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九州の戦国武将←強い!カッコいい!
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東北の戦国武将←陰湿、地味、そんなに強くない
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九戸政実、大浦為信、戸沢盛安・・・ううむ
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実は戦争のたびにヒャッハーして先頭切って鉄棒振り回しながら突っ込む脳筋な最上義光
オヤジも射殺、日本史上初の銃殺刑を自ら執行、発想だけは良かった騎馬鉄砲隊編成、
大坂の陣で味方の神保隊を一斉射撃(誤射)で壊滅と、鉄砲大好き伊達政宗
葛西大崎の乱で、92歳にして討伐軍の大軍相手に大奮戦したスーパージジイ一栗放牛
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最上好きな自分としては上杉ほんまカス
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長谷堂の戦いとか、最上は数倍の上杉侵攻軍を撃退してるんだよなぁ
軍神様や鬼佐竹にプレッシャーかけまくってた蘆名氏も、実はかなりの強者
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ぼくは安東愛季ちゃん!
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ここまで相馬義胤なし
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じゃあ僕は北信愛ちゃん!
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蠣崎くんはなにしてるんですか
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>>9
アイヌはボコーで
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>>9
騙し討ちと毒殺ぅ・・・
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石川高信をどう評価するか
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妹や嫁や娘にメチャクチャ弱くて、趣味は城や屋敷の草むしりとか土木労働で、
戦のたびにヒャッハーするから家臣に毎回叱られてて、鮭が大好きで、
ガチムチな家臣たちとよく相撲とったりして遊んでたけどやる時はやる名君
そんな最上義光が大好きです
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>>3>>5>>13
最上義光がこんなに多くの人に愛されてて嬉しい・・・ウレシイ...
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大将のくせに前線に飛び出しすぎて家臣に怒られて反省する鮭様、好き。
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ゆかりがある地だから官兵衛について調べさせられたけどこんな人全然知りませんでした
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土木工事で米の増産成功させたのって最上でよかったっけ?
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>>16
こマ?
歴史に興味無いと官兵衛って無名なんやなあ
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>>17
当時は新参だった北楯大学を見出して庄内の大治水計画を一人、
庄内平野のコメ生産高を10倍にした
北楯大学は、今でも神として神社に祀られてる
なお、その治水工事現場でもいい歳のジジイなのに工事作業に参加してて、
きっちり家臣に見つかって叱られる最上義光
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サイレント戦死で家臣を驚かせた大浦政信
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このスレ最上好き何人おるんや・・・凄いな
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>>19
やっぱり義光ナンバーワン
ドンピシャなのよね〜
かっこよくて好きだわ!
直江兼続は窓際いって、シコれ
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衆道関係のいさかいが元で家滅亡させた大崎義隆
やっぱり衆道関係のもつれで元愛人に殺され、蘆名滅亡の一因を作った蘆名盛隆
東北関係ないけど、やっぱり衆道関係の元愛人の反乱で滅ぼされた大内義隆
衆道で破滅する〜隆、多すぎ!
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>>23
大崎好きもいるなんてここ守備範囲広過ぎィ!
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ぶりっちょの歴史部と文学部のレベルは異常
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このスレだけでも少なくとも4人博識な方がいるよね、ぶりっちょの未来は明るい(確信)
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東北外交官の中央へはとりあえず鷹送っとこうという風潮
家臣に手紙もたせたらそいつが領主ってことになってたのは小野寺だっけ?大宝寺だっけ?
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>>27
大関高増「そんな酷い家臣がいるなんて信じられない!」
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よくわからんけどワシも最上モガ好きやで
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>>28
三好「せやな」
横瀬「たしかに」
宇喜多「一理ある」
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最上好きはここまで7人?多少被りはありそうだけど
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最上好きは死んだ時まで迷惑かけた義守をどう思ってるの?
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死ね(直球)って感じで
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息子にも親父にも恵まれないよな、義光公
とりあえず里見民部が全部悪い!(責任転嫁)
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ここの書き込み見ていたら、最上がお茶目な校長先生みたいなイメージがついたゾ・・・
一度歴史の教科書読むも挫折したけど、もう一度借りるかな〜俺もな〜(池沼)
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歴史の教科書に最上はほとんど出ないぞ
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歴史の教科書に出てる東北大名は伊達稙宗くらいだったはず
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あっそっかぁ・・・(馬鹿)
教科書で歴史の全体像を学び直してからと思いましたが、
いきなり最上関係の歴史関係の本を読んでも大丈夫ですかね?
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>>38
歴史関係の雑誌から入るといいと思うゾ
さっと読める
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>>39
そうですね、ざっくりでも読めるのは嬉しいです
更に興味湧いたら文庫サイズの本を漁ってみます
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>>38
そんなあなたのための「戦国ちょっといい話・悪い話スレまとめ」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
最上義光の面白エピソードをいっぱい発掘してきて「鮭様」の愛称をつけたのも
戦国板のこのスレ住民たち
基本的に逸話とかエピソードとかだけど、簡単に楽しく知識が入ってくるから初心者にもオススメだぞ
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>>41
はぇ^〜そんなまとめがあったんですね・・・
読まなくちゃ(好奇心)
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>>42
そこは戦国好きにとって鉄板、もはや必須のまとめだからぜひぜひ
ここの歴史民たちもきっと網羅してるはずだゾ
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四国の戦国武将→ゴミ!w
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>>44
死ね
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>>44
具体例挙げな
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>>44
鬼十河がいるやろが!
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瀬戸内の水軍は、四国に含めるか中国に含めるか微妙なラインの人が多い
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盲目の大将・香西佳清
子孫がメダリスト・法華津前延
力持ち・七条兼仲
切支丹五摂家・一条兼定
と多士済々だゾ!
三好は畿内なのか四国なのか・・・
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出身地とか考えたら三好は四国でいいでしょ
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あ、法華津さんメダル取ってなかった
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四国は畿内・中国・九州の勢力圏との通行や影響が結構あるからなぁ・・・
なお土佐
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雑賀衆出稼ぎの地
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>>54
長尾氏・上杉の軍神様の出稼ぎの地、関東の地獄っぷりに比べたら・・・
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ととと、>>53ね
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朝鮮にまで出稼ぎに行った説もある雑賀衆すき
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沙也可とかいう謎の人物
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戦国無双のキャラが固まり過ぎなんだよ
もっとバラけてほら
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無双は無双であってあんまり史実とは関係ないし、別物として楽しめばいいんじゃないですかね
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>>59
いや使いたい武将がいるんだけどなかなか使えなくてね
ちな鍋島直茂
-
スレタイ的に無双でも活躍の機会多いのって、
やっぱりDQN筆頭・・・じゃなかった奥州筆頭(自称)のあの人になるのかな
そして例によって引き立て役な鮭様
ああ、鉄棒振り回す最上義光無双やりたいな〜!
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たしかバサラには出てたな、鮭様。
あれを戦国といっていいかはなんだが・・・
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関東は北条が飛び抜けてるよなぁ
佐竹すきです
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佐竹は東北のイメージが強い
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長野業政(小声)
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北海道:蠣崎
青森:南部
秋田:安東
岩手:斯波
山形:最上
宮城:大崎
福島:蘆名
茨城:佐竹
栃木:宇都宮
群馬:長野
千葉:里見
埼玉:太田
東京:北条
神奈川:北条
山梨:武田
長野:武田
新潟:上杉
富山:神保
石川:畠山
福井:朝倉
静岡:今川
岐阜:斎藤
愛知:織田
三重:北畠
滋賀:浅井
京都:足利
奈良:筒井
和歌山:雑賀
大阪:本願寺
兵庫:別所
岡山:宇喜多
鳥取:山名
島根:尼子
広島:毛利
山口:大内
徳島:三好
香川:十河
愛媛:河野
高知:長宗我部
福岡:立花
佐賀:龍造寺
長崎:有馬
大分:大友
熊本:相良
宮崎:伊東
鹿児島:島津
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すでに戦国時代総合スレと化してるな
いいぞ〜コレ!
関東のカオスっぷりとか、伊勢志摩紀伊の土豪割拠っぷりとか好き
志摩の海賊は、織田・武田・徳川の水軍の基盤作ったりしてて、流浪っぷりが面白い
向井くんとか
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紀伊って戦国武将思い浮かばんな
守護誰よ?
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>>68
一応は山名氏、じゃなかったかな?(うろ覚え)
だけど高野山とか根来寺とかの寺社勢力がやたら強かったり、
雑賀衆みたいな土豪連合が強かったり、熊野水軍が幅きかせてたり、
とてもとても戦国大名が成立する余地がなかった
だが、それだけに戦国時代のいろんな側面が凝縮されたような国だったから、
中世史好きとしてはすんごく面白い国だよー
寺社勢力が多い分、高野山文書のように、文書史料も膨大に残されてるしね
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>>69
はぇ〜、すっごい詳しい・・・サンガツ
地味ーな県ってイメージあったけど、面白そうなところやね
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紀伊守護は河内の方の畠山さんだったはず・・・
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紀伊って北畠じゃなくて?
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>>71
あ、ほんとだ、よく調べたら確かにそっちの畠山氏でした、サーセン
応仁の乱からこっち、畠山の惣領家は完全にグダグダだったから印象無かった・・・
>>72
それは伊勢の御所様では?
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ああ、伊勢か…
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大和みたいに寺社勢力が強かったみたいだし、居てもいなくてもおんなじなんだろうな。
北畠は伊勢と東北どっちが本家なんだろ
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北畠は伊勢国司がもとだから伊勢では
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そういえば根来寺の行者たちが熊野水軍の船で昔から種子島と盛んに行き来してて、
それが紀州が鉄砲先進地帯になったきっかけなんだっけか
黒潮の逆流に乗れば一直線だもんな
なお本流に乗っちゃうと・・・
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和歌山なんて田舎も田舎の弱小勢力と思ってました(小声)
でも雑賀根来に熊野って、北と南の端っこだよね?真ん中どうなってたんだろ
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>>78
海岸線はだいたい水軍の根拠地
新宮とか田辺とかも
平野部は雑賀衆やらの国人や惣、内陸部は大正義・寺社勢力
フロイス曰く、「自治が発達しまくってて共和国が何個も乱立してる感じ」
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>>41
ここにある大筒に頭突っ込んで抜けなくなった話がすき
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>>80
殿堂入りのエピソードだけ読んでてもかなり有意義な暇つぶしになるよな
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>>81
なりますなります(食い気味)
このサイトで鬼武蔵のイメージが変わった。
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>>79
神聖ローマ帝国みたいやね
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>>83
中世スイスのカントン連合体の方が近いかも
農業生産や海運交通は大分違うけど
傭兵の輸出ビジネスに精を出してたあたりとかもそっくり
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>>84
あー、スイス誓約同盟、確かに
雑賀も生産性小さかったしね
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クソでかハンマーおじさんすき
チェストォ!って何語なんですかね?何かのピジン語?
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>>86
鹿児島弁
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>>87鹿児島弁なのはわかってるんだけど元々あったのか、何処かから輸入された言葉なのかが気になっただけ
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薩摩方言きつすぎてつらいって戦国時代の忍びがぼやいてたとか
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>>86
示現流の開祖・東郷重位さんが、主君の悪久の命令で、恒例の理不尽な上意討ち代行で
人を斬るときにかけてあげる念仏みたいなもん(大嘘)
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>>90
ほんとぉ?アリシャス
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>>88
そこまで絞り込めてるなら資料探しやすくない?
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>>91
いや、嘘やって・・・スマンな
ただ東郷さんの示現流の掛け声が語源説はかなり有力っぽいので、まんざら嘘でもないです
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なんか皆さんすいません
一説によると「智恵を捨てよ!」が短くなってチェストみたい
南方回遊民族や捕鯨で来たメリケンさんあたりかと妄想してた
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毛利元就とかいう戦国時代の戦≒略奪行為の図式を明言してる鬼畜
まあ、みんな似たりよったりなんだけど、家訓にまでするあたりがすごいというかなんというか
『春・ 戦いが春先であれば、苗代の早苗や、まだ青い麦畑を荒らそう。
夏・ 夏になったら麦を奪い、田植えのすんだ田を荒らそう。
秋・ 秋ならば畑の作物を奪い取り、実った稲を奪い取ろう。
冬・ 冬であれば収穫物の詰まった蔵を襲い、家を焼いて村人たちを餓死させよう。』
(永禄伝記)
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毛利元就ってお餅好きなんだよな
つまり巨乳派
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たくさん子息がいるのに大体上三人と孫しか語られない。
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北九州特有の戦術とかあるんすかね?
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>>98
戦術ではないが、北九州の旧家・少弐氏の当主の討ち死に率の高さは異常
少弐貞経 1272-1336
北朝方につき挙兵、嫡子を足利軍に参加させるが、留守城を南朝方に攻められて落城、自刃。
少弐頼尚 1294-1372
貞経の子。めげずに反撃し、さらに尊氏に従って畿内まで従軍。しかし観応の擾乱では直義側につき、
在地の南朝方とも通じて尊氏方と戦う。
しかし南朝方とも隙を生じて争い、本領を失う。
少弐冬資 -1375
頼尚の次男(長男は戦死)。南朝方と戦う関係上、北朝方について戦うが、
今川了俊と隙を生じて暗殺される。
少弐頼澄
冬資の弟。兄の生前から南朝方について戦う。兄の死によって家督を継ぐが、
南朝勢力の衰退に伴って勢力を失い、肥後に亡命して客死。
少弐貞頼 -1404
頼澄の子。北朝に帰順、本領回復。大内氏と宿命の対決を始める。
抗争中に病死。本領の畳の上で死んだ唯一の当主。
少弐満貞 -1433
貞頼の子。大内氏と抗争。父の代に奪った博多を奪回される。
さらに大内氏の攻撃を受け自刃、嫡子も戦死する。
少弐嘉頼 -1441
満貞の子。父の敗北により対馬に亡命、家名再興を狙うが果たせず客死。
少弐教頼 -1468
嘉頼の弟。幕府と修好して本領に復帰。しかしまたも大内氏に攻められ自刃。
少弐政資 -1497
教頼の子。大内氏が中央政界に向いていたせいか本領を回復、博多も奪取。
しかし大内氏の矛先が再び九州に向くやまたも敗北、嫡子とともに自刃。
少弐資元 1491-1536
政資の子。細々と家を再建するが大内氏の追及激しく自刃。
少弐冬尚 1529-1559
資元の子。家臣竜造寺氏の助けで家を再興。しかし大内の謀略で竜造寺氏と対立、
竜造寺一族を誅戮するが、反撃を受けて逆に追いつめられ自刃。
少弐氏実質的に滅亡。
少弐政興 1534-?
冬尚の弟。家名再興を求めて大友氏を頼り、竜造寺氏と戦うが、果たせず本拠の城も1656年に落城、
一命を助けられ出家。少弐氏完全に滅亡。没年不詳。
甥が竜造寺に仕えたが沖田畷で戦死したとも伝えられる。
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>>99
はえ^〜、すっごい博識・・・
-
しょうにさいこうのゆめやぶれる
-
>>99
すげー
信長の野望やってても思い出せない人達だ
-
>>99
なんだこの知識量!?(驚愕)
少弐家の人たちに興味もてました、いっぱい調べますよ〜、調べる調べる
-
>1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20
∧_∧
(´・ω・`) n
 ̄ .. \ ( E)
フ ア.フ.ィ /ヽ ヽ_//
>21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35,36,37,38,39,40
∧_∧
(´・ω・`) n
 ̄ .. \ ( E)
フ ア.フ.ィ /ヽ ヽ_//
>41,42,43,44,45,46,47,48,49,50,51,52,53,54,55,56,57,58,59,60
∧_∧
(´・ω・`) n
 ̄ .. \ ( E)
フ ア.フ.ィ /ヽ ヽ_//
>61,62,63,64,65,66,67,68,69,70,71,72,73,74,75,76,77,78,79,80
∧_∧
(´・ω・`) n
 ̄ .. \ ( E)
フ ア.フ.ィ /ヽ ヽ_//
>81,82,83,84,85,86,87,88,89,90,91,92,93,94,95,96,97,98,99,100
∧_∧
(´・ω・`) n
 ̄.. \ ( E)
フ ア.フ.ィ /ヽ ヽ_//
-
少弐に対向するには・・・大弐や!という理論で大枚はたいて大宰大弐になる大内氏好き
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>>104
103までやろうぜ
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>>99
すごいですねこれ
血統的な問題なのか、土地柄的な問題なのか、それとも偶然なのか気になる
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>>99
少弐家のファンか何か?
特に少弐家専ってわけでもないならこの知識の膨大さは脱帽ものっす
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>>99
ファッ!?少弐家って人気あったんすね〜
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逆に天寿をまっとうした少弐当主は誰や
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書いてあったわ
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いやいや、少弐家をWikiで調べて貼っつけただけっす・・・
そして調べてもらえると判るとおり、マジで呪われてるとしか思えない当主の若死にっぷり
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むしろこんだけやられてよく存続したなと思う
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羽柴四天王 is dead
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>>114
影が薄すぎて、普通の人に聞くと、「石田三成とかのこと?」とか言われる可哀想な人達
まあ自業自得な人もいるけど、基本的に秀吉って、昔のみすぼらしかった時代の自分を知ってる
古参の家臣に対して冷酷だよな
自称親友の前田のケチおじさんのエピソードとかと対比すると差が目立つ
まあ、ヒトラーもそうだったし、独裁者ってみんなそんなもんなんかもしれないけどさ
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>>115
はえ〜、すっごい地味・・・
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徳川四天王とどこで差がついたのか…
慢心…環境の違い
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ちなみに、織田四天王に明智入れるのはアリ?ナシ?
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明智は幽斎と同じ枠
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ナシな気がする
なんとなく
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やっぱり龍造寺四天王がナンバーワン!
ちゃんと5人いるしな!
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立花四天王やろ
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蘆名四天王も加えて差し上げろ
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なんかオススメの小説とかありませんかね?
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九州統一できなかった糞雑魚どもだろ(挑発)
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>>124
どの地域?
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スレタイみたんで九州でありますか?
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九州なら島津の『島津奔る』おすすめ
大名別に面白いの探すのもええね
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王の挽歌
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ありがとうございます!
島津すきです
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大友すき
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九州なら、福岡に住み続けた歴史小説家の白石一郎の作品とかどっすか?
