖杯戦争の主催である彼女――エリザベスが、此度の戦争運営に関して、とんでもない怪物を呼び寄せたのだ、と。
ルーラーのサーヴァント、人修羅から発散される、無色の覇風。断じてこれは、並一通りの英霊が放てるそれではない。
果たして幾度の戦場を駆け抜ければ、幾度の死を踏み潰せば、幾度の万魔を葬れば、彼と言う個になれるのか。
いや、そのような事を達成させたとしても。あれ程の存在に、なれるのか? この世に存在すると言う事自体が、奇跡にして、必然。そうとしか言外出来ない程の、超越的な存在。それが、人修羅であった。
エリザベスの方も、マーガレットの呼び寄せた存在を見て、一瞬だけ驚いた様な表情を浮かべた。
無理もない。今エリザベスの視界に映るアサシンのサーヴァントは、この世の美なる概念の絶対の規矩にして、絶対に手を伸ばせぬ高嶺の花。
人が如何なる神を信奉しようとも、如何なる悪魔に魂を売ろうとも、そして、運命なる物を自由に改竄させようとも。
彼の美を手に入れる事は出来まい。そして、彼の美を侵すことも、また。そう言う存在なのだ。浪蘭幻十とは、そんなサーヴァントなのだ。
力を管理する者の心すら、数瞬空白にさせる程の、恐るべし、浪蘭幻十の美貌よ。
しかし、エリザベスと只人の違う所は、美貌に当てられた驚愕から復帰する速さだ。
直に元の状態に戻れたのは、彼女自身の精神力の凄まじさもそうであるが、人修羅自体が、ロビー全土に己の存在感を行き渡らせたからに他ならない。
強烈な磁力めいたエネルギーを内包したその存在感は、幻十やマーガレット、エリザベスに衝突するや、直に彼らの気を引き締めさせに掛かった。
これがあったからこそ、エリザベスは、即座に精神を元の状態に通常よりも早く安定させる事が出来たのだ。
「エリザベス」
聞き分けのない子供か妹を、折檻する様な口ぶりで、マーガレットが言った。
「色々貴女には言いたい事があるわ」
「口上を承りましょう。姉妹の好です。全て、お答えいたします」
そうエリザベスは、厳粛そうな口ぶりで言うのを聞くや、マーガレットは懐から群青色の鍵を取り出した。
それこそは、契約者の鍵。この<新宿>で開かれる聖杯戦争に招かれる為の、血塗られたチケット。破滅と栄光への片道切符。
「これを、この地に呼び寄せる文字通りの鍵にした理由を、話しなさい。これを鍵にしたのであるのならば、私か、テオドアが呼び寄せられる事位、読めた筈よ」
マーガレットには、ずっと疑問であった。
この鍵は、力を管理する者と呼ばれる者達であれば、手にしていておかしくない代物である。
マーガレットは他の参加者達とは違い、この鍵の意味と重みを誰よりも理解している存在の一人である。
これを切符にしたと言う事は必然、エリザベスと肩を並べる強さのテオドアか、彼女よりも強いマーガレットもこの地に呼び寄せてしまう事位、解っていた筈だ。
そうなってしまえば、聖杯戦争の運営に、滞りが生じるのは当たり前の話。何故、その危険性を解っていた筈なのに、彼女はこの鍵を?
「深い意味は、ありません」
対するエリザベスの答えは、マーガレットが予期していたものよりも、ずっと簡素だった。
「本心を言うのであれば、私とて、聖杯戦争が正しい事であるなど、少しも考えておりません。聖杯戦争――何と聞こえの良い言葉でしょうか。そして……」
「何て、最低な催しなのか」
「ですね」
ふぅ、と息を吐いたのはエリザベスの方だった。
「そのような大仰で、そして、業の深い戦いを繰り広げる以上、半端なものを鍵にしたくなかったのです」
「だから、契約者の鍵を? 間抜けにも程があるわね」
「でしょうね。これを鍵に設定してから、気付きました。姉上が来るであろう、と言う可能性に」
「テオドアは考えなかったのかしら?」
「テオは……あれで甘い所がある、可愛い弟ですから。来るのならば、姉上であろうと。初めから決めつけておりました」
苦笑いを浮かべながら、更にエリザベスは言葉を続ける。
「でも、来たのが姉上で良かったのかも知れませんし、姉上に叱られて、私、嬉しく思います。
私の行っている事だが、横暴だと言う事は、誰に言われるでもなく理解していた事でしたから……、貴女が来てくれて、私は、大変嬉しく思います」
苦笑いは直に、悲しげな、風に吹かれれば砂と塵とに消えてしまいそうな、儚い笑みに変貌する。
姉のマーガレットも見た事のない、エリザベスの初めて見せる一面であった。
「其処まで解っているのならば、エリザベス。今すぐ聖杯戦争を取りやめなさい」
「お断りします」
エリザベスの即答は、鋼だった。其処だけは、譲る事は出来ないと言う不退転の意思が、言葉と態度から表れていた。
「最低な催しだと解っていても、人道に悖る行為だと理解していても。私には、叶えたい願いがあるのです」
「……世界の果てに囚われた男の話かしら?」
それは、エリザベスがベルベットルームから出て行く時に、彼女自身が語った事。
初めは御伽噺だと思っていたが、彼女らの主である長鼻の男も、彼の存在を認めていた。
世界を滅びから救い、今も、遥かな世界の果ての果てで、大いなるネガティヴ・マインドを防ぐ事を強いられている、男の話。
「人の業に踊らされ、世界の滅びを招かされ。そして、一人で滅びの扉の錠前になっている。私には、彼がそんな風になっている事が、許せなかった」
「その彼の為に、貴女は、聖杯戦争を行うと? 一人の為に、何人もの命を弄ぶのは、それこそ許されない事よ」
「それと解っていても――」
「退かない、と言う訳ね。馬鹿な妹」
其処でマーガレットは、今まで腋に挟んでいた青い装丁の本を開いた。
本からは、この時を待っていたと言わんばかりに、幾つものカードが勢いよく飛び出し、彼女の周りを衛星めいて旋回し始める。
「痛い目を見せてでも、貴女をベルベットルームに引き摺り戻すわ。貴女の旅路は、此処で終わりよ。エリザベス」
「終らせません。姉上であろうとも私の道を、邪魔させません」
「――下らないな」
姉妹の会話が今終わり、戦いが始まろうとした、この瞬間を狙って言葉を挟んだのは、他ならぬ浪蘭幻十だった。
楽園で天女が掻き鳴らす天琴の如くに美しいその声には、途方もない無聊と、怒りとで、横溢していた。
「此処までやって来て、姉妹の御涙頂戴を聞かされる僕の身にもなって欲しいな。君達の麗しいやり取りを見る為に、僕は此処に来たんじゃない」
其処で、幻十が押し黙る。この世の如何なる槍の穂先よりも鋭い殺意を双眸に込めて、彼はエリザベスらを睨んだ。
空間が恐れを成して、収縮するような感覚を一同は憶えた。この様な雛に稀なる美男子ですら――殺意を露にするのかと。
そして、美しい者の決然たる表情は――此処まで壮絶な美しさを湛えるのかと。
「君を殺す為に此処に来たんだ、<新宿>の冒涜者よ」
其処まで言った瞬間、人修羅の全身が茫と消えた。
気付いたら彼は、エリザベスの真正面に立ち尽くしていた。その背で彼女を守る騎士が如き立ち位置の関係である。
彼の右手には薄紫色に光り輝く、魔力を練り固めて作っただけの、原始的で武骨な剣を握っており、それを持った右腕を水平に伸ばして構えていた。
「――ほう」
と、嘆息するのは幻十の方だった。
幻十ですら後を追う事が困難な程の速度で人修羅が動き、エリザベスを百六個の肉片に分割させんと迫らせた不可視のチタン妖糸を、
このルーラーは尽く斬り裂いて回り、無害化させた。その事実を、果たしてマーガレットとエリザベスは把握していたかどうか。
今の嘆息には、侮りの意味を込めてない。驚きの感情の方が強い。何故ならば幻十は、エリザベスを斬り裂くのに、
『現状』持てる全ての技量を費やして、妖糸を操った。幻十が本気で妖糸を動かした場合、気配察知や心眼、直感等と言った、
第六感に類するスキルや特質を超越し、本来物理的な干渉を無効化する性質すらもランク次第でいとも容易く切断する。無論それは、秋せつらにしても同じ事が言える。
その幻十の操る糸を、一方的に、あの魔力剣で切り裂くなど、尋常の事ではない。恐るべし、ルーラーのサーヴァント、人修羅よ。
そして内心では人修羅も唸っていた。
生半可な攻撃など、例え公から賜った無敵の盾を用いなくとも、彼は容易く迎撃、無力化出来る。
付け焼刃の不可視、フェイント、妨害。そんな物、飽きる程彼は経験して来た。
百や千では到底効かぬ修羅場を潜り抜け、万を超す神魔の戦場を勝ち残って来た彼の心眼と直感は、並の事では鈍らない。
その彼の常軌を逸した戦闘経験の全てを以ってしても、幻十の攻撃を防ぎきるのは、かなり危険な所であった。
如何にサーヴァントとしてその身を窶し、元々の実力を発揮出来ぬと言っても、彼をして此処まで危ぶませる程の攻撃を放つなど、尋常の事ではないのだ。
「マスターの姉と言うが……成程、大したサーヴァントを引き当てたようだな。血、と言う奴か」
元より、人修羅とて油断していた訳じゃない。
マーガレットがエリザベスの姉だと解っていた以上、一切の驕りを彼は排していたし、幻十の姿を一目見たその時から。
警戒心は最大限にまで高められていた。幻十の不意打ちを見た今、その警戒心は敵を排除すると言う『殺意』へと昇華された。
このサーヴァントを、自分が葬って来た幾千万もの万魔の屍山の一員に加え入れる。そう、人修羅は決意した。
「――デッキ、オープン」
其処まで言った瞬間、エリザベスもまた、小脇に抱えていた辞書を展開させる。
この時を待っていたと言わんばかりに、辞書――通称、ペルソナ辞典に挟まっていたカードの一枚が勢いよく飛び出し、それを彼女は素早く手に取った。
瞬間、瞬きよりも早い速度で、衛生病院のロビーと言う空間が、『書き換えられた』。
くすんだリノリウム、散らばるガラス片、電気系統が死んで久しい照明類、やれたソファ。それら全てが、世界から消えてなくなり、
代わって現れたのは砂漠だった。オアシスも無ければ岩場も無い、ただただ茶けた砂粒が無限に広がっているのではないかと言う程の、渺茫たる荒野。
これこそは、エリザベスもとい、力を管理する者がその力を以て作り上げた、一種の閉鎖空間、或いは、固有結界であった。
彼女程の存在であれば、このような空間を作り、相手が逃走するのを防ぐ事など訳はない。無論、エリザベスにもそれが出来ると言う事は、マーガレットにもこれが出来ると言う事なのだが。
エリザベスが、この空間を展開した理由は一つ。
マーガレットを、逃さない為? いいや違う。この<新宿>聖杯戦争の主催者は、自分の姉がそのような気質の持ち主でない事をよく理解している。閉鎖空間を展開させた理由は、ただ一つである。
――自らが引き当てた、究極の真正悪魔(ルーラー)が、その本領を発揮させられるようにする為。この一点のみに他ならない。
「ジャッ!!」
裂帛の気魄を込めた一喝を上げ、魔力剣を地面に叩き付けた。
叩き付けた所を中心に、直径数十mにも渡り巨大な亀裂が走り、地面が上下に激震した所から、人修羅の人智を超えた膂力と言うものが窺い知れよう。
しかし本当の攻撃はこの亀裂を用いたものではない。単純に、剣先から生み出された橙色の熱波(ヒートウェーブ)である。
高さ六m程にもならんとしているこの熱の波は、音に倍する速度で、幻十とマーガレットを呑み込み消滅させんと迫りくる。
これを、不可視のチタン妖糸を以て防ごうとする幻十であったが――慄然の表情を明白に彼は浮かべた。
戦艦の主砲ですら無力化する程のチタン妖糸を、人修羅の放った熱波は、まるで泥のように溶かしながら進んで行くのである!!
熱波を避けんと、マーガレットは垂直に、熱波の高さよりも高い所まで跳躍。いざという時の為に、マーガレットに妖糸を巻き付けていた事が、功を奏した。
跳躍したマーガレットを起点に、巻き付けた糸を動かし、自身も、マーガレットと同じ高さまで跳躍する幻十。
砂粒を更に細かい粒子に破砕させながら、ヒートウェーブは二人を通り過ぎて行く。
「ルーラー、私は姉上を対処致します」
「あぁ」
だから貴方は、相手のサーヴァントをお願いします。
そうエリザベスが言いたかった事は、人修羅にも解る。息の合った、良い主従と言う様子が、マーガレット達にも見て取れる。
砂地の上に、マーガレットが着地する。幻十は、空中に張り巡らせたチタン妖糸の上に直立し、人修羅達を見下ろしていた。
せつらや幻十程の腕前の持ち主となれば、糸を巻き付ける物が絶無の空間においてすら、妖糸を展開、空中に張り巡らせる事など造作もない事なのである。
「あ」の一音発するよりも速い速度で、幻十は、エリザベスと人修羅の周囲に糸をばら撒いた。
一ナノmの細糸は、地面に根付き、空中に固定される。幾千条を超し、万条にも達さんばかりのチタン妖糸は、敵対者を逃さない不可視の檻となって彼らを包み込んだ。
マーガレットがこれと同時に、ペルソナ辞典から飛び出したカードを手に取った。
人間と言う種がいる限り滅ぶ事のない高位次元、『普遍的無意識』にアクセス。心と精神の溶け合ったスープの大海原に漂う神格に形と定義を与え、彼女はそれを物質世界へと招聘させる。
「ジークフリード!!」
美女の背後に現れたのは、乾いた血液の様な皮膚の色をした金髪碧眼の美男子だった。
鱗を編んだような軽鎧と兜を身に纏い、岩をも切断出来そうな佇まいの剛剣をその手に握った戦士風の男。
彼なるは、北欧はドイツの叙事詩、ニーベルンゲンの歌に記される大英雄、ジークフリード。
悪竜ファフニールを勇気と知恵で以て打ち破り、竜を倒して得た数々の宝を以て比類なき武勲を立てて来た英雄の中の英雄であった。
人の思念と想念が入り混じる普遍的無意識の海は、斯様な存在をもカバーしているのだ。
討竜の大英雄が強く念じたその瞬間、エリザベスと人修羅が直立している地点と地点を結ぶ線分、その中心の空隙に、爆発が巻き起こった。
いやそれは、正確に言えば爆炎だ。摂氏七千度を超す程の大火炎は、爆発現象が起ったのではと錯覚する程の勢いを伴っていたのである。
エリザベスも人修羅も、これに反応。共に横っ飛びに跳躍する事でこれを回避した。結局爆炎は二人を焼滅させる事は敵わず、地面の砂粒をマグマ化させる程度にとどまった。
人修羅の姿が霞と消え、エリザベスの前に立った。
手にまだ握っていた魔力剣を、肩より先が消失したとしか思えない程の速度で振り抜いた。
その攻撃で、エリザベスに殺到していていた二千百二十一条ものチタン妖糸が切断され、無害化されたと言う事実を知るのは、
攻撃を放った幻十と、それを防いだ人修羅だけだった。もう一度、魔力剣を一振りさせる。剣自体は元より、剣から生まれた衝撃波が、チタン妖糸を切断して行く。
幻十の瞳にのみ見えていた、大量のチタン妖糸の結界は、この瞬間一本もなくなった。
「マスターあのアサシンは目に見えない糸を使ってお前を切り刻む。攻撃の時は最大限注意しろ、お前なら見えない筈はないだろう」
「やってみましょう」
そう会話を終えると、人修羅の背中からエリザベスが飛び出た。
それと同時に、人修羅は小さく息を吸い込み、幻十目掛けて呼気を放出した。――その呼気は、一万度を超す熱量を伴った火炎の吐息だった。
人修羅程の悪魔ともなれば、竜種などの最上位の幻想種に匹敵、或いは上回る奔流(ブレス)を吐き出す事も可能なのである。
吐き出された火炎の吐息(ファイアブレス)は、息と言うよりは最早レーザーで、凄まじい速度で大気を焼きながら幻十の方へと向かって行く。
不可視のチタン妖糸を目の前に展開させる幻十。ブレスが糸に直撃する。傍目から見れば、目に見えない凄まじい耐火性の壁に、炎が阻まれている様にしか見えないだろう。
チタン、と言う明らかな金属で出来た糸にも拘らず、それは、融解しない気化しない。幻十の繊指によってのみ成し得る奇跡の体現だった。
此処で幻十は、一つの事実に気付いた。糸が破壊されないと言う事実についてだ。
人修羅の攻撃は、常識を超えた強度と靱性を誇る妖糸を絹糸の如く切断したにもかかわらず、彼が放つ炎の息は、難なく防げている。
この『差』は、果たして何なのか。幻十は一瞬、この事を推理した。何か、大きな秘密がある事は相違なかったからだ。
先程、人修羅の背後から飛び出して行ったエリザベスは、一直線にマーガレットの方へと向かっていた。
自己強化の魔術をかけているとか、サーヴァントからの補助を受けているとか、その様な合理的な理屈を一切無視して、時速六百㎞程の速度で地面を駆けている。
「ドロー」
言ってエリザベスは、冷静に、ペルソナカードを辞典から取り出した。
彼女の背後に現れたのは、白く光り輝く騎士鎧で己を鎧った、整った顔の美男子であった。
もしもこの場に、浪蘭幻十と言う規格外の美貌の持ち主さえいなければ、この場で最も美しい男は、間違いなく彼であったろう。
その手に白銀の槍を握り、黒髪をたなびかせるこの戦士の名は、クー・フーリン。アルスターの伝承にその名を轟かせる、光神ルーの息子たる半神の剛勇だ。
風速二百mを超す程の突風が、マーガレットの下へと吹き荒ぶ。
鋼で拵えた城郭すらをも吹き飛ばす程の勢いの大風には、人体を塵より細かく切り刻む程の真空の刃が幾つも孕まされており、まともに直撃すれば、
人間など紙屑のように空を舞い、五体は瞬きする間もなく挽肉となるであろう。その風の中を、マーガレットはまさに不動と言う佇まいで直立していた。
足裏から根でも生えているのではと言う程、彼女は堂々と風の中を立っている。その美しいウェーブのかかったロングヘアは全く動く事もないし、服も切り刻まれる事もなし。
まるで彼女だけが、この世の物理法則の外の存在であるかのように思われよう。無論、エリザベスはそうではないと言う事を知っている。
クー・フーリンを見た瞬間に、このペルソナが使う魔術の属性を無効化するペルソナを、装備しただけに過ぎない。現にジークフリードの姿が、この場にない。
だがあの一瞬で、このような判断を下し、即座に実行するその反射速度と、実行スピードは、まさに、神憑り的なそれとしか、言いようがない。
マーガレットもエリザベスも、下した判断は全く同じで、下すタイミングも全く同一だった。
自らが普遍的無意識から引きずり出した存在に指示を下し、彼ら自身を戦わせる。それが、姉妹の下した判断だった。
マーガレットは先程と同じく、悪竜を撃ち滅ぼした大英雄を招聘させた。その妹は、影の国の女王ですらも一目置く大烈士を呼び寄せた。
姉妹の名代として世界に顕現した大英雄は、それぞれの敵に向かって宙を滑り、向かって行く。
ゲイボルグを凄まじい速度で振るうクー・フーリン。それを、鎧に覆われていない生身の左腕の下腕で防御するジークフリード。
右手に握った魔剣グラムを振い、光の御子の首を跳ね飛ばさんとする大英雄であったが、槍の石突で彼はこれを防御。
数歩分の距離を空中を滑って下がり、下がりざまに槍を下段から勢いよく振り上げ、魔剣を握った英雄の顎を破壊しようとするが、これをグラムで防御。
グラムを勢いよく振うジークフリード。空間に、五十にも届かんばかりの断裂が刻まれるも、これをクー・フーリンは高所に跳躍する事で回避。
目を瞑り祈ると、局所的な真空のナイフが発生し、ジークフリードを塵殺しようと刻みまくるも、その程度等意に介さないとでも言わん風に、無傷だった。
神話の再現、英雄譚の山場の再来、それらを可能とする聖杯戦争。それに於いて、音に聞こえた大英雄二人の戦いが今まさに、再現されていた。
誰もが心の底では待ち望んでいた光景が、今まさに繰り広げられていた。但しそれは、サーヴァントと言う超常存在を用いた存在ではなく、普遍的無意識からサルベージされたペルソナと呼ばれる存在であると言う点が、大きく異なるのだった。この点からも、此度の聖杯戦争の異常性の一端が垣間見えようと言うものだった。
――それでは、彼の大英雄が空中で熾烈な戦いを繰り広げているその下で戦う、彼らを呼び寄せた主達の戦いぶりは、どうなのか?
エリザベスの頸椎目掛けて上段の回し蹴りを放つマーガレット。これを屈んでエリザベスは回避する。
辞典から引き抜いたペルソナカードを数枚飛び出させ、マーガレットの下へと飛来させ、凄まじい速度でその場で旋回させる。
瞬間、マーガレットの姿が、カードが空中を飛び回っている渦中から一瞬で消失する。彼女の姿が消え失せてから、ゼロカンマ一秒以下の時間が経過した後だった。
地面にありとあらゆる方向からの、深く大きな斬撃痕が刻み込まれたのは。それと同時に、エリザベスの背後に、マーガレットが空間転移して現れる。
あられもなく右足を振り上げ、踵が上に垂直に来る程にマーガレットは持ち上げる。位置エネルギーと、力を管理する者が誇る膂力を相乗させて、
マーガレットは勢いよく踵を振り落とした。エリザベスはこれに対応し、パタン、とペルソナ辞典を閉じ、その装丁部分でマーガレットの踵落としを防御。
大気が波を打つ。辞典と靴の踵部分が衝突したとは思えない程の大音が鳴り響くと同時に、姉妹を中心として直径三十m超のクレーターが地面に刻まれる。
大量の砂が一気にクレーターの底に流れて滑り落ちて行く様は、天然の巨大なアリジゴクのようであった。
エリザベスが辞典に力を籠め、マーガレットを跳ね除けさせる。
エリザベスの膂力も異常な事と、マーガレット自身が不安定な体勢であった為に、何の抵抗もなく彼女は空中へと吹き飛ばされる。
が、直にマーガレットは空中で後方宙返りを披露し、姿勢の制御を行い、その場で転移。これと同時だった、マーガレットが召喚したペルソナである、
ジークフリードが霞か何かの如く姿を消したのは。それを受けてエリザベスも、自らが呼び出したクー・フーリンを消失させる。
その瞬間だった、頭上から、エリザベス数十人分にも匹敵しようかと言う程の大きさの大氷塊が、隕石めいた速度で彼女の下へと飛来して来たのは。
焦りから来る発汗もないし、呼気の乱れもまるでない。そう来たか、とでも呟きそうな程、彼女は落ち着いている。
辞典からカードをドローする。彼女の背後に、普遍的無意識のスープに溶けていた神格が顕現する。墨の様に黒い体表に、炎を模した様な紅蓮の入れ墨を刻んだ大男だった。
その手に燃え盛る大剣を持ったこの魔王は、北欧の神話体系が成立する以前よりも存在したとされる古の大巨人。神々の黄昏を生き残ったムスペルヘイムの王。スルトそのものであった。
氷塊目掛けて炎の大剣、世にレーヴァテインとも呼ばれる、剣とも杖とも呼ばれる神造兵装を振り下ろす。
百tにも届こうかと言う大氷塊は、炎剣の一撃を受けたその瞬間、大量の水蒸気へと変貌。一帯を白い靄で覆わせてしまう。
邪魔だ、と言わんばかりにスルトはレーヴァテインを掲げると、その水蒸気も蒸発してしまい、視界が一気に明瞭なそれに変貌――したわけではなかった。
レーヴァテインが内包する余りの熱量で、陽炎が発生。水中から水面を見上げているかのように、視界がグニャグニャになっていた。
エリザベスも空間転移は使う事は出来る。
出来ていて敢えて、彼女は徒歩でアリジゴクからの脱出を試みた。流れ落ちる流砂など意にも介さず、彼女は砂地の上を歩いて行く。
十秒程で、彼女は其処を抜け出た。視界の先には、マーガレットが腕を組み此方を睨んでいるのが解る。
彼女の背後には、川流れの如く更々の金髪を長く伸ばした、黒色のつなぎを身に付けた男が佇んでいる。蝙蝠を模した様な翼が、ただ者では無さを見る者に実感させる。
魔王ロキだと理解するのに、エリザベスには刹那程の時間も不要であった。
マーガレットの方が先に、ペルソナの力を解放させた。
ロキがその右手を動かすと、一瞬で場の空気は零下二十度を割り始める。気温が下がるだけならば、まだ良い。
これだけに飽き足らず魔王は、砂地を一瞬で凍結させ、更に、分厚い氷の膜を地面と言う地面に張らせて行き、行動を阻害させる。
更に、その氷の上から天然の樹氷とも言うべき、鋭く尖った氷の柱を幾十幾百本も展開させ、動きを完全に殺させる。
此処までにかかった時間は、ゼロカンマ五秒も無い。其処からマーガレットは空中から大量の氷塊を降り注がせようとするが、エリザベスもエリザベスだった。
スルトがレーヴァテインを掲げるや、太陽の破片が落ちて来たと錯覚する程の炎の塊が凍結した地面の上に落下、そして着弾。
一瞬で、ロキが生み出した全ての氷の細工を蒸発させるどころか、更に下がった場の気温を一気に真昼時の砂漠のそれにまで上昇させる。
――嗚呼、流石は。流石は、我が妹。
人道を外れ、修羅道を歩み終え、畜生道と餓鬼道を今正に歩み、そして行く行くは、地獄道を歩く羽目になろうとする愛しい妹。
許せないと思う。此処で討たねば、被害は甚大なものになるだろう。エリザベスも、此処で討たれる方が、幸福なのだと思っているかも知れない。
それと解っていても、エリザベスは退かない。嘗て愛した男の為に、彼女は如何なる誹りや非難、罪を、浴びようが背負おうが由としたのだ。
其処に至るまでの覚悟は、どれ程の物だったろうか。如何なる道を歩き続ければ、その様な悲壮な決意が出来るのだろうか。
エリザベスは、最後に戦った時よりも、ずっと強くなっている。世界の果てに封印された少年を救う為に、様々な修羅場を見て来て、味わったのだろう。
愛する妹が、値の付けられぬ絆を得、それを守り、取り戻したいと覚悟を決める。
それは姉として、とても、とても、喜ばしい物だった。それがどうして、このような間違った形になったのだろうか。何処で、エリザベスは道を間違えたのか。
千の言葉を尽くしても、万の行為を示しても。最早彼女の心が変えられないと言うのなら――。
「殺すしかないのね、エリザベス」
展開したロキを消失させ、再びペルソナカードを手に取った。
エリザベスを見るマーガレットの瞳には、慮りの心など欠片もなく。目の前の『敵』を撃滅させんとする、強い意思に満ち溢れていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
千七百二十五条のチタン妖糸が、入れ墨を刻んだ青年の悪魔に殺到する。
右腕と左腕を神業の様な軌道で動かし、その全てを断ち切る悪魔、人修羅。
しかしそれらは全てフェイント。本命は、頭上から落下させ、足元から跳ね上げさせた、それぞれ一本づつの妖糸だった。
直撃すれば、上からの糸は右肩甲骨から右足の指先までを、下からの糸は左足の土踏まずから左肩甲骨までを切断する筈。であった。
だが、その程度の猿知恵など見えていると言わんばかりに、人修羅の姿が掻き消える。
彼は一瞬で、高度十五m程の高さ地点に、妖糸を張り巡らせ、その上に佇立する浪蘭幻十の頭上に移動。転移ではない。瞬間移動と見紛う程の速度による『移動』だった。
刻まれた黒い入れ墨から、千万Vを超える程の『放電』現象が発生。
入れ墨が一瞬光った事に警戒し、自身に糸の鎧を纏わせる。傍目から見れば平時の幻十としか思えないだろうが、その実、目に見えないナノmの糸が、
頭から足先までカバーしていると言う事実を、多くの者は悟るまい。
スパークがチタン妖糸に直撃する。蒼白い火花が人修羅と幻十の間で弾けるが、幻十は全く平然としている。放電が、自身に届かないからだ。
チタンと言う明らかな金属を使った糸にも関わらず、それを操る幻十には、一切の電流が届かない。彼の操る糸は、自身の意思次第で、ゴムより強力な絶縁体にする事も可能であるのだ。
今まで足場にしていたチタン妖糸を一瞬で回収するや、幻十の姿が消失する。
一秒と掛からず彼は砂地の上に降り立ち、人修羅の方を見上げた。身体に糸を巻き付けさせ、砂地の下に隠れた岩地をその意図で貫き、
その妖糸を勢いよく収縮させる事で、音速でその場から退避したのである。
百条程度の糸を、人修羅の周辺に展開させ、これを殺到させる。
拳足を、幻十にすら視認不可能な程の速度で動かし、その全てを破壊する悪魔のルーラー。
幻十の疑惑は確信に変わった。
人修羅と言うルーラーが何故、自分の妖糸を断ち斬れるのか。無論、相手の技量自体が半端な物ではないと言う事は、既に幻十も認めている。
それを加味しても、余りにも人修羅は、チタン妖糸を簡単に破壊する。幻十程の技量の持ち主が操る糸を、何の苦も無く破壊する。
この裏に、何かトリックがあるのではないかと幻十は推理。破壊出来た攻撃と、出来なかった攻撃の差異を発見し、その答えの一つに行き着いた。
素手の攻撃だ。人修羅は現状に至るまで、強力なブレスや放電と言う、悪魔としての体質をフルに生かした技を使っていた。
確かにこれらも、尋常のサーヴァントでは抵抗すら許さず殺し切れる程の必殺の威力を内包していたが、実際に、幻十はこれを防げていた。
こう言った攻撃は防げたのにも関わらず、生身の一撃だけが、一切の抵抗を許さず妖糸を破壊する。
肉体自身に何らかの加護が纏わされているのか、或いはスキルか、宝具か。生身の攻撃とは違う、一部の、エネルギーを具現化させて放つ攻撃も、
妖糸を破壊していた事があったが、『生身』が重要なファクターである事は間違いないと幻十は判断。この可能性を、彼は先ず想定に入れた。
幻十の推理は正しかった。
人修羅の生身による攻撃には、明けの明星と称呼される大魔王から賜った究極の矛である『貫通』の加護が成されている。
より言えば、『物理的な干渉力を秘めた攻撃の全て』にその加護が成されていると言って良い。
この場合の物理的干渉力と言う言葉は非常に曖昧で、人修羅の生身から繰り出される格闘攻撃は元より、彼が生み出したエネルギーや『気』の波ですらも該当する。
物理攻撃は貫通の効果を与れるが、逆に言えば、魔術的な攻撃は一切その庇護下に入らない。放電や炎の吐息は、その対象外なのである。
幻十の妖糸が破壊されるのは当たり前で、この貫通の効果と威力は凄まじく、殆どの宝具やスキルの防御効果を無視して、
本来与えられる筈だった威力をそのまま相手にぶつけられると言う点からも、その凄まじさが知れよう。
技術程度では止まらない、人修羅の暴威の象徴。それに晒されれば、如何に幻十の妖糸スキルと言えども、無力と言う他ないのである。
飛燕に百倍する速度で、人修羅が着地した幻十の真正面へと移動する。
移動途中で幻十は糸を操ろうとするが、それが人修羅に向かって行くよりも速く、砂を巻き上げ、人修羅は幻十の前まで移動していた。
上半身が消滅したとしか思えない程の速度で、腰より上を動かし、右腕を振り被る。
幻十の顎目掛けて、フックを放ったのだ。極々一般的な成人男性の拳と、人修羅の拳の大きさに、さしたる差はない。
その筈なのに、幻十は、人修羅のこの一撃で、超猛速で飛来する、巨大な石臼のビジョンを見た。直撃すれば、死は免れない。
人修羅の右拳には殺すと言う意思以上に、『死』と言う物で満ち溢れていた。
音の十三倍の速度で放たれたその一撃を、幻十は、魔界都市に生きる魔人としての反射神経を以て、辛うじて後ろにステップを刻む事で回避する。
衝撃波が、インバネスコートごと幻十を切り刻む。胸部に深い斬撃が刻まれ、血がドッと噴き出る。拙いと思い、幻十は糸を操り、切創をチタン妖糸で縫う。
優れた医者の縫合めいて、チタン妖糸は見事に幻十の傷を塞いだ。痛みも、少しだけ和らぐ。
人修羅が追撃を仕掛けんと、地面を蹴った――瞬間。
それまで地面に張り巡らせていた妖糸が、彼が地面を一定以上の力で踏み抜いた、と言う事をスイッチに、一斉に跳ね上がった。
約八百九十七条のチタン妖糸が一斉に向かって行く。こう言う使い方も出来るのか、と言った様な表情で、人修羅が腕を動かした。
それだけにとどまらない。幻十はポケットに入れていた左手の指を動かした。
チタン妖糸は何も斬るだけが使い方じゃない。糸と糸どうしを紙縒り合せ、不可視の針を作る事だって可能なのだ。
幻十は神憑り的な指捌きで、チタン妖糸を紙縒り合せた針を何十本も生みだし、それを人修羅目掛けて射出させた。
砂を巻き上げて、人修羅がその場から消え失せる。針がスカを食う。左方向に幻十が顔を向ける。幻十から見て左脇二十m地点まで、人修羅が遠ざかっていた。
右手指を猛禽の様に曲げ、指を曲げた側の手首を左手で握っている様子がハッキリと解る。そして、その手に超高速でエネルギーが収束して行くのも。
地面を不様に幻十が転がった、と同時に、人修羅の右手首から、エネルギーを練り固めた、野球ボール大の弾丸が凄まじい速度で飛来する。
砂を巻き上げてそれは、幻十が先程までいた空間を貫いた。もしも幻十が横転していなければ、あの弾丸は彼の身体を粉微塵にしていただろう。
発射されたのを見てからでは、到底間に合わなかった。至近距離で放たれた拳銃ですら余裕で掴める程の幻十ですら、これなのである。
人修羅の放った、あらゆる悪魔を粉々にする『破邪の光弾』は、エリザベスが展開した閉鎖空間の地の果てまで素っ飛んで行く。
衝突する対象がなかった為に、幻十としても何とも言えないが、恐らくあれが直撃していたら、高層ビル程度なら簡単に破壊していただろう。
視界の端では、相当ヒートアップしているエリザベスとマーガレットの戦闘模様が確認出来る。
摂氏数万度にも達する炎が荒れ狂い、絶対零度と見紛う程の冷たさの吹雪が舞い、稲妻が地面を焼いて落下して、風速数百mの大風が吹き荒ぶ。
かと思えば、凄まじい轟音が砂を舞い飛ばせながら連続的に響きまくったり、強烈な呪力や破魔の力が交錯したりと、エネルギーが目まぐるしく変遷して行く。
初めて見た時から、人間に似た何かとしか思えない程強い存在だとは、妖糸で幻十も解っていた。だが、あれ程までに強いとは思わなかった。
と言うよりあれは殆ど、下手なサーヴァントを超越した強さではないか。エリザベスを追い込むその手際に、遠慮や手加減などと言う物はない。
明らかに、妹であろうと殺して見せる、と言う気概で満ち溢れていた。それ自体は、良い。だが此方がそうも行かない。
率直に言うと、エリザベスなる主催者と共にいるこのルーラーの強さは、桁違いも甚だしい強さだ。悔しい話だが、『今』の幻十では到底敵う相手ではあり得なかった。
――そう、『今』は。浪蘭棺の中で技術を高めれば、恐らくは詰められる。少なくとも現状では、到底勝利を拾える相手ではありえない。
癪に障る話だが、敵のマスターを殺そうにも、人修羅は完全にそちらの方にも油断がない。とどのつまりは、全方位で隙がないのである。
――“私”のせつらならば、倒せるか……?――
確実に、この街にいるであろう、あの<魔界都市>の体現たる黒コートの美魔人は、この敵を相手に、どの様な手段を講じるのだろうか。
敵わない相手がいるのならば、決まっている。幻十もせつらも、『逃げる』のだ。そして、次に見える時にこそ、殺して見せる。それが、<魔界都市>の流儀である。
一見すれば、此処はエリザベスが展開した、逃げ場のない閉鎖空間。逃げる方策など、ないとしか思えないだろう。
しかし、幻十は知っている。人の手で作られた閉鎖的な空間も、超自然的現象が生み出した閉鎖空間にも、少なからぬ間隙があると言う事を。
どのような空間にも、綻びよりなお小さい、蟻の開けた穴よりも小さいポツポツとした穴がある物である。
空気を取り込む為の物であったり、外界から魔力を供給させる為の穴であったりと、兎に角、そう言った物があり、現にこの空間にも、それはある。
何も幻十は人修羅とエリザベスの周りだけに糸を張り巡らせていた訳ではなく、遥かな頭上にも糸を展開させていた。
その結果、エリザベスの展開した閉鎖空間には、その様な穴がある事が解った。この穴は、人間の目には、先ず目視は不可能であり、
尋常の方法ではいかなる干渉手段を用いようとも、突破口にすらなり得ない穴なのである。
エリザベスの誤算は、その穴を一ナノmよりも小さい穴にしなかった事であろう。
幻十の操る妖糸は、その穴を潜り抜け、既に閉鎖空間の外、つまり、<新宿>衛生病院のロビーにまで伸びていた。
それを確認するや、幻十は両手指を一斉に動かした。
――その瞬間、空と地平線に断裂が生まれ、その断裂から閉鎖空間が崩れ落ちた。
「何――!!」
人修羅がその黄金色の瞳を驚愕に見開かせた。そして、閉鎖空間を生み出した主であるエリザベスや、彼女と死闘を繰り広げていたマーガレットすら。
嘗て灰色の空だった破片が、雲母の如く舞い散って行き、嘗て渺茫たる地平線だった破片が、ポロポロと剥離して行く。
鶏卵の殻を破って、雛が初めて外界を見た時の光景とは、果たして、このような物なのであろうか。
舞い散り、剥離して行く破片の先には、陰鬱とした<新宿>衛生病院のロビーの光景が広がっている。そう、殻だった。
エリザベスが展開した閉鎖空間は、一種の殻の様な物であったのだ。
【マスター、このルーラーは想定よりも遥かに強い、この場は逃走した方が良いかも知れない】
苦渋の決断と言うべき声音で幻十が念話を行う。
これは演技でもなく彼の本心で、敵を相手に背を見せると言う事は、気位の高いこの男だ。絶対に、許せる事柄ではなかった。
しかし、戦略的にそうする必要があったのならば、仕方がない。こうするしかなかった。
【私も、そう思っていたわ。予想よりも、貴方の戦いぶりが情けなくて、困っていた所よ】
と、マーガレットも悪態を吐くが、今はそれに対して返答をする時間すらも惜しい。
何故か人修羅もエリザベスも、マーガレット達の動向を窺っていると言う行為に止まっている。
罠か? と幻十らも思ったが、何て事はない。人修羅達は動きにくいだけなのである。
その圧倒的な強さの故に、本気を出せば<新宿>程度簡単に滅亡させられる人修羅だ。閉鎖空間を展開していない状態では、余り本領を発揮したくないのだ。
そんな彼の心境を慮って、エリザベスは、閉鎖空間を展開した等と、まさかマーガレット達も夢にも思うまい。
【好機だ。退くぞ】
【そうね】
そう言って幻十が糸を張り巡らせようとした――瞬間だった。人修羅と幻十が共に、カッと目を見開かせた。
インバネスの美魔人は、自身とマーガレットにチタン妖糸を巻き付かせ、更に別所に糸を巻きつかせ、
これを以て振り子の要領で、音速超の速度で自分達が直立していた地点から、遠ざかった。
入れ墨を刻んだ混沌の悪魔は、エリザベスを横抱きに抱えながら、跳躍。その場から距離を離した。
両者共に、距離を離したその刹那だった。病院のロビーを、『黄金色に激発する光の帯』が貫いたのは。
病院の壁にぶち当たった瞬間、それは、爆風と衝撃波を伴い大爆発を引き起こし、外の光景が見える程の大穴を其処に空けた
十枚以上の壁を打ち抜いた事もそうだが、光の帯の軌道上に存在した民家が、跡形もなく消滅し、<亀裂>の様子すらも窺える程であったと言う所からも、その被害の程と、光の帯の威力が知れよう。
四人は、病院の入口にその顔を向ける。
黄金を溶かして作り上げた様な光り輝く刀を、振り抜いた姿勢から元々の自然体の状態に戻さんとしていた男の姿を、彼らは認めた。
黄金色の髪、風にたなびく黒い軍服。腰に差した何本もの刀。そして、巌の如き強烈な意思を宿した、傷の刻まれた相貌。
四人はこの存在が、明らかな人間である事を理解したが、なのに、何だ? 人でありながら、人を超越した様なその佇まいは。
四人の内人修羅は、『超人』、と言う言葉が頭を過った。人の身でありながら、人間を超越した強さを誇る怪物。
嘗て、明けの明星も思い出話をするように語っていた。自身の遣わせたアスラ王と、神の遣わせたミカエルを斬り殺した、吉祥寺の青年の話を。
「其処までだ、サーヴァント共」
佇まいだけではない。その声音もまた、鋼だった。
「俺とマスターの覇道の為。此処でその命、散らせて貰おう」
光り輝くガンマレイを纏わせた、アダマンタイトの刀を構えながら。
鋼の英雄にして最悪の破壊者、人類を愛する救世主にして勝利しか求められないバーサーカー、クリストファー・ヴァルゼライドは、己の勝利が、物は上から下に落ちるのだと言う程に当たり前の事なのだと言う核心を以てそう言ったのだった。
前半の投下を終了いたします
予約分を投下します
「おっすじゅんぺー、なんだよ今日もしけた面してんなー。オレ? オレは今日も超!ハイテンション!よ!
つーか聞いてくれよ、昨日もエミリがオレのこと頼ってきてくれてさ、やっぱイイ男ってのは普段から違うってゆーか、オレもう最高潮よホント!
え? 本題入れって? あーもうツレねーなーったく。いやさ、実はダチからライブのチケット貰ったんだけど、ぶっちゃけオレ興味ないからお前にやるわ。
そーだよライブ、ライブのチケット。しかもアイドルのだぜ? いや別に嫌いってわけじゃねーけど、ほらオレにはエミリがいるからさ。嫉妬させちゃうのも悪いじゃん?
そもそもここに出てくる……えっと、クローネだっけ? そのメンバーってのが正直ガキすぎてオレの趣味じゃねーのよ。やっぱ女ってのはもっと年上じゃねーとってそう思うわけよオレは。
つーわけで売るなりしても良かったんだけど、なんだかんだで持つべきものは友達じゃんか。そーゆーことで未だに春の来ない順平くんにオレからささやかなプレゼントってことで……え、お前に心配される謂れはない? まーた強がっちゃってぇ。
ま、マジでいらねってんなら別に好きにしてくれていいぜ。んじゃ今からエミリに誘われてっからもう行くわ、オレマジで頑張っちゃうぜ見とけよ見とけよー。二学期に一皮むけたオレを披露してやるから楽しみに待ってろよ順平!」
▼ ▼ ▼
【いいんじゃねーか、行っても】
念話で帰ってきた言葉は、何とも軽いものだった。
念話の主、伊織順平がいるのは新宿内藤町の某高校、その一室だ。夏季休業に先駆けて行われた、無駄に長く感じる終業式を眠たい頭で耐え抜き、教室で配布された通知表の内容と宿題の山にトラウマを刺激され、諸々の注意事項を言い渡されようやく解放された、昼過ぎの出来事であった。
無二の親友ともちーこと友近健二に半ば無理やりライブチケットを押し付けられ、本人はそそくさと逢引きとやらに向かってしまい、途方に暮れてライダーに念話を試してみたら返ってきたのがこの言葉である。
流石に、自他共に認める能天気でお調子者な順平と言えど、それはないのではないかと思ってしまうのも無理はない。
【おま、それでいいのかよ】
【勿論考えなしで言ってるわけじゃねえさ。そのライブってのはそれなりに人が集まるんだろ? だったらそこにマスターやサーヴァントが来る可能性も少しは高くなる。
正直なとこ、この狭い新宿で未だに発見数0ってのもそろそろマズイしな。接触するにせよしないにせよ、他陣営の情報くらいは持ち帰りたいもんだ】
対するライダーの返答は、なるほど確かに、聞けばそれなりに納得できる理屈である。
順平がこの地に招かれ、昨晩本戦開始の通達を受けるまでの幾日か、その間に動き回って分かったことは、ライダーの保有する気配隠蔽能力が非常に高いということだ。
別に彼らとて、考えなしに日常をエンジョイしていたわけではない。勿論楽しみの面も存在していたが、それ以上にこの新宿という街の把握、及び介在するサーヴァントの索敵こそが彼らの目的である。
何故、非好戦的な彼らがそこまで他者の捜索に余念がないのか。そして何故、これまで何の成果も挙げられていなかったのか。それは単に、ライダーに架せられたある種の制限が存在したからだ。
本来、サーヴァントというものは索敵能力に優れない個体であろうとも、数百m単位の気配感知能力を標準的に備えている。それはライダーとて例外ではなく、むしろ解法の存在による気配看破に優れた彼の有する感知能力は、本職たるアーチャーのそれに匹敵する超長距離に及ぶものでなければおかしいほどのものだ。
そう、本来ならば。しかし現実として彼に与えられた能力には、原因も分からぬ不調のようなものが付き纏っていた。感覚的にしか判別がつかないものの、現状彼が保有する素の索敵可能範囲は50m程度まで縮小し、その精度までもが低下している。
だからこその、これは焦りではなく奮起であった。力が無いなら無いなりにやれることを頑張るのだという、言葉にしてみれば何ともありふれた行動方針。ライダーの言う通り、接触するかどうかの判断こそ未知数なれど、他陣営の情報は発見しておくに越したことはない。
【まあ、そういうことなら何となく分かったぜ。実を言うとオレもちょっと行ってみたかったんだよなー、これ。
つっても、わざわざアイドルのライブ見に来るようなマスターなんているか普通?】
【お前がそれを言うのかよ。そうだな、ライブそのものじゃなくてそれを利用しようって連中ならいるかもな。来そうなのが"乗り気"なのばっかになりそうなのが怖ぇけど。
あとは……ほら、例のバーサーカーとか】
【あー……そっか、その可能性もあるんだよな】
聖杯戦争の参加者全員に討伐令を発布されたバーサーカー、その存在を思い出し知らず頬が引き攣ってしまう。
白昼堂々大通りで大量虐殺を敢行した黒服のバーサーカーについては、既に彼らも昨夜のうちに話し合いのやり玉に挙げている。その行動目的については未だ詳細が不明なままであるが、少なくとも順平たちは「殺人そのものが目的」ではないかと睨んでいた。
快楽殺人鬼、それも数を優先する性質だというならば、人員が大量に集まるライブなど持って来いの狩場であろうことは想像に難くない。
いずれ何らかの形で接敵する時も来るだろうと腹を括ってはいるものの、遭遇の危険性を思えば憂鬱にもなるというものである。
【けどまあ、そんな悲観的になる必要もねえわな。何も起こらなかったらそれに越したことはねえし、純粋にライブを楽しむのもいいだろ。
本戦が始まった以上は、これから嫌でも戦いに巻き込まれていくわけだし、精神的な負担は少しでも減らしたほうがいい】
【だから今の内に思い出づくりってか? 不吉なこと言うんじゃねーよって言いたいけど、反論できないのが悲しいなおい】
【はは、だからそんな気負う必要ねーっての。俺のスキルはお前だって知ってんだろ? いざとなりゃ二人揃って尻尾撒いて逃げることもできんだ、緊張感なんざいらねえとまでは言わねーけどある程度は安心していいんだぜ?】
【……おう、頼りにしてんぜ】
ライダー……栄光の解法の凄まじさは身を以て実感している。基本的にはサーヴァントとしての気配を消失させることにしか使ってこなかったが、予選期間においては順平ごと透明化したり、重力をぶっちぎって一緒に飛んでみたり、ちょっとしたワープを体験してみたりとより取り見取りの経験を味わったものだ。
その時は女風呂の覗きに最適だ、なんて馬鹿話で盛り上がったが、よく考えなくても解法の汎用性の高さは異常の領域である。まるでおとぎ話の魔法のようだと、ペルソナ能力という不可思議な力を行使する順平でさえも、思わずにはいられなかったほどだ。
そしてそれはライダー当人が言う通り、仕切り直しという「逃げ」に特化した力でもある。例え遁走を封じる結界に囚われようと、よほどのことがない限りは順平ごと容易に逃走を成功させることができるほどに、その能力は強力なのだ。
敵を前に逃げるなんて、などという戯言を順平は口にしない。現実を弁えないはた迷惑な英雄願望は、とうの昔に捨て去った。戦うべき時は戦い、逃げるべき時は逃げるのだと、順平は先を見据えそう考える。
とはいえ、これもライダーの言う通り、今回のライブイベントで騒動が起きるとも限らないのだから、今から余計な心配をしたところで杞憂でしかないのだろう。
随分おセンチになったもんだと頭の片隅で考えつつ、念話に一区切りつけるべく会話を続行する。
【ま、あーだーこーだ言っててもしゃーないし、ここはバシッと決めますか。つーわけで今日はライブ行き決定な。折角なんだしノリにノリまくっちゃうよオレっち!】
【あんまはしゃぎ過ぎてぶっ倒れんなよ? そんじゃ、俺も早いとこ捜索片して合流するわ。場所と時間だけ教えてくんねえか?】
ライブ終わったら推しメン教えろよー、という会話と、場所と時間を告げると同時に念話をカット。幾ばくかの時間を置いて、順平はふぅと息をついた。
今までライダーとはほとんど一緒に行動していたために使う機会がなかった念話だが、こうして使ってみると、なるほど不思議な感覚である。タルタロス探索における風花のナビとも違う、脳内に直接響くそれは、なんともこそばゆい感触を順平に与えていた。
「っと、そろそろオレも行かねーとな」
物思いに沈みそうになる意識を引き起こし、半端に纏めていた教材を片付け立ち上がる。
まばらとなったクラスメイトに別れを告げ廊下に出れば、まるで馴染みのない、しかしここ数日で見慣れてしまった新宿高校の校内が目に映る。
目に見えるほとんどが自分とは縁がなかったはずの代物で、けれど友近のように見知った要素が幾らか存在するこの空間は、未知と既知という相反する混成物故に歪な既視感を醸し出す。
如何に平和に映ろうと、ここは自分のいるべき場所ではないのだと、如実に示しているようだと順平は感じた。
(……いい加減、オレも覚悟決めとかねーとな)
だから、羽目を外すのは今回で最後にしておこうと。そんなことを頭の片隅で考えながら、順平は気持ち足早に帰路を急ぐのだった。
【四ツ谷、信濃町方面(内藤町・新宿高校)1日目 午後(正午くらい)】
【伊織順平@PERSONA3】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]なし
[道具]召喚銃、ライブチケット二枚組
[所持金]高校生並みの小遣い並み
[思考・状況]
基本行動方針:偽りの新宿からの脱出、ないし聖杯の破壊。
0.ライブに向かう。
1.穏便な主従とコンタクトを取っていきたい。
2.討伐令を放ってはおけない。しかし現状の自分たちでは力不足だと自覚している。
[備考]
・戸山にある一般住宅に住んでいます。
・遠坂凛とは同級生です。噂くらいには聞いたことがあります。
▼ ▼ ▼
「ま、マスター探しも急げども焦る必要はなしってな。なんにも起きなきゃそれで良し、素直にライブを楽しめばいい。なんか起きたら……その時はその時だ」
所変わって河田町はあけぼのばし通り。古き良き商店街の面影を残す閑静な通りに、大杉栄光の姿はあった。
人の通りはまばらで閑散としており、明らかな未成年である彼が出歩いていても訝しむような者はいない。あるのは集合住宅と学校施設と、あとはとあるビルディングのみ。
東京都新宿区という都会にあっても、一角外れればこのようなエアポケットじみた情景も多く存在する。かつてはフジテレビ開業と都営新宿線開通により多く賑わったこの場所ではあるが、フジテレビが港区お台場に移転した後は東京女子医科大が町域のほとんどを占めるようになり、現在の姿となっていた。
ならば何故、他陣営の捜索に赴いているはずの彼が、このような人のいない場所に来ているのか。
中心地よりも外れの閑散地にこそ参加者は逃れ潜んでいると踏んだのか。いいや違う。
彼がここに赴いた理由。それは……
「もう少し時間がありゃあ、忍び込むなり何なりしてみても良かったんだけどな。アイツが動くってんなら俺も行かねえと嘘だろ」
先ほどまで眼前に聳え立っていたビルディングを、振り返ることなく栄光は思い返す。
UVM社……旧フジテレビ跡地に立つ、東京タワーもかくやと言う超高層ビルを本社に持つ新進気鋭の大手レコード会社。その威容はこの静かな土地にあって異様な存在感を放ち、つい先ほど直接見てきた本社においては、そこだけ都市の喧騒を切り取ったかのように多くの人員と物音が交錯していた。
そこで働く社員やミュージシャン、あるいは大手企業の内定をその手に掴みたいと意気込む大学生や、自分を売り込みに訪れる音楽家たち。そこにあるのは人々の勤労から生まれる一種の躍動であり、規則的あるいは混沌とした人の動きが集約するビルの巨躯はまるで戯画化した巨大な蟻塚のような印象すらも栄光に与えた。
それだけならば、別段気にする必要はない。どこでもどの分野でも最前線をひた走る大手というものは存在するし、周囲に比べ隆盛している程度、それだけでは目をつける要因にはなり得ない。
UVM社という場所に、わざわざ危険を冒して忍び込むことさえ考えた理由。それは単に、UVM社の社長が人外の存在であるという噂話故であった。
無論、余人では信じられない速度で自社を盛り立てた経営手腕を指してバケモノと揶揄する者もいるのだということは、重々承知している。しかしそれ以上に、彼の外見的特徴を指して人外と呼ぶ噂が多数を占めるということに、栄光は違和感を持ったのだ。
曰く、黒く巨大なクラゲ頭を持った人型がUVM社には存在する。尾鰭やバリエーションの違いこそあれど、噂に共通するのはそういった内容だ。
今更言うまでもなく、あからさまに怪しい。そして火の無いところに煙は立たない以上、できる範囲で調査するのは当然のことと言える。
そういうわけで、栄光は今日この場所に来ていたのだが、いざ解法を駆使して忍び込もうとした矢先にかかってきたのが先の念話である。ライブが始まる時間と場所を聞いてみれば、なんと今から向かわなければ到底間に合わないぎりぎりのタイミングではないかと、一旦捜索の手を中断してその場を離れることとなったのだ。
なお、ぎりぎりのタイミングというのは、あくまで徒歩と交通機関を使った場合のものである。己が宝具である風火輪を使って全力で飛べば数分とかからず踏破できる距離ではあるが、如何な解法による隠蔽を持つとはいえ、そんな目立つ真似をこんな序盤からするつもりは、栄光にはなかった。
「けど、アイドルのステージライブとはなぁ。こんな時じゃなけりゃ素直に喜べたってのによ」
惜しいよなぁ、などとぼやきながら、栄光は告げられた場所へと足を進める。
できることなら平穏無事に終わってくれよ、などと、そんなことを少しだけ思ってみたりした。
【市ヶ谷、河田町方面(河田町・あけぼのばし通り)1日目 午後(正午くらい)】
【ライダー(大杉栄光)@相州戦神館學園 八命陣】
[状態]健康、霊体化
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]マスターに同じ
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを生きて元の世界に帰す。
1.マスターを守り、導く。
2.昼はマスターと離れ単独でサーヴァントの捜索をする。が、今は合流を優先。
3.UVM社の社長にまつわる噂の真偽を確かめてみる。
[備考]
投下を終了します
感想は後程。投下いたします
身も蓋もない事を言うのであれば、ザ・ヒーローらが人修羅達を発見出来たのは、全くの偶然と言う他がなかった。
ヴァルゼライドの手傷をある程度治し終え、再び当てもなく<新宿>のサーヴァントを探すと言う事を行う。
この主従達が、こう言った索敵能力に優れていない事は、一時間以上と<新宿>を駆けまわっているのに、
蠅の魔王のランサーや蒼コートのアーチャーを発見出来なかったと言う事例からも証明されている。
今回もそれが徒労に終わるのかと思えば、それは、否だった。彼らは、蠅の王やコートの剣士とは、全く違う、しかし、強さは彼らに勝るとも劣らない存在達の気配を発見したのだ。
――其処は、<新宿>は新小川町に存在する、ある廃病院だった。
<新宿>衛生病院と称されているその病院は、今から十何年以上も前に、公安から最大限の警戒をされていたあるカルト宗教の息が掛かった所であったらしく、
敵対勢力の患者が此処に入院されるや、水面下で殺害。診断書を巧みに偽造して、その事が外部に知られる事を阻止していた、と言う大事件があったと言う。
当然、その様な病院が公序良俗に照らして存続が許される筈もなく。医の倫理を揺るがす大事件にまで発展し、その事件の象徴ともなったこの病院は、一瞬で廃業され、
こうして現在に至ると言う訳だ。病院は東京と<新宿>の発展の推移と変遷に乗る事もなく、ただ、廃業された瞬間のまま時間が止まり、そのまま、
時の流れるに任せ、荒れるに任せている。地元住民も、この病院が元が何であったのかと言う事をよく理解しており、不吉の象徴として、余り近寄りたがらない。
何せ草木も眠る丑三つ時になれば、殺された患者達の怨念が渦巻いていると言う噂もある位だ。全く根も葉もない噂でもなく、上述の事件があれば、そんな馬鹿なと笑い飛ばせないのが、全く救えないし、笑えない。
その病院で、二人は反応を捉えた。しかも、その捉え方が、妙であった。
ヴァルゼライドの索敵範囲が、『移動の最中にサーヴァントの気配を発見した』、と言うのなら理解も出来よう。
だが、ヴァルゼライドの索敵範囲の『中に』、『突如サーヴァントの気配が現れた』、と言うのが奇妙だった。
つまり、彼が捉えた二つのサーヴァントの気配は、殆ど同時に、彼のサーヴァントとしての気配察知範囲に現れたのだ。
殺意も敵意も、ヴァルゼライド達の方に向けられていなかったと言う事を勘案するに、恐らくはこれは偶発的な物だったに相違あるまい。
――好機、と二人が捉えたのは言うまでもない。即座に彼らは<新宿>衛生病院の方へと足を運び、その場で戦っていたと思しき、二組の主従目掛けて、ガンマレイを放った。
こうして――今の状況に至る訳である。
突然の闖入者に、何者だこいつは、と言った様な表情を浮かべているのは人修羅の主従である。
人修羅に限って言えば、スキル・真名看破で、目の前のバーサーカーの真名をクリストファー・ヴァルゼライドだと言う事を理解している。
知らないサーヴァントだった。少なくとも、悪魔や神の類ではない事は確実だ。何せ人修羅自身、聞いた事すらなかったからだ。
恐らくは、自身と、彼の上に立つ明けの明星が破壊しようとしている、大いなる意思の世界法則(ゲットー)の外の住民であろう。
知らないサーヴァントではあるが、弱いとは、人修羅は認識していない。間違いなく、この男は強い。人間如きと言って、人修羅は侮らない。
何故ならば彼自身が、人から悪魔に転生した存在なのだ。人の持つ可能性と言う存在を、強く認識している人修羅は、自身の出自故に、例え人間が相手でも、一切侮らないのである。
【マスター、気を付けた方が良い】
と、自身の主にそう忠言するのは、浪蘭幻十その人だった。
【あのサーヴァントの握る刀から、人間が触れれば即死する程の放射線が確認された。無論、アレの放った光の帯にしても同じだ。あれの通った先は、多分人が住めないと思う】
驚いたのはマーガレットである。核の力を操るサーヴァント自体には驚かない。
だが、それを躊躇なく、しかも、人の密集している地帯で放出させると言うその神経の異常さに、むしろマーガレットは驚いていた。
妖糸の奥義の一つ、糸探りは、当然、放射線の有無やその強さをも、探知が出来る。如何な幻十と言えども、放射線に直撃して無事な訳はない。
彼は、マーガレットの驚きとは対照的に、つとめて冷静だった。魔界都市に於いては、放射線を用いた兵器など当たり前の存在だった。
核兵器などに転用出来るプルトニウムが当然のように流通していただけでなく、そもそもプルトニウムが産出出来る地脈自体が存在した程だ。
これだけならばまだしも、裏ルートで流通した核兵器の設計図すら流れていた始末だ。そのせいで、歌舞伎町のホストですら、小銭稼ぎに原子爆弾を作成、流通させていた、
と言う椿事すらあった。そう、幻十の認識する魔界都市では、核兵器など有り触れた武器の一つであった。ちょっとした中堅のヤクザですら持っていた。
あの街では、完璧な除染技術が確立されていたからそれも良かったものの、この<新宿>ではそれもない為、半減期が訪れるまで放射線汚染区域は放置するしかないであろう。
――知った事か――
この街が崩壊しようが、幻十には如何でも良い事だった。
存分に、放射線でも撒けば良い。その末に、自滅でもしていろ。自分はただ、親友にして仇敵である秋せつらと決着をつけ、主催者を葬るだけ。それが出来れば、最早悔いなどないのだから。
この場にいる主従達に目線をやるヴァルゼライド。
人修羅と、彼が抱えるエリザベスの順に目線をやり、次に幻十の方に目線を向けた。
その瞬間、幻十は表情に微笑みを浮かべ、鋼の英雄にそれを投げ掛けた。意図的に、美しさを際立たせる表情を作り、それを彼に向けたのだ。
陰鬱たる廃病院のロビーが、柔らかな陽光と黄金色の輝きで満ち溢れた楽園に変貌した様な錯覚を、ヴァルゼライドは憶えた。
人智を逸した美の持ち主である幻十の表情を見た瞬間、一瞬硬直した。ヴァルゼライドの脳髄に生まれた、思考の空白。
彼程の男にすら、その様な時間を与える、恐るべし、浪蘭幻十のその美貌。鋼の英雄にすら、間隙を与える、幻十の天与の美しさ。
その思考の空白を狙い、幻十が動いた。
糸探りの為にヴァルゼライドの方に伸ばしていたチタン妖糸を、音速に数倍する速度で、彼の首目掛けて撓らせた。
一瞬で、空白だった脳蓋に、戦闘に対する意識で満たさせるヴァルゼライド。即座に表情を忘我のそれから、平時のそれへと切り替えさせ、
ガンマレイを纏わせたアダマンタイト刀を振るい、極細の殺意が迫るそれの方へと振り下ろす。
チィンッ、と言う音が刀の方から鳴り響き、黄金色の火花が散った。余人の目には、ヴァルゼライドの刀が透明な壁にぶつかり、火花を散らしている様にしか思えないだろう。
事実、ヴァルゼライドの瞳にすらそう見えている。しかし、彼の鋭い感覚が、それは違うと判断していた。
極めて細い線状の何かが、凄まじい殺意を伴って自分に向かい、自分は今その糸と拮抗している。既に彼は、此処まで攻撃の正体を捉えていた。
刀に纏わせた黄金色の光の出力を上昇させる。ロビー全体が、真実、眩い黄金色の光で照らされると同時に、チタン妖糸が蒸発した。
幻十の方に鋭い瞳を向け、ヴァルゼライドがアダマンタイトの刀を振り抜き、ガンマレイを放とうとした、刹那。
チタン妖糸と刀を拮抗させている間に、幻十がバラ撒いて置いた妖糸を、一斉にヴァルゼライドの方に殺到させた。
千二百十条程の数のチタン妖糸。ナノmと言う、分子レベルの小ささの糸は、人修羅もヴァルゼライドも、当然視認出来ていない。
凧糸にも似た細い殺意が、凄まじい速度と勢いを伴って向ってきている、と言う事が理解出来る程度だ。理解しているからこそ、ナノmと言う小ささの糸を防御出来た。
これは優れた直感や、戦闘経験がなければどだい不可能な芸当で、彼らですら、今まで潜り抜けて来た戦闘で培った財産の全てをフルに活用しなければ、防げないのである。恐るべきは、浪蘭幻十の妖糸の技倆である。
人修羅は、悪魔の反射神経を以て全てを破壊して防御した。
ヴァルゼライドは――一点方向の妖糸の密集地帯に狙いを定める事で、状況を切り抜けようとした。
くすんだリノリウムの床を蹴り、幻十の方へと向かって行くヴァルゼライド。殺到するチタン妖糸を、極熱と放射線を纏わせた刀を幾度も振い、切り払う。
数本の魔糸が、彼の頬と背部を五mm程斬り裂く。血が勢いよく噴き出るが、知った事ではない。既に幻十を両断出来る間合いにまで、彼は到達していたのだから。
刀をヴァルゼライドが振り抜いた。肉を斬り、骨を断った感触が腕に伝わらない。
何も無い空間を斬り裂いたと知ったのは、刀を振り抜き終えてからの刹那だった。
合せて、幻十のマスターと思しき青スーツの女性も視界から消えていた。人修羅やエリザベスが、先程ヴァルゼライドが宝具を射出させ、
病院に空けた大穴の方に顔を向けた。微かだが、残像が残っていた。黒コートの美男子の姿と、青いスーツの美女の姿が、空間に焼き付いていた。
妖糸を身体に巻き付けさせ、それを収縮させる反動を用いた移動を以て、この場から退散したのである。幻十は、当初の目的を忘れていなかった。
この場から退散すると言う目的をだ。敵がもう一人増えた以上、更にその考えを強めていたのである。
かくて、幻十らは見事に<新宿>衛生病院から退散して見せた。後には、ルーラーのサーヴァントとそのマスター。そして、英雄のバーサーカーがその場に残るだけとなった。
敵に一人、見事に逃げられたとヴァルゼライドは冷静に考える
恐ろしく強いサーヴァントであった事もそうだが、一緒に退散したマスターの強さも、凄まじいものだった。恐らくは、生前戦った魔星と同等か、それ以上かもしれない。
それ程の強さにも拘らず、何故、逃げると言う選択肢を選んだのか、理解に苦しむ所であったが、過ぎた事を考えていても仕方がない。
今は、目の前の敵である、入れ墨を刻んだ青年の方に目線を向ける。一目見た時から、理解した。この男は、形容する言葉が見つからない程に、強い。
ヴァルゼライドは、例え記憶がどれだけ摩耗しようと忘れる事のない男の強さと、人修羅の強さとを重ねた。
天命によりて戦う宿命にあり、しかし、餓えた狼の逆襲を受け遂に戦う事はなくなってしまった、太陽の名を冠するあの男と、人修羅の強さに、大差はない。
それだけの敵にも関わらず、マスターの方も、それに負けず劣らずの強さと意志を内に秘めた強敵である事も、ヴァルゼライドは見抜いている。
掛け値なしの、強敵達。だからこそ、負ける訳にはいかない、折れてはならない。自身が成そうとする目的の為に、絶対に、目の前の敵は、葬らねばならないのだから。
腰に差した鞘からアダマンタイトの刀を左手で引き抜くヴァルゼライド。今やその両手には、刀が力強く握り締められている。
片方は、遍く悪を裁く輝かしい黄金光で眩く激発し、片方は、美しい鋼色の剣身を外気に露とさせていた。
鋼色の刀身が、片方の刀の様な黄金の輝きを纏うのに、二秒もかからなかった。美しい光とは裏腹に、その実光の正体は放射線そのもの、
と言う死の魔刀を二振り持ち構えて。ヴァルゼライドは、人修羅達に鋭い目線を投げ掛けた。
「殊勝な心掛けだな。首を捧げに来たか」
エリザベスを床に降ろしてからそう言ったのは人修羅だった。
「自分の行っている事が、非道だと言う事は理解している。何れ、俺は死ぬだろう。座から地獄にも堕ちるだろう。だがそれは、今ではない」
ガンマレイを纏わせた刀の切っ先を人修羅の首元に突き付けるようにして、ヴァルゼライドが口を開く。
「貴様を討ち倒し、俺は行ける所まで行く。此処で死ぬ訳には行かない。俺は、勝ち続ける」
「お前は死んで地獄に行くべきサーヴァントだ。見ろ、この穴から見える光景を。お前があの光を放つ前までは、住宅街がこの先にあった。お前はその家を、住民ごと殺したんだぞ」
「だろうな」
当然の推移を話すかのように、ヴァルゼライドが言葉を返した。
「……何とも思わないのか。お前は」
「自分の行っている事が、非道だと思っている。俺は、そう言った筈だ」
「心の中でそう認識してるから、見逃せ、と。さては馬鹿だな、お前」
声音に呆れが混じる。
「先程のアサシンは逃げたが、心配するなよ。俺は逃げない。早急にお前を殺さなければならなくなったからな」
「成程。あの黒いコートの男に比べれば、お前は覚悟が――」
「何勘違いしてんだ馬鹿が」
ヴァルゼライドが全てを言い切る前に、人修羅は彼の発言を即座に一刀両断する。
会話が可能なバーサーカー等、妙だな、と人修羅も思ったが、事此処に至って、確信した。
余りにもこのサーヴァントは、人の話を聞かな過ぎる。自分の価値観と、自分自身の目的を至上とした人物なのだ。
彼は、自分自身が悪いと認識している、それを償うべきだとも理解している。では、それで全てが許されるのか? 狂人から常人に評価を改められるのか?
悪い冗談だ、と人修羅は思っている。様々な言葉と立ち居振る舞いで本質を濁しているが、クリストファー・ヴァルゼライドと言う真名のこのサーヴァントを、
シンプルな言葉で言い表すのであれば、『わがままな馬鹿』以外の何者でもないと人修羅は見ていた。
自身の理想の成就を最優先事項にする余り、周りが一切見えていない。肉食獣の目線の様な持ち主の男であった。
だからこそ、躊躇なくあのような広範囲に破壊をもたらす攻撃が出来る。それが悪い事だと認識していても、それを顧みる事をしない。
全てを自分の価値観の下に正当化させ、他者の行動を自身の価値観と言う物差しで測り、判断する。そう言った存在がいても、別段良い。良いが、このサーヴァントの場合、それが余りにも危険過ぎる。
「俺はルーラーだ。<新宿>……いや、東京の管理者として、貴様を滅ぼす。クリストファー・ヴァルゼライド」
両腕に刻まれた入れ墨が、バチバチと紫色の火花を散らす。大量の魔力が彼の腕を中心に、ロビー中を荒れ狂い、病院全体を鳴動させる。
飛び散る火花は、可視化され、人体の一部程度なら容易く消滅させる程の威力となった、人修羅と言う個体の生体電流であった。
真名を当てられ、剰え、目の前の存在が、ルーラーと解っていても、ヴァルゼライドは泰然自若とした態度を崩さない。
成程、この男がルーラーと呼ばれるサーヴァントであったか。予定よりも早く斬る事になるとはな、と。彼は、本気でそんな事を考えていた。
「そうか、お前がルーラーだったか。<新宿>と言う地の管理の為に、俺を滅ぼすと言うその理屈。合理的だ」
「――だが」
「俺は滅びん。お前がルーラーであろうがなかろうが、俺は、俺を滅ぼそうとする意志には断じて膝を折らない」
「そうか」
ふっ、と。沈黙の帳が降りた。
人修羅が解放させている魔力に緩く応えるように、病院は揺れている。カタカタと、照明が振動で揺れる音と、人修羅の両腕から弾ける紫電の音だけが、
いやに大きく聞こえてならない。ジリッ、と、ヴァルゼライドがにじり寄る。対する人修羅は、自然体で立ちつくし、敵対者ヴァルゼライドを睨んでいる。
彼我の距離が十cm程縮まって行く度に、場の空気が指数関数的に重みを増して行く。部屋全体の重力が増し、今にも全てが押し潰されんばかりのプレッシャーだった。
常人は愚か、音に聞こえたサーヴァントですら、身体の全てが潰されかねない程の重圧的な空気。その最中にあって、その空気を初めに打ち破ったのは、人修羅の方からだった。
「死ね馬鹿」
そう言った瞬間、人修羅の姿がヴァルゼライドの視界から消滅。それと同時に、<新宿>衛生病院自体が激震する。
振動に耐え切れず照明類が次々とリノリウムの床に落下。埃被ったガラスの破砕音が鳴り響いたと同時に、その音響を上回る、形容し難い大音が鳴り響いた。
人修羅の伸ばした左拳が、ガンマレイを纏わせたヴァルゼライドの刀に阻まれている。立ち位置から察するに、人修羅は一直線にヴァルゼライドの方に駆けたらしい。
ヴァルゼライドが人修羅の移動速度と攻撃速度に反応出来たのは、完璧にまぐれだった。点の殺意を感じた瞬間、その方向に刀を動かしたら、
人修羅の左拳が飛んできたのである。このバーサーカーは幸運だった。万が一にその一撃を貰っていれば、忽ち彼の胸部は肺や心臓ごと持って行かれたのだから。
一方、放射線の凝集体とも言うべき、ヴァルゼライドの黄金刀を触れている人修羅は、鈍い痛みを左拳全体に感じていた。
刀に纏わせた黄金の光を警戒し、人修羅は予めその拳に魔力を纏わせていたのだが、それすらも上回るらしい。
尤も、人修羅と言う悪魔の格がなければ、ガンマレイの放射線は、触れようものならたちどころに肉体が崩壊して行き死に至る程強烈な代物なのだ。痛み程度で済んでいると言う事実が、彼の異常性を如実に表している。
――人修羅の悪魔としての感覚が、この病院内に紛れ込んだ、もう一つの気配を察知した。
それは、騒ぎを聞き付けこの場にやって来た野次馬の類ではない。この場に自分の意思で入り込んだもう一人の存在。それは――。
「警戒しろマスター!!」
エリザベスが人修羅の言葉を受け、身体に力を漲らせた。
この場に、自分達以外の何者かが、意図的に入って来ている事を彼女もまた見抜いていた。
気配のする方向――先程自分達がロビーに現れるのに用いた薄暗い廊下の方に身体を向けると。
弾丸の如き勢いで、燃え盛る刀を手にした青年が飛び出して来たではないか――!!
青年は間合いに入った途端、神剣・ヒノカグツチを勢いよく上段から振り下ろすが、エリザベスはこれを手にしていた辞典で防御する。
凄まじい衝撃波が、剣と本の接合点から走り始める。一瞬ではあるが、エリザベスも、この場に現れた闖入者、ザ・ヒーローも驚きの表情を浮かべた。
まさか自分の攻撃が本で防がれるとは、と思ったのはザ・ヒーローの方だ。そして、人の身でありながら此処までの力を持っている何て、と驚いたのはエリザベスだ。
彼女の中に流れる力を管理する者の血が、熱く、熱く猛り始める。だが、今は、やるべき事がある。
直にザ・ヒーローから距離を取り、ペルソナ辞典を開かせ、彼女は、宣言する。
「デッキ、オープン」
そう言って一枚のカードを手にした瞬間、四人は、エリザベスの展開した閉鎖空間に取り込まれる。
人修羅が、力の一端を発揮出来るのに適した空間。エリザベスが、本気を出せる私的な空間。
「私、手加減が少々下手で御座いますので、予めご了承くださいませ」
カードの一枚を手に取り、ザ・ヒーローに恭しくそう言った。
戦端は、そんな彼女目掛けて発砲された、ザ・ヒーローのベレッタの銃声によって、開かれたのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人修羅が力を込めた瞬間、アダマンタイトの刀の剣身は、乾いた金属音を立てて圧し折れ、宙を舞った。
驚いたのはヴァルゼライドだ。アダマンタイトは元を正せば数世紀以上前に滅びた日本国の技術の一つと言っても良く、これは、
星辰体感応奏者(エスペラント)がその能力を行使するのに必要不可欠な代物である。つまり、これがなければヴァルゼライドは、
星辰光(アステリズム)を行使する事もままならない。それもあるのだが、この金属の物質的な強固性は、彼の居た世界で極めて高く、人間の膂力では破壊する事は愚か、
形状を変化させる事すら不可能な程なのだ。それを、単純な腕力で破壊するとは、目の前の存在の力強さを改めてヴァルゼライドは認識した。
後ろに五m程飛び退き、中頃から圧し折れたアダマンタイト刀を、人修羅の脳天目掛けて放るヴァルゼライド。
だが逆に人修羅の方が、彼の投げ放った刀の柄を握り返し、それを投げ返した。天与の反射神経でそれを弾き飛ばし、事なき事を得るヴァルゼライド。
これと同時に、人修羅の身体に刻まれた入れ墨から、数千万Vにも達する程の放電現象が発生。そのスパークが、鋼の英雄の方に伸びて行く。
入れ墨に内包された魔力の不気味な動きを察知していたヴァルゼライドは、直に、右手で握った刀を力いっぱい振り抜き、スパークを斬り裂いた。
所謂雷切伝説、と言うには規模が小さすぎるが、それでも、人智を逸した絶技である事には、何の変転もなかった。
すぐに腰に差した刀の一本を鞘から引き抜き、星辰光による超常の光を刀に纏わせるヴァルゼライド。
それを見るや、ノータイムで人修羅は、口腔から摂氏一万度にも達する火炎を放出、彼の身体を文字通り、灰すら残さず焼き尽くそうとする。
大上段から刀を垂直に振り下ろし、火炎を真っ二つにヴァルゼライドは斬り裂いた。
彼の雄姿に恐れを成したかのように二つに別れたその火炎の真ん中を、英雄は走る。一直線に、悪魔・人修羅の方へと。
手にした佩刀を、ヴァルゼライドは人修羅の胴体目掛けて振るった。
悪魔は何時だって、聖者か英雄に敗れ去るものだ。しかし、現実は何時だって甘くないし、英雄譚の中での出来事のように行かない。
お前の行動は読めていると言わんばかりに、人修羅は、エリザベスが展開した閉鎖空間の砂漠の砂地を蹴り抜き、飛び退く。
十m程右方向に着地した人修羅は、それと同時に、左手に魔力を練り固めた剣を握り、それを地面に叩き付けた。
剣先が叩きつけられた瞬間、放たれたのは、目に毒々しい、パンジーの様な紫色をした気の波であった。
悪魔達の剣技の一つとして、俗に『ベノンザッパー』と呼ばれるこの波濤は、人修羅程の悪魔が放てば、掠っただけで並の悪魔など原形を留めぬ程に粉々。
縦しんば生き残っても、強烈な毒素が身体を蝕む、と言う二段構えになっている。
ベノンザッパーの紫の気波を見て、第六感が命の危機を告げる。ヴァルゼライドは直にアダマンタイトの刀を縦に振り下ろし、頭上から、
黄金色の柱をベノンザッパー目掛けて落下させる。毒なるもの、全て、浄化されるべし。そのような、ガンマレイの強い意思が聞こえるようであった。
毒の波は一瞬で全て蒸発し、ヴァルゼライドに届く前に全て無害化される。砂煙が晴れ掛かったその時に、彼は見た。
マグマ化した砂地の先で、左腕を突き出し、猛禽の様に指を曲げた左手の掌にエネルギーを集中させる人修羅の姿を。
白色の粒子が掌に集中したと見るや、人修羅は、掌から光弾を放った。ヴァルゼライドの幸運は、それを見た瞬間、回避行動に移っていた事である。
人間の反射神経を凌駕する速度で離れた光弾は、余程反射神経に優れたサーヴァンでない限り見てからの回避など全く不可能な話で、予兆を見てから避けぬ限り命中は免れないのだ。
ヴァルゼライドが避けた先に、人修羅が予め回り込んでいた。
指を獣の如く曲げた右腕を、横薙ぎに振るう。すんでの所で、上体を大きく後ろに引かせ、直撃だけは避ける。
が、人修羅の中指が彼の腹部を捉えた。軍服ごと、ヴァルゼライドの腹筋の筋肉を一部をちぎり取る。
痛み――だけで済んだのならばまだ良い。尋常じゃない速度が生み出した衝撃が体中を駆け抜ける。体中が沸騰しそうであった。
凄まじい、と言う言葉で形容するには余りにも陳腐すぎるその痛み。ヴァルゼライドの碧眼が血走る。
人修羅が人間ではない事は、既にヴァルゼライドも知っている。
そして同時に、この悪魔が、自分の力を誇り、それを嬉々として振うだけの愚物でない事も。
自らの力の何たるかを理解し、それを適切な状況で、適度な力量で放つ事が出来る。早い話が、技者でもある。
またしても、強敵だった。ザ・ヒーローが記憶を取り戻す前に戦ったランサーも、早稲田鶴巻町の公園で戦った鋼の獣も。
蠅の魔王のランサーも、蒼いコートのアーチャーも。全員誰もが勝るとも劣らぬ烈士であり、運命が何かを違えれば、敗者になっていたのは自分だった程の強敵だったと、
ヴァルゼライドは強く認識している。強さの序列など、付けられる筈もない。だが、敢えて、しかも、今回の戦いの分も含めて序列をつけろ、と言われれば。
このルーラーは、間違いなく別格の存在だとヴァルゼライドは思っていた。単純な戦闘能力も、戦闘経験に裏付けられた技術の練度も、並のそれじゃない。生前の時点でも、人修羅程の強さの者など、数限られていた。
生前、ヴァルゼライドが敗北を喫した男は、勝ち続けたが故に、更に強い敵が立ちはだかり、また倒し、また強い敵が立ちはだかる、と言うサイクルに、折れた。
その男にとって勝利とは解けぬ呪縛であり、度を越せば不幸しか招かないものだと、強く信じていた。
今、ヴァルゼライドは、勝利を求め続けるが故に、高邁かつ達成が著しく困難な理想を掲げるが故に、それに相応しい怪物を己が身元に招いてしまった。
理想の為に勝利を重ね続け、振り返れば最早来た道すら判別出来ぬ程の屍の山を積み続けた結果、今ヴァルゼライドは此処にいた。
しかしそれでも……いや、『だからこそ』。
「まだだ」
この男は折れなかった。自分よりも強敵が立ちはだかったのならば、自分も強くなり続ければ良い。
勝ち続けたいのならば、己が勝利以外の一切を考えなければ良い。己の勝利が、全ての諸問題を解決出来るのだと自惚れれば良い。
そうして勝って、勝って、勝ち続け、己の義務を貫き通す事。それこそが、勝者の務めなのだ。
勝者とは、『勝』ち続ける『者』であり、『勝』ってしまった『者』。ヴァルゼライドが元々は前者だったのか後者だったのか、今となっては彼も解らない。
だが、決めたのならば、終わりの地平まで、彼は駆け抜ける。そうして走り続けた先に、世界を拓き、人々を笑顔にする答えがあるのだと、彼は信じているから。
黄金刀を電瞬の速度で振り下ろし、人修羅を斬り裂かんと動き始めるヴァルゼライド。
しかし、既に彼の纏わせている星辰光がただの光でない事に気付いている人修羅は、そう簡単に攻撃を貰わないし、防御だってしない。
全て、回避する。それが、彼の打ち立てた方針であった。黄金色の残像を空間に煌めかせながら迫る、ヴァルゼライドの神速の一撃を、
事もなげに人修羅は身体を逸らして回避する。回避と同時に、入れ墨が白く眩く光り輝き、スパークが迸った。
殆どゼロ距離で行われた放電を、ヴァルゼライドはその予兆を読み、大きく後ろに飛び退く事でこれを回避する。
衣服の一部が電熱によって焼け焦げたが、それでも、生身は無事な辺りが流石としか言いようがない。
兎に角、攻めねば話にならない、と言うのがヴァルゼライドの見解だった。
目の前のサーヴァントは、守勢に回って勝利を拾える程甘い存在ではない。それに元より、ヴァルゼライドは自らの星辰光を含めて、持久戦には向いていない。
兎に角、攻める。相手の防御は、力尽くで破壊し、隙が生まれれば其処を突く。それが、彼の基本の戦い方と言っても良い。
人修羅も人修羅で、守勢に転ずるつもりはないらしく、空いた左手に魔力剣を握りしめ、ヴァルゼライドの方に風の様な速度で向かって行った。
同じ様にヴァルゼライドも、この混沌の悪魔の方へ駆けだした。
人修羅が魔力を固めた魔剣を左中段から横薙ぎに振るった。
それに合わせてヴァルゼライドが上段から刀を振り下ろす。金属音とも取れぬ、ジュインッ、と言う意味不明な音が鼓膜を振わせる。
即座に人修羅が自らの剣を交合点から引き離させ、再びその剣を振った。今度は下段から掬い上げるように斬り上げて来た。
今度はヴァルゼライドが、ガンマレイを纏わせた魔剣を中段右から振り抜いて、これを防いだ。いや、防いだと言うよりは、攻撃が失敗に終わったと言うべきか。
無論それは、人修羅についても同じ事が言えた。どちらも防御を行うと言う意思はなく、攻撃を以て目の前の敵対存在を殺害すると言う事を目的としている。
その攻撃のレベルが余りにも高すぎるが故に、結果的に攻撃どうしが衝突。第三者から見たら、どちらかが攻撃を防御している様にしか見えなくなっているだけだ。
ヴァルゼライドが吼えた。
黄金の魔刀を、振るう、振り落とす、振り上げる、薙ぐ、打つ、薙ぐ、袈裟懸けにする、打つ、振り落とす、振う、振う。
紫色の魔力で構成された魔力剣を、人修羅が、薙ぐ、打つ、打つ、振り上げる、振り落とす、袈裟懸けにする、逆袈裟にする。
鈍いサーヴァントであれば、自身が斬り殺されたと認識する事も出来ない程の速度で両者が武器を振い、
光すら避けられるのではと錯覚する程の人外染みた反射神経で、相手の攻撃を、自分の放った攻撃で、二名は防御を続けていた。
これだけ攻撃を行っていながら、攻めあぐねているのはヴァルゼライドの方だった。
確かに凄まじい攻撃の数々を繰り広げている。今の自分が繰り出せる身体能力の限界に、今まで自分が培って来た剣理の全てを相乗させている。
にもかかわらず、人修羅に攻撃が届かない。尽くを防がれる。悪魔と人間との間に立ちはだかる、厳然たる身体能力の差。
つまりこの場合、ステータスの違いが、今の結果に繋がってた。アドラー帝国によって人体改造を施されたヴァルゼライドではあるが、
あくまでも人間と言う生物を科学的に改造して得た身体能力である事には代わりない。純然たる悪魔である人修羅に、身体の運動能力で負けるのは、当然の帰結だった。種差は、そう簡単には覆せないのだ。
一方で、能力面で有利に立っていながら、この状況を奇妙に思っているのは人修羅の方だった。
自身が優勢にあると言う認識は、人修羅とて変わりない。変わりないが、人修羅の優れた直感や戦闘経験が、妙な結果を導いていた。
ヴァルゼライドの身体能力が、明らかに高まって来ている。最初は人修羅自身、認識が狂っているのではと思ったが、見間違いでない。
戦闘が始まった当初のヴァルゼライドの刀の一振りの最高速と、現在の最高速の差が、明らかに広がって来ている。
無論、最初の方の最高速の方が速いのではなく、『疲労も蓄積している筈の現在状態での最高速の方が速い』のだ。
このまま持ち堪えられれば、嫌な予感がする。万魔をその拳で砕いて来た混沌の悪魔の直感は、彼自身にそう告げていた。
魔力剣と黄金刀の打ち合いは、既に二百合目程にも達さんとしていた。
衝突の際に生じた衝撃波は、砂を高く舞飛ばし、砂に埋もれた岩地に亀裂を生じさせる程で、このまま行けば終いには、天すらも砕きかねない程であった。
既にヴァルゼライドの両腕は痛覚も機能しない程の痺れが来ており、物すら持てない筈なのだが、彼はこれを気合で押し殺している。
打ち続け、打ち続け。英雄は、自身が有する勝利への渇望と気合と言う、無限大のリソースを肉体を動かす燃料とし、打ち合いを続けていた。
人修羅の思考と肉体が疲労し、稚拙な攻撃を行ったその瞬間こそが。ヴァルゼライドの佩刀が、この悪魔の頸を刎ね飛ばす時であった。
――そんなヴァルゼライドの考えを読んでいたかの如く、人修羅の腕を振う速度と、其処に込める力の勢いが倍加。
ヴァルゼライドを以ってして、気付いた時には腕が振り抜かれていたとしか見えなかった程の速さで人修羅は、魔力剣を握った左腕を完璧に振り抜き終えていた。
両の手で握るアダマンタイトの刀の重さが、明らかに軽くなっている事に気付いた。どちらの刀も、中頃から圧し折られ、未だ黄金色の光を放つ折れた剣身が、空中を舞っていた。人修羅が折ったのだ、と直にヴァルゼライドが気付いた。
回避行動。間に合わない。防御。行おうにも、圧し折れた刀では満足に出来ない。
新しい刀を引き抜こうにも、その為にはまず刀を捨てねばならないと言うプロセスを経ねばならない為に、ラグが生じる。
この怪物との戦いでは、決して生んではならない程の、致命的なラグが。
身体が破裂せんばかりの衝撃が、ヴァルゼライドの肉体に叩き込まれた。それと同時に、彼の身体は丸めたボール紙でも投げるように吹っ飛ばされる。
人修羅との距離がどんどん離れて行き、彼の身体が小さくなって行っているのをヴァルゼライドは感じる。
自分は今、凄まじい速度であれから遠ざかっているのだと、心の中の何処かにいる冷静なヴァルゼライドが告げていた。
地面に背面から落下。瞬間、大量の血をヴァルゼライドは喀血した。体中の臓器と言う臓器が磨り潰されている、と錯覚するような痛みが、彼の身体の中で爆発している。
事此処に来て漸く、人修羅が何を行ったのかを思い出した。彼は目にも留まらぬ速度で、空いた右腕を振り抜いたのだ。
但し、その右腕自体で攻撃したのではなく、右腕が生み出した、凄まじい物理的質量を伴った烈風の波が、ヴァルゼライドに現状を齎したのだ。
右腕で攻撃する筈が、狙いが外れて衝撃による攻撃に化けてしまったのか。それとも初めから、あの『烈風波』による攻撃が主であったのか。
それはヴァルゼライドには解らない。一つ言える事は、あの悪魔(かいぶつ)にしてみたら、肉体による攻撃だろうが、それによって生み出された副産物たる物理現象だろうが、雑魚を蹴散らすには十分過ぎる程の威力が内包されていると言う事であろう。
「――まだだッ……!!」
立ち上がり、今まで手にしていた折れたアダマンタイトの刀を投げ捨てた。
敵は強い。故に、勝率が低い。ならば、『自分自身が戦闘の最中に強くなって、勝率を上げて行けばいい』。
まだまだ、あの悪魔と同じステージに立てていないかも知れない。ならば、同じステージに立てるまで、気合と根性で持ち堪えれば良い。
それが、ヴァルゼライドのこの戦闘における美学であった。
「……」
立ち上がり、刀にガンマレイを纏わせるヴァルゼライドを見て、人修羅は、何か考えに耽っていた。と言うよりは、昔を思い出していた。
自らの上司であり、自身を悪魔へと変貌させたある意味で諸悪の根源とも言うべき、一人の男との会話を。
大いなる意思を砕かんとする旅路の最中、人修羅は、彼に質問を投げ掛けたのだ。
――何でアンタは、俺を悪魔にしようと思ったんだ――
――君が、あの病院にいた人間の中で、一番見込みがあったからさ――
――俺にはそんな実感はないが、まぁいい。アンタは如何して、元を正せばただの人間に此処まで肩入れしたんだ――
――と、言うと?――
――人は弱いだろう。単なる人間を悪魔にするなんて面倒な事をやるなら、もっと他にやり方はあったんじゃないのか――
――『人』修羅たる君が人を弱いと言うなんて意外だな。そう思っているのかね――
――少なくとも、あのボルテクス界にいた人間達は皆、力に縋ってなければ生きられなかっただろう。俺だって、アンタが与えた悪魔の力に縋ってなければ生きられなかった。これは、弱いと言うんじゃないのか――
――私の記憶が正しければ、彼らは皆、あの世界で自分なりの答えを見つけて、生きようとしていた風に見えたがね。無論、君も然りだ。私は今一人間の目線で物を見るのが得意じゃないが、ただの人間が、あの世界で生き延びると言うのは、至難の技だろう。それが曲りなりにも君も含めて全員出来ていたのだから、素晴らしい事だと思うよ――
――だがそれでも、そいつらは結局俺に斃された。アンタの言う、完全な悪魔になった俺の力でな。それは、人と悪魔の構図は覆せないと言う事と同じなんじゃないのか――
――君に不運があったとすれば、君は、人間の強さを見る機会に余り恵まれなかったと言う事だろうな。まぁ、ボルテクス界の事情が事情だ。仕方がなかったのかもね――
――アンタは見て来たような口ぶりだな――
――勿論。大抵、人が人としての強さを発揮する時は、私の悪だくみも頓挫する時だが……、それは喜ばしい事だと思うよ、私は――
――結局アンタは、人間の事をどう思ってるんだよ――
――弱いと思っているよ、心も、身体もね――
――正直だな。人間の強さが云々言っておきながら矛盾してるだろう――
――それを発揮出来るのは一部の人間だけなんだよ。厳然たる事実だこれは。ただ、強い人間がほんの一摘まみしか存在しないからと言って、私は人を見捨てないさ。愛しもしないがね――
――都合が良いな――
――そうだろうね。それで、最初の君の質問に答える形になるが、君に肩入れをしたのは、君が強い『人間』だと解っていたからだよ――
――結局其処じゃないか――
――いいや違うな。君が『人間である』、と言う事実が重要だったんだ。君が強い悪魔や人以外の『何か』だったら、私は君を利用する程度にとどめただろう。君を見込んだのは、君が人間である事が大きいのだよ――
――俺が人間だったから?――
――人は、神の狂気が生んだ産物だ。酩酊した神が地上に撒いた不揃いで不格好な種粒達だ。そんな人に、私は、知恵の林檎を齧らせ、育て上げた。悪魔は誰の領分でもないが、人は、私の領分なのだよ、混沌王。だから君を、私は丁寧に導いたのさ――
――傲慢だな、アンタは。その強い人間に叛逆を喰らうぞ――
――それもまた、善し、さ。そう言った事を何度も私は味わっているからな――
――『人』望が無いな。精々俺の待遇を考えておいてくれ、何せ、『人』修羅だからな――
――余り面白いジョークではないよ、混沌王。だが、私は冗談やはぐらかしで、そう言ったのではない。人は君の想像する以上に厄介なんだ。君の泣き所は、その人の強かさを見れなかった事だ――
――何時か俺も見れるか、それを――
――見たいのであれば、スケジュールを調整してあげよう。混沌王。君が、大いなる意思の天則を破壊する為の力を得たいと言うのなら私は、喜んで君の助けになるのだから――
「……こんな人間もいるのか」
と、人修羅は感慨深げにそう言った。
無論、ヴァルゼライドが人類種のバグの様な存在であり、滅多な事で生まれる事のないレアケースである事は、人修羅とて知っている。
しかしそれでも、市井の中から、このような存在が生まれ、遂には、英霊に至ったと言う事は、事実なのである。
これも、人間の可能性の一つなのだろうか。どのような環境で生まれ、どのような経験を積めば、クリストファー・ヴァルゼライドなる個が生まれるのか。
元を正せば、何処にでもいる市井の人間の一人であり、東京受胎さえなければ、平平凡凡に生きる事しか出来なかった人修羅には、想像すら出来ない。
――成程、確かに、俺の弱みだな――
自身の想像力のなさを自嘲する人修羅。
目の前の鋼の英雄には、嗟嘆の念を禁じ得ない。そして、同時に、彼は葬られねばならない。
今の人修羅は、帝都の守護者であり、聖杯戦争の管理運営を司るルーラーである。
この男は、その光り輝く意思の故に、<新宿>中を焼き滅ぼしてしまうであろう。そうなる前に、芽は摘まれねばならないのだ。
人でありながら自分と渡り合うヴァルゼライドに敬意を表しつつ、混沌王は、彼を殺害出来る絶対の特権を行使する事にした。
「――混沌王の名に於いて命ずる」
その言葉に呼応するように人修羅に刻まれた、自らの悪魔としての象徴たる入れ墨が、赤く激発した。
「自害しろ。クリストファー・ヴァルゼライド」
ルーラーとしての特権である、サーヴァントに用いる事が可能な令呪の行使を、人修羅は初めて此処で切った。
彼の身体に刻まれた入れ墨は、令呪としての機能も果たすのだと言う事実を、ヴァルゼライドは、知らない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
照準をエリザベスの心臓に合わせて、寸分の狂いもなくベレッタのトリガーを引き、銃弾を発砲するザ・ヒーロー。
これを、ペルソナ辞典を振り回し、弾丸を弾き飛ばして彼女は防御する。弾き終えるや、即座に辞典を開き、其処からカードを一枚取り出す。
彼女の背後に、人の形をした霊的ヴィジョンが浮かび上がる。黒い目と口を持ち、特徴的な青い帽子を被った雪だるまの様な容姿をしたこのペルソナ。
ザ・ヒーローは見覚えがあった。過去に何匹も斬り捨てて来たし、一時期使役していた悪魔と全く同じ姿をしていたからだ。
妖精・ジャックフロスト。それが、エリザベスの呼び出したペルソナの名前である。妖精にカテゴライズされる悪魔の中では、決して強い存在とは言えない悪魔だ。
しかし、エリザベスが呼び出したそれは、明らかに、凡百のジャックフロストとは一線を画する強さだと、彼は即座に見抜いた。
そして同時に、エリザベスの呼び出したあの妖精は、ザ・ヒーローが行うような悪魔使役とは全く別次元の技術によるものだとも。
ジャックフロストに魔力が充填されて行き、それが解放された――その瞬間。
ザ・ヒーローは勢いよくヒノカグツチを地面に突き刺した。それと同時であった、彼の周りを取り囲むように、地面に分厚い氷が張られて行ったのは。
来ているジャケットなど防寒具どころか、着衣物としての体裁すら保てぬ程の極低気温が彼を襲う。彼が身に付けている衣服程度では、裸も同然だ。
ヒノカグツチに、COMPに溜められた魔力を流し込んで薪代わりにし、その剣身に纏わされている炎の熱量と勢いを増大させる。
地面の氷は一瞬で蒸発、元の砂地に巻き戻った。あのまま行けば、気温は絶対零度近くにまで落ち込み、忽ちザ・ヒーローは、生きたまま凍結した彫像となっていたろう。
剣を引き抜くと同時に、エリザベスがザ・ヒーロー目掛けてカードを射出させてきた。
明らかに弾丸よりも速い速度で迫るそれを、彼はベレッタの弾丸で迎撃するが、向こうの方が硬度も威力も上らしい。
弾丸はいとも簡単に真っ二つなった上に、カードの方は全く勢いが落ちていない。
事此処に至って、ザ・ヒーローも回避行動に移ったが、少々遅れ、肩口を浅く斬り裂かれた。ジャケットなど問題にならない程の鋭さで、血が衣服を滲ませる。
地を蹴り、ザ・ヒーローが向かって行く。
エリザベスですら嘆息する程の速度で、彼はヒノカグツチの間合いに入り、それを中段右から横薙ぎに振るいだす。
振い始めると同時に、エリザベスは辞典からカードを三枚程飛び出させ、それを、ヒノカグツチの剣身の軌道上に固定化させる。
秒と待たずに、剣身とカードが衝突する。火花の代わりに、ヒノカグツチの剣身を炎上させる炎の火の粉が飛び散った。
カードと言う通り、見かけは単なる薄い紙っぺらの様にしかザ・ヒーローには見えない。だが、衝突した際の衝撃はまるで凄まじい密度の鋼のようなそれで、
とてもじゃないが厚さ一mmもなさそうなカードを殴って伝わる衝撃とは思えなかった。
例えるならそれは、龍の鱗。此処に来る前は龍王の類など掃いて捨てる程斬り捨てて来たが、エリザベスが展開するカードはまさに、これに匹敵する程だった。
初めて見た時から、ただ者じゃないとはザ・ヒーローも思っていた。
しかし、此処までとはさしもの彼も思っていなかった。恐らくこの女性は、魔王や大天使にも匹敵――或いは、それ以上の強さを誇る存在だと、彼は見積もった。
ザ・ヒーローは、聖杯戦争に参加した主従の中で、自分の戦闘経験と、それを乗り越えて来た自身の能力は比類のないものだと、万斛の自信を誇っていた。
今その認識を、彼は捨てた。自身と同様の戦闘能力を誇る存在がいるのであれば、それに相応しい戦い方をする。それが、大破壊後の東京を生き延びた一人の英雄の処世術であった。
左手で握った拳銃を、エリザベス目掛けて発砲するが、彼女はこれを、身体を大きく横に逸らす事で回避。避けざまに、カードを一枚辞典から引き抜いていた。
その隙を縫って、ザ・ヒーローがヒノカグツチをカードから離し、稲妻の如き速度で上段からそれを振り下ろした。
彼女は、避けない。エリザベス程の存在の反射神経ならば、何かしらの反応を示すべきであるのだが、それすらもしない。
妙だ、と思った瞬間には、ヒノカグツチの剣身が彼女の脳天に直撃していた。頭頂部をスイカの様に割り断ち、身体を両断――しなかった。
ヒノカグツチの剣身は、彼女の美しい銀髪の生え揃った頭に触れてはいるが、其処からどんなに力を込めても一mmどころか一ナノmだって動かせない。
それどころか毛髪すら、ヒノカグツチの剣身が放つ炎で燃え上がっていない。ザ・ヒーローはこの感覚を即座に理解した。
これは、そっくりだ。悪魔が有する、特定の属性攻撃への無効化性質に――。
ザ・ヒーローの幸運は、元いた世界でそう言ったケースを身を以て実感し、其処からの立ち直り方を学んでいた事であろう。
そして彼の不運は、エリザベスもといペルソナ使いが、装備したペルソナが有する属性相性がそのまま自分の身体にも反映されると言う事を、知らなかった事であろう。
今のエリザベスに、ヒノカグツチの炎が通用しない事を悟ったザ・ヒーローが、急いで剣身を彼女から引き離し、そのまま距離を取ろうと飛び退いた。
当然、ヒノカグツチと言う最大の武器を封じられた今のザ・ヒーローを追い立てぬエリザベスでは断じてなく。
ペルソナカードを衛星軌道の様に自身の身体を基点に旋回させる。其処には当然、ザ・ヒーローが範囲内に含まれていた。
腹部と胸部の筋肉を、ペルソナカードが斬り裂き、抉った。「ぐっ」、と言う苦鳴が口から漏れる。
行動不能になる程度の深さではないが、それでも、激痛である事には代わりない。
尤も、この程度のダメージで済んだのは、ザ・ヒーローの卓越性があるからこそだった。彼でなければ、胴体が輪切りにされていた事は、想像に難くないのだから。
攻撃をヒノカグツチによる攻撃から変えねばならないと、彼は判断した。
拳銃を、この程度の代物しか持って来れなかったのが悔やまれる。携帯性に優れると言う理由からベレッタを使用、所持していたが、
これでは威力と速度共に、目の前の女性を葬るには、チャチなオモチャと言う他がない。これ以上の代物は目立つ上に、そもそも<新宿>には流通していない。
ならば、と、現存する人類種の英雄たる男は、ヒノカグツチを鞘に納め、ベレッタも懐に戻し、そのまま特攻。素手による攻撃を敢行しようとする。
やけっぱちの行動では断じてない。武器がなくとも、素手で悪魔と交戦する手段も彼は心得ている。武器を弾き飛ばされ、その間素手で悪魔との戦闘を持たせた事だって、
一度や二度ではないのだ。どの道エリザベスは閉鎖空間を展開している。端から逃走は出来ない、やるしかなかった。
エリザベスの白い細顎目掛けて、左のジャブを放つ。
終る事無く悪魔との戦闘に明け暮れた事によって鍛えられた筋力から放たれるこの一撃は、生半な人間ならば、顎を豆腐の如く砕く程の威力がある。
速度も鋭さも、重さも段違いのその一撃を、エリザベスは軽くスウェーバックする事で回避。手にしていたペルソナカードで、伸びきった彼の左腕を、
肘から切断しようとするが、直に彼は腕を引いてこれを躱す。カードが空を切ったと認識したその時、彼は下段の前蹴りで、エリザベスの右膝を破壊しようとする。
パシッ、と言う乾いた音が響いた。彼女が、辞典を持っていない左手で、ザ・ヒーローのアキレス腱を掴んだ音であった。
そのままグンッ、と力を籠め、エリザベスはザ・ヒーローを上空に放り投げた。凄まじい勢いで後方に回転しながら頭上を舞うザ・ヒーローの様子は、まるで車輪のようであった。
回転を続けているザ・ヒーロー目掛けて、エリザベスはペルソナカードを射出させる。
目まぐるしく空と地上とを変転するザ・ヒーローの視界が、カードを放ったエリザベスの姿を認識する。
拙いと思い、急いで鞘からヒノカグツチを引き抜き、カード目掛けてタイミングよく振るった。運よく、その一発は弾き飛ばせた。
しかし、その運は果たして、どれ程まで続くのか。マシンガンの要領でエリザベスはカードを連射し、ザ・ヒーローを確実に仕留めようと動き始めたのだ。
ヒノカグツチを一振りする。十枚程のカードは弾く事が出来た。更に一振り、今度も十枚程だ。
回転運動をしていると言う現在状況の都合上、次が最後の一振りとなるだろう。それも、かなり悪足掻き気味の一撃だ。
此処でカードを全て弾けねば、カードの何枚かはザ・ヒーローを貫く。消耗は避けたい。
振う。音よりも速い速度で振るわれたヒノカグツチの剣身が、カードを七枚弾いた。五枚が、残った。
高度十m弱と言うところで、ザ・ヒーローの身体がエリザベスに背を向けるような形になり、カードが背部から前面へと、彼の身体を貫いた。
火箸を突っ込まれたような、熱を伴った鋭い痛み。勢いよく体中から血が噴き出る。
歯を食いしばりながら、ザ・ヒーローが背面から砂地に落下。倒れ込んだ。
エリザベスは、数秒程彼の様子を眺めた後で、一歩一歩、彼の方へと近付いて行く。
彼我の距離が、七m、六m、五m……。三m程になった、瞬間、バッ、とザ・ヒーローが立ち上がり、懐からベレッタを引き抜き、早撃ちを仕掛けた。
連続して鳴り響く、三発の銃声。それをエリザベスが、サイドステップを刻む事で回避する。
不意打ちは失敗したかと、ザ・ヒーローは歯噛みする。カードは確かに彼の身体を貫いたが、急所だけは見事に逸れていた。
偶然ではない。急所に向かって来るカードを集中的に、先程の三回の攻撃で狙って弾いたのだ。ダメージを受けてしまったが、それでも、行動不能に陥るよりはずっと良い。
砂地に落下したのだって、ザ・ヒーローは顎を引いて地面に後頭部を打たないようにする、と言う最低限の受け身を取っていた。
だがそれでも――エリザベスには届かない。その事実を、骨身にしみて認識せざるを得ないザ・ヒーローだった。
――COMPが使えれば……な――
ザ・ヒーローは一人で英雄になった訳ではない。その傍らには何時だって、誰かがいた。
ある時までは、袂を分かった親友二人がいた。ある時までは、自分の為について来てくれた少女がいた。
ある時までは、種族を越えて自分と共に友誼を分かち合い、戦ってくれた悪魔がいて。そして――終生自分の理想と共に殉じると誓ってくれた、パスカルがいた。
この青年は、英雄であると同時に悪魔召喚士(デビルサマナー)だった。この男の本質は、悪魔に対して適切な指示を飛ばし、
悪魔と同時に見事なコンビネーションを行う事であった。ハッキリ言えば、使役するべき悪魔のいないザ・ヒーローは、その力の半分近くを損なっている状態に等しいのだ。
必然、これではエリザベスに対して勝機が薄くなる。彼女と対等以上に渡り合いたいのなら、悪魔との連携は、必要不可欠だっただろう。
それでも、膝を折る訳には行かなかった。いや――違う。最早、膝を折れなかった。
ザ・ヒーローは……、ただの何処にでもいる人間だったこの英雄は、もう夢を諦めるには、遅すぎたのだ。
人類の平和を勝ち取る為に、肉を砕き骨を折り、悪魔を斬り伏せ天使を殺し、敵を葬り友を刺す。
英雄は、余りにも勝利を重ね過ぎた。来た道に屍の山を重ね過ぎた。来た道を戻ろうにも、別の道を模索しようにも、死体の大河がそれを許さない。
青年は夢を諦め、見切りをつける機会を完全に逸してしまっていた。転換点(ターニングポイント)など、最早この先に存在しなかった。
膝を折るのも、諦めるのも、遅すぎた。青年の小さな身体に寄せられた期待と、殺して来た者達の怨念が、青年に『英雄であると言う事』を強い続ける。
だから、勝ち続けるしかない。英雄として青年、ザ・ヒーローは、その名の通り、決して諦めず、不撓不屈の意思で勝利を重ね続ける英雄としての役割(ロール)を、演じ続けるしかないのだ。
「まだ、終れない」
その言葉が、どのような意味合いで出た言葉なのか、ザ・ヒーローは解らないだろう。
兎に角、エリザベスを相手に持ち堪えねば、と彼は判断した。自身が引き当てた、鋼の英雄にして、光の魔人。
クリストファー・ヴァルゼライドと連携を取らねば、この状況を切り抜けられる可能性はゼロだ。
自身の引き当てたサーヴァントは、何をしているのか。エリザベスを目で追いながら並行して、ヴァルゼライドの方に意識を向ける。
驚きに、目を見開かせた。当たり前である。
――自らの宝具である、黄金の星辰光を纏わせた刀を、背中から切っ先が貫通する勢いで、自らの腹に突き刺しているのだから。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人修羅の言葉の理解が、ヴァルゼライドは遅れた。
自身の真名が知られている、と言う事実は何の問題にもならない。何故この男は、自分に対して命令を下したのか。
それを考えた瞬間だった。我が意に反して、ガンマレイを纏わせたアダマンタイトの刀を握る右腕が、勝手に動き始めたのは。
事此処に来て、異常を認知したヴァルゼライド。肉体が有する行動力を凌駕する程の意志力で、腕の動きを抑えようとするが、全く意味がない。
ヴァルゼライドは知る由もなかったろうが、これこそが、令呪の感覚なのである。サーヴァントに対する行動力のブースト、
と言う意味合いも令呪には確かにあるが、それ以前に聖杯戦争に参加したマスターの令呪についての認識とは、絶対的な命令権である。
その権限は強大で、人智を逸した存在であるサーヴァントですら、本人の意思とは裏腹に、命令された内容に従わざるを得ない程だ。
しかも、ルーラーとして召喚された人修羅の令呪は、一般的なマスターが行使する令呪とは、一線を画する。
帝都の守護者としての側面を有して召喚された人修羅が行使する令呪は、此処<新宿>の聖杯戦争に馳せ参じたサーヴァントらのマスターが使う令呪よりも、ずっと強力なのだ。
それは、東京に必要以上の戦火と戦禍を撒かないように、坂東にましますやんごとなき神格、即ち将門公からの加護を受けているからこその効能である。
つまり人修羅の令呪の強力さは、帝都の守護者として努力する限り、公によって与えられる加護ありきのそれなのである。その強力さは凄まじく、一般的な参加者が行使する令呪二画分の効力を、人修羅の令呪は有している程と言えば、その恐ろしさが知れよう。
二画の令呪を用いた命令は、如何な対魔力を有したサーヴァントと言えども、逆らう事は不可能だ。
況してやヴァルゼライドは、対魔力を持たないサーヴァント。如何に彼が強靭なる意志を有していようとも、帝都の守護者の名代として人修羅が行使した令呪に、抗う事など不可能である。
「おおおおおぉおおおぉおぉおおぉっっ!!」
喉が削れる程叫ぼうが、止まらない。
ヴァルゼライドの意力を越えて、彼の右腕が動く。剣先が、彼の腹の方に照準を定めた。
刹那、ヴァルゼライドはそのまま、自らの腹に、ガンマレイを纏わせた刀を突き刺した。
腹筋に刀が埋もれたのは、ほんの百分の一秒程。直に剣先が、肋骨の一本を破壊して、背中を突き破った事を彼は知った。
不思議と痛みがない――と思ったのは、一瞬の錯覚だった。直に、全身の細胞が炭酸の泡の如くに弾けて行く感覚を憶え、その後に、言外出来ぬ程の激痛が走った。
血液どころか、全身の筋肉が沸騰するが如き熱量が、腹部を中心に伝播して行く。瞳が紅く染まる。血が頭まで昇って来た為だ。
そしてそのまま、体中の血液を全て吐き出したと思わんばかりの、大量の血液を口から吐き出して、ヴァルゼライドは地面に膝を付いた。
生前自身が、あらゆる悪を打ち滅ぼさんと放って来た裁きの光の。
此処<新宿>で、あらゆる強敵を薙ぎ払わんと放って来た平定の爆熱の、その威力。
人類の平等と平和の為に、悪そのものを消し滅ぼしたいと願った末に獲得したヴァルゼライドの星辰光は、正しく、その担い手であるヴァルゼライド自身をも裁く程の、凄まじい威力であった。
「終わりだ」
無感動に、人修羅がそう告げた。
――だが
「いいや――」
絶対に口にしない筈の。いや、絶対に言葉を口にしてはいけない筈の人物から、言葉が漏れた。
「まだだァッ!!」
.
そう叫びヴァルゼライドは、腹筋に自ら突き刺した黄金刀を引き抜き、人修羅の方に走って行った。
恐ろしいまでの走力だった。人類種には到底出せる筈のない時速数百㎞にも達する程のスピードで、混沌王の方へと一直線に彼は向かって行き、接近。
そして、主に死を齎さんと叛逆した己の右腕と、その手に握るアダマンタイト刀に、自らの意思と言う手綱をかけ、その腕を動かした!!
心臓目掛けて、黄金色に激発する刀で刺突を行おうとするヴァルゼライド。
人修羅は、その刺突の余りの速度に反応が遅れた。いや、正確に言えば、平時の人修羅ならば反応が出来る速度であった。
平時ならば、回避も防御も思いのままだった筈なのに、何故この状況で、反応が鈍ったのか。
『最後にヴァルゼライドが見せた攻撃の速度よりも、明らかに攻撃の速度が跳ね上がっていた』からだ。明らかに、攻撃速度が倍になっている。
その攻撃の余りのトップスピード差故に、人修羅の感覚は狂わせられた。そのスピード差に思考が漂白されてしまったのだ。
回避は最早間に合わない。ならば、と人修羅は覚悟を決めた。
己の右手を動かし、刺突の軌道上にそれを配置した。紙の様に、人修羅の肉体をヴァルゼライドの光剣が貫いた。
細胞の一つ一つを鑢で磨り潰されるような痛みと、溶けた鉛を痛覚に直に浴びせられるような熱痛が人修羅の腕から体中に伝播して行く。
何たる、痛みだろうか。超常存在である悪魔であろうとも、この痛みを浴びせられれば、下手に生きるよりも死を選ぶであろう。
昔の柔弱な人修羅ならばその選択を選んでいただろうが、今の彼は、違った。
人修羅の右掌を、ヴァルゼライドの振う刀はその剣身の中頃まで貫いていた。それ以上は、如何に力を込めても動かせない。
人修羅が、その筋肉を強く収縮させ、それ以上ヴァルゼライドが刀を動かせないようにしていたからだ。
「何故、生きている……ッ!!」
人修羅としては、そう言わざるを得ないだろう。
彼は未だに、ヴァルゼライドの振う星辰光の正体が放射線のそれである事に気付いていない。
気付いていないが、直感と培った戦闘経験で、その光が触れようものなら生命体に死を齎す毒の光である事だけは理解していた。
何故、その光を受けて、この男は無事でいられるのか。何故、その光を身体に突き刺しておいて、この男は、動けるのか。
自分ですらこれ程のダメージを憶える程の光、並の英霊がそれを受けて、無事でいられる筈がないのに。
「俺には背負っている物がある。簡単に言外出来るものから、言葉で表象出来ぬものまで、全て一身に受けて、俺はその身体を動かしている。そう簡単に、死んでいられる筈がない」
生前自分が統治していた、軍事帝国アドラーの民の幸福の為。確かにそれはその通りだ。
自分が勝ち続ける事で民が笑顔になり、自分が善政を敷く事で彼らの生活が豊かになり幸せになると言うのなら、彼はその為に身を粉にして働こう。
だがそれ以上に、ヴァルゼライドは、人間の総意を全て背負っていると言う気違い染みた自意識過剰さが存在した。
彼は何処までも、人類種の為の英霊だった。いや、より正確に言えば、『自分以外の』人類種の為の英霊だった。
この男の夢の世界観には、自分自身が存在しないのだ。世界中から悪と涙とを根絶やしにし、世界中の人々に幸福と笑顔を与えんが為、刀を振るい続ける。
それがクリストファー・ヴァルゼライドと言う男だが、彼が異常なのは、その夢の達成に、自分の利益が何にも含まれていないと言う事だった。
英雄譚や叙事詩の中に語られる、非の打ち所のない英雄猛将だって、結局は、金や名誉、人々の憧憬を受けたい、と言う思いが心の何処かであった筈なのだ。
この男にはそれがない。この男は義務の延長線上として勝利を重ね続け、義務の延長線上として人々の為に刀を振るい続ける。それが常態化していた。
だから、この男は異常なのだ。その性格と性根は何処までも独善的で利己的なのに、そんな彼が叶えようとする夢に、欲望と承認欲求とを満たすと言う事を求めていない。
世界中の人々に笑顔と幸福を、と願うその英霊の夢にはただ一人。『クリストファー・ヴァルゼライドだけが仲間外れ』であった。だからこそこの男は――同種の人間は愚か、悪魔ですら畏怖させる程の、異常者なのだ。
「そして、もう一つ――」
更にヴァルゼライドは、言葉を続けた。
「貴様はこの俺が、自分自身の宝具で死ぬ阿呆に見えたかよッ!!」
ヴァルゼライドの宝具は、生前受けた改造出術の賜物とも言うべきそれであるが、彼の場合それは更に特別で、
ただでさえ危険な改造手術に更に二重三重の改造手術を受けて、己の力と星辰光を更に底上げさせているのだ。
改造手術に改造手術を重ねるのは危険な処置で、手術と、術後の負担に耐えられる人間は通常存在しないのだが、彼はこれを『気合と根性』で耐えていた。
自分自身の身体と寿命を担保に手に入れた、世界の未来を切り開く為の強さ。それこそが、ヴァルゼライドの宝具、天霆の轟く地平に、闇はなく(Gamma・ray Keraunos)なのだ。
人々の夢と幸福の成就を成さんが為に手に入れた、己自身の武器を逆手に取られて、死ぬ訳には行かない。
その自意識こそが、放射線による激痛と確かな肉体的ダメージを超越して、ヴァルゼライドの肉体を動かしていた。
「……やっぱお前は、馬鹿なんだろうな」
自分の右掌に突き刺させていた、ヴァルゼライドの刀に、人修羅は力を込める
グッ、と、刀に右の掌を貫かれていると言う状況下で、この混沌の悪魔は右手に力を込めて、握り拳を作った。
凄まじい力が手に収束するや、ベキンッ、と言う乾いた音を立ててアダマンタイトの刀が圧し折れた。
其処で漸く、自分の意思で右腕を動かせるようになった人修羅は、ブンッと右腕を動かして、右掌に突き刺さっていた折れた刀の刀身を放り投げた。
だがすぐに、ヴァルゼライドは空いていた左手で刀の一本を鞘から引き抜き、即座にガンマレイを纏わせる。
残像を生み出す程のスピードで、人修羅はヴァルゼライドから遠ざかった。二十m程、彼我の距離は離された。
「オオオォオオォオォォォッ!!!」
肺腑に溜まった空気を全て大音声に置換しながら、ヴァルゼライドが叫ぶ。
身体が破裂せんばかりの気合を込めて、刀を握った左腕を振い、渾身のガンマレイを、人修羅目掛けて放った。
悪魔、死すべし。その意気を極光の激発と言う現象で表しながら、放射能光の光柱は彼の方へと向かって行く。
「シィッ!!」
だが人修羅の方は、距離を離し終えたと同時に、右脚全体に、菫色の魔力を纏わせ迸らせていた。
その状態で、右脚によるソバットを放った瞬間だった。纏わせた魔力の色と同じ、菫色の魔力の奔流が、ヴァルゼライドの方目掛けて火砕流めいた勢いで向かって行ったのは。
所謂『ジャベリンレイン』と呼ばれる技であるが、人修羅の放つそれは普通の悪魔が放つそれとは違い特別なそれで、威力も効果範囲も、段違いの代物。
素で対城宝具にも匹敵する破壊力を秘めた悪魔の技が今、ヴァルゼライドの魂ごと粉砕せんと行軍する。
亜光速にも達する爆光の柱と、砂地と岩地を発泡スチロールの様に破砕させながら迫る魔力の激流が、激突した。
鼓膜が破れんばかりの形容不可能な大音と、天すら砕く程の衝撃が、地面と空気とを伝わった。
否――比喩でも何でもなく、両者の攻撃の激突が生んだ衝撃波は、天と地平線とを粉々にした。
余りの威力の攻撃とが激突した為に、閉鎖空間がその衝撃波に耐えられなくなり、破壊されてしまったのである。
灰色の空は一瞬で、文字通り灰の様な粉塵となり吹き飛んだ。地平線を構成する空間は秒と待たずに、視認不可能な程の細やかな粒子となった。
そうして現れたのは、元の貧相な、<新宿>衛生病院の廃れたロビーの風景であった。
攻撃どうしの衝突が生んだ衝撃波は、閉鎖空間を破壊するだけには飽き足らず、閉鎖空間を展開していた元の空間である病院ロビーを破壊。
天井は照明類ごと崩落し、壁は砂糖菓子の様に破壊され、床は旱魃の後の地面の様に亀裂が走る。一つの閉じた世界である閉鎖空間を完膚なきまでに粉砕し尽くして尚、その暴威の消える事のない、恐るべき、両者の攻撃の威力よ。
そしてその攻撃の激突は、マスター達にも影響を与えていた。
自身のサーヴァント達が放った強大な一撃のぶつかり合いに、攻撃の応酬を彼らは中断。
それを行った瞬間に、彼らは激突の生んだ衝撃波に、吹っ飛ばされたのだ。
エリザベスと、ザ・ヒーロー。片や人類種を超越した強さの力を管理する者。片や人類種の限界点の更に限界に位置する、市井の生んだ英雄。
彼らであろうとも一切の抵抗を許さずロビーから吹き飛ばされてしまう程の、衝撃波の威力であった。
エリザベスとザ・ヒーローは、壁を何枚も打ち破ってロビーから消え失せてしまった。
ガラッ、と、天井から瓦礫が一つ崩落する音がロビーに響いた。
元から荒廃の体を成していた衛生病院のロビーは、最早元がどのような部屋だったのか判別がつかない程荒れ果てていた。
地面を埋め尽くす瓦礫、崩落した壁や天井。まるで内紛の激戦地の最中に建てられた建物宛らであった。
「ルーラー!!」
エリザベスの復帰は速かった。
と言うより、壁が破壊される程の勢いで叩きつけられても、さしたるダメージも受けた様子がないらしく、急いで、自身が吹っ飛ばされた方向の壁を通ってロビーへと現れた。
この男は、殺されねばならない。人修羅はヴァルゼライドを睨みつけながらそう考えた。放置を決め込むには、余りにも危険過ぎる男だ。
今は、閉鎖空間を展開する時間をも惜しい。可能な限り破壊規模をこの病院のみに止めつつ、この男の五体を粉々に砕く。
そう思い、人修羅が走った。先程ヴァルゼライドの、ガンマレイを纏わせた刀に貫かれた右手で握り拳を作る。
鋼の英雄もまた、混沌王の方へと走って行く。この強大な悪魔を斬り捨てんと、アダマンタイトの刀を中段から振い出す。
拳と刀。それらが衝突するかと思ったその瞬間――。
人修羅の拳は、空を切った。殴打の勢いが生んだ衝撃波が、床の瓦礫を更に粉々に粉砕させ、更に床にクレーターを生み出した。
フェイントか、と思ったのは本当に短い一瞬の事。本来右拳とぶつかる筈だった刀どころか、それを振うヴァルゼライドすら影も形も見当たらないのだ。
まさか空間転移の類かと思ったが、すぐに違うと判断した。あれは明らかに、魔術を使えないタイプであったのだから。
……いや。空間転移の類なのは、代わりないだろう。未だこの場に現れない、ヴァルゼライドのマスターを見るに、答えは一つであるらしかった。
「令呪、でしょうね」
エリザベスが人修羅の右手に手を当て、彼の傷を検分しながらそう言った。
「逃げられたか」
令呪を以て、ヴァルゼライドは空間転移で逃げ果せた、と言う事なのだろう。
それが正しい判断なのかどうかは結果をみなければ何とも言えないが、これ以上の消耗を防ぐ、と言う点では正解以外の何物でもないだろう。
人修羅の攻撃の効果範囲は極めて大きい。帝都の守護者として、自分から東京の一部である<新宿>を破壊させられない人修羅にとって、市街地で自ら打って出て戦う等、
出来る筈がない。そう言う意味で、病院の外に逃げる、という選択は、成程。確かに理に叶っている。
どちらにせよ、あの主従は早い所対策を打たねばならないだろう。
そんな事を考えていると、エリザベスは、場違いな程頓狂な口調で、「まぁ、酷い傷」と口にしていた。
そう言って彼女は、ペルソナを回復に優れたそれに装備し直し、人修羅の傷の治療に当たり始めた。その甲斐甲斐しさは、元の世界の相棒である、ピクシーの事を、何だか思い出す人修羅であった。
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「何故俺を戦わせなかった!!」
ザ・ヒーローの下に現れるなり、ヴァルゼライドは激昂した。
怒気、と言う物を可視化させる事が出来るのであれば、きっと彼は、後光の代わりに、極熱を纏った黄金色の閃光を背中から放出していたに相違あるまい。
それ程までの、激しい怒りぶりであった。
「あのまま行けば、貴方も僕も、危なかったからだ」
憮然とした態度で、ザ・ヒーローが答える。ヴァルゼライドの怒気を当てられてもこの青年は、臆した様子も見せなかった。
「あのまま戦っていれば、俺は勝っていた!!」
「僕にはそうには見えなかった!!」
ザ・ヒーローが叫ぶ。此処は強く出なければ向こうは納得しないだろう。そう言う打算もあった事は事実だが、今の彼は少し感情的なきらいがあった。
ガンマレイとジャベリンレインの衝突で生んだ衝撃波は閉鎖空間を破壊した事は事実だ
あの時ザ・ヒーローは、ヒノカグツチで衝撃波を防ぐと言う行為が間に合っていた。間に合って居ながら、何故彼は壁を打ち抜いてまで吹っ飛ばされる真似事をしたのか。
それは簡単で、あの場から逃走をする為であったのだ。現状、あのサーヴァントらに勝てる手段は、殆どゼロだと、彼は判断していた。
自分の攻撃は全くエリザベスに通じず、ヴァルゼライドの方も命を削らなければ有効打を打てない始末。だからこそ、あの場から距離を離す機会を窺っていた。
それが、思ってもよらぬ形で訪れた為、ザ・ヒーローはそれを利用したのである。其処から急いで病院から外に出、人修羅達から距離を取り、
飯田橋駅から近いマンションの屋上まで移動した後で、ヴァルゼライドを令呪で呼び寄せたのだ。
「いや……そのまま行けば、貴方があのルーラーを相手に勝利していたかもしれないだろう。だが、この聖杯戦争は消耗戦だ。如何に貴方が、聖杯戦争に参加したサーヴァント全員と戦って回っても無事とは言え、悪戯に消耗するのは、得策じゃないだろう」
ヴァルゼライドが自分の選択を良しとしない事位、ザ・ヒーローとて理解していた。
解っていて尚、その様な行為を行ったのか。それは簡単な話で、余りにもヴァルゼライドが、人修羅一体にダメージを負い過ぎてしまっていたからだ。
この主従は聖杯と言う物を欲している。聖杯を手に入れると言う目的の都合上、多くの主従と戦う事になるのは必然的なものである。
当然、消耗は少なければ少ない程良い。タカジョーやバージルとの戦いは、まだ魔力で回復出来るレベルの傷だったから良かったものの、
今回のそれは明らかにその限度を超える程のダメージになりそうだった。ヴァルゼライドは此処<新宿>における、ザ・ヒーローのパートナーであり、
使役する悪魔にも等しい存在なのだ。しかもこのサーヴァントは、替えが効かない。大胆に、そして慎重に扱う必要がある。
日数が経過してから一日と経っていないのに、消滅一歩手前まで、そんな切札を酷使する事は、優れた悪魔召喚士として、到底許容出来る選択肢ではあり得なかったのだ。
「……そうか」
其処でヴァルゼライドは、声のトーンを落とし、発散させていた怒気を直に霧散させ、一息吐いた。
刀に纏わせていたガンマレイの黄金光を消し、鞘にそれを収めた。
「マスターに罪がない事は解っている。お前は、お前なりの判断の規矩で物事を考え、結果、あの状況をそのまま推移させる事が危険だと考えたのだろう」
「そうだ」
「俺は一人の男としてお前に敬意を表しているし、認めてもいる。それは、お前が令呪と言う命令権を有したマスターだから認めているのではない。本心からそう思っている」
「それ故に――」
「俺は、自身が不甲斐ない」
目を瞑り、ヴァルゼライドは述懐する。
「何故そう思う」
「マスターと認めた男に、危機感を憶えさせるような戦いをして見せた自分が情けないのだよ」
放射能光に汚染された身体が、血液をせり上がらせる。ペッ、とそれを吐き捨ててから、ヴァルゼライドは言った。
「お前の言う通りだ。あのまま戦っていれば、俺はあのルーラーに勝利していた。だが、お前にはそうは見えなかった。それが問題なのだ」
「つまり、どう言う事だ」
「勝利を得るまでの過程を、俺は余りにも醜く演じ過ぎた。言い訳をするつもりもないが、あのサーヴァントは掛け値なしの強敵だった。
苦戦するのも当然だが、それは、言い訳にはならない。俺は戦う以上、絶対に勝利を獲得せねばならなかった。無論、華麗な戦い方で勝利を得よとは俺も思わない。
だが、様になる戦い方はしなければならない。俺は、あの戦いでそれが出来なかった。故に、お前に要らぬ不安感を撒いてしまった」
ヴァルゼライドは本心から、あのルーラーに勝てると思ってたらしく、しかも、マスターであるザ・ヒーローに、
安心感を与える戦い方を見せられなかった事を、心の底から恥じているらしかった。その碧眼に、強い後悔と、自責、そして、自噴の念が渦巻いている事を、ザ・ヒーローは見逃さなかった。
「客観的に見て、あの戦いは敗北だ。俺自身もそう思っているし、マスター自身にもそう思われているのならば、反論のしようも無い」
其処で、ザ・ヒーローを睨みつけるような鋭い目線を、彼に投げかけて。ヴァルゼライドは言葉を続けた。
「だが、次は勝つ。その事を誓おう。この、身体の痛みに掛けて」
そう言ってヴァルゼライドは、自らの腹部に目線を向けた。
ガンマレイを纏わせた刀に貫かれた傷は、詳しく見聞していないが、きっと、衣服を脱げば、惨憺たる様相を示す事は間違いない。
「その令呪は、余り使わないでおけ。我々の切り札になるのだからな」
そう言ってヴァルゼライドは、ザ・ヒーローの右手甲に刻まれた令呪に注目して、そう言った。
彼の令呪は、一つの天秤に二振りの西洋剣がばってん状に交差していると言う意匠になっており、現在、右側の剣が消失している形となっていた。
「今後の予定は如何する、マスター」
「君の傷が癒えるまで、待とう。君も刀を随分失っただろう。それの修復も兼ねる」
「別段俺はまだ動くに支障はないが、解った。従おう」
超高濃度の放射線に汚染されてなおこの発言であると言うのだから、恐れ入ると言う他がない。この男には、インターバルと言う概念が全く存在しないらしい
霊体化を行い、自らの身体の修復に当たろうとするヴァルゼライド。それと同時に、ザ・ヒーローは空を見上げた。
日が、高く昇っている。まだまだ一日は、長く続きそうなのであった。
【早稲田、神楽坂方面(飯田橋近辺のマンション屋上)/1日目 午前11:30】
【ザ・ヒーロー@真・女神転生】
[状態]肉体的損傷(中)、魔力消費(中)
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]ヒノカグツチ、ベレッタ92F
[道具]ハンドベルコンピュータ
[所持金]学生相応
[思考・状況]
基本行動方針:勝利する。
1.一切の容赦はしない。全てのマスターとサーヴァントを殲滅する。
2.遠坂凛及びセリュー・ユビキタスの早急な討伐。また彼女らに接近する他の主従の掃討。
3.翼のマスター(桜咲刹那)を追撃する。
4.ルーラー達への対策
[備考]
・桜咲刹那と交戦しました。睦月、刹那をマスターと認識しました。
・ビースト(ケルベロス)をケルベロスもしくはそれと関連深い悪魔、ランサー(高城絶斗)をベルゼブブの転生体であると推理しています。ケルベロスがパスカルであることには一切気付いていません。
・雪村あかりとそのサーヴァントであるアーチャー(バージル)の存在を認識しました
・マーガレットとアサシン(浪蘭幻十)の存在を認識しましたが、彼らが何者なのかは知りません
・ルーラーと敵対してしまったと考えています
【バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)@シルヴァリオ ヴェンデッタ】
[状態]肉体的損傷(極大)、魔力消費(中)、霊核損傷(中)、放射能残留による肉体の内部破壊(極大)、全身に放射能による激痛(気合で耐えている)、全身に炎によるダメージ(現在軽度)、幻影剣による内臓損傷(現在軽度)、右腕の火傷(現在軽度)、
[装備]星辰光発動媒体である七本の日本刀(現在三本破壊状態。宝具でない為時間経過で修復可)
[道具]なし
[所持金]マスターに依拠
[思考・状況]
基本行動方針:勝つのは俺だ。
1.あらゆる敵を打ち砕く
2.例えルーラーであろうともだ
[備考]
・ビースト(ケルベロス)、ランサー(高城絶斗)と交戦しました。睦月、刹那をマスターであると認識しました。
・ ザ・ヒーローの推理により、ビースト(ケルベロス)をケルベロスもしくはそれと関連深い悪魔、ランサー(高城絶斗)をベルゼブブの転生体であると認識しています。
・ガンマレイを1回公園に、2回空に向かってぶっ放しました。割と目立ってるかもしれません。
・マーガレットと彼女の従えるアサシン(浪蘭幻十)の存在を認知しましたが、マスター同様何者なのかは知りません
・早稲田鶴巻町に存在する公園とその周囲が完膚無きまでに破壊し尽くされました、放射能が残留しているので普通の人は近寄らないほうがいいと思います
・早稲田鶴巻町の某公園から離れた、バージルと交戦したマンション街の道路が完膚なきまでに破壊されました。放射能が残留しているので普通の人は近寄らない方がいいと思います
・新小川町周辺の住宅街の一角が、完膚なきまでに破壊されました。放射能が残留しているので普通の人は近寄らない方がいいと思います。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
黙々と、ロビーに散らばる瓦礫を片付ける二人がいた。
一人は体中に入れ墨を刻んだ青年であり、ハーフパンツに上半身裸と、実にラフな格好を彼はしていた。
もう一人は銀髪の美女とも言うべき女性で、特徴的な青い衣服を身に纏っており、一目見れば二十kg以上の荷物など到底持てそうもない、華奢そうな外見をしていた。
なのに彼女は、苦も無く重さ六十kg超もある瓦礫を片手で持ち上げ、隅っこまで運搬していた。青年の方も青年の方で、二百kgはありそうな弩級の瓦礫を軽々持ち上げ、軽く四隅に放り投げてどかしている。
まさかロビーの掃除をしているこの二人が、<新宿>聖杯のルーラー一同であるなどとは、聖杯戦争参加者の誰に言っても信じて貰えまい。
片やサーヴァントに匹敵する実力を持った、力を管理する者。片や大いなる意思に反旗を翻した、混沌王の名を冠する大悪魔。
それが、こんな地味な雑務をこなしているのだ。二人が何者なのか、と言う事情を知っている者であれば、その驚きは更に高まる事であろう。
ロビーが散らかっていると落ち着かないと言う理由で、最低限の掃除を提言したのはエリザベスの方だった。
人目が付くから、早く地下室にでも戻ろうと人修羅も反論したが、傷を治してくれた手前もある。結局彼は、彼女に従う事にしたのだ。
近い内この病院には、騒ぎを聞きつけて多くの人間がやって来る事であろう。出来るのならば、その前に掃除は終わらせておきたかった。
「混沌王ともあろう御方が、埃臭い雑務を行ってるものね」
大人びた、艶のある女性の声が聞えて来た。
ツカツカと、瓦礫を粗方片付け終えたリノリウムの床を、ハイヒールが叩く音がロビーによく響く。
エリザベスも人修羅も、同時にその女性の声の方に顔を向けた。敵意はどちらも有していない。何故ならば、この声の正体が何者であるか、彼らは理解しているから。
ケアをよく行っているのだろう、艶も見事な黒髪をポンパドールに纏めた、妖艶な女性であった。
格調高い黒のスーツを身に纏っているが、何処となく、妖しげな笑みを浮かべるその姿と相まって、淫猥な様子を見る者に想起させる。
それに、身体から発散させるその妖気よ。市井の中を活動する時は極限までそれを隠しているのだろうが、人修羅達にそれを隠していても無駄だと、
女性の方も解っているのだろう。余す事無く、その妖気を身体から彼女は醸し出していた。
「――『リリス』か。何の用だ。雑務を手伝いに来てくれたのか?」
「冗談は止して下さいませ。それと、此処<新宿>での私は、百合子(ゆりこ)よ」
ヒールを鳴らしながらリリス――いや、ゆりこは人修羅達の方に近付いて行く。
リリス――彼のアダムの、イヴ以前の最初の婚約者であった筈の存在だが、神から直々にその恋を破談にされ楽園たるエデンを追放された悪魔。
その後彼女は楽園の外に蔓延っていたあらゆる生物と交わり、悪魔を地上に産みだし解き放ったと言う伝承が伝わっている。
そう、彼女は、夜魔と呼ばれる悪魔達の頂点に近しい存在であり、誰もが認める最上位の悪魔の一柱なのだ。
何故、それ程の大物が、此処<新宿>に人間に扮してやって来ているのか? 彼女こそが、ルーラーとしての資質を欠く人修羅のサポートの為にルシファーが遣わした、最上位悪魔の一人なのだ。
「私の方から逆に聞きたいけれど、この病院の惨状は何かしら? 早速、貴方達の目論見が露見したとでも?」
「それに近しい、とだけは言っておきましょう。私の目的をほぼ全て理解している身内が参加していました」
「その参加者が、此処に?」
「それだけで住んだのならば、まだ良かった。騒ぎを聞きつけて、別の主従がやって来た。それと交戦した結果、こうなった」
「ルーラーと解ってて貴方達と戦ったの? どうしようもない馬鹿ね、その主従は。どんな教育をされて来たのかしら。」
ほとほと呆れた様子で、百合子が溜息を吐いた。そして同時に、この混沌王達の幸先の悪さに、同情しているようにすら見える。
「それより、リリス……、いえ百合子。定時に聖杯戦争の報告をしに来る貴方達が、何故時間外に此処に?」
「私としても此処に来るつもりはなかったんだけれども、どうしても伝えなくてはならない事が出来てしまったのよ」
「話せ」
威圧的に人修羅が言葉を続けさせようとする。
「聖杯戦争に参加している主従の一組に、クリストファー・ヴァルゼライドと言う真名のバーサーカーを従えるマスターがいるのだけれど――」
その言葉に反応したのは、人修羅だった。
「……その主従だ。この病院で大層暴れたのはな」
驚きに目を見開かせるのは、百合子の方だった。この展開は彼女としても予想外だったらしく、数秒、言葉を失っていた。
「私が……、他の主従の監視に行っている間、まさか彼らがそんな事をしていた何て」
「お前のその語調。まるであいつらにだけお前が執心している様にしか俺には聞こえないが、何があった」
「別に、何でもないわ。報告したいのは、その主従の暴れ振りよ。既にあの主従は、早稲田鶴巻町で派手に破壊をばら撒いていたの」
「だろうな。あの馬鹿さ加減だ。容易に想像が出来る」
「問題は、彼らが暴れた後には、必ず、高濃度の放射線がその場に滞留している、と言う事なのよ」
人修羅の表情が無表情のまま硬直したのは、三秒程の間だった。
直に、胃の中に大量の小石か砂利でも詰め込まれたような、重苦しい溜息を吐いて、彼は顔を抑えた。
「……放射線だったか。成程、俺の身体が痛い筈だな」
「直撃したのかしら? それで無事なのだから、流石に混沌王ね」
百合子の世辞を、人修羅は聞き流していた。今彼は、放射線を振り撒くバーサーカー、ヴァルゼライドの事を考えていた。
高位悪魔の肉体は頑丈を極る為に、それ自体は珍しくないが、問題はあのヴァルゼライド自身だ。
あの男は間違いなく、超高濃度の放射線その物とも言うべき、あの黄金色の死光を纏わせた刀を自らの腹に突き立たせたにもかかわらず、まだ行動を続けていたぐらいだ。本当にあれは、人間なのかと疑いたくなるのも、無理からぬ事であった。
「それよりも、ルーラー。如何致しましょう。このままでは貴方は、公からの大目玉は不可避の物かと思われますが」
「言うな止めろ。俺も考えたくない」
ただでさえあの度が過ぎた破壊力の光柱に、高濃度放射線が含まれていると言うのならば、堪った物ではない。
それよりもそもそも、そんな、周囲に重大な影響を与える宝具を、息を吸うように連発する、あの主従の精神性が全く理解不能だった。
あのバーサーカーは背負っている物が自分にはあると言っていたが、それならば先ずお前が責任を背負って欲しいと今すぐにでも彼らの前に現れて言い放ちたくなる。
「報告したい事柄は以上よ。早めにこの事は知らせた方が良いと思ってね」
「解った。下がって良いぞ」
「言われるまでもなく」
人修羅とエリザベスが、全く同じタイミングでまばたきをする。その瞬間には百合子は、彼らの視界から消えていた。
溜息を再び吐き出す人修羅。ドンマイとでも言うようにその肩を叩くエリザベス。
「……今は別の事を考えよう。マスター。お前としては、如何するつもりだ」
「と言いますと……」
「お前の姉の事だ」
目を瞑り、彼女は考え込む。十秒程考え込んでから、彼女は口を開いた。
「私達に反旗を翻したのですから、何かしらの処罰は下すべきなのかも知れません」
「それが普通だろうな」
「……ですが同時に、姉上とは、私自身が決着をつけたいと思っているのです」
「贅沢だな。言うだろう、二兎追う者は一兎も得ずと。有里湊と蘇らせたいのか、決着をつけたいのか、どちらかを選べ」
「どちらも選びたいのです、私は」
頑迷としか言いようのない態度で、エリザベスが反論する。
「姉上が、何処の誰とも知らない主従に斃されると言う事に、私は耐えられません。あの方は、私自身が決着をつけねばならない、最大の壁なのです」
エリザベスと言う女性にとって、マーガレットは強さの目標であった女性でもあり、憧れでもあった女性だった。
例え決別したとて、その思いには代わりはない。その彼女が、自分の目的を強く認識し、自身に敵対してくれている。
その事実を、エリザベスは嬉しく思っていた。マーガレットは、エリザベスの願いを叶える道に立ちはだかる、最大の強敵だ。打ち倒されるべき魔王だ。
マーガレットとの決着は、エリザベス自身がけじめをつけねばならない。他のどの参加者よりも、エリザベスはマーガレットの事を意識していた。
そのマーガレットが、他の主従につまらぬ方法で殺されようものならば。それはエリザベスにとって、堪らない後悔と口惜しさになるであろう。
「俺は別に、お前があの女と決着をつけようがつけまいが、どちらでも良い。ただ、それでお前の願いが台無しになったら、全く面白くないだろうよ」
「そうならないように、努力をするつもりです」
力強く、エリザベスが言い返した。これ以上彼女に心変わりは期待出来ないと思った人修羅は、其処で折れた。
変に頑固な所があるとは人修羅自身も思っていたが、此処までとは思っていなかった。尤も、それが見限る決定的な原因、とはならないのだが。
「ヴァルゼライドの主従達についてだが」
「彼らは貴方も知っての通り、とても強い主従でした。あのバーサーカーもそうでしたが、貴方も視界の端で見えていたでしょう。あのマスターの強さを」
「見た。明らかに、戦い慣れた……と言うより、戦いに慣れ過ぎた動きだったな」
ヴァルゼライドと死闘を演じる傍ら、人修羅はしっかりと、彼のマスターであるザ・ヒーローの戦いぶりを目にしていたのだ。
エリザベスと渡り合っていると言う事実だけでも、人修羅を驚かせるに足る要素だった。
特に一番驚いたのは、ザ・ヒーローの振るっていた剣で、あれは確か、ヒノカグツチと呼ばれる、記紀神話でも著名な、イザナミの股座から生まれた炎神の力を宿した神剣だ。
となればあの男が、悪魔とのコネクションを持った何者かである事は確実だった。もしも、だが。あの男が手練の悪魔を複数引き連れて戦っていたら、
エリザベスとて、不覚を取っていたかも知れなかった。人修羅はザ・ヒーローの強さを、この程度まで見積もっていた。
「強い主従ではありましたし、戦っていて心躍ったのも事実ですが……。今は、彼よりも優先すべき事柄が多いですので」
「つまり、あの二人の処遇は、俺に任せても良いと言う事だな?」
「えぇ、御随意に致します」
「そうか、良く言ってくれた。急いで対策を練らねばならんと思っていた所だ」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、人修羅は口早にそう言った。
如何やらかなり鶏冠に来ているらしいと。エリザベスは、彼の様子を見て、そんな事を思うのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――ルーラー及び、<新宿>の管理運営者からの通達・報告。
ただ今の日付時刻、『7月15日金曜日正午12:00時』を以て、緊急の討伐クエスト発布の連絡をさせて頂きます。
本日深夜0:00に発布致しました二つのクエストに追加する形になります。なお報酬の方は、先の二つと同様、令呪一画とさせていただきます。
追加されたクエストは、以下の通りとなります。
現在の討伐クエストに、新しいクエストが一つ追加されました。
③:ザ・ヒーロー及びクリストファー・ヴァルゼライドの討伐
討伐事由:<新宿>の著しい環境破壊、放射線散布、主催者に対する反逆行為
開示情報:ザ・ヒーローとクリストファー・ヴァルゼライドの素顔、及びサーヴァント側のステータス、及びスキル、宝具考察を追加いたしました
#region
極めて高い戦闘続行能力と、平均的なステータスを補う程の圧倒的な武術練度。
そして、多少の恐怖や戦力的不利など全く意に介さない勇気を併せ持った、優れたサーヴァントです。
バーサーカーとは言いますが狂化している訳ではなく、言葉を交わす事も可能です。但し、その思考はかなり固定化されており、話は先ず通じない物と思って下さい。
またその宝具の一つに、極めて高い放射線を内包した光の柱を超高速で放つと言う物が確認されており、直撃すれば良くて霊核の損壊。
最悪、一切の抵抗も許さず消滅する事も考えられます。これらの情報を元に、戦略を練るようお願いいたします
#endregion
備考:主従共に生死は問いません
.
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――相当頭に来てたんでしょうね……――
目を瞑り、眉間にしわを寄せて考え込んでいる人修羅の様子を見て、エリザベスはそんな事を推理するのであった。
【早稲田、神楽坂方面(???)/1日目 午後12:10分】
【マーガレット@PERSONA4】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]青色のスーツ
[道具]ペルソナ全書
[所持金]凄まじい大金持ち
[思考・状況]
基本行動方針:エリザベスを止める
1.エリザベスとの決着
2.浪蘭幻十との縁切り
[備考]
・浪蘭幻十と早く関係を切りたいと思っています
・<新宿>の聖杯戦争主催者を理解しています。が、エリザベスの引き当てたサーヴァントが何者なのか理解しました
・バーサーカー(ヴァルゼライド)とザ・ヒーローの主従を認識しました
・現在早稲田、神楽坂エリアの何処かを移動しています
【アサシン(浪蘭幻十)@魔界都市ブルース 魔王伝】
[状態]健康
[装備]黒いインバネスコート
[道具]チタン妖糸を体内を含めた身体の様々な部位に
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:<新宿>聖杯戦争の主催者の殺害
1.せつらとの決着
[備考]
・北上&モデルマン(アレックス)の主従と交戦しました
・交戦場所には、戦った形跡がしっかりと残されています(車体の溶けた自動車、北上の部屋の騒動)
・バーサーカー(ヴァルゼライド)とザ・ヒーローの主従を認識しました
・現在早稲田、神楽坂エリアの何処かを移動しています
【エリザベス@PERSONA3】
[状態]健康
[令呪]残り???画
[契約者の鍵]有
[装備]青色のスーツ
[道具]ペルソナ全書
[所持金]凄まじい大金持ち
[思考・状況]
基本行動方針:有里湊の復活
1.マーガレットとの決着
2.湊様……
[備考]
・拠点は早稲田、神楽坂方面の新小川町を所在地とする<新宿>衛生病院です
【ルーラー(人修羅)@真・女神転生Ⅲノクターン マニアクス】
[状態]放射能残留による肉体の内部破壊(現在治療により回復)、全身に放射能による痛み(現在治療により回復)
[装備]
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:<新宿>の聖杯戦争の管理・運営
1.怒られるから破壊やめろ
[備考]
・マーガレット&アサシン(浪蘭幻十)、ザ・ヒーロー&バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)の叛逆を受けました
・ヴァルゼライドの主従の討伐令を発布いたしました
・現在<新宿>中に、少数精鋭から成る、自身の上司である大魔王の配下である上位悪魔を人間に扮させて活動させており、彼らを主な情報習得源としています。が、信頼はしてません
投下を終了いたします。タイトルは『混沌狂乱』です
ロベルタ
予約します
投下おつー
激突、とびっきりの最強対最強! って感じだったけど、人修羅が結構まともな感性というか苦労人になってるのにワロタw
ヴァルゼライドに呆れたりツッコミ入れたり溜息ついたりで大変そうだな、このルーラー
そりゃまあ自害しろ→気合で耐えて倍々とかたまったもんじゃないよなw
新宿どころか地球が持たん連中だな
感想を投下いたします
>>軋む町
誰だこの冒頭のキャラって思ったら友近じゃないか!! 新宿聖杯にいても確かに問題なさそうだなぁこいつは。
学生と言うロール上出来る事も限られてる順平主従ですが、鯖の栄光の出来る事が予想以上に多様みたいですね。
頭が悪いとは言うけれど、栄光は割と考えてて、自身の能力を駆使して情報を得ようと言う動きをしていて、いよいよこの二人も動き出しました。
よりにもよって侵入しようとする場所が、<新宿>で現状唯一と言っても過言じゃない、怪物的な容姿をしたダガー社長のUVM社。
UVMのアイドル那珂ちゃん(マネージャー漸く獲得)は、果たしてどう動くのでしょうか。今後も動向が見過ごせませんね。
ご投下、ありがとうございました!!
此方も投下いたします
変化は人生の薬味というけれどね、あたしたちアイルランド人は馬鈴薯を作ってればいいのさ。
当たり前のことを規律正しくやってればいいの。それが幸福というものだよ。
――スティーヴン・キング、ミルクマン
.
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「愚かな選択ばかりして」
歳も四十、いや、五十にも手が届こうかと言う、初老の男の声が、壁紙やフローリングのニスの剥がれた、如何にも退廃的な部屋に響いた。
「……お前はまたしても……」
鏡に亀裂の入った化粧台の前で、上着を脱ぎ、ブラジャーだけになった黒髪の女性がいた。
左肩周辺をきつく、包帯と針金を巻き合せた物で縛り、簡易なギプス代わりにしている作業中であった。
彼女の――ロベルタと言う名前の、ヒスパニック系の女性の左肩は、砕かれていた。
「この世界にも、やって来るのかお前は。お前の住む世界は、此処じゃないだろう」
「私は、君の心の影だ。君が私を忘れない限り、私も消えない。私が消えたいと思っても、だ」
ロベルタはバッと、声のする方角に顔を向けた。
洗濯をしないせいで黄ばんだシーツをかけたマットレスの簡易ベッドの上に腰を下ろしていたのは、白髪の大分混じった黒髪をした日本人男性だった。
白いワイシャツに、スラックス。正しく巻かれたネクタイと、首にぶら下げられた、何処かの会社の社員証。
一目見ただけでは、うだつの上がらない、何処にでもいる中年のサラリーマンの様にしか見えない。彼は憂いと、何処かロベルタを静かに非難するような瞳で、静かに彼女の方を見据えていた。
「君は取り返しのつかない所まで来てしまった。何故君は、何度も選択を違えてしまうのだ」
「誰が、拷問していた相手が持っていた鍵を手にしたら、ジャパンに飛ばされるなど予測出来ると言うの?」
「無論、それを君の落ち度と言うのは、酷だろう。私も予想出来なかった。だがこのような事になる前に、それを未然に防げる機会が君には幾らでもあった」
其処で、ロベルタが押し黙った。
「何故君は、君の愛する少年の待つ荘園(アジェンダ)で、いつも通り蘭を愛でていられなかったのだ? 君の取れる最良の選択は、彼の待つあの屋敷で、彼と、屋敷の仲間達と共に哀しみを分かち合う事だけだったと言うのに」
「それだけでは、私と若様の溜飲が、下がらなかったからだ」
「君の身勝手を正当化するのに、彼の名前を出すのはよしたまえ。卑怯な物言い以外に私には聞こえないよ」
「黙れ」
女性の放つ声とは思えない程低く、恫喝的な声音でロベルタが唸った。中年は、怯まなかった。
「何故君は、私の忠告を聞けなかったのだ。君はずっと我が意に従って走り続けて、その結果、君は此処にいると言うのに」
「私は、自分が此処にいる事が失敗だった等と思ってはいない」
途端にロベルタは、饒舌さを取り戻した。
「聖杯が手に入るのよ? 私が痛みに耐え、私が罪を背負えば、若様の哀しみは晴れ、神の懐に戻った御当主様の無念が――」
「違う」
放っておけば長く語りそうなロベルタとは対照的に、それを受ける男の返答は、短くて、とてもシンプルなものだった。
「君だけだ。聖杯を手に入れて解消されるのは、君の暴力性だけだ」
「違う」
「聖杯を手に入れる為に力を振い、聖杯を手に入れて君の主を殺した者達を殺したとして、溜飲が下がるのは君だけだ。君の愛する彼は、喜びすらしない」
「違う」
「目を覚ませ、ロザリタ。君の居場所は此処でなく、君のやる事は聖杯の獲得でもない。<新宿>にいるであろう、聖杯戦争の主催者に義憤を抱く者と結託し、主催者を打倒し、あの荘園に戻る事だ」
「違う!! 私のやる事は、聖杯を手に入れて、当主様を醜く殺した狐共を地獄に叩き落とす事だ!!」
其処までロベルタが言った瞬間、男の額に、孔が空いた。
後頭部を突きぬけて、その孔から背後の破れた壁紙が見えたと思ったのは、ほんの一瞬。直にそれは、血色の孔に変貌し、其処から血液が、彼の額から鼻梁を伝って行く。
「君が本当は正義感がある人間だと言う事を、私は知っているよ。そして、物事を背負いやすいと言う事も。だからこそ君は、道を誤った」
血が、流れ続ける。ベッドのシーツは色水の張られたバケツをぶちまけた様に紅く染まり、フローリングにも徐々に血が滲みだした。
「思えば全ては、腐った政体を打倒せんと、革命をめざし、FARCに入隊した事が、コトの始まりだったな。それ自体は、崇高な事だと思うよ。だが君は、其処から道を違え始めた」
「そうだ。其処は、認めてやる。間違った政治を正そうと、私は確かにあの時燃えていた。そして、殺し続けた」
「フローレンシアの猟犬、か。凄まじい綽名だ。だが君は、麻薬カルテルと手を結び始めた組織に疑問を持ち始め、組織から手を引いたね。其処だけは、英断だった」
「なのに……」、そう言った男の声音は、酷く残念そうだった。そして、憂いと悲しみが涙となって、今にも彼の瞳から零れ落ちそうだった。
「再び、革命に目をギラつかせていたあの日の君に、ロザリタ。君は戻りつつある。私は何度でも言おう。君が選べた最良の選択は、君の愛する、ガルシア・フェルデナンド・ラブレスと哀しみを分かち合う事だけだったのだ」
「それでは若様も当主様も納得が行かないから!!」
ロベルタが烈火の如き剣幕で叫ぶが、それを受ける男は、不気味な程平静を保ったままであった。
「君は何故、君の主を殺した者達を殺そうとするのかね」
普通に話を進めて行けば、事態は堂々巡りになるだけだと考えたのか。男は、アプローチの方法を変えた。
「敬愛するディエゴ・ホセ・サン・フェルナンド・ラブレスを殺された復讐……それもあるのかも知れないな」
「――だが」
「本当は、君の見ている所は、違うのではないのか」
ロベルタは、緘黙を貫いていた。男の方も。
彼女の方から、本音を口にする事を待っている風にも見える。二十秒程の時間をたっぷりとった後で、ロベルタはゆっくりと口を開いた。
「……殺されるのならば、私の方だとずっと思ってた」
獣が唸るが如き口調であった。
「殺した兵士の数何て、もう数えるのを止めた。政治家や企業家、反革命思想の教師だって飽きる程葬った。女子供を誘拐して、用が済めば撃ち殺す事にだって抵抗感を憶えなかった」
続ける。
「信じていた組織がコカイン畑とそれで腹を醜く肥やすマフィアに魂を売っていると知り、組織を抜けてから……、私は当主様の計らいで、安息と幸せの日々を享受していた」
男は黙って聞いていた。血は今も、流れ続ける。
「ベッドの上で死ねる訳がないと、思ってた。何故ならば私は、人を殺し過ぎたから。罪を重ね過ぎたから。だから、本当に殺されて、地獄の業火で炙られるのは、私だった……!!」
「なのに殺されたのは、君を匿ってくれて、幸福と安息を約束してくれた御当主様だった」
「そうだ!! 御当主様も若様も、『父』に祝福されて、幸福の内に天寿を全うするべき人間だった!! だから――」
「殺した者達を追い続け、その者達を葬る為に聖杯を、か。君の行動原理は責任……いや、贖罪なのかも知れないな」
「答えろ、亡霊風情が……!! 何故、御当主様が殺されねばならなかった!! その御当主様を殺した者達に鉄槌を下す私は、悪だとでも言うのか!!」
光彩に炎が燃え上がっているみたいに瞳を血走らせ、口角泡を飛ばして激しく詰問するロベルタとは対照的に、
亡霊と呼ばれた中年男性は、何処までも冷めた態度と変わらぬ口調で、滔々と語り始める。彼は、何かを超越していた。
「間と、運が悪かったからさ」
ロベルタを取り巻く諸問題に全く無関係にも近しい亡霊の男の答えは、何処までも残酷だった。
彼の返事を受けたロベルタは、臆面も何もなくそう答えた彼を、まるで白痴の老婆の様に間抜けな表情で見つめていた。
「悪い事と時の不運が重なれば、身の危険が迫るリスクが高くなる。セニョール・ディエゴの場合は、それが最悪の形で振りかかった。それだけの話なのだよ。君も、心の何処かでそれを理解している筈だろうに」
「……認めない。そんな事で、当主様が……!! 撤回しろ……!!」
「いいや、取り消さない。何故ならば私も、間と運が悪かったが故に、殺されてしまった男なのだから。よもや君ともあろう者が、それを否定するまい」
「うるさい、うるさいうるさい!! 黙れ黙れ!! 私から離れろ!! この――」
「ああ、もう一つの質問に答えておこう」
身体が今にも燃え上がりそうな程激情するロベルタに冷水でも差し込むように、男は冷ややかに言葉を挟み込んだ。
「君が悪なのか、と言う質問についてだが――」
言った。
「解り切った質問をするのは感心しないな。君が悪でないと言うのならば、一体何だと言うのだ」
其処でロベルタが震えだした。恐れや怒りと言った感情的な発露から来る現象でなく、生命体が有する抗いがたい生理反応から来る震えであった。
瞳の焦点が、亡霊の男からあらぬ方向に、浮気をするかのように向いたり向かわなかったりを繰り返す。
「君には本来、その罪を償う機会と、この私の存在を完全に忘却する機会が無数に用意されていた。君はその全てを蹴り、此処にいる。まだ罪の全てを償う前に、更に罪の上に罪を糊塗しようとしている。これを、悪でなくて何と呼ぶのだ、ロザリタ」
耐え切れずロベルタは、化粧台の上に置いてあった、色とりどりの錠剤の入った真空パックの小袋に手を伸ばす。
正しい手順で袋を開けず、引きちぎるようにそれを開け、ピンクやブルー、オレンジにレッド等の色をしたそれを口に流し込み、キャンディーを噛み砕く感覚で咀嚼し、呑み込んだ。
「ロザリタ。君には最早私の言葉は遠いかも知れないが、私の本心を言おう。私は、君に殺された事など最早どうでも良い事なんだ。より言えば、君には君の幸せを掴んでいて欲しかったが、こうまで堕ちては、仕方がない。言わせて貰おう」
一呼吸程の間を置いて、未だ嘗て見せた事のない位据わった瞳をしたロベルタの方を見て、男は言った。
「君は裁かれて死ぬべき――」
「黙れと言っているこのジャップがぁッ!!」
肩甲骨を砕かれていない右腕で乱暴に化粧台をとっつかみ、ソファに座る中年男性の方にそれを、いとも簡単に投擲した。
ガシャァンッ!! と言うガラスが完膚なきまでに砕ける音と、化粧台の構築する木材が乾いて破壊される音が部屋中にけたたましく鳴り響く。
その音に気付き、別所に待機させていた、ロベルタが引き当てたバーサーカー、高槻涼が、急いで実体化をして室内に現れた。霊体化した状態で室内に入っていたらしい。
彼は、ロベルタと、破壊された化粧台の方向を交互に見比べている。何が起っているのか、理解が出来ないと言う体であった。
「――あぁ、ジャバウォック。ごめんなさい。驚かせてしまったわね」
肩を上下させ、荒い息を吐くロベルタであったが、珪素に似た鉱物状の右手を持った、自身のバーサーカーを見た瞬間、冷静さを取り戻した。
女性美に溢れた優美な笑みを彼に投げかけるロベルタであったが、直に、ベッドに座る男の方をに顔を向けた。笑みに、冷たい物が過った。
額に血の孔を空けた男は、既にベッドから立ち上がって、此方を見つめている。化粧台に直撃したはずなのに、平然としているのは、亡霊の類だからか。
「ジャバウォック、其処にいる亡霊を、あなたの暴力で破壊しなさい」
この<新宿>にやって来た際に、令呪と共に刻まれた、聖杯戦争に纏わる知識。
サーヴァントはこれ自体が埒外の神秘――未だにそれが如何なる概念なのかロベルタは知らない――であり、一般的な物理的干渉力とは別に、
強い魔力的・霊的な干渉能力も有していると、彼女は記憶している。乱暴な解釈だが、幽霊や亡霊も、葬り返せるかも知れない。
それを期待しての、この命令だった。自身が引き当てたジャバウォック(魔獣)に、自らに憑いて回る悪霊を殺して貰う。その事を、ロベルタは強く期待していた。
「……」
しかし、命令を受ける高槻の表情は、呆然としたそれであった。
きょとん、と言う表現が相応しいのかも知れない。命令の内容自体は、理解しているのだろう。
だが理解してもなお、未だに腑に落ちない所があるらしい。化粧台の壊れた所とロベルタの方とを、彼は交互に見比べているのだ。
――何を言っているんだ、マスターは――
そんな態度が、今の高槻からも、ありありと見て取れる。
「ジャバウォック」
ロベルタの、高槻に対する呼び方が、熱っぽいそれから、冷たいそれに変貌した。
声のトーンを感じ取った高槻が、仕方がない、と言うような挙措で右腕を動かし、それを化粧台が突き刺さったベッドの方に振り下ろした。
ビスケットめいてそれら二つは粉砕され、その破片が宙を舞い、ロベルタ達の方に四散した。それを見て、満足そうで、そして、狂的な笑みを浮かべるのは、ロベルタ当人であった。
「これで、少しはマシに動ける」
一千万ドルにも上る借金を漸く完済して身も心も完全に軽々とした状態にでもなった、とでも言うような雰囲気で、ロベルタが言った。
対する高槻の方は、未だに納得が行かないような表情で、ロベルタの方を見つめていた。
確かに、ロベルタの考える通り、サーヴァントはそれ自体が霊体の存在である為、幽霊や亡霊、悪霊の類にだって干渉を可能とする。
しかし、幽霊と言われる物ですら、その世界に魔術的、霊的に『存在』する概念であるからこそ、サーヴァントも干渉を可能とするのである。
その世界に存在しない生き物は、例えサーヴァントと言えど、害する事など出来やしない。それが例え、地球すらも破壊出来るバーサーカー、高槻涼であろうとも。
ロベルタが高槻に殺せと命令した亡霊は、ロベルタにしか見えていなかった。
高槻涼の狂った瞳には、壊された化粧台と黄ばんだシーツをかけた簡易ベッド。そして、瞳の据わり切った自身のマスターしか、映していなかった。
亡霊など初めからいなかった。いたのはただの、気狂い(ジャンキー)の女一人だけであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
素人目による客観的な見地からも、医学・臨床的な見地からも、ロベルタもといロザリタ・チスネロスが、重度の薬物中毒者である事は明らかであった。
最初に薬物に手を出した理由は、何だったのか。自らの戦闘に対する気分を昂揚させる為だったか?
それとも、一個中隊に匹敵する人員数で、しかもその全員が軍用火器を有した組織を単騎で相手取ると言うプレッシャーを解消させる為だったか?
もしかしたら、弾みだったのかも知れない。今となってはロベルタは、自身が何故中枢神経に作用するあの薬物を口にしていたのか、理解が出来ずにいた。
自身が薬物に犯され、そしてその中毒者であると言う事を、ロベルタは理解していた。
彼女が所属していたFARCとは、後々コカインを売り捌いて私腹を肥やしていたマフィアと結託して利益を結んでいた事もある組織であった。
そう言った組織の構成員であった都合上、薬物中毒にした、或いは、された人間と言う物を多く見て来た。
それに、こう言った多幸感を与える薬物とは、拷問にも用いられる。最も幸福を味わえる分量の薬物を注射し、禁断症状が起きれば放置。
相手が薬物欲しさに情報を吐くまで待つ、と言う拷問も、ロベルタは見た事が何度もある。その様な経験則に基づいて自身の症状を考えた場合、
自分がとうとう堕ちる所まで堕ちてしまったと言う事は、彼女自身の目から見ても、明らかな事柄なのだ。
ロベルタが亡霊と認識していた、あのうだつの上がらなそうな中年の男は、彼女が元居た世界で服用していた興奮剤の副作用が見せた幻覚だった。
ただ、その幻覚は全く過去に依拠していないと言うイメージでなく、FARCのゲリラ時代に彼女が殺した、日本人のビジネスマンの姿を取って現れている。
多くの人間を殺して来たと言う自覚がロベルタにはあったが、その中で何故、あの男の姿を取って現れるのか。彼女には未だに理解が出来ずにいた。
何れにせよこの幻覚は、彼女にだけしか見えず、彼女にしか知覚する事が出来ない存在だ。他人には当たり前の事だが、認識すら出来ない。
サーヴァントであろうとも、それは同じ事。高槻の目には、彼女が『いる』と認識した空間には、何も見えていなかった事を、彼女は知らない。
尤もあのバーサーカーは空気を読んで、その方向を破壊してくれはしたのだが。
幻覚症状は、元の世界にいた頃よりも深刻な物に発展していた。
契約者の鍵をロベルタが手に入れたのは、全くの偶然であり、<新宿>に飛ばされる事など全く予期していなかったので、服用していた興奮剤は元より、
常備薬代わりのあの薬物よりも肌身離さず持っていた筈の重火器類すらも元の所に置いて来てしまっていた。
ディエゴを爆殺した人間の関係者を殺して回っていたあの時の薬物の依存症状は今に比べればまだ末期と言うには程遠かったので、まだ回復の見込みは認められた。
此処<新宿>で、火器の調達代わりにヤクザの事務所を破壊して回ったのが、より悪い結果を招いた。
裏ビデオの流通や性風俗等の運営で利益を上げている組も当然あったが、違法ドラッグや覚醒剤を流通させて利益を喰っているヤクザを潰したのが、運のツキだった。
依存症状は軽かったと言うだけで、回復していなかった。禁断症状が出かけていたロベルタは、組員を皆殺しにする際に、事務所に溜められていた薬物を全て応酬。
そして、服用していたのである。中年男性の幻覚症状を消そうと彼女が噛み砕いたあの薬は、この国でMDMAと呼ばれている違法ドラッグの一種で、
多幸感や全能感を服用者に与える依存性の強い違法薬物だ。これ以外にも彼女は、自身のアジトに覚醒剤やコカイン、ヘロインの類を幾つか溜めている。
元々ロベルタが服用していた、中枢神経系に影響を与える興奮剤は、リタリンとも呼ばれ、用法容量を守れば、
鬱やナルコレプシーにも有効性を発揮する立派な医療薬品なのである。過度に摂取すれば依存性を筆頭とした諸々の副作用を招くが、これは、
精神病に対して処方される薬全般にある意味では言えた事である。今ロベルタが服用している覚醒剤やコカイン、脱法ドラッグの類は、
多幸感や全能感、覚醒効果のみを高めさせるだけの、医療目的には到底使えない程の代物で、その上依存度が高く副作用も悪辣、と言う、
薬に依存させて金だけを吐き出させたいドラッグのブローカー達にとってはこれ以上となく便利な代物なのである。
こんな物を服用していれば、当然幻覚症状もより酷くなる。その結果が、あの中年男性の幻覚と言う訳であった。
短期決戦を志さねば、自分が破滅する。
ロベルタの頭は、こと戦闘に関して言えばゾッとする程冷静な動きを見せる。
自分が疑いようもなく薬物中毒者になっていると言う事実もそうである。だがそれ以上に、自身のバーサーカーである高槻涼と言う存在が重くのしかかっている。
彼を運用するには、特に莫大な魔力が必要となる。それはロベルタも知っている。だからこそ、火器の調達代わりに、彼にヤクザの魂喰いをさせたのだから。
短時間の戦闘の連続ならば全く問題がない程度には、今のロベルタには魔力のプールがある。――そのプール量の三割近くが、今や消失していた。
その理由は単純明快で、新宿二丁目で高槻が見せた、ARMSの最終形態変化が原因である事は疑いようもない。
あの形態こそが、バーサーカー・高槻涼の真骨頂だと言う事は疑いようもない。あれを慢性的に維持出来るのならば、自身は間違いなく聖杯を勝ち取れる。
ロベルタの公算はそれだった、が、世の中そう簡単には甘くない。その強さの代償と言わんばかりに、あの形態で活動している時の魔力消費量は凄まじかった。
あれはここぞと言う時にしか使ってはならない力だろう。しかし、聖杯を勝ち取るのであれば、あの力を頼らねばならない事は明白な事柄だ。ならば、如何するべきなのだろうか。それについて、考える必要があった。
解決策は二つだ。
一つ。全参加者を一ヶ所に集め、其処で、高槻の真なる力を解放させ、一網打尽にする事。
そしてもう一つ。恒常的に高槻をあの形態で行動させられる程の大量の魔力を獲得する事。
どちらも非常に達成困難な難題である。特に後者だ。ロベルタは戦闘技術にこそ優れるが、そもそも魔力回路の一本も持たない、
こと聖杯戦争の参加者として見るのならば落第点のマスターである。彼女では、魔獣・ジャバウォックを御す事は、困難を極る事柄であるのは、一般的な魔術師の観点から見れば、当たり前の事なのだ。
魔力。そう、魔力さえあれば解決するのだ。
これさえあれば、聖杯目掛けて走るだけで良い。立ちはだかる敵を、ジャバウォックの顎と爪とで裂けば良い。
自身の中毒症状と、高槻涼の維持コストの事もある。なるべくなら短期決戦を志したい。如何したものかと考え、頭を掻きながら、
東京都の地図が掛かれた名所刊行誌を見ていたロベルタだったが――閃いた。彼女の目線は、<新宿>は信濃町に存在する、K大学の大学病院に目を付けた。
いや正確には、この病院は現在、K大の大学病院ではないのだ。此処<新宿>では現在、K大学病院は、『メフィスト病院』と言う名前に名を変えている。
そんな病院名があり得る訳はないだろうと思い、ロベルタは一度その病院を調査した事があったが、案の定そこは、サーヴァントの拠点であった。
刻まれた知識から推察するに、恐らくあの病院は何かの陣地の様な物であり、これを打ち立てたサーヴァントのクラスはキャスターだろう。
当初は、都会の真っただ中に陣地を建てるなど、何か罠があると思い無視を決め込んでいた。ただ、完璧に無視を決める訳にも行かない為、
評判調査も並行して行った所、その病院の評判は頗る良いと言うではないか。格安の治療費、最高度のサービス、そして医療スタッフ達の治療の腕前。
都内の他の病院の存在価値を全て奪うような医療サービスの練度の高さだけが、兎に角ロベルタの耳に入って来るのだ。
ロベルタはその噂を全て、メフィスト病院によって言わされている事柄だと判断していた。
そもそも、NPCの患者を病院に搬入して治療したり、外来の患者の診察などをすると言う行為自体が、理解に苦しむ事柄だし、狂気の沙汰としか思えない。
何か裏がある、と彼女は考えていた。恐らくはNPCから効率よく魔力を徴収しているのではと、この稀代の女軍人は推理していた。
――これは使える……!!――
先に述べた解決策の二つを、一時に解消する作戦であった。
電撃戦の要領でメフィスト病院に急襲をしかけ、其処の主であるキャスターを消滅させ、魔力プールを奪う。
そしてその騒ぎを聞きつけてやってきた主従を蹴散らした後、残りの雑魚を破壊する。
無論、相手もサーヴァントである為そう簡単には行かないだろうが、いざとなれば、虎の子である、ジャバウォックの切り札を発動させる。
あの形態の高槻涼が、サーヴァント二人がかりによる猛攻すらも意に介していなかった現場をロベルタは目の当たりにしている。問題は全くないではないか。急いで、プランを建てねばならない。
亡霊は、ディエゴの不運と、間の悪さと時の不運が重なったのだと説明した。
果たして、ロベルタの場合は、どうなってしまうのだろうか。ロベルタよ、気付いているのか。
お前が向かう先こそは、お前が経験したこの世の如何なる地獄よりも恐ろしい魔窟であり、そして、其処を治める男が、
悪鬼羅刹の類ですら震え上がらせる程の美しき魔人であると言う事を。聖杯戦争のクラスシステムと言う枠組みなど何の意味も持たぬ程の怪物であると言う事を。
曇ったガラスから差し込む昼の<新宿>の陽の光は、彼女に対しても等しく投げ掛けられている。
この<新宿>が魔界都市であったらば、太陽はきっと彼女に、こう答えただろう。ロザリタよ――お前はそれで良いのか、と。
【四谷、信濃町方面(四ツ谷駅周辺の雑居ビル)/1日目 早朝11:50分】
【ロベルタ@BLACK LAGOON】
[状態]左肩甲骨破壊、重度の薬物症状、魔力消費(中)、肉体的損傷(中)
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]銃火器類多数(現在所持している物はベレッタ92F)
[道具]不明
[所持金]かなり多い
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を獲るために全マスターを殺害する。
1.ジョナサンを殺害する為の状況を整える。
2.勝ち残る為には手段は選ばない。
[備考]
・現在所持している銃火器はベレッタ92Fです。もしかしたらこの他にも、何処かに銃器を隠しているかもしれません
・高槻涼の中に眠るARMS、ジャバウォックを認識しました。また彼の危険性も、理解しました
・モデルマン(アレックス)のサーヴァントの存在を認識しました
・現在薬物中毒による症状により、FARCのゲリラ時代に殺した日本人の幻覚を見ています
・昼過ぎの時間にメフィスト病院に襲撃を掛ける予定を立てました
投下を終了いたします
投下乙です
自分から死にに行くのか(困惑)
ウェス・ブルーマリン&セイバー(シャドームーン)
アイギス&サーチャー(秋せつら)
予約いたします
期待してます
そして、さようならロベルタ
荒垣真次郎、アサシン(イル)予約します
予約感謝いたします。
投下します
メフィスト病院の白亜の大伽藍を後にし、何台もの車両が停めてある駐車場を出た瞬間の事であった。
【狭いんだなぁ、『新宿』は】
と言う声が、アイギスの頭の中に響いて来た。
【それは、今更な事かと思われますが……?】
【狭いのは新宿さ。<新宿>は、もっと広い様に思えたが……<魔震>の影響が希薄だと、こんなにも狭いんだな、ってさ】
宛ら禅問答めいた事を感慨深げに口にするのは、アイギスに従うサーヴァント。
サーチャー(探究者)と言う、聖杯戦争の常道の七クラスに外れたクラスで、彼女の声に応えて召喚された、美しき魔人であった。
鷹揚として、掴み所がなく、そして、時折美しさの中に掠める隠し切れぬ魔の香りが恐ろしいその男が発した言葉を、今一アイギスは理解出来ていない。
【それで、何が言いたいのでしょう?】
【サーヴァントがいるよ。向こうも僕らに気付いてるし、寧ろ此方に誘ってる】
目を見開かせ、アイギスは周辺を見渡した。
だが、それらしい存在は、遠近距離に対して優れた視認・識別能力を発揮するアイギスの瞳のカメラレンズを以ってしても確認出来ない。
【無理だよ、敵は相当の手練だ。君の目程度じゃ話にならない位隠れるのが上手い。今は僕の『糸』で場所が解るが、タチの悪い事に、向こうはこの糸にも気付いてるみたいだ】
それを聞いて更にアイギスは驚いた。
サーチャー、秋せつらの操る糸の細さは一ナノm、つまり分子と同じ小ささのそれであり、アイギスの瞳の顕微能力を用いても、視認不可能な細さなのだ。
その糸について気付く事が出来る何て、一体そのサーヴァントは、何処まで恐ろしい存在なのか。機械の心に、一抹の不安が過る。
一昔前ならそんな感情も感じなかったのだろうが、この不安を感じると言う事柄もまた、有里湊達との体験を経て得た、掛け替えのない財産だった。
【病院の関係者、でしょうか?】
【ないな。病院の中じゃない事は糸で確認済みだし……そもそもあの社会不適合医は、自分の病院内で戦う事を許さない奴だからね】
本当に生前からの付き合いだったのかと疑問に思う程に、せつらのメフィストに対する物の言い方と評価は、辛辣を極るものだった。
一体如何なる付き合い方をすれば、医者として信頼する一方で、悪態を吐けるこのような関係になるのだろうか。
【マスターに念話をしたのは、結局、そのサーヴァントの下に行くか如何かを聞きたいからでね。どうする?】
成程、とアイギスは思う。確かに、マスターに忠実な性格をしたサーヴァントとしては、訊ねておきたい事柄であろう。
【サーチャーとしては、向かった方が良いと思いますか?】
【どうでもいいよ。マスターが向かいたいと言うのなら向かうし、距離を取りたいと言うのならそうする……って言うと、主体性がないって言われそうだからね。
僕個人の意見を言うのであれば、向かった方が良いのかな、って思う。向こうは僕らに気付いてるし、向こうから人ごみに入った僕らを攻撃して来たら、拙いだろうしね】
【大衆の前で攻撃する主従は、流石に……】
【いない、と言いきれるのかな? いいや、いるさ。この街が本当に<魔界都市>になったのならね。現に契約者の鍵でそう言う主従がいた事は明らかになったんだ、道理の通りに物事が運ぶと思わない事だ】
恐らくは全ての主従が知る所であろうが、此処<新宿>には聖杯戦争参加者であると言う事実が明らかになった殺人鬼が二組存在する。
一組は、遠坂凛が引き当てた黒礼服のバーサーカー。そしてもう一組が、セリュー・ユビキタスが召喚したワニの頭のバーサーカー。
共にバーサーカーがサーヴァントであると言う事は、二名とも狂戦士のクラスを全く御せていない可能性はゼロではない。
しかし、それが故意にしろそうでないにしろ、彼らは百名以上もの無辜のNPCを殺して回っているのだ。
この聖杯戦争の参加者の中に、このような指名手配を恐れて人の集まる所で戦闘を行わない組が出ないと言う可能性は、全く排せない事になる。
【ま、危なくなったら逃げればいいよ。僕はマスターに、勇ましく戦え何て言わないからさ】
サーチャーはこの辺りの融通の利く男だった。
神に祈れば、例えどんな理不尽な要求を頼み込もうと神の方から万難を排してくれそうな程の美の持ち主ではあるが、その性格は驚く程気さくで接しやすい。
戦おうが逃げようが、別段この男は嫌な顔をしないし、その様な態度も見せはしない。ただ、最終目標である聖杯に辿り着ければよい、と言うスタンス。
だからこそアイギスも、少し気を許してコミュニケーションを取る事が出来るのだ。
【……解りました。彼を……湊さんと会う為に、私はもう、逃げない。戦うと誓いました】
口に出さない。心の中で思った事を直接相手の頭に響かせると言う念話であるが、アイギスの――機械の乙女の口ぶりも立ち居振る舞いも、全て本物だった。
せつらからしても、見事な物だった。彼女は、生身の部分など何一つとして存在しない、完全なる機械なのだ。
それなのに有機物と無機物を、生命と物を、人と機械とを隔てる唯一にして最大の大壁、それら二つの間に立ちはだかる絶対的な概念。
『心』だけが、完全たる人間のそれであった。彼女は人だった。身体の全てが機械であろうとも、脳も無ければ心臓も無い機械であろうとも、彼女は、心が在ると言うその一点のみにおいて、確かに人間であった。
【行きましょう、サーチャー。その場所に、案内して下さい】
【はいはい。それじゃぁ、僕の指示に従って欲しい】
かくのような会話を行い、一人と一機は、目的の場所へと歩んで行く。
向かう先は、信濃町に隣接した南元町、食屍鬼街(オウガーストリート)。そして其処に待ち受けたるは、影の月の名を冠した、一人の戦士。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
魔界都市<新宿>が魔界都市であった所以とは、百年二百年をあの地で生きた古株ですら、その街の全貌を把握し切れていない、と言う点にある。
都市とは一つの生き物である。住む人間の生活様相、人口の増減、地方・外国を問わぬ人間の行き交い、と言った生活を行う生命体を包含する事で、
都市開発や不要な施設等の淘汰が行われる事で、町や都、県や州、ひいては国は、ある種の原形質の生き物のようにその姿を刻一刻と変化させて行く。
<新宿>も同様に、秒ごとにその街の全貌を変え、時には不要な物を『<新宿>自らの意思』で消し去り、その地に息づく者達の前に姿を現す。
例えば――。
歌舞伎町のコマ劇場、新宿ミラノ座、ニュー地球座の三つの建物に取り囲むように存在する、噴水広場。
<魔震>の影響で、水を供給する為の水道管が断裂、使い物にならなくなったにも関わらず、『何故か』、氷を入れたコップに淹れて飲んでも問題がない程、
衛生的にも安全な真水が無限に湧き出てくると言う現象が起っていた。一説によれば別世界の真水を供給しているだとか、
異次元の狭間に広がる無限大の海が異次元を通る際に何らかの『網』がフィルター代わりになる事で塩分が排され真水になるのだ、と言う意見もあったが、真相は闇の中であった。
例えば――。
同じく歌舞伎町の片隅に生えた、一本の果樹。
魔界都市に於いても、いや、魔界都市であるからこそ、退廃と悪徳の坩堝となったその街の中に生えているにも拘らず、枝の一本も折られていないばかりか、
学のある者がみれば余りの品のなさに溜息を吐いてしまいそうな品のない下品で卑猥な冗談も幹に刻まれていないと言う不思議な樹木であった。
その果樹の枝には、リンゴやナシ、ブドウにカキ、と言った果樹が日ごと夜ごとに生え変わるのだ。
余りの不気味さから、その木に触れた者はその日の内に不幸になると評判になり、核戦争が起っても男性器をいきり立たせ女と性行するような『豪の者』ですら、不吉と捉え近付かない程であった。
例えば――。
高田馬場に存在する、『滑り家』。
魔界都市に於いても極めて安全な区画として知られる高田馬場であるが、あの街では安全=不思議、と言う方程式は成立しない。
高田馬場には傾度『70度以上』の坂が存在し、その坂の両脇に家が建設されているのだ。
通称滑り家と呼ばれるこの家は、滑落防止の為頑丈な鎖で家全体を縛り付けており、実際そのような住宅環境に生活する人間も存在すると言う。
この不思議な景観は区外から観光に訪れた客が目にしたいと言う程の人気スポットになっており、区の財政を潤す景観の一つとなっていた。
何が起きても、不思議ではない街だった。
<魔震>によって刻まれた地面の断層から、最低でも十万〜一千万年前の超古代文明の産物が出土された事もある。
殆ど地球の裏側に存在する龍脈が<魔震>の影響で、<新宿>に繋がった事もある。
陽炎が沸き立つ程の歩道に、突如として海が現れた事もある。珍しくない、そんな事など珍しくないのだ。
そう、あの街は魔界都市<新宿>であるから。最早誰もが、何が起っても不思議ではないと、諦観にも似た悟りを得ていた街。其処こそが、<新宿>であるのだから。
――そんな街で一生涯を終えた秋せつらであるから。
聖杯戦争を行っている<新宿>の元々の不思議程度など、微風程も感じない。と言うより、この程度を不思議だとか不気味だとか、せつらは思いもしないのである。
<新宿>は南元町。其処が、秋せつらがサーヴァントの反応を捉えた地点であった。
せつらは世界史が割と得意な男であったが、日本史、特に、<魔震>が起こる前の<新宿>の事など、余り覚えていない人物だった。
そんな人物ではあるが、流石に、<魔震>前の<新宿>に、食屍鬼街なる意味不明な名前の通りは存在しなかった事位は解る。
その通りは如何も話を聞くに、ビザの切れたり不法入国をした外国人の溜まり場であったり、ヤクザやチンピラの集会場として、
<新宿>でも特に治安の悪い場所とされているのだそうだ。一説によれば、歌舞伎町よりも酷いとされていると言う。
成程確かに、普段アイギスが拠点としている西新宿の住宅通りに比べれば、明らかに世界が違う。
日当たりが悪く、じめじめとして、そこらじゅうにゴミが散らばり、そして、アイギスの事を注視する男達の目線よ。
どれもこれもが、カタギの人間ではないし、レールから外れたアウトローばかりであると言う事が一目で解る連中であった。
「おい、何だよあの別嬪の嬢ちゃん……!!」
「一人だぜ……ありゃ誘ってるぜ、俺には解る」
「あの歳で欲求不満かよ、ヘヘッ、勃ってきやがった……」
「スゲェ美しいッ!! 百万倍も美しい……!!」
冷静に考えれば、当たり前の反応である。
見るからに女日照りの酷そうな場所だ。幾ら機械とは言え、傍目から見れば美少女としか思えない外見をしたアイギスが単身で此処に来れば、
このような卑猥な反応など、にべもないと言う奴であった。無事に帰してくれそうにない、と言うオーラがヒシヒシと男達から伝わってくる。
治安最低の場所、と言う札に偽りなし、と言う感じの場所であったが、これでもまだ、せつらには平和な所としか見えなかった。
自分の感覚が麻痺してると言う事を、この場に足を運んで改めて思い起こされて、戦闘に入る前からせつらはやるせなくなっていた。
【あまり面倒を起こすのは、得策ではありませんね】
【そりゃそうだ。こんな奴らでも、面倒を起こしたらルーラーから茶々入れかねないしね】
そして、せつらがやるせなく思っているのは、もう一つある。
断言してもよかった。此処にいる全員が、何らかの『精神操作』を受けていると。瞳を見ただけではそれと解らぬ程、超高度な精神干渉である。
だが、せつらの糸探りの前には、そんな誤魔化しは無意味である。彼の糸は、精神の違和感すらも感じ取れるのだ。
NPCの精神を操る本音は決まっている。要するに彼らは、此処を拠点としている何らかのサーヴァントの体の良い奴隷か何かだ。
本体が危機に陥れば身を挺してその本体を守る肉の壁となるも、非力なマスターを集団で叩いて殺す暴徒となるも、全て指揮権を持つそのサーヴァントの自由だ。
だからこそ、憂鬱なのだ。――時が来れば、このNPC達も殺さねばならないと言う事実が。そしてそれが、アイギスの願いに反すると言う事が。
【穏便に済ませてやるか】
そう言って、アイギスの目の前に立ち、その背で彼女を守るかのようなポジショニングで、せつらが実体化を始めた――その瞬間であった。
下卑た笑みを浮かべていた食屍鬼街の男達の表情に、嘗てない驚きが刻み込まれる。
生きとし生けるもの等何一つとして存在しない空間の中にいるかのような静寂を切り裂くが如く、ガラスの砕ける音が聞こえた。
それは、アイギスに下品な言葉を投げ掛けていた男が、持っていた酒瓶を驚愕の余り地面に落として壊してしまった音であった。
先程までアイギスにエールを送っていた男達は、せつらの顔と姿をみて、凍結した様にその場から動けずにいた。
性差を超越し、万民に美とは何かと言う事を雄弁に物語らせる、秋せつらのその美しい姿を見れば、斯様な反応は当たり前のものだった。
人間である以上、せつらの美を見て、何も思わぬ者など、存在する筈がないのだから。
「隠れてちゃコミュニケーションが取れんぜ、出てきなよ」
せつらは、例え南元町の食屍鬼街だろうが、五匹集まれば数分と経たずに人間を丸ごと食い殺すドブネズミが徘徊する魔界都市の下水道だろうが、
春風の最中にいるような春風駘蕩とした雰囲気を崩さない。此処を拠点としているであろうサーヴァントととも、戦いたい、と言うよりは寧ろ、
会って煎餅でも齧りながら茶でも啜りたい、とでも言いたそうな程雰囲気すら醸し出していた。
そんな彼の意向を理解したのか、はたまた、そうではないのか。兎に角、せつら達をこの場に招いた張本人が姿を現した。
空間が人の形に歪む。まるでその部分だけが、スチームにでも覆われているかのようであった。
空間はやがて銀の色味が強く、そして濃くなって行く。頭に類する部分だけが、エメラルドに似た輝きの緑光を放っているのが特徴的だ。
そしてついに、件のサーヴァントがその全貌を露にした。それは、銀色の鎧を纏っているが如き姿をした存在だった。
バッタに似た昆虫のフルフェイスへルムの様な物をそれは被っており、緑色の輝きを放っていた物の正体とは、その兜に取り付けられた緑色の複眼の故であった。
「ッ……!!」
アイギスの身体に叩き付けられる、目の前のセイバーから放たれる、磁力にも似た凄まじい気風。
戦わずとも、内蔵された戦力概算の為の様々な機構を用いずとも解る。目の前のサーヴァントは、桁違いに強い。
それこそ、彼女が今まで戦って来た、如何なるシャドウよりも、ずっと。ずっと。
せつらの目から見ても、それは同じだった。
魔界都市には種々様々な人体改造手術が蔓延っていた。下は千円と言うタバコ三箱も買えないような値段で、上は数千万〜数億円と言う超法外な価格で、
人間の身体を改造させてくれる闇医者が存在したものだった。改造によって得られる恩恵は様々だ。
犬にも似た嗅覚や兎にも似た聴覚は当然の事、ヒグマの如き腕力やハヤブサの如き移動スピードなど珍しくもない。
金をもっと積めば、細胞レベルで行われる超高速の人体の自己再生能力や、音速超の速度での移動をも可能とする手術が出来た程だ。
目の前のサーヴァントが明らかに、極めて高度な科学技術によってその身を改造された存在である事をせつらは見抜いたが、次元が違う。
魔界都市の中でも、この男を生み出す外科手術は、あの性根の捻じ曲がった藪医者の所以外にはありえなかったろう。
それ程までに、別格の技術で生み出された男と言うだけでなく、その技術に負けない程の力と技術をこの男は有していると言う事が、糸探りを用いずともせつらには解るのだ。
強者は、自分と同じ強者は一目見ただけで解ると言う。
せつらはその言葉通り、目の前のセイバー……シャドームーンを、油断の出来ぬ程の強敵だと認めた。
「要件があるのなら、早めに口にした方が良いよ」
「その必要性はないな。お前が此処に足を運んだ瞬間から、目的は達成された」
その言葉を聞いた瞬間、溜息と同時に、せつらはその頭を掻き出した。
「やんなるね……連れてこなかった方がマシだったのかな」
と言って、自身のマスターであるアイギスの方にチラリと目線を送るせつら。
アイギスは静かに、首を横に振るった。せつらの忠言を別に責めてはいない、と言う合図だった。
「安全な所まで距離を取ると良い。マスター。其処のサーヴァントは僕が食い止める」
「そうはさせない」
「いいや、させるよ」
と、せつらが口にした瞬間だった。
食屍鬼街に存在する、アイギスに――いや、今はせつらの美に目線が釘付けになっていた男達か。
彼ら全員が、唐突に地面に倒れ伏したのだ。両腕が後ろ手に縛られているかのような体勢で、全員が前のめりに、仰向けに。
それが、せつらの操る一ナノmのチタン妖糸に身体中を雁字搦めにされたからだと気付いているのは果たして何人いただろうか。
「NPCを操って、マスターを袋叩きにするつもりだったんだろうが、こっちから手は封じさせて貰った」
「元より期待していない。こいつらが百人揃った所で、貴様のマスターは殺せないだろうからな」
其処で言葉を区切り、銀鎧のセイバー――シャドームーンは言った。
「人ではないのだろう、其処のマスターは」
ゴルゴムの数万年の叡智の結晶である科学装備、マイティアイは見抜いていた。
アイギスの中に備えられた指銃、そして、人間の内臓器官が一つたりとも彼女が有していない事を。
彼女が、一つの蒼白い巨大なエネルギー塊から供給されるエネルギーを動力源に動くアンドロイドであると、シャドームーンは知っている。
内部構造の精緻さと、其処から発揮されるであろうスペック考えれば、南元町のチンピラが百人どころか千人居た所で、目の前の機械の乙女を破壊する事など不可能だ。
機械ですらマスターになれるのかと驚きはしなかった。彼は先のメフィスト病院で知っているのだ。人間以外の怪物が、マスターになれる可能性が十分にあると言う事を。
「人さ」
即座に、せつらは切り返した。
「少なくとも、僕は人間だと思ってる」
別に、機械だろうが人形だろうが、自分が人だと思っているのならば、特にせつらは差別もしない。
彼が元々魔界都市の住民であったと言う事もそうである。しかし、せつらがアイギスの事を人間だと認識しているのは、彼自身、
アイギスとよく似た少女の事を知っているからに他ならない。四千年の時を生きた大吸血鬼に葬られた、プラハ最大最強の老魔女。
数百年の時を生きた、高田馬場を根城にしていたあの魔女が作り上げた、最高のオートマタの事を知っているからこそ。せつらは、アイギスの事を差別しなかった。
せつらの言葉に対して、シャドームーンからの返事はなかった。
彼の返事は、右手を水平に伸ばすと言う行為だった。刹那、右手周りの空間が棒状に歪み始め、それは、実体化を始めた。
実体化が終わると、ルビーの如く透き通ったロングソードが、シャドームーンのその手に握られていた。
豪奢な飾り気など何も存在しない。ただただ、相手を斬ると言う事の一点に特化されたその剣は何処か、秘密結社ゴルゴムが神器と崇める、サタンサーベルに似ていた。
その名をシャドウセイバーと呼ぶ、宝具・キングストーンの霊力を練り上げて作り上げた、宝具に限りなく近い武器であった。
「世紀王の力をその目に焼き付け、座にでも還るが良い」
その一言と同時に、南元町の数百〜千m以上上空地点『だけ』に、黒い雨雲が凝集し始めたのだ。
其処以外は、雲一つ覆われていない見事な快晴である。なのに、広い青空の一点のみに雨雲が集中する光景はまるで、タバコを押し当てて出来た黒い灼き焦げのようであった。
これを、怪異と呼ばずして何と呼ぶ。これを、奇々怪々と呼ばずして、何と呼ぶ!!
「成程、魔界都市らしくなってきたじゃないか」
垂れ込める黒雲を見てせつらが浮かべたのは、彼らしくない微笑みだった。
この魔人の知る魔界都市に近付いたような気がして、彼は少しだけ郷愁の笑みを作ってしまったのだ。
黒いコートのポケットに入れていた両手を引き抜き、せつらが構えた、と同時にアイギスがこの場所から離れんと動き始めた。
ポツポツと、針のように細い雨糸が黒雲から落ちて行き、湿った地面に黒い染みを作った――と見たのはほんの一瞬。
直に、ザァと言う音と同時に、指と見紛うような太い雨が降り注ぎ始めたのである。それと同時に、せつらが、シャドームーンが。共に動いた。
魔人共の饗宴が今、幕を開けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
十m先は愚か、伸ばした手の先を見る事すら難しい程の豪雨であった。
バケツの水をそのまま被った方がまだ濡れずに済むと思われる程の雨粒が、地面に当たり、砕けて弾け、水煙を生じさせる。
まるで、この南元町の食屍鬼街で起った様々な悪徳を洗い流すかのような、凄まじい雨のフィールド。
そんな、最早戦うには到底適さない場所で、水煙にその身を煙らせながら、舞うように動く銀鎧のセイバーと、黒いコートの魔人が、人外の戦いを繰り広げているのだ。
豪雨の紗幕で霞んで見えるシャドームーンは、煙った様に見えるせいで赤熱した棒としか見えぬシャドーセイバーを虚空に向かって振り抜いた。
傍から見れば、見当違いの方向に攻撃をした様にしか見えないだろう。しかし、せつらには解るのだ。今の一振りで、シャドームーンに向かわせた、
八十二条のチタン妖糸の尽くを切断されたと言う事を。やはり、見えている。自身の操るナノmの魔糸を、だ。
――やはりあの目か――
常識的に考えれば、其処以外に考えられないだろう。
降り注ぐ雨幕越しからでもよく目立つ、蜻蛉の複眼にも似た、シャドームーンのあの緑色の眼。
其処に、自身の妖糸を視認する何かがあると、せつらは睨んでいた。
事実、その推論は当たっていた。
せつらが宝具か何かと推察しているこの緑色の複眼はシャドームーンと言う、ゴルゴム、いや、創世王と呼ばれる高位次元存在が生み出した最高傑作に備わる、
戦闘を有利に進める機能の一つ。マイティアイと呼ばれる物が、それなのだ。
戦闘データの収集、相手の動きをモニタリング等は勿論の事、天体望遠鏡レベルの遠方視認能力や物体の透視、
果てはマイクロレベルの点すらも容易く目視出来る程の顕微機能など、まさにマイティの名に違わぬ様々な力を内包している。
このマイティアイによりシャドームーンは、せつらがナノレベルの細さをしたチタン製妖糸を巧みに操って攻撃を行うサーヴァントだと即座に看破した。
空気よりも軽い、分子レベルの金属糸を巧みに操って攻撃すると言うその技量にはシャドームーンも驚かされている。
切断性を伴わせて此方に向かわせるだけではない。
見るが良い。今の秋せつらを。これだけの豪雨にも関わらず、せつらの身体は全く濡れていないではないか!!
射干玉の如く黒い髪からは水の一滴も滴っておらず、コートの一部分にも水の染みが出来ていない。
雨は、秋せつらを避けて降り注いでいた。極めて不自然な事に、雨粒はせつらの頭上二十cm程にまで到達した瞬間、見えない屋根でもあるかの様に何かの上を伝って行き、
あらぬ方向にやがては弾き飛ばされてしまうのだ。まるで、神の与えたもうた美を誇るせつらに対して、礼節を弁えているかの如き、意味不明な軌道である。
無論シャドームーンは、雨粒が独りでに意思を持ち、せつらを汚す事を恐れていると言う訳ではない事を知っている。
せつらは周辺にチタン妖糸を蜘蛛の巣の如き張り巡らせ、雨粒で身体が濡れる事を防いでいるのだ。
ナノレベルの細い糸にも拘らず、千を超し十万粒にも上ろうかと言う水滴を全て防ぎ切る等、並の技量ではない。
チタン妖糸をせつらは、己の身体の周辺にバリケードの要領で張り巡らせている。下手な攻撃を仕掛ければ、何が起きるか解ったものではない。
攻防一体を成す極めて完成度の高い戦闘技術。シャドームーンはそう推測するのであった。
実を言うとシャドームーンは、秋せつらの存在に早くから気付いていた。
聖杯戦争が始まるまでの期間、散歩をしに<新宿>中を霊体化して移動していた訳ではない。
サーヴァントの知覚範囲外からマイティアイで、具にその動向を観察し、どのような存在なのか、そして、如何なる戦い方をするのかと言う事を、
彼は予めプロファイリングしていたのだ。しかし、存在に気付いていたから、と言って、その全員の戦い方を頭に叩き込んでいる訳ではなかった。
単純である。そもそも戦うと言う局面に全く陥ってくれなかった主従がいると言う事だ。戦う場面を見せなければ、データの収集も出来る筈がなく。
故にシャドームーンは、せつらの戦い方を今知った事になる。並大抵のサーヴァントであれば、何が起ったのかすら解らず殺されていたであろうせつらの糸使いに、此処まで対応出来るとは、シャドームーンの方も、並外れた怪物と言う他ない。
剣を握っていない左手を、せつらの方に伸ばした――その瞬間。
シャドームーンの指先から、若緑色の、稲妻にも似たスパークが迸る。せつらの周りを取り囲むナノの魔糸に直撃した瞬間、スパークが爆発を引き起こした。
爆発の光量は閃光弾にも匹敵し、降り注ぐ雨を爆発部の熱量で一瞬で蒸発させる程の熱エネルギーを有している。
生身に直撃していたら、肉体は粉微塵に砕け散っていただろう。現に、至近距離からのマグナムですら物の数にならない程の強度と靱性を有している筈の、
せつらのチタン妖糸が熱で焼き切れている事からも、その威力の程は推して知れるであろう。
軽くせつらは、ダイヤモンドを削って作り上げたような細く白い指を動かす。
すると、その動きを契機に、チタン妖糸の一本が軽く地面に落下した、刹那。
その動きを契機に、地面を張っていた妖糸の全てが音もなく跳ね上がり、一斉にシャドームーンの方に向かって行くではないか!!
余りにも、物理的法則を無視したチタン妖糸の動きに、世紀王は驚愕した。如何なる力が働けば、このような軌道が出来ると言うのか!!
糸の軌道上から、シャドームーンは空間転移を行い、事なき事を得る。しかし、せつらは既にシャドームーンの移動地点を看破していた。
何故なら既にせつらは、食屍鬼街中にチタン妖糸を展開させ、誰が何処にいて、そして如何なる事をしているのかが手に取るように解るのだから。
送電線や水道が機能しているのか疑わしい、如何にもボロボロな幽霊ビルのコンクリ壁を貫いて、先程のスパークがせつらに向かって放射された。
それをせつらは、見抜いていたとでも言う風に、目にも留まらぬ速度でその場から移動し回避。
その回避先を読んでいたと言わんばかりに、回避した先に、シャドームーンの獲物であるシャドウセイバーの剣身を短くした、ナイフのような剣が音速の三倍の速度で迫る。
ナイフは、せつらに命中するまで残り三十cm程と言う所で、三cm間隔で輪切りにされ、無害化。光の粒子となって降り注ぐ雨粒に溶けて行った。
カシャン、カシャン、と、アスファルトを穿つが如き勢いの雨の中にあっても、その音は良く聞こえて来た。
水で煙って揺らめく蜃気楼の先から、緑色の複眼をもった戦士が近付いてくる。せつらが気を引き締める。
シャドームーンが左腕の肘から先をを上に伸ばす。それを合図に、シャドームーンの周囲の空間が、揺らめいた。それは、豪雨が見せた錯覚でも何でもない。
強いて言うのならば、揺らめいた、と言うよりも、水面に小石を投げ入れた時の如き波紋が、空間に波を打ったとでも言うべきなのだろう。
広がった空間の波紋から、幾つもの、赤い殺意が生まれて来た。赤い剣身の長剣やナイフ、大斧に槍、矢の類が、その切っ先をせつらの方に向けていた。
腕を、下ろした。その合図を待っていたと言わんばかりに、シャドームーンが生み出した武器の数々が先程のナイフと同様の速度で射出される。
最も早く自分に到達するであろう最初の一本を妖糸で斬り刻み破壊してから、せつらは凄まじい速度で射出された武器の軌道上から消え失せる。
身体に巻き付けたチタン妖糸を別所に巻き付けて、それを収縮させる力を利用した高速移動であった。
シャドームーンが射出させた大斧は地面に当たるや、地面のアスファルトを原形を留めない程、それこそ、『粉』々にする程破壊してしまい、
コンクリ壁に直撃したそれは、鉄骨で補強されている筈のそれを薄紙の様に貫いて彼方へと消えて行った。
三十m頭上に飛び上がったせつらは、軽く指を動かし、二百九十一条のチタン妖糸をシャドームーンの下へと襲来させる。
銀鎧の戦士は、自らの周りに紅色の壁を作りだし、迫りくるチタン妖糸を防御しようとする。
壁は数百片も斬り刻まれて破壊されるが、壁自体が熱エネルギーの様な物を内包しているらしく、チタン妖糸も溶けて蒸発してしまった。
シャドームーンのマイティアイが、せつらの着地点を数か所予測し終えたその瞬間。
地面が波を打ち、アスファルトに幾つもの波紋が浮かび上がった。其処から大量の武器の切っ先が現れる。やはりすべて、紅色だった。
それが、せつらが黒い怪鳥の如く舞い飛んでいる上空へとロケットめいた勢いで上昇して行く。
美魔人はこれを、自身を振り子の要領で高速移動させる事で尽く回避。銀鎧のセイバーが生み出した、血紅の武器共は、雨雲を貫くだけの結果に終わった。
シャドームーンの背後に存在する、住居と一体化した酒店の屋上に着地した、と同時にであった。
黒雲から白色に光り輝く稲光が、秋せつら個人目掛けて、文字通りの稲妻の速度で煌めいたのは。
遠くから見れば空に亀裂が生じたような稲妻は、一切の反応を許さずせつらの脳天を粉々にする筈であったが、此処で、保険として頭上に展開させていたチタン妖糸が活きた。
鼓膜を引き裂き、三半規管にすら重大な障害を残してしまいかねない程の轟音がせつらの耳に響き渡る。
電熱により妖糸は完全に焼き切れ、最早障壁としての体を成さなくなっていたが、それでも、稲妻の直撃と言う消滅不可避の事象を避ける事が出来たのは、凄まじい。
防がれる可能性を読んで、二の手――寧ろ此方の方が本命なのだが――を打っておいたとは言え、現実に防がれるとシャドームーンとしても驚きは凄まじい。
宝具、陰る月の霊石で生み出された雷霆は、生半な対魔力程度等何の問題にもせず、相手を分子と見紛う程の肉の粉にする程の威力を有している。
キングストーンは、人間が生み出された歴史と殆ど同等、或いはそれ以上の期間か。兎に角、数十万年もの間地球上で暗躍して来た秘密結社ゴルゴムが、
神器とすら崇める規格外と断じて良い宝具である。古ければ古い程、崇められれば崇められる程神秘は蓄積される。
単純に数万年もの間受け継がれ、崇められてきた事によってキングストーンに蓄積された神秘は埒外のそれとも言うべき物で、
そんな神秘の結晶体から生み出される武器や現象の一つ一つには、凄まじいレベルの神秘が内包されている。だから、下手な対魔力など意味を成さない。
このような経緯のキングストーンから生み出された攻撃の数々を防御出来る。それは、チタン妖糸が凄い代物と言う事もあろうが、それ以前に、それを操作する操り手、
秋せつらの神技的技量が関係していると、シャドームーンは睨んだ。やはり、聖杯への道のりは険しい。しかし、勝ちの芽は此方にもあるのだ。
二の手を、今正にシャドームーンは開帳した。
せつらの周辺を取り囲むように、現れたるは紅色の剣達。
切っ先は、それが当たり前とでも言うように全てせつらの方に向けられている。
彼は易々と、シャドームーンの宝具が生み出した神秘の結晶体達を斬り裂いてはいた。傍目から見れば研ぎたての包丁で野菜でも斬るかのような容易さで、
対応していたように見えたが、現実はそんな物じゃない事は防御したせつらがよく知っている。
武器一つを斬り裂こうにも、常人では考えられないような『工夫』した斬り方を行わねばならない程で、ハッキリ言って複数本射出されれば、
とてもではないが全部斬り裂くなど正気の沙汰とは思えない。だからこそ、なるべく武器の射出は回避するように心がけていたが――。この物量と配置では、厳しい物がある。
「拙いなぁ」
降り頻る豪雨で身体が濡れる事を、最早せつらは気にも留めていない。
場違いな程のんびりとしたこの一言を契機に、武器は射出された。
何も抵抗を行わねば、放たれた速度と勢い、武器自体が有する神秘により塵殺は免れないであろう。
無論、無抵抗を貫き通すせつらではない。不可視の糸を武器の軌道上に展開させ、音に倍する速度で迫る武器達の軌道を逸らす、余裕があれば破壊する、など。
妖糸で行う事が可能な種々様々な防御を行い、捌いて行くが、全てを防ぎ切れた訳ではなし。
短剣が糸の合間を縫ってせつらの方に向かって行くが、彼はこれを身体を強く捩じらせる事で直撃を避ける。
だが短剣の剣身は、彼の身体をコートごと斬り裂き、せつらの胸部から血が噴き出た。豪雨に、薔薇の如くに赤い血が溶けて行く。
雨も幸せな事であろう。美しき魔人の血と、そのまま合一が出来たのであるから。
せつらが佇んでいるであろう酒屋の屋上を見上げるシャドームーン。
生きている事が手に取るように解る。障害物による視覚遮蔽など、マイティアイの前では無力と言う他なかった。
しかし、手傷を負わせたのも解る。決して深い傷ではないが、これを重ねて行けば、相手が倒れるものだ。浅い傷を笑う者は、その傷の差に敗れ去る事となる。
指先をせつらのいる所に向けた――瞬間だった。背後から迫る殺意に気付いたシャドームーン。
急いでその方向を振り向き、今も右手に握っていたシャドウセイバーを上段から振り下ろす。金属の結合が破壊され、砕け散る音が鳴り響く。
此方に向かって高速で飛来して来た物は、自分が先程せつらに射出させた赤色の剣身のロングソードに他ならなかった。
破壊されて消滅される際に、その剣の柄に、チタン妖糸が巻き付けられていたのをシャドームーンは見逃さなかった。
此方に向かって迫りくる武器の一本に妖糸を巻き付けて置き、それを巧みに操り、シャドームーンの下へと向かわせたのだろう。何たる――何たる神技か!!
