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仏教大学講座講義集に学ぶ 【 日蓮大聖人の生涯 】
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:
美髯公
◆zkpDymnu/M
:2015/12/20(日) 19:48:29
【熱原法難と出世の本懐】
日蓮大聖人に変わって、妙法弘通の第一線に立ったのは、日興上人を始めとする各弟子達であった。中でも日興上人の富士方面に於ける活躍は目覚ましく、
実相寺、四十九院、滝泉寺等の住職が次々と妙法に帰して、更に広く農民の間に妙法が浸透していった。その結果、必然の事として、三障四魔が競い起こって
きた。特に下方庄熱原郷の天台宗滝泉寺を中心に法難が勃発した。これを「熱原の法難」と言うが、大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊建立の、
機縁となった事件として重要な意味を持っている。
建治期から大聖人門下に対して、加えられていた迫害が激しくなったのは、弘安二年(一二七九年)に入ってからである。同年九月二十一日、上野房日秀の
持田の稲刈りに集まった信徒を、滝泉寺の院主代行智等が武装して襲い、二十人を捕えて鎌倉に送ったのである。大聖人は、無実の罪で捕えられた信徒の農民を
救う為、自ら幕府に抗議する訴状の文案を考えられ、それを日興上人が認めて、日秀等の名で幕府へ提出された。鎌倉で裁きにあたったのは、平左衛門尉頼綱で
ある。頼綱は妙法の信仰を、捨てようとしない二十人の農民の内、神四郎、弥五郎、弥六郎の三人を斬罪に処したのである。
この法難は、それまでの迫害が大聖人御自身に対するものであったのに対して、信徒が蒙った弾圧であった事、しかも横暴な権力者の生命に及ぶ難にも、信仰を
貫き通した点に特徴がある。日蓮大聖人は時の到来を感じて、同年十月十二日に末法万年に渡って、全世界の人々が根本として信仰すべき本門戒壇の大御本尊を
顕わされたのである。大聖人の仏法の骨格は三大秘法であるが、根本はこの大御本尊に摂せられるのである、従って大聖人の仏法は全人類の救済が目的なのである。
出世の本懐をとげられた大聖人は、日興上人に仏法の全てを付嘱され、弘安五年(一二八二年)十月十三日、安証として御入滅なされたのである。御年六十一歳で
あられた。
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