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心の病をどうにかしたいスレ

1:2012/12/31(月) 11:05:46
レス突っ込み歓迎

病名は医師によりくい違いがあるため、今、悩みの症状だけを記載することにします

▲体力を要する運動や、精神集中(唱題、作業所の仕事、テレビゲームの遊びと問わず)すると、
頭重感、めまい、フラツキがひどくなり、続行不能になる(ゲーム、、、つまり楽しい事をしていても症状が起きてしまう)

昔、パニック発作を抑える薬を飲み、その副作用として頭のフラツキが出始め、1日20〜30時間勤務の不条理な職場で心臓を壊し、不整脈で入院(医者は過労が原因と言う)、そのショックでパニック発作は治ってしまったが、頭のフラツキは一時、グラグラに襲われる8ヶ月グラグラし、その後フラフラに軽減
しかし、今なお、集中作業などで頭のぐらつき、違和感に襲われる

自律神経が過剰反応して「それ以上、作業するな、運動するな、中止しろ」と言っているかのよう

運動すれば心臓の鼓動は早くなる、これは自分の意志で鼓動を早めているのでなく、自律神経の働きによるもの、運動という行動に対して自律神経が反応している

これと同じで、唱題においても頭重感という症状で行動にブレーキがかけられてしまう
表層意識では自律神経の誤作動、と認識しているものの、深層心理のほうでは「体や脳に負荷のかかる行動に対しての当然の処置」として、自律神経が働いてしまう(働いた結果、辛い症状になろうとも、深層心理のヤツはおかまいなし、という印象)

この秋、腰の右辺りに原因不明の痛みに襲われ、数日続いた、「治してください」と御本尊に祈りを込めて唱題したら、すぐに痛みは止まり治ってしまった

肉体の痛みはすぐ治る、
精神の方はどうしていいのやら、、、

ブログに書いて思案しようかと思ったのですが、ここなら何かアドバイスをいただけるかと思い、スレ立てしました
よろしくです

2レオ ◆DlyW/s8ibQ:2012/12/31(月) 16:30:25
「こういう病気だから俺はダメなんだ」
なのか、逆に、

「こういう病気だけれど、断じて実証を示すんだ」
との一念の差はある意味タッチの差です。
目で見てこれとハッキリ分かる差ではないかもしれません。

どんな病にしても悩みにしても、創価の信心で克服できない例外というのはありません。
己自身がまず
「絶対にあきらめない」
「断じて勝つ」
「必ず幸福をつかむ」
「変毒為薬、宿命転換する」
と強く決めることです。

3:2012/12/31(月) 23:20:17
>>2 レオさんレスありがとうございます

>どんな病にしても悩みにしても

>強く決めることです

「精神の病は治りにくい」と自分で枠を作っていたようです、そうなると「弱く決めてしまってる」事になりますね

>強く決めることです

はい、そうします

4:2013/01/01(火) 10:04:26
>>3
ああ、いけない!

「治そうと思えば思うほど症状は悪化する」という事を、つい忘れがち

>>2レオさんのレスには「治す」という言葉が用いられていない、さすがです


自律神経の過剰反応は、体に毒であるから、、、
変毒為薬・・・
そうですね m(_ _)m

5:2013/01/01(火) 11:41:41
御書には、
「病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり」と。(妙心尼御前御返事p1480)
また、「ついに捨つる心なくて候へばすでに仏になるべしと見へ候へば天魔外道が病をつけてをどさんと心み候か命はかぎりある事なりすこしもをどろく事なかれ」とあります。(法華証明抄p1587)

ご本尊を持った人が、病の姿を表しているのは、甚深の意味があるのです。
「信心しているのに、なぜこんな目にあうのだ!」と、信心を捨てるのを「魔」は待っている。
それに負けない事です。
東さんは、十分苦しんだ。必ず、「あの苦しみは幻のようだ」と、うそのように回復する日が近々、来ますよ。

「病ある人仏になるべき」ですから、乗り越えれば、仏の境涯なんです。
同じような悩みを持つ同志に、勇気と励ましを与えられるよう、貴方が自分で選びとった「悩み」なのですから、乗り越えられないわけがありません。

「苦しい唱題」をしなくてもよいと思います。
「今は苦しくて、唱題できないが、元気になったら存分やってやる!」と思いながら、ゆったりとした気持ちで治療に専念してください。

6:2013/01/01(火) 14:06:37
>>5
>「信心しているのに、なぜこんな目にあうのだ!」

宿業が出ているのだと思います、、、たぶん過去世における正法誹謗の罪、
それでも軽く出してもらっているのだと思います、感謝と懺悔の題目をあげています
もし信心を捨てたら、もっと重く辛く来るだろうと思います
またリアルやネットで同志誹謗した事を御本尊にお詫びの唱題をしています

>「あの苦しみは幻のようだ」と

そうですね
「設ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし」ですね

>「苦しい唱題」をしなくてもよいと思います。

マイペースでやります(・∀・)ありがとうございます

7レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/01(火) 22:22:12
鯖さん板をご閲覧の皆さま、明けましておめでとうございます。
旧年中は何かとお世話になり有難うございました。
今年も1年、一歩前進の節目を刻んでいきます、宜しくお願いします。

>「苦しい唱題」をしなくてよいと思います。
或いは、メンタルの病の人は、無理して題目を上げない方がよい、とのアドバイスを越えて、中には題目を上げると悪化するという人も居ます。

確かに1人1人の病名も違い、1人においても急性期・慢性期・回復期などの別もありますし、置かれた状況も違うので、ひとくくりにして「こうせねばならない」とアドバイスしても逆効果になる場合もありえます。

「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(p.1143)

との御書にあるように、苦しいなら唱題を止めなさい、とは仰ってません。
「苦をば苦とさとり」と仰せです。
観心により苦の意味を正しく把握し、幸福への糧とし昇華していく。

苦しみと楽しみは表裏一体です。
苦しみを避けてばかりでは、深い喜びも味わえない。
これは仮定の話しですが、信仰者として、苦しい時は同志から距離をおき、良い時だけホイホイと近づいてくるような者は卑怯者です。
卑怯者が真の幸福をつかめるはずがない。
学会と苦楽を共にしていこうとの信心が大事です。

もう一点は執念の大切さです。
仕事でも何事においても、ひとかどの成功者になった人の別名は「執念の人」だと思います。
いかなる障害が立ちはだかろうと、とにかく驚異的忍耐と意志と信念で乗り越えていく。
例え、迫害されようと裏切られようと、断じて歩みを止めない。
己が理想と目的が、一点の曇りもなく正しい、との大確信も、執念の行動となって現れる1つの要因でしょう。