急いで背後を振り返るシャドームーン。
黒いコートを魔鳥が羽ばたく様にはためかせ、魔人、秋せつらが飛び降りた瞬間を銀蝗の戦士は見た。
天使の翼の色が白だと最初に定義した者は、誰だろうか。きっと今の光景を見たら、最初にそれを決めた者は、自身の定義を即座に覆すに相違あるまい。
世界に言葉を投げ掛ければ、その言葉通りに世界の方から世界自らを変えてしまいかねない程の美の持ち主が、頭上から降りてくれば、或いは。
いや、場合によりては、悪魔はその美を以て人を誘惑するのだと、言い訳をするのかも知れなかった。
地上に着地する前にせつらは、二百十一条のチタン妖糸をシャドームーンの上空から、百四条のチタン妖糸シャドームーンの足元から、彼の方へと向かわせた。
計三百十五条の、殺意を滾らせたチタン糸が、銀鎧の戦士を細切れにせんと迫り来るが、シャドームーンは裂帛の気魄を込めて、
シャドウセイバーごと自らの身体を一回転させ、迫る妖糸を全て弾き飛ばし、事なき事を得る。
せつらが地面に着地しようとする、その隙を縫って、シャドームーンが指先から稲妻状の光線を放射させる。
しかし、せつらが着地しようとしたのは完璧なフェイントだった。彼は地上まで後二m程と言う所でチタン妖糸の一本を浮かせており、其処に浮かせていた妖糸を足場に、
思いっきりそれを蹴って跳躍。見事にレーザーを回避して見せたのだ。シャドームーンの放った光線が、建物に当たり、
家屋一つを丸々呑み込む程の大爆発を引き起こしていると言う地獄絵図を背後に、せつらはシャドームーンまで残り五m程と言うところで着地する。
それを見るやシャドームーンは、エルボー・レッグの両トリガーを超々高速で振動させる。
凄まじい唸りの音を上げるそれは、只でさえ尋常ではない威力を誇るシャドームーンの格闘技の威力を更に向上させるシステムの一つである。
無論高速の振動は手に持っているシャドウセイバーにも適用され、その切れ味もまた倍加する事は、言うまでもない事柄であった。
地を蹴り、生半な武人程度なら認識すら出来ない程の速度で、剣と拳を共に叩き込める間合いにまでシャドームーンは接近。
せつら目掛けて左のストレートを放つ。しかし、張り巡らせていたチタン妖糸にぶつかり、せつらには攻撃がまるで届かない。
刹那感じた、左の拳面の鋭い痛みに、シャドームーンは腕を引いた。砲弾ですら弾き返す程の金属上の外皮、シルバーガードに覆われた拳に、切れ目が入っているのだ。
痛みに反射的に腕を引いていなければ、拳が二つに割れていたかも知れない。触れたと同時にチタン妖糸が砕かれたは良いが、
無数に展開出来る妖糸の破壊と引き換えに拳を失うのは、割に合わない賭けであった。
再び、シャドームーンの方に魔糸が迫るが、彼はこれを、キングストーンが内包する能力の一つである瞬間移動で回避する。
場所は捉えている。その方向に糸を向かわせようとした瞬間、凄まじい衝撃が糸に叩き込まれ、その余波でせつらが吹っ飛んだ。
壁に背面から叩き付けられるが、受け身を取っていたのでダメージは軽微で済んだ。懐かしい感覚だった。
魔界都市では一山いくらの特殊ドラッグか改造手術で、誰もが獲得出来る、念動力、つまりPSYの類だ。
しかし、今せつらに叩き込まれたそれは、せつらがかつて経験した念動力の中でも特に痛烈無比な物であった。糸を貫いて、余波だけでこの威力は尋常の物でない。
再び糸を全面に張り巡らせるように展開させると同時に、せつらが再び吹っ飛んだ。再び念動力だ。
鉄筋コンクリートの壁をスポンジケーキの生地の如く破壊しながら、せつらは吹っ飛んで行き、建物内部に膝を付いて着地する。
糸を纏わせて鎧代わりにしていなければ骨の一本以上はオシャカになっていたであろう。
三度念動力が発動される前に、人差し指を軽く動かす。
すると、念動力の放たれるスパンが一秒程遅れた。その機を狙ってせつらは、空いた鉄筋コンクリートの穴から外へと飛び出た。
あのセイバーの事だ。空間転移の移動先に配置していた糸を動かし攻撃を仕掛けたが、全て対応したに違いないとせつらは推理。そして事実それは当たっていた。
頭上からキングストーンの力で生み出された稲妻が、轟音を上げてせつらの脳天に堕ちて行く。張り巡らせていたチタン妖糸に当たり、雷は無害化される。
前後左右に一本づつ、赤色の剣や大斧が配置され、全てせつらの方に射出されるが、軽く右斜め前方にステップを刻んで、焦る事無くこれを避ける。
その先に――シャドウセイバーを両手に構えた銀蝗の戦士が、空間転移で現れ出でた。
左手に持った一本を下段から振り上げる。糸が尽く切断される。
此処でせつらが動いた。後方に飛び退こうとするが、シャドウムーンは目にも留まらぬ早業で右腕のシャドウセイバーを左中段から水平に振り払う。
切っ先が浅く肉を裂いた感覚を彼が捉える。鳩尾の辺りを一〜二mm程度切ったのだ。サーヴァントならばまだまだ動ける程度の手傷だろう。
今度は、せつらの方が攻勢に転じる方であった。
空中に銀線を四十条程、軽く舞飛ばせ、雨の当たる勢いを精密に計算、シャドームーンの方向に正確に向かって行くようにした。
只人が投げた所で、チタン妖糸は単なる屑糸以外の何物でもなくなる。しかし、此処にせつらの超常たる技倆が加わる事で、
鋼をも紙の如くに斬り裂く殺意の断線にそれは変化するのである。
シャドームーンが、今も降り頻る豪雨に何の抵抗も出来ず、雨に打たれるだけの、せつらが糸を巻き付かせ地面に倒れさせた先程のチンピラの一人に、
念動力をかけ浮遊させる。人差し指を指揮棒の如く動かし、凄まじい勢いで、その茶髪のアウトローを糸が待っている方向に突撃させた。
ピゥンッ、と言う、彼の身体に巻きつけられた糸と、空中を舞う殺意の断線がぶつかり、共に切断される音が響いた。
――と、同時だった。その男の身体が、二十以上の大きな肉片に分割され、内臓と血液をぶちまけて落下を始めたのは。
糸は全て切れた訳ではない。残った糸に、男は身体を斬り刻まれたのだ。
シャドームーンの凄絶な糸の対策に目を見開かせるせつら。
それと同時に、この銀鎧の戦士が動いた。空いた左手を、雨に濡れて女性美にも似たエロスを醸し出している、白皙の美貌を持つせつらの方に突き出すと、
ドンッ!! と言う音が響いたのだ。せつらは勢いよく十m程も吹っ飛ばされるも、何とかアスファルトの上に膝立ちの状態で着地。
彼の口の端からは、血が少し流れ出ていた。シャドームーンの、鋼をも砕く念動力。それを喰らってまだ生きていられるのは、偏に腕を突き出す前にせつらが糸を何とか展開していたからに他ならない。それでも、展開の仕方が粗雑で、衝撃を少し貰う形になってしまったが。
「あんまりな防御方法を選ぶじゃないか。其処の不良達は、君の精神干渉を受けて、君に忠誠を誓っていたのだろう?」
「サーヴァントとの戦いでは、役に立つか否か程度の働きしか俺は期待していない」
NPCに、サーヴァントとの戦いで何らかの役に立たせると言うのは、かなり難しい注文だった。
況してや、せつらの超絶の美に、立ち眩みを起こすような連中では、想定よりも遥か下に設定された期待以下の働きしか出来なさそうなのは、当然の予測だ。
「だから、肉の盾にした、と」
「それが悪い事だとでも?」
「――いいや」
その瞬間だった。……『シャドームーンのマイティアイが、ERRORを吐いた』のは。
予期しなかった自身のセンサーの反応に、シャドームーンは愕然とした。こんな事態、日に二度も起こる訳がないのだとタカを括っていたシャドームーンには、この結果は衝撃的なそれだった。
「それで勝てると思ったのならば、存分にそうするが良い」
確かに、目の前に佇む男は、先程までシャドームーンが激戦を繰り広げていた秋せつらに他ならなかった。
何も、変わっていない。頭から角が生えた訳でもなければ、背なから翼が出た訳でも、その血管が透けて見えそうな程白い皮膚に鱗が生え揃った訳でもない。
月の輝き、夜闇の暗黒、夜の颶風の叫び声を結晶化させた美貌。そしてそれを支える美しい黄金比と、青春美の面影を残した肉体。
そして、目の前の銀鎧のセイバーを見つめる荘厳な瞳。そう、何も変わっていないのだ。
――ただ、その声の恐るべき冷たさと、無慈悲極まる人間性(なかみ)を除いては。
せつらの糸縛りで縛られた不良やチンピラ、アウトロー達の瞳には、シャドームーンとせつらの姿は、水煙に煙った銀と黒の幻影にしか見えなかっただろう。
だが今、彼らはしっかりと認識していた。彼らですら理解していた。黒い幻影の存在感が遥かに増し、そして、彼が姿をそのまま、全く別の生き物に変わった事を。
不良の一人の、豪雨に濡れたその瞳に、恐怖から来る涙が流れ落ちる。組を破門されてその日暮らしを続けているヤクザ崩れの股間から、黄色い液体が流れ出た。
せつらの存在感を認知したのは、人だけではない。突如の豪雨に驚き、ゴミ袋や樋、物陰に隠れていた無数のゴキブリやネズミ、ダニやノミに至る生物までが一斉に、
雨に濡れる事すら厭わず、道を駆け抜け、逃走を始めたのである。人以外の生き物の間にも、愚鈍さや要領の悪さはあるらしい。
在るネズミやゴキブリは、まだ殺意を残していたせつらの糸に運悪く触れてしまい、身体を真っ二つにされたりする者も存在した。
せつらよ、お前の美は、人以外の生き物にすら左右するのだろうか。いや違う。今この場にいる皆が、せつらの事を美しいと思っていなかった。
氷の夜に浮かぶ、星々を凌駕する輝きを誇る月輪の如き美を持った男が、シャドームーンの方を見て、口を開く。
「だが、覚えておけ。お前がそのような考えで戦いを繰り広げるのであれば、お前と戦うのは、“僕”ではない」
シャドームーンは大気に象嵌されたように、せつらの変化に目を奪われ動けなくなりながらも、彼の身に何が起ったのかを推理していた。
自身が最初に戦った、あの大斧を振り回すバーサーカーのマスターの内部には、あの人格とは別に、もう一つの人格が恐怖で震えているのを見た。
あれは二重人格、と呼ばれる物だったのだろう。メフィストも、それを仄めかすような発言をしていた。
では、この月光の具現たる黒い男も、同じような物なのだろうか。似ているとは思う、しかし、違うとも思う。
一体、この男は誰なのだ。人の姿をしていながら、誰しもに、人間以外の何かであると思わせる力を発散し続ける、この男は、誰なのだ。
「不運だな、セイバー」
そう、彼こそは、魔人・秋せつら。
かの魔界都市に於いて、絶対に敵に回しては行けない男とされた人間。
風を斬り、海を断ち、神や悪魔をも真っ二つに裂いて殺す程の技量を持った、天地人のどれにも当てはまらぬイレギュラーの男。
「お前は“私”と出会った」
そして――。
魔界都市その物とすら言われた、美しくも無慈悲な黒い天使であった。
<新宿>が今、魔界都市の具現たる男を受け入れ、歓喜に打ち震えている事を、シャドームーンは知らない。
前半の投下を終了いたします
前編投下乙です
アイギスにどこか人形娘を重ねているせつらが何か良い
“私”のせつらに影月はどう出るのだろうか
前編投下乙です。
せつらは未だ把握していませんが、あのシャドームーンをして神技と言わしめる、糸を操る技巧は相当なものなのだろうと思いました。
知らないキャラなのに、読んでいてそう感じられるだけの戦闘描写が凄いです(語彙不足)
後半も楽しみです。
予約分を投下します
真夜中の街路は静まり返っていた。
ほんの1時間前までの、あの馬鹿げた狂騒の名残は欠片もない。全てはまるで、夜闇が見せた幻であったかのように。
静かだった。およそ〈新宿〉の夜とは思えないほどに。少なくとも、荒垣真次郎が認識する周囲においては。
都会の喧騒、暴力と享楽のざわめき。総じて短絡的な感情の生み出す熱量だが、そうした類のものは今も〈新宿〉のどこかには確かに根付いている。しかし、世に存在するあらゆる事象に共通するように、これにもまた【二面性】というものがあった。
その一つが、この夜闇の静寂さであった。今この街は死んでいる。そう表現できてしまうほどに、それは死体の放つ澱んだ負の静けさだった。
無論、それが治安の正常化を示しているのかと言えば全くそうではなく。
嵐の前の静けさどころか、嵐が過ぎ去った後の爪痕の静寂ですらなく。
今この瞬間にも加速度的に膨れ上がりつつある異常性の、臨界点に到達し全てが爆発四散する寸前における無音の空隙であるなどということは。
言われずとも、荒垣は承知の上であった。
先の一件からこうして自分の寝床に戻ってくるまでに聞いたのは、自分の靴音を除けば自動車のエンジン音と風に揺れる街路樹の枝葉くらいなものだった。
神楽坂から西落合まで、ちょうど新宿の端から端までを1時間と少しで移動し、荒垣は閑散とした通りの外れに佇む教会の前に立っていた。
『聖セラフィム孤児院』。それが、この教会の名前であり、荒垣が生まれ育った場所という【設定】になっている場所だ。
昨今はあらゆる物事に利権や損益―――いわゆるビジネスが絡むようになり、孤児院という名称は廃れ児童養護施設と名を変えることが多くなってきているが、そのような世情において尚、この教会は孤児院という名称から連想される普遍的なイメージをこれ以上なく体現した施設であった。
宗教施設が福祉を兼ねるというのは世界各地に見られる様式で、日本に作られた初期の孤児院の多くも、宗派は様々であるがキリスト教系であったということは、他ならぬここのシスターに聞かされたことではあったが。それでも、このご時世では珍しい部類に入るのだろうと荒垣は考えていた。
まあ、そうした施設に共通する宗教教育が、この聖セラフィム孤児院には無かったということは、荒垣にとってはありがたいことではあったのだが。
木組みの門を無造作に潜り抜け、慣れた様子で足を進める。入って左手のほうには三角屋根の赤茶けた聖堂があって、入口の扉は当然のことながらぴっちりと閉ざされていた。右手のほうには聖堂より少し大きい白塗りの四角い建物があって、並んだ窓の向こうには閉じられたカーテンが顔を覗かせている。荒垣が向かうのは、言うまでもなく右手の生活スペースのほうであった。
正面のほうはとっくに施錠されているから裏口から入る。勿論こちらも本来ならば施錠されているのだが、シスターや他の子供たちが寝静まったのを見計らって鍵を持ち出したのは他ならぬ荒垣だ。夜目を利かせて鍵を開け、かちゃりという小さな金属音を聞くとするりと中に体を滑り込ませる。別段バレたところでどうということはないのだが、お説教シスターやおせっかいな馬鹿共が逃げても逃げても追っかけてくる光景は想像するだけでも頭が痛くなってくるので、目指すは隠密行動である。
裏手を抜け、階段を前に立つ。今夜は月が明るいから、その青白い光のおかげで足元に迷うということもない。あとは素知らぬフリで部屋に戻れば何事もなかったかのように朝を迎えられると考えて。
「よう。朝帰りにしちゃ早かったじゃないか、シンジ」
頭上から、そんな声が浴びせられた。
目を向ければ、階段の踊り場にひとつの影があった。頭髪が夜の帳に白く映え、線の細い体躯は、あまりにも見慣れてしまっている故に直接見るまでもなく誰のものか理解できた。
「……アキか」
「アキか、じゃないだろ。おいシンジ、お前今までどこに行ってた」
ツイてねえな、と荒垣は内心舌打ちしたい気分になった。今最も会いたくなかった人物の片割れ、おせっかい馬鹿こと真田明彦がこいつだった。
この〈新宿〉と聖杯戦争というものはどこまでも人をバカにしくさっているようで、どうやら聖杯戦争参加者の周囲にいた人物たちを、〈新宿〉を構成するNPCとして再現・利用しているのだ。一体どのような技術を使えばそうなるのか、荒垣をして「本物」なのではないかと疑うほど精巧に作られたそれは、ロールとして荒垣に割り振られた日常の周囲にも多数存在していた。
こいつもそのうちの一人だ。そして、真田以外にもS.E.E.Sの面々を始めとした、どこかで見たことのあるような連中がそこかしこにいることを、荒垣はここ数日で嫌というほど目にしてきた。
裏方にいる連中はよほど死にたいらしいな―――という憤激の念を覚えた過去のことはさて置いて。
今置かれている、悪戯を咎められる子供のような状況を、正直荒垣は苦手としていた。推測するまでもなく、こいつは今の今まで自分の帰りをこうして待っていたのだろう。糾弾ではなく心配の念が、黙っていても痛いほどに伝わってくる。
今更萎縮する心など持ち合わせてはいないが、それでも愉快なものでないことは確かだ。こういう状況に、荒垣はどうも弱かった。
「てめえには関係ねえことだ。
……まあ、別に危ねえ真似してるわけじゃねえから心配すんな」
「心配すんなって、お前な」
切って捨てても問題ないだろうと最初に思って、けれど良心が咎めたのかフォローの末尾を付け加えた。そんな一言を告げて横を通り過ぎようとした荒垣に、明彦の呆れた声が降りかかる。
それもある意味当然だろう。夜中勝手に出歩いた人間を散々待って、その言い訳がこれなのだから、それで納得しろというほうが難題である。
だが、荒垣としてはそうとしか言えないのもまた事実であった。明彦が聖杯戦争の参加者でないということは、アサシンと邂逅したその日のうちに確かめている。ならば彼に仔細打ち明けるなどできるはずもないし、話したところで理解が得られるとも思ってはいない。
「すまないが、今言っても仕方のねえことだ。言っても、多分理解できやしねえ」
「……どうしても言えないことか?」
「わりぃな」
「……まあ、いいさ。けど、俺はともかく他のみんなを心配させるようなことはするな。分かったな?」
呆れ声が、ふと苦笑したかのような響きが真田の口から洩れた。
黙って横を通り過ぎようとしていた荒垣は、思わず立ち止まり、視線を向けないまま問う。
「……なんだよ」
「いやなに、俺がお前の心配するなんて珍しいこともあったもんだって思ってな。いつもはお前がみんなの心配して世話焼いて、俺なんか特に小言ばっかだったからな」
……彼の言うことは、恐らくは荒垣が記憶を取り戻す以前の【設定】なのだろう。何故なら荒垣は、記憶を取り戻して以降は焦燥に駆り立てられるように〈新宿〉へと赴いていたのだから。
いくら精巧に似せようと、偽物は偽物だ。それはきちんと理解しているし、だからこそこの仮初の平穏を作り上げた聖杯に対する怒りも尚更こみ上げてくるのだが。
けれど、そこに元の世界の面影を感じてしまうことも、嘘ではなかった。
「ともかくだ。今回のことは俺が黙っておいてやるから、これからはちゃんと断ってから行くか、本当にバレないようにやれよ」
「……チッ」
明確な答えを返すことはせず、荒垣はただ舌打ちだけで今の感情を示した。
別に真田の言葉が気に入らなかったとか、頭にきたとか、そういうことではなかった。
ただ、真摯にこちらを心配する彼に、何も真実を告げられないやるせなさだとか。
自分で吐いた言葉すら守れる確約ができないということへの不甲斐なさだとか。
未だにこんな張りぼての感傷を捨てきれない自分に対する情けなさだとか。
そういう諸々に対しての、これはそんな舌打ちだった。
▼ ▼ ▼
結論から言うと、全部バレてた。
雑に寝転がって仮眠を取ること暫し、そろそろ起きようかと思い始めた朝方に、突如として大音響の歓声が自室のドアを蹴破って雪崩れ込んできた。その正体は孤児院の子供たち。狭いドアから出るわ出るわ、一斉に飛び出した10人ばかりの子供たちはあっと言う間に荒垣を取り囲み、ベッドにダイブし、てんでバラバラに騒ぎ始めた。
「シンジにーちゃんどこいってたんだよー!」
「あたしさみしかったんだから!」
「ほんとだよー!」
「わたしねないでずっと待ってたのにー!」
「のにー!」
「夜中にあそんじゃだめなんだってシスターがいってた!」
「おにーちゃん悪いんだー!」
「ねえおみやげはー?」
「僕おなか減った……」
「ごはん作ってごはん!」
「ごはんごはんごはん!」
ひとしきり騒いだ後には、最後にはみんなでごはんの大合唱。はっきり言ってうるさいことこの上ない。
一瞬の忘我から立ち直り、一体何がどうなってるんだと逡巡して、ドアの向こうに誰かが立っていることに、そこでようやく荒垣は気付いた。
栗色の長い髪を無造作に伸ばした、荒垣と同じくらいの年ごろの少女。黒地に白い縁取りのぞろっとした修道服に、大きな丸レンズの眼鏡。十字架の形をした金色のペンダントを揺らして、両手は腰のあたりに添えられている。
仁王立ちという言葉を体現した佇まいだった。
「それでシンジくん。何か言い訳、あるかな?」
その言葉は、子供たちの大合唱の中にあって、しかし不思議とすんなり耳に入ってきた。
表情は笑顔の少女は、しかし眼鏡の奥の目は全く笑っていなかった。
▼ ▼ ▼
荒垣真次郎は、自身の持つ"力"を心底忌み嫌い、そして同時に頼みとしていた。
ペルソナ、力ある精神ヴィジョン。それはかつて、決して消えない罪業の象徴たるものであり、文字通り死んでも切り離せない自罰と茨の具現であった。
だが同時に、それは現状の荒垣がサーヴァント以外で有する、超常に抗うためのたったひとつの手段でもあるのだ。朽ちるだけの死人であったはずの自分を呼び起こし、更なる罪業に手をかけろとその身に令呪を刻み込んだ支配者を引き摺り下ろすための、それは憤怒と復讐の牙。
既にサーヴァントというこれ以上ない戦力を与えられているとはいえ、荒垣は自身の手を動かさず安寧に甘んじるような男ではない。サーヴァントには敵わずとも、自分の手で立ち塞がる障害物をぶちのめし、ただ胸に去来する怒りをぶつけたいというどうしようもない欲求が、荒垣の中にはあった。
そのためならば、どれだけ自らの体が傷つこうとも、荒垣は頓着しないだろう。切り刻みたくば斬るがいい、蜂の巣にしたくば撃つがいい。だがその程度のことで俺の歩みが止まると思っているならそれは間違いだと、猛る思いが全てを壊せと叫んでいる。
ペルソナの原動力が精神に由来し、心の強さがペルソナの強さであるというのなら、今の荒垣は間違いなく、過去最大級の力を有していた。怒りという負の想念が元になっているとはいえ、力としての絶対値に事の正邪など関係ないのだから、それは自明の理として現れる。
後のことなど完全に度外視して、屑共を叩きのめすと吠える彼は言わば暴走機関車だ。その進撃が止まることはなく、あらゆる敵に対する攻撃に一切躊躇などしない。
―――それはともかくとして。
「……」
今の荒垣が何をしているのかと言えば、居住寮の台所で忙しなく手を動かしていた。やっていることと言えば朝食の準備だ。とはいえ仕込みの大半は昨晩のうちに済ませておいたようで、今やっているのはちょっとした一品料理の追加くらいである。
掃除に洗濯に子供の相手、料理の手伝いに家計簿の整理を一週間。それがシスター見習いの少女……イリーナに言い渡された罰の内容だった。
真夜中の無断外出に対する罰則としては、まあ妥当なところ……なのだろうか。今までそこらへんを咎められた経験のない荒垣にとっては判断がつかないところではあるが、少なくとも外出の禁止だとか言われるよりは随分と穏当な処分であることは間違いない。
とはいえ、積極的に聖杯戦争に関わっていきたいと考えている荒垣にとって、単純に時間と手間が取られるというのは中々頭の痛い話だった。いっそここから出て野宿でもするかなどと、そんなことを一瞬考える程度には。
【そう焦る必要もないと思うんやけどなぁ。お前が色々やってる間はおれが動くなんてこともできるんやし、そう難しく考えることもないんと違うか?】
【それとこれとは話が別だろ、鬱陶しいったらありゃしねえ。つーかなんで聖杯とやらはこんなまだるっこしいことを強制しやがるんだ、戦わせるにしてもバトルロワイアルだのトーナメントだの、もっとやりようがあんだろ】
【あー……考えられるとしたら、何かしらの"状況"の再現あたりになるんかなぁ。というかお前さんホンマにイラついとるんやな】
【……別に、怒ってるわけじゃねえさ】
ひらひらと手を振って降参のポーズをするアサシンの姿を幻視しながら、荒垣は自分でも苦しいと分かりきっている言い訳をする。とはいえ、単に身動きの取りづらいこの状況が煩わしいというだけで、別に彼女らに対して怒っているというわけではないというのは本当のことだ。
規則的に包丁を動かしながら、ふと思索に沈む。手慣れた作業を繰り返していると、どうにも雑多な考えが浮かんできて仕方がない。それは先の「役割(ロール)の存在意義」についてもそうだが、昨晩の遠坂邸やシャドウすらも凌駕するおぞましいバケモノに変生した女のことであるとか、討伐令の課されたバーサーカー陣営のことであるとか、そもそも何故自分がここに呼び寄せられたのかであるとか。そんな諸々の事項が曖昧靄とした雑念として浮かんでは消えていく。
そんなことはここでいくら考えても答えが出ないなどということは理解しているし、ならばこそこんなことは放って早いところ街に繰り出したいところではあるのだが、ロールの全てを放棄するというのが下策であることも十分理解している。
つまるところ、今の自分にできることは程々の妥協と速やかな作業くらいなのだ。そこらへんの不満を胸にしまい込みながら、とりあえず出来上がった分を皿に移そうと視線を横にやって。
「……」
「……」
目が合った。
テーブルを挟んだ向こう側、目より上だけを縁から出して、じーっとこちらを見つめる子供が一人。
明彦と同じ白い髪の、碧眼の少女。いつもの無駄に元気な有り様は鳴りを潜め、獲物を付け狙う猫のように微動だにしていない。
そんな彼女が、じっと視線をこちらに送ってくる。
「…………」
「むー」
「…………」
「むぅー」
「…………ほれ」
「ういうい」
試しにローストビーフを一切れ与えると、満足そうに咥えながらパタパタと走り去っていった。
ペルソナ使いであるはずの荒垣ですら思わずたじろぐほどの、それは目にも止まらぬ早業であった。
【随分嫌われたもんやなぁ。いや、むしろ好かれとるんか?】
【ほっとけ】
念話越しでも笑いをこらえているのが丸わかりのアサシンに、荒垣は無視を決め込んだ。
▼ ▼ ▼
『いや、俺も何がどうなってこんなことになったのか見当もつかないんですよこれが。朝来てみたらやたら大勢集まってて、そんで中を覗いてみたらこの惨状ですよ。
……困りますかって、そりゃ当然困りますよ。でもそれ以上に、俺も何がなんだか分からないってのが正直なところですね、ええ』
『私が思いますに、近頃繁盛して調子に乗ってこんな場所に店を移したのが原因ではないかと。きっと神罰が下ったのですよ』
『うだつの上がらないマスターには似合いませんからねぇ、こういう一等地は。今までみたく下町の場末でのんびり居酒屋半分みたいな経営してるほうが性に合ってたんですよ、きっと』
『……雇うか、もっと優しい店員』
束の間の朝食の時間が終わり、現在。
各々が食器を片づける音がリビングに響き、そんな中いち早く片した荒垣が共用のソファに座り込んで何ともなしにテレビを見ていた。
そこに映されていたのはニュース番組のインタビューだ。話を聞くにどうやら生放送のようで、神楽坂の飲食店に突如として現れ放置された巨大な怪物の死骸についての報道だった。
完全に、昨夜の自分がしでかした一件である。流石にこっちはバレていないと思いたいが、聞いていてなんとなく居心地が悪い。
とはいえ、そのニュースは単に荒垣の気分を損ねるだけではなく、有用な情報も彼にもたらした。荒垣の手で殺害した怪物の他にも、新大久保のコリアタウンにて発見された鬼のような怪物の死骸という文字が、目に飛び込んできたのだ。流石に公共の電波に映像を流すことはなかったが、これを単なる偶然や見間違いで済ませる愚鈍は、荒垣には存在しなかった。
死骸が残っているということから、その正体がサーヴァントであるということはないだろうと即座に考える。そして、"鬼"が荒垣の殺した蜘蛛の怪物と同じ存在であるとするなら、マスターであるということも恐らくない。
かつて自分が多く戦ってきたシャドウとも、あるいはアサシンが生きていた時代のあらゆるものとも相似しないそれ―――あえて命名するならば"悪魔"であろうか。その悪魔は、推測でしかないが、恐らくはキャスターの手によって作られた、あるいは改造されてしまった存在なのだと認識している。
つまるところ、この新宿において既に幅広く暗躍している主従が存在しているということの証左なのだ、これは。それが何者であるかは知らないし、別に事情を知りたいわけでもないが、仮に遭遇したとするならば問答無用で打倒すべき相手だということだけは、荒垣は理解していた。
遠巻きにテレビを眺める子供たちは、目尻に涙をためて怖がる者もいれば、怪物という表記に心躍らせている豪気な者もいる。この新宿に安全地帯などない以上は無駄に心労を重ねても益などなく、ならばかえってそれくらい図太いほうがいいのかもしれないと、そんなことを思った。
ちなみに、昨晩のことを黙ってると言っていた明彦はもうこの孤児院にはいない。問い詰めようと部屋まで赴いたところ、今朝早くに弁当片手に外出したと美紀―――明彦の妹だ―――が教えてくれた。恐らくはランニングついでにそのまま登校するつもりなのだろう。脳筋は放っておくに限ると、なんだかもう諦めた。
【で、これからどないする気や】
【同盟相手を探す。できれば魔術師あたりのな】
【ま、それが妥当なところやろな】
じゃれる子供たちを適当にあしらいながら、念話でこれからの方針を確認する。
自分たちの最終目標は聖杯及び聖杯戦争を仕掛けた何者かの打倒である。その願いの性質如何を問わず、自分たちを蘇らせた報いを受けて貰うというのが誰にも譲れない第一の方針であった。
これはつまり、極論してしまえば、荒垣たちは他のマスターやサーヴァントの排除という行為を積極的に行わなくてもいいということでもある。無論のこと、討伐令を下された二人のような常識知らずも会えば叩き伏せるつもりではいるし、襲ってくるなら容赦はしないが、それだけだ。話が通じるというのであれば、何も目の色を変えてまで戦う必要はない。
そしてこれが最も重要なことになるのだが、荒垣とアサシンは揃って魔術的な知識が皆無なのだ。聖杯というものに対しては申し訳程度に知識が割り振られてこそいるが、それだって聖杯を名乗る何者かに与えられたものでしかない以上、一から十まで信用しろというほうがおかしい。
サーヴァントの全滅を除いた聖杯への到達方法や聖杯の解体方法はおろか、そもそも自分たちは聖杯が何なのかということすら知らないという有り様だ。端的に言って、そんなザマで聖杯戦争の破壊などという大仰な目標を達成できるとは、微塵も思えない。
だからこそ、求めるのは魔術師の協力相手。何も仲良しこよしで一緒に頑張ろうとか言うつもりはなく、単に聖杯に関する知識を共有したいという、それだけの理由だ。
勿論目標の共有ができるに越したことはないが、流石にそれは高望みというものだろう。討伐令のバーサーカー然り、街中に悪魔をばら撒いている奴然り、願いを叶えようと聖杯を求める連中はどいつもこいつも碌な奴がいない。
最悪の場合は―――というよりはほぼ確実にそうなるだろうが―――無理やりに言うことを聞かせることも辞しはしない。
【そういうわけでだ。俺はさっさと"使えそうな奴"を探しに行きたいんだがな】
そこで一旦言葉を切って、ちらりと後ろを垣間見る。
視線の先には、今朝方荒垣に一週間の懲罰を言い渡した丸眼鏡の少女の姿。
監視するように片時も目を離さずこちらを見つめてくる笑顔の彼女からは、「この期に及んで学校サボったら容赦しないぞ」という声が、鼓膜を介さずとも聞こえてくるようだった。
【……まあ、さっきも言うたけど、そんな焦る必要もないと思うで。お前の用事が終わるまではおれが色々やっとくからな】
【……すまん、頼んだ】
苦笑するような響きに、荒垣は心底疲れたような様子で返した。
【落合方面(聖セラフィム孤児院)/1日目 午前七時】
【荒垣真次郎@ペルソナ3】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]召喚器
[道具]遠坂凛が遺した走り書き数枚
[所持金]孤児なので少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を企む連中を叩きのめす。自分の命は度外視。
1.ひとまずは情報と同盟相手(できれば魔術師)を探したい。最悪は力づくで抑え込むことも視野に入れる。
2.遠坂凛、セリュー・ユビキタスを見つけたらぶちのめす。ただし凛の境遇には何か思うところもある。
3.襲ってくる連中には容赦しない。
4.人を怪物に変異させる何者かに強い嫌悪。見つけたらぶちのめす。
5.ロールに課せられた厄介事を終わらせて聖杯戦争に専念したい。
[備考]
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ギュウキ)と交戦しました。
・遠坂邸近くの路地の一角及び飲食店一軒が破壊され、ギュウキの死骸が残されています。
【アサシン(イリュージョンNo.17)@ウィザーズ・ブレイン】
[状態]健康、霊体化
[装備]
[道具]
[所持金]素寒貧
[思考・状況]
基本行動方針:荒垣の道中に付き合う。
0.日中の捜索を担当する。
1.敵意ある相手との戦闘を引き受ける。
[備考]
・遠坂邸の隠し部屋から走り書きを数枚拝借してきました。その他にも何か見てきてる可能性があります。詳細は後続の書き手に任せます。
投下終了です
投下乙です。
荒垣先輩は孤児院で慕われてるお兄さんの役割(ロール)が似合うこと似合うこと。
P3好きな身としてはタルンダ先輩やその妹が出てきたのは驚きつつ嬉しいですが、荒垣先輩にしてみれば仮初めの幸せを作る聖杯に怒りがわくのも当然ですよね。
果たして、どの主従と接触するのか…。
面白かったです。
乙
ガッキーが見かけた仲間や知り合いに果たして何人「本物」が混じってたことやらww
シャドームーンとせつらとはまた因縁のある対決ですな
感想は後程
投下します
降って湧いたような不自然な雨雲を疑問に思ったのは、せつらだけではなかった。
食屍鬼街から外に出ようと走るアイギスもまた、奇妙に思っていたのだ。と言うより、誰とて不思議に思うのは当たり前だろう。
黒雲が自分達の居る地域だけを多い、それ以外は胸が空くような快晴なのだ。これを、奇妙だ不気味だと思わない方が、どうかしている。
これが、あの銀鎧のセイバーの能力なのだろうかと推理もするが、今は距離を取る事が優先だ。
幸いせつらは、高ランクの単独行動を持ったサーヴァントだ。自分が距離を離しても、そうそう技術や力の劣化は起らない。安心して、距離を取れる。
進路上には、食屍鬼街の住民であるアウトロー達が、せつらの糸によって雁字搦めにされた状態で地面に倒れているのが見える。
気を効かせてせつらは、この街の住民全てにこのような処置を行っていたらしかった。
この豪雨を何の対策すら出来ず、夏の軽装の状態で一身に浴びている彼らの現状を哀れだとは思うが、今は助けている暇はない。今は、自分の事を優先する他なかった。
――雨に煙り、蜃気楼のように揺らめく向こう側で、糸に雁字搦めにされていない人間が佇んでいた。
迷い込んだ人間だろうかと、センサーを働かせる。ウールかアクリルかの素材で出来た、大きくて特徴的な帽子を被った外人の男だった。
よく鍛えられた身体つきをしており、それを目立たせるように、身体のラインが良く浮き出るタイトで、黒い上下を着用している。
だが何故か。この雨の中、男は傘をさしていなかった。この雨を自ら受け入れているとでも言うように、彼は平然とこの豪雨の中で立ち尽くしていた。
「人は何で、傘を生み出したと思う」
低い声音で、男が語り始めた。
「濡れるのが嫌だったからか? 冷たいのが嫌だったからか? それもあるだろうな」
「俺は違うと思っている」
「雨は涙だ、天使の尿(Piss)だと言う奴がいるが、雨を受けるとな、人は感傷的になるんだよ。悲しくなったり、逆に、不気味な程ハイになったりな。そんな自分を見せたくないから、人は傘を生み出した」
其処で男は、アイギスの方にゆっくりと目線を落とした。
一目で、アイギスは理解した。この男は正気ではない。瞳が、余りにも据わり過ぎている。
余りにも、覚悟と凄味で溢れている。
「俺もアンタも、どれが涙でどれが小便なのか解らない位びしょ濡れだな」
フン、と鼻を鳴らした後、男は間髪入れず言葉を投げ掛けた。
「アンタは雨に濡れて、どんな本音を曝け出す? ミス・アイアンメイデン。嬉しくなるのか悲しくなるのか。それとも、お前の指に装着された銃で、人を殺したくなるのか?」
「雨宿りの場所を探します」
「そんなもん、この雨で流されちまったよ。諦めるんだな」
耳朶を打つどころか耳朶を裂かんばかりの豪雨の音の中にあって、二人は、二人自身の声を不気味な位よく聞き取れていた。
目の前の相手に強く、強く集中していると言う事実がそれを成すのか。それとも、二人が超常の能力の持ち主と言う事実からか?
雨は今も、強く降り続けている。アスファルトを穿ち、水たまりを生みそうな程に。それ程までの強さの雨に打たれながら、二人は、互いの顔を見つめていた。
正確に言えば、アイギスの方は悲しそうな顔で男――ウェザーの方を。ウェザーの方は、殺意に濁った瞳で、アイギスの方を。見ていた、と言った方が良いのかも知れなかったが。
雨音が万物を打ち叩き、全てのものを鵐(しとど)に濡らし、この世の悪徳と不義の塵埃を洗い流すかのような時間が、ゆるりと流れた。
夏の最中に降る雨だと言うのに、水の冷たさは温いどころか、震えを憶える程冷たく、体温をこれでもかと奪って行く無慈悲なそれであった。
そのような雨など問題にもならないと言う風に、アイギスとウェザーは互いから目線を外さない。
大地が揺れるような感覚を彼らは憶える。二人を取り巻く空間にだけ、殺意と敵意が加速度的に高まって行くのを感じる。
そしてその殺意を放射する存在は、ウェザー・リポート。彼一人だけだった。
――殺意が、最高度にまで漲り、達した瞬間。
殺気で空間が張り裂け、それを契機にするが如く、アイギスとウェザーが、動いた。
「ウェザー・リポートッ!!」
「アテナ!!」
世界に対して訴えかけるのではなく、まるで己を賦活するかの如く、両者は共に叫んだ。
言い放たれた言霊に呼応して、二人の精神は共にエネルギーを燃やし、物質世界に姿形(ヴィジョン)を伴わせて顕現する。
アイギスの側から現れたのは、白装束を身に纏った女性のような人形だった。
古代ローマの戦士が被るような、盾に羽飾りが広がった兜を装備し、その手に輝くような槍を持った女性。
これこそは、彼女の有する『ペルソナ』。彼女が元居た世界で経た様々な体験から鍛え上げられた、彼女だけの仮面。
ギリシャ神話に於ける無比の戦神、常勝の戦乙女。身体の周りにイージス(Aegis)を旋回させるこの仮面なるは、『アテナ』その人であった。
対するウェザーの側から現れたのは、頭に小さい角を生やした人型であった。
雲か乱気流が人の形を取って現れたような存在で、身体の色は積乱雲の様に白かった。
口元を覆うフェイスガードをつけており、白を基調とした体色の中にあって、血の様に赤いその瞳だけが、良く映えて目立っている。
これこそは、彼の有する『スタンド』。困難に立ち向かう為の精神の具現であり、術者の覚悟の精神が人の形を取って現れた鎧。それがスタンドだ。
彼のスタンド、『ウェザー・リポート』は、果たしてどちらの側なのか。深い絶望からこのスタンドを編み出した、この男の場合は。
同じ様な技術を使うのだ、と認識したのはほんの一瞬。
直にウェザーの方が、相手を破壊せんと動き始めた。それを受けて、アイギスも動き出す。
雨は、止まない。ウェザーの意気に呼応して、彼の生み出した豪雨は、より強くなるばかりであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人が変わった、と言う表現がある。
この表現を使う時と言うのは、大抵の場合は外見の変化か性格の変化の両方を指す。
貧相な体格だった者が、身体を鍛える期間を経て逞しくなる。色白だった者が、夏の一時を経て身体を焼いて来る。
優しかった性格の者が、壮絶な体験を経て性悪になる。やんちゃだった性分の者が、人と触れあい性格を矯正して行く。
恐らくは誰もが、話している相手や他人の又聞きで聞いた相手の、このような変化に直面した時、人が変わった、と思う事であろう。
今、秋せつらと熾烈なる戦いを繰り広げる、銀蝗の戦士シャドームーンもまた、相対する黒いコートの魔人を見て、人が変わったと思っていた。
――いや違う。人が変わった等と言う物ではない。そもそも、表現すら不可能であった。
外見自体は全く変化がない。常なる秋せつらだが、放たれる雰囲気が、桁違いだった。覇気が違う、敵意が違う、神韻が違う。
彼の身体に神が降ろされたと思い込まねば、説明も納得も出来ない程の、人の変わりようであった。
そして、変わったのが性格と口調だけならば、シャドームーンはどれ程楽だっただろうか。
せつらの操る妖糸の技量は、“僕”が“私”に変わった瞬間、倍等と言うレベルでは過小評価にも程があるレベルで跳ね上がっていた。
三十から成る紅色の剣身をしたナイフやロングソードを音速の十倍の速度で射出させるシャドームーン。
せつらはふわり、と右腕を上げた。百名超から成る奏者で構成されたオーケストラを滞りなく司会させる指揮者めいた動きであった。
その動作を見た瞬間、シャドームーンはせつらの視界上から瞬間移動をして消え失せる。別所にシャドームーンが移動し終えた頃には、
キングストーンの魔力で創造された武器の全てが、何十もに割断されてしまっていた。内部が朽ちて腐っている薪ですら、まだ頑丈だろうと思わせる程呆気なく斬られた。
先程は、あの武器一つ破壊するのにも苦労していたと言うのに、一人称が“私”に変わってから、明らかに簡単に斬るようになっている事に、銀鎧の戦士は気付いている。
多重人格で、人格が変わった瞬間ありえない力を発揮すると言うのは珍しくない。だがそれは、本来人間の脳がリミッターを掛けている、
人間本来の身体能力のタガを外しているからだ。如何に多重人格になったからと言って、人は人を越えた力を発揮出来ない……筈なのだ。
せつらの場合は、これが説明がつかない。彼の場合は、糸を操る『技量』が明らかに跳ね上がっている。
人格を変えて向上出来る力としては、納得が出来ないし、上がり方も異常であった。何が、この男の内面で起っているのだと。
シャドームーンは、今も秋せつらを分析しようとしてもERRORとしか表示されない自身のマイティアイに、苛立ちを覚え始めていた。
瞬間移動先である、せつらの背後に在る建物の内部から、攻撃を仕掛けようとした、その瞬間、シャドームーンは気付いた。
それまで何も張り巡らされていなかったその室内に、ゼロカンマ一秒程で、ナノサイズの銀線があらゆる所に張り巡らされていると言う事に。
展開する速度が、異常過ぎる。あの魔人は、シャドームーンが此処に行く事を読んでいたのか。それとも、移動し終えた後で、張り巡らせていたのか。
どちらにしても、シャドームーン程の男が展開されていると気付くのに時間が必要であった程の速度で糸を用意しておく等、並の事ではなかった。
せつらの操る糸が、ちょっとした契機で、鉄をも破壊する脅威の断線に変貌する事は“僕”の時点でシャドームーンも理解している。
例えば微風、例えば呼吸、例えば少しの歩み。何をきっかけとするか解らないが、兎に角、このチタン糸を操るのに、力は不要。
少しきっかけを与えるだけで、相手を殺し得る最大の力になるのだから、単純な腕力など、必要がないのだ。だからこそ恐ろしい。
……何がきっかけとなって、室内に張り巡らせたこの一二七七条の魔線が、一斉にシャドームーンに向かって来るのか。想像だに出来ないのだから。
シャドーセイバーを強く握り、影の月の名を冠するこの戦士は、縦からそれを振り下ろした。
振り下ろされる紅色の剣は、深紅色をした極細の流線と化し、せつらが縦横無尽に張り巡らせた糸を数十本程斬り断ち、百本程斬り裂いた所で、
得物の剣身がとうとう断線の斬れ味に負け、斬り飛ばされてしまった。そして、これを契機に、残り千五百条以上から成る妖糸が、シャドームーン目掛けて殺到する!!
糸と糸との間を縫って移動する等不可能な為、やはりシャドームーンは、此処も瞬間移動に頼った。
音もなくその場から消え失せたシャドームーンは、せつらの頭上地点に転移先を指定し、其処に移動する。
せつらが、頭上を見上げる。せつらの美しい貌を見下ろすシャドームーンと目があった、その瞬間。
銀蝗が伸ばした右腕の指先から、緑色のスパークが迸り、放電状のビームがせつら目掛けて放たれた。
――ここから先は、百分の一どころか、千分の一にも届くであろう短い時間に起った出来事である。
シャドームーンの指先から放たれる破壊光線――シャドービーム――が放たれた事に気付いたせつらは、瞬き一つせず、小指を微かに動かしたのだ。
すると、まるで煙で出来た蛇のように、するすると、チタン妖糸はシャドービームに『巻き付いて』行き――急激に収縮。
刹那、実体のない破壊光線は無数の残骸に割断され、空中で分解。シャドームーンには笑えない冗談にも程があるが、あらゆる物質を爆散させる破壊光線が逆に、破壊されて消え失せてしまったのだ。
事態を認識した瞬間、シャドームーンは戦慄を覚えた。
破壊光線を回避すると言うのならば、驚きこそすれまだ納得が行く。当然、防御されても同じである。
だがまさか、実体のない物に糸を巻き付け、それが縮む勢いを利用して切断する等、思いも拠らなかった。
深夜の時間に戦った、先のバーサーカーとは次元違いの強さを発揮する、サーチャーのサーヴァントにシャドームーンは何をするべきか考える。
セイバーのサーヴァント、シャドームーン。彼は掛け値なしに、優秀としか言いようのないサーヴァントだった。
一部の隙もない高いレベルで纏まったステータス、ステータスが高いだけでない事を証明する徒手空拳と剣術の冴え。
対魔力による高い魔術的防御力と、金属製外皮による物理的防御力。そして何よりも、キングストーンが成す数々の現象。
彼の強さとは即ち、本来他のサーヴァントであれば、『そのサーヴァント達が強み或いは切り札とする能力をシャドームーンは一人で、幾つも幾つも高レベルで操れる』事なのだ。
その方向性こそ違えど、せつらもまた、同じ事が出来るのだ。
彼の場合は、応用性に恐ろしく富んでいる。超高範囲かつ高性能な察知能力、、糸を利用した高速移動、凄まじい切断性と破壊力、そして攻撃に対する防御力。
他者が操れば屑糸以外の何物でもないナノmのチタン妖糸は、彼の手に掛かれば恐るべき必殺と暗殺の道具に早変わりする。
恐らくは使う武器と実際にそれを操る技量の落差故に、不覚を取る主従もいるだろう。例え慣れたとしても、“僕”と“私”の技量の絶対差に驚愕し、
殺されるサーヴァントもいるかも知れない。そのどちらに不覚を取る事無く、苦戦程度で免れているシャドームーンは、驚く程幸運だっただろう。
マイティアイはせつらの正体こそ判別不可能と言う結果を弾き出しているが、それ以外。
つまり、彼の張り巡らせたチタン妖糸だけは、その位置を特定させている。特定していなかった方が、幸運だったかも知れない。
なまじナノmの糸が見えてしまうから、よく解る。足の踏み場など存在しない程に、せつらが妖糸を張り巡らせていると言う事に。
下手に突っ込めば、それら一つ一つが殺意の断線となって相手に襲い掛かる事位は理解している。今のせつらが妖糸を操ろうものなら、
シルバーガードですらベニヤの板の如く切断されるかも知れない。
だがこの程度で底を見せる程、シャドームーンは。キングストーンの力は、浅くない。
これを掻い潜る方法はある。早くから、キングストーンの超能力の中でも高等な技術の一つを使うとは思わなかったが、これしか現状方法がないのなら、仕方がない。
そう思いながらシャドームーンは、キングストーンに眠る力の一つを解放。その瞬間、彼のシルバーガードが黄金色に光り輝き始め、
やがて、彼自身の姿が完全に見えなくなる程強い光暈が彼を覆った。気付いた時には、ホタルの光を何万倍にも強めたような、光の球体が雨の中に浮いていたのだ。
せつらは訝しげにその光の球を見ていたが、直にそれは、行動に移した。一直線にそれは急降下していったのだ。
進路ルート上には、せつらの張り巡らせたチタン妖糸が相手を斬り刻み、何百分割とせんと待ち構えている。
――それを、光の球は嘲り笑うように通過したのだ!!
「成程、光になれるのか」
思いも拠らぬ攻略の仕方に、せつらも驚きながらそう言った。
如何なせつらの魔糸と言えど、物理的に触れる事の出来ぬ相手を斬る事は叶わない。
刀で海は断てない。剃刀で風は斬れない。理屈はそれと同じだ。糸は光を裂く事は出来ないのだ。
シャドームーンは直に、せつらのすぐそばで、光の球になった状態を解除。
徒手空拳で、せつらの胸部を打ち抜こうと、右ストレートを凄まじい速度で放つ――と見せかけて。
拳を途中で寸止めさせ、念動力をせつらの方向に扇状に放った。雨粒が砕け散るのは当然の事、地面のアスファルトが削れて抉れ、
アスファルトの下の土地が露見される程の威力だった。拳を直接当てなかったのは単純明快で、当てる事が不可能だからだ。
せつらは体中に妖糸を巻き付けており、下手に触れれば、指が切断されるのならばまだ良い方で、最悪拳が宙を舞うのであるのだから、これは仕方がない。
だから念動力等の、生身で触れない攻撃を行う必要があるのだが……何とせつらは、この念動力をも、妖糸を巻き付けて切断したのである。
――斬るか、念動力を――
キングストーンの神秘の力から放たれる念動力は、数十トントラックの衝突等問題にならない程の衝撃を内包しており、
生半なサーヴァントであれば即座に全身から骨と内臓を飛び出させ即死させる威力を持つ。しかも、このエネルギーは目で捉える事すらも不可能なのである。
それをせつらは、斬った。不可視かつ実体を持たず、純粋な衝撃の塊を、割断して見せたのだ。
この男なら、その程度の事、出来て当たり前だろう。今やシャドームーンは、この男を敵として認めながら、その技量をも高く評価していた。
そうでなければ、自分が殺される。この男は決して過小評価してはならない。自身が今発揮出来る力を最大限に発揮する必要がある。
せつらが行動を始める前に、自身は光の球となり、せつらに対して距離を離そうとする。
糸の一本が、撓りながらシャドームーンに向かって行く。それをそのまま透過しようとする、影の王子。
――そして、脇腹に、凄まじいまでの痛みが走った。
「ガァッ……!?」
思わず光の球の状態を解除し、実体化を行ってしまう。
シルバーガードは腐った木の板の様に割断され、その内部の筋肉ごと切断されている。
脇腹を、斬られた。とめどなく血が流れている。しかも、ゴルゴムの改造人間が有している筈の、強い自己再生能力が全くと言っていい程働かない。
果たして彼は気付いているだろうか。偶然でも何でもなく、せつらは、シャドームーンが改造人間として有している『再生機構』を無効化する斬り方で、斬り裂いたと言う事実を。
「何をした」
聞くのはシャドームーンだ。無意味だと解っているからこそ、斬られた左の脇腹を抑えない。抑えて血の量が収まるのなら、誰だってそうしている。
「生半な手は、“私”の前で二度も使わない事だ」
返すのはせつらだ。雨の音が、恐ろしく遠い。
この男が口を開き、天琴の如くに美しい声を発しているのに、自分達の無粋な音でそれを邪魔する訳には行かないと。
この世の天地が全て、彼の行動を邪魔せぬよう協力しているかのように、余りにも、雨音が遠かった。
「『光の斬り方』を憶えた。それだけだ」
何て事はない。
斬り難い、或いは、斬れない存在なら、『斬れるよう工夫を凝らせば良いだけ』。この美しき魔人が言っている事は、それだけの事なのだ。
たったそれだけで、物理的には接触等出来る筈がない、光の球の状態となったシャドームーンを斬り裂いたのだ。
せつらのこの発言を聞いた時、シャドームーンは、この言葉を冗談とも何とも捉えなかった。この男ならば、それが出来ても仕方がない。
そんな事すら、彼は思っていたのだ。そしてもう一つ。最早今のせつらの技量は、『神技』ではない。
神技とは、その生物が出来得る範囲と言う縛りの中で行われる事柄を指すのだ。それを越えて、この世の物理法則を覆すような事を行い、それを可能とするのは、
最早技ではない。それよりももっと悍ましく、そして神秘的な――奇跡と呼ばれる物なのである。
「……お前は」
シャドームーン。
「お前は、何者だ」
絞り出すような声でそう言ったシャドームーンに、凍て付いた石のような無表情を浮かべ、せつらは言った。
「不純物だ」
1の次に来る数値は、2であると言う事を教えるかのような、当たり前の口ぶりでせつらは返事を行う。
「この平和な街に存在するには、余りにも歪んだ不純物さ。お前も、私も」
「俺はそうは思っていない」
「お前がそう言おうとも。<新宿>が我々を受け入れようとも、此処の民は我々を受け入れてくれんだろうさ。私達は、この<新宿>の夾雑物だ」
そう言った瞬間であった。瞬きよりも早い速度で、シャドームーンを取り囲むように、チタン妖糸が一瞬で展開されたのは。
前後左右は勿論の事、頭上、果ては、瞬間移動先に最も適した地点にまで、それは張り巡らされている。
逃げ場は、ない。潜り抜ける事も切り払う事も最早不可能で、後はせつらが何かの、それこそ、小指を一cmでも動かす、靴の踵を鳴らすだけでも良い。
兎に角、シャドームーンが行える最速の動作よりも速く、そして一切の力の加減のないアクションで、せつらはこの銀鎧の戦士をバラバラに出来る。その事実を今、シャドームーンは噛みしめている。
「この街の人が私を受け入れぬと言うのなら、私は何れ滅び去る運命だろう。だがそれは、今でもないし、況してやお前に齎されるものでもない」
次にせつらの口から紡がれた言葉は、罪を犯した咎人に、何の良心の呵責もなく有罪の判決を下す裁判官よりも厳格で、そして、突き放すような冷たさに満ち満ちていた。
「滅べ、セイバー」
そう言ってせつらが、左手の人差し指を、動かそうとした――その瞬間を狙って、シャドームーンが叫んだ。
腰に巻き付けたベルト状の装置のバックル、通称シャドーチャージャー。その奥底に厳重に隠された宝具、キングストーンに魔力を込め、この銀蝗の王は、雨が吹き飛ぶ程の気合を込めて、叫んだ。
「シャドーフラッシュッ!!」
.
そう叫んだ瞬間、シャドーチャージャーから青みがかった緑色の光が迸った。
カッと目を剥いたせつらは、急いで自分の身体の周辺だけに糸を展開させる。させ終えてから千分の一秒程遅れて、ピゥンッ、と言う音を数回程捉えた。
シャドームーンだった。いつの間にかシャドームーンは、一万条以上から成る糸の結界を抜け出し、せつらの方に接近。
シャドーセイバーを頭上から振り下ろしていたのだ。しかし、せつらの張り巡らせた銀線の余りの強度の故に、剣身は脳天に達しておらず、
彼の額に届くまで残り二十cmと言う所で勢いを止められていたのだ。
シャドームーンが叫んだ時、せつらは、あのセイバーの周りに無数に展開させていたチタン妖糸が全て、『消し飛んだ』のを確認したのだ。
せつらは油断していなかった。シャドームーンを葬るのに万全の準備をしていた。例えその身を光の球に変えようが稲妻に変えようが。
斬り方を憶えたので、何をしてもあのセイバーには逃げ場などなかった筈。それなのに、彼はあのベルトのバックルから迸った光で、妖糸を消し飛ばして見せたのだ。
あれを消し飛ばされては最早せつらには、如何する事も出来ない。せつらのチタン妖糸が、シャドームーンには通用しない事を意味するのである。
せつらの知らない所であるが、シャドームーンもまた本気であった。
あのチタン妖糸を消し飛ばすのにこのセイバーは、自身が行える切り札を初めて切ったのだ。
シャドーフラッシュ。それは、キングストーンを継承した世紀王のみが扱えると言っても過言ではない、奥義であり、特権である。
単体でありとあらゆる能力を内包したキングストーンは、太陽と月の二つの種類があり、その二つが揃いし時、全宇宙を統べる王、創世王の資格を得る神器。
しかしこの聖石は、それ単体だけで、継承した世紀王に尋常の生命を超越した力を約束する究極の一品なのだ。
そして、継承者に約束された数々の能力の中で、最も強力な物が、『あらゆる不条理と因果律を捻じ曲げ、奇跡を引き起こすと言う代物』。
それこそが、今しがたシャドームーンが放った緑色の光、シャドーフラッシュだった。彼はこの光を以て、チタン妖糸を消し飛ばした。
これが、せつらの魔糸を防いだロジックの全てである。つまりシャドームーンは、キングストーンが約束するあらゆる現象の中で、
『因果律すらも捻じ曲げる奇跡の光のみによってしか、せつらの魔糸を跳ね除けられなかった』のだ。
どちらの方が、優れている? どちらの方が、劣っていた?
それは誰にも解らないだろう。ただ、単なるNPCは当然の事、聖杯戦争の参加者達ですら、今の光景の全貌を把握していたら、こう答えるだろう。
そのどちらもが、魔物であったと。そのどちらもが、神域、いや魔の領域の住民であったと。
あの、シャドーフラッシュなる奥義を、何時使う。
せつらのそんな予想を裏切るかのように、シャドームーンは、その裏をかくが如き行動に打って出た。
彼は頭上二百m程の高さに、一本のシャドーセイバーを創造、固定化させたのだ。当然剣先はせつらの方に向いているのだが、何処か様子がおかしい。
豪雨に濡れ、雨粒を弾くその剣身。いや、その剣全体の魔力が、何処か危うげなのだ。その癖、魔力だけは無駄に潤沢で――。
それに気付いた瞬間、せつらはそのシャドーセイバーに剣身を巻き付け、切断、切断、切断。
ボンッ、と言う小爆発が頭上で気の抜けるような音を響かせる。あの程度で済んだのは、せつらの技があったからこそだ。
もしもチタン妖糸で、あのシャドーセイバーを一万近い破片に変貌させていなければ、南元町程度の区画など軽く吹き飛ぶ程の大爆発が起っていた事は想像に難くないからだ。
シャドームーンが創造する武器の数々は、下手な宝具など軽く上回る神秘が内包されている、いわば準宝具に等しいものであると言う事は先述した通りである。
この時創造される武器に、過剰とも言える程の魔力を注入させ、それを爆発させる事で、高い神秘の塊とも言うべき大爆発を発生させる事が出来る。
これにより、どんなサーヴァントをも消滅、良くて生死にかかわる程の致命傷を負わせる事を、シャドームーンは可能としている。
このような攻撃手法を、壊れた幻想(ブロークンファンタズム)と呼ぶ事を、このセイバーは知らない。彼はそれを行い、せつらを撃滅しようとしたのだ。
しかし、この程度でせつらを殺せぬ事は、シャドームーンも知っていたらしい。その証拠に――
「逃げられたか」
シャドームーンが気位の高いサーヴァントである事は、一言二言会話を交わしたせつらでも理解する事が出来た。
だがそれ以上に、柔軟かつ機転が利き、怜悧で狡猾な判断を下せる男であるとも今知った。
このような手合いが一番やり難い。勝利する為ならば何でも行うと言う精神性は、敵に回したくないのだ。
自身のプライドを保つ事を固持する存在は御しやすいが、プライドが高く、目的達成の為なら何でもするような相手は、恐ろしい程厄介である。
その上に、せつらですら唸る程強いのだから更に始末が悪い。
急いでせつらはその場から移動。シャドームーンの追跡に掛かった。
彼は、アイギスを狙おうとしていた。あのシャドーセイバーは、ダミーであった。囮であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
やる気のない相手だと、ウェザーは考える。
尤も相手は機械であると言うので、やる『気』などと言う言葉が通用するとは思えないが、相手の方から攻めてくる、と言う気概が感じられない。
この事だけは、ウェザーは完全に理解していた。今殺そうとしている相手――アイギスは、ウェザー・リポートもといウェス・ブルーマリンを、全く攻撃するつもりがないと言う事を。
ウェザーは自身が戦うべき相手であるアイギスが、人間的な臓器や部位を一切持たない機械である事を、彼女の組が食屍鬼街にやって来る前から知っていた。
と言うのも簡単な話で、シャドームーンが予めマイティアイによる調査の結果を、ウェザーに報告していたのだ。
だから事前に、アイギスとどう戦うか、と言う方策を立てる事が出来た。相手は機械だ。しかも、服を着ていれば誰もが人間と思う程精緻に作られた、と言う形容語句が付く。
つまりは、精密機械の塊である事を意味する。であるならばウェザーは、その機械としてのシステムを駄目になる戦い方を行えば良い。
この豪雨にはそう言った意味がある。精密機械は水に弱い。だが相手のシステムもそう単純ではなかろう。多少なりともの防水加工はしているかも知れない。
それを無にする程の豪雨を、スタンドであるウェザー・リポートで降らせ続け、勝利をもぎ取ろうとしたのである。
だが結果の方は、目で追う事すら難しい程の複雑かつ高速の軌道で、ウェザーを翻弄し続けるアイギスを見れば、功を奏していない事が一目でわかる。
踵の辺りから噴き出しているスラスターかジェットの機構で、時には空を飛び、時には地面を滑り、時には壁を蹴って移動するアイギスの、その身のこなし。
動きが全く鈍っていない事からも、この雨を全然意に介していない事が解る。まさかここまで、水に対する耐性があるとは思ってなかった。この点は、完全に誤算であったと言えるだろう。
そしてもう一つ、誤算があるのだが、これに関して言えば、ウェザーにとっては嬉しい何とやら、と言う物であった。
単刀直入に言えば、アイギスは此方に攻撃を仕掛けて来ないのだ。彼女がアテナと呼んでいた、スタンドに似たあの精神的ビジョンも、
最初に自分自身に何らかの魔術を掛けるだけに使い、それ以降は全く呼び出す気配すらない。シャドームーンが注意しろと忠告していた、
両手指に内蔵されていると言う銃も、撃つ素振りすら見せない。ただただ動き回り、ウェザーを攪乱するだけ。
現状攻勢に打って出ているのはウェザーの方だ。と言うより、向こうは攻撃するつもりがないのだから、一方的なウェザーのワンサイドゲームと言っても良い。
但し、攻撃は全く当たらない。稲妻はアイギスが激しく動き回る為照準が合せられず、突風も同じ。
雹を降らせてみるかとも考えたが、被害が甚大になりそうなので断念した。主にせつらの糸で身動きの取れなくなったNPCのせいだ。
こんな屑でも、死なれると討伐令の対象になり得る、と言うのが余計に苛々を助長させるのだった。
単なる創作物の設定が、現実の世界の領域に侵食、重大な影響を与えた例の一つに、アイザック・アシモフのロボット工学三大原則がある。
要は、人の手によりて生み出された被造物であるロボットは、ロボットにとってはいわば神である人を殺してはならず、命令には服従であり、
かつ、ある程度の自律能力を持たねばならないと言う事である。戦争に用いられる殺傷目的のロボットに関しては、この原則は実質上形骸化しているも同然だが、それでも、ロボット工学においては無視出来ない概念の一つとなっている事は疑いようもない事実である。
ウェザーは、もしかしたらアイギスはその縛りの中で行動しているのではと推理していた。
無論、聖杯戦争に招かれるような機械である。人を殺せる力はある筈だし、その証拠に彼女の体には銃まで内蔵されている。
それにもかかわらず此方に攻撃を仕掛けて来ないのは、人を殺せない大きな事情があるからでは? ウェザーはそう考えていた。
――好都合だな――
ウェザーがそう考えるのも無理からぬ事。
強大な力を持っているにも関わらず、それを外敵の排除に用いないのは愚の骨頂である。
況してや今の状況は聖杯戦争。降りかかる火の粉を払うだけの力を有していながら、それを行使せず、火の粉が降り注ぎ終えるまで待つなど、阿呆の判断としか言いようがない。
今なら、勝星を付けられる。後は、如何にしてアイギスを破壊するかに全てが掛かっている。
シャドームーンは言っていた。今から戦うサーヴァントは、難敵になるかもしれないと。ならば、自分がそのマスターを葬り去り、サポートしてやる必要がある。
「それだけの力を持っていて、何故人を殺そうと動かない」
故にウェザーは、精神的な揺さぶりをかけて、アイギスの動きを止めようと考えた。
今の状態ではウェザーはアイギスに攻撃を当てられない。間隙を生む必要があった。
「殺したくないからです」
動き回りながらアイギスは直に答えた。予め返答する答えが決まっていたとしか思えない程の即答だった。
が、余りにも紋切り型めいた答え過ぎて、ウェザーは思わず、嘲笑でアイギスの答えを受けいれた。
「笑わせるなよ、機械風情が。一丁前に人間みたいな言葉を口にしないでくれ」
「人間である貴方から見れば、確かに私は人間未満どころか、生物ですらない存在なのかも知れません。ですがそれでも、私は貴方を殺したくありません」
「お前の決意何てちょっとしたパソコンか道具でもあれば書き換えられるプログラムの産物だろう。バーゲンセールのポップみたいに簡単に変えられるような信条を、一丁前に有り難がるな」
そう、アイギスに纏わる事情を全く知らないウェザーにとって、アイギスの考えなどその程度の物としか思っていなかった。
人を殺したくないのは、本当に殺すのが嫌だからではなく、そうプログラミングされたから。自分を殺したくないとのたまうのは、自分が人間だから。
その程度の理由に過ぎないと思っている。アイギスの考えなど、今後の状況次第で幾らでも改竄が出来る程度の物。
自分達に牙をむく前に、此処で破壊しておく必要がある。これが、ウェザーの見解であった。
「私の心は、私の身体の中に埋め込まれた物の影響である事は、確かに否定しません。しかしそれでも、私に培われた経験と心だけは、本物です」
「それすらもが、プログラムだろうが」
「違います。其処は、譲りません」
動きをアイギスはなおも止めない。相手が相当、揺さぶりに対する耐性が高い事の証左であった。
だがもう一つ。あの機械は余りにも自分の言葉に律儀に、そして柔軟に対応して返答して来ると、ウェザーは思っていた。
少なくとも、話し合いを行わせるだけの可能性は、ない事もない、と言う事をそれは示している。相手が話し合いの為に動きを止めた、その時こそが。勝ち星を拾える機会であろう。
「遠い所に行った俺の友人は、自分の知性と魂を、誇っていた」
アプローチの仕方を変えるウェザー。
そして、アイギスを破壊する為の揺さぶり、その話題のオリジンとなったのは、死んだ自分の仲間であった。
嘗ては憎き黒い法衣の神父にDISCを差し込まれた、自我と意思無きプランクトンの集合体。それらがエートロと言う女囚の姿形を借りて動いていた存在。
「俺達は誰もが魂を持ち、誰もが知性と言うものを持つ。それは人である以上当たり前の事だが、その友人は違った」
曰く、あの友人は――エートロの姿を借りていたF・F(フー・ファイターズ)は、憎むべきプッチ神父にDISCを埋め込まれて、
自我とスタンド能力を獲得したプランクトンの集合体であったと言う。嘗て、知性もなければ自我もなく。
ただ『生きる』と言う最も原始的(プリミティヴ)で機械的(システマチック)な本能に生きていた彼女にとって、突如与えられた知性と自我は、天与の贈り物であったと言う。
知性と自我は、F・Fに豊かな時間と思い出を育ませた。除倫やエルメェス、エンポリオにアナスィと言った人物達との会話ややり取りは、彼女を変えたのだ。
「俺達にとっては当たり前過ぎて、それがあると言う事を認識出来ずに生涯を終える事もあり得る程に、普遍的な知性と魂を、奴は何よりの宝としていた」
F・Fが亡くなった場面に、直接ウェザーは立ち会った訳ではない。除倫と、アナスィが現場におり、その内の片方、アナスィから話を聞いたに過ぎない。
だが、F・Fと言う『人間』の性格を知り、その出自を知っている物ならば、その時の情景と言うものが目に浮かぶようであった。
嘗て単なる原形質の下等な生き物に過ぎなかった仲間は、風になった。今わの際に、己の知性と魂を、新しいおもちゃを買って貰った子供がそれを見せびらかす様に喜んでいた。
最後の最後に、自分の大切な仲間である除倫にさよならを言えた自分に、死んだ仲間は安堵していた。
F・Fは、彼女にとっての造物主であり神(デミウルゴス)あると言っても過言ではないプッチ神父に、反逆を行い、機会を除倫達に繋ごうとした。
親に対して反旗を翻し、友の為に戦って死んだあの仲間に、ウェザーは敬意を払っていた。それ正しく、人にしか背負えぬ業である、人にしか出来ぬ所業なのだ。
だから彼女は、人であった。知性を持ち、魂を誇り、仲間に意思を表明出来、意志を誰かにリレーする事が出来る。それを如何して、機械的な生き物と言えようか。
「俺はお前を、人であるだなどと認めないし、況してや心が胸の中に在るなどと言う大法螺も、認めない」
そんな仲間の離別を体験したウェザーにとって、プログラムに従って心が在るだなどと嘯くアイギスは、見ていてイラつく存在なのだった。
機械が思う以上に、心は尊い。ウェザーがプッチを殺して救われたいと願う黒くてひたすらな思いも、F・Fが知性を失いたくないと足掻いていた必死さも、
姉を殺した男を殺してけじめをつけたいと思っていたエルメェスの欲望も、惚れた女に良い所を見せたいと奮闘するアナスィの見栄も、
父親の為に戦おうと歩き続ける除倫の覚悟も、彼らの戦いを見届けようとするエンポリオの決意も。
清濁の差こそあれど、全てが心から生まれ出でた、複雑な精神の在り方の一つだった。それは決して、人の手で設定されたプログラムには、表明出来ない、人だけの特権であった。
アイギスは、それが己にも備わっていると言うのだ。だからこそ、ウェザーは、この良く出来たダッチワイフに嫌悪感を覚えているのだった。
「お前は機械だ。お前が心と認識しているものは、最初から存在しない」
だからこそ、冷徹にウェザーは言った。自分の言葉を認識、処理する。その瞬間に生まれる、駆動の停止か遅滞を狙う為に。
「……私は今まで、貴方の事を、酷い人だと思っていました。心無い事を、言う人だなって」
そう言ってアイギスは、本当に高速の軌道を止め地面に着地。ウェザーの方に向き直った。
今が雷撃を放つ絶好の機会――などと、ウェザーは考えなかった。今放てば簡単に回避される。
豪雨の中を掻い潜らせるように放った、空気のセンサーで、ウェザーはその事を理解していた。だがそれ以上に――雨に濡れるアイギスの瞳が、恐ろしいまでに人間的な輝きを宿している事に、気付いてしまったのだ。
「でも、本当は違うんですね。貴方は本当は、とても友達思いな人。本当は、優しかった人」
「――だって」
「そうじゃ無ければ、貴方が言っていた大切な友達の事を、誇らしげに語りはしないから」
「黙れ」
全身の血液が煮え立ち、筋肉が燃え上がるような怒りをウェザーは感じていた。
表皮に張り付いた、ウェザー・リポートの呼び寄せた豪雨の粒が、蒸発しそうな程の怒りであった。
アイギスの動きを止めるべく、悪罵を手段として活用していた筈が、逆に、アイギスに煽られてしまった。
と言っても、言い返されたと思っているのはウェザーだけだ。アイギスは本心から、ウェザーと言う男の人格を認めていた。
悪い事もしているだろう。社会の通俗に照らし合わせても、好ましい人物では断じてないだろう。
しかしそれでも、彼には彼なりの考えと美学があり、それによって救われる者がいるのだと言う事を、アイギスは理解していた。
聖杯を求めると言う野望は諦めさせるが、それでも、殺したい程憎いような相手でもない。それが、彼女から見たウェザーもとい、ウェス・ブルーマリンと言う男だった。
「私は貴方とは戦いたくありませんし、殺したくもありません。私の本音です」
「俺はお前を殺す理由があるんだよッ!!」
そう言ってウェザーは、己の傍に、雲か乱気流を人の形に固めたようなスタンド、ウェザー・リポートを顕現させる。
それと同時に、黒く分厚いあの雨雲が、ゴロゴロと帯電を始めた。綿に電気を通せば、あのような事になるのだろうか?
黒い稲妻から走る蒼白い放電。準備は整った。後はもう少し時間を稼げば、稲妻がアイギスを粉砕する。そうして、元の世界に帰る手筈がまた一つ整う。
不穏な空気を感じとったアイギスが、バッと上を見上げた。もう遅い。ウェザー・リポートが生み出した雷雲は、既にエネルギーを蓄え終えた。後は怒りを稲妻に変えて、相手を撃滅するだけだ。
「死んでろポンコツが!!」
そういって稲妻が――迸らない!!
数億V、数十万Aにも達する極殺の稲妻は、アイギスの機械の身体を爆散させる。そんな風景を幻視したウェザーであったが、そんな光景がまるで訪れない。
それどころか、雨の勢いすらも弱まり、更に、陽の光を遮る程分厚い雨雲を展開させた筈なのに、太陽光が自分達を照らし始めている事も、知ってしまった。
建物に、アスファルトに、地面に倒れ込む人間達に、夏の強い日差しが差し込んでくる。上をバッと見上げると、雨雲が千切れているではないか。
まるでスポンジか食パンのように、黒雲は千切れて霧散して行き、消滅して行く。馬鹿な、と思ったのはウェザーだ。彼はこんな命令を下していない。
「横に飛び退けマスター!!」
そして次にウェザーの感覚が捉えたのは、聞きなれた自身のサーヴァントである、セイバー・シャドームーンの声。
言葉の意味を問い質すよりも速く、ウェザーは慌てて右方向に飛び退いた、瞬間。
嘗て彼が直立していた所を、紅色の短剣がビュッと通り抜けて行く。但しウェザーからしたら、赤色の残像が超高速で通り過ぎて行ったようにしか見えない。
目線を頭上から真正面に向きなおしているアイギスに、その短剣が突き刺さろうとしていた。しかし、その短剣は、アイギスに当たるまで残り十と数cm程の所で勢いが急停止。
目に見えない壁の様な物に激突したか、同じく見えない何かに絡め捕られたようにしか見えない。そしてそのまま、短剣はゴボウかダイコンでも斬るように輪切りにされ、消滅した。
「シャドーフラッシュ!!」
そう叫びながら、ウェザーの直立していた地点に空間転移で現れたのはシャドームーンだ。
左の脇腹から血を流している、この優れたセイバーは、ベルト状の装置のバックル、シャドーチャージャーから青みがかった緑色の光を走らせる。
ウェザーは元より、アイギスにすら視認不可のナノmのチタン妖糸を弾き飛ばす為だ。目論見は成功で、シャドームーンと『ウェザー』の両方を細断しようと殺到した、二万と二百二条のチタン妖糸は一本と残らず消え失せた。
シャドーフラッシュの光が迸り終えたのと、時間的な差が全く存在しないとしか思えない程の一瞬の時間の後で。
アイギスの傍に、水に濡れた大鴉が降り立ったようなビジョンを、ウェザーやシャドームーンは見た。それは錯覚だった。そして、錯覚であればどれ程良かった事だろうか。
ウェザーの表情が、樹脂で塗り固められたように硬直した。地面に今も倒れている状態の数人の不良達に至っては、言葉もなく、慄然の表情を浮かべて呻くだけだ。
雨水に濡れたその黒髪の、何と艶やかな事か。水に濡れたその黒いコートの、何と神秘的な事か。
――水に濡れたその貌の、夢境の最中に人を立たせるが如き、美しさ。網膜に焼き付くその顔つきの美しさは、夢魔の世界の産物としかウェザーには思えなかった。
あのメフィスト病院の院長も、美しかった。目の前にいる黒コートの魔人とどちらが美しかったと言えば、ウェザーには比較衡量出来ない。
たが一つだけ、答えられる事があった。どちらの方が、恐ろしかったか? そう問われればウェザーは、迷う事無く、この男。
俗世の塵埃などとは無縁の、外宇宙の美しい星からやって来たとしか思えない程の存在感を放つ、秋せつらの方が、ずっと恐ろしいと答えるに相違ない。
微笑みを浮かべれば、世の女性のみならず、男にも。その顔に朱を差させ、心に熱いものを湧き上がらせるその美貌を。
せつらよ。お前は何故、見る者の心胆を寒からしめる無表情から、動かそうとしないのか。
きっとこの男は、豊穣神に『お前が微笑まねば地上に荒廃を招き遍く泉に毒を吐かせる』と恫喝されようとも。この表情を変える事はあるまい。そう、目の前の二人を殺さない限りは、きっと。
「さ、サーチャー……なのです、か?」
人外の美貌を誇りながら、気さくで、ウィットに富み、冗談だって口にする、親しみやすい性格。
それが、アイギスの知る秋せつらと言う男であり、共に聖杯へと走らんと頑張る相棒であった。
だが、今の彼は違う。今のせつらには、親しみやすさも、諧謔を理解する様な余裕もない。嘘のような話だが、自分のサーヴァントであると言う事を彼女は疑った。
徹底して敵対者を滅ぼさんとする超越者。人間と言う生命の枠組みの外に君臨する、一人の魔人。それが、アイギスが今のせつらに抱いたイメージだった。
替え玉でない事は、目で見ても、サーヴァントとマスターを通じさせるパスからでも解る。それなのに何故か、アイギスには、外見をそのままに魂ごと違う人間に変貌したとしか考えられない程、いつもの面影を感じ取れなかった。
「マスター」
夏の強い日差しに当てられ、雨上がりの後の汗が噴き出るような不愉快な湿気が出来た空間を、せつらの短い言葉が冬の銀河の様に流れた。
「此処から退くんだ」
言われてアイギスは、当初の目的を思い出した。元を正せば自分は、せつらに言われてこの南元町から距離を取ろうとしていた筈なのだ、と。
それを理解し彼女は、急いで駆け出して、その場から遠ざかって行く。何故だろう。人が変わったせつらから離れたい様な空気を、その走り方から感じ取る事が出来た。
「あの機械の女は、俺のマスターを殺したくないと言っていた」
「知っている」
シャドームーンの優れた聴覚は、遠く離れた二人の会話すらもしっかりと認識していた。
せつらもまた、南元町中に張り巡らせた糸を伝う振動で、その会話を聞いていた。
「であるのに、殺そうとしたな」
そう、シャドームーンのマイティアイは見ていた。
自分のみならず、その近辺にいたマスターをも細切れにせんと迫る、万を超す大量の銀線を、である。
自分だけに殺到していたのならば、他の手段で逃げようと彼は考えていた。マスターを同時に狙ったから、シャドーフラッシュと言う切り札を開帳せざるを得なくなった。
さしものシャドームーンとて、この有能なマスターがいなくなるのは、不都合しかなかったからだ。
「お前も、私のマスターを殺そうとしただろう」
それに対するせつらの答えは、余分な措辞や遁辞を一切削ぎ落とした、無駄のない物だった。
「手が滑ったとでも言えば、言い訳が立つさ」
言ってせつらは、コートのポケットから左手を引き抜いた。
シャドームーンは、今のせつらの発言を聞いて、この魔人の評価を修正する。厄介である事は身を以て思い知らされている所だが、それ以上に、
この男もまた狡猾であると言う事を初めて知ったからだ。化物染みた強さを誇りながら、性格面でも抜け目がない相手が危険と言う認識は、シャドームーンとて同じだ。
そして訪れたのは、死そのもののような静寂だった。
ビルと家とが立ち並ぶ裏路地の最中であると言うのに、両者の間には、深山の湖水を思わせる静けさと、触れれば手が切れそうな張りつめた緊張感とが同居していた。
此処から二人がどう動くのか、ウェザーには全く見当もつかない。シャドームーンとてそれは同じだ。もしかしたら、せつらですらも。
この超常の世界に身を置く二人のサーヴァントは、互いが動いてから、何を行うのかを察知、理解し、後にその行動の攻略法を敷いているのだ。
先に動いた方が、この場合不利となる。しかし動かねば、両者の精魂が尽きるまで時間を浪費し続ける事となる。
誰が、動く。夏天の強い日差しが無慈悲にも、地上を灼くが如く降り注ぎ、豪雨の後の濡れた南元町に水蒸気めいた陽炎を立ち上がらせる。
ロックアイスを何個も入れたミネラルウォーターが恋しくなる程の不愉快な暑さが場を支配してから、数分が経過した瞬間。
この拮抗を、石灰石の薄い板を金槌で打ち叩く様に破壊したのは、せつらであった。
腕が何十本にも増えたと見える程の動きで、両腕を動かし、糸と言う糸をシャドームーンの周りに張り巡らせ、即座にそれを殺到させる。
しかし、殺到させたと見えた瞬間には、シャドームーンは既に糸の結界の中から消え失せていた。糸が空間に固定された段階で、シャドームーンは場から逃れていたのだ。
転移先に選んだのは、せつらから数m離れた背後。いつも背を取るのは芸がないとシャドームーンも思ってはいるが、せつらは常に油断なく、
その身体に極めて高い防御性能の糸を纏わせている為、生半な攻撃ではまず害せない。先ずはその意図を剥がす必要があるが、これも容易ではない。
故にせつらを葬るとなると、対城宝具ですら害せるかどうかと言う防御力の糸をいったん剥がし、せつらが再びそれを展開するよりも早く攻撃を当てねばならないのだ。
それが、如何に困難を極めるかと言う事を、シャドームーンは痛い程思い知っている。せつらは人間的な腕力は兎も角、反射神経が異常の領域にある。
剥がし終えたその後で、即座に糸を展開する芸当などこの魔人にとっては造作もない事の上、そもそも、糸と攻撃が拮抗している間に追加の糸を展開させる事だって可能である。
そんな難しさを承知で、シャドームーンはせつらを葬らねばならないのだ。全く嫌な貧乏くじだと、シャドームーンも心の中で愚痴り出す。
伸ばした右手指から、スパーク状の破壊光線が迸る。
到達する前に糸が光線に巻き付き、やはり、破壊光線が逆に割断されて破壊され返されてしまう。
踵で軽く地面を踏むせつらの様子を見た瞬間、シャドームーンが地を蹴って走った。
彼我の距離を、百分の一秒と掛からず一瞬で、如何なる攻撃がクリーンヒットで叩きこめる間合いにまで詰めるシャドームーン。
但し、致命的な一撃を叩きこめるのはせつらの方であって、この銀蝗の戦士の方ではない。無敵に等しい糸の鎧がある限り、シャドームーンは何も手出しは出来ない。
それは解っている。解っているからこそ、腹ただしい。シャドームーンともあろう英霊が、このような神風特攻めいた方法でしか、目の前の壁を打破不可能と言う事実に。
此処でシャドームーンが、シャドーチャージャーから緑色の光を迸らせ、せつらに巻き付いた妖糸を全て消し飛ばそうと試みた。
キングストーンが放つ、因果律を捻じ曲げ奇跡を強引に呼び寄せる光、シャドーフラッシュを、浴びせ掛けようとしたのだ。
目を見開かせるせつら。目論見通り、彼の身体に巻き付いた糸が消し飛んで行く。好機、とシャドームーンが睨んだのは言うまでもない。
シャドーセイバーを生み出す時間すらが今や無駄である。エルボートリガーを火を噴くのではと言う程の勢いで駆動させ、超々高速振動を纏わせた拳で、
手刀を行おうと右腕を振り下ろそうとした。しかし、エルボートリガーを振動させたのと、せつらが此処から二百m程離れたビルの屋上の給水塔に糸を巻き付けたのは、殆ど同時であった。
岩すらも熱した泥のように斬り裂く一撃が振り下ろされる。
しかし、シャドームーンの拳が感じたのは、繊維質の物を斬り裂いた感覚だけだった。
マイティアイは、凄まじい速度でこの場から遠ざかる秋せつらの残像を捉えていた。
残像ですらも、美しかった。空間が、何時までもその残像を思い出として永久に残しておきたいと世界に主張しても、何の文句も起らないであろう。
美の余韻が、シャドームーンのマイティアイと、ウェザーの網膜に焼き付いて離れない。
「逃げられたか」
冷静にそう判断を下したのはシャドームーンであった。
臆病者め、と詰る気力すら今の彼にはない。たったの一戦で、恐ろしいまでの集中力と魔力を酷使した。
魔力の方は宝具で幾らでも回復する為どうとでもなるが、この世紀王とすら言われた自分が、たかが人間との一戦で此処まで消耗するとは思ってなかったのだ。
やはり、聖杯戦争。最初の一戦が、面白い程噛み合っただけで、普通は一筋縄では行かないのだと言う事を、彼は身を以て解らされているのだった。
「……セイバー。お前にとっては、あのサーヴァントに逃げられて良かったのか」
疲れたのは激戦を繰り広げた張本人であるシャドームーンだけに非ず。
そのマスターであるウェザーとて同じだった。銀鎧のセイバーと、黒コートの魔人の戦いは、見ていて驚く程疲れる。
スポーツなどとは違う、正真正銘の、真剣勝負の殺し合い特有の刹那性を孕んでいる為、緊張の糸は常にピンと伸ばされた状態なのだ。
戦っている当人は勿論の事、そのマスターでさえも、見ているだけで恐ろしく疲れる。シャドームーンの強さは信頼しているが、今回ばかりはウェザーも、敗れるのではと本気で思った程である。
「二度と戦いたくない相手だ。だが、あの男がそう簡単に後れを取るとは全く思わん。この場で俺が討ち倒しておきたかったが……」
最後の玉砕にも等しい作戦は、シャドームーンとしても賭けだった。
キングストーンの放つ奇跡の光すらも、見切っていてもおかしくないと思わせる程の凄味が、せつらにはある。
シャドーフラッシュを破られてしまえば、本当にこのセイバーには価値の芽がなくなってしまう。その為、一度の戦闘で三度も切り札を開帳し、見切られはしなかっただろうかと。内心で穏やかじゃなかっただろうと指摘されても、シャドームーンは何も言えなかった。事実、その通りであったからだ。
「……此処にはもういられなくなったか」
辺りを見回しながら、ウェザーが言った。
真夜中ならば兎も角、陽も昇った内に大雨を降らした上に、シャドームーンの姿を見たNPC達も大勢だ。
秘密を知った人間を生かしておいて良い事など、一つとしてない。殺すが吉なのだろうが、指名手配のリスクを考えればそれは悪手だ。
「セイバー。俺達の姿を見たNPCの記憶の消去を行ってから、此処を立ち去るぜ。別の所に移動した方が良いだろう」
「そのようだな」
そう言ってシャドームーンは、未だ糸を解除されていない状態のNPC達に近付いて行く。
彼らはせつらの美が網膜に焼きついたまま離れないらしく、シャドームーンのレッグトリガーの音を聞いても、全く反応していない。
それ故に彼もやり易そうであったらしく、直に記憶の消去を行い始めた。
「……友達思いで、優しかった人、か」
ペッ、と、水たまりに唾を吐いてウェザーが小言を吐いた。
機械風情に何が解ると言う。結局自分が元の世界に帰りたいのは、憎んでも憎み切れない。
ウェス・ブルーマリンと言う人物の運命に過度に干渉し、その全てを台無しにした、聖職者気取りの悪に復讐を行いたいからだ。
漸く自分は、王手を彼に――エンリコ・プッチに掛けられた筈なのだ。除倫がいる、アナスィがいる、エルメェスもいる。
自分の復讐に加担する人間だって、いるのだ。彼らもまた、プッチとの因縁を断ち切ろうと前に進む戦士達だった。
彼らの為に、死んだF・Fの為に、除倫の父である承太郎の為に。そして、ペルラの為に。ウェザーは、今まで強いられて来た負債を全て叩き返さねばならないのだ。
自分が優しい人間だなどとは、死んでもウェザーは思っていない。
彼の今の行動原理は、プッチに対する復讐と言う一点にある。彼を殺して、ウェザーは救われたいのだ。
救いとは、悪夢にうなされる事無く夜(ニュクス)眠れる事。そして、こめかみに銃口を当てて、直に死ねる(タナトス)事。
自分は余りにも罪を重ね過ぎた。そしてその果てに、兄弟殺しと言う罪まで背負おうとしている。
長く生き過ぎた男だとすら、ウェザーは思っている。自分は、もっと早くに死ぬべきだったとすらも。
「見る目がねぇよ、ポンコツ」
チッ、と舌打ちを響かせ、ウェザーは空を見上げた。
太陽が熱い日差しを投げ掛けていた。強い光だった。きっと、それによって生まれる影も、濃い事であろう。
「俺は優しさの正反対にいる人間だ」
その独り言を、シャドームーンが聞いていたかどうかは、ウェザーにも解らない。
雨上がりの後のすえた南元町の臭いは、また格段と酷いなと思いながら、ウェザーは、己のサーヴァントの仕事が終わるまでその場で待つのであった。
【四ツ谷、信濃町方面(南元町下部・食屍鬼街)/1日目 午前9:00】
【ウェス・ブルーマリン(ウェザー・リポート)@ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン】
[状態]健康、ずぶ濡れ、魔力消費(小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]無
[装備]普段着
[道具]真夜のハンマー(現在拠点のコンビニエンスストアに放置)、贈答品の煎餅
[所持金]割と多い
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界に戻り、プッチ神父を殺し、自分も死ぬ。
1.優勝狙い。己のサーヴァントの能力を活用し、容赦なく他参加者は殺す。
2.さしあたって元の拠点に戻る。
3.あのポンコツ(アイギス)は破壊する
[備考]
・セイバー(シャドームーン)が得た数名の主従の情報を得ています
・拠点は四ツ谷、信濃町方面(南元町下部・食屍鬼街)でした
・キャスター(メフィスト)の真名と、そのマスターの存在、そして医療技術の高さを認識しました
・メフィストのマスターである、ルイ・サイファーを警戒
・アイギスとサーチャー(秋せつら)の存在を認識しました
・現在南元町のNPCから、自分達の存在と言う記憶を抹消しています。後に、拠点を移動させる予定です
【シャドームーン@仮面ライダーBLACK RX】
[状態]魔力消費(中だが、時間経過で回復) 、肉体的損傷(中)、左わき腹に深い斬り傷(再生速度:低)
[装備]レッグトリガー、エルボートリガー
[道具]契約者の鍵×2(ウェザー、真昼/真夜)
[所持金]少ない
[思考・状況]
基本行動方針:全参加者の殺害
1.敵によって臨機応変に対応し、勝ち残る。
2.他の主従の情報収集を行う。
3.ルイ・サイファーと、サーチャー(秋せつら)を警戒
[備考]
・千里眼(マイティアイ)により、拠点を中心に周辺の数組の主従の情報を得ています
・南元町下部・食屍鬼街に住まう不法住居外国人たちを精神操作し、支配下に置いています
・"秋月信彦"の側面を極力廃するようにしています。
・危機に陥ったら、メフィスト病院を利用できないかと考えています
・ルイ・サイファーに凄まじい警戒心を抱いています
・アイギスとサーチャー(秋せつら)の存在を認識しました
・秋せつらの与えた左わき腹の傷の治療にかなり時間が掛かります
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「やれやれ、あの藪のコートを斬られるとは思わなかったな」
そう言ってせつらは、雑巾のように自分の黒いシャツを絞り、豪雨を吸って重くなったそれから水分を排出させる。
コップ三杯分は余裕なのではないかと言う程の水が、ビル屋上の乾いたタイツに音を立てて落ちて行く。
コートはタイツの上に置かれ、シャツは見ての通りの状態。せつらは今上半身に何も着ていない状態だった。
健康な肉体美とは、かくあれかし。そう思わせる程の説得力が、せつらの肉体にはあった。
水滴の浮かぶ、鍛え上げられた彼の上半身はギリシャ彫像など及びも突かない程の若々しい青春美の結晶であり、スランプに悩む芸術家がこの光景を見ようものなら、
全財産を叩いてでもスケッチを取らせてくれと、三顧の礼を以て懇願するであろう。誰もいないビルの屋上であると言うシチュエーションを除けば、余りにも構図もモデルも、完成され過ぎていた。
せつらのコートは、かの魔界医師の手による特注品であると言う事は余り知られていない。
あの堅物は、例えマンションが千軒購入出来る程の金額を積まれようが、面倒かつ興の載らない仕事は引き受けない。
患者の治療ならば兎も角、魔術的な物品をアレに作らせるなど、それこそ、彼のT大の席次を一位で卒業し、財務官僚になり、出世競争を勝ち抜き財務次官になる、
と言うルートを歩む事の方がまだ百倍も簡単であろう。如何なる手練手管を用いたかは既にせつらも忘れたが、兎に角、この黒いコートはメフィストに作らせた。
この世の如何なる毒液やマグマすらも弾き飛ばす程の撥水性や、対物ライフルですら受け流す程の対銃性、そして高速振動するナイフですら包んで受け止める程の対刃性能と、
流石に魔界医師の手によるもの。常人では如何なる技術を詰め込んだのか、想像も出来ない程の数々の力をこのコートは内包しているのだ。
それを、シャドームーンは斬り裂いた。恐るべき、あのセイバーの技量よ。
だがそれ以上に恐ろしいのは、“私”のせつらの張り巡らせた糸を跳ね除けさせるあの光。
まさか初っ端から、あれ程の力を持った改造人間と激突する事になるとは、せつらとしても思っても見なかった。
あのまま戦っていれば、もしかしたら自分の方が地面を舐めていたかも知れないと、この魔人は考えている。
彼は此度の聖杯戦争の中でも特に強い存在なのだろう。上限がこれなのだ、他の実力帯も油断が出来ない。
「厄介な奴を呼んでくれるよなぁ」
はぁ、と。“僕”のせつらが嫌々そう溜息を吐きながらそう言った。
ビルの屋上から眺める<新宿>は、平和そのものだった。せつらは<魔震>前の<新宿>の記憶が希薄だ。
元居た所では、当時を忍ぶ写真やその映像を見る事でしか、昔の<新宿>の様相を窺う事は出来なかった。
成程、<魔震>がなければ、此処まで毒気のない平和な街だったのかと、せつらは改めて思うのだ。妖物も無い、毒も湧き上がらない、未発見の毒草も時空間の乱れもない。
そんな街は、此処まで平和だったのだと、せつらは思い知らされた。
「……魔界都市、か」
せつらのいた<新宿>は、悪徳の坩堝だと他区や他国から散々バッシングされていた。
しかしそれでもあの街の区長は、<新宿>の存続とその利益確保の為に、歴史上の如何なる名君と比較しても何ら遜色ない政治手腕を見せつけていた。
それでもあの街の住民は、<新宿>で生き続ける事を選んでいた。あの街に骨を埋めると決めていたせつらだから、そのバッシングの意味は余り深く理解出来ずにいた。
今ならば解る。平和な所からしたら、魔界都市<新宿>がどれ程恐ろしい所であったか。そして、あの街が如何に碌でもない街であったか、と言う事をだ。
「お前は、そんなに平穏と平和が気に入らなかったのか?」
誰に、この言葉は投げ掛けたのだろう。
――<新宿>だ。せつらは今、<新宿>に対してそんな質問をして見せたのだ。平穏無事な日常に嫌気がさしたから、自分と言う混沌を此処に招き入れたのかと。
せつらは本気で考えていた。無論、<新宿>は、絶対に彼の問に答える事など、する訳がないのだが。
「厭な街なんだな、お前は」
水を絞り終えた黒シャツをその身に纏いながら、せつらは突き放すように『<新宿>』にそう言った。
平和が、自分達の手で犯されてしまうと言う事は、彼としても納得が行かない。気分は何処までも、ブルーであった。
【四ツ谷、信濃町方面(須賀町)/1日目 午前9:00】
【アイギス@PERSONA3】
[状態]健康、ずぶ濡れ
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]自らに備わる銃器やスラスターなどの兵装、制服
[道具]体内に埋め込まれたパピヨンハート
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れる
1.マスターはなるべくなら殺したくない
2.サーヴァントだけを何とか狙いたい
[備考]
・メフィスト病院に赴き、その帰りです
・メフィストが中立の医者である事を知りました
・ルイ・サイファーがただ者ではない事を知らされました
・ウェザー&セイバー(シャドームーン)の主従の存在を知りました
【サーチャー(秋せつら)@魔界都市ブルースシリーズ】
[状態]肉体的損傷(小)
[装備]黒いロングコート(少し痛んだが魔力消費で回復可)
[道具]チタン製の妖糸
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の探索
1.サーヴァントのみを狙う
2.ダメージを負ったらメフィストを利用してやるか
3.ロクでもない街だな
[備考]
・メフィスト病院に赴き、メフィストと話しました
・彼がこの世界でも、中立の医者の立場を貫く事を知りました
・ルイ・サイファーの正体に薄々ながら気付き始めています
・ウェザー&セイバー(シャドームーン)の主従の存在を知りました
・不律、ランサー(ファウスト)の主従の存在に気づいているかどうかはお任せ致します
投下を終了いたします
投下乙です
シャドームーンもせつらも強すぎるw
菊地作品を読んでいるかのような文体は見事の一言でした
ソニックブーム&セイバー(橘清音)
荒垣真次郎&アサシン(イル)
番場真昼&バーサーカー(シャドウラビリス)
予約します
きたいしてます
俺もこの企画参加したかった
114514!
初めて投下して見たいんですけどこれってせつらや幻十の糸に射程制限はあるんでしょうか?
投下乙です
本気ギルガメッシュもかくやと思わんばかりの猛攻を揮うシャドームーン、工夫次第で光も斬り裂けるせつら
地獄のような戦場の傍らで、相手を認めず譲らないウェザーと相手を認めて受け入れつつも引けないアイギスの相容れない舌戦も熱い
豪雨時々理不尽な死で住民の過半数が風邪をひいてそうな南元町の明日はどっちだ
投下の目処が立ったので、
葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)
佐藤十兵衛&セイバー(比那名居天子)
塞&アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)
で再予約します、念の為延長もしておきます
>>391 氏
返信が遅れた事を此処に謝罪します。
結論から言って、射程制限は糸を張り巡らせるか、巻き付けてしまえば基本的にほぼ無限と思って差し支えないかと思われます。
ただ基本的に、長時間かつ超長距離を張り巡らせ続けるのは、魔力を無駄にする為余りする事がない、と言う制限です。
ついでに、まことに身勝手ですが、先の予約を破棄します。期待していた方には申し訳ございません。
その代わりに、
ルイ・サイファー&キャスター(メフィスト)
を予約いたします
>>開戦の朝
此処に来て一気に、ネームドNPCが増えましたね。原作に於いて主役級の活躍をしていた真田パイセンに、イルの人生を決定づけたシスターのイリーナ。
そして、Ruinaからは竜の末裔幼女のエンダと、シルヴァリオ ヴェンデッタからはアルバートのオッサンとその生意気店員姉妹。
ゲストNPCの登場と言う、聖杯企画の醍醐味も然る事ながら、それらに取り囲まれている荒垣とイルの行動理念の再確認も、良く出来ている。
嘗ての世界での友人を再現された事に怒りを抱く荒垣。その現在の状況を見て、更なる決意を固める描写は実に見事。
未だ<新宿>の戦火に巻き込まれていないこの主従ですが、今後彼らがどのような道程を辿る事になるのか、非常に気になる。そんな作品でした。
ご投下、ありがとうございました!!
此方も投下いたします
メフィスト病院には、次のような有名な言葉遊びがある。
『治療室に入った者は必ず戻る。しかし、院長室に入って出て行った者はいない』、と。
より補足を加えるのであれば、院長室に招かれた者以外は、如何なる奇跡を味方にした者であろうと、如何なる神の加護、如何なる悪魔の庇護を受けようとも。
絶対に、其処から脱出する事が出来ない。後に待ち受けるのは、美しい男の繊手によりて下される、幸福な死だけである。
永久に外の風景を眺める事が叶わない、と言う地獄から解放させてくれるのが、虚無に話しかければ虚無を構成する分子の方から語りかけてきそうな美しい男なのだ。
それはそれで、最後の幸運、と呼ぶべき物なのかもしれないが。
院長室に、所謂顔パスで、通る事が許されている人物は、現在三人。
その内の一人は、この世界には存在すらしていない男。<新宿>警察に所属する刑事(デカ)の一人。
自分を痛めつければ痛めつける程、因果律レベルでその痛めつけた人間により不幸を強いらせると言う特異な運命を持った貧相な刑事、朽葉。
朽葉以外の残り二人は、聖杯戦争の舞台となっている<新宿>に招かれている人物だ。その内の片方は、しかも、メフィストと同じサーヴァントとして。
世界の誰よりも、黒の似合う美男子。親しみやすくて気の良い男の仮面を被った、残酷で冷酷な魔界その物のと呼ぶべき存在、秋せつらこそが、メフィスト病院の院長室に足を踏み入れる事を許された存在である。
――そしてもう一人は、サーヴァントとして自身が召喚されてから認めた男。
メフィストが嘗て出会った如何なる紳士よりもずっと上品で、気品漂う物腰で。そして、彼の出会った如何なる魔人よりも空寒い何かを放つ男。
そのマスターこそは、地上で並ぶ者のいない賢者であった。地上で最も愚かな行いをしてしまった、大馬鹿者でもあった。
「素晴らしい」
最も愚かなその賢者の名こそ、ルイ・サイファー。
メフィストが認める、せつらと並んで黒の似合う男。いや、或いは黒その物。紳士の皮を被った悪魔であり魔王。
万年の統治を約束する名君の建前を持った、圧政に対する反逆者。それこそが、魔界医師が従っている男の正体であるのだった。
夏至に近い時期の午後一時とは、一年を通して最も明るい時期。太陽が最も高い位置に置かれた高見座から地上を見下ろす時間帯である。
その時限に差しかかろうとも、メフィスト病院院長室は、薄く青い闇が優勢を保っていた。
如何なる魔霊をも祓い、浄化する、太陽天の暖かな光をこの部屋に受け入れようとしないのは、単なる主の美観の問題なのか。
それとも主が、光を避ける者と言う意味を持つ悪魔と同じ名前をした魔人だからなのか。その真実を知る者は、誰もいない。
「この街には確かに、混沌が芽吹きつつある。私の望む、善い街になりつつある。実に、好ましい主従を呼んだようだよ、『彼』は」
ブラックスーツに身を纏った紳士、ルイ・サイファーは左手で、群青色に透き通った鍵を弄びながら、其処から投影されるホログラムを楽しんでいた。
名画と名高い映画でも眺めるように、ルイが面白がっているホログラムとは、何か。喜劇か、悲劇か。はたまた、ポルノか。
どれとも違う。ルイは、契約者の鍵を通して通告された、ルーラー及び<新宿>の聖杯戦争の運営者からの緊急報告を面白がっているのだ。
盛り上がりもない、事務的で淡々とした文体の文章に、アクセント程度の二名の男の顔写真。
話を要約すると、ザ・ヒーローと、バーサーカーのクリストファー・ヴァルゼライドと言う男達は相当羽目を外したらしく、それがルーラー達の逆鱗に触れたと言う事らしい。
それが、ルイには面白くて仕方がなかったのだ。彼はこの二人を愚かだと思っていない。寧ろ、自分を何処までも楽しませてくれる、実に有能な役者達だとすら思っていた。
「彼、とは誰の事か」
格調高く艶やかな漆黒をした、黒檀の机に向かって座る、机の色とコントラストを成すような白いケープを纏う男が訊ねた。
汚れや塵埃の方から、避けるに違いない完全な白を身に纏った、冷たい闇が人の形を成したようなこの男こそが、ルイ・サイファーが召喚したキャスター。メフィストであった。
「此処に投影されているホログラムが見えるだろう? 其処に映っているマスターさ」
「マスターの友人かね」
「当たらずとも遠からず、と言った所さ」
そう言ってメフィストは、凛冽とした輝きを、水晶体の奥底で湛えるその瞳で、ルイが左手に持つ鍵から投影された映像を眺めた。
サーヴァントと思しき男は、彼のナチスの将校服にも似た形式の黒軍服を身に纏った金髪の男で、言葉を交わさずともその烈しい気性が窺い知れる、鉄の男だった。
メフィスト好みの益荒男と言うべき人物である。男らしさの欠片もない柔弱な“僕”にも、見習って欲しいぐらいだ。
そんな男を従えるマスターの男は、市井を歩けば幾らでも見つかるような、平凡とした容姿と顔立ちの男だった。
とてもではないが、ヴァルゼライドと言う男には釣り合わない。普通の人間の目には、そう映るだろう。しかし、メフィストには違って見えた。
如何に普通の人間を装おうとも、修羅場を潜り抜けて来た人間は、目が違う、口の結び方が違う。一目見てメフィストは理解した。
マスターと言う体裁で此処<新宿>に呼び出されたこの男は、間違いなく、ルイ・サイファーが目を掛けているだけの大人物であると言う事を。成程、ザ・ヒーロー(英雄)と言う名前は、伊達でも何でもないらしい。
「碌な事をしなさそうな友人だな」
すぐにメフィストは、机の上で開いていた本に目線を下ろそうとした。
『嫦娥運行図』と名付けられたその古びた書物は、院長であるメフィストだけがその場所を知る秘密の書庫に納められた蔵書の一つである。
直近二千年の、世界中のありとあらゆる月の満ち欠けとその異常を記録した書物こそがこの本で、世界に四冊と無い貴重な書物だった。
単なる月の記録図ではない。狼男(ワーウルフ)と月の関係性と、何年何月何時に狼男が姿を見せたかと言う記録は勿論の事、
牛車に乗せられ月の都へと旅立って行った、ある美しい女の話をもこの書物は記録していた。
他にも、月齢と魔力の相関図をもこの書物は記録しており、この月齢の時に一番魔力や霊力、マナが満ちる土地は何処か、と言う事も記されている。
そんな貴重な書物を気まぐれに、メフィストが手に取った理由は一つ。つい数時間前にメフィストが臨時の職員として雇った、ある女性の話を受けたからだ、と言う事を知る者は、彼一人だけだった。
「概要は貴方の口から聞かされた程度だが、推察するに、到底正気とは思えんな。放射線の散布、大量殺戮、そして、ルーラーに対する反逆。一事が万事のような男達だ」
「だからこそ、私は好ましいと思っているのだよ」
ホログラムを消し、懐に契約者の鍵を仕舞い込んでから、ルイ・サイファーは大仰そうに腕を広げ、口を開く。
「混沌の中にあって、人は己を高める事が出来る。高次の霊になる事が出来る。真の自由を得る事も、出来る」
「貴方は、人間と飽きる程接して来て、未だに理解が出来ないのか? 人は、貴方が享受出来る混沌を生き抜ける程、強くはないぞ」
「肉体的な強さに関して言えばその通りだろう。しかし、肝心なのは生き抜こうとするその精神性だ。無論強さがある事は好ましい。だが私は、畏敬を以て今日を生き、希望を抱いて明日を夢む者を、決して見捨てはしないよ」
「人は無秩序な環境に身を置いている時こそ、秩序を求める生物だ。法とは即ち、理由であり根拠だ。人はそれなしでは生きて行けない。だから貴方は永劫、秩序の体現であるYHVHと戦い続けて来たのだろう」
「人が秩序と縋る者を求めるその時、創造主もまた形を伴い現れる。その通り。故に私は戦い続けて来た。宇宙の秩序を司る大いなる意思とね」
ルイは、目線を明白にメフィストの顔に固定させた。
常人は、それ自体が光り輝いているとしか思えないメフィストの面構えを、まず、直視出来ない。
中東の砂漠の国に、商人として生まれた男が開祖となった宗教は、天使の姿を人が見れば、発狂すると説いた。
神や天使とは、人の持つあらゆる言葉を用いても表現出来るものでは断じてなく、人間の感覚器官や美意識では見る事も評価する事も叶わぬ存在であるからだと言う。
では、この男の場合は如何か。如何なる修飾語、如何なる形容語句を用いても、表現出来ぬこの美しい男の場合は。
そして、その美しい男を真正面から見据えて、恬淡としている黒スーツの男は、一体、何なのか。誰なのか。
「私はこの街に、大いなる意思を中心とした理を破壊するだけの力を求めている。だが、それだけの力を生む混沌は、そう簡単に生まれ出でないのもまた、事実だ」
「だから、貴方は素晴らしいと言うのか? 新しく討伐令を敷かれたこの男達の事を」
「彼らは実によく働いていてくれているよ。だが、まだまだ私が求め、楽しめる程度の混沌には至っていないと見るべきか」
一呼吸を置いてから、ルイは続けた。
「私が手助けをせねばなるまい。先達の整えた舞台を、より良くする。先達の失敗を、取り繕う。それが、後続の仕事であり、労苦であるからね」
「何を成す、ルイ・サイファー」
「この街に、更なる試練と混沌を。君の語った魔界都市のような街に、昇華される時が来たのだ」
「貴方はやはり、無間地獄(ジュデッカ)の奥底で、永久に氷漬けにされていた方が良かったのかも知れんな。人に不幸しか齎さないではないか」
「試練に痛みと堅忍はつきものさ。良い定職に在り付きたいから勉強を頑張る、金銭が欲しいから必死に根を回す。神の与える試練など、それらの延長線上に過ぎない。まぁ、私の齎す試練も正しくそれに近しいのだがね」
ルイは滔々と言葉を続けて行く。
演説に特有の熱もない、要点だけを簡潔に述べる爽やかさもない。しかし、何故か、この男の言葉は、心によく染みわたるのだ。
まるで、ヒビの入った石に、雨水でも染み込んで行くかの如き語り口で、男は話をする。ルイの言葉は水であり、そして、人をその気にさせる炎だった。
「間もなくこの<新宿>は混沌に包まれる。あらゆる命に意味がなくなる街と化す。それを担うのは我々だ、メフィスト」
「だろうな。私には未だに実感が湧かぬが、この世界の<新宿>の主役は如何も、私達であるようだ」
「時は満ちた。私もいよいよ動こうかと思う。メフィスト、『準備』は出来たかね」
パタン、と、本が閉じる音が、例えようもない静かさを伴って流れた。
「最後のボルトを締め終え、実用の段階に入った」
「結構。其処に、私を案内してくれ」
「心得た、我が主よ」
言ってメフィストは立ち上がり、無言で音もなく、歩み始めた。
人の形をした白い光が風のような滑らかさで歩いているように、余人には見えるだろう。
それを追うように、ルイもまた歩き始める。周囲数百億光年に、光を放つ恒星が一つとして存在しない宇宙の闇が、人の形を伴って歩いているように、余人には見えた事だろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
其処が、地上に面した階なのか、それとも陽の光の届かない地下の世界なのか。
恐らく、それを推察出来る者は一人として存在するまい。この病院の全てを知っている、メフィスト以外は。
窓もなければ時計もなく、音もなければ生き物の気配すらない、メフィスト病院の何処かであった。
深海を思わせるような、青みを孕んだ闇の中を、二人は歩んでいる。メフィストと、ルイ・サイファー。
およそ照明の類が一つとして存在しない回廊であるのに、そこは薄らとした暗さしかなく、歩く分には問題がないと言う奇妙な結果が同居していた。
そんな不思議で、深海の奥底に建てられた神殿を思わせる神秘的な世界の中でも、メフィストの姿は白く光っているように見え、ルイの姿は黒く霞んでいるように見えた。
二人の存在感は、その程度の神秘さと不思議さでは、色あせる事すらないと言う事の証左でもあった。
この回廊を歩くまでの道のりは、本当に普通と変わりがなかった。
患者の関係者が見舞いの為に入院している部屋へと足を運ぶ、患者の担当医が定期検診の為にその部屋へと向かう。
本質は其処と何も変わりがない。であるのに二人は、このような奇怪な道を歩くに至っている。
ただ階段を上り、そして、時には階段を降り、またある時は、関係者以外の立ち入りを禁止すると言う扉を開けて其処の中に入る。
それだけなのに、二人は今この場所にいるのだ。だが、聡明なルイ・サイファーは気付いていた。
メフィストの宝具であるこの病院は、メフィストがその気になれば、この世の時空の法則が全く当てにならない空間に変貌する。
その装置が安置されている場所は、恐らくは院長室と同じで、普通にその場所に向かっただけでは先ず辿り着けない。
メフィストは、目的のものは地下に在ると言っていたが、それを愚直に信じ、地下に足を運ぶだけでは目当ての物を目にする事は不可能。
地下にあるのに、階段を昇る。其処とは全く関係のない扉を、開く。また適当な所で、階段を降りる。
そのような、特定の手順を経ねば辿り着けない部屋がこの病院には幾つも存在する事に、ルイは気付いていた。
そしてメフィストが、その装置を安置させる為に、その様なプロセスを設定したのは、妥当であるとすらもルイは思った。そのようなプロテクトを施す程の価値が、その装置にはあるのだから。
白が止まる。黒が、見上げる。
目の前に立ちはだかる、巨大な鉄扉を見るがよい。見る者に与えられる、異様としか言いようのない重圧感は、その扉が決して張りぼてではない。
正真正銘の、密度と厚みを伴った真なる金属の証であると言えるだろう。だが何よりも異様だったのは、その扉の表面に刻まれた、様々な魔術的言語。
在る箇所は、古英語で何かが記されていた。ある場所は、太古の大和言葉で何かが記されていた。
在る箇所は、シュメールの粘土板に刻まれた象形文字めいた言葉が。またある場所は、古代エジプトで用いられたヒエログリフが。
そしてこれら、世界史や日本史で存在を習う文字とは別に、明らかに魔術的な言語である、ルーン文字や梵字の類すら、扉の表面で市民権でも主張するかの如く踊っていた。
「厳重だな」
ルイがほう、と嘆息するように呟いた。単に、巨大な金属の塊、と言う性質が保有する、物質的強度だけでない。
扉の表面に刻まれたこれらの文字は、それぞれが異なる様式の魔術を成し、扉に霊的かつ魔術的な強度を与え、そして物質的強度も更に底上げしている事に、ルイは気付いた。
「核ミサイルに直撃しても無傷だ。理論上は、地球が粉々に砕け散っても、この扉だけは無事に形を保つ程の強度を持つ」
「試した見た事が?」
「まさか」
魔人と魔王のジョークは、聞くだけで心臓に悪いやり取りであった。
談笑と言えない談笑を行った後、メフィストは、スッと、その右腕を伸ばした。
夾雑物の一切存在しない白金を、削り、磨き上げたような美しさが、その腕にはあった。
向こう側が透けて見えそうな程白い薬指に嵌められた指輪の宝石が、光った。それに呼応し、扉は、重々しい音を立てて、観音開きになる。
事の一部始終を見届けたメフィストが、特に合図もなくスタスタと部屋の中に入って行く。当然、ルイもそれを追う。
距離感が狂う程広大な、立方体の部屋であった。
部屋に満ちているのは、青い闇。暑さも冷たさも感じぬ白い霧。閉所恐怖症なる病気がこの世には確認されているが。
これだけ広大な部屋に閉じ込められてしまっても、逆に同じ事だろう。人は、何もない広大な空間に放り出されて、正気を保って居られる程、強くないのだから。
そんな広大な部屋の中に在って、部屋の中央に設置された何かは、ある種のアクセントを演出していた。
一言で言えばそれは、所々に鉄鋲の打ちこまれた、真鍮製の奇妙なメカニズムだ。四方から飛び出した、奇妙な鉄管にガラス管。
そしてそれらを繋ぎ合わせる、表面にマイクロ単位の細やかさの魔術的言語の刻まれた針金と、ゴムのような素材の表面にやはりその言語が刻まれたケーブル等々。
メカニズム、と表現した理由は、その装置に取り付けられた、ハンドルやレバーのせいである。
中世的なクラシカルさと、近現代的なシステマチックさとモダンさが同居した、ちぐはぐな機械だった。まるで子供の奇妙な妄想が形を成したような何かであった。
「これが禁術に指定されたのは、千四百年の事だった」
「後にモンゴルと呼ばれる土地に生を受けた遊牧民の男が築き上げた一大帝国の影響で、ユーラシアの東と西の文化がサラダボウルの様に混ざり終えて久しい時代であり、オスマントルコ帝国はまだバヤズィト一世が健在だった時期か」
「権力者は常に、歴史の裏側で暗躍する魔術の一派を恐れたものだ。特にヴァチカンは、必要以上に神経質に、私の師を恐れた」
「ドクトル・ファウストの事かね」
「ヴァチカンが制御しようとして制御出来る男じゃないさ。あれは狂っているからな」
メフィストが装置に歩み寄る。ルイは、その様子を眺めるだけだった。
「今から行う術法は、魔術の歴史を読み解いても、成せた者はまずいない。いや、そもそも魔術が操れると言うのは基本的な条件であり、大前提だからだ。此処に更なる知識が加わり始めてこの技術は形を成す。これはある意味で、魔術でもあり科学。水にして油。焔にして樹木。相反する性質が必要な業だからだ」
「歴史上、この術法を操れた魔術師は、君が確認出来た限りでどれ程いた」
「本当に優れた魔術師なら、これを操ったと言う記録自体を抹消するさ。近現代で解っている限りで一番有名なのが、エドガー・ゲイシーだろう。ただあの男は、魔術に優れていた、と言うよりは、其処に『接続』出来る才能に溢れた、ある種のバグと言っても良い男に過ぎないのだが」
「私も知っているよ、その男なら。上手く操れたとは思えんが」
「無論、コントロールする術まではあの男は保有していなかった。精々が、記録を解読し、自身の病気を治せた程度だ。尤も、それだけでも十分過ぎる程凄いのだがな」
暫し、沈黙が降りた。本来ならば言葉を返す筈のルイが、黙っているからだ。
とは言えメフィストも、其処で彼に返事を求めてなどいなかった。何故ならば、まだまだこの男には、語る事があったからだ。
「不滅の存在を滅ぼす局面に立たされた時、マスター。君ならどう対処する」
「不滅になる前の過去に遡り、その存在に干渉して見るのも悪くはないが、私ならば、不滅を滅ぼせる存在を育てるだろうな」
「独創的な答えだ。……嘗て、私がそのような存在と対峙した時、私と、私が認める大魔術師は、この装置を使った。未遂に終わったがな」
「それは?」
「並行世界の数は、無限大にも及ぶ。貴方なら、理解している事柄だろう」
「無論」
「理屈自体は簡単だ。不滅の存在であると言うのなら、『その存在が滅んだ並行世界の未来』を探せばよい。そしてその未来を、その存在に押し付ければ良い。そうすれば、如何なる存在をも滅ぼす事が可能だ」
更にメフィストは続けた。
「不滅の存在に死を与える。不幸の源泉であるパンドラの匣をも無力化させる。如何なる存在にも、特定の運命を強いらせる事が出来る。今から操る術法とは、そんな、『神』の一端に触れる技術だ」
「君にそれが出来るかね」
「生前の時点でも、このような装置を借りねば出来なかった程だ。それに今は、サーヴァントとして矮化された身分。先程述べたような事柄は、不可能に近い」
「それでも、私の求める事は出来るのだろう?」
ルイ・サイファーの唇の両端が、少し吊り上った。
何億人の人間が見ても、魅力的としか映らない、その紳士の微笑みに、途方もない野望の色が見え隠れしているのは、一体、何故なのだろうか。
「出来る」
対するメフィストの答えは、氷塊の如くに冷たかった。
過去に勉強し尽くし、知り尽くしてしまった事柄に対する質問を、面倒くさそうに答える老教授宛らであった。
「ならば、これ以上の言葉は無用だな。是非とも、メフィスト。君の腕前を見せてくれたまえ。私は彼のりゅうこつ座の主が運営する、北極星の王座のシステムを、人の身で操っていると言う事実自体もまた楽しみなのだ」
「心得た。ならば、しかと見るがよい。如何なる結末が待ち受けていようとも、それを覚悟して受け入れるが良い」
そう言ってメフィストは、白いケープの裏側から、土気色をした、しかし、それでいて全体的には筋肉のような質感を保った、
不細工な子供のような人形を二つ取り出した。ルイもまた、上着の裏側から、同じような人形を二つ、外に晒した。
「――これより、『アカシア記録(レコード)』の操作を行う」
言ってメフィストは、そのレバーに手を伸ばした。
今からメフィストが行う術法は、あらゆる次元に渡り存在する、宇宙的エーテルが流出している記録庫へ接続し、それを操作する禁術。
あらゆる世界、あらゆる宇宙の全歴史を記録(レコード)する史書であり、全ての歴史の全ての可能性の未来をも読み取れ、操る技。言い換えれば、根元への接続そのもの。
それこそが、今この部屋にいる白と黒が行おうとしている事柄だった。アカシアの霊異記を操ろうとして、メフィストよ。ルイよ。お前達は、何を成すと言うのだ。
また、わたしが見ていると、小羊が七つの封印の一つを開いた
すると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた
そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った
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「何故、私を呼び寄せたのだ」
苛烈な性格であると言う事が窺える声音で、その女は訊ねた。
「君が勝利を求めて渇望している人間であるからさ」
それを受けるは、黒スーツを着用した紳士、ルイ・サイファーだった。
「勝利? 馬鹿を言わないで下さいましミスター。お姉様は、富も権威も名声も、そして自分の国ですら持っていた御方でしたのよ」
ルイの言葉を受けて返すのは、先程の凛冽とした声音が特徴的な女のそれではなかった。
それは、その女性の背後に影のように付き従う、小柄な少女だった。リボンで纏めたシニョンが特徴的な緑髪の少女で、背の割に胸の大きい、トランジスタ・グラマーだ。
「大切な者だけは、ついぞ得られなかったようだがな、お嬢さん」
少女がお姉様と呼んでいる女性の顔が、不愉快そうに歪んだ。
ルイの言葉を受けた少女が、不愉快さと怒りに、酷く引き攣った。ルイの言った言葉の全て、理解しての表情である事は明白だ。
「君は確かに、誰の目から見ても完全かつ完璧な勝利を得る事が出来たのだろう。だが、君自身は、勝利だと思ってなかっただろう? 何故なら君と勝利を喜びあう筈だった男は――」
「よく勉強しているじゃないか、ミスター。だが、聡明な貴方なら理解しているだろう。知りたがり屋は何時だって、寿命が縮まるものだ、と」
背後の少女が動こうとした、その瞬間、彼女の身体は自由が効かなくなり、うつ伏せに倒れ伏した。
「なっ、がっ……!?」、と、少女のもがく声。彼女は今、自分の身体に、銀色の糸が纏わりついている事を知った。針金だった。
「君の気持も解らないでもないが、その男は私の主だ。そして、この病院で、争いは認めん」
ルイの背後に広がる、無明の闇の向こう側から、白い闇、輝ける光のような男が姿を現した。
苛烈な雰囲気を纏った女性が、言葉に詰まった。地面に倒れ伏した少女の表情から、険が抜け、呆然、そして、恍惚とした表情が露になる。
無理もない。この男の――ドクターメフィストの、悪魔的な美貌を見てしまえば、そんな事は当たり前の事なのだ。
「見事な腕前だ、とでも言えば満足か? 美丈夫」
「早く話を済ませたまえ」
メフィストの言葉は、余りにもそっけなかった。目の前の女性達になど、微塵の興味もないと言った風な体だった。
「お前の言う通りだ、ミスター。率直に言うよ、私の人生は、空虚だった」
「お姉様!!」
ギンッ、と、地べたに這いつくばる少女を、女は睨んだ。それだけで、少女は全てを得心。グッ、と歯を食いしばり二の句を押し殺した。
「確かに私は、誰の目から見ても明らかな勝利を掴んだが、私だけは、虚しかったよ。私の傍には、愛した男がいなかったからなぁ」
其処で女性は、頭上を見上げた。青い闇が蟠る、冬の夜空のような昏黒が広がっているだけだ。
「ただそれでも私は、待って待って、待ち続けた。何時か奴が……私が愛した、汚れた人狼(リュカオン)が戻ってくるのだ、と」
「結局、戻らなかった、と」
「私の言葉を奪うのはやめてくれ。他人から指摘されると、どうも、な」
苦笑いを浮かべる女。
「私の求めた勝利は、完全な勝利じゃなかった。ピースが、三つも四つも足りない、不揃いの勝利だった。それは、ミスターの言う通りだ。認めよう」
「――だがな」
「だからと言って私は、お前に踊らされる程愚かじゃないぞ。私は女である以上に、民の上に立つ為政者だ。況してや此処は、私の先祖であるアマツの民の生国。聖杯戦争? 馬鹿を言うな、乗る訳がない」
彼女の返事は、気高かった。そして、美しかった。
その言葉には微塵の嘘も偽りもなく、全てが真実、全てがありのまま。一切の虚飾を取り払ったシンプルな言葉は、余りにも美しい。
地面に這いつくばった少女は、女性の言葉に魅了され、ほう、と嘆息した。如何やら、同性愛(レズビアン)の気が強いらしかった。
「成程、予想していた通りの答えだ。君を動かすには、万の言葉を尽くしたとて、不可能だろう」
「切り札を早く見せたらどうだ」
「ふむ?」
疑問気な声をルイは上げた。「惚けは興を削ぐぞ」、と直に女は指摘。
「ミスターは、私が見た中でも一番聡明な人間だ。断言しても良い。そして、私が見て来たどんな政治家よりも腹の黒い曲者でもあるとな」
「つまり?」
「私を聖杯戦争の参加者、いや、サーヴァントか? その手駒として参戦させると意気込んだ以上、当然、私をその気にさせる『切り札』があるのだろう?」
「ふふふ」
ルイは、不敵に笑った。
「切り札を温存したまま機会を逸する事程、馬鹿らしい事はあるまい。悔いのないよう、今の内に開帳しておいたらどうだ?」
「ハハハハハ、素晴らしい。君は実に聡明な女性だ。腹を割って話せる人間は大好きだ、腹の探り合いなどは無駄なプロセスだから、ね」
そう言ってルイはポケットから、あるものを取り出した。
群青色の宝石で出来た鍵のようなそれは、契約者の鍵だった。慣れた手つきでそれを弄ぶと、鍵から、ホログラムが投影される。
それを見て――女性と、そして、少女は、心底驚いたような表情を隠せなかった。愕然、と言う言葉がこれ以上となく相応しいだろう。
硬直したまま動かないのは、少女の方だった。硬直から直に復帰したのは、激しい気性の女性であった。そして彼女は、笑った。
「は、ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
爆発するような哄笑だった。病的な物すら感じられる程の、呵呵大笑。
心底愉快そうな笑みである一方で、自身の運命の皮肉さを呪い、嘲るようなシニカルさで満ち溢れた、すてばちな感情すらも読み取る事が出来る。
ホログラムには、金髪の、極めて意思の強そうな男性が映り出されていた。名をクリストファー・ヴァルゼライドと言う男だった。
「な、何だ、総統閣下はこの世界ではお尋ね者の犯罪者なのか、ククッ、ハハハハハハ!! 全く、笑わせるジョークを見せてくれるじゃないかミスター!!」
ルイは、女性の笑いが収まるのを待った。
たっぷり十秒程の大笑いが、広大な空間に広がった後、眦に浮かんだ涙を弾き飛ばしながら、女性は、ルイ・サイファーの方に向き直った。
濡れた鴉の黒羽の様に艶やかで美しい黒髪を、後ろに長く伸ばした女性であった。彼女は、クリストファー・ヴァルゼライドが纏っている制服と同じ様な軍服を身に纏い、
そして何よりも特徴的なのが、彼女の右目に取り付けられた眼帯だった。彼女の右眼は生前の時点で抉り取られている。
もしも、その様な身体的欠陥がなければ、さぞや美しい、軍服ではなくドレスを身に纏えば男をより取り見取りに出来た程の麗女であった事だろう。
「返事を聞かせてくれないか、セイバー。いや……『チトセ・朧・アマツ』くん」
それを受けて、チトセと呼ばれた軍服の女性は、懐に差した剣を勢いよく引き抜き、それを振り回した。
それは彼女の、弛まぬ鍛錬と天性の才能が組み合わさった剣捌きを受けて、びゅんびゅんと音を立てて彼女の周りを旋回する。
その剣は、剣身を複数に分割されており、分割された部分をワイヤーで繋ぎ止めた、いわゆる蛇腹剣と呼ばれる剣であり、まるで鞭のように、そして、
神技の如き軌道を描いて、チトセの周りを回転。ガチャンッ、と言う音と同時に、分割された剣が元の一本の剣になり、その剣先を、ルイの首元に近付けた。
「お前の指図は受けん」
チトセの言葉は、奇しくも、ヴァルゼライドと同じ、鋼であった。
「だが、このまま黙って帰るのも面白くない。折角、滅ぶ前の日本にやって来れたのだ。観光がてらに街を散策し、そして――生前成し得なかった事を成して見るのも、悪くはない」
「ほう、それは?」
「決まっている。私の愛した人狼(リュカオン)は、如何なる手段を用いてか、あの英雄を下したと言う」
剣を鞘に納めチトセは、言った。
「ならばこの世界では、奴の……ゼファー・コールレインの代わりに私が、『逆襲(ヴェンデッタ)』と『完全なる勝利』を、あの英雄を相手に成し遂げるのさ」
「逆襲か。それは、私にも、か?」
「そうだ、ミスター。つまらないか? その結果が」
「最高に面白いよ、セイバー」
ルイが爽やかな口ぶりで、返事をした。その貌に浮かぶのは、狂人の微笑み。
「研がれた牙を誇りに、地の果てまでも走るが良い。そして私は、気味が今度こそ、完全な勝利を得られる事を祈ろう。何故なら君が――『期せずして、希望とは違う勝利を得てしまった哀れな女性』であるが故に」
ルイがそう語り終えると、チトセの従者にして、宝具である少女。
サヤ・キリガクレを縛る針金が解除される。急いで彼女は立ち上がり、敵意をルイとメフィストに露にする。目線は、メフィストから外されている。
その美を直視してしまえば、耐えられないと思ったからだ。
「サヤ、出るぞ」
「お、お姉様……」
「此処に最早用はない。余りにも薄暗く、黴臭いからな。出口は何処だ、麗しい美丈夫さん?」
「案内しよう」
言ってメフィストは、ケープの袖から、ビュンッ、と針金を伸ばした。
それはメフィストの右脇の方にずっと伸びていた。針金の伸びた方向に、チトセは歩いて行く。
ありったけの殺意と憎悪をルイに叩き付けながら、サヤはその場から、正に霧の様に消えて行く。
二人の退院を、ルイ・サイファーは愉快そうに眺めていた。望まぬ勝利を得てしまった白い騎士が今、<新宿>に解き放たれた瞬間だった。
子羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた
すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた
また、この者には大きな剣が与えられた
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「どうして私を呼び寄せたんですかねぇ?」
軽薄そうな男の声が、跳ねかえる壁が一目見ただけでは存在しないとしか思えない程広大な部屋の中に広がった。
「君がとても、トラブルの類を好みそうな者だからさ」
人をおちょくっているとしか思えない程、軽く、薄っぺらなその言葉に、ルイ・サイファーはいつものような笑みを浮かべてそう返すだけ。
「私がそーんなに、揉め事の類が好きそうに見えるんです?」
「過去の経歴を調べさせて貰ったよ。いやはや、実に面白い。人々を争わせ、星を滅ぼし、それを遠くから眺める。実に、悪辣だ。好ましい」
「照れちゃいますよ〜」
と、それらしい声の調子で、軽薄そうな男は返事をする。
声と態度からは、目の前の黒スーツの男への警戒と侮り、そして――ルイの背後に佇む、圧倒的な存在感を保つ、白皙の美貌の男への畏怖めいた感情が、微かに読み取れる。
「そんな君だからこそ、赤い騎士の役割が相応しいのだよ」
「何です、それ?」
「世界の終焉を記した、黙示録なる書物に登場する、四騎の騎士の一人さ。赤い馬に跨ったその騎士は大きな剣をその手に持ち、地上に戦乱と喧騒の種を撒くのだよ」
「それはそれは……素晴らしい存在じゃないですかぁ」
「全くその通りだよ」
ルイは不敵な微笑みを浮かべた。相対する男もまた、笑った。
「私はね、君にその悪い力を存分に奮って欲しいのさ。出来るだろう? 災禍の象徴である、君ならば」
「良いんですかぁ? そーんな事をしちゃって? 私が本当にその力を奮ったら、遊びじゃすまなくなりますよぉ?」
「構わないよ」
一切の逡巡を見せぬ様子で、ルイは返答した。
一瞬、呆然に近いような表情を男は浮かべたが、直に、狂的な笑みを浮かべて、ルイの事を眺めた。
この男の正気を疑う以上に、初めて、自分の理解者を得たような、そんな心境を窺わせる笑みであった。
「君の混沌を齎す力は、私が必要とする力なのだよ。人の争乱、悩み、疑心、妬み。負の感情から生まれる何かも、またあるだろう。今の<新宿>には、それが必要だ」
「んっふふふ、ゆっくりりかいしたよっ。それじゃぁ、私、張り切っていっちゃいましょうか」
そう言って男は、空中に如何なる浮力を用いてか浮遊し、其処で足を組んで座る、と言う器用な体勢を解き、地面に両脚から着地した。
「……ところで、アサシン」
「なんでしょ」
「余り肩肘を張る必要は、ないと思うが」
それを指摘されて、顎に手を当てて男は考え込んだ
ピンクがかった赤髪を、後ろに長く伸ばした人間だった。ドライヤーなどを使って整えていないのか、髪はもじゃもじゃと言う擬音が相応しい位になっている。
だがそれよりも目立つのはその長身である。二mを超す程の背丈の持ち主で、ルイやメフィストを見下ろす形になっているのだ。
伸ばした前髪で隠された瞳、喜悦に吊り上った唇。男の容姿は、一目見ただけでその性別を窺わせない、中性的なシルエットだった。
「……私がそんなに無理してるように見えます?」
「見えるさ。君の本当の性格は、そんな取り繕う風でもないだろう。そもそもアカシア記録に曰く、君の一人称は私、ではなく……」
「一人称はぁ?」
途端に、馴れ馴れしい口調にアサシンが変わった。
恐ろしく速いペースで、チッチッチッチッチッチッと舌打ちを響かせている。カウントダウンのつもりであるらしかった。
「『ミィ』、だった筈だが?」
「ぴーんぽーんwwwwwwwwwwwwwwww正解でーすwwwwwwwwwwwwwwグリフィンドールに893点!!!wwwwwwwwwwwwwww」
途端に、アサシンの態度がぶっ壊れた。
まるで第一志望の面接に挑む就活性にも似た真面目さでルイと会話をしていたアサシンであったが。
彼にこの事を指摘された瞬間、まるで躁病の患者の如くそのテンションを天井知らず的に上げさせた。
今のアサシンの態度に、全く違和感も何も感じられない。成程、これが如何やら素であるらしい。
「や〜、慣れない口調で話すものじゃないッスね〜〜〜〜(CV:内田真礼)、もう吐きそうで吐きそうでwwwwwwwwwwww」
「そもそも、如何して初めからそのような話し方じゃなかったのだね」
「それはあれ、第一印象ってと〜っても大事でしょ? 初めは礼儀正しく、後は砕けて。ミィとルイルイのコミュランクは今七位ですよ〜wwwwwwwwwww」
「成程。随分と踏み込んだ関係になったな、アサシン」
「ど〜も、そのクラス名? とか言う奴で呼ばれるの慣れないんですよね〜」
「では、こう呼べば良いのかね?」、ルイは、アサシンの言葉を受けて、第二案を提示する。
「『ベルク・カッツェ』と」
「カッツェでいいッスよルイル〜〜〜〜イwwwwwwww」
其処でアサシンこと、ベルク・カッツェは空中を浮遊しだし、其処で寝っ転がる。
空中をうつ伏せに浮遊しながら、顎を両手に乗せると言う形で、カッツェは二人を見下ろす。
カッツェは何を思っているのか解らないが、数秒程何かを思案した後、ケラケラと笑い始め、空中を浮遊しながらゴロゴロと寝転がり始めた
「あ〜イイっすね〜wwwwwwwwwwwwwこの世界にはミィ以外のガッチャマンはいないし、あの脳内お花畑野郎もいないですしぃ?wwwwwwwwwwww思う存分ミィのウルトラなパワーを愚かな人猿に見せつけられますね〜wwwwwwwwwwwwwwwwww」
「期待しているよ」
「ウッスwwwwwwwwwwwwあ、其処のイケメンさん、出口何処ッスか?wwwwwwwwwwww」
無言で、メフィストはその方向を指差した。
この状態で彼が口を開き、あの先に天国があると口にすれば、誰もがそれを信じ、その方向に何万人も向かって行くに相違あるまい。
表情にこそ動きはないが、如何も動作が緩慢で、面倒くささと言うものを体中から発散している。どうやら、カッツェと言う男は苦手な手合いらしかった。
「りょーかいでーすwwwwwwwそれじゃ、カッツェ、いきま〜すwwwwwwwwwwwwヒャッホー! ぶううううーん、ぶーううーんっwwwwwwww」
そう叫びながらベルク・カッツェは、白い指の指し示す方向へと風の様に走り、去って行った。
「あれが黙示録の赤き騎士担当とは、随分なジョークだな」、とメフィストは溜息交じりにそう零した。
全てを血に染め、地上を戦禍に満たそうとする赤い騎士が今、<新宿>に解き放たれた瞬間だった。
子羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた
そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた
わたしは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた
「小麦は1コイニクスで1デナリオン。大麦は3コイニクスで1デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな」
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「大樹!!」
「お母さん!!」
そう言って、三十路に漸く差し掛かったかと言う、世間的に見ればまだまだ若い年齢の女性と、小学校に入学したかどうか程度の背丈と年齢の子供が抱き合った。
母親の心境を語るのならば、漸く見つかった、と、無事で良かった、に尽きるだろう。<新宿>に用向きがあった為、<新宿>駅で降りた所で、我が子とはぐれた。
迷子である。気付いた時にはもう遅い、大樹と言う名前の少年は、駅から出た時には既にはぐれていたのだ。
<新宿>駅は<魔震>が起こる前から、兎角複雑な構造をしている事で有名であったが、<魔震>からの復興後も、その構造には何の変化もない。
だから、子が迷っているとしたら、あの駅内であったのだろう。そうなると、見つけるのは困難を極める。何せ駅自体も広い上、人も大量に行き交いしている。
その上、探す対象が子供だ。親を待って一ヶ所で大人しくしていると言う事もしないだろうし、駅員に話しかける知恵と言うのも薄い。
何よりも母親は、子供に切符を持たせてしまっていた。勝手に外に出ている、と言う危険性すら考えられる。だから母親は、急いで一番近くの、
<新宿>駅東側の交番に助けを求めたのである。結果論になるが、子供は十分程度後に戻って来た。
「お母様を探して、駅近くの路地裏を歩いていましたのよ」
「それは、わざわざ申し訳ございません!! 何とお礼を申し上げたら……」
「いえいえ、お構いなく」
但し子供は自力で戻って来たのではなく――大人の女性に連れられて戻って来た、と言うべきなのだが。
くすんだブロンドを短髪に纏めた女性だった。顔立ちは驚く程端正で、西洋人的な気風に溢れている。
髪の色と言い顔付きと言い、日本人、と言うよりアジアの人間ではないのだろう。それを抜きにしても彼女の顔立ちは綺麗である。
眠たげな瞳は、何処かセクシーさと優しさを醸し出しており、<新宿>ではなく表参道を歩いていれば、間違いなくモデルとしてスカウトされてもおかしくない風格すらある。
アジアの人間は西欧の人間は皆同じ顔に見えると言うが、そんな事はない。母親にすら解る、大樹をわざわざ交番に案内してくれたこの女性が、際立った綺麗さだと言う事を。
だがどうにも、日本の季節については不勉強であったらしい。東京の夏にはそぐわない、黒色のドレスコートを身に纏い、その上にパナマ帽である。
暑いに決まっている。コーディネート自体は見事だが、これでは着ている方も後悔しているに違いないだろう。
「お子さんに間違いありませんね?」
そう訊ねるのは、この交番の駐在の警察官であった。
既に年配に差し掛かっているが、一目見て真面目で、実直そうだと解る、見事な身体つきの男だ。
若い時分はさぞや、剣道や柔道、空手などで腕を鳴らした事であろう。
「はい、間違いありません」
「解りました。早期に発見出来て幸いでした。それでは僕は、<新宿>駅に連絡を入れさせて貰います」
そう言って駐在は、交番内の固定電話を手に取り、電話番号を入力して行く。
ドレスコートの女性が此処に来る前、駐在は<新宿>駅の駅員に、こう言う子供が迷子になっていないか、職務を遂行する傍ら探して欲しい、と。
連絡を入れていたのだ。見つかった以上、このような結果になったと言う事を報告する義務があると言うものだった。
「それでは、私はこれで」
「すいません、本当にすいません」
「いえいえ」
そう言って、ドレスコートを着た女性は、軽く母親と、駐在に会釈し、堂々とした足取りで去って行った。
話していて魅力的で、そして不思議さを感じる女性だった。その上、日本語もかなり上手い。故国では相当なインテリであったのだろう。
母親の彼女も見習いたいものであった。短大を卒業こそしたが、今では学生時代に学んだ事の殆どを育児の忙しさで忘れてしまっていた。
「お母さん、あの綺麗な女の人、すっごい強いんだぜ!!」
あのくすんだブロンドの女性の姿が見えなくなってから、大樹と呼ばれた少年は、目を輝かせてそう言った。
日曜の朝早くから始まる特撮ヒーロー、不死鳥戦隊フェザーマンを毎週楽しみにしている少年であったが、今の瞳の輝きは、それを視聴している時の物によく似ていた。
「強いって、何が?」
「俺がお母さんを探してた所でさ、すっげぇ『怖い骸骨のお化け』がいたんだ!! 早く逃げなきゃ、って俺が思ってたんだけど、そこにあのお姉さんが現れて、パンチ一発でお化けをやっつけちゃったんだぜ!!」
「もう、そんなわけないでしょ。アニメの見過ぎよ」
「本当だって!!」
そう言って大樹は力説するが、はいはい、と母親である彼女はそれを流すだけ。
先週のフェザーマンは、そんな内容だったかと思い出す彼女。確か先週は、戦隊の一人が操られて主人公の敵に回ったが、直に元に戻った、という話だった筈だが。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
――何故、私を呼んだのだ――
――君自身が餓えたる黒い魔人だからさ――
――餓える?――
――黙示録、と言う書物を読んだ事はあるかね――
――アポカリプスだろう。知っているぞ――
――では、その中に登場する、子羊が呼び寄せる四騎の騎士の話は?――
――……――
――偏った読み方をしているね、君は――
――うるさい――
――話を戻そう。俗に黙示録の四騎士と呼ばれるその騎士達は、白、赤、黒、青の四色の馬に跨った者達の事であり、彼らは神より与えられた権能を以て、地上の人類を殺戮し尽くすと言われている――
――……使える設定だな――
――何に、とは聞かないよ。白は勝利を、赤は戦争を、黒は飢餓を、青は死そのもの。君は、黒を担当して貰おうと、呼び寄せたのだよ――
――私が、黒? 服装と翼のせいだからか? 随分安直ではないか。黒と言う色は嫌いではないが、飢餓は、私を表すのには不敵な色だぞ――
――君が戦いに餓えたる魔王だからだよ――
――何?――
――君は戦いが好きだろう。君が今のような存在になってから戦いが気に入ったのか、それとも人であった頃からそうだったのか。それは私としては興味がない。肝心なのは、君の現在だ。君がとても戦いを好きで、愛している。その一点が重要なのだ――
――胡散臭いお前の意見に賛同してやるのは癪だが、確かにその通りだよ。私は、強い魔法少女と戦う事が、何よりも好きだった。血が躍る――
――命を掛けた戦いが好きな君の事だ。君は、君自身と対等な魔法少女と戦う事は、何よりも好きであった事だろう。言い換えれば君は、自分を倒してくれる好敵手を探していたような物であり、自分の死に場所を求めていたに等しい人物でもある――
だが、と、黒スーツを纏った紳士は其処で言葉を区切った。
――強かった君は、敗れ去った。君自身が問題にもしていなかった弱い少女の不意打ちで。理想の好敵手でもない相手に、理想の死に場所とは到底言えないような所で、君は、殺された――
――……――
――君は渇望しているのではないのかね。戦闘を。そして、自分の納得の行く結末と言うものを――
――それに、私が餓えているとでも?――
――違っているのならば謝罪しよう――
――答えはいつか教えてやる。ただ、これだけは言っておく。私を呼び出した理由は如何あれ、私はお前にいくばくかの感謝を抱いている――
――ほう――
――何のかんのと言っても、生前のようなスペックを振えぬ仮初の肉体とは言え、現世に戻って来れたのは中々嬉しい。それに、聖杯戦争、だったか。魔法少女以外の強者がいるのだろう? いいじゃあないか、素晴らしい事柄だよ――
――だが――、と、言うのは、最早紐としか言いようがない程の細い繊維で、局所を隠していると言う痴女的な服装を身に纏った、ブロンドの髪の女性だった。
――お前の指図は受けんよ、明けの明星殿。私は私の意思で動く、それを忘れるな――
――元より、私は君の自由な意思を尊重する立場だよ。行きたまえ、アーチャー。君の飢えと渇望を満たす相手との出会いを、私は祈ろう――
――本心では、ないのだろう?――
――さて、ね――
<新宿>、と呼ばれる町は、平和そうな所だった。
行き交う衆愚。立ち並ぶ虚栄と虚飾のビルディング。そして、都市的な退廃と泡(あぶく)のような都市的繁栄の匂いが香る、爛熟の街。
何処にでもある栄えた街。何処にでもある、経済都市。だが、彼女は違った。彼女は明確に感じ取っていた。
あのスーツの男が語っていた事は嘘ではない。この街は本当に、聖杯戦争なる、超常の輩が跋扈し、凌ぎを削る舞台に選ばれたのだ。
彼女の嗅覚は血の香りを捉えていた。彼女の皮膚は戦火の熱を感じていた。彼女の身体は――荒れ狂う殺意の渦を感じて歓喜していた。
「面白い街だ」
<新宿>駅の周辺を歩きながら、パナマ帽を被ったドレスコートの女性は呟いた。
この街は、あのスーツの男に餓えと呼ばれた感覚を満たす者は、きっといる事であろう。それに、聖杯にだって興味がある。
この力を使って完全に復活する事も、ありかも知れない。夢と空想は、尽きない。
彼女の身体は、これからの期待とドキドキで、日本の夏より熱く燃え滾っていた。
大声で叫び、サーヴァントと呼ばれる存在を、呼んでみたくなる。――『魔王パム』は、此処にいるぞ、と。叫んでみたい衝動を、ぐっと彼女は抑えるのであった。
小羊が第四の封印を開いたとき、「出て来い」と言う第四の生き物の声を、わたしは聞いた
そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は、「死」といい、これに冥府が従っていた
彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた
.
「おのれ魔界医師、私を呼ぶとは何たる無礼者じゃ!!」
その存在は、アカシア記録制御装置(コントローラー)で呼び寄せられるなり、すぐさまそう叫んだ。
彼女を<新宿>に呼び寄せると、ルイ・サイファーから言われた時、メフィストは正気を疑った。
理論上、彼女を呼び寄せる事は可能な事柄であった。魔力回路や肉体的性能や強度を高めた、メフィスト謹製のドリー・カドモン。
ルイ・サイファーは、このカドモンに、アカシア記録に記録されている異世界の存在の情報を固着させ、その存在をサーヴァントとして動かそうと考えたのだ。
つまりルイは、アカシア記録制御装置を動かして獲得した、該当存在の情報を依代にして、カドモンにそれを注入させ、言うなれば、受肉したサーヴァントに近い存在を、
産み出そうとしたのである。理論に間違いはなく、成功する蓋然性が極めて高い実験ではある。しかし、リスクがないわけではない。
先ず、彼らには、サーヴァントを本来御す為の令呪がない為、自由に活動が出来ると言う事が一つ。
そして何よりも問題なのは、彼らはルイの魔力によって動く存在ではなく、自前の魔力回路が生み出す魔力で動く存在だ。自律性が恐ろしく高い。
彼らはサーヴァントでありながら、マスターを必要としない完全なる独立存在だ。そんな物を四体、<新宿>に放てば、どうなるのか。想像するに難くない。
これらの性質を加味して、最後のドリー・カドモン、四騎士における青に相当する存在として、彼女を呼び出そうとルイから言われた時。
メフィストは珍しく、目を見開かせて驚いた。呼び寄せる事は可能だが、その存在を呼び寄せるなど、悪魔を召喚するよりもずっと危険な事柄なのだ。
如何なる黒魔術師が、如何なる用意をしておこうとも、彼女を呼び寄せた末に待っているのは、無惨な死以外にはあるまい。
その存在は過去、メフィストと浅からぬ因縁を持った女性であった。
嘗て魔界都市を壊滅寸前にまで追い込んだ、最強の毒婦にして、バビロニアの大淫婦の再来。世の全ての吸血鬼の女帝にして、自らの赴くがままに動くわがままな女王。
そして、人生で初めての恋に破れ、世界の何処かに隠れるように逃げて行った、哀れな女。全てを受け入れる魔界都市ですら、受け入れられなかった女。
「久々に出会うのだ。挨拶の一つぐらいは、して然るべきではないのかね」
「貴様の創造主(つくりぬし)は、冗談の才能だけは授けなかったようじゃの。私の顔を爛れさせた男が、よくも言うわ」
メフィストと、ルイの目線の先にいるのは、女だった。
年の頃は二十代。誰がどのような角度で見ようとも、それ以外の年齢には見えないだろう。
だが、最早。年齢など、誰も問題にしないだろう。彼女の貌を。身体を見てしまえば。
天使の美貌を持つ男、秋せつら。神の美貌を持つ男、ドクターメフィスト。彼らですら、この娘の美貌には及ぶまい。
風に委ねた黒髪は、この部屋の青い闇を支配する程の神秘性と王威に溢れており、あらゆる黒よりなお目立つ。
人の手の触れ得ぬ高山の山頂の万年雪よりもなお白いその肌は、身に付けた飾り気のない、純白の衣装ですらが薄汚れた汚物に見えてくる。
美の基準は、年代、時代、国によって変わると言う。だがしかし、この女性の誇る美は、永遠であり、不変。そして、絶対の物であった。
薄暗い闇の中に、ポッと光がともったようなその美貌の持ち主の名は――一体。
「ほほほ、じゃが、唯一面白い冗談があるとすれば、今の貴様の境遇だの、メフィスト」
「ほう」
「魔界医師と呼ばれ、この私ですらが認めた男が、事もあろうに使役され、頭を垂れる身分になっておろうとは。それも、ただの人間に従っているのではない」
目線を、黒いスーツを身に纏った男の方に向けた。
凝視しただけで、男を射精させる程の、美と言うエネルギーを内包した女性の視線を受けても、ルイは、平然とした顔をするだけだった。
「事もあろうに、悪魔どもの王に従っていると言うのだから、愉快極まりないわ。当ててやろうか、貴様の名は、ルシファー、じゃろう?」
「ルイ・サイファーさ」
「ふん、神に逆らい魔界で燻っていると、愉快さも失うようじゃ。メフィスト以上につまらぬ冗談だぞ」
つまらなそうにルイから目線を外した。
「メフィストよ、一つ答えよ」
「何か、姫よ」
「ふん、今更貴様がその名で呼ぶのは、白々しいとしか言いようがない。何故貴様は、その男に従っている。そして何故、貴様自身も弱くなっているのだ」
姫と呼ばれた女性が、一切の嘘は許さぬ、と言う、女帝の眼光を輝かせながらメフィストに詰問した。
別段、欺く程の事でもないと思ったのか、メフィストは説明し始めた。この世界の<新宿>の事、此処で行われる聖杯戦争の事。
そして、メフィスト自身も姫自身も、サーヴァントと呼ばれる存在になり、弱体化していると言う事を。
「下らぬ」
全てを聞き終えた姫の答えは、短く、簡素で、解りやすいものだった。
「私に聖杯を求めて争え、とでも言うのではあるまいな。嘗ては戯れに、フィリップ四世なる王を誑かし、彼の愚王の手によりて壊滅させられたテンプル騎士団とやらも、同じような物を求めていたな」
「君がそんな物を求める程、安い存在じゃない事位は知っているさ。私が求めるのは、ただ一つさ、姫――いや、『美姫』よ」
其処で一呼吸を置いて、ルイは続けた。
「君はこの<新宿>で、飽きるまで自分を謳歌して欲しいのさ。寝たい時に寝、食べたい時に食べ、血を吸いたい時に血を吸い、交わりたい時に交わる。君の理想は、それだろう」
「然り、じゃ。悪魔王。だが、貴様は一つ見誤っているぞ」
「ほほう」
面白そうに、ルイの表情が動いた。
「私がこの堕ちた<新宿>に呼び寄せられたのは、大方貴様の差金じゃろう。貴様ともあろうものが、理解していない筈があるまい。貴様の口走ったそれは、自由じゃ。
そしてその自由こそ、私が尊いと思う物。だがな、貴様の思惑で、偽りの肉の人形に情報を固着されて、この世界に呼び寄せられた私に、自由があると思おうか?」
「実に、口が立つな」
ルイは反論をしなかった。その通りであるからだ
美姫が言っている事は要するに、ルイがどんなに姫の理想とする条件、つまり自由だが、それを保証して現世に呼び寄せた所で。
サーヴァントに近しいスペックで呼び寄せた以上、その時点でそれは自由ではないのだ。それはつまり、檻の中の自由。軛の中での解放に過ぎないのだ。
「心底不愉快じゃが、今の私は貴様の掌で踊る文字通りの人形に過ぎぬ。それがつまらぬと言うのじゃ。どんなに貴様が私に自由を楽しめと言おうが、これで本当に、愉しめると思うのか?」
「ならば、自死を選ぶかね、姫よ」
と問うのは、やはりルイだ。これを受けて、ホホホ、と高笑いを浮かべる姫。
天から落ちて来た白銀の琴の様に美しい声で彼女は笑うが、その声に秘められた、残忍かつ冷酷な感情を聞き取れる者は、決して少なくないだろう。
彼女と言う人物を知らなくても解る、捻じ曲がった性格の笑い声であった。
「私の本体は今でも船に乗り、地上の何処かの時空を彷徨っておる。所詮この世界の私など、一抹の夢に過ぎぬのだろう?」
其処で、ククッ、と忍び笑いを浮かべ、美姫は続けた。
「私にとっては死すらも楽しみな事柄じゃ。この世の悦楽を飽きる程楽しめば、後は自ら命を断つわ。生きたい時に生き、死にたい時に死ぬ。最高の在り方じゃろうが?」
「そうかそうか、それには賛同の余地があるな」
「――尤も」
「それを今行えば、秋せつら君に遭えないだろうがな」
「――貴様。今、何と言った」
嘲るような微笑みに彩られた美姫の表情が、一瞬で、虚無その物の如き無表情に転じて行った。
無、とはまさに、今の彼女の表情の事を言うのだろう。喜びがない、怒りがない、哀しみがない、楽がない。
能面ですら、まだ幾らかの表情を湛えていると言う物だ。今の彼女の貌は、星のない宇宙の暗黒そのものだ。
だからこそ、恐ろしい。次に如何なる感情の波が迸るのか、理解が出来ないから。
「君の愛した男が、この<新宿>にもいると言っているのだよ。彼もまた、サーヴァントとして――」
其処で、姫が動いた。
腕全体が消し飛んだとしか思えぬ速度で、ガッと、アカシア記録制御装置から飛び出した鉄の管を掴んだのである。
重さ数tは下らない、真鍮のメカニズムを片腕で持ち上げ、音速を超える程の速度で、ルイの方へとそれを放擲した!!
彼にそれが激突し、肉体を破壊し内臓を飛び散らせるまであと二m程、と言う所で、そのメカニズムは上空へと消え去った。
見るが良い!! そのメカニズムを巨大な両脚の爪で器用に握る、銀色の大鷲を!!
翼を広げれば、二十mにも達する、その気になれば巨象ですらも持ち上げられそうな、その大鷲の魁偉!!
コレなるは、彼の魔界都市に於いても名高い、ドクターメフィストの針金細工。彼は、姫が制御装置を手にしたその段階で、懐に忍ばせていた針金を使って、瞬間的にこの大鷲を作り上げていたのである。
「せつらを従えるは、何処の誰じゃ」
地の底から響いてくるような、恐るべき声音で、姫が訊ねた。
「聞いて、如何するのかね」
メフィストが静かに訊ねた。彼だけが、冷淡な態度を崩しもしなかった。
まるで美姫よりも、ルイよりも。アカシア記録制御装置に、異常はないだろうか、と言う事の方に興味関心がある、と言うような装いである
「その者を縊り殺す」
殺す。その言葉の意味する所は何よりも重い物である一方、人類史の過去未来を問わず、多くの者がその言葉を口にして来た。
ある者は冗談で、ある者は恫喝で。そしてその言葉の多くが、話しの流れで場当たり的に飛び出した言葉だったり、単なるその場凌ぎの、重みを感じさせぬそれであった事だろう。
姫の口にした、その言葉の重さは、別格だった。
北の果ての海に浮かぶ氷山よりも冷たくて重々しく、そして、その意思を絶対に遂行すると言う漆黒の情動が、その言葉には渦巻いていた。
情念により鬼になった女を、般若と人は言う。今の美姫が、伝承の般若の通りの、恐ろしい風貌であれば、どれ程良かった事か。
美しいが故に、凄惨だった。ヴィーナスですら褪せて見える程の美貌の持ち主が、今の殺意を発散しているからこそ、絶望感が、凄まじかった。
「私は許さぬぞ、メフィスト、ルシファー。せつらは、私が求め、下僕とするべき男だった。何処の誰が、奴の心を射止めたか? 何処の誰が、従えているのか?
女である事も問わぬ、男である事も問わぬ。若かろうが老いていようが、赤子であろうが獣であろうが、私はその存在を赦す事など出来ぬ」
ルイの方を、決然たる目つきで睨めつけ、姫は言った。
「今一度は、貴様の掌の上で踊ってやろう、明けの明星。私が唯一、奴がいればこの世の何者もいらぬと認めた男が、サーヴァントなどと言う下らぬ身分で呼び出されたと言う事実が、最早許し難い。奴を従える者を殺し、せつらも殺し、私も死のう」
「お好きなように」
ルイの口は吊り上っていた。これで、四騎士の全てが揃った。
白のセイバー、赤のアサシン、黒のアーチャー。そして、蒼のライダー。
この街が辿る運命を、メフィストは夢想した。この都市は、魔界都市になるか。それとも――黙示録の世界となるか。
彼の知能を以ってしても、先の見通せぬ、ルイ・サイファーの鬼謀が、酷く腹ただしいのであった。
【四谷、信濃町(メフィスト病院)/1日目 午後1:10分】
【ルイ・サイファー@真・女神転生シリーズ】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]ブラックスーツ
[道具]無
[所持金]小金持ちではある
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯はいらない
1.聖杯戦争を楽しむ
2.????????
[備考]
・院長室から出る事はありません
・曰く、力の大部分を封印している状態らしいです
・セイバー(シャドームーン)とそのマスターであるウェザーの事を認識しました
・メフィストにマガタマ(真・女神転生Ⅲ)とドリー・カドモン(真・女神転生デビルサマナー)の制作を依頼しました(現在この二つの物品は消費済み)
・マガタマ、『シャヘル』は、アレックスに呑ませました
・失った小指は、メフィストの手によって、一目でそれと解らない義指を当て嵌めています
・ドリーカドモンとアカシア記録装置の情報を触媒に、四体のサーヴァントを<新宿>に解き放ちました
・??????????????
【キャスター(メフィスト)@魔界都市ブルースシリーズ】
[状態]健康、実体化
[装備]白いケープ
[道具]種々様々
[所持金]宝石や黄金を生み出せるので∞に等しい
[思考・状況]
基本行動方針:患者の治療
1.求めて来た患者を治す
2.邪魔者には死を
[備考]
・この世界でも、患者は治すと言う決意を表明しました。それについては、一切嘘偽りはありません
・ランサー(ファウスト)と、そのマスターの不律については認識しているようです
・ドリー・カドモンの作成を終え、現在ルイ・サイファーの存在情報を基にしたマガタマを制作しました
・そのついでに、ルイ・サイファーの小指も作りました。
・番場真昼/真夜と、そのサーヴァントであるバーサーカー(シャドウラビリス)を入院させています
・人を昏睡させ、夢を以て何かを成そうとするキャスター(タイタス1世(影))が存在する事を認識しました
・アーチャー(八意永琳)とそのマスターを臨時の専属医として雇いました
・ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上&モデルマン(アレックス)の存在を認識しました
・浪蘭幻十の存在を確認しました
・現在は北上の義腕の作成に取り掛かるようです
・マスターであるルイ・サイファーが解き放った四体のサーヴァントについて認識しました。
【セイバー(チトセ・朧・アマツ)@シルヴァリオ ヴェンデッタ】
[状態]健康、実体化
[装備]黒い軍服
[道具]蛇腹剣
[所持金]一応メフィストから不足がない程度の金額(1000万程度)を貰った
[思考・状況]
基本行動方針:バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライドとの戦闘と勝利)
1.余り<新宿>には迷惑を掛けたくない
2.聖杯を手に入れるかどうかは、思考中
[備考]
・現在<新宿>の何処かに移動中。場所は後続の書き手様にお任せします
【アサシン(ベルク・カッツェ)@ガッチャマンクラウズ】
[状態]健康、実体化
[装備]
[道具]
[所持金]貰ってない
[思考・状況]真っ赤な真っ赤な血がみたぁい!
基本行動方針:
1.血を見たい、闘争を見たい、<新宿>を越えて世界を滅茶苦茶にしたい
2.ルイルイ(ルイ・サイファー)に興味
[備考]
・現在<新宿>の何処かに移動中。場所は後続の書き手様にお任せします
【アーチャー(魔王パム)@魔法少女育成計画Limited】
[状態]健康、実体化
[装備]パナマ帽と黒いドレスコート
[道具]
[所持金]一応メフィストから不足がない程度の金額(1000万程度)を貰った
[思考・状況]
基本行動方針:戦闘をしたい
1.私を楽しませる存在はいるのか
2.聖杯も捨てがたい
[備考]
・現在新宿駅周辺をウロウロしています
【ライダー(美姫)@魔界都市ブルース 夜叉姫伝】
[状態]健康、実体化、せつらのマスターに対する激しい怒り
[装備]白い中国服
[道具]
[所持金]不要
[思考・状況]
基本行動方針:せつらのマスター(アイギス)を殺す
1. アイギスを殺す、ふがいない様ならせつらも殺す
[備考]
・現在メフィスト病院にいます
※ドリー・カドモンを触媒に呼び寄せられたサーヴァントには、以下の特徴があります
①基本的に彼らには霊核と呼ばれる物が存在せず、言うなれば受肉しているに等しい存在です
②彼らにはカドモンに備わった自前の魔力回路が用意されており、魔量供給無しで魔力が自動回復しますが、その代償として霊体化が出来ません
③ルイ・サイファーはこの四体のサーヴァントに対する令呪を持たず、基本的に完全に独立した行動であり、特徴としてAランク相当の単独行動スキルのような物を持ちます
④魔力を使い過ぎると、ステータスの大幅な低下が発生し、それを越えて魔力を消費し過ぎると、単なるドリー・カドモンに戻ります。これを、魔力の使い過ぎによる退場とします
投下を終了します
投下おつー
来た、見た、増えた
四騎士知らずに押し黙るパムが可愛かったり、あ、なんかやばいの来たな姫様だったり、なんだこの四騎士。
とりあえずこれ、また人修羅が頭抱えてあいつめ案件じゃね?w
理由はあるけど理不尽な嫌がらせが人修羅を襲う!
乙です
ただでさえもインフレ気味なのに、等の召喚者の1人に「物理的に殺すことは不可能」
と言われちゃったのまで来ちゃったよ。
しかし、喚ばれた全員その気にさせたのは流石としか言えない。
自重しろ閣下。部下がパワハラにキレるぞ。訴える相手いないけど
>>394
名前出ていませんがスピードワゴンさんがシャドウラビリスに挽肉にされてました。
>黙示録都市<新宿>
んんんwwwww新宿に新たなる騎士降臨wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwttp://www8.atwiki.jp/city_blues/pages/210.html
レズのオマケ付き隊長と羽が四枚ある奴と中国の方からきた人とttp://www8.atwiki.jp/city_blues/pages/210.html数多の星を滅ぼし、人間のちっぽけな心では理解すらできないほど強力な存在であり愚者たちを嘲笑う滅びの化身、混乱と争いの始点に立つベルク・カッツェ(アサシン)の活躍が楽しみッスね〜〜〜wwwwwwwwwww
特にアサシン(ベルク・カッツェ@ガッチャマンクラウズ)ttp://www8.atwiki.jp/city_blues/pages/210.htmlの活躍は素晴らしい物になると思うwwwwwwwwww
ttp://www8.atwiki.jp/city_blues/pages/210.html ttp://www8.atwiki.jp/city_blues/pages/210.html ttp://www8.atwiki.jp/city_blues/pages/210.html
遅れて申し訳ありません、予約分を投下します
……夜明けが来た。
豪奢かつ快適な高級椅子に腰掛けながらも、険しい表情を崩さずにいる男は、何とも知れずそう知覚した。
壁にかけられた時計を見れば、時刻は5時丁度。まんじりともせず膨大な資料に目を通していた疲れが急に肩にかかる。
窓に歩み寄り、ブラインドを指で下ろして目下の町並みを眺める。
歌舞伎町を初めとした新宿の街路は、『眠らない町』と称されるほど喧騒に満ちているのが平常だ。
良くも悪くも煩雑な、蛮人たちの営みが人間の本質を露わにする。そんな新宿を、男は愛おしく想っていた。
しかし今、男―――新宿警察署長の目に映る<新宿>は、不気味な静寂に沈んでいる。
人智を超えた更なる混沌を招くべく、闇の中に渦を巻いて、何かが胎動している……そんな焦燥をここ数日感じながらも、署長は有効な手を打てずにいた。
頻発する怪事件は、新宿警察署の最高権限を持つ彼のデスクにうず高い紙片の山をもたらしていた。
まるで糸口も掴めない、複数の手際によるバラバラ殺人。市井のみならず、署員の間にも実しやかに広まる異形の怪物の目撃情報。
隠し通せぬまでに広まった大量殺人事件の裏に潜む、アウトローの者たちを殺して回る殺人鬼たちの影。
もはや事態は新宿署だけで収拾できるものではない事は火を見るより明らかだった。
「……だが、何故だ」
思わず漏れた独り言には、並々ならぬ困惑が込められている。
他者よりも強力な職権を持つ彼は、その権利を行使する義務に縛られてもいる。
即ち、新宿区の治安と秩序を一定化するという使命を果たさねばならない。
遠坂凛のような異常殺人者や反社会勢力に攻撃を加えるセリュー・ユビキタス達のようなテロリストは取り締まらねばならない、そこに疑問はない。
しかし、そんな彼の職分を……彼の常識を超えた物が、彼女たちの周囲には多すぎる。
映像で疑いなく実在を証明される彼女たちの連れ合い……新宿署内では『ベルセルク』と仮称される怪人たちがいる。
素人目に見ても、生物の運動能力の限界を遥かに超える挙動。物語の中の不可解を現世に持ち込むかのごとき理不尽。
ワニの面を被った男。金属製と思しき巨大化する腕を持つ少年。
そして特異な外見的要素は前者より少ないながらも、見ていると死の実感を覚えざるを得ないくたびれた男。
これら化外は、噂が広まるも未だ新宿署の手中にない怪物たちと同種の物であると考えざるを得ない。
このような事態、災害派遣を名目に自衛隊を投入することを"上"が即座に決定すると署長は予測していた。
<魔震>以降、国内有数の地理に恵まれた街からの人離れを防ぐ政策に奔走してきた世代が今は中枢を占めている。
現行の科学で説明が出来ない事象を、帝都に暗然と出入りする各国のエージェントが本国に伝えていないはずがない、とも署長は思う。
同盟国は協力を装って、そうでない国は秘密裏に、この国の火事場から有用な物を漁りに来るだろう。
しかし上からも外からも、<新宿>への干渉はほとんどない。このような状況にも関わらず、市民の区外への流出の動きも皆無。
「私が動かねばならない、はずだ」
各区長が主導するには事が暴力的すぎる以上、後の軋轢を考慮しても自分がやらなければならない。
新宿の全人民が死滅する前に、避難を促さねばならないほどに事態は急迫していると理解している。
しかし―――その理解に及んでからどれほどの時が経ったのか、未だ署長は行動を起こさずにいた。
遥かに仰ぐ権力者たちにホットラインを繋ごうと思い立った瞬間、意識が飛ぶ。"日常に戻る"。
起死回生の指示で署員を多数死なせた責任に押しつぶされそうになり、デスク内のH&Kを取り出して弾を込めようとした瞬間、意識が飛ぶ。"日常に戻る"。
そういった記憶はあるのに、二度と同じ行動を起こす気になれない。
その理由も原因も分からぬまま、署長は日々の凶事に振り回されている。
「うんざりだ。こんな今日も、また来る明日も」
ルーチン・ワークというには異常すぎる振れ幅の毎日に、署長の精神は一日の四半分の時点で限界に来ていた。
……しかしその穢れも、残る一日の3/4が過ぎればリセットされる。永遠に損耗が繰り返される。
そしてそれは、自身の行動では絶対に止まる事はない。止められるとしても、実行に移せないよう何かに縛られている。雁字搦めとはこのことか。
いっそ悪魔に魂でも売れば、この束縛から逃れられるのだろうか……哀れな男がそんな夢想に落ちようとした、その時だった。
「ン……」
室内に、熱がある―――直感に従い顔を上げた署長の対面、デスクを見下ろすように、影法師が立っていた。
間違いなく数秒前までいなかったその姿に、署長が瞠目する。視線が無意識にヒトガタの顔へ飛ぶ。
御伽草子から抜け出してきたかのような端整な顔立ちの男だった。徽章のついた帽子が一瞬警察官を想起させるが、目をつけてみればそれは学帽。
肌の張りを見れば、成人にも満たない年の頃なのではないか。しかし怜悧に光る両目、誂えたように馴染む外套、そして全身から発される気が、その疑問を封殺する。
一警察署の署長室に侵入された、という危機感にすら勝る存在感を、その少年は持っていた。
「葛葉ライドウ。鳴海探偵事務所より、依頼された案件の報告に参りました」
「……鳴海二佐……いや、鳴海氏の……使い……か……」
タイプライターで打たれた文章を、鋼の鍵盤で出力するような声色で語りながら、少年は封筒を差し出した。
署長は一瞬の躊躇の後に受け取って、裏面を確認する。封代わりに貼られた特注のシールには見覚えがあった。
陸自を若年退役して探偵を始めた元エリート、鳴海昌平が開く探偵事務所のシンボルだ。
民間協力者として密に関係を構築した業者の中でも、署長が直接会った事がある程度には優秀な長を持つ探偵組織。
これほど若い構成員がいるとは知らなかったが、なるほど言われてみれば、"探る者"の風格がある。
内心の動揺を抑え付けるべく威厳を込めた咳の後、封筒を開封し書面に目を走らせる。
「大久保の裏カジノの調査結果か。こんな朝早くに、私に直接渡すほどの内容とは思えんが、何故……」
「用件はもう一つ。貴方を悩ませている案件の解決に関わる事です」
質問を遮るように、少年が懐から大瓶を取り出して机に置いた。
目尻を下げた署長の息が詰まる。その瓶の中には、見たこともない色の液体と、半分ほどに欠けたヒトの顔が納められていた。
否、厳密にはヒトではない。ゴツゴツとした起伏の激しい肌は明らかに人皮ではなく、口から覗く牙の大きさは人間の比ではない。
悪趣味なジョークグッズとしか思えないそれから、目を離せない。異形の怪物の目撃証言の一つと奇妙に一致していたから、か?
いやそれがなくとも、きっと署長は目を惹きつけられていただろう。『ベルセルク』達にも通じる化外の気配が、確かにその死骸には残留していた。
「これを、どこで?」
「大久保の調査中に仕留め、持参しました。説明が必要でしょうか?」
「……頼む」
少年は淡々と、『悪魔』の実在とそれが帝都に害を成している現状を語る。
相手を信用させようと企む詐人の臭いなど微塵もしない、清廉な物腰で語られるには眉唾すぎる。
だがその内容は、ふざけているのか、と声を荒げようとする事もできないほどに現実味でコーティングされていた。
「……」
署長は長い人生経験から、少年の声と会話の間に極小の惑いがある事に気付いた。
少年にとって今語っていることは、本来口に出してはならぬと自身に律している事なのではないか……。
それを曲げて語っている事実と、目の前にある実証、そしてこれまで署長の元に集まった情報を総合すると、署長は一つの結論に至らざるを得なかった。
目の前のうら若き探偵事務所の使いが、<新宿>を守護するという堅固なる意思を持つ、自分の同志なのだろう、という、確信に近い結論に。
「これを提供してほしい。科警研……いや日本の学者全てを動員してでも、"悪魔"なる生物を根絶する効果的な方策を見つけさせると誓おう」
「貴方達では、それは不可能です。この件を収束させる為にこちらが協力を願いたいのは、情報についてのみ」
「情報……探偵稼業の君達が、それを警察に求めるのかね」
少年は頷くと、大瓶を懐に仕舞い直した。遥か年少者に誓願を退けられたというのに、署長に不思議と不快感はない。
幾度となく感じてきた諦観が、署長に自分の無力さを認識させる切欠となっていた。
この少年に協力することが、自分が<新宿>に最も貢献できる道なのかもしれない、という直感に従って署長は言葉を吐き出す。
「いいだろう。無制限とはいかないが、教えられる事は教えよう」
「感謝します。知りたいのは、警察がマークしている人物の中で<新宿>の外から来た人間の情報です」
……件の悪魔とは何の関係もない情報なのではないか、などという疑問は抱かない。
署長が知る限り、『ベルセルク』の連れ三人の内、二名は外国人。
ヤクザ襲撃事件のセリュー・ユビキタス、魔腕の怪人を引き連れているヒスパニック系の女。
提供できる情報としては、セリューのそれが最も大なるものだろう。
なにせ名前も居住地も割れており、さらにその情報は警察が独占している。
だが、先日警官隊を突入させて皆殺しの憂き目を見ている以上、優秀とはいえあくまで民間企業である鳴海探偵事務所へ軽々に仔細を漏らしていいものか?
少年の『只者ではなさ』は十分に察せられるが、それをセリュー一味の『只者でなさ』と秤にかけるほどの尋常からの度外は、署長にはなかった。
「……犯罪者というわけではないが、外部から来た人間で我々が注視する人種といえば、やはり他国の諜報員だろうな」
「ここも帝都ですからね。そういった者には、やはり目がいきますか」
「これだけの変事下だ。彼等も彼等なりに行動を起こすはずなのだが、不気味なほどに動きを掴めない。それが逆に気になってな」
机に積み上げられた書類の中からファイルを一冊取り出す署長。
開かれたページには、諜報員の通名と国籍が並んでいる。
大国から名前を聞いた事もない国まで、"草"の名がひしめいているが、相手が相手だけに情報は極端に少ない。
目を通す少年の視点の僅かな淀みから、署長は鳴海探偵事務所もまた、彼等に目をつけていたのだな、と推測した。
「この、ムスカという男にチェックが入っているのは?」
「古美術界隈に接触した節があったので、国際窃盗グループに関わりがあるかも、と一度調査した。最も、単なる旅先道楽だったようが」
「諜報員が道楽ですか?」
「スパイだって毎日働いてるわけじゃないさ」
肩をすくめる署長に、心中を量りかねる視線を返しながら、少年はファイルを机に置く。
署長が言うまでもなく、持ち出すわけにはいかない捜査資料の内容は頭の中に暗記したようだ。
「今提供できる情報は、これだけというわけですね」
「……そうだ」
「では、次に"実績"を上げた後で、またお邪魔させていただきます」
一礼して扉に向かう少年の言葉には、署長が言及を避けた情報があると看破している含みがあった。
少年の背中を見る署長の胸中に、えも言えぬ安心感が広がる。
遥かに年少の者に対し覚える感情としては不思議なものだったが、『葛葉ライドウ』が持つ雰囲気は、俗人とは一線を隔すものがあった。
彼ならば、この<新宿>を覆う暗雲を晴らし、異変を終息させてくれるのではないか……そこまで考えて、ふと思い至る。
あの『ベルセルク』たちを見たときの慮外たる絶望感もまた、このような説明のつかない……言わば絶対者に対する感情ではなかっただろうか。
ドアノブに手をかけ、(入室時は立てなかった)軋む音を鳴らしながらライドウが呟いた忠告が、その気付きに確信を持たせる。
「恐らく早晩―――帝都の渾沌は、際限なく深まります。どうか、御留意を」
決定している事項を通達するように、眼光鋭く言葉を残す。
<新宿>を混沌に堕とす者がいるのならば、自分はそれに抗う―――そんな鉄の意志を込めた言葉を。
そんなライドウの影を目で追いながら、署長は意識を変えた。
夢物語のような胡乱な混迷ではなく、解決に至る糸口が存在するのならば、前向きに迷える、と。
未だ事態は何一つ、好転していない。
しかし陽炎のように現れた探偵との邂逅で、署長の心からは諦めが薄れていた。
◇
『―――! 今、続報が入りました! 現場では車が炎上し、逃げ出す人波でリポーターも近寄れない状況との事です……!』
「端末借りるぜ、オッサン」
「ああ」
京王プラザホテルの一室……塞とそのサーヴァントが拠点とする部屋に備え付けられたテレビが緊張したスタジオを映している。
朝のニュースの時間に発生した凶事を市民に伝えんと口角泡を飛ばすアナウンサーの目には、明らかな恐怖が見受けられた。
事件の内容と被害の出鱈目ぶりもさることながら、こんな非現実的な情報を発信して今後自分に何らかの不利益が降りかからないか……?
そのような恐慌状態とも言えるアナウンサーの心配は、結果として杞憂となっていた。
報道放送が<新宿>に与える影響を考慮した何らかの存在が、あらゆる局に対し即座にスクランブルをかける準備をしていたのだ。
現に、この部屋に招かれた高校生・佐藤十兵衛が持つワンセグは、奇妙なモザイクと雑音のみを捉えていた。
「TV業界にこれだけ影響力……介入力を持てる奴の仕業か。単に公的機関ってだけかもしれんが……」
「そのテレジャッカーがどこの誰かは知らんが、流石にTwitterやらGALAXまではまだ手を回せてないみてーだな」
「SNSで情報集めか、現代っ子」
「うちの馬が直に見てるが、然々っと聞かされただけだから……お、根性ある野次馬みっけ」
慣れた手付きでパソコンを操作する十兵衛が開いたページを塞が覗き込むと、バーサーカーと思しきサーヴァントの巨体の一部を写した画像がUPされていた。
静止画像だけでも、暴れれば一都市などひとたまりもなく粉砕されるであろうと思わせる凶暴性が見て取れる。
こんな化け物が、まかり間違えば自分達の足元で激発していたという事実に、塞の背中にも流石に冷たいものが走る。
発信を妨げられた映像を送ってきた局の記者から聞いた限り、各局はこの情報を再度流す方針で固まりつつあるようだ。
豪腕を振るう何者かの押さえが利かないほど、事態は急転している。
SNSや口コミで<新宿>の全住民の目が塞が拠点とする地の近くに向けられるのもそう遠い未来ではあるまい。
場合によっては、別に用意してある拠点に移る必要もあるかもしれない、と考えた所で、塞の懐に振動が走る。
「もしもし。……そうか。無理はするな、もう帰っていい」
「タモさん彼女? 叶姉妹のどっち?」
「佐藤クルセイダーズからも、そろそろかかって来るんじゃないか?」
「ウチは効率重視なのでラインで既読スルー済みよ」
二人のマスターが互いに携帯端末で確認したのは、各々の息がかかったNPCからの情報。
可能ならば、程度の期待ではあったが、事を起こしたサーヴァントのマスター達の足取りを追わせていたのだ。
場の混乱もあり、彼等の影すら掴めない、という結果ではあったが。
眉間に右手を添えながら、十兵衛は嘆息と共に部屋の中を見回した。
十兵衛が彼の馬、『比那名居天子』から得た塞のサーヴァント『鈴仙・優曇華院・イナバ』の情報によれば、彼女は精神の波長を操る程度の能力を持つという。
対魔力を保有するサーヴァントが侍るマスターに洗脳の類をかけてくるとは思えないが、念話も送受信する物である以上、この相手に限っては内容を盗聴されないとも限らない。
故に十兵衛は念話で天子に語りかける平時の感覚を断ち、己の脳髄だけに言葉を廻らせる。
(パソコンには何の鍵もしてない。ここに重要な情報はないな……部屋の内装も殆ど弄ってない、生のままの様子だ)
(頭の中にデータを叩き込んでるとか言いそうな顔してるし……自分が死んだら終わりの聖杯戦争じゃ、それでいいんだろうがな)
「オッサン、情報が大事とか言う割には部屋に書類とかないんだな。何の為に人使ってんだよ」
「書類管理をするのが面倒でね。こんな便利な物があるんだ、紙媒体なんて嵩張るだけで無駄だろう?」
電話を受けていた携帯とは別に、ポケットからスマートフォン型の端末を取り出して示す塞。
十兵衛は塞のサングラスの下の目を窺うのではなく、彼の放つ声の質に耳をそばだてた。
(ブラフだ。俺が食いついて奪いにかかる程度の馬鹿かどうかを量ろうとしている)
(最初からマスターとバレてる分、やはり警戒が強いな。やはり、情報だけ貰ってトンズラってのは難しいかな……)
「このテレジャッカーにも心当たりあったりする?」
「多少はな。俺が必要と判断したら、こっちの情報を開示するよ。お前もそうするといい」
「同盟を結んだんだ、立場は対等じゃないと。今教えてくれよ」
「対等だから、無駄な情報を与えたくないのさ。仮に俺の心当たりを知ったお前が討伐に向かって、無駄足だったら腹が立つだろう?」
「……OKOK、分かったよ。無駄足にならないって自信ができたら教えてくれ」
肩をすくめる十兵衛と、サングラスの下の感情を消した目で十兵衛を観察する塞。
同盟を組んだ、という関係にしては距離感を拭えないマスター二人を他所に、彼等のサーヴァントは平静であった。
鈴仙は従者としての節度を保った沈黙でマスターの背後に神経を尖らせ、天子は初めて見る高級ホテルの部屋をウロウロと見て回るという平時の態度のままである。
遠慮も何もなくバスルームに侵入し、「十兵衛の家のと全然違う!」などと大騒ぎする天子に一同の目が注がれる。
数分後、ホテルの備品の高級石鹸と鈴仙が買い込んだ化粧品をドロップした天人が姿を現した。
スナック菓子を頬張りながら、満面の笑みを浮かべる彼女には悪意に類する感情が微塵もない。
精神に関わるスキルを持つ鈴仙は、その無邪気さの背景となる根拠のない自信をおぞましいと感じた。
"我"の絶対性を疑わない相手は、その波長もまた、常に固定されている。
精神の波長を操作するにも、漣すら起こらない海では波に乗りようがない。
とはいえ鈴仙以外には、天子は我儘な子供にしか見えていないようだ。
塞は十兵衛に非難じみた視線を飛ばし、十兵衛は「フッ」と笑って窓際に歩いていき、地上41階から見える<新宿>の景色に目を向ける。
「十兵衛……」
「サーヴァントは人間の何倍もの腕力を持つ……そんな怪物に教育を行うことが我々人間に出来るのだろうか……」
「十兵衛君」
「おこがましいとは思わんかねハザマくん」
早くも同盟を組んだ事を後悔しかけている塞と、窓から外を見て目を合わせようとしない十兵衛。
聖杯戦争中だというのにどこか弛緩した空気が流れる中、鈴仙はマスターと同じく、同盟相手への不安を隠しきれなかった。
天子の能力はともかく、性格は信頼を置いたり、自在に利用したりするのにはあまりにも不適すぎる。
マスターの方も小賢しいだけの一般人、加えて性格も好感を持てるようなものではなく、サーヴァントを御せているとも言い難い。
自分の真名や能力の大半を知られている上に、普通に戦えば負ける公算が高い相手だという事実がある以上、
いますぐに同盟を破棄するわけにもいかないが、切る事を前提として付き合う必要がある組ではないか……。
そこまで思い至ったその瞬間であった。鈴仙の、他のサーヴァントを凌駕する索敵知覚がざわついた。
「! マスター、近くに……100m圏内に、もう一体サーヴァントがいる!」
「何!?」
塞の驚愕は、先の十兵衛・天子達を捕捉した瞬間のそれを上回っている。
この客室は地上から150m以上の位置にあるが、鈴仙のサーヴァント探知能力はホテル全体を覆って余りある。
フロント及び各階のホールには鈴仙が監視カメラに被装させた波長を狂わせる魔術トラップが仕掛けてあり、
対魔力スキルを有しないアサシン相手ならば、気配遮断スキルを阻害して感知を可能とするはずだった。
つまり、先の十兵衛たちのようなイレギュラー的な侵入方法でない限り、大半のサーヴァントは1Fに入った時点で警戒が可能なはずなのだ。
此度のサーヴァントもまた、空を飛ぶなりの方法でホテル内を通らずにこの部屋の至近に迫りつつある。
「ただ通り過ぎたわけじゃないんだな?」
「ええ。間違いなく、この部屋に近づいてきている……でも、反応が消えたり出たりで妙な……」
「テレポートの類じゃない?」
駄菓子を食べながら、焦る様子もなく告げる天子。
塞にとっては、この場に彼女というサーヴァントを招いていた事こそが不運であった。
鈴仙一人ならば、一般人に紛れられる程強力な気配遮断の真似事で敵をやり過ごす事が出来たかもしれない。
だが他になまじ強力な力を持つサーヴァントがいる以上、その手は使えない。
「そもそも、並みのサーヴァントなら地上から俺達を察知できるはずがないんだがな……」
「相手は並みのサーヴァントじゃあなさそうだぜ、オッサン」
窓から階下を見下ろす十兵衛が、塞を呼び寄せて示す先は、真向かいの建物。
二棟並び立つ京王プラザホテルの南館……ガラス張りの壁面に、それはいた。
「……おいおい」
塞が思わず、サングラスを僅かに下げて肉眼で確認したのを誰が責められようか。
そこには、身一つで高層ビルを駆けては消え、上方に姿を現してはまた駆ける銀髪の男がいた。
それだけならば、サーヴァントならばありえない話ではない。問題はその隣に、同じように壁面を駆け上がる影がいることだ。
疾風のような速度のサーヴァントに遅れず追随し、テレポートの際だけ身体を預けて、また走り出す。
聖杯戦争のセオリーから言って、サーヴァントの傍にいるのはマスター、それは常識として塞たちの脳に焼き付けられている。
よく目を凝らせば、マスターと思しき男の背には、何やら魔力の集中が見受けられる。
流石に素の身体能力ではないようだが、それでも異常としかいいようのない光景であった。
「どうするよ、オッサン」
「もう逃げるのは無理だ。腹を括れよ、高校生」
塞の言葉を裏付けるように、二人の超人の動きが止まる。
二対の視線は、塞達の客室の方向を穿ち……踏み込みによってガラス窓が粉砕され、その破片が崩れ落ちるより早く、二人は中空に身を投げ出した。
対角線上の本館に届くか否かは全く考慮していない、軽い跳躍。重力に引かれて落ち始める両影が、一瞬で掻き消える。
鈴仙が障壁波動を即座に張れるようスペルカードを取り出し、部屋全体に対サーヴァント用の波長撹乱幕を走らせた。
塞は鈴仙から聞いていた虚構の初陣の顛末を思い出し、普段の戦闘スタイルを一切忘れて鈴仙の背後に回る。
十兵衛は無表情のままバルコニー前の大窓を叩き割り、ガラス片を指に挟んで構えを取った。
天子は不敵な笑みを浮かべながら、闖入するサーヴァントに思いを馳せていた。
八秒後。
室内に、突如膨大な圧力が出現した。窓側にいる十兵衛達と、扉側にいる塞達の合間―――部屋の中心に、並び立つ男が二人。
一瞬の躊躇もなく、鈴仙に銃口を向けたのは、銀髪の魔人(サーヴァント)。
自分達を囲む四人全てに流し目を送りながら言葉を発したのは、そのマスターたる魔使(マスター)。
「この部屋に満ちる、人を狂気に駆り立てる波動……根源は、お前だな」
室温が数℃下がったように誤認するほど、冷たい敵意が籠もった声だった。
◇
緊迫する室内の情調は、各人の思案を練り混ぜて死の兆香を放っている。
とりわけ動揺大きく、表層への発露を隠し得ないのは鈴仙だ。
現出したサーヴァント・ダンテのステータスは、同じくセイバーとして召喚された天子をも凌ぐ上級水準にある。
剣の英霊とはイメージを異にする得物が、寸分のブレもなく鈴仙の眉間に向けられる事実から見て、波長を乱し幻惑する搦め手に対する耐性もあるようだ。
生半な詭計奇策を弄する相手を一笑に付し、純粋な技量と力量で自己を上回る敵を求める英霊。
しかし鈴仙の驚愕と焦燥は、そのような分かりやすい一面に対するものではなかった。
(波長が……別人のように……!?)
マスターを伴ってこの場に転移してきた瞬間と今とで、ダンテが放つ存在としての波長が変転しているのだ。
体内のあらゆる回路を組み替えねば不可能な芸当を、波長を読める鈴仙でなければ見破れないほど自然にやってのけた相手。
鈴仙の戦術能力の基盤となる能力に対して、黒贄や天子と比しても超絶な有利を取られていると言わざるを得まい。
攻め込まれれば、敗色濃厚この上なし……この場にいるもう一人のサーヴァントが信頼できる味方であれば、話は別だが。
その点に期待できない以上、場が膠着している現状はむしろありがたい。黒贄のように豹変して襲い掛かられないとも限らないが。
凶悪なバーサーカーへのトラウマが、鈴仙に発声を促させた。
「……その通りよ。最も、貴方達には効果を期待できないみたいだけど」
「ん? なにかやってるの?」
恍けた天子の声を聞きながら、ダンテのマスター……ライドウは心中で頷いていた。
早朝、警察署にて得た情報と彼がそれ以前に収集した情報を重ね、始めに浮かび上がったのがこのホテルと、サングラスの男という焦点だった。
<新宿>の住民は聖杯戦争の参加者からはNPCと呼ばれ、一部はあえて彼等の知己を模す事でその存在の非自然性を暗に示している。
では、NPCの存在意義は何か? 聖杯戦争という儀式を複雑化し、達成を困難にする事で成就の際のリターンを増す為か。
それとも、虚像とはいえ生命を闘争の前に晒す事で、参加者の一部の行動を抑制、あるいは激発させる為か。
後者だとすれば、ライドウはまさにその狙いに絡め捕られていると言える。仮初のものだとしても、帝都を守護せずして在れないが故に。
最もライドウには、未だ確信が持てないもう一つの推測もあったが。
ともかく、<新宿>にてNPCの存在は『儀式の補助』を行う為の一線を決して踏み越えない。
逆に言えば、一市民としての常識(ロール)を超えた活動をしている者は、聖杯戦争の関係者である可能性が高いのだ。
NPC達にも意思がある以上、マスターやサーヴァントに唆されたり、戦争の過程でロールを乱されて蠢動する個体もいるだろう。
極端な例では、サーヴァントの持つ"超"能力によって異形化し、完全に配役から逃れる者すら複数確認済みだ。
玉石真偽交い混ざる中、ライドウはサングラスの男……塞を見出した。
無論塞の活動は、探偵や警察程度に目を付けられようもない高度な技術と豊富な経験に裏付けされる秘匿の巧たるものだった。
しかし、ライドウの探偵としての能力は、条理を一飛びに踏み越える。デビルサマナーの本領、ここにあり。
「セイバーには、そうだろう。だが、人間に向けていい能力ではないな」
「……マスターの方を狙えば、次の瞬間私の聖杯戦争は終わりそうだから、ね」
「賢い嬢ちゃんだな。お互いにとって喜ばしい事だ、なぁ、少年?」
「その喜びがある内に、すぐに"俺達"と聖杯戦争を始めない理由を聞きたいんだがな? お客さん」
会話の余地があると判断して口を挟む塞に、ライドウが向き直る。
塞はライドウの若さに驚くよりも早く、その佇まいに瞠目した。
陽気な印象を与える快漢を従えているにも関わらず、その影響の伝播が微塵もなく落ち着いている。
ただの人間ではなく、サーヴァントと並び立っているのに、だ。
沈着な塞とて、人間の枠を超え英霊に至った存在と縁を結ぶ現況には一種の高揚を覚えずにはいられない。
それが一切ない者がいるとすれば、それは感受性の未達によるものか……あるいは。
聖杯戦争以前に、サーヴァントに連なる存在と渡り合った事のある、魔境の住人か。
塞の直感から生まれた戦慄が、無意識に相手へ2対1の不利を喚起させようとする言動となって表面化していた。
「……強盗の真似事をしたのにも、理由はある。調査の一環だ」
「何を聞き取ろうっていうのかな」
「<新宿>の人間を悪魔化させているサーヴァントとマスターを探している」
ほう、と関心を示したのは塞だけではない。
十兵衛もまた、ライドウの言葉に思うところがあったのだ。
初めて声を出した十兵衛を見遣るライドウの視線が、そのサーヴァントである天子にも注がれる。
「剣士の英雄とはいえ、その手の呪術に縁のない者ばかりではないが……」
「俗世の垢に浸かってないウチの箱入り様は、そんな多才さとは無縁だぜ」
「そうよ。そういうのは、趣味ではないわ」
「趣味でやるにしては、度を過ぎたお遊びだがな」
十兵衛の持って回った言い回しと、心外そうに口を尖らせる天子を見てダンテが独り言ちる。
噂レベルではあったが、塞たちも人間が異形化する事件については聞き及んでいた。
サーヴァント、あるいはマスターの闘争が目撃されたものではないかと推測していたが、目撃例が多すぎる。
撹乱を目的とした偽装もしくは人心の混乱により自然発生した流言ではないかと結論する前に、このライドウの言葉。
疑いを晴らす為にも、情報を得る為にも、対話は望むところと言えた。
「なるほど、そんな真似ができるのはサーヴァントくらいの物だろう。だが俺達がその下手人なら、その悪魔とやらを……」
「拠点であるこのホテルに配備していないはずがない、でしょう?」
「そういった実用を目的としての行為じゃあないみたいでな。街に無節操に放って混乱を広げてるくらいだ」
「能力を持つ個人が女だということだけが分かっている。通常ならば悪魔化した住民を虱潰しに探し、術者と繋がりの深い者を見つける手を取るが……」
ライドウが、懐に手を入れる。場に走る緊張を意に介さず抜かれた掌中には、『封魔管』ではなく、『契約者の鍵』が握られていた。
見慣れたアーティファクトを見て、塞は眉を寄せた。<新宿>の聖杯戦争においては常識である知識が、彼にライドウの次の科白を予測させる。
「……聖杯の招きを受けた者同士には、有無を言わさぬ相互理解の手段がある。契約者の鍵を見せ合えば、全ての疑惑は晴れるだろう」
「断る」
一瞬の間もおかぬ拒絶に、ライドウは過敏に反応しない。
無言で鍵を懐に仕舞い、帯刀している赤口葛葉の柄巻に手を絡ませただけ。
だが、それだけの動作で、場の緊張度が数倍に跳ね上がる。
この場には無駄な争いを避ける理性がある者しかいないが、必要と感じた時に実力の行使を躊躇う者もいない。
仲介役に回る必要があると察した十兵衛が口を挟まなければ、命をチップとした鉄火場となる事は明白だった。
「まあまあ、そっちの要求だけ聞いてもしょうがないジャン。戦争ったって手順はあるだろ、まずは国内の世論操作で時間潰そうぜ」
「帝都の住民には、手順を待つだけの安寧はもはやない。自分達の業(カルマ)と比して重過ぎる運命を強いられている」
「そりゃNPCの方々は気の毒だし、俺の知り合いの出来損ないだっている。できれば助けてやりたいさ」
「十兵衛、物言いに説得力がないわ。自分以上の伊達男に当たって動揺しているようね」
「セイバー、ちょっと大人しくしてて……『新宿・イケメンマスターランキング』の頂点から転落してショックを受けていますので……」
自分のサーヴァントに痛いところを突かれてプルプルと震える同年代のマスターの姿に、ライドウもわずかに熱誠を収める。
彼自身、塞とそのサーヴァントが件の悪魔化事件の犯人である可能性は低いと考えていたからだ。
未明に接触したラクシャーサの男を通して感じた下手人の悪意と、事前に注目していた塞の行動には無視できない違和感がある。
捜査スキルを駆使して掴んだ塞の諜報活動はハイレベルな策謀ではあっても、NPCを害する事を目的としない、協力関係を築く為の行動と見えた。
奇抜なアクセサリーを頭につけたサーヴァントも、献身的にそれに協力しているようで、マスターとの
だが、ラクシャーサの男に復讐を実行する為の力を与えた女の所業は違う。
仇を取るための力を与えたといえば聞こえはいいが、それは後戻りを禁じ、先へ進むにもブレーキを外された"魔"の力。
人類という種そのものを憎悪し、その未来に一片の希望すら抱かぬ者にしかできぬ悪行だ。
「こっちの主従はなかなかアットホームだな。聖杯も色んな人材を集めてるようで無駄な苦労が偲ばれるってもんだ」
「言葉の端々から自信が窺えるおたくのサーヴァントみたいに、手の内が全部バレても困らない奴なんてそうそういないんだからさ。
契約者の鍵を晒して、胸襟を開き合おうなんて提案に乗る奴はいねーよ。ここは話し合いで分かり合おうぜ」
「そういうことだな。重ねて、アーチャーは自身のスキルの効果で正体秘匿の真似事が出来る。全てを明かしたところで、絶対的に信用されるとも言い切れない」
「……」
「この情報開示は、敵意がないことの証左と考えてもらいたいな」
ライドウが、帝都守護の為にのみ振るう愛刀から手を離す。
ひとまず、流血の危難は去った。
◇
簡単な自己紹介を交わし、ライドウが礼を欠いた乱入を謝した後、三組は情報の交換を始めた。
各々の視点で感じた<新宿>への印象から、友好関係を持つNPCへの縁繋ぎまで多岐に渡る会話が進む。
全ての行動や考えを机上に広げたわけではないが、それでも特に各人の注意を引く情報があった。
「……なるほどな、"悪魔"ってのは比喩表現ではなく、正真のそれだったってことかい」
「とんでもなく優秀な手駒を持ち込めてるってわけだ。なんかズルくない?」
「『仲魔』と呼んでほしい。所有物のように扱うと拗ねる奴もいるし、無条件で扱えるほど人間に拠っているわけでもない」
十兵衛の「この街を守護りたいなら、下で暴れてた連中を追いかけた方がいいんじゃないの?」という言葉に、ライドウはそうしている、と返したのだ。
デビルサマナーとして使役する悪魔の一体を、最初に暴挙に出たと確信したバーサーカーに付けて拠点を探らせている、と。
「悪魔は実在する、か……ライドウくんが知る個体が悪魔化事件によって発生している以上、その線でマスターやサーヴァントを探れるかもな」
「人間を悪魔化する事自体は可能だが、里で聞き及んだその手の外法とは相当に異なる結果が生じている。おそらくは過程も。
平行世界から来たデビルサマナーやダークサマナーの手による事態だと考えているが……だとすれば、俺の知る個人ではないだろう」
「俺の常識じゃ悪魔と付き合いがあるって公言する奴は狂人か詐欺師と相場が決まってるんだが……。サーヴァントなんてもんと契約してるんだ、信じざるを得ないな。
その手の話じゃ、憑依されて首が180度回るとか、悪魔と交配して合いの子を産んで不幸を撒き散らすなんてのを良く聞くが……」
「事実が欲求を巻き込んで迷信になる。専門家の前で迷信を説くなんてやめなさい、十兵衛」
「まあ、迷信にも事実は混ざってる。合いの子が不幸を撒き散らす相手は外道に限られる、なーんてのが真相だったりするかもな。え、新宿二位のボーイ?」
冗談めいて言うダンテに、ライドウが目配せする。
完全に信頼していない相手に真名や素性のヒントを与える事は避けるべきだと、無言の掣肘を加えたのだ。
ダンテもそれは承知のようで、冗談以上に反応することはなかった。
サングラスの中の兇眼を鎮めながら、塞もまた心中を開かず賞賛の言葉を送る。
「しかし、俺達のような一般人やNPCにはできない追跡術だ。さっきの壁走り……で済むレベルじゃない芸当も、悪魔の力による物なのかい」
「そう考えてもらっていい。セイバーがいたから出来たことではあるが」
「やって見ようと思うこと自体、相当なもんだ」
ライドウがあれほど目立つ侵入方法をした理由は、悪魔化の女がサーヴァントだった場合、クラスはキャスターである可能性が高いと踏んだからだ。
大規模な陣地作成スキルを保有するキャスターなら、二棟建ての高層ビル全てに仕掛けを設置し、トラップを仕掛けられるだろう。
それほどのレベルに達していなくても、Aランク相当の魔術を使いこなすキャスターなら、あれだけ目立つ敵に遠距離攻撃を放たない理由もない。
地上が壮絶な喧騒に満ちているのだ、攻撃により衆目を引いたとしても、その喧騒の理由となったサーヴァント戦の延長と見られる事は十分に期待できる。
あれだけ憚りなく外法を行う者だ。最悪陣地を変えることになっても敵陣営の一つを潰せるならばと、軽挙に出てくれれば幸いと考えての曲芸だった。
その背景には無論、罠や暴挙を物ともせず勝てる自信が必須ではあったが。
「しかし、そんな悪魔がゴロゴロしてるとなると、俺が提供できる情報の内容にもようやく合点がいくってもんだな」
「? なんだ、そんな曖昧なネタを出されても困るぜ、十兵衛」
「そう思って温めてたんだがね。まあ聞いてくれよ」
携帯電話を持っていないライドウの為に、十兵衛はパソコンを操作し、厳重にパスワードをかけた外部記憶媒体のデータを印刷する。
そこには塞も保持していない、極めて重要な情報が羅列されていた。
「成る程。学生の面目躍如ってわけか」
「オッサンの言うとおり佐藤クルセイダーズはガキの集まりだからな。これくらいが関の山よ」
「これは助かる。あるいは、マスターにも辿りつけるかも知れない」
熟達のデビルサマナーと豪腕のスパイをして感嘆させたその書類の内容は、膨大な数の中高生のリストだった。
十兵衛は佐藤クルセイダーズを酷使して<新宿>の中学高校にその魔手を伸ばし、欠席している者やある種の特徴を持つ者をリストアップしていた。
ある種の特徴、すなわち……『身体のどこかに奇妙な痣がある』『怪我でもしたのか、最近包帯やガーゼを付けている』といった噂がある生徒を。
欠席はともかく、噂に関しては本物のマスターなら容易に隠し通せるし、紛れも多い。それほど価値のない情報だ。
より重要な情報を集める事が出来る塞やライドウにとっては、本来なら冷笑に値するもの。
だが、痣持ちの生徒があまりに不自然に多い。
マスターであるならば痣……令呪を隠さないなどありえないのに、近日に突然刺青と見紛う痣を他の生徒に目撃された者が数十名。
ボディペイントの類が流行っている事はない、と学生である十兵衛が請け負うまでもなく、十分に警戒すべき事態だ。
「悪魔化の力を与えている女は、ラクシャーサの男の例を見ても力に対する適切な扱い方を教えているとは思えない。
この中には確実に、力に酔って正常な判断をなくした者が混ざっているだろう。欠席者も相当に多いが……」
「そっちがマスター候補の本命で、学生に令呪もどきをつけて撹乱でもしてるのかと思ったが、力に酔えずに引きこもってる奴とかも中にはいそうだな」
「このリストの半分でも、話に聞いたヤクザの彼と同じ目に遭わされてるとすれば、流石に術者の正気を疑うわ。イカれた奴はいくらか知ってるけど、ここまでの妖怪変化は……」
「数の問題でもないがな、胸糞悪いって言葉がここまでハマる奴も珍しいぜ」
ライドウの情報提供により浮かび上がった、凶行の徒に、各人の警戒が深まる。
道義的な問題を除けても、人外の魔物を多数生み出すその力はあまりに危険だ。
しかし、実体を見せない相手だけに固執するわけにもいかない。
さしあたって、ライドウが糸を付けているメイドとバーサーカーや、討伐令を出された者達に傾倒すべきと考えたのは塞だった。
「俺からも警戒すべき連中について情報を提供したい。遠坂凛は知っているだろう?」
「いきなり討伐令を出された、大量殺人で連日報道されている連中だな」
「俺とアーチャーは、あの主従と交戦している。バーサーカーの真名は黒贄礼太郎だ」
一同の視線が、塞に集まる。
消耗した様子もないこの主従が、あの死体の山を築いた魔人と戦ったというのか。
疑念を孕んだ視線を受けても、塞は構う事なく言葉を続ける。
地図を取り出し、マークをつけたポイントの一つを指差しながら。
「マスターである遠坂は地図のこの位置にある豪邸に身を隠している。サーヴァントは意思の疎通が出来るほど狂化のランクが低いようだったが、
膂力は恐らくどちらのセイバーをも上回ると思った方がいいな。筋力も敏捷も、計り知れないほど増大する能力を持っていた」
「良く無事で済んだな、オッサン。アーチャーのおかげか?」
「まあな。頼りになる相方さ」
「そこの兎さん、能力は教えてもらえなかったが、大したもんだ。で、バーサーカーのおつむのほうはどうよ?」
「会話は出来るがそれだけだ。狂戦士の例に漏れず、目に映ったものを破壊することしか考えられない化け物だ。なにが英霊なんだかな」
肩をすくめる塞は、内心で十兵衛への評価を改めていた。
彼は天子と鈴仙の縁により、塞のサーヴァントに関し宝具を除く全ての情報を保持している。
あえてそれを知らぬと公言することで、口外する気がない事を暗に示したのだ。
この程度の腹芸が出来るのならば、最低限の条件は満たせていると思っていい、と塞は考える。
それゆえに、多少の警戒もせねばならない、とも。
「ライドウくんは帝都……<新宿>の治安と平穏に重きを置いている。俺は仕事で聖杯を国に持ち帰らなけりゃならない。十兵衛はどうなんだ?」
「どうなんだと言われてもな。俺は巻き込まれただけの一般人だぜ。聖杯だの何だのには興味はねー。黙って野に下るつもりもないが」
「サーヴァントとの契約を切って聖杯戦争を降りても、聖杯を求めるマスターは見逃さないだろう。命あるまま我を通したいなら、正しい選択だと思う」
「と、なれば……俺達のスタンスは、十二分に一致する。願いもなく、愉しみもなく、この儀式への執着もない」
ライドウは帝都の騒乱を座して見過ごせず、悪魔の力を用いた常人及ばざる捜査能力と戦闘能力は傑出している。
塞は己の職務の一環で聖杯戦争に望んでおり、広範に至る諜報術の多芸ぶりと、老獪の域に達した精神力を持つ。
十兵衛は何のしがらみもなく、ただ自身の欠如(サガ)を埋める為だけに戦い、それ故に『諦めない』為には手段を選ばない。
各々が各々にしかない長所を持ち、短所を補うサーヴァントとの齟齬も少ない。
塞は一旦言葉を切ると、場を見渡して一つの提案を行った。
「俺としては、この停戦に留まらず共闘……同盟を組みたいが、どうだ?」
「協力することに異論はないが、運命共同体になる程まだそちらを信用できない」
「葛葉の意見に同意だな。まだ聖杯戦争の全容も掴めてないんだ、まずは黒幕に接触して真意を聞き出したい」
ゴールの場所と、そこに待ち受けるものを知らずに走るのは十兵衛の流儀に合わない。
聖杯を餌にサーヴァントとマスターを戦わせる者が企図するところを知りたいというのは、ライドウも同じことだった。
「そのチャンスは、討伐令の出ている連中を排除し、令呪を得る際に掴めるかもな……では、俺から提供できるもう一つの情報がある」
「セリュー・ユビキタスとワニ頭(セベク)のバーサーカーに関する情報か」
「察しがいいな。現時点では新宿警察にしか知られていない、奴等の拠点の情報だ。まだ実際に赴いてはいないが、精度の高さは保障する」
<新宿>の一角を指差して語る塞を見て、ライドウは警察署長が自分に明かそうとしなかった情報はこれか、と悟っていた。
秘密裏に突入した特殊編成班が壊滅したというのだから、組織の外の人間には簡単には明かせないだろう。
それをも把握している塞という男の情報収集力は、<新宿>の時代感に適合できていないライドウを一側面で上回る。
二心がないとすれば、心強い仲間になり得る、とライドウは結論した。
「『討伐令を出された者達』と『帝都に乱を齎す存在』に対してのみ、共闘を約束する……まずは、それくらいの関係を結びたい」
「前者だけ……ってわけにはいかないんだろうな。分かった、それでいい。十兵衛、お前はどうだ?」
「討伐クエストを出されている相手を仕留める際には、必ず他の組も一枚噛む形を整えて全員が令呪を得る結果を演出する。
それを守ってくれるなら、断る理由はない。この街に平和を取り戻し、それぞれの目的を遂げる為に皆で頑張ろう!」
手を合わせることも、心を通わせる事もなく、未だ同盟に至らぬ三組は約定だけを取り決めた。
一秒も余韻に浸る事なく、十兵衛が踵を返して歩き始める。
「おい、どうした?」
「契約書を作るわけでもねーんだろ。このホテルはタモさんの拠点であって、俺が籠もってもやることは少ない。
佐藤十兵衛がこの面子のプラスになれる行動をするのに、一刻も無駄に出来る時間はない。聖杯戦争は始まってんだからな」
「少年、俺等も行くぞ。この街は狭い上に、火種は有り余ってると来てる。後手に回れば背中から焼かれるぜ」
「インドア派としちゃ、羨ましい限りのバイタリティだね。俺は、TV局に干渉した輩について調べをつけておくさ。
討伐令が出ている二組については、12時までにどちらを攻めるか決めて連絡してくれ。多数決で決めよう」
「十兵衛、この隣の部屋に引越しなさいよ。ここの方が住み心地よさそ……ちょっと!」
天子の手を引く十兵衛が扉を開けて去り、ライドウとセイバーが煙のように消え失せる。
残された塞は三体の化外とその主が散らした火花の燻る自室を見渡し、一息ついて壁に背を預けた。
鈴仙はサーヴァント探知の感覚を最大まで広げて『仲間』を警戒しながらも、塞に問いを投げる。
「行かせていいの?」
「何だ、同郷のお嬢様と話足りなかったのか」
「あの天人様と何を話せと? ……それはともかく、私の手の内を知ってる連中を野放しにするなんて」
「それほど嬉しくもないことに、佐藤は最低線からやや上にいるマスターのようだ。線上で綱渡りしてもらうのが一番だったんだがな」
「こちらの有用性を正しく判断できて、それが翳らない限りは裏切らない、と?」
「そう期待してもいいだろう。可愛くないガキだがな」
鈴仙の戸惑いは、冷笑する塞の反応を見て更に深まっていく。
十兵衛に対してはそれでもいいのかもしれないが、あのライドウとセイバーに関しては話が違う、と。
マスター・サーヴァントどちらも、塞と鈴仙を上回るとしか言いようのない彼等を懐に入れていいのか、と。
「確かにあの学帽君もそのサーヴァントも、邪気や偽りとは無縁に見えるけどね。
彼等と軍靴を並べるなら、むしろその力強さが、私達の足を止めることになるかもしれないわ」
「確かに、俺が求める最良の同盟相手とは程遠い。佐藤たちがバッタなら、葛葉たちはホークかな」
「鷹匠を気取るほど、私のマスターが思い上がるとは考えたくないのだけれど」
「鷹自体には求める物はない。俺が欲しいのは、鷹を見上げる競争相手の視線だよ」
「??」
塞が少し気まずそうに、首を傾げる鈴仙に言葉を続ける。
なるほどその内容は、鈴仙にとっては想定する事を避けて当然のものだった。
「『紺珠の薬』が見せる未来は、あり得るものに限られる。そうだな?」
「あっ……」
「前回の使用時にお前が見た未来を聞くに、上位のサーヴァントが相手では俺達は宝具さえ使わせずに倒される可能性が高い」
「否定は出来ないわね」
「お前のサーヴァントとしての目を信じて聞くんだが、あのセイバーを相手にして全力を出さずに勝てる者がいると思うか?」
鈴仙が不愉快そうに溜息をつく。
これもサーヴァントの悲しみか、主君が著しく誤った見識を持ってでもいなければ、多少の感情の揺れだけで叛逆をするわけにもいかない。
真っ当な誇りがある英霊ならば契約に従い、そうでない者も聖杯が与える奇跡の為に思い留まる。それが聖杯戦争のシステムだ。
塞の示唆するところが理解できるだけに、鈴仙は迫りくる心労と疲弊の足音を幻聴していた。
「共闘関係を作ることで、あのセイバーがまだ見ぬ強敵としのぎを削り、それを私が視界に入れる『起こり得る未来』を誘発させようってわけね」
「苦労をかけてすまないとは思う。よほどの相手と見込まない限りはやらないさ。さて、今朝方話した『メフィスト病院』について新たな情報が入ったんだが……」
「うう……」
本当に申し訳なさそうに、情報提供者から届いたメールをスクリーンに映す塞。
己のサーヴァントの力を信じ、その人格を尊重しながらも手札としての機能を最大限活用する。
彼はマスターとして魔術師に在らざる身でありながら、聖杯戦争に配されるに相応しい男だった。
【西新宿方面/京王プラザホテルの一室/1日目 午前10時半】
【塞@エヌアイン完全世界】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]黒いスーツとサングラス
[道具]集めた情報の入ったノートPC、<新宿>の地図
[所持金]あらかじめ持ち込んでいた大金の残り(まだ賄賂をできる程度には残っている)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を獲り、イギリス情報局へ持ち帰る
1.無益な戦闘はせず、情報収集に徹する
2.集めた情報や噂を調査し、マスターをあぶり出す
3.『紺珠の薬』を利用して敵サーヴァントの情報を一方的に収集する
4.鈴仙とのコンタクトはできる限り念話で行う
5.正午までに、討伐令が出ている組の誰を狙うか決める
[備考]
・拠点は西新宿方面の京王プラザホテルの一室です。
・<新宿>に関するありとあらゆる分野の情報を手に入れています(地理歴史、下水道の所在、裏社会の事情に天気情報など)
・<新宿>のあらゆる噂を把握しています
・<新宿>のメディア関係に介入しようとして失敗した何者かについて、心当たりがあるようです
・警察と新宿区役所に協力者がおり、そこから市民の知り得ない事件の詳細や、マスターと思しき人物の個人情報を得ています
・その他、聞き込みなどの調査によってマスターと思しき人物にある程度目星をつけています。ジョナサンと佐藤以外の人物を把握しているかは後続の書き手にお任せします
・バーサーカー(黒贄礼太郎)を確認、真名を把握しました
・セリュー・ユビキタスの主従の拠点の情報を警察内部から得ています
・<新宿>の全ての中高生について、欠席者および体のどこかに痣があるのを確認された生徒の情報を十兵衛から得ています
・<新宿>二丁目の辺りで、サーヴァント達が交戦していた事を把握しました
・佐藤十兵衛の主従と遭遇。セイバー(比那名居天子)の真名を把握しました。そして、そのスキルや強さも把握しました
・葛葉ライドウの主従と遭遇。佐藤十兵衛の主従と共に、共闘体制をとりました
【アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)@東方project】
[状態]魔力消費(小)、若干の恐怖
[装備]黒のパンツスーツとサングラス
[道具]ルナティックガン及び自身の能力で生成する弾幕、『紺珠の薬』
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:サーヴァントとしての仕事を果たす
1.塞の指示に従って情報を集める
2.『紺珠の薬』はあまり使いたくないんだけど!
3.黒贄礼太郎は恐ろしいサーヴァント
4.つらい。
[備考]
・念話の有効範囲は約2kmです(だいたい1エリアをまたぐ程度)
・未来視によりバーサーカー(黒贄礼太郎)を交戦、真名を把握しました。
・この聖杯戦争に同郷の出身がいる事に、動揺を隠せません
◇
結局、京王プラザホテルのフロントはライドウとダンテの来訪に気付くことはなかった。
目撃の有無に関わらず、ホテルの壁を駆け上がる者がいるという現実を信じた人間は"偶然にも"いなかったのだ。
内堀も外堀もすり抜けて、一城から姿を消した闖入者は、明るく清潔なスイートルームから一転、害虫飛び交う路地裏を黙々と進んでいる。
「大当たりとはいかなかったが、まあチップは増えたな。少年、あいつらをどう思うよ」
「聖杯戦争の参加者が、全て帝都に無秩序な混乱を撒き散らす者ばかりでないとは知れた」
「『シンジュクを陰に日向にぶっ壊そうトーナメント』をやらされてるなんて考えたくはなかったしな」
ライドウが探偵のロールをこなしながら捜査スキルを駆使して集めた情報は、帝都に対し何の憚りもない悪意に満ちていた。
その最たる例が悪魔化の秘術をばら撒く女であるのだが、全ての主従がそれに近い存在である最悪の想像だけは退けられたのだ。
「願望器を求めること自体は、一概に非難されることではない。手に入れる為に用いる手段か……聖杯戦争のシステム自体に、問題があるのだろう」
「マスターの二人はまあ癖があるにしても、外道とまでは言えないってとこか」
「では、サーヴァントの二人はどうだ?」
ライドウが、目だけをダンテに向けて問う。
霊体化しながらも、歩くような速度でライドウに寄り添うダンテは、端的に答えた。
「早急に倒す必要がある相手だな」
「……英霊とは、すなわち夢物語の住民だ。人格について語る意味は薄いとはいえ、あまりに実務的すぎないか?」
「サーヴァントとしての発言を求められてると思ったからそうしたまでだ。俺個人の感想を言おうか?」
「そうだな。脱線せずに続けてくれ」
「まず、俺と同じセイバーのクラスの嬢ちゃん。立ち会って負ける要素はないが……あの発散する自信は、根拠が皆無ってわけでもないのさ」
ライドウは、同年代のマスターが従えるセイバーの姿形を思い出す。
引け目という単語が全身の細胞中に1ミクロンもないような、貴人じみた存在だった。
「あのサーヴァントに、何かあると?」
「体質上、カミサマの類の前に立つと血が騒ぐらしくてな。サーヴァントになるまでは知らなかった感覚って奴さ」
「神性スキルは確認できなかったが……」
「だから不気味なのさ。宝具が神造だとすれば……間違いなく、とんでもない切り札だろうよ」
不安要素は早急に排除すべき、と語るダンテ。
では、もう一人のサーヴァント……アーチャーを危険視する理由は何か。
ライドウの疑問を受け、ダンテは「こっちは更に曖昧なんだがね」と前置きする。
「あのマスターが、少年の調べ通りの情報通だと分かったからこそ、気になることがあってな」
「聞かせてくれ」
「『契約者の鍵』の交換を少年が持ち出した瞬間だよ。塞という男は当然の理由で断ったが、あまりに即断すぎた。
情報を重きに置く奴なら、損得勘定で損とみた時も、相手が呑むはずもない要求を出してその反応から別の情報を得ようとしたりしてもおかしくはないだろ?」
「サーヴァントとマスターの能力という、最も重要な情報を目の前に出されているのに、臭いも嗅がずに跳ね除けたのが気になる、と」
「まるで、いつでもどこでも簡単に調べられるといわんばかりにな。能力を看破するスキルか……情報が湧き出す泉でも持っているのかも知れん。だが、まあ……」
ダンテは敵対者を屠るサーヴァントとしての眼光を弱め、ライドウに笑いかけた。
「それは俺達が、全ての主従を平らげて聖杯を獲ろうと思った時の話さ。予測不能な牙や猛毒も、俺達以外に当たればラッキーで済む」
「そうだな、セイバー。……モー・ショボーが念話を送ってきた。巨獣のバーサーカーを従えた女は、雑居ビルに身を潜めたらしい」
ライドウがサーヴァントと契約し、聖杯戦争に参加したことで新たに習得したスキル『念話』は、悪魔とも問題なく交信を可能とした。
偵察に出した疾風族モー・ショボーは、その任務を果たしたと判断したのでライドウの元へ戻る、とたどたどしい言葉で伝えてくる。
出来れば監視役としてその場に残したかったが、遠隔地に悪魔を長時間派遣するのは魔力消費が激しすぎる。
「巨獣の主従に討伐令が出されるのは時間の問題だろう。可能ならばその前に叩きたい」
「口約束だってのに、律儀だな」
討伐令が出されれば、十兵衛と塞の主従と連携して戦う約定がある。
ライドウにそれを破るつもりがない以上、その約定に縛られて後手に回る前に。
帝都を脅かし、かつ存在を隠す事もなく暴れる主従は倒しておきたかった。
「正午に、討伐令が出ている二組のどちらかを攻めるんだ。時間の余裕はあまりないな?」
「サーヴァント同士の遭遇戦は、これからも激化していくだろう。セイバー、感覚を研ぎ澄ましてくれ」
「Don't think, feel、か。熱い一日になりそうだな、少年」
【西新宿方面/京王プラザホテル周辺/1日目 午前10時半】
【葛葉ライドウ@デビルサマナー葛葉ライドウシリーズ】
[状態]健康、魔力消費小、モー・ショボー使役中
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]黒いマント、学生服、学帽
[道具]赤口葛葉、コルト・ライトニング
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争の主催者の思惑を叩き潰す
1.帝都の平和を守る
2.危険なサーヴァントは葬り去り、話しの解る相手と同盟を組む
3.正午までに、討伐令が出ている組の誰を狙うか決める
4.バーサーカーの主従(ロベルタ&高槻涼)を排除する
[備考]
・遠坂凛が、聖杯戦争は愚か魔術の知識にも全く疎い上、バーサーカーを制御出来ないマスターであり、性格面はそれ程邪悪ではないのではと認識しています
・セリュー・ユビキタスは、裏社会でヤクザを殺して回っている下手人ではないかと疑っています
・上記の二組の主従は、優先的に処理したいと思っています
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ラクシャーサ)と交戦、<新宿>にそう言った存在がいると認識しました
・チューナーから聞いた、組を壊滅させ武器を奪った女(ロベルタ&高槻涼)が、セリュー・ユビキタスではないかと考えています
・ジェナ・エンジェルがキャスターのクラスである可能性は、相当に高いと考えています
・バーサーカー(黒贄礼太郎)の真名を把握しました
・セリュー・ユビキタスの主従の拠点の情報を塞から得ています
・<新宿>の全ての中高生について、欠席者および体のどこかに痣があるのを確認された生徒の情報を十兵衛から得ています
・<新宿>二丁目の辺りで、サーヴァント達が交戦していた事を把握しました
・バーサーカーの主従(ロベルタ&高槻涼)が逃げ込んだ拠点の位置を把握しています
・佐藤十兵衛の主従、葛葉ライドウの主従と遭遇。共闘体制をとりました
【セイバー(ダンテ)@デビルメイクライシリーズ】
[状態]健康、霊体化、魔力消費極小
[装備]赤コート
[道具]リベリオン、エボニー&アイボリー
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の破壊
1.基本はライドウに合わせている
2.人を悪魔に変身させる参加者を斃す
[備考]
人を悪魔に変身させるキャスター(ジェナ・エンジェル)に対して強い怒りを抱いています
ひょっとしたら、聖杯戦争に自分の関係者がいるのでは、と薄々察しています
◇
「お待たせ」
「無事だったか、十兵衛。頼まれてた物用意してきたぞ。変な注文だったが……これでいいのか?」
「ありがとう、高野君。……よし、パーフェクトだ。流石はハーフを彼女に持つ男」
「ヴィクトリアとのデート中に呼び出されるなんて、佐藤クルセイダーズも大変ねぇ」
「やめろ……」
ホテルを後にした十兵衛は、路肩に駐車されたオープンカーに乗り込んだ。
運転席にいたのは、佐藤クルセイダーズの構成員の中でも十兵衛が最も重用する高野照久。
十兵衛が別の構成員に普段から指示しておいた、「俺が入った部屋の窓が割れたらその建物の下に高野くんを呼べ」という命令により、
監視員から召集を受けて十兵衛を拾いに来た彼は、佐藤揮下のNPCの中でも、リーダーの目的を良く知る唯一の存在だった。
実体化している天子とも面識があり(当然、偽名で認識しているが)、聖杯戦争についても最低限の事は知らされている。
「現場は見てないが、サーヴァントってのは相当派手に暴れたらしいな」
「半信半疑だったみたいだけど、これで信じる気になっただろ。高野くんの光速後ろ回し蹴りも青銅(ブロンズ)クラスまで弱体化してるんだし、近づかないようにね」
「まあ、十兵衛が名居さんみたいな綺麗な人と同棲して、一日以上生活を共に出来てる方が不自然だし」
「十兵衛は性格が悪いからね。普通の女の子なら一緒には暮らせないでしょう」
「それについては俺も言いたいことが多いが……あっ、ダーマスから着信。深度A情報か」
『直接会って説明したい情報』を得たという軍団員からの通知を受け、十兵衛は高野に行き先を伝えた。
頬杖をついて外を眺めれば、消防車や救急車が忙しく行き交っている。
ジョナサン達の戦いの後始末に向かっているとすれば遅きに失するので、なにか別の事件でも起こったのだろうか。
まだ半日も過ぎていないというのに、暗闘の黙約を返上する者が予想以上に多いのか、と十兵衛は思案する。
「どうにも勝手が違うな。比較的順調に立ち回れているが……これまでの人生で積み上げてきた常識が全く通用しない。新宿の街が刻一刻とダン・ウィッチに見えてくるぜ」
「でもサーヴァントの名居さんもいるじゃないか。相当強いクラスなんだろ?」
「サーヴァントの采配は、実戦経験さえ積めば完璧にこなせるくらいには自信があるよ。俺は軍師タイプだからな」
問題は俺と同じ立場のはずのマスターだよ、と十兵衛は視界を左手で遮って呟いた。
ライドウを別格としても、ジョナサン、塞と出会ったマスターの大半が、どこか現実離れした雰囲気を身に纏っていた。
サーヴァントには及ぶまいが、何か奇跡めいた切り札を保有していると考えていいだろう。
神がかりな力で戦局に影響を及ぼすなど、聖杯戦争に関わる前ならば十兵衛も鼻で笑っただろう。
しかし今、この<新宿>でこの直感を軽視することは、すなわち敗死に直結する。十兵衛にはその確信があった。
「決まりだ。聖杯を餌にしたレースには乗らない。奇跡を欲する奴等は、奇跡を求めるに相応しいド派手な戦いをしてくれればいいさ」
「ま、聖杯戦争は本来魔術師の闘争らしいし。無関係の人間が首を突っ込んで勝てるなんて勝てるのはただの思い上がり。
十兵衛に美点があるとすれば、プライドを散逸させずに実利的な一極に集中させられる才能ね」
「セイバーには悪いと思っているよ。快刀乱麻を断つ勢いでこの事変を解決したいだろうから」
「迂直の計、狡兎三窟大いに結構。マスターの器量に応じるのがサーヴァントの度量、大まかな方針には従うわ」
「できれば細かい命令にも従って欲しいが……ちょっと意外だな、戦いを避けたがらないと思ってたよ」
「私は楽しいから戦って、楽しいから首を突っ込んでいるのよ。楽しみ方には拘らないわ」
帽子についた桃の実を弄りながら、天子は心底楽しそうに笑っていた。
力で上回る相手を前にしても、遍く世界の全てを見下す事の出来る異常な精神性。
十兵衛は己のサーヴァントを眺めながら、英霊という存在について思いを馳せる。
.(意識が有頂天までいってしまっている系のコイツが顕著だが……聖杯戦争における駒として現界した英霊に、どうも共感が持てないな。
何せ一度生を終えた連中なんだ。願いや生前の意志は引き継いでいるとしても、マスターとは違って本物の命は持たない、都合よく似非再現された存在でしかない。
聖杯戦争で負けて消えても、世界に記憶された英雄としての記録は消えないんだから、俺達の死とはワケが違う。その辺が命を預けるのに少し不安だな)
十兵衛は漠然とした不安を抱く。その不安こそが、十兵衛が神秘に耐性のない一般人である証明だった。
英霊の放つ時代の寵児たる輝きは、時にその人格を覆い隠す。
人間的で天真爛漫な天子でさえ、十兵衛の目からは時にエイリアンのような理解しがたい存在に映っていた。
「それで、これからどうするの? 葛葉やタモリの後にくっついていくだけ?」
「セイバーはこの事変の内実を明かしたいんだろ? その為には、あいつらを盛り立てて事の推移を見極めるのがベストさ」
「十兵衛には別の目的がある、ように聞こえるけど」
「俺に奇跡は必要ないが……神秘が世界の裏側にある事を知れたのは、今後の為に役立てられそうだからな」
「へえ、魔術師を志しでもするの?」
「まさか。俺が得たいのは神秘じゃなく、神秘を扱う者たちとの関係だよ」
魔術師に限らず、異能を操る者たちが世間に隠れているという事実を知った十兵衛。
彼はそういった者達に接触し、聖杯戦争後の自身の人生にプラスとしたいと企図していた。
異能者達が歴史の表舞台から隠れおおせている以上、それだけの力を持つ互助組織を結成しているのは想像に難くない。
無論それらの組織がパラレル・ワールドの存在で、十兵衛が戻るべき世界にはいないという可能性もある。
しかし、異能者達から彼等にとっての常識を聞き集め、それを元に自分の世界を探れば、あるいは何かが見つかるかもしれない。
この<新宿>から神秘に列なる物を持ち帰れば、尚更己の為に役立てやすいだろう。
「着いたぞ、十兵衛」
「ああ。元の役割(ロール)に戻ってくれ」
走り去る高級車。
残された十兵衛が立つのは柏木の丁目境にある廃教会。
参拝する者もいなくなったその建物の扉は、半開きになって十兵衛を待っていた。
押し戸を封印していた南京錠と針金が散らばっている。力づくでこじ開けたようだ。
無言で教会に侵入する十兵衛を、先客が感極まった表情で出迎えた。
「十兵衛ええええええ!!」
ステンド・ガラスから漏れる陽光が、教会の中を照明代わりに満たしている。
待望と狂気を孕んだ奇声を上げた男を、十兵衛は興味深そうに眺め、平静に挨拶をする。
「よお、ダーマス。テンション高いな」
「聞いてしまった俺は聞いてしまったそして思い出したたたしたした」
「情報があるんだって? 話せよ」
「女に会ったんだ刺されたんだ見えた外れた俺俺はいつも聴いてた流行りの着メろを思い出した、これこれこっれええええれえ」
痙攣するような動きで腕を振り上げた増田が握る携帯からは、男の悲鳴が鳴り響いている。
それは、十兵衛がクラスメイト全員……即ち佐藤クルセイダーズ構成員にも買わせた音声データだった。
「ああ、金田の悲鳴か。高野くんなんかは設定するのを嫌がったけど、ダーマスは格闘技好きの設定が生きてたから面白がってたな」
「毎日聴いてたこれがお前が殺した僕が殺した僕達が殺した金田保の声だった頭が痛い痛い痛い悪魔の手助けをした」
.....