白人奴隷と熊本の土豪との混血児を主人公にした「鷹の羽の城」
福岡藩の元レジェンド家老の事件簿シリーズ「十時半睡事件帳」
大友宗麟の栄光と破滅を描いた「火炎城」
他にも海賊・水軍ものの作品に面白いのが多いしオススメです
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>>132
流石や・・・本当にいつも参考になります
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ここの歴史カテゴリはほんとに充実しとるね…
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向こうではありえなかったことだ(ガッツポ
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尼子さんも急激に成り上がって大勢力になったはずなのに、
なんか滅亡後の方が世間的なイメージ強そう
戦犯、山中鹿之助
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義久に大した引継ぎも出来ずに急な世代交代になったからなんだよなあ
同様のことは斎藤龍興にも言えるけど
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あの木ってすごいっすよね〜
じゃあお前にやるよ
ええ…(困惑)
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晴久さんが若死にしすぎたのが悪い
真田のお兄ちゃんといい、北条幻庵といい、朝倉宗滴といい、
みんな早死しすぎなんだよなぁ
あと20〜30年は生きれたはず
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>>139
申し訳ないが安易なツッコミ待ちはNG
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>>139
妖怪かな?
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50手前の晴久で若死になら、笛吹いて死んだ政久は・・・
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尼子の晴久さんは毛利の謀略爺さんのせいかちょっと影が薄いけど、
それでも一代であそこまでの大勢力作ったのはすごすぎるんだよなあ
ていうか、元就にしろ宇喜多直家にしろ、中国地方は戦よりも権謀術数でのしあがる人多くね?
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宇喜多「疲れてたでしょ〜?体力勝負やしな〜よかったらお茶でも飲んでいってください」
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>>143
他にいるだろうか
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>>145
浦上も大概梟雄にカテゴライズされると思う
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武田高信もかな
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陶さんも下克上っていえばそうだけど、いろいろ事情もあったしな
なにより真っ黒な元就爺さんのインパクトでかすぎて謀略家のイメージがないな
そこいくと黒田さん家なんて大人しいもんよ
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遊佐続光とかいうあらゆる手段を使い名門畠山家の乗っ取りに成功して
能登を手中に収めたのにも関わらずびっくりするほど知名度がない謀臣
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>>149
誰それkwsk
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だってすぐ死んだし
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>>149
あそこは長続連とか温井景隆とか他にも似たようなことしたのいるから…・・・
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畠山七人衆とかいう魑魅魍魎
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能登畠山家の血で血を洗う醜い内ゲバから運良く逃れた長一族の生き残りが
加賀藩の家老になったりするもんだから本当に人生とは分からんものやね
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長連龍さんとかいう湯佐・温井一族絶対殺すマン
まあ気持ちはわかるがとんでもない人だ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1199.html
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いつの間にか畠山一族じゃなくなっていた上条政繁。
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かみじょうはん
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上条政繁「かみじょうじゃないっす、じょうじょうっす!」
北条高広「ほうじょうじゃないっす、きたじょうっす!」
上条城(じょうじょうじょう)とかいう冗談みたいな城名すこ
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苗字のせいで後年ジョジョ立ちさせられる上条さん。
キタジョウはすぐ近くにホウジョウが居るのが悪い。
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石川県民の大半は地元の戦国武将と聞かれたら畠山ではなく前田利家と答えるという事実
残当
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関東武士というチンピラ
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>>161
北関東には大関三兄弟とかいうインテリヤクザもいるしな
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>>160
一応、加賀の富樫さんは教科書にも出てるんだけど扱いがね・・・
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関東武士なら家康に
「言うこと聞くならチンピラのお前らになんらかのポスト作ったるだで」
とか言われた奴が後々博徒の開祖になったとか
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>>160
そらお殿様といえば普通藩を基準にするからなあ
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後北条が出てくるまでの関東史を調べたら上杉と上杉が激しく対立し
一時的に上杉が優位に立つが上杉の支援を取り付けた上杉が上杉に反撃したりとか
戦国時代をあまり知らない人からしたら意味不明も良いところなんだよなあ
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>>166
扇谷とか山内とか頭につけない?
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いちおうヤクザが信じている話としては、旗本の半グレ集団の旗本奴の横暴から庶民を守るため、
浪人の旙随院長兵衛の率いる浪人集団の町奴がヤクザの開祖とされているが
結局、秀吉→家康の人払い令で農村から追放された帰農できなかった雑兵たちのなれのはてっぽい
浪人問題は江戸初期最大の社会問題だもんなあ
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足利もいっぱいいる
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仙石「あっ、島津軍…」トコトコ
長宗我部「秀久ぁ!」
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どこの畠山さんも悲惨な最期
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斯波さんも
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土岐さんも
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思えば、三管四職はほとんどが悲惨な結果だね・・・
出世頭が蛍大名ってどうなんだ名家として!
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>>174
蛍大名って?
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細川幽斎「やったぜ」
なお京兆本家とは遠縁の傍流な模様
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>>175
京極
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真田に全て持っていかれた毛利勝永かわいそう…
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>>178
最近は評価されてきてるな
ワイのなかでも幸村より高い
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やっぱりぶりは、戦国マニアが多いよね
俺もソーナノ、ソーナノ
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>>180
好きな武将とか・・・いらっsららないんですか?
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ぼくは王道を行く…羽柴秀長ですね
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スカッと爽快な負けっぷりの小田天庵様です
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>>183
小田好きならこのスレがオススメ
【日常】小田城、落城!w
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/22792/1437825158/
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やっぱり義輝様がナンバーワン!
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暗殺を芸術の粋にまで完成させた宇喜多直家くん!
なお晩年
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>>186
大腸がんみたいなもんでしょ
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鍋島直茂
最上義光
-
基本的にくさそう
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>>189
リアルに厠に逃げ込んで逃走を図った山中幸盛の話はやめて差し上げろ
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>>189
厠で力んでたら死んだ奴がいたらしい
さぞかし腑抜けの弱小武将だったんやろなあ
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武士道とは死ぬことと見つけたり
武士「いやそれはおかしい」
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恋とは忍ぶる恋が至上なり
武士「一理ある(ケツアナホリー)」
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葉隠れはガチでホモ指南書だと思う
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全然関係ないが、葉隠の地・佐賀の出身の撃墜王の坂井三郎の、
笹井中尉に対する描写とか言動が微妙に同性愛の香りがする
やっぱり衆道はサムライのたしなみなのかな?
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>>195
それは確実にある
坂井三郎は宮本武蔵を愛読してたしね
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太閤立志伝の新作にはスキル「衆道」が追加されるべきという風潮
実際、衆道でのしあがったり友好関係作ったりした武将は多いしな
無類の衆道マニア大内義隆くんに三兄弟差し出した元就
吉川くんだけ即日チェンジされて返品された模様
なお嫁もドブスと評判の吉川くんだが、なぜか義隆の元愛人の
陶くんとはホモダチだったとの説もある
…陶くんはサムソンビデオとか好きなタイプだったのかも知れない
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当時は顔が下膨れで垂れ目とかまさにおかめ顔が美人って基準だから
昔のドブスって小顔でつり目という、今の基準に合わせるとかなりの美人顔なんじゃね
-
しかも吉川元春、ブサイクと知った上で自分からプロポーズ
そして側室も置かずに円満に添い遂げてたりする
当時の基準とは違うだけで、元春くん的には美人だったかもしらんね
なおガチホモ疑惑
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>>197
はえ〜、すっごい手広い・・・
-
博識兄貴の守備範囲(意味深)広すぎィ!
-
衆道っていってもスマタってきいたが
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>>202
いや、普通にはやっぱ尻っすね
叡山の衆道やら当時の恋文、落書きやらからして
ちなみに日本史上最初のフェラの記述があるのも衆道関係だったかと
細川さんだったかな?(うろ覚え)
-
叔母は絶世の美女という風聞が残ってるし、他の熊谷の娘も特にそんな逸話ないのになんで新庄局だけドブス扱いされとるんやろ?
疱瘡にでもかかったんかな?
-
吉川元春を引き立てるための作り話って説もあるみたい
-
諸葛亮の逸話の真似説もあるな
-
嫁入り前に病気で痘痕が残って、代わりに姉だか妹だかを差し出したら
「こっちじゃないでしょ」ってバレて、結局痘痕が残った方を嫁に取ったみたいな話は複数あるからなあ
それらもいわゆる、当時のテンプレだったじゃね
-
>>207
うんうん、白米を捨てて水が豊富だと城兵が誤魔化したとか、汁かけ飯の話とか、
そういうテンプレと同じようなもんかもなぁ
-
兄貴とは違い実子に恵まれず資料によっては夫婦仲が良かったという記述があれば
逆に一切女性に興味を示さなかったという記述もある小早川隆景の闇は深い
-
嫁が男だったら矛盾が一発で解消するんだよなあ
-
戦国武将って、見た目に由来するあだ名があんまり無い気がする
-
>>211
鬼美濃、鬼佐竹、鬼島津…
戦国時代に鬼の異名を取った武将は数あれど、鬼武蔵以上に「鬼」だという説得力ある奴もおらんやろ
…見た目はともかく、色々な意味で
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>>212
うん、それは知ってるけど?
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>>211
言われてパッと浮かんだのが光秀と秀吉だけだったわ。
-
>>213
いや、鬼〜ってあだ名多いけど、見た目とあんまり関係なかったりするよねって言いたかっただけです
説明下手で申し訳ない…
-
見た目とはまた違うけど鎧や槍ではなく自分の手柄を示すために用いていた
笹が一番の異名となった可児吉長とか珍しい気がする
-
見た目由来なものは人物じゃなくて物の方が多いな、似たり茄子とか
微妙なラインだが人物だと思い浮かぶのは、色由来かなあ
北条綱成とか後藤信康とか
-
見た目に特徴がある戦国時代の人物と言われたら風魔小太郎が思いつくが
アレはなんと言うか…
-
鹿之助って九州の武士だったっけ?
-
>>219
山陰地方の尼子氏の遺臣です、とりとり
見た目で家臣にあだ名つけちゃうって言ったら、やっぱり東照大権現様かな?
本目とか、あかぎれとか猪ノ助とか…
権現様命名シリーズは安直すぎて大草原不可避
-
ロンダ記念パピコ
-
気持ち悪いからロンダとかしないで
関わりたくないんで
-
>>221
やめてくれよ…こっちはこっちで放っておいてくれ
-
やっぱりキンカン頭が出てくるけど、なんでキンカンだっけ?
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>>224
禿げててテカり具合が金柑ぽかったからじゃなかった?
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やっぱり信長糞ですわ
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???「幼名が奇妙丸でした」
???「ぼくは茶筅丸でした」
???「……人でした。雑過ぎるだろあのクソ親父」
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糞というよりも中二病こじらせちゃった感じ
まあ、すごくメンドくさいのには変わりないけど
そのまんますぎる名前つけたがる権現様命名シリーズの対極
-
禿頭王、短驅王、赤髭王、太眉
-
ずっと石山本願寺が最強だと言いはってます
-
>>230
どこらへんが強いの?
-
門徒を兵として動員すれば兵力的に圧倒的な数になるし、味方についた雑賀の鉄砲は強力
それに信者からの御布施で財力もかなりのものだったはず
そんなところから自分的には最強かなと
浅い知識なんで間違ってたらすいません
-
つまり雑賀衆が最強!
-
あいつら傭兵団みたいなもんやしなあ
-
戦力的には雑賀衆は強いけど、それをまとめ上げて、財力も政治力もある本願寺が総合的に見て最強クラスなのは間違いない
ぶっちゃけ並の戦国大名じゃ歯が立たんでしょ
-
うーん、加賀一向一揆なんかだと一揆内一揆なんかも結構あったりして、
信仰心とか財力とか以前に、発達した惣村の連合体が一向宗の強さの源であり、本質って気がするなぁ
むしろ貴族化した本願寺坊主は反発くらったりしてるし
蓮如と本願寺の影響力を無視するわけじゃないけれど、紀州にしろ長島にしろ加賀にしろ、
戦国農民の強かさと団結の強さが大きいと思うんだが
-
>>236
そんな彼らも本願寺の指導力が無ければ烏合の衆
-
寺社勢力 is GOD
-
でもないぞ?
本願寺の指揮系統やネットワークの強さは確かだが、
もともと自前で武装した惣村が「平等と自治」の要求に親しみやすい一向宗と連帯、一体化していった過程見るに
先進的で生産性高く自治の機運が高い地域では、
一揆までいかなくとも惣村連合で守護や寺社の武装勢力を撃退したなんて例は結構ある
特に河内や紀州なんか
-
>>239
特に紀州は本願寺が場所を提供してこそなんだよなあ
-
>>69ですね
-
紀州ってそんな凄かったの?今の関西圏に入れてもらえないド田舎からは想像もできんな・・・
なんでこんな没落したんや、紀州征伐が悪かったんか?
-
時代は下るけど徳川家も置かれてたし明治以降ちゃうか
-
>>239
そういえば、応仁の乱中に土一揆が兵士を京都から追い出した事なかったっけ?
-
>>242
69もそうだが、紀州は海運の面でも大きな力があったからなあ
まあ、蓮如と加賀一向一揆の関係もあるし、惣村連合の力について力説しちゃったけど、
本願寺と一揆との卵が先かメンドリが先か、簡単には戦略ゲームみたいに割りきれないもんだよってことが言いたかった
長文すまんな
-
>>245
えっと、海運が潰されたから没落したってこと?
-
徳川吉宗も紀州だったんじゃない?
だから江戸時代まではやっぱり栄えてたと思うよ
明治維新についていけなかったんかなぁ…
-
>>246
潰れたっていうか、国内のみの貿易路としての価値と、
海外に貿易が広がっちゃったあとの価値の違いじゃないかと
山がちだがそこそこ石高あるしね
やっぱ明治後?
-
ていうか安価ミスだったのかな
-
>>244
あった気がするが自信ないです…
どんな経緯だったっけ?
-
>>248
昔は海運で栄えてたんですねー
今でも漁業がそこらへん継いでるんだろうか
-
>>250
実は、土一揆が京都に居た畠山を追い出した事しか覚えてない
-
紀伊はずっと長い間いわゆる第一次産業で食ってけるからってのもあったんかもな
-
今でも漁業とか果樹生産が盛んだもんな
近大マグロも和歌山だっけ
-
>>252
あー、山城国一揆か!
応仁の乱の時系列がうやむやで気づかなかったが、あれそういえば応仁の乱に乗じた話だったのか!
そういえば天文法華の乱にも畠山さん絡んでましたね
-
>>255
えっ、そうなんか。天文法華の乱は法華宗with六角フューチャリング細川というイメージしかないぞ・・・(クソにわか)
-
応仁の乱も畠山の争いがメインな部分あるし、本当にあの一族は・・・
-
忘れられがちたけど林業も
-
畠山一族は本家も分家もほんとうに踏んだり蹴ったりだなあ
残当
-
>>258
あー、和歌山ってほとんど山地だもんな
備長炭もここだっけか
-
>>258
大正義 紀伊国屋文左衛門
紀州の漁師の生まれで、鮫退治で有名になったり、紀州みかんを江戸に持ち込んで材をなしたり
大火災に乗じて大量の材木持ち込んで大儲けとかいかにも紀州人の背景を発揮しまくりだよな
-
>>261
確かにこれまで取り上げられてきた紀州人の性質を体現したような生き様っすね
-
蜜柑のくだりは作り話って聞いたね
でも材木で財をなしたってのはそうでしょう
-
千利休って武士じゃないのになんで切腹させられたんですかね?
-
ある意味パイオニアとも言える清水宗治が忘れなれなくて
サッルも「こんだけ有名人やし散り際にも威厳を持たせな(アカン)」って考えたんじゃね
そもそも蟄居からハラキリを命じられるようになった経緯は知らん
-
でも、切腹したあとで斬首して首を河原に晒してるし・・・あの頃の秀吉はもうよくわからん。
-
司馬遼太郎もその頃の秀吉をほんま叩いてる
-
まあ、北条攻めのあたりから根切り命令とか山上宗久らの処刑とか、
ラスボスこと秀吉は暴君らしいふるまいを隠さなくなっているけどね
結局、もともと抑圧してたエゴやらコンプレックスが、絶対権力を得て暴発しちゃったんやろな
畜生塚とかもそうだが完全に残酷さに歯止め効かなくなってるケース多すぎ
性格が変わったというより、もともとの人格をうまく抑えたり隠したりしてたんやろな
-
独裁者の病って言われる妄想性パーソナリティ障害にかかった典型的な例にも見える
-
>>269
確かに
スターリンやヒトラーと共通点探せばいっぱい出てきそう
-
反抗した島津や長宗我部は戦後は本国安堵で存続を許したのに
北条だけ容赦なくとりつぶされた件も秀吉の暴走絡みだと思ったけど
北条氏直が生きていれば大名復帰出来ていた話もあったし
あれは全国の諸大名に対する見せしめだった可能性が高そうやな
-
紀州征伐は許されざるよ
-
見せしめやろなぁ・・・
北条の場合は、そもそも名胡桃城攻め自体が口実作りの罠臭いしな
上杉が同時期に庄内侵略しても惣無事令違反でのお咎めなかったわけだし
そもそも大規模包囲戦で攻略側も補給限界寸前まで追い詰められてた説もある
小田原城と本領安堵したら元の木阿弥だしなあ
中国攻めの時も根切りはなかったわけではないが、
北条戦あたりから秀吉も戦でも残忍性を見せ始めている印象がある
-
奥州仕置もえげつねえな
-
惣無事令ガン無視の直江が義に篤い人扱いで、義光公はなんかズル賢いイメージを持たれてるような
戦犯独眼竜
-
小田原征伐終了から文禄の役までの期間を見たら小田原征伐前から
もう朝鮮への出兵は確定事項だったんじゃないかと思う
だからもう国内統一ために形振り構っていられなかったのかも
-
本当に義に篤かった人物ってどれくらいいるんだろね
立花宗茂は該当しそうだけど
-
>>274
蘆名家滅亡後も頑張り続けて、三成に本領安堵されたのに仕置き後に反故にされた人いたな
-
大規模な土木工事と宮殿建設、圧倒的な力を見せつけるための残忍苛烈な反乱勢力鎮圧、
自己への批判に対する残酷な刑罰、国内の不満をよそにそらすための外征・・・
土木工事や朝鮮出兵に関しては、膨大な数の元兵士=雑兵・浪人対策の面もあるけど、
こう秀吉の政策を並べてみると、成り上がりの中国皇帝みたいでビックリする
まあ、どこまで本気かはわからないが、その中国皇帝になるって公言してたしね
-
>>268
>>271
>>273
>>276
>>279
はえ〜、すっごい用意周到・・・
-
>>277
宗茂さんとおなじ乞食大名として有名な、鮭様の重臣の鮭延秀綱とかどうよ?
