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フェイク『男』のチラシの裏

349フェイク『男』:2017/11/19(日) 22:50:04 ID:WNMTiR.U
319フェイク『男』2017/11/19(日) 22:48:10.39ID:YXmW551u
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その7…トト神】
「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、逆に小説(などの創作物)では事実ほど突拍子も無い出来事を次々と起こすことは出来ないとも言える。
現実に起こす出来事は全てが基本的に偶然の産物であり、もしも運命だとか神の采配だとかが存在するとしても我々にはとてもそれを実感できないのに対し、
創作物の中の出来事は全てが基本的に作者の産物であり、何らかの「意味」や「必然性」をもって世に送り出されることを期待されているからである。
(参照:創作物の中の偶然…>>139
さて、ジョジョという漫画には非常に魅力的な戦いがいくつも描かれているが、その多くは戦う双方が究極にまで力を出し尽くしているものだ。
力を出し切れないうちに不運にも負けてしまうとか、極端に言えば滑って転んだ隙に殺されたとか、隕石が落ちてきたり地割れに呑まれて死んだり、
そんなことも確率的には現実にありえる物事ではあるが、そういうのは漫画の作中ではまず起きない。あるとしても、その偶然にも何らかの作品的「意味付け」がされているものだ。
物語にはそれを語るだけの「意味」がある。だから漫画の登場人物、特にメインキャラクターともなれば、理不尽な偶然からは自然と守られることになるのである。
エジプト九栄神の一つ「トト神」は予知能力によって未来に起こる「偶然」をも味方につけ、毒や爆弾や狙撃といった割と「現実的」な手段を用いて主人公一行を攻撃したが、
その試みがことごとく失敗に終わったのも、上述の理由によるものである。そして作中でトト神の本体ボインゴは、主人公やラスボスたちは強運に守られていると考えている。
この強運に作中の理屈で理由を与えたものが、六部における「引力」という概念であろう。強い精神力の持ち主はその精神的な質量により、霊的な重力を生み出す。
そして重力によって引き寄せられた善いものを自身に取り込み、悪しきものをその強さで退けることで、強者は創作物の中の世界で合理的に強運を発揮するのである。


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