「記憶に障害が出てるな。お前は罪悪感を覚えるはずがねーだろ」
「街中に僕の罪が溢れている。悪魔になってでも罪を償わなければ」
増田の首筋に赤い三本の螺旋が光る。精神の平定を欠くような様子も、収まった。
ライドウの証言と一致する現象を前に、十兵衛は歎息して背負っていたゴルフ・バッグを床に下ろす。
手を突っ込んで引き出したのは、ゴルフクラブなどではない。
小太刀。大脇差、とも呼ばれる、刃渡り二尺程の刀剣だった。
「仮にNPCが外見だけではなく内面もコピーして造られていて……普段は浮かび上がらないよう不要な記憶を封印されているとして、お前に記憶が蘇っていると考えても」
「ダーマスは知らないだろうから言っておこう。俺の使う富田流では中条流から派生した剣術を教えている」
十兵衛が後ろ腰に小太刀を構え、身を低くする。
「いわゆる"居合"の構えだ。刃圏に入れば斬るぜ」
二人の間には20m程の距離が空いている。
増田の顔に笑みが浮かぶ。普段ならばまだしも、今の彼に刃物を恐れる神経はなかった。
「佐藤十兵衛。お前を殺し、僕も死んでやる。友達とし……」
全身に赤い紋様が広がっていく、その間隙。
初速がライフル弾に匹敵する機動を可能とする悪魔が顕現する直前に、十兵衛が刀を抜き放った。
増田の視線が抜き放たれた刀に飛び、刀身がない事に気付く。
カラン、と鍔が落ちた音がする。しかし、その音源に目をやる前に、増田は脇腹に鈍い痛みを感じた。
「!?」
赤い紋様が広がる腹部に、より赤い血が滲み出ていた。抉られた傷痕には、大口径の銃弾が通過したような焦げがある。
体組織が解れて血飛沫を噴出させると同時に、悪魔化の過程で強化された聴覚が背後に刺突音を拾う
反射的に振り返ると、教会の顔、マリア像の右目に剥き出しの刃が突き刺さっていた。
十兵衛の抜刀の勢いで刃が飛んだとでもいうのか、そんな馬鹿な……仮にそうだとしても、射出速度が速すぎる。
「末端部を狙えと言ったのに」
呆然とする増田の懐で、怖ろしく冷静に呟いた男が一人。
そこには距離を一息に詰め、『無極』によって精神をコントロールし、全身の発条を引き絞る十兵衛がいた。
増田が再度向き直るより早く、十兵衛の拳が最短の距離を走って正確に胸部……心臓を打つ。
「ぐっ! この……」
(固い! 完全に変化してなくてもこれか)
十兵衛の打撃には流派に伝わる名前がある。
熊にさえ通じ、人間相手なら九分九厘その意識を断絶させる『金剛』。
皆伝を認められた奥義でさえ、"魔"に片足を突っ込んだ程度の相手を倒すに至らなかった。
「何が、居合だ……ペテン野郎!」
「俺のは現代格闘富田流。剣術なんて使う場面少ないし、学んだのは居合の精神だけだよ」
しかし、十兵衛の表情に焦りはない。
その余裕の裏付けを増田が知ったのは、怒りのままに先んじて変化した異形の右腕を振るった直後だった。
「斬り落としたら治らなかった時困るでしょ。これで十分よ」
「!?」
突如聞こえた第三者の言葉を脳が認識するより早く、増田の魔腕が明後日の方向に捻じ曲がる。
同時に、頭を鷲掴みにされて地面に叩きつけられた。ここでようやく、増田は三人目の人間……それも細腕の女が、その場に出現している事に気付いた。
全力で振り払おうとするが、体は微動だにしない。女の膂力に恐怖しているのだ、と増田は気付く。
この出鱈目な力こそ、刀身の茎(なかご)を柄に固定した目釘を瞬時に引き抜き、弩弓を凌ぐ速度で刀身を射出した動力。
卵を割るような気軽さで、人越の域にある自分の頭を潰せると確信させるその力の前に、精神よりも魂が先に屈服したようで。
増田の悪魔化は急速に止まり、怯える人間だけが残った。
「見たかねダーマス。これが我が能力『ペチャープラチナ』の力だ……」ゴゴゴゴゴゴ
「なっ!?何……お前……」
「君の身に起こった事は全て理解している。何も心配することはないんだよ、俺が何とかしよう」
増田の脳裏に、トラウマのように焼き付けられた十兵衛への恐れが蘇る。
全てを見通され、得た力も容易くねじ伏せられた。
もはや増田に、初心を通す気力は残っていなかった。
「犯した罪の重さに耐え切れず、親友の俺を巻き添えにして自殺しようとした暴挙は許しがたいが、人間はやり直せるのだよ」
「いや……元々は十兵衛君の……」
「それ以上自分を責めるな! 大丈夫、お前が変な女に絡まれて悪魔になってしまった事は大変だが、きっと治せると思うから」
「……食欲がわかなくて……人を見る度に喰い付きたくなる衝動もありますし……この際本当に悪魔になる前に楽に死にたいというか……」
「馬鹿野郎! 一日や二日飯を抜いたくらいで人間が死ぬか!? 悪魔なら多分一週間くらいはいけるだろ! 少し我慢すれば事態は好転する、俺を信じてくれ」
「わ……わかった……」
増田は観念した。どうあがいても十兵衛は必ず自分を利用する、何らかの手段で自由意志を奪ってでも。
自棄の心境で受け入れた増田の諦念に、十兵衛が新たな水を差す。
「ダーマス……お前の得た悪魔の力は、確かにネガティヴなものかもしれない。だがお前が人間を襲ったりせず、自分の罪を罰する事に力を使ったのは尊い事だ。
今この新宿が大変な事になっている事は知っているだろ。ならば、その正しい心を弱い者や俺を助ける為に使ってほしい。きっと殺された金田もそれを願っている」
「悪魔の力で、人助けを……そんなこと……」
「俺に付いてくれば、きっとできるさ。ハッピーバースディ!デビルマン!」
「十兵衛君……!」
目を輝かせる増田。肯定される、というだけで、人間は喜ぶものだ。
その後大義名分を与えられれば、己への評価を維持する為にもその大義を全うしようとする。
今や増田は自分の罪悪感を解消する方法を、十兵衛に再び仕える事に求めていた。
十兵衛は目尻に涙すら浮かべながら増田の肩を抱き、天子に念話を送る。
【肉体の再生力の確認と詳細な能力の把握をするから、ダーマスはしばらく同行させるぞ】
【え、葛葉に知らせなくていいの? 凄い手がかりじゃない】
【術者の女の情報だけ抜いとけばあいつの役には立つだろ。せっかく悪魔の駒が転がり込んできたんだ】
【使えるうちは使うってわけね】
【ああ。どのくらいで耐えられなくなるかを観察しておけば、他の悪魔化したNPCの焙り出しにも使えるだろうしな】
【治す方法も探してあげるの?】
【クラスメイトだぜ、当然じゃないか。治せるとすれば当然聖杯戦争の関係者だから、繋がりを作る切欠になるかもしれないし】
どこまでも実利的な十兵衛の思考。
感涙する増田にそれを悟られまいとするかのように、廃教会の時計が11時を知らせるオルゴールの音を奏でていた。
【西新宿方面(柏木三丁目・廃教会)/1日目 午前11:00】
【佐藤十兵衛@喧嘩商売、喧嘩稼業】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵] 有
[装備]部下に用意させた小道具
[道具]要石(小)、佐藤クルセイダーズ(9/10) 悪魔化した佐藤クルセイダーズ(1/1)
[所持金] 極めて多い
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争から生還する。勝利した場合はGoogle買収。
1.他の参加者と接触し、所属する団体や世界の事情を聞いて見聞を深める。
2.聖杯戦争の黒幕と接触し、真意を知りたい。
3.勝ち残る為には手段は選ばない。
4.正午までに、討伐令が出ている組の誰を狙うか決める。
[備考]
・ジョナサン・ジョースターがマスターであると知りました
・拠点は市ヶ谷・河田町方面です
・金田@喧嘩商売の悲鳴をDL販売し、ちょっとした小金持ちになりました
・セイバー(天子)の要石の一握を、新宿駅地下に埋め込みました
・佐藤クルセイダーズの構成人員は基本的に十兵衛が通う高校の学生。
・構成人員の一人、ダーマス(増田)が悪魔化(個体種不明)していますが懐柔し、支配下にあります。
・セイバー(天子)経由で、アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、バーサーカー(高槻涼)、謎のサーヴァント(アレックス)の戦い方をある程度は知りました
・アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)の存在と、真名を認識しました
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(増田)と交戦、<新宿>にそう言った存在がいると認識しました
・バーサーカー(黒贄礼太郎)の真名を把握しました
・遠坂凛、セリュー・ユビキタスの主従の拠点の情報を塞から得ています
・<新宿>の全ての中高生について、欠席者および体のどこかに痣があるのを確認された生徒の情報を十兵衛から得ています
・<新宿>二丁目の辺りで、サーヴァント達が交戦していた事を把握しました
・塞の主従、葛葉ライドウの主従と遭遇。共闘体制をとりました
【比那名居天子@東方Project】
[状態]健康
[装備]なし
[道具]携帯電話
[所持金]相当少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を異変として楽しみ、解決する。
1.自分の意思に従う。
[備考]
・拠点は市ヶ谷・河田町方面です
以上で投下終了です
>>太だ盛んなれば守り難し
うおお面白れぇなんだこれ。
自由奔放に振る舞う天子と、それに振り回されまくる十兵衛。怜悧に立ち回ろうとする塞と鈴仙にそして、<新宿>、と言うよりは帝都の平和を護らんと、
サーヴァントにも匹敵する程の実力を遺憾なく発揮してあらゆる所を掛けて行くライドウとダンテ達。
今回の話の中核にして目玉は何と言っても、この三組の緊張感あふれるやり取りでしょう。
聖杯を持ち帰りたい塞と、何とかして<新宿>から逃げ帰りつつも自分の欲求は満たしたい十兵衛、そして帝都の守護を一番にするブレないライドウ。
この三組はそれぞれ考える事こそ違う物の、一時の利害の一致の為に、手を組む。その過程の描写が、実に見事と言う他ない。
会議の後、塞は切り札である紺珠の薬を(無理やり)開帳しようとし、ライドウは、本来ならば絶対に露見しない塞の宝具に気付き始め、
そして十兵衛は、ライドウが欲してやまないチューナーを味方に取り込んで、と、本気で皆同盟相手の事を信じていない、と言う事の描写も素晴らしい。
未だ聖杯戦争の戦塵を蒙っていない彼らですが、果たして今後、この狭い<新宿>で如何なるトラブルにこの3組が巻き込まれるのか、見逃せない。
そんなお話に、自分には思えました。
ご投下、ありがとうございました!!
結城美知夫
ムスカ
予約します
特にエイプリルフールネタはありませんが、初投下です
「なるほど、お話の方はよく理解出来ました」
十代の若々しい、大人と子供の中間に位置する様な青年らしい声音かと言われれば、そうでもなく。
かと言って、酸いも甘いもかみ分けた三十〜四十代の落ち着いた声音かとも問われれば、そうとも言えず。
二十代の、青年らしい声音からは既に脱却し、大人らしい落ち着きを漸く得始めた、とも言うべき。そんな男の声が、ミーティングルームに響き渡った。
良く通る上に、何処となくセクシーさと言うものを感じ取れる良い声だった。本人がその気になれば、舞台声優としても通じる程の魅力的な声であろう。
だが現実は違った。男の選んだ仕事は、日本に於いて知らない社会人などいないと言っても間違いない程の超大手銀行の銀行マン、しかも男は、
数千を超す程の従業人の中のほんの一つまみとも言うべき、超が付く程のエリートだった。
「貴社の中の一部門である、アイドル部門をより世間的に認知させ、そして、社全体の業績を伸ばそうと言うプロジェクト。その遂行の為に、三億の融資が必要である、と」
「その通りです」
男の言葉に対してそう答えたのは、妙齢の女性であった。
もう華の二十代は過ぎたと言うべき年齢である事が、立ち居振る舞いからも窺える。着こなすスーツが、とても凛々しい。
大学を卒業したての女性では、醸し出せない空気だった。だがそれでも、日々摂生に努めた生活を、忙しい合間を縫って何とかこなしているのだろう。
化粧をしていると言う事実を差し引いても、彼女の肌は二十代後半の張りを未だキープしており、顔つきも、三十路を越えた年齢であると言うのにとても若々しい。
その厳しそうな顔つきと声音、そして身体から発散される風格は、一流企業に勤めるOLと言うよりは寧ろ、新進気鋭の企業の女社長とも言うべきものであった、
一方で、女性の眼前で、ミーティング・デスクの適当な一席に座るのは、なまめかしい黒色の、如何にも名の立つテーラーに仕立てて貰ったスーツを着こなす男だった。
サラリーマンの道を志して居なければ、きっと俳優にでもなれたであろう程の整った顔立ちをした男で、腕に巻いたロレックスと、
勝ち組の特権だと言わんばかりに履きこなすジョンロブが、この男をただのサラリーマンでないと言う事を雄弁に物語っていた。
男は――結城美知夫は、<新宿>は当然の事、日本全国津々浦々、果ては海を越えて外国にすらも支店を持つ、某有名メガバンク。その<新宿>支店の貸付主任であるのだ。
三億円である。事業融資の額としては、珍しくない。
それどころか、結城程の銀行マンであれば、億の金など毎日の様に右から左へと動かしている。三億など、ポンと貸してやる事だって、ある。
だがそれは、誰の目から見ても実績と信頼が確かな大企業である、と言う場合に限る。
実際には最近のメガバンクは従来通り大企業、或いは中小企業への融資を主としており、特に中小企業など、余程優れた業績やここ数年の決算、そして、
融資係を口説き落とせる見事なプレゼン力がなければ、先ず融資は受けられない。当たり前だが銀行は慈善活動で金を貸している訳ではない。
利子を設定し、本来設定した貸付金の額+利子で利益を上げる組織である。当然、貸し付けた本来の額が回収出来ねば、当然赤字であり、貸した融資係は大目玉だ。
況してや三億円など、到底回収出来ませんでしたで済まされる金額ではない。少しのミスで、エリートが窓際族にまで転落するのが当たり前なのがメガバンクだ。
それに相談者が推し進めようとしているプロジェクトは、いわば新しい芸能分野の開拓だ。先行きが見通せず、時の運次第でどうとでも転がる計画の為、真っ当な銀行マンであれば、いわゆる『貸し渋り』をしてしまう事であろう。
これが、弱小の芸能事務所やプロダクションであれば、結城は貸す気など微塵も起こさなかっただろう。
だが、相談された先の企業が、あの『346プロダクション』と言う事実が、結城に熟考の時間を余儀なくさせた。
346プロと言えば、国内の芸能プロダクションの大手とも言うべき事務所の一つである。
本社は<新宿>に構えられており、<魔震>前から存在した歴史あるプロダクションである。一時は<魔震>の影響で操業停止寸前にまで追い込まれるも、
当時所属していた俳優や歌手の頑張りや、当時の幹部首脳陣の精力的な指揮能力で、見事<魔震>前以上の地位を獲得するにまで成長した、強い企業だ。
芸能事務所の中では、間違いなく大手と呼んでも差し支えのない団体であった事だろう。但し、此処<新宿>での346プロの地位は、現在二位だ。一位から転落していた。
近年、悪魔的な手腕で急速にその版図を広げさせている、旧フジテレビ本社と同じ位置に、巨大なタワーと言う形の社屋を構える、日本最大のレコード社。
通称、UVM社の超が付く程の大躍進により、346は当然の事、日本中の音楽・芸能プロダクションはその頭を抑えられる形になっていた。
UVMだけが一強と言う訳ではないが、それでも、天を貫くバベルの塔のような本社を持つあの会社の牙城は、驚く程堅固だ。
それを突き崩す神の雷を、結城美知夫の顧客(クライアント)となる女性、美城は、アイドル事業に求めたのである。
彼女は言う。極めて悔しい話だが、UVM社が擁する歌手陣の層は、日本所か世界中の全プロダクションの中でも類を見ぬ程分厚く、高レベルだと。
真っ当な歌唱力やプロモーション能力で勝負を仕掛けるのは、無理があると美城、及び346プロは判断。だが手を打たぬ事には、何時までもUVMに頭を垂れ続ける事になる。
そして最近、と言っても此処数ヶ月の話であるが、346プロは、UVMは所謂、アイドル事業が手薄であると言う結論を弾き出したのだ。
手を出していないと言う訳ではないが、それでも、UVMのアイドル事業は、他の部門に比べて業績が奮わないと言うのが現状だった。
此処を狙わぬ手はない。アイドル活動と言うのは、無論歌唱力やダンスの技術も求められるが、それ以上に、年頃の女性が『頑張っている姿』を演出するのが重要である。
これを演出する事で、ファンの庇護欲やエールを送りたいと言う気持ちを助長させる事こそが、肝要なのだ。UVMは、その年頃の少女の活かし方を学んでいなかった。
『女の子の輝く夢を叶えるためのプロジェクト』、と言う御題目を掲げ、美城を含めたプロダクション全体が一丸となって推し進めるこのプロジェクト。
社の人間は、これを『シンデレラプロジェクト』と呼んでいた。シンデレラとは、この世で最も有名かつ理想的なサクセスストーリーだ。成程確かに、女の子の夢を叶える計画の名を冠するに、相応しい。
プロジェクトは今の所順調な経過を見せていたが、それでもやはり、躍進の域を出ない。
年頃の子供と言うのは、堪え性がない。直に目に見えた成果を欲しがる生き物だ。早い話、直にでも大舞台に上がりたがると言う性を持つ。
美城にしたってそれは同じである。今のままでは、UVMに並ぶまで何年掛かるか。況してや相手は、プロデュース業に掛けては悪魔的な才能を持つブレーンがいるのだ。
つまり、此方のプロジェクトを考察し、自分達も同じようなプロジェクトを立てるかも知れないのである。そうなったら、UVMと346の間には、大きな差が開き、
永久にそれが埋まらなくなる。美城は、これを危惧した。だからこそ、即効的に効果が表れる自身の計画を推し進めようとしたのだ。
その為には、金が入用になる。
だからこその、今の融資相談であった。美城は、上に語ったような事柄を、パワーポイントなどで懇切丁寧に、そして自身の計画の有効性や効率の良さをプレゼン。
経営者、そしてアイドルを導く為の責任者としての目線からも、自分の計画が全く間違いでない事を、結城に今まで説明していたのである。
美城のプレゼンは、畑違いの結城から見ても、素晴らしい物だった。
346プロの業績や決算の良好さ、及び、プロジェクトにかける熱意を主張した上で更に、結城にも解りやすくこのシンデレラプロジェクトについて説明する、
と言う配慮が至る所に成されていた。更に、美城自体の人間性も優れている。プレゼンの最中に結城は、カマかけや試す意味で、
美城のプレゼンをつまらなそうに聞く演技をしていたが、「そんな演技など見飽きた」とでも言わんばかりに、彼女は平時の様子でプレゼンを続けていたのだ。
相当な手練である事が一目で見ても結城には解ったが、想像以上の傑物らしい。並の銀行マンならば、逆に呑まれかねないだろう。
美城の方からは、説明出来る事は全て説明し尽くした。
後はもう、結城からの鶴の一声を待つだけだ。彼が肯じるか、それとも首を横に振るかで、今後が決まると言っても良い。
「……宜しい。融資を致しましょう」
結城はたっぷり十秒程の時間を置いてから、そう言った。
「ありがとうございます」、と平素と変わりない声音と態度で、美城が一礼した。
特に喜んだ様子を見せないのは、この融資は言わばゴールではなく第一歩であり、言わばこの三億が振り込まれる事で、漸くスタートを切ったに等しいのである。
おちおち喜んでなぞいられない、と言うのが美城の本音であるのだろう。つくづく、抜け目のない切れ者だった。
とは言え、そんな美城の態度とは裏腹に、結城は全くリラックスしていた。
緊張した態度を演出しているのは、表面上だけ、内心は全く落ち着き払っている。
346プロダクションならば三億程度の金、自分の腕前なら容易く回収出来ると言う自信もそうであるが――もう一つ。
三億の融資を快諾したのには、上記の自信を上回る絶対の理由があったからに他ならない。
「シンデレラプロジェクト、素晴らしいお名前ではありませんか」
スックと席から立ち上がり、美城と、プロジェクターからスクリーンに投影されるプレゼン画面を交互に見渡しながら、結城は続けた。
「夢見る原石である女の子達を磨き上げ、立派な宝石へと仕立てるプロジェクト。まさに、全ての女性の夢である『シンデレラ』の名に相応しいですな」
「恐縮です」
我ながら、全ての歯が浮いて歯茎からすっぽ抜ける程の営業トークだと冷笑する結城。
無論、今しがた口にした言葉の通りの事など、全く思っていない。本心から、どうでも良いとすら思っている。
優れた社会人である美城なら、結城の歯の浮く台詞など、御見通しであろう。何せ相手は銀行マン。融資金の回収と利息の回収が出来ればそれで良い、禿鷹であるのだ。少女の夢の成就を願う人種の、反対に位置する人間である。
「それでは、お互いの為に、頑張りましょう。美城様」
「えぇ、今後とも、よろしくお願いいたします、結城様」
そう言って二人は互いに近付いて行き、固い握手を交わした。かくて、346プロへの三億円の融資が決定した。
<新宿>での聖杯戦争が開催される、二日前の出来事であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「聖杯戦争も始まったと言うのに、出勤か。精が出るな」
結城には、果たしてそれが何を意味し、何のバロメーターを表しているのか。
到底理解出来ない計器が無数についた大規模な機械の塊を見上げながら、手に持った資料に時たま目を配らせるジェナ・エンジェルがそんな事を口にした。結城の方には、目もくれない。
「貧乏人とエリート程暇のない人種はないのさ」
ネクタイを巻き終え、腕時計を確認し、時間的にまだ余裕がある事を確認してから、結城が言った。
大企業に就職出来たから、冷房の効いた部屋で優雅にデスクワークをして、高給を……。
そんな甘っちょろい現実など、ありえないと言う物だ。実際には見ていてうんざりする程の量の書類を処理したり、またある時は実地で様々な交渉事を行ったりと。
やる事は山ほどあるのだ。パレートの法則と言うものが有る。全体の数値の大部分は、全体を構成する二割が生み出していると言う冪乗則である。
これを企業に当て嵌めるとつまり、企業の利益の大部分は、二割の従業員が生み出しているのであり、残りの八割はいてもいなくても差し支えのない人間と言う事だ。
結城は当然、利益を生み出す二割に該当する人間であり、その中でも特に有能とされる彼の業務は、多忙を極めるのだ。暇など、ある訳がなかった。
「いいね、研究職って言うのは。暇がありそうで」
「馬鹿を言うな」
拗ねたような口調でそんな事を言う結城に対し、即座にジェナは切り返した。
「ルーラーなるクラスから、公式に聖杯戦争の開催の直達があったのだ。まさかこれを見逃す愚鈍な輩は、よもやいるまい」
「だろうねぇ」
「当然、<新宿>での戦いが激化する事は想像に難くない。今のお前の地位は、<新宿>の戦いを勝ち抜く上で有利に働くかも知れないそれだ。
業務を放棄して、そうそうに捨てて良い役割(ロール)ではない。それは解っているだろうが、どちらにせよ警戒しておけ」
「了解っと」
タバコを一本、吸い終え、ガラスの灰皿の上に突き立てながら、結城は返した。
如何にも適当そうな立ち居振る舞いだが、自身をエリートと公言するように、結城は恐ろしく頭のキレる男だ。ジェナの言葉を適当に流しなどいなかった。
「今日の予定は告げておけ、マスター」
「ハハハ、その言い方。何か役に立たない部下の動向を予め聞いて置きたい上司みたいだぜ」
「お前にはジョークの才能がない。さぞやあの神父も、愛想笑いに疲れた事だろうな」
最早ジェナには、さっさと話せ、とせかす事すらも億劫になり掛けていた。
彼女の心境の変化を読み始めた結城が、はいはい、と口にしながら、二本目の煙草に手を伸ばした。
「一昨日話しただろう? 僕の新しい融資先の話。其処に向うのさ」
「下らぬ芸能プロダクションの事だろう?」
「全くだよ、下らな過ぎて足を運ぶのもウンザリする。うちの銀行のヒラがやってるみたいな飛び込みの営業の方が、まだマシってもんさ」
「其処まで言うか」
タバコを口元にまで持って行き、紫煙をダラしなく吐き散らしながら、結城は言葉を続ける。
「美城とか言う女と融資交渉をしに行った時も、アイドルと言うか、所属してた奴らの顔を見て来たよ。笑っちゃうよ、小学生までいると来た。ガキの頃からアイドル活動何てしてたら、ロクな大人にならないぜ」
「お前のようにか?」
「随分と辛く当たるねぇ、キャスター」
キャスターの嫌味など、何処吹く風。痛痒すら、感じていない様子であった。
「それで、話を戻すけどさ。此処までの流れから凡そ解ると思うけど、僕はその芸能プロダクション……346プロって言うんだが、其処に視察に赴く事になってるんだ。一応融資先の様子を具に観察するのも、僕らの仕事だからね」
「346プロ……?」
まるで、家を出てから一時間程経過して、ふと、何かを忘れたのではないかと思い立ったような声音で、ジェナが言った。彼女にしては珍しい声のトーンだった。
その引っ掛かりの正体が何なのか確認する為、彼女は、部屋に置かれた端末状の装置に近付いて行き、慣れた手つきでそれを動かす。
端末に取り付けられた液晶画面に流れる文字。それを見て、得心した様にジェナが首を肯じた。「成程」、彼女は納得の様子を口にする。
「一人で納得しないでくれないかな」
「単刀直入に言おう、そのプロダクションにチューナーがいる」
「ワオ」
軽く驚いた様子を結城は見せる。自身の引き当てたサーヴァントが、<新宿>中に悪魔化ウィルス感染者……つまり、チューナーの事だが、これを撒いている事は知っていた。
だがそれも、<新宿>で活動している人間の総数を分母にして割り算すれば、ほんの微々たる総数に過ぎない。
これは、ジェナの、少数の優れた悪魔達のみをチューナーとして生かす事を許し、それ以外の雑魚悪魔はその場で処分する、と言う方針に基づいていた。
その方針がなかったらきっと、現在<新宿>で活動しているチューナーの数は倍増していた事だろう。
そんな現実を知っている結城だから、驚いていた。まさかチューナーが、融資先に所属しているなど、偶然にしては出来過ぎていた。
「もっと早くに、融資先の名前を言っておいた方が良かったかな? 君には興味がないだろうと思ってさ」
「気にするな。元々チューナーの管理をする気のない私に落ち度がある」
「する気がない、何だね」
悪辣な笑みが、結城の顔に刻まれた。銀行マンと言うよりは寧ろ、前科を重ねに重ね、それでもなお反省をしない生粋の犯罪者の貌だった。
対するジェナも、微笑みで返した。人を殺して喰ったような、そんな笑み。実際に、何百人もの人間をそうして喰らい尽くして来たのだから、始末に負えない。彼女こそは現代の、ソニー・ビーンであった。
「元々貴様も私も、この街が――世界がどうなろうが、知った事ではないだろう。今更な事を言うな」
「ハハ、ごめんごめん」
「今言った様な事もチューナー放任の理由でもあるが、それ以上に、職や年齢、住まいに纏まりもない、アトランダムにNPCをチューナーにしているのだ。これらを纏め上げるのは、限度と言うものが有る」
チューナーに選んだ人間達は、ジェナの言う通り何から何までバラバラだった。
性別を筆頭に、身長、年齢、人種等々、全てが全て、これと言った共通項を持たない。
ジェナが、素質があると睨んだNPCをチューナーを、選んでいるのだ。素質は性別や年齢を選ばない。上は八十を過ぎた老人、下は小学生の子供までいる。
これらだけなら、ジェナが保有するカリスマスキルで無理やり率いる事も出来るが、ある理由からこれは出来ずにいた。
住所の問題である。当たり前だが、ジェナがチューナーに選んだNPC全てが、同じところに住んでいる訳ではない。全員が全員てんでバラバラの所に住み、
NPCによっては区外も区外、埼玉や神奈川を住まいとしている者もいる。ジェナ・エンジェルと言う人物がチューナーの数だけ存在出来るのならばまだしも、そんな事は出来ない。
だからこそ、放任と言う選択を採らざるを得なくなる。ジェナとて、全てのチューナーを管理下に置いた方が良い事は百も承知だが、地理的、距離的問題から、それを出来ずにいるのだった。
「まぁ、キャスターの意図する所は理解した」
二本目の紙タバコを灰皿に押し付けながら、結城は腕時計に軽く目線をやった。
時刻は七時四十五分を回ろうとしていた。職場の近くの賃貸マンションを借りた為に、まだまだジェナと話すだけの時間的余裕はある。
「ところで、僕として知りたい情報は、誰がチューナーか、何だけどな。スタッフかい? それとも、歌手か、俳優?」
「貴様が嫌悪して已まないアイドルさ」
「な〜るほど、近付きたくもないし視界に入れたくもない」
冗談めかして言う結城だったが、その黒く粘ついた瞳の奥底には、冷ややかな輝きがあった。
此処<新宿>に来る前も、何人もの女を冷淡を通り越して、冷酷とも言える程物扱いしてきた彼だからこそ放てる、凍て付いた眼光だった。
「名前は宮本フレデリカ。名前からも凡その察しは付くだろうが、混血だ。後藤君の調べでは、母親の方がフランス人らしい」
「ハーフか。あのプロダクションには外人も多かったからな。まぁ、フランス人ならば、ある程度は絞り込めるかな」
「この検体は、変身前の人間と変身後の悪魔に全く関連性がない事をお前にも解りやすく伝えられる良いケースだ。つまり、変身前の人間が強かろうが弱い悪魔にもなり得るし、その逆も然り、と言う事さ」
「で、強いのかい。この、フレデリカって言う女が変身する悪魔はさ」
「生前私が確認して来た悪魔のデータには無い存在だったが、確信を持って言える。高位の悪魔であると、な」
「成程ね。差支えなければ、その変身出来る悪魔の名前をお聞かせ願いたいんだが?」
結城としても、聞いて置きたい事柄だった。
ジェナの口から聞かされる、悪魔化ウィルスと言う作成物と、それによって得られる果実は、聞くだけで興味がたえない。
そして、チューナーが変身すると言う実際の現場を一度たりとも見た事がないと言う事実がより、結城の興味に拍車をかける。
と言うのも悪魔に初めて変身する際と言うのは高い確率で暴走を引き起こす可能性が高く、自分がその場に立ち会っていない時に絶対に見てはならない、
とジェナから厳重に注意されていた。暴走の余波で殺される可能性が高いからだ。この事実を語る時にジェナの真面目な口ぶりを、結城は重く受け止めている。
別段死ぬのは怖くないが、確かに、自分の引き当てたサーヴァントが作り上げたチューナーに殺されるなど、結城でも御免だった。
御免ではあるが、やはり怖い物見たさと言うものは確かにある。が、その怖いものをジェナは見せてくれない。だから仕方なく、その悪魔の情報を知る事で、溜飲を下げようとしていた。
「フレデリカと言う検体は、<新宿>のNPCを用いて作ったチューナー群の中で、特に抜きん出た強さを得るに至った」
其処で、一息程吐いてから、ジェナは続けた。
「――その悪魔の名前は――」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
パタン、と、黒光りするノートパソコンを閉じてから、一口。ムスカはカップに注がれたコーヒーを口元へ運んだ。
挽き立ての豆を使ったそれはとても馥郁たる香りを放っており、此処に、砂糖をほんの一つまみアクセント代わりに入れ込むのが、ムスカ流であった。
役割上ムスカは、嘗て<魔震>により壊滅的打撃を受けた<新宿>の調査を行う、某国の諜報員と言う事になっている。
何でも各国の軍部や研究機関は、<魔震>を研究し、それを軍事兵器に転用或いはエネルギー問題を解決させる重要な足がかりにしたい、と言う者がいるのだそうだ。
東京は世界でも類を見ない程スパイの潜伏数が多いと言うが、こと<新宿>を根城にする諜報員に関しては、ただの産業スパイなどとは一線を画するのだ。
ムスカは確かに諜報員であるが、その制約は驚く程緩い。定期的にやってくる本国の連絡員或いは、パソコンから送られてくるデータを確認するだけなのだ。
これではスパイと言うよりは単なる、金を持て余した富裕層の道楽と言った感は否めない。しかし、職務でガチガチに拘束されるよりも、動き易いと言うのは事実。
聖杯戦争の参加者として。偉大なる白貌の帝王の下で奔走するマスターとして。これ以上と軽やかなフットワークを行える役割はなかった。
国防に関わる組織、特に軍部であるが、此処では一般国民や諸外国向けに発表出来る研究と、そうでない研究が存在する。
どれだけ情報の開示権を国民が行使しようとも、絶対に表には発表出来ないしするつもりもない研究。
それは非人道的な実験や研究と言う訳ではなく、国防国益に関わる最先端の研究と言うべきものだ。軍部や国家機関では、そう言った物が研究され、
そう言った組織に関わる公務員達に真っ先にその最先端技術で拵えられた物品が、実験代わりに配られたりするものである。
今ムスカが使っているノートパソコンにしてもそうだ。諜報機関向けに作られたこれは、祖国――この世界での、だ――に報告或いは報告を受ける時のみ自動で、
彼が今いる国のプロバイダーを経ずにネット環境に繋げるモードに変更。如何なる方法でも、ムスカ個人を特定する事が不可能になる。
またそれだけでなく、祖国から報告をしたり連絡を受けとる時に使われる超プライベートコンピューターは、疑似的なカオス理論で構築されたプログラム故に、
外部からの侵入は現代の技術ではほぼ不可能。パスワードを解読し真正面から入ろうにも、パスワードは耐えず流動的に変動している為それも出来ない。
このプライベートルームに入るには、何と常にパスワードページが自動かつ秘密裏に行っている『虹彩認証』をクリアせねばならないのだ。
これをクリアする事で初めて、本国の諜報機関と連絡が取れる訳なのだが……これが全く使われない為に、今の今までムスカは存在自体を忘れていた。
それが、今になって急に使われ始めた。
プライベートコンピューターに入ってみると、ムスカに送られた連絡は何て事はない。
<新宿>で暴れ回ったとされる、あの黒礼服の殺人鬼の詳細が解ったら本国に連絡しろ、と言うのだ。
如何も諜報部はあれを、日本やアメリカに匹敵する先進国のバイオテクノロジーの薫陶を受けたテロリストなのではないか、と疑っているのだ。
無理もない、あの殺人の手際を見せられれば、そうも思いたくもなる。だが実際には、それは違うのだ。あの黒礼服の男は、聖杯戦争に参加しているサーヴァント。
遠坂凛と呼ばれる女子高生が召喚した、狂戦士なのだ。真実はまさにこの通りだが、これを言った所でムスカの正気を疑われるだけだ。当然報告もしなかったし、そもそもする気も起きない。
「ふん、ランスローめ。そうとう出世と保身に必死と見える」
コーヒーを飲み終えてから、ムスカは忌々しげにそう呟いた。
ランスロー。フルネームをシン・ランスローと呼ぶこの男は、この世界におけるムスカの上司に当たる人物だ。
階級は准将。元居た世界でのムスカの階級より上である。ランスローは国益は当然の事、それ以上の自身の出世と安寧たる地位を固める事に躍起になっている人物だ。
有能である事は間違いないが、ムスカとは馬が合わない。ムスカ本人は否定する所だろうが、彼自身も同じような性格だからだ。これでは性格が合う訳がない。
ランスローは何としても黒礼服のバーサーカーの情報が欲しいらしく、<新宿>を担当するムスカに、その情報の収集を緊急かつ別件の任務と言う形で連絡してきたのである。
無論、ムスカとしてはその収集は聖杯戦争の参加者として行うべきものであるが、ランスローに報告するつもりなど毛頭なかった。
ムスカと、彼が引き当てたキャスターのサーヴァント、タイタス一世の聖杯戦争は、思わぬ横槍を入れられ、本来意図していたそれから逸脱してしまう事になる。
ムスカが、一世の生み出した骨董品や戯曲の類を<新宿>に流布するだけでなく、メディア等を通じてアルケア帝国の想念を蓄積させると言う作戦。
それは、キャスターの真の領地である、帝国の首都アーガデウムの顕現と言う王手まであと一歩の所で、難航を極めてしまっていた。
アーガデウムの顕現には、NPCが夢を見ると言うプロセスを経る事が大前提になるのだが、何者かが、<新宿>のNPC達に細工を施した結果、NPCが夢を見なくなり、
アーガデウムの顕現が予定より遅滞してしまったのである。現在ムスカは、そのフォローとリカバリーの為に、動かざるを得ないと言う訳だ。
まさかこんな早く、一世の神算鬼謀が露見したと言う事はあるまい。そう願いたかった。
ムスカも一世も、下手人は狙って一世の計画を邪魔したのではなく、向こうが目指す目的の過程と、此方の目指す目的の過程が、不運にも噛み合っただけだと、
思っているのだ。何れにせよ、そのサーヴァントはムスカ達にとって目下最大の敵であり、撃ち滅ぼされるべき存在だった。
聖杯戦争開始前に行っていたあのメディア戦略と並行して、一世の目となり耳となり<新宿>の情報を知悉し、彼に報告する事が現在のムスカの任務。
その一環として、今日ムスカは、在る場所に赴かなくてはならない。346プロ本社……今ムスカが贔屓にしている芸能プロダクションである。
言い換えれば、宝具・『廃都物語』を広く流布させる為の広告塔だ。その大事な広告塔が今日、大規模なライブを行う事になっている。
その打ち合わせに、ムスカは立ち会おうと言うのだ。他に重要な仕事は多いが、それと同じ程に、今回のライブも重要である。
「……頃合いか」
腕時計を確認してから、出かけの準備を行うムスカ。無論行き先は、346プロだ。
行きがけに、テレビの電源を彼は入れた。秘密裏に戦闘を行う事が鉄則の聖杯戦争で、まだ朝の八時すら回ってないこの時間帯に、サーヴァント同士の戦闘が近代メディアの俎上に上がるとは思えないが、一応、だ。
「それでは、次のニュースです。EUの社交界に衝撃が走っています。先日発表されました、イギリスのテオル公爵と日系人女性のカナエ・淡・アマツさんとの電撃結婚の――」
其処でムスカは、液晶テレビの電源を落とした。どうでも良いニュースだったからである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
本来ならば結城は、八時前に出社した後、中身も何もあったもんじゃない朝礼を済ませた後、前日に仕上げた諸々の書類を確認。
訪問先である346プロへの準備を三十分程度で仕上げた後に、其処に向かう予定であった。到着時刻は凡そ、九時かそこらだ。
だが現実は、予定時刻を大幅にオーバーして、九時半の到着となってしまった。時間にルーズな社会人は、何処でも嫌われる。
いくら結城の内面は悪辣と言う言葉でもなお足りない程醜悪なそれであったとしても、ビジネスマンとしての仮面を被っている時は、弁えるべき所は弁えるのだ。
それなのに、此処まで遅刻をしてしまった理由は、一つ。<新宿>二丁目周辺で大暴れを繰り広げたと言うサーヴァントのせいだ。
移動しながらスマートフォンで、事の詳細を調べてみると――詳しい情報が載っているとは思えない――、異形の右腕を持った少年が、外国人女性を抱き抱えがら、
突如<新宿>二丁目の交差点の前に出現。それを追うように、馬に騎乗したアングロサクソン系の外人が二名追随。
彼らと、何処からか現れた、頭に鉢巻を巻いた槍を持つ成人男性が交戦――其処からの詳細は、不明だった。
交差点周辺で巻き起こる、地獄から丸々持って来たのではと言わんばかりの灼熱と業火のせいで、現場まで中々レポーター達が入り込めなかったせいだ。
メディアから確認出来る情報はこれまでだが、TwitteやGALAXを筆頭としたSNS、Aちゃんねると言った巨大掲示板からだと、違う。
良く言えば度胸のある、悪く言えば目立ちたがりで命知らずの馬鹿が、身体を張って戦闘の模様を撮影してくれていたのだ。
此処が、組織だって動かねばならないメディアの情報提供力と、確証性や信憑性こそ薄いが個人と言うフットワークの軽さを活かしたアマチュアの情報提供力の差だった。
撮影者の腕の震えがダイレクトに伝わる、撮影された映像を確認した。まるで昔話の中に登場する鬼か何かかと見紛う、巨大な怪物が、炎を吐いて暴れ回っていたのだ。
何処の馬の骨かは解らないが、よく撮影出来た物だと結城も呆れてしまう。この化物の大立ち回りを撮影出来てなお生き残れていると言う事実。一生分の運を使い果たしたのではないだろうか。
間違いなくサーヴァント同士の交戦だろう。
独断と偏見から考えるに、鬼の方はバーサーカー、槍を持った方はランサーなのだろうが、帽子を被った男の方は、全く予想が出来ない。
この三者が暴れに暴れまくったせいで、交通機関に大幅な遅滞が生じていた。自動車の渋滞によってバスやタクシーも足止めを喰らい、<新宿>二丁目周辺の交通網は、
今や完全に麻痺しているに等しい状態だった。その頃には既に結城はバスに乗車している状態で、丁度渋滞に足止めを喰う形になってしまった。
亀のような運行速度でやっと一つ目の停留所に到着した結城は、このままでは埒が明かないと思い、電車で移動する事を決意。急な交通機関の変更。これが、結城が遅刻した理由であった。
移動の最中、ジェナが電話経由で連絡を入れて来た。向こうも、パソコンやらテレビ、はたまた別の情報網を使って、サーヴァント同士の大規模な戦闘を知り得ていたらしい。
電話の内容は当然、サーヴァント同士の戦いに巻き込まれてなかったのかと言う確認だったが、無事を告げると、「悪運の強い奴だ」、と。
心配していたのか否か解らないいつもの口調にジェナは戻っていた。そしてすぐに、「危険だからあのサーヴァント達が誰だったのかの確認に首を突っ込むな」、
と釘を打たれた。尤も結城としては、そんな事する気が起きない。動画を断片的に見ただけだから何とも言えないが、あんなのを調査する等、命が幾つあっても足りた物ではないからだ。
――話を元に戻す。
遅れに遅れた結城が、346プロのオフィスビルで美城と顔を合わせ、先ず行った事は、遅刻に対しての謝罪だ。
予め遅れると言う連絡を入れてはいたが、それとは別に謝る必要があるのだ。美城も、結城が遅れたのは已むに已まれぬ天災に等しい事柄だと既に理解していたか。
特に彼を責めるでもなく、一言二言の労いの言葉の後、直に本題に移った。
本題とは即ち、346プロの各芸能部門等の様子確認である。
こう言った芸能界の事情は結城にとっては畑が違うにも程がある故に、彼らの活動風景を見た所で、本当ならば意味はない。
融資交渉の際に美城が行ったプレゼンで全ては完結している。――と、言ってもだ、それはそれ、である。
やはり三億もの大金を融資する以上は、それなりに慎重にならざるを得ないのだ。如何に346プロが大手の会社だと言っても、だ。
……尤も、聖杯戦争の参加者である結城にとって、NPCが舵を取るメガバンクや、NPCが重役を務める芸能プロダクションの事情など、如何でも良い。
三億をポンと貸す事に簡単に同意した最も大きな理由がこれだ。じきに死ぬ人間である結城にとって、融資云々の話など知った事ではないのだ。だから、適当に済ませてしまったのである。
「それでは本日は、主にアイドル部門の仕事ぶりを視察する、と言う方向性で宜しいでしょうか?」
と、訊ねるのは美城である。場所は346プロのオフィスビルの応接間だ。ガラスのテーブルを挟んだ向かいのソファに、美城は座っていた。
訊ねられた事柄について、特に結城の方から異議はない。「それで結構です」、と彼が答えると、直に美城は、「では、別館の方へとご案内させて頂きます」と口にしながらソファから立ち上がる。
表面上はつとめて冷静そうに振る舞っているが、如何にも結城から見て、美城は焦っていると言うか、急いでいる風に見える。
ビジネスの場に関しては単刀直入さを好む傾向が強い事は、先の融資交渉で結城も把握していたが、今日に限ってはかなりキビキビとしていた。
無理もない、これは今日になって結城も知った事であるが、今日346プロのアイドル部門は、部門の存続が掛かっていると言っても過言ではない大舞台に立つ事になっているのだ。
つまりは、野外ライブである。魔震から<新宿>が完全復興してから丁度二十年が経過、『嘗ての悲愴さを吹き飛ばす程明るく、そして同時に被災者を偲ぶような荘厳さを』、
と言う御題目をコンセプトにしたこのライブは、大手プロダクションや各民放、芸能新聞の記者等の耳目が集まる事が既に確定しており、注目されているイベントだった。
346プロが主導するこのイベントには、上に上げたコンセプトも重要だが、其処には美城の、自社のアイドルを世間に強くアピールさせると言う怜悧な計算も、当然含まれていた。
美城は、このイベントを特等席から結城に見させる事で、自分達の実力を見せつけようと踏んでいるらしいのだ。
「随分な自信がおありだなこのお局様はよ」、と思わないでもない結城だったが、そっちの方針の方が、芸能プロダクションらしくて面白いではないか。
長々だらだらと、主力アイドルの自己紹介をされたり、練習風景を見せられるよりは、よっぽど面白いし、実力を見せつけると言う点でも理に叶っている。
この辺りのプロモーション能力は、流石芸能プロダクションの中で高い位置に存在する人物、と言えるだろう。
「ところで、美城様」
所謂、芸能人が練習、活動している離れの棟に移動する傍ら、結城が、世間話のつもりで話し始めた。
「何でしょうか」
「今日のライブについてですが、346プロは数多くのアイドルグループを、擁しているのでしょう」
「そうです。尤も、アイドルグループと言いましても、メンバーによっては他のグループを掛け持ちしている者もいるのですが……。無論これは、此方の戦略です」
「成程、掛け持ちしたメンバーのファンが増えれば、自動的に他のグループにもそのファンが流れる、と。その目測は今のところは?」
「数値の面から見ても、良好な結果を残せています」
「優れた戦略を立てる力をお持ちのようで。それでですが、今回のライブは貴社からしましても、絶対に失敗は許されないイベントと私は見たのですが、当然、今回参加するグループは皆、虎の子と言う事で間違いないのですか?」
「その認識で間違いはありません。ただ今回のイベントは、私の意向で全てが決まると言う訳でなく、私を含めためいめいのプロデューサーが担当する肝入りのグループも参加する事になっています」
結城は今の美城の一言で、本当ならば自分が推しているグループだけでイベントを仕切りたかった、と言う思いを感じ取った。
如何やら相当なワンマン気質であるらしいし、自分なりの強い軸を持っているらしかった。
「美城様の担当されているグループのお名前は?」
「プロジェクトクローネです。今回のコンセプト、『明るく、そして荘厳さを』、というコンセプトの後者の部分に相当するグループです」
「成程。ではそのグループが、今回の主役、と言う事で?」
其処まで言うと、鉄面皮とも言うべき美城の表情が、苦虫を噛み潰したような渋いそれへと変貌する。
「……本日の主役がそのグループのメンバーの一人である、と言う事実を鑑みれば、今回の主役、と言う言い方に嘘はないでしょうね」
「おや、随分持って回った言い方ですな」
「私としても、346としても、本来想定『していた』主役のグループは、間違いなくこのクローネでした。ですが何時だって、芸能人と言う生き物を人気と言う形で定義づけ、形作るのは、ファンや聴衆と言った存在なのです」
「ははぁ。つまり、ライブに赴くファンとしては、メインディッシュは別にある、と」
「そうなります」
とどのつまり美城が言っているのは、此方が意図した今回のイベントの主役と、実際ファンが捉えている今回のイベントの主役に、乖離が起こっていると言う事だ。
当たり前だが、芸能界程人気商売と言う言葉が当てはまる業界はない。基本的にファンは丁重に扱うべき存在だ、余程理不尽な欲求でない限りは、
プロダクションや芸能人はその意向にある程度従わねばならない。主役の逆転位は、受け入れなければならないのだろう。それが堪らなく、美城には悔しいらしいが、その悔しがり方が、結城には尋常ではないように映っていた。
「それで、ファンが捉える今回の主役とは一体誰なのでしょう?」
「『宮本フレデリカ』、と言うアイドルです」
「ほう、フレデリカさん」
内心で結城が驚いた事は言うまでもない。今朝方ジェナから知らされたチューナーの一人であり、特に強い悪魔に変身出来ると言うハーフの女であったからだ。
「元々はクローネのメンバーの一人だったのですが、此処最近、特に彼女が抜きん出て人気を獲得するようになって……。その事実を、彼女のプロデューサーが上に熱意を込めて主張し……イベントの最後に、ソロで持ち歌を複数歌う、と言う運びになったのです」
「私には余り想像が出来ませんが……、彼女は元々、そのクローネと言うメンバーの一員だったのでしょう? ある日突然彼女だけが、突出した人気を得ると言うのは……」
「そう、考えられません。ですがこれが事実なのです」
「原因の方は?」
結城がそう訊ねた瞬間、極限まで不快そうな表情をして、吐き捨てるように美城は言った。
「……此処最近、346プロのアイドル達に、フレデリカの担当プロデューサーを経由して取り入ろうとしている男がいるのです」
「……かなり下品で、下衆な考えである事を承知で言わせて貰いますが、かなり下心が見え透いた人のようですな」
「全くです」
考える所は、美城としても結城と同じであるらしい。
と言うよりは誰だって、同じ帰結に行き着くに違いないだろう。誰がどう見たってその男は、アイドルを食い物にして自らの汚れた欲求を満たしたい人間である以外、見られまい。
「私にはその男とフレデリカさんの人気の相関性が見えないのですが、一体どんな関係が?」
「簡単に言えば、メロディや詩の提供です。今フレデリカは、その男から供給されるメロディや詩を駆使して新曲を出しているのですが……これが予想以上にヒットしてしまいまして」
「それを流用しているのですか? お堅い346プロの事、そう言った外部からのアイデア提供は、一笑に付すものかと思っていましたが」
「普通であれば門前払いです。ですが……」
「……ですが?」
余程、言いたくないらしいのか。結城の目には美城が、言葉が喉元までせり上がっていると言うのに、中々それを吐き出せずにいるように見えた。
口にするのもストレスらしい。今にも耳や鼻の孔から、怒りの余り血でも噴き出んばかりだ。
「……優れているのですよ。その、提供される詩やメロディが」
その一言を口にするのに、三十分も掛かったみたいな重苦しい様子で、美城は言った。
結城は何となくであるが、何故アイドルに取り入って来たその男を、彼女が蜥蜴の如く嫌っているのか。その理由が大体掴めた。
要するに、只でさえ本心の読み取れないその胡散臭い男が気に入らないと言うのに、素性の知らぬそんな男が素晴らしいアイデアを此方に持ち込み、
事実それが功を奏している、と言う事実が受け入れ難いのである。話を聞くに、その男は346プロの正規の登用プロセスを受けた社員でもなければ、
その下請けの人間でも上役とコネで繋がった人間ですらない。本当に外部の住民なのだ。
美城の心情も、解らないでもない。彼女からしたら面白くも何ともないだろう。業界の関係者どころかアマチュアですらない素人の提供したメロディや歌詞が、
会社の庇護下にあるアイドルに歌われ、それがヒットを飛ばされるなど。プロとしての矜持を持っている人間ならば、誰だって眉を顰めてしまうだろう。
――ただのNPCとは思えんな――
美城の話した男の話を聞き、結城が先ず思った事はそれだった。
NPCと聖杯戦争の参加者の最大の違いは、日常に沿った動きをしているのか、それとも聖杯戦争に沿った動きをしているのか、と言う事だ。
九割九分九厘のNPCは、聖杯戦争の存在を知らないし、存在しているとすら思わない。彼らにとって神秘の類など、ないものなのだ。
故に、神秘や魔術の事を説明しても、信じるまい。だから彼らは、普段通りの日常に従事する事になる。
だが、ジェナの助手となっている後藤の例を見れば解る通り、聖杯戦争の参加者達が直接NPCにコンタクトを取る事により、彼らの間にいわば『バグ』が発生する。
そのバグとは即ち、聖杯戦争についての認識、或いは、神秘に類する力の獲得である。そのバグの発生したNPCは、高い確率で、元の日常に戻らない。
と言うよりは、戻れないと言うべきか。これもジェナに纏わるケースを見れば明らかだが、例えば悪魔化ウィルスを注入されてチューナーになったNPCは、
強烈な餓えや、悪魔の強大な力に酔いしれ、暴れる傾向にある事からも、戻れないと言う表現はある意味的を射ている。
フレデリカに接触した件の男の行動は、明らかに正常なNPCの活動とは言い難いものがある。
彼が聖杯戦争の参加者そのものなのか、或いは彼らにかどわかされたNPCなのか。それは結城にも解らない。
だがどちらにしても、警戒して然るべき存在である。自身のサーヴァントがジェナと言うキャスターだからこそ解るが、サーヴァントの中には、
NPCを手駒に変容させて扱うと言う者もいるのだ。戦闘力もなく、況してや余命いくばくもない結城では、最悪殺される可能性が高い。慎重に、事を見極める必要があるのだった。
美城と話しながら歩いている内に、別館の方へとたどり着いた。
此方の方は専ら、アイドルや歌手、俳優達の歌唱、演技の練習用、或いは憩いの場として使われる為の場であるらしい。
芸能プロダクションである以上、芸能人と会社の従業員が活動する場所を厳密に区切る必要があるのだ。
それを建物単位で分けるとは、346プロの資産の潤沢さ、と言うものが窺い知れると言うものだろう。
「今はライブ本番に向けて、参加アイドルの殆どが、めいめいの過ごし方をしていますので、結城様が見たい、と思われているだろうアイドルの練習風景は、見れない可能性があるかもしれません」
「おや、本番までもう十時間を大きく切っていると言うのに、最後の予行のような物をしないのですか」
「無論、しているグループもいるでしょう。ですが彼女らは本番に向けて、前日所か開催の遥か前から入念なリハーサルを行っています。
開催前の最後の数時間を、練習に当てるグループもあれば、極度の緊張を紛らわす為にリラックスして過ごすアイドルも、珍しくありません」
「成程、此処までスタートが近付いてしまえば、練習よりも気の持ちようの方が重要と考える娘も多い、と」
「その通りです」
「まぁ私としては……そうですね。美城様が先程口にしていた、宮本フレデリカ、と言う娘を見てみたいですね」
「……フレデリカですか。初めに申しておきますが、彼女はその……かなりのマイペースでして……、結城様の機嫌を損ねないかどうか……」
「彼女はその」、の部分で随分と美城は、次に続ける言葉を考えていた。
肯定的な意味でのマイペースと言う訳ではないのは、ニュアンスから察する事が出来る。
チューナーになる前のフレデリカは、結構な問題児か、美城にとっての頭痛の種か何かであったのだろう。
「いえいえ、問題はありません」
「そ、そうですか。それでは、中の方をご案内――」
其処まで言った時であった。
背後から明白に、美城を呼ぶ男の声が聞こえて来たのは。美城がその方向に顔を振り向かせるのと同時に、結城もつられてその方向に身体を向けてしまう。
果たして、其処には一人の西欧系の男性がいた。ネクタイ代わりにリボンを首元に巻き、濃いブラウンのスーツを身に纏った、一目見て紳士と解る男であった。
かけた眼鏡の奥の瞳に宿る光が知性的なこの男は、そう。ムスカその人であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ムスカもまた、予定の時刻を大幅にオーバーして、346プロに到着した一人だった。
いざホテルから出よう、と言う段になり、フロントに設置された大型の液晶テレビが流していた、緊急速報。
それに、目が止まったのである。そして同時に、驚愕の表情も浮かべた。当たり前だ、こんな早々に、大規模と言うべきサーヴァント同士の抗争が、
テレビで放映されていたのだから。すぐにムスカは、ホテル地下のタイタス帝の拠点に赴き、これを報告。
事態を重く見たのは、ムスカよりもタイタスだった。タイタスはキャスタークラスとしては破格とも言うべきステータスと、近接戦闘能力の技量を持つ。
故に、相手の実力次第であるとは言え、中途半端な強さの三騎士程度なら、軽くあしらう事がタイタスは可能である。
但し、複数人で襲い掛かられた場合は、話は別になる。況してタイタスのクラスはキャスター。キャスターの陣地や拠点程、残しておいて得のないものはない。
同盟を組んで叩かれる可能性も高いし、タイタスがこれから行おうとしている目的が知られた場合、真っ先に叩かれる可能性があるとすら予測していた。
無論、露見しないように十重二十重の対策は練っているし、アーガデウム顕現の為にムスカ自身を積極的に動かしてもいる。
後は順調に時間が過ぎるのを待つだけ、なのだが、早々に此処まで派手な戦闘が起きたとなると、最早悠長に時間が過ぎるのを待つ、と言う事は出来ない。
最早平等に、戦塵と戦火が降り注ぐ可能性があるのだと言う事を把握、理解したタイタス帝は、今までムスカには働いて貰いつつ、拠点の防御力を向上させる事を決意。
そして同時に、タイタスから離れて一人で行動する事が多いムスカをサーヴァントの害意から守るべく、タイタスはある『魔将』にムスカの護衛を命じた。
このお膳立てに、時間が掛かった。何せその魔将はナムリスとは違い、まだ現世に呼び寄せていない存在であったからだ。『彼』を<新宿>に呼び寄せるのに、一時間ほどの時間が経ってしまった。
現在ムスカから離れた所から、その魔将は彼の動向を逐次見守っている。
その存在は、生前のタイタスと関わりを持っていた魔将の中では最も強い者であり、始祖帝が王位を獲得する遥か以前から彼に従って来た親友にして忠臣。
そして、世界中の英雄譚や神話の中に語られているような、竜殺しを成し遂げた英雄でもある。
それ故に気位が高く、気難しい性格の為、滅多にムスカの方に自発的にコミュニケーションを取ろうとしない。
どこか見えない所から、ムスカの事は見ている。少なくとも、美城や結城からは見えない所で。
「これはこれは、ムスカさん」
と言って美城は、気難しそうな顔つきを、営業用のスマイルに即座に返事させて、ムスカと呼ばれた男に声を掛けた。
あれだけオフィスビルでは嫌悪の念を示していたのに、実際に顔を合わせるとなると、業務用の笑みの刻まれた仮面を被る。やはり、この女性は中々の食わせ物らしい。
「結城様、此方が先程話された……」
「あぁ、この方が」
心中で結城は、この言葉の後、「アイドルを食い物にしようとしてる変態か」と続けた事は、言うまでもない。
「美城さん、そちらの紳士は、何方ですかな?」
と言ってムスカが、結城の方に目線を投げ掛けた。瞳の奥で、此方を疑うような光が静かに輝いている。ただの馬鹿ではないらしいと、結城は察した。
「此方は、我が346プロに新たに資金を融資して下さる、結城美知夫様です」
「結城です。評判の方は、美城様から伺っております。優れた作詞と作曲活動をなさる、と」
「ははは、齧った程度の文学と、道楽で世界中を旅した経験が、首の皮一枚で繋がっただけですよ」
美城の目には、さぞや厭味ったらしい謙遜に映った事であろう。
だが、ムスカとしては、自分が作詞作曲した……と『される』、アルケア帝国についての詩歌の事を聞かれる度に、ハラハラするのである。
そもそも、フレデリカに提供される歌詞の全ては、タイタス一世が手ずから仕上げた物なのである。
一世はそもそも、大帝国を裸一貫、徒手空拳で創り上げた建国者にして大王であると同時に、人間に様々な技術や文明を与えた文化英雄としての側面も持つ。
その文化の中には、文学や音楽と言ったものも含まれており、彼はそう言った詩歌を紡ぐ才能にも優れていたらしく、白く輝く毛並みを持った美しい白鹿を、
素晴らしい笛の音で油断させきった所を、首を刎ねて殺したと言う伝承すらある程だ。
ムスカが、メディアを通じてアーガデウム顕現の布石を打つと上奏した時、タイタスは自ら、アイドルに歌わせる歌を作詞作曲し、
これをムスカに下賜したのである。346プロの面々は、フレデリカが歌っている歌は、ムスカが考えた物だと誤認しているのだが、実際にはその大本は一世なのだ。
346プロの関係者に何時、「即興で作詞作曲してみて下さい」と言われるか、内心でムスカはかなりドキドキしていた。
出来る訳がない。文学の才能や世界中を旅した経験があると言う事実はある程度は本当だが、文学を作る才能ともなると、ムスカは門外漢の人物だ。
要するに、タイタスが作った詩歌を自分が作ったと主張しているのだ。その才能を今此処で示して見せろと、今の今まで問われなかった事自体が、不思議でならない。
「ところで、結城さんは346プロダクション様に融資をされた、と言うらしいですが……」
「346プロダクション様程の資産とその運用能力、お客様である美城様の経営ヴィジョンが素晴らしい物だった、と言うのもそうですが……。若い女の子の夢を叶えさせてあげたい、と言うその心意気に口説かれましてね。フフ、ポンと融資してしまいましたよ。おっと、私が助平だとかそう言うのではないですよ?」
「ははは、面白い冗談を言うじゃあないか」
と、実に快活そうな笑みを浮かべるムスカであったが、内心では限りなく目の前の結城と言う男を嘲ると同時に、憐れんでやっていた。
恐らくこのプロダクションは、後数時間のうちに、破産寸前か、倒産にすら追い込まれる程の未曾有の大虐殺に巻き込まれる事を、結城も美城も知らない。
後数時間で、黒礼服のバーサーカーに扮したタイタス十世が、ライブに乱入し、其処に存在する観客やアイドルを殺し尽す事になっているのだ。
そんな事を予測するなど、NPC達は愚か、聖杯戦争参加者でも不可能だろう。そう言った意味で、ムスカは結城の事を憐れんでいた。
今の美城プロは、砂上の楼閣。泥の上に建つレンガの塔だ。何時崩れてもおかしくない状態のそんな企業に大金を融資するとは、何とも間の悪い男であった。
……尤も結城としては、融資した三億円が回収出来ようが出来まいが、如何でも良い事なのだが。そんな心境を、ムスカが読み取れる筈などなく。
「ところで、ムスカ様。フレデリカさん、と言う少女に歌詞等のアイデアを供給していると御伺いしたのですが、一体如何なる理由で?」
「元々私自身、フランスの出でね。彼女の母親は、フランスでも名家の御令嬢で有名なのだよ。最も、フレデリカ嬢の御母上は、私の事など知る由もないだろうが。兎に角、そんな彼女の娘さんが、アイドルとしてデビューしていると言うではないか。同じ国を母とする者として、何かサポートをしてやらねばと思いましてね」
無論これは、全て嘘である。フレデリカと接触する前に、予めムスカが練り上げた嘘八百の作り話だ。
とは言え、整合性も取れているし、何処か引っかかる要素もない。精々疑われる事があるとすれば、フレデリカの助けになりたいのではなく、
フレデリカの母親の名家と繋がりを持ちたいと言う下心のある男、程度であろう。無論それも織り込み済みだ。肝心なのは、聖杯戦争の参加者だと疑われない事。
果たして誰が、今のムスカの口上を聞き、ムスカが聖杯戦争の参加者だと疑えようか。
確かに、並のNPCや参加者であれば、今の嘘で騙し果せたかも知れない。
ムスカにとって最大の誤算があったとすれば、彼がただの金貸しだと思っている結城美知夫がその実、『枕』で政財界にパイプを繋いだ、二重の意味でのやり手であった事だろう。
――後で動かしてみるかな――
結城は頭もキレるし、行動力もある。今のムスカの証言で、彼への疑いが払拭出来ていたかと言えば、全く出来ていない。
結城はムスカをまだ疑っていた。自らの肉体を用いた接待でコネクションを得た、数々の有識者や有力者を動かし、この男の素性を調べる必要がある。
これでもなお、何の疑いもなければ、ムスカは確かに白なのたが……。人並み優れた演技力や、それを看破出来る瞳を持った結城は、高い確率で裏を調べれば、
ムスカなる男が白ではあり得ないだろうと考えていた。この男は現時点では黒とも言い難いが、しかし同時に、完璧な白でもなかった。黒寄りのグレー。それが、今のムスカの立ち位置であった。
「……所で、ムスカ様は今回如何なる御用向きで此方に?」
と、結城が訊ねると
「美城さんからお話を伺っているとは思いますが、私の提供した歌詞を歌ってくれる、フレデリカ嬢が主役になるコンサートなのでね。少し融通を効かせて、特等席で見させて欲しいと言う打診と、諸々の御話しをプロデューサー君に通しておこうと思いましてね」
これについても特に、疑うに足る要素はないだろう。
だが、この男が聖杯戦争に何らかの形で関わっているのではないかと思い始めている結城は、別の事を考えていた。
そもそもこの男は、何が目的で346プロに関わっているのか。ただの利益を掠め取りたいハイエナと言うのであればそれまでだが、直感が、違うのではないかと告げている。
告げてはいるが、それ以上の証拠はない。やはり後で、自分が動かせる有力者から情報を掻き集める必要があるだろう。
「実は私も、融資をした者の特権として、フレデリカさんのライブを特別に見させて貰う事になっているのですよ」
「ほう、それは幸運な!! 私の作った歌詞は、それはそれはお恥ずかしい物ですが、彼女の歌声は、きっと貴方の心にも響くと思いますよ」
「ハハハ、それは楽しみですなぁ」
燃えるような太陽が、純潔そのもののような、雲一つない青空に浮かんでいる。
全ての邪悪や猥雑な下心を灼き祓うようなその光の下で、二人の男は、如何にも紳士然とした態度と立ち居振る舞いで当たり障りのない会話を繰り広げていた。
二人は邪悪だった。腹に小刀を隠し持った曲者だった。自分以外の全てがどうなっても良いと考えている、我儘な子供だった。
この状況の本質が、蛇の格好をした道化が、互いに化かし合っていると言う事実を、まだ、誰も知らない。
【高田馬場、百人町方面(346プロダクション)/1日目 午前9:30】
【結城美知夫@MW】
[状態]いずれ死に至る病
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]銀行員の服装
[道具]
[所持金]とても多い
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争に勝利し、人類の歴史に幕を下ろす。
0.とにかく楽しむ。賀来神父@MWのNPCには自分からは会わない。
1.<新宿>の有力者およびその関係者を誘惑し、情報源とする。
2.銀行で普通に働く。
[備考]
・新宿のあちこちに拠点となる場所を用意しており、マスター・サーヴァントの情報を集めています(場所の詳細は、後続の書き手様にお任せ致します)
・新宿の有力者やその子弟と肉体関係を結び、メッロメロにして情報源として利用しています。(相手の詳細は、後続の書き手様にお任せ致します)
・肉体関係を結んだ相手との夜の関係(相手が男性の場合も)は概ね紳士的に結んでおり、情事中に殺傷したNPCはまだ存在しません。
・遠坂凛の主従とセリュー・ユビキタスの主従が聖杯戦争の参加者だと理解しました。
・346プロダクション(@アイドルマスター シンデレラガールズ)に億の金を融資しました。
・宮本フレデリカがチューナーである事を知っています。
・ムスカと接触、高い確率で彼が聖杯戦争に何らかの形で関わっているのではと疑っています。
【ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ@天空の城ラピュタ】
[状態]得意の絶頂、勝利への絶対的確信
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]普段着
[道具]
[所持金]とても多い
[思考・状況]
基本行動方針:世界の王となる。
0.アルケア帝国の情報を流布し、アーガデウムを完成させる。
1.本日、市ヶ谷方面で行われる生中継の音楽イベントにタイタス十世を突撃させて現場にいる者を皆殺しにし、その様子をライブで新宿に流す。
2.タイタス一世への揺るぎない信頼。だが所詮は道具に過ぎんよ!
[備考]
・美術品、骨董品を売りさばく運動に加え、アイドルのNPC(宮本フレデリカ@アイドルマスター シンデレラガールズ)を利用して歌と踊りによるアルケア幻想の流布を行っています。
・一日目の市ヶ谷方面の何処かで生中継の音楽イベントが行われます。(時間・場所の詳細は、後続の書き手様にお任せ致します)
・遠坂凛の主従とセリュー・ユビキタスの主従が聖杯戦争の参加者だと理解しました。
・結城美知夫とコンタクトを取りました
・黒贄礼太郎に扮させた十世は、後述の魔将に託しています。
・現在ある魔将が、ムスカの近辺防衛を行っています。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
撮影、或いはステージ本番直前の芸能人の過ごし方は様々だ。
時間まで楽屋で眠って過ごす者もいれば、穴が開く程見て来た台本をもう一度確認して見たり、或いはもう全てをやり尽くしたので時間まで身体を休めるなど。
大舞台を控えた歌手や俳優、役者にこそ、その当人の生の姿が拝めると言っても過言ではない。舞台に上がる芸能人は皆、テレビに向けた仮面を被っている。
その仮面を剥いだその下の顔こそが、その芸能人のある種の素であり、そして、本当の姿であるのだから。そしてそれは、生を映すその通りの鏡である。
346プロダクションのアイドル部門に所属する女性達の過ごし方も、種々様々だ。
リラックスして過ごしたり、本を読んで安定を図ったり、もう一度台本を読んだり踊りのリハーサルを行ってみたり、
酒を飲もうとして周りに止められたり、サイキックと称してスプーン曲げをやろうとして全然曲げられなかったり、後なんかドーナッツとか食ってたり。此処でも過ごし方は、十人十色だった。
魔震復興からニ十周年と言う節目に行う、346プロ主導の盛大なライブイベントに参加する事になっているアイドル達は、
プレッシャーの感じ方の差異こそあれど、その殆どが緊張状態と言っても良かった。理由は無論言うまでもない、そのライブイベント自体が問題なのだ。
参加するアイドル達の中には、大なり小なりの『ハコ』を借りて、ライブ等のイベントを行い、場数を踏んで来た者も、確かにいる。
だが、今回参加するアイドル達の殆どは、今回程大きなイベントを体験した事はない。
魔震復興からキリの良い数字に年に行う盛大なイベントであるだけに、各種キー局や芸能プロダクションが注目しているだけでなく、
観客動員数も、346プロが本気を出した為に相当数来る事が理解している。そして何よりも、このイベントを成功させた暁には、シンデレラプロジェクトは、
UVM社の台頭を一気に崩しかねない程の勢力になるかもしれない、と言う展望自体が、緊張の種となっていた。
大勝する可能性があると言う事は同時に、大敗する可能性も高いと言う事を意味する。今回のイベントでしくじれば、間違いなくシンデレラプロジェクトは痛手を喰う。それが解っているからこそ、皆は、気が気でない状態なのだ。
特に、プロジェクトクローネの面々など、今回の顔とも言えるグループである為、余計に緊張感が凄まじい。
真面目な性格をした鷺沢文香や橘ありす、アナスタシアの三人や、渋谷凛、神谷奈緒、北条加蓮のトライアドプリムスのメンバー達も勿論の事、
普段は緩く活動している塩見周子や大槻唯、果てはリーダー格の速水奏も。等しく、今回ばかりは緊張の面持ちを隠せていなかった。
気負い易く張り切りがちなありすは、疲労が残らない程度に本番時の動きをシャドーしているが、後数時間でスタートと言う現実からが、動きが固い。
書痴の気が強かった鷺沢は、最近フレデリカが歌っている歌に触発されてか、アルケア帝国の英雄について記された書物である『廃都物語』を読んではいるが、
如何にも泳ぎがちな目を見るに、内容は頭の中に入っていないだろう。大槻も塩見も、一見すれば落ち着いた様子を見せてはいるが、
普段のキャラクターが緩くて喋りたがりで通っている二人が落ち着いていると言うのは、今回のライブの重大性を認識している証でもあった。
トライアドプリムスとして場数を踏んで来た凛や奈緒、加蓮、LOVE LAIKAの片割れとして同じく数をこなしたアナスタシア、そして、クローネのまとめ役である奏も。
めいめいが、台本を読んでいたり、スマートフォンを弄っていたり、或いはただ座って落ち着いていたりとしているが、やはり、瞳から感じられる感情が普段と違う。
これが本当に、日本有数の芸能プロダクションのアイドル部門の中でも、指折りと言っても過言ではない実力を誇るアイドルユニットの、
本番前の姿なのかと疑いたくもなろう。年相応の少女達が発散させる、騒がしくも華やかな雰囲気が欠片も感じられない。
絶対にしくじれないと言う緊張感から、レッスンルームは、まるで通夜の様に静まり返っていた。
誰かが、思った。「こんなテンションで、本当にライブに成功するんだろうか」、と。その一人が思った事が、皆に伝播して行く。
感情は、伝わる。水面に落とした小石が落とした波紋のように。糸で牽引される人形のように。咳で風邪が移るように。
――そんな空気を根底からひっくり返し、ナノマイクロレベルにぶち壊すように、レッスンルームに存在しなかった最後のメンバーにして、
今回のライブイベントの実質的な主役とも言える少女が、部屋にやって来た。勢いよくドアを開け、今日のライブなど何処吹く風、と言ったような様子で
「ボヌニュ〜〜〜〜イ!! クローネの皆さん!!」
皆が一様に、レッスンルームに突如現れた闖入者。
プロジェクトクローネの一員にして、今回のライブの大トリをピンで飾る主役、フランス人の母親譲りの金髪が眩しい少女、宮本フレデリカの方に顔を向けた。
なお余談であるが、ボヌ・ニュイ、Bonne nuitとは、フランス語でおやすみなさいの意味である。
「お〜っとととありすちゃーん、元気?」
今の今まで、曲中の動きのシャドーをやっていたありすであったが、唐突なフレデリカの入室にビクッと身体を硬直させてしまった。
それに目を付けたフレデリカは、フンフンといつもの鼻歌を口ずさみながら、ありすの方へと近付いて行く。
「げ、元気かと言われれば、何も支障はないですが……と言うより、緩すぎですよフレデリカさん!! もうすぐ本番ですよ!?」
「ん〜? 緊張してるよりはリラックスしてた方が、気が楽だよあ〜りすちゃん」
「名字の方で呼んで下さい名字の方で!!」
「ままま、良いじゃん良いじゃん。あそうだ、緊張をほぐす方法知りたい? 知りたいでしょ。しょうがないなーありすちゃんは」
頭の中に思い浮かんだ言葉を、感情の赴くがままに口に出しているとは思えない程のマシンガン・トーク。この適当で弛緩した雰囲気は、正しく、平時の宮本フレデリカその人であった。
「そんじゃありすちゃん、手を出して」
「……人、って書いて呑み込むあれですか?」
「おぉ、物知り〜ありすちゃん。そうそう、あれをやるんだけどさ、ほら? 私フランス人っぽいキャラでしょ? だからフランス語で書いてあげる」
「っぽいと言うか、アンタまんまフランス人とのハーフじゃん……」
一人だけ別の星からやって来たとしか思えない程のハイテンションを維持するフレデリカを見て、呆れたように口にするのは奈緒であった。
ありすの方は、これは手を出さないと次のステップに進まないな、と観念し、普通に右掌を差し出した。
白く嫋やかなその手を見て、フンフン、とフレデリカが一人で納得する。
「良い手相だね」
「書くんじゃないんですか?」
「あっははは、フレンチジョークフレンチジョーク。それじゃ書くね。鉛筆で良い?」
「指です!!」
「解ってるって解ってるって」、そう言ってフレデリカは、ありすの右掌に人差し指で文字を書いて行く。
「はい、どうだ!!」
「……私の気のせいでなければ、Humanって書いた気がするんですが」
「あ、凄いありすちゃん。小学生なのに良く解ったね、ひょっとしてTOEIC100点取っちゃったりする?」
「あ、あの……フレデリカさん……。あのテストは990点満点ですから、その点数は……凄く低いです」
遠慮気味に突っ込む鷺沢。後ろで、「と言うか今時の小学生だったらその程度の英単語位は……」、とひそひそ会話するのは、凛と加蓮が会話していた。
「……ぷっ、あは、あはははは!!」
一連の流れを見て、今まで茫然状態だった唯が笑い始め、吊られて、周子の方も笑い出す。
「あ〜、何かばっかみたい☆ 絶対失敗出来ないライブだからって、緊張し過ぎだよ唯達はさ☆」
「そうそう、気負い過ぎだよあたし達。要するにさ、人が沢山見てる所で、リハーサルをやれば良いだけなんだよ本番って。いつも練習してる事を、練習通りに人前でやれば良い。変に緊張してたら、余計にミスっちゃうでしょ」
そう言って唯と周子は、今まで自分達が如何に、失敗出来ないライブと言う巨大な壁に怯えていたのか、と言う事を語り始めた。
本番までもう時間がないと言うのに、いつも通りのテンションのフレデリカを見て、彼女らも悟ったのだ。
ライブとリハーサルの違いなど、人が見ているか否かでしかない。リハーサルではミスなく、完璧に出来るのなら、人前で同じ事をやって失敗する訳がない。
後は、気の持ちようだろう。テレビ放映がある、日本のみならず世界のプロダクションも注目している。その事実に、委縮し過ぎた。
人がいる前で、リハーサルでいつもやっていた事を恙なくやって行けば良い。所詮、その程度に過ぎないのだ。
「……確かにそうかもね。変に肩筋張ってたら、出来るものも出来にくくなるし」
凛がそう言うと、加蓮やアナスタシアの方も首を縦に振る。
「ふふ、何か皆、素のキャラクターに戻って、緊張感が吹っ飛んじゃったわね。でも、これ位の心持ちの方が、かえってやり易いのは確かね」
「か、奏さん達がそう言うのなら……たまにはフレデリカさんも良い事をしますね。ね、鷺沢さん」
「え!? 私は、フレデリカさんは何時もムードに寄与してると思ってると……」
「ちょっと文香ちゃ〜ん? 声がすっごい疑問気なんだけど?」
と言うフレデリカ。漸く皆が、クローネとしての仮面を被っている時の彼女らでない。
クローネと言うペルソナを剥いだ時の、素にして生の姿が戻って来た。後は、この精神的な安定感を維持したまま、クローネとしての姿を演じ、ライブを成功させるだけだ。
「リハーサル中何度も確認し合った事だから、もう今更って感じがしないでもないけど、やっぱ、やっておきたいから言うわね」
奏が、すぅ、と一息吸ってから、心の中に浮かんできた言葉を、口にし始めた。
「絶対、成功させるわよ!!」
アイドル全員が、威勢よく返事をした。
「うん」だったり、「はい」、だったり、一人だけ「ちゃーっす!!」だったり。返し方こそ種々様々だが、皆、ライブを成功させると言う決意だけは本物だった。
それを見て、フフン、と言った感じの笑みを浮かべるフレデリカだったが、突如、親の訃報でも聞かされたような真顔に表情を変え、そしてすぐに、痛みに苦しむような顔に成り始めた。
「……? シトー、如何しましたかフレデリカ? 顔色が優れないようですが」
真っ先に異変に気付いたのは、アナスタシアの方だ。
彼女の言葉を疑問に覚え、皆がフレデリカの方に顔を向けると、クローネの雰囲気を盛り上げた立役者は、腹に刀でも突き差されたように、顔を苦悶に歪めさせていた。
「ど、どうしたのフレデリカ? 体調が悪いの?」
訊ねる加蓮に対しフレデリカは。
「う、ううん大丈夫大丈夫!! ちょっとお腹が痛くなっただけだから、陣痛かな?」
「いやいやいや、駄目だろそれは!!」
真っ先に突っ込んだのは奈緒である。この歳のアイドルが妊娠は、それはもう、駄目だ。
「ねぇフレデリカ、本当に大丈夫なの? ひょっとして、その右腕の包帯から、痛みが来るんじゃ……」
「ほ、本当に大丈夫だから凛ちゃん!! この包帯は……そう、アレだよアレ!! 蘭子ちゃんや飛鳥ちゃんリスペクト!! ……でもちょっと、お腹痛いから、トイレ行ってるね!!」
「心配ないからホントホント!!」、その言葉がレッスンルームから廊下の方にフェードアウトして行く。
後には、キョトンとした表情を浮かべる、クローネの面々が遺される体となった。
――一人として、今のフレデリカの言葉と強がりが真実だと、信じているアイドルはいなかった。
だって彼女が去り際に見せた表情は、今にも泣き出しそうなそれであったからだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あの白衣の女に、実験と称されて変なアンプルのような物を打ちこまれてから、一週間以上は経過しただろうか?
日に日に、餓えが強くなっていく。グラノーラシリアルを丸々平らげても、少ししかお腹が膨れない。お惣菜をこれでもかと食べても、結果は同じ。
体重が一日で二kgも増えるのではと思う程の量を食べても、体重にも体型にも、全く影響が出ない。つまり、何を食べても、飢えが満たされない。
何時からだろう。
人を見て、『美味しそう』だと思うようになったのは。そして、それに抗おうとする度に、全身が切り刻まれるような強い餓えに襲われるようになったのは。
それを抑えるのに、フレデリカは必死だった。此処最近は、プロダクションのアイドルを見る度に、強すぎる飢餓が彼女を苛む。
――美味しそうだった。
ありすは、身体全部が美味しそうだった。鷺沢は、胸が柔らかくて、食べごたえがありそうだ。
アナスタシアは、雪国生まれのシミ一つない白い肌を舐めまわして剥いであげたい程に、食欲を喚起させる。
凛の内臓は、どんな味がするのか。奈緒の腸は? 加蓮は元々病弱だったと言うが、それが味に影響してないだろうか?
奏では手足が美味しそうだった。唯は飴ばかり舐めているから、ほのかに肉も甘い味がするのか? いや、そうしたら周子の方も――
おぞましい考えが、フレデリカの脳裏を過って行く。
胃液が喉から逆流して行くのを、必死に抑える。水洗金具を弾みでぐっと握る。果たして、誰が信じられようか。
見るからにか弱そうなフレデリカの握力で、金具が捩じ切れたのだ。それについても、驚く様な素振りを彼女は見せない。
アンプルを打ちこまれてから、ずっとこんな感じだった。本気で握れば、コップが砕ける、コンクリートの壁を殴れば、その部位が凹む。
今の彼女は、人喰いの衝動と引きかえに、人智を逸した身体能力を誇るようになった、怪物であった。
何を食べても、美味しいと感じられなくなったし、どんな料理の映像や画像を見ても、食欲を刺激されなくなった。
<新宿>を行き交う人。人を見て、フレデリカは美味しそうだと思うようになり始めた。怖い。日に日にその衝動が強くなって行く。
飢餓を抑えれば抑える程、其処らを行き交う人間が、ずっと魅力的に、美味しそうに見えて来るのだ。
「やだ……怖いよ……助けて……」
普段のフレデリカからは、想像もつかない程の弱気のトーンでそんな言葉を吐き出した。言葉と一緒に、吐瀉すらしかねない程の、消耗ぶりだ。
レッスンルームでは、必死にあの場にいたメンバーを励まし、そのテンションの向上に寄与した。
自分があのテンションでなければ、フレデリカは完全に崩れてしまいそうだったからだ。これが――今のフレデリカの、生の姿だった。
無理やりにでも元気を装わねば、人喰いの衝動に呑まれかねない。何時如何なる時、人間の身体を貪らないか、今の彼女ですら解らなかった。
控室に置いてあった自分鞄を急いで持って来たままトイレに籠ったフレデリカは、そのチャックを勢いよく開け、中からある物を取り出した。
鶏のもも肉だった。無論、調理されていない。生のままのそれだ。これを彼女は無理やり口へと持って行き、それを齧り出したのだ。
今の彼女は、生の鳥どころか、焼かねば中の寄生中のせいで到底食べられない豚肉すら、食べても大丈夫な身体になっていた。
急いでそれを咀嚼し、彼女はそれを呑み込む。もう、生肉を食べて餓えを凌ぐ、と言う手段すら、余り通用しなくなっていっている。
「今日、今日を凌いだら……」
休もう。志希ちゃんみたいに休む時間を美城常務に申請して、メフィスト病院って所で治療して貰おう。
その為には、先ずライブを終わらせる必要がある。ライブは成功させる、クローネの皆と、笑顔で最高のライブを迎えたい。
絶対に、失敗は出来ない。だから――だから。
「神様……お願いします、私を……私を……」
救って下さい。掠れるような小声で、フレデリカは呟く。捩じ切れた水道金具を握り締め、フレデリカは涙を流し祈った。
彼女は知らない。この<新宿>には、救う神もいなければ、祈る神もいない魔都になってしまった事を。
彼女はもう、アートマを抱えたまま、夜を迎え、昼を迎え。そしてまた、夜を迎えるしかない。
彼女がその事実を知る事は、永遠に、ない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
クーム・ルーム・ディーム クーム・ルーム・ディーム
七つの命のクーム・ルーム・ディーム
一人で旅立つクーム・ルーム・ディーム 二又道で迷っていたら
三つの国の 王様が来て 四ツ目の竜を 倒せと言った
五つの門をくぐり抜け 六年がかりで探しだし 七度死んで竜を倒した
クーム・ルーム・ディーム クーム・ルーム・ディーム
七つの命のクーム・ルーム・ディーム
.
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
誰も知らぬ暗がりで、その大男は<新宿>の闇を堪能していた。此処は、アーガデウムが辺境の田舎としか思えない程、発展した街だった。
大量に行き交う人々。露天商がどの道にもおらず物を運ぶ馬車すら存在しないのに、確かに流通している大量の物資。そして、人々の活気。
全てが、アーガデウムとは比較にならない。そんな所に、男はいた。そして、死と言う安寧すらも奪われたのだと、半ば諦めていた。
自分を呼びだしたあの男が、嘗て同じ釜の飯を食い、同じ杯の酒を回して呑んで。
一角獣を仕留めた事を喜び合い、黄金樹の立ち並ぶ河縁を歩いた男とは、別の男である事は理解している。
理解していても、魔将としての宿命が、彼への反逆を許さない。自らを始祖帝と称するあの男は、大男が認めてるタイタス一世とは、全く別の存在である。
それなのに彼に犯行が出来ないのは、全く別の存在であるのに、彼もまたタイタスの影であるからに他ならない。
故に、魂と、その在り方を縛られている。あの男の理想に殉じ、魔将になった事に悔いはない。
だが、大男が嘗て無二の友と認め、嘗ての崇高な理想から既に乖離を始めたあの男は、既にタイタスではなかった。
そんな男に魂を縛られた生前。自らの宿命を御子が漸く断ち切り、魔将の全員が死と言う安息を得られたのに。
今また、彼らはその魂と肉体を縛られ、タイタスの傀儡となっている。これが宿命(さだめ)であるか。大男は、自らの境遇を嘆きつつも、最早どうにもならないのだと、諦めていた。
「……お前もまた、奴に囚われたるか」
護衛を行うようタイタスから命令された、ムスカと呼ばれる男を思いながら、最強の魔将は口にした。
お前の行く道は破滅だと、助言したくともそれが出来ずにいた。タイタスの魔術の為だ。
擦り切れた黒灰色のローブから覗く、鷹の如く鋭い瞳には、憂いの輝きが悲しげに沈んでいた。
鬼神の如き強さを誇る魔将、『ク・ルーム』は、この星の大気の底で、自らの滅ぶその時の到来を、待ち望んでいるのだった。
【高田馬場、百人町方面(346プロダクション)/1日目 午前9:30】
【宮本フレデリカ@アイドルマスター シンデレラガールズ】
[状態]精神的疲労(極大)、飢餓(極大)、チューナー
[装備]クローネのアイドル衣装
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
[備考]
・ジェナの手によりチューナーにさせられています。アートマは、右腕の半ばに巻かれた包帯に隠されています。
・変身出来る悪魔は[検閲]です。
【高田馬場、百人町方面(???)/1日目 午前9:30】
【魔将ク・ルーム@Ruina -廃都の物語-】
[状態]健康、憂鬱
[装備]二振りの大剣、準宝具・魔将の外衣(真)
[道具]タイタス十世@Ruina -廃都の物語-
[所持金]とても多い
[思考・状況]
基本行動方針:タイタスの為に動く
1.ムスカの護衛
2.道具である十世を守り抜く
[備考]
・タイタスにより召喚された、魔将です。サーヴァントに換算すれば以下のステータスに相当します。
【クラス:セイバー 筋力A 耐久B 敏捷B 魔力A 幸運E- スキル:勇猛:C 対魔力:C 戦闘続行:EX 異形:A 心眼:C 】
・準宝具の魔将の外衣は、Cランク相当の対魔力を付与させると同時に、『7回までは死んでも即座に復活出来る』と言う効果を持ちます。
・タイタス十世は黒贄礼太郎の姿を模倣しています。模倣元及び万全の十世より能力・霊格は落ち、サーヴァントに換算すれば以下のステータスに相当します。
【クラス:バーサーカー 筋力D+ 耐久E 敏捷C 魔力D 幸運E- スキル:狂化:E+ 戦闘続行:E 変化:- 精神汚染:A- 呪わし血脈:EX】
※十世を直接的、間接的問わず視認すると、NPC・聖杯戦争の参加者に幸運判定が行われ、失敗するとアルケアの想念が脳裏に刻まれます。(実害は皆無だが、アルケアの夢を見るようになる)
初投下を終了します
初投下(大嘘)乙です
結城もムスカも黒いなぁ
フレちゃんの心情でもってかれた。
えっぐいな、これ。
アバチュ自体もジャンクヤードは共喰い上等な世界だしなぁ
あそこは腹減ったら敵のチューナー喰いに行けばそれで済むけど
表社会の女の子には人食いの飢餓はキッツイよな
拾う神はいなくとも、救う神はいなくても、助けてくれる悪魔のがいるさ。
まあ人修羅が心労でぶっ倒れるかも知れんが。
英純恋子&アサシン(レイン・ポゥ)
黒のアーチャー(魔王パム)
予約します
マーガレット&アサシン(浪蘭幻十)
予約します
それでは投下します
初めてなので妙なところも有るでしょうが見逃して下さい
マーガレット「令呪を以って命じる。自害しろ、アサシン」
幻十「おのぉぉれええええええ!!」
【アサシン(浪蘭幻十)@魔界都市ブルース 魔王伝 死亡】
という事が実行できればどれだけ良いか。マーガレットはしみじみと考えながら本のページを捲る。
ここは高田馬場にある区立図書館。〈魔震〉以降に建てられた図書館な為か、〈魔震〉後の〈新宿〉の歴史についての史料が豊富だった。
病院でエリザベスとルーラーの主従と一戦交え、ザ・ヒーローとクリストファー・ヴァルぜライドの主従の乱入を受けたのを機に、その場から撤退して2時間が経過していた。
マーガレットは病院から撤退し、当てもなく移動し、行き着いた適当な公園のベンチに座って休息していた。
何気無く公園を見渡すと、青のノースリーブのワンピースを着た金髪の少女と青いワンピースを着た金髪の幼女が人形遊びをしているのが見える。
2人の反対側には屋台が2つ出ていて、サングラスの厳ついテキ屋と知り合いらしい眼鏡を掛けた女子高生が親しげに会話していた。
チェコ語で何やら喚いているガスタンクの様な外見の女に品物を食い荒らされて、とんがり帽子を被った金髪の女が何やら叫んでいる隣の焼きキノコ屋とはえらい違いであった。
隅っこで何かやってる女もいた。
深海を思わせる青いスーツに、ウェーブのかかったプラチナブロンドの髪が特徴的な美女が昼間から公園のベンチに座っていれば、目立って仕方ないだろうが、
遊んでいる二人も、公園の隅っこで太極拳の套路をやっている長髪紅毛の中国っぽい女も、全く気にする様子は無い。
残りの四人はというと、とんがり帽子がガスタンクの首を締め出し、テキ屋と女子高生が必死に制止していて周りを見る余裕が無い。。
平和そのものの光景であった。それを破壊し、蹂躙する側に自分がいると思うと陰鬱な気分になってくるが。
【男の眼が無くて幸いだったな】
からかうように話しかけてくる幻十を無視して今後のことを考える。
幻十の宝具の効果は聞いている、となれば今は待つことか。幻十が宝具の効果で更なる強さを得るのを待つべきか。
しかし何もせずにいるというのも耐え難い。
焦燥を覚え出したマーガレットに
【マスター、何をするにしても不足しているものばかりだ】
霊体化している幻十が話しかけてきた。
【そうね。貴方の力も込みでね】
毒を吐くマーガレット、実際幻十がルーラーを抑えられていれば彼女の聖杯戦争は終わっていただろう。地面を血に染めて倒れ伏すのが姉妹どちらになるかはともかく。
【拠点と情報において僕らは他の者たちとは比較にならない】
マーガレットの皮肉を無視して続ける幻十。
雨風を凌ぐ場所が無いというのは問題だ、野宿も下水道も精神的に辛い。思ったよりもエリザベスのサーヴァントが手強く、長丁場になりそうなこの事態において、心身を休めるというのは重要なことであった。
まあ金は有るのだからホテルにでも泊まれば良いとして。
問題は情報だ。何しろマーガレットは無論、幻十にしたところで『この』、新宿〉には無知と言って良い。
【それで?】
【少し待っていたまえ】
そう言った幻十が、公園で遊んでいた青のノースリーブのワンピースを着た金髪の少女と青いワンピースの金髪の幼女の前に実体化したのだ。
いきなり虚空から出現したその異常さよりも、自ら光を放つが如き美貌が二人の精神と思考とを直撃し、幻十の顔以外の全てを意識から消し去った。
中国っぽい女は丁度屋台の方を見ていて幻十を見ていないが、こちらを向いていれば二人と同じく案山子と化していただろう。
屋台の四人は此方に気づく余裕も無い。
「済まない。道を聞きたいんだが」
困ったような顔をして微笑む幻十。ただ立っているだけで万人を魅了し、何気無く浮かべた表情は万象を魅了する。では何かしらの意思を以って人と向かい合い、表情を浮かべれば?
その答えはここにあった。二人は何があってもこの美しい男の役に立つ。という決意を固めていた。幻十が言えばこの場で全裸になることも、2人して殺しあうことも簡単にやってのけるだろう。
出逢ったばかりの少女達にそのような決意をさせる幻十の美貌は、まさしく人を惑わせ、堕落させる悪魔の如くに妖しく美しく輝いていた。
「何をしていたの」
霊体化して戻って来た幻十に訊ねるマーガレット、その表情も声も硬い。
このベリアルの如き男が、うら若き少女の前に現れる。その意図した所が何であれ、ロクな事にはなら無いと、幻のと過ごした僅かな時間が告げていた。
「道を尋ねていた」
あっさりと答えた幻十に導かれ、マーガレットは公園を後にする。
絞め殺される河馬の様な断末魔を挙げるガスタンクと、必死にとんがり帽子を抑える三人の男女、そんな声にも版の反応を示さない2人が、マーガレットの去った公園に残された。
この図書館に着いてから今まで、〈新宿〉の地図や最近の新聞に片っ端から目を通し、〈魔震〉後の区史を読んでいたのだった。
区史に関する本をマーガレットが読み出した辺りから、館内のテレビでニュース番組を見ていた幻十が戻ってくる。
【中々面白いことになっている】
【酷いことになっているわ】
愉悦を含んだ幻十の声に対し、マーガレットの声は暗い。
【落合のマンションの駐車場で発生した切断現象…これは既知だから省くとして、
前兆の無い降雨や雷鳴。 新宿二丁目現れた、馬に騎乗した西洋系男性二名と、巨大な金属の鬼。 早稲田鶴巻町で、放射能汚染を伴う大規模な破壊行為が立て続けに三箇所で発生。
神楽長の黒礼服の殺人鬼の大量虐殺。同じ神楽町で発見された、巨大な怪物の死体と、新大久保のコリアンタウンで怪物の死体。
広域暴力団香砂会の邸宅が完膚なきまでに破壊され、黒礼服の殺人鬼の姿を見たと言う目撃談。
“呪われた街新宿”なんてニュースで言っていたよ。何を今更。
マスターの妹は良くやってくれている。これこそが〈新宿〉だ〈亀裂〉が無ければ〈区外〉と変わらぬ凡百な地が、僕の知る〈新宿〉へと変わりつつある。
“呪われた街”?下らない。此れからのこの街はこう呼ばれるべきだ。本来呼ばれるべきだった名。僕が生まれ、育ち、死んだ街の名。すなわち“魔界都市”と】
魔界都市の出来損ないが、負けず劣らずの魔界へと変貌するやも知れぬ。そんな期待が幻十を昂らせていた。
【マスター。忠告と提案とお願いがあるのだが】
【……なにかしら】
暫くして興奮が収まったのか、冷徹な声音で話しかけてくる幻十に、冬の夜を思わせる声で返すマーガレット。
只でさえ幻十の精神性は堪え難いというのに、妹の所業を肯定するに至っては忍耐にヤスリをかけ続けている様なもの。令呪を用いて自殺を命じなかった自分を賞賛したいマーガレットだった。
【メフィスト病院と地図に載っていただろう】
無言で頷くマーガレット、ベリアルの如きサーヴァントに公園で見たベルゼバブの化身ともいうべき暴食の女、そしてメフィスト。つくづく悪魔と縁のある街だと思う。魔界都市とは良く言ったものだ。
【朝戦った主従だが、間違い無く次に会った時には回復している】
【同類だけあって、そのメフィスト病院という場所に棲む悪魔について詳しいのね】
【この〈新宿〉でそんな名前の病院を開院する者など一人しか居ない】
マーガレットの毒を無視して続ける幻十。その声に含まれる緊張と畏怖を感じ取り、マーガレットも気持ちを切り替えた。
【マスターかサーヴァントか知らないが、面倒なことになった。あの医者なら首を落としても30分以内なら助けてしまう】
【敵としては?】
凄まじい幻十の言葉に異を挟まず話を続ける。そうさせるものが幻十の言葉の響きにあった。
【あのルーラーと同じ程度には脅威となる】
マーガレットは頭を抱えたくなった。ここに来てさらなる強敵の出現とは。
【問題無いさ、彼はこちらから敵対しない限り中立だ。患者として赴けば治療もしてくれる】
【は………?】
【あの病院の、ドクター・メフィストのモットーは、“救いを求めるならば如何なる者であっても受け入れる。そして救いを求めて病院を訪れた者に危害を加えた者には絶対の死を”さ。
どんな者でも平等に生きる権利を有し、どんな者でも死が降りかかる〈新宿〉を体現している医者だ。彼が彼である限り、其れは変わらないだろうね】
【………………………】
【まあ何を考えているか全く分からないから、探りを入れる必要は有るが。それはそれとして。ここに逃げ込まれればどんな傷を負わせていたとしても意味が無くなる可能性がある。
そうなれば、追撃もできないまま、病院の外で敵が全快して出てくるのを待つしか無い。
だからだマスター、敵対すれば必ず殺す。これを徹底して欲しい。サーヴァントを斃してもマスターが残っていれば、別のサーヴァントと契約するかも知れない。だから敵のマスターも必ず斃して欲しい。姿形に惑わされずに、これが忠告だ】
【…………………】
【まあ直ぐに覚悟を決めろとは言わないさ。次に提案だが、手っ取り早く戦力を増すために令呪を得ようと思う。
そこで討伐例が出た3組の主従の内、セリュー・ユピキタスとバーサーカーを狙いたい。ついでに遠坂凛とバーサーカーとも早期に接触しておきたい】
【……その主従を選んだ理由は?】
【単純な話さ。まず先刻僕らが出逢った主従だが、彼等の戦闘能力は疑う余地無く高い。僕の糸を防いだのもそうだが、君の妹とそのサーヴァントを相手に交戦して生き延びていることからも明らかだ】
無言で頷くマーガレット、あの2人がエリザベスとルーラーを相手に交戦し、そして生還したことは驚異的と言えた。他でも無い、エリザベスとルーラーの戦力を知る2人だからこその感想だった。
しかも幻十がテレビで得た情報では、あの主従はそこいら中で派手に破壊を撒き散らしたらしい。おそらくは複数の敵と交戦し、その後妹達と戦ったのだろう。
その継戦能力といい宝具といい、侮ることなど出来無い相手だった。
戦力を増す為に令呪を手に入れるなら、この様な相手は避けるべきだろう。
【続いて遠坂凛とバーサーカーだが、この主従はマスターがサーヴァントを御せていないだけだろう。聖杯戦争に乗ったかどうかは分からないが、
殺すことは貴女の意には沿うまい。まあこの少女は普通の人間では無いが】
【御せていないとする根拠は?】
【これも単純な話さ。根拠地となる自分の家の前でサーヴァントを使って白昼堂々殺戮を繰り広げる意味は?魂食いなら時と場所を選ぶだろう。
真性の狂人か阿呆としたら警察が来たぐらいで止めるとも思えない。警官隊など自ら死にに来る獲物でしか無いからね】
【普通では無いとする根拠は?】
【只の巻き込まれただけの相手なら放って置いても良いんだがね。彼女はそうじゃ無い。普通の人間にしては反応が迅速だった。
僕の育った〈新宿〉では街中でしょっちゅう撃ち合いや妖物の襲撃が起きてね。〈区民〉とそうじゃ無い人間の反応は全く別のものだった】
〈区民〉は素早く伏せて安全な所まで避難する。そうやって安全を確保してから武器を取り出して危害を及ぼす者を始末する。
その場で案山子の様に突っ立って死ぬのはは区外から来た観光客。
〈新宿〉では家の中にいる時ですら壁を破って侵入してくる妖物に備えなければならないのだ。
小学生ですら人を殺せる程の武器を誤診よに持ち、いざとなれば人に対して躊躇い無く使用する。
〈新宿〉では一般人ですら〈区外〉と定義が異なるのだ。
【只の一般人ならば突如として始まった殺戮に思考が漂白され、呆けたように立ち続けるだろう。
だが、彼女は直ぐに行動した。少なくとも精神面に於いては一般人では無い】
【でもその考察が正しいなら、遠坂凛という少女は、精神的に大分追い詰められているはずよ。
何しろ理性的な人物なら、現状を正しく把握して、自分がどれだけ追い詰められているか判る筈。
自暴自棄になって暴走するかもしれない】
【だからこそ今が狙い目なのさ、令呪を全て使わせてサーヴァントを自害させられる。マスターの無力化とサーヴァントの消滅を同時に行え、令呪も手に入る。
時間が経てばマスターの言ったように暴走するかもしれない。
そうなったら主従共々殺すしかなくなるだろうね。今なら、僕らの手で身柄を保護できるかもしれない】
【殺せる…では無くて】
【マスターの意向に沿おうと思ってね。何しろ僕は貴女のサーヴァントだからね】
マーガレットは無言で考え込んだ。方針として目的達成の暁には令呪を用いて幻十を自殺させる。これは絶対だ。
その為には令呪を一画残しておかなければならない。つまり他の主従より令呪の使用回数が一つ少ないということになる。
切り札が少ないまま勝ち抜ける程聖杯戦争は甘くはない。其れでもなお勝とうというなら自身の戦闘能力の高さを活かして、マスターの殺害という気の進まない手を使わざるを得ない。
それに幻十の推測が正しいなら、遠坂凛は妹の愚行に巻き込まれた被害者なのかもしれない。エリザベスにこれ以上の業を重ねさせない為にも、自分が身柄を抑えるべきかもしれない。
【最後にセリュー・ユピキタスとバーサーカーだが、この主従を選んだのは行動が読みやすいからさ】
【全く情報が無いのだけれど?】
【遠坂凛とセリュー・ユピキタスの罪状は共に大量殺戮だが、根本的に違うのが遠坂凛の方にだけ『無辜の』と有ることだ。
遠坂凛が意図して殺戮を行った可能性は低いが、この主従は明らかに意図的にやっている。殺す相手を選んでいるからね。
『無辜の』という言葉が無いということは、相手は犯罪者かヤクザだろう。
正義に狂っているのか、ヤクザ達が警察に訴えでないと判断しているのかは知らないが】
幻十は思い出す〈新宿〉の生と死を。
誰でも生きられる代わりに、誰もが頭上に降りかかる死を感じていた街。
人の命などビール瓶一本分の安ビールにも劣る街、千円で殺人を行う『千円殺し屋』なんて者達が居た街。
そんな街でもヤクザ達の命は一際軽かった。
通りすがりに行きあったヤクザ達を、難癖付けて半殺しにし、抵抗すれば嬉々として殺していた刑事が居たが、〈区民〉達はその刑事に喝采し、絶対の信頼を寄せていた。
その刑事が良民と犯罪者を精確に判別し、無辜の民には決して害を及ぼさなかったことも有るが、〈区外〉では考えられないことだろう。
彼の幼馴染に至ってはヤクザ達から『警察がヤクザ達を殺す為に作った殺戮機械』と呼ばれた程だが、警察に訴え出たヤクザは存在しない。
訴え出たところで相手にされないし、最悪取調室に連行されて拷問にかけられる。
其れに警察を頼ったとあってはメンツに関わる。
此処では流石に取調室に連行される事は無いだろうが、メンツの問題はより深刻だろう。
【そこで、だ。お願いなんだが、セリュー・ユピキタスを捕捉する為に一晩の実体化を許して欲しい】
【どういうこと?】
【適当なヤクザ達の邸宅や事務所に糸を張っておく。襲われれば直ぐに判る】
マーガレットは無言で考える。一晩の実体化と糸を張ることによる消費と、それにより得られる成果を。
【他の主従の動向も何か掴めるだろう。何せ〈新宿〉は狭いからね】
【判ったわ…取り敢えず取れる手は他に無さそうだし】
【礼を言うよ。マスター】
【ただし期間は一晩だけ、もし仮に他の主従が糸にかかっても攻撃することは禁じます】
【流石に出逢ったことの無い主従は判別できないさ。マスター】
幻十の微笑を正面から見たマーガレット頬が紅潮するのを感じた。
かくして、死を齎す魔王の狩猟団(ワイルドハント)が動き出す
【高田馬場、百人町方面(区立図書館)1日目;午後2時】
【マーガレット@PERSONA4】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]青色のスーツ
[道具]ペルソナ全書
[所持金]凄まじい大金持ち
[思考・状況]
基本行動方針:エリザベスを止める
1.エリザベスとの決着
2.浪蘭幻十との縁切り
3.令呪の獲得
[備考]
浪蘭幻十と早く関係を切りたいと思っています
<新宿>の聖杯戦争主催者を理解しています。が、エリザベスの引き当てたサーヴァントが何者なのか理解しました
バーサーカー(ヴァルゼライド)とザ・ヒーローの主従を認識しました
〈新宿〉の現状と地理と〈魔震〉以降の歴史について、ごく一般的な知識を得ました
遠坂凛と接触し、悪人や狂人の類でなければ保護しようと思っています
バーサーカー(バッター)とセリュー・ユピキタスの動向を探る為に浪蘭幻十の一晩の実体化を許可しました
メフィスト病院について知りました。メフィストがサーヴァントかマスターかはまだ知りません
――――さて、これで行動の自由を得た。
ここが幻十の知る〈新宿〉と同じく、新宿駅地下が〈魔震〉の震源地なのを知った以上、やることは一つ。
――――伝説に語られるものが、或いは類するものがあるかも知れない。
魔界都市で語られる伝説。かつて〈新宿〉の地下から何者かを呼び出そうとした魔導士を、名も知られぬ剣士が斃した。
〈区外〉からやって来た剣士が魔導士と戦った場所――――新宿駅。
そこの地下を幻十は魔糸で探るつもりだった。
伝説に曰く。その魔導士が呼び出そうとしたのは、かつて人の女の手で人の前に晒されたものだったという。
この世の凡ゆる災厄を詰め込んだ箱の中身。それを魔導士は呼び出そうとしたにだと。
――――何かが有る筈だ。その結果として第二の〈魔震〉が起きるなら起きれば良い。
ここに魔界都市の住民が居たならば、間違い無く幻十を殺そうとするだろう。
眠れる破壊神の顔を踏みつけるような真似を為れば、先にあるのは確実な終末だ。
だが、幻十はそれをこそ望んでいる。この生まれ損なった〈新宿〉が死に。真性の、否、それ以上の〈新宿〉が産まれることを。
【高田馬場、百人町方面(区立図書館)1日目;午後2時】
【アサシン(浪蘭幻十)@魔界都市ブルース 魔王伝】
[状態]健康、やや機嫌が良い
[装備]黒いインバネスコート
[道具]チタン妖糸を体内を含めた身体の様々な部位に
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:<新宿>聖杯戦争の主催者の殺害
1.せつらとの決着
[備考]
北上&モデルマン(アレックス)の主従と交戦しました
交戦場所には、戦った形跡がしっかりと残されています(車体の溶けた自動車、北上の部屋の騒動)
バーサーカー(ヴァルゼライド)とザ・ヒーローの主従を認識しました
〈新宿〉の現状と地理と〈魔震〉以降の歴史について、ごく一般的な知識を得ました
遠坂凛と接触し、次のマスターとして確保したいと思っています
バーサーカー(バッター)とセリュー・ユピキタスの動向を探る為に一晩の実体化の許可を得ました。どこに糸を巡らせるかは後続の方にお任せします
夜の間にマーガレットに無断で新宿駅の地下を糸で探ろうと思っています
メフィスト病院について知りました。メフィストがサーヴァントかマスターかはまだ知りません
これで終了です
>>393
教えていただきありがとうございます。遅れましてすいません。
投下乙〜
出落ちに吹いたw
あっさり一般人相手に霊体化解くとか型破りだなー。
頭抱えるマーガレットにワロタけど、そういう困ったやつなだけで終わらない幻十の魅せ方がよかった。
何だかんだで今のところはマスターの意向にも添い、忠告もしてくれる良鯖にも見えるけど、さて。
全体としてところどころ誤字脱字は見られましたが普通に面白かったし、リレーとしても成り立っていたかと。
初リレーお疲れ様でした。
>>ワイルドハント
先ず初めに、当企画を本編の初投下に選んで下さりまことにありがとうございます!!
その中にあっても、書き上げる事が難しい魔界都市シリーズのキャラクターを選んでくださるとは、感謝してもしきれません。
幻十の邪悪さと、それに嫌悪するマーガレットの描写も然る事ながら、菊地御大の美貌描写も非常に上手く、目を瞠りました。
魔界都市出身であると言う特徴を活かし、独自の立ち回りを行おうとする幻十と、それに疑問を憶えつつも、苦悩の末それを許可するマーガレットの対比が見事。
せつらの決着と、エリザベスの殺害を目標とする幻十ですが、果たして魔王伝でのリベンジを、彼が果たす事が出来るのか。
それは、マーガレットに提案した作戦次第になるのでしょうね。今後の動向が楽しみになる繋ぎの話、見事でした。
ご投下、ありがとうございました!!
非常に遅れましたが、投下します
「無駄に治療に時間が掛かり、ご迷惑をお掛けいたしましたわ」
「それ以外のとこで滅茶苦茶迷惑が掛かってんだよ」、と口にしても、全く馬耳東風の様子で、此方に近付いて行く純恋子。
此処までサーヴァントの話を顧みないその精神性はある意味で大物だし、正に女王とも言うべき風格の持ち主だが、頼むから今の内に改善して欲しいレイン・ポゥだった。まだ間に合う。
黒礼服の魔王、殺人鬼のバーサーカー、黒贄礼太郎とそのマスターである遠坂凛との戦闘から、三時間が経過した。
純恋子達は、拠点であるハイアットホテルに戻っていた。凛の放った飛び道具の魔術によって破壊された義腕と義脚を換装すればまだ戦える、
と送迎車内で純恋子が主張していたが、レイン・ポゥは彼女の意見を封殺した。確かに破壊されたのが、換装可能な上の二つであればまだしも、
あの戦いで純恋子は令呪一画を失っただけでなく、遠坂凛に左胸を撃ち抜かれているのだ。
こんな序盤で、こんな馬鹿の死亡に牽引される形での消滅など真っ平御免だと考えたレイン・ポゥは、負ったダメージの治療を進言。長く、入念な治療の末、現在に至る、と言う訳だ。
元々が一般庶民であったレイン・ポゥもとい、三香織は、今日に至るまで知る由もなかったが。
この世界には、所謂『上級国民』。例えて言えば、貴族や、大企業の総帥、官僚や与党や第一野党の党員と言った人物が受けられる治療と言うものが存在する。
こう言った治療は、保険証を見せて、綿密な診察を長い時間行い、病巣を取り除く為に動く、と言った治療とは一線を画する。
使われる設備は、国民にはまだ疲労されていない最新鋭のそれで、施術を行う医療陣は言うまでもなくトップクラスの実力の持ち主。投薬される薬も、特別性のそれだ。
国家にとって有為の人物であるからこそ、最新最高の医術を受けられる、と言うのも本当だが、それ以前にこう言った技術をフル活用するには、金が要る。結局は、コネと金が、当人の生死を左右するのだ。
英純恋子がハイアットホテルのある部屋で今まで受けていた治療も、正しくそんなものだった。
聖杯戦争に際して、ホテルの別室に医療チームを待機させていたのである。無論、莫大な金が掛かったが、純恋子にとっては女王>金の価値観だ。全く問題がない。
純恋子がダメージを負った、香砂会の邸宅での一件を見ていたレイン・ポゥは、純恋子の損傷をよく知っていたが、その重大性を知っていたからこそ驚いた。
全くこのマスターにはダメージを負った様子がないのだ。恐らくは手術もしただろう。それなのに、彼女は全くピンピンした状態で、
ハイアットホテルの最上階に近いフロアに在る、主従が使う為の私室に登場したのである。
幾ら最新鋭の医療技術をフル活用したと言っても、この完治ぶりは凄いとしか言えない。純恋子本人の気力や体力の所以であろうか。
どちらにせよやはり、世の中金とコネなのだと、改めてレイン・ポゥは思い知らされた。
「さて、回復した事ですし、早速行きますわよ」
「大人しくしてろ」
最新鋭の医療技術でも、馬鹿と短絡的な性格を治す事は不可能であるらしかった。
馬鹿は死ななければ治らない、と最初に言ったのは、何処の誰だったか、その人物は誇っても良い、その言葉は世の真理に近しいからだ。
「それよりもさ。アンタが治療を受けている間、契約者の鍵からルーラー達から何か新しい情報が追加されたよ」
「ルーラーから?」
と言って、レイン・ポゥは、自分が手に持っていた契約者の鍵を、ポイッと純恋子の方に投げ放った。
契約者の鍵は、当たり前の事ながらサーヴァントである彼女に任せておいたのだ。手術中に通達があり、光りでもしたら、コトだからだ。
そうそう通達はないと思っていたが、念の為レイン・ポゥに預けておいて正解だった。
ホログラムを投影させ、その内容を確認する純恋子。
一分程、その内容を吟味し、投影させたそれを打ち切らせ、レイン・ポゥの方に純恋子は向き直った。
「ま要するに、派手にやり過ぎた奴らがいるって事よ」
と言い、レイン・ポゥはルームサービスのオレンジジュースを飲み始める。彼女は前もってその内容を確認していた。
<新宿>と言う狭い街で行われる聖杯戦争と言う都合上、悪事は特に露見しやすい。大量殺人や著しい環境の破壊など、直にアシが付く。
それは、遠坂凛やセリュー・ユビキタスの件でも皆重々理解していた、とレイン・ポゥも思っていたが……理解していてなお、狂行に及んだ主従がいたらしい。
しかも、事もあろうにルーラーに対する反逆行為と来た。レイン・ポゥ自身、ルーラーがまともな人物ではないのではないかと、思ってはいる。
思ってはいるが、反逆を行う気にはなれない。自身の戦闘力が控えめであると言う自己評価もそうだが、先ず仲間がいない。これでルーラーに喧嘩を売りに行く、と言うのが先ずどうかしている。
「……アサシン」
「何よ」
「ステータスの方をご覧になりましたわね?」
「一応ね」
「勝てると思います?」
案の定と言うか、やはり純恋子は聞いて来た。そして、この質問に答えた後、何てまた質問するのかも、嫌になる程良く解る。
とは言え、想定していなかった質問かと言えば、それは違う。ご丁寧に宝具考察やスキル考察、ステータスや真名まで公表されているのだ。
遠坂凛やセリューの件とは比較にならない程の腰の入れようだ。余程、腹に据えかねるものが、この主従にはあったと見える。
折角ステータスや真名諸々まで公表されたのだ、当然レイン・ポゥは、このステータスを元手に、考察を行った。
「半々って所かな」
考察をした上で、この返事だった。
「弱気ですのね。このステータスは、貴方と差して変わらないじゃありませんか」
この一点においては、純恋子の方が正しいと言えよう。
ステータスの面から見ても、このヴァルゼライドと言うバーサーカーは、狂化しているとは思えない程ステータスも平均的だ。
何せレイン・ポゥとステータス的な差が全くないどころか、平均値で言えばレイン・ポゥの方が勝っていると言う始末だ。
これならば、レイン・ポゥでも勝てる、と純恋子が思うのも致し方のない話である。
「その弱いって言う点が曲者なんだよ。私のスキルが機能しなくなるじゃんか」
そも、レイン・ポゥと言うアサシンが、何故英霊にまで奉られたか。
結論を言えばそれは、彼女が百人どころか万人束になっても敵わない程の強さを誇る、『魔王』を殺したからに他ならない。
ただしそのメソッドは、真正面から堂々と、と言った武勇伝めいた方法で、ではない。転がり込んできた機会を最大限に利用しての、暗殺だ。
このような方法で魔王を殺したレイン・ポゥが、その後、あの世界でどう伝わっていたのか、彼女は解らない。卑怯だとか、姑息だとか、言われたのかも知れない。
しかし、確実に言える事があるとすれば、レイン・ポゥは暗殺者にとっての一種の到達点、弱者にとってのある種の希望として機能したと言う事だ。
本来絶対勝てない筈の強者を暗殺する。それは、そのような稼業に身を落とす者達にとってのある種の目標になった事だろう。
絶対勝てない存在を、どんな方法でも良いから抹殺する。それは、戦闘に向かない能力を持った魔法少女にとっての憧憬となった事だろう。
良きにつけ、悪しきにつけ、人々の想念を形を伴った何かしらの外殻で閉じ込めた存在が英霊であると言うのなら、成程。確かにレイン・ポゥは、暗殺者(アサシン)の英霊として、これ以上となくその条件を満たしている事になる。
レイン・ポゥの英霊としての肝となる部分は、『絶対に勝てる筈がなかった格上の存在』を、『完璧に油断させてから暗殺した』と言うこの点に他ならない。
その逸話はレイン・ポゥと呼ばれる魔法少女の中核を成す要素に等しく、その象徴が、彼女のスキル『魔王殺し』である。
このスキルはまさにサーヴァントとしての、英霊としての彼女のシンボルのような物である。従って、これを基点に置いた戦闘の方法を模索する必要があるのだが――。
欠点がある。格上の存在を殺した事で英霊となったレイン・ポゥは必然的に、『常に強者の暗殺を視野に入れねばならぬ存在である』と言う事になる。
その証拠に、象徴たる魔王殺しのスキルは、自身よりもステータス的に強い存在にしかその効果を発揮しない。
逆に格下相手には、彼女を彼女足らしめる魔王殺しの魔法少女と言う部分が機能しなくなるのだ。ヴァルゼライドと言うサーヴァントは、その格下と言う要素を満たしている。
ステータス的に弱いのであれば、勝てるだろうと思うかも知れないが、事はそう簡単ではない。
魔法少女の時もそうだったが、彼女らは自分だけの魔法と言うものを一つ持っている。通常暗殺や戦闘と言う局面に入った場合、素の身体能力も勿論の事、
その能力も合算して考える。サーヴァントの場合は、宝具だ。スキルだ。こればかりは、解らない。だからこそ、油断が出来ないし、慎重に行きたいのだ。
更にたちの悪い事に、ヴァルゼライドはステータス平均はレイン・ポゥより低いとは言っても、総合的に見るなら自分と強さがさして変わらない。
それどころか、凄まじく武術に秀でたサーヴァントと言うではあるまいか。こう言う手合いが一番困る。
魔王殺しのスキルも昨日しないだけでなく、況してやバーサーカー。演技で騙して油断した所を暗殺、という手法も通じ難い。
それにレイン・ポゥ個人として、もうバーサーカーと戦うのはこりごりだった。先程の、黒贄との戦いがまだ尾を引いている。
「私はもっと賢く立ち回りたいの、解る?」
「私の立ち回り方が、そうじゃないみたいな口ぶりですのね」
「当たり前だろあんぽんたん、鏡見ろや」
本当に、自分の聖杯戦争へのスタンスが優れていると、純恋子は思っていたらしい。
ちなみにレイン・ポゥからしたら、マスターの聖杯戦争への考え方が間違っているなどハナから気付いていた事柄であり、黒贄との戦いで、更にその考えが強まっていた。
「まぁ……、アサシンの御怒りの方も、尤もな所ですわ。令呪も失い、私も不様を晒してしまいましたから。その点は、反省しています」
――本当かよ……――
「猜疑心が顔に出てますわよアサシン。とは言え、口では幾らでも言えますから。誠意代わりに、情報を持ってきましてよ」
そう言えば、黒贄と遠坂凛から距離を離そうとした際に、車の中で純恋子が念話で言っていた。
自分達の手傷がある程度癒えるまで、英財閥の調査室を動かし、<新宿>での動向を改めて探らせる、と。この口ぶりでは、成程、如何やら進展があったようである。
「私達が傷を癒している間に、戦況はかなり進んだようですわね。アサシン、此方のタブレットをお使いなさいな」
言って純恋子はレイン・ポゥに、小脇に抱えていたタブレットを手渡し、それを操作し始めた。
「書類じゃないんだね、今朝のエルセンの時は書類で持って来てたけど」
「書類だと量が多くなって、かさばる位に、<新宿>に動きがあった。そう言う事です」
そんなに状況が動いたのか、と怪訝に思いながら、レイン・ポゥは直近の椅子に腰を下ろし、慣れた手つきでタブレットを操作する。
情報はタブレットの中のあるファイルの中にドキュメント形式で纏められており、それらがトピックスごとに幾つも存在するのだ。
――確かにこの量は書類で見るのはしんどいな――
エルセンが今朝方伝えに来た情報の倍はあろうかと言う程、ドキュメントが存在する。
純恋子の言うように、これだけの量を書類にし直すとなると、読む方も作る方も手間になるだろう。
試しにレイン・ポゥは、ドキュメントの一つをタップする。
そのドキュメントは、南元町で発生した、超局所的な豪雨について記されていた。午前九時ごろの情報らしい。
近頃<新宿>には、天気予報にない局所的な豪雨と稲妻が走る事で有名で、市民や国民から、気象庁の勤怠を指摘されている。
夏場の天気は崩れやすいと当初は思っていたが、目撃情報によると、今回の雷雨は、『南元町だけ』に発生した現象であるらしかった。
実際、秘密裏かつ水面下に気象庁から獲得した、気象衛星からの日本のその時の天気の画像を確認した所、明らかに南元町だけに雨雲が発生しており、
それ以外は雲一つない快晴だったのだ。これで、確信に変わった。この一件にはサーヴァントが関わっている、と。
明らかに天候の崩れが局所的過ぎるからだ。自然のものとは、到底思えない。となれば、この現象を引き起こした下手人が当然いる筈なのだが……。
その肝心要の、サーヴァント及びマスターらしい存在は、発見出来ていないらしいし、南元町の住民に聞き込みを行っても、それらしい存在は確認出来なかったと言う。何れにせよ、警戒しておかねばなるまい。
次のドキュメントをタップする。
そのドキュメントは、<新宿>に放置されていた、怪物の死骸について記されていた。
怪物、と聞くと、魔法使い達は獣のような使い魔を使役すると言う事実を生前伝え聞いた事をレイン・ポゥは思い出す。
ご丁寧に写真が添付されているのでそれを確認すると、成程、確かに怪物としか思えない。三枚の画像を順繰りに確認して行く。
赤黒い体表を持った屈強な体格の存在。何故か、首から上がなくなっている。これは、新大久保のコリアタウンで発見されたらしい。
牛と蜘蛛の相の子のような、巨大な怪物。幼い頃に少しだけ見た、妖怪もののアニメに出て来たそれからデフォルメ分を消して見たような姿だ。神楽坂の飲食店で見つかったらしい。
ライオンや虎が子猫の様にしか見えない程、屈強な体格を持った獣。特筆すべきは隈取のような物を施した人頭を持っている事であろうか。西大久保の裏路地で見つかったらしい。
人類とは肉体の組成が違う為、死亡推定時刻の特定も難しいと来ている。解っている事は三体共に、致命的な外傷の末に殺されたと言う事である。
魔法使いの使役する使い魔、と言う知識があるせいで、何らかのサーヴァント――キャスター辺りか――が使役する存在だと推察したレイン・ポゥ。
そうであって欲しかった。こんな怪物を無秩序に野に放つなど、それこそ狂気の沙汰としか思えない。これもやはり、下手人は要警戒であろう。
次のドキュメントをタップする。
<新宿>二丁目で発生した大規模な戦闘――これは、黒贄と戦う前に散々車内のラジオで聞いた事柄だ。
英財閥の調査室の力を持っても、ラジオで報道されていた以上の情報が解らないと言う点が気がかりだが、さしあたって、見るだけに止めておいた。
次のドキュメントをタップする。
落合方面のあるマンションで起った、車体を輪切りにされた事件と、マンションの一室が凄まじいまでに荒らされていた事件。
これもカーラジオで聞いていた事柄の一つだが、あれから進展があったらしい。荒らされた部屋に住んでいた住民が行方知れずであるのだが、その住民の事が解ったらしい。
住んでいた人物は、北上と呼ばれる少女で、区内の高校に通う、これから受験を控えた三年生であると言う。
顔写真を手に入れているらしく、それを確認するレイン・ポゥ。平凡な少女だった。荒らされたと言う部屋の様子の写真も初めて確認するが……。
正直、荒らされたと言うよりは、部屋の中で竜巻が暴れまくった、としか見えない程の凄惨な光景だ。年若い一人の少女が何をしたら、此処までの恨みを買われるのか。
部屋を此処まで荒らした存在は元より、この北上と言う少女についても、マークをする必要があるだろう。
次のドキュメントをタップする。
早稲田鶴巻町と、新小川町で起った、住宅街での大規模な戦闘。住宅街の模様が撮影されているが、先の北上の私室よりももっと酷い。
地面のコンクリートは溶けて冷え固まり、住宅街は基礎部分が見える程完膚なきまでに破壊されているのだ。曲りなりにも人の密集する地域で、何をやったと言うのか。
読み進めて行くうちに、凡そ何が起ったのか、レイン・ポゥは推測出来た。早稲田鶴巻町と新小川町で、光の柱のような物が、空に向かっていったり、逆に空から降り注いだり。
時には水平に放たれて行く要素を目撃した人物が、幾つもいると言うのだ。光の柱……もしかしなくても、主催者達から討伐令を新たに下された主従。
ザ・ヒーローと、クリストファー・ヴァルゼライドの主従である蓋然性が高い。成程、本当に危険人物であるらしい。指名手配された時点で最も注意するべき存在であったが、この文章を見て、最も警戒するべき主従に変わった。
――粗方読み終え、タブレットの電源を落とすレイン・ポゥ。ふぅ、と、一息吐いてから、口を開く。
「奇跡だね」
「何がですの?」
純恋子が訊ねた。
「此処が襲撃されない所が、さ」
<新宿>と言う場所は狭い。何せ四方四㎞しかないからだ。
都内全域で聖杯戦争を行うと言うのであるのならばいざ知らず、特別区一区に限定して聖杯戦争を行うなど、箱庭で核弾頭を連れまわしているのと殆ど同義だ。
実際その核弾頭の一部は、言い逃れも申し開きも出来ない程その暴威を振っており、主催者から指名手配を喰らっている始末だ。
この調子ではどんな慎重な主従でも、戦火に呑まれる可能性がある。逃げの一手にも、限界が来る。自分達の存在も、やがては広く知れ渡るかも知れないのだ。
レイン・ポゥ達が拠点としているハイアットホテルは特に目立つ建物の一部。これを狙って、聖杯戦争の主従が誰もやって来ないのは、幸運と言う他なかった。
「私としても、此処の拠点を失うのは、余り宜しくはありませんわ。あるとないとでは、雲泥の差ですもの」
「へぇ、珍しく同意見だね。まぁ、私の方がまだまだ手傷は回復出来てないんだわ。今は回復に――」
其処までレイン・ポゥが言った瞬間だった
ギュオンッ、としか形容のしようがない音が鳴り響いたと同時に、天井に、直径二m程の大穴が穿たれたのは。
その音源の方にいち早くレイン・ポゥは気付き、バッと天井を見上げる。遅れて純恋子もそれに従った。
完全な円形に天井は刳り貫かれていた。穴からは、青い青い空が、雲一つない天空を、認める事が出来た。
相手は如何やら屋上から何らかの攻撃をして来たらしい。だが、床には全く傷がない所を見ると、完全に天上だけに穴を空けたようである。
穴を認識した瞬間、レイン・ポゥは、サーヴァントの気配を感知する。
近い。もう後十m頭上に、敵はいる。向こうもその事に気付いているだろう。出なければ、こんな行為をする筈がないのだから。
「まさかこんな状況下でも、お逃げになるのかしら? アサシン」
蠱惑的な笑みを浮かべ、純恋子が問うた。
「暗殺者舐めんなよ。腹括って戦う時だってあるっつの」
暗殺の過程でトラブルは付き物だ。
多少の荒事に覚えがなければ、魔王を葬るその前の段階で命を散らせている。暗殺で殺した魔法少女や要人と同じ位、戦闘で殺した魔法少女だっているのだ。
此処まで来たら、覚悟を決めるしかないだろう。せめて相手が、弱い存在である事を祈るばかりだが……こんな自信満面な挑戦状を叩きつけて来る手合いだ。
自分にさぞ自信があるのだと言う事は、疑いようもない。憂鬱な気分を隠せぬレイン・ポゥだった。気分の高揚を隠そうともしない、英純恋子であるのだった。
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特別な施設、例えばプールやら展望台などがある場合を除き、普通は、建物の屋上と言うのは入れない事になっている。
普通はそうなのであるが、英財閥の関係者に限っては特別だ。純恋子に何かしらの危難があった時の為、と言う理由の下、既に客が宿泊している部屋以外の、
全ての所をパス出来るように許可を取っているのだ。そのような経緯があるから、普通は立ち入る事の出来ない屋上に、純恋子は足を運ぶ事が出来た。
屋上へと続く階段を警備する守衛の人間に、専用の許可証を見せ、階段を上って行く純恋子。
一段一段、段を上る度に、嫌でも解る。気魄と言うか、鬼気と言うべきか。兎に角、オーラと言う物が、一般人の純恋子にすら理解が出来る程だった。
この先に、凄まじいまでの怪物がいる。純恋子にすらそれが解るのだ、況や、レイン・ポゥなど、語るに及ばず。
【頭数は一人だよ】
念話でレイン・ポゥが言った。
【問題は、そいつが凄まじいまでの怪物だって事だけど】
【貴女が戦ったバーサーカーと比較は出来ますか?】
【見てみない事には解らない】
そんな事を話す内に、屋上へと繋がる扉の前にやって来た。
レイン・ポゥの逡巡など全く斟酌せずに、純恋子は勢いよくそのドアを開けた。降り注ぐ昼の光、頭上に広がる純潔のような青い空。
そしてそれとは対照的な、陰鬱なコンクリートの床と、エアコンの室外機。抜けるような自然の青空と、不細工な文明の一面が同居したその風景は、酷くアンバランスだった。
そのアンバランスな風景の先に、その存在は立ち尽くしていた。
くすんだブロンドを短髪に纏めた女性で、頭にパナマ帽を被り、夏場であると言うのに、ドレスコートが暑苦しい。
しかし当の本人はそれを、平気な様子で着こなしていた。だが何よりも特徴的なのが、その整った顔立ちか。
左右線対称で、目鼻立ちも完璧に等しく、肌の色も白磁を思わせるような素晴らしい白であった。血が、透けて見えそうだった。
表参道でも歩いていれば、十人が十人、二度見は間違いない程の美人。そんな女性が、腕を胸の前で組み、尊大な態度で此方の事を値踏みしていた。
そして――その値踏みするような表情が、驚きに染まった。
彼女だけでない。純恋子が引き当てた、虹を操るアサシン、レイン・ポゥも。最も、レイン・ポゥの場合は驚きと言うより、蒼白、に近かったが。
「……クク、驚いたな」
最初に口火を切ったのは、パナマ帽の女性の方だった。複雑な喜悦が、その声には混じっていた。
「久々だなレイン・ポゥ? お前とはサシで話して見たかったよ」
驚いたのは純恋子である。
レイン・ポゥ。自らがその名を口にしない限り、絶対にその真名など解りっこないサーヴァントであった筈なのに、目の前の女性は、それを普通に当てて来た。
しかも如何やら口ぶりから察するに、この二人は、知り合いとみて間違いなさそうだった。その事を念話で、レイン・ポゥに純恋子は訊ねた。
【知り合いですの?】
【……アンタに話した事あっただろ? 私が魔王殺しのスキルを獲得した所以】
レイン・ポゥの声には、驚く程精彩がない。癌を告げられた患者ですら、まだマシな声を放つだろう。
【えぇ】
【私が殺した魔王その人だよ】
それを受けて、純恋子は、驚いた――のではなく、逆に、フフン、と言うような態度で、気を強く持ち始めた。
【何だ、それなら雑魚じゃないですの】
【は?】
「貴様ら、何をベラベラと念話で喋っている!!」
雪崩の如き一喝を、パナマ帽の女性は轟かせた。
優美で儚げで、指で突けば溶けてしまいそうな可憐な容姿とは裏腹に、内情は、燃える鋼のようであった。
この喝破のみを聞けば、軍隊上がりの女教官と言われても、まだ信じる事が出来るであろう。
「何をそんなに強く出ているのです?」
純恋子の方も腕を組み、不敵な笑みを浮かべてパナマ帽の女の方に注視する。互いの目線が、絡まり合った。
「我がサーヴァントから聞きましてよ。貴女、魔王などと言う大仰な名前で呼ばれて居ながら、私のアサシンに不覚を取った小物らしいですわね」
「え、え?」
レイン・ポゥは純恋子の後ろで困惑していた。一人で勝手に何話してんだコイツ。
「生前、我がサーヴァントに敗れた者が、私の操るサーヴァントに勝てると思いまして? アサシン、魔王殺しの伝説を再びこの地で成就させなさい」
「ふあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!!?!?!?!!?!?!」
余りの展開にレイン・ポゥが叫んだ。
何言ってくれてんだこの女と言う感情と、こいつなら絶対言うと思ったと言う諦念と、そもそも何でこの地に魔王パムがいるのだと言う思い。
この三つがぶつかり合った瞬間、レイン・ポゥの思考はショートを引き起こしてしまった。
一種の混乱状態に陥ってしまったレイン・ポゥであるが、一つだけ、導き出せている答えがあった。自分では、パムには勝てないと言う現実だった。
レイン・ポゥと言うアサシンの一番真っ当で、そして、本人自身も認識している一番の暗殺の方法は、二つ。
一つは気配遮断を以て油断した所を一撃で。そしてもう一つが、相手にとって好ましいと思う自分を演じ、気の緩んだところで相手を葬る、と言う物。
この二つの方法を適宜使い分ければ、どんなサーヴァントでも、殺しうる……筈だった。しかし、何事にも例外は存在する。
その方法では絶対殺せないサーヴァントが、一人存在する。それは皮肉にも、自身が英霊として登録される原因であり、目の前で威風堂々と佇む『魔王パム』である。
単純である。パムはレイン・ポゥが如何なる方法で暗殺を実行するのか、それを身を以て知っているからだ。
そもそもパムは、レイン・ポゥが何百人いた所で、汗一つかく事もなく蹴散らせる程の強さを誇る、規格外の魔法少女。
そんな存在を暗殺出来たのは何度も言うように、奇跡に等しい偶然をレイン・ポゥが最大限利用したからに他ならない。その偶然がなければ、彼女は勝てない。
パムがレイン・ポゥの事を忘れているのであれば、まだチャンスはあったかも知れないが、百%向こうは、この虹の魔法少女の事を知っているのは口ぶりからも明らかだ。
レイン・ポゥの手口も当然知っている事になる。更に最悪なのは、自分の姿を完全に認識、そして意識している事だろう。
当たり前だ、生前自分を暗殺した存在がそのままサーヴァントとして呼び出されているのだ、警戒しない筈がない。つまり――レイン・ポゥは、完全に、詰んでいた。
「……ぷっ、ククク、あはははははは!!」
堪え切れない、と言った様子でパムは爆笑を始めた。
彼女の性格を知るレイン・ポゥからしたら、パムの反応は俄かに信じ難い物だった。
アメリカ辺りで封を切られた、軍隊ものの映画に出て来る鬼教官そのもののような性格の持ち主、それが、魔王パムだ。
ちょっとした私語で頬を叩かれた回数など、十回は超えていた筈だ。そんな性格の彼女である、今の純恋子の不遜な物言いなど、断じて許せるものではない筈だろう。
それなのに、パムは、本当に面白いと言った様子でひとしきり笑い終えた後で、眦に浮かんだ涙の粒を弾き飛ばしながら、言った。
「いや悪い悪い、余りにもお前には似合わないマスターだと思ってな。マスターの性格に牽引されて、サーヴァントが呼び出されるのではないのか?」
それに関してはパムよりもレイン・ポゥの方が疑問に思っている。如何して自分のこの性格で、このマスターを宛がわれるのか、理解不能だ。
「良い性格をしているな、お前。魔法少女になったらさぞや魔王塾に相応しい人物になるだろうさ」
「生憎、魔法少女になる夢はとうの昔に卒業しておりますので」
「何だ、其処の食わせ物から聞かされていないのか? 魔法少女は――」
其処まで言った瞬間、レイン・ポゥが動いた。
魔王が話に夢中になっている間。この怪物を屠るには、この瞬間をおいて他にない。
虹を伸ばす方向にも、気を配らねばならない。この魔王程戦闘に手慣れた魔法少女に限っては、余程油断していない限り死角からの攻撃は通じない。
況してやレイン・ポゥはアサシンのサーヴァント。目で見えぬ範囲の攻撃には、より神経質にあの魔王は気を配っている事だろう。
故にレイン・ポゥは、裏をかき――真正面から、虹の刃を高速で伸ばし、魔王の胴体を真っ二つにせんと放った!!
電柱ですら容易く切断する虹の縁が、魔王パムの、コートに包まれた胴体に当たる。
乙女の白肌と綿のような柔らかさの筋肉を切断――しない。虹の進行が、そこで停まった。
更に、パムの服装が、黒いドレスコートから、黒い『ライダースーツ状の服装』に、一瞬で変貌しており、その服に虹が触れているだけで、ここから虹はビクともしない。
タイトなライダースーツは、魔王パムのボディラインを扇情的に浮かび上がらせている。女性の持つ優美さと戦士の持つ強靭さが、最良の形で融合した美しい肉体だった。
豊かな乳房と、くびれた腰。人体の理想と言うよりは、彫像の理想形と言うべき身体つきだった。古代ギリシアなら、優美の理想形である女神(ヴィーナス)のモデルに、この魔王を選んだ事だろう。
「ハハハ、何だ、お前はそんなに解りやすい性格だったのか!!」
虹の刃を臍の辺りに押し付けられたまま、魔王パムが笑った。
「良いぞ、お前みたいに乱暴な奴は嫌いじゃない。それにその、怯えの中に隠された、ギラつくみたいな殺意はどうだ? 全く、お前は生前、相当上手く私に本性を隠していたんだな」
「うっせぇんだよこのババァ!! また生前みたいに全身挽肉にして不細工に殺してやるから黙ってろ!!」
嘗てない程の怒気を発散させて、レイン・ポゥが叫んだ。純恋子とコミュニケーションを取っている時ですら、此処まで彼女が怒った事はない。
簡単な話だ。この虹の魔法少女は、魔王パムと言う魔法少女が、心の底から嫌いなのだ。
如何にも外面の良さそうな外見をしていながら、その性情は暴君極まりない、身勝手で、暴力的なそれ。他者を抑圧し、自分の望む方に相手を導くその姿。
レイン・ポゥは、そんな魔王パムの姿を、レイン・ポゥではない三香織だった時代に存在した、自らの姉の姿を重ねていた。彼女もまた、家庭内の暴君だった。
だから、嫌いだった。憎んでも憎み切れない程、大嫌いだった。だから生前――自らの虹でパムの命を奪った後も、彼女を念入りに五体を切り刻んで殺してやったのだ。
最初にこの地でパムを見た時は、勝てないから逃げようと思った。
しかし事此処に至って、怒気が勝った。どの道あの怪物相手では、到底逃げ果せる事も出来ない。実力差にはそれ程開きがある。
ならば、此処で奮闘した方が、まだ勝ちの目がある。レイン・ポゥは、そう踏んでいた。
レイン・ポゥは頭上から、幅二m程の虹の道をギロチンの如く超高速で落下させた。直撃すればパムの頭は割れたスイカの如くになるだろう。
魔王パムの能力は、覚えている。背中から生えている黒く大きい四枚の翼を、『自由』に変化させる能力だ。
恐らく彼女は、纏わせていた黒いドレスコート――に変形させていた翼の一枚を、あのようなライダースーツに変えさせたに相違あるまい。
ならば、スーツで纏われた箇所以外の所を攻撃するしかなかった。そして、レイン・ポゥの推測は事実その通りで、翼を変形させたあのライダースーツは、ゼロ距離でのC4の爆発すらも、無衝撃でやり過ごせる程の防御能力を持っていた。
パムは、笑みを崩さず、右腕を頭上に掲げ、落下する虹の刃を受け止める。
指先までスーツは覆っている為、指の一本持って行く事すら、レイン・ポゥの宝具は叶わなかった。
「良い事を教えてやろうレイン・ポゥ。頭は人間の身体の中ではかなり的が小さい。狙われると最悪死に至る器官が集中している所でもあり、故に狙われやすい所だが、だからこそ、初めから其処を狙っていると解ると、対応しやすいのさ」
黙れ、と言う事も最早レイン・ポゥはしない。
ただ無言で、しかし、悪鬼の如き表情を浮かべ、美しい七色の刃をパムの頭へと殺到させる。
「魔剣(グラム)」
そうパムが言った瞬間、彼女の左手に、黒い剣身の剣が握られていた。
刃渡りは一m程、柄の方は、彼女に握られていて見えない。剣身を墨液に漬け込んだとしか思えない程の黒いそれを、パムは振った。
前方から迫る虹は、その剣に当たった瞬間、直撃した箇所から根本まで粉々に粉砕してしまう。
その一本を破壊したままの勢いで、ずっと右手で受け止めていた頭上の虹に黒剣を直撃させ、これも破壊。
そして、背後から迫りくる細い虹の刃も、先の二本と同じ運命を辿らせる。
レイン・ポゥは、パムが背後の虹を破壊したその瞬間には、地面を蹴っていた。
あの程度の虹ではパムを殺せない事など知っていた。本命は、レイン・ポゥが接近する事による攻撃だ。
悔しい話だが、直線軌道の虹を放つだけでは、例えその虹の本数が百万本だろうと百億本だろうと、結果は同じだと考えていた。
十m近い距離が、一瞬で二m程にまで縮まる。右掌から長さ三m程の虹の刃を伸ばし、それをパム目掛けて突き刺そうとした。
それを嘲笑うかのようにパムは、左方向にステップを刻む事で回避。虹の刃が空を切る。
伸びた虹の刃に、パムが右脚によるトゥーキックを放つ。戦車砲ですら防ぐ筈のそれは、パムの細い脚の一撃で、ペキンッ、と言う音を立てて圧し折れてしまう。
パムは魔法少女として最高水準の身体能力を誇るが、果たして虹を折ったのは、彼女の自前の筋力なのか、それともスーツのせいなのか。それは、レイン・ポゥには解らない。
「平伏す黒重(ブラックライダー)」
そう言った瞬間だった。
パムが握っていた魔剣(グラム)と呼ばれていた剣が霧のように消えてなくなったのは。
急いで次の攻撃に移ろうとしたレイン・ポゥであったが、次の瞬間、攻撃しようとした態勢のまま、俯せにぶっ倒れた。
それは、意識がなくなって倒れたと言うよりも、突如として背中に恐ろしく重い物を背負わされた時のような倒れ方に似ている。
事実彼女の手足は、まるで生きた昆虫の背中をそのままピンで刺した様に動いており、この事から、今も必死の抵抗をしているであろう事が窺える。
「良い名前だと思わないか? ブラックライダーとは黙示録に登場する四体の騎士の一騎の事でな、飢餓を以て地上の人類の1/4を殺す権利を与えられた天の遣いの事だ。勉強になるだろう」
何故自分の考えた技名を説明する時に、凄い誇らしげな表情をするのか、レイン・ポゥにも純恋子にも理解が出来ない。本当に、パムは何故か嬉しそうだった。
「アサシン!! 立ち上がりなさい、如何したのです!!」
「立とうにも立つ事が出来んのさ。今私は翼の一枚を『重力』に変えさせた。今レイン・ポゥには、魔法少女の身体能力を以ってしても、活動不可能な過重力が掛けられている」
「嬲り……殺しが趣味とは、恐れ入ったよ魔王様」
苦しげに呻きながら、レイン・ポゥが言葉を発する。一言一言発するのも辛い様子である事が、純恋子にも窺える。
「私を……、滅茶苦茶にして、殺すか? 昔私が……アンタにそうした……みたいに、さ!!」
そこで言葉を切り、レイン・ポゥはパムの真横から虹を飛来させる。直撃すれば彼女の頭を鼻梁の真ん中から切断するだろう。
しかし、一直線に伸びた虹は、パムに当たるまであと一m程と言う所で、ベキンッ、と嫌な音を立てて圧し折れてしまった。
「私の周りの重力の強さを、今お前に掛かかっているそれよりも強く設定させた。無駄な抵抗はやめておけ、虹が自重で折れるだけで、私には掠り傷も負わせられんぞ」
「んの、クソババァ……!! 焦らしてないでさっさと殺れよ!! どこまで捻じ曲がってんだよお前は!!」
全身の内臓が骨ごと潰れそうな程の重力の中で、レイン・ポゥは叫んだ。
肺の中の空気を全て使い果たして叫び終え、呼吸をするのも最早難しい。魔法少女程のスタミナの持ち主が、息切れを起こしていた。
その言葉を聞き届けた瞬間、パムは、レイン・ポゥに掛かっていた重力を解除させ、彼女が纏う虹色のコスチュームの襟部分を乱暴に掴み、
無理やり彼女を立ち上がらせた。何が何だか解らない、と言うような表情を浮かべるレイン・ポゥの頬を、パムは思いっきり平手打ちした!!
アドバルーンが割れたような破裂音が響いたと同時に、レイン・ポゥは矢の様な勢いで吹っ飛んで行く。
転落防止の為のフェンスに激突。パムの張り手の威力は、クッション代わりになった金網部分が千切れている事からも、推して知るべし、と言う所であった。
「痛ぅ……!!」
奥歯が折れてないかと、口内に舌を這わせるレイン・ポゥ。一本も折れてないし、欠けてもない。口内が少し切れただけだ。
本気でぶった訳ではない事は、自身が生きている事からも明らかだ。パム程の膂力の魔法少女が本気で頬を張れば、下手な魔法少女なら顎の位置が上下逆転している。
「アサシン、大丈夫ですの!?」
大丈夫な方が不思議だよ、と思いながらも、レイン・ポゥは立ち上がろうとする。
「私の溜飲はこれで下がった。私を殺した仕打ちに対する仕返しは、今の一撃でチャラにしてやる」
「――は?」
殴った側の掌を、パンパンと叩きながらそう言ったパムを、レイン・ポゥは信じられないものを見る様な目で見つめていた。
「不思議そうな瞳だな。殺しでもしない限り、納得が行かないとでも思っていたか?」
「だって私は、アンタの敵で……アンタを殺した暗殺者だぞ」
元々、レイン・ポゥは、魔王パムが任務の一環で逮捕、状況次第では抹殺せねばならなかった標的だった。
そして何度も言うように、この虹の魔法少女は、魔王とすら言われた、魔法少女達にとっての雲上人であるパムを殺害した張本人。
自分を殺した者を見て、烈火の如き性情を持ったパムが、許す筈がない。レイン・ポゥでなくとも、皆、そう思うに相違ない。この常識を、パムはあっさりと覆した。
「魔法の国に纏わる、仕事上の因縁は、水に流してやる。そもそもこの世界には魔法の国も何もないのだぞ? 今更、生前未遂に終わった任務の事をウジウジ考えても、しょうがないだろう」
その辺りは、キッパリと分ける性格であるらしかった。だが、自分自身を殺した、と言う揺るぎない事実を、分けても良いのか。魔王パムよ。
「もう一つ、私を殺したと言う関係についてだが……。私とて煩悩の多い生き物だ、あの件については、思う所が何もないと言えば嘘になる。お前のせいで魔王塾は解散してしまっただけでなく、外交部門も危うく消滅寸前になったからな」
魔王パムの死が与えた影響と、その死が残した爪痕は絶大だった。
何せ、当代どころか歴代でも最強の誉れが高い魔法少女が、取るに足らない任務で殉職したのである。影響が小さい、訳がなかった。
魔王パムと言う最強のワイルドカードを失った魔法の国の外交部門は、その発言力を極限まで落とし、部署としてのパワーを著しく低下させた。
そして、その外交部門を後ろ盾にしていた、パムを塾長とする魔王塾は、それまでの傍若無人な行いのせいもあり、即座に解散に追い込まれた。
レイン・ポゥの放った七色の刃は、多くの魔法少女を路頭に迷わせ、また、多くの関係者を不幸にさせてしまった。ある意味で、魔王殺しの負の側面と言えた。
魔王塾生でもあり、唯一認めた高弟と言っても過言ではない、森の音楽家に纏わる忌まわしい事件でも、思う所があったのだ。自分の死が直接齎した影響に、何も思わぬ訳がなかった。
「思う所は確かにあったが、それでお前を恨み骨髄、と言うのも筋が違うだろう」
ふぅ、と其処で一呼吸パムは置いた。
「私はあの時、お前と、お前の連れの魔法少女に何と言った。魔法少女は常に臨戦態勢でいろ、油断するな……そんな事を懇切丁寧に指導したのだぞ? 全く笑えるだろう、居丈高にそう言っておきながら、その実誰よりも油断していたのは、私だった」
クク、と笑いを堪えきれぬ様子で、忍び笑いを浮かべるパム。
「お前は、この私を相手に見事に演じきった。突然魔法少女にされて訳も分からず混乱する、無力な女子中学生と言う役割を、この私を前にして臆する事なくだ。
私の理不尽な行いや言動に耐え続け、ついにお前は、私を殺せる機会を手繰り寄せ、それを最大限に利用し、私を葬った」
「――そうだ」
「お前は強い。そして、狡賢く、強かだ。だからこそ、私はお前を恨むのではなく、評価している。お前は自分が持ちうる全ての才能を活かして、私を殺った。
年齢、身長、魔法少女としての能力の微妙さ、演技力、そして、経験。これら全てを有効に使って、お前は私を殺した。私はお前を恨むどころか寧ろ、評価の上方修正すらしているぞ?」
更に言葉を続けるパム。
「私は見苦しく、不様な真似は嫌いだ。お前を恨み、否定すると言う事は、『戦場では油断してはならない』、『殺される奴が愚か』と言う、
この魔王パムが散々弟子達に偉そうに垂れた高説すらも否定する事になる。自分が負けた理由を捻じ曲げ、お前に全て責任転嫁する。
これは確かに簡単だが、これ程見苦しく見っともないものはあるまい? 私が常々口にしていた言葉が、薄っぺらい物になるのだから。
それならば、私はお前から与えられた敗北を受け入れる。そして、お前を認め、自身が如何に油断して、馬鹿だったかも自覚するさ。その方が、ずっと在り方としては高潔だろう?」
「……はっ、馬鹿じゃないのアンタ。まさか今の一撃で、生前での因縁を本気でチャラにするつもり?」
「心配するな、私はお前を認めこそすれど、もうお前に不覚を取る事もない。自惚れでも何でもないぞ、貴様の性格も能力も既に理解しているのだ、此処からどうやってお前は私の寝首を掻くと言うのだ?」
言葉に詰まるレイン・ポゥ。相手は、自分の能力から本性に至るまで、全て身を以て理解している魔法少女でありサーヴァントだ。
今更猫を何枚被った所で、騙す事など不可能であるし、例え令呪のバックアップがあったとしても、この怪物を葬るのは不可能に等しいだろう。
平素の実力で戦った場合、それこそ天と地程の開きがある戦力差だった。
「それで、貴女は自分の気が晴れたのならば、如何するのです?」
純恋子が至極当然の疑問を投げかけた。考えてみればこの二人は、そもそも何故パムが此処にいるのかが解らないのだ。
「このホテルを当面の拠点としようと思った矢先に、サーヴァントの気配があり、それを誘った所、お前達だった訳だ。まぁ何だ、今の私には当面の宿がない、お前達の部屋に泊めろ」
「ごめん、ちょっと意味が解らない」
「一日十万円払えば足りるか? 金だけは一応あるぞ」
「そうじゃねよ馬鹿魔王!! 泊める訳ないだろ!! て言うか、自分のマスターの所で寝泊まりしろや!!」
レイン・ポゥとしては、こんな危険極まりない人物と一緒の部屋で過ごすなど、断固として反対だった。
生前散々殴られた事は、英霊になった今でも覚えているし、何よりもこのパムと言うサーヴァント自体、かなり喧嘩っ早く、要らぬ火種を巻きかねない。
戦闘は最小限度に留める事が原則のアサシンにとって、要らぬ戦闘を繰り広げようとする存在と共に過ごすなど、死んでも御免なのだ。
しかも現状、そんな余計な事をマスターである純恋子自体がやる傾向が強い。それがもう一人増えるなど……考えるだに、おぞましい。
「生憎、私にはマスターがいなくてなぁ。頼れる者がいないのだ。其処で偶然にもお前を見つけたと言う訳だなレイン・ポゥ。これは頼らない訳には行かないだろう」
自身を殺した相手に宿を借りるなど、相当頭がおかしいとしか言いようがないが、そんな思考回路も、魔王パムであればこそなのだろう。
戦士や猛将の精神を持った存在から見たら、パムの姿は肝が据わっているだとか、度胸がある、所謂女傑に見えるのだろうが、一般人としての感性を持ったレイン・ポゥからしたら、本物の狂人にしか映らなかった。
「……マスターが、いない?」
純恋子がその部分に反応した。余りにも突飛なパムの発言で忘れがちだったが、確かに、この文脈は相当おかしい。
通常聖杯戦争において、マスターとサーヴァントは不可分の存在に等しい。いわばコインの裏表だ。サーヴァントにはマスターがいるのは、当たり前の事なのだ。
それが、いない、と来ている。まさかパムは早々にマスターを殺されてしまったのだろうか。言っては何だが、パム程のサーヴァントを引き当てておいて、
自分達より早く脱落する等、相当センスがないとしかレイン・ポゥには思えなかったが、如何も、パムの様子を見るにそう言う訳でもないらしい。
本当に、マスター自体が『初めから存在しない』らしいのだ。幾ら単独行動に優れたアーチャークラスと言っても、これは妙である。
「その事も私を泊めれば教えてやる。恐らくは、決して貴様らでは知り得ぬ情報だぞ。どうだ、レイン・ポゥのマスター。私はこれでもそれなりに義理堅いぞ、此処でナシを付けておけば、後々有利だぞ」
「……断った場合は?」
レイン・ポゥの問いに、ニッ、とした笑みを浮かべて、こう言った。
「仕方がない、立ち退こう。だが、うっかり口を滑らせて、他の主従にお前達の事を話してしまうかも知れないな」
「なっ、お前、卑怯だぞ!!」
「あら、我々の方から敵の所に向かう敵が省けて宜しいのでは」
「黙ってろ脳筋女、話がこじれる!!」
「貴女の為を思って言いましたのに……」と拗ねだす純恋子。何処がだ。
何れにしても、魔王パムはこのまま見過ごして良い相手ではない。この女性は、やると言ったら本当にやる人物だ。
このままだと、数時間後には<新宿>に跋扈する多くの主従が、既にレイン・ポゥの事を知っていた、と言う事態にもなりかねない。
頭の中の思考回路が火を噴きかねない程に、思考をフル回転させるレイン・ポゥ。
視界の端で、「ほら、如何した? もうすぐ帰ってしまうぞ?」、と急かすパムが殺したくなる位目障りだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
結論から先に述べるのならば、レイン・ポゥは、パムの要求を呑んだ。
正に、断腸の思いと言う体で、だ。「わかった」、この四文字を口に出すのに、身体の主要器官の過半を代償にした、とも言うべき消耗をしてしまった。
結局その旨を表明する決め手となったのは、自身がアサシンクラスであるから、と言うのが大きい。
三騎士や、指名手配されているクリストファー・ヴァルゼライドの件を見てもそうだが、一般的に戦闘能力に優れたサーヴァントと言うものは、
たとい宝具の詳細やその正体が明らかになったとしても、地力が強いので、生半な強さでは逆に返り討ちにされる可能性が高いのだ。
レイン・ポゥの場合はそうは行かない。暗殺以外に勝ち筋が薄いアサシンクラス、その中に在ってレイン・ポゥは特に、自身の正体と本性が露見してはならないサーヴァントだ。
情報の秘匿性が特に重要になる彼女にとって、自身の正体とそのクラス、そして宝具が明らかにされ、それを他者に広められると言うのは最も避けたい事態。
マスターに純恋子を宛がわれた事により、只でさえ消しゴムで限界まで薄く消されているに等しい勝ち筋が、完璧に消されるのは絶対に御免だった。
だから、血を吐く様な思いでレイン・ポゥはパムの要求を呑み、一緒の部屋で過ごす事を許可した。
当然純恋子は否定的な意見を念話で主張したが、先の黒贄との一戦による失点でレイン・ポゥも反論。彼女の意見を折っておいた。
そうして、現在に至る。
何でもパムは、そもそもの出自からして、一般的なサーヴァントとは一線を画する存在であるらしいのだ。
曰く、<新宿>において『メフィスト病院』と呼ばれる病院で彼女は召喚されたと言うらしい。
その方法にしても特別で、ドリー・カドモンと呼ばれる特殊な触媒に、アカシック・レコードと呼ばれる場所から自身の情報を固着させ、それによってサーヴァントとして<新宿>に現界していると言うのだ。
……俄かに信じ難い。だが、培ってきた人間観察力が、それは違う、パムは嘘を吐いていないと告げている。
パムの言っている事が思い違いでなければ、メフィスト病院は特に警戒しておかねばならない施設となる。
それはそうだ、もしも彼女の言う事が事実であれば、メフィスト病院はサーヴァントを多く従えられると言う事になるのだから。
尤も、それが解っているからと言って、如何する事も出来ない。何せ自分はアサシン、直接戦闘能力に秀でているクラスではない。
それにパム曰く、自身を作り上げたキャスターは、自分ですらも勝てるかどうか危ういと言う程の強敵であるらしく、
レイン・ポゥでは一万回戦っても埃一つ着けられるか否かの次元らしい。馬鹿にしている、とは思わなかった。パムは尊大だが、戦闘に纏わる事柄に対しては凄まじい慧眼を持つ。だから此処は、彼女の言う事を信じる事にした。よって、メフィスト病院は、以前どおり、当分は様子見である。
――さて、それはそれとして、だ。
「ほう、そんなサーヴァントがいたのか!! 聖杯戦争、ますます面白いじゃないか!!」
「えぇ。アサシンがどんなに虹の刃で斬りかかっても、平然として戦いに赴くその姿。恐ろしくもある一方で、かなり雄々しかったですわ」
「面白い面白い、そんな存在がいるとなると、いても立ってもいられんぞ。純恋子とやら、他には誰と戦ったのだ?」
「申し訳ございませんわ、如何も我々には運が向かないと言いますか、その一人としか戦えていませんの」
「そうか、うむ。気にする事はない。まだまだ聖杯戦争は始まったばかりだろう。これから戦えば良い」
「えぇそうですわ、まだまだ序盤ですものね」
……何故か、パムと純恋子が打ち解けていた。
そもそもの馴れ初めは、パムがレイン・ポゥに話しかけても、レイン・ポゥ自体が全く反応してくれないので、仕方なく純恋子に話しかけた、
と言う物であったが、これが予想以上に二人の馬が合う。どちらもかなりイケイケの気が強く、戦闘については積極的な性格なので、考えてみればそれは当然と言えた。
如何してあの女の呼び寄せたサーヴァントがパムではなく自分なのか。あの魔王の方が、余程性格の反りもあっているではないか。
兎も角、話が盛り上がる分には問題ない。
勝手にしていろ、と言う所であるのだが――
「ですが問題は、私の所のアサシンをどのように、あのバーサーカーを倒せる位の強さにするのか、と言う事なのですが……」
「うむ、確かに。敵に背を向けて遁走するのは、魔王塾の生徒として相応しくないな」
「何か案はありますか?」
「私の羽で強化させると言う手段も無きにしも非ずだが、やはり自分の力で勝利を勝ち取って欲しい物だな」
「成程。それは確かに、一理ありますね」
「レイン・ポゥは慎重過ぎるからな。其処が長所でもあり、短所でもある。ふむ、私の羽を興奮物質に変換させ、意気を昂揚させる、と言うのはどうだ?」
「まぁ、そんな事が出来るのですか!?」
「出来るぞ。戦闘に対する意識を昂揚させ、近接戦闘の鬼にさせる。これなら、戦闘に対する覚悟も、決まる事だろう」
「でも裏返せば、長所も消滅する事になりますわね。そうなったらば――」
「運だ。奴は悪運が強い、二度までなら生き残れるだろう」
「えぇ、そうですわね」
……話を聞くだに、恐ろしい内容と言う他なかった。
何故か勝手に魔王塾の生徒にされていたり、基本的人権など犬に喰わせたとでも言わんばかりの非人道的な作戦を練っていたり、その作戦についてのフォローもなかったりで。
兎に角、レイン・ポゥの意思など何処吹く風、と言う様子で侃々諤々の議論を二人は続けていた。
しかも二人の性格上、冗談ではなく、本気でやりかねないのが怖い。何せマスターがあの英純恋子、その相談役が、あの魔王パムなのだから。
――頼むから死んで欲しい――
あの二人が即時的に死ぬ事故が巻き起こり、そして自分を必要としてくれるはぐれのマスターの到来を、レイン・ポゥは祈っていた。
……そんな美味しい状況など起こる筈もないから、今こうして、ルームサービスのワインを口にしているのだが。
酒に酔って全てを忘れたい気分だが、人間と比して規格外の、魔法少女のアルコール分解能力と、そもそもサーヴァントとしての特性がそれを許さない。
ワインを五分で一本空けたが、酩酊の気配すら起きそうにない。魔法少女になると、酒による逃避も出来ない事を、レイン・ポゥは学んだ。
嫌な知識が、また一つ増えてしまった、レイン・ポゥなのであった。
【西新宿方面(ホテルセンチュリーハイアット)/1日目 午後1:30分】
【英純恋子@悪魔のリドル】
[状態]意気軒昂、肉体的ダメージ(小)、魔力消費(小)
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]サイボーグ化した四肢(現在右腕と右足が破壊状態)
[道具]四肢に換装した各種の武器(現在は仕込み式のライフルを主武装としている)
[所持金]天然の黄金律
[思考・状況]
基本行動方針:私は女王(魔王でも可)
1.願いはないが聖杯を勝ち取る
2.戦うに相応しい主従をもっと選ぶ
[備考]
・アーチャー(パム)と事実上の同盟を結びました
・パムから、メフィスト病院でキャスター(メフィスト)がドリー・カドモンで何を行ったか、そして自分の出自を語られました
・遠坂凛&バーサーカー(黒贄礼太郎)、セリュー・ユビキタス&バーサーカー(バッター)の所在地を掴みました
・メイド服のヤクザ殺し(ロベルタ)、UVM社の社長であるダガーの噂を知りました
・自分達と同じ様な手段で情報を集めている、塞と言う男の存在を認知しました
・現在<新宿>中に英財閥の情報部を散らばせています。時間が進めば、より精度の高い情報が集まるかもしれません
・遠坂凛が実は魔術師である事を知りました
・次はもっとうまくやろうと思っています
【アサシン(レイン・ポゥ)@魔法少女育成計画Limited】
[状態]霊体化、肉体的ダメージ(小)、魔力消費(小)、嵐のよう荒れ狂い海の様に尽きる事のないストレス
[装備]魔法少女の服装
[道具]
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯獲得
1.マスターを狙って殺す。その為には情報が不可欠
2.こいつらの頭に隕石とか落ちないかな……
[備考]
・バーサーカー(黒贄)との交戦でダメージを負いましたが、魔法少女に備わる治癒能力で何れ回復するでしょう
・遠坂凛が実は魔術師である事を知りました
・アーチャー(パム)と事実上の同盟を結びました。凄まじく不服のようです
・パムから、メフィスト病院でキャスター(メフィスト)がドリー・カドモンで何を行ったか、そして自分の出自を語られました
【アーチャー(魔王パム)@魔法少女育成計画Limited】
[状態]健康、実体化
[装備]パナマ帽と黒いドレスコート
[道具]
[所持金]一応メフィストから不足がない程度の金額(1000万程度)を貰った
[思考・状況]
基本行動方針:戦闘をしたい
1.私を楽しませる存在はいるのか
2.聖杯も捨てがたい
[備考]
・現在新宿駅周辺をウロウロしています
・英純恋子&アサシン(レイン・ポゥ)と事実上の同盟を結びました
投下を終了いたします。期日を大幅にオーバーした事を、此処に謝罪いたします
投下おつー
純恋子さま、あなたその理論だと一生晴ちんに勝てないから!
パム召喚時点でいつかぶつかると思ってたらまさか速攻ぶつかって平和的に解決するとは……
ポゥの頭痛の種が二倍になったけど
パムの許した理由やポゥの魔王嫌いの訳に短編とかも合わせて踏み込んでいて面白かったです
前回あえなく破棄してしまった予約のリベンジをします
ソニックブーム&セイバー(橘清音)
荒垣真次郎&アサシン(イル)
番場真昼/真夜&バーサーカー(シャドウラビリス)
予約します
パムとレインポゥの噛み合ってなさとどんどん胃痛が加速するレインポゥにワロタ
まほいく勢仲悪すぎィ!
多分期限内に書き上げる可能性が低いと判断しましたので、延長します
ついでに上の予約に、セリュー・ユビキタス&バーサーカー(バッター)を追加いたします
期待してます
投下します
目が覚めて、瞳に映ったのは、知らない天井だった。
染みもなければ埃も無い、蜘蛛の巣なんて以ての外。磨き上げれたような綺麗な白い天井と、漉き立ての紙にも似た白い色の壁紙。
空気中には塵の一つも舞っていない、無臭の気だけが空間の中に充満していた。臭いもなければ塵埃もなく、部屋の中に在る調度も全て、整理整頓されている。
此処は正に、清潔と言う言葉の具現そのものだった。
番場真昼が先ず思った事は、此処は何処だろう、と言う事だった。
白くて、清潔な空間。病院なのかも知れない、と彼女は思った。改めて、自分の現在の状態を彼女は確認する。
干したてとしか言いようがない程暖かで、柔かい掛け布団を掛けられていた。生綿その物の様な柔かさのマットレスのベッドの上で、彼女は今まで眠っていたらしい。
布団を除け、自分の服装を確認する。彼女は現在白色の病衣を纏った状態で、此処からも、この場所が病院なのだと言う確信を彼女は深めて行く。
「――そうだ、真夜……!!」
考える内に、真昼は、自分にはより確実な物事についての確認手段がある事を漸く思い出した。
真夜、自分の身体の裡に眠る、もう一人の人格。夜の間だけ自由に動ける、自分の大切な友達。自分の異常性の発露そのもの。
彼女に聞けば、全て事足りる。真昼は彼女に、自分の身に何が起こったのか、その事を訊ねる。
もう一人の自分とも言うべき人格の説明は、二分程も続いた。
そしてその話を聞いた時、真昼は、瞳に墨でも塗られたように、視界が黒くなるような感覚を覚えた。
途方に暮れる、とはまさにこの事を言うのだろう。自身を取り巻く今の状況が、最悪のそれである事は、鈍く、間の抜けた性情の真昼にですら理解が出来た。
真夜の情報を整理するに真昼は、聖杯戦争の主従の一人に、死んでもおかしくない程のダメージを負わされ、入院させられたと言うらしい。
後遺症で物を考える事も、歩く事も出来ない筈の損傷、しかし、辛うじて生きている状態に、その主従が調整した理由も、この病院に入院させた理由も、不明。
少なくとも何らかの意図で、自分達をそのような状態にしたと言うのは確かだ。
真昼にとって理解がし難いのは、そんな面倒で遠回りな事をした主従よりも、此処メフィスト病院についてだ。
その名前は、真昼も何度か耳にしている。病院が運営出来るのか如何かすら危うい程の格安の治療費で、およそどんな病気や怪我でも治してしまう場所だと聞いている。
軽い風邪からタチの悪い性病、果ては現代医学でも治せる可能性がゼロに等しい癌や、名前すら聞いた事のない病気ですら、完治させてしまうのだと言う。
当然、その場所がサーヴァントに纏わる所だと言う事は、真昼も真夜も早々に推測していた。そして真夜曰くそれは事実だったようで、サーヴァントでなければ、
到底説明がつかない程の不可思議な治療で、自分の身体の怪我を一切の痕跡すら残さず治療してしまったのだと言う。
何故そんな事をしたのか、真夜にも真昼にも解らない。ただ、此方を治すメリットなど微塵もない事は確実である。
もしも聖杯戦争の参加者であれば、普通はサーヴァントのマスターなど治さないだろう。満身創痍のマスターが目の前に現れれば、何とかして殺そうとするのが筋ではないのか?
その辺りが、真昼達には解らない。果たしてどのような思惑の末に、自分はこうして生きているのだろうか。
何れにせよ、自分達はまさに、九死に一生を得た状態と言うらしかった。
正に、底なしに運が良い――と言う訳には行かなかった。運が良かったのは、生きられたと言うその点だけだ。
断言しても良かったが、聖杯戦争の参加者と言う観点から見た場合、真昼達の置かれた状況は最悪と言う言葉ですら生ぬるい程、厳しいものなのである。
此方を半殺しにした主従も、流石に何の措置もなく真昼達をメフィスト病院に収容させた訳ではなかったのだ。
真昼は胸元に刻まれていた筈の令呪の方に、目線を向ける。
病衣の襟を引っ張ってみる。きめの細かい白い肌が、胸元には広がるだけ。途端に顔が青ざめる。
刻まれていて然るべき筈の令呪が、何処にもない。真夜の言った通りだった。頼みの綱の最後の一画すらも、消え失せているのだ。
これが、彼女の置かれている境遇の最悪の理由の一つ。我が強く、少しの契機で暴走するあのバーサーカーを制御する令呪が、今の彼女にはないのだ。
それだけではない、令呪の代用品として活用できる、契約者の鍵すらも奪われているのだ。
つまり真昼達は、あのバーサーカーを御する措置も一切ない状態と言う事になる。これならばいっその事、シャドウラビリスを葬ってくれた方がまだ救いがあると言う物だ。
向こうがそれを狙ったのかどうかは今となっては解らない。一つ言える事があるとすれば、真昼達は今、限りなく詰んでいる状態に近しい、と言う事だった。
「どうしよう……」
そう口にしたくなるのも、無理はない程の八方塞ぶりだった。
壁に掛けられたデジタル時計に目線を送る真昼。時刻はもうすぐ、九時半を回ろうとしていた。
自分があの主従に痛めつけられた時間は、確かギリギリ、深夜零時を回っていなかった頃合いだと記憶している。
となると丸々九時間は意識を失っていた計算になる筈だが、その九時間の間に、一生後遺症に苦しむレベルの怪我が治っていると思うと、これは信じられない事だった。
【どんな人が治したの……?】
真夜に訊ねてみる。
【……イカれた悪魔だよ】
真夜の答えは、要領を得ないものだった。
サーヴァントなどと言う超常存在が跋扈する<新宿>で、一番胡散臭い施設であるメフィスト病院のサーヴァントが治療したと言う事は、だ。
本当に、漫画やアニメの中に出て来るような恐ろしい風体の悪魔が治療したのか、と受け取られてもおかしくない。
【ハッキリ言って、人間みたいな姿をしてるけど、人間には全然見えなかった。人の皮を被った悪魔って言うのは……、あんな奴の事を言うんだろうな】
真夜をして、此処まで言わせしめるとは、果たしてどのような風体をしているのか。
会うのが怖いどころか、此処まで言われると逆に興味が湧いてくる。
どちらにしてもこの病院は、そのサーヴァントの腹の中とも言うべき空間。此処から外に出る以上は、避けては通れぬ道であろう。
――そんな事を考えている最中であった。
患者室と廊下、と思しき空間を繋ぐ、分厚そうな自動ドアが、音もなく左右に開かれたのは。
自分、と真夜以外には誰も存在しない空間に、気配が一つ増えた事に気づき、その方に真昼は顔を向け――表情を凍りつかせた。
「目が覚めたか」
神が奏でるフルートの音のような声が、風の如くに流れた。
きっと、如何なる楽器がどんなに素晴らしいメロディを奏でようとも、この男の何ら感情も込めぬ単なる会話には勝てまい。内包される美の次元が、違い過ぎた。
だが、本当に美しいのは、声ではない。その顔だった。真昼は、何の準備もなくその顔を見てしまった為に、白痴か痴呆になったかのように、頭の中が真っ白になってしまった。
汚水を眇めれば、忽ちその水は地下から組み上げられた冷たい真水になるだろう。この男に見られれば、汚い姿など見せられない、と言う風に。
吹き荒ぶ風を見れば、その風は忽ち穏やかな微風に変わる事であろう。この男の纏う白いケープを、汚してはならない、と言うように。
月の光を集めて作ったような、この世の如何なる修辞法を以ってしてですら、表現の出来ぬ美貌の男だった。
心も頭も漂白されてしまった真昼であったが、心の何処かで、確信していた。あぁ、この男こそが、この病院の管理者。そして、サーヴァントにして、自分を治療した男なのだ、と。
実験動物のハツカネズミかモルモットでも見るような目で、魔人・メフィストは真昼の事を観察していた。
彼は、番場真昼/真夜と言う人間の人格や生涯、境遇になど欠片の興味も抱いていなかった。メフィストが興味を抱いているのは、彼女の負った障害、そして肉体的損傷。
実験動物の辿った境遇に研究者が興味を抱かないのに、それは良く似ていた。
「身体に異常はないかね、番場さん」
訊ねるメフィスト。
メフィスト病院の安全性と、院長自体の美しさの故に、少しでもこの病院にいようと「まだ怪我が治っていない」と嘘を吐く患者も多かったのは、魔界都市では有名な話であった。
「え、あ……う……」
番場は答えられない。初めて物を喋ろうと頑張ろうとする二歳児の様に、その言葉はたどたどしく、要領を得ない。
とは言え、今の彼女のそのような不様な姿を、果たして誰が笑えようか。彼女の話す相手は、ただの人間ではない。
魔人・メフィストであるのだ。彼の美に直面し、自分の意思を表明させられる人間が、果たして此処<新宿>に、何人いようか。
「どうやら、君に話すよりは、君の中のハイドに話しかけた方が、良いらしいな」
そう言ってメフィストは番場の方に手をかざした。
彼の、敵か味方かも解らないサーヴァントのその動作の意味すら、忘我の状態にある今の番場には推し量れない。
――次の瞬間、真昼は、全身麻酔でも打たれたかのように、自らの意識が急激に遠のいて行くのを感じる。
パタリ、とベッドの上に仰向けになる彼女であったが、程なくして、ムックリと起き上がり始めた。
やや垂れ気味で、気弱そうで臆病そうな光を奥に隠していた真昼の目は今、人が変わった様につり上がり、剣呑そうな光を宿している。
それは、彼女の中の人格である、番場真夜のそれであった。
「この時間はオレの管轄外の時間だから、お呼びにならねーで御座います?」
「君の事情など知った事ではないな。呆然とした状態の、君の主人格にそれは言いたまえ」
本来的には真夜は、昼の時間に出る人格ではない。
番場真昼、と言う肉体に眠る二つの人格は、表に出て来るタイミングと言う物がある。
それは時間だ。真昼は名の通り、朝と昼の時間に現れ、真夜はその名の通り、夜の時間に現れる。無論、そんな法則性はメフィストは知らない。
いや、もしかしたら知っているのかも知れなかったが、それを勘案するメフィストではなかった。何故ならば、真昼の傷は、既に治っているのだから。
「私が何の為に此処に足を運んだのか、理解出来ぬ訳ではないのだろう?」
「一応言って貰わない事には解んねぇよ」
「君は退院だ」
ただ短く、メフィストはそう告げた。
言葉の意味を一瞬理解出来なかった真夜であったが、その言葉の裏に隠れた意味を理解した瞬間、それまでメフィストの美にそっぽを向けていた状態を一気に解き、彼に喰ってかかった。
「じょ――」
「私が冗談を言うように見えるのかね、君は」
真夜が何を言いたいのか、メフィストは読んでいたらしい。彼女の言葉を、メフィストは遮った。
「まだ、傷が治ってないかも知れないだろ」
「誰が、君の手傷を治したのか、よもや忘れたとは言わせんぞ」
それは、真夜が良く解っていた。一生歩く事も喋る事も出来ない程痛めつけられた自分を、此処まで回復させた、悪魔的な医療技術の持ち主。
その人物こそ、目の前に佇む、白い闇そのもの。自らをメフィストと名乗る、魔人その人であった。
「私自身が治した手傷だ。断言する、君があの主従に負わされた手傷は、完治している」
それは、患者であった真夜自身が理解している事柄だった。
身体の調子が、今まで経験した事もない程に、頗る好調なのだ。身体の中の大小の雑多な不調を全て取り除かれたような感覚。
身体中の古い体液、古い組織を、全て新しい物に入れ替えて見たような。恐ろしく、気分が良い、良過ぎる程だった。自分の身体では、ないみたいである。
「それでも、今日搬入された患者だぞオレは!!」
此処まで、真夜が食い下がるのには訳がある。
我が身を取り巻く現状のせいだ。令呪もなければ契約者の鍵もなく、リスクを承知で敢行した魂喰いで稼いだ魔力も最早枯渇寸前。
そんな状況で、真夜達は、バーサーカーを連れて外に出なければならないのだ。そんな事になったら、聖杯戦争や魔術の知識に疎い真夜達ですら、
破滅は不可避の物だと考えるのは自明の理。だから真夜は、メフィスト病院のマスターと同盟、最低でも此処で患者として何とか長い期間過ごせるよう、
メフィストと交渉せねばならなかった。如何なる手段を用いてか、この病院はシャドウラビリスを抑え込んでいるだけでなく、如何なる方法で補填されたのか。
真夜は自身の身体に、魔力が満ちているのが良く解る。メフィストが、同盟相手としてこれ以上となく優れた相手である事が、良く解る証でもあった。
今この瞬間こそが、自分達にとっての分水嶺であると、真夜は確信している。
此処でしくじってしまえば、間違いなく自分達には未来も何もない。必死に交渉するのは、当たり前の事だった。
「此処は、病院だ。番場さん」
滔々と、メフィストが語り出す。
目線は真夜の方に向けられているが、瞳は明らかに真夜を見ていなかった。彼女の後ろに取り付けられた窓から見える、<新宿>の街並みの方に、今は興味があるとでも言うような空気を醸し出していた。
「当病院は、其処で働く医者とスタッフを除けば、足を踏み入れられる者は、病める者とその関係者だけしか私は許さない。君は、その怪我が治った時点で、この病院に留まる資格を失っている」
「だ、だったらよ、オレとバーサーカーをボディガードとしてお雇いになったらどうだよ!? 此処まで目立つ施設だ、袋叩きに会うかも知れないだろ!?」
メフィスト病院は、少なくとも真昼と真夜が<新宿>に呼び出されるよりも、前に建てられていた施設だ。
当然、多くの主従がこの施設の存在に気付いているだろう。無論、サーヴァントの息のかかった所であるとも。
そんな場所だ、近い内に叩かれて、早くにメフィスト達が消滅する可能性だって、ゼロではない。……いや、下手をしたら、自分達より早く消滅するかも知れない。
其処で、真夜は、自分達をメフィスト病院のバウンサー(用心棒)として雇ってみないかと交渉をする。用心棒、と言う建前だが、実際にはその関係の在り方は、殆ど同盟だ。
しかも、負担の多くをメフィストにおんぶ抱っこして貰う、と言う形のである。
「間に合っている」
メフィストの返事は、死刑宣告のそれよりもずっと無慈悲で、無感動だった。
「君は我が病院の用心棒としての基準を何一つとして満たしていない。キャリア、学力、性別、そして、実力。当病院は、弱者に払うサラリーはないよ」
「んだよそれ……」
余りにも容赦のないメフィストの言葉に、真夜はいよいよ堪忍袋の緒が切れかけていた、と言うよりは……もう切れていた。
「じゃぁ、……じゃあアンタは、何でオレ達を治療したんだ!! 解ってる筈だろ!! もうオレ達が、聖杯戦争を勝ち抜ける状態の主従じゃないって事ぐらい!!」
メフィストは、何らの反応も示さない。
「アンタ、何の為にオレ達を治したんだ!! まだ、楽に殺した方が納得出来る!! 此処まで不様な状態になり下がったオレ達を、アンタは、如何して!!」
「答えれば満足かね」
悩む素振りも、メフィストは見せない。目線が、窓の先の<新宿>の街並みから、番場真夜/真昼個人へと向けられる。
「自己満足と、承認欲求を満たす為だ」
予想すら出来なかった言葉に、真夜は、絶句を通り越して、忘我の状態に陥ってしまった。
敵意と怒りで血走っていた真夜の瞳は、メフィストの言葉を受けて、全ての感情が吹っ飛んでいる。言っている事が全く理解出来ない、と言う事がこの状態からでもありありと察する事が出来る。
「君を痛めつけた主従は、私に、君を治せるかと随分挑発的だったのでね。それだけでなく、対価も向こうは支払った。だから、治した。私は、自分が編み出した医療のメソッドが間違っていなかった上に君にも適応出来たと満足したし、これにより自己顕示欲も満たせた。こう言った結果を望んでいたから、君を治した。それが不満かね」
「な、に仰ってんだよアンタ……。じゃあアンタは、本当に何の他意もなく、治せって言われたから治しただけなのか……?」
「私は、病める者が好きなのだよ。私の技術と、研究の成果に、縋ってくれるからな。これ程、愛おしい生き物はこの世にない」
その言葉を聞いた瞬間、番場の身体中から血の気と言う血の気が引いて行くのを感じた。
肉が熱を手放す、身体を巡る血液が真水に変わったかのように冷たくなる。本心から、真夜は目の前の白い怪物に恐怖を抱いていた。
真夜がこれまで見て来た如何なる異常者よりも、この男は狂っている。メフィストは、真夜の理解の範疇を越えた所に立つ、人の形をした別の生き物だ。
下心もない、打算もない。ただ、自己顕示欲を満たせると思ったから、治したに過ぎない。たったそれだけの理由の為に、メフィストは、
聖杯戦争の参加者、しかも、バーサーカーのクラスである自分を治療し、それだけでなく彼女を痛めつけたあの恐るべきセイバーも、手放しで見逃した事が明らかな口ぶり。
人の感情の中で大きなウェートを占めるものの一つ、恐怖。
その恐怖の中で、最も原初的なそれは、未知に対する恐怖だと説いた者は、果たして誰だったか。
今なら真夜も真昼も、その理由が良く解る。打算や公算で動かない、予測の効かない存在が、此処まで恐ろしい者だとは、彼女らは、思ってもいなかったのだ。
彼女らは、メフィストの言っている言葉の一欠片すらも理解出来ていない。この男は、狂っている。骨の髄から、血管の一本一本まで。全て。
「着替えと、サーヴァントを用意してある。速やかに着替えを済ませた後に、私について行きたまえ。君のサーヴァントの下まで案内しよう」
それだけ告げて、メフィストは番場の部屋から去って行った。
歩いていると言うよりは、流れて滑るようにスムーズな身体の運びだった。白い残像が、まだ真夜達の前に残っているような錯覚を覚える。
間抜けその物の様に、呆然とした状態で、メフィストが去って行った後の空間を未だ呆然自失の状態で真夜達は見つめていた。
開け放たれ、換気された窓から、ふわりと微風が入って来る。壁に掛けられた、破れた後も血に汚れた痕すらなくなった、綺麗なままの真昼の制服が、風に揺られて踊っているのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「続いてのニュースです。かねてから予定されておりました、中国人民解放軍と自衛隊の若い幹部候補生の交流会イベントが、<新宿>に現れました大量殺人鬼を筆頭とした、
諸々の事件の影響で、中止となりました。これを受けまして、人民解放軍の代表である、戒蒼元(カイソウゲン)中尉と飛露蝶(フェイルーティ)少尉は、次のようなコメントを――」
白い髪をした優美そうな外見の青年と、亜麻色の髪を後ろ髪に長く伸ばした女性が映った瞬間、荒垣はチャンネルを変えた。
「福利厚生がスゴイ!! 初任給は四十万!! アットホームで実際働きやすい!! 当社はブラックではない!! ラオモト建設は――」
CMであったので、荒垣はチャンネルを切り替える。ある建設会社のCMであったらしい。
社名とロゴが印刷された巨大な凧を背負ったとび職の男が、高所で作業をしている場面で荒垣はチャンネルを切り替えていた。
「それでは、閣下おん自らが選ばれた御妃様、と言う事でしょうか」
多数の取材陣が、礼服に身を包んだ男とドレスに身を包んだ女性に取材会見を行っている。
礼服に身を包んだ男は、鼻梁の真ん中あたりに鋭い切傷めいた物が真横に走った男だった。
くすんだブロンドの髪と、鋭い目つき。荒武者を連想させる男であったが、身に纏った服装と、漂う気品が、そこいらの街を闊歩するチンピラとは一線を画した雰囲気を醸している。
「その通り」
男は大義そうに首肯する。その場面になると同時に、画面下の方に『テオル公爵』と言うテロップと、翻訳された字幕が表示された。
「御妃様をお選びになられた理由の方を、お聞かせ下さい」
「そうだな。敢えて言えば、彼女がとても美しくて魅力的であったと言う事だろうか」
爽やかで、しかしそれでいて豪放磊落とした笑みを浮かべてそう言ったテオルに対し、取材陣と、隣にいる黒いドレスの女性がつられて笑った。
テオルと言う男の見立て通り、その女性はかなり綺麗な容姿をしていた。青みがかった黒髪を短く纏めた、気の強そうな美女である。
「それでは、カナエ様は、テオル公爵のプロポーズを御受けになられた、その理由の方をお教え下さい」
「おいおい恥かしいな!! オフレコで頼むぞ!!」
テオルの言葉に、またしても立ち昇る笑い声。無論、本心で言っておらず、半ばそれはジョークめいている。かなり外交や社交の場面を踏んでいる事が明らかな、テオルの態度だった。
「わ――」
カナエと呼ばれる女性が何かを答える前に、荒垣は液晶テレビのチャンネルを切った。
【ま、テレビ経由やとこんなもんやろな。デカい化物のサーヴァント、早稲田鶴巻町の大破壊、落合のマンションでの一件……サーヴァント絡みの事件が起きた事までは解るが、それ以外はサッパリやな】
念話で聞こえてくる、聞きなれた自分のサーヴァント、イルの声。
モスクワ訛りの英語だと本人は言っているが、やはり何処からどう聞いても、普通の関西弁にしか聞こえない。
其処はイル曰く、色々と不思議な力が働いているせいだから、らしい。
【元より期待何てそんな出来ねぇだろ。NPCにサーヴァントが起こした現象なんて、理解出来る筈がねぇさ】
【やれやれ、また後手かいな。特殊部隊の名が泣いてまうわ】
当初の予想通りと言わざるを得ないが、テレビやメディアを通じての、聖杯戦争の情報収集の限界と言う物を、今二人は実感していた。
サーヴァント同士の戦いなど、NPCにその仔細を理解しろと言う事が酷である。早い話、情報の確度と詳細性に欠ける。
八時頃に<新宿>二丁目で起きたとされる、鬼の様な巨躯を持った謎の存在の大立ち回りの件にしてもそうだった。
その事を荒垣達はテレビ経由で知ったが、やはり、真贋様々な情報が、最初から此方を攪乱させようとするNPCのデマの拡散などで、これと言った確証が得られていない。
何も聖杯戦争の邪魔をするのは、その参加者と息のかかったNPCだけではない。無辜のNPCも、『聖杯戦争の勃発している<新宿>で生活している』と言うロールに則っている以上、
その聖杯戦争の渦中となった街で生活するNPCとして相応しい在り方に変じてもおかしくはないのだ。
ハッキリ言ってこれが、邪魔以外の何物でもなかった。特に、情報をどれだけ集めたかによってその立ち居振る舞いが変わる聖杯戦争に於いて、情報集めを邪魔するNPC程、
七面倒なものはない。近代メディアで情報を集めようにも、必然的に事後の情報が多くなる上、起ってからその場所に赴こうにも、野次馬がいると来ている。
社会的な立ち位置も脆弱な荒垣達には、情報収集と言う行動は完全に不利と言うものだった。
……無論荒垣達に、そんなNPCを歯牙にもかけず、その暴威を振うと言う暴虐性があるのであれば、話も変わってくる。
しかし、この二人はそんな無軌道な輩ではない。それに、如何にNPCとは言え、元居た世界で繋がりの深かった存在を悲しませるのは、胸が痛むのだ。
荒垣は、真田やその妹の美紀。イルにとっては、セラフィム孤児院のシスターの一人であるイリーナが、正にそれだった。
テレビの電源を落とす荒垣。
学校に足を運ぶ、と見せかけ、一応孤児院の周りをマーク、数周パトロールした後に、荒垣は孤児院へと戻っていた。
場所は、誰もいなくなった食堂。其処で、テレビの音量をかなり控えめにし、情報の収集を行っていたのだ。
学校に向かうのが面倒と言うのもあるが、同時に、この孤児院が心配だと言うのも本当の話だった。
特に、この孤児院のこれからを心配しているのは、荒垣よりもイルの方だった。
自分のロールと言う物を認識し、自らのカードであるイルと出会い、自分が生活する場所である孤児院に戻り、初めてセラフィム孤児院と、
門限を過ぎてから帰って来た荒垣を叱らんと孤児院から出て来たイリーナの姿を見たイルの顔が忘れられない。
先ず、彼の顔に刻まれたのは、途轍もない驚き。そしてその直後に、イルの顔は、怒りに凄まじく歪んでいた。
後で聞くと、イリーナ自体もそうだが、そもそもセラフィム孤児院そのものが、生前のイルととても深い因縁とあった所であるらしい。
そんな場所であるから、絶対にこの孤児院とイリーナには、火の粉を降りかからせたくないのだ、と言う。
その意思は、尊重しなければならないと荒垣は思っていた。
自分も、真田や美紀に迷惑を掛けたくないし、イルはそれ以上にイリーナや孤児院の子供達に危難を及ばせたくないと思っている。
こう言った理念の一致があったからこそ、二人は孤児院から余り離れたくなかったのだ。
だがそうも言ってはいられない。
自分達が此処に長く留まると言う事は即ち、サーヴァントの気配をずっと此処に留めさせておくと言う事も意味する。
この気配を感知し、サーヴァントがやってくる可能性が、無きにしも非ず。
<新宿>は狭く、よりにもよって爆発する火薬が多いと言う事を、テレビの情報で痛い程二人は思い知らされている。
イリーナや真田達の事を思うのであれば、早く此処から立ち去るが吉なのだろう。
席から立ち上がり、やおら食堂から退室。
……その直後に、ばったりと、後ろ髪を長く伸ばした薄い青色の少女と出くわした。今朝も、ローストビーフを多めに一枚恵んでやった、エンダであった。
「あ」
騒がれる前に、急いで荒垣は、走って孤児院から抜け出し、外へと躍り出た。
あの少女はこのセラフィム孤児院の中でも特に人の考える事の意図を読もうとしない子供だ。
静かに、と言っても騒ぐだろう。何せ荒垣達は名目上今は学校に行っている筈の時間帯なのだ、それなのに彼らが孤児院にいるのは明らかにおかしい。
加えて彼らは、イリーナが孤児を相手に授業をしているそのタイミングを狙って忍び込んだのだ。当然イリーナに事が露見すれば、本当に大目玉である。
それだけは、彼ら――特にイル――は避けたい事柄なのだった。
青空の下に駆け出し、急いで孤児院から離れて行く荒垣達。
エンダが果たして孤児院で大声を出しているかどうかは、定かではない。寧ろ聞きたくなかった。
二百m程の距離を走ってから、流石に此処までくれば大丈夫だろうと思い、荒垣は走るのを止める。
【この辺りで良いだろう】、とイルに念話を行うが、彼から言葉が返って来ない。
はぐれたか、と思う荒垣ではあったが、まさかあの男に限ってそれはないだろうと思う。
【マスター、気ぃ張れよ? 付近にサーヴァントがいる】
途端に、荒垣の表情が険しい物へと変わる。
孤児院から、余りにも近い場所にいる事になるからだ。相手がどう言った性格の持ち主なのかは、まだ二人にも未知の事柄だ。
ただ、強く意識し警戒しなければならないのは事実である。そしてそれは、恐らくは向こうも同じ事だろう。此方を意識した行動をするに違いない。
相手が聖杯戦争に乗らない主従ならば、此方を無視してくれる可能性もあるが、その逆の可能性も高い。
【此処から距離を取るぞ。孤児院が心配だ】
【おう、りょうか――ってちょっと待ち】
【どうした?】
【……いや、間違いないわ。俺の見つけたサーヴァントの気配が、消えおったわ】
【消えた、ってのはどう言う事だ】
【マスターにも解りやすく言えば、俺のスキルの気配遮断に近いかも知れん。優れた暗殺者とか、秘密工作に覚えがある奴なら皆出来る事やが、やっとる事はそれに近い】
【じゃあ、アサシンの可能性が高いのか?】
【候補の一つではあるが、決定的な証拠にはならんな。そもそも気配を薄める何て言うのは、暗殺者の十八番って訳ちゃうからな。
修行と鍛錬を積んだ奴なら、騎士にだってやってやれない事はない。世に名高い英霊やらが集まる聖杯戦争や、俺ら(アサシン)以外のクラスで気配遮断が使えるサーヴァントも、おらん事はない、かも知れん】
【どちらにしても、まずは此処から距離を離す。離す先は、アサシンがサーヴァントの気配を見つけた所まで。異存は】
【ないわ。流石にイリーナに、此処でも火の粉を被らせる訳には行かんからな】
【よし、行くぜ】
そう言う事に、なった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
結論から言って、イルがサーヴァントの気配を感じた所をどれだけ探しても、もぬけの殻だった。
サーヴァントの姿が影も形も見当たらないのは勿論の事、いたという痕跡すらも見つからない。
逃げたか、と思わないでもないが、イル曰くそれは違うかも知れないと言うらしい。
何でもそのサーヴァントの気配は、此方から『遠ざかるように移動した』と言うよりは、『突如消えた』と言うべき物だったらしい。
空間転移の類を用いる存在の可能性も、一応イルは視野に入れている。自身も同じ能力を使えるから解るのだ。転移は使われると恐ろしく厄介なのだと言う事を。
高ランクの気配遮断を保有したアサシンか、それともワープの様な技術を使えるのか。その二つの可能性を視野に入れ、イルと荒垣は行動をしていた。
【上手く逃げおったか?】
場所は戸塚町の、人通りの少ない通りであった。
その中でも、特にサーヴァントが隠密行動を行うに適している、裏路地の所を具に回っている荒垣達だったが、全くそれらしい姿が見当たらない。
現在イルは実体化していた。
そもそもイルの服装や背格好は、現代社会に溶け込ませても全く違和感のないそれである。
普段霊体化した状態を貫き通してるのは、孤児院の面々にイルの事を教えるメリットが皆無に等しい事と、荒垣の魔力の消費を抑える為と言う事が大きい。
それを無視して今敢えて実体化させているのは、臨戦態勢と言う所が全てである。相手は気配遮断に類するスキルを扱えるサーヴァントだ、一切の油断は許されず、
常に警戒してなければならない。気配遮断を持ったサーヴァントを相手にする上で、ラグは許されない。
霊体化を解除し実体化してから迎撃するのは、余りにも行動に移るのが遅すぎる。予め実体化してから迎撃に移った方が速い事は、火を見るより明らかである。
そのような意図も込めて、イルは現在実体化。表向きNPCに対しては荒垣の悪友と言った風を装いながら、戸塚町の街を探しているのである。
付近に挙動の怪しい、もっと言えば、今捜しているサーヴァントのマスターらしい人物は何処にも見当たらなかった。
戸別訪問のサラリーマン、犬の散歩をする老人、井戸端で何かを話していた主婦、大学生らしい年齢の金髪の青年。
すれ違った全員が、荒垣は当然の事、イルの目から見ても、極々普通の一般人で、怪しい挙動や、如何にも『慣れた』身のこなしの者など一人も存在しなかった。
【警戒を怠るなよ、アサシン】
【おうとも――】
言葉を続けようとした、その瞬間だった。イルの瞳は、頭上で回転する、奇妙な物を認めた。
回転する円盤の様な物だった。それは凄まじい速度で回転し、蒼白く光っており、何よりも、奇妙なギザギザ状の物を携えており――。
「ッ、離れろマスター!!」
イルがそう叫ぶと同時に、急いで荒垣がイルから距離を取る。
回転していた、手裏剣に似たそれは、初めからイルのみに狙いを定め、凄まじい速度で彼の下に急降下して行くのである!!
――シュレディンガーの猫は箱の中――
イルがそう、脳内に命令を飛ばした瞬間だった。
乱数の偶然によって世に生まれ出で、魔法士達の能力の樹形図にも設計図にもない、彼だけの特別の力が今解放される。
時速数百㎞の速度で迫る蒼白い手裏剣は、イル目掛けて近付いて行く。
それが、頭から彼に直撃するのであるが――まるで水か、泥かのように、手裏剣は彼の身体をスッと素通りして行く。
カッ、と言う音を立てて手裏剣はアスファルトに突き刺さる。それを受けて、本来ならば両断されていた筈のイルが、左方向に軽く跳躍。
着地と同時に、手裏剣に似た何かはフッと消え去り、後には、地面を穿った痕を残すだけであった。
身体は愚か、イルの衣服一つとっても、傷一つついていない。イルは、全くの無傷だった。
「無事か、アサシン」
「何とかな」
――幻影。敢えて、イルの能力に名を付けるとなれば、そう言う事になるのだろうか。これは彼の正式名称である、イリュージョンNo.17の由来ともなっている力だ。
魔法士とは言うなれば、情報制御理論に基づいて世界の情報を書き換える事で、前世紀以前において魔法やら魔術やらと称されていた力の様な物を振う者達、と言う事になる。
情報制御理論とは、世界の全ての事象は物質的に存在すると同時に、情報と言うミクロやマクロを超越した概念としても存在し、
物質的に形を変えれば情報面でも形が変わるのなら、情報面で形を変えれば現実にも影響を与えると言う事が可能になる、という理論である。
現実世界に存在する情報の全ては、通称『情報の海』と呼ばれる空間に集約されており、これをある種の量子コンピューターによって介入。
外部からの情報の改竄に情報の海が対抗する力よりも速く情報を押し付ける事で、世界に不可思議な現象を引き起こさせる者達。これこそが、魔法士なのである。
しかし、情報の海と言うある種の高次空間の中に於いて、人間が操れる情報などほんの一部に過ぎない。それこそ、海の水をコップで掬った程度のものである。
実際魔法士になるにもなった後にも、制約は多いし、魔法士が操れる力の類型も、その限度も、早くから計算されていた。
暴走や致命的なエラーと言う物を除けば、魔法士の全ては、人類が初めから観測出来ていた範囲内の結果に終わっていた、と言うべきなのだろう。
その観測出来た規格の外に君臨する魔法士こそが、イルなのである。
幻影の能力の本質は言ってしまえば、『量子力学的制御を行える』と言う事だ。
フランク、ボーア、シュレディンガー、ハイゼンベルグ、ディラック、フォン・ノイマン。数多の偉大な物理学者がその世界を研究して来た。
そして彼らの没後から優に一世紀を経過してからも、量子力学の世界を操る事の出来る杖を、人類はまだ振わせて貰えていなかった。
イルは、その杖を神から授けられた奇跡の様な男であった。彼は、己の力で量子力学の範囲を自分の身体に適応。
自身の身体は『確かに其処に存在するのに物質的には存在しないもの』と定義。この結果、イルは確かに皆の目に見える所にいるのに、
実際上は外部からは一切物理的に干渉不可能な状態になり、これにより、何処からか飛来して来た手裏剣を完璧に透過出来たのである。
「しんどい相手やで、向こうは」
しかし、サーヴァント化の影響で、生前は無制限に放っていたイルの『幻影』も、長時間の消費は魔力を消費せねばならないと言うレベルにまで劣化してしまった。
だから、あの手裏剣の存在を認識した瞬間、イルはかなり肝を冷やした。長時間の発動はマスターの負担になるし、後々の事を考えればイルが<新宿>にいられる時間も減る。
此方に向かって行ったタイミングと、幻影の能力を発動させるタイミングが見事に合致して良かった。
だがそれ以上に厄介なのが、向こうの手練ぶりだ。イルのサーヴァントとしての知覚範囲外から、寸分の狂いもなく此方を狙って来るなど、ただ者ではない。
偶然イルが頭上も見て見ようと上を見上げていたから、早くに存在に気づき対処が出来たが、そうでなかったら、イルであろうとも危険だったかもしれなかったのである。
【マスター、なるべく俺の知覚範囲内から出ない所まで距離を離せ。俺が奴さんを迎え撃つ】
【出来るか?】
【善処するわ】
【解った、やれ】
言った瞬間、イルらは会話を即座に打ち切り、思い思いの所に走って行った。荒垣は路地裏を出、表通りに。イルは、そのまま、真正面の建物の壁の方に走って行く。
壁に衝突する、と言う所でイルの身体は、幽霊のように堅い建材で出来た壁を透過して行く。これぞ、幻影の能力の神髄。
自身の身体を量子力学的に制御出来ると言う事は、その身体に接触出来るか否かと言う確率すらも操作が可能なのである。
今のイルの肉体の存在確率は、0。何物も、イルの身体を害せない状態である。当然、何らの措置を施せていない壁が、量子力学的に存在しないイルに触れられる訳もない。
この結果、本来障害物として機能している筈の建物を、イルは、平地を全力疾走するような感覚で無視出来ているのである。
イルは決して、当て勘で移動している訳ではない。
落下して来た手裏剣上の飛び道具の軌道を、脳内のI-ブレインで逆算、どのような弾道を辿ったのかを予測、その方向に従い移動しているのである。
建物を二、三、透過するように素通りすると、発見した。今度こそ間違えようがない、サーヴァントの気配だ
イルは今度は、移動の方法を、そのままの素通りから、自らの存在確率の改変を応用し、『短距離間のテレポート』へと変更させる。
厳密には自らの存在位置の改変と言っても良く、これにより、短距離間の空間転移を可能としている。
普通に走るよりも、遥かに移動スピードが速い。相手を追うのならば、此方の方が断然理に叶っている。
空間転移を行う事、七回程。
向こうもイルから距離を離そうとしていたようだが、遅い。イルは相手のサーヴァントの姿を捉え、向こうの方も、観念したらしい。
逃げる事を止め、イルの方に向き直った。其処は、やはり戸塚町のとある路地であった。人通りは、やはりない。
鎧とも、装束とも、特撮を撮影する為の専用のスーツとも取れる服装をした者だった。
剣道の防具である面を模したような形のマスクを被った、全体的に鋭角的な印象を与えるスーツで、白を基調とし、アクセント代わりに緑と黄金色を混ぜた姿が眩しい。
「見苦しいだけやから、この期に及んで自分はサーヴァントやない何て抜かすなよ?」
「此処まで来てそんな真似はしないさ」
瞬間、両者は示し合わせたように構えを取った。
イルの方は、二本の指を中途半端に曲げさせた、奇妙な構えだった。格闘技のセオリー通りの握り方ではない、あの握り方では指を痛める可能性が高いだろう。
一方装束を着たサーヴァントは、腰を低く構えていた。此処から何が飛び出すのか、イルには全く予測が出来ない。この構えすらがブラフなのでは、と思っている始末だ。
魔法士、と言うよりは、I-ブレインを埋め込まれた存在は、言うなれば頭の中に極めて小型の量子コンピューターを埋め込まれているに等しい。
情報の海へのアクセスし何を改竄出来るか否かと言う事は、先天的に決められ、しかも改竄出来る内容は一人に付き一つだけ。これは、ある例外を除けば、絶対則である。
しかしそれ以外の、一般的な量子コンピューターで行える事柄は、これも、余程の例外を除けばどんな魔法士も行う事が出来る。
例えば戦闘に関する予測や、データの集積、量子コンピューターを活かした計算等々、だ。イルの埒外の思考速度や心眼と言うものは、
頭の中に埋め込まれた量子コンピューターであるI-ブレインが常時計算を行っているからに他ならない。
元居た世界では、イルにとってそれは重要な生命線として機能していたI-ブレイン。
それが、この世界ではさして過信が出来ない物として、今イルは認識している。世界観の常識が、余りにも違い過ぎるからだ。
先程の攻撃にしてもそうだった。イルのI-ブレインは、あれを攻撃性のそれであると予測するのが遅れた、と言うより予測が出来なかった。
今ならばあれが攻撃だと解っている為予測も出来ようが、基本的にI-ブレインに刻まれているデータ以外のアプローチによる攻撃は、攻撃と予測されない可能性が高い。
これが何を意味するのか? 正真正銘のオカルトに根差した魔術や、それに類する技術による攻撃が、攻撃として認識されず、不意打ちを貰う可能性が高いと言う事だ。
結局イルは、『そら』で、それが攻撃なのか否かを判断せねばならなくなる訳だ。だから、I-ブレインへの過剰な信頼は、あの時点で彼は捨てた。
銃やナイフを検知出来ない検問機など、何の役に立とうか、と言う事だ。I-ブレインでも攻性のそれであると判断が遅れるような攻撃は、やってくれるな。今のイルの、切実なる願いであった。
「お前の腕前やったら、マスターを狙えた筈やろ? 何で態々俺を狙った? 防がれたり、避けられたりする可能性はこっちの方が高いやろうが」
思っているよりも、目の前のサーヴァントに隙がなかった為、無理やり隙を作ろうと、イルは会話を試みた。
隙を作りたいと言うのもあるが、イルの聞いた事は事実、興味のある事柄だった。建物が幾つも障害物として立ちはだかるこの場所において、
自分を寸分の狂いなく狙える程の腕前の持ち主だ。それならば、マスターだって簡単に狙えた筈だろう。
「マスターを狙うのは、僕の正義に反すると思った。それだけだ」
「ハハ、物々しいナリして、意外と熱い男やな。結構、損して来たんちゃうん?」
「馬鹿にしないで欲しい」
「しとらんで。お前みたいな奴は、嫌いじゃあないからな」
無論、それと今敵対している事は別である事は、イルは勿論だが、相手の方も良く知っている事柄だった。
目の前のサーヴァントが本当にマスターを狙うつもりがないのか否かは、イルも流石に解らない。故に、マスターの方面への攻撃には、常に気を配っている。
だがもしも、このサーヴァントの言った事が本当であるのならば、これ程やり易いものはない。
イルの持つ特殊なI-ブレインは、無敵の盾とすら呼ばれる程の防衛能力を持ち、その攻撃能力においても、対人戦と言う範囲なら右に出る者がいない程の強さを誇っている。
それはそうだ、相手が放つどんな攻撃も素通りするのに、イルの放つ攻撃はどんな防御も貫いてしまうのだから。
しかし、欠点がある。それは、無敵の盾の恩恵に与れるのは、自分だけと言う事だった。そんな事、と思うかも知れない。確かに一対一の戦いならばデメリットにならない。
だが、これがチーム戦や聖杯戦争の様にマスターを守りながら戦うと言う形式になると、話が大きく変わってくる。
どんな攻撃をも素通りする様な相手に、敵がいつまでも構っているだろうか。仮に、勝利条件がイルを含めた一万人の軍勢の内半分を削り切れば勝利、
と言う物であったとして、いつまでも敵がイル個人を相手にしているだろうか。答えは『否』だ。敵は間違いなく、イル以外の人物に攻撃目標を定め、イルを徹底的に無視しようと努めるだろう。
これが、イルの抱く、自身の能力のコンプレックスだった。イルの能力は、致命的なまでに『チームの防衛戦』に向いていないのである。
どんな攻撃も無効化し、逆にこちらの放つどんな攻撃も相手の有効打になり得る。故に、与えられたコードネームは『幻影(イリュージョン)』。
どんな攻撃も無効化してしまうが故に、敵は徹底的に彼を無視し続け、生きているにも関わらず戦場の亡霊になる。故に、彼は実体を持ちながら何ら貢献出来ない『幻影(イリュージョン)』になる。
生前はその努力の末に、自身の能力を活かしてチームにどう貢献するか、と言う事も当然考えた。
それでもやはり、無視が一番の有効打になってしまう、と言う弱点は結局消せていないままだ。
――この、近未来的な白い装束を纏った男が、本当にイルしか狙わないと言うのであれば、ほぼ勝ったも同然に等しい。
しかし、それでもなお、イルは油断しない。自身の持つ量子力学制御能力すらも、過信していなかった。何故ならば、この能力は生前の時点で、無敵の盾たる資格を、既に失っていたのであるから。
一触即発の雰囲気が、限界値にまで達しようとしていた。
この時間が始まれば、あとはひたすら、精神が擦り減る様な時間に耐えられるかと言う耐久力が物を言う空間に世界が様変わりする。
夏の暑い日差しが容赦なく、二人に降り注ぐその一方で、場の空気は冬至の夜と錯覚するかのように冷たく冷え冷えとしたものになって行く。
後一秒。そんな時間にまで差し掛かった、その瞬間であった。
――敵性不明存在、接近――
I-ブレインは冷静かつ冷酷に、そう告げた。
愕然とする表情を浮かべようとした、その瞬間だった、それが、頭上から落下、固いアスファルトの上にヤマネコめいて着地する。
イルは、その存在に全く見覚えがなかった。白いスラックスを穿き、上に金糸を織り込んだ如何にもガラの悪い朱色のシャツを身に纏ったこの男を。
佇むだけで、その身体から発散されるカラテ・エネルギーでサンシタ、タツジン、モータル、イモータル問わず震え上がらせる凄味を持ったこの男を!!
イルと装束のサーヴァントの丁度中間点に着地した、ドクロめいた衣装のメンポを被った男が、ディーモンをも震え上がらせかねない程の鋭い瞳をイルの方に向けた。コワイ!!