あとは天庵様に無類の忠誠心を示し続けた菅谷一族とか
-
菅谷一族についてはこちらもどうぞ
【日常】小田城、落城!w
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/22792/1437825158/
-
遠藤基信とか岩清水義長とか割と居るんじゃないの
-
大名クラスとなると厳しいな
-
大友のところのリアル300やった人
まぁ支える相手が悪かった
-
ふと思ったが主君(個人)に対する忠誠心はあるが御家に対する忠誠心はそれほど無い武将は
本当に義に篤いと言っても良いのだろうか
-
>>274
九戸政実さんとか、肥後の国人一揆とかも相当えげつないな
-
>>285
志賀直次だっけ
-
>>284
浅井長政はそのラインでいいんじゃねとは思わんでもない
-
佐久間信盛親子が高野山追放をくらった際に郎党が次々といなくなる中で
唯一高野山から追い出された後の熊野にまで従ってた家臣は本当に義に篤い男だと思った
その家臣の名前はどっかに残ってないんですかね…
-
>>290
そんな細かいとこまで・・・凄い
話に残ってるんなら名前もありそうなのにな
-
信盛が追放されたところ行ったことあるけど畑すらろくに作れないようなスッゴイ山奥だったゾ・・・
-
毎日履き物弄って一日過ごしてたんだよなぁ…
-
>>292
やっぱ和歌山ってド田舎なんやな・・・
-
たしかその人は信栄復帰後士分となったはずだゾ。
-
改易や追放処分くらった後の武将の生活を見たら悲しくなってくるものが多いなあ…
宇喜多秀家みたいに悠々自適な生活を送れたのは本当に珍しい
-
>>296
秀家は秀家で、福島正則の家臣に酒せびったり、代官の屋敷でおかわりした挙句握り飯持って帰ってるほど赤貧なんだよなぁ
-
>>297
そんな赤貧の暮らしじゃなければ秀家さんももっと長生きできただろうに
貧しさで若死になんて不憫すぎる・・・
-
>>298
若死に・・・?
-
>>296
??「兄ちゃん、謹慎暮らしでやることなくてヤリまくってたらまた子供増えたからお金送ってよwwwwww」
-
八丈島に船が流れ着くと必ず現れる秀家、好き
-
>>299
宇喜多秀家 享年83歳
永田徳本 享年118歳
渡辺幸庵 享年130歳
うん、若死にだな!(錯乱)
-
本来なら腹切なのに兄貴と平八郎くんが必死に狸に助命嘆願して何とか幽閉で済んだのに
豊臣が浪人募集するや否や即座に脱走して大坂城入りした恩知らずがいるらしい
-
>>303
そんな親父と弟とあと鬼嫁がいたからお兄ちゃん、ストレスで長生きできなかったんだな・・・
-
>>304
隠居した後も引っ張り出されたしなあ
-
>>305
息子と孫がなぁ・・・
-
胃痛で苦しんでいたために大坂の陣にいけなかったというのが本当に泣ける
-
>>307
なお代わりに送り出した息子ふたりが無事に帰還した際に、
「どっちか戦死すれば功績になったのに!」という鬼嫁の発言に爆笑した模様
まあ、たしかにそこで片方死んでたら後のお家騒動も・・・
やっぱホンダムの娘ってすげーわ
-
>>84
これ?雑賀の地とスイスって似てたんか
-
>>309
それ
山がちで土地がそこまで豊かでなかったり、傭兵輸出してたり
フロイスが「紀州は共和国がいくつもあって連合してるみたいな感じ」って報告してるし
まさにカントン連合っぽい
-
>>310
はえ〜、上で海運業が栄えてた地ってあるけど、雑賀に関しては奥まった内陸部にあったんすねえ
-
>>311
誤解招くような書き方ですまんな
紀州が山がちで諸勢力が乱立してたんであって
雑賀庄自体は現在の和歌山市周辺、つまり海沿いの平野部
-
ちなみに雑賀衆には大きく分けて5つの集団があって、うち3つはやや内陸の農業地帯
この3つは傭兵稼業にはそこまで関わっていなかった
残りの2つは海岸に近い地域
ここは農業に適しておらず、海運業などで生計を立て、傭兵稼業もその生業の一つとして積極的に行われていた
よく言われる雑賀衆とはこの2つの方の人々のことを指します
-
>>312
>>313
はえ〜、こんな細かくありがとうございます
地理的にも解説してくださって・・・
-
紀伊守護なのにゲームで尽く存在を無視され傭兵に立場を奪われる大名家があるらしい
-
そんな畠山さんを畿内の惣領家でも能登や二本松の方でも、
ことごとく破滅に追い込んだのがみな家臣の遊佐一族だという事実
-
>>316
遊佐も各地の畠山にいたのか、これは知らんかった
-
>>317
繋がりはそんなになかったみたいなんだけどね
しかし揃ってろくでもないやり方で主家を破滅に追いやったという奇跡
もう下克上と裏切りは遊佐一族のDNAに刷り込まれてんじゃねーかと疑うレベル
-
秀頼公、身長2メートルですって。
すごいわね
-
血統がね…
-
母親似だったんだな
-
数多い妻妾のなかで唯一、ふたりも秀吉の子を産んだ淀君 有能
なお本当の父親
-
家康が秀頼の体格にビビって大坂攻めを決めた説大好き
-
淀殿とか言う阿片窟
-
淀君、あの当時でも身長168cmあったらしいな
浅井の長政くんも高身長だったみたいだし、祖父方の遺伝かな?(そらっとぼけ)
高身長の武将といえば、長宗我部元親が上洛してきた時に、秀長の側近の藤堂高虎に会って、
「ワシの息子よりデカイやつがいる!!」って大喜びして、そんで仲良くなったって話好き
彦左くんや講談の影響で、すっかり裏切り者のずる賢い奴ってイメージになっちゃったけど、
いかにも叩き上げの実直で素朴な仕事人っぽいエピソードがいっぱいあるんだよな、高虎さん
-
高虎は子孫が幕末にやらかしちまったのが原因な気もする
-
速攻で幕府裏切ったな
高虎が信頼されてたから徳川からええ土地もらっとったのに
-
逆に言うと、修羅場をかいくぐってきて異常に人を見る目のある家康にあそこまで信頼されたってのが、
高虎の人柄を証明してる気がする
浪人時代に無銭飲食しようとした餅屋にタダでご馳走になって励ましてもらったお返しに、
大名になったあとにお礼に行って、代々参勤交代の際には必ず当主が立ち寄るよう家訓残したり
恵体で武芸にも優れているのに、「このままじゃ一生ダメになる!」って一念発起して築城術のプロ集団
だが身分の低い穴太衆に頭下げて弟子入りして築城術極めたり
秀長死後の大和大納言家の扱いも含めてもともと秀吉にいい感情持ってなかったろうし同情の余地だらけなのにね
大久保彦左衛門ら旗本の嫉妬と、維新の時のアレの影響で大正期の講談本のせいで風評被害受けまくりなかわいそうな人
いかにも叩き上げの世間知もあるけど人情家な面もある、ワイ的には上司にしたい武将トップランカーなんだが
-
鞍替え
-
秀長の養子を自分の養子にする話好き
なお、後年
-
築城術といえば、ヨーロッパと日本の城ってどういう違いがあるんすかね?
-
ヨーロッパは街全体を覆ってるイメージあるな
-
もともとは荘園の政所から発展したケースも多いらしいね
「悪党」が占拠して根城にしてる、とか、政所の壁を強化するために農民の負担がどうこうみたいな記録がある
武士領主の拠点としての城にも農民の避難所としての側面があって、
村ごとに有事の際の取り決め(修復や兵員負担のかわりに保護や対価提供)もあったみたい
ヨーロッパはバイキング襲撃以来、いわゆるモット&ベイリー(掘&壁)の城で領主も住民も守るように城が進化するまでは、
ローマの遺跡除けば木製の円環集落みたいなのが多かったみたい
-
連レスすまんね
モット&ベイリーは、正確には「盛土の堀と土塁&囲い地」で、
小山の上に塔を中心に石壁を巡らした感じかな
それまでの中世初期は西ヨーロッパと東ローマやアラブ圏で都市や城の建築術が隔絶してるイメージ
日本の城郭については城郭総合スレに詳しい人が何人かいるはず
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/22792/1438089828/l50
あとはそこにも上がってる城郭研究サイトがオススメだよ
http://srtutsu.ninja-x.jp/
http://homepage3.nifty.com/yogokun/
-
街全体を覆うような城壁は国力と技術力がないと無理だからね
ローマ帝国が蛮族に侵入されるようになってから街を覆う城壁が増えたけど
ローマ帝国崩壊後はそこまでの国力がなくなって木の柵や領主の砦へと逆戻り
アラブ圏はそもそも石が希少で日干しレンガでの建築になるからまた違ってくるし
-
異民族と城壁はそこまで関係ないとのこと
-
>>334
城郭スレは貴方も参加してませんでしたっけ・・・?またご教授お願いしたいです!
-
>>335
そうそう
商業革命が進んで中世都市が発展し始めて経済力と技術力を持つようになってから、
封建領主たちと戦うために本格的な城塞都市が発達してくるんだよね
そして封建領主たちとの戦いに勝ったフィレンツェ共和国は、
都市内に貴族たちを住ませるようにしたら塔のような屋敷作り始めて都市内も城塞化が進んじゃったり
「塔の会」っていうんだっけか?
なんだか日本の近世大名の江戸の屋敷や、高級武士の屋敷みたいだな
究極の自宅警備員こと阿部一族とかいうロマン
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/673_23255.html
-
そういえば塔が防御の象徴であるように塔の発展は城郭の発展でもあるんだよね
現代では当たり前な円形の塔もあれが防御に最良の形と判明するまで時間かかってたりして
-
海の民が暴れてた時代のサルデーニャ島の城壁は円筒状だったね
-
そこ行くと鉄砲伝来後の戦国の城は何重にも備え設けた構えにして死角潰す構造になってったけど、
もし大砲が本格的に使用されまくる状況だったら日本でも円形の塔が登場してきたんだろうか
って、よく考えたら朝鮮の役がまさに大砲が実戦投入されてる戦争だったか
やっぱ、どの道日本では流行らなかったんだろうな円形の塔
-
丸馬出なら・・・
-
大砲が使用されるようになると今度は土塁&星形城塞になってくるから日本の城は一体どうなっていたことやら
日本中五稜郭だらけになるのもなんか味気ない
-
天守閣のない日本の城かあ
なんか想像したら寂しいものがあるな
とりあえず大砲が国内で本格使用されたのって大阪城と島原かな?
国崩しは防衛側だしなあ
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>>344
関ヶ原はどうだろ、笹尾山の陣
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>>345
あの三成の砲兵隊ってどれくらい効果あったんやろか?
-
>>346
有利な地形に陣取ってたってのもあるけど、あれだけの東軍諸将を一手に引き受けて崩れへんかったし、一定の効果はあったんとちゃう?(適当)
-
大坂の陣といえば来年の大河は真田丸なわけだが
http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/2550/222604.html
真田のハイスペック兄ちゃんこと信之(信幸)がご存知!大泉洋
舅の本多忠勝が藤岡弘、!小松姫もキャスティング決まってる!
そして脚本は三谷幸喜だ!
どうなんだこれ、どうするんだこれ、兄ちゃん大活躍とか胃の痛い展開とか期待していいのか!?
草刈正雄がダンディーに裏切り決めて大泉の口喧嘩が炸裂して、
堺雅人が九度山からニヤニヤ笑いながら「兄ちゃん金くれよ!」と催促してくるたびに大泉が絶叫して、
小松と舅に絞られてぼやきまくるのか!
もうこれ、真田家どうでしょうなイメージしか湧いてこないんだが、大丈夫なのか!?
-
>>348
逆に言うと、今の大河ドラマに何を期待しとるんや?
-
>>348
ヤスケンが出てた功名が辻はどうでしたか(小声
-
でもお兄ちゃんに出番多そうで安心した
というか最大の見所になるかも
やる夫スレから知った人も戦国板の住民もお兄ちゃんファン多いしな
周囲の理不尽にぼやきながら何だかんだで長生きしちゃうキャラとして大泉は当たりちゃうかな?
脚本も三谷だしそのへんのギャグパート狙ってきそう
-
遺品の中から三成からの手紙があったんだっけ?
-
>>352
「門外不出の家宝ゆえ誰も開けてはならぬ!」って厳命残して
代々不寝番で警護させてた箱の中から大量の三成の直筆密書が出てきたって話だよね
真面目で実直に見えてお兄ちゃんも真田の血筋だったんだなあと感動した
-
>>351
やる夫スレって?
-
>>354
VIPで一部の人気をあつめた「やる夫が真田家に生まれたようです」スレ
http://yaruo.wikia.com/wiki/%E3%82%84%E3%82%8B%E5%A4%AB%E3%81%8C%E7%9C%9F%E7%94%B0%E5%AE%B6%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A7%E3%81%99
-
>>355
真田やる夫って人物をモチーフにして話を進めてるんだな
庶子の産まれ?
-
>>356
やる夫というのはネット上のオリジナルキャラクターです、とりとり
-
>>356
ちゃうで
真田信之を主人公にしてAAがやる夫で表現されてるんやで
登場人物と対応AAについてはリンク先のWIKI参照
未完だけどかなり面白い
-
>>357
あーなるほどなるほど!
オリジナルのキャラクター使って真田の話を進めてくSSみたいなものなのね
-
ちなヌーそくにまとめられてる第一話
http://gnusoku.blog41.fc2.com/blog-entry-396.html
-
やる夫そのものを知らなかったのか(困惑)
-
センゴク天正記は俺も読んだゾ
センゴクは今まで持ってた固定観念をぶち壊してくれるのがFoo↑〜気持ちいい〜
蒼天航路みたいにキャラが皆個性的で飽きないんだよなあ
-
>>362
一見メチャクチャのように見えて実は意外に史実に忠実なセンゴクすき
-
センゴクは人物像が見事に描かれている分
一度読むと自分なりの見解が
凝り固まりますね…
面白いですが気をつけなきゃ…
-
誤爆してたゾ・・・(小声)
センセンシャル!
-
誤爆だったのか…(驚愕)
でもあの漫画、奇説も多いなりに考証もガッチリしてるからコアな戦国マニアでも好きな人多いよね
まあ色々とツッコミ入れながら気をつけて読むのがベターな楽しみ方かな?
-
信長のシェフもそこそこ史実に忠実だと思う
-
センゴクの何がいいって、彼岸島とおんなじ週刊誌に載ってるから一度に読めることよ。
-
シグルイの忠長は暴君暗君ではなかったて聞いたけどこマ?
-
歴史漫画といえばモーニングかアフタヌーンの印象があったけど、センゴクはヤンマガだっけ?
-
>>369
もともと記録少なすぎる上に、家光との権力闘争とその敗北からの強引な失脚だったからね
家光さんサイドの方でも庶民の方でもかなり捏造してネガキャンしてたのが残っちゃってるからなぁ
実際は重臣団や家臣団のその後見るに、言うほどの悪行は無かったっぽい
-
>>371
家臣のその後、わたし気になります!
-
>>371
はえ〜…
シグルイがその通りだったらどうなんやろ
-
例によって「戦国ちょっといい話・悪い話スレまとめ」から、追放した元側近とのエピソード
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4839.html
普通に旗本に召抱えられた重臣・家臣もいるしね
-
>>374
このスレ万能過ぎィ!すっかりぶりっちょ戦国民のバイブルっすね
-
真田幸村は確かに過大評価だとは思う
一方それに対抗して持ち上げられた感のある毛利勝永は過小評価だったけど、行き過ぎて過大評価の方に振れている感
-
>>376
濫造された軍記物や講談物の影響が大きすぎるからね
参謀本部の公式戦史すら影響受けまくってたし
だから最近になって信頼出来る史料の洗い直しが進んでる最中だし、
毛利さんみたいな評価の揺れもやむを得ないかなと
-
本家歴史単発スレに言及って新しい形ですね
革新的だと思いました(A並)
-
真柄十郎左衛門直隆とかいう巨人族
全長3mの巨大刀振り回して大暴れとかベルセルクのガッツかよ…
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/feature/index.php?cat=528&author=55
なお、福井市的には公式で巨人設定をガンガン推奨している模様
再現した草履とか下駄があきらかにおかしい大きさなんですがそれは…
-
相対的に戦闘能力が上がる青木一重
-
匂坂さんとこの3兄弟が斬り伏せたって説もなかったっけ?
なおソースは甫庵信長記の模様
-
そういえばレイピングを戦術に取り入れた東北きっての鬼畜こと大浦為信さんの話題がないな
石川攻めのときに城下にレイピング専門部隊を投入してその阿鼻叫喚っぷりを見せつけて城兵の士気を挫いたとか
老若男女関係なしだったっぽいからきっと…
-
やっぱ東北って…
-
>>382
いちおう>>2で名前は出てるな
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南部晴政晩年からの南部領は面白いな
大浦為信でいうと衰えた石川高信を出し抜いて、浪岡御所まで手にかけたし
九戸政実と実親、田子信直と北信愛の両派に分かれた抗争とか
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晴継とかいう殺されるために生まれた男
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そういや浪岡御所を襲った時も同じようにヒャッハー軍団を送り込んだんだっけ
行動が全くブレない大浦為信とかいう大悪党
嫌いじゃないぜ
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こういう話題になると高橋克彦さんの『天を衝く』を読みたくなるな
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九戸さんは可哀想だったなあ
でも最後まで足掻き抵抗し抜いたあの精神力と才覚はマジ尊敬してます
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某スレを見ていて木造氏魔性!というスレタイを思いついたが本文が浮かばなかったのでここで供養する。
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きづくりだと思ってました(小声)
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木造長政さんと木沢長政さん
一字違いなのにどこで差が付いたのか
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環境
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慢心
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野心
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黒田長政
山田長政
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浅井長政
浅野長政
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羽柴姓をプレゼントされた丹羽長秀とかよくブチ切れなかったな
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>>398
羽柴姓受領のその年に胃がんで死亡
が、タイミング良すぎるのもあってかブチギレて切腹自殺した説とか
自分で割腹して結石掴みだして死んだ説とかある
なお死後、息子はほとんど言いがかりで大減封された模様
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柴田勝家 秀吉に敗れ北ノ庄にて自害
池田恒興・森長可 小牧長久手にて秀吉発案の中入り作戦に従った結果死亡
佐々成政 混乱真っ只中の肥後を押し付けられ案の定一揆を抑えられず腹切
滝川一益 信長の葬儀で門前払い 柴田勝家に味方をしたため領地没収
織田家重臣の晩年はボロボロ
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池田家と森家はお家存続できたから…(小声)
というか勝入斎はともかく、戦死の方に自陣で喜びの声が上がった鬼武蔵さんって…
なお討ち取った側の徳川方にもトラウマを残したらしく、
関ヶ原の際に家康が
「ぶっちゃけ鬼武蔵の怖さを思えば石田も島も小西も宇喜多も全然怖くないだろ?」
と家臣に言ったとか
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蜂屋頼隆「・・・・・・」
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>>400
小牧長久手のあれって秀吉発案だったの?
