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仏教大学講座講義集に学ぶ 【 日蓮大聖人と法華経 】
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:
美髯公
◆zkpDymnu/M
:2016/04/20(水) 22:13:13
結局、本門に入って仏界も九界も、すなわち十界が同時に常住となり、その上で十界互具を説いたので「本覚の本有の十界互具」と言われたのである。
ここにも、仏の発迹顕本、即ち過去常の開顕による仏界常住の義が宣せられて、その結果として九界の衆生も常住となり、更には国土世間も常住の寂光土と成る
と言う、大聖人独自の思想がはっきりと表われている。先程の第一の立場で明らかにした様に、寿量品は常住の仏界に常住の九界を具す、仏界即九界の側面
を明らかにしたものである。当に、日蓮大聖人の法華経を捉える視点は、一貫して本門で明かされる常住の生命に焦点が当てられている。
そう思って、「一代聖教大意」に於ける十界互具論を見直してみると。仏界に九界を具する仏界即九界の側面を、強調されていたことが分かる。本稿でも、幾度か
引用した爾前権教の“厭離断九の仏”を破する文証の中で、「【九界を仏界に】具せざるが故に」「【凡夫の身を仏に】具すと云わざるが故に」(【】は傍点の
代わり。傍点は筆者)「仏の身に九界が本よりありて」「実には九界を離れたる仏無き故に」等々と、仏界中心の論を展開されている。大聖人の首尾一貫した論の、
発展を思うべきであろう。それ故、妙法=十界互具=一念三千も、全て無始無終の十界互具の生命を、起点として展開されて行くのである。妙法も、寿量品に
開顕された常住の仏界の生命の、不可思議な力用を表わす言葉となり、十界互具論も常住の仏界の生命に、具足される常住の九界を意味し、一念三千も常住の
仏界の一念に具される三千、となる。
迹門を基軸に論を展開した天台教学は、妙法を哲学的に捉え、十界論は九界の衆生に仏界を具する側面に傾き、一念三千論も衆生の一念に具される三千を
強調する。総じて天台哲学は、九界の因より仏界の果を望む従因至果の法門となるのに対し、日蓮大聖人の仏法は、常住の仏界から逆に九界の因に働きかけ、
これを救い取って行く従果向因の法門となるのである。更に言えば、共に内在即超越、超越即内在を共通にしつつも、天台教学が九界の衆生の因に内在する
仏界の果を、止観行という禅定の修行によって内観し、仏果に到達した瞬間に九界を超越しようとする、内在から超越を志向するのに対し、日蓮大聖人の
仏法は、超越的な常住の仏界の果に具する九界という、仏界即九界の本源的な生命の力用を、九界の衆生の因の中に内在せんとして、超越から内在を志向する
のである。ここに、御本尊の建立が要請されてくる、必然性が存するのである。
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