「自己紹介が必要かい? ドーモ、アサシン=サン。ソニックブームです」
アイサツは大事である。古事記にもそう書かれているし、就職の為のジコケイハツ・ブックにもそう書かれている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
バリキやZBRを大脳がスカスカになる程キメた所で、あぁはならないだろうと言う程狂った女性、セリュー・ユビキタスから距離を遠ざけていた時の事だった。
建物の屋上間を、風の様な軽やかさと身のこなしで飛び回っていた頃に、自身のサーヴァントである清音から念話で連絡が入った。
サーヴァントの気配を確認した。それが、清音からの連絡であった。驚きこそしたソニックブームであったが、流石に百戦錬磨のニンジャ。
当意即妙の作戦を即座に清音に命令出来たのは、正しくこのニンジャが優れたニンジャである事の証であった。
先ず彼が命じたのは、清音と言うサーヴァントをサーヴァント足らしめる、ガッチャ装束、つまりGスーツの事であるが、これの解除であった。
無論、これはヤバレカバレになった訳ではない。ソニックブームなりの魂胆があっての事であった。
Gスーツを解除した清音は、ソニックブームから見ても勿論の事、同じサーヴァントから見ても、サーヴァントとして認識する事が非常に難しくなってしまう。
にも拘らず清音自体はサーヴァントである為に、当然他サーヴァントを発見出来る知覚能力を、変身解除状態でも保有している。これを利用した。
相手は当然、突如としてサーヴァントの気配が一気に消えるものだから、困惑するだろう。そして、高い確率で、見失ったサーヴァントを探そうと動き回る。
此処で、変身を解除した素の状態の橘清音が、そのサーヴァントを捕捉。その動向を逐次観察し、人目につかない所に移動したら、サーヴァントの知覚範囲外から、
無限刀 嵐で一刀両断。それが、ソニックブームの立てた作戦であった。無論清音は、マスターを殺す事には難色を示したが、今回は、
ソニックブームと清音は、サーヴァントのみを狙うと言う事で意見の一致を見た。ソニックブームがこれを承諾した理由は、単純明快。
その程度の不意打ちで殺されるようなサーヴァントなら、同盟を組むのは勿論の事、戦闘をするにも値しないと思ったからだ。
結論から言えば、相手サーヴァントは如何なる手段でか、嵐の遠距離攻撃を回避し、健在の状態をソニックブームと清音にも見せている訳なのだが。
「また特徴的なんが出てきおったな」
独特の構えを取った状態のまま、イルは言葉を発した。改めてソニックブームは、目の前のサーヴァントを検分する。
白いジャケットと黒いシャツの上からでも解る、鍛え上げられ磨かれた身体つき。相当の年月をカラテに費やした事が解る、見事な身体だった。無駄な所が一切ない。ジツ頼りのニンジャにも見習わせたかった。
「そう警戒するなって、アサシン=サン。先ずは話し合おうや」
「話し合いって、お前達の方から攻撃して来たやろ。どう説明するんや」
「あの程度で殺されるようじゃ、話し合いの価値すらないと思ってたからな。だが、アンブッシュについては、言い訳のしようがねぇ。すまねぇな、アサシン=サン」
其処でソニックブームは、掌と掌を合掌の要領で合わせ、お辞儀をする。それを、奇妙なものを見る様な目で、イルと清音は眺めていた。
「マスターである俺が、サーヴァントとサーヴァントの間に立って交渉してるんだぜ? そっちも、マスターをこっちに呼んで話し合いをするってのが、スジってもんじゃねぇのか? エエッ?」
「んなもんに従う道理はないわ。何でサーヴァント並に動ける人間の前に俺のマスターを立たせなあかんねん」
「ハハ、確かにその通りだな!! だが、実際マスターも一緒にいた方が、俺もお前も話しやすいってのは事実だ」
「何を話し合うつもりやねん、まさか一緒に組んで戦えっちゅーんか?」
「おっ、話が早いね。そうだぜ?」
途端に、イルの表情が険しくなるが、ソニックブームは恬淡とした態度を崩さない。
「勘違いをしてもらっちゃ困るが、お前達を一方的に戦わせて俺達は『漁師がカチグミ』、みたいな真似はしねぇぜ? 」
「口でだけは如何とでも言えるで」
「一々言う事が尤もじゃねぇか。良いだろう、そんなに信用が出来ねぇのなら、情報交換を経てから考えようじゃねぇか」
「情報?」
「実は、此処に来る前に一度、お前達以外の主従と話をして来た。そいつについて教えてやる。悪い話じゃねぇだろう。無論お前達も情報を吐き出すって言う事はしなければならんが、それでも、益がお前達にない訳じゃあない」
「……」
イルが考え込む。この様な交渉の場に於いて、相手が少しでも利益の比較衡量を考えた時、それは、交渉が成立する可能性は0じゃない事を示している。
つまり、付け入る余地があると言う事だった。無論、このようなネゴシエートのタツジンは、この動作すらもブラフとして利用する事があるのだが。
「……マスターから連絡が入った」
「ほう、何だ?」
「情報交換には、応じてやってもええとは言うとる。但し、此方の情報がアンタの情報に比べて確度もなく、そもそもの情報量自体が少なくても、文句を言うなとも言うとる」
「構いやしねぇよ。どの道この情報は、俺らだけの秘密にして利益は俺らだけ獲得する、って言う代物じゃねぇ。<新宿>の主従全員に教えても、俺は問題ないと思ってるぜ?」
「……続いてもう一つ。情報交換を終え、それでも同盟を拒否した場合には、アンタ、どう動くつもりや?」
此処が交渉のキモだと、清音もソニックブームも理解した。
要するに、同名を拒否した場合、お前は俺達と戦うのか? 或いは、反目に回るのか? これを問うているに等しい。
「お前らの危惧する所は解ってる。交渉が決裂した場合、お前達と戦うのかどうか、って事だろ?」
ソニックブームは言葉を続ける。
「お前達が戦いたい、って言うのならば、俺もそれに応えてやる。だが、戦いたくない、平和的に解決って言うのを掲げてるなら、俺もそれに応じてやる」
「信用に欠けるな」
「戦う気のない奴と戦うのは面白くねェんだ。お前達が消耗を避けたい、戦いたくないと言うのなら、それでいい。この場は情報交換だけで済ませる」
再び、イルは思考。恐らくは念話だろう。
移動している最中、ソニックブームはイルのマスターらしい人物を発見出来なかったが、念話が出来る範囲にいると言う事は、遮蔽物がなければ目視も可能な所にいると言う事なのだろう。
「……此処に来る言うとるで、マスターは」
「ヒューッ、話の分かるマスターで何よりだぜ!!」
口笛を吹きながら喜ぶような声を上げるソニックブームだったが、瞳は全く笑っていない。
猜疑の目をソニックブームらにイルが向けながら、三十秒程の時間が過ぎた。
ソニックブームと清音は、目線の先から歩いてくる、一人の長身の青年の姿を見つけた。非常に近寄りがたい雰囲気を醸し出す、強面の青年だった。
身に纏う学生服。恐らくは高校生なのだろうが、この時間に学校に行かないと言う事は、戦略上学校による利点を見つけられなかったか、不良のどちらかだろう。
良い目をしている、とソニックブームは認めた。あれ位の年齢の子供にありがちな、イクサの一つも経験した事がないのに強がった風を醸し出して粋がっているのとも違う。
本当に、命が幾つあっても足りない程のイクサを経験して来た者が発散出来るアトモスフィアであった。こう言う者こそ、ニンジャソウルが憑依されるのに相応しいのである。
「二つ程、直接聞きてぇ事がある」
ソニックブームと直接面を合せても、イルのマスター、荒垣は動じもしない。
「言ってみな、ボウヤ」
「先ず、教えても特に問題がねぇし、利益を独り占めする類でもない情報って言ってたな? どう言う意味だ」
「結論から言っちまうとだな、俺が教える主従の情報って言うのは、セリュー・ユビキタスのそれになる」
「……セリューの?」
荒垣が反応する。無論、イルについても同じ事だ。流石に、契約者の鍵から投影された、ルーラー達からの直々の指名手配を見逃す程、ウカツで愚かな者達ではなかったらしい。
「だがそれやと、矛盾するんちゃうんか? セリューと、それが引き連れるバーサーカー言うたら、倒したら令呪が貰える主従。これ程美味しい奴らの情報を知ってる言うんなら、余計利益は自分の物、と思うのが筋の筈やで?」
「無論、それはその通りなんだが、俺が出張る程のモンでもねぇと思ったのよ。一言二言会話して確信したが、あの主従は本物の狂人達でな、何てーか……アー……、戦って血で汚れるのも嫌になる位、イカれてた」
「曖昧な言い方をするなよ」
荒垣が睨みを利かせる。反射的にソニックブームもメンチを切ってしまうが、やはり荒垣は動じない。
「それもそうだな」
直にソニックブームは形だけの笑みを浮かべて、言葉を続けた。
「だが何れにしても、俺の教える情報って言うのは、ルーラー共から直々に抹殺重点されてる主従だ。後から追加の情報が、向こうから送られて来るかも知れねぇだろ? だったら、今此処で宝物みたいにキープして腐らせるより、早く開示して利益に還元させた方が、良いと思ってよ」
情報と言うのは性質としては株券に近い。
時と次第によっては、実体を持たないのに本物の黄金よりも価値のあるものに変わる一方で、その時が来てしまえば灰より価値のない物へと変貌してしまう。
情報は、当該事件が到来する以前、または未然の状態の時にこそ最も価値を発揮するのだ。その時が来てしまえば、価値がゼロに変わってしまうのは当然の理屈。
ならば、その瞬間が到来して価値を腐らせるよりも、今放出して利益になる情報と交換した方が、余程扱いとしては上手い。向こうの主従も、その理屈については、納得した様である。
「それよりも、俺が誰の情報を教えるのか、口にしたんだ。お前達も誰についての情報を知ってるのか、名前だけでも言うのが仁義って奴なんじゃないのか? エエッ?」
「言うとるで、マスター」
「ま、名前だけなら教えてやる」
荒垣は一息吐いてから、その名を告げた。
「こっちも結論から言うと、お前達と同じ、ルーラーからの指名手配犯の情報になる。遠坂凛と、バーサーカーの主従だ」
「ほう、あのマス・マーダーか!! 実際事を争ったのか?」
「いいや。悪いが俺達は戦った事もないし、その主従の事を実際目の当たりにした事もない。ただ、俺のアサシンとしての手際を利用して、奴らの元々の拠点に侵入したんや」
「成程、そこで何かを見つけた、って事なんだな?」
「それを教えるのは、交渉が成立してからやな」
上手い引きだった。
ソニックブームや清音としても、まさか同じ指名手配のバーサーカー主従と言う共通項で話が被るとは思ってなかったが、それでも、聞いて置きたい事柄ではある。
此処で初めて、荒垣の主従と、ソニックブームの主従は、交換するだけの価値がある情報だと共に認識した。
次のフェーズに移るには、もう一つ。荒垣を納得させねばならないもう一つの事項を、ソニックブームが処理せねばならないと言う事だった。
そして荒垣が、口を開き、言った。
「単刀直入に言う。俺達は聖杯戦争を企んだルーラーと主催者を倒し、この戦争自体を台無しにするつもりで動いている」
ソニックブームの瞳に、今度こそ偽りのない驚愕の光が煌めいた。顔全体を覆う兜状のマスクの奥で、清音もまた、驚きの表情を浮かべた。
「頭がおかしいって思うか? どんな願いでも叶えられる聖杯が手に入るのに、それをいらないって言ってるんだからな」
「率直に言えば、かなりヤバイ馬鹿だと思ってるぜ」
「だろうな。……だがそれでも、この方針だけは譲れないし変えられないと思ってる。俺は、この聖杯戦争の主催者を、ただで許す訳には行かない」
セリューが同じ様な事を言った時は、ソニックブームはメンポの奥で嘲笑の表情を浮かべたが、荒垣達に関して言えば、そんな感情がなかった。
同じ方針でも、荒垣達にあって、セリューにないものを、ソニックブームは確かに認識していたからだ。一言で言えば、それは知性と正気だ。
セリューとの会話でソニックブームは、彼女らから全くと言ってよい程頭の良さと言うべきか、知性と言う物を感じなかった。
正気に至っては、語るべくもなく。あの主従は完全に固定観念の塊とも言うべき者達で、自分達とは違う意見と言う物を受け入れる柔軟性を著しく欠いていた。
自分達とは違う存在、これ即ち悪。そんな者達に、正気も知性もある訳がなかった。
荒垣達は違う。
セリュー達は自分達の行いがどれ程、この聖杯戦争で主張するには危険過ぎる思想であるかを全く理解していなかったが、
荒垣達は自分達の思想が他参加者の目から見て如何映るのか、シッカリと理解しつつも、それでも、自分の軸を貫こうとしている。
つまり荒垣達は、疑うべくもなく確かに正気であり、そして、確かに己の意思に基づいて主催者に反旗を翻そうとしているのだ。
「これを念頭に入れさせた上で、聞くぞ。お前はそれでも、協力して俺達と戦いたいのか?」
「おうよ、問題はねぇ」
「重ねてもう一つ訊ねる。俺達を後ろから刺さないと言う証拠はあるか」
「ある訳ねーだろ」
バッサリとソニックブームが切り捨てた。イルが即座に構え直すが、バッとソニックブームが腕を突き出して制止させる。
「ボウヤ、俺がお前と組もうとする最大の理由は、俺とお前の当面の利害が一致するからって事が一番デケぇ。憶えておけ、利害の一致はこの世で一番信用の出来る関係だ。敵の敵は味方って言うのは、この世の真理だ」
「何の利害がある」
「俺には聖杯に掛ける願いってもんがない。と言うより、まだまだ願いは保留の段階だな。だからそれまでは、適当に戦うに相応しいサーヴァントでも見つけて、
イクサでもして過ごそうかと思ってる。一方で、お前の物の考え方は、聖杯使って願いを叶えたいって奴にとってはとんでもないモンだ。
そりゃあそうだ、叶えたい願いを叶えてくれる最後の砦をお前はぶっ壊そうとしてるんだからなぁ、オイ? 当然、お前を狙って多くの主従がイクサを仕掛けるかも知れない。其処で俺が、お前の露払いでもしてやろうかと言う訳さ」
「お前の言い方だと、聖杯に掛ける願いが何か見つかったら、俺達に牙を向く、としか聞こえねぇが?」
「それが俺達の譲れないラインだよ、お前と同じだな」
言っている事はつまり、この同盟は初めからソニックブームの側が裏切る事を前提にしている、と言っているような物だった。
「だが逆に言えば、その願いが何かしら見つかるまでは、俺はお前と当初交わした契約、つまり露払いをやらなくちゃあいけない。
それに、願いを見つけたからと言って即時裏切る訳にも行かないだろう? 一緒に協力した方が両者のメリットになる案件だったら、二人で取りかかった方が良い。一人より二人の方が効率が良い、態々コトワザにするまでもないだろ?」
荒垣とイルは、押し黙ってソニックブームの言葉を聞いていた。沈黙に付け入るように、更にソニックブームは続けた。
「冷静に考えろよ、エエッ? この聖杯戦争、聖杯を使って願いを叶えたいって奴と、お前達の様に主催者に義憤する熱血漢、どっちが多いかをよ。
俺は確かにどっちつかずのコウモリなのかも知れないが、今後、お前達の考えに賛同するような奴は、早々現れないと俺は思ってるぜ?」
此処で、ソニックブームは自分の主張はこれまでだ、と言わんばかりに言葉を止め、胸の前で腕を組み、見下ろす様に荒垣とイルに目線を送る。
これ以上の主張は、もうない。此処まで言って協力関係を結べず、最悪情報交換が出来なくとも、それでも良い。
ソニックブームにとっては、『聖杯を破壊しようとしている主従がいるから注意しろ』と言う情報が一つ増えるだけだ。これも後で、強力な情報カードとして通用する。
どちらにしても、ソニックブームは、自分にとって有利な方向に物事を運べるよう、ちゃんと軌道の修正をしているのである。
「……情報を交換してからだな。その有用性次第では、考える」
「ハッハッ!! 慎重なこったな、ボウヤ!! 石橋をハンマーで叩き過ぎたら壊れたって言うコトワザを知ってるか?」
「知らねぇよそんな意味不明な諺……。どっちにしろ、情報交換だけは先ずは受け入れる。その為の場所を、何処か探すぞ」
「おうよ」
言って荒垣は、先ずイルを霊体化させる。それを受けて、ソニックブームも清音を霊体化させる。
片方を霊体化させているのに、片方が実体化させている状態では、アンブッシュがし放題である。それを咎められては、信用に関わるとソニックブームが考えたからだった。
【……意外ですね】
【アーン?】
念話で、清音がそんな事を言う物だから、思わずそんな事を言ってしまうソニックブーム
【僕としては、貴方はあの主従を詐欺同前に言いくるめようとするのでは、と思っていたのですが】
【それをやるのは相手がどうしようもない馬鹿の時だけだ。適度に知恵が回り、その上度胸もある奴相手には、それに相応しいやり方ってのがあんだよ】
ニンジャのスカウトと言うのは、難しく大変な仕事だ。
人間の性格や信条が多様であるように、ニンジャの性格や信条もまた多様である。ジツの種類やカラテの腕前と同じ程に、だ。
話の分かるニンジャばかりではないのだ。馬鹿なニンジャは、煽てたり金でつったり、時には暴力で訴える事も必要だった。
聡明で自分の軸を持ったニンジャには、腹を割って正直に話して、此方が信頼に値する人物だと思わせる、と言うプロセスを経る事も必要だった。
このような、ネゴシエートを生業とする仕事に付いてつくづく思うのは、交渉の方法が一つしかない者程役に立たないと言う事だ。
様々なアプローチの仕方を知っている者こそが、この業界では強い。今回の荒垣達の場合は、まずは此方がクレジットを稼ぐ事から始めねばならない程の難物であるからこそ、このような手段を取っただけなのである。
【……あまり、敵対したくない主従ですね】
清音が、少し考えてからそんな事を言った。
【悪い人達では、ない事はよく解りました。そしてその信念が本物である事も】
【だから何だ?】
清音の言葉に対するソニックブームは、冷徹だった。
【悪い奴じゃない、結構な事じゃないか。だが、善人である事も、信念が本物である事も、俺は評価しない。タツジンか、そうじゃないか? 其処を軸に区別しろ】
【……何が言いたいんです?】
【時と次第によっては、冷徹にあいつ等を斬る覚悟を持てって事だよ、セイバー=サン。
結局この<新宿>じゃ、どう足掻いても最大限に信じて良い奴って言うのは、自分自身かそのサーヴァントのみに限られる。それ以外の奴は、どんな善人でも距離を置いて接する。それが、当たり前なんじゃねーのか?】
【セリューの主従の言葉に同意を示すのは癪ですが、僕も、聖杯戦争の主催者には良いイメージを持ってません。同じ意見でも、これだったら目の前のアサシンの意見に同意しますよ】
【やれやれ、困ったサーヴァントだぜ。まぁいい、取り敢えずは連中の持ってる情報を聞いてからだ】
そう言ってソニックブーム達は、荒垣達に続く様に、戸塚町の表通りに出た。
太陽が、とても眩しい。重金属雨とは無縁の、素晴らしいまでの青空が広がっている。
毒々しいネオンもなければ、欺瞞的な言葉を吐き散らす飛行船の類もない。平和な空だ。鳥と雲だけが、自由を主張出来る美しい空だ。
――だがこの世界は、確かにマッポーなのである。
重金属の雨が降らないし、暗黒メガコーポもない。それでも確かに、この世界は何れ、マッポーへと様変わりするのである。
それを担っている者こそが、彼、ソニックブームでもあり、荒垣でもある。聖杯戦争によりて、<新宿>と、この世界は、酷く変貌してしまう事であろう。
蒼い板の様な空の檻の中に、ソニックブームも荒垣もいる。荒垣はその檻ごと、この世界を破壊しようと試みているのだろうか。
――だとしたら、気骨があるじゃねぇか――
自分には、到底出来ない事柄だった。
暗黒メガコーポやニンジャを主たる構成員にした威力組織や秘密結社達が裏で跋扈し、カチグミ・マケグミのレールが厳然と敷かれた、退廃的で閉塞的な世界。
それが、ソニックブームの生きる、ネオサイタマと言う都市と、其処に根差した世界だった。その世界に順応して生きる事を選んだソニックブームには、
荒垣の今の行動原理は、少しだけ眩しく見えていた。そして、考える。ソウカイヤにとってゴッドとも言うべき、ラオモト・カンに、自分は、荒垣の様に反旗を翻せるのか、と。
【高田馬場、百人町方面(戸塚町)/1日目 午前9:30分】
【ソニックブーム@ニンジャスレイヤー】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]ニンジャ装束
[道具]餞別の茶封筒、警察手帳、悪魔(ノヅチ)の屍骸
[所持金]ちょっと貧乏、そのうち退職金が入る
[思考・状況]
基本行動方針:戦いを楽しむ
1.願いを探す
2.セリューを利用して戦いを楽しめる時を待つ
3.セイバー=サンと合流
[備考]
・フマトニ時代に勤めていた会社を退職し、拠点も移しました(過去の拠点、新しい拠点の位置は他の書き手氏にお任せします)。
・セリュー・ユビキタスとバッターを認識し、現住所を把握しました。
・新宿に魔物をバラまいているサーヴァントとマスターがいると認識しています。
・荒垣&アサシン(イル)の主従と、協力関係を結ぼうとしています。結果は、後続の書き手様にお任せします。
【橘清音@ガッチャマンクラウズ】
[状態]健康、霊体化、変身中
[装備]ガッチャ装束
[道具]
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯にマスターの願いを届ける
1.自分も納得できるようなマスターの願いを共に探す
2.セリュー・バッターを危険視
3.他人を害する者を許さない
【荒垣真次郎@PERSONA3】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]召喚器、指定の学校制服
[道具]遠坂凛が遺した走り書き数枚
[所持金]孤児なので少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を企む連中を叩きのめす。自分の命は度外視。
1.ひとまずは情報と同盟相手(できれば魔術師)を探したい。最悪は力づくで抑え込むことも視野に入れる。
2.遠坂凛、セリュー・ユビキタスを見つけたらぶちのめす。ただし凛の境遇には何か思うところもある。
3.襲ってくる連中には容赦しない。
4.人を怪物に変異させる何者かに強い嫌悪。見つけたらぶちのめす。
5.ロールに課せられた厄介事を終わらせて聖杯戦争に専念したい。
[備考]
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ギュウキ)と交戦しました。
・遠坂邸近くの路地の一角及び飲食店一軒が破壊され、ギュウキの死骸が残されています。
・ソニックブーム&セイバー(橘清音)の主従と交渉を行う予定です。結果の方は、後続の書き手様にお任せします。
【アサシン(イリュージョンNo.17)@ウィザーズ・ブレイン】
[状態]健康、霊体化
[装備]
[道具]
[所持金]素寒貧
[思考・状況]
基本行動方針:荒垣の道中に付き合う。
0.日中の捜索を担当する。
1.敵意ある相手との戦闘を引き受ける。
[備考]
・遠坂邸の隠し部屋から走り書きを数枚拝借してきました。その他にも何か見てきてる可能性があります。詳細は後続の書き手に任せます。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
憔悴しきった様子と態度で、少女は街を歩いていた。
日の当たらない洞窟の中で長年過ごしてきたように白い肌。それが今は、血色も良く、皮膚自体が白く輝いているかの如く綺麗な風になっていた。
フィジカル面も健康そのもの。未だかつてない程に、少女のコンディションは万全かつ健康のそれだった。
ただ一つ――メンタルだけが、少女が未だかつて経験した事もない程、黒く、濁っている事を除けば。彼女、番場真昼は、健康と言うべき少女だったのだろう。
メフィスト病院の退院措置は、実に速やかであった。
真夜を痛めに痛めつけたサーヴァント、シャドームーンの攻撃によって、襤褸切れ同然となった彼女の制服は、如何なる手段を用いてか、
血や体液による汚れが完璧に抜き取られていただけでなく、切られた所も、やはり如何なる手段を用いたのか完璧に復元されていた。
メフィスト曰く元々の服を修復しただけに過ぎないと言うのだが、明らかに、新品を買い直したとしか説明のしようがない程完全かつ完璧な状態の制服だった。
そしてその後、メフィストは真夜を、メフィスト病院地下二階、即ちシャドウラビリスを閉じ込めている部屋へと案内した。
あのバーサーカーは、ニッパーでも持ち出せば簡単に切断出来るのではと言う程の細い針金に全身を縛られ、地面に転がされている状態だった。
針金を解除した瞬間、シャドウラビリスはメフィストに対し襲い掛かろうとしたが、真夜には到底理解の出来ない何らかの措置で、あのバーサーカーは動きを停止させられた。
メフィスト曰く、『金縛り』と呼ばれる初歩の初歩の魔術で動きを止めたらしい。その後真昼は、シャドウラビリスに、メフィストを攻撃するなと言う事で、
何とか大人しくなった。極めて限定的とは言え、真夜がシャドウラビリスに下した、『真昼を守れ』と言う旨の命令は、まだ生きていたのである。
対魔力のないバーサーカーだからこそ、強い効き目を未だに有している、とは真夜も真昼も知る由もない。
そして本当に、シャビリスを解放した後に、真昼は退院させられた。
その手には、メフィスト病院を退院した患者に渡される煎餅の入った紙袋を持った状態で、真昼は、<新宿>の余丁町を歩いていた。
幸いにもシャドームーン達は、真夜達から金銭の類を奪わなかった為に、ちゃんと持ち金はあるにはある。
あるのに、信濃町から余丁町まで、公共の移動期間を用いず、自分の脚で移動すると言う事をしてしまった。其処まで考えが回らない程、真夜は今何も考えられない状態だった。
当初危惧していた、魔力の枯渇の問題についてだが、意外にも、この問題はクリアしていた。
これは何故かと言うと、シャドウラビリスを消滅させては元も子もないと言う理由で、メフィストはこのバーサーカーが現界出来る程度の魔力を彼女にシャドウラビリス、
及び番場にある程度補填していたと言うらしいのだが、そのメフィストのある程度と言うのが、番場には十分過ぎる程の量だったのだ。
全く笑える話であった。そして、格差と言う物をいやと言う程実感させられる話でもあった。リスクを承知であれだけ魂喰いをして獲得した魔力よりも、
メフィストが適当に込めた魔力の総量の方が、遥かに多いのだから、これ程泣けてくる話も無い。
だが逆に言えば、魔力が多いと言う事は、それだけシャドウラビリスが暴れ回る機会を多く用意してしまったと言う事を意味する。
加えて、このバーサーカーを御する為の令呪も無い、契約者の鍵だって、奪われている。
そして何よりも、夜が来てしまえば、真昼と言う人格は、真夜と言う人格と交代してしまう。つまり、なけなしの令呪で命令した、『真昼を守れ』と言う命令がこの時点で消える。
この結果何が起こるのか? 真夜が殺されてしまうかも知れないのだ。そうなれば当然の事、真昼も死ぬ事になる。
残り十時間にも満たないかも知れない命。それが、番場真昼と、番場真夜に与えられた現実だった。これで、気を強く持てと言う方が、どうかしてる。
それを認識していたからこそ真夜は、メフィストと同盟を組もうと最後まで食い下がったのだが、あの男は冷徹にその要求を袖にした。
患者と言う立場も失い、令呪も全て失い、頼る者も縋る者もなく、魔力と言う火薬だけを積まされた状態で、<新宿>にほっぽり出されたこの状態。
現実を認識すればする程、足取りも重くなる。そしてそのまま、膝を折り、崩れてしまいそうだった。
そうこうしている内に、番場達は、余丁町のとある路地に来ていた。
目の前には、表面が赤さびた手すりを伴った、石の階段。本来意図していたルートとは、全然違う所に足を運んでいたようである。
余りにも考えなしに歩いてしまった為に、大分デタラメな所に行き着いてしまったようだ。
……それにしても、妙な空間である。驚く程、人の通りが少ないのである。
昼の余丁町であれば、どのような所でも、人が歩いているような気もするが、それが全くない。
妙に思って、階段を上ってみる。左側から、話声が聞えて来た為に、そっちの方に反射的に顔を向けて、驚いたような顔を、真昼は浮かべてしまう。
「オイ!! ナムリス将軍閣下ハヤッパリ……!!」
「間違イナイ、殺サレタラシイゾ……」
「信ジラレン……アノ無敵ノ、ドンナ攻撃デモ死ナナイ将軍閣下ガ……」
やけに聞き取り難い声だと思ったが、納得した。
背丈の異様に低い、矮躯の鬼の様な存在と、力士の様な大兵漢の鬼が、何かを話していたのだ。
話している内容は、全く分からない。だが、話の内容を考えるに、<新宿>でのノーマルな話題とは到底思えない。となれば……聖杯戦争の関係者、と見るのが適切か。
何とかして、この場から立ち去ろうとする真昼だったが、しかし、遅すぎた。最初に真昼に気付いたのは、小鬼の方。後に、大柄な鬼が此方に目線を送った。
「コイツ、何時ノ間ニ!!」
「殺シテオクゾ!!」
小鬼の方が、懐から船の櫂に似た棒を取り出し、大柄な鬼の方が、馬鹿でかい棍棒を取り出し、構えた。
ひぅ、と情けない声を真昼が上げる。即座に傍に、シャドウラビリスが実体化する。鬼達の顔に、驚きが刻まれた。
まさか目の前の存在が、このような凶悪そうな存在を従えているとは、思えなかったのだろう。
「だ、駄目……!!」
此処で暴れられては、本当に拙い。
確かにシャドウラビリスは真昼を守れと言い渡されているが、それはあくまでも直接殺すなと言うだけであり、戦闘の余波については全く勘案されていない。
この場所で暴れられれば、本当に何の余波で死ぬのか、解った物ではない。必死に止めようとするが、シャドウラビリスは聞かない。
懐から、馬鹿でかい大斧を取り出し、それを構えた、その時だった。
――ドゥンッ!! と言う音と同時に、二mもあろうかと言う鬼の身体が、爆ぜた。
その音が鳴り響いてからゼロカンマ一秒程経って、隣の子鬼の身体か、頭から股間まで真っ二つになった。
二人の鬼は血や臓物の代わりに、汚泥と塵とを撒き散らし、この世から消えてなくなった。
何が何だか解らない、と言った真昼であった、明らかにそれを齎した者達が、直に表れた。
真昼から見て右の路地に植えられた植え込みを飛び越えて、それは姿を見せた。
先程の大鬼に勝るとも劣らない大きな体躯を持った、白いワニだった。それは二本の脚で直立しており、ワニと言うよりは、人とワニのハーフとでも言うべき存在だ。
だが何よりも奇妙なのが、そのワニの服装である。それは、何処ぞの野球のチームのユニフォームめいた物を被っており、頭にはご丁寧に小さな野球帽も乗っけている。
着ぐるみなのか、と思うだろうが、真昼にはそれが違うとよく解る。何故ならば、見えているのだ。
目の前の白いワニの、クラスとステータスが。クラスはバーサーカー――聖杯戦争の参加サーヴァントだ。
こうなると余計に、その手に持った金属バット状の鈍器が、恐ろしい物に見えてくる。
「■■■……!!」
シャドウラビリスが斧を構えた。それを見てバーサーカー、バッターは、その白い瞳に、何らかの感情を込めた。
「黒く濁った霊の波動を辿って来てみれば、餓えた鉄の豚か。敵対すると言うのであれば、俺も容赦はしない」
驚く程闊達な喋り方で、バッターは言葉を発した。逆に真昼の方が驚いてしまう。
明らかに声帯も、言葉を発する器官も持って居なさそうなのに、実に見事に、そのサーヴァントはコミュニケーションを取って来るのだ。
「もう、駄目ですよバッターさん!! まずはお話を聞きましょうよ!!」
そう言って、元気の塊のような明るい、陽性の女性の声が、バッターが飛び出て来た茂みの方から聞こえて来た。
茂みを飛び越えて、その女性がバッターの傍に着地する。線の細い、華奢そうな身体つきの女性だ
ややオレンジがかった茶髪が、彼女の溌剌とした雰囲気を助長させている。顔立ちも、幼さの名残を残しつつ、大人の色香を香らせており、悪くない。
セリュー・ユビキタスは、実に気の良さそうな笑顔を、真昼と、シャドウラビリスの方に向けた。
「セリュー、お前も解っている筈だろう。最早俺達の事を知らぬ主従など、この街にいる筈がないと言う事を」
「それでも、話し合えばきっと、解ってくれる筈ですよ!! 駄目だったら、『それは仕方ありません』けど!!」
バーサーカーであると言うのに、何て上手く会話が出来るのだろう。
そして、如何してこうも、コミュニケーションがうまく取れているのだろう。真昼も真夜も、目の前の主従が、とても羨ましくなってしまった。
「■■……ッ」
「ま、待って、バーサーカー!!」
漸く真昼が、言葉を絞りだし、シャドウラビリスに静止を求めた。
構えた斧を振おうとしたシャドウラビリスだったが、真昼の命令を受け、非常に渋々、と言った様子で言葉に従った。
「一つ、答えて貰おうか」
バッターは、地面に散乱した砂や塵の方に、爬虫類の様な白い瞳を向けさせて、言葉を続けた。
「この辺り一帯に、子供騙しな人払いの術法が掛けられていた。そして、今しがた俺が浄化したこの出来損ないは、お前のものか?」
「ち、違、違う……ます……」
「だろうな。バーサーカーにこのような細かい芸当は不得手だ。況してやお前の従える物では、猶更だ」
「バッターさん、どう思いますか? この危険種の様な怪物は」
「恐らくは魔術師の手による物、としか思えんな。身体を構成する物は、見ての通りの砂や塵だが、与えられた性質としては、食人鬼等の、鬼のそれに近い」
「こんなのを<新宿>に放って、人々の生活を脅かす何て、許せませんよ、バッターさん!!」
少女は強く義憤の意をバーサーカーに表明する。真昼にはそれが、実に輝いて見えた。
「落ち着けセリュー。お前の気持ちも解るが、やはり情報が少ない。もう少し、探索を続ける必要があるだろう。闇雲に動き回るのは賢者のやり方ではない」
「了解しました!!」
ビッ、と敬礼を行い、バッターに恭順の意を示すセリュー。
それを見て、真昼は、藁にもすがる思いで、口を開き、その意思を表明した。
「あ、あの……!!」
「ほへ?」
敬礼を解きながら、真昼の方に向き直るセリュー。バッターも、怪訝そうな瞳を、そちらに向けている。
「わ、私を、た、助けて下さい……!!」
「助ける……?」
小首を傾げるセリュー。疑いのオーラを強く放つバッター。
それを見て、シャドウラビリスが唸りを上げた。如何も彼女は、バッターその物もそうであるが、その周りの空間にも、何故か、強い警戒の意を示しているのだ。
「わ、私――」
実にたどたどしく、どもりも酷い話し方で、真昼は全てを話した。自らの境遇もそうであるが、此処に至るまでの経緯も全て。
昨日の日を跨ぐがどうかの時間に、銀鎧のセイバーに痛めつけられた事。その時に契約者の鍵も奪われた事。そして、令呪も無い事。メフィスト病院での事。
全てを包み隠さず、正直に、目の前の存在に打ち明けた。真面目にそれを聞くセリューと、やはり疑いの念を隠せぬバッター。
話を粗方聞き終え、ややあって、セリューが口を開いた。
「そのセイバー達は悪ですね!!」
その一言は、真昼にとってそれは強い救いの一言になった。
「聖杯戦争が始まる前に、番場さんのようにか弱い少女を、其処までして痛めつける何て、許せませんよ、バッターさん!!」
「……その身に、二つの分裂した精神を宿す女よ。お前に問う」
黒い所などない、完全な白一色の瞳を、番場に向けて、バッターは言葉を続ける。
「お前は、聖杯戦争の本戦が既に始まった事を知らないのか?」
「……え? も、もう始まって……?」
「そうか、解った」
其処で、全てが納得行ったと言う様子で、バッターは目線をセリューの方に向けた。
「セリュー、お前は如何したいのだ?」
「わ、私ですか?」
「目の前の女は、セイバーとそれを率いる悪漢に全てを奪われ、途方に暮れていると言う。……此処で、この主従を無視する事も、俺がこの主従を葬る事も、俺は吝かじゃない。だが、お前の意思は如何なのだ。お前は、この女達を、如何するつもりだ?」
「むむ……」
うんうんと唸りながら考えるセリュー。
普段はバッターの意思に従い行動しているのだろう。故に、自主的に行動する機会を与えられると、少し戸惑ってしまうらしい。十秒程考えてから、「よしっ」、と言い、真昼の方に向き直った
「真昼さん!! 一つ、聞いても良いですか!?」
「え? は、ひゃい!!」
「私達は、この聖杯戦争を仕掛けた主催者達を倒して、この世界を正義と平和と調和に満ちた素晴らしい所にするつもりなんです!! 貴女は、その事を、如何思いますか?」
「え、あ、う……」
考え込む真昼。この質問は、何を意図しての物なのだろう。
普通に考えれば、その様な世界が良いに決まっている。本当にこの世界が正義と平和と調和に満ちていたのなら――。
自分は心無い男に監禁される事もなく、虐待も受ける事もなかった。そんな優しい、淡くて甘い世界が来るのであれば、それは、どれだけ良い事なのか。
「私は、その、友達が多く出来て、みんなと仲良く出来る世界が来れば……」
「解りました!! バッターさん、この人と同盟組みましょう同盟!!」
バッターのユニフォームを引っ張りながら、自分の意見をバーサーカーに主張するセリュー。
ユニフォームを引っ張るセリューの手を除けながら、「良いのか?」とバッターは訊ねた。
「こんな優しい人、放っておけませんよ!! それに、困ってる人は助ける必要がありますから!! ね、ね!! 大丈夫ですよね!?」
まるで子供が親に、捨て犬や捨て猫を飼っても良いかと催促するような、セリューの態度だった。
改めてバッターは、セリューと、それの率いるバーサーカーに、冷たい目線を送り、少し間を置いてから、口を開いた。
「……良いだろう。俺達の浄化への道のりには、人が多ければ多い程良い」
「やったぁ!! 良かったですね、番場さん!! 今日から仲間ですよ仲間!!」
そう言って真昼の下へと近付いて行き、その手を両手で握るセリュー。
実に真っ直ぐで、実に、明るい性格。そして、キラキラ光るその瞳。初めて、頼れる友達が出来た様な感覚を、真昼は憶えた。
目薬でも差されたように、瞳が暖かい水でうるんで行くのを真昼は感じる。そして、崩れるように泣き始めた。
「ば、番場さん!? ど、如何したんですか……?」
「う、え……うえええぇぇぇん……」
漸く安心して頼れる味方を見つけて、安堵の涙を流す真昼。
当初は混乱していたセリューだったが、今まで辛い境遇だったので、初めて安心出来るような所に行き着き、感動の涙を流しているのだと、セリューは察した。
「大丈夫、怖かったんですよね」と優しく言いながら、片膝を付き、セリューは番場を抱き寄せる。
真昼はこの時初めて、絶対に生きて、<新宿>を出るんだ、と、真夜と共に誓い合う事が出来た。絶対に生きて、此処を出る。それが、今の真昼と真夜の、行動原理になった。
……真昼と真夜、と言う名前のこの少女達は、何処までも運の無い、運命の神に見放された少女達だった。
契約者の鍵を奪われていなければ、セリュー・ユビキタスなど絶対に頼るまい。何故ならばこの少女こそ、ソニックブームと言う悪漢をして、狂人と思わせしめる気狂いなのだ。
この少女こそ、ルーラーが直々に他の全主従に『殺せ』と通達を送る程の凶悪な性情を内に秘めた悪鬼羅刹なのだ。
――そして、真昼も真夜も、そして、セリューすらも知るまい。
バッターが、真昼達が契約者の鍵を奪われ、自分達が指名手配をされていると言う事実を知らないと看破したからこそ、同盟を受け入れたのだと。
もしも真昼達がそれを知っていたら、何とか言いくるめ、彼女らを殺していたなどとは、誰も知るまい。
草木も溶けるような熱い夏の日差しが、四人に降り注いでいた。
何が涙で何が汗なのか解らない程ぐしゃぐしゃに泣いている真昼は、今この瞬間の、偽りにも程がある安堵の時間を、噛みしめるように大切にしているのであった。
【歌舞伎町、戸山方面(余丁町)/1日目 午前10:00分】
【セリュー・ユビキタス@アカメが斬る!】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]この世界の価値観にあった服装(警備隊時代の服は別にしまってある)
[道具]トンファーガン、体内に仕込まれた銃 免許証×20 やくざの匕首 携帯電話
[所持金]ちょっと貧乏
[思考・状況]
基本行動方針:悪は死ね
1.正義を成す
2.悪は死ね
3.バッターに従う
4.番場さんを痛めつけた主従……悪ですね間違いない!!
[備考]
・遠坂凛を許し難い悪だと認識しました
・ソニックブームを殺さなければならないと認識しました
・主催者を悪だと認識しました
・自分達に討伐令が下されたのは理不尽だと憤っています
・バッターの理想に強い同調を示しております
・病院施設に逗留中と自称する謎の男性から、<新宿>の裏情報などを得ています
・西大久保二丁目の路地裏の一角に悪魔化が解除された少年(トウコツ)の死体が放置されています
・上記周辺に、戦闘による騒音が発生しました
・番場真昼/真野と同盟を組みました
【バーサーカー(バッター)@OFF】
[状態]健康 魔力消費(小)
[装備]野球帽、野球のユニフォーム
[道具]
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:世界の浄化
1.主催者の抹殺
2.立ちはだかる者には浄化を
[備考]
・主催者は絶対に殺すと意気込んでいます
・セリューを逮捕しようとした警察を相当数殺害したようです
・新宿に魔物をバラまいているサーヴァントとマスターがいると認識しています
・自身の対霊・概念スキルでも感知できない存在がいると知りました
・番場主従が、自分達が指名手配されている主従だと気付いていない事を看破しています
・………………………………
【番場真昼/真夜@悪魔のリドル】
[状態]健康
[令呪]残り零画
[契約者の鍵]無
[装備]学校の制服
[道具]
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:真昼の幸せを守る。
1.<新宿>からの脱出
[備考]
・ウェザー・リポートがセイバー(シャドームーン)のマスターであると認識しました
・本戦開始の告知を聞いていません。
・拠点は歌舞伎町・戸山方面住宅街。昼間は真昼の人格が周辺の高校に通っています。
・メフィストを退院しました。おめでとう
・セリュー&バーサーカー(バッター)の主従と同盟を結びました
【シャドウラビリス@ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ】
[状態]健康
令呪による命令【真昼を守れ】【真昼を危険に近づけるな】【回復のみに専念せよ】(回復が終了した為事実上消滅)
[装備]スラッシュアックス
[道具]
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:全参加者及び<新宿>全住人の破壊
1.全てを破壊し、本物になる
[備考]
・セイバー(シャドームーン)と交戦。ウェザーをマスターと認識しました。
・メフィストが何者なのかは、未だに推測出来ていません。
投下を終了いたします
投下乙です。二組の同盟結成が対照的に書かれてました
サーヴァントをけしかけるだけが聖杯戦争じゃない。ニンジャスカウト経験を活かし交渉を成功させたソニックブーム=サンの見事なワザマエ。
これもまたノー・カラテ、ノー・ニンジャの一側面か……
反面直後の番場ちゃんの不憫っぷりが引き立つ。なにより本人が本当に救われた心地でいることが本当に哀しい……おおブッダよ、寝ているのですか!
やっぱブッダはゲイのサディストですね。仏教辞めて那珂ちゃんのファンになります
葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)
佐藤十兵衛&セイバー(比那名居天子)
塞&アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)
マーガレット&アサシン(浪蘭幻十)
遠坂凛&バーサーカー(黒贄礼太郎)
ザ・ヒーロー&バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)
エリザベス&【EX】ルーラー(人修羅)
予約します
ファッ!?何だこの予約は、たまげたなぁ…
◆T3rvSA.jcsですがトリップを変えました
>仮面忍法帖
真昼/真宵といい凛といい女性陣の詰みっぷりが酷い。彼女達に明日はあるんでしょうかね?
予約期間を大幅オーバーした事と、都合によりマーガレットと浪蘭幻十の組を予約組から弾きます。まことに申し訳ございません
投下します
【来るかしらね】
境内へと続く、数段しかない石段の真ん中の段に腰を下ろしながら、鈴仙が言った。
【ライドウの奴は確実に来るだろうさ。帝都、もとい東京か。此処を護ると言う意思は本気だったからな】
言ってから、塞は一息で、ゼリータイプの速効の栄養食を吸引し終え、残った空のパックを書類ケースの中に適当に放り込んだ。
生きるか死ぬかの本気の戦いが、後十分もしない内に始まるかもしれない。言うなれば、塞にとって最後の食事がこの流動性に優れる栄養食品かも知れないのだ。
最後の晩餐にしては随分としまらないなと、鈴仙も塞も思った事は、言うまでもない。
【問題は、もう一方さ】
それについては、鈴仙の方も同意していた。佐藤十兵衛と、比那名居天子。この主従の方が問題だ。
どちらも可愛げも何もあった物じゃない組み合わせだった。佐藤十兵衛など論外である。塞自体、上下関係は余り気にしない所が強いので、
多少の無礼は大目に見るが、十兵衛の場合は如何にも許してやろうと言う気になれない。聖杯戦争の参加者である、と言う色眼鏡を抜きにしても、可愛げも何もない。
だが佐藤十兵衛の方は、男の上一言二言言葉を交わせば性格の悪さが滲み出ている為、まだ解りやすい。タチが悪いのは天子の方だ。
令嬢と見紛うような気品ある風格と恵まれた容姿からの、天衣無縫の傍若無人を絵に描いたような自由な立ち居振る舞い。
鈴仙が如何してあのサーヴァントと関わり合いたくないのか、たったの数分で理解出来た程だ。要するに凄まじいまでのわがままなのだ。
第三者に近しい塞ですら、関わるだけでウンザリするレベルなのだ。それを御さねばならない十兵衛など、堪ったものではないだろう。その一点に関しては、同情する。
【あの我儘なお嬢ちゃんがダダを捏ねてるか、十兵衛のガキがつまらない作戦を考えでも実行に移したりなんかすれば、遅れるか、最悪バックれるかも知れないがな】
正直、天子の戦闘能力に関して言えば、他ならぬ鈴仙のお墨付きがある為、この一点だけは信じても良いのだろう。
十兵衛や天子、双方の性格はハッキリ言って同盟に向いてるそれとは思えないが、今は兎に角頭数を揃えたかった。
三人揃えば、流石にあの化物も如何にかなるだろう。逆に言えば、最低でも三人はいなければ、恐ろしい相手と言う事を意味するのだ。
白く輝く夏の太陽が、中天に達していた。
ギラつくような太陽は、うっかり目を合せてしまえば、角膜が焼けてしまうのではと思う程強く光り輝いている。
そんな強い夏の日差しを、二人は、矢来町の秋葉神社にて浴びていた。日差しも無ければ風もない。ハッキリ言って、待ち合わせ場所に使うには、失敗だったと塞は愚痴っていた。
午前十一時に差し掛かる前に、ライドウや十兵衛の組と交わした、討伐令の主従を三組で叩くと言う作戦。それを塞達は、実行に移す算段でいた。
結論から先に述べるのであれば、三組は、遠坂凛と彼女が率いるバーサーカーである黒贄礼太郎を倒す、と言う事で合意した。
無論、この主従の脅威を紺珠の薬で身を以て知っている塞達は、乗り気である訳がない。それにもかかわらず、黒贄達を倒すと言う流れに逆らえなかったのは、幾つか理由がある。
先ず、この流れを提案したのはそもそもライドウであったと言う事が大きい。
ただの学生に過ぎない十兵衛の意見を突っ撥ねるのと、悪魔を使役し、サーヴァントに劣らぬ強さを誇るライドウの意見を突っ撥ねるのとは、意味合いが全く違う。
此処はライドウの意見を呑んだ方が良いと、塞も、そして十兵衛自身も判断したのである。
二つ目に、黒贄を標的に選んだ理由は、このバーサーカーの危険度がセリューのそれよりも遥かに高いと言う事も無視出来ない。これもライドウの意見だった。
周知の通りこのバーサーカーは人目も憚らず、しかも魂喰いと言う理由づけすら超越し、意味なくNPCを殺戮すると言う危険極まりないサーヴァントだ。
対してセリューの方は、水面下で、NPCとは言えヤクザや悪漢を主なターゲットとし殺戮を重ねていると言う違いがある。
どちらも世間の道理に照らし合わせれば到底許せる存在ではないのだが、放置すればどちらの方が<新宿>に被害を加えるか、と考えた場合それは勿論黒贄の方だ。
実際に黒贄は正気のサーヴァントでは断じてなく、このまま放置していれば更に殺しを重ねる事は鈴仙達も知っている。
セリューと黒贄、どちらを殺すかを比較した場合、当然黒贄の方に天秤が傾くのは、当たり前の事であった。
三つ目に、塞達が黒贄がどう言うサーヴァントなのか、知っている事。紺珠の薬で観測したあり得た未来、その観測結果から持ち帰った黒贄の情報が、
逆に塞達の首を絞めてしまった、と言う訳だ。どんな戦い方をするのかわからないセリューの主従と、ある程度解っている黒贄達なら、当然後者の方に軍配が上がると言う事だ。
そして最後。これが最も大きい理由であるのだが……黒贄達は塞達がハイアットホテルで同盟についての交渉を行っている間に、香砂会の邸宅で暴れ回っていたらしいのだ。
散々暴れ回った後、彼らはその邸宅から北上。拠点を一時的に移し、時が過ぎているのを待っている……と、ライドウが語っていた。
信頼出来る情報筋からの情報と、探偵としての技量を合せて発見したと。表現をボカしていたが、恐らくは悪魔経由の情報だろう。全く便利な物だと塞も羨んだ。
拠点も解っており、つい今しがた暴れ回ったサーヴァント。当然それを、ライドウが許す筈もない。以上の四つの理由が組み合わさり、討伐令のサーヴァントの内、黒贄の方を葬る、と言う運びになったのだった。
黒贄達は現在、此処矢来町のあるモデルハウスを拠点にしていると言う。
モデルハウスと言うからには当然、これを管理する会社の人間が当該住居の周りにいる事は明らかなのだが……恐らくその人物は、生きてはいまい。
無論の事、その家を見学に来るであろう人物も、である。そして、そのモデルハウスと、今塞達がいる秋葉神社は、丁度サーヴァントの知覚範囲外に在る。
黒贄が余程特殊なスキルを持っていない限りは、先ず気付かれる事はないし、そもそも紺珠の薬で観測した未来が、彼にそんなスキルも宝具もない事を塞達に教えている。
安心して秋葉神社を、十兵衛やライドウと落ち合う施設として利用出来る、と言う訳だ。
表面上は平静を装っているが、鈴仙は緊張していると言う。
考えてみれば、サーヴァントとしてその力を戦闘と言う局面で振うのは、これが初めてと言う事になる。
鈴仙は生前、色々と荒事に首を突っ込んで来た方だと言うが、サーヴァント同士の戦いは完全なる異種格闘技戦に等しい。何が飛び出すか解らない。
況して相手は鈴仙ですら見た事がないと言わせしめる程の、フィジカルモンスターだと言う。直接戦闘に追い込まれれば、万に一つも勝ち目はない。
そんな相手が、よりにもよって初戦の相手なのである。鈴仙の気持ちは察するに余りある。悪いとは思うものの、この戦いを避けてしまうと、ライドウへの義理が立たない。
命が掛かっているのは、塞の方も同じ。同じ一蓮托生なのだから、それで溜飲が下がって欲しいものだが……。
【比那名居のお転婆娘と、あの赤いコートのサーヴァントが近付いて来るわ】
【ほう、来たか】
其処から、一、二分程の時間が流れた。
通りを行く人の数が疎らになった頃の事。フォーマルな学ランに、無駄に鍛え上げられた身体の青年。塞の目の前に現れた最初の同盟者は、佐藤十兵衛の方だった。
流石に、あの自由なセイバーは霊体化している。これからサーヴァントと確実に戦うのだ、その配慮は当たり前の事だ。
次いで現れたのは、同じ学生服でも、大正時代からタイムスリップしたとしか思えない程、バンカラチックなマントと書生服に身を包んだ青年。
十兵衛と比べてしまえば、線も細く華奢そうに見えるが、その実、見る者が見れば十兵衛の筋肉よりも高い運動能力を搭載していると一目で解る、天稟の身体つき。
これに加えて、<新宿>に来る前から、事実上サーヴァントを操る才能に長け、自前の使い魔を幾つも持ち込めて来ている、と言う塞からすれば反則も同然の主従。
聖杯を手に入れる事を念頭に置いた場合、目の前の主従は避けては通れぬ難敵になるだろう。葛葉ライドウは、そう評するだけの力があった。
「流石に来たんだな、ボウヤ」
サングラスごしの魔眼を十兵衛に向けて、塞が言った。
「一体のサーヴァントを三人で叩く。誰がどう考えたってこっちが有利だろうよ。それに倒せればあわよくば令呪が全員に平等に貰えるかも知れないんだ。乗らない訳がないさ」
「無論、東京を守りたいって気持ちもあるけどな」、と。
明らかにライドウに向けてのリップサービスを口にするが、それが本心から来た言葉でない事はライドウとて解るだろう。
損益を考えた場合、益の方が大きいと思ったから、十兵衛は此処に来たに過ぎないのだろう。褒められた事ではないが、黒贄は強壮なバーサーカー。
数を揃えて叩くと言う作戦が有効である以上、如何に下心からこの戦線に参加したとは言え、十兵衛は邪険にしてはならない戦力だった。
「それよか、葛葉よ。本当に、あの大量殺人鬼……黒贄だったか? いるのかよ、お前の見つけた地点に」
「あちらが拠点を移動していると言うのなら、その限りではない」
「いるわよ。それは、賭けても良いわ」
ライドウと十兵衛。二名の会話に容喙をして来たのは、鈴仙だった。
「私の能力で、そのモデルハウスから黒贄達が其処から動いていないのは確認済み」
「モデルハウスっつーからには、それを管理してる会社の従業員がいる筈なんだが」
「……見てみない事には、解らないわ」
十兵衛の言っている事は、従業員としての役割を与えられたNPCの生死に近しい。流石に其処までは、鈴仙も解らない。
「生きていない可能性の方が高いだろうな」
さも当然のように。宛ら、今日の天気を口にするような様子で、ライドウはその現実を告げた。
十兵衛も塞も、少し驚いた様子だった。二人ともライドウの、帝都を護ると言う決意の固さと、それに掛ける本気の度合いを理解している。
だからこそのリアクションだった。そんなライドウであれば例え接点も縁も無いNPCであろうとも、殺されれば激怒すると、踏んでいたのだ。彼は、驚く程冷静だった。
「悪魔は、人を騙し、騙された人間が狼狽え、怒る様を見て愉悦に浸る。人を傷付け、殺し、自身の快楽を満たす。そう言う者が多い」
「碌でもねぇな」
十兵衛。
「確かにそうだろうな。だが、悪魔はそれが仕事だ。時に人を騙し、犯し、殺し。そして、昼食は昨日と違う物を食べるか、と言う感覚で時には人助けをする事も多い。そんな気まぐれな奴らを相手にする仕事、それが俺達なんだ」
場に、無言の帳が降りた。
「では人間はそんな奴らを相手に翻弄されるだけか、と言われればそれは違う。悪魔が人間に対して自由に振る舞っても良いように、俺達も悪魔に対して自由に振る舞っても良い。
向こうが俺達を騙すのなら、俺達も向こうの世故の疎さにつけこむ。向こうが俺達を犯すなら、俺達も向こうの持つ財産の全てを奪い尽くす。そして――向こうが俺達を殺すのなら、俺達は、死ぬ事すら許さず向こうを人の世界の礎にする」
塞は、己の身体に空寒いものが走るのを感じた。
己が使役する悪魔に限っての事だろうが、それでも悪魔の事を仲『間』とすら呼んでいたのに。実態は、塞がイメージしていたそれよりも、かなり殺伐として血生臭いそれのようだった。
「何を悪魔とするかは、極論、その力を人の為に振うか、自己の悦楽の為に振るうかでしかない。慰撫し、崇め奉れば護国の為に力を振うと言うのならば、俺もそれに応えよう。
だが、その力を徹底して自己の悦楽の為に人を害する事に用いるのならば、やる事は何時だって一つ。『暴力』に訴えかける事は、神魔諸仏の世界にも通じると言う事だ」
言葉を続けるライドウ。
「黒贄はまさに、その力を殺しの為に発散させる類なのだろう。そんな者だ、今更被害者が一人二人増える事は、珍しい事じゃない。当たり前の事さ。
だが、そんな存在が逆に、今更一人二人を気の迷いで救った所で、俺のやる事は変わらない。奴を葬り、座に叩き返さねばならない。殺しの因果は、何時だって早急に叩き付けられるものだ」
学帽を目深に被り直し、ライドウは身体の向きを変える。その方向は、黒贄達が待ち構えるモデルハウスの方角だった。
「時間だ。そろそろ向かうぞ」
言ってライドウは、先導役のつもりなのだろう。その方向へと先に歩み始めた。
「何か、あの紅白巫女の事を思い出さない?」と、霊体化している天子が鈴仙にそんな言葉を投げ掛けた。鈴仙はぶっきら棒に、そうね、と答えた。
あの怪物のような主従と、何れは矛を合せねばならないのかも知れないと思うと、気が滅入って来る。
結局この世界でも、穏当に物事が解決するワケには行かないようである。つくづく、ゲゼルシャフトの時と言い、トラブルと縁のある男なのだと、塞は改めて思い知らされたのであった。
腕時計を見、現在時刻を確認する塞。
時刻は11:45分。50分になる頃には、モデルハウスについている事だろう。紺珠の薬で観測した未来のリターンマッチ、まさにその時なのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
目視が可能であり、かつ、サーヴァントの知覚範囲にギリギリ引っかからない程度の距離にまで、三組はやって来ていた。
人通りは少なくなって来たものの、それでも、ゼロと言う訳ではない。普通に、通りを人が行き交っている。
妙だな、と思ったのは塞だけではないだろう。黒贄がもしも人を殺したというのであれば、人の通りがゼロに近しいか、最悪、機動隊といった警察組織がモデルハウスの周りを、
包囲、絶対に立ち入れないと予測していたからだ。であるのに、そのような結果になっていないと言う事は、今のところは、波風を向こうは立たせていないと言う事になる。
――尤も、それでも黒贄が此処で始末する、と言う当初の目的を遂行する事には、変わりはないのだが。
「戦いが長引けば、外で戦う事になるのは確実か」
ライドウが口にする。これも、ライドウは元より、塞や十兵衛も重々承知の上だろう。
塞はライドウから、黒贄達の立てこもっているモデルハウスの場所を知らされた時、その場所を直に調べ上げた。
新築一戸建ての、モダン風の一軒家であるのだが、東京の一戸建ての殆どに言えるように、欧米基準から見たらとても小さい、ウサギ小屋の如き家だ。
あの小ささで値段が一億円以上と来ている。一億円と言う値段の内、六割以上は土地の値段だろう。全く馬鹿みたいな値段だ。東南アジアであれば同じ値段でプール付きの豪邸が建つ。
そんな小ささの家である。黒贄を含めて、四騎のサーヴァントが交戦出来る広さを満たしているとは到底言えない。
戦闘が長引けば、屋外で戦闘を行う事になるのは自明の利。即座にサーヴァントか、マスターのどちらかを始末する必要がある
「前線は俺と、佐藤の方のセイバーが引き受ける」
ライドウの提案に、十兵衛は特に何の反論もなかった。
セイバーとは基本的には、前線で切った張ったをせねばならないクラス。此処を断れば、何の為に共同戦線を張ったのか、理解が出来ない。
「基本的にマスターを狙うかどうかは様子見だ。現状、遠坂凛はサーヴァントを使役する術を知らない無力な少女だと俺は思っている。
つまり、マスターに関しては、最初は狙わない。其処のアーチャーは、俺達が攻撃している所の後方支援を行い――戦闘が長引き、被害が拡大すると思ったら、マスターを狙って欲しい」
「それは構わんが、良いのかよ、ライドウくん。幾らサーヴァントの使役をミスったマスターとは言え、相手はお前と同じ位の女の子だぜ」
「それを考慮してるから、俺達は最初の内は遠坂を標的にしないと決めているのだ。戦局が長引き、帝都に被害が更に広がるのならば、是非もない。俺は葬る」
「らしいぜ、ライドウくんのセイバーよ」
と、塞は話の矛先をダンテの方に切り替える。
「まぁ、そのトオサカ、とか言う嬢ちゃんだったか。ガキとは思えない位整った良い女だとは思うし、此処で殺すのも可哀相だとは思うが、事情が事情だ。言っちゃ悪いが、世の中、死んだ方が世の為になるし、死んだ方が当人の為になる、何て人間は少なくないしな」
ライドウの忠実なサーヴァントであるダンテも、外見とは裏腹に、相当ドライな一面を持った男であるらしい。
とは言え塞も、ダンテのこの言葉に反発を覚える程、青い男ではない。彼の言う通りなのだ。人を殺す事は道徳的に、当然褒められた事ではない。
それは事実だが、時として、その道徳心を解っていて無視し、当該対象を殺さねばならない局面が、塞達の様な仕事をする者には訪れる。
遠坂凛は確かに、無辜に近しい人物なのかも知れないが、だからと言って、何の応報もなくのうのうと生きられる、と言う範疇を既に彼女は逸脱していた。
カティと年齢の近しい少女を手にかける事に、全く胸を痛めないかと言われれば嘘になるが、それはそれ、これはこれ、だ。いざとなれば、遠坂凛を殺さねば、ライドウと十兵衛に示しは付かないだろう。
「OK、解った。後方支援と、遠坂の嬢ちゃんの事は俺に任せてほしい」
「決まりだな。運の良い事に、今は人通りもなくなった。今しかないだろう」
ライドウの言う通り、黒贄達の拠点であるモデルハウスと面した通り道には、御誂え向きとしか言いようがない程、人の通りがなくなった。
遠坂凛に騒がれる可能性も考慮した場合、闇討ちに行くならば、正に今しかないであろう。
此処からの手筈は、ライドウ達は予め打ち合わせしており、その通りに彼らは事を進めようとした。
先ず鈴仙が、自身を含めたサーヴァントの波長を簡単に操り、ランクにすればD〜Cランク相当の正体秘匿スキルを極一時的にダンテと天子に付与させる。
次に、ライドウを先陣にして、一気にモデルハウスへと彼が駆ける。それに追随するように、十兵衛と塞が後を追う。
重力と引力と言う不可避のエネルギーを敵に回すと言う、ビルを駆け上がる離れ業を見せた時ですら、ありえないような速度でライドウは走っていたのだ。
平地は言うに及ばず、もっと速い。三十mかそこらの距離が、ものの一秒程でゼロになる。
「ボルトも裸足で逃げ出すだろあんなの……」、と隣で十兵衛が驚き呆れたような言葉を零す。
確かにあんな走力、短距離走者ですら嫉妬の念も湧かないだろう。湧き上がってくるのは、同じ生物とは思えない、ある種の気持ち悪さか。
一程遅れて、塞が。更に半秒遅れて十兵衛が、モデルハウスの入口まで到達。
モデルハウスと言う体を成す建物の都合上、普通は入口の扉が開け放たれている物だが、奇妙な事に扉は閉まっている。間違いなく遠坂凛か黒贄の手による物だろう。
「一階のリビングにいるわ」、と小声で鈴仙が皆に伝える。波長を操る程度の能力を応用し、波をソナーの要領でモデルハウスに投射、その位置を彼女は割り当てていた。
鈴仙のこの言葉を聞いた瞬間、ダンテと天子が実体化を開始。
鈴仙の方も、拡声器に兎の耳を取り付けた様な意匠の銃を取り出す。彼女の武器である、ルナティックガンだ。
鈴仙が武器を取り出し終えてから、自らの能力を用い、モデルハウスの周りの波長を操作。これにより、操作範囲内でどれだけ物音を建てようが、範囲外に音が伝わる事がなくなった。此処までの手筈を終えた事を、鈴仙は小声で皆に伝えた。
扉に鍵が掛かっている可能性を考慮。ライドウが、マントで隠された懐の赤口葛葉を引き抜き、目にも留まらぬ速度でそれを振った。
すると、曇りガラスと金属の枠で構成されたドアが、二十二分割されて崩れ落ち、入り口とは名ばかりの穴が開く。
それを受けて、ダンテが走り、急いで家の中に侵入。次いで、ライドウ、天子、十兵衛、そして、塞と鈴仙の順にモデルハウスの中へと押し入って行く。
――標的は、余りにもあっさりと見つかった。
実体化した状態で、リビングのソファに腰を下ろす黒贄と、ダイニングキッチンで蛇口を捻っている凛を、全員が認めた。
遠坂凛の姿も黒贄礼太郎の姿も、幾度となくニュースチャンネルで目にして来た、あの時のままの服装だった。服など着替える暇など、なかった事だろう。
心休まる時だって、黒贄が狂行に及んでから、遠坂凛には許されなかった事だろう。今こそ、それに幕が降ろされる時だった。
「く――」
「イイイィィィヤァッ!!」
凛が何かを口にする前に、ダンテが動いた。
部屋中の調度品全てが小刻みに揺れる程の裂帛の気魄を声にし、背負っていた鋼色の大剣を構え、彼は黒贄の方へと突進。
いや、それは最早突進と言うより、猛進と言うべきだった。地面を駆けると言うよりは地面を超高速で滑っていると言っても過言ではない、不思議な走法だ。
時速にして五百㎞は優に超していると思しき突進の勢いを乗せて、ダンテは黒贄の胸部に、鋼色の剣――リベリオンを思いっきり突き刺した。黒贄には、反応すら許されない。
リベリオンは容易く黒贄の脊椎を破壊し、その剣身が中頃まで黒贄の背中から突き出る。余りの速度で剣身が突き出た為か、腰を掛けていた黒贄のソファは、
破裂するかのように爆散。即座にダンテはリベリオンを黒贄の身体から引き抜き、それを斜め右上段から超速で振り下ろし、主要内臓器官の全てを破壊。
とどめと言わんばかりに、ダンテは右足で黒贄の腹部を蹴り抜く。まさに矢の様なスピードで、蹴られた方向へと吹っ飛んで行く黒贄。
窓ガラスを突き破って、彼は庭の方へと仰向けに倒れ込む。最後に、おまけのつもりなのだろう、腰に巻いたガンホルスターから、
アメリカンサイズにしても規格外の大きさの拳銃を取り出し、躊躇う事無くそれを発砲。火薬の小山を発破させたような銃声と同時に、銃弾が放たれ、黒贄の眉間を貫いた。
此処までに経過した時間は、一秒と半。まさに、目にも留まらぬ早業であった。
「な、な……」
凛が、酸欠の魚の様に口を開閉させている。
そうする気持ちも解らないでもない。何せ塞や十兵衛だって、そうしたい気持ちであるのだから。
余りにも、ダンテが一方的に、そして、圧倒的な手際の良さで黒贄を殺したものだから、内心で驚いているのだ。
自分の引いた駒が、あそこまで一方的に、そして素早く殺されてしまえば、誰だってあんな反応を取ってしまうだろう。少なくとも塞だって、そんなリアクションを取る。
「サーヴァントが三体って……何で、黒贄が反応しなかったのよ……!!」
そもそも黒贄がサーヴァントの存在に気付いた所で、マスターに正しくその情報を伝えるのか如何かが、鈴仙にとっては疑問だったが。
どちらにしても、黒贄達が自分達の存在に気付かなかったのは、当然の事と言えよう。何せ波長を操って、サーヴァントとしての気配を認識され難くしていたのだから。
「お前のサーヴァントは無効化した。大人しく降伏して欲しい。殺すつもりはない」
と、本当に多感な時期の青年が口にしているとは思えない程、抑揚と感情の抑えられた言葉で、ライドウは凛に対して告げた。
殺すつもりはないと言いつつ、マントの裏から拳銃を取り出し、銃口を彼女の眉間に合わせる辺りが、実に抜け目がない。
十兵衛に至っては、まさか銃の類を持っていると思わなかったらしく、本気で唖然としている。塞だって、同じ気持ちになりたかった。
「三人纏めて、令呪を獲得するつもりかしら?」
凛が訊ねる。かなり気の強い女性らしい。
サーヴァントを殺されたにもかかわらず、気丈な装いを保っている。それとも逆に、枷たる黒贄が死んで安心しているからこそ、このような態度に出れるのか。
「一応それも目的の内ではある。が、お前のサーヴァントを殺せば、お前を殺す必要性が俺達にはなくなる」
「令呪が欲しいのなら、当然ルーラーと打診する筈。ルーラーが、私を許すと思う?」
成程、その可能性を考えていなかった。と言うより、考えてはいたが、どうしようもない事だったので考えるのを放棄していたと言うのが正解か。
此方に殺す気はないが、ルーラー達にその気がないとは限らないだろう。サーヴァントだけを殺し、遠坂凛をルーラー達に付き出しても、彼女が殺されない保証はない。
「そうならないように交渉は善処するつもりだ。元の世界に帰せるようならそうするし、それがダメなら、保護も吝かじゃない」
「貴方の提案は、事実上の同盟だと思ってるけれど、実際どうなの?」
確かに、遠坂凛を此方の陣営で引き取ると言うのならば、それは実質的には同盟と見做してもおかしくはないだろう。
尤も、同盟と言うにも、今の凛にはサーヴァントがおらず、無力な状態も甚だしく、殆どお荷物に近い状態であるのだが。
「同盟ではない、保護だ。同盟は、戦力を持っている人物同士が結ぶからこそ同盟と言うのだ。今のお前にはそれがないだろう。
……話を戻す。もし、お前が生き残りたいと言うのであれば、お前に選べる選択は一つしかないと思え。サーヴァントが存在しない以上、お前に<新宿>の聖杯戦争を生き残れる可能性は万に一つもない」
ライドウのこの口ぶり、これでは実質上の脅しである。が、ライドウが交渉下手だと、塞は思わなかった。
時に恫喝や暴力による強硬手段は、腰を据えて話し合うと言う手段よりも有効で、これしか突破口がない局面だって怏々に存在する程である。
今は、ライドウが今言った様な脅しに近しい口ぶりが効果を発揮する局面だろう。こうでもせねば、凛は、折れまい。現状を受け入れてくれまい。
「……お断り」
幾許かの迷いを置いてから、凛は答えた。
「お前にその選択肢があると思うのか?」
「同盟の申し出自体は嬉しいけどそれはそれ。誰が貴方の言い分を信じられると? 私が一番生き残れる可能性が高いのは結局……逃げ回って、聖杯戦争を勝ち残る事しかないと思うけれど」
「――成程な。ハッタリでもないようだぜ、少年」
「……そのようだな」
示し合わせたようにダンテとライドウがそんなやり取りをした瞬間だった。
両者共に、拳銃の銃口を、黒贄が吹っ飛んだ影響で突き破られた、庭へと続くガラス戸の方に向け、共に同じタイミングで発砲。
二つの弾丸は、黒贄の胸部を寸分の狂いなく撃ち貫いた。『仰向けに倒れていた黒贄』ではなく、『直立した黒贄を』、だが。
「……冗談だろ」
十兵衛が、幽霊でも見た様な声音でそう呟いていた。
塞にしても、同じだった。サングラスの奥で、きっと今の自分は、生涯で最も、と言っても差し支えのない程の驚きの感情を瞳が湛えているのだろう。
人間達は当然の事、サーヴァントである鈴仙や天子ですら、驚きを隠せていない様子だった。簡単である。それは――
「いやはや、見事な腕前で。その大きくて原始的な剣を使うのは良いですな、殺人鬼として好感が持てますよ。でも可能ならば、銃器はやめた方が宜しいかと」
黒贄が、世間話でもするかのような雰囲気で、ダンテに言葉を投げ掛けているからだ。
何が面白いのか解らないのに、浮かべられている薄い微笑み。刻まれた笑みとは性質を全く異にする、瞳が宿す冷たい輝き。黒贄の顔つきはよく見ると整っていた。
――如何して、このサーヴァントが生きている?
魔剣リベリオンを突き刺した事によって胸部に開けられた、背中まで突き抜け後ろの風景が見える程の大きさの刺創。
今も血をとめどなく流し続けているだけでなく、一目見ただけで凡そ全ての内臓が破壊されていると素人にも解る、左肩から右腰までに走る斬傷。
そして、眉間に空いた、血色の穴。それこそが、ダンテの放った二丁拳銃の一丁、アイボリーによって開けられた弾痕だ。
誰がどう見たって、人間は勿論、サーヴァントだって生きて活動出来るか如何かと言う程の大ダメージ。それなのに、黒贄は当たり前の様に直立し、ダンテとコミュニケーションを取ろうとしているのである。
【アーチャー、お前の能力で気付けなかったのか!?】
塞が念話で、鈴仙とコンタクトを取る。
鈴仙の能力については当たり前の事ながら、彼女のマスターである塞はいの一番に把握と理解に努めていた。
何せサーヴァントの固有の能力とは言わば個性そのものであり、選択肢。これを如何に運用するかで目標達成の難度が定まる為、直に塞はこれを聞いていた。
彼女の能力は、噛み砕いていえば物質的、精神的な『波』の操作だ。物質的な波を操って、物が存在する位相をズラす、精神的な波を操り、精神の操作を可能とするなど、
応用範囲が極めて広い。こう言った芸当を鈴仙は可能とするだけでなく、更に、彼女自身は波の察知に長ける。気配を察知する力に恐ろしく秀でた、
いわば生きたレーダーに等しい。そんな彼女が如何して、黒贄の死んだふりに、気付けなかったのか? 其処が、塞にとっては疑問だったのだ。
【ご、ごめんなさい。途中まで黒贄は、本当に『死んでた』から、気付くのと考えるのとで時間が遅れたの】
塞も混乱していたが、なまじ能力で気配が察知出来る鈴仙は、より酷い驚きに陥っていた。
人間や動物は固有の『波長』を持っているのだが、動物の場合はそれ程波に個体差がない。人間は違う、一人一人が、全く違う固有の波を彼らは持っている。
厳密には精神性や心が多様な生き物が、波の種類に富んでいる、と言うべきなのだが、当然、それは『生きている間』にしか感じられない。
人も動物も妖怪も、死ねば『物』だ。生きた生物が放つ波長が完全に消失してしまう。これを以て鈴仙は、その存在が生きているか死んでいるかを察知しているのだ。
途中まで黒贄は確実に、この『物』の状態だった。
しかしある瞬間になって、思い出したように『生きた生物の波長を取戻し』、復活。鈴仙ですら、このような変質は見た事がなかった。だから彼女は、混乱していたのである。
……だが彼女は、もっと根元的な事に気付けていない。サーヴァントは霊体の一種である以上、殺されれば死体は残らず、それを派遣した大本の場所へと還って行くのが常。
本当に殺したと言うのであれば、死体が残る事自体が、あり得ないのである。
「ところで、凛さん。此方の方々は――」
「サーヴァントよサーヴァント!! 見れば解るでしょ!?」
「ははぁ、また護衛ですかな?」
こうして、自身のマスターと会話している様子を見ると、本気で、バーサーカーと言うクラスであると言う事自体が信じられない
十兵衛も、「本気で喋ってやがる」と驚いた風でボヤきながら、黒贄の事を見ている。視点の方はどちらかと言うと、彼の顔でなく、胴体に刻まれた深い傷の方に向いているようであるが。
「まぁ私も、先程戦った『馬鹿じゃないのアンタ? 言う訳ないっしょ』さんを殺さねばなりませんからなぁ。可能な限り努めますよ。それに――そちらの女性二人も、かなりまぁ、良いですなぁ」
冷たく粘った目線を、鈴仙と天子の方に向ける黒贄。良い、と言う言葉の意味を察知した瞬間、背骨が凍結したような感覚を鈴仙は憶えた。
この瞳、本当に、この世の生物が出来るそれとは思えない。人喰いの妖怪ですら、もっとまともな瞳をしている。
バーサーカー、黒贄礼太郎の瞳と精神性、そして波長そのものも、鈴仙の目から見ても異常であると解る。
波長は通常長い短い、つまり、振幅の大きさで表されるのだが、黒贄のそれは、波長以前の問題として、位相がズレすぎている。
そう言った特徴の持ち主は、波をこそ放ちはするが、その在り方は妖怪と比しても特殊であり、鈴仙と言えど、長い経験の中で該当する人物は絶無に等しい。
このような特質の存在、彼女は一人だけ知っていた。名を『四季映姫』と呼ぶ、地獄の閻魔の一人である。
そう言った人を裁く事を生業とした高次の存在が、斯様な特質を持つに至るのだが、何故黒贄が、その様な性質を持っているのか、鈴仙にはそれが解らなかった。
「初めまして、私の名前は黒贄礼太郎と言います。くらに、ですよ。変換が面倒くさいからと言って『くろにえ』と言わないように」
恐らくはライドウも十兵衛も、当然ダンテも天子も、どうやって鈴仙が目の前の黒礼服のバーサーカーの真名を知る事が出来たのか、それを把握出来た事であろう。
塞自身も、紺珠の薬で知り得た未来を鈴仙から教えられたに過ぎない為、事実上その現場を目の当たりにするのはこれが初めてと言う事になる。だから、塞もまた、驚いていた。
無理もないだろう。このサーヴァントは自分から、自らの真名を口にするのだ。しかも、名前を知られる事が何かに繋がると言う様子でもない。当たり前の様に、真名を自己紹介に使うのである。
「耐久値がかなり特殊だ。これに起因する頑丈さだろう」
ライドウが冷淡に分析する。サーヴァント自身には、可視化された相手サーヴァントのステータスは見るべくもないが、マスターはこれが見れる。
彼の耐久力は、何のスキルか宝具に由来するのかは解らないが、既存のそれとは違う『EX』が割り当てられている。
何かに由来する特殊な頑丈さと言うのは、単純硬い柔いよりもずっと判別に困るし厄介だ。下手に攻め続け、虎の尾を踏む真似は、鈴仙は当然の事、ダンテも天子も避けたい所だろう。
「回数制限付きの復活か、それとも、桁違いの戦闘続行能力か……どっちかは解らないが。カカシになるまで斬りまくれば問題ないだろうぜ」
「その方向性で頼む」
「Yes,My Master、ってか!!」
そう言ってダンテは、ガンホルスターからもう一方の拳銃、エボニーを引き抜き、その銃口を黒贄の方に向けた
二丁の拳銃の銃身に、血の様に赤い魔力が纏われ始める。馬鹿げた量の魔力だった。弾丸の威力を向上させる為のそれである事は自明。
だが市販の銃に、ダンテレベルの魔力をこれだけ纏わせた状態で発砲しようものなら、弾丸が発砲される反動で銃身自体がバラバラに分解される。一発で、銃はオシャカだ。
一発と引き換えに、銃その物を壊すのは、割に合った取引ではない。そんな事など勘案せずに、ダンテはエボニーとアイボリーから弾丸を、マシンガン並の速度で連射し始めた!!
部屋中に炸裂する、数百枚数千枚の紙火薬を一時に炸裂させたような馬鹿げた轟音。
鼓膜が馬鹿になる程の大音の期待を、エボニーとアイボリーから放たれる弾丸は裏切らない。
一種の爆発としか思えない程勢いと大きさの、紅色のマズルファイアが銃口から噴いていた。
放たれる弾丸は初速の時点で音速に三倍する程の速度となり、黒贄の胸部に親指数本分にも相当する風穴を何個も何個も空けて行く。
トリガーを引くダンテの人差し指は、消え失せたかのように見えなくなっている。それ程までの速度で、彼は拳銃を乱射しているのだが、驚くべきは、この拳銃がフルオートではなく一々トリガーを引いて一発づつ銃弾を放たねばならない、ダブルアクション式であった、と言う事だろう。
――皆の意識が、銃弾で撃ち貫かれまくる黒贄の方に、向いた。
その瞬間を狙って、凛が動いた。そして、真っ先にそれに反応したのが、ライドウ。不穏な魔力の波長を感じ取った鈴仙。そして最後に、天子だった。
此方目掛けて放たれる、赤黒い弾丸。明らかにそれは、ライドウや十兵衛、塞目掛けて指向性を持って放たれたそれであり、その出元は、遠坂凛意外にあり得なかった。
彼女の左腕が、手首から肘に掛けて薄い緑色に光り輝いているのが解る。それを理解した瞬間、ライドウが動いた。
腰に差していた鞘から赤口葛葉を引き抜き、腕全体が消し飛んだとしか思えぬ程の速度でそれを幾度も振う。
百にも届こうかと言う、赤黒の弾丸は、ライドウの一振り毎に八〜十個程も砕かれて行き、ライドウが腕を振う事十一回目に差し掛かった所で、弾丸の雨霰は止まった。
唖然とする、塞や十兵衛、そして凛。正気に即座に戻ったのは、塞と凛だ。凛は急いで、傍に置いてあったガラスのコップを引っ掴み、ライドウ目掛けて放擲する。
つまらなそうに首を横に傾け、ライドウは容易くそれを回避。凛も、これでライドウがダメージを受けるとは思ってなかったらしい。
単純に彼女は隙を作りたかっただけらしく、急いで、黒贄の方向に駆け出し、ライドウ達から距離を取る。
そうはさせないと、ずっと手にしていたコルトライトニングの銃口を凛の後頭部に向け、全くの躊躇もなく発砲。
走りながらそれに気付いた凛は、ヘッドスライディングの要領で、突き破られた穴の空いた窓ガラスから外に出、地面を転がった。間一髪、コルトの凶弾から逃れられたらしい。
「……お前は知っていたのか、塞。遠坂凛が、魔術を使える事を」
目線を凛の方に向けながら、ライドウが訊ねる。声音が、恐ろしく低い。
下手に嘘を吐けば、銃口が此方に向きかねない。そんな凄味が、今のライドウにはあった。
「誓っても良いが、全く知らなかった」
塞が急いで答える。
鈴仙の方にも目配せをするが、彼女もまた、凛がこのような技術を使える事を知ったのは、今回が初めてだったらしい。
そもそも紺珠の薬で観測した未来では、凛はそもそも姿すら現さなかったのだから、凛が魔術を扱える事を鈴仙が知る筈もなく。
鈴仙がその事を知っていれば当然、塞にも話していたし、予めライドウや十兵衛に話していた。そして、それなりの対策をしてから此処に向かっていた。
もしもこの場にライドウがいなければ、完全に塞らは、凛に不意を打たれて殺されていたかも知れない。
「で、如何するよ、葛葉くんよ。向こうはアンタみたいな、奇天烈な魔術? が使えるらしいけど」
「向こうが一般人だったら、何とかしてサーヴァントだけを殺して生かす、と言う手段も取れた」
十兵衛の言葉にそう返すライドウ。
「だが、相手が魔術の道に通暁しているとなるのならば、それに相応しいやり方がある」
躊躇いなくライドウは再び、凛目掛けてコルトを発砲する。
それに気付いた凛が、急いで立ち上がろうとするが、横腹を弾に貫かれてしまう。
「か……ぁ……!?」
弾を喰らった所を手で抑え、涙目になりながら、ライドウの方を、彼女は見た。
塞と十兵衛には、想像を絶する程凍て付いた表情を浮かべる、彼の姿があった。
「相手がそう言う存在だと解っているのなら、もう容赦は出来ない。下手に手加減すれば、俺もお前達にも累が及びかねないからな」
銃口を、凛の額に合わせる。
「魔力を流す回路を一本残さず破壊するか、殺す。魔術を使えると解った以上、黒贄と言うバーサーカーをわざと、大量殺戮に嗾けさせた可能性もゼロじゃないからな」
「疑わしきは罰する、何だな。アンタは」
十兵衛が言った。
「不満か?」
「まさか」
「正直、年端もいかない小娘を殺すのは俺も乗り気じゃないが、そう言う力を使える上に、こっちと敵対する気が満々なら、仕方がないな。ライドウくんの意向に合わせるぜ」
塞も、ライドウの方針に賛同の意を示した。途端にライドウの瞳が、鷹もかくやと言う程鋭くなり――
「手足か頭は残した方が良いだろうな。令呪が望みの奴もいるだろうし、証拠があった方が令呪を得やすいだろう」
――悪魔みたいな人間とは、さても良く言ったり。そう考えずにはいられない、塞と十兵衛である。これではどちらが悪魔なのか、全く、解ったものではなかった。
眉一つ動かさず、凛の眉間目掛けてコルトの弾丸を発砲するライドウ。
迎撃代わりに、ガンドを連射させる凛だったが、何時までも棒立ちの状態の天子と鈴仙ではない。
天子は自分と十兵衛の所に向かって放たれたそれを、要石を石垣状にさせたそれで防御。鈴仙は、塞と自身の波長を操作。位相をズラし、弾丸その物を無干渉状態にさせた。
ライドウは、凛の放った弾丸――ガンドを、赤口葛葉で尽く打ち落とし、これを回避。凛の放ったガンドと、ライドウの銃弾が衝突。
凛は九死に一生を得るが、彼女はきっと、これを狙った訳じゃないのだろう。
「聞いてたぜ少年。話を聞くに、俺はあのイカれたバーサーカーを叩けば良いんだろ?」
と言って、ライドウの方に目線を向けるダンテ。此処で漸く、エボニーとアイボリーの連射を止めていた。
ダンテの真正面には、頭部や胴体、手足に、五十や百では効かない程の風穴の開けられた黒贄礼太郎が佇んでいた。
顔面は既に皮を剥かれたトマトの様に赤くグズグズになっており、所々に白い骨が散見出来、胴体や手足に至っては、
少し体を動かせば弾みで千切れてしまいそうな程、穴だらけだ。そんな状態であるのに、黒贄は、何が面白いのか解らない笑みを浮かべていた。
「うぇっ……」と、本気で嘔吐しそうな鈴仙。あの状態でも、自身の能力で生きていると言う事が解るのが、怖かった。
「頼んだ、セイバー。俺は遠坂凛を狙う」
「やり過ぎるなよ、少年」
「前向きに検討する」
二丁の拳銃をホルスターにかけ、ダンテは背負っていたリベリオンを構える。
「あ、やっと動けるの? あー退屈だったわ、ずっと喋らないのって疲れるのよね」
そう言って天子は大儀そうに両肩と首を回してから、右腕を水平に伸ばした。
握られたのは、何かの柄だった、と見るや。その柄から橙色に近い色味をした、エネルギー状の物が吹き上がり、全体的に、棒か剣に近い形状を成して行った。
初めて見る宝具の為、ダンテもライドウも凛も、天子が開帳した宝具に目線を配らせているが、鈴仙はその宝具の正体が何か解っている為全く眼中にない。
セイバークラスでの召喚と聞いた時から、凡そどのような宝具を持って来ていたか、予め予測が出来ていた。
天界に伝わる、天人にしか振えぬと言う宝剣・緋想の剣。神社倒壊の事件の際にも、はた迷惑な現象を幻想郷の住人に敷いたアイテムだったと鈴仙は記憶している。
不良天人にくれてやるには余りにも惜しい宝具だ。その性能は勿論の事、積み上げて来た神秘も半端な物ではない。と言うより鈴仙から言わせれば、サーヴァントとしての天子の能力の厄介な部分。その内の五〜六割が、あの宝具に起因すると言っても良い程であった。
「初めての戦闘ね、十兵衛。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。自らを軍師と呼ぶのなら、相応しい下知を私に飛ばしてみなさいな」
「おうよ、任せときな」
言って、天子が一歩前に出て、黒贄の事を睨めつけるのを見守る十兵衛。
前衛二人は既にやる気と言う佇まいだったが――後衛であると言う事を抜きにしても、鈴仙と塞は、一歩彼らから身を引かせた所から、二人の事を眺めていた。
【アーチャー、解ってると思うが、本気は出すな。消耗を避けて、しかし、十兵衛とライドウに『手を抜いて戦ってる』と思われないように演技して戦え】
【注文の多いマスターねぇ。まぁ、善処はするわ】
塞の目的は聖杯の奪還である。聖杯にかける願いを持たぬとは言え、聖杯狙い、と言うスタンスに分類して間違いはない。
聖杯を欲するスタンスの主従にとって、聖杯を破壊し、聖杯戦争と言う枠組み自体を台無しにする事を目的とした主従は、聖杯をかけての敵対者よりもタチが悪い。
聖杯が欲しいから戦っているのに、それを壊される、それを奪い合う為の舞台をひっくり返されるなど、冗談では無いからだ。
京王プラザで初めてライドウと接触し、彼と話して解った事だが、高い確率でこの主従の最終目的は、聖杯戦争の枠組み自体の破壊だと塞は睨んでいた。
それを目的とする以上は、当然ライドウとは何れは敵対する運命に在るのだが、結論を言えばこの主従は強い。真正面から戦えば、勝ち目がないかも知れない。
だからこそ塞達は、ライドウ達がどう言った戦い方をするか此処で見極め、消耗させる必要があった。弱った所を狙うのは、戦いにおいては常道であるからだ。
なのでこの戦いにおいて塞達は、『ライドウや十兵衛達に不信感を抱かない程度に黒贄との戦いでそれなりに活躍しつつ、ライドウを消耗させる』事を念頭に置く必要があるのだった。
「ううむ、馬鹿じゃないのアンタ? 言う訳ないっしょさんの時もそうでしたが、凛さんはこのような魅力ある方々に言い寄られるとは、さぞやモテるんでしょうなぁ」
聖杯戦争の主従から此処まで熱烈なアプローチをされてる原因の全てがお前にある、と、言外せずとも解る瞳で、凛は黒贄の事を睨みつけていた。
この態度の時点で、遠坂凛が自ら望んで大量虐殺を黒贄に嗾けてないと言う事は明白な事柄であった。
ライドウが凛目掛けて、コルト・ライトニングの弾丸を発砲する。
明らかに、弾丸が放たれた事を見てから、黒贄は稲妻の如き速度で右腕を動かし、右手を弾道上に配置。人差し指と中指でコルトの弾丸を挟んで停止させた。
肉が抉れ、血が指から流れ出るが、黒贄は痛がる様子すら見せない。皮膚が裂け、筋肉が断ちきれ、頭蓋骨の一部すら確認出来る程になったグロテスクな顔には、今も薄い笑みが刻まれているのが解る。
「凛さん、くじを二枚引いて貰いた――」
「三十五番と七十三番!!」
遠坂凛が何かを叫ぶのを見て、「うぅむ」、と黒贄が笑みを少し複雑そうに歪めた。無精ですなぁ、と言う黒贄の言葉と同時に、彼の両腕に、武器が握られ始めた。
――いや、武器なのか? と、一同は思ったに違いない。何せそれらは、武器と言うのも憚られるような代物だったからだ。
黒贄の右手に握られたそれは、一軒家などの建造物を解体する為のショベルカーのアーム部分だった。大きさは三m程、色は黄色。バケット部分はやや土で汚れている。
一方左手に握られたそれは、直径二m程の、ジャンボジェットのタイヤであった。飛行機と言う巨大な乗り物を支えるにしては、そのタイヤの大きさは、意外な程小さい。
それらを黒贄は握りながら、ダンテ達の事を見ていた。凍結した沼の様に、酷く冷たく粘ついた光を宿す瞳は、英霊の身ですら震え上がらせる程の、不気味な感情で横溢している。
「黒贄」
「何でしょう?」
「思いっきりやりなさい」
そう言って凛は懐から、何百カラットあるのだ、と言う程の大きさの宝石を取り出した。
無色透明のダイヤモンドだった。彼女はそれを、勢いよくモデルハウスの方向に投擲。一直線にそれは、ライドウ達の下へと走って行く。
「防げ!!」
ライドウが一喝した瞬間、宝石は千々と軌道上で砕け散る。
砕け散った所から、膨大なまでの光と熱エネルギーが迸り始め、極光が、ライドウ達のいるリビングを包み込んだ。
端的に言えば、それは爆発であった。
宝石に溜めこんだ魔力と言うエネルギーを、熱や光、音響と言った爆発現象に付随するそれに変換させ、炸裂させる。
所謂宝石魔術と言う魔術だと、知っている者はライドウを含めてこの場に何人いると言うのか。
轟音が轟く。白色の光が網膜を灼く。莫大な熱エネルギーを秘めた爆風が荒れ狂う。
リビング中のフローリングや壁、天井、調度品は砂で誂えた粗雑な作り物めいて砕け散り、吹っ飛んで行く。
人間は勿論、サーヴァントであっても直撃すれば相当の痛手を負う程の攻撃だ。その証拠に、モデルハウスは完全に吹き飛び破壊されていた。
辛うじて残っているのは、数本の柱と、基礎部分のみ。それ以外は、震災にでもあった後の様な瓦礫の山だ。
「向こうも必死だな、少年」
しかし、サーヴァント連中には傷一つ存在しなかった。
ダンテは、リベリオンを猛速で振い、爆風を受け流し、自分は勿論の事背後のライドウにも事なき事を得させていた。
鈴仙は、自らの能力を用いて、彼女自身と塞の位相をズラさせ、爆風自体が物理的に干渉させられない状態をキープし、爆風をやり過ごした。
天子は、石の壁を四方に隆起させて、十兵衛と自身を宝石魔術の爆風を防ぎ切っていた。
「距離を離したようだ」
ライドウが動揺した風もなく告げる。塞や十兵衛達の視界から、遠坂凛の姿が消えていた。あの宝石魔術による爆発の間に、何処かに身を隠したのだろう。
「腹部に銃撃を負わせたから、遠くまでは言ってないだろう。俺は奴を追う」
「任せ――」
「あーどっかん」
気の抜ける声を上げながら、黒贄が動いた。
三歩だけ距離を詰めるや、黒贄は一気に右手で握ったショベルカーのアームを音速を越える程の速度で横薙ぎに振るったのだ。
軌道上にはダンテとライドウがおり、彼らを明確に狙った攻撃だった。
「チィ!!」
リベリオンを上段から凄まじい速度で振り下ろし、アーム部分に振り下ろすダンテ。
ギィン、と言う耳をつんざくような金属音が響き渡り、剣とぶつかった部分に、火打石をぶつけた様な大きな火花が舞い散った。
ダンテと黒贄はその手に力を込め、拮抗を打ち破ろうとする。互いの得物の圧力で、空間自体が捻じ曲がりそうな程の力を、彼らは発揮していた
「アーチャー、遠坂凛は何処にいる!!」
ダンテ達から距離を取りながら、ライドウが叫んだ。一度の跳躍で、彼はモデルハウスの敷地内から見事離れる事に成功した。
「今探知してるわよ!!」
これは嘘だった。本当は既に探知している。遠坂凛は大して自分達から距離を置いてない。此処から精々十m程離れた所にある、アパートの敷地内に彼女はいた。
恐らくはバーサーカー、黒贄礼太郎が心配だったのだろう。無論、彼の身を案じて、ではなく、彼が齎す虐殺の被害を心配しているのだろうが。
此処まで探知していて敢えて嘘を言っているのは、塞の要望通りライドウとダンテをなるべく消耗させる事と、その戦いぶりを眺める為であった。
「どっかん」
次の瞬間、遠坂凛を探知する暇が、真実なくなった。
黒贄が標的をダンテから、鈴仙に変更。ダンテの前から移動し、頭上からショベルカーのアームを落雷の如き勢いで振り落としたからだ。
慌てて鈴仙は、宝具である不可視のバリアー、障壁波動(イビルアンジュレーション)を展開させ、攻撃をやり過ごす。
幽霊の様に黒贄の攻撃は、鈴仙の身体を透過して行き、地面に激突。空爆宛らの如き爆音を立てて、地面に小規模のクレーターを刻んだ。
直撃していたら、無論の事、その惨状は語るべくもなく。妖獣に属する鈴仙であろうとも、木端微塵に砕かれて即死していただろう。
ダンテの滅茶苦茶な銃撃の雨霰を受け、彼の身体は文字通り『蜂の巣』になっている黒贄だったが、瞳だけは、運よく銃撃を逃れていた。
鈴仙と黒贄の目と目があった。恐怖を克服した、と思っていた鈴仙の心の奥底から、新たな恐怖が湧き上がって来るのを彼女は感じた。
人間的な感情や実利を得ようと言う観念がこの男からは余りにも感じられない。ただ、殺す。ひたすらに、殺す。それだけしか、男の瞳には渦巻いていなかった。だからこそ、恐ろしいのである。妖怪ですら、この男と同じ瞳を持った存在はいない。
「マスター、私から離れなさい!!」
鈴仙が叫ぶや、即座に塞も跳躍、黒贄から数m程距離を離した。
遅れて十兵衛も、このような鉄火場にはいられないと考えたのか、急いでサーヴァント達のフィールドから距離を取る。
攻撃が鈴仙をすり抜けた事に、一抹の疑問も黒贄は憶えない。フリスビーでも振り回す様に、ジャンボジェットのタイヤを横薙ぎに振るい、鈴仙を打擲するが、やはり攻撃は透過する。
此処に来て初めて天子が動いた。天子が動くのと同時に、ダンテもリベリオンを振り被った。
緋想の剣が黒贄の腹部に突き刺さる。リベリオンが上段から勢いよく振り落とされ、黒贄の背中に、脊椎や肋骨を破壊する程のダメージを負わせる。
リベリオンがどう言った効果を齎す宝具なのか鈴仙には解らないが、緋想の剣はよく解っている。
アレは本人の『気質』と呼ばれる独自のオーラを解析し、そのオーラが弱点とする気質を纏う事で、必ず特攻ダメージを負わせる事が出来ると言う優れものだ。
あの剣に直撃して耐えられた存在は、幻想郷においても片手の指で数えられる程だ。一撃耐えらればその時点で凄まじい存在、二撃目を耐えられるのは、最早同じ生き物なのかと疑う程、と言えばその威力が察せられよう。
「そうれ」
だと言うのに、黒贄礼太郎は、気の抜けるような声を上げながら、小枝でも振り回すかのような感覚でショベルカーのアームを横薙ぎに振り回し、
ダンテ、天子、鈴仙を一掃させようとする。鈴仙は攻撃を直に受け止めた。障壁波動の攻撃透過機能が、この時点で消失した。
ダンテは垂直に十m程も飛び上がる事で、アームを回避。天子は、分厚い要石の石垣を生み出す事で、アームを受け止めた。
アームのバケット部分と石垣が衝突する。凄まじい音響と同時に、要石の壁に亀裂が入った。
鈴仙は軽く跳躍するや、数m頭上を浮遊。
ルナティックガンを黒贄の方に向け、それを連射。薬莢に似た形をした弾丸が、これでもかと言う程の弾幕を形成し、黒贄目掛けて殺到する。
対するダンテも黒贄のほぼ真上まで跳躍するや、リベリオンを背中にかけ直してから、其処で身体を逆立ちにさせ、ガンホルスターからエボニー&アイボリーを取り出す。
そして、ガドリング砲の要領で身体を回転させ始め、そのまま弾丸を連射させる。天子は、石垣に使った要石の結束を解き、それを高速で四方から黒贄に飛来させた。
急造の同盟サーヴァントとは思えない程のコンビネーション。この辺りは流石に、荒事に手慣れた三騎士達、と言うべき物だった。
笑みを浮かべたまま、黒贄はジャンボジェットのタイヤを振い、ダンテの放った弾丸と、鈴仙の弾幕、そして天子による要石の攻撃の八割近くを粉砕する。
残った弾丸が黒贄の身体を貫き、要石の衝突が左肘と右膝蓋骨を破壊させる。それでもなお、黒贄は動いた。
膝蓋骨が砕かれた筈なのに黒贄は、当たり前の様に膝蓋骨を砕かれた側の脚を軸足にして、ショベルカーのアームを天子の方へと振り下ろした。
「ウッソ!?」と言いながら天子は慌てて飛び退いて、攻撃を躱す。クレーターが、嘗てモデルハウスが建てられていた敷地内全域まで広がった。
天界に生える桃を食べ、ナイフが刺さらない程身体が頑丈になった天子であろうとも、今の一撃を貰えば、どうなっていた事か。
エボニーとアイボリーをしまったダンテが、リベリオンを引き抜き、上下逆しまの体勢を元に戻し、勢いよく急降下。
落下の勢いを利用し、リベリオンを大上段から振り落とすが、黒贄はこれに反応。ジャンボジェットのタイヤを振り上げ、ダンテを迎撃しようとする。
しかし、ダンテはその先を行った。彼は足元に、魔力を練り固めて作った紅色の足場を生みだしそれを蹴り抜き、『空中』で跳躍。黒贄の一撃を回避した。
「ありゃ」
攻撃がスカを食った事に気付いた黒贄だったが、もう遅い。
再び落下を始めたダンテが、今度こそ勢いよく、黒贄の身体にリベリオンを振り下ろし、地面に着地した。
リベリオンは黒贄の頭頂部から股間まで一気に斬り裂くが、当たる寸前に黒贄がやや後ろに後退していた為、真っ二つにするまでには至らなかった。
それでも、身体を七cm程も深く斬り裂いている。言うまでもなく、筋肉や血管のみならず、骨内臓に至るまで大損壊を与えている。普通ならば即死だろう。普通であれば。
「ほうりゃ」
全く、自身のダメージなど意に介していないと言った風に、黒贄はアームを横薙ぎにぶん回す。
リベリオンの腹でダンテはその攻撃を受け止めるが、黒贄の腕力が余りにも強すぎた為か、踏ん張りが利かなくなり、アームの振るわれた方向へと勢いよく吹っ飛んだ。
空中で数回転程した後に、ダンテはアスファルトの地面の上に着地。立ち位置は、ライドウの右隣であった。
ダンテの着地と同時に天子が黒贄に接近、やたらめったらに緋想の剣で黒贄に斬りかかるが、全く目の前のサーヴァントは止まる気配がない。
着用する略礼服は既にボロ雑巾同前に破れ、破れた所からは裂けた皮膚と赤黒く変色した筋繊維が露見。酷い所になると、白い骨が見えている部位まである。
左腕は肩の付け根辺りから既に千切れかけており、絶妙に腕が千切れて地面に落ちるかどうかのバランスを保っていた。
緋想の剣の直撃で血飛沫が舞い、抉り飛ばされた筋肉が地面に幾度も落ちるが、やはり黒贄は、笑みを絶やさない。
天子を迎撃せんと、左腕のジャンボジェットのタイヤを横薙ぎに振るい、彼女を吹っ飛ばそうとする。
腕が千切れかけて、神経が通っているのか如何かすら解らないのに、何事もないように黒贄は腕を振っていた。
凄い速度であった。優に音速の三倍以上は早さとしては出ている。天子も、ダンテ同様緋想の剣でこれを受け止め、防御しようとするが、
逆に黒贄の腕力に負けて吹っ飛ばされた。水平に十m程も勢いよく吹き飛んだ天子であったが、途中で勢いよく空中に飛び上がり、体勢を整える。
「オッサン、あのバケモンの体質については、知らなかったのか?」
十兵衛が訝しげな目線を塞に送る。
「……すまないが、俺もこれに関しては本当に初見だ」
ライドウと十兵衛との同盟に際して、塞は多かれ少なかれ、虚を交えた付き合い方をするつもりではいる。
しかし今回の、黒贄の現状については、真実塞も鈴仙も全く未知の事柄だった。と言うより紺珠の薬で観測した未来では、交戦の暇なく塞が殺されてしまったのだから、
黒贄が如何なる戦い方をするのか解らなかったのだ。知っていて黙っていた訳ではないのである。
実在の人物の武勇伝や、創作や神話・伝承の双方を問わず、どんな傷を負っても死ぬまで戦い抜いた戦士のエピソードは枚挙に暇がない。
全身に矢が突き刺さったり、身体を幾度も斬られたり、内臓を破壊されたりなど、常人なら死んでいるであろう手傷を負ってもなお戦い続けた戦士の逸話は数多いもの。
そのような逸話を持つ者は、ステータスにおいては耐久が高かったり、スキルにおいては戦闘続行などと言った継戦能力に秀でたものを与えられたりする事が多い。
黒贄礼太郎も、その様な類なのだろうかと、当初は塞も思っていたが、今此処に至って確信した。恐らく、この場にいる全員も同じかも知れない。
このバーサーカーは確実に、継戦能力が恐ろしく高い、と言う言葉では済ませられない何かがある。
黒贄の戦闘、もとい殺人に対する意欲は異常だ。機能している内臓など、心臓や大脳を含め最早存在しないだろう。
信号を正しく受け取る事の出来る末梢神経など、果たしてどれだけあるものか。兎に角このサーヴァントは、最早意志力だけではどうする事も出来ない程のダメージを、
負っている筈なのだ。それなのにこのサーヴァントは、平然と動き、攻撃し、剰え攻撃の威力が全く損なっていない。いやそれどころか、上がっているような錯覚すら覚える。
確実に、何らかのスキルか宝具を持っている。鈴仙・塞のみならず、この場にいる全員の共通見解であろう。
今になって塞と鈴仙は、如何して遠坂凛が、黒贄を一度殺したあの後で、自分達との同盟を断ったのか、その理由を初めて理解した。
これだけ異常な戦闘続行能力を持ったサーヴァント、並の手段では行動不能状態にすら持ち込めまい。
結局あの時凛が同盟を断ったのは、サーヴァントを無効化出来ていなかったと言う事実と、例え同盟を結んだとしても先の通りサーヴァントが復活するので、直に自分を殺したサーヴァントの下へとやって来て殺し合いを始めるからと言う二つの理由が大きいのだろう。
「要するに、復活する事が出来なくなるまで倒せば良いんでしょう? なら話は簡単、臆せず斬りかかりまくれば良いだけなのだから」
ヒュンヒュンと、器用に手先だけで緋想の剣を回転させながら、天子が言った。
この少女らしい短絡的な考えであったが、今はその考えの方が正しいのかも知れないと、空を飛ぶ鈴仙は考えた。
確かにこのサーヴァントの行動能力は驚異的だが、これだけの戦闘続行能力、何かのスキルや宝具の裏打ちがなければ到底考えられない
況して、無限に行動し続ける、無限に復活し続けるなど、ありえない。そんな現象が魔力消費もなしに行える筈がないのだ。
手傷を負わせ続ければ、黒贄のマスターである遠坂凛の魔力がいつかは枯渇する。
――となれば狙うのは――
末端への攻撃だ。正確に言えば、四肢を動かせなくすれば良い。
黒贄には如何なる力が働いているのか、神経も機能しているとは思えない、ジャンボジェットのダイヤを握った千切れかけの左腕を振う事が出来る。
しかし、流石に腕を切り離してしまえば、最早その部位は攻撃出来まい。それを考え、鈴仙は動いた。
主に左腕を重点的に狙い、弾幕を放つ鈴仙。右腕を狙わないのは、黒贄が攻撃に使える部位を残し、継戦能力を維持させる事で、ダンテの本気を引き出させようとする為だ。
鈴仙が弾幕を展開させるのと同時に、天子も動いた。彼女の方も、注連縄が巻かれた、先の極めて尖った要石の柱を何本も展開させ、それを高速で飛来させる、黒贄を串刺しにしようとする。
「折角良い武器を持っておられますのに、飛び道具に頼るのは勿体ないですよ」
声帯や肺など既に、ダンテや鈴仙の放った弾幕で完全に破壊されているにも拘らず、何処から黒贄は平時と変わらぬ声を出しているのか。
黒贄の姿が、血濡れた黒色の残像となった。何と黒贄は、天子が高速で放った、現在進行形で彼へと向かって行っている要石の上に、その要石以上の速度で飛び乗り、
これを足場にして跳躍。まさに弾丸の如き速度で天子の方へと向かって行くではないか!!
彼に足場にされた要石は、原形を留めぬ程粉々になっている。如何なる脚力で、彼は石の足場を踏み抜いたのか。
「嘘!?」
鈴仙が叫んだ時には、黒贄の姿は彼女の視界になかった。彼女の放った弾丸がスカを食い、地面に弾幕が突き刺さり、無意味な穴ぼこを何百個も生んでしまう。
妖獣の優れた反射神経を持つ鈴仙ですら、反応に遅れる程のスピードなのだ。黒贄の状態がこれで、五体満足の状態であったら、どれ程のスピードを叩き出していたのか。
もっと驚いているのは、鈴仙やダンテ達よりも、天子の方だった。
カッと目を見開かせて、黒贄の事を見据えるそれは、正真正銘の化物でも見るようなそれであった。幻想郷にいた時ですら、天子があんな表情を浮かべたのを見た事がない。
「がっこん」と口にしながら、ショベルカーのアームを天子の脳天へと振り落とす黒贄。当然それを天子は防御する。
しかし、重さ二tは下るまいそれの、高速度と言う勢いを借りた振り下ろしを防いだものだから、天子は隕石もかくやと言う程の勢いで地面へと急降下。
思いっきりアスファルトに激突してしまう。アスファルトにめり込む程の勢いであったと言えば、天子の受けた衝撃と言う物が知れよう。
「痛ぅううぅぅうぅぅ……!!」
涙目になりながら、真上にいる、高度二十m程の所から落下を始めた黒贄の事を睨みつける天子。
天界の桃を食べ続け、頑健な肉体を持つに至った彼女ですら、今の衝突は堪えたらしい。
「痛いじゃないのこの馬鹿!!」
その高度から落下を始め、その勢いを利用してまたアームを、天子目掛けて振り落とそうとする黒贄だったが、何時までも痛がる程天子も甘いサーヴァントではない。
アスファルトから身体を脱出させ、体勢を整えてから、天子は緋想の剣を地面に突き立てた。その頃には黒贄は高度十m程の所まで下がっていた。
黒贄の硬度が七m程に差しかかった瞬間、アスファルトを突き破って、要石の柱が勢いよく出現。斜め四十五度の角度で隆起したそれに直撃。
彼は巨人の手で殴られたように凄まじい勢いで吹っ飛んで行く。外壁を突き破る程の勢いで、三十数m先の一軒家の中にまで彼は飛ばされてしまった。
「……拙いんじゃないのかあれは、少年」
ダンテが、身体の中に溜めさせた魔力を、全身に循環させた。
紅色のコートのセイバーの懸念は、この場にいる全員が理解している事だった。
「……俺も、悪魔を使って遠坂を捜索しなかったのは、失敗だったな」
そう言ってライドウが、懐から指位の太さをした、管状の物を取り出した。
高速で何らかの呪言(まじない)めいた物を口にすると、その管は自動的に開封。管の中から緑色の光が迸る。
緑光が晴れると、それは直に姿を現した。アジア風の民族衣装を身に纏う幼い少女で、長く伸ばした後ろ髪の中頃から先が、鳥の翼の様に左右に大きく広がっている。
そしてその後ろ髪の翼は、本当に鳥の翼と同じ効果を発揮しているらしかった。何故ならその少女は、その翼をはばたかせて空を飛んでいるのだ。
「やっほーライドウ!! 今度はサツリクだよね?」
「悪いが、また捜索だ」
「え〜、また〜? さっきもやったじゃんそれ〜」
「事情が事情だ。急いで、腹部から血を流した、黒髪の少女を探してほしい。その少女に関しては、見つけ次第殺しても構わん」
「本当!? じゃあ私頑張る!!」
年端の行かない子供宛らに、この少女はキャッキャと喜ぶ少女だったが、十兵衛と塞はそれを見て訝し気な顔を浮かべるだけだった。
恐らくはこの少女こそが、ライドウが使役する件の『悪魔』なのだろう。想像以上に人間に近しい姿をしていた為に、塞も面食らっているのだ。
これで何をするつもりなのか、と塞も思った瞬間だった、凄まじい悲鳴と轟音が、黒贄の吹っ飛ばされた方向から巻き上がった。
「やっぱりやりがったか」
と、塞も、悪態を吐いてから、その方を睨んだ。無辜の人間が目の前で殺されるのを眺めて、何も心に情感が湧かない程、塞も人間を捨ててはいない。
黒贄が吹っ飛ばされた一軒家が、凄まじい音を立てて、砂の城めいて崩れて行く。家が崩れて行く音がまだ冷めやらぬ間に、再び轟音が鳴り響いた。
二度目の轟音は、崩れた家屋の一件先の家屋から鳴り響いており、その音の通りに、家屋は崩れていた。家が崩れるのと同時に、また悲鳴が其処から上がった。
そんな光景が、二件目の家の崩壊から七度続いた。ライドウ達のすぐ傍の、築五年も経過していないであろう真新しいアパートの一階から、
黒贄が壁を突き破って飛び出して来た。握っているジャンボジェットのタイヤには血肉と髪の毛がべったりと張り付いており、ショベルカーのアームのバケット部分には、血濡れた人間の頭や手足が大量に収まっていた。
「セイバー!!」
「Alright!!」
言ってダンテが黒贄に突っ込んで行く。両者の攻撃の間合いに突入した頃に、アパートの倒壊が始まり、凄まじい音響を上げ始めた。
リベリオンを横薙ぎに振るうが、黒贄はアームでこれを受け流す。お返しと言わんばかりにジャンボジェットのタイヤを振り上げるが、
地面を滑るような独特な移動を行い、タイヤの一撃をダンテは回避。黒贄が腕を戻そうとするその瞬間を狙い、ダンテは黒贄の顔面の高さに、
丁度自分の足が来る程度の高さにまで瞬間移動。靴先が顔にめり込む程の勢いのトゥーキックを、黒贄の顔面に叩き込む。
余りの蹴りの強さに、頸の骨が直角に等しい角度で後方に折れ曲がり、その時の顔面を足場に、軽く跳躍。
千切れかけの左腕の、肩の付け根からリベリオンを勢いよく振り下ろし、ダンテは地面に着地した。ゴトンッ、と言う音を立てて、ジャンボジェットのタイヤを握った状態の左腕が、地面に落下した。
「モー・ショボー、急げ!!」
「う、うん!!」
ライドウの叱責を受け、モー・ショボーと呼ばれた少女の悪魔は途端、鞭で尻を叩かれる馬の様に、急いで上空へと飛び上がった。
それを見届けた後でライドウは、ダンテと黒贄の方に鋭い目線を向ける。ライドウがモー・ショボーを見送ったのと同時に、天子が十兵衛の付近までやって来た。
滅茶苦茶に黒贄が、ショベルカーのアームを振り回す。
凄まじい速度だが、余りにも雑な軌道であった。ダンテからすれば見てから避ける事は容易い一撃。事実彼は、簡単にその一撃を、スウェーバックの要領で回避した。
しかし問題は其処じゃない。此処まで手傷を負わせておいて、何故黒贄は、まだ行動が出来るのだ。
「拙いぜ、この騒ぎだったら確実に人が集まる」
そもそも今回の作戦は、住宅街で遂行されると言う事もあり、電撃戦の体を取らねばならないものであった。もたもたしていれば、NPCが集まるからである。
それが、黒贄の想像だに出来なかった戦闘続行能力と、遠坂凛が魔術を使えると言う想定外のアクシデントが重なり、このような騒ぎにまで発展してしまった。
NPCに配慮して鈴仙が展開した、音を遮断する為のフィールドも、黒贄がその範囲内で暴れてしまえば全く無意味である。十兵衛の言うように、このまま行けば間違いなく、自分達の姿までもが、あの鬼のバーサーカーの様に近代メディアに露出されかねない。それだけは、拙い。皆が御免蒙ると言うものだった。
「俺に任せろ」
と言って、塞は一同に目配せした。
「出来るのかよ、オッサン」
「此処で俺の正体が大々的に流布されるのは困るんだよ。俺の能力だったら、NPCの被害を最小限度に抑える事は、やってやれない事はない」
「なら頼む、やってくれ」
「解った」
ライドウの言葉を受け塞は、空に浮かぶ鈴仙の方に目線をやり、念話を飛ばした。
【て言う訳だ、頼まれてくれ】
【サーヴァント遣いの荒いマスターね、相当捷く動き回らなきゃ出来ないわよそれ!?】
【黒贄の標的になるのとどっちが良いんだ?】
【う、うぅ〜……!! 解ったわよ。だけど、時間が掛かるのは本当だからね、戦線復帰はかなり遅れる事を覚悟しててよ!!】
【解った、こっちも上手く立ち回るぜ】
言って塞は、目線を鈴仙から、リベリオンとショベルカーのアームを激突させている、ダンテと黒贄の方に向ける。
黒贄がアームを上から振り落とせば、ダンテがリベリオンを下段から振り上げ、攻撃を防御。
ダンテが横薙ぎにリベリオンを振えば、アームを寝かせるようにして軌道上に配置しこれをいなす。
黒贄がブンブンとアームを振り回せば、実体がないとすら攻撃した側が思うのではないかと言う程、見事にダンテがそれを回避して見せる。
二人の周りには、最早火炎と言うべき大きさの火花と、鼓膜が馬鹿になる程の金属音が踊っていた。如何なる膂力を持てば、あんな音と火花が出せるのか。
あんな馬鹿みたいな大立ち回りをしている所に、如何に武術に秀でているとは言え、塞の入る余地など初めからない。
遠巻きにその様子を眺め、ライドウとダンテの動向を注視する事しか、今の所は出来なかった。
【それじゃ、今から行って――待って。新しいサーヴァントの気配が、こっちに向かって――!?】
【何っ!?】
其処で、塞と鈴仙は念話を打ち切り、行動に移った。
鈴仙は、自らの能力で、不自然なまでに急激な、自然界の波長の乱れを感じ、慌てて飛翔高度を上げさせていた。
塞は、鈴仙の念話を受けて、反射的に後方に飛び退いていた。
ダンテは、偶然体中の魔力回路を組み換え、遠方視認に適したそれに回路配置を変えさせていた為、標的の姿を視認、回避行動に移る事が出来た。
ライドウは、ダンテが急に攻める事を止めたのを見て何かを察し、後方に宙返り、回避行動に移った。
天子は、ライドウとダンテの両名の反応を見るや、嫌な予感を感じたのか。便乗と言わんばかりに十兵衛を抱え、空を飛びあがった。
凛は、黒贄が破壊していなかった側のアパートの庭で、心配そうに彼の様子を眺めていた。
黒贄は、「尺的に、そろそろ仮面と奇声を決めるタイミングでしょうなぁ」と口にしながら、ショベルカーのアームを振り回していた。
――刹那、黒贄から見て左側から、黄金色の煌めきが黒贄をアームごと呑み込み、光の如き速度で水平に通り過ぎて行った。
溶かした黄金から不純物を取り除き、帯状に引き延ばしたようなその光は、黒贄程度等全く障害物とも思っておらず、そのまま通過。
光に直撃した黒贄は泡の様に溶けて行き、白煙の一つも、余韻となる様な音も一つとして立てず、影も形も残さず消滅した。
黄金色の審判光は一切の物理的干渉を受け付けず、黒贄を消滅させた後も一直線に進行し続け、やがて、黒贄が先程までアームを振り回していた地点から、
七十m先に建てられた、十〜十四階建のマンションに激突。光は容易くマンションと言う構造物を貫通、その瞬間だった。
原爆でも落とされたかのような爆発が、マンション全体を覆い、凄まじい爆風と轟音がこの場にいる一同に叩き付けられたのは。
天地が鳴動し、砂塵と砂煙が高度数千mまで一気に巻き上がる。あの様子では生存者など、ただの一人も期待出来まい。
瓦礫すら残らないのではあるまいかと言う程の爆発に目を剥く、ダンテ以外の一同。この紅コートのセイバーだけは、この爆光を放った張本人を捕捉していた。
遅れてライドウがダンテの目線の方に顔を向け、遅れて、天子と鈴仙達がその方向に目線を送った。
黒いコートと、黒い軍服に身を纏った、金髪の男だった。コートの所々は破け、軍服も、一目見ただけで痛んでいる事が良く解る。所々が、裂けているのだ。
裂けているならばまだしも、所々に生乾きの血液が付着しており、痛々しい。この場にいるサーヴァント達は、その血糊が金髪の男自身のそれである事を理解した。
だがそれ以上に目立つのは、両手に握った、遠目からは黄金色に剣身が燃え上がっているとしか思えない様子をした、二振りの日本刀だろう。
よく見るとそれは、黄金色に燃えているのではなく、刀身が液状になった黄金宛らに光り輝いているのだと解る。光のない宇宙空間に持って行けば、忽ち暗黒は斬り裂かれ、眩いばかりの黄金色の光が何処までが煌めく事であろう。
軍服で隠れて傷の酷さはよく解らないが、きっと酷いに相違あるまい。それでも、その金髪の男は、自身が折っているであろう並々ならぬ損傷など、
意にも介していないようだった。その男は悠然と、赤絨毯の上でも歩く様に此方に近付いてくる。その後ろに、マスターと思しき平凡な青年を引き連れて。
鷹の如く鋭い瞳をダンテらに向けながら、金髪のバーサーカーは近付いてくる。残り三十m、二十m、十m。其処で、彼らは止まった。
「市街地にも関わらず、随分と火遊びをし過ぎたようだな、サーヴァント共」
「……ハッ。オイオイ、聞いたかよ少年。其処の紳士は、自分が今しがたやった事が何なのかお分かりになってないんだとよ」
ダンテが、嘲笑を隠せない様子で、自身のマスターに言葉を投げ掛けた。
暗に目の前のバーサーカー、クリストファー・ヴァルゼライドの事を小馬鹿にしてるのは良く解る。そして、鈴仙はダンテの口にした言葉に強く同意した。
要するにヴァルゼライドは市街地で大規模な戦闘を繰り広げ、戦火を広げさせようとしている自分達の事を咎めているのだろうが、
自分はあの黄金の光でマンション一つを消滅させておいて、よくもまぁ居丈高にそのような発言が出来るものだと、本気で鈴仙は、ヴァルゼライドの正気を疑った。
言葉に説得力が全くない。自分達の行う奴は別だと言うのならば、それはそれは見事なダブルスタンダードになる。
どっちにしろ、自身の能力で波長を確認した所、妖怪達の間ですら見られない程、桁違いに短い。いわば短気の極致である。
こんな男を相手に、まともに話が通じる訳がない。如何に正論を口にしようがこの波長では、敵対以外の道は全くないと言っても良いのだった。
「――セイバー。構わない。その男を殺せ。背後に控える、マスターも殺して問題ない」
「OKOK。そう言う訳で、ミスター達。俺はお前さんらの馬鹿を治さなきゃならん」
「下らん。俺が狂っているとでも?」
「まぁな。んで、治療法はこれだ」
其処で言葉を切り、ダンテは、リベリオンの剣先をヴァルゼライドの鼻頭へと突き付けた。
ヴァルゼライドは、冷たい輝きを宿した光で、その剣尖を見つめていた。
「こいつは荒療治だが、どんな病気にも効くぜ。なんせアンタが死ぬんだからな」
「お前は勘違いをしているようだが、俺とて、死者を悼む文化には理解を示しているし、人並みに死を悲しむ感情もある。
俺の宝具で死んでいったNPCに、何も情感を憶えないのか、と言えば嘘になる。だがそれでも、俺は先を往き、世界と人理に平和の二文字を刻まねばならない。其処のセイバーと、空を飛ぶアーチャーとセイバー。人理の万年の平和の為に、此処で俺に斬られるのだ」
聞いているだけで、頭が痛くなるような言葉だった。
塞の念話によると、この男もバーサーカーらしい。この際、普通に言葉を交わせていると言う事実はどうでも良い。
全く、話がかみ合わない。何処までも自分の都合を優先し、それ以外の価値観を全く彼は排している。
本人はそう言った価値観に理解を示しているつもりなのだろうが、全く理解していない事が子供にも良く解る。
結論を言えばこのバーサーカーは、やはりバーサーカーの御多分に漏れず、頭のネジがそもそも存在しない、完全な『イカレ』だった。
これに比べれば、天子の方がまだ人間味があると言うものだろう。実際天子も十兵衛も、ヴァルゼライドの姿を見て、完全に呆れた様子であるのが鈴仙にも良く解った。
ダンテの方も、これ以上の会話は最早無意味だと悟ったのか、腰を低くし、リベリオンを構え始めていた。
「生きてる人間は悪魔より怖いってのを、サーヴァントになってから思い知るとは思わなかったね」
笑みを浮かべていたダンテだったが、途中で、それまでの陽気で気の良い青年風の表情が、一変。
氷塊を彫り上げて作り上げたような、冷たい瞳と表情になり、ヴァルゼライドの事を決然と睨んでいた。
「お前だけは特別に今日をドゥームズデイにしてやる、覚悟しな」
「――来い。貴様の屍を、俺とマスターの覇道の懸け橋にしてやる」
そう言って、ヴァルゼライドが刀を構えた、その瞬間だった。先程黒贄が倒壊させた、あのアパートの方から、底抜けに気の抜ける声が、微かながらに聞こえて来たのは。
――今回の奇声は何にしましょうか。今日はメ、から初めて見ましょうか――
……その声の正体を、自身に備わった能力のせいで、誰よりも早くに知ってしまった鈴仙は、戦慄の表情を浮かべた。
その顔は青みを増し、信じられないような物を見るような瞳で、アパートの瓦礫が堆積した所を見つめていた。
――メニュー、駄目ですな。メンノラゲー、うーむ、キャラクターっぽい。メンノラズッズッズ、むぅ、ズッズッズは余計ですな。メンノラミー、メンノララー、メンノランヘ、メンノラトットーム、メンノラブンブンバ……。うむ、これに致しましょう――
其処まで言った瞬間だった。黒贄が倒壊させ、嘗てアパートが建てられていた敷地に堆積していた、アパートそのものの瓦礫が、全て吹っ飛んだ。
瓦礫は高度数百m程の高さまで、嘗て其処の住民であったNPC達の死体ごと舞飛ばさせてしまう。
アパートの敷地の真ん中には、件の独り言を語っていた男が、一本の大樹のように立ちつくし、ダンテやヴァルゼライド達の事を見つめていた。
「メンノラブンブンバ」
それは、聞く者の気勢や威勢、殺意を全て剥ぎ落すような、気の抜ける声であった。真剣に今を生きている者を心の底から茶化しているような、緩い声音。
しかし、嗚呼、しかし。その双眸に宿る、絶対零度の無機的な冷たさは、一体何なのか? 濡れた鴉の羽のような黒い瞳に宿る、底冷えする様な冷たい光は、一体?
目が丁度位置する所をバイザー状破った、学生がよく肩に掛けているエナメルバッグを顔に被って。
先程まで負わされた外傷が、着用している黒い略礼服ごと、欠損した左腕ごと。一切の例外なく全回復した魔人・黒贄礼太郎が、其処に佇んでいるのだった。
前半の投下を終了いたします
これはヤバイ。ダンテピーンチ!!
バーサーカー共のインフレやばすぎだろwwwwwww
キャスターも大概
完全再生って、凜と言えども結構魔力を取られるだろうし大丈夫かな?
ただでさえ銃弾一発受けていて、しかも鈴仙に捕捉されていて
更にモーショボーまで探索を開始してる有様なのに。
形見の宝石まだ残ってるから大丈夫大丈夫
後半を投下します
鈴仙の立ち位置の都合上、この場にいるダンテ、天子、ライドウ、十兵衛、ヴァルゼライドとそのマスターであるザ・ヒーローの表情は、一様に窺える事は出来ない。
出来ないが、彼らがどのような表情を浮かべているのか、どのような感情であるのか。見ないでも、能力を用いないでも、鈴仙には良く解った。
端的に言って彼らは、戦慄している。理由は勿論、言うまでもない。ヴァルゼライドの爆光に直撃し、影も形も残る事無く消滅した筈なのに、全回復して復活した黒贄の姿を見たからだ。
初めて鈴仙が黒贄の姿を見た時のそれと、全く変わりがない。だからこそ、恐ろしい。
ダンテの銃撃を受けて、少し動けば身体が千切れて動けなくなりそうだった程の、あの身体に撃ちこまれた銃痕は何処へ?
リベリオンによって斬り落とされた左腕は、如何して完全な状態で戻っている? 身に付けている衣服も如何して元通りに?
間違いなく、黒贄礼太郎と言うバーサーカーは、ヴァルゼライドの極光の一撃に直撃し、消滅。霊核も完全に砕かれた筈だ。
霊核の砕かれたサーヴァントは、最早何があっても復活しないのが絶対則である。霊核は心臓や大脳以上の、言うなればサーヴァントの急所だからだ。
なのに黒贄は、その絶対原則を無視して、平然と復活しているのだ。戦慄を憶えない方がどうかしている。この男は――『死なない』のか?
「メンノラブンブンバ」
気の抜ける声を上げ、黒贄が地を蹴った。十m近い距離が、百分の一秒を遥かに下回る速度でゼロになる。
一瞬でダンテとヴァルゼライドの目線がぶつかり合う射線上に到達する黒贄。ダンテは即座に黒贄に反応し、エボニーとアイボリーを引き抜き、
左手のエボニーでヴァルゼライドを、アイボリーで黒贄を狙い撃つ。トリガーを引く速度が速過ぎて、銃声に切れ目が発生しない程の連射速度だった。
しかし黒贄は瞬間的にアイボリーの弾丸以上の速度で動いて、その身をアイボリーの弾の射線上から逃れる事でやり過ごし。
ヴァルゼライドは宝具であるところのガンマレイを纏わせた刀を目にも留まらぬ速度で振るい、全ての銃弾を弾き返していた。
黒贄は、殆ど音の速度で移動しているにも拘らず、一人だけ異次元の物理法則が適用されているとしか思えない程の凄まじい軌道で、移動ルートを修正。
その速度を維持したままダンテの方へと向かって行き、攻撃を叩きこもうとする。
烈風の様な勢いで、握り拳を作った右腕をダンテの方に付き出す黒贄。
ボクシングのダッキングの要領でこれを回避したダンテは、避けざまに、紅色の魔力を銃身にこれでもかと纏わせたアイボリーで、黒贄の心臓を狙い打った。
黒贄の胸部に、野球ボール大の穴が空く。背中を突き抜た向こう側の風景が見える程だ。心臓を寸分の狂いもなく破壊した筈……なのだが、全く黒贄は意に介していなかった。
ダンテの視界の先でヴァルゼライドが、ガンマレイを纏わせた刀を上段から振り被っていた。その姿を認めたダンテが、身体の魔力回路を一瞬で組み替えた後、瞬間移動。
黒贄も、ダンテを追うように右方向に跳躍。時速千百㎞の生きた弾丸と化した黒贄は、跳躍した軌道上に存在する大小の家屋の壁を突き破り、
百m右地点で着地。突き破られた家屋は全て、不吉な音を立てて崩壊と倒壊を始めていた。
両名がめいめいの場所に移動した瞬間、遥か天空から、あの黄金色の爆光が、光と見紛う程の速度で急落下。
着弾地点を中心として、信じられない程の激震と衝撃波が発生。十兵衛を抱えて空を飛ぶ天子達など、余りの衝撃波で空中での姿勢制御すら困難になっていた程だった。
分厚いアスファルトをベニヤ板一枚よりも容易く割り砕き、一瞬で気化させる程の、ヴァルゼライドのガンマレイの威力。直撃していたら、ダンテであっても、どうなっていたか。
ガンマレイが地面に着弾したのと、ダンテが瞬間移動を終え、ヴァルゼライドから見て七m程先の地点に現れたのはほぼ同時だった。
ヴァルゼライドの方目掛けて、マシンガンに等しい速度でエボニーとアイボリーの速射を叩き込むダンテ。
これを神憑り的な反射速度で、腕が複数本あると錯覚させる程のスピードで刀を動かし、ヴァルゼライドは尽く弾丸を弾き飛ばして行く。
「メンノラブンブンバ」
と、気の抜けるあの声を口にしながら、時速千三百八十二㎞の速度で黒贄が此方目掛けて走って来た。
音速以上の速度で移動する事で発生した衝撃波の影響で、先程の黒贄の跳躍の影響で、リアルタイムで倒壊を続けさせていた家屋が等しく粉砕、遥か彼方へと吹っ飛んだ。
真っ先に此方に迫る黒贄に気付いたダンテが、アイボリーの照準を黒贄の方に定め、エボニーの照準をヴァルゼライドの方に定めると言う体勢を取った。
そして、両方向に狙いを定めたダンテは、即座に発砲。連続的に鳴り響き続ける銃声。急所に迫りくる銃弾を弾くヴァルゼライド。弾雨に直撃しながら直進を止めない黒贄。
此処で、天子が動いた。
黒贄の方には、先の尖った筍状の要石を十数発程高速で飛来させ、ヴァルゼライドの方には、赤色のレーザーを数本程照射させる。
ヴァルゼライドの方は、天子からの攻撃もしっかりと予測していたらしく、左方向にステップを刻む事で、急所目掛けて放たれたレーザーを回避。
黒贄は、胴体を狙った要石の一撃は、避ける事なくそのまま直撃を選んだものの、四肢、頭に向かって来た物は、蛇めいた軌道で腕を高速で動かし尽く粉砕。
胴体に突き刺さった一本の要石の注連縄を掴み、天子目掛けて、それを音の五倍強の速度で放擲した。
天人としての反射神経の限界ギリギリに迫るその一撃を、天子は慌てて、要石の障壁を生み出す事で防御。投げた方の要石は衝突した時の衝撃で粉々になったが、それは、障壁に使った巨大な要石にしても、同じ事であった。
胴体に八本近い要石が突き刺さった状態でも、黒贄の移動スピードは全く衰えない。
天子との距離が残り三十m、天子と十兵衛が浮遊している高度も含めれば実質的に百m近くも距離を離した所で、黒贄が跳躍。
踏込の勢いでアスファルトは真っ二つになり、直径十m、深さ何mにも渡るクレーターが地面に生じる程の、黒贄の脚力。一瞬で、彼と彼女の高度が並んだ。
よく見ると黒贄の礼服やシャツ、被っているエナメルバッグには、真新しい血液がべったりと付着していた。吹っ飛ばされた先でも、殺戮を繰り返していたのだろう。
恥も外聞もなく、逃げるように天子が急降下。何せ十兵衛を抱えた状態である。
こんな状態で、鴉天狗の移動速度に鬼の膂力、吸血鬼の再生能力を兼ね備えた、化物の中の化物である黒贄礼太郎を、相手取れる訳がない。
地面に降り立った天子は、瞳だけで十兵衛に、塞と共に安全圏へ移動しろと合図。アイコンタクトを読み取った十兵衛は、直に天子達から距離を取る。
「上等よ。この私が脅せば、死神だって逃げ出す事を教えてあげるわ!!」
緋想の剣を構え、落下運動を始める黒贄を睨む天子。此方は完全に、本気の殺し合いを行うつもりになったようだ。
【ど、如何するのよマスター!? この状況、どう考えても収拾つかないわよ!?】
鈴仙が混乱した様子で塞に告げる。
彼の命令に従い、此処にやってくる野次馬のNPCを、自身の能力で洗脳、引き帰させる事を行おうとした鈴仙だったが、このような事態に発展してしまった為に、
全く動けない状態となってしまった。下手に動けば、塞の守りが疎かになる。イビルアンジュレーションは、三回が限度。
とても、鈴仙が帰ってくる間に三度も持つとは思えないし、そもそもNPCを精神操作で操って、と言う作戦自体が既に無意味に等しくなっていた。
単純明快、黒贄の行動範囲が余りにも広すぎる為に必然的に破壊範囲が凄まじい事になるのと、この場に現れたバーサーカー、ヴァルゼライドが危険過ぎるからだ。
黒贄は兎に角、凄まじい移動速度で、障害物、つまり人の住む建物を躊躇なく破壊しまくる為、指数関数的と言っても良い程NPCの殺害数が増加する。
一方ヴァルゼライドの方は、鈴仙どころか神霊の類ですら直撃すれば無事では済まない極熱光を平然と、ところ構わず放つと言う性格の持ち主だ。
つまり、今更鈴仙がNPCの下に向かい洗脳を行おうとしても、『そもそも洗脳を施さねばならないNPCが全滅してる』かも知れないのである。
鈴仙がライドウ達に、己の組の有能ぶりを見せつけて警戒心を緩めさせる、と言う作戦は、ヴァルゼライドの闖入によって完全に破綻してしまっていた。
【こうなったらもう仕方がない、アーチャー。あの赤いセイバーの方を重点的に援護しろ。黒贄の方は、正直不気味過ぎる、あまり刺激するな】
それは確かに、鈴仙としても同意見であった。黒贄が五体満足の状態で復活したあのシーンが、今も鈴仙の脳裏に焼き付いて消えない。
鈴仙としても、黒贄とは戦いたくはなかった。だが塞の言う事は逆に、十兵衛と天子の主従を暗に、切り捨てる事も視野に入れている、と宣言しているに等しい。
改めて、天子と黒贄の方に目線を向ける。凄まじい速度で振るわれる緋想の剣。黒贄はそれを防御すらしない。
直接斬り付けられながら、攻撃を繰り返す。そしてそれを、間一髪で天子は回避するか、要石を生みだし攻撃の軌道上に配置する、と言う事を繰り返している。
今はまだ、天子の優れた身体能力で拮抗状態を維持出来ているが、天子の厳しそうな表情を見るに、正直現状でもかなり手一杯と見える。拮抗が破られるのも時間の問題だろう。
【それと、これはお前の独断で構わないが、戦況が著しく此方の不利に傾いたら、遠慮はいらない。遠坂凛を殺し、黒贄を消滅させろ】
【了解!!】
塞からの指令を全てのみ込んだ鈴仙は、ヴァルゼライドの方に薬莢型の弾幕を展開、バラ撒いた。
ヴァルゼライドの方を先に倒せば、ダンテと鈴仙は黒贄を対処出来る。初めにヴァルゼライドを倒し、黒贄を次に倒す、と言う二方向作戦だった。
ダンテと、殺陣を演じていたヴァルゼライドが、迫りくる弾丸に気付いた。弾はご丁寧に、ダンテには当たらない軌道を読んで放たれただけじゃない。
ヴァルゼライドの後ろに控えていたザ・ヒーローにも放たれている。この主従を相手に時間はかけていられない。早々に、彼らには退場して貰う必要があった。
迫りくる弾幕にヴァルゼライドが気付いたのは、音の壁を容易く突破する程の速度で振るわれたリベリオンを、左手に佩刀で防いだのとほぼ同時だった。
しかも弾幕は、ヴァルゼライドのみを明白に狙っており、射線上にダンテは全く重なっていない。完全にヴァルゼライドだけを撃ち殺すつもりの上、
更にその弾幕はマスターであるザ・ヒーローの所へも迫っている!! 拙い、と二名は思ったに違いない。
ヴァルゼライドは片方の刀で弾幕を弾こうとするが、片方を弾の防御、片方を攻撃、と言う半端な方針で、ダンテは対処出来ない。
それまで二刀流で攻め立てていたのに、片方の刀を多方面への防御に使うと言う事は、当然攻めの効率が半減すると言う事である。
ヴァルゼライドの行う二本の刀の猛攻を、一本の大剣を小枝の様に振って当然の様に凌ぎ、剰え反撃すらしていたダンテ。
一瞬にしてヴァルゼライドは劣勢にまで持ち込まれ、頭部を除くあらゆる部位を鈴仙の弾幕で撃ち抜かれ、ダンテに左わき腹をリベリオンで裂かれてしまった。
――だが鈴仙の顔は、手応えの良さに喜ぶそれになるどころか、より一層深い戦慄を刻んだそれになってしまっていた。
理由は、ヴァルゼライドのマスターであるザ・ヒーローのせいだった。懐から、剣身の燃え上がっている剣を取り出したザ・ヒーローは、
刃風が此方にも届く程の勢いでそれを振い、彼に迫りくる弾幕を一つ残らず雲散霧消させてしまったのだ。それは、ヴァルゼライドが弾幕に貫かれるのと殆ど同じタイミングだった。
「まだだ……!!」
そしてヴァルゼライドは、全く戦闘意欲が衰えていなかった。
此処に初めてやって来た時点でも、戦えるのか如何か解らない程の大ダメージを既に負っており、その上にまたダメージを負わされたのに、全く戦闘能力に劣化が見られない。
焔が迸らん程の、決然とした光を双眸から放ちながら、ヴァルゼライドは、二本の刀を嵐の様に振い、ダンテに攻撃を仕掛けた。
横薙ぎに振るわれたヴァルゼライドの刀を、ダンテは軽く身体を反らせる事で回避。避けざまにリベリオンを下段から振り上げるも、
ヴァルゼライドは身体を半身にする事で回避。半身にした身体を元の姿勢に戻す勢いを利用して、ダンテの喉元に突きを放つが、これを彼は横転で逃れる。
しめた、と言わんばかりにヴァルゼライドが、姿勢を整え始めたダンテ目掛け、上段から刀を振り下ろし迎撃――を、行った瞬間には彼は空間転移で攻撃を避けていた。
「掃き溜めのゴミにしちゃそれなりにガッツがあるじゃねぇか」
ダンテは、靴底がヴァルゼライドの肩の位置にくるような高さに転移していた。
彼は、ヴァルゼライドの両肩に両足を乗せ、其処を足場にヴァルゼライドを見下ろした。
「だが塵(ゴミ)は塵だな。大人しく、灰は灰にと俺に続けさせてくれ」
其処でダンテは、ヴァルゼライドの脳天にリベリオンを突き刺そうとするが、直にヴァルゼライドは、後方にバックステップを刻み、それを回避。
空中に投げ出される体となったダンテは、魔力を練り固めた足場を空中に作り、それを蹴り抜き、空中を滑るように横に移動。
ヴァルゼライドがバックステップで稼いだ距離が一瞬で無意味のものとなり、再び、殺陣が始まった。ダンテは中空、ヴァルゼライドは地上。
夢幻の中でしかあり得ないような、人外魔境の剣劇を、二人は演じていた。
鈴仙と塞が、ダンテとヴァルゼライドの攻防に目を奪われた、その一瞬を狙って、ザ・ヒーローが地を蹴り、動いた。
完全に、鈴仙は虚を突かれた形になる。燃える剣――銘をヒノカグツチと言う神剣を取り出した時点で、鈴仙もザ・ヒーローの事を警戒していた。
それでもなお、虚を突かれた理由は単純明快。彼の身体能力が、鈴仙の予想を超えて凄まじかったからである。
二輪車もかくや、と言う程の移動速で塞と鈴仙の下へと向かう。何と彼の狙いは、塞ではなく鈴仙であった。
反応が遅れ、急いで反撃を叩きこもうとする鈴仙だったが、ザ・ヒーローと彼女が向かい合っているルート上に、颯爽と躍り出た人物を彼女は認めた為、攻撃を中断。
黒いマントをはためかせ、懐に差した赤口葛葉を颯と引き抜き、ザ・ヒーローの頸を刎ねんと躊躇なく振うその男は、葛葉ライドウその人だった。
赤口葛葉の一撃を、ヒノカグツチで急いで防御したザ・ヒーロー。
剣身と剣身が衝突した瞬間、ライドウは直に刀を戻し、再びそれを振う。下段左から中段右へと、掬い上げるような一撃だった。
それをヒノカグツチの剣身で受け止めると、今度はザ・ヒーローが攻勢にでた。ジャケットの裏に隠し持っていたベレッタを即座に引き抜き、ライドウの眉間に発砲。
この弾丸を、ライドウは思いっきり左方向にサイドステップを刻ませる事で回避。着地と同時に、懐から一本の管を取り出す。
何かの攻撃の合図だと思ったのだろう、防御の構えを取るザ・ヒーローだったが、それは見当違いの判断だった。
管の蓋は即座に開き、緑色の光を其処から迸らせ、管の中から彼の使役する悪魔が姿を現した。
「手短ニ頼ムゾ……」
ライドウの傍に寄り添うように現れたのは、鋼色の毛並みを持った魔獣だった。
体高だけで二mにも届こうかと言う程大きく、これに全長を加えたら、数m。遠巻きに見たら、動物ではなく中型車であると、人は錯覚してしまうだろう。それ程までの、大きさだった。
「……ケルベロス」
驚いた様子で、ザ・ヒーローが静かに呟いた。その声音には驚愕以上に、何処か懐かしみを憶えているような感覚を、鈴仙は感じ取った。
「神剣ヒノカグツチ。それを手にしている時点で、まさかとは思ったが。ケルベロスの事を知っている以上、やはりデビルサマナーだったようだな」
ライドウが自然体の構えを取り、ザ・ヒーローを見据える。
平凡で、一見すれば隙だらけに見えるその構えの、何と言う凄さか。少し武術を齧った物であれば、下手に打ち込めば即座に首や手足が分離されてしまう事が、嫌でも理解出来よう。それ程までに、ライドウの構えには隙が見られないのである。
「どうした、悪魔を呼ばないのか。その召喚器は飾りか?」
と言ってライドウは、ザ・ヒーローが左腕に装備している、通常よりキーの数が少ないキーボードの嵌め込まれた、ハンドベルトで固定された機械の様な物を見てそう告げる。話の内容を勘案するに、目の前の青年もまた、悪魔を使えるらしい。
「君を相手に呼ぶ必要はない」
「言ってくれる。悪魔を呼ばないからと言って、俺が手加減をすると思うな。お前は、死ぬべき男だ」
「まだ死ぬ訳には行かない。……まだ――」
其処で、ライドウの姿が霞と消えた。
ザ・ヒーローは何かを語る途中であったが、そんな物を聞く程ライドウは悠長に事を構える男ではなかったと言う事だ。
十二〜十三m近い距離を一瞬でゼロ近くまで、ライドウは十分の一秒にも迫る速さで縮め、ザ・ヒーローの心臓目掛けて赤口葛葉による一突きを見舞おうとする。
直撃すれば心臓が裂け、即死になるであろうそれを、彼は身体を半身にして回避。それと全く同じタイミングで、ザ・ヒーローの後方からケルベロスが、
巨体からは想像も出来ない程軽やかな速度で接近。彼に体当たりを見舞おうとするも、これも読んでいたらしく、ライドウのいない方向にステップを刻み、回避。まるで後ろに目があるかのような、危機察知能力であった。
「僕はケルベロスと戦い慣れている。ケルベロスをどう動かせば効率的かも、良く解る。無駄だよ、変えた方が良い」
帰省した田舎で、変わらず残っている神社を見て懐かしがるような声音でそう言ってから、ザ・ヒーローがベレッタの弾丸をライドウ目掛けて発砲する。
そして、鈴仙は見た。ライドウが赤口葛葉を縦から振り下ろし、弾丸を真っ二つにし、弾を無理やりライドウの肉体から逸らさせたのを。
「お前の攻撃を無効化するには、ケルベロス程適した悪魔はない。挑発には乗らないぞ、素人め」
ケルベロスを自身の真正面に配置させ、ライドウが言った。目深に被った学帽の奥で、黒い瞳が突き刺すような光を放っていた。
ライドウの口にしている言葉の意味は、恐らくは塞も鈴仙も十兵衛も、理解出来まい。
今の会話には、ライドウの言う所の悪魔召喚士(デビルサマナー)にしか解らない意味を多分に含んでいたのだろう。
事実、ライドウの言葉を受けたザ・ヒーローは、嘆息したような反応を取っていた。よく勉強している、とでも言うような風だった。そして彼は、その後口を開いた。
「君も、素人じゃないみたいだね。だけど、僕を相手にケルベロスを召喚するのは、本当に失敗だよ」
言って、ザ・ヒーローが駆ける。対応するようにケルベロスは顎を大きく開かせ、彼に向かって行く。
サバイバルナイフがチャチなオモチャにしか見えない程鋭く尖った牙が生え並ぶ、恐ろしい口腔だった。
たとえ甘噛みであろうとも、人がこれに噛まれてしまえば筋肉も骨も粉々になってしまうに相違ない。
ザ・ヒーローが跳ねた。垂直に四m近くも跳躍した彼は、ケルベロスの眉間の辺りに着地。
そして、其処を足場に更に跳躍。向かう先は、ライドウのいる地点であった。跳躍の勢いを借り、ザ・ヒーローはライドウの頭目掛けてヒノカグツチを振り下ろす。
これすらもライドウは読んでいたらしく、赤口葛葉で防御。ギンッ、と言う金属音が鳴り響くと同時に、ケルベロスが尻尾を鞭の様に振った。
ライドウもライドウなら、ザ・ヒーローもザ・ヒーローだ。彼は即座にヒノカグツチを、ライドウの握る御佩刀(みはかせ)から離させケルベロスの尻尾の一撃を防御。
尻尾の勢いを受け、数m程左右の吹っ飛ばされたザ・ヒーローは、空中で体勢を整える。そして、地面に着地するまでの間に、ベレッタを引き抜き、ライドウ目掛けて数発発砲。
この銃撃も、ライドウは赤口葛葉で難なく弾き飛ばした。ザ・ヒーローが着地すると、今度は、薬莢型の弾幕が何百発も、彼の所に降り注いだ。
これは鈴仙の攻撃だった。今まで棒立ちの状態だったわけではない、塞を守りながら彼女は、ヴァルゼライド、ザ・ヒーロー、黒贄。
この三者を攻撃する隙を窺っていたのだ。今は、ザ・ヒーローが狙い目であったからこそ、彼女は攻撃を仕掛けたのである。今はヴァルゼライドはダンテに足止めされている、妨害は出来まい。
ザ・ヒーローは二m程後ろに下がった後、ヒノカグツチを振い、自分に着弾する弾丸のみを破壊、事なき事を得る。
彼の身体能力を理解している今となっては、今のような行動も鈴仙は織り込み済み。後は、ライドウらが期待に応えてくれるかどうかだが、やはり鈴仙の望み通り、
彼らは期待を裏切らなかった。ライドウは召喚したケルベロスに下知を飛ばし、それを受けて鋼色の魔獣が、口腔から炎の塊をザ・ヒーローに放った。
彼がヒノカグツチを振い終えたタイミングを狙っての一撃の為、防ぐ事は困難を極める。しかし、流石にザ・ヒーロー。直にこれを振い、炎の塊を破壊する。
上段から振り落とされたヒノカグツチが、砂を練り固めた脆い構造物の如く炎の暴威を粉砕する。
剣身が炎に食い込み、爆散させたと同時であった。砕け散った炎の向こうから、ライドウが飛び出して来たのは。
そう、ケルベロスの放った炎の塊と、その後でザ・ヒーローの方へと猛進するライドウの二段構えこそが、彼らの狙っていた一連の目的だったのだ。
ヒノカグツチで迎撃するにも防御するにも、最早遅い。さりとて、大人しく斬られるザ・ヒーローでもなく。不様に地面を転がり、赤口葛葉の中段突きを彼は回避する。
回避した先に、ケルベロスが猛進、右脚を高く振り上げ、そのままザ・ヒーローの頭に振り下ろすが、彼は乱暴にヒノカグツチを振い、無理やりケルベロスの右脚を反らし、
寸での所で攻撃を躱す。急いで立ち上がり、姿勢を整えた時には、ライドウがコルト・ライトニングを引き抜き、照準をザ・ヒーローに合わせている。
今や誰が見ても、攻撃のイニシアチブはライドウ達が握っていると言う状態。これを見て鈴仙は、支援攻撃の対象を彼らからヴァルゼライド、黒贄にシフトチェンジしようとした。
上空へと飛び上がり、ダンテとヴァルゼライド、天子と黒贄の方の二つの戦局を見据える鈴仙。
ダンテの方は流石とも言うべきで、圧倒的な技量でヴァルゼライドを抑えている。鼓膜を斬り裂くような金属音と、火薬の小山を発破させたような銃声が、
此方にも連続的に聞こえてくる。しかし、ヴァルゼライドの方もかなりの物。ヴァルゼライドは今の所防戦一方と言う体であるが、ダンテの攻撃が全く有効打になってない。
殆どの攻撃を、両手の刀でいなし、そして身体を動かし回避する。そのやり取りを、幾度となく続けていた。
問題なのは天子達の方だ。現在天子は、緋想の剣で黒贄を攻撃する事を止めていた。
彼女は、空中に飛び上がり、要石を飛来させたり、レーザーや魔力を練り固めた弾丸を弾幕にして放つ、と言う、攻撃の方針を飛び道具を主体としたそれに変えている。
天子の着用している衣服は所々が破けており、掠り傷や生傷が、手足や、破けた衣服から露出する白肌に刻まれている。
近接戦闘で完全に遅れを取っている事の証左でもあった。寧ろ黒贄を相手にこの程度の外傷で済んでいると言う事実が、驚嘆に値するであろう。
接近しての肉弾戦では先ず勝ち目がないと判断し、飛び道具で勝負を仕掛けようとする。成程、確かに黒贄が相手ならばそれは正しい判断だ。
鈴仙が見た所、黒贄は接近して己の手足で殴るか、何処からか取り出した凶器で直接攻撃を仕掛ける以外の、能動的な攻撃手段を持たない。
つまり飛び道具を持たないのだ。精々が、相手の放った、実体のある飛び道具を投げ返すか、地面に転がっているそれを相手に投擲する位しか出来ぬだろう。
そうなると、天子の行う事は正しい。何せ飛び道具がない以上、空を飛び、其処から飛び道具を連射していれば、完封が出来るのであるから。
――だがそれも、千日手と言う様子だった。
今や黒贄は天子の放つ要石の全てを完全に見切り、素手で破壊している。彼女の放つ飛び道具は、直撃しても殆ど無視。
黒礼服も、仮面代わりのエナメルバッグも今やズタ袋のような状態であり、肉体など着衣物よりももっと酷い。先程の復活前の状態と何ら変わりがない。
それでも、黒贄は生きているし、活動を続けている。サーヴァントが見なくても解る。天子の放つ攻撃は何一つとして効果的な結果を生みだせていない。
攻めているのは天子だが、攻めあぐねているのもその実天子、と言う奇妙にも程がある結果が、其処に生まれていた。
「メンノラブンブンバ」
其処に穴の空けられた柄杓の様に、気力もやる気も抜けて行くような声で、黒贄が要石を天子目掛けてミサイルめいた勢いで投擲。それを彼女は緋想の剣で砕く。
現状、黒贄には直接天子を叩ける攻撃手段は少ない。精々が、飛来して来た要石をキャッチし天子へと投げ飛ばす位だ。
黒贄が投げ飛ばす度に、速度が跳ね上がっているのが気がかりだが、弾幕勝負に慣れっこの幻想郷の住民。今はまだ、避けたり緋想の剣で破壊したりで、対応出来ている。
だが、時が立てば天子の反応速度をも上回る速度で、黒贄が攻撃してくるかもしれない。持って一分程か。その間に、ヴァルゼライドかそのマスターを葬る必要がある。
マスターを狙うのは簡単だが、ザ・ヒーローも一筋縄では行かない、サーヴァントに近しい強さを持つ恐るべきマスターだ。
彼を殺すには此方も工夫を凝らした、或いは広範囲に渡る攻撃を行う必要があるが、これをやるとライドウにまで危難が及びかねない。
必然的に、ヴァルゼライドの方に攻撃の矛先を向ける必要がある、と言う事だ。さりとて、単純に弾幕をばら撒いただけで、ヴァルゼライドを殺れるとは思えない。
本当に、工夫を凝らす必要があるのだ。つまり――自身の能力の真髄の一端を、この場で披露しなければならないと言う訳だ。
ヴァルゼライドの目線が此方に向いていない、その一瞬を狙い、鈴仙は自らの能力を用いて、光の波長を操作し、自身の身体を完全な透明状態にする。
光学迷彩の原理の応用だ。現代科学でこれを再現するとなると、莫大なエネルギーが必要になるが、鈴仙はいとも簡単にこの奇跡を成す事が出来る。
そして彼女はそのまま、ヴァルゼライドの背後を取るように、即座に移動。地面に降り立つ。音は生じない。音『波』を操り、音そのものを消しているからだ。
鈴仙はアサシンクラスではない為、気配遮断スキルは当然使えない。が、自身の持つ『波長を操る程度の能力』を応用する事で、
本職のアサシンを凌駕する程の気配遮断スキルを、疑似的に発揮する事が出来るのである。
ルナティックガンをヴァルゼライドの背に合せる鈴仙。彼我の距離は十m程、向こうが弾より速く動けるのでないならば、確実に着弾させられる自信が彼女にはある。
攻撃がヴァルゼライドを貫通し、ダンテに直撃しないよう、ダンテがヴァルゼライドと重ならないような位置に来る、その瞬間を鈴仙は見定めねばならない。
その瞬間が、今正にやって来た。何らかの攻撃を行うつもりだったのだろう。ダンテが横っ飛びに跳躍したその瞬間、鈴仙は、鳩の血の様に赤い瞳から、
凄まじい勢いで光線を放った。湧いて出て来たような攻撃に、一瞬ダンテは驚いた様な表情を浮かべた。ヴァルゼライドは、何が何だか解らないままに、肝臓をそのレーザーに穿たれた。
「ごふっ……!?」
金色の熱光を纏わせた刀を地面に突き刺し、倒れる事を何とか防ぐヴァルゼライド。後ろを睨む。
その方角には鈴仙がいる筈なのだが、波長を操る能力で姿も音も消している、普通はヴァルゼライドの瞳からも姿は見えない。
しかし、レーザーと言う、何処から攻撃を仕掛けて来たのか即座に解る攻撃を見舞ったのだ。ヴァルゼライドの方も、此方が何処にいるのか、凡その予測を立てている事であろう。
ガンマレイを纏わせた刀を振おうとするが、ダンテがそれを許さない。
ヴァルゼライドの背後に転移した彼は、そのままリベリオンを脳天から振り下ろす。気配に気づいたヴァルゼライドが、攻撃を中断。
左手に握った刀でダンテの攻撃を、防御する。ダンテの方も、今の攻撃が鈴仙の手によるものあると、気付いているのだろう。実に、見事なコンビであった。
再び鈴仙が攻撃を仕掛けようとした、その瞬間だった。
彼女は視界の先で、戦いの様相がヒートアップを極めている、天子と黒贄の方を認めた。
鈴仙の目測よりも、ずっと黒贄の戦闘能力の上昇が著しい。最早この場にいる誰もが理解しているだろう。
黒贄が、戦局が長引けば長引く程、腕力や素早さが上がる、桁違いの怪物である、と。そんな怪物を相手に持久戦など、以ての外。
電撃戦に持ち込もうにも、黒贄自身が凄まじい戦闘続行能力の持ち主の為、如何しても持久戦にならざるを得なくなる。成程、確かに、怪物だった。
「――令呪を通してお前に命令する」
そんな怪物と自分のサーヴァントが戦っている様子を眺めている十兵衛の心境など、如何程の物だったろう?
冷静で見ていられる筈がない、恐怖や不安などで、胸が押し潰されそうだったろう。況して天子は誰の目から見ても劣勢の状態。
次まばたきを終えた瞬間には敗北を喫していてもおかしくない死闘を、指を咥えて眺めているだけ。それは恐らく、この男、佐藤十兵衛の信条が許さなかったようである。
十兵衛は、聖杯戦争の参加者全員に平等に配られる、三つ限りの絶対命令権と言う、ワイルドカード中のワイルドカードを、今この瞬間一枚切ったのだ。
「そのイカレをぶっ殺せ、セイバー!!」
恐らくは身体の何処かに刻まれたであろう令呪、その内の一画が消失したのだろう。
瞬間、天子の身体に、如何なる用途にも転用させる事の出来る、無色の魔力が漲って行くのが解る。
「良いわよ、十兵衛。貴方の期待に、応えてあげるとするわ!!」
そう叫んで天子は、浮遊している高度を更に上げさせる。
上昇と言うよりは飛翔と言う程の勢いで、高度三百m程の高さまで飛び上がった天子。地上からは彼女の姿は、豆粒程度のそれにしか見えぬ事だろう。
この高度でもまだ、油断が出来ない。今の黒贄なら、助走の力も借りない垂直のジャンプで、この高度まで跳躍出来かねないのだから。
しかし天子は決して、逃げる為にこの高さまで飛んだ訳じゃない。攻撃を仕掛ける為に此処までやって来たのだ。鈴仙には、それが良く解る。
何せ彼女は――高さ二十m、幅四十mにも達するか、と言う弩級の大きさの要石を足下に敷きながら、凄まじい速度で落下して来たからだ。
要石が創造されたその瞬間を認めた時、ライドウとケルベロス、ザ・ヒーローは、戦闘を中断。直に距離を取り、仕切り直しと言わんばかりに其処で戦闘を再開。
塞と十兵衛も、それが落下をし始めた瞬間に、急いで其処から距離を取り、攻撃の範囲内から逃れた。
塞達が、要石の範囲外から脱出したその瞬間に、天子の創造した弩級の大きさの要石と、黒贄が衝突した。
超質量の物質が落下した事で発生するクレーター、衝撃波。それらが等しく、この場にいる全員の身体を打ち叩く。
重さにして三百tに達するであろうそれの、高高度からの落下を、黒贄は両腕で受け止めた。流石に衝突の勢いに耐えられなかったらしい。
両肘の辺りから血濡れた骨が飛び出しているし、凄まじい衝撃を受け止めた影響で、時計の針が三時と九時を指す様に、両脚が真横に折れ曲がった。
今黒贄は足ではなく、『膝』で地面を踏みしめている状態だった。黒贄程の怪力の持ち主でも、流石にこれを無傷で堪える事は、不可能だったようである。
――逆に言えば、これだけの超質量の攻撃を喰らっても、黒贄を殺せなかったと言う事も、今の状況は示している。
四肢は、最早使い物にならない程圧し折れている。此方からは見えないが、胴体を構成する骨盤や肋骨、背骨なども、破壊されているかも知れない。
その程度では、黒贄の行動を封じた事には全くならないのを、鈴仙らは良く知っている。その証拠に――
「メンノラブンブンバ」
あの気の抜ける特徴的な奇声を、黒贄は今も上げ続けているからだ。
やはり、一時的な戦闘不能にすら持ち込めていなかった。ダンテとヴァルゼライドの殺陣を支援するように、弾幕をばら撒きながら、鈴仙は思った。
左手に握った刀で、ダンテの攻撃を防御し、右手の刀で弾幕を全て弾き飛ばすヴァルゼライド。如何なる技倆の持ち主なのか、と鈴仙が唸る。
魔境に達したダンテの剣術と、弾幕勝負に慣れた鈴仙の弾幕配置を、片手間で防御するこの男は、本当に人間なのかと空寒くなる。少なくともこの男の剣理は、人間の定命の範囲で得られるそれでは断じてない。如何なる悪魔に、魂を売ったのか?
「メンノラブンブンバ」
ガリッ、と言う音を鈴仙の優れた聴覚が捉えた。
それは、最早切断した方が痛みが少ないだろうと言う程、ありえない方向に折れ曲がりまくった黒贄の右手指が、要石にめり込み、それを陥没させて行く音だった。
「メンノラブンブンバ」
――瞬間、黒贄は、重さ三百と二十七tにもなる巨岩を、ゴムボールの様に振り回し始めた。
要石に乗った状態の天子は、突如としてそれが振り回される勢いにビックリし、慌てて飛び上がってその様子を見下ろした。
「嘘でしょ!? どんだけデタラメなのよコイツ!!」
鈴仙には想像も出来ないような死線を潜り抜けて来たであろうダンテやヴァルゼライド、ザ・ヒーローにライドウも、戦闘を中断し、
ある種戯画めいた黒贄の信じられない行為を呆然と眺めていた。彼らですらこの有様なのだ、塞や十兵衛、鈴仙などは何が何だか解ってないような表情だった。
だが、現状を見て本当に信じられないような瞳をしているのは、誰ならん天子だ。今の彼女の言葉はきっと、彼女の現在における胸中をこれ以上となく代弁した、嘘偽りのないそれなのだろう。
どんなに低く見積もっても、鬼以上の膂力の持ち主、だとは鈴仙もアタリをつけていた。
だがしかし、これはハッキリ言って異常としか言いようのない腕力だった。怪力乱神と言う言葉でも、限度がある。
世界には、宇宙をその肩に乗せ、永劫の時間を耐えねばならないと言う罰を言い渡され、それをやるだけの力があった巨人の伝承が残っている。
そんな逸話を、鈴仙は思い出してしまった。この男、黒贄礼太郎ならば、或いは? そう思わせるだけの凄味とオーラが、今の彼にはあるのだ。
「メンノラブンブンバ」
数百tの重さの物体を勢いよく振り回した時に発生する大風に煽られ、塞や十兵衛は勿論、ライドウやザ・ヒーローも、体勢を崩して仰向けに倒れ込んだ。
天子の方も、空中での姿勢制御が覚束ない様子であり、浮遊するのも難しいと言った体であった。
振り回した数が二十を超えた辺りで黒贄は、野球に用いる硬球宛らにそれを、ヴァルゼライド達の方向に放り投げた!!
山なりではなく水平に、時速にして八百㎞の速度で一直線にダンテとヴァルゼライドの方に投げ放たれたそれは、道の両脇の塀や、或いは、
まだ無事な状態を保っている建造物を鎧袖一触と言わんばかりに粉砕させて行きながら、二名を殺害せんと迫って行く。
ダンテは、体中の回路を瞬時に組み換えた後、即座に空間転移。岩の軌道上から消え失せ、そう離れてない別所に転移。
投げ放たれた岩の進行ルートに残るのは、後はヴァルゼライドと鈴仙だけ。鈴仙は直に、身体にイビルアンジュレーションを展開させ直す。
これで、三回までは如何なる直接攻撃も、完全に無効化出来る。棒立ちでも問題ない。これで、飛来する要石に直撃するのは、ヴァルゼライドのみとなった。
「おおおぉぉぉッ!!」
ヴァルゼライドは、両腕で握った刀の黄金光を、地上に落ちた太陽の破片宛らに激発させ、雄々しい雄叫びを上げた。
人の声帯が紡げる声ではない、まるで獅子や邪龍が吼えているかのような、凄まじい叫びだった。
着弾まで残り十m程、と言う所で、ヴァルゼライドは左手に握った刀を横薙ぎに振るい、一直線に剣から、黄金色の爆光を亜光速で射出させた。
岩の小山とも言うべき巨大な要石を、爆光は、豆腐に針を刺す様に簡単に貫通――そして要石が、爆光の内包する高エネルギーの循環に耐え切れず、爆発。
大小さまざまな礫が四方八方に飛散、火山弾めいて降り注ぎ、石煙がスモークグレネードの如く朦々と立ち込める。
「メンノラブンブンバ」
天使の昇天めいて遥か上空へと立ち昇って行く石煙を突き破り、黒贄がヴァルゼライドの方へと突進してきた。
膝より下が真横に折れていた脚は、いつの間にか無理やり真っ直ぐに戻されており、その足で黒贄は此方まで、音速を超す程の速度で走って来たのだ。
振り上げられた腕が、ヴァルゼライドの方へと叩き付けられんとしていた。ヴァルゼライドが、吼える。口から血色の口角泡を飛ばし、左手の刀を、
黒贄が振り下ろしている右腕目掛けて振るい、彼の肘より先の腕を斬り飛ばす。返す刀で、黒贄の顎から頭頂部にかけて縦に斬り裂く。
仮面代わりのエナメルバッグが、刀に纏われた光の熱で一瞬で燃えカスも残らず消え失せ、元の端正な顔が露になったと思ったのも束の間。
クレバスの様な黒色の裂け目が、彼の頭に刻まれ、直に、泉の様に赤黒い血液がたばしり出た。
黒贄の頭を斬り裂いたのに使った刀の剣先を、ヴァルゼライドは誰もいない方向に向けた。
誰もいない、と言うのは嘘である。誰の目から見ても何もない、虚空しか広がっていないと思しきその方向には、波長を操る能力で姿を隠匿させた鈴仙が構えているのだ。
そしてヴァルゼライドは、透明化しているにも拘らず、鈴仙の居場所を完璧に、その剣先で指し向けていた。
剣先から、ガンマレイが亜光速と言う視認も反応も不可能な速度で射出される。如何に鈴仙であろうとも、この速度には反応も出来ない。
が、例え回避行動に移らなくても、張り巡らせたイビルアンジュレーションが、三度までなら如何なる攻撃も無効化する。だからこそ、動く必要がなかった。
爆光が、鈴仙の脇腹を貫き、通り過ぎて行く。
いや、貫くと言うよりは寧ろ、透過と言った方が正しいかも知れない。煙か水に棒を突き入れるように、ガンマレイの光は彼女の身体を素通り。
一撃の威力が非常に高い攻撃は、鈴仙を相手にはまるで意味を持たない。直に攻撃に移ろうとした、刹那――脇腹から身体全身に、細胞の一つ一つが鑢に掛けられ、筋繊維の一本一本を丹念に千切って行くような激痛が、彼女の身体に走った。
「ぎ……ぁ……!?」
突如として身体に舞い込んだ激痛に、思わず波長を操る能力を解除、その不様な姿を鈴仙は露にさせた。
瞳と口の端から血を流し、ガンマレイが通り過ぎて行った右脇腹を抑え、彼女は膝を付いている。
身体中を蝕む、病魔にでも掛かったような激痛。皮膚を剥ぎ、露になった皮下組織に塩を練り込んでも、これ程酷い痛みにはなるまい。
鈴仙の身体を包み覆う、今にも身体に火が灯り、鈴仙自体が炎の棒にでも変化してしまいそうな程の極熱。炎の中に飛び込んだとしても、こんな熱は味わえまい。
痛い、痛い、痛い痛い痛い!! 振り切ったと思っていた怯懦の念が、これを封印していた氷の棺が急速に溶けて行き、彼女の心と精神を支配して行く。
ヴァルゼライドの刀から放たれた光は、無効化した筈だ。その証拠に、あの光が左わき腹を通過した際、痛みもなければダメージも全くなかったのだ。
即座に鈴仙は、自分の身体を蝕むこの痛みが、直接相手を殴ったり剣で斬ったりと言った行為で与えられる、直接的なそれではないと理解した。
今自分を苦しめているこの痛みの正体を、自身の波長を操る能力で、悟ってしまった。ヴァルゼライドの放つ黄金光の正体は、『放射能光』。
α線、β線、γ線、中性子線などで構成された放射線を絶えず放射し続ける、死毒の光条。黄金色と言う荘厳な色からは想像もつかない、悪魔の光。
それこそが、ヴァルゼライドの放ったガンマレイの正体だった。無効化出来ない筈である。イビルアンジュレーションが無効化出来るのは、あくまでも直接攻撃のみ。
空気中に散布された毒や放射線汚染区域には無意味なのだ。今のガンマレイの様に特殊な性質の攻撃は、その攻撃の威力こそはゼロに出来るが、
その付随効果は無効化出来ない。ガンマレイ自体の攻撃力を無効化出来ていなければ、今頃鈴仙は塵一つ残らない、文字通り消滅していた。
ヴァルゼライドの放つ黄金光は、埒外の威力と放射線による二段構えの攻撃だったらしい。それを身を以て実感した時には、もう遅い。戦闘の続行すら覚束ない程のダメージと痛みを、負ってしまったからだ。
「アーチャー!!」
立ち上がりながら、塞が叫んだ。
イビルアンジュレーションのカラクリを知っているからこその、この反応だった。無敵の盾ではなかったのか、と言う感情が表情からも簡単に見て取れる。
「メンノラブンブンバ」
ヴァルゼライドが刀に纏わせた光が放射能光であると言うのならば、何故黒贄は、無事なのだ。
腕を斬り飛ばされ、頭を直接その刀で裂かれたにもかかわらず、何故あの気の抜ける声を上げられるのか。
そして何故、心臓を冷たい手で握られたような恐怖感を憶えさせる、絶対零度の冷たさの瞳が特徴的な、あの笑みを浮かべられるのか。
黒贄は全く、放射能光を纏わせたヴァルゼライドの一撃を見舞われても、意に介してすらいないようだった。
腕を死神の振う鎌めいた勢いで振るい、ヴァルゼライドの左脇腹を黒贄は打擲する。
ゴシュッ、と言う音と同時に、ヴァルゼライドの身に纏う黒軍服とマントが消滅し、殴られた部位の筋肉が、黒贄の余りの膂力で千切り飛ばされていた。
三百t以上の超重量の大岩を投げ飛ばす黒贄の腕力で投げられれば、内臓系も骨格も、ただでは済むまい。内臓はぐずぐずになり、骨も粉々の事だろう。
ヴァルゼライドはもうこの時点で、鈴仙以上に戦闘の続行が――不可能、の、筈なのだ。
「まだだァッ!!」
内臓を磨り潰しながら、無理やり声を上げているとしか最早鈴仙達には思えなかった。
有らん限りの力で、黒贄の胴体を、黄金光を纏わせた刀で袈裟懸けにする。その動作に、果たしてヴァルゼライドは如何程の力を込めていたのか。
黒贄ともあろうものが、袈裟懸けの勢いで無理やり地面に俯せに押し倒されてしまったのだ。
「俺を間違いだと言うのなら、俺の心臓を抉り、心根を挫いて見せろ!! 押し通れ!!」
その碧眼から大量の血の涙を流し、口の端から、内臓器官の損傷のひどさを表す程の量の血液を流させて、ヴァルゼライドが叫ぶ。
彼の心は未だ、激しく燃え盛る溶岩を流出させ続ける火山の如し、と言うべき物だった。これだけの肉体的損傷を受けても、全く戦闘を止める気配がない。
寧ろその逆。この場にいる四人のサーヴァント、四人のマスターを全員殺戮し、勝利を得るのは自分だ、と言うような気概で、今のヴァルゼライドは満ち満ちている。
ヴァルゼライドの烈しい心を代弁するかのように、両手で握った刀に纏われた、黄金の光が激発、唸りを上げる。
やはりこの場は、黒贄を除いた三人で、一斉に畳み掛けた方が良いのかも知れない。
ダンテがリベリオンを構える。天子が空中で緋想の剣を取り出した。鈴仙は、体力を振り絞って、放射線に犯された身体に喝を入れ立ち上がる。
「メンノラブンブンバ」
と言い、黒贄が立ちあがりかけたその時だった。
遥か空から、民族衣装に身を包んだ、ライドウが召喚したあの鳥と人の相の子ような悪魔、モーショボーが慌てた様子で主の所に戻って来たのは。
「遠坂凛は見つかったか」
ザ・ヒーローと睨み合いを行いながら、ライドウは、モーショボーに言った。
ヴァルゼライドがガンマレイによって、要石を破壊した時から、ずっとこの調子だった。互いに隙がなく、打ち込めぬ状態、それが続いていた。
モーショボーがやって来て、ライドウと会話しているこの瞬間。これは、隙にはならない。ライドウが隙に見せかけているだけだ。
会話をしていて注意が散漫状態だと思い込み、ライドウに剣を打ち込めば、容易く返す刃で良くて手足、最悪首を持って行かれる。ライドウはそれ程までの技者だった。
「見つけたけど、もっと大変なの見つけちゃった!!」
「何?」
モーショボーの表情は、本当に、焦りと緊張の感情で彩られていた。
悪魔の身であっても、恐怖の念を感じる何かを見て来たらしい。果たして、その正体は。
「『こんとんおー』が近付いて来るの!! お友達の悪魔から聞いてた姿とバッチリ合うから、間違いないよ!!」
「……『混沌王』?」
疑問気にその名をライドウが口にしたその瞬間――世界の風景が、一瞬にして別の物へと塗り替わった。
垂らした大きな暗幕を剥がし、その後ろの風景を露にさせるが如く、それまで見ていた光景が一変。
血肉の香りと、破壊された家屋の数々、そして、ヴァルゼライドのガンマレイの影響で破壊された建造物等が目立つそれが、蕭殺たる荒野の広がるそれへと変貌。
空の色は、終末を思わせるように赤く、ダンテ達を取り囲むように、高さ数百mはあろうかと言う岩の崖(きりぎし)が聳え立っている。
凡そ、彼らから崖までの距離は、三㎞程、戦う分には不足がない程度の広さの空間が、保障されていた。
「異界だと……?」
ザ・ヒーローを睨みながら、ライドウが言葉を続ける。その言葉の意味する所は、鈴仙には解らない。
しかし、ザ・ヒーローを警戒しつつも、自分達を取り巻くように展開された謎の風景にもライドウが気を配っているらしい事が、鈴仙には解る。
そして、燃え盛る剣を手にするザ・ヒーローもまた、その空間の事を具に観察していた。
「な、何よこれ……コレ、固有結界じゃないの……!!」
と、驚いたような表情と声音で、遠坂凛が呟いた。
ライドウに銃弾で撃ち抜かれた部位を今も抑えている。どうやら彼女も、ライドウが言う所の異界に引きずり込まれたらしい。
これで解った事が一つ。この異界を創り上げた存在は間違いなく、遠坂凛の存在を初めから知っていた事。
そして、推論に過ぎないが、高い確率で正鵠を射ているだろう事が一つ。この異界の主は、この場にいる全員を生かして帰さないであろう、と言う事だ。
そして、その異界の主が、姿を見せた。
紫色の稲妻の様な物を伴って、遥かな頭上から急降下、着地。どんなに低く見積もっても五百m程の高さからの着地であると言うのに、その存在は砂粒一つ、
巻き上がらせる事がなかった。凄まじいまでの、身体能力。ダンテやヴァルゼライドと、並ぶかも知れない。
片膝を付いた状態から、その存在は立ち上がり、この場にいる全員を一瞥した。
幾何学的とも、曼荼羅に似たモチーフとも取れる入れ墨を身体中に刻んだ青年だった。
その入れ墨は黒色のラインで、そのラインを緑色に淡く光る発光素子に似た何かが縁取っていた。
背格好は、人間の青年とそれほど変わらない、中肉中背。しかし、地球の奥底で何億年もかけて錬成されたダイヤモンドの如く引き絞られた身体が、
その青年が幾千幾万、事によっては幾億、いや、一兆にも渡る死線を潜り抜けて来たのでは、と言う程の説得力を持たせていた。
使い古されたスニーカーとハーフパンツだけしか身に付けていないと言う、ラフにも程がある、蛮族めいた恰好をしているが――この場にいる全員が。
きっと一目で、この男が蛮族は愚か、サーヴァントと言う括りですら定義して良い存在か悩む事であろう。
そう、悪魔。
完全かつ完璧、純然にして純粋たる死の具現。それが、鈴仙から見た、『人修羅』のイメージだった。
「驚いたな。感動の再開、とでも言うのか? 少年」
いつも飄々とした態度で、何処か余裕を醸し出している雰囲気のダンテにしては珍しく、本当に驚いた表情と空気を一瞬皆に見せた。
旧知の友と十年ぶりに出会ったような、懐かしい再開を楽しむような声音とは裏腹に、鋭い瞳と、其処から放たれる殺意と言う磁力を孕んだ目線は、凄まじい物だった。
何か下手な動きを見せれば、その二丁拳銃が火を噴く。言外せずとも、そんな強い意思が伝わる佇まいだった。
「今はお前と会話している時間はない、『ダンテ』。俺は速やかに仕事を遂行しなければならない」
「SEXの前のフリートークも、後のピロートークも出来ない男はモテないぜ、少年。話してくれても良いじゃないか。神と悪魔の最終戦争は終わったのか?」
「途中さ」
「それなのに、こんな所で油売ってて良いのかよ、ルーラーさんよ」
恐らくはライドウが念話によって、入れ墨の青年、人修羅のクラスをダンテに教えたのだろう。
驚いているのはこの場にいる、ライドウ組やザ・ヒーロー組を除く全員だ。この入れ墨の悪魔が、ルーラー?
笑えない冗談だ。身体から香る破壊と死の気配は、とてもルーラーと言うクラスに適しているとは思えない。
寧ろもっと悍ましい、それこそ、デストロイヤーだったりジェノサイダーだったり、と言うクラスの方が、余程信憑性がある。
「問題ない、俺はルーラーとしての仕事を遂行しに来た」
「ほう、お仕事ってのは?」
「この場にいる全員を葬る」
その言葉の意味を理解した瞬間、ライドウ組、ザ・ヒーロー組、黒贄以外の全員の顔が引き攣った。
葬る、と口にした人修羅の本気の決意もそうだが、それ以上に、全員殺されてしまうと言う何よりも強い予感を、五名は感じ取っていたからだ。
「ハッハッハァ!! 随分と適当な仕事ぶりだな、ルーラーの少年!! アメリカ人だって其処までアバウトじゃないぜ!!」
「俺とて、自分の仕事が大雑把なのは承知の上だ。だが、俺にも俺の事情があるのでな。これ以上帝都を破壊され、NPCも殺されると、俺も後が怖い」
途端に、人修羅の身体に漲って行く、身体が破裂せんばかりの大量の魔力(妖力)。
これを攻撃に転用されるとなると、一溜りも無い。急いで鈴仙は、塞と自身に、イビルアンジュレーションを張り直した。
「お前達が、其処のバーサーカー、黒贄礼太郎を倒す為に戦っていたのは良く解るが、出した被害が多すぎる。これでは俺も、ルーラーとしての権限を振わねばならなくなる」
要するに、鈴仙達は、タイムリミットを余りにも超過し過ぎた、と言う事なのだろう。
黒贄一人葬るのに時間をかけ過ぎた結果、NPCの被害はいたずらに増え、剰えヴァルゼライドの闖入により、被害者数は指数関数的に増加。
もしも、塞が早くに遠坂凛を殺していれば。ダンテの手札を確認しようと言う下心がなければ。もっと違った結末が、あったのかも知れない。
「耐えられるのなら、耐えてみろ。クリストファー・ヴァルゼライドと、黒贄礼太郎は俺が殺す。だがお前達三人は、俺の攻撃を耐え切れれば、罪を不問にしてやろう」
「笑止。我らのみを殺すのであればまだしも、無関係も甚だしいこのサーヴァント共をも殺さねばならないとは、公平さの欠片も無い。器が知れたな、ルーラー」
「お前にとっての公平さとは、罪のないNPCや、悪戯に建造物を破壊する事を言うのか? そのまま返す、器が知れたな、ヴァルゼライド」
「ほざけよッ!!」
言ってヴァルゼライドが、ガンマレイを纏わせた刀を強く握り、放射能を多分に含んだ黄金色の死を放とうとした、その時だった。
彼の身体が、たたらを踏んだ。それは、ヴァルゼライドの技量を肌で実感したダンテは勿論の事、遠巻きにそれを眺めていた遠坂凛以外の全員から見ても、
奇妙な光景であっただろう。果たして、この男程の武錬の持ち主が、よりにもよって地理的不利も何もない場所で、攻撃の失敗などするのか?
よく見たら奇妙なのは、ヴァルゼライドだけではなかった。今までずっと大人しかった、バーサーカー黒贄礼太郎もそうである。
「メンノラブンブンバ」、と口にしながら、彼は俯せの状態から立ち上がろうとするのだが、まるで地面に油でも敷かれ、撒かれているかの如く、
両手足が何かで滑り、立ち上がる事が出来ていない状態なのだ。血で滑っている訳ではない事は、鈴仙の目から見ても明らかだった。
「――俺は『帝都の名代』として、お前達を討つと言った」
其処で人修羅は、低く腰を下ろし、交差させた両腕を、頭の上へと持って来た。
「東京の敵たるお前達を滅ぼす為なら、『公』は、俺に最大の助力を惜しまない。疾く消えろ、都の――いや、世界の敵共め」
其処まで語った瞬間だった。
ライドウが語るところの、異界。遠坂凛が口にしたところの、固有結界。兎に角、世界全体が、直立するのも困難な程の激震に見舞われたのは。
例え空に浮いていた所で、これだけの揺れ。地上を見ようものなら、大地が液の表面の様に揺れまくっているだろうこの光景を見れば、忽ち飛ぶ鳥ですら地に堕ちよう。
激震から十万分の一秒後に生じたのは、亀裂だった。
旱魃の後のような亀裂が、砂地の地面に刻まれて行く。それは一瞬で、ライドウ達が現在直立している所から、彼らの周囲を取り囲む岩崖まで到達。
のみならず、岩崖すらも亀裂は侵食。瞬きするよりも速い速度で、人修羅を中心に生じた亀裂は岩崖を覆い付くし、其処から崖が、悲劇的結末を思わせる勢いで崩れて行く。
そしてその亀裂が、地面だけに走るそれならば、どれだけ良かった事か。その亀裂は、何もない空中の空間にすら、走り始めていた。
空間に一瞬だけ、マジックペンでなぞった様な黒い線が走ったと見るや、音も立てずその黒線が開いて行き、クレバスの様な物を空間に刻んで行くではないか!!
「少年、この攻撃は見た事ある、相当拙い!!」
全てを得心したライドウは、ダンテに何かの下知を飛ばした。
それを受けて、ダンテの右手に、全長にして二m程はあろうかと言う何かが形を成して行き、それを彼は握り始めた。
ザ・ヒーローもヴァルゼライドの方に何かを叫び、それに答え、ヴァルゼライドも動こうとする。
嘗てない程、それこそ、太陽の放つコロナめいた勢いで、彼の握る刀が烈しく光り輝き始めた。
十兵衛が天子に、もう一つの切り札を放てと叫んだ。
「やってみる!!」と叫び、緋想の剣から吹き上がるエネルギーが、噴火の如く強まった。
「なんとかしなさいよ黒贄ぇ!!」、と言う悲痛な叫び声が聞こえて来た。
「メンノラブンブンバ」、黒贄礼太郎はやはり、何かの力が働いているのか、立ち上がれない状態だった。
塞と鈴仙は、堂々と構える事にした。
自分達に展開された、無敵の障壁(イビルアンジュレーション)。それに、万斛の信頼を置く事にしたのだ。
――彼らの慌ただしい様相を嘲笑うかの如く、人修羅が叫んだ。
「――ジャッ!!」
交差させた腕を解いた瞬間、イビルアンジュレーションですら無効化出来ない程の、極熱のエネルギーを内包した何かが、地面と空間から吹き上がって来た。
黒贄と凛、十兵衛は、そのエネルギーの直撃を受け、塵も影も残らず消滅していた。空を飛んでいた天子も切り札を放つ事も許されず、奔流を受け一溜りもなく消滅する。
「まだ……まだああああああぁぁぁぁぁぁ!!」と言う叫びが聞こえて来た。ヴァルゼライドは、エネルギーの奔流を紙一重で回避し続けているが、
直撃を貰ったのか、左腕が肩の付け根の辺りから完全に消滅していた。あれでは消滅するのも時間の問題だろう。ザ・ヒーローは、見えない、何をやっているのか。
噴き上がる超エネルギーを、ダンテは、何かで斬り裂いていた。今まで背負っていた大剣じゃなく、ライドウの命令に呼応するように呼び寄せたあの切り札だろう。
鈴仙が己の思考を保てたのは、八百分の一秒と言う、非常に短い時間だけだった。
今際の際に思ったのは、如何して、『イビルアンジュレーションを破られたのか』、と言う事だけだった。これでは、塞も即死であろう。
最後に彼女が見たのは、人修羅が生み出した亀裂から剥がれ落ちるかの如く、ルビーの様に赤い空が剥離して、青い青い空が見えて行く、と言う幻想的な光景なのだった。
【佐藤十兵衛@喧嘩商売、喧嘩稼業 消滅】
【比那名居天子@東方Projectシリーズ 消滅】
【塞@エヌアイン完全世界 消滅】
【鈴仙・優曇華院・イナバ@東方Projectシリーズ 消滅】
【遠坂凛@Fate/stay night 消滅】
【黒贄礼太郎@殺人鬼探偵 消滅】
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「……て言う、未来だったわけ、か」
コクコクと、鈴仙が頷いた。
突然寒い所に放り出された時の様に、彼女はブルブルと震えていた。流石に、自分のサーヴァントがこんな様子なのは、正直見ていて塞としても痛々しかった。
「まぁ、その。何だ。アーチャーの持ち帰った情報は凄い有益だったから、それで溜飲を――」
「下げられないわよっ!! 凄く怖かったんだからぁ!!」
涙目で鈴仙が叫ぶ。サーヴァントの身である鈴仙ですら、こんな調子。塞としては狼狽する他ない。一体、どんな恐ろしい未来だったと言うのか。
十分に渡り、鈴仙の口から、紺珠の薬で観測した未来を聞き終えていた。
観測した時間の設定は、今日の11:45分〜12時を回るか回らないかと言う時間。この時間に、黒贄とライドウ組、十兵衛組と共に自分達も戦う。
今回観測した未来とは即ち、そう言う設定であったと言う事だ。観測した未来の中での話だが、当初は黒贄礼太郎の抹殺だけを目的としていたのに、
黒贄は何故か『死なず』、モタモタしている内に、ヴァルゼライドと名乗るバーサーカーが乱入。戦況は混迷を極め、騒ぎを聞き付けたのだろう。
最終的にルーラーが一同を謎の閉鎖空間へと閉じ込め、全員を一網打尽に――と言うのが、紺珠の薬で観測した未来のあらましだ。
鈴仙が此処まで怯えているのは、自分が成す術もなく殺された事も、確かにある。
だが本当に大きいのは、無敵の盾たるイビルアンジュレーションが、さしたる意味を持たない相手が、よりにもよってこの<新宿>に二人もいると言う事だ。
一人はルーラーと言う、余程の事がなければ敵対しない相手であるから、事実上無視しても良いが、もう一人はそうも行かない。
バーサーカー、ヴァルゼライドは狂犬などと言うレベルではない、狂える獅子であり、怒れる竜である。自身の勝利の為ならば、どんな破壊も厭わない、
ある意味黒贄と同じ程に吹っ切れたサーヴァントだ。今後はあのサーヴァントとも敵対せねばならないと思うと、頭が痛くなるし、胸も締め付けられてくる。
再び、背中を氷で出来た蛭が這うような恐ろしさを、鈴仙は感じる。
自身のイビルアンジュレーションなど、知らぬ、とでも言わんばかりに無視し、自分と塞を葬った、あの恐ろしいルーラーの一撃。
文字通りアレは、桁の違う怪物だった。聖杯戦争の統治者(ルーラー)の名に違わぬ、正しく圧倒的な戦闘力。あれは、敵対してはならない相手だと、骨の髄まで鈴仙は教え込まれたのだった。
「兎に角、アーチャー。お前さんが持ち帰った情報を、整理するとしよう」
そう言って塞は、紙とペンを取りだしメモの体勢を取った。
英国が誇る、イギリス情報局の凄腕のエージェントが、アナログでメモを、と思われるが、塞からしたらそれは違う。
蛇の道は蛇、競合する同業者がいた場合、デジタルに格納された情報は、傍受の危険性に付き纏われる。アナログで格納された情報には、その危険性がない。
前時代的な手法と、現代的な手法の二つを適宜使い分けられる。それこそが、塞が言う所の、プロなのである。
「先ず一番重要なのが、遠坂凛の主従についてだな。お前さんの話を聞くに、黒贄礼太郎は――」
「……えぇ。『死んでも復活する』」
塞にとっては、俄かに信じ難い事だった。鈴仙からその概要を聞いていた時、真っ先に頭を過った単語は、『不老不死』だ。
嘗て塞の関わった、ペルフェクティ教団及びゲゼルシャフトに纏わる事件においても、槍玉に上がった事はないが、この不老不死と言う概念は裏で強く糸を引いていた。
事実上の、上の事件の黒幕とも言うべきムラクモ、及び完全者と名乗る中世の魔女は、寿命と言う問題を真っ先にクリアせねばならない課題として設定していた。
ムラクモは、自身と全く同じ身体能力と肉体年齢のスペアのクローンを用意、死ぬ度に自身の魂をそのクローンに固着させる事で、寿命の問題をクリアしようとしていた。
完全者と言う少女の方は、転生の法と言う、死に瀕した際、赤の他人の身体を乗っ取り続ける事で、寿命の問題をクリアした。
これらの事例からも解る通り、彼らであろうとも、寿命の問題をクリアするには、魔術、それも、その道においても極めて高度な術法に頼らねばならなかった程だ。
話を聞くに、黒贄のそれは、塞の見聞した不老不死の方法と、全く毛色が違うような気がしてならない。
心臓を抉られ、大脳を破壊され、内臓器官の殆どを磨り潰されても、戦闘を続行しようとし、完全に消滅させたら五体満足で復活を遂げる。
話を聞くだけならば、戯画的で、人を小馬鹿にした様なシュールな内容であるが、それがよりにもよって自身のサーヴァントである鈴仙から聞かされた事実だ。成程、冷静に考えれば、彼女が恐れるのも解る。こんな存在が<新宿>に犇めいていたなど、ゾッとしない話だ。
そして、黒贄の不死の正体を、自身の知識の蓄積から、勝手に類推。そして、震えているのが鈴仙だった。黒贄のあの復活方法、見覚えがあるのだ。
自身の師である八意永琳が生み出した、禁断の薬。その存在の本体や、意思の宿る所在を肉体ではなく、永劫不滅の存在である魂に設定する神薬。
魂の物質化――第三魔法――を服用者に成す、神代の時代においても奇跡の中の奇跡、秘中の秘。蓬莱の薬を服用した者の復活法にそっくりなのだ。
あの薬を服用した人間は、八意永琳、蓬莱山輝夜、藤原妹紅の他には存在しない。故に黒贄がそれを服用していたと言う事実は、ありえない。
では何故あの男が、完全かつ完璧な状態で復活出来たのか。考えたくないが、これ以外に導き出せる結論がない。
――つまり、黒贄礼太郎は蓬莱の薬も服用せず、最悪生まれた時から理由もなしに、魂の物質化が予め成されていた、正真正銘の不老不死のサーヴァント。
と言う事だ。無論鈴仙にしてもこの推論は行き過ぎで、懐疑的ではあるが、もしも本当にそうであったのならば……!!
これ以上は、考えない事にした。黒贄をどれだけ攻撃しても、暖簾に腕押し糠に釘と言うのならば、今度こそマスターのみを狙って攻撃すれば良いのだから。
「例え不老不死だろうが、幸いにも聖杯戦争ってのは、マスターを殺せばその時点でサーヴァントも生きられない。次は、遠坂の嬢ちゃんを葬れば良いだけだろう? 向こうは、アーチャーの話を聞くに、魔術の類も使えたようだからな」
「えぇ。先んじてその事実を知れたのは、本当に大きいと思う。最大限利用しなきゃね」
塞の今言った事柄も、鈴仙の面食らった事実の一つである。
まさか、今の今までバーサーカーを運悪く召喚した、一般人の少女だと思っていた遠坂凛が、その実魔術の道に通暁した少女だとは、思っても見なかったのだ。
不意打ちの魔術は、それこそ初見に限り凄まじいアドバンテージを誇るだろう。何せこの<新宿>にいる聖杯戦争の参加者の殆どが、遠坂凛は無力な女の子、と言う認識だ。
無力な少女だと言うバイアスを最大限利用すれば、運が良ければ遥か格上の主従ですら葬れた事だろう。
そのアドバンテージは最早、遠坂凛にはない。何故ならば、紺珠の薬で鈴仙達が、その事実を観測してしまったが故に。
「さて、問題の、ライドウ達についてだが……」
ペンを手帳に走らせていた塞。これから口頭で述べる事柄を、頭の中で組み立てているらしい。
「先ず一つ。あの紅色のコートを纏ったセイバーの真名が、『ダンテ』であると言う事。そしてもう一つが、ライドウ自身も、凄まじく強いと言う事。纏めると、到底俺達が真正面から戦って、勝てる主従じゃないと言う訳だな」
「不服?」
「そう言う事もあるさ」
ライドウの主従は、正直言って<新宿>の聖杯戦争参加者の中に於いても、最上位の強さを誇る一角であろう。
ダンテ自身の臨機応変の極みとも言うべき、魔人の如き強さも然る事ながら、彼を操るライドウの圧倒的な才能。
悪魔使役の天稟、サーヴァントに的確な指示を飛ばすマスターとしての才覚、ライドウ自身の桁違いの身体能力、そして、帝都の守護の為ならば非情にもなれる精神性。
ライドウの戦闘の様相を実際に目の当たりにした訳ではないが、紺珠の薬で観測した未来の話を鈴仙から聞くだけも、ライドウ自身も異常な強さである事が解る。
「それで、鈴仙。お前の率直な意見を聞きたいが、ダンテはお前の観測した未来の中で、全力を出してたか?」
「断言しても良いわ、出してない」
紺珠の薬で見た未来で、特に鈴仙が気を配ったのは、ダンテの戦いぶりだ。
魔圏の域にある剣術、己の手足の様に拳銃を操るその銃捌き、身体中の魔力回路を瞬時に操って状況に適した戦い方を選ぶ反射神経及び状況に対する適応能力。
どれもこれもが、一流の域にあるサーヴァント。しかし、鈴仙から見ても明らかな程、ダンテはまだまだ全力を出していないと言う様子だった。
自身の魔力回路を操ると言うあの技能が、そもそも宝具なのだろうか。そして、あのルーラー、人修羅が最後に放ったあの高エネルギーを斬り裂いていた、
長大な剣状の何かの正体は? まさに謎が謎を呼ぶ。結局の所、一番塞と鈴仙が望んでいた情報についてが、一番不明瞭なのだ。非常に気持ちが悪かった。
そして、気持ちが悪いと言えば、もう一つ。
「明らかに、ルーラーと関係の深いサーヴァントだったんだよな、ダンテは」
「えぇ」
あの時、ルーラー、人修羅と、旧知の間柄の様に会話をしていたのは、誰ならんダンテその人だった。
明らかに彼らは、サーヴァントとして呼ばれる以前、即ち生前から面識があったとしか思えない程、打ち解けて話していたのだ。
ダンテと人修羅の関係性。これが、解らない。彼らの語っていた、『神と悪魔の最終戦争』とは、一体何なのか?
乳白色の濃い霧の中に、突如として放り出されたかの如く、推理の到達点や中継点が見当たらない。これが、塞達には非常に気持ちが悪かった。
「どちらにしても、ルーラーとダンテの関係性は、直接あいつらには聞けないだろう。ライドウもダンテも、勘が良いし切れ者だ。紺珠の薬の勘付かれ、知られちまったら全く笑えない」
「そうね」
極めて不服だが、ダンテと人修羅の関係性は、胸中に秘めておく事にした塞と鈴仙。
紺珠の薬は、疑いようもない鈴仙の切り札。彼女は容易にそれを切りたがらないが、切り札の名に違わぬ程の、凄まじい能力をその薬は持つ。
この薬が他者に露見してしまえば、如何なる事か。この薬は鈴仙だけしか服用出来ぬわけでなく、鈴仙以外のマスターやサーヴァント、それに、
NPCにですら使用可能なのだ。未来を観測出来る、と言うアドバンテージを獲得する為に、複数のサーヴァント達から袋叩きにされるなど、御免蒙る。
故に、紺珠の薬は塞達にとってはトップシークレット。それこそ、命の次に守り通さねばならぬ、重要な情報と言う訳だ。
「まぁ、ライドウ達に関しては、ダンテ、と言う真名のサーヴァントを操る、と言うだけでも良しとするかね」
「えぇ、何に活用出来るかは、後で考えましょ」
「おう。んで次は、天子と十兵衛の方だが……」
「彼らは、いつも通りだったわ。あの我儘お嬢様の戦い方も、私の予測出来た範囲内だったし、十兵衛自身も、機転に富んでる、とは言えないわね」
「大方の予想通り、か。まぁ、話を聞く限り、俺達ですら余り気の利いた事は出来なかったみたいなんだ。十兵衛のガキを攻めるのも、酷かも知れないがな」
三人で黒贄を叩く、と言うのならばまだ活躍の余地があったろうが、二正面作戦。
それに、黒贄に勝るとも劣らぬ強さのバーサーカーが乱入して来たとあれば、誰だって混乱するであろう。
とは言え、此処で混乱するようなら、やはり塞の思った通り、十兵衛は適度に頭のまわる無能であったようだ。
「さて、次は、突如現れたバーサーカー……ヴァルゼライド、だったか?」
「えぇ」
正味の話、鈴仙としてはこのサーヴァントの乱入が、一番予想外だった。
黒贄と同じバーサーカー、しかも言葉を発せるが意思の疎通が全く出来ない。そして何よりも、ダンテと真っ向から渡り合っても遜色のない戦闘の練度の持ち主。
もしも彼がいなければ、観測した未来の中で、鈴仙達は死ぬ事はなかったであろう。この男が散々暴れたせいで、ルーラーが赴いて来た可能性が高いからだ。
「アーチャーの話を聞くに、このバーサーカーは、圧倒的なまでの武術の冴えを持ち、凄まじい威力を誇る、凄まじい量の放射能を内包した光芒を放つ事が出来、しかも放射能は残留する。そんな物を、ところ構わず、自身の勝利の為に撃ち放つサーヴァント、と」
「まぁ纏めると、そう言う事になるわね」
「馬鹿なんだな」
「そうとしか言いようがないでしょ」
要するに、比那名居天子と言うセイバーの性格を、百億倍ぐらいタチの悪いそれにした様な性格の持ち主。
それが、クリストファー・ヴァルゼライドと言うサーヴァントなのだ。死んでも関わりたくないと、塞も鈴仙も思うのだった。
しかもこれで強いのだから始末に負えない。勝手に自滅してくれる事を、切に祈るだけだ。
「自滅を祈ろうにも……よりにもよってこの馬鹿のマスターも、ライドウ並に強いと来てる。下手したらしぶとく生き残るかもな」
ライドウの呼び寄せた強壮な悪魔との二対一の戦いでも、ヴァルゼライドのマスター、ザ・ヒーローは一歩も引かない所か、互角に渡り合っていたと来ている。
それに、鈴仙をサーヴァントと解っていながら、観測した未来の中で、彼が鈴仙目掛けて猛進していた場面を、彼女は思い出す。
つまり、サーヴァントと互角に渡り合えるだけの力量を、自分は持っていると言う自信があの男にはあるのだ。
そしてそれが、伊達でも大法螺でもない事を、彼女は知っている。事によってはあの主従は、しぶとく生き残り、ライドウとダンテに並ぶある種のダークホースの一組となるかも知れない。
「この主従、気になるのは、アーチャーが観測した未来よりも以前に、明らかに『ルーラーと揉め事を起こした』ようなやり取りがあったって、お前が言ってた事何だがな」
「あの二人に何があったかまでは、流石の私も解らないわ。紺珠の薬は、過去を観測する力がないもの。でも確実に、一悶着あったのは確実ね」
「大方、あの性格が災いしたんだろう。あれだけところ構わず派手に喧嘩をおっぱじめるような奴だ。ルーラーとしても、放置出来なかったんだろう」
こんな冗談みたいな推論が、一番事実に近しいと思ってしまう辺り、正に冗談の様な主従だ。
警戒をせねばならない主従になるだろう。そして、どうやって彼らを攻略するかも、並行して考えねばならない。
「さて……紺珠の薬で見た、ルーラーについて、何だが」
「……少なくとも、人間じゃないわ。妖怪でもない、況してや天使や神霊ですらない」
「じゃあ、何だと言うんだ?」
「解らない、と言うのが本当の話。でもどんなに甘く見積もっても、神霊に並ぶ程の強さを誇る化物なのは変わりないわ。本体で召喚されなかったのが唯一の救いだけど、そんなの私達も同じだから、何が弱点だ、って話になるけれど」
あの時、鈴仙は、ルーラー・人修羅の波長を解析していた。結果は、彼女ですら今まで見た事のない、初めてお目に掛かる波長だった。余りにも安定しないのだ。
しかし、安定しないと言っても、精神の波長は恐ろしく安定していた。その安定性は、ライドウや、ヴァルゼライドのマスターであるザ・ヒーローのそれに近い。
安定していないのはそれでなく、存在を存在足らしめる独自の波長である。波長が突然濃くなる事もあれば、薄くなる事もあり、突如長くなれば短くもなる。
酷く、『混沌』とした波長だった。余りにも特徴的過ぎて、間違えようのない波長だが、それが、鈴仙には酷く不気味なのだった。
「あのルーラーは、恐ろしい戦闘能力を持っている事もそうだけど、此方の真名を自動的に看破出来る何かを持っていたわ」
「まぁ、ルーラー、だからな。要するに特権だろう」
塞の言う通り、人修羅に備わる真名の看破能力は、恐らくはルーラーとして滞りなく聖杯戦争を運営する為の、便利な特権か何かなのだろう。
何れにしても、人修羅のこの能力のおかげで、鈴仙はダンテとヴァルゼライド、二名の真名を知る事が出来たのだ。この辺りは、ルーラー様様、と言うべきか。
「これはあくまでも私の推測だけど……あのルーラーの口ぶりを考えるに、彼は、『帝都の守護』を最大の仕事としているように見えたわ」
「黒贄とヴァルゼライドに、帝都の名代としてお前達を殺す、と言ったんだったな。ライドウみたいな奴だな、職務に忠実な事で」
「恐らく、だけど……ルーラー自体は、余程此方が<新宿>に危害を及ぼさない限り、特に無視しても構わない、貴方の聖杯奪還の障害にならない存在じゃないのかしら」
「それを考えるのは時期尚早かも知れないが……どちらにしても、悪戯にNPCや建造物に被害を出させて、ルーラーの目の敵にされるのは避けたい所だな」
鈴仙からその強さを知らされた今では、猶更そうである。
「どちらにしても、ルーラーとは絶対に敵対しない方が良い、と言う事だけは事実だな。相手が<新宿>の保護に努めてるのなら尚の事だ。なるべく事を荒立てず、ルーラーにマークもされないよう、勝ち残る必要がある」
「難儀ねぇ」
「全くだ」
今後ますます、<新宿>での聖杯戦争が激化していくのは、誰の目から見ても避けられない事柄だ。
NPCや建造物に、被害を出さずに戦闘を行うなど、不可能に近くなってくるだろう。何せ、一日目の時点で、既に目立っている主従が幾つもいるのだから。
そう言った、ルーラーの設定するタブーを犯さず、聖杯まで向かうとなると、命が幾つあっても足りない。結局、塞と鈴仙には、幸運に恵まれるよう、祈るしか出来ないわけだ。
「さしあたって、紺珠の薬で観測出来た未来は、こんな所、か」
「えぇ。……所で、メフィスト病院に纏わる話題についてだけど」
鈴仙が話題を変える。
メフィスト病院に纏わる新情報を鈴仙に提供するか、紺珠の薬で鈴仙が未来を観測する。このどちらかを先に行うか、彼らはコイントスで決め、結果、鈴仙の方が先に紺珠の薬を服用する、と言うババを引いてしまったのである。
「あぁ。此処を張らせていた使い走りが、この病院へと向かうジョナサン・ジョースターを確認したらしい。右腕の肘から先がない少女も連れて、だ」
「貴方はどう見てる訳?」
「言うまでもなく怪しいだろ。十兵衛の話を聞くに、お人好しな性格をしてるらしいから、ただのNPCを保護しただけかも知れんが、それなら、メフィスト病院に連れて行く理由が説明出来ない」
メフィスト病院が怪しい事など、最早聖杯戦争に参加した主従であれば周知の事実、暗黙の了解であろう。
此処がサーヴァントの根城である事は疑いようもないが、仮にその右腕が欠損した少女がNPCであったとして、そんな所に無策で、NPCを連れて行くなど正気を疑う。
恐らくはこの病院が、どんな病気や怪我でも治すと評判高いから、頼り、縋ってみたのだろう。それにしたって、腕の欠損など、それこそ腕を再生でもさせない限りは、不可能としか思えないが。
「それで、マスター。貴方としてはメフィスト病院、どう付き合っていくつもり?」
「今までは敢えてスルーを決め込んで来たが……ここいらで、コンタクトを取ってみるのも、吝かじゃないかもな」
其処で塞は押し黙り、鈴仙の方に目線を投げた。
何故沈黙した状態で此方を見るのかと思った彼女だったが――直に、その理由を悟った。
「れ、連発はいやよ!!」
「解ってる。正直な所、結構紺珠の薬って奴は魔力を持ってかれる。連発が苦しいのはアンタだけじゃないのさ。だから、たまには自分の脚で、情報を集めなきゃならんらしい」
紺珠の薬は、あり得た未来をノーリスクで観測出来ると言う凄まじい宝具ではあるが、その効能に見合った魔力が、当然塞から徴収される。
紺珠の薬で未来を観測し過ぎて、戦えない程魔力を消費してしまう。こんな間抜けな事態は避けたい。故に此処からは、自分の脚で情報を集めなければならない。塞はすっくとクラブチェアから立ち上がり、サングラスの位置を整えた
「出るぜアーチャー。援護は任せた」
「了解」
其処で鈴仙も立ち上がり、髪をふわり、と掻き揚げた。
向かう先は、メフィスト病院。サーヴァントの腹中、魔人の巣窟。――白き美魔の、恐るべき魔城。
【西新宿方面/京王プラザホテルの一室/1日目 午前10:40】
【塞@エヌアイン完全世界】
[状態]健康、魔力消費(中)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]黒いスーツとサングラス
[道具]集めた情報の入ったノートPC、<新宿>の地図
[所持金]あらかじめ持ち込んでいた大金の残り(まだ賄賂をできる程度には残っている)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を獲り、イギリス情報局へ持ち帰る
1.無益な戦闘はせず、情報収集に徹する
2.集めた情報や噂を調査し、マスターをあぶり出す
3.『紺珠の薬』を利用して敵サーヴァントの情報を一方的に収集する
4.鈴仙とのコンタクトはできる限り念話で行う
5.正午までに、討伐令が出ている組の誰を狙うか決める
[備考]
・拠点は西新宿方面の京王プラザホテルの一室です。
・<新宿>に関するありとあらゆる分野の情報を手に入れています(地理歴史、下水道の所在、裏社会の事情に天気情報など)
・<新宿>のあらゆる噂を把握しています
・<新宿>のメディア関係に介入しようとして失敗した何者かについて、心当たりがあるようです
・警察と新宿区役所に協力者がおり、そこから市民の知り得ない事件の詳細や、マスターと思しき人物の個人情報を得ています
・その他、聞き込みなどの調査によってマスターと思しき人物にある程度目星をつけています。ジョナサンと佐藤以外の人物を把握しているかは後続の書き手にお任せします
・バーサーカー(黒贄礼太郎)を確認、真名を把握しました。また、彼が凄まじいまでの戦闘続行能力と、不死に近しい生命力の持ち主である事も知りました
・遠坂凛が魔術師である事を知りました
・ ザ・ヒーローとバーサーカー(ヴァルゼライド)の存在を認識しました
・セリュー・ユビキタスの主従の拠点の情報を警察内部から得ています
・<新宿>の全ての中高生について、欠席者および体のどこかに痣があるのを確認された生徒の情報を十兵衛から得ています
・<新宿>二丁目の辺りで、サーヴァント達が交戦していた事を把握しました
・佐藤十兵衛の主従と遭遇。セイバー(比那名居天子)の真名を把握しました。そして、そのスキルや強さも把握しました
・葛葉ライドウの主従と遭遇。佐藤十兵衛の主従と共に、共闘体制をとりました
・セイバー(ダンテ)と、バーサーカー(ヴァルゼライド)の真名を把握しました
・ルーラー(人修羅)の存在を認識しました。また、ルーラーはこちらから害を加えない限り、聖杯奪還に支障のない相手だと、朧げに認識しています
【アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)@東方project】
[状態]魔力消費(中)、若干の恐怖
[装備]黒のパンツスーツとサングラス
[道具]ルナティックガン及び自身の能力で生成する弾幕、『紺珠の薬』
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:サーヴァントとしての仕事を果たす
1.塞の指示に従って情報を集める
2.『紺珠の薬』はあまり使いたくないんだけど!!!!!!!!!!!!
3.黒贄礼太郎は恐ろしいサーヴァント
4.つらい。それはとても
[備考]
・念話の有効範囲は約2kmです(だいたい1エリアをまたぐ程度)
・未来視によりバーサーカー(黒贄礼太郎)を交戦、真名を把握しました。また、彼が凄まじいまでの戦闘続行能力と、不死に近しい生命力の持ち主である事も知りました
・遠坂凛が魔術師である事を知りました
・ ザ・ヒーローとバーサーカー(ヴァルゼライド)の存在を認識しました
・この聖杯戦争に同郷の出身がいる事に、動揺を隠せません
・セイバー(ダンテ)と、バーサーカー(ヴァルゼライド)の真名を把握しました
・ルーラー(人修羅)の存在を認識しました。また、ルーラーはこちらから害を加えない限り、聖杯奪還に支障のない相手だと、朧げに認識しています
・ダンテの宝具、魔剣・スパーダを一瞬だけ確認しました
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「では、次のお便り。トットお姉さんこんにちは、は〜いこんにちは〜。実は私、夫が大事にしているマグカップを洗っている時にうっかり割ってしまいました。トットお姉さん、何か言い謝り方はありませんか? うーん、成程ね〜――」
「まぁルーラー。謝り方を教えて下さるようですよ。将門公に謝罪する時のシミュレーションと思って、聞いてみたらどうでしょう?」
眉間に皺を作りながら、何かを考えていた人修羅が、ジトついた瞳で、エリザベスの事を睨んだ。
「……お前ひょっとして、意外と地雷踏んだり、空気読まなかったりするタイプだろ」
「はて、私はそうは思っておりませんが?」
これ以上話しても無駄だと思った人修羅は、再び考えると言う作業に没頭した。ラジオからは、寧ろ将門公の怒りを買いかねない謝り方を、トット姉さんが披露していた。
時刻は十一時。黒贄の大量殺戮や、ジャバウォックの破壊劇をどう言い繕うか考えている人修羅だったが。
この後三十分後に、クリストファー・ヴァルゼライドが病院にやって来て、人修羅に胃痛の種を撒いて行くのを、彼はまだ知らない。
投下を終了します
投下乙です
放射能って、波長を操ればどうにかできるんかね?
投下乙です
まだだっ!てもう宝具で良い気がして来た
葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)
ウェス・ブルーマリン&セイバー(シャドームーン)
ある悪魔
予約します
投下いたします
歌舞伎町。
其処は、アジアで最も栄えている都市と言っても過言ではない、東京は<新宿>の中に於いて、一番の歓楽街とすら謳われる街である。
つまりは、世界を探しても、この街を越える程の歓楽街は、滅多な事ではない、と言う事を意味する。
面積は僅か、四百m四方しかこの街には無い。箱庭である。大の大人が十分も歩けば、それこそ街の端から端まで移動出来てしまうと言う狭い街だ。
そんな小さいこの街の中に、二千を超える程の飲食店が操業、数万人を超す人物が働いているのだ。
無論、それだけがこの街の顔じゃない。夜になれば目に痛いネオンがギラつき、雑踏の濃さは昼の数倍にも達する。
夜にもなればキャバクラやホスト、風俗やソープ、性感マッサージの店が本格的に店を開け、歌舞伎町のもう一つの顔。
五十を優に超える程の『組』がシノギを削り、外国のマフィアすらもが彷徨い歩く、欲望と獣欲が闊歩する街へと様変わりするのである。
歌舞伎町が危険な街と言うイメージは、最早払拭のしようもない事実であるが、それでもやはり、治安の方は一昔前に比べれば遥かに良くなった方だ。
危ない街と言っても、今では<新宿>の警察組織もこの街を重点的にパトロールしているし、表通りを歩いてさえいれば、変なトラブルは避けられる。
況してや今は、陽も明るい午前十一時を過ぎた辺り。夜型の人間が多い、暴力団員や水商売関係者は、今は余り見られないと言っても良い。
そう、今の時間は、この街は平和な筈なのだ。――それなのに、道行く人間の顔つきは、何処か妙な物だった。何かに不安を感じ、その不安について消して小さからぬ懸念を抱いている、と言うべきか。兎に角、そんなイメージを見る者に与える顔付きだった。
<新宿>二丁目で起った、怪物と人間との戦いから、既に三時間は経過している。
怪物、つまりバーサーカー・高槻涼と、人間、アーチャーのジョニィとモデルマンのアレックス二組との戦いの影響で、<新宿>の一部の道路は、封鎖の憂き目に遭っている。
彼らが破壊した道路の再舗装もそうである、事件捜査の為の警察組織の介入もそうである。だが、一番の問題は自動車の撤去だった。
運転主が自らの安全の確保の為に乗り捨てて行った自動車、三人のサーヴァントとの戦いで二丁目に遺された自動車の撤去及び別所への移動が、現在進行形で進んでいるのだ。
十全の状態を保っている車は、身元確認をしてから元の持ち主の所へ、破壊されたが辛うじてナンバーが残っているものは、持ち主に報告。
自動車保険に入っている者は、加入している保険会社へと連絡。ナンバーの把握も出来ない程完全に破壊された車は最早どうしようもないので、
仕方がないので道路に散らばる鉄屑やガソリンを除去、元の道路の状態に戻させる。こんな作業がずっと、高槻涼が暴れたあの交差点で行われている。
当然交通の便は不便を極まる状態となっており、重い軽いを問わず、<新宿>内は愚か、近隣の区ですら渋滞が発生している程だった。
渋滞から来る苛々が、人々を不安にしているのか? それとも、街で暴れた高槻涼や、今も何処かで跋扈していると言う黒礼服の殺人鬼の影に怯えているのか?
――それらをひっくるめた、全てに、疑心と不安を、抱いている。これが、正解なのであろう。
老いも若いも、男も女も、正業に就いている者も人に言えぬ仕事に就いている者も。皆、<新宿>を取り巻く不穏な空気を、感じ取っているに違いない
今この街は、何かがおかしいと。空に浮かぶ夏の太陽の表面に、黒い髑髏が哂っている訳ではない。コンクリートのジャングルが、壊されている訳でもない。
悪魔が肩で風を切り、死人が立ち歩いている訳でもない。空から見ても地から見ても、この街は<新宿>だ。だが確かに、此処に住み、此処で活動をしている人間には解るのだ。この街が今や、魔界になってしまったと言う事を。
そんな<新宿>の不安など、我知らぬと言った顔で歩く男がいた。
紫色のスーツと黒いワイシャツでバッチリと決めた黒髪の男だった。薄く不敵な微笑みを浮かべるその顔つきは、驚く程整っている。
成績の悪いホステスやホストがしているような整形のそれではなく、持って生まれた顔付きであると解る。美の神は、この男に対して少なからぬ贔屓をしているようであった。
姿形だけを見れば、ビジネスマンの様な印象を見る者に与えるが、身体から発散されるそれは、明らかにジゴロや『ヒモ』のそれだった。つまり、遊び人だ。
歌舞伎町の飲食街を歩くその男は高槻達の起こした騒動など、何処吹く風と言わんばかりに、街を肩で風切って歩いている。
昼の時間になると、調子の良い中国人や黒人の、片言の客引きがいなくて、実にスムーズに歩く事が出来る。その分この街の素顔を楽しめないのが、難点ではあるが。
笑顔を浮かべながら歩く男が、二人組の女子大生の姿を認めた。恐らくは歌舞伎町と言う土地柄を考えるに、W大学の生徒だろう。
大学生らしい、少しおしゃれとファッションを齧りましたと言うような服装と、大学生になってから覚えたであろう、それ程上手いとは言えない化粧。
彼女ら二人の姿を見た時、ふっ、と遊び人風の男は笑みを零し、二人に近付いた。
「やぁ、そこのかわいこちゃん達、講義はサボりかなぁ?」
いかにもな猫撫で声をあげ、男は声を掛けた。ナンパである。男の声に反応し、二人が振り返った。
「駄目だなぁ、君達みたいな真面目そうな娘が、授業にも出ないで遊んでちゃぁ」
「やだ」、と言って女子大生の一人が笑った。掴みとファーストインプレッションは、良かったらしい。
そもそも男の顔が良いのだ。余程下手な事を言わないか、相手方が相当身持ちの良い人物でない限り、この男のナンパは、成功する。
「サボりじゃないですよお兄さん、ちゃんと友達に代返頼んでますから」
「おやおや、イケない娘だね〜。代わりにノートも取って貰ってるんだろう?」
「あ、わかる〜? ちょっと優しくするとその気になっちゃう根暗な男でさ〜、扱いやすいの」
成程、典型的な、入ってから急速に頭の悪くなった学生と言うべき態度と話し方だった。
尤も、遊び人は代返とノート代筆を頼まれた男については同情しない。断らない、本質を見極められないそいつが悪いと、結論付けた。
「どうかなスウィートハニー達、これから僕とお茶でもしない?」
「え〜、どうする〜?」
と、二人は顔を合わせる。
男を信用していません、と言うような解りやすい態度だったが、浮かべている笑みは、『脈あり』、と言うべきものだった。
「お兄さんお金とかあるんですかぁ? 私達一杯飲んじゃったり食べますよ〜」
「おいおい、僕がお金に困ってる風な男に見えるのかい? 君達二人と結婚して養えるぐらいのお金はあるんだぜ?」
「え〜、どうする? 養って貰っちゃう?」
「其処は話しながら決めちゃう事でしょ。お兄さん、私、フルーツバー・シュガー・マウンテンだったらお話弾むんだけどな〜」
その店は、男も知っている。二年前にオープンした新進気鋭のフルーツバーだ。
自分の所で経営している果樹園からフルーツを取り寄せ、それをパフェにしたりケーキにしたり、ミックスジュースにして販売したり、
或いは果実そのものを店舗の果実販売コーナーで購入出来るようにしたり、と言った形で利益を上げている店である。今ではタカノフルーツパーラーと並ぶ、<新宿>でも有名な果物の専門店だった。
「オーケーオーケー。全くしょうがない女の子達だなぁ、それじゃあ行こうか」
「はーい、それじゃ――」
「……あー、ごめんねぇ可愛いベイビー達。予定が入っちゃったから今日はおあずけだなぁ」
一瞬だけ、化粧が台無しになるレベルの間抜け面を作る女性二人であったが、言葉の意味を理解するや、直に、信じられないような顔を浮かべた。
「は、はぁ!? 何よそれ、信じられない!!」
一言二言の会話だけで、少し頭が軽めと言う事が解る人間ではあるものの、こと今回に関しては、理は彼女達の方にあるかも知れない。
男の方から誘っておいて、しかも、誰の目から見ても明らかな嘘を吐いて、いきなり前言を翻したのである。
携帯電話を取り出して、会話するフリも、会話アプリを用いるフリすらも、男は見せない。誰が見たって、女達をからかう為に声を掛けたとしか思われないだろう。
「ごめんごめん、大事な用事なんだよ、埋め合わせはするからさ。それじゃあね」
と言って男は、早歩きで、二人の女子大生を置き去りにし、この場から去って行く。
男の後ろで、女子大生二人がキーキーと何かを喧しく騒いでいたが、男はそんなの素知らぬ風。
この一幕だけは正に、<新宿>の、歌舞伎町の日常的な一コマと言うべき物なのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
歌舞伎町と新大久保は、目と鼻の先にある街と言っても良い。
小学生の足でも少し歩けば簡単に踏み入る事が出来るし、自転車を使えばもっと早く、歌舞伎町から新大久保駅まで移動が可能なのだ。
紫色のスーツの男は新大久保駅まで徒歩六分程の所にある、少し目立たない裏路地までやって来ていた。
新大久保駅から近い表通りは、観光客向けの免税店や、韓国のスナックや路上で食べるに適した食事を売る軽食屋、
偽物のブランド品を売っている呉服店などで盛況を極めるが、少し外れた裏路地に行くと様相はディープとなる。
一昔前に比べれば良くなったのかも知れないが、新大久保も<新宿>の中では治安の悪さは下から数えた方が速い。
歌舞伎町も新大久保も、取り分けて外国人が多い事で有名である。そして、外国人のマフィアが暴力団組織が跋扈する事でも。
近年<新宿>の警察を悩ませるのは他国の暴力団の問題のみならず、海の向こうから、公安がマークせねばならない程の新興宗教が流入して来ていると言う事だ。
彼らは借りているテナントビルの一室や、店の一部を本部にして、じわじわとその版図を広げて行っている。<新宿>としても頭の痛い問題は、何もヤクザなどの暴力団絡みだけではないと言う事だ。
今男がいる所は、そんな新大久保の中でも特に、そう言った裏を集めて作った、一般人の立ち入りは余りおすすめ出来ないと言う程の、危ない所だった。
夏の昼でもこの路地はジメジメとしており、薄暗い。そして、全体的に人通りが少ない。違法ドラッグの売買の、メッカにでもなりそうな場所だ。
だがそれにしても、人の気配がなさ過ぎる。建物の中からですらも、人の気配が感じられない。
打ち捨てられて百年以上も経過した廃寺の本堂の様に、この場所は静まり返っている。そう言えば此処最近<新宿>では、裏社会の住人が忽然と姿を消して行っているらしい。そのあおりが、此処新大久保にも、来ているのだろうか。男は少しだけ、そんな事を考えた。
「全く、君達のせいで楽しいお茶の時間が台無しになったじゃないか」
考えこそしたが、紫のスーツの男にしてみれば、この街に人がいるかいないかなど、瑣末な事のようだ。
口ではこう言っているが、話す声のトーンは友と談笑をするかのようなそれであり、怒っているみたいな風は感じられない。
きっと、足元に無惨に殺された死体が転がっていても、男はこんな調子で物を話すのだろう。
「気の利く方じゃないんだ、悪いな」
スーツの男が振り返った七m程先に、その青年はいた。
黒い男だった。羽織るマントも、その下の書生服も、被る学帽も、履いている靴も。全て、墨を浴びたかのように黒一色。宛らそれは、影法師。
魚が水面から顔を出す様に、裏路地の日陰から突然現れたのが、この青年だと説明しても、信じる者は出て来るだろう。それ程までに、この男は影を想起させるのである。
黒のイメージが離れぬそんな男だからこそ、端正なその顔立ちと白い皮膚の色が、良く映える。大正時代の白黒かセピアの色の写真から、天然色を纏い飛び出して来たかのような男だった。
スーツの男は、この青年が自分の事を着けている事を、理解していた。実に見事な気配の消し方と尾行の腕前だったが、男は気付いていたのである。
この場所に誘い込んだのは、サシで話がしたかったから。そして何よりも、あの頭の悪い女達と話すよりも、ずっと楽しそうだったから。これに他ならない。
「僕も忙しいんだ。つまらない用事で僕を尾行した、とかはやめてくれよ?」
「帝都を護るサマナーとして、お前を殺しに来た」
と、臆面もなく、真顔で言い切った、黒マントの青年――ライドウの言葉に、スーツの男は白い歯を見せる笑みと言う表情で返した。
獰猛な笑みだった。磨かれて白く光る犬歯が、危険な輝きを放っている。
「成程、確かに面白い用事だ。お堅い見た目の割には諧謔に堪能とは」
「冗談で言っていると思っているのなら、大した空け者だな、貴様は」
其処まで言ってライドウは、懐に差していた赤口葛葉の鞘から、本身を抜き放った。
薄暗い闇の中にあっても、白々と光り輝く様な美しい、鋼色の刀身だ。和紙を落とせば、スルリと斬れてしまうだろう、業物の気風をその刀は剣先から柄頭に至るまで、放出していた。
「実に見事に人になりきれている。狐や狸の変化など、お前のそれに比べたら子供の児戯だろう。流石、馬に自ら変身し、神馬(スレイプニル)を産み落とした事だけはある。変化に関して、お前の右に出る悪魔はそういるまい」
「参ったね。其処までもう僕の正体が解ってる訳だ。悪魔を召喚して戦う色々な人間を見て来たつもりだが、君はハッキリ言って桁が違うね。アベルとカインよりも優れてるんじゃない? 君」
これには、それまで不敵な笑みを浮かべ続けていたスーツの男も、驚いた様な表情を浮かべた。
悪魔がどうだ、アベルやカインがどうだ。そんな会話を往来の真ん中で恥ずかしげもなく繰り返すのは、正気の沙汰とは思えないが。
この二人に限って言えば、実にそう言った気取った、漫画やアニメの中で行われるべきそれが、サマになっている。
「一応僕は、何もトラブル起こすつもりないんだけど」
「誰が信じると思うんだ? 魔王、況してや神も巨人も等しく化かして騙して来たお前の言う事を、誰が信じる?」
其処で、冷たく、重圧な沈黙が降りた。
夜の南極にいるのではと錯覚する程だった。息を吸うのも辛ければ、感じられる温度も、コートが一枚二枚では全く足りない。
――真実、気温が下がっていた。紫色のスーツの男を中心として、苔むした地面に、両脇のコンクリートの陰鬱な壁に、白い『霜』がこびり付き出しているのだ。
ライドウの右脇の壁に建て付けられている、クーラーの室外機から漏れる水滴が、氷の礫になっている。気温は既に、零下十度以下にまで落ち込んでいた。
「俺は、オーディンやトールに比べて、悠長な性格でもない」
ライドウが其処で言葉を切ると、彼の左隣に、紅いコートを纏った魔剣士が霊体化を解き、姿を現した。
血で満たした桶にそのまま漬け込んだような、派手な紅色のコートを我が身の一部の様に着こなす、この男こそ、セイバー・ダンテ。
デビルサマナーである葛葉ライドウが引き当てた、最強の悪魔狩人その人だった。
「ラグナロクを待たずに貴様を斃すし、息子の腸を縄代わりに幽閉などと言う甘い考えもない。この場で消えろ」
スーツの男から笑みが消える。完全な、真顔だった
代わりに、ダンテが嗤った。ホルスターから、エボニーとアイボリーを引き抜きながら、だが。
スーツの男が浮かべていた獰猛な笑みに負けず劣らずの、凶悪な笑みだった。子供が、買って貰ったオモチャをどう壊そうかと思案している時の様な笑みだ。
心の底から、こう言った事が大好きでなければ、こんな笑みは、浮かべられない。
「如何した。悪魔に変身しないのか、伊達男? 十秒やるから、その間に変身するか、その姿のままゴミ箱に送られるか決めときな」
と、挑発的にダンテが口にした、刹那。
三人を取り囲む建物が、空が、宇宙が。全く異なるものに変質して行く。
空は赤黒く、地平線は果てしなく。足場は硬い岩地の上に、少しの砂を申し訳程度に撒いたフィールド。
其処は荒野と言うよりも荒涼とした岩石砂漠とも言うべき場所だった。空の色と言い、向こう数千㎞まで何も建造物も植物もないと思わせるような、地平線の果てしなさ。
きっと、魔界の光景とは、こんな風なのだろうと、人は思うかも知れない。
「一度吐いた唾は飲めないよ。例え、神であろうともだ」
そう言った瞬間、紫のスーツの男の服装が、変化した。服装だけじゃない。その見た目も。いや、全てが。
射干玉の様な黒髪は、煮溶かした黄金のような金髪になり、長さの方も伸びた。伸ばした後ろ髪は、川流れのようにさらさらと靡いている。
ラバーに似た質感の材質で拵えた黒色のつなぎを纏うその姿が、実に、いや、あの紫のスーツの時よりもずっと恰好がついていた。
嗚呼、しかし。その肌の色は何か。繋ぎから露出する胸元、そしてその顔の、青緑色の肌の色は何だ? そして、その背から生える、蝙蝠を模した様な翼は?
嘗て紫のスーツを着こなす遊び人だった男には、名前がなかった、住所もなかった。男は人でもなかった。
男は悪魔だった。魔王だった。その本当の名を『ロキ』と言う。生まれついてのトリックスター、生まれついてのトラブルメイカー。ライドウが、殺すと言い切った理由の全てが、この男の正体にある。
「行くぞ、セイバー」
「OK」
言ってダンテが、両手に持ち構えた二丁拳銃を、マシンガンにも迫る速度で乱射した。
放たれた弾丸の全てが、ロキの細い身体へと殺到するが、ロキは何も無い所から、分厚い氷の壁を創造。
彼の身体を優に超える程の高さのそれは、凄まじい密度を内包しているのか、ダンテの放った弾丸を全て受け止め、防御する。
亀裂一つ、はいらない。それを受けダンテが動いた。エボニーとアイボリーをガンホルスターに即座にしまい、背負っていた大剣を構える。
そして、地面を滑るように、時速数百㎞以上の速度で、氷の壁に向かい突進。氷の壁に、リベリオンの剣先を勢いよく叩き付ける。
すると、分厚い城壁のようなその氷壁が、まるで厚さ一mmも無い薄い氷の板の様に脆く砕け散った。
だが、何時までも防御に徹するロキではなく。
彼は其処から微動だにもせず、息を吸うように、上空百m程の地点に、氷の塊を生み出した。
いや、氷の塊と言うよりは、最早氷山と言うべきか。大きさだけで家屋複数分はあろうかと言うそれを、ロキは無数に降り注がせてきたのだ。
一人に対して降り注ぐ数は、三つにも四つにもなる。回避など、出来る訳がなかった!!
「ハッハ、全く少年と一緒だと退屈しないな!! 北欧神話のトリックスター様と殺りあえるんだからな!!」
そう叫んでダンテは、自分に向かって降り注ぐ氷山を見据えた。
リベリオンの武骨な剣身は、溶かしたルビーを塗りたくったように、真っ赤に激発していた。それは、ダンテが纏わせる魔力であった。
魔力を纏わせたリベリオンを、音の四倍の速度で振るうや、剣身から、赤黒く可視化された衝撃波が、リベリオンを振った速度に倍する速度で放たれた。
衝撃波は氷塊に触れるや、一切の拮抗の時間すらなく、巨大な氷塊の全てを粉砕、一瞬で無力化していた。
ダンテは全く、マスターであり、自分よりも遥かに身体能力が劣る筈のライドウの方を、気にかけてすらいなかった。
氷塊は、ライドウの方にも等しく向かっていた。それなのにダンテは、マスターに迫るその攻撃に全く興味すら示していない。
確信があるからだった。この程度の攻撃など、問題もなく対処出来ているのだろう、と。
そして事実ライドウは、苦も無く、ロキの放った『ブフダイン』を蒸発させていた。
見るがよい、ライドウの傍に侍る、鋼色の巨躯を誇る獅子を。そして見よ、その獣に生え揃った牙の辺りを漂う、炎の破片を。
彼は、瞬間的に封魔管から紅蓮族・ケルベロスを召喚。ケルベロスが放った『アギダイン』、弩級の大きさの火炎球で、ブフダインを相殺したのである。
ケルベロスを伴い、ライドウが地を蹴った。
正に、黒い風としか形容のしようがない速度だ。平地でバイクを走らせるようなスピードで、足音も立てず、砂粒一つ巻き上がらせる事なく、ライドウは走っていた。
人間の身でこれだけの速度で動ける身体能力もそうだが、ライドウに従うケルベロスも、それだけの速度で移動していると言う事実もまた、驚嘆に値するべき現象だ。
重さにして優に数tは超えているであろうこの巨獣の何処に、これだけの軽やかさがあると言うのか。悪魔には、人間が想像の外の存在である事の証左が、今此処に展開されていた。
ダンテ目掛けて魔力が収束して行くのを、ライドウと、そしてダンテ本人も当然の事ながら、感じていた。
それと同時に、ロキの姿も、ダンテとライドウの視界から消え失せる。流石に音に聞こえた、最上位の格を持つ悪魔。瞬間移動など、造作もないと言う訳だ。
ダンテがそう思った瞬間、彼とライドウを余裕で巻き込む程の大きさの、凄まじい勢いの衝撃の渦が、何の前触れもなく発生。
まるで嵐の様な凄まじい回転運動を行っており、その衝撃に直撃すれば最後。人は文字通り粉々に四散し、たとえ戦車と言えども、秒を待たずにスクラップだろう。
それをダンテは、嵐――『ザンダイン』の発生と同時に、まるでB級のカンフー映画にでも触発されたかのような、胡散臭い構えの防御で受け流す。
果たして誰が信じられようか。素人が見ても極意の何たるかを知らないのが丸わかりのその防御の構えで、ダンテは、容易く魔王の魔力から放たれるザンダインを防いだのだ。
似非カンフーで魔王の魔術を防ぐダンテもダンテなら、縦からの神速の振り下ろしで、自らに迫る魔術を斬り裂いたライドウもライドウだった。
「ロキ程の悪魔になると操る魔術も多芸を極める。注意しておけ、セイバー」
「哭かせがいがあって結構な事だな」
言ってダンテは左手にリベリオン、右手にアイボリーを握り、アイボリーの銃口を彼から見て右方向に向けた。其処は、虚空だった。
否、銃口を向けた先は既に虚空ではなくなっていた。銃口の先には、ロキが浮遊していた。驚きの表情を、神を嘲り続けて来たトリックスターが浮かべている。
誰が信じられようか。転移先を先読みし、ダンテが銃口を向けていたなど。そしてそれがまぐれでもなく、確信を以て彼が行った事だなどと。
アイボリーが、火を噴いた。
背中に生えたコウモリの翼の膜翅を弾道上で広げさせ、傘が雨粒を弾くように、ロキは弾を弾いた。
人の身体に余裕で拳大の穴を空けられるアイボリーのそれも、魔王級の悪魔にしたら、豆鉄砲に過ぎない、と言う事だろうか。
ロキが、身体の前面に展開させていたコウモリの翼を除けさせると、弾丸の如き速度でライドウが、ケルベロスを伴わせ突っ込んで来ていた。
二十m近く距離を離していた筈なのに、一呼吸するよりも速く、彼はその距離をゼロにしていたのだ。
しかしロキも、いつまでも棒立ちの状態を維持する程愚かではない。悪魔の身体とは、魔術を放つに適した肉体組成に生まれた時からなっている。
魔術を放つのに、回路がどうだとか、刻印がどうだとかを気にする人間とは、そもそもの格からして違う。
悪魔は生まれた時から、一本にして完成された魔力回路。全身が、魔術を放つ為の装置に等しいその身であるから、当たり前の様に魔術も固有結界も創造出来る。
その悪魔の中にあって、魔王、しかも特に魔術に秀でたロキの魔術についての適性は、人間のそれを超越する。
人の身では百年かけても習得出来ない魔術を、彼は幾つも、そして、息を吸うような容易さで操る事が出来るのだから。
炎を纏わせた赤口葛葉を、ロキ目掛けて振り下ろす。ケルベロスが協力し、己の持つ炎の魔力を刀に纏わせたのだろう。今の赤口葛葉は、鉄すら果実の様に溶断出来る。
数m程飛び退いて、ロキがその一撃を躱し、そして、魔力を集中。ゼロカンマ秒で魔術を完成させ、それを顕現させる。
「飛び退け、ケルベロス」、ライドウがそう指示するや、ケルベロスは、猿の様な身のこなしで大きくライドウから飛び退いた。
その瞬間だった、ライドウを中心として、一番小さいものでも拳大の大きさをした鋭い氷塊を孕んだ大吹雪が顕現したのは。
『マハブフダイン』、と呼ばれる氷結系の魔術の最奥である。間一髪ケルベロスはその範囲から逃れる事が出来たが、ライドウはそうも行かなかった。
凄まじい殺意を伴った猛吹雪の範囲内に、モロに晒される形となったライドウだが、本人は全く気にした風もない。
何故ならば、極熱の焔を纏わせた赤口葛葉を、目にも留まらぬ速さで振るい、吹雪そのものを溶断、蒸発させているからだ。
迫りくる氷塊を、一振りで七つも消し飛ばし、返す一振りで更に消し飛ばす。これをライドウは、人の身で行っているのだ。
優れたデビルサマナーならばやってやれない事はないとロキも知ってはいたが、実際にやられると、本気で驚く。そして、気付く。敵はライドウだけじゃないと言う事を。
頭上に感じる、深紅色の殺意に気づき、バッと上を見上げるロキ。
其処には、紅色のコートを地獄の魔鳥めいて翻しながら、高度十数mを舞うダンテがいた。
空中で逆立ちをするように、身体の向きを上下反転させているダンテ。その両手には、エボニーとアイボリーが握られていた。
その状態でダンテは、空中で己の身体をガトリング砲の要領で回転させ、そのまま二丁拳銃を乱射しまくった。
右翼の膜翅を展開させ、弾丸を弾こうとするロキ。弾の一つが膜翅に当たる――其処からだ、信じられない事態が起こったのは。
弾頭が翼に突き刺さるのは、本当に一瞬。突き刺さる深さも一mmあるかないかと言う程の浅さで、一秒と経たずに銃弾は膜翅からポロッと落ちる筈なのだ。
その突き刺さった一瞬の間に、二発目の弾丸の弾頭が、未だ突き刺さっている銃弾の底面に直撃。二発目の弾丸の底面に、三発目の弾頭が。三発目の底面が、四発目の弾頭が――。
神技所の話ではない。ダンテは何と、乱射している弾丸を全て一方向に撃ち放ち、弾丸の底面を寸分の狂いもなく撃ち抜いていたのだ。
弾丸が、前に放たれた弾丸の底面を撃ち抜く、と言う現象が二十回続いた時、最初に放った弾丸が遂に、ロキの膜翅を撃ち貫く。そしてそのまま、一発の弾丸が、ロキの胸部に命中した。
「グッ……!?」
想像すらしていなかった現象に、ロキの顔が歪む。
「一発で駄目なら、百発撃てが家訓でね」
そう軽口を叩きながら、ダンテは空中で姿勢を変更。足を下、頭を上と言う常識的な姿勢になり、拳銃二丁をホルスターに仕舞い、今度は背中の剣を引き抜いた。
それを大上段に構えて彼は、万有引力の法則など知らぬとでも言うような、物理法則を無視した急加速を突如として獲得、凄まじい勢いで急降下して来た。
その勢いを借りて、リベリオンを振り下ろすつもりなのだろう。ロキが避けようと跳躍を始めようとしたその方向。
其処から、マハブフダインを凌ぎ切ったライドウが、駆け寄って来た。無論、供にケルベロスを引き連れて。
ロキが気付き、回避先を変更しようにももう遅い。ダンテは勢いよく地面に着地。ロキの翼に走る、百億本の火箸を突き刺されたような熱い激痛。
鋼を一笑に付す、ロキの翼は、ものの見事にリベリオンで中頃から切断されていた。その痛みに顔が歪むと同時に、今度はライドウの燃え盛る赤口葛葉が、
ロキの腹部に突き刺さった。今度は比喩でも何でもなく、熱と激痛が舞い込んできた。きっと、吐く血液も、赤口葛葉の熱で蒸発しているのではあるまいか。
苦鳴を上げるよりも速く、ライドウが刀を引き抜く。休む間も与えぬとばかりに、今度はケルベロスが攻撃に出た。
いや、この魔獣だけじゃない。紅いコートを纏った魔剣士も、攻撃に出ようとしていた。
右足を高く上げ、それを振り下ろそうとする鋼色の魔獣。同じく鋼色の大剣を構え、それを以て下段から上段へと振り上げ、真っ二つにせんと試みるダンテ。
苦し紛れに空間転移を行い、二名の攻撃から逃れるロキ。彼は、高度三十mの所を浮遊している。空を飛ぶのに、コウモリの翼は飾りであるらしい。
地面に激突したケルベロスの右前脚は、緩く地面を振動させ、岩地の地面に広範囲に亀裂を生じさせる程の威力だった。直撃していれば、さしものロキもどうなっていたか。
魔術を放ち、魔力を呼び込む為の装置に近しい己の肉体に、ロキは魔力を充足させる。
ヒュー、と軽い口笛の音が、ダンテから聞こえて来た。流石に半人半魔の魔剣士、ロキの身体に集まる魔力が何なのか、気付いたらしい。
「ヘイ少年、アレは何とかした方が良いんじゃないのか? メギドラオン、って言うんだろ? 覚えてるぜ」
「何故それを知っているのかは後で問い質すとして、危険な魔術である事は事実だ」
其処まで言うとライドウは、ケルベロスを封魔管の中に戻し、ロキの方を見上げた。
ケルベロスも高位の悪魔、如何にロキの放つメギドラオンとは言え、数発までなら耐えられようが、ライドウにとってケルベロスは切り札の一匹。
此処で消耗させるのは得策じゃない。消耗は最低限度に、温存をして置きたかったのだ。
「で、俺か」
ケルベロスを封魔管に戻したのを見てダンテは、ライドウが己に何を求めているのか悟ってしまった。
要するにダンテ単騎で、マスターであるライドウを護り通せと言っているのだろう。
この時ダンテ自身は一切消耗してはならないと言う制約は、ライドウにしてみれば大前提。不文律だった。何せライドウにとってはダンテですらも、操る(サモン)する手足たる悪魔の一人なのだから。
「毎度ピザをタダ喰らいして来ただろう。その返礼も兼ねて、出来るサーヴァントである事を俺に示して見せろ」
「おいおい、ピザ十枚程度に求められる仕事がそれかよ。レディもビックリな暴利振りだな」
メギドラオン。悪魔達が攻撃に転用する魔術の中でも特に高位、そして高級なそれである。
扱える者は悪魔の中でも最上位の格、それこそ魔王や、各神話に於ける主神や軍神、鬼神に破壊神、そして魔術神に相当する神格しか存在しないと言っても良いだろう。
威力は、その悪魔の格や現界した分霊の密度によってまちまちだが、今のロキが放つそれの場合、優に直径数百mは容易く破壊し尽くす大爆轟を引き起こさせる事が可能だ。
それだけの威力の魔術が、これから放たれると言うにも関わらず、二人は、実に恬淡とした態度で、ロキの事を眺めていた。
「いいからやれ」
「しょうがねぇな、っと」
そうダンテが言った時には、大量の魔力が収束し終えた時だった。
この瞬間、ダンテは弾かれたように動き、ライドウを横抱きにする。そうした瞬間だった。何も無い空間が突如として、轟音を供に弾けて爆ぜ飛んだのは。
分厚い岩盤の地面が、プリンやゼリーをスプーンで掬うが如くめくれ上がって行く。爆発の威力と、内包するエネルギー量がどれ程デタラメかの証左だった。
常人ならば、岩盤が破壊されて行くその様子を認識する事すらなく、爆発に呑まれ、生きた証を塵一つとして残せず消滅してしまう事だろう。
この二人は違った。
ダンテはライドウを抱き抱えたまま、めくれ上がった岩盤を蹴り抜いて、跳躍。
空中でダンテは足元に、魔力を練り固めて作成した赤色の足場を創造、それを蹴り抜き更に跳躍。これを二回程ダンテは繰り返した。
爆発は、御椀を伏せたようなドーム状のそれである事を、ダンテ達は、高度五十m地点の所で認識した。今二人がいる高さは、ロキが浮遊する高さよりもずっと上の所だった。
其処でライドウは、ダンテの腕から離れ、落下。
ロキが、ダンテ達が今どこにいるのか気付き頭上を見上げる。その時にはライドウとロキの距離は、五m程の所にまで近付いていた。
落下加速度を乗せた、赤口葛葉の一撃を大上段からライドウを振り下ろす。即座に身体を半身にさせてロキはこれを回避する。
ライドウの位置が、ロキよりも低い所に行ったその瞬間、今度はダンテが瞬間移動でロキの下まで接近して来た。リベリオンを、既に彼は握っている。
長大かつ巨大なその大剣を、小枝を振うようにして高速で振るいまくるダンテ。
その一撃一撃全てが、高密度の殺意を内包した、超絶の技術と練度の集積体だ。魔剣士スパーダ直伝の剣術は、空中での滞空時間と言う物理現象をも無視する。
ダンテが剣を振っているその間だけ、滞空時間が伸びている事は誰の目から見ても明らかだった。全く落下していない、即ち、ロキを攻撃出来る時間が多くなると言う事だ。
そんな異常な剣術をロキは、両腕で弾き続ける。余裕が感じられない。ダンテの技術が魔境のそれへと達している事の証であった。
ダンテの剣戟を全て弾くロキ。この魔王には、休む間すらも与えられない。
自分より下の位置で、魔力が渦巻くのを感じたからだ。そうと感じるや、烈風と上昇気流を伴わせて、ライドウが再びロキと同じ高さにまで飛翔して来た。
落下速度から言えば、ライドウはまだ地面に着地すらしておらず、未だ空中を落下している筈なのだ。なのに何故、再びこの高さにまでやって来れたのか。
その答えは彼が纏う烈風と、彼のすぐ傍に侍っている悪魔にあった。緑色の若葉を人の形に練り固めたような悪魔で、胸に蝶ネクタイ代わりか、太い注連縄を巻いた悪魔。
そんな悪魔が、ライドウの傍を浮遊しているのだ。地祇(ちぎ)、或いは国津神の一柱、ヒトコトヌシ(一言主)。
そうとロキが認識した時には、そのヒトコトヌシが、風と衝撃を練り固めた太い、緑色のレーザーをロキ目掛けて撃ち放った!!