恒興の主張によって決まったというのは後世の創作か、秀吉の評判を落とさないように
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稲葉一鉄とかいう土岐 斎藤 織田 羽柴と上手く鞍替えに成功し
柔軟な対応で乱世を生き抜いた頑固者
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同じ頑固者でも失敗失敗の日根野さん
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>>405
戦国デスブロガーこと日根野さんの場合はわざわざ選んでああいう人生送ってる気がする
最期の最期まで反骨精神の塊みたいな人だったもんな
丹羽長秀と千利休と日根野さんの切腹の凄まじさは異常
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>>403
そうそう
秀吉らしく奇策に走ったんだけど、結果は大失敗
自分の采配ミスのせいであの結果になったというわけにはいかないから、池田と森に責任を背負いこませたって寸法
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>>403
小牧長久手の中入り作戦が池田恒興発案という物は太閤記で出てくる記述で一次資料には皆無
秀吉から丹羽長秀宛に池田隊を三河に向かわせたという内容の書状があるなど
中入り作戦は決定的とは言えないがどうにも秀吉発案だった可能性が高い
ついでに言えば柴田・信孝を滅ぼし丹羽を完全に懐柔し巨大化した秀吉相手に
池田恒興が超重要な戦で博打に近い献策を出来るほどの発言力があったのか怪しい
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まーた甫庵が話を作ってしまったのか
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>>408
はえ〜、一次資料には載ってないんすね〜
やっぱ創作って害悪だわ一次資料がナンバーワン!
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俺守護職だから人生イージーモードだわwww
なお
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>>411
なお・・・?
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>>411
加賀一向一揆「せやな」
木沢長政「確かに」
毛利元就「一理ある」
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下間一族に一人面汚しがいるよな?
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下間頼廉「オレか、すまんな」
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違う
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なんか嫌な坊主ばっかりだ
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他力本願サイコー!
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地獄に落ちないぞ!
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一向一揆と法華一揆と旧仏教を利用して畿内で下克上やっちゃった木沢長政さんとかいう有能鬼畜
宇喜多直家くんの暗殺と陰謀は芸術の域だけど、この人の手段選ばずっぷりも半端ない
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戦国畿内とかいう下克上の見本市
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松永くん畿内だっけ?
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>>422
畠山さん一族→木沢さん暗躍の末に天文法華の乱からの木沢さんのターン→三好長慶→松永爆弾正と三好三人衆
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>>422
出生地は不明だけど、畿内で活動はしてたな
居城の信貴山城はおすすめの城郭
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三好三人衆+本願寺+雑賀衆vs織田信長
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三好三人衆がいらない
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義興が生きてれば三好もああはならなかったんだろうか。
というか、なんで十河の子を養子にして、実休の子が十河に行ってんねんわけわからんわ
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というか長慶さんは有能な身内を若死にさせすぎたのが不運というか天命というか
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因果応報やね
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三好兄弟の命の恩人の細川持隆を長慶討伐阻止のためとは言え
弟の実休が殺したことを兄弟で終生気に病んでたり
最後まで細川晴元や足利義輝を殺すことを許可しなかったり
キリスト教含む諸宗教宗派に寛容だったり
戦国の姦雄として生きていくには三好さん4兄弟は心優しすぎた気がする
まあ爆弾正がぶっ飛びすぎてるのもあるが
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今川義元討死 斎藤義龍急死 観音寺騒動 三好兄弟連続死 信玄病死 謙信病死とか
改めて見ると邪魔者が尽く消えたか弱体化した信長の豪運って半端ねえな
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>>431
数々の謀反や暗殺、戦死の危機もくぐり抜けてるしな
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そういえば長慶の有能弟のひとり三好実休さんって日本で初めて鉄砲で討ち取られた武将なんだっけ?
たしか根来衆の鉄砲にやられたとか
なお信長くんは同じ根来衆のヒットマンの狙撃からも生還した模様
-
根来って和歌山の根来寺か?
雑賀衆だけじゃなかったんやなあそこ
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>>434
むしろ熊野海賊の船で昔から種子島と行き来してた根来寺の行者が鉄砲を買い取って本土に持ち込んだ
それ以来、根来や雑賀、堺が鉄砲先進地帯の一つになった
当時の根来寺は寺領も広大かつ僧兵も多くて強大な存在だったからな
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>>435
ならむしろ雑賀衆より上位やんけ!
熊野ともつながり持っとったんやなあ・・・
なんで雑賀衆みたくプッシュされてないんや
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でも雑賀衆ばっかなんだよな
目立つの
-
いや別にどっちが上位とかは無い、という訳ではないが
寺社勢力や国衆連合や海賊衆が乱立しつつ、時に衝突ながらも共存してたのが紀州の面白いところ
まさにフロイスの評価じゃないが、ルネサンス期イタリア半島の都市国家や小君主国の群雄割拠見てるみたいなカオスっぷり
-
宗教勢力、特に旧仏教って扱いが難しいのかね?
延暦寺や高野山も史実の暴れっぷりに比べると大分控えめだし
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>>438
雑賀衆は上でだいぶ語られてたけど、根来衆ってどういう連中やったんや
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>>438
ああ、上位ってのは鉄砲に関しては先輩って言いたかったんや
・・・って、上位とかが無いわけではないんか、序列みたいなもんがあったん?
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>>440
真言宗の古くからある大寺院で多くの寺領の荘園を畿内に持っていた
同時に山岳信仰の山伏たちが全国に布教に出歩いていたり僧兵化したりしていた
基本的に旧仏教の僧兵集団というのは必ずしも高僧たちからの上意下達な組織ではなかったらしい
が、半ば職業軍隊化した根来寺の僧兵集団もまた、鉄砲を駆使する傭兵集団的な活動をしていた部分もあった
紀州だけでなく畿内の戦乱にも再三介入する強力な寺社勢力
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>>442
ああ、平安時代でよく聞いた僧兵、根来寺もそういう連中やったんやな
てかやってることがほんま雑賀衆と一緒やな、宗教が絡んでるというのも
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日課が武器作りと訓練で短命な坊主とか意味わからんな
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>>443
というか寺社勢力という世俗とは別の神聖権力だからこそ、
通常の社会で居場所を失った遊民たちを吸収し保護し得たって側面があって、
まあ一種のセーフティーネットというかアジールというか
一向宗や日蓮宗の講(信者集団)の平等感はまた違うけれど、
中世的な自由と平等の理念に近いもののアイコンだったからこそ寺社勢力は強い力を持っていたんだろうな
叡山などの存在が市や商業の発展保護に影響力があったのも寺社勢力ならではなんだろう
日本中世史の再検証で俄然注目され評価が変わりつつある寺社勢力おそるべし
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>>444
寺領の荘園の警備員=半武士化という流れ
学問僧たちとはまた別の、遊民たちの、というか傭兵雑兵たちの世界
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>>445
なるほどなー、紀伊守護の畠山が応仁の乱前後から荒れてたのが寺社勢力が台頭する土壌を作ってたんやね
平安時代から紀伊は信仰深い土地ってのもあったんやろしなぁ、熊野詣とか
雑賀衆も熊野ルーツなんはおもろいやん!
-
連レスすまんな
とりあえず「寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 」(ちくま新書)オススメ
伊藤正敏の本読んでると寺社勢力への考え方がビックリするくらい変わる
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>>448
連レスやったんか、サンキューやで
ここらへん全然知らんかったからおもろかったわ!
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鈴木孫市とか雑賀衆筆頭格であるのに紀州攻めで秀吉方にいたりとか意味が分からん
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>>450
雑賀衆は全然一枚岩じゃないで
海の雑賀衆と陸の雑賀衆には方針も敵対勢力も違いがあったんや
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>>450
代々の、あるいは同時に複数人が孫市を名乗っていたという説もあるので問題ない
というか厳密に「誰がどの孫市か?」自体も良くわかっていない
-
和歌山の歴史に詳しくなれる良スレですわ
-
1582 雑賀孫一、雑賀から岸和田に脱走
1584 雑賀孫一、小牧長久手にて徳川方に協力し秀吉方に鉄砲頭として参加
1585 雑賀孫一、秀吉の紀州攻めに徹底抗戦し秀吉方として太田城への降伏勧告の使者を務める
1585 雑賀孫一、藤堂高虎に謀殺される
1589 雑賀孫一、病死
1590 雑賀孫一、小田原征伐に参加
1600 雑賀孫一、西軍に参加し鳥居元忠を討ち取る
1606 雑賀孫一、家康に召し抱えられる
1623 雑賀孫一、病死
本能寺以降の孫一の名前を真面目に追ったらこんな経歴になる模様
-
>>454
ここに何人いるのですか???
-
雑賀孫市スタンドアローンコップレックス説
だいたい江戸期の軍記物のせい
雑賀さん一派はあっちこっちの家中に仕官したからなぁ、
方々で先祖の活躍に尾ひれつけて吹聴してたからこんなことになったんやろなぁ
というか、ここまで来るともはや実在すら怪しまれるレベル
-
>>456
実際のとこどうなん?
マスコミの操作なんか結局のところ
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>>457
鉄砲を使ってたこと、傭兵をやってたのも記録に残ってる
でも活躍してたかというと・・・微妙なとこなんですよね
鉄砲を大量に使った戦術を取れるほどの経済力も技術力も無かったし、どっちかというと本願寺の門徒衆に拠るところが大きい
雑賀衆自体はあくまで地方の一土豪集団に過ぎないというのが実態でした
-
一番有名な鈴木さん系雑賀孫一は最終的に水戸藩の家老になって、主君の子を養子にもらってたはず。
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>>458
やっぱロマンで美化された部分が多いんやなあ...サンガツ
完全に空想上の連中じゃないってだけでも十分やわ
-
>>454
西田敏行か何か?
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>>460
一次資料がほとんど無いからね、仕方ないね
本願寺の書状とか、各地の大名の手紙にちょこちょこ載ってる程度
その点根来衆なんかは土地台帳とか寄進状なんかでどこまで勢力広げてたかも確認できるのは大きい
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>>460
まさにこれだよな
粉河寺とか根来寺とか熊野権現や那智なんかの寺社勢力は文献史料山ほど残してるもんな
そこから紀州の複雑性や影響力の大きさがうかがい知れる
でも雑賀さんの場合、子孫の作り上げた伝説や軍記物、大正の講談なんかがイメージを膨らませている側面が大きいから
もちろん当時の堺や宣教師なんかの証言からも相当な勢力ではあったのは間違いないだろうけど
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>>454の内容を深く見るとこんな感じになる模様
1585 雑賀孫一、藤堂高虎に謀殺される
→ここで死んだのは鈴木重意と言われるが重意はこの時点でかなりの高齢で
息子の重秀か重朝に実権を譲っていると見られ謀殺の対象になる可能性は低い
1589 雑賀孫一、病死
→1589年に孫一が亡くなったのは確かだがどの孫一なのかは不明
年齢的に鈴木重秀か重兼の可能性有りだがそもそも雑賀の孫一であるのかすら不明
1623、雑賀孫一、病死
→孫一が亡くなったという記述が一部資料にあるが墓所や法号も不明なので鵜呑みに出来ない
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ガバガバすぎワロリンヌ
ようは真田幸村みたいなもんなんだな
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>>454>>464
こんなん草生える
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>>464
不明部分多すぎィ!
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雑賀衆がいまいち注目され辛いのってそこなんやなあ・・・
推そうにも根拠が曖昧じゃどうにもならんね
-
ガバガバ過ぎて戦国時代の作品を書いてる創作者したらかなり扱いやすいだけどね…
-
紀州で僧兵といえば弁慶さんもそうじゃない?
熊野別当の家系で
まあ戦国時代じゃないんですが
-
弁慶も伝説めいた部分あるからなあ
やっぱ紀州って
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武田が強いっていわれてるけども、あそこ領土の割には国力低いよね
-
>>472
だから侵略せざるを得なかった
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>>473
甲斐と越後の農閑期の最大の産業が他国に侵略しての乱取り(略奪)人取りだからなあ
武装した農民たちが嬉々として武田氏や長尾氏先頭に「出稼ぎ」にくるんだもん
やっぱ戦国時代の関東って地獄だわって小田天庵様が鼻くそほじりながら言ってた
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武田とかいう大義名分もなしに他国に攻め入る名門
-
同盟国を後で必ず攻める畜生集団
-
信玄とかいう糞親父が片っ端から同盟国裏切りまくって四方八方敵だらけの状態でバトンタッチ
そら勝頼も一か八かで御館の乱で景勝支持にまわりますわ…って、それはやっぱ無理あるか
北条家から来たいい嫁さんもいるんだし黙って北条支持しとけばいいのに
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松平のガキが独立したやと!?よっしゃ今川叩き潰したる!
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同盟国なんですがそれは…
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鎌倉からの美しい伝統
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考えたら長尾家も代々戦争キチガイすぎる気がする
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謙信公も義に厚いサイコ野郎やぞ
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下克上で越後守護職奪った戦争キチガイの息子の超戦争キチガイに泣きついて、
身分保障の代償に関東管領の肩書きと上杉家の家督を差し出した奴がいるらしい
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>>483
最終的にその養子どものゴタゴタで殺されるという末路。残当。
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関東管領も鎌倉公方もロクでもないのばっかなんだよなあ…
そら道灌さんも「東方滅亡!」って叫びますわ
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好きな武将とかいうクッソ迷う質問
候補多すぎるし
マイナーかメジャーかでまた悩むし
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5人までなら絞れそう
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いっそ畜生な順番で絞ろう!
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五人か、五人なら・・・
立花道雪、高橋紹運、立花宗茂、長野業正、九戸政実かなあ
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5人にすれば龍造寺四天王全員入れれるしな!
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ワイは朝倉宗滴、北条綱成、佐竹義重、島津義弘、甲斐宗運やったわ
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家康公、鳥居元忠、羽柴秀長、葛西晴信、長連龍ですかね…
-
鬼武蔵とか天庵様とか木沢長政さんとか大関三兄弟とかも大好きなんだが、五人かあ
藤堂高虎・鮭様・伊勢宗瑞・本多作左・良いほうの島津家久、かな?
-
DQN四天王とか言うけど鬼武蔵ってちょっと突き抜けてるよな
粗暴なキチガイやし
-
>>494
ノッブが関所の件で叱っていれば
おとなしくなっていた可能性が…?
-
>>494
あれでなかなか金山の領民に慕われてたりするのが恐ろしい
ていうか本能寺がなくて信忠政権になってたら
その主力軍団司令官が鬼武蔵になってたであろう事実
おそろC
-
もしも森長可が朝鮮出兵に参加していたらもっと多くの伝説を残していたであろうに
-
>>497
あの無謀な作戦を押しつけられずに生き残ったとしたら、
やっぱり駿河遠江三河甲斐よこせって要求は秀吉に認められてたんだろうか?
池田、森の縁戚関係に鬼武蔵の戦闘力と広大な領土
秀吉にしたら丹羽さん以上にウザいことこの上ない存在になってたんだろうな
あの無謀な作戦が成功してたならなおさらだろうな
豊臣vs森・池田・その他の織田中枢グループの大戦争になってそう
実に胸熱な展開だが東海道は焦土になるだろうな
-
池田に羽柴相手にする度胸はもうその時にはなさそう
-
鬼武蔵生存√=三河中入り策を取らないじゃないのか
-
>>500
取ってかつ成功した√で
-
>>501
鬼武蔵「俺が徳川滅ぼしたんだから旧徳川領全部俺のモンでも文句ねぇよな!」
かがみん(各務兵庫)「ヒャッハー!新鮮な領土だー!」
上杉を滅亡寸前に追い込み、戦死の報に秀吉が狂喜し、家康が関ヶ原で「あいつらマジ怖かったよな」と言った鬼武蔵
あの鬼畜と有能DQN軍団が大大名になるとか絶対に日本中が地獄になるだろ…
まあむかしヤンチャしてた水野さんみたいにコロッと名君になる…わけないか、鬼武蔵だし
-
>>502
はえ〜、こっちでもすっごい・・・
破天荒な人やね
-
だって「アホ!鬼武蔵よりはマシやろ」が士気を上げる題目になるんやぞ
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なにせ初陣のエピソードからしてすごいからな
長島一向一揆との戦いで織田家嫡男の信忠の側廻りとして出陣した際に、
信忠が「川向こうの一揆衆ウゼェなぁ…」ってつぶやいたの聞くや速攻一騎で川渡って
一揆勢に突入して首数個取って帰ってきたとか
信忠「え、ボク、そんなの望んでない…(困惑)」
ちょっといい話悪い話スレの鬼武蔵のエピソード読むと色々と痛快にDQNすぎて大草原
-
>>505
大正義ちょっといい話悪い話スレ
-
鉄砲って今で換算するといくらかな?
50万くらい?
-
鉄砲伝来時に種子島さんが払った値段は5億だったはず。
-
>>507
種子島時堯が買った時は1丁5000万円くらい
後に大量に量産されるようになってからは1丁70万円くらいだね
-
高値で買ったもんを分解してあまつ諸国に伝来させる種子島さんとかいうぐう聖
-
>>510
しかも津田監物さんには譲ったんだよな
-
>>511
あれ、2兆買って一つ分解して一つ足利幕府にあげたんじゃなかったか?
-
>>512
そっちは知らんのやすまん・・・
1丁は津田監物が紀州に持ち帰って、それで根来で鉄砲量産、雑賀でも鉄砲生産が始まったって聞いたで
-
ワイは1丁は津田さんじゃなくて根来の杉ノ坊算長が譲り受けて、
堺の鍛冶屋・芝辻清右衛門に研究と製造命じたのが根来・堺・雑賀の鉄砲生産のはじまりって聞いたな
ひょっとして鉄砲の本州伝来も例によって諸説あるのかな?
-
連レスすまん
ずっと津田監物と杉ノ坊算長は別人だと勘違いしてた
同一人物なのね、恥ずかしいっす…
-
津田監物=津田算長=杉之坊算長です、とりとり
-
いろんなな名前持ってたり、ころころ名前変えるあの時代の風潮、嫌い。
-
なにせ自分の名前すら漢字でかけない武士がゴロゴロいた時代だからね
普通に自分の名前を当て字で適当に書いてたりするしますます訳わからなくなる
嘘かまことかアレだが維新の時、西郷吉之助が部下に「あれセゴどんの諱(正式の名前)って隆盛だったよな?」
って、本当は隆永なのに勘違いで「西郷隆盛」にされたけど別に文句言わなかったってエピソード好き
-
自分が好きな名前を名乗るというのは、ある意味民主的というか人間的な気がするけどなあ
-
だ、誰か!
この中に早合と孫一が使ったという特殊な鉄砲について説明していただける方はいらっしゃいませんか!?
