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東日本大震災

108NAME:2015/02/01(日) 22:40:56
【被災地を歩く】
判決は津波の「予見可能性」を否定しながら、なぜ賠償を命じたか…常磐山元自動車学校訴訟
2015.2.1 17:00更新
http://www.sankei.com/premium/news/150201/prm1502010014-n1.html

東日本大震災の津波で被害を受けた宮城県山元町の海岸を進み、県道沿いの常磐山元自動車学校を目指す。教習生らが通った同校の敷地は現在は更地になり、跡地には花が供えられている。 同校の教習生25人とアルバイト従業員の女性=当時(27)=の遺族が学校側に約19億7千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が13日、仙台地裁であり、地裁は「教習所に津波が襲来する可能性を予見し、速やかに教習生らを避難させるなどの義務があった」として学校側の責任を認め、計約19億1千万円の賠償を命じた。 判決では、津波の予見可能性をめぐり「海岸から約750メートル離れた教習所に津波が襲来することを予見し、情報を収集するべき義務があったとはいえない」とした。同校跡地から道路の奥を見ると、生い茂る草の向こう側に防潮堤が見え、距離を数字で聞くよりも海岸までは遠く感じられる。

■安全責任と判断

 ただ、そう地裁が判断しながら、原告勝訴の判決を言い渡したのは、消防車両が教習所の前を走り、避難を呼び掛けていたという事実だった。高宮健二裁判長は「教習所に津波が襲来することを具体的に予期し得た」と指摘し、「速やかに教習生らを避難させ、安全なルートを通って送迎先に送り届けるなどの安全配慮義務があった」として、教習生らの死亡には相当な因果関係があると判断した。 判決は消防の呼びかけを教官の誰が、どのタイミングで聞いたのか判断せず、「校長や教官の全てが広報を聞いていなかったとは考えがたい」とした上で「少なくとも一部は広報を聞いたと推認できる」とした。 現在は復興工事のための車両が行き交う道路は教習所のすぐ目の前だ。証人尋問で、生存した元教習生らが「消防車が避難を呼びかけていたのが聞こえた」と証言した通り、ここで呼びかけを行えば、教習所まで聞こえたと考えるのが自然だと感じる。

■裁判やってよかった

 教習生のうち2人は教官とともに路上教習へ出ていたが地震発生後、教官の指示で教習所へ戻った。待機後、2人は県道を教習所から南へ徒歩で帰宅中に津波に巻き込まれて死亡した。 判決後に、建築士の作間正孝さん(59)は徒歩で帰宅中に津波に巻き込まれた梓さん=当時(18)=の遺影を抱きながら会見に臨んだ。「あと10分早ければ…」。梓さんが被災した場所は山元町の自宅から約1キロの距離だった。 作間さんは梓さんが津波にあった場所を通るたびに「どんなに怖かっただろうか」と考えてきた。判決を受けて「これでやっと『父さんは頑張ったよ』と報告できる」と話した。

 昨年5月21日、高宮裁判長は遺族らと現地視察を行った。同校跡や指定避難場所とされていた坂元中学校、送迎バスの被災現場などを視察した際に、2人が津波に巻き込まれた場所も歩いていた。 その道を、今一度歩いてみる。約400メートル、学校から5分もかからない距離だ。2人が教習先から教習所に戻ったのは午後3時半ごろ、津波襲来は3時52分ごろ。「あと10分早ければ…」。作間さんの言葉が再び浮かんだ。 判決後、遺族からは「少しでも真実が分かった。裁判をやってよかった」「役員個人の責任も認めてほしかった」「この判決が今後の防災対策に生かされれば」など、さまざまな声を聞いた。未曾有の災害をめぐって起こされたこの訴訟が、震災の教訓を伝える役割を担ってくれることを願うばかりだ。(上田直輝、写真も)


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