1、従来の「ソ連軍の機械化部隊により日本軍は一方的に敗北した」は完全に覆された(半藤一利は今年発売された文藝春秋において「第二次ノモンハンでは敗北した」と主張を変えている)
2、ジューコフの日本軍への評価は間違い並びに本人の無能が判明したこと(論文1から引用)
『・・・雑誌『戦史公文書』*75の2004年第5号(「6. ハルヒンゴール」の章)の中で、次のようなジューコフ批判を展開しているノモンハンにおいて、ソ連が日本に勝てたのは、ひとえに戦車と大砲の数が圧倒的に優勢であった(数の面での優位)からにすぎない。決して戦闘能力が優れていたというわけではない。死傷者数も莫大であった。悲劇的なノモンハンの経験から、まじめな結論を導き出すことが必要であった。しかし、ジューコフはそのことを認めようとはせず、自分の都合の良いように情報をねじ曲げてしまった。日本人に勝てたのは、シュテルンのお陰でもあった。シュテルンは、ジューコフの部隊運営上の数々の誤りを正した。しかし、それがやがて彼の死へと繋がっていった。シュテルン司令官は、ノモンハン事件の「苦い経験」から積極的に教訓を学ぼうとして、報告書の作成を命じた。生の声を盛り込んで作成された貴重な戦闘報告書は、印刷して各部隊の司令官に配布されることになっていた。しかし、印刷の直前に、参謀本部長に新しく就任したジューコフは、それを握りつぶしてしまった。ジューコフ自身は、自分に都合の良い自画自賛の内容を本*76にして出版した。ノモンハン事件の苦い経験(準備不足、参謀本部の指導の誤りや失策)が生かされなかったために、ソ連は、1939年11月のフィンランドとの冬戦争において、さらには独ソ戦においても、再び同じ過ちを繰り返すことになり、多大なる犠牲者を出した、と V. A. ノヴォブラネッツは回想している*77』