-
>>520
無理無理無理のかたつむり
雑賀衆自体、ある意味空想上の人たちだからね・・・史料がほとんど無い
-
早合自体やれ紙薬莢的なものだの早く装填するための技術だのゲイボルグの使用法並にブレブレでこれもうわかんねえな
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孫一は上にも出ている通り、そもそも実在したの?ってくらいよくわからん人物なのでなんとも
江戸期に各家に仕官した雑賀党の人たちが面白おかしく話膨らませちゃったおかげで逆にわからなくなったという
早合については、ほぼ一次史料の「雑兵物語」に図入りで解説があったような
参考までに一部抜粋を
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg516.html
-
井伊直虎の大河決定が素直に嬉しいんですが少数派なんですかねぇ……
今川義元・氏真との葛藤とか、許嫁の直親との愛憎とか、
桶狭間を境に修羅場と化した遠江のもう一人の女城主・飯尾連龍の妻椿姫との血みどろの死闘とか、
武田に走って死んだ直親の子を引き取って徳川四天王の一人・井伊直政を育て上げたとか…
もうこの人の人生自体もドラマティックだけど、今川武田含めて織田・豊臣・徳川が通して描けるし最高のチョイスだと思うんだけどなぁ
正直、何年も前から期待してただけに嬉しいです、たぶん糞化するんだろうなあと覚悟しているけれど
直虎ちゃんが柴咲コウなら、稀代の悪女で仇敵の椿姫には栗山千明でオナシャス!!
いちおうニュース総合にも貼った「いい話悪い話スレまとめ」の『直虎と椿姫』
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2634.html
-
あれってカテゴリー的に未亡人ですらないよね
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>>524
まあ、その、なんだ、ドンマイ
戦国板では盛り上がってるの?
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>>526
うーん、今のところ微妙かな…
もともとガチ議論がちょくちょくあるところだし、これから荒れるか盛り上がるかもワカラン
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同じ路線では誾千代が居るが、あっちは寿命と時代がなあ
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>>527
まあ、まだニュースになって間もないしね
深夜を待とう
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直親の扱いが序盤のカギになりそう
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>>530
これ
なんだかんだ言って許嫁の自分おいて逃げた先で結婚してこさえた子が直政だもんなぁ
ロマンス路線で行くのか最初からドロドロ模様で行くのか
でも手元に引き取ってあれだけの武将に育て上げたわけだし色々と伏線は張っておくんだろうな
あとは椿姫に毒殺された(と言われている)お爺ちゃんの配役も気になるなぁ
-
桶狭間で死ぬオヤジも適当には済まさられぬ。
結構ハードル高くね?
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井伊家、飯尾家、直親の父ちゃんの死に関わった今川親子がどう描かれるのかも気になる
-
為政者氏真は最近再評価されてるけど…
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>>534
はえ〜、剣豪として以外にも評価されてるんすね〜
-
10年くらい前はサッカーの始祖だのファンタジスタとか言われてたのにね
-
英王ジョンは再評価されますか・・・?
-
ま、まあ内政に関しては兄貴よりはマシだから・・・
-
氏真くん、蹴鞠も陰流剣術も極めた身体能力の持ち主だからな
それに統治にしろ、遠州動乱とか氏真くんのミスもあるのは間違いないけど、
桶狭間で親父含む重臣あらかた死にましたからの、三河との連絡線の遠州でグチャグチャ国衆が争い始め、
連絡線途切れた三河で家康が半ばやむを得ず独立、背後には同盟破りに定評のある信玄が侵略企んでる…
そういう状態で、実務経験ほとんどないのに急にバトンタッチされて氏真くんにむしろ何ができたのかと同情したくなる
それをどうにかしちゃうからこその英雄なんであって、失敗した事実だけで無能扱いは可愛そうだと思った
というかあれだけあって、そこからスッパリ(信長にいらないお願いしたりとかしてるけど)切り替えて、
その後の人生をエンジョイしたメンタリティーが好きだなぁ
才能あったのもあるだろうけど信長も家康もけっこう仲良く遊んだりしてるんだよね
親の仇と遊び友達になったり、結果的に裏切って領土奪った奴と老後の友になったりって逆に常人離れしてる
-
>>539
はえ〜、すっごい有能・・・
-
連レスすまん
陰流じゃなくて卜伝の神道(新当)流だね
-
今川の息子「(桶狭間で首脳陣崩壊させた)親父が悪い」
武田の息子「(いろんな国に喧嘩売った)親父が悪い」
北条の息子「(好戦派の)親父が悪い」
結論・親父は糞
-
実際親と子って親が糞な場合がほとんどだよな
-
あの時代に武名を轟かせた武将ってことは、同時にそれだけ多くの敵の恨みを買ってるってことと同義だからね
ヘイトを貯めるだけ貯めて後継問題固めずに死なれるのはさすがにキツいよ
特に信玄さん
-
信玄「めちゃくちゃしたった!」
-
義信「許されざるよ」
-
>>545
信虎「ワシの方がマシじゃったじゃろ?」
信虎さん長生きしすぎ
-
静岡県民の戦国マニアの間でも直虎ちゃん大歓迎派と、また今川さんdisられる流れでしょ…派で分かれるみたいね
どっちの気持ちもわかるから今川親子の演出に気を配ってあげて下さいNHKさん
-
どっちみち荒れるから戦国はもういいよ・・・
-
後北条氏とかいうハイレベルな嫁の名産地
勝頼と最期まで添い遂げた北条夫人もいいが、
氏真くんと仲良く長生きしながら人生エンジョイしてた早川殿が一番好きだ
-
三国同盟で一番長く続いた夫婦だしなぁ。
そういえば義信の妻って今川家滅亡後どうなったんやろ?
-
義信の妻は・・・ナオキです
-
>>551
駿河に戻って出家した
何気に当時の駿河には信虎ちゃんもいたので信玄の悪口で盛り上がったかも
なお信玄の駿河侵攻
-
あ、今川滅亡後か
これ気になってたけどよくわからないんだよな
信玄も鬼じゃないはず、普通に寺で静かに余生をまっとうしたと信じたい
…いやアイツ鬼畜やしなあ、かなり不安
-
駿河侵攻時は早川殿が徒歩移動を強いられるほど混乱してたらしいし・・・うーん・・・
-
そういえば氏真くんへの忠誠心がやけに高かった朝比奈さんはどこに行ってしまったのか
氏真と一緒に相模へ移動した後は行方不明のまま歴史から消えてしもうた
-
出撃するたびに負けてるわけでもないのに何故か領土が減っていく不思議な朝比奈さん
そういや直虎ちゃんの許嫁・井伊直親を殺したのも朝比奈さんだっけ?
この人も報われない前半生だったから、後半生は報われていてほしいなぁ…
そういや軍記物で、有能な父ちゃんの泰能さんとたまにごっちゃにされてたりして、そう言う意味でも不憫な人でもある
-
三河じゃね
-
氏真が北条から出て行った時に見捨てたっぽいが・・・
-
改めて見ると武田家の外交政策はコロコロ転換し過ぎじゃないんですかね…
今川 徳川 織田 上杉 北条らと最低一回は同盟関係と敵対関係にあったとか
-
>>560
だいたい信玄のせい
信長さんが律義者に見えてくるレベル
むしろ裏切り謀略のたびに自分の肉親を犠牲にしてた宇喜多直家さんの方が誠実に思える
松永爆弾正、木沢長政、大関高増と互角レベルじゃなかろうか
-
>>560
武田家が一国で立ち行くレベルなら良かったんだけどね
言ってみれば規模は小大名レベルだよあそこ
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>>392
>>413
>>420
>>423
謎の木沢さん人気が
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>>563
木沢長政さん、実は松永弾正なんかよりもはるかにスケールでかくてかつタチが悪いから
天文の乱とか畠山・細川の衰退とか三好家台頭とか、畿内の大混乱の原因のほとんどコイツのせいなんじゃないかと
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>>564
上見てるとそんな感じっすね〜
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>>564
なんで無名なんだろ?
それとも戦国板ではかなりの有名人なのかな
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>>566
戦国ちょっといい話悪い話スレまとめ管理人さん一押しの戦国きっての梟雄
なおエピソードは少ない模様
家の続いた道灌や早雲ならともかく、戦国初期に大暴れした挙句に滅亡しちゃったからね…
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>>567
あーなるほど、それでよく名前が挙がるのねん
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wikiでもけっこう詳細に書かれてるね
概略
木沢氏は畠山氏の被官として名が見える一族である。畠山持国の時代には木沢蓮因なる人物がいたことが知られている。
長政の時代において、主家の畠山氏は総州家と尾州家に分かれて対立しており、当初は畠山義就を祖とする畠山総州家の畠山義堯に仕えていた。だが、相克を続ける主家を見限るかのように、次第に独自の行動をするようになっていく。
細川氏本家京兆家へ取り入って自らの地位向上に努める中、政敵の排除には一向宗と法華宗の宗教対立まで利用する狡猾さを見せた。やがては主家を牛耳るほどの勢力を一代で築き上げ、畿内にその名を轟かせたが増長したため孤立し、最後は三好長慶に敗れ戦死を遂げた。
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活躍した時代がちょっと早すぎる。
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記録残してくれる子孫もいなければ、
大量の日記や史料残してくれる、公家や法華宗一向宗はもちろん利用された旧仏教まで全部に恨み買ったからなあ
しかも戦国時代初期
記録に残らない残さないってダメージでかいな
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んじゃあいい話悪い話とか、wikiの記述ってだいたい敵対勢力からみた木沢長政ってこと?
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>>572
室町から現代にまでいたる超一級史料「細川家文書」の提供者たる細川一族の敵だという一点だけでもご理解いただけるかと
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>>573
んにゃぱ、よくわかんないです(池沼)
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某宣教師のキリスト教に寛容ではない人への評価みたいなもんか
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>>574
すまん説明不足だね
管領細川家は古くからの名家で室町幕府の中心に常に存在してた
んで、当時の政局や時勢を知る重要な手がかりとなる書簡や日記、書類の類が膨大に残ってる
分家筋だけど信長について今の細川護煕さんに至るまで続く細川幽斎の細川家が継承し、
歴史研究のために全部公開提供して、中世史研究に大きな影響を与えている
なので細川家文書でDisられるってなると相当に印象が悪くなる
さらに多くの日記・文献を残しているのが公家たちと寺社勢力だが、
京都を兵火で丸焼けにした主犯の木沢さんが京都在住の公家にDisられても仕方がない
巻き込まれて散々な目にあった叡山などの旧仏教勢力も同じ
つまり、現代のワイらの判断材料となる史料を一番提供してくれる人たち全員を敵に回しちゃってた人なわけだ
おまけに擁護してくれる子孫もないし
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信長公記が一番信憑性あるの?
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>>577
一番かどうかはちょっとわからないけれど
筆者の太田牛一自身が信長の足軽衆からスタートして順調に出世しながら、
実際に桶狭間の戦いをはじめ多くの戦場に現に戦闘員の一人として参加しているからね
その後順当に出世して信長や秀吉の側近も務めるようになって一戦闘員としてだけでなく、
俯瞰的に信長の戦争と統治を把握できる立場になった
だから、貴重な証言者として、一次史料としての価値はかなり高いかと
さらには書いた当時は同じように信長に接し、また戦場を体験してきた人間が多く存命だったし、
彼の「信長公記」「太閤様軍記のうち」は書いた当初に人気であったから、嘘八百を書けば速批判されたろうし
一方で多聞院日記やフロイスの記録も同時代人のもので価値が高いが、いかんせん伝聞や偏見も多い
無論、当時数少ない前田家の生き残りにさえ「あいつテキトーばっか書きやがって!」とキれられた甫庵は論外
細川家の史料やら何やら貴重な当時の史料はいっぱいあるが、信長に関して一番手に入りやすくかつ一番信ぴょう性のある一次史料、
という意味なら間違いなく「信長公記」でしょうね
なお底本になる写本が三冊あるが、微妙に内容が異なっているのがネックだが
例えば長篠の戦いにおける「鉄砲1千丁or3千丁」の記述の違い
まあ1千丁と書かれていたのを後世の人間が勝手に横棒二本書き加えた可能性が高いが
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御湯殿上日記はどのなん?
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>>579
あれ、信ぴょう性というか一次資料としての価値が高いことは理解できるが読んだことないなぁ
宮中の記録って誰か詳しい人おるかな?
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>>578
はえ〜、すっごい根拠ある・・・
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さすがの博識兄貴も宮中記録は守備範囲外かな?
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隆慶一郎ファンのサイトだが、この人の文献抜粋集にはお世話になってます
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/index.html
とりあえず前田慶次の旅日記は一読の価値あります
下ネタやしょうもないギャグが面白い、やっぱ文才あるよ慶次さん
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg221.html
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長篠の戦いで勝つ方法考えるか!
…ないわ
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長篠も関ヶ原と一緒で、戦場に引きずり出された時点で詰んでるもんな
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>>584
織田・徳川の援軍到着以前に長篠城を落とせなかった時点で詰んでた
さっさと撤退しても動員した小名・国衆に完全に足元見られて武田家空中分解の危機
でも着陣してから武田軍主力の前進を見て、連れてきた直属の鉄砲足軽隊の大半を長篠城包囲部隊撃破に回すと同時に、
武田の退路を断って正面攻撃せざるを得ない状況に持っていった信長の臨機応変な采配もすごかった
選択肢を奪われた武田軍は、兵力も地形も不利な状況での攻撃とその失敗からの追撃戦で壊滅的損害…
鉄砲や一部の野戦築城(最大の激戦地である徳川軍は陣より前で戦った)以上にあの信長の迂回戦術の一手が大きかったと思う
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鳶ヶ巣砦落とされてるのがアカン
退路ないやん
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最小ダメージで切り抜ける方法考えたほうが楽そう
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>>586
徳川は野戦築城関係なかったんですねえ
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>>586兄貴の説をとると、勝頼は戦場に臨むしかないんだよね
とすると、連合軍ぎ手ぐすね引いて待ち構える死地に突っ込むしかない
最低限のダメージというのも厳しい
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>>589
たぶん読んでる人多いと思うけど、信長公記に即した藤本正行『信長の戦争』(講談社学術文庫)によってます
まず平野部に布陣した徳川軍に総攻撃かけるんだけど、信長公記の記述や長篠合戦図屏風から、
徳川軍は柵より外に出て迎え撃っている
当然だけど、ガチガチの野戦築城は追撃戦の際にむしろ邪魔になるからってのもあったろうな
地形的に有利な崖上に布陣した信長本隊はさらに柵で固めて寄せ集めの鉄砲足軽の射撃という鬼畜な布陣ぶり
そして案の定、追撃戦で討ち取られまくる武田家重臣の皆さん方
哀れすぎる…
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よく巷説で云われている、武田内部が勝頼に代わってからボロボロだったというのは本当なのかしら?
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>>592
もともと信玄さんの時点で家中の不和は相当あったと思う
義信事件もそうだが、それ以前に急拡大によって群小国衆を寄せ集めた勢力だったし
それでも戦に勝って恩賞も乱取りも思うままだった信玄の頃ならともかく、
同盟組んでは裏切るの連続で四方八方敵だらけの状況でバトンタッチして、
さあ消耗戦を戦いなさいとなったら当然身銭切らされる群小の国衆たちは離反していくよね
むしろ勝頼くんもよく頑張ったほうだと思う
御館の乱?さあ、なんのことやら……
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>>592
勝頼に代わる前から既にボロボロ
端的に言うと武田信繁が死んでから
曲がりなりにも信玄個人の力量でなんとかやってたけど問題を解決したわけでもなく、そもそも当主の座ですらない勝頼に全てが覆いかぶさってきたわけだ
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>>593
>>594
そうか、アカンかったか。
やっぱ勝頼って哀れだわ
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城郭スレに刺激受けて久しぶりに岩明均「雪の峠・剣の舞」読み返してた
やっぱ面白いわ
でも佐竹の老臣たちの語る戦国の戦って、よく考えたら謙信のお供、フェニックス小田氏治とのボーナスステージ、
那須さんとこに進攻して汚い大関さんに撃退される、鬼義重が戦場で葦名の若大将に一目惚れと、
なんか微妙なエピソードばかり浮かんできた
いや、北条との争いとか色々頑張ってるんだけど、何でかなあ?
義宣さんも南方三十三屋形の虐殺とかエグい印象強いし
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佐竹って関東方面だと北条氏と互角に戦ってたとはいえ、なんかパッとしないよな
むしろ南東北の方がインパクト強い
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佐竹家は鬼怒川や沼尻合戦で何度か合戦になったが
基本的には外交で北条とやり合う形を取ってたからねえ
北条と正面から衝突しまくってた里見義堯や太田資正のインパクトが強すぎる
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滅亡寸前で北条征伐だっけか
関ヶ原も東軍についとけばなぁ
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義重は家康派だったんだよな
義宣が三成と親密だったばかりに・・・
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源氏の名門なのに頼朝と敵対して平家についたけど何とか生き残る
関ヶ原でも三成や上杉家との関係から西軍についたけど何とか生き残る
あれ?何で同じ失敗繰り返してるの?そして何でそれでも生き延びちゃうの?
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源氏の名門ってところが効いたのかねえ
大名家としての足利武田の滅亡後って佐竹が源氏筆頭だったよな確か
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権現様の趣味が名門名家コレクションで本当に良かった
まあ上杉と組んでしぶとく抵抗されるの嫌ったんだろうかね
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佐竹義重と武田信玄が交わした例の先祖語りの書状とか屁理屈にもほどがあるんだよなあ
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前田家が静御前の武器で難癖つけられた時の返しは見事だと思う
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佐竹義重in秋田での布団のエピ好き
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鬼義重っていうわりに、息子の義宣の方が鬼畜エピソード多いよね
でも「雪の峠」にも出てきた腹心の渋江内膳を呼ぶのに、
天守閣から大声で「ないぜーん!ないぜーん!」って大声で久保田城下に叫んでたって話でホッコリした
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義重は戦場での勇猛さって印象が強い
とはいえ三十三館の一件も指示は義重か
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鬼義重、鬼美濃、鬼島津→ああ戦場では鬼のように勇敢って意味の敬称なんだろうなぁ
鬼武蔵→…うん、鬼だね…間違いなく鬼畜だ…
どこで差が付いたのか
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人間性の違い
上の人たちは名君やし
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武蔵も地元じゃ名君として慕われてたからセーフ
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鬼美濃ってやっぱ馬場信春かな
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原も五名将だから間違いなく有名だろうけど、ちょっと時代が古いか
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一番最初に異名に鬼がついた武将は誰なんだろうか
自分が知ってる範囲では吉川経基までしか分からん
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悪○○が鬼○○に変わった時代とか地味に気になる
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>>615
たしかに気になるな
悪源太から鬼義重へ
同じ清和源氏だけど、いつ切り替わったんだろうな
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地元武将が愛されててウレシイ…ウレシイ…
佐竹さん地元じゃ秋田に美人連れてった話しかされてないけど伊達と対等に戦ったって聞いて好きになった
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普通に佐竹義重はカッコいいと思うよ
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地元武将に有名どころが多い人が羨ましいンゴ
自分の地元大名はマイナーな方の武田家だからノブヤボでは毎回影も形もないンゴ
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地元に名城がある人も羨ましいンゴねえ・・・
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>>619
若狭の武田さん?それとも元就さんにハメ殺された安芸の武田さん?