当然、これらは病の無い人々の間で言われることであり、病の人にそのまま当てはめてはならず、慎重に扱うべき事柄かもしれません。
要は、その人自身の自覚だと思います。
病気だから無理、と言ってしまえば、何事も無理になってしまう。
逆に、病気ということを軽視して、受けるべき治療も受けず、無理を続けていけば、悪化してしまう場合もあります。

医学を最高に活かしていけるのが信仰の力です。
そして自分みずから、自分自身にとっての医師となり看護師となって、病気を快方に向かわせていくのです。

8:2013/01/02(水) 22:53:22
>>7
>苦しいなら唱題を止めなさい、とは仰ってません。

僭越ながら補足しますと…

大聖人は、苦しい病を悪化させる程の唱題をせよともおっしゃっていません。

「御経をばよませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし」
と、体調が悪い時には無理して長い経を読む必要はなく、題目だけでよい、との仰せです。
東さんの場合には、長時間の唱題は避け、体調によっては題目三唱、あるいは一遍の題目でも十分と心得るべきかと。

また、「仮使山谷に篭居候とも御病も平癒して便宜も吉候はば身命を捨て弘通せしめ給ふべし」とも仰せです。
病気が治ったら、また元気に戦おう、との温かいお言葉ですが、「病中、無理して戦え」とはおっしゃっていない。

ともあれ、メンタルの病は、かかった本人にしか無い辛さがある。
軽々しく、ハッパをかけるような言動は厳に謹んでいきたいと思います。

9レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/03(木) 22:59:22
鯖さん、それらの御文もありましたね。
いつも的確な引用・紹介を有り難く思います。

ここまでの討論で1つ思うのは、
「メンタルの病の人は、無理して題目を唱えなくていいですよ」
というのは1つの定説とも言える位の、メジャーな対応方法になっています。

しかしこの対応も一つ間違えば、無慈悲と紙一重でないかと思うのです。
いかにも、相手が悪化したりしないように、との思いやりを見せているようであっても、言葉だけで終わってはいけないと。

本人にしてみれば、病という悩みの渦中だけに、
「人一倍、頑張りたい」
という思いがあるのに、思い通りに戦えないもどかしさがあるのです。
或いは似ていますが、この病を治すためには、半端ない信心の戦いと唱題が必要とも、心のどこかでは思っています。

そういう人に対して、
「苦しい題目なら、上げない方がいいですよ」
というのは、言葉だけ聞くと、非常な無慈悲の響きを感じるのは、私が勘ぐり過ぎなのでしょうか。
メンタルの病に対する場合も、
「認識せずして評価するなかれ」
で、ある程度積極的に関わろうとするなら、自ら少しずつでもメンタルや精神医学などを勉強して、物言うべきなのかもしれません。
加えて、病にだけでなく、その人自身の求道心をさらに奮い立たせるべく、信心のアドバイスや激励をためらってはいけないと思います。

と言っても、症状などは千差万別なので、ケース・バイ・ケースだとは思います。

10:2013/01/04(金) 01:42:04
「地獄の苦みぱつときへて」

>>1で書いたパニック障害は約3年悩まされ、薬は症状を軽減させるだけで治らず、、そして不整脈で入院という事態が起きた時
パッと消えていました

「じょじょに治った」というものではなく、、、メンタルの治り方は身体のケガの治癒のようではないので謎です、憑き物が落ちたような治り方です

パニック障害は休んで安静にしていても、何の前触れもなく苦しい症状が起きるので、やっかいなのですが
今現在の症状は「こういう行動をとると起こる、こういう行動をしなければ起こらない」というのが判るので、パニックに比べるとマシな方かもしれません

>ケース・バイ・ケース
>「苦しい唱題」をしなくてもよいと思います。

無理や、負担がかからないようにやっておりますm(_ _)m

11:2013/01/04(金) 09:05:10
>>9

私は、テキストの世界は会って激励できないので、定説を基本とすべきだと思っています。

> というのは、言葉だけ聞くと、非常な無慈悲の響きを感じるのは、私が勘ぐり過ぎなのでしょうか。

あくまでも受け手がどう感じるか、という事でしょう。

12:2013/01/04(金) 09:06:27
>>10
> 「地獄の苦みぱつときへて」

その通りですね。
パッと消える、その瞬間が間もなく来ると信じていますよ!

13レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/12(土) 18:48:16
1.懺悔滅罪の祈り。過去世からの謗法をお詫びする。
2.広布のお役に立たせてください。そのために元気にしてください。

同じ祈りでも、このように祈ることが大事だと思います。
特に「心の病」の人には、です。

「信心しているのに、なんでこんな目に遭うのだ」
との不満が、仮に高じて、不信になったり学会を逆恨みしたり、毛筋ほどでも持ってはいけないです。
そこが病魔のツケ所なのだから、根本は、
「必ず勝つ! 断じて負けない!」
との一念が大事です。

短絡的に無理に長時間の唱題したりするのでなく、あくまで自分の病状やコンディションと相談しながら、ですね。
妙法は「最高の良薬」なのですから、「必ず治せる」「必ず治そう」との強い強い確信だけは失ってはならない。
その揺るがぬ強い「信」があれば、病になる前より一段と健康にさえなれるのです、と先生は仰ってます。

学会員として御本尊を持った人が、病に苦しんで苦しいまま、なんてことはありません。
時間はかかるかもしれないが、必ず、誰もが驚くくらいに「変毒為薬」「転重軽受」し切って、所願満足の絶対的幸福境涯を築いていけるのです。
病を功徳へと転じていける「妙とは蘇生の義なり」の力を、自在に現していきましょう。

14:2013/01/12(土) 23:02:20
>>13
一部、反対意見なのですが

> 過去世からの謗法をお詫びする。

と言っても、覚えていないものを心から詫びる事などできないです(笑)
元気な時ならともかく、そんな心痛を余計にかかえ込めば、病気が悪化するに決まっています。
むしろ、自分は仏であるという前向きな自覚にのっとり、「願兼於業」の考え方で、必ず乗り越えられるハードルを自分で設置したと思うべきではないでしょうか。

> 2.広布のお役に立たせてください。そのために元気にしてください。

というのも、なんだか「取引」みたいで・・・(笑)
そういう風に心から祈れるひとはいいけど、広布への自覚は人それぞれですから、画一的に祈り方を決めることは危険であると思っています。

ちなみに、今レオさんは、「変毒為薬」「転重軽受」し切って、所願満足の絶対的幸福境涯を築いた状態でしょうか?

15レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/14(月) 18:32:21
>>14
「願兼於業」「秘妙方便」は宿業を使命へと捉え直す、仏法の深い見地です。
単なる作文としてのテーマでもないし、言葉だけ1人歩きすべきものでもありません。
まず自らが虚空会で誓ってきたことを、人生をかけて証明していくのが、それが「願兼於業」「秘妙方便」ではないでしょうか。

その背景には、誰も見ていない所で、あたかも血の涙を流すような苦悩への挑戦、気の遠くなるような忍耐の戦いを経てこそ、初めて、
「我が人生を見よ、これこそ願兼於業なり」
との感動と説得力を持つのだと思います。

もちろん、自分は仏であるとの前向きな自覚にのっとり・・・ハードルを自分で設置した、という部分は同感ですが、この2つは法理が明確に異なるものですから、謗法をお詫びすることの否定には使えないでしょう。
心の病には人には言えない、理解しにくい苦しみが多いのです。
脳の器質から来る頭重感(ずじゅうかん)などや薬の副作用などの不調、気分が沈む、意欲が湧かないなど病状としての苦しみ、社会的・経済的な困窮もあります。
(医療として或いは福祉サービスとして、様々にサポートを受けられ、感謝すべきですが、十分とはいえない水準ということもあります)

とかく病ということで、無知と偏見から差別的に扱われたりすることもあります。
身体障害の人をあからさまに差別する人はほとんど居ないと思いますが、精神は依然として偏見・差別が根強いと思います。
一番ちかい存在のはずの両親・兄弟からも、心ない扱いや言葉かけをされ、秘かに傷つき孤独感を深めることも多いのです。

なぜこういう苦しみを味わわねばならないのか?
病になった根本の原因はどこにあるのか?

その答えが、1つは「過去世からの謗法」であり、もう1つが「自ら願って持って生まれて来た苦悩」なのです。
御書には大聖人自身も過去世に謗法を犯してきたことは間違いない、その報いとして今世に王難等に遭っている、と「示同凡夫」の立場から吐露されています。
謗法をお詫びする最高の秘術は、折伏して人を救うことです。
の第一歩として、まず過去の謗法を自覚し、罪障消滅の祈りをすることも大事だと思うのです。

私の境涯については、まだまだ未熟者ですし人生途上の、まだまだこれからの部分も多いです。
似たような病の過程を経て来た人の中では、かなり勝利の実証を示してきた方だと、自分では思ってますよ。
創価の信仰のお陰で、何とか幸せに生きられております。
我ながらずいぶんと、強くなったものだとも思います。
色々と課題は多いですが、それもこれから生で目標であり、楽しみだと思ってます。

長文になりスミマセン。

16レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/14(月) 18:55:15
>>15
まず、以下のように訂正します。

(×)色々と課題は多いですが、それもこれから生で目標であり、楽しみだと思ってます。
(○)色々と課題は多いですが、それもこれからの人生の上で目標であり、楽しみだと思ってます。


ところで鯖さん、日本へ帰国するようなことを仰ってましたが、今は日本に居るのですか?

さらにメルマガの「毎日の御書」が4187号って、もの凄いですね。
何年間続けておられるのですか。
的確な御書の引用能力といい、要を得た解説といい、着実に研鑽を進めていますね。
青年部時代に最上級の教学資格がもう目前まで手に入りかかってると思います。
ガンバってください。

前回投稿の補足ですが、この病の人はどうしても自分の苦しみに目が行きがちです。
ですがその陰で、両親・兄弟・親しく関わってくれた人々や恩人たちも、ほんとうに心を痛め、行く末を心配してくれています。

そこに気づくことができ思いを巡らし、具体的に感謝の言葉を言ったり行動ができるようになれば、病状はかなり良くなっている証拠だとも思います。

17千都:2013/01/14(月) 22:56:07
横から失礼します
なんでレオさんは
「あなたがおっしゃるのはこういうことでしょうか? それについては私はこう思います」という風に書かれないのでしょう
「あなたのいうこれこれについては、これこれこうです! さて、次に……」ばっかりでは議論が深まらないんじゃないかと

相手の「言葉」ではなく 相手の「意」をとって、相手が疑問に思っていることに答えてゆかなければ
ただ言いっぱなしの平行線が続いてゆくだけではありませんか

って、ヒトの気持ちが解らないビョーキ(AS)の筈の私が書くのも奇妙な物ですが

18レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/15(火) 00:18:46
>>17
千都さん、お久し振りです、今年も宜しくお願いします。
ご指摘の部分は耳が痛く反省してます。

自分の考えをいかに伝えるかで精一杯で、相手の意を汲み、相手の疑問に答えてゆく所まで、余裕とそこまでの力量が、我ながら現状で不足しているのです。
しかも鯖さんのような切れ者の反論・追及には、正直、納得してもらえるような答えが「はい、これです」とは提示する能力が無いです。
そのため勢い、共に答えを探る、という消極的な、或いはとりあえず自分の考えだけは提示しておく、といったやり方が多くなったのだと思います。

千都さんから見れば、頼りなく、本当に大丈夫か?と見えるかもしれませんが、まだまだこれから精進・研鑽・練磨していきたいと思ってます。
そういう訳なので、千都さんも忌憚なく参加頂きご意見を頂ければ、百人力と心強いです。

19:2013/01/15(火) 10:22:20
>>15
レオさん、丁寧な返信、ありがとうございます。

もろもろのご主張を読んでいて思ったのですが…
「なぜこういう苦しみを味わわねばならないのか?」との問いに対する答えとして、「過去世からの謗法」という解き方で納得できるのであれば、そういう考え方もありかな、と。
課題は、それを見定める事によって乗り越えやすく成る、という意味において、現在の苦しみの原因をあえて「身に覚えのない」次元に求める。
それも一つの「智慧」だな、と思いました。

> 我ながらずいぶんと、強くなったものだとも思います。

すごいですね!
レオさん自身がおっしゃったように、「必ず、誰もが驚くくらいに『変毒為薬』 『転重軽受』し切って、所願満足の絶対的幸福境涯を築いていける」のがこの仏法ですね。共に幸福をつかみましょう!

20:2013/01/15(火) 10:36:59
>>16
レオさん、「毎日の御書」についての励ましのお言葉、ありがとうございます。
御書の研鑽についてはまだまだまだまだですので、もっともっともっともっと学ばねばという気持ちです。

あと、今住んでいる場所に関しては、ネットで公言する事は避けたいと思います。
以前は海外にいると言っておりましたが、「うそだろう」「証明しろ」とうるさい輩もいまして、面倒くさくなったので…

まぁ、この板の住人は、正体不明&住所不明という事にしておいてください(笑)

21:2013/01/15(火) 10:42:09
>>18
レオさん、まぁ、あまり気になさらず…
完璧な議論を目指すのではなく、ざっくばらんに対話したいというのが本音です。

あと、私、思ったことをズバズバ言うので、「追及」しているように聞こえるのであれば、お詫びします。
書き込みにはいつも感謝していますよ!

