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仏教大学講座講義集に学ぶ 【 日蓮大聖人と法華経 】
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:
美髯公
◆zkpDymnu/M
:2016/05/04(水) 20:58:11
【文底の意味するもの】
これまで「十法界事」を中心としつつ、かなりのスペ-スを費やして、日蓮大聖人の十界互具論の本質に迫ってきたが、本抄で示された基本論調は、そのまま
以後の著述に、引き継がれていくのである。文永九年に著された人本尊開顕の重書「開目抄」では、「十法界事」のテ-マが一段と深化され、明瞭なる文底観心の
立場から、より鮮明に説かれていく。まず、「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいだ
さず但我が天台智者のみこれをいだけり。一念三千は十界互具よりことはじまれり」(P.189 ②)と、文底観心の立場より、種脱相対を明かされる。すなわち
一念三千法門は、法華本門寿量文底の南無妙法蓮華経に、包み込まれているというのである。ここで“文の底にしづめたり”との表現に、重大な意義が込められて
いる。なぜ“文の底”と言われたか。
元来、一念三千の法門は天台大師が、法華迹門の諸法実相・十如是や二乗作仏の思想をもとに、天台観心の立場によって構築したものであるが故、迹門を表にした
法門である。その一念三千の法門が、法華本門寿量品の文底に秘沈されている、と言われたのは何故か。ここに於いて、先程「十法界事」で検討した、日蓮大聖人
独自の十界互具論即一念三千論が、重要な意味を持ってくるのである。すなわち、久遠を開顕した常住の仏界の生命に具す九界であり、久遠仏の一念に具足される
三千が、日蓮大聖人の十界互具、一念三千であるとすれば、当然、大聖人の捉えられる一念三千が、発迹顕本を説く本門寿量品に、求められて行くのは必然で
あろう。しかし、寿量品の発迹顕本そのものが、一念三千の法門を表わしていない為、教相にこれを求めるわけにはいかない。発迹顕本した久遠仏の、常住の
生命に具足されるものだからである。それ故に“文の底にしづめたり”と、言われたのである。
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