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片田舎の癖に中央の政治に明るい義重パパ好き
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秀吉つかって北条をどうにかしたのはすごい
北条潰したの間接的に佐竹やろ
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武将にしても城にしても、意外と現地民が知らない名将・名城があったりして楽しい
そういうのを掘り下げていければな
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>>621
前者です…
室町初期の時代がピークという悲しさよ
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北条が豊臣の要請を受けても上洛しなかった理由は何だったのか
あれさえやっとけば小田原征伐は起きなかったかもしれんのに
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>>625
若狭武田家って、戦国期に鳥取に行ったよね
なかなかの謀将だったとか
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>>623
真田パパと佐竹さんと大関さんは太閤の北条征伐で大儲けした人たちだよな
戦も上手いが、みんな先見の明と外交力がすごいと思った
>>625
ドンマイ
でも網野善彦の若狭の荘園や湊の研究は面白かったで
中継港としてそこそこ賑わってたみたいやね
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>>628
真田は名胡桃城を犠牲にするあたり冷徹というか強かというか
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東京都民はどの大名をプッシュすれば良いんや…
徳川は三河の印象強過ぎやし北条は本拠地相模やし
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>>630
太田
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元祖江戸城の大田さんすこ
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みんなも障子みたいにまっすぐに立って素直な人間になろうね!
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太田道灌と争った江戸氏や豊島氏もなかなかの坂東武者っぷり
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荒木くんとこの村重はなんで裏切った上に茶人になってんの?
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秀吉さんが拾ってあげたからね
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秀吉の御伽衆とかいう奇人と没落貴族の集まり
信雄や有楽斎もアレだが義昭までいたから村重くんも案外肩身狭くなかったんじゃない?
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耳の裏の臭いを嗅ぐ権利をやろう
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桃山時代以降の今川 六角 斯波 山名 赤松 畠山とかもうね…
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>>639
どうなったん?
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>>640
秀吉に御伽衆として養われていたりもしたが、
最終的に名門コレクター家康公が子孫を高家・旗本として保護した
そして例によって空気読まずに毎日のように江戸城に遊びに来ては
今川家の人質時代の幼馴染(というほど面識あったようには思えないが)家康と昔話に花を咲かせる氏真くん
嫌とは言えない常識人の家康くんは、さすがに老人の身では遊びに来れない距離の品川に屋敷を与えることで、
「もう隠居しろ、ていうか毎日のように遊びに来て人の黒歴史晒すの止めて!」と暗に示したとか
これが高家・品川今川家の誕生秘話
さすが氏真くん、人生をエンジョイしすぎ
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>>641
他のもこんな感じなん?
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悲しいなあ・・・
京極家ってその辺うまく立ち回ったんやな
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>>642
WIKIの高家一覧参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%AE%B6_(%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3)#.E9.AB.98.E5.AE.B6.E4.B8.80.E8.A6.A7
このうち、もともと三河の守護大名だった吉良さんが、例の赤穂事件の被害者となった吉良上野介さん
-
>>644
大名は皆無なんやね・・・諸行無常
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むしろ超名門なのに大名として生き延びた佐竹さんや島津さんが凄すぎる
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武田家も生き残っていれば
存続したのかな
あそこも確か名家だよね
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鎌倉以来ってくくりなら南部氏や伊達氏、相馬氏も
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>>647
上の高家一覧にあるよ
いちおう生き残ってます
ていうか名門マニアで武田マニアの権現様がGETしない訳がない
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そこで戦国いい話悪い話ですよ
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まだ気が早いけど、このスレの次スレってやっぱスレタイまんま?
戦国時代総合、よりも面白くていいと思うが
東北武将←強い、カッコいい!
とかでも面白そうかな
まあ今決めるような話じゃないんだけどね
-
適当に戦国スレ立てればええよ
面白そうな戦国スレがあったなら自然と人も来るでしょ
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東北武将←強い、鮭美味しい!
とかどうかしら?
-
>>649
息子に武田の名跡継がせるというトンデモ行為
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>>651
東北推しだけでもなんだし、地域別に戦国スレ立ててみるとか
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それだと分散しちゃうかも
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まあ、戦国武将←強い!カッコイイ!とかでええか
まだ慌てるような時間じゃないしな
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ていうか、スレタイのわりに実はあんまり九州地方の大名について語ってないな
歴代当主がことごとく不慮の死な少弐氏くらい?
ここはやはり肥後の名門・菊池氏について語るべきか?
菊池槍の菊池って、肥後の菊池氏が元なんだっけか?
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そうそう
菊池氏は南北朝時代の島津枠だからね
キチガイすぎて一族戦死しすぎで草生える
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都道府県城スレが次九州入るから楽しみでごわす
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普通九州っていったら島津大友龍造寺じゃないですかね・・・
ぶりっちょ民は天邪鬼
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>>661
その辺は色んなとこで語り尽くされてるやん
ここにはせっかく知識豊富な人が多いんやから、そういう意味で少弐氏くらいしかいないんやで
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いや別に有名どころの話題避ける必要もないけどね
ただ菊池氏は菊池十八外城とかもあるし話題は盛り上がりそう
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やはり大正義、阿蘇大宮司家の出番だな!
甲斐宗運さんとかいうチート国衆におんぶにだっこな気がするが
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ぼくは執行種兼
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相良ァ!お前んち江戸時代でも戦国みたいなことになってんな!
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神代勝利とかいう約束された勝利の神
なお
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>>663
ああ^〜、いいっすね^〜
熊本県の城がどんなチョイスになるか楽しみ
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>>666
細川さんとこの日本史上最強の自宅警備員・阿部一族もなかなか
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>>668
予測すると迷惑掛かりそうなんでアレやけど期待したい城はありますねぇ!
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>>670
気にしてない言うてたしええんとちゃう?
まあワイも心の中にとどめとくけど
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九州征伐直前の豊薩合戦や岩屋城の攻防戦とか島津軍が苦戦する場面って多いな
大友方の立花宗茂 高橋紹運 志賀親次 佐伯惟定らが踏ん張ったのも大きいが
兵力差や島津軍の精強っぷりを考えたら手間取り過ぎのような
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志賀さんの岡城攻防戦も激熱
あそこは石垣も凄い迫力だし攻めあぐねるのも納得ですわ
それぞれが守る城が堅固だったってのもあるんじゃないかな
調略で落とせる城ならともかく、死を厭わない兵が立て籠もる城を落とすのは相当の犠牲が出るし、ほぼ九州を掌握した時点の島津軍なら余計な犠牲は出したくないって心理状況もあったかも
ただでさえ城攻めは難しいもんだし
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佐伯惟定の栂牟礼城の名城やね
いくら兵力差があっても、あんな堅い守りの山城に攻め寄せるとなると一筋縄ではいかんのとちゃう?
島津軍ってどっちかというと平地での戦の駆け引きが得意って印象やけど、城攻めはそうもいかんしな
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しかも急拡大したはいいが大軍の大半は油断も隙もない諸国の国人、国衆たちだしな
大軍だからこその統制の難しさがある
しかも短期決戦ならともかく長期戦覚悟の遠征や攻城戦ともなれば…
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島津がどうなのかよう知らんけど、城攻めって信長とか秀吉がその有効な方法を確立するまで、籠城=敗北ってわけでもなかったんよな
戦国末期だし、さすがに島津も進歩はしてたかな?
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鉄砲の登場が大きかったとは言え、別に攻城戦は攻める側に不利な状況は変わらないけどね
封建制軍隊の場合はすべてそうだけど、
・近代的な補給システムがないので食料は基本持ち込み、略奪、戦場商人によるので周囲を食いつぶしたら飢餓発生
・戦場衛生観念の乏しかった時代なので包囲軍は疫病の巣、戦病死者が続出(戦死者よりも病死者の方が多かったりする)
・召集した国衆・国人の比率が近世まで圧倒的に高いので長期戦では手弁当の彼らの士気がだだ下がり
・大砲登場以前な上に攻城兵器の発展も大陸に比べて種類少なく、攻める手段が少ない
結局、一番有効な手段が相手の動揺を誘っての内応策・調略だったりする
かなりの戦力差がないとガチに守ってる城を落すのは大変
職業軍隊化がそれなりに進んで戦力差もあったはずの秀吉の小田原攻めですら、
実は包囲軍は補給上の問題でかなりレッドゾーンに近かったんじゃね?なんて説も最近あるし
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反面、立てこもってる側も国衆が多くて攻め手との縁戚関係で内応誘い易かったり、
周囲の農民の避難所となってるケースも少なくなくてやっぱり疫病や食料難に苦しんだり
水手が無い欠陥山城もあったり、守る側にも苦労はあったみたいだけど
結局は遠巻きに包囲しての我慢くらべってケースが多い気がする
で、だいたい守り手の国衆が内応して崩壊みたいな感じ
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>>677
つまり島津軍は?
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>>679
沖田畷の引き金になった安徳城も調略で落としてなかった?
秀吉の九州征伐のプレッシャーに急かされて百倍近い兵力で力攻めした岩屋城でも大損害出したし、
他の戦国大名との違いがそれほどあるようにも思えない
むしろ山田有信さんin高城とかいうチート級の篭城戦のエキスパートが凄すぎる
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てかそんだけ詳しいなら>>672の問って自己解決してるような・・・?
別人ならスマソ
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>>681
別人です
こちらこそ安価しないでまぎらわしかったね、すんません
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高城攻防戦もドラマ性あっていいっすね〜
宮崎県の城にランクインするか楽しみだゾ
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宮崎県なら伊東四十八城がまず考えついたな。
伊東祐兵の頑張りも評価高い、祐兵さんももっと知られるべき。
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ここでも九州のお城談義やってたのか
岡城は無事に選ばれてよかったよかった
見た感じこだわりのある城が多い地域ですな...
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600レスを越えてやっとスレタイらしい話題で盛り上がる九州大名スレ
九州は鉄砲先進地帯だったからなぁ、攻め手も守り手も銃撃戦が激しかったんやろなぁ
高城での大友軍の国崩しはイマイチっぽいが
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ここが九州スレというのをすっかり忘れてたゾ・・・(池沼)
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余命が後僅かという状況でも国崩しを引っ張り出して
豊臣軍到着まで粘った大友宗麟の最後の意地が泣ける
なお息子
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まあ九州スレという名の戦国総合スレって現状も面白くて好きだけどね
>>688
義統さんは、氏真くんや天庵様や宇喜多秀家や小早川秀秋と違って、
あそこまで徹底して擁護や再評価の声が上がらないのがむしろすごいと思った
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>>688
臼杵城がここでかなりの人気があるのも頷けるエピソードやわ
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>>689
近年では大友家衰退最大の原因である耳川合戦が宗麟の主導ではなく
義統主導という説が濃厚になり始めたりと本当に救いようがない模様
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寺社仏閣破壊も義統くん主導説でふんだり蹴ったり
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そーりん日向もらっといて、三男にでもあげとけばよかったんじゃないかと思ってしまう
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宗麟くん後方のキリシタン村・無鹿から一歩も動いてないんだよね
そして義統くんも
日向での伊東家滅亡から島津VS大友、そして耳川の戦いについてはこのサイトがオススメやな
http://www.hyuganokami.com/kassen/takajo/takajomenu.htm
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>>694
いつも乙デース♂
豊薩合戦の復習のためにも見ますよ〜見る見る
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>>694
おお〜これは・・・高城は確定ですかね?
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島津一族でも島津パパや義久兄ちゃんはじめ、島津忠長とか島津征久とか功績のわりに知名度低いよね
三兄弟が派手すぎるのが悪いのだろうか?
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>>697
義久?むしろ地味なのは歳久では
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>>698
歳久って悲劇の英雄的な人気あると思ってたけどそうでもないの?
ワイの中では義弘>>>>家久(善)>>歳久>>>>>>>義久くらいが世間のイメージだったんだが
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あえてツッコミどころを作る方が議論が盛り上がるしまあ多少はね
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>>699
まあそれも1つの考え方かな
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とは言いつつ実は四兄弟では義久が一番好きです
やっぱこの人が戦略家として手綱握ってたからこその島津家だと思うし
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ワイの序列は義弘>家久>義久>歳久
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九州の大名で真っ先に少弐家が出てくる人の完成はんにゃぴ、よくわかんないです・・・
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>>704
名門好き
というか少弐氏、島津氏、伊東氏、阿蘇大宮司家、大友氏、それに侵略してきた大内氏と、
九州は古い名門家系の大名が戦国後期まで活躍しまくりだからなぁ
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好きな順番は>>703で、武将として評価するなら義弘≧義久>家久>歳久かなあ
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家久君上京日記を見る機会があったけど東大寺や細川館跡を見た
ご馳走をいっぱい食べたとか有名人を見かけたなど
本当に観光日記みたいな内容で思わず笑ってしもうたわ
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>>707
素朴で純粋ないい奴だったんだろうな感が伝わってくるよね、良い方の家久くんの旅日記
信長が大軍で上京してきたの見物してはしゃいでたりして可愛い
なお悪い方の家久は
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筑紫広門とかいう変わり身の速さでは戦国一の小大名
大友家→龍造寺家→島津家→大友家→豊臣家→徳川家
-
狭門(笑)
なお
-
松本清張の短編集「奥羽のふたり」を
今読み進めているんですが
伊東家の転落を描いた「三位入道」
面白かったです
伊東義祐ってあんな激動の人生を
歩んだ大名なんですね
-
縦読みかと思った
-
大内さんにしろ義祐さんにしろ、箔とか官位とかに執着しだすのは滅亡フラグだなぁ
愛想つかした福永さんの寝返りからたった4日で滅亡は、逆に鮮やかすぎる
でも最期まで孤高に生き死んだプライドはすごいと思った
あれだけの家柄と官位があれば秀吉も家康も無下にはしないのに
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>>713
息子の仕送りで暮らしていれば
お伽衆くらいにはなってそう
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昔は濁り酒だったみたいだけど
戦国時代から澄んだお酒ってあったよね?
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>>715
wikiによるとあったみたいっすね
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南都仏教「澄み酒のルーツ、清酒はワシが育てた!」
やっぱ南都六宗ってクソだわ
やっぱり最澄上人がナンバーワン!
なお般若湯
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クソじゃない宗教勢力ってどこだろ?
高野山?
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密教系じゃね
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>>719
比叡山「一理ない」
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>>715
室町中期あたりからご清酒が日本各地で作られるようになって戦国時代ではご当地清酒が外交の贈り物にもなってたりした
一般市民の口に広く入るようになるのは江戸に入ってからだったと思う
戦国時代を含む室町中後期は海外の酒に触発されて味醂が出来たり養命酒が登場したり酒造文化でも重要な時代で面白い
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>>721
はえ〜、すっごい江戸・・・
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鴻池のクビになった職人が腹いせに酒樽に灰をポイーってのは完全に俗説らしいけど
ちょうど江戸初期に地球の反対側のバルバドスで発明されたラム酒は、
もともと製糖過程で出る廃棄物の糖蜜を発酵・蒸留するのに動物の死骸やら糞尿やら放り込んで促進させてたらしいな
ゴミにゴミを投入して作った当時のラム酒…
オランダも輸出用に大量生産してたみたいだし、日本にも入ってきてたんだろうか
-
うげぇ・・・と思うけど当時は平気だったのかね
死体防腐のために酒樽に入れておいたら酒が飲まれて死体腐っちゃったみたいな話もあるし
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なお当時の劣悪なラム酒の大半は奴隷用かアメリカ先住民orアフリカの奴隷貿易用だった模様
それが後に船乗りたちに愛飲される酒になっていくのだけれど
なにせラム酒の語源の「ラムブリオン=悪魔殺し」
味もまさに悪魔殺しの代物だったらしい
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どうせ蒸留するんだから飲むだけならカンケーないとは思うが臭いもそのまま移るしよく飲む気になるな…
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盃で酒のんでみてぇなぁ…
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??「ささ、上様、越前・近江産の『特製の』盃でございまするぞ?存分にきこし召されよ」
髑髏杯って古代ケルトやゲルマンでもあった風習なのね
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>>728
ノッブ「よっしゃ、内々の宴会やしこれ肴にするわ」
牛「よっしゃ、記録に残したろ」メモメモ
-
髑髏眺めながら飲んだ説もあるけど怖杉内
-
関東公方とかいうロマンの塊
なお内紛の種にしかならん模様
-
お!歩く名刀やんけ!ヨシウジグサー
-
>>731
どんなことあったん?
-
古河公方だった…
なんでもします
-
ああなんや、古河公方のことか
>>733は取り消しで
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開幕速攻辻斬りにあう義氏くんかわいそう
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>>735
>>734は >>732です
すいません蟄居します…
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これもうわかんねえな
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関東公方の負のオーラが半端ない歴史
初代・足利基氏 すでに管領上杉家とドンパチ始めている。28歳の若さで病死
2代・足利氏満 中央の混乱に乗じて関東独立のために派手に斬り取り開始。何気に最長在位
3代・足利満兼 中央に反旗を翻して速攻で土下座したり、初代伊達政宗を討伐したりしたが32歳で病死。狂死とも
4代・足利持氏 永享の乱の首謀者。ある意味、関東動乱の引き金。幕府軍に敗れ自害
5代・足利成氏 享徳の乱の首謀者。中央の混乱もあって関東のカオスっぷりに拍車をかけた。鎌倉を焼亡させて村にして古河に移った
平和に統治、という発想が一貫して存在しないのが潔い人たちだ
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室町時代は全国的に常時内乱祭り開催中みたいなものだから多少はね?
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>>739
うーんこの戦闘狂一族
-
小弓公方とかいう最後っ屁
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古河公方、関東管領上杉家、守護代長尾氏に堀越公方…
これらがくっついたり敵対したり延々とバトルロイヤルやってた結果
気づいたら元幕府官僚伊勢氏=後北条氏の天下になっていたという
関東はカオスすぎるんだよなあ
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???「そっちに獲物逃げ込んだんで、武装して兵士連れてそっちいっていいすか?」
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鹿狩りの偽装してってのは俗説らしいんだけど、
河内国の惣村が連合して戦するときに「山で鹿狩りしてるって名目で兵隊動かそうぜ」
って文書が見つかったりしてるから、割と普通に行われてたのかもしれないね
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当時は銃なんてないから村総出で鹿狩りしてたのも忍ばれるというか、
肉食も普通にしてたんやねぇ
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>>746
天武天皇の殺生禁止令や仏教の殺生戒はあったけど普通に貴顕も庶民も肉食べてたよ
豚はほとんどいなかった代わりに猪、牛は貴重品だった代わりに庶民食として犬肉
でも圧倒的に多かったのが鶏や野鳥だね
お陰で鶴をはじめ多くの野鳥が絶滅危惧種になってしまったが
蜀山人によると猿も食べてたみたいね
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間違えた、北大路魯山人な
ちな明治の京都人の魯山人の証言
http://www.aozora.gr.jp/cards/001403/files/54960_48525.html
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何気無い手紙ならともかく漏れたら不味い機密事項に当たる書状まで
現在まで大事に保管にされているというのも奇妙な話やね
挙げ句の果てには読んだら棄てろと書いてある書状まで残ってるし
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石田三成の直筆密書を幕末まで厳重機密扱いで封印してた真田信之兄ちゃん
何たくらんでたんだ…
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ただの反骨精神じゃない
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真田のお兄ちゃんはもちろん膿を飲んだ仲の大谷吉継、関ヶ原後子どもたち匿ってくれた津軽為信、七将襲撃を救ってくれた佐竹義宣、幼なじみの田中吉政と親友がたくさんいる三成
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いいよね
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>>752
最後は難しいラインやなぁ
友人で秀次事件のときかばってくれた恩人なのに三成を捕まえて家康に突き出した人非人か
それとも三成が「捕まるならお前で良かった」と言って愛刀を渡したエピソード重視であくまで友人と見るか
個人的には後者だな
それともこれ、ツッコミ待ちのボケだったかな?
