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人 間

43NAME:2013/06/02(日) 21:42:30
(9)「八甲田山の惨劇」はなぜ
2013.6.2 09:21
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130602/art13060209250000-n1.htm

だが山麓に入るや、ほとんど前も見えない猛烈な吹雪に遭い、道を失う。2日目にようやく青森へ帰る決断をするが、深い雪と寒さで隊員は次々と倒れる。 26日朝、行軍隊が三本木についていないことを知った第5連隊が救助隊を送り、2月2日までに生存者17人を救出した。しかしうち5人は病院収容後に死亡、責任者の少佐は自決、わずか11人だけが助かるという悲劇となった。

実は第5連隊が出発する前の1月20日、同じ青森県の弘前に駐屯する第31連隊の雪中行軍隊も八甲田山方面に向かっていた。31連隊の場合、雪道をよく知った地元民を案内人に雇った上、その助言を受け入れて途中無理をしなかったことが、生還に結びついた。逆に5連隊は案内人を付けなかったことや、天候の不順に対応できなかった指揮系統の乱れなどが惨事を招いたとされた。

では師団はなぜ、無謀ともいえる訓練をさせたのか。事件を扱った新田次郎氏の小説『八甲田山死の彷徨(ほうこう)』や、同じ青森に司令部を置く陸上自衛隊第9師団が当時の資料を精査した『陸奥(むつ)の吹雪』によれば、それは実際に2年後に始まることになるロシアとの戦いに備えるためだった。


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