「いやになる位優秀なサマナーだな!!」
そう叫んで、寸での所で空間転移を使いロキは、ヒトコトヌシの放った真空刃を回避。
「下だぜ、少年」、とダンテが口にする。両者共に、全く同じタイミングで銃口を下に向け、発砲を行った
二つの弾丸は、寸分の狂いもなくロキの身体に殺到するが、彼はこれをコウモリの翼を鞭の様に撓らせ動かし、弾き飛ばす。
その光景を受け、ダンテは、空中に足場を作り、それを蹴り抜き、急降下。先程炸裂したメギドラオンの影響で面白い程荒れ果てた地面へと、弾丸の如き勢いで向かって行く。
ライドウも、ヒトコトヌシに何か命令を送ると、この地祇はライドウの命令を受け、彼に突風を纏わせ、その突風の勢いを用いて彼を地面に射出させる。まるで今のライドウは、放たれた矢のようだった。
荒れた地面に着地するダンテと、それに少し遅れて着地するライドウ。ロキと、最強のデビルサマナー、そして、そのサマナーが率いる魔剣士。彼我の距離は三十m程。
ライドウ達が接近し、自分に近接攻撃を叩き込むまで時間があると判断したロキの行動は、迅速だった。
一秒を遥かに下回る速度で、魔術を構築したロキが、ライドウとダンテ目掛けて、巨大な火球を隕石めいた勢いで幾つも飛来させる。『マハラギダイン』だ。
暴力的な程の量の魔力を、ダンテはエボニーとアイボリーに纏わせる。紅色に激発する魔力が、二丁の拳銃は愚か、ダンテの指先から肘の辺りを覆っている。
手にする銃を含めたその腕が、線香花火の火玉にでも変貌しているかのようだった。その状態でダンテは、エボニーとアイボリーを気違い染みた速度で連射する。
トリガーを押しっぱなしにすれば弾丸が発射され続けるフルオート式の拳銃なのに、一々トリガーを押して連射しているのは、ダンテなりの美学だった。
と言うよりも俄かに信じ難いが、彼の場合はフルオートで放つよりも、トリガーを一々押す方が多く連射出来るのだ。
火薬の小山を炸裂させたような馬鹿でかい銃声が継ぎ目なく、連続的に響き渡るのと同時に、エボニーとアイボリーの銃口から放たれる、
紅蓮の魔力を帯びた弾丸がマハラギダインの巨大な火球に直撃して行く。弾丸一つ一つの威力は、巨大な火力を破壊するには至らない。
鋼の塊に小石をぶつけた所で、砕ける訳がないと言う事だ。但しその小石を何発も、そして超高速度でぶつけまくれば、話は別だ。
ダンテの魔力を纏わせた弾丸は既に市販の弾丸の威力を逸脱した、正に悪魔を殺す為の武器となっている。これを連続で、かつ高速でぶつけられれば、
如何にマハラギダインの火球と言えど一溜りも無い。マハラギダインの大火球は、一つを残してその全てが砕け散らされた。
残る一つは無慈悲に、ライドウとダンテの方に、超高速で飛来する。しかし、ライドウが動き出す方が早かった。
火球が着弾するまで後十数mと言う所でライドウは、ヒトコトヌシを連れて猛速で移動、ロキの方へと走り出す。
最初に先ず、火球が爆ぜた。
ロキ程の悪魔の放つマハラギダインは、人体や魔術的加護の施されていない武具を灰も残さず消滅させるのは言うに及ばず、岩盤や鋼塊ですらもガス蒸発させる程の熱量を持つ。
それ程の威力を持つ火球に、ダンテは『自分から突っ込んで行った』。ダンテの半身がスパーダと言う大悪魔のそれであり、サーヴァントとして備わる対魔力があろうとも。
直撃すればダメージを負うそれに、彼は己の意思で跳躍していったのだ。そして、爆熱の塊が直撃する、その寸前と言う段になって、ダンテはあの、
似非カンフー宛らのあのポーズを空中で取った。そのポーズをダンテが取ると同時に、火球が直撃、そして引き起こされた大爆発。
此処までが、ロキの見た光景だった。ダンテの方は、オレンジ色の爆風が周辺を包み込んでいる為、ダンテの現在の状態が見れない。
今は、ダンテの方を見る所じゃなかった。剣身に緑色の疾風を纏わせたライドウが、迫って来ているからだった。
赤口葛葉に纏われた緑の疾風は、召喚したヒトコトヌシの力を借りたのだろう。あの状態の剣身に触れれば、肉が骨ごと吹き飛んでしまう。
ロキが飛び退こうと後ろに跳躍する。
それを見たライドウは、風を纏わせた赤口葛葉を下段から掬い上げるが如く振り上げた。傍から見れば、あっと思うだろう。
そのまま行けば、剣身が地面に直撃する。なまくらであればその時点で、刀が折れかねない。ライドウは、地面に刀身が当たる事を覚悟の上で今の行動に打って出たのだ。
ライドウ程の技者が何故そんな下手にでたのか、その意味が次の瞬間に明らかになった。
メギドラオンの影響で荒れた地面に剣身が直撃した刹那、岩盤が果肉の様にめくれあがり、十mに近い大きさの分厚い岩の板が、ロキ目掛けて高速で飛来して来たのだ。
強壮な悪魔の助力を乞えば、この程度の芸当は出来ない事ではない。だが、風を纏わせた刀で此方を斬りに掛かると思っていたロキからすれば、この攻撃は面喰った。
予想出来ていなかったのだ。岩盤を飛び道具代わりに飛ばして来るなど、想像の外の発想であった。
飛来する岩盤が直撃する前に、ロキは分厚い氷の障壁を創造し、これを以て防御。
優にtは超えるだろう重さの岩盤の直撃を受け、さしものロキが生み出した氷壁も一溜りもない。岩盤を受け止める事と引きかえに、壁全体に亀裂が走った。
赤子が少し触れるだけで、もうこの壁は脆く崩れ去ると言う確信を抱く程の、頼りなさだった。
岩盤を防いだのとほぼ同じタイミングで、先程放ったマハラギダインの爆風が止んでいた。
色水に更に水を注ぎ足して色が薄まって行くかのように、爆風や砂煙が小規模の物へとなって行き、晴れて良く見えつつあるその先に、ダンテが佇んでいる。
彼は無傷だった。火傷も負っていなければ、身に纏うコートの何処にも焦げ目をつけられてすらいない。涼しい笑みで、ロキに向き直っているだけだ。
やはり、何かしらの手段を用いて、攻撃を無力化させているとロキは気付く。そうアタリを付けた時には、ライドウが迫っていた。
疾風を纏わせた赤口葛葉を振るうと、氷壁は突き刺さった岩盤ごと、ライドウが刀を振った方へと吹き飛んで行った。
ロキが行動するよりも速く、ライドウは二の手に移る。手に握る赤口葛葉を水平に持ち構え、身体を半身にする。
そしてこの状態から、ライドウの膂力と体重、そして半身にした身体が元に戻る力を加え、強烈な刺突をロキへと見舞おうとする。
剣先が、一mmたりともブレていない。実に優れた膂力と体重操作能力がなければ、この見事な一撃は放てまい。
纏わせたヒトコトヌシの魔力も相まって、直撃すれば身体が千切れ飛ぶ。空間転移が間に合わないと思ったのか、左方向にサイドステップを刻む事で、ロキはその一撃を回避する。
――その回避先に、ライドウが使役するヒトコトヌシが回り込んでいた。
「うおおおおおぉぉぉぉぉ給食の揚げパンがあああああぁぁぁぁぁ!!」
滅裂な意味の叫び声を上げながら、ヒトコトヌシが狂奔する。
体内に収束させた魔力を、風と衝撃の魔術を放つ為のリソースに変換させ、地祇はそれを世界に顕現させる。
緑色の疾風を円柱状に練り固めた、ある種のレーザーを、ロキ目掛けてヒトコトヌシは撃ち放つ。これはもう、回避が間に合わない。
腕を交差させ、嵐と衝撃エネルギーを凝集した円柱が、正にロキに直撃しようか、と言うその瞬間だった。短距離の空間転移を駆使してダンテが、此方に超高速で接近して来たのは。
「イイイィイイィィイィイィヤァッ!!」
ロキが目を見開かせた時にはもう遅い。
彼我の距離が十mを切った所で、ダンテは地面を滑っているような走法で、ロキの方に接近。今のダンテのスピードは、ロケットと例えられるべきものだった。
人間の肺に溜められた全ての空気を放出し尽くしたとしても、到底出せるものではない声量の雄叫びを上げてダンテは、リベリオンをロキの腹部に突き刺した。
ロキの口から、バケツを満杯にするのではないかと言う程の勢いで、大量の血液がたばしった。
ロキを苛むのは、ダンテのリベリオンだけではない。リベリオンが突き刺さったと同時に、嵐と衝撃を練り固めた円柱が彼を呑み込んだのだ。
生身の人間ならば秒を経ず粉微塵になる程の嵐と衝撃、超常の膂力から放たれる大剣の一撃。それが、全く同時でロキに叩き込まれた攻撃の全てだ。
ヒトコトヌシの攻撃ならば、まだ耐えられる。ダンテの攻撃が、一番ロキとしては耐えられなかった。剣で突き刺す、と言うそれだけの攻撃。
そんな単純な攻撃が、ダンテの膂力と技量が組み合わさる事で、魔王であろうともただでは済まない威力を発揮する。そんな事は、ロキであっても解っていた。
それだけでは説明がつかない程、ダンテの一撃がロキに与えたダメージが大きいのだ。ロキが想定していた威力よりも、遥かに。それが彼には理解出来なかった。
ロキが知らぬのも無理からぬ事だが、ダンテのリベリオンにはあるカラクリがある。
スパーダが遺したとされる三振りの魔剣の一つであるリベリオンは、数多の、それこそ、数万もの悪魔を斬り殺して来た宝具である。
これはダンテが斬って来た分だけではない、ダンテに渡る前、つまりスパーダが斬って来た分も当然含まれている。
星の数程悪魔を斬り伏せて来た魔剣・リベリオンは、宝具に昇華された事により、その『悪魔を殺して来た逸話』がフィーチャーされた。
つまりダンテの振るう今のリベリオンには、スパーダが振った魔剣としての性能の他に、宝具化した事で『悪魔に対して二倍の痛手を与える効果』が追加されたのである。
生前の時点ではなかった効果だ。この効果の影響こそが、ダンテの放つの攻撃が想像以上のダメージをロキに与えられている、と言う奇怪――ロキにとって――な現象の正体だ。
当然、サーヴァントとして<新宿>に召喚されているダンテは、自らの愛剣、いや、魂とも言うべきリベリオンに追加された効果の事を知っている。
当惑するよりも、ダンテが喜んだのは語るまでもない。ダンテの目的は、悪魔達の殲滅である。今リベリオンに付与されている効果は、その目的を達成するのにこれ以上となく適したそれではないか。
リベリオンの新しい効果を理解し、その新しい効果を如何なく発揮させられる悪魔――オモチャ――がいる。
当然、新しい物好きのこの男が、その効能の程を、試したがらない筈がなかった。
リベリオンをロキの腹部から引き抜く。その時にはヒトコトヌシの放った真空刃は既に止んでいた。
休ませる間も与えぬと言わんばかりに、魔王の血で妖しく濡れたリベリオンを、鋭い軌道で振るいまくるダンテ。
時に垂直に振り下ろし、時に袈裟懸けに、時に横薙ぎに、時に刺突を、と言うコンビネーションを目まぐるしく、高速で行い続ける。常人の目には剣の残像すら追えない。
ロキの肉体に剣身が直撃する度に、地面に褪紅色の血液が飛び散り、またある時は空中にそれが肉の粒ごと四散する。
だがそれ以上に凄まじいのが、リベリオンを勢いよく振う事で生じる刃風だ。何十mと距離を離そうとも風が届く程のそれは、最早突風とも言うべき勢いだった。百m先の蝋燭の火すらも、この男の生み出した刃風ならば消してしまえる事だろう。
「うおおおおぉぉぉぉ、うぉれが飛んでしまうううぅぅぅ!!」
ダンテと、リベリオンでズタズタにされているロキの近くにいるヒトコトヌシも、結構迷惑そうだった。
この国津神の身体は一目見て解る通り、木の葉である。当然、風には飛ばされやすい――筈なのだが、幸いヒトコトヌシにはそう言う風の害意は通用しない。
それにもかかわらずこのような反応を取っている訳は、彼自身も悪魔である為リベリオンが有効であり、そのリベリオンから生まれる刃風を、ひょっとしたら恐れているからかもしれない。
「――其処までだセイバー」
と、リベリオンを振い続けるダンテを、制止する声が聞こえて来た。ライドウである。
傍から見れば、狂奔とも言うべき勢いで大剣を振い続けていたダンテであったが、その様子とは裏腹に、ライドウの言葉を聞き入れる理性を持っていた辺りは、
流石としか言いようがない。ピタリと、ダンテはリベリオンを振うのを止め、此方に向かって歩み寄って来るライドウの方に軽く目線を送った。
「何かするのか?」
と、至極当然の疑問を彼はぶつけて来た。
この時ロキが距離を離さんと何らかの行動に移ろうとしたが、それよりも速くダンテのリベリオンが、この魔王の鳩尾を縦に貫く。
そしてロキを地面に仰向けに押し倒し、リベリオンで鳩尾を貫いた、その状態のまま彼を地面に縫い付けた。今のロキは、昆虫採集の標本にピン止めされる昆虫宛らであった。
「交渉に移る」
ライドウがそう返事をすると、彼は左手に封魔管を持ち構え、それを開封。
ヒトコトヌシを管の中にしまおうとする。「おととい来てやるぜェェェェェ!」と叫びながら、ヒトコトヌシは緑色の光になって管の中に吸い込まれる。帰る時までうるさい悪魔だった。
「あぁ、そういや『デビルサマナー』、だったな」
「そう言う事だ」
ロキの傍までライドウが近づくや、黒衣のデビルサマナーは、ヒトコトヌシの加護を失い元の状態に戻った赤口葛葉を、颯と一振り。
いや、普通の人間には一振りと見えたろう。実際にはライドウは二回、この刀を振るっていた。
半秒程遅れて、ロキの右脚と左腕が殆ど付け根の辺り、褪紅色の血液が噴き出た。それと同時に、ライドウがロキの左腕の方を、ダンテが右脚の方を軽く蹴り飛ばした。
この魔王の左腕と右脚は、斬り離されていた。その切り口は実に見事としか言いようがなく、悪魔の頑丈な肉体をゴボウか何かの様に綺麗に切断していた。無論これが、ライドウの手によるものだと言う事は、説明するまでもない。
「帝都を護る者として貴様を殺すと言ったが、あれは二割程度は冗談だ」
「八割は本気って事か……僕はその謎の二割に縋れば生き残れる、と言う事かな……?」
実に苦しそうにロキが訊ねる。そしてライドウは、無言で首肯する。
ダンテのリベリオンにより内臓系は既に機能していない位ズタズタであろうし、血液も、人間ならば死亡は免れない程の量を既に流出してしまっている。
ライドウが直々に負わせた手傷だって、ロキには存在する。これでもなお死なないのは、偏に彼が、魔王と言う高位の悪魔であるからに他ならない。
「んで、その二割はなんだい?」
本題に、ロキが移った。
「俺の仲魔になれ」
――それは、使役する悪魔やサーヴァントであるダンテを用い、そして当人自らも打って出て、ロキを痛めつけた人物の首魁のものとは、思えぬ程の言葉だった。ライドウは実に、いけしゃあしゃあとでも言う様な風に、そのセリフを口にしたのだ。
「は、ハハ、ハハハハハ……!! そう言う事かい、サマナーくん……こりゃあ、笑っちゃうジョークだよ……オーディンの旦那よりもタチが悪いぜ、君」
本来ならば笑える余裕などない筈なのに、ロキは思わず、空笑いを上げてしまった。
痛みと苦しみを忘れてしまう程に、ライドウの言った事が愉快なものだったからだ。その不遜な態度に激昂するよりも、寧ろロキは、逆に尊敬すらしてしまった。
堅くつまらなそうな人物であると思っていたのに、こんなにも自分本位で人間的な言葉を口に出来る男だとは、ロキも思ってなかったのだ。
要するにライドウは、ロキ程の大悪魔を、自分を牛馬の如く働く奴隷にさせようと言うのだ。
そして、ライドウの目論見は、正しく今ロキが思っている事その通りであった。
そもそもライドウらがロキを捕捉したのは全く偶然の事。ロベルタの下へと足を運ぼうとした矢先に、偶然見つけてしまったのだ。
その姿を初めてライドウが目にした時、彼は本気で我が目を疑った。何せあの北欧神話のトリックスターであり、
ラグナロクの引き金となった魔王が、人間に扮しこの<新宿>で活動しているのだ。驚かぬ筈がない。
ロキが神話上何をやっていたか知っているライドウからすれば、此処<新宿>でこの魔王がいる事自体が、好ましくない。
何せロキはいるだけで、余計なトラブルを引き起こすからだ。帝都の守護を任務とするライドウが、そんな悪魔の存在を許す筈がなかった。
だが悪魔とは付き合い方次第によっては、神話上邪悪とすら言える神格でも、サマナー個人の為に力を奮ってくれる側面がある。
悪魔の邪悪な一面と言うのは、一側面に過ぎない。時に良い側面もあれば、悪い側面もある。彼らは本質的には人間と何ら変わらない存在なのだ。
優れたデビルサマナーであるライドウは、その事を良く理解している。こんな気まぐれな存在達を時に討ち滅ぼし、時に仲間に引き入れる事を仕事にするのがサマナーだ。
気まぐれな悪魔の中にあって特に気まぐれの気が強いロキではあるが、彼は言うまでもなく強壮な悪魔で、そして有能な存在である。
単純な戦闘能力は元より、優れた擬態能力と言う気の利いた小技も彼扱える。仲魔として引き入れられれば、これ程心強い存在もいないだろう。
「良い返事を期待している」
不愛想にライドウが口にする。此処まで一方的な取引を持ち掛けて置いてこの言いぐさであると言うのだから、つくづく恐ろしい男であった。
「……悪いけど、お断りだね」
ロキがそう告げた、その瞬間だった。
靴先でライドウが容赦なく、今もリベリオンで仰向けに地面に縫い付けられたロキの側頭部を蹴り抜いたのは。
顔を苦悶に歪めさせるロキ。その程度で済んでいるのは、彼が魔王であるからだった。真っ当な人間であれば、頭蓋骨が砕けているだけでなく、頚骨も真横に圧し折れているのだから。
「よく声が聞えなかった。もう一度言ってくれないか」
これである。
「普段の、フリーの状態の僕だったら……聞いてやるのも吝かじゃないんだが、今はさる御方の命令を受けてる身なんでね。君の言う事は聞けないよ」
「それを曲げて欲しいのだが、何とかならないか?」
「ならないねぇ」
次は銃声が轟いた。
いつの間にかライドウの左手には、愛銃であるコルト・ライトニングが握られており、硝煙が銃口から微かに燻っていた。
今しがた彼が発砲した事は明らかだった。銃口は勿論ロキの方に向けられており、彼の首の部分に血色の弾痕を空けている。ライドウは、クイックドロウ(早撃ち)にも堪能であった。
「三度、機会を設ける。その間にお前が、雇い主を変えるだけの柔軟性と状況の不利を認識出来る能力を両立出来た、優れた悪魔であると俺に証明してくれる事を願っている」
「無理な物は無理だよ」
喉を撃ち抜かれた事により、言葉の一句一句を口にする度に、ゴボゴボと血が気道で泡立つ音が聞こえてくる。
聞き取り難くなってはいるものの、ライドウはその言葉の意味をしっかりと認識したらしい。
ロキの眼球部分に赤口葛葉の剣先を当て、器用にその眼球をくり抜いた。視神経と繋がった状態の眼球を実に慣れた手つきで、眼球と眼窩を繋ぐ視神経を切断する。ポト、と、くり抜かれた右眼球が地面に転がった。
「返事の方はどうだ」
「いやだね」
赤口葛葉を持つ右腕が霞んだ。
と見るや、ばぁっ、とロキの身体から血の霧が噴き上がった。目にも留まらぬ速度でライドウが、この魔王の身体を切り刻んだからだ。
じくじくと、血がロキの身体から流れ続ける。今の彼は、血の水溜りの上で寝転がっているも同然の状態だった。ライドウとダンテの鼻腔を、鉄臭さと生臭さの混じった臭いがくすぐる。
「最後だ。賢い選択をしてくれる事を期待しているぞ」
ライドウはこうは言っているが、同時に、仲魔になる事を否と言えば、迷わず殺す程の思い切りの良さを彼が持っている事を、ロキは知っている。
仲魔に引き入れたいと言う言葉に嘘はないのだろうが、仲魔にならないと言うのなら、一切の未練も後顧もなく此方を処理するだけの決断力をライドウは持っているのだ。
成程、実に優れたサマナー。嘗て一緒に悪巧みをしたナオヤと言う名前の青年よりも、嘗て一時的に力を貸してやっていたトモハルと言う青年よりも、この男はずっと優れている。常ならば享楽の為に、仲魔になっていた事だろう。
「君は実に……優れた人間だよ。強い……だけじゃない、悪魔や人を魅了するだけの個性がある。間違いなく……、大人物だよ君は」
そして、この言葉の後に、ロキが口にした言葉は。
「でも……やっぱり駄目だね。今の僕には先約があるんだ。先約を重視するのは……、人間も悪魔も……同じさ。諦めな」
ライドウもダンテも、ロキの言っている事に一定の理解を得、彼の決意が固い事を知る。
「よく解った」、とライドウが告げたその瞬間、リベリオンで貫かれた鳩尾の周囲数cmを残して、ロキの身体は一瞬でバラバラになった。
頭は胴体から分離し、残った胴体にしても、大小合わせて三十六程度の肉片に分割されている。如何に魔王と言えど、こうなってしまえば種族特有の頑強さなど意味がなくなる。
彼らの中には実に優れた再生能力を持つ者も少なくないが、此処まで身体をバラバラにされては再生能力自体が死んでしまう。端的に言って、ロキは既に詰んでいた。
「……君の活躍を特等席で見ているとしよう。僕を失望させないように動き回ってくれよ?」
胴体から斬り離され、頭だけなったロキが、あの不敵な笑みを浮かべながら、そんな事を言って来た。
最初にライドウ、次にダンテの方に目線を向けた後で、ロキの瞳から、生の光がフッと消え失せる。
その後、ロキの身体は緑色の光に包まれ、砂糖か塩に水を浴びせるように彼の身体が緑色の光に溶けて行き、彼の身体を取り込んだその光にしても、虚空へと煙の様に立ち昇り、遂には彼の姿がこの異界から消滅した。
「<新宿>から消えた」
ライドウのその言葉のトーンは、行う前から結果の見え透いた実験を終えた科学者が言うそれに似ていた。
「意外と烈しい性格をしてるんだな、少年」
地面に突き刺したままのリベリオンを引き抜きながらダンテが言った。
あれだけ地面に広がっていた血液が、ロキの消滅を契機に其処から消失している。体液もまた、持ち主の悪魔の消滅にリンクするらしかった。
「少年程察しが良い人間なら、あのペテン師の裏で誰が糸を引いているのか、解りそうなもんだがな」
「お前は解ったと言うのか? セイバー」
「まぁな。少年はどうだ?」
「見くびるな。ロキが『さる御方』と口にした時点で、凡その察しは付けている」
そう。
ロキ程の大悪魔が。北欧神話に名だたる主神や、彼に連なる様々な神格すらも嘲弄し続けたあの魔王が。
『御方』、と言う最上位に近しい尊称を用いる存在など、一人しかいない。
――大魔王・ルシファー。もしも、あの悪魔がこの聖杯戦争の裏で暗躍していると言うのなら、ライドウはこれからどのように動くのか、
と言う計画の大幅な修正を余儀なくされる。明けの明星の危険性は、サーヴァント程度とは比較にならない。
聖杯戦争の問題と帝都の守護を任務としつつ、ライドウはこれから、ルシファーの目論見の頓挫の為に動き回らねばならなくなる。
そしてロキは、これを見越していたに違いない。自分の裏で糸を引く存在を悟られたくないのならば、ライドウ程明晰なサマナーの前で、
『さる御方』などと言う言葉は使わない。黙秘を貫く筈である。それにも関わらずロキが、ライドウからすれば誰が裏で暗躍しているのかバレバレな言葉を、
敢えて使った理由はただ一つ。その方がロキとしても面白いし、そして、ルシファーとしても面白いに違いないと思ったからだろう。
ルシファーは知恵者である一方、享楽的で刹那的な一面を持つ。魔界に益のない出来事についても、本人が面白いと思えば平気で首を突っ込んでくる事など、珍しくない。
アバドン王事件など、正しくそうであった。ロキとしては、ルシファーの存在を認識する主従、しかもそれが腕の立つデビルサマナーなら、なおあの大魔王は喜ぶに違いないと思い、『わざと』口を滑らせたのだろう。
今回の聖杯戦争に、ルシファーがどのような価値を置いているのか。それを推理しようにも、今のライドウには余りにも証拠が少なすぎる。
だが、この聖杯戦争に道楽で関わっているのか、魔界の益になると見込んで関わっているのかを問わず、あの魔王が裏で関わっていると知った以上。
帝都の守護を任務とするライドウは、ルシファーの目論見を挫く事も視野に入れ動かねばならない。魔王の行う事は押し並べて、人類にとってロクな事がない。ライドウが腰を据えて問題の解決に移ろうとするのは、当たり前の事柄だった。
「少年は、ロキがルシファーについて口が滑らせてなお、あれが仲魔になると思ってたのか?」
「なる訳がないとは思っていたが、一応訊ねた。結果は案の定だったがな」
「おいおいその年でサディストかよ少年。だったらひと思いに殺してやっても良かったんじゃないのか?」
「嗜虐心を満たす為にあんな事をした訳じゃない。痛めつけて情報を吐き出させる他に、魔力を回復する意図もあった」
「魔力?」
「葛葉の奥義の中には、相手を斬り裂き魔力を奪う術も伝わっている。それを行った」
そう言われダンテは、パスを通じてライドウの魔力状況を精査するが――成程、嘘ではないらしい。
ロキとの戦いで魔力を消費したライドウであるが、その消費量が明らかに、あの戦いぶりと合致していない。もっと言うと、消費が余りにも小さすぎる。
このサマナーの言う通り、ロキを赤口葛葉で斬り付けた時に、魔力をあの魔王から徴収していたのだろう。抜け目がないにも程がある。
「ロキについて同情しているのか? セイバー」
「まさか」
即答である。ライドウの一抹の懸念を、一瞬でダンテは吹っ飛ばした。
「俺は悪魔が嫌いでね。況してそれが、道化師やピエロに近い姿をしてたら、もう耐えられない。わざと手を滑って、コイツを撃っちまいかねない」
言ってダンテは、手慣れた様子で、ホルスターからエボニーとアイボリーを取り出し、その銃口をライドウに向けた。
ライドウは特に臆した様子もない。「恰好つけなくても良いからしまえ」、と冷静に口にするだけだ。
「もうちっと可愛げのあるリアクションの仕方を憶えな」
と、何処か拗ねた様子で拳銃二丁をしまい、ダンテは頭上を見上げた。
赤黒い空は、何処までも広がっている。無辺無尽の荒野もまた、果てしなく。ガソリンを一滴残らず使い付くし、タイヤが擦り切れるまでハーレーを走らせたとしても、この世界の果てまで移動出来ないのではないだろうか、と思わせる程の広大さだった。
「異界って言うんだったか、これは」
「悪魔の展開する結界の様な物だ。推測だが、今の段階ではルシファーは<新宿>の直接的な破壊は本意じゃないのだろう。だから、展開した可能性がある」
「だろうな。で、少年に聞きたいが、張った本人が死んだってのに残り続ける結界とやらを、どう見る?」
其処まで言ってダンテは、リベリオンを強く握りライドウの方に向き直った。
ライドウも、いつまでも残り続ける結界の事を、妙だと思っていた。だからこそ、ロキに引導を渡してもなお、赤口葛葉を外気に晒したままだったのだ。
「新手の悪魔の可能性が高い」
「第二ラウンドってか、デザート代わりにすぐ倒せる奴が良いね」
ダンテが其処まで軽口を叩いたその瞬間だった。
ライドウから見て頭上三十m程の空間が突如、水面に小石を投げ入れた様な波紋が生じ始め、其処から何かが超音速で急降下して来たのだ!!
それが、紅蓮の剣身を持った長剣だと認識したのは、ダンテただ一人。彼は、手に持ったリベリオンを、急降下する紅い剣身の長剣と同じ速度で投擲。
投げ放たれたリベリオンは、弾道弾を迎撃するミサイル宛らに、その長剣と激突。長剣はそれ自体が、凄まじいエネルギーの凝集体だったらしい。
リベリオンの剣身とかち合ったその瞬間、目も眩まんばかりの大爆発が巻き起こり、世界をオレンジ色に染め上げた。
長剣を破壊し、なおダンテの投げ放った時の推進力を維持するリベリオンは、遥か彼方の空へと消えて行こうとするが、
ダンテが腕を掲げる動作に反応し、ブンブンと水平に回転しながら、ブーメランの要領で持ち主の下へと戻って行き、その手に柄が収まった。
「直に倒せそうか、セイバー」
封魔管を二本、取り出しながらライドウが訊ねる。目線はダンテではなく、彼の十m程先で、人型に歪み始めた空間に向けられている。
「直は無理だな。それでも、勝つのは俺なんだけどな」
平時の軽口を叩きながら、ダンテはそう返す。
人型の歪みが、明白に、色と形を伴って行き、遂にはその姿をライドウ達の前に露にする。
鋭く輝く銀色の鎧。蝗を模したようなそのフルフェイスのヘルメット。複眼と思しき意匠の、エメラルド色の瞳。
一筋縄では行かないと、ライドウもダンテも即座に認識するだけの気風と覇風を、そのサーヴァントは放出し続けていた。
――影の王子、或いは銀鎧の戦士、或いは月の継承者、或いは、世紀王。
シャドームーンは科学で作られた千里眼、マイティアイをダンテらに向け、静かに、シャドームーンが無限に産み出す魔力を体内に循環させるのであった。
前半の投下を終了します
ロキ相手に宝具抜きで勝つとかぱネェ
シャドームーンといえど一人じゃキツイぞ
後編を投下します
たとい記憶喪失になったとしても、永遠に脳裏と網膜にその姿が焼き付きかねない程の美魔人、秋せつらとの戦いから、じき三時間に達するかと言う時だった。
せつらの逃走と言う形で終わりを見た、南元町の一戦。あの戦いの後シャドームーンは、あの街の全住人からウェザーと自分の記憶を抹消。
別の所へと拠点を移し、其処で傷を癒す為の時間を待つ事とした。
――傷を癒す。
あの戦いでシャドームーンはその左脇腹に、せつらの魔糸による斬撃を貰ってしまった。
せつらとの一戦で消費した魔力そのものは、キングストーンが幾らでも回復させる。現にシャドームーンは、既に魔力を完全に回復するどころか、
主であるウェザーに、余剰な魔力を分け与え、彼の魔力の回復すらもさせた程である。このように、魔力に関して言えばシャドームーンは、売る程あると言っても良い。
魔力の大小こそが、聖杯戦争の勝敗に直結する事は最早言うまでもない。その構成要素の殆どが魔力であるサーヴァント、その回復に使われるリソースもまた魔力であり、
魔力を湯水の如く費やせば、極めて強引ではあるが、どんな傷でも治す事が理論の上では可能なのである。
それを行っているにも拘らず、せつらによって付けられた殺線の傷が、全く癒えない。
ゴルゴムの改造人間、その中でも最上位の格である世紀王であるシャドームーンに備わる自己再生能力に、多量の魔力を回復に費やしても。
傷の回復のみに二時間を費やしても。治りが良くなった程度しか回復出来ていない。まるでスティグマだ。如何なる技を用いれば、シャドームーン程の存在に、これだけの手傷を負わせる事が出来るのか。彼自身にも、全く理解が出来なかった。
一時に比べて傷の治りがマシになったとは言え、激しく動けば傷は当然悪化する事だろう。
さりとてそれが、聖杯戦争に敗れた理由とする訳にも行かない。シャドームーンの脇腹の弱点を目敏く突いてくる敵の事を、当然想定している。油断は一切してはならない。
その事を胸に刻みながら、シャドームーンは歌舞伎町の周辺を見回っていた。何故この場所を見回っていたのか、と言う理由は一つ。
ウェザーの新しい拠点が、歌舞伎町のとある店、もっと言えば会員制の高級バーであるからだ。ならばその周辺を重点的に見回るのは、当たり前の話。つまりシャドームーンは、ウェザーを拠点に残し、従来通りパトロールを行っていたのだ。
その折に、シャドームーンは見つけてしまった。
自身のマイティアイですら、その正体が解析出来ぬ、正体不明の謎の存在をだ。その存在はシャドームーンの目には、紫のスーツを身に纏う遊び人風の男に見えた。
その男を見てもシャドームーンは驚かなかった。前例があったからだ。あのメフィスト病院で見た、美しい白魔人を従える、黒いスーツの紳士と、その遊び人は良く似ている。
メフィスト病院の時は、誰ならんメフィストの目があったが為に、黒いスーツの紳士――ルイ・サイファーの正体を詮索出来なかった。しかし、今は違う。
ありとあらゆる尋問手段を駆使し、マイティアイですら解析出来ない『謎』を解き明かせるかも知れないのだ。
シャドームーンはルイや、遊び人の男の正体に、とてつもなく嫌な予感を感じていた。どちらも、単なるマスターとも、単なるNPCとも思えない何かがある。
現状、せつらやメフィストよりもマークしておかねばならない人物だとシャドームーンは踏んでいる。遊び人の男の正体を看破するべく、キングストーンの力で疑似的に気配遮断を付与させ、彼を尾行していた、その時だった。明らかに自分と同じターゲットを尾行する、聖杯戦争の主従を見つけてしまったのは。
遊び人、つまり、ロキの尾行に並行して、同じく尾行を行う主従。ライドウとダンテの組の動向も、シャドームーンは窺っていた。
それを行う内に、この二人は、ロキが展開したと思しき、この世から隔絶された空間内に、展開者たるロキ共々隔離。
其処で戦う様子を、シャドームーンは眺めていたと言う訳だ。普通は、こんな芸当は出来ない。NPCは元より、魔術的素養に長けるサーヴァントですら、
ロキが展開させた結界の様な物は認識出来ないだろう。何せこの結界はこの世界に展開されていながら、この世界には存在しない文字通りの『異界』なのだから。
だがシャドームーンのマイティアイは誤魔化せない。別の位相に逃れようとも、ゴルゴムの科学と魔術によりて編まれた千里眼からは、逃れられないのだ。
――シャドームーンは、ロキの展開した異界の外から、全てを見ていた。
ロキと言う存在が何者なのかも既に知っている。そして、ライドウとダンテが、如何なる戦い方をするのかも、だ。
ロキと言う邪魔者も既に存在せず、ダンテらの戦い方も十分リサーチし。勝てると踏んだからこそシャドームーンは、キングストーンの力を利用し、異界の中へと侵入した。
この空間でならば、NPCや建造物に気を使った戦いなど、する必要がない。誰に憚る事無く戦える。負ける道理など、全くないと言っても良い。
「また斬り応えのありそうな奴が来たもんだ」
言ってダンテが、リベリオンを構え、軽い調子で口にする。
話し合いの余地が介在しない事を、既にライドウ達は理解している。その事自体を徹底的に拒むオーラを、シャドームーンが放出しているからだ。
何を話した所で向こうに応じる気がない以上、戦闘に即座に移れる体勢に移行した方が、遥かに速い。
「ヘイ、ミスター・グラスホッパー。好物のレタスかキュウリを後ででも買ってやるから、大人しく帰ってくれねーか」
バッタをモティーフにした姿をしている、と言う事はダンテの感性でも理解が出来たらしい。
それに準えた挑発をして見せるが、シャドームーンの方は、泰然自若。歳月を経た巨岩の如く、動じもしない。
「言いたい事はそれだけか、混ざり物の小僧」
シャドームーンの心には、波風一つ立ちはしない。
逆に、ダンテに対してこう言い返すだけである。マイティアイは、ダンテが『人間のサーヴァント』ではない事を見抜いている。
正確に言えば、人間と、シャドームーンの知らない何かとの相の子である。恐らくはゴルゴムやクライシスですら確認出来ていない、未知の超常存在。
その因子こそが、目の前のセイバーの強さの骨子であり、そして、彼の誇りであるとも、シャドームーンは推察している。だからこそ、彼のその誇りを、抉って見せた。
「混ざってるからこそ強いものもあるさ。バッタの頭には解らないだろうがね」
挑発には挑発で返す。ダンテの礼儀であった。
その言葉を受けるや、銀蝗の戦士は、キングストーンに溜められた魔力の一部を用い、、質量と形を三次元空間に伴わせた物質へと可塑させる。
真紅色の剣身を持った二振りの剣。右手に握られたそれは、刃渡り一mに届こうかと言う長剣。左手に握られたそれは、右手のそれの半分程度の長さと言うべき剣。
斬ると言う能力を極限まで高められたその二つの剣を、シャドーセイバーと言う。斬り捨てて来た生命の血が凝集されたような刀身のそれを、シャドームーンは構えて見せる。其処に一部の隙も、ダンテもライドウも見いだせなかった。剣豪の素養も、シャドームーンにはあるらしかった。
「その気取った態度をいつまで取れるかな」
「死ぬまでさ」
其処でダンテは、リベリオンの柄の装飾を見た。
鍔に当たる部分に、人間の肋骨と、限界まで開かれた頭蓋骨の意匠の成された、不気味で趣味の悪いその装飾を。それは正しく、悪魔の振うべき得物であった。
「――俺が、じゃなくて、アンタがだぜ。バッタ野郎」
其処で、ダンテの全身が霞と消えた。
それに呼応するように、彼の背後十m程の場所まで移動していたライドウが、二本の封魔管から緑色の光をたばしらせ、悪魔を顕現させようとする。
瞬間移動。如何に魔帝と並ぶ強さを誇る大悪魔・スパーダの血を引くダンテであろうとも、この神技はおいそれとは使えない。
これを行使するには、体中の魔術回路を『移動』に極限まで適した配置に組み換える必要があり、これを終えて初めて瞬間移動が可能となる。
エアトリック。ダンテが認識した相手を基点として、短距離ではあるが瞬間移動を成す奥義。それこそが、今の今までダンテが使って来た、瞬間移動の正体だった。
シャドームーンの背後に回ったダンテは、手に持ったスパーダの形見の魔剣・リベリオンを猛速で振う。
それが振われ始めた段階で、シャドームーンは竜巻の如き勢いで身体をダンテの方に向け、長い方のシャドーセイバーでその一撃を防御。
響き渡る、かん高い金属音。剣身の幅、有している筈の質量、見た目の頑健さ。どれをとってもシャドーセイバーの方が劣っている筈なのに、
実際にはリベリオンとシャドーセイバーは拮抗の体を成していた。シャドームーンとダンテの腕力が、余りにも異次元染みた物の為か?
リベリオンとシャドームーンの接合点の一部は赤く爛々と赤熱し、心なしか、周りの空間が歪んでいるようにも見えた。
想像以上の腕力だと思ったのは、ダンテの方だ。シャープだがしかし、様々な力が高いレベルで引き絞られたボディであるシャドームーン。
筋力の方も、優れたそれであろうとは思っていたが、此処までとは思っていなかった。対するシャドームーンの方は、やはり予想通りの筋力であると思っていた。
無論、油断すればシャドームーンであろうとも押し負けるレベルの筋力だ。しかし、油断しない限り、此方が破られる事もない。ならば勝つのは、シャドームーンの方だった。
シャドーセイバーからリベリオンを離すダンテ。
離し終えるや、シャドームーンの体勢を崩そうと、百分の一どころか千分の一秒にも達さん程の早抜きで、ガンホルスターからアイボリーを取り出し、
銀鎧の戦士の膝にそれを発砲。この際、シャドームーンは、ダンテの動作を読んでいたのみならず、またしても彼の身体の魔術回路が組み替えられていたのを認識していた。
放たれた弾丸を、短剣の方のシャドーセイバーを振って弾き飛ばし、長い方のそれでダンテの首を穿たんと刺突を放つ。
それを魔剣士は、リベリオンの腹で受け止め、防御。シャドームーンの刺突には凄まじいまでの力が込められたらしい。
衝突の影響で衝撃波が発生し、先の戦いでロキが放ったメギドラオンの影響で割れた大地、その破片が中空を舞った。この防御の際にも、魔術回路は組み替えられている。そして、それだけのエネルギーを秘めた刺突を防御しても、体勢を崩すどころか、よろめいてすらいなかった。
刃渡り一m半ばもあろうかと言う大剣を、まるで己の腕の様に器用に振うダンテ。
シャドームーンの方も負けてはいない。長さの違う二本の真紅剣を、剣豪も裸足で逃げ出すかのような技量と、竜も殺せる程の豪力を以て操るのだ。
ダンテがリベリオンを稲妻の如き勢いで縦から振り下ろせば、身体を半身にしてシャドームーンがそれを回避し、カウンターと言わんばかりに短剣を突き刺そうとする。
それを悪魔の剣士は左腕で払いのけ、靴底で銀鎧の戦士の右膝を撃ち抜こうとするも、長剣の方のシャドーセイバーで難なく防がれる。
シャドームーンが勢いよく後ろに飛び退き、飛び退きざまに短い方のシャドーセイバーを、ダンテ目掛けて投擲。
初速の段階で音の二倍に達し、ダンテに直撃するまで四m程に達した時点で、初速の更に二倍に達した速度のそれを、魔剣士は目にも留まらぬ速度で大上段からリベリオンを振り下ろす事で、真っ二つに割断、破壊する。
タッ、とシャドームーンが着地すると同時に、ダンテの居る方向とは違う別方向。
左右から挟み込むように、魔力の塊が放たれた。左から放たれたそれは、十mには成ろうかと言う大きさの氷塊。右から迫りくるそれは、蒼白い稲光。
右から稲光を放った者は、蜘蛛の怪物だった。但し、『大きさだけで四m程にもなろうかと言う巨大な体躯に、尖った角を持った鬼の顔を持つ』、と言う修飾句が前につく。
左から氷塊を放った者は、人魚だった。但し、メルヘンの世界に出てくるような下半身が魚で上半身が人のそれでなく、『人の身体に魚の鱗と頭、鰭を持った』半魚人だ。
二匹の魔物は、ライドウが使役する悪魔だった。蜘蛛の悪魔の方をツチグモ、人魚の悪魔の方をアズミ、と言う。どちらも日の本の国に古来から伝わる妖怪であった。
シャドームーンを挟み撃ちするように放たれた二つの攻撃。
それを見てダンテは、リベリオンに自分の赤い魔力を纏わせ、それを勢いよく振い、巨大な氷山すらも破壊する程の赤黒の衝撃波を放った。
誰が見ても、そして実際にも、アズミとツチグモの攻撃に便乗した体なのは、明らかであった。
シャドームーンは、ライドウの使役する両悪魔の攻撃を無視。ダンテの放った攻撃のみを対処すると決めたらしい。
短剣の方のシャドウセイバーを離した左手の指から、若い竹の様な緑色をしたスパーク――もとい、破壊光線を迸らせる。
世紀王の証たるキングストーンの力の発露、その最も基本的なものの一つである、シャドービームである。
破壊光線は、ダンテの放った赤黒の衝撃波――ドライブ――と直撃、相殺を引き起こし、地面を消滅させる程の爆発を引き起こす。
当然、ダンテの放った衝撃波のみを防いだ為、シャドームーンを挟むように放たれた二つの魔術は無慈悲に、この蝗の戦士に直撃する運びとなった。
だが、二つの魔術が彼にぶつかった瞬間、魔術の方が、水を掛けられた塩の様に溶けて行き、淡い色の粒子となって消滅したのを見て。
そもそもこの男は、悪魔の放った魔術を、回避も防御もする必要がなかったのだと知る。セイバーと言うクラスを見て、対魔力が当然あるものとライドウも思っていた。
だが、悪魔の放つ魔術を一方的に無効化するとなると、予定は変更だ。ダンテの攻撃をサポートするように、援護射撃の要領でシャドームーンを攻撃するつもりだったが、この対魔力の高さでは、魔力の無駄であった。
シャドームーンがキングストーンの魔力を身体に循環させる。
それを見て、何かを感じ取ったらしく、リベリオンで己の身体を隠す様な防御の姿勢を取る。それを取った瞬間に、彼の身体が、丸めた紙のように吹っ飛んだ。
その光景を目の当たりにし、カッと目を見開かせるライドウ。即座にアズミを管の中に戻そうとする。
しかし、ライドウがその動作を行うより速く、宙を泳ぐが如く浮遊する、半漁人の悪魔の身体が、痙攣でも起こした様にくの字に折れ曲がり、凄まじい勢いで吹っ飛んだ。
戦車を思わせる程大柄な身体つきをしたツチグモの身体が、段ボールで誂えた張りぼての戦車の如く、アズミの次に中空を舞う。
事此処に至り、シャドームーンの攻撃の正体を看破したライドウが、赤口葛葉を引き抜き、前面にそれを音の速度で振り下ろした。
マグネタイトを纏わせた影響で、ヒカリゴケの様に淡く光る剣身を持つに至った赤口葛葉は、透明な何かを斬り裂いたらしい。
凄まじい烈風が、何かを斬り裂いたと思しき所から荒れ狂い、ライドウのマントをバタバタとはためかせる。間一髪のところで、シャドームーンの放った『念動力』を斬り裂いていたのだ。悪魔の中に、『PSY』に通じる者もいると知っていなければ、防げぬ一撃であった。
まさかアレを斬って防ぐとは、と。表面上には全くその仕草を出さないが、シャドームーンも驚いている。あの美貌の魔人と同じ防ぎ方をするとは。
呆けた老人のように何も考えず、ロキの展開した異界の外から、ダンテとライドウの戦いぶりを見ていた訳じゃない。
彼らの強さや、戦闘のスタイルを見極め、勝てると踏んだ上で、主を失い本来ならば壊れゆく定めだったロキの異界を、態々キングストーンの魔力で延命させ、
ライドウ達に喧嘩を売ったのだ。実際に矛を交え、解った事は一つ。この主従はどんな辛辣な視点から見ても、此処<新宿>における聖杯戦争の参加者、
その中で最強に近しい一角であると言う事だ。サーヴァントであるセイバー・ダンテは言うに及ばず、それ以上に脅威なのがマスターである。
並のサーヴァントなど相手にならぬ程の身体能力に、使役する悪魔の援護があり、極め付けに、身体を循環する膨大な魔力。
マスターの魔力の多少は、サーヴァントのステータスや宝具の使用回数、そして何よりもサーヴァントを維持出来る時間と直結する。
ただでさえ強いダンテが、マスターの魔力で強化されているのだ。これに加えて、サーヴァント並の強さを誇るマスターが、波状攻撃を仕掛けに来る。最強の主従の一角、シャドームーンのその見立ては、節穴でも何でもないと言う訳だ。
――だが、この二人の先を自分は行っていると、シャドームーンは踏んでいた。
キングストーンの魔力を用い、不可視の念動力の壁を創造するシャドームーン。
その壁が、魔力を練り固めた小さな塊を絡め取る。その数、実に百数十。シャドームーンが生み出した念動壁は、性質としては水あめに近いらしい。
魔力の塊の正体は、ダンテの操る二丁拳銃、エボニーとアイボリーから放たれた弾丸だった。弾をある程度絡め取ってから、シャドームーンは銃声が此方に到達したのを捉えた。
視界の先五十m先には、拳銃の銃口を此方に向けるダンテがいる。ダンテを吹っ飛ばした念動力は、威力にして二十tトラックの衝突を遥かに上回る強さだった筈なのに、
即座に復帰し、反撃に転じたらしい。これも、戦闘データを分析して解っていた事だが、ダンテは恐ろしく戦闘慣れしたサーヴァントだった。
あまりに高い戦闘の練度を見てシャドームーンは、黒い飛蝗の鎧を纏う、世紀王の片割れにして宿敵である、黒い太陽の名を冠するあの男の事を思い出していた。
絡め取った魔力弾を、念動壁の中で溶かし終えたシャドームーンは、キングストーンの力を用い、今いる場所から瞬時に転移。
一瞬で、エボニーとアイボリーをその手に構えた魔剣士の真正面に移動。シャドーセイバーによる刺突を首目掛けて放つ。
その一撃を身体を半身にさせる事でダンテは回避、避けざまにエボニーをシャドームーンのマイティアイ目掛けて発砲。弾は七発放たれた。
放たれたその弾丸を、蝗を模した鎧の戦士は、エルボートリガーを高速駆動させた左腕を、弾道上に配置。弾は、腕に当たった瞬間砂糖菓子みたいに砕け散った。
其処からの応酬は、正に、魔人と魔人とでしか繰り広げる事は出来ない、熾烈なそれであった。
刺突の為に伸ばした腕を引き戻す際、隙を消すと言う意味で、念動力の波動を周囲に発散させるシャドームーン
身体中の魔術回路を移動に適したそれ――つまり、ダンテが『トリックスター』と呼んでいるスタイルに一瞬で組み換え、足を全く動かさず、
スケートリンクの上を滑るかのように地面を移動。念動波が自分を呑み込むよりも速く、ダンテはその範囲外へと逃げ切った。
念動波の範囲外へと移動したと認識した瞬間、エボニーとアイボリーにこれでもかと言う程魔力を纏わせ、乱射する。
先程弾丸を絡め取った、念動力の壁を生みだし、その弾丸に先程と同じ様な末路をくれてやろうとするシャドームーンだったが、如何やらこのデビルハンターは、
暴力的とさえ言える魔力を弾丸に纏わせているらしい。百発程の弾丸を絡めた所で、水あめの性質を持ったその壁に亀裂が入り始めた。
後数十発で壁が砕け散ると判断したシャドームーンが、キングストーンの魔力を用い、ゼロ秒に限りなく近い速度で、防具を創造。
世紀王が生み出した防具は、盾だった。球を呑み込もうとする蛇の意匠が凝らされた、大きな盾。
創世王にも、その玉座に至る為の称号である世紀王にもなり損ねたある怪人が持っていた盾に、それは良く似ていた。
念動壁が、ダンテの放つ弾丸の暴威に耐え切れず、弾け飛んだ。
それを認識するや、シャドームーンは盾――敢えて言えば、シャドーテクターになろうか――を弾道上に配置し、ダンテの方へと猛進した。
レッグトリガーと地面がぶつかるカシャン、と言う音が忙しなく響き渡る。此方に向かい来るシャドームーンに、死神が高速で此方に迫ってくるような錯覚をダンテは見た。
いや或いは、黙示録に語られる、蝗害を司る深遠の魔王か。その魔王は、鋭く輝く銀の外皮に、死の香りと光を閉じ込めた、一人の戦士であった。
ダンテの放つ弾丸は、ある時は盾に当たるも弾き飛ばされ、ある時は運が良かったのか、盾に少しめり込んだりと、安定しない。
基本的には通用していないと見るべきだろう。盾にめり込むものにしたって、角度が偶然『ハマった』から起きた現象に過ぎず、
そのラッキーがなければ基本的には弾かれる、と言う結果に終るに相違ない。
シャドームーンとダンテの彼我の距離が、十五m程になった所で、ダンテが動いた。今まで操っていた拳銃二丁をホルスターにしまい、背負っていた大剣を握りだす。
そして、自らの背中から、魔力をジェットエンジンの噴流の如く放出。その勢いを借りて、地面を高速で滑って移動する勢いを利用するあの刺突を放った。
蜂の毒針の様に一点をミサイルじみた勢いで一突きする事から、着けられた名前が『スティンガー』。それが、スパーダから教えられた剣術の一つ、その名であった。
魔力放出の力を借り、音の速度を遥かに超越する速度での移動速を得たダンテ。その速度と、ダンテと獲物であるリベリオンの質量を乗せた一突きが今。
シャドームーンの盾に直撃した。百二十mm以上の戦車砲ですら傷一つ負わずに弾き飛ばすその盾は、内部が空洞であったとしか思えぬ程呆気なく砕け散る。
明らかに、盾を破壊した時の感触が、軽過ぎる。
その訳を、ダンテは知っていた。盾で攻撃を防御する場合、盾を持つ人間がそれの裏側にいる筈なのだ。それがいない。だから盾を受け止めた時の衝撃が軽いのだ。
――シャドームーンは、魔剣であるリベリオンの剣先が、盾に触れる寸前で、盾から手を離し、前方に跳躍していた。
前方方向に回転しながら彼は、ダンテの頭を飛び越え、飛び越え終えるや、彼の背中をシャドーセイバーで斬り裂こうとする。
気配に気付いたダンテが、前方を高速で滑動するが、完全に回避には至らなかったらしい。トレードマークの紅いコートごと、背中をバッサリと斬られてしまう。
「チィッ!!」
顔を苦痛に歪めながら、直に身体の向きを、空中から地面に着地しつつあるシャドームーンの方にターンさせる。
この時、体中の回路の配置を変更。攻撃に偏重した形に組み替える事も、同時に行っていた。
そして、まばたきするより速くリベリオンに赤黒い魔力を纏わせ、それを横薙ぎに振るう。可視化された赤黒い衝撃波、ドライブが、音の数倍の速度で飛来する。
放たれた一撃を、シャドーセイバーの一振りで破壊する――しかし、攻撃の手はそれだけでは止まなかった。
彼がドライブを破壊せんとシャドーセイバーを振ったその瞬間に合わせて、もう一発ダンテがドライブを放ったのだ!!
唸りを上げるシャドームーン。まさかここまで矢継ぎ早に、これだけの攻撃を放てるとは思ってなかったのだ。
縦向きに迫りくる第二陣の衝撃波を、キングストーンの念動波で粉砕する。それと同時に、シャドームーンが着地を決めた。
此処までは実に鮮やかな手管で、シャドームーンはダンテの攻撃を防ぎ切って見せた。
だが、彼に誤算があったとすれば――。攻撃の波は、第三陣まであった、と言う事だろう。
ダンテが三度リベリオンを振う。魔力が纏われていないその大剣から、だまし討ちと言わんばかりに衝撃波が迸った!!
「――何ッ!!」
左斜め向きに放たれたその衝撃波に、シャドームーンが驚きの声を上げる。
回避に移ろうにも、着地した瞬間である為それも難しいし、瞬間移動を行おうにも、これを行う為に必要なプロセス、それを経る時間もない。
辛うじて出来た事は、キングストーンの魔力に防性を付与させ、それを身体に纏わせると言う事だけだった。
緑がかった霞めいた物が、シャドームーンの身体を薄らと覆ったその瞬間に、ドライブが直撃した。
ダンテの烈しい魔力と、キングストーンによりて洗練されたシャドームーンの魔力がぶつかり合い、巨大な火花を散らせる。攻撃と防御は、拮抗していた。
しかしそれも、ほんの一秒程度の事。殺意を内包した赤黒い衝撃波は、防性の魔力を斬り裂いて、シャドームーンに直撃する。
「ぐぅ……!!」と唸る銀蝗の戦士。だが、ドライブの方も、防御の為の魔力を突破するのに勢いを削がれたらしく、十全とは言い難い威力であった。
シャドームーンの強化外皮、シルバーガードを斬り裂き、其処から血を流させる事が出来たのは、ゴルゴムやクライシスの基準で言えば称賛に値するべき事柄であっただろうが、ダンテはこの攻撃でシャドームーンを仕留める算段だったのだ。到底、百点満点の成果とは言えなかった。
「貴様……」
「御怒りかな? お互い様さ、俺もコートが台無しだ」
と言って、余裕であると言う口ぶりでダンテは、己のコートの裾を摘まんで見せた。
シャドーセイバーのよるダメージが背中、しかも浅手であったとは言え、与えられたダメージは、サーヴァントであっても無視出来ないものの筈。
シャドームーンはそう推察していた。にも拘らず、ダンテは平然とした調子で、普段と変わらぬ軽口を叩けている。これは果たして、どう言う事だ。
あの男の身体に巡る何かの血は、自分の予想を超えた存在の物だとでも言うのか、と考える。
シャドームーンが何も言い返さないのを見るや、ダンテも押し黙る。
ヘヴィーで、ガッツのありそうな奴だとは、ダンテも思っていた。だが、此処までのものとは予想外だ。
多彩な能力、優れた剣術、そして基礎となる身体能力の高さ。どれをとっても、生前戦った上級悪魔の殆どを、目の前のサーヴァントは超えている。
ロキの時は、ライドウが悪魔について優れた見識があった事と、このデビルハンター自身も悪魔が用いる攻撃の魔術が如何なる物か既知であった為に、対処も簡単だった。
シャドームーンは正真正銘、ダンテも初めて戦うタイプであり、それを抜きにしても強いサーヴァント。苦戦を免れぬのも当然の理屈。
とてもじゃないが、マスターを守りながら戦える相手とは言い難い。そしてシャドームーンの方が、次に考えそうな事も、凡そダンテは推察出来ていた。
サーヴァントを狙うよりも、マスターを重点的に狙った方が速い。
それは、聖杯戦争に参戦する全主従の、当たり前にして論ずるまでもない、前提であった。
――少年の事をもう少し信頼してやるべきかね……――
とは言え、ダンテのマスターであるライドウは、敵に回せば相当な曲者だが、味方にすればこれ以上となく頼りになる男だ。
彼の魔力量と身体能力には全幅の自信をダンテは寄せているが、シャドームーンの多芸さと基礎的な身体能力の前では、些か不安が残る。
ライドウの防衛を一切無視して、シャドームーンに集中するか。それとも、ライドウを守り通しながら戦えるのか、と言う可能性に賭けるか。選択肢はこの二つであった。
カシャン、と言う音が響いた。軽快な金属音であるが、事情を知っている者からすれば、山程の質量の岩が天蓋から降り注ぐよりもずっと恐ろしいものであろう。
シャドームーンが歩む際に、その音は奏でられる。地面に取り付けられた、超高速振動を付与させる事で攻撃能力の増強を図る装置、レッグトリガー。
それが地面と接する時に立てられる音だった。その音を立てるシャドームーンの戦闘能力と苛烈な性格もあって、対峙した者からしたら、死神が迫る音としか聞えぬだろう。
彼は、ダンテの方に、ゆっくりと近付いていた。一歩一歩を噛みしめるように、徐々に、徐々に。ゆらゆらと陽炎の如く、右手に持ったシャドーセイバーが揺らめいていた。
【少年】
【どうした】
ライドウの返事はいつもと変わりがないそれだった。無感情さを感じる一方で、冷静さをまるで損なっていない声音。
つまり、シャドームーンの強さと、ダンテが苦戦している様子を目の当たりにしても、動じていないと言う事を意味する。
ライドウの方に少し意識を傾けさせるダンテ。先のシャドームーンの念動力で重傷を負ったアズミを封魔管に戻し終え、近場にツチグモを侍らせるライドウがいた。
アズミの方は一溜りもなかったようだが、流石にツチグモは、重戦車を思わせる姿をしているだけあって、一発は耐えたらしい。それでも相当堪えたのは事実らしく、ツチグモは目を回し、苦しそうな体であった。
【あのバッタを倒すのに専念したいんだが、倒せるまで持ち堪えられるか?】
【やってみるが、お前の方は倒せそうなのか、セイバー】
【ベストは尽くす、最悪次に持ち込む程のダメージを与えるまでは食い下がる】
【ならお前を信じよう。やれ】
「Yes,My Master!!」
其処で敢えて、念話を用いず自らの口で、しかも矢鱈うるさい声音で、ダンテが意思を表明した。
突然のダンテの奇行に、シャドームーンは極めて短い時間であるが、その行動の意図を読み取ろうと、動くのをやめて何かを考えてしまった。
その隙を穿つように、ダンテが動いた。左足で地面を蹴り、シャドームーンの下へと走る。十五mと言う、拳銃も避けられそうだった彼我の間合いが、まばたきをするより速くゼロになった。
間合いに入った瞬間、敢えてダンテは、リベリオンを用いるのではなく、己の『素手』による攻撃を敢行した。
シャドームーンのマイティアイ目掛けて、左フックを放つダンテ。魔具を一切纏わせてない、裸の拳の攻撃とは言え、スパーダの半身から放たれる殴打は、
自身の身長より大きい自然岩や鋼の塊を粉々にする程の威力を保有している。そのマイティアイで、放たれた一撃の威力を理解したシャドームーン。
エルボートリガーを高速駆動させ、ダンテのフックを左手の甲で防御。やはりと言うべきか、シルバーガード越しでもダンテの一撃は重い。当たり所によっては、大ダメージも免れまい。
格闘戦を行うと言う都合上、当然剣の間合い以上に接近戦を意識せねばならない。
ダンテは事実、かなりシャドームーンに接近している。これでは、折角の得物であるシャドーセイバーの効力も半減する。
故に彼は、早々に自らが今まで振っていたシャドーセイバーの放棄を決めた。
瞬間的にシャドウセイバーを魔力の粒子にさせて、消滅。そしてシャドームーンは、格闘戦へと持ち込んだ。
シルバーガードに覆われたシャドームーンの胸部目掛けて、正しく弾丸(バレット)の様な速度と勢いの右ジャブを、ゼロカンマ秒の間に数発以上も放つダンテ。
それを、腕が霞んで見える程の速度で両腕を動かし、シャドームーンは攻撃を全て捌き切る。
攻撃を防ぎ終えたその瞬間、レッグトリガーを駆動させ、シャドームーンは鋭い膝蹴りを間髪入れずにダンテへと叩きこもうとする。
直撃すれば、人間の骨格は頭蓋から足の指先のそれまで全て粉々にされて即死する程の威力。それを、赤いコートの魔剣士は、避けずに防ごうと試みた。
身体中の魔術回路を瞬間的に組み替える。腕と脚全体に重点的に回路を移動させ終えた彼は、その状態の腕で、
ロキの時に散々見せた様な似非カンフー映画宛らの防御を披露する。そして響き割ったのは、生身と強化外皮で覆われた膝が衝突したとは思えない程の、澄んだ金属音。
その音が響いたと同時に、シャドームーン程の体術の持ち主が、大風で煽られたみたいに仰け反った。
シャドームーンがダンテを殴った時に、その腕に伝わった感覚は鋼。それも、強大な斥力を発散し続ける、巨大な鋼。
エルボートリガーを駆動させているにも関わらず、こうまで一方的に攻撃が弾かれるとは思わなかった。防御の技術に秘密がある事は、明白だった。
仰け反って隙だらけのシャドームーンの胸部に、再びダンテが一撃を放つ。シャドームーンが秋月信彦だった時代に見た事がある。空手の正拳突きだ。
如何にもな外人が行う正拳突きにしては、かなり堂に入っている。何よりも、悪魔の膂力から放たれたそれは、容易く音の壁を突破していた。
腕の軌道上にシャドームーンは左掌を配置、それを受け止める。衝撃が腕全体を伝播する。細やかな蟻に腕を這われるような痺れが左腕に走った。
ダンテが腕を離すよりも速く、ガッと握り拳を掴む。腕を振り払われる前に、シャドームーンはマイティアイを妖しく緑色に輝かせた。
キングストーンを用いた催眠術だが、大魔剣士スパーダの血を引くセイバー、ダンテにこんな姑息な手段が通じるとはシャドームーンも端から思っていない。
対魔力もあるだろうし、何よりもダンテ自身には精神干渉は全く意味を成さない。世紀王の推理は当たっていた。
ただ一瞬だけ、その光が何を意味するのか、それを相手に考えさせる時間――隙――を与えさせたかっただけ。そしてダンテは、その罠に嵌った。
世紀王レベルの存在となると、ゼロカンマ一秒と言う短い時間ですらが隙となる。
ダンテの一瞬の隙を見逃さず、シャドームーンは握る場所をダンテの右拳から右手首へと変えさせ、そのまま、己の腕力のみで彼を空中へと放り投げた。
ロキと戦っていた時のダンテの戦いぶりを、異界の外から見ていたシャドームーンは知っている。
ダンテと言うサーヴァントは、空中での移動手段を持っている事を。つまり、身動きが取れないだろうと思い中空に放り出しても、意味がないと言う事だ。
実際ダンテは空中に放り出そうとシャドームーンが彼を浮かばせ、手首から手を離したその瞬間には、体中の回路を組み替え終えていた。
だからこそ影月の王子は、一切の間断なく、キングストーンが生み出す魔力を以て武器の生成に掛かった。
ダンテの周囲の空間に、波紋の様な紋様が走り始め、其処から、穴倉から蛇が顔を出す様に、様々な武器が姿を現した。
思考のスピードと全く差のない速度だった。彼の周囲に様々な武器が展開され、彼を囲い込む。槍、長剣、短剣、斧、矢。その数優に百以上。
それら全てが、殺意をダンテへと向けていた。奇しくも得物の殺傷部位の色は、皆紅色であった。
「念入りな事だ」
と、ダンテは愚痴った。自分だけを攻撃するつもりならば、まだどうとでもなった。
流石にシャドームーン。抜け目がなかった。攻撃の対象はダンテだけじゃない。ライドウもまた、含まれていた。
黒衣のデビルサマナーもまた、ダンテ同様、種々様々な武器に周りを取り囲まれているのだ。上下左右。ライドウに逃げ場など、全くなかった。
「ツチグモ」
「ゲェ、貧乏くじ!! しゃあねぇ、お前たっての頼みだ、やってやる。悪魔は酔狂ォォォォォォ!!」
驚きの表情を一瞬だけ浮かべるライドウであったが、彼の行動は適切であった。今まで傍に侍らせていたツチグモに、命令を飛ばしたのだ。
その様子を見たダンテは、即座にホルスターからエボニーとアイボリーを引き抜き、銃口をライドウ達の方目掛けて連射。
魔剣士の周りを取り囲む武器と武器との間を掻い潜るように、弾丸は彼らの方に向かって行く。
弾はライドウとツチグモ――ではなく、彼らを取り囲む武器、その中で、ライドウらが向き直っている方向のそれらに重点的に直撃する。
物質的な強度が凄まじい、シャドームーンの生成する武器と言えども、サイズから考えれば暴力的としか思えない程魔力を纏わせた弾に何発も直撃すれば、脆くもなる。
その脆くなり始めた瞬間に、ダンテが弾丸をぶつけまくった武器のある方向に、ツチグモが勢いよく突進を始める。蜘蛛の悪魔の後を追う形で、ライドウも走った。
正しく、ダンプの爆走を思わせるような勢いだった。人間は当然の事、戦車ですらこの突進に直撃すればスクラップになるであろう凄味があった。
ツチグモの猛進を受け、その進行方向状にある、空中に象嵌された武器の尽くが飴細工のように粉砕され、赤色のきららを中空に散らした。
ツチグモが猛進したその瞬間、ダンテの方と、ライドウの方を囲んでいた武器が射出された。
暗黒の空を驟雨の如く降り注ぐ流れ星めいた速度で、ライドウとダンテ両名を塵殺せんと、紅色の武器達が迫る。
ライドウの方は、既に武器の範囲内から逃れてはいたが、それはあくまでも『左右と斜め』から迫るそれのみであった、彼
から見て『背後』の武器に関しては未だ逃れられていない。未だ、武器の射出ルート上であった。その事を認識していたライドウは、
よりにもよって窮地を脱させてくれた立役者であるツチグモを足場に、跳躍。
垂直に七m程の高さまで飛び上がったライドウは見事、紅色の光条としか見えない程のスピードで放たれた武器の数々を回避する――が。
ツチグモは当然回避出来ない。対戦車ライフルですら通用するかどうか、と言うツチグモの堅い外殻に、ほぼ根本までシャドームーンの生成した武器が突き刺さった。
「痛えぇえぇえぇぇぇぇ!!」と言う怒号が響く。それと同時に、ライドウが地面に着地した。真実ライドウは、窮地をサーヴァントの手を借りる事無く脱したのだ。
そして、ダンテの方だった。
彼に関しては、今のシャドームーンの攻撃を防ぐ手段など無数にある。武器の射出とそれを工夫した攻撃など、生前熾烈な戦いを繰り広げた兄との一件で慣れている。
余り危機とは認識していない。幸い、今ダンテは『トリックスター』と言う、移動に適したスタイルになっている。対処は冷静だ。
エアトリックと呼ばれる、認識した相手を基点とした極短距離の空間転移を用い、迫りくる紅蓮の武器の全てを、大した労苦もなく回避する。
移動先は、シャドームーンの頭上だった。世紀王程の烈士の懐に苦もなく潜り込んだダンテは、背負っていたリベリオンを引き抜き、音の六倍に迫る速度でそれを振り下ろした!!
――リベリオン越しに、ダンテが感じた感触は、『糸』だった。
凧糸や絹糸、刺繍糸とは違う。金属から生成された、細い糸。しかも、途轍もない靱性と強度を内包している、と言う修飾語句が付く。
大剣がシャドームーンの頭をスイカの如く割り断つまで後二十cmと言う所で、その糸がダンテの攻撃を阻んだ。糸は、ダンテの膂力をフルに乗せたリベリオンの振り下ろしを受けても、撓むだけで、斬れる気配がかなり薄い。攻撃は、未遂に終わった
「貰ったぁッ!!」
裂帛の気魄を声にし、シャドームーンが右腕による貫手を、攻撃を糸で防がれたせいで空中に留まる形となったダンテ目掛けて放った。
武器を生成する時間も惜しい。下手に時間を与えてしまうと、また相手に行動の時間を与えてしまいかねない。だからこその、素手による攻撃だった。
ダンテがそれに反応し、行動を実行しようとするが、もう遅い。レイピアを思わせるシャドームーンの貫手は、ダンテの胸部を貫いた!!
「ごぁっ……!!」
シャドームーンの右腕は、二の腕までダンテの分厚い胸部に没入。
そして、下腕の半ばから、魔剣士の背中とコートを突き抜け、貫通していた。シルバーガードが、褪紅色の鮮やかな血液で妖しく濡れ光っている。
肺を破壊し、脊椎や脊髄もこれでは致命的に損壊している事だろう。つまり、即死である。腕をダンテから引き抜くシャドームーン。
ダンテが仰向けに、荒れた地面の上に倒れ込んだ。そして、次はお前だと言わんばかりに、ライドウの方に目線と身体を向けた。
ダンテを空中に放り投げ、彼の周りをキングストーンで生成した武器で取り囲む。並のサーヴァントならばそれで終了だろうが、ダンテに限りそうは行くまいと。
シャドームーンも思っていた。あれは言わばブラフ。事実ダンテは、ライドウに救いの手を差し伸べつつ、余裕でその窮地を脱したのだから、世紀王の見立ては当たっていた。
聡い世紀王は、戦闘法を大きく変える宝具を用いて、取り囲む武器を防ぐか回避するだろうと言う事も見抜いていた。
あの魔剣で武器を弾くか、それともあの独特の防御法で全てを防ぎ切るか、そして、空間転移で移動して回避するか。
何れにせよ全てのスタイルで、ダンテがどう対処するか。その事も、シャドームーンは計算していた。これもマイティアイによるデータの蓄積があったればこそ。
結果としてダンテは、空間転移を用い、シャドームーンの下まで移動。其処から大剣による攻撃を敢行した訳だが、これもシャドームーンは予測済み。
彼の攻撃を防ぐのに用いたのは、キングストーンによる武器生成の応用――彼は、二時間程前に戦ったサーチャー、秋せつらの『妖糸』を真似て見せたのだ。
盾や剣と言ったものでは、攻撃を防御したとてダンテの心に空隙を作る事は叶わない。サーヴァントであっても目視が困難であり、強い強度を持つ糸ならば、一瞬ダンテに隙を生じさせる事が出来る。そう思ったからこそ、あの短い時間でシャドームーンは魔糸を作った。
――但し、あの刹那に近しい時間での攻防では、糸を一本作るのが精いっぱい。このような状況でなければ、二度とこんな物を作るかとシャドームーンは心に誓った。
キングストーンの力を以ってしても、あの美しい魔人が操る断糸の強度と靱性を再現する事しか出来なかったのだ。魔人の操る糸の神髄である、技術の再現など不可能。事此処に至ってもその技の冴えと凄まじさを思い知らされる。実に恐るべし、秋せつらの妖糸の技よ。
「次は俺、と言う事か?」
ツチグモに突き刺さる、シャドームーンの生成した武器を引き抜いてやりながら、ライドウが言った。
「俺がお前を生かすと思うのか」
シャドームーンの返事は、限りなく冷たい。屠殺される家畜に対して向けられる声音と、何の違いもなかった。
ダンテ単体もそうだが、魔王と称される大悪魔を相手に優勢を保てる程の強さを誇るライドウを、見逃す筈がない。
「サーヴァントを殺した、だから次にマスターも殺す。理に適っている。だが、もう一人お前には戦う相手がいる」
「ほう、いると言うのか、そんな奴が?」
「いるさ、ここに一人な」
その声を聞いた瞬間、シャドームーンは愕然とした。当然だ、誰ならん自分の貫手で殺したと思った筈の、ダンテの声であったのだから。
バッと後ろを振り向いたその時、大量の魔力がダンテを中心として嵐の如くに荒れ狂う。そして、あ、の一音を口にするよりも速く、ダンテの姿が全く別の物に変貌していたのだ!!
見るがよい、その姿を。スパーダ――大悪魔の仔としての側面を前面に押し出そうと言う引き金(トリガー)を引いたその魔姿を!!
その姿を見て果たして誰が、ダンテを人間などと思おう。今の彼の姿は誰が見ても、死と殺戮を生業とする悪鬼(デーモン)、悪魔(ディアブロス)そのものだった。
身に纏っていた、血に浸したような紅いコートは肉体と同化し、赤い鱗でビッシリと覆われたコート状の外皮となっており、一目で頑丈そうなそれである事が窺える。
典型的な白人男性を思わせる白い皮膚は、黒金を思わせるような黒灰色のそれへと変貌し、全体的に人の姿を留めているダンテが、人間以外の何かに転じた事を
一目で解らせる凄味と異質さを、彼の肉体は保有している。だがそれよりも恐ろしいのは、今の彼の面構え。
人間的な要素など今の彼は一かけらたりとも保有していない。鬼灯の如く爛々と輝く双眸、その口に生え揃った鮫か鋸みたいに鋭い牙。
人喰いの悪魔と言われても文句の言えないその姿。変わったのがその風体だけじゃない事をシャドームーンは理解していた。
マイティアイが、今の姿に変貌したダンテの力を、冷静に分析し終える。全ての能力値が、先程までの人間の時とは――
魔力を纏わせた左拳によるストレートを、ダンテが放った。
その四肢にも、今やサバイバルナイフめいた鋭い爪が生え揃っており、掠っただけで人間など腸を引き摺り出されてしまいそうなオーラを醸し出している。
しかし、シャドームーンも混乱の状態にいつまでも陥っている程愚鈍じゃない。直に何をやるべきかを理解。
エルボートリガーを高速駆動させ、駆動させた左腕の手甲で、ダンテの一撃を防御する。そして鳴り響く、巨大な鉄塊と鉄塊が高速でぶつかった時の様な大音。
――一撃が、重い!!
大砲の砲弾を最高速度でぶつけられたような、信じられない衝撃が腕全体に伝わる。身体能力の向上の度合いは、シャドームーンの想像の域を超えている。
反射神経もまた、飛躍的に向上していた。ダンテは攻撃が防がれたと知るや、先程以上の速度で身体中の魔術回路を組み替える。移動に適したスタイル、トリックスターだ。
残像すら追いつかぬのでは、と思われる程のスピードで、三十m程距離を離す。其処で再び、体中の回路を攻撃に適したそれ、つまりソードマスターへと変更させる。
そして、ゼロ秒に限りなく近しい速度で、リベリオンに魔力を纏わせ、それをシャドームーン目掛けて振う。赤黒い衝撃波が、先程それを放った時以上の速度で飛来する!!
此処までに掛かった時間は、ゼロカンマ一秒を下回る。シャドームーン目掛けて迫る衝撃波、ドライブを、彼は今まで放った物よりもずっと強力な念動波で粉砕する。
第一波を防いだとみるや、第二波が間髪入れずに飛んできた。これも織り込み済み、強力な念動波で粉砕し、続く第三波も同じような要領で砕いた。
砕かれて、無害化された赤黒い魔力の粒子が、煌々と中空を舞う。誰もその様子を綺麗だとか、幻想的だとは思うまい。不浄な死者の血液が、ダイヤモンド・ダストの要領で凍結したものが、浮遊しているとしか見えぬのではあるまいか。
想像以上の身体能力の上がり幅に、シャドームーンは内心で唸った。
反応が出来ぬ訳ではない。それは強がりでも意地っ張りでも何でもなく、ダンテの放つ衝撃波を冷静に対処した事からも窺えよう。
だが、今のシャドームーンには一つの制約がある。彼は、激しく身体を動かせない。
簡単な話だ、ダンテ以前に戦った秋せつらの妖糸、それによる左脇腹の傷が、完治していないのだ。
ゴルゴムが生み出した究極の改造人間である世紀王に備わる自然治癒能力、そしてキングストーンが無限に生み出す魔力を回復に当てても、完治の気配を未だに見せない。
今の傷の状態は、治りかけ、と言った所で、激しく動けば再び傷が開き、また無駄な時間を喰ってしまいかねない。
これがあるから、シャドームーンは身体能力を全力で発揮出来る戦いを演じられない。ダンテとの戦いでは、肉弾戦を行う機会があったが、
シャドームーンからすればあれは本気ではない。今の状態で肉弾戦を行うとなると、話は変わる。
そもそもダンテが今の状態になる前に繰り広げた肉弾戦は、本気ではなかったとは言うが、それは手加減していたと言う意味ではなく、
『せつらに付けられた傷が開かぬ範囲で本気を出していた』と言う事である。前の状態のダンテを圧倒するとなると、傷が開くのを承知の上で戦わねばならなくなる。
今の、悪魔となった状態のダンテを相手に、最低でも互角の肉弾戦や接近戦を繰り広げるとなると、傷が開かぬ程度の全力で、と言う考えなど甘い事この上ない。
一方的な戦いになる事は、想像に難くない。接近戦、出来る筈がなく。故にシャドームーンは早々に、相手に近付いて攻撃する事を止め、キングストーンの力を用いた遠距離攻撃に、アプローチの仕方を変更する。
キングストーンの力を用い、瞬間的に武器を生成するシャドームーン。彼の背後の空間に、波紋が幾つも刻まれ、其処から剣や槍、斧と言った色々な武器が姿を見せる。
それを見た瞬間、ダンテが地を蹴り走る。そして、シャドームーンが、音の八倍超の速度で、武器を射出させる。
音の壁を突き破り、ソニックブームすら発生させる勢いで放たれたそれに、ダンテは冷静に反応する。直線的な軌道の攻撃など、今のダンテには当たらない。
矢避けの加護スキルが、デビルトリガーを引いた事により向上している。そして何よりも、魔力放出スキル自体も、飛躍的に上がっている。
全天が震える程の気魄の一声を上げて、魔力を纏わせたリベリオン、その剣先を前方向に思いっきり突き出した。
瞬間、剣先から赤黒い、巨大な魔力の波濤が発生し、射出されたキングストーン製の武器の全てを氷柱みたいに粉々にする。
波濤は、武器を全て破壊するだけでは飽き足らず、それを生成した大本の主であるシャドームーンをも塵殺せんと、凄まじい速度で迫って行く。
シャドームーンは指先から、威力を極限まで高めた緑色の破壊光線、即ちシャドービームを波濤目掛けて放った。
モーセの奇跡によって紅海を割り開いた光景宛らに、シャドービームを受けて波濤は真っ二つに割れ、魔力粒子となって砕け散った。破壊光線の方も波濤の威力に耐え切れず、同じ運命を辿る。
このような攻防を行っている間に、ダンテは既に、リベリオンを背中に背負い終えた状態で、残り五mと言う所にまで近づいていた。
魔力の回路も既に組み替えられており、防御に適したそれ――つまり、ダンテ自身が『ロイヤルガード』と呼んでいるスタイルに変わっている事も、世紀王は御見通しだ。
此方の攻撃を優れた防御で掻い潜り、懐に入り込んでの一撃を見舞うつもりなのだろう。だが、そんな事はさせない。
シャドームーンは威力を高めた念動力を、悪魔と化したダンテへと放った。これを防いだ瞬間、空間転移で距離を離す。その腹づもりであった。
……今のダンテの魔力回路の配置が、防御を重視したもの。
確かに、そのシャドームーンの解釈は間違っていない。半分は正解だ。
だが彼が誤解していた事が一つあったとすれば――今のダンテのスタイル、つまりロイヤルガードは、全てのスタイルの中で『最も攻撃的なスタイル』と言う事であった。
トラックや建機の衝突など問題にならない程の威力を内包した念動力が、脆い砂の塊のように吹っ飛んだ。無論それを成したのは、ダンテ以外にあり得ない。
この神技を成した当の本人の両腕は、白く烈しく激発しており、プラズマが纏わりついているかのようであった。
弾丸が雨あられと飛び交う戦場の中でも、飛来する弾を視認・反応出来るシャドームーンですら、咄嗟のリアクションが遅れる程の速度で、ダンテは地面を滑って移動する。
ハッ、とシャドームーンが何かを行おうとした時にはもう遅い。光を纏うダンテの左腕が放つ掌底が、シルバーガードに覆われた胸部に突き刺さった。
――ビシィッ、と言う音がシャドームーンの胸部から響いた。
それは、強化外皮であるシルバーガードにダンテの掌底が命中し、そのガードに『ヒビ』が入る音だった。
衝撃が、シルバーガードの下に潜む強化筋肉を伝わり、シャドームーンの内臓に走る。そして、遅れて全身を暴れ狂う、激痛。
此処に来て初めて、凄まじいダメージを受けてしまった。このダメージは下手をしたら、せつらに貰ったあの一撃以上である。
「ゴォァッ……!!」
掌底を貰った胸部を抑えたくなる気持ちを抑え、シャドームーンは即座に空間転移で距離を離した。
ダンテがリベリオンを横薙ぎに振るい、シャドーチャージャーごと彼を真っ二つにしようとしていたからだ。
常ならば空間転移で移動すると同時に迎撃の一つでも行うのだが、今はそれ所ではなかった。
タッ、と、シャドームーンが移動した先は、ダンテから見て十m程先の地点。
其処でシャドームーンは、魔剣士の掌底を貰った胸部を右手でなぞる。やはり、亀裂が入っている。如何なる力を用いれば、このシルバーガードを害せると言うのか。
「これで互角……いや、俺の方が有利かな? ミスター・グラスホッパー」
其処でダンテは、エボニーとアイボリーを引き抜き、その銃口をシャドームーンの方に向けてから、異形そのものである悪魔の状態を解除。
この宝具は生前同様魔力を使う。ライドウの事を慮っての早めの解除だった。
全ては夢であったと言わんばかりに、ダンテは元の人間の姿に立ち戻り、鋭い瞳でシャドームーンの事を睨みつけている。
そう、全てが元の状態に戻っている。シャドームーンの貫手で貫かれた、胸部もまた。貫かれた穴など、何処にもないではないか。
ダンテと言うセイバーの切り札である宝具の一つ、デビルトリガー。
この宝具が彼に齎す効果は単純明快。ステータスの向上、そして戦闘の要となるスキルの上方修正、そして、再生スキルの付与。
シャドームーンの貫手の傷が治ったのは、再生スキルが常に働いていたからである。尤も、ダンテはデビルトリガーを引かずとも、埒外の戦闘続行能力の持ち主である。
頭を狙撃されようがリベリオンと同じ大きさの大剣で身体を貫かれようが、次の瞬間には平然と活動が出来る。それなのに何故、魔力消費の大きいこの宝具を行使したか。
そうでもしなければ、シャドームーンを相手に渡り合えないと、ダンテ自身が思ったからだ。それ程までの強敵だと、ダンテは認めているのだ。
そして現に、シャドームーンはダメージを受けているとは言えど、まだまだ行動が出来そうな風で、ダンテの事を睨みつけていた。
ロイヤルガード。その真価は相手の防御を受け止める事ではない。このスタイルは、本来ダンテに与えられる筈だったダメージを独自の防御法で大幅に減算させると同時に、
『その防御法で防御して来た攻撃の威力をそのまま相手にお見舞いする』と言う事にある。
シャドームーンは、ロキが異界を展開してから現在に至るまで、ダンテがロイヤルガードで防いだ攻撃――。
つまり、ザンダイン、マハラギダイン、そしてシャドームーンの膝蹴り、それら全ての威力を合せた一撃が、シャドームーンにダイレクトに叩き込まれた事になる。
普通ならばこの時点で、勝負ありだ。なのにシャドームーンは、まだまだ活動が出来そうなオーラを醸し出している。ダンテの予想通り、凄まじい強敵であると同時に、彼からすれば、嫌になる位タフなサーヴァントであった。
「……」
無言で、シャドームーンはダンテの言葉を受け止める。ダメージの方は、到底無視出来るそれではない。
世紀王としての自然治癒能力と、キングストーンの魔力による回復が出来る事、そして何よりの幸運は、せつらの妖糸を受けた左脇腹の傷が開いていない事。
その幸運が三つ重なったとて、全く喜ばしくなかった。それ程までに、負ったダメージが大きいからである。
ロキとの戦いぶりから今に至るまで、ダンテの戦い方を冷静に観測し続け、シャドームーンには解った事が一つある。
ダンテは、魔力の回路を瞬時に組み替える技術を駆使して、目まぐるしくそして変幻自在に戦う事だ。そしてこの技術こそが、彼の宝具だと世紀王は思っていた。
回路を組み替える。言うのは簡単だが、実際それを行うのは言葉の通りの易さなのかと言われれば、それはあり得ない。
回路の位置を変えろと言う事は、人間で言えば、『肺は心臓並に狙われると危険な部位だから、胸ではなく腹の辺りにまで移動させろ』と言っているようなもの。
それがどれだけの無理難題か解るだろう。魔術師で言えば、己の魔術を放つ為の回路とは、神経であり、内臓に等しい。
それを自在に身体の至る所に配置換えするなど不可能な事柄。しかしダンテは、その不可能な事柄を息を吸うような容易さで、しかも瞬間的にやってのけるのだ。
この神技を、シャドームーンが宝具だと思うのも無理からぬ事。そしてこの回路の組み替えはダンテに、実に様々な戦闘法(スタイル)と言う形で恩恵を齎す。
移動と回避に適した『トリックスター』、攻撃に適した『ソードマスター』、遠距離攻撃に適した『ガンスリンガー』、そして、防御に適した『ロイヤルガード』。
どれをとっても、普通のサーヴァントからすれば厄介極まりない戦闘法。この四つの戦い方をとっかえひっかえして相手を追い詰める。
それが、ダンテ自身の大本となる戦い方(スタイル)なのだと、シャドームーンは解釈していたのだ。実際その想像は、間違っていなかった。
シャドームーンに誤算があったとすれば、二つ。
一つは、そのスタイルによる戦い方が、シャドームーンの予測した範疇を越えて多芸であった事。
そしてもう一つは、そのスタイルを変化させると言う事が切り札の宝具ではなかった事。逸ったか、と今になってシャドームーンは後悔した。
更に後者の誤算に至っては、そもそもスタイルチェンジと言う技術は、ダンテからすれば宝具ですらない単なる『技術』に過ぎない事をシャドームーンは知らない。
どちらにしても彼は、ダンテと言うサーヴァントの戦闘の幅広さ、そしてその深遠さ、と言う物を身体で思い知る事になってしまった。
その場から逃げ出したいと思う程の沈黙が、場を支配した。
ダンテもシャドームーンも、そしてライドウも、一言たりとも声を発さない。
指揮者が今まさに指揮棒を振おうとしているコンサートホールですら、此処まで静かではないだろう。
しかし実際には、ダンテとシャドームーンの間には、常人であれば狂死、虫ですら気死しかねない程の殺気と覇気が、嵐の外周の如く暴れ狂っており、
一触即発と言う言葉ですら生ぬるい程の空気が張り裂けんばかりに満ち満ちていた。
相手が動けば、此方も動く。それを二人が狙っているのは、どんな素人の目から見ても明らかだった。
後の先。それが、二人の狙う事柄。先に動けば痛手を負う。それは、この超常のセイバー二名の共通見解であった。
呼吸やまばたきすら止めているのではないかと言う程、二名に動きがない。この状態のまま、二時間でも三時間でも、最悪二十四時間でもいられる。
そんな雰囲気すら、二名は放出している。――しかし、二人の意気とは裏腹に、偶然の賽子を振う神は、この膠着状態を良しとしなかったらしい。
――世界が、いや、ロキが展開した異界が、終わりを告げようとしていた。
そもそも悪魔の展開する異界と言うものは、展開した主が現世から消滅すれば、主と同じ運命を辿り、消えてなくなるのが定め。
魔王ロキがこの世界から消え失せてなお、異界が存続している理由は、シャドームーンがキングストーンの魔力を異界の存続の為に込めていたからに他ならない。
そして、その存続の為に使った魔力も今、底を尽きたようである。卵の殻のように、空と地平線を構成していた膜のような物が剥がれ落ちて行き、メギドラオンで荒らされた大地が垢のようにボロボロになって行く。
こうして行く内に、ダンテとシャドームーン、ライドウらの目に映ったのは、退廃的な都会の一幕。
夏の盛りの真昼間と言うのに薄暗く、ジメジメとして、すえたゴミめいた臭いが充満する、新大久保の裏路地。異界と言う非日常の世界は終わり、元の現実と日常の姿が、ライドウ達の前に姿を見せる体になったのだった。
「どうするバッタ野郎。そのまま汚いケツまくってお家に帰るか?」
不敵な笑みと軽口は忘れない。
シャドームーンとダンテ、この両名が本気で戦えば、新大久保どころかその周辺の歌舞伎町や戸山、西新宿ですらどうなるか解ったものじゃない。
真っ当な精神をしていれば、此処は素直に引き下がるだろう。そしてダンテもライドウも、シャドームーンがこの真っ当な精神の持ち主であると推測していた。
そうでなければ、異界と言う人の目には絶対に触れない空間に入り込んで、此方に勝負を申し込むと言う真似をしない。周辺の建造物や人的被害と言うリスク計算の末に、異界に入り込んだ事は、ダンテ達の目から見ても明らかな事柄だった。
そしてライドウらの見立て通り、シャドームーンはそう言った計算の出来る男だった。
この男は狡猾で頭の回転の速い男だった。そして、そんな男であると言う事は当然、『利』と言うものを念頭に置いて動く。
今この状況で、大立ち回りを繰り広げるメリットはない。ダンテはせつらと違い、派手に戦う戦闘を得意とする。此処で戦えば、近辺にいるだろうサーヴァントにも発見されてしまう可能性が高い。故に、戦えない。
だがそれは同時に、ダンテ達の方にしても同じだろうとシャドームーンは考える。
ダンテ自身が派手で、目立つ戦い方をすると言う事は、当然彼もおいそれとその実力を発揮させられない事を意味する。
結局この場は互いに、身を退く事が最適解なのだ。
「……貴様の戦い方は憶えた、首を洗って待っていろ」
ダンテの言葉の返事に、十数秒は掛かった。
あの麗しい黒の魔人と同様、このセイバーとは次遭う時には決着を着ける。それを心に誓いながら、キングストーンの魔力を用い、空間転移を行おうとする。
「――撃て、セイバー」
またもシャドームーンは読み違った。
何とライドウは、裏路地とは言え人通りも多ければ人も密集している白昼の新大久保で、エボニーとアイボリーを炸裂させろと言ったのだ!!
「何ッ!?」とシャドームーンが口にした時には、アイボリーの銃口が馬鹿でかいマズルファイアを噴いていた。
最初の一発が、鳩尾の辺りに命中する。それと同時に、空間転移が成立、裏路地からシャドームーンが姿を消した。
後の何発かの弾丸は、銀の世紀王が元居た空間を素通り。当然、銃声だけが虚しく響く形となるだけだった
「思ったより大胆だな、少年」
弾丸が向かいの壁に命中する前に、自らの魔力でそれを消すダンテ。魔力が形を成した弾丸に過ぎない為、その程度の芸当は可能だった。
弾が一発も建造物の壁に当たらない事を見届けてから、彼はライドウの方に顔を向けた。ライドウは相変わらず鉄面皮を崩さない。
目の前で死人が蘇ろうとも、平然とした顔を崩しもしないだろうと言う青年があんな命令を下すとは、正味の話、ダンテも思っていなかった。意外なものを見るような顔と瞳で、ダンテはライドウの事をまじまじと見ていた。
「あれは強いサーヴァントだ」
「まぁ、間違いねぇな」
「あの場で逃す事は、得策じゃないと思って賭けに出たが、上手く逃げられたな」
何とライドウとしては、あの場でシャドームーンを仕留めておきたかったから、リスク覚悟にダンテに命令を下したらしい。
希代の才能を誇るデビルサマナーとは思えない程、大胆で無鉄砲な行動。彼をしてそんな命令を下させる程、シャドームーンが強敵であったと言う事か
「ギャンブルは非生産的な行為だ、火傷する前に足洗っときな」
「賭けをしないで勝利を拾える戦いばかりなものか」
「ごもっとも」
ダンテは手持ちの悪魔二体に重大なダメージを負わされ、折角ロキを痛めつけて獲得、回復させた魔力も、今の戦いで全部消費。
それどころか魔力に関しては、回復させた分のみを消費したのならばいざ知らず、ライドウ自身の魔力も、少し足を出る形で失ってしまった。
痛み分けとすら呼んでいいものか、悩む結果に終わってしまった。相手に与えたダメージも相当な物だったが、此方の負った痛手も、無視出来るそれじゃない。
シャドームーン。ライドウ程のサマナーが仕留めたいと思うサーヴァントにも、逃げられてしまった。次は恐らく、苦戦は免れまい。下手をすれば、ダンテが有する真の切り札も、開帳せねばなるまいか?
「ま、どっちにしろ少年、次にやる事は、解ってるだろ?」
「あぁ」
赤口葛葉を鞘に仕舞い、ライドウが上を見上げる。ダンテもまた空気を読み、霊体化。身体に薄くマグネタイトを纏わせたライドウは、その場で跳躍。
路地の両サイドの建物の壁面を蹴り抜いて、三角飛びを繰り返し、あっという間にライドウから見て左側の建物の屋上へと着地する。
眼下では、中国語だか韓国語を話すアジア系の人間がゾロゾロと集っている。デビルサマナーとしての英才教育を積み、外国語もある程度は嗜むライドウには、その意味が解る。
「誰か銃をぶっ放さなかったか!?」と話した男は中国語を口にしていた。「若頭も殺されたってのに勘弁してくれよ……」と愚痴を零した男は韓国語を話していた。
その声を後にし、静かにライドウは走り出した。時刻は午前11:55分。想像以上に、時間を喰われてしまった事に歯噛みをする。これでは、ロベルタの方に、アタックを仕掛けられないから。
【高田馬場・百人町方面(新大久保コリアタウン裏路地)/1日目 午前11:50分】
【葛葉ライドウ@デビルサマナー葛葉ライドウシリーズ】
[状態]健康、魔力消費(中の小)、アズミとツチグモに肉体的ダメージ(大)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]黒いマント、学生服、学帽
[道具]赤口葛葉、コルト・ライトニング
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争の主催者の思惑を叩き潰す
1.帝都の平和を守る
2.危険なサーヴァントは葬り去り、話しの解る相手と同盟を組む
3.正午までに、討伐令が出ている組の誰を狙うか決める(現在困難な状態)
4.バーサーカーの主従(ロベルタ&高槻涼)を排除する
[備考]
・遠坂凛が、聖杯戦争は愚か魔術の知識にも全く疎い上、バーサーカーを制御出来ないマスターであり、性格面はそれ程邪悪ではないのではと認識しています
・セリュー・ユビキタスは、裏社会でヤクザを殺して回っている下手人ではないかと疑っています
・上記の二組の主従は、優先的に処理したいと思っています
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ラクシャーサ)と交戦、<新宿>にそう言った存在がいると認識しました
・チューナーから聞いた、組を壊滅させ武器を奪った女(ロベルタ&高槻涼)が、セリュー・ユビキタスではないかと考えています
・ジェナ・エンジェルがキャスターのクラスである可能性は、相当に高いと考えています
・バーサーカー(黒贄礼太郎)の真名を把握しました
・セリュー・ユビキタスの主従の拠点の情報を塞から得ています
・セイバー(シャドームーン)の存在を認識しました。但し、マスターについては認識していません
・<新宿>の全ての中高生について、欠席者および体のどこかに痣があるのを確認された生徒の情報を十兵衛から得ています
・<新宿>二丁目の辺りで、サーヴァント達が交戦していた事を把握しました
・バーサーカーの主従(ロベルタ&高槻涼)が逃げ込んだ拠点の位置を把握しています
・佐藤十兵衛の主従、葛葉ライドウの主従と遭遇。共闘体制をとりました
・ルシファーの存在を認識。また、彼が配下に高位の悪魔を人間に扮させ活動させている事を理解しました
【セイバー(ダンテ)@デビルメイクライシリーズ】
[状態]肉体的損傷(小)、霊体化、魔力消費(中)
[装備]赤コート
[道具]リベリオン、エボニー&アイボリー
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の破壊
1.基本はライドウに合わせている
2.人を悪魔に変身させる参加者を斃す
[備考]
・人を悪魔に変身させるキャスター(ジェナ・エンジェル)に対して強い怒りを抱いています
・ひょっとしたら、聖杯戦争に自分の関係者がいるのでは、と薄々察しています
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「今戻った」
カシャン、カシャン、と言う音を響かせてシャドームーンが口にした。
その様子を、カクテルグラスに口づけをしながら眺めるウェザーだったが、今のシャドームーンの状態を目にし、驚きに目を見開かせた。
「おい、その姿」
「見ての通りだ、戦って来た。聖杯戦争……一筋縄では行かぬと言う事よ」
全く、ウェザーには解らなかった。曲りなりにも運命共同体とも言うべき己のサーヴァントが、何処かで烈しい戦闘を繰り広げていたなど。
見よ、胸部に刻まれたシルバーガードの亀裂を。鳩尾から流れるその血液を。世紀王をして、此処までの損傷を負わせる相手、どれ程の怪物だったと言うのか。
キングストーン。それは単体で、あらゆる超能力を装着者に約束する宝具。
魔力と言う聖杯戦争に於いて最も重要となるリソースを無限に産み出し続ける、ゴルゴムの崇める三種の神器。まさにその名に偽りなしの宝具である。
だが同時に、それはデメリットにもなり得るのかも知れない。無限に魔力を生みだし、サーヴァントの存続を図り続けさせると言う事は、
そのマスターはマスター自身の魔力が徴収されると言う現象が起らない。つまり、『サーヴァントが遠方で戦い、苦戦していると言う事も知り得ない』。
現にウェザーは、シャドームーンが戦っていると言う事を全く解らなかった。魔力が徴収されなかったからである。
もしも自分の知らない所で、シャドームーンが消滅していたらと思うとゾッとしない。あり得ない話と笑い飛ばしたかったが、今のシャドームーンの状態を見れば、そうも出来ないのが現状であった。
「それより、良い身分だなマスター。俺が戦っている間に、酒を飲んでいる余裕があるとはな」
「ノンアルだ」
「そう言う問題じゃないがな」
シャドームーンが熾烈な戦いを繰り広げている間ウェザーは、薄暗い明かりの中ノンアルコールの飲料を中心に飲みながら、情報の収集をテレビで行っていた。
尤も集まる情報自体は、それ程目新しいものはない。<新宿>二丁目のバーサーカー達の大立ち回りから、香砂会の邸宅の破壊、そして、落合のあるマンションでの事件。
状況が動きつつあるのは解るが、やはり、ニュースなどのメディアで解る情報など、この程度、と言う事なのだろう。
「セイバー、お前その傷、大丈夫なのか? 俺にはすぐ直る傷とは思えんが」
「無論、即座に治る訳じゃないが、あの魔人に付けられた傷程凶悪ではない。キングストーンの魔力を用いれば治る蓋然性が高い」
魔人、つまり、秋せつら。
あの美貌は思い出すだけで、ウェザーを忘我の域へと追い込む程のものだったが、今はそれ以上に、彼のマスターであるアイギスの事が。
思い出すだけで腹立だしくなる。次に会えば、絶対にスクラップにする。その心の気概は未だに、萎えていない。
苛々を忘れる為、クッと、カクテルグラスに満ちていた、オレンジやパイン、グレープジュースをカクテルした、
最早酒と言うよりはミックスジュースとも言うべき代物を一息で飲み乾すウェザー。こう言う時、酒を呷りたくなる気分であったが、今は我慢だ。
「新しく得た情報はあったか」
「ひょっとしたら、核心に触れるかも知れない事柄を」
「……興味があるな、話して見ろ」
ウェザーの言葉を受け、シャドームーンは、新大久保で起った事柄を全て語り始めた。
紅いコートのセイバーと、それを操るマスターである、サーヴァントの様な強さを誇り、悪魔と呼ばれる生き物を操る青年の事。
偶然見つけた、メフィスト病院の院長のマスターと同じ様な、自身のマイティアイですら正体の割り出せぬ何かの事。
その存在が、紅コートのセイバーのマスターが行使する、『悪魔』と呼ばれる存在に近しい者であると言う事。
そして、その存在を裏で操る『ルシファー』と言う存在が、此処<新宿>にいるかも知れないと言う事。
これらが、新大久保でウェザーが得た事柄の全てであった。
「悪魔、ね」
ウェザーが考え込む。そう思うのも無理はない。
スタンドを操るウェザーであるから、聖杯戦争は兎も角、サーヴァントの存在はスムーズに受け入れられた。
だが、これが悪魔となると、何故か途端に、信憑性が薄くなる。詐欺師や胡散臭い祈祷師や宗教家が口にする方便の代表例だからか。
それとも――ペルラを殺したKKKの事を、深層心理レベルで、思い出してしまうからか。何れにせよ、悪魔と言う存在が形を伴って実在する事が、ウェザーからすれば俄かに信じ難い事柄であった。
「恐らくは聖書や伝承に出て来るような、人を誘惑するそれとは意味合いが違うかも知れんぞ」
「と、言うと」
「俺達の活動する世界とは違う世界や空間の住人、或いは、そもそもこの星とは違う星の住民の事を、悪魔、と呼ぶのかも知れんと言う事だ」
「そっちの方も荒唐無稽に聞こえるが、まぁイエスのクソが活躍する宗教に出て来る悪魔よりかは信じられそうな仮説だな」
「どちらにせよ、俺達の敵はサーヴァントのみならず、後になればこの悪魔と言う存在も、我々に牙を向ける可能性がある。留意しておくに越した事はない」
「その情報、俺達以外の誰かが知ってる可能性は?」
シャドームーンが考え込む。
「根拠のない推測で良ければだが、俺達と、俺の戦った主従以外は現状は考え難い。尤も、あの主従が他に同盟を組んでいれば、爆発的に広まるかも知れんがな」
「悪魔共の目的は推察出来たか?」
「全くそれに関しては予測不能だ。少なくとも、ルシファーと呼ぶ誰かの為に動いているのは確かだ」
「迷惑な話だぜ。ルシファーってアレだろ、地獄の底の底でマンモスの氷漬けみてぇになってる奴じゃないのか? 地獄で大人しくしてろって話だがな」
ウェザーは恐らく、ダンテの神曲の話をしているのだろう。確かあの話のルシファーは、地獄の最下層であるコキュートスの、更に最下層に封印されていたか。
あの話の真偽はさておいて、何れにしても今ウェザーが口にした事に関しては、シャドームーンも同意を示していた。
ウェザーも彼も、聖杯戦争を勝ち抜く事で手一杯だと言うのに、よりにもよって悪魔などと言うふざけた存在が茶々を入れに来るとは。迷惑極まりないにも程がある。
「地獄は暇な所なのだろうよ」
「結構だな。地獄の魔王様が退屈で仕方のない所なら、ますますアイツを叩き落としたくなる」
ウェザーの瞼の裏を過るのは、黒い法衣を身に纏う黒人の教誨師の姿。
元居た世界のケープ・カナベラルの街は今、如何なっているのか? 徐倫やアナスィ、エルメェスにエンポリオ、承太郎は無事なのか?
自分がおらずとも、プッチの野望を、挫く事は出来たのか? その事が、とてつもなく気がかりだった。早く元の世界に戻り、自分の全てにケリを着けたい。
そして今度こそ、安らかな眠りを味わいたいのだ。こんな世界で、骨を埋めたくなど、ウェザーは断じてなかった。
話す事は、これで終わりだろう。
ウェザーは人を呼んだ。今彼らがいる新世界と言うBARの店主である男が、厨房から姿を現した。
随分と眠そうだった。それはそうだ、BARと言う水商売は通常夜に仕事をする事が多く、今の時間彼らは寝ている時間帯だ。
そんな時間にウェザーらは彼を叩き起こし、キングストーンの力で洗脳したのだ。つくづく、非人道的な男達であった。
「――飲(や)るか? セイバー。お前さんの身体ならアルコールも余裕だろ」
「要らん」
ウェザーの親切を、シャドームーンは素気無く切り捨てた。
「そうかい」
言ってウェザーは、年齢と言う物を悟らせない顔立ちをした、スーツを着た中年の店主に、先程飲んでいたノンアルコールのお代わりを頼んだ。
適当なテーブル席に腰を下ろし、シャドームーンは静かに、身体に負ったダメージの回復に努めようとした。
時間帯の都合上客もおらず、音楽も流れていないBAR・新世界での時間は、ゆるりと流れて行く。
波乱の予感を二名は感じつつも。時間だけは、大河の流れが如く、静かに前へ前へと動いて行くのであった。
【歌舞伎町、戸山方面(BAR新世界)/1日目 午前11:55】
【ウェス・ブルーマリン(ウェザー・リポート)@ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン】
[状態]健康、魔力消費(小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]無
[装備]普段着
[道具]真夜のハンマー(現在急拠点である南元町のコンビニエンスストアに放置)、贈答品の煎餅
[所持金]割と多い
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界に戻り、プッチ神父を殺し、自分も死ぬ。
1.優勝狙い。己のサーヴァントの能力を活用し、容赦なく他参加者は殺す。
2.さしあたって元の拠点に戻る。
3.あのポンコツ(アイギス)は破壊する
[備考]
・セイバー(シャドームーン)が得た数名の主従の情報を得ています
・拠点は四ツ谷、信濃町方面(南元町下部・食屍鬼街)でした
・キャスター(メフィスト)の真名と、そのマスターの存在、そして医療技術の高さを認識しました
・メフィストのマスターである、ルイ・サイファーを警戒
・アイギスとサーチャー(秋せつら)の存在を認識しました
・現在南元町のNPCから、自分達の存在と言う記憶を抹消しています
・現在の拠点は歌舞伎町のBAR新世界です
・シャドームーンからルシファーの存在を話され、これを認識。また、ルシファー配下に高位の悪魔を人間に扮させ活動させている事を理解しました
・葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)の存在を認識しました
【シャドームーン@仮面ライダーBLACK RX】
[状態]魔力消費(中だが、時間経過で回復) 、肉体的損傷(中)、左わき腹に深い斬り傷(再生速度:低。現在治りかけ)
[装備]レッグトリガー、エルボートリガー
[道具]契約者の鍵×2(ウェザー、真昼/真夜)
[所持金]少ない
[思考・状況]
基本行動方針:全参加者の殺害
1.敵によって臨機応変に対応し、勝ち残る。
2.他の主従の情報収集を行う。
3.ルイ・サイファーと、サーチャー(秋せつら)、セイバー(ダンテ)を警戒
[備考]
・千里眼(マイティアイ)により、拠点を中心に周辺の数組の主従の情報を得ています
・南元町下部・食屍鬼街に住まう不法住居外国人たちを精神操作し、支配下に置いています
・"秋月信彦"の側面を極力廃するようにしています。
・危機に陥ったら、メフィスト病院を利用できないかと考えています
・ルイ・サイファーに凄まじい警戒心を抱いています
・アイギスとサーチャー(秋せつら)の存在を認識しました
・秋せつらの与えた左わき腹の傷の治療にかなり時間が掛かります
・葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)の存在を認識しました
・ルシファーの存在を認識。また、彼が配下に高位の悪魔を人間に扮させ活動させている事を理解しました
投下を終了いたします
クラゲ&艦隊のアイドル(那珂ちゃん)
ライダー(大杉栄光)
キャスター(メフィスト)
予約します
北上&アサシン(ピティ・フレデリカ)
セリュー・ユビキタス&バーサーカー(バッター)
番場真昼/真夜&バーサーカー(シャドウラビリス)
赤のアサシン
予約します
シャドームーンにハンデをつけるせつらの技量の凄まじさよ。
そしてハンデ付きでこの二人相手に分けるシャドームーンの凄まじさよ。
此処でシャドームーンを斃せなかったことが後の災いにならなければ良いが……
投下します
率直に言うと、ダガー・モールスはかなり困っていた。
困っているし、那珂がウザかった。何て聞き分けのない奴なんだ、とウンザリするばかりである。
「今のマスターの地位だったら、コンサートに私をねじ込む事は余裕でしょ!? こんな大きいビルとか使いきれないだけのお金があるんだから」
「無理なものは無理だと言っているだろう……!!」
つくづく、十二時間程前の自分の失言が恨めしいと思うダガー。
舌禍、と言う言葉を人は良くも考えたものである。今のこの状況は正しく、今日の深夜のダガーの発言が招いた事柄であるのだから。
事の発端は、今日の深夜に、那珂と、ダガーの部下であるオガサワラに下した命令である。
その時ダガーは那珂に対して、『聖杯戦争が今日を以て幕を開けたので<新宿>の様子を見て来い』と言う命令を下した。
無論、これではこの頭の軽いサーヴァントは従わないとダガーは考え、あるリップサービスを一つ付けてしまった。
『アイドル活動を行うに相応しいコンサート場所を選んで来い』、この一言が、完全に余計であった。
そしてその場所を、新しく売りに出すこの上京して来たてのアイドルに軽く<新宿>の街を教えてやって欲しい、と言う建前の命令を下されたオガサワラに、<新宿>を案内されているその時に、見つけてしまったのである。
新国立競技場。其処が、那珂が目を付けた場所であった。
<新宿>の霞ヶ丘に建造されたそれは、元々の東京都二十三区の新宿区にあったそれとは、趣が少々変わっている。
旧国立競技場、即ち、昔東京オリンピックの陸上競技のステージにもなったあの競技場の歴史については、この世界でも変わっていない。
しかしこの世界の<新宿>は、一度は<魔震>によって壊滅的な被害を負ったと言う点で、通常の新宿の歴史とは大いに異なる。
無論、国立競技場も<魔震>によって異なる運命を歩み始める。<魔震>のせいで一度は、完膚なきまでに破壊されてしまった。
その後復興がある程度進んだ折に、再建計画が浮上、その計画通りに建造されたのが、今の国立競技場、つまりこの世界で言う所の新国立競技場なのだ。
耐震基準や防音措置、耐火・空調・送電と言った、旧来の競技場の問題も全て一新、旧国立競技場の完全なる改良物となったその場所は、スポーツイベントのみならず、
歌手のコンサートにも利用される、日本でも最も高いレンタル料の『ハコ』の一つである。成程確かに、コンサート場所としてはこれ以上となく相応しい場所であるだろう。那珂の目の付け所は、悪くない。
――其処でコンサートをさせるのをダガーが無理だと言っている最大の理由の一つは、先客が既に其処でコンサートをする事を予約しているからである。
346プロ、と呼ばれるプロダクションである。国内での評価は高く、近年その版図を広げつつあるようであるが、ダガーからすれば取るに足らない会社だ。
其処が既に、新国立競技場でコンサートを行う予定なのである。日程は今日明日明後日の三日間。ライブの様子は生放送で全国に放映される。
その程度ならば珍しくない。問題は、このコンサートは<魔震>から二十年と言う節目に行われる上に、<魔震>の哀しみや傷を吹き飛ばそうと言う名目で開催されると言う、
いわばアニバーサリー的な意味を持つイベントなのだ。国内は勿論、世界からも耳目が集まっている。このコンサートに、自分を飛び入り参加させろと那珂は言っているのだ。
「いいかよく聞けアーチャー、確かに私の力ならば君をイベントにねじ込む事は容易い」
「なら――」
「だが、それはあくまでも『交渉』と『リハーサルや打ち合わせ』を行えるだけの『十分な時間』がある時に限る。それがないのならば無理だ」
其処が、ダガーが無理だと思う最大の理由のもう一つである。先約が先に入っている、程度の問題ならばダガーの力でどうとでもなる。
その『どうとでもさせる時間がない』のだ。346プロがライブコンサートを行うのは、『今日』である。
那珂をねじ込む、と言う言い方では語弊が招かれよう。仮に、コラボや対バンと言う形式で、那珂をそのコンサートに参加させるとしよう。
当然其処には、様々な大人の事情や問題が絡む事になる。諸々の契約及び契約書へのサインを筆頭に、イベントに掛かる費用の負担の割合決め、
イベントで上げた利益は何割得るかなど、と言う経済的な問題だけではない。イベントに参加する歌手やバンドグループにも話を通し、打ち合わせもしなければならないし、
何よりもコラボする側を交えてのリハサールも必要になる。国立競技場とその周辺を貸し切ってのイベント、となれば、動く金は容易く億を超える。
況してや<魔震>の節目の年度に行うと言う一大イベントだ、346側としても失敗は許されない。当然、何か月も前から346は打ち合わせをしているだろうし、
所属しているアイドルも練習を行い続けただろう。そんなイベントに仮に、ダガーが虎の子のアイドルをねじ込むとするのならば、三ヶ月。
最悪一ヶ月前から346プロと話を通しておかねばならない。それだけ、コラボレーションと言う物には面倒な手間が掛かるのである。
今日開催されるイベント、しかも開演まで後二時間を切っているイベントに、今から那珂を参戦させる。
そんな事、どう考えても不可能なのは目に見えている。金や権力があろうとも、手続きに掛かる時間の前ではこうも無力である。
無論ダガーが、極めて強力な魔術的な催眠術の類が使えるキャスターがツテにいると言うのならば話は別だが、生憎ダガーはそうじゃない。結局、諦めるしかないのだ。
それを説いているにも拘らず、那珂の態度はこれなのだ。
那珂の本音は、何かしらのコンサート場所で存分に歌いたいと言う事なのは、ダガーも理解している。
が、<新宿>では既に、明らかに聖杯戦争によるものとしか思えない大規模な戦闘が幾つも起っている事を、ダガーは既に知っている。
これでは最早コンサートどころではあるまい。だから折れろ、と、那珂に対して説明した事もあるが、自身の真の宝具である改二を発動する必須条件に、
『敵の前で目立つ持ち歌を歌わねばならない』と言うのがあるのだから、大衆の前で歌を歌うかサーヴァントの前で後から正体がバレる歌を歌うかの違いでしかない。
と、那珂は反論。如何にも頭の軽そうな見た目の癖して、水雷戦隊の軽巡洋艦那珂としての側面である、鋭い頭の冴えを見せる時があるものだから、ダガーとしては実に腹ただしい。
「第一マスター、そんなイベントがあるって解ってて如何して先にナシとかつけて置かなかったの!?」
ぐぬぬ、と口にしてから、思い出したかのように那珂が口火を切って来た。
「無理に決まっているだろう愚か者!! 時間軸を考えろ時間軸を!!」
そもそもダガーがサウンドワールドから此処<新宿>に招聘され、聖杯戦争の本格開催までのモラトリアム期間など、実質四日もあったかどうかと言うレベルであった。
つまり、ダガーには殆ど、346プロのライブコンサートの事を知る時間が与えられなかった事を意味する。召喚されてから今日に至るまで、
やって来た事はUVM社の案内と、今後の聖杯戦争についての方針会議、そして魔力回復と言う建前で行われる、良質な音楽が生命活動と魔力増幅に直結すると言う、
ダガーの体質を活かした防音練習室での那珂の歌練習等。これでは、ライブイベントの事を知るのが遅れるのも、無理もないと言う物であった。
「それにだ、アーチャー。君が346プロのイベントに飛び入り参加するとして、どんなパフォーマンスをするつもりだったのか、そのヴィジョンを教えて貰いたいのだが?」
「えっ」
この反応。何も考えてない事は確実である。まさかアドリブとノリだけでどうにかなると思っていたのだろうか。……実際本当になると思っていたのだろう。
「それはまぁ、サプライズ枠として……」
「名も売れてない無名の分際でか」
「前々からやりたかったの!! 見た事ない? 歌手の歌う物真似してたら、後ろの舞台の袖からご本人が登場する、って奴」
「誰がお前の物まねをすると言うのだ……」
これはもう此方が折れて、妥協点を那珂に提示するか、彼女の溜飲を下げねば、駄目な流れなのだろうと。
ダガーは本能的に察知した。甚だ面倒ではあるが、そう言った手が、ないわけではない。
彼は那珂と口論を繰り広げていた社長室中央から、バカデカいデスクの方へと近付いて行き、固定電話の受話器を取ってから、電話帳からある男を指名する。
掛けた相手は、1コールで電話に出た。実に迅速な対応であった。
「此方、オガサワラです!!」
「私だ、ダガー」
ダガーが電話を掛けた相手は、UVM本社で働く従業員の一人、オガサワラだった。
この二名が元居た世界でも、今の様な上司と部下の関係であったなどと、知る者はこの<新宿>には存在しない。
「オガサワラ。休憩中に悪いが、お前に緊急の命令を下そう。今着手している最中の仕事はないな?」
「はい、今はありません!!」
「そうか。さて、オガサワラ。今日の<新宿>で開かれる、UVM社が主催に関わっていないライブコンサートイベント。その中で特に大きいものを上げて見ろ」
「え? そ、それは、346プロ単独運営の、<魔震>復興から二十周年記念の、アレです」
淀みなく、当たり前のようにオガサワラは答える。流石に同業者である。それ位の事は常識として頭に叩き込まれていなくては困る。
「それ位はお前でも頭に入っていたか」
「それはもう!! それで、そのイベントが何か? 視察ならウチの従業員が他に行くって聞いてますが……」
UVM社としても、346プロのこのイベントは、放置を決め込むと言う訳にも行かない。
どのようなアイドルがいて、どれ程まで成長したのか、と言う事のデータを纏める為、視察の意味も込めていわば『覆面社員』を数人潜り込ませるのである。
これは恐らくは他のプロダクションについても同様だろう。それ程までに、このイベントは業界での注目度が高いのだ。
「いや、お前に任せた那珂がな、そのイベントに出て歌いたい歌いたいと言って聞かないのだよ」
「ハハハ、それはそれは。ガッツとバイタリティがあって良い事じゃないですか」
「出させろ」
「えっ?」
「は?」
数秒程、電話のこちら側と向こう側で、何とも言えない無言の空気が漂った。意を決して、その空気を打ち破ろうとしたのは、オガサワラの方であった。
「その、出させろ……と言うのは、一緒にライブを見に行くって意味では……?」
「違うぞ」
「じゃあ、ライブステージで歌って踊らせろって事ですか……?」
「そうだぞ」
再び、電話の向こう側が無言になった。と、思いきや。受話器の向こう側で、慌ててオガサワラが、何かのページを捲っている音が聞こえてくる。
「その……言い難い事なのですが、ライブは本日の午後二時からでして……」
オガサワラに言われて、ダガーは腕時計で現在時刻を確認する。
「今の時刻は十二時二十分だな」
「後一時間半ちょっとで346と話を着けるのは……無理、と言いますか……」
「駄目か?」
「これは私の手に余ります……はい」
これを受けてダガーは、五秒程無言を保った後で、やけに大仰な溜息を吐き始めた。受話器の向こうのオガサワラも、当然その溜息は聞こえている事だろう。
「そうか……そうだな。流石の私も無理を言ってしまったな、すまないな、オガサワラ……」
「いえ、そんな事は――」
「なぁ、オガサワラ」
「な、何でしょう?」
「待ち遠しいなぁ、人事異動が」
受話器の奥で、生唾を飲む音が聞こえた。
「本当に有能な人物だったら、例え時間が一ヶ月あろうが一日しかなかろうが、優れた結果を持って来るのだがなぁ。あぁだが、お前が無能だと言っている訳じゃあないぞ。仕方のないケースと言うものは往々にしてあるものだからな。ああ、だが残念だなぁオガサワラ。今回のお前の返事が人事に関係させる、と言う訳ではないが、それでもやはり残念だなぁ」
「や、やります……」
「それは本当か?」
「勿論です!! 是非に私に!!」
「そうか、頼んだぞオガサワラ!!」
其処で受話器をガチャンと切り、その後でダガーは、那珂の方を向いて口を開いた。
「そう言う事だ。後はオガサワラを頼るんだな」
パワーハラスメントは本当に良くないからやめよう。
【市ヶ谷、河田町(UVM本社)/1日目 午前12:20分】
【ダガー・モールス@SHOW BY ROCK!!(アニメ版)】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]スーツ
[道具]メロディシアンストーン
[所持金]超大金持ち
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯確保
1.那珂をとことんまで利用し、自らが打って出られる程の力を確保する
2.オガサワラには不様に死んで貰う
[備考]
・UVM社の最上階から一切出られない状態です
・那珂を遠征任務と言う名の<新宿>調査に出しています
・原作最終話で見せたダークモンスター化を行うには、まだまだ時間と魔力が足りません
・オガサワラを使って、那珂を新国立競技場のコンサートに赴かせようとしているようです
【アーチャー(那珂)@艦隊これくしょん】
[状態]健康、艦装解除状態
[装備]オレンジ色の制服
[道具]艦装(現在未装着)
[所持金]マスターから十数万は貰っている
[思考・状況]
基本行動方針:アイドルになる
1.何処か良いステージないかな〜
2.ダガーもオガサワラも死なせないし、戦う時は戦う
[備考]
・現在オガサワラ(SHOW BY ROCK!!出典)と行動しています
・キャスター(タイタス1世{影})が生み出した夜種である、告死鳥(Ruina -廃都の物語- 出典)と交戦。こう言った怪物を生み出すキャスターの存在を認知しました
・PM2:00に行われる、新国立競技場のコンサートに赴くようです
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
UVM社。この名は略称である。
正式な社名は、Unicorn Virtual Music.inc.であるが、社外の人間は愚か、社員・従業員ですらUVM社と略すので、今日ではこの呼び方が主流だ。
UVM社と言えば、誰が異論を挟もうか、と言う程の国内――否、世界規模から見ても大手の部類に入るレコード会社である。
メジャーとインディーズ、その双方で考えても、この会社程今勢いに乗り、隆盛を誇るレコード会社は存在しないと言っても良い。
UVM社は、自身がプロデュース・制作した音楽や映像作品を配給する独自のネットを持っていると言う意味でも、会社の資産や従業員数と言う観点から見ても、
間違いなくメジャーレーベルと言う分類に分けても良い大企業である。日本を主な活動拠点とするUVMは国内のみならず、アメリカはニューヨークにハリウッド、
中国は北京に上海、イギリスはロンドン、フランスはパリ、ロシアはモスクワ等々、およそ世界の様々な国に支社を持っている程。文句なしの、グローバル企業である。
しかしこの会社の謎な所は、何と言っても世界において『最も新しいメジャーレーベル』であるのに、
『設立からたったの三十年にも満たないと言う余りにも短い時間で現在の規模にまでのし上がった』と言う事である。
簡単な筈がないどころか、不可能な話である。四捨五入を行って兆に届こうかと言う程の資産と、完全かつ完璧な未来予知能力があれば、話も別であろうが。
UMG、EMI、ソニー、ワーナー。世界の四大メジャーレーベルと呼ぶべきレコード社と並ぶ程の力を得られた理由は、表向きは、UVM社の現社長である、
ダガーと言う男の手腕によるところが大きいとされている。実際それは間違ってはいない。レコード会社は何と言っても、人材が全てである。
どれだけ優れた才能を持った人物を発見出来るか、そして育てられるのか、と言う所に全てが掛かっている。ダガーはそれを発見する天才だった。
ロシア人の美少女三姉妹から成る歌手グループ、Kira★Keira(キラ・キーラ)を見つけられたのも。
骨にすら響くと言う重低音のサウンドを鳴り響かせながら、透るような美声と轟く様な低いシャウトを駆使する歌姫、コスミナも
無尽蔵のスタミナと無尽蔵の声量を駆使し、観客を沸かせるパフォーマンスと魂に響く歌声を両立させる、Deadend ASURAも。
全ては、ダガー主導の下発見された原石であり、そして彼の計画の下育て上げられた世界的な音楽グループであり、歌手である。
彼が発見して来た原石は、数限りないと言う事になっている。それは確かな話だろう、そうでなければ、今のUVMの栄耀栄華は説明出来ない。
だがこれも、僅かな期間で急成長を遂げた企業と、その関係者の宿命のようなもの。
これだけの大躍進を遂げた企業なのだ。当然、妬みや嫉み、ネガティヴ・キャンペーンの一環として、悪い風聞が立つのは仕方のない事。
暴力団や裏社会と繋がっている、と言う噂があるが、芸能界であるならばそれも珍しくあるまい。
歌手や女優を枕にしていた、と言う噂もある。これも、『大人の常識』とは言え、経歴を洗えば確かにあったかもしれない。
大杉栄光にとって不可解なのは、『ダガー社長のある噂』についてである。
大躍進を遂げたレコード会社、誹謗中傷に晒されるのは、何も企業だけじゃない。その社長であるダガー・モールスと言う男もまた、あらぬ噂の矢面に立たされる。
その殆どが、余り頭の宜しくない栄光にとっては良く解らないものだ。粉飾決算がどうだとか、脱税の疑いがどうだとか、地頭の悪い栄光には理解すら出来ない。
しかし、そんな彼にも、これは妙だと言う事が一つある。彼が妙だと睨んだ噂、それは、『ダガーは人間ではない』と言うもの。
経営手腕や人間性を指して、人間ではないとか、怪物であるとか、そう言うのであるのならば、話はわかる。
『黒く、巨大なクラゲの様な頭を持っている』、となれば、無視する訳にも行くまい。そうだと言うのならば本当に人間ではない、真実怪物である。
真っ当な神経の持ち主ならば、幻覚を見たのだとか、寝ぼけていたで話は通じるだろう。但しそれは、純粋無垢なNPCのみに限る。
聖杯戦争の関係者どころか、完全なる当事者である栄光は、頭からこの話を疑った。
火のない所に煙は立たぬ、とはさても良く言ったもの。何の根拠も理由もなく、こんな荒唐無稽極まりない噂が、発生する筈がない。
――噂の真偽を確かめんが為に、栄光はUVMの本社に潜り込もうとしていた。
嘗てはフジテレビの本社が建てられていた事で有名な、<新宿>の河田町。<魔震>によってフジテレビは跡形もなく倒壊し、現在は周知の様に、
港区の台場に特徴的な建造物を建造。昔本社のあった其処を本拠地としているUVMは、<魔震>の復興が始まったと同時に活動を始めた会社であり、
其処からとんとん拍子に業績が上がって行き、現在の立ち位置を占めるようになった、と言う事になっている。
しかし、順平に聞いても、元居た世界にUVM社などと言う会社もないと言う。無論、あの目立つタワーにしても、新宿区に建っていると言う話も聞いた事がない。
そしてそれは、栄光にしても同じ事である。大正時代の人間でありながら、昭和を飛び越え平成の未来の記憶を有すると言う特異な人物である大杉栄光。
記憶を洗ってみても、UVM社と言う会社が存在した記憶はない。繰り返された五つのループの中で、お笑い芸人として活躍していた事も、このサーヴァントにはある。
そのループ時に東京にいた事があるが、UVM社は勿論、新宿区にこんな大それた建物があった記憶もない。
平行世界と言う概念を知ってからは、寧ろこの建物がある世界の方が、本来的には正統なのかも知れないとも栄光は思う。
かも知れないが、やはり、クラゲの怪物の一件は確認しておきたい。この噂だけは、如何にも引っかかる。その目で栄光は、確かめておきたかったのだ。
……尤も、それも叶わなくなった。
念話を通じて、順平から聞かされた一つの情報。即ち、<新宿>は霞ヶ丘町を所在地とする、新国立競技場で開かられるアイドルのライブコンサート。
其処に赴き、サーヴァントやそれを従えるマスターと何らかの話を、栄光も順平も付けておきたかったのである。
ただ、距離的問題から言って、今から向かっておかないと間に合わない可能性が高いと栄光は判断。仕方なく、UVM社の調査を後回しにし、順平との待ち合わせ場所である、
新国立競技場まで足を運ぶと言う計画に変更した、と言う訳である。順平はペルソナ能力と言う戦闘にも扱える力を使えるとは言え、いつまでも一人の状態にさせておくのは不安が残る。だからこそ、調査を打ち切ったのだ。
とは言え、河田町から新国立競技場等、電車を使えば三十分と掛からず到着出来る距離である。
調査をしてからでも公共の交通機関なら十分間に合うのでは、と思われるが、栄光はそうは考えなかったからこうやって戻っている。
その理由は単純で、電車を使うと遅延の可能性が高いからだ。<新宿>では既に、幾人かの聖杯戦争の主従が鎬を削っている事を栄光も順平も知っている。
一番有名な物で、<新宿>二丁目の辺りで勃発した、あの烈しい戦闘であろう。あの戦闘の余波で、今も自動車交通の便に混乱が生じているのだ。
公道ですらこれなのだ。電車の線路上でこんな事をやられては遅延が発生してたまったものではないし、電車内で戦闘に巻き込まれてしまえば、
ピンチの度合いは道路で戦闘に巻き込まれる比ではない。つまり栄光はもう、電車と言う交通手段を余り信頼していないのだ。
単刀直入に言えば、栄光は今『徒歩』で霞ヶ丘へと向かっている。
結局、UVM社から新国立競技場まで、二㎞と離れていない。これならば徒歩でも行けるし、栄光のスタミナなら走っても余裕である。
一番確実な到達手段が、科学と文明と交通網の整備が三位一体となって初めて成立する公共交通機関ではなく、自分の脚による移動と言うのだから、お笑い草だ。
「暑っちぃ……」
同じ夏でも、鎌倉と<新宿>では暑さの度合いが全く違う。
片や自然と海に囲まれた街、片やコンクリートとクーラーの室外機から放出される熱気が支配する町。これでは体感上の暑さに差が出るのは当然の事。
今年は例年通りの猛暑だと言う。例年の暑さがどんなものなのか、元を正せば大正時代の人間である栄光には理解不能であるが、少なくともこの暑さは異常だ。
そんな暑さの中、一㎞超の距離を徒歩で歩いて行くと言うのだから、どうかしている。真っ当な人間ならば電車やバスを用いる。
実際歩いて五分ほどで、既に栄光は後悔していた。サーヴァントの身の上でも、熱い寒いは当然感じる。
サーヴァントは食事の必要がない為、飢えや空腹は感じないが、皮膚を通して感じる温冷は別と言う事だ。変な所で融通が効かないと、栄光は思う。
どうせならもっと無敵の身の上にでもなって欲しい物だと、栄光はつくづく思うのであった。
更に歩く事、十一分。
目的地であるところの、新国立競技場まで残り五分程度と言った所で、栄光はおもむろに立ち止まった。
自分が歩いていた歩道の側に、確実に聖杯戦争の主従の手によるものとしか思えない建造物があったからである。
「メフィスト病院、か」
その方向に身体を向け、ポツりと栄光が呟いた。
栄光は、物思いに耽りながら、その方向を眺めていた。見よ、俗世と汚穢から来る塵埃を跳ね除け、それらとは無縁とも言っても良い、あの白き大伽藍を。
この宇宙の何処から調達して来たのだ、と余人に思わせしめる、完全かつ完璧な白い建材で作られた、その巨大な施設は病院であった。
誰が呼んだでもなく、院長及び其処に従事する医療スタッフ達自らが、この病院の事を『メフィスト病院』と呼んでいる。
病院の名前としてはあり得ない事は、如何に勉強の不出来な栄光でも解る。確かメフィストとは、何某と言う作家の何某と言う本に出て来る悪魔の名前だったとは、記憶していた。
この病院については、勿論順平や栄光も知っていた。そして、調査も当たり前のように進めていた。
ネット、SNS、口コミ。それら全てをフル動員させて入って来た情報は、皆全て同じ。
『何世紀も進んだ技術で作られたみたいな医療装置や、卓越した医療技術の持ち主たちが、癌を含めたありとあらゆる病気を格安の値段で治療する所』。
誰も彼もが、同じ事を言う。工場で働く期間工やフリーター、果ては上場企業の役員幹部、官僚や一部の政治家ですらそう言っている始末だ。
余りに皆が此処の事を絶賛するので、洗脳でもされているのではないかと栄光らは疑った。実際他の主従の中には、そう思っている者も少なくないだろう。
実際栄光らはこの病院については相当疑ってかかっている。解法を用いずとも、此処がサーヴァントの根城である事は解る。
全く後先を考えずに、自らの拠点を病院として開放し、NPC達の治療の為にその力を奮うなど、栄光ですら頭がおかしいし異常である事が理解出来る。
本当に、タダみたいな値段で病気や怪我を治していると言うのであれば、本物の気狂いだ。何かしらの仕掛けがあるのだろうと、栄光は踏んでいた。
メフィスト病院は盛況の様子である事が、栄光には窺える。
駐車場に停められた車の数や、入り口を出入りする様々な人間を見れば、其処が隆盛であるかどうかなど直に解る。
やはり、安い値段で患者の病気や怪我を治して見せる、と言う評判が利いているのだろう。<新宿>中の病院から、この調子では患者が奪われかねない。これでは区内の他の病院など、商売上がったりだろう。
コンサートの開始まで時間がある。栄光は、敵に気付かれない範囲で、メフィスト病院の調査を行う事とした。
今まで行ってきた調査は、遠巻きからメフィスト病院を眺めるか、人伝でその評判や行われていた事を聞くと言った事しかしておらず、
その内部に踏み込んでの調査はしていなかった。つまり正真正銘、初めて栄光は今からメフィスト病院の敷地に足を踏み入れる事となる。
何故そんな思い切った事をしようと思ったのか、と言うと、此方の解法で逃げ果せられる自信があったと言う事。
そしてもう一つ、今のメフィスト病院の様相である。駐車場のスペースと言い、入り口付近と言い、今のメフィスト病院にはNPCが相当数多い。
人の出入りもそうだが、自動車の出入りもかなり多く、駐車場から車が出たり入ったりと、流動が絶えない。
これだけの数だ、当然向こうは荒事を起こさないだろうと言う予測があった。つまり、敵は下手を打てないと踏んだのである。
駐車場の中に入るなり、栄光は、人目のつかない所まで移動し、解法の力を発動させる。
五感を通して捉える、大杉栄光と言う存在の情報を書き換えさせる。今行っている事は、平時行っている、自分がサーヴァントだと思わせない隠蔽の発展系である。
今の栄光は、サーヴァントだと思われない所か、大杉栄光と言う存在がこの場にいるとすら思われない。今の栄光は他人から見れば、透明な空間に過ぎないだろう。
しかし彼は霊体化した訳でもなければ、解法で身体を透明化させた訳でもない。とどのつまり彼は、他人の認識や感覚を敢えて誤認させ、
『その場にいるのにいないように思わせる術』を行った。対象が大杉栄光ただ一人の、認識阻害の術と言えようか。余程勘の良いサーヴァントでなければ、下手したら三騎士ですら今の栄光の存在には、気付けまい。
この状態で栄光は、悠々と白亜の大医宮へと近付いて行く。
栄光ともあろう者が、如何してメフィスト病院と言う誰が見ても怪しい施設を知りながら、情報の収集手段を遠巻きから眺めたり、伝手を頼ると言う、
手の抜いた方法で行おうとしたか。それはひとえに、この病院が不気味であったからに他ならない。
邯鄲の夢。とどのつまり、栄光が操る技能の事を指す。
本来ならば人間の内的、精神的発露であり現実世界にはなんの干渉力も持たぬ『夢』と言うイメージの力を、現実世界で超常能力と言う形で発動させると言う技術である。
無論、精神的な現象に過ぎぬ夢と言う物を現実世界に持ち出す、と言う事は通常不可能な事。それを行うのであれば、盧生と呼ばれる特殊な才能を持った人物か、
その許可を受けた人物しか現実世界で邯鄲は発動させられない。なお、栄光は盧生ではない為、邯鄲を発動するには後者の方、盧生の許可が必要な形となる。
だが、サーヴァント化した事により当然今の栄光はその桎梏から解き放たれ、本来ならば彼のボスに相当する柊四四八と言う盧生の管理から外れた為、自由に邯鄲を扱える。
栄光はその内、五つに大別される邯鄲の技術、その内の解法に特に優れた才覚を示す男。言ってしまえば一点特化だ。
解法は他者の力や感覚、場の状況等を解析・解体する事に優れ、これを極めると、如何なる攻撃もすり抜けさせて無効化出来る上に、
相手の存在を解体させて破壊させる事も出来る。解法に特化した栄光はこれらにも精通しているだけでなく、場の状況や敵の力量、正体の看破に、自らや味方勢力の存在や情報の偽装など、お手の物。この男にとって、チャチな隠蔽スキルや宝具など、何の意味もなさない。全て筒抜けと言う訳だ。
――その栄光に、全くメフィスト病院は『情報を認識させないのだ』。
その内部の様子を透視させる事は勿論の事、全力で解法を発動させても、一切情報は入って来ない。
外装は何で出来ているのか? 従業員の数は? 内装は? 全部が全部、まるで栄光に把握させない。
強いて解ると言う事は、此処がこの世の存在ではないと言う事が解ると言う事ぐらい。つまり肝心な事は何一つとして、アンノウン、と言う奴だ。
不気味に思うに決まっている。だからこそ、今までは怪しいと知りつつも距離を取っていたのだが、今は良い状況が揃っている。此方から打って出てやる、と栄光は思ったのだ。
目が焼けんばかりに白い、メフィスト病院の外壁まで近づき、栄光は其処に手を触れる。
肌触り自体に、特筆するべき所はない。何処にでもありそうな普通の外壁である。外壁に手を触れさせた、この状態で、栄光は解法を発動させた。
頭の中に入ってくる情報。此処メフィスト病院は、邯鄲の夢で言う所の『創法』、つまりイマジネーションを実際に物質世界に形成させる術で創られていると言う事。
ただの創法ではない。恐ろしく高度な、と言う形容語句が付く。創法は此処から、物質の創造や操作を成す形と、環境の創造や操作を成す界に別れ、此処メフィスト病院は、
この二つの合わせ技で形成されている。此処までのものは、栄光とて見た事がない。戦真館學園の同じ特科生である世良水希、
――余り認めたくはないが――同胞である壇狩魔、自分達の宿敵でもあった甘粕正彦。
栄光にとっては創法のプロフェッショナルと言えばこの三名だが、もしかしたらこの三名をも上回っているのではないか? と思わずにはいられない程の技倆である。
しかし、この病院が、邯鄲の創法に近しい技術で形成されたものである事は、栄光も推測はしていた。それが解っただけでも、大きい収穫だろう。
だがやはり、まだ足りない。もっと他に得られる情報があるだろうと思いながら、解法による解析を行おうとした。そしてもう一つ――奇妙な結果を弾き出した。
――これは……?――
この病院が、極めてレベルの高い創法、物質の形成の術で生み出された物である事は理解した。
だが創法に限らず、イマジネーションを物質世界に形を伴わせて具現化させると言う事は、術者の精神力や魔力と言うものを消費する。
そしてその具現化させたイメージを、ずっと物質世界に留まらせ続けると言うのであれば、それは膨大な魔力が入用となる。
メフィスト病院は少なくとも、栄光が順平によってこの<新宿>に呼び出された時から存在する建物である。
その時からずっとメフィスト病院を展開しっぱなしとなると、当然大量の魔力が其処で消費され続ける事になる。
この病院は、その魔力の消費が全く感じられないのだ。この<新宿>と言う世界に絶えず流出し続け、世界の方から其処に在れと強要されているかのようだった。つまり、この病院の維持に掛かる魔力は、『ゼロ』なのだ。
奇妙に思いながらも、更に解析を続けようとした栄光である――が。
突如として、夏の炎天下が、荒涼としたシベリアの荒野の冬よりも凍て付いた空気に変じて行くのを、栄光は感じた。
かいていた汗が、一つ残らず凍結し、皮膚の中に埋没して行くような、恐怖とも言うのも躊躇われるような圧倒的な恐怖。魔王・甘粕正彦と対峙した時ですら、こんな身震いは、覚えなかった。
「材質が知りたいのかね」
銀の剣で突き刺されたような感覚をその声に憶え、バッと後ろを振り返り――忘我の表情を、栄光は浮かべてしまった。
栄光の後ろには、美があった。白い闇と言う矛盾した表現が、これ以上となく適した、純白の暗黒が。
星の煌めきを編んで作ったと言われても皆が納得しようと言う程、踝まで覆う純白の美しいケープを身に纏った男だった。
だがその男は、そのケープの綺麗さが霞んで見える程に、美しかった。太陽系を遠く離れた、人も何も観測出来ていない銀河で輝く星の光を集めたように、
ケープの男の身体は光り輝いている風に栄光には見えた。その顔は、栄光には直視出来ない。数秒と見つめていれば、自我が崩壊してしまいかねない程美しかったからだ。
人類はきっと、人類自体が存続出来る全ての時間を費やしたとしても、この男の美を表現出来る言葉も技術も、開発出来まい。
目の前の、美の神ですらが妬いてしまいかねない程の、性差など問題にならない美貌の持ち主――ドクター・メフィストの美は、何者も犯せまい、表現出来まい。
「めだったものは使ってない。単なる大理石だ。但し、外部から透視させられないよう、内部に魔術的な刻印を埋め込み、病院内部のコンピューターでカオス処理と情報制御を行っている。少なくとも、君の力では解析は出来ない」
「アンタ……誰……だ」
その一言を紡ぐのに、栄光は、三十分も掛かった様な錯覚を覚えた。
「この病院の院長を務めている。クラスはキャスター。真名を、メフィストと言う」
聖杯戦争のセオリーである、真名の露呈を簡単に行うメフィスト。
尤も、この男にとって、その程度の定石の無視など、さしたる問題にならない。いやそれとも、この魔人にとっては、メフィストと言う名前すらも、本来のものではないのかも知れない。
バッと、周りを見回す栄光。
入口には相変わらず、人が出入りをしているし、駐車場自体も車が出たり入ったりを繰り返している。
全く皆、栄光の存在に気付いていない。そして、『メフィスト』の存在にも。栄光の存在が目立たないと言うのならばまだしも、何故、メフィスト程の男の存在に、誰も気付かないのか。天から降り注いだ隕石めいた存在感を放つ、この男に。
「何でアンタ……俺の存在に……」
「サーヴァントの存在を感知する装置を設置してある。それで、君の存在を知った。特別な手品は使ってない。それがなければ、私とて君の存在を知るのは難しかったかも知れない」
「嘘だろ? だって俺は……」
「どんなに情報を隠蔽した所で、君自身がサーヴァントである、と言う事実は変わらない。それを見抜く性質の装置と言う事だ」
そう、確かに栄光の解法の技量は凄まじいが、それで自らの存在が変わる訳じゃない。
栄光程優れた解法の持ち主と言えど、出来る事は精々が『偽装』止まり。どれ程腕を上げ、一般人だと誤認させる力を得たとしても、偽装しか出来ない。
自らの存在をサーヴァントではなく、NPCに『転生』させたり、存在自体を変化させる事は出来ない。どんな解法を用いたとしても、自身をサーヴァント以外の存在にさせる事は出来ない。解法の限界である。
「何故、私の存在がNPCに気付かれないのか、と言うような顔だな」
もう一つの疑問点を言い当てられた。まるでその目は、栄光の胸の中に沸騰した水に浮かぶ泡が如くに沸いて出る、心の言葉を見透かしているかのようであった。
「何て事はないだろう、君のやっている事に似た術を使わせて貰っただけに過ぎん」
予測出来ていなかった事と言えば、嘘になる。キャスターであると言うのなら、自分に匹敵する程の、解法に似た力を扱えるのも、道理ではある。
道理なのは事実だが、こうも簡単に自分と並ばれると、栄光としても驚きを覚える。いや、今栄光は、目の前の男ならば、それも可能なのではないかと思い始めていた。
この世に君臨していながら、本当はこの世界とは別の次元にその身を置いているのではないかと思えてならない程、浮世とは無縁な風を醸す男。魔人・メフィストならば。
此処で、ハッと栄光は自我を取り戻した。
今まで自分の身に起っていた、メフィストの美貌による呆然とした状態。それに、覚えがあったからだ。
貴族院辰宮こと、辰宮百合香。彼女が疎んでいた彼女自身の五常楽・破の段とかなり似通っているのだ。
傾城反魂香と呼ばれていた彼女の破段は、洗脳を施された事に相手に気付かせない程極めて高度な精神操作で、術者自体が制御出来てなかった為か、
この力は常に垂れ流しの状態であったと栄光は記憶している。だがその洗脳能力にしても、『邯鄲法』であると言う理由づけがあったからこそ、
その破段自体の強力さも納得が行くものであった。メフィストの場合、その理由づけがない。
解法で解析して見ても、今まで栄光が感じていた『この男ならば仕方がない』と言った感情や、メフィストの美を見て呆然自失の状態にあった事については、
全て神秘も魔術も絡んでない全てメフィストの純粋な美が齎した結果であるのだ。
つまりメフィストは――神秘に頼る事なく、素で辰宮百合香と似たような真似が出来ると言う事だ。だからこそ、栄光は恐怖を憶えそうになった。メフィストはつまり、栄光の思考が鈍っている間に、いつでもこのライダーを殺せる事が出来たと言う事なのだから。
「君の質問がないのであれば、私の質問にも答えて貰おうか。」
耳が痛い程に静かな夜を思わせる声であった。どんな感情の奔流も、その夜闇の深さと静けさの中は包み込んでしまう事であろう。
その声を聞いた瞬間、栄光は構えた。一瞬で脚部に、車輪の部分が巴紋を成す勾玉になっているインラインスケートを展開させ、腰を低くしメフィストを睨んだ。
逃走の準備は出来ている。此処で事を荒げる気は栄光にもないし、メフィストにもないだろう。だが、後者に関しては予測に過ぎない。警戒をしておくに、越した事はない。
「何の用があって、此処に来た」
「質問を質問で返すようで悪いけどよ、逆に何で来られないと思ったんだ?」
栄光は、メフィストが逆質問を許容するタイプには見えなかったが、それでも聞いて置きたかった事柄だ。
これだけ目立つ怪しい施設だ、他のサーヴァントが当然足を運んでくるであろう事は、栄光ですら想像出来る事柄。ならば、どんな馬鹿でも考えに至る事だろう。
それを、目の前の白魔が気付かぬ訳がない。気付いていなかったのならば、相当抜けている。
「ただの病院がそんなに気になるかね?」
ぬけぬけと、メフィストが返答する。
「やってる事は君達の思う病院のイメージから逸脱してはない。生を希求し、病と怪我とを治したい人物を、ただ癒すだけ。それだけの施設を、もの珍しがるのは余程の田舎者だ」
「普通の病院は、外壁に魔術の刻印を埋め込んだり、カオスなんたらだとか情報なんたらなんてものを施さないぜ」
「ならば君の言う普通の病院は、意識が低すぎるのだろう。無能な者が運営しているに相違ない、解体するべきだな」
こんな院長が運営する病院と比較される他の病院が、堪らなく哀れで仕方ないと、栄光としては思わざるを得なかった。
「サーヴァントが運営する病院。そんなの、疑わない方がどうかしてるだろ」
「その通りではある。だが、当病院の評判は、直接患者だった者に聞いてみるが良いだろう。私が余計な事をせずとも、彼らが証明してくれる」
この無限大の自信。何処から湧いてくるのかは知らないが、何に誓っても自分は潔癖であると、メフィストは言いたいのだろう。
そして、言葉を交わして栄光は理解した。この男は、断固としたプロフェッショナリズムの持ち主。例えNPCであろうとも、自分の医術を頼る患者であるのならば、
捨てはおけない性分であると言う事を。解法等使わないでも、余人に理解せしめる言外不能の『力』、いわば説得力が、メフィストにはあった。だから、これ以上栄光は追及しなかった。
「私から問いたい事は、もう一つある」
メフィストが更に言葉を続ける。木枯しが流れるような寒さを、栄光は感じた。
「何処まで知った」
「何?」
「君が解析の術に長けた小賢しいライダーである事は承知している。見事なものだ。彼の魔都においても、君程優れた解析者は滅多にいなかったろう。我が病院にしても、然りだ。それを踏まえた上で、なお、問う」
目を合せれば、魂すら抜き取られかねない程深遠な瞳が、栄光を捉えた。
「我が病院の秘密をどこまで知ったか」
「……返答次第では、どうするつもりだ?」
「知られたくない事を知ってしまった者に対する処遇は、何時だって一つだ。向かう先を、天国か地獄に定めさせるまで」
其処まで言った瞬間、解法で自らの身体に透過処理を行った後、栄光が地を蹴った。
彼が踵の辺りに展開させた物は、邯鄲法の一つ、創法で形成された装備であり、サーヴァントの身の上にあっては栄光の宝具の一つである、風火輪。
栄光の移動力を補助するブースター的な機能を果たすこの宝具は、凄まじいまでの移動速を栄光に約束する。その最高速度は音以上。
更に、最高速度をそのままに、栄光自身の解法の才能により慣性や重力と言った諸法則を無視した、三次元的な軌道での移動をも約束させる、
単純な性能以上に凄い宝具だ。その宝具の、勾玉のローラー部分からオレンジ色の光をたばしらせ、栄光はその場からの逃走を図った。
垂直に、栄光が飛び上がる。助走も何もなしで、七m程の距離を、時速三百㎞程の速度で飛び上がった。
それと同時にメフィストの手が、雪化粧を施された平原の銀世界ですら黒ずんで見える程の、白いケープの中で霞んだ。
その瞬間を目の当たりにし、何か来ると、栄光が思った瞬間だった。予想通りその何かが、栄光の移動ルート上に展開され、それが栄光の移動を阻んだ!!
「なっ!?」
激突したそれは、例えるなら防球ネットに近いものだった。激突した衝撃自体は、それ程強いものではない。
しかし、栄光にとって驚きだったのは、そのネットの様な物を、『すり抜けられない』と言う事だった。
十万の剣林、百万の弾雨の中を悠々と歩いて見せられる程の、栄光の解法による透過が、まるで意味を成していないのだ。
何だこれは、と思いながら目線を上に向けると、銀色をした細い糸が、格子状に広く展開されているではないか。太さは凡そ1mm。
解法を用いた所、それが針金である事を栄光は知った。しかもただの針金ではない、表面に、到底理解出来ない内容の文字が、人間には視認不可能な小ささでビッシリと刻まれているのだ。
針金は栄光を勢いよく地面に弾き飛ばした。
慌てて体勢を整え、地面に着地する。それと同時に、例えようもない恍惚とした感情を、栄光は感じた。
――メフィストの左手が、栄光の左肩を掴んでいたからだった。石英を削り、滑らかに磨いた様な繊指が、栄光の衣服に掛かっていた。
それに気付いた瞬間、栄光は急いで解法を行おうとしたが、全く発動させられない。簡単な話だ。
メフィスト自身が、栄光に匹敵する程の解法に似た力で、栄光の解法を無効化させているからだ。では風火輪で逃走を図ろうとしても、まるで見えない巨人の手で握り締められているかのようにその場から動けない。これに関しては、栄光の解法ですら解析不可能なのが、堪らなく恐ろしかった。
「疾しい事がなければ、解放する」
「あったら死ぬんだろ!!」
返答しなかった。自分の都合を優先する男らしい。それとも、都合の悪い事は答えない性格か。
栄光の眉間に、右手の人差し指を当て始めるメフィスト。「クソ、何てベタな記憶の読み方だよ!!」、と悪態を吐く栄光。
無言を貫く白い魔人であったが、何故だろう。栄光は、無感動と冷静さを煮詰めた様なメフィストの黒い瞳に――驚きと、興味の光が煌めいた様に見えたのは。
メフィストが、スッと人差し指を離した。相変わらず左手は栄光の肩に乗せられた状態。これがあるせいで栄光は、全くその場から動けずにいた。
「君は病気だ」
メフィストは、敵を断罪する魔人としての表情から、冷徹な医者の顔になっていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
先ず、メフィストが思った事は、今まで自分が見た事のない症状だったと言う事だ。
記憶を読み解く術を用い、目の前のライダーの真名が大杉栄光と呼ばれる、異なる大正時代の英雄の一人であり、夢を用いる戦士である事を知った。
無論メフィストにとって、栄光の辿った道程などまるで興味がなく、メフィスト病院の何を知ったかだけが興味の対象――であった筈なのだ。
メフィストの興味を引いたのは、大杉栄光の記憶に生じている、奇怪な空白(ブランク)だった。
記憶喪失の人物の記憶を確認した時の症状と似ている、と一瞬メフィストは思ったが、実態は全く別の物だと直に思い直した。
記憶喪失の人物と言えど、その記憶が完全になくなる訳ではない。父親の事が思い出せない人間がいたとして、その記憶を眺めてみると、
断片的に父親の情報の一部を記憶に留めていたり、父親の記憶の混濁が起っていたりなどと言ったケースがよく見られる。
これらはつまり、記憶喪失とは言っても、『完全に当該記憶の事を忘却している訳ではない』と言う事を意味する。
栄光の記憶は、完全にそれだった。彼の記憶に生じている奇怪な空白とは、その記憶が完全に消失している事の表れだった。
このライダーのそれは記憶喪失ではなく『記憶消滅』と言うべきもので、魔界医師と言われたメフィストにですら、消滅した記憶が元々何であったのか、
悟らせないし理解もさせない程完璧に、記憶がなくなっているのだ。この世界から物質が自然と完全消滅する事があり得ないように、
人間の頭からも記憶が自然に完全消滅する事はあり得ない。外部から手を加えればそれも可能ではある。但しそれには、メフィスト病院レベルの設備と、メフィストレベルの魔道の知識が必要になるのだが。
「俺が、病気? 頭が悪いとか抜かすなよ」
「馬鹿は病気じゃない、君の努力不足だ」
「(何で其処まで言われなきゃいけないんだろう)身体がおかしいって言うのか?」
「身体は健康そのものだ。君の記憶に、問題がある」
「記憶? 俺は見ての通りの脳も若々しいティーン・エイジャーだぜ? 英単語全然わからねぇし、数学もお察しレベルだが、生前の友達達との記憶は、忘れた事はねぇ」
メフィストが病気だと判断したのは、これだった。
大杉栄光は確かに記憶の消滅が過去にあった筈なのに、『栄光自身がその事に気付いていない』ばかりか、『記憶の消滅した現在の状態が自分にとっての本来正しい状態』、
と誤認している状態なのだ。記憶の空白が、小さい物だったり、空白の数自体が極端に少ないのであれば、今の栄光の状態も説明出来る。
だが、メフィストが見た栄光の記憶の空白は、恐らくは今の様な記憶の消滅が起こる前の栄光にとって、かなり重要なウェートを占めていたものであろう事が解るのだ。
空白自体がかなり大きいだけでなく、その数もかなり多い。これだけの空白があるのなら、日常生活を送る内に、何処かで絶対に奇妙な感覚に襲われるものであろうが、
栄光にはそれがない。だからこそ、メフィストは病気だと判断した。
そして、メフィストがこの病気――と暫定的に定義する――に興味を抱いたのは、何故もたらされたのかと言う事。
こんな奇特な現象、自然に起こる筈がない。外部から意図的に手を加えられた事は確実だが、それが何による物なのか、推測すら出来ない。
記憶に関する病気は、メフィストは幾度も目にして来たし、治しても来た。魔界都市に於いては、外宇宙の邪神の記憶と運悪く繋がってしまい、
発狂を引き起こした患者まで見て来たが、そんなメフィストですら栄光の症状は、未知。だからこそ、この場でもっと栄光の今の記憶の事を、知りたかったのだ。
「今一度訊ねるが、自身の記憶におかしなところは、ないのだな」
「だから、ねぇって!! そんなに俺はヤバい事を知ったのか?」
「君自身は、我が病院の秘密は触れられなかったようだ。其処は良い。だが、別の所で興味が湧いた」
其処で、栄光の左肩から、おもむろにメフィストは左手を離した。
その隙に逃げようとする栄光だったが、まるで追う気配を見せないメフィストを、逆に奇妙に思い、その選択を敢えてやめた。
あの不思議な針金も展開されるかもしれないと言う警戒心も、当然ある。
「取引をしよう」
不意にそんな事をメフィストが言うと、ケープの裏地から何かを取り出した。
宝石だった。見事なカットの成された、血赤色をした惚れ惚れする程綺麗な宝石。陽の光を浴びて、地面に鮮やかな赤い光を放っている。
その宝石が取り分けて美しい物に見えるのは、偏にそれを摘まんでいるメフィスト自身の美のお零れを、宝石が貰っているからかもしれなかった。
「ルビー……?」
「スピネルだ。魔力を内包させてある」
言われて栄光は、解法を用いて宝石を解析する。
見ると、栄光が二回は全力で戦っても問題がないレベルの魔力が、宝石に込められているではないか。
それ以外の細工は、ほぼゼロ。手に持ったとて、栄光が不利益を蒙る小細工は、込められていない。
「君の記憶の障害を私に治させてくれると言うのなら、この宝石を君にやろう。無論、入院を選んでくれても構わないが」
「……貴重な物じゃないのか? それ」
「命と魂より貴重な物はこの世にない」
宝石商が見れば、今のメフィストの持っているスピネルは、言い値で、それこそ億の値段を付けられても買うと言う人間が出て来る程のクオリティとカラットを持っている。
そんな宝石でも、メフィストからすれば、何らの価値もない小石同然。余人はきっと、メフィスト自身が、宝石よりも美しいからそんな事を言えるのだと、思うかも知れない。
だが何て事はなく、メフィスト病院に設置された分子・原子構成変換機により、ただの小石をこのような宝石に変える事が出来るのだ。
つまりこの病院では、宝石などそれこそ何の価値もない。従業員が作って欲しいと言えば、メフィストの機嫌次第では作ってくれるのだ。
聖杯戦争のマスターやサーヴァントにとっては黄金よりも貴重な魔力にしても同じ。院長であるメフィスト以外誰も知らない所に設置されていると言う、
動力と燃料なしで平均的な原子力発電所の七百倍の発電効率と発電量を可能とする発電装置と、電力を魔力に変換するコンバータにより、実質上の魔力は∞である。
魔界医師にとっては、最早魔力の多寡など、何の問題にもならないと言う事だ。
「……俺は今でも、自分が記憶の病気だって言う自覚はねぇ。だが、仮に、アンタの言った事が正しい事柄だとして……如何して、俺に其処まで肩入れする?」
「未知の事柄を知る事は、楽しい事なのだよ。勉強の楽しみとはつまるところそれだ」
要するに、今のメフィストは、医者として患者を治すと言う使命感や責任感、正義感の類がある訳ではない。
ただ、栄光の今の症状に甚く興味を覚えたから、それをもっと詳しく知りたいだけ。その程度に過ぎない。
そして、今メフィストの言った事が一切の嘘偽りのない真実だと、栄光も本能的に察知したらしい。狂人を見るような目で、メフィストの事を見つめていた。
「……条件を二つつけさせて欲しい」
「伺おう」
「一つ。今俺は単独行動中だ。マスターと離れてる。今マスターの所に向かう最中だから、治療するならなるべく時間のかからない方法で頼む」
「どれ程の時間なら良いのだね」
「一分だ」
「良かろう」
栄光が目を剥いた。本人としては、無理難題を吹っ掛けたつもりなのだろう。一分で記憶の障害を治せる治療など、前代未聞にも程がある。
だが、その前代未聞はあくまでも、普通の医者に限った話。魔界医師・メフィストならば、ものの数分で記憶の病気を治せる術、心得ている。
但し、栄光の症状はかなり特別の為、病院のあらゆる装置を使ったとしても、治らない可能性の方が遥かに高い。
況してや一分程度の治療では、完治など不可能である。しかしそれでも、最低限の事は出来るだろうと、メフィストは踏んでいた。
「……も、もう一つ。俺はまだアンタの医療を信頼してないし、俺のその記憶って奴が、戻っちまったら大変な事になる奴だったら、俺としても難だろ?」
「そうだな」
記憶が戻る事が、必ずしも良い事なのかと言われれば、それは違う。
人間の脳は時たま、思い出したくもない程嫌な記憶に封をすると言う意味で、記憶を混濁化させると言う事を行う時がある。
その混濁や記憶の喪失を治すと、人は、死を選んだり、破滅の道を自分から歩こうとする時がある。記憶の喪失は、本人にとってプラスの結果に繋がるとは限らないのである。
「治療するって言うのなら、ごく簡単な誰にでも出来そうな方法で。記憶が戻るって言うのなら、一気に戻るんじゃなくて徐々に徐々にって感じの奴で頼む」
「承った」
言ってメフィストは、摘まんでいたスピネルを、栄光に手渡す。
その瞬間逃走をしようかと思った栄光であったが、今は不思議とそんな気になれなかった。余りにも、メフィストは真面目に記憶が云々と言う物だから。
ひょっとしたら、本気で自分は何かを忘れたのでは、と言う疑惑を憶えてしまったのだ。
――変な事したら即逃げる――
あの針金を展開させようが、関係ない。今度は、針金の展開が無意味に成程烈しく動き回るだけだと、栄光は心に決めた。
メフィストはそっと、向こう側が透けて見えるのではと思う程の白い指を栄光の額に当て、スルスルと謎の軌道を描いて行く。
眉間を動かし終えると、今度は眉間に指を持って行き、同じ様に、謎の動きを行い、再び額に指を持って行き、また動かす。
それを行う事一分、メフィストは指を額から離した。
「ごく簡素だが、治療を終えた」
メフィストはそう告げた。本当かよ、と栄光が思うのは無理もない。誰がどう見たって、いまメフィストが行った事は、単なる悪ふざけの延長線上にしか見えなかったからだ。
指先に、極めて薄く少量の魔力を纏わせていた事は、栄光も解る。が、本当にこれで何かが変わるのかとは思えない。念の為解法を使って、己自身を解析して見ても、全く問題も異常も、刻まれた様子はなかった。
「で、治りそうかい? ドクター」
「君の思っている所感と概ね同じだ」
要するに、治らないと言う事だ。
「もし、本格的な治療を望むと言うのならば、此処を訪れ、受付で私を呼びたまえ。それ相応のもてなしを約束しよう」
「おう、考えとくよ。……それじゃ、もう帰って良いか?」
「結構。お大事に、大杉栄光君」
「どうも、ドクター・メフィストさん」
言って、メフィストの左手の袖に、銀色の針金がスルスルと戻って行く、
案の定と言うか、頭上だけじゃなく、栄光の背後、左右にまで配置していたらしい。つくづく、抜け目がない。
栄光はメフィストに背を向け、スタスタと歩んで行く。その様子を眺めながら、この白魔人は、栄光の病気についての考察を行っていた。
自分自身、今の栄光の様な症状の者を治療に当たった事はない。しかし、確か過去にあれに似た症状の者について記された書物があった筈。
その事を考える事、二秒。メフィストは思い出した。栄光の今の記憶障害に近い者について記された、メフィスト病院の秘密の図書館に内蔵された一冊の本の事を。
――『生贄、それについての考察と論考』だったか――
それは、かのイエズス会の創始者の一人にして、此処日本においても著名な宣教師である、フランシスコ・ザビエル。
彼と共にインドや日本、中国と宣教の旅を行った、あるカトリックの宣教師の男が記したとされる、ラテン語の論文である。
その宣教師はアフリカやインド、モルッカ諸島や中国、そして日本と言う長い航路を旅する内に、土着の諸宗教に興味を持ち始め、それについての研究を行っていたと言う。
尤もその研究を纏めた論文自体は、当時のカトリック宗教界にとっては興味を抱かせるようなそれではなかったらしく、これを受けて宣教師は、それまでの研究を放棄。
論文も散逸したと言うが――何故、その論文の一つを、メフィストが持っているのか。それはまた、不明である。
今メフィストが想像した論文は、タイトルの通り、生贄と言う文明の意義について考察したものである。
その中でもメフィストは、超自然的存在が求める生贄についての考察の項を、思い出していた。
生贄を何故、神や悪魔、邪龍に妖獣は求めたのか? 諸人は連想する。祟りを鎮める為、その土地に福を齎して貰う為、そして、怒りと暴虐を抑えて貰う為。
それ自体は正しい。この論文は、何故彼らは、人を喰らわねばならなかったのかと言う事を考えた。
生娘や戦士の血肉が、美味である筈がない。人の肉の味よりも、品種改良された鳥獣の肉の方が、美味いに決まっている。なのに何故か、彼らは人を求めた。
何故――? 答えは、超自然的な存在が喰らっているのは、『人の肉体ではない』。彼らが食べているのは実は、『生贄にされた人間の幸せな精神と、過去未来を含めた運命』なのだ、とその宣教師は説明した。
宣教師は論文中で語る。巨大な化け鯨に捧げられたアンドロメダは、彼女が王女であり美しい外見をしていたからと言う理由で生贄に捧げられたのではない。
ヤマタノオロチに喰らわれる事を運命づけられていた、地祇の夫婦の娘である櫛名田姫は、神の娘だからという理由で喰らわれかけたのではない。
『彼らの運命が輝かしいものである事を怪物や神が知っていたから、彼らは生贄として選ばれたのである』。
その証拠にアンドロメダは英雄ペルセウスに助けられ、後のギリシャ神話に於いて名を残す英雄達の大母となり、死後は星座にまで祀り上げられた。
櫛名田姫は記紀神話に於ける大神霊・素戔嗚尊に後に助けられ、偉大なる神の妻にまでなった。
そう、怪物が美味としたのは、彼らの肉ではない。彼らの輝かしい運命と、豊かになりつつある精神をこそ、彼らは至上の甘露として好んだのである。
更にその論文中に於いて、宣教師とその一団は、日本滞在時にある農村が行っていた、土地神に捧げる生贄の少年少女とそれに纏わる儀式を見た時の事を記録していた。
その村においては人と言う資源は大変重要なそれであり、一々生贄を捧げていては如何にもならないと考えていた。
其処で村長は村の巫女と相談を行い、その後巫女が土地神に、人を失わない生贄について何かないかと神宣を乞うた事があると言う。
そしてその日以降から、生贄の在り方が変わったと言う。生贄に捧げられた少年少女は確かに、命に別状もなければ身体の何処かが欠けたと言う訳でもなく。
五体満足の状態で戻って来られたのだが、何故か彼らは、どんなに顔が良くどんな働き者でも、結婚も出来ないばかりか、
少年ならばあれだけ仲の良かった少女と関係が冷え込み、少女ならばその逆、と言った現象が頻繁に起こった。
その時、その宣教団が生贄にされた事のある少女の一人の事を精査した所、恐ろしい事実に気づいてしまったのだ。
神は確かに、人の肉を喰らう事を止めた。だが神は、その人物が誰かと結ばれる『可能性』と、『親しかった人物との記憶』だけを、的確に喰らっていたのだと言う。
この時記憶を確かめたところ、奇妙な空白が幾つもその少女には見られた、と、その論文は語っていた。
その論文が語る、生贄の少女についての事と、今の大杉栄光の症状は、似ている気がしてメフィストにはならない。
仮にもし、あの少年のサーヴァントが、過去に何かを生贄――いや、何かを代償にしたサーヴァントであると言うのならば。
何に対して、そして何を引き換えに、奇跡を成させたと言うのか? 神に捧げた物は、何があっても戻らない。メフィストであろうとも、取り戻せない。
自分は、凄まじい何かに対して、挑戦状を叩きつけようとしているのではないかと、考えるメフィスト。
「好奇心は猫をも殺す、か」
ポツリ、とメフィストが呟く。その頃には栄光は、駐車場を出て、大通りを歩いていた。
「それで死んでみるのも、また面白いだろう」
言ってメフィストは、懐から取り出した一本のメスを振り下ろし、何もない空間を切開し、其処に身を投げた。
切開した空間が閉じて行き、切断した跡も完全に消滅させると、後には誰も、その空間にはいなくなる。
世界から色彩が落ちた様な錯覚を、今まさに退院し、入口を歩いていた家族連れの両親と子供は、覚えたのであった。
間違いだろうと、思い直す事とした。空はあんなにも、蒼く瑞々しい色を世界の果てまで広げているのであるから。
【四谷、信濃町(メフィスト病院)/1日目 午前12:30分】
【キャスター(メフィスト)@魔界都市ブルースシリーズ】
[状態]健康、実体化
[装備]白いケープ
[道具]種々様々
[所持金]宝石や黄金を生み出せるので∞に等しい
[思考・状況]
基本行動方針:患者の治療
1.求めて来た患者を治す
2.邪魔者には死を
[備考]
・この世界でも、患者は治すと言う決意を表明しました。それについては、一切嘘偽りはありません
・ランサー(ファウスト)と、そのマスターの不律については認識しているようです
・ドリー・カドモンの作成を終え、現在ルイ・サイファーの存在情報を基にしたマガタマを制作しました
・そのついでに、ルイ・サイファーの小指も作りました。
・番場真昼/真夜と、そのサーヴァントであるバーサーカー(シャドウラビリス)を入院させています
・人を昏睡させ、夢を以て何かを成そうとするキャスター(タイタス1世(影))が存在する事を認識しました
・アーチャー(八意永琳)とそのマスターを臨時の専属医として雇いました
・ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上&モデルマン(アレックス)の存在を認識しました
・浪蘭幻十の存在を確認しました
・現在は北上の義腕の作成に取り掛かるようです
・ライダー(大杉栄光)の存在を認知しました。
・ライダー(大杉栄光)の記憶の問題を認知、治療しようとしました。後から再び治療するようになるかは、後続の書き手様にお任せします。
・マスターであるルイ・サイファーが解き放った四体のサーヴァントについて認識しました(PM1:10時点)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「俺が病気だってよ、あのヤブ」
独り言だと解っていても、つい悪態を吐いてしまう。
メフィスト病院から離れて、国立競技場駅に着くなり、栄光は思わずそう言ってしまった。
自分の記憶の事だ。自分自身が一番良く解ってるに決まってるだろう。そんな当たり前の事すら解らないのか、あのイケメンは、と、思い出すだけで苛々が溜まって行く。
「俺が忘れる筈ないだろ、全部……大事な記憶だ」
そう、忘れる筈がないのだ。初めて邯鄲の夢に潜った時の、地獄のような艱難辛苦も。
一度は甘粕正彦に敗れ、想定していなかった邯鄲のループの周回し直し、其処で経験した、栄光だけの二十一世紀の人生も。
大正時代の日本――いや、世界の平和を護る為に、甘粕正彦とその眷属と死闘を繰り広げたあの時の事も。生まれてから死ぬまで栄光は、忘れた事がなかった。
――何も知らない真っ新な状態で、相模湾の砂浜で朝っぱらから見当違いな事を誓った事もあったな……――
自分達の本当の目的と記憶を失い、朝の相模湾で、若さだけで全てを乗り切ろうと皆で誓っていた事を栄光は思い出す。今にして思えば、苦笑いしか浮かばないが。
――四四八の親父に、恵理子さんを殺された事もあったな……――
初めて自分達のリーダーである柊四四八の父親、柊聖十郎と出会った事を栄光は思い出す。
あんな傲岸不遜で最低な男が、四四八の父であるだなどと、血の繋がりのない栄光ですら思いたくなかったが、あの男もあの男なりの、事情があったのだと思うと、複雑な気分になる。
――狩摩の馬鹿が勝手に俺達と争った事もあったっけな……――
今にして思うとあの男の精神や考える事は、全く理解不能も良い所だった。
一時のノリで、よりにもよって眷属が主である盧生を本気で殺そうとするなど、本当に頭がどうかしている。マジでめくらだったんじゃないのかアイツ。
――本当の戦真館で、今度こそ皆と甘粕を倒そうと誓った事もあったよな……――
四四八が真の盧生になり、自分達も記憶の全てとやるべき事を思い出し、思い出の詰まった教室で、仲間達と誓い合った事もあった。
クソが付く程真面目な四四八が、机に小刀で文字書きをしている所は、今思い出しても笑ってしまう。まさかあの謹厳実直を絵に描いた男が、ジュブナイルドラマみたいな真似を行うとは、思ってもなかったから。
――また、■■るかな――
――何……?
栄光は思わず、ポカンとした表情を浮かべてしまった。ふと、心の中に浮かんできた記憶。それは確かに自分のものでありながら。
『思い出す事自体に、堪らない違和感を覚える内容だった』からだ。
――ええ、きっと――
――■■はまた、■■後にでも……――
――ええ、■咲く■■■で■■■しょう――
酷く、声にノイズが掛かる。自分の声は、聞き間違えようがない。一方の男の声が、自分の物である事は解る。
もう一方の方だ。この声は、女性のもの。そして、その声も、聞き間違えようがない。あの甘粕との戦いの時にずっと一緒だった、戦真館の同じ仲間。
「……野枝、さんか?」
そう、この声は、戦真館學園の同じ生徒であり、壇狩摩の部下である、伊藤野枝のものだ。
だが何故、彼女の声が、思い出されるのだ? 深く、その時の、自分と野枝とのやり取りの事を思い返してみても、酷くイメージがボヤけて、見えやしない。
――クソ、あのヤブ、変な記憶植え付けやがって――
軽く舌打ちして、心の中に湧いて来た記憶と言葉を振り払い、栄光は、待ち合わせ場所で順平を待った。
街ながら、夏のギラつく太陽が浮かぶ空を見上げながら、栄光は物思いに耽る。
「……野枝さんかぁ」
ポツり、と呟く。
「あの人、綺麗な人ではあったけど……。素っ気なくて、俺苦手だったなぁ……」
国立競技場駅を行き交う人の波をボーっと見ながら、栄光が呟いた。
何で四四八や晶、鳴滝達は、彼女と俺を、いつも一緒にいさせようとしたのだろうかと。栄光は生前の最期まで、そして今に至るまで、解らずにいるのだった。
【四谷、信濃町方面(霞ヶ丘町、国立競技場駅前)/1日目 午前12:50分】
【ライダー(大杉栄光)@相州戦神館學園 八命陣】
[状態]健康、霊体化、覚えのない記憶(進度:超極小)
[装備]なし
[道具]宝石・スピネル(魔力量:大)
[所持金]マスターに同じ
[思考・状況]
基本行動方針:マスターを生きて元の世界に帰す。
1.マスターを守り、導く
2.昼はマスターと離れ単独でサーヴァントの捜索をする。が、今は合流を優先
3.UVM社の社長にまつわる噂の真偽を後で確かめてみる
4.何で野枝の記憶植え付けるんだよあのヤブ
[備考]
・生前の思い出す事が出来ない記憶について思い出そうとしています。が、完全に思い出すのは相当困難でしょう
・キャスター(メフィスト)の存在を認知。彼から魔力の籠った宝石を貰いました
・キャスター(メフィスト)から記憶に関する治療を誘われました。判断は後続の方々にお任せします
投下を終了します
申し訳ございません、追記をし忘れていました。
◆2XEqsKa.CM様が本企画に投下された、『夢は空に 夢は現に』にて、ライブコンサートが市ヶ谷方面で行われるとありましたが、
検討をこちらで重ねました結果、市ヶ谷でコンサートをやる場所がどうしても見当たらないので、此方で『四谷、信濃町方面』に変更させていただきました。
何卒ご容赦をお願いします。ゆるして
遠坂凛&バーサーカー(黒贄礼太郎)
ゆりこ(リリス)
予約します
>>669
了解ですЙ、感想はのちほど
>>647 の予約を延長させていただきます
オガサワラェ……ここにもパワハラの被害者が
投下します
「……何で水が出ないのよ」
クイクイと、何度も水道のレバーを上げ下げしても、水一滴すら蛇口から滴りやしない。
この世界のTOTOの蛇口は技術力が馬鹿みたいに低いのかと思いながら、凛は苛々を隠せない。
「モデルハウスは上下水道が通っておりませんから水は出ませんよ、凛さん」
「先に言いなさいよ馬鹿贄!!」
「はぁ、申し訳ございません。それと私の名前は黒贄ですよ」
駄目だ、やはり話しているとストレスが溜まる。
黒贄と自分とでは、話が噛み合わないと解っているのに、何故話しかけてしまうのだろう。現状この狂人以外頼れる人物がいないからだ、と凛は思う事とした。
先程まで拠点としていた、香砂会の邸宅が、アサシンのサーヴァントであるレイン・ポゥと黒贄の戦闘の余波で破壊され、
拠点として活用するばかりか、騒ぎを聞き付けてNPCも集まりつつあった為に、凛達はその場所にいられなくなった。
結果遠坂凛は、人目のつかないルートを、態々遠回り覚悟で移動し、元の拠点だった邸宅を捨てて今の所まで北上して来た。
モデルハウスを選んだのは、家と言う体裁を保った建物を拠点にしたかった為だ。
今や世界規模の有名人――悪い意味で――である遠坂凛が、そこら辺の公園や空き地で待機する訳にも行かない。直に事が露見する。
だから、自分が潜伏している事が目立ちにくい、建物内部で隠れていたかったのだ。モデルハウスである以上、当然此処を担当する管理会社の従業員がいた。
黒贄が「何とかしましょうか?」、とか訊ねて来たが、この男の何とかするは殺人以外にあり得ないので、自分がやると凛は説得。
従業員全員に暗示を掛け、自分の事を忘却させてからその場を離れさせた。こんな情けない事に魔術を使うなんて、凛は夢にも思わなかった。父に合わせる顔がない。
遠坂凛が考える事は何時だって一つ。今後聖杯戦争をどう乗り切るか、であった。
自身の置かれた境遇が、この聖杯戦争に参加している全主従の中でも最低かつ最悪に近しいものである事は自覚している。
自覚していてもどうしようもない程、凛の窮状はマズいのである。指名手配を受けている上、彼女の顔も既に他主従に割れている為、
NPCに紛れてすっ呆けて生活する、と言う作戦も不可能。サーヴァントがあの調子であるから、同盟なんて論外であるし、そもそも組んでもらえるとも思えない。
そして、神秘の隠匿と言う、魔術師が何としてでも守らねばならぬ大原則に真っ向から喧嘩を売ってしまった、と言う事がネックだった。
冬木の聖杯戦争なら、監督役に申し入れて聖杯戦争を棄権する、と言う選択肢もないわけではなかった。しかし今の遠坂凛は指名手配を喰らったばかりか、
サーヴァントを用いた大虐殺の様相を世界中に公開された。如何に中立を貫く事が求められる監督役と言えど、これに関しては、天秤は片方に傾かざるを得ない。
即ち、遠坂凛を見捨てる――いや、契約者の鍵を通じて投影されたホログラムを確認するに、寧ろ一番抹殺に乗り気なのは向こうである。
棄権の旨を伝えようと、運営の本拠地に乗り込んだ瞬間、殺されてしまいかねない。要するに、遠坂凛の主従は、詰んでいた。
とは言え、勝ちの目がどんなに薄かろうが、遠坂凛は諦めない。
何せ掛かっているのは我が命である。社会的に死ぬだとか、死んだも同然と言う言葉があるが、凛の場合は比喩抜きで死にかねない。本気になるのが当たり前と言う物だ。
凛の引き当てた、黒い略礼服のバーサーカーは、ソファに腰を下ろし、「うぅむ、空腹を感じぬ肉体と言うのは便利でもある一方で何か違和感が……」と口にしている。
黒贄は確かに、とても良いサーヴァントとは言えない。彼を評価する場合、何にも先だってその性情や嗜好が前に来る。
人を殺さずにはいられないその性分、NPCであろうが、時としてマスターである凛にすら殺意を直撃させかねないその性質。これがあるだけで、
黒贄の評価は最低の更に下であると評価せざるを得なくなる。では、黒贄の良い所を評価しろ、と言われればどうなるか?
性質の悪い事に、実はこれも直に思い浮かぶ。単刀直入に言って、このサーヴァントの良い所は『強い』の一点が上げられる。
凛は、黒贄の強さを疑っていた。ステータス自体は凄い物である事は、マスターである彼女が良く解っている。しかし、それが実戦に活かせるか如何かとなると話は別。
実際凛から見た黒贄はかなりのんびりと言うか間が抜けていて、到底戦うに適したサーヴァントとは思えなかったのだ。
が、レイン・ポゥとの戦いで評価は変わった。他を圧倒する程のステータスは飾りではなく、スキルの不死も、真実本当の不死であった。
大脳がまるまる欠損されても、首の骨を圧し折られても、最早機能しない程内臓をズタズタに斬り裂かれても、黒贄は死なない。
そればかりでなく、戦闘が長引けば長引く程、黒贄の腕力と速さは天井知らずに上昇して行くと言う、持久戦に持ち込まれても、いや、持ち込まれた方が有利と言う性能。
つまり、性格を除けば黒贄は、先ず間違いなく、最強に近しいサーヴァントであると言う事だ。その性格が、ネックなのだが。
改めて、黒贄の方に目線を向ける凛。
いつもの略礼服、いつもの眠たげな瞳と薄い微笑み、いつもの屈強そうな肉体。召喚した当時の黒贄の姿とまるで変わりない。
それが、異常なのである。黒贄はレイン・ポゥとの戦いで、頭の眉より上を切断され、大脳は全て失い、内臓は挽肉より酷い状態にされ、首はほぼ直角に圧し折れ――。
しかも、下半身まで切断された状態だった筈なのだ。それなのに、黒贄は時間が経過したら本当に、元通りの状態になっていた。
頼りがいよりも寧ろ、一方的な恐怖を凛は抱いている程である。御伽噺や神話、伝説、そして、人の住まう世界に確かに存在した実在の英雄や猛将達。
人の想念と言う形のない、しかしそれでいて確かなるエネルギーによって精霊の域にまで押し上げられた存在。それこそがサーヴァント、即ち英霊である。
そんな彼らの中には、どんな攻撃を受けても死なない不屈の存在と言う者も、少なくないだろう。だが黒贄の場合は、常軌を逸し過ぎている。
第一、霊核を砕かれても消滅しない等、どうかしている。サーヴァントにとって霊核とは、心臓以上に破壊されれば戦闘続行が不可能の箇所。その筈なのに、黒贄は平然としているばかりか、当たり前のように霊核を破壊された状態からその霊核ごと完全復活していると来ている。
黒贄は確かに最悪のサーヴァントであるが、唯一の救いは強いサーヴァントであると言う事だ。
凛を取り巻く現状は頗る悪いとしか言いようがないが、聖杯戦争の唯一絶対の勝利条件は、『最後まで生き残る事』である。
聖杯戦争を勝ち残るには、マスター自体の資質と呼び出されたサーヴァントの強さが物を言うのは言うまでもない。
凛のマスターとしての資質は言うまでもないし、黒贄の戦闘能力も高い。これをどれだけ活かし切れるか、この主従が生き残る術は、もうそれしかないに等しいのだった。
「……黒贄」
「何でしょう」
何が面白いのか解らぬ微笑みを浮かべながら、黒贄が返事をして来た。
「貴方、聖杯に掛ける願いって、あるの?」
遠坂凛は、聖杯が万能の願望器である事を、此処<新宿>に来る前から知っていた、恐らくは唯一の参加者であった。
しかし、聖杯の性質を知ってなお、彼女は聖杯に託する願いはなかった。亡き父が志半ばで、求める事が叶わなかった聖杯は、凛にとっては『勝利のシンボル』であった。
聖杯は欲しい。但し、願いを叶えるが為に欲するのではない、聖杯戦争を制した証として、欲しかったのだ。
だが、此処<新宿>での聖杯に限っては違う。元の世界に戻りたいと言う凛の願い、それを叶える手段は凛の頭では聖杯以外思い描けない。
だから彼女は、宗旨を曲げて、聖杯に願いを託そうとしているのだ。そんな事を考えている内に、凛は気付いたのだ。自分は、黒贄が聖杯に何を願っているのか知らないと。
聞くタイミングがなかったのだ。召喚当初は周知の通り黒贄が無軌道極まりない殺人を引き起こし、逃げるのに手一杯。それ以降も凛は心労からグロッキー。
著名な英雄や猛将であれば、ある程度の推察は出来るが、黒贄に関してはそれが全く想像不可能。だから此処で敢えて凛は、黒贄が何を願うのか聞いてみる事としたのだ。……願いの次第によっては、本当に令呪を使って殺さねばならないのだから。
「何でも願いを叶える杯、との事ですが、本当に叶うのでしょうか?」
「願い次第じゃないかしら」
事の正否は兎も角、サーヴァントを召喚するだけの魔術礼装は、それ自体が埒外の魔力を内包している。
英霊と呼ばれる、使い魔の中でも最上位の格を有する精霊達を複数体世界に呼び寄せられる礼装である。その魔力を活かせば理屈の上では、叶えられない願いなど、ないのではなかろうか。凛はそう考えている。
「ううむ、そうですなぁ。敢えて私が願う事があるとすれば……」
「あると、すれば?」
「この世界が続く事ですなぁ」
予想外の返事に、凛が驚いた。
凛の想像を超える程その願いが邪悪であったとか、聖人君子染みた素晴らしいものであったとか、そう言う訳じゃない。
人を殺さずにはいられない、狂人の中の狂人である黒贄が抱くには、余りにも陳腐で在り来たりな物だったから、驚きを隠せなかったのだ。
「え……それって、世界平和、って奴?」
「か、どうかは解りませんが、地球環境保護活動は何回かした事はありますよ。植樹もやった事がありましたねぇ、若木の苗が予想以上に凶器に適してましたから、テンションが上がって一緒に植樹をしてたボランティアの人を殺してしまった事もありますけど」
後半の話は、聞かない事にした。
「だって黒贄、貴方は殺人鬼なんじゃ……」
「凛さん、殺人鬼が殺人鬼でなくなる時とは、どんな時だと思いますか?」
「死んだ時……とか?」
「それもありますが、それ以外では?」
「……」
沈黙は、解らない事の意思表示であった。
「世界から人がいなくなった時ですよ。人を殺すから、殺人鬼。だったら、世界に人が一人もいなければ、殺す人間がいないのですから殺人鬼はただの鬼になっちゃいます」
「そんなの、つまらない言葉遊びよ」
「いえいえ、殺人鬼にとってはそれは重要な事柄ですよ。如何に正気ではない殺人鬼であろうとも、人一人いない世界に放り込まれれば、一秒と耐えられません。死を選ぶのではないでしょうか。だって自分のアイデンティティを満たせないのですから」
「それを満たす為に、黒贄。貴方は人の世界の存続を願ってるの?」
「殺人鬼を標榜していながら、世界の滅亡とか、人類の絶滅を願うのは紛い物です。私は人が好きだから殺すのです。そんな好きな人間が滅ぶような選択は……あまり許容は、出来ないですなぁ」
初めて、黒贄の本当の狂気に触れた気がした。凛の想像していた以上に、この男は人類の理解の及ばぬ存在だったらしい。
人が嫌いだから世界を滅ぼすとか、そんなのであれば、許容こそ出来ないがまだ納得が行く。理に適っているからだ。
だが黒贄の場合は、人が好きで、世界の存続も願っている。しかし、殺すのだ。だって彼にとって殺人とはとても楽しい事柄だから。
そんな大好きで楽しい殺人が出来なくなるから、彼は世界の滅亡は認めない。人類の平和と人の世の存続を思う事は、とてつもなく有り触れた手垢のついた願いでありながら、その世界を求める理由は、何処までも捻じくれて狂っている。黒贄はやはり、狂人(バーサーカー)のクラスに当て嵌められるに相応しい存在であったのだ。
「やっぱり貴方は狂っているわ、黒贄」
「ううむ、自覚はしてませんなぁ」
やはり、自分と黒贄では会話は噛み合わないと思い知らされた凛。
どちらにしても、黒贄は聖杯に望む願いはかなり薄いと言う事だけは解った。ならば後は、聖杯を勝ち取るだけ。
――そんな事を考えていた、その時であった。モデルハウスと言う建物の中にいても聞こえる程の遠鳴りが、ガラスと壁越しに響いて来たのと、
地震でもあったかのように家全体がぐらぐらと揺れ始めたのは。
「な、何……?」
凛が不安そうに周りを見渡した。
揺れは錯覚でも何でもなかった。シャンデリア型のシーリングライトが、振り子のように左右に振れている。
「ううむ、地震ではないようですね」
黒贄が呑気そうに言うが、それに関しては同意だった。
凛の聞いた轟音は凄まじく重い物――そう、例えば巨大な建物が崩れ、その瓦礫が落下し衝突して行くようなそれに似ていた。
音源が何によって齎されたのかまでは解らない。解らないが、一つだけ確かな事は、何処かの主従が自分達の知らない所で、戦っている、と言う事だ。
「向いましょうか?」
「……」
と、黒贄が伺いを立てて来た。十秒程考え込む凛であったが、首を横に振るった。
強いサーヴァントを引き当てられたのならば、自分の足で相手の方へと出向くのは、決して間違った選択ではないのだが、このサーヴァントでそれは避けたい所だった。
要らぬ被害を増やしてしまうだけだからだ。待ちを狙って、勝つ。それが、凛の定める自身の勝ち筋であった。
「正しい判断ね」
――突如としてリビングに響き渡る、艶やかな女性の声。
当然、凛のものでも黒贄の物でもあり得ない。バッと、声のする方向、廊下へと繋がる入口の方に目線を向ける凛。
其処には、世間から見れば美女の水準を容易く満たす遠坂凛から見ても、美しいとしか見えぬ女性がいた。
椿油でも塗っているのだろうか。艶も見事な黒髪をポンパドールに纏めた、妖艶な女だ。
格調高い黒のスーツを身に纏ったその風は、見る者に特権階級の出と言う印象を与える程決まっていた。
しかし、浮かべているその妖しげな笑みは、その見事なまでのプロポーションと妖艶で美しい顔つきのせいか、清純や清楚と言ったイメージは想起させない。淫猥さ、と言う物の方を、寧ろ凛は感じた程であった。
「誰!?」
バッと、左手の人差し指を女性の方に突き付ける凛。
彼女の左腕は、淡く緑色に光っていた。これこそが、遠坂家が五代にわたって受け継いで来た研究成果、いわば遠坂家の叡智と研鑽の結晶。魔術刻印であった。
傍目から見れば一人でに淡く光る入れ墨の様なそれを見て、スーツの女性は、不敵な笑みを浮かべるだけ。
「ガンドね。北欧神話の魔術に造詣が深いのかしら?」
「詳しいわね。なら、解るんじゃないかしら? 逃げ場はないわよ、貴女」
「度胸は一級だけど、実力が伴っていないのがダメね。貴女程度じゃ私を殺せないわ」
どうもこの女性は、凛が魔術師に類する少女である事を看破しているようである。
していてなお、まるで恐れを抱いてない。それが演技でもブラフでもなく、真実の装いである事を、凛は本能的に理解していた。
凛は目の前の存在が、サーヴァントである事を見抜いている。だから、恐れない。ステータスは確認出来ない。隠蔽に纏わるスキルを持っているのかもしれない。
視認は出来ないが、保有する魔力量が規格外のそれである事からも、目の前の存在が、人以外の存在である事を雄弁と物語っていた。
「私は、貴女と事を争いに来た訳じゃないのよ? さる御方が、畏れ多くも貴女と話をしてみたいと言うから、その仲介人として此処を訪れただけ」
スタスタと此方に向かって歩いてくる。よく見ていたら彼女は、室内であると言うのにハイヒールを履いていた。フローリングがヒール部分とぶつかって、細やかな傷を刻んでいる。
「ふぅむ、お知り合いですかな? 凛さん」
「違う!!」
相変わらず、黒贄はマイペース極まりなかった。
凛とスーツの女を交互に眺める黒贄。その瞳には何処か、不服気な表情があった。その感情は主に、スーツの女に向けられている。
「此処で事を争う自由も、当然貴女にはあるけど、リスク計算が出来ない程教養のない娘じゃないでしょう?」
言われて凛が、痛い所を突かれたような顔で女性を睨んだ。
正論である。少なくとも凛の魔術の腕前では、スーツの女性は如何あっても殺せない。必然的に、黒贄を運用しなければ殺せなくなる。
だが、黒贄を用いると言う事は、どう言う結果を齎すのか。それを考えれば、到底迂闊に黒贄に『殺せ』などと命令を下せないのであった。
「心配しなくても、争うつもりは本当にないわ」
「じゃあ何で、私達の所に態々姿を見せたのかしら? 私の今の立場が解らない訳じゃないでしょう?」
「用があるのは、私よりも、私の主に相当する御方よ」
「貴女の、マスター?」
「ミス・遠坂に甚く興味を抱いている、やんごとなき御方よ。――御入り下さい」
入って来た扉の方に身体を向け、恭しくそう言うと、開け放たれたドアの奥の暗がりから、一人の男がリビングへと現れた。
「お初にお目に掛かるね、お嬢さん」
入って来た男の姿を見た時、凛は、例えようもない程の不気味な感覚を、覚えたのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
灰色をしたシングルのスーツジャケットとスラックスを身に付けた青年だった。ビジネスマンと言うよりは旅行者や旅人と言うイメージを、見る者に与える。
その証拠に、頭に被るハンチング帽と、右手に持つ黒い革のボストン・バッグは、これから仕事に行く物と言うよりは、行楽に向かうかのようなアクティヴなイメージを想起させる。
この上、若々しい青春美に溢れた、西欧風の整った顔立ちである。
同性であっても、十人が十人ハンサムと答える程の美男子で、こんな男がオフィスで一緒に働いていたら、同僚は嫉妬の念すら起きないであろう。
それ程まで、美のレベルが隔絶していた。立ち居振る舞いや発散される雰囲気もインテリジェンスに富み、非の打ち所のない紳士にしか到底見えない。
遺伝子のレベルで完璧としか言いようがない程のこの男を見て凛は、言いようのない程の恐怖を覚えた。
凛にとって目の前の男は、この世に並ぶ者のいない、世界の全ての物事と事柄を知悉し尽くした至天の賢者に見えた。
そして、この世に並ぶ者のいない、世界の全ての悪徳を犯し全ての罪を一身に背負った、この宇宙が存続出来る全ての時間を費やしたとて許されぬ至悪にも見えた。
無限大にも等しいプラスと、無限大にも等しいマイナスがぶつかり合い、辛うじて人間に見えるか? と言った、人間以外の『何か』。それが、目の前の男について、凛が抱いた印象だった。この男は――何者だ。
「驚いているかな?」
そう言って男は、黒いワークブーツを履いたまま、何の恐れも抱かず黒贄の方へと近付いて行く。
男は黒贄が腰を下ろすソファの、対面のソファに腰を下ろし、同時もせずに黒贄と、凛の方に目線を送った。
「君も察しているかと思うが……。今此処にいる私は、ある協力者の力を借りて送られた、一個の核に魔力を形を伴わせて纏わせた弱い分霊に過ぎなくてね。本体は此処から離れた所にある。真の姿を此処に見せられぬ非礼を、先ずは詫びさせて貰おう」
「サーヴァントの原理と、同じ……」
今になって凛も気付いたが、目の前にいる男は、明らかにスーツの女性よりも弱い。
それなのに女性が男に送る態度は、畏敬と畏怖に溢れたそれで、最大限の敬意を払う事を徹底しているのが、事情を知らぬ凛にすら理解が出来る程だった。そんなか弱い存在なのに、脅威の程は、圧倒的に男の方が上であると、凛に思わせる程の何かを男は発している。
「御明察。流石は、シュバインオーグ老に師事した偉大なる太祖を持つ、遠坂家の六代目当主だね」
淀みなく言葉を紡ぐスーツの男に凛は瞠若してしまう。秘密にしていた事柄を全て、言い当てられてしまったような感覚であった。
「何で、私の事と、シュバインオーグの事を……?」
「彼の『時の翁』とは顔を会わせる機会があってね。まぁ、他愛もない事を話す仲さ」
窓から入ってくる夏の日差しよりも明るい笑みを浮かべて、スーツの男がそう言った。
陽の当たり具合の影響で、陰になっている顔の部分に、途方もなく悪辣で邪悪なものが蠢いているように、凛には見えた。
「少しは緊張もほぐれたかな? それとも、ハハ。より素性が解らなくなって、余計に気味を悪くしたかね?」
「……後者の方よ」
「正直なお嬢さんだ」
男は笑みを強めた。
「其処にいては、話もし難いだろう。もっと近くに来ないかな?」
「此処で話すわ」
キッチンの水洗い場の前で、凛が言った。
「警戒心の強い娘だ。良いだろう。では君は其処で構わない。バーサーカーくん、君は如何する?」
「黒贄、アンタは其処よ」
「はぁ」
近くに来られて、万一戦闘になったら凛まで巻き添えを喰いかねない。それ故の判断だった。
「君達の事を私は知っているのだ。此方の事も話さねばフェアじゃないだろう。私の名はルイ・サイファー。尤も今は、先程言った通り分霊に近い存在だがね」
「私の名は百合子(ゆりこ)。ルイ・サイファー様の従者のような者、と言う認識で差し支えないわ」
「貴方達は、サーヴァントなの?」
「違うね。僕はマスターで、其処の百合子は、私の使い魔に近しい」
凛が絶句したのは言うまでもない。
使い魔を使役する魔術師など、魔術師の常識に照らし合わせれば、珍しい事でも何でもない。
根元を目指し、途方もない時間を研究室たる工房で過ごす事の多い魔術師、しかし、必要上外界に赴かねばならぬ機会は少なくない。
そう言った時の為に用いられるのが使い魔だ。彼らはその魔術師が外で用を達成する代理人として創られた存在である。
当然それを達成させるには知性と、強い柔軟性(フレキシビリティ)と言う物が求められる。無論、工房内での雑務庶務までもが彼らの仕事の範疇だ。
つまり使い魔とは、その魔術師にとって紋章(エンブレム)であり、外界で活動する為のその魔術師のもう一つの仮面(ペルソナ)であるのだ。
当初凛は、ルイの事をキャスターのサーヴァントであり、百合子と名乗る女性は、そのルイが生み出した、サーヴァントに近い高度な使い魔だと認識していた。
しかし実態は、ルイは正真正銘のマスター、つまり人間であり、百合子はその人間に従う使い魔だと言う。
サーヴァントとはその名が仄めかす通り、実態は精霊に近しい最高位の使い魔と言うべき存在であるのだが、この百合子と言う存在は、
サーヴァントに肉薄する程の強さと自律性を持っている。そんな存在を使い魔として創造、使役する魔術師など、この現代では考えられないのである。
「先ずは、何処から話そうか。先程君達も聞いた、音の件から行こうかな」
そう言えば、黒贄にその音源の所に向かうかと聞かれ、否と答えた時、百合子はそれを正しい判断だと称賛した。彼女が何故そんな事を言ったのか、凛はまるで解らない。
「有体に言えばあれは、とあるバーサーカーがルーラーのサーヴァントに対して宣戦布告代わりに宝具を放った音だよ」
「……え? それじゃ、私がもしもその方向に行っていたら……?」
「無論、ルーラーと鉢合わせ。当然向こうは君の事を快く思ってないから、殺されてたよ」
途端に、冷たい氷の蛇が背筋をいやらしく這い回るような感覚を凛は憶える。
今となってはifの話だが、もしも、あの時その音源の方に野次馬根性を出していたら、自分は真実殺されていたかも知れないのだ。これほどまで恐ろしい話などあろうか。
「……と言うか、ちょっと待って。ルーラーって要するに主催者及び監督役なんでしょう? 何でその監督役に、参加者が喧嘩を売ってるの?」
「……さぁ?」
凛にとっても理解出来ないが、ルイもまた理解が出来ないらしい。バーサーカーのやる事だから、と、凛は思う事にするのであった。
「それで、ミスター・ルイ。先ず、と言うからには、当然まだ話す内容があるのでしょう?」
「無論。まぁ、それが本題でね」
「それは一体、何なの?」
凛の方ではなく、黒贄の方に目線を向けて、ルイは口を開く。
「君は既に予測出来ているだろうが、この聖杯戦争は君の様な魔術師以外の存在も参戦している。君の常識では少々、考え難い事だろうがね」
そんな予感は、先程の戦いでしていた。
香砂会の邸宅で戦った、虹を操る暗殺者のマスターは、全く魔術師に見えなかったし、現に魔力など一かけらとて感じなかった。
身体を機械に換装させた人間。つまりは、一般の人間である。そんな存在が、到底聖杯戦争に参戦出来る筈がない。
筈なのだが……、現にあのマスター、英純恋子は参戦していた。だからもしかして、他にもあんな存在がいるのでは、と凛は予測はしていたのだ。
「君にとっては、それは確かにあり得ない常識だろう。しかし、他の多くの参加マスター達はそうは思っていない。何故だか解るかね?」
「……その『常識がない』から。常識はつまり、前提があるから成り立ってる。私と違って他の多くの主従は、『此処に来る前から聖杯戦争について学べる機会がなかった』」
容易に想像出来る事柄である。
そもそも魔術の知識に明るい凛ですら、この聖杯戦争に巻き込まれたのは予測不能で不可避の事柄であった。
果たして誰が、契約者の鍵などと言う物に触れたら、異世界の<新宿>に飛ばされる事を予測出来たと言うのか。
凛ですらこれなのである。他の者達など、魔術等の才能のあるなしを問わず、訳も分からず此処に連れて来られた事は簡単に思い描ける。
その中には一般人同然の者もいた事だろう。当然、聖杯戦争の事など事前に学べなかったどころか、そんな単語など聞いた事すらない人物も、この<新宿>にはいるのだろう。
「その通り。この<新宿>に集った聖杯戦争の参加マスター。その多くの者は、君の知る聖杯戦争のセオリーから大きく外れている。何故ならば、知らないからだ。学べなかった事柄を、人は常識に設定出来ない」
「凛さんはそんなに珍しい方なのですかな?」
「少なくとも私が観測している限りでは、此処<新宿>で唯一、この街にやって来る前から聖杯戦争について知っていた参加者だよ。バーサーカー」
「そんな私に、貴方は何の用なの?」
「君は本来ならば、有利になって然るべき存在なのだよ。聖杯戦争の事も事前に知っている、魔力もある。なのに君の現状は、如何だ? 頼る味方もバーサーカー以外にいなければ、神も悪魔からも今の君は見放された状態。君の窮状は、目に余る」
そんな事、言われなくても解っている。と言うような瞳で凛がルイを睨みつける。
彼女に背を向けていても、そんな敵意は感じられたのだろう。ルイは続けて言葉を紡ぐ。
「力ある者が時と場の運で途端に不公平になる。とても心苦しいし、見ていて胸が痛む。弱い人間の味方としては、ね」
其処でルイは、凛の方に目線を向けた。凛の怒りの感情が、途端に吹っ飛ぶ。彼の目は、酷く澄んでいた。
「私の方から手を差し出す事は出来ないが、君には知る権利を与えよう。此処<新宿>の聖杯戦争のある程度をね」
「<新宿>の聖杯戦争に、ついて……?」
「聡明で優れたキャスタークラスならばある程度辿りつける可能性のある真実だが、現状私がこれから話そうとしている事柄を知っているマスターは、私以外にいない。それが、これから一人増える。君だよ、遠坂凛」
「そんな事を話して……貴方達には何か益でもあるの?」
その言葉を受けて、ルイは笑みを零し、百合子はクスりと笑って見せた。
「面白いじゃないか」
「……面白い?」
「厳密に言えば、今話す事柄。知っている主従は、参加者の中では現状私だけだ。参加者以外の存在では、知っている者は『ルーラー』と『運営者』。つまり真実、私を含めた三人だけしかこれから話す事は知らない」
「そんな事を私が知って、貴方達は面白いの?」
「ゲームが引っくり返りかねないからね、面白くないわけがない。……さて、此処から君達は二つの選択が取れる。私の話を与太だ作り話だと嘲弄し、此処から我々を追い返す事。そして、私の話に耳を傾ける事、だ。どちらを選ぶ?」
「……話して」
凛は六秒程考えてから言った。
無論、嘘である可能性は高い。だが、この男は自分の来歴ばかりか、大師シュバインオーグの事すらも知っていた。
話を聞いてる見る価値はある。それに、話された事柄を全て頭から信じる程、凛は馬鹿ではない。何が虚で何が実なのか、それを見極めねばと堅く引き締まる。
「良いだろう」
相好を崩し、ルイは口を開いた。
「改めて述べるまでもないが、<新宿>での聖杯戦争は、本来君が冬木市で行う筈だった聖杯戦争とは全くその形を異にするものだ。何故だか解るかい?」
「私が思ったのは、『ルーラー』と言うクラスの存在。そして、今貴方が言った事で思った事。『同じクラスのサーヴァントが複数いる』と言う事」
「悪くない着眼点だ。冬木の聖杯戦争について学んでいた君なら、それがおかしい事が解るだろう」
「先ず、ルーラーと言うクラスのサーヴァントから聞かせて。聖杯戦争は七騎のサーヴァントが、七つのクラスのどれかから選ばれて、召喚者に応じて呼び出されて戦う物の筈。ルーラー何てクラス、聞いた事がない」
「だろうね。君の思う通り、ルーラーと言うクラスは本来的には存在しないクラスだ。だがごく稀に、例えば召喚者自体の資質や、触媒によって、通常の七クラスとは違うクラスの存在が呼び出される事がある。それを、エクストラクラスと呼ぶ」
「『特別』なクラスって事?」
「或いは、『余分』なクラスかも知れないがね。続けよう。ルーラーなるクラスはその名の通り、裁定者のクラスだ。但し、聖杯戦争においては他のエクストラクラス以上に呼び出される可能性が低い。その理由は、その聖杯戦争が非常に特殊な形式で、運営した場合及び完遂の結果が未知な時。そして理由のもう一つは、その聖杯戦争によって、世界に歪みが出る可能性がある場合。こんな時に、ルーラーは聖杯の求めに応じて出現する」
「その論で行くと、<新宿>での聖杯戦争も、貴方の言った条件に当て嵌まるからルーラーが求められたって事? まぁ、クラスの重複が起こる位異端なんだし、当然よね」
「この聖杯戦争の真の姿に比べれば、クラスの重複など瑣末な問題に過ぎないがね」
「私の知る聖杯戦争よりも、もっと大きい謎が隠されている、と?」
「そうだね」
其処まで言われて、続きが気にならない訳がない。
先程ルイが話したクラスにしても、嘘にしては信憑性があり過ぎるし、真に迫っている。もっと聞いてみる価値があると、凛は判断。「続けて」、と話を更に促していた。
「聖杯戦争の大前提とは、何だと思う?」
「聞くまでもないわ、聖杯よ」
何故皆が。それこそ、御三家とすら呼ばれた存在ですらが、聖杯を求め、争おうとしたのか。
それは、聖杯と言う規格外の礼装があるからに他ならない。神の子の血肉を受け止めた黄金或いはエメラルドの杯、或いは最後の晩餐で用いられた杯。
食物を無から無限に生み出させると言うダグザの大釜を原形(ルーツ)とするその聖杯には、どんな願いでも叶えると言う力が秘められている。
だからこそ、サーヴァントやマスターは、これを求めて争うのである。凛ですら例外ではない。
彼女の場合はかける願いこそはなかったが、遠坂家と、実父である遠坂時臣の悲願を成し遂げると言う意味で、聖杯を求めていたのだ。そう、聖杯戦争の参加者にとっての大前提にして、この催しの根幹を成す要素。それこそが、聖杯なのだ。
「その通り。聖杯とは文字通り聖杯戦争の根幹に当たるアイテムだ。これを求めて血を流し、殺し、争う。地上の人間の全ての罪を贖った男がワインを飲むのに使い、彼の血を受け止めた聖なる杯が、野卑なる闘争の連鎖によって顕現する。中々面白いジョークだがね」
フッと、魅力的な笑みを零しながらルイは言った。陽光を受けるその白い歯は、石英の様に光り輝いていた。
「――『この聖杯戦争では聖杯は顕現しない』」
「……えっ?」
ルイが、野に花が咲いているとでも言うようなあっけらかんとした風に口にした言葉の内容は、凛の思考を奪い去るには十分過ぎるものだった。
余りの言葉に、口は半開きになる、その瞳は痴呆の老人めいた節穴にでもなったかの如く、何らの感情も映せずにいた。
「今一度言おう。この聖杯戦争では、君の想起する聖杯は現れない」
「聞こえてるッ!! 待ちなさいよ!! それじゃあ私達は何の為に――」
スッと、凛の方に右腕を伸ばすルイ。話はまだ終わっていない、と言う合図だった。
千年の時を生きる貴族めいた優雅な動作を以て凛の口火を制止するルイの立ち居振る舞いは、人間では到底及びもつかない程典雅で、光の破片がその周りに舞い散りそうな程であった。
「聖杯は現れない。だが、『願いは叶う』。いや、願いを叶える力と言う一点に関して言えば、遍く並行世界で開催されたあらゆる聖杯戦争の中で、最も優れていると言った方が良い」
「聖杯は出ないけど、願いは叶う。その論理の帰結が今一良く解らないのだけれど?」
「説明しよう」
ルイは深くソファに腰を下ろすような座り方に体勢を変えて、説明を続けた。
「アカシックレコードと言う物を知っているかな?」
「……根源」
それは、およそ全ての魔術師が最終的な到達地点、究極目標としている、超と言う言葉が幾つあっても足りない程の、概念的かつ形而上学的な世界である。
曰く、ゼロ。曰く、真理。曰く、全ての原因。曰く、森羅万象の流出地点。曰く、全ての始まりにして全ての終点。
全ての原因であり全ての未来であるが故に、全ての答えを導き出せる、究極の知恵。それこそが、根源の渦なのである。
魔術師とは即ち、根源への到達を渇望する旅人であり、その為の手段として魔術を研鑽する者達の事を言う。
凛ですら、根源の存在を意識している程、魔術師にとって根源と言う場所は大きな意味を持っている。
この世界に足を踏み入れる為に、魔術師は代を重ねてまで研究を子に継がせ、より強い魔力を持つ子孫を作り、子孫もそれを繰り返す。
このような、血と叡智のリレーを続けてまで、到達する意味が根源にはあるのだ。まさかこの世界で、根源であるアカシックレコードの事を知らされるとは、思いもしなかった。
「そもそも、冬木の聖杯戦争自体が、聖杯ではなく、聖杯の魔力を用いて根源へと向かう為の、それ自体が一種の儀式である事を、君は知っているかい?」
「……初耳だわ」
それは、本当に初めて知った事柄だった。――と言うより
「出来るの? そんな事が」
「聞かされていないのかい? 御三家と呼ばれる魔術の大家の誰かが聖杯戦争に最後まで勝ち残ったら、令呪と言う強制命令権を用いてサーヴァントを自害させるつもりだったんだよ。それまでに脱落したサーヴァントは、サーヴァントの魂を溜めておく器に回収される。当然最後に令呪で自害させられたサーヴァントも其処に溜められる。この、サーヴァントの魂を溜めておく器こそが聖杯なのさ。そして、聖杯に溜められた七騎分のサーヴァントの魂を座へと解放させ、その時に世界に空いた孔から、根源に向かうのだよ」
「聞かされてなかったわ……じゃなくて。そんな方法で可能なの? 第一、抑止力がある筈よ?」
そう、根源に向かう事が何故難しいのか、と言う理由の半分にこれがある。
根源そのものに足を踏み入れると言う事自体が、そもそも凄まじく難しい。多くの魔術師は、この難易度の前に膝を屈するか、無情な時の力に敗れてしまう。
ところが、いざ根源に到達出来そうな研究行おうとしたり、到達出来そうな人物の前には、世界はある力を発揮させる。
それこそが、抑止力。所謂世界のセーフティである。決まった形を持たぬ無形のそれは、人類の破滅回避の総意である、つまり人類の意識の海たるアラヤ。
そして、地球そのものが有する、霊長の生命の存続の為に働く意識であるガイアである。
根源に人が到達し、触れると言う事は、この抑止力からの妨害に遭う可能性が高いのである。根源とは、人の力と人智の遥か外にある力。
理屈の上では星は愚か、宇宙ですら無へと回帰させる事の可能性だってゼロじゃない力へ人間が到達する事を、破滅回避の為の安全弁である抑止力が許容する筈がなく。
妨害にあって、研究が頓挫するレベルならばまだ命があるだけ良い方だろう。最悪の場合は、有無を言わさず世界から消されかねない。
魔術師の根源への到達とは、その難易度も然る事ながら、この抑止力が最終的に待ち受けているからこそ達成が不可能に近いのだ。だからこそ魔術師の親はその子供に対し、『オマエがこれから学ぶことは、全てが無駄なのだ』と説くのだ
聖杯戦争の真の目的が、根源への到達。
成程、確かに生粋の魔術師が行う催しであるのならば、理に適っている。後は、それが本当に出来るのか? そして、抑止力はクリア出来るのか、と言う事だが。
それを説明するべく、ルイは言葉を紡いだ。
「御三家の誰かが余程無能じゃない限りは、達成される蓋然性が極めて高い儀式だよ」
「なら安心じゃないかしら。四度にわたる積み重ねがあったんだものの、完成度は折り紙つきでしょ?」
「かもしれないね」
凛の言葉を受けて微笑むルイの表情は、何処か皮肉気なそれだった。
「話を<新宿>の聖杯戦争に戻そう。此処の聖杯戦争の目的は、その『アカシックレコードへの到達』こそが本当の目的なんだ。全員が全員これを目指す」
「……まさか」
「そう。<新宿>の聖杯戦争でどうやって願いを叶えるのか、もう解っただろう? 『アカシックレコードへと到達し、其処で記録を操作』するのさ」
余りにも雄大――いや、雄大を通り越して荒唐無稽にも程がある計画プランに凛は絶句する。
魔術の理論的には、間違っていないのかもしれない。だが、願いを叶える為に行わねばならない事柄が、余りにも無茶苦茶過ぎて、言葉を失ってしまったのだ。
「無理だ、と思う君の気持ち。良く解る。だが、成功する可能性だって高い」
其処で、一呼吸間を置いてから、ルイは続けた。
「アカシックレコードに到達する上で、難事となる課題は三つだ。一つ目は、そもそも其処への辿り着き方。二つ目に、抑止力。そして三つ目が、アカシックレコードの操作の仕方だ」
ルイの言った事を本気で行おうとするのであれば、その三つの課題のクリアは必要不可欠となるだろう。
実際凛には、この三つの難題をどうやって乗り越えるのか。全く想像すら出来ない。
「この三つの課題をクリアするのに、全てにサーヴァントが関わってくる。厳密に言えば、サーヴァントの魔力と言うべき物なのだがね」
「魔力を?」
此処で、聖杯戦争を成り立たせる為のもう一つの要素、サーヴァントが、此処で関係して来るとは。
「理屈としては冬木の聖杯戦争で用いられるメソッドと大して変わりはない。先ず前提として、此処<新宿>にはルーラーを含めなければ『二八体』のサーヴァントが存在する」
その数字の真否はさておいて、もしもそれが本当であると言うのならば、恐ろしいまでの大所帯で聖杯戦争を行うものである。
この狭い<新宿>に、二十八組の聖杯戦争の主従がいて、その全員が激しく戦えば、こんな狭い街、数秒と持たないのではなかろうか。
「先ず、この内の九騎のサーヴァントを用いて、アカシックレコードの存在する世界。即ち、アーカーシャ界への孔を空ける」
其処までは、確かにルイの口から告げられた冬木のそれと変わらない。
「この時点で根源へと到達する訳だが、次に待ち受けているのは抑止力だ。何せ根源そのものに人が到達したのだ。向こうも形振り構っていられない。代行者や守護者を派遣するなどと言うまどろっこしい真似はしないだろう、そのまま有無を言わさず排斥させかねない」
一拍間を置いて、ルイが続ける。
「そして、続く九騎のサーヴァントを用いて、今度は『抑止力からの排斥を防ぐ防御の機構』を作る。想定されている形状は、膜だね。これを生み出す」
「……信頼性は?」
「抑止力のやり方次第だが、少なくとも初撃は防げる。間違いなくね」
どうにも信用出来ない。しかし、凛の猜疑の念など知らぬ存ぜぬと言う風に、ルイは言葉を紡いで行く。
「そして、最後の九騎で、そもそものアカシックレコードの操作する為の『資格』を創造する」
「資格?」
前二つに比べて、サーヴァントの最後の使い道が、今一要領を得ない為、疑問気な声を凛は上げてしまった。
「アカシックレコードの操作は人間には不可能なんだよ。それこそ特殊な装置か、そもそも最初から根源に繋がっているかとか言う才能が必要になる。無手でアーカーシャ界、君達で言う根源に行っても、無駄骨に終わる。操作の為に必要になる資格と言うのが、我々が『アストロラーベ』と呼んでいる『座』だ。これを疑似的に創造し、アカシックレコード自体を騙すのさ。本物に限りなく近いアストロラーベがあって、一時的に人間はアカシックレコードの編纂が許される存在になる事が出来る。無論、権限を偽って操作する物だから、永続的な操作は不可能だ。短い時間の間に、アカシックレコードを編纂するんだね」
「纏めると、こう言う事になる」
「九騎のサーヴァントの魔力で世界に孔を空け、九騎のサーヴァントの魔力で抑止力の妨害を防ぎ切る膜を生み、九騎のサーヴァントの魔力でアカシックレコードを操作する為の座を偽造する。計二七騎。ピッタリ割り切れるだろう?」
「二八騎いる、と言ってなかったかしら? ミスター。その計算じゃ一騎余るわよ」
「その残りの一騎こそが、聖杯戦争の勝利者だよ。遠坂凛」
光り輝く笑みを、ルイは凛へと投げ掛けた。
「なれると良いですねぇ、その生き残りに」
と、惚けた調子で黒贄が凛に向かって言ってきた。
黒贄の言葉が頭の中に入って来ない程、凛は緊張していた。ゴク、と生唾を飲む音を、ルイ、百合子、黒贄は聞いたかどうか。
自分が生き残る為には、この狭い<新宿>で、二八騎ものサーヴァント達の襲撃を凌ぎ切り、殺し尽さねばならないのだ。
しかも、今の自分の現状よ。最早遠坂凛に味方する主従、同盟を組んでくれる者など、一人もいない。NPCですら、最早敵なのである。余りの難易度に、気が遠くなり、そのまま卒倒しそうになる凛であった。
「……ミスター。貴方は聖杯と言うものは、サーヴァントの魔力ないし魂を溜めておく為の容器、と言ったわね」
「ああ」
「此処<新宿>にも、それがあるのね?」
「勿論あるよ。但し、場所と正体に関しては答えられないな。知らないんだ」
内面を悟らせぬ声音で、ルイは返事した。歳の若い凛には、それが本心なのか見抜けなかった。
「孔を空け、抑止力を凌ぎ切り、座と資格を偽造する。理屈は理解したわ。そして、極めて大仰な儀式である事も。それを理解して、もう一つ聞きたいの」
「伺おう」
「私は魔術師よ。抑止力がどう言ったものかも、人よりは理解してるつもり。サーヴァントの魔力を以て創られた膜、偽りの座。長い時間それが持ち堪えられると思わないし、事実ミスターも永続的には持ち堪えられないと言ったわ。……どれ程の時間、耐えられるの?」
根源に至り、剰えその力を利用して私的な願いを叶えようとする者だって、いるだろう。
その願いの中には、人類或いは霊長の存続を主目的としたガイア・アラヤ双方の抑止力からみて許容出来ない願いだってあるだろう。
そうでなくても、アカシックレコードの到達自体が、抑止力の排斥事例である。其処に到達するとなると、当然魔術師が経験した事もないレベルの排斥を受けるかも知れない。
抑止力の全力の排除排斥を、膨大な魔力とは言え、サーヴァントの魔力で防ぎ切れるとは思えない。防いだとしても、リミット付きであろう事は容易に想像出来る。その時間が、凛は知りたかった。
「四分だね。だが、四分全てをアカシックレコードの操作に使いきると、今度はその操作者がアーカーシャ界から逃げ切れる時間がなくなる。つまりは聖杯戦争自体が、勝利者のいなかった徒労の争いに終わる。だから、アカシックレコードの操作時間は、実質的には二〜三分。残りの一〜二分は、アーカーシャ界から逃げ切る時間に使う必要性がある」
「……つまり、この聖杯戦争は――」
「『たった三分間だけ全知全能になれる時間を掛けて争う戦争』。言いたい事は、そうじゃないのかい? 間違っていないよ。それが<新宿>の聖杯戦争の、真の姿だ」
自分の想像を超えた、<新宿>の聖杯戦争の真の姿。今の感情をどう表現すれば良いのか。
凛はそれすらも解らない。想像をはるかに超えたスケールの大きい計画は、最早荒唐無稽だと馬鹿にする事すら出来ない。
良く出来た作り話だと、ルイの事を笑い飛ばしたかったが、とても、嘘には聞こえない。全てを静かに理解した上で、凛はそっと口を開き、言葉を発した。
「何が聖杯戦争よ……。詐欺じゃない、聖杯は何処よ?」
「本当の聖杯が降誕しないと言う意味では、冬木の聖杯戦争だって詐欺も同然だろう。名称にさしたる意味はない」
かぶりを振るうルイ。
「宝石魔術を得意とする君には、釈迦に説法と言う物かも知れないが、ルビーとサファイアと言う宝石は、元を正せば同じ石だ。コランダムと言う石が、赤いか青いかの違いでしかない。聖杯もそれと同じさ。結局皆誰一人として、神の子の血を受け止めた聖杯を求めていない事が解る。願いだけに用があると言うのならば、ただ聖杯に祈れば良い。聖杯戦争を勝ち残ったと言う証が欲しいのならば、その証を願えば良い。聖杯戦争に挑む大本の理由である、願いを叶えると言う機能だけは本物なのだ。聖杯の有無など、何ら問題ではないだろう」
其処まで語り終えるとルイは、フローリングに置いていたボストンバッグを右手で握ってから、すっくと立ち上がり百合子の方に目配せした。それを受けて、彼女は軽く首肯する。
「おや、帰られるのですか?」
本当にいつもの声の調子で黒贄が訊ねた。
今まで凛とルイが語っていた話、その九割九分九厘理解出来ていないと言う事が、声からも態度からも解る辺りが、もういっそ清々しい程である。
「我々にも時間と言う物があってね。私はこれから元の鞘に戻らねばならない。そちらの百合子は、ある男の所に事務報告をしに行かねばならない。結構忙しいんだ、我々も」
「今言った話、何処まで真実なのかしら、ミスター」
「仮に私が今の話に嘘を交えていたとして、それを正直に話す程鈍い男だと思うかい?」
「ならば、質問を変えるわ。恐らくこれから味方も作れない、まともに話にも取り合って貰えない私達に、何でそんな核心に迫る話を教えたのかしら?」
途端に、ルイは黙った。
但しその表情は、痛い所を突かれて黙然としているのではなく、不敵な笑みを浮かべるだけと言うものだったが。笑みのベクトルが、黒贄とまるで違う。ルイの方は、途方もない暗黒を腹に隠し持っている事が窺える、そんな笑みだった。
「嘘かどうかは、生き残れればわかるわ。嘘を教えて、私達が不様に右往左往する様を肴にして、愉悦に浸るって言うのならば、絶対に許せないわ」
「勇ましい言葉だ。先程のバーサーカーくんの言葉を借りるなら、生き残れるといいね。遠坂凛」
「黒贄。嘘だったら、其処の二名を全力で殺しなさい」
「……うーむ、興が乗りませんなぁ」
「は? 何でよ」
威圧感すら感じられる程の凛の言葉を受けて、黒贄は、ルイと百合子の双方に、交互に目線を送る。
そして、やはり、と言った様子で首を縦に振り、その後口を開いた。
「殺人鬼は、人を殺すから良いのですよ。……人以外の、況して『悪魔』は少し……いや、だけどなぁ」
「……は? 悪魔?」
言われて凛はキョトンとした表情を浮かべるが、対照的に、百合子とルイの方は、驚きの表情を浮かべていた。
百合子よりも、ルイの方が圧倒的に、元の微笑みの表情に戻る方が早く、直に言葉を紡いだ。
「成程……。存外、頭の鈍いサーヴァントではないと言う事か」
改めて、凛の方に身体を向けるルイ。
「君の引き当てたサーヴァントでも、十分勝ち残る事は可能だよ。悲観する事はない」
「百合子」、とルイが口にする。無言で、彼女が頷いた。
「縁があれば、また会えるだろう。次に出会った時は、私が集めた情報を、再び君達に教えてあげよう。その時が来る事を、祈っているよ」
其処でルイは言葉を切る。
凛と黒贄が、全く同じタイミングでまばたきをしたその瞬間だった。彼らの姿は消えていた。
「瞬間移動……!?」と凛が驚くのも無理はない。長距離の空間移動は、それこそ現代においては魔法級の御業だからだ。
現代科学においても、未だ成功例を聞いた事がない高級技術。それをあの二名は難なくやってのけた。名残も気配も一切残さず、彼らは消滅している。
全ては白昼夢の中で起った、奇妙な出来事だったのではないかと。思うしかないそんな一幕だった。
「黒贄、今の男達の事、記憶してる?」
「おやおや、健忘症ですか? 少々値段が張りますが、魚はDHAが豊富で頭に良いと聞きましたよ」
ルイより先にこの男の方を殺したくなるが、凛はグッと堪える。怒るのは疲れるしカロリーも消費する。
ロクに飯も食べられてない現状でカッカするのは余り宜しくない。
「心配せずとも、私は殺人鬼ですからね。それはもうやたらめったら、必要以上に殺しちゃいますよ。凛さんの敵も、ちゃんと殺しちゃうんで怒らないで下さいね」
少なくとも、この最低最悪のバーサーカーは、自分の事をある程度は守ってくれるらしい。
正直今の発言を聞いても、凛としてはまるで安心が出来ないのであるが、少しだけ、本当にほんの少しだけだが、安堵した。
最後まで生き残る、と言う目標が出来た。この先何が起こるのか、凛としては想像も出来ない。だが、何としてでも生き残る。それだけは胸に誓った。心に刻んだ。
「出るわよ、黒贄。此処がルーラーに近い拠点だっていうのなら、余り長居はしてられないわ。……何処か隠れられそうな所を探すわよ」
「はいはい」
言って黒贄は霊体化を行った。それを確認してから、凛は、入口の方へと歩んで行く。
あの得体の知れない男達は、何処かで自分のこれからを嗤っているのだろうか。そう思うと、余計に死んでられないと思う。
靴を履きドアを開け放つ。<新宿>の夏の火は、殺人鬼探偵のマスターにも、等しくそのギラついた光を投げ掛けて来るのであった。
【早稲田、神楽坂方面(矢来町のあるモデルハウス)/1日目 午前11:50】
【遠坂凛@Fate/stay night】
[状態]精神的疲労(極大)、肉体的ダメージ(小)、魔力消費(中)、疲労(小)額に傷、絶望(中)
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]いつもの服装(血濡れ)
[道具]魔力の籠った宝石複数(現在3つ)
[所持金]遠坂邸に置いてきたのでほとんどない
[思考・状況]
基本行動方針:生き延びる
1.バーサーカー(黒贄)になんとか動いてもらう
2.バーサーカー(黒贄)しか頼ることができない
3.聖杯戦争には勝ちたいけど…
4.今は此処から逃走
[備考]
・遠坂凛とセリュー・ユビキタスの討伐クエストを認識しました。
・豪邸には床が埋め尽くされるほどの数の死体があります。
・魔力の籠った宝石の多くは豪邸のどこかにしまってあります。
・精神が崩壊しかけています。
・英純恋子&アサシン(レイン・ポゥ)の主従を認識しました。
・今回の聖杯戦争が聖杯ではなく、アカシックレコードに纏わる操作権を求めて争うそれであると理解しました
【バーサーカー(黒贄礼太郎)@殺人鬼探偵】
[状態]健康
[装備]『狂気な凶器の箱』
[道具]『狂気な凶器の箱』で出た凶器
[所持金]貧困律でマスターに影響を与える可能性あり
[思考・状況]
基本行動方針:殺人する
1.殺人する
2.聖杯を調査する
3.凛さんを護衛する
4.護衛は苦手なんですが…
[備考]
・不定期に周辺のNPCを殺害してその死体を持って帰ってきてました
・アサシン(レイン・ポゥ)をそそる相手と認識しました
・百合子(リリス)とルイ・サイファーが人間以外の種族である事を理解しました
・現在の死亡回数は『1』です
投下を終了いたします
こんなところで閣下からの盛大なネタバラシが。
閣下にも理解不能なヴァルぜライドって……
乙
インフレ聖杯戦争は聖杯もインフレだった(白目
しかしルイ様も人が悪い。
願いを叶えれるのは2「8」騎とルーラーもきっちりカウントしているくせに
さもルーラーは例外マスター不在で聖杯戦争の運営・管理の為だけの
サーヴァントであるって思考誘導していらっしゃる。
投下乙です
この組に教えたのは、やっぱり他に情報が渡る可能性が低いからかな?