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>>754
詳しい人がツッコミどころを残しておいて議論を広げるのはよくあることやね
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親友4人じゃチョット少ないから数合わせ要因で入れただけ
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親友四人は多いと思う私であった
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虎「友達は最低でも7人程度はいないとねー」松「だよねーw」
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島の左近や蒲生郷舎さんあたりの重臣は家臣というより親友に近い…いや、あれは完全に保護者だな
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よし話題広がってるな!
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氏郷「あれは…板倉権内?!」
権内「アナタハ…ガモウケ ノ ウジサトサン」
氏郷「こんな所で何をしているんだ!」
権内「ボク、モウイラナイッテ…オクビョウ ダカラ イラナイッテ…」
原「そんな・・・!君が筒井家にどれだけ貢献したと思ってるんだ!」
権内「イヤ、トクニシテナイヨ…」
原「板倉、いや権内。ウチに来ないか」
権内「エッ」
氏郷「世間を見返してやろうじゃないか!」
ラミレス「ハ、ハラサン…」
-
>>761
めちゃくちゃやんけ!
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>>762
なんかノリノリで始めたけど途中でめんどくさくなった
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>>761
お前んち蒲生だらけじゃねーか!
板倉さんって臆病者自称してたけど再生工場長こと蒲生氏郷さんに再雇用されて発奮、
戦場で大活躍して名誉挽回して戦死した人だっけ?
蒲生さんは本当に立花道雪ばりに人材の使い方が巧いよな
なお没後は量産型蒲生と寄せ集め集団の内紛で自滅した模様
-
氏郷の逸話大好き、氏郷亡きあとの蒲生家きらいじゃないけどすきじゃないよ
-
なんで地方に飛ばされたのに関ヶ原で三成についたんや?
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>>766
蒲生家は東軍に付いたぞ?
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>>767
俺は何か勘違いしている…?
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大所帯であげられる褒賞がないからって代わりに大名自ら風呂わかして家臣招待する蒲生さん
あんなんしてもらったら死にもの狂いで戦って恩返しするしかないわ
なお、お金大好き百万石おじさんは、歳のかわらない甥に水風呂に入れられた模様
残念ながら当然、股の槍左らしい最期といえる
-
>>768
恩賞として蒲生姓を賜った量産型蒲生の一部が蒲生家改易後、石田家に流出したのを勘違いしてるんじゃないだろうか。
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>>768
氏郷に恩賞がわりに名誉の蒲生姓もらった量産型蒲生のひとりで、
氏郷死後に三成重臣として活躍した蒲生郷舎さんと勘違いしてんじゃね?
-
それだ
蒲生姓で判断してた
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島左近に隠れていまいち影の薄い蒲生郷舎
さらに薄い舞兵庫
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たしか賤ヶ岳で奮戦した佐久間盛政の弟たちも召し抱えてたよね氏郷さん
立花道雪、堀久太郎、黒田如水、鮭様あたりと並んで上司にしたい戦国武将のトップクラスだなあ
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>>774
でも氏郷さん、些細な軍令違反でも首刎ねるからなぁ。
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『天を衝く』では氏郷は愚将として描かれてたな
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そういえば道雪も、勝手に戦場から実家に正月休みで帰った連中を族滅してた気が
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>>777
その代わり勇敢に戦った者への労いは細やかだな
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>>776
あれはレオン、随分と小物だったな
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奥州仕置の諸問題の責任の大半は秀吉にあるんだけど氏郷さんにしわ寄せが行っちゃってるんだろうなぁ
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kmrァ!吉清が悪い
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>>781
kmrって?
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岩手県が地味にプッシュしてるが
いまいちマイナーな九戸政実さん
わざわざイケメンにしなくていいから(良心)
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九戸政実がイケメンには無理がある
豪傑風なのが一番いい
イケメンは実親で
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>>782
小村のイニシャルから取った表記
小村吉清のことやね
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まさざねくんすき
http://i.imgur.com/wbbUew5.jpg
えぇ…(困惑)
http://i.imgur.com/Z302fK1.jpg
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なんだこのイケメン!?
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>>786
コレジャナイ感が凄まじい
これが姉帯兼興とか櫛引清長ならわかる
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>>786
禿げネズミ「それでおみゃーさんにゃ、おみゃーさんによー似た姉妹がおるんかぁ?母でも可」
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撫で斬り、回避!w
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山本勘助と宇佐美定満の活躍がなんか胡散臭い
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>>791
真田幸村と真田十勇士「俺たちも仲間に入れてくれよ」
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非実在戦国武将とかいう謎ジャンル
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>>792
雑賀孫市「俺も俺も」
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甲陽軍監にしか山本勘助の記述ないんだっけ?
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ヤマカンは例の大河から他に文書が見つかったんじゃなかったか
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啄木鳥作戦て創作だよね
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妻女山に一ヶ月布陣からして怪しい
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頼山陽の日本外史もそうだが参謀本部の編纂した公刊戦史まで甲陽軍鑑や甫庵を参考資料にしてたからなあ…
「真田幸村」大活躍の難波戦記もそうだっけ?
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せやせや
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その甲陽軍鑑ですら騎馬並べて突撃なんてしねぇよって書いてあるらしいじゃん
だれだよ騎馬突撃とか言い出した奴
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???「騎兵は馬から降りて戦うんやで」
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武田騎馬軍団と三段撃ちの神話は甫庵と大正時代の講談本が戦犯っぽいな
そもそも封建軍制から考えて「騎兵隊」は存在しないっていうの
騎馬武者はみんな自分の功名第一で突っ込むだけなんだし
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>>803
というと?
-
他人と一緒に突撃したら自分一人の手柄にならんからやんない
ってことやない
-
はえ〜、すっごい・・・アリシャス!
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>>802
サンキューヨッシ
-
そもそも騎馬武者ひとりを成立させるには、
鎧兜はもちろんだが替えの馬、しかもえらい苦労して銃声や戦場にびびらない軍馬を、
何頭も育成維持しなきゃならない
当然、荷物持ちや護衛の槍持ちもセットで
で、中世の経済ではそんなとんでもなく金のかかる兵種を集団で常備なんて無理だから、
西洋でも日本でも君主は荘園与える代わりに戦争の時には
騎士・騎馬武者数人と歩兵たち連れて参加してね?っていう封建軍役が普通だった
戦国時代でも大小の国衆や村に収入どれくらいあたりに武者何人、鉄砲何人、弓何人って割り当てして動員してた
なので功名争って結果として殺到する騎馬武者たちが騎兵突撃っぽく見えても、
別に部隊として編成訓練、統制されている訳でも ない
-
西洋の騎士も指揮官関係なく勝手に早って突撃して負けるパターンがいくつかあるし封建制ってそういうもんなんだろうね
-
ポワティエ、クレシー
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>>808
じゃあ騎兵突撃自体はあったんだね
-
ちなみにスレチだが重装騎兵隊の維持編成には世界中でいろんな工夫がされてる
中央集権と官僚機構の整備されていたビザンツ帝国は、
村あたり一人の重装騎兵を維持提供させる徴兵制度で強力な重装騎兵軍団作りあげた
十字軍騎士団は寄付や金貸しや膨大な荘園収益で重装騎士部隊を維持編成して騎馬民族トルコ人と戦った
その十字軍の影響と国内の中央集権に成功した国王たちも経済力で騎士部隊の集団運用したりした
ただし重装歩兵やウェールズ長弓兵にも苦戦してた重装騎士の黄金期は、
鉄砲の台頭であっさり終焉した
マキャベリ先生も雇った傭兵部隊が給料水増し要求のためか騎兵だらけだったのに、
あっさりスイス重装歩兵に叩きのめされてて君主論で使えねぇと毒吐いてたり
-
騎兵突撃と呼ぶかは微妙だろうなあ
組織だった連携もクソもあったものじゃないわけだし津波みたいなもんでしょ
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言い方が悪かったな
騎乗突撃はあったのな
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>>812
全然スレチじゃないっすよ!いつも参考になってます
-
カタクラフト
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>>811
でも武士個人個人バラバラだぞ?
あいつら戦争に勝つより名のある武者の首取ること最優先な連中だし
そして必死で追いついて主人を手助けする個人雇いの郎党足軽たちとセットだし
それを騎馬突撃と言っていいものかどうか
関東だと馬どころで国衆乱立してただけに騎馬武者率は高かったけど、
いかんせん国衆の寄せ集めだからなあ…
-
>>817
ちゃうちゃう、降りて戦うに対しての発言よ
-
敵の目の前で降りるんだろ?
それを突撃と呼んでいいんだろうか
-
ああ結局は降りて戦うんだな
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敵の近くまで馬で素早く移動して
そんで近づいたら降りるんじゃなかった
敵を馬で牽き殺したりはしてなかったと思うけど
-
>>818
ああ軍事板ですらトンデモ扱いな鈴木眞哉説ね
鎌倉南北朝の弓騎兵っぽい武士からの系譜からしても、
重装備の騎馬武者の圧倒的な突破力と馬上の有利から考えても、
何よりいくつもの一次史料の証言的にも、
さすがにあの説は支持できない
もちろん首狩りのために最終的には馬降りて組討ちってシーンは多かっただろうけど
-
ヒットアンドアウェイ
-
>>822
乗ったまま戦うってのが実態なんやね
-
個人的にはその乗ったまま戦うか降りて戦うかそれすら決まってもなく統率もされてないのが封建制の騎兵じゃないかと思うわ
個人個人の自由で状況的に馬必要ないと思ったら勝手に降りて戦うやつもいるし騎馬のままで戦うやつも居る混沌とした感じ
-
ようは人それぞれだね
-
鈴木説の真偽については軍事板常見問題(FAQ)サイトの戦国時代の項目でもかなり議論されてたはずなので参考になるかも
個人的には最初は騎馬突撃で槍働きして、組討ちの時は郎党に馬番させたり邪魔入らないようにさせたりって、
わりと臨機応変に個々の判断で戦ってたと考えてる
だから必ず騎乗って訳でも必ず下馬って訳でもないんじゃないかな?
もちろん信長みたいな強力な近世大名の馬廻り衆は常備騎兵隊に近いイメージするけど
-
好みの問題ってことか
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ある意味鈴木さんのおかげで研究が進んだって側面もありそうだな
スケールが全然違うけどピレンヌみたいに
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>>829
鈴木説懐疑論者だけど確かにこれは思う
改めて史料やらなんやら検証し直すキッカケになったと思うなあ
実は信長公記推しの藤本正行氏とも共著出してるんだよね
意外に面白かったです
-
一昔前と比べるとだいぶ考察とか再評価も洗練されてきたよな
桶狭間や長篠、本能寺あたりも
-
中世史自体が、皇国史観→唯物史観ってドグマからやっと解放されて
一次史料に基づいた研究検証を手探りで始めているっていう面白い段階だからね、今
常に新発見と驚きの連続
江戸時代の軍記物の横行やら化成文化の出版ブームやら明治大正の講談小説の流布やらで
資料の数が逆に異常に多すぎた状態だったからなぁ
-
10年ほど前の本を読むのも面白い
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中世史って区分から脱却するのももうすぐだな
-
中世史は熱い
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軍忠状の掘り起こしなんかも割りと近年なんですかね?
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せやね、個人所蔵の書状公開の動きもあるし
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高柳光寿とかいう1950年代から軍記物に踊らされた参謀本部「日本戦史」史観批判してた偉大なる先人
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素晴らしい、先達のおかげで今がある
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一時期はデタラメだらけの捏造本扱いだった信長記や太閤記なども
なんやかんやでリアルタイムで戦国時代を生きた人が書いたもんだし
他の資料には無い事実が書いてあるんじゃないかという考えが広まり
一次資料と矛盾していない独自の記述の部分が慎重に検証されている模様
-
いい時代だよね
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どの史料をどこまで信用できるかで盛んに議論されてる真っ最中だからなあ
真田「幸村」よりも毛利勝永押しの潮流もあるけど、それも今までの難波戦記みたいな神話への反動で、
毛利マンセーとまではいかないんじゃないのって反論も強かったり
ただ甫庵くんのソース的には確かに前田家中心にそれなりに取材も行ってるしそれはそれでいい
でも牛一と違ってこの人は善意で話を面白くするために膨らましたり捏造したりしてるのがなあ
歴史作家としては一級の人物なんだろうとは思うんだけどね
同じく評判悪い甲陽軍鑑からも使える部分はふるいにかけられてるな
-
これからだれ
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軍記物にしか出てない非実在戦国武将も史実の人となる日が近い・・・?
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>>844
例えば?
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甫庵さんの最大の弱点は、同時代人にすら批判されてるってエピソード多すぎなところ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-496.html
-
>>846
はえ〜、すっごいいいまとめ・・・
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果心居士や飛び加藤のトンデモ逸話が実在してたとか立証されたらさすがに感動するな
風魔小太郎でも可
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お世話になってる前田家へは多大なる配慮を忘れない甫庵さんそんなに好きじゃない。
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雑賀衆とかいう伝説上の集団
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滅んでしまった一地方レベルの大名家は大体資料が壊滅的な状態なので
研究にはフィクションである軍記物もあてにしなければならない悲しい事実
-
甲斐姫無双の成田記すき
稀代の名将だったけど坊さんの呪いで滅亡を運命付けられて最後に自害した小田氏治
…小田天庵記、さすがにムチャすぎる
-
この時代、玄米5合一日分てマジ?
-
参考にどうぞ
http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%AD%A6%E5%B0%86%E3%81%AE%E9%A3%9F%E7%94%9F%E6%B4%BB%E2%80%95%E5%8B%9D%E3%81%A1%E6%AE%8B%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E7%A7%98%E4%BC%9D-%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF-%E6%B0%B8%E5%B1%B1-%E4%B9%85%E5%A4%AB/dp/491523004X
-
そういえば今川氏真って、今川家の元家臣たちを率いて長篠の戦いで武田軍と戦って活躍してるんだよな
武田四天王の内藤さんを討ち取ってるってことは織田本隊じゃなくて徳川軍に参加してたのかな?
蹴鞠の達人にして卜伝流免許皆伝の氏やんの槍働きは全然伝わってないっぽいが
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>>855
まず長篠で活躍したってのを今知ったわ
-
徳川家時代の氏真って城主首になったこととウザがられて遠くに屋敷もらったくらいしか知らんかった
-
織田→親父が攻め込んで戦場で正々堂々討たれたんやし、しゃーない
家康→どさくさに三河取られたり武田と組んで攻めてきたりしてたけど幼友達だし掛川落城の時に救ってもらったし…
武田→人の一番苦しい時に一番やられたくない方法で裏切りやがった、マジ死ね!
っていうのが氏真くんの気持ちだったんだろうか
あんまり役に立たなかったけど武田打倒に参加したし、現に武田家滅亡後にまもなく隠居したんだよな
抜群の身体能力と優れた歌人としての才能を持ってたけど武家の棟梁としてはイマイチな氏真くんなりのケジメだったのかな
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>>858
はえ〜、すっごいわかりやすい・・・
-
伊奈図書さんって人が
かなり可哀想な理由で死んだのを知って驚いた
この時代の切腹ってこんなことで
命じられるのが普通だったのかな?
-
>>860
千姫助けた奴も切腹させられてなかった?
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>>861
あの人は奪回計画立ててたらしいからな…
伊奈図書の件も福島方の使者が
切腹したってことで仕方なかったのかな
-
>>861
実際には千姫の身柄を受け取っただけらしいね坂崎直盛
むしろその後の再婚先を公家にあっせんしてやったのに千姫が拒否
その直後に千姫が本多くんと電撃結婚で、バカにしてんのかとキレたらしい
ただでさえ頭おかしい坂崎さんは、ただ千姫への嫌がらせのためだけに江戸市内で武装蜂起して拉致する計画を立てる
直前に大目付の柳生くんが必死の説得で坂崎くんひとりの自害で事件おさめることに
なお、坂崎くん死後に約束は無視され坂崎家お取り潰し
残念ながら当然、ガイキチ畜生らしい最期と言える
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>>863
説明ありがとなす
日本史の先生に助けたのに切腹させられた可愛そうな人って教えられてそのままやったわ
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>>863
はえ〜、すっごい壮絶・・・
-
坂崎直盛ってどっか別のスレでも名前見た気がする
-
>>866
歴史春香スレの大阪落城の話…(小声)
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>>867
あー、あれか!
確かに城関連で見た気がするわサンガツ
-
宇喜多直家の甥というブランドを考えると残念だが当然
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そういやなんで福島正則って
戦も内政も上手いのに
世渡りがアレだったんだろなあ
-
>>870
ずっと秀吉と一緒で苦労を経験してないし
-
秀吉の子飼で江戸までいけた人いるの?
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>>872
江戸のどこまでかによるかな
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市松さんは酒さえ飲まなきゃ普通に名君なんだけどなぁ
福島家改易の際には諸大名がこぞって浪人をスカウトしまくったってくらい人材揃ってたし
なおほぼ酒浸りの日々の模様
-
>>873
秀忠くらいでいます?
-
>>872
羽柴四天王みたいに昔からの家臣に異常に冷酷なのが秀吉の特徴
子飼いっていうならねねの浅野家の系統もまさにそれだろ
堀尾さんは残念だったがいいとこまではいったな
小六や竹中・黒田はなんだかんだ言って与力だし
-
要らなくなった養子餓死させちゃうような人だしなぁ
-
>>876
はえ〜、アリシャス!