22説教オヤジ:2013/01/15(火) 12:12:39
参考になるかどうかはわからぬが
ここに一つのエピソードを書き込みます。

昭和26年、ある日の登山会。
昼間の御開扉も終え、深夜の丑寅勤行が今終わったところ。
法主に続き、担当僧侶もお帰りになった後。
客殿には戸田先生と学会員だけが残った。
誰も帰ろうとしない。
「誰も帰らんのか・・・・
じゃあ、質問会でもやろうか」と戸田先生
会場からは割れるような大拍手
演台が運ばれ、マイクがセットされ、
皆が希望する戸田先生を囲んでの質問会が開かれた。
いつものように司会役の○○理事の奥さんの声が響く。
「どなたか、質問のあるかたは?」
会場からいくつもの手が挙がる
戸田先生の目に止まったのは、
真っ先に挙手をした、会場後方より挙がった小さな手。
「はい!あなた。」

「私には○歳になる、小児麻痺の娘がおります。
医者からは、この先も、歩くことは出来ない、話すことも出来ない・・・
と言われました。
この信心で、娘を治す事が出来るでしょうか?」

戸田先生 「ほう! その子は今日ここに来て居るかね?」

「はい!この子です!」

戸田先生 「そうか、では、こちらに連れていらっしゃい!」

当時丑寅が行われていた客殿は、後に学会より寄進された客殿と違い、
非常に狭かった。
正座をした自分の膝の上に、前の人の尻が乗っているような状態。

それでも何とか出来た通路を進み、幼い子を胸に抱えた母親が
壇上の前まで進んだ。

つづく

23説教オヤジ:2013/01/15(火) 20:42:50
戸田先生は母親からその子を受け取り
壇上に座らせ
「可愛い子じゃあないか
母親というのは、手のかかる子供ほど可愛いものなんだよな」
そう言いながら、ポケットから念珠を取り出し
その子の頭から顔、肩からお腹、腰から足へと
小さな声でお題目を唱えながら撫でていく

そして、低く強く、搾り出すように
「治るよ!
絶対治る!
お母さん、
あなたが一生懸命祈って、折伏をしていきなさい!!」

母親は、涙を流しながら
「はい!必ず治して見せます。
先生、ありがとうございます。」

何とも言えない厳粛な空気に包まれたこの光景を
会場の隅でじっと見つめていた一人の輸送班の青年がいた。

つづく

24説教オヤジ:2013/01/15(火) 22:20:15
それから十数年の時が流れ
ある日、一人の青年職員が、池田先生から呼ばれた

「これを見ろ」
先生がその青年に差し出したのは、一通の手紙
見事な毛筆の手紙の差出人は
”○○県肢体障害者父母の会会長”

手紙の内容は大要こうであった

『本年の県議会において、来年度以降の大幅な予算削減により
現在、県中心部にある肢体障害者リハビリ施設が郊外に移転されることとなりました。
そうなれば、我が子に会いに行くのにも、大変不便になり、なんとかならないものかと
方々相談に行きました。
○民党のところにも、○会党のところにも、○産等にも相談に行きましたが
どこも、真剣に聞いてはくれません。
最後は公明党の創設者である池田会長にお願いするしかないと、当会の総意により
この度このお手紙を差し上げた次第です。
当会の副会長の一人は婦人でありますが、いつも明るく、頼りがいのある
皆の相談役で、当会のメンバ−にはなくてはならない人ですが、話を聞いて見ると
どうやら貴会の会員のようであります。』

先生はその青年に
「○○君、このご婦人に会いに行って、詳しい状況を聞いてきてくれないか」
と指示をした。

つづく

25説教オヤジ:2013/01/16(水) 15:18:37
青年がその婦人の家を訪ね、
仏間である和室に通された時、
長押に掲げられた一枚の写真に目を見張り、驚いた。
そこには、三代の会長の写真の横に、
あの丑寅勤行の質問会の折の、
戸田先生と共に写った、壇上の幼い女の子の写真が飾られていた。
あの質問会直後の創価学会内の機関紙に掲載された写真そのものは、
決して他の人には配られない事を知る青年は、その母親に尋ねる。

青「なぜ、この写真をお持ちなんですか?」
母「この子は、私の娘なんです。」
青「そうですか。実はこのとき私は輸送班の一員としてあの会場にいたのです。」

その時、部屋の外で電話の音がした。
青年は母親に電話に出る事を勧めたが、「いいんですよ」と母親は言う
すぐに電話をとって話す声が聞こえた

「もしもし ○○です。
はい、はは は おきゃくさんと おはなしを しています
はい つたえます しつれいします」

日本語を覚えたての外国人が話すような、たどたどしさではあったが
確かにはっきりと話している。
すると、スッ、スッと廊下をすり足で歩く気配がして、
少し大柄な女性が入ってきて母親にメモを渡して青年に一礼して出て行った。
「今のが、この写真の子です。」

つづく

26説教オヤジ:2013/01/16(水) 21:20:43
この後、この母親は、とつとつと青年に話しかけた。

あの娘が、きちんと留守番をしてくれるおかげで、
今日まで何の心配も無く、学会活動が出来たこと。
町内会の付き合いも、F活動も、時には旅行まで・・・
「あの時の戸田先生の言葉一つを信じて
先生の仰せの通り、ひたすら祈り、折伏をしてきました。
絶対に治してみせる!・・・・
医者には見離されたけれども、今私は、あの子の病気は治ったと思っています。」

27レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/19(土) 21:09:52
>>19-21

>課題は、それを見定める事によって乗り越えやすく成る、という意味において、現在の苦しみの原因をあえて「身に覚えのない」次元に求める。
それも一つの「智慧」だな、と思いました。

鯖さん、いろいろと深いご理解に感謝します。


>御書の研鑽についてはまだまだまだまだですので、もっともっともっともっと学ばねばという気持ちです。

この1文に、どこまでも謙虚な求道の心を見ます。
私も鯖さんを見習って、いよいよの求道心を奮い起こしていきます。

鯖さんの現在の居住地などについても了解しました。
ざっくばらんに書込み・対話ができるのも、鯖管理人さんの陰の苦労のお陰です。
その意味でも、改めて、今年も宜しくお願いしますね。

28レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/19(土) 21:47:55
>>22-26
説教オヤジさん、旧年中は何かとお世話になり感謝申し上げます。
今年も宜しくお願いします。