それもあるかもしれないけど、話の前提となる知識を持ってるからだと思う
唯一の本家出身マスターだし
自力で気づきそうなのはえーりん位か
投下乙です!
感想は後ほど
不律&ランサー(ファウスト)
一ノ瀬志希&アーチャー(八意永琳)
で予約します
死んだサーヴァントの魂を収納する場所は大体わかった
>復習の時間
一番困っている主従に手を差し伸べる……なんていい人なんだ……(魔王)
具体的にどうやって願いを叶えるのかが説明され、聖杯なき聖杯戦争の行く先が気になる一本でした
閣下、数時間後に「あの時点ではそうだったけどー!」と四騎士をウッキウキで呼んだと思うとこいつはほんま
予約分の前編投下します
☆語るに及ばず。
<新宿>という街は、とにかく目の疲れる場所である。
耳目を惹き付ける為に奇抜さを追求した看板程度ならまだしも、建築法を逸脱している疑いすら浮かぶ間取りの鉄宿。
周辺事情を真面目に考察すれば、攻撃的な彩色がむしろ防衛的な虚勢に見える個人店舗は枚挙に暇がない。
そして何より、中身以上にカテゴリの数が多いと思わざるを得ない、道を行き交う人間の外見。
系統樹に埋没すまいと着飾り、かつ自分の内面を虚実交えて表現しようと工夫を凝らしている者。
熟慮の果てにそういった努力も女々しいと斬って捨て、独創性が暴走して自分でも訳の分からなくなった姿に落ち着いた者。
パーソナリティなど知ったことかと、その日の気分によって七変化するノン・ポリシーが体外にまで染み出した者。
各々の思想・事情が絡み合い、混沌のファッション・ショウと化したこの街。それ故に、歩く二人の少女も衆目を引きすぎることはなかった。
「ゆえっち、大丈夫なんかね。どう見ても普通の病気じゃなかったけどね」
「うつうつします……」
一人は、口元のピアスと肩口から腰に納まった、無骨な斧を連想させる髑髏付きのギターが特徴的な少女だ。
日系人ではないが流暢な日本語と、十人に聞けば七人は認める程度の整った顔立ちから常時作られる遠慮のない笑顔が、棘だらけのパンクな衣装の与える印象を中和していた。
一人は、水着だった。水着で出歩いていた。恥部を隠しているだけ<新宿>では遠慮しているのだと言わんばかりの格好である。
隣の少女とは対照的に"陰"のオーラを纏っている彼女を、往来を歩く男たちもそれほどまじまじと見つめはしない。服装と雰囲気とのギャップが、好色家の初動を止める役割を果たしている。
「しかしうっちゃん、本当に着いてくるのね。音楽とか好きだったっけ」
「トットが楽しそうだったから」
「なんせ、新宿きっての大イベントだからね。飛び入り魔としてはほっとけないからね」
「飛び入り魔?」
「正規の手段を取らずにステージに出て、盛り上げて去っていくお仕事のこと」
「正規の手段を取らずにステージに出て、盛り上げて去っていくお仕事のこと」
「お仕事……?」
「手順を丸暗記するくらい経験を積んで、下準備と逃走経路の想定をしっかりやれば、何でも仕事になるのね」
いずれ音楽界に革命を起こす、と豪語する親友を微笑ましげに見る水着の少女が、ふと腰に手をやる。
取り出した携帯には爆発事故発生、という物騒なニュースが入ってきていた。現在地からそう遠くはない。
このニュースだけでなく、最近新宿の街は物騒だ。保護者からも外出は極力控えるよう言われているが、友人の晴れ姿?は見逃せない。
しかし、この調子ではイベント自体が中止になってもおかしくない。
「可愛い後輩のお見舞いの後に無法者をやるんだから、そうなっても天命なのね。その場合はトットのオンリーステージになるのね。無人ライブ」
「一人でも聴くから、がんばって」
「うおお! あっ、師匠から電話なのね」
ライトハンド奏法でぎゃりぎゃり、とギターをかき鳴らした直後、慌てて電話に出る少女。
鋲・ベルト・皮・棘・包帯を多用した、正にステージ衣装と言った彼女の頬に朱が差す。
楽しげに談笑する友人を見て、水着の少女もまた笑顔になる。何事にも拘泥せず、己の心に正直に走り続ける。そんな彼女を見て思う。
なるほど、この友人ならば愛でられるアイドルでも、芸術という茨の道を歩むアーティストでもなく、満天に輝き全てを照らすスターになるのが相応しいのだろう、と。
☆北上
聖杯戦争のマスターに与えられる特権の一つに、己のサーヴァントとの念話能力の取得がある。
日常生活を送る上では便利なものだが、学校と自宅ほど距離が開くと不通となってしまう。
マスターの心体に著しい負荷がかかればサーヴァントは気付くというが、ちょっとした用件を伝えるにはやはり通信機器は必要だ。
例えば今日のように学食が混んでいる時、アサシンに連絡を入れれば彼女の宝具により家まで一っ飛び。
家にある余りものを適当に食べる事で食費を節約できる上、気分が乗らなければそのまま学校を脱けることもできる。
午前中の授業を受けている間は、耳に入ってくる噂話にとにかく気が気ではなかった。
自分が普段通りに生活しているというというのに、軍靴を並べて競い合う御同輩たちは<新宿>の至る所で大暴れ。
聖杯戦争の関係者であることを隠す為に市井に身を潜めるのはいいが、いつ"普段通りの日常"に宝具が飛んでくるのか分からないのでは困る。
アサシンを見れば、ペアで購入した携帯電話で誰かと談笑していた。いつになく楽しそうだ。
NPCに接触する事は控えると言っていたが、髪の毛収集で外出した際に綺麗な髪の子をナンパでもしたのだろうか。
純真一途というには気が多いこのサーヴァントが相方だ、常に自分だけを監視してくれているとは期待しない方がいいだろう。
咄嗟の事態で脱落するのに怯えなくてはならないほど切迫した今の<新宿>の状況では、むしろ自宅に籠もっていた方が安全かもしれない。
通話を切ったアサシンに、今後の戦略を相談する。彼女も同種の懸念を持っていたらしく、淀みなく言葉を紡ぐ。
「思ったよりも展開の変転が早いですからね。今日はもう学校に行かなくてもよいでしょう」
「専守防衛……って奴、やめてもいいの? このアパートで篭城ってあんまりいい結果になりそうには思えないんだけど」
<新宿>の時代観に合った受身の戦略を捨てて徹底防衛に回るには、自分とアサシンだけでは難しいといわざるを得ない。
逃げ回り、身を潜め、最小の労力で敵を仕留めるのに適したアサシンの能力ですら、防戦に徹し続けて勝利を掴むには足りないと北上は思う。
この街は狭いのだ。ここ半日で聞き知った事件の半分でも聖杯戦争の関係者の仕業だとすれば、戦場どころか狩場としても窮屈すぎる。
くだんの、一瞬で車両十数台を爆散させて交通網を遮断したテロ屋がサーヴァントだとすれば、四、五時間もあれば全域を廃墟に出来るだろう。
正午に発令された新たな討伐対象のサーヴァントに至っては、間違いなく現在進行形で廃墟の山を増やしている。討伐が済んだのなら、主催者からそれと伝えてくるだろう。
討伐令の意味するところ―――無法や騒乱への牽制など全く意に介さない主従がいて、それらを仕留めた善良な主従は未だ存在しない。
矢面には立たないにしても、前者が本格的に狩猟を開始する前に暗殺なり懐柔なりの対処をしなくては"詰む"という確信があった。
「もちろん、ただ逃げ腰でいるとは言いませんよ。どうやら街中に悪魔の類が放たれているようですし。私が偵察に出ましょう」
「……我慢が利かなくなってるわけじゃないよね?」
「まさか」
見破られるとは、と続くんじゃないだろうな、とアサシンの心中を探る。彼女の性格はマスターとして概ね理解しているつもりだ。
水晶玉で<新宿>のあちこちを眺めている中で、魅力的な髪の毛を持つ人々に魅了され陶酔している姿は何度も目撃している。
魔法少女、という職業に就いていた生前のアサシンは、雇い主の方針に従って隠密に徹していたという。
しかし英霊となり生前の制約から解放された今、憂慮すべきは彼女の生き様ではなく性格だ。
髪に対しては自制が利かなくなるアサシンに対しては、釘を刺しておく必要があった。
こちらの意を読み取ったのか、微笑を浮かべたアサシンが一礼して身支度を整え始める。
水晶玉で新宿の街を遠視して見つけた、気になるいくつかのポイントを伝え、それに関するニュースをチェックするよう言い残して姿を消す。
挙動に浮つきや油断は見られない。ならばひとまずは任せよう、とテレビの前に腰を下ろした。
昼のニュース番組では、<新宿>を襲う未曾有の緊急事態を声高に叫び、各方面を非難するコメンテーターが幅を効かせていた。
「まるで戦時下ですよ」という他人事のような言葉に、少し呆れて笑ってしまう。
「平和はやっぱり長続きしちゃダメだね」
本心から出た呟きに、何故かチクリと胸が痛んだ。
【歌舞伎町・富山方面(新宿三丁目周辺、北上(ブ)の暮らす安アパート)/一日目 午後 13:20】
【北上@艦隊これくしょん(ブラゲ版)】
[状態] サボリ 満腹
[令呪] 残り三画、背中中央・艤装との接合部だった場所
[契約者の鍵] 有(ただしアサシンに渡してある)
[装備] 最寄りの高等学校の制服
[道具] なし
[所持金] 戦勝国のエリート軍人の給料+戦勝報酬程度(ただし貯金済み)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯が欲しい
1.アサシンに偵察を任せ、テレビを見る。
2.危機に直面した場合、令呪を使ってでも生き延びる。
☆バッター
バッターとセリューが打たれた犬のような主従を拾ってから、三時間ほどが経過していた。
聖杯戦争の参加者に三時間も与えれば……特に、バーサーカーを有するマスターに三時間も与えれば、流血沙汰は一度や二度ではないはずだろう。
しかし彼らは汚泥で煉られた悪鬼、人魂を虫食む天魔、それらを産み出す魔人のいずれとも交戦せず、魔力の激突を感知してもそちらに穂先を向けていなかった。
二組の主従が集うは、四ツ谷信濃町方面……彼の『メフィスト病院』のお膝元、目と鼻の先といっても過言ではない、一軒の空家。
元は薬局だったのだが、店主一家が数日前に「存在する意味が分からない」と言う嘆きを残して夜逃げしたらしい。
困る人間もいるまい、と間借することになったのはバッターの提案によるもので、わざわざここを選んだのは、単純な理由。
番場とシャドウラビリスを襲ったセイバーの主従、そして聖杯戦争の競争相手を治療した『メフィスト』という男へ探りを入れる為であった。
怯える真昼と唸るシャドウラビリスを引きずって南元町の外れ"食屍鬼街"に向かったバッターの強行偵察は空振り。
日本国の常識から外れたような無法者の集団は、銀蝗の魔人に関する記憶を失って呆けていた。
数名を死なせないよう慎重に拷問して弱らせ、バッターが使役するAdd-Onsの所持するスキル"透視図法"により暗示を破ったが、去就は不明だった。
一方セリューは、元患者である番場組や保険証を持っていないバッターに代わり、メフィスト病院に隠密偵察を仕掛けていた。
元々昼間の<新宿>では精力的に慈善活動を行い、警察官を目指す女性という役割も生真面目にこなしていたセリューには、NPCの知り合いもいる。
その中にメフィスト病院で逗留している男性がいたのを幸いと、見舞いの形で正面から堂々と訪問したのだ。
「あの病院凄いですよ! 患者がみんな笑顔なんです!」
「落ち着けセリュー。メフィストとは接触できたのか」
「本人とは会えませんでしたが、お見舞いの帰りに気になって、という体で検査をしてもらったお医者様や患者さんから聞き込みをしてきました」
己のマスターがぶらぶらと振る右腕を凝っと見つめるバッター。
調査の取っ掛かりになれば、とセリューが自傷した上腕骨のヒビは、目視では完治しており、施術の痕もない。驚くべきは、そこに魔術の痕跡さえも一切存在しない事だ。
バッターの目から見れば、あの病院施設自体が魔術工房などという低レベルに収まらない"神殿"の域にあることは明白だった。
だがメフィスト病院が宝具でありスタッフもその付属品だったとしても、骨折を魔術の行使なし、手術なしで"復元"と言ってもいいほど完全に治療しているのは異常だ。
半死であった番場真昼をベスト以上のコンディションに戻している事から予想はしていたが、メフィストという医者のサーヴァントは相当に条理を超えた存在であるらしい。
己のマスターがぶらぶらと振る右腕を凝っと見つめるバッター。
調査の取っ掛かりになれば、とセリューが自傷した上腕骨のヒビは、目視では完治しており、施術の痕もない。驚くべきは、そこに魔術の痕跡さえも一切存在しない事だ。
バッターの目から見れば、あの病院施設自体が魔術工房などという低レベルに収まらない"神殿"の域にあることは明白だった。
だがメフィスト病院が宝具でありスタッフもその付属品だったとしても、骨折を魔術の行使なし、手術なしで"復元"と言ってもいいほど完全に治療しているのは異常だ。
半死であった番場真昼をベスト以上のコンディションに戻している事から予想はしていたが、メフィストという医者のサーヴァントは相当に条理を超えた存在であるらしい。
「えーとですね、話を聞いた方の半分以上が、ドクターメフィストの事を思い出すだけで絶頂したり失神したりして難航したのですが」
「口封じの呪いか?」
「いえ、普段からよくあることらしく、テキパキと処理はされていましたね。それで、悪い評判は一切ありませんでした」
「あ、あの病院は、おお医者さまをうやまってやがりになる人ばっかだって、(真夜が)言ってました」
「? 番場さんの言う通りでしたね。従業員は例外なくドクターメフィストに憧れ、患者さんは例外なく彼と病院に感謝している。理想的な医療施設じゃないでしょうか?
まあ、妄信的すぎて少し怖い感じはしましたが……。腕前だけではなく、容姿もズバ抜けて優れているらしいので、不自然とまでは言えないかと」
言って、セリューが周囲を見渡す。元々真夜が本戦の開始前に集めていた情報、潜伏先の候補であったこの旧薬局には、薬や家具がそのまま残されていた。
そもそも鍵すらかかっておらず、一同は首を傾げたものだが、メフィストというサーヴァントの美しさに当てられて忘我した結果、と思えば納得が行く。
番場たちも恐怖や困惑が先に来なければ、時系列すら魅了されて殺到し、そこにいるだけで時の流れが崩壊してもおかしくないあの医師の虜になっていただろう。
バッターはセリューの報告を聞き、鰐の顎門を開閉する。思案する彼を尊敬の眼差しで見つめるセリューに、真昼が声をかける。
「セリューさん、すごい、です。私なんて、病院の中、全然見ずに出てきちゃったのに」
「いえ、番場さんは本当に怪我してたわけですし! 悪漢に襲われて助かった後だったんだから、動転してても恥じることはないですよ」
「ゥゥゥゥ……」
真昼の手を取って上下するセリューを見て、シャドウラビリスが間に入ってくる。
シャビリスには、セリューが己のマスターにスキンシップを取っていると割って入る癖があった。
セリューは苦笑しながら機械の少女の頭を撫で、「そうだ」と懐から何かを取り出した。
「これおみやげに……って、番場さんも貰ってますよね」
「あ……じゃあ、交換しましょう、煎餅」
メフィスト病院の受付で貰える贈答品、まったく変わりのないそれを意味なく取り替えるセリューと真昼。
微笑ましい光景だった。バッターの左腕が、その場の誰にも反応できない速度で得物(バット)を振るまでは。
片手とはいえ、掛け値なしの全力のスイングだった。ごうん、と風を切る音が薬局全体に轟く。
「バッターさん!?」
驚愕の声を上げるセリューが一拍遅れて気付く。"バッターの全力の一撃の後に、壁や床が崩れる音が聞こえなかった"事に。
バットの先端は、バッターの左後方の壁……その30cm手前で静止している。……否、静止させられている。
凶器が食い荒らした軌道上、一瞬カラにされた空間に大気が戻っていく。ありえない現象が生んだ在り得ない兇風を浴びて、壁の前に赤い影が浮かび上がった。
何故今までそこにいたのが分からなかったほどの長身。だらしなく伸びた髪、だらしなく開いたスーツの胸元。全身の気怠げな印象を、爛々と輝く瞳だけが否定している。
「ちょちょちょちょーいwwwwホントにいたのは良いけど勘よすぎですよバーサーカーくーんwwwwwww(SSが)もうはじまってる!wwwwwwwwwwwwwww」
「お前の叫びは何処にも届かない。呪われた旅人よ、お前を浄化する」
不快な嘲笑を上げる、性別も年齢も不詳な存在―――間違いなくサーヴァントだろう―――に、バッターが第二撃を喰らわせようと一歩踏み込んだ。
☆赤のアサシン
メフィスト病院を出て二十と三秒後、ベルク・カッツェは気配遮断スキルを存分に活かして―――喚き散らしていた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!! ウッゼェェェエェェェェェエ!!!!!!!!!!!!!!!!」
周囲のNPCは咆哮……否、発狂しているカッツェに目を留める事もなく歩き続けている。
異形の両目を凝凝と見開き、憎悪と苛立ちを吐き出すカッツェは、これだけしても脳裏から離れない一人の男の代わりと言わんばかりに地面を踏みしめる。
アスファルトが足型に凹み、やがて粉砕されて白煙と異臭を上げてもなお、"赤"のアサシンの憤懣は滾っていた。
この道化じみた男がこれほどまで正直な怒りを発散しているのは、もちろん魔界医師メフィストのせいであった。
他者など、何の価値もない心とかいう物に感けた愚鈍な猿に過ぎないというベルク・カッツェの持論は、今しがた粉々に打ち砕かれた。
召喚された直後、メフィストの顔を一目見た瞬間に、「この男を、永遠に忘れたくない」と茹った脳に強制上書きされた感覚が彼にはあった。
今、あの男は何をしているのか。誰と一緒にいるのか。誰を見ているのか。誰に見られているのか。なんとしても知りたい。
カッツェに未来永劫生まれるはずのなかった、個人への固執……独占欲……恋! カッツェだからこそ、その感情は抑え込むことが困難だったといえる。
まともな情緒を育んだ人間や英霊ならば、対策とまではいかずとも、その経験からメフィストの美貌と自分の内面に"折り合い"のようなモノをつけることが出来たはずなのだ。
「糞がぁ……冗談じゃねぇぞぉ……」
心臓の鼓動が静まらない。暴れた為ではない、恋のせいだ。
他人の不幸を楽しむ事に対してはアクセル全開となるはずのカッツェの性癖と思考は、メフィストの不幸を想像することが出来なかった。
自分が変質していく、という危機感が苛立ちを加速させる。宝具である『幸災楽禍のNOTE』の衰えが感じられる。萎えている、のだ。
周囲のNPCにCROWDSアプリを配布して愚行に走らせるのがベルク・カッツェのやるべきことなのだろうが、それをやる気が起きない。
仮にこの新宿の全住民の悪意を束ねても、メフィスト一人に対する関心を上回る事はないとわかっているのだ。
「 」
もはや喋る意味もないな、と溜息をつくカッツェに、在りし日の面影はない。
最初に見つけたサーヴァントに殴りかかって脱落しようかとさえ考え始めていた。
そんなカッツェの肩が、背後から叩かれた。攻撃ではない。普通に、である。
「あ?」
「え? え? 手?」
気配遮断は機能しているし、サーヴァントも感知していない。
振り向いたカッツェの目には、30手前の、歩きスマホをしているOLが映る。NPCだ。
ただのNPCが、気配遮断中のアサシンを発見するなど……いや、発見していない。
OLはきょとんとして棒立ちになっており、その視線はカッツェに止まっていなかった。
そこでカッツェが気付く。自分の肩を叩いた手はOLの物ではない。宙に、手が浮かんでいた。
注がれるOLの視線を厭うように、浮かぶ手が振るわれる。手刀が、OLの首を切り裂く。
その人ならぬ力は、サーヴァントのそれだった。周囲の人間が悲鳴を上げ、OLが崩れ落ちる。
彼女が落とした携帯は通話状態になっていた。声が、カッツェの耳に届く。
『悪逆の英霊、ベルク・カッツェ。お目にかかれて光栄です』
「お目にかかってないでしょwwww誰wwww」
カッツェは、自然と口から出る嘲りに自分自身驚いていた。
先ほどまでは全くやる気がなかったというのに、精神テンションが少し上がっている。
NPCを伝書鳩以下の扱いで使い捨てて悪びれる風もない電話の先のサーヴァントから、痛快なまでの悪辣さを感じたからだろうか。
『<新宿>の聖杯戦争にアサシンとして召喚された、貴方の名声に及ぶべくもない小物のサーヴァントでございます』
「ミィと同じクラスっすかwwwwwwwwwwちょwwwwwwww非通知wwwwwwwww割と最近の英雄サン?wwwwwwwwww」
『余りお調子が良くないようなので、まずは用件だけお伝えします。貴方に会っていただきたい、面白い者たちがいまして……』
相手の不調を見透かすような慇懃無礼な態度……それを意図して行っている小賢しさ。
普段ならまだしも、悪意と煽りに餓えている今のカッツェには、その声は福音にすら聞こえた。
何故自分の真名を知っているのか。そもそも、どこで自分の存在を認識して接触して来たのか。謎だらけだが、今はどうでもいい。
つらつらと自分の都合を語る相手を軽口で囃し立てながら、少しでもあの美影身に引きずられる意識を縫い止める。
潔く諦めるなど、どれだけ変質しても、やはりベルク・カッツェには出来ないことであった。
以上で投下を終了します。後編は今週中に投下します
皆様、投下乙です!
以下感想です
>さくらのうた
オガサワラが1時間半で那珂ちゃんを出せとか無理難題に付き合わされて、NPCなのにこっちまで気の毒になってきました
最後のパワーハラスメントは本当によくないからやめようという一文にとてつもなくインパクトがありますね…w
これにはさすがの那珂ちゃんも苦笑いしそう
そしてライブ会場に行く片手間にメフィスト病院に探りを入れた栄光もまた新宿聖杯らしい強力な能力を持っていますね
能力がわかりやすく説明されていてすんなり頭に入ってきました
<新宿>内で最も目立つ場所で怪しまれやすいからか、院長のメフィストは様々なところで出番があって多忙ですね
<新宿>でも最も影響力の高い御仁ですから当然といえば当然ですけど
それにしても栄光の能力や宝具すらも貫通するメフィスト製の装置と針金はえげつないですね
栄光の記憶消失を病気と断定して、魔力の籠った宝石を何の躊躇もなく差し出してしまうあたり、やはりメフィストの病気を治すっていうことにあまりにも貪欲だなあ
>復習の時間
ううむ、やはりこのサーヴァントはだめですねぇ
しかし、恐ろしく強力で、殺人という行為に対しては恐ろしく純粋。殺人鬼としては限りなく優秀な探偵ですね…
凛を見てるとやはりここを始め亜種聖杯は原作の冬木の聖杯での常識は通用しないですね、例えばクラスの重複とか
そしてまさかの種明かし。必要なサーヴァントの魂の数とか、設定が細かいところまで練られてて読んでてとても引き込まれるとともに、氏のこの聖杯スレへの愛を感じました
あと、ミスター・ルイが楽しそうで何よりです
>推奨される悪意(前編)
セリュー番場同盟ですが、ここもメフィスト病院を探索していましたか。
ですが、怪我をしていれば中に入れさせてくれる上に治療もしてくれるあたり優しいですねえ(なお病人でない者は以下略)
しかし、なんとか薬局に落ち着けた矢先にカッツェが乱入!ここからどう転ぶのか楽しみです!
しかし、カッツェがメフィストを思い出して怒るのも無理はないですね。何気に初登場時もメフィストをイケメンとのたまってましたし
ここにフレデリカが出てきたわけですが、もう一方とは違ってこっちの北上組は何を逃れてますね
ここからどう動くのか…
日付が過ぎてしまいましたが、予約を延長します
バッターやヴァルぜライドとカッツェって相性最悪な気が……フレデリカは何考えてるんだろ?
申し訳ありません、リアルの都合で予約を破棄します
アイギス&サーチャー(秋せつら) ウェス・ブルーマリン&セイバー(シャドームーン) 閣下&キャスター(メフィスト)予約します
最近よく出て来てるウェザー、結構早い再開やな
そして周辺で色々起こってるのに全く出番ないジョナサンェ.......
『痣』が共鳴してくれる事を祈ろう
姫の宝具って船だけ?琴とか棺は無いんですか?
>>713 様
ぶっちゃけ船だけです。色々あっても良かったんですが、色々あると強すぎるんで……
NPC(島田武)
予約します
し、しまぶー!
しまぶーと呼ぶな島田だ!
(ある意味)十兵衛の天敵じゃねーか
一編に行きたかったんですが、少し難航していますんで、先ずはウェス・ブルーマリン&セイバー(シャドームーン)だけ投下します
>>714
了解しました。ヴァルゼライドに棺担がせたかったんですが。
まったりとした時が流れるBAR。これ以上起こしていては本業に差し障るので、いらざるトラブルを避けるために店主を眠りにつかせ、ウェザーとシャドームーンは静寂に満ちた時を過ごしていた。
「マスター」
一時間ほど経った時、不意にシャドームーンが口を開く。
「何だ?セイバー」
「討伐令に乗って令呪を得ようと思う」
「また急な話だな」
「今日遭った者達は全て侮ることなど出来ぬ強敵だが、奴等と俺では根本的に俺が有利な点が有る」
ウェザーは考える。このセイバーはステータスも技量も経験も、それ等を総合的に活用する頭脳も、『一流』という言葉で到底言い表せぬ水準に有るが、今日戦った連中はそのセイバーに匹敵する。つまりこれ等の点は有利な点とは言えない。
そうなると……。
「………宝具か」
「そうだ。俺はあれだけの手傷を負い、魔力を消費したにも関わらず、既に回復しつつある。マスターに負担も掛けずにな」
「確かにな。並のサーヴァントならマスターにはかなりの負担になるだろうな」
「このアドバンテージを活かせない相手が一人いる」
「……あの魔人か」
ウェザーの声に苛立ちが混じる。何も漸く苛立ちが収まったところにまた思い出させなくても良いだろうに。
「そうだ。紅い魔剣士は俺が地に伏してもおかしくは無い強者だが、あのクラスの敵が後三人いても勝てる。連戦にさえならなければな」
剣の反英霊シャドームーンの宝具キングストーン。その最大の効果は無尽蔵の魔力による継戦能力。例え傷ついたとしても、魔力消費を全く気にせず傷を癒し、次の戦闘に万全の状態で臨むことを可能とする宝具。
魔力消費を常に計算に入れて戦わねばならない他の主従と比べて、その齎すアドバンテージは絶大だ。
しかし、それもあの魔人相手には意味を為さない。否、本来ならば完治に絶大な消耗と時間を要する傷を、短時間で治せるだけマシなのだが、それにしてもだ。
「だが、あの魔人が間に入れば別だ。奴に付けられた傷はキングストーンを以ってしても癒えるまで時を要する。その間にあの紅い魔剣士の様な難敵と遭遇しては、勝利する事は難しい」
「それと令呪とがどう関係するんだ?」
「『私』と名乗る男は此方が令呪を用いて強化しても、無傷で斃せるか判らない。だが、『僕』と名乗る男なら令呪を用いて強化すれば無傷で斃せよう」
長期的な戦略を考える上での最大の不確定要素であり、強敵ひしめく聖杯戦争での最大の不安要素でもあるあの魔人を真っ先に排除する。
こうする事で戦局は此方にかなり優位になる。
「つまりアイツ相手に令呪を一つ使うから、予め補充しておこうって腹か?」
「そうだ。黒い魔人を斃しても白いキャスターと紅い魔剣士、更には悪魔共が居る。不測の自体に備えて切り札を多く備えておくべきだ」
シャドームーンは今日が始まってから、今に至るまでに出逢った者達を想起する。
状況に応じて魔力回路を組換え、遠近双方の攻防に対応し、自在に戦場を駆け、堅牢な護りを発揮して受けた攻撃の威力を送り返す、異形の姿に変わる紅い魔剣士。
ステータス的には最初に一蹴したバーサーカーと変わらないが、そんなものが意味を為さない魔技を使い、千分の一ミクロンのチタン鋼の無限長の刃という未だに信じがたい武器を使う黒衣の魔人。
底知れぬ実力を持ち、ゴルゴムの技術力を持ってしてもその実態が掴めない白いキャスター。
そして存在そのものが謎というそのマスター。
どれ一つとっても全力で当たらなければ勝利など覚束ない、掛け値無しの強者達。
更に、何らかの意図を持って〈新宿〉を跳梁している『悪魔』
これらを全て打ち倒さなければならないとすれば、切り札たる令呪は一つでも多い方が良い。
それに─────
「他の連中に切り札が渡らない様に出来るしな」
「その通りだ。敵の強化を許すのは下策というものだ」
頷いたシャドームーンにウェザーはふと湧いた疑問を投げ掛ける。
「しかしどうやって、懸賞首の居る場所を突き止める?」
「手駒を失ったのは痛いな」
こういう事は昔から人手が物を言うと相場が決まっている。
人手により集めた情報を振るいにかけ、捨取選択し、正しい情報を見つけ出す作業があるが、先ずは前提として情報の量である。
この状況下ではそんなものは望めない。
「………そういや遠坂凛は警察に追われていたな」
ウェザーのふとした呟きにシャドームーンは思いついたことがあるようだった。
「警察か…情報を集めるにも兵として扱うにも、これほど向いた組織は無いな……問題は接触する方法だが」
「……確か食屍町(オウガストリート)で聞いたが、今日の二時からデカいライブが有るそうだ。今の〈新宿〉の状況なら警察も結構な警備をしているんじゃ無いか?」
「先ずは其処の指揮官と警官共を抑えて、次に指揮官に案内させて署長を抑えるか。傷が癒えて、魔力が回復するのは三時を過ぎるが、まあ間に合う……。それでそのライブは何処で行われる?」
「知らん、興味が無かったからな。だがアイツなら知ってるんじゃ無いか」
結局、BAR『新世界』の店主は再度眠りを破られる事となったのであった。
【歌舞伎町、戸山方面(BAR新世界)/1日目 午前13:00】
【ウェス・ブルーマリン(ウェザー・リポート)@ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン】
[状態]健康、魔力消費(小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]無
[装備]普段着
[道具]真夜のハンマー(現在旧拠点である南元町のコンビニエンスストアに放置)、贈答品の煎餅
[所持金]割と多い
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界に戻り、プッチ神父を殺し、自分も死ぬ。
1.優勝狙い。己のサーヴァントの能力を活用し、容赦なく他参加者は殺す。
2.さしあたって元の拠点に戻る。
3.あのポンコツ(アイギス)は破壊する
[備考]
・セイバー(シャドームーン)が得た数名の主従の情報を得ています
・拠点は四ツ谷、信濃町方面(南元町下部・食屍鬼街)でした
・キャスター(メフィスト)の真名と、そのマスターの存在、そして医療技術の高さを認識しました
・メフィストのマスターである、ルイ・サイファーを警戒
・アイギスとサーチャー(秋せつら)の存在を認識しました
・現在南元町のNPCから、自分達の存在と言う記憶を抹消しています
・0現在の拠点は歌舞伎町のBAR新世界です
・シャドームーンからルシファーの存在を話され、これを認識。また、ルシファー配下に高位の悪魔を人間に扮させ活動させている事を理解しました
・葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)の存在を認識しました
・新国立競技場へセイバーと共に赴くかはまだ決めていません
【シャドームーン@仮面ライダーBLACK RX】
[状態]魔力消費(中だが、時間経過で回復) 、肉体的損傷(小)、左わき腹に深い斬り傷(再生速度:低。現在治りかけ)
[装備]レッグトリガー、エルボートリガー
[道具]契約者の鍵×2(ウェザー、真昼/真夜)
[所持金]少ない
[思考・状況]
基本行動方針:全参加者の殺害
1.敵によって臨機応変に対応し、勝ち残る。
2.他の主従の情報収集を行う。
3.ルイ・サイファーと、サーチャー(秋せつら)、セイバー(ダンテ)を警戒
[備考]
・千里眼(マイティアイ)により、拠点を中心に周辺の数組の主従の情報を得ています
・南元町下部・食屍鬼街に住まう不法住居外国人たちを精神操作し、支配下に置いています
・"秋月信彦"の側面を極力廃するようにしています。
・危機に陥ったら、メフィスト病院を利用できないかと考えています
・ルイ・サイファーに凄まじい警戒心を抱いています
・アイギスとサーチャー(秋せつら)の存在を認識しました
・秋せつらの与えた左わき腹の傷の治療はもうじき終わります
・葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)の存在を認識しました
・ルシファーの存在を認識。また、彼が配下に高位の悪魔を人間に扮させ活動させている事を理解しました
・新国立競技場のライブに赴いて、現場の警官隊を掌握。その後〈新宿〉の警察組織を抑える計画を建てました。
・新国立競技場へはPM3:00に出立する予定です
投下を終了します
ご投下ありがとうございます!! 諸事情により感想は後程お伝えします
予約した分の書き溜めが自動更新で吹き飛んだので、いったん予約を破棄します
予約破棄しますと言った傍からですが、吹っ飛んだ分と+αが書けましたので、投下します
ピッ、と。
定刻になったので彼女はチャンネルを切り替えた
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「未だ回復の兆しが見えない不況と不景気」
映し出されたのは東京証券取引所の巨大なガラスシリンダーの中の、マーケットセンターの様相であった。
ニュース番組や、経済や株に関する番組では良く目にする場所である。この番組でも、経済に纏わる話題を解りやすくイメージして貰うのにこの映像を使ったらしい。
ナレーションの声は中年の落ち着いた男性のそれで、ナレーター業に相応しく、万人に聞き取りやすい声であった。
「様々なスキャンダルや不祥事から来る、政治的な不信感」
今度は画面いっぱいに、新聞や雑誌の記事のスクラップが表示される。よく見るとその記事の内容は、政治家や公務員の醜聞を書き表しているようであった。
「複雑な社会機構と、それによって生み出される環境から巻き起こる凶悪な事件」
今度は、今や世界規模で有名なニュースになっている、遠坂凛と、黒い略礼服の大男の二名の映像が流れた。
今まさに、略礼服の男が人を殺そうとする、その寸前で映像が止まる。この番組が放送されている時間帯はゴールデンである。此処から先の、身の毛もよだつような光景は、今の時間には相応しくない。
画面右上に表示された、『生放送 日本の此処を斬る!!』と言うテロップを見るに、この番組は生放送で、今までの映像は、
予め編集され事前に差し込まれた映像であるらしい。その映像が終わり、テレビは、今の番組を放送しているキー局のスタジオを映し出した。
其処は広々としたスタジオであるのだが、如何やら真面目な番組であるらしく、セッティングはバラエティ番組と比べて堅実で質素だ。
飾りの類も最小限、精々目立つものがあるとすれば、カメラに映る二百インチ以上もある巨大な壁掛けのモニターだろう。
広いスタジオの真ん中には、直径十m程もあろうかと言うとても大きいラウンドテーブルが設置されており、その周りを事務椅子が十四脚取り囲んでいる。
このセッティングを見るに、如何やらこの番組は良くある『討論番組』であるようだ。
そのラウンドテーブルの前に、ゆったりとした、清潔感のある白色の衣装を身に纏う、金髪の男性が佇んでいた。
東洋風の顔立ちではなくヨーロッパ系の顔立ちで、幼さを残した甘いマスクの優男だが、何処となく顔立ちに知性の空気が漂っているのは、それまでに積んで来た教養の故であろう。
「皆様こんばんは、『ルシードのそこまで言って委員会』の時間がやってまいりました。私、司会・運行を務めさせていただく、『ルシード・グランセニック』です。宜しくお願い致します」
言ってルシードと呼ばれた男性が一礼すると、カメラの映していない所に観客席があるらしく、其処から生の拍手がパチパチと聞こえてくる。
編集によって差し込まれた不自然な拍手ではない、本物の、人を使った拍手であった。一礼すると同時に、画面下にテロップと、ルシードの所属事務所が表示される。
所謂、『外タレ』だ。この番組を見ている女性は、ルシードが元を正せば海外の超有力な貿易商の息子である事を知っているが、何故そんな彼が日本で芸人をやっているのか、まるで理解が出来なかった。
「さて、普通であれば当番組は毎週のこの曜日この時間に、日本や世界の様々な社会事情や時事を議題に、専門家の方々が討論を行った様子を放送する物ですが、今回は特別企画です」
「即ち――」
「皆様の記憶にも新しい、<新宿>で起った遠坂凛と黒礼服の男の大量殺戮の事件を重く受け止めた当番組は急遽、このような企画を組ませて頂きました。それは、今日から三日に掛けて生放送で、此方側が取り上げた様々な社会問題を二時間SPで議論していただくと言うものです」
言ってルシードは、未だ沈黙を保つラウンドテーブルの方に身体を向け、目線だけをカメラに向ける。
彼の話を推察するに、あの席こそが、彼の言う所の専門家が座って討議を行う場所であるのだろう。
「本日のゲストは十四人。但し今回は普段の様に、全員が専門家であられる訳ではなく、様々な角度から様々な意見を取り入れられるよう、専門家と此方側がアトランダムに選んだ一般枠の方々の混合で議論をして頂きます」
其処でルシードが言葉を切ると、スタジオに入る為の舞台の袖の、機械式のドアがスライドして開いて行き、仄暗い通路の様相を露にさせる。
カメラからでは通路の奥は見渡せない。此処からゲストが出て来るのだろう。
「それでは、本日の栄えある論客の方々をご紹介したいと思います!!」
ルシードがそう言うと、拍手がスタジオを渦巻いた。
拍手と同時にBGMが流れ、流れ始めてから数秒後程経過してから、舞台の袖から次々と、この番組のゲストがやって来た。
「ご存知、十代の女子にとってのセックスシンボル!! 整った顔立ちとプロポーション、そして素晴らしい魅力を武器にアイドルのスターダムを駆けあがる、346プロの代表絵的アイドルの一人、『城ヶ崎美嘉』さんです!!」
ルシードがそう言うと、舞台の袖から、派手な桜色の髪をワンサイドアップに纏めた、彼の言葉通り整った顔立ちの少女が入場して来た。
それと同時に画面下に、所属事務所と名前を記したテロップが表示される。
年齢もそうだが、立ち居振る舞いはまさに今時の派手目な女子高生と言ったこの少女、城ヶ崎美嘉は、
普段は肌面積の少なめの衣装でパフォーマンスを行う事で知られているが、今回は番組のカラーを読み、学校の指定制服と言うTPOを弁えた姿でやって来た。
アイドルだけあってテレビ慣れしているらしく、緊張した様子も見せずに、営業用の笑みを浮かべて、カメラと観客席の双方に手を振って見せ、その後で、自分の指定の席へと座り始めた。
「子どもを題材にした絵画で、美術・芸術の世界から注目を集める、東京芸術大学の天才学生!! 将来は美術の教師になりたいとも!? 『斉藤千子』さん!!」
次にスタジオに現れたゲストは、先の美嘉とは全く対照的な、大学生風の女性だった。
化粧っ気のない地味な顔立ち、美容院所か床屋ですらない自分でカットしたのが素人目でも解る髪型、安い量販店で上下を揃えた様なオシャレとは無縁の服装。
如何にも『非モテ』と言う事が伝わる人物だった。テレビ慣れもしていないらしく、ぎこちない様子でカメラに向かって挨拶をしたのち、これまた油の切れたロボットめいた動きで、自分の席へと座って行く。
「フィールドワークが学問では大事なのだ、そう言って世界中の遺跡を飛び回り発掘活動を行う行動家!! 東京大学の史学科に所属する問題児であり天才児、『ミス・テレージャ』!!」
「やぁやぁどうも」、と言いながら軽い調子で現れたその女性は、緑色の髪を後ろに長く伸ばした、眼鏡の女性だった。
一目見てインテリである事が窺える雰囲気を醸し出しているが、何故か肩を出したローブ上の物を着用しているのは、史学科と言うキャラクターを優先している為か?
彼女の方は地が緊張をしない性質であるらしく、自然体のままカメラと観客席に挨拶をした後で、指定の席へと座って行った。
「ご存知あの探偵王子!! 中性的な顔立ちと利発そうな外見、そして探偵として優れた技術と見識から、TV番組にも引っ張りだこ、『白鐘直斗』!!」
スタジオにやって来たのは、青みがかった黒色の髪をした、あおり通りの中性的な顔立ちをした男性、或いは女性だった。
半袖の白いシャツとズボンを着用した人物で、全く性別と言う物を窺わせない。テレビ慣れはしているようだが、こう言った番組は苦手なのだろう。
居心地が悪そうに一例をした後、自分の席へと 直斗は座った。
「今やTwitter、Facebook、Skypeと言ったそれまでのSNSと引けを取らない、いやそれ以上の人気を誇る新しいSNSサービス・GALAXを一から開発した天才少女!! 『爾乃美家累』さんの入場です!!」
紹介と同時にスタジオに現れたのは、見るからに華奢そうな外見をした、ピンクブロンドの髪をした少女だった。
黒を基調とした服装をした、渋谷や新宿、秋葉原を歩けば十数人は見つけられそうなこの女性が、SNSサービスを一から構築したのだと言うのだから、人間解らない物だった。
しかしそれでも礼儀は正しいらしく、「本日は宜しくお願いします」と一礼。拍手で迎えられた後、自分の席へと座った。
席に予め座っていた人物の内、城ヶ崎美嘉と白鐘直斗は何かに気付いたらしい。累の方を見て、何故か、『引いた』様な態度を隠せていなかった。
「『間桐慎二』!!」
「おい、僕だけ何で紹介が適当なんだ!!」、と叫びながら、紺に近い色の髪をした、学生服の青年が袖からやってくる。
如何にも軽いと言うか、薄っぺらな印象を感じる青年である。恐らくはこの少年だけが、唯一作為も何もなくランダムに選ばれた人物なのではないかと訝るのも、
無理からぬ事か。「まぁまぁ、議論で後は大活躍をすればいいだけじゃないか」、とルシードの卓越したトーク力に言い包められ、渋々と言った様子で慎二と言う名の少年は自分の席に座った。
「日本体育大学のアメフト部エース!! 『鎧を着た大男の突進を見ているようだ』と言われる程の迫力のタックルを武器に勝ち星を上げ続ける、日本生まれのアメリカンスピリッツ、『チンチ=B(ブラーブ)=ブライアン』さんだ!!」
そういって現れたのは、筋肉の山としか言いようのない大男だった。
二m近い身長でありながら、身体の厚みも横幅も、先の慎二が三人分いるのではないかと錯覚する程凄まじい。
無論、筋肉の鍛えられ方など、比べようもない。この男のタックルを受けたら慎二など、粉々に砕け散って即死するのではないかと言う凄味があった。
ブライアンは出て来るなり、自らの筋肉を誇示するように、腕の二頭筋の力瘤を見せ付けた。隆起した金属を思わせるその筋肉を見て、観客席から感嘆の声が上がった。
アピールに満足したか、ブライアンは堂々とした様子で席に着席する。この男の座る椅子だけ、他のゲストと大きさが違う事が、今になって初めて解った。
「以上が、本日の一般枠のゲストとなります。では続きまして、本日の有識者枠に入場して貰いましょう!!」
そう言うと、拍手の波がスタジオを呑み込んだ。
「北は札幌、南は九州まで、日本の様々な地域に校舎を置く、難関進学中学椚ヶ丘学園の総理事長!! 『偏差値25など私に言わせれば難関校に入学させる基準を十分満たせている、私に匙を投げさせたければ偏差値1を連れてきなさい』、と豪語するのはこの御方、『浅野學峯』氏です!!」
表れたのはヘリンボーンの柄のスーツを着用した、茶味がかった髪の男だった。
シワ一つないスーツを身に纏うその様子は、一見すれば上場企業に勤める敏腕営業マンと言った風情を思わせるが、これで教師の一人だと言う。
先のテレージャのはるか上を行く知性的な佇まいもそうだが、それ以上に目を瞠るのは、その若々しい風貌。二十代後半の人物だと説明されても、皆は納得するだろう。
摂生した生活と、日々の運動を欠かしていない事が解る。「宜しくお願いします」と、礼儀正しく一礼してから、學峯は自分の席に腰を下ろした。
「渋谷の超高級クラブ・ビーナスハイヴを運営する敏腕店長。どんな者にも優しい包むような母性で、客は勿論従業員からの信頼も厚い美女、『イヴ・アガペー』さん!!」
「よろしくお願いするわね」、と言ってスタジオに現れたのは、美嘉を筆頭とした全員が、TPOを弁えていたのが馬鹿みたいに思えるような、
胸元の露出の多い深紅色のナイトドレスを身に纏った妖艶な美女だった。後ろ髪を長く伸ばした、緩いウェーブの紫髪をくゆらせて、観客席とカメラに一礼をしてから、
彼女は自分の席に腰を下ろした。その際、累の方を見て、「あら?」と何かに気付いたらしいような声を上げた。何の秘密があるんだろう。
「小学校から大学までの一貫校である、超名門学校ミョウジョウ学園の理事長!! 学生達は幸福であれを理念に学校運営を行う教育者の鑑、『百合目一』さんです!!」
黒いスーツを身に纏った、如何にも淑女然とした茶髪の女性が現れ、恭しい態度で腰を曲げて一礼をする。
データによると三十代の女性と言うらしいが、誰がどう見ても、就職活動の真っ只中の女子大生としか見えない程若々しい。
事によっては、彼女よりも老けている女子大生など日本全国の何処にでもいるだろう。百合と言う名に相応しい、典雅な歩き方で席に着席する。奇しくも、同じ理事長である學峯の隣だった。
「在日米軍の消防舞台で活躍する敏腕消防士!! 火事を絶対に許さないと言うベテラン消防士の側面を見せる一方で、月に一度は家族をバーベキューにすると言うアットホームな側面も、『ミスタークロード・トーチ・ウィーバー』!!」
黒縁眼鏡に金髪の角刈りをした、やや肥満がかったアメリカ人が現れ、カメラと観客席に一礼をした。
先の三人に比べて服装も姿もかなり地味で、何処にでもいる普通の中年、と言う様子だ。自分の席に向かい、のっそりと着席する。
「米国最大の警備会社、イェーガーズの女社長!! <新宿>での事件を受けて日本へ視察に来た所に我々がオファーを申し込んだところ、快諾してくれました!! 『ミス・エスデス』!!」
白い軍服の様な物を着用した、見事なまでの青色のロングヘアをした、凛とした美貌の女性が現れた。
観客席の拍手が、この女性の登場と同時に止んだ。美貌に戸惑っているのか、TPO以前の問題の服装に困惑しているのか。恐らくは両方だろう。
脱帽し、簡易的な礼をしてから、ツカツカと威風堂々とした足取りで席に向かって行き、腰を下ろす。この場でたじろいでいないのは、學峯と百合、イヴとブライアン位の物だった。
「鎌倉に事務所を置く、少年犯罪を専門とする敏腕弁護士!! 「若者よ、困った時は俺を頼れ!!」、『柊聖十郎』氏の登場です!!」
エスデスの登場で気後れしていた観客達だったが、スタジオに現れた男の登場で、思い出したように拍手を送る。
白いスーツに赤いシャツを身に纏った、如何にもプライドの高そうな背広組の男で、自分は出来る人間なのだ、と言う自信と才気が浮かべる笑みからも漂って来る。
一礼をするでもなく、スタジオに現れたのと同じ足取りで自分の席へと向かって行き、其処で聖十郎は腰を下ろした。
「栃木県立行坐高校で辣腕を振るう教師であり、島田流空手の現総裁!! 真のフェミニストとは俺の事、俺はいつかシャングリラを築くんだ、『島田武』先生の登場だ!!」
現れたのは白い半袖のシャツにカーキ色の長ズボンと言う、これと言った特徴のない中年の男性だった。
カメラと観客の方に一礼をしたのち、島田は自分の席へと座り、皆の方を一瞥した。
「以上十四名、彼らが、本日の議論を務めるゲストであり専門家です。それでは皆様、今一度大きな拍手の方をお願いします」
ルシードの司会に合わせて、観客席の方から割れんばかりの拍手が轟いた。兎にも角にも、番組は今まさに、始まろうとしていた。
スポンサー紹介がこのタイミングで挟まれる。スポンサー紹介が終わると同時に、水を引いた様に拍手が止まる。CMは、このタイミングでは入れられないようだ。
「さて、本日は皆様方に三つの議題を論議して頂きたいと思います。そして、その三つの内最初の議題は此方です」
ルシードがそう言うと、二百インチ以上のモニターに、明朝体で四文字。そのテーマが表示される。
「……『援助交際』、ですか」
そう口にするのは、椚ヶ丘学園の理事長、浅野學峯だった。
「説明をさせて頂きましょう。援助交際とは文字通り、金銭などの援助を貰い、男女間の交際を行う行為の事を指します。無論、大の大人が行う分には、犯罪とは言えません。但し、未成年が対象となれば、話は別です」
そう言うとモニターが、明朝体の四文字から、とある棒グラフを映し出した。
グラフ下の年代数値を見るに、これは、時代が下るにつれどれだけ数値が上昇したかを表しているのだろう。そして会話の流れから、表しているデータの内容は一つ。
「これは警視庁が最近公表した、警察が検挙した未成年の援助交際で検挙した人数です。見て頂ければ解ります通り、どの年代にもやはり、金銭的な問題もあるのでしょう、援助交際は存在した事が窺えます」
表示された棒グラフの補足、援助交際が明確に犯罪として設定されたのは1999年とある。グラフデータの一番古い年代が1999年なのは、其処が理由なのだろう。
ルシードの言う通りグラフを見ると、犯罪と設定されてもなお、援助交際の数は一定以上、どの年代にも存在している事が解る。
そもそも援助交際自体、検挙が難しく、実態が掴めないと言う事も理由なのだろう。警視庁が公表したこのデータも、全貌を表している訳ではあるまい。
警察が認知していない所で、援助交際は今もあるのだろう。それがグラフからも窺えるが、それ以上に目を引くのが――。
「皆様もお気づきになられているかもしれませんが、援助交際は、2006年度からその検挙数が爆発的に増大している事が、お解りの事かと思われます」
そう、グラフを見ると、2005年度と2006年度で、検挙数が1.5倍程も違うではないか。
その年から現在に掛けて、検挙数は2006年度の数値を上下している事が、グラフからも明白だ。
「この2006年度とは、あらゆる意味でネットの世界に変革が起こった時期です。Twitterと言うSNSサービスが始まったのもこの頃ですし、有名な某動画配信サイトもこの年に開設されました」
「警察もネット上で児童買春について目を光らせ、そう言った掲示板についてはかなり神経質になっていたと聞く」
と言うのは、鎌倉の敏腕弁護士・柊聖十郎だ。
「仰る通りです。こう言った掲示板を運営しているのは、大抵暴力団絡みですので、警察も発見と認知が容易かったのですが――」
「SNSや動画配信サイトは、管理・運営者が一般企業或いは一般人です。故に、それが犯罪であると認知するのも時間が掛かるし遅い。何よりも暴力団が絡んでない為、警察も基本的にはノーマーク。善意ある他ユーザーの通報か、運営自体が直々に発見するしか、そう言った犯罪を防ぐしかない」
「素晴らしい、流石は自身がSNSの開発者と言うだけはありますね、爾乃美家累さん」
と言って、ルシードは発言をした累に称賛の言葉を投げ掛ける。
GALAXと言う巨大SNSサービスを運営する累にとっては、この問題はやはり自信と密接に掛かる問題らしい。良く認識しているらしかった。
「一般的に援助交際と言えば、単なる売春の延長線上の犯罪かと思われますが、暴力団はこう言った行為を『ウリ』と呼んでおり、立派な資金源としております。つまりは、撲滅されるべき犯罪です」
其処で、一拍間を置いて。
「性の問題と侮る事はないように、これも立派な犯罪であり、日本の社会に渦巻く病巣の一つです。先ずはこの問題について議論をして頂きたいのですが、有識者の皆様方、如何でしょう? ご意見の方は、ありますでしょうか」
「私の方から」
と言って手を上げるのは、宇都宮で教師を務める男、島田武だった。
「では島田さん、ご意見の方を」
「言うまでもなく、そう言った、暴力団の資金源にもなる可能性が高いような援助交際。これは法的にも倫理的にもアウトな事項です。許される事ではありません」
「おや。その言い方だと、次に来るのは、そう言った犯罪組織の飯の種にならないような援助交際なら、OKと言う事になりますよ?」
流石に日本の最高学府に学籍を置く聡明な学生であるテレージャである。次に島田が続けるであろう言葉を察知したようだった。
「無論、私も最初はそう言う意見の持ち主でした。暴力団の絡みのない、未成年でも働ける性サービスも最初は考えましたが、世界の売春街の事情を見て貰えば解ります通り、大抵そう言った所では暴力団やマフィアと言う存在が裏で活動しています。性サービスとアウトローは、切っても切れないのです」
「その通りだな」、エスデスが肯定する。ゴールデンの時間帯にこんな事言っていいのかと言う表情を白鐘直斗と爾乃美家累は浮かべ、城ヶ崎美嘉は軽く赤面していた。
「そこで敢えて私は、このような発想に至りました」
「それは?」、と急かすテレージャ。一呼吸置いてから、島田が口にする。
「世界に名だたる悪法、淫行条例を撤廃すれば逆に良くなるのではないのか、と」
「は?」
と素っ頓狂な声を上げたのは、テレージャだけじゃなくて、ラウンドテーブルに座る島田以外の全員と、司会役のルシード・グランセニックだった。
唐突に腹にジャブを打ち込まれたような、島田のこの一言に、頭の理解が追い付けていないのだ。
「ギリ中学生に見える小学生とでも付き合えるような法整備が必要だと思うのですが、如何でしょう?」
次に島田の口から飛び出したのは、灼熱の鋼の如き右ストレートだった。
教職と言う聖職者である島田の口から飛び出した言葉に、ラウンドテーブルに座る過半数の人間の表情が恐れ慄いた様な表情を浮かべる。
観客席も島田のこの発言には凍りついたらしく、冬の森の中の、人一人辿り着けない凍結した小池のように静まり返っている。
その静寂を切り裂くが如く、「おい、誰だアイツを招いたの!?」と、集音マイクが怒号を拾った。
カメラの位置から言ってスタッフ、それも番組のプロデューサー級の人物らしかった。島田武がこんな男であるとは、予想外だったらしい。
番組開始十分も経っていないのに、早くも風雲急の体を告げ始めていた。いったい、どうなってしまうと言うのか!?(ガチンコのナレーター)
番外編(前半)の投下を終了します。続きは気が向いたら書きます
エスデスとセージ…………(;゜0゜)
世紀末メンタルじゃないかッッ!!
さらっと家庭内殺人を暴露されてる奴が居るんですけどそれは大丈夫なんですかね?
開催中に朝までゴムテレビが収録される聖杯戦争などいまだかつてあっただろうか
皆様投下乙です
>シャドームーン<新宿>に駆ける
強敵との連戦は流石の世紀王でも手を焼くか
戦うことで活路を開くのを狙う辺りはやはり戦闘凶
>青少年倫理道徳復興委員会
ttp://i.imgur.com/aygr30v.jpg
かなり遅れてしまいましたが、後編投下します
☆セリュー・ユビキタス
突如出現した敵サーヴァントに対し、セリューは即座に両目を見開いてそのステータスを確認した。
特に突出した点はない。敏捷値を除けば全体的に己のサーヴァントに劣る能力の相手だ。
アサシンの強みのスピードも、室内という限定空間に加え数の利も自分達にあるこの状況ならば然程の問題でもない。
実際に、バッターの殴打を浴びて天井に激突し、受身すら取らずに薬品棚へと落下していくではないか。
しかしセリューは、痩躯の男に対し何とも言えない不吉な予感を感じ取っていた。
一目見ただけで看破できる悪人というのは、そうそういるものではない。
ただの市民にしか見えない人間が突如として悪の本性を現したりもするし、どう見ても尋常ではない格好の正義の味方も存在する。
悪党の取り締まりを生業とするセリューは、外見の第一印象に惑わされる事がないよう心がけ、相手が悪と分かれば即断罪してきた。
彼女なりの規律はしかし、目の前のサーヴァントによって脅かされつつあった。
「バッターさん、この敵は……」
「災害のような相手だ。世界をかき回しながらも、目的意識がない。どうやら、悪意だけがこいつに意味を持たせているようだな」
「なになにワニさんwwwそんなナリして〜〜〜〜……心療医かっ!wwwwカウンセラーかっ!wwwwwww病院にはもう寄ってきましたんーwwwwwww」
芸人のような声を上げながら、伏せていたアサシンがビデオ映像のコマ戻しの如く立ち上がる。
押し倒された薬品棚のガラスも、割れた瓶から零れ散った薬液も、バッターの猛撃も、その道化た動作に影響を与えていない。
セリューは、鼻歌を歌いながら踊り始めたアサシンを睨みつける。
あまりにも"人間性"から逸脱したその軽骨ぶりは、到底許容できるものではなかった。
「そこのふざけたアサシン! 貴様のマスターはどこにいる、サーヴァントに愚鈍な振る舞いを許す悪のマスターにこのセリュー・ユビキタスが鉄槌を……」
「だーれが愚鈍だゴルァァァァァ!」
不快も顕わに怒声が走る。一転して凶相を晒したアサシンが、手近な椅子をミサイルもかくやの速度で投擲したのだ。
息を呑むセリューの眼前に、シャドウラビリスが無言で躍り出た。人間の目には光の線が走ったとしか見えない斬影が走る。
大斧によってティッシュ箱から砂塵の一握ほどのサイズまで不揃いに寸断された木片は、セリューと背後で震える真昼に届く事なく地に落ちた。
「アアアアアアアアアアアアア!!!」
「ちょえwwww普通に喋ってもいいんやでーwwwバーサーカーだとしてもwwwwwww」
またも軽薄な態度に戻ったアサシンの挑発を聞いてか聞こえずか、シャドウラビリスが遮二無二吶喊を図った。
戦斧はフローリングに疵痕を残しながら、隙だらけのサーヴァントを脇腹から両断せんと迫る。
致命のタイミングで撃ち込まれた一閃が、アサシンを錐揉みに回転させて跳ね飛ばした。
シャドウラビリスの虚ろな目に、困惑の色が混ざる。その色彩を驚愕へと深める光景が、直後に訪れた。
「じゃんか♪じゃんか♪そいや♪そいや♪」
遠慮ない勢いで地面に激突し、うつ伏せになっていたアサシンが平然と立ち上がる。
バッター、シャドウラビリスというバーサーカークラスのサーヴァント二体の攻撃を受けてもまるで怯んだ様子がない。
最高水準の耐久力を持つ、鉄壁のサーヴァントなのか。否、剛健とは程遠い。
無窮の武錬を誇る、術理極めし求道の英霊だというのか。否、老練には程遠い。
それは偶然……適当にかざした防手や、力を受ける方向がたまたまに最高の結果を生んだかのような埒外だった。
しかし、アサシンは幸運のステータスが高いわけでもない。
セリューのマスターとしての眼力で推し量れない、スキル・宝具に、何らかのからくりがあるのは明白だった。
「はぁ〜〜〜やっぱりバトルってつまらないよねぇ。観戦が一番ッすわ〜〜〜www」
「お前の望みを叶える義理はない。何も見えず、誰にも見られない処へ還るがいい」
普通に考えるなら、得体の知れない能力からは一時撤退して敵サーヴァントの素性を探る、マスターを探し出して暗殺するという選択肢もあるだろう。
しかしバッターはその定石を頭の端にも留めず、兇眼を研ぎ澄ます。バーサーカーとして召喚された彼に、逃げの一手はない。
実力を異能という不確定要素で誤魔化す事が、いつまでも続くはずもない。多面的な攻撃を行えば、いずれは捉えられると判断したようだ。
己のサーヴァントを心の師と仰ぎ、全幅の信頼を置くセリューもまた、悪漢を前に退くつもりは毛頭なかった。
「始原光体アルファ」
ポウ、と光が灯る。何の前触れもなく出現したその球体は、並々ならぬ威容を発散していた。
ただの攻撃ではない―――そう察したのか、半歩下がったアサシンが息を呑む。
光球が、背後からアサシンを抱いている。転移としてもあまりに唐突な、理不尽すら感じる奇襲。
振り払い、真横に飛ぶアサシンに不調が見られた。右手が僅かに麻痺し、視界の半分が暗闇に覆われている。
光球が鎖を放つ。罪人捕らえるべし、とばかりに射出された白銀の鎖は、悪魔を拘束した際の数倍の速度でアサシンに迫る。
「デバフやっべwwwこれ絶対クールタイム12だわwwwwバフ……こっちもバフ…バフ……バ……バ……バード・グォォォォォwwwwwwwwwwwwwwww」
しかし、アサシンの余裕はまるで崩れない。片足を上げ、バレリーナのような動きで鎖を回避して宙に舞い上がる。
同時に、その全身を四条のリングが覆う。一瞬だけ鎧を纏った戦士の姿が映り……消えた。
完全に実体が隠れている。先だっての気配遮断などは比較するにも当たらない隠身術。
不快な笑い声は消えていないにも関わらず、アドオン・アルファは『敵はいない』と判断したのか鎖を引き戻す。
バッターが指示すれば再度の射出は可能だが、その事実はアドオンの強みである自律機能が今のアサシンには有効でないという事を示していた。
マスター二人の背中を冷や汗が伝う。暗殺こそアサシンクラスの真骨頂とはいえ、面と向かった状態でこれだけ完璧に姿を消せるとは。
今セリュー達に攻撃の矛先が向けられれば、サーヴァントの守りも追いつくまい。
「そこか」
「痛ったい! ウッソだろこいつwwwwww」
しかし、セリューの動揺は杞憂だった。
0コンマ数秒の目配りの後、あらぬ方向へ飛び上がったバッターの兇器が見えない何かを殴りつける。
轟音、驚笑と共に風を切って何かが壁に激突した。正体は、人間大の罅痕を見るまでもない。
セリューの目が、バッターの手に握られた数房の赤い髪を認めた。
あの長髪を掴み、引き寄せてバットで殴打したらしい。
汚らわしいとばかりに放られた髪が、追撃に走るバッターの猛進に煽られて四散する。
横顔を通り過ぎる髪を見ても、尚本体の存在は感知できない。バッターにしか見えていないようだ。
「鞭か」
バッターが腰を落とし、直後に彼の背後の壁に亀裂が入る。攻撃すらも、余人には気付かれずに行えるのか。
亀裂の位置から見えない何かが壁をなぞる様に天井に向けて破壊を拡げていく。
鞭のような武器と思しきそれは、再度バッターに向けて振り下ろされる。
セリューがそう理解したのは、バッターが横っ飛びに移動し、直後に床に陥没ができたからだ。
「バッターさん! 一体何が……」
「アムネジア・エフェクトだ。"管理者"の手で魂を変造された生物……ガッチャマンが得る異能の一つ」
「ちょちょちょwwwおかしいでしょwwwwなんで知って」
「お前の固有能力は特に万能だ。その本性がなければ、浄化が困難な存在だっただろうな……ベルク・カッツェ」
「……何だ、お前?」
真名を明かされたアサシン―――ベルク何某が、笑みを止めた。
セリューには見る術もないが、表情も恐らく笑ってはいまい。
バッターからの悪気ない軽視を察して苛立ったのか、材料すらなく真名を看破され不気味に感じているのか。
後者だとしたら、逃亡の恐れもある。セリューは番場に耳打ちして、シャドウラビリスに対し出口を固める指示を出すよう提言。
その間、バッターと姿なきアサシンは睨み合いを続けていた。
セリューの思考は未だ至っていないが、バッターがアサシンの素性を看破し得た裏付けは彼の持つ対霊・概念スキルと真名看破スキルにある。
戦闘開始の瞬間から、バッターはアサシンの真名を探り当ててその英霊歴を知ることで先手を取るべく、"ワイド・アングル"による看破を試みていた。
だが、アサシンの第一宝具が、バッターの狙いを崩すべく、真名秘匿の効果を発揮してそれを妨害していた。かの幸災楽禍は、特定の条件下において万能である。
こと騒乱・扇動を引き起こす為ならば……この場合は、バッターの実力を引き出して<新宿>を更なる狂騒に導くに足る存在かどうか見極める為にならば。
不発に終わった兇眼、しかしバッターはその眼光を緩めなかった。否、彼のアイデンティティゆえに、その暴力的な両眼は常に魔貌と共にそこに在ったのだ。
アサシンが最大戦闘力を発揮する姿、Gスーツを纏うガッチャマンへと変じた際に、その愚直なまでの選択が功を奏した。
ガッチャマンとして真っ向から戦う時、アサシンの力は確かに増すが、英霊としての本領を発揮できるとは言い難い。加えて、精神に常時の物とは別の異常を抱えていたのが災いする。
数多の文化を崩壊させた、宇宙をホームグラウンドにしながらも地球の英霊史に刻まれる規格外の道化……それ程の存在が一瞬見せた濁りが、バッターを彼の真名へと辿り着かせた。
真名が明らかになり、敵がガッチャマン……神に近い存在により、生前でありながら魂を加工された"霊"の属性を持つ相手と分かれば、対霊・概念スキルが活きてくる。
磐石のはずの気配遮断スキルは感知効果によって意味を成さず、肉持たぬ霊・魔・概念……優先して浄化すべき存在に対し、サーヴァントとしての霊器は強靭さを増していく。
「バッターさん、ステータスが凄い事になってますよ! 今こそ正義の鉄槌を!」
セリューが歓喜の声を上げる。それに応えるかのように、殺人バットが常時に倍する魔力を帯びた。
あまりにも狭いグラウンドを、バッターが進塁する。命というボールを、いかなる球種で逃げようと打ち果たす為に。
☆ベルク・カッツェ
カッツェもまた、セリューと同じく歓喜に心を震わせていた。
変な女の言うがまま、らしくもないガチバトルを挑んだ目的は達成されつつあった。
ノリの悪い、心の揺るがない、スカした気に食わないワニ野郎ではあるが、このサーヴァントは最高だ。
悪逆の徒であるカッツェは敏感に、バッターから発散される濃厚な『悪意』を感じ取っていた。
本人がどう思っているかまでは知らないが、挙動、言動の全てが暴力によって思いを遂げる外道のオーラを帯びている。
浄化がどうのと言っていたが、カッツェから見ればバッターの願いは破壊・粉砕・滅却。"全てを台無しにする"事に他ならない。
「うおおおおwwwみwwwwなwwwwぎwwwwっwwwwてwwwwwきwwwwwたwwwwwwwwww」
場を盛り上げるために一旦我慢して下げたテンションが再び最高潮に達する。
これこそ、ベルク・カッツェが求めていた展開だ。
未開の猿が踊る様は見ていて楽しいものではあるが、あの美影身に注がれる己の思いを止めるには至らない。
ならば、同じサーヴァント……それも自分と同質の存在から悪意を浴びるという手はどうか。
その試みは見事に成功し、彼の心には再び悪意の灯火が揺らめき始めていた。
「ミィはwwwwミィは元気ですwwwwwwwwww故にダッシュで脱兎wwwwwwwww」
カッツェのGスーツが、残像を残して廊下へ続く扉に駆け出した。
アムネジア・エフェクトを考慮に入れなくとも、サーヴァント以外には目でも追えない疾走。
だがそれを阻むように、マスターからの命令を受けていたと思しき機械少女のサーヴァントが行く手を塞いでいた。
速度を落とす事なく飛び上がる。バッター以外には、未だ気配遮断の効果は継続しているはず。
相手の防御など考慮に入れない、カッツェの全力の飛び蹴りがシャドウラビリスに迫り、同時にバッターが呟いた。
「撃て」
「アアアアアアアアアアア!!!!!!」
ビクン、と痙攣したようにシャドウラビリスの腕が跳ね上がる。
自分に向けられている拳を見てカッツェが身を捩ると同時、シャドウラビリスの肘先から青い蒸気が噴出された。
猛烈な勢いで放たれた攻撃の正体を、空中で反転する視界の端で捉える。その鉄塊は、華奢にも見える前腕だった。
鼻先を掠めるチェーンを、尻尾を変化させた鋭鞭で切り払う。ゴトン、と前腕が床に落ちる音がした。
からくり仕掛けの戦士も、サーヴァントであれば整備は必要ない。魔力さえ供給すれば破損した箇所を補うことはできる。
しかし、機構として霊器に染み付いた前提はある。カッツェとて、NOTEを破壊されれば仮に無限の魔力供給があっても消滅は免れない。
チェーンパンチもまた、線を断たれれば糸を繋ぐまでは本体に戻れないのが道理。
片腕を失ったシャドウラビリスを一蹴しようと回り込む。反応している様子はない。
ロケットパンチが放たれてから2秒半が経過しているが、バッターは急ぐ素振りもなくこちらへ歩いてくるだけ。
カッツェがシャドウラビリスの横面を殴り飛ばすのを阻む要素は、何一つないはずだった。
「ないはずだったーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwぐええええーーwwwwwwwwww」
脇腹に鋼の感触が押し当てられていた。Gスーツが凹むほどの衝撃がカッツェを横転させる。
もんどりうったカッツェの目に映ったのは、空中で何の助けもなく浮かぶシャビリスの前腕。
ありえない光景だが、未だカッツェの喜悦を崩すには至らない。
「どういうことなのwww」
「餓えた鉄の豚には、過ぎた"エサ"を与えただけの事だ」
倒れ伏すカッツェに向けてか、シャドウラビリスに向けてか、バッターが唸った。
見れば彼女の肘先、ロケットパンチの射出口から光が走っている。
その光には、カッツェも見覚えがあった。バッターが侍らせていた光球の輝きに酷似しているではないか。
聖霊を思わせる威光が、彼女とその腕を繋いでいた。本来の機能を失ったチェーンは一瞬で錆びて、赤砂へと成り果てた。
耳を澄ませば、微かに歌劇が聞こえる気がした。光に乗って、迷宮に封じられた牛頭の王子の嘆きが轟いている。
アームがシャドウラビリスの頭上まで浮遊し、掲げられた肘先に再接続される。
身切れた箇所から漏れていた光は……聖霊の具現たる白き光は彼女の左目から一握だけ噴出して消えた。
右目には、黄色い破壊衝動の光が変わらず宿っているが、光を失った左目は正気の色を取り戻している。
機械少女のマスターが息を呑む気配がした。カッツェは、バッターの言葉の意味するところを理解した。
「なるwwwwサーヴァントをアップデートしたってわけですかwwwwwwww」
アサシンの女から得たバッターたちの情報と、実際に戦闘に入った印象を照らし合わせ、疑問に思っていた点があった。
それは、『あまりにも、無難に戦闘が進みすぎる。』―――という事。
バーサーカー同士が同盟を組むというのが、まず異常な事態なのだ。
だというのに互いに足を引っ張り合うこともなく、各々の役割を守っている。
異常ながら理性を残すバッターはともかく、シャドウラビリスにはマスターの細かい指示を受けることなど出来そうには見えない。
同盟を組んだ後、バッターが狂犬の手綱を握る為に何らかの手段を講じたのではないか、とは薄々勘付いていた。
気弱そうなマスターに令呪を使わせた、といった所ではないかと予想していたが、実体は想像を超えて驚嘆に値する。
カッツェにはあの光体の本質を推し量る程の知識はないが、それが自律している事は挙動から読み取れていた。
あのセベクの如き悪鬼は、知性を持つ霊体を仲間の霊器に直接組み込む事で、暴走の危険を軽減させたのだ。
英霊の矜持を理解する存在であれば忌避するであろう暴挙を平然と行うバッターは、やはり聖者などではない。
"自分と同じ存在"に相違あるまい、とカッツェは得心する。
「そこの可哀想なバーサーカーちゃんには、個人的に同情を禁じ得ないwwwww君には負けたよwwwwwwww許してwwwwww」
「姿は見えないけど、どうせ神妙な顔なんてしてないんでしょう! 惑わされずに正義執行してください、シャドウラビリスさん!」
「そ、それでお願いする……ます……」
「EEEEEE……εεεεァァァァ!!!!! 死……んド……きナ……!」
「ええええwww負けを認めた相手に攻撃とかwwww死体蹴りかwwwwww」
いやこれは第二ラウンドだ、とばかりに大斧を顕現させ、躊躇なく振り下ろすシャドウラビリス。
だが、その攻撃は地面を穿つ。カッツェはこの戦闘が始まってから一度も動揺していない。
全ては目的を―――バッターの悪意を堪能し、自分を取り戻すという目的を達成する為のお遊び。
幸災楽禍の加護が、『カッツェ自身の悪意』という騒乱に対する最大の火種を大火に導く為、その真価を発揮する。
極限まで上昇したカッツェの敏捷値は、強化されたバッターとシャビリスのそれをゆうに凌駕した。
バッターの目の前に、玩弄のGスーツが超高速で移動していた。
シャドウラビリスの攻撃の余波に対応しようとしていたバッターが、初めて虚を突かれる。
この隙を生む事だけが、カッツェの狙いであった。
バッターの悪意をより深く理解し、あの美影身の痕跡を完全に消すのだ。
「ミィは本当反省ぽんwwwwwww熱いベーゼで仲直りんwwwwwww」
Gスーツを脱ぎ捨て、バッターの厚い胸板にしな垂れかかる。
粘膜接触によってこそ相手の内面を深層まで理解できるという己が持論に従って、カッツェは鰐の下顎に唇を這わせた。
不浄不遜の接吻が、女三人の視線を引き付ける。理解不能な感情が飛び交う中、カッツェとバッターだけが、共有した"それ"を見ていた。
――――――――――――――――――――――――――― スイッチは OFF になった。
☆バッター
「―――"見たな"」
問いに、答えは返されなかった。
土石流のように流れる嘔吐物を眺める。
自分と同じ姿になった道化が垂れ流す、後悔と絶望の混合物。
道化は、『信じられない』といった目つきで、こちらをただ見ていた。
不快な哄笑が聞こえなくなったのはいいが、全く不愉快だ。
「両目とも、恐怖で満たされた目だ」
かって、同じ言葉を吐き捨てた。その時と同じ思いを抱いている。
いや……自分自身の眼は、あの子のそれよりも……。詮無き事だ。
自分を模した"迫り来る災害"が、こちらから距離を取ろうとしている。
一歩、進む。二歩、退がられる。一歩、進む。二歩、退がられる。
鏡写しの存在は、必然的に離れていく。己の全体像が見える。
「ミィは……てめえは……」
「既に、"通り過ぎた災害"だ」
搾り出すように呟く道化に、繋がりを感じる。
目の前の存在は、自分の全てを知った。
あるいは未来永劫現れることのない、バッターという存在の真なる理解者なのかもしれない。
それでも、浄化は成されなければならない。神聖なる任務を果たさねばならない。
「『Demented Purificatory Incarnation ――――』」
バットを、脇に放る。
好んで使う武器ではある。だが、浄化は血塗られた両手の爪で行うべきだろう。
バーサーカーのサーヴァントとして召喚されたが故の、縛りのようなものだ。
迷い子に預けたエプシロン以外のアドオン球体を出現させる。
際限なく輝きを増す一対の父と子、アルファとオメガ。
セリューが、指示通りに退避を始めた。間に合えばいいのだが。
目の前の存在に歩み寄る。もはや、逃げる術はない。逃がす意思もない。
爪が届く位置まで来た。様子を窺う鉄の女の廃熱音だけが部屋に響く。
鰐の顔を天に向ける。唾吐く事なく、ただ牙のみを見せ付ける。
「―――― 『The Batter』」
自身の真名と共に、宝具の真名を解放する。不要な動作こそが、必要な運命を手繰り寄せるのだ。
この地を浄化させるという意思が世界を包む。楔となる存在を抹消する事で、人理を天意で塗り潰すのだ。
周囲が白く染まっていく。ベルク・カッツェが<新宿>に置いて占める何十分の一かを、白い世界に変えるのだ。
かって、ガーディアンを倒した時と同じように広がる光。"何か"を切るように、爪を振り下ろす。
しかし、その結果は。かってのそれとは、別の物になった。
☆セリュー・ユビキタス
『俺はバーサーカーだ。お前というマスターを護るのは向いていない』
バッターの言葉を思い出しながら、セリューは全力疾走で薬局の廊下を駆ける。
光球……バッター本人にも正体が分からない、"象徴する何か"がその光度を激しく増したのは、合図だった。
あの合図を見たら、どのような状況であれセリューはバッターから迅速に距離を取らなければならない。
世界に対する管理者……この<新宿>という閉鎖世界においては、自分達に対し討伐令を出した主催者か。
それらに致死の一撃を加えることで、バッターという存在"そのもの"である宝具は発動する。
バッターの言う浄化とは、具体的にはその宝具の発動によって世界を悪のない場所へと変えることを指すらしい。
生前にガーディアン、という存在を倒した時にはその支配下にあったエリアが一度に浄化されたという。
そこまで語ったバッターが、思い至った仮説があった。
契約者の鍵を見るまでもなく、サーヴァントの召喚に主催者の助力があったのは明白だ。
セリューや番場に、魔術的な知識は一切ない。魔術師としての素養も最低ライン上であろう。
『サーヴァントとして召喚された英霊に何か仕掛けをしているかも知れないし……相争わせて最後の一人を決めるという
聖杯戦争の形式からして、サーヴァントが脱落する事に彼奴等の狙いが隠されている可能性は高い』
故にサーヴァントはガーディアンと同じ特性を持ち、管理者の権能の一旦を分け与えられているのではないか。
バッターの"浄化"によってサーヴァントを倒した時、この<新宿>のエリアの一部が浄化できるのではないか。
それを続けていけば、主催者に接触する機会も生まれるのではないか。聴くセリューは、相槌を打つのが精一杯だった。
セリューにとってはまったく畑違いの事というのもあり、とりあえず記憶だけして理解は後回しにしたのだが……。
背後に迫る神聖な気配を感じて、頭ではなく心で理解できた。バッターの推測は正しかったようだ。
「あれが、バッターさんのいう浄化された世界! 凄い!」
善も悪もない、等と謙遜していたが、セリューが背中から感じる新世界の鼓動はまさしく正義の為のもの。
悪の念が全くないあの世界には、きっと正しさが満ち溢れることだろう。しかし、今は見惚れている暇はない。
浄化に巻き込まれていく薬局の壁や床は一瞬で色を失い、"死"を連想させる。
飛び回る蝿も同様で、地に落ちて本来の色を失ったその姿からは意思の力が希薄に感じる。
魂が抜けかけている、とでもいうのか。目障りで不潔な蝿も、魂魄だけとなれば嫌悪感もなくなる。
人間もああなるとすれば少し物悲しくはあるが、悪が蔓延る現状の世界よりは遥かにマシというものだろう。
正義の意思を持つ罪なき者ならば、たとえ肉体を失っても健全な魂だけが住む社会を作り上げられると、セリューは信じていた。
とはいえ、今自分がああなるわけにはいかない。胸に燃える正義の炎を静めるとすれば、バッターと共に浄化を成し遂げた後だ。
「くっ……!」
だが、セリューの足取りは平時より重い。普段なら20秒もあれば抜けられる距離を、1分かけても半分しか移動できていない。
戦闘の余波で廊下が歪んで足場が悪く、さらに番場の手を引いているという事もあるが、バッターに供給する魔力の消費が主な原因だった。
バッター自身が持つ魔力が豊富な為、これまで感じたことの無かった消耗。
宝具が効果を発揮したからというだけでなく、シャドウラビリスと融合した光球に魔力が流れる感覚もある。
理性を僅かに取り戻したとはいえ、遠慮も躊躇もなく暴れるのが彼女だ。
アドオン球体の力を憚ることなく振るい、浪費しているあおりがバッターのマスターであるセリューに来ているのだろう。
バッターが浄化に全霊を傾けている今になって初めて感じたということは、普段は彼がこの消耗を肩代わりしているのか。
そう思うと、突き放したような態度を取る事もある己のサーヴァントへの信頼が増し……申し訳なくも感じる。
「あっ!?」
「セ、セリューさん」
足を掴まれたような感覚と共に、セリューが転倒した。
足元に目をやるが、躓くようなものは何も無い。断続する眩暈のせいか、と結論付けて立ち上がる。
あと十歩も駆ければ、薬局からは抜けられるだろう。だが、浄化がどこまで広がるかも分からない。
太ももに活を入れようとして、薬局から抜け出る前に浄化に追いつかれると悟る。
番場を見捨てて一人で逃げればそれを先送りには出来るだろうが、根本的な解決にならない。
一度保護すると決めた相手を切り捨てるなど、正当な理由も無く出来るセリューではなかった。
せめてと番場を抱き寄せ、自分の後ろに回らせる。浄化の見えない壁と対峙しながら、セリューの心に様々な思いが去来していた。
事を成せなかった無念もある、浄化を受ける不安もある。しかし何よりも、自分を信頼してくれたバッターの期待に応えられないのが悲しい。
「―――――ッ!?」
頬を伝う涙が、ぴちゃんと肌の上を跳ねた。
浄化の衝撃ではない……暖かい手が、愛しむようにセリューの耳を、額を、髪を撫でている。
視界に映るその手は、背後に居るはずの番場の物ではない。
困惑するセリューの耳に、鈴を転がすような美声が届いた。
「……やはり、手入れが足りませんね」
言葉の意味を考える間もなく、何かに引っ張られるような感覚がセリューを襲う。
番場の悲鳴が聞こえる、と気付いた直後、視界は一変していた。
屋外……薬局の反対側の歩道に、セリューはいた。膝の上では番場が目を回している。
浄化は薬局を丸々覆ったところで止まっていた。諦めた自分を恥じるセリューの背後から声がした。
「貴女のサーヴァントの力……なのでしょうが、凄まじい物ですね」
聖杯戦争の関係者―――そう気付き、弾かれるように向きなおる。
視界に捉えた女性は、御伽噺から抜け出したような美しさのサーヴァント……またもやアサシンだった。
柔らかい笑顔からは、敵意は感じられない。だが、油断は禁物だ。
バッターも、討伐令を出された自分達を狙う主従に注意しろと言っていた。
警戒の視線を飛ばすセリューに構わず、女性は更なる言葉をかけてくる。
「そう身構えなくてもいいでしょう。私は貴女の首を取りにきたわけではありません」
「その言葉を信じる根拠がどこにある」
「もう見せていますよ」
女アサシンが、白磁のような右手人指し指を唇に当ててセリューに示す。
指先には水滴が乗っていた。右手の中指に填められた指輪に、見覚えがある。
「私の能力で、貴女の窮地をお助けさせていただきました」
「自分の手で仕留めなければ、討伐報酬を得られないと思っての行動でないとは言い切れない」
「疑り深いですね」
じりじりと後ずさるセリューをにこやかに見つめながら、女アサシンは言葉を続けた。
「私がそのつもりで労力を割いたのなら、悠長に喋って好機を逃すような真似はしませんよ……ほら」
「!」
女アサシンが指差した先……薬局の扉が、巨大な腕に内側から破られる。
地面を掴み、這いずるように建物を破壊しながら現れたのは、上半身だけの雄牛の怪物だった。
両肩には、バッターとシャドウラビリスが騎乗している。バッターはもちろん、シャドウラビリスも浄化の影響を受けていない。
アドオン球体を取り込んだ恩恵か、と番場に安堵するよう伝えようとしたセリューの傍らに、いつの間にか近寄って来た女アサシンがいた。
番場の頭を撫でるその姿からは、悪意は感じられない。セリューは、この女アサシンを信用することにした。
雄牛が消え、バッターが猛然とこちらに駆け寄ってくる。問答無用で振り下ろしたバットは、しかし女アサシンに当たることはない。
その一撃が地面に向けられていたにも関わらず、アスファルトに破壊がもたらされていない様には、見覚えがあった。
「わかったわかったwwwwwもう本当にミィの負けでいいなりwwwwwwwwww」
嘲笑が遠ざかっていく。セリューが息を呑み、バッターを見遣る。
あの状況から、赤髪のアサシンは浄化から逃げ仰せたというのか。
「無事だったか、セリュー」
「は、はい。こちらのアサシンさんに助けられて……それより、浄化は発動してるのに何故あっちのアサシンは!?」
「霊魂を七割ほど削ったところで、奴が受肉している事がわかった。これは、サーヴァントとしてはありえない。ヒトの原型、アダム・カドモンに近い存在だ」
霊核の粉砕を消滅の目安として破壊を進めていたバッターの疑念に乗じ、本来在るべき霊核を持たないアサシンは宝具を展開、逃げおおせたという。
女アサシンに険しい視線を配りながらも、バッターはセリューにこれは重要だぞ、とばかりに言って聞かせる。
「浄化の範囲も異常に狭すぎる。奴は俺たちとは違い、聖杯戦争の主催者に召喚された存在ではないかもしれない」
「やはり……」
女アサシンの呟きに、バッターが眼光を強める。
仲裁しようと口を開きかけるセリューだが、ここは思いとどまった。
たまたま通りかかってセリューの危機を救った、などという事はありえない。
この女アサシンも、先の騒乱に一枚噛んでいる可能性は高い。
バッターもまた、その言質を取ってから対応を決めたいようで、相手の言葉を促すように首を鳴らした。
「私がここに来たのは、メフィスト病院を調べる為ですが……貴女方の内偵も、進めさせていただいておりました」
「アサシンならば妥当な動きだ。俺たちの情報を探り、何を企んだ」
「NPCを大量に殺しているという布告が真実かどうか確かめ、悪党の類なら誅罰を与えようと考えていました」
「それは誤解です! こんなおかしな討伐令を出す連中に騙されないでください! 私達は正義です!」
セリューが純粋な瞳で訴える。女アサシンは「わかっていますよ」と短く告げて、バッターを、そして無色に変貌した薬局を見た。
「真っ当な英霊ならば、褒章をぶら下げられたからといって討たれる謂れなき者を追ったりはしません」
「俺たちに討たれる謂れがない、と判断した理由があるのか」
「貴女たちが殺めたNPC、今朝の時点では121名、現時点では123名でしょうか? それら全てが、悪漢やその庇護を受けた者や……悪魔の類でしたからね」
女アサシンがバラバラ、とバッチのような物を落とす。ヤクザの代紋……全てセリューたちが潰してきた組のものだった。
聖杯戦争が始まって半日の間に起きた戦闘で討ったNPCまで把握されているのには、セリューも驚いた。
ここまで調べがついているのなら、自分達が正義の味方だということは誰にとっても明白だろう、と頷くセリュー。
だが、バッターはそう単純でもない。完全に動向を把握されている手段を置いても、目の前の女を信用できないと直感していた。
「セリューを助けたのは何故だ」
「打算ですよ。正義の使徒たる彼女とその仲間たちなら、私の懸念を祓う力になってくれるのではないか、と思いまして」
「一体どんなお悩みが? 主催者を倒すなら、是非……」
「それ以前の問題です。あのアサシン……ベルク・カッツェ。あの英霊は、本来サーヴァントとして魔術師に召喚できるようなものではありません」
それについては、バッターも同感だった。アレを御せるマスターなどいるはずもない。
自分の意思、または英霊より上位の存在に招かれなければ、召喚に応じるはずもないだろう。
聖杯という願望器でもなければ不可能であろう受肉を果たしていることから、後者の可能性が高い。
それが主催者の手によるものでないとすれば、事態はあまり面白くない。
「星亙りの災禍を召喚した者に、心当たりでもあるのか」
「御名答です。あれを召喚した者はメフィスト病院にいます……召喚した時刻は、今日の13時過ぎ。場所は、同じくメフィスト病院」
「えっ!? さっき潜入して捜査したけど、そんな気配は」
「召喚の瞬間、あの病院内に居なければ……そして、サーヴァントでなければ、察知は困難だったでしょう。しかも、カッツェ以外にも数体が召喚されているようです」
バッターが、カッツェの無意味な言葉の中に『病院』に寄った、というフレーズがあったと思い出す。
「街に蔓延る汚鬼や羅刹の根源ではなかったが、やはり唯の道楽でもなかったというわけか」
「令呪の縛りがないサーヴァントの厄介さは、それらの比ではないでしょう。このままでは、この街は魔界の有様になりかねません」
「バッターさん! いますぐメフィスト病院を攻めましょう!」
「落ち着いてください、セリューさん。まだ話は終わっていません」
女アサシンはハンドバッグから一枚の紙を取り出し、セリューに手渡した。
<新宿>の地図であり、多数の黒点と少数の赤点が書き込まれている。
「この地図には、先ほど話題に出た悪魔の出現ポイントと、その周辺を探索して私がサーヴァントの気配を感じた位置を記しています」
「こんなに沢山……」
「貴女方を見つけたのと同じ能力での調査ですので、信憑性はあると思いますよ。……もうお解かりでしょうが、私の懸念とはこの無軌道な連中が
聖杯戦争そのものを破綻させ、NPCとはいえ無辜の民が血の海に沈むことです。それだけは、なんとしても止めたい」
「お前が惨劇を止めるための熱意を持ち合わせているようには見えないが」
「恥ずかしながら、若さを失って青春の情熱を保てなかった人間でして」
「いえ、まだまだお若いですよアサシンさん! 一緒に悪党を倒しましょう!」
「そうですね。でも私は、ベルク・カッツェ以外の病院産サーヴァントの足取りを追わなければならないので一旦……」
「ならば、俺たちはお前が調べた場所に赴こう。協力を感謝する」
だが、お前はここで浄化する―――その言葉を呑み込んで、バッターは女アサシンに向かって歩を進めた。
対霊・概念スキルは反応していない。このサーヴァントは、汚された魂の徒ではない。だが、度し難い毒婦だ。
バッターはこの女を浄化せねばならぬと強く直感していた。セリューを納得させる手間を考慮しても、今消せるならば消すべき相手だと。
迫るバッターの足を、女アサシンが止める。たった二言の呟きで。
........
「ああ、そうだ。バッターさん」
セリューも口にせず、本人も名乗らなかった真名を事も無げに呼ぶ、最初の呟き。
...................
「あなたの家族が来ていますよ」
そして最後の呟きは、バッターの思考を一瞬止めた。いかなる驚愕にも、いかなる疑念にも揺るがなかった、<浄化者>の思考がコンマ1秒にも満たぬ間凍りつく。
バットに手を伸ばした次の瞬間、女アサシンは消え遂せていた。霊体化しての移動、追えばあるいは捕らえられるかもしれないが、リスクの方が大きい。
訝しむセリューを「行くぞ」と促して、バッターは一瞬の凍結を過去の物とした。あの言葉が想起させた"それ"は、もう終わっていることだ。OFFになった結末以前の話だ。
自分の内面を完全に模したベルク・カッツェですら、"それ"に辿りつく事はない、人理から抹消された点に過ぎない。観測できるのは、同じく人理から消えた者のみ。
ほとんどの英霊は親、あるいは妻、そして子を持つヒトの大系に属する。天や地の属性にも、無から生まれた存在はそう多くない。
女アサシンは、大概の英霊が共通して持つ過去を揺さぶり、察した危険を脱しただけだ。バッターは至極冷静に結論付け、歩き出すのであった。
【四谷、信濃町(メフィスト病院周辺、薬局前)/1日目 午後1:45分】
【セリュー・ユビキタス@アカメが斬る!】
[状態]魔力消費(中)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]この世界の価値観にあった服装(警備隊時代の服は別にしまってある)
[道具]トンファーガン、体内に仕込まれた銃 免許証×20 やくざの匕首 携帯電話
ピティ・フレデリカが適当に作った地図 メフィスト病院の贈答品(煎餅)
[所持金]素寒貧
[思考・状況]
基本行動方針:悪は死ね
1.正義を成す
2.悪は死ね
3.バッターに従う
4.番場さんを痛めつけた主従……悪ですね間違いない!!
5.メフィスト病院……これも悪ですね!!
[備考]
遠坂凛を許し難い悪だと認識しました
ソニックブームを殺さなければならないと認識しました
女アサシン(ピティ・フレデリカ)の姿形を認識しました
主催者を悪だと認識しました
自分達に討伐令が下されたのは理不尽だと憤っています
バッターの理想に強い同調を示しております
病院施設に逗留中と自称する謎の男性から、<新宿>の裏情報などを得ています
西大久保二丁目の路地裏の一角に悪魔化が解除された少年(トウコツ)の死体が放置されています
上記周辺に、戦闘による騒音が発生しました
メフィスト病院周辺の薬局が浄化され、倒壊しました
番場真昼/真野と同盟を組みました
【バーサーカー(バッター)@OFF】
[状態]健康 魔力消費(中)
[装備]野球帽、野球のユニフォーム
[道具]
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:世界の浄化
1.主催者の抹殺
2.立ちはだかる者には浄化を
[備考]
主催者は絶対に殺すと意気込んでいます
セリューを逮捕しようとした警察を相当数殺害したようです
新宿に魔物をバラまいているサーヴァントとマスターがいると認識しています
自身の対霊・概念スキルでも感知できない存在がいると知りました
女アサシン(ピティ・フレデリカ)を嫌悪しています
『メフィスト病院』内でサーヴァントが召喚された事実を確認しました。
…………………………………………
【番場真昼/真夜@悪魔のリドル】
[状態]健康
[令呪]残り零画
[契約者の鍵]無
[装備]学校の制服
[道具]聖遺物(煎餅)
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:真昼の幸せを守る。
1.<新宿>からの脱出
[備考]
ウェザー・リポートがセイバー(シャドームーン)のマスターであると認識しました
本戦開始の告知を聞いていませんが、セリューたちが討伐令下にあることは知りました
拠点は歌舞伎町・戸山方面住宅街。昼間は真昼の人格が周辺の高校に通っています
セリュー&バーサーカー(バッター)の主従と同盟を結びました
【シャドウラビリス@ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ】
[状態]健康、魔力消費(小)、Add-On(ε)により霊器強化(若干の理性獲得、(ε)のアビリティの一部を使用可能、チェーンナックルが無線パンチに変化、ステータス向上)
令呪による命令【真昼を守れ】【真昼を危険に近づけるな】【回復のみに専念せよ】(回復が終了した為事実上消滅)
[装備]スラッシュアックス Add-On(ε)
[道具]
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:全参加者及び<新宿>全住人の破壊
1.全てを破壊し、本物になる
[備考]
セイバー(シャドームーン)と交戦。ウェザーをマスターと認識しました。
メフィストが何者なのかは、未だに推測出来ていません。
理性を獲得し無駄な暴走は控えるようになりましたが、元から破壊願望が強い為根本的な行動は改めません。
ステータスが以下の値に向上
筋力C(A) 耐久C(B) 敏捷C→B(A) 魔力D→B(A) 幸運D→E(E) 宝具B
☆ピティ・フレデリカ
『えー! 師匠はライブ見に来ないのねー? こっちはもう会場に着くのよー』
「ええ。急用が出来てしまって。でも、動画サイトとかで中継しているんでしょう? 活躍、期待していますよ」
『師匠に借りた最新のギターが唸るよ! うおおおお!』
ギィィン、と電話の向こうからけたたましい音響が鳴り響く。
今朝会ったばかりの相手に対するとは思えない馴れ馴れしさ、いやこれは親しみ深さというのか。
ともかく、1NPCの少女のハイテンションぶりに、ピティ・フレデリカは頬を緩めた。
早朝、彼女はメフィスト病院に患者として送り込んだ男の周囲から少しずつ髪の毛を収集、映像を切り替えて内偵を進めていた。
奇病難病の患者を優先して取捨選択し、メフィストが直接診察したという少女に目を付けた矢先の事だった。
見舞い客の中に、自分の知る外見をしたNPCが居た。魔法少女として薫陶を与えた愛弟子、トットポップと瓜二つの少女だった。
自身が英霊となった今、驚くほどのことでもないが、本来の彼女は故人である。B市での騒動の際に、暗殺屋に殺されたのだ。
「私と同じ名前のアイドルもいるとか。よければ、サインでもお願いしておきましょうか」
『オーケーオーケー。弟子として師匠のお願いを聞くのは当然のことだものね』
「では、失礼しますね。宮ちゃんにもよろしく」
電話を切って、嘆息する。当然の事だが、トットポップに似たNPCは魔法少女ではない。外見と性格だけ同じの別人だ。
しかしそれでも、その似姿を見たフレデリカはいてもたってもいられなかった。
マスターが学校に行って一人きりだったという事もあり、リスクは承知の上で家を飛び出し、メフィスト病院の周辺で待ち伏せた。
偶然を装って接触した瞬間は、感極まって言葉も出なかった。フレデリカにとってトットポップは愛弟子の一人、というだけの相手ではない。
彼女の死が、自分を見つめ直して新たなステージへ進む切欠となったのだ。
生前の彼女を、NPCとはいえ生きている彼女と照らし合わせる事であの時の最初の想い……弟子への打算なき愛情を再認識する事が出来た。
それだけでも、<新宿>に来て良かったと言えるだろう。後は、あの時の第二の感情、弟子を殺された怒りを反芻する事が出来れば最高だ。
トットポップのNPCはギターの技量を完璧には再現していないようで、魔法少女として強化された身体機能・感覚機能をフル活用、
更にトットポップとの交流の中で記憶していたギターの奏術を再現する事で、謎の占い師ルック流れギタリストとして心酔を得ることが出来た。
師匠、師匠と呼んでくる可愛らしい姿にうっとりしながらも、彼女が独自に計画していたライブ乱入計画に色々と入れ知恵を行った。
二日前まであのライブに出るアイドルのマネージャーの髪がコレクションの中にあり、ライブ会場の詳細は記憶していた。
不慮の事態でマネージャーが死亡した際の映像を見て、担当アイドルの一人……奇しくも自分と同じ名を持つ少女に興味を持ち、色々と調べていたのが役に立った。
今日のライブも興味深く見物させてもらうつもりだったが、更に楽しみが増えたわけだ。
「……おっと、いけませんね。愉悦ばかりに気を取られず、サーヴァントとしての勤めも果たさなくては」
まずは、カッツェへのフォローだ。水晶玉を取り出しながら、携帯で電話をかける。
バッター達との戦闘の中で散らばったカッツェの毛髪を、セリューを救う際に回収しておいた。
ベルク・カッツェの素性を、その姿を見るだけで看破できたのは、彼の英霊に髪にまつわる逸話があったからだ。
『人の子に髪を切られ、取り込まれた』という逸話が。
しばらくコール音が続き、電話を取ったカッツェは意外と上機嫌だった。怖ろしい英霊だ。
『おいすーwwww』
「御無事でしたか。どうでしたか、件のサーヴァントたちは?」
『最ッッッ高に胸糞悪かったんだけどーwwwwwwwとんでもない奴に嗾けやがって、月夜の晩ばかりじゃねーぞwwwww』
「乱星の魔人、ベルク・カッツェほどの御方の力をお借りして対価を払わない、などとは言いません。これからは背中に怯えて過ごすとします」
『その隙だらけの背中でよく言えたものだな(キメ声)。wwwwwwwwwwwwそのうち見つけて遊びにいっちゃいますよーんwwwww』
心底楽しそうに嘲弄言語を投げかけ、通話を切断したカッツェは、フレデリカの居場所から半キロ程離れたビルの屋上に立っている。
バッターから全力で離脱し、深手を負っているがそれを欠片も匂わせないのは流石というべきか。
水晶玉でカッツェの動向を確認しながら、感心して両手を打つフレデリカは、怯えとは無縁であった。
「さて、こちらは……成る程、メフィスト病院に突撃してもらってもよかったけど……」
セリューに水晶玉のチャンネルを切り替え、バッター達が自分の渡したデタラメな地図に示された地点に向かっている事を確認する。
バッターはフレデリカが自分を利用しようとしている、と気付いたのか、バーサーカーならではの狂気からか、フレデリカを殺そうとしていた。
それを察して虚言で混乱を生じさせて逃走することに成功したフレデリカであったが、バッターたちがこう動く事は予想の範囲内。
彼らは、「目的の為に」「殺す」というシンプルな思考で動いていながら、その目的が他者に理解不能という壊れた歯車のような存在だ。
軌道がシンプルなのだから、多少疑わしい相手からの情報でも一応確認に向かうだろうとフレデリカは予想し、見事的中した。
「聖杯戦争を勝ち抜く為に、自分達を利用しようとしている……くらいの読みでいてくれればいいのですが」
協調という言葉から最も遠い位置にいるバッターとも、物分りがいいようでいつ爆発するか分からないセリューとも、一緒に行動することは避けたい。
あの主従が、件のライブ会場に介入するのは出来れば避けたかった。狂人が相手では、弟子を殺されて怒る正義の魔法少女が絵にならない。
その手の展開の怒りの対象としては分かりやすい悪人がベスト。次点で、悲しくも望まぬ力を与えられた悲劇のヒロインなどもいいだろう。
よって、ライブ会場から露骨過ぎない程度に離れたメフィスト病院や地図上の赤点のポイントに、バッターたちを導いたのだ。
「いくつかは、本当に怪しい場所もありますし……メフィスト病院に至っては、ね……」
フレデリカがベルク・カッツェの存在を感知したのも、メフィスト病院の中に手を伸ばし、髪を回収している瞬間だった。
召喚の瞬間に、病院内にいた感知能力の高いサーヴァント以外には気付きようもない魔力波動。"英霊召喚"。
カッツェと電話越しに交わした会話と、バッターの「受肉していた」という言葉から、マスターに依存しない規格外の存在として召喚されている事が分かる。
仮にあの魔界医師・メフィストがカドモン・サーヴァントを戦力として使うつもりならば、聖杯戦争の趨勢が傾く程度で済む。
だが何か別の目的で彼らを喚んだのならば、想定すら出来ない何かが起こる……ならば、同じく想定できない要素をぶつけてみたかったのだが。
「やはり、黒幕より正義の魔法少女を目指すべき、という天啓でしょうか」
思い通りにいかない状況に、妙な理屈を当てはめて頬を染めるフレデリカであった。
【四谷、信濃町方面/須賀町/1日目 午後1:45分】
【アサシン(ピティ・フレデリカ)@魔法少女育成計画】
[状態]健康
[装備]魔法の水晶玉、NPCの髪の毛×6、北上の髪の毛、セリュー・ユビキタスの髪の毛、番場真昼/真夜の髪の毛、ベルク・カッツェの髪の毛
[道具]NPCの髪の毛を集めたアルバム、北上の髪の毛予備十数本、セリューの髪の毛予備一本、ベルク・カッツェの髪の毛予備一本、契約者の鍵
[思考・状況]
基本行動方針:北上の願いを肯定、聖杯を渡してあげたい
0.北上の周囲を警戒。なにかあれば北上を引き戻す。
1.PM2:00に行われる、新国立競技場のコンサートを何らかの方法で観る。
2.メフィスト病院に最大限の警戒。
3.NPC・参加者問わず髪の毛を収集し、情報収集の幅を広げる。
[備考]
※セリュー・ユビキタス&バーサーカー(バッター)を確認しました。
※番場真昼&バーサーカー(シャドウラビリス)を確認しました。
※赤のアサシン(ベルク・カッツェ)を確認しました。
※予選期間中に起こった事件のうち、NPCが認知している事件は全て網羅してあります。
※メフィストの噂(医術・美貌)をかなり詳細に把握しています。同時に彼を『要警戒対象』であると判断しています。
髪の魅力には耐え切れないと確信しているので、視界に入れないよう努力します。
※『メフィスト病院』内の重篤患者(NPC)の髪の毛を入手し、内偵を進めています。
※『メフィスト病院』内でサーヴァントが召喚された事実を確認しました。
☆ベルク・カッツェ
「き……き……き……キターーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!wwwwwwwwwwwwww」
交差点で、突如中年男性が雄叫びを上げる。
動揺する周囲の人間に、男性は見境なく殴りかかる。
押し倒した老人の顔面を全力で殴打する男性の拳からは、骨が露出している。
動かなくなった老人を見て正義感に目覚めた若者が横合いから中年の男に蹴りを入れる。
次の瞬間、青年の脇から軽自動車が突っ込んだ。
信号を無視して人を跳ね飛ばした車は、ブレーキも踏まずに対向車線に飛び出す。
正面衝突した高級車からは近日の緊張から過剰になっているのが見て取れるSPが飛び出し、銃を抜いて軽自動車を包囲する。
銃声が鳴り響く。高級車の周りに陣取り、守りを固めていたSPの一人が、事もあろうに警護すべき車両の中に発砲していた。
「いや〜〜〜〜やっぱり好きなんすね〜〜〜〜こういうのが〜〜〜〜」
その場で最も目立つ長身でありながら、誰からも視線を浴びていない赤髪のサーヴァント、ベルク・カッツェ。
怒号と悲鳴が飛び交う地獄の光景をただただ楽しむその態度は、平時のカッツェのものであった。
「あのワニ野郎wwwwケダモノだけに空っぽの中身だったけどこうなるとありがたいわ〜〜wwwwwwwwww」
バッターの内面。通り過ぎた災害、と自称した、既に終わってしまっているそれは、カッツェに多大な驚愕と、倍する恩恵を齎した。
白い、白い世界。抑止力も及ばない、万物の営みが終息した、真の意味での原風景。
それを、バッターの心象を通して視たカッツェの心からは、メフィストへの恋の呪縛は消え去っていた。
もし再度メフィストの魔貌を目にしても、一度受けた屈辱を経験値として今度は受け流せるだろう。
宝具の力も、数分前の非ではなく高まっている。消滅を危ぶむほど著しく傷付いた霊器も、強く躍動を始めていた。
「んでんでんでんでーーーーwwwwwwwwwwwwwwwww自分らしくで行くにゃんwwwwwwwwwwwwww」
狂騒のサーヴァントは、<新宿>に混沌を撒き散らす。
……何者かの目論見通りに、己の意思で以て。
【歌舞伎町、戸山方面/1日目 午後1:45分】
【アサシン(ベルク・カッツェ)@ガッチャマンクラウズ】
[状態]実体化、肉体損傷(中)、霊器損傷(中)、魔力消費(大)
[装備]
[道具] 携帯電話
[所持金]貰ってない
[思考・状況]真っ赤な真っ赤な血がみたぁい!
基本行動方針:
1.血を見たい、闘争を見たい、<新宿>を越えて世界を滅茶苦茶にしたい
2.ルイルイ(ルイ・サイファー)に興味
3.バッターに苦手意識
[備考]
現在<新宿>の街のあちこちでNPCの悪意を煽り、惨事を引き起こしています。
以上で投下終了です
>>推奨される悪意
>>――――――――――――――――――――――――――― スイッチは OFF になった。
余りにも最高過ぎて最高以外の最高で良さ味しか残らなかった(語彙力貧困兄貴)
地味に強化を施される<新宿>聖杯のマスコットシャドウラビリスちゃんと、相変わらずブレないキャラのセリューお姉さんもそうですが、
真に特筆するべきはバッターとカッツェニキのやり取りでしょう。固有スキルでカッツェの正体を割り出すバッター、その事を不気味に思いつつも、
自分のペースを崩さず邪悪を振り撒こうとするカッツェ。そしてその目的の為に、接吻でバッターの過去を視た結果――。
その後のやり取りはもう本当に凄いとしか言いようがありませんでした。バッターが辿って来た過去と、その過去において何をして来たのか、
その事を理解しながらも、その目的の意図が全く掴めず、更にその過去の凄絶さに、あのカッツェが嘔吐をするなど、もうその辺りの描写が見事過ぎる
更に、世界が限定的ながらも浄化されて行く過程の描写も素晴らしい。原作の、広大な白い空間が広がるあの世界が、実に上手く書けていました。
結局今回のやり取りの最終的な勝者は、最終的にずっと傍観を決め込んでいた髪キチ三平おばさんことフレデリカでしたね。
カッツェともナシを付けられ、バッター達との心象も良く出来たフレデリカですが、やはりまだまだ基盤は固まっておらず、そんな不安定さも演出出来ていました。
バッター達は適当な地図に踊らされてどっか行くわ、カッツェは相変わらず自由にやりたい放題やるわで、もう今後の<新宿>何てどーでもいいわ♂(レ)と言う思いきりの良さ。私は強く評価致します。
ゲリラ投下します
夏の期末テストが終わったのは、午前十二時を回ってから十五分程経過した時であった。
テスト用紙の回収、数の確認、そして、帰りのホームルーム。それらの時間を諸々込みで、この時間に今日の学校の時間は終わった。
元々テスト期間の為、学校が終わる時間も早い。拘束時間はせいぜい四時間程度だ。それもあるのだが、此処最近は教師、と言うより学校側が、
生徒をやけに早く帰らせたがる。それどころか教師ですらも、早く帰りたそうな雰囲気を見せている。学生は子供ではあるが、そう言った感情の機微に疎い訳ではない。
理由は解る。聖杯戦争と言うイベントが開催された事による、<新宿>で起る異変の数々だろう。
代表的な物で、バーサーカー黒贄礼太郎の手による大量殺人があり、次に上げられるのが、<新宿>の住民或いは区外から足を運んだ住人の失踪事件。
世にもおぞましい、人間をミンチにして殺害する数々の事件等。聖杯戦争が本開催になる前からして、これなのだ。
実際開催されてからは、もっと酷い。落合方面で起ったマンションの事件、<新宿>二丁目で起った巨大な鬼と、アングロサクソン系の外人達の大立ち回り。
そして、早稲田・神楽坂方面で起った謎の大爆発など。今日だけでこれだけの大事件が起きているのだ。子供についての責任を負う学校が、警戒をしない筈がなかった。
雪村あかりが学校に着いたのは、午前十時を回ろうかと言う時間であった。
試験開始時刻は八時半からである。それを考えると、大遅刻とすら言えるし、実際試験科目のうち一科目は既に終わってしまっていたのだ。
しかしこの大遅刻を受けても、教師はあかりの事を全く怒らなかったし、寧ろ「無事だったか」と安堵の様子すら見せていた始末だ。
その理由を、試験中の教室に足を運んで、納得した。一クラス三十人の教室に、生徒が十人近くもいないのだ。
恐らくは、<新宿>で起った聖杯戦争の余波で遅延を蒙っているか、最悪の場合は――と言う事なのだろう。
この世界の教師からすれば気が気ではないとは言え、あかりからすればどうでも良い事柄ではある。そもそもこの世界の人々はNPCであり、
仮にあかりと知り合いの人物がいたとしても、それは元居た世界の人物では断じてない。だから、消えようが消えまいが、如何でも良い事なのだ。
椚ヶ丘中学<新宿>校。それが、あかりが<新宿>で通う事になっている学校の名前だ。つまり、元の世界のそれと同じである。
如何やらこの世界では理事長である浅野學峯は見事、その手腕を全国規模で発揮する事が出来たらしく、全国の主要都市に中学や高校を設置する事に成功した。
但し、元の世界で言う所のエンドのE組と言ったような、いわばカーストの最底辺のようなクラスを一つだけ設置し、見世物にすると言う狂気じみた制度は、
流石にこの世界では存在しないらしい。椚ヶ丘は中高一貫校だが、中高全てに共通して、全学年A組が所謂『特進クラス』で、それ以外は普通のクラス、
と言うマイルドな調整になっていた。この世界では、浅野學峯理事長は普通に教師として大成したようであるらしい。
尤も、元の世界の椚ヶ丘中学とは違うとは言っても、テストの難易度は相変わらず難しい。国内最難関の難関中高として君臨しているだけの事はある。
しかし、今のあかりにはテストの問題は簡単だった。――癪だが――殺せんせーの指導がとても上手い、と言う事もそうだが、そもそもあかりのいた元の世界では、
年の瀬の二学期であった。<新宿>は今は七月の半ばだが、実に五か月先の時間からやって来たのだ。今更、一学期のテスト内容に手こずる筈がない。
これでも復習はしっかりとしている。NPCが主催する学校のテストである事を差し引いても、テスト自体は正直茶番も良いとこだった。
今に至る。
月曜から続くテスト期間も今日この日で終わりを告げたが、それであるのに、あかりのクラスには未だ五名が欠席状態。
余程の大遅延を貰ったか、最悪生きてはいないかのどっちかだろう。特に後者は冗談では済ませられない。
先程金髪のバーサーカーと、自身の引き当てたサーヴァントであるバージルの、激し過ぎる戦闘を見た後だと、死んだ可能性も捨てきれない。
今頃は学校の側も戦々恐々としている事だろう。昨今はモンスターペアレンツと言うものが増えていると言う。
生徒に死なれ、学校の責任問題と称して親に責任の追及をされてしまう可能性を考えたら、気が気ではないだろう。尤もそんな事、あかりにとってはどうでも良い事ではあるが。
――憂鬱だわ……――
胸中で心底の思いを吐露するあかり。
あかりは今回の遅刻を、早稲田鶴巻町で起ったあの戦闘を目撃していた為に、証人として警察の事情聴取をされていたから遅れたと弁解した。
無論それは大嘘も良い所で、実際はあかりはその戦闘の当事者であったのだが、そんな事を言うメリットはないので黙っておいた。
だがその一言で、余計なイベントを追加されてしまった。当然、あかりが遅れたのは学校側からしたらやむにやまれぬ事情と言う事になる。
であるのならば、そんな仕方のない理由で送れた人物に、テスト科目を受けさせないままそのまま、と言うのは公平さに欠ける。
故に、明日の土曜日、受け損なったテスト問題をもう一度受ける事になってしまったのだ。しかも問題は、前とは違う物を出すと言うではないか。
【出るのか?】
【出ないわよ】
と、バージルが念話で聞いて来たので、あかりは即答した。
正直このテストですら、サボってしまおうかと思っていた程だ。結局は、此処から足が出て自分達の正体が露見する可能性を危惧し受けはしたが、次は受けない。
先の金髪のバーサーカーとの戦いで、あかりもバージルも聖杯戦争が一筋縄ではいかない物であると理解した。尚の事、聖杯戦争に専念したいと思うのは、無理からぬ事だろう。
【この後は如何するつもりだ】
【サーヴァントとの接触をしたい所だけど、会えるのかしら】
先の戦いであかりとバージルも思った事だが、聖杯戦争に集ったサーヴァントは、皆一癖も二癖もあるらしい。
あかりは自分が引き当てたサーヴァントであるバージルが一番強いサーヴァントとすら思っていたが、如何やらそうと言う訳でもないらしい。
バージルがあの戦いで負った手傷は、未だに治っていない。悪魔の再生力ですら、治癒が遅れるレベルなのだ。直撃を貰い続けていたら、どうなっていたか。
二名の方針は変わる事はない。
敵と認識すれば斬る。利用出来ると思った奴がいれば、同盟と言う体裁で利用する。
先の戦いで聖杯戦争の過酷さを骨身に沁みて認識した二人は、同盟と言う物の重要性も理解した。
サーヴァント二人で一人のサーヴァントを叩く。単純な足し算だがそれ故に、有用性は明白だ。今後はこう言った柔軟性も発揮するべきだろう。
しかしその為にはサーヴァントとも出会わねばならない。その機会を、何処で見つけるかだが――。
「雪村さん」
と、自分の事を呼ぶ声が後ろから聞こえて来たので、その方向を振り返る。
ブルーブラックの髪を後ろに伸ばした可愛らしい少女だった。演技力を磨けば、子役としても活躍する事だろう。
「? 大石さん? 何か用かな?」
大石泉。この世界に於ける椚ヶ丘中学のクラスメイトであり、この世界であかりがよく話す人物と言う事になっている。
頭脳明晰な少女であると、あかりは思っている。このクラスにおいても頭一つ抜けた成績の持ち主だ。
高校に進学したら、特進クラスであるA組に編入される事は間違いない。だがそれ以上に、彼女を彼女足らしめているのは、彼女がアイドルであると言う事だろう。
今日の午後二時に大規模なライブコンサートを行うと言う、346プロダクションに所属するアイドルだったか、とあかりは記憶していた。
「随分テスト遅れちゃってた見たいだけど……無事で良かったね、って」
「ああ、ただ少し警察の人に話聞かれただけだから。特に何もないよ」
実際に、あかりの姿に何の異常も見られない事を確認したらしく、泉は少しだけ安心したような表情を浮かべた。
「大石さん、確か今日コンサートイベントなんでしょ? 今<新宿>は物騒だから、警戒はしておいた方が良いと思うよ。それじゃ、また来週――」
「あ、待って雪村さん。実はちょっと話が……」
「話?」
疑問気な表情を浮かべるあかり。
「今日のコンサートについてなんだけどね、どう? その……見てかない?」
「私が……?」
少し考え込む様子を見せるあかり。
泉は何故、このような手段に出たのだろうかと考えたが、直にその理由を推察出来た。
向こうも、と言うよりこのクラスの全員が、あかりが現在オフシーズン中である有名な子役女優と言う事を知っている。
恐らく泉は、プロダクションの偉い方から、あかりの事を引き抜いて欲しいと言われているに相違ない。つまり、自分をアイドルにしようと画策しているのだ。
但し、直接アイドルになる為の交渉をやると、あかりの所属している事務所が黙ってない。だからこそ、先ずは遠回しに、自分達の活動を見せる事で、印象と憧れを植え付ける算段なのだろう。
この手の誘いは元の世界でもあった。女優として名が売れ始めた頃、アイドルをして見ないかとも別プロダクションから言われた事がある。
女優としての特訓と、アイドルとしての特訓は通じる物がある。腹式呼吸、声の訓練、度胸の鍛え方。唯一の違いは歌唱レッスンだが、
あかりは自分の事を音痴ではないと思っている。アイドルとしての下地は出来ている。素人を一からトップアイドルに鍛えるのと、
予め下地が整っている人間にスターダムを駆けあがらせるのとでは、掛かる時間と費用が違う。それを考えると、あかりはまさに、アイドルに勧誘する上ではこの上ない優良物件と言う事になるのだろう。
そう言う下心を見抜いたあかり。アイドルになるつもりなど、更々なかった。
今が聖杯戦争であると言う事もそうだが、プロデューサーや向こうの事務所のスカウトマンが足を運ばず、よりにもよってクラスメイトを使って勧誘させる、
と言う性根が好きじゃない。楽をし過ぎである。曲りなりにも自分を引き抜こうと言うのだから、自らが出向くなどして誠意を見せて欲しいものである。
だが、アイドルに成るつもりはないだけであって、コンサートに興味がないと言う訳ではない。純粋に、人が集まるからだ。
346プロが主催の今回のライブコンサートは、正にプロダクションの社運を賭けた一大プロジェクトであるらしく、かつ、346プロ自体も国内で特に有名なプロダクションだけあって、相当数の観客が動員される事が予測出来る。ならば、方々からやって来るであろう。様々な打算を胸に秘めた、聖杯戦争の参加者達が。
「大石さんも確か、アイドルユニット組んでたんだよね? 今日出るんだっけ?」
「うっ……あ、ハハ。私達のユニットはちょっと選考漏れちゃってて……」
痛い所を突いたらしく、苦々しい笑みを浮かべて泉が言った。
そう言う事もあるだろう。346プロダクションはアイドル部門だけでも、人員とユニット数が膨大だ。あかり自身、どれがどれだか解ってない位多い。
今回の346プロのイベントは一世一代の大イベントだ。しくじれない。ならば、肝入りのメンバーとユニットで構成するのが自然な流れと言える。
当然其処には、コンサートからあぶれたメンバーやユニットもいる訳で。残念ながら泉達のグループユニットは、コンサートの参加がお流れになってしまったのだろう。
「そっか、残念だね。見たかったな、大石さんのライブでの姿」
「そう言われると緊張しちゃうし、何だか少し……恥ずかしい。それで、雪村さん」
「イベントって確か、今日から三日間やるんだよね?」
「うん。今日が疲れてるなら、次の日でも、最終日でも良いからさ」
「いや、今日行くね。折角だし、テストの疲れも吹っ飛ばしたいもん」
「解った。それじゃ、これがコンサートのチケットね」
と言って泉は、バッグからコンサートのチケットを三枚分取り出し、それを手渡した。
ご丁寧にチケットには『優待券』と書いてある。これは一般に販売されているチケットではなく、ファンクラブのトップ会員や、
プロダクションの株主や役員の関係者にしか配られない物だろう。相当、此方を引き抜きたいと言う思いが言葉を交わさずとも伝わってくるようだった。
「開催は今日の二時からだよね。それまでに準備とかしなくちゃ」
そう言ってあかりは、自分の学生鞄を開き、チケットをしまおうとして――一瞬だけ、慄然の表情を浮かべた。
その様子を見た泉が、ただならぬものを感じたらしく、「どうしたの?」と心配そうに声を掛けて来た。
「あ、あはは!! 何でもない何でもない、中に入れてたペットボトルの水が零れてただけだから」
「フフ、意外と間が抜けてるね」
「私の悪い癖。じゃ、今日は絶対に向かうね。それじゃっ」
と言って足早に、あかりは教室から退散する。
まさかNPCに言える筈もなかったし、聖杯戦争の関係者にも内密にして置きたかった。契約者の鍵が、群青色に光り輝いていたなど。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
誰もいない女子トイレの個室で確認した、契約者の鍵を通じて投影されたプログラムの内容を要約すると、新しい指名手配者が増えたと言う事である。
聖杯戦争の本開催からまだ一日と経っていないのに、この風雲急振りには驚かされるばかりだが、真に驚いたのは指名手配がされたと言う事実よりも、その指名手配を喰らった塔の人物の事である。
【……Foolishness(馬鹿め)】
と、心底呆れた様な語調でバージルが呟いた。使う言葉のニュアンスも、相当強い。本気で指名手配された人物を馬鹿と言っている。
実際あかりとしても、本当にその通りとしか言いようがなかった。何せ指名手配をされている人物は、ほんの数時間前に熾烈な戦いをバージルと繰り広げた張本人。そう、あの金髪のバーサーカーであるのだから
【元々、何時かは集団で叩かれそうなサーヴァントだとは思っていた。だが、此処まで早くマークされるとはな】
早稲田鶴巻町で戦ったバーサーカー。真名を、『クリストファー・ヴァルゼライド』と言うらしい。
其処で得られたデータは、実際に剣を交えたバージル達だからこそ、余計に貴重な物だった。目を瞠るのは、放射能光を超高速で放つ宝具だろう。
つまりあのバーサーカーは、放射能が残留するリスクなど全く勘案せずそれを撃ち放ちまくっていたと言う事になる。馬鹿である。
だがそれ以上に重要な事は、このバーサーカー達が、聖杯戦争の主催者によりにもよって喧嘩を売ったと言う事だ。
著しいフィールドの破壊も、放射能の散布もまだ理解が出来る。戦闘の余波の結果だからだ。だが、ルーラー達に喧嘩を売るその理由が、あかりもバージルも理解出来ずにいた。
此処で理解出来る事があるとすれば、この主従は、条件が重なれば、『現状のお上』にすら牙を向く人物達であると言う事だ。馬鹿である。
【次に会った時は、絶対に殺すと決めていた男だったが……これでもう、遠慮は無用になった。殺す事に最早正義がある程の愚か者になったのだからな】
そう、この二名が会話の通じない狂人達である事を、バージル達は知っている。
この上に、倒せば令呪すら貰える、正真正銘の賞金首になったとすら来ている。極め付けに、この二人は同情の余地も救いもない愚か者だ。何の気兼ねもなく、殺してしまえると言う物だった。
【この馬鹿の事もそうだが、もう一つ。重要な点がある】
【何それ】
【他ならぬルーラーの事だ】
【ルーラー?】
【今回の通達で確信した。一つ、ルーラーは聖杯戦争の運営をかなり重視している事】
遠坂凛とセリュー・ユビキタスの通達の時もそうだったが、聖杯戦争の舞台である<新宿>を破壊しかねないサーヴァントに対し、
ルーラーの側はかなり厳しい。今回のクリストファー・ヴァルゼライドとそのマスターであるザ・ヒーローの件に至っては、真名や宝具の性質すら掲示している程だ。
無論、この措置はルーラー達に明白に反旗を翻した故の物である可能性も捨てきれないが、どちらにしても、言える事は一つ。
彼らは信賞必罰を旨としていると言う事だ。つまり、此方が下手を打たない限り、敵対する可能性も低いと言う事である。
【そしてもう一つ。これが特に重要かもしれんが、少なくともルーラーは『三画より多い画数の令呪を持っている可能性が高い』と言う事だ】
【あぁ、そっか。討伐令を仮に全部達成済みにしたら、令呪は三画ルーラー達の側から消えるよね】
【そうだ。ルーラーと言うサーヴァントの性質を知らない俺では憶測でしか物を語れないが、ルーラーが俺達と同じ様なサーヴァントだと仮定した場合、手持ちの令呪を全部くれてやる、等と言う狂行には出ないだろう】
【……何処かに、令呪のストックを、別に持ってるって可能性は?】
【ルーラーと言うより、主催者だ。それ位の特権を有している可能性も高いだろうな。どちらにしても、今回の通達で言える事は、ルーラー側にとって令呪は『俺達程大して意味を持たない』と言う事だ。今後また、新しい討伐令が下る可能性も視野に入れておかねばなるまい】
もしも、ルーラー達が令呪を無尽蔵に有しているとしたら、それは最早インチキとか言うレベルではない。ゲーマー風に言えば、チートだ。
そんな存在を相手に、何らの予備情報もなしに喧嘩を売るのは愚の骨頂である。しかし、ルーラーと敵対する可能性も、一応は視野に入れておくべきだ。
どちらにせよ今は、敵対するべき相手じゃない。それだけは、確実であった。
【……所で、マスター。お前は先程の女から貰ったイベントには、向かうのか?】
【一応。サーヴァントも集まりそうだし、ね。……いやだったりする?】
【うるさい所は好きではない】
まぁ、確かにそんな感じはする、と思うあかりであった。
元々が寡黙な男だ、アイドルのライブコンサートなど好きそうでない事は明らかだったが、案の定だったらしい。
【お前が向かうと言うのなら俺も向かう。人自体は、集まりそうだからな】
【じゃ、その方針で行こう】
其処で念話を打ち切り、契約者の鍵をカバンの中にしまってから、あかりは個室から出た。向うは霞ヶ丘、新国立競技場。
【西新宿方面(椚ヶ丘中学新宿校)/1日目 午前12:20】
【雪村あかり(茅野カエデ)@暗殺教室】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]なし
[道具]携帯電話
[所持金]何とか暮らしていける程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を絶対に手に入れる。
1.なるべく普通を装う
2.コンサート会場へ向かう
[備考]
・遠坂凛とセリュー・ユビキタスの討伐クエストを認識しました
・遠坂凛の住所を把握しましたが、信憑性はありません
・セリュー・ユビキタスが相手を選んで殺人を行っていると推測しました
・バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)とザ・ヒーローの存在を認識、その後通達で真名と宝具とステータスを知りました
・ランサー(高城絶斗)の存在を認識しましたが、マスターの事は知りません
・現在霞ヶ丘の新国立競技場へ向っています
【アーチャー(バージル)@デビルメイクライシリーズ】
[状態]肉体的損傷(小)、魔力消費(小)、放射能残留による肉体の内部破壊(回復進度:中)、全身に放射能による激痛
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れ、力を得る。
1.敵に出会ったら斬る
2.何の為に、此処に、か
[備考]
・バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)とザ・ヒーローの存在を認識、その後通達で真名と宝具とステータスを知りました
・ランサー(高城絶斗)の存在を認識しましたが、マスターの事は知りません
・宝具『天霆の轟く地平に、闇はなく』を纏わせた刀の直撃により、体内で放射能による細胞破壊が進行しています。悪魔としての再生能力で治癒可能ですが、通常の傷よりも大幅に時間がかかります
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
通っている、麻帆良学園女子中等部に桜咲刹那が着いたのは、今週初めから続いた期末テスト期間、その最後の科目が終わる十分前の十一時五十分だった。
つまるところ、大遅刻も良い所である。何せ今日のテスト科目を全てすっぽかしたに等しいのだから。普段真面目な生徒で通っている刹那からは信じられない事だ。
しかしこれには理由がある。一つに、先程戦った、燃え盛る剣を操るマスター達との戦いで負った手傷の回復に時間が掛かった事。
そしてもう一つ、退避場所に選んだBIGBOX高田馬場から、市ヶ谷方面まで徒歩で向かった為に、時間を食ってしまった事。
前者は兎も角、何故後者、公共交通機関を使わなかったかと言うと、バス停に向かう最中に、<新宿>二丁目で起ったとされるサーヴァントどうしの戦いと思しき、
大事件を街頭ニュースで知ったからだ。公共の交通機関を使うのは、かえって危ないと刹那もタカジョーも思った故に、徒歩を選んだと言う訳だ。
元々刹那は健脚の持ち主。高田馬場から市ヶ谷方面の学校まで、大した距離もない。この程度で疲労は溜まらない。
今更行っても、もう無理じゃないか、と念話でタカジョーが伝えて来た事もある。
正直いけ好かないタカジョーの言葉とは言え、こればかりは少し同意する。しかし、一応の義理は通しておきたい。
<新宿>二丁目で起きた大事件、その発生から数時間は経過している現在では、当然教師もその事を理解しているだろう。
こんな事件の後に自分が学校をサボってしまえば、自分の身に大事が起きてしまったと学校側は考えるだろう。そうなると、いらない風評が立つ。
この風評が問題だ。もしもそんな噂が立てば、其処から聖杯戦争の参加主従が自分達の事を嗅ぎ付ける可能性も否定は出来ない。
そんなリスクがあるからこそ、学校に向かう。その説明に納得したか、一応はタカジョーも小言もなく、刹那の意向を認めてくれた。
「――桜咲!! 無事だったか!?」
と言って、麻帆良学園の女子中等部の校門前に立っていた、ジャージ姿をした茶髪の年長女性が、心底心配そうな顔で此方に言葉を投げ掛けて来た。
芦角花恵(あしずみはなえ)、この学校の体育教師であり生徒指導、そして刹那達のクラスの担任である。御年二十六歳独身だ。
「すいません、芦角先生。<新宿>二丁目の事件に巻き込まれて、警察の事情聴取を受けてまして……」
この言葉は学校に通う過程で適当に捻出した嘘である。まさか事実を言う訳にも行くまい。
「そうか……何にしても、無事で良かった。それで、そのジャージは?」
「火の粉を貰って焦げ付きまして……仕方なく、ジャージに着替えたんです」
先の戦いでボロボロになった制服を着用すると、目立ってしまう。当然の配慮だった。
「ところで、テストの方ですが……」
「あぁ、もういい。いや、よかないんだが、今日はお前みたいに学校に遅刻したり、未だこれなかったりしてる奴が多いんだ。そいつらの処遇は後で考える、今日はホームルームだけ受けて帰れ」
と言って刹那を教室に案内しようとする花恵だったが、一瞬刹那は、花恵が足に履いているサンダルに目線をやってしまった。
その事に気付いた花恵が、「おっ、気付いちゃったか〜、あの剣道一筋で色気のない桜咲がな〜」と得意げな言葉を投げ掛けて来たが、色気のないのはお前も同じだろとは口が裂けても刹那は言わない。
「いやさ〜、これでも私だって気にしてんだぞ、男にモテないの。ファッションなんか全然わかんねーし、化粧の仕方もよーわからんし。でもこのままだとまた実家に戻ったら、家の親父達から「まだ結婚しないのか」と詰られるしさ。だからアレだ、何時も履いてる便所サンダルから、これに変えたわけよ。社会人にとって靴は顔だからな」
芦角花恵は、素材自体は美人であるが、だらしのない服装と化粧っ気のなさ、何よりもその性格から、男とは無縁の女性だった。
無理もない、だらしなく着崩したジャージに、履物が便所サンダルと来れば、男の方も寄って来るまい。その事を散々、クラスの女子達に花恵はネタにされていた。
流石にそれでは拙いと思ったのか、一念発起し、変えられる所から彼女は変えようと努力したらしい。その方針は褒められるべきそれだが……。
「あの、そのサンダル……」
「これさ、何でも流行り物らしいんだな。カリガって言ってさ、ローマの剣闘士……グラディエーターって言うんだっけ? そいつらが掃いてたサンダルを現代風にアレンジした奴らしいんだな」
花恵の言う通り、カリガ、またの名をグラディエーターサンダルは、現代でもアレンジされ、靴の一種類、ファッションの一つとして大衆から受け入れられている。
成程、確かに花恵の言う通り、自分を変えようと言う努力はしているらしい。それで選ぶのが、古代の剣闘士が着用していた物をルーツとするサンダルな辺りが、
実に彼女らしいと言うべきだが。しかし、刹那は何故か、その靴に違和感を覚えていた。それを言葉として表現するのは骨だが……。
敢えて言えば、如何もファッション性よりも、軍靴と言うか、『機能性を重視した』ように見えるのだ。
「そのサンダル、何処で?」
「ん〜? ほら、最近麻帆良のジャリ共が、アルケアだ何だの話題をする事が多いだろ? 教師だって生徒の間で話題になってる奴は知ってんだぞ? んで、このサンダルは、新進気鋭のデザイナーがそのアルケアをモチーフにして作った奴らしい。ま、若いに倣うのが良いと思ったのさ」
――アルケア。
<新宿>にやって来てから、余り生徒と接点を持たずに生活して来た刹那だったが、如何やら今はそんな物が流行っているらしい。
当初刹那はそれが、この世界で有名なファッションブランドの会社かと思っていた。実際花恵の言葉からは、そうとしか思えない。
その会社の事を、花恵に聞くのはお門違いだろう。実際彼女も、よく解ってなさそうな事が、口ぶりからも推察出来るからだ。
「――っと、そうだよ桜咲。早く教室行け教室!! テストの時間もそろそろ終わりだからさ」
「あ、そうですね。解りました」
と言って刹那は急いで、麻帆良の校舎へと走って向って行く。
霊体化したタカジョーが、怪訝そうな瞳で、花恵と、彼女の履くカリガに目線を送っている事も知らずに。
【市ヶ谷、河田町方面(市ヶ谷本村町、麻帆良学園女子中等部<新宿>校)/1日目 午前11:55】
【桜咲刹那@魔法先生ネギま!(漫画版)】
[状態]魔力消費(中)、左脇腹に裂傷(回復)、廃都物語(影響度:極小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]某女子中学指定のジャージ(<新宿>の某女子中学の制服はカバンに仕舞いました)
[道具]夕凪
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの帰還
1.人は殺したくない。可能ならサーヴァントだけを狙う
2.傷をなんとかしたい
[備考]
・睦月がビースト(パスカル)のマスターだと認識しました
・ザ・ヒーローがバーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)のマスターだと認識しました。
・まだ人を殺すと言う決心がついていません
・アルケアについて名前だけを知りました
【ランサー(高城絶斗)@真・女神転生デビルチルドレン(漫画版)】
[状態]魔力消費(中) 放射能残留による肉体の内部破壊が進行(現在八割方回復済み)、全身に放射能による軽度の痛み
[装備]
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を楽しむ
1.聖杯には興味がないが、負けたくはない
2.何で魔王である僕が此処にいるんだろうね
3.マスターほんと使えないなぁ
4.いったいなぁ、これ
[備考]
・ビースト(パスカル)、バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)と交戦。睦月をマスターと認識しました
・ビーストがケルベロスに縁のある、或いはそれそのものだと見抜きました
・ビーストの動物会話スキルには、まだ気付いていません
・宝具『天霆の轟く地平に、闇はなく』が掠ったことにより、体内で放射能による細胞破壊が進行しています。再生スキルにより治癒可能ですが、通常の傷よりも大幅に時間がかかります
・雪村あかりとアーチャー(バージル)の主従の存在を認識しました
・アルケアの事を訝しんでいます
投下終了します。
雪村あかり&アーチャー(バージル)
桜咲刹那&ランサー(高城絶斗)
でした
共通パートを投下します。この後個別パートに移行します
南元町での一戦後、せつらの麗姿は再びメフィスト病院院長室にあった。
僅かな時間に、二度の美影身の来訪を受けた、メフィスト病院院長室は、室内に満ちた蒼い光も、大気を構成する原子すらもが、歓喜に打ち震えているように、せつらと並んでソファに座るアイギスにはそう思えた。
「あの、ドクターは、まだ?」
「一般の病院を『待ち時間が長い』とか言ってくおいて、自分が待たせていれば世話は無いよ」
天候を操るマスターと、白銀のセイバーとの魔戦の後、アイギスと合流したせつらは、迷うこと無くメフィスト病院へ引き返した。
受付で名乗ると、院長室で待つように言われ、そのまま一時間が過ぎようとしていた。
「まあ大方、聖杯戦争に関係した患者だろうね。厄介な呪いでもかけられたとか」
「私達以外にも、既に交戦している人達が居るのですね」
考えてみれば…いや、考えるまでも無く当然のことであった。〈新宿〉に何組の主従が居るかは不明だが、舞台の狭さとサーヴァントの索敵能力を考えれば、既に戦端を開いた者が、自分たち以外にも複数居ると考えるのが当然だろう。
沈痛な面持ちで俯いたアイギスを横目で見ながら、せつらは“少しは減ってると楽で良いんだけどな”等と考えていた。
「待たせたな」
院長室に現れる白い影。黒い客人と並ぶ美の帰還に室内の空気原子の一つ一つが輝き出す。そんな錯覚を抱くアイギスを横目にせつらが悪態を吐く。
「腕が落ちたな。廃業を考える時期じゃ無いのか」
「患者の治療に必要な時間を掛けただけだ」
どうだか。と呟くと唐突にせつらは話題を変えた。
「先刻、サーヴァントに襲われた」
「ほう、もう交戦したのか」
「惚けるなよ。お前があんなあからさまな監視に気づかないわけが無い」
「どんなサーヴァントだった?」
「バッタみたいな顔の銀色のセイバーだった」
「我が病院に新鮮な臓器を提供してくれた有志だ」
げっ、とわざとらしく仰け反って、メフィストを指差し。
「昔馴染みに忠告もしないのか。藪」
言っている事は糾弾だが、口調は春うららといった風情なので、全く糾弾に聞こえない。
「私は患者以外の全てに平等かつ中立だ」
「世界中の女性に言ってやれよ」
「あの、サーチャー。此処へは文句を言いに来たわけでは……?」
放っておいては話しが進まないと思ったのかアイギスが割って入った。
「本当に人間が出来ている。見習うべきだろうな」
「お前がな」
「あ…あの、本題を……」
「聞かずとも解っている。あのセイバーと戦ったのなら無傷では済まん」
「ああ、お前謹製のコートをざっくりやられたよ」
「すぐに治そう、後は魔力の補充かね」
「ああ」
頷いたせつらに。
「依頼したいことが有る」
と、メフィストは切り出した。
「断る」
「つれないな」
「毎度録でもない事をしでかしてくれる依頼人はお断りだ」
「聖杯戦争に関わる依頼だが」
「聞かない」
「ふむ…そちらのお嬢さんは」
「えっ!?」
いきなり話を振られてアイギスがキョトンとする。
「私は…話を聞いても良いと思いますが」
しかめっ面をするせつらをよそに、得たりとばかりにメフィストは語り出した。何らかの手段を用いて〈新宿〉の住民を昏睡させ、〈アルケア〉という共通の夢を見させて、何らかの目的を果たそうとしているサーヴァントの事を。
「ここまでの事をする手合いだ。知らぬ存ぜぬでは済むまい。事を為す目的はこの聖杯戦争に勝つ事。成就の暁には他の主従を皆殺しにしようと動き出すだろう」
「不安を煽るなよ。患者の為なら本当になんでもやるんだな。お前」
「私は事実を述べているだけに過ぎん」
「あの、サーチャー。患者とは、どういう事でありますか?」
「こいつが患者以外のことで依頼する訳がない。それにしても予測が外れたな。バーサーカーに患者を殺されて、鶏冠に来たのかと思ったけど」
アイギスは無言で考えていたが、せつらに向き直った。
「サーチャーはこの現象をどう思います?」
「陣地作成スキルかそれに類する宝具の一種だろうね。夢を実体化させる為か、現実を夢にする為かは解らないが」
「現実を夢に……でありますか」
「生前に夢になったことが有ってね」
驚愕の表情を浮かべるアイギスを余所にメフィストが話を続ける。
「依頼したいのはこのサーヴァントの捜索だ」
「マスターはどうしたい?」
答えなど分かり切っているという口調でせつらがアイギスに尋ねる。
「……………」
アイギスは考える。聖杯を得る為にはどのみち戦わなければならない相手。ならば向こうの準備が終わる前に攻めるのが正しいだろう。
それにこの相手と戦う時はメフィストの助けを得られる。依頼を受受けた場合勝算はかなり高くなると言えるだろう。
「私は受けるべきだと思います」
せつらは嫌そうに天井を見上げたが、観念したのか
「了解したよ。マスター」
と呟いた。
「礼を言う。報酬として情報を教えよう」
「何だ?」
「招かれたサーヴァントに浪蘭幻十がいる」
アイギスはその瞬間にせつらが抱いた感情を理解できなかった。
複数の感情がない混ぜになったそれは、人生経験を豊富に積んだ者でも理解し難い、複雑なものだった。
以上で共通パート終了です
大分遅れて申し訳ありません。個別パート投下します
メフィスト病院を後にしてから一時間。せつらは只管沈黙を保っていた。情報を集める為につけたテレビでは新宿二丁目に出現した金属の鬼や、
落合で発生した細断現象、〈新宿〉各所で起こった放射能汚染を伴う爆発について報じていた。
どれもこれもが〈新宿〉では珍しくもない、〈区外〉では驚天動地の出来事であった。
─────幻十を喚んだだけじゃ足りないのか。
幻十の首を落とした日。〈魔界都市〉の歴史に残る大殺戮が繰り広げられた日を思い出して、心中毒吐く。
益々持って、〈新宿〉のロクでも無い意図を感じるせつらだった。
【やれやれ、招かれた連中は気狂いが多いみたいだね】
テレビで報じられた事件の内一つ、落合の事件には確実に幻十が絡んで居ると当たりを付けて、尚こういう事を言う辺りが、秋せつらという人間の性格を表しているだろう。
【サーチャー】
せつらの呟きに、何かを思いついたアイギスが念話で話しかけてきた。
【何?】
【討伐令はどうするんですか?】
【僕としては乗りたくない。面倒な依頼をこなさなければならないしね】
せつらがその生涯を生きた〈魔界都市〉ならば、外谷に頼めば、メフィストの依頼に関する有力な手がかりを得れただろうが、此の地に外谷が居るかは不明である。居たとしても、せつらの知る能力を有しているかも、また未知数。
一応、メフィストには情報に通じた患者が来たら連絡するように言っておいたが、早々現れるような都合の良い展開が有るとは思えない。
あったとしても、あの医者の事だ、素直に教えるかどうか。
アイギスには語っていないが、幻十にも備えなければならない。討伐例の対象という蝉を狙う蟷螂が雀に狙われる様な事態は避けたいのだ。
幻十のクラスは自身の能力を元に考えれば、アサシンかアーチャー。恐らくはアサシンだろう。
令呪を目当てに集まった他の連中と乱戦になった挙句、幻十に見つかりでもしたら、目も当てられない。
【報酬に目が眩んだ奴がこぞって追い回すだろうし、精々共倒れになってくれることを祈るさ】
せつらとしては、精々喰い合って数を減らして欲しい。何とも為れば、傷付いた主従に引導を渡してやろうなどと、横着な事を考えている。
【そういえば、もし仮に、ドクターの依頼が、サーチャーの予想したバーサーカーの捕獲だったとしたら?】
【マスターにはこう聞くことになっていたね。『人を殺すことができるか』ってね】
息を飲むアイギスにせつらは自分の推察を述べる。
【セリュー・ユピキタスは確信犯だ。おそらく彼女達が殺して回っているのは裏社会の人間だろう。主催者から指名手配される位殺し回って、表沙汰になって居ないのが良い証拠さ。
そんな手合いを相手にする以上、サーヴァントの能力次第じゃ、マスターに手を汚してもらう事になる。降伏するとは到底思えないしね】
最悪、〈新宿〉に掃いて捨てるほどいた、歪んだ正義感に取り憑かれた狂人という可能性も有るが、其処はアイギスに伝えても始まらない。
【遠坂凛はどうしようも無い。サーヴァントを制御出来て居ないからね。サーヴァントはもう殺すしか無い。それが出来そうになかったら、マスターを殺してもらうことになる】
【制御出来ていない……】
【大っぴらに殺しをやる奴は、生前にいくらも見たけれど、警察が来たからって引くような奴は一人も居なかった。大方いきなり暴れ出したんで、慌てて令呪を使ったんだろう。
何しろバーサーカー、狂人のサーヴァントだ。そんなものは僕の知る限り、世界で二番目の魔道士でも制御出来なかった位さ】
そのまま会話が途切れる。
アイギスは衝撃を受けていた。せつらの推測が正しければ、遠坂凛は巻き込まれた被害者かもしれない。そんな少女をあっさりと殺すことを決断した、せつらの精神に。
だが、其れこそが、万人の生命が等しく無価値で、誰もが耳もとで奏でられる死の笛の響きを聞いていた街の象徴とまで謳われた男の精神だった。
そのまま、再度、沈黙のままに時が過ぎて行く。
【マスター】
【はい】
不意にせつらが語りかけてくる。
【受けた依頼はどうする】
【依頼…………】
唐突に振られてアイギスは戸惑った。そもそも〈アルケア〉なる夢を見させているサーヴァントを斃す為に受けた様なものだが、どうやって合間見えるかはサッパリ考えていなかったのだ。
【多くの人に夢を身させるという都合上、人の多く集まるところで何かをするんじゃないでしょうか?】
【テレビで〈アルケア〉について呼びかけたりしたりして】
【テレビ……】
こうなると完全に不明である。何しろ今の〈新宿〉にはテレビカメラのいる場所が掃いて捨てるほど存在する。
まあ適当に当たりをつけても手掛かりに行き当たる可能性は有る。何しろ相当手広くやっている様だし。
(ああ、外谷が居ればなあ)
せつらは嘆息して、しみじみと陰鬱な気分になった。あの見た目と人格が終わっているデブは自分にとって割と重要な存在だったのだと認識してしまったのだった。
【さて…どうしようかな】
天井を見上げて呟く。この〈新宿〉はせつらの知る街では無いとシミジミと理解したが、その邪悪さはせつらの知る〈新宿〉に引けは取らなかった。
【全く…ロクでも無い街だよ】
【西新宿五丁目/1日目 午前11:00】
【アイギス@PERSONA3】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]自らに備わる銃器やスラスターなどの兵装、制服
[道具]体内に埋め込まれたパピヨンハート
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れる
1.マスターはなるべくなら殺したくない
2.サーヴァントだけを何とか狙いたい
[備考]
現在、メフィストの依頼を受けて、眠り病の呪いをかけるキャスター(タイタス1世(影))の存在を認識、そして何を行おうとしているのか凡そ理解しました。が、呪いの条件は未だに解りません
眠り病の呪いをかけるキャスター(タイタス1世(影))の捜索をメフィストに依頼されれ、受けました。
人の多く集まる処や、衆目を集める場所を重点的に当たってみようと思っています。
メフィストが中立の医者である事を知りました
ルイ・サイファーがただ者ではない事を知らされました
ウェザー&セイバー(シャドームーン)の主従の存在を知りました
浪蘭幻十という真名のサーヴァントの存在を知りました。
【サーチャー(秋せつら)@魔界都市ブルースシリーズ】
[状態]健康
[装備]黒いロングコート
[道具]チタン製の妖糸
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の探索
1.サーヴァントのみを狙う
2.ダメージを負ったらメフィストを利用してやるか
3.ロクでもない街だな
[備考]
メフィスト病院に赴き、メフィストと話しました
彼がこの世界でも、中立の医者の立場を貫く事を知りました
ルイ・サイファーの正体に薄々ながら気付き始めています
ウェザー&セイバー(シャドームーン)の主従の存在を知りました
不律、ランサー(ファウスト)の主従の存在に気づいているかどうかはお任せ致します
現在、メフィストの依頼を受けて、眠り病の呪いをかけるキャスター(タイタス1世(影))の存在を認識、そして何を行おうとしているのか凡そ理解しました。が、呪いの条件は未だに解りません
眠り病の呪いをかけるキャスター(タイタス1世(影))の捜索をメフィストに依頼されれ、受けました。
浪蘭幻十がサーヴァントとして召喚されていることをメフィストから知らされました。
浪蘭幻十のクラスについて確信に近い推察をしました。
討伐令に乗る気は有りません。機会があれば落ち首広いはするつもりです。
「想い人には随分と肩入れをするものだね」
椅子にかけてテーブルに何やら積み上げながら、ルイ・サイファーが愉快そうに聞いてくる。
「今、優秀な人捜し屋(マン・サーチャー)を失うわけにはいかんというだけだ」
黒檀のデスクにメスを置き、吟味しながら、メフィストは応えた。全くマスターの方を見ないが、ルイはそれを気にも留めた風も無い。
「ほう、彼でも後れを取ると」
「生前の技量は五分。ならばクラススキルの分、先手を取れる幻十が有利となるだろう」
「彼のクラスが分かるのかね」
「彼が適性を持つクラスはアサシンかアーチャー。おそらくアサシンとして現界している。彼の使う技を考慮した場合、幻十には最良、他者にとっては最悪の組み合わせと言える」
もし仮にアーチャーだった場合。その精神はあの殺戮の日のものになる筈。
北上とアレックスが襲われたマンションは形も残さず、塵の堆積と化しているだろう。
令呪を用いてすら制御し切れるかどうか判らぬ悪逆の魔王。それがアーチャーとして現界した幻十の精神。マスターを真っ先に糸の地獄で無数の肉片にしかねない。
幻十がアサシンとして喚ばれたのは彼のマスターと〈新宿〉の全生命にとっての幸運であったろう。
「それで、そのメスは一体何なのかね?」
「私が手術に用いたメスだ。今後は我が病院を襲う愚者の治療に使う事になるだろう。此処では宇宙線もまた紛い物だが、患者の生への意志と歓びは本物だ」
応えてメスを仕舞い込むメフィスト。
メスについての具体的な説明は無かったものの、ルイはそれで満足したらしかった。
「で、一体何をしている。マスター」
複数の円盤を目の前に積み上げたルイに、メフィストが冷ややかば声で尋ねた。
「ある人物に送ろうと思っているデモディスクだ」
一番上の『もう歌しか聞こえない』というタイトルのデモディスクしか見えない筈だが、メフィストは一瞥しただけで、全てのディスクを見てとったらしかった。
「誰が集めたのかは知らんが、無能だな。この〈新宿〉に居ながら、真の歌い手を見出せぬとは、眼を抉り、耳を削ぎ落として、残りの生涯を送るべきだ」
メフィストが侮蔑と共に目の前に滑らせて来たディスクを見て、ルイは少し考え込んだ。
─────ブルースは、彼のレコード会社に合うのだろうか?
『風しのぶ』と記されたディスクを積み上げた円盤の上に乗せ、ルイは取り敢えず全部送ってみることにした。
【四谷、信濃町(メフィスト病院)/1日目 午前11:00分】
【ルイ・サイファー@真・女神転生シリーズ】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]ブラックスーツ
[道具]無
[所持金]小金持ちではある
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯はいらない
1.聖杯戦争を楽しむ
2.????????
[備考]
院長室から出る事はありません
曰く、力の大部分を封印している状態らしいです
セイバー(シャドームーン)とそのマスターであるウェザーの事を認識しました
メフィストにマガタマ(真・女神転生Ⅲ)とドリー・カドモン(真・女神転生デビルサマナー)の制作を依頼しました(現在この二つの物品は消費済み)
マガタマ、『シャヘル』は、アレックスに呑ませました
失った小指は、メフィストの手によって、一目でそれと解らない義指を当て嵌めています
デモディスクを集めて、ある人物に送る様です
??????????????
【キャスター(メフィスト)@魔界都市ブルースシリーズ】
[状態]健康、実体化
[装備]白いケープ
[道具]種々様々
[所持金]宝石や黄金を生み出せるので∞に等しい
[思考・状況]
基本行動方針:患者の治療
1.求めて来た患者を治す
2.邪魔者には死を
[備考]
この世界でも、患者は治すと言う決意を表明しました。それについては、一切嘘偽りはありません
ランサー(ファウスト)と、そのマスターの不律については認識しているようです
ドリー・カドモンの作成を終え、現在ルイ・サイファーの存在情報を基にしたマガタマを制作しました
そのついでに、ルイ・サイファーの小指も作りました。
番場真昼/真夜と、そのサーヴァントであるバーサーカー(シャドウラビリス)を入院させています
人を昏睡させ、夢を以て何かを成そうとするキャスター(タイタス1世(影))が存在する事を認識しました
アーチャー(八意永琳)とそのマスターを臨時の専属医として雇いました
ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上&モデルマン(アレックス)の存在を認識しました
浪蘭幻十の存在を確認しました
浪蘭幻十のクラスについて確信に近い推察をしました
現在は北上の義腕の作成に取り掛かるようです
※メフィストが用意したメスは、患者の生の歓喜が込もっていて、死者や不死者に対して特効の効果を持ちます。
今は一本だけですが、増えるかもしれません
投下終了です
こんな短いのに時間かけてしまってすいません
>>シャドームーン〈新宿〉に翔ける〜インタールード 白
何と言っても素晴らしいのが魔界都市勢の再現。
個人的にせつらとメフィストのやり取りの軽さは、原作でも凄い気に入ってるのですが、自分でやると中々再現出来ないんですよね。
この作品ではそれがいかんなく発揮されていて、本当に菊地作品を読んだのだなぁと言う事が文章からも窺えて、頭が下がるほかないです。
そして、メフィストは相変わらずせつらは贔屓するが、まぁこれは原作でも本当にこんな感じだし、腐っても旧知の間柄。当然と言えば当然ですね。
閣下はまた変な事企んでますが、よくもまぁメフィストはこんな胡散臭い奴を見捨てませんね本当に……。
非常に面白い作品を投下なされた後で申し訳ないのですが、一応指摘を一点。
話の分割という手法をよく使う私がこんな事を言うのは説得力の欠片もないのでしょうが、敢えてさせて頂きます。
作品の分割とは作品自体の長さと分量が一括だととても長い、と言う時に初めて行った意味と説得力を見いだせる手法です。
速い話、長い話を分けるからこそ前編後編と言ったパーツに分割しても良いと言う訳ですね。
これを申しますのは非常に心苦しいですが、やはり今回の作品は分割する必要性はなかったのではないかなぁと言う気が私はします。
短い話なのに分割する手法を取ると言うのは、『結局時間内に書き上げる事が出来なかったから短い話で時間を稼ぐ』と言う邪推をする者の出現を招き、そうでなくとも長期のキャラ拘束を行ってしまうのは厳然たる事実です。
長くなってしまいましたが、『分割する話を投下する際はもう少し纏めてから行った方が宜しい』かと思われます。
無論、其方に執筆が遅れる程のスケジュールがあったと言うのであれば、致し方のない事なのですが、次からは一応念頭に入れて欲しいなと思いました。
とは言え、今作は非常に面白い作品でした。そして、当企画にもご投下して頂き、私も大変うれしく思います。
ご投下、ありがとうございました!!
かなり大規模な予約であり、文量も下手をしたら200kbを越えかねない勢いになるかも知れないので、予め延長しておきます
葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)
佐藤十兵衛&セイバー(比那名居天子)
一之瀬志紀&アーチャー(八意永琳)
ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)
塞&アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)
不律&ランサー(ファウスト)
ルイ・サイファー&キャスター(メフィスト)
キャスター(タイタス1世(影))
ロベルタ&バーサーカー(高槻涼)
北上&魔人(アレックス)
蒼のライダー
予約します
>>782
ご指摘ありがとうございます。以後念頭において投下します
何が始まるんです?
タイタス一世と蒼ライダーがわかんね。
めっちゃ遅れましたが、企画主権限で許して下さい。恐らく前編中編後編にはなろうかと思います
投下します
事の発端は、十一時を回ってから大分経った頃に遡る。
パシリ――ダーマス――が悪魔に変身する技能を得た事を知った十兵衛は、この男をどう利用するかと言う事を模索していた。
使えるものは犬でも猫でも親父から残された土地と言う遺産だけで生活する武術だけが取り柄のもうすぐ四十近い童貞のニートでも使う、それが佐藤十兵衛である。
当然、デビルマンになった増田を十兵衛が利用しない手はないのだが、問題になるのはその利用の仕方である。
現状、増田が悪魔になったと言う事実を知っているのは、どんなに少なく見積もっても三人。十兵衛と彼のサーヴァントである天子、そしてそもそも増田を悪魔にさせた術者。
あの見るからに利発そうなライドウを出しぬける可能性を傘下に収める事が出来た、と言う事実が重要である。
真っ当な主従ならライドウに、知り合いが悪魔化した情報を知らせるべきなのだろうが、十兵衛はそれをしない。
同盟相手の知っている情報は『同盟相手なんだから共有しろ』と口にするくせに、『自分だけが知っている情報は独占する』。有り触れたやり方だが、彼はそれを実行した。
とは言え、増田にも一応5%程の人情を抱いている十兵衛は、なるべくならこの男を死なせたくないとは思っていた。残り95%は利用してやるかの精神だ。
これだけ重要なサンプルを、たった一戦戦わせただけで失いました、では幾らなんでも運用が下手過ぎる。これでは増田に余りにも失礼だ。
それに可能な限り、戦闘は避けたいと言うのが十兵衛の本音だった。天子は強いサーヴァントではあるが、彼女がその強さを発揮しようとする限り、
魔力の消費と言う問題がどうしてもついて来る。天子に曰く、十兵衛は魔力に乏しいマスターであると言う事。
それはそうだろうと彼も思う、魔力を鍛える訓練など今までして来なかったのだから。この乏しい魔力を最大限有効に活用したい。早い段階からの戦闘は避けたい事柄だった。
そして同時に、増田、つまり、悪魔となれる人間の耐久力や再生力、そしてその性質を十兵衛は知りたい。
ライドウ達の話を聞いて確信した事だが、NPCを悪魔化させるその女キャスターとは、十兵衛も天子も相容れられそうになかった。ほぼ確実に、出会えば敵対するであろう。
余りにも女キャスターとそのマスターは、社会性に反している。社会の屑であるヤクザ達ですら、自身の生活の為にある程度は既存の社会と折り合いをつけると言うのに、
その折衷を付けると言う社交性をまるでその主従からは感じられない。つまりどう足掻いても、話が通じない。ならば、敵対の道しか見えないのは当たり前の事だった。
十兵衛が考えた、資源――増田――の有効活用は即ち、メフィスト病院への入院であった。
増田には「取り敢えず身体が心配だ!! 先ずは病院に連れて行ってあげよう!!」、と常より1オクターブ高い声で増田に感動を与えてやったが、無論治療など嘘八百。
真意は、メフィスト病院の内情及び、其処にいるサーヴァントの情報をあぶり出す為だ。
メフィスト病院、当然その名前は十兵衛も知っている。佐藤クルセイダーズを<新宿>中に散らばらせるまでもなく、
適当にネットサーフィンをしていたら引っかかった程である。当然、十兵衛も天子も、其処がサーヴァントの居城である事は百も承知である。
知っていて何故、今まで足を踏み入れるどころか、アウェーを続けていたのかと言うと、余りにも怪し過ぎるからだ。
口コミ、ネット上の情報、その他諸々。あらゆる情報収集手段を駆使して解った事は、『現代より遥かに進んだ技術でどんな病気も怪我も治してしまう場所』だと言う事。
十人二十人がそんな事を口にする程度なら、十兵衛も良く使う『サクラ』だと割り切れるが、そんな評判があまりにも多い。今まで見て来た情報の99%程がそれだった程だ。
余りにも情報が、メフィスト病院を礼賛するそれしかない。それ以外に目ぼしい情報が全くない。余りにも完成され過ぎた情報統制だ。
情報の少なさと、<新宿>の町中にあれだけ目立つ居城を建立する大胆不敵な作戦。余りにも不気味過ぎるので、今まで知ってて無視して来たが、増田を使えば、その秘められた領域を垣間見る事が出来るのでは、と十兵衛も思ったのだ。
先ず行う事は、増田に治療を受けさせる事だ。
増田に施された悪魔化の処置は疑いようもなく魔術或いはサーヴァントの手によるものである為、当然メフィスト病院側もそれなりの処置を使う筈だ。
これを以て、メフィスト病院が有する技術の概略を見極める。あわよくば、「俺はダーマスの付添人だ」と上手く言いくるめてその治療の現場も目の当たりにしたい。
治療が駄目ならば駄目で、それで良い。メフィスト病院の技術をある程度見極められたら、元々の使用法――サーヴァント達との戦いの駒として利用してやるだけだ。
治ろうが治るまいが、十兵衛が得する可能性が高い作戦だ。唯一の不確定要素は、メフィスト病院のサーヴァントが此方の意図に気付き、襲い掛かって来るかどうかだが。
そうなればそうなったで良い、増田を盾にして逃走するつもりだし、これを口実に、正午に決める指名手配主従二組のどちらかを叩く、と言う方針をサボる事が出来る。
しかもただサボるのではなく、メフィスト病院の内情とその主の強さを教えてやれば、サボったと言うマイナスイメージをチャラにしつつ、令呪も貰いに行けるかも知れないのだ。メリットの方が大きいのである。
そうして、現在に至る。
場所は信濃町のメフィスト病院。正統な歴史では、本来この病院にはK義塾大学の大学病院が建てられていた筈だが、それを乗っ取る形でこれが現れた。
十兵衛と天子、増田は、その白亜の威容を駐車場入り口の辺りから見上げていた。夏の熱い日差しを受けて照り輝くその白い大伽藍は、巨大な石英の山脈の様に見えた。
その姿を見て増田が、「おぉ、此処ならばもしかして……!!」と期待に満ちた声を上げているが、十兵衛の内心はやはり穏やかじゃない。
何せ今から、サーヴァントの居城に足を踏み入れねばならぬのだ。緊張もすると言うものだった。
【私を信じなさいな、十兵衛】
と、念話を通じて、霊体化した天子が話しかけてくる。
どんなに用意周到に場と状況を整えても、戦いと言うものに絶対はあり得ない。どうしても運が絡むからだ。
しくじったら、全力を尽くして何とかするしかない。天子のなげやりで、しかしどこか気を遣うような声音で、何時もの調子を取り戻す。
夏の暑さで噴き出る汗に混じって流れ掛けた冷や汗を弾き飛ばし、十兵衛は、身体を蝕もうとしていた怯懦の念を、富田流の奥義であるところの『無極』で消し飛ばした。ゼロカンマ一秒の速度で、体中に殺意を漲らせた十兵衛。
「行くぞ」
と、増田にそう口にする十兵衛の声音は、怖かった。
何時もと違うトーンの十兵衛の声に、一瞬たじろぐ増田だったが、慌てて、前を行く十兵衛の所について行く。
メフィスト病院のロビーは、此処が本当にサーヴァントの拠点かと疑ってしまう程に、現代的過ぎていた。
サントリー、コカ・コーラ、DYDO等の自販機が置いてあるだけでなく、購買に売っている物も、世界的に有名な日本のメーカーのお菓子やカップヌードル。
夏の季節である為か、病院でも冷菓の類が売れているらしい。アイス用冷蔵庫の商品の減りが目に見えて理解出来る。ご丁寧に、ウォーターサーバーまで設置してある。
【……どう思う、セイバー】
【異様よ。本当にサーヴァントの拠点なの、此処……? 変な魔方陣とか人の頭とか飾ってた方がよっぽどらしくて、怖くなかったのに】
どうやら素人目の十兵衛から見ても、サーヴァントである天子から見ても、この空間は異常であるらしい。
余りにも、普通の病院と変わりない光景だ。唯一違う所があるとすれば、日本の病院のロビーによく見られるような、
病気や怪我でもないのに病院を井戸端会議の場所にしている老人の様な、冷やかしの類が存在しないと言う事だ。
此処にいる全員が、何らかの理由でこの病院の力を借りたい患者か、その関係者と言う事になる。その数が、かなり多い。何十席もある待合席が全て、埋まっている程だった。
「すいません、初診なんですが」
受付の方に向かって行き、十兵衛は受付担当の医療事務にそう告げた。
「かしこまりました。それでは、二階の応接間でお待ちください。じきに『院長先生が診察して下さりますから』」
事務員のこの言葉を聞いた瞬間、十兵衛も、天子も。表情を凍り付かせた。二の句を、受付の女性に十兵衛は告げられなかった。
【……バレてるみたいだな】
【どうする? 逃げる?】
【……いざとなったらマジで守ってくれよ、セイバー】
【くどいとただでさえモテないのにもっとモテなくなるわよ十兵衛。胸張りなさい】
【解った】
其処で、すぅ、と呼吸を一度行い、乱れかけた体のリズムを整える。そして、元の状態に復調した後で、十兵衛は、口を開いてこう言った。
「応接間までのルートを教えて下さいますか」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
応接間、と言うよりは最早西欧の王宮の客間か待合室を思わせるような部屋だった。
見るも絢爛なバロック様式で統一された内装だった。顔も映らんばかりに磨き上げられた大理石の床。
染みも無ければ汚れもないワイン色の壁紙と、其処に掛けられた、キリスト教を題材にした宗教画。絵の中では天使(ミカエル)が、悪しき竜を征伐していた。
天井から垂れ下がる巨大なシャンデリアはそれ自体が水晶の小山の如く大きく、豪華以外の言葉を失う程の凄味を放っているが、そのシャンデリアそのものを支える、
天井自体も凄まじい。天井はもれなく全て巨大な一枚の黄金をドーム状に誂えたもので、その黄金を彫金し巨大な一つの天井画形成していた。
モチーフは、ルネサンス期が生んだ希代の天才ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂に描いて見せた様な、最後の晩餐に似ており、総勢数百人もの男が描かれていた。
十兵衛や増田からすれば、世界史の資料集の中でしか見た事のない内装である。
観光を行う分には、こう言った豪華絢爛な場所は感嘆すると言う行為で済まされるのだが、大事な用があると言う理由で此処に通されると、全く落ち着かない。
余りにも居心地が悪すぎる。チェスターフィールドの上に腰を下ろし、不遜な態度で、この病院の院長の到着を待つ十兵衛。
誰も何も喋らない為、余りにも空気が重い。呼吸が苦しい。しかし、十兵衛自体も何かを話す気になれない。これから起るであろう何かを、夢想すればさもありなんだ。
因みに天子は、霊体化した状態で部屋の中を歩き回っていた。内装や調度品に興味津々らしい。今は、季節上使われていない暖炉と、その両サイドに設置された黄金の燭台に目を奪われている。燭台の表面には、鮮やかなエメラルドがはめ込まれていた。
「十兵衛くん、此処本当に病院なんだよな……?」
不安そうに増田が訊ねるが、そう聞きたくなる気持ちも無理はない。明らかに本や旅番組のVTRに出て来るような、ここは世界遺産レベルの西欧の宮殿そのものだ。
少なくとも、一病院のフロアでは断じてない。治療をしに来たのに、こんな場所に案内されては、増田でなくても不安になる。
「院長の趣味だろ」
そう信じたい十兵衛だった。増田の言葉にそう返した、瞬間だった。
閉じられた鋼色の自動ドアを透過するように、途方もない密度と質の鬼風が、今いる応接間に叩き付けられたのを十兵衛は感じた。
いや、十兵衛だけではない。増田も、扉の向こうに、人外じみた存在が待機している事を理解したのだろう、忙しなく動かしていた指の動きが止まっていた。
NPCですらそれだ。サーヴァントである天子など、敏感に扉の向こうにいる存在の事を感じ取っていた。魔力を流すパスを通じ、天子が嘗てない程緊張しているのが、十兵衛には解った。
【誰がいる】
【化物】
天子の答えは率直だった。
アバウトすぎる、と常ならば突っ込む所であるが、その気も起きない。実際、その通りとしか言いようがない程、扉の向こう側の何かは、桁違いの存在であったからだ。
閉じられた鉄扉が開いて行く。
ゴシック様式で統一された部屋の壮麗さが、増した。いや、逆だ、壮麗さが逆に、色あせた。
部屋の壮麗さが、部屋全体から、開かれた自動ドアの一点へと集約される。しかし、それでもなお足りない。
部屋の中へと足を踏み入れた、踝まで届く程の長さの白いケープの男に比べれば。この部屋の壮麗さなど、元よりなかったも同然だった。
増田がその場から動けずに、固まった。空気で誂えた目に見えない拘束服で、自由を奪われているかのようだった。
十兵衛にしても同じであった。そして、天子にですらも。本物の殺し合いを経た十兵衛ですら、天人と言う貴く高貴な身分である天子ですらも。
気を奪われ、忘我の境地へと誘われてしまった。果たしてその姿を、誰が責められようか。
どんな白光も瞬く間に呑み込んでしまうかのような黒く長い髪を、風の精霊(シルフ)の任せるがままにしたこの男の姿を見て。
世界の屋根たるヒマラヤの万年雪ですら、黒ずんで汚れた汚泥としか見えぬ程の白いケープを羽織った、『美』その物とも言えるこの男――メフィストの姿を見て。
気を奪われない人間など、あり得ないのだ。誰もが皆、彼の姿を見て、余りに美しさに言葉を失うのだ。それが、当然の理であり、世界によって課せられた責務であるかのように。
「待たせてしまったかな」
人の形をした白い恒星が、喋っているかのようだった。
発せられる言葉は、口から『出る』と言うよりは『奏でられる』と言う方が相応しい。美男子の姿で現れる神が爪弾くハープの如き声音で、メフィストは三名に語りかけて来た。
「……いや」
十兵衛が返事をする。そのたった二文字の、発すれば一秒と掛からぬ短いその言葉を発するのに、何時間も掛かったのではと思う程の錯覚を、十兵衛は憶えた。
「患者は其方で、宜しいのですかな」
と言って、メフィストはその目線を増田に向けた。
白い魔人の眼線は、今にもルビーやサファイアめいた輝ける色味を放ちそうだった。目線ですらも、美しい。
それに貫かれた増田は、呼吸すら止まっている。何も、言葉を発する事が出来ない状態に今彼はあった。
「そうです」
であるので、十兵衛が代わりに答えた。声は、笑ってしまう程上ずっていた。
「症状の方を、お伺いしたい」
そう言ってメフィストは、十兵衛らが座るチェスターフィールドの向かい側に腰を下ろす。
立てば芍薬座れば牡丹、とは言うが、この男の艶やかさを形容するのには、最早花では不足が過ぎると言うものだった。
「あー……こいつは見ての通り、緊張してるようだから、俺から説明しても良いかな」
提案する十兵衛。増田は、表情も無ければポーズにも躍動感がない、出来損ないの彫像のように、座ったまま動けずにいた。
「良かろう」
メフィストは許可を取る。医者とは思えぬ程居丈高な態度だったが、逆にこの男が下手に出ると言う姿が、十兵衛にはまるで想像が出来なかった。
十兵衛は増田に代わり、彼の病状をメフィストに伝えた。悪魔と呼ばれる謎の怪生物に突然変異(ミューテーション)を起こしてしまう事。
それに付随して途轍もない飢えに彼が苦しんでいる事。その様子を、格調高いオペラを静観するように、メフィストは目を瞑って聞いていた。
十兵衛の話が粗方終えると、静かに瞳を開け、メフィストは増田の方に目線を送る。
「私の方で、簡単な触診だけは済ませておこう。治療は、ICUで行うとしよう」
「ICU!? オイオイ、重病患者って言ってるようなもんじゃ……」
「無論、私の想定より軽い病気であるのなら、ICUには搬送しない。増田さん、それでは、上着の方を」
いつまでも固まった状態では流石に埒が明かないと判断したか、十兵衛は増田の後頭部を叩いた。
其処で漸く彼は自我を取り戻したらしい。感情らしい感情が渦巻いていなかった瞳に、何時もの間抜けな光が宿り出した。
「増田、上着上げろ。触診だ」、と告げる十兵衛。慌てて増田が、来ていたシャツを胸元まで上げる。
メフィストは聴診器の類は使わない。光で出来ているような白さの左手を、増田の胸部に当てるだけ。ビクッ、と増田が反応する。
病巣は愚か、過去や魂すら見透かされてしまうのではないか、と言う程の説得力が、メフィストの触診にはあった。
後数秒触れていれば、前世や未来すらも知れるのではないか、と言うそのタイミングで彼は左手を離した。
するとメフィストは、右薬指に嵌められた指輪から、ホログラムの様な物を投影させる。ホログラムは一瞬の内に、薹の立った中年女性の顔を形作り、それに対してメフィストは声を投げ掛けた。
「彼を情報診察室に」
そう告げると、ホログラムをメフィストは打ち切った。
四十秒と経過しない内に、応接間に一人の医者と一人の看護婦が入って来た。
メフィストが指示するまでもなく、二名は増田の方に近付き、「診察室の方までご足労出来ますか?」、と訊ねた。断れる増田ではない。
きょとん、とした顔で彼はチェスターフィールドのソファから立ち上がり、二人の医療スタッフに連れられる形で、応接間を後にするのだった。
――そして、応接間にはメフィストと十兵衛、そして、霊体化した天子が残された。
十兵衛は、部屋の空気が一気に零下を割った様な錯覚を覚えた。天子にしても、それは同じだろう。
増田、と言う患者のNPCがいた為に、メフィストはつとめてその鬼気を抑えていた。今は違う。この場にいるのは真実、聖杯戦争の関係者だけ。取り繕う意味など、全くないと言っても良かった。
「霊体化を解きたまえ」
常ならば十兵衛は、此処で惚ける演技の一つや二つ、見せていた事だろう。
しかし、そんな気にはなれなかった。いや、出来なかったと言うべきか。メフィストの言葉の重みが、余りにも強くて、すっ呆けてやり過ごす事が不可能と判断したからだ。
メフィストの言葉を受けて、十兵衛は念話で天子に実体化を命令。
素直に、セイバーのサーヴァント・比那名居天子が姿を現した。火のついていない暖炉の傍であった。
流石に天子は、早々に我を取戻し、元の不遜な態度を戻ったらしい。いつも通りの顔つきで、メフィストの事を眺めていた。
「何時から俺達の存在を知ってた」
「その質問は、愚問と言う他ない」
メフィストは、十兵衛の問いを下らぬとばかりに切り捨てた。発する言葉には、ピシャリ、と言う効果音が付きそうな程、その声音は辛辣な物だった。
「自分の拠点にサーヴァントが侵入し、それに気付けぬ拠点の主など、最早いるに値しない」
「要するに、入った瞬間から気付いてたって事ね」
天子が言う。チェスターフィールドに彼女は既に近付いていた。背もたれの後ろだった。
「ダーマスをどうするつもりだ?」
背もたれに深く寄りかかりながら、十兵衛。
「ダーマス? 君が増田と言っていた少年の事かね」
「アンタから見たダーマス……ややこしいと思うから次からは増田で通そう。珍しい患者じゃないか?」
「率直に言うと、私ですら見た事もない病状だ。だからこそ、興味深い」
「それだよ」
「ふむ」
「単刀直入に言うと、俺はアンタの事を信用してない。方々でこの病院の事を調べたよ、大層腕も良くて献身的な医療をなさるらしいな」
「よく調べている」
「それ以上の情報がまるでないんだよ。アンタの病院について調べて見ても、出て来る物はメフィスト病院マンセーと来てる。その上、アンタ、サーヴァントなんだろ? これで信用が出来る訳がない」
「君が怪我を負えば、全てが解る」
メフィストが何気なく、何の感情も込めずに紡いだその言葉は、吟遊詩人(トルバドゥール)が詩を吟じるが如き神韻が含まれていた。
しかし、その言葉に天子は即座に反応した。体内に魔力を循環させ、鋭い目線でメフィストを睨みつける。警戒している証だった。
目線を、メフィストは十兵衛の従えるセイバーに向けた。心の内奥に隠された恥部すらも剔抉されるのでは、と怯えずにはいられない程の眼光だった。
天子が有する絶対の、天上天下に例えられる程の圧倒的我の強さが、揺らぐのを彼女は感じていた。
「対魔力を有する三騎士相手に、挑んでみるか? 魔術、通用しないぜ?」
「私を相手に、対魔力が意味を成すスキルだと思うか? 私の力が何処まで通用するのか、私は試してみたいがな」
氷で出来た手で、心臓を握られるような恐怖を天子も十兵衛も覚える。
キャスタークラスである事は、既に十兵衛は解っている。可視化されたステータスがそう表記しているからだ。
キャスターにとって対魔力を有する三騎士のクラスは、正に天敵の中の天敵。キャスターの十八番である魔術が通用しないのだから当然だ。
その対魔力を、メフィストはまるで意に介していない様子なのだ。ブラフでは、ないのだろう。この男ならば、対魔力の差など容易く超えてしまう。それだけの説得力を、メフィストは、身体で、威圧で、そして美で。十兵衛達に解らせていた。
「この病院で争いは認めん」
数秒程の沈黙を置いてから、メフィストが口にする。
「君達と争う程私も暇じゃない。それに、増田と言う患者は、何に利用する訳でもない。況してや解剖して殺すなど論外だ。当病院とその優秀なスタッフが責任をもって治療に当たる」
メフィストが口にしたその言葉に、一切の嘘もない事を、十兵衛は感じ取った。
余りにも、言葉に内包されているパワーが違い過ぎる。この男は、言った事を違えぬと余人に知らせしめる力を、余りにも持ちすぎていた。
「アンタに聞きたい事が一つある、ドクター」
「何か」
「増田の病気の事だ。あれ、治せるのか?」
「結論を言えば無理だ」
一切の逡巡もなく、メフィストは匙を放り投げた。
「何それ? 本当に医者なの貴方?」
「訂正しよう。所謂飢餓の状態は、抑制する事は容易い。但し、その飢餓を齎している根本の原因……悪魔の状態を取り除く、と言う事が不可能なのだ」
「実は、増田をアンタの所にやったのはそれでね。この病状について、詳しく知りたい訳だ。アンタの見解を聞きたい、ドクター」
「良いだろう」
メフィストは断らない。彼にとっては、珍しい病状の患者の治療とは、生き甲斐の一つ。それを此方に送った十兵衛に対し、労いの一つはくれてやろうと、彼は思ったのだ。
「原子より小さい物体とは何かね」
「素粒子だろ」
嘗ての物理学では、原子即ち『アトム』こそが、物体を構成する究極の物質であるとしていた事がある。究極とは即ち、物質を構成する最小単位と言う事だ。
しかし、十九世紀の末頃に、ジョセフ・ジョン・トムソンが原子より小さい『電子』を発見した事により、その常識は変革され、化学と科学は大きく進歩して行く。
トムソンが電子を発見したのは一八九十年。其処から人類は、様々な素粒子を発見する事になる。
陽子、中性子、中間子、ニュートリノ、クォーク、ヒッグス粒子。これらを発見した物理学者は何れもが、物理学の歴史に名を残す偉大な学者だ。
分子や原子、素粒子の世界とは究極に等しいミクロの世界であり、分子や原子のレベルの小ささになると既存の物理学とは全く違う動きを示す。この究極のミクロの世界を研究する学問こそが、所謂量子力学である。
「学校で習えるレベルでは正しくそうだろう。だが、それですらもまだ大きい。素粒子よりもっと小さい物質――いや、それは最早物質ですらない。我々は敢えてそれを、『情報』と呼ぶ」
「おいおい、胡散臭いな。新興宗教の戯言レベルだぞそれ」
「フフン。無知ね、十兵衛。仏教では今其処の美魔人が言ったような概念を、『極微』と言うのよ」
「ごくみ?」
「仏教に曰く、『在る』、つまり存在するものの最小を指す言葉よ。切れないし、壊せない。長くもなければ短くもなく、重くもなければ軽くもない。その形は四角でなければ三角でもなく、球ですらない。そもそも、形自体が存在しない。見えず、聞こえず、触れられず。一切のなにものでもないのに、一切のなにものでもある。それをこそ、極微。見える物の中で最も小さい『微塵』と呼ばれるものを、最も小さく分割した姿よ」
「博識なようだな、セイバー。その姿から、侮っていたよ」
「お褒めに与り光栄ね。やる事が勉強しかなかった時に適当に学んだ知識だけど、此処で役立つとは思わなかったわ」
十兵衛はすっかり忘れていたが、天子は天人の中にあってもかなり上位階級の人物だった事を思い出した。
普段はお転婆の極み、唯我独尊を絵に描いた様なフリーダムな女だが、学識はかなり深いのだ。無論科学や物理、生物に数学などはてんで、と言う奴だが、こう言った古典の内容には彼女は詳しいのである。
「増田さんの病気を一言で表すなら、この情報レベルでの在り方の改竄だ。情報を意図的に変え、人間としての性質を残しつつ、悪魔と呼ばれる超常の存在に変身出来る力を与えている」
「あー、待ってくれ。要するに……レゴブロックを組み立て直すようなもん、って言うのか? 増田って言う人間を構成する小さいブロックを組み直して、ただのNPC増田から『悪魔に変身出来るNPC増田』に組み直したと」
「概ねその通りだ。が、その答えでは八十点程だな。恐らくは増田さんにその術を施した術者は、組み直す、と言う高等な技術は出来ないだろう。厳密には組み直しではなく、『突然変異させた』と言う方が正しいだろう」
「何で、そう言えるんだ?」
「情報を組み直す事など不可能だからだよ」
「門外漢で解らないが、そんなに凄い事なのか? いや、勿論アンタの話を聞くだけでも、とんでもない事だとは解るけどよ」
「奇跡、と言う言葉がある。魔術の世界に生きる者に於いてこの奇跡と言う言葉は、科学や魔術を含めた現代の技術で、絶対に成せない現象を我々はこう呼ぶ。情報の再構築。これは、死者の蘇生、時間の遡行、生命の創造に匹敵する程の不可能事だ」
「仮に、情報の再構築とやらが出来るとしたら、何が出来るんだ?」
「石ころを宝石や黄金に出来るなど、造作もない。水を土に変え、大洋に大陸を生み出させる事も出来れば、その逆、大陸を質量相応の海水に変える事も出来る。一人の人間を百万の蝶や十万の小魚にする事も出来れば、空気の情報を組み直して衛星を生み出す事も出来、金星を地球と同じ水のある惑星にも出来る。そして極め付けに、惑星の創造ですらも簡単にこなせるだろう」
「デタラメだな。そりゃ不可能だわ」
「そう言う事。冷静に考えて見なさいな、もしもそんな事が出来る存在を呼び寄せられるのなら、聖杯なんて無用の長物でしょ?」
「もっと言えば、そんな存在が聖杯で招ける筈がない。絶対に、だ」
其処で、メフィストは一呼吸置いた。
「情報を制御、書き換える事自体は、不可能ではない。情報にまた違う情報を超高速で加筆し、物体の強度を底上げする、物体の加速度を爆発的に跳ね上がらせる。こんな能力はザラに見られる。だが、それらは全て、単なる物質で行うと言う共通点がある。人間を含めた鳥獣虫魚は、情報の強度と、加筆したり書き換える難度が桁違いに高い。また同様に、自然界の絶対原則。例えるならば、光より速く動けない、と言う物か。これも、どんなに卓越した情報制御の理論を持ち出した所で、加筆・書き換えは不可能だ」
「要するに、こう言う事か。物理学の基本中の基本となる原則や、人間含めた生物の書き換えは、実質的には不可能。んで増田はどう言う訳か、この情報を再構築されてるから、アンタには治療出来ない、と」
「ただでさえ人間の情報を書き換えるのは困難だと言うのに、その情報の改竄の度合いが余りにも高すぎる。あれを完治させるのは、我々でも手に余る」
「さっきドクターは、突然変異的に増田の情報を改変させたと言ってたが、それについて詳しく聞きたい」
「情報の再構築が、少なくともサーヴァントの身では不可能なのは言った通りだ。故にもしも、増田さんを悪魔に変身出来る人間にさせたいと言うのであれば、情報を再構築させるのではなく、『情報を突然変異』させるしかない」
「情報の突然変異って言うが、それどう言う意味よ」
「増田さんをあのようにしたサーヴァントは、情報に干渉する手段こそは持っているが、再構築にまで至る手段ではなかったのだろう。其処から推測出来る事は、恐らくそのサーヴァントは、情報を改竄するそのスキルないし宝具を、完全に制御出来ていないと言う事。もしも完全に制御出来ると言うのなら、もっと強い怪物に増田さんを変身させられるだろうし、そもそも自分達で増田さんを統率するだろう。つまり、NPCを悪魔化させるその手段は、術者を以ってしても『どんな悪魔に変身する事が出来るのかは施術後でなければ解らず』、施術後は『そのサーヴァントであっても制御が困難』。だからこそ、突然変異と言う言葉を用いたのだ」
「悪魔化した人間の性能って言うか、身体能力の上がり具合を知りたいんだが」
「基本的に、元となった人間の素の身体能力の、二〜三倍程と言った所か。但し、悪魔になった場合は別だ。その時は、その悪魔の身体能力に準ずる。無論、人間とは比較にならんぞ」
となると、やはり悪魔化した人間を相手に、武器を持たずに変身前の姿と戦うのは愚作と言う事か。
当たり前の事ながら、変身後に戦うのは論外である。勝てぬ喧嘩と必要のない努力を避けるのが、佐藤十兵衛と言う男だった。
「餓えについて聞きたいんだけど。今一コレがピンと来ないんだが」
「先程の触診で理解したが、情報の改竄の影響で、食欲中枢に異常が起きている。正常の食物では満腹感が極端に得られ難い身体になっている。増田さん、いや、悪魔化出来るNPCが空腹を解消するには、DNA……その中でも、ヒトゲノムを多量に含んだ肉でなければならない」
「要するに、人間喰わないと飢えが満たされないって事か」
「その通り。しかし、この病気の悪辣な所は、人ばかり食していると次のステップに移行してしまう事だろう」
「次のステップ?」
「ヒトゲノムを摂取し続けていると、今度はそのヒトゲノムと言う情報が、悪魔化した人物の、『悪魔に変身出来るよう突然変異を起こされた情報を強固にする』。すると、如何なると思う?」
「解らんね」
「当該人物から、その人物をその人物足らしめる性格や人間性が消滅し、『変身出来る悪魔の性格がその人間の性格になる』」
「……それ、変身出来る悪魔次第では、大変な事になるわよ」
「その通り。変身出来る悪魔が邪悪な者であればある程、被害は甚大になる事は想像に難くないだろう。ただ餓えを満たすだけではまるで意味がない。極めて悪辣な病気だ」
聞くだに、悪辣な病気としか言いようがない。
人間としての良識が人より欠いている十兵衛とは言え、幾らなんでも、こんな病気をNPCに感染させるなど、人間の所業とは思えない。
これだけ危険な存在を、統率するでもなく、無秩序に野に放つ。本当の意図は現段階では不明だが、どちらにせよ解る事は、かなり破滅的な性格の持ち主、
と言う事だけは解る。この情報を得られただけでも、十兵衛としては、十分過ぎる程のリターンだ。後は――
「ドクター」
「何か」
「増田を返してくれねーか」
「NPCとはいえ、人を物扱いするのは頂けんな」
「駒だよ、物よりはマシだろ」
「どちらにしても、彼は今私の患者だ。私が納得の行く施術をするまでは返さん」
予想出来ていた返事ではある。
あれだけ貴重なサンプル、メフィストでなくとも返したくはないだろうとは十兵衛も思っていた。
そうなれば、口八丁で何とか返せるかとも、メフィストに逢うまでは思っていたが、メフィストと一言二言会話し、それは望み薄にも程がある話だったと思い知らされた。
結果は案の定。メフィストは、サンプルではなく、絶対に治したい患者として、増田を十兵衛に返還する気がないようである。リターンを既に得られた十兵衛であるが、彼は、これ以上を欲していた。
「まだ望みがあると言うのかね」
侮蔑の光を宿して、メフィストが言葉を放った。
「彼を通じて、悪魔化するNPCの情報を得る、と言う最低限のラインは満たせただろう。君に最早用はない、去りたまえ」
メフィストは十兵衛の意図など御見通しであったらしい。
そして、患者を此処まで搬送すれば、十兵衛と天子など後は用済みであるらしい。此処で、はいそうですかと引き下がる訳には行かない。
「戦略上増田は俺達にとって重要な駒(ピース)なんだよ。潜在的には増田は俺達の側に傾いてる、味方としても機能する訳だ。それに、アンタの前で隠しても無駄だから言うが、俺には魔力がない。よって、使えるものは全て無駄なく使わなきゃ、聖杯戦争は生き残れない」
「道理だな」
「だがアンタは、患者として増田を認めた以上、自分が最善を尽くしたと思うまで奴を返還したくない」
「そうだ」
ここまで会話して十兵衛は確信した。このメフィストと言うサーヴァントは、極限まで自分の都合に沿って行動する、究極の我儘である事を。
彼の行動方針とは即ち、患者の治療であり、病院の運営である。このサーヴァントは八割型、聖杯戦争の行方などと言う物に興味がないのだ。
ただ、自分を求める患者を治せればよい。このサーヴァントは――本物(マジモノ)だった。ならば、通常の話し合いや妥協・折衷案などまるで意味を成さない。
メフィストの意に沿い、メフィストが従う法則の下での契約でなければ、この男は絶対に首を縦に振らない。その事を、十兵衛は理解した。
「OK。飽きるまで増田を治してて良いから、奴の治療の現場に俺を立ち会わせて欲しい」
「ICUに部外者を入れる医者は最早医者ではない」
予想通りの返事だ。断られる事は織り込み済み。
セールストークのテクニックの一つに、最初に相手方が高確率で断る可能性の高い提案を提示し、断られた後で、先に提案した内容よりも断られる可能性が低い『本命』の提示を行う、と言う物がある。相手の「それくらいだったら別にやってもいいか」、の精神を利用するのだ。十兵衛はこれを行った。
「なら、見舞客として俺を増田の近くの部屋に置いてくれよ。それ位は良いだろ」
「若いにかかわらず、意外と調略が上手いな」
「軍史官兵衛を見てたからな」
メフィストからすれば、十兵衛の小細工など、全く問題ではないらしい。
この小賢しい青年が弄していた調略を見抜いていた事からも既に窺える。十兵衛も、もう如何にでもなれと思っているらしく、取り繕う事すらしなかった。
「見舞客や患者の関係者は、ロビーか治療室前のソファで待機するように。これから、増田さんの治療に当たる」
「奴は何処で治療されてるんだ?」
「今は同フロアの情報診察室と言う所で先ずは様子を見ている。終わり次第、三階に移される予定だ」
「了解。出るぜ、セイバー。霊体化しとけ」
「解ったわ」
そういって十兵衛は移動の準備を始めた。正午を回らぬ、十一時半の事である。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
北上は率直に言って、驚く何てものではない程、自身に起った変化に驚愕していた。
理由は単純明快、アサシンのサーヴァント、浪蘭幻十の殺意の魔線によって切断され、欠損した自身の右腕である。
白い肌に包まれた、乙女の柔肉が、右肘より先から伸びていた。五本の指を動かしてみる。動く。鍵盤楽器ですら今なら華麗に弾いて見せそうな程、淀みなく指が動く。
肘より先も、動く。ナイフやフォークだって使えそうだった。そう、欠損する前の自分の腕と、まるで遜色がない程良く動くのである。
「不服かね」
そう北上に訊ねる男は、白美の光の化身だった。
銀雪が黒ずんだ醜い白色にしか見えない程の、純白のケープを身に纏う、美しき魔人。
佇むだけで、世界の美をより一層彩らせる男。或いは世界に満ちる美を一瞬で彼当人に収斂、奪ってしまう男。魔人メフィストは、己が拵えた義腕の出来を問うた。
「ぜ、全然……」
「良かった、手暇をかけた甲斐があった」
北上は左手で、右腕の肘より先の皮膚を抓ってみる。指に伝わる皮膚の張り、肉の柔かさは、乙女のそれ。北上の生身の部分とまるで変わらない。
――しかし、抓られていると言う感覚を、右腕は感じない。爪を立てて抓ってみても、やはり感覚がない。 痛覚、と言うより触感全体を取り払っているのだろう。義腕だから、であろうか。
「君の所持金では、感覚神経を通すような治療費を賄えそうになかったのでな。感覚処理はやらなかった」
メフィストは、北上に施した施術の内容を滔々と説明する。
「メフィスト病院謹製の人工筋肉に、同じく謹製の人工神経を埋め込み、その神経を、君の右腕の切断面から露出する神経と繋ぎ合わせたと言うのが、君に施した治療だ」
「……えっと、十分過ぎる、んじゃ……?」
医療知識など門外漢の北上であるが、如何聞いても、メフィストの術は凄い以外に表現出来ない。これ以上の治療など何があると言うのか。
「もっと値の張る治療には、患者のDNAを解析し、万能細胞で一から欠損した部位を創造する、と言う物がある。再生治療、と言う方が伝わりやすいか。尤も、それ自体も一万円以内の予算で済むのだが……君の腕を斬り落とした男の付ける傷は特殊でな。私も苦労するのだよ」
「要するに……治療費の殆どは、その傷の手間賃って事ですか……?」
「然り」
それだけの治療であるのならば、常識で考えるまでもなく普通は保険外診療で、当然莫大な治療費を要求されると言うのに、
予算一万以内でそれを済ませてしまう、と言うメフィスト病院の技術と、懐が大きいでは最早説明が出来ない程のあり得ない医療体制もそうだが。
そのメフィストをして、此処まで時間を掛けねば義肢の製作に当たれない、と言う幻十の技量も、恐るべき物だった。
「……その、モデルマンは何処にいるんですか?」
此処に来てから、北上は今いる義肢の制作工房に案内され、アレックスは別の治療室に移された。
メフィスト病院に入ってから北上は、アレックスの姿を目撃していない。メフィストが患者に対しては真摯な性格である事は北上も理解出来たが、サーヴァントと離れ離れになったこの状況で、何か害意を加えぬ可能性はゼロじゃない。それを北上は心配していた。
「心配せずとも、あのサーヴァントは治療を終えている。その後、此処の隣の部屋に案内された筈だ」
「嘘!? こんな近くにいるのに……」
パスを通じてアレックスが何処にいるのか気付けなかっただけでなく、念話すらも遮断されている等とは……。
やはりこの病院は、外とは別の法則が働いている、この世ならざる空間であるらしかった。
「案内しよう、来たまえ」
と言ってメフィストは、義肢の工房を後にする。
それを受けて北上も、急いで艦装を背負い、彼の後を追い、廊下に出る。その時には魔界医師は、本当に先程の部屋のすぐ隣の部屋に入室しようとしていた。
嘘じゃなかったんだ、と思いながら、北上は遅れてその部屋に入室する。果たしてそこには、あの頼りない勇者が存在した。
――その身体中に、蛮族を想起させるような、黒いラインを青緑色に光る青緑色の光線で縁取った入れ墨を、頭から足の指先に至るまで入れ込まれた、と言う姿でだが。
「も、モデルマン!!」
当然北上は、驚愕も露な反応を取る。北上は気付いていないだろうが、メフィストもまた、驚きの光を、その黒曜石の如き瞳の中で湛えていた。
「……何を成した。マスター」
そう言ってメフィストは、己の主である、金髪の紳士を問い質した。
メフィストのマスターであるルイ・サイファーは、部屋のコーナーに背を預け、メフィストから手渡された、スマートフォンに似た端末を弄っていた。
「力を欲する者に、力を与えただけさ。それ以上でもそれ以下でもない」
雅な微笑みをメフィストに投げかけながら、ルイは言った。
ともすれば威圧、恫喝に取られかねないメフィストの言葉を受けても、この不敵な紳士はその態度を崩しすらしなかった。
この男が何をアレックスにどのような業を行ったのか、メフィストは完全に理解していた。
ルイ・サイファーの左小指から生み出した、彼の大魔王の力を内包した悪魔の結晶体、マガタマ・シャヘル。それをアレックスに適応させたのだろう。
あれを適応させれば、悪魔の力を得る事は、メフィストも予想が出来ていた。その詳細と、能力の上がり幅についてまでは、メフィストも予想外だった。
今のアレックスのステータスは、此処に来る前に確認した平凡その物のそれから、幸運を除いて全てAランクと言う、英霊の座に登録されている古今の英霊達全体から見ても、
上位層のそれにまで修正されていた。単純な戦闘能力の向上の幅もそれだが、今のアレックスは魔人化する前に扱えた力を据え置きに、それとはまた別の、
シャヘルを適応させた事で獲得した『大魔王の力の一端』を振う事だって不可能ではない筈だ。まさに、劇的な強さの上昇である。――ただ、その力を奮い過ぎれば……。
「……ハハ、まぁそりゃ驚くわな。無理もない、俺も初めて見た時は驚いたよ」
と言ってアレックスは、自分の両掌を確認しながらそう言った。掌は勿論の事、手の指先にまで入れ墨は刻まれている。
「だが、マスターだって解るだろ。俺は、強くなった」
北上もそれは理解していた。何せアレックスのマスターである、此処に来る前の彼のステータスは頭に叩き込んでいる。
それと比較して、アレックスが凄まじく強化された事が、北上にも解るのだ。そう、間違いなく、アレックスは頼りになる存在になった。
……だが、何故だろう。その強さには全く親しみが持てない。アレックスが、恐ろしく遠い所に向かって歩み始めたのではないかと。
北上は、直感的に、そんな予感を感じてしまったのだ。……いや、気のせいだろう、と、思う事にした。
アレックスは自分の為に進んで、この力を獲得したのだ。その事の何処に、疑惑を向ける要素があるだろう。この世界で信じられる存在は今やアレックスだけ。
彼を信じてやらねば、どうする。命を懸けて浪蘭幻十から北上を救った、この勇者を。
「今度は勝つぜ。そして、聖杯にまでアンタを案内する」
そう語るアレックスの瞳には、魔性の輝きが星明りの様に煌めいていた。
その様子を眺めるルイの瞳には、宝石箱の中の輝石が光を受けて輝く様な喜悦の光が瞬いていた。
アレックスの事を信じていた北上と、彼ら二人を眺めるメフィストの瞳には――次の患者の治療をどうするか、と思案する、冷厳かつ峻厳な医者のそれになっていた。北上とアレックスには最早、メフィストは興味関心を失っているのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【流石に治療に時間がかかるな】
と、メフィスト病院のロビー、その待合席に腰を下ろす男がいた。
長身である。百八十cmは優に超える長身で、おまけに体格も、ラグビー選手宛らに大きい。大兵漢だった。
そんな見事な身体つきな物だから、クラシカルな黒礼服が実に良く似合う。フォーマルな服装と言うものは、着ている者の体格を如実に反映する。
貧相な身体つきだとこう言った服装は余り良く似合わない。彼――ジョナサン・ジョースター程の体格の持ち主なら、実に、礼服はサマになるのだ。
【元々負っていた手傷は僕の物よりも深刻だったろう、時間も掛かるさ】
と、ジョナサンは念話で、霊体化したジョニィ・ジョースターにそう告げる。
こうして、同盟相手である北上とアレックスを待って、一時間以上は経過している。待合の時間は、ジョニィとしても暇らしかった。
ロベルタによって打ち込まれた銃弾の摘出は、ものの数分で終わった。
銃弾の摘出、鉛毒の消毒処理、そして、銃弾が撃ち込まれた事によって磨り潰された筋組織の再生。
それら全てをひっくるめても、二十分と掛からなかったと言うのだから、驚愕と言う他ないだろう。余りにも手慣れ過ぎである、まるで同じ事を何万回とやった様な手際だ。
真っ当な病院ならば数時間を掛ける所を、メフィスト病院はそれだけ短い時間で、しかも完璧な処置をして見せたと言うのだから、素晴らしいと言うか、驚きと言うべきか。
だがそんなメフィスト病院と言えども、右腕を欠損した北上の治療と、脇腹を消し飛ばされたアレックスの治療には時間が掛かるらしい。既に一時間以上は経っていた。
ジョナサン達は、そんな同盟相手の治療が終わるのを待っていた。「腕の欠損何て一日単位で時間が掛かるかも知れないんだ、待つのは無駄だ。此処を去るべきだ」、
とジョニィは至極当然の提案をしはしたが、ジョナサンはよしとしなかった。同盟相手を見捨てると言う思考が、人情に反すると思ったからである。
とは言え、ジョニィが言う事も尤もなので、三時間経過して音沙汰がなかったら、受付の女性事務に言伝を頼み、移動を行う。そう、ジョナサンは決めていた。
その方針に、ジョニィは文句を言わなかった。
マスターの考える事なら仕方ない、と思ったのではない。ジョニィには確信があったからだ。恐らくはジョナサンにしても、同じ確信を抱いているだろう。
あの男――ドクターメフィストであるなら、北上の負った手傷であろうとも、神業の様な手腕で治して見せるのだろう、と。
掛かる時間は、きっと普通の医者がかける時間よりも遥かに短いに相違ない。それを予期していたからこそ、この主従はこうして待機の時間を選んだのである。
――果たせるかな、北上は、ロビーへとやって来た。
階段を降りる彼女の右腕を見て、ジョナサンもジョニィも、心底驚いた。腕が伸びている。人体としてはそれが当たり前だが、それが二名にとっては驚きなのだ。
如何なる業を覚えれば、腕の欠損を戻せると言うのか。ジョナサンらが見た時には、北上の右腕の肘から先は無惨になくなっており、肘周りには大量の血が付着していた。
そんな物は過去だと言わんばかりに、彼女の右腕は復活を果たしており、しかも見るに、義肢ではないらしく、極めて自然に腕を動かせている。
恐るべしは、メフィストの治療の腕前、そして、メフィスト病院の底知れぬ技術の数々よ。
北上はどうやらジョナサン達の存在に気付いたらしい。一瞬、驚いた様な表情を作った。
同盟のような物を組むとは向こうも知ってはいただろうが、まさか本当に組むつもりであったなどとは、思わなかったのだろう。
北上は受付の方に向かって行き、事務員と何かを会話、そして、懐から財布を取り出し、その中身を手渡し、釣銭を貰ってからジョナサンの所へと向かって行く。
「……凄いな、本当に再生するとは」
嘆息するジョナサン。
「いや、これアレだよ、義腕」
「これが、義肢?」
ジョナサンが驚くのも無理はない。誰がどの角度から見ても、今北上の右肘より先は、生身の肉体とまるで遜色がない。
「少しいいかな」、と断りを入れてから、軽くジョナサンは北上が義肢と言った部分に触れてみる。生身の感触だった。これが本当に人ので創られた義肢とは思えない。一から身体を再生させた、と説明してくれた方がまだ信憑性があった。
「アハハ、素人が触れただけじゃ解んないって。実際、義肢嵌められてる私だって、本物の肉体だって錯覚するレベルだもん。外から触った程度じゃ絶対わかんないよ」
「それだけの治療だ、当然値段が掛かったんじゃないのかい?」
ちなみにジョナサンの場合は、千五百円だった。
「七千円だったよ、こっちは」
驚きを通り越して最早呆れる他ない。腕の欠損など、ジョナサンがいた時代は当然の事、この時代でも大手術は免れぬ治療の筈。
それをあんな短時間で、かつこんなバカみたいな安値でやって退けるなど、おかしいとしか言いようがない。
メフィスト病院が現れて以降、周辺の病院や診療所、開業医から、この病院が他の医療関係者から仕事を奪い、医者の仕事の価値を下落させていると言う批判が多々見受けられるのだが、それも納得の値段設定だった。
「……何はともあれ、無事で良かったよ。早く、外に出た方が良いな。この病院は傷を完治された者は早く退院させるのが鉄則らしいからね」
これは事実で、メフィスト病院は傷が治った患者をいつまでも病院に留め置く事を良しとしないのだ。
メフィスト病院は一時間単位で新しい患者が十人、多い時で二十人もやってくる場所である。傷や病気が完治し退院する患者も、一時間単位で十人以上な辺りが、
この病院がサーヴァントの手によるものであると言う事の証左だが。兎に角、この病院には絶えずNPCがやってくる。何時までも患者をこの病院に留め置くと、
如何なメフィスト病院と言えどもパンクしてしまう。だからこそ、治した患者は早く退院させるのだ。
実をいうとジョナサンも、治療を担当した月森から、なるべく治ったら早く退院するよう言われたが、ジョナサンの場合は、
連れである北上の傷が治るまでは可能な限り此処にいさせて貰えないだろうか、という提案で何とか粘る事が出来た。
もしも彼女をダシにしてなければ、この病院のロビーでいつまでもうだうだしていられなかっただろう。
その彼女も、今や傷が完全に治った状態なのだ。
流石にこれ以上この病院にはいられないだろう。ジョナサンの言葉を受け、北上らはメフィスト病院から外へと出る。
【……マスター、あのモデルマンとか言うサーヴァントの主従、いつでも切る準備をしておくんだ】
出口に向かう傍ら、ジョニィが念話で、そんな事をジョナサンに告げて来た。その内容を怪訝に思ったジョナサンが、病院を出てすぐの所で立ち止まる。
【信用が出来ないのかい、アーチャー?】
【それもある。だが、もっと別の所に大きな原因がある】
【それは?】
【あのサーヴァントの気配が、全く別の物になってる。前までのそれは、人より少し違うな程度の奴だったが、今は違う。何て言うか、根本的に別の生き物に変わった様な感がある】
そう告げるジョニィの言葉は、恐ろしく真面目なものがあった。
ジョナサンには、霊体化したアレックスの姿は見えない。ジョニィにしてもそれは同じである。
が、如何やら彼の場合は、その気配を同じサーヴァントのせいか、感じ取る事が出来るらしい。ジョニィが嘘をついているようには見えない。何かしらの変化を、アレックスはメフィスト病院に齎されたと言うのか?
【マスター。これから僕の思った疑念を、君の口から彼女に聞いてみて欲しいんだ。僕の疑惑、とは言うなよ、一応】
【解った】
其処で、ジョニィが思った疑問点をジョナサンは聞いて行く。
「失礼、少し良いかな……えーとそう言えば、名前を聞いてなかったな」
先を歩いていた北上が振り返った。
「北上、だけど……何かあるの?」
「そうか。僕の名前はジョナサン。ジョナサン・ジョースターだ。いや、君を見ていて疑問があってね」
「何?」
「君の装備してた、あの鉄の装備だけど……何処にやったんだい?」
ジョニィに指摘される前から、ジョナサン自体も気付いていた。それを聞けなかったのは、聞く機会が見つけられなかったからだ。
今この機会に、ジョナサンはこれを訊ねる事とした。北上が装備していた、船の一部を切り取った様なあの装備を、北上は装着していないのだ。
メフィスト病院に置いて来たか、はたまた自分達の知らない所で没収、処理されたか。それは、ジョナサン達にも解らない。
「あぁ、アレの事? 流石にあれは目立つでしょ? モデルマンの魔術で透明にしただけだよ。ちょっと格が高いサーヴァントには、バレちゃう程度の代物らしいけどね」
成程、ジョニィの疑惑は本当のようである。
そうジョナサンが思ったのは単純明快。そんな便利な魔術が使えるのであれば、『ジョナサン達と合流し、メフィスト病院に足を運ぶ前から使っていた』からである。
北上の右腕を治療する、と言う名目で、そもそもメフィスト病院にジョナサンらは足を運んだ。この移動時、彼らは大通りを歩いたり、公共の交通機関を使えなかった。
理由は二つ。北上の右腕と、ジョナサンらが言う所の鉄の箱――艦装――が目立ち過ぎるからだ。
これがあったから、ジョナサン達は極力身を隠せるルートを選ばざるを得なかったのだ。艦装を隠せる手段があったのなら、初めから使っていた筈。
それを今になって、思い出したかのように自分に掛ける、と言うのは考え難い。となれば思いつく原因は、メフィスト病院でアレックスは何か力を得たか、或いは北上自身が力を得たかの二つ。ジョニィの警戒も、むべなるかな、と言う奴だった。
「そうか、そう言う事なら安心した。これで大手を振って街を歩ける」
「……と言う訳にも行かないらしいぜ」
と、念話を通さずして、北上のサーヴァント、アレックスが言う物だから、ジョナサン達は心底驚いた。
「前だ」、とアレックスが告げる。ジョナサンはその方向に目を凝らす。病院に向かって行く人々と、駐車場に入って行く車。
或いは、病院から出て行く人々と、駐車場から出て行く車。それに混じって、此方の方を眺めながら一歩も動かずにいる、黒いスーツと黒いサングラスの男の姿を、ジョンサンらは認めたのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【私達に気付いてるわね、あの態度……】
言われるまでもない。ジョナサンと、彼と会話していた緑色の制服を着た少女の挙措からも、それは窺える。
まさか気付かれるとは思わなかった。塞が怪しいと思うのならば、まだ話が分かるが、鈴仙の話を聞くに、如何やら彼女がサーヴァントである事も向こうは知っているらしい。
当然、相手が鈴仙の正体隠蔽スキルを見破れるサーヴァントである、と言う想定は何時だって塞は考えている。
それでもなお、驚きを禁じ得ない所がある。鈴仙の隠蔽スキルは、塞自体も全幅の信頼を置く程優れている。それをこうも簡単に見破るとは、並大抵の事ではない。
【……あの嬢ちゃんか? 右腕が欠損した少女って言うのは】
【誰がどう見ても、右腕があるけど】
塞が金の力で<新宿>中に張らせた情報屋や新聞社の記者連中の目撃情報によると、ジョナサン・ジョースターは、
右腕が欠損した少女を連れてメフィスト病院に入って行ったと塞に報告していた。あの少女がそうなのだろうか?