-
秀次の件をもっと穏当に処理してれば豊臣政権ももうちょっとはマシだったんだろうけど
そもそも暴君モードに入った秀吉のまわりにはすでに諫言できる老臣がいないor粛清左遷済みだったのがね…
殺生関白の逸話の大半は捏造くさいし、そもそも秀吉の方が圧倒的に殺生関白だしな
辛うじて諫言できてたのが家康だったって時点で詰んでる
-
数々の武功を挙げ賤ヶ岳七本槍の一人に数えられ朝鮮出兵では豊臣水軍の副大将を勤め上げ奮戦
秀吉死後は家康に接近しスムーズに鞍替えに成功して関ヶ原と大坂の陣でも活躍
戦国時代を最後まで生き抜き最終的には会津若松43万石という大領をゲットという出世頭なのに
何故か創作物では清正や正則と比べると影が薄い加藤嘉明さん
-
>>879
>>880
はえ〜、すっごいわかりやすい・・・
-
>>880
名字が同じ人が目立ってるから…
-
>>875
加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰
-
>>880
研究史上はどうなん?
-
>>880
地味加藤さんは息子がその分派手だから、悪い意味で
柳生忍法帖のエログロっぷりと柳生十兵衛にやっつけられるイメージしかない
意外に他の七本槍って明治まで残ってる家多いのな
大名になれなかった平野さんの飄々とした生き方すき
-
脇坂くん世渡りうまい
-
いつの間にやら譜代になってる脇坂家
-
朽木さんも減封されたけど
結構世渡り上手いよね
-
世渡り下手だけど世渡り上手な立花宗茂
-
>>889
生き残る為ならなんでもオッケーな
戦国時代で誠実を貫いて生き抜いたの
すごいよね
-
>>890
あの生き方ほんと憧れる・・・親父さん二人の薫陶の賜物なんだろうな
-
最近松本清張の短編読んでるけど
福島正則が酒に酔って
出してない命令出したと家臣に言い張って
切腹に追い込んだってマジ?
-
>>884
武功のみならず松山城築城や内政手腕にも優れた武将であるという藤堂高虎に近い評価やな
ただ会津43万石や徳川家光の鎧着初で介添役に抜擢されるなど豊臣恩顧大名の中でも
徳川幕府から異例中の異例クラスの厚遇を受けている件に関しては
父親が元々松平家に仕えていた三河武士だったのが大きいのではないかと言われとる
-
最近松本清張の短編読んでるのだけど
福島正則が酒に酔って
出してない命令出したと家臣に言い張って
切腹に追い込んだってマジ?
-
>>893
はえ〜、すっごい人生・・・
-
連投してしまった…
高野山に行ってきます
-
>>896
??「泳いで参った!」
-
高野山に出奔?追討しなきゃ(使命感)
-
>>896
あらいらっしゃい
戦国武将ねお墓勢揃いしてるから、ぜひぜひお参りしていってくだされ
-
池田輝政も秀吉死後に上手く立ち回り勝ち組に入れた武将なのに
自分より改築した姫路城の方が圧倒的に知名度が高いという不憫なお方やね
-
池田輝政自体は有名でしょ
姫路城と比べるのは酷ってもんだ
-
>>900
親類合わせて百万石でっせあの人
-
例えば現存12天守の築城者、パッと言えるかどうかって話だな、一分以内で
-
織豊時代をうまく乗り切り、江戸初期のゴタゴタもナントカしのいだ結果、孫や息子が夭折して改易とかあの世で号泣もんやろなぁ
-
小牧長久手にて親父や兄貴ついでに森一族のアレと地獄の中入り部隊にいて
無事に帰還出来たというのが地味に凄いわ輝政くん
-
>>905
名のある武将なのに鉄砲で討ち取られたあの鬼が無双しまくっていたおかげで、
輝政くんはこっそり隙をついて逃げられた説をいま思いついた
そういや弟の方の鬼も近所の津山に引っ越してきてなかった?
-
>>906
確かそうだったね
-
近年漫画やドラマで森可成の知名度が徐々に向上しつつあるが
彼の織田家中での地位は勝家以上のものだったのだろうか
-
>>908
さすがにそれはないんじゃないかなぁ
-
徳川家中の大久保忠世くらいじゃね
-
織田信包が織田一門内で信孝を差し置いて信忠 信雄に次ぐ地位だったと知った時は衝撃だった
合戦や内政でそれといった功績や逸話を全く聞かない人だし
-
信長の代ならそうだろうけど信忠の代になったら織田家の家臣筆頭に躍り出ててもおかしくないからなぁ
信長は蘭丸はじめ周囲の官僚に森家を重用してたし、鬼武蔵は後継者の信忠の最側近だし
信長的には次世代は大領主になった勝家・秀吉・光秀なんかの老臣を廃して、
森家や堀久太郎、蒲生氏郷あたりを中心とした中央集権体制を構想してたんじゃないかって気がする
そうじゃなきゃ20代の鬼武蔵や氏郷にに20万石以上もポンッとあげないでしょ
丹羽さんや勝家はともかく、秀吉・光秀・荒木村重あたりは、言うほど無能か微妙な佐久間さんの末路に、
相当な危機感を感じてたんじゃないかという気がする
まさに、狡兎死して走狗烹らる
-
はえ〜、すっごいわかりやすい・・・
-
>>912
挽回の機会を自ら捨てた佐久間サイドにも非はある(強弁)
-
あ、しまった
鬼武蔵こと森長可じゃなくてお父さんの森可成の話ね
勘違いしました、すんません…
-
どれのこと言ってるのか
-
20年以上前の件をいきなり蒸し返されて追放された林秀貞や
難癖付けられて理不尽な死を遂げた水野信元は何が悪かったんや…
-
中央集権化には邪魔だったんでしょ
-
森家が重用されたのって森可成があの死に方したおかげなのも大きいと思う
-
尾張三河の国境付近に領地を持ってる立場なのに
何故か桶狭間でイマイチ動きが分からん水野信元
立場的にどっちつかずの姿勢は不可能なはずなのに
-
上杉景勝や佐竹義宣も、中央集権化のために国衆や老臣を粛清殺戮しまくってるしなぁ
逆にDQNな政宗くんはあれで重代の大封の重臣たちを粛清したりしなかったから幕末まで財政難に苦しむことになったけど
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黒田如水軒さんは何であんな超ドケチになったんだろうね?
貯蓄していざというときに大放出が名君の定番だし、現にいざって時にはあの人も出し惜しみしてないんだけどさ
瓜の皮は捨てずに漬物にしろとか、木屑も勿体ないから再利用しろとか、食いカスは干してから塀の補強材にしろとか…
古郷物語の史料性はひとまず置いといて、ケチのレベルが細かいというか生活臭が強いというか
あの人、一応それなりの経済環境の出だよね?
有岡城時代が原因なのか、それとも元からああだったのか気になる
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>>922
関ヶ原の時大盤振る舞いしたじゃん
彼の考える「いざという時」の基準がどこなのかって話だね
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>>923
いや関ヶ原の時の浪人募集やらの大盤振る舞いはわかるんだよ
そのためのケチなんだろうなってのもわかるんだ
言いたいのは、そのケチケチ貯蓄法が、何であんなに所帯染みたお婆ちゃんの知恵袋みたいなんだろうって疑問
それなりに良い暮らしして育った人なのに不思議だねっていう
農民出身の田中良政とか食いつめ浪人時代が長かった藤堂高虎とかならわかるんだけど
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黒田長政が関ヶ原本戦に連れて行った兵数より
官兵衛が九州で動員した兵数の方が多かった説があるのが恐ろしい
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クロカン「右手で家康と握手していた時、そなたの左手は何をしておったのか!?」
長政「ナニをしごいていました」
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>>924
いうて黒田も厳しかったけどな
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>>925
動員ってか現地で募兵したしな
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爺さんが目薬売って財なしてる商才な一族だし、血なんちゃうか?
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そういえば宮本武蔵って昔は関ヶ原本戦にいたみたいなことを言われてて
最近はクロカンの軍におったという説も出とるけど両方ともどの資料が初出なんや?
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宇喜多秀家の軍って聞いたことあるけど、今は黒田なんか
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参戦にしてたよって主張は例によって宮本伊織が書いた小倉碑文でしょ
ただ原文はぼかした書き方してるね
伊織の書いてる吉岡流との決闘だって当主の憲法以下普通に今に至るまで子孫続いてるしなあ
関ヶ原と大阪の陣については伊織もモヤッとした書き方だし、そもそも参加していたのかどうか…
島原の乱に参加してぎっくり腰で役立たず、の方は記録あったと思う
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某無双ゲームの関ヶ原で黒田んところに武蔵がいたのは最近の研究を一応反映してたのか。
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>>933
無双の2以外プレイキャラじゃないよね
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>>934
4と4-Ⅱでは固有ストーリーがないだけで一応プレイアブルキャラやで
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>>935
マジか
直虎ちゃんばっかり使ってはいかんのか?
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>>936
再来年の大河の予習してるだけだからセーフ
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最上義光って真面目になんで長男を殺っちゃったの?
結局改易されちゃったじゃないか(呆れ)
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>>938
あれって一部家臣が勝手にやったんじゃなかったか
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>>938
将軍家と縁の強い次男に継がせたくて家督争いを嫌っての暗殺説もあるけど、
家臣で次男擁立派の里見民部が勝手に暴走して殺した説も強い
個人的には後者に説得力感じる
民部が殺した直後に鮭様ブチギレて皆殺し命令出したので民部一族は慌てて逃亡
それでもあの鮭様が、執拗に追跡続けて、わざわざ遺言で「里見民部一族は必ず族滅しろ」って言うくらいだから
そして次男が当主就任してのこのこ帰ってきた里見一族は皆殺し
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>>940
義光ぶちギレるって相当ちゃいます?
温厚なイメージ勝手にあるんやけど
あと直江ぐらいやろキレさしたん
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>>941
むしろ秀吉でしょ
秀次に強引に側室として嫁がされて直後に虐殺されて畜生塚に捨てられた駒姫
そしてそのショックでおそらく自殺した愛妻
その菩提を弔うために奥州最大の寺まで建立するしな
実際、長男含めて家族への愛情がすごく強い人だったんだと思う
鮭様が全滅覚悟で圧倒的に数で勝る上杉にガチでぶつかって押し勝ったあの鬼気迫る迫力
秀次騒動から救ってくれた家康への恩以上に秀吉と秀次一家皆殺しの実行計画者の三成への憎悪だったと思う
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>>939
>>940
はえ〜暴走説ですか…
事後処理考えると説得力ありますね…
松本清張の短編読んで火が点いて
ネットでざっと調べた程度なんですが
だいぶ前から家康に注目してまめにいろいろ贈ったりとか
家康がそんなに家親推してたりとかあったんですかね?
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>>942
説明サンクス
上杉は秀吉のお気に入りやけんなおさらやろなぁ
惣無事ガン無視やし
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上杉とは庄内の件で揉めまくってるしな
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???「息子が出陣・・・?よっしゃ、死んだろ!」
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>>946
死ぬタイミングでまで息子に執拗な嫌がらせする義守とかいう畜生
ほんとにあの人は男の親族に恵まれないな、DQN眼竜政宗もそうだが
しかも義光の愛娘で奥羽きっての美少女とされた駒姫処刑の後味の悪いのは、
ほとんど秀次との面識すらなかった(おそらく処女のまま)駒姫は問答無用で処刑されたのに、
肝心の秀次の正妻・若御前は秀吉の縁戚にもなった池田家だったので処刑スルー
しかも義光が必死で助命運動・請願してる時に秀吉・三成が豊臣家への忠誠を誓う血判書書かせてたり
ワイが鮭様なら発狂してその場で大阪城に特攻するレベルの鬼畜っぷり
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>>947
ちょっと教えてほしいんやけど
三成なんでそこまでしたと思う?
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>>948
秀次粛清については、昔から三成ら官僚は、
成人の秀次じゃなくて傀儡にしやすい幼児の秀頼を擁立したかったって説が根強いよね
プラスで秀次の縁戚の大大名をついでに処分する口実が欲しかったって話もある
秀次正室や筆頭家老の田中吉政は三成の友人枠でお咎めなしだったりするし、すごい恣意的なイメージ
誓約書については秀吉の妄執じゃないかな、あの禿ネズミ最期まで諸大名になりふり構わず誓約させまくってたし
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>>949
つまり秀次周りが邪魔だったという考え?
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>>949
サンガツ
死ぬ前はほんとあれだよな秀吉
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>>950
もちろんこれは昔から議論のある話なんで確証ないけどね
逆に官僚派は必死で秀吉止めようと頑張ってました説も有力だったりするし
ただ、上杉くんと親しい三成くん的には最上家にいい感情持ってなかっただろうね
秀吉・三成サイドとしては秀次一派を一掃することで秀頼体制を盤石にするつもりだったのかもしれないけど、
実際には完全に裏目っちゃったね…
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あんだけ好き勝手暴君して最後が「かえすがえすも秀頼が事頼み申候」なのがクッソ笑える。
・・・人誑しの天才・羽柴秀吉がなんであんなことになってしまったんやろなぁ。
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名君の晩年。
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>>953
ほら子供ができると人間変わるみたいなアレや
まぁ実子ではないやろけど
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独裁者の病たる妄想性パーソナリティ障害の典型例だと思う
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山田風太郎の「妖説・太閤記」の実は元々ああいう畜生だったのを上手く隠してただけですよ説が意外に説得力ある
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秀吉信者の司馬も
豊臣家の人々では老髦したって書いてて驚いた
まあ秀秋を半ば池沼扱いしてたり
秀次が反省しない猟奇殺人犯になってたり
家康が秀吉の母娘が入った母屋に
薪置かせて下卑た笑いで外から様子見てたり
いろいろ他にも言うところはあるが
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研究者の紹介で、古文書などの史料を駆使した独自のアプローチ、ってのをよく見かけるけど、それって普通じゃんって思ってしまう
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古文書(甫庵太閤記、甲陽軍鑑、名将言行録、武功夜話など)
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>>960
最近見たのは「関原御一戦記」「慶長年中板坂卜斎記」「吉川家文書」「慶長記」だったな
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関ヶ原でどうすれば西軍が勝てたのか?
って太平洋戦争でどうすれば日本が勝てたのか?と似てる
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軍記物の史料としての取捨選択は結構難しい場合もあるけど
やっぱ史料と言ったら大正義・寺社勢力だよな
荘園経営の微細な記録まで残ってたりするし
そしてそろそろこのスレも完走近いかな?
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次スレは結局、戦国武将←強い!カッコいい!でいいんかな
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ええんやない
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勢いからして>>990以降に次立てればええか
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>>966
せやね
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囮を使って相手を誘き寄せてみたいな戦術ってどれくらい効果あるんやろ
少数でつっかかってきたら警戒せんもんなんかね
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効果は覿面、なんせ戦場で退く敵を追いかけないなんて心理的に難しいからね
反面、成功するには相当の技術と統率を要する
ようは成功に至るまでがかなり厳しい、安定して成功させる段階になった軍は強い、それが島津
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こういう戦法って囮が目的地付く前に壊滅したらグタグダだもんな。
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まあ自分の土地と郎党が第一の国衆主体の大名の封建制の軍隊ではかなり難しいけどね
耳川あたりでの島津の釣り野伏に関しては囮部隊に囮だと知らせずに自然と壊滅or潰走させてたんじゃねって説もあるくらい
よほど忠誠心が強くて統制の取れてる国衆や馬廻り衆じゃなきゃ、まず逃げる演技どころかまんま潰走して、
下手すればそれ見て他の国衆も裏崩れ(後方の部隊が勝手に潰走すること)する
策士、策に溺れないためには日々の国衆との関係強化と信頼・調練が大切
兵隊も指揮官も自分の計算で動く人間だからね
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そう聞くと、敵が他所からの侵略者の場合は成功率高くなりそうやな。
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封建制の軍隊定期
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いろいろ制約あるんやなあ
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島津の強さってどんなもんなんだろね
いうて封建制の軍隊だし、釣り野伏もフィクションなんじゃ
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泗川の戦いもだいぶ盛ってるよね
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捨てがまりもかなり創作要素強いとか
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>>972
せやね
どこが伏兵を置ける地点か、どこを敵を誘い込む死地か、地理を完全に把握してないと無理
だから、寝返ったばかりで無理してでも武勲立てざるを得ない地元の国衆を、上手くいけばラッキー程度で使い潰すことも
逆に兄弟や親族の阿吽の呼吸で、かつ峡谷だらけの地形でこれを得意にしたのが信州の国衆、真田家です
まあ、逆に言えば開けた平野部ではなかなか発達しない戦術でもある
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敵をおびき寄せるにしても少なすぎたら感づかれるし、多すぎたら囮にはならないし
適度な人数を見極めて、敵を誘引する機動を行うなんて、そりゃそうそうできないわなあ
やろうとした軍はいっぱいあるだろうけど、失敗のが多いだろね、記録に残ってないだけで
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三春の田村もこういう小戦には滅法強い
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あー、真田か。
第一次第二次ともに、上田城での戦いはそういう戦術だったな
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昌幸自らか囮役やってたもんな
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真田が大兵力を有していたらどんな戦をしていたのか気になるゾ
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寡兵ならではの戦術ってのもあるんやろなあ
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フリードリヒ大王の斜行戦術もそういう要素がちょっとあるか
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賤ヶ岳の戦いの佐久間盛政が、実はこれやろうとしてたんじゃないかって伊東潤が言ってた
弟と巧みに連携しながら余呉湖の北の狭い死地に秀吉をおびき寄せるのに成功した
けど、そこで山から駆け下りて伏撃するはずの肝心の前田利家が逆に交戦せずに撤退
それ見て後方で後詰介入のタイミング図ってた勝家本隊の与力大名や国衆たちが裏崩れ
結果、そのまま勝家軍は壊滅に追い込まれたと
結構説得力ある議論だと思う
最初から利家が内通してて裏書いたのか、恩を売るために土壇場で寝返ったのか、ただビビッて逃げたのか
それはわからないけど
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島津の釣り野伏で有名な戦いも、基本的には兵数的に劣勢な戦やな
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伊東潤さん、歴史小説家がどうのこうのって評価から抜け出せたんかな
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>>985
あそこまで巧緻な戦術だと、それこそ高度に専門化された職業軍隊じゃないと厳しいな
というか、大王以外には無理だな
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中川清秀討ち取ってるしな
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マールバラ、プリンツオイゲン、テュレンヌ、サックス・・・みんな常備軍以降だな
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大王はあれでもうちょい外交センスがあればねえ
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中世以前って、わーって寄ってわーって散ってわーって勝ったみたいな戦かぁ
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一方日本は江戸時代で平和だった
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ポワティエの戦いとかクレシーの戦いのフランス軍を見ると泣ける
いや、あれをフランス軍って称していいのかどうかだけど
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ある意味人間臭さが出てて面白いけどね、専門化される以前の軍隊も
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>>991
完全にスレチになっちゃうけど、ナポレオンのアウステルリッツのプラッツェン高地をめぐるダブー元帥の動きが、
釣り野伏の近代軍隊では一番規模が大きい成功例かも
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そろそろ完走して次スレへ!
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アインジャールートでもマムルーク朝軍が囮戦術使ってたっけな
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うめ
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