貴重な伝説的な学会指導・体験談を誠に有難うございます。
戸田先生の直接の慈愛の指導が目に浮かぶようです。

折伏をやり切って治してみせます! と決意してその通り戦い切った母親の信心により、娘さんも留守番として広布を支え助ける存在へと成長しました。
よく体験などで「この子がいたお陰で、本気になって信心に取り組むことができた」と感謝する場面が出てきますが、これも「親子一体の成仏」の功徳の姿なのですね。

病だから不幸とは決めつけられないこと、
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し、いかなる病 さはり(障)をなすべきや」
と御金言にあるように、いかなる病も断じて克服することができ、これ以上ないという所願満足の人生を勝ち取った体験が、学会には枚挙にいとまがないですね。

>日本語を覚えたての外国人が話すような、たどたどしさではあったが
確かにはっきりと話している。
すると、スッ、スッと廊下をすり足で歩く気配がして、
少し大柄な女性が入ってきて母親にメモを渡して青年に一礼して出て行った。
「今のが、この写真の子です。」

何気ない描写ですが、母子一体の長い広布の戦いで、確かに勝ち取った、病 克服の実証が素晴らしいです。
お母さんも障害者の会の要職まで務め、同じ苦悩の人々のため励ましを送り続けていましたね。

大震災の時、自分の家も家族も流されているのに、人のためと奔走した学会員に、ある意味で重なるように思えるのは私だけではないでしょう。

29説教オヤジ:2013/01/23(水) 10:31:55
「獅子吼」・・・について

御義口伝に云く
勧持品十三箇の大事
第五作師子吼の事
「師とは師匠授くる所の妙法
子とは弟子受くる所の妙法
吼とは師弟共に唱うる所の音声なり
作とはおこすと読むなり
末法にして南無妙法連華経を作すなり」

師が授け、弟子が受くる南無妙法蓮華経・・・・

誰がなんと言おうが、「いかなる病も・・・」と大聖人が叫ばれた題目の力用。

「絶対に治る!!」と言い切った師匠の確信
その師匠を信じて「ハイ!!」と応えた弟子の信心

この、ほんの一瞬の師弟不二の生命の打ち合いの中にこそ
末法におこす、南無妙法蓮華経の実証が現と生ずることを忘れまい。

医学を否定し、軽視するものではないが。
学問における、現時の見地は、やがて変遷がおとずれる。
だが、永遠に変らぬ本有常住の知恵を、我々はその実践の方法として
既に知り、持っていることの功徳を、日々に感じて行きたいものじゃね。

レオさん
ありがとう。
いつまでも、いつまでも
その純心で、強情な信心を貫いて下さい。

30千都:2013/01/23(水) 23:25:58
すこし書かせてくださいね。
主語をボカしていますが、諸般の事情でご了承ください。

 むかし、といっても数年前ですが、腰に荷物をつけて仕事をしていた人がいたのですね。
その人はある日、すごく横っ腹が痛くなったのね。とにかく不自然に痛くて気持ちが悪い。仕事を続けるのがとても苦しい。だけど、なにが原因なのかまったく解らなかったのですね。
翌日も、その翌日も痛くて仕事を続けていられない。腰のほうまで痛くなってきた。食事時や休憩時間にはすこし良くなるんで我慢していたんだけど、凄く辛いのが顔に出てしまったのか、同僚にも心配されてしまいます。同僚も原因がわからない。痛みに耐えて自宅に帰って寝ました。
 その翌日、ヤケクソでベルトを強く締めて作業した。そうしたら痛くならない。あっけなく治ってしまったのですね。
そんな事すれば絶対悪くなるって思ってたし、今までとベルトの締め方は変わってなかったはずだから、それを変える、ましてや血行がわるくなるように強く締めるなんて考えもしなかったんだそうです。
なんで同じようにしてたのに急に痛くなったのか。いままでも無理する姿勢だったのかな?すこし痩せたせいで、またはベルトが伸びてきてベルトの固定位置が以前とずれたのかもしれないとは思うのだそうだけれど、結局原因は不明のままということでした。

 えーと、からだでなく精神でも同じ事があるんじゃないかと思うんですね。
なんでお題目をあげる事が苦しいんだろうか。それって不自然なことじゃね?
とにかくがんばればいいんだろうか。オーバーヒートしてるってのに、全速で走行すればなんとかなるのかな。

31レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/25(金) 22:54:48
>>29
純心と言えば、ファイターズの栗山英樹監督が、今年のテーマを発表してましたね。

 純 ―ひたむきに―

だそうです。
僕も、信心にひたむきに取り組んでいきます。

師弟の一瞬の気迫こもる一念の合致に、絶大な力が宿ること、本当にその通りだと思います。
「やれるか!」
「はい!」
と答えられる弟子か否か。
そこから一切が開けていくのですね。

>>30
千都さん、面白いエピソードですね。
何かそういう劇的に効く意外な方法があったら凄いですね。
身近な所にあるのかもしれないですね。

題目を上げることが苦しいのは不自然との話、たしかに僕も同感です。
とにかくがんばればいいのか、それを他人が強いたりするのは変な話です。
あくまで自分の信心の自覚次第だと思う。

あと、やはり根底から心のエネルギーを使い果たしている時ってあると思います。
そういう時には休むことが何より必要です。
這ってもずってでも、との思いは尊いですが、「休みを取る」ことがその人にとって「今必要な信心の戦い」という時があります。

そして、人に言われたからなどではなくて、自分の感覚として心のエネルギーが回復してきたら、最初は5分からでも良いと思います。
3か月、半年、1年、3年と自分の調子を見ながら、時間なら時間を伸ばしていけば良いのです。

体が重傷を負ってる場合にスポーツや無理な運動をしないのと同じように、
心も目に見えないから解りにくいけれど、もしかすると「心の重傷」を負ってるかもしれない。

32レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/25(金) 23:22:23
>>31
続きです。
そういう心の重傷の時は、きちんと医学の適切な診療を受けつつ、とにかく休みを取る。
もし何らかの事情で休みを取りにくいなら、入院も選択肢の1つです。
入院となると抵抗感も大きいでしょうし、そこまで治療が必要と自分ではなかなか認めたくない、或いは精神科にかかること自体が抵抗がある、という病識の欠如は治療の大きな妨げにもなるそうです。

急性期の時はとにかく休むことと、適切な治療を受けることが大事だと思います。
感情や心は見えなくとも、厳然と在るものなのですから、軽視してはあとで重大なことになる場合があります。