だが彼女、北上は、誰がどう見たって腕が欠損しているどころか五体満足の状態である。恐らくはメフィスト病院で治されたか。
だと言うのならば、メフィスト病院は前評判に違わぬ、とんでもない治療技術の持ち主であると言う事になる。敵に回すよりは、利用してやりたいと塞は直感的に考えた。
【どっちにしても、あの人間の娘は、聖杯戦争の関係者の可能性が限りなく高いわ。魔術の力で、何かを装備しているのを隠蔽しているのが解るわ】
塞にはとてもそうには見えないが、流石は波長を操る能力を持つ鈴仙だ。
北上が、艦装と呼ばれる鉄の装備を身に纏っている事を、その能力で彼女は理解したらしい。北上が聖杯戦争の関係者であり、ジョナサンと北上達が此方に気付いている。これらを加味した上で、塞は指示を出す。
【アーチャー、手筈通り頼む】
【了解】
鈴仙がそう告げてから、三秒程の空白の時間が出来た。
その間、塞とジョナサン達の睨み合いが始まった、が、向こうから攻撃に出れない事も塞はしっかりと計算している。
本音を言えば此方が聖杯戦争の関係者だと露見しない方がベストではあったが、露見しようがするまいが、この状況はどう転んでも塞にとって有利なのだ。
先ず、人につくメフィスト病院の駐車場でバレバレの張り込みを敢えて行っていた訳は、此処がNPCの往来も多い信濃町のど真ん中である事を利用した。
程無軌道な主従でない限り戦闘が出来ない。NPCを殺し過ぎれば討伐令の対象になり得る事が解っている現在、おいそれと人目のつく場所で戦闘など出来る筈がない。
縦しんば戦闘に持ち込もうと画策した所で、鈴仙は予め実体化させている状態の為、相手が霊体化していた時の場合、攻撃に移る速度は圧倒的に鈴仙の方が早い。
況して鈴仙の攻撃はNPCにも認識しにくい。相手が攻撃してくると思ったその瞬間には、鈴仙の放つ弾丸は相手マスターの眉間を撃ち抜いてる、と言う寸法だ。塞は、強かな男であった。
【準備が出来たわ】
【よし】
其処で塞は念話を打ち切り、口を開く。
「敵対の意思はない」
と、落ち着いた口調で塞が告げる。
ジョナサンらが露骨に驚いた様な態度を見せる。それはそうだろう、彼我の距離は十数m以上も離れており、しかも塞は叫んだでも大声を張り上げたでもなく、
ただボソっと呟いた様な小さい声で言葉を発したのだ。普通は届かない。そんなような声であったのに、一mと言う近い距離で会話した様に、
塞の言葉が良く聞こえて来たと言う事実に、ジョナサン達は驚いていたのだ。だが、タネを明かしてしまえば何て事はない。
鈴仙の能力を用い、声、つまり音と言う空気の振動と言う『波』を調整。声が広がる方向を全方位ではなく、ジョナサンらがいる前方方向、そして、遠くに行けば行く程音の振幅(音の大きさ)が小さくなると言う性質を鈴仙の能力で解消させた、と言うのが手品の真相だ。
「話がしたい、そっちに行って良いか?」
塞がそう聞くと、数秒後に、ジョナサンが首を縦に振った。
この状況は完全に、塞の方が有利であると認識したのだろう。争いを此処で起こせば、塞としてもジョナサン達としても、後々までつまらぬ結果を残すだけだ。
話し合いの許可を得た塞達は、彼らの方へと歩いて行き、鈴仙の能力を用いずとも、会話が普通に出来る距離まで移動する。
「お初にお目に掛かるな、ミスター・ジョナサン」
「……驚いた、と言うのは、今更だろうな。サーヴァントなんて言う超常の存在が跋扈してるんだ、マスターの名前程度何て簡単に露見するって事か」
「悪いな、自己紹介する前にフルネームを調べるのは品がないとは解ってても、状況が状況何でな。許してくれ。俺の名は塞」
「サイ? 珍しいな、英国の男性の中では余り見られない名前だ」
一瞬だけ、塞は心の中で反応を示した。驚愕のそれだった。
無論、表面上は億尾にもその様子を彼は見せない。瞳を窺わせぬ程黒いサングラスの奥で、動揺の光を微かに瞬かせただけに過ぎない。
「良く似てるとは言われるが、俺は華僑だぜ。ミスター」
「ハハ、それは下手な嘘、じゃないかな。同郷の人間は騙せないよ、ミスター・塞」
成程、ジョナサンが俺の事をイギリス人だと思った理由は、根拠のない直感らしいと塞は結論付けた。
こう言う、同郷の人間にしか解らないインスピレーションと言うのは意外と馬鹿に出来ないのだ。それは良い。
問題はジョナサンが、予想以上に知的である、と言う事の方が重要だ。立ち居振る舞い、話し方、何よりも発散される才気。
イギリスにおけるアッパークラス(貴族階級)が身に纏う気品に似た物を纏っているのを、塞は即座に感じ取った。
「それで、要件と言うのは何なんだい? ミスター・塞」
「単刀直入に言うが、俺と手を組まないか?」
言葉通りの真っ直ぐな塞の言葉に、どよめきの感情が北上の心中で波立った。
「……同盟、って事?」
「そう言う表現もあるな」
「それを組むメリットを教えて欲しい、ミスター・塞」
当然の疑問である。それを受けて、塞は右手の人差し指を立てる。
「メリットの一つは、今更言うまでもないんじゃないか? 何が起こるか、誰が参加してるか解らない聖杯戦争。俺達の引き当てた『駒』よりも遥かに強い奴をサーヴァントにしてる主従だっているかも知れない。そう言う時に、数の暴力が役に立つって言うのが、一つ」
二つ目、と、塞は中指を立てた。
「ある程度の局面までを有利に進められるって言うのもある。一人だけだったら聖杯戦争の中盤戦ですら生き残れる可能性は低いだろ? 途中まではスムーズに事を運べるってのもデカい」
最後、塞は薬指を立てた。
「アンタら、その面で大通りを出歩けると思ってるのか?」
「お、脅してるの?」
「これが脅しに聞こえるって言うのなら、相当頭が弱いぜ、嬢ちゃん」
「顔が売れすぎてしまった、と言う事だね?」
「そう言う事だ」
ジョナサン・ジョースターの氏素性は未だ明かされていないが、彼とそのサーヴァントの顔と姿は、<新宿>二丁目で勃発した大規模な戦闘で、
大々的に披露される可能性が高い。馬に騎乗した二人の英国人男性、その様子は塞の見立てではほぼ100%、<新宿>の公道に設置されたカメラで捕捉されている。
じきに、ジョナサンの素顔や本名が割れ、此処<新宿>の聖杯戦争の参加者である事が露見するのは、火を見るより明らかだ。
そして北上に至っては、既に氏素性が割れている。住んでいたマンションの管理人にマスメディアは聞き込みを終えており、顔写真も通っている高校も既に露見しているのだ。そんな彼女が無計画に街を出歩こうものならば、何が起るかは容易に想像が付く。
「俺の提案を蹴ると言う選択も当然おたくらには用意されているが、リスクを測ったらそんな選択は先ず選べない筈だぜ」
「完全に脅迫じゃんそれ……」
無論、脅迫である。元より塞は、ジョナサンらを此方側に引き込むと言う事を目標に交渉をしているのだ。理由は単純明快。
多くの主従を此方側に引き入れさせる事で、後々使う紺珠の薬で、相手がどう言った戦い方をしてどう言った宝具を持っているのか、と言う事をカンニングする為である。
先程塞は鈴仙に、当分は使わないつもりであるとは言ったが、二度と使わないとは一言も言ってない。誰が何と言おうがあの宝具は此方側の切り札である。
鈴仙がその気でなくとも、塞はこの宝具を、味が消え失せるまでガムを噛み続けるが如く、使い倒す気でいるのだった。
「君の望む事は解った。話し合いをしたいが、病院の駐車場で話し合うのは目立つな。何処か落ち着いて話せる場所に移動しないかい?」
「了解した。案内しよう」
こうして、一先ずは塞の望む方向に持って行かせる事が出来た。佐藤十兵衛が病院に到着する十分前の事であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
音に聞こえた、月の頭脳の二つ名に偽りなし。八意永琳は、心中でそんな手応えを感じていた。
たった数時間で、永琳とその『助手』は、メフィスト病院での地位を確固たるものとしてしまったからである。
全身に転移した癌を切開から縫合まで合わせて三十分で摘出して見せる外科医がこの病院には存在する。
肺炎や盲腸程度なら診察時の触診だけで癒せる内科医はこの病院では当たり前の存在である。
超人的なサイコメトリー能力で、相手のどんな悩みも絆して見せるカウンセラーがこの病院には勤務している。
全く顔に瑕疵なく人相を意のままに変えて見せたり、指紋をも容易く変えたり、皮膚の色をも完璧に変えられる整形外科医だってこの病院では珍しくない。
そんな、超人を通り越して最早魔人染みた治療技術を持つ医者達と、八意永琳は肩を並べる――いや、事によっては彼らを上回る立ち位置にこの短時間になってしまったのだ。
外科的な行為にも永琳は及んだ事があるレベルで、永琳は医療の知識に堪能であるし、その技術も引けを取らない。
しかし彼女の本質は『薬学』である。月にいた時代も、天より下りて地上で生活をしていた時代も、永琳は製薬でその名を鳴らしたものである。
メフィストも短い時間で、永琳が何を得意とするのか即座に見極めたらしい。彼女が配属された所は、薬科と呼ばれる診療領域であった。
薬科と言っても、メフィスト病院に勤務する以上、他の病院の医者以上に他領域についての知識が求められる。結論を言えば、診察が出来ねばお話にならないと言う事だ。
殆ど、分・秒単位で患者が出入りするメフィスト病院では、常に医者も看護師も動き続けていると言う実情があり、この現実から、
薬科の仕事も処方薬の製薬だけにとどまらず、医者を通さず直に患者の薬に特効を示す薬を処方しなければならないと言う掟がある。
当然、他の病院では先ずあり得ない営業体制である。しかし永琳は然程これには驚かず、薬科に配属されて二十分程度で、メフィスト病院の在り方に適応。
専属医ではなく『臨時専属医』、行ってしまえば非常勤の医者であるにも拘らず、メフィスト病院の薬科のベテラン医達ですら舌を巻く働きぶりを永琳は示して見せた。
飲んだだけで肺炎や胃潰瘍を治す薬を処方しその場で服用させ、その場で治した人数、この病院に勤務してから三十人。
犬に噛まれた、骨折した等の外傷や内傷を即座に治療させる薬をその場で服用させ、その場で治した人数、この病院に勤務してから十二人。
夏風邪夏バテ食欲不振を治療する薬をその場で飲ませ、それらを克服させた人数、四十七人。つまりは八意永琳は、八面六臂の大活躍であったと言える。
若造――実際には永琳の方が遥かに年上なのだが――が生意気だ、とか言うやっかみは、この病院では起きない。
皆知っているからだ。永琳が、メフィストが認めたスタッフであると言う事を。この病院における『院長』の地位と信頼は、比喩抜きで絶対のものである。
聞いたところによると永琳は、あのメフィストが優秀と認め、即日働かせる程の優秀な人物である、と言う共通見解を此処のスタッフ達は抱いているらしい。
メフィストが直々に面接し『優秀』だと認めたのであれば、この病院のスタッフ達は全員その事に異を唱えてはならない。いや、唱えられない。
メフィストの医者を見る目は絶対の物であり、間違いなど100%起らないからだ。彼が良しと認めた医者は、例え非常勤、例え医療免許不所持であろうとも、此処のスタッフ達は何を思おうともその医者を認めねばならないのである。
メフィストが認めた医者である上に、頗る優秀。
これで文句など出る筈がない。――但し、永琳の助手については、話は別である。
「遅いわよ一之瀬!! 速く其処の薬瓶を取りなさい!!」
「え、えっと、これですよね?」
「その一つ左隣!!」
「は、はい!!」
慣れた手つきで、しかも素早く正確に調剤する永琳の後ろで、薬品棚の周りを忙しなく動く少女がいた。
永琳が指定した薬剤の入った瓶を急いで手渡そうとするのだが、その速度が永琳には不満らしい。まるで荒っぽい仕事の現場の様に厳しい叱責を永琳は飛ばしていた。
薬品棚周辺を動き回る、学生服の上に白衣を羽織った少女の名前を、一之瀬志希。メフィスト病院に於いて、八意永琳の助手……と言う立場で通っている人間だった。
無論一之瀬は永琳の助手ではなく、実際には永琳の主とも言うべき人物である。それなのに如何して今の様な力関係になっているのか。
メフィスト病院で非常勤の医者として働く事になっているのは永琳であり、そう言う都合上彼女は今霊体化が出来ない状態にある。
この病院にはNPCだってやってくる、それでいきなり霊体化を解いて出現する、と言う方法はリスクが高い。
だから常に実体化して動き回らねばならないのだ。だが他にサーヴァントが此処にいないとも限らないので、自身がサーヴァント以外の存在と誤認させる魔術を使っている。
自身の問題はこれでクリアだが、今度は志希が問題になる。単独行動がクラススキルとして設定されているアーチャーの中でも破格の単独行動スキルを持つ永琳は、
マスターである志希から離れても、問題なく病院の業務をこなせる。が、如何にメフィストが義理堅い人物であると言っても、此処は敵の腹の中。
志希を何処かで一人にするのは余りにも心許ない。だから、永琳は『助手』と言う関係で、常に志希を隣に侍らせる方針で行く事にした。
幸いにも志希は同年代の人間に比べて頗る頭も良く、独学で学んだのかは知らないが薬学の知識にも堪能である。助手としては使えるだろうとは思ったのだ。
……が、如何に志希が頭が良いと言っても、その優秀さを評価する人物が悪すぎる。
何せ彼女を優秀だと決める人物は、月の賢者とも称される天才・八意永琳であり、魔界医師と呼ばれ恐れられるドクター・メフィストである。
メフィストの普段の態度を見れば解る通り、彼の中での優秀のラインと言うのは常人が想定するよりも遥かに高い。永琳にしても、同じ事。
永琳としては、マスターと言う観点で評価するなら兎も角、自分医術をサポートする助手としての観点で見るなら、一之瀬志希などちょっと薬学を齧った小娘に過ぎない。
普段ならば助手として解雇してるレベルの働きぶりであるが、其処は我慢していた。
【ねぇ、アーチャー】
【何かしら】
【……言い難いんだけどさ〜……当たり強くない?】
如何にも、自分に対して厳しいような気がすると、志希は思っていた。
確かに、実際にこう言った職場で働いた事はこれが初めてであるし、調剤材料だって、薬棚や巨大な冷蔵庫に入っている物すべてを含めて、全部の二割しか知らなかった。
これでは薬剤師の助手としては失格であろうが、そもそも此処はサーヴァントの運営する病院の薬科である。志希の知らない医薬品が入っているのは仕方がない事だろう。
特に、瓶詰された何かの生物の眼球を永琳から指定された時は、悲鳴を上げそうになった程だ。こんなものまで医薬品になる程である。
志希でなくとも混乱するのが当たり前だ。ちなみに永琳はこの職場に来るなり、「懐かしい素材が沢山あるわね」と、久々に職場に復帰したベテラン職員宛らに言ってのけ、事実知らない素材など初めからなく此処にある医薬品は全て既知の物だったらしい。最早天才を通り越して、異常とすら言える知識の奥深さである。
【人の命と健康を与る仕事よ? 厳しくて当たり前、曲りなりにも私の助手として、そしてあの偏屈な美男子さんと契約結んじゃったんだから、適度に真面目になさい】
成程、尤もな所である。
流石にプロフェッショナル、職業意識も十分に高いらしく、例え腹に一物秘めたメフィストと永琳の関係でも、患者の治療に対しては彼女は真摯らしい。
そう言う事なら、仕方がない。やや厳しい所もあるし真実辛い仕事だが、こなさねばなるまい。永琳曰く事が上手く進めば、此方が有利になる薬を永琳の方で調剤させてくれる可能性が高いらしいのだ。自分が音を上げる訳には行くまい、耐えるか、志希はそう考えるのだった。
と、永琳は念話で告げたが、実際の意図は別にもある。
確かに永琳の職業意識は高く、メフィスト同様医者としてのプライドも高いのだが、それと同じ位――人を『パシる』のが好きなのである。
今までサーヴァントとして従って来た少女を顎で扱き使う事にちょっと楽しさを覚えたなど、まさか言える筈もなく。
八意永琳。うどんげよりは扱き使う時の爽快感がないが、それでも少しは楽しいと、志希を助手にして思うのであった。ストレス解消の時間が、数十分あっても良いじゃないか。
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彼に言わせれば、人類の進歩などはたいしたものではなかった
文明の増大は愚かさの増大にすぎず、やがて反動的に人類を破滅させるだろうと彼は言うのだ
そうだとすれば、私たちはそうでないふりをして生きて行くしかない
だが私にとって未来はあいかわらず暗黒であり空白である――つまり彼の話の記憶によって、断片的に照らしだされているだけの、広大無辺の道の世界である
しかし、二つの奇妙な花が私を慰めてくれる
この花は今は萎びて茶色に変色し、形もくずれてしまったが、それでも、人間から知性と力強さが退化してしまった未来世界においてさえ、
感謝とこまやかななさけが、人の心の中に生き続けている証拠だからである
H・G・ウェルズ、タイムマシン
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◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――向いなさい、ジャバウォック。貴方なら、勝てるわ」
それを受けて、霊体化した高槻涼が、超高速でこの場から遠ざかるのをロベルタは感じた。
此処は集中豪雨が降ったらしい。所々に水溜りが出来ているが、そうでない所は、この暑さだ。既に水が蒸発していた。
命運を賭けた作戦の火蓋が、切って落とされた。
失敗する可能性など、ロベルタは微塵にも考えていなかった。成功せねばならなかったからだ。
魔力のプールが少ない彼女にとって、強力ではあるが魔力の消費もまた大きいジャバウォックの運用と制御は至難の業。
魔力とは即ち燃料であり弾薬であり鉄鋼である。聖杯戦争は文字通り戦争だった、魔力と言うリソースがなければ勝てる物も勝てないのである。
この魔力の問題を解決させる為に、大量の魔力が眠っていると目されるメフィスト病院に、高槻涼を嗾けたのだ。
この作戦が成功すれば、忽ち自分達は、勝利に向かって飛躍的に前進する。成功以外の結末など許されない。成功せねばならないのだ。
「Y dotame de fuerza para que pueda acoger y sobreponerme,A los retos que me impones,por tu divina gracia」
流暢なスペイン語で、カトリックで用いられる祈りをロベルタはジャバウォックに送った。
御摂理によりて、我に与え給う数々の苦しみを、甘んじて耐え忍ぶ力を授けたまえ、と言う意味になる。
祈りの言葉を送り終えた後、ロベルタはキビキビとした動作で、その廃墟を後にした。
廃墟の一室、その壁には、水風船でも爆発させたかのように、鮮やかな褪紅色がぶちまけられていた。
そう言う壁紙であったと言われても、一瞬信じてしまうだろう。鉄の芳香が微かに香るその液体は人の血液であったが、肝心のそれを流した筈の人間が何処にもいない。
外に出るロベルタ。抜けるような蒼天と、その空の色と平和な東京の街には似つかわしくないスラムが彼女を出迎えた。
治安の悪さで鳴らした南元町の食屍鬼街には、人っ子一人も存在しない。彼らは皆、ジャバウォックの魔力になった。メフィスト病院を襲撃する前の腹ごしらえと言う事だった。
時刻は午後1:20分。電撃戦はその名の通り、電光の如く素早く終わるのが理想の作戦である。
五分以内にケリを付けてほしいと、ロベルタは思いながら、人の気配が絶えた南元町から出て行くのであった。
前半の投下を終了します。書き手様に分割について教育的指導をしましたのに、自分も期限オーバーするわ分割するわで、まだまだ未熟だと実感しております
前半投下乙です
メフィスト相手にもしたたかに立ち回る十兵衛は流石だw
ってかロベルタさん何してんですか!?(大胆な自殺)はマズいですよ!
デウス・エクス・マキナの殴り合いか
流石に二人居る病院側が有利か?
投稿乙です
地獄の門が開くカウントダウンもいよいよ秒読み
どんな血沸き肉踊る惨劇が待つやら
無極がある十兵衛は、新宿勢の「美」への耐性だけなら鯖並……なのか?
パワーアップしても幻十に勝てる目が見えないアレックス
アレックスも強い作品だと尋常じゃないから……(震え声)
現在の執筆分を確認しました所、まだ半分程度しか終わっていないのに81kbと言うハチャメチャな容量になりましたので、
流石にこれを一気にUPするのは読者の方々の負担になると考えましたので、分割して投下したいと思います。
投下します
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
珍しい患者が、唐突に姿を現したと。
メフィスト病院の前の植え込みを丁寧に整え、花壇に生えた雑草を引き抜いている中年の男性は先ず思った。
右腕が金属に包まれた青年だった。腕以外は、何処にでもいそうな普通の青年。その腕が、酷く奇妙だった。
腕の大きさは左腕よりも一回り太く大きく、その色は珪素に似た灰胴色。奇病である。
この<新宿>では、そう言った患者は滅多に来なかったが、そもメフィスト病院は、この病院以外の全ての診療所や病院でも匙を投げる奇病をこそ歓迎する場所である。久々に、院長の興味を引きそうな患者がやって来た、と彼は思った。
青年は入口の自動ドアを通り、院内へと入って行く。
受付の病院事務だけでなく、ロビーで今も待機をしている患者、及びその関係者達の目線が、途端にその青年――高槻涼に集中する。
背格好自体は先程述べた通り、何処にも特筆するべき点はない。右腕である。其処だけ、別の生物の腕を外科的な実験と証して縫合されたと言われても、人は信じてしまうだろう。
久々に、目に見えて解りやすい奇病の持ち主が現れた――と、事務は一瞬だけだが思った。しかし、違った。彼女は伊達に長年、この病院で事務として働いていない。
高槻の目を見てしまったのだ。恵まれた体格のティーンエイジャー程度の肉体しか特徴のなさそうなその青年。
しかし、その瞳に燻る途方もない、無限大の暗黒めいた憎悪を見てしまった。その瞳は、見覚えがあった。メフィスト病院に害意を加えようとする者の目。絶対に敵に回してはいけない三魔人と解っていて、メフィスト病院を襲撃しようとする魔人の眼(まなこ)。
躊躇う事無く病院事務は、受付の向こう側からでは見えない位置に設置されたスイッチを足で押した。
途端に、けたたましいサイレン音がロビーを中心に病院の至る所で鳴り始めた。唐突に唸りを上げるサイレンの音に、ロビー中の患者が驚き、それと同時に高槻が動いた。
金属質の右腕をフルオートの拳銃の銃口の様な形状に変え、それを以て高槻は事務員に何かを発砲した。ドンッ、と、ティンパニを力いっぱい叩いた様な音が響いた。
それと同時に、事務員の女の頭部が左目から三割程弾け飛ぶ。血肉と混じって白い頭蓋骨が飛び散り、ドッと彼女は倒れ伏した。高槻が放った圧縮空気に直撃したのである。
これと同時に、受付の両サイドの廊下から、六人の精悍な男達がやって来た。
この病院の警備部に所属する警備員である。畢竟、常識に照らし合わせて、まともな警備員ではない。
制服の下には戦闘機の機銃掃射ですら防御する電磁防御機能と、装備者の身体能力を六倍に高める自動機動機能(オートコマンドファンクション)を内蔵した軽機動服を纏う、
警察や軍隊ですら裸足で逃げ出す装備の警備員達だ。しかも各々の手には、最大出力五千万Vの弾体を放つ麻痺銃(パラライザー)や、
焦点温度十万度以上の光線を照射可能とするレーザーガン、マイナス二百五十度の超低温の冷気を放つ冷気銃が握られており、完全に此方を殺す体制の警備員達だった。彼らは病院の警備を担う戦士達である。人の命を救う病院に所属する者でありながら、彼らは時には、命を奪う事すら厭わないのである。
三名の警備員達が、極めて俊敏な動作で、ロビーの患者やその関係者の下へと向かって行き、彼らを急いで避難させようとする。彼らはまだ事態を呑み込めていなかった。
子供や、身動きが若者に比べて機敏ではない老人を、警備員は一人で三人も抱き抱え、外へと退避して行く。
それを受けて、残りの三人が動いた。警備員の一人が手に持っていた、突撃銃に相似した警杖の麻痺銃の照準を高槻に合わせ、発砲する。
発砲前に高槻は既に動き始めており、ロケットの如き速度で移動。二千五百万Vの電圧を纏った弾丸は、誰も座っていない椅子に直撃。椅子のクッション部分がボンッと破裂した。
高槻が現れたのは、パラライザーを発砲した警備員のすぐ傍だった。
そこで姿を見せた彼は、ARMSとしての象徴である魔獣の右腕を突き出させ、彼の腹腔を抉り、貫いた。機銃掃射すら意味を成さない電磁防御が、通用しない。
事此処に至り事態を認識したらしく、NPC達の悲鳴がロビーを切り裂いた。「大丈夫、安心してください!!」と、警備員達が彼らを宥める、実によく訓練された男達だった。
突き立てた右腕を警備員から引き抜いたと同時に、高槻の姿が霞と消えた。消えたと同時に、彼に腹を抉られた警備員の傍にいた二名の内一人が、レーザーガンを放射。
十数万度のレーザーは高槻を灼き穿つ事はなく、射線上に存在した自動販売機に直撃。鉄の箱は中の缶ジュースごと、ゼロカンマ一秒以下の速度でガス蒸発してしまった。
高槻が次に現れたのは、病院とは無関係なNPC達の周りで、其処で腕を猛速で振う。来訪者の隔離に当たっていた警備員の一人の頭が潰され、即死。
近場にいた老人の身体が臍の辺りから真っ二つになり、松葉杖を突いていた中年の男性の下半身が挽肉に。彼らほど酷くはないが、他多くの来訪者重軽傷を負ってしまった。
「野郎!!」、と一人が荒々しく叫んだ。その言葉が発せられたと同時に、高槻の胸部を白色の細い熱線が貫いた。
痛みに苦悶する高槻、何事かと思いそのレーザーが照射された方向を見る。
すると、先程圧縮空気で頭を破壊された女性の病院事務が、ペン先を此方に向けて睨みつけているではないか!! 彼女は、死んだ筈では。
死んではいない。メフィスト病院の従業員の殆ど多くが、何らかの遺伝子操作手術及びサイボーグ化手術、そして細胞活性法でその身体能力を強化されている。
特に殆ど全てと言っても良いスタッフに施されているのが細胞再生手術であり、十分以内の時間があれば破損した細胞が完全再生するのである。
骨や血管リンパ管、神経系、果ては大脳から内臓に至るまでがこの再生に当て嵌まり、これによって埒外の耐久力を彼らは得ており、ナイフや銃弾では殺害が極めて困難なのだ。
当然、生き残る。この手術を施された人間を殺したいのなら、それこそ、先程の警備員宜しく、頭を破壊するしかない。頭や心臓などの急所を破壊して漸く即死なのだ。
――つまり、殺し切れてない。怒りと苦しみに顔を歪めながら、先程高槻に腹腔を抉られた警備員が今正に立ち上がり、高槻の事を睨みつけていた。あれだけの手傷を負って、彼は生きているのだ。
再び病院事務が、先程まで筆記に使っていたペン先を高槻に向け始める。急いでその場から地を蹴って、瞬間移動もかくやと言う程の速度で消え失せる。
それと同時に、ボールペンのペン先から、先程高槻を貫いた白い細熱線が放たれた。メフィスト病院の事務員に配られるペンシル・レーザーだ。
一時間の充電で、焦点温度五万度の熱線を十分間連続で放つ事が出来る緊急用の兵器だった。
ゼロカンマ秒の速度で右腕を銃口状のそれにし、不可視の圧縮空気を事務員と、NPCの保護作業に当たっていない方の警備員達に乱射する。
しかし、伊達に施された身体強化手術ではなく、地面を転がったりと言う風に、危うげこそあるものの全員は何とかそれを避ける。
避け様に、腹を抉られた警備員が、射線上にNPCがおらず、流れ弾の危険性がない事を察知した瞬間、麻痺銃を発砲。高槻を殺害しようとする。
それを反射的に右腕を振って砕く高槻であったが、それが拙かった。『高槻涼』としての理性が完全な状態であれば、
ARMSの性質を理解していた為『高圧電流の塊』とも言うべき物などそもそも触れようとすらしなかったろう。
ケイ素としての性質を持ったARMSは、つまるところは、金属生命体としての側面を持つ事を意味する。必然、『電気が流れやすい』。
「――!!」
多少の高圧電流であれば、ARMSの動きは先ず阻害されない。しかし、メフィスト病院の悪魔染みた科学力が生み出した兵器ともなれば、話は別だ。
自然現象の中では雷以外超える物はあり得ない超高圧電流の弾体に直撃した事で、ARMS――即ち、ナノマシンの機能が一部麻痺してしまったのだ。
「効いているぞ!!」
警備員の一人が叫んだ。すると、この部屋にいた四人の警備員達が一斉に、メフィスト病院謹製の超兵器の銃口を此方に向け、
NPCを外に退避させ終え、入り口からロビーへと入って来た残りの一人の警備員も、銃口を高槻に向けていた。
入口からやって来た警備員は、先程まで庭の手入れをしていた作業衣の中年男性も連れていた。
彼らの入室と同時に、メフィスト病院の入口、そして窓ガラスにシャッターが降り、陽光を遮った。外部から新しい来訪者が来るのを防ぐ為である。無論ただのシャッターではない。
百二十mmの戦車砲をも跳ね返すばかりか、ジャンボジェットの衝突、果ては核ミサイルや中性子砲、荷電粒子法ですら破壊出来ないシャッターである。
そればかりかメフィストが施した魔術的措置により、あらゆる物質を透過する悪霊などの霊体生物すらも通れない、魔術的な手段を使う不届き者をもカバーしている。
これを降ろす理由は一つ。メフィスト病院に害意を齎す存在に対するカウンター措置、超科学防衛線(SSDL)以上の警戒態勢を発動させる為。そしてもう一つ――生きて不届き者をメフィスト病院から返さない為。
「撃て!!」
誰かがそう叫びを上げると、一斉に、ナノマシン機能が麻痺を起こした高槻目掛けて、手にした兵器を撃ち放った。
腹を穿たれた警備員は、麻痺銃の出力を最大の五千万Vにし、発砲。冷気銃を持った警備員は、マイナス二百五十度の冷気をレーザー状に束ねて発射。
そして、焦点温度数十万度のレーザーガンを持った警備員は、急所目掛けてそれを放った。ナノマシンが一部機能低下を起こしているとは言え、高槻の身体能力は圧倒的だ。
改造手術を施した警備員達ですら目で追う事が厳しい程の速度でその場から跳躍し飛び退くも、誰かが放ったレーザーガンの光芒が左脇腹を掠め、苦しげに彼は呻いた。
タッ、と高槻は着地し、警備員達の方に地を蹴って移動する。如何にナノマシンが機能低下を起こしているとは言え、時速四百㎞以上での移動なら彼には容易い。
新幹線以上の速度で移動する高槻と、誰かが並行して移動していた。高槻が目を見開く。先程メフィスト病院の植え込みを整えていた庭師だった。
メフィスト病院で働く医療スタッフもただ者でなければ、病院の外で働く用務員もただ者ではない。彼もメフィストの手術を受けた男だ。
音速レベルでの高速移動を可能とする、マッハ・ヒューマンと呼ばれるサイボーグになる為の手術を施されているが、音の速度を超えるのは中々難しく、
普通の医師の施術では亜音速に留まる。――メフィストが手術をした場合は別だ。あの魔界医師が手術を担当した場合、真実その移動速は音を超える。
庭師の手には剪定に使っていた鋏ではなく、刃渡り九十cm程の刀が握られていた。メフィスト病院で鍛造された、超硬度の特殊鋼と特殊合金で刀身が構成された、HRC硬度百五十の刀である。優れた使い手が大きさ三mを超える鋼の小山をなます切りに出来る逸品である。
天井の蛍光灯の光を受けて鋼色の光を魚鱗の如く跳ねさせる魔刀を、光の筋にしか見えぬ程の超速度で庭師が振った。
前時代的な武器と思い、右腕で防御しようと思ったのが、高槻の運のツキだった。ヌテリ、と、あり得ない程のスムーズさで珪素に食い込んで行き、
ケーキでもカットするが如き容易さで、右手首より先を斬り飛ばした。気付いた高槻の瞳が、零れ落ちんばかりに見開かれる。
高槻の腕を斬った庭師が飛び退く。
警備員全員が、高槻に兵器の照準を合わせている事を理解したからだ。仲間が飛び退いたのを契機に、警備員が全員発砲する。
パラライザーが高槻の身体の生身に直撃、瞬時に着衣していた衣服を灰にし、肉体を炭化させる。凄まじい焦点温度のレーザーが、ゼリーに針でも刺す様に人体を貫く。
冷気銃から放たれた、冷気を凝圧した冷凍線が、高槻の左大腿に直撃、其処から、樹脂でも埋め込まれたように彼の脚部は動かなくなって行く。
意識を投げ出すかどうかと言うその瀬戸際に、高槻は、己の身体の中のナノマシンが復調して行くのを感じた。
痛い、熱い、冷たい、痺れて動けない。四つの感覚が、荒海の様に高槻の中背の身体の中で暴れ狂っている。思考など、真っ当な人間では保てない。
発狂した方が、救いが用意されていると思える程の感覚の暴力の中にあって、ナノマシンが回復して行くのを感じたのは、奇跡にも等しい事柄であったろう。
そして――己の身体の奥底に眠る、『相棒』にして『友』の声を聞けたのも。彼は言っていた。『我と代われ!!』、と。友の言う事なら、無碍に出来ない。
――高槻涼は、ジャバウォックに身を委ねた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
不届き者を倒したと、誰もが思った。
メフィスト病院のスタッフ達に配られる各種武力装備は、『区』外は元より、魔界都市を基準に考えても、凄まじい技術水準に達していた。
どれ程かと言えば、世界中の軍隊の全ての装備をひっくるめても、その更に上のグレードの物を標準装備している<新宿>警察ですら超える程、と言えば窺い知れよう。
四階建てのビルを倒壊させる程の威力のミサイルを標準装備としているヘリを当たり前のように有している魔界都市の警察ですら、話にならない装備なのだ。
魔界都市の技術で改造された区内の住民・ヤクザ、其処に蔓延る魔人・妖物達にも対応出来る装備で、高槻を迎え撃ったのだ。その直撃を受ければ、誰だって倒したと思う筈だ。
異変に気付いたのは、超高硬度の刀を持った中年の庭師であった。
マッハ・ヒューマンとして人間を改造する際、その超絶の移動速度に耐えうるだけの思考速度と反射神経も合せて被験者に備えさせねばならない。
無論メフィストがそんな初歩的な事で間違える筈もなく。だからこそ、この庭師は気付けたのだ。高槻の身体に異変が起き始めていた事を。
その変化の速度は、凄まじい程の高速度だった。
高槻の身体の内部から、筋肉と皮膚を裂いて何かが現れているかのように、庭師には見えた。現れたのは、高槻の右腕の様な、金属的な性質と外見を持つ何かだった。
高槻の身体の内部から彼の身体を食い破るように現れるその様子を見て、これは変身だ、と彼は考えた。このような様相を見せているのに、高槻は呻き苦しむ様子を見せない。
その上、変身する過程は驚く程スムーズで、まるで皮膚一枚剥いたその下に、予めそれが潜んでいたとしか思えない程なのだ。これが、本来の姿なのか? 庭師はそう考えた。
変身を遂げる前に、庭師が動いた。
三mの助走で時速九百㎞の速度に達した彼は、その勢いを利用し高槻の額に刀の剣尖による刺突を放とうとするが、ガッキと、それが受け止められてしまった。
今度は、庭師の方が驚きに目を見開かせる番だった。鋼の塊を千切りにする超高硬度の刀を受け止めているのは、先程彼が斬り飛ばした高槻の右手であったからだ。
此処に来て漸く、警備員達の方も事態の威容さに気付いたらしい。急いで武器の引き金に指を当て始めた。
「賢しい武器を使う雑魚共が……仮初の命の分際で良くも我が主の身体を痛めつけてくれたな」
発せられる声は、重くて巨大な金属を擦り合わせるような重圧な声だった。そして、少年の身体を引き裂いて現れたその存在は、鬼だった。
高槻涼の姿とは百八十度趣を異にする、日本の昔話に伝えられる『鬼』と言う怪物をより写実的かつ現実的なそれにした様な風貌の怪物だ。
身体の色は、変身前の高槻の右腕の様な灰銅色だが、体格も容姿も、変身前とは完全に別の生き物。
三mを超すのではないかと言う巨大な体格、人の身体など一笑に附す程の筋密度の上半身と下半身。触れただけで指が落ちてしまうのではないかと言う鋭利な爪。
そして、その顔つきを見るが良い!! 死神ですら、この怪物が脅せば裸足で逃げ出すと言われても信じる程の凶悪な顔付き。
生きた金属の生命体を思わせる姿――これこそが、高槻の中に眠るオリジナルARMS、ジャバウォックが十全の力を発揮した時の姿。
街を、国を、地球をも破壊し尽くす程の、ある少女の憎悪の化身。それこそが――魔獣、ジャバウォック。不思議の国の森を跋扈する魔獣の名を冠した怪物なのである。
カキンッ、と、乾いた金属の情けない音が聞こえて来た。
警備員や、頭部の吹き飛んだ病院事務の顔が驚きに染まったが、真に驚いていたのは刀を振るう庭師であろう。
振っていた刀が、折れた音だった。驚くのも無理はない、あのメフィストが手掛けた刀を、内が腐った枝でも圧し折るかのような容易さで、ジャバウォックは負って見せたのだ。
「俺ごと撃つんだ!!」
庭師が叫んだ。圧し折られた刀をジャバウォックが握っていたと言う位置関係上、この中年がいの一番に殺されるのは、当然の帰結であった。
この言葉に、「嫌だ!!」と叫ぶ甘ったれは警備員の中には存在しない。緊急事態時には、仲間の一人に痛みを負わせてでも任務を遂行すると言う教育が、
スタッフには徹底されている。病院に収容されている患者の身の安全を第一に考えると言う事もそうである。しかし、そう言った事をしてまで任務を遂行する本当の理由は――例えどんな傷を負っても、後でメフィストが完治させるから……いや。『あの美しい医者が自分の為に治してくれるから』、と言う期待と恍惚感があるからに他ならない。
躊躇いなくレーザーと冷凍光線、電弾体が超高速で飛んで行く。――と同時に、庭師が、この世のものとは思えぬ絶叫を上げた。
レーザーと冷凍光線は、庭師の胴体を貫いて、ジャバウォックに直撃するが――通用していない!! 一切の痛痒も感じぬ、と言った様子で、ジャバウォックの鬼面が笑みを形作った。人を万人喰らった邪鬼ですら、こんな笑みは作れまい。
「笑わせる、破壊その物たる我に、破壊その物で対抗するとは!!」
尚も庭師が叫び続ける。異変を、ロビーにいる全員が感じ取った。
肉の焦げる臭いがする。それを嗅覚が捉えたと同時に、中年の庭師の身体が燃える棒の様に烈しく炎上を始め、のたうち狂った。
此処で初めて、ジャバウォックの身体が異常なまでの熱源体になっているのを本能的に全員が感じ取った。この魔獣の体温は今や、五千度以上にも達しており、近付くだけで衣服は燃え肉は炭化し、密着しようものなら骨も残らぬ程の超熱源体と化しているのだ。その高温で、庭師の身体は燃えてしまったのだ。
「武装警備隊を呼べ!!」
一人の警備員の怒号が飛んだ。武装警備隊、である。彼らからしたら、自分達の装備など『武装』の内に入らないのだと言う。
それを受けて事務員が、カウンターの奥に隠していたもう一つのボタンを蹴り抜いた。先程鳴り響いた緊急サイレンとはまた違う音階の警報が鳴り響く。
――『第一級警報(ファースト・エマージェンシー・ウォーニング)』。それが、事務員が発令させた命令である。
病院スタッフでは対処不可の存在に対して発令される警報で、これが発動されると其処から更に、三段階の防衛線が不届き者を待ち構えると言う手筈になっている。
メフィスト病院が誇る超科学の産物によって構成された超科学防衛線(SSDL)、これが第一段階だが、これが突破されると病院上層部のみが発動命令権を持つ、
超心理防衛網(SPDL)が第二段階として待ち受け、それすらも通用しないとなると、メフィストのみが発動命令権を持ち――そもそもメフィスト以外理解も出来ないし発動も出来ない心霊最終防衛圏(SLDZ)が作動する。今回事務員が発動したのは、超科学防衛線の方であった。
第一級警報がけたたましく院内に鳴り響いたと同時に、ジャバウォックの姿が消えた。
その事を皆が認識した瞬間、二名の警備員の身体がそれぞれ四つのパーツに分割される。切断面から血を戯画的なまでに吹き散らさせ、一瞬の内に二人は息絶えた。
メフィスト病院が誇る軽機動服、その電磁防御機構はまるで紙のように切り裂かれていた。二名に起った惨劇を理解したその時、事務員が胸ポケットに差したペンを取り出し、
それをジャバウォックに向けた瞬間、そのペン先が白煙を上げながら亜音速で彼の方に飛来して行くではないか!!
これもメフィスト病院が開発した超科学の産物、ペンシルロケットだ。インクを溜めておく軸部分にインクの他に燃料を溜めておき、これを推進源とする小型兵器だ。
見た目こそ小さいがその威力は強力無比。着弾すると直径二十mの範囲に爆発が巻き起こり、範囲内の存在を塵一つ残さぬ恐るべき兵器だった。
それの直撃を、ジャバウォックは受けた。鼓膜が破れそうな程の轟音と、小児の身体程度なら木の葉の様に吹き飛ばせそうな程の衝撃波と爆風。
忽ち、ロビー中に存在する椅子や自販機、観葉植物は面白い様に砕け散って行く。殺したか、と事務員は思った――のもつかの間。
未だ止まぬ爆風から灰胴色の何かがビュンッ、と伸びた。ジャバウォックの腕だった。頭の三割近くが欠損した病院事務の顔面を、鋭い爪が生え揃った魔獣の掌がガッと掴み、
そのまま彼女の首から上をパン生地みたいに捩じ切った。如何に再生手術を施された者と言えど、頭を斬り飛ばされれば、無事では済まない。大抵の場合は死に至る。
この野郎、と警備員が悪罵した。先程高槻に腹腔を抉られた警備員が怒りに任せ麻痺銃をジャバウォックに向ける。
しかしジャバウォックは、麻痺銃の弾体が此方に向かって行くのを認識した『後』で、爆心地から移動した。
誰が信じられようか、ジャバウォックは今、『弾より速く』移動していた。改造手術によって得た警備員の優れた反射神経ですら追い縋れぬ程の速度で、
残り三名の警備員から距離を取った魔獣は、その口から恐るべき業火を吐き出し、彼ら三人を炎に呑み込ませた。摂氏一万度に達する火炎は、断末魔すら彼らに上げさせる事を許さず、そのまま消し飛ばした。一握の灰すらも、残っていなかった。
苦難はあったが、この場にいる人員を全員排除し終えたジャバウォックは、そのまま廊下を通り、魔力を溜めてある場所を探そうとするが――移動出来ない。
シャッターも鉄格子も降りてない。不可視の壁に遮られているかのように、その場からどれだけ手足を動かしても、ロビーから廊下の方面に出れないのだ。
それをジャバウォックは生前の経験から、何らかの念動力で生み出された力場である事を悟った。そして、その予測は正しかった。
ジャバウォックの移動を遮る物の正体は、重戦車の突撃をも苦も無く跳ね返す力場(フォース・フィールド)だった。、
メフィスト病院に収容されている患者の部屋は勿論の事病院にとっての要所を遮断するだけでなく、外的を封じ込めると言う用途をも兼ねる。
透明な力場の向こうから、人型の機械が実に見事な足取りで此方に駆け寄って来るのをジャバウォックは認めた。そして、それが機械ではなく、機械の鎧を纏った人間であると即座に魔獣は看破した。
先程ジャバウォックが鎧袖一触した軽機動服を簡易版とするなら、その機械の鎧は正規版の機動服と言うべき物だった。
正式名称は機動服(メック・ウェア)。内蔵されたソーラー核炉心から毎秒供給される千馬力のエネルギーを動力源とするパワードスーツだ。
百二十mmの対戦車滑腔砲の直撃を防ぎ切る十mmHGシリコン複合装甲が防御を担当し、内蔵されている武器についても、より強力な麻痺銃やレーザー・シャワー、
小型核とも形容される程の威力のスティックミサイルを内包など、攻防共に隙のない正真正銘の超兵器。それを身に纏った者達が、十人もジャバウォックの下へと向かって行くではないか!!
死線を掻い潜った海兵隊は愚か、小型原子爆弾で脅しをかけても大胆不敵な笑みを浮かべる魔界都市の命知らず共ですら失禁する様な恐るべき光景を目の当たりにしても。
ジャバウォックは浮かべる表情は、狂喜のそれだった。「あの雑魚共は、あの程度の装備で、我に勝てると思っている」、そんな事を、この魔獣は思っているのだ。
ジャバウォックはその爪を、不可視の力場に突き立てて、そのままグンッと腕を下げた。
誰が信じられようか。物理的な手段では破壊不可能である特殊力場を、まるで薄さ一mmもない薄氷を破壊するかのような要領で、この魔獣は裂いたのだ!!
だがこれに驚く様な武装警備員達ではない。理論上破壊不可能なものを破壊する怪物達が平然と姿を見せるのが魔界都市であった。この程度で驚くようでは、世話がない。
「撃て!!」
警告なしの即発砲。生かしては返さないと言う凛冽たる意思を感じる命令だった。
そして放たれる、麻痺銃の弾体、シャワー状に放射されるレーザーガンの数々、冷凍ビーム。どれも全てが、先程の警備員が放ったそれよりも威力は上である。
それに直撃しても、ジャバウォックの威容には傷一つついてなかった。レーザーガンが、着弾した傍から体内に吸収される様に消えて行く。
冷凍光線はジャバウォックの待とう超熱の鎧に負けて無意味になり、有効かと思われた麻痺銃の弾体は着弾しているのに全く通用している素振りがない。
機動服に内蔵された次元レーダーでの解析の結果、今のジャバウォックは熱の他に極めて強い電磁波を身体に纏わせており、これが麻痺銃の高電圧をまともに機能させていないのだ。
「手の内は終わりか、ならば死ね!!」
ジャバウォックの姿が霞と消えた。機動服に備わる速度検知システムが、ジャバウォックの移動速度を弾き出す。秒速一三六〇m。音の速度の、四倍だった。
此処で、機動服に備わる、人間の反射神経を凌駕する速度で移動する存在と対峙した時の機構が発動する。
機動服に貯蔵された、反射神経と身体能力を一括で向上させる特殊薬が動脈と静脈に注射される。機動服の警備員達が動いた。
ジャバウォックは真っ先に真正面の機動服にその爪を振り下ろした。音の速度を超過する程の速度で移動出来る怪物だ、当然攻撃の速度などもっと早い。
殆どギリギリに近いが、何とかその人物は、持っていた麻痺銃を防御代わりにする事で事なき事を得る。
麻痺銃がそのフォルムを保てたのはゼロカンマ一秒以下の短い時間の間だけで、それが過ぎたら哀れな程簡単に砕け散った。
質量兵器、熱的兵器が通用しない事を悟った警備員達は、攻撃のアプローチを変えた。纏っている超高熱が中々機能しにくい大質量をそのまま直撃させる攻撃か、
音波や波動を用いる兵器がこの場合有効であると彼らは決断を下す。麻痺銃が破壊されてから、この間、千分の一秒。
両腕に備え付けられた空間震動装置のセーフティを解除、一斉にそれを、ジャバウォックの座標に彼らは発動させる。
Hiiiiiiii――――――――nnnnnnn…………。ジャバウォックの聴覚でも捉えられないような高い振動音が、さくかに、かすかに空間を振わせた――その刹那だった。
発動した震動は陽炎の様に魔獣の身体を押し包み、体内のナノマシン及び身体を構成する珪素分子を破壊しに掛かった。
空間はジャバウォックを中心に恐るべき速さで回転し、その渦の中に、魔獣の姿が蒼白い一等星の如く輝いていた。珪素分子が、電離化を始めていた。
これには堪らずジャバウォックも吼える。機動服に備え付けられた超高速震動兵器は、威嚇用と殺傷用の二種類に分けられる。
低出力の状態では、細胞を麻痺させ神経を狂わせる程度にとどまるが、出力を其処から更に上げると生体組織を完全に破壊。
最大出力ともなれば砂や金属を瞬時に蒸発させ、空間と同一化し物理的な手段では干渉不可能な妖物すらも殺害出来る超兵器になる。
現在警備班らは、これを最大出力の状態でジャバウォックに照射していた。魔獣の身体は、砂岩が削られる様に粉々に砕け散って行く。
砲弾すらも跳ね返せそうだった堅牢さの珪素ベースの肉体はゼロカンマ一秒経るごとに破壊されて行き、一秒経つ頃には胸像の如く、腕と脚部のない状態のジャバウォックが床の上に転がった。
「破壊しろ!!」
生け捕りにしメフィストの研究サンプルとして供すると言う事もこの病院ならではの処遇として存在するが、今回彼らは、ジャバウォックの抹殺と言う方針で動く事にした。
余りにも、目の前の金属生命体が危険過ぎると判断したからだ。この方針は、余りにも正し過ぎると言いようがない。ジャバウォックは、余りにも危険なサーヴァントであるからだ。
そして彼らの不幸は――自分達が想定していたよりもずっと、ジャバウォックが危険な存在であった事を、知らなかった事であろう。
「学ばぬ奴らだ、その程度の攻撃で破壊の権化を砕けると思うな!!」
胸部だけになったジャバウォックが、狂笑を浮かべそう叫ぶ。
すると、加速剤を注射され、一秒を百数倍にまで体感出来る程の反射神経を得た警備員達で漸く認識出来る程の速度で、ジャバウォックの四肢が、欠損した部位が。
見る見るうちに再生して行く。ナノマシンの再生速度は凄まじく、千分の一秒に達するかと言う程の速度でジャバウォックは元の姿に戻ってしまった。
今も恐るべき震動兵器を照射させているにも関わらず、ジャバウォックの身体は崩壊するどころか、身体の表面を一mmたりとも剥離させる事が出来ていない。
「此方の震動波を中和する振動を身体に纏わせているぞ!!」、警備員の一人が叫ぶ。これでは此方側の震動兵器は通用しない。
これを超える程の兵器となると、メフィスト病院の常時閉鎖中の倉庫にしまわれた『神経破壊砲(ニューロン・デストロイヤー)』や『遺伝子攪乱装置(DNAイーター)』、
と言った禁断の兵器を稼働させる必要がある。現在この兵器はジャバウォックの襲撃を受け、内蔵された超小型原子炉(マイクロ・ビルトイン)にエネルギーを注入中であり、後数十秒で発動される筈だ。それまで警備員が、そして病院が持つかは解らないが。
超心理防衛網の発動を視野に入れて欲しいと、通信機で病院上層部に警備員のリーダーが告げる。
その間何としても彼らはジャバウォックを食い止めねばならない。ジャバウォックが動いたと同時に、シューッ、と天井のスプリンクラーから水ではなく、
白色の気体がジェット噴射の要領で噴出され、廊下にそれが充満する。一デシリットル程の分量で十万人もの人間を昏睡させる程の神経ガスだ。
更にそれだけでなく、マッコウクジラを千分の一秒で昏倒させる神経麻痺線を照射する麻酔銃の銃身も、天井や壁から顔を出しており、それが一斉にジャバウォックへと掃射される。
ジャバウォックが哄笑を上げながら、岩を削って作った様な太く巨大な腕を振った。
総重量一トン、最大で千トンの衝撃に耐えうる耐久性を持つ機動服を纏った人間が、紙屑みたいに吹っ飛んで行き、壁に思いっきり衝突。
廊下が激しく、衝突に揺れと言う形で答えた。機動服は拉げ、其処から血がじくじくと流れている。内部の人間が霊的手段で、外部装甲に傷を負わせず内部の人間にだけダメージを与える攻撃を受けたとしても、機動服内部に内蔵された小型医療センターがその傷をオートで治療するのであるが、あれでは衝突エネルギーと急激に掛かったGで、即死であろう。
充満する神経ガスが全く通用しない、ナノマシンが万分の一秒単位で、神経毒に対する抗体を作り、無効化してしまうからだ。
麻酔線も同様で、科学的アプローチではまるで、ジャバウォックを害せない。いよいよを以て、霊的・魔術的手段による抹殺を視野に入れねばならぬ段になってしまった。
と思ったその時、ジャバウォックもその力の一端を初めて、この場で開帳した。
ジャバウォックの双腕に一秒を経ずして、ハリネズミの体毛のような突起物が幾つも生え並らび、それが超高速で、警備員の方面に射出される。
ピシュンッ、と言う音を立てて針が機動服に命中、根本まで機動服に突き刺さるが、そもそも針の長さ自体が大したことがない為、生身の部分には至らない。
威力のない攻撃だと、この場で楽観視する者はこの場に一人もいない。メフィスト病院のテクノロジーの粋の一つである機動服を破壊出来る怪物の攻撃。
それならば、何か裏がある筈だと、誰もがそう思っており――そしてその予測は何処までも正しかった。内蔵された検知システムが、突き刺さった針を中心に、莫大なエネルギーが爆発し出しそうなのを捉えた。エネルギー源は、他ならぬ刺さった針だった。
ボォンッ、と言う音と同時に、機動服が大爆発を引き起こした。
ジャバウォックの放った針は、ある種の小型ミサイルだった。ペンシルロケットよりもずっと小さい代わり、威力の範囲はあれよりもずっと低い。
但し、貫通力が極めて高い。熱さ数cmの鉄板程度なら、容易に根元まで入没する。外側は堅牢でも、中から攻撃されれば脆い物質と言うのが世の中殆どだ。
あの針は、極めて高いその貫通力で物質の内部に入り込み、その状態で爆発、その物質を破壊すると言う極めて小規模な対物ミサイルだった。
無論人体に放てば、その効果の程は推して知るべし。如何に堅固な機動服に身を包んだ男達と言えど、これには一溜りもなかった。
機動服に身を包んだ警備員十人が、廊下で倒れ伏している。
殆どが致命傷を負い、気息奄々の体だ。ジャバウォックの放った魔弾、それが多く刺さったもの、刺さり所が悪かった者の被害は、特にひどい。
顔を破壊され、内臓が外部に露出し、即死であろうと素人でも決断の下せそうな警備員は、事実死亡していた。
残る者は辛うじて生きていると言う状態だ。機動服に備わる医療センターが、まだ稼働している証拠だったが、死亡した警備員と最早何の差もない。どの道ジャバウォックに殺されるか、医療センターの治療が間に合わず死を待つだけに過ぎないのだから。
「つまらない足止めを……我を殺したければこの病院の全てを掻き集めるのだな」
「ならばそうさせて貰おう」
――白い稲妻が、身体を貫く様な感覚をジャバウォックは憶えた。白い稲妻が、臓腑と大脳を穿つような感覚を、瀕死の警備員は憶えた。
皆が、目線の位置を、先程警備員がやって来た方面の廊下に向けた。今も噴出を続ける白色の神経ガス。
それは最早、冬の寒い早朝に起る濃霧めいた有様で、一m先すらも最早見渡せない程、廊下と言う廊下を埋め尽くしていた。
その神経ガスの霧の中にあっても、その人影は、白く見えた。
白の中に白を混ぜても、目立たないと誰もが思うだろう。事実は違う。その人影は、何よりも白すぎた。
余りにも際立った純白の為、神経ガスの白が、土と混ざった白雪の様に汚れて見えるのである。本物の白は、あらゆる色の中にあっても目立つもの。それが例え、同じ白の色の中であろうとも。
人の形をした白が、どんどん此方に近付いて行く。
その度に、神経ガスの濃さがどんどん薄くなって行く。いや、違う。ガスは中和されて薄くなって行くのでない。
紅海を渡ったモーセが海を割った伝説が如く、その人物が此方に近付けば近付く程、両脇に分かれて行き、廊下の壁の方に蟠って行くのだ。
まるで、それが礼節であるかのようだった。この人物が歩みを始めれば、たとえ目の前に地獄の業火が百万㎞に渡り燃え上がっていようとも、炎の方が礼儀を覚え、彼が歩みを始める方角から真っ二つに割れてしまうであろう。
「院……長」
苦しげに呻く警備員の声音には、恍惚とした響きがあった。魔界都市の生ける伝説であるその男の姿を見て、彼らは法悦の感で満たされていた。
現れた男の姿を見たジャバウォックの、珪素の顔に、驚愕が刻まれた。身体の中の高槻と■■■が、その白い闇の威容に、全ての言葉と感情を喪失していた
宇宙が開闢してから、この男以上に美しい存在など、この世に現れた事がないであろうと確信させる麗姿の持ち主だった。
天の彫刻師が生命を掛けて彫り上げた様な、秀麗比類なき美貌、それを作り上げる為だけに神は幾千億もの人間を試作したと言っても説得力のある、優れた身体つき。
踝まで届く程の長さのケープは、絹が泥を吸った毛糸にしか見えぬ程白く、それこそが、ジャバウォックが純白の物質であると判断したものの正体だった。
宇宙の暗黒の様に幽玄な黒髪を長く伸ばし、美麗極まるその顔つきを持ったこの男。太陽や月をも後光として従える純白のカリスマを放つこの魔人は、彼の魔界都市の神話において語られた名前で呼ばれるのが、相応しいだろう。
彼こそが、ドクターメフィスト。
神も悪魔も恐れる魔界医師。魔界都市の神髄を体現する三魔人の内の一人、<新宿>における生の具現であり、『死』の体現でもある男だった。
「生存者は四名か」
一目見ただけで、メフィストは、この場にいる生存者の数を認識した。
「医境の極致に辿り着いた私とて、死者の蘇生は出来ぬか。腹ただしい事だ」
そう言ってメフィストは懐から、長さ二十cmに正確に切断した黄金色の針金を四本取り出し、それを、生き残っている四人に放擲する。
破壊された機動服から露出する生身部分にそれは突き刺さる。すると彼らはそれまで負った重傷が嘘の様に癒えて行くではないか。
露出した内臓が引っ込んで行く、傷口が塞がって行く。ただの針金に、どれだけの力が、備わっていると言うのか。ナノマシンが機能して生身が回復するよりも、ずっと早い。
「後は私が処理する。お前達は医療班の所に行き、細かい傷を治して貰え」
「は、はいっ」
そう言って警備員達は、逃げるようにその場を後にした。
メフィストの美しい形を留めていたい、と言うのは、この病院に勤務する医療・警備スタッフや用務員に至るまで抱く共通の願望である。
給与も存分に貰っている彼らが、金よりも欲しいと思う物こそが、メフィストの賛辞、そして彼の姿を目に焼き付かせるだけの時間。
今逃げた警備員達とて、そんな願望を抱いている。それなのに彼らは、その場から退避するように逃げ出した。何故か?
――メフィストの眉間に刻まれた、険しい皺の故だった。その深い皺は、鑿を当てて刻んだかのようである。
この病院に努めて長いあの警備員達ですら、メフィストのあの表情は見た事もなかった。こんな、露骨な怒りの表情など、浮かべる様な男だとは思いもしなかったのだ。
これから起こる壮絶な出来事を恐れ、彼らは逃げ出したのだ。それを情けない、と諸人は嘲り罵るかも知れない。
だが、この病院で働く全ての存在は、知っているのだ。上は副院長、下は単なる用務員に至るまで、この事柄だけは胸に刻み込んでいる。
病院の厳戒態勢である、超科学防衛線や超心理防衛網、そして心霊最終防衛圏。最後の防衛圏こそが最強の防衛体制だと思われているが、実は違う。心霊最終防衛圏の全容は誰にも解らないが、実はこの更に上の防衛体制が何であるかは、皆は知っているのだ。この防衛体制は秘密になっていないどころか、魔界都市に於いても公然たる事実。
メフィストである。
この病院が有するどんな厳戒態勢、どんな防衛システムよりも――メフィストただ一人が出て来ると言う事。それこそが、最も恐ろしい事柄。
メフィスト単騎以上の厳戒態勢防衛システムは存在せず、そしてこの病院が有するどんな兵器どんな魔術礼装も、この魔界医師たった一人に比べれば、取るに足らない玩具なのである。言い換えれば、メフィスト病院にとってはメフィストたった一人こそが、真の最終兵器と言う事になるのだった。
「我が憎いか」
ジャバウォックが言葉を発する。
メフィストの美は、憎悪の化身たるジャバウォックの意識をも奪っていた。其処から復調し、漸く発した言葉が、それである。
「多くは語らない。だから、一つだけ告げておこう」
水を打ったような静寂が支配する廊下の中で、メフィストが言った。
神経が焼き切れそうな程の緊張感もまた、この空間の主であった。一瞬で喉の中の唾液が渇いてしまいそうな程の緊張感と重圧な静寂が支配する空間の中で、美魔の言葉だけが、夢魔の甘言の如くジャバウォックの聴覚を撫で摩る。
「殺す」
魔界都市の住民が聞けば、自死を選んだ方がマシだと錯覚する程の、強い殺意の言葉を浴びせたその瞬間、両者は共に動き始めたのだった。
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けたたましいサイレンの音が鳴り響いた時、佐藤十兵衛は柄にもなく、飛び上がるように驚いた。
天子にしても、霊体化を解きこそはしなかったが、パスを通じてそれなりに驚いている事が解る。
足立か葛飾か荒川区辺りのクソガキがノリで火災警報器を押したのかと十兵衛は思った
しかしそれにしてはサイレンの雰囲気が異様だし、もっと如実なのは、このサイレンを聞いた時の、病院スタッフ達の反応だった。
それはまるで、戦時下の空襲警報を聞いた国民か憲兵の様な反応だった。
鳴り響くサイレンを聞いた瞬間、院内を歩く看護婦や看護士、白衣を着流す如何にもなエリート風の医者から、点滴を持って歩く患者と歩きながら談笑していた老医に至るまで。
電流でも流されたように硬直した、と思ったのもつかの間。まるで失敗の許されない手術に立ち会っているかのような表情へと変わり始め、全員が走り始めたのだ。
点滴を持つ患者と談笑していた老医は、「申し訳ございませんがこの部屋で待機するようお願いいたします」、と言い、有無を言わさず患者を近くの部屋へと閉じ込める様に追いやった。
どうも様子がおかしい、と思ったその時、十兵衛から見て十数m左先にある、業務用のエレベーターと思しき所から、信じられない者が降りてきた。
服装自体は、契約を交わしてる警備会社の見回り社員が着ているような服装と大した違いはない。問題は、明らかに銃器を持っていると言う事だった。
遠目から見ても、エアガンのようなチャチな代物ではない事が良く解る。明らかにあれは、本物だけが持つ凄味と質量感を有していた。
【十兵衛、あれどう考えてもおかしいわよ】
そんな事は十兵衛だって解る、と言うより今の光景の異常さが理解出来ないのは聖杯戦争の参加者以前の問題として、人としてどうかしている。
確実に何か、医療トラブルとは別の緊急事態があった。それを示す何よりの証左だった。
「其処の貴方、安全が確認されるまで手近な部屋で待機していて下さい!!」
と、走り回る看護師の一人が十兵衛に対してそんな言葉を投げ掛けて来た。
「解りました!!」
【従うの?】
【お前を従えてるのにちょっとやそっとの騒動で尻尾巻くわけないだろ、無視して原因だけ確かめるぞ】
十兵衛がこんな強気な行動に出るのは訳がある。事態が、十兵衛の予想としていた理想の展開のレールから外れ始めていたのが原因だ。
先ず、午前十二時に、これまで発布されていたセリュー・ユビキタス、遠坂凛の討伐令の他に、また新しい討伐令が発布された。
討伐令の対象となった存在は、ザ・ヒーローと言う名前――通り名であろうと推測している――の青年と、それが従えるバーサーカー、クリストファー・ヴァルゼライドだ。
討伐令の理由となった罪状が、先の二名とは一線を画する。大量殺人や<新宿>の破壊もそうだが、明確に彼らはルーラーに反旗を翻した。
その意趣返しだろう、開示された情報量が明らかに先の二名に比べて詳し過ぎる。此処から読み取れる事は二つ。
一つ、ルーラー達は参加者の跳ねっ返りを認める程度量の広い存在ではないと言う事。つまりは、余程の事がない限り、彼らの機嫌を損ねる事は悪手と言う事だ。
そしてもう一つ。ルーラー連中は最低でも、ヴァルゼライドと言うバーサーカーレベルなら対処出来る程度の強さ或いは能力を持っていると言う事だ。要するにルーラー相手には、今の所は慴伏の意を示しておけば先ず間違いはない。
増田の経過を待っている間に舞い込んできた情報はこれだけじゃない。実はもう一つ、十兵衛の方からLINE経由で連絡があったのだ。差出人は、葛葉ライドウ。
あの恐るべき強さのセイバーを引き連れる、天子の見立てでは自分と戦っても渡り合える事が出来る程度には強いマスター。早い話、超人(かいぶつ)の書生である。
此方の情報の方が、十兵衛に与える影響が大きかった。結論を言えば、セリュー或いは遠坂凛のどちらかを襲撃すると言う計画はいったん先送りすると言う物だった。
ライドウがそう提案した理由はシンプルで、セリューと遠坂が引き連れているサーヴァントとは違う、謎のサーヴァントに襲撃されたからだと言う。
退けはした、と言う文面もあったが、恐らくこれについては嘘はあるまい。何故、襲撃された事と計画を先送りする事が関係するのかと言えば、単純明快。
戦っている間に、遠坂もセリューも共に拠点を移動したからだそうだ。この二名の追跡が完了し次第、再び追って連絡する、そうライドウは告げたのだ。
戦わなくてラッキー、と思うのが常だろうが、十兵衛はそう思わなかった。と言うよりこの選択が一番困る。
そもそも十兵衛がメフィスト病院に増田を搬送させた理由は、遠坂とセリューの主従と戦うと言う当初の約束をサボタージュする為だった。
サボった上に、しかも令呪まで貰おうとする。通常そんな虫のいい話はない。だから十兵衛は一つの腹案を考えていた。
つまり十兵衛は、令呪のお零れに与る代わりに、此方はメフィスト病院についての情報を提供する、と言うギブアンドテイクの関係を形だけでも整えようと画策していたのだ。
結局これは失敗だ。襲撃計画が先送りになった以上、ギブアンドテイクの関係は成り立たず、結論を言えば十兵衛だけがあの同盟の中で危険な橋を渡っている状態になる。
メフィスト病院は此方が想像していた以上に危険な場所であり、選択を誤れば此方がどうなるか解ったものではない。十兵衛は、相手に危険を担保させ自分は利益を掻っ攫うと言うハイエナ作戦が大好きである。自分だけリスクを背負う、と言うのは美学に反するのだ。
意地でも戦闘は回避する。但し、パイだけは奪いまくりたい。
その為に十兵衛が出来る事は、有益な情報を集めると言う事だ。こう言った参加人数が決まっているある種のサバイバルにおいて、
情報は確かに値千金にもなり得る素質を秘めた資源ではあるのだが、これが価値を持つのは序盤から中盤までである。
参加人数の減った終盤戦において、最早情報と言う物は大した意味もなくなる。場が煮詰まり、大抵の参加者はもう互いの事を知っている事の方が殆どだからだ。
可能な限り有益な情報を序盤の裡に集め、それをとっとと売り払い、此方はパイを集め、終盤までにそれを温存し、無傷に近しい状態を保ちたい。
それこそが、十兵衛の理想とする聖杯戦争の勝ち残り方だ。であるならば、今回メフィスト病院に突如として起った何かは、此方としても有益な情報になり得る可能性があるかも知れないのだ。多少の危険を冒してでも、その正体を見極める必要があるのだ。
看護師に対して従順の意を示したが、無論十兵衛としては無視する気で満々だ。
適当な部屋に向かうフリをして、騒ぎの渦中へと向かって行く。十兵衛は、病院に勤務するスタッフ達の動きから、騒動の原因が何処なのかを粗方察知していた。向う先は、一階のロビーであった。
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「鈴琳先生は戦えますか!?」
サイレンが鳴り響き、これは何だと推理する前に、メフィスト病院に勤務する薬剤師の一人から聞かれた事柄はそれだった。
鈴琳と言う名前は、この病院における永琳の偽名だ。永琳と、弟子だった玉兎の一人である鈴仙・優曇華院・イナバの名前を合体させた超適当なその場凌ぎの名前である。
そもそも、八意『永琳』と言う名前自体、永琳にしてみれば本当の名前ではない。彼女の本当の名は、八意XX。
地上の人間には、彼女の本当の名前は神代の言語に等しい為、発音が出来ないのだ。故に、便宜上八意永琳と言う地上の人間にも発音しやすい名前で地上で生活。そっちの方が結果として有名になってしまった。地上での偽名が真名になっているに過ぎない為、彼女にとっては『名に関わる呪いや魔術は一切通用しない』のであるが、それでも念には念をだ。保険として、この病院で実体化して働く際は、鈴琳と言う適当な偽名で通しているのだった。
「弓術には少し自信が、と言う程度ですが……」
と、当たり障りのない玉虫色の返事を永琳としてはする他ない。そうですか、と薬剤師が残念そうな顔をする。
【アーチャー、もしかして……】
【安全だと思ってタカを括ってた罰が当たったのかしらね? マスター、戦闘になるかも知れないわ】
パスを通じて驚きの感情が伝わってくる。
サイレンが鳴り響いた後に、血相を変えてこのような事を訊ねられれば、病院で医療トラブル以外の何か逼迫した出来事が起こったのだろう、と言う事は子供でも解る。
しかも、相当な荒事を伴うと言うおまけつきだ。そうでなければ勤続年数の長いスタッフがこんな事を訊ねる筈がなかった。
「私に出来る事があれば、お手伝いしますが」
「患者の身の安全を確保する事を第一にお願い致します」
医療関係者の模範的かつ理想的な返事である。上辺だけでなく本心から言っているのが良く解る。
メフィストと言う男はプライドだけでなく、こう言った教育も徹底的に済ませるタイプらしい。
「解りました。そちらを最優先致しますが、事と次第によっては此方も援護をいたしますわ」
「了解しました!!」
そう言って薬剤師は、受付の前で混乱状態の患者達を、手近な部屋へと案内する。薬剤師達の休憩室、詰め所にまで案内する辺り、事態は相当危ない所にあるらしい。ある程度は、腹を括らねばならないようだった。
【マスター、今から私の言う二つの事を厳守なさい】
【う、うん】
【一つ、絶対に私から離れない事】
これは永琳としては絶対条件だった。
アーチャークラスの特権である単独行動は、魔力の消費を抑える効果の他に、その名が示す通りマスターが不在の状態やマスターから遠く離れた所でも、
ある程度の行動を保証出来るスキルだ。つまり、マスターよりも遥かに優れたサーヴァントに、ある程度の自律性を持たせて自由に行動させられる、
と言うのがこのクラスの利点でもある。――だが、現状のマスターではこのメリットはメリット足り得ない。それどころかデメリットにもなる。
マスターから離れて行動すると言う事はこの間マスターは、サーヴァントと言う一番信頼出来るボディガードが不在の状態である事と同義である。
マスターが凄く強いと言うのならいざ知らず、志希レベルでは嬲り殺しがオチである。少なく見積もっても、あの紙袋のランサーのマスターと同じレベルの強さでなければ話にならない。よって、距離を離して行動する等以ての外。永琳のこの提案は至極当然の物と言えた。
【二つ目。もしも戦闘に陥って、魔力の不足を感じたら、迷わず貴女に与えた薬を飲みなさい】
と言って志希は、自分の白衣ではなく、制服の懐の辺りをまさぐった。
其処には、患者の処方薬を調剤する際に、余分に薬剤を取り出し、それを調合して作った薬が隠し持たされている。
効能は、魔力の回復及び、余剰魔力の充填のそれ。これ以上の物は、此処にある薬剤の関係上作れなかった。折を見て永琳は、メフィストと交渉、霊薬の材料を工面するよう後で舌戦を繰り広げるつもりであった。
【どっちも常識の範囲内の奴だね】
と、志希が言う。その通り、今しがた永琳が言った事は、再度念押しするまでもない。
戦闘手段を持たぬまま聖杯戦争にやって来てしまったマスターが徹底するべき、基本の事柄なのだ。
基本だからこそ、改めて説明した。今回が、もしかしたら初めての荒事になるかも知れなかったから。
そうと決まれば、此処を離れる必要があるだろう。
今回のトラブルでの永琳達の活躍次第では、霊薬をも作成出来る可能性が高まる。そうなれば聖杯戦争を有利に進められる可能性が極めて高い。
ある程度の頑張りを誇示出来る絶好のチャンスだ。志希らは急いで、調剤室から飛び出した。
「……アーチャー達か」
と、自分達の事を言っている以外考えられない言葉を聞いて、永琳がその声の方角を振り返る。
其処には、あの紙袋のランサー、ファウストを霊体化させて従える、不律老人が其処にいた。懐に隠した刀は今や、隠す必要もないのか。誰が見ても露な程、外界に晒した状態でいる。
「これは不律先生。貴方ももしかすると」
「唐突に、戦えるか、と聞かれた。アールツト(医者)も戦うのかと聞いたが、この病院で戦えぬ医者など医者じゃないと言われたわ」
実に笑ってしまう程理不尽な理屈だが、如何やらそれは真実であるらしい。尤も、不律自体刀をおおっぴらに持って院内を歩いていたのだ。
戦闘なんて出来ないか弱い存在ですアピール――猫被っていたと言う――永琳以上に、戦闘がこなせるのだろうと見られるのは、当然の帰結だった。
周りを見ると、永琳達が道すがら見ていた医療スタッフや、先程まで同じ薬科で働いていた薬剤師まで、各々銃器や刀剣類を持ち、厳戒態勢に入っているではないか。
「何て言うかもう……ハリウッドの世界って言うか……」
志希が驚きと呆れが半分混じったような感情からこう呟いた。
永琳としても、マスターがこんな風な声のトーンで呟くのも無理はないと思っている。実際永琳も相当呆れている。
光景が、余りにも戯画的じみている。病院のロビーに設置してあった自販機やウォーターサーバーなどを見た時も、魔術師の領地にあってはならない物を、
平然と設置するメフィストの精神性に半ば呆れていたが、緊急事態時に出動する部隊も、恐ろしく現実離れしていた。志希の言うように、今の様子はハリウッドの映画宛らだ。
緊急事態時に、勤務するスタッフが銃を持ち厳戒態勢に当たる。フィクションの中でしかあり得ない出来事が此処では平然と起っている。
しかも、直近の業務用のエレベーターが開いたと思ったら、パワードスーツと呼ばれる大仰な機械の鎧を纏った人物がぞろぞろと降りてきて、各場所へと走って行っている。
これも、警備に当たる人員であると言うのだろうか。流石の不律も、これには唖然としているし、霊体化しているファウストも、顔こそ見えないが驚いているのが伝わる。志希など言わずもがなだ。
――これだけ警戒に当たる必要がある、と言う事よね――
銃器に、現代の科学水準では考えられない装備の数々を持って来ると言う事は、要するにそう言う事だ。
明らかに、事態を引き起こしている存在は、メフィスト病院のテクノロジーを武力活用しなければどうにもならない相手。とどのつまりは、サーヴァントである可能性が高い。
永琳はその凄まじい思考速度で考える。これだけの事態、拗れれば当然メフィストがやってくる蓋然性が高い。あの男は永琳個人的に気に喰わない。
だが、永琳は自分より格下や取るに足らない存在には素っ気ない素振りや無視と言う態度を行う事が多く、要するに眼中にないのである。
逆説的に言えば永琳が気に喰わない存在と言うのは、心の何処かでその実力を高く評価していると言う事も意味する。でなければ敵対心など抱く筈がない。
そんな気に喰わない存在の実力を、見定められると言う機会。活かしたい。可能な限り、メフィストを現場に引っ張りだし、どう言う戦い方をするのかと言う事を彼女は見極めたいのだ。それはかなり厳しい事だとは解っているが、それでも、である。
兎に角、患者達の収容を急ごう、と口に仕掛けた、その瞬間だった。
永琳は、己の身体の毛が総毛立つのを感じた。雪を塗して冷たくした刀身で、身体を突き刺されたような恐怖。胃に小石を詰められたような、息苦しさ。
本物の神霊とコネクションを持っていた永琳ですら、これなのだ。況や、不律、況や志希など、言うに及ばず。鬼気の感じた方向に、目を凝らさせる。
パワードスーツ、もとい、メフィスト病院での呼び名を機動服と呼ぶ服に身を包んだ者達も、移動を止め、その場に佇んでいた。彼らもまた、不律達同様、蛇に睨まれた蛙の状態らしい。
「其処を退(の)け、下郎」
聞くだけで、男を射精させ、腎虚にすら陥らせる程艶やかな声が聞こえた、次の瞬間だった。
重量一トン、千トンもの衝撃に耐えられる程の機動服に身を包んだ警備員が、人形の様に吹っ飛び、天井と激突した。
激突するよりも速く、機動服の男は身を包んだその機鎧ごと、四肢や胴体をバラバラにされており、天井にぶつかる頃には五体が形を留めた状態ではなく、トルソー(バラバラ死体)の状態であった。
激突する音が遥かに遠い。音が、礼儀を弁えている。永琳はそんな事を思った。
或いは、目の前の女の不興を買うのが恐ろし過ぎて、物理法則が、物と物とがぶつかれば音を立てると言う当然の理屈を捻じ曲げているのだ、と言われても今なら納得が出来る。
――それ程までに、目の前の女が美しかったからだ。いや、美しいと言う言葉すら、最早彼女の前では使う事が失礼にあたる。
美しいと言う言葉は、彼女を表現出来る修辞技法(レトリック)がこの世に存在しない為、仮に使っているだけに過ぎない。
彼女の美を表現する方法は、宇宙が死を迎えるその時までもう存在しないだろう。彼女と言う存在を、永琳達はあるがままに感じる事しかもう出来ない。
冷えた林檎や熟れた桃、たわわに実り垂れ下がる葡萄を思わせるような果実にも似た香気を発散させたその美女の。
自由を謳歌するが如き、腰まで伸ばした黒い髪と、美神ですらも嫉妬を覚えぬ程の白く輝くその美貌の女の正体を。
美しさにフリーズを起こしながらも、永琳は理解してしまった。あれは、神霊の対極(アンチ)にあたる存在だ。神の対極に当たる存在は、悪魔ではない。悪魔は神の被造物であり、神の権威を際立たせる必敗の輩である。神の対極に当たる存在を表現する言葉はない。表現する言葉がないから、神の対極の存在としか、言えぬのである。
漸く起った事変を認識し、我を取り戻した機動服が、手にした兵装の銃口を、白い衣装の女性に向け始めた。
二十代にまだ到達していないか、その少し上だろうと言う若さの女が、空気でも払うかのように、その繊手を振った。
凄まじい音を立てて、銃口を向けていた機動服の警備員三名全員が粉々に砕け散った。遅い動き、と余人には見えたかも知れない。
実際には違う。余りにも速く振い過ぎたせいで、逆に遅く見えるだけなのだと永琳だけが気付いていた。実際あの美女は、スーパースローモーションカメラでも持ち出さない限り、その実際の速度が解らない程の速度で腕を振っていた。志希達が見た女の繊手は、残像だった。
美女が近付いてくる。あれだけ警備員を惨たらしく殺したと言うのに、その純白の衣服には血一つ肉片一かけらも付着していない。血肉は今も宙を舞う。
貴人の服は汚してはならない、社交界における当然の礼儀であるが、あの女程極まった存在になると、何者も汚せなくなるようだった。
通路を歩いていた医療スタッフや、聖杯戦争の関係者である志希や不律が、凍結した様に動けないでいる中、真っ先に動いたのは永琳だった。
四次元と三次元の隙間から和弓を取り出し、自らの身長の半ば以上もあるその弓に矢を番え、発射する。
此処までのプロセスを、彼女は瞬き以下の速度で行い、これと同時にファウストが初めて霊体化を解除した。
「ほう」
そう美女が嘆息する。
永琳の放った矢は軌道上で白色の極光に包まれ、矢と言うよりは、一本の光の線(レーザー)になって、女の胸部に突き刺さった。
余りの貫通力の故、女の肺腑をズタズタにするだけでは飽き足らず背中から鏃が貫通する。如何なる威力であったのかを、余人にそれを知らせしめよう。
即死の筈である。永琳は一目見て、目の前の存在が吸血鬼であると言う事を見抜いた。
但し永琳が知る、幻想郷に君臨していたあの生意気な小娘の吸血鬼とは、その格が違う。あれもまた純正の吸血鬼であり、貴種と呼ばれるに相応しい存在ではあった。
自身の事をレミリアと名乗っていたあの吸血鬼の事を知っていてなお、断言出来る。目の前の女吸血鬼は、『別格』。この女は吸血鬼であって吸血鬼に非ず。
貴族と呼ばれる吸血鬼とも、死徒と呼ばれる後天的な吸血鬼とも違う。生まれた時から純粋かつ完璧な吸血鬼の事を、真祖と呼ぶ。
目の前の存在は間違いなくこれに当たる存在であるが、何処かが違う。まるで、一種一人しか存在しない究極の何かを目の当たりにしているような気配を、永琳は感じているのだ。
「大した弓術じゃな、女。貴様らが印度と呼ぶ国で昔戦った、アルジュナと言う小僧が私に使って見せた技によく似ている」
背中まで鏃が貫通しているのにも関わらず、彼女は恬淡とした態度を崩しもしない所か、永琳の弓術を褒めさえした。
よく見ると、衣服に血液が付着していない。矢が貫通しているにも拘らず、だ。
「吸血鬼の苦手な陽光と、流れ水の属性を纏わせた一射だったのだけれど」
「浅はかな女よ。真の吸血鬼は陽光すらも超克する。私を死なせるには殺すでは足りん。滅ぼすでも尚足りん。何故なら私は、不滅の存在なればこそ」
「つまらなそうな人生を送ってそうね、貴女」
第二射を番える永琳。吸血鬼のサーヴァントの言う通り、先程の一射には、吸血鬼が苦手とする属性を魔術で創造し、それを内包させて放った。
純正の吸血鬼でも、年の若い存在であるのなら先程の一射の直撃を受ければ、再生機構は無効化、無敵とも称される夜の吸血鬼であろうとも、無事では済まない筈なのだ。
これが通用しないとなると、それこそ、永琳の無数ある魔術の中でも、対軍規模レベルの宝具以上の威力の物を持ちださねば話にならないだろう。
「二人がかりで倒せそうですかな、アーチャー」
ファウストが訊ねる。紙袋の奥の、発光体の眼球が弱弱しく輝いていた。
「六割かしら。勝率がね」
此方の方が有利であるらしい。逆に言えば、永琳とファウストと言う優れたサーヴァントが二人がかりでも、四割の確率で負けると言う事でもある。
【マスターッ!!】
永琳が念話で思いっきり叫んだ。
「ひゅいっ!?」、と言う声を上げて志希が飛び上がる。志希からして見たら、拡声器を耳に当てられ思いっきり叫ばれたような感覚だ、当然飛び上がる。
しかし、こうでもしないと志希が到底復帰しないと解っていたからこそ、永琳は今のような処置を取った。
不律は漸く地力で復帰しかけたようだが、志希は完全に目の前の吸血鬼に魅了されていた。吸血鬼は小技として、魅了に関わる魔術を覚えている事が多いのだが、
目の前の存在はその術を使ってすらいない。使わずして、志希は愚か不律をも魅了し、サーヴァントの身であるファウストと永琳ですら忘我の域に誘ったのだ。
これで魅了の術を使っていたらどうなっていたか、想像もしたくない。その志希を魅了された状態から復帰させる為の、精神感応の術も今の叫びに込めていた。当然復帰する。
【ご、ごめん!! 意識が全然……】
【私の後ろに隠れてなさい。それより、あの存在、貴女の目にはどう映ってる?】
【えーと……ライダーのサーヴァントで……】
此処まで聞いただけだが、永琳は大いに驚いた。サーヴァントであるらしい。あれが、だ。あり得ない話だ。
聖杯戦争に使われる魔力程度では、正真正銘本物の神霊や、数千年の時を生きる幻想種は召喚出来ない。永琳は自らそう推理していた。
断言しても良いが目の前のライダーは、聖杯戦争には絶対に呼ばれない、いや、呼ばれてはならない存在である。そもそも、座に登録されているかどうかすら危うい。
当初永琳は、あのライダーは召喚と言うプロセスを経ないで、自力でこの世界にやって来たサーヴァント以外のイレギュラーではないかと本気で思っていたが、
どうやらそうではないらしい。サーヴァント、それも、桁違いのステータスを誇る、と言うおまけつきだ。今志希はライダーのステータスを口にしているが、どれをとっても、怪物のそれ。幸運以外は正しく、超一級品のサーヴァントだ。
【良く解ったわ】
言って永琳は、番えた矢を発射した。
矢が周りの時間流を局所的に加速させ、初速の段階で物理法則を無視した超加速を得させると言う芸当など、永琳にしてみれば朝飯前だ。
マッハ四近い速度で迫る矢は、放たれると同時に燃えるような白い光に包まれ、そのままライダーの方へと向かって行く。
蚊柱が邪魔だと言わんばかりの態度で、その繊手を振うライダー。パァンッ、と言う音と同時に、スタングレネードでも炸裂させたような光の爆発が廊下を包む。
距離にして十mあるかと言う程の短距離で、このライダーはマッハ四の速度で飛来する光の矢に反応し、面倒だと言わんばかりに破壊して見せたのだ。
今の一撃に永琳は、先の一射に倍する陽光と流水の力を込めていたが、直撃する前に砕かれてしまえば、微塵の意味もなかった。
「時間の流れを局所的に加速させ、矢を超速で、しかも一里二里程度では勢いが落ちぬ程の一射を放った。こんな所だろう」
ライダーは、永琳の一射の正体を簡単に暴いて見せた。
「古き時代に生きていた、弓を能くする者は皆お前と同じ技を当たり前のように使っておったわ。アルジュナも、星座に祀り上げられたオリオンと言う男も、太陽を落として見せた羿(イー)の奴も。余りにも良く使われた技、意外性も何もない。つまらぬ」
「もっと上等な物を見たいのかしら? それを見た時が、貴女の滅ぶ時と解っていても」
ほほほ、と上品な笑いをライダーが上げた。貴婦人と言うより、国を百も滅ぼして来た大毒婦だけが上げられる、死毒の笑いだった。
「『貴様を滅ぼせる技がある』、『冥府魔道に堕ちる時が来た』、『神の裁きを受けて見ろ』。幾度となく聞いて来た言葉よ。私の前に立った強者や聖人、魔術師共は皆同じような言葉を私に吐き、技の全てが尽きた瞬間、こう口にする」
「次に貴女は、こう言うでしょう。『やめておけばよかった』、と」
不快そうに、ライダーの顔が歪んだ。正しく、永琳の言った通りの事を次に続けるつもりだったらしい。
「私に勝負を挑む命知らずも、そう言うの。自分の実力に自信がある者が失意に沈むのは、見ていて面白いわ。貴女なんか、特に面白そうね」
「言いおるわ」
一歩、此方に歩んで行くライダー。
漸く、我を取り戻した医療スタッフが手に持った銃を構え始める。その瞬間、フォンッ、と、風が空切る音が静かに木霊した。
何が起こったのか、と推理するのもつかの間。複数人の医療スタッフの胴体に、朱色の絹糸を巻きつけた様な赤い線が走り始め、其処から彼らの身体がズルリと滑って行き、
床に落ちた。「ひっ!?」、と、志希が声を呑んだ。永琳とファウストは、攻撃の正体を掴んでいた。袖である。
腕を振い、ライダーの着用している白い衣裳の袖がスタッフに当たった瞬間、それが肉体を斬り裂いたのである。
中国に数多ある拳法の中には、袖を長く作っておき、長めに採寸したその袖を以て相手を打擲させる奇拳が存在すると言うが、このライダーは、それを扱えるらしかった。但し、人間が使えば良くて不意打ち程度に終わるそれも、彼女が使えば人体を破壊しうる恐るべき魔拳に姿を変えるらしい。
「女。貴様は如何にも興味をそそるが、今は捨て置いてやる。見れば、貴様らがあの耳障りな警報の原因ではないようだしの」
「……そちらが原因ではないのですか?」
驚いたのはこの場にいる全員だ。今も鳴り響いているサイレン音、その原因は目の前のこのライダーであると、誰もが思っていたのである。
永琳ですら、そうであると信じて疑ってなかった。暴虐邪知が服を着て歩いているとしか思えぬ目の前の吸血鬼が、メフィスト病院に起った緊急事態の原因でなければ、何が原因であると言うのか。
「この病院は私の仮寓として使ってやっているに過ぎぬ。それに、魔界医師は敵対するよりも利用してやる方が都合がよい。貴様は知らぬだろうがな」
メフィスト病院を利用する。その点に関しては、目の前のライダーも同じであるらしい。永琳も、そもそもは有利に聖杯戦争を進める言う目的で病院にすり寄ったのだ。
――だが、目の前の、気位が見るからに高く、誰が見ても邪悪その物な性格をしたライダーを、果たしてメフィストが受け入れるだろうか?
永琳は先ず、この点を疑問に思い、その後、明らかにライダーの口ぶりは、遥かな以前からメフィストの事を知っていた事を示唆するものである事に気付いた。
その事を問い質そうとした、その時だった。
すぐ下の階から、途方もない量の殺意と魔力が荒れ狂い始めたのを、永琳達は感じた。志希ですら、ただならぬものを感じたようで、怯えた様子で背中にしがみついて来た。
永琳程魔術に秀でたサーヴァントが、ワンフロア上階や下階での魔力や妖気を探知出来なかったメフィスト病院。それであるのに、今や彼女ですら感じられる程大量の魔力が此方まで流入してくる。どれ程の事が、一階で起っていると言うのか。
「ほほ、何処の誰ぞがメフィストと事を争っているのかは解らぬが、あれを敵に回すとは愚かな奴。奴を敵に回して生きら
「ほほ、何処の誰ぞがメフィストと事を争っているのかは解らぬが、あれを敵に回すとは愚かな奴。奴を敵に回して生きられる者など、私かせつら位しかおらぬと言うに」
そう言ってライダーは、胸に突き刺さっていた矢を乱暴に引き抜き、それを床に抛り捨てた。血溜まりの広がったリノリウムの床に鏃がぶつかり、ぬめった水音を立てた。
床は呆れ返る程血で横溢していると言うのに、雪の如くに白いライダーの衣服には、やはり血の一滴も付着していなかった。
「生きておればまた相見える事もあろう。その首、時が訪れるまで良く洗っておけ」
そう言ってライダーは、もう永琳やファウスト達など一顧だにせず、近場の階段を降りて行き、去って行った。
嵐のような存在だった。外見は、比類ない程美しい、それこそメフィスト以上の美の持ち主であると言うのに、その性格だった。
一言二言言葉を交わすだけで解る、邪悪な性根。あれは、呼ばれる事もあり得ないし、呼べる手段があっても呼ばれてはならない、そんな存在だった。
あんな怪物が、如何してこんな場所にいるのか。永琳達にはそれが解らなかった。あらゆる生命に対する反存在、そんな者を、メフィストが許す筈などあるまいと言うのに。
「吸血鬼の知己は私にもいましたが……あれ程凶悪ではありませんでしたな」
と、口にするファウスト。永琳も同様に、吸血鬼の知り合いがいるにはいたのだが、あそこまでは酷い性格はしていない。精神の幼さは、どっこい、と言った所だろうが。
「何れにせよ、今は彼らの治療を優先するべきだろう」
不律がそう言って、先程ライダーが袖で切断した医療スタッフの所へと駆け寄った。
彼らにはまだ息があり、そして、不律の従えるサーヴァントは医術の心得があるサーヴァント。救った方が良いだろうと判断したのだ。
永琳達の方も、彼らに駆け寄った。負傷者を救うと言う意識の他に、メフィストと話を付けられるだろうと言う打算があったからである。
志希は遅れて、永琳の方に近付いて行く。突如として起った、魔境の光景。未だそれから、覚めやらぬ様子であるのは、明白なのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
神代の時代から生き続けているのではと思う程の大魔道師、ドクトル・ファウストに師事したメフィストは、ファウストの英才教育と、自身の天賦の才。
そして、あくなき探究心から遂に、空間の謎を解き明かす事に成功。これを、メフィスト病院の至る所に応用する事に成功した。
例えば、地下に降りた筈なのに、いつの間にか屋上に移動していた、と言う現象を起こす事も。
倉庫に入ったと思ったら、ドアも窓もない、出入りする場所が何処にも存在しない、四方が壁の場所に飛ばされたと言う現象を起こす事も。
十m四方しかない部屋を、空間を拡張させて一㎞四方の極めて広大なフィールドに拡大させる事も。全ては、空間操作の応用だった。
メフィスト病院の内部が見た目以上に広く感じるのは、至る所に空間に関わる方程式を応用させているからに他ならない。全ては、医療スタッフが気持ちよく、そして効率的に働けるように。そして、患者が満足の行くサービスを享受出来るように。メフィストは、患者にとっては海よりなお深い慈悲を持った、聖なる者であった。
――そしてメフィストは、患者とスタッフの為の技術を、敵対者の抹殺に利用していた。
両肩の辺りに、戦闘機で言う所の推力偏向の為の噴射ノズルに似た器官を形成させ、其処から圧縮空気をバーナーの如き勢いで噴射、
その勢いを借りてジャバウォックは、白いケープを身に纏う、美しい形をした悪魔目掛けて向かって行く。
今のジャバウォックは、噴射ノズル状の器官の助力もあり、直線での移動速度なら、音の九倍にも達する程の速度での移動を可能としている。
無論、常人など反応出来る筈もなく。例え反射神経に優れたサーヴァントであろうとも、この移動速度では何の反応も許させず、ジャバウォックの魔爪の餌食となっている事だろう。……普通のサーヴァントであったのならば、だが。
此方に迫るジャバウォックを、明らかに見てから、メフィストは左方向にステップを刻んだ。
いつの間にかメフィストは、先程まで佇んでいた地点から六百m以上左の方向にいた。彼は明らかに、サイドステップを刻んだ。
だが余人からすれば、メフィストが一瞬でその地点に瞬間移動したと思ってしまうだろう。こんな美しい男が、戦闘の為のステップなど行う筈がない。そう思わせしめる程の魔力と雰囲気を彼は醸している。だから、余人にはこう映る、瞬間移動をしたに相違ないと。
着地と同時に、ジャバウォックは右腕を振り下ろしていた。
空を切ったと魔獣が認識したのと、メフィストが懐から宝石を取り出したのもまた、同時だった。
転換と呼ばれる魔術により、宝石と言う魔力を込めやすい媒体にそれを注入した物――つまりは、宝石魔術である。
皮膚の下の筋肉が透けて見えそうな程のメフィストの白い指には、ダイヤモンドが三つ挟まれていた。
そのカラットと輝きを見れば、どんな鑑定士でも、都内の一等地にマンションが数棟建てられる程の値段を付けるであろう。
メフィストはこれを無尽蔵に元素変換の術で作成出来る。この宝石三つを、弾丸の如き速度でジャバウォック目掛けて発射。
投げはしない、一人で宝石が指から離れ、音の速度で向かって行く。この速度を生み出す推進力は、メフィスト以外理解も出来ない。
ジャバウォックは、メフィストの方目掛けて移動をしようとしたが、その宝石三つを見て、急いで防御の体勢を取った。
憎悪の化身であるジャバウォックとは思えぬ、逃げの選択。しかし、その選択が今は何よりも正しかった。
三つのダイヤモンドは、軌道上で独りでに亀裂を生じさせ始め、其処から目が潰れんばかりの極光を溢れさせていたからだ。爆発を起こすつもりであった――但しその爆発と言う言葉の前には、『ヒロシマ型原爆の二十倍の威力を持った』、と言う修飾語句が付く。
カッ、と、白色の光が視界の全てを覆い尽くした、その数百分の一秒後に、鼓膜が破れるどころか三半規管にすら異常を来たさんばかりの轟音が響き渡った。
ダイヤモンドはジャバウォックの真正面ほぼ十mで炸裂、其処を中心に半径五百mにも及ぶ大爆発を引き起こす。
核に匹敵する威力にも拘らず、範囲自体は狭い。確かに効果範囲を上げさせる事は出来る。
しかし、効果範囲が広がれば広がる程、メフィストも巻き添えを喰らう――核すら無効化する技もなくはないが、魔獣を相手にそれを出す余裕はあまりない。故に範囲を狭く設定した。それでも、病院の外で使えば、ルーラーから即時討伐令が下されるレベルの代物であるのだが。
一般の病院より広めに面積が取られていると言う事を除けば、何処とも大して差のないロビーは、今やメフィストの手によって面積百平方㎞、高さ五十㎞にまで拡大されていた。
今やロビーは一枚の写真を加工ソフトで引き延ばしたように広大無辺の地となっており、メフィストらが戦っている地点から壁まで、凄まじく距離が遠い。
こうまでメフィストが空間を弄った訳は、三つ。患者やスタッフが無暗に此処までやって来れないよう。二つ目、自身が本気を出せるよう。
あの宝石魔術を見れば解る通り、メフィストの本気の攻撃は外や空間操作を行っていない場所では到底出せないのである。そして最後――ジャバウォックを絶対に外に逃がさず、此処で抹殺する為である。
爆発の余韻である残光を突き破り、ジャバウォックが音を置き去りにするその速度でメフィストへと向かって行った。
核爆発と同等以上の威力の宝石魔術の爆発の直撃を受けているにも関わらず、ジャバウォックは未だ動けている。無傷ではない、外殻の至る所に、大小様々な生傷を負っている。
「ほう」、と嘆息するメフィスト。動けるらしい、あれに直撃して。ならば、もっと上等な威力の物をぶつけねばなるまい。
重戦車の衝突すら容易く跳ね返す力場、それをも切り裂く爪を生え揃わせた腕をメフィスト目掛けて超高速で振った。
巨大な鉄塊を削って見せた様なその大腕は、爪の一撃を回避したとしても、腕の何処かに当たっただけで身体が潰れて死亡する。
その一撃が、何かによって止められた。ジャバウォックの腕に伝わる感覚は、張り巡らせた網だった。目線を、己の攻撃を防ぐ何かに向けた。
確かにそれはネットだった。ただのネットではない、針金を格子状に組み合わせて作ったネットである。それを以て、ジャバウォックの攻撃が防がれていた。
九千度を超える獄熱を身体に纏わせているにも拘らず、その針金は、蒸発は愚か溶けもせず、ジャバウォックの腕力を受けても破壊すらされない。彼の魔界都市の住民が見れば、当たり前の事だと誰もが口にする。何故ならば、今ジャバウォックが破壊しようとしている物が、メフィストの針金細工であればこそ。
より力を込め、ジャバウォックが針金を切断しようと試みた。
メフィストを知る者を見れば、驚くに違いない。魔獣は、身体に纏わせた熱と生来の膂力を以て、メフィストの針金の網を引きちぎって見せたのだ。何と言う強さか。
だが、それを破壊した時には、近くにいたメフィストは既にジャバウォックから遠く離れた四百m先にまで飛び退き、その地点から、
先程同様核爆発を発生させるダイヤモンドを釣る瓶打ちの要領で乱射して来た。放たれた数は五個、全部炸裂させれば三騎士だって塵も残らない。
ジャバウォックも対策をする。ダイヤモンドが魔獣に到達するまで後二百m程と言う所で、彼は左掌にカメラの絞りに似た器官を形成させ、
其処から焦点温度六十万度超の荷電粒子砲を発射させる。熱線に呑まれたダイヤモンドは、外部から齎された急激な熱エネルギーで溶解と蒸発のプロセスを一瞬で経、
遂には核爆発を引き起こした。ジャバウォックに出来る事と言えば、その超スピードを利用して爆風の範囲から逃れるか、爆風の威力が下がる距離で宝石を破壊する事しか最早なかった。
メフィストの宝石魔術を破壊した荷電粒子砲はそれだけに飽き足らず、メフィストの方へと向かって行く。
迫りくる熱の暴力目掛けて、メフィストは白いケープをはためかせる。瞬間、粒子砲はカレイドスコープ(万華鏡)の内部の如く、複雑怪奇な紋様を描いて千々と砕け散った。
明らかに、メフィストの移動速度や反射神経は常軌を逸している、とジャバウォックは考えた。白兎とて、こうは行かない。
何かを仕掛けた、と考えるのも無理はない。それは事実だった。メフィストは二重に、ジャバウォックと渡り合う手段を己に施しているのだ。
一つ、自身に自己強化の魔術をかけ、敏捷のステータスをA相当にまで引き上げさせている。そしてもう一つ、メフィストは自分の身体の時間を制御していた。
有体に言えば、メフィストは自らの時間を加速させている状態である。空間と時間は不可分の概念であり、空間の謎を解き明かす際に、
時間の謎もメフィストは解き明かしていた。但し、時間に関わる術の究極系である、時の遡行や未来への移動にまでは至っていない為、時間を究明したとは口にしない。
だが、時間の加速・減速・一時的な停止程度なら、メフィストは再現出来る。己の身体の全ての血流や神経系の電気信号、脈拍に至るまで、メフィストは倍加させている。
こうする事で、極超音速で移動するジャバウォックに対応したり、音以上の移動速度とそれに耐えられる思考速度を得る事をこの魔界医師は可能としていた。
メフィストは現在、敏捷のステータスを強化させた上で、身体の反応速度から移動速度、そして思考速度を含め、七倍速にまで速めている。
高速で移動し、超速の攻撃を当たり前の様に行うジャバウォックへの対策として、これ以上相応しい物はない。
絞りから荷電粒子砲を乱射させるジャバウォック、それを受け音の二倍の速度で走り、メフィストは其処から距離を取る。
粒子砲は、虚空を走る美しい白の残像を貫くだけに終わった。移動しながらメフィストは、ケープの裏から針金を取り出し、それを放った。
空中に投げ出されるや針金は、煙で出来た蛇の様に、一人でに空中で蠢き始め、勝手に形を作って行った。それはメフィストやジャバウォックよりもずっと巨大な存在だった。
全長は三十mもあり、高さは十m。撓る尻尾は大樹を百本纏めて薙ぎ倒せよう。竜種(ドラゴン)だった。メフィストは針金細工で、翼を携えた竜種を作ってみせたのだ。
掛かった時間は、千分の一秒以下。瞬きしたその瞬間を狙わずとも、相手からすれば時間を停止させたその間に針金細工を作ったのだと説明しても信じて貰える程の、
凄まじい速度と言っても良い。針金の竜が吼えた。気の弱い者が聞けば、心肺停止を引き起こしかねない程の咆哮が、稲妻めいて轟き渡る。
竜を包み込むように、ドーム状の空気の断層が生じる程の大咆哮。針金で作ったのは外枠だけ、故に内部が空洞なのは当たり前の事柄なのに、何処にこれだけの叫びを生む声帯、或いは機構が備わっていると言うのか。いや、備わっていたとして、これ程の叫びなど生めるのか。
邪魔だと言わんばかりに、針金の竜目掛けて荷電粒子砲を放つジャバウォック。適当に狙った訳ではない、竜を貫けばその先に、針金細工に遮られたメフィストがいる。
針金で出来た竜の右脇腹を、ジャバウォックの放った熱線が貫いた。しかしメフィストは既に、粒子砲の軌道から離れていた。
竜が咆哮を上げると同時に、口を開いた。やはり内部は空洞らしく、ぽっかりとした黒洞だけが、空いた口の中に広がるだけだった。
――其処に、大量の魔力が収束して行く。最強かつ最良、そして最優の幻想種である竜種が放つ、マナの奔流。即ち、竜の息吹。メフィストの針金細工は、これをも再現する。
竜の口腔から放たれたのは、メフィストのシンボルカラーとも言うべき、白色のエネルギーの奔流だった。針金細工の竜は、熱と質量を伴った熱線を放ったのだ。
肩の噴射ノズルを利用し、超高速でブレスからジャバウォックは距離を取る。熱線は着弾した瞬間、ジャバウォックが先程までいた地点を中心とした半径三十m周囲全ての床をガス蒸発させてしまった。
ジャバウォックの移動した先と、先程粒子砲を避けるべく移動を始めていたメフィストのルートが、ぶつかった。偶然ではない。
自己強化と時間加速の影響で、今や量子コンピューターレベルの思考速度を得、極めて高い精度での未来予知を可能としたメフィストが、
ジャバウォックの先の行動を予測、演算したのだ。九千数百度の超高熱を纏うジャバウォックに、一m半ば如何ほどの距離にまで肉薄しても、
ケープや全ての光を反射する様な白い肌が、燃えるどころか焦げ目一つつかないと言うあり得ない現象は、最早驚くに値しない。
何らかの魔術を身体に纏わせているのだろうが、そんなのを纏わせていなくとも、『この男がメフィストだから』、と言う説明だけで、燃えぬ理由も焦げ付きもしない理由も解決出来そうな凄味を持っている事が、魔界医師の恐るべき所だった。
目を見開くジャバウォック、移動ルートを先読みされた事をではない。
驚いているのは、金属の暴威とも言うべき姿をしたジャバウォックに対し、白皙の美人たるメフィストが、『拳』による攻撃を仕掛けようとして来ると言うその事実である。
メフィストは、左腕を振り被っていた。殴る、と言うのか!? この世全ての魔術を極めたとすら、魔界都市の魔人達に噂されたメフィストが、
よりにもよって拳による攻撃を選ぶなど!! 魔術と、或いは超科学を駆使した遠距離攻撃こそが真髄と思っていたジャバウォックは水を浴びせられたように驚いたし、
例えこの場に魔界都市の古参がいたとしても、彼と同じ反応を見せたに違いない。それ程まで、メフィストが行おうとしている行動は、他者を震駭させるに値する物だった。
左腕をメフィストは突き出した。握り拳ではなく、掌は開かれていた。俗に言う掌底で攻撃をしようとするらしい。
速い。時間を加速させているだけはある。音を優に超す程の速度で掌底が放たれたが、ジャバウォックならば避けれぬ距離ではない。
にも拘らず、この魔獣が反応出来ていないのは、未だにメフィストが拳による攻撃を敢行したと言う事実自体が信じられなかったからだ。しまった、と思っても遅い。例え後一ヶ月で宿主に死を齎す凶悪な病気に罹患した患者ですら、いつまでも触診されていたいから病気が治って欲しくないと思わせしめた程のメフィストの手が、ジャバウォックの灼熱した胸部に突き刺さった。
ジャバウォックを一撃で打ち倒すには、その攻撃は余りにもか弱い。まだそこらのニューナンブの方が、マシなダメージを与えられる――そう思ったのは本当に一瞬だけ。
メフィストの拳が与えた衝撃の干渉力が、百分の一秒が経過するごとに倍加して行く。ジャバウォックからしたら、それこそ最初は蚊に刺された程度にしか感じぬ衝撃が、
一秒経過するよりも遥かに速い時間で、大砲に直撃したかの如き衝撃になって行き、一秒経過する頃には、小惑星の衝突を連想させるが如き衝撃が、ジャバウォックの身体を電波する。
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!!」
雄叫びを上げジャバウォックは、メフィストの掌底を貰った左胸の部分に、凶悪な詰めの生え揃った右手を当て、その部分を抉り取り、握り潰した。
その瞬間、体中を病魔の如く蝕んでいた超衝撃が収まった。あとゼロカンマ一秒経過していたら、身体が本当にバラバラになっていたかも知れない。
再び、メフィストの掌底が飛んで来る。それに反応し、地を蹴り飛び退くジャバウォック。それを予測していた魔界医師。
掌底の為に突き出した右手には、黄金色の針金が巻き付いており、それが自我を持ったかのように、ジャバウォックに倍する速度で追跡を始めたのである。
距離を離しているジャバウォックが、左腕を無造作に振るった瞬間、傍目から見れば信じられない現象が起こった。空間が、『引き裂かれた』のだ。
紙を引っ掻いて切り裂いたかのような爪痕が空間に刻まれ、それにメフィストの針金が直撃。バチィッ、と言う凄まじいスパークを立てて針金が切り刻まれ破壊される。
今魔獣が放った一撃は、硬度や物質的特性を無視する空間の切断、それに類似した一撃である。流石にこれには一溜りもなかったらしく、メフィストの針金ですら耐えられない。
この攻撃でメフィストの攻撃を迎撃したのは正しい。この白い美魔が放ったのは、雷と同等の威力の高圧電流を内包した雷鉄線。貰っていれば如何なジャバウォックでも、先程のメフィストの不思議な一撃も相まって、機能停止にまで追い込まれていてもおかしくなかったろう。
しかし、ジャバウォックの敵となる存在は、メフィストだけではない。
そう、この魔人は、あの針金細工の巨竜を生み出していたではないか。巨竜は簡易的な知能をメフィストによって付加されていたらしく、飛び退いたジャバウォックを見るなり、
その方向目掛けて光の奔流を口腔から放出した。だがジャバウォックもまた、針金のドラゴンがただ突っ立っているだけではない事を理解していた。
高圧電流を纏わせた黄金色の針金を破壊したと同時に、この魔獣は翼状部位を背中から形成させていた。当然のように噴射ノズルが付いている事から、
先程のそれの改良系と言っても良い。其処から圧縮空気を噴出させ、急上昇。光の奔流から逃れたジャバウォックは、数千分の一秒と言う短い時間で、
両腕にハリネズミの体毛の様な短い針を生え並ばせた。この場にいる誰もが知る由もないが、ドーマウス(眠りネズミ)の名を冠したあるARMSが得意としていた、
超小型ミサイルにそれは良く似ていた。これを、超音速を遥かに超える速度で針金の竜と、メフィストの下へと発射。両者を同時に攻撃させる。
針金の竜に、針のミサイルが突き刺さる。メフィストは、ただ針を眺めて佇むだけ。世界に一人も理解出来ぬ哲学者の書物について、考えを巡らせているかのような遠い目だ。
針が直撃するまで後二m程と言う所で、ケープが独自の意思を持って生きているかのように勝手に動き出し、その表地の部分で針の全てを包み込んだ。
針のミサイルが爆発を引き起こす。爆発を受けた針金のドラゴンは、胴体の四割近く、頭部の半分を消し飛ばされた状態になる。
メフィストの方は、爆発が起きる気配すらない。精確に言えば爆発自体は起きているが、針ミサイルを覆うメフィストの纏うケープの不思議な力が、爆発の衝撃を全て殺しているのだった。
最早動ける状態には傍目には見えないのに、なおもドラゴンはまた口腔にエネルギーを溜めさせ、戦闘の意思を見せる。
生身のドラゴンであれば、痛みを受ければ――鱗や筋肉による防御力は加味しない――悶絶をするであろうが、痛覚も何もない針金の竜は痛みなど感じない。
完全に破壊しない限りはどんなにダメージを与えてもお構いなしに攻撃をしてくるのである。
ならば、あの邪魔なオモチャを先ずは破壊するべきだと、ジャバウォックが考えるのは当然の事だった。しかし、魔獣の抹殺を誓うメフィストが、余計な行動を許す筈がない。
メフィストはその足元に、針金である物を作っていた。銃座である。メフィストは針金で、二本の銃口を携えた銃座を作ったのだが――何かがおかしい。
銃口と銃口に途方もない程の電力が収束して行っているだけでなく、二つの銃口の間にメスが収まっているではないか。その武器は、記憶にある。
その武器の着想は、粒子加速器の開発から得たと言われている。原理としては、電位差のある二本のレール状の伝導体間に電流を通す伝導体を弾体として挟み、
この弾体上の電流とレールの電流に発生する電磁誘導(ローレンツ力)によって弾体を加速し、発射する、と言う、仕組み自体は科学を齧った者からすれば単純な物である。
そんな単純な仕組みの武器であるにも拘らず、現在この世界のどの国も、この武器を安定して使えるようになったという話は聞いていない。
当初の想定通りの威力をその武器に発揮させるとなると、莫大な電力と、生じる摩擦熱をクリアせねばならない。基本的過ぎる故に、小手先の技では如何にもならない大問題。
これがある為に、未だにこの武器はSFの世界の武器なのである。だが――魔界都市の、メフィストの手に掛かれば、区外では可能性ありとされていながら理論・実践上不可能な武器の完全再現が可能となる。そして、今メフィストが作り上げた、空想科学の域にあるこの武器の名を、こう呼ぶのだ。『レール・ガン』と。
武器の正体を理解してしまったジャバウォックが、直に針金の竜の方へと移動を始めた、が、もう遅い。
レールガンは理論上マッハ一〇〇〇の速度で弾体を射出させる事を可能とする。魔界都市で商いをしていたそこらの工務店で売られてるレールガンですら、
一発限りしか撃てぬとは言えマッハ二〇〜三〇の速度を誇る。メフィストが針金で作ったそれは、装置自体が簡易的で、理論上最高の速度は出せぬとは言え、
マッハ二〇〇の速度を平然と叩き出す。ゴウッ、と言う音と同時に、メスが放たれた。速度はマッハ二一五。避けよう、と理解してから動いては遅すぎる速度だった。
音速の二〇倍以上の速度なると、それを叩き出す装置よりもその速度に耐えうる弾体の開発の方がむしろ苦労する、掛かるGとその速度故に、大抵の物は自壊するからだ。
メフィストのメスは、その更に十倍を超す程の速度で放たれたにも関わらず、それが当たり前であるかのように形を保っていた。
メスが、金属で構成された魔獣の左腕を、豆腐を針で刺す様な容易さで貫き、そのまま身体を通り抜け向こう側へと素っ飛んで行った。痛みは感じない。
ジャバウォックの肉体的特質もあるが、あの速度は脳が痛みの電気信号を身体に伝えるよりも速い。人間の急所に放てばその時点で、何が起こったかも認識出来ず即死だ。
しかしメフィストとしては胴体を狙っていたのだが、これを放つよりも早く、ジャバウォックが移動を初めていた為に、狙いがズレてしまった。――だが、それでも、メフィストには問題がないのだが。
メキメキメキ、と言う音を、ジャバウォックが捉えた。それは、メスが通り過ぎて行った左腕の肘から聞こえて来た。
構わず移動しようと思ったが、移動方向とは反対方向に、正体不明かつ凄まじい引力があるらしく、全く進めない。どころか、その引力は彼の左肘が根源らしい。
左肘より先の部位に全く感覚がない事にも疑惑を覚え、その方角に顔を向け、目を剥いた。メスが貫いた部位を中心に、自分の身体が呑まれて言っている。
引力の正体は、メスが生んだ黒い孔らしい。孔の大きさは直径一cmにも満たず、そんな小さい極微の点に、無理やり物を押し込むように、左肘より先が、それより後ろが。
吸い込まれていっているのだ。その黒い孔は、ある種のマイクロ・ブラックホールであるらしかった。
ジャバウォックの身体が、無理やり圧縮されて行き、極微点に呑まれて行く。このまま行けば、一秒待たずに、彼はこの小さいブラックホールに圧縮、併呑され、消滅する。
空間の断裂を、己の左腕の付け根部分に走らせ、トカゲが己の尻尾を切って逃走するように、左腕を犠牲にしてマイクロ・ブラックホールから魔獣は退避した。
「次は通用しないだろうな」
そうメフィストが静かに口にしたのと、針金のドラゴンの方に魔獣が肉薄したのは殆ど同時。
針金細工の竜に近付いた瞬間、ジャバウォックの右腕が霞んだ――それと同時に、針金細工が木端微塵に砕け飛んだ。
それが、メフィスト病院謹製の震動兵器によく似ている、と判断出来たのは、流石それを編み出した魔界医師と言う所った。
ジャバウォックがメフィストの方を振り向いた。その時には既に、先程メフィストの掌底を受けて自ら抉り取った左胸と、
今しがた自ら切断した左腕が既に完全に再生。元通りの状態にまで復活していた。驚くに値しない。メフィストはジャバウォックの肉体的特性を既に理解していた。
何時の間に、どのタイミングで、と言われれば、あの掌底が魔獣の灼熱した身体を打った時。あの時の一撃は、ジャバウォックを殺すと言う意図の他に、
あの魔獣の正体や性質を見極める『触診』の意図も兼ねていたのである。触診によってメフィストは、ジャバウォックが、魔界都市の技術でも再現不可能な程高度な、
炭素生命体と珪素生命体の長所のみをハイレベルで兼ね備えた金属生命体、或いはハイブリット生命体であると看破した。単純な身体能力ですら肉薄出来ないだろう。
身体能力ですら他を隔絶としているのに、目の前の生命体は、ブロッブやスライムと言った原始的な単細胞生物を上回る再生能力を持った金属細胞を持ち、
生半な攻撃ではダメージどころか、それを負わせたところで瞬間的に回復させてしまうと言う極めて厄介な特性も持つ。
言うまでもなく抉った左胸や切断した左腕の再生能力は此処に起因する。――だが、目の前のサーヴァントの神髄とも言える点は、其処にはない事をメフィストは見抜いている。
目の前のサーヴァントの身体能力や再生能力は、メフィスト以外のサーヴァントならば圧倒出来る程強力な力でこそあれ、その強さの本質ではないのだ。
このバーサーカーの本質とも言える個性は、金属細胞が有する、圧倒的な学習速度だ。細胞の学習――それはつまり、『進化』と言っても良い。
哺乳類等の大型の生命体であれば数千・数万年と言う時間と、世代の交代を何度も経てようやく習得する個性を、目の前のサーヴァントは物の数分で獲得してしまう。
驚異的であるとしか言いようがない。身体の大きさと繁殖スピード故に、進化の速度が速いとされる昆虫以上の進化速度を、あれだけの大きさでありながらバーサーカーは保有しているのだ。恐るべき存在としか、最早言いようがない。
しかしそれでも――。
「お前は裁かれねばならん」
その強さは、メフィストの赫怒を委縮させる理由にはならない。
メフィストは己の患者と病院で働くスタッフを害される事と、この病院内で死を齎される事を何よりも嫌う。
例え彼が懸想するせつらであろうとも、この禁忌を犯そうものなら、百年、いや千年の恋を捨ててでも抹殺に掛かる程、メフィストはこの事柄については神経質だった。
嘗て、この病院で狼藉を働き、メフィストの手による裁きを免れた存在は、一人を除いて他にいない。それ以外の者は例外なく、如何なる超絶の技を修めた魔人達も、
メフィストが齎す報復から逃れられなかった。目の前のバーサーカーは、メフィストの逆鱗に触れた。魔界都市の法よりも上にある、メフィストの禁忌に触れた。
故に、殺されねばならない。裁かれねばならない。魔界医師の矜持の為に、傷付けられた彼の名誉の為に。
ジャバウォックが、メフィスト目掛けて攻撃を仕掛けようと思った、その時である。
この広大無辺な空間に突如として、『船』現れたのである。余りにも唐突に起こった出来事の為、二名の動きが止まる。
空間から突如として現れたそれは、船底が床と接しているにも拘らず、水の上を滑るように移動している。
……違う。船底が触れた所が、川の流れに変わっている。固体である床が、その船底と接した瞬間、手で掬って今その瞬間にも飲める清流に変わっているのだ!!
船は、中国の古い歴史に登場する櫂船だった。宇宙の黒い闇を墨にして塗りたくったような黒い船体、異様に逆立った船首、帆の畳まれた二本の帆柱。
水面ギリギリに開いた十数個の穴、其処から穴の数だけ伸びる櫂。衆目の目線を引く、時の重みと風情を感じさせる、立派な姿。
しかし、この場に百万人の人間を集めても、注目を集めるのは船ではなかろう。その船の船首に腰を下ろし、物憂げな目線で虚空を見つめる、美女の姿であろう。
不変の美とは何かを、赤子にすら理解させるその美女がいるせいで、船の存在感は、極限まで下がっていた。
渡水復渡水
看花還看花
春風江上路
不覚到君家
美女は、一人でその詩歌を口にしていた。中国は明の初期の詩人、高啓の詩である。船は彼女しか船員がいないらしい。琴の音も、琵琶の音も、管子の調べもない。
銀鈴の如く透徹とした美しい声音が歌を紡いでいるにも拘らず、その美しい声を更に引き立たせる楽器の旋律は、彼女には与えられなかった。
それが、彼女に与えられた罪であり罰である事を知る者は、メフィストと、この詩を歌う彼女の愛した男を於いて他にいない。
「まだ殺せておらぬのか、メフィスト。魔界の邑(むら)に君臨していた白き魔人よ」
邪悪その物の如き笑みを浮かべながら、名のない吸血鬼が。
嘗て、『姫』と呼ばれていた、神代の代から生き続ける真祖が、その場に姿を現したのだった。
中編その1の投下を終了します
投下お疲れ様です。
法外な強さのサーヴァントに法外な強さのマスターって、素直に降伏したほうが良くないかロベルタ。
降伏すれば痛みなしで逝かせてくれるくらいの慈悲はある……のかなぁ?
“姫様”との縁は死んでも切れないえーりん先生
とんでもないのに顔を覚えられてしまったな
ロベルタの運命は、暴走したジャバウォックに吸い尽くされて干物になるか、メフィストに生きながらに解剖されるか、さもなきゃ姫によって死ぬよりひどいことになるか
このどれかなんだろうけど、干物endが一番マシという
ジャバウォックが大勝利する運命はないのですか?(震え声)
ジャバウォックが勝ったとして魔力は残りますか……?(小声)
マスターあるいはサーヴァントの吸血鬼化ってアリなのかな。天どころか宇宙衛星よりもプライド高そうな吸血鬼が
元々人格がアレだった所に更にヤク中で精神錯乱起こした女の血を吸いたがるかは別問題として
4000年で2人しか吸血鬼にしてないからなあ
全く関係無いんですけど〈新宿〉彷徨いてるチューナーはアバチュー縛りなんでしょうか?
>>853 氏
制限はありません。但し原作設定に照らして、魔神やら破壊神の最上位勢とかはちょっとなぁとは思います
投下します。したらばが不調な時の投下ですので、途切れてしまったら、そういう事かと思って下されば
「お前を呼んだ覚えはない」
扇情的な仕草で座る姫に対し、メフィストが告げる。一km以上も距離が離れているにも拘らず、メフィストの声は驚く程良く通った。
花神、花中の王、百花の王、天香国色。それら全ては、牡丹の別名である。中国史における美女の代名詞の一人である楊貴妃も、嘗てはこの花に例えられていた。
牡丹と言う花はまさに、美しい花の代表格とも言うべき花であり、それ故に女の美を表現する手段としては極めてオーソドックスである事の裏返しでもある。
有り触れた美のレトリックでは、姫の仕草の美しさを表現出来ない。座れば牡丹、と言う言葉があるが、彼女の艶やかさを大輪の牡丹で表現するのは、余りにも陳腐だった。詩才がないとすら、罵られるであろう。
「警報の音が煩過ぎて起きてしまったわ。下郎の始末すら密に済ませられぬのか?」
言って姫が、船首から床に飛び降りると、それを契機に黒い船の威容が、空気に溶けるかのようにその場から消失した。彼女の声も、不気味な程よく届く。
ジャバウォックが病院にやって来るまで、宝具である船の中で微睡んでいた。姫は、興が乗れば数週間も風呂に入っていない浮浪の者に股を開き、
恥垢の溜まるその股間に奉仕をする程の淫売である。しかしそれと同時に、下賤の者との交流を何よりも嫌う女でもあると言う、相反する性質を秘めた貴女であった。
この街は自分が出歩くに値せぬつまらぬ街。それが、姫の下した決断。故に彼女は病院の地下の、誰も来る事のない宝具の船を修められるだけのスペースで今まで惰眠を貪っていたのだ。
その惰眠が、ジャバウォックの来襲を告げる警報で破られた。例え目の前で核爆弾を炸裂させようとも、眠る彼女の興味など引けはしない。
生前の経験から、その警報が何らかの敵襲を告げる物である事を理解していたから、姫は覚醒したのである。メフィスト病院に、敵意をぶつける者。それに興味が湧き、その根源へのコンタクトを取りたくなった。事のあらましは、そんな所である。
「何者だ、女」
憎悪で練り固められた暴虐の魔獣が、姫に対して言った。
メフィストと、姫。人外の美の極致にある麗魔二名が同時にいる空間は、それだけで、正気を保てぬ程の緊張と重圧感が世界を支配する。
常人であれば、自分が此処にいると言う事に先ず疑問を覚え、最終的には、この空間に自分は相応しくないと思い始め、手元にナイフでもあれば迷わず首筋にそれを突き立てる。
しかし、今やこの魔獣は、二名の誇る美が問題にならない程、憎悪が昂ぶっていた。特に、メフィストへの。
「己が身体を金属に変じさせる術か。三六〇〇年程前、ヒッタイトの国で同じような物を見た事があるぞ」
姫は、ジャバウォックの言葉をあからさまに無視し、メフィストの方へと言葉を投げた。下郎は、相手にするに値しないらしい。
憎悪の魔獣の身体に纏われる極熱が、上がった。姫の高慢な態度に対して、憤懣を抱いたらしい事は明白だった。
ヒッタイト。それは世界史に曰く、紀元前約千六百年にアナトリア半島に築かれたとされる王国の事である。
この時代、世界のどの都市国家や諸国を見ても、全ての国が青銅器文明であった。ヒッタイトはその優れた製鉄技術を以て、世界で最初に鉄器文明を築いたとされる、
世界史上のターニングポイントにも設定されている重要な古代国家である。戦争においても、当時多くの国が青銅器文明の中一国だけ鉄器文明の為大層強く、
あのメソポタミアを征服しただけでなく、最も偉大なるファラオとすら称されるオジマンディアスが率いたエジプトを相手に優勢を保っていた程の強国である。
しかし、それが彼の鉄の国の全てではない。姫は知っている。あの国がどのようにして優れた鉄器文明を築けたのかを。
あの国は時の魔術師千人が持てる全ての力と命と引きかえに大魔術儀式を行い、アカシア記録へと無理やり接続、鉄器の知識を引き出させ、当時最強の国家になったのである。
歴史書は語らない、現在の歴史家も信じない。しかし姫は見た事があるし、知っている。遺伝子組み替えで生み出された全長三十m以上のスフィンクスや、
数千度の炎を身体に纏わせ音速の数倍の速度で移動する巨大なハヤブサを兵器として用いていた当時のエジプトを相手に、ヒッタイトがどう渡り合っていたか。
彼の国ではマッハ二十の速度で弾丸を放つライフルが兵士の標準装備だった。現代では実現不可能なレール・ガンも存在し、これは四十㎞以上先の相手でも狙撃出来た。
最高時速七〇〇〇㎞以上の鉄の戦闘機が実用化され、王の近衛兵は全て全長二十m以上の鉄巨人だった。
現存する如何なる技術でも作成不可能とされる完全完璧な球体や、深度六千m以上を簡単に潜る事の出来る潜水艦をも作成出来た、鉄の大王国。
それが、姫の知るヒッタイトだ。その国では細胞と金属を融合させる手術が既に確立化され、自らの意思で己の身体を銃器にさせる事も、剣に変える事も出来る兵士が量産されていた。全身を金属で出来た鬼に変える者も、姫は見た事がある。それとの類似性を、メフィストに指摘した。
「現存する如何なる技術、如何なる魔術でも、目の前のサーヴァントを生み出すのは不可能だ。ヒッタイト王国ですらこれは産み出せん」
「ほう、ではお前は目の前の存在をどう思っておるのじゃ」
「如何とも思わん」
メフィストの言葉は、姫の予想を裏切るものだった。
「これから滅びを与える者に、抱く感慨は何もない。私の怒りを買った事を後悔させながら、地獄の釜底へと叩き落とすだけだ」
その一言を聞いた瞬間、ジャバウォックが動いた。
メフィストが先程放ったレール・ガンの技術を応用、右腕を銃口状の器官に変形させ、其処にローレンツ力を働かせ、体内で精製させた金属の砲弾を発射させる。
弾体と魔界医師との距離感が半分以下にまで縮まった頃には、砲弾はマッハ五十と言う破壊的な速度になっていたが、
時間制御で量子コンピューター並の思考速度を得ていたメフィストは、これに対応。ケープ部分に砲弾が直撃するも、砲弾が即座に腐敗し塵になり、消滅してしまった。
「ほほほ、メフィストの怒りを此処まで買うとは、余程の事をしたらしいの、この鉄の獣(けだもの)は」
「これを葬り終えたら、次はお前だ姫よ。魔界都市にも、せつらにも袖にされた孤独の女王よ」
メフィストが姫に送る言葉には、一切の親しみもない。ジャバウォックと接する時の声のトーンとまるで変わらない。
お前も裁きの対象だと言わんばかりの声音である。メフィストの今の態度は、この吸血姫を御す事など、どんな手段を用いても不可能だと知っているからと言うのもある。
だがメフィストが激怒するのも当たり前の話で、彼は気付いているのだ。この女は、ただ歩くだけで死を生む魔性の女、このロビーに来るまでに、メフィスト病院のスタッフを何人か殺めている事に気付けぬ程、メフィストの目は節穴ではなかった。
「……つまらぬ冗談だけは得意な男よ」
メフィストの口にした言葉は、ただでさえ我儘で気の短い姫の逆鱗を破壊する程の言葉だったらしい。無論彼は、それを選んで彼女を悪罵した。
この場の気温が、零下を割りかねない程の凍結した怒気を放ちながら、姫はメフィストの方を睨みつけていた。殺意が可視化し、重みを孕んだかのようだった。
NPCや、並のサーヴァントであれば、姫が身体から放ち続ける無限大に近い総量の殺意に気死、この怪物を敵に回した事を心の底から悔悟してしまうだろう。
しかしメフィストは、全くそんな事を意に介さず、これから屠殺される牛や豚でも見るような目で、姫の事を横目で見ていた。姫の殺意を感じても、平然とした様子のサーヴァントはメフィストだけじゃない。彼女が鉄の獣と呼んだバーサーカーも、また然りだ。
㎞単位の距離を一秒を遥かに下回る速度でゼロにし、ジャバウォックが姫の方へと肉薄。
頑強な力場をも紙のように裂き、空間すらをも引き裂いて見せる爪の生え揃った右腕を、この魔獣は竜巻めいた勢いで振るった。
直撃するまで後数十cm、と言う所で、腕が止まった。姫の繊手が、ジャバウォックの右手首を万力の如き力で抑え込んでいるからだった。
「痴れ者が、実力の差をも理解出来ぬか」
そう言って姫は手に力を込め、何と素の腕力で、ジャバウォックの右手を捩じ切ったのである。
ピクッ、と反応するジャバウォック、このサーヴァントもまた、怪物か。言葉には出さぬがそう思ったのは間違いない。
捩じ切られた右手はいつでも再生出来る。お構いなしにジャバウォックは、口から燃え盛る火炎を吐き出した。今やその摂氏は一万度にも達する。
それを真正面から受けてしまう姫、身に纏う衣裳が灰も残らず燃え失せ、彼女もまた瞬きよりも早い時間で燃え盛る人の形となった――燃えていた時間も、一緒だったが。
ジャバウォックが今度こそ、驚愕に目を瞠若させてしまう。
その瞬間を縫って、メフィストが動いた。足元に針金で銃座を再び作っていた彼は、またもジャバウォックの方に、メスによるレール・ガンを発射する。
今回は運良く、メフィストがこれを形成させる瞬間を目の当たりにしていた魔獣は、自らの真正面に局所的ではあるが極めて強い磁場を形成させる。
レール・ガンがマッハ数百の速度でジャバウォックを貫かんと向かうが、磁場に直撃した瞬間、あらぬ方向に大きい角度で逸れて行く。
如何なレールガンと言っても、電磁誘導の力を用いての実体兵器と言う枠からは脱し切れていない。ならば、それを兵器足らしめている電磁誘導の力を狂わせてしまえば、恐れるに足らないのだった。
――それよりも脅威と感じたのが、燃え盛る妖姫の方であった。
「ハハハハハ!! 懐かしい焔よ!! この獣、竜の火炎を吐きおるぞ!!」
姫に纏われた炎が沈静化して行く。冷静に考えればあり得ない話である。
一万度を超える超高温の炎を浴びていて、『人の形を保てている』と言う事自体が既に常軌を逸した光景だ。普通ならば、人の形すら保てず一瞬の内に、灰も残らず消え失せる。
人の形の炎が、水が引いて行くように消えて行く。露になる、この世の『白』の見本のような色をした柔肌、悠々と風に任せるがままたなびいている射干玉の如き黒髪。
股座に生える、見るだけで盛りの男を射精に導く黒い陰毛。そして、気高さと淫売さが同居した、神ですら裸足で逃げ出すその美貌。真の美しさは、地獄の業火ですら害せる事が出来ぬのか。炎ですら意思を持ち、焼き殺す事を躊躇うのか。そう感じずにはいられない。姫は、無傷であった。
時間制御で魔境の速度を得たメフィストが、此方へと駆け寄って行く。
その手には、メスが握られていた。空間は元より、神や悪魔ですら切断出来ると言われたメスだ。戦闘に用い、斬られれば何が起こるか解らず、
その全てを理解している物はメフィストだけとすら言われた、メフィスト謹製のメスである。
一瞬でジャバウォックの下へと肉薄したメフィストが、メスを振った。
この一撃を喰らうのは拙いと判断したジャバウォックは、受ける事すらせず彼から飛び退き、回避する。この何気ない仕草ですら、音の速度を超えている。
――それに、裸身の姫が追いすがる。白色の残像を夢魔の残滓めいて世界に残しながら、彼女はジャバウォックに匹敵する程の速度で接近した。
この時には既に魔獣の右手は再生を終えており、それを姫の方へと振るった。明らかに、珪素と炭素の魔獣が腕を振った後で、姫もその左の繊手を優雅に振るった。
腕と腕が衝突する。瞬間、衝撃がジャバウォックの右腕全体に伝わった。衝撃が走った所から、砲弾でも跳ね返す程の強度のジャバウォックの身体に数千分の一秒で亀裂が生じ、
其処から粉々に砕け散った。あり得ない程の衝撃と威力だった、攻撃を受けたのは右腕で、しかもその部位が破壊されたにも拘らず、痺れにも似た鈍い感覚の遅れが、魔獣の身体を打ち据えていた。これこそが、吸血鬼の頂点に立つ者の腕力。核シェルターですら容易く粉砕する、人の形をした自然災害が振う恣意的な暴力だった。
メフィストが針金を空中に抛り、再び針金細工を形成させる。今回は、空を舞う巨大な鷲だった。メフィストの手から成る針金細工だ、嘴から何を吐き出してもおかしくない。
それを見たジャバウォックは、姫とメフィストの双方を攻撃すると言う選択を取った。残った左腕が茫洋と霞んだ瞬間。
Hiiiiii――――――nnnnnnと言う高音がさくかに響いた、瞬間。姫の身体が蒼白く激発し始めた。
あらゆる細胞を麻痺させ、神経を狂わせ、組織を完全に破壊してしまう超高速振動波。それを叩きつけられた事によって、肉体が電離化を始めていた。
針金の巨鷲も、その直撃を受け、何らの役割を果たさせる事なく身体を爆散させる。蒼白く輝く欠片が床に墜落するその中で、メフィストの方は平然とした様子だった。
その振動波の波数を一瞬で解析、それを中和する波長の震動を身体を纏わせているからだった。
「見た目に違わず随分多芸ではないか、この獣は」
進行する身体のプラズマ化以上の速度で、肉体の再生を終えた姫が、面白げに呟いた。
サーヴァントであろうとも肉体が粉々に砕け散る超振動を受けていたとは到底思えない程に、姫の身体には傷がなかった。
生前から付き合いのあるメフィストは既に知っていた事柄だが、此処に来てジャバウォックも気付いたらしい。姫の驚くべき再生能力に。
一万度を超える火炎、身体を瞬時にプラズマ化させる程の高速震動。そして、ジャバウォックの身体に纏わせた、近付くだけであらゆる金属を蒸発させる超高温。
これらに直撃し、何故無傷でいられるのか。無傷、と言う言い方は実は正確ではなかった。厳密には姫は、ダメージを負っている。
『受けた損傷以上の速度で傷が再生する為、傍目から見れば無傷に見える』のである。高位の吸血鬼は、灰になった状態からですら完全なる復活を遂げられる。
夜の覇王たる吸血鬼、その中でも最上位の強さを誇る姫の再生速度は常軌を逸する。分子、原子レベルにまで粉々にされても、次の瞬間には平然と復活出来る程なのだ。サーヴァントになりその存在が著しく劣化したとしても、それでもなお圧倒的な再生力。これが、姫の防御力の正体であった。
スッと、メフィストが人差し指をジャバウォックの方に伸ばす。
その動作に不穏な空気を感じ取ったバーサーカーが、空中へと飛び上がりつつ、その身体の周辺に強い電磁シールドを纏わせた。
これと同時に、メフィストの人差し指から、数千万Vもの放電現象が発生。元々は患者の心臓マッサージ用に編み出した魔術だが、これを対象の抹殺用にまで昇華させている。
紫色の放電は、ジャバウォックと『姫』の方に、毒蛇が対象を噛まんとするような動きで迫ってくる。ジャバウォックの方は電磁シールドに阻まれ、スパークが砕け散るが、
姫の方はまともに直撃。人を一瞬で焼死させる程の超高電圧に直撃しても、炭化どころ皮膚の焦げた跡すら、彼女には見当たらなかった。
あわよくば、ジャバウォックと一緒に殺す、と言うメフィストの考えが、これでもかと言う程露になった瞬間である。
「サーヴァントの身の上は、貴様であろうとも盲いさせるか。私がこの程度で滅ぶと思っておったか!!」
無論、そんな事は言われるまでもない。姫の恐ろしさを知っているメフィストである。この程度で死ぬような相手ではない事は、百も承知だ。
高度二百m程上空まで浮上したジャバウォック。この瞬間右腕は再生を終えており、復活した両腕から細い針の魔弾を射出させる。
ケルトの地の神話に伝わる光神・ルーが用いた、魔王バロールを打ち倒すのに使った魔弾と同じ名前のその攻撃を、タスラムと呼ぶ。
姫の方は、気まぐれからか、思いっきり地を蹴り、一瞬でジャバウォックと同じ高さまで並び、其処で浮遊した。
メフィストの方は、裏地を強調するように白いケープを大きく開くと、その内部に、タスラムが吸い込まれていった。広大無辺な亜空間のゲートなのか、ケープの裏側に吸い込まれたタスラムは爆発したのかどうかすら余人には解らない。
一切の浮力もなしに空を飛べるのは、この世の物理法則に囚われぬ姫であればこそだった。ジャバウォックも最早、驚くには値しないらしい。
左腕の肘から先を銃口の形状に変えるジャバウォック。両腕を霞ませる姫。攻撃を初めに仕掛けたのはジャバウォックだった。
メフィストから学んだレール・ガンの原理を自ら適用させ、体内の金属細胞で精製させた砲弾をマッハ三十の速度で射出させる。
それに対するカウンターのように、姫の行動が次に重なった。砲弾が、姫の身体に届く前に粉々に破壊されたのである。馬鹿な、とジャバウォックが驚いた。
姫もまた、ジャバウォックが使って見せた様な、超高速振動を使って見せたのである。振動させる部位は、己の両腕。その振動波に直撃すれば、物は分子レベルで破壊される。
急いでジャバウォックは、放たれた振動波を無効化させる振動を全方位に放ち、高速振動を中和、無効化させる。
その間、何もしないメフィストではない。
メフィストはケープの裏地から、野球ボール大の大きさの鉄球を取り出し、それを高速で、姫とジャバウォックの間の空間に飛来させて行く。
魔獣と吸血姫が殴り合いを行おうとしていた、正にその寸前で、鉄球に亀裂が入り始めた。それを見た瞬間、ジャバウォックが鉄球から急速に離れた。
無論放り投げたのはただの鉄球ではない。周囲二百mに渡り、最高三億度の熱を撒き散らす特殊反応弾である。
炸裂させれば、閉鎖的な性質を持った空間や固有結界すらも焼き尽くす、メフィストのみが使用出来る恐るべき兵器。人体に放てばどうなるかは最早説明するべくもない。
彼の魔界都市でも、使用は絶対的に禁止。メフィスト病院及び、これに比肩する強固な閉鎖空間の中でしか使用が許されなかった、禁断の兵器である。
割れた箇所から、無色の焔が迸った。億の温度を生み出す特殊成分、それによって生じる炎には、色など存在しないのである。
炎の直撃を受けた姫は、数万分の一秒と言う短い時間で、身体が炎上し始めた。三億度と言う灰どころか魂すら残らぬ程の超高熱を受け、塵一つ残らず消滅するのと、
姫に生来備わる常軌を逸した、それこそ英霊の座を見渡しても屈指の再生力が拮抗している瞬間だった。対魔力スキルを持っていなければサーヴァントですら即死である。
一方、ジャバウォックの方は、亀裂を見てから動き始め、一㎞以上も離れた所へと退避していた。熱を利用した兵器は本来魔獣には通用しない所か、
逆に自らの力の呼び水にする程であるのだが、流石に億の温度は真正面から受け切れない。何せ太陽表面の五万倍の温度だ。
直撃しても多少はその熱エネルギーを吸収できるだろうが、サーヴァントとして矮小化された身では逆に吸収し過ぎで破裂しかねない。
ジャバウォックに備わる、生理現象とも言うべき熱エネルギーの吸収能力が、メフィストの放擲した特殊反応弾の熱を吸収し始めた。
熱エネルギーが放出されていた時間は、およそ四秒。たった一秒で、無尽蔵とも言うべきジャバウォックの吸収能力が吸い過ぎの状態を発生させてしまった。
拙いと思い、更に熱から距離を取りながら、吸収し過ぎたエネルギーを荷電粒子砲やレール・ガン、と言った攻撃に変換、総量を減少させる。
狙った先は無論メフィスト、そして、今も三億度の熱の爆心地に居ながら、人の形を保っている姫の方だ。
全体的に人の形を保った燃焼と言う現状が一番相応しい姫が、雨霰と放たれるレール・ガンを腕を振って木端微塵に破壊する。メフィストの方は、針金の壁を作り出し、何十発にも及ぶ荷電粒子砲を防ぎ切った。
特殊反応弾の熱が収まり、過吸収分のエネルギーも漸く問題ない値まで減らす事が出来たジャバウォック。
これと同時に、メフィストの方へとロケットの如き勢いで向かって行く。そして、移動ルート上で右腕の形を変形させて置く。
それは、肘の辺りから三本に枝分かれした、木肌の荒い大樹と言うべき様相をしており、この状態になった腕を、最大限共振させて行く。
攻撃の正体に既に気付いたメフィストが、何を思ったか、両目に人差し指を突き入れ、即座に引き抜いた。
彼我の距離が、百フィートを切った辺りで、メフィストが虚空目掛けてメスを振った。あの時、目に指を突き入れ、両目を手術。
手術によってBランク相当の千里眼を獲得していたこの美魔人には映っていた。空間に走る、白々と光る細線。
ジャバウォックは、物理的特性を無視する空間の切断現象、それを範囲内に、回避不可能なレベルの密度でバラ撒いていたのだ。
地球上の如何なる生物、赤外線すら視認出来る昆虫ですら不可能な空間の切断線、それを『視る』為に即席の手術を行い、それがどのような角度で放たれたかを認識してから、メフィストは手に持ったメスで空間の切断を逆に斬り返したのだ。
接近しながら、嘗てチェシャ猫の名を冠していたARMSが切り札としていた、空間を切断する魔剣を再び発動させるジャバウォック。
魔獣は、右腕を魔剣(アンサラー)を放つ為の機構に、左手首より先をコンセントに似た二本の刃が突き出た様な形に変形させていた。
後者の方は、余剰エネルギーを高圧電流に変換させ、空間に放電現象として放出させるらしかった。――この時、三億度の熱から完全に復帰した姫が、此方へと急降下して行った。向かう先は、ジャバウォック。
空間に、目に見えぬ魔剣の剣線が閃いた。物理的特性を無視して如何なるものをも切り裂くこの一撃を、今ジャバウォックが放った密度のまま人間が直撃すれば、
待っている未来は挽肉だった。これをメフィストは、ジャバウォックですら右肘より先が霞んでしか見えぬ程の速度でメスを持った右腕を動かし、迫る剣線を逆に切断して行く。
姫もまた、その攻撃に常人には理解出来ぬ、不可視かつ不思議な力を纏わせているのだろうか。花しか手折れず、椀と箸と匙しか持った事のなさそうな程か弱い繊手の一撃は、
空間に刻まれたアンサラーを尽く破壊して行った。メフィストが空間の切断を斬り返し、姫が此方に迫るその最中に、第二陣、超高電圧の放電を魔獣は開始した。
閃くのは、眩いばかりの電光。夜の闇の中でその一撃を放ったら、突然昼になったような錯覚を覚えるだろう。それ程までの電圧と出力の強さだった。
直撃すれば鋼すら蒸発する。意思を持ったようにケープが勝手に動き、メフィストに迫りくる放電を、白布は忠臣の如く明後日の方向に跳ね除けさせる。姫に至っては、身体が焼ける事など構いなしに、ジャバウォックの方へと突っ込んで行く。
接近した姫が、その繊手を振った。傍目からはゆっくりと振っているように見えるが、その実、音の十倍にも届こうかと言う破壊的な速度で行われる白腕の打擲だ。
一万t以上にも達する衝撃を耐える分厚いデューム鋼を、薄焼きの煎餅の様に破壊する恐るべき一撃である。ジャバウォックですら、最早直撃してはならないと思っている。
バッと距離を離し掛けたその時、凄まじい衝撃が魔獣を右から打ち叩いた。新幹線の衝突を思わせる程の威力に、魔獣の重圧な身体が水平に吹っ飛んで行く。
吹っ飛びながら、姿勢の制御を試みているジャバウォックが、見た。どんな貴い血(ブルーブラッド)の女ですら、跪いてキスをさせて欲しいと懇願するに相違ない、
メフィストの輝ける右手が、空間にパントマイムの要領で手を当てているのを。空間振動の類か、ともジャバウォックは思ったが、実態は違う。
空間にも脈拍と言う物があり、人間は元より、ヒトよりも遥かに優れた感覚器官をもつ動物や昆虫ですら、空間の搏動を感じ取る事は出来ない。
その空間の心拍を、メフィストは一時的に増大させたのだ。ジャバウォックが感じた衝撃の正体は、強くなり過ぎた空間の脈拍であった。
ジャバウォックが吹っ飛んだ先に、姫が向かって行く。
裸を露にした、姫の身体。首筋、肩、乳房、腰、そして、尻から太腿を伝って足首、爪先に至るまで、美の精髄足らぬ箇所など一つもない。
人類史に名を刻む如何なる美術家・芸術家でも、姫の身体の一部を再現する事など不可能だろう。彼女はまさに、美と言う概念の始原にして全てだった。
そんな美しい肢体の何処に――音に数倍する速度での奔走を可能とするだけの力があると言うのか。
姫の移動ルートと、ジャバウォックが飛び退いているルートが丁度重なった、その瞬間をメフィストは狙った。
針金を以って銃座を作りだし、白く、そして淡く輝くメスを、其処にセットした。今回使うメスは、ただのメスではない。
此処メフィスト病院に頼ってやってきた患者の、生への希求。そして、己を蝕む病と怪我が治った時の、生きる時の喜びを、メスの形に固めたものである。
これをメフィストは、マッハ百と数十の速度で射出した。放たれたメスは、若返りの秘香油でも塗った様に輝く姫の白肌に包まれた鳩尾を貫通し、
そのままの勢いを減速させるどころか更に加速させて、ジャバウォックの腹部に類する所を貫いた。貫かれればそのポイントにマイクロ・ブラックホールを生みだし、
対魔力の値など構いなしに、生じた極微の黒点に、肉体を破砕させながら吸引させる。その恐怖を知っているジャバウォックは、真っ先にその除去に取りかかり、
穿たれた所を抉り取り地面に投げ捨てた。無論、この一撃を以ってジャバウォックを破壊しようと言う意図もあった。だがそれ以上に今の一撃は――姫に対するものでもある。
「メフィスト……貴様ッ!!」
ダメージは寧ろ、ジャバウォックよりも姫の方が深刻な物であった。
姫もまたジャバウォック同様、メスに貫かれた部位を、内臓である胃や膵臓ごと削って抉り出し、地面に叩き付けていた。
白いものも混じっている。姫自らの手で圧し折った、己の脊椎の一部だ。
内蔵を外部にえぐり出される程度なら吸血鬼の再生能力でどうとでもなる――メフィストが今与えた傷を除けば。
生の希求とは即ち、死霊・悪霊、屍食鬼(グール)等の不死者の類にとっては対極にある概念である。これを練り固めたものをぶつければ、どうなるか。
大抵の存在は、そのまま蒸発して消え失せる。常夜と常闇の中に於いて無敵の存在たる、闇の覇王種・吸血鬼もまた同様。
メフィストの誂えたメスで身体を斬られれば、吸血鬼であろうとも生来備わる再生力をそのまま根こそぎ無効化され、存在の格が低い場合そのまま塵となり灰となり即死する。
そんな状態に今姫が陥っていないのは、彼女が歴史上存在するあらゆる吸血鬼の中で唯一無二にして、最頂点の存在であるからに他ならない。
その存在の格が、メフィストのメスによる消滅と言う結果を捻じ曲げ、堪え難い程の激痛と一時的な再生能力の無効化と言う結果程度に押しとどめていた。
恐るべしは、そんな物を振うメフィストか。それとも、そんな物ですら消滅を齎せぬ姫の方か。どちらにしても言える事は、姫は、メフィスト病院のスタッフを悪戯に殺戮した時点で、メフィストは彼女の味方になる事など断じてあり得ず、敵としてこの場でジャバウォックと同時に始末する心構えを決めていたと言う事だった。
怒りに全てを委ね、姫が、両腕のみならず、両脚、そして身体全体を振わせた――と見るや。
床が、常人の目には捉えきれぬ程の速度で液化と蒸発のプロセスを経始めた。先程ジャバウォックに対して披露した、超高速振動攻撃である。
姫は今回は本気の出力で行っているらしい。まともな防備なしにこれに直撃すれば、瞬きを遥かに下回る時間で、素粒子のレベルにまで身体が分解されてしまう。
急いでジャバウォックとメフィストが、波数を解析し、振動を中和させる振動を逆に纏わせ、姫の攻撃を無効化させた。
そしてその間、ジャバウォックが、考えた。
誰に憚る事無く、ジャバウォックですらが美しいと判断する裸身を曝け出すライダーも。自分を殺すと宣言した、神の如き美を誇る白きキャスターも。
両者とも、恐るべき強さを誇る、魔界の住民だった。しかし、両者には違いがある。ライダーは自分と同じだった。破壊と、暴力、そして死。
姫が司るものは正しくそれだ。彼女は生きている限り、何かを破滅させずにはいられない、何かに死を齎せずにはいられない。姫は、ジャバウォックと同じ宿業を抱いていた。
メフィストは、違う。あの男が司るものは、生、治癒、そして審判。何かを治し、誰かを癒す。それが、メフィストの存在意義。つまりメフィストは、姫とジャバウォックの、対極、アンチに当たる存在だった。
メフィストは、己の邪魔立てをする者に対して、一切の慈悲はない。
メフィストのルールを冒せば、最後。メフィストが発明した超科学の品々、そしてメフィストが操る恐るべき魔術を以って、自らの尊厳を踏み躙った者の抹殺に掛かるのだ。
あの男は何処までも敵対者には無慈悲であり、そして自分は、あの美魔人が無慈悲に振る舞わねばならぬラインを飛び越えてしまったのだと。今更ながらに理解した。
尋常の手段では、先ず勝てない。
あのサーヴァントは、クラスがどうだとか言う問題を超越している。キャスターと言うクラスで呼び出された、怪物(モンスター)であった。
メフィストを滅ぼせる可能性があるとすれば、一つ。自らが生成出来る物質の中で、究極とも言えるそれ――反物質砲を用いるしかなかった。
それですらも、メフィストは対応してしまうのではないかと言う懸念があった。直に放っても、意味がない。
圧倒的な暴力と火力による蹂躙を至上とするジャバウォック、それらに反する事であるが、此処でこの魔獣は二重にそれらの宗旨を破る事とした。
一つ、小賢しいフェイントを使う事。そしてもう一つ、自分の技術ではなく、『他者から学んだ技術』を利用する事。
思い立った瞬間が、実行に移す時だ。ただでさえ神域にあるメフィストの思考速度は、時間制御で平時の七倍と言う、光すら認識しかねない程のそれにまでなっている。
躊躇している時間など絶無だ、即断即決が求められる。ジャバウォックは形状を元に戻させた左手を伸ばし、其処から、
爪だけに特殊な回転を加えさせてマッハに倍する速度で射出させる。それを見たメフィストが、殆ど反射の要領でケープを動かした。
ケープは城塞の様な堅固さらしく、軽く爪をいなしただけでそれを破壊して見せた。
……直に、それが迂闊な判断だったとメフィストは気付いたらしい。メフィストへの殺意を露にしていた姫にしても同じだった。
白いケープに、渦巻く黒い孔が三つ刻まれていたのだ。それは、ネズミ花火様にスルスルと、メフィストのケープを伝って移動して行き、彼の肉体の方へと向かって行く。
その過程で、一つの孔、いや、弾痕が消えた。メフィストの手による物だろう、二つだけが残った、その時。ボグオォンッ!! と言う音と同時に、メフィストの身体に風穴が二つ空いた。血色の、穴だった。
――――――――――薔薇が、咲いた。
二人はそう思った。メフィストの胸部に刻まれた、二つの血色の孔。
其処から、燃えるような薔薇の大輪が咲き誇り、咲いたその瞬間に、夕焼けの空の破片を思わせるようなその花弁が散ってしまったように、二人には見えた。
実際には違う。メフィストの身体から咲いていたのは、ルビーの様に輝く彼自身の熱い血潮であり、花弁と見ていたのは、本物の薔薇よりなお赤い血液だった。
真の美しさを持つ者は。造詣を司る神の寵愛を受けた者は、血を流したとて、血を噴き上がらせたとて、見る者にそうとは思わせない。
あのような男が、血など流す筈がない。あの者は血ではなく、代わりに薔薇の花びらを流すのだ、溶かしたルビーを流すのだ、と錯覚させる。姫もジャバウォックも、その錯覚に一瞬囚われた。
攻撃を行ったジャバウォック当人ですら、瞬間の事ではあるが、信じられなかった。ダメージを、負わせられるとは、と。他ならぬ魔獣自身が信じていなかったのだ。
姫自身も同じである。いや、魔界都市<新宿>に、彼女からすれば瞬きにも等しい短い時間とは言え滞在していた、彼女だからこそ理解出来る。
メフィストの身体を害する事が、どれだけの難事である事かを。あの街の住民が、メフィストを恐れたのは、彼自身が<新宿>区長よりも上位のVIPであったからではない。
無敵のスーパーマンになれる薬を服薬しても、米軍を半壊させる程のサイボーグ手術を受けても、神から直々に伝えられた魔術を操っても、問題にならない強さ。
それをメフィストが持っていたからに他ならない。魔界都市であろうとも、いや、魔界であったからこそ、単純な力の優劣は区外よりも特別な意味を持つ。
それから考えれば、メフィストは、触れてはならぬ魔人の一人だったのだ。――その魔人に、傷を負わせたばかりか、血を流させた。もしも此処が魔界都市であるのなら、ジャバウォックの名は永久(とこしえ)まで語り継がれ、誰もがジャバウォックと同じ力を得る事を望むであろう。
常人ならもんどり打って倒れる所を、メフィストは、現在進行形で血孔の治療を進めると言う行為で耐えていた。
白皙の美を誇る魔人は、ジャバウォックがどのような術を使ったのか、その正体を看破していた。姫もまた、それを理解している。
彼女の方は、実際に幾度となくその身で使われていたからだ。メフィストも姫も、ジャバウォックが此処まで芸達者だとは思わなかった。
あの魔獣が使ったものこそは、螺旋、即ち、この地球上で最も生命の成長に適した形を応用した技術。魔獣は、回転の妙技を以ってメフィストに傷を与えたのだ。
黄金長方形と呼ばれる形がある。辺の比が、1:1.1618、即ち黄金比になる長方形である。
この長方形は古の昔より、この世で美しいものの基本の比率として考えられ、現存世界で傑作と呼ばれているあらゆる美術、芸術に、この形は隠されて用いられてきた。
何故、この形は美しいのか。それはこの形は、生命エネルギーの象徴であるからだ。黄金長方形に線を引き、最大の正方形を作成する。
すると、残った長方形がまた黄金長方形の比率になり、そこからまた最大の正方形を描くと、また残った長方形は黄金長方形になり、永遠に相似な図形ができていく。
この時、正方形の列において角の点を滑らかに繋いで行くと、渦巻が出来て行く。これこそが、対数螺旋。生命エネルギーの象徴とも言える、∞を象徴する回転だった。
対数螺旋とは、その形状を有する存在に、内側外側とも等しい比率で成長する事を許し、即ち、最もバランスの取れた存在と化せしめる。
既に死滅したアンモナイトと、その同族オウムガイ。どちらも美しい螺旋を描きながら、前者が遥か古に絶滅し、後者が今なお人間の目に息づくのは偶然ではない。
きつい巻きの螺旋と緩やかな対数螺旋の差、アンバランスとバランスとの差であるからだ。アンモナイトは、螺旋に愛されなかったが故に、絶滅を避けられなかった。
理想的な成長形をなぞって中心より生まれる生命エネルギーは、常に最強の力を発揮する。もしもこの力を正しく発揮出来るのならば――メフィストは元より、姫ですらが消滅を免れない。対数螺旋の力を本当に引き出せる存在は、無限の力を得たに等しく、言ってしまえば、根源への到達者なのだ。
「過小評価を改めよう」
対数螺旋を利用した攻撃が出来るとは、メフィストは思っていなかった。誰から学んだかは解らないが、恐るべきサーヴァントだ。
だが、知っている。今放ったジャバウォックの攻撃は、余りにも練度が低すぎる。恐らくはこっちの気を引く為の、フェイントだったのだろう。
本命は、この後放たれるであろう攻撃。メフィストの瞳は、ジャバウォックの右手に収束して行く、エネルギーの粒子を捉えていた。
それを解析し、今度こそメフィストは、嘗てない程の驚きに、瞳をカッと見開かせた。そのエネルギーは実際に魔界都市でも使われている。
但しそれは、発電などの生活エネルギーの産出の為である。凡そこのエネルギーが、攻撃に使われたなど、聞いた事がない。使えば、使った側も自滅すると解っていたからだ。
地球上でそれを攻撃用エネルギーとして利用する事は、魔界都市でも禁則事項だった。あの魔界でも使われる事が許されなかったそのエネルギーの名を――『反物質』。
あの怪物は、正に息を吸うようにそのエネルギーを己の身体の中で生み出す事が出来るのだ。
――今、反物質砲が、放たれた。
メフィストのダメージを信じられないものを見るように見ていた姫。ジャバウォックの放った反物質砲を見て、初めて彼女は、『回避』に移った。
持ち前の不死が、通じるかどうか解らぬと判断したからだ。右方向に飛び退くが、時間が遅かった。反物質砲が、究極美の結晶とも言える肉体に衝突。
結果、左の方の脇腹を半分近く消滅させられた。そしてそのまま、姫にリアクションを許させない程の速度で、それはメフィストの方へと向って行く。
バッ、と、メフィストは纏っていたケープを脱ぎ取り、反物質砲へと放り投げた。ケープの裏地が、反物質砲を吸収する。
ジャバウォックが放った、総量次第では文明を地球ごと破壊させる程の魔光が全て、メフィストが身に纏う、天の光を編んで創ったような白いケープに吸収された。
それから、数千分の一秒経った頃だった。ケープそのものに、陶か磁器に生じた亀裂めいた物が走り始め、其処から凄まじい光が漏れだしたのは。
その亀裂から、ケープが爆ぜた。光から、直径数十m規模の爆発が発生し、轟音と爆風が轟く。
反物質砲を、吸収されたとみて驚くのはジャバウォックだ。
魔獣は、<新宿>所か東京、関東、いや、日本列島の三割以上は優に焼け野原に出来る程の出力で、あの魔光を放った。
それなのに、あのケープに吸収され、無効化された。この男は、何者なのだ。本当に、同じサーヴァントなのか!?
だが、魔界都市を知る者が見れば、ジャバウォックが行った攻撃によってメフィストに齎された結果の方も、信じられないものだと言う事をこのバーサーカーは知らない。
メフィストのケープを破れると言うだけで、あの世界では恐るべき強者だった。言ってしまえばこの時点で、メフィストを殺せる可能性が多分にあると言う事である。
そしてこの事柄も、ジャバウォックは知らなかったろうが、メフィストは、己の身に纏うケープと言う礼装を犠牲にする事によってでしか、反物質砲を防げなかった。
ジャバウォックはメフィストにダメージを与えられただけでなく、身に纏う、如何なる鎧よりも堅固な白のケープをも破壊して見せたのだ。このバーサーカーもまた、希代の怪物であった。
「馬鹿なッ!!」
ジャバウォックが吼える。
対城宝具以上の出力どころか、神造兵器ですら及ばぬかもしれぬ威力で放たれた反物質を、礼装を犠牲にしたとは言え無効化されるなど、本来あってはならない事なのだ。
メフィストがジャバウォックの方へと駆け寄って行く、速度は、音の四倍強。
拙いと思い、ジャバウォックが、戦いの最中で獲得――進化――した力を発動させる。
発動させた瞬間、ジャバウォックの身体から熱の代わりに、漆黒の瘴気めいた物が噴出、それが纏われ始めた。
当然の事ながら、ただのこけおどしではない。触れたものの結合力を破壊し、分子レベルまで瞬間的に分解させる波動のような物である。
RPGすら跳ね返す重戦車だろうが、数十の編隊を組んで向って行く戦闘機だろうが、一瞬のうちに分解させる恐るべき破滅の雲だ。
無論、これすらも、何らかの魔道の技で捌くのだろうと魔獣はアタリを付けている。近付いてきた所を、今度こそ反物質砲で消滅させる――筈だった。
腹部の辺りに、凄まじいまでの衝撃が走った。
背部まで伝わった衝撃で、そのまま身体が真っ二つに折れてしまいかねない程の威力。余りのインパクトに、痛みが遅れてしまった、どころか、痛みを感じなかった。
ジャバウォックはその衝撃のベクトル方向へと亜音速で吹っ飛ぶ。その最中に見た、右の蹴り足を伸ばした状態の、姫の姿を。あの衝撃波彼女の蹴りによる物だった。
結合崩壊の波動を受けた姫は、当然の事その影響を受け、身体の一部の結合が破壊され、大ダメージを受けた筈なのだが、
受けた傍から結合が崩壊する以上の速度で肉体は回復していた。それなのに――ジャバウォックの反物質砲に直撃した左脇腹だけが、未だに寒々しい空白を晒していた。
「破壊の神を気取る愚か者めが……私の玉体に醜い傷を負わせたな」
そう口にする姫の表情は、余りにも冷たく、凍て付いていた。
臨界点を超えた怒りの余り、憤怒の相が刻まれていなかった。凄まじい怒りに、姫は真顔になっている。一切の感情を宿さぬ無表情でも、姫の美貌が褪せる事はない。
凛冽たる美であった。繚乱と咲き誇る花畑の中に彼女が分け入ろうものなら、花の方が美の敗北を悟り、その場で枯死する道を選ぶだろう。
そんな表情のまま、姫は、遥かな沖から押し寄せる津波のように、その身体から一つの感情を湧き上がらせ、この広大無辺の空間をそれで満たさんとしていた。その感情の名は、殺意だった。
天与の美、と言う言葉が自惚れでも世辞でもなく、正しく真実であるとしか言いようのない姫の身体。それを、下郎如きに傷を負わされた。
その事実に、姫は赫怒を覚えていた。しかし、姫が此処までの怒りを覚えている理由は、もう一つある。それがなければ、姫が抱いた感情は、激怒で終わっていただろう。
思い出してしまったのだ。夜香と言う名の小癪な吸血鬼の祖父に当たる、長老と呼ばれる吸血鬼に傷を負わされた時の事を。
――今この空間で同じ敵の抹殺に燃える、純白の医魔の姦計によって、二目と見られぬ醜い相貌にされた事を。姫は、事此処に至って思い出したのだった。
その時の怒りも、ジャバウォックにぶつけるつもりでいた。言ってしまえば――国士無双の大英傑、天下無敵の大英雄ですら震え上がる程の、究極の八つ当たりだった。
足を地面につけ、吹っ飛ばされた勢いを急激にゼロにしようとするジャバウォック。
この時魔獣は、此方目掛けて走って行く姫を見た。――彼女と並走するようにメフィストも、此方に向かってきている。悪魔的な光景だった。
反物質砲を放とうと右腕を伸ばすが、この瞬間、メフィストの走る速度が、更に跳ね上がった。「何」、と口にする事すらジャバウォックには出来ない。
メフィストは此処に来て、己の全ての動作の加速度を、それまでの七倍から更に引き上げさせたのだ。今の彼の加速度は、十倍にまで達する。
一瞬でジャバウォックの下へと接近したメフィスト、それが当たり前であるかのように、ジャバウォックが纏う分子分解雲に触れても無傷だった。
それもその筈で、移動する最中に魔界医師は、その雲を中和する白い霧を、魔術で生み出して己に纏わせていたからだ。
左腕を振り上げ、迎撃しようとするバーサーカー。するとメフィストは、魔獣の厳めしい左腕を、繊手で触れ始めた。手のメンテナンスに平気で百万以上の金をかける、一流の手品師やピアニストが、嫉妬どころか羨望の念すら覚える事を忘れる程の、白く透き通った手であった。
触れた箇所から、急激に、ジャバウォックの左腕が金色に輝き始めた。 輝いたという言い方は正確ではない。
ジャバウォックの身体を構成する金属部、即ち珪素が、金色の金属に変わり始めたのだ。――否。真実本当の『黄金』だった。
ジャバウォックの身体は、メフィストが触れた左腕の下腕の辺りから、急速にAuを元素記号とする金属に変換され始めているのだ!!
触れたものを黄金に変えるなど、まるで酒と狂気の神であるディオニュソスに嘆願してその力を得たミダス王宛らだ。
この男なら、或いは。そう思わせるだけの魔力を、メフィストは有している。この男が触れてくれるのならば、鉛ですら、自らの意思で黄金に変わるかも知れない。
錬金術は卑金属を黄金を変える為の試行錯誤だったと知恵者は言う。実際は違う。彼らもまた多くの魔術師同様、『真理』を求めて知識の海を彷徨する、学究の徒であった。
真実の錬金術師は、石を黄金に変える元素転換の術を当の昔に編み出しており、メフィストも当然の如くこれを修めている。
己の身体が変容していく様子に、絶望と驚愕を抱くジャバウォック。幾ら元素転換と言っても、生の人間を黄金に変える事は難しい。
生体を黄金化させるのは難なのが通常である。が、ジャバウォックにとって不幸だったのは、このバーサーカーが金属生命体としての特質も持っていたと言う事だろう。
故に、元素転換が驚く程良く通るのだ。このまま行けばジャバウォックの全身は一瞬で黄金と化し、生きたまま黄金色の美しいオブジェにされかねない。
そうはさせじと、ジャバウォックは、黄金化が左肩の付け根まで侵食しかけようとしたその時、空間の切断で左肩を切断、黄金化を無理やり食い止める。
ゴトンッ、と言う音と同時に、地面に金色の腕が落ちた。――それと同時に、メフィストの右腕が、ジャバウォックの巌の如き胸部に埋没していた。
「――!!」
凄まじい相で、ジャバウォックはメフィストの方を睨んでいた。
水に腕でも突き入れるように、ジャバウォックの胸部に腕が半ばまで没入しているその様子は、ジャバウォックに取っては絶望のメタファー以外のなにものでもなかった。
「終わりだ」
触診をした時、ジャバウォックの体内には、霊核とは別に、彼を彼足らしめている核(コア)のような物がある事にメフィストは気付いていた。
これを破壊しない限り、驚異的なまでの再生能力と暴力を誇るバーサーカーは殺せないだろう。それを、メフィストは己の手で破壊しようとしていたのだ。
メフィストがコアを探った。患者の胸や腹を切開し、患部を触る外科医宛らの動作だった。その様子を姫が、無感動に眺めている。もう、自分が手を下すまでもなく、終わり。そう思ったに相違ない。
――その、筈だったのだ。
「……そうか」
そうメフィストが告げた。ジャバウォックに対する、無慈悲を通り越して冷酷無比な態度とは一転した、患者に対する慈愛の声音だった。
「救いを求めるか、バーサーカー」
そこまでメフィストが言った瞬間、バーサーカーが動いた。この機を逃す訳には行くまいと、ジャバウォックは急速に暴れ始めたのだ。
拙いと思い、メフィストは腕を引き抜き、振り下ろされた魔獣の剛腕を、針金で形成させた壁で防いだ。
再び、この珪鉄のバーサーカーの方へと向かおうとした、刹那だった。魔獣の姿が、夢か、幻か。白昼夢から覚めるように、メフィスト達の視界から消え失せたのだ。
瞬間移動。違う。メフィストの思考は、一瞬でその正体を看破した。無理にならない範囲ならば、ある程度の事は出来るとは思っていたが、此処まで応用の範囲が広かったとは。
「令呪か」
苦々しく呟くメフィスト。
姫が、役立たずめがと小声で呟いたのを、この魔界医師が、聞き逃す筈もないのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
かれこれ十分は、二階からロビーの方へ降りようと画策していた筈である。
時間にして一分もいらない。降りるだけなら二十秒、ロビーに行くのなら其処から更に二十秒。その程度の時間で移動出来る筈なのだ。
――なのに、如何して。
「全然辿り着けねぇんだよッ!!」
十兵衛が叫ぶのも無理はない。全く、ロビーに辿り着けないのだ。
最初の方はノリノリだった天子の方も、時間が数分経過する頃には無言を保ち始めるようになっていた。
飽きて来たのだろうか。その割には、不平を漏らさないな、とは十兵衛も思っていた。これは飽きて来たと言うよりも、何かを考えているような風である。
【十兵衛、間違いないわ。私達は百億年かけても、ロビーには辿り着けない】
【どうしてだ】
【崑崙、って知ってるかしら?】
【わからねぇ】
【有体に言えば、中華版の楽園よ。この国では高天原とも言うのよね】
【それが此処だと?】
【ううん、違うわ。こんな誰でも辿り着けるようなところが、楽園な筈がないもの。重要なのは、楽園って言うのは『辿り着けない場所』って事】
【今一そう言うのは学んでないんだ。解説ヨロ】
【貴方みたいな悪漢でも解るでしょうけど、天国とか楽園って言うのは、誰でも行ける訳じゃないの。清く正しく美しく、功徳を積んだ者だけが辿り着ける、苦労に苦労を重ねた者だけが辿り着ける、彼らの為に用意された所なのよ。おわかり?】
ああ、と生返事する。それだと十兵衛は元より、天子だって行ける筈がないのだが。
【言っちゃうと楽園や浄土と言う世界は、パスワードとか割符的な物がいるの。それこそが、生前或いは過去に乗り越えて来た苦労だとか、積んで来た功徳。これがない限りは、人は高位次元に存在する楽園には踏み入れられない】
【話の流れから推測するに、俺達にはそれがないから……】
【そう、ロビーに辿り着けない】
十兵衛は考える。
けたたましい警報が鳴り響き、自分達はずっと、ロビーの方へと足を運ぼうとしていた。
しかし、明らかに何かの妨害にあっているかの如く、下階におりると言う行動が阻害されていた。
例えば、アクリルよりもずっと透明な、十兵衛は愚か天子ですら目に見えず、そして天子でも破壊出来ない謎の壁が、一階へと通じる区画を閉鎖していたり。
またある時は、二階から階段を降りたにも拘らず、何故か四階に移動していたり。またある時は、曲がり角を曲がったのに、何時の間にか男子トイレに飛ばされていたり。
空間どうしの繋がりが滅茶苦茶になっているかのように、十兵衛達はロビーの方に辿り着けないのだ。現在彼らは、五階小児科及び子供が遊ぶ為の遊戯室前で会議をしていた。
窓から見る遊戯室には、幼稚園生が楽しむようなチャチなオモチャから、小学校高学年向けにTVゲームまで一通り完備していた。後者の方に至っては、現行世代のゲームハードから過去隆盛を誇っていたゲームハードまで全て揃っている。此処で遊ばせたら寧ろ子供は帰りたくなってしまうような空気すら感じられる。
【そう思った根拠はあるのか?】
【一言で言うなら勘。だけど適当に言った訳じゃないわ。そっくりだもの。人を寄せ付けないその方法論が、私の住んでた所と】
其処まで天子が言って、納得した。そうだ、この少女は――全然信じられないが――天人、いと貴き天の住民だったと言うではないか。
天界、桃源郷、非想非非想天。言い方は人それぞれだが、共通して言えるのは、只人には絶対に辿り着けない場所と言う事である。
どんなに歩いても距離が縮まらない。まっすぐ進んでいる筈なのに不思議な力で移動ルートが捻じ曲げられる。そもそも辿り着けない場所に存在している。
凡そ、人を遠ざける手段としてはこう言った所であろうか。十兵衛と共にロビーへと向かい、その度にあらぬ場所に飛ばされるのを見て、天子は、もしかしたら、と思っていた。
確信にも近い勘があった。間違いなく、この病院に適用されているメソッドは、人には絶対に足を踏み入れられない場所に適用されているそれと、同じであると。
【どっちにしても、私達がロビーに辿り着けないのは、私達がこの空間の主に認められてないからね。こんな状態じゃ、向こうが認めるか消滅するかしない限り、目的地には向かえないわ】
【理屈としては良く解ったが……このまま無手、ってのも癪だな。泣きの一回、これがラストだ。ロビーに降りて良いか?】
【諦め悪いわね、十兵衛】
【出るまで回せば百%。回転数と実行数が全てだ】
実体化させずとも、天子の呆れた様子が伝わってくる。
十兵衛は再度、階段の方へと向かって行く、階段を三段を一足で駆けおりて行き、ロビーの方へと急いで向かって行く。
一階の階段踊り場から一階へと向かい、階段の二段目辺りから一階の床に足を触れた、その瞬間だった。
十兵衛の頭上に広がっていたのは、白い天井と煌煌と光る証明ではなく、抜けるような青い空。十兵衛の視界に広がるのは、四方を取り囲むフェンスと、
フェンス越しに広がる<新宿>の街並み。チュンチュンと泣き声を上げながら、スズメが跳ねている様子が微笑ましい。つまるところ此処は――屋上だった。
「ほんと見事に飛ばされたわねー」
誰も見ていないと判断したか、実体化を始め、能天気に天子が告げた。
この少女が、敵ながら天晴と言っているも同然の言葉を口にするとは珍しいが、実際こうも言いたくなる。
十兵衛ですら、最早怒りの念よりもそう言った旨の言葉しか口に出来ない。ずっとずっと、こうだった。一階の床に足が触れた瞬間、
初めから自分達の向かう場所は此処であったかのような違和感の無さで、十兵衛らは別所へと飛ばされる。
転移の術と言う奴らしい。これは実現させるだけでも凄まじい御業なのであるが、転移されたと言う実感すら抱かせぬ程の転移の術は、最早神の領域の技であるらしい。
実際聞いただけではどれだけ凄いのかは理解出来なかったが、味わってみると成程、その凄さが良く解る。
もしもこの技術を本気で、敵対者の抹殺に向ければ、目的地に向かう過程で不届き者を牢屋か、恐るべきトラップが満載の場所に気付かぬ内に転送させる事だって訳はないだろう。屋上に飛ばされる程度で済んでいるのは、この上ない幸運、と見るべきか。
「こりゃこっちの認識が甘かったかね……」
はぁ、と溜息を吐き、十兵衛は空を見上げた。
サーヴァントの居城である、何某かの仕掛けが施されているのが常である。それがあまりにも高度かつ巧妙過ぎた。
此方の準備不足が祟った。今回は完全に、メフィスト病院のテクノロジーの認識不足であった。仕方ない、戻るか、と天子に言いかけた、その時だった。
「十兵衛。捨てる神あれば何とやらよ」
「あん……?」
天子は十兵衛の方には目もくれず、フェンス越しの<新宿>の風景を眺めていた。
何だ何だと思いながら、十兵衛はその方向に目を凝らしてみて――大いに驚いた。天子が見ている側のフェンスへと駆け寄り、その網目越しの光景を凝視する。
確証が持てないので、懐に忍ばせていた双眼鏡――手下をパシらせ用意した――を用意し、その方向を眺める。見間違いではない。
建物の屋上で、当たり前のように人影が二名、空中戦でチェイスを繰り広げているではないか。それは、血の様に紅いコートを羽織った銀髪の男性と、金属に覆われた様な右腕を持った青年だった。後者の方は、成人女性を一人抱えながら応対している。
「大当たり、って奴だな……」
そう呟く十兵衛の顔には、悪い笑みが刻まれていたのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「悪いな。ちと、手洗いに行って来る」
言って塞は、席を立った。
テーブルの上には、日本の代表的な料理の一つである、うどん……の、食べた後である丼が乗っていた。摂った昼食は、山菜うどんである。
関東特有の、醤油をこれでもかと利かせたうどんつゆは残されている状態だ。エージェントである塞は、一応は長く働けるよう健康にも気を使っている。塩分の取り過ぎなど、注意すべき最たる項目だ。
「構わないよ」
と、ジョナサンが言った。彼も、うどんを食べていた。彼の場合は具も何もない、麺の量だけを大盛りにしたかけうどんだった。
塞がトイレの方へと向かって行くのを見送りながら、黒礼服を身に纏う紳士の脳内に、念話が届いた。自分が従えるサーヴァント、ジョニィ・ジョースターから。
【警戒はしておいた方が良い、彼は抜け目のない男だった】
【解ってるよ、アーチャー】
ジョニィの言う通り、塞と言う男は利発的な男で、一挙手一投足に隙がない。彼からは目を離してはならない。
この辺りは流石、英国のエージェントと言うべきものであったが、ジョナサンの時代からして見ればイギリス情報局は未来の組織。知る筈もないのだが。
北上もまた、アレックスから念話で同じ様な旨を知らされていたらしい。
この場に残っていた鈴仙の方にも気を配りながら、トイレの方へと歩く塞にも目線を投げ掛けていた。彼女の昼食は、天ぷらそばだった。
場所はメフィスト病院から五十m程離れた所にある、全国規模で展開しているうどんのチェーン店だった。
三組が出会ってからかれこれ二時間、この店で打ち合わせをしていた。それ程までに、時間が掛かるのかと思うだろう。掛かってしまったのだ。
三組の主従はこの店のテーブル席で、お互いの事を話し合った。自己紹介――当然のように全員核心に迫る情報は伏せている――と、<新宿>で見聞きした事、戦った主従。
皆、それらを話し合った。いわば、情報交換だ。これだけならばもっと短い時間で済んだ事であろうが、時間が十二時に差し掛かった辺りで、予期せぬイベントが起こった。
ルーラー達からの、新しい討伐令の発布。これは大いにこの場の三組を驚かせるに足る出来事だった。クリストファー・ヴァルゼライドと言う真名のバーサーカー、
それを従える、英雄(ザ・ヒーロー)と言う冗談のような名前の青年。彼らについての会議も行った結果、これ程までに時間が経過してしまったのだ。
それが、円滑に出来たのか、と思うだろう。ジョナサンは<新宿>二丁目で起きた事件の影響で、顔が売れすぎてしまっている。
いわばちょっとしたお尋ね者である。何せ彼はバーサーカー・高槻涼との一件における重要参考人だ、何らの変装もなしに表を出歩けば、直に警察の手の者がやって来る。
それなのに何故、何の変装もなしにジョナサンが公の場で食事を出来ているのか。此処に塞が、ジョナサンは自分達と同盟を組むしかないと仄めかしていた全てがある。
ジョナサンにNPCの誰もが気付いていない理由は、塞が従えるアーチャー、鈴仙の能力のおかげであった。
そう、彼女自身の能力で、NPCはジョナサンの事を気付けていないのだ。だから、大手を振って通りを歩けたし、チェーンの飲食店でこうやって食事が出来るのだ。
成程、確かに同盟相手としては魅力的だ。素の状態のジョナサンでは、表通りを歩くと言う何気ない事ですら、既に難しい状態だ。そんな時に、塞のアーチャーの力は、是非とも借り受けたいものであろう。
――しかし、それが罠である可能性を否定出来ない。
確かに、鈴仙の能力は現状の自分達にとっては有利に働く。だからこそ、立ち止まって考えるべきだ。そう提案したのはジョニィだった。
便利過ぎる能力と言うものは、往々にして依存の様な状態を作り上げてしまう。本人にはその気がなくても、無意識の内にそれを使って頼ってしまうと言う事だ。
これが自分の持っている力であるのならばまだカバーが出来るが、問題はその依存の対象が見知らぬサーヴァントの力であると言う事である。これが拙い。
相手の力に頼りきりになった所を切り捨てられてしまえば、その後やってくる状況は目も当てられない程悲惨なそれになる事だろう。その危険性をジョニィは説き、ジョナサンもまた、それを考えた。
同盟は、組むべきなのであろう。
警戒はするべきだが、ジョナサンには現状、塞とそのサーヴァントと手を組む以外に道はないのではないかと考えている。
ジョナサン側は余りにも不利過ぎる。此方は太陽の下を出歩けるかどうかと言う身分なのに対し、塞はそんな事はない所か、情報面でも何らかの手段で有利に立てている。
ジョニィとて、警戒はするべきだと言っているが、手を組む事のメリットは否定していない。ジョニィですらそう考える程に、鈴仙の能力は魅力的だった。
更に言えば、数で以て敵を倒すと言う事は、最もシンプルかつ有効的な戦略である。<新宿>二丁目で戦ったバーサーカーは、
ジョニィに「あのまま行っていたら殺されていた可能性の方が高い」ですら言わせしめるほどの難敵であったと言う。
それ程までの強敵が何人もいるのであれば、ある時期までは同盟を組んでいた方が、良いのかも知れない。その時期を何時に設定するかが、問題なのだが。
「……」
鈴仙は手元のコップに注がれた水を飲みながら、ジョナサン達の方に目線を抜け目なく送っていた。
実体化し、NPCだと誤認させる力を現在進行形で発揮させている為か、当然彼女も食事をとっている。月見うどんだった。
恐らくは向こうも念話で、作戦会議をしている事だろう。覚と違い、鈴仙には心を読む能力はないが、凡その察しは付けている。此方が信頼出来るか出来ないか。争点は正しく、其処となるであろう。
【アーチャー】
トイレに行った筈の塞から念話が届いて来た。
言うまでもなく用を足しに其処に向かった訳ではない。ザ・ヒーローと言う青年の情報と、北上と言う少女から聞かされたアサシンのマスターの外見の情報を、
<新宿>中に散らした情報屋や記者達に教える為に、態々トイレへと向かったのだ。そして、鈴仙と念話で打ち合わせをする為にも、此処に足を運んだ。
【お前の所見を聞きたい】
【手を組むにしても、早い段階で縁切りの算段を付けておいた方がいいわよ。特に、ジョナサン】
【全くの同意見だな】
皮肉な事だが、ジョナサン同様塞達の方も、二組の事を信じていなかった。
但し塞達の方が否定の度合いも、手を早めに切りたいと言う計算を行う本気さも、ずっと上である。
聖杯を破壊する。それが、ジョナサン達の願いであるらしい。冗談ではない。
聖杯の回収を目的とする塞の主従、それを破壊する為に協力して欲しいなど、承諾出来る訳がなかった。
目標の到達地点が、一mmたりとも掠っていない相手とは、共闘は不可能に等しい。であるのに塞は、同じような目的を掲げるライドウの主従とは、
手を組む姿勢を崩さないのに対し、ジョナサンの主従には如何してこうも対応が厳しいのか。ダブルスタンダードも良い所だろう。
この態度の違いは単純明快で、相手の強さに現れている。ライドウの主従は、サーヴァントどころかマスターですら、掛け値なしの強敵であり、
その上情報収集能力においても塞達の上を行くか同等と言う凄まじいペアである。彼らとは可能な限り波風を立たせず、持ちつ持たれつの関係を保ちたい。
対してジョナサンの主従の方は、目視出来るステータスの面からもそれ程強くないのである。無論、スキルや宝具が何なのかが解らない以上油断は出来ないが、
自分達の力を借りねば行動が大幅に制限される、と言う時点でお荷物も同然である。穀潰しを飼う程の余裕はない、ある時点で切り捨てねばならぬ主従だろう。ジョナサン達も、そして北上達も。
【「君も僕と同じような敬虔なキリスト教徒なら、聖杯をこんな事に使われて義憤が抱くだろう。だから共に戦おう」……か】
情報交換の最中、ジョナサンが口にした事を塞は思い出す。
こんな恥かしい言葉を口にしても、くささも嫌味も全く感じさせない人徳の高さを、塞は感じる事が出来た。思い出すだけで、苦笑いを浮かべてしまうが。
【立派だと思うよ、ミスターの事は。だが、駄目だ。あれは俺達でも受け入れられん】
ジョナサンは間違いなく、日本のヤマトナデシコ同様、向こうでも絶滅したに等しい英国紳士その物の様な男ではあるが、それが如何したと言う話だ。
今はその、騎士道精神の鑑の様なものの考えが一番困る。ジョナサンは自分の中の正義の意思で物を考えるが、塞は今イギリスと言う国の国是で動いている。反りが合う訳がない。
【それにしても、どうするの? 私達で密に処理出来るのならばいいけど……】
【あぁ、それが問題だ。『ライドウに知られたら』どうするか、だな】
そう、それが目下最大の問題の一つだった。
推測だが、この聖杯戦争、仮に参加している組数がキリよく二十組だと仮定して、その内聖杯を求めている主従は八割の十六人程であろうと塞は考えている。
実際の参加主従数は知らないが、少なくとも八割。聖杯を求めている主従がいる筈なのだ。ジョナサンが聖杯と、この戦争を裏から操る存在を憎む気持ちも解る。
解るが、彼の様な存在は絶対に少数派でなければならない筈なのだ。当たり前だ。全員が聖杯戦争の主催憎しと言う気持ちであれば、
全員が一致団結、主催の方に反旗を翻す筈なのだ。それこそ、先程討伐令を敷かれたクリストファー・ヴァルゼライドのように――本当にそう思っていたかは知らない――
仮に聖杯戦争を破壊する主従の事を対主催と呼ぶ事にして、聖杯戦争を管理運営する側としては、この対主催側よりも聖杯を求める主従の方を多く集める必要がある。
無論、全員が聖杯を求める主従ならばなおよい、バトル・ロワイヤルの形式としては問題がないからだ。対主催とはいわば、面子を集めた主催側の不手際。
この人物ならば企画を上手く回してくれる、良い道化になってくれると見込んだ人物が、主催の想定を裏切る人物であった。こう言う風でなければならないのだ。
そしてこの対主催は、主催の側からしたら、少数派なだけでなく、弱く、運営側の力で一掃出来る程度の者でなければならない。対主催の方が強ければ企画が成り立たない。
<新宿>における聖杯戦争の主催、その思惑は塞ですらも未知だが、彼としても聖杯戦争を台無しにするような主従の存在は許容出来ない。対主催の存在は、弱ければ弱い程都合が良い。
――その対主催の側に、よりにもよって『ライドウ達』がいる。これが問題なのだ。
断言しても良かったが、あの主従は間違いなく今回の聖杯戦争における最強の主従の一角である。
サーヴァント同士での戦いでも、鈴仙曰く『勝てない可能性が高い』と言わせしめ、よりにもよってマスター自体も下手なサーヴァントを上回る強さと来ている。
塞も強さには自信がある方だったが、ライドウを相手に勝ちを拾えるか、と言われれば、即座にNOと答える。最悪魔眼の事も気付かれている可能性すらある。
こんな主従達でも、塞達が勝機を見いだせているのは、先の通り対主催側は絶対数が少ないと言う理由がある。つまり最悪は、数の暴力や消耗戦で押せると言う事だ。
その少数派が、出会おうとしている。ジョナサンのサーヴァントが弱いと言ったのはステータス面だけで、実際はどんなスキル構成、どんな宝具なのかは未知なのだ。
無論それは、ライドウの従えていた紅コートのセイバーにも同じ事が言える。しかもあちらは、ステータス面だけを額面通りに受け取っても強い事が解ると言う最悪の存在。
そんな者達が手を組まれたら、塞としても頭の痛い事態に陥ってしまう。しかもここで更に問題になるのが、ジョナサンの性格だ。
塞から見ても気持ちの良い程の好青年である。謹厳実直を絵にした様なライドウは間違いなく、ジョナサンの事を不快に思うまい。つまり、反りが合う。手を組む可能性も高い。
絶対に、ジョナサン達とライドウ達は会わせてはならない。
だからこそ、塞は情報交換の際に、敢えて自分達が『ライドウや十兵衛と同盟を組んでいる事を隠した』。
彼らに話した事柄は、黒贄礼太郎と言うバーサーカーの情報だけである。それ以上の事は一切話していない。
唯一の懸念は、ライドウが提案していた、討伐令の対象となっているサーヴァントのどちらかに攻撃を仕掛けると言う作戦だったが、向こうの側にも悶着があったらしく、
それが先延ばしになっていた。機運は完全に此方に傾いている。ジョナサンの組と北上の組とは仮初の同盟を組みつつも、ライドウ達からなるべく遠ざける。これを、徹底させる必要があるであろう。
【こっちは方々に情報を伝えておく、そっちは適当に話を持たせとけ】
【了解】
其処で鈴仙は念話を打ち切り、情報交換の最中からずっと気になっていた事を、口にし始めた。
「一つ良いかしら」
「どうぞ」
と、答えるのはジョナサンだった。
「貴方達がメフィスト病院の足を踏み入れる際に見たって言う、女子高生が従えてたアーチャーのサーヴァント。ちょっと詳しく聞きたいと思って」
「詳しくって言ってもな……先程ミスター・塞に話した以上の事はないよ」
それが、鈴仙には引っかかっていた。自分の記憶の中に確かに存在する、自らが師匠と呼んで敬愛する人物にそっくりだったからだ。
流れるような銀髪を一本三つ編みにした、見た事もない程の美女。特徴的な帽子で、赤と青のツートンの服。そして、和弓を武器とするアーチャー。
初めて見た時の印象は、とても利発そうで、知恵が回りそうで、ハッキリ言って権謀術数や弁論では到底勝ち目がなさそうな程、インテリであったと言う。
――何から何まで、鈴仙の師匠、月の都における大賢者にして、神霊の系譜に連なる者の一人、『八意永琳』にそっくりではないか。
まさか、あれが呼ばれていると言うのだろうか? ……まさか、それはあり得ないだろう。彼女は地上人が言う所の神そのものであり、況してや彼女は死なないのだ。
死ぬ可能性がある存在だからこそ英霊やサーヴァントになれるのだ。つまり、端から『死ぬ可能性にない存在はそう言った存在にも普通はなれない』。
よって、聖杯戦争に呼ばれる可能性もない。……だがもしも、本当に永琳が呼ばれていて、そしてもしも、自分と鉢合わせになったら、どうなるのだろうか。
味方になってくれるか? 月の都から逃げて来た自分を保護し、永遠亭の家族の一員として受け入れてくれた恩は、今でも忘れない。仲間になってくれれば心強いだろう。
だが、敵になる可能性も捨てきれない。鈴仙が月にいた頃の永琳に対する評判は、裏切ったのが惜しい程の賢者であり、仲間を殺した大悪党で完全に二分されていた。
実際永琳はかなり容赦のない性格をした人物だ。此方の出方、今までの動向次第では、直に敵対の意思を見せる可能性だって無きにしも非ず。
どちらにしても言える事は、一つ。永琳と戦闘の状態に陥ったら、万に一つも鈴仙には勝てる可能性がないと言う事。
紺珠の薬が宝具になっている事までは流石に解らないだろうが、これにしたって気付かれる蓋然性は極めて高い。紺珠の薬を持っている事に気付かれたら、もう無理。
単純な戦闘の技能も向こうが遥かに上回っているだけでなく、此方のやる事なす事を全て知っているにも拘らず、鈴仙は未だに永琳の出来る事を知悉していないのだ。
これでは勝てる筈がない。故に今出来る事は、ジョナサンらがメフィスト病院で出会ったサーヴァントは、八意永琳のそっくりさんである事を祈るだけである。
「そのアーチャーは、君と知り合いなのかい?」
「それに似てる可能性があるだけ。呼ばれてたら驚くでしょ? 生前の知り合いどうしが、サーヴァントとして招かれてたら」
「それもそうだ」
英霊の座や、サーヴァントとして招かれうる存在の数は膨大である。
座の存在意義に照らして考えれば、永琳も呼ばれる可能性は必ずしもゼロではないが、確率は低い。
何よりも、聖杯戦争に参加出来るサーヴァントの席数は限られており、座に登録されている膨大な人物の中から、知り合い同士が同じ聖杯戦争に招かれるなど、
天文学的な数値とすら言えるだろう。故に、端から永琳が此処<新宿>にいる可能性は、低い。そう鈴仙は考える事にするのだった。
次は、どんな話で、塞が来るまで間を持たせようかと。
考えていたその時だった。自身の持つ能力も相まって、高範囲まで索敵を可能とするサーヴァントの察知能力が、サーヴァントがこの場に出現するのを捉えた。
突如として真率そうな表情になった鈴仙の態度の変化を、ジョナサンも北上も見逃さなかった。「サーヴァントだ」、と、北上が従えるサーヴァントが口にする。彼もまた捉えたらしい。
【マスター、サーヴァントがこの場所に近付いてる!!】
【何ッ!?】
と、トイレにて手足となる人物達に連絡を入れている塞に、そう念話した瞬間だった。
店内の様子がにわかに騒がしくなる。店内で食事をしていたNPC達の様子を見るに、外の様子が気になるらしかった。
大窓の側からやや近い席だった為にすぐ、一同は騒動の原因を発見出来た。向かいの喫茶店の大窓を突き破り、通りに倒けつ転びつと言う様子で躍り出た女性がいたのだ。
レディースのジャケットに、簡素な白いシャツを身に着け、藍色のジーンズを穿いたロングヘアの女性だ。日本人ではない。肌の色こそ白いが、恐らくはヒスパニックである。
「アーチャー、君の力でNPCからどこまで僕の認識を阻害させられる」
あの女性は誰だと考える前に、霊体化しているジョニィがそんな事を訊ねて来た。
「早く答えてくれ」
「NPC程度なら、姿を完全に認識出来なくするのは簡単な事だけど」
光波を操り、屈折率を調整すれば、疑似的な光学迷彩を施す事も鈴仙には可能だ。
「それをやって欲しい」
「は?」
「良いからやるんだ」
何をするつもりだ、と思いながらも、鈴仙は、適当な空間の光の屈折率を操った。
「此処に入れば外部からは貴方の姿が見えなくなるわ」、と説明した瞬間、ジョニィはその内部で実体化を始めた。
出現したジョニィの波長を改めて確認して、背筋が凍った。それまでは特筆に値する波長ではなかったのに、事此処に至って激変していた。
波長が桁違いに短い。それ自体は、別に珍しい物でもない。波長が長さと言うのは個人の性情を示す。長ければ暢気である事を意味し、短ければ短気である事を意味する。
ジョニィの場合は、それが余りにも短すぎる。とは言え、人間の中ではジョニィレベルの波長の短さは、珍しいとは言え滅多に見れぬものではなく、
妖怪に至ってはザラにあるタイプである。鈴仙が違和感を覚えたのは、これに加えてジョニィの波長の位相が、ありえない程にズレていると言う事だった。
この波長の特徴、何処かで見た事があると思ったら、これは黒贄礼太郎の波長である。あの殺人鬼も波長の位相がズレていたが、振幅自体は極端に長かった。
あの殺人鬼の場合は言うなれば、草や花などの、ストレスを感じる事のないものと同じ波長である。
長い波長と短い波長と、一見すると正反対に見えるだろうが、これらには一つの共通点があった。人の波長と言うものは精神や心の活動から来る余波であり、
言うなれば性格そのものだ。それズレていると言う事は、価値観やものの考え方が決定的に違うと言う事である。
常人とは余りにもかけ離れた物事の考え方。これは所謂、神仏に見られる波長であり、正真正銘の人間には殆どと言っていい程見られない。
仮に、だが。この波長を人間が有するに至ったら、どのような者が誕生するのか。
高い確率で、真正の『サイコパス』が誕生する。黒贄は、人命に対する考え方が、常人とはかけ離れていた。
――ジョニィの場合は、目的の達成についての価値観が、常人とは一線を画していた。
躊躇う事無く、右手指から爪を三発、ライフル弾の如き勢いで射出させるジョニィ。
NPCとNPCの間を縫い、三発の爪弾は窓ガラスを貫通、破壊させ、その内の一発が、ヒスパニック系の女性――ロベルタの腹部に命中した。
残りの二発は、ロベルタが破壊した店の窓から店内まで直進。店内のNPCの女性の頬を掠めて、壁に激突するのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
結論を述べればロベルタは嘗てない程苦しい状態にあった。
食屍鬼街から高槻をメフィスト病院に送り込み、然程あの大医宮から離れていない場所に建てられた、チェーンのファーストフード店で彼女は待機していた。
世界のあらゆる所に店舗展開していると言う、サブマリンサンドイッチの店だ。店の名前こそ違うが、似た様な店は彼女の元居たベネズエラでも見た事がある。
無論、自らが引き当てた、暴力の具現とも言っても良いバーサーカーが、魔力と言う略奪品を持って凱旋するのを待つ為だ。絶対に出来る、ロベルタはそう思っていたのだ。
――店に入った瞬間、魔力の消費速度が此方でもよく感じ取れる程速くなっていた。
昼食を注文し、テーブル席でクラブサンドを口にしたその瞬間、魔力の消費量が倍以上に跳ね上がった。
その状態のまま、魔力の消費スピードは減速するどころか時間が経過する毎に上昇して行き、討伐令の対象になる事を覚悟で行った、
南元町の食屍鬼街のゴロツキ達で行った魂喰い、これによって得た魔力は五分前に完全に枯渇。今は食屍鬼街での魂喰いより遥か以前、聖杯戦争の本開催前に魂喰いで徴収した魔力で糊口を凌ぐ形となっている。
それにしたって、今や枯渇一歩手前の状態であった。
そもそもバーサーカーのコンセプトは、宝具もイマイチステータスも低い、と言う英霊を狂化と言う下駄を履かせて強くさせると言うもの。
強くなる事は事実であるが、これを行うとマスターからの制御も利かなくなるばかりか、魔力の消費量も狂化していない他クラスと比べて格段に悪くなる。
狂化と言うのはそれ程までにマスターに負担を強いる手段なのだ。況してや高槻涼は元から弱いサーヴァントどころか、狂化していなくても強いサーヴァント。
強いサーヴァント程、平時及び戦闘時の魔力消費が高くなるのは当たり前の事。元から強いサーヴァントを更に狂化させて手綱を握るのだ。
魔力消費が暴力的なそれにならない訳がない。当然、魔術の素養もない、魔力の代わりになるリソースがゼロのロベルタの負担になる。高槻涼と言うバーサーカーは、ロベルタの手に到底負えるサーヴァントではないのだった。
「何を手間取っている……ッ!!」
だが、ロベルタの魔術の素養と言う物を抜きにしても、バーサーカー・高槻涼、或いはジャバウォックの強さは絶大なそれ。
彼女は本気で、あのバーサーカーは此度の聖杯戦争においても最強のサーヴァントであると信じていた。
軍人の目線から見ても、ジャバウォックの有する火力や攻撃力は絶大。たとえ世界中の軍隊を敵に回しても、勝利するのはジャバウォックの方であろう。
それ程までの強さならば、たかがキャスターの居城如き、有している圧倒的な火力で破壊し、其処に溜めこまれた魔力を強奪すると言う芸当など、出来て当たり前の事なのだ。
それなのに、何を苦戦している!? あれからじき、十分が経過しようとしている。都市を制圧すると言うのならばまだしも、あの程度の病院など、サーヴァントの力ならば十分もいらないだろう。自分がやっても、それ位の時間で済むとロベルタは思っている。
「早く、事を済ませろ……!!」
購入したクラブサンドが、全く口に入らない。ハム、レタス、チーズにトマトを挟んだそれも、アイスコーヒーも、完全に手つかずの状態である。
食べる事も出来ない程、魔力消費が苦しいのだ。魔力消費も度が過ぎれば命に係わる。魔力と言う、血液などと違って自分の身体を循環している自覚がこの上なく薄い、
存在するかどうかすら解らない上に本当に命に関係しているとは思えないリソースを奪われているにも拘らず、大量の血を失っているかのようなこの倦怠感はどうだ。
奪われてる実感も湧かない架空の何かを奪われ、自分は本当に死ぬと言うのか!? 絶対に、それだけはあってはならない。生きねばならないのだ。自分は、絶対に。
握り締めていた、アイスコーヒーの入ったプラスチックの使い捨て容器に力がこもる。
容易く変形し、トレーの上に黒く冷たい液体が零れた。その様子を見て、近くの席に座っていた他のNPCの客が、不審そうにその様子を眺めている。
それすらも気にならない程、ロベルタは今必死に耐えていた。持ってあと、二分。その間にケリを付けて貰わねば、本当に、自分が死んでしまう。
衆人の目線など知った事かと、歯を食いしばり、ロベルタは耐えに耐えていた。
「すいませェん、この席空いてますか?」
明らかに、自分に対して向けられた声。
俯いていたロベルタが、顔を上げた。平凡な、何処にでもいそうと言う事が最大の特徴とも言うべき、没個性の女子高生が、ロベルタの隣に立っていた。
あんな危ない人物に話しかける何て、勇気あるな、と言う目線が近くのNPC達から寄せられる。
「……他に、空いてる席ならあるでしょう」
努めて平静を装いながらロベルタが口にする。彼女の言う通り、テーブル席ならば兎も角、カウンター席ならば全然余裕がある。
「ああ、それもそうですね」
かなり天然の入った人物であるらしい。漸く、店内に座れるスペースがある事に気付く。これで用は済んだだろうと言わんばかりに、再び顔を俯かせるロベルタ。
「あの、すいませェん」
「今度は何……!!」、そう言って顔を見上げさせたその瞬間だった。
ロベルタの右眼を、何かが貫いた。瞬間、ロベルタの思考も、あらゆる感覚器官も完全に焼き尽くされたように、一切が消え失せ、白紙に等しい状態になった。
店内にしても同じだった。彼らは、間の抜けた女子高生の狂行に、目を完全に丸くしている。世界から一切の生き物が死に絶えた様な静寂さが、店の中を包み込んだ。
――遅れて、ロベルタの右眼から、激痛と鮮血が零れ落ちた。
「こいつ、まさか!!」、そう思った瞬間に、ロベルタの右眼を貫いていた、女子高生が右手で握っていた物が引き抜かれる。何処にでも売ってそうな、先の尖った鉛筆だ。これを以て、ロベルタの目を貫き潰したのである。
凄まじい勢いで右眼から零れ始める血液を見て、店内に女性の悲鳴が木霊した。
サーヴァントの敵襲と判断したロベルタが、座っていたテーブルの縁を引っ掴み、片腕で易々と持ち上げ、女子高生の身体に叩き付けようとした。
しかし、軽くその細腕を、テーブルに合わせて振るい、衝突させた瞬間、テーブルの方がバラバラに砕け散り始めたのである。何たる腕力であろうか。
慌ててロベルタは背を見せて逃走。このチェーン店の店名とロゴを宣伝がてらに大っぴらにプリントした窓ガラスに突進、ガラスが皮膚を傷付ける事すら厭わず叩き割り、
この場から彼女は急いで逃走した。後ろの方で、「待てエエエエェェェェ!!」、と言う叫び声が聞こえてくる。あの女子高生の声と同じであった。
こんな街中で襲撃されるとは思わなかった。しかもあの迷いも躊躇もない行動ぶり、此方が聖杯戦争の参加者だと解っていなければ出来ない事だ。
化粧もある程度施し、服装も変えると言う努力をしていたにもかかわらず、こうまでアッサリと気付かれるとは、尋常の事ではない。どちらにしても、早く距離を取らねば。
――そう思ったその時だった。向かいの窓ガラスを貫いて、何か弾丸状の物が、ロベルタの腹部を貫いた。
残り二発は、ロベルタの体勢の問題からスカを食い、店内へと消えて行く。腹部に、火箸で貫かれたような熱く焼けるような激痛が走ったのは殆ど同時だった。
何だ、と思い向かいのうどん屋の方に目線をやり――戦慄の表情を浮かべた。店内に、馬に跨り爪を放つアーチャーのマスター、ジョナサン・ジョースターの姿を認めたからだ。
――拙いッ!!――
あの女子高生程度ならば、まだ逃げ切れるし倒せる。
ジョナサンは無理だ。あの男は元居た世界に置いて来た重火器の類が此方になければ、対等な勝負にすら持ち込めない。
しかも見るに、向こうにはサーヴァントもいるだろう。これでは勝てる筈がない。故に、逃げる、全速力でだ。
人だかりを無視し、ロベルタは疾風の様な勢いで通りを走って行く。「ウオオオオオオォォォォオォオォ!!」、と言う、およそ女が上げるような、
勝鬨めいた声が、何故か遠ざかって行く。チラリと後ろを見ると、ロベルタの向うルートとは逆方向を、あの狂人は爆走していた。
血濡れた鉛筆を振り回しながら向かうその様子に、NPCは気圧されたらしく、怯えた様子で彼女から遠ざかって行く。
しめた、とロベルタは思った。NPCの目線は完全に、あの女子高生の方に向いている。
今なら、自分の脚力で逃げられる可能性が高い。……但し別の存在に追いつかれる可能性の方が高いか。
店の入り口から、見事にアイロンのかかった黒礼服を身に纏う、長身で、恵まれた身体つきに大量の筋肉を搭載した欧州紳士が躍り出た。
ジョナサン・ジョースター。であるあの時ロベルタに、本物の殺意をぶつけに来た男。理想主義的で甘い性格でコーティングされた層の下に、途方もない修羅を飼う戦士。
あれに追いつかれては本当に死んでしまう。そう思いロベルタは、ペース配分などを無視した全力疾走でこの場から遠ざかる。
この<新宿>の地理は既に頭に叩き込んでいる。後で追跡されないよう、腹部から流れる血を左手で、右眼をハンカチを持った右手で抑えながら、
歩きなれた道のように見知らぬ街を走って行き、遂にロベルタは、人通りが少ない住宅街の方へと逃げ切る事が出来た。しかも幸運にも、人通りがないではないか!!
「ヘイ。セニョリータ。追いかけっこはおしまいだぜ」
軽い調子のをした、若い男の声が聞こえて来た、その時だった。
鋼色の風が、ロベルタの前面を凄まじい勢いで凪いだ。何が起こったのか考えるよりも速く、右腕の肘から先が、極熱を帯びた激痛を内包し始めた。。
痛みの原因を見て、目を見開く。右肘から先が消し飛んでおり、血潮が噴出しているではないか。ロベルタの右手は、ハンカチを握ったまま宙を舞っていた。
噴き出る血の向こう側で、裸の上半身の上に、ロベルタの血よりもなお紅いコートに袖を通す、銀髪の伊達男が佇んでいた。
その手に、男の身長程もありそうな凄まじい大きさの剣を握っており、それを振ってロベルタの腕を斬り飛ばしたらしい。
思考が急速に加速する。死を前にして、あらゆる事象がカタツムリめいてスローになる。その世界の中で、彼女の思考だけが平常通りのそれになる。
先ず、目の前の存在は、セイバークラスのサーヴァントだった。ステータスだけを見ても、恐ろしく優秀なサーヴァントだ。
狂化していないと言う事実から、ジャバウォックより強い可能性すらある。柔軟性についてなど、最早論ずるに値しない。
ジャバウォックがメフィスト病院を制圧するまで持ち堪えられるか。
不可能に決まっている。相手の目を見るだけで解る。紅コートのセイバーは確実に、此方を殺害する気概で満ち満ちていた。
如何にジャバウォックが任務を遂行出来たとしても、ロベルタが死んでは何の意味もない。となれば、取るべき手段は一つだった。
「令呪を――!!」
其処まで言った瞬間だった。ジョニィの爪弾によって損傷した腹部に、凄まじい衝撃が走った。
ダンテのミドルキックがロベルタの腹部に突き刺さった瞬間だった。乾いた息を吐いて、ロベルタが蹴られた方向に吹っ飛ぶ。
蹴られた方向には、一軒家を囲う塀があり、其処に背中から激突。後頭部も思いっきり打ち付けられ、大脳がプリンかゼリーのように頭蓋骨の中をシェイクしていた。
道路の溝に尻を突いた瞬間、大量の血液をロベルタは口腔から吐き出した。余りの蹴りの強さに、大腸の一部が千切れ、潰されたのが解る。
「惜しいな。令呪を奪おうとしたんだが、もうちっと上だったか」
地面に落ちたロベルタの腕を確認しながら、セイバー、ダンテが口にした。
彼の言う通り、ロベルタに刻まれた令呪の位置は、両の下腕には無く、右上腕二頭筋に刻まれている。
憎悪と憤怒を水に溶かし、刷毛で塗ったような表情を作りながら、懐から拳銃を取り出しそれを発砲するも、ダンテは身体を軽く半身にしていとも簡単に回避して見せた。跳弾の音が虚しく、響き渡る。
「Hm……黙ってた方が美人だって言われないか? おたく」
「黙れ!!」
と言ってまたしても、拳銃を発砲しようとするが、ブーツを履いたダンテの爪先が、ロベルタの左手に飛んで来た。
靴先が、命中。手の骨ごと、拳銃を破壊。粉々になった拳銃のパーツが宙を舞い、ロベルタの掌からは折れた骨が突き出た。
苦悶に顔を歪ませるロベルタ。体中から噴き出る、精神的・肉体的なストレスから来る、ナメクジが這い回ったような粘ついた汗が、衣服に沁みて行く。
今や彼女にとっては夏の暑さすらも遥か遠い。身体が感受しているのは、肉体的な痛みだけであった。
「女に優しい模範的アメリカ人に手を上げさせないで欲しいな、セニョリータ」
ダンテとしては、ロベルタはこれで黙ると思っていたのだろう。
悪魔狩人(デビルハンター)であるダンテは、悪魔の討伐には極めて積極的である。タダ同然の値段でも喜んでその仕事を引き受ける。
では、人の場合は如何なのか、と言えば、気乗りがしないと言うのが率直な所だ。だが、殺さないとは言ってない。
悪魔に関わり、人や世界にとって癌となる事が解り切っているのならば、ダンテは躊躇なくリベリオンを振り下ろし、エボニーとアイボリーのトリガーを引く。
これだけ痛めつければ、ロベルタも黙る。ダンテは、そう思っていた。そしてそれは、ロベルタと言う女性を、余りに過小評価し過ぎていた。
「……ずる……」
小声で、かつ早口で、ロベルタが何かを言っているのをダンテは聞き逃さなかった。
そしてその内容も。だからこそ驚いた。此処まで痛めつけられておいて――まだ、令呪を使える程の活力があったのか、と。
「この場に来い、バーサーカー!!」
ロベルタがそう叫んだ瞬間、瞬間的な速度で、彼女の従えるバーサーカーが姿を現した。
ダンテから見たそれは正しく、古い日本の戯画に登場する様な鬼だった。灰胴色の巨躯、人を何人も喰らっていそうな凶相、丸太のような四肢。
――身体から発散される、尋常ではない殺意。悪魔を身体に宿すダンテですら、身震いせざるを得ない程の覇気を、目の前のバーサーカーは放出していた。
「ヒュー、ジャパーニズ・KAIJUか!!」
そんな恐るべき相手が敵に回った時にこそ、悪魔狩人ダンテの心は最大限に昂ぶる。
名のある悪魔と戦いこれを狩る、それこそが悪魔狩人の本懐なれば。ハントする相手が魔王や魔神であればある程、ダンテの心は燃え上がるのだ。
身体を金属で構成した鬼。成程、相手にとって、一切の不足なしである。
ダーツの要領で、手にしていた大剣、リベリオンを、マッハの速度で、ジャバウォックの顔面に投擲。
そうしながら、空いた左手でガン・ホルスターからアイボリーを取り出し、それをロベルタの方へと発砲。
ダンテはロベルタの心臓を狙っていたらしかったが、思いの外彼女が頑丈であった為に、狙いが逸れた。
既に彼女は立ち上がりダンテ達から距離を離そうとしていた為、アイボリーから離れた凶弾は、ロベルタの左上腕二頭筋の半ばに命中。
弾丸の余りの威力に、命中したポイントから腕が千切れ飛び、更に威力を一切減退させず、塀に命中。四角形をした塀の、弾丸が命中した側の面全てが、バラバラに崩壊してしまった。
ジャバウォックの方は、左腕を無造作に振い、アイボリーの弾丸以上の速度で投げ放たれた魔剣・リベリオンを弾き飛ばす。
事此処に来て、全ての状況を得心したらしい。殺意のこもった目線を明白に、ダンテの方に向けながら、魔獣は口角泡の代わりに火の粉を口から散らして叫んだ。
「小僧、破壊の権化を相手にその態度を何処まで維持出来ると思っている!!」
「お前が消滅したら悲しんでやってもいいぜ」
言ってダンテは、弾き飛ばされたリベリオンを手元にアポート(転移)させ取り寄せる。
その瞬間、ジャバウォックが動いた。たった一歩の踏込で、音速超の速度を獲得し、十m程の距離をゼロにする。
――速いッ!!――
ダンテが唸った。見た目からは想像もつかない程の敏捷性。全身が殆ど金属で、しかもダンテよりも二回り程大きいと言う体格。
それなのにこのスピードなのだから、驚嘆せざるを得ない。ダンテでなければ、反応すら出来なかっただろう。
リベリオンの腹の部分で、ジャバウォックの右腕の横薙ぎを防御するダンテ。凄まじい衝突のインパクトであった。
爪と剣の衝突部から、家屋に火が付かんばかりの大きな火花が飛び散り、吹っ飛ばされまいとダンテが踏ん張った影響で、彼の足とアスファルトの接地点が削れてしまった。
己の一撃を防がれるとは思ってなかったらしく、ジャバウォックもアテが外れた。直にダンテは、リベリオンを構え下段からそれを振り上げる。
この男、アレだけの衝撃を防御して、腕が痺れていないらしい。自らの頭を縦に斬り裂かんと迫る魔剣の剣先から、ジャバウォックは飛び退き、
飛び退きざまに口腔から火炎を吐き出した。摂氏八千度にも達する業火を、リベリオンを超高速で縦にプロペラ回転させ、その勢いと風圧で炎を全て散らして見せる。
ジャバウォックが突っ込む、ダンテも駆ける。近付くなり、ダンテはリベリオンを恐るべき速度で振るい、ジャバウォックもこれに腕を振って対応する。
時に魔獣は火炎を吐き出したり、腕から針状の体毛を飛ばしたりすると言う芸当を見せるが、ダンテは魔人染みた技倆で剣を振いそれらを跳ね除ける。
最優のサーヴァント。それがセイバーであるらしいが、成程その評価の意味が良く解る戦闘光景(プロモーション)だった。
バーサーカーは、片手間に倒せるような弱い存在ではないらしく、ロベルタへの意識がダンテはかなり薄れている。
このままジャバウォックに戦わせ続ければ、ダンテを倒せる可能性だって、あるかもしれない。しかしそれは、ロベルタの勝利に繋がらない。
例えダンテを倒した所で、後に待っているのはどうしようもなく魔力を消費しきったロベルタだけであり、そもそもダンテの持ち堪える時間次第では、失血死しかねない。
今ロベルタは、両腕がない状態なのだ。しかもリスクは失血だけでなく、ダンテとジャバウォックの余波も含まれる。己のサーヴァントの巻き添えで死ぬことほど、馬鹿らしいものはない。
勝つまで待っても地獄、負けても地獄。フローレンシアの猟犬とまで呼ばれ、敵味方からも恐れられた女傑に残された選択とは、
到底思えない程悲惨な状況だった。結局今のロベルタには、絶望の度合いがやや軽そうな選択を、選ぶしかない。そうとなれば、選ぶ道は一つ。
「――契約者の鍵に命ずる」
小声で、かつ早口で、ロベルタが告げた。
それと同時に、ジャケットのポケットに隠していた契約者の鍵が、ランタンの様に強く群青色に輝き始めた。
その光に気付かぬ程ダンテは愚鈍ではない。意識を此方に向け始めたのを、ロベルタは感じた。
「今の姿から元に戻り、私を連れてこの場から離れろ!!」
そう叫んだ瞬間、ジャバウォックは苦しみの怒号を上げた。
凄まじい叫びであった。人に火を押し付けた様な叫びでありながら、声の大きさは落雷にも勝りそうな程のそれ。
声の凄まじい大きさに、周辺の建造物の窓ガラスに亀裂が入り始める。何が起こると思いながら、ダンテは空いた手でアイボリーを引き抜き、
身体を構成する珪素部分が風化し剥がれ落ちて行っているジャバウォック目掛けてそれを発砲。
ほぼゼロ距離に近い速度から放たれた弾丸が、ジャバウォック――いや。大柄な金属の鎧の中にいた少年に向かって行く。
鬼と言う言葉がこれ以上となく相応しい巨躯を誇っていた魔獣、その本体とも言える少年は、世間並みの体格こそしているが、あの恐るべきバーサーカーに比べれば、
貧相な痩せた男としか見えぬだろう。今この瞬間、ジャバウォックは消え失せ、高槻涼の姿にバトンタッチした。
迫りくる弾丸を、ジャバウォックの面影を残す右腕で弾いて破壊し、凄まじい速度でロベルタの方へと駆けだす高槻。
そしてそのまま彼女を横抱えにし、跳躍。一瞬で右脇の、六階建てのアパートマンションの屋上へと到達。――それに、ダンテが並走していた。
手に持ったリベリオンを高槻の方へと、やり投げの要領で投擲。
悪魔の膂力と言う推進力を借り、初速の時点で音速の二倍と言う殺人的な加速を得たリベリオンが迫る。高槻はこれを、バッと左方向にステップを刻んで回避。
リベリオンが向かった先は、今二名が戦場にしているのと同じ様なアパートマンションだった。其処の屋上に備えられた給水タンクに直撃、貫通し、向かい側へと消え失せる。
高槻はロベルタを抱えている為攻勢に出れないと判断したダンテは、強気に攻める姿勢を崩さない。エボニーとアイボリーをガンホルスターから引き抜き、
対象の抹殺に臨むが、とことん逃走の姿勢に出る高槻らの方に、今回は分があった。ダンテが二丁の愛銃を取り出したと同時に、高槻は地面を蹴って逃走。
瞬きするよりも速い速度で、リベリオンが破壊した給水タンクのあるアパートマンションの屋上に着地、そして、此処でまた跳躍し、一気に距離を離そうとした。
――その時に、ロベルタは、見た。敵はもう一人いたのだ。それは、今自分達がいる所。
即ち、ダンテが破壊した給水タンクのあるアパートマンションの屋上の陰に、彼は巧妙に隠れていたのである。
見よ。自分の右眼を突き刺した女子高生を傍に侍らせる、黒いマントと黒い学帽の学生を。
見よ。男性器をモティーフにした様な卑猥な造形の頭を持った、日の当たらない洞窟に生息する白蛇のような皮膚と、長躯を持った悍ましい何かを従える青年を。
――見よ。絶対零度もかくや、と言う冷たい瞳で此方を睨みながら、拳銃を突きつける書生の姿を。
口上も何もなく、黒い書生、葛葉ライドウが、愛銃であるコルト・ライトニングから、凶弾を発砲した。
ただの凶弾ではない。己が従える悪魔の一柱である、雷電族または邪神とも呼ばれる神格、『ミジャグジさま』の力を込めてある。
放たれた鉛弾はミジャグジさまの力によりあり得ない加速を得ただけでなく、雷の力も纏われていた。二千万ボルトにも達する超高圧電気を内包した弾丸だ。
それが、高槻の脚部に命中した。まだ此処から跳躍する前だった。高圧電流が、体中のナノマシンの機能を鈍らせる。
それを受けて、ミジャグジさまは、鈴口にも似た口から、稲妻を束ねた様なレーザーを放射させる。
寸での所で高槻は、身体を大きく半身にさせる事でその一撃を躱すが、今度は赤口葛葉を引き抜いたライドウと、
いつの間にかリベリオンをアポートさせたダンテが此方に向かって来た。高槻の決断は早かった。掻き消えたとしか思えぬ程の速度で、その場から移動。
ダンテが壊した給水タンクの傍まで場所を移す。高槻の動きに気付いていたダンテは、左手に持ったアイボリーを高槻の方目掛けて連射。
弾丸を危なげに回避すると同時に、このバーサーカーはタンクを蹴り抜き、時速数百㎞の速度でそれをダンテ達の方に蹴り飛ばした。
水を撒き散らせて迫るそれを、ライドウは赤口葛葉で、まだ内部に溜まっていた真水ごと切り裂き、直撃を防いだ。
両断されたタンクが屋上の地面に衝突し、マンション全体を緩く振動させる。屋上全体が池にでもなった様に、大量の真水が足元に広がった。
「殺せ」
そうライドウが命令した瞬間、ミジャグジさま口腔に雷電の力を収束させ始めるが、時既に遅し。
ナノマシンが不調状態ではあるが、回復するまで待っていたらロベルタが危ないと考えたか、地を蹴って跳躍。一気に、百m程も向こうの建物の屋根に着地。ライドウ達から逃走した。
「追うか?」
ダンテがリベリオンを構えて訊ねて来る。
「やめておく。放っておいても、二分かそこらの命だ」
ライドウの口ぶりは、限りなく冷たく、そして、慈悲がなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「悪いな少年、殺せなかった」
リベリオンを背負い直してから、ダンテが先ず口にした事はそれだった。
本当に悪びれているのかは一見すれば解らないが、ライドウには何となく解る。これは本当に悪く思っていると。
「お前の意思を尊重し、あの女を半殺しに済ませろと言った俺の落ち度でもある。セイバーが気にする事でもない」
ライドウはダンテが、人殺し、即ち、マスターに対して攻撃を仕掛けると言う事柄に乗り気な性格ではない事は解っていた。
だからこそ、「反抗の意思がなくなる程度には痛めつけろ、殺した方が良いと思ったのならば殺しても構わない」と言う命令に留めておいたのだが、それが裏目に出たらしい。
で、あるのならばダンテが出向くよりもライドウが出向く方が良かったのではないかと思われるが、それはやめておいた。
聖杯戦争に於いて、マスターが誰であるのか露見するのと、サーヴァントが誰なのか露見するのとでは、圧倒的に前者の方が危険である。
マスターの方が遥かに弱いのだからこれは当然だ。サーヴァントが出向いても戦い方や宝具がバレる可能性もなくはないが、ダンテの戦闘の神髄は、
一度の戦闘で全て理解出来る程底の浅い物ではない。つまりライドウは、ダンテに全幅の信頼を置いていたからこそ、彼にロベルタの抹殺を命令したのである。
「この場から様子を眺めていたが、あの女、ただの女ではなかった。身のこなし、走り方。元々は軍属だろう」
「俺も気付いたのは腕を斬り飛ばす直前だったな。筋肉の質と量が全然違うから驚いたぜ」
ここからして、読み違えていた。
バーサーカーの力を借りてヤクザの事務所を襲撃し、武器を蓄えておくだけの、か弱い女かと思ったが、まさか本当は戦闘経験すらある女だったとは。
もしもこの事を知っていたら、対応も変わって来たのだが、今更言っても、詮無き事か。
銀鎧のセイバー、シャドームーンとの戦いを終えた後、ライドウは疾風族の仲魔であるモー・ショボーを駆使し、<新宿>を偵察させた。
偵察する事柄は、セリュー・ユビキタス、遠坂凛、先程のロベルタが何処にいるのかと言う事。
特に前二名を重点的に叩きたいライドウであったが、間の悪い事に二人は既に移動を始めた後。ロベルタも同様だった。
しかしモー・ショボーがロベルタがアジトにしていた直近の雑居ビルに、薬物と、ヤクザから押収した銃器を大量に隠し持っていたと言う報告を受け、方針を変更。
ロベルタの方から先ずは重点的に叩かねばなるまいと考えた。そうライドウに思わせた決定的な要因が、薬物だ。まさか物珍しいから隠してました、等と言う事はあるまい。
確実に常習している可能性が高い。セリューや遠坂の二人とロベルタ、どちらの方がサーヴァントを操るに適さぬ精神状態かと考えた時、ライドウはロベルタを考えたのだ。
そしてロベルタの捜索をモー・ショボーに頼み、再び<新宿>を捜索。これに時間が掛かった。その間ライドウらも、セリューと遠坂の行方を捜してはいたが、
その行方は杳として知れず。結局、ロベルタの行方を知るのに、これだけの時間を喰ってしまったのである。
「ご苦労だった、ミジャグジ、『イッポンダタラ』」
「ホホホ、お前さんの頼みならお安い御用じゃて」
と言って、ミジャグジさまと言う名前をした、白い陰茎の様な悪魔が言葉を返した。外見の割に、その口調と声音は好々爺めいていて、親しみ易さを感じる。
しかし、だからと言って本当に親しみを覚えてはいけない。この悪魔こそ、諏訪の地に伝わる由緒正しき地祇の一柱。
鬼神である建御名方と嘗ては一戦を交えた事もある荒ぶる御霊であり、アマテラスを主神とする大和神族の敵対者とも言えるまつろわぬ祟り神。
菊の御紋をシンボルとする『あの一族』を大本の主とするライドウに、地祇たるミジャグジさまが従う訳は、偏にライドウの実力と帝都、ひいては護国に対する心構えを認めているからである。ライドウの更に上の上司は信条上決して認めぬが、ライドウ自身は認める、と言う所が実に悪魔らしいものの考え方だった。
――だが、ライドウが言っていたもう一体の悪魔。『イッポンダタラ』、とは一体?
