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仏教大学講座講義集に学ぶ 【 日蓮大聖人と法華経 】
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:
美髯公
◆zkpDymnu/M
:2016/05/15(日) 22:17:12
更に日寛上人は、法華寿量の文底に南無妙法蓮華経が、秘沈されていると言う日蓮大聖人の元意を追究し、見事な論を展開された。日寛上人は寿量品に説き
明かされた本因、本果、本国土の三妙合論の文は、未だ真実の意味の十界互具、一念三千を成就していないとの観点に立たれている。すなわち久遠五百塵点劫に
於いて、長期間にわたる菩薩道を行じて仏果を得たというのが、寿量品の本因・本果である。言い換えれば九界の本因の後に、仏界の本果に到達した事になる。
確かに釈迦が仏果を得てからは、九界も仏界も共に釈迦の生命に具備されて常住を明かし、仏界即九界、九界即仏界の妙なる生命の実在を明らかにしてはいる。
しかし、厳密に言えばこの場合の常住は、一種の“有始無終”となり、真実の無始無終ではない。なぜなら、釈迦が仏果を得る前に、長期間の菩薩道を行じた
事を述べ、九界から仏界に至るという始覚性を残しているからである。その意味では始成正覚の在り方を、五百塵点劫という久遠の昔に、移したに過ぎない
結果に陥っている。ただ久遠の開顕という超時間、永遠性は、釈迦が仏果を得てからの仏界即九界、九界即仏界の妙なる生命の実在を、明かす上での根拠に
なっている。問題は、始覚性を如何にして払拭するかである。そこに見出されたのが、久遠の釈迦を本因所住に於いて不退転に登らせ、成仏せしめた根源の法
=南無妙法蓮華経であった。
日寛上人は、その久遠仏を仏たらしめた能生の根源の法こそが、事の一念三千即南無妙法蓮華経であり、この法を久遠元初以来所持された末法の御本仏こそ、
日蓮大聖人であると断定された。ここに、日蓮大聖人が胸中深く抱かれた本意が、明らかとなったのである。日寛上人より開かれた、究極の思想によれば、
結局、寿量品開顕の久遠仏とは、久遠元初の自受用報身如来即日蓮大聖人の御生命になる。従って久遠仏の一念に具された三千とは、久遠元初自受用報身如来
即日蓮大聖人の、一念の心法に具された三千となり、それはすなわち、妙法=南無妙法蓮華経と表わされる。ここに、自受用身(人)即事の一念三千(法)の
人法一箇の、久遠元初仏の生命が明々了々となるのである。日蓮大聖人が御図顕に成られた御本尊の相貌こそ、大聖人御内証の御生命たる一念三千の当体なのである。
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