そして回復期は病の一面だけを見過ぎてはダメです。
あくまで病はその人のパーソナリテイのほんの一部に過ぎません。
数字にしたら5%〜15%などといった部分に過ぎません。

病は持っているが、その他の健康な部分、様々な美徳や長所などもたくさん持っているのです。
病がその人のすべてではありません。
○○病の●●さんね、と安易に病人として片付けては、自他共に大変に損だと思います。

この点に関して、資料で読んだことがあるのですが、精神病の予後を追跡調査したデータです。
記憶が薄れているので、あいまいな部分もあります、病名によっても大きく数字は変わってくるでしょう。
確か患者の3分の一が社会復帰して普通に仕事をするまでに回復します。
3分の1は通院を続けながら、作業所などにも所属しますが、完全には社会復帰が困難なグループです。
そして3分の1は入退院を繰り返しながら、その内5%だったかは病院に何十年と入院を続け出れないそうです。

この資料はなにせ記憶があやふやなので、余り重大視しないでください。
あくまで参考としてください。
うつ病などは予後ははるかに良いようです。

こういうことを知っておくと、今、自分がどこに居るか、これからどこを目指せば良いか、との方針や祈りの目標を立てやすいと思います。

33:2013/01/25(金) 23:26:18
>>30
> なんでお題目をあげる事が苦しいんだろうか。それって不自然なことじゃね?

自分の場合、題目をあげる事が苦しいのは、自然ですが(笑)

大体、正座自体が苦行ですし…

34レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/25(金) 23:33:46
>>33
財務会計で言えば、リターンがそれだけ大きいから、必要経費を投入するのでしょうね。
いま、恒例の決算作業に入ってましたw

35:2013/01/25(金) 23:36:33
>>31
>「休みを取る」ことがその人にとって「今必要な信心の戦い」という時があります。

レオさん、>>7とか>>13でおっしゃった事とずいぶんトーンが違ってきていますが、お考えが変わった、という理解でよいでしょうか?

36:2013/01/25(金) 23:38:45
>>34
経費というより、むしろ「投資」ですな(笑)
損益分岐点を下げるのは永遠の課題ですね・・・

37レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/25(金) 23:49:12
>>35
チャット化してますねw
そろそろもう少し唱題して寝ます。

トーンの変化との指摘については、自分の急性期の頃を思い出したんです。
一番悪化した時や、調子の波が底を打ったような時は、正直、題目どころではなかったです。
とにかく休養してました。

そこを抜けると今度は、いかなる環境であっても猛然と唱題してましたね。
方面のドクター部長が院長の病院で、評判を聞きつけて日本全国や時には海外からも患者が来るほどでした。
その100人位の患者で私が№1の唱題を上げてました。
本流を決めてすぐの病だったので、絶対に負けるものか!との闘魂はありました。

急性期か、または慢性期・回復期かで使い分けが大事だと思います。

38説教オヤジ:2013/01/26(土) 09:05:02
>>37
題目どころではなく
休養の期間から抜け
いかなる環境であっても猛然と唱題に挑戦した。・・・・

人は、なかなかに、こうはいかぬものじゃと思う。
長期に休むと、それが癖になる場合が多い。
レオ殿がそこを乗り越えて猛然なる唱題に励まれたようじゃが
何か、相当のきっかけがあったと思うが、差し支えなければ、ご披露願えんじゃろうか。

39レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/27(日) 19:55:34
>>38
運命から突き放されて、本当の負けじ魂に火がついたのだ、と思います。
本流を決めて直ぐということもあり、とにかく、
「こんな所で負けてはいられない!」
という、強い強い思いがありました。

法戦もそれこそ病院内から手紙や公衆電話等を使い、仏智を湧かせて戦いました。
それを聞いた私の地元組織の支部長などは、驚嘆の声を上げたそうです。

さらに、自己の負けじ魂とともに、院内に同志が多くいましたので、さまざまに励ましをもらっていました。
院内で院長を担当幹部として月1回座談会や御書講義も行なわれていました。
これら負けじ魂と励まし合いという2つが相乗効果をもたらして、猛然と唱題できたのだと思います。

一度、院内の座談会で「変毒為薬と転重軽受」について研究発表する機会がありました。
我ながら、理論偏重の発表だったと、あとで酷く恥ずかしく後悔しました。
ほんとうに人を感動させ、自分も納得のいく発表とは、理証・文証より何より現証だ。
百の能書きよりも1つの結果なんだ、と心の底から思えました。
自分が1人立って、退院・社会復帰し勝利した姿を示してこそ、ほんとうの「変毒為薬」なのだ、と深く決意しました。

40レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/27(日) 20:00:13
>>1
東さん、せっかくスレ建てたのに、私がスレ・ジャックしたように出しゃばり過ぎて申し訳ない。
他の方々の体験・経験も聞けたら嬉しいです。

41説教オヤジ:2013/01/27(日) 23:50:34
レオ殿
もうちょっと思い返して御覧
>>運命から突き放されて、本当の負けじ魂に火がついたのだ、と思います。
本流を決めて直ぐということもあり、とにかく、「こんな所で負けてはいられない!」
という、強い強い思いがありました。

このように思う様になった何かがその時あったはずじゃ。

>>ほんとうに人を感動させ、自分も納得のいく発表とは、理証・文証より何より現証だ。

貴殿が、
人を感動させねば・・・・と思うに到った
感動を与えることができさえすれば・・・・
そう思った背景には、己自身の感動があったはずじゃ。

42:2013/01/28(月) 02:27:50
>>40
レオさん、礼儀を重んじるのは立派ですが、東さんは貴方同様、寛容な方ですからご心配無用です(笑)

貴方は、たとえばご自分が立てたスレに、多くの書き込みをしてくれる人に対して「スレ・ジャック」だと思いますか?という事です。
あ、ちなみに、スレ・ジャックというなら、スレ・ハイジャックといったほうがいいかも(笑)

43レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/29(火) 18:52:33
>>41
そうですね、己自身の感動と言えば、その原点は『人間革命』を読破したことでしょうか。
「こんな世界があったのか」
と感動でゾクゾクして夜も眠れない位で、1日1冊のペースで一気に読みました。

以前、「世界の書籍展」だったと思うのですが展示に行き、池田先生所蔵の人間革命がガラスケースに展示されていました。
その裏表紙に次のような先生直筆の揮毫がありました。

「真実の学会精神をこの書に留む」

でしたか、もしかすると文面が違うかもしれませんが、人間革命の深い意義改めて垣間見ました。

そのこととは直接関係ありませんが、つい先日、『人間革命 第一巻』を改めて読み終わり、第二巻に入っています。
20年以上読んでいませんでしたが、新たな気づきがたくさんありました。
「こんなこと書いてあったかな?」
という発見が多く、非常に面白いと言ったら語弊がありますが、夢中になって読みました。

44レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/29(火) 18:55:38
>>42
鯖さん、了解しました。

逆に見れば、そういう言い方もできますね、確かに。
考えが浅はかでした。

45レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/01/29(火) 23:27:52
参考資料の紹介です。

(1)一つ目は、私の闘病の体験をブログ上で書き綴ったものを、ワードにまとめたものです。

tp://saburoku.org/member/kokoro_no_shiki/Taken08-mukasi.doc


(2)二つ目は、経王殿御返事の一節をPDFにしたものです。
印刷して掲示することができます。
経王殿御返事は病院内で、同志と一緒に勤行したあと、毎日必ず皆で声を出して繰り返し拝読していました。

tp://saburoku.org/member/Kokuhuku04.pdf


両方とも開くためには、さぶろくのパスワードが必要です。
お持ちでない方は、こちらから取得して下さい↓

tp://saburoku.org/cgi-bin/pwmgr/index.html


宣伝、スミマセンでした。

46赤ポス:2013/02/10(日) 00:30:56
>>43
レオさん
こんばんは^^

>小説『人間革命』を読む

というレオさんの書き込みに何故か改めて引っ掛かりを感じて、僕も改めて読んでみようと思い、戸田先生(妙悟空)著の文庫本の『人間革命』(上)(下)は後輩のこにあげて今は僕はそのあと買いなおさずに持ち合わせてないので、池田先生(法悟空)著の『人間革命』を第一巻から、1日一章ずつ寝る前に読んでいます。^^
まだ読み直し初めですが、「。」〜「。」の間の場景を思い浮かべながら入り込んで読んでいます。めっちゃハマッてます。(感謝)^^
何日かは読んでない日がありますが、今日は「胎動」を読んで寝ます。^^
ありがとうございました。(感謝)^^

47レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/02/10(日) 21:04:51
赤ポスさん、お久し振りです。
戸田先生の『人間革命』ですか、本来ならそこから読み始めるべきでしたか、それは気づきませんでした。
戸田先生の方も25年以上再読してないです。
後輩に贈呈したというのが素晴らしいです。
今度折を見て再読を挑戦しますね。

今日は第2巻の他宗の本部へ道場破りに行き、意気揚々と英雄気取りの青年たちが、戸田先生にこっぴどく叱られる場面を読みました。
得意満々の青年たちに、君たちは戸田の弟子ではない、と叱りつつ厳愛の指導をされます。

いち婦人が隣人を折伏する方がはるかに偉大であること。
日蓮大聖人の仏法の真髄をかけらでも学んだものは、いかなる教団の教義でももはや問題ではない。
はじめから勝負は決まっているのだ。
敵にも味方にも心から立派だと言われる人間になれ、と。

我が身の振る舞い・一念を反省させるエピソードです。

ところで、人間革命がワイド文庫で、たしか50年振りでしたか、先生の手により改訂されて発売されてますね。
この新版が第2巻まで出てるようです。
宗門との関係など加筆・修正が加えられたようです。
新入会者などが誤った捉え方をしないよう配慮されたそうです。

48赤ポス:2013/02/12(火) 22:34:07
>>47
レオさん
戸田先生の『人間革命 文庫本版(上)(下)』は、はじめ後輩のこに『戸田先生全集 第二巻 質問会』と手塚治虫さんの『ブッダ』の単行本じゃなくそれも文庫本版の全巻と一緒に貸してて、僕忘れてた頃にそのこから「もうちょっと借りててもよろしいですか?」って又会ったときに言われたので、「もう全部あげるわ」ゆうてあげましてん(笑)^^

僕歴史苦手でどうでもいい雑事は覚えてますねんけど、一巻改めて読みなおしてみて、原爆堕ちて敗戦になったんじゃなくてソ連参戦してきて終わったから冷戦が始まった とか、今頃になって「へー∵」とか言ってる次第です。(汗笑^^;)
めっちゃ勉強になりますわ^^
読み直し始めて良かったです(感謝)^^

二巻のそこはまだ読み直してませんけど、多分、当時その場に生まれ会わせてたとしたら、「イエーイ!パチパチ ヤッター!」ゆうて道場破りに大賛同してて、ほんで戸田先生にキッチリ叱られてたほうに入ってると思いますわ(笑)^^;

婦人部の方々の真心根本の地道さは凄いですね∵
今は青年学会の打ち出しで行ってますけど、昔、同中で、先生がスピーチのなかで「戸田先生が創価婦人学会にしてもいいくらいだと言われていた」という内容のことを言われてたのを聞いたことがあったと薄っすら記憶しています。^^

昨日は『胎動』のあと『千里の道』に戻りもう一度読んだりしてたので(笑)、今日は、
『歯車』読みます。^^
レオさんありがとうございます。(感謝)

49レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/02/14(木) 00:45:33
書籍をあげるというのは僕も何冊人にあげたことか。
当初は貸してあげたのに、返って来なくてキープされて、そのままになったのも多いです。
もちろん最初から贈呈として贈った本も多いですが。

本は元々大事にしてる方なので、あげたつもりはないのに、返してくれなかったり、紛失したりされると、多少気が沈みます。
赤ポスさんのそのエピソードでは、後輩の人が活用して血肉化してくれたのでしょうから、贈呈し甲斐がありましたね。
赤ポスさんの人徳と信心のなせるワザですね。

日本の当時の指導部が降伏を決めたのは、ソ連参戦を見たからでしたね。
原爆の筆舌に尽くせない惨劇を見ても、軍部は戦争を辞めるつもりはなかったようですね。
愚かな指導者に率いられた民衆こそ哀れな存在はないです。

「婦人学会」あるいは「青年学会」は有名だし本当にその通りですね。
でも、「壮年学会」というのは一度も聞かないですね。
やはり婦人部が一番やりやすいように手を尽くし、青年部を前面に押し出して若々しい息吹を漲らせていく、一切を支える黄金柱が壮年なのですね。
赤ポスさん、再確認の機会を有難うございます。

聞いてくれる人がいないと、我が身に止めるだけで自然に忘却に向かうだけなので、語り合える人がいることは、ほんとうに赤ポスさんに僕こそ感謝です。
ところで完全にスレ違いですね。
適切なスレッドは読書スレでしょうか。
あるいは新しく立てるほどでもないでしょうかね。

50東トンク:2013/07/14(日) 02:51:44
お久しぶりです、今晩は。
「なぜ荒らしの書き込みを放置するのか?」わからず、板から遠のいていましたが、管理人さんには何かの意図があったのかもしれない、と思いました。