「ウオオオオォォォォ、不承不服だが女装してやったぜえええぇぇぇ!!!」
と、頭の悪い叫び声を上げながら、ロベルタの右眼を突き刺した女子高生が、その正体を現した。
黒色の前掛けを身に着けた、片目だけを空けた銅製の仮面を被る、一本足の悪魔だった。その名を、技芸族、或いは邪鬼、イッポンダタラ。
日本の和歌山県に伝わっているとされる、鍛冶を得意とする鬼の一族で、一説によれば天目一箇神の落魄した姿とも言われる悪魔だ。
技芸族と言う悪魔は変身能力に極めて長けるだけでなく、術者にも変身能力を与えさせる特別な悪魔である。
ライドウにとってこのイッポンダタラには戦闘よりも、潜入捜査に於いて切り札と設定しており、今日初めて此処<新宿>で彼を活用した。
適当な女子高生にイッポンダタラを化けさせ、ロベルタに攻撃を仕掛けた訳は、決して適当に決めた訳ではない。
ロベルタあのファストフード店にいた訳は、NPCが溜まっている場所であるからだろう。此処であるのならば、迂闊に攻撃は出来ないと思ったに相違あるまい。
実際その選択は正しく、この場にいられてはライドウも手出しが出来ない。だからこそ、イッポンダタラを使ってランダムな人物に変身させて、ロベルタに攻撃。
あの場から引きずり出した。当然彼女は、これをサーヴァントによる追跡だと思うだろう。となれば次にやる事は、人目のつかない所への逃走である。
大量のNPCを殺し過ぎれば目立ちすぎると言うリスクが付き纏う、故に戦闘するにしても、人の密集していない所まで彼女は逃げる筈である。
此処で、ライドウとロベルタの意見の一致があった。ライドウとしても、人目の付かない所にロベルタが逃げるのは賛成であった。その方が此方も始末しやすいからだ。
NPCが下手にロベルタを追跡しないよう、女子高生に変身させたイッポンダタラにはこう言う命令を予め出していた。
『ロベルタが逃げた方向とは逆方向に移動し、ロベルタが目立たなくなる程大立ち回りをしろ』、と。これによりNPCの注目はロベルタに集まらず、この悪魔に集まった。
後は、予め隠れていたライドウがイッポンダタラを回収、ロベルタを上回る速度で先回り――そうして、現在に至る。これが、全ての顛末だった。
「管に戻れ、ミジャグジ、イッポンダタラ」
「うむ」
「ウオオオオォォォォ、最初は嫌だった筈なのに何でかまた女子高生の姿になりたいのは何故なんだああああァァァァ????? 俺は……俺は、パッション属性のアイドルだった……?」
「消えろ」
言ってライドウはイッポンダタラを急いで戻し、ミジャグジを次に戻そうとした所で、ダンテがちょっと待てと止めに掛かる。
「証拠隠滅だ、これも消しとけ」
と言ってダンテは、己が斬り飛ばし、アイボリーの弾丸でちぎり飛ばしたロベルタの両腕を空中に放り投げた。いつの間にか回収していたらしい。
「ミジャグジ」、と口にすると、得心したと言うようにミジャグジさまは放電を迸らせ、分離され血塗れになった二つの腕を一瞬で炭化、消滅させる。何処までも二人は、仕事人の鑑のような男達なのであった。
【四ツ谷、信濃町方面(須賀町方面アパートマンション屋上)/1日目 午後1:40分】
【葛葉ライドウ@デビルサマナー葛葉ライドウシリーズ】
[状態]健康、魔力消費(中の小)、アズミとツチグモに肉体的ダメージ(大→中)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]黒いマント、学生服、学帽
[道具]赤口葛葉、コルト・ライトニング
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争の主催者の思惑を叩き潰す
1.帝都の平和を守る
2.危険なサーヴァントは葬り去り、話しの解る相手と同盟を組む
3.追って、討伐令を発布された主従(ザ・ヒーローの主従も含む)の居場所を探し、討伐する
[備考]
・遠坂凛が、聖杯戦争は愚か魔術の知識にも全く疎い上、バーサーカーを制御出来ないマスターであり、性格面はそれ程邪悪ではないのではと認識しています
・セリュー・ユビキタスは、裏社会でヤクザを殺して回っている下手人ではないかと疑っています
・上記の二組の主従は、優先的に処理したいと思っています
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ラクシャーサ)と交戦、<新宿>にそう言った存在がいると認識しました
・チューナーから聞いた、組を壊滅させ武器を奪った女(ロベルタ&高槻涼)が、セリュー・ユビキタスではないかと考えています
・ジェナ・エンジェルがキャスターのクラスである可能性は、相当に高いと考えています
・バーサーカー(黒贄礼太郎)の真名を把握しました
・セリュー・ユビキタスの主従の拠点の情報を塞から得ています
・セイバー(シャドームーン)の存在を認識しました。但し、マスターについては認識していません
・<新宿>の全ての中高生について、欠席者および体のどこかに痣があるのを確認された生徒の情報を十兵衛から得ています
・<新宿>二丁目の辺りで、サーヴァント達が交戦していた事を把握しました
・バーサーカーの主従(ロベルタ&高槻涼)が逃げ込んだ拠点の位置を把握しています
・佐藤十兵衛の主従、葛葉ライドウの主従と遭遇。共闘体制をとりました
・ルシファーの存在を認識。また、彼が配下に高位の悪魔を人間に扮させ活動させている事を理解しました
・ロベルタと、彼女が従えるバーサーカー(高槻涼)の存在を知りました
【セイバー(ダンテ)@デビルメイクライシリーズ】
[状態]魔力消費(中)
[装備]赤コート
[道具]リベリオン、エボニー&アイボリー
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の破壊
1.基本はライドウに合わせている
2.人を悪魔に変身させる参加者を斃す
[備考]
・人を悪魔に変身させるキャスター(ジェナ・エンジェル)に対して強い怒りを抱いています
・ひょっとしたら、聖杯戦争に自分の関係者がいるのでは、と薄々察しています
【四ツ谷、信濃町方面(メフィスト病院周辺)/1日目 午後1:40分】
【ジョナサン・ジョースター@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]健康、魔力消費(小)
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]不明
[道具]不明
[所持金]かなり少ない。
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を止める。
1.殺戮者(ロベルタ)を殺害する。
2.聖杯戦争を止めるため、願いを聖杯に託す者たちを説得する。
3.外道に対しては2.の限りではない。
[備考]
・佐藤十兵衛がマスターであると知りました
・拠点は四ツ谷・信濃町方面(新宿御苑周辺)です。
・ロベルタが聖杯戦争の参加者であり、当面の敵であると認識しました
・一之瀬志希とそのサーヴァントあるアーチャー(八意永琳)がサーヴァントであると認識しました
・ロベルタ戦でのダメージが全回復しました。一時間か二時間後程には退院する予定です
・塞&アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)の主従の存在を認識。塞と一応の同盟を組もうとは思っていますが、警戒は怠りません
・塞がライドウと十兵衛の主従と繋がりを持っている事を知りません
・北上&モデルマン(アレックス)と手を組んでいますが、モデルマンに起こった変化から、警戒をしています
【アーチャー(ジョニィ・ジョースター)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]魔力消費(小)、漆黒の意思(ロベルタ)
[装備]
[道具]ジョナサンが仕入れたカモミールを筆頭としたハーブ類
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を止める。
1.殺戮者(ロベルタ)を殺害する
2.マスターと自分の意思に従う
3.次にロベルタ或いは高槻涼と出会う時には、ACT4も辞さないかも知れません
[備考]
・佐藤十兵衛がマスターであると知りました。
・拠点は四ツ谷・信濃町方面(新宿御苑周辺)です。
・ロベルタがマスターであると知り、彼の真名は高槻涼、或いはジャバウォックだと認識しました
・一之瀬志希とそのサーヴァントあるアーチャー(八意永琳)がサーヴァントであると認識しました
・アレックスがランサー以外の何かに変質した事を理解しました
・メフィスト病院については懐疑的です
・塞の主従についても懐疑的です
【塞@エヌアイン完全世界】
[状態]健康、魔力消費(中)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]黒いスーツとサングラス
[道具]集めた情報の入ったノートPC、<新宿>の地図
[所持金]あらかじめ持ち込んでいた大金の残り(まだ賄賂をできる程度には残っている)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を獲り、イギリス情報局へ持ち帰る
1.無益な戦闘はせず、情報収集に徹する
2.集めた情報や噂を調査し、マスターをあぶり出す
3.『紺珠の薬』を利用して敵サーヴァントの情報を一方的に収集する
4.鈴仙とのコンタクトはできる限り念話で行う
5.正午までに、討伐令が出ている組の誰を狙うか決める
[備考]
・拠点は西新宿方面の京王プラザホテルの一室です。
・<新宿>に関するありとあらゆる分野の情報を手に入れています(地理歴史、下水道の所在、裏社会の事情に天気情報など)
・<新宿>のあらゆる噂を把握しています
・<新宿>のメディア関係に介入しようとして失敗した何者かについて、心当たりがあるようです
・警察と新宿区役所に協力者がおり、そこから市民の知り得ない事件の詳細や、マスターと思しき人物の個人情報を得ています
・その他、聞き込みなどの調査によってマスターと思しき人物にある程度目星をつけています。ジョナサンと佐藤以外の人物を把握しているかは後続の書き手にお任せします
・バーサーカー(黒贄礼太郎)を確認、真名を把握しました。また、彼が凄まじいまでの戦闘続行能力と、不死に近しい生命力の持ち主である事も知りました
・遠坂凛が魔術師である事を知りました
・、ザ・ヒーローとバーサーカー(ヴァルゼライド)の存在を認識しました
・セリュー・ユビキタスの主従の拠点の情報を警察内部から得ています
・<新宿>の全ての中高生について、欠席者および体のどこかに痣があるのを確認された生徒の情報を十兵衛から得ています
・<新宿>二丁目の辺りで、サーヴァント達が交戦していた事を把握しました
・佐藤十兵衛の主従と遭遇。セイバー(比那名居天子)の真名を把握しました。そして、そのスキルや強さも把握しました
・葛葉ライドウの主従と遭遇。佐藤十兵衛の主従と共に、共闘体制をとりました
・セイバー(ダンテ)と、バーサーカー(ヴァルゼライド)の真名を把握しました
・ルーラー(人修羅)の存在を認識しました。また、ルーラーはこちらから害を加えない限り、聖杯奪還に支障のない相手だと、朧げに認識しています
・、ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上&モデルマン(アレックス)の主従の存在を認識しました
・上記二組の主従と同盟を結ぼうとしていますが、ジョナサンの主従は早期に手を切り脱落して貰おうと考えています。また、彼らにはライドウと十兵衛とコネを持っている事は伝えていません
【アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)@東方project】
[状態]魔力消費(中)、若干の恐怖
[装備]黒のパンツスーツとサングラス
[道具]ルナティックガン及び自身の能力で生成する弾幕、『紺珠の薬』
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:サーヴァントとしての仕事を果たす
1.塞の指示に従って情報を集める
2.『紺珠の薬』はあまり使いたくないんだけど!!!!!!!!!!!!
3.黒贄礼太郎は恐ろしいサーヴァント
4.つらい。それはとても
[備考]
・念話の有効範囲は約2kmです(だいたい1エリアをまたぐ程度)
・未来視によりバーサーカー(黒贄礼太郎)を交戦、真名を把握しました。また、彼が凄まじいまでの戦闘続行能力と、不死に近しい生命力の持ち主である事も知りました
・遠坂凛が魔術師である事を知りました
・ ザ・ヒーローとバーサーカー(ヴァルゼライド)の存在を認識しました
・この聖杯戦争に同郷の出身がいる事に、動揺を隠せません
・セイバー(ダンテ)と、バーサーカー(ヴァルゼライド)の真名を把握しました
・ルーラー(人修羅)の存在を認識しました。また、ルーラーはこちらから害を加えない限り、聖杯奪還に支障のない相手だと、朧げに認識しています
・ダンテの宝具、魔剣・スパーダを一瞬だけ確認しました
・アーチャー(ジョニィ・ジョースター)に強い警戒心を抱いています
【北上@艦隊これくしょん(アニメ版)】
[状態]精神的ダメージ(大)
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]鎮守府時代の緑色の制服
[道具]艦装、61cm四連装(酸素)魚雷(どちらも現在アレックスの力で透明化させている)
[所持金]三千円程
[思考・状況]
基本行動方針:元の世界に帰還する
1.なるべくなら殺す事はしたくない
2.戦闘自体をしたくなくなった
[備考]
・14cm単装砲、右腕、令呪一画を失いました
・幻十の一件がトラウマになりました
・住んでいたマンションの拠点を失いました
・一之瀬志希&アーチャー(八意永琳)、ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、塞&アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)の存在を認識しました
・右腕に、本物の様に動く義腕をはめられました。また魔人(アレックス)の手により、艦装がNPCからは見えなくなりました
【“魔人”(アレックス)@VIPRPG】
[状態]人修羅化
[装備]軽い服装、鉢巻
[道具]ドラゴンソード
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:北上を帰還させる
1.幻十に対する憎悪
2.聖杯戦争を絶対に北上と勝ち残る
3.力を……!!
[備考]
・交戦したアサシン(浪蘭幻十)に対して復讐を誓っています。その為ならば如何なる手段にも手を染めるようです
・右腕を一時欠損しましたが、現在は動かせる程度には回復しています。
・幻十の武器の正体には、まだ気付いていません
・バーサーカー(高槻涼)と交戦、また彼のマスターであるロベルタの存在を認識しました
・一之瀬志希&アーチャー(八意永琳)、メフィストのマスターであるルイ・サイファーの存在を認知しました
・マガタマ、『シャヘル』の影響で人修羅の男になりました
魔人・アレックスのステータスは以下の通りです
(筋力:A 耐久:A 敏捷:A 魔力:A 幸運:A。魔術:B→A、魔力放出:Bと直感:B、勇猛:Bを獲得しました)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「貴様が愚かを見せるなど、珍しいの。明日は世界が、何の理由もなく唐突に滅ぶ事よりも珍しいものを見れたわ」
限りない嘲笑の言葉を隠しもせず、姫が口にした。他者を嘲るその姿ですら、匂う様な高貴さを漂わせるのは、彼女が本物の吸血鬼の故であった。
しかし、それにしても。嘲弄する相手が悪い。彼女が小馬鹿にする相手こそ、ドクターメフィスト。魔界都市の誰もが、敵に回す事を恐れた魔人であれば。
玲瓏たる美貌を姫に向けるメフィスト。
象徴たるケープはない。先程の熾烈な魔戦により、失われた。予備はあるが、ケープを破壊する攻撃手段を有するサーヴァントが、此度の聖杯戦争に招かれていた。
この事実だけで、聞く者が聞けば、戦慄を覚える事であろう。
「他に何か言いたい事がありそうだが」
メフィストがただ美しいだけの愚者だけでない事の表れだった。
魔界医師の炯眼は、姫が何を言いたいのか、と言う事を完璧に看破していた。面白くなさそうな様子で、姫が口を開く。
「傷を治せ」
散々メフィスト病院及び、その院長であるメフィストに迷惑をかけた物の言葉とは思えぬ程の内容だった。
スタッフを殺しておいて、戦いで負った傷を治せと言う余りにも居丈高なこの言葉。しかもよりにもよって、最高責任者であるメフィストにそれを吐いていると来ている。
盗人猛々しいを地で行く女だった。応報を司る神ですら、この態度には怒りを通り越して呆れてしまうだろう。
「自然治癒力も捨てた物ではないぞ」
姫も姫なら、メフィストもメフィストだ。要するに、自分の免疫力で治せと言っているような物である。凡そ医者の口にしてよいセリフではなかった。換言すれば治す気はないと言っているようなものだ。
「医者の言う言葉とは思えぬな」
「どの道、この病院にはお前の自然治癒力を上回る薬は開発出来ん。不老不死に薬を与えるなど、ナンセンスだと思わないかね」
姫は、己の左脇腹に目線を投げた。其処には、ジャバウォックの反物質砲で抉られた跡が痛々しく残っている。
血の一滴も流れない。喰らい付きたくなる程美味そうな、赤い肉が外部に露出していた。食人思考(カニバリズム)の気のない正常人ですら、姫の肉を喰らえると言うのならば、全財産どころか妻や子供、自分の魂ですら擲つであろう。それ程までに、魅力的だった。単なる肉の破片ですら、姫の美は、美しいと言う規矩を超越する。
「今治したい」
「治してもやっても良い。臓腑を焼かれても良いのならな」
メフィストの言葉を聞いた瞬間、鉄をも断たんばかりの殺意が、姫の身体から爆発した。
彼の一言で思い出したのである。秋せつらとの最後の逢瀬の時に、この男が自分に何をしたのかを。
「どうした、治されたくないのかね」
姫の性格を知っているからこその言葉であった。誰の目からも明らかな挑発の言葉は、およそメフィストらしくないものだ。
「見ぬ間に性格がねじくれたの」
「そうさせたのは君だ」
「食えぬ男よ、魔界医師。吸血鬼ですら、血を吸う事を躊躇う男」
姫がそう言った瞬間、拡張されていた空間が、元のロビーに戻った。
空間操作の応用を利用した空間拡張が終わった瞬間だった。人間の身長程もある長方形のロボットが、廊下の方面から現れたのは。
メフィスト病院の床に塵一つない訳がこれである。巡回型の清掃ロボットである。時にはロビー、時には廊下を巡回、主に床を掃除するのである。
小児科を掃除する際はテレビモニターに子供向けのアニメを映し出す『粋』な面もあるが、其処はメフィスト病院のテクノロジー。
不届き者を発見した際には、内蔵されたビデオミサイルや、毎分一万発の弾丸を放つバルカン砲がこれを迎え撃つと言う殺人兵器の側面も有している。
尤も、これを使って姫を殺せる事は不可能であるし、メフィスト自身もその気はない。今は、メフィスト病院ロビーに付着した血糊を掃除させる為にこれらを招聘させたのである。
「入口を開けよ」
姫が口にする。地球が誕生した頃から存在するのではないかと言う巨大な氷山さながらの、威圧的で重圧な言葉だった。
「今は昼だ」
最強の種族の一角である吸血鬼は、その強さを制限させるかのように弱点も多い。
大蒜、十字架、流れ水。銀、白木、桃の種。だが最も有名な物は、陽光であろう。吸血鬼にもタイプと言う物があり、西洋系と中国系の二つに分かれる。
これらはそれぞれ弱点が違うが、どちらとも陽光が最大の弱点であると言う点は変わらない。しかし、姫程の吸血鬼となると、太陽の光の聖性すら跳ね除ける。
陽光の効かない吸血鬼。それは、あらゆる退魔士、あらゆるヴァンパイア・ハンターにとっては悪夢に等しい存在だろう。
――しかし、今の姫はサーヴァントの身。
その状態で果たして、本体の様に、自由に陽光の下にで、振る舞えるのか。姫よ。
「笑止なり、メフィスト」
残虐な笑みを浮かべ、姫が言った。
「昼に外を出歩けぬ身なれば、私は永久にせつらの下に辿り着けぬ。この身が太陽にすら負けると言うのであれば、そう。私が此処に来て誓った大願は、初めから叶わぬものだったと言う事。陽の光など何するものぞ。重ねて言う。入口を開けよ、メフィスト。今なら私が滅ぶ様子を見れるかも知れぬぞ?」
姫は、吸血鬼にとっての屈辱である死を覚悟で、陽光を浴びると言っていた。
ならば、これ以上の言葉は無用だと言わんばかりに、メフィストは、入り口を遮断させていたシャッターを開けさせた。
先程の戦いで証明が破壊され、窓も封鎖され。壁に埋め込まれた非常照明の薄暗い明かりだけが支配するロビーに、燦々とした夏の暑い光が流れ出た。
――姫よ、お前は果たして?
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
メフィストの戦闘の様子を見に行きたかったのは、永琳も不律の主従も同じであった。
病院内を見回り終えた後、いざロビーの方に行こうとしたら、そうは問屋が降ろさないと言わんばかりに、メフィスト病院の副院長から三名に命令が下された。
メフィスト病院の駐車場に赴き、やってきた患者を『外で治療しろ』、と言う物。余りにもあり得ない命令内容に舌を巻いた。
病院がテロに近い緊急事態で封鎖されていると言うのはまだ解るとして、そんな事態なのに患者を受け入れ治療すると言うその方針が驚きの一つ。
そしてよりにもよって、外で治療を行うと言うその命令。此処が本当に、この世全ての病院とは全く違う所であると、改めて四人は気付かされたのであった。
結局命令に逆らった方が後で不利益を被ると考えた四名は、副院長の命令に唯々諾々と従った。現在永琳と志希、不律は炎天下の病院の外に赴き、患者の治療に当たっている。
自分達と同じ様な命令を下された医者は他にも大勢いたらしく、ベテランや若手を問わぬ多くのスタッフが患者の治療に骨を砕いている。
元々骨折やケロイド程度ならば待合室の時点で治す事も珍しくない病院である。彼らからしたら、それが外に変わっただけの様な物との事。
……だからと言って、ビニール製の無菌テントを展開し、外で手術をしている医者までいる、と言うのは如何かと思うが。
志希はそれを見て、「ブラックジャックの世界だぁ……」と口にしていたが、本当に漫画の世界の手術過ぎる。同じ病院スタッフは見慣れているらしいが、当然外からやってくる患者にとってはこの光景は未知その物。余りにも現実離れした治療風景に、皆空いた口が塞がらない様子だった。
本職が薬師である永琳ではあるが、医術の方も堪能である。
病院側が用意した医療機器一式を使い、巧みに患者の骨折や火傷、労災で負傷した傷を治して行く。不律もまた、機器を使い、患者の治療に専念する。
志希の方は、病院の中ではかなり若手であると言う、利根川アンジュと言う名前をした金髪の看護婦と一緒に永琳や不律のサポートに徹していた。
何処で覚えたのか、基本的な手術器具や機器の名前は頭に入っているらしく、アンジュが言った機器を正確に手渡すその様子は中々どうして、堂に入っていた。
どのようにして、メフィストの手の内を知ろうかと永琳は考えていた。
思い描いていたのは、襲撃者の情報を知りたいからその時の戦闘の模様を教えてくれ、と言って、メフィストに情報の開示を迫ると言う物だった。
話の流れとしてはこれで矛盾はないであろう。後はあの美しい魔人が首を縦に振ってくれるか、である。
襲撃者がメフィストの手によって葬られていれば、それを理由にメフィストも断るだろう。そうとなれば、話は途端に難しくなる。そうなったら……此方も手練手管を尽くすまでだ。
――病院の入口や、窓に降りていたシャッターが、今正に開けられた。
永琳も不律も気付いたろう。それは、メフィストが襲撃者を葬り終えた何よりの証左であると。
医療スタッフ達も当然気付いたらしい。後は、大本営からのアナウンスを待つだけである。であるのだが――。
世界が急激に色あせて行くような感覚を、一同は憶えた。
空気の分子に、果実とも、麝香とも取れる、気品漂う香気が結びついているような気がした。
自ら、風景の一部と化してしまい、存在感が根こそぎなくなってしまうと、一同は錯覚した。
シャッターが開け放たれたメフィスト病院の入口から、それは現れた。永琳も、志希も。不律もファウストも。病院のスタッフもNPCも。
――地上に、太陽が降りて来たようだと、皆思った。或いは、昏黒の夜空に於いて、星海に於いて雌黄色に輝く満月か。
星は空にあるからこそ美しいのである。手を伸ばしても届かない距離にあるからこそ尊いのである。星は、地上に降りて来てはならない。地上に住まう全ての物の存在感を奪ってしまうからである。
その禁忌を、『姫』と言う名の星は冒していた。
太陽の光を、彼女は体中に受けていた。太陽が、己の生み出す全ての光を彼女に照射しているように見える。
この場にいる全員が同じ光を受けている筈なのに、自分達に配分される光だけが、弱く薄暗く見えるのは錯覚であろうか。
或いは、誰に恥じるでもなく、白日の下に裸身を晒している淫蕩で邪悪な美女を焼き殺す為であろうか。しかし、太陽の光を受ければ受ける程、姫は美しく輝くだけである。
天上に在って神の王と称される神格であろうとも、彼女の裸身を見れば魂を奪われ、彼女に耳を舐められれば忽ち彼女の言いなりになるであろう。
己が身に恥じるものなど何もないと言う様子で、姫は片腕を掲げた。太陽の光が万遍なく、しかし流れる虹の如くに全身を巡るその様子は、邪悪の象徴である彼女が、
正義や神格を相手に遂に勝ち取ったことのメタファーであるようにも思えた。次元違いの美貌に、NPC達は欲情する気にもなれない。
決して、姫の左脇腹に、抉るように刻まれた醜い傷跡があるから委縮しているのではない。それがあってもなお、美しいとしか表象しようがないからだった。
両腕の存在しないミロのヴィーナスの彫像、首より上がないサモトラケのニケの石像。欠損しているからこそ美しい芸術の代表格である。姫はまさにこの領域の美に存在し、しかし、その二つの芸術とは次元の違う所に存在する、恐るべき存在なのである。
瞬間、姫の前面に、一艘の中国船が現れた。古代の中国で用いられた櫂船である。
黒い塗料を塗りたくった船体を持ったその船は、一目で貴人が乗る為のそれであると余人に知らせしめるパワーを内包していた。
船底に触れたものを真水、或いは川の流れと定義するそれを見て、姫は跳躍、船上に降り立ち、船の内部へと入って行く。
それを合図に、船が移動を始めた。風も何もないのに帆船が動くのは、果たして如何なる魔法であるのだろうか。
時の重みと威風を見る物に如実に伝えるその船は、数mと進んだところで、空気と同化するように消えて行き、遂には姫の気配も消えてなくなった。色あせていた世界が、元に戻り出す。心なしか、世界の方も、恐るべき魔人が消えてホッとしたように思えるのは、気のせいではないのだろう。
時間にして一分に満たぬ短い時間。
その恐るべき一分間を、不律もファウストも、そして永琳も。何百回も噛まねば味すら染みだして来ない保存食を味わうように、噛みしめていた。
「……厄介なのに目を付けられたわね、私も」
あれが敵に回る事の意味を計算しながら、月の賢者八意永琳は、原初の吸血鬼の一柱たる姫を、如何滅ぼすか。
その算段を、急いで、しかして冷静に。頭の中で弾き出すのであった。
【四ツ谷、信濃町方面(メフィスト病院)/1日目 午後1:45】
【一之瀬志希@アイドルマスター・シンデレラガールズ】
[状態]健康、廃都物語(影響度:小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]
[道具]服用すれば魔力の回復する薬(複数)
[所持金]アイドルとしての活動で得た資金と、元々の資産でそれなり
[思考・状況]
基本行動方針:<新宿>からの脱出。
1.午後二時ごろに、市ヶ谷でフレデリカの野外ライブを聴く?(メフィスト病院で働く永琳の都合が付けば)
[備考]
・午後二時ごろに市ヶ谷方面でフレデリカの野外ライブが行われることを知りました
・ある程度の時間をメフィスト病院で保護される事になりました
・ジョナサン・ジョースターとアーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上とモデルマン(アレックス)の事を認識しました。但し後者に関しては、クラスの推察が出来てません
・不律と、そのサーヴァントであるランサー(ファウスト)の事を認識しました
・メフィストが投影した綾瀬夕映の過去の映像経由で、キャスター(タイタス1世(影))の宝具・廃都物語の影響を受けました
・メフィスト病院での立場は鈴琳(永琳)の助手です
・ライダー(姫)の存在を認識しました
・メフィスト病院が何者かの襲撃を受けている事を知りました。が、誰なのかはまだ解っていません
【八意永琳@東方Project】
[状態]十全
[装備]弓矢
[道具]怪我や病に効く薬を幾つか作り置いている
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:一之瀬志希をサポートし、目的を達成させる。
1.周囲の警戒を行う。
2.移動しながらでも、いつでも霊薬を作成できるように準備(材料の採取など)を行っておく。
3.メフィスト病院で有利な薬の作成を行って置く
[備考]
・キャスター(タイタス一世)の呪いで眠っている横山千佳(@アイドルマスター・シンデレラガールズ)に接触し、眠り病の呪いをかけるキャスターが存在することを突き止め、そのキャスターが何を行おうとしているのか凡そ理解しました。が、呪いの条件は未だ明白に理解していません。
・ジョナサン・ジョースターとアーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上とモデルマン(アレックス)の事を認識しました。但し後者に関しては、クラスの推察が出来てません
・不律と、そのサーヴァントであるランサー(ファウスト)の事を認識しました
・メフィストに対しては、強い敵対心を抱いています
・メフィスト病院の臨時専属医となりました。時間経過で、何らかの薬が増えるかも知れません
・ライダー(姫)の存在を認識しました。また彼女に目を付けられました
・メフィスト病院が何者かの襲撃を受けている事を知りました。が、誰なのかはまだ解っていません
・事が丸く収まり次第、メフィストから襲撃者(高槻涼)との戦闘の模様と、霊薬を作成する為の薬を工面して貰うよう交渉する予定です
【不律@エヌアイン完全世界】
[状態]健康、廃都物語(影響度:小)
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]白衣、電光被服(白衣の下に着用している)
[道具]日本刀
[所持金] 1人暮らしができる程度(給料はメフィスト病院から出されている)
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れ、過去の研究を抹殺する
1.無力な者や自分の障害に成り得ないマスターに対してはサーヴァント殺害に留めておく
2.メフィスト病院では医者として振る舞い、主従が目の前にいても普通に応対する
3.メフィストとはいつか一戦を交えなければならないが…
4.ランサー(ファウスト)の申し出は余程のことでない限り認めてやる
[備考]
・予め刻み込まれた記憶により、メフィスト病院の設備等は他の医療スタッフ以上に扱うことができます
・一之瀬志希とそのサーヴァントであるアーチャー(八意永琳)の存在を認識しました
・眠り病の呪いをかけるキャスター(タイタス1世(影))の存在を認識、そして何を行おうとしているのか凡そ理解しました。が、呪いの条件は未だに解りません。
・メフィストが投影した綾瀬夕映の過去の映像経由で、キャスター(タイタス1世(影))の宝具・廃都物語の影響を受けました
・ライダー(姫)の存在を認識しました。また彼女に目を付けられました
・メフィスト病院が何者かの襲撃を受けている事を知りました。が、誰なのかはまだ解っていません
【ランサー(ファウスト)@GUILTY GEARシリーズ】
[状態]健康
[装備]丸刈太
[道具]スキル・何が出るかな?次第
[所持金]マスターの不律に依存
[思考・状況]
基本行動方針:多くの命を救う
1.無益な殺生は余りしたくない
2.可能ならば、不律には人を殺して欲しくない
[備考]
・キャスター(メフィスト)と会話を交わし、自分とは違う人種である事を強く認識しました
・過去を見透かされ、やや動揺しています
・一之瀬志希とそのサーヴァントであるアーチャー(八意永琳)の存在を認識しました
・眠り病の呪いをかけるキャスター(タイタス1世(影))の存在を認識、そして何を行おうとしているのか凡そ理解しました。が、呪いの条件は未だに解りません
・ライダー(姫)の存在を認識しました。また彼女に目を付けられました
・メフィスト病院が何者かの襲撃を受けている事を知りました。が、誰なのかはまだ解っていません
【佐藤十兵衛@喧嘩商売、喧嘩稼業】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]部下に用意させた小道具
[道具]要石(小)、佐藤クルセイダーズ(9/10) 悪魔化した佐藤クルセイダーズ(1/1)
[所持金] 極めて多い
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争から生還する。勝利した場合はGoogle買収。
1.他の参加者と接触し、所属する団体や世界の事情を聞いて見聞を深める。
2.聖杯戦争の黒幕と接触し、真意を知りたい。
3.勝ち残る為には手段は選ばない。
4.正午までに、討伐令が出ている組の誰を狙うか決める。
[備考]
・ジョナサン・ジョースターがマスターであると知りました
・拠点は市ヶ谷・河田町方面です
・金田@喧嘩商売の悲鳴をDL販売し、ちょっとした小金持ちになりました
・セイバー(天子)の要石の一握を、新宿駅地下に埋め込みました
・佐藤クルセイダーズの構成人員は基本的に十兵衛が通う高校の学生。
・構成人員の一人、ダーマス(増田)が悪魔化(個体種不明)していますが懐柔し、支配下にあります。現在はメフィスト病院で治療に当たらせ、情報が出そろうまで待機しています
・セイバー(天子)経由で、アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、バーサーカー(高槻涼)、謎のサーヴァント(アレックス)の戦い方をある程度は知りました
・アーチャー(鈴仙・優曇華院・イナバ)の存在と、真名を認識しました
・ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(増田)と交戦、<新宿>にそう言った存在がいると認識しました
・バーサーカー(黒贄礼太郎)の真名を把握しました
・遠坂凛、セリュー・ユビキタスの主従の拠点の情報を塞から得ています
・<新宿>の全ての中高生について、欠席者および体のどこかに痣があるのを確認された生徒の情報を十兵衛から得ています
・<新宿>二丁目の辺りで、サーヴァント達が交戦していた事を把握しました
・塞の主従、葛葉ライドウの主従と遭遇。共闘体制をとりました
・屋上から葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)と、ロベルタ&バーサーカー(高槻涼)が戦っていたのを確認しました
・メフィスト病院が何者かの襲撃を受けている事を知りました。が、誰なのかはまだ解っていません
【比那名居天子@東方Project】
[状態]健康
[装備]なし
[道具]携帯電話
[所持金]相当少ない
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争を異変として楽しみ、解決する。
1.自分の意思に従う。
[備考]
・拠点は市ヶ谷・河田町方面です
・メフィスト病院が何者かの襲撃を受けている事を知りました。が、誰なのかはまだ解っていません
【ライダー(美姫)@魔界都市ブルース 夜叉姫伝】
[状態]左脇腹の損傷(大。時間経過で回復)、実体化、せつらのマスターに対する激しい怒り、
[装備]全裸
[道具]
[所持金]不要
[思考・状況]
基本行動方針:せつらのマスター(アイギス)を殺す
1.アイギスを殺す、ふがいない様ならせつらも殺す
2.ついでに見かけ次第ジャバウォックを葬る
[備考]
・宝具である船に乗り、<新宿>の何処かに消えました
・一之瀬志希&アーチャー(八意永琳)、不律&ランサー(ファウスト)の存在を認識しました
アメリカの辺鄙な片田舎、或いは、人に捨てられ、時の流れるに任せるがまま百年も経過したようなヨーロッパの寒村。
それが、敵対者の心象風景を見た男が、その場所に抱いた印象であった。
雲一つない夜の空。なのに、星の明かりが一つも空に瞬いていない。月だけが、丸く輝き、王者の威風を星と言う臣下のいない空に示していた。
それが堪らなく、哀れで、虚しく、寂しかった。惻隠の念すら感じられぬ程の、その世界の夜空は、なまじ月だけが目立つせいか、酷く虚無的で、寂寞としたものであった。
教会を思わせる建造物の前に、ゴミやがらくた、流木を鎖で巻き付け固定させ、十字架の形にした様なものがあった。
聖なるシンボルとされる十字架を、このような適当で冒涜的な形に仕上げるとは、神からの罰は免れまい。
――況して其処に、一人の青年を磔刑にさせているのであれば、なおの事。
その世界は初めから彼と、十字架の前で佇んでいた金髪の少女の二人だけしかいなかったらしい。
典型的な白人の子供とも言うべき姿をした金髪の童女が、ブギーマンでも目の当たりにした様な叫び声を上げた。
第三の闖入者が醜い出っ歯が特徴的なジャバウォックであった訳でもなければ、猛り狂うバンダースナッチだった訳でもない。
恐るべき形相をした金髪の少女ですら、あどけない少女の顔に戻し、世故に限りなく疎そうなこの少女にですら、恐ろしいと思わせる程。その闖入者が、『美しかった』からである。
鎖で磔にされた青年が、弱弱しく、美しい魔人の方に顔を向けた。
酷く憔悴しきった顔立ちだ。永い間磔にされていたであろう事を魔人は認識したが、決してそれが衰弱した理由の全てではないのだと、心で理解してしまった。
「……俺を」
遠くで鳴く虫の様な声で言った。
「俺を、助けて、欲しい……」
言葉を受けて、白い魔人が口を開く。
「……そうか」
そう男が告げた。これまでの彼に対する、無慈悲を通り越して冷酷無比な態度とは一転した、患者に対する慈愛の声音だった。
「救いを求めるか、バーサーカー」
其処で、心象風景とのコネクトが切れる。
現実の世界へと引き戻された魔人の目に映るのは、暴れ狂うジャバウォックの姿であった。。
魔獣の胸の内に手を入れた事で、メフィストの脳裏に映された、ジャバウォック/高槻涼と言う少年の心象風景が、これである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「君と出会って一ヶ月と経過してない、浅い付き合いの身で言うのも何だが、らしくないと私は思うな」
エクトプラズムの椅子に座りながら語るルイ・サイファーは、書物を手にしていなかった。
書物より面白い事柄があったからか。黒檀の机に向って書を嗜むメフィストの美を目の当たりにして、平然とした態度を崩さないマスターは、この男ぐらいのものだろう。
「そう、思った訳は?」
「君は無慈悲だ。そして、我儘だ」
魔界医師に真正面からこのような事を口にすれば、次に何かを喋ろうとした瞬間には心臓を止められていてもおかしくはないだろう。
しかしメフィストは、自らのマスターたる、この金髪の賢者が口にするだろう次の言葉を、ただ待つだけであった。
「魔界都市最高の名医だったからこそ、魔界医師。違うだろうな。君はどの世界に足を運んでも、何処までも魔界医師だっただろう。己の患者には聖母の如き慈愛を持って接するが、それ以外の存在には無慈悲を通り越して冷酷非道。キャスター、君にとって一番許せないのは、己のプライド……沽券だね。それを傷付けたもの。己のプライドに泥を塗り、己の敵に回った存在は、全て例外なく抹殺して来た。故にこそ、魔界医師。そうだろう?」
「そうだな、君と同じだよ。無意味にプライドが高すぎて、損をする事も珍しくなかった」
「敵わないなぁ」
諸手を上げるルイの、何処まで本気か解らぬ微笑みと口ぶりよ。
「そんな君だからこそ、私は理解が出来ない。メフィスト病院を襲撃し、剰えスタッフを殺害し、愛してやまぬ患者と、その関係者に重傷を負わせた。腸が煮えくりかねない相手の筈だ。バーサーカー、高槻涼。彼を何故、みすみす逃してしまったのかな?」
ルイの言った事は蓋し正しかった。メフィストの敵にまわり、嘗て無事であった者など、未だかつて存在しない。
ある者は己が手で葬り去り、ある者は<新宿>一のマン・サーチャーと共闘体制を取って。メフィストは己の敵を全て抹殺して来た。唯一の例外など、『姫』位のものだった。
敵対者に対して、メフィストは無慈悲であると言うこの言葉も正しい。神や仏ですら、どんな悪事を犯した人間にも、地獄と言う責苦は与えるが最後には救われる機会を与える。
魔界医師はそれすら与えない。己の敵に回った者は、宇宙が時間を使い果たしてなお、責苦を味わって貰わねば気が済まないのだ。ある意味で究極のサディストだ。
それ程までの男が、何故。高槻涼を逃すと言う、生前からはあり得ない程の大失態を冒してしまったのか。姫があの時、『明日世界が唐突に何の理由もなく滅ぶ方が珍しくもない程の失態』と口にしたのは、誇張でも何でもないのである。
「人の失態の理由を知りたいかね、ルイ・サイファー。天より堕ちたる熾天使の王よ」
読んでいた書物から、ルイに向けられる目線の、何と恐るべきものか。
殺気など一かけらも込めていないのに、殺す、と言う意思が内包されたその目線。魔界都市の住民や妖物が、絶対に向けられたくないと思った目線を今、ルイは真っ向から受けとめていた。
「人の心が解らないのは医者としてどうかと思うよ」
真正面から、ルイはメフィストに喧嘩を売った。
「知りたくないと思う者が、いる事の方が寧ろ罪だ。君は自分のネームバリューを良く解っているだろう。完璧と言う言葉が何よりも相応しい男のミス。知りたくない者がいない訳がない。だから、教えて欲しいな。魔界医師、その勲、その言寿ぎに何らの譎詐もない、死の具現よ」
「言いたくないのなら」、言ってルイは、スーツの左袖を捲って見せた。
左手首から左肘に掛けて、赤く光り輝くトライバル・タトゥーが刻まれていた。一本の果樹に、狡猾そうな蛇が巻き付いているそのモティーフ。正に、ルイの正体を現すにこの上なく相応しいデザインだった。
「令呪を使った方が、言いやすいかな?」
恐るべき時間が、ゆっくりと流れた。
いや、時間すらも、恐れをなして停止してしまいかねない程の、凍て付いた瞬間だ。
類稀と言う言葉すら最早陳腐過ぎる程美しい貌をしていながら、一切の感情を宿さぬ表情でルイを睨むメフィスト。
『死』と言う概念が人の形を取って現れた様な美魔人の顔を見ても、不敵そうな微笑みを浮かべるルイ。
二名の目線の交錯の時間は、たった数秒と言う短い時間の間でも、永劫の時間を凝集して見せたかのように、終わる事がないのではと人に思わせるに足るものであった。
「……診療していた」
「診療?」
語り始めたのはメフィストだった。折れたのも、メフィストだった。
「あの時、高槻涼と言う名前のバーサーカーに制裁を与えんと腕を突きいれた時、狂化していないあの男の真実の声が聞こえて来た」
「何て、言っていたのかな」
「救って欲しい、と」
足を組むと言う座り方に姿勢を変える、ルイ・サイファー。
「あのバーサーカーは、この病院を襲う事が本意ではなかったのだろう。あの鋼の獣と言う鎧の下に隠された、高槻涼と言うバーサーカー。その更に下に隠された真実の姿を見て、少なくとも私はそう感じた」
「だから、見逃してしまったと」
「病気の内容を聞こうとして、其処で逃がしてしまった。君の言う通りだ。凡そ私らしくないミスだ」
嘲るよりも先に、言葉を失う様な事柄を平然とメフィストは話した。
バーサーカー、高槻涼を逃がした訳は、恐るべき攻撃を放たれ距離を離したと言う訳でもなければ、誰かを人質に取られていたと言う訳でもない。
ただ、敵対者の問診をしていたから、逃がしてしまった。その余りの理由聞いても、ルイは、嘲笑すら浮かべていなかった。
「君にとって高槻涼は如何映った?」
「狂化が間違いなく負担になっている。或いは、理性を欠落したそのままに、暴威を振う自分を、許せなかった。そう、私は見た」
「ならば、其処で殺せば良かったのではないのかね?」
「言葉を続けたまえ」
「高槻涼と言うバーサーカーは、バーサーカーと言うクラスで呼ばれたそれ自体が既に苦しい。そして彼は、メフィスト病院に攻撃を仕掛け、剰え関係者の何人かを死なせた。其処で、死なせた方が治療になった様に私は思うが」
パタンッ、と言う音がした。メフィストが、読んでいた書物を閉じる音だった。ルイを見るその瞳は、限りなく冷たい。
百回物事を教えても、一分程もその内容が頭に入っていない、出来の悪い生徒を見るような老碩学の目線とは、きっと今のメフィストのそれに似ているのだろう。
「先程の言葉をそのまま返そう」
「どうぞ」
「王は人の心が解らない」
ほう、と言ったルイの口の端の、面白いものを見るような歪みかたよ。
「殺してでも貴方を救う。死なせた方が遥かに患者の為になる。そう言う医者は、私も知っている。無能だよ、医者を名乗る資格すら与えない。我が病院のスタッフがこれを口にしようものなら、私の方から死を与える」
「何故、そう言うのかね?」
「医者とは、救う者。患者に希望を与える者。死の国の使者から生者を遠ざける者。自らの患者を、冥府の国に近付ける者は、最早医者ではない」
「だが、君は高槻涼を殺すのだろう」
「殺す。それだけは事実だ」
メフィストの言葉は鉄だった。余りにも矛盾した内容でありながら、その言葉に絶対不変の論拠があるのは、メフィストの語気の強さ故。
無論メフィストは、此処で話を終わらせない。「――だが」、魔人は即座にそう続けた。
「死を与える救いだけは、私は断じて認めない。死を与える事を救いと宣う愚か者は、世に死神のみ。そして私は、死神が嫌いだよ。愛する者を常に私から奪って行く商売敵だ」
握り拳を作ってから、メフィストは口を開く。
「順序が違うのだよ、ルイ・サイファー。『殺して救う』のではない。『救ってから殺す』のだ。高槻涼は殺す。死の国に直ちに送らなければならない。だがその前に、治療しなければならない。彼の心の中に救う病魔を。彼を狂気に駆り立てる術を、私は解かねばならない」
「何故、其処までする義理がある?」
「私に救いを求めたからだ」
席から立ち上がるメフィスト。直立する、ダイヤモンドで出来た一本の若木のようであった。
「病める者が私は好きだ。私を愛してくれるから。狂気に駆られ、私の殺意を受けて尚、高槻涼は私に救いを求めた。ならば、私はそれに報いる。報いた後に、殺す」
「本末転倒ではないのかね、それでは」
「彼は、狂化した自身の姿を恥じていた。狂化した状態のまま、消滅させる事。それは醜い姿のまま冥府に送る事と同義だ。それは、彼の本意ではないし、救った事にはならない」
この世の誰もが理解出来ぬであろう、魔界医師・メフィストの論理。
平常な姿をした、この世で一番の狂人の言動を耳にし、一流のサイコメトラーが恐怖から発狂しかねない、異常な密度の狂気に直撃して――。
ルイ・サイファーがなお浮かべているのは、微笑みだった。原初の暗黒、世界に最初に生まれた悪と言うのは、きっと、彼の事だと思わせるには、十分過ぎる程の笑み。
「救うかね?」
「救う。魔界医師の名に懸けて」
「殺すかね?」
「殺す。魔界医師の名に懸けて」
「なら、君の意思を尊重しよう。先程の非礼を詫びよう、キャスター。だがこれで……私は君の理解者に一歩近づけたかね?」
「程遠い。貴方が悪魔である限り」
無感動にそう告げて、足早にメフィストは出口へと歩みより、院長室から退室した。はためくケープが、シリウスの光のように淡く輝いていた。
自動ドアを開かせ、院長室から出た先は、廊下ではなく、薄暗いメフィスト病院の地下であった。空気清浄器の駆動する、ブーン……と言う音だけが響く、
肌寒い空気。この空間の存在を知る者が、果たしてメフィスト病院に何人いる事か。地下には誰もいなかった。当然である。
此処が、メフィストが殺したい/治したいと思った人物が現れた時のみに訪れる、秘密の工房の手前であるからこそ。メフィストは物を作る際には、誰の手も借りない。己の手だけで、必殺或いは必癒のアイテムを、作り上げるのである。
「……ロザリタ・チスネロスか」
それは、ジャバウォックの胸に手を入れた際に副次的に知った、あのバーサーカーのマスターの名。
此度の襲撃の計画犯。そして、魔界医師の手によりて死を与えねばならぬ、不倶戴天の仇敵。
地の果てまでも追い詰め、高槻涼のマスターは殺されねばならない。キャスターの戦いのセオリーである籠城戦、それを捨ててでも。傍目からみれば愚かだ、釣り合いが取れてないと後ろ指を指されようとも、制裁を加えねばならない。
「逃がさん」
人を救う事に生き甲斐を感じる医者の顔と声で、メフィストはそう言った。
人に死を与えねば気が済まぬ魔人の顔と声で、メフィストはそう言った。
【四谷、信濃町(メフィスト病院)/1日目 午後1:50分】
【ルイ・サイファー@真・女神転生シリーズ】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[契約者の鍵]有
[装備]ブラックスーツ
[道具]無
[所持金]小金持ちではある
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯はいらない
1.聖杯戦争を楽しむ
2.????????
[備考]
・院長室から出る事はありません
・曰く、力の大部分を封印している状態らしいです
・セイバー(シャドームーン)とそのマスターであるウェザーの事を認識しました
・メフィストにマガタマ(真・女神転生Ⅲ)とドリー・カドモン(真・女神転生デビルサマナー)の制作を依頼しました(現在この二つの物品は消費済み)
・マガタマ、『シャヘル』は、アレックスに呑ませました
・失った小指は、メフィストの手によって、一目でそれと解らない義指を当て嵌めています
・ドリーカドモンとアカシア記録装置の情報を触媒に、四体のサーヴァントを<新宿>に解き放ちました
・デモディスクを集めて、ある人物に送る様です
・??????????????
【キャスター(メフィスト)@魔界都市ブルースシリーズ】
[状態]健康、実体化、殺意(極大)
[装備]白いケープ
[道具]種々様々
[所持金]宝石や黄金を生み出せるので∞に等しい
[思考・状況]
基本行動方針:患者の治療
1.求めて来た患者を治す
2.邪魔者には死を
3.高槻涼を治療し、その後に殺す
4.ロベルタを確実に殺す
5.姫を確実に殺す
[備考]
・この世界でも、患者は治すと言う決意を表明しました。それについては、一切嘘偽りはありません
・ランサー(ファウスト)と、そのマスターの不律については認識しているようです
・ドリー・カドモンの作成を終え、現在ルイ・サイファーの存在情報を基にしたマガタマを制作しました
・そのついでに、ルイ・サイファーの小指も作りました。
・人を昏睡させ、夢を以て何かを成そうとするキャスター(タイタス1世(影))が存在する事を認識しました
・アーチャー(八意永琳)とそのマスターを臨時の専属医として雇いました
・ジョナサン・ジョースター&アーチャー(ジョニィ・ジョースター)、北上&モデルマン(アレックス)の存在を認識しました
・番場真昼/真夜&バーサーカー(シャドウラビリス)の存在を認識しました
・浪蘭幻十の存在を確認しました
・浪蘭幻十のクラスについて確信に近い推察をしました
・ライダー(大杉栄光)の存在を認知しました。
・ライダー(大杉栄光)の記憶の問題を認知、治療しようとしました。後から再び治療するようになるかは、後続の書き手様にお任せします。
・マスターであるルイ・サイファーが解き放った四体のサーヴァントについて認識しました
・メフィスト病院が襲撃に会いました。が、何が起こったのかは、戦闘の余波はロビーだけで、院内の他の患者には何が起こったのか全く伝わっていません
・ロベルタ&バーサーカー(高槻涼)の存在を認識、彼らの抹殺を誓いました
・蒼のライダー(姫)の抹殺を誓いました
中編の投下を終了します。ちなみに初期案では、前編とこの中編を一纏めにしたものを一時に投下する予定でした
投下お疲れ様です。片腕無し、魔力無し、友軍無し、忠誠無しの無し尽くしの状況の上に
最強級サーヴァントのメフィストや最強級マスターのライドウや対主催筆頭格のジョナサンと敵対関係って
自業自得とはいえロベルタ哀れ……
ロベルタのダイナミック自殺だったな。なあジャバさんの戦力ならあの判断するのも解る
しかしライドウの仲魔をうどんげや天子が見たらどう思うのか
投稿乙です
悪因悪果 因果応報 予定調和だったとはいえ無残無残
悪魔化ウイルスでまだワンチャンあるとはいえメフィストに
ロックオンされてる以上はねー。
投下します。今回は短めです
ある男の話をしよう。
生きる為の技を奪ってまで学び、人々を導こうとした男の話である。
世界に嘗て、鉄と石の家がなかった時代。
青い海と巍々たる山々、海と山との間に無限にも思える程広がる緑の森に、草花の芽吹かぬ荒野、何時生まれたのかすら解らぬ程遥かな昔から存在する湖と大河だけが、
その星を覆い尽くしていた。陸地に広がる緑の海である森林と、陸地に興った神々の玉座である山嶺は、神々の系譜に連なる者の遊び場であり、
人々は荒地に住んでは土を耕し、川の泥を捏ねては家を作り其処に藁を敷いて眠る弱い種族に過ぎなかった。
その弱さの故に、人々は愚かで、野蛮だった。
割拠する多くの都市国家は、いつ終わるとも知れぬ争乱と人の死を生み続け、夢目標としていた安寧と安息を、自分達の手で彼らは遠ざけていた。
彼らは当たり前のように自分と同じ似姿をした者を殺す。荒野の王者であるところの、あの恐ろしい獅子ですら腹が満たされれば、兎が目の前を通り過ぎても何もしない。
人だけが、今日を生きられる分の糧以上を望んだ。彼らは、満たされると言う事が何であるのかを理解していなかった。
その弱さの故に、人は容易く生まれた。
弱いものは自らの種を保つが為に、沢山己の子供を産むもの。一度に大量の卵を産むウミガメもカマキリも、成体の姿を見せるのは数千匹の赤子達の中の数匹なれば。
女――人は、彼らが生きる為に多くの子を産んだ。そして、その内の多くが、死んで行く。粥の一かけらも食えずに死に、河に溺れて死に、崖から落ちても死に、
野山を闊歩する恐ろしい獣に喰われて死ぬ。彼らは虫と同じだった。その数の故に、嘴に啄まれその数を減らして行く小虫と何の違いもなかった。
人が獣である事を許せなかった男がいた。
男は生まれたその瞬間から、天から、地から、人から、星から、英雄になるべき定めを与えられていた者だった。
男は聡明だった。十三の時には既に神からの託宣を授かる神官よりも賢くなり、天地の理にも通じていた。
男は屈強だった。荒地に君臨していた恐るべき人喰い獅子を身一つで殺して見せたのは、九歳の時だった。
その才気を持って、英雄はあらゆる技芸を学んだ。星を読む術を教えたのは彼だった。傷を癒す術を広めたのも彼だった。
堤防を作る術も、水を支配する術も、麦や稲を育てる技も、竪琴を奏で心を落ち着かせる技も、魔を操る術も。全て彼は惜し気もなく披露し、人々に分け与えた。
人を導く為ならばと、嘗ての友も師も裏切った。魔術の奥義や政の体系、竪琴や詩歌を教えてくれた森の住人である妖精族も、製鉄や鍛冶を教えてくれた太古の宇宙を知る者である巨人族も。人を獣にさせぬため、英雄は敢えて自分が獣になった。人の世の残酷な歴史の輪廻(サンサーラ)が、自分で終わるように祈って。
しかしそれでも、人は変わらなかった。
殺す事を禁じる法を、男は十重二十重にも工夫した。人を傷付け、害する事がどれだけ罪深いのかを説く道徳だって必死に考えた。全ては、人の中の獣性を宥める為に。
だが、彼の齎した繁栄はより多くの死の業を齎し、彼の制定した法律はより多く、そして多様な残虐を人に見せつけただけだった。
法は理解する、道徳も暗記した、知識も習得し、生きる為の技術や人生を豊かにする芸術の技も人々は評価した。
だが、男が一番理解して欲しかった、慈悲と慈愛を、人々は嘲笑した。生きる上で何の役に立つものかと。
だから、男は疲れてしまった。
やがて、人は何をしても変わらぬのだと悟った英雄は、狂気の赴くがままに己の欲するが所を満たし、遂には世界の果てに隠れてしまった。
そんな男が、存在する。
――その男の名前は
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意識が遠のく。身体の末端からどんどん冷えて行く。残った左の瞼がどんどん重くなる。
それでも、燻るどころか今でも身体を熱く燃えあがらせる、憎悪と闘争心だけは消えてなくならないのだから、恐ろしい物だった。
満身創痍、と言う言葉ですらが最早生ぬるい程の状態にロベルタはあった。
ジョナサンが駆るアーチャーのサーヴァントに腹部を撃たれ、黒いマントの書生の操るセイバーのサーヴァントの蹴りで腸を断裂され。
更に、紅コートのセイバーは鋼を削り出したような武骨な大剣で此方の右腕を切断したばかりか、アメリカ人ですら気違い呼ばわりするであろう程のビッグ・サイズの拳銃で、
此方の左腕を千切り飛ばしてしまった。当然の事ながら、流れ出る血の量は著しい事この上ない。
失血死していないのは、偏にロベルタが、憎悪にも似た意思を体の中で燻らせ、辛うじて意識を持ち堪えさせているからだ。
戦場の最中であれば死んだも同然、銃口を口の中に突き入れて自殺した方が救いがある傷を受けても、まだロベルタは戦う気概でいるのだ。こうでもしなければ、到底耐えられないから。
高槻涼に抱えられ、高田馬場方面までロベルタは移動していた。
黒衣のマスター、葛葉ライドウの弾丸を受けて機能に若干の陰りが見られるが、それでも、新幹線に匹敵する程の速度で、建物の屋上から屋上、屋根から屋根に飛び乗って、
他者では追いすがれぬ程の速度での移動は可能である。現にあのマスター達は、とうの昔に撒いていた。
だが、そんな事は最早問題ではないだろう。このまま行けばロベルタに待っているのは、確実な死だけだ。
病院襲撃前に使っていた四ツ谷駅周辺のアジトは最早使えまい。市井に溶け込んでいたロベルタをピンポイントで発見出来た程の手練である。
あのアジトを筆頭に、ロベルタが幾つも<新宿>中に作っていた他のアジトも抑えられていると見て相違ない。
それに、どの道アジトに戻っている程悠長な時間はない。両腕を失い、今も血を流しているこの状態、誰の目から見ても長くない事は明らかである。
では治療をしに病院に赴けるか、と言えば答えはNOであろう。信濃町の騒動で、自分の顔は割れている可能性が極めて高い。
そうなると医療機関で治療をした場合、警察機関に自分の情報が届いてしまう。こうなると、裏でヤクザで魂喰いをして来たと言う事実が足かせになる。
逮捕で済むのならば、まだ良い。最悪その医療機関に聖杯戦争の主従がやって来て、そのまま殺害される。今の自分には、ジャバウォックをまともに運用できる魔力は皆無。
結局、どう転んだところで、ロベルタは詰んでいる状態だ。
――何故、自分はこんな状況に陥っている?
働かない頭でその事を考える。立てたプランは完璧だった筈、自分にも落ち度だってない。となれば、行き着く結論は一つ。
バーサーカー・高槻涼が無能だったからに他ならない。
思考能力がないバーサーカーの代わりに、自分が立案した完璧なプランが、こうも無惨に失敗したのはそう言う事だ。
計画の直接の実行役である高槻が失敗しなければ、今頃自分は聖杯へと辿り着けていた筈なのである。
それがこうも不様な醜態を晒しているのは、高槻涼が悪いとしか言いようがないし考えようがない。
「この役立たずが……!!」
意識してそう悪罵してしまうロベルタ。
魔力も無ければ、体力も、剰え生命力も、底を突いて死にそうな状態。メフィスト病院から距離を離し続ける高槻は、変わらぬ表情で移動を続けている。
メフィスト病院で何が起こったのか、外にいたロベルタには知る術もないし、今後二度と知る事もないだろう。
だが、たかがキャスターの居城一つを占拠出来ないなど、バーサーカーの名折れも良い所である。許される事ではない。
信じて送り出した結果がこれでは、ロベルタとしては悪態も吐きたくなるものだ。自分が特攻した方が、まだ良い結果を残せたのではないのかとすら思っていた。
自分の命は、最早もって一分程。
両腕を失った事による失血が、ロベルタの命の残りを制定する絶対の要素であった。
このまま聖杯戦争を脱落するのだけは、御免蒙りたい。大規模な病院ではなく、何処かの小さい診療所ならば、自分の情報についての伝達が多少は遅れるだろうか。
鈍りつつある頭で、その様な打算を考えていた。何にしても今は、一番身近な危難を解決せねばならない。そんな事を思いながら、ロベルタらは、建物の屋上に着地した。
周りの建物よりも一際高い建造物だった。遠巻きに見たらその様子は、立てられた鉛筆の中に一本だけ長さ一m以上もある鉄パイプが有る様なものだった。兎に角目立つ。
ヘリポートがある位だ、高さは百mなど優に超していようか。<新宿>の地理を頭に叩き込む過程で、一定以上の高さを誇る高層建築は、ロベルタは凡そ頭に入れている。
この建物は確か、<新宿>に幾つも点在する高級ホテルの一つだったか。無論、今は用などない。すぐに高槻に跳躍させて、飛び退くだけの通過点だ。
――其処で明白に、高槻の動きが止まった。
「どうした、早く移動しろ役立たず!!」
女性特有のヒステリックを隠しもせず、ロベルタが罵る。
だが、彼女は果たして気付いているか。遥か眼下の往来に、人の通りが全く存在しない事に。自分達が、敵の腹の中に入り込んでしまったと言う事に。
それに気付けたのは、ナノマシンが不調の状態とは言え、優れた察知能力を持つ高槻涼であるが故だった。
「――!!」
気付いた高槻が、ある方向目掛けて、銃口状の形状に変えさせた己の右腕から、圧縮空気を発射。
コンクリートを粉砕する圧縮空気が十数m程進んだところで、それが粉微塵砕け散った。
「見事なり、余の隠形を見破るか」
それは、聞くだに頭を垂れ、膝を地に付きそうになるような、万斛の威厳と自信に満ちた声だった。
過去にどんな偉業を成せば、このような威風を醸し出せるのか。生まれながらにして、王者となるべき星に生まれた者のみが、放つ事を許される王威を今、二名はその身に浴びていた。
圧縮空気が破壊された地点の空間が歪む。
空間は人型に歪んでいる、とロベルタが気付いたのは、その主が直に姿を現してからだった。
この地球上の何処に、そんな輝きを誇るものがあるのだと思わずにはいられない程に、白く輝く鎧を纏った男だった。
全身を覆うようなその鎧は巧みに出来ており、着用者はまるで不思議な殻を持った優雅な昆虫に見える。甲冑に妨げられていても解る、見事な身のこなしをしていた。
だがそれ以上に目を瞠るのは、被っている兜の底で光る、王者の眼光であろう。赤とも、紫とも取れる輝きに満ちた瞳で射すくめられた時、ロベルタは奮えた。
心どころか、魂ですらも見透かされている。遠退きつつある意識であったが、そんな状態でもなお、そう思わせる程の魔力を、目の前のキャスターは有していたのだ。
「我が名を讃えよ」
白甲冑のキャスターは言った。
「栄光に満ちた、並ぶ者なき我が名を讃えよ」
世界中のあらゆる人間、いや、人どころか野を跳ねる兎から海を進む魚、空に漂う白い雲の中を泳ぐ鳥から草木の蜜を吸う昆虫。
果ては、川や荒れ地に転がる石までも、己に言寿ぎを投げ掛けねばならないと言う様な口調で、男は言った。
「――余の名はタイタス。時の初めに在った王。遥かな未来世までにも君臨する皇帝である」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ある男の話をしよう。
偉大なる帝国の始祖となった男の跡目を継いだ、仮初の初代の話を。
男は尊大な性格だった。未来に無限の可能性を詰め込んだ若い男が、全てが自分の前にあると錯覚するような全能感を胸に抱くが如く。斯様な性格の持ち主だった。
そんな男の目から見ても、自らを産み出した始祖帝は優秀だった。妬みも嫉みも湧き上がらない程に、始祖帝は優れていたのである。
子が父と母とを尊敬するように、学徒が教書にも名を連ねる程の哲人を目標とするように、彼もまた自らを産み出した主に尊信を示した。
始祖は、疲れていた。失望していた、と言うべきだったのかも知れない。
万古不変の繁栄を絶対のものとした都市を築いても、石すら欷泣させる竪琴や詩歌の技を身に着けても、天地(あめつち)に通ずる神通力を得ても、人の心は動かせなかった。
そう口にした始祖の顔は、酷く悲しげで、疲れ果てているようにも思えた。人類の繁栄を永久の者にした偉大なる者とは思えない、枯木の様な印象を男は抱いた。
始祖の影、分身として作られた男は、若い頃の始祖に似て、野心に満ちていた。
彼は産み出された存在でありながら、自らを生み出した始祖よりなお偉大であろうとした。始祖は、それを見込んで男を自らの影に仕立てた。
世界の裏であり果てである世界に隠れた始祖を見送りながら、男は考える。偉大であった始祖を超えるには、何を成せばいいと。
偉大なる始祖が築き上げた帝国の素地は既に磐石でこれ以上変えようがなく、始祖が人に齎した業以上の業を新たに教える事など何もなく。
新たな偉業を成し遂げるなど、始祖の後に生まれたその身では、最早不可能だった。
だが、男もまた聡明だった。
始祖を超えるには、彼が嘗て破れた、神ですらもが到達出来ぬ未踏の境地――全ての人を幸福にすると言う第六法。これに類する偉業を成せば良いのだと考えた。
第六法に挑まなかったのには、訳がある。人の多様性は既に始祖の手によって無限大にまで押し広げられ、個々人にとっての幸福や不幸もまた、無限大にまで広げられた。
己の力を過信するこの男ですらが、全ての人を幸福にする事とは、時計の針を戻す事、死した生命を蘇らせる事よりも遥かな難事だと考えていた。
故に、目指した。第六の法に比べて達成の見込みがあり、しかしそれでいて、世界の誰もがこれぞ偉業であると認める程の偉烈を。
男は、この世の全てを支配しようと画策した。人も、鳥獣魚禽も、陸海空も、宇宙ですらをも庇護しようとした。
そして、世界に存在する土地を領土とするのではなく、過去から未来へと無限に続く時間をこそ己の領土としようとした。
人と世界を数百万年、数億年支配し続け、自分がこの宇宙で最後の人間となるまで生き続ける。これを以って男は、始祖を超える偉業とした。
その偉業は、如何なる書物にも記せぬ、時間と輪廻(サンサーラ)に対する挑戦だった。その勲功を余す事無く記述出来るものがあるとすれば、一つ。
宇宙の果てに存在するとされる至高天に存在する、遍く世界の知恵が収束する、全にして一なる門以外にはないだろう。
世界を愛していたが故の選択だった。彼にもしも世界を愛する心がなければ、彼は暗愚な王としての評価を不変にさせたまま終わっていた事であろう。
だが男は、自らを生み出した始祖同様、世界を愛し、人を愛していた。愛していたが故に、彼は人の上に立とうとし、星の最後の霊長となるまで人を存続させ続けようとした。
彼もまた、始祖の如くに偉大なる者だった。――但し、男は、始祖が最も嫌悪し、この世から根絶させようとした、人の中で眠りこける獣性をも愛していた。
これ以降人は、権謀術数と、社会の上部と下部構造が齎す搾取の体制。そして、いつ終わるとも知れぬ流血と死が渦巻く闘争の歴史へと突入する。
男が、人の中に眠る悪性を認めているからこそ起った、悲劇であった。その悲劇は、彼が肉体を失い、名すら失って数千年経とうとも、終わる事がないのであった。
そんな男が、存在した。
――その男の名前は
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
全ては偶然が重なったが故に起った、奇妙な光景だった。
タイタスが<新宿>中に放っているのは、夜種だけではない。彼はともすれば、冠位(グランド)の名を戴いてもおかしくはない程の功績を世に示した、偉大なる魔術王である。
サーヴァントとしての召喚、そして今自身のタイタスの性質故に、その実力は劣化しているが、それでも、他者を隔絶した魔術の冴えを彼は誇っている。
彼は『召喚術』にも堪能だった。世界の裏側に隠れたとされる、世界ひいては自然を象徴する、四元素の精霊。それを使役する術を人に教えたのもまた、彼であった。
そう、タイタスは<新宿>中に夜種だけではなく、太古を知る精霊をも放っているのだ。
四代元素の内風を司る精霊、『風に乗りて歩む者』はその名の通り、風を操り、風に乗って世界を駆け巡った、翼を持った聖馬(ペガサス)だった。
空気を操り己を不可視の状態にさせていたその聖馬は、空を飛び、外界の様子を見下ろしてはタイタスにこれを報告する、いわば哨戒機だ。
それが偶然、ロベルタと紅コートのセイバーとの間に起っていた騒動を発見してしまった。その事を聖馬は、タイタスに報告。
魔術王は視界を同期させる術を用い、その光景を眺め、「ほう」、と嘆息の域を吐いた。
タイタス程のサーヴァントを感服させる程のものは、何であったか。
紅コートのセイバーの、直にその姿を拝するまでもなく解る程の超絶の強さか? それとも、彼を率いていた黒衣の若者の、年齢不相応過ぎる実力にか?
確かに、その二名も凄まじい存在だ。あのセイバーと自分、戦えば膝を折るのは自分ではなかろうかと、あのタイタスですら考えていた。
そのセイバーを従える黒衣の書生、あれは自分の憑代として、目下十六番目の皇帝の席に座る事を許しているロムスカと名乗る男よりも優秀だとも考えていた。
しかし、違う。彼らは確かに特筆に値する。だがそれは、決して存在を忘れてはならぬ者達としてしか認めない。
言うなれば彼らは、『敵』として認めているに過ぎなかった。風の精霊がタイタスに送った光景、其処に映っていた四人の中で一人。
タイタスの興味を極度に引き、そして、寵愛を授けてやりたいと思っていた人物がいたのだ。
――何て美しく、そして、愛おしいのだろうと、ロベルタを見て思った。
腕を斬り飛ばされてもなお、消える事のない闘争心と言う名の熾火。残った腕を失ってもなお、激しく燃え上がり続けるその憎悪。
それこそ、生前のタイタスが、人と言う生物の本質であるとその慧眼で認めたもの。
目を潰され、両腕を失ってもなお、闘争心と憎悪を燃やし続け、夢に向かって邁進しようとするその姿。それは、タイタスが若く、愚かだった時期によく似ていた。
だから、タイタスはロベルタに手を差し伸べてやりたかった。その飽くなき闘争心を、己の願いが向かって行くベクトルに働かせる事を赦した。
だが、それも叶わぬ願いかともタイタスは考えていた。
彼女の両腕からたばしり出ている血液の量は、彼女の生命活動を停止させるに足る程のもの。
仮初の憎悪と闘争心を与えられた、つまらぬ青年のバーサーカーを用いて、紅いコートのセイバー達を振り切る事は出来たが、
これでは自分と邂逅する前に死んでしまうだろう。そうタイタスは考えていた。――此処で、第二の偶然が発生した。
バーサーカー・高槻涼の移動速度が想像以上に早かった事と、ロベルタの意思が自らの生命活動を延長させる程のものだった事。
そして、彼らの向う先が、何の運命のいたずらかタイタスが居城とするあの高級ホテルの方面だった事。
その事に気付いたタイタスは急遽、ロベルタらを迎え入れる準備をした。眼下の往来に人が全く通っていないのには訳がある。
タイタスは己の拠点であるホテルを中心とした、直径五十m圏内を魔術で以て異界に変貌させていた。
言うなれば異なる空間座標に、元となった空間をコピーペーストしたのである。これで、NPCは元より、サーヴァントクラスの神秘の塊であろうとも、自分達には気付けない。
かくして、ロベルタらを引き込む準備は、万全となった。そう、彼女は意識もしてない上に気付いてすらいないだろうが、通過点としか認識していなかったこのホテルは、既にタイタスと言う希代のキャスターの腹中であるのだ。
「タイ、タス……!?」
血の失い過ぎて青みを帯びてきた顔で、ロベルタが呟く。
この世界の歴史に存在するかどうかも解らない名前なのにしかし、世界が四大文明であた頃から存在し、プラトンやソクラテスですら尊敬していそうな響きを誇っているのは、何故なのか。
「その身、最早戦える事能わぬ身になりてなお、修羅として振る舞わんとする者よ。そなたは、余の寵愛を受け、余の偉大な夢の為の礎石になる資格がある」
「軍門に、下れと言うの……!! この、私に!!」
「然り。そして、悠長にそれを選択出来る程、命の刻限がそなたにある筈もなく。はぐらかしていても、そなたに待っているのは、黄泉路への旅券のみ」
「黙れッ!! ジャバウォック!! このキャスターを殺せ!!」
「愚かであるが、見事な返事よ。その尽きる事なき泉の如き闘争心、盟友であるク・ルームにも劣らぬものなれば」
ロベルタをヘリポートに置いた瞬間、高槻が走る。
しかし、三つ目の偶然が既に、二名の運命を決定づけている事を三人は知る由もない。高槻のナノマシンは著しい機能停止に陥らされている。
ライドウの放った高圧電流の弾丸によって、である。もしも、高槻が十全の状態であるならば、彼はタイタスを葬れたであろうし、異界も破壊出来た事だろう。
――そして、これはもしも、の話になるが。ロベルタの襲撃先が同じキャスターでも、タイタスの方であったのならば。
彼女が当初の目標としていた、キャスターの溜めこんでいた魔力のプールを自分達の物とさせ、聖杯への王手を急激に進められていた事であろう。
高槻が動き始めたのを見るや、タイタスは腰に提げていた鞘から、一本の長剣を取り出す。
黒曜石に似た色と輝きを誇る美しい剣身に、隙間もない程ビッシリとルーン文字を刻んだ剣だった。生命シンボルである男根を象徴している様にも見えた。
芳一話に出てくる僧のように刻み込まれたルーンが激しく揮発し始めるや、タイタスは大上段からルーンの剣を振り下ろした。
ルーン文字の軌跡を空間に煌めかせながら、黒い剣身が高槻の右腕を付け根から斬り飛ばした。十全の状態の高槻涼ならば、信じられぬ程の失態。
これは、メフィストとの戦いで著しく体力・魔力を消耗した事と、ライドウの弾丸によって機能を低下させられていなければ、決してあり得ぬ展開だった。
しかし、本来の実力を発揮出来ぬ状態でもなお、高槻涼は油断が出来ぬサーヴァントである事を、風の精霊の伝えた情報でタイタスは既に理解している。
故に、高槻が行動するよりも速く、高速で魔術を発動させ、それを高槻へと向かわせる。動こうとする高槻であったが、目に見えぬ空気の鎖で身体中を縛られた様に動けない。
手足は勿論の事、首も指すらもままならない。くくりの魔術を以って高槻の動きを阻害させた。ただでさえ弱っている上に、対魔力スキルもない高槻に、この魔術を防御出来る術がある訳がなかった。
――お前は己の主を殺したいのか?――
タイタスは言葉ではなく、ジャバウォックの精神そのものに訴えかけた。悪鬼が如き高槻の顔から、険が抜けて行くのに、タイタスは精神に作用する魔術を使っていない。
魔術王にとって、言語のやり取りが出来ぬ事など瑣末なもの。例え狂化をしていようが、心と精神があるのなら。其処に直に訴えかける事が出来るのだ。
そしてそれは、言葉を介したやり取り以上に物事がよく伝わる。バーサーカーである高槻にはタイタスの行った、精神を通じての会話は効果覿面だった。
ナノマシンが漸く復調し始めたのに反比例して、高槻からは戦意が消失して行く。自分が足掻けば、ロベルタは苦しむどころか死ぬ事が確定する。
バーサーカーの身の上である高槻ですら理解してしまった。自分達には最早、タイタスに敗れ、傀儡になる以外の道は存在しないのだと。
「ジャバウォック……ジャバウォックウウウウウウゥゥゥゥゥ――――――!!」
十秒後には死神が魂の尾を刈り取る事が確約された身の上、体中の血液の半分は失ったのではないかと言うその状態で。
ロベルタは、ありったけの憎悪を、己が引き当てたサーヴァント目掛けてぶつけ出した。何故、行動に移さない、自分はまだ戦えるのに、如何してお前が戦わないのだと。
「何故戦わない、何故動かないこの役立たず!! お前など、呼ばれねば良かった!! もっと私に従順で、強いサーヴァントが招かれれば良かった!!」
「その願いはこの瞬間に、成就する」
タイタスは這いつくばるロベルタに対して腕を伸ばした。
甲冑に覆われていないその腕は、ともすれば病気としか思えぬ程白かった。タイタスは、白子(アルビノ)であった。
「そなたはより強いサーヴァントの庇護を得る」
十全の状態より機能が八割も低下しているのではないのかと言う程、処理状態が落ち込んだロベルタの脳髄に、電光が閃いた。
溶接の際に飛び散った火花が、頭蓋の中でバチバチと輝いているかのようだった。思考が全く定まらない。
ごく初歩的な文法のみで構成された、子供に会話を教えるような文章ですらも思い描けない。
しかしそれでも、彼女が忘れる事はなかった。
主君である、ディエゴを卑怯な手で爆殺し、その息子であるガルシアを悲しみの井戸に突き落とした、汚れた灰狐を。
そして、己に此処までの不様を晒させた原因である、ジャバウォック――高槻涼を。
「ジャバ、ウォック……!! 私を……救――――」
其処で、スパークが止まった。
光の余韻も何もなく、ロベルタの意識は、闇に落ちた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
目が覚めてロベルタの目に飛び込んで来たのは、抜けるような、と言う表現以上に蒼い空だった。
ちぎったパンの様な白い雲が所々に見られる為、雲一つない快晴では断じてないのだが、白と蒼とのコントラストは、野獣の如きロベルタの心を無聊させるには十分なものがあった。
ロベルタは地面に仰向けに寝転がっていた。
寝心地は、良いとは言えない。如何やら小石などの礫の上に寝ているようだった。体中が痛い。
――そう言えば、自分はどうなった!? 寝ぼけ気味だった頭が、それまで起っていた出来事をフィードバックさせ、記憶が彼女をバッと勢いよく立ちあがらせた。
――……<新宿>?――
そう思う程、周囲の光景は、<新宿>とはかけ離れた物だった。
そこは川辺だった。ロベルタは如何やら下流と思しき川の傍で寝ていたらしい。この場で聞こえる音は、静かに流れる川のせせらぎの音のみ。
手で掬って飲めそうな程、川の水はよく透き通っていた。その透明さ故に、川の住民達の姿がよく目立つ。
自分達の世界だと言わんばかりに、川の中をニジマスに似た魚が泳いでおり、その中に一匹。虹色の鱗を持った、この世のものとは思えぬ程美しい魚が魚群に混じって泳いでいた。
周りを見る。如何やら此処は森林の中であるらしい。猥雑で淀んだ<新宿>の空気とは比べ物にならぬ程、空気は良く磨かれいた。
空気の分子に、森の草木と土の香気がスープのように溶け合っているようで、草と土との味が、呼吸するだけで判別出来るようであった。
「此処は……?」
<新宿>ではあり得ない。
こんな、景勝地などと言う次元では到底足りない程の自然が、<新宿>にあったなど聞いた事がない。
己をタイタスと呼んでいたキャスターの幻力(マーヤー)か、と思い、川縁に近付き、水を掬って飲んで見る。歯に染みて痛い程の冷たさ。
草の味が微かにするその水の感触は、完全なる現実のものであった。「馬鹿な」、と呟いたロベルタの方に、風が吹き込んで来た。
草が揺れ、立ち並ぶ木々の枝葉が軋む。ロベルタの方に吹いた風の感覚は、本物のそれであった。
――此処でロベルタは、今になって己の身体の矛盾に気づいた。
再びロベルタは、川の水を『掬った』。何故、掬えるのだ。自分の両腕は、紅コートのセイバーの手で、破壊され、切断された筈なのに!!
それに、目に映る光景も、両の瞳で見据えられるそれであり、腹部に負った傷も完全に回復した状態だった。つまり、何から何まで、メフィスト病院を襲撃する前の状態。
「これは一体……」
そう思いながらロベルタは、穹窿の頂点に浮かぶ白い太陽を見上げる。
身体に浴びる白い日光の暖かさすらも、此処では真実のもの。故郷ベネズエラの太陽に比べて、此処の太陽は優しく暖かい。
このまま立ち止まる訳にも行かず、ロベルタは、川の流れる方向を確認する。流れが急湍な上流に向かう理由はゼロだ。
古の昔から、川の下流には都市が栄える事は常識である。氾濫等の危険性はあるが、それを承知の上で都市を建設する程、メリットの方が大きいのである。
暖かな木洩れ日を浴びながら、ロベルタは川の流れに沿って歩を進め始めた。
歩き始めて、およそ数分。やはりここは、見れば見る程<新宿>所か、この地上のものではない。
都会から田舎に初めてやって来たような世間知らずのように、ロベルタは周囲を見渡していると、信じられないような物ばかりを目の当たりにする。
立派な角を携えた、先天性の病気でも何でもなく、純白の毛並みを誇る大鹿が茂みから姿を現したのを見た。白鹿は、ロベルタの姿を見た瞬間、バッと逃げ出した。
伝説や子供向けの絵本の中の存在としか信じていなかった、白い毛並みと、頭部に生える一本の角が特徴的な一角獣(ユニコーン)が、ロベルタを気にせず水を飲むのを見た。
――そして目線の先十m先に直立する、奇妙で、そして美しい樹木を見て、ロベルタは立ち止まった。
茶けた木肌、枝から垂れ下がる緑の葉。それが一般的な、木のイメージの筈。しかし、ロベルタが今目線を注いでいる樹木は違った。
その幹は黄金、生えている枝は白金、垂れ下がる葉々は黄金、銀色、銅色と、全て貴金属で出来ているのだ。
名高い芸術家が拵えた美術作品ではないかと最初は思った。しかし違う、それは確かに大地に根付いた一つの植物、生命なのだ。
そよ、と風が水面を渡る。すると、ロベルタの見ている黄金樹の枝葉もまた揺れ、金銀銅の色彩の乱舞が彼女の目に煌めいた。
輝ける貴金属の光と色彩は、さざ波を打って周囲の空中に掠れて行き、そして光彩の揺らぎが鎮まると、一本一本の樹の映像が、それぞれ光の鎧にくるまって再び現われ、
木の葉が、あたかも潮解しつつある宝石を鏤められているかのように輝くのだった。
この世のものとは思えぬ美の風景に、ロベルタは立ち止まり、思考も視界も全て奪われてしまった。
白痴の状態とは、この事を言うのだろう。だが、責められまい。彼女の目の前で行われる、乱舞する貴金属の光彩陸離を見て、誰が思考を奪われぬのか。
数秒程さらに経過し、漸く我を取り戻したロベルタが、更に歩を進める。黄金樹が生えている所まで、迫る。風が吹いた。再び、光の鎧を枝葉が纏い始めた。
それと同時に、ロベルタの身体が黄金細工の樹木を追い越した、その瞬間だった。――場所が、変わった。
「!!」
突然の変化にロベルタが驚く。
自分の視界の先には確かに、いつ終わるとも知れぬ森と川の流れが続いていた筈。黄金樹の先の川の水面から飛び跳ねる一匹の川魚だって、彼女は見ていた。
それなのに、今自分の目の前に広がる光景は、どうだ。先程とは全く違う風景が広がっている。今来た道を振り返っても、其処には先程まで見ていた森も川もない。全てが、夢幻であったかの如くに。
白茶けて、乾いた大地だった。
枯れ果てた樹木だけが、天で繰り広げられた戦いで破壊された槍が、地に堕ちて突き刺さっているかのように疎らに林立した世界だった。
空だけが、あの森の中でみたのと同じような蒼さなのがまた、怖いコントラストを保っている。
見ると周りには家らしき、ベネズエラの片田舎ですら最早絶滅したも同然の、泥と土を捏ねてうず高く固めた様な家が、幾つも点在している。
此処は、危惧されていた核戦争が起こった後の世界であると説明しても、通用してしまいそうな程、廃れた世界であった。
このような未開の土地、地球上では最早絶滅したも同然であろう。
しかし、そうではないらしい。この土地には、人が住んでいるようだった。
腰布すら巻いていない複数人の裸の男の姿を、ロベルタは認めた。
彼らは傍から聞いたら気違いとしか思えぬような雄叫びや叫び声を上げる蛮族で、その手には原始的な武器であるところの棍棒や、磨製石器と思しき物を手にしていた。
泥の家の周りには若い男や屈強そうな中年が、頭を割られ、身体を裂かれ、首を斬られて死んでいる事に、今ロベルタは気付いた。これは、戦争と、その後に起る略奪だった。
家が、棍棒で破壊される。家の中には、弱者を絵に描いた様な、戦う事など出来る筈もない老婆と、その孫娘と思しき少女がいた。
二人は家を破壊した蛮族に命乞いをするも、男は老婆の顔面に思い切り棍棒を叩きつけた後、股間のものを隆起させ、少女に襲い掛かった。聞くに堪えぬ叫び声が上がった。
また別の方角を見ると、妊婦の腹を裂く若い青年の蛮人がいた。青年は妊婦の腹から血濡れた赤子を取り出すなり、蛮声を上げて赤子だったものを地面に叩き付けた。湿った嫌な音が響き渡る。
此処は、神の見捨てた土地であった。
人間が有する邪悪と獣性。それは、人類が文明と言う物を得てから数千年と言う年月を掛けて磨き上げ、育て上げて来た物ではなく。
アダムとイヴが知識の林檎を齧り、楽園を追放されたその瞬間から、既に心の中に芽吹いていたのだ、と言う事を如実に表す光景だった。
この土地には慈悲がなかった。慈愛もなかった。あの蛮族共にそれを説いた所で、彼らはこれを嘲笑するだろう。そう言った餓狼染みた連中を知っているロベルタだから解る。
彼らにとって価値のあるものとは、金や銀。それに代わる価値のある貨幣と食物。そして、女と交わるよりも快楽を得られる、芥子の実から抽出出来る人の生み出した罪そのものなのだから。
場面が、三度切り替わる。変化の時間は一瞬で、まばたきが終わったと同時に、辺りの風景は千変万化する。
其処は岸辺だった。靴底が僅かに浸かる程度の水深しかない水溜りの上に、ロベルタは立っている。
水の色はミルクを思わせるような乳白色で、顔を俯かせると、己の顔が映る程だった。
ロベルタの視界の先には、渺茫たる白い湖が広がっていた。いや其処は、湖と錯覚する程に長大な幅を誇る大河なのかも知れない。或いは、海の上なのかも知れない。
水の色も曖昧で、ミルク色になる事もあれば、数千m其処まで見えてしまいそうな程透明になる事もあれば、黒メノウのように黒く変色したりと一定しない。
飲む事すら躊躇われるその水の上には、幾つもの島が点在していた。入り江を有する、なだらかな形をした小島が見えた。
物質化した闇が立方体を形作ったようなものに、漆黒の球体が自転する天体の如くゆっくりと回転していると言った巨大なオブジェが、数㎞先で確認できた。
鋭角の頂を持った、切り立った崖めいた急な山が見えた。山頂からは巨大な樹が浮かび、その枝は七つに分かれて燭台(メノラー)の形を作っていた。
上空が黒い雨雲のような物で覆われている島が見えた。其処はケーキめいた形をした円形の台地になっていて、その真ん中を切り分けるようにして深い裂け目が開いていた。
――『辺獄(リンボ)』。そんな言葉を、ロベルタは思い描いた。
其処はキリスト教の洗礼を受ける前、つまりキリスト生誕より以前に生まれた異教徒や徳の高い人物が堕ちる場所。
其処は、地獄に落ちる程の悪人ではないが、洗礼を受けなかったが為に天国へ行く事も出来ない者達の受け皿であった。
地獄に堕ちるものだと自分は思っていたが、如何やら此処に落ちたらしい。やはり、人を思う心は大事だった、と言う事だ。
見るに、幾つもの島が浮かんでいる所は、正真正銘人の身長以上の深度を容易く有する湖の様なものであるらしい。
得体の知れない水の中を、泳ぐ訳にはゆかない。岸辺には船の一つも漂着していなかった。
仕方がなしに、浮島の多くに背を向けると、奇妙なものが浮かんでいる事にロベルタが気付いた。薄暗闇に、銀色の光の様なものが蛍めいて浮遊している。
誘蛾灯に引き寄せられる小虫のように、その光の方向に足を進めると、光の正体に気付いた。それは、一枚の大きな鏡だった。
厚みを持たない、ロベルタの身長程もある姿見が、ひとりでに宙に浮いているではないか。
更に、その方向に近付く。鏡には、彼女の姿が映っていなかった。西洋伝承における吸血鬼と、その特徴は良く似ていた。彼らもまた鏡に己の姿が映らない。
そんな事を考えていると、勝手にその鏡に、何某かの姿が映り始めた。ロベルタの代わりに鏡に映り出したのは、白い甲冑を身に纏った人物だった。彼女には、それが誰だか思い出せない。
【罪の上に罪を重ね、罰の上に更なる罰を重ねる悪しき魂よ。今お前は死に瀕している。未だ嘗てない艱難辛苦を歩む道か、人としての尊厳を保てたまま煉獄を歩む道か。その岐路ににお前は立たされている】
兜から見える男の顔は、若かった。そして、脳内に直接響いてくる声音も、また同様。
だが、その声から発せられる威風は、生まれながらの王者、世界の全てを支配するに値する者だけが発散出来るそれであった。
【悪しき業(カルマ)を積んで来たお前を最早、今の状態のまま地上に戻す事は出来ない。お前は英雄ではなく餓狼であるが故に。時と因果を捻じ曲げ、生死の理を超えてでも生き残れる存在は、宿命の星に生まれた者だけである】
何を、言っていると。ロベルタは呟いた。
【お前は死ぬか、生きるかのどちらかしか選べぬ。此処で死ぬのであれば、お前には一握りの幸福が残される。しかし、そのまま生き続けるのであれば、一かけらの幸福すら許されず、嘲りと罵りの果ての死がやがて待ち受けるだろう】
お前は、誰だ。
【咎人】
白い甲冑の男は、短く簡潔にそう答えた。
【……人の命は、蒲公英の花に似たり。如何に劣悪な環境でも育ち、そして、風や潮と言う流れに乗って何処までもその勢いを強めて行く、弱さと強さの合わさった者達】
男の言葉は、酷く謎めいていて、理解の余地を中々与えない。
【人の命は、蒲公英の花に似たり。何処にでも育つが、育つ数には限りあり。不要な蒲公英は、自然の摂理のままに間引かれる。全ての蒲公英が育てば、土の栄養が行き渡らず、全てが等しく死に絶えるなれば】
鏡の光景が、変わった。白い甲冑姿の男から、いかにもアメリカ的な大量生産の工場のライン、そのスタート地点を映し出していた。
ロベルタの目が、零れ落ちんばかりに見開かれる。白衣を着た男達が、恐ろしく巨大なミートチョッパー状の機械に、腑分けした人間の死体を放り込んでいるのだ。
作業に従事する白人男性が、Corpseと記された袋の中から、内臓の一部を取り出し、口の中に放り込んだ。
「ほどほどにしとけよ、スティーブ」、と一緒に作業に従事していた男性が軽口を叩いた。「こうでもしないと給料分の働きにあわねーよ」、とスティーブと呼ばれた男が笑った。
【人は、容易く生まれ、容易く死ぬ。一億の卵を産む魚の稚魚が、鯱や鮫の糧になるが如く】
再び、鏡の光景が変わった。
場面が変わり、今度はアジアの繁華街めいた街だった。しかし、一目と見ただけで解る。その繁華街の繁栄が、酷い欺瞞のペンキを分厚く塗りたくった、歪なものであると。
赤青黄色、時にピンクに黄金色のネオンライト、日本の花魁か芸者とも言うべき美女が映っている映像広告看板、空に浮かぶ河豚を模した飛行船。
鏡に映る光景が拡大されると、サングラスをかけた角刈りの、元となった人物のクローンが存在するとしか思えぬ程、画一的な容姿をした黒スーツのマフィア達がいた。
男達は懐から取り出した拳銃を持って、見るからに堅気には見えぬ男性複数名を射殺していた。射殺された側は、明白な感情がある人間だったらしい。
しかし、クローンとしか思えぬこのヤクザ達は、人を殺す事に何らの躊躇いがないのか。拳銃のトリガーを引いた時のその顔は、微動だにもしていなかった。
【人は人を当たり前のように殺す。それは、心の裡に潜む獣性があるからに他ならない。彼らが殺すのは、世界の摂理としてだった】
三度、場面が変わる。
其処は何処か、中世より少し進んだ王宮の謁見の間らしい。
脂ぎった肉を喰らう、如何にも豪華そうなローブを身に纏った、肥満気味の中年男性が、王座に座る少年に何かを意見していた。
誰が見ても傀儡だと解る、純粋無垢そうな少年だった。これでは摂政或いはその補佐役が、全ての実権を握っている、と公言しているような物だった。
しかし、その様子を見ても近衛兵達は何の疑問も抱いていない。それどころか、恐怖に震えるような様子でその様子を眺めていた。
意見すれば、何らかの理由をつけて処刑されるのだろうと言う事が態度からも解る。中年男性の意見が終わる。
それは如何に政治に疎い者が聞いても明らかな、自身或いは自身に比肩する特権階級にのみ有利な政策であった。それを聞いて少年は、「うむ」、と口にするだけ。
これでは最早、この少年王がいない方がマシ、と言う物であろう。
【嘗て私は、神より授かった魔術の秘奥によって、宇宙の最奥に存在すると言われる至高天に到達し、知恵を得た。そして私は、私の生きる世界以外の世界をも見て、知ってしまった。人は、何処までも人なのだと】
鏡の中の情景が変わる。昼なのか、夜なのか。最早そんな事など瑣末なものにしか思えぬ光景だった。
中世イタリアの伝説的な詩人、ダンテ・アリギエーリがこの光景を見たら、きっとこう表現するに相違ない。コキュートス、と。
太陽の光を完全に遮る程の暑さの分厚い雲が全天を隙間なく覆い、地上の何処を見渡しても氷と雪の大地。風が吹けばそれは吹雪となり、風がやんでも降雪になる。
これでは最早、農作業など望めまい。核を搭載したミサイルによる核戦争とはまた違った形での、終末の世界だった。
しかし、そんな世界にすら人がいた。ロベルタの生きる世界から何百年時代を経たのだと言う程の装備を身に纏った兵士たちが、プラントの様な施設を包囲しているのが解る。
【世界がこうまで変わっても、人は生き続けるのだと知った。星が定命(さだめ)を使い果たし、死の星になろうとも人は生き続け、そしてそんな世界でも人は獣を心に飼うのだと理解してしまった】
またしても鏡の光景が変わる。その世界は、今まで鏡が見せたそれとは全く違う。
真実核戦争が起こったとしか思えぬ程荒廃した街を、高さ数百mにもなろうかと言う程の巨大な津波が、今まさに全てを呑み込まんとしているのだ。
津波が全てを呑み込んだ。青色の波濤は一瞬にして、瓦礫や土壌で黒く変色し、何も見えなくなってしまう。
間断もなく場面がまた切り替わり、やせ細った男女が機械的な椅子に座り、完全に剃られた頭に電極を突き刺して、近くにあるパソコンから出力された何かを見ている、
と言う映像が映った。口々に彼らは、ギメル、と言う名前の誰かを称賛していた。酷く痩せ細った姿のイメージを裏切るように、その声が明朗快活しているのが、逆に不気味だった。
【私は、それが許せなかった。人が獣である事が。そして、それを理とする世界の残酷さが】
映像が元に戻った。白い甲冑を身に纏う男の姿は、勇壮かつ威厳に満ち溢れているが、何処か、見ていられない程の悲愴さが漂っているのは、何故であろうか。
【だから、人を変え、世界の可能性を切り開こうとした。生きる為の技を友を裏切ってまで学び、殺す事を法と罰とで禁じ、言葉の限りを尽くして道徳を産みだし、彼らの獣性を宥めた】
言葉に熱は籠っていない。しかし、その声は心に出来上がった僅かな亀裂、針で突いたが如き小ささの穴から浸みて行くような、不思議な何かを持っていた。
【しかし、私の力は人の心の前には余りにも無力だった。私の齎した知恵と繁栄は人の残虐さの可能性をも更に広げてしまい、齎した法律のせいで人はより狡賢くなり、そして彼らは道徳を諳んじるようになっただけで誰もがそれを嘲笑した】
【――だから私は、全てに疲れ、狂気に身を任せるがまま己の欲するが所を満たし、そして、全てを己の影に託し世界の影に身を隠した】
【……名を、ロザリタ・チスネロスなる女よ。私が生み出したる影は、最早私の手を大きく離れ、その肉、その情報を滅ぼされてなお、嘗ての野望を果たさんと画策している】
ロベルタを見据えるその男の瞳に、強い意思の光が宿り始めた。その感情の名が何であったのか。ロベルタは知らない。
【私は咎人。他ならぬ我が手で、全ての命を冒涜する『命』を生み出したその罪の故に、私は罰を科せられたのだ。果てなき輪廻と贖罪を、私は生き続けねばならぬ】
そして、ロベルタに対して、白い甲冑の男は、叫んだ。腹の底から絞り出し、命と言う外皮に包んだ魂と言う果実を震わせるように、その本音を口にした。
【我が影に魅入られた哀れなる魂よ!! 選べ、お前はこのまま生きては地獄の道を往くか、それとも煉獄に往き手は天への階段を目指すのか!!】
全てを思い出した。自分はあの時、ある高級ホテルのヘリポートの上で、自らをタイタスと名乗る男に――。
ならば、此処は何処なのだろうか。<新宿>ではない。況してや、ロベルタ達のいた世界ではない。此処はある種の精神世界なのか、それとも、彼女の理解すら及ばぬ深淵世界なのか。
解らない。解らない事だらけだった。この世界の九割九分九厘の事を、ロベルタは理解していない。
理解していないが、残りのたった一厘だけわかる事があった。そして彼女は、その一厘に、全てを賭けた。
「――私は生きる」
そう言ってロベルタは、薄さゼロの姿見に、右の拳を叩き込んだ。
鏡はベニヤの板のように、拳が当たった所から砕け散り、樹氷のようにその破片を空中に散らした。
右拳にガラスの破片が突き刺さり、また破片が掠めて行き、拳を妖しく血で濡らす。不思議と、痛みはなかった。
足元の乳白色の水溜りの上に鏡の破片が落ちて行き、そして沈んで行く。破片の一つ一つに、白い甲冑の男が映っていた。
「死ぬなどと言う選択肢には私にはない。生きて生きて、生きて生きて生きて勝って勝って勝って!!」
ひときわ大きい破片を、靴底で踏み潰した。
勢いよく水溜りを踏みつけた時の、バシャンッ、と言う音に紛れて、微かにパリンッ、と言う音が響いた。気がして。
「――自分の復讐を成し遂げる」
破片の一つ一つに映る、甲冑の男は沈黙を保っていた。
――そして、またしても。ロベルタの周りを取り巻く空間が、変わり始めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
見るからにボロだと解る小さな木の小舟に乗って、ロベルタは何処かを移動していた。
舟には藻のような物がびっしりとこびり付いており、船内には折れた櫂が乱暴に放り捨てられている。
櫂船なのに、漕がずとも船が勝手に動いているのは、潮、或いは水の流れが、彼女の望む方向に動いているからであった。
自分はこれから、スナークと呼ばれる怪物を殺さねばならない。
ロベルタは知っているのだ。そのスナークと呼ばれる怪物こそが、当主であるディエゴを殺した灰色の狐の別名なのだと。
スナークは誰も見た事がない怪物であるらしい。見た事がある者はいないのだが、恐ろしいと言う事だけは確からしい。だからその噂には、葉が付き鰭が付き。
ある者は全長数十mの大蛇だと言っていた。ある者は巨大な蠅の怪物であると言っていた。ある者は対峙した人間の一番恐ろしい物に変身する不定形の怪物だとも。
……全く馬鹿ばかりだ。真実を解っているのは自分だけなのかと、ロベルタは頭が痛くなる。
スナークが恐ろしく、そして強い存在である事は事実だろう。しかし、その正体が何であるのかを知っているのは、彼女一人。
そう、スナークとは己の主君を殺したグレイ・フォックス襲撃群。スナークとは人であり、そして武装した複数人のプロフェッショナルなのである。
成程、これでは怪物と言われ恐れられるのも無理はない。向こうは何せ、銃で武装し、爆弾の類を幾つも持っているのだから。
しかし、自分もスナーク共に負けぬ武器を用意している。
見よ、彼女の手にしているミニミ軽機関銃を。空いてもう片方の手にはフランキ・スパス12散弾銃。
そして極め付けには、その背中には対物ライフルであるバレットM82を背負っていた。これでもまだ、あちらの数の暴力には劣るだろう。
だが、自分には絶対に負けてはならないと言う意思がある。これがある限り、ロベルタは負けない。本気の度合いが、違うのだ。
船底が、陸地に乗り上げた。陸地には、白く変色した白骨死体が堆く積もっていた。アラビア世界ならば、千夜一夜物語の題材にでもなりそうな場所である。
死の陰の谷この島の名前だった。女性器を連想させる様な亀裂が円形の台地の真ん中に開いていると言う所で、その谷の中をスナーク達は根城にしていると言う。
その方向目掛けて、ロベルタは走った。本気で、走っていた。総重量二十kgは優に超す程の銃器を装備しているにもかかわず、ペース配分を無視した走り方をしているのには、
訳がある。今の彼女は一切の疲れを知らない。フルマラソンを全力で走り続けても、息せき切らぬどころか、肩で呼吸をしなくても問題がない程の、
無尽蔵のスタミナを得ている。時間にしてたった二分で、彼女は台地を縦断する亀裂の中へと入り込んだ。そして入り込むなり、ロベルタは雄叫びを上げ、
ミニミ軽機関銃をところ構わず乱射した。陰の谷の名の通り、頭上には確かに空が広がっている筈なのに、其処は異様とも言う程に暗く、暗幕を垂れ下げた様に光がなかった。
それは、円形の台地の上に掛かる黒雲のせいだった。これがあるせいで、谷には光が一切射せないのである。
だからこうして、気配を察知する事なく銃を乱射するしかない。右手で持ったミニミが火を噴き、左手で持ったフランキ・スパスが広範囲に散弾をバラ撒いた。
命中している感覚が、確かに伝わる。銃声に混じって、悲鳴を上げて何かがバタバタと倒れて行くのをロベルタは感じていた。
ミニミの弾丸がない、彼女は地面にそれを捨て、背負っていたバレットM82を取り出し、ところ構わずバンバンとそれを乱射させて行く。
ドタドタドタドタ、何かが倒れ込んで行き、最後の一発を放ち終えた瞬間、一切合財の気配が消え失せた。
――その筈だったのに。一つの気配が、新たに生まれた。何だ、と思い、懐からナイフを取り出しその方向を向いた。暗闇の中だと言うのに、その姿はよく見えた。
「……」
ナイフを向けた先にいたのは、幾度もロベルタを苦しめて来た、あのうだつの上がらない日本人のホワイトカラー。
白髪の大分混じった黒髪、白いワイシャツに、スラックス。正しく巻かれたネクタイと、首にぶら下げられた、何処かの会社の社員証。そして、貧相な身体つき。
何故こんな、搾取される弱者の象徴のような男に、今の今まで自分が苦しめられてきたのか、全く理解が出来ない。
何の感情も宿らぬ瞳で、此方の事を見つめているこの亡霊に対して、ロベルタは言った。
「私は勝った!!」
開口一番に叫んだ事柄が、これだった。
「お前は私が裁かれて死ぬべき者だと言った、悪だとも言ったな!!」
「だが、見ろ!!」
「お前の言う間違った選択をしても、私は目的を果たしたぞ!! 御当主様を卑怯な手で殺した狐共は、私が誅戮した!!」
「……」
不気味な程、亡霊は沈黙を保っていた。
が、数秒程経過した後、亡霊の着用していた衣服が溶け始めた。いや、日本人男性の皮膚や肉、髪までもが、水を浴びせられた塩のように溶けて行く。
地面に血色の水溜りを作って行き、遂には完全にスープ状になり、彼の姿は跡形もなく消え失せる。血肉の溶けたものの間には、彼のものと思しき人骨が堆積していた。
「は、ハハ、ハハ……アハハハハ!! 遂に、遂に私は全てを成し遂げた!! スナークを狩り、私を苦しめる亡霊を祓い――若様の溜飲も下げて見せた!!」
狂ったようにロベルタが笑いだすと同時に、彼女の今の晴れやかな心境を代弁するように、谷の頭上を覆う黒雲が晴れて行き、
全ての不浄と罪とを明らかにする太陽の光が、死の陰の谷の中を照らし始めた。己が裁いた獲物の姿を確認しようとロベルタが周りを見渡し――。誰の目にも明らかな程の絶望の表情を、白日の下に彼女は晒してしまった。
そう、陽の光に晒されたロベルタが見た光景こそは。ロベルタが撃ち殺した者こそは――――――――――――――――――――――。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
風の乗りて歩む者が此方に送った光景を見て、タイタスは解った事がある。いや、再認した事柄と言うべきか。
聖杯戦争は一筋縄では行かないと言う、当たり前の事。しかし、その当然がどれ程のものだったのかを、改めてタイタスは知った。
決して、油断はしてはならない。これが、賢帝とも言われる程のタイタスの下した、余りにも有り触れた結論。
しかし、ただの凡愚がその結論に行き着くのと、魔術王であるタイタスがその結論に行き着くのとでは、意味合いが全く異なる。
それはつまり、この男程の実力を誇る程のサーヴァントが、この聖杯戦争では珍しくもないと言う事を意味する。
実際、タイタスが此方に引き入れたロベルタと言う女が従えていたバーサーカー、高槻涼もそうだった。
このサーヴァントは間違いなく、この世界の住民が<新宿>二丁目と呼ぶところで大層暴れて見せたあのバーサーカーだ。
ロベルタの傷を治し、本拠地であるホテル地下の墓所にまで移動し、改めて彼を調査して解った事が一つ。
この男、明らかに大規模な戦いを経て魔力の多くを失い、しかも自分と戦う時には何らかの以上によって実力が大幅に低下した状態だったと言う事。
もしも十全の状態で戦っていたら、敗れていたのは自分の方だったであろう。であるのにタイタスが無傷で、しかも手駒を新たに増やせているのは、彼の運が、凄まじい程良かったからだろう。
元より油断はしているつもりはなかった。
そもそも計画通りであるのならば、聖杯戦争の開催と同時に、<新宿>の頭上に真の本拠地であるアーガデウムが浮上していた筈なのだ。
これを妨害する粗忽者の正体も、未だ割り出せていない。こう言った存在がサーヴァントとして呼ばれている以上、タイタスとしても油断はしていたつもりはない。
だが、単純な戦闘能力面ですら、タイタスを隔絶する強さのサーヴァントがいるとなると、手は早めに打たねばならないだろう。
虎の子である魔将を<新宿>に放ったのもその為だ。しかも魔将の一人であるナムリスなどいつの間にか死んでいると来ている。全く加護だけの輩はこれだから使えない。
――キャスターのサーヴァント、タイタス1世の本質は、魔術もそうだが、夢を介して真の領地である、アルケアの首都アーガを顕現させる事である。
もしもこれが現れれば、嘗て木星天を居城とする雷を象徴としていた神々の王・ハァルから盗み取った、究極の姿を現す事が出来る。
こうなれば最早、タイタスに勝てるサーヴァントは存在しない。だが、強力過ぎるあまりリスクが大きいのも否めない。
自らの最強の姿を<新宿>に顕現させるには、多くのNPCにアルケアの伝説を流布させ、己の存在を認知させねばならない。
今はまだ、自分の存在は御伽噺で済んでいるだろう。だが、時計の長針と短針とが右回りに回転すればする程、自分が<新宿>にいる事が露見し、叩かれる事になるだろう。
そうなる前に、己と、アルケアの伝説を爆発的に広めさせ、魔力を集めねばならない。――そして、その為の礎石に、ロベルタにはなって貰う。
バーサーカー、高槻涼を傍に侍らせて、ロベルタは閉じた棺の上で気絶していた。
失った血は、タイタスが有している医術で以て回復させた。これから、失った腕を自分の手で作らねばならない。
ロベルタは礎石になって貰う、しかし、その礎石をタイタスは愛している。愛している者の腕を、野卑な部下達に作らせる訳には行かない。
太古の宇宙の体現者である巨人族から学んだ鍛冶の腕を以って、彼女の義肢を作ってやる時が来た。
「金床の用意をせよ」
そう言うと、視界の先で、目深にローブを被った妙齢の美女がコクリと頷いた。
つい先ほど、新しい魔将をタイタスは手ずから創造した。名を『アイビア』と言うこの魔将は、嘗てタイタスの第二の妻だった女であり、
太古の昔に滅びた魔術師達の王の娘、いわば魔女その人物であった。魔将になって魂を縛られたとはいえ、彼女がタイタスを思う心は生前と変わらない。
忠臣のように、百億年も連れ添った妻のように、タイタスの言う事に従順に従い、直に金床と金槌を配下の夜種達に持って来させた。
――使う日が、また来るとは思わなかった。
この金床は、タイタスが本気で物を作る際にのみ用いられるものであり、マスターであるムスカに呼び出されてから、これを使って物を作るのはこれで二度目だ。
一度目にある物を四つ作った時点で、もう使う事はそれ程あるまいと思っていたが、まさかこうまで日を置かずに再び用意する事になるとは思わなかった。
大河の女から譲り受けた、イーテリオの星がない以上、タイタスであろうともあれらを作る事は最早出来ない。
イーテリオがあるからこそ、あれは神器であった。それがない以上、タイタスには紛い物しか作れない。
しかし、その紛い物であるからこそ、安心が出来る。何故ならあの輝ける黄金の星がない以上、タイタスは無敵であるから。滅びる道理など、ある訳がないから。
ロベルタの方に目線を送ると、彼女の額に、とても美しい装飾品が取り付けられていた。
大ぶりの翡翠が、何の光も受けずに煌めいており、好事家でなくとも、魂をベッドにしてでも欲しがる事は間違いない逸品だった。
そしてこれこそが、ロベルタの魂を縛るもの。最早彼女に人としての生を許さない道具。
嘗て妖精共の頂点に立つ種族であったエルフ、その王であるユールフィンデは、三千年もの間この秘石に魂を囚われ続けた。
彼の世界に於いて、魔術の頂点に立つ種族である森の住民・エルフですらが、抗えぬその魔力を発する呪物。
――タイタスはこれを、『翡翠のシルハ』と呼んでいるのであった。
【高田馬場、百人町方面(百人町三丁目・高級ホテル地下・墓所)/1日目 午前2:00分】
【キャスター(タイタス一世(影))@Ruina -廃都の物語-】
[状態]健康 『我が呪わし我が血脈(カース・オブ・タイタス)』を使用中(タイタス十世を召喚)
[装備]ルーンの剣
[道具]墓所に眠る宝の数々
[所持金]極めて多いが現貨への換金が難しい
[思考・状況]
基本行動方針:全ての並行世界に、タイタスという存在を刻む。
1.魔力を集め、アーガデウムを完成させる。(75%ほど収集が完了している)
2.肉体を破壊された時の為に、憑依する相手(憑巫)を用意しておく。(最有力候補はマスターであるムスカ)
3.人界の否定者(ジェナ・エンジェル)を敵視。最優先で殺害する。
[備考]
・新宿全域に夜種(作成した魔物)を放って人間を墓所に連れ去り、魂喰いをしています。
・また夜種の他に、召喚術で呼び出した精霊も哨戒に当たらせており、何らかの情報を得ている可能性が高いです
・『我が呪わし我が血脈(カース・オブ・タイタス)』で召喚したタイタス十世を新宿に派遣していますが、令呪のバックアップと自力で実体化していたタイタス十世の特殊な例外によるものであり、アーガデウムが完成してキャスターが真の姿を取り戻すまでは他のタイタスを同じように運用する事は難しいようです
・キャスター(ジェナ・エンジェル)が街に大量に作り出したチューナー(喰奴)たちの魂などが変質し、彼らが抱くアルケアへの想念も何らかの変化を起こした事で『廃都物語』による魔力回収の際に詳細不明の異常が発生し、魔力収集効率が落ちています
・現在作成している魔将は、ク・ルーム、アイビア、ナムリス(故)です
・ロベルタ&バーサーカー(高槻涼)を支配下に置きました
・現在ロベルタの為の義肢を作っています
・葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)の存在を認知しました
・まだ討伐令の事を知りません
【ロベルタ@BLACK LAGOON】
[状態]両腕欠損、重度の薬物症状、魔力消費(超極大)、肉体的損傷(極大)、意識不明
[令呪]残り一画
[契約者の鍵]無
[装備]銃火器類多数(現在所持している物はベレッタ92F)
[道具]『翡翠のシルハ』
[所持金]かなり多い
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を獲るために全マスターを殺害する。
1.ジョナサンを殺害する為の状況を整える。
2.勝ち残る為には手段は選ばない。
3.ジャバウォックは使えない
[備考]
・現在所持している銃火器はベレッタ92Fです。もしかしたらこの他にも、何処かに銃器を隠しているかもしれません
・高槻涼の中に眠るARMS、ジャバウォックを認識しました。また彼の危険性も、理解しました
・モデルマン(アレックス)のサーヴァントの存在を認識しました
・現在薬物中毒による症状により、FARCのゲリラ時代に殺した日本人の幻覚を見ています
・昼過ぎの時間にメフィスト病院に襲撃を掛ける予定を立て、実行しました。失敗しました
・メフィスト病院で何が起っていたのかを知りません
・葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)の存在を知りました
・タイタスの傀儡になりました
【バーサーカー(高槻涼)@ARMS】
[状態]異形化 宝具『魔獣』発動(10%)、魔力消費(極大)
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]マスターに依存
[思考・状況]
基本行動方針:狂化
1.マスターに従う
2.破壊(ジャバウォック)
2.……(???)
[備考]
・『魔獣』は100%発動で完全体化します。
・黄金の回転を憶えました
後半の投下を終了いたします。これでひとまず予約した話は終わりです
一か月以上の長きにわたり、長期のキャラ拘束をしてしまった事を、此処に謝罪いたします
投下乙です
ロベルタはタイタスが拾ったか。しかし如何に始祖帝でもこの魔獣は扱いきれんよ。
睦月&ビースト(パスカル)、遠坂凛&バーサーカー(黒贄礼太郎)
予約します
乙
一命は取り留めたけどそのまま死んでたほうが良かったと思う最後になりそう
お疲れ様です。
今は良い拾いものと思ってるかもしれないけど「敵の主人は敵」でメフィストを敵に回してしまった気が。
苛烈なだけの狂人に成り果ててるロベルタはともかく高槻は危険性があるし。
どちらにしろ眠り病のせいでメフィストとは敵対不可避ではあった
せつらやえーりんやライドウジョナサンも襲ってくるんだぜ
地味に地雷踏んでる
遠坂凛&バーサーカー(黒贄礼太郎)の予約を破棄します。
睦月&ビースト(パスカル)投下します
魔界都市〈新宿〉という街には死が溢れていた。
道を歩くだけで、跋扈する人殺しも辞さない路上強盗や、抵抗されれば殺人に容易に至る性犯罪者に遭遇する─────この程度ならまだ命が助かる目が有るだけマシな方。
生贄を求める邪教徒、実験用の素体を求める狂科学者、人肉嗜好症の食人鬼に殺人淫楽症の狂人、寄生妖物や悪霊に操られた即席殺人鬼、購入した兵器や人体強化薬や変身薬、妖虫妖物、パワード・スーツやサイボーグ手術等の威力を試す相手を求める暴力人間etc…が襲ってくる。
それらに遭遇せずとも、飛行妖物や双頭犬といった妖物や、地下に縦横無尽に張り巡らせた通路を用い、地上の人間を前触れ無く連れ去る地底人、脳に寄生して人間を自分の餌や、餌の収集役に変える寄生妖物等が命を脅かし。
それらの危険生物を避けても、天空からの謎の落下物に潰されて死んだり、空間の歪みに呑まれてそれっきり。という事も有る。
今現在、聖杯戦争が行われている〈新宿〉には、それらの死が一切『無かった』。聖杯戦争が始まるまでは。
聖杯戦争は〈亀裂〉以外は平凡な街を、死産に終わった“魔界都市”を、再び現世に産み落とさんとする行為なのかも知れなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
あれから正午になろうとしていた。
〈新宿〉中の動物から齎される情報で、その後の聖杯戦争の展開を把握していたパスカルは、〈亀裂〉を除いては平穏な街だった〈新宿〉が、彼が生前駆けた神魔の戦場に近づいていく事を、睦月の家に居ながらにして把握していた。
尤も所詮は小動物。パスカルがまともに理解出来たのは、瞬間移動を駆使し虚空から無数の剣を飛ばす青コートの剣士と、虹を操る少女、剣や槍を振るい魔術を行使する青年、爪を飛ばす騎手、高熱を纏う鋼の鬼。そして黒贄礼太郎の常軌を逸した身体能力と不死身ぶり。
これ以外は皆目見当が付かない。例えば青年を一蹴したサーヴァントなどは、見ていた筈の鳥も獣も唯々恍惚としているだけ、恐らくは強力な魅了を使うのだろうがそれ位しか判らない。
南元町で戦ったであろうサーヴァントに至っては豪雨により確認不能。
戦っていたところを動物達が見たサーヴァント達の大雑把な姿形は理解出来たが、ステータスも戦い方も不明だった。それでも何も無いよりかはマシだろうし、
青年のマスターを除いて、マスターの姿も把握した。これで不意を衝くも逃げるも自在。確認した者達に対しては充分なイニシアチブを確立できた。
居ながらにしてパスカルは充分な戦果を得たといって良い。
更にパスカルは知らなかったが、青年のマスターについての情報が無いのは幸いだった。同じ艦娘の北上が聖杯戦争に関係していて、しかもいきなり行方不明と睦月が知っては、睦月は更なる精神的な重みに苦しんだだろう。
その後の報告で、メフィスト病院に青年とそのマスターと思しき片腕を失った少女が現れたそうだから、結局のところ死んではいないが。
─────ソロソロ動クカ。
パスカルはあの後公園での戦いに居合わせた動物達に、『蝿の王のマスターと同じ服を着た人間が多く集まる場所を探せ』と命じて街に放っていた。
パスカルは刹那が制服を着ていた事に気付いていた。あの闘争は蝿の王とそのマスターにとっては恐らくは遭遇戦。最初から戦う気だったのなら、身元がバレる様な格好でやってくるとは思えない。
パスカルは蝿の王のマスターの通う学校を突き止めその行動を監視、隙を見てマスターを殺害することで、確実に蝿の王を葬るつもりでいた。
生前に二度戦い、その強大さを身に刻んでいる蝿の王。七大罪の一つ“暴食”を司り冥府を統べる、聖四文字により天より堕とされた神々の王。
そんな代物が聖杯への途上に居るのだ。原因は不明だが、存在が著しく矮化している今のうちに葬るのが最善というもの。
マスターを葬るという手段を用いるのは、冥府の番犬たる己が死者を呼び戻せる宝具を持つ様に、冥府を統べる蝿の王もまた、蘇生に関する宝具を持つかも知れぬと思ったからだ。
直接に蝿の王マスターを探させず、同じ服を着た者を探させたのは、直接にマスターを捜索・監視させると、聡い蝿の王に気付かれるからだ。
パスカルはあの蝿の王を決して侮ってはいない。いくら弱小化していても、魔界の副王は伊達では無い。
宝具が実質使えないパスカルにとって、動物会話スキルは切り札と言えるもの。その存在は確実に秘さねばならぬ。漏出のリスクは極小であっても避けるべきだろう。
結果としてかなり時間がかかったが、パスカルは蝿の王のマスターが通う学校を発見。後は適当な場所でマスター暗殺の機会を伺うだけだった。
パスカルには蝿の王と雌雄を決するつもりは無い。パスカルの姿は兎に角目立つ、あの難敵を相手に闘えば人目に触れるのは確実。パスカルの姿は宝具に等しいレベルでその正体を叫んでいるに等しい。
悪魔に関わりの有るマスターが居れば己の姿から正体を割り出すのは容易だろう、まして英霊ともなれば。
聖杯に至るまでに戦う者達の実力を認めるが故に、パスカルは確実さと隠匿の為に、暗殺という手段を用いる理由が有るのだ。
そしてパスカルはこの理由の為に、人目が有る時間帯は戦うことを避けねばならなかった。
此処で問題になるのは睦月だった。初戦で大きく心を痛めてしまった睦月を伴うのか、それとも置いていくのか。
妥当な線で考えれば、拠点がバレていない以上、自分がここを離れれば睦月が捕捉される可能性は極めて低い。
第一パスカルの方針はマスターの暗殺、睦月の方針に反している。
─────逃避シテイルナ。
パスカルは苦笑する。蝿の王を追い、睦月の事を気に掛ける。これを逃避と言わずして何と言う?
既に青コートの男と、蝿の王と、鋼の英雄との三つ巴の魔戦に於いて、鋼の英雄のマスター、パスカルが児童公園にて刹那の間目視した青年姿を動物達が視認し、報告を受けている。
あの多彩な戦技と熟練の戦歴とを併せ持つ蝿の王と、燃え盛る剣を以って渡りあったという青年。
パスカルが見たその姿とを併せて考えれば、ザ・ヒーロー、神魔の争闘する黙示録の世を戦い抜いたフツオに他ならない。
パスカルは聖杯に対して強い憤りを抱いた。
─────何故俺ヲフツオノモトニオクラナカッタ。
楯突いたものの願いは叶え無いというのか。
俺がフツオと殺しあうところを見たいのか。
─────フツオノ戦イヲ終ワラセズ、更ナル戦イヲ行ワセルノハ、逆ラッタモノニ安息ヲ与エヌトイウ意思カ。
聖杯に対して憤るのに比例して、パスカルのフツオへの思いは強まる。
時と場所を変えても闘争を強いられる主の力になりたかった。
だが、パスカルはフツオの捜索を命じなかったし、自分で探そうともしなかった。
命じたのは蝿の王のマスター捜索。
睦月による令呪の縛りがなければ、パスカルは即座に主を探しただろう。そうしていれば、パスカルはザ・ヒーローと共に戦い、結果として蝿の王と青コートの剣士を脱落させられたかも知れぬ。
だが、パスカルは束縛され、自由になるまでの間、行動では無く思考に時を費やした。
思考をするのは悪では無い。確実な行動の為には、確実な思考は欠かせない。
だが、この時は思考を後にして行動するべきだった。
─────フツオハ無力ナ少女ヲ躊躇ワズニ殺セルヨウナ人間ダッタカ?
パスカルの覚えているフツオは優しい青年だった。だが、出来ないかと問われればパスカルは否と返す。
人の世では無くなった時代と、人では無いものに為る事を強いた運命は、フツオから“人”を刈り取った。
フツオが聖杯を求めるのなら、女子供も斬り捨てるだろう。心の中で悼みながら。
─────フツオハ聖杯ヲ欲シテイル。
パスカルがフツオに会うことを躊躇う理由。もし聖杯を求めるフツオが己も敵と見做してきたら?
己はフツオに牙を剥けるのか?睦月を護ってフツオを斃すのか?
思考は堂々巡りを続け、答えは出ない。
運命は彼らに安息を齎す意志は全くと言って良い程に無いらしかった。
パスカルは思考の海を揺蕩っていた。ある気配─────生前では存在することがごく当たり前だった程に慣れた気配を感じるまでは。
山吹町の路地裏に其奴は居た。原型を留めない人体が散乱した中に立ち尽くす中学生位の少年は、傍目には惨劇の場に遭遇して心神喪失状態になっただけの様に見える。
だが気配を辿ってやってきたパスカルは感じていた。あの黙示録の世界を覆っていたものと同じ空気を。
─────何奴ダ?
霊体化したまま様子を伺うパスカルの前で、ソレは起きた。
「ああ…ダメだ。全然たりねぇ……いや、喰えるものはそこいら中にある…………」
少年の身体が変わる。全身に緑色に光る筋が走り、少年は人ならざるものへと変わる。
パスカルはこの地が生前彼が主と共に駆けた神魔の戦場と錯覚した。
今やパスカル前に居るのは、人間では無い。パスカルに劣らぬ体躯を持つ、純白の身体の巨虎はまさしく……。
─────ビャッコ!?
地の四方のうち西方を守護する獣。それが何故ここに?あの少年は間違い無くNPCだった。それがNPCに変わるとすれば。サーヴァントの仕業でしかあり得ない。
そしてパスカルには、こんな芸当が出来そうな手合いに心当たりがあった。
─────貴様カ!蝿の王!?
だとすればあの脆弱はこの事に力を割いていたが故か?
兎も角、周囲のNPCを襲う気でいるこの獣は放置してはおけなかった。
「オオオオオオオオオ!!!」
パスカルは霊体化を解き、猛速でビャッコの後ろから体当たりを見舞い、その巨体を宙に舞わせ、空中で動きの取れなくなった巨虎に、収束させた膨大な魔力を灼熱の火線として撃ち放つ。
「GYAAAAGAAAAA!!!」
10mの距離を瞬きよりも短い時間で飛んだ聖獣は、迫る焼滅の火線を、空中で身を捻って確認して避けようとするそぶりも見せずに咆哮。眼前に展開した水の壁が凄まじい蒸気を噴き上げながら火線を相殺する。
間髪入れず、立ち込める高熱の蒸気を貫いて、巨虎がパスカルに迫る速度で猛襲、これをパスカルは敢えて避けず正面から受け止めた。
大気が震え、大地が揺れる。暴走する大型車両衝突にも等しいビャッコの体当たりを受けたパスカルはの足元の路面が砕けるが、パスカルは聳え立つ巌の如く不動。
続けて振るわれた装甲車すら切り裂く爪撃を自身も右前脚を振るって迎撃。ビャッコの爪は愚か、前脚ごと砕いてのけた。
「GYAIAAAAAAA!!!!」
爆発音を思わせる咆哮と共に一気に5mも飛びすさった巨虎は、大きく口を開ける。その口腔に溜まる白い輝き、周囲に残っていた高温の水蒸気が一気に冷やされ結露して、路面や周囲の塀を濡らす。
上下に並んだ、鋼すら噛み裂けそうな牙の間から放たれるのは、凍滅の閃光。白く輝くアイスブレスは、その余波だけで周囲を濡らす水を氷結させて、パスカルへと音の速度で奔る。
白い輝光に挑むは、赫の閃光。音すらはるかに超える速度で鋼すら瞬時に気化する高熱の火線が白光を貫き霧散させ、再度出現した水の壁も、間断なく押し寄せる赫により遂に貫かれ、壁の後ろに居たビャッコを貫いた。
悲鳴すら上げる事無く、ビャッコは跡形残らず蒸発した。
睦月の待つ家への帰路でパスカルは思考する。
─────アレハマガイモノナドデハ無イ。
あの速度、あの筋力、己のファイアブレスを一度は防いだ水の壁。全てがパスカルの知るビャッコのそれに近い。
全く同じ─────という訳では無いが、そうパスカルが思う程に、アレは“ビャッコそのもの”だった。
─────NPCヲ悪魔二変エテ、何ヲ目論ム。
決まっている。圧倒的な数の暴力による蹂躙だ。
─────サセヌゾ、蝿ノ王。
パスカルは決意を固める。睦月が聖杯に掛ける願いの為に。未だ邂逅せぬフツオの為に。生前と死後の主の為に。必ずあのランサー、蝿の王を葬り去ると。
魔界都市〈新宿〉という街には死が溢れていた。
獣に変身した男が、妖物に憑依され全身が奇怪な変貌を遂げた女が、遠い先祖から受け継がれてきた妖魔の遺伝子が〈新宿〉の妖気により覚醒した子供が、手術で妖獣と細胞レベルで融合し、人を超えた異形の肉体を得た老人が人混みに混ざり。
尽きぬ怨念を抱いて死んだ者達の怨霊や、魔導師により召喚された奇怪な“神”や、空間の歪みによりやってきた異界の様物が廃墟に巣食い。
新型の殺人ウィルスを植え付けられ、一山幾らで買える〈区外〉には存在しない狂猛にして凶悪な毒を持つ虫にやられ、ビルを容易く貫く熱線に灰も残さず消し飛ばされ、拳銃弾サイズの小型核弾頭の残留放射能に血反吐を吐いて倒れ。
これらの死は、嘗ての〈新宿〉、〈亀裂〉を除けば、人界に幾らでも有る平凡な街、死産に終わった魔界都市には存在しなかった。
しかし、今では、〈新宿〉にこれらの死が溢れつつある。
この聖杯戦争は、関わった者達の意図とは関係無く、新たな“魔界都市”を人の世に産み出そうとしていた。
街路を征くケルベロスもまた、実体化していれば“魔界都市”を彩るに相応しい存在だった。
パスカルが出て行った家の中、睦月は驚愕に震えていた。
突如光だした契約者の鍵、映し出されていたのは、今朝、凶刃を振りかざして自分の命を奪おうとした男だった。
しかし睦月の意識を捉えたものは、ザ・ヒーローでは無かった。
「放射線……?」
初めて聞くが、どこか嫌な響きの言葉だった。睦月や如月が必死に護り抜いたものを、穢し傷付けられたかの様な、そんな響きの言葉だった。
その感覚が何なのか、睦月一人では答えは見出せそうに無かった。
【早稲田、神楽坂方面(山吹町・睦月の家)/1日目 午前12:30分】
【睦月@艦隊これくしょん(アニメ版)】
[状態]健康、魔力消費(中)、弱度の関節の痛み、精神疲労
[令呪]残り二画
[契約者の鍵]有
[装備]鎮守府時代の制服
[道具]
[所持金]学生相応のそれ
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を手に入れる……?
0.……
1.如月を復活させたい。でもその為に人を殺すのは……
2.出来るのならば、パスカルにはサーヴァントだけを倒してほしい
3.この男の人…!?
4.放射線…?
[備考]
桜咲刹那がランサー(高城絶斗)のマスターであると認識しました
ザ・ヒーローがバーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)のマスターであると認識しました。
パスカルの動物会話スキルを利用し、<新宿>中に動物のネットワークを形成してします。誰が参加者なのかの理解と把握は、後続の書き手様にお任せ致します
遠坂凛の主従とセリュー・ユビキタスの主従が聖杯戦争の参加者だと理解しました
ザ・ヒーロー及びクリストファー・ヴァルぜライドに対する討伐令を知りました。
【早稲田、神楽坂方面(山吹町・睦月の家の近所)/1日目 午前12:30分】
【ビースト(パスカル)@真・女神転生】
[状態]霊体化
[装備]獣毛、爪、牙
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯の獲得
1.ザ・ヒーローの蘇生
2.蝿の王が戦力を揃える前に殺す
3.フツオと遭遇したらどうするか……
[備考]
ランサー(高城絶斗)、バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)と交戦。桜咲刹那をマスターと認識しました
ランサーが高い確率で、ベルゼブブに縁があるサーヴァントだと見抜きました
戦闘中に行ったバインドボイスは、結構広範囲に広がってたようです。
ザ・ヒーローのことはちらっとしか見てません。なので自分の知る主と同一人物なのか確信に至っていませんでしたが、その後の情報でフツオとほぼ確信しました。
ある聖杯戦争の参加者の女(ジェナ・エンジェル)の手によるチューナー(ビャッコ)と交戦、<新宿>にNPCを悪魔に変える存在が居ると認識しました
NPCを悪魔化させているのがランサー(高城絶斗)と推測し、彼の弱体化をNPCを悪魔化させている為と推測しました。
桜咲刹那の通う学校を把握、現在は桜咲刹那の拠点を探っています。
桜咲刹那を殺害し、ランサー(高城絶斗)を確実に葬り去ると決意しました。
投下を終了します。
おかしなところが有ればご指摘ください
>>魔胎都市〈新宿〉
うーむ、やはり動物を使役して状況を把握出来るってのは地味に凄い。
魔術や魔力を介して操ってる訳じゃなく、動物が自分の意思に従って行動してるから、誰にも怪しまれずに諜報活動が出来る。
ケルベロスは宝具が事実上存在しないサーヴァントも同然ですけど、この動物会話が第二の宝具(FGO並感)って感じで、本当これがキモになるんですよね。
その動物会話の活かし方も見事なら、動物が幻十に見惚れて情報を上手く伝達できなかったと言う配慮も非常に上手く、感心させて頂きました。
だが何と言っても素晴らしいのは、ザ・ヒーローが既にこの聖杯戦争に参戦してるマスターであると気付いている点。
十何年経っても慕い続けて来た主が、よりにもよって聖杯戦争の参加者で、しかも自分以外のサーヴァントを従えている、と知った時のケルベロスの気持ちは、
果たしてどれだけ複雑なのでしょうね。この後、そのフツオが従えている鯖がよりにもよって偏差値-999999999999999999999のヴァルゼライド総統だと知った後の、
どう言った思いを抱くのかも、見物ですね。そして、原作じゃかなり高位の聖獣であるビャッコに変身するNPCを葬ってチューナーの存在を知りましたが、
チューナーを生み出し続けるサーヴァントの正体がジェナでなく、筋違いにも程があるタカジョーくんと誤認したパスカルの行方は果たして。
ご投下、ありがとうございました!!
葛葉ライドウ&セイバー(ダンテ)
雪村あかり&アーチャー(バージル)
一之瀬志希&アーチャー(八意永琳)
アーチャー(那珂)&オガサワラ
伊織順平&ライダー(大杉栄光)
ムスカ
結城美知夫
遠坂凛&バーサーカー(黒贄礼太郎)
ザ・ヒーロー&バーサーカー(クリストファー・ヴァルゼライド)
白のセイバー(チトセ・朧・アマツ)
赤のアサシン(ベルク・カッツェ)
黒のアーチャー(魔王パム)と愉快な仲間達(英純恋子&レイン・ポゥ)
宮本フレデリカ(NPC)
魔将ク・ルーム
タイタス十世(疑似バーサーカー)
予約します。予約内容から察せられる通り、下手したらまた1ヶ月コースになってしまうかもしれませんが、ご容赦の程を
こマ?たまげたなぁ…
本当は次の三スレ目のOPにする予定だったのですが、予想以上に長くなったので、番外編と言う形で投下します
「聖杯、ですか?」
黄土色の砂漠が、広大無辺に広がっている世界だった。
周囲一里、いや、百里に掛けて、ずっと同じ光景が広がっているのかもしれない。地面には草もなく、何某かの動物の骨も転がっていない。
ただただ単調に、黄色い砂粒が敷き詰められた風景が、世界の果てまで続いてるような場所だった。此処では既に風も死んでいるらしい。
地面には足跡は当然の事、風によって生じた紋様すら見られない。此処は、もう老いて死んだ世界であるらしかった。
数千年は生きられる程の水と食料があったとしても、真っ当な人間ならこんな世界、一日たりとも正気を保てまい。
そんな世界に、青いスーツを身に纏う麗女であるエリザベスはいた。このような世界は、世界を超え、幾つも渡り歩いているとザラにあるのだ。
彼女にとっては珍しくもない世界。……但し、そんな誰からも見捨てられて久しい世界に、悪魔がいると言うのならば、話は別だが。
「説明が必要かね?」
エリザベスの言葉に対してそう反応するのは、純金を溶かし不純物を精錬させ、糸の形にした様な、見事な金髪をしたブラックスーツの美青年だった。
仕立ての良いそのスーツは宇宙の闇を裁ち鋏で切り取ったような、吸い込まれるような黒をしており、彼以外の者がこのスーツを着用しても、
気障ったらしい気取った風にしか見えないだろう。この男だからこそ、そのスーツが似合っているのである。美しいから、ではない。この男の正体が、人ではないからだ。
「いえ、聖杯の事ならば理解しております。問題は――」
「それで、君の願いが叶うのか。だろう」
「えぇ」
そもそもの切欠はこの世界を渡り歩いていたエリザベスの下に、目の前の青年、ルイ・サイファーがやって来た事が原因だった。
彼は、彼女が如何なる素性の持ち主なのか、完璧にリサーチしていたらしい。開口一番に、エリザベスの名を口にしたのである。
とは言え、その程度ではエリザベス――力を管理する者は驚かない。知っているのだ、目の前の存在が何者であるのか。
中天に浮かぶ老いたる太陽、死に掛けの太陽光に照らされて地上に伸びる、ルイの影。彼の影には、三対六枚の翼が生えていた。
影を見ずとも、アナライズの魔術を用いずとも解る。この男の正体は、つまりはそう言う事だ。ならば、己の氏素性を知っていても、何らの不思議はあるまい。
「結論を先に述べよう。出来ない。人の誰もが心の奥底で抱いているとされる、自己と他人の死に触れたいと言う欲求、自滅の因子――エレボス。世界の果てでそれを封印する鋲になった少年、有里湊。彼を救うのは、聖杯程度の願いでは不可能なのだよ」
「何故でしょう?」
「身も蓋もない言い方になるが、聖杯で叶えられる願いのキャパシティを超えているんだよ。湊少年が、『死(ニュクス)』に触れたいと言う感情を堰き止める蓋になった事は知っての通りだろう?」
「はい」
「その時、彼が地球を覆わんとする死の抱擁を防ぐのに、荒波に例えられる程の人心の波濤を食い止めようとするのに、彼が宇宙と等価の力を全て使った事も勿論知っているね?」
「……聖杯には、宇宙(ユニバース)の力を覆す程の力はないと」
「素晴らしい。一を聞いて十を知るのは良い事だ」
「それでは貴方は、何の為に私の下へとやって来たのですか?」
――有里湊少年を救う術を知っている。それが、ルイ・サイファーがエリザベスに対して投げ掛けた言葉だった。
罠だ、そう思った。そして同時に、或いは、とも思った。既にベルベットルームを離れてからどれだけの時間が経過した事だろう。
百年を超えた辺りから、数えるのも愚かしくなり、湊を救うと言う目的の達成にのみ専念し、動き続けると考えた。千年、いや、一万年経過していても驚かない。
幾千幾万もの昼と夜を迎え、それでもなお、湊を救う術が見つけられない。心と精神が疲労し、摩耗しかねない程の長い長い時間。
常道では救えない事は初めから解っている。常道ではない、傍から聞けば外道としか思えぬ手段にも焦点を当てて世界を捜し尽した。
それでも、彼を救うには足らないのだ。それでも、諦めずに世界を放浪し、そんな折にルイがやって来た。有里湊を救える術を知っている、と言う甘言を口にしながら。
ルイの正体を知っているエリザベスが警戒しない訳がない。
この男の提案を呑む事は即ち、我が身の破滅である。いや、己の身が砕け散って、湊を救えると言うのなら喜んでそれをやって見せる。
目の前の大魔王の提案を呑む事は、その愛する湊の破滅をも意味するかも知れないのだ。だから警戒していた。
だが同時に、目の前の魔王は、エリザベスよりもずっと悠久の時間を生き続けており、其処から来る知識と経験は恐ろしい程豊富である。深遠、とすら言っても良い。
彼ならばもしかして、己の若い魂を犠牲にした、あの尊い青年を救える術を知っているのでは。心の何処かでそう思わない、筈がなかった。
「まぁ待ちたまえ。聖杯の話をしたのは、これからの話を解りやすく進める為の、フリ、のような物でね。これから話す」
「伺いましょう」
「聖杯戦争、と言う名前を知っているかね?」
「洋の東西の英霊や神格、悪魔を記録している座から、彼らをダウンロードし、戦わせる儀式の事でしょう?」
「話が早くて素晴らしい事だが、何処で知ったのかな?」
何故エリザベスが聖杯戦争の事を知っているのかと言うのは、単純な事。世界を渡り歩く内にその儀式の事を知ったからに他ならない。
「時の翁、シュバインオーグと名乗る方から教わりました。私には、邪法にしか映りませんでしたし、それでいて、私の願いを叶える力もない。その時は大して興味もありませんでしたが」
「普通の聖杯戦争であるのならば、それは仕方がない事だろうね」
含みを持った言い方である。エリザベスは無言を以って催促を行う。
「君の言った通り、尋常の聖杯戦争では湊少年の魂を救う事は出来ない。故に、尋常でない聖杯戦争を行う必要がある」
「尋常ではない……?」
「君の聞いた聖杯戦争が如何言ったものかは知らないが、少なくとも君の願いを成就させるには、私の知っている聖杯戦争のありとあらゆる前提を根底から変える必要がある。参加人数、開催の為の霊地、そしてそもそもの聖杯自体を。およそ考えられる全ての要素を変え、其処で初めて、お膳立てが整う」
「それだけ変えれば、可能性はあるのでしょうか」
「ゼロだね」
余りにも即答だった。
「願いを叶える代物が、聖杯戦争の儀式の過程で編まれた聖杯であるのならば、君の願いは絶対に叶わない。聖杯自体を変える必要がある、と言うのは此処にあるんだ」
「……」
「天の玉座、について知っているかな」
「アカシックレコード……」
「やはり知っていたね。これを用いる」
「それこそ不可能です」
エリザベスの方が、今度は即答した。面白そうに、ルイの唇の端が歪んだ。
「アカシックレコード。その存在は私も知っておりますし、どう言うシステムの下成り立っているのかも存じております。それらを加味した場合、アカシックレコードを操る事など絵空事である事が解る筈です」
「何故、かね」
「アーカーシャ層への到達……これは、私でも出来ない事はありませんが、問題は後の二つ。どうやってアカシックレコードを操作するか。そして最大の問題――アカシックレコードの管理者をどう欺くか、です」
「全く、君は本当に聡明な女性だな。本気で、湊少年を救いたい事が良く解るよ」
実にたまらない、と言うような感慨深い声音でルイが言う。惜しみない称賛の念が、彼の身体から発散されていた。
「君の言う通り、アカシックレコードを操るには只人には三つの難事がある。先ず、記録の存在するアーカーシャ層への到達だが……これ自体は、確実とは言えないが君でも可能だろう。問題となるのが後の二つ。アカシックレコードをどう操作するか? そして、天の玉座に座る者の妨害をどう防ぐか」
「アテはあるのですか?」
「なければこんな話はしないよ」
ルイの不敵な笑みが、強まった。笑みの中でチラつく影を、エリザベスは見逃さなかった。
「最大の難事であるアカシックレコードの管理者についてなのだが、これについては最早考えない方が良いかも知れないな」
「……と言いますと?」
「ポラリスは既に滅び、天の玉座と言うシステム自体が既に破壊されている」
「馬鹿な……!?」
それまで鉄面皮のような表情を保っていたエリザベスの顔つきが、初めて驚愕に歪んだ。
アカシックレコード、つまり天の玉座に座って遍く並行世界を管理する存在とは、北極星の名を冠する超越者の事を指す。
彼らは数千年周期で玉座を代変わりさせねばならないと言う絶対的な原則を持つ。地球から見た北極星が別の星に周期して行くのにそれは似ている。
現在のアカシックレコードの管理者の三代前がベガ、二代前がトゥバン、前代がカウカブ、そして現在がポラリスで、その二千年程先の次代にはエライが座る。
そう、エリザベスは記憶していた。アカシックレコードのシステムは絶対の筈、レコードの管理者を滅ぼすと言う事自体が既に不可能であるのに、アカシックレコードを運営するシステムそのものが完璧に破壊されるとは、理解が最早及ばなかった。
「実を言うと、私も君と同じような心持でね。最初はそんな事がある筈がないと思ったのさ。だが調べてみた所、それが事実だと解った。ポラリスは何て事はないただの人間の手によって破壊され、彼らの更に上位に君臨する老星王カノープスも、人の手で粉砕されている」
それを語るルイの表情は、酷く喜んでいるように見えた。
名も知らぬ人間の行ったその所業を、我が子の成した偉業を眺める父のように、彼は喜んでいるようだった。
「さて、このアカシックレコードのシステム及びその管理者についてなのだが、現在はそのたった一人の人間が全てをこなしている形になっているそうだ。その隙を突く」
「相手が人間ならば、付け入る隙があると」
「良くない言い方だが、その通りだね。もしも管理者がポラリスであったのならば、確実にこの作戦は失敗した事だろう。管理者が人間であるのなら、多少の情があるかも知れない。つまりは、アカシックレコードを操作しても許して貰える蓋然性が高い、と言う事だ」
つまりは、管理者が人間に対して理解のある存在になったからこそ、初めて光明が見えて来たと言う事か。
しかしやる事と言えば、管理者が人間である事を利用して、人情に訴えかけると言う極めて低俗な作戦だが、成程。
確かに失敗もするかも知れないが、成功もするかも知れない。
「何故、アカシックレコードと聖杯戦争が関係するのか、と言う事をそろそろ説明せねばなるまい」
「お願いします」
「先ず、我々の方で強引にアカシックレコードに干渉した方が早いと思うだろうが、これは失敗する可能性が高すぎる。何せ私は、人ではなく悪魔を従える者だ。私が無理やり力でレコードを操ろうとすれば、向こうも強大な力で我々に対抗するだろう。これは、非常に宜しくない」
確かにそうだろう。悪魔、況してや大魔王である目の前の男が本気でアカシックレコードに干渉しようとしたのならば、管理者としては黙ってはいられまい。
だが、ルイの心配事はエリザベスの事よりも、自分の部下連中の事の方が大きいに相違ない。彼は、多くの部下や魔界の悪魔や神々を傘下に擁する身である。
徒に己の臣民を疲弊させないと考慮するのは、王として当然の務めであろう。
「聖杯戦争と言う形を表向き取り繕うのは、『人間同士が行った儀式の末にアカシックレコードへと到達出来た、と言うポーズ』さ。私達が全部指揮したと言う訳ではない。あくまでも人間が主体となって行った儀式の結果、アーカーシャ層へと辿り着けた、と誰もが思えるような外観が出来れば良い。こうする事で、管理者から妨害される可能性をゼロに近付けさせる」
「仰るところは理解致しました。ですが、何故其処で聖杯戦争と言う迂遠過ぎる儀式を行う必要性が?」
「最大の理由は、君の目的が達成しやすいような、戦闘を交えた形式だから、と言う事だが、それ以外にもある。如何に管理者が頭の固い北極星から人間に変わったとは言え、アカシックレコードの操作は危険を極める。アーカーシャ層へと赴きレコードを操ると言う事にも本来は死の危険が付いて回る。抑止力だ、解るね?」
アカシックレコードとはまさに世界の『根源』に相当するシステムであり、これを操作するとなると、世界を維持しようとさせるシステムもまた、
黙ってはいない。つまりそれこそが、抑止力と呼ばれる、星或いは宇宙の運営を滞りなく行う為の機構である。
「実は聖杯戦争と言うのは、君も御存知のあの聖杯が本当に顕現すると言う訳ではなく、大量の魔力を内包した規格外の礼装が顕現するに過ぎない。そしてその礼装の魔力と言うのが即ち、サーヴァントの魔力。そう、聖杯戦争に於いてサーヴァントを殺し合わせるのは、正にその聖杯にサーヴァントの魔力を溜めておく為なのさ。これは知っていたかね?」
「其処までは聞いておりませんでしたわ」
「私の考えでは、こうなる。聖杯戦争に参戦させる主従は二十八体。その内の九体の魔力で、確実にアーカーシャ層へと続く孔を空け、続く九体の魔力でアカシックレコードを操作する為の資格を偽造し、残りの九体の魔力で抑止力或いは管理者からの妨害を防ぐ為の機構を作る。つまり、聖杯戦争と銘を打つが、聖杯は現れない。あくまでも、サーヴァントを召喚させ戦わせると言う形だけを借りた儀式だ。二十七体のサーヴァント全て倒し終えた主従を、最後に君が下せば、我々が別所に設置した、消滅したサーヴァントの魔力を溜めておく為の器。これを利用して君は君の願いを叶えれば良い」
「その計算だと、一人は余りませんか? 私の勝利で終ると言うのならば、サーヴァントの数は二十七体で良い気がするのですが」
「サーヴァントの持つ力は超常のそれだ。最悪、私の紡いだ計画すら予見しかねない者もいるのでね。余分に一体多くしたのは、公平性の演出さ。君の言う通り確かに二十七体でも本当は聖杯戦争は回るのだが、余分な一体は、聖杯戦争の参加者から見た場合の、『最後の勝利者』、つまりは生き残りになる。仮に私の計画を読める程の神算鬼謀の持ち主が、此度の聖杯戦争をアカシックレコードを用いるそれだとして、参加者の総数が二十八体であるならば、裏に潜む我々の真意に疑問を抱かないだろう? つまりは、保険だよ。不穏な目は早期に潰すものだ」
考え込むエリザベス。ルイの計画は、遠大なものだった。アカシックレコードを操作する、と言う事は凄まじいまでの難事で、通常は不可能である。
だが、彼の考えた計画は、一見すれば荒唐無稽に思えるようだが、それでいて説得力に富み、成功と失敗の可能性が半々程と人に足を踏み切らせるに足る力があった。
今までエリザベスが旅してきた中で見つけて来た方策は全て、湊の魂を救うには至らないものだった。1%もないのが殆どだった。
そんな中で、ルイは破格とも言うべき、成功率が三割を超え、五割にも達する程の方法を提示して来たのだ。エリザベスが、惹かれない筈がない。
彼女の心は疲れていた。そして、湊に急いで救いを差し伸べたいと思っていた。アカシックレコードを操作出来るのならば、直ちにそれが可能なのだ。
――しかし、エリザベスの中にある良心が、直にルイの提案に飛びつく事を許さなかった。
「人を、殺さねばなりませんか」
胃に、石でも詰められたような顔と声音でエリザベスが言う。
其処が、最後の牙城だった。聖杯戦争は前提として、人の死が避けられない。参加者は元より、聖杯戦争が開催される舞台においても、死神の跳梁が避けられない。
それは、彼のシュバインオーグから聖杯戦争の概要を聞いていた時点で知っていた。自分の欲望の為に、何の罪もない人間を殺せるか。
其処が、有里湊を救えるかどうかの分水嶺、最後の牙城であった。
「平穏無事に、終わるとでも思っていたのかな?」
ルイの答えは、平時と変わらないそれだった。
火は水を浴びせ掛ければ消える、と言うような、常識でも語る様な口ぶりである。人の死ぬ儀式をエリザベスに勧めておいてなお、この男の態度は恬然としたそれだった。
「湊少年の行った事は、正直に言って私から見ても比類ない偉業だと思う。己の命を差し出す事が素晴らしいのではない。己の命と一緒に、積み上げて来た力も、それまでの輝かしい未来も、築いてきた絆も、全て投げ出したと言う事が素晴らしいのだ。彼は、己の全てを差し出し、その後得られる筈だった『真の全て』を差し出してまで世界を守った」
「……」
「君のやろうとしている事は、そんな偉大なる彼の行いを根底から覆そうと言う事だ。偉大なる行為を根底からひっくり返すと言うのは、大それた難事だ。まさか、何の痛みも労苦もなく、湊少年の魂を救えると、思って居た訳じゃないだろう?」
ルイに言われるまでもない事だった。
有里湊を救う為にベルベットルームを捨て旅に出ると決めた瞬間から、そんな甘い方法はないだろうとエリザベスは思っていた。
そしてその予測は真実その通りだった。予想外だったのは、そんな甘くない方法ですら、湊の魂を救えないと言う事だった。
ベルベットルームを飛び出して、もうどれ程の時間が経過したのかエリザベスも解らない。湊の魂を救うあらゆる方法を模索して見たが、どれも決定的ではない。
目の前の男の提案を呑めば、救えるだろうか? 救える確率がゼロから五割になるなど、凄まじい進歩だった。普通ならば、その提案を呑む。
だが、その為に自分は無辜の人間を殺さねばならない。畜生道を歩み、地獄道への入口まで自ら向かわなければならない。後は、覚悟だけだった。
蛇の言葉が、自分を地獄へと誘う言葉であると知りつつもなお、ルイの提案を呑めるかどうか。其処が、エリザベスの分水嶺だった。
「無理強いはしないよ。我々の方でも、成功するかどうかの見通しが不透明なのは認める。それを理解していてなお、私達の力を求めるのであれば、是非とも声を掛けて欲しい」
そう言ってルイは、その場から消えようとするが
「お待ち下さい」
それを、エリザベスが引きとめた。
「決断が速いな。決まったのかい?」
「九割九分……私の心は決まっております……ですが、残りの一分。どうしてもハッキリしておきたい所があるのです。それを、問い質してから、改めて返事をします」
「伺おう」
改めて、ルイはエリザベスの方に向き直った。彼女の表情は、冷たく、引き締まっていた
「考えてみれば……当然の疑問です。それが、この瞬間まで思い浮かばなかった事は、正直恥ずべき事であると思っております。お聞きしたいのは、まさに其処です」
「フム、それは?」
一呼吸おいてから、エリザベスは口を開いた。瞳を鋭く引き絞らせ、嘘は許さないと言うような表情をしながら。
「私にその提案を投げ掛けておいて、貴方には何の得があると言うのです?」
――そう言えば言い忘れたな、と、自分の失敗について苦笑しながら、ルイは口を開いた。
「――――――――――――――――――」
声は、この世界に数千年ぶりに吹き荒んだ大風に掻き消され、まるで聞こえなくなった。
場所は、創世が行われぬまま、何万年も経過したボルテクス界。其処に、世界が動いている事を証明する一陣の風が凪いだ事を知る者は、二人を除いて誰もいない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
エリザベスは、ルイの提案を呑んだ。
呑みはしたが、その計画は直ちに行われると言う物ではないらしい。ルイにしても、お膳立てに時間が掛かるらしく、それが終わるまで待って欲しいと言っていた。
――君を騙す為のお膳立て、と言う準備ではないよ。先に言っておくが――
無論、エリザベスもそれはないだろうと思っていた。
ルイを信頼している訳じゃない。仮に目の前の悪魔が自分を本気だ騙そうとするのならば、交える嘘はたった一つ。
しかし、自身を破滅させる足る程深刻な物を用意するだろうと考えていた。何から何まで嘘で練り固めるのは、この男の矜持に反する。
九割の真実と、一割の嘘。真の悪魔とは、これだけで生身の人間を破滅させられる。だからこそ、『悪』なる『魔』なのである。
エリザベスはルイに、契約者の鍵と呼ばれる物を幾つも渡しておいた。
資格のある者には、この鍵はベルベットルームに辿り着ける為の文字通りのキーアイテムとして機能するが、それ以外の物には、単なる魔力の凝集体。
これを、聖杯戦争の舞台へと招かせる為の招待状と、二人は設定した。だが問題は、何処で聖杯戦争を始めるか、と言う事である。
ルイは、この舞台を整える事が、時間が掛かると言っていた。この舞台に本気を出さねば、計画は失敗する。だから時間が欲しいと、彼は言っていた。
それを、彼女は受け入れた。その時に、彼は彼女に、一つの道具を手渡していた。そしてそれは、エリザベスの手に握られている。
真鍮製の燭台(メノラー)だった。
並行に七つに枝分かれしており、其処に突き刺された蝋燭は新品同様で、一度も火を付けていない事が解る。
千年の時間を経た古城に設置されるに相応しいそれが、何故エリザベスの手にあるのか。さにあらん、これこそが、ルイが彼女に手渡した道具だった。
――……こちらは?――
――『王国のメノラー』、と言ってね。魔界のある部分を照らす為の道具なのだよ――
――王国……つまりは、マルクト、カバラにおける生命の樹(セフィロト)ですか。ただの道具ではない事は解りましたが、どう言う使い方をするのですか?――
――我々の方で準備が整ったら、このメノラーに火が灯る。そして君は、これを触媒にサーヴァントを呼び出すんだ――
――このメノラーを触媒に、ですか?――
――断言しても良いが、君自身に備わる資質と、王国のメノラーを触媒に引き寄せられるサーヴァントは、私が用意出来る手札の中では最強の存在が引き寄せられると言っても良い――
――これを触媒に召喚する、と言う事は兎も角として、私自身の資質、と言うのは?――
――君はベルベットルームの住民、即ち『力を管理する者』だ。これによって、ただでさえ強い私の切り札が、君自身に備わる資質によって、高い確率でそのクラスが『ルーラー』に変貌する可能性が高いのだよ――
――ルーラーとは?――
――聖杯戦争を『管理』するクラス。もう解るだろう? 君も強い、呼び出されるサーヴァントも強い。そんな存在が、一参加者でなく、聖杯戦争を管理・運営する側に回るんだ。君は、極めて高い確率で湊少年を救えると言う事だ――
――管理するフリをしながら……、最後の最後で本性を表せ、と?――
――不服かね?――
――素晴らしい作戦ですわね、大魔王――
記憶の中の会話を、其処でエリザベスは打ち止めた。
そう言った経緯で、このメノラーは譲り受けた。その時から肌身離さず持っていたそのメノラーに――。
今この瞬間、その蝋燭の全てに、火がポッと灯り始めた。七つの蝋の先端には、小さいながらも、幽玄な煌めき誇る灯火が、エリザベスの前に揺らめかせていた。
準備が、整ったと言う事か。エリザベスは、それを地面にそっと設置し、手に持ったペルソナ辞典からカードを一枚取りだし、ペルソナを一体召喚する。
血のように赤いローブを身に纏った、痩せぎすで、体中に紫や緑・白色の色材を塗りたくった、未開拓の地方の呪術師を連想させる姿だった。
地獄随一の死霊使いにして、地獄の軍団を指揮する元帥にも列せられる大悪魔、ネビロスだった。
彼を召喚した瞬間、地面に設置したメノラーを中心に、十、二十、三十にも及ぶ様々な幾何学・魔術的な陣が、石の床に、壁にと刻まれ始めて行く。
その光景を眺めていたエリザベスが、コクリ、と首を縦に振った後で、ネビロスを元に戻し、目を瞑り、精神統一を行い始めた。
「素に金と鋼。礎に石と大意への反逆者。祖には阿頼耶に舞う蝶フィレモン」
蓮の花弁を連想させる、エリザベスの瑞々しい唇から、静かに低い、それでいて独特の韻律が零れ始めた。
「流れ往く禍津火には脈を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
其処まで口上を述べた瞬間、ネビロスが刻んだ魔法陣が、激しく紅色に激発をし始め、メノラーに灯った蝋燭が、激しく燃え上がり始めた。
蝋燭の大きさ自体は変わっていないし、しかも蝋が溶けていないにも拘らず、その火線だけが、薪をくべた焚火のようにごうごうと燃え上がっているではないか。
みたせ みたせ みたせ みたせ みたせ
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
恐ろしい気配が、その空間の中を満たし始める。この気配は、死そのものだった。
セット
「――――Anfang」
其処で、エリザベスは自身の持つペルソナ辞典を開き始めた。
「――――告げる」
此処で、殺意が波のように荒れ狂い始めた。
台風の暴風圏にいるような感覚をエリザベスは感じる。実際に物理的な感触こそないものの、気の弱い者ならそれだけで、
実際には風すら起こっていないのに一人でに吹っ飛んでしまいかねない程の勢いで、殺意が狂い始めているのだ。
しかも、荒れているのは殺意だけじゃない。エリザベスが告げる、と言った瞬間、それに混じって魔力ですらが、百億の獣が暴れ回るように部屋の中を循環し始めたのだ。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。燭台(メノラー)の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
更に、殺意と魔力が暴れ狂う。常人ならばこの時点で、失神、いや、死にかねない。
「誓いを此処に。我は墓の勝利に挑む者、我は果てぬ嘲りを堅忍する者、我は全ての背きと否まれを受け入れる者、――『彼』を奈落の崖と死の翳の谷より救う者」
魔法陣が、蒼白い稲妻を噴出し始めた。
荒まじいまでのスパークが空間を灼き始めるが、エリザベスと、彼女の設置したメノラーを、稲妻は器用に避けていた。避けながらも、放電は止まらない。
ピシャン、と鞭を力強く打ち付けるような音を生じさせながら、稲妻の勢いと、放電の頻度が指数関数的に跳ね上がって行く。
「――――――――――汝神の呪詛を賜る混沌、阿摩羅の彼方より来たれ、天秤の破壊者よ」
――其処で、より強い稲妻が、天井を突き破る程の勢いで、床に着弾した。
その稲妻は、魔法陣の刻まれた石の床や壁を乾いたパンのように砕かせ、その石の破片を遥か空中へと舞い飛ばさせる。
重さ数百kg程もあろうかと言うそれらの建材を、容易く空中に浮かせるなど、並大抵の事ではない。
漂い始めた石煙のと、大小様々な建材の破片。それらが全て、雲散霧消、初めから存在しなかったように消え失せて行く。
そして、エリザベスの前に露になる。人間の十代半ばかそこらの肉体に、鮮やかな緑色で縁取られた黒い入れ墨を刻んだ、蛮族風の装いの男。
様々な死線を潜り抜けてきた事を雄弁と物語る、引き絞られ、切磋琢磨された筋肉。そして、項の辺りから伸びる、黒く艶やかな角。
頭の中に、そのサーヴァントの情報が叩き込まれて行く。
このサーヴァント……いや、この悪魔は。エリザベスも知っている。世界を渡り歩きながら、その噂を幾度となく耳にしていた。
最も新しく、しかしそれでいて最も強い悪魔。ルイは、本当に最強の手札を、此方に寄越していたらしい。
――その男は、曰く。大いなる意思に呪われ、永遠を生きる事となった悪魔。
その男は、曰く。創世を成す無辺無尽光を破壊した拳を持つ悪魔。
その男は、曰く。十二枚の翼をもつ魔界の帝王の最強の懐刀であり、数多の混沌の悪魔が永劫の時を待ち続け、漸く現れた究極の存在。
その男は、曰く――『混沌王』。
「――問おう。お前が俺のマスターか」
獣が唸るような声で、ルーラーのサーヴァント、『人修羅』は、己のマスターにそんな言葉を投げ掛けたのであった。
番外編の投下を終了します。引き続き予約した箇所を執筆します
睦月とパスカルの状態表を修正してwikiに編集しておきました
いよいよライブイベントか
恐らくこのスレ中に決着を付けるのは理論上奇跡が起きても不可能だと判断しましたので、投下を終り次第、残りのレス数に関わらず、次のスレを立てようかと思っております
投下いたします
つくづく、人間と言う奴は逞しいものだと結城は思う
<新宿>で起った奇妙で、そして凶悪な、様々な事件をよもや知らない訳ではあるまい。今日だけでも、<新宿>内では恐るべき事件が幾つも起った。
バーサーカーと思しきサーヴァントによる<新宿>二丁目での大立ち回り、クリストファー・ヴァルゼライドと言うサーヴァントが起こした、
気狂いの類としか思えぬ程の環境破壊など。これだけの大事件が一日の間に立て続けに起こったら、普通はライブコンサートどころではないだろう。
しかしそれでも、人の社会と金の流れと言うものは止まる事がない。これだけの事件が起こってもなお、美城常務や、彼女の所属する346プロダクションは、
コンサートを中止する気はゼロであると言うのだ。屋外コンサートである為に、雨天か台風、また或いは災害が起こってコンサート会場自体が破壊されない限りは、
コンサートは恙なく行う、と言うのだ。最早此処までくれば、執念の領域である。そして、そんなイベントに並ぶ観客も観客だ。
<新宿>で起っている事件について知らない訳ではあるまい。それを承知で来ると言うのだから、結城にはてんでその心境が理解出来ない。
結城美知夫は、346プロダクション主導のライブコンサートの会場、即ち、霞ヶ丘の新国立競技場の内部にいた。
屋外、つまり競技場の入り口を始点とした、346プロのこのイベントに入る為の列は、正に長蛇のそれと言っても過言じゃない程であり、
この日の為に集めに集めたイベントスタッフが人を上手く効率よく並ばせ、競技場内部担当のスタッフがライブに来た客を手早く指定の席に案内しても。
列が途絶える事はない。それどころか次々と人が集まってくる。イベントを計画した側としては嬉しい悲鳴を上げたい所だろうが、
現場の方が上げる悲鳴は、過労で倒れそうなそれであるのは、やはりこの手のイベントの宿命か。
尤も、結城は今回のイベントの特別出資者――つまりは、VIPに等しい存在である。当然、通常の参加者に比べて待遇が優遇される。
一般の列に並ばせるなど以ての外、優待者専用の出入り口から内部を通され、ステージの最前列或いは、最前列以外のアイドルの姿がよく見える特等席へと案内されるのだ。
尤も結城は、それ程までにアイドルのイベントに欠片も興味がない。双眼鏡でも借りて、遠目から眺めているだけでも十分なのだが。
「人が集まって良かったですね、美城様」
と、結城が、さも他人事のような風に、そう口にする。
「全くです。今日の<新宿>で起った事件の数々を見て、胃が痛くなる思いでしたが……さしあたって、観客の動員は上手くいったようで何より」
美城が相槌を打って来る。二名は、新国立競技場のボックス席から、今回のコンサートにやって来た観客の多くを見下ろしていた。
結城程の優待客を招待する席は、桟敷席の延長線上にあるようなそれではない。VIPの座るボックス席は、冷暖房完備の完全個室である。
一室の広さは十五帖、お高いマンションのリビング並の大きさである。壁にはスクリーンモニターが設置されており、多角度からアイドルのコンサート模様を、
酒やつまみを嗜みながら楽しむ事が可能である。無論、スクリーンだけでなく生でその様子を拝む事だって可能だ。
ボックス席はメインステージ部分を上手く見れるよう角度を計算され尽くされており、視力の問題を除けば、確実に舞台の様子を観察する事が出来るのだ。
この席は、通常は金では買えない。金に加えて、主催へのコネが必要となるのだ。
そんな席から見る観客席の方は、盛況と言う言葉ですら尚足りぬ程の盛況ぶりだ。
見渡す限り人、人、人。角砂糖に群がる蟻か何かのように、万にも届かんとする人間が集まって行く様子は圧巻である。
元々この新国立競技場は、競技場と言う名前からも解る通り、元々は陸上競技を筆頭とした様々なスポーツを行う為の場所である。
つまりは、フィールドと呼ばれる場所が存在し、そのフィールドの北側付近に、仰々しいメインステージが設営されている。其処を取り囲むように、観客が続々と集まって行くのだ。
この新国立競技場の収容人数は、最大九万人にまでなったと結城は聞いている。その大台に届くのではないかと言う程の人数が、この中に集いつつある。
今にも満員御礼の垂れ幕が垂れ下がりそうな程の様子を見れば最高責任者である美城は元より、このプロジェクトに出資した結城も鼻高々であろう。
しかし結城は、表面上はにこやかな笑みを浮かべながら、この様子を眺めてはいたが、内心では酷くつまらなそうな感情を渦巻かせていた。
この場から美城が消え失せてしまえば、忽ち結城は酒の一杯でも呷り、やってられなさそうな態度を隠しもしないだろう。
仕事の一環とは言え、これ程面倒な事もない。
こう言った、融資先のイベントに顔を出すと言うのは、行員ならば誰もが経験する事である。結城は元より、彼より何ランクも仕事の出来ない者だって経験する。
仕事上の義理で、こう言う興行に足を運ぶのは、結城でも面倒な事柄だが、今回は特に気乗りがしない最悪の部類だ。
何が面白くて、年端のいかない小娘が歌って踊るのを見なくてはいけないのだ。結城は、そう言ったものには全く関心を示さない。
芸術とは即ち、命の刻限に余裕のある者だけが楽しむ事の出来る、一時の清涼剤のような物である。言ってしまえば、何時死ぬのか解らない人間だからこそ楽しめるのだ。
自分の命が最早一月、事によっては二週間とない結城が、今更芸術や芸能の類を心の底から楽しめる訳がなかった。
生前からして、結城の芸術・芸能に対するスタンスはこれに終始するが、元の世界でのMWを巡る一件以降は、特にそのスタンスは強まりを見せている。
そんな中で、このイベントである。吐き気を催したくもなると言うものだった。
此処から何時間も、年端もいかない小娘のつまらないキャピキャピした歌や踊りを見せられるのかと思うと、苦しくて仕方がない。
警察から何十時間もぶっ通しで取り調べを行われるよりもずっと苦痛の時間が続くのだ、内心気が滅入って仕方がない。
……と言うより、歌うのが十代のアイドルとかならばいざ知らず、いい歳した二十歳以上の女が、よりにもよってアイドル面して歌ったり踊ったりするプログラムも、
確か今回のイベントではあった筈だ。MWの発作がないのに頭が痛くなってくる、人生の何処をどう歩み間違えれば、二十歳超えてアイドル面が出来ると言うのか。
――フレデリカって女のライブだけ見て何とか帰れないものかな……――
そう思いながら結城は、予め手渡されていた当日の興行プログラムの予定表を眺め始める。
彼女が一番早く登場するタイミングは、どう甘めに計算してもステージ開始から三十分経過してからなのを見て、結城はより一層頭を痛めるのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
やっと此処まで来れたよ、と、順平も栄光も思ったに違いない。と言うか、実際問題思っている。
栄光が順平と合流し、コンサート会場であるところの霞ヶ丘の新国立競技場に入る為の列の最後尾に並んでから、一時間以上は優に経過していた。
この炎天下に、一時間行列に待たされるのだ。これ程の地獄があろうか。栄光の方もこれは相当堪えるらしく、三十分が経過した頃には、予め購入させておいた、
550mlのミネラル麦茶を一本丸々空けていた。それと全く同じタイミングで順平も、炭酸飲料を一本空けていた。水分を補給していなければやってられない暑さである。
そんな暑さでもなお、ライブコンサートを見ようと、灼熱の炎天下の中列に並ぶ人間がこれ程いると言うのだから、驚きと言う他がなかった。
346プロダクションが事前にどれだけ広告を打ち、そしてイベントに出演するアイドルにどれだけのファンがいるのか、と言う事を知らしめさせる証左である。
「……こいつらは、アレだよな。順平。<新宿>で起った事件を承知の上で、アイドルのイベントの為に並んでるんだよな」
「そうとしか言いようがないっしょ、今じゃ誰でもスマホの一つや二つって時代だぜ? ニュースアプリやSNS、ネットに繋げばすぐ解る事だろ」
「そうか、そうだよなぁ……何つーか、逞しいと言うか何て言うか……」
聖杯戦争の関係者でなくとも、今の<新宿>が危険な街になりつつある、と言う事は、NPC達でも理解し始めている頃合いであろう。
現に、<新宿>二丁目でもサーヴァントが大暴れをしていたし、後から知った事だが、クリストファー・ヴァルゼライドと言うバーサーカーが、
放射線を撒き散らす宝具で、地形が変わるレベルの大暴れを行ったと言うではないか。こんなの、普通は最早コンサートどころじゃないだろう。
現在進行形で、<新宿>二丁目事件が原因による交通規制に巻き込まれているコンサート客もいるだろうし、最悪死んでいる客もいるかも知れない。
しかしそれでも、主催者達はコンサートイベントを敢行するのだ。そして、そのイベントにこうまで人が集まるのだ。
人間の社会と、其処に生きる人間の力強さや図太さ、と言うのは、NPCであっても変わらないらしい。恐れ入る、としか言いようがない。
こう言った一大イベントが起こると、何処からともなくやってくる、ある者達が存在する。
テキ屋、と呼ばれる露店や屋台の類である。歩道のみならず、新国立競技場の敷地内にも、それらが店を出し、商売に精を出しているではないか。
焼きそば、たこ焼き、りんご飴。綿あめ、焼き鳥、大判焼きにかき氷などの食べ物から、射幸心を煽る、本当に当たりが入っているのか如何かが疑わしいくじ引きに
糊やテープで固定して当たりの品を落ちないようにしている射的等々。出店する屋台の内容は様々だ。
こう言ったテキ屋の中には、ヤクザ絡みの人間が経済活動の結果手に入る金銭、即ち『シノギ』を稼ぐ為にやっている事も、間々ある。
実際に、明らかに普通の筋ではなさそうな人物が、焼きそばを焼いていたりたこ焼きを回していたりしているのを、栄光は一時間の待ち時間で見て来た。
こいつらもこいつらで、<新宿>が滅茶苦茶になりつつあるのに、よくも知らぬ存ぜぬの顔で商売が出来るものだと感心してしまう。
恐らくは、<新宿>の全てが明日にでも廃墟になっても、この人種は生きのびて、自分達が仕切ろう仕切ろうと前に出て来るに違いない。褒めこそはしないが、この商魂の逞しさは、賞賛に値すると言えよう。
「どうした、屋台なんて見てよ。焼きそばでも食いたいのか? えいこー」
「奢ってくれるんだったら喜んで食べてやっても良いぜ?」
「今金欠気味だしちょっとナシで……」
「冗談だよ。……いや、何、今もウンザリする位実感してるだろうが、この人の数だ。凄まじい以外の何物でもないだろ?」
栄光に言われるまでもない事だった。後ろを振り替えて見れば、まるで長絨毯のように何処までも続いている人の列。
そして前を見ても、それは同じ。漸く敷地内に入れるか如何かと言う位置に順平達はいるが、その近くに、看板を持ったコンサートスタッフの女性が、
その看板を此方に向けているのが解る。受付まで残り二百m、それが看板に書いてあった内容だ。冗談だろ、と二人は思ったに違いないだろう。と言うより実際思っていた。
「まぁ、人の多さは今更感はあるな」
【其処でお前に一つ質問する。この新国立競技場、確か最大収容人数は余裕で五万を余裕で超え、六万飛んで九万人を超すらしいじゃないか。これだけの場所に、サーヴァントが襲撃を掛けに来ると思うか?】
このタイミングで突然、栄光が念話による会話を行ってきた為、順平も慌てて、念話で言葉を返す。
【……ちぃと考え難いんじゃないかと思う】
【どうしてよ】
【仮に、この競技場に九万人……それよりも大幅に低く見積もって、五万人此処にやって来ると仮定するだろ?】
【おう】
【五万人ってお前、簡単に言うけどそりゃもう凄い人数だ。少なくとも、あの競技場に五万人もいたら、人だらけだろうよ】
【まぁそうだ、万人の大台ってのは相当なもんだからな】
【んで、俺達は契約者の鍵の通達で、少なくとも『百人超えるNPCを殺したら、討伐の対象になる』事が解ってる】
契約者の鍵を見ればそれは明らかだ。明らかなイレギュラーであるクリストファー・ヴァルゼライドの事例は例外として、
セリューと凛の主従は、どちらも百人を超えるNPCを殺した事が発覚した為に主催者直々に指定した賞金首になっているのだから。
【五万人って言ったらよ、一割で五千人、一分で五百人だぜ? つまり、あの会場の中に集まった総人数のたった1%殺すだけで、もう討伐令の対象になるんだ。総人数の1%だぜ? 万人超す人間がいる中で、実際一人も被害を出させずに敵サーヴァントだけを殺す何て、アサシンクラスでもなければ土台無理な話だろ。それに、たとえアサシンクラスでも、暗殺者のサーヴァントが態々これだけ人がいる所に打って出るってのもちょっと考え難い。……まぁ要するに、此処でドンパチをおっぱじめる事のリスクを考えたら、襲撃なんか考えられないんじゃないか、って俺は思う訳】
【なるほどな〜……。ちょっと馬鹿そうに見えて、意外と計算が出来るんだな】
【お、お前ねぇ……俺だってやる時はやるタイプよ? 一夜漬けでこの伊織順平様の右に出る者はいないんだから】
【はは、悪い悪い。想像以上に良い見地から物見てるなって思ってよ。確かにお前の言う通り、そう言うリスクを計算して、襲撃を仕掛けて来ないサーヴァントの方が殆どだ】
【だろ?】
【但し――】
其処で、栄光は言葉を区切った。
【ごく稀だが、こういう時に限って襲撃を仕掛けてくる奴、って言うのが存在するんだ。サーヴァントやマスターってのも様々だからな、こいつらも計算に入れる必要がある】
【それは?】
【単刀直入に言っちまえば、『目立ちたがり屋』だ】
【何だそれ、目立ちたい為に危険を冒す奴がいるってのか?】
【確実にいる。んで、そう言う奴は二つのパターンに別れる。一つが、純粋にただ目立ちたい、自己顕示欲って奴を満たしたいだけの奴。これは問題じゃない。もう一つの方が厄介なんだ】
【それは?】
【『目立つと言う事が戦略上優位に働くスキルや宝具を持ってる奴』のケースだ】
栄光の言葉に、順平は考え込んだ。目立つ事が、有利に働くとはどう言う事だろう。そう考えたのである。
【説明する。例えばさ、その五万人がいる会場に、サーヴァントが現れて人を殺すわ喰らうわの大立ち回りをしたとする。そんな奴に対して、NPCが抱く感情は何だと思う?】
【そりゃ、ビビるだろ。言い換えれば、恐怖って奴? 俺だってそんな奴が現れたら、先ずそんな気持ちになるぜ?】
【大体、何人程度の奴がビビると思う】
【……状況にもよるけど、その五万人のNPCから良く見える位置から、そんな大立ち回りをやって見せたとして……二万人以上は普通に恐怖するだろ】
【其処がポイントだ。『皆が一様に同じような感情を抱く』って所が、この場合のミソになる】
栄光は其処から、説明を続けて行く。
【俄かに信じ難い所だろうけどよ。世の中にはな、人の特定の想念が集まれば集まる程強くなる奴ってのがいる訳よ。今話した例じゃ、恐怖だな。つまり、多くのNPCが自分に対して恐怖を抱けば抱く程、強くなる奴ってのがいるんだよ。無論、恐怖以外の時だってあり得る。そいつに対して希望を抱いたり、勇気付けられたりでも何でも良いんだ。兎に角、『多くのNPCがそのサーヴァントに対して抱いたある感情が、そいつの強化に繋がる』、って事があるかも知れないんだ。其処を注意しておいた方が良いかも知れない】
【でもよ、そう言うサーヴァントが、聖杯戦争に招かれてるとは……】
【そうだな、確かに限らない。だが、そう言う存在は間違いなくいるんだ。いるからこそ、警戒する必要がある】
栄光がそう言った存在を何故事前に知っていて、それでいて此処まで警戒しているのか。それには訳がある。
それは、ある思いを抱いた人間の数が多ければ多い程己の強化に繋がる存在が、嘗て栄光の仲間だった事があり、そして敵であった事があるからだ。
それこそが、盧生・柊四四八、盧生・甘粕正彦だ。二人は共に、自分の姿或いは脅威に対して勇気を抱いた者が多ければ多い程、天井知らずに強さが上昇して行く、
極めて特殊な技を持っていた。勇気を抱く者が多ければ多い程、強さが上がって行く。それは言葉にしたら、とても地味なものになるだろう。
しかし四四八と甘粕はその地味な技が極まった末に、ただの刀の一振りで市街地を吹き飛ばしたり、山脈を破壊したり、海を割ったりと言う、
神話の中でしかあり得ぬ出来事を平然と行って見せたのだ。そんな存在を見て来た為か、栄光は、人の想念を集めると言う事の強さと厄介さを知悉している。
これが味方で、しかも眩しい程に性善な性格をしているのならばとても頼りになるのだが、その逆だった場合、これ程危険な存在はない。
順平の言った通りそんな力を奮える存在が、今回の聖杯戦争に招かれているとは限らないが、そう言う存在を意識しておくに越した事はないのである。
【他ならぬお前の忠告だからさ、俺っちも意識はするが……そんな奴を相手にどうやって対策するんだ? と言うか――】
其処で、順平は言い淀む様子を見せ、数秒程経過した後に、彼は言葉を紡いだ。
【栄光。お前、メフィスト病院での事は大丈夫なのか?】
順平の心配事はそれだった。UVM社に潜入しようとするも、結局時間的な都合が会わずに其処を後にし、その最中にメフィスト病院に寄っていた。
その事を順平は知っているが、その際に栄光が、メフィスト病院の主であるキャスターのサーヴァント、メフィストと遭遇。
其処で、不可解な治療をされたと言うではないか。治療の内容は、自分の記憶に関するものであるらしく、その施術をされてから、たまに、
覚えのない記憶を思い出す――捏造する?――と言うのだ。その記憶は、生前の仲間だった伊藤野枝との言う女性とのものらしい。
これが栄光に言わせれば、覚えも何もないのだと言う。昔の仲間とのやり取りはそれこそ栄光は何から何まで覚えているつもりだったが、
この野枝と呼ばれる女性とのやりとりは、全然覚えていないと言うのだ。だから、メフィストは偽物の記憶を挟み込んだ、と主張して憚らない。
つまり、メフィストは自分があの病院に赴くよう敢えて今の状態を仕向けさせた、と思っているのである。メフィスト病院に足を運ぶ事と引き換えに、今の状態を解除して貰う。大方こんな交換条件なのだろう。
【……確かに心配事ではあるが、現状本当に、覚えのない記憶がフラッシュバックするだけだしな。まぁ、それが本当に俺の記憶なのかってのも疑わしいんだけどよ……】
額を手で抑え、栄光が考え込む。
【取り敢えずは、今は俺の解法で抑え込む必要もないかな。その記憶が思い起こされるのは、限定的な状況だけみたいだし、まぁ救いは其処だ。それに、何だかんだ言って、良い土産も貰えたしな】
【あの、魔力が籠った宝石の事か】
それは、順平の学生鞄の中に仕舞われている、メフィストから貰った、スピネルと言う宝石だ。
ただの宝石ではない。栄光が数度に分けて全力で戦っても問題がない程の魔力を内包した、と言う枕詞が付く。
これをメフィストは、治療をさせてくれた報酬として気前よくポンと渡してくれたのである。しかも栄光が解析して見るに、此方に不都合な罠がないのだ。
思わぬ儲け物を貰えてラッキーだと順平も栄光も思ったが、直に考えを改める。逆に言えばメフィストは、この程度の代物を簡単に産み出せ、
そして気前よく与える事が出来る程、潤沢な魔力のプールと途方もない技術があると言う事の証左なのだから。これとも場合によっては敵対せねばならないのかと思うと、ゾっとする。
【何にせよ、このイベントが終わり次第だな。俺も正直、こんだけ人がいるのに襲ってくるような奴がいるとは思えないが……平穏無事に終わるならそれで良し、サーヴァントと接触出来るのならば、それに越した事もなし。取り敢えずは、ライブを楽しむ事に専念しようぜ、順平】
【おう】
言って順平と栄光は念話を打ち切った頃には、二人は既に国立競技場の敷地の中に入っていた。みると屋台はその敷地の中でも商売を行っているらしい。
超包子と言う字が大きく車体に書かれた、肉まん等の点心類を売っている改造ワゴンの店を見て、少しだけ、順平は腹を空かしたのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オガサワラは単刀直入に言って相当参っていた。
社長であるダガー・モールスの、かぐや姫の無理難題どころか、理論上奇跡が起こっても不可能な仕事を負わされてしまっているのだから。
しかも、ただ不可能に終わるのならばまだしも、今のタスクが失敗に終わると、次の人事異動の時にとんでもない役職になるか、僻地に飛ばされる事が確定している。
転勤など、日本国内であればまだ良い方で、最悪は外国だ。オガサワラは外国語を一つも喋れないのである。そんな彼を外国に飛ばすような人事は……されないとも限らない。何せあのダガーであるから。
オガサワラがダガーから命じられた仕事は、此処新国立競技場で本日行う、346プロのライブコンサート。
其処に、ダガー肝入りのアイドルである那珂を、ねじ込んで歌わせると言うものである。もう一度言うが、コンサートは今日この日から開催されるのである。
本日、しかも開催まで後三十分を切っているライブコンサートに、那珂を飛び入り出演させ歌わせろと言うのだ。
理論上奇跡が起きればと先程言ったが、奇跡は起こりうる可能性がどんなに低くても、0ではない時にしか起きない現象だ。元からゼロでは起きようがない。
今回はまさにそのゼロだ。今から346プロの上層部と交渉を行うにもそんな余地はないし、そもそも出演アイドルと何の打ち合わせもしてないのに今から那珂をねじ込み、歌って踊らせるにも、何のリハーサルもなしでは失敗確率は120%も良い所だ。とどのつまり、オガサワラは完全にチェックメイトの状態だ。
「あああああぁぁぁぁぁ……!! どうする、どうする!?」
グルグルと、那珂と一緒にコンサート会場であるところの新国立競技場の周りを回りながら苦悶するオガサワラ。
考えるまでもなく不可能な仕事を任されたオガサワラだが、現地に来ればその不可能の度合いがどれ程のものかまざまざと思い知らされた。
先ずオガサワラは、コンサート会場に入る為のチケットを持っていないのだ。これは当たり前の話で、346プロのライブ客に混じって視察する社員をUVMは送っているが、
その視察の仕事はオガサワラのそれではない。よって、彼にはチケットが予め配られていないのである。
当然チケットがない為、そもそもの問題として新国立競技場の中に入る事すら出来ない。この時点で相当な物であるが、もっと厄介な点が一つ。
仮に正規の手段がダメでも、結局UVM社も346プロも同じ業界である。元々芸能界と言う世界は既得権益がとても強い業界であり、
昔から存在する強豪会社同士は繋がりが強いが、新規参入したての若い会社には厳しく当たると言う傾向が強い。346プロもUVMも、歴史は同じ程度。
会社自体のパワーはUVMの方が頭一つ抜いているが、346プロは国内上位のプロダクションである。
つまりは、同じ業界同士の『なあなあ』を利用し、裏から新国立競技場にオガサワラは入ろうとしたのだが、これも通用しなかった。
ところがこれも失敗に終わる。そもそも今回の346プロのイベントの目的は、UVMの牙城を崩す為の物である事は、優れた業界人ならば誰もが知っている所であった。
つまりは346プロは今回のイベントで、UVM社を完全に追い越す事を目標にしているのだ。当然、それを御題目に掲げている346プロが、よりにもよってUVMの手先であるオガサワラを優待する訳がない。裏口から交渉をしようとオガサワラも動いたが、門前払いされた。
那珂をねじ込まねばならない、しかしその最低条件である競技場の内部に入る事すらオガサワラには出来ない。
実に気持ちの良い位の、詰みっぷりだった。教科書に載せても良い程の八方塞ぶりに、オガサワラは叫びたくなってしまう。どうすりゃいいんだ、と。
「いっその事侵入とかどう? オガサワラさん」
と言う声に反応し、オガサワラは背後を振り向く。
其処には、明るいオレンジ色の制服に身を包んだ、己の担当アイドルである那珂がミネラルウォーターを飲んでいた。
「アイドルは喉が命だから冷たい飲み物はなるべく飲まないんだよ」、を有言実行しているらしい。ペットボトルには水滴が付着していない。完璧な温い真水である。
「侵入、って言いますと?」
「普通の手段じゃ入れないんだったら、そうするしかないでしょ。何処かから忍び込んで、コンサート開始まで待機。んで、丁度いいタイミングで飛び出す!! 良い作戦でしょ?」
「し、侵入って言いましても……当然346プロはコンサートスタッフや、この日の為に雇った警備会社の社員に見回りをさせてる訳で……忍び込むなんて不可能ですよ」
「そう、普通の手段だったら無理。だけどね、誰にも見つからない潜入だけが潜入じゃないよ」
「と、申されますと……?」
「真正面から侵入するんだよ、オガサワラさん」
「は、はい……?」
那珂の言っている事が今一良く解らなかったので、首を傾げるオガサワラ。
「耳貸して」、と那珂は静かに口にし、彼に対して秘密の作戦を耳打ちする。最初の方は半信半疑だったオガサワラであるが、その作戦内容を那珂から聞かされる内に、次第に真面目そうな表情になって行き、そして――。
「……それしかないかも知れませんね」
決して、雲一つないこの快晴の真夏日和に頭をやられた訳ではない。
本当に、それしか方策がなさそうだったから、オガサワラはそう口にしたのである。どの道このまま手薬煉引いていただけでは、事態は何も進展しない。
それ所か自分のUVMの社員生活の危機でもあるのだ。那珂の提供した作戦に、全てを賭けるしかなかった。
オガサワラは、那珂が予め目星を付けていた、『契約している警備会社の社員の詰所』に通じているであろう、国立競技場の裏口方面へと向かって行く。
そして彼は躊躇なくそのドアを開ける。其処はまさに、雑務雑居と言う概念そのもののような、典型的な休憩室であった。
壁際に積まれた何かの段ボール、隅に設けられた喫煙スペース、そしてスタミナドリンクが普通にラインナップに存在する自動販売機に、カップヌードルの自販機。
正に此処は、肉体労働を主とする人間の休憩所に相応しい場所であった。
「な――」
「遅れて申し訳ございません!!」
年配の社員が此方の氏素性を訊ねる前に、先手必勝と言わんばかりにオガサワラが、元気の良い声で頭を下げた。
「本来ならば346プロの社員の方を通すべきだったのでしょうが、時間が余りにも押しておりますので、此処から失礼させて頂きます。私こう言う者です!!」
と言ってオガサワラは、懐からUVMの社員証を取りだし、この詰所で一番歳の行った、所謂リーダー格と思しき人物にそれを手渡した。
訝しげにそれを眺めるのは、此方に氏素性を訊ねようとした、やや白髪の混じった四十代後半の警備員の男性である。
最初は得体の知れない人物に思ったらしいが、流石世界全土の音楽レーベルを見渡しても最大手のUVMの社員証だ。どんな免許証よりもずっとパワーのある身分証明書であった。
「ゆ、UVM社の……? 上からは、今回は346プロが単独で主催するイベントだと聞いておりましたから、そちらは関係ないのでは?」
流石にその程度の情報は行き届いているらしい。
実際今警備員が口にした情報は一点の間違いもない完璧な真実であり、UVM社が今回のイベントに何らかの形で関わっているなど、ありえない事柄なのだ。
「……これはここだけの話ですが、実はUVM社は最後の最後で秘密のコラボレーションをする予定だったのですよ」
「えぇ!? でも、そんな話は……」
「されないのが当たり前なんです。秘密のサプライズイベントですから。346プロやUVM社では勿論、各方面にも戒厳令を敷いておりました。知らなくて当然なのです」
「さ、左様ですか……」
ただただ、オガサワラの話した内容のスケールに、この場にいる警備員達は驚いたような表情を見せる。
「如何しても外せない仕事が此方の方でありまして、それを片付けていたら、此処まで時間が経ってしまったのです。これから急いで、346プロの方々と最後の打ち合わせをする予定です。ですので申し訳御座いません、此方から通させて頂けませんか!!」
オガサワラの力強い語調に、警備員も気圧された。本当に時間がないのだ、と言う事が伝わってくるのである。
「そ、それは勿論構いませんが……此方で案内いたしましょうか?」
「いえ、それは結構です!! 道順の方は知っておりますので。それでは、失礼いたしました!! 行きましょう、那珂さん!!」
「はーい!!」
そう言ってオガサワラと那珂は、急いで詰所から通路の方へと出、ふぅ、と一息吐く。
そして、那珂はオガサワラの顔を覗き込みながら、口を開いた。
「作戦成功だね、オガサワラさん」
「そうみたいですね……」
深呼吸をしながらオガサワラが返事をする。
警備員と話している時は、ままよ、と言った感じで、半ば自暴自棄気味に振る舞った。演技を行う必要性もなくなった今、ドッと疲れが押し寄せてくる。
何から何まで全部嘘八百で塗り固めていたと言うのに、よくもまぁ淀みも緊張もなく、あそこまで出まかせをベラベラと口に出来たものだと、自分で自分を褒めたくなる。
那珂の告げた作戦とは、こうである。
346プロの社員に通しても、内部に入れる可能性はゼロである。ならば、何も知らないコンサートスタッフや警備員を通して中に入るのが一番良いだろう、と。
この際鍵になるのが、UVM社の社員証である。先ずこれを見せて、然も自分が今回のイベントの関係者である事をアピールするのである。
だが流石に向こうも、今回が346プロ単独主導のイベントである事位は知っているであろう為、それは表向きの情報であり、実際には一つサプライズがあるのだ、と。
嘘を吐くのである。向こうも、芸能界ならばその程度のサプライズの一つや二つ、用意しているだろうと思い込む。
後は、最後の打ち合わせがあるから急いで346プロの人間の所に行かなくてはならない風を演出し、詰所から退室。
こう言う風にして、新国立競技場に入れば良いだろうと、那珂は考えたのである。社員を通すのではなく、業界の事情に疎い警備会社やアルバイトのコンサートスタッフを通じて、内部へと侵入する。正に、真正面からの侵入である。作戦は見ての通り、成功を修めた。
「……それにしても、那珂さん?」
「うん?」
「よく、こんな作戦を考え付けましたね。失礼に聞こえるかも知れませんが……頭の回転が凄く良くて、俺もビックリしましたよ」
ドキッ、と言う効果音が聞こえそうな程、露骨に那珂が反応した。表情が、少し硬い。何か突いたら困る、痛い所を突かれたような反応であった。
「む、昔っからそう言うスパイ映画とか、好きなの!! そう!!」
ははぁ、とオガサワラも思った。女性なのにそう言う映画が好きな事が恥かしいのか、と彼は考えた。
とは言えそれも、アイドルとして立派なアピールポイントの一つである。今後はこう言った側面も押し出して、スパイルックの服装で踊らせるのも、アリかも知れない。
取り敢えずステージが始まるまで、身を隠せそうな所を探そうと、移動を始めながら、オガサワラはそんな事を思うのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
昼食を軽く口にしてから、雪村あかりが新国立競技場に到着したのは、昼の一時頃だった。
あかりは実を言うと今回足を運ぶライブイベントを軽く見ていた。国立競技場を貸し切ってのイベントである、当然規模は大きいとは思っていた。
大きいとは思っていたが、すぐに競技場内に入れるとタカを括っていたのだ。しかし、それが間違いであると、彼女は思い知らされた。
明らかに、競技場回りだけ人が多いのだ。客層の多くが男で、若い女性の割合も馬鹿に出来ない。
そんなNPC達が、二列になって何処かに並んでいるのだ。並ぶ先が何処であるのかは、明白だった。
新国立競技場である。彼らは皆、346プロのライブコンサートを見る客であるのだ。此処に来て初めて、スマートフォンで今回のライブの情報を調べ始める。
すると、一つの事実が解った。今回のライブが、346プロにとってもしくじれない程重大な物であると言うのは、予め知っていた。
それだけではないのだ。このライブは、<魔震>の復興から二十周年を記念して行われる、節目の大イベントであると言うのだ。
成程、それならばこれだけの人数は納得だ。アイドルの歌を楽しみたい男の他にも、そう言ったイベントに興味がある層も、ゼロではないのだから。
【これに並ぶのか?】
心底不承不服と言うような声でバージルが念話で語り出す。
あかりだって、この列に並ぶのは嫌にも程がある。流石にこの列に並んで待つと言うのは、許容範囲を超えている。
並ぶのがとても面倒だし、仮にこんな所でサーヴァントに襲われれば、パニックを起こしたNPCでまともに戦うどころではなくなるだろう。
それに、バージル自身も、この人だかりを忌避しているのが、パスを通じて伝わってくる。二人の意見は合致していた。
【折角だし見て行こうよ、アーチャー】
引き帰す、と言う選択肢は今のあかりにはなかった。
<新宿>で勃発している戦闘の規模的に、恐らく聖杯戦争終了までに、<新宿>で予定されている人が多く集まる大規模イベントは、事実上これが最後になる、
と言う確信があかりにはあった。明日明後日には、もう<新宿>に完全な形を保っているビルが建っているのか如何かすら危ういだろう。
つまり、このライブコンサートは、多くのサーヴァントが一時に、しかしそれでいて平和的に集える最後の機会になると言う事だ。
これだけの人数だ、まさか超常の力を振うサーヴァントも、或いは振えと命令するマスターもいないだろう。いたとすれば、相当の気狂いである。
この機会は、なるべく逃したくない。魔力量に乏しいあかりには、戦闘の負担を軽減出来る同盟相手、と言う名のスケープゴートが必要なのだ。バージルも、その点に関しては特に何も文句を言わない。
【貴様がそう言うのならば俺もそれに従うが……お前はこの行列に耐えられるのか】
【誰もこんなのに並ばないよ。忘れたの? さっき貰ったチケットは、優待券だよ? 行列何て知らないって言う風に、悠々と中に入れるよ】
【……そう言えばそうだったな。便利な物だな、お前の立場は】
【顔だけが妙に売れてるから、場合によってはこの上なく面倒だけどね。ま、さっさと行こう?】
そう言ってあかりは足早にその場から移動する。
新国立競技場へと伸びている人の列が続く、屋台が立ち並ぶ歩道から――ベビーカステラの屋台に少し目が行った――、敷地内へと移動。
そしてあかりは、ある物を探す。コンサートスタッフの設営したイベント用パイプテントである。そして、直にそれは発見出来た。
その方向へと向って行き、目ぼしいスタッフの男性に声を掛ける。
「すいません、こちらなんですが」
開口一番、あかりはそう言って、優待券をコンサートスタッフに見せた。
「優待客の方ですね。お名前は……磨瀬――!! あの天才子役の――」
「あーストップストップ!! 此処で騒がれるとキリがないですから、ね?」
芸能人と言うのは有名になればなるほど、プライベートと仕事の境目がなくなって行く仕事の代表格である。
それは、人気から来る仕事の多さではない。人気になり過ぎると、たまの息抜きで旅行に行っても、それがいつもテレビに出てるあの有名人だとバレてしまい、
サインや握手を求められたり、最悪此方に向かってカメラのシャッターを切られたり、プライベートの姿を隠し撮りされたり、と言う事態も少なくない。
あかりもまた、嘗てはそう言う事態になった事もままある。今は子役時代に比べて地味で目立たないような恰好をしてはいるが、それでも、
自分の熱心なファンが見れば気付かれてしまう。今まで自分が磨瀬榛名だと気付かれなかった事が、ある種の奇跡のような物であった。
「あ、了解いたしました。それでは、ご案内いたしますね」
と言って、あかりに話しかけられたスタッフが先導役を務める。
同じパイプテントにいた同僚が、羨ましげな目線でその男を見ている。誰だって、綺麗な子役女優の案内役を引き受けてやりたい所であろう。
「いや〜、それにしても僕ファン何ですよ!! 見てましたよ、デビルメン!!」、と、案内役の男があかりの気を引こうとするが、
彼女の相槌は素っ気ない。と言うより、そんな作品に出演してた記憶がない為、今一話を合せられない。この世界での自分は、どんなドラマや映画に出ていたのだろうか。
「此方からお入り下さい。内部の方にも案内係がおりますので、指定の席が如何しても解らない場合は彼らにお聞き下さい」
一般の入口とは違う所に開かれた、所謂優待客専用の入口は、一時間もかけてまともに並ぶのが馬鹿なのではないかと思う程に空いていた。
新国立競技場は南北にそれぞれ入口があるが、現在一般客の入り口として開放されているのがその内の南の方角である。
二つの方角を一般客の入口に全部解放すれば、と思うだろうが実際はそうは行かない。残りの方は関係者や、今も火の玉の如く働いている346プロのスタッフや、
各種キー局のADを筆頭としたTV局員達の出入り口として使われているのだ。つまりどう考えても、一方向しか一般客の入り口としてしか使えないのである。
あかりが案内されたのは、その北側の方角の入口である。「ありがとうございます」、と案内してくれた事に一礼すると、コンサートスタッフは、
もっと何か話したかったらしい。名残惜しそうな顔で、その場を後にした。特にあかりの方も思う所はなく、そのまま内部へと入って行く。
築二十年近く経過している建物らしいが、そもそもの建物自体が強固な事と、普段良く手入れをしているのだろう。
古びてくたびれた様子がその建物の中には全くない。寧ろ、此処五年以内に建築されたばかりの建物であると主張しても、恐らくは通じるであろう。
それ程までに内部はピカピカであった。全体的にシルバーを基調とした色味の建材をメインに使った、近未来的な内装は、子供心にワクワクするかも知れない。
そう言った内装をよく見ながら、あかりは、一直線に自分の席へと向かわず、敢えて寄り道を行おうとする。
物見遊山ではない。この建物はあかりとしても初めて入る場所である。万が一、この場所で戦闘に陥った場合、建物の構造に疎くて苦戦を強いられる、
など笑い話にもなりはしない。暗殺者として、建物の構造を把握すると言う事は基本中の基本。ステージが始まるまで、ある程度建物の構造を把握しておきたいのである。
あかりは先ず、入り口に設置してあった、新国立競技場のパンフレットの置かれたラックに近付き、それを一枚手にした。
その内部構造を、先ずは視覚的に把握する為である。競技場建設までの歴史の項を飛ばし、その構造を記してあるページに目をやる。
元々が競技場として建築された建物の為、陸上競技を行う為のフィールド部分、及び競技を見る為の観客席の構造。これは良い。
やはり目を通しておきたいのは、其処に通じるまでの各種経路である。が、流石に記されている経路部分は『観客』が通る所だけで、
選手や歌手・アイドル達が通る為の通路に関しては記載されておらず、情報が秘匿されている。これは、予想出来た事である。
が、元々あかりも俳優業を営んでいた為、こう言った関係者の為の道順については、凡そのアタリが付く。実際に目を通しておきたい所だが、さしあたっては己の勘を信頼する事にした。
だが、このパンフレットは嘘をついている。『地上に面した部分の構造』しか説明していないのだ。
これはあかりとしても断言しても良かったが、確実にこの新国立競技場には、『地下フロア』が存在すると見て間違いないと感じていた。
子役女優であったあかりは知っている。舞台劇や演劇、歌舞伎などの劇場には、往々にして地下が存在するものなのだ。
劇場によっては、その地下フロアには、大道具をしまう為の倉庫であったり、リハーサル室であったり、迫り舞台を動かす為のシステム室があったりと様々だ。
だが、劇場であるのならば地下フロアが確実に存在する。そして、この競技場にも間違いなくそれは存在していなければならないのである。
新国立競技場が建造されるに辺り、間違いなく建造する者達は、運動競技の他に、コンサートイベントを行われる事を見越して、
何処かに大道具倉庫やリハーサルの為の部屋を設けたに違いないのだ。大道具倉庫ならばまだしも、リハーサル室は間違いなく防音完備の上に、
観客の目につかない場所に作られている。故に、地上に面した所にリハーサル室があるとは考え難い。となれば、地下空間がこの建物にはある筈だった。
もしも、観客に、ではなく、346プロのライブイベントの関係者に、聖杯戦争の関係者がいた場合。
地下フロアはこれ以上となく、身を隠すのに適した場所であろう。其処に足を運びたい。あかりはそう考えた。
上階に上る為の階段を探していると、簡単に地下に繋がる階段もセットで発見出来た。関係者以外立ち入り禁止の看板が置いてあったが、
どの道優待者席からやってくる人物の殆どがアイドル事業の関係者である。一般客が多く出入りしている南口の方とは違い、警備がやや緩い。
階段を降りて行くと、感じられる雰囲気が他とは一味違う物になったのを、あかりは感じた。
上の階が、あくまでもお客様向けに整えられた空間なのに対して、地下は明らかに、今回のイベントの主役である者達、つまりは、
アイドル達の想念が渦巻いているような気がしてならなかった。緊張、期待、そして自信。渦巻く感情は複雑であったが、この三つに大別出来るだろう。
さしあたって此処から近い控室の方に足を運んでみると――。
「む、むむむ、むりくぼ……だめくぼ……もりくぼ、お家帰る……」
「今更出来る訳ないじゃないですか!! ほら、机の下から出て下さいよ森久保さん!!」
「ひいいいいぃぃぃぃ……もりくぼいぢめはやめて下さい輿水さん……!!」
「あーもう、大丈夫、大丈夫ですって!! このカワイイボクと、ボクに負けず劣らず可愛い輝子さんと小梅さんが先陣切って緊張和らげるんですから!! ね、二人とも!!」
「そ、そそそそそそそそそそうだぞボノノさん。わ、私た、たちゅ、達が先ず一番最初に頑張るから、しょ、そ、それを見て……」
「しょ、輝子ちゃん……凄いガタガタ震えてるけど……大丈夫? はい、お水」
「ふ、ヒヒヒヒ……小梅ちゃん優しい……」
「ひいっ……皆緊張してる……お家帰りたい……ポエム作りたくぼ……」
「? 幸子ちゃん、大丈夫? 立ち眩み」
「だ、大丈夫です……カワイイボクはこの日の為にコンディションをバッチリ整えてますから……ちょっと先行きが不安になった程度じゃへこたれませんよ……」
閉じられたドア越しからでも、緊張の波が伝わってくる。正直あかりですら、本当に大丈夫かこの部屋の人達、と思う始末である。他のドアにも近付いてみると
「直射日光が当たる所ですからね〜……お肌に染みが出来ないように、ケアを事前に行っておかないと……」
「……若い子はそんなの気にしなくても良いピチピチボディだから、はぁと羨ましいなって」
「わ、私は将来設計が出来る17歳ですから!! 長くアイドルとして動けるように先を見てるだけですよ!!」
「まだ何も言ってないし、若い子に倣ってクリームを塗ろうとしないのはダメだぞ☆ ナナ先輩♪」
と言う会話や
「うおおぉぉーっ!! 出番まだですかねぇ、未央ちゃん、卯月ちゃん!!」
「お、落ち着いてって茜ちん!! 私達の出番はまだ先だから!! あと一時間以上も先だから!!」
と言う落ち着きのない会話も聞こえてくる。どうやら346プロは、あかりの想像以上にアイドルの幅が広いらしかった。
【……オイ】
と、バージルが念話で語りかけ始めた為、あかりは意識を集中させる。
【お前の思った通りだったな。このライブ――】
【いるの、かしら?】
【……いや、どうにも判然としない。NPCの気配でない事は確かだが……サーヴァントと呼べるものでない。何れにせよ、警戒をしておくに足る気配が感じる。注意しておけ】
【解ったわ】
バージルの言っている事は何か要領を得ないが、何れにしても、良い予感ではない事は確かだった。それだけで十分だ。
波乱の予感を感じずにはいられない。そう思いながら、あかりは地下を後にしようとする。後ろの方で、「あれ……あの人、デビルメンに出てた……」言う女性の声が聞こえてくる。この出演した覚えのない作品は、この世界では有名であるらしかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――内部の偵察を終えました、お姉様」
音もなくアスファルトに着地する小柄な女性がいた。
背格好こそ昨今の中学生と対して変わらないが、大人びた顔付きと洗練された声音は、見る者と聞く者にティーンエイジャーの印象を与えない。
贔屓目に見ても二十歳過ぎか、それか大学生のものだと思うだろう。リボンで纏めたシニョンの緑髪が特徴的な、このトランジスタグラマーの女性。
名を、サヤ・キリガクレと言う。今しがた、主君であるセイバーのサーヴァント、チトセ・朧・アマツの命令を受け、それから帰還したばかりだった。
「御苦労だったな。どれ、こっちに来い。労わって撫でてやろう」
「ああそんな、いけませんわお姉様……私のした事など決して大それた事では……」
と言いつつもちゃっかりと近付いて行って抱き着いて頭を差し出す辺りは、実にこの女らしい行動様式だった。
チトセの方も、自身の右腕とも言うべきこの部下の性癖については理解している為、特には何も言わない。
公約通り頭を撫でてやると、「ふぅ^〜〜〜〜〜……」と言う、猫みたいな声を上げて、サヤが顔を服にすりつけて来る。そろそろ拳骨をかましてやる頃だろうか。
「内部の様子は如何だった」
撫でる右手を頭から離すと、サヤもチトセから離れる。
先程の性癖の捻じ曲がったような行動が、嘘みたいだった。チトセの右腕にして忠臣、そして何十人もの人間をこの手で葬って来た、暗殺者としての表情で、サヤは口を開いた。
「お姉様の見立て通り、あの建物は単なる競技……と、所謂サーカスめいた興行の二つを行う為の施設、と見てほぼ間違いありません」
「変わったものはあったか?」
「地下がある以外には、特筆するべきものは何も。ただ、今回のイベントは……アイドル……まぁ、歌姫的なもの、と私は解釈しましたが。年端の行かない少女が歌って踊るのを楽しむもののようでしたが」
「成程、だからあそこまで男が列を成して並んでいたのか。日本(アマツ)……我々の祖先は、そんな物を楽しむだけの余裕があったと見えるな?」
「幻滅、致しますか?」
「しないよ。民がそんな物に浮かれる事が出来る程、世が平和である事の証左だからな。サーカスのない国では、民は不満を爆発させやすいものさ」
「流石お姉様……優れた知見……」、と、サヤの熱の籠った目線が突き刺さるのをチトセは感じる。そんなに賢い事は言った覚えは、チトセにはないのだが。
メフィスト病院から召喚されたチトセ達は、あの後病院を出、自分の気が赴くままに歩いていたら、考えられない程の人の行列を発見した。
何だ何だと思ったチトセであるが、この世界では自分の威光が余り意味を成さない事を知っていた彼女は、割り込んでその内容を確認する事を由としなかった。
だからこそ、部下であるサヤ・キリガクレを召喚し、あの内部の様子を探らせ、何が行われようとしているのかを調べさせた。
流石に諜報や潜入任務で鳴らしたサヤである。誰にも発見されず、見事に情報を集めきって見せた。「素人相手では、欠伸が出る程簡単でした」、とは彼女の言である。
「これだけ繁盛している興行の事だ。世間や世論の注目が集まる事だろう」
「そう、だからこそ」
「襲撃するには持って来いだ」
「……されると、お思いですか? お姉様」
神妙な声音で、サヤが言った。チトセの右腕にして、懐刀の声である。
「未来の事が解る政治屋なぞいないさ。されるかも知れないし、平穏無事に終わるかも知れない。と言うより、されない方がよっぽど良いに決まってる。だが、解っているだろう? サヤ。平和は何時だって唐突に崩れるものさ。昔からそうだったな。『大惨事になるか? なるか!?』と煽っている内には問題が起きないのに、惨事とは無縁の平和な時間の時に限って、空気を読まずに問題が起こる。あの大虐殺の時だってそうだった」
チトセの、最早二度と風景を映す事の叶わない、ゼファーに抉られた右目に、あの大虐殺の光景が思い浮かぶ。
あの時誰もが、あんな日にあんな悲劇が起こる等とは、夢にも思わなかったに違いない。そう、何時だって悲劇とは、誰もが平和を謳歌し、平和に浮かれている時に限って。
絶頂の頂点にあと一息で届きそうな時に限って、空気を読まずに訪れるものなのだ。あの大虐殺を経験し、生き残ったチトセは、だからこそ生前、何時だって油断せずに生きて来たつもりだった。もう二度と取り零したくない何かを、逃がさない為に。
「これだけ人が集まるのだ、何かしらのアピールをするサーヴァントの一人や二人、いるかも知れんだろう」
「騒動が起れば、来ますか? ……光の英雄、クリストファー・ヴァルゼライドが」
「来るさ」
「何故?」
「奴も空気を読まん」
後ろ手に手を組ながら、チトセは語り始める。
「あの男は、万人が絶対に来て欲しい、救って欲しいと言うタイミングで現れ、その雄々しい勇姿を見せ付けるのだ。何故かと言えば、奴は『英雄』だからだ。救って欲しい時に現れて、難敵を討ち滅ぼすその姿は確かに英雄だろう? だが立場を変えて見ると、それは敵にとっては、『良い所を邪魔しにやって来た空気の読めない男』にしか見えぬ訳だ。仮にあの競技場を襲う者を敵とするならば、ヴァルゼライド元総統閣下は、間違いなく相手が得意の絶頂に立っている所に現れる。何故ならば、ヴァルゼライドは空気が読めないからな」
「そのタイミングにこそ」
「私も赴く。聖杯に興味がないと言えば嘘になるが、この<新宿>と言う街に奴がいると言うのならば……私は衝動を抑える事が出来ん。奴を、この手で斃さねばならない」
それは、チトセにとっては、聖杯を勝ち取るにも勝る名誉だった。
ヴァルゼライドを戦いの末に殺せるのであれば、死んでも良いとすら思っている。彼女にとって、あの光の英雄を殺すと言う事は、聖杯を手中に収める、
それ以上の栄誉であった。古の伝説に曰く、何千年も昔の騎士共が命を懸けてでも欲したとされる聖遺物、それが聖杯であると言う。
知らぬ、とチトセは斬り捨てる。それよりも、今の名誉であり、生前の名誉だった。この世界でヴァルゼライドを斃したとしても、世界が劇的に変わる訳でもなければ、
己の過去が変わる訳でもない。己が生前、ついぞ成し得なかった事を果たしたいのだ。自分の人生に未練はない、一つを除けば。
ヴァルゼライドを斃す為に、世界の果てへと消えた、愛する男であるゼファー・コールレイン。ヴァルゼライドを斃す筈だったのは、ゼファーではない。
本来は、自分が光の英雄に清算を付ける筈だったのだ。付けられなかった結果、あの汚れた銀狼は、己がどれだけ手を伸ばしても届かぬ所へ行ってしまった。
自分の命が健在だった時は、嘗てゼファーと言う男がいた、と言う事実を胸に刻みながら、己の職務と人生を全うして生きたつもりだった。
だが、この世界に――嘗て自分が成し遂げる事が出来なかった行為と、最後に残った未練の象徴である、クリストファー・ヴァルゼライドがいると言うのなら。自分は、あの男を殺さねばならないのだ。今度こそ、今度こそ。
「……解りました、お姉様。私は何処までも貴女について行きます」
チトセの、妄執とも言うべき覚悟を受け、サヤは片膝を付きながら、更に言葉を続ける。
「私めでは、あの光の英雄・ヴァルゼライドには勝つ事は出来ないでしょう。ですが、お姉様の露払い位は、させて下さいませ」
「……ほう?」
片膝を付いて頭を下げるサヤに、目線を送る。
「お姉様の右腕である、このサヤ・キリガクレを信用して下さい。私はお姉様の次に強い星辰奏者(エスペラント)。となれば、私はこの<新宿>の地において、二番目に強い存在です。雑魚散らしは私に任せ、お姉様ゆるりと、光の英雄のお相手を」
「そうか。ならば信頼するとしよう。サヤ。私がゼファーの次に信頼していた我が右腕」
其処で、サヤのこめかみに変な青筋が浮かんだ。
その様子を知りながら、チトセは、遠くの国立競技場を眺めた。彼女らは、ビルとビルの間の路地に、佇んでいるのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
つくづく師匠って凄い!! そう思わずにはいられないトットポップである。
トットポップと、その友人である宮うつつは、新国立競技場の内部にいた。チケットもなく、346プロ内部に顔の利く人物がいないにも拘らず、だ。
そんな、普通ならばライブイベントの行われる競技場内に入れない彼女らが、如何して内部に入り込めたのか。結論を述べれば、それは侵入したからに他ならない。
普通は出来ない事である。内外問わず今競技場の中は見回りの為のコンサートスタッフや警備員、346プロの社員があちらこちらにいる筈なのだ。
346と何のかかわりも持たないコンサートスタッフや警備員ならば、トットポップとうつつの姿を見て、アイドルの一人なのだろうと勘違いを起こすかもしれない。
だが、346プロの関係者はそうも行かない。二人の姿を見れば、忽ち不審者と思い、通報する事であろう。
だから二人は、誰にも見つからずにこの新国立競技場の中に侵入せねばならないのだが、そんな事は通常出来る事ではない。
警備員やスタッフ達の人数や巡回ルートを知っているのであればまだしも、そんな情報はトップシークレットだ。普通は漏れ出る筈がないのだ。
そのシークレットを、如何にかして手に入れられた、師匠のフレデリカを、トットポップはとてもリスペクトしていた。
本当に、どうやって手に入れられたのだろうか。師匠のフレデリカが齎した情報があったからこそ、二人はこれまで誰にも見つからずに、国立競技場の奥まで入り込む事が出来た。
トットポップは筋金入りの飛び入り魔である。
音楽イベントがあるのならば、如何にかしてそれに入り込み、己の超絶のギターテクを、イベントのプログラムを無視して乱入、そして披露。
観客の注目を集めに集め、その時満たされる自尊心と自己顕示欲を糧に活動を続け、日本の閉塞的な音楽界にオゾンホール宜しくな風穴を開けたいのである。
つまりは――超迷惑な困ったちゃん。それが、トットポップと言う少女なのであった。
飛び入り魔に必要な情報は、侵入ルートと脱出ルートの確保と言っても良い。
侵入ルートの重要性は言うまでもない、非正規の手段でコンサート会場に入り込むのだから、真っ先に考えねばならない事柄である。
問題が後者の脱出ルートで、言い換えれば逃走経路と言っても良い。これが難しい。来た道と同じルート以外にも、複数の逃げ道を用意しなければならないのだが、
これが非常に頭を使う。飛び入り魔は先ず音楽そのものの練習が第一だが、その次に重要なのが、逃走ルートをどれだけ確保できるかと言う事である。
何とフレデリカは、このルートすら構築してくれていた。「やだもう最高カッコイイ……」、そうリスペクトせずにはいられない。
「トットはどのタイミングで乱入するの……?」
年端も行かない少女にも拘らず、纏う恰好は痴女のそれ。うつつは、眠たげな声で訊ねて来た。
「最初には乱入しないよ、解ってるだろうけど。飛び入るとしたら、中盤の山場か、大トリのどっちか!! どのタイミングが盛り上がるのか、その見極めも難しいのねこれが」
「ふぅん」
「何その返事ぃ? 真面目に答えたんだけどぉ?」
と、他愛のない事を会話が出来る位、拍子抜けする程潜入は簡単で、遂にトットホップらは、競技場へと出る選手入場口の方まで辿り着いてしまった。
十数m先には太陽の光が燦々と降り注ぐ陸上トラックが見えるだけでなく、ガヤガヤと人の騒ぐ声が聞こえてくる。遂に自分達は、此処まで辿り着いた。
「おぉ……」、とうつつは、向かいの口から感じる圧倒的な数の人の気配に圧倒されかける。一方、トットポップの方はと言うと、テンションがアホみたいに上がっていた。
今から競技場の方へと飛び出して行き、得意のライトハンド奏法をギャリギャリ鳴らしまくってやりたい衝動に駆られるが、これをグッと堪える。
焦るなトットポップ。皆の注目が一点に集中する時間を見極めろ。そして、その時間に於いての絶頂の瞬間を見極め、その時にこそ乱入しろ。そう自分に言い聞かせる。今はまだ、躍り出る時ではないのだ。
内なるトットポップと必死に格闘戦を繰り広げているトットポップであったが、刹那、示し合わせたように、うつつと彼女はハッと顔を見合わせる。
人の気配を感じたのだ。自分達が今いる、階段付近。その地下から、誰かが上ってくる。慌てて彼女らは、近くに位置していた、運動用具を安置する為の倉庫の部屋へと隠れた。中は電気をつけておらず、窓もない為真っ暗だが、雑然とした雰囲気だけは伝わってくる。其処で二人は、息を押し殺し、気配を極限まで薄めさせて、その人物らが行き過ぎるのを待っている。
「手筈の方は、解っておられるでしょうな。同志ク・ルーム」
「抜かりはない……」
扉越しに聞こえてくるのは、二人の男の声だった。
一人は、扉越しから、しかも姿を見ずとも解る、インテリ風の男の声であるが、何処となく神経質そうな印象を聞く者に与える声である。一緒にいたくはない感じである。
もう一方の男の方は、聞く者の心胆を寒からしめる恐るべき低さの声である。神経質そうな男の声は、眼鏡を掛けてスーツを着てそうな、
典型的な現代風の悪役風の姿がイメージ出来るが、一方の男の方はまるでどんな風貌なのかが想像出来ない。ただ恐ろしい、と言うイメージだけが先行する。
地の底から呼び出された悪魔か魔王が喋っているのでは、と思わずにはいられない。うつつとトットポップの身体から、冷たい汗が噴き出始めた。
「舞台が始まってから、時間にして三十分後程……。つまり、お前の肝入りのアイドルである、フレデリカと言う女が歌を歌ったその時に――」
「その通り。十世を放つんだ。これによって齎される利益と、達成されるタスクの数は計り知れないが、同時にリスクの方も未知数だ。決して油断はしてはならない」
「貴様に言われるまでもない……」
「失礼、貴方には最早言うまでもない事でしたな。老婆心が過ぎたようだ。間もなくステージが始まるだろう。十世の事と、私の事を、頼みましたぞ、同志ク・ルームよ」
「……ふん」
其処で、恐ろしい男の気配が掻き消えた。
閉じたドア越しなのに、なぜそんな事が解るのか、と言うと、二人とも勘である。勘だが、消えた事だけが確かに解るのだ。
間違いなく、恐ろしい男は何処かに消え失せた。思わずホッとする二人。姿を見ずとも、恐怖と言う物を二人に叩き込む、正体不明の男の正体とは、果たして何なのか。
「肝入り、か」
其処で、残されたインテリそうな男がクツクツと笑った。
「歌と踊りと愛嬌だけが取り柄の小娘に、誰が本気で肩入れするものか」
其処で一呼吸おいてから、男は再び言葉を発した。
「私と始祖帝の野望の、真のプレリュードだ。最高のショーになるよう足掻いてくれたまえ、346の諸君、凡愚のNPC共」
そうとだけ言い残すと、インテリそうな男の気配も、遠ざかって行く。
一先ずは、安心出来る状況がやって来た訳だが、次に湧き起こるのは、あの二名の正体である。
暗い部屋に隠れて、姿を見ずに声を聞いただけに過ぎない為解る筈がないのだが、二人の話している会話の内容は酷く抽象的で、謎めいている。
少なくとも、大の大人が会話するには、余りにもイタ過ぎる内容であるのは事実だが、何故か二人は、異常な程の迫真さを二人の会話内容から察する事が出来た。
……二人は、何を話していたのだろうか。
宮うつつは、二人の会話の内容から、『死』と言う物をイメージした。二人の話していた事柄は、ひょっとしたらこのコンサートに、異常な事態を引き起こすのでは……?
――……もしやあの二人、私達とは別の飛び入り魔!?――
一方で、トットポップの考えた事柄はこれだった。
二人のあの会話の内容はいわゆるキャラクターだろう。誰もいないプライベートで、あんなTVや客前向けの演技を忘れないなど、相当なプロの鑑である。
トットポップの不屈の闘志と、負けず嫌いの心が忽ち燃え上がる。負けてはいられない。このコンサートを引っ掻き回し、名を残すのはこの私だ。その事を、あの二人のいけ好かない男と、音楽界に教える必要がある。
そんな事を考えながら、トットポップは沸き立って来る心を鎮めようと努力した。
コンサートの開始まで、残り十分を切っている事を、彼女は取り出した携帯の電話機能から知るのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「大丈夫……大丈夫だから……まだ、耐えられる、耐えられるから……」
彼女以外誰もいない、アイドルの着替えの為のロッカールームで、宮本フレデリカは、自分の鞄からカロリーメイトの箱を三箱取り出し、
箱を引きちぎるように開け、ブロック状のショートブレッドを何本も口に放り込み、数回程咀嚼し、呑み込む。
飢えが満たされた、と思うのも、ほんの二秒足らず。直に、以前に倍する飢餓が彼女に襲い掛かる。
「お父さん、お母さん……神様……!!」
仏教の世界観に曰く、餓鬼道と呼ばれる世界が存在すると言う。
精神的にも物質的にも貪欲に生きた者が転生する事になると言う世界であり、その世界は地獄道に次ぐ程の苦しみを味わわねばならない世界になると言う。
その世界に転生した住人を『餓鬼』と言い、常に水に渇き、食料に餓えている哀れな者共であると言う。
彼らの口元に食べ物や水を持って行っても、魔法のようにそれらが燃え尽きてしまい、何も口にする事が叶わなくなる。
飢え死にしようにも、その世界では飢え死にと言う概念が存在しない為に、死ぬ事も出来ない。その世界で、一生を餓えに苛まれ彼らは生活しなければならないと言う。
そして、そんな餓鬼の状態にあり、それが限界を迎えようとしているのも、今のフレデリカであった。
耐えられない。しかし耐えなければ、駄目なんだ。そう必死に考えて、フレデリカは餓えの心を殺していた。
近くのロッカーに右手を掛けるフレデリカ。スチール製のドアに、フレデリカの白く細い指が、めり込み、食い込んだ。
ギリギリ、と言う嫌な音を立てて、指がスチールのドアに食い込んで行く。グシャッ、と言う音が響く。
スチールのドアの一部を、フレデリカは単純な握力で千切り潰したのである。ぽっかりと、フレデリカが空けた穴から、空虚なロッカーの中身が見え隠れしていた。
透明な涙を流している事に気付いたフレデリカは、その涙を人差し指で掬い、そっと舐めた。
餓えは、まだまだ収まりそうにない事を、彼女はやはり知るのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
誰もが シンデレラ
夢から今目覚めて
はじまるよ 新たなストーリー描いたら
掴もう! My Only Star
まだまだ遠くだけど
光降り注ぐ 明日へ向かうために
.
前半の投下を終了します。数日後程には、次スレを立てようかと思いますが、その間このスレで何かを書きたいと言う書き手様がいらっしゃれば、それに準じます
結構集まって来らけどまだ来てない奴も居るし、乱入して来そうなのや重役出勤決め込んでるのも居るんだよな
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