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仏教大学講座講義集に学ぶ     【 “宝塔”の意義について 】

19美髯公:2015/05/23(土) 23:33:29

  次に「第十四 此経難持の事」(P.742 ⑮) に触れておきたい。これは「此の経は持ち難し」についての御義口伝であるが、これは我々の信心に於ける
 根本姿勢であると心得ておきたい。大聖人は「此の法華経を持つ者は難に遇わんと心得て持つなり」と仰せである。これを結論していうならば、受けるべき難を
 受けずして成仏はありえない、との御指南なのである。「教行証御書」に「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(P.1282 ②) と、我々の信心の根本姿勢を
 戒められているのは、それ故である。すなわち、我々凡夫が自身の胸中に仏界を涌現しゆくには、難を受けるという厳しい戦いがなければならない。
 難を受ける事によって自身の生命が磨かれ、我が己心の仏界が現じてくる。これは仏法の厳然たる方程式なのである。

 他の御義口伝では「難来るを以て安楽と意得可きなり」(P.750 ②) と仰せである。また「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を
 持たん人は難に値うべしと心得て持つなり、『則為疾得・無上仏道』は疑なし」(P.1136 ⑤) とも仰せである。このご教示から、ひるがえって我々の信心の
 姿勢を考える時、勇気という特質が何にも増して重要になってくると思われる。我々自身の生命の淵源を直視し、そこに刻み込まれた宿命と対決し、成仏の
 実証を示して行くためには、いかなる苦難に直面しようともそれを敢然と乗り越えて行く勇気ある信心、実践が不可欠の要素であるからだ。
 
 我々はその根本姿勢を、大聖人の御生涯から学ぶ事ができる。「一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」(P.970 ⑭) ― これは大聖人ご自身の激闘の
 生涯の中で、身をもって会得された信心の精髄から発したご教示であると拝せる。いずれにしても、難を乗り越える勇気がなければ信心の本当の醍醐味は
 味わえないし、また、仏法の真意も到底理解できるものではないと知りたい。従って、我々は信心の根本姿勢の核心に“勇気”を置き、そこから発する
 不動の人生を生き抜いて行きたいものである。


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