本当ならお久し、の挨拶を書き込みし、レスがあったら質問をしたいと思ったのですが、、、10時間経過しないと次の書き込みができないようなので、「いきなり」と思われるかもしれませんが、よろしくお願いいたしますm(_ _)m

(太田入道殿御返事)に、「病の起る因縁を明すに六有り」「鬼便りを得る」という御文があります

故・辻武寿 副会長の指導に、「鬼便りを得る(悪鬼乱入でバイ菌に侵される、精神的にも幸福を破壊する思想)」という説明がありました。

森田療法で言う”とらわれの考え(医学的に体はどこも悪くないのに、悪いという思い、思考が払拭出来ず、その思考により身体に苦痛が現れる状態、いわゆる神経症)”や心因症などは「幸福を破壊する思想」につながると思いました。

この御書講義を見ますと、「仏・法・僧の三宝を供養すること」とあり、仏・法・僧の三宝 を検索しても、日顕臭やアンチ系サイトしかヒットしません、、、

仏・法・僧の三宝を供養とは?具体的にどうしたら良いか?がわからず質問させていただきます、よろしくお願いします

現在の状況>ネットバイトで集中を要する作業をすると、頭部違和感で苦しくなります「病によりて道心はをこり候なり」ですね

51ヒューマン:2013/07/14(日) 11:02:54
>>50 東トンクさん、
はじめまして。

仏・法・僧への供養
教学的には、仏 大聖人、法 御本尊、 僧 日興上人(しいては和合僧としての学会員)と
なっていたかと思いますが、わかりやすくすると概ね私はこう思っています。
(多少補足が必要かもしれませんが。)
.
 仏 大聖人の仏法を信じること 御書(御文)を拝し命に刻むこと
 法 法の供養 唱題すること       
 僧 学会活動         部員さんを救うこと/折伏すること(時間の供養)
いかがでしょうか。

52ヒューマン:2013/07/14(日) 11:04:31
失礼行ずれしてしまいました。
 仏 大聖人の仏法を信じること 御書(御文)を拝し命に刻むこと
 法 法の供養 唱題すること       
 僧 学会活動         部員さんを救うこと/折伏すること(時間の供養)

53ヒューマン:2013/07/14(日) 11:06:54
すみません、うまくいきませんね。
 仏 大聖人の仏法を信じること -- 御書(御文)を拝し命に刻むこと
 法 法の供養 ------------------ 唱題すること       
 僧 学会活動 ------------------ 部員さんを救うこと/折伏すること(時間の供養)

54東トンク:2013/07/14(日) 14:17:57
>>53
ヒューマンさん
信行学のことなのですね、わかりました、ありがとうございます

55:2013/07/17(水) 00:27:43
管理人さんへ
>>50
もし、お気を悪くされたらすみません、ありのまま書いただけです
m(_ _)m

56レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/08/09(金) 00:58:23
>>16 >>20

メルマガによる御書の配信、毎日お疲れ様でございます。
日々の研鑽と、その超人的とも言える持続力には、頭が下がる思いです。

ただし1級を目指すには、どうしても「切り文」では不足が多いと思うのです。
確かに「日蓮は肝要を好む」ともあるように、大事な御文を重点的に研鑽していくことも大事です。
やはりそれだけでは1級には無理がある。

20ページ30ページの文脈の中で明瞭が上にも明瞭になる事柄があります。
或いは法門の体系的・構造的ともいえる有機的な繋がりを把握していかないと、見えてこない事柄も多い。
特に生命の染浄の二法、仏と魔、師弟の厳粛なる因縁、など生命を解き切った深淵のような深さと、成仏へ向かわしめるダイナミックな妙法の力があるかと思えば、三世にわたる長遠な時間軸と、全宇宙や個々の生命の小宇宙を全て含んでいく空間的無限の広がりもある。

こうした見方から、どうしても切り文、短文では、本来その御文が持つ重要性が薄められてしまう恐れがあるのではと思うのです。

ですから、具体的には御書の全編拝読への挑戦や、五大部十大部の先生の講義録の精読・丹念な研鑽、御書全編の中でも特に難解な御書の研鑽、例えば『当体義抄』『御義口伝』『百六箇抄』等々の自主的研鑽が、1級には必要だと私は思います。
御消息文に見られる、個々の弟子門下との魂の交流や、大聖人のご事跡なども、もちろん詳細かつ深く研鑽する必要があります。

前言を翻すようで恐縮ですが、或いは1級だけが研鑽の目的ではありませんが、さらに私如きが生意気な言に聞こえるかもしれません、私自身もまだまだ不足・至らない部分が多いですが、参考になさってくだされば幸甚です。

57ヒューマン:2013/08/13(火) 02:23:03
レオさん、
はじめまして。

仰ってるご立派な意見は理解できますが、青年1級を取るのに、
御書の全編拝読への挑戦や、五大部十大部の先生の講義録の精読・丹念な研鑽、
特に難解な『当体義抄』『御義口伝』『百六箇抄』等々の自主的研鑽は
必要かという意味ではそうではないと思います。

一番大切なことは覚えることとともに命に刻むことだと思います。
中級や、青年2級であっても、宗教の五綱や五重の相対さえすぐに
説明できないようであってはあまり意味がありません。

もちろん1級であってそれらを自分の言葉で語れなければ同じことでしょう。
まして1級に合格しながら退転した人達は論外と思いますし。
乱暴な物言いかもしれませんが、学んだ御文を生活の中でどう生かしていくか、
それ以外は枝葉なことだと思います。

58レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/08/13(火) 21:49:09
ヒューマンさん、はじめまして。宜しくお願いします。

仰る通りかもしれませんね、1級取るのに要領を抑えた学習をすれば、>>56 で私が挙げたことの1つをも実行しなくても、合格できるでしょうね。
唯だ合格さえすれば良い、というなら、余計な苦労だし不必要でもありましょう。

でも仮にも1級=教授レベル でありながら、五大部もまともに通り一遍でも研鑽していない、御書もろくに拝読してない、で良いのでしょうかね?

それ以降のヒューマンさんのお考えは、1つ1つごもっともと、私も同意いたします。

広布のための教学、自他の幸福のための教学、実践の教学、等々、何のための教学かは常に忘れてはならないポイントですね。

>乱暴な物言いかもしれませんが、学んだ御文を生活の中でどう生かしていくか、
それ以外は枝葉なことだと思います。

仰る意味は分かりますよ。大事なことだと思います。

59レオ ◆DlyW/s8ibQ:2013/08/13(火) 22:02:00
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