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記録庫2

688考える名無しさん:2019/06/07(金) 14:49:05 ID:t6ctEEfw0
耳栓をつけると落ち着くのは、自閉症スペクトラムの聴覚過敏である。
これについて考えていた。

明らかに、耳栓でノイズを遮断したほうが"能率"が良いのだが、
発達障害かどうか、という点においては、
・自己の最善状態からの相対値
・客観的なパフォーマンスの絶対値
後者が他者より劣る場合では。

俺の体感における耳栓の威力を比喩で表すと、
・瞬間最大計算力を大幅に上げる

この用途で耳栓を"短い期間"使用する。
どの様に計算力が上がるのかというと
・計算処理をする脳CPUのコア数を一時的に増加

脳細胞の働き方が機械とは異なるとして、瞬間的にならコアが増えるという不思議な、機能の再編

この脳ブーストを使用していないときのパフォーマンスが、一般的な他者のそれを下回っていない場合、
発達障害とは判別されないのだろうと思う。

自らの不快や不便を自己申告すること無しには、他者から、その体内の異常「感覚過敏」は発見されないのだろうと思う。

特に、「瞬間最大計算力」が用いられる先、というものが曲者だと思う。
誰も、意識上の問題の計算に使うとは言っていない。

覚醒時のバックグラウンドで発生している演算処理の数々の滞りを解消する、という目的がしっくりくる。

これを行うことで、意識上の問題へ使える計算力が増す。

日常の言葉で言えば、「気が散る」ことが減る。
気が散るとは、に対し先述のことが言える。

気が散るときには、意識上の計算力が不足しており、無意識が抱える計算処理を先に解消すると良い。

理屈としては単純なのだが、
このことに「気付く」かどうか。そこを俺は知識よりも威力のある知能と見る。

そこから、瞑想や座禅の効能も大体わかってくる。
脳のバックグラウンドで走っている問題解決の計算を、先に進ませる、という作業。

俺は、色々なことを「気付ける」人が「賢い」と見ているわけだが、
この「気付く」というアクションは、どういうふうに書き表すことができるのだろうか。

定義としては、「己が知らないことを、己自身の脳内活動によって知る」

これが最も抽象化された形と思う。
本や人から得る知識とは違う。

「気付く」ためには、
その定義から、論理的に幾つかのことが自動的に言える。

己が知らないことを気付くのだから、今の己が知っていることを明白にする。

今の自分が知っていることと知らないことを分け、できることとできないことを分ける。
脳のバックグラウンド処理は、中間のものを詳しく探る。

脳内建設の堅牢性。

「知識」と「気付き」の違いは明記した。
俺が知識を重んじない理由はここにある。

脳内に「わかったこと」を積み重ねていくわけだが、
気付きではない「人や本から得た知識」を積み重ねてしまうといつでも崩れる。
その部分は著しく弱い。どれだけ高く積み上がっても